ぜんぶ秦恒平文学の話

バグワン 2007年

 

* 暁を覚えないどころか、寝坊した。

* 静かな心ではまだ足りない。静かな。静寂。バグワンは、それは「死」にちかいと謂う。もっと欲しいというエゴと、もっと与えたいというエゴとが、悪循環した、ものの表裏にすぎないとも。よく分かる。そこを通過して至る、静寂、無心。しかし無心もまだ心のありようにとどまっていると謂われる。首肯する。その先が、ある。在って無く、無くて在る。「望んではならない。」
2007 1・10 64

* バグワンは古びるということがない。これだけ繰り返し音読し続けていて、いまなお真新しい感銘とともに、厳しい鞭撻をうける。つまりわたしがまだまだ「ほど遠い」のである。七八冊を繰り返し音読していて、いつも今読んでいるソレにつよく惹きつけられるというのも、バグワンの言葉が深く新しいから。その感銘を書き置きたい書き置きたい気持ちに誘われるが、知解に流されるのをおそれ、しないことにしているが。

* 寒い。風の音も。
2007 1・13 64

* 気持ちに落ち着きがないというか、言い難い不安があった。いまも有る。入稿を急ぎたいと謂ったのとモノのちがった不安であり、何だろうと思っていた。バグワンに聴いていて、あ、これかなと思った。
数日前、「香」さんの述懐に、「庵ならべむ」と応えた。
あれこれの仕事の場から撤退して行く気持ちを書いておられた。退蔵。
あれこれ謂いつつ、この「退蔵」二字にしみじみ目をとめたのは、『親指のマリア』を書いていた頃、いやもっと以前、新井白石の日記を観ていたときだ。ペンの理事に就任した頃から、何度かわたしはこの「退蔵」の気持ちを漏らした。

寂しさにたへたる人のまたもあれな庵ならべん冬の山里  西行

心身から多くの多くのものの脱落して行くとき、それは希有の境涯へむしろ明るんでゆくときなのであるが、そのきわどい間際に感ずるのは、じつは底知れぬ恐怖であり不安であり、へたをすると狂いもしようと、バグワンは容赦なく警告している。
七十年、無数に身に抱いてきた襤褸を脱ぎ捨てる。「心身脱落」と道元は謂っているが、要は執着の数々を、名誉心、安楽心、自負心、することなすこと山のように有る、それらあらゆるを「脱落」させれば、いったんは寒く寒く、執着心はふるえてしまう。その寒いふるえを、はや予感して、わたしはおそれて落ち着かないのではないか。あ、そうか、そうかも知れないと、バグワンの声を夜前、ありがたく聴いて自覚した。そして、おそろしかった。西行ですら「庵をならべあう」友の存在を望んでいたか。

* いま、過ぎ去った歳月の身にも心にも負うてきた堆積を、かなり本気で、もとの平らに均してしまいたいと思っている。そのうえで自由に、したいことがしたい、と願っている。深い意味で義務をもうもつまいというのであろうか、そうも謂えるし違うかも知れない。義務感に煩わされずに来るモノは拒まず去るモノは追わず、負うは負い、棄てるは棄て、理性や分別にたのまず、本能の本然にこそすなおにしたがおうと謂うのであろうか。

* もう一と花とか、死に花を咲かすとか、そういう価値観がおぞましい。
やたらそれを強いる人は堪らないし、だが好意は分かっている。
わたしの「沈黙」には全く無関心に、関わりない受け売りの話題にばかり悩まされるむなしさは、たいていではない。
人生は儀式ではなく、どのように晩年を終えるかはシナリオに用意できない。だが、なにもかもをひっくるめても、確実なのは、死と同行二人の「生きる」だということ。これまでは久しく「生」と会話しながら生きてきたが、いつからか話し相手は「死」に代わって生きている。教えられねばならないのも親しまねばならないのも、嬉しく生きて行くためにも、相手は「死」なのであるなあと思い、少しでも脚軽やかに生き行くには、無用の落とすべきはきっちり落とさねば棄てねばなあと思う。
なるほど執着があればあるほど、落ち着かないであろうよ、不安なのはあたりまえだと苦笑いして、少し気がついたのも、バグワン導師の恵みである。
2007 2・9 65

* 何となくガッカリしたまま、機械から離れたのが、もう一時半だったか。階下でバグワンの『存在の詩』を何度目になるだろう、全一巻「音読」し終えた。
なにもかもを脱ぎ捨てた、いやそれでは格好がつきすぎる、半ばは剥ぎ取られたように、わたしは寒い。ひどく震えている。歳月を掛けてここまでわたしはバグワンに聴いて歩んできた。なにも疑っていない。ただこのまま歩一歩の道を辿って行く。
2007 2・19 65

* 「究極の体験は全く体験ではない。体験者が消えてしまっているからだ」とバグワンは『存在の詩』の巻頭の最初に言った。
出逢いの最初に、わたしはこれに信服した。
究極の体験というのを正確にわたしが理解していたとは思わないが、もし本当に究極の体験と謂うのであればそれは体験であるわけがない、「体験者が消えてしまっている」のだからと、わたしも思った。もし生きて真に志望するならそういう究極の体験でなくてはとも思い当たり、世界が色を変えた。
究極の体験に、「言葉」は駄目。シンボルも役に立たない。「まして理論や教理など全く何の用もなさない」と聴いたとき、わたしはほうっと「安心」したのを忘れない。そうなんだ、そうかそのとおりだなあ、と胸が開いた。
バグワンは言った、究極の体験は「一滴の水が海に落ちて行くのに似ている、あるいは海そのものが水滴の中に落ちていくと謂ってもいい」と。「それは深い合一、一体性だ、おまえはその中に溶け去り何も残らない、一つの足跡も」と。
その端的なこと、わたしは呆然とバグワンの前に佇立したのだった。

* むろん不十分なドグマに溺れるだろうが、ここしばらく、機ごとにティロパを語る『存在の詩』のバグワンに聴こうと、聴いて行こうと、思う。

* 磬を打っている。静かな気持ちの時は静かに澄んで鳴る。いらだっていては音色もいらだつ。
2007 2・27 65

* 熟睡したというには夢の去来を何度も感じていたが。
バグワンは、フロイトを、いつも徹底批判している。わたしは終始それに賛意を覚えてきた。「夢判断」なんて、バカげている。また何でも彼でも「リビドー」に帰して始末してしまうのもバカげている。いかにも人性の深度からして、軽薄だ。意味ありげであるにしても「夢」に本気でつきあうなど、わたしには脆弱な物好きとしか思われない。
おもしろがってもいいが、微塵もとらわれる必要がない。ただの「からだ」に拘泥するのも困りものだが、なまじ「精神身体」の関わりの微妙さにふりまわされてしまうのは罪が深い。
2007 2・28 65

* 行為はいい、行動はだめ。コミュニオンはいいが、コミュニケーショクは頼れない。
バグワンには、こういう「発語」がちょくちょくある。どんな原語がこう翻訳されているのか、またはどう日本語に宛てればよいか、察しはつくがより正確に知りたくなる。
それはそれとしてバグワンは根本から、マインドの意味での「心」を徹して批判し、しぜん分別や知識を、また言葉を、少なくも無条件では是認しない。つよく警戒しつねに警告する。
「言葉――  言葉はその根本的な本性からしてむあまりにも死んでいて それを通しては 何ひとつ生き生きとしたものが語られ得ないほどだ」と彼は断言する。
その歴史的な背後には、ブッダとマハーカーシャパの「捻華微笑」や、ボーディ・ダルマの「不立文字」「無心」や、『老子』巻頭の、およそ言葉にしてしまえばいかなる真実もその瞬間に不実に変ずるという発語が生きている。
「究極の体験」が言葉や知識や分別で、マインドのはたらきで成されるはずがないのはあまりに当たり前であり、言葉や知識や分別やマインドでの保証を求める人と出会うつど、とても物騒に肌寒い気がしてしまう。すべてそれは一時しのぎ、その場しのぎで終わる。むしろ「からだ」の方がウソをつかないと思っている。

* 早くも二月が尽きる。光陰の矢のようであることを念々に目前に見る心地。
2007 2・28 65

* 「心=マインド=分別=思考」が十分頼れないのと同じに、「言葉=マインド=分別=思考」も十分な頼みにならないことを、わたしは漠然と永いこと思っていた。なんだか儚かった。バグワンが以下のような「体験」を書いていたのに出逢い、わたしは文字通り「はっ」とし、感謝した。幾昔も前になる。
以来、わたしは、ただもう彼のそばに居て、彼に聴いてきた。
訳者の星川淳(スワミ・プレム・プラブッダ)さんにおゆるしを願い、先にわたしが出逢ったバグワン自身の「体験」を、次いで彼の言葉に聴き入りたい。『存在の詩』を真っ先に読み始め、いきなりわたしは出会った。バグワンは語っていた―――

☆ 子供の頃
私はよく朝早く川に行ったものだった
小さな村だった
その川はとてもとてもゆるい流れで
まるで全然流れてなどいないかにも見えた
特に朝まだ太陽が昇っていないときには
とても流れているとは思えない
本当にのたりとして静かなものだ
朝、誰もおらず
水浴の人々もやって来る前
その静けさははかり知れない
鳥たちさえ歌わない
早い朝――
無音――
ただ静寂だけが浸み渡る
そして川面をおおうマンゴーの樹のかおり――

私はよくそこに出かけ
川辺のはずれまで行ってただ坐り
ただそこに居た
何をする必要もなかった
ただそこに居るということで充分だった
それはなんとも素晴らしい体験だった
水浴びをし、泳ぎ
太陽が昇れば
向こう岸まで渡って行って広々とした砂の上でからだを乾かし
そこに横になって、ときには眠り込みさえした
家に帰るときっと母は尋ねたものだ
「朝の間中あなたはいったい何をしていたの?j
「なんにも」と私
なぜなら、事実私は何をしていたわけでもないのだから
すると彼女は
「なぜそんなことがあり得るの?
4時間というものあなたはここに居なかったのよ
何もしていなかったなんていうことがあり得るかしら?
何かしらしていたに違いないわ」と言う

彼女は正しい
しかし私も間違ってはいなかった
私は全く何をしているわけでもなかった
私はただ川といっしょにそこに居ただけだ
何をするでもなく、事が起こるのにまかせて――
泳ぐ感じになったら……
忘れてはいけない、泳ぐ感じになったら、だ
そうしたら泳ぐ
けれどもそれは私の側で何かをするということじゃなかった
私は何を強要していたのでもない
もし眠気が来れば眠った
もの事が起こってはいた
しかしそこにはそれをする者はなかった
そして私の最初の<さとり>の体験は
その川の側ではじまったのだった
何をするでもなく
ただそこに居て――
何百万というさまざまな事が起こった

ところが母は私が何かをしていたに違いないと言って聞かない
しかたなく私は言う
「わかったよ                   i
水浴びをした、太陽の下でからだを乾かした」
そこではじめて彼女は満足した
が、私は満足しなかった
なぜならば
その川で起こったことは「永浴びをした」などという言葉では
とうてい言い表わすことのできないものだからだ
それではあまりにも貧しく色あせてしまう        1
川と戯れ
川面に浮かび
川で泳ぐという体験の深さの前には
ただ「水浴びをした」などという言葉はまるで意味をなさない
あるいは
「そこに行って堤を歩き、坐っていた」と言ってみたところで
それは何も伝えてくれはしない

* こういう「川辺」体験ではないが、こういう「早暁」体験はわたしにもあった。一読、バグワンが何を言おうとしたか察した。理解した。ここで「母親」が決めつけて行く「説明」としての、ただそれだけの「言葉」のむなしさも身にしみ理解した。
だがつたないわたしの更なる説明を加えるよりは、バグワンの雷のような声に聴いて、わたしもまた思いを新たにしたい。
開巻たった三頁めにわたしは出逢っていた、バグワンに。瞬間にわたしは彼の透徹を信じ、帰依・降参のよろこびを覚えていた。
バグワンはこう、「言葉」を、語る。彼は語りかける相手に「あなた」「あなたがた」と呼びかけているが、わたしは「おまえ」と聴いている。

☆ あたり前の生活の中でさえ
おまえは言葉というもののむなしさを感ずるだろう
それどころか、もしそのむなしさを感じないとしたら
それはおまえがいままで
全く生きてなどいなかったということを表わしている
いままでとても浅薄にしか生きてこなかったということだ
もし何であれおまえが生きてきたことが言葉で伝え得るとすれば
それはおまえが全く生きてなどこなかったという意味なのだ
何か言葉を越えたことが起こり始めたとき
そのときこそはじめて
生がおまえに起こり
生がおまえの扉を叩いたということになる
そして究極なるものがおまえの扉を叩くとき
おまえはまるで言葉など越え去ってしまうものだ
おまえは(ことば無き者)と化す、     ・
口をきくことなんかできはしない
ただの一語といえどもおまえの中に生じはしない
何を語ろうと
そんなことはことごとくあまりにも色あせ
生気なく
無意味でなんの重みもなく
あたかも自分に起こったその体験に不義をなしているかのようだ
これを心にとめておきなさい
なぜならば
マハムドラーとは最後の、そして究極の体験なのだから――

* ちょっと唐突にもちだされた「マハームドラー」とは、この本の主材であるティロパの詩、またバグワンにとっても「究極の体験」だと言い切るほど「根源の語彙」の一つであり、それ一つでバグワンを言い尽くせると思うのも過剰な思いこみにはなるけれど、それでも、きわめて、すぐれて大事なことをこの「マハムドラー」は伝えてくる。「今・此処」でそれをよく聴いておくことは実に大事であった。

☆ マハムドラーとは宇宙との全面的なオーガズムを意味する
もしおまえに誰かを愛したことがあり
ときとして溶け合い合一するのを感じたことがあったら
――二人はもう二人じゃない
からだは別々であっても
ふたりのからだの間の何かが橋を、黄金の橋を作り
内面に〈二〉は消え失せて
ひとつの生命エネルギーが両の極をふるわせる
もしもそれがおまえに起こったことがあったら
そのときにのみおまえにも
マハムドラーの何たるかを理解することができるだろう
それより何万倍も何億倍も深く     √
何万倍も何億倍もハイなもの
それがマハムドラーだ
それは<全体>との
宇宙との全面的なオーガズムだ
それは存在の源への溶解だ

これはマハムドラーの詩(うた)だ
ティロパがそれを「うた」と呼んだのは素晴らしい
それはうたうことはできる
が、語ることはできない
それは舞うことはできる
が、それを語ることはできない
その現象のあまりの深みは
それをうたうことによって、ようやく
そのいくばくかが伝わるかどうかというほどのものなのだ
それも、何をうたうかではなく
それをうたううたい方によって――

* この「うた」「うたう」という物言いに、わたしは「詩・歌(うた)」とは「うったえ」の意味だと理解してきたのを受け入れられた気がしたものだ。
バグワンはここで「〈二〉は消え失せて ひとつの生命エネルギーが両の極をふるわせる」と性の究極を適切な「喩」に用いながら、「存在」としての個と全体との溶解を告げている。海と一滴との喩えでも彼はすでにこれに触れていた。
2007 3・3 66

* 「行為と行動」「感応と反応」などと微妙すぎる日本語になってバグワンのことばが伝えられるとき、わたしもとまどい、せめて原語が付記されていると有りがたいと思う。
行為はいいが、という時、腹が空けば食う、それは自然な行為で、エゴの所為ではないと説明できる。空腹ではないのに食欲に任せて食う、それはエゴの働いた行動で、自然な行為ではないと説明できる。この譬えは、わたしにはいつも耳が痛い。
藝術ないし創作行為にも及んでくる。力強く内側から膨れるように成ってくる創作と、遮二無二作りだしてゆく商売制作とは、異なる。差は在る。
夢中で「ペン電子文藝館」を立ち上げ、また充実させていたころのあのわたしの集中は、創作的な行為として自然だった。渇くので水をのみ、腹が空くので食べていた。しかし名誉心や成功欲にかられて取り組めば、ただの虚しいモノになる。肩書や地位を肩書や地位と意識せず、任務や責任に自然に応じて務めるのは自然な行為だが、実体に熱が失せていながら肩書や地位にものを言わせたがるのは、無用で不自然な行動だ。理事の名は受け取りながら理事会に全く出ず、理事として働かないなら、それは貪る行動であろう。そんな己れ高しとしている人は、しかし、どこの世間にもいる。
わたしは東工大のとき、学部の教授会には、事実教授就任と定年退任のあいさつ以外にほとんど出なかった。その時間は学生たちとの面会にあてていた。肩書きも地位もその方が内実を得たから。東工大の全学や学部の教授会でわたしの果たせる仕事は無にちかい。しかし学生とすごす時間には何かしら伝えることも逆に与えられることも有って、満たされた。ためらいなくそっちの行為をえらび、あっちの行動は合法的な手続き、欠席通知を出しつづけて、遠慮した。
2007 3・15 66

* 体験者がいなくなって、はじめて「その体験」がある、ありうると聴いたとき、わたしは胸をつかれたように感じた。バグワンは言う。

☆ 語られる真実は無い。語ればもはや真実ではあり得ない。求めなければ出会うだろう、求めないこと。求めれば求めるほどエゴ(我執)が強められて見失う。
「求めざれ!」
あるがままの自分でいて、どこへ歩み出すこともない。もしそれを神と呼びたいなら神は、「彼」の方からおまえのもとへやって来る、おまえが純粋に受容的であれば、きっと来る。一本の中空の竹筒のように在るがいい。
2007 3・20 66

* 朝日新聞社の広告を、東京駅構内やいろんな所で旅行中に見かけて、苦笑の連続。
朝日新聞をとっていないわたしは、正確にその「文句」をここに書けない、が、箇条書ふうに全面「言葉」への賛辞と容認、つまり信頼と奉仕の意志表示に溢れていた。
「バッカみたい」と思う。
新聞や雑誌やまたテレビなどで有卦にいった知識人たちの「言葉」が、いかに頼りないものか、イヤほど知っている。人や社会や時代をミスリードし紛糾のタネにこそなれ、とてもとても、「話せば分かる」というわけにいかないことを、彼らこそがよく自覚していなくてどうなるのだろう。
その上で、だからこそ謙虚に「言葉」は用いなくてはならない、われわれは「そうする覚悟だ」と言ってもらいたい。
朝日新聞のような大きなメディアが、此の無反省で無自覚な、「言葉への全面の信と服従」を公衆に約束して暢気に安楽椅子にふんぞり返った様は、これほど今日の「言論の軽薄と滑稽」とを示した愚例は、無類と言わずにおれぬ。
言葉なしに生きては行きにくい。だから言葉は丁寧に謙遜に使われねばならない。「言葉」ほど不完全で不十分なツールはないのだと覚悟の上で、「言葉を活かす」しかないのである、人間は。それは、「心」ほど不完全で不十分な頼るに頼れないものはない、のと、じつに好一対。
現代、本気でか瞞着でかは別にしても、「言葉」と「心」とを、まさに「心なく」持ち上げて、人と時代とをミスリードする連中こそ恐ろしい毒物だと識っていなければいけない。
何でもないこと。一度でも少し落ち着いて、自分の、また他人の「言葉」が、「心=マインド=分別=知識」が、どんなに頼るに頼れない頼りない不安定なものかに思いあたるほど、直ぐ出来ることはないだろう。
だが「言葉」も「心」も、生きるための最必要なものなのに、変わりはない。だからこそ、朝日新聞の広告のようなノーテンキな理解でなく、謙遜であれ、周到に誠実に用いて欲しいと言いたい。願いたい。
「言葉」「心」とは、本当に本当に、慎重に謙遜に付き合わねばならない。

