* 賀正 あなうれしと言ふてひろげて抱きうけめ
これぞことしの朝日の光 秦恒平
* 春立つ 長春道
春 香火に生つて暁爐燃ゆ。
* なにごともなく、新春東君を迎えた。
「おめでとう」
零時。淡々、妻や建日子と言い交わした。
* 元旦の雑煮を祝う。
* 建日子に、赤瓷金襴手染付の、品のいい雲鶴龍文鉢を遣る。
2012 1/1 124
* 近くの天神社に三人で初詣。ふしぎと、参拝の大勢がみんな寛いでいい表情。ああいうのを「閑事」の境と謂うのかも知れぬ。
* 二階で仕事をしている間じゅう、階下では建日子が習いかけらしい津軽三味線を鳴らし( まだまだ弾くとは謂えぬ。) 続けている。黒いマゴも辟易してわたしのうしろのソファで寝入っている。
2012 1・1 124
*蛤のつゆが美味く、お節料理で久保田の碧壽を楽しんでいる。夕食後に美空ひばりを聴いた。建日子も聴いていた。
2012 1・1 124
* カレンダーが一斉に新しい。仕事をするこの機械部屋には山種美術館からの、河合玉堂「松上双鶴」。この部屋に入る明るい二階廊下には上村淳之画伯に戴いた、花鳥画に書家杉岡華邨の家持元日の万葉秀歌
新たしき 年の始めの 初春の けふ降る雪の いやしけ吉事
が春を競っている。居間・食堂には凸版印刷特製、小野竹喬集からの「宿雪」、相撲協会からのの表紙は愛くるしいほどの青年横綱白鵬が餅をつく像、妻が惜しんで表紙を捨てなかった。正月は、四大関で、稀勢之里が間に合っていない。さらに写真家井上隆雄さんの「曙光」、鳥山玲さんの花鳥をこもごも要所に掛け、手洗いにも、例年どおり新日鐵制作の動物たちの愛らしい写真。お正月には皇帝ペンギンの親子が厳粛に新年を祝して挨拶を交わしている。
* 初詣の写真を建日子が撮ってくれた。妻は元気、わたしはすこし弱り気味か。
2012 1・2 124
* 夜は、建日子が持参の中から映画「カサブランカ」と「黄昏」とをつづけて観た。
「カサブランカ」はイングリット・バーグマン、ハンフリー・ボガートの歴史的な名画、構成も演技も水も漏らさない完璧の出来で、はじめて観たという建日子も感嘆絶賛。「黄昏」はジェニファー・ジョーンズとローレンス・オリヴィエという名優を揃えたが、息苦しい展開に冗漫もあって、わるくはないが、また観たいという作ではなかった。二人ともさすがにみごとに役を演じているのだが。
映画は楽しい、家族で観ているともっと楽しい。のんびりもしたが「カサブランカ」の余韻すばらしい。バーグマンの美しさ。
2012 1・2 124
* 今日は、京都から帰ってきた人もふくめ四人で、ネコも二匹ふくめて、三日の雑煮や煮染めや蟹をさばいて、とっくり酒は「碧壽」一升を呑みほし「近江の美酒」を頂き、抹茶と菓子を愛でて過ごした。そんな間にも機械の前へ来て千載集の「恋」歌を読み澄ましていた。
夜分、九時近くか、建日子たちは、ネコのグーを連れて都心の仕事場へ戻っていった。
* さ、三が日を終えて、明後日の人間ドックの用意もほぼ出来て。お正月は、静かに過ぎて行く。明日は澄まし汁に餅を焼いて雑煮に。ゆっくり朝寝しよう。
2012 1・3 124
* 昼、焼いた餅と水菜、蒲鉾で、澄まし雑煮を。今日から夫婦二人で祝う。
* 和歌撰の仕事に熱中しながらも、明日の人間ドックのための心用意なども。主治医が一日で充分と言ったので、一日だけ。どんな検査が出来るのか。朝早くに聖路加へ着かねば。明け方五時半にすこしの水で服薬を済ましておかねば。
「撰」は恋歌五巻を終え、雑部に移る。万葉集でもそうだが勅撰和歌集の「雑」部には読みがいある歌がならぶ。
* 年賀状、今日も。
* 仕事も今夜は、此処まで。九時半以降はもう食べ物・飲み物はくちに出来ない。休む。明日の朝はうんと早い。
2012 1・4 124
* 生活を急に変えようとも思わないが、省けることは省いて、したいことをしたい。楽しみは省けないが、本質的にどうでもいいことは徹して省きたい。いい意味で思い切りなまけ者に徹しながら、本筋はグイと線を伸ばしたい。
* 胃の腑を掻き回されてきたので、さすがに気疲れしている。今夜もはやくやすむ。建日子の文庫本『インシデント』を今日は待ち時間になど読んでいた。出だしは快調であったが、半ばからごちゃごちゃとテンポが乱れ始めた。この作に限っては先にテレビドラマでみた方がはるかに完璧な仕上げで、明快に緊迫したなデッサンが見てとれた。小説の編集者は、仕上がりの確かさよりも促成栽培の売り上げが望みなのだろうか。こんな浅い粗い息づかいでは、本格の小説がついに書けなくなる。作者自身が用心して欲しい。
2012 1・5 124
* 秦建日子の小説『インシデント 悪女たちのメス』は医療過誤の小説、いや医療をめぐる女達の、男どもの、野心と憎悪と冷淡なエゴイズムの噴き出た凄惨なドラマである。「さやか」という、「望」という無垢の少女と少年とがあわれに死んで行く。
作者秦建日子は、「さやか」の病と死とを介して、どんなメッセージを、誰へ向けて痛烈に送っていたか。
2012 1・6 124
* 息子の秦建日子、四十四歳になった。四十四年前の、夕方に産声をきかせてくれた。嬉しかった。母も姉も懸命にがんばっての長男誕生だった。姉の朝日子にならんで弟は建日子と名付けた。病院の窓口が、「次女ですね」とものに記入しかけて慌てたが。幸い当人はその本名で活躍してくれている。
健康で、怪我も事故もなくなく、心穏やかに心健やかに元気であれと、楽しくもあれと願う。父も母も心より願っている。
2012 1・8 124
* もう何年か、妻の方がなにかにつけ沢口靖子のドラマを愛好していて、わたしも付き合う事が多いが、もともはわたしの方が大の贔屓なのであり、美空ひばりの例と同様、妻の方が熱心に後追いしてくれたのである。
今日の夕方にも何だか中途から「靖子ちゃん」が弁護士役のドラマをわたしも見た。見ていながら、ああ沢口靖子なりに清潔に真面目にうまく演じる女優になったなあと嬉しかった。生一本ではあるが繊細に感情を造形もして見せてくれるようになった。そしてまあ、これほどの美女は日本の女優で他にだれがいます、居ないではないかと思い当たり、その辺も妻とわたしの評価も好みも一致する。
なにしろそれぞれ二人で、また三人で、楽屋でならんで写真に撮られた女優は、他に一人もいないのだから贔屓も贔屓なのはあたりまえということ。ハハハ
2012 1・8 124
* いま「 詩歌断想(二)」を編もうとすると、2009年末までで「 湖(うみ)の本」 にしてかなり精選しても優に400頁上下二冊ぶんほども有る。昨年末の2011分まで予測すると上中下三巻になる。しかもますます増えて行く。三十何項目もに分類された中の「詩歌」の項目だけでこうなる。わたしの寿命が、秦の母の享年と同じ九十六歳も、しかも元気で与えられれば知らず、体内に爆弾を抱えてしまった以上、所詮はわたしの手に負えない。日を負ってわが影を踏もうと走るに等しいのだから、どうしようもない。こんなとき、身のそばに朝日子がいて手伝ってくれたならと、切に夢をみてしまう。
* さきの『光塵』洩れ落ちた作を、日乗を追っていて次から次へ二十あまり、たちどころに見付けた。落としたくなかったなと思う作も。調べていないこのところ二年にもまだまだあるかも知れぬ。
掌において身のおとろへの忘らるるマスカットの碧(あを)の房の豊かさ 湖 2006 5・16
しらたまのつきになごりの酒くみておもひのたけのかぐやひめこそ 翁 2006 10・29
まあだだよ。もういいよとは言はれまじ。もういいよとは、もうおしまひぞ。 湖 2007 6・30
満月も待ちかねている花火かな
満月を上客にして花火かな 宗遠 2007 7・28
肩書のついた名刺を破( や) りすつる 遠 2007 12・31
寒ければ寒いと言って 立ち向ふ 湖 2008 2・1
これやこの強情我慢 花吹雪 湖 2008 4・1
慈雨の季( とき) うれしさまさる生きてこそ 湖 2009 6・5
など。「寒ければ寒いと言って 立ち向ふ」のが、好き。
2012 1・10 124
* 今朝から仕事を展開させている。たくさんな初出原稿の再度のスキャンを妻と妻の機械に手伝ってもらっている。おかげで仕事に要する時間が半減する。
しかし、今日は軽微とはいえ継続して腹のしくしくが止まない。朝起きて、 十二時間が経ち、うち十時間は機械に向かっている。まだ休むな、まだ早いとそそのかす声も聞こえるが、ともあれ休息してこよう、階下で。いやいや、今日京都の友の贈ってきてくれた、わたしの希望をくんで音盤に作ったという「ひばりの歌」など聴こう。
2012 1・10 124
☆ 父上
メールありがとうございます。
はい。少しずつ、読んでいきたいと思います。
あと、手伝いが必要な時は相談して下さい。
