ぜんぶ秦恒平文学の話

ネット時代の文藝活動と著作権  講演

 
秦恒平です。もともと、喋るよりも、字に書いて、文字で表現して、三十数年を物書きとして過ごして参りました。根っからの書斎人でした。
いつ頃からか、家の外でも、仕事をしなくてはならん時間が、仕事の量が、増えてまいりました。ま、それも、そういう年齢に立ち至っていた、という、それだけの事なんでしようし、言いようでは、働き盛りだったとも、そのようにして年齢は取ってゆくのだとも申せましょうか。

やたらグズグスした、脱線だらけの話にもしたくありませんので、およそは、要点を書いたものを覗きながら、お話しさせて戴きます。不器用なところは、どうぞ大目に見てお許し下さいますように。

講演というのも、いつ知れず、何度も繰り返してきました。ですが、大概は、私の専門の畑の話題で。文学、美術、歴史、茶の湯や、能・狂言などの芸能、また和歌や物語や文化史といった方面です。それと、生まれ育ちました京都や、京言葉や、ひいては日本語や、日本の文字や記号や漢字について、また、出版とか編集とかについても、繰り返し、こういう場所へ来て、話す機会がありました。私は、作家以前に、十数年の編集者体験も持っておりました。

ですが、今日のような、「著作権」という話題は、一度も有りません。つまり「著作権」ということに関して、法律的に、理論的に、私は、専門家であるみなさんに向かって、何一つ、お話し出来る材料も、蓄えも、持たないのです。それでも宜しいのですかと、牧野さんに、お断りを致しました。それでも宜しい、が、それでも、それらしい話はするようにと、重ねてのお話でしたから、では、勝手なことを申し上げましょうと、お引き受けしました。
ですから、かなり勝手放題な話になります。ま、大真面目な議論よりかは、やや、ものの破けたようなお話の方が、存外、お聴きの皆さん方もお気楽であろう、などと勝手なことを思いながら、出て参りました。

著作権という際の、この「著作」という中身は、今日では、まことに多岐多彩かつ複雑なものになっている。ですが、私のような立場の者の「著作権」とは、もともと、書いた「原稿」や、出版した「本」にかかわる「著作権」でした。この辺から、あまりハミ出ないようにしないと、私自身、何を喋って、どんな座標上に自分が立っているのか、が、分からなくなります。で、「著作者」とは、この際は、私のような、「物書き」の意味と限定させて戴きます。むろん「物書き」もいろいろと居ります。作家も詩人歌人俳人も、批評家・評論家も随筆家も劇作者も、また学者も、新聞記者も、さらには大勢の、市井の、「私家版作者」達もいます。ま、そんなものと、前提しておきたい。つまりプロもアマも、いる、ま、むしろ、厖大な数の「セミプロたち」がいるのだと思ってください。その中で、便宜に、「作家」の話をしたいと思います。

で、「作家」とは、そも、何者か。これまた、いろいろな角度から、たっぷりと「説明」できますけれども、一つ、これを「身分的」に申しますと、これまでの、従来の、前世紀までのと申しておきますが、これまでの作家とは、即ち、「出版社の、非常勤雇い」であると謂うのが、ずばり、適切であったと思います。正規に専属の「社員」ではない。決まった給料は貰っていない。しかし「仕事」は、させてもらう。仕事を「させる・させない」を決めるのは、作家の側ではない。たとえ「原稿依頼」「執筆依頼」という依頼形式をとるに致しましても、要するに、その物書きを、その書いてきた作品を、自社のために使うか使わぬかは、「出版社の専権事項」でありまして、作家側から決められない。使うときも有れば、使い捨てにすることもある。その意味では、仕事を「やる・もらう」の関係でありまして、つまり全くの下請け、「非常勤雇い」身分なのです。よっく考えても考えなくても、事実がその通りなんですね。中には、顧問か客員重役ほどに会社から優遇される「売れっ子」もいるにしましても、本質的には、それとてやはり「雇い」身分なんです。資本主義社会の中で、とてものこと、確固たる地位と立場などもたない、やはり昔からいわれていたように「作家は水商売」人、ま、人により少しは「優雅な水商売人」に過ぎないのです。しかも、この自己認識が、「物書き達」に、あまり無い。そうは思いたくない野でしょうが、そういう「基本の自己批評」が、出来ていないんです。

