☆ 秦先生 あけまして おめでとうございます。
ずいぶんとご無沙汰しております。
先生のご本のお礼のメールも書いておきながら途中で送りそびれておりましたのを今見つけたくらいです。
申し訳ありません。
昨年は仕事の上で、初恋の人と再会したようなよい年でした。
初心に返るという言葉を身に沁みて感じましたが、この年になってきますと、日々に流される雑事が多く、また、新しいことも次々と広がっていくのですが、それを深める時間と気力を確保するのが難しいことも痛感しています。
HPで鳥獣戯画の修復をされた方との繋がりを書かれていらっしゃいました。
あちらはまさに私が頻々と出入りしている「仕事場」の一つで、「どなたのことかしら」と少し気になっています。お若い方のようですが。
昨年、「初心に返」ったことの一つに京都に、より深くお付き合いするようになったことがあります。
多いときは月に5、6回行くこともありました。
(文化財修復の=)仕事を始めてからずっとお付き合いしてきた土地ですが、向こうの人達とまた一つ深いおつきあいをするようになりました。
その中で、先生にお伺いしたいな、とかねがね思っていたことがあります。
中京の町衆というような、町と文化が根深く醸成されたような文化というのは東京にもあるのでしょうか。
たとえば、大晦日におけら火を祇園さんから頂いてくる、伏見人形丹嘉さんの布袋さんを毎年一つずつ買って揃えていく(不幸があるとお焚き上げにするから揃っていることに価値がある)といった文化はお江戸にもあったはずと思うのですが、身の回りではあまり聞いたことがありません。
私の交際範囲がそういう範囲なだけであって、本当は東京にもそういう文化があるはず、と思うのですが…。
やはり戦争で焼けたことで一度リセットされてしまったのかも、とも。
それとも京都の地層にも似た積み重なった文化は京都独自のものなのでしょうか。
先生の「京のひる寝」をお正月に読み返しながら、そんなことを考えていました。
京都は私の初恋相手で、たぶん一生心が離れることはないのですが、そんな憧れの相手とお付き合いできるようになり、相手のイヤなところの方を先に随分見たり、でもどうしてもやっぱり好きで、…そしてまたもう一歩深くおつきあいできて…というような昨年でした。
今は大雪だそうですが。
昨年も先生の存在を心に置きつつ、いろいろなことを考えておりました。
いつまでもご健勝で。
本年も佳い一年となりますよう。 典 東工大卒業生
* この人は在学中から確乎とした希望と意志とで文化財保護の実際と研究の世界へ飛びこんでいった。結婚していい子たちも。
* ことに京の上層町衆のセンスには、公家の伝統や教養知識が指導的に浸透し醸成されていったという、歴史的に無視できない一面がある。併走してまた、花街の女文化的・質的な繁昌が、また上方藝能の多彩な展開が、様式をも伴った美意識やかぶいた行儀とともに、町衆文化を意識的に強め深めて行った。
但し或る意味では、上方の上層町衆には、中世以来芽生えていた庶民農民の政治的エネルギーを、代償的に武家支配に売り渡すことで得た平安と繁栄という、暗転とも裏切りに近いともとれる繁栄の入手という傾向が強かった。
大なり小なり、江戸の上層町人にも同様の傾向があったことは否定できない。都では公家が果たした役は、御家人クラスの下級武家の趣味や嗜好がかすかにも指導性をもち、乗りかかるように富裕町人等は経済力で江戸前の文化を拡大しかつ満喫していった。江戸ならではの独特な創作が目立ち、文学にも演劇・舞踊・音曲にも、浮世絵にみられる美意識・好みにも、俳諧・狂歌・川柳の繁昌等にも、技工にも、そして無論のこと花街や悪所の女文化をむさぼる「祭り」好きな男意気にも、町人層の江戸っ子がる文化は実質を持った、間違いなく。そして継承もされた。
2015 1・4 159
☆ 秦先生 ご教示
ありがとうございました。
やはり江戸にも醸成された文化があったはずなのですね。
ただ、それはやはり現代には繋がっていないもののような気がしてなりません。
どこかで脈々と続いているのでしょうか。
今の東京には新しいものを取り入れる文化はあっても、伝統的な行事を町衆が担っている姿はお祭りくらいでしか見かけられず、京 都のように日々にしっかり食い込んでいる様子を見つけられずにいます。
先生でしたらご存知かな、と思ってはいるのですが…。
早いもので、子ども達はこの春から中3、小3、小1となります。
末の子がようやく入学で、長い長い朝の送り(14年間!)もこれで終わりになります。
HPの上で面映い紹介をして頂いておりますが、確固とした意志を持ってこの仕事に就いたわけではなく、流されるままにここまで来てしまっただけですので、大変恐縮しております。 典
* 荻生徂徠のむかし、つまりは赤穂浪士のむかし、そりころよりとうの昔に江戸は「旅宿の境涯」であった。新開地の江戸に数百年も以上の土着民はすくなく、むしろ開拓された新都市の江戸よりかなりの郊外に人は暮らしていた。八犬伝はよほど大昔の今日東京都域を舞台にしているが、今日の二十三区の終焉地域に人は多く暮らしていた。そういう地域には、むしろ根生いの生活習慣や手工業があった。それが江戸の周縁部に流れ込んで、浅草、上野、谷中、深川、新橋等々から、やがて日本橋や神田、また新宿などへ町人の地力が移住。成熟していった。
わたしの感想では、音曲、舞踊、囃子、歌謡の世界が根強くかなり広く厚くまだ東京の足もとに敷き込まれていると見えている。
造庭、菓子、和食、和服となると東京はとうてい京都に遠く及ばない。
2015 1/6 159
* 京都の、茶の湯裏千家経営の出版社淡交社から社長名で、祝電が届いた。
☆ お祝い
秦恒平 様
栄えある京都府文化賞功労賞のご受賞誠におめでとうございます。
今後ともご健康に十分留意され、益々のご活躍をお祈り申し上げます。
株式会社淡交社 代表取締役社長 納屋嘉人
* 受賞してくれるかという問い合わせは昨年の十一月頃に有って、インタビュ-に府庁から東京まで掛かりの人が来ていた。「功労賞」というのだから、京都府として感謝してくれるのだなと思い、ま、わたしから感謝するとすれば久々に京都へ行くキッカケをくれるのだと感じた。それは有り難かったが、一月六日の公表、二月六日の授章式と聞かされてからも、どうしても体調に自信が持てず、旧年の内に受賞席には「欠席する」と通知してある。
昨日、記者会見をして関係各所へ公表したものと思う。真っ先に淡交社が祝ってくれたというのは嬉しい。わたしの京都といわず日本文化にたいしいささかなり貢献し得たについては、「茶の湯」体験とともに淡交社の雑誌・書物にたいへんお世話になってきた。
* 受賞ということに関しては、今更、ほとんど感慨といえるものは無い。京都の知人友人がよろこんでくれるだろう。年賀年始の挨拶代わりになったかと感謝している。
☆ 新年
ご健康の順調な快復と増進、ご執筆のすすまれる佳き羊年でございます様に。
お目にかかれますようにとお祈りいたします。 那珂 菜
* たしか『京のひる寝』に「冬の花」を書いていて想像以上に多彩なのが嬉しかったのを思い出す、が、王者はやはり「梅」か。水戸の梅、北野の梅、青梅の梅。元気に身を働かせ、脚を運んでみたいもの。根津美術館へも五島美術館へも久しく行けなくている。
2015 1・7 159
☆ 新年
新しい年が始まりました。東北や北海道は十二月来厳しい冬が緩まず大変だろうなあと察するばかり。此処(=愛知)では二日朝に雪がうっすら積もりました。
京都府文化功労賞おめでとうございます。
作家、特に文学の分野では京都を書く作家はあっても、京都出身の作家が少ないと常に言われてきたのです。鴉がもっと早く正当に評価されてしかるべきと多くの人が考えてきたと思います。
掛け値なしに素直に良かったと述べさせてください。
と言うのも知人の話ですが、亡くなったお父様に「位」が授与され応諾してから勲記に時の内閣総理大臣の名前が書かれることに気づいて後悔したというのです。蛇蝎のごとく嫌いな安倍氏だそうですが敢えてその理由は問いませんでした。
七日の記載の一番に夜中に転倒されたと驚きました。以前にも自転車で転んだこともありしましたね。年齢故くれぐれも注意されますよう。
当方では96歳にならんとする姑が四日未明、やはりそれもトイレに行こうとして部屋で転倒し、救急外来で病院に行きました。
頭部のCT検査はパスしましたが骨盤骨折、ただし手術の必要はなく、ただただ安静にと言われて帰宅。以来介護ほぼすべてはわたしの勤めになりました。
娘や孫たちも滞在し、一月半ばまでは忙しい日々でしょう。とてもなついている孫はわたしの後を追ってきます。
本も読んでいます、テレビの正月特集のドキュメントや旅行の番組も録画しては見ています。
時間を見つけて本屋にも行きたい、パネルが届いたら絵も描き始めます。さまざまに好奇心は全開しています。
どうぞ転倒などしないよう、風邪引かないよう。元気に元気に。 尾張の鳶
* ありがとう。
疲れを溜めて倒れないよう、お大事にと願う。
2015 1・9 159
☆ おめでとう
遠様
京都府文化功労賞受賞おめでとうございます。
暫くご無沙汰でした、が、お忙しくお過ごしの様で何よりと思って居ります。
今年は、お正月から良いお知らせで、良い年になりそうですね、
今日の朝刊で受賞の事を知りました。今迄のご功績を心からお祝いします。
今年は京都は大雪で元旦から停電になったり変わった事が多いです。
早々から職場の友が亡くなったりで、忙しく今日やっと美容室に行って来ました。
後、お初釜が2か所有りますが、昨日から風邪で困って居ります。一寸重症!
