ぜんぶ秦恒平文学の話

名言集 2006年

 

* 外は寒いけれど二月ですから寒いのが自然と・・。
明日午後2時のフライト、ローマ経由で夜遅くピサ着なので、宿を予約していました。4年ぶりのイタリアです。3月7日戻ります。
今現在を、一会、一会、大事に、もっと率直に素直に自然にと思う。行ってきます。お元気で。 鳶

* 鳶  旅の最大目的は、無事に飛んで帰ること。 カアカアカア
2006 2・17 53

* 称讃は、百人分で一人分。(激励も含んだ)批判ないし非難は、一人で百人分と受け取るべきである。わたしが出版すれば百人の称讃はすぐにも届いてくる。批判や非難はめったなことで来るモノでない。しかし、上のように思っている。苛酷なこの事実に堪えられなくては、創作者にはなれない。
称讃だけはホイホイ受け容れ、厳しい批評からは背を向けてしまう例は、娘朝日子の実例もふくめ、その方が圧倒的に多い。脆弱な神経では当然だろう。
だが、そんなふうに都合よく身につけてしまう安直な自負心は、猛毒である。この毒はたいした美味なので、簡単に嚥下・賞味されてしまう。毒のまわりは早く激しく、折角の才能を速やかに蝕んでしまう。
子供は褒めて育てても良い。しかし大人は、たとえ善意で褒められていても、当人の愚かさにより我から褒め殺しにあう。すこしも早く気が付いたほうがいい。謙虚も、大きな大きな才能なのである。
2006 3・22 54

* 一人一人が自身の微力を疑って抛棄すること、これが、いちばんおそろしい道をえらぶことに繋がると、人間の歴史は教えているように思います。メールを嬉しく拝見しました。どうぞ、日々お元気にお大切にといつも願い居ります。
ぶしつけな原稿を書きましたが、お叱り無く、ほっとしています。
『人間の運命』は、自身の蔵書で読むということが出来ませんでした。あの原稿を書き、新しい気持で心してまた読んでみたいと思っておりました。
わたくしは、毎日、なるべく長大な作を何種類も読みつぐようにしています。それを読んでいる内は生きつづけたいと願いまして。何十巻の日本史や世界史や、旧約・新約聖書や、千夜一夜物語や、日本書紀や。戦争と平和も、源氏物語も、フアウストも、南総里見八犬伝も、モンテクリスト伯なども、その様にして読み上げてきました。『人間の運命』も、いつも念頭に願っておりました。
ひどい雨と聞いていましたのに、今朝はうって変わった五月晴れ、なんとなくほっとしています。
いつもいつも、有り難うございます。
こころより御礼申し上げご平安を祈ります。  秦 恒平
2006 5・20 56

文学とは、人を動かす言葉の秘儀ではないか。それは、「動かされる」という藝術体験や受容能力にも依拠しているのである。
2006 5・31 56

● 「美しい国創り内閣」の発足 (安倍内閣メルマガ創刊準備号より)
こんにちは、安倍晋三です。
私は、毎日額に汗して働き、家族を愛し、未来を信じ、地域をよくしたいと願っているすべての国民のための政治をしっかりと行っていきたい。そのために「美しい国創り内閣」を組織いたしました。

* はなはだアバウトで論理を欠いた提唱であるが、「国民のための」の一語を記憶しておく。関連してわたしの持論を書いておく。
日本の法律のすべてに、「国民による国民のための」という角書きを付けて欲しい。立法の時も改正の時も例外なく。それにふさわしい「法」を起こし、運用して欲しい。まちがっても「政権・公権力の政権・公権力による政権・公権力のための法律」は、断じて御免蒙る。
ところがこの五年十年のうちに建てられた、名前だけはもっともそうに美しい法律には、法の下に国民・私民をねじふせ、法の下に公権力の野放図な安定をはかるそういう悪法が平然と強行成立されてきた。
安倍内閣が真に「国民のために」何をするか、目を離すまい。

● かつて、日本を訪れたアインシュタインは、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心、それらのすべてを純粋に保って、忘れずにいてほしい」という言葉を残しました。