こういう、ま、情けない立場を、象徴的に現わして来た一つが、いわゆる「原稿料」でした。
例えば、みなさん、喫茶店に入りますね、そしてコーヒーを飲まれる。で、店を出るときになって、ああ今日のコーヒーには、五百円置くからね、とか、今日は二百円だとか、客の方で好きに金額を決めて支払ってくる、そんなお店が存在しましょうか。乗り物にも、娯楽にも、そんな支払いかたで済ませられる場所は、まず、在るものじゃない。売り物には「定価」がつけられて、正当に請求する、客はそれを支払う、わけです。
ところが、作家達という「著作権者」は、今でも、九割九分の者が、出版側の「宛行い扶持」だけを、黙って、不服は不服と感じながらも、黙って頂戴している。それが原稿料という支払い方式でした。原稿依頼の最初から「原稿料はいくらです」「いくらですか」と、提示する出版社はほとんど無く、聞く作者はもっと少ない、それが、今までの、いえ、今でもの、実状です。私など、提示しない原稿依頼は、かなり断りました。或いは、提示を求めるようにしてきました。むろん、いやな顔をされます。そういうことは、双方で、はなから口にしないのがこの業界の慣習でした。と云うより、出版側の都合のいい、強いられた刊行でした。途方もなく、前近代的なシロモノなんです。
そんなことをやり・やられながら、「書くもの」では、たいした勢いで、時代や、人や、ものごとへの「批評・批判」を堂々とやってのけいるつもりなんですから、物書きが、概して「他を顧みて」言うのは得意だが、自分のことは棚上げの「世間知らず」だと言われるのは、滑稽なほどの、事実・現実、なんですね。むろん、だから偉いもんだと納りかえることも出来なくは、ない。そういう価値観も無いわけではない。それは、それ、です。

そんなわけですから、著作者である「物書き」達が、「著作権」なんて言葉を口にし始めたのは、ま、ほんの「昨日今日の話」なんです。私が、三十数年前から続けてきた作家生活のなかで、昨日今日より以前に、著作権問題に「意識」して取り組んでいたような、只の一人の作家も、思い出せません。第一、うかうかと、そういう金銭問題・権利問題を口にしたりしますと、たださえ不安定で、背後には「予備軍」が一杯待機している、やっとこさ手に入れた「非常勤雇い」の身分すら、「あんた要らない」と、直ちに危なくなって仕舞う。その一人の見本が、じつは、この私だと申し上げても、いいんです。後ほど、その話題に移って行かざるをえません、が、私は、「出版社の非常勤雇い」ではない、「作家の自由」は不可能だろうか、例えば「作家自身による出版」の可能性はないものかと、まこと、身の程知らずな実験を始めまして、すでに満十六年も過ぎたという、変わり種の現役作家なのです。そのことは、もう少し、後ほどの話としまして。

事ほど左様に、ごく一部の作家たちが、「著作権」「著作権」と大きな声を挙げはじめたのは、まだ「ほんの昨日今日のこと」だというのは、ほぼ、事実なんです。
では、どういう点から「著作権」が問題になってきたか。
これが、原稿料が安すぎるぞとか、印税率が低いではないかとか、出版社による版権設定の年限が長すぎるではないかとか、出版契約すら交わさないで著作を占有する慣行は困るとか、紙の本のどさくさに「ディジタル化一任の約束」まで取り付けようとはアコギではないかとか、ま、他にも挙げればきりもない、いろんな「出版からの締め付け」に対し、物書き達が、「著作者の権利」を何とかして守ろう、守らねばならんという、そのような、本来交渉の「相手」として一番に考えねばならない「対出版社」「対版元」への「著作権意識」なら、分かる。ところが、妙な話ですが、あまり、そういうのは表に出て来ないんです。怖くて言えない。ことに我が事の場合は言えない。他人の例でなら、ま、みんなで渡れば怖くないと、応援したりするけれど。
その意味では、相変わらずの「出版主導、出版の天下」で、「物書き」は、相変わらずの「非常勤雇い」たる弱みのまま、腰が、うーんと、引けたままなんですね。
では、例えば「物書き」が、声高に言いたてる「著作権」とは、どの方面へ向けられているか、と言いますと、最近の大きな一例では、いわゆる「ブックオフ」に対して、私の所属します日本ペンクラブでも、著作者の著作権を「尊重せよ」という、苦情の申し入れを致しました。私も委員の一人であります「言論表現委員会」で、その声明文を作りました。この私は、実状を、もっとよく調べてからにした方がよいと、声明に消極的でした。
ブックオフについては、よくご存じであろうと思います。建前としては、ともあれ読者が売りに来た読み捨ての本を、思い切り安く買い叩いて、それを安く売ると言います。古本屋さんの商売と似ていますが、同じ本がぐるぐると回転するところに、うま味があると言います。
しかし、ちょっと観察し、ちょっと考えてみれば分かりそうなものですが、読者による古本だけで、ああも大量の、ピカピカの本が、どんと積まれるほど各店舗に広範囲に集まるものでしょうか、どうか。どう考えただけでも、あれだけの本の出どころは、読者からだけとは思われない。では、どこからあれだけ出てきているのか。そこをよっく考えれば、著作者が「著作権を守れ」と捻じ込むべき先は、たぶん、ブックオフの方ではない、その背後の陰暗い流通だか横流しだかの方である筈なんです、が、そこまで調査もせず、ぽーんと、いきなりブックオフに、言うて行く。
法的には、恐らく咎め立てようのない商売をしているのですから、たしかに何やら迷惑なところはあるにしても、抗議も声明も、ふわっと聞き流されて、二の矢がない。ま、敵ながらうまい商売をしているわけで、それは、それだけの商品がそこへ流れているから、出来ている。どこからどう、どれほど流れているか、まず調べてかかるのが抗議の仕方ではないか。近在の書店が、ブックオフゆえに、売れる本が売れなくてと言っている、その小売り書店から版元へ返本分の中に、なんとブックオフで買ってきたらしい本が混じっていたりなどという笑えてしまう噂すら有るんですね。ブックオフゆえに売れる本が売れなくなるという例が、わたしは皆無だとは思いません、マンガ本などには、有るかも知れない。しかし、一般論として、ブックオフゆえに、当然売れる本が書店で売れなくなるという論法にも、どこか迫力も説得力も、やや欠けていました。同じ物書きの中にも、ブックオフを重宝しているという声まで、無くはなかった、のです。