*  或る東洋人に、耳を澄まして、わたしは聴く。

☆ 「あたり前の生活の中でさえ おまえは言葉というもののむなしさを感ずるだろう それどころか もしそのむなしさを感じないとしたら それは おまえがいままで 全く生きてなどいなかったということを表わしている いままで とても浅薄にしか生きてこなかったということだ。
もし何であれおまえの生きてきたことが 言葉で伝え得るとすれば それは おまえが全く生きてなどこなかったという意味なのだ 何か言葉を越えたことが起こり始めたとき そのときこそはじめて生がおまえに起こり 生がおまえの扉を叩いたということになる。
そして究極なるものがおまえの扉を叩くとき おまえはまるで言葉など越え去ってしまう おまえは <ことば無き者>と化す。
口をきくことなんかできはしない ただの一語といえどもおまえの中に生じはしない。
何を語ろうと ことごとくあまりにも色あせ 生気なく 無意味でなんの重みもなく あたかも自分に起こったその体験に不義をなしているかのようだ。
これを心にとめておきなさい。」(星川淳氏の訳文に基づく。)
2007 3・25 66

* 鈴木大拙の角川文庫『無心ということ』を音読していて、さすがにバグワンの話と符合することの豊かさ、嬉しくなる。大拙さんは禅人であり、しかし念仏の妙好人にも理解の深い世界的に著名な深い深い境地の宗教者であった。
その大拙さんが、宗教の極地は「畢竟浄の受容性」にあるというのは当然至極で、バグワンも常にそれを「女性性」に喩えている。帰依とか、バグワン独特の語彙でいえば「降参」や「明け渡し」などもそうだ。
我=エゴを完全に落とせずに無心とか空とかは、ありえない。努力したり、自意識で強いたり、理に落ちれば、無用の知識も割り込んできて、「本性清浄の受容」のあり得るわけがない。宗教性にふれるもっとも基本の理解は、これ。
バグワンはそういう我執=エゴの根底を「心」と睨んで徹底批判するが、大拙さんも、アッシジの聖フランシスの言葉をかりながら、「今のキリスト教者(= 宗教者)はみんな<心>がありすぎて困る」と言い、この先はわれわれへの出題のように読めばいいが、「死人のように、死んだ人のように、死骸のようにならないと駄目だ」と。
「死骸になれば、どこかにもって行って、立てておけばそのままに立っている。しかし推し倒せばまたそのまま倒れる、そのままになっている。人が何を言っても怒りもしない、笑いもしない」と。
また聖ロヨラの言葉を借りてこうも話している。「今、神様が出て来て、そこの海辺にある、櫂もない帆もない捨小舟、それに乗って大海に出よと命ぜられるなら、即座に出てゆく。なんら躊躇することをしない。後は神のままにされて動く、波間に沈むなら沈む、大洋に浮かび出るなら浮かび出る、どこへどうなるかわからぬが、それでよいというのです。宗教生活にはそういうところがあるのです」と。
「ところが、困るのは人間には分別意識(心)というものがある。知識というものがある、そうして何かにつけて理屈をつけたがる、そこから始末におえぬということが出て来る。」「宗教には、何のかんのと、理論はこうだとか、論理はそうでないとか、そういうことを言わぬところがあるのです」と。

* カソリックの教会が歴史的にやってきた教義の穿鑿や儀式化が、みな、それだ。南都の仏教も、天台・真言も、念仏ですらも同じようなことをやってきた。
バグワンはいかなる宗教宗派にも属さず、ひろく見渡してかつ端的に宗教性を抱いた人間の深い安心と無心とを語り続けてきた。わたしはただただ聴き続けてきた。あたりまえな話だが、大拙さんもしかり、優れた達者・覚者は、究極するところ同じ境地にいておなじ理解を語ってくれる。そう分かってくる嬉しさは喩えようもない。

* 五木寛之氏がテレビで「林住期」について話していた。
この仏教徒の生活観や修行段階のことは、山折哲雄さんなどしきりに解説・啓蒙し、自身実践さえしたいふうに言われていた。
五木氏の思いは、しかし、山折さんのいわば生硬な「直訳」より、よほど柔軟に「意訳」にちかい『林住期』のようで、その点わたしの思いに遠くない。
この日本国の現況下、「林住期」の直訳的境涯など、言うはやすくも、行なって実のともなうわけがない。五木氏のテレビでインタビューされていた限りで聴けば、同感するところが多い。部分的にうち重なる実践部分もむしろ少なくない。
むろん我々は五木夫妻のようには別々に生きていないけれど、男女の友情は老夫妻にこそありうるという理解はほぼ共にしているし、仕事の多産という点でも、方面も意思もずいぶんことなるけれども、豊穣感はじつは六十以前よりもむしろいまの生活にある。ここへ達するための五十年六十年を生きてきたという実感があり、それがわれわれの「林住期」であり、現実に山林に分けいって暮らすなどはアナクロニズムに過ぎない。バグワンが、よく、ヒマラヤに入って行く行者のエゴと俗とを嗤っている。「無心」は、「静かな心」は、街にあり市にあって、しかも得られる。五木氏は林住期をあっさりと年齢・老境に即して言われているようで、それにもわたしは共感した。
また人間関係を年賀状の枚数にたとえながら、死ぬときは一枚もこなくていい、少しずつ少しずつ減らしていきたいと五木氏は話していたのも、分かる。世間と他人とはどっちみち老境の進むに伴い遠のいて行くし、それでよい。
ま、わたくしの謂う意味の「身内」として誰がわたしの臨終にまでのこるのか、五木氏のようにひとりもなくて良いとは思っていない。ただ必然に減って行くものと思って、黙へ黙へと沈みゆくだけ。
2007 4・11 67

* 大拙さんとバグワンとをあわせ読んでいると、覚者の「覚」たるゆえんがレンズの焦点を一つに結ぶかのように、みごと重なり合うから感動する。ことばは異なってもまったく同じことが話されている。
もし異なる点を謂うなら、大拙は宗教を語って「信」を口にしている。講演の聴衆が主として真宗の僧侶たちらしいからそれが話題になるのだろう。
バグワンは宗教性をたいせつに語るが、めったに「信」の一字に言い及ばない。無や空を謂いつつ、大拙のいわゆる「本性清浄」を話してくれる。何かを信じて救われようと謂うところからバグワンは離れているし、たぶん禅人である大拙もそうだろうと推測できる。わたしの言葉でいえば「抱き柱」を彼らは抱かない。抱けば「抱く」「抱きつく」という「我」がのこる。のこれば信は全うできないのではないか。大拙の謂う信には、抱きつけ、縋れと謂うニュアンスはない。そういう我は一切なく、帰依し、基督者のよく口にする「みこころのままに」にある、あれる、かどうか、だ。

* 只管打座(しかんたざ)と禅の人は謂う。ひたすら座って居よと。アッシジのフランシスの、心が邪魔をする、死骸かのように在るがいいというのは、それだろう。死骸はなにもサマをしない。良い格好をしようなどとしない。大拙はこれを生き物の猫にたとえて謂うている。
猫はなにをされても超然として、されてよし、されなくてよし、在るも去るも何に構うという気もなく在る。人間はああは行かない生き物だが、そういう生き物のママで宗教の境地には至れるものでないと。
バグワンもまるで一枚の紙に裏貼りするように同じことを話している。このとうてい渡れそうもない白道を、渡れば向こうは「彼岸」だなどといちいち言う人間は、学者であって、すべてを受動的に明け渡している者はそんな理屈は言わずに、ただ渡って行く。渡れてしまう。つまり「摩訶不思議」とはそれだと、大拙はさらりと話している。
2007 4・13 67

* こっちは「此岸」あっちは「彼岸」この橋をわたればあっちへ行けるが、なみたいていでない難しい橋である、などとチエ・分別をつけるのは、哲学者や宗教家のやること。それを「知識」と受け取るから此岸と彼岸の距離は心理的にもはなはだ乖離してしまい、所詮どうにもならず橋の前で立ちすくむか、途中で猛火・毒水のなかへ落っこちる。落っこちるのを懼れるだけになる。
そういう理屈・チエを一切うけつけず、無心にまるごと(totalに)受け入れているものは、水の上、火の上でも、地をふむようにすたすた歩んで行く。「摩訶不思議」というしかないが、そんなものだと、実例は『新約聖書』にもあり、鈴木大拙氏も話している。
つい一両日もまえか、『チャンス』という映画を観た。チョンシー・ガードナーと呼ばれている、もとは大家の庭師であった男の物語で、シャーリー・マクレーンに愛される。少し頭の働きの尋常でない、心からの一庭師に過ぎないのだが、その無心に語る(客観的には通常世間の知恵の働かない)言葉が、「智者・覚者」のそれかのように光って聴かれ、一度その「思いこみ」がエスカレートしはじめると、大統領やマスコミをも畏怖させるようになる。しかし本人はなにも覚悟などしていない、ただ無心に暮らしている。
終幕では、彼は、恩義ある友の葬儀を背にし、しずかな池の上をなにごともなくさらさらと向こうへ歩いて渡って行く。持った傘で水をさぐると深く沈むけれど、彼はなにごころもなく水の上に立っていて、歩いていて、微塵も危うくない。「摩訶不思議」だが、それは俗人の眼の謂うことで、ガードナーにはそこが水の上とも、水の上には立てない歩けないなどとも、微塵も思っていない「だけ」のはなしだ。
「分別」と「無分別」といえば、一にも二にも人は「無分別」を嗤い、「分別する心(マインド)」を褒めそやし、頼り切って、人間の歴史をつくってきた。が、何の、そんな「心」のじつはちっとも頼りにならないフラフラしたものだとは、誰よりも、一人一人の「自分自身」が、日々数え切れないほど思い当たっている。
「ほら、みなさい。ごたいそうに心、心という君が、たったそれだけのことですぐ心乱れているじゃないか」と、漱石『心』の「先生」は学生の「私」を窘めていた。しかもあの「先生」ほど、「静かな心」の難いのを誰よりよく知って苦しんだ人はいなかった。
2007 4・16 67

☆ 秦先生 湖の本、お送り頂きましてありがとうございました。
ゆっくりと考え考え読むことのできる本に出会う喜びは何ものにもまさります。
味わい深い本ですので、先生に申し上げたい気持ちがたくさん浮かんでくるのですが、すべて書くのも長過ぎますので、中で今の私だからこそ思う感想を一つ。
緑子の欠(あく)びの口の美しき  武玉川
男の視線、と書かれていますが、私は間違いなく二人目以降の子を持った母の視線のような気がします。
この「美しき口」、おそらく歯が生えていないのでは。
歯のない歯ぐきだけのやわらかな口もと。乳を含んで強く噛みしめても噛まれた母はそれほど痛い思いをしない、そしてそのなめらかな歯ぐきで一生懸命に乳を吸い、無心な笑顔を見せる、そういう口もとを思わせます。
そう思うのは、歯が生え始めた頃、二人目の子を連れ歩くたびに多くのお友達のママから、「あら、歯が生えちゃったのね」と言われた経験から。「歯のない歯ぐきだけの口って本当にかわいいのよね」と。
この裏には「歯が生えると噛まれてしまうし」という含みもありますが、それより何より歯の生えていない今だけの笑顔を楽しむという母親の心の余裕があります。
最初の子どもだと、歯が生えた、という成長の方が嬉しくて「万緑の中や…(吾子の歯生えそむる 中村草田男)」という気持ちになるものですが、二人目以降になると、子どもの「今」を楽しんでゆく心持ちになります。子どもとともに歩んでいくことに慣れてきた、とでもいうのでしょうか。
歯のない緑子のあくびを「美しき」と思うのは、一人目を育てて、自分も「母」に育った母親の視線ではないでしょうか。
十五年待つにもあらず恋ひをりき今吾に来てみごもる命よ  長崎津矢子
先生のご紹介下さる歌には何度も涙してきましたが、この歌でも、また目頭が熱くなりました。私もなかなか来てくれない吾子を一年ほど待ったことがあります。一年だけでも随分と辛かったことを思えば、この「母」はどれほどの思いをしたことでしょう。「吾に来て」の一言に、待ったことのある親は、強く共振するのではないか と。
力のある歌ですね。
こうして書いていくとまた長くなりそうですので、このあたりにさせていただきますね。
この一年、家にいて私も「母」として育つことができたように思っています。あとひと月ちょっとですが、一日一日が珠玉のような日々でした。(高松塚など)古墳壁画の周辺が強烈に動いていくこのまっただ中で、これほど長くの休みを許可してくれた上司や同僚に、本当に感謝しています。
既に復帰後のスケジュールが決まり始めているほどギリギリの中でのお休みでしたが、おそらく二度とこれほど真珠色の日々は送ることはできないような予感がしています。
先生におかれましても、よい日々が続いていかれますよう。  馨

* ほんもののお母さんの言、まちがいない。ありがとう。
嬰児のあくびの口にまだ歯がないのよという「美しさ」の発見、さすがに母親。
この江戸川柳にわたしが感銘をうけたのも、馨さんとそうちがった感覚ではなかったけれど、それを男親の視線でよろこんで、思わずそう書いたのだ。
バグワンはいつも言う、男という人間はいない、女という人間もいない、男にも女が生きている、女にも男が生きている、だからトータルな人間なんだと。生物学的にも謂えることなのだろうと思うし、こういう句をこころから「うつくし」み思うのは、わたしのなかの女要素が働いていたのかな。

☆ 今、前二作の後、またこの歳になって読んでこそ見えてきたこと、沁みてきた歌も多く、有難い出合いでした。お礼申しあげます。ご自愛を念じます。 元・文藝誌編集長
2007 4・21 67

* 叙勲だの褒賞だのという國の顕彰のなかに藝術家の名前をみると、ときに傷ましいと感じる。どれほど敬愛してきた人の場合も、わたしはお祝いもせず、申し上げたこともない。健康をねがうばかり。

☆ 読んでもらいたい本  玄
このところずっと権力やマスコミ(も権力の一部といえる)のありように、苛立たしさを感じながら過ごしている。昭和ひと桁生まれの人間は、悪夢の再来を恐れる気持ちが強いのだ。
誰かが何とかしてくれないかと他人頼(ひとだの)みでなさけないと嘆いていたところ、一人でも多くの人に読んでほしい「よい本」を見つけた。『報道されない重大事ー斎藤貴男』2007年1月10日発行のちくま文庫である。

* はっきり言って、年ごとに、強引に國権に「飼われている」違和感にいらだつのである。「いやなら、死ね」と言われているような気さえする。だが死ぬ人はめったにいない。よほど敏感な人だけがたまに本気で死んでしまう。「玄」さんの意向からそれて行くかも知れないが、たまたま昨日もバグワンにわたしは聴いていた。
彼は人間の絶対に三つあり、うちの生と愛とは当人のままにならないが、死だけは、犠牲者にもなれるが決め手にもなれると、比喩的な口調で前置きする。自殺とはその決め手をつかうことだ。
社会(國)は人々から一切「私」たる尊厳を奪ってしまいたがる。尊厳を取り戻したさに自殺する者が出てきて、彼らはこう言える、「おれはおまえの世界とおまえのくれた生を放棄した、それは値打ちのないものだった」と。
誕生は思うままに出来ないし、愛も。ただ死だけにこういう決め手がある。あるけれど、それは性急すぎる決め手であるとバグワンは自殺を肯定しない。より「高次の可能性がある」と言い、本当に素晴らしい「個性的で、非模倣的で、非反復的な」「生のあらゆる瞬間に」自身を開くように、落とすようにあずけよ、帰依せよ教えている。彼はただ、生に対し敏感で、生を真に愛するものほど自殺に誘惑される、その理由をも、「実存の自由」に見つめている。但しより「高次の可能性」に帰依する前に生を放棄してしまうのを戒めている。
たしかに現世の生は、人の個々の生に対し「ユニークな敬意」を払ってくれはしない。とても屈辱的で、自分がただの歯車の一部に、巨大なメカニズムの一部になっているという苦境へ、いわば強いられた「匿名の生」へ追いつめてくる。敏感な者ほど、これは堪らない。そして「自殺」を考え込む。
バグワンは語る。

☆ 社会は強制的におまえを大軍団の一員にしようとする
社会というものは自分自身の道を行く人をけっして好まない
社会はおまえに「群衆」のひとりでいてほしい
ヒンドゥー教徒でいるのはいい
キリスト教徒でいるのはいい
ユダヤ人でいるのはいい
アメリカ人でいるのはいい
インド人でいるのはいい
とにかく「群衆」の一部でいろ
どの群衆でもいい、とにかく群衆の一部でいろ
けっして自分自身でいるな――
だが,自分自身でいたがる人たちというのは〝地の塩”なのだ
自分自身でいたがる人たち
彼らこそ地上で最も価値ある人々なのだ
地上にまだしも少々の尊厳と芳香があるのは
そういう人たちのおかげなのだ
ところが、そういう人たちに限って自殺する

* 断定的に聴くことはない、世の価値ある「少数派」の存在意義を高く認めたひとつの比喩的言説ではあるのだ、が、國や社会が「一人在る」ものを嫌うのは事実だ、そういう存在は「治者」には五月蠅いから。
バグワンが、こういう少数派に、自殺と二者択一の「より高次な自由の選択」「生」として示唆するのは、こういうこと。こういう自覚だ。それは「自殺」と真剣に向き合い至りついたほどの瞬間に、はじめて呼びかけてくる「高次の生」だ。

☆ 自分はどんな理想も目標(ゴール)も持たないことにする
自分は「今・此処」という瞬間瞬間に生きる
自分は瞬間瞬間に応じて生きる 内発的に。

* もろもろの財に似た価値を期待して長いものに巻かれているいるものには、寝言であろう。
2007 4・29 67

* バグワンの「自殺」の説を限定・断定的にとらえるには、実際の遭遇体験等から異議もありえよう。事実問題として、貧窮でも自殺する人はあり、失意の重大さに屈する例もあるだろう、病苦の自殺も孤立寂寞の自殺もある。それらとも、どこかでバグワンの言説に通わないではないが、無理強いに納得しなくてもいい、バグワンの方便にはべつの意図があるから。
いろんな理屈で多岐の整合化をはかるような問題ではない。で、もう少し彼の言葉に聴いてみたい。言うまでもない、スワミ氏の日本語訳にもとづいている。また言うまでもない、バグワンは明瞭に「自殺しない道」を語っている。