とりあえず、お祝方々、寒さにご自愛ください。 華
* 授賞だの表彰だのという儀式はすこしも嬉しくない。こうして、久しい親しい身内のような知友が、心から無垢のお祝いを言ってくれるのが嬉しい。俗っぽい好奇心などの関心事にされるなど、不愉快でしかない。賞も儀式も、なにものでもない。こういう気持ち、なかなか分かって貰えないが。
娘のような歯科の先生は、名酒「白神」を心祝いに帰りに持たせてくれた。帰路のフレンチ「リオン」では、シェフがわがことのように喜んで、最高級に美味いブランデーで祝ってくれ、シェフにお任せの特別料理をつくって美味しく食べさせてくれた。これが本当の心祝いというもの。
2015 1・9 159
☆ 寒中お見舞い
京都府文化功労賞御受賞おめでとう存じます。
ご体調が万全でないことが気懸かりですが 気持ちはしっかりとのこと お仕事が捗りますように。
近々鮒鮓をお届けします。 吉備の人
* 有り難う存じます。
☆ お祝い申し上げます。
京都府文化賞功労賞受賞のことおめでとうございます。
たくさんたくさんの京都の文化を秦様の言葉で私たちにおひろめ頂いたことを思うだけで、尤もな受賞だと。
もっと早く、京都まで機嫌よく往復されることができるときに そしてお二人で栄えある授賞式に出かけていただける時期にとも、思いました。
お身体を大事にされながら、益々のご執筆、出版お励みくださいますように。 練馬 晴
* 恐れ入ります。
2015 1・10 159
* 学生時代に妻がお世話になっていた真如堂前牧野さんの町子小母さんが九十八で歳の暮れに亡くなったと、孫の美香さんから通知があった。「みごもりの湖」でヒロイン姉妹が時を隔てて近江五箇荘から此処へ移り住み、大学に通っていた。
想い出の多い家、また町子おばさんだった。「畜生塚」の町子の名もこの小母さんから勝手に借用したのだった。
こころより、ご冥福を祈る。
* 京都市長門川大作氏より、京都府文化功労賞への祝辞が来ていた。
2015 1・13 159
☆ 秦恒平先生
このたびの京都府文化賞功労賞のご受賞を心よりうれしく存じ上げております。
その後、先生のご体調は如何でしょうか、私も大病を経て、なんとか手近かで仕事を続けております。
授賞式当日は、出来るだけ参加させていただき、お祝いを申し上げたいと思っております。(中略)
本日はとり急ぎにてご無礼を申し上げます。合掌 井上隆雄 写真家
* 井上さんには、京都美術文化賞で選考、受賞してもらった。今回、京都学問所紀要創刊号「鴨長明方丈記完成八百年」も戴いた。
写真家島尾伸三さんからも、賀状を添えて新写真集を頂戴した。
2015 1・14 159
* 二月六日の授章式に来れないかと京都府庁の問い合わせに、申し訳ないが、道中の危険と疲労とを考慮し「不参」と返信した。 2015 1・20 159
☆ 府文化賞の受賞
当然のことですが、おめでとうございます。
貴兄の京都への思い 深いものです。
受賞式にお目にかかるのが楽しみです。 梅原猛 哲学者
☆ 拝啓
連日厳しい寒気の日が続きますが 御見舞申し上げます。
この度は御著作の立派な御本を拝受仕り まことに有難うございました。
毎回素晴らしい意欲をもって原稿用紙に向かっておられるお姿に深い敬服の思いを強くしております。
京都府から名誉の功労賞をお受けになられることも当然の結果とお喜び申し上げる次第です。
私も米寿を過ぎましてから、体調が大分衰えました。 (中略) 唯、静かにしていれば左程身体にひゞきませんので画筆を持つことは出来ますので 少々ゆっくりになりましたが 仕事だけは続けております。
中国へ御一緒してから日時も大分経過致しましたが 今でも楽しい記憶として大事にさせて頂き、感謝しております。
どうか御身体御大切にと祈り上げます。
右 略儀乍ら御礼迄 敬具 松尾敏男 日本画家
☆ 前略
昨日は御鄭重にも『秦恒平選集第四巻』を御恵送下さいまして誠に有難うございました。巻頭に、かつて担当者として数々の名短篇をいただきました永井龍男先生の文がありましたので、大変懐しく、早速「廬山」を実に久しぶりに再読致しました。冒頭の「虎渓三笑図」に登場した恵遠法師が、結末で「阿弥陀如来と菩薩天人の大群衆が湖上を山壁へとむかう」一枚の畫絹を老父母に手渡すまで、まさに「美しさに、殉じた作品」と感嘆致した次第です。
相変らず慌しい日々を過しておりますが、合間を見て、次に やはり懐かしい「青井戸」を再読致したく存じております。
同時に「京都府文化功労者」になられたことを心からお慶び申上げます。秦さんにとってはこの御受賞は国家の賞よりはるかに嬉しく思われたことと拝察致します。奥様もお喜びのことと拝察致しますが、呉々もよろしくお伝え下さい。
本日は取急ぎの御礼とお慶まで、一筆啓上致しました。 草々不一 坂本忠雄 元新潮編集長
2015 1・24 159
☆ 賀春
秦恒平選集一~四巻 御健勝を。
京都府文化功労賞 お目出とう存じます。 金子兜太 俳人
2015 1・24 159
☆ 秦先生へ
寒中お見舞い申し上げます。お元気の由嬉しい限りです。
此の度は第四巻選集いただきありがとうございました 一冊ずつ連なっていくのを楽しみにしております。懐かしい書名が並び再読を心がけていきます、新しい発見があると信じて少しずつ繙いていきます。
お喜びが重なって、こちらも本当におめでとうございます。京都府の「文化功労賞」を受けられるなんて 長い間の京都に対する愛情とコミットが実を結ばれて 心からお祝いを申し上げます。益々お元気でのご活躍を祈念しております。
ほんの気持ちですが、緑茶とお菓子(森八)お送りしますので 奥様とお祝いなされる時に花を添えて頂ければ幸いと存じます、よろしくお伝え下さいませ
大寒に入り厳しい寒さが続きますがどうぞくれぐれもお身をいとわれて暖かい春までもう少し辛抱なさって良いお仕事をと願っております。
私も何とか元気で動き回っていますのでご安心下さいませ。
お礼とお祝いまで―。 金澤 金田小夜子 作家
☆ 寒中の御見舞い申上げます
息苦しい時期ではと、心配致しております。
そうした中、このたびはこれぞ文藝の豪華にして繊細極めた『秦恒平選集』第四巻を恵贈たまわりありがたく拝受いたしました。
数少ないお手持の貴重な一冊を頂き、恐縮しております。もの書きの一人として、うらやましい鑑となるご業績の形にふれた思いです。ご上梓まことにおめでとうございます。本当にありがとうございます。
京都府文化賞もおめでとうございます。
くれぐれもご自愛下さいますようにお祈り申上げます。
奥様にもよろしくお伝え下さい。 草々
(亡き長谷川泉先生もお喜びのことと思います) 府中市 杉本利男 作家
2015 1・24 159
☆ 拝啓
日々闘病にがんばっておられることと拝察します。
立派な美しいご著書を頂きました。限られた数の大切なものをと、驚きつつも とてもうれしいです。
ありがとうございました。
大切に愛蔵します。
又 京都府文化功労賞の受賞とのことおめでとうございます。
これも一段とうれしいニュースです。
これからも一層のご活躍を祈念します。
言うまでもないことながら、
お身体くれぐれも大切に とり急ぎお禮まで、 不一 池田市 江口滉 陶藝家
2015 1・24 159
☆ 秦恒平様 ご高著拝受 頭が下がります。
このたびはまたまた選集第四巻をご恵投たまわり、感謝にたえません。
ページをめくると、文章の高貴な味と香りがしてくるようです。大したものです。
京都府より文化功労賞を受賞されたとのこと、まことにおめでとうございます。
数日前に私は京都をおとずれ、古都の雰囲気を味わいましたが、こういう伝統を守るためにも、今後いっそうのご活躍を祈念いたします。
御礼のみにて。 東大名誉教授 西垣通 作家
2015 1・25 159
☆ 拝啓
新年の穏やかな日、選集第四巻 ご恵贈いただき有難く拝受致しました。
それぞれ懐しい作品です。
「閨秀」は、雑誌「展望」発表の時 読ませていただきました。吉田健一氏が、朝日新聞文藝時評でこの一作をとりあげて 腕いっぱいに掲げるように 熱く論じておられました。うれしかったことを憶えています。
先月二人で松伯美術館を訪ね、松園の大作「娘(深雪)」を観てきました。若い女性の気品と美しさ、優しさに会い。長く立ち止って眺めてきました。 秋篠寺も訪ね、技藝天にも会ってきました。閑散な季節でゆっくり拝観し、野の中を駅まで歩いて静かな気分になれました。
末筆になりましたが、京都府文化功労賞ご受賞まことにおめでとうございます。京都で何度もご一緒させていただきました事が思い出されます。
寒さ一段ときびしくなります。先生も奥様もどうぞお大切になさってください。ありがとうございました。
些少、同封致しました。お納めください。 拝 貴志川 三宅貞雄
2015 1・25 159
☆ お祝い
此の度「京都府」よりの「文化功労賞」ご受賞おめでとうございます
私どもにとっても、とても嬉しいお知らせです。
「秦恒平選集」第四巻戴きありがとうございます
素晴らしいですね。
病魔との闘病、想像を絶しますが頑張ってらっしゃるのには敬服します。
どうぞどうぞ、お風邪など召しませぬ様に。 高麗屋夫人
* 受賞したのが、やっと嬉しくなったような。
2015 1・25 159
☆ 寒中
御見舞申上げます。
この度は立派な第四巻の御本を御恵贈下さいまして誠にありがとうございます。
又 京都府文化賞も御受賞なさったとの事、心より御慶び申し上げます。
時節柄 御自愛下さいませ。 御礼まで。 岩下志麻
☆ 『秦恒平選集』第四巻を拝受し、京都府文化功労賞のご受賞を知りました。
京都の「佳き、もの、こと、ひと、こころ」を伝えつづけてこられたご文業、当然のこととはいえ、お喜び申し上げます。
今回所収の諸篇、心静かに拝読致す所存です。お禮申しあげます。
どうぞお身体、くれぐれもおいとい下さいますように。 天野敬子 講談社元出版部長
☆ 秦恒平様
美しい本を早くも四巻までいただきたいへんうれしく思っています。完結のときが着実に近づいてくるのが力強く感じられるペースですね。
このたび ゆかりの京都府より栄ある賞をいただかれるとのこと、心よりお祝い申し上げます。
どうぞ お元気で。 中島信也 推理小説研究家・医学書院での同僚
☆ お寒い日が続いております。
第四巻のご恵与を感謝申し上げます。
この度は 文化功労賞のご受賞を心よりお祝い申し上げます。
御体調が完全ではないようながら 医学も進歩しております故 前向きに一層のご活躍をと念じて居ります。(略) かしこ
大学恩師夫人
☆ ありがとうございます。
京都府文化功労賞おめでとうございます。当然のこととはいえ、お祝い申し上げます。
おそらく誰にも不可能な美しい選集、本当にありがとうございます。
何とか元気に、まだ勉めています。
どうかお健やかにと。 自然頭が下がります。 東近江市五箇荘 川島民親 作家
☆ 京都府文化功労賞
おめでとうございます。
期待はずれの大相撲 イスラム國の日本人拘束 新年早々暗雲漂った中での朗報に、とても救われました。
第三巻の「慈子」は私にとって初めて先生のご本と出会えた記念すべき特別な存在なのです。
先日、谷崎の夫人あての書簡が見つかったとのニュースで、先生のこと、どのようにご覧になられたかしら、と感じました。
ますます御自愛下さいませ。 静岡市 鳥井きよみ
☆ 秦恒平様
新年早々、「秦恒平選集」第四巻を頂きありがたく御礼申し上げます。
今回は美術にかかわる人々についての秦さんならではの小説がおさめられており、これらを読まして頂ける楽しみは格別のものです。
また、京都府より「文化功労賞」を受けられますこと、心よりお祝い申し上げます。
これからも御健勝にてご活躍されますようお祈り申し上げます。 科学者 濱敏夫 妻の従弟
* ありがたいことに、何人もの方が、私家版の維持はさぞ大変でしょうと、応援してくださっている。有り難いことで、また助けられています。お礼申します。
2015 1・26 159
☆ 前略
まず、 日頃のご業績に対して、京都府の文化功労賞を呈されたとのこと、遅きに失しるとは思いますが、 慶祝 致します。
また、このたび、御高著 秦恒平選集第四巻を御恵贈下さいまして、誠に有難うございます。 いつも乍らのご厚情に感謝あるのみです。
最近、高齢のため、目の能力、視力を大分弱めまして、全文拝読するには 相当の時間を要すると思いますが、はじめに評価の高い『廬山』を拝読し、 悠々たる筆致にこ感銘いたしました。その詩境に遊ぶ心的世界が、まだ三十代のものであったことを知り、驚きました。
「江上の舟となる莫れ、 江上の月となる莫れ、 舟載すれば人別離し、 月照らせば人離別す」を「蒼茫の哀韻」と表現するなど、昔、漢詩の世界に遊んだことのある 小生の胸底にも落ちました。
つづいて大作『墨牡丹』にとりかかりたいと存じますが、これは大長編なので、いつ読了できるかも分りません。 小生、今年、卒寿、 余命いくばくもありませんが、 先祖帰りして 詩境に遊びたいものとも思っております。
最後に
『癌』との闘いにもめげず、書き継いでゆかれるとのこと、 くれぐれも 無理をなさらぬよう 祈念致します。 敬白
平成二十七年一月二十五日 色川大吉
* 尊敬する碩学のお手紙、嬉しく嬉しく感佩。
☆ 拝啓
「秦恒平選集」四巻目をいただきました。ありがとうございます。