車で旅行なども、また出来たらいいですね。
仕事は、質を上げていきたいです。
ろくに推敲時間もないような仕事は避けていきたいですね。
また近々顔出します。
☆秦建日子☆TAKEHIKO HATA ☆
2012 1・11 124
* 聖路加病院へ、定例の糖尿診察と、午後には、先日の胃カメラ検査および胃生検の診断を受けに、妻と二人で出かける。診断しだいで、具体的な今後の対応・対策があるだろう。あれこれ予断をもってみても始まらない。
朝一番に建日子のメールを読んだ。メールで人声が聞こえてくると、思わず、胸が暖かくなる。気の弱りかなあと思うが。
* 今朝ももう六七冊の本をおもしろく寝床で読んできた。源氏物語の「竹河」巻を面白く見なおした。玉鬘物語の後日談。わたしはもともと玉鬘贔屓なので感情移入するのだ。
チェーホフの戯曲「かもめ」が面白い。いそいで筋を読むのでなく、一人一人の科白を熟読することで作者に近づける。
建日子の『ダーティ・ママ ハリウッドへ行く』も、テレビドラマの出だしに引きずられて、面白く読み進んでいる。
そして辻善之助の明和九年をはさんだ日本列島の天災譚が凄い。 2012 1・13 124
* ル・グゥインの『ゲド戦記』第二巻、闇に食われし少女テナー=アルハの物語を読み始めている。英語の原書もそばにあり、ときどき併せ読みしている。死の床にいた孫のやす香に力になって欲しく第一巻「影との戦い」を病室へ運んだ、あれから五年半が経った。今はわたしが癌を身に抱いて手術の日を待っている。日はまだ決まらないが。
☆ 体の熱くなるような、寒くなるような感じですが、あまり心配なさら無いほうがいいと思います。でも、スムーズに治療の進む事を祈ります。心から。
というのは、胃や、腸の癌の手術は、周りで何人もの方が受けれられて、元気に回復されていますから。
今、一緒に仕事をしている方も、そうでした。もう15年前になる胃がんの手術で、全摘でした。65歳のときです。昭和4 年のお生まれです。
もうお一人は、かれこれ3 年前で、その方は去年の暮れに、ニュージーランドを3000キロ、仲間と縦走してこられました。かれは20キロ痩せて、すっかり糖尿病が治って、血圧の薬も必要なくなったと、自慢していました。私が20キロ痩せると私は消滅してしまいますが、体重のある人は強いですね。(皮肉ではありません。)
彼は400 枚の写真を公開してくれましたので、氷河や、活火山や、温泉と愉快なレポートや、元気な姿を見ることができました。昭和12年のお生まれです。
まだ、お若いでしょ。安心して、治療なさってください。
ストレスがいけないのでしょう。 畝 茨城
* 不快極まるストレスの五年が、いやもっと永くがあった。不快を渾身堪えていたが、怒りに五体の震えてやまぬときも何十度と有った。わたしを苦しめるのが目当てであったなら、わたしは、妻もそうだが、十二分に苦しめられたと、今、呻くほどの声を漏らしておく。
2012 1・15 124
* 六時起床。午前中に、聖路加消化器外科外来で、初めて、「胃癌」と診断されている病変への処置につき、受診する。妻も建日子も、医師の曰くを聴きに行くという。聴く耳は慎重に多い方が好いと思う。
いちどで前へ進むのか、そんなに都合良く行かないのか、それはもうお任せしている、医師と病院に。少なくも十数年お世話になってきた聖路加病院だ。
2012 1・19 124
* 朝八時半に妻と家をでかけ、 十時には建日子も来てくれて、終日聖路加の中で右往左往し、とっぷり夕過ぎた十八時半に、どこへもたちよらず帰宅。建日子は途中から仕事の打合せへ走った。よく来てくれた。
* 今日の消化器外科での医長診察は、わたしのだけで「二時間半」におよび、午後には追加の腹部CTスキャン検査もし、さらに入院・手術に到る以前に必要な諸検査のスケジュールが立ち、逐一看護師の説明が加わり、入院手続きも済ませてきた。胃や腸のカメラはじめ厳しい検査が次々に予定されている。検査で相当バテそうな不安すらある。入院期間は三週間ほど、と。退院は三月中旬になるかも。それも、すべて、うまくいっての話。独りで外出など出来るまでにどれほどかかるのか、今は何も分からない。容態は、けっして楽観的に構えていられる状況になく、癌病変の位置が上寄りで宜しくなく、諸判断のためには、まだ不明の点が幾つもあるということ。とにかくも、克明な医長先生の説明を聴いていると、楽観して好い要素はあまり無く、蓋をあけて分かると謂うことのよう。さしあたり24日、早朝から胃カメラ、引き続いてバリウム検査。
* ま、そんな有様で。成るように成るとしか思いよう無く、医師を信頼し任せて状況を受け容れる、わたしはそう決めている。わたしよりも妻や建日子のほうがやきもきと心配であろう、思いも乱れがちであろう、と、可哀想に思っている。
* 何月何日に入院し何日に手術予定と言うことは、此処には書かない。お見舞いいただくのは、有り難くも申し訳ないが、拝謝したい。ご勘弁願いたい。
* さ、それに「湖の本」との折り合いがどうなるか。どうなろうとも入稿はしておく。去年、秋口の病がほぼ癒えてきたとき、「この道はどこへ行く道」と問い、「知つてゐるゐる 逆らひはせぬ」と歌って詞華集『光塵』を結んだ。つづく展開は。いい形で収まりをつけたい
2012 1・19 124
* 夢は見ていたがさほどイヤな印象はなく、朝、床の中で本を読んだ。
息子の新刊『ダーティママ』のシリーズ2を読み始めたのと、テレビドラマ化した放映開始を見始めたのとが重なり、なかなか永作刑事と香李奈刑事とが面白くて、読まずにいたシリーズ1を読み始めたら、ドラマの展開と丁度重なっていた。バカゲタ展開ならなおさら、この程度までシャアシャアとやれば成功する。成功しているようだ。
2012 1・20 124
* 二月の、勘九郎襲名は、昼も夜も、とてもわたしは観に行けないことになった。妻は建日子と行ってくれるだろう。建日子はぜひ歌舞伎の楽しめる、歌舞伎に学べる作者になって欲しい。いい機会を生かして欲しい。ああ、観たかった。
2012 1・20 124
* 湯に漬かってくる。湯の中で睡くならなければ、五六冊の本を順繰りに読む。
* 隣室で妻のピアノが鳴っている。いつまでも、そうで在らせたい。在りたい。
2012 1・21 124
* 医師の「電話」による診断で、先日行った腹部等のCTスキャンに癌病変「転移」は認められないと。予定通りに検査を重ね、予定通りに手術を行うとのこと。ひとまずホッとした。
明日通院し、午前中に、再度の胃カメラ検査、そしてバリウム撮影を受けてくる。今晩以降の食事が出来ない。
かなりの腹部違和は、増血剤を継続服していたからだと実感していた。三十日に自己血を400cc取る、増血剤の服用はそのあとからと医師の電話で確認した。
明日、妻は妻の循環器系統の、予定されていた諸検査を保谷近隣の病院で。聖路加の主治医定年退職後、こちらの病院に話し合いで移った。心臓の血管手術もこちらで受け、奏功。今は足どりなどわたしより元気で、軽やかに速い。
2012 1・23 124
* 雪の朝。六時起床。黒いマゴとの友情をもとめて、夜っぴてテラすへどこかの美形( だと妻は云う。) 猫が来訪し、鳴いていた。
* 食餌も水もダメ。でかける。雪でバスが満員通過すれば駅まで歩く。
2012 1・24 124
* 文は人なりという。過剰に歪めて奉ずるのは困りものだが、それでもやはり文は人でも志でも気稟でもある。自分からそれを汚すことはない。創作はそうでも、他のもの、たとえばメールや日記や手紙なら好きに書き好きに言って好いじゃないかという理窟も成り立つ。それは否定しないが、文章は、一度きたなく持ち崩せばとても直せない。小島さんは黙ってそう注意していてくれたとわたしは今も感謝している。
今夜は、建日子原作の「ダーティママ」三回目が放映される。 2012 1・25 124
* むかしは週に何度どころか、毎日のように編集者や記者や、ときに読者たちもわが家に迎え入れることが出来た。妻は接待に追い回された。呑んで喰った。しかし、妻の健康を思い、成る可く外へ出て会い用を済ませるように切り替え、切り替えなくても増えるモノ、モノのために人間の座れる畳が見えなくなってしまった。客とわかっていればありとあるものを一旦寝室に移動させておくよりない。松林のある庭だけで三百坪もの邸ぐらしで少女の時代を過ごしていた妻には、ついに結婚後一度も八畳間のある家に住まわせてやれなかった。済まない。
* その後、食後、わたしの校正の仕事は順調に平穏に進んでいる。明日には、上巻の前半「千載秀歌・撰註」と「時代」を説いた二編 だけ、初校を印刷所へ送る。
2012 1・28 124
☆ 最近の私。(秦建日子ブログよりfacebookに転載)
