ぜんぶ秦恒平文学の話

歌舞伎 2009年

 

* ようやく初春歌舞伎の座席券が届いた。当日にあと一週間とは、異例のこと。大人気なのであろう、有り難い。
2009 1・7 88

* 渋谷文化村のコクーン。野田秀樹作・演出の『パイパー』は、危ぶんだとおり、作者のモチーフの把握が弱く、したがって表現も騒がしいばかりで弱く、観念的な思いつき芝居の域を出ていなかった。
現代演劇として、英才の限りを尽くして追ってももらいたく描いてももらいたい喫緊に類する題材は、もっと他に有るだろう。底抜けに舞台が面白ければまだしも、前半の半分は睡魔との闘いに負けそうだった。
野田秀樹の盛名はさんざ聞いてきたけれど、近年つづけて観た何作か、概ね不成功で、自慰的ばかりに感じられた。客を、下目に見ているのではないか。
松たか子の科白術、ことに今日の芝居では「白」の方の確かさと巧さは、天性という以上の技倆であり、それが的を得て「科」つまり躰の弾みや動きやキレと合奏してゆく妙味は、優れた演劇的快味を醸す。俳優の「科・白」の卓越は時に作者の台本の拙からも解放され、自在のおもしろみを観客に味わわせてくれる。
宮澤りえはその点、演劇舞台の「科・白」としては、松たか子に一籌を輸していた。表情も発声もナマに見えかつ聞こえたのはザンネンだった。二人の他に俳優として特筆して観るべき印象を与えた、誰一人もいなかった。橋爪功も舞台の役者としては、「科・白」ともに甚だ物足りなかった。

* 終えて。ロビーで、にこやかな藤間紀子さんと、新年の挨拶。
今月は高麗屋が歌舞伎座で、娘さんがコクーンでと、華やかなりに多忙のことと思われる。今年もよろしく、と。
2009 1・7 88

* 初春大歌舞伎。昼夜を通して、水も漏らさぬ上出来の舞台がつづいて、大満足。舞台の評判は明日のことにする。
高麗屋の番頭さん達、「幸四郎からです」「染五郎からです」とそれぞれにお年玉を呉れた。恐縮、しかし目出度い。福祝いに、館内の売店で、黄金の小槌を二つ買う。
幸四郎の「俊寛」が最高の出来。幕切れまで、ピシッとみごとに。通俗な「置き去り俊寛」でなく、崇高な「居残り俊寛」の境地が静かに深い眼光に生きて、鳥肌だった。今まで幾度も色々に観てきた「俊寛」の最高傑作になった。昼弁当の「吉兆」へ入っても夫婦とも涙が乾いていなかった。
名も吉兆のご馳走にご祝儀の盃が出て。三十分の幕間では、もったいないが食べきれなかった。
昼夜のあわいにいつもの「茜屋珈琲」で、今年もよろしくと。うまい珈琲をすてきなカップで。ご祝儀にと「花びら餅」を夫婦にもらい、福祝いにと「折り鶴」も二つ。
夜の部にまた歌舞伎座に戻ったところで、藤間さんと顔を合わせ、夫婦とも機嫌よく少し立ち話。先日のコクーンでも。歌舞伎座でも。顔が合うだけで、とても気持ちの寛ぐ夫人で、妻もいつも会うのを楽しみにしている。
さて夜の部では、名酒「白鶴」を買っておいて、勘三郎の「春興鏡獅子」にうっとり、またはげしく惹きこまれながら、呑む。
大満足で果てて、タクシーで日比谷のクラブに入る。もうお腹も宜しく、妻はフレッシュジュースと抹茶のアイスクリーム。わたしはブランデーをすこし呑み、ほんの少しグラスに残したのをバニラアイスクリームに掛けて。
ブランデーと十八年の「山崎」とを置いているが、新年用にブラントンの佳いのを置き酒に買っておいて引き上げてきた。地下鉄と西武線とでゆっくり帰って十時半。まずまず。

* しかしなんとなくいい余韻をそのままにしたく、「書く」のは明日にする。

* もう日付が変わっている。あすからまた頑張るのです、煩悩やなあ。しかし今日は心の底から楽しめた。
今年は、いやおうなしにイヤなことも続くに違いないが、それはそれ。とにかくも能う限り何度も何度でもいろんなことで繰り返し楽しんで、夫婦だけの五十年を記念しようと決めている。世界旅行をするわけでもなし、日本中を旅するわけでもなく、車を買うわけでも家を買うわけでもない。胃袋は小さく弱くなっているし、体力も自然自然に落ちている。せいぜい好きな芝居を一緒に観るぐらいなもの、そんな機会には好きなだけちっちゃな出来る贅沢をしようよと話している。
怪我無く、事故無く、病気せず。それが何より。
息子にもそれしか云わない。云えるモノなら娘にも孫にもそれだけは云ってやりたい。
2009 1・14 88

* 歌舞伎座の昼の部は、「祝初春式三番叟」で幕開き。富十郎の翁が朗々と祝言の謡を謡いあげてめでたさ溢れ、嬉しく清まはった。千歳に松緑と菊之助が二人。清潔感に満たされた。三番叟は梅玉が気を入れておもしろう目出度く。開幕の三番叟は時として形式的なご挨拶におわるものだが、後見に出た錦之助、松江もふくめ、此の春の三番叟は「式」の字にそむかぬ美しい麗らかなめでたさで、たいそうケッコウでした。装置も美しく大きく変わった。
続く「俊寛」は、演し物としては重くて胸を衝かれるのだが、俊寛の出から、幸四郎の気の入りようはすばらしく、科白でいえばことに「科」つまり肉体の動きに老衰無惨の俊寛をしかと描き出し、劇性をもりあげた。俊寛の芝居は、赦免に漏れ、島に独り残されて哀れという理解が一般に濃くて深いが、原作の近松は、そんな単調な理解を否定している。少将成経が島の娘千鳥と結ばれる話は、俊寛と都に残した愛妻東屋との夫婦の恋と連動させている。その東屋が、すでに清盛の邪恋を拒んだがゆえに赦免上使の一人瀬尾の手で殺されていた。俊寛はもう都へ帰って行く望みがなくなっている。
俊寛は一人置き去りにされるというより、独り決意して鬼海が島に居残り、そのままあの世に行く日を待つ気になる。
幸四郎は今までにみせたどの俊寛の舞台でよりも、じつに毅然と独り島に居残った。最期に「オーイ」の呼ばわりをやめ、静かに静かに眼光を輝かせて沈黙した幸四郎の芝居は、総毛立つほどみごとであった。かつて観た誰のどの俊寛よりも最もいい意味で凄い俊寛の達成であった。もうそれ以上の何の説明も無用だった。熱い涙が煮えた。「劇」の一字を煮えたぎらせて胸のシンに感動をちからいっぱい要求してきた舞台の映えに敬服した。
三つめ、菊五郎清心と時蔵十六夜の情緒纏綿の浄瑠璃「梅柳中宵月」は、もっぱら時蔵の愛らしさと美しさとで惹きつけた。黙阿弥作劇の巧みさで、三場面がしみじみ生きて、幕切れ、悪心に居直る清心が、花道へ走って決まった瞬間、歌舞伎味が噴き出すように横溢した。
四つ目、昼の切り幕は玉三郎の独り舞台「鷺娘」の凄み、美しさ、所作事の曲のよさを満喫させ、云うことなし。なんという美しい役者であることか、ただ玉三郎の美しい美しい踊りそのものに、今ひとさしの大きい優美が欲しい。

* 夜の部も見事な充実。
まずは「壽曽我対面」で、「初役」など信じられない幸四郎の祐経の立派さ、位の高さに感嘆した。一代の名優としていままたこの大きな座頭役の加わったことは、じつに大きい。菊五郎の十郎、吉右衛門の五郎を睥睨してそばにも寄せ付けない位の大きさにわたしは目をみはった。おみごと。
芝雀の大磯の虎、菊之助の化粧坂の少将、魁春の小林妹舞鶴は、幸四郎祐経の威風堂堂に薫染されて格を保ち、染五郎の近江小藤太、松緑の八幡三郎も、祐経のかげで神妙に纏まっていた。錦吾と亀蔵の梶原兄弟など居るとも居ないとも気付かなかった。
問題は五郎と十郎。菊五郎の兄十郎は位正しく力も美しさも内に満ちてよろしかったが、吉右衛門の弟五郎の、荒事も科白も、なぜかいつまでたっても大きくは実らなかった。どうしたのと云いたかった。やはりトウがたちすぎた。格のことは分からないが、ここはいっそ松緑の若さに譲って、菊五郎との曽我兄弟、順当に大熱演させてみたかった。
それにしても初役幸四郎祐経の大当たりが生き生きしていて舞台の満足は大きかった。いい歌舞伎だった。
二つめの勘三郎「春興鏡獅子」は、前段弥生の踊りでたっぷりと堪能させた。なんというあでやかに愛らしい弥生のやわらかな動き・踊り。そしてあれはもう蛇に似た獅子が憑依しての凄さ、妻も私も総身によだつものがあった、あれも感動のうちなのである、全身全霊で伝えてくる中村屋の藝の質の深さと大きさとをうかがわせて余りあった。
幼い千之助と玉太郎との胡蝶の精の長丁場の競演も立派で、嬉しい見ものであった。
そして後シテ勘三郎の獅子の颯爽として元気、壮麗にして優美なこと、いうまでもない熱演で、もうもう云うことナシの完成美。満足しました。
昼の鷺娘、夜の鏡獅子。
歌舞伎座へくる幸せのそれは双幅の象徴美であった。
そして同じ勘三郎と玉三郎の大喜利は三島由紀夫の「鰯売恋曳網」、待ってました。
何度も観てきたが、今夜はひとしお玉三郎の美しい悩ましいきりりとして丈高い蛍火と、勘三郎の猿源氏とが、仲むつまじくて妬けるほど。染五郎が楽しそうに博労をつきあい、東蔵や弥十郎や亀蔵がご機嫌良く舞台のはなやぎを盛り上げてくれた。現代作品ではわたしは一等好きな舞台の一つであり、しかしこう玉三郎と勘三郎とで理想的に形作られてしまうと、のちのちだれがこの恍惚のおおらかな舞台作りを襲いうるだろうと心配になる。まさに極め付けを見せて貰っている。感謝。
で、ご機嫌もご機嫌、熱気を身に浴びたままで歌舞伎座をあとにした。いい一日であった。
2009 1・14 88

