よく「書く」ためには、孤独と挫折感に耐えて堪えて書き抜かねば、初心者ほど所詮は浮ついた作文で終わりかねない。立派に小説を「書く」気なら、風船の空気を針の先で少しずつ空気抜きするよなな方法ほど、危険なことはない。場合によると、自己満足だけを増長させ、無意味に傲慢に陥らせ、その域から抜け出せなくなってしまうのです。心配です。
孤独に耐えて書く、一つの作をしっかりと先ずは密やかに孤室で書き抜く、べきで、半端な段階から人目にさらす不用意は、かえって焦りにも繋がり、うぬぼれだけにもなり、作品を推敲し推敲し推敲して仕上げて行く課程がすっ飛んでしまう。
「書こう」と、本当にもし思い立ったのなら、その時こそ軽率に慌てないで、むしろ手で、原稿用紙に彫り込むように孤独に書いて欲しいものです。文学には、文学の踏まねばならぬ「足場」も「順」もあるのを、朝日子にもう一度も二度も思い出して欲しい。
よろしければ、このメールを「転送」してやって下さい。健康で、何より柔軟に素直に、優しく生きていて欲しいと想います。
お心遣いに感謝します。 秦恒平 2005.1.2
2005 1・3 40
* 「本になる」「プロになる」などということは、本質的にメではない。それは努力と幸運との一つの結果に過ぎない。素人が書こうが玄人が書こうが、「いい作品」はいいのであるから。そんなこと朝日子はイヤほど知っている。そしてその上で朝日子は、成れるものなら「小説家」や「脚本家」や「エッセイスト」などに、誰よりも誰よりも、成ってみたい人であった。
だが、ただ「成りたい」「成りたい」だけでは作品も生まれず、幸運も未だ来ていないのは、当たり前。
もしいよいよ「書く」気がホンモノなら、朝日子は、ひとり、ひそかに、ワードでも一太郎でもいい、今から十年、努めて向き合った方がいい、と、わたしも、母親は、思っている。応援は惜しまない。
2005 1/3 40
* ていねいに云うつもりで、「おりました」「おります」「致しました」が用いられていると、わたしは勝手に直している。「居る」は膝を折って畏まる、侍 (さむ)ろう位の原意であるから、只の丁寧のつもりであまり多用しない方がいい。「致す」「致します」も、クセ意味の卑下になりやすく、丁寧のつもりで軽用しない方がいい。「が」という助詞と「の」とは、微妙に使い分けが利いたり必要だったりする格助詞である。「が」には敬意薄く、「の」は、やや敬う気味のあることを心得ていると便利。「私が致します」「あなたのなさることなら」
2005 1・13 40
* 「逢ひたい人がいつでも有る」とは、わたしの数十年の「ちから」であった。「はげみ」であった。いまでも、有る。「逢ひたい」と「逢ふ」とは、だが、次元を異にしたべつごとである。めったなことで「逢ふ」ということは有るもので無い。「逢ひたい」とは、つまり「逢はない」「逢へない」とほとんど同義語なのである。リクツを言えば、いくらすばらしい人でも物語中の人とは、逢ひたくても夢でしか逢へない。距離が遠くても逢へない。
「逢ふことの絶えてしなくばなかなかに人をも身をもうらみざらまし」とは、じつは「逢ひたい」という願いの裏返しの絶望感なのである。和歌は、不思議な表現をする。
「逢ふ」ことには危険もつきまとう。「安全に逢ひたい」と本気で考える人がいて不思議はない、たぶんダレもがそうだろう。だが、悲劇の女達はそれを敢えて冒して、身を捨てた。愚かかも知れぬ、が、不思議に人はどこかで(自分には出来ない)貴いこととも感じて、そういうヒロインの物語を幾つも書いた。「アンナ・カレーニナ」「ボヴァリー夫人」「チャタレー夫人」など。最近の日本ではこの手の傑作が出来ない、が、西鶴や近松の描く女には、強烈な、優しい女達が烈しく身を捨てて男と逢っていたし、万葉集にはことに優れた「逢ひ」の歌が多い。高市皇子の宮に在る時、ひそかに穂積皇子と逢ひ、事すでに現れて作ったと云われる、但馬皇女の、