☆ 死を黙想するがいい それはいつ何どきにもやって来得る だから,死について考えることを「病的なこと」だとは思おないこと。
そんなことはない。 なぜならば死は生の頂点であり まさに生のクレッシエンドだからだ おまえはそれに注目しなければならない。
それはやって来つつある おまえが自分で手を下すにしろひとりでに来るにしろ とにかくそれはやって来つつある それは起こらざるを得ないことだ
おまえはそれに対する用意を整えなければならない
そして,死に対して用意を整える唯一の道 正しい道は 自殺することではない
正しい道は、毎瞬毎瞬「過去に対して死ぬ」ことだ れ九が正道なのだ
毎瞬毎瞬「過去に対して死ぬ」こと 絶対に一瞬たりとも「過去を持ち運ばない」こと
毎瞬のように過去に対して死に,現在に生まれる それがおまえに新鮮さと若々しさと 活気と輝きを保ってくれるだろう
それがおまえを生き生きと脈打たせ エクスタシーの状態にさせ続けてくれる
いかにして毎瞬「過去を死ぬ」かを知っている人間は いかにして死ぬかも知っている
それこそ最大の技術であり,アートなのだ
だから,そういう人に死が訪れるとき
彼はそれとダンスを踊るl
彼はそれを抱擁する
それはひとりの友人
散じゃない
それは存在への全面的なリラックスだ
それはおまえがふたたびく全体whole〉とひとつになることなのだ

だから,これを倒錯などと呼ばないこと
それは違う
自殺した人たちはただ単に犠牲者だったにすぎない
彼らは神経症的な また機械同然の社会に 対処してゆくことができなかった
そして,彼らはく未知〉の中へ消え去ってゆく決断をした
哀れみは持ちなさい
非難は駄目だ
彼らの悪口を言わないこと
彼らを謗らないこと
それを倒錯だとかそんなふうに呼ばないこと
彼らに愛を持ちなさい

そしておまえは念々に死去し 念々に新生せよ 嬉々と。

* この最後の「念々死去 念々新生」は、わたし自身の即今に提示できる解である。江藤淳が自死し兄恒彦が自決したあの『死から死へ』の年から歳月が流れた。わたしは生きている。「一瞬の好機」を求めて待っているか、求めてなどいないか。自分がまだつかみ取れない。

* 今朝、石牟礼道子さんから「われらも終には仏なり」と副題した一冊の対話本が贈られてきた。『死を想う』と題し、死は「とっておきの最大の楽しみ」と帯に出ている。そこまで言うかとおどろくが、読んでもないと何も言えない。「いつかは浄土へ」というような願いは、無い。一片のわたしは、波。海に入れば海になる。それだけだ。それまでは嬉々と念々に死去し念々に新生したい。
2007 4・30 67

* わたしはクリスチャンではないが、だから彼らの表白によく聞くのと同じに、「父よ」とは唱えていない。しかしこの気持ちに間近にいると自覚するときはある。文字通りの父親に呼びまた頼むというのではないが。
むかし、同じ保谷のご近所同士かと聞いていた常田さんという俳優の「声」で、影絵のようなコマーシャルあるいは天気予報の添え物のような映像が、テレビで見られた。そのなかで、「お父さん」とただ呼びかける「声」ひとつが在った、「お父さん」と。それがわたしにはクリスチャンのあの「父よ」と同じにいつも聞こえ、そうでなくても自分もああいう感じにときどき父を、父でなくても誰かを、ひたむきに呼んでいるのを自覚した。あの映像がもし「お母さん」と呟いていたのであったなら、ごくナミの印象で終わったろう。「お父さん」なのでわたしは「感じ」た、信頼そして信仰の何かしら、すがた・かたち・おもいのようなものを。

疑いは半欠けだし、信用も半欠けだ
子供はまだトータルであり全体的なのだ
彼はただ父親の行くところならどこへでもついてゆく

この幼な児のようになったとき
そのときにのみ
意識の最も高い頂きであるこの贈り物は与えられ得る
おまえが「受容性=帰依=明け渡し」という最も深い谷間になったとき
意識の最も高い頂きはおまえに与えられ得る
谷間だけが頂きを受け容れることができるのだ
完全に女性的に
完全に受容的に

すべての言葉とシンボルとを超越したただ「お父さん」と、そう声にすらしなくてもそのように待ち迎えたい全的な信頼・信仰。「みこころのままに」というクリスチャンの思いとおなじことを、老子もまたバグワンも示唆してくれている。指さして指のはるかな月を見せてくれている。
2007 5・13 68

* 俄然、鈴木大拙が難しくなってきた、理解が届かない。ところがバグワンの方は的確に胸に響いて、ストンストンと腹に落ちてゆく。透ってゆく。沈透いてゆく。ありがたいと思う。
2007 5・14 68

* 学校で教師が生徒に日本の「憲法」について授業すると、当局に注意ないし警告ないし禁止されるという実例を、新聞は報じている。これはもう「現代先進国家」という資格からの転落ではないか。
国家公務員こそ現行憲法への忠実と誠意とを誓約しているのではないのか。小泉・安倍内閣の、いや中曽根内閣の頃からの「国賊的な政治」の行方が露骨に露骨になっている。
国民は多くの情報を手にすることは、当局と比してきわめてきわめて難しいが、それだけに恐れず直観を、勘を、洞察を働かせる訓練が必要だ。

* フランス革命の早い時期に、これぞ「すべて」といわれた、「第三身分=国民」主導の立憲国民議会が、憲法の前文に相当する「人権宣言 人間および市民の権利宣言」で確認した、第一条は「権利の平等」であった。第二条は「自由、所有権、安全、圧政への抵抗」であった。第三条では「主権在民の原理」が確認・規定され、全十七箇条の基本はこの三箇条に要約されていると、京大教授であった桑原武夫は言い、「これはあらゆる近代的憲法の源流をなすものであって、近代社会創出の基本原理となった。そしてこれは、一九四七年に制定されたわが日本国憲法にまで継承されている」と確言している。源流の理想を認めて汲んで誇って、何が恥ずかしいか。示唆してくれたアメリカに感謝してもいいが、押しつけられた云々の言いぐさは、本筋をあまりに逸れている。
上の三箇条に「戦争放棄」が加わっていることを、われわれは世界史の前に誇って好いのであり、死の商人、死の政治家たちの餌食にまたまたならないように、「圧政への抵抗」精神を、実践へ、とわたしは願う。

* わたしは十分心して、バグワンのこういう言葉に聴いている。
「実際のところ 知識を通して知覚する場合には 正しく知覚しているとは言えない あらゆる知識はさまざまな投影を生む 知識というのは偏見だ 知識というのは先入観だ 知識というのは断定だ おまえはその中にはいって行きもせずに結論をくだしてしまっている」。
「知識は過去からしか来ない」とも。
それでもなお、わたしは歴史は軽視しない、過去にとらわれなくても。
2007 5・18 68

☆  陽が高くなり、吹き抜け窓や天窓から、光がよく入るようになりました。リビングや玄関が明るいです。
うちの購入したのは、積水ハウスの分譲地十二区画の、売れ残っていた一区画でした。分譲地中、いちばん日照条件が悪いと思っていましたが、家を建てる向きや採光に気を配ったお陰か、かなり明るい仕上がりになってい、ほっとしています。
送っていただいたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉に、違和感は感じません。
勝負事で、「勝つと思うな、思えば負けよ」とよくいいます。
例えば、剣道では、勝敗への拘りを乗り越えたところに、「勝」があります。「無」の境地です。
この極みを尊ぶゆえに、稽古をしている人は世界中にたくさんいるけれど、あえて剣道をオリンピック競技にしないといいます。
わたしは子供の頃、剣道の稽古に通っていたせいか、武術における、またはそれ以外の所での「無」の希求に、すんなり共感できます。
「無」は、「何もない」ことの裏がえし、空に満ちた或る境地だと思っています。
うまく説明できたとは思わないけれど、うまく説明できなくていいのかな、とも思います。「無」は、説明や理屈の及ばない「極」だと思うから。
風は、どうしてバグワンの言葉を花にくれたのかな。お気を悪くなさらないでくださいね。風が、花に言ってほしいこと・してほしいことを、もっと具体的に教えてくれたら、何でもしてあげたい。
とりとめのないメールになってしまったけれど、花は元気に過ごしています、とても。  花

* バグワンの言葉はときどき堪らなく人と分かち持ちたくなる。しばしばバグワンに言われてしまう。今も、こんなぐあい。

☆ もし自然に逆らったら おまえの自我(エゴ)は強まるだろう それがチャレンジというものだ おまえが挑戦を好んできたのはそのせいだ 挑戦のない人生は退屈なものになってしまう 自我(エゴ)が空腹を感じるからだ 自我(エゴ)は食べ物を必要とする 挑戦がその食べ物を供給する それでおまえは挑戦を求めてきた 今も求めている もし何の挑戦もなかったら おまえはわざわざそれをつくり出す まるで川の流れに逆らって泳ぐように 障害物をわざわざつくり出すのだ 障害物と一勝負交えたいばっかりに。
「川」は海に向かっている それを、なぜ闘うのか? 「川」におまえの身を任せてごらん 「川」と一つになるのだ 「川」におまえを明け渡すのだ。

* 闘って勝つ、状況をコントロールする、そんなことに若い日々を投げ込んできたような気がする。いくら勝っても、いくら操縦できても、それだけだ。いや心はいつも騒がしかった。静かな心はもてなかった。もっと、もっと。際限のない自我(エゴ)の餌食に日々を貢いできた、欲心に溢れかえって。
2007 5・19 68

* 明日の約束が無くなり、拍子抜けして、気楽に寝坊した。横になっている方が脚が軽い。機械二台の回りにモノの溢れているのをかたづけ、「臻」クンの来てくれるのに備えねば。
好天。五月晴れ。
星川さんの訳に基づきながら、バグワンに聴こう。原本には「あなた」とあっても、わたしは「おまえ」と呼ばれて、いつも直接耳に聴くことにしている

☆ おまえが知識を持って「真実」のところへやって来ても それはけっし~見えない おまえは盲目同然なのだ 知識はおまえを盲目にする もしクリアーな目を持ちたかったら おまえは知識を落としなさい
知覚というものは知識などとは何の関係もない
〈真実〉とく知識〉とはウマが合わないのだ 知識には生や存在の無辺の広がりを包み込むことができない 知識はあまりにもちっぽけだ あまりにも小さい
そして存在というのはあまりにも巨大だ あまりにも莫大だ
どうしてその知識に存在を包み込むことができる? ましておまえの知識が? それは無理だ
もし存在をおまえの知識のパターンなどに押し込めようとしたら おまえはその美しさをぶち壊しにしてしまうだろう その真実をぶち壊しにしてしまうだろう
ひとたび存在が知識に置換されてしまったら それはもう存在じゃない それはあたかも,おまえがインドの地図を持って歩いて 自分はインドを持ち歩いているのだと思い込むようなものだ
どんな地図にもインドを内包することなどできるものじゃない

月の写真は月ではない
神という言葉は神じゃない
愛という言葉も愛じゃない
どんな言葉にも,生の神秘を内包することはできない
そして知識というのは
ただ言葉,言葉,言葉(=あるいは記号)以外の何ものでもない
知識というのは大いなる幻想だ
だからこそ仏陀は言う 自分の中に「無」を定着させよ,と──
無というのはひとつの知らない状態を謂う
おまえの意識に何の曇りもないとき おまえは何でもない
何でもないものは「真実」と完璧にううまくいく 何でもないものだけが「真実」と完璧にうまくいくのだ
知識には実存の神秘を包含することなどできない
知識というのは「神秘なるもの」に対立する 「神秘なるもの」とは知られていないもの 知られることのできないものを意味する 基本的に,本来的に,知られ得ざるもの──
知られざるはかりじゃない,知られ得ないのだ どうして知られ得ざるものが知識に還元され得よう?
知識というのは浜辺の小石を拾い集め続け そしてダイヤモンドを見のがし続けるのだ
知識というのは凡庸だ 借りものだ 保証されない真正にはたどり着いても けっして永遠にオリジナルじゃない
「真実〉」知るにはひとつの洞察 オリジナルな洞察が必要だ どこまでもどこまでも見抜くことのできる目が必要だ おまえは透明なヴィジョンを必要とする

それだからして おまえの心(マインド)が知識を完全に脱ぎ捨ててはじめて 知識を空っぽにしてはじめて それは知るにいたる そこに何の知識もないとき そこに知識があるのだ
なぜならば,そこに何の知識もないとき そこには即ち知るということがあるからだ
心(マインド)が知識をすっかり脱ぎ捨てたとき 裸で,静かで,機能を止めているとき 心(マインド)が何のためという考えもなく特続中のとき ただひとつの純粋な「待機」であるとき
おまえは待ち受けてはいるが 何を待っているのかすら知らない おまえはお客さんを待ってはいるが何の心当たりもない ドアの鍵をはずしてお客さんのノックを待ってはいるが おまえは そのお客さんが誰であるか何の心当たりもない…… どうして予めそれを知ることなんかできる?

もしおまえが日ごろ神の青写真を持ち歩いているとしたら おまえは神を取り逃がし続けることだろう というのも おまえはいままで「彼」を知ったことなど実のところ無いのだから---
そう ほかに知った人たち(=覚者たち)はいる
だが,彼らの言ったことは どれもこれも みな ただの地図(=案内)にすぎない  私も おまえのために地図ならあげられる あらゆる知識はひとつの地図なのだ
どうか そんな地図を崇拝しはじめないこと 地図のまわりに寺院を建てはじめないこと 寺院というのはそうやって作られてきた
ある寺院はヴェーダに捧げられている また別なものはバイブルに また別なものはコーランに
みんな そういうものは 地図なのだ! それらほは物の土地じゃない それらはただの図表なのだ
私がおまえに何かを言うとき 私は仕方なく「言葉」を使わなければならない
いろいろな言葉がおまえに届く おまえはそういう言葉に飛びかかる おまえは熱心にそういう「言葉」ばかりを貯蔵し始める 心(マインド)は大の貯蔵屋だ 貯めに貯め込む そうして今度は,おまえは 自分が「知っている」と思い込みはじめる けっこうな「思いこみ」じゃないか。

そんなのは正しい知り方じゃない
正しい知り方は一切の知識を捨てることだ
それも一息で捨ててしまうことだ!
ゆっくり少しずつ進んだりしないこと
もしおまえがことの要点を見抜いたら それはまさに「今・此処」のこの瞬間にも起こり得る
実際には
要点を見抜くということは その瞬間を起こらせるということなのだ おまえは特別何をする必要もない 知識を落とすことすらしなくていい 知識にはおまえを知者・覚者・ブッダにすることなどできない ただ,実際にはそれは おまえを邪魔するだけだという その点を見抜くこと──
これを見抜くこと それが「革命」だ それが「変身」なのだ

そして心(マインド)が裸のとき
静かで,機能していず 全き待機の中にあるとき
そのときこそ,そこに「真実」(の生)が訪れる
そのときこそ,そこに「真実」(の生)がある
それは どこからやって来る必要もない
それは ずっとおまえの「今・此処」にあったのだ いつも
ただ おまえはあまりにも知識で一杯だった
それがために、おまえは気も付かなかった それを のがし続けていたのだ。

* バグワンのこれとても「言葉」の「地図」であり、これをいくら貯め込んでもはじまらない。わたしもそう思う。ただそれさえにもわたしは感謝している。
2007 5・20 68

☆ 古今無二路  バグワンに聴く。

おまえの罪悪──
おまえの俗悪──
おまえの陰険──
何をしようが同じこと
おまえはそれを飾り立てることができよう
その上に虚栄の寺院を建立することもできよう
それを美化することはできよう
だが、そんなことは、すべて通用しないよ
奥深いところで おまえは恥じることになるだろう
なぜなら、それは
おまえが何をするかという問題ではないからだ
わたしが 何で在るかという問題だ
おまえが 何で在りうるかの問題だ
──この重点のちがいは大きなポイントだよ──
2007 5・31 68

* 手洗いの新しい花花が、棚にも床にも色優しく咲き溢れている。心憩うのは、広い世界で、我が家の手洗いだけの心地がする。外に出ると、からだが腐りそう。忍術ではるかな野の世界へ抜け出したい。
汚い政治はどの世間にも濡れ雑巾のようにぐっしょり。『心』の「先生」ではないが、人が信じられないのに自分が信じられるわけがない。濡れ雑巾になっている感触、堪らなく汚い。洗う場所がない。

* 擬死ほども尊きてだて我はもたぬ昨日今日もそれゆゑの虚飾   十七歳の私の歌

* あのころわたしは孤りだった。いまわたしは、ちがう。そばにバクワンがいる。彼にわたしは抱きついたりしないが、手の届くところで彼は並んで歩いてくれている。彼は横で呟いている。

おまえ自身が燃えていないのに
おまえは人の光をともそうとしているのかね
おまえはかえってそれを吹き消してしまいかねないよ
2007 6・3 69

* ヘンリー・フォンダと名優チャールズ・ロートンらの『の』ナントカという佳い映画を見た。病弱のアメリカ大統領が、新しく選んだ国務長官の信任を上院・委員会に求めた。賛成と反対とのはげしい攻防が一種の討論劇のようにくりひろげられる。同じヘンリー・フォンダの『十二人の怒れる男たち』に似ている。後者はべつとして、先の映画ではそれが「政治」に深く関わってくるのは事実として、政治とはかくも口舌=言葉の争闘であることを浮き彫りにしてくれる。たしかに言葉がハバを利かすのだ、此処でも。そういうわたしの思いを表出するのも言葉。人間の堂々巡りは言葉ゆえに滑稽なほど避けられないが、せめて良い言葉もありつまらない言葉もあるのだと、目をあけ耳を澄ましていたい。

☆ 実際のところ、言葉を通してはコミュニケーションは不可能だ。ちょうどその反対のことが可能になる。おまえはコミュニケーションを回避できるのだ。おまえは話しをして、自分のまわりに言葉のスクリーンを張りめぐらすことができる。そして、おまえの本当の状態は人に知られずに済む。おまえは言葉を通して自分に衣を着せる。  バグワン

* バグワンがもっとも峻烈にせまるのは、当然、こういうことだ。「言葉」を捨てきれないでいることだ。ウーン。
荀子は「解蔽篇」で、人は文化に生き、もろもろの「蔽」つまり襤褸を着込んでゆく。脱がねば純真も静かな心もないと教えている。漱石は『心』を書くとき、荀子の解蔽篇を識っていた。そして岩波本の第一号にあたる『心』を、望んで自装し、表紙にわざわざ窓枠を入れて荀子の心の説を掲げた。そのことに初めて言及したのは、東工大でわたしの先任教授であった亡き江藤淳である。
謂うまでもない「襤褸にひとしい言葉」を物書きは書いている。書いている。書いている。商売だと居直って書いている。誇りをもって書く者も誇りなどかなぐりすてて書く者もいる。襤褸は日々に厚い。
2007 6・8 69

