* いま「mixi」の、「湖」のホームを開くと、さっと栖鳳の名画が目に飛び込む。わずか三センチ四方のちっちゃい写真だが、なんというすばらしさか。それだけで、幸せになる。幸せとはこういうことでもある。日本をわたくしが切に愛するとき、わたくしをそうさせながら支えてくれるのは、無数にある日本の美と創作のみごとさ。政治でも金でも権力でもない。
竹内栖鳳にこの「斑猫」の繪があり、村上華岳に「牡丹」の繪があり、『源氏物語』や『徒然草』や和泉式部や西行の歌があり、芭蕉や蕪村の句がある以上、光悦や宗達や仁清があり、法隆寺や薬師寺や東寺や金閣や鳳凰堂や待庵があり、藤村や漱石や潤一郎の小説がある以上、また能や歌舞伎があるかぎり、少なくも日本は心から敬愛するに足る。そこから元気を得て、われわれは麻生太郎のような権力の亡者を倒さねばならぬ。巷に喘ぐわれわれの仲間たちに一刻も早く手をさしのべうる政治の体制へ踏み込まねばならぬ。
2009 1・6 88
そして法華経賛嘆の『今昔物語』に引きずり込まれている。そんなに有り難いのかぁと、どうしても古典全集を読んでいると、引き続き岩波文庫の『法華経』も読まずにおれない気分になる。信仰とはふしぎな電気だ。磁力だ。
2009 2・10 89
* 歳月というのは、タダものではない。一種の文身(いれずみ)である。
2009 3・11 90
来迎院の意味、慈子の意味。それは人生の意味を問うにひとしい問いなのである、わたしには。
他のことなど、なにほどでもありえない。 2000 8・25
2009 3・11 90
* そんなのに較べると三島由紀夫は青年の思いに知的にも情感でも応じてくれて真実新鮮だった。だれかと一緒に一巻ではなかったか、『愛の渇き』と『禁色』ではなかったか、そうとすると、どっちも胸を震わせた。谷崎、川端、三島という線をほぼ不動に胸に書き込んだと思う。
* 以来、三島は機会あればみな受け容れて愛読したが、だんだん文学世界が乾燥して干上がって行くようで、味気なく、敬遠ないし倦厭していった。末期の四部作も、わるくいえば、ツクリモノに思われた。大輪であってもこの人は「造花に化っちゃった」と思い、遠のいた。
そして何十年、こんど気まぐれに文庫本の『禁色』を買ってみた。
読み始めると、なによりも文章の若い才気が五月蠅く思われる。むかしはこれにイカレていたなあと苦笑しつつ、才気という才にまかせた陳述は、たしかにたいした才能であるが、文学青年の胸をはった気取りになりがちで、わたしは、こういうふうには書きたくないなあと、もっと静かに世界や人事を暮らしの空気そのものと一緒に表現したいなあと思っていたに違いない。『慈子』の書き出しのように作品の位を無用に昂ぶらせまいと願った。才気で演説されるとそこから古びてゆく危険が、読み直していて見えてくる。
劇的な展開や刺激の強烈さには三島ならではの魅力が横溢するのは間違いない。感心する。その感心は、精緻につくりあげた造花のみごとさに「藝」として感心しているという気味がある。
そういうことになると、わたしはやはり川端康成の、モノを真相から汲み取りとらえる「眼」というレンズにより深く魅される。作者が若い昔の『伊豆の踊子』などにも浮かれたり肩肘張ったりしない落ち着きがある。けったいな文学青年の衒気は無い。
むしろ川端は老境に入って、盛んな衒気とみまがう趣向の世界を、ときに朦朧と、ときに清澄に創作して、わたしを嬉しく煙に巻いてくれた。老境にこそこういう衒気が似合うんだなあと、わたしは川端康成の老いのダダっ子ぶりをおもしろく受け容れた。
谷崎の『夢の浮橋』も『鍵』も『瘋癲老人日記』もそうだった。それらは決して、三島のような造花ではなかった、変わり咲きにしても、したたかに生きた花であった。
老境の花は、あらあらしくむしろ大胆不敵に咲いていいのだ。