人言(ひとこと)を繁み言痛(こちた)み己(おの)が世に未だ渡らぬ朝川渡る
など、あるいは嗤い侮りあざける者もいようが、この下二句の意気の澄んで響くことは、世に稀である。
悲劇を好んで演じてみようというのは、やはり愚であろう。その意味では、そういう愚なヒロインをほとんど書きのこしていない日本の近代現代は、ずいぶん「カシコク」なっていると云うべきか。(わざと、男のことは書かない。呵々)
2005 1・14 40
なにが「その時」「その事」になるかは分からない。「その時」「その事」に少しでも力強く悔いなく立ち向かえるためには、気持ちをあまり「先走らせ」ないほうがいいかも知れない。車窓から、じっと自然に心身を預けているように。自然からも勇気をもらってください。 湖
2005 1・29 40
* ウーン、羨ましい。大きな声で「おめでとう」と言い送ろう。この生彩あふれる理系文人の心豊かな「生・活」や「思・考」や「創・造」の具体性にわたしは感銘を何時も受けて賛同している。こんなに心通わしながら、この人ともわたしは一度も逢ったことがないなんて。不思議な気もするし、それで構わない気もする。九州にいる法学部生とも同じである。いや、十人に九人半以上現実に出あったことのないのが読者と作者というものか。この「私語」をなげかけている「闇」の世界はそういうもの。闇のままに光るのである。
2005 1・30 40
* 感動を得て美点に讃嘆するのは大切なことです。が、ものを「創る」人間には、全面降伏などということはなく、どんな仕事にも、それなりに批評を受ける点のあるのが普通です。全面讃美で卑下の度合いを強調しておくというのは、時には巧妙で狡い自己弁護になることもあります。
江里佐代子は、わたしが「美術京都」の対談へ引っ張り出して紹介し、その勢いで美術文化賞も受けたのが大きなブレークに結びつき、一気に噴出して人間国宝になりました。それだけの力があるからです。
あの人は、はるか以前に「畜生塚」という、(年代がまるでちがいますけれど、)まるでそっくり江里さんがモデルかのように「きりがね高校生」を小説にしておいた、その跡を精緻に踏んできた人なんです。
あなた、あんまり簡単に感嘆ばかりしていないで、批評すべきはしないといけません。褒めあげておいて、その陰に小さく隠れてはよろしくない。創作者というのは、世界的な天才の作品にすら、自分ならばという批評をもっていいんじゃないでしょうか。厳しくシビアに見て批評し、それをまた自分の仕事の批評眼に養いたい。
そうそう、あなたには「図案」専攻というもともとの根があるから、江里さんの工藝に感じることも強かったのでしょう。それは、それです。 湖
2005 2・2 41
* ファシネーションとは何だろう、と、いつも考えているが、譬えば、花が即ち、ファシネーションではない。花だけでファシネーションはうまれない。花の、香や、匂いこそが、ファシネーションになる。花の色やかたちではない。
「身内」とおなじだ。それだ。りくつや言葉でどう穿鑿しても、ファシネーションも身内もわかるわけがない。匂い合うように、わかる。
2005 2・20 41
* わたしは「自殺」というカードを最期まで大事に手にしていたいと思っている。自由というか、権利というか。よほどの全身全霊をあずけるにたるトータルな何かが、さあ、そんな自殺のカードは手放してわたしに預けなさいと言ってくれば、喜んで手放すだろう、が、かたくなにそれが悪とか善とかましてや道徳的な理由で「是非」する気はすこしもない。ほんとうにそうしたければ、少しも躊躇なく、そうするだろう。だれかにゆるされる事ともゆるされない事とも思っていない。