* 賢い人は嗤うだろう、おまえはあまりに矛盾していると。一方で『百二十八頁の新聞』を心から推奨し、また言論表現委員や電子メディア委員をつとめて発言し提案し、小泉や安倍政権を非難し、野党ぶりを批判し、現代史や世界史に熱中し、私生活でもガンとして信ずるところを曲げない。が、その一方で「静かな心」を求め、バグワンや鈴木大拙に無心を聴き、心=マインドという分別・理屈を嫌い、言葉の虚妄にしばしば飽いて「闇」に沈透く沈黙と静安を愛し、観劇と読書と、時にこころよい飲食に安らいでいる。そしてすべては夢と、ほぼ信じている。
おかしいよおまえ、と、面と向かって言う人もいた。どっちかがウソだと。それならいっそどっちもウソだと言うがいい。そうかも知れない、所詮は夢だ。
自分が、いわば乱れた麻糸を神の掌でまるめたような存在であるのを、身のそばにおいた一葉のわたし自身の肖像画を見ていて感じる。もしわたしの小説『お父さん、繪を描いてください』を手近に置いている人なら、下巻の百四十二頁の繪をみるといい。自殺した「お父さん」が有楽町地下道のラーメン屋でものの二三分とかけずに描き遺してくれたわたしの顔だ。あらゆるモノはこういうすけすけの無にひとしい存在なのだと「お父さん」は教えていった。
おつに澄ましてわたしは山の中で隠者のように生きていたいと思わない。十牛図の第十の境はヒマラヤではなく、人の行き交う街の雑踏である。
2007 6・9 69

* 鈴木大拙の講演は「義・理」において面白いが、なにとしても仏教から語り宗門宗派から語り信心や座禅から語る。仏教学になり哲学になっている。知識または知解を求めてくる。むろん頓悟や横超や徹底や無分別や無心を語ってくれるが、マインドでの応接になってしまう。
バグワンは有りがたいことに教派や教義をいわない。わたしならわたしの苦や迷や分別を指さして厳しく語ってくれる。バグワンを聴くのにわたしは仏教徒でもジャイナ教やキリスト教や回教徒である必要がない。教義を経典により勉強せねばならないなどと彼は決して言わない、それは分別と知識とに陥って大事なところを見失うだけだと言い切る。さりとて、念仏や題目をすすめることもない。おまえはもともとブッダなのに、ただそれに気づいていない。それだけだ、夢の中にいるだけだ、めざめよ、と。抱き柱としての信心や信仰を彼は強いない。それはむしろ危ないという。

* 弱い自我しか持てないモノの方が自我を落とせやすいと考えるのは間違いだとも彼は的確に警告する。自我に徹し、そのために苦しみ抜いたモノがついに自我を一切拭い去り脱落せしめ得るだろうと謂う。この機微、怖いところだ。
2007 6・14 69

* バグワンはときどき絶妙に人間をあばいて、二の句のつげぬ現実を見せてくれる。

* わたしたちの、とは言わぬ、わたしの七十余年の悩み苦しみは「自我」にあった。今もだ。幼い頃から成人までのうち、日本の近代文学や思想は「自我の確立」をせまってやまなかった。こんなに雄々しい美しい言葉は他に無いかのように。成長するとは自我を磨くことだった。だがそれは個性という価値とすこしちがっていた。
自我の確立という旗は、正々堂々の自己主張をいつも促していた。当然に自我の没却という課題が頭をもたげ、しかしそれがどんなに難しいかを、わたしは例えば漱石の文学から教えられた。彼が痛ましかった。則天去私の成った漱石をわたしは今も実感できない。漱石は個人主義という物言いでむしろ滅却できない自身の「自我」に抱きついていた。抱き込んでいた。

* 自我はどういうふうに人間のものにされてゆくのか。成ってゆくのか。
バグワンは「自我(エゴ)がおまえに入ってくるのに七つの扉があると」と言う。そして「ひとつの扉か、二つの扉か、三つの扉からはいって、ある特定の断片的な自我に捕われてしまう」と。

* 一つめの扉は「肉体的な自己」だ。赤ちゃんは母親との橋が絶たれて自分で呼吸しなくてはならなくなる瞬間から、生き始める。それからおまえはゆっくりゆっくり学び始める、何か自分の内側のものと、何か外側のものとがあると。自分はほかの肉体たちとは別なひとつの肉体をもっているのだと、およそ十五ヶ月ほどかけておまえは気がつく。最初の自我だ。
驚くべきは、人間の幾らかはこの最初の「肉体的」な自我から、一生ぬけだせないままいるが、おまえはどうだと、バグワンは迫る。

* 二つめの扉は「自己同化(self-identify)」「自己アイデンティティ」だ。子供は自分の名前を覚え、鏡に映っている姿はきのう見たのと同一の人物だと了解しはじめ、「自分とか自己という感覚が、あらゆる変転する経験の諸相の中にあって、がんとして動かないものであることを信じ込む」とバグワンは言う、おまえはどうだと。此処に引っかかる者は、自分がいつか極楽や天国や解脱や涅槃に達するのだと期待している。「たぶん肉体はそこにないだろうが、内なる継続性は永遠にいきのびるのだ」と。その意味でこれは精神主義者だが、愚かしいことだ。真の解放、究極の解放はそんな自己が消滅して一切の self-identifyが消えたときにこそ初めて起こるのだ、と。

* 三番目の扉は「自尊心」「自慢」だ。「これは、自分ひとりでもものごとをやれると覚えた結果、子供たちに、おまえに、生まれた満足感と」関係している。何人かの者がこの扉にひっかかって立ちすくむが、おまえはどうだと、バグワンは手厳しい。人は何らかの誇り・自慢・高慢で「doer(やり手)」でいたがる。世間にむかい「自分は何かができると」ということを見せたい。親や世間に受け入れらればまだしも、拒まれると、この自我にとりつかれた子供たちは、おまえは、たちまち破壊的に暴れ出すものだとバグワンは見抜く。

* 四番目の扉は「自己主張」「自己拡張」だ。「自分の」そして「もっと、もっと」という言葉が、キーワードになる。ちがうか、おまえはとバグワンは決めつける。愛国者も信仰家も財産家も名誉屋もみなそうだ。しがみついて自己肥大を理想にする。むなしさが見えないのだ。

* 五番目の扉は、「自己イメージ」だ、自分で自分にかぶせるペルソナ(仮面)に自身翻弄される。子供っぽいのである。
子供は受け容れて貰えると気分を良くして、親の望む何でもやろうとつとめ出す。叱られ否認されると、この手の子供たちは、当然の権利のように逆をやり出す。
「ぼくが彼らの愛を得られる可能性は何もない。だけど、それでも彼らの注意をひく必要がある。もし正しい方法で注意がひけないなら、よし、間違った引き方をしてやる。こうなったら煙草をすうぞ、自分にも他人にも害をしてやる」などと自我をとんがらせる。
演戯的にふるまうあやしげな道徳家たちがここにあらわれる。罪人と聖人がここに引っかかるとバグワンは言う。

* 六番目は「理性としての自己」だ。「おまえはいろんな観念をかき集めはじめる。これが哲学者や科学者や思想家や、知識人。合理主義者の連中の引っかかっている扉だ。」一番目から見たら六番目は洗練されている、とバグワンは言う。

* おしまいの第七は「私的な憧れだ 藝術家、神秘家、ユートピアン、夢想家…彼らはこの扉に引っかかっている」とバグワンは言う。かれらはいつも世界にユートピアを創り出そうとしている。このビューティフルな「ユートピア」という言葉は、「決して来ないもの」を意味している。いつも来つつあるが、けっして来ない。それはいつも彼処こにあって此処には無い、だが遙か彼方には…。
遠くの方ばかり見ている望遠狂がいるものだ。想像力に富んだ人たちだと。彼らの自我はそっくり何かに成るということにかかり切っている。覚えておくがいい、「成る」というのが第七のキーワード。そして第七は自我(エゴ)の最後だ、もっとも成熟した自我が此処まで来るが、これまた微妙な「自我」であるに変わりない。

* 「これら七つの扉が全部通過されたとき、その成熟した自我はそれ自身でひとりでに落ちるものだ。」だがどんな一つでも自我を残したままでは、自我ゆえの死ぬ苦しも悩みも決して失せない。七つも挙げられた自我の、思えば一つめ二つめは通過してきたものの、他のどれもおまえは落とせていないぞと、バグワンに迫られるまでもなく、わたしはガッカリする。ほんとうにガッカリする。
2007 6・22 69

* なんでこんな狭苦しい世間に、と、夢が覚めたのだ。
それはそれでいい、が、以下のような吐露には及ぶまいにという「批評」があり得る。「吐き出す」と謂うことには、だが、おもしろい微妙が生きる。

* 十余年前まで東工大にいたとき、楽しんで学生諸君との「時」「機会」を満喫した、むろん授業と、また教授室や学外ででも。当時は六十歳定年。それを待ってくれていたように、会長新任の梅原猛さん推薦で日本ペンクラブ理事にならなった。
それ以前も、相当長くペンと文藝家協会の会員だったし、ペンでは言論表現委員を、協会では知的所有権委員を委任されていた。
頼まれたなら、その仕事はきちんとやる。わたしのクセだ。
協会とはやや疎遠になったが、ペンにはずいぶん身を入れて奉仕した。しかしながら、それより以前は、ペンにも協会にも「全く」関心もなく、会合にもほとんど出なかった。それで済んだ。会費だけはちゃんと払っていた。

* 言うまでもなく、あの、ペンとも協会とも一切ふれ合わないでいた、ただの「会費会員」の頃、あの状態こそ「自然に普通」なので、あの頃は、そういう「組織」の壁に囲まれている居心地の悪さは皆無だった。なまじ委員の理事のと責任をもたされると、わたしは一所懸命に務めてしまう。で、だんだん深入りした。
しかしまあ、我から「ちっぽけな世間」に跼蹐していたもんだなあと、苦笑いがわいてくる。本気で仕事をすればするほど、口では、敬服するの脱帽ですのと言われながら、要するにやればやるほど煙たがられる以上に、嫌われてゆく。ハハハ。割に合わない。
大学では大学当局をソデにして、ただただ学生たちと話し合い飲み食いし、パソコン生活への準備もしていた。だが、ペンや協会は、顔の合うのがみな互いに商売敵、しかもわたしはその商売道からさえ自身脱却して、その連中の仲間入りを忌避してきたのだから、さぞかしペン…じゃない、「ヘンな存在」なのであった。

* 狭苦しい世間にあんまり永く身を屈めて居すぎた、推薦してくれた梅原さんへの義理と謝意は、仕事で返しておいたと思う。引っ張り出して下さったことに、感謝している。
あらためて思う。ペンにも協会にも全然無関心に、会員であることすらまるで忘れて暮らしていた時代、あれがホンマモノの時代であったんだと。なんとも「寝苦しい夢」から幸いに覚めた気がする。まさに「邯鄲一炊の夢」なので、覚めた今は、「帰去来」の詩をくちずさんで、せめて、作家になりたての初心の昔へ、本当の仕事をしに戻ればよい。
こんな簡単なことを、忘れていたのはバカげたことであった。いつも「退蔵」の二字を胸にしたまま、あまり意味ない義務感にどっぷり脚をとられて、みみっちい狭苦しい世間で這い回っていた。

* 作家になってすぐ「作家さよなら」という思いを書き綴って筐底に蔵い、十数年してまた「湖の本」刊行へ道を切り替えたときにも、わたしは一度二度、いわば「出家」していた。
わたしの「原点」は何だったのか。むろん文壇でも出版でもなくて、「文学・文藝」つまり創作と執筆だった。創作した作が世の中に流れ出て行くことは自然なことで、幸運にも恵まれ、その道をわたしは人一倍の速度で山川越えていった。
だがわたしは世間の柵に抱きついて世渡りせずに済むなら、したくなかった。わたしは真に偉い人を尊敬し信愛するが、また人とも協力するが、誰の家来にも成りたくない。単行本六十余冊をすでに世に問い、あのとき、たぶんもう(仕事も経済も)大丈夫と判断して、わたしはまた昔の「作家以前」へ、我から半ば身を戻した。譬えようもない苦労も押し寄せたが、譬えようもない「自由」に恵まれた。これが嬉しかった。
自由になるとは「寒い」ものだと、むろん分かっていたけれど。

* いまわたしは中卒生の年収ほども稼いでいない。貧乏であり、そう貧乏でもない。夫婦とも健康を損じているから、どう頑張ってももう数年かよほど恵まれて十年。大病なら寿命は短いし、天災になるときついが、「湖の本・百巻」刊行をはじめ、少々の贅沢も、したいなら出来る。それだけの仕事は、して来たのだから。
こんなにサバサバしているのに、狭苦しい世間にいつまで首をつっこんでいるのか、自由がもったいないぞと、ふと、気がついた。ハタ、と気がついた。
それで先ず、力を入れに入れてきた「ペン電子文藝館」から真っ先に全部身を退いた。英断? だ。理事任期、言論委員任期のあと二年は気儘に流して、なるべく身軽・気軽に忘れているつもり。出来るかな。
次には、費用を掛けてでも、主にホームページを作品収蔵庫として改装し、日記である此の「闇に言い置く 私語の刻」は、メールマガジンふうに希望者にだけ配信することも思案している。

* 「自我」のかたまりのように生きてきた。バグワンと出逢った頃からそんな「自我」という「抱き柱」をどんどん遠ざけうち捨ててきたつもりだけれど、他人はそう見まい。わたしも言い張りはしない。
大拙さんの本に、こんな面白い話が、ある。昨夜、久しぶりに聴いた。初めて聴いた大昔には眉につばをつけたか、この辺、何の傍線もない。
が、今度は目を惹かれた。断っておくと、同じ「無心」を謂うにも、バグワンは、よほど禅に近いのだが、こういう出て来かたは、まず、しない。

☆ 心学と禅  鈴木大拙

川尻宝岑という人を想い出す。この人は東京参禅舎第十世で、だいぶ以前に箱根山の洪水のとき旅館と共に流されて惨死を遂げた人だが、この人がよく鎌倉の円覚寺に来て、そのころの管長であった今北洪川老師に参禅していた。老師は七十-六十七だったかで亡くなられた。自分は老師遷化の前年にお目にかかったのです。いかにも堂々とした体躯の人であったが、正直な無心な境涯は本当の禅坊さんの風格を備えておられたと、今でもその印象が深く残っているのである。自分が今こうやっているのもあの人のお陰だと言ってよかろうと思うのです。
これは自分と同じ郷里の先輩の人の話であるが、川尻宝岑さんが参禅なり何なりに鎌倉の洪川老師の所に来られると、その帰りにはいつも金一封すなわち十銭銀貨を包んだのを置いてゆかれる例になっていた。しかし居士が細君と一緒のときには二十銭置いてゆかれた。これが慣例になっていたと見えて、老師の方では、それが朝になると日が出、雲が濃くなると雨になるのと同じ事象のようにきめて考えておられたと見える。ところが、ある日のこと、川尻宝岑さんが自分の細君と一緒に尋ねて来られ、帰りにはまたいつものように、紙包を置いてゆかれた。老師は居士の辞去した後、その紙包を開けてみたら、十銭しかなかった。これは老師にとりて非常な出来事であった。いつもしかあるべきものがないのである。こんな間違いはあるべきはずはないと考えられたので大騒ぎ、急遽侍者をして居士の後を追わしめられたという話があるのである。
何だか吝な話のようにちょっと思われるかもしれぬが、そうではない。老師ほ金が欲しいといって追いかけられたというのではなくて、あるものがないので怪しからんと考えられたに相違ない。落しものを拾って、その主に返すと同じ心理であったろうと思う。自分らだと金銭に執われていて、何だかそんな詮索をしたり、施主のあとを追っかけたりするのはみっともないと思う。どうしても老師のような無心で洒脱な気分にはなれない。この話をよく味わっでみるとありがたいところがある。金銭という跡についてみると、さまざまの批判もあろう。それは俗人の考えというもの。
これに似たような話が手島堵庵の書物の中にある.。それは一休和尚のことである。書物から引文すると左の如くだ。

「或問曰、一休和尚が内で蛸を食ふて、或所にゆき、さきで食傷して其蛸を嘔吐されたれば、亭主の申しまするは、『こなたは坊主の姿して蛸を食ふものか』と、さんざんに云はれましたれば、一休が、『身共は蛸はくやしませぬ』とおッしやッたれば、亭主が申すに、『それでもまさしく食しやッたりやこそ嘔吐(はか)しやッた』と申したれば、一休のおッしやるには、『こなたは浄土宗の善導を見さッしやれぬか。あれも仏をくやしませねど、口からはかしやッた。身共も食はしませねども、はきました』と、おッしやッたと云ふ事でござるが、是は戯れにおッしやッた事でござりますか」
「東郭子(堵庵)対曰、いや、戯れにおッしやッた事じやござらぬ。一休は虚言を吐(はか)さッしやりませぬワイ。実に食(くは)しやれぬものを、誰がどういはふが、はて食たとはいはれませぬワイ。さうじやござらぬか。一休はそりや蛸は正しく嘔吐(はか)しやッたでもござらうが、とんと根から食はッしやれませぬ事でござるワイ」

これは頗る面白い話です。吐くからには食べたというのが、われらの一般的論理だが、一休さんの境涯から言うと食べなくても吐くのであるから、妙ではありませぬか。一休さんの事実上食べたのは、食物であって蛸ではなかった。しかし食べつけぬもので、お腹にとまらず、吐き出された、出たところではまた事実上蛸であった。後の事実だけ見た人は、「それでも今こゝに蛸を吐(はか)つしやつたぢやござらぬか。蛸は食はしやらぬ訳はない」と言う。
一休さんの善導和尚論は頗る肯綮に中(あた)っていると思う。善導和尚は、仏を食わしゃらぬが、念仏唱えるたびに仏様を吐かれたということである。一休さんの吐かれた蛸も見る人が見たら仏さんになっていたかもしれぬ。
堵庵の一休論もまた面白い、「一休は嘘はつかつしやりません。誠に食はしやつたものを食はんとは仰有りません。さうじやござらんか」と。
手島堵庵は、一休さんは蛸を食っておらんと言う。蛸も心学(堵庵らの建てた学問)もここで握手しているというべきであろう。一休さんの食べた蛸は蛸でなくて、大根か人参の一種であったに相違ない。
そう解釈すれば、蛸を食べておっても、蛸は蛸じゃない。目いっぱいにものを見ていて一物も見ない、耳いっぱいに利いていて一音もきかない。これほど無心になれると人間ばなれがして大いに面白いのである。洪川老師が十銭足りないと言って、宝岑居士を追いかけられたような無我の境地は、一朝一夕の修行の結果ではないのである。 ( 『無心ということ』より)

* バグワンだと、これも口説、ただ人を惑わす賢しらの例だと退けるかも知れない。が、たしかに面白い。ただ、「一休さんの食べた蛸は蛸でなくて、大根か人参の一種であったに相違ない」のか。「一休さんの吐いた蛸は蛸でなくて、一休さん自身であったにすぎない」のか。どうだろう。
2007 6・23 69

* 手近な倉田百三の本を手に『愛と認識との出発』の冒頭を読み始めて、往時渺茫、この本を熱心に教室ですすめた社会科の先生を思い出していた。この先生は「現代社会」の試験でついにわたしに百点以外の点を出さない人であったが、いささかの詩人でもあった。わたしは倉田百三では戯曲『出家とその弟子』のほかは多く読まずに通過した。『愛と認識との出発』に感激するには、わたしの側にもうべつの価値観がうまれていて、泉山来迎院の縁側に寝そべりながら、こんな家に「好きな人をおいて通いたい」などと想いふけっていた。百三はわたしには真面目すぎた。今の思いで謂えば思弁過多であり、バグワンの言葉で謂えばあまりに「マインド」の人であった。マインドが堂々めぐりしていた。