検査の結果、父のガン(胃)は、他の臓器への転移はみつかりませんでした。ひとまず、ホッとしました。あとは、手術の無事成功を祈ります。
× × ×
ドラマのシナリオを、4本並行して執筆しています。一つは春。一つは夏。一つは年内。そして最後の一つは、この冬クール(!) まだ、確定ではありませんが。。。決まったらご報告します。
頭を切り換えるのに苦労してます。まずは、春のspドラ…
* きつい環境 きつい仕事とは 理解しているつもり。よくがんばって呉れており、それだけでも親孝行。どうか健康で怪我も事故もなく、心健やかに心穏やかに元気に過ごして欲しい。心ゆく仕事の続きますように。この世間は、なかなか甘くない。万端用心しながら歩を運ぶように。
2012 1・31 124
述懐 平成二十四年(2012)二月
残りなく我世ふけぬと思ふにも
かたぶく月にすむ心かな 待賢門院堀河
定めなき身は浮雲によそへつゝ
はてはそれにぞ成り果てぬべき 前大納言公任
見るほどは夢も夢とも知られねば
うつゝも今はうつゝと思はじ 藤原資隆朝臣
雨戸越しあかい日射しのうれしさを
やす香に告げつ亡き孫なれど 湖
2012 2・1 125
* 黒いマゴもわたしを案じているようだ。大丈夫だよ。
2012 12・1 125
* 建日子来訪、手術前のあれこれについて相談する。
* 病気が病気だからと建日子は緊急判断して、姉朝日子に父の容態を知らせたという。もう三週間ほどたつが、何の返辞一つもないと。
2012 2・1 125
* 八時まで、で、食餌は停止。それ以降は、明日の午前中まで未体験に挑むことになる。
* 建日子、八時までいてくれて、相談も出来たし、彼の仕事も進んでいるらしかった、いつも新鋭機を駆使して原稿を書きつづけている。若いアタマが回転しているのだ、いいことだ。慎重に、大胆に。
今夜は十時から「ダーティママ」の第三回。永作博美にも香莉奈にも馴染んできた。刑事役の永作も巡査役の若いのも建日子の連続ドラマで馴染んでいる。
2012 2・1 125
* 建日子もいる時間に、仕事しているそばで久しぶりに再放映の「剣客商売」の藤田まことを観た。懐かしかった。小説の時代物はどうにも頂けない・頂かないわたしだが、「陽炎の辻」も「剣客商売」も「八丁堀の七人」も、そして「子連れ狼」も好んで観てきた。水戸黄門や大岡越前や暴れん坊将軍は、いけない。
2012 2・1 125
* 今日は、上巻発送のための用意を一気に進めた。本が出来てさえ来れば、妻が一人で少しずつでも作業の出来るように、準備すべきはして置いた。いつも手書きでしている発送時の読者宛て挨拶だけは、今回ご容赦願うことにした。また寄贈者、大学高校への送本用意もして置いた。あとは、上巻は再校の出そろった段階で責了紙へまで病室で読み上げること。わたしが出来ない場合は、妻と息子とに依頼する。
下巻分の送本用意も出来るだけ分かりよく道を付けておく。
2012 2・6 125
* やす香のお友達に、先日来三度まで華奢な色花をたくさん寄せた花の鉢を貰っていた。恐縮していた。
結婚と就職という両手に花のこの人の幸運に、ぜひ励まされあやかりたい。
☆ こんばんは。 薫
泣き虫な私は言葉が見つからず、ただひたすらお花を送りつけてしまいました。
大変な状況にいらっしゃるのに、かえって余計な心配をおかけしてしまい申し訳ありません。
おじい様にもおばあ様にも沢山の方からメールが届いているかと思い、ご迷惑をかけないようにと控えておりました。
代わりにお花に私の気持ちをいっぱい詰めていました。
でもやっぱり我慢できず、今日はメールを書いています。
(中略)
最近の私は、2月9日の口頭試問に向けて最後のまとめをしています。
先日は4月から働く会社の研修を兼ねて、汐留の日テレタワーに行ってきました。
ロビーの壁には大きな“ダーティママ”の広告がかかっていました。
いつか私も建日子さんのドラマに関わることができたら素敵!! と思いました。
他には33階にある屋上や、ニュースゼロのスタジオにも入りました。
ちなみに内定式の際に社長から、“(就職試験を受けた)1 万人の中から勝ち上がった20名なんだから誇りを持っていいんだよ”と言われました。
とても嬉しかったです。
ただ大変なだけではなく、やりがいのある良い会社に就職できたようです。
(中略)
今日1番お伝えしたかったのは、本当は自分のことではありません。
やっぱり言葉が見つからなくて…
おじい様頑張って下さい!!
こんな言葉しか言えません。
おばあ様も頑張って下さい!!
本当にこんな言葉でごめんなさい。
よい言葉が見つかりません。
気持ちだけ届いて下さい。
* ありがとう。
2012 2・7 125
* 建日子が来て、入院保証人の署名捺印などしてくれた。
わたしは校正の「仕事」しながらであったが、三人で「ダーティ・ママ」の何回目かを一緒にみた。
そのあと、手術等、万一の場合に頼みたいことを頼んだ。湖の本の、少なくも下巻分の校正や校了や発送等の後始末、読者や文壇関係、出版関係、印刷所関係等々へのきっちりした「作家」らしい挨拶などを頼むよと。「湖の本」一冊でも刊行するには容易ならぬ手順・手続きが必要になるが、投げ出されては困るわけで、少なくも下巻は上巻と釣り合うようにきちっと纏めて送りだして貰いたい…と、ちょっとハッパを掛けてしまった。ま、よろしく頼みますよ。
そして建日子はまた都心へ帰っていった。
2012 2・8 125
* 大腸内視鏡ではポリープを三つほど切除したが、幸い良性で此処は心配がないと、医師の電話診断で知れた、が、胆嚢の方は炎症を起こしやすく、それにより発熱などあると手術に差し支えるので大事にして欲しいとも念を押された。
明日の演舞場、勘九郎襲名も昼夜とも断念し、小林桂樹と共演した「黒い画集」の原知佐子が、連れを誘って観に行ってくれる。ホッとしている。
よくやすんで、明日も早起きして要事と仕事とに立ち向かう。
* よくよくの天災地災人災が無いかぎり、たとえ癌と雖も手術で命を危うくすることは、まずあり得ない。だからといって、備えなくていいということにはならず、最も必要な備えは「遺言」である。しかるべき役所に出向きたかったがそれは叶わなかったけれど、数次の話し合いも重ねて、私が自筆の「遺言」は明日にも書いておく。一つには、僅かとはいえ私にも遺産となるものが多少ある。二つには多数にのぼる著書・著作関連、湖の本関連、ホームページ関連の全配慮と保存・保管・運営という観点がある。三つには、それなりに個別に言い残しておきたいことも有る。
及ぶ限り正確に妻と建日子とに托しておきたい。またもや、妻や息子が、醜くて不幸・不道の裁判沙汰に見舞われてはならない。 また、妻として家政上知っておきたいこともあろう。万一に際して答えられる限りは用意してやらねばならない。
2012 2・9 125
* 午后は「自筆遺言書」を作成しておく。到らぬまでも、「秦恒平の意思」は明確にしておきたい。
2012 2・10 125
* 「上巻」は校了紙を送り出した。
さて、いまは「遺言書」を自筆している最中の一息。とにかく時間が流れ去る。
2012 2・10 125
* 「遺言書」を本日日付で 自筆署名捺印封入した。妻も、別に書いた。ともあれ、永く凝っていた肩の荷をおろした。ほっとしている。
2012 2・10 125
* やす香のお友達から、やす香のおじいやんに、バレンタインデーのチョコレートを戴いた。手紙も添えられて。ありがとう。
妻にも。ありがとう。
2012 2・11 125
* 今日十二時半、息子・秦建日子の運転する車で、無事、聖路加病院消化器外科病棟より帰宅した。
折しも雛の日。妻と息子とは「和可奈」の鮓で、わたしはホンのすこし箸をつかって、退院祝いをした。札幌のmaokatさんお心入れのお見舞い、みごとな百合根でとろみの卵汁を作ってくれた妻の味が嬉しく、一碗をのどに通したのは大出来。
この二日、まことしつこい吃逆( しゃっくり) と便通なしに悩んでいたが、それで呑みも食べも殆ど全然出来なかったのが、多少胸元での閊え感に悩みながらも、おいしく腹まで納められ、吃逆も止まっている。ありがたい。
* 建日子運転の自動車震動も腹に堪えることなく、高速道路からいろんな建物を視認しつづけながら、思いのほか安楽にすばやく帰ってこれた。忙しいさなかに時間の都合をつけてくれて有り難く嬉しかった。退院を一緒に祝ってくれてから、車は此処に置いて、徒歩でまた「仕事」へ出向いていった。
* 二月十三日に入院し、十五日に八時間の手術。胃全摘そして胆嚢切除。以降今日まで、妻はおおかた病室に寝泊まりしながら築地と西東京とを必要に応じて往来してくれた。時には一日二往復もしてくれた。さぞ疲れたろう、心よりありがとう。永い留守居に懸命に耐えてくれた黒いマゴにも、感謝。