☆ 湖へ。  珠です。
晴れた空、キリリと冷えていますがお元気でいらっしゃいますか。
新年明けてすぐ私の仕事はいつもの慌しさを取り戻し、お正月はもう遠くに感じます。
それでも、何とか遠州さんの初釜に福を頂きに伺うなど、引篭もらずに動いています。
先日の「私語の刻」で歌舞伎座の舞台の感想を拝読したらどうしても観たくなり、急でしたが、今日の昼の部の券を買えたのでお陰で出かけてきました。
何より「俊寛」、でした。胸熱くなって泪ぽろぽろ。。しばらく座ったまま、島から歌舞伎座に戻ってくるのに時間がかかりました。この「俊寛」という演目は、私が文楽で初めて観た作品です。
その時、人形が人形でなくなって俊寛にしか見えなくて、その俊寛が遠ざかる舟に手を伸ばす様子に肌は粟立ちました。そうして文楽に魅せられて、欠かさず足を運ぶようになったのです。
歌舞伎の「俊寛」も以前に観ましたが、今日は格別。記憶に残る舞台になりました。
あの岩の上、、俊寛の、振っていた手をその膝においたあの様子、目を閉じても胸熱くよみがえります。
鷺娘はもう哀しく美しいとしか言いようがありませんね。玉三郎はこの世の人ではない化身のような役では、演じているとは思えない憑依したような、そのものに見えます。
三番叟では、千歳を舞った菊之助のふうわりとした舞に品を感じ目を奪われました。これからが楽しみです。
久しぶりに、予定のない休日に外出したいと思わせて下さった「湖」に感謝しています。お陰で。ありがとうございました。
明日は社中の初釜です。忘れた頃に名残りの新春、有難く出かけてきます。
乾燥した空気は咽喉にきますので、くれぐれもお気をつけを。
お大事に。湖。いつも、いつも。 珠

* あの高麗屋の「俊寛」を最良の感銘で分かち合えて、本望です。あの最期の最後の静謐からは、俊寛が自分は「弘誓の船」に乗るのだと願った、いまは亡き妻への至純の愛が光っていました。玉三郎、菊之助のこともまったく同感です。ありがとう。
2009 1・17 88

* 二月歌舞伎座は、昼に玉・菊の二人道成寺があり夜に勧進帳がある。三月は真山忠臣蔵で、仁左衛門、富十郎、染五郎、秀太郎、芝雀の御浜御殿に心惹かれる。染五郎の富森助右衛門に期待したい。
江戸城の刃傷に友の我當が梅玉の内匠頭に対し田村右京大夫で芝居をする。今回は彼を応援のために番頭の大久保さんに予約した。
四月は昼に玉三郎、吉右衛門等の伽羅先代萩通し、これに染五郎が花水橋の絹川谷蔵、対決・刃傷の渡辺民部と少し珍しい役をする。それも楽しみだが、ことに夜の吉田屋がいい。松嶋屋の三兄弟に玉三郎で吉田屋というのが堪らない魅力。加えて山城屋父子と我當での曾根崎心中が嬉しい。
楽しみの的は歌舞伎座にしぼり、京響の演奏会や俳優座の稽古場公演などのお招きは、失礼する。
2009 2・11 89

* 今日の歌舞伎座は、昼の部、玉三郎と菊之助の「二人道成寺」、夜の部、吉右衛門の弁慶、梅玉の義経、菊五郎の富樫、そして四天王に染五郎、松緑、菊之助、段四郎の「勧進帳」が、他を圧して、断然の見もの。
二人道成寺は同じ二人で前回にも観て感動ひとしおの記念碑的な出来だったのが、印象衰えることなく、玉三郎が他界の怨念無念をあらわし菊之助が現在現世の白拍子の美しさを露出して、かねあいながら溶け合う舞台効果の凄絶な優美に魅され、満足できた。
勧進帳は数々演じられ繰り返し観てきた中でも、今日の吉右衛門・弁慶は、菊五郎・富樫の情も烈しさもある肉薄に応じて、大きな豊かな隙のないみごとな力演。わたしは熱い涙を拭うのも忘れていた。感動! 梅玉の義経の好いのは何度も観ているが、染五郎、松緑、菊之助に更に段四郎という贅沢な配役に、またいつかも出会うこと容易ではあるまい。当代、考えられる最良の配役で「勧進帳」が輝いたから嬉しかった。魅された。
昼も夜も 高麗屋の高配ありがたく、演目にピタリ嵌った最良の座席で、感謝に堪えぬ。

* 他のそれぞれも宜しかったけれど、菊五郎親子の「文七元結」は、舞台台本がいけないのか、しまりが今一つなくテンポがわるい。これは前に観た勘三郎がむいている。
「加茂堤」「賀の祝」を続けたのは親切で役者達も若々しく賑わうが、橋之助・福助の櫻丸・八重を芯に、左団次白大夫の賀の祝が、もひとつ食い込まない。むしろ加茂堤での松江の三善清行・道化役が新鮮だった。橋之助の大声をひしゃげたような発声は、あたら大柄の美男立役、なんとかならないか。ちょっと自覚して発声を自分でも聴き人にも注意してもらえば、格別に大きな存在になれる歌舞伎サンなのに。
三津五郎のご苦労さんな殺陣がながながとつづく「蘭平物狂」は、前半御殿の場が歌舞伎としてはちいさく縮かんで煮えないのに、眠気がさした。後半の殺陣になると大和屋がひたすら気分良く楽しんでいて、こっちも楽しんだ。役者のからだのすばらしくキレる大才だけに、三津五郎ならねばといういい新狂言が幾つも出来ると好いのだが。
大切り春一番のご祝儀「三人吉三」は、玉三郎特別出演! で、染五郎と松緑が小気味いい。黙阿弥のセリフの宜しさを人気の花形役者で機嫌良く楽しみました。
目玉の二つが特大にでっかく、他も、愚な舞台がひとつもなく、ほんと、楽しめた。
歌舞伎座の外は、小雨。地下鉄へもぐりこんで、保谷ではやんでいた。タクシーですばやく帰宅。
2009 2・13 89

* 「4月に、歌舞伎座のさよなら公演に行くつもりです」とも、同じメールに。。
四月歌舞伎座は、昼も夜もいいですよ。ことに夜の「吉田屋」は我がクラスメートの兄我當、次兄秀太郎、弟仁左衛門の松嶋屋三兄弟の顔が久しぶりに揃って。そして「曽根崎心中」でも、藤十郎・翫雀の父子に我當が付き合います。
昼は玉三郎の政岡、吉右衛門の仁木弾正、仁左衛門の八汐と細川勝元。三津五郎も荒獅子男之助を大きく見せるだろうし、染五郎も二役の、「伽羅先代萩」の通し。気分よく楽しんで下さい。
2009 2・22 89

* 天気予報が宜しくなく、今朝の風雨にずぶぬれで歌舞伎座へはちと有り難からず。昨日幸いに午後元気に建日子が帰国し猫を引き取りに来たので、五十年「自祝の祝い金」をめでたく渡してやり、保谷駅まで車で送ってもらって、まだ降らぬうちに急遽妻の発案に乗り、日比谷のホテルへ入った。
ここからなら、朝もゆっくり出来てタクシーで木挽町へは間近く、名案であった。
リニューアルしたスイーツは、二十五年前銀婚の時にもつかった見晴らしのいい角部屋で、まだあの時は、朝日子も建日子も一緒に食事が出来たのではなかったか。
昨夜はクラブで、「伊勢長」の弁当をとりゆっくり晩食、コニャックの瓶をあけ、思い出話がはずんだ。アーケードなどひやかして歩き、入浴して、このところ根をつめてきたわたしは、お先にとはやばや熟睡した。
朝八時半、朝食が運び込まれるまで寝ていた。

* 十時半に歌舞伎座へ。座席を頼んだ松嶋屋さんに支払いし、祝って貰う。
弁当の幕間に、茜屋珈琲でマスターの、おもいきり佳いカツプで「祝いましょうよ」と祝詞をもらい、うまい珈琲を楽しむ。
また劇場ロビーで高麗屋の奥さんからもお祝いの品を頂戴し、暫時歓談、有り難い楽しいことであった。
芝居は真山青果の『元禄忠臣蔵』、昼は我當君が田村右京役で場をおさえる『江戸城の刃傷』、梅玉の淺野内匠頭、弥十郎の多門傳八郎、松江の片岡源五右衛門ら、それぞれに真山歌舞伎の要請を気合いよく受け容れて熱演し、舞台が引き締まった。
めずらしく萬次郎の加藤越中守が出色の歌舞伎芝居で見直した。ああいう風に演じればあの口跡が生きる。女形をさせるからいけないのだ。実のある武士や家老職などを美しく演じさせたい。
『最後の大評定』は、幸四郎抜群の大石内蔵助力演で、終始したたかに泣かされた。歌六の井関徳兵衛、種太郎の子息紋左衛門が前後で哀れを誘いながら、國家老大石の藝に、赤穂忠誠の遺臣等が眼差しも燃えさかりながら血判に参じ、死生の道を大石に委ねる緊迫は、真山の劇精神が熾烈に発露して、わたしの殊に好きな幕。
市蔵の堀部安兵衛が印象に濃く、また大石妻の魁春に品位の美しさがにじみ出た。
幸四郎の静と、動、激動の掘りあげと掘り分けとが、音楽的にも彫像としてもよく調和して、肺腑をえぐった。ああいう芝居に触れると沸き立つように観劇の嬉しさが噴き上げる。
そして仁左衛門と染五郎の『御濱御殿綱豊卿』は、人気の、劇的なあまりに劇的な幕。松嶋屋の綱豊卿は仁左衛門襲名でもとくと観ているが、さらに余裕が出て、緩急と心情の打ち出し方に歌い上げるような波のさしひきが美しい。すこし歌いすぎたかも知れぬが上乗の造形で、些かの渋滞もなかった。
助右衛門役は、あれは梅玉の綱豊に立ち向かってか翫雀で観たのが一途で印象的だった。今日の染五郎にもだから一入の期待を掛けて観て、満足した。よほど打ち込んで富森になって健闘し敢闘し、赤穂浪士として懸命なのがよくわかり、逆に彼が綱豊卿の芝居を動かしていたとも見えるほどだったのはすばらしかった。巧い拙いなどの問題を押し越えていった助右衛門の、彼なりの一途と懸命な働きと、阿呆払いされながら大きな土産を浪士仲間に持ち帰り得た喜びが、客席までよく伝わった。
秀太郎の江島、富十郎の勘解由白石、芝雀のお喜世などが支え、宗之助の病気窮状に変わって出たしのぶにも視線を送ってきた。

* 今日三月十四日は、舞台では浅野内匠頭の切腹の日であり、それをよしとしたわけではないが、忠臣蔵には原点の一日ということも意識して、昼の部を最大限に楽しんできた。

* 歌舞伎座からまたホテルに戻り、三階の写真館で予約の写真を撮った。
われわれ夫婦は結婚式を二人だけで京都若王子山の新島襄の墓前でして、結婚写真などというものも撮らなかった。その代わりというほどのたいそうな思いでなく、ごく気軽にまあよかろうと予約してみた。お笑いぐさである。食事前のアキ時間を使ったのである。

* 五時半、大学を卒業し大学院に入学する若い友達を祝う気持ちもこめて、三人で、「レ・セゾン」の楽しい晩餐。シェフたちのサービス満点で、シャンパンにも料理にもワインにも満ち足りた。満腹した。
若い友達からはエジプトのお土産をもらい、わたしたちは、春いろの、羽衣のようにはひらひらしないが、軽やかにふんわり毛で編んだ上着を贈った。やす香もきっとそばにいて歓んでくれたことだろう。