もっと問題をはらんでいたのが、自治体の図書館活動に対して、著作権侵害の気味がある、是正せよと、苦情を申し入れたことです。
大きな視野の中で、わたしは、この申し入れには当然の理があると、観ています。近い将来に、検討さるべき課題として、広い範囲で議論が深まるでは有ろうと思っている。海外の図書館で、例えば公貸権が制度化されて、同一書籍の貸し出し回数に対し、何らか、公から、著作者への著作権料金の支払いが為されている例が、すでに存在しています。そのような議論や、また制度化の望ましいこと、それの未だに無い日本の現状で、喧しく言えば、図書館の貸し出しにより「著作権が侵されている」と、言えないことも、確かに無いわけなんです。さらに、その上に、一つの傾向として、こういう事実が、ある。

一つの地域図書館で、「複本」購入といって、よく読まれるであろう本を、一冊だけでなく、例えば十册も二十册も、時には百册も、買うとします。すると、近隣の書店では、売れるべき同じその本が、その何倍何十倍と売れなくなると言うのです。
これは、数字は、幾らかは割り引いても、あり得ることだろうと思います。だから過剰な、目に余る複本購入には明らかに問題があるわけです。
ですが、また、その一方で、公共図書館の、地域のニーズに対して持ってきた、長い間のまた別の価値評価・奉仕行為も絡んでくる問題点ではあります。ブックオフとちがい、図書館は、貸し出しで商売はしていない、儲けているのではない。地域のニーズに応えているだけと言う、ま、言訳も立場も、長い間の慣行とともに、もっています。
しかし、複本購入が過度になりますと、たしかに著作者も版元も、なにか、売れるべきが売れなくされているという、被害感情をもつことになるのは、自然で当然です。
しかし、それはそれで、図書館により著者は名前も本も「宣伝」して貰っているメリットがもあるじゃないか、著作者の中には、図書館の選定図書等に指定されること等で、どんなに助かっているかしれない人も大勢いるではないか、それに、現在只今のことだけでなく、そうして大勢に読まれることで、著者の評価が口コミにより未知の読者へも、さらには次世代へも莫大に広がってゆくという恩恵を間違いなく受けているではないか。そんな反論もされるわけですよ。
また第一、学生でも主婦でも誰でも、ブックオフの場合でも同じなんですが、そもそも図書館で只で借りて読めるから読むけれど、それでなければ書店へ駆け込んで、お金を払っても「読む」だろう、「買う」だろう、本が「売れる」だろうなどと短絡して思うのは、狸の皮算用のようなもんで、そんな甘い話は現実には起きていないという辛辣な反論もありまして、これは、若い人に聞いても年輩の人に聞いても、みな、笑ってそう返事します。ま、その辺のことはよく実状を煮詰め調べたわけでないから、これ以上は申しませんが。

要するに、図書館は、一著書につき、今後は一冊だけ備えるのは認めるけれど、それ以上は「購入するな」と、「複本」購入を全否定する議論まで作家達の一部では飛び出しています。現に図書館関係者を呼び寄せまして、そういうことを「要望」した席に私も同席しておりましたから、間違いない事実です。どうも、高飛車な話で、私はさほどは賛成しかねていましたが、そんな際に、作家の中には、「複本」購入の結果損害を受ける著作者が、たとえ一人でも有るなら、われわれは、その「たった一人のためにも」著作権擁護のために立たねばならない、闘わねばならないと叫ぶ、若い元気な物書きも、元気いっぱい発言しておりました。
原理原則から言えば、それは、その通りです。私でも、不当に被害を受けている著作権者がいて、それがたとえ只一人であろうと、連帯して、権利を守りたいと思います。
ただ、この際の図書館というのは、「著作者の敵」であるはずがないし、むしろ、この問題は、仮に公貸権が法制化されるについても、もっと大きな「公の壁」に向かって著作者と図書館とが、出版もそうでしょうが、みんなで力をあわせて根気よく働きかけて行かねばならぬ大問題なんであり、つまり、著作権者の団体が図書館団体に対し、久しい経緯や実状もよく調べずに、原則的な抗議で互いに反感をむき出しにしあうような事になっては、角も矯められずに、大事な牛を殺してしまいかねない。わたしは、両者のまず話し合いの場こそが必要だろうと、日本ペンクラブの中にいて、そういう機会を作る方へ方へ動いて、ま、その方向へ事態は今、なんとか推移しております。