* 退院してこと終えたのではない、不幸にして十九個所のうち一個所のリンパに転移が認められている。今後の対応にさらにますます苦汁は嘗めねばすまない。通院検査、さらに抗ガン剤の服用など。
退院時の体重は74.5キロ。10キロは確実に痩せてきた。まだまだ痩せる。
* 入院中に大勢の方のお見舞いを、お手紙やメールで戴いていた。有難う存じます。
まだ階段の上がり降りにふっと気の遠くなりそうな不安があるが、出来る限り留守中のしまつをつけたい、しかも次の月曜、明後日には、病院で責了にした「湖の本」110『千載和歌集と平安女文化』上巻200頁が出来てきて、発送しなければならない。もっぱら妻に頼むしかなく、作業はゆーっくりになる。下巻200頁もすでに病室から全三校が頼んである。この上下巻はきっと楽しんで頂けると自負している。
2012 3・3 126
* 昨日微量、今日少量の便通があり、この五日來の鬱屈にやや転機を観た。全身に力がなく、いかにも萎えた感じがする。家の中をすこしでも歩くように努めている。
* 「退院」見舞いの有り難い数多いメールを、そのままにしておけないので、全て、指定のフォルダに保存した。今日一日かかったが、有り難いことである。
* 妻は今後の診療をよりよく見定めたいと俄な勉強に熱中しているが、わたしは今暫くそのことから解放されていたい。心身の平穏とすこしでも強壮化がはかれるようにしたい。
* とはいえ、せっかく便通があったのに、そのあと三度打ち四度打ちの吃逆の連打とともに胸元が不穏に悩ましく、白い唾液を何度も何度も洗面器に吐いた。疲れてしばらく二時間余もよく寝入ったけれど、目が覚め、少量の水を含む内に激しく胸つまり、むせかえって、はじめて、かすかに黄味を点じたふうの唾液・水分を過激な苦しみとともに吐き出した。
強いて起き、て機械の前へきた。しばらく、機械の中に撮り溜めた写真の、順序無く自動的にスライドされて行くのを妻と観ていた。
2012 3・5 126
* 退院一週間となった。最初の五日間はまるでピストン打ちのような吃逆苦に心身消耗し吐き続けていたが、これでは脱水する、いやすでに強度に脱水していて大事になりかねないと思い返し、必死の無理飲みで、ひたすら水分を強引にのみこんだ。一昨夜ごろから体にやや水が廻ったか吃逆がおさまり、昨日は全く吃逆に悩まされず、飲水も食餌もやや進んだ。かろうじて窮地を脱したという実感。執拗な横隔膜痙攣も脱水の警告ではなかったかと。気がついてよかった。病院へ又リンゲルを点滴して貰いに行っていては、ただの戻り道になるところ。
* 昨日晩、建日子が見舞いに来てくれた。ありがとう。二時間話に付き合っていたが頭の落ちるほど眠気と疲れにつかまり、失礼して寝た。十一時に仕事場へ帰って行くのへ、「ありがとう」と声だけかけた。
* 金澤の金田さん、お見舞いを添えていろいろに調理のきく「麩」を送って下さった。自身も癌と闘いながら。恐れ入ります。
* 夜中に三度も排尿、するとこの分の水分補給もきちんと考えねば。
* いつから聖路加にかかってきたかと保険会社に聞かれていると、妻。見当をつけて「日乗」を検索すればすぐ分かる。
2012 3・10 126
* とても体調は普通になどと云えない。喉もとへ、この世界にこんなに苦く不快な味があるかという、くるしい溜まりが出来ていて、吐き出すために苦心惨憺、ほとんどが痰だしの感じ。食欲もないに等しい、食べれば口がただただ悪くなり、辛うじて口腔清涼剤でブクブクして逃れる。
* 息子にも妻にも「思い切ってすっきり痩せた」などと言われている。今日義妹がむかしむかし妻や妻らの従妹と摂った写真を添えた見舞いを呉れた、その写真の私たるや、人違いされそうなほど細い。まこと鉛筆が服を着たようで。そのレベルへ一路痩せて行くかと想うと、どこか途中で持ち堪えたい。もっともそんなに細かった大学生や新米社員の頃も、60キロあったのだ。 2012 3・10 126
* 今日、かつがつ妻につげたこと。
万が一、わたしが脳膜炎等の回復不能症に陥って救済不能の時は、躊躇無く「尊厳死」を選んで欲しい、と。
出岡実画伯・持幡童子
2012 3・12 126
* 三月十五日は、三月三日に退院後の初、通常の受診日のつもりで、西東京からハイヤーを雇って築地の聖路加病院へ出向いたところ、即、「再入院」と決せられた。前日十四日のうち、ちからを振り絞って、三日退院以降の体調・違和のさまを日を追い箇条に書いて持参したのが、主治医に即座に理解されたようで、四の五の抜き、即緊急の再入院だった。その日のわたしは、よほど「際どかった」と後日若い先生らから「間に合って良かったよ」と言われたほど、さもあったであろうと、「ひやり」とした。
* いま見ると、問題の三月十四日に、こんなメールを戴いていたのである、見ないでやすんだのだろう。的確な助言であった。命助かったからよかったとはいえ、一言もない。
☆ すぐに病院に電話を。 (三月十四日) 春
直ちに奥さまから、聖路加救急に電話をいれていただき、今の症状をご説明になって、緊急に診察の必要があるかどうかお訊ねいただけませんか。すでに病院に相談済みならよろしいのですが、高熱で口がききにくいなど、尋常のことではありません。明日まで待てる状態なのかどうかほんとうにほんとうに気がかりです。もし、待てるということになれば一安心にはなりますでしょう。
ここ数日、非常に心配しておりました。あるいは入院なさっていらっしゃるのかとイライラやきもきしていました。メールを書くと読んでいただくのも、みづうみの体調に響きそうで控えていました。
湖の本無事届いておりますが、その件はまた後日。とにかく、これを読まれたらすぐ病院のドクターにご相談くださいませ。お願いです。(わたくしは親のことでしょっちゅう病院に電話して親切にしてもらいました。)みづうみのご一家、呑気すぎに思われてなりません。
* 強度の脱水症状に加えて、術後感染というのか大腸菌や腸球菌感染が全身におよんでいて腎や前立腺等を汚染していたらしい。これを感染症内科の先生方が徹底して治療して下さり、連日連夜の抗生物質点滴とリンゲル点滴がつづいた。
お蔭で、意志的にも水分をせいぜい多く摂った効果も加わったか、むろん今後の通院治療や諸検査はもとよりとして、今日からお薬も服薬の物にかわり、建日子の出迎えで、無事に、以前の退院とくらべれば問題にならぬほど元気に帰宅できた。
* 肝を冷やしたのは、妻が通院途上でダウンし、不幸中の幸いと天を仰いで感謝のほかないが、急遽ニトロベンを服用したのがまだ家を出て近くであったから、助かった。すぐ近くの厚生病院に行き、すぐさま心臓冠動脈の二度目の拡張手術が建日子の立ち合いのもと実施され、無事に終えた。ただ、湖の本110『千載和歌集と平安女文化』上巻の受け入れから発送を独りで完遂してくれていた妻の過労は、心臓の負担だけでなく全身また足腰のつよい痛み、不断の痛みももたらしていた。もう通院見舞いなどは論外であり、家で安静に堪えていてもらうしかなかった。
苦労をかけつづけた、申し訳ない。ありがとうよ。
建日子がいろいろに、スケジュールのムリを押してよく母を助けてくれた、父も見舞ってくれた、ありがとう。浅草公園での平成中村座勘九郎襲名にも、新橋演舞場に次いで代わりに観に行ってくれた。
* 妻は、必要な物は宅急便で病棟へ送ってきてくれた。
そのおかげで、数十年ぶりに「秦恒平用箋」に手書きで、二本の原稿、計二十八枚を書き下ろして来れた。
* 再入院と決した日のわたしの鞄には、プラトンの『国家』岩波文庫上巻が入っていた。わたし自身の病気や入院とかかわって実は強い問題意識をプラトン(ソクラテス)の対話編に持っていた。それを書いてくることが出来たのは収穫であった。
源氏物語は宇治十帖を「東屋」まで読み進んできた。中の宮が匂宮の男子を産んで「幸い人」としての存在感を確かにして行く流れへ、異母妹の浮舟があらわれ、薫大将と匂兵部卿とに葛藤が生じてくる。わたしの愛は、ひたすら中の宮に向かっているのだが。
『ゲド戦記』の第三巻そして元へ戻って第一巻をも、強く惹かれ惹かれ、病室から去るまぎわまで、わくわくと読み継いでいて、まだ先の楽しみがのこっている。
個室にはテレビも電話もシャワーもあった。日曜の平清盛、陽炎の辻、トンイ、イサンの他は見る気もなかった。家や息子との連絡以外には電話も全くつかわなかった。
* さて、帰ってくるとそれはもう数えきれぬほどお見舞い戴いていた。お手紙もメールもまだ読めないでいる。こころよりお礼申します。お一人お一人にお礼を申し伝えられる体力もまだなく、失礼をどうぞお許しください。
* さて何としても三度繰り返すことなく、平静にかつ気づよく回復へ歩みを運びたい。