* 友達をホテルから見送って、クラブでほんの十五分ほどを妻はジュース、わたしはブラントン一杯だけを飲んで、ワンボックスの珍しいタクシーで、青梅街道から帰宅した。留守してくれた黒いマゴが大喜びで、家中をかけまわった。
郵便やメールなどを観て、感謝して、そして日付が変わった。

* 今日、この日を迎え、またこう見送って、感想は一つ、心底、ほっとした。なにより妻に、この日を無事に贈りたかった。去年の今日、どうしてでも来年の今日まで二人とも生きていたいと願った。一年中あたまにあったと言うとおおげさだけれど。

* さ、明日から新しい「一年目」に入る。培ってきた五十年に感謝して、静かに「さよなら」を言う。新しい仕事が、また始まる。
2009 3・14 90

* 四月歌舞伎座の席が取れて、昼の部は『伽羅先代萩』の通し。玉三郎の政岡、吉右衛門の仁木弾正、三津五郎の荒獅子男之助、仁左衛門の八汐と細川勝元と佳い顔が揃う。
夜の部には仁と玉の『吉田屋』に、我當・秀太郎が吉田屋の夫婦で揃い、次いで藤十郎・翫雀父子の『曽根崎心中』に我當が平野屋九右衛門で出勤。
もう一つは吉右衛門と福助の『毛谷村』。みな見慣れた演目だが、春の華やかも豊かさも楽しめる。
2009 3・17 90

* ペンの当選新理事三十人の名簿が、昨日来ていた。十三日、この中から新会長に互選された人が、さらに十人に依頼し、計四十人の理事会になる。歌舞伎座昼の部の先代萩が、前半しか観られない。夜の部は大丈夫だが。すこし気ぜわしいことになった。
2009 4・10 91

* 六時半に起き、しかかりの小説の一つを読み直し、書き継ぐ。

* 帰宅してもう、十一時半。今日の「日録」としては、歌舞伎座の四月大歌舞伎のことを書くか、途中昼の部を抜けて参加した日本ペンクラブの「新会長候補互選」会について書くか、どっちももう今夜の時間がなく、疲労しているので、後日にゆずる。

* 一言ずついえば、歌舞伎は山城屋と成駒屋が父子力演の『曾根崎心中』に感動した。
ペンの方は、わたしの感想では、ある種「末期症状」露呈というよりなかった。三十名の新理事の僅か半数以下の十四人しか集まらない。全員一致の投票でも全員の過半数に達しない。少なくも私の参加した限り過去五期の新会長互選では、例のないいわば不人気であった。
しかもそれに苦慮し、だれの知恵でか、だれにどんな権限が有ってか、欠席新理事たちに、今日の互選会より先、事前に、「不在者投票のかたちで新会長を選挙」させていた。そんなことは、今日出席した誰もが事前に連絡も受けず、むろん諒解もしていない。児戯に類する「むちゃくちゃな遣りよう」で、無礼であり、バカげてもいるし、ノンセンス。
これ以上、ペンのことは今夜は書く気がしない。つくづくイヤになる。新規入会者少なく、退会者のほうが遙かに数多い「近況」もムリがない。
歌舞伎は楽しかった。
2009 4・13 91

* 途中で会議に抜け出ねばならなかったので、せっかくの歌舞伎座に水がさされた。昼の部の「伽羅先代萩」の通しは、玉三郎の政岡、仁左衛門の八汐また細川勝元、福助の沖の井、吉右衛門の仁木弾正、三津五郎の荒獅子男之助、歌六の榮御前、彦三郎の山名宗全などと魅力満載なのに、花水橋と竹の間、最後の刃傷しか見られなかった。しかし仁左衛門の八汐は前回より効果的に余裕綽々円熟し、福助の沖の井も見映えした。玉三郎の景気はいつもどおり。むしろあまりに完璧。

* 退場の余波は夜の部にも疲労になってのこり、「毛谷村」にも「吉田屋」にさえものめりこめなかった。毛谷村はもともとたいした舞台とは思っていない。が、玉三郎と仁左衛門の、それに我當も秀太郎もいつものように好演する、松嶋屋三兄弟揃い踏みの「吉田屋」の舞台で、うたたねするとは不覚であった。
一つには伊左衛門のチャリぶりが、愛嬌とか人の良さというより、仁の「演じ」過剰のようについ見えてしまい、あの山城屋が天性玉成の伊左衛門の記憶の前では、浅く、またややあざとく「つくり」芝居に思えてしまうのだった。

* で、最上・最良の舞台は、大ギリの「曽根崎心中」だった。これはいわゆる佳い意味で歌舞伎ではない、人間の真実を追究した大近松の劇なのである。リアルであり、終始一貫して隙間もない、破綻がない。徳兵衛の口惜しさ、お初の一途。死への道行きを長いと感じさせず近松作のみごとな詞章を生かして、玲瓏の表現を得た。
藤十郎、翫雀という父子で演じるお初徳兵衛の愛と意地の悲劇。我當が相次いで不自由な足腰を庇いながら、ニンにあった藝を元気に見せてくれた。ありがとう。

* このところの根の疲れで妻も終盤すこし不調に悩んでいたが、それでも地下鉄でも西武線でも坐って帰れて、二人とも遅くまで床で読書。
『ゲーテとの対話』のあたたかさ、『ジャン・クリストフ』のすばらしさ。それにひきかえ三島の『禁色』は、力作は分かるが不愉快に気の沈む、イヤな小説。だがわたしもイヤなと思われるであろう小説を書き進んでいる。
2009 4・14 91

* 成駒屋から五月歌舞伎座、昼の部の座席券が届いた。高麗屋から六月歌舞伎座の案内が、成駒屋からも七月bunkamuraコクーンの案内が来ていて、それぞれ予約を入れた。
五月は、海老蔵や菊之助や松緑らが元気に顔をならべる。すかっとした新緑の舞台になるだろう。
いきなり海老蔵の『暫』が楽しい。富十郎、魁春、芝翫らの所作事がつづいて、『加賀鳶』はつまりは役者たちの勢揃いを楽しむ歌舞伎。気楽な半日になるだろう。
六月は賑々しい。夜に松本金太郎初舞台で幸四郎、染五郎で『門出祝壽連獅子』のご祝儀があり、昼に片岡仁左衛門一世一代で相勤める近松門左衛門作『女殺油地獄』は名作。進境著しい息子の孝太郎が豊嶋屋お吉をどれだけ頑張ってくれるか。
他に、芝翫、吉右衛門、梅玉、秀太郎、福助、松緑、魁春、芝雀、歌六、歌昇、東蔵など粒が揃う。
七月は、鶴屋南北作、串田和美演出の『櫻姫』を、むろん中村勘三郎。この凄惨にして華麗、しかも女の性の逆説的な賛歌でもある名作を、お馴染み中村屋をはじめ扇雀、橋之助、弥十郎それに笹野高史らがどう歌いあげるか。
2009 4・16 91

* 高麗屋の齋クンが四代目松本金太郎を襲名し、六月歌舞伎座で金太郎として親子三代「連獅子」の初舞台を踏む。高麗屋の懐かしい大事の名跡。
お披露目のご祝儀が祖父幸四郎丈、父市川染五郎丈のご挨拶を添え、三品贈られてきた。めでたく心華やぐ。
衷心大成を祝って、期待を遙かにかける。
おめでとう存じます。

まさやかに翠に映えてこれやこの獅子の歩みを踏む金太郎   宗遠
2009 5・2 92

* 松たか子の登場する賑やかな夢を観ていた。なんでも十四五人が細長い座卓をかこんで座談の客に招かれていたが、招いた主人公も他の客たちも一二顔に覚えのある人もいたが、みな名も知らぬ面子で。さて、何が特別の話題というでない、歓談というよりわたしには手持ちぶさたな場所だった、女の人たちが茶菓やのみものを出してくれる中に松たか子もいて、わたしは今日齋ちゃんご祝儀の品を戴きましたよ、おめでとうと小声で挨拶すると、小声で礼を言われた。
やがて大方の客が帰って、ワケ分からず数人が居残り、わたしも帰りそびれて残っていた。接待していた若い女の人たちがかわりに席について賑やかすぎるほど賑やかになり、これまたワケ分からず江戸時代の絵入りの読み本が一冊持ち出され、一人の若い女性に読んで聴かせてくれとせがまれたが、実によみにくい版面と書字にヘキエキした。その席にも松たか子はいた。
そこまで思い出せ、それ以上は忘れている。奇妙なものです、夢は。

* メールボックスに、高麗屋の奥さんのと、卒業生の林君のメールが来ていた。
高麗屋は大阪で『ラ・マンチャの男』の初日だそうで。三度観た舞台のそれぞれが目に甦る。やす香の一のお友達とも一緒に観たのだった。
林君と、明日池袋で会うことに。
妻が、海外青年協力隊に参加した布谷智君はどうしたかしら、もう三年たったかしらと、噂を。上尾クンはもう海外へ出張していったろうか。柳君の国内出張は六月頃までと聞いていた。丸山君はどうしているかな。編集者の白澤さんは活躍しているか知らん、堂免さんも新しい本の企画などに張り切っているだろうか。バルセロナの京も元気かな。みんな元気かな。元気でいてくれればいい。

* さてさて、このわたしは。大丈夫。元気にしています。
2009 5・3 92

* 今日は歌舞伎座。開幕の「暫」で海老蔵に会う。松緑、菊之助。今日は若い元気を観てきたい。

* 「暫」の海老蔵、口跡を巧みに高低使い分け、変妙の技巧について発声の難をかわした進境著しく、花道から、悠々楽しませた。大きく大らかで。荒事は、それで良い。それだけで良いとすら。さて、義綱役で白塗で落ち着いた辛抱大谷友右衛門が、そろそろどう「役の場」を確保して変わってゆくだろう。芝雀は女形で父雀右衛門のあとをひたすら追えば済むだろうが。そろそろ本格の役が観たいもの。

* 富十郎が、魁春に酒売りを付き合わせて「猩々」を凛乎丈高く舞った。それはもう期待どおり当然のこと。一驚し感じ入ったのは、魁春がじつに美しく役にはまって快かったこと、快哉の思い深く、さればこそ猩々の神秘が光った。
芝翫の「手習子」は、はっきり言ってムリ。いかな踊り上手が精一杯若く見せてくれても、踊りにもう血汐の流れが涸れかけている。断然、趣向の舞台大道具が秀逸で、惚れ惚れ眺めていた。

* 菊五郎の「加賀鳶」竹垣道玄の佳いのに、今日はビックリ仰天。いつもの伝かと期待していなかったが、いやもう堂々の名人藝の凄みで、嬉しくなった。これほどの菊五郎、ほんと、あまり観てきた覚えがない。
それと時蔵のあばずれお兼。抑えた芝居に悪性が身に嵌り、品のいい優しい時蔵にもけだるい凄みが出た。男の極悪などみな承知でなお、東蔵演ずる盲按摩の女房おせつに代わり道玄に心底連れそいたがっているなど、女の業悪にひと筋の情が通うなど、おもしろいコンビである。梅玉の松頭にも彦三郎の伊勢屋主人にも、もう一つ権のつよい威勢が欲しかった。
それにしても音羽屋の失礼ながら大化けで、ぱっとしない狂言がけっこう楽しめたのは、四幕六場、ありがとうサン。

