ぜんぶ秦恒平文学の話

秦恒平選集より掲載

私は作家たるべく生まれてきたのではなく、ただ「私」でありたい。
「私」が、作家である私の作品である。
とんでもなく誤解されそうだが、あえて「闇」に、さよう「言い置く」。
「私語の刻」1999年3月14日
湖の本99巻『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』

湖の本166巻 読者と共に38年

秦恒平自作を云う

秦恒平の<交響する読書>

秦恒平は毎日何冊もの、多い時は十冊以上の本を並行して読む習慣があり、それを<交響する読書>と表現してきた。(山瀬ひとみ)

* 昨夜は一時までかけて十八冊の本を次々に読んでいって感じた、はじめて実感したのは、それが「音楽」「シンフオニイ」のような読後感を呉れることだった。いまドイツ、ロシア、フランス、中国、日本の文学、エッセイ、哲学、稗史、伝奇、ファンタジイ、SF、論攷、地誌、紀行などを、洋の東西、今昔を超えて読んでいるのだが、よく選んでいるので、それらが或る合奏効果から快い「シンフォニイ」のように後味になって残る。病気を忘れている。眼が正常につかえればもっともっと心地よいだろうに。「私語の刻」2012年10月12日

秦恒平の文学作法

秦恒平の日本語・日本文化論

秦恒平による<機械環境文藝>の試み

「もらひ子」として

秦恒平選集より

京都人として

秦恒平選集より

歌人として

逢はばなほ逢はねばつらき春の夜の桃のはなちる道きはまれり
歌集「少年」より

生きたかりしにと闘ひ死にし母なれば生きのいのちの涯てまでもわれは
歌集「亂聲」より

けふの日をけふのふしぎとよろこびて数重ねきし春をことほぐ
歌集「閇門」より

茶人として

秦恒平選集より

知識人として

「知識人とは亡命者にして周辺的存在であり、またアマチュアであり、さらには権力に対して真実を語ろうとする言葉の使い手である。」
『知識人とは何か』 エドワード・W・サイード

わたしは道徳家でありたいと願ったことのない一人である。
 それより、本当に良き叛逆者でありたい、時代や社会や国や制度の枠組にしつように指令を擦り込まれ飼い慣らされた存在では、極力、いたくない。
「私語の刻」 2011年8月25日

秦恒平の有楽帖 観客として

死なれて・死なせて

秦恒平選集より

死の間近で

死と闘って一寸逃れに藻掻き苦しむ不安や恐怖から、人は所詮勝って逃れられるなどということは、ない。死は生の敵ではなく、生まれたその時から背後の友であった。これ以上もないほどしっかり手に手をとって歩んできた、自分自身の「影」なのでした。
湖の本 107巻 バグワンと私 ―死の間近でー

「e-文藝館=湖(umi)」

英文翻訳

秦恒平作品を英文翻訳したものを掲載していきます。

秦恒平論

秦恒平文学についての評論を掲載します。

山瀬ひとみの選ぶ 秦恒平名言集

上部へスクロール