* いま、近くも同じ思いを鈴木大拙の『無心ということ』を読みながら感じている、百三の感傷とは大いに違うにしても、大拙さんの説くところ、結局「哲学」なのである。論理的に無心を語るのであるから真の無心にはとうてい近寄れない。理で無心を捌いている。大拙さんである、透徹しておられるに相違ないが、言葉になると、もちゃもちゃと持って回った論説なのである。哲学なのである。「なんだかワケがわからないであろうが」ともののとじめごとに謂われる、それだけが納得できる。
バグワンは論説しないで「直指」してくれる。彼は「気付け、覚めよ」とはいうが思弁や考慮や哲学は否認する。遠ざける。そんなものどれほど積み上げても徹到・透過の邪魔にしか成らないと言う。わたしもそう感じている。

* 国木田独歩の「山林に自由存す」という詩を読んだのも高校の頃、ひょっとして教科書であったろう。わたしはこういう言葉もあまり実感にならなかった。「市隠」という語を望ましく知った・覚えたのはもっと後年にしても、市街をのがれて山林に隠れたい者には「自由」は分からないであろう、「山林での自由」は変形した自我の執着にちかかろうと思った。バグワンもおなじことを言う。

* 悟りを求めて修行だの苦行だのということを「必要」と考えてしていても、しょせん透徹することは難しいのではないか、やはり自我の執着の不自然な行為ではないか。難行の果てにその虚しかったことに気づいて初めて無心がおとずれる。最適例は、仏陀だ。ありがたそうな経典をいくら読んでみても「気づいて」いない、「目覚めて」いない者には何の役にも立たない。どう知解してみても爽やかにラクにはならない。「気づき」「目覚めた」者にだけ有り難い経典はああそうなんだと保証をあたえるだけだと、バグワンは言う。まったくそうだろうと思う。
名選手や名人や達者は、経典を学習するひまに自身の仕事を鍛錬し達成し、それを通して気づき、目覚めに達してゆく。そういう人がそれから経典にふれるとじつに鮮やかに納得が行くのだろう。経典を抱いて山林に隠れてみても、目覚め・気づきは約束されていない。執着があるだけ遠回りになる。
「今・此処」に生きて満たされていること。バグワンはそれを哲学や論説として語ったりしない。
2007 7・3 70

☆ バグワンに聴く  『究極の旅 膳の十牛図を語る』表紙裏より

ヒマラヤに行って
そこで純粋でいるのはたいして難しいことじゃない
ほかにどうしようがある?
おまえは純粋でいるしかない
それはほとんど避け難いことだとも言える
おまえのヒマラヤをもう一度世間に持って来なさい
おまえのヒマラヤを世間の眞ただ中
市場の眞ただ中の「いま・ここ」にあらしめるのだ
そうすれば、そこに初めて判定がある、試練がある
「本当の」判定は世間の中にあるものだ
もしおまえが本当に涅槃を遂げていたら
おまえは世間に帰って来るだろう
もうそこには何の恐れもないからだ
もうおまえはどににでもいられる
いまや、地獄でさえ天国であり
暗闇でさえ光であり
そして、死でさえも生なのだ

* ヒマラヤの純粋が、自我の残滓に強いられた擬似の純粋でもしあるなら、意味はない。だから安易に市中にいれば好いわけもない。「今・此処」の純粋と痛烈とがだいじだと思っている。
2007 7・5 70

* わたしにとつてとても大事なことを書く。

* 「抱き柱は要らない」「抱き柱は抱かない」 こんな言葉をわたしがこの「私語」に初めて書き入れたのはいつ頃であったろう。それに対する反応の一番早かったのは千葉の勝田貞夫さんではなかったか。勝田さんと知り合った頃よりどれほど溯るか記憶がない。
はっきり記憶しているのは、此の「抱き柱」という言葉を、わたしは、かつて口にしたり書いたりしたこと、また聞いたことも聴いたことも、観たことも読んだことも無かったことだ。イメージしていたのは、子供の頃の鬼ごっこで、通りの電信柱にとりついて鬼からの追跡を避けて休んだこと、魔やけがれから、そこへ縋れば免役されたという記憶だけだった。同時に、「抱き柱は抱かない。要らない。頼まない」とある日、まさにある日突然に思い切ったとき、自分が「抱き柱」と謂う言い方で、大は信仰・信心、そして何かしら目に見えぬ力の庇護を想っていたのは確かだった。
わたしは長い間、仏教徒ではなかったけれど浄土教に親和している自分を、容認していた。たとえば子供たちになにか、たとえば少し長い旅行などがあっても、わたしはよく留守中、阿弥陀経や観経や大経を読誦した。なにかといえば唱名した。しかしまたトマス・ケンピスの『キリストにならいて』なども愛読した。また死者や家族のためにも自身のためにもよく祈っていた。「祈る」と謂うことをいささか護身の符のように尊信してきた。
それをある日、フッと「抱き柱は抱かない」「抱き柱は要らない」と鋭利な刃物で切り落とすように、それと意識などもせず自身に覚悟した。それが当然だと分かった。分かった気がしたと、言っておく。

* むろんバグワンは読んでいた。バグワンに聴いて聴いて聴いて、頼らなかった。ただ明け渡していた、が、信仰とか信心とかとはちがった。そういう自我ははなから捨てた。
無数の、もの、こと、ひとに抱きついてきたとしか謂えないほど、わたしは、あれもこれもそれもどれもしてきたし、するときは一心であった。その一心がまさに「抱き柱」を抱く力強さであったのは事実である。同時に、スポッとそんな抱き柱感覚が切り捨てられた、いや消え失せたのも、べつに誇ることもない自然な成り行きであって、わたしは身軽になり、しかし自由の故に凍えるほど寒い風の中に立っている自分に呆れたものだ。だが、それが当たり前らしいと自然に感じている。感じかけていると言っておく。

* バグワンにこれだけ聴いていて、しかし、わたしは自分の「抱き柱は要らない」と瞬時に決したときのバグワンからの保証などは全く得ていなかった。バグワンの言葉に背くようなコトでないのには確信があったが、この言葉ゆえに、この考えのゆえにと指を指してわたしは思い出せなかったし、思い出そうともしてこなかった。そういう期待でわたしはバグワンを読んでこなかったからである。

* 今夜、たまたま『般若心経』を語るバグワンに無心に聴いていて、はじめて、この箇所はわたしのために有り難い、またおそろしい箇所だなと気がついた。スワミ・プレム・プラブッダ氏の翻訳に心より感謝しそれに概ね拠りながら、かさねてバグワンに聴きたい。人様に強いる気ではない。
なお話中わたしがあえて括弧に入れて添えた「抱き柱」の語はわたしの賢しらである。

☆ 南無三宝を超えて。バグワンに聴く。

ただひとつ、おまえが依らなければならないものがある
それが覚醒だ
注意深さだ
ただひとつだけおまえが依って立たなければならないものがある
それはおまえ自身の内なる源,内なる実存だ
ほかは何もかも落とされねばならない 一切の庇護は。

瞑想の完成以外何ものにも依らないということを通して
おまえのなすべきは
世間的なものもそうでないものも何ものにも依存せず
一切を手放すこと
その結果として現われてくる〈空〉におまえを自由に游がせ
賛否いかなる姿勢にも邪魔されることなく
何ものにも頼ることをやめ
どこにどんな庇護も支えも求めないこと──
それが真の“放棄”なのだ
おまえたちの分離した自己というのは
それに寄りかかったり頼ったりするための支えやつっかい棒を見つけることによってのみ
おまえ自身を維持することのできる ひとつの見せかけのリアリティーだ
三宝を隠れみのとして帰依することは
仏教の中心的な宗教行為のひとつになっている
仏陀への帰依
サンガ(僧伽)への帰依
ダルマ(法)への帰依──
この般若心経では,仏陀はそれも反駁し否認する
仏陀の矛盾なんかじゃない
仏陀はただ単におまえたちが理解できることを言うてきたにすぎない
私バグワンの所説の中にも
おまえたちは千と一つの矛盾を見出すことだろう
なぜなら,私のそれらの言葉は、異なった人々に向けられたものだからだ
おまえたちが成長すればするほど
さまざまな異なった所説が私によって告げられる
おまえに向けた私の所説は
おまえに対するひとつの「感応」にほかならない
私は壁に向かって話しているんじゃない
私はおまえに向かって話しているのだ
そして,私はおまえが受け取れるだけのものしか与えることができない
おまえたちの意識が高まれば高まるほど
おまえたちの意識が深まれば深まるはど
さまざまな違った物事が私によって述べられる

当然
それらの異なった声明はとても矛盾しているように見えるだろう 聞こえるだろう
もし論理的一貫性を求めるならば
そんなものは見つかるまい
仏陀の声明は論理的一貫性でなされてなどいないのだ
仏陀の亡くなられたその日
仏教がたちまち三十六の流派に分かれてしまったのはそのためだ
亡くなったその日もその日! に、もう弟子たちは三十六派に分裂していた
どうしたというのだろう?

それは,仏陀が、大勢な弟子たちの異なった意識と理解とに合わせて
さまざまな異なった人々に数知れない言明をしてきたからだ
弟子たちはみな口論し,争いはじめた
彼らはこう言う
「これが仏陀が私におっしゃったことだ!」
ん? ちょっと考えてもみてごらん
いちばん最初に仏陀に従った五人の弟子たちに向かって仏陀は言われた
「私は成就を遂げた さあ私のところへ来るがいい おまえたちをそこへ連れて行ってあげよう」と。
もしこの五人の弟子たちがシャーリブトラに会って シャーリブトラが
「<それ>は一種の無達成を通じて達せられる」だの
「自分が<それ>を成就したなどと公言する者は間違っている! なぜなら,それは成就などされ得ないものなのだから」だのと言ったら その五人の弟子たちは何と言うだろう? 彼らはこう言うに違いない
「あなたは何を言っているのですか? われわれこそ一番古い弟子なんですよ 一番の古顔です そしてこれが 仏陀がわれわれに述べられた最初の声明だったのです 『私は達成した!』── 実際のところ,もし仏陀がそう宣言されなかったら われわれはけっして仏陀の後に従ったりはしなかったでしょう 仏陀がそう宣言されたからこそわれわれは従ったのです われわれの動機は明白でした 仏陀が達成されたからこそわれわれも同じように達成したかったのです だからこそわれわれは彼の教えに従ったのです そして仏陀はわれわれに 『私はおまえたちの避難場所だ 来て私に帰依しなさい 私をおまえたちの〈隠れ家〉にするといい』とおっしゃった それを,何というナンセンスなことをあなたは言うのですか? 仏陀がそんなことを言われるはずがない シャーリプトラ あなたはきっと誤解したに違いありません どこかがおかしくなってしまったか あなたがでっちあげたかのどちらかです」

さて,この声明 この般若心経はプライヴュートに語られている
それはシャーリブトラに向かって語られている
それはとくにシャーリプトラに向けられているのだ
それは手紙のようなものだ
シャーリブトラは何の証拠も出して見せられない
当時はテープレコーダーなどというものは存在していなかったからね
彼はただこう言うしかない 彼はこう誓うしかない
「私は何ひとつとして真実ならざることを述べてはいません 仏陀は私に 『ほかの何ものでもなく ただあなたの瞑想だけに依りなさい』とおっしゃったのです」と。

ほかの何かに依存する心<マインド>はまがいものの自己だ
自我<エゴ>──
自我<エゴ>というのは、つっかい棒<抱き柱>なしでは存在できない
それはつっかい棒<抱き柱>を欲しがる
何かがそれを支えなけれはならない
一度あらゆるつっかい棒<抱き柱>が取り除かれてしまったら
自我<エゴ>は地面に崩れ落ちて消え失せる
そして,自我<エゴ>が地面に崩れ落ちたときはじめて
おまえの中に,永遠であり
時を超えた
不死の意識が湧き上がる

ここで仏陀は言われる
「隠れみの<抱き柱>などというものは何もない,シャーリブトラよ
治療法<抱き柱>などというものも何もない,シャーリブトラよ
何ひとつありはしないし,どこにも行くべきところなどない
おまえは、もう、すでに、<そこ>に<いる>のだ」と。

この“満ちた空”は
もしおまえが不用意に達したりしたら
おまえに大変なおののきを起こさせるだろう
もしおまえが誰かにそこへ投げ込まれたりしたら‥‥‥
たとえば,ときとして
人々が深い愛と敬意をもって私のところへやって来て
「バグワン なぜあなたはもうちょっと強く私を後押ししてくれないのですか?」と言う
もしその<用意>がないままおまえがその中に押し込まれたりしたら それは用をなさないだろう
それは来たるべき幾多の生にわたって,おまえの進歩を妨げかねない
一度不用意にその〈無〉の中にはいったりしようものなら
おまえはあまりにもショックを受けて
あまりにもおびえてしまって
死ぬほどおじけづいてしまって
少なくともあと二,三生の間
〈無〉について語ったり
〈神〉について語ったりするどんな人のところへも
二度とふたたび近づかないだろう
おまえは避けて通るに違いない
その恐怖があなたの中でひとつの種になってしまう

いいや
不用意に押し込まれることは禁物だ
おまえはただゆっくりゆっくりと後押ししてもらうしかない
おまえの用意できているその<同じ分量>だけをね。

* 般若心経は、シャーリプトラに向かい説かれている。シャーリプトラやバグワンにしか理解できない超仏教の境地に入っている。けっしてこんなわたし=秦のために説かれては居ないのである。わたしの深く懼れるのは、「抱き柱は要らない」という同じ意味をバグワンが語っていることに昂揚し確信しながら、一方でそんな境地は「まだおまえのモノであり得ない、おまえはシャーリプトラでない」とも言われていること。おそらくバグワンは適切に「わたしの用意できているその<同じ分量>」でわたしを後押ししてくれているのだろう、四の五の迷わずに、「抱き柱」は要らないとある日に瞬時に決して迷ってこなかったことを見守っていたい、拘泥せずに。
そう思った、そう感じたことを、わたしは此処に書き留めておく。これも自我の所為で忸怩とするが。
2007 7・10 70

* わたしには、とても大切なところへ「ことば」が、飛沫くように届いてきているので、ためらわず、バグワンに聴き続ける。ときおりバグワン・シュリ・ラジニーシに触れて語るのを記憶されている方は、「秦の思い」として受け止め耳にとめてくださると有り難い。わたしは何よりも大切に感じている。「抱き柱」という表現が出ればわたしのものである。またバグワンはいつも「あなた」「あなた方」と語っているけれど、わたしの思いから「おまえたち」「おまえ」とあえて受け止めて心して聴いている。スワミ・ブレム・プラブッダ氏の訳文に拠りながらわたしの理解ですこし言葉を補っている箇所もある。

☆ バグワンの自由

キェルケゴールは言う
「人間とは、おののきだ 絶え間ないおののきだ
なぜか?
死がそこにあるからだ
なぜか?
それは,ある日 その恐怖が姿を現わすからだ
『自分はいなくなるかもしれない』」──

彼の警告は、世の常の人の心、たとえばおまえの心(マインド)についてなら 当を得ている。誰もかも震えおののいている。
問題はいつも“to be,or not to be”だ 死──が、つねにそこに引っかかっている。
おまえたちは〈無〉の中に消え去ってゆくことなど認め難い。
それは痛む それは恐ろしい
そして,もし自分白身の内側を深くのぞき込んだなら おまえは必ず,自分自身が〈無〉であるという観念におののいていることを見出すだろう。
おまえはいたい おまえは残りたい おまえは踏みとどまりたい おまえは永久に踏みとどまりたい。
自分の内なる実存について何も知らないおまえたちたちが 魂が不死だと信じ続けているのはそのためだ。
おまえたちはそんなことを知っているわけじゃない。
それは恐怖のせいなのだ そのおののきのために おまえたちは魂が不死だということを信じなくてはいられない。
それは一種の達成願望なのだ だから、魂の不滅性について語りさえすれば どんな馬鹿でもおまえを惹きつけられる おまえはたやすく引っかかってしまうだろう。
おまえは彼の言うことを理解しているわけじゃない 彼自身だって理解していないかもしれないのだ だが,とにかくそれはとても魅力的に聞こえる、それだけのことだ。

魂の不滅を信じる──そんな信条はおまえたちの体験から来てはいない 死への恐怖から出ているのだ それですべて説明がつく。
臆病なのだ こわがっている 死ぬほど死をこわがっている だから魂が不滅だという観念にしがみつくのだ 抱きつくのだ。
おまえたちは知っているわけじゃない おまえたちは体験しているわけじゃない けっして何ひとつ魂の不滅なんて体験してやしない。
おまえたちはただ、まわりを取り巻く死を体験しているだけだ その死のせいで おまえたちは おまえは 真底こわがっている だから,一方で魂の 不滅を信じ続けたいし それを吹き込む連中は恐怖を枷に誰をでも責めさいなむことができる。 そして,おまえたちはいつでも降伏して 連中の御足をおしいただく。抱きつく。 人間が不死を信じたいのは恐怖から来ている 人間が神を信じたいのは恐怖から釆ている それは死へのおののきから来ているのだ。
ゼーレン・キェルケゴールは世の常の、つまりおまえの目覚めていない心(マインド)についてなら、正しく指摘している。

もうひとりの実存主義哲学者ジャン・ポール・サルトルは言う、
「人間は自由の刑に処せられている」と。
なぜ「刑」なのか? なんでこんな醜い“自由の刑”などという言葉を使うのか?
これまた世の常の普通の心(マインド)にとってはその通り。 なぜなら「自由」は「危険」を意味するからだ。
「自由」とは,何ものにも依存することができない おまえはおまえ自身に依って立たなければならない、という意味そのものだ。
「自由」とは一切のつっかい棒が取り去られてしまう 一切の「抱き柱」が消え失せてしまう、という意味なのだ。
自由とは、根本的には〈無〉を意味する。 おまえというエゴが〈無〉であるとき、はじめて「自由」なのだ。

サルトルの言うこと 「自由としての人間は不安と化す」 に耳を傾けてみよう。
不安?
自由から?──
そう。
もしおまえにその用意がなければ もしおまえから進んで自由の中にはいって行く用意がなければ それは不安だ。
おまえたちは誰も、じつは「自由」になんかなりたくない、おまえたちが何を言い張っているかにかかわらずだ 誰ひとり、「自由になりたくなんかない!」 おまえたちはいっそ奴隷になりたがる。
なぜならば,隷属状態にいれば 誰かほかの者に責任をなすりつけられるからだ おまえたちには責任がない ただの奴隷でいるかぎり。だって、おまえたちに、おまえに、何ができる? おまえはただ言われたことをやっただけだ──