ま、図書館だのブックオフだのに向かっては、著作者たち、えらく威勢がいいんです。たとえ只一人といえど著作権が侵されれば、われわれは闘うぞなどと、啖呵を切る。しかしながら、どうも私に言わせれば、啖呵を切る方角がトンチンカンです。著作権問題で闘うのなら、第一に極度に「出版主導の出版社会」に対してでなければならなかった。今でも勿論そうなんです、が、それは、一向、出来ていない。出来ない。そこへ頭がぶつかると、尻込みして、ムニヤムニャと、人のうしろへ隠れてしまう。著作者同士の喧嘩なら、これはけっこう激しくも凄くもあるんですが、著作者が出版社に、それも自著を出した版元に対して、著作権問題で徹底抗戦したなんて例は、全然無いわけではないが、全然無いに等しいほど、無いと言えるでしょう。
なぜ、か。言うまでもなく、著作者が、偶然の雇用を待望し渇望している「出版の非常勤雇い」身分であるから、どうにもこうにも頭が上がらないという、繪に描いたほどの「不自由」業者であるからなんです。自由業なんて、ちゃんちゃらおかしい話です。

ま、それでも、最近には、著作内容を無断で出版社が改変し、それを告訴した著者が全面勝訴していたような事例が、生まれてきてはいます。結構なことに、こういうことも全く無いわけではないんですが、そもそも、こういう告訴が必要なほど、「出版主導」「著作者弱腰」というのが、少なくも、二十世紀の不動の図柄でした。どんなに勇ましそうな若い著作権主張者でも、他人事ならともかく、我が事で、自分の本の関係する出版社にとなると、とても正面から「著作権」を争えるような、慣行も、心理的な強さも、培われてはこなかった。それが、少なくも前世紀までの「物書き著作権」問題の一大特徴というものでありました。

これに比較して、音楽などと異なり、物書きの著作権が、読者・愛読者の側から、露わに侵されるという現象は、例えば無断コピーの問題をのぞけば、さほど大きな事件は起きなかったと思います、これまた「前世紀での特徴」としてのはなしですが。書籍や雑誌の全流通量からして、無断コピーで書いたものを読むというのは、まだまだ、かなり質と量とで、限られていたと言えるでしょう。

ところが、前世紀末から、まことに大きな変化の波が、物書きの世界にも、津波のように被って参りました。申すまでもなく、ディジタル普及に関連する、「表現と著作権」との新たな問題です。インターネットの世界では、ご承知のように、「問題」は、とてもとてもそれしきに限定できませんが、今は、それだけに絞って話して参りたく、これから先は、一層、私自身の「体験的な面」が絡んで参りますのを、ぜひ、お許し願います。

平成三年(1992)から数年、私は、突然指名され、東京工業大学に、専任教授として招かれました。あの、亡くなりました江藤淳さんの直の後任で、工学部「文学」教授という立場で、六十歳定年まで勤め上げまして、無事、退官しました。ま、私には、全くもって無縁の国立大学でした。なぜ私に矢が立ったのか、事情は何も知りません、訊きもしませんでしたが、そんなところへ、教育になど無経験な、生来無精者の私が、敢えて道草を喰ってみるかと就任を承知しましたのには、大きな、一つ、思惑がありました。もし東工大で暫くでも暮せば、必ずや、コンピュータという機械に、近づける、操作も出来るようになる、のではないか、是非そう在りたいという、大げさに言うと、燃えるような欲求が有ったのです。これは、好奇心だけではなかったのです。切実な必要が私には自覚できていました。、何故か。その答えが、私にすれば、作家たる死命を制するほどの、それはそれは大問題なのでした。

私は、それよりもなお何年も前から、「秦恒平・湖の本」という、シリーズの私家版を、事実上の「全集本」を、自力で、出版し続けておりました。この「現役作家による独力出版」という稀有の事例は、今年で、満十六年を経過し、通算して六十八巻を、刊行し続けています。むろん、売り物です。まだ当分は継続してゆけるでしょう。むろん蔵が建つどころか、お察しのように血の滲んでいる維持の難しい事業ですが、幸い「物書き稼業」はまともに本業としてやれていますので、なんとかこのサイドワークも維持しています。
とは言え、よほど全国規模の読者の皆さんの支持がなければ、十六年も七年も、七十巻も、の定期的な刊行と販売とが可能になるわけが、ない。その意味では、私の「湖の本」刊行は、近代の文学史・出版史のなかで、稀有の実例、稀有の達成と、知る人は、きちんと知って高く評価して呉れています。
しかし、一方において、これが、「作家による出版への反逆的な敵対行為」と観られていることも事実でして、従って、物書きが、「出版の非常勤雇い」である現状から観ましても、大っぴらにこれを容認したり肯定したり賛同したりすることは、ま、「タブー」のようになっているのが、現実のようです。しかし、蔭からの応援・声援が、支持が、ずうっと今も絶えないでいるのです。新聞社は、朝日新聞をはじめ、各社が折りごとに応援してくれました。とても助かりました。