* で、キリはお待ちかね、菊之助・松緑に、可憐も可憐な尾上右近が大抜擢の禿で一人前に競演する「戻駕」が、やはり、たいそう楽しめた。艶冶清麗、美貌の菊に、気概清潔、精悍な松。歌舞伎界でももっとも目を惹き心惹くペアの伸びに伸び盛りの美しい所作事に、いわば期待のチイ女形。作も曲も振り付けも、むろん菊・松ともにぴたり板について、これぞ面白づくの好舞台。
のーんびりと大道具描く平和に広やかな自然美を呼吸しながら、やがて気持ちよく昼の部歌舞伎座をはねて、機嫌上乗、木挽町の夕景へ妻もわたしも送り出してくれた。

* 日比谷のホテルで、金婚の日に撮った写真を受け取った。そのままホテルの「パークサイド・ダイナー」ですこし早めの食事。佳いメニューに惹かれて、飲み物はキールロワイヤル、これが旨くて妻もご機嫌。デザートには、何故そんな気が利いたものか更に「おめでとう」とチョコレート書き。よほどおめでたい顔をしていたのだろう。
五階のクラブへ上がり、わたしはブラントンをもう少し呑み足した。妻は紅茶。昼の部だけだと、さほど疲れもなく、八時には家に着いた。
車中、文庫本で、ずうっと漱石の講演「道徳と文藝」を聴いていた。
2009 5・12 92

* コピーして置いた、トム・クルーズ、ジャック・ニコルソン、デミ・ムーアらの軍事法廷映画『ア・フュー・グッドメン』が、久々に興奮で震えさせてくれた。
こういう享受の幸福がもっと積み重ならねばと思う。ウッディ・アレン、ミア・ファローらの『夫たち、妻たち』も面白そう。半分観て、あとはまたの楽しみに。今はどうしても「仕事」に気を向けてしまう。
とはいえ松嶋屋の我當のところから七月歌舞伎座の案内があり、昼に『海神別荘』夜に『天守物語』がある。玉三郎と海老蔵。他にも昼の『五重塔』夜の『夏祭難波鑑』は猿之助一座が加わり、若手でやる。鏡花の作を四つ昼夜で観たのはやす香が入院中だった、凍えるほど辛くて辛くて、座席で凍り付いていたけれど、それでも鏡花の舞台はすばらしかった。
あれからマル三年。今年もまたその頃にキツイことが起きていそうな気がする。それでも鏡花は観たい。
2009 5・26 92

* 六月歌舞伎座の座席券が届いた。
2009 5・28 92

* 留守に、三月書房から出た高麗屋九代目の瀟洒な句集『仙翁花』を貰っていた。感謝。もうすぐ、幸四郎、染五郎、金太郎三代がめでたく門出祝う「連獅子」に逢う。
2009 6・2 93

* 祝『仙翁花』上梓
松本幸四郎様  御句集頂戴

好きな句をくちずさみゐる慈雨の季
五月雨といふ句もありて幸四郎 秦 恒平

キホーテと五十路の旅の青しぐれ

まどろみて五月雨の曲聴いてをり

木枯らしの中に楽日の役者かな

冬ざれに筋隈の紅燃ゆるかな

おぼろ夜の鬼女の棲み家を訪ねけり

五月雨に露けき袖や幸四郎

神祀るやしろ涼しきところかな

老人のまどろむでゐる夏列車

機関車の大暑の谷に入りにけり

日盛りの裸足で帰る農夫かな

夕闇のなかに横たふ刈田かな

冬凪ぎの静けきなかの土佐にをり

幾千の木漏日いだき山眠る

冬の山大神のごとおはすなり

ぼたん雪降るをながめてゐたりけり

神々が双肌をぬぐ夏野球

今年またせみ鳴き初めて思ふこと

豊の秋うつして清し御膳水

寒椿散るが如くに又播磨

籐椅子に妻まどろむでゐたりけり

冬日和母の佳き日は暖かき

四代目の金太郎なり風薫る
2009 6・3 93

* 連獅子に気が集まって、他に何を観るのかアタマになかったが、六月歌舞伎座は昼の一番に「正札付根元草摺」が松緑、魁春で出る。二人ともわたしは昔から贔屓。松緑五郎の凛々、魁春雛鶴の姿の美しさ。嬉しい。堪能したい。
次いで「角力場」は高麗屋の濡髪、播磨屋の放駒、兄弟がガチンとまともに当たる。大きな趣向。
さらに所作事の「蝶の道行」は梅玉に福助という武智歌舞伎。美しい繪文様が観たい。
そして昼のキリが、近松の名作「女殺油地獄」を、仁左衛門と孝太郎という松嶋屋の父子で凄絶にくりひろげる。仁の息子、進境著しい孝太郎のお吉に期待がかかる。総じて、豪華版である。
夜の部は三番。
幕開きに「門出祝壽連獅子」は高麗屋三代の祝儀、金太郎が初舞台を踏む。あの齋クンがどう幸四郎、染五郎とともに花やかに映えるか、楽しみ。吉右衛門、梅玉、魁春、友右衛門、芝雀、福助、松緑、高麗蔵らがめでたく趣向の口上を。
そして吉右衛門、仁左衛門、芝翫、梅玉ら大勢の「極付 幡随長兵衛」三幕が、黙阿弥のごっつい江戸芝居を堪能させてくれる。
大ギリは「梅雨小袖昔八丈」お馴染み髪結新三で幸四郎が多彩な芝居をしてくれるだろう。家主の弥十郎に、一枚とびぬけた自在さで怖い芝居に笑いの風を吹き込んで欲しい。この舞台で染五郎の下剃り勝奴はいつも嵌っていて好きだ。
たとえ当日が梅雨の濡れ髪であっても、気は晴れ晴れと家に帰してくれるだろう。

* こういうことを、時間を惜しみながら書いているとき、わずかにわたしの気は和んでくれる。特効薬。
2009 6・4 93

* 渋谷文化村のコクーン、七月の「櫻姫」のベンチ席が用意できたと成駒屋から知らせてきた。勘三郎、扇雀、橋之助、弥十郎、七之助、そして笹野高史。どんな趣向であの凄い東文章を読ませてくれるか。
2009 6・6 93

* 郵便函に、『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上巻の刷り出し。週明け明後日には、いよいよ「湖の本通算第九九巻」の発送が始まる。今日と明日と、ゆっくり息をついておく。
中村屋一党での、七月、コクーン歌舞伎『櫻姫』のベンチ券が、成駒屋のお世話で、届いていた。
また歌舞伎座七月の、玉三郎、海老蔵、我當らが揃う鏡花劇などの昼夜座席券も、松嶋屋から届いていた。
ふたつとも、とても楽しみ。
六月歌舞伎座は、もうすぐ、昼夜楽しむ。
仁左衛門のまず絶対的好演の期待できる「油地獄」、高麗屋三代に吉右衛門ら大勢が花を添えてのめでたい四代目金太郎初舞台が、「門出祝壽連獅子」。楽しみ楽しみ。
六月中には、加えて俳優座と劇団昴の新劇も観る。不愉快を吹き飛ばす、七十三老の、最良のお薬です。
八月の歌舞伎座三部制は、第二部が、案内だとふたつとも勘三郎の出勤。福助がやる「累」の怖い怖い怪談と、中村屋の「船弁慶」知盛。これだけが観たいなあと。
2009 6・13 93

* 一日、歌舞伎座で楽しく過ごしてきた。

* 何といっても今日別格の眼目は、夜の部最初の、四代目松本金太郎初舞台『門出祝壽連獅子』であった。
祖父獅子松本幸四郎、父獅子市川染五郎、孫獅子松本金太郎三代を祝って、座頭格に中村梅玉、祖母獅子役に中村魁春、母獅子役に中村福助も加わった。さらに祖父獅子の弟中村吉右衛門、祖父獅子の従弟中村芝雀、父獅子とは又従兄弟の尾上松緑が口上にならんでくれ、豪華に賑々しい祝言舞台。大谷友右衛門と市川高麗蔵の間狂言のあと、三代獅子がめでたくめでたく颯爽と獅子の毛振りで観客を祝ってくれた。金太郎クンのけなげに可愛らしいこと、感動した。高麗屋夫人にも心より「おめでとう」を言ってきた。新刊の幸四郎句集からわたしの好きな句を選して祝ったことに奥さんからの返礼があった。

* 昼の部開幕の『正札付根元草摺』は、期待通り颯爽の松緑曽我五郎と豊麗の魁春舞鶴の、小気味よい力比べの達引きで歌舞伎味高揚の所作事が、すこぶる面白かった。
次の双蝶々の『角力場』は、兄幸四郎と弟吉右衛門が濡髪と放駒とで真っ向勝負がみもので、これまで観たどの達引きよりも大きく美しい盛り上がりの佳い場面になった。
三つ目の『蝶の道行』はこれまた中村梅玉の助国、中村福助の小槇が奏でる相思相愛、しかも凄絶な悲劇を美しく切なく燃え立たせる所作事で、衣裳も舞踊も絢爛の趣向に富んでけっこうであった。
さて四つめ午のキリは、片岡仁左衛門が一世一代にて河内屋与兵衛相勤め申し候、近松作の『女殺油地獄』に、仁の子の孝太郎が進境見事な豊嶋屋お吉でがっちり組み合った。秀太郎が与兵衛母おさわで引き立てた。幕切れ与兵衛の花道の見せ場がみものだった。花道ちかい通路脇、前から六列という絶好の席で花道へまぢか、舞台への視野も明るくて、堪能できた。