ところが 自由になると、おまえは恐ろしい。 責任が出てくる。 ひとつひとつの行為におまえは責任をもつハメになる。 もしこうしたらこうなるかもしれない あるいは,もし違うことをやったら 何かほかの厄介なことが起こるかもしれない。
さ、そうなると選択はおまえのものだ そして「選択」は「おののき」をつくり出す。
だから,ジャン・ポール・サルトルは世の常の普通の心(マインド)の持ち主については正確だ 「自由はほ不安を生む」。

サルトルは言う。
「人間は自由の刑に処せられている。なぜならば,自由は恐怖を生むからだ。自由は恐ろしい。私が自由であるのなら,何ひとつとして私自身の行為を正当化してくれる他者はないからだ。私をかばってくれるような何の価値も与えられていはしない。そうした価値は自分自身でつくり出すほかはない。私が自分自身と自分の宇宙の意味を決定する。ただひとりで,正当化することも弁解することもなしに。私は,ヴェール(厚く着込んだ襤褸)を脱ぎつつあるひとつの自由であり,あなたはまた別な自由なのだ。すなわち,私の自由は私の在存の絶えざる露呈であり,あなたの自由もまたしかり。われわれが一個の独立した存在であるということは,われわれのひとりひとりが自分なりの方法でこれをやるという事実によって支えられている。」

サルトルは自由は不安を生み 自由とは一種の刑である,呪いであると考えている。
そして,キェルケゴールは言う 「人間は絶えざるおののきである」と。

ところが仏陀は、はっきり言う。
おまえたちに向かい、この「自由」の中へ この「無」の中へ入って行くことをはっきり求める。当然,おまえにはそのための用意がなければならない。 シャーリプトラにはいまや用意ができている、だから“それゆえに,おおシャーリブトラよ,菩薩が知恵の完成に依って思考の被覆なしに住するのは,彼の無達成のたまものである。思考の被覆の不在のもとで,彼は何をも恐れず,心を転倒させるものを克服しており,そして最後にはニルヴァーナ(涅槃)を達成する。”と般若心経は言う。 “心を転倒させるものを克服しており…”
そして シャーリプトラはこの〈無〉に入って行くのに何のおののきもないのだ。だが、おまえは、シャーリプトラではないのだ、まだ。

そんな「自由」なんか、普通の心(分別・自我)にとっては、不可能なことだ。
自分が消え失せようというときに どうしておののかずにいられよう? 自分が〈未知〉の中へ溶けてゆこうとしているときに どうして震えないでいられる? どうして逃げ出さずに踏みとどまっていられる? どうして,さまざまなつっかい棒や支えを、「抱き柱」を見つけて またしても自我(エゴ)という 自己(エゴ)という感覚をつくり出す愚をくり返さないでいられる?
仏陀がシャーリプトラにこう説くまで、二十年も待たなければならなかったのはそのためだ。そして,その上でまた彼は この真実を、シャーリブトラに公けの説教としてではなく 個人的な「般若心経」という「対話」の中で述べたのだ。 だから,もし人々がシャーリブトラを信じなかったとしたら 彼らもまた正しい。なぜならば 仏陀は彼らには何か別なことを話していたからだ。

私(バグワン)についても、これを覚えておきなさい これを心にとめておくがいい。
私の所説は矛盾している! なぜなら,それらは異なったさまざまなレベルの人々に向けられているから 異なった意識に向けられているから だ。
そしておまえたちが成長すれば成長するほど それだけ私は矛盾するようになるだろう それだけ私は自分で前に言ったことを反駁されなければならなくなるだろう。なぜならば それはもうおまえにとって意味をなさなくなっているだろうから。 おまえたちの成長しつつある意識にともなって 私は違った応答のしかたをしなければなるまい。 おまえの意識のひとつひとつの転回が 私の所説にとってもひとつの転回点になるだろう。そして,私がいなくなったとき 三十六派をつくらないこと。 ん? というのも三十六派じゃ間に合うまいからね!

〈無〉は自由をもたらす。
自己からの自由こそは究極の自由だ
それより高次の自由は何もない
〈無〉は自由であり
そしてそれはJ・P・サルトルが言うような不安でもなく キェルケゴールが言うようなおののきでもない。
それは祝福だ
それは究極の至福なのだ
それはおののきじゃない
なぜならば,そこにはもう誰もおののく者(エゴ)が存在していないのだから──
瞑想はおまえをそれに向かって仕立て上げてくれる
おまえが瞑想にはいってゆくにつれて
おまえは日一日と自分が無くなってゆくのに気づくだろう
そして,自分自身を見出すことが少なければ少ないはど その同じ割合でおまえの祝福が,おまえの天恵が おまえの至福が育ってゆく。ゆっくりゆっくりと おまえは内なる世界の数学を学ぶ。
いればいるほどおまえそれだけ地獄におり
いなくなればいなくなるほどおまえは天国にいる──
おまえがいなくなったその日 それがニルヴァーナなのだ 究極のわが家への到着──
おまえは完全に一周してきた おまえはもう一度、子供になっている そこにはもう何の自己(エゴの影すら)もない。

覚えておきなさい。
自由というのは自己の自由という意味じゃない 自由とは「自己からの自由」を意味するのだ。
サルトルにとってそれは「自己の自由」を意味する それが刑のように感じられるのはそのためだ 自己が残っている。自由にはなる だが,自己は残っている 恐怖があるのはそのためなのだ。
もし自由が,その中に自己が消え失せてしまっているようなものであり そこには自由だけで,自由な何者の影すらもいないとしたら そのとき誰が震えおののくことができる? そして誰が不安を感じることができる? そして誰が刑に処せられていると感じたりできる?
そして,そうだとしたら そこには「選択」という問題など何もない その自由がひとりでに行動を起こす 人は無選択性から動き そこには何の責任(負荷) も残ってはいない。
なぜならば もうそこには何か責任を感じられるような誰もいやしないからだ。
〈無〉が行為する。
“為無為(wei-wu-wei)”──
無行為が行為する それは内なる無と外なる無との間の呼応にほかならない。 そして,そこには何ひとつ邪魔をするものがない。
2007 7・14 70

* 新潟・長野にまたしても大きな地震が。被害の少しでも少ないように。胸痛む。

☆ 般若心経の「依般若波羅蜜多故 心無ケイ礙 無ケイ礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究境涅槃。三世諸仏 依般若波羅蜜多 故得」以下の句を、バグワン・シュリ・ラジニーシは、原典に依ってこう英訳している。

Therefore,O Sariputra,
it is because of his non-attainmentness that a Bodhisattva,
through having relied on the perfection of wisdom,
dwells without thought-coverings.
In the absence of thought-coverings
he has not been made to tremble,
he has overcome what can upset,
and in the end he attains to Nirvana.

Allthose who appear as Buddhas
in the three periods of time
fully awake to the utmost,right and perfect enlightenment
because they have relied on the perfection of wisdom.

それゆえに,おおシャーリプトラよ,菩薩が知恵の完成に依って,思考の被覆なしに住するのは,彼の無達成のたまものである。思考の被覆の不在のもとで,彼は何をも恐れず,心を転倒させるものを克服しており,そして最後にはニルヴァーナ(涅槃)を達成する。
過去,現在,未来の三世にブッダとして現われる一切の人々も,知恵の完成に依ったがために,無上の,正しい,そして完璧な悟りに目覚めるのだ。

* ついでながらバグワンやインド型の発想で大切に言われる「瞑想」について、彼の言葉を聴いておく。スワミ・プレム・プラブッダさんの訳に大切に拠って、ところどころわたしの文にしている。万々誤解はないはず。

☆ 瞑想とは何か?  バグワン
というのも この心経全体が瞑想の内奥無比なる核心に関するものだからだ。その中にはいって行くことにしよう。
まず第一に 「瞑想」とは「集中」じゃない。集中の中には集中しているひとつの自己(エゴ)があり そして集中されるひとつの対象がある。そこには二元対立がある。
瞑想では 内側に誰もいなければ外側にも誰もいない それは集中じゃない そこに内と外という区別は何もない 内は外へと流れ 外は内へと流れ続ける。
その仕切り、その境界線、その国境はもう存在しない。 内は外であり、外は内だ。 それはひとつの非二元意識なのだ。
「集中」というのは二元的な意識だ 集中が疲れを生むのはそのためだ 集中すると疲労感があり 24時間集中するわけにいかないのもそのためだ。

* 中国で、そして日本で成熟した「禅」では、「瞑想」をあまり言わない。瞑想は二元的だと言う禅人もいるが、バグワンは二元意識を徹底して排している。いずれにしても「瞑想」はそう容易なことでない。
いま挙げた般若心経のなかで、「被覆」という言葉になっているもの、つまり覆い隠しているもの。これが解蔽篇で荀子が謂う「蔽」つまり、人がいつ知れず貴重ねてしまって純真を覆い隠してしまう襤褸に相当していることは正確に知っていたい。

☆ 被覆  バグワン
「菩薩が知恵の完成に依って,思考の被覆なしに住するのは彼の無達成のたまものである。」

「ニーランバー」つまり「青空」という意味について話そう。人はあの青空と同じ空を身内にはらんでいて、それが同じ一つの「空」だと気がつかない。
誰が外なるあの空(そら)と内なるその空(そら)とを分け隔てているのだろう? おまえの思考の被覆だ 覆いだ 着込んだ襤褸だ。
そういう着物が 襤褸が おまえの裸身があの青空と触れ合うことを おまえの裸身があの青空と橋渡しされることを許さない。
自分がヒンドゥー教であるという思い
自分がクリスチャンであるという思い
自分が共産主義者であるとかファシストであるとかいう「思い」が一つであるふたつの空を分け隔てする。
自分は美しいとか醜いとかという思いが分け隔てする。自分のことを知性的だとか非知性的だとか思うその「思い」が分け隔てする。どんな種類の「思い」でも、もうそこに「区分」が「乖離」がある。
まして,おまえは何百万という「思考」を握って放さない。放すためにはおまえは玉ネギの皮を剥くように 自分自身を剥いてゆかねばなるまい 一枚また一枚と───
一枚の皮(襤褸)を剥くと また別な皮(襤褸)がある それを剥いてみなさい タマネギの皮でも目が痛い以上に おまえの実存を剥きはじめるとき
もっと痛い 襤褸を脱ぐどころか 皮膚をはぎ取る痛みだ。
だが剥き続けるなら ある日 玉葱は消え失せていて 手中にはただく無〉しか残らないところへ来る。
そのく無〉こそ至福だ。

仏陀は言う
菩薩は思考の被覆なしに住する、と。
彼は「ここ」にいる だが彼は誰でもない
彼ほ「ここ」にいる だが,彼には何の観念もない
彼は「ここ」にいる が,彼には何の思いもない。
仏陀が思考を使わないというのじゃないよ。
私(バグワン)は絶え間なく思考を使い続けている 私はいまおまえたちに向かって話をしている 私ほ心(マインド)と思考を使わなくてはならない だが,それらは私を覆いはしない それらはかたわらにある いつであれ私が必要とするとき 弘はそれらを使う  いつであれ私がそれらを使っていないとき それらはそこにない。
私の内なる空と外なる空はひとつだ そして,私がそれらを使っている間でさえ 私はそれらが私を分断できはしないということを知っている。
それは道具のようなものだ。おまえはそれらを使うことができる。もともと,おまえは どんな形にしろそれらの襤褸で覆われてなどいなかったのだ 襤褸を着込んだのはおまえだ。

仏陀は,思考の被覆には三種類あると言われる。
第一はカルマ・アヴァラナ(業障) 未完結の行為。
あらゆるものの中には それ自身を完結しようとする本来的な衝動がある
いつであれおまえが,何かの行為が自分のまわりにまとわりつくことを 未完結なまままとわりつくのを許すとき それは襤褸になりおまえを覆う。
カルマ・アヴァラナ おまえを覆うカルマ(業障)──

第二はクレシャ・アヴァラナ(煩悩障)
欲,憎しみ,嫉妬のようなもの── それらは「クレシャ(不浄なるもの)」と呼ばれる それらがおまえを覆う。
おまえはそれを観察したことがあるだろうか? 怒った人物はほとんどつねに怒ったままでいる あるときほより少ないし あるときはより多い。が,怒っているのは変わらない。
彼はどんなものにでも飛びかかってゆく用意がある 彼はどんな口実でも見つけたら激怒する態勢にある 彼は内側で煮えくりかえっているのだ!
そしで嫉妬深い人物もまたしかり。何か彼,または彼女が嫉妬できるものを見つけようと探し求め続けている。
私はほかの人たちのことを話しているんじゃないよ 私はおまえのことを話しているのだ。
ちょっと自分の心を見守ってごらん 自分が何を探し求め続けているか おまえ自身の心(マインド)を見守ってごらん 一日中。
そうすれば,おまえはこういう被覆 覆い 襤褸 アヴァラナのすべてに出くわすことだろう。

未完結の行為
あるいはまた不浄なるもの
あるいはまた三番目は ジュニャーナ・アヴァラナと呼ばれる 信条,意見,主義──知識の被覆。

これら三つの被覆が落とされなければならない。
これら三つの被覆が落ちたとき はじめて人は〈無〉の中に住する。 その「住する」という言葉もまた理解されねばならない。
仏陀は言う 「わたしは〈無〉の中に住する。それがわたしのわが家なのだ」と。
(無〉が彼のわが家なのだ 住み家なのだ 彼はそれを愛する 彼は完全にそれと同調している かけ離れたものじゃない 彼はその部外者(アウトサイダー)のようには感じない そして,彼は自分がホテルに泊まっていて 明日になったらそこを離れなけれはいけないというふうに感じはしない それほ彼の住み家なのだ。
思考の被覆が、襤褸が、落とされたとき (無〉がわが家となる そうなればその時 「おおシャーリプトラよ、おまえ」は それとの全き調和の中にいる。仏陀は彼にそう保証しているが、普通の世の常の心(マインド)は遙かにまだそれへは遠いのだ。
キェルケゴールやサルトルも、一度もそこまで行ったことがない。 彼らはただそれについて思索したにすぎない。考えただけだ。キェルケゴールが「おののき」を感じたのはそのためだ。彼ほただただ考える。
ちょっと考えてみるがいい。自分が死んで,火葬の薪の上に乗せられ 永遠にお終いになってしまうのはどんなものだろう──そしてそうなったら,美しい樹々や こういう素敵な人たちを見ることもできない! 二度と笑うこともできなければ,二度と愛することもできないだろう 星々を見ることもできないだろう そして世界は継続し おまえはまったくそこにいないのだ。おまえは震えを感じないだろうか? おののきを感じないだろうか?

一切が持続する 鳥たちは歌うだろうし,太陽は昇るだろう そして,海ほ逆巻き どこかの鷲が高く高く舞い上がり続けてゆく そして,そこには花たちとその芳香があるだろう そして濡れた大地のかぐわしい香り すべてはそこにある。
それなのに 突然ある日,おまえはいなくなってしまう おまえの体は死んでしまう おまえがそれと一緒に生き 大変な手をかけてきたビューティフルな体 それが,ある日もう使いものにならなくなって それを愛した人たち その同じ人たちがそれを火葬の薪に乗せて火をつけるのだ ちょっとそれを思い描いてごらん 思索をめぐらしてごらん すると「おののき」がやって来る。
キェルケゴールはそれについてたっぷり思索したに違いない。

* 「静かな心」を夏目漱石は得たであろうか。心の着ていた襤褸を漱石は脱ぎ捨てて逝ったろうか。漱石はシャーリプトラであり得たろうか。
究極の問いは此処にしかない。老若男女ともに究極は此処へ来る。それでいてわたしは「抱き柱は抱かないし、要らない」と言う。そんなことを言えるのか、言って好いのか、おまえは。
2007 7・16 70

☆ 秦さんへ  笠 e-OLD千葉
ごぶさたしております。 現在の感想です。
{老人ホームを手伝って7年になります。殆どのお年寄りはご本人の意にそわない次善の策で入居されます。緊急の場合もあります。勿論ご自分の考えで来られる方もいます。
いずれにしても現在の不十分な制度での介護を受けながら「独り」で暮らします。多くの施設では現在の三大介護(食事・排泄・入浴)で手一杯で、日常の精神面での対応は十分とは言えません。
楽しそうな事もありますが、ご本人にとっての本当の満足度は「言葉では」なかなか聞くことは出来ません。長い長い日々があります。そして年月を経て天寿を終えられます。火の消える時には本当に「消え去るのみ」と見受けられます。
そこには「死の恐怖」はなさそうに思います。
もしそうなら、問題はそれまでの間に如何に辛くなく暮らして行けるかということになります。辛い時には(どこにいても同じでしょうが)どんな人にでも、楽になるのであれば、良い「抱き柱」(乃至「抱き枕」)を抱かせてあげたいと思います。言葉の「抱き柱」は先ず役に立ちません。わたしに力もありません。
浅草で買って貰った大きなお人形をずっと抱いておられたお母上は、きっと安楽になられたと思います。
「死の恐怖」は生きて行くのに必要な感情だと思いますが、必要以上に考えると(どこから以上なのかわかりませんが)バグワンさんに「おまえ、あのなぁー・・」と言われそうです。「恐れ」ても「おののいて」もそれは元気のうちですからいいと思いますが。}
{}括弧でくくった部分は削っていただこうと思いましたがきりがありません。結局何んにもならず申し訳ありません。

「抱き柱」について拝見した中で、久し振りに般若心経に逢えました。ずいぶん昔、山形出身の同級生が、国の言葉になおしてくれたのがありますので書き写してみます。

はんにゃすんぎよう(す:「す」と「し」の間の発音、以下略。文字では無理ですし、山形でもいろいろあるそうです。)
この世を見渡すかんぬんしゃまは どげんすたらえかんべかとすぎょうされた この世はすんべて空と見抜き いっしゃいの苦厄をのりこえりゃんした
これおんめ ものみな空だべし 空がものだべ 形あるものすんわち空で 空がすんわち色だべ すどの(人の)心もはたらきも こんりゃまたおなづく空だべし ええかにしゃら じぇんぶが空なんだら 生もねえべし滅もなえべし ばっちくもなかんべし ち(つ)れいもなかんべした ほんで増えたの減ったなんど問題でねえ 空の心にものなどねえ うれしぇ悲しみ 欲も分別も 目鼻手足も心もねえべし 姿形も思いもねえべし 見るもの聞くもの十八界も 心のおくまでねえとおなじだべ 三世の因縁や迷いもねえべが 迷いがねえわけではなかんべ ほりゃあのねこは 老死をなやまぬべけんど 老死がねえちゅうわけではなかんべ 苦もそのもともそれからにげるわけにはいかねべ しとの智慧など悟りがなんだべ じぇんじぇん問題さなんべえした ぼさつさまは それをよっく分かってけづかるから 心にわだかまりがねえ わかかまりがねえから 怖くもねえし 考えちがいも邪念もねし 心があんどして涅槃にいらっしゃるんだべ 三世のほとけさまも ここんところを身につけていられるべから 正しい悟りがあるんだべし ほんだから はんにゃはらみったは はかりすんねい言葉だべし じぇんぶを照らす言葉だべし この上もない言葉だべし くらぶべきなき言葉だべし まつがえなくくるすみをとる 真実てんつでない ほんで その言葉を教えんべ すなわちその言葉とは がてー がてー ぱらかてー ぱらさんがてー ぼーてぃー すばーはー