どういうことを、具体的にやってきたのか。私は、1969年に第五回太宰治賞をもらって文壇人になりまして以降、人が目をそばだてるほど、毎年に、四册五冊六冊というようなピッチで単行本を各社から出してゆきました。十年あまりもたてば、著作は大小六十七十册にらくに達していました。しかし、私は、たくさん売れるようには、書かない・書けない「書き手」でした。その代り、常に、熱い、少数の、良い読者に恵まれていたのでした。しかし出した本はどんどん在庫が切れて行き、そうそう増刷なんて出来る訳がないので、読者からは、本が無くて、読みたいあなたの作品が読めないと、嘆かれ続けていました。これではいかんなあと、元編集者でありました私は、苦しい思案を重ねました。
結局、出版社には出来ないことを、作者である私が肩代わりし、品切れや絶版の作品がまた読めるように、いつでも手に入るように、安くて、軽くて、読みやすい本に私自身の手で「再刊」してみよう、その中へ、時折りは「新刊」も入れて行こう、と、そう決心しまして、「秦恒平・湖の本」を、シリーズで、年に、四册か五冊ずつ、出し始めたわけです。創作のシリーズが現在四十五巻、エッセイのシリーズが、現在二十四巻目を進行中です。合わせて今のところ、六十八巻、作者から読者へ直かに手渡しの本、いわば産地直送本として、愛されていますし、ずいぶん親切に報道もしてもらえました。おかげで、実に十六年の余、欠かさずに継続出版しているのです。ちゃんと売れているのです。読者に喜んで戴いていればこそ可能であったことです。

しかし、不思議というか当然というか、「出版」は、これが不快のようです。この不快には、知る人は知る、前例があります。その昔に、作家の菊池寛と、当時の中央公論社の社長とが、殴り合わんばかりに喧嘩したという実話が、その社長のご子息であった嶋中鵬二さんの本に、記録されています。作家であった菊池寛が「文藝春秋」社を起こしたことは歴史的に有名な事実ですが、これに対し中央公論社の社長は、作家が出版に手を出すとはと常に不快感を隠さず、確執の末に、ひどく揉めた。腕力沙汰にまでなつたんだ、と。私の「湖の本」など、ごく小さな、しかも私自身の品切れ絶版作品以外には出さないのですから、なんにも実害なんか有るわけもなく、むしろ増刷も出来ない版元に肩代わりして、読者のために作品をサービスするのですから、感謝されて良いほどのことなんですが、ま、ずいぶん冷たくされてきたのは事実です。
問題は実害ではなく、「非常勤雇い」の身分であるべきヤツが、自由自在に本まで出して作家稼業をやつている、それが、危険とも不快とも思われるのでしょうか、むろん、失笑されるだろうと思いますが、本音はそんなところでしょう。と申しますのも、もし私と同じことの出来る作家が、住人も現われて自立して出版し始めたなら、じつは、革命的な事態もまんざら不可能ではなくなってきます、分かる人はそれが分かっている筈です。そして、デイジタルの、インターネツトの時代が到来して、それはもう目前の現実に成りかけているのだから、問題は小さくはないのです。
ともあれ、私は、その、「非常勤雇い」の立場から、かなりサッパリと自由を得てしまいました。むろん不利な、世間の狭い立場にも自身を投げこんだという次第でした。差引勘定はする必要もなく致しませんけれど、想像以上に自由に文学活動を続けてこれたわけです。一つには、それだけの質と量との仕事を、もう、たっぷり積み上げていたから出来たのです。雇われなくても、有り難いレベル高い良い読者がいて助けてくれたから出来たのです。

そうはいえ、約百册の単行本その他を、あちこちの出版社から出してきましたものの、新しい作品を新しく発表する点で、たしかに窮屈にもなって来ていました。
丁度、そういう時に、東工大が教授として来ないかと呼んでくれました。よしッと手をうちました。コンピュータがあるぞッ、と。自分のホームページを立ち上げて、インターネットで、作品を書こう、発表しよう、保存しよう、公開しよう、それが出来るはずだと、思ったのです。原稿用紙として、発表誌として、単行本として、読書室ないし書庫・文庫として、自分専用の大きなホームページを創設できれば、「紙の本」の社会で「非常勤雇い」の身分にまた膝を折る必要、跼蹐している必要は、ないんだ、と。
で、結果から申しますと、私は、それを実現しました。
今、私のホームページ「秦恒平の文学と生活」には、20MBに近い、厖大な文章が収録されています。つまり一千万字、原稿用紙にして二万五千枚、ま、内輪に見ても二万枚ものコンテンツを満載し、しかも、日々に欠かさず更新されています。長短の小説、随筆、講演録、そして「私語の刻」と称する、批評的・思索的・生活的な日録が入っています。また、「紙の本」で出版し続けてきた「秦恒平・湖の本」の新たな「電子版」が全巻、揃って行きつつあります。
それだけでなく、私・秦恒平の責任編輯します、広範囲に渡るLiterary Magazine「文藝文庫」を、同じホームページの中に「入れ子」にして開設し、これは私の作品ではなく、創刊一年未満にして二百人ちかい、よく選ばれたプロ作家や詩歌の人たちの文藝作品や論考など、また私自身で厳しくチェックし採用しました新人の投稿原稿が、満載されています。だれでもが、自由に、無料で読むことが出来るように公開されているのです。
このホームページの運営については、さらに後ほど、改めて問題点に触れることに致しましょう。