四月二日に、また九日に、都合四科の診察を受けに通わねばならない、六日、十三日には、染五郎が由良之助を演じる新橋演舞場も待っている。慎重に慎重にかつ運動とも心得ながら無理なく通り抜けて行きたい。
* 病院では、各科の諸先生に実に親切丁寧に診ていただけた。消化器外科の若い先生方には友人並みに終始温かく優しくされて感謝に堪えなかった。前の時、わたしの胆石を記念にくださった一等若かった先生は、終盤強硬な便秘に悩んでいたわたしを、せめてすっきりさせて帰して上げましょうと、肛門から便を掴み出すほどに道をつけてくださり、ついについにシッカリした排便で気分爽快にしてもらえたなど、言うもおろかな親切であった。感動した。
* 妻も黒いマゴも帰還を喜んでくれた。建日子も祝っていってくれた。さ、持幡童子に護られて、今夜ははやくやすもうと思う。 2012 3・26 126
* 湖の本111は、三月三日最初の退院前に840病室ですでに責了していた。上巻との間隔を考えて四月五日頃に本が出来てよいかと思案していたが、もう目前に迫ってきた。二日には今回退院後初の通院受診が控えていて、六日にはもしも可能ならば演舞場の昼へ出掛けてみたい。
下巻発送の作業は、妻も腰痛・全身痛を庇っての毎日だし、わたしもまだ力仕事はムリと思っていて当然、ときどきすうっと頭の中が白むような息切れだか貧血気味だかが残っている。水分を多量にとり、食べられるだけはしっかり食べねばならない。五月の節句ぐらいまでは時間かけて、無理無い日々を送り迎えのほかない。
* お見舞い状を読んでいると、同病の苦にすでに遭いいましも遭っている方々があまりに多い。心より平安をと願わずにおれない。
* 息子・秦建日子の存在が、どんなに妻にもわたしにも頼もしく有り難かったか、つくづく世話をかけてきた。それももうお仕舞いとは済むまい。忙しい極みの働き盛りの時間をさいて、昨夜も自転車で保谷へかけつけ、一昨夜置いて帰った自動車に自転車をのせて帰って行った。一二時間は話して食べて珈琲なども呑んで、また仕事へ帰っていった。
彼が自身のブログやFacebookでわわれの現状を適宜アナウンスしてくれていたのが、大勢の読者や知友の便宜になっていたのも、ありがたく、よく分かる。息子は息子で、その実は姉にむけてそれとなく両親の様子を知らせようという温かい気持ちももっているらしい。有り難いこと。芥子つぶほどの反応も無いというが。
* やはり郵便局から今日は逆に天神社へ詣って帰ってきた。かすかに貧血を感じているのかもしれない。一つには外歩きに向かないメガネをかけていた。朝に、古紙回収のための妻の手伝いも少ししていた。幸い腕力が残っていて、三メートルとない戸外へ妻の荷にした古紙を運び出した。「動け」「歩け」と病院では盛んに言われてきた。寝ているだけでは治るものも治らないと。病棟の廊下は一周して九十から百メートル。退院の前々夜には十周、前夜には十一周してきた。しかし体調との慎重な相談は避けられない。
2012 3・28 126
* 迪子 七十六歳 壽池満澤
2012 4・5 127
* 久しい湖の本の読者である京都の画家夫妻の夫人が、朏健之助さんの姪だったと知れた。朏さんは、わたしの実母方祖父阿部周吉の生家であったという近江水口宿本陣鵜飼家の親しい血縁で、その辺の事情はわたしにはよく分かっていないのだが、深い感慨を覚える。朏さんは多彩な生涯を送られた中でも、東洋の郷土玩具の蒐集家としても識られ、その厖大なコレクションはそのまま京都府の施設に保管されてある。
そのご縁にも驚いただけでなく、旧姓朏姓の夫人の夫君は日吉ヶ丘高校のたしか後輩で、その画業には三十年余も以前からいつも目をとめ心惹かれてきた。ことに線の生命感に美しく富んだ画蹟は印象に深い。いまその画家と、遙かに遙かといえばそうであるが遠い親戚にあたるのかもと思うと、ふしぎと懐かしい。長生きしていると、こういうことにも出会うのか。
なにも知らず四半世紀を超えて「 湖(うみ)の本」 を応援して貰っていた。感謝に堪えない。
2012 4・9 127
* やす香の一の親友の、結婚と就職を、やっとやっと、やっとお祝いできるところまで、一息つきながらわたしは立ち返ってきた。
それとても束の間、五月からは心して病気と立ち向かわねばならない。
* 心を凝らして「老い」と「死」とを身に感じ、思っている。
2012 4・17 127
* 「三月日乗」を日付順に、字句の誤選択など訂正した。三日に退院したので以前は記事を欠いている。それのみか、三月十五日に命もきわどく緊急再入院し、二十六日に再退院できたその間の記事も欠いている。
読み返してみて、三月三日から十五日までの体調のひどさに、今にして恐怖を感じた。自身はまだそんなにもと思っていたが、医師も看護師も「危なかった」「際どかった」と。さもあったろうと自分の日記を読み返して怖くなった。
* 明日、腫瘍内科の専門医に抗ガン剤等今後の治療に関して参考意見を聴きに行く。いまのところ消化器外科は「ts1」という薬剤の服用を予定しているらしい。
建日子ははやくに、「参考になれば」と機械環境で交わされてある体験談や感想や示唆を厖大に送ってきてくれている。彼自身が問題を投げかけて、大勢が返答してくれている。あまり予断をもち、それが抑圧になってもと、わざと読まずに来たが、いま、半ばまで読んでみた。
むろん何の判断もつかない。楽観もあれば悲観的な声もある。しょせん断案はムリであり、動揺なく明日の話を聴いてわたし自身が決心するよりない。
* なによりも「仕事」に励まされて乗り越えて行きたいと願っている。創作、湖の本の刊行、アーカイヴズの整備、魅惑される読書。そして好い観劇。無心の街歩き。じょうずに、意欲的に、よく食べねばならない、癌と闘うため体重を落とさぬように。
次の「 湖(うみ)の本」 も、すでに原稿をていねいに読み返し丹念に校正もし終えて、入稿した。
2012 4・23 127
* さて、今日はいよいよオンコロジィ( 腫瘍内科) での、いわゆるセカンド・オピニョンを聴いてくる。妻も息子も、わたしも、おおよその腹はくくっているが、専門医の助言の、聴くべきは慎ましく聴いておきたい。それで、外科ですすめる抗ガン剤TS1 服用の同意書提出を暫時延ばしてきたのである。
午后、その蓋をあけに行く。
* 今朝はもやもやとあまり体調良くなく、朝食がうまくとれなかった。便通が促されているのか。
胴体の右半分が、起ち居につれ痺れのとけるようにビビビと震動する。服薬の副作用なのか、睡眠時等の姿勢が響いているのか。
* 二時過ぎオンコロジー(腫瘍内科)で受付、五枚にわたる問診票に記入。まず名取医師の初診聴き取りまた家族からの質問等がゆるされ、次いで山内主治医との面談。
医師二人の話は分かりよく、納得しやすかった。妻も建日子も適宜質問し、わたしの腹は決まっていた。「寒ければ寒いと言つて立ち向かふ」しかない、やせ我慢して寒くないなどと強がらない、きっと苦しい副作用に泣くだろうが、泣いてでも、しなくてはならぬことはするしかない。心用意は、副作用の辛抱により、その間に「併走する仕事や楽しみや食味」等へのモチベーションの強さにたすけて貰おう、と。此処へ来て、抗ガン剤服用を拒むくらいなら、もともと癌と分かっても手術を拒んだろう。手術を受けたなら次の段階もあたりまえに受けるということ。
ま、強がってでも、そういうことにと考えていたので、今後は「腫瘍内科」に躰を預けきり面倒を見て貰おうと。そう決めてきた。妻も建日子も賛成してくれた。
聖路加からバイクで仕事場へ帰って行く息子を見送ったのがもう五時だった。日比谷線で日比谷へ出、宝塚劇場の前で買い物などし、ホテルのクラブへ、二月の手術前から久々に入った。入ったもののわたしは飲めないし食べる意欲も低く、妻に「鮓源」の握りをとり、わたしは「なだ万」の稲庭うどんをとった。
手術からの凱旋祝いにとクラブはシャンパンを奢ってくれ、美味しく口に入ったけれど、わたしは全部は飲めなかった。
年度替わり記念の赤ワインを一本もらい、ホテルを出て粉雨に襲われたが大事なく帰宅。
* 五月一日に生理検査と、外科、そして腫瘍内科の診察を受けて、たぶん、その日から抗ガン剤「ts1」の一年連用が始まる。なみたいていでは済むまいと思う。願わくは、そういう時機なればこそ心ゆく「仕事」がしたい。叱咤激励が欲しい。
2012 4・24 127
* やす香の親友がめでたく就職し、自衛隊へ「研修」に行ってきたというのが、さぞかしと思う、キツかったらしい。無事の「帰宅」は重ねてめでたい。この五、六年、われわれ夫婦は、やす香が元気でいたらきっとそうであったように、それ以上にも、ほんとうにほんとうにこの人に励まされ癒やされつづけた。
お祝いに添えてあらためてお礼を言う。
☆ 帰宅しました。
こんにちは。
昨日、無事に自衛隊から帰ってきました。
この3日間、本当に辛かった…!!