* アインシュタインの「ご挨拶」を無にする気はないが、久しい歴史のいまだかってどの時代においても、こんなアバウトな日本人観で日本人が理解できた時代は存在しない。せめてわたしの『日本を読む』を読んで考え直して欲しい。
政治家がこういう一概でうわっつらの美辞麗句を利用するとき、秘めた悪意にこそ警戒しなければならなかった。
安倍氏の言には、相対化する智恵が働いていない。もしそれを一方の「美徳」と観ずるなら、他方に日本人の抱え持ってきた「悪徳」「欠点」の認識も働かねばウソになる。人間は一人なら美徳の持ち主らしいのに、人数が増えれば増えるほど悪徳の平然たる発揮者に変容して行くものだ、付和雷同そしてご無理ご尤もの「日本人」であったし、今正にその頂点へ来ている日本だとも認識できていないのでは、優れた宰相とは謂えまい。
そもそもなぜ引き合いにアインシュタインか。他国を訪れた人たちの「ご挨拶」は、俳諧のへたな挨拶句よりもっと空疎な美辞麗句に流れて無難なことは、当然の儀礼とされている。むしろ日本の宰相として謙虚に聴くなら、上杉鷹山などの厳しい国政観などを、新井白石などの現実と理想とを兼ねた政治姿勢などを引用してこそ、困難の前に「身を引き締め」られたろう。

● 日本は、世界に誇りうる美しい自然に恵まれた長い歴史、文化、伝統を持つ国です。アインシュタインが賞賛した日本人の美徳を保ちながら魅力あふれる活力に満ちた国にすることは十分可能です。日本人にはその力がある、私はそう信じています。
今日よりも明日がよくなる、豊かになっていく、そういう国を目指していきたい。

* 私もむろんそう信じたい。望みたい。総理は、歴史観においてつまり「上昇史観」の持ち主であるのか、ただ期待がそうなのかは、俄に推測できないけれど、日本人の歴史観は、早くも安土桃山時代までは顕著に永続して「下降史観」ばかりであった。誰も天皇以上にはなれずに、官位にも極官が重い不文律になっていた。土地という所領をどう多く望んでも、日本列島には限りがあり望みはガンとして物理的に阻まれていた。そして末法末世の観念がいつも人を現世的に弱気にした。ますます「魅力あふれる活力に満ちた国にすることは十分可能」などと信じられた日本人は、権力者にすらいなかった。政治・経済・思想において頭打ちは目に見えていたからだ。
安土桃山時代になり、キリスト教が入ってきた。天皇以上の「神」の存在に人は仰天しながら、頭の上のひろがる思いをした。信長も秀吉も家康もみな内心の癪の種を落としていた。そして世界の広さが目に見えてきたとき、秀吉のように、足らない土地・領土は、他国切り取りで拡げればよろしいという姿勢に出た。日本国は天皇に任せておくが、世界へ出て世界の王になるのは勝手だというぐらいに秀吉が考えたのは、日本人がはじめて具体的に「上昇史観」を手にした事実上の最初だった。だが、それも鎖国でしぼんでしまい、徳川幕府の搾り取り政治・管理政治で、まただれも「希望」など見失った。人の歴史は下降していった。
安倍総理の、上の、ノー天気なほど楽観的な姿勢には、じつは、歴史観の思いつきに等しいほどの貧弱、というより欠如が心配される。信じるのも目指すのも口先では簡単だが、「日本人にはその力がある」と言うとき、日本人をほんとうにノヒノビと内発的に、力強く、日々幸せに政治が生活させているか、まっさきにその反省がなければなるまいに。今の日本は、ひと頃よりも半世紀分ほど反動的にあと戻りしている。変わったのは機械的な便利さだけで、便利という実体には、少なくも五分の利に対し五分の猛毒が籠もっていると想わねばならない。大学は品位と自負をうしない、思想も哲学も払底し、宗教は衰弱。そして教育は政治の玩具にされている。 0

● 世界の国々から信頼され、そして尊敬され、みんなが日本に生まれたことを誇りに思える「美しい国、日本」をつくっていきたいと思います。

* 戦争時代の教科書にも新聞にも先生のお言葉にも少国民達の綴り方にも、こんな言葉ばかりが氾濫していた。
北朝鮮の放送が、いまもいつもこんな調子で声高に喋っている。安倍さんのこれは、「北朝鮮みやげの日本語」なのかと失笑する。
アメリカ仕込みの憲法だとおっしゃるが、憲法には人間の理想と祈願も籠められているし、憲法が憲法であるあいだは、総理はそのもとで総理なのだと忘れないでいて欲しい。
わたしに言わせれば、戦後、アメリカに仕立てられ、アメリカふうに徹底して動いてきたのの第一番が「自民党」ではないか、と。
同じリクツをつけるなら、自民党改正ないし廃棄の方が、「先」であって当然だろう。

