ぜんぶ秦恒平文学の話

わが一期一会

 

こんな現代短歌を読んでください。

読むときは自然に読めど書くときは考へさせられる水母・木耳   吉野 昌夫

そうはおっしゃいますが、この「水母・木耳」を「自然に」なんか読めない人は、いっぱいいる。去年まで勤めていた国立の理系大学では、水母を「くらげ」 と読めた学生すら半分ぐらいで、木耳を「きくらげ」など、ほとんど読めなかった。「考へ」たとて書けもしなかっただろう。
漢字に頼った日本語の読み書きには、幸か不幸か、いわゆる正書法も正読法も、ない。水母や木耳なら「すいぼ」「もくじ」と読むほうが文字本来からすれば自然のようでいて、だが、当然のこととはされていない。だから、ややこしい。
姓名になると、もっとややこしい。私の読者に角田さんと書いて「つのだ」「かくた」「かどた」「すみた」さんが揃っている。ときどき読み違えてしまう。 呼べば同じ「きょうこ」さんも、書けば別の漢字で十人ぐらいすぐ揃う。要子も慈子も、二人とも「やすこ」さんだったりする。覚えてしまうより手がなく、水 母も木耳も、つまりは覚えこんできたに過ぎない。覚えればそれで決まりになる。たとえば「一期一会」も、覚えがあれば読めるし、覚えがなければ決まり通り には読めない。
祇園会は「ぎおんえ」と読んでいる。社会は「しゃかい」だが法会は「ほうえ」だし、会得は「えとく」だが会議は「かいぎ」と読んでいる。出会いという「会」もある。
一期一会は「いちごいちえ」である。コマーシャルに使われるほどの四文字で、まず間違いなく読まれているが、では意義のほうはどうだろうか。
一生に一度の出会いーー一期一会。たいていこれで決まりと思われている。そうなのか。違うのと違うやろか。
利休の先生だった武野紹鴎という大茶人に、「一期一碗」と書いたものがある。生涯に一碗しかお茶をたてない茶人はいない。それなのに「一期一碗」と我を戒め、人にも訓えていたのは何故か。
驚くことに、浩瀚をもって知られた『大辭典』(昭和十年・平凡社)に「一期一会」という語は出ていない。
利休の高弟で秀吉に惨殺された山上宗二が、どんな茶の湯も「一期ニ一会ノヤウニ」と書いたのがたぶん初例で、はっきり「一期一会」と用いたのは伊井直弼の『茶湯一会集』が最初らしい。和敬清寂などにくらべて、そうそう世に出て知られた言葉ではなかったのである。
伊井直弼の本でもそこは明確に説いているのだが、山上宗二の「一期ニ一会ノヤウニ」という物言いに聴くのが早い。一期は一生のことでよいが、その一生に 只一回きりのこととは、宗二も直弼も決して言っていない。ちゃんと「ノヤウニ」と言っている。ここが肝心で、どうか、思いを日常の感覚にもどして思案しな おしてほしい。
われわれの日常は、日本の四季自然がうるわしくも年々歳々繰り返しているのと同じく、いわば際限のない「繰り返し」を生きている。そう枠づけられて生き ている。清水の舞台から飛び下りるようなことはめったに有るものでなく、平々凡々の繰り返しをふつうに生きている。退屈し、陳腐に凡庸になるのも無理ない 日々を生きている。
茶人とて、たいていは、そんな具合に、繰り返し何百千碗ものお茶をたて、それでよしとしているのなら、その茶はさぞや不味いにちがいない…それではいけ ないと、紹鴎先生は、「一期一碗」の気を入れて茶はたて茶はのむように教えられた。山上宗二は「一期ニ一会ノヤウニ」茶の出会いは常に清新にと覚悟してい たし、伊井直弼も深切に先達の教訓を敷衍した。
茶の湯にかぎった話ではない。どんなことも、所詮は繰り返しであることを免れようはない。その繰り返しの一度一度を、あたかも「一生に一度かのように」 清新に繰り返せるかと、われわれは、日々に、問われている。その自問が「一期一会」でありその自答が「一期一会」なのであって、一生に一度ッきりの機会、 出会いのことと限ってしまうのは、ほとんど誤解というのに等しい。
繰り返すぐらい簡単なことはないようで、これほど難しいものは、ない。だらければたちまち足下に地獄が口をあく。文字どおり、退屈する。
それにしても宗二も直弼も、一会の「会」を、茶会・機会・会合の「会」とばかり用いていたのだろうか。「一期一切会」という言葉もある。この「会」は、 端的に「会得」を意味している。必ずや山上宗二の示した「ノヤウニ」の四文字は、一期の「一会・一碗・一事」がもつ意義を喝破した、「一期一切会」の証語 であったろう。

「サンケイ新聞」夕刊 平成十年四月五日

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