早速「廬山」を拝読。実は廬山は二○○九年の秋に二週間ほど滞在し、そこですっかり身体をこわして帰ってきました。陶淵明ゆかりの地やパール・バックの旧居などぶらぶらしたのですが…。そういえば「香炉峰の雪、いかならん」の香炉峰が本当に香炉そっくりの山だったのには驚きましたが。
閑話休題。この度は、京都府の文化功労賞、おめでとうございます。秦さんの美の世界に触れる度、秦さんと京都は切っても切れないと痛感いたしておりす。
くれぐれも目をお大事になさって、素晴らしいお作をまた拝読させて下さい。 不一 久間十義 三島賞作家
2015 1・27 159
☆ 秦恒平様
寒中のお見舞申上げます またこのたびの(京都府=)文化功労賞のご受賞をお慶び申し上げます。
先日は思いがけず御著作を戴きまして、まことに、ありがとうございました。ご立派な造りのご本を手にして読み耽ってしまいましてついついお礼状をさしあげるのが遅くなり大変失礼いたしました。
この様に美しい文章・言葉に接しますと、筆無精の上に気後れが加わり、お手紙を書くことがためらわれて仕舞います。
主人(=NHKチーフディレクター)を送りましてから十年が経ち私の暮らしも絵を描くことのほかに、朗読のボランティア活動に参加、一昨年から俳句の仲間にも加わり句会・吟行と楽しんでおります。主人の書架には、先生の御著作十数册が 既刊全ての「湖の本」とともに納められ、折々、私の愛読書になり殊に廬山は再読、再々読と感動を頂いております。
ここ二、三年來の先生のご体調・ご様子は「湖の本」でうかがいながら、早くお健やかな日常を取り戻されますようにと案じお祈り申しあげております。
どうぞどうぞ穏やかな日々が続きますように 「湖の本」楽しみにお待ちしております。 かしこ さいたま 松井由紀子 画家
☆ お礼 秦さんへ
「秦恒平選集 第恒番本」を戴き誠にありがとうございます。
『蝶の皿』『廬山』『青井戸』『閨秀』『墨牡丹』『華厳』
なんとも懐かしく、ほんとうに嬉しいです。
『廬山』の惠遠が、江寧に帰り、手づから祖父母の両手を合わせて、「此の世のことは みな夢まぼろしと思せよ」・・・
私も手をとられているような思いで涙が出ます。
それから、都の人が都の賞をいただいて 何よりに存じます。お慶び申し上げます。
寒さの中で、もうすぐ梅の季節です。
お元気で、お大切にされてください。 拝 千葉 勝田貞夫 e-OLD
2015 1・27 159
☆ 前略
この度の京都府文化賞功労賞の受賞、誠におめでとうございます。
また先日、豪華本も新潟(=ご両親宅)に届きました。ありがとうございました。
ささやかではございますが、御祝いの新潟のお酒を送らせていただきました。ご賞味いただければ幸いです。
奈良での日々も家内と二人、楽しんでいます。新潟の両親も元気です。
まだ寒い冬は続きます。迪子さんともども、どうかお体ご自愛ください。 奈良市 理史・優
* ありがとう。お幸せに。お元気で。
☆ 前略
平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申しあげます。
この度は「京都府文化功労賞」ご受賞誠におめでとうございます。また、選集第四巻をお送りいただきありがとうございます。
かつて「湖の本」で読み、心に残ったお作品を立派な装丁で再読させていただける幸せをしみじみ感じつつ、併せて歳月の経過を思っております。
今年も(=二十四年ほど選者を務めた)京都美術文化賞記念展が終わり、初回から三十年近い年月が流れました。草創期以来先生からご指導いただいた数々のこと、今も心に留めております。
寒中、くれぐれもご自愛されますようお祈り申し上げます。 草々 京都中央信用金庫専務 平林幸子
* 右手を出そうが左手を出そうが頤を出そうが、視力をすり減らす仕事ばかり。以外に逃げ場がない。ぼんやりと散歩してくるしかないが、散歩の楽しめるほどの保谷ではない。つくづく京都ならと思う。誰かが誘い出してくれて談笑の機でもあればと思うが、いわゆる寄り合いの会合にも久しく出たことがない。食べに出る気が、今は、ほとんど涌かない。飲みに出るのは良くなかろうと自制してしまう。ま、機械に入れてある好きな音楽を聴いて瞑目しているか、寝入るのが、最良の休息か。
2015 1・27 159
☆ 寒中お見舞申し上げます。
その後いかがお過ごしの御事かとご案じ申し上げておりましたところ、ご立派な『秦恒平選集』第四巻をお送り賜りまして、恐縮に存じます。
このようなお仕事もなさっておいでの御事とは、ご闘病中の御身ながら、思いも寄らぬことで、大変驚いております。心より厚く御礼申し上げます。
集中のものを拝見致しますと、先生が作家として独立なさるきっかけとなったお作品を含め、どれもエネルギッシュな文体に加え、とても濃密な空気に充ちていまして、お若い時から、緻密さを極めていらしたことと 改めて感じたことでございました。
また、京都府文化賞ご受賞のよし、心よりお祝い申し上げます。これだけ京都を舞台にしたものを沢山お書きになられていらっしゃくまして、当然のご受賞、と申しますか、今ごろ? と、お役人方の基準を疑わないわけには参りません。お慶びのお心によりまして、お身体のお辛さやご不安が少しでも遠のきますことを、陰ながらお祈り申しております。
本来でしたら、御酒か、春めくお菓子でもお届け申し上げたく思うところですが、先生のご体調、詳しく存じ上げませんゆえ、以前 喜んでお受け頂きました記憶のございます紅茶を少々ですが、お届け申し上げます。心ばかりで恐れ入りますが、何卒おゆるし賜りますようお願い申し上げます。
明日はまた寒中らしい日となりますとか、くれぐれも御身お大切になされますようお祈り申しあげます。
末尾ながら、御奥様もご同様に、ご自愛ご専一にとお祈り申し上げます。どうぞおよろしくお伝え賜りますれば幸甚に存じます。 敬具 紅書房主人
☆ 秦恒平選集・第四巻
ありがたく落掌いたしおります
先生は病を越えて歩みつゞけておられます
もったいないです 感謝に堪えません
併せて京都からのご褒美 えめでとう存じます
私み老妻も出来ることで手伝っております
二人いっしょに八十三歳の春を迎えているのです
ご本は わかるところを読んで大切にし 若いもの達が
読みたい時に読んでくれたらいゝと思っております
一つ読み二つ読みして 読んでくれたら 打ったそばの光沢も一段と
増すだろうと楽しみです
先生 お躰大切にお願い申し上げます
ご令閨様 皆々様も風邪等ひきませんよう久礼ぐれも
激しい気象の変化も感じます 積雪は60㎝ほどかな
お元気で。 匆筆のまゝ 一月二十五日 山形村山市 あらきそば 芦野又三
2015 1・28 159
☆ 拝啓
ご無沙汰致しておりますが先生にはお変わりなくお過ごしのことと存じます
先日は『秦恒平選集』第四巻をご恵送賜り誠にありがとうございました。
心より御礼mow 仕上げます。
第四巻には愛読しておりました「閨秀」「墨牡丹」が収められていて格別の思いがございました。集英社版の「墨牡丹」には村上華岳の牡丹の部分が口絵としてありましたことを思い出しております。「閨秀」のカバーの装幀が印象的であったことなども思いだしながら、あらためて拝読させていただきました。 風邪で臥せておりましたが、第四巻を拝読して気持がのびやかになりました 「第四巻刊行に際して」で、吉田健一先生(在学中、先生の「文学概論」を三年間受講しました)のことがあり、それも気持ちの良いことでした。
申しおくれましたがましたが第三三回京都府文化賞のご受賞おめでとうございます。
心よりお祝い申し上げます 嬉しいことです
このところ寒暖の差が激しい天候が続いておりますので どうか一層のご自愛を祈念申し上げております。
御礼まで 敬具 馬渡憲三郎 藝術至上主義文藝学会長
2015 1・29 159
☆ 我家も梅が開き始めましたが、
寒さが続きそうです。このたびは『選集第四巻』を御恵贈賜わり深謝申上げます。また、京都府文化功労賞おめでとうございます。心よりお祝い申上げます。
「閨秀」「墨牡丹」はじめ、第四巻も京都の土地と文化が強く彩られ、御受賞を更に寿いでいます。
御養生、切にお祈りいたします。 徳島高義 講談社元出版部長
☆ 寒中 お伺い申し上げます
此の度もまた、すばらしいごほんをお届け賜り有難うございました。(中略)
澤山の不調をお抱えのなか 日々ご活躍下さってるご様子に唯々頭が下がるばかりで御座居ます。(中略)
連日の理不尽だらけの世情に ゆるりとなさって頂けるか…心配して居ります。
元日の法然院さんの雪の写真を同封させて頂きます。「蝶の皿」を思い出し 改めて拝読致しました。
京都も日々変って行きます 祇園辺りは特に激しいようで辛い思いで居ります。
法然院さんは変らぬたたずまい乍ら まわりは騒々しい在り様です。
(梶田住職の撮影とか、
ひひと白雪にとざされた法然院山門元旦の写真が添えられて。松栄堂の匂栞「ふみか」も。) 京下鴨 澤田文子 同窓
2015 1・29 159
* 東大名誉教授国文学の久保田淳さんから、ルイドレールブリエット プレミエ(シャンペーン)で選集出版と京都での受賞とをお祝い戴いた。有難う存じます。久保田さんにはよくご本も戴いていて、西行全歌集や富士山の文学その他、いつも座右に繰り返し愛読している。
2015 1・30 159
☆ 「文化功労賞」
おめて゜とうございます。先生のお作を読むたびに京都への思慕が強まっていったことを思い出します。
次回以降も(実費配本)よろしくお願い致します。 中野区 安井恭一
2015 1・30 159
☆ 結実の時
京都府よりの「文化功労賞」のご通知 誠におめでとうございます。
遅すぎる程のご受賞、
でも 本当に 先生にふさわしい賞のおしらせ
私も うれしくてうれしくてなりません
きょう戸にお帰りの折は お祝いにカケツケたい心境ではございますが、お許し願えないでしょうね
お祝いの気持ちだけ先にお届けしたく お便りさせていただきました。
この度「秦恒平選集」第四巻をお届け下さいまして光栄至極に存じます。 高石市 東野美智子 黄綬褒章
* 美しい巻紙の絵手紙。他に三條大橋の舞子の繪の小短冊。この人は、祇園町で育ち舞子になる道を決然と逸れて京都を離れ、多年の教員生活のなかで社会活動にも孜々と務めつづけて國からの表彰を受けた。中学の頃、茶道部でわたしに作法を習っていた。わたしは大学生。選集三巻の口絵のような頃であった。この人いまは繪も描き短歌もつくる。
* 弥栄中学のころ、一年下にいて、のち東大にすすんだエッセイスト平田布美さんからも、「多分再訪することもないであろう京都のことを思いながら読ませて戴きます」と。「旧友からの年賀状で、『弥栄中学は跡形もありません』と知らされ、複雑な気分に陥っていたところでした。くれぐれもご自愛下さいますように。」と。子規の句「あはれさを裸にしたり寒の月」が添えられていた。
うかうかと京都へ帰るよりも、自分の書き置いた「京都」を愛おしみ懐かしんでいる方が正解なのであろう、か。
2015 1・30 159
☆ お手紙拝見
御病気の由、承り 驚いています。受賞式でお目にかかれないことは残念ですが、ゆっくり御養生して、一日も早く御回復されますようにお祈り致します。 梅原猛
* 恐れ入ります。体力をよく養い帰郷の春を待ちたいと願います。
どうぞ、日々を御大切にお過ごし下さい。
2015 1・31 159
☆ みづうみ、お元気ですか。
心とおからだ 暖かくしていらっしゃいますか。
選集第四巻は無事に届いております。
先日はみづうみが転倒して頭をぶつけたとの私語に大変心配していましたけれど、それでも重たいご本を抱えて郵便局に通っていただいて ほんとうに恐れ多いことでございました。手にしたら、胸いっぱいで なんだか泣けてしまいました。ありがとうございます。
わたくしにとっての選集は、神棚にあげるもの、本棚特等席に飾るものです。美術品のように眺めて手にとり、そっと頁をめくってそこから立ち上る文藝の香気にうっとりして、汚さないようにすぐ函にしまいます。読むのはもっぱら「湖の本」版のほうで、こちらはあちこちに線引きと書き込みがあり、読み倒す感じになっています。
(長い中略)
あらためて京都府文化功労賞ご受賞お祝い申し上げます。おめでとうございます。
あまりに当然、あまりに遅すぎるご受賞でございますが、それでも読者にはとても嬉しいことです。
秦恒平は、「京都」という都が、自分を書いてもらうために白羽の矢を立てた文学者です。京都について書かれたみづうみの評論、エッセイ以上のものが今後書かれることがあるとは思えません。
少し落ち着きましたら、心ばかりのお祝いをお送りさせていただく予定でございます。毎日全速力でのお仕事ぶりですが、たまにはのーんびり黒いマゴとお昼寝してみてください。 炭 学問のさびしさに堪え炭をつぐ 誓子
2015 2・2 160
☆ 寒中御見舞申しあげます
このたびは京都府文化功労賞、おめでとうございます。 京都のご出身だけに、ひとしお お喜びのことと思います。
つねづね「湖の本」のご恵与にあずかり、また、このたぬびは「秦恒平選集」第四巻をお送り下さいました。ご芳情のほど衷心から御礼申し上げます。
とりわけこの巻には会心の作の一つとお思いの『蝶の皿』が収録されており、これはまず第一に拝読したところです。その後の御作はすこしずつ読みかけているところです。