秦さん おひまーな時がありましたら、京のことばにしていただけませんでしょうか。
元気な「瑛」さんが多摩の山々、高野山や比叡山の素晴らしい写真を送ってくれ、元気を戴いています。
台風が通り過ぎ、夏が来そうです。みなさまどうかくれぐれもお大切にしてください。 拝

* 「抱き柱」は、大方誰にも欲しいし、必要にしているものだ。わたしもそう願いながら久しく生きてきた。「抱き柱」を一般一概に否認はしない。そんな権利はわたしにはない。ただわたしにはその効用の限界は見えたのである、だからもう「抱かない」でいかに寒々とでも自由に生きたいとということ。

* 笠さん自身の言葉で書き直された般若心経も、このホームページの文庫中に掲載してある。山形の言葉のにも驚嘆。
2007 7・16 70

☆ バグワンに聴く 五つの知性
ブッダ(buddha)という、まさにそれは“目覚めた知性”を意味する。
般若心経の中で使われている言葉の四分の一は「知性」を意味する。
ブッダ(buddha)=目覚めた
ボーディ(bodhi)=目覚め
サンボーディ(sambodhi)=完全に目覚めた者
アビ・サムブッダ(abi sambuddha)=完全に目覚めた者
ボーディサットヴァ(bodhisattva)=菩薩・完全に目覚める用意のできた者──
すべて「知性」を意味する。
「ブッドゥ(budh)」という語源に帰するブッディー(buddhi)=知性という言葉も同じところから来ている。
「ブッドゥ(budh)」という語源にはたくさんの次元がある。英語には、一語として翻訳できる言葉なく、多くの含みを持っている。流動的で、詩的。
「ブッドゥ(budh)」という言葉には少なくとも五つの意味がある。

* 聞き違えてはならない、バグワンが「知性」というとき、思考や分別の意味の「心=マインド」の働きとはまったく異なる。マインドの迷妄に目覚めて「落とし」きるところに知性がある。バグワンの数える「知性」の五つの意味、目を洗われる。言葉を尽くして説いてあるが、箇条で五つをとりあえず拾っておく。これだけでは理解の届かない人も多かろうけれど。

☆ 知性 五つの意味 バグワンに聴く
第一は、目を覚ますこと。自分自身を起こすこと。夢から覚め、目覚めていること。
第二は、認識する、つまり気づく、通じる、注目する、心にとめる、こと。真実を真実と、偽りを偽りと見極めること。
第三は、知る、理解するということ。仏陀は「在るそのもの(that which is)」を知る、理解する、それ自体において一切の束縛から自由なのだ。物知りの意味ではない。知性の人は情報や知識にかまけない。何が真実、何が虚偽かを「知る」ことでブッダなのである。
第四は、悟ること(be enlightened)悟らせること(enlighten)。無知から、暗闇から、光になること。
第五は、自身の内なる底知れぬ深みを「推し測り」あらゆる邪魔を落とし尽くして「実存の核心を貫く」こと。全体(total)と「一つ」になること。

* 十年にわたりほぼ一日も欠かさず、無心にただバグワンに聴いてきて、ようやくこういうことを書き出してみて心騒がないで済むようになった。こういう作業はえてして、ものの浅い知解に片づこうとしがちである、そうなっては、何を聴いていてもはじまらない、ただの知識の口舌におわる。内なる暗闇そのものをガッと掴み取られる嬉しさのような心地を、やっとわたしは感じている、いま。 2007 7・23 70

* 早く起き、パグワンと太平記と万葉集とを音読。バグワンには、持つな、捨てよと聴く。
2007 9・8 72

* バグワンはまた『十牛図 究極の旅』に戻っている。もう何度目になるか、五度は音読している。
「牛の探索(尋牛)」から。

☆ <牛>というのは エネルギー、活力、ダイナミズムの象徴だ。牛はまさに生命そのものを意味する。
牛はおまえの内なる力 おまえの潜在力を意味する 牛はひとつのシンボルだ それを覚えておきなさい

☆ おまえはそこにいる おまえには生命もある
だが、おまえは生命が何であるかを知らない
おまえはエネルギーを持っている が、おまえはどこからこのエネルギーが来て どんなゴールにこのエネルギーが向かっているのかを知らない。
おまえがそのエネルギーなのだ!
それなのにまだ おまえはそのエネルギーが何であるのか気づかない おまえは知らずに生きている
おまえは根本的な問い 「私は誰か?」を問うていない その問は牛の探索と同じものだ 「私は誰か?」── これが知られない限り どうして生きてなどいられよう? そうしたら、すべては空しいものになるだろう。
なぜならば、最も根本的な問いがまだ問われず まだ答えられていないからだ。
おまえが自分自身を知らない限り 何をやっても空しいに決まっている。
最も根本的なことは自分自身を知ることだ。
ところがなんと、われわれはその最も根本的なものをのがし続け 些細なことにこだわり続けてゆく。
(スワミ・プレム・プラブッダ氏の訳に拠っています。)

* なんだ、そんなの哲学の最初歩じゃないかと言う人は、まんまとのがしてしまう。それは、これらの言葉を知識で処理する姿勢だ。大事なのは知識ではないし哲学なんかではまして、ない。「今・此処」を生きて立ち向かうことでなければ、「私は誰か?」も空念仏にすぎない。牛を探しに旅立つことは、いわば知識や哲学や倫理の積極的な放棄なのだ。抱き柱の放棄なのだ。
念のため。バグワンは「おまえ」などと呼びかけてはいない。「あなた」といっている。わたしがそう聴いているだけ。
2007 9・25 72

* いまバグワンを声に出して読んでいて、にやりと立ち止まった。

☆ バグワンに聴いています。 秦

もしひとりの人間がもっともっと多くのお金を求めているとするとき
何を実際のところ彼は求めているのだろう?

間違って、お金を求めてはいるけれど
彼は何かほかのものを見つけようとしているのだ
彼は裕福になりたい──

それをこういうふうに言ってみよう

お金を求めている人間──
彼は裕福になりたいのだが
彼は裕福になることはお金持ちになることとはまったく違うのだということを知らない

裕福になるということは
生がおまえに与えられるすべての経験を持つということだ

裕福になるということは虹になるということだ
白黒じゃない
すべての色が一緒にある
裕福になるということは成熟すること
目を見はり、生き生きとしていることだ

* 「裕福になるということは 生が、おまえに与えられるすべての経験を、持つということ。」
ぜったいに、そう思う。
「月も雲間のなきは、嫌(いや)にて候。これ面白く候。」
2007 10・2 73

* おまえたちは一心に長い旅をしてどこかへ到達しようとしている気か知らないが、つまりそういう夢を見て、ぐっすり寝てござるだけと、バグワンはいつも言うし、わたしもすっかりそう思っている。目が覚めねばと願っている。醒めたとは思われない、が、夢半ばにまだ眠っているのだなとは、うつつに感じている。その「感じむはうそじゃない。
2007 10・3 73

* バグワンに聴いて、ああやはりこれだと、胸に思いがおさまった。
このところ万葉集の巻五で、山上憶良の「詩文」に引きこまれている。日本の「文豪」として山上憶良は最初の一人だと実感する。
太平記は、後醍醐帝の一宮が魂を奪われた恋人・御息所との出逢いのほどの、優艶きわまりない和文を音読し、いささか上気した。太平記はまこと音読でしか読み通せない魅力を、凄みに通う魅力を、もっている。
いましもわたしの底知れぬ不快を癒すのは、ひとつ、見ぬ世の友‥。ふたつ、何のためらいも、うたがいもなく、わたしの横に立っていてくれる人‥。
2007 10・5 73

* 廓庵という大昔の禅者に『十牛図』『十牛詩』のあったことは、今はかなり知られている。
「尋牛」にはじまり「見跡」につづき「見牛」「得牛」とつづく。
失った「牛」を求めての一種の「旅」かと想うまでは、誰にも容易い。そしてすぐ、「ああ、<牛>とはつまり<悟り>のことなんだ」または、チルチルとミチルが捜して旅した「幸福の青い鳥」のようなものだと、あっさり決めつけてしまう。
その段階で、「十牛」は、みんな取り逃がしてしまう。

* バグワンは的確に言う。いや廓庵その人が正確にそもそもの最初に言っている、「牛は一度も失われたことがない」と。
バグワンは言う、「<牛>とは<おまえ>なんだよ」と。
真理とか悟りとか幸福とか、そういう観念としての価値を尋ね、足跡を見つけ、牛を見つけ、つかまえる。そういうことではないのだ。自分自身で見失っている自分自身を見つけるという意味で、無明長夜の夢から覚める、そして自分を覚めたブッダの一人として自覚しエゴを超えて行けというのである。
「<牛>とは、<おまえ>なんだよ」と。
バグワンの最良の導きの一つだった。

* 以下に、バグワンに聴いている言葉は、いずれわたしが命を落としたときに、わたしの、そう「生きたい」と願い続けた<思い>として、想いだして欲しい言葉です。

☆ バグワンに聴く  日本語に訳された星川淳氏に感謝して。

<牛>はすでにそこにいる
探求者が、探求される当のものなのだ
ただ、二三不必要なものがおまえを混雑させている
探索が消極的なものになるのはそのためだ
その不必要なものを落としてごらん
おまえは自分自身を、その一切の光輝のもとに発見するだろう

廓庵は言っている。

〝牛は一度も失われたことがない。何を探し求める必要があろう?
ただ己れの真の本性からの分離がゆえに,私はそれを見つけられないのだ。感覚の混乱の中で,私は彼の痕跡さえも失ってしまう。
わが家から遠く、私はたくさんの分れ路を目にする。けれども、どの路が正しいのか、わからない。欲や恐怖、善や悪が私をもつれさせる。”

そして廓庵は、「理解して、牛の足跡を知」った。

大勢のブッダたちがこの地上に現われた
彼らはみな同じことを教えた
そうしかできないのだ
<真実>は一つだ
<表現>はたくさんある
が、真実は一つだ
彼らはみんなそれについて語った

もしおまえが理解しようとするならば
おまえは牛の足跡を認めることかできるだろう
ところが,理解すること.よりもむしろ
おまえは後につこう(ただ追従し縋りつこう)とする
そこで、おまえは、のがすのだ

<追従>は、<理解>じゃない
<理解>というのはとてもとても深いことだ
理解したときには、おまえは仏教徒にはならない
理解したときには、おまえは、自分自身ひとりのプッダとなる
理解したときには,おまえはキリスト教徒にはならない
理解したときには、おまえは、キリスト自身となる
追従はおまえをキリスト教徒にするだろう
理解はおまえをキリリストにするだろう
その違いは、その差は、すさまじい

前にも話したよ
追従は、「決断恐怖症」だ
<追従>というのは
「もう私はただ単に盲目的に従うだけです もう自分自身の決断などという問題はありません あなたの行くところどこへでも、私はついて行きましょう」 ということだ
<理解>というのは
「あなたが何を言うにせよ、私はそれに耳を傾けましょう 私は傾聴し瞑想しましょう。 そして、もし私の理解が湧き上がって来て あなたの理解と波長が合ったなら そのとき、私は私の理解に従って生きましょう」ということだ。

教師たちは有益だ
彼らは道を指し示してはくれる
だが、彼らにしがみつかないこと
追従というのは固執だ
それは死への恐怖から来る
理解からじゃない

ひとたび、追従者になってしまったら
おまえは路を失っている
ひとたびおまえが追従者になったなら
ひとつ確かなことがある
おまえはもう問いかけなどやめてしまっているということだ
おまえは有神論者になって
「神はおわします 私は神を信じます」と言うこともできる
おまえは無神論者になって
「私は神など信じません 私は無神論者です あるいは共産主義者です」と言うこともできる
だが、どちらの場合にも
おまえが、そういう名の〈教会〉にだけ入ったことに変わりはない
おまえはひとつの教理、ひとつのドグマに参加している
おまえは烏合の衆に、群衆に加わっているのだ それだけだ

探索は「個」のものだ
危険に満ちている
独りで、人は進まなければならない
だが、それがその美しさなのだ
深い独りぼっちの中で
ひとつの思考すら介在しない深い独りぼっちの中でのみ
神がおまえにはいり込む
あるいはおまえに現われる
深い独りぼっちの中で
知性はひとつの炎となる
燦然と輝く
深い独りぼっちの中で
静寂と至福があなたを取り巻く
深い独りぼっちの中で
目が開く
おまえの実存が開く──
<牛の>探索は「個」のものだ、「個」的なものなのだ

私バグワンはここで何をやっているのか?
私はおまえたちを、真に実存の<個>に目覚めさせようとしているのだ ブッダ(覚者)になれと。
だが、おまえは ともすると<群集>の一部でいたがる。

* まったく、この通りであるとわたしは受け容れている。自覚している。

* 仏陀もキリストも敬愛している。尊崇している。
だが仏徒でもキリスト教徒でもわたしは、ない。そうなろうとも全く思わない。
法然も親鸞も敬愛するが、阿弥陀も地蔵も尊崇するが、抱きついて縋る気はしなくなった。
バイブルも読んでいるし経典も読んでいるが、教わることも少なくないが、「わたし自身の探索」に、「わたし自身の目覚め」に、直接役立つとは思っていない。役だっても来なかった。知識として止まった。あたりまえだ。読んでいるわたし自身が夢うつつで目覚めていないのだもの。
わたしは独りで生まれてきたし、独りで死んで行く。
わたしを愛して大事に思ってくれる人もすくなくない、よく知っている。感謝している。またわたしがそう思ったり思ってきた人もたくさんある。それはそれ。それも夢の中のことだ。
わたしはやはり、だいじなところは独りぼっちで歩いてきたし、独りぼっちで感じてきた。それも夢だ。
夢から覚めかけているこの先は、危険に満ちてはいるが、やはりこの先とても、独りで進まなければならない。
深い独りぼっちの中で、ひとつの思考すら介在しない深い独りぼっちの中でのみ、神がわたしにはいり込むだろう、あるいはわたしに現われるだろうと、バグワンは語ってくれる。判らない。縋る気もない。
深い独りぼっちの中でわたしは待つだけだ、わたしが、わたしに出逢うときを。
2007 10・6 73

* 朝の十時にはかった血糖値が、96なのに、アリャ? 血糖値は低いが、右目は涙で壊滅状態、上瞼のヘンに痛むのも気になる。もう優に一ヶ月になる。改善傾向まったくなく、ほとんど左片目で暮らしている。いっそ眼帯したほうがラクかも。
右肘関節をはさんでキツイ筋肉痛が、肩にまであがってきた。物置の初出本や手紙などを探すのに、しこたま重いダンボール箱を上げたり下げたりしたのが堪えている。
年相応に満身クラッシュ気味ということ。
涙がとめどなく流れ出ているのは、観ようによれば目を洗ってくれているのかも知れない。乾いてしまうと霞むが、水分を呉れるといっときクリアになる。ただ涙はただの純水ではなかろう、一種の粘液なんだろうから、どうしても目のあたりが重くなる。

* 当たる当たらぬは判らないが、ふと「虚」と「壁」ということを考えた。
わたしのこれらの故障は、つまりわたしの「壁」が傷んできたのであり、壁に包まれてある「虚」の問題ではないだろうと。
むかし、茶碗や器の魅力を語って、われわれはとかく器体の美を謂うけれど、器胎という空虚・空間の美に気がつかないでいる、と。器量とは壁のことでなく、内なる空虚の容量や胎様のよろしさなのではないか、と。
豊かな宮殿と貧しい藁屋との差は「壁」だけで観ればたいへんだろうが、内容である「虚」の質は同じ、または別の判断、としなければならない。

* 「壁」は物だもの、どっちみち傷んでくる。放っておけとはいわないが、壁は、ま、二の次で。
己が内奥として抱いている「虚」の問題が大きい。なぜなら本当に自分の「家」と謂えるのは其処だから。本当の人間は内なる虚であると、虚性であるとバグワンに聴いたとき、わたしは頷いた。
2007 10・14 73

* 川崎のE-OLD「瑛」さんから十牛図にふれたメールを戴いた。あわせて伊那の加島さんのことや彼の「タオ」の話、そしてバグワンなどにも触れてあった。
加島さんがバグワンに拠りながら「老子」を語ってこられたことは、ご本人にも確かめたことがある。『十牛図』についても、バグワンの理解は透徹していて深い。この十の牛の繪や詩は、ともすると何かしらカンタンに深遠なことを判ったつもりにさせてしまう弊害をももっていて、むろんそれは繪や詩の咎ではない。
もしまだ手にはいるのなら、バグワンの『究極の旅 十牛図』を入手し、無心に三度はただただ音読されるのを、わたしはどなたにも勧めたい。知解は危険。禅に、知での接近ほど無益で有害なことはない。無心に無心に無心に。

* マイミクの小森さんが、ビトゲンシュタインとバグワンとのことを「mixi」日記に書かれていて、目を引かれた。この二人の世界史的な思想家の出会いには深甚の興味を覚える。小森さんとは、もともとバグワンからご縁が出来たと記憶している。
2007 10・14 73

* ヴィトゲンシュタインの哲学は、超高層ビルのおもむきであるが、その一切で指し示しえたメッセージは、「哲学ではどうにもならないことが在る」ということであったと、最大の敬意をこめてバグワンは指摘している。
バグワンが落としてくれた眼の鱗は何枚あるか知れないが、これは大きな大きな一枚であった。
2007 10・14 73

☆ ラジニーシとウィトゲンシュタインの書簡やりとりについて  小森健太朗
(バグワン・シュリ=)ラジニーシと (大哲学者=)ウィトゲンシュタインの間の書簡のやりとりがあったことを知っている人は少なかろう。まだ若かったラジニーシが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の感想の手紙を送り、それに対してウィトゲンシュタインは「このインド人の少年が言っているコメントは的確だ」と述べたというエピソードがある。20世紀の精神的巨人同士の対話として実に興味深いと思うエピソードである。
以下、英語で引用し、日本語訳をつけておく。

Ludwig Wittgenstein, in his famous book, TRACTATUS, has one sutra
which makes him not only a philosopher but also a mystic. But he
commits the same mistake which Rinzai was trying not to commit. The
sutra is: that which cannot be said should not be said. He was alive;
I wrote him a letter saying, “You have said it. At least one quality
of it you have brought into language.” He was sick and he died very
soon. His brother answered me, “Your question he received with great
respect, and he said to me, `It is true that if nothing can be said,
then even to say this is to say something. I am sick and I am tired.
If I get well I will answer, but if I die you answer for me: in the
second edition of TRACTATUS we will leave this sutra empty, just a
space.'”
(Hari Om Tat Sat chap.30)