今振り返ると全てが貴重な経験なのですが、研修中は常に、我が家を恋しく思いため息をついていました。
高さ15メートルある傾斜した壁をロープで降下したり、7時間行軍をしたり、深い穴に入りそして這い上がったり…初めてのことばかりでした。
ただ一つの救いは、ご飯がとっても美味しかったことです。
それ以外は24時間行動が決められ、お手洗いも満足に行くことができない状態。
ことあるごとに腕立て伏せ等の罰則運動もあり、運動嫌いな私には本当に苦しい研修でした。
現在は、乗り切ることができた満足とともに、人生初の全身筋肉痛に悩まされています。とにかく、無事に帰れたことを素直に喜んでいます。
建日子さんは、やはり私の会社をご存じだったのですね。私が配属されるだろう部署は映像制作ではないので、お仕事でお目にかかることはないと思います。しかし映像管理等の仕事をするので、すれ違うことはあるかもしれません。
ちょっと楽しみです♪
おじい様の治療の準備が始まっているのですね。
どうか、おじい様に合った治療法でありますように。
おばあ様もご無理をなさいませんように。
遠くからですが、いつも心の中からパワーをお届けしています。
おじい様おばあ様、がんばって!!
今日は遅めの出社です。
それでは、いってまいります。 稟
2012 4・26 127
* 鴨祐為卿の「花祭り」繪賛の軸を引き、堂本印象の菖蒲の繪を玄関にかけ替えた。ぱあっと五月になった。茶の間には徳力富吉郎画伯に頂戴した美しい「鮎数尾」の大軸繪に掛け替えた。徳力さんの趣味のきわみの表具もすばらしい。もう暫くすると同じ印象画伯の長軸で、天空をふるわせて囀り翔ぶ「ほととぎす」の繪が嵌ってくる。それから伝義政の蛍を詠んだ古歌短冊が、また岸連山の祇園社御手洗い場の墨絵が、さらに呉景文の瀟洒な水辺の花鳥が出を待っている。
* 手持ちのそういう繪や軸ものを、わたしは、少しずつ人様に、また少しずつ開眼しつつありげな息子にも、贈るようにしている。
最近わたしは二度三度も聖路加病院で命拾いしたのだが、こころばかりのお礼に、三点四点、油絵や軸物を持参した。美しいもちものを無意味に死蔵するのでなく、喜んで貰ってもらえれば何よりと、わたしも、またそれら作物のためにも、喜んでいる。われら夫婦して愛してきたシャガールの版画も、孫娘に与えるのとかわりない熱い思いで、新婚の、そしてみごと就職を果たしたやす香のお友達に心から「おめでとう」と贈りものにした。胸の内が明るくなった。
もうやがてアメリカから懐かしい茶友が帰省してくる。佳い( と信じている) お土産がもう用意してある。その人の茶室でどんなにそれが晴れするかと想ってみるのが楽しい。
2012 5・1 128
* 玄関に、「晴日」と題された堂本印象画伯の、色も姿も晴れやかなあやめの大輪を掛け、茶の間には、徳力富吉郎画伯に頂戴した墨絵「鮎」の大幅を掛けた。中国の名だたる名墨を手に入れられ、欣然と筆をとられたことのよく分かる清冽な鮎が三尾。
建日子が感嘆して観入って行った。
2012 5・8 128
* いま、建日子が階下へ来ていると、妻が下から声かけてきた。そうかそうか。
夕食し、テレビを親子で観て喋って笑って。七時半、バイクでまた都心へ戻っていった。夕食後の薬は何とも障りらしきは、無い。 2012 5・8 128
* 昨日の母の日に、徳力さんの版画にお出まし願った。むろんこの「西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ」一枚だけが徳力作なのではない、詩の全容が何枚にも版にされているが、京の姉小路の嵩山堂であったか、そこで出逢って一揃え買うほどの懐工合でなかった、で、この一枚を買って帰った、何十年の昔のことか。京都で老父が入院すれば、わたしの妻は東京から付き添いに京都へ帰っていた。わたしも何かに付け両親や叔母を見舞った。妻の循環器はそうした往来の最中に壊れ始めた。そして、ついには父も母も叔母もひっくるめて東京へ引き取った。育ての父は九十一、同じく叔母は九十三、同じく母は九十六歳まで東京で長生きした。妻は、三人ともいろいろに看取ってあの世へも見送ってくれた。
今年は春から、ま、バタバタして、煽りでその妻にたいへんな過労を強いた。病室に閉じ籠もってわたしは迷惑のかけづめだったが、いつものように建日子が多くを「負」って助けてくれた。朝日子もいてくれたらどんなに心強いかと、母親は思っていたろう。朝日子もみゆ希も町田市で元気にしているのだろうか。
2012 5・14 128
* いま、メインに使っている機械は、ウインドウズ98とMe との合併らしく、つまりわたしにはよく分からないで居るのだが、よっぽど大昔のシステムには相違ない。したがって目新しいソフトだのアプリだのは「合わない」と拒否される。なぜだか音響は一切働いてくれないし、はやりの FACEBOOK も此の機械では使えない。これがわが現実の機械環境であり、しかも目立った不自由はしていない。わたしの機械はわたしの書斎であり著作の保管庫・ 書棚であり、原稿用紙なみで、それで足りている。写真の貼り付けも出来ていて自分で自分の写真を楽しむ程度は出来ている。
最新のつもりでこれと連繋させたノートパソコンも、いつしかによほど古くなっている。気の毒なほど使われてもいず、バックアップ用の倉庫代わり。建日子の買ってくれた最新鋭らしい軽量・高性能のモバイルはほとんどまだ活用出来ていない。使い方が頭に入っていない。もったいないと息子はなかばむくれているが。
それでも、厖大な原稿量が、たくさんな写真もろとも内蔵され、必要に応じて簡単に取り出せる。有りがたい。それ以上の期待は機械に対し持っていない、むしろ持ちすぎないようにしたい。「 mixi」 からは事実上もう撤退しているし、機械に顔をくっつけ、ひっきりなしにファジーな世間と繋がっていたいなど、そんな浪費的な残年残日にはしたくない。「文章」という文藝のための利器として機械との親交を保てれば有りがたい。
2012 5・19 128
* しきりにFACEBOOKから呼びかけが来る。わたしも会員になっているらしい、が、この機械ではFACEBOOKの画面は全然開かない。いつの昔か入会だけはしたものの、稼働のためにはこっちの機械のシステムが古すぎるのだろう。何十度も呼びかけは来ているが、何処の何方からとも皆目知れないでいる。なぜか建日子からのものだけが、小さな小さな字のままで読めるが、読みにくくてたいていそのまま消している。
2012 5・25 128
*住まいとも繋いでせまい庭の奥に東西にのばした鉄筋の書庫の上をそのまま細長い庭につくってある。いまは紫蘭の花盛りをとりつつむように梅や南天その他の青葉や青草が繁茂し、新鮮な翠や緑を満喫させてくれる。書庫まえのテラスには妻が丹精の鉢植えが四季に色を変える。そんな中に、隠れ簑の木が昔から立っていて、わたしたちは初めのうち背丈の伸びるのをわけもなく抑えていた。その根方には、愛してやまなかったネコとノコの母娘が眠っているのだ、いつも「げんきにしているか」などと声を掛けている。
初孫のやす香を肉腫で喪ってからか、わたしたちはネコとノコとの命のような隠れ簑を好きなだけ伸びよと抑えなくなった。それが今は屋根を高く抜きんでて瑞々しく柔らかな青葉を日にきらきら光らせて美しく茂りに茂っている。妻と、縁側に立ってよく見上げる。
「朝日子がみたら、びっくりするよ」と言い合う。
娘がみたらびっくりする目新しい風景がわが家近隣に年々に増えている。
西武線へ地下鉄が乗り入れてくるはなしは何十年も昔に聞いていたが別世界の噂としか聞こえなかったのに、いまは渋谷・新宿へも銀座・新富町や新木場へも、保谷駅から一つの乗り物で坐って行ける。それがあってわれわれ夫婦の久しい聖路加通いも成っていた。歳月はたいへんな作者だ。
2012 5・28 128
* 聖路加腫瘍内科の診察を受けてきた。現状に応じての相対評価かも知れないが、血液検査の諸数値は「きわめて優秀」と。「ts1」の強度も変更なく、つぎは六月十三日朝から四週間の服薬、それまでは休止と。処方の薬だけは近くの薬局で出してもらってきた。
* その脚で、渋谷に出来た「ひかりえ」へ銀座線で直行、昼食してきた。妻は鰻店での出来の良い懐石が美味しかったようだが、わたしは鰻茶漬けを、まずまず食べたものの、途中で吃逆にすこし苦しみ、わるくはなかったが美味くも食べられなかった。グラスの赤ワインも飲めなかった。
われわれの今日の目的地は、銀座線表参道駅から外苑前駅へのまんなかにある保谷眼鏡の店であったが、ああ、木曜休みを確かめていなかった。こういうミスをこの三年ほどに三度は犯している。新国立美術館、泉屋博古館、そして今日。三度とも夫婦揃っていてこれだもの、老耄いかんともし難い。