私は現在阪急文化財団逸翁美術館の館長として勤務しております関係上、焼物を観る機会も多いもので。作品からさまざまなことを学ばせていただきました。とりわけ美術品と風土というものに魅せられる思いがいたします。
その後に収録されている作品も、私など美術館にいる者にとっては本当に教えていただくことばかりです。美術品を愛玩する人々の真摯な姿に思いを馳せるばかりです。
美術品というのは、やはり見なくてはだめですね。それとまずは好きになること。 作品に登場する人物から、筆者の心のありようを知る思いでした。
ともかく拝読いたします。まだ途中ではありますが、ひとまず御礼を申しあげる次第です。
寒さの折から どうぞ御自愛下さいますよう祈っております。 敬具 伊井春樹 阪大名誉教授
☆ 雪に明けた新年でございましたが
お障り無くお過ごしの御事と存じます
此の度は 京都府文化功労賞の御受賞 誠におめでとうございます 御活躍を心よりお喜び申します
又 選集第四巻の御恵贈 有難く御厚志に恐縮して居ります 四巻は只今 主人(=京都現代美術館・何必館館長)が拝読して居りますが 折を見て 芳江姉に届けるつもりでございます
お寒さの折から どうぞお厭い下さいませ かしこ 左京下鴨 夫人
* 感謝します。
2015 2・2 160
* 次の、「選集⑥」の巻頭に「祇園の子=菊子」を入れた。「廬山」を「美しい作品、美しさに殉じた作品」と芥川賞の選評を下さった永井龍男先生は、また人づてにだったが、「『祇園の子』のような作が十も書けたら、たいしたもの」と伝えて下さった。まえにも書いたが、その当座わたしは、このような随筆のような作でいいのかなあと、かえって申し訳ないほどの気がした。だが、少し後に「ちくま」書かれていた笠原伸夫さんの『秦恒平の美の原質』という評論でも、この『祇園の子=菊子』をもったいないほど重く大切にとりあげておられた。いまそれをつぶさに読み返ししみじみとした。笠原さんといい桶谷秀昭さんといい、ありがたい知己は早くからあったのだ。それでもわたしは文壇の身辺小説ばやりにただ小さくなっていた。「騒壇餘人」という自覚はぬけず、すこしずつわたしを「湖の本」へ押し流していった。いま、わたしは、けっしてそれを悔いてはいない。しかし今度第六巻巻頭に「祇園の子」を置き、第七巻では二つの処女作についで「みごもりの湖」につぐ書き下ろし長編『罪はわが前に』を置こうと決断以来、選集の作法に拘泥せず、「祇園の子」のうしろへ笠原さんの一文をぜひ戴こう、また「罪はわか前に」に添えて、林富士馬さんとの対談『事実と小説』また笠原伸夫さんとの対談『罪はわが前に、をめぐって』を置こうと思い立った。「祇園の子」がわたしの文学の原点なら、「罪はわが前に」はわたしの数々の文学を写し成しえた「原板」に相違ないからだ。いわゆる出版社版の「全集」では多分許されまい方法だが、わたし自身で編輯して出す私家版・非売本なればこそ自在な手もうてる。はっきり云って、笠原さんや今は亡い富士馬さんにもういちど応援して戴きたいのである。それほど笠原さんの一文はみごとであり、また発言も打たれるほど適確なのである。
* 加門さんから「お祝い」の純米大吟醸「古都千年」が贈られてきた。ありがとう。二月六日、京都での受賞式には失礼するが、家で、美味しいお酒で妻と静かにその日を迎えたい。おりしも西の方から広範囲に雪が迫ってくると。
つい歳は忘れるが、七十九。妻も四月には七十九。二人でなら大丈夫、と油断はならない。ほんとうに大事なのは、日々の仕事。
2015 2・3 160
☆ 昨日、
フォートフレームを送らせていただきました。気持ちばかりのお祝いです。京都府文化賞、迪子様と共に頂かれたような。
京都の美しさを秦様の文学から教えていただいたことの多いのを感謝しながら、重ねてお祝い申し上げます。
最近は今言った言葉が出てこなかったり、忘れたり、困ることの多い日々を過ごしています。謡曲や仕舞の稽古も頭に入ってこない事、忘れと闘っているような有様ですが、詞章の美しさに魅かれています。
また雪が降り寒さが戻ってくるようですが、
どうぞお二人ともお身体の調子の良い日々が多いことをお祈りいたします。 練馬 晴美
* 恐縮。
2015 2・3 160
☆ 大変厳しいお寒さが
続いておりますが、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか。
このたびも又『秦恒平選集』第四巻をご恵贈賜り本当にありがとうございました。
先生が精魂こめて書かれた作品をとり揃えてお作りになった限定非売本。装丁も誠に典雅で立派なご本を私のようなものが頂いてよろしいのでしょうか、ただただ恐縮しております 厚く御礼申し上げます
また「京都府文化功労賞」をお受けになりました由 おめでとうございます 実は私の亡き両親も京都市の出身でございました ご縁を感じております
先生がご病気をかかえながら日々精励なさいまして 作品を生み出されるご熱意に心から敬意を表したく存じます どうぞくれぐれもおからだご自愛なさいますようお祈りいたします
ことしは戦後七○年、 物心がつく頃にすでに満州事変が始まっていたさきの戦争を経験したものとして 今の政治や社会の動向が本当に心配です 戦争、その他で無念の死をとげた方々には申しわけないぜいたくな云い分ではございますが 長生きしすぎたと思うこの頃でございます 数ヶ月前に白内障の手術を受け、また年とともに遅筆になりましてお礼を申し上げるのがすっかり遅れましたことをお詫び申し上げます かしこ 故元東大法学部長 福田歓一夫人
2015 2・4 160
☆ 立春大吉
札幌は年明けから雨が降ったり突然大雪になったりと振幅の激しい冬です。節分立春を迎えても雪解けにはまだ二ヶ月を待たねばなりません。伊豆や房総の花の便りを聞くと 窓の外の景色に息切れがしてしまうので、立春は冬の折り返し点という心もちでいます。
さてこの度は京都府文化賞受賞おめでとうございます。
「洛東巷談 京とあした」と「慈子」で秦さんに出会った私には、やはり京都府から表彰されるのは嬉しいことです。
またお送り頂いた選集第四巻も、本の香りを楽しみながら「墨牡丹」を読みました。
少しながら振込をしますので、刊行に役立てて頂けましたら幸いです。
目のご不調やご体調を案じております。 春に向かい 奥様共々お健やかに過ごされますよう、櫻や鯛を楽しまれます様 お祈りしております。 札幌 真岡哲夫 植物病理学者
☆ 京都府の「文化功労賞」授賞
誠におめでとうございます。
秦様こそ本当にこの賞にふさわしい方と存じます。まだまだお書きになることがおありになると思います。お待ちしています。
京についての文章を拝読していますと、能の謡本が深く理解できるように思います。
唯今 五月の大会に向けて「楽」と格闘する毎日です。 小松市 八代啓子
☆ 御賜与に深謝致します
秦恒平先生 この度は大変貴重な選集をお贈り下さいまして、誠に有り難うございました。
非売品である先生の御本を頂戴し、光栄至極に存じます。
また、京都府からの文化功労賞御受賞、誠にお目出度うございます。先生の一ファンとして、心からお慶び申し上げます。
私はまだ五十七歳という若輩ですが、(中略) 恐れながら先生は、日本文藝の中枢を担われる方です。
どうぞくれぐれも御自愛下さり、末永く御健筆を振るわれますよう
衷心よりお祈り申し上げます。 真岡市(日本ペンクラブ会員)渡辺通枝三男 佳寛 拝
* どんな昨日今日のニュースが耳に目に入ろうと、何十年前の自作の世界へ浸ってしまうと、何も無くなっている。
2015 2・5 160
☆ 今朝しろたへに雪はふれれど
今は霙に変わったようです。
梅には、素敵な別名がたくさんありますね。
張り詰めた寒気の中で凛と咲く花を讃え愛する気持ちが、それぞれの名に感じられます。
梅の好文木に似合うのは、大夫、年輪を重ねた老松でしょうか。
匂いたつような文を綴れるようになれたら、と思います。もう少し、色んな意味で自分の日々に余裕や遊びが欲しいなぁとも思います。
明日は晴れの日ですね。おめでとうございます。私もお赤飯で心秘かにお祝いいたします。
どうぞ佳き日をお過ごし下さい。 梅
2015 2・5 160
* 朝一番に、松本幸四郎丈と事務所より、玄関を埋め尽くすほど豪奢な花・華をお祝い戴いた。
今朝、御前十時には、京都で、「京都府文化賞」の式が行われる。申し訳ないが怪我と体調を慮って欠席させて貰ったが、家で、心静かに妻と二人、加門華子さんに戴いた「祝」古都千年「英勲」醸の純米大吟醸酒で杯を分け合った。岡田昌也さんに戴いた越前の雲丹、このわた。とびきりの美味。酒がひとしお美味い。
「湖の本」123巻はもとより、妻も賛同してくれて「秦恒平選集」もはや第四巻を送り終え、やがて三月早々第五巻も出来てくるという、このような華やいだ老境を夢にも思っていたわけでない。多くの知己善友の支援と飽かぬ努力とで、こういう日々を迎え送ることが出来ている。
☆ 建日子です。
京都府の文化功労賞受賞、おめでとうございます☆
ますますのご健康を。
* 一つには建日子のうえに、親として思い残す不安がないという有り難い事情が、わたしたちに思い切った「選集」へうちこむ余裕を呉れたのであり、心嬉しい最たる一つになっている。
* 京都で、ちょうど式が始まっていよう時刻に、静かに杯を干した。
で、もう、明日からはそれも忘れて、また八十路への日々を踏みしめて歩むだけのこと。
ただただ妻の健康と長命を願うばかりである。
ま、今日ばかりは、戴いているいろんなお酒と、珍味を肴に、気楽な管でも巻こうか。 2015 2・6 160
* 四時頃、突如、石川県鶴来の醸造元「萬歳樂」会長の小堀甚九郎さんが玄関先へ見え、飛び上がった。なんともはや情けない茶人ではある。お祝い戴いた。まったく何のおかまいも出来なかった。フードピア金澤以来の久しいお付き合いで、湖の本も三十年ちかく全巻支えて戴いている。感激あるのみ。「いいお酒を贈りますよ」と云って帰られた。
2015 2・6 160
☆ 過日は
御選集の第四巻を お送りいただき 有難うございました。
京都府文化賞の御受賞 おめでとうございます これまでの御功績からすれば当然すぎる当然のこととはいえ お祝いを申し上げます。
『閨秀』に出てきます 松篁さんのお宅にうかがったことがございます 素晴らしい画業や お人柄(奥様も)は もちろんのこと(スケッチが無雑作に散らばっていました) 一番圧倒されたのは お茶に出された お菓子でした 変哲もない お菓子なのに 何とも奥深い滋味でした 観光用の店ではなく おそらく地元の方のみが 愛用されている店のものでしょう 僕らのように 単に京都好きだというだけの人間には とても入ること 到達することのできない 本物の味だなあと 思いました。
御作品にも 似たようなことを 思います
私事の愚痴で恐縮ですが 脳出血以来どうも不調で 近ごろは めまいに間断なく悩まされ(副腎の腫瘍) 何もする気がおこらないのですが 大病を抱えていらっしゃる秦さんが 次々と こんな丁寧で立派な御仕事をなさっていらっしゃるのに 何のこれしきと いつも励まされています そういう意味でも厚く 御礼申上げます
立春をすぎたとはいえ これからが寒さきびしき折 どうぞ御自愛下さいますよう 明野潔 元文藝春秋編集者
* いつものように過分にご支援頂きました。感謝申します。
☆ 秦恒平様
『秦恒平選集』第四巻を賜り、こころあらたに読み進めています。
難聴で耳鳴りがひどく、ときに中断しながらの味読ですが、第四巻の「美と美術にかかわる作」にふれて、ふと思い至るところがあり、一人悦に入っています。
それを明瞭に言い表すのはむつかしいですが、あえて標題化すれば、「能の世界との近似性」、あるいは「詩劇としての能への親和」というようなことです。
直感ですが、方向が逸れていなければ、この気づきは、わたしの「秦恒平論」を書き継ぐヒントになるかと期待していますが、残念ながら、いまだ能の世界に接して身がうちふるえるほどの実体験がないので、まずはそこからかなどとおもっています。
なにを基準にと笑われそうですが、健康によさそうな当地の産品を少しずつ詰めてみました。
お口にあえば幸いです。 2015年2 月6 日 讃岐 榛原六郎 拝 作家
* 風土食の珍しい菓子その他いろいろ頂戴した。楽しんで戴きます。
☆ 寒い日が続いていますが、お変わりございませんか。
この度は、私まで本をお贈り下さって有り難うございます。
何時も、父(故橋田二朗先生 創画会会員)のことを思っていて下さって感謝しております。
京都文化功労賞受賞おめでとうございます。
まだ、まだ寒い日が続きます
どうぞ、御自愛ください。 有子 染織作家
☆ 秦おじいちゃま 迪子おばあちゃま
大変大変ご無沙汰しております、かお吏(=亡き孫やす香の、一の親友)です。
おじい様、京都府文化功労賞受賞おめでとうございます!!!
さすが我らがおじい様です!!!
身近な大好きな作家さん、と思っていたら、やはり偉大な作家さんだったのですね!!!
素晴らしい賞を受賞されたと聞き、「すごいすごい!」とばかり叫んでいます。
本当におめでとうございます!!!
おめでとうの気持ちが、いっぱい届きますように!!!
ステキなお誕生日プレゼントを、ありがとうございます!
