今日、私は、この「私語の刻」に於いて初めて、「市民」という言葉に代わる「私民」を用い始める。「公民」という言葉のあるのは少年の昔から識っているが、「公・私」が上下関係に同義語化している日本の現実で、「公の( 支配する) 民」かのような「公民」は遠慮したい、いや拒絶したい。
かといって、「市民」をながく使ってきたが、都市感覚にどうしても流されて、例えば疎開していた丹波の山村の知人たちにあなたたちも「市民」だとは云いにくくて困っていた。
こういう「市民」への困惑を示してきた人はいくらもいた。佐高信氏にもらった『面面授受』は氏の熱愛し思慕した久野収へのモゥンニングワークの一つであるが、この本の中でも、「市民」の語に困惑している場面が出ていた。
そこを読んでいて、「私民」ではどうかと閃いた。民俗学者は「常民」と云っていたが、常に対する非常を想起するとき、民俗学的基盤はよくつかめるが、いまいち熟さないと思い、我々仲間のことを「常民」呼ばわりはしてこなかった。「庶民」もいけない。「国民」も少し場合が違う。
わたしは『私の私』という著述の作者であり、「公」と「私」とを問いつめてきた。現にわたしは「私語」の二字をもってこの日録に冠している。小泉純一郎は只今は「公」そのもので「私民」ではないが、わたしのおつき合いする大勢は、まさに「私民」諸氏ではあるまいか。それは北海道にいる読者も、沖縄の離島にいた読者にも、大勢の各県の読者友人知人についても等条件で謂える。「私民」として生きている。その気持で、これから「市民」ではない似た意味もこめて、わたしは改めて「私民」秦恒平になろうと思う。この言葉が拡がって、「私の私」より自覚する人々の増えてゆくこと、そこに、日本の向かう方角を見定めたい。「私民の思想」こそ堅固かつ柔軟ででありたい。
私語の刻 2003年5月31日