* 満員の茜屋の旨い珈琲で小憩、妻はジュース。

* 夜の部の開幕は、さきに謂う『壽連獅子』で。
貰っていた座席は、真真ん中、前から四列目の右通路脇で、絶好、高麗屋三代の定座へまっすぐ至近の視野、嬉しかった。舞台と座席とが直結して、獅子たちともまた髪結新三ともほんとうに真向かっていて、手を取り合うように親しめる。高麗屋さんのご厚意、いつもながら有り難い。(一つには、通路脇は幕間に手洗いへすぐ立てて、神経質な私にはおお助かり。図体が大きいので他のお客さんを煩わせなくて済む有り難さ、計り知れない。感謝。)
二つめに、「公平法問諍」ではじまる『極付幡随長兵衛』で、これが舞台の出来として今日随一の緊迫であったか。中村吉右衛門の花川戸の長兵衛、対する旗本八千石の水野十郎左衛門に片岡仁左衛門。長兵衛女房お時に芝翫を配したのがさすがに成功していて、緊迫のあわれが盛り上がった。ために、吉右衛門の輪郭がぐいと濃く太く立派に見えた。不愉快極まる卑怯な水野らと百も承知で死にに行く男伊達などわれわれは少しも良くは思わないのだが、藝というものの相乗効果がりっぱにモノを言い、これも今まで観た同じ舞台で最良を感じた。このところ吉右衛門が好調。歌昇の劇中坂田公平がいつもながら嵌っていて楽しく観られる。
大喜利の『髪結新三』では、福助の手代忠七が、本役にしたかと思う確かさで、これまた今まで観てきたどの忠七よりよかったのは儲けもの。幸四郎の新三は二度目で、さすがに手に入っていて余裕綽々の緊迫と軽妙。
ただ懸念していたとおりに弥十郎の家主長兵衛は、一本調子にせかせかと急き込むように喋りすぎて、凄みへ盛り上げる道筋が短兵急なのは惜しかった。この芝居は、幸四郎の新三にからむ家主役の柄が、大きくタケ高くかつ凄みに底深さがなくてはつまらない。弥十郎ではお手軽になりはせぬかと危ぶんだのが、そのまま出た。歌六の弥太五郎源七はせいいっぱいやっていた、あんなものかと思う。
染五郎は、角力場の山崎屋与五郎、父獅子、幡随長兵衛子分極楽十三、そして新三の下剃勝奴を、一つ一つ気を入れて演じ分けていて、役者ぶりが佳い。やはり父獅子で冴え返り、また極楽十三に落ち着きと意気の強さがよく出た。

* 歌舞伎座の厨房調製の弁当を午も夜も初めて食ってきた。旨かった。
じつは前日に妻は軽いぎっくり腰をやり、わたしは夜中に猛烈な左脚の攣縮痛に悲鳴をあげていた。だが、歌舞伎味のよろしさを楽しみ尽くして、食べ物もむしろ控えなかったので、二人ともいつもよりもむしろ元気に帰ってきた。
20-09 6・18 93

* 第百巻の抜き刷りも届いた。三四日もせぬうちに本が出来てくるだろう。用意も何もかも今回は異例ながら、要するに落ち着いて作業して行けば成るように成って済むだろう。「上巻」入金の推移に従い、しばらくは「下巻」発送作業の尾の細長くつづくのは仕方がない。
八日に聖路加の視野検査がある。二週間後に診察。
十四日は平成中村座。そのあとへ糖尿病の診察日が来る。鏡花の歌舞伎もある。
2009 6・30 93

* 今夏も、高麗屋がお見立ての浴衣地を頂戴した。感謝。金太郎クン初舞台も恙なく終え、よかった。幸四郎、染五郎連名のご挨拶があった。
2009 7・9 94

* 九月、昼に「時今也桔梗旗揚」、夜に「勧進帳」のある歌舞伎座の案内が来た。高麗屋、播磨屋がこの月も真っ向の競演で、楽しみ。
2009 7・13 94

* わたしたちの今日は、芝居のなかで隅田川(=稲瀬川)にもふれてくる。平成中村座の今回は「櫻姫」。勘三郎を芯に元気な連中が佳い芝居をしてくれますように。

* 暑い暑い渋谷へ。鰻の「松川」で例の昼食。肝焼きも美味かった。

* コクーンのベンチ席、特設舞台から二列目の絶好席。花道代わりの通路間際で役の者たちが再々往来して芝居をする。
勘三郎は清玄、七之助が懸命の櫻姫、権助は橋之助の嵌り役。好色無慚の残月と長浦を弥十郎と扇雀、ほかに片岡亀蔵、例の笹野高史。

* 総じてこぢんまりと演出おもしろくまとめ上げ、ソツもないが爆発する景気のもりあげにくい芝居で、衆道といい破戒といい好色といい、芯のところでお家を危機から回復するという極まりのけれんを、いわば「性」のものあわれとともに演出して行く。
大南北の力作であり骨格は確かなもの、もうわたしは六度はいろんな演出で観てきたが、飽きない。舞台の制限を逆手に取った串田演出には工夫があり、才気は才気、ムリはムリなままに、スケールの大爆発よりは正確な展開を丁寧に役者に働かせていたと思う。七之助は、満場を恍惚の陶酔へひきこむ迫力は(玉三郎などに比べれば)持てないが、美声と美貌とで懸命に板について演じ切れたのは、成功作とすべきだろう。

* 文化村コクーンの下で、「だまし繪展」も観てきたが、好みでなく、むしろ不快感に負けて気分を損ねた。妻がここで体力銷沈し、あわてて上の喫茶室で休息した。水分を入れ、強壮剤をのみ、小食。わたしはコーヒー。
そのままもうどこへも脚を伸ばさず一路渋谷から保谷へ。駅で、いいショートケーキとパンを買ってかえり、とっておきのフランスワインをあけて夕食にした。
金澤の戸水さんからちょうど贈られてきたご馳走の中からからすみを戴き、また讃岐の岡部さんに頂戴したすばらしい桃の冷やしたのを、頬の落ちそうにおいしく戴いた。
これで、上下巻とも恙なく百巻を送り出した内祝いにした。よかった。
2009 7・14 94

* 京育ちの盆は、つい八月という覚えになるが、関東では今日七月十五日が「お盆」であろう。梅雨が明けた、か。

* 八月歌舞伎座の「河内山」はまた播磨屋の宗俊かと思っていたら、高麗屋がやると、案内の訂正が来た。あいついで河内山そして弁慶とはご苦労だが昼夜に楽しみが増えた。
2009 7・15 94

* 歌舞伎座で終日過ごす。
お目当ては昼も夜も、鏡花劇の『海神別荘』と『天守物語』で、昼のもう一つの『五重塔』は、期待していなかった、露伴原作はいいが宇野信夫脚本というのはかつて満足したタメシがない。やすい人情劇に創ってあるだけ。案の定、今日も同じく。
獅童の源太が意外によかったし、春猿の十兵衛女房お浪もわるくなかったが、勘太郎には気の毒な半端な役。半端といえば贔屓の吉弥の源太女房お吉。これは台本の書き手がわるく、なんとも意味不明。四幕もあってのんべんだらりん。役者たちの罪ではない、脚本がお手軽すぎたのである。
ま、これは、どうでもよかった。
幕間が四十五分というので、それならと「吉兆」にとびこんだ。先客がたった二組。こんな流行ってない吉兆ははじめてで、献立も珍しく今日はすこぶる低調。

* 昼の本命は、もとより海老蔵と玉三郎との『海神別荘』で。玉三郎が演じ始めて三度目。九年前のも、去年のも、観てきた。三度とも玉三郎と新之介=海老蔵。一度目の衝撃的な出来映えは、ちょうど「湖の本」の百冊目に「感激」を書いている。
去年はやす香のことのあったさなかで、舞台を観ていながら五体は氷のように冷えていた。辛かった。それでも鏡花だから、酔った。酔えた。今年は悠々と観られた。
海老蔵公子の「語り」に工夫があっておもしろいと聴いた。
猿弥の沖の僧都は、悠々と遣った。じつはそれがため鏡花科白の特異な味を、普通の科白にソツなく置き換えた感じになった。
門之助の博士には同情。笑三郎の女房はしゃんとしていた。侍女連中に美形が何人も加わっていて、みな楽しそうにこまかに芝居をしていたのが妙に嬉しかった。
玉三郎演じる海神別荘の美女は、根が好感の持ちにくい「人間の女」なので、これはひたすら役者玉三郎の美しさ科白のうまさに酔っていた。

* 去年は『夜叉が池』と『山吹』とを加え、昼夜四本の鏡花劇だったのを、今夏は二本に絞った。幾らか惜しく幾らか当然。『海神別荘』と『天守物語』は、最も痛切で深切な鏡花のモチーフじつにを立派に藝術的に示している。言い替えれば、わたしの文学に賭けてきたいちばん大きな主題と深く重なっている。すなわち水神、蛇、そしてある種人間への徹底した侮蔑と敵意との表現。
藝術的にはことに『天守物語』は完璧な作劇で、もう何度観てきたか知れないのに、いささかも飽きない。図書之助役は、孝夫、信二郎、宍戸改、新之介、海老蔵などそれぞれに能く演じたし、この芝居での玉三郎は何度観ても完璧・完全無欠。
ことに今夜は、おさえの近江之丞桃六役を我當君が気張ってくれた。弥栄中学での友人の團彦太郎とも劇場の中で久しぶり再会できたのも大きなおまけだった。
歌舞伎座ではめずらしい、『海神別荘』でも『天守物語』でもカーテンコールが二度も。痛いほど手を拍ってきた。

* 夜の開幕は、海老蔵が奮闘の『夏祭浪花鑑』で、勘太郎のお辰が手に入って好演、猿弥の釣船三婦も気持ちよくやった。特筆のクセ役は、海老蔵の團七九郎兵衛に殺される市蔵演じる舅義平次で、たいへんな力演に見えた。このところ笹野高史でばかり観てきたように勘三郎の平成中村座での人気の演目だが、元気な海老さまには、それなりに似合った剽軽な團七の味が出ていておもしろかった。好感を持った。

* 昼と夜との間に二時間近くも間があり、茜屋でゆっくり休憩のあと、タクシーを拾って勝鬨橋を渡り、晴海の方から大回りして、また佃大橋を渡って戻るという小ドライブを楽しんできた。
あれもこれも、楽しく。ただ、脚は痛かった。
2009 7・21 94

* 午後三時開演の納涼歌舞伎第二部に。若い若い友達も一緒に。真中央通路ぎわ前から六列目に三人並んだ。
「眞景累ヶ淵 豊志賀の死」は、福助の豊志賀に勘太郎の新吉。怖がらせる福助も怖がる勘太郎もけっこう観客を笑わせる。切って落とすように幕切れの仰天でみながひえっと悲鳴になるのがこの怪談のミソ。ミソを、うまく喰わせた。
切りは、松羽目もの「船弁慶」で、これは福助の義経が大健闘、位もあり大きく出て姿美しく満足、満足。弁慶の橋之助は柄は十二分に大きくてサマになるが、科白には英雄の精気がとぼしい。
前シテの静と後シテの知盛はむろん勘三郎だが、必ずしも上々大吉の出来ではなかった。静の舞ではすこし睡魔を同伴したし、知盛は小柄がわざわいしてはなから負けに出てきたような弱みを見せた。つよくつよく猛々しいほど、調伏されてのもののあはれが深くなる。義経弁慶四天王を独りで相手にしてほとほと拮抗する知盛でありたく、弁慶調伏容易でなければこそ舞台は緊迫するが、オイオイもう敗退かいとあっけなかった。福助の「義経そのとき少しも騒がず」が余裕綽々の舞台ではよろしくない。逆に向けば、それほど福助の義経は堂々としていて弁慶の法力など無用に感じられるほど、知盛がはやばや降参してしまう。繰り返し何度も何度も感動の「船弁慶」を観て、いつも知盛に万斛の涙を惜しまなかった妻とわたしだが、大の贔屓も贔屓の中村屋知盛のむしろ優しいほどの幽霊ぶりに逆に驚かされた。もっとも、そのぶん花道に六法の大サービスがあり。楽しめた。能で義経に子方を使う意味が分かる。知盛の威力を圧倒的に見せる工夫として適切。