* >>国公立というものは、法律関係において特別権力関係にあります。(簡単に言うと法律の手続きなく、ある程度の人権を制限することができる関係のことです。父は国立大学の憲法学者ですが、この意見には否定的……
私(秦)も否定的です。
昔の、高等学校や帝大に根付いていた大学自治や学問思想の自由という理想は、日本では崩され続けて今日に至っていますが、どの段階で見ても、公権力の抑圧や抑止政策が本質的に良く働いた事例は皆無で、時代の悪しき傾斜に追い打ちを掛けた嫌いがあります。
国公立に属するがゆえに多少の人権が制限されたり抑圧されたりしても当然という考え方は、けじめや歯止めがきかなくて、これまた「無惨な歩み」をみせてきました。公務員個々人の良識と道義心と忠誠心が求められること自体は理解できますが、公職にあるから憲法の認める基本的人権までが阻害されては逆立ちであろうと思います。
>>憲法と言うものは市民の人権を守ると言う意味よりも公権力の力を制限する目的のものです。
運用という意味ではそうかもしれませんが、理想において、やはり国民の権利と安全を確保するための憲法であると私は思っています。
したがって現実に公権力のシンボルのような総理大臣や都知事が、憲法に制限されるどころか、憲法を、呼応して足蹴にしていることで、憲法軽視の風潮を助長しているなど、犯罪そのもののように私は感じていますが、どうでしょう。
少なくも国公立・公職・公務員というものが、度を超して公権力に隷従させられる傾向の強まって行くのは、おそろしい気がしませんか。
2006 10・5 61

* 一両日前、親族内のトラヴルに悩んだある女性が、テレビ番組の中で四人のゲストコメンテーターや司会者に親類の誰それを非難して泣訴していた。話の中味をわたしは聞いていなかったけれど、親類の誰かがむちゃくちゃに自分の悪口を言いふらすらしいとは、すぐ分かった。ゲストの主なるひとりの或る作家が、しかし、テレビ番組であなたがこういうふうにその親類を非難して悪く言えば、それはもうお互い様ではないか、と。
こういう論法をわたしも何十度となく聞かされたが、バカげていると思う。理に合わないバカげたことを一方的に言いつのるバカに向かい、どんなに正当に反駁し反攻し反論しても、それは相手の域に身を落として「どっちもどっち」になるだけだから、やめた方が賢いと。
わたしは、こういう賢こそうなものの考え方が嫌いだ。大嫌いだ。むろん無視してもいい。しかし完全と立ち向かってもむろんいいのであり、どちらも自由で、時宜と状況に適しているならどちらの道を選んでも良いのである。「どっちもどっち」だから恰好の悪いことは止しておこうというのは、むしろ姑息で卑怯な逃げ腰に終わりやすい。それでいて、ものかげではブツクサ愚痴がつづくなど、これぞ愚の骨頂である。
人間の自由はふくざつで微妙な価値であり、時代により時に悪徳でもありえたが、悪しき沈黙はつねに姑息である。怒らねばならぬと信じるなら、怒って良い。憎むべきは憎めばこそ、愛や慈悲の意義にも近づける。ただし、怒りにも責任があり、憎むのにも責任がある。責任を果たす覚悟が有ればそこに怒る自由も憎む自由も生きてくる。自由という基本的な人権の基本には、喜怒哀楽の美しい開放がなくてはならない。その抑圧をよしとする考え方にはいつも力ずくの危険がしのびよる。無価値な断念や妥協が人の魂を蝕み始めるほど素早いことはない。
2006 10・6 61

* 夕日子一歳半、社宅ベランダでのこの写真こそ、われわれ夫婦両親と娘夕日子の「今生」を象徴するはずの一枚であった。
喜びに溢れて撮影したのが父親の私であること、言うまでもない。
愛とは高貴な、だがしばしば苦々しい錯覚であるのが本来と、だが、わたしは根源の認識で少年の昔から自覚してきた。いまこの両親はこの娘の汚辱の暴言により、裁判所で公然はずかしめられている。その一々に私たちは応えねばならない。
2006 10・19 61

* 風のメールを、大切に、懐かしい想いで読みました。
風、がんばって。
客観・俯瞰してみれば、人間世界は愚かなものでしょうね。
でも、まだ、自分の創造するヒーロー・ヒロインは、聡明であってほしいなあと思ってしまいます。 花

* 聖人君子を書きたい、読みたいなんて思わない。感心するかも知れないが面白くはない。花は「聡明」という言葉を書いてきた。わたしは如才ないと同義の、また偏差値や知能指数の高い意味らしい「賢い」ことには、敬意を感じない、賢人という言葉も実質も、気持ち悪い。しかし聡明な人にたいする敬慕はふかい。残念ながら深い敬慕の思いは、だが、めったなことで満たされない。七十余年の人生で、何人に逢えたか。
娘にも息子にも、言いつづけた、賢くなくていい、聡明に生きてくれと。
2006 10・20 61

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