東工大を六十歳で定年退官しますと、すぐに、私は、梅原猛会長の推薦で、日本ペンクラブの理事会に加わりました、以降、三期・五年目を今務めているのですが、私の理事会入りした当時、日本ペンクラブは、なんと、まだ事務局で、電子メールすら自由に使えていない按配で、むろん、ホームページなど持っていませんでした。理事四十人の中で、自前のホームページを持っていたのは、猪瀬直樹と私と、たった二人だけ。で、すぐ、私は「電子メディア対応研究会」の創設を提案し、追っかけて「日本ペンクラブの広報ホームページ」を開きました。会長以下、理事達は、コンピュータの話をすると、みな渋い顔をして「別世界の話」だと、本気で煙たがったモノでした。それでも私は進んで漢字の標準化問題では「情報処理学会の文字コード委員会」にも委員として参加し、さらに、これは真に画期的な決定だったと思うのですが、こういうことも理事会に承認して貰いました。
日本ペンクラブに入会するには審査があります。必要な条件として、入会希望者は、それ以前に二册以上の「紙の本」の単行本・著書を持っていなければなりません、が、私は、もはや近い将来には「紙の本」に準じて、「ディジタルな作品」いわば「電子の本」の時代がやってくる。現にその兆候はインターネットの中で日々に顕著化して来ている。これにも「紙の本」と同じ「出版物としての市民権」を与えなければ、新時代の文学・文芸の環境に即応しきれないと説きまして、これに、理事会一致の承認をとりつけたんです。何らかの妥当な規定のもとに、「電子版の本」も資格審査の可能条件として容認するよう求めて決断を得たのです。これは、文学の世界で、歴史で、エポックメーキングな一つの題判断であったと思います。

その次に取り組んだのが、「電子出版契約の要点・注意点」という、会員向けのパンフレットの制作でした。ご承知のように、実に濛々とした混沌状況でのガイドブックですから、大変なことでした。幸い、牧野二郎委員の絶大な支援と助言と指導とがものを言い、これまた画期的なものが出来たと実は自負しているのです。
このパンフレットの要点は、まさに「著作者の著作権」を、「著作者の立場から」守ろう、防護しようとするもので、過去を引きずった「出版主導」の、曖昧な、不利益誘導に対しても、断然言及してゆくという意向を貫いていますので、或る方面では極めて好評、しかし或る方面では黙殺という恰好で、一つのエポックメークに参与している文書なのではないかなと思います。

さらに、いよいよ、本題へ到達しましたが、次ぎに私は、日本ペンクラブのホームページを、従来の「広報」機能とは別建てに、全く新たな発想で、「日本ペンクラブ・電子文藝館」という壮大な「ライブラリー」を、世界に向けて発信しようじゃないかと提言しまして、これも、理事会の一致した賛同により、現に、着々と「電子文藝館」開館の日を、日本ペンクラブ創立記念日に当ります、今月十一月二十六日「ペンの日」を期しまして、用意が進んでいます。
これは、どういうものかと申しますと、私どもの日本ペンクラブは、1935年、昭和十年の、私の生まれました誕生日より、ちょうど一月足らず前に、初代会長・島崎藤村を擁しまして、「国際ペン」の「日本センター」として発足したのです。以来、歴代会長を申し上げると、正宗白鳥、志賀直哉、川端康成、芹澤光治良以下、第十三代の現梅原猛会長に至るまでに、物故会員が千人ばかり、現会員が千九百人ばかりが、これを支えて参りました。いわば、日本の「近代文藝の生きた歴史」を成しますと共に、ペン憲章に基づいた世界平和と言論表現の自由を守ろうという思想的な政治的な活動を続けて参りました。
とは申せ、会の外側から見ますと、実際にどんな人が会員に入っていて、その人達にはどんな文藝上の実績があるのか、さてと言うと、そう分かり良くなっているとは言えません。なんだか、事あるつどいわゆる「声明」というのを頻りに出している団体としか思われていないかも知れません。
たしかに今も申しますように、ペン憲章にもとづいた、思想と行動の団体でありますけれども、しかし、その基礎には、基盤には、梅原会長もよく申しますように、会員各自の「文藝・文筆」の力というものが働かないのでは、意味をなさないわけです。
で、その、「文筆団体である本来の姿」を広く知って貰いながら、かつ、優れた会員の優れた作品に、数多く一挙に出逢える「場」を、「ライブラリー=読書室」を、無料提供しようというのが、私の持ち出した発想でした。
で、原則的に申せば、物故会員、現会員を問わず、一人一編の文藝・文章を「電子文藝館」に、筆者・作者の「略紹介」付きで掲載し展観しよう、と。原稿料は出さない、掲載料も取らない、そして読者に対してはすべて無料公開する、課金は一切しない、という考え方です。
すでに島崎藤村、正宗白鳥、志賀直哉、芹澤光治良、大岡信、梅原猛各会長作品をはじめ、与謝野晶子、徳田秋声、上司小剣、横光利一、林芙美子、岡本かの子、岡本綺堂、三木清らをはじめとして、続々と、鳴り響くような先輩作家のもの、また現会員の自負・自薦の作品の掲載用意が調っています。さきざき、「質的に精選された大量の作品館・読書館」として、大きな文化財的意義を確保してゆくであろうと庶幾しております。