* 茜屋で一休みしてから、日比谷のホテルへ直行し、晩餐は気軽に。飲み物は三人ともキール・ロワイヤル。クラブへ上がってもう暫く歓談、歓談。
八時半頃に友達を見送り、有楽町駅から一路帰宅した。疲れもなく、快い「夏休み」を楽しんできた。
2009 8・18 95

* 九月歌舞伎座の座席券がもう届いた。九月は、松たか子らの日生劇場「ジェーン・エア」もあり、暫くぶりに俳優座公演も。
その一方で、永い休みも過ぎ、またまた法廷の日程がいろいろに迫ってくる。たじろがず立ち向かう。
1009 8・19 95

* 歌舞伎座。
今月は七代目松本幸四郎、初代中村吉右衛門を記念した高麗屋、播磨屋、萬屋一門をあつめた公演で、幸四郎・吉右衛門の顔合わせ舞台が昼に「時今也桔梗旗揚」、夜に「勧進帳」があり、圧巻の感動はやはり幸四郎弁慶、吉右衛門富樫、染五郎義経の「勧進帳」。
感動の嗚咽が漏れそうに、涙で舞台がにじんだ。真ッ中央通路際の前四列目、これ以上の絶好席は無い。吉右衛門の熱演にこたえて幸四郎も凄いほどの熱演。吉右衛門がまた応えて熱演、また幸四郎に波及して大熱演、両者の情理が緊密かつ躍動に躍動すれば、四天王に到る出演の全員に気概は薫染して、びりびりと舞台が鳴るようであった。
染五郎の義経が丈高く美しく嵌って品も位も情も静かに波立ち、ついに泣かぬ弁慶の慟哭に到る。
四天王は友右衛門、高麗蔵、松江、錦吾で、気魄凛々最良の共演、殊に友右衛門の決死の形相はみごと。四天王の成功無しに「勧進帳」は成り立たない。よくやってくれて嬉しかった。
そして太刀持ちの中村梅丸の凛々しくも美しかったこと、それ一つでも今夜の「勧進帳」見映えがした。
済んだあと、ロビーで高麗屋夫人に礼を言う。先日の日生劇場でよりも今日は藤間さん元気で、妻もそう観て、安堵した。
「染高麗ッ」とゾメキが。うまいことを謂う。その若い夫人とも挨拶。
公演続きの歌舞伎役者とその家庭、一門、さぞたいへんだろうと察しも及ばぬほどだが、劇場でそういう裏方や番頭さんらと顔を合わしてちょっと話してくるのも歌舞伎座の楽しみで。

* 昼の部幕開きの、三部に及んだ『龍馬がゆく』は今日完結編、染五郎の坂本龍馬は、盟友松緑の中岡慎太郎といっしょに、京・近江屋二階であっけなく刺客の手にかかり、果てた。
わたしは司馬遼太郎の原作を読まないけれど、司馬さんの他の小説同様にこの三度に及んだ舞台も、味わいは淡かった。坂本龍馬のごっついエラサを、「時代」と「世界」と共にもっと手厚く分厚く観客に叩き込むほど丁寧に脚色されねばならない。なぜなら彼の死は油断というしかないほどアッケなく、それを補う「読みの確かさ」が作者に無ければ劇として成り立たないから。
他の者なら打たれて果てて劇的最期になり得ても、坂本龍馬の死の場合は、坂本自身の志士らしからず剣客らしからぬ「失敗」に他ならないのだから。他の劇が欲しいのだ。

* 富十郎が武智光秀を執拗にいたぶる小田春永を演じてくれ、嬉しかった。黒子に粒付けされながらも間のいい科白の力強さ、眼ぢからを利かせた細かい芝居を演じていて、それで吉右衛門の武智に大きさが出た。たいてい光秀というと「太十」が出るが、桔梗旗揚の「饗応」「馬盥」「愛宕山」で、光秀叛逆の決意がしっかり劇になる。吉右衛門がさすがに祖父吉右衛門以来の藝を完成に近く大きく観せた。芝雀の光秀妹桔梗と魁春の光秀妻とが舞台にならぶと、かなり女形魅力が堪能できる。

* 妻が感じ入ったのが、芝翫率いる名残惜木挽の賑『お祭り』の所作で、歌昇、錦之助、染五郎、松緑、松江、孝太郎、芝雀が勢揃いの木挽町で、それぞれに踊って見せた中でも、御大芝翫の踊りの大きさと懐の豊かさが、このところの舞台に数倍しておもしろく確かに出て、魅力横溢。はんなり、はんなり。
いまの歌舞伎座が来年には建て替えになるのを惜しんだ演目が毎月のように出る。だんだんそれに実感が添ってきた。

* 昼の部のキリは幸四郎の『河内山宗俊』に梅玉が松江侯、段四郎が高木小左衛門、「ばかめ」役の北村大膳は松本錦吾。高麗屋が悠揚せまらず酔うような音楽のように終始演じて、引きの花道までを楽しく観せてくれた。この役も、幸四郎と吉右衛門との兄弟でかわるがわる演じていて、ほとんどみな観てきた。梅玉松江侯の憮然ぶりがおもしろかった。

* 昼が押していたか、入れ代えに「茜屋」で休むヒマが無く、すぐ夜の部に。

* 夜昼通じて先も言ったが「勧進帳」が図抜けてすばらしかった。

* 夜の『浮世柄比翼稲妻』は先に所作の「鞘当」後に「鈴ヶ森」で、後のは、梅玉白井権八と吉右衛門幡随院がどう頑張ってくれても面白くない。
先の、松緑、染五郎、芝雀でのはなやかな所作事のほうが遙かにはんなり楽しめた。松緑の顔のツクリが効果的でおもしろく、口跡の強さと共に楽しめた。「染高麗」くんは、これはまず尋常であった。

* 大キリの『松竹梅湯島掛額』も、先の「吉祥院お土砂」は、どう吉右衛門の紅長が笑わせようとも、駄洒落芝居を出ないが、後の「櫓のお七」を人形ぶりもたっぷり中村福助が、今日此の一役を力演してくれ、これは充実の一日をしめくくる、さわやかに美しく、濃艶に優しい佳い舞台になった。十分に満足して劇場を出てこれた。
どこへも寄らずに帰宅、十時半。もう日付は変わっている。
2009 9・14 96

* 藝術祭十月大歌舞伎は夜の「義経千本桜」は失礼し、昼の部だけを人を頼んで予約した。藤十郎、富十郎、菊五郎、吉右衛門、玉三郎が競演し、「毛抜」「蜘蛛の拍子舞」が珍しく、本命の「川庄」がある。はなやかに菊之助、松緑が競い、時蔵が紀の国屋小春を、三津五郎も粂寺弾正を。チラシを観ているだけで楽しい。

* 十月は国立劇場で高麗屋肝いり趣向の新作歌舞伎が待っている。千葉のe-OLD 勝田さんをお誘いするつもりで十月二十日火曜日が予約してあるのに、勝田さんへご都合も聞いていないし連絡もし忘れている。どうも、この頃こんなことばかり多い。ごめんなさい。
木津川の従弟に珈琲を注文してと妻に頼まれていたのも、此処へ書いただけで忘れていたら、ちゃんと「承知の返信」が従弟から来てビックリ、有りがたい。よろしく。

* こういうズボラが利くと、ますます、ズボラ兵衛になる。
2009 9・17 96

* 勝田さんとの十月の芝居見物がきまった。楽しみ。従弟から珈琲豆も無事、着。
2009 9・18 96

* 秋たけなわ。十月歌舞伎、俳優座公演、建日子の秦組公演、国立劇場の乱歩歌舞伎。暫くぶりの聖路加診察もある。いいことも、不愉快も、ある。織りなし織りなし生きの緒が編まれて行く。
2009 10・4 97

☆ 国立西洋美術館に行ってきました。 松
秦先生。 秋風爽やかな季節になりました。お元気でいらっしゃいますか?
先日の土曜日、友人が、音楽に関心のあるひとを紹介してくれるというので、上野で待ち合わせることにしました。
以前、先生に連れて行って頂いた国立西洋美術館のレストランに案内したところ、雰囲気良く、話もはずみました。良い場所を教えて下さり、ありがとうございました。
音楽や、絵画、京都や奈良の話など、共通の話題がいくつもありましたが、「歌舞伎」の話には、わたくし、さっぱりついていけませんでした。
歌舞伎は一度も見たことがないのですが、お勧めの舞台などあれば是非教えてください。
季節の変わり目ですので、風邪には気をつけてお体を大事にしてください。
またご連絡いたします。

* 朗報に数えたい心嬉しいメールで。新前に初めて見せる歌舞伎、いくらも有りそうで気をつかう。むかし同じ東工大の女子学生達を歌舞伎座へ連れて行ったときは、「白浪五人男」の通しを選んだ。あれは成功したと思う。
この富士在住の君を、むかし、何人もで山種美術館や西洋美術館に連れて行っても、彼氏、冷淡な顔つきだった。ところが院も卒業して就職後、登山とクラシック音楽の彼は、がぜん美術鑑賞にもうちこみはじめ、わたしを嬉しがらせてくれた。
さて、歌舞伎か。千葉の勝田さんとやがて楽しむ予定の国立劇場、高麗屋父子(松本幸四郎・市川染五郎)と中村梅玉、中村翫雀らの江戸川乱歩に取材した歌舞伎が、或いは恰好かもしれない。「市川染五郎宙乗り相勤め申し候」ともある。満席でなければいいが。

* 上方の小説家で、しかも歌舞伎通の、湖の本のはなからの読者でもある川浪春香さんに、新刊の『歌舞伎よりどりみどり』を戴いて楽しくもう読み終えたが、歌舞伎未見の人には話がまるで通じないだろう。
歌舞伎へ「本」から入ろうというのは「能」以上に存外ムリな相談で、「観る」「観つづける」のが何よりの本道。
家内は、俳優座や小劇場へは一緒に出かけても、歌舞伎などとんと昔は気の無かった人だが、今では歌舞伎座や国立のどの舞台ででも、ワキや端の役者さんまで顔も覚え名も諳んじ、大の歌舞伎好きになり切っている。そのおかげで他の新劇などもさらに面白く観られるようになっている。観て観て好きになれば歌舞伎は、まったくリクツ抜きにぞっこん楽しめる。
新劇を観ても商業演劇やアングラを観ても、歌舞伎や能に深く学んでいる技術や意想の例は、観れば観るほど舞台のはしばしからあれこれ看て取れる。いやいやまだ学び切れていないお宝が、おもしろい歌舞伎の舞台には真実贅沢なほど盛り込まれている。心ある作者や俳優や演出家達ほど、身に染みてそれを知っている。生きた勉強なのである。

* 十一月国立劇場の案内が、成駒屋から。西の坂田藤十郎、東の市川團十郎が顔を合わせる。歌舞伎十八番の「外郎売」、近松作の「傾城反魂香」、それに山城屋五変化の「大津繪道成寺」と花やか。彦三郎に加えて芝雀、翫雀、扇雀、弥十郎、市蔵、右之助らが揃う。歌舞伎座も顔見世、国立もりっぱな顔見世。楽しめる。
「松」君には、国立劇場の十月、十一月を奨めたい。