可愛くて温かくて、さっそく毎日使っています。
プレゼントのお礼を伝えなくちゃ、と思いつつ数日が過ぎてしまいました。
実は、(中略) あっという間に日にちが過ぎていました。
ちょうどその時にプレゼントが届き、開けると羊さんが「やぁ!」と顔を出し、その羊さんの可愛さと、おじい様おばあ様の優しさで、ちょっぴり泣きました。本当に嬉しかったです。
ありがとうございました。
私の仕事は、そんなに変わりはありません。
入社時より任される仕事も増え、忙しい時もありますが、残業はほとんどなく、仕事内容も楽しいです。
しかし仕事と家庭を両立させようとすると、途端に疲れてしまいます。
主人が家事の半分をやってくれるので、本当に感謝しています。
おじい様おばあ様に久しく会えていないので、とっても恋しいです。
3月末までは、木金休みです。どこかで都合が合わないかしら、と考えています。
私はどこへでも向かいます。
それでは、午後の仕事に戻ります。
また連絡します。
おじい様おばあ様のおかげで、心も体も温かい かお吏
* 元気そうで、ほっと安心しました。
2015 2・7 160
* こころよく「糸瓜と木魚」校正を進めている。
わたしの育った京都市東山区新門前通りの家は仲之町の東の南端にあり、家の西脇に新橋通へ抜けられる細い抜け路地があった。眞東から梅本町になるその眞隣り屋敷が、「奥さん」という市会か府会議員の持ち家であったらしく、住人はときどき替わっていた。その奥さんの眞東に京都の植物園長かと洩れ聞いていた「淺井(あざい)さん」の大きな表土蔵と路地の奥に邸宅とがあった。淺井さんの真東にも、豪儀な門構えの家屋敷があり、後年、清水焼の清水六兵衛家のもちものになっていた。我が家は梅本町のそういう西並びにくっついて、「ハタラジオ店」の看板を上げていた。全体に、梅本町にも仲之町にも、西の西之町にも大小美術骨董を商う店が数有って新門前通りを特色在らしめていた。梅本町の東寄りもう東山線の大通り間近くには「京都美術倶楽部」が在ったし、西之町には仕出し料理で名高い「菱岩」があり京観世と京舞井上流本拠の井上さんも稽古場と家屋敷とを構えていた。仲之町の土手ッ腹はいまでは花見小路南北にぶち抜いている。仲と西との町境には白川が南北に横切っている。
わたしの子供の頃はちょうど戦時中で、火の消えたように静かな通りだった。下駄で歩けばかんころりと、東へも西へも筒抜けに鳴り響いた。
「糸瓜と木魚」はそんな新門前の我が家から二軒ひがしの「浅井(あざい)さん」を懐かしい舞台にしている。語り手の私はこの家で初めて明治の洋画家淺井忠が描いたという「鶏頭」の色紙繪に愕き、次第に正岡子規一代の秀句「鶏頭の十四五本もありぬべし」に近づいて行き、だんだんに学者の道を行かずに小説家に成ろうとして行く。「糸瓜と木魚」の糸瓜とは子規辞世の句にあり、木魚は淺井忠の俳句名である。
瀧井孝作先生は、「秦恒平君は美しい小説を創りまた美術をみる眼も確かにて、『糸瓜と木魚』は両方合致の作品也」と推奨して下さった。身に沁みた。調子に乗るまいと思った。はっきりと創作であるが、わたし自身の思い願いが作には充満している。校正が、楽しい。
2015 2・8 160
☆ 京都府文化賞の受賞
おめでたうございます
『選集』第四巻拝受しながら禮状が遅れに遅れ失礼しました。年末に転倒して右肘が割れ入院手術してやつと一昨日退院、拝読できるやうになりました。
なつかしい「廬山」に逢へて嬉しうございましたが、『墨牡丹』第六章は味讀だつたので感じ入りました。華岳には神意を見ます。
字が書けません お許し下さい。 東北大名誉教授 松野陽一
☆ 拝啓
本年も立春を迎えましたが、先生には鋭意ご専念の御事と拝し上げます。
此度は御選集第四巻拝受 ご厚意まことにかたじけなく、もったいなき限りと存じます。
しかも、選集いよいよ佳境に近き折りも折り、いずこでもない まそに京都からの朗報の到着。当然とはいえ それは今後続くべき佳き知らせのの、まさに春の事触れの感あり、格別な思いで受けとめさせて頂きました。 この上は 前々から申し上げておりますように、一層一層御身ご大切にとお願い申し上げます。 先生のご達成が 今後万一にも正当な、当然の評価を全き形で得ることなく終わるような事態に到るならば、それは、この日本、愛する日本にとって、後世、実に悔やんでも悔やみ切れない痛恨事となることでしょう。小生は前々から、先生のご達成の真価をそのように位置づけ、尊敬と敬愛の念を抱き続けて来た次第です。
日々、何卒ご専一をと願い上げ毛、念じ上げております。 ご無礼おゆるし下さい。
なお別便にて 福井から心ばかりのものをお届けさせて頂きました。 お口に合えば幸いに存じます。
末筆乍ら 御奥様にもよろしくご鳳声下さいますようお願い申し上げます。 不尽 敬具 神戸市 岡田昌也 歌人
* 京都美術文化賞に推薦した画家の林康夫さんからも、わたしの受賞を祝って下さるお便りがあった。
2015 2・9 160
☆ 冠省 (若冲の「野菜涅槃図」に添えて)
この度は京都府文化功労賞を受賞され、慶賀の至りとお祝い申し上げます。
また文業の精粋をみごとに集約なされた選集をわざわざ恵賜下されますこと ひとえに厚く御礼申し上げます。第四巻の廬山を拝読しつつ、つい数年前に恵遠法師ゆかりの東林寺を訪れたときのことが思い出されます。虎渓三笑の故事ゆかりの地も傍にありました。
末筆ながら、益々のご文安を心より念じあげます。 興膳宏 京大名誉教授、元京都恩賜博物館館長
☆ 前略
早や立春を迎えました 毎日ボヤボヤして過ごしています私には 猛スピードで毎日が去っていく思いがします。
大変な御本をお送り下さり ただ 流れるままに生きさせてもらった私からすれば しっかりと 一筋の道を歩いて来られたのだと 立派に思います 手に取る重みに 御苦労であったでしょうが素晴らしい人生を歩んでいらっしゃる事を心から尊敬します お礼の表現が思いつきませんが 気持ちだけお伝えしたく (モンロワールのバラエテイ リーフメモリイとある=)チョコレートを送ります お笑いください 御身をやすめ いといながら お元気で日々お過ごし下さい
ありがとうございました 御機嫌よろしく。 紗千江より 日本画家
* 日吉ヶ丘高の茶道部でわたしに茶の湯を教わっていた。美術コースで日本画専攻の後輩。美しい京ことばで静かに話す美少女だった。以来、六十余年。嗚呼、おたがいに、うっかりは逢えないなあ。
2015 2・10 160
☆ 御元気ですか
日々 ご自分を励まし奮い立たせ、そして自然に、自分にとっての自然にまかせてお過ごしの様子。
お酒は鴉にとっての滋養のお薬、楽しまれつつ、飲みすぎることなきよう。これはお酒に弱い者の羨望も込めての呟きです。
ちらちら雪が舞う日もありますが、あまり外出もしないのでまずまず元気に過ごしています。
先頃書かれていたひばりの番組をわたしも見ていました。晩年の、最後の? ひばりのリサイタルの舞台は何度見ても胸に迫ってきます。
そのひばりを記述するのに鴉は祇園乙部を引用しています。甲部ではない、乙部・・そこに窺える作者の立ち位置を見定めなければ秦文学の深い理解はあり得ないでしょう。
いろいろ思うこと多いのですが、今日はそれだけを書きたかった。
どうぞ風邪ひかず、元気にお過ごしください。 尾張の鳶
* 京大に学んだ頃から、京都の深層への関心を社会学的にも歴史的にも持っていた人、片言隻語からよくわたしの「文学」への足場を看て取ってくれる。祇園乙部。わたしはいささかも享楽者でなく、幼くからいつも乙部を背に負う近隣に育ち、朝に夕にそこを通って学校に通い、そこの銭湯へ通い、そこら中を舞台に仲間とかくれんぼなどして遊んでいた。父が売った品の月賦取り立てに、乙部の奥へも使いにやられもした。親しい女友達もいた。そんな子らはきまってひばりの歌をすばらしく上手に歌った。さながらに美空ひばりだった、わたしはそれを感動とともに覚えている、よく。
2015 2・15 160
* 「京都府」から表彰状を東京で手渡したい、副賞は郵送すると連絡がきた。受賞式に欠席して、ご手数を掛けること申し訳ない。
2016 160
* 歯医者へ。次は二十七日、わたしだけ。
往きのバスを降りるとき右膝脱力で、危うく「から足」を踏んで顔から落ちかけた。危なかった。
帰りのバスを、練馬行きに。妻と夕食を駅構内の「魚力」で鮓に。八海山と〆張鶴で酔った。独りだったら確実に電車を乗り越して所沢までも寝ていただろう。
明日も午後一番、聖路加の眼科で諸検査。検査だけは受け続けていた方がいいと思う六つも七つも造ってある眼鏡の只一つも安定しない。クリアに見えない。
来週は、月水金の飛び石で病院がよい。そこへ木曜にも表彰状受け取りに都内へとなると躰に堪え。危険でもあるので、表彰状は送ってもらいたいと、いま、依頼した。街へ出歩くのは、むしろ運動になって良いのであるが、週に四日では危ない。お許し願う。
2015 2・16 160
* 「京都府」との件、一切送って戴くということで、決着。感謝。
2015 2・17 160
☆ 表彰状
功労賞
秦恒平様
あなたは小説家として卓抜した見識と熱意をもって文化藝術活動に努められ京都の文化の振興と発展に尽くされました
その功績は誠に顕著でありますので 京都府文化賞功労賞を贈りこれを表彰します
平成二十七年二月六日 京都府知事 山田啓二
* このこと、これで落着。
* 今日は暖かであった。
2015 2・20 160
☆ 拝復
『秦恒平選集第四巻』をご恵送賜り、誠に有難うございました。
入江波光が好きで、奈良の中野美術館に出掛ける私には、「墨牡丹」は好きな作品です。ちらっと同志社も出ますね。
第五巻は私がもっとも愛読する「冬祭り」とのこと。あつかましい話ですが、ご刊行を心待ちにしています。
京都府文化功労賞ご受賞、おめでとうございます。
当然の受賞と思いますが、府が文化を大切にしていることがわかって、嬉しく存じました。
鏡花の「山海評判記」への暖かいお言葉を有難うございました。草々 田中励儀 同志社大学教授
2015 2・23 160
* 京都文化賞のお祝いに、京都の画家池田良則さんより、文化勲章佩帯の祖父池田遙邨画伯の作になる、懐かしい風景版画を頂戴した。
2015 3・1 160
* 早稲田の教室で小説を書かせ、小説家になりなさいと背を押し出した角田光代さんから、心嬉しい手紙が来ていた。
☆ 秦先生
京都府の文化功労賞 本当におめでとうございます。
また選集をいつもお送り下さってありがとうございます。壮大なお仕事ですね!!
また闘病されているとのこと 失礼ながら 存じ上げませんでした。驚きました。治療はつらく大変なこともあるかと思いますが どうぞ乗り切って下さい。ご回復をお祈りしております。
少しずつあたたかくなってまいりましたが、まだ冷える日もあります。お体 どうぞ御自愛下さい。 角田光代
2015 3・13 160
* 選集第七巻のなかの「丹波」初校ゲラを読み終えた。国民学校の三年生を終えて二月末にいきなり丹波の山奥の山の上のあばらやに疎開した。八月には敗戦したのに、もう一年余もたんばに居坐っていて、重い腎臓炎で京都へ帰った。二十ヶ月山村生活の体験は少年の五体に耳目に克明に刻印された。この体験なくてわたしは処女作「或る折臂翁」もシナリオ「懸想猿」二篇も太宰賞の「清経入水」も書けなかった。狂い疎開生活ではあったが、償って余りに余りある体験を得た。「丹波」は、我ながら驚くほど克明な記憶の際限になっていて、文学としても自愛の一編になっている。京都文学全集全六巻のなかにわたしのこの長編「丹波」がとられていたのをわたしは誇らしく喜んでいる。
2015 3・17 160
☆ 「絵とらとら日本」拝受しました
秦君 ご本ありがとうございます。
そして京都府文化功労賞の受賞おめでとうございます。
体調不良で授賞式に欠席された由、折角の帰洛の機を逸され残念でしたでしょう。しかし病魔と闘いながら日々のご活躍には感服しております。
国の内外ともに不快な出来事つづきですが、お互いに相応の心構えで立ち向かってまいりましょう。
御身充分労わりながらご活躍のほど念じております。ほんとうにありがとうございました。 洛北 辰
2015 3・19 160
* 郵便局から脚を延ばして新座方面を自転車で走ってきた。東京の保谷から埼玉の新座へはかなりの急な坂で降っている。往きは軽いが帰路はとてもしんどい。足を使わないと膝に力が入らず、時に萎えたように空脚を踏んでしまい、階段では危ない。春になってきたので歩きたいと思いつつ、つい家にいる。電動自転車ですこし遠くまで走りたいが、疲れるかなあとつい凹んでしまう。食べる楽しみがまるで失せていて、あの店へ行きたいといった気持ちに、なかなかならない。飲むばかりでは健康的でない。「シェモワ」「ピルゼン」「きよ田」「ケテル」などの懐かしい店のもう無いのが惜しい。熱海駅の前の魚屋で食った大きな伊勢海老が美味かったが、遠いなあ。大好きだった刺身や天麩羅が舌に「みづくさく」頼りないのが残念。好きな麺類も苦手の内に入り、生牡蠣はどの店でもいまどき出してくれない。歌舞伎座の「吉兆」や日比谷のクラブでの「エスカルゴ」「角切ステーキ」、江古田「リオン」のフレンチコースなども、やはり酒やワインやブランディがぜひ欲しい。支那料理が結局無難か、麹町の「登龍」がいまぶんいちばん気に入っている。
京都へ行きたい。木屋町の「たん隈北店」祇園町南の「千花」、からすま京都ホテルのバアもなつかしい。
2015 3・21 160
☆ 拝啓
春雨の季語はさりながら天候いっこうに定まりません。東京はいかがでしょうか。ご闘病のことうかがい案じておりましたが、以前にかわらず続々のご刊行驚嘆するばかりです。
また、京都府文化功労賞ご受賞の趣 おめでとうございます。うかつに過し お祝い申し上げる機を逸したようで失礼のだんお許しください。
選集第四巻もご恵与たまわりありがとうございます。湖の本で拝読した折の感銘思い起こしながら改めて頁を繰ること楽しみです。湖の本は学生にごほうびに上げたり。回覧したまま返却なしなど笑って許しておりましたが、さすが、すばらしい函・装幀のこの限定版は知人に貸すこともできず、狭量思い知らされております。
櫻の季も間近か、奥様ともどもくれぐれもお大事に。 草々 周 神戸大名誉教授
2015 3・23 160
☆ このたびは 京都府文化功労賞
おめでとうございます。遅きに失した感があるとはいえ まさにお仕事にふさわしい賞であると存じました。
「選集」も拝見したいと思いながら お恵みいただいている「湖(うみ)の本」へのお礼もさしあげずにいるものとしては とてもその資格なしと諦めました。
どうか御身おいとい下さいますようお願いいたします。このような端書での失礼お許し下さい。 東郷克美 近代文学研究家