* 横光利一の世界は、「実験」という意向にまぶされている。若い頃の三島につながる旺盛な意欲、ただし「やっているなあ」という嘆声をさそう。
好きな画家でいうと土田麦僊。最期まで旺盛で意欲に富んだ実験家だった。実験の成果も素晴らしかった。
しかし村上華岳ではなかった。
2009 3・27 90
* 他界または来世を、地獄・極楽と幼い胸に最初に描きこまれたのは残酷だった。脱却に歳月を多く要した。いまも『今昔物語』はもっぱら「往生記」を報告し続けていて、どれほど死後安楽のために現世を厭い捨てていたかの実例が延々と続いている。
厭離穢土は浄土教の強烈な下絵のようであり、生まれてきたことを歎きながら生きることになる。仏陀のほんとうの教えはそのように消極的であったろうかと悲しんだ。
現世は夢であると覚悟するのは、確立の前に必要な徹底だと思う。その上でその夢の世にどう在るかと思うとき、厭離穢土ではなくていいようにわたしには思われる。夢にいて夢から覚めることだと思う。夢のなかから夢のあとへ断絶があるのでなく、意識は繋がって自覚が生きるのではないか。
2009 3・28 90
* 繪で、よく言った。
繪になってない繪
繪につくった繪
繪になった繪
なった繪に瞬間風速の吹いている繪
瞬間風速という言葉でわたしは感動を、魂の戦ぎを謂うのである。
文学でも同じ。容易に瞬間風速は飛ばせないのである。
事実問題、それは飛ばす・飛ばせるものでなく、つまり飛ぶのである。神の息吹をもらうのである。いくらおもしろ可笑しくても、エンターテイメントにそんなものは無い。
2009 4・14 91
* 久しい読者の浅井敏郎さんの『菊を作る人 私の文章修行』を読んだ。若い頃味の素に入られ、新日本コンマースの社長を経てJTインターナショナルの常務、常勤監査役を経て一九九七年に退社、わたしより一回りお年上で、矍鑠とされており、時折、武蔵境駅近くのすてきなフレンチをご馳走になった。お嬢さんは国際的に経歴豊かなピアニスト浅井奈穂子さん。リサイタルにも何度もお招き戴いている。
* 拝復
御労著『菊を作る人 私の文章修行』 頂戴以来 日かずを経ましたが、少しずつ拝読の日を重ねて、読み終えました。静かに頷いて、感銘を噛みしめています。
よくなさいましたね、奥様へのいわば mourningwork=悲哀の仕事として、久しく行を倶にされてきた人生の回顧を、幽明境を異にしながら心ゆくまで共有なさったものとも感じ入り、寂しさのなかに、ご心境の清明また平静を読み取らせて頂きました。有難う存じます。ことに奥様の句集を共に成されましたこと、有り難く、懐かしく拝読・再読いたしました。
文章への御思い入れの深くまた久しいことにも敬意を覚えます。熟達かつ簡古の筆致に失礼ながら新鮮な驚きを加えました。有難う存じます。
わたくしは、時折、半ば冗談でない本気で、「のようというのだ」をぜひ文中多用しないこと、また改行段落のアタマに無用の接続(つなぎ)の言葉をおかず、端的に新段落の文章をはじめること、一人称をむやみに多用しないこと、句読点を適切的確にうつこと、推敲をけっして怠らないこと、など心がけております。それでもなかなか文章上手にはならず、なさけないことです。
但し文章に拘泥する以上に 自身の体臭ないし指紋のような独特の「文体」の発見と精練を望んでいます。文章に拘泥し、型どおりの推敲に拘泥し過ぎますと、没個性の乾いた作文に陥る危険を覚えます。そんなことを、いつも感じつつ自身の文章文体創作に勤しんでおります。
おかげさまで、桜桃忌の頃にも「湖の本」通算「第九九・百巻」を相次いでお届けできる段取りでおります。