仕方なく表参道までぶらぶら歩いて戻る途中、「タルボット」で、妻はアンサンブルの若々しい上着を買った。支払いは、わたし。頼りない足どりに付き添って貰っているのだから、当然とする。
渋谷へもどり、副都心線で一気に保谷まで帰ってきた。ほんとに便利になったものだ。本が読めなかった。は疲れてうとうとしていた。
* どこでどんな店を見ていても、やす香がいたらなあと思う、服でも靴でもくらでも買ってやれたのに。新宿小田急だったか、いや渋谷東急だったかで初めて妻が服を買ってやったときの、やす香の嬉しくてたまらない笑顔を忘れることが出来ない。「タルボット」にもやす香連れで入ったことがある。
それにしても妹の押村みゆ希は、どうしていることか。どこか大学に進んでいるのだろうか。
大人達の頑なな事情の中で、両親に秘して姉のやす香が進んで自ら祖父母の家へ通うようになったのは、カリタス高校二年か三年だった。姉といっしょにやがて妹も来るようになり、この中学生、対の碁石で祖父を負かしたものだ。成人して、もう、いろんなことが分かってきただろうと思う。のびのび成人していて欲しい、病気などせずに。
2012 5・31 128
* 時代が古いことでは、もうすぐ掛けようと思っている「義政」の「海上蛍」と題した歌短冊が手元にあり、さすがに半信半疑だが豪奢な表具が気に入っている。「表具の値段や思て買おとおきやす」と出入りの道具屋に叔母が薦められれていたのを覚えている。わたしも賛成した。短冊そのものも古色を保って高雅で、書も捨てたものでない。将軍というより趣味者であった足利義政を想像しながら例年、 季節になると持ち出している。
じつは、それよりはるかに気に掛けている物に、大徳寺「江月宗玩」自筆の梅繪に賛という一軸があり、「伝来を証した書簡」と古筆了以の「極め」が附随している。江月は、大徳寺住持で後水尾天皇より大梁興宗禅師の号を勅賜されている。信長や秀吉に仕えた堺の大商人で大茶人であった津田宗及の子であり、堺の南宗寺住持でもあった。
書をみるのは何より好き。厚かましくも岡倉天心、幸田露伴から會津八一や魯山人ら名だたる十八人の名前をならべた井上靖監修古美術読本「書蹟」巻を編集(光文社 知恵の森文庫)してもいるのだが、「古筆」の鑑定はとても出来ない。しかし、何となくわたしは此の江月繪賛に真蹟の匂いをかいでいる。遺墨は比較的多く伝存し珍重されていると『原色茶道大辞典』にもある。古筆研究の小松茂美さんがお元気な間に鑑て貰っておきたかった。
同じく千家茶道の祖である、利休の孫、千宗旦の消息を仕立てた、いかにも時代の一軸も手元にある。およその読みも利いて、これまた茶掛けとして風雅な感触に満ちていて、大事にしている。
義政の短冊はともあれ、江月も宗旦も、真蹟と知れればわたしなどが握りしめているより、しかるべき施設に寄付していいとも思っている。
なににしても思い屈するようなとき、美しさも奥行き深い書や工藝の数々に目をふれては、励まされ癒やされる。なかなか家常の什物としては扱いにくい物もあるが、軸や額は掛けて楽しめる。
2012 6・3 129
* 人間の暮らしが放埒になると、人は病みまた自分で自分が統御できなくなる。医療と裁判とが登場して力をもつ、不当なほどにもつ。医療は精微に発達してたしかに人の命と健康とを支えてくれている。感謝に十分値しているとわたしも躰を委ねている。
もう一方の裁判はどうか。これは医療進歩と横並びには考えられないほど異様に裁判自体が大きな過誤を連発し続けている。わたしも些少の体験を得て、裁判のばからしさをしみじみ実感した。わたしは自分から裁判になど持ち込まない、自分で出来る判断は自分であくまで配慮する。それの能う出来ない者だけが裁判沙汰で、卑小で凡庸な欲望や処罰を実現しようとする。しかもそれが大概成らないか、また裁判関係者がぶざまなほど勝手な過誤を犯して、罪なき者を痛めつけたりする。裁判沙汰にしたい者も裁判する者たちも、所詮は愚にひとしい気がする、例外はあるとしても。
2012 6・8 129
* 週刊朝日に秦建日子が亡き恩師のつかこうへいを偲ぶ署名記事を書いていた。はからずも建日子は二人の「こうへい」に刺戟されてきた。
自転車で転んで手の骨を折ったりして、どうする。怪我と事故とは本人の心がけで防げるはず。
2012 6・8 129
* 妻が、父の日にと、オリンパスのICレコーダーを買ってくれた。出先などでの着想を、書き留める代わりで、昔、北海道を経巡ったときにも旧式のテープレコーダーを役に立てた。ペンシルタイプではないが、ポケットにも簡単に入る程度の小型軽量なのが有り難い。感謝。うまく使いたい。使えると好いが。
2012 6・9 129
* 小雨。隣棟の狭い庭にも、まさしく草木舒榮、何の花か、あれは十薬か、白い小さい花が一面に群れたまま、桃や椿や木蓮や、なにやら知れない木々も雨に濡れて静かだ。
此のわが家から垣根一重の隣棟は、むかしは、サンケイ記者で中国通で知られた故柴田穂さんの家だった。奥さんは歴史学の泰斗黒板博士の娘さんと聞いていた。お二人とも亡くなり、遺族からわたしたちが買い受けた。今はもっぱら「湖の本」の書庫であり、また集めた資料の保存というより放置処になっている。一応二階に一部屋、私の書斎があり、付属して隣室の書架に百数十種もの自著や共著を各復数冊保存してある。が、ほとんど今は使用していない。建日子が来てそこで一仕事して行くこともあったが、それも遠のいている。「世界」連載の『最上徳内』、新聞連載の『冬祭り』などをわたしは此の書斎で書いたが、以来、隣まで出向くのが億劫なのと大方機械で書くようになったためとで、此の東棟の二階機械部屋を書斎にしている。本やものが乱雑に混雑した中に埋められた恰好でキイを打っているが、どうやらそれがある種の親しみや温かみに感じられるようになっている。出来れば命果てるまで此処に蹲っておれればいいがと願っている。
*怪我のその後はどうか。 質問。
建日子 FACEBOOKのたわいない「呟き」 がひっきりなしに届くので、元気らしいとは安心しています。週刊朝日の署名記事、読んだ。
質問 いま、一等魅力と実用性に富んだI T 製品を二つほど、具体的に教えてくれないか。
便利そうな小さな録音機を、母さんが通販で買ってくれました。携帯できるノート代わりに活用したい。
いま、湖の本新刊の発送中です。
気温差のはげしいこの季節は、毎年母さんの体調優れません。今年はわたしも変調に悩んでいますが、気は確かです。
怪我も事故もなく、どうか。 父
☆ それは、なんといっても
iPadでしょう。二位はないくらい突出してます。
強いて二位をあげるなら、昨日発表されたばかりのEOS キス。一眼レフのデジタルカメラです。
iPad。 ここで買えます。
http: //www.apple.com/jp/ipad/
どうせなら、一番メモリの多い64G をオススメします。何が出来るのかも、全部上記のサイトに書いてあります。
0秒で立ち上がる。持ち歩きしやすい。バッテリーが長時間持つ。デジカメで撮った写真を大きく飾れる。
青空文庫という無料のアプリを入れると、夏目漱石などの明治の文豪の作品が無料で読み放題です。
EOSKISS
http://cweb.canon.jp/camera/eosd/kissx6i/index.html
6月末発売予定。
ちなみに旧型ならぼくは持ってますしレンズもいろいろあるので、欲しかったら言ってください。 秦建日子☆TAKEHIKO HATA
* やっぱり
よう分からんので。新しいパソコンを買おうかと思います。
いま主に使っているデイスプレーでの機械が古すぎて、いろいろ支障が出てきました。たとえばFACEBOOKにしてもこのシステムでは使えないといったことで、音響も出ない、音楽も映像も使えない。インターネットエキスプローラーも程度が低すぎるらしい。
今のコンテンツを新しい機械に移すのを考えると、メンドクサイ限りだけれど、対応しないまま全体がいつか大破しないかと心配で。
母さんのいい写真送ります。六月八日に神戸歯科に出掛けたときのもの。赤い服は父さんが見付けて買いました、青山で。
愛用の KONICA MINOLTAいつも持ち歩いています。使い方が悪いのか、日付など出なくなりましたが。
右眼が、極端に見えづらくなり、困ったことです。
大事に、元気にやって下さい。 父
☆ 大画面ノート
というのもいろいろ便利です。 建日子
たとえばこれなんかどうですか?