* おそれいります。わたくしこそ失礼をお許し願います。
2015 3・26 160
☆ 櫻の季節です。
御元気でおすごしのことと存じます。第三巻につづき、二巻、四巻と美しい特製本をお送り下さいましてありがとうございます。
『風の奏で』を読むのに時間がかかり、お礼がおそくなりました。おゆるし下さい。
九年前の安倍政権」共感しきりでしたが 世の中 どこでまちがってきてしまったか 身に覚え有り 元教員としては辛いです。
京都府文化功労賞おめでとうございます。
特製本の御礼に、感想でなくて失礼と思いつつ 熊本のはちみつをお送りしました。御笑納ください。
花冷えの日もあります。どうぞお体大切に。 塩谷則子 元日吉ヶ丘高校先生
2015 3・27 160
☆ 秦恒平様
3 月下旬というのに冷え込みが厳しい日が続きます。
この度は、『豪華限定版選集第5 巻』をお贈りいただきありがとうございました。大切に読ませていただきます。特に、5 巻の解説で書いていただいたこと、ふと思い当たることも合点がいく言葉もありました。今後に生かせたらいいと思います。
また『湖(うみ)の本』123 巻もお送りいただき、重ねてお礼を申しあげます。作品を書き、出版され続ける強いお気持ちには、心から敬服いたします。比較になりませんが、私もなんとか私なりに書き続けられるよう頑張ります。
京都府文化功労賞の受賞、おめでとうございます。今後もますます作家活動の真価が認められますようお祈り申しあげます。
「秘色」論、2 月にいつもの皇学館大学へ送りました。4 月ごろには何らかの返事があるかと思っています。
ところで、『湖の本』の存在意義について考察する、という件ですが、私は原善さんの「冬祭り」論で論じられている一文しか知りませ
ん。読者と直接の関わりを計る出版・流通面からと、作風から論じられています。テーマをいただき、これからは、その点もつねに念頭に置きながら、作品を読んでいきたいと思っております。
どうかお身体に注意されますようお願い申しあげます。 五條市 永栄啓伸 近代文学研究家
2015 3・29 160
* 櫻をたずねて歩くという希望が、ほとんど湧かない、ふしぎなほど。花見の人出のすんだころ、五月へかけ、どうかして一度京都へ帰りたい。どうかして帰りたい。故山のしきりに夢に入るのを、如何ともしがたい。帰る家もないのに。
2015 3・30 160
☆ 具合はいかがですか
秦兄 その後体調はいかがですか。
きょうは西村肇君のお声がかりで久しぶりに弥栄中学校の有志と京都パレスサイドホテルで昼食会を愉しんできました。
男性は奥谷智彦、瀬尾重宏、筒井信貴雄、西村肇、松尾良輔君と
女性 伊藤春子、内田豊子、木村悦子、松原須美、横井千恵子さんで
伊藤さんとわたし以外は高木先生の一組のメンバーで、年に数回会食をしているそうです。 過日西村君に中学の同窓会がしばらくないなぁと云っていたので誘ってくれたのでしょう。
兄の京都府文化功労賞受賞の件も報告しておきましたが、皆さん 兄の体調をたいへん心配しておられました。
内田さんらが兄あてにメッセージを書いていましたから、いずれスナップ写真が出来しだい西村君から届くとおもいます。
兄が話題の中心だったので取りあえずご報告をしておきます。
くれぐれもご自愛のうえ執筆にご活躍ください。 森下辰男
* ありがとう。男性一人、女性二人が、思い出せないが。
京都へ、いつ行けるのだろう。この疲労を思うと軽々しくは動けない。モノが確かに、クリアに見えていないのも危険で。
2015 4・17 161
☆ メール有り難う
没頭出来る仕事があるのは幸せですね。
今月26日に婚家の父子の23回忌と3回忌法事の施主として、義弟妹達への連絡や準備で多忙に過ごしています。この二年は波乱万丈でよく体が持ったものと、我ながら感心。
新しくした家では、二世帯食べ盛りの孫がいての4人家族になり、おさんどん婆ばですが、賑やかになりました。
周辺の身近な友人達が病に侵されて、他人事ではないですが、幸い、今の私は歳なりに健康です。命短しの歌が頭をよぎります( ^o ^)
今は弥栄(中学の頃)の友だちが揃って会う機会は、もはやそれぞれの都合上ありませんが、メールなどで気兼ねの無い長話が出来る、みな良き友です。
久しぶりにご近所のお友達の誘いで、岩波ホール「パプーシャの黒い瞳」というジプシーの女性詩人を描いたポーランド映画を観てきました。やはり映画は好きです。 泉
* 一つ若い中学高校の後輩、ご主人の三回忌を迎えられたのは気の毒だが、「歳なりに健康」とは、ま、めでたい。永年のスポーツ婆さんだった功徳かも。お元気で。
2015 4・24 161
* 写真家井上隆雄さんの、下鴨社を包む糺の森を縦横無尽に写されたすばらしい大冊『光と游ぶ』が贈られてきた。あ、と声が出たきり息を呑む美しい樹々や空の、また花やせせらぎの、何百とあろう写真に見とれて動けなかった。嬉しい。
☆ 春、
札の森には、新しい生命の色彩が光を帯びて輝いている。
日々、美しく移ろう無常の自然。そこに満ちてくる心地よい大気。
四月二十七日には「式年遷宮」がご斎行になり、訪れる人々の心にも、新たなる気配が、何処からともなく漂っているようだ。
この写真集は、私の拙い美意識や作為から出来得る限り離れ、ただただ無心に徹して、自然の真実、あるがまま、そのままの相と出遇い、見つめてみたいと撮り進めてきた。
光と陰、風や、雨や雪、瀬音や鳥の囀りとも交わり融け合う自然の万象。
その種々の様に導かれ、遥か向こうに「何か」を想い、そしてまた、時には、念いつつ。
未熟な写真集ですが、ご高覧賜りますよう、どうかよろしくお願い申し上げます。 井上隆雄
* 選者の折、京都美術文化賞に推した井上さんである。それまでは写真作家には授賞していなかったが、わたしは強く推した。井上さんの世界にはまこと特別の清い光が風になって流れている。
のちに、甲斐扶左義君も、京の町と人を撮る写真家として推賞した。
* 先頃、京都の森下辰男君から中学同窓のちいさな会があって、みな、わたしの容態を案じてくれていたと手紙をもらった。
その会の、いつも世話役をいつものように丁寧にしてくれる西村肇君から、今日、手紙や写真が届いた。
☆ 拝啓
いつにない短かい春もすぎ初夏を迎えました。
お具合は如何ですか、おたずねもせず申し訳けありません。「湖の本」が届くたび最初に目を通すのが「私語の刻」の頁で、恒ひらさんの日々のことを早く知りたいと思うのです。
遅ればせ乍ら 二月に京都府文化功労賞を受賞されましたこと 誠におめでとうございます。
一月七日 朝日紙で知り 授章式はどうされるのか、来られるのだろうか、寒い時に障りがあるのでは…と案じておりました。
決して楽ではない日常の生活とお察ししていますが、少しずつでも快い方向へ進んでいると信じていて期待も大きく、恒平さんが無理なく京都に来られるような状態に回復されたら 弥栄中の同窓会を開いて、激励やお祝いの会をさせてもらえるかと ついつい思ってしまいます。
好きな歌舞伎を観たり上品な和食とお酒を楽しまれるご様子も「私語の刻」で承り ホッと安堵しています。
一組の高城組の10名ばかりの常連が 春秋 機会を見つけて集まります。恒平さんへの心配が話にでます。皆さんに便りを出してもらうよう頼むのですが おそれおおいと遠慮するばかりで「よろしゅう ゆうといて…」という結果でした。先日、瀬尾(重宏)さん、(内田)豊子さんが応じてくれました。四月十七日の写真を同封します。 お分かりになりますか。
ついでにもう一枚は十年まえ古稀を祝った同窓会の時のものです。
どうぞ 無理せず お大事になさって下さい。
ご萬安をお祈りしています。 敬具 平成二十七年四月三十日 西村肇
秦恒平様
お札は 小生 二十年まえに胃を3/4摘出して以来 ずっとお守りにしていたもので、地蔵院へ出向いて授かってきたものです。ご笑納ください。
尚、返信のご心配はご無用とお考え下さい。 謹白
☆ 秦恒平様
一年振りで皆様と食事会をやり お元気なお顔を拝見致しました。
80歳が目の前になりましたが 今の所 体調を損なうこともなく元気で過しております。今年は自治会長をやらされたりして少々大変ですが ボケ防止のつもりで御奉公しております。
子供の頃 新門前のお宅で プロレスTVを見せて頂いた事を懐しく想い出しておりました。
どうかお元気で過ごして下さい。 瀬尾重宏
☆ 秦さん江
内田豊子です。
今日は西村肇さんのおよびかけで バレスサイドホテルでお食事会をしました 11名が集い楽しいひとときでした
皆 秦さんのお躰のこと心配しています くれぐれもおいといくださいませ いつの日か 又 お目にかかれます日を楽しみにしています。
今は 歌舞伎ざんまいです。
歌舞伎ってほんとうに最高です!
今 こうして書いている時 松尾良輔さんが くれぐれもよろしくと云ってられます。
* 西村君は、京一、二の友禅会社の重役を勤め上げた、温厚で親切ななにもかもの世話役をいつも務めてくれる人で、湖の本を久しく大事に支援してくれている。優情あふれる嬉しい手紙。ありがとう。
瀬尾君は、小学校へ途中入学してきた友だちで、かれはプロレスTVなどを懐かしがってくれるが、わたしから云うと、彼のお屋敷然とした家へ押しかけては、ひたすらいろんな本を読ませてもらった懐かしさ有り難さに堪えない人なのである。
内田さんは中学一年で同級、わたし自身が、演劇大会のためにモーレツな演出をした劇の主役で、日頃声もきけないほど温和しいのを強硬に引っ張り出した。最良の思い出となり、その劇で、わたしたちの一年二組は全校で一位優勝した。隣の一年一組の劇が二位になり、そのヒロインだったのが小説「祇園の子」の「菊子」である。この小説は、永井龍男先生にも笠原伸夫さんにも生涯記憶に残るほどの称讃を得たのだった。豊子ちゃんがいま歌舞伎に夢中とは嬉しいではないか。
松尾良輔君は群れない狼のような暴れん坊だったが、後々には大きな紳士になって現れた。
みな、わたしの「早春」期の懐かしい友だちである。京都への郷愁、抑えがたくなっている、が。 2015 5・1 162
* 五島美術館より、著名なイセコレクションの中国陶磁の名品七十点に加えて、中国人士大夫らがこよなく愛した文房四寶と絵画とを観にこないかと、特別鑑賞会に招待状が来た。東工大時代には近いので学生等ともよく通った五島美術館だが、いまの体力気力では上野毛はかなり遠方に感じる。しかし、そろそろ思い切って躰を働かせても良いのでないかと、そぞろ心は動いている。実は有楽町の出光美術館の同様の中国陶磁名品展にもつよく誘惑されている。この方は近いのだから、必ず行きたいと。
京都の何必館からは、ウィリー・ロニスの写真展へと招待が来ている。ウーン、行きたいが。チラシには「脱衣」という題の思い切った写真が。こういう場合、被写体の裸形を美しいとみてほしいのか、我々素人には判じもつかぬ写真技術を看て取れというのか。ウーン。わからんけれど、京都へは行きたい。
2015 5・29 162
* 人権擁護の活動で國の褒賞を受けている川西の東野美智子さんからも、巻紙に絵入りの綺麗なながい手紙を貰っている。「生きたかりしに」ともこもごも重なり触れてくる重い「秘」の内容であり、再録はしない。生涯を賭けた進路について、大学生だったわたしのところへ中学卒業前のこの人が相談に訪れた日のことを覚えている。中学の茶室でわたしから茶の湯を習っていたのだ。
「思ったままの道へ行きなさい」と奨めた。迷いなくこの人は祇園の舞妓、それも優れた藝妓にもなりえたのを一擲、きっぱり京都を去り、大阪で高校に進んだ。苦学して大学も出教育者になり、婚家の両親もやすらかに見送り、幸せに平和な家庭をきずきあげつつ、繪を描き、短歌をつくり、社会的にも献身のみちを歩んできた。文字どおり、よく生きた。もう一人の「祇園の子」であった。
2015 6・3 163
* 建日子との旅、いきいきと思い優しく書けている。もし一人旅であのように母の過去を聴きもし尋ねもしていたのなら、叙述は重苦しく成りかねなかった。雑誌取材の旅と父子での旅とを兼ねたのは、謀ったわけでなく天与のはからいだった。いまもその辺を読み返しながら、なんとなし涙ぐみもした。
祇園・四条の夜色にもじっと目をあてていると、まばゆいほど町の灯が明るく、目にしみ胸にしみてむかしむかしの「京都」が想われる。
* さ、やろう。いろんなことを、もっともっと、やろう。歳末には八十なんて信じられない。わたしの心は恥ずかしいほど少年のようにまだまだ未熟に幼い。長い夏休みには、宿題ではない、べつの何か「自由研究」にとりくみたくてウズウズした小学校から中学への昔を身のうちに思い起こす。
2015 6・5 163
☆ りっぱな本を
ご送付戴き有り難うございました。
八十路にかかり、体力的にも大したお仕事だと恐れ入っています。
弥栄中校舎の写真を見て、あの増設の四階から弟が落下したなぁなどと…幸い頭に異常がなく骨折だけでしたが 治療で受験が一年遅れた事など思い出して。
弥栄中が楽しかった訳でもないけれど、高校時代よりは良かったかな、と。
気候不順な折り、お元気で 小金井 泉 後輩
* 学校の茶道部でではなく、秦の叔母の稽古場を借りて我が家へまで茶の湯の稽古に通ってくる後輩達の六七人もがいた。わたしはもう大学に、その人達はまだ高校生だった。
その一人であった「泉」さんとは、はからずも長編「最上徳内=北の時代」の中で、早稲田大学にお勤めだったご主人を介して際会したのだった。そんな偶然もあり得るから、世の中が、おもしろい。
2015 6・26 163
☆ 選集第七巻
ありがたく頂戴させていただきました。大切に読ませていただきます。
先の五月三十日に同志社女子の同窓会が平安神宮横のレストランであり、会の終わるのもそこそこに神苑のはなしょうぶと睡蓮をスケッチに走りました。と申しますのも、中学生の折 写生に行ったのですが 花に圧倒されて不本意な繪しか描けなくて、それが今でも心残りだったのです。
まあ そんな気持で描いた夕ぐれのお池。やっぱり平安神宮の庭はすばらしいと思いました。
下手くそですが (=はがき表のはなしょうぶたちの繪) 見てやって下さい。 もと子 同窓藤江孝夫君の夫人
* なんとまあ懐かしい、繪。平安神宮の神苑は、朝はやか夕ぐれがいい。はなしょうぶの季節、櫻の季節、藤の季節。胸の疼くほど懐かしい。
この人は、京大へすすんで藤江君と結ばれた人。藤江君とわたしは弥栄中学区、奥さんはとなりの洛東学区から同志社女子へ通っていたらしい。昔話もこれまでに沢山聞かせてもらい、その中には、いま書いている新作の小説への重いヒントも有った。はやく、しっかりと書き上げたい。
2015 6・27 163
☆ 梅雨の晴れ間に、
建仁寺の両足院内の半夏生の庭園へ行って来ました、雨の後でとってもきれいでした。写真送ります、小さいのでちょっと見にくいかな?