* 「今のところ、わたくしは、人生はどんな苦くまずい味のものでも、最後までとにかく飲み干さなければならないと信じています。最後の最後まで生ききることが人生や命を真実愛することだと思います。」とまで、わたしは堅くは考えていない。もういい、もう十分と言い切るのはエゴの声であろうけれど、もういいよという内奥の声が聞こえることもあろうではないか。自殺は、「みこころのままに」という受容を拒否する姿勢でもありましょうとは、正しい認識のように思うものの、その「みこころ」が「もういいよ」と決して言わぬでもあるまいとわたしは予感している。わたしが本当にこころから待っているのは「もういいよ」のゆるしではなかろうか。
2005 2・26 41
* 藝大の入学式は済みましたか、これからですか。どんな感じか、父兄の顔をして覗いてみたいぐらいです、どんな気分でいますか。
いい機会だから、日記を、負担にならない程度の自由なメモでいいから書き留めておかれるといい。ずいぶん役に立つものです。手帖でも、大学ノートでも。書くことがなければ日付だけでもいい。ひと言二言、単語や場所や人の名だけでもいいのです。心をおちつかせ、不思議に効く薬の役をします。
ゴッホ展、ラ・トゥール展 みました。工芸館で日本の工芸のいろいろも。
勉強はどこの校舎で始まるのですか。繪には、まなべること、まなぶしかないことも有り、自分で見つけるしかないことの方が多いし深いと思いますが、そのどちらも楽しんで踏み込んでやってくださいよ。腰が引けていると尻餅をついてしまう。わたしのぶんも勉強して下さい。そして、感じた事など聴かせて下さい。
おめでとう。すばらしい春ですように。 湖
2005 4・9 43
* なんでもかでも、からだをハスにしてやり過ごす姿勢で観たり聴いたりしていても、なにも深くは得られない。真っ向顔をむけて、わたしは心から楽しむ、映画でも読書でも音楽でも藝能でも。人にもそうありたい、誰にも彼にもとはムリだけれど。
2005 5・21 44
* なんで「清経入水」を書いたのだろうと、書くにいたる必然は十分自覚していながら、ときおり、楽しむように穿鑿していることがある。
あんなものは書かなければ良かったという作品を、わたしは、幸せにもほとんど持っていない。しかも小説を書く、書き続けるとは、怠惰なマンネリズムに陥らなくてそうなら、一種「狂」を発しているのである。尋常な神経で狂言綺語を書き続けられるわけがなく、恩寵のもたらす狂気としかいいようがない。そういう狂気の作品ならどこか輝いているが、凡庸に普通の、たとえば功名心やただの好奇心でだけで書かれる創作に、力は漲らない。物狂い、ぜひ必要になる。
2005 5・23 44
* 一本足の「T」型は、案山子のようで動けないし、倒れやすい。二本足の「Π(パイ)」型は、ともあれ二足歩行が出来る。例えば創作と家庭または趣味とのように。三本足になると安定するが動きの制限されるところが、よしあしである。わたしが思うのは、創作に志のある人の場合、落ち着いた家庭生活は当然の前提として、創作と両翼をなす「もう一つ」の地力。趣味でも良い、つよい「こだわり」でも好い、隠し技でも隠し藝でもいい、ある種の行動力でも好い、現れたときに人のおやおやと意表をつく蓄積された力が有ると、必ず創作を下支えて連動すると思う。
花の「関心事」がどう蓄えられて行くか、楽しみ。
2005 6・3 45
過去は記憶に過ぎない、未来は夢にすぎない。いずれも幻影といえば幻影なのであり、「今・此処」の積み上げだけがある。そうはいえ、七十の爺と二十歳過ぎた青年とが同じ人生観でいいとは思わない。夢と幻影とを承知して挑んで行く希望も、四十五歳までは大切だ。悪しきハムレットにならず、良きドンキホーテである意欲と誠実とが、当面、このガッツのある若い若い友人を、より大きく確かにしてゆくだろう。