* さすが東工大の諸君とも、おおかた遠く無沙汰がちになった中で、こういうメールが舞い込むと、ほくほくと嬉しくなる。
2009 10・5 97

* 朝、血糖値90。 夜通し雨、今は風。それでも今日は、歌舞伎座「昼の部」を楽しみに行く。午後には颱風は通り過ぎているという。
2009 10・8 97

* 颱風は通り過ぎ、朝すでに傘不用、青空もかいま見えて、歌舞伎座に無事着。
帰りは台風一過で、青空の下を一路帰宅して五時。風はまだかなり吹いていた。

* 「毛抜」は大様な歌舞伎十八番、粂寺弾正を三津五郎が大様に演じた。錦之助、團蔵、秀調、東蔵、魁春、それに三吉屋の吉弥も。花道わき通路前から四列という花道芝居の多い今日昼の部の芝居には絶好席で、弾正の出から帰り六法まで、めっぽう楽しんだ。
お楽しみはつぎの「蜘蛛の拍子舞」花山院空御所の場で、美しい玉三郎がおそろしい大蜘蛛に化けて糸を吐きに吐く。源頼光は菊之助、碓井貞光は松緑で、玉三郎がピカピカ光る美しくも妖しき変化の白拍子妻菊で花道目の前へせり上がり、舞台に入って菊と松と連れて三人の拍子舞が、これまためっぽうおもしろかった。三人の所作の巧者が拍子面白く軽妙とも面妖とも華麗ともいう踊りを見せる。なるほど外題が生きると納得。
ま、「土蜘蛛」の変わり種だが、玉三郎はこのところ変化モノに熱心で工夫のある芝居をよく観せてくれる。これは楽しめるよと期待通り、菊と松との若々しい颯爽美に加えて、最後には三津五郎がまたまた坂田金時になって登場、大舞台を乱れかう蜘蛛の白糸に彩って、二人の大和屋 玉三郎と三津五郎の大見得が拍手喝采で盛り上がった。

* キリ前の極め付けは、近松の名作「河庄」紙屋治兵衛。上方名優の山城屋坂田藤十郎が、円熟を加えて美味したたる中村時蔵の遊女小春と、律儀に情の篤い段四郎演ずる兄粉屋孫右衛門とを相手に、纏綿とした情痴の世話を哀れに優しく、おかしく、ほろりと満場を魅して精微な藝を尽くしてくれた。何度観ても、みごとな玩辞楼十二曲の内であった。
花道を、魂ぬけてとぼとぼとの出の至藝があり、孫右・治兵衛兄弟の花道の情け有るチャリもある。数尺の手の届きそうな花道で、頭抜けた役者たちの表情や扮装にまみえる楽しみには堪えがたいものがある。席を手配してくれた高麗屋の親切には心から感謝。おまけには変だが、颱風の影響だろうか、わたしと妻との座席一列に他にお客がいなかった、寂しいと言うより、じつにのーんびり出来た。

* キリは、大勢の「音羽嶽だんまり」に、松緑の子の藤間大河クン初お目見えのめでたい祝言が付いた。尾上菊五郎が後見し、中村富十郎と中村吉右衛門とが祝い、父松緑にならい大河の可愛い一礼と挨拶。大薩摩連中でのだんまりには、さきの五人の他に、菊之助、権十郎、錦之助、萬次郎、團蔵、魁春、田之助らが賑々しくしかし静かなだんまりで歌舞伎劇のおもしろさを華麗に演出した。最後は音羽夜叉五郎こと尾上菊五郎の花道を引き揚げの心豊かなおまけがついて喝采。

* 劇場の外は眩しいほど晴れて風立つ木挽町の賑わいだった。
2009 10・8 97

* 十一月国立劇場の日と座席が決まったと、成駒屋からしらせがあった。藤十郎と團十郎。楽しみ。これがわたしたちの「旅」楽しみの、代わり。
2009 10・13 97

 

* 十一月は、歌舞伎顔見世。昼夜で仮名手本忠臣蔵の準通し興行。幸四郎、菊五郎、仁左衛門その他の豪華版。
新橋演舞場の花形歌舞伎は染五郎、松緑、菊之助で華やぐ。
国立劇場は坂田藤十郎、市川團十郎が並び立つ。
月替わり、一日早々には、友枝昭世の招待能。
どうか、元気で過ごせる、よい一月でありますように。
2009 10・19 97

* 今日は、千葉のe-OLD小父さんと国立劇場で乱歩歌舞伎を楽しみます。

* 染五郎の鈎爪人間豹が、度胸満点、花道からわたしたちの真上、天上高く客席を斜めに渡って三階席の彼方まで宙乗り大暴れした。明智小五郎を演じる幸四郎の演出で、中村梅玉、中村翫雀ら。人形ぶりで人形「花筐」を演じたのが小ぶりに美しい娘役だった。去年より脚本の纏まりはよかったように思うが、所詮は無理な思いつき。通常の歌舞伎から離れるときの染五郎には、たわいないエンターテーメントでなく、脚本のよく煮詰まった、批評に富んで人間表現の厳しい、むしろ現代劇を演じて欲しい。フェイマスな役者に育って欲しい。最近、テレビで辺に馬琴の崩れたような「なんとか城のなになに」といった怪奇映画を観かけたが、観るにたえなかった。松たか子にわたしの解釈で「自傷する春琴」を、そして染五郎に徹底した佐助など、と夢見る。「傷つけられた春琴」なんて理解は子供のモノだ。春琴は自ら熱湯を浴びて、佐助をのっぴきならぬ闇の悦楽へ誘い込んだのである。

* はねてからバスで丸の内まで勝田さんを見送り、東京駅の中でお茶で少時歓談、またを約して別れてきた。
東京駅から、池袋経由保谷までうつらうつら眠っていた。タクシーをえんえんと待って帰宅。六時。
2009 10・20 97

* 天王寺屋、八十になる中村富十郎と十歳の子息鷹之資との『勧進帳』弁慶と義経の成ってゆく矢車会風景をつぶさにテレビで観せてもらった。濯鱗清流、みごとな無垢の意欲と精進に頭が下がった。富十郎はことに好きな役者であるが、老いた彼が幼い息子にそそぐ愛と祈願とを、飛沫くようにひしと感じる。これより前の時間に、権力政治のために醜悪な政局に明け暮れた永田町二十年前をやはりテレビで見聞きしていたが、何という穢い危うい日本の政党政治であったことかと、いまさらに憤激の遣りどころもなかった。今度の本のあとがきにわたしは、この八月三十日の衆議院選挙を、久しい「怨み」のすえにやっと手にした快挙だったと書いている。
* 潔いものごとばかりでこの世間は出来ていないと、重々承知しているが。
2009 11・1 98

* 今日は新橋演舞場、昼の部だけで、『盟(かみかけて)三五大切』を観てきた。
染五郎の源五兵衛、実は赤穂浪士不破数右衛門。おっと、もう一役が家主役で藝者小萬の業ツクの兄役は、意外のサービス、面白かった。
二枚目、小萬にめろめろの甘い源五兵衛から、小萬の首を落として抱きしめる源五兵衛への変容を、柄は大きくないが、怨憎に取り憑かれた凄惨の美まで、勘定のいい変化で不気味に確かに表していたのは、通し狂言に心棒がとおって、たいへん結構であった。ただ、線は細い。四谷怪談の伊右衛門ほどに悪にはなれない、そこが大望を抱いた赤穂浪士の不破数右衛門。はっきりいえば周囲の真実に甘やかされ、振り回されて、無益な殺生を重ねた。そして司直の手からすり抜けた。けっこうなぶん、歌舞伎が少し甘くなる。
南北らしい人物としては、尾上菊之助が意気のいい音羽屋の本藝で演じてみせた悪の三五郎。亀治郎がすてきに色気も味も気っ風もみせた藝者小萬。小気味いい好演だった。
大南北の濃厚で纏まりのいい、陰惨だけれど面白い通し狂言。若手の役者のそれぞれに花を咲かせた舞台が楽しめた。
松也の幇間が、いかにも常軌を逸して狂った浪士源五兵衛が怖そうなのを、小味にうまく見せた。進境というべし。
男前の菊之助が、父菊五郎の若かった昔の景気をたしかに嗣いで、ああこれが音羽屋の悪の華だなと、すかっとした。
亀治郎の女形藝、自信に溢れて格段に役者が凛々しくなっている。眼が生きている。

* キリの所作事を松緑と愛之助とふたりでたっぷりと花やかに大サービス。最後の獅子の舞は、ま、毛を振るわ振るわ、振るわ、観ている方も総立ちになりそうなほどの競演で、はては大笑いに笑ってしまった。

* ハネて三時十五分、それからがサッパリいけなかった。妙に手拍子というか脚拍子というか目の前のタクシーに乗ってしまったのが失敗、「ロートレック展」のオープニング・レセプションは正五時に受け付け開始なのに、三時半には六本木へ。ところが新国立美術館ではなかった、渋谷文化村のミュージアムだった。これには腐った。腰も痛んできた、家内が早足に思えるほど、てんでついて歩けない。
ギブアップして、大江戸線、練馬経由で家に帰ってきた。ほんもののボケとヘタリが来たのかなあ。

* 明日から、湖の本新刊発送の、筋肉にこたえる労働が数日つづく。いや、明後日は国立劇場で團十郎の「外郎売」や藤十郎の五変化「大津繪道成寺」が楽しめる。
成田屋の浮世又平、山城屋の又平女房おとくで極める「傾城反魂香」も、さぞ大柄で惚れ惚れする舞台になるであろう。一休み、楽しみたい。
2009 11・9 98

*雨。国立劇場で、團十郎の「外郎売」 若々しくよく演じた。座頭役の坂東弥十郎、まだサマにならない、国立の広い舞台を圧する大いさがまるで出せない。大声だけでは出来ない。ひのために、右へならえなにもかもが小粒になり、どう成田屋がしっかり演じても舞台は浅く燃えあがらない。早口言葉はうまいものだ。
中幕は、なんども観てきた「ども又」の反魂香だが、團十郎が誠実におおらかに好演し、女房役は藤十郎がしっかり固め、たいした好舞台。成田屋の懸命の芝居ぶりが嬉しく。彦三郎と右之助の土佐将監夫妻も温かく感じ良かったし、亀鶴も、このまえの河庄の七兵衛といい、山城屋に寄り添っていい役を懸命に。
大キリの「大津繪道成寺」でも亀鶴が以外の大役で大きく出てきた。藤十郎五変化の踊りは、今日は少し疲れていなかったろうか。手ごとがやや小さくせせこましかった。化粧上手は天下一品で、美しい限り。文化勲章役者になった、せっかく健康で、長く楽しませてほしい。