続けて、お腹に良い物 探して来ました、お好みに合いますか? カステラと紅茶です、京都のナガサキやは無くなりました、フクサやなら悪くなさそうで、明日着くようです、お疲れにご賞味下さい。 京・日吉 華
* 建仁寺両足院とは、懐かしい。家から、花見小路、祇園町を小走りにゆけば数分で両足院へ行けた。叔母が懇意で、わたしも御免蒙ってお庭で何度も憩わせてもらった。「冬祭り」にも書いた。淡交社の京都古寺巡礼のシリーズでは「建仁寺」篇のために長めの文章を書いたが、その取材の際にも両足院を訪れた。等伯の襖絵が観られた。翅があれば翔んで行きたい。
☆ おはようございます
今年も早いもので折り返し点に来てしまいましたね~ ご無沙汰ばかりで申し訳ございません。 ご体調は如何ですか? 気に掛かっていましたら 先日思いがけず立派なご本をご恵贈頂きびっくりしております。 有り難うございました。本当に私の様な者に頂いても良いのでしょうか。
ご本を読みながら、子供の頃の自分に返って懐かしい思いに浸っています。 新門前の梅本町に小学校の恩師が住んでおられて遊びに行ったりしていました。 同じ京都に住み同じ地域の中で子供時代を過ごしていたからでしょうか本当に懐かしい何かに引き寄せられながら読ませて頂いています。 有り難うございました。
私も先月肺炎になって入院していましたが、昨日退院後の検診で無事との許可をもらって ホッとしています。
これからご夫妻共にご無理をなさいません様にくれぐれもお大切にお過ごし下さいませ。
追伸 過日お見舞いにと予約でお送りしたのですが、和菓子でなくてごめんなさい。 奈良市 絹
* 「華」さんも「絹」さんも高校茶道部でわたしから茶の湯を手ほどきされた後輩で、二人は仲良しだった。はからずもメールを同時にもらって、ほおーっと昔を偲んでいる。二人とも、湖の本をずうっと応援してくれている。
我が家の一軒東からが新門前の梅本町だった。そうか…うちの前を通って先生のお宅へ遊びに行ってたのか。むかしの家なみが思い出される。ありがとう。
* 以前は郵便配達は午前も早い内だったが、この頃は夕刻になっている。
2015 6・30 163
☆ 秦兄
大部のご本有り難うございます。時間をかけてゆるりと読ませていただきます。
それにしてもなつかしい巻頭の母校の写真。いちばん西の一階だか二階だかが、途中から編入してきては、また金沢に転校して行った細川弘司君と机を並べたホームルームの教室でした。二年生の時だったとおもいます。色白でおとなしく画板をぶらさげて御所へ写生に付き合って行ったことを思い出しました。
弥栄の三年間は私にとってはほろ苦い思い出がいっぱいの、なつかしい時代です。
もう時効ですから白状しますが、兄の家の向かいに住んでいた石**子さんと結婚するんだ、と保健室の中村静子先生に言って 「あの子はあきらめなさい」と言われたことがありました。
年末試験の時など西**男、藤*君らと四人で私宅で徹夜をし、早朝彼女の家まで送って行ったこともありました。彼女は日吉へも行かず、そのうちに弥栄の理科の伊*先生に盗られてしまいました。
放課後はいつも渡**子さんと二人が音楽室で大賀先生にピアノのレッスンを受けていましたが、伊*先生もよく一緒でした。
中村先生の忠告が、伊*先生のこと以外にもあったことは数年後に東山馬町の中村先生のお宅へお邪魔したときに聞かされました。
テオドール・シュトルムの「みずうみ」岩波文庫本を誕生日のプレゼントに彼女から中3 の時もらいましたが、伊藤先生の愛読書だったかもしれません。
兄の写真に触発されてとんだ話になってしまいました。それにしてもなつかしい。.
ほんとうに有り難うございました。
季節がら充分ご自愛ください。 京・幡枝 辰 同窓
* ぜぇんぜん、知らなかった、想像もしなかった。わがやの真向かい住んでいた、馬町の幼稚園通園の頃からいっしょの「彼女」ではないか、それなのに毛すじも知らなかった。文面に出ている同期生の名も顔もみな覚えている。それなのに。それほど、わたしは、よそごとに気疎く過ごしていたワケか。青春とはまたそういうものなのであるわけか。
ま、あの弥栄中学校舎の写真をみて心動かさぬ同窓は一人もいまいと思い、「辰」君にも送ったのだ。冨松賢三君にも團彦太郎君にも松下圭介君にも送った。もうあの校舎も無いと聞いている、漢字博物館とやらに成り代わるのだとか。
2015 7・1 164
* 京は嵯峨の大河内山荘の映像を観ていて、あまりの懐かしさに涙溢れて此処へ逃げてきた。京都の文化的な歴史的な価値をわかりすぎるほどわたしは分かっていて、恋しい。いつ、帰って行けるのだろう。
2015 7・5 164
☆ 祇園祭り
台風で心配しましたが、山鉾巡行が行われています! 尾張の鳶
* えぇなあ!
2015 7/17 164
* 朝一番にこんなメールが来ていた。
☆ 8月15日
当時六歳だった母は、通学に防災頭巾をかぶった朧な記憶がある程度で、怖い思いも、ひもじい思いもしなかったと言います。
空襲といった直接的な脅威には晒されなかったためか、父や祖父母からも戦時体験を聞いたことはなく、戦争は、本やドラマなどを通して知る歴史的事実、自分には、この先の日本には、無縁なものといった根拠のない安心を抱いていました。
長々とメールしていると、今日が終わってしまいそうですね。
もう、お休みになっているでしょうか。よい眠りが得られますように。 桃
* こういう日本人もいるんだと、ビックリした。京都は激しい爆撃こそうけなかったが、一、 二発は爆弾も落ちたし、空襲警報のソイレンにも怯えてほとんど無意味な浅い縁の下の防空壕にも身を隠した。学校の廊下に貼られた大きな世界地図をみなが ら、日本とアメリカを大小見比べながら日本に勝ち味のすくないことを呟いたトタンに通りがかった教師に壁へ張り飛ばされたこともあった。毎月の大詔奉戴日 には奉安殿から恭しく行動での式典へ運ばれる天皇御真影にうんざりし、整列し街なかを歩調をとって護国神社に参拝した。町々はがっさがっさと家ごと潰され 疎開されたし、学童は丹後まで集団疎開、わたしの家は丹波へ縁故疎開して終戦を迎えた。考えられないような食べ物で飢えを凌いでいた。
負ければ負けたで街にはジープがかけめぐり、占領軍(進駐軍)と街娼がいたるところにうようよした。食い物の配給も滞りがちでヤミという商法が時代を席 捲した。学校へ通う履き物も払底し、戦後三年、なおハダシで通学したことも再々あった。中学一年生で撮った学級記念写真、前列中央の女先生は袴すがたの和 服だが、その左右に腰掛けた男女生徒の何人もがハダシである。体操の時間、底冷えの京の真冬でも先生は容赦なく男子には上半身ハダカを命じられた。先生の 後年の述懐に、当時生徒の下着たるやヒドかった、だからいっそ上半身はハダカでの体操にしたんだよと。
大人には出征・徴用という役務があって家庭生活は不安定を突如として強いられた。「勝ってくるぞと勇ましく 誓って家をでたからは 手柄立てずに死なれ うか」とか、「タマもタンクも銃剣もすべて野営の草枕 夢に出て来た父上に死んで帰れと励まされ 明日の命を誰が知る」などという歌を、少年のわたしは憎 んでいた。秦の祖父の蔵書から袖珍の白楽天詩集を手にし、反戦詩「新豊拙臂翁」とわたしはもう出会っていた。それがわたしに小説というものを「処女作」と して書かせたのだった。
* 空襲されなかった京都や山の疎開地にいても、「戦争」はあまりに重かった、まして爆撃におおくの無辜を喪い家族に死なれていた遺族たちの戦争苦は筆舌の及ばぬところ。メールの読者は幸運だったのだ。
* 終日 思い立った「湖の本127」編輯の作業で、視力酷使、もう画面の字が見えていない。
* 大文字の火もとうに消えて、京の夜は静まりはじめていよう。
2015 8/16 165
* 高校同窓会が、全学同窓会をすると言ってきた。日吉ヶ丘高校は1949年(昭和二十四年)開校の新制高校で、わたしは1951年・昭和二十六年の入学、三年後(1954年・昭和二十九年)の卒業。以来、六十年余。思わず、唸る。人数でもみくちゃになりそう。
去年か一昨年かに廃校になった弥栄中学では、もう同窓会など難しいだろう、組織を遺していたかどうかも分からない。
* 高校の美術コース校舎の二階に創られていた茶室「雲岫席」が、自立の一棟として改装されたとも知らせてきている。これは、日吉ヶ丘茶道部「雲岫会」の創始者・指導者としても、観てみたい。
2015 8/24 165
☆ 秦恒平先生
ご存知かと思いましたが、HPではこれまで触れておられないので、ひょっとしてご存じないやも知れないと考えました。
既知の場合は捨て置き下さい。三浦景生先生の訃報です。京都新聞記事抜粋を添付します。
8月初旬に私が編集している京都画廊連合会ニュース9月号にて、中信美術館で開催される三浦景生展(9/4~10/18)を紹介すべく、中信 広報担当の方に電話連絡して記事で紹介する作品写真数枚の依頼をしたとき、これまでの経験から大きな回顧展がそのまま追悼展になったとの話がよくあるの で、高齢の三浦先生にはその例外になってほしい、と冗談話のように言ったことがまるで予言のようになってしまいました。
私の画廊にもお元気な頃にはご夫妻で度々お見えになりました。年齢を感じさせない、自由で無限に広がる藝術の可能性を次々と作品に昇華させてこられた偉大な藝術家でした。残念でなりません。 京都岡崎 星野桂三 星野画廊主人
哀悼 三浦景生先生 書簡 梟
* 無念残念。 八月にはいただいたお手紙を額にして此処にも掲げていたのに。お歳をおもえばとは思いつつ。今一度お会いしたかった。星野さん、お知らせ有難う存じます。
* 京都美術文化賞で四半世紀も務めた初期選者のなかで、梅原猛、石本正、そして私だけしかいない。あんなに親しかった三浦景生さんも清水九兵衛さんも、亡くなってしまわれた。寂しい。
2015 9/4 166
☆ 今日は
草木の手入れ後の 雨の一日でした。
夕方に(日吉ヶ丘高茶道部雲岫会の)資料到着しました。
思い出せないほど前の、古い物!今のメンバーでは誰にも通じないです! とりあえずお預かりします。有難うございました。
くれぐれもお大事に、ではお休みなさい。 華
追伸、 何必館の魯山人チケットも戴き、有難うございました。楽しみに観てきます。 華
* 二年生で、学校の許可を得て茶道部を創ったとき、部員は三年生に一人、二年生にわたしひとりだった。点前作法を教えられる先生もいなかった。わたしは もう奥許しもかなり深くまで得ていたので、先輩の小沢さんにはわたしが手ほどきして、毎週二人だけで風炉や炉に火を入れ、稽古し、片付けて夕方には下校し た。
次の年からは部員が一気に各学年で増え、忙しくなった。相変わらずわたしがなにもかも教え、時には嵯峨の方へ野点に出たりもした。「華」は一年生だった。今は彼女が茶道部を指導している。
送ったのは、創部の当時の名簿や会費の出納簿など。六十余年も昔だもの。それでも間違いない部史の発足期が記録されてある。それから小説が書けなかった わけではない、今からでも書けようが、ま、卒業していいだろう。ものの下から見つけておいた古いノートやいろんな領収書など、送っておいた。
2015 9/25 166
☆ 日吉ヶ丘創立65周年記念同窓会
同窓会のお陰で、久しぶりに街なかへ行って来ました。
参加者は150名余りかな、五回卒業生は5名、我々七回卒業生は8名で、旧姓星野さん、古谷さんにお会いしました、お元気でした。
新会長は31回卒業で、年代の相違を感じて帰りました。
高島屋で、多分奥様お好みの甘い物、お送りしました。明日に着く様です、お楽しみに。
日々お大事に 華
* ありがとう。
星野さん 古谷さんも、茶道部でわたしから点前作法をはじめて習った美術科一年だった後輩。なつかしい。
2015 9/27 166
* 京都が観たい。
2015 10/5 167
* 秦家菩提寺に関わる向後一切を長男秦建日子の差配に委ねた旨、京都へ通知した。建日子も承知してくれている。この数年、わたしが京都へも一度も帰れて いない。妻の体力にも限度がある。このままではお寺への失礼や不都合を生じかねない(もう生じている)ので、然様決した。やや肩の荷をおろせて、ほっとし ている。
2015 10/6 167
* 今日、一の感動は、「京舞の井上八千代」を見せたNHKBSアーカイヴス。三 世、四世、五世にわたる「井上八千代」の京舞の、みごともみごと、至芸の奥深い静かさと毅さとに、涙にくれるほどの美しい感動をもらった。三世八千代は、 わたしの秦の叔母の同級生だったし、四世八千代の子息で観世流のシテ方として活躍された片山慶次郎さんはわたしの同志社美学の親しい先輩であった。なによ りも片山・井上家は同じ新門前通りの西之町にあり、仲之町の我が家からは歩いて数分ともかからないご近所だった。五世八千代を嗣いだ三千子さんは、たぶん 小学校、中学校の後輩であろう、むろん顔見知りで、一度木挽町の歌舞伎座で出会って立ち話したこともある。