2005 6・19 45
* 新人の文学賞というのは、よかれあしかれ、今日的な文学風土の一つのサンプル。結果を絶対視する必要は少しもない、ただ、運転する(創作する)ための道路標識程度には眼に残ることだろう。要するに、超えて行かねばならない無数の相手の、やや有力なサンプル。
文学賞という戦場が、文学する唯一の戦場ではない、あれは一つの出版界の「興行」のようなもの。意表に出た状況(極限状況)設定と、そのリアリティーを守り抜く独自の「花ある文体」、が武器になる。
文学賞を競うということ自体、やや特異特殊なので、そういう舞台を一度も踏まずにデビューする書き手もいる。甥も息子もその方。どう出て行くにも、つまるところ才能は当たり前として、運と根気。ひるまず、わるく身構えず、誠意と愛を創作に根気よく集注した人が運をつかむのだろう。
自然で新鮮。それは何に於いても大切、大切。一期一作。そう思う。
2005 6・24 45
* 医学書院の編集者・課長時代のわたしの忙しさなんて、誰も信じてくれないだろうが、月刊雑誌五冊の刊行責任者で、ほかに単行本の発刊企画と取材を、多いときは百二三十点はいつも抱えていたといえば、出版社勤めの人なら、信じられなくても分かるだろう。いい医学書を出すのはそれなりの価値があるから、わたしはあれらの仕事に満足して、イヤだったどころか、そういう企画の仕事もみな自分から創りだしていたのだった。創らねばヒマでおれた。しかし、わたしは、別段ヒマが好きではない。ヒマなら小説が書けるのにとは思わなかった、この忙しいママの、更にその上で、小説や評論が書きたかった、事実そのようにして「畜生塚」も「慈子」も「秘色」も「蝶の皿」も「みごもりの湖」も「墨牡丹」も書いた。「女文化の終焉」も「花と風」も書いた。
社会的・政治的な事象の一切をこそげ落とした無垢の小説世界と、桶谷秀昭さんらは批評して下さった。そうとも言えるが、会社の仕事では、「新生児学研究」「免疫学叢書」「出生前小児医学」「医原性疾患」「膠原病」「リウマチ」「母性保健」「農村保健」等々、また「胃と腸」「呼吸と循環」「公衆衛生」等々、真っ向現代医学や厚生行政に触れていた。だが、価値は価値として、その忙しさからはわたしの魂の問題はイヤされない。
その頃から、ものごとには、魂の問題に触れてくるモノと来ないモノとがあると思っていた。いかに忙しくまたそれが有価値的であっても、自分の魂、ひいては死生に触れてこない問題は、二の次に置いていた。
たとえば「茶の湯の世界」には、遊びのようでも、床の間の花をはじめ、美しいモノが溢れている。背後には、自然もあり信仰や藝能や藝術や文化があり、源氏物語も古今集も能や俳諧とも具体的に手を結んでいた。遊びどころか、それは魂に溶けいるだけの不思議と美とを包み込み、その世界に胚胎した言葉をとおして文学・文藝・批評もわたしをとり包んできた。その遠景には世界の文学・世界の文化も望めた。そこに、人間の端正なたたずまいがあり得た。
会社でも、就職した大学でも、文藝家協会やペンクラブの委員会でも理事会でも、わたしにすれば、魂に触れてこない部分の大きい世間なのは、みな同じことである。むろんその世間で行われる多くが大事なことは、よく分かっているので、もとめられれば一心に努めるけれど、根底の所では自分の死生とは浮ついて離れた、ややこしい世間であることに変わりはない。「ペン電子文藝館」のように文学を通して魂に嬉しさの湧く仕事はありがたいけれども、正直の所「電子メディア委員会」などは、現代人の自覚が見つける価値でこそあれ、わたし自身の死生に大きな意味は所詮持てない。価値がないのではない、その価値ではわたしの内なる不安が「安心」に転じることはなく、その満足ではわたしの「命」に火はつかない。理性や知性の認めているだけの現在なのである。わたしの「今・此処」は、わたしの魂と一緒であらねば意味がない。