ルートヴィッヒ・ウィトゲンシュタインは、有名な著書『論理哲学論考』の一節において、哲学者の域を越えて神秘家の境地にいたっている。しかし、彼(= ウィトゲンシュタイン)は、ここで語られた(註臨済の禅語録についての講話で、臨済が別の禅者について、「語られないものを語ろうとした過ちをおかした」というエピソード)のと同じ過ちをおかしている。それは、臨済が避けようとつとめた過ちだ。
その一節とは、「語りえないものについては、沈黙しなければいけない」という一節のことだ。
私(=バグワン)が手紙を書いたとき、ウィトゲンシュタインはまだ生きていた。
私はウィトゲンシュタインへの手紙の中でこう書いた。「あなたはそれについて語ってしまった。少なくとも、それについてのひとつの事柄を言葉にしてしまった」。
そのときウィトゲンシュタインは既に病に臥せっていて、間もなく亡くなってしまった。彼の兄弟が、彼の言葉を代わりに私に送ってよこした。
「あなたの手紙を、ウィトゲンシュタインは大いなる敬意をもってうけとりました。「それについて語りれえないのは本当だ。だが、それが語りえないと語ることでさえ、なにかを語ったことになってしまう。私は病んでいて、元気がない。元気があれば自分で返信を書くけれども、それが適わないときには、おまえが私に代わって彼に返事をしてほしい。もし『論理哲学論考』の再版をするときには、あの最後の文章は削除することにしたい。その代わりにそこに空白をおくことにしたい。ただのスペース──。
(ラジニーシ講話「Hari Om Tat Sat」の30章)

* バグワンは、「語られ得ない」ことをむりやりに説明したり解いたりする言葉を認めない。不要なことだといつも言い切る。
「なにのために生まれてきたか」「なにのために生きるのか」「神はいるのか」「真理とは何か」といった、大勢が頭を悩まして、いちどもまともに答え得たタメシのない問いだ。バグワンはそういう不毛の問をきれいに払いのけてくれた。また多くの経典や教義をはらいのけてくれた。そんなものが意味を持って通じるのは、覚者にだけだ、しかも彼らにはもう不要なのだ。覚悟を得ていない者にはまして何の意味もない。そんなものを読んで得られる覚悟なら、ブッダは、覚者は、量産されて世に満ちるだろうが、そんなことは決して起きない。「眼を閉じて、自分自身の内奥の闇をみつめてごらん」と彼・バグワンは正確に云う。
2007 10・15 73

* だが、ゆうべも心に残って深く頷いたのはやはりバグワン、そして『ゲド戦記』でのゲドとエンラッドの王子アレンとの生死をめぐる簡潔な対話であった。簡潔だけれど千万言にあたいした。
ル・グゥインと言う人はあきらかにどこかでバグワンと交叉している、思想的にも語彙の上でも。何度繰り返し読んでも優れた作家だなあと感心するし、ありがたい刺激を受ける。本気で受け取れる。
マキリップの英語も最終巻の三分の一ちかくへ進んできて、モルゴンとレーデルル夫婦のいわば決死行。それはゲドとアレンとの果て知らぬ海上の旅と似ている、彼らは底深い山野の旅であるが。
万葉集も読み進んでいる。全巻の音読はあたりまえ、この先和歌の時代にはいるのが楽しみ。
もう一冊、観世栄夫さんの自伝的演劇論の遺著『華から幽へ』も楽しんでいる。
2007 10・17 73

* 決断恐怖症 ということをバグワンは常に言う。
だから抱き柱が欲しいし、聖典や教義が欲しいし、逃げ場や物蔭や、規則や法律がほしい。仲間が欲しい、先生が欲しい、子分が欲しい。たとえ押しつけであってもいい、それに従っていれば済む社会や時代の「枠組み」が欲しい。
如才なく人の尻馬にのって、由なき権威の前で、時にいちびり、時にしょげてみせ、それで世渡りに怪我はないという判断のようだ。
だが、いちばんの怪我は、自分で自分を、なさけない奴隷にしているという「卑屈の怪我」である。朝青龍にも亀田大毅にも情けない「弱虫」の素顔が出た。だれもがああいう素顔を持っている。ああいう素顔は威張るときはムチャクチャ威張る。
わたしも持っているはずだ、だが、そういう内心の「弱虫」をひねりつぶし、どんなに寒くても不自由でも、自分の大事なことは自分で決断すると決めているのだから、真っ青になっても震え上がっても、決めるべきは自分で決める。人に従うべきかどうかも自分で決める。従えと言われたら無条件に従うような恥ずかしいことはしない。したくない。

* しかし、こういうことを言いもし、為しもしていると、人は「ゴロツキ」だと指をさす。だがその判断は、つねに自分で「決断」ということをしないか避けている常識人の多数意見に過ぎない場合が、あまりに多い。世の中を平安にするのは、その手の常識人の多数意見であるが、世の中を腐らせるのもじつはその手の常識人の多数意見だ。そういう人たちが、つまり、目に見えない形でただ多数を頼んで、さんざんにいやらしい「強行採決」を日々繰り返している。それがこの俗世だ。

* わたしのことなど、ゴロツキだと思っている人はいっぱいいる。
わたしが自分を「ゴロツキ」かもしれないと言うとき、その意味は、自分で決断してする、安易にひとまかせにしないという意味だ、間違わないで欲しい。
2007 10・18 73

* 「離見の見」という意味のことを言った人は、古来何人もいた。自省とか反省とか翻訳しては、少しくものごとの立体観を見失うだろう。世阿弥や近松は舞台に関わって語っていても、舞台には限らない。

* 一と多とは、静と動とは、ただの反対概念ではなく、全体に統合されうる。活溌という魂の本来は、つねに多も一も、静も動もはらんでいる。与えられた枠組みや慣習でしかものを受け容れられない魂は、常識という名で常識どころか非常識な凡庸に参拝して恭しく柏手をうっている。コモンセンスは活溌な活動の中で生き生きとはたらく。一貫性も整合性も、一つ間違うと枠組みへのただ怠惰な追従になる。一貫性を破り整合性をアクティヴに破ってゆく生気や生彩のなかで創造的なセンスが場を生んで行く。勢いある場はほんとうに佳い意味の「関心」が生んで行く。
バグワンも言うように、「創造性というのはけっして無関心ではあり得ない。創造性は構うものだ。なぜなら創造性とは愛だから。創造性とは愛とこころづかいの機能なのだ、創造性は無関心ではあり得ない。」「創造性にはおまえが一つの流れ、激しい情熱的な流れでありつづけることが必要だ。」「無関心を通るとすべては凡常なものになってしまう。」するとそういう人間は些細な日常的な仕事まで見捨てがちなる。
そんなこと、と、バカにしはじめ、そして枠組みにゆだねて「放っておけばいい」という無関心を、さも何かの悟りのように誇り始めるが、それはラチもない逃避であり決断恐怖であり、わるいことにそれがまるで宗教的な悟達かのように錯覚するが、彼らはあらゆる意味で何も達成してやしない。
達成とはポジティヴなもの、つねに創造的なものだ。それは「きまりごと」でもないし「統計的な数字」でも「ただ多数の理解」でもない。創造性は、敷かれたレールの上ではもう喪われている。創造性は弓なりに引き絞られた緊張のなかでしか生まれはしない。その弓は、自分の意志と力とで引き絞るしかない。

* そこに道が出来るかと思えば、その道を拓くべきだ。誰かが拓いてくれるのを待っていてはだめだ。道案内に頼りすぎても安易になる。まるで頼らないのも安易になる。

* 一瞬の決断がモノをいったことが、長い人生で何度もあった。
京都を去ろうと決めた。私家版を創ろうと決めた。太宰賞にすでに当選していた授賞作を、ただ一夜で徹底的に、新作のように徹底的に推敲して公表した。あれをしていなかったら、その後の作家の道は嶮しく、わたしは早々と文壇からこぼれ落ちていただろう。
「湖の本」が必要だとも、ほとんど一瞬で決めた。「ペン電子文藝館」が創れるとも一瞬で決意した。息子が会社を辞めたいと言ったときも一瞬で同意した。
あれもあった、これもあった。中にはそれまでの思いや考えと違う決断もあったが、躊躇わなかった。
「現代」は「伝統」の最先頭で沸騰しているものだが、自身の「今・此処」も似た意味で沸騰している。二十歳の青春でも、四十の壮年でも、古希過ぎた老人でも、同じだ。
決断をおそれてはいけない。また無関心という名のただの怠惰に安住してもいけない。
そうしたいなら、そうすればいい。世間がそう言うからそうする、そうしないというもっともらしい賢さには逃げこまない。クズよりはバカがよろしい。
2007 10・25 73

* 何千人という人たちがおまえについていろいろなことを言い、おまえが思っている「おまえ」という人間とは、言われている無数のそれらを寄せ集めたに過ぎないのが、分かっているのかと、バグワンは指さすように言う。
そんな寄せ集めは、むろん矛盾しあう、ごったまぜだ。おまえはそんなものを「自己」と呼べるのかと、バグワンは手厳しい。そして肯綮にはまっている。

* 「自己」とは、そんなごったまぜの、矛盾だらけな一切を、きれいさっぱり落として、そんなぼろぼろは脱ぎ捨てて、はじめて「可能」になる。鏡(他人の想い)に映った自己を信じこんではならない。
自分にも他人にも分かっている自分を、つい確かだと思いやすいが、安易な妥協の産物でありやすい。
同様に、他人には分からなくて自分でだけ分かっている気の自分も、自分には分からないのに他人には見えているらしい自分も、安易に頼んではならない。他人にも自分にも見えていない自分が「内奥」に隠れていて、掴みとれていない。
掴むためには、いろんな襤褸を脱ぎ捨てるしかない。
バグワンが謂うだけではない。荀子のような昔の人も、つとに「解蔽」、つまり襤褸を脱ぎ捨てよとおしえていた。

* みんなで渡ればこわくないと思っている。集団に包まれていると安心だと思っている。「集団 mass」という言葉は、ラテン語の「massa 鋳型にはめられたもの、こねられたもの」から来ているそうだ。
社会教育という名の集団指導は、そういう鋳型にひとをこねてしまう。誰かに都合のいい「枠」に組み込んでしまう。規則や法は、その一の先兵だ。人は自虐的なまでその前に服従し、甘んじて安んじてこねてしまわれたいと身を投げ出している。しばって貰いたがる。
バグワンが優れた叛逆精神をと謂うときは、mass にこねまわされないで、たしかなアイデンティティを体現せよということを示唆している。バグワンを全然知らない昔から、わたしは「こねまわされる」のは、嫌いだ。
2007 10・30 73

* からりと晴れているかと想ったが、そうでもない。天気はふしぎだ。心身の元気に照応し呼応している。天も身内もおなじ空なんだ。

☆ バグワンに聴く  講話の訳者に感謝しつつ

恐怖から、おまえは他人に従いつづける
恐怖から、おまえは<個>になれない
だから
もしおまえが本当に<牛=真のお前自身>を探しているのなら
恐怖を落としなさい
なぜならその探索は、危険の中を進む
冒険をしなければならない、そうしたものだからだ
それを、社会や法や群衆はよく思うまい
社会や法や群衆はなんとかしておまえを引き戻し
恐怖を抱いたまま姑息な安全に安住していたいおまえでいさせたがる

もしそこに恐怖があると
おまえは,それと遭遇する代わりに
神に祈る、助けを求める──
貧しさ
おまえの内側の貧しさを感じる
と、おまえはそれに遭遇することよりも
富を蓄積し続けていって
自分が内側で貧しいことを忘れられるようにする
自分が自分自身を知らないことがわかると
この無知に遭遇することよりも
おまえは知識を寄せ集め続ける
知識人と呼ばれたがる
おうむみたいなものだ
そして、借りものの知識をくり返し続ける

みな逃避だ
もしおまえが本当に自分自身と出会いたかったら
おまえはどうやって逃避しないかということを学ばなければなるまい
例えばもし、真実怒りがある──
それならそれから逃げないこと
遭遇 encounter
生は遭遇されなければならない
それが何であれ目の前に来るものを
おまえは深ぁく覗き込まなければならない
なぜなら、その同じ深さが
おまえの<明知=自己知>となってゆくのだから

もしそれが怒りなら その怒りの背後に、牛の足跡がある
もしおまえが
あれこれから恐怖と怠惰とで逃げ出していたら
おまえは探し求めている「牛の足跡」からも逃げていることになる

* わたしも怖くて逃げ出したいが、バグワンに聴くまでもなくそう思ってきたから、いまは「抱き柱」は抱かないでいる。社会からも法からも群衆からも嫌われ見捨てられるだろう、まちがいなく。だが、わたしは内なる「牛」を求めている。だから逃げない。遭遇したモノは深く覗き込んで、それが奈落へ誘う闇かも知れなくても踏み込む。「いま・ここ」に立つ、だけ。

* 逢花打花 逢月打月   花に逢へば花に打し 月に逢へば月に打す  わたしは上のように、此の花も月も受け容れる。見ようによれば今のわたしは、晩節をけがし汚濁と醜悪にまみれて藻掻いていると見えるだろう。だが、そうだろうか。一人の作家として、人として、それが「月」で「花」でないわけがない。
この日録『闇に言い置く私語』は、『晩節』と題されていいわたしの「文学」である。書くな、書くな、書くなという声もある。身辺にもある。父を法廷に引きずり出して躍起になっている者達は、まさに「書かれる」のがイヤなのである。
なるほど。
だが、しかし。
なぜ、なにを、父に書かれているのか。それは考えないのか。
2007 11・7 74

* 「ことばは沈黙に 光は闇に 生は死の中にこそあるものなれ‥‥」
ル・グゥインは、この、太古の詩句に託しつつ『ゲド戦記』を書き起こしている。詩句もまた『ゲド戦記』の創作であるけれど、古来あらわれた多くの「覚者」たちの覚悟に同じい。真理は、ことばで語った瞬間に真理でなくなる。闇がなければ光は生まれない。死は大海であり、人の生はその一風波にすぎない。瞬時にまた大海に帰る。
ル・グゥインの見解(けんげ)は、みごとなまでバグワンに接している。
2007 11・11 74

* ゆうべ夜遅くなってバグワンを読んでいて、また眼から鱗を落とす思いがした。
わたしは、遅くも会社勤めした頃から、なにより「集中力」を胸の内で誇っていた。最近でもまだそのケが無くない。
集注、あるいは瞬発の決断、自分でつけてしまう決断、も。それでものごとが一気に運んだり展開したりした。ものすごい失敗はしなかった、それは、これからするのかも知れない。
とにかく集中力でわたしは、もの、こと、ひとに向かう「べき」だというほど窮屈に「今・此処」を働かせていた。

☆ バグワンに聴く 「十牛図」講話から 訳者・紹介者の星川淳氏に多大に感謝しつつ゜

集中というのは意識の狭隘化だ 集中された心はほかのすべてに対してごくごく無感覚になる
それに対して瞑想とはこういうことだ
起こっている「一切に」醒めること どんな選択もなく ただ無選択に醒めていること──
十牛詩の作者(=十牛図の作者でもある)廓庵禅師はこう歌う。
私は鶯(ナイチンゲール)の歌を聞く
太陽は暖く、風はやさしく
岸辺の柳は青々としている
ここlこ
牛の隠れる余地はない!
これほどまでの感受性のもとでは どうして牛が隠れられよう?
牛(=無垢無心の本来のおまえ自身)が隠れられるのは
おまえが一つの方向に集注している場合だ
そうすると,牛が隠れられるたくさんの方向ができてしまう
だが,おまえがどの方向にも集中していないとき あらゆる方向に開いているとき どうして、どこに牛が隠れられる?
ビュ-ティフルな詩句だ
もうそこには牛の隠れる余地はない
なぜならば,隅から隅まで あなたの意識に落ちこぼれはないからだ
そこには一つの隠れ場所もない

集中を通しては,かえって逃避の可能性がある
あなたは千と一つのほかのものを犠牲にして 一つのものに目を見はる
瞑想の中では,何ひとつ括弧でくくり出すことなく おまえはただただ醒めている 何ひとつ脇に寄せたりしない おまえはただただ「間に合う」。
もし鶯がうたえば おまえはそれにも間に合う
もし太陽が感じられれば おまえのからだに触れて暖かければ おまえはそれにも間に合う
もし風が通りすぎれば おまえはそれを感ずる おまえは間に合う
子供が泣く 犬が吠える
おまえはただただ醒めている
おまえはどんな対象も持っていない

集中というのは対象を持っている
瞑想には何の対象もない
そして、この選択なき覚醒の中で <心>は消え失せる
なぜなら,心が存続できるのは 意識が狭い場合に限るからだ
もし意識が広かったら 大きく広がっていたら 心は存在できない
心は選択とともにしか存在できないのだ

おまえが 「この鶯の歌はきれいだ」と言う その瞬間、ほかの一切は締め出され 心がはいり込んでいる
それをこういうふうに言ってみてもいい
<心>とは意識の狭隘化状態だ
意識はごく狭い回路を流れる
トンネルだ
瞑想とはただ広々とした空の下に立つこと
すべてに間に合うのだ
ここに 牛の隠れる余地はない!

宗教的探索は科学的探索とは違う
科学的探索、問いかけでは おまえは集中しなければならない 全世界を忘れるほどにまで集中しなければならない
好例はいくつもある
ただ科学的探索では 「牛」は見つからない。 探索にもいろいろある。それは事実だ。

* 集中力で済むことも有る。現実生活では大切な働きになる。しかし心を解き放って、無にして、落としきって、静かに一切と溶け合う「とき」に、「牛」がありあり感じられる。そういう「とき」をわたしは置き忘れがちなタチだ。
2007 11・11 74

* 一尾の魚が魚の女王に尋ねたそうだ、「海」ということをイヤほど耳にするけれど、海って何処にあるのですかと。
女王は笑って答えている、
「おまえは、その海の中で生まれたのです、その海から生まれたのです、おまえはその海の中で生きているのです。いま、この瞬間──おまえはその中にいるし、それはおまえの中にあります。そして、ある日、おまえはまたその中に消え去って行くでしょう」と。
バグワンが、そう話してくれている。あたりまえのように想っていながら、こう話されてみてあらためて、そうなんだと思い、すこし安らかなものに触れた心地でいる。
わからないのだ、あまりにも自然にそのなかにいるので。「全体whole」とバグワンはいつも謂い、おまえはそのなかにいると。おまえは一葉の波のように生きているが、いつしれずwholeの海に溶けて一つになると。生もなく死もなく、ただ海がある。全体がある。
そうなんだ。
2007 11・19 74

* マキリップの英語版『イルスの竪琴』第三巻もじりじり読み進めて楽しんでいる。同じく『ゲド戦記』第四巻も。
旧約の『ヨブ記』をもう読み終える。『総説・旧約聖書』は、預言者エレミヤについて読んでいる。
『アラビアンナイト』は、今手にしている巻を通過すると、九百何十夜かにたどり着く。今は大臣と王子とのしかつめらしい賢人問答が続いている。
世界史は、一次大戦後を左右する、クレマンソーとロイド・ジョージと、ウィルソンとの会談が始まろうとしている。
はっきり言ってルソーの『告白』は、つまらないと言うより好きにならない。よほどへんな性質の人だ、ルソーというのは。
いま床に就いてからは、これだけを読んでいる。就寝前の音読は『万葉集」巻八、『太平記』がもうすぐ二十巻を終える。バグワンの『十牛図』は道半ば。
2007 11・26 74

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