だがそんな馴染みなどは何事でもなくて、井上八千代の京舞のすばらしさ、みごとな藝の確乎として美しいことに、今日の映像はまたまた驚嘆させてくれた。
わたしは、もともと日本の芸術では、書、そして舞踊が、とびぬけて好きなのである。歌舞伎座でも舞踊の演目が欠けているとさびしいと思う。だから能にも心酔する。井上流の京舞はも能舞ともかさなりつつ完璧な女舞をみせてくれる。
なつかしくて、感動して、京恋しさが沸騰した。呆然としていた。
* 京は、舞。そして和菓子と庭。ぜったいに喪いたくない。平和が願われる。 2015 10/14 167
* 午前中、ずうっとピアノ曲を聴きながら、秋成をなつかしむ人達の円居を書いた自作の小説を読んでいた。
この一年半二年というもの「選集」のために自作の小説を読み返しては入稿しまた初校し再校とときに三校もしてきたから、いつもいつも京都にいま自分がいるような気分に馴染みきってきた。京都恋しさをそのように慰めてきたんだなと思う。
* 新聞、テレビが伝える国会や官邸周辺のニュースの不快さに吐き気すら催すとき、情けないがさながらに逃げこむように自作世界へ心身を没している現実。
2015 10/21 167
* 日本橋三越本店で、惜しくも海外で客死された截金人間国宝の江里小夜子さんの娘朋子さんの截金展を観てきた。小夜子さんが截金で有名になるよりずっと 早く、わたしは「畜生塚」で、あたかも小夜子さんのような截金の才ある少女を主人公を書いていた。のちに小夜子さんと知り合い、選者をしていた京都美術文 化賞を受賞してもらい、夫君と三人で鼎談もした。惜しみて余りある不幸だった。今日の展覧会に小夜子さん、つまり朋子さんのお母さん作になる二十五年前の 大棗を観てきたが、じつにみごとで、もう三十年もすれば重要美術品に挙げられそうな輝きにみちた名品だった。その一点に出逢っただけで三越本店の日本橋ま で足を運んだ甲斐があった。
もうそこで疲れて、よろよろと、どこへ立ち寄りもならず、銀座一丁目から地下鉄で保谷まで帰った。朝、柿ひとつ食べたきり、飲まず食わずで帰宅して五時近かった。 2015 10/26 167
* 安川さんの呉れたラヴェルのピアノコンチェルトのNo1と2とをすぐに機械に取り込んで聴いた。しっかり聴いた。佳いと思いまた繰り返し聴きたいと 思った。わたしより一年下の安川さんは、いまはどうか知らないが、ピアノを教えていたような人であり、画家としてもグループ展に連年作を出しつづけている 人である。まさしく美学藝術学の専攻生であった。わたしの入学した年に四年生だったかに、京観世のシテとして活躍した片山慶次郎さん(五世井上八千代の叔 父さん)があり、一つ下ぐらいに華道池坊の家元がいた。上村松篁さんの息子もいた。小説家になったのはわたし一人だった。わたしに、書きたい書きたいでは あかんよ、書かないとと強烈に尻を叩いた同期に、造園家重森三玲の息子がいた。さきに死んでしまった。彼の曰く、書いていればこそ、ある日突然にたとえば 「新潮」から見せろといわれて見せることができる。書きたい書きたいで書かないのでは寝言に同じと。まさしくその通りだった。わたしは書いて書いて私家版 にして、そのあげく「新潮」編集長からある日突然に電話や手紙で呼び出しが来たのだった。「黒い画集」で花の咲いた女優原知佐子は、わたしを美学藝術学に 誘い込んでおいて入学半年か一年で日活へ出ていってしまったが、太宰賞の授賞式には大きな花束で祝って呉れた。一年後輩、安川さんらと同期の妻も大喜び だった。
2015 10/29 167
* 二十余年も御一緒に京都美術文化賞選者をつとめた三浦景生さんが百歳にもまぢかに亡くなられた、その中陰過ぎてのご挨拶が娘さんからあった。「天に召されて」とあった。佳い出逢いであった。先に亡くなった清水九兵衛さんも懐かしい。橋田二朗先生も懐かしい。
2015 10/30 167
* 「お父さん、繪を描いてください」をもう十二時まで、夢中で読み進んだ。根は京都、だがはじめて東京の女として阿波野千繪というヒロインをわたしは生んでいた。好きだなと思った。
2015 11/5 168
* 先日、三越へ截金を見にいった序でに傍の画廊で森田りえ子展も覗いてきた。署名してきたらしく、今日礼状が届いていた。京都美術文化賞の選考ではわた しの在任中、二度ほど賛成しなかった。いかにも写真構図とみえる綺麗画なのに満足しなかったのだ。三越展でも、まだ…かなと思った。
リヒターのように写真の限界と利点とを敢然悪用するほどに絵画に一革命をもたらしたのは賛成だけれど、写生の代わりに写真を利用するのは絵画の自滅だとわたしは考えている。
2015 11/6 168
* 連続TD「あさ」一週間分をおもしろく観た。明治に江戸の余喘をなめていた大阪の両替屋の若女将が明治政府の起業家とも手を結び、実家三井とも気息をあわ せて明治政府と政商との新時代を生み出して行く、活気と言えば活気、時勢の毒のあらわれとも謂えなくない巨大な流れへ合流して行くであろう物語はそれはそ れ、として、京の女の根に蓄えられていた時代革新への気力が窺えて興趣に富んでいる。
明治の宮中へ学問の師として迎えられた優秀な一少女から、一転、女権拡張の第一声をあげて気力の女性達を奮い立たせたのも、京女の岸田湘煙だった。
2015 11/7 168
☆ 小松伝統芸能祭での
半能「祇王」(地謡で参加)も終わり、26日(例会に藤のクセ仕舞)、28日小松能楽堂も控えていますが、その合間に思い立って22日京都へ紅葉狩に出 かけました。嵐山、亀山公園からの道を常寂光寺に抜けて、落柿舎を見ながら、まえから気になっていた二尊院へ。ついでに祇王寺。(なぜか清盛像が隠れるよ うに一緒に座っているのが面白い。)ここのお守り猫さんは残念ながら、20歳で就佛しましたとか……。
今年の紅葉はどこも今一でした。
宝輪寺の一本銀杏のみ、耀いていました。 小松市 啓
* 京の懐かしさに胴震いがした。ありありと目に見えてかえって、つらいほど。三浦景生さんを偲ぶ会などお誘いもあるのだけれど…。
2015 11/27 168
* 朝いちばんに、京都の「華」さんの鶴屋「柚餅・栗羊羹」を戴いた。大の好物、とても嬉しい。連続朝のドラマを一週間分連続で楽しみながら美味い茶で柚餅をご馳走になった。ありがとう。
☆ 秋も終りになって来ました、
今日から寒くなる様です。体調はいかがですか、目の調子が悪い事気になってます。
今年の秋は忙しく楽しみました、日吉ヶ丘高の同窓会から同期会、クラスメイトと水尾の柚子を見に、清水寺の落葉忌、キコクテイのお茶会、雲岫会の集い、と続きまして等々、久しぶりに鼻炎にかかり続いて風邪になってしまいました。
今年の紅葉は月半ばが暖かかって、まだ今一ですが、観光客は大勢で、東福寺、清水寺と。清水寺は、夜、観光ライトアップが始まってます。
街なかへ出たら、不足ばかりです。選集の様な秦流の美しい京都にはもう、程遠いです、そんな中でも観光に来られのですから、感謝ですね!
選集等々楽しんで、懐かしく思い出しています。
来月は南座の顔見世が楽しみです。
今日は、秋の味覚、甘い物はどうかと思いましたが、送りました、明日にでも着くかと思います。
くれぐれも、ご自愛の程を。 京・北日吉 華
* 紅葉にはみう少しの寒気が必要かも知れない、昨日、石川小松市の「啓」さんの京む紅葉狩りは今一だったと。今朝、テレビで嵯峨の常寂光寺の紅葉をみせて 褒め称えていたが、まだ、いまいちの乾いた紅葉だった。素晴らしいときはほんとうに燃えたよう。師走のあたまごろの清閑寺御陵を燃え立たせる大紅葉の風に 揺れる様はもの凄いほど。『冬祭り』の最期を想い出す。
2015 11/28 168
* 姫路夢前の陶藝家原田隆子さんからマツバガニ三杯を頂戴した。子供の頃、蟹や海老は噂にだけ聞くご馳走だった。まず、見たこともなかった。
もう何十年になるだろう、京都岡崎での女流陶芸展の審査員を頼まれた。その折りに知り合った備前の川井明子さん、京都の松井明子さん、東久留米の可部美智子さん、それに原田さん、みな大きい賞を受けられた優れた匠で、まこと久しい知友である。
2015 12/20 169
* 湖の本128のあとがきを今、電送した。いま、それを此処にひらくのは先走っているけれど、日付の意味も私なりに重いので述懐・私語の意味で転写しておく。
☆ 私語の刻 湖の本128
今巻の主な編輯意図や経緯については、巻頭に十分述べておいた。後段には気儘に或る一年の「京都散策」を添えた。四方八方から大もての「京都」のこと、なにを加え得てもいまいが、秦にこんな「京都」がと思って下されば有り難い。
このあとがきを、実を言うと平成二十七年(去年)の師走に書いている。明日二十一日には、傘壽、満八十歳の誕生日を迎える。
明けての春四月には、妻も傘壽を迎える。つつがなく互いに達者に暮らしたい。
傘かりて老いの余りを相合ひにゆきゆく年の瀬は冴えわたる
しんしんとさびしきときはなにをおもふおもひもえざるいのちなりけり
幸い「秦 恒平選集」も、この師走半ばに、第十巻、長編『親指のマリア=シドッチ神父と新井白石』を無事出版できたし、「秦 恒平・湖の本」も、此の今回本が第一二八巻、年明けて六月桜桃忌までには、第百三十巻まで用意の編輯も出来ていて、じつに「創刊・満三十年」を迎える。
同じ一人の著者の創作とエッセイとを、騒壇余人、著者自身の手一つで、順調に「三十年、百三十巻」もを、趣味や道楽でなく国内外の読者の方々、各界、各 大学高校研究施設等へ送り続けられた、かような「文学・出版活動」が近代以降の日本国内で達成された前例をわたしは知らない。体力と気力との続く限りは 「書き」つづけ、「出版」しつづける気でいる。
胃癌と診断されて胃の全部と胆嚢を手術で喪って、満四年がちかい。手術後にも、癌の転移がなお認められ、一年の抗癌剤服用に堪えた。その後さいわい癌の 再発は認められていないが、眼も歯もひどくなり、食はすすまず、聖路加病院だけで腫瘍内科、感染症内科、内分泌内科、眼科、泌尿器科、そして今度は循環器 科での検査のために新年早々に四度目の入院が待ち受けている。この四年、一度も京都へ帰れず、今年(昨年)二月の京都府文化功労賞の受賞式にも欠席した。 ほんの小旅行すら一度も出来なかった。いつも全身疲れていてしんどいのである。
しかし、文学・文藝の、がオーバーなら「書いて」「本にする」仕事は、むしろ壮年期にもまして渋滞も停頓もなく、信じられないほど多彩に多忙に元気いっ ぱいに次から次へ積み重ねて、送り出している。それで、わたしはいいのである、どんなに疲れてしんどかろうとも元気に満ちている。
次の「湖の本」も、また一癖有る珍しい小説の出版になるはずだし、創刊三十年を記念の作には、ごく恣まな長編の「珍」新作を提出できようかと頑張っています。ムチャクチャ叱られそうだけれど、ガマンして下さい。 秦 恒平
2015 12/20 169
* 京都の画家池田良則さんからこの年初の京都府文化賞のお祝いにと頂戴した池田遙邨画伯の作「稔り」を、新調の額縁に納め、新年を祝う繪として茶の間の 正面へ掛けた。晴れ晴れと、ありがたい。良則さんには、京都新聞朝刊連載、選集第十巻『シドッチ神父と新井白石」の挿絵を描いて貰った。遙邨画伯の孫にあ たる気鋭の画家である。以前に、佳い裸婦像を貰っていて、建日子が仕事場へ持ち帰っている。
建日子にも、もう、年相応の、落ち着いた美の体験の積み重ねが欲しい、創作世界ににじみ出るような。玩物喪志は困るけれど。わたし、繪はとても描けまい が、自身毛筆の書を楽しんでみたいなあと、八十の手習いに色気を覚えかけています。歌も句もへたながら自筆で味わってみたいのです、恰好の帖を谷崎松子夫 人に頂戴してもいる。白紙の、美しい選集姿のツカ見本ももったいなく積み上げてある。「小倉ざれ歌百首」など書いてみたいが、もっと「モノすごい」のもじ つは溜めてあるのです。
2015 12/30 169
* 十一時過ぎ、もう、やすもう。テレビでフィレンツエを叮嚀に案内して貰った。わたしが、もし一箇所と定めて誘われたら、フィレンツエへ行きたかった。
しかし、京の嵯峨渡月橋や天竜寺も見せられると、疼くように懐かしい。美しい。京都文化賞の来年二月早々の新たな授賞式に、ぜひにと府から招かれているのだが。むりかなあ。
2015 12/30 169