実を申しますと、こういうことを、日本ペンクラブは、やれるのではないか、やらねばいけないのではないか、という私の発想の根には、私自身が自分のホームページ上で試みはじめました「e-文庫・湖」の実験がありました。ここでも、小説、随筆、論考・批評、講演禄、戯曲・シナリオ、詩歌一般、さらには寄稿者と編輯者とのメール交信にいたるまで、二百を越す多数のファイルを擁しておりますが、これが、果たして成功するだろうか、ライブラとして成り立つだろうかという「実験」意識がありました。これが成功するのなら、ペンクラブでも「電子文藝館」を開設することは可能な筈、という見越しが有ったのです。で、これは出来る、という実感が持てましたので、今年の七月に企画を理事会に提出して、異議なく承認されました。以来僅か四ヶ月して、今月の「ペンの日」には、まず問題なく開館の運びになると思っております。
もし、これと同じことを「紙の本」でやろうとすれば、厖大な経費がかかります。経費を回収するためにはその「紙の本」を大量に売らねば成りませんが、三千人からの文章をどう編成すれば、いつ頃には形になり始めるかなどと思えば、これはもう机上の空論というものです。
しかし「電子化して実現」する分には、経費はじつに少なくて済みます。またごく少数のコンテンツから、見切り発車して、漸次増やしてゆくことが出来るだけでなく、その方が、効果的に読んでもらえます。いきなり何百人もの作品が入っていたのでは、目移りがして困ります。むろん、掲載作品を売って、つまり課金して、是が非でも経費を回収しなければならんという問題が全然、ない。文化事業として、徐々に内容豊富になって行けばそれだけで良く、売らねばならぬ特別の理由が無いのですから、実現可能性が高いのです。

ただ、ここからが「著作権」がらみの話題になって行くのですが、掲載料を取らないのは、主催者側の自由な判断です。原稿料を支払わないのは、日本ペンの構成会員が、事業に協力・協賛・支持して行こうというわけですから、ま、いやだという会員は、出稿しなければ済む話です。
物故会員のなかには、すでに著作権年限の切れている著名な書き手が、与謝野晶子、徳田秋声以下、すでに、相当人数おられます。有り難く作品を頂戴しまして、まず、これは著作権問題はクリアしいます。こういう人数が、一年一年と確実に増えて行くのですから、あとは、良い作品を慎重に選んで顕彰してゆくだけで、事は、足りて行きます。
しかし「著作権切れ」に成っていない物故会員も、千人程度居られましょう、その作品は、「著作権継承者のご承諾と賛同と」に、よらねばなりません。「電子文藝館」の趣旨をよくご説明すれば、反対なさる方は少なく、あとは、もし現在なお「版元との版権問題」が有るとすれば、それは、お話し合いで、事前にクリアして戴いてから「出稿」願うと云うことにしています。
活動中の現存会員の場合は、当然、出稿掲載作品にかかわる版元との事前の話し合いで権利問題はクリアにして置いて戴くという原則で進めています。

しかし、著作権に関連して、少なくも、もう二つないし三つの問題点が残っています。これが、ある意味で、大きい問題になります。

一つは、電子メディア上での、インターネット上での「無料公開」という点です。ほんとに「無料」で、よろしいのか。「紙の本」でなら、考えられないことですよ、ね。
私自身が、自分のホームページを、原稿用紙とも、発表の場とも、単行本同然とも、全集そのものとも、書庫・文庫・ライブラリーとも考えまして、活動を始めました時にも、いわゆる「課金」するかどうか、一度は考えました。ですが、瞬きするほども躊躇なく、「課金はしない」と決めました。と云うより「課金できない」「しても効果は上がらない」という判断に、電光石火、落着したのでした。
もし金銭的な収入が得たいのなら、電子メディアでの周知度や、感度や、好評価を広げていって、結果的には「紙の本」の方を、買ってもらった方がよいという判断でした。私の場合で云うなら、「電子版・湖の本」を課金して読んで貰うより、そこで見た、知った作品を、「紙の本版・湖の本」を買って読んで戴く方が効率がよい、ということです。つまり、電子版と紙版とを「両輪」にして活動すればよい、所詮は、電子版、電子の本は、そう簡単に「売れるものではない」だろうという認識を持ちました。

ペンクラブの「電子文藝館」も、もし課金すれば、手続きの煩わしさに、読者は寄りつかれないでしょう。それよりも「無料公開」で、いつでも好きに、自由に、繰り返し訪れて、読んで、作者や作品を知ってもらう効果の方が大きいし、文化的なライブラリー効果も、いや増すであろうと、少なくも私は、発案者として最初から思い決めておりました。「著作権料以上」の、著作者への、著作団体への、「文化的な波及効果」が上がるのなら、それもまた、或る意味の「著作権利益」というものであろう、と。
この私の考えは、実は、図書館活動に対する、やや短絡的な著作権者からの苦情申し入れ等に対して、私個人の懐いていた「躊躇理由」にも成っております。金銭給付だけが「著作権益」なのであろうかという考えが、私の認識下に、忍び込んでいるんですね。