* とはいえ、わたしはハネて席を立っても腰が痛く、平川町へ坂道を帰って行くのがつらかった。幸い保谷でタクシーがすぐ拾えて、寄り道なく家に。まだ雨が降っていた。

* 疲労したか、カッパと三時間ほど宵寝してしまい、目覚めて、少し仕事した。
2009 11・11 98

*吉例顔見世大歌舞伎は通し狂言『仮名手本忠臣蔵』を昼夜観てきた。大舞台で堪能し満足した。放映のための録画が入っていたためか、大所が競って力演につとめ、さすがと感嘆また感嘆。

* 感想は、明日にするが、第一の大舞台は、夜の、「祇園一力茶屋の場」。
松本幸四郎が寺岡平右衛門をやるというのが観劇の大きな目玉だった。遊女お軽は福助で、福助は幸四郎と演じるときは灼熱するのをわたしは前から感じていて期待したが、期待通り、すばらしい競演だった。
むろんこの場の由良之助は仁左衛門が最適、しかも高麗屋が用意してくれていた席は中央の前三列、つまり由良之助と平右衛門との双方真正面を等辺三角の一点で受ける絶好席。嬉しかった。
縁の下でお軽に討たれる斧九大夫が、錦吾。仁左衛門の最後、堪えに堪えた憤怒の形相もめったにない珍しいほどのど迫力なら、幸四郎緩急自在の「科と白」との美しさ確かさは「音楽」そのもの。福助の兄を想い、また父や母や、とりわけ夫勘平を思慕する純情、しかもその父は殺され夫は切腹死と知らされた悲歎の深さ。なにもかも知り尽くしたような舞台でありながら、役者がそろうと、こうまで深く大きく成るかと、ただ満足した。
その余のことは、明日にする。

* 師走の歌舞伎座では、宮藤官(クドカン)の新作と野田秀樹の「鼠小僧」が昼と夜とを締めくくる。楽しませて欲しい。
初春は、また雀右衛門、芝翫、富十郎、幸四郎、吉右衛門、團十郎、勘三郎、梅玉、左團次、魁春、芝雀、福助それに染五郎、錦之助らが勢揃いする。「石切梶原」「勧進帳」「松浦の太鼓」「車引」「京鹿子娘道成寺」そして「与話情浮名横櫛」などが、ずらり。「壽」の匂いが今からする。

* 朝の小雨もやんでいて、夜九時過ぎに歌舞伎座を出て、十時半近く帰宅、黒いマゴが玄関で待ちかねていた。
留守に郵便も、払い込み通知も、たくさん。それらも、みな明日読み、明日整理する。ちょっとゆっくりやすみたい。
2009 11・19 98

* さて昨日の歌舞伎座はさすが「千両役者」吉例の顔見世興行のうえに選りすぐり『仮名手本忠臣蔵』の通しで、気の抜けた幕が無い。
大序「鶴ヶ岡社頭兜改めの場」に高師直役で音吐朗々、所作卓越の富十郎が出ると、他の中堅の役者ではとても追いつかない貫目の違いが出る。シマリがツク。芝居が面白くなる。勘三郎塩冶判官の惚れ惚れする綺麗、梅玉桃井若狭の丈高い颯爽、まさに双璧。七之助の中央高くに足利直義役が、もう生なかの若手でなく、口跡も姿も品もぐんと佳い。顔世は魁春、これは姿の歌舞伎、松江の大昔から独特の女形味。
おきまりの儀式芝居でありながら、師直、判官、若狭の強烈な位取りがドラマをはらんで……、そして三段目へ場面が動く。「足利館門前進物の場」では端役の鷺坂伴内が出色。ここで加古川本蔵を芝居へ呼びこみ、「足利館松の間刃傷の場」へ転じて、もういちど師直と若狭之助、師直と塩谷判官の見せ場が連続する。富十郎が老体を踏ン込みながら若狭には卑屈に、判官にはいやらしく憎体に。梅玉、勘三郎ともにじつに美しく怒り美しく刃傷に及ぶ。美しくなければ、師直のいやらしさが勝ってしまえば、この舞台は気分の悪い場面になる。気分の悪さなどというのは歌舞伎は極力浄化してしまう。その代表のような芝居を勘三郎はよく演じてくれた。
四段目「扇ヶ谷塩谷判官切腹の場」では、片岡仁左衛門が上使役石堂で同じく市川段四郎の薬師寺を連れて判官切腹を見守る。九寸五分を腹に突き立て苦悶の儘待ちかねた松本幸四郎の大星由良之助が駆けつける。無念をいいのこす勘三郎判官、委細承知の幸四郎由良之助、情味溢れた仁左衛門石堂の「大きな繪」舞台はみごとだった。扇ヶ谷の城明け渡しを迫る段四郎薬師寺もたいした存在感。段四郎の舞台は、年々に性根太く力増し見応えして、座頭役で富十郎に迫ってきている。大きな役者が揃って組み合う舞台の面白さ豊かさは、やはり若手のソレとはちがうのである。
仁が去り段も別間に去ると、主君塩冶判官の遺骸が、顔世御前、大星、また年寄り斧九大夫等家臣一同で、しめやかに菩提寺へ見送られる。家臣の間に一悶着は避けがたく、それもみごとに幸四郎の由良之助がさばいて、仇討ちの決意を秘めたまま、「扇ヶ谷表門城明渡しの場」となる。声涙ともにくだる高麗屋の見せ場である。
そして、舞台は浄瑠璃、晴れやかに尾上菊五郎・中村時蔵の勘平・お軽で、富士のみえる「道行旅路の花婿」。清元連中。ベテランの團蔵が鷺阪伴内を軽々と付き合う。時蔵の女形ぶり、進境に目を見張るばかり、堂々の立女形にのびあがってきた。美しい柔らかい姿態、少し痩せてひときわ優しい美貌、しっとりと色気を含んだ繊細な口跡。うっとりと、昼の部がはねた。

* 茜屋で、休憩。四時半から夜の部。

* 五段目「山崎街道鉄砲渡しの場」「同 二つ玉の場」では、梅玉の斧定九郎がサマよくいかにも嵌って凄みが出た。猟師の、その実討ち入りの人数に加えて欲しい足軽早野勘平を、尾上菊五郎。この場から次の場へかけて、大筋は、必然かつ明快、しかもややこしい誤解混じりの取り返し着かぬ愁嘆場へと勘平の身内は翻弄されて行く。勘平は切腹ならぬ「腹切り」で舅を殺した(実は誤解の)罪を姑や赤穂浪士たちに詫びる。六段目「与市兵衛内勘平腹切の場」はじつに切ない。女房お軽は余儀ない成り行きから遊女に身を売って行く。時蔵と菊五郎との夫婦別れの水場 愁嘆場は堪らない。婿に夫を殺されたと知って怒る、ベテラン東蔵演じる母おかやの力演は「名演」と謂って言いすぎでない、胸かきむしられる一途なもの。そして一転、誤解が解けて行く。だが身売りの女房お軽は父が、夫が死んだとも知らぬまま苦界の人となって行く。六段目での菊五郎はさすがに好演、すこし根がうかつで、気が軽く気の優しい粗忽勘平の面目を音羽屋は全身で表現してこときれて行った。
で、七段目「祇園一力茶屋の場」は、この日一日の舞台のハイライトであったこと、昨日の内に書いて置いた。幸四郎と福助、そして仁左衛門と三人の無垢に光ったトライアングルはまさに千両役者の競演であった。
ポイと飛んで十一段目は「高家表門討入の場」「同 奥庭泉水の場」「同 炭部屋本懐の場」「両国橋引揚の場」と繰り広げられて打ち出しとなる。討入首領は仁左衛門の大星由良之助、小林平八郎を歌昇、浪士を錦之助、松江、宗之助、男女蔵ら、大星力弥を門之助、原郷右衛門を友右衛門、大切りの場を馬上両国橋畔で晴れ晴れ見送る服部逸郎役を、中村梅玉がきちっと締めくくった。

* 何度もそれぞれに見てきた芝居なのに、やはり面白かった。富十郎、勘三郎、梅玉、魁春、仁左衛門、段四郎、幸四郎、菊五郎、時蔵、さらにまた、梅玉、菊五郎、時蔵、東蔵、芝翫、左團次、仁左衛門、福助、幸四郎と、とぎれなく出るわ出る和の力演、好演、名演。楽しくなければウソ。楽しみました。時に涙で目玉を熱くしながら楽しんだ。
2009 11・20 98

* 書きたいことがいろいろあるのに。かすかな体調の違和も兆していて、もっぱら読書。土曜日曜祭日は、メールも少なく郵便は来ない。
酒も飲み尽くし、煙草はやらず、ぽかーんと方針気味に眺めて楽しむのは、歌舞伎興行のための色刷りのチラシ。
いまも「十二月大歌舞伎」のそれを飽かず眺めている。
めずらしい横長に出来て、夜空に夢のように浮かんだ歌舞伎座の建物が美しい。上に横一列、お馴染みの役者が、めいめいの持ち役の花やかな衣裳姿で、長老芝翫ひとりをうしろへ別格に出し、以下十八人の「連名」が興味深い。右筆頭の勘三郎から、左押さえの三津五郎まで十八人が、順に、こう並んで行く。
即ち、勘三郎、福助、橋之助、孝太郎、染五郎、獅童、勘太郎、七之助、秀調、萬次郎、右之助、猿弥、松也、亀蔵、市蔵、弥十郎、扇雀、三津五郎。 そして芝翫。
もう一列下にはきちっと黒い着物の襟を正して、少年・子役たち七名が可愛い顔を並べている。右から、巳之助、児太郎、宗生、鶴松、宜生、国生、新悟。
みんなちっちゃな顔写真なのに、見飽きないからおかしい。
そして昼の部。
一 操り三番叟  勘太郎が三番叟、さぞ颯爽と初春を祝ってくれるだろう。翁が獅童。
二 野崎村    福助のお光、久松は橋之助。お染は孝太郎。
三 身替座禅   勘三郎と三津五郎で笑わせてくれる。染五郎が太郎冠者。
四 大江戸りびんぐでっど  あのクドカンの歌舞伎舞台への殺到、どんなものかとワクワク。染五郎をはじめとし、勘三郎以下のほとんど総勢が何をしでかしてくれるか。
ついで夜の部。
一 引窓      三津五郎の南与兵衛、橋之助の濡髪長五郎、母お幸を右之助そしてお早は中村扇雀で期待の一幕。
二 雪傾城     大芝翫が、孫・曾孫達をみな引きつれての所作事か。「御名残押絵交張」とある。歌舞伎座さよなら公演である。
三 野田(秀樹)版・鼠小僧  これは面白いものの再演で、大笑い、大笑いのはらはら芝居、演出が楽しめて、勘三郎、三津五郎、福助、扇雀、橋之助たちがもう野放図にハジケにハジケてくれること請け合い。クドカンと野田秀樹のガチンコ初春となる。

* さて。少しく休息した。では、もう少し仕事。
2009 11・22 98

* 松本幸四郎丈が藝術院会員に。國内外、若くから多方面に活躍、この選考は納得できる。お祝い申し上げるより早く、逆にもうお歳暮を頂戴した。恐縮しつつ、乾盃。
2009 11・28 98

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