題して『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻となります。一つの中仕切りとして、漸く此処へたどり着くかと、日頃のお力添えに、心より感謝申し上げます。
ますますご健勝に、清やかにご長命あられますよう祈ります。
お嬢様もお変わりなく御活躍と存じます。お揃いにて、お大切に、お大切に。 秦 恒平
平成二十一年五月十八日
私、自転車でよくご近所までも駆け回っています。多摩川から稲城市までも、荒川からさいたま市までも、所沢の向こうまでも、運動代わりに。以前はただの自転車でしたが、今は電動自転車を買って貰い、坂もらくらく。長いときは四時間も駆け回っています。
2009 5・18 92
* 自分のことは自分が「書いて」始末を付けるということ。
短歌も小説もエッセイ・評論も、全ての日録も、メールも手紙も、わたしの「書いた」全部がわたしの「遺書」であるということ。
文字に書かれていない噂に属するようなことに、死後、わたしは一切責任をもたない。裁きたい人は「書いた」ものの「真実」により裁くがいい。
2009 5・28 92
* 文学や藝術の根底には、よく謂う愛や哀しみより、もっと濃密に「私怨」が秘められているとしても当然だろうと、わたしは容認している。いうまでもない『オデュッセイ』や『古事記』より以降、「怨み」は創造のつよい根の力だった。オデュッセイの名じたいが「怨み」の意義を体していると謂われている。『嵐が丘』も『モンテクリスト伯』もしかり、『源氏物語』ですらしかり、洋の東西の名作力作の多くがあらわに底に「私怨」をエネルギーにしている。但し、生きる力になるほどの「私怨」には、他者を納得させるだけの根拠がある。理由がある。
2009 6・10 93
批評は、作品論は、その作品がそれにより、さらにさらに豊かに面白くなるようなものでありたい。
2009 6・17 93
* 吉行淳之介に関係しては、わたしに、他に、二つの具体的な思い出がある。それを今ここで書くか、すこし迷う。迷うようなことは先延ばしにしたほうがいい、粗忽な筆に走らないように。
2009 6・21 93
* 「名品」という言葉が小説にも使えるなら、今日「e-文藝館=湖(umi)」が推奨するのは、掛け値無しの「名品」である。
ついでだから持説を言うておくが、おおかた創作されたモノは即ち「作」であるが、「作品」の有無はおのずから別の「評価」である。「人」と「人品」とが自ずから別であるように。
この作に、作品と称するに足る「品」があるかどうかを問うのが作品批評であり、作品論。「作」はその手の鑑賞や品評以前の生のママの存在自体を謂うのである。
幸田露伴には人品があり、作の多くは優れて作品に富んでいたが、今日推奨する『幻談』は文字通り「名品」ですとわたしは躊躇なくお奨めする。文豪としての生涯であった。国会が国葬を議したような作家は他になかったが、そういうことから言うのではない。作品の味わいを謂うのである。「文学」の「品」がここに在る。
2009 7・10 94
* 言葉は信じ切ってはならぬ最たる一つである、同時に言葉は、生かさねばならぬ。言葉は時に利器として使えるが、おそろしい凶器にもなる。「作家」とは、「凶器」である言葉を「利器」かのように使える狂気の「悪党」なのかも知れない。古い昔のことは措くけれど、近代以降のわたしの尊敬し信愛する多くの先達も、愛読の視線の質を変えてよくよく観れば、よく見抜けば、身の毛よだつほど言葉を凶器に用いて人間の悪徳や偽善に復讐している。鴎外も、藤村も、漱石も、荷風も、直哉も、鏡花も、川端も、高見順も、太宰治も、三島由紀夫も。現代作家達は、それをしなくなったか。やはり、大なり小なりしている。そう、わたしは思う。意識して「凶器」を振るおうとわたしも思う。そのように自分の死機をわたしは自分でたぐり寄せる。
2009 8・28 95