電子メディアでの「出版」行為は、少なくとも、ここ当分は、いわゆる「儲け」には成らないだろう、それで利益を上げるには、文学・文芸の場合、まだまだ制約や障害の方が多いだろうという、そういう、判断。その一つの証拠に、どうしても電子本・電子出版物は、マンガ・劇画、図像作品のほうに、それも低俗なものに、より多く傾くことで、かろうじて、体を成している実例の方が多いではないか、と。優れた文芸作品等で、論考や研究に至るまでを含めますと、それで商売の成り立ってる例は、実に実に稀有な状況ではないだろうか、と。

一つには、何と謂われましても、まだまだ「紙の本」が実力を持っていまして、その、いわば「おまけ」のように「ディジタル化」が云われている。「紙の本」型の従来出版社の出版契約に、「将来のディジタル化」が、まるで「お添えもの」のように書き加えられて、「電子化著作権」が、まだまだ軽く扱われているのも、一つの証左といえましょう。

私は、電子出版だけで「商売になる」には、未だ相当の年数がかかる、よほど売れっ子作家の、しかも或る限られた作品だけが、稀に可能性を発揮するにしても、いわば新人が、いきなり「電子の本で世に立つ」なんてことは、ハウ・ツウものや、稀な、エッセイ等でのまぐれ当たり以外には、期待など、持ちすぎない方が良かろうという考えで居ります。私のように、「紙の本」時代に、稼げるだけは稼いでおいて、わりと気楽な老境に入ってきている人間には、いろんな「電子メディアでの実験や工夫」も楽しみながら可能として、これで生活を支えようと、メインの場として「電子メディア稼業」を期待するのは、危険度が高い、高すぎると、まあ、この辺までのことは、言い切れそうに思います。

そして、もう一つ、電子メディア上に、文章や作品を公開した場合の、著作人格権、ことに「作品の同一性保持」という大原則が、容易に損なわれやすいという、困難な問題がついてまわります。自由自在にコピーされ編集されて行くという、大問題も有る。
「電子文藝館」発足に際しまして、この点に関して、むろん問題が起きれば精一杯の対応はするものの、これは余りに起きやすく、かつ防ぎがたい性格の「侵犯行為」であり、これには、或る程度の「覚悟を願う」といった付帯の依頼文を添えまして、「出稿」をお願いしようとしています。
これは、情けない、じつに困惑の極みであると同時に、どうも、誰も、どんな技術者も、防げないだろうと、はなから「お手を上げ」ています。電子メディアには、その意味で、とても「擁護し切れない著作権問題」というものが有るのだと、それが「前提された断念」かのようになっています、が、しかしながら、そんなことで本当に良いのだろうかというのが、ま、第一番の、やや、途方に暮れている著作権問題だ、ということになるのだろうと思います。
どうすると、訊かれましても、電子メディア委員会の委員長としても、少なくも日本ペンクラブ会員に対し私は有効な返事ができません。各種関係団体が、認識を一つにし、大きな協力態勢で、先ずは協議のテーブルを用意すべき時機だとだけ申したい。
で、せめても、「対出版社」向けに、電子出版契約上の「要点」「注意点」を取り纏めて配布することで、ま、問題から目は逸らすまいとしている、暗い現状なんですね。で、その「要点」とは、「注意点」とは、と訊かれれば、少なくも只一つ、「紙の本」と「電子の本」とは、性質の違う、別物の、別事だから、どさくさに、一緒くたに、軽率な「一括契約」などしてはいけません、はっきり「分けて置く」ことで、いずれ改めて、利害を考慮して契約できる「フリーハンド」は手元に残して置かれるように、という助言に、尽きてしまいますが。

三つめの問題は、「作品の同一性保持」と、文字・記号等の「再現能力」と、文字化けしない「誠実・正確な伝達」にも、まだまだ現在の機械環境では、さまざまに障害・障壁が、有る、という現実問題です。物故会員の多くの作品が、難字・正字と、旧仮名遣いと、またオドリや、多彩フリガナ等の「表現」を持っています。これらの、全部が全部を、誰のどんな機械環境へも、同一に、甲乙無く送信できるか、となると実に難しいのですね。そういう点にも、著作権と抵触してくる「モラル」が、相当に厳しく問われます。
そもそも、同じ作品でありながら、正字と旧かなづかいの「本」も有れば、略字と新かなづかいに改めた「本や全集」も、世には多く行われております。どっちを底本にして従うか。若い世代には、旧かなは、正字は、読めない・親しめないという読者が多く、しかも「電子文藝館」や、私の「e-文庫・湖」で来訪を期待しているのは、そういう新世代読者です、当然のことに。そこに、「原作の同一性保持」をよく考慮しつつも、誰にでも親しんで「読める」「読みやすい」コンテンツの提供という、本質的な、ライブラリーとしての配慮も、必要不可欠になってきます。

とりとめなくなりましたけれど、ま、私の、今もなお関わって、熱中しております、作家としての仕事の範囲内で、思いつくまま、「著作権」の話題に触れてみたつもりでございます。杜撰な話でしたが、ご寛容に感謝し、この辺でお喋りをやめようと思います。
お喧しゅうございました。

2001.11.5  於・霞ヶ関 弁護士会館  {著作権シンポジウム}記念講演 草稿

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