* 思うまでない今、わたくしは正真正銘の「やそろく爺」で、それとはなく末路の景色も目に観ている、のに、あの敗戦後の新制中学生の年頃に得た「真の身内」と許し合えた梶川三姉妹を今も一日として忘却したことなく「むかし」」のままに思慕もし親愛もして変わりなく「少年」のままに胸に抱いている。「今昔」の龍ちゃんも、また右の三姉妹に同じい愛おしさで日々忘れたことがない。この人達と「結婚したい」などということは、まったく思いも寄らない、次元外のこと、それ故に慕情や愛情の深い真実が光るようにいつも潜在した。
私は、そのような『少年爺』として、奇跡のようにそんな「今」をいつも抱いている。今も「人生の原始期」で燃えた焦点のように彼女たちは私の人生に炎えつづけている。
四人の三人は、もう亡くなった。
今日も存生と想っている妹の一人は、京都での所在こそ知れているが文通一つ無く、六、七十年も顔を見ていない、けれど、『選集』も『湖の本』もみな届いている。電話一つ掛けたことが無い、そんな「必要が無い」のである。姉の亡くなったときは、何必館夫人の義妹を通じて知らせてくれている。臨終の折り、姉は、恒平には必ず「間をおいて」から知らせてと言い置いていった。龍ちゃんも、子息の手紙で知らせてもらえた。「今昔」の弟は、いつも「龍ちゃんの日頃」など、便りしてくれていた。
私は、生まれつきリアリストでは無かったし、そう生きて来れた、来れている、此の人生を、感謝している。双親を識らず「もらひ子」として幸せに成人した私の、それは寂しさを克服する命がけの「フィロソフィー」であった。
2022 2/11
* 「私語」ないし「私語の刻」という発見ないし創意は,善かったと思う。絶して多くの古今東西の言語的表白や創作はことごとく「私語」に徹していればこそ眞実に逼っているのだ。秦に「私語」でないものは「空語」なのだ。
2022 2/13
私は、敗戦からまぢかな小学校五年生正月ころ、同居していた秦の叔母、宗陽社中の初釜に加わって以來、猛烈に熱を入れ日々に稽古し、勉強してモノもたくさん覚え、いつしかに土曜の稽古日に通ってくる自分よりも年嵩なひとや小母さんたちに叔母の代稽古を勤めて、叔母ならただ点前作法の手順をおしえているのに、少年の私は茶道具の手での持ち扱い、運び・歩き、その姿勢を、見られて美しく、自身はごく自然に作法出来るようにと、ウソ゛なく、思いを籠めた。むろん社中におしえただけでなく自身も好き好んで機会ごとに稽古した。腕と指と、それは、重くはない華奢な茶道具を持ち扱って遣う絶対のまさに「手段」、それを繊麗に磨いて身につける、それが茶の作法を稽古する大なる意味となる。
2022 7/5
むろん名品に限るが佳い映画に心から魅入られ得ることをわたしは、ま、心身の健康の証とよろこんでいる。感動することを大事な「仕事」なみに観ている。
2022 7/5
* 佳い「創作」にはためらいも紛れもなく、真率受け容れて感銘し驚喜できる「感動」と謂う才能の生きてあるかぎり、数で数える年齢は表札に過ぎない。
2022 7/6
知識は、もう欲しくない。観たことも聴いたことも無い誰かに本の中で声を掛けられたり掛けたりしたい。漱石なら苦沙弥先生がいい『心』の「先生」は要らない。芥川や川端は要らない、藤村や潤一郎がいい。直哉が佳い、太宰治は要らない。自殺という手段で人生の幕を切って堕とした人とは話したくない。平然として傲然として生き抜いてたじろがなかった人と出会いたい。神や仏は要らない。たりまえに浩然と生ききった人の手を掴みたい。