2005 7・10 46
* 「批評」の大切なところは、自分より大きい高い強いところにいる対象へぶつかることかと思う。
この前中国へ行ったときに、『作家の批評』という著書を持参した。あるところである中国の要人が、わたしにこう話してくれた。
中国の「批評」とは、たとえば、江澤民主席が、故国を「逃亡」した音楽家ヨー・ヨー・マのような、目下の小さい存在を、叱って指導することを謂うのですよ、と。
中国は中国でお好きになさいませ。
わたしは、わたしが漱石や谷崎や鏡花を批評してこそ、批評精神も生きると思っている。目標にする対象をあまり小さく低く下げない方が、し甲斐がある。意義も生まれる。批評は大きな学習になる。
伊藤整の「近代日本人の発想の諸形式」は大論文で、明晰の大批評家の代表作である。長編だけれど、うまくスキャンして、しっかり進めたい。読んで行くだけでも楽しい、教えられる文章だ、大勢に読んで欲しい。
2005 7・10 46
* おとなしい題ですね。ぶっとびそうな面白い別の題を考えついたら報せて下さい。題はたいへんな重みを持ちます。題を巧く付けるのも創作のうちです。「夏みかん」で百枚の興味を繋ぐのは容易でない。ドッカーンと題を工夫してください、中身はまだ読んでいませんが。くどいようですが「題」は作品の最初の勝負どころです。説明してはいけないが大きくはでに暗示することは題の醍醐味です。
あすから、読みます。 湖
2005 7・25 46
根ッから、独りでトントントントンと仕事を運んで行き、それに時に角度を与えて新しい視野を拓いて行く、そういう、本質的に世間なみでないタチのわるい性質で、わたしと一緒に仕事をする人は、たいていそれでやはり疲れてメイワクされるのです。
仕事など少しずつゆっくりやればいいなど云う人が、どんな世間にもいるものですが、そういう人ほど、「少しずつ」とやらの仕事も結局しないで「ゆっくり」社交本位に遊んでしまう。そういうことが「錆」になり、遊惰に腐蝕し、そしてモラルは落ちつづけ、コトがこわれて行く。それが「モノゴトの歴史」なんでしょうね。せめてもう一二年そういうことにしたくないなと願っています。
2005 7・26 46
* 月様
長兄が八月五日に亡くなりました。七十五歳でした。
八年前、私の長男の結婚式に兄弟姉妹八人が揃って逢えたのが嬉しかったのか、そのとき撮った記念写真の顔はとてもにこやかでした。
今はまだ他人事のようで…腑に落ちてません。 花籠 四国
* はな籠の花に水うつ女かな 月
一閃のいのちか光(かげ)か夏逝くか 湖
お力落としと想いますが、静かにまた立ち上がって下さい。 遠
2005 8・18 47
* 十一時過ぎ。なにももう、おそくまで起きている意味もない。やすもう。あの舞台の人達に、何かが終えたようにして、物事は、終えて行くのだろう。澄んだ水に落としたものが、ひらひらと沈んで行く。手を伸べても届かないのにそれが見えている。ものの終える、死ぬる、とはそういうものと、わたしはどれかの小説に書いたことがある。だいじなものは、だから、粗忽に落としてはいけないのだ。
2005 9・29 48
* 大いにそだち ゆたかに悟り ちちははのめぐみ うれしく受けよ おめでとう。一年。おめでとう。
父になり母になることのいかに幸せで大切であるかを、一般に、忘れかけているようです。親たちの愛を全身に戴いた子たちで、この世が成れば、どんなにかいいのに、と想います。
2005 11・7 50