わたしの身内・身近には、なんと自殺した人が多いか。生母は闘いきって病床に自ら死んだらしい、が、実兄の自死は、得も謂いよう無く何かしら自身で追い詰めて崩折れ死んだとしか思えない。話からない。妻の父は母に死なれアトを追った、育ち盛りの三児を遺して。甥の一人はいこくの地で愛おしい人のアトを追い「傷ましく」自ら逝ったという。
新門前で育ったあの「秦家」の父も母も叔母も祖父も、ぶち殺されても死なないほど平然と頑強だった、私はいま、この育ての親たちの心身のふてぶてしいほど健康に憧れて敬愛し信愛し感謝している。自殺者には学びようが無い。
2022 8/11
〇 つみためしかたみの花のいろに出でてなつかしければ棄てぬばかりぞ
* 走り書きや思い付きのママ書き捨てたまま、散った花びらのようなものが、機械のあちこちで埋もれて在る。無数にある。なにとはなく「花筺 はなかたみ」に投げ入れておいてやろうと。
私の場合、「書く」とは「描いておいて化ける」のであろう。「花」とは、なにかの化けた証しなのではないか。「私語」とすこしちがう。いや、全然ちがう気がする。秦恒平を騙った魑魅魍魎のつぶやきに近いか。
2022 8/20
* 秋場所、関脇逸ノ城と横綱照乃富士が勝ったので、良し。玉鷲も遠藤も勝ったので良し、「遠藤」という四股名は「高安」も同様気に入らない。土俵の美学は「四股名」にも有る。チャランポラン七の理で出てくる相撲取りは大関であろうが三役であろうが、優勝しようが、どんな相撲を取ろうが私は風格の力士と思わないし贔屓にしない。双葉山、羽黒山、白鵬、小錦、玉の海 千代の富士 柏戸、、安藝海、琴櫻、等々。少年はお相撲産の名前から「美/風」を覚えたのだった。
2022 9/11
* グレン・ゴールドのすばらしいバッハを聴いている。
音楽は機械的に部屋へ持ち込めて、有難い。美術工藝は簡単に行かない。まてこんな狭くて雑踏の書斎では。それでも、私は此処が好き。生きながらのさながら温かな墓室に思える。ミサイルに攻められれば私は、此の席を動かないで死にたい。
2022 9/17
「先生を慕う」とは「先生に励まされる」のと表裏の同義、そういう方との出会いがあったから永く満たされて歩いて来れたとは、決して忘れては成らない。
2022 10/31
◎ 八代集秀逸 (金葉集 十首) * 濡れぬれもなほ狩り行かむはしたかの 上毛の雪を打ち払ひつつ 源 道済
* 思ひ草葉末に結ぶ白露の たまたま来ては手にもたまらず 俊 頼
〇 道済歌。 どんなに濡れようがと謂うのを「濡れぬれも」はあまりに,拙。「なほ狩り行かむ」も同断だが、下句へかけて「はしたかの上毛の雪を打ち払ひつつ」は、降る雪を被た小さめに機敏な鷹を手に、颯爽の美しさ。上初句を敢えて字余りに「濡れもぬれてなほ」と続ければナと惜しむ。三處に鳴りかわす「か」音の韻致も美しく利いているだけに「ぬれぬれも」の鈍が憎まれる。「な」行音は粘り「か」行音は澄むのである。「うた」は言葉の「意味」の選択できまる以上に「音の鳴り・ひびき」で美しさへ映えて行く文藝と識るべし。「字あまり」を巧みに用いる勘のよさもまことに大切。
2022 11/27
* 毎朝の古典和歌を対に批評し鑑賞しているのは、私にも初のこころみだが、一歌人と少年らい自認してきた「實」を自身に問うて確かめているのです。読者には歌人も多い。ご批判を受けたい。
「歌」が美しく正しくうたえるなら、「散文」もそれなりに、きちんと書けるはず。「意味」より先の「音」への感性・美意識が大切とかんじている、「文・藝」家として。
2022 11/27