http: //www.dell.com/jp/p/inspiron-17r-se-7720/pd
ぼくのあげたバイオ・ノートは使えませんか? かなりのハイ・パフォーマンス・マシンですが。
デスクトップなら、DELLをオススメします。
http://www.dell.co.jp/
通販なので家まで届いて楽です。
セットアップはぼくがしに行ってもいいですよ。
* 「ぼくのあげたバイオ・ノート」 これが、いつまで経っても使いこなせない。まだホンの入り口で立ち往生したまま。妻の買ってくれた録音機も、説明書の字が小さくて読みづらく、稼働までだいぶかかりそう。
わたしは、根が、父のラジオ・電器商をとても嗣げなかったように、根深い機械音痴なので。
ま、結局は現状依存のまま破局へ歩み寄って行くのだろう、そうなれば、そうなったときのこと。
2012 6・11 129
* 夜前、ついに超大作のロマン・ロラン作『ジャン・クリストフ』を読み終えた。いつ読み始めたか知れない、毎日読んでいて、二年もかけたのではないか。一人の、「じつに人間的な藝術的・音楽的人間」の生涯を、独仏伊の文明批評と多彩な人間関係とともに豊饒な、ほとんど饒舌にも間近な健筆で描ききっていた。
彼クリストフをかくも意志的に豊かに生かし得た根底は、母や父や叔父や、またかけがえない友や、堪らない敵や、さらには何人も何人もの女性達との悲喜こもごもの愛の出逢いであった。読み終え、印象に残って揺るぎないのは、それである。そして最期の、かつて書かれたことのないような臨終の美しい静かに昂ぶる音楽的な昇華。
ジャン・クリストフこそは不屈の「藝術家」であり、それ以上に圧倒的な「人間」であった。それを書いて顕したロマン・ロランも大きな藝術家であった。胸に刻んだたくさんな好い言葉が、優れた表現が、無数に在る。わたしは、鞭打たれる心地でそういう生きて光った言葉を聴き続けてきた。
それにしても長い長い長い大長編であった。トルストイの『戦争と平和』など長さなど嘆じたことがない、悦ばしい気持ちのまま読み始めていつしかに読み終えた。『源氏物語』もそうだ。だが『ジャン・クリストフ』は、あまりに長かった。
* どういうクリストフに、わたしは共感していたか。
☆ 「魂の孤独にたえながら藝術の、政治の、宗教のどの党派にも全く加わらず、どの人間的グループからも独立して生きていられる」クリストフ。
これはわたし自身が七十六年かけて「理想」とし「実現」してきた姿勢だ、まだ不十分にしても。
彼クリストフは言い続ける、「君らは一つの秩序を欲しがっている。そのくせそれを自力で作り出すことができない」「自分の足だけで前に向って歩きたまえ!」「君の根を大地の中におろすがいい。君の緒法則を発見したまえ。君自身の内面を探求したまえ」「君は自分の前進のためには、君の肩に家畜に対してするように番号のしるしを附ける一人の主人をもつことがどうしても必要なのかね?」 ほとんど、わたしの願いや思いを代弁してくれている。自律した藝術家には、これがほんものの生き方なのだ。
☆ 「自分のほんとうの考え方とは別な考え方を装って隣人に似ているように見せかけたり、隣人に遠慮してみたりしたところでそれが何の役に立つか? それは誰にも役に立たずにしかも自分を破壊するだけのことだ。第一の義務は、ありのままの自分自身であることだ。『これはいい。これはよくない』と言えるだけの勇気をもつことだ。弱い人々に見ならって弱くなることによってよりも、人間は自分が強くあることによって、弱い人々に対していっそう多くいいことをする結果になる。既になされた弱点に対してはできるだけ寛大であるがいい。しかしまだなされてはいず、そして、それがなされることは弱点(=悪・政治暴力)にほかならぬようなことについては常にきびしくあれ!」
☆ 「アラビアのあのことばをもう一度思い出そうではないか――<実を結ばない樹々を人は苦しめもしない。梢が金いろの果実を冠のようにかぶっている樹々だけが石を投げつけられる――>」
「老人どもは若者らのところへ学びに行くべきだ! 若者らはわれわれから学んでわれわれを利用した。そして彼らは恩を知らない。これは正当な順序なのだ! ……しかし彼らは、われわれがしてきた努力の成果に養われてわれわれよりも更に先へ進み、そしてわれわれにおいては試みであったことを彼らが実現する。
われわれの腕によって開拓された勝利の道をわれわれの息子たちが前進して行く。」
* 息子は、聴いているかしら。
☆ 恋にも友愛にも性愛にも当たるこんな美しいことも、クリストフ=ロマン・ロランは言っている。
「愛し合う二つの精神の玄妙な融合。両方が、それぞれのもっている最も善いものを相手から奪い取り、しかし奪ったそのものを、結局は愛情を添えて相手に返し与える」と。
「二つ」が「一つ」になりうる核心を謂うている。
2012 6・14 129
* ホテル・オークラから会員宛のお知らせや宣伝がメールで来る。オークラ会員に、人の紹介でなったのは太宰賞受賞後の早い時機であった、紹介してくれたのが誰であったかも忘れ果てている。四十年は経ってしまっている。遠いのでめったにオークラまでは行かないが、たまに気まぐれでうまいものを食べに出掛けた。
このホテルの会員証は期限がなく、最初に貰った会員証がそのまま今も使える。この太っ腹には感心している。
帝国ホテルの会員になったのは娘の朝日子を「光の間」で結婚させて以降で、「ザ・クラブルーム」を専ら愛用してきた。手術後、酒類がまだからだに合わなくて、今年度継続会員としては一度しか顔出ししていない。このクラブは見るところ社用族が専らで、わたしたちのように夫婦で飲みに食べに話しにも来ている例は、ほぼ皆無。座り込むと落ち着くし、ホステスたちとも夫婦して仲良くなっているので、捨てがたい憩いの場。校正の仕事を抱え込んで独り坐りに行くことも多かった。ことにペンの理事をしていた頃は、東京會舘での理事会あと、真一文字に帝国ホテルへ足を運んで、ゆったりリフレッシュしていた。
ホテル・オークラは、たしかに食べ物がうまい。近くの泉屋博古館からいつも招待券がくるので、寄る気ならオークラで食べてこれる。行こうかな。
2012 6・14 129
* 晩、建日子が帰ってきて、わたしのコンピュータなどを点検し、いろいろ教えてくれた。ただし頭が悪くなっていて、どれだけ呑み込めたか疑問ですが。ありがとう。
十時半に都心の仕事場へ戻っていった。
2012 6・15 129
* 建日子の、昨晩教えていってくれた大方が、霧の消えたように頭から流れ出てしまっている。理解力よりも記憶力が衰えている。いや理解力がもっと衰えているのかも。
この親機はあまりにシステムが古く、windows 98とMeとの混合で、とうてい今日のさまざまにフィットしていない。
子機ですら、当時の最新鋭機LaVie だったが、今はもう古い。それでも卒業生に親機と連結してもらい、親機のコンテンツは大方子機へバックアップ出来ている。建日子は、親機にはもう引退してもらい、新しい機械に買い換えたらと、昨晩も熱心に奨めてくれた。買うは簡単だが、今の親機の内容を新しい機械に移さねばならず、そんなことを思うともう頭の中がざわめいて、すでに混乱状態。情けないことだが、実は、コンピュータを使い始めて十数年、初めから今まで、わたしの機械への理解力は無いに等しく、ただただ手探りのマグレ当たりのまま来ている。
子機の方で建日子はFACEBOOKの新設定をしていって呉れたのに、今朝になると、どの手順でFACEBOOK画面が機械に現れ出るのか分からない始末。そもそもFACEBOOKの何であるかもよく分かっていない。「 mixi」 のようなものか。「 mixi」 からは今はもう撤退同然、まるで疎遠。今更に FACEBOOK でもあるまいと思う。
2012 6・16 129
* 今日は妻と息子とが、どこだか、六本木の方まで津軽三味線を聴く食事会とやらに行く。わたしは晩方留守番して、好きに読書など楽しむ気。以前ならこの「など」に食うや酒を呑むが入ったのに、今は二つともすこぶる気乗りしないとは、やれやれ。読書で疲れたら妻の帰宅までぐっすり寝ているという安楽もある。それがいいかも。いやいや今夜の日曜には、「平清盛」や「トンイ」最終回もあるのだった。
颱風が来ているとか。せめて今週のうち、出歩きたいとも願うが、杖と傘とを両手に持つのは気乗りしない。
2012 6・17 129
* やす香の親友からメールが届いた。就職した職場にうまく馴染んでいるか知らんと想っていた。やす香もわがことのように喜んで応援していることだろう。
☆ 父の日
おじいさま、おばあさま こんばんは。お久しぶりです。
今日は父の日でした。
みんなで食べるケーキを買おうと、ソラマチへ行ってきました。ソラマチは、スカイツリーの下にあるショッピング商業施設です。数百店以上が集まっている場所のため、人も本当に多かったです。
せっかくのスカイツリーも近すぎて、見るには思いきり見上げなくてはいけませんでした。ちょっと首が痛くなりました…スカイツリーは、遠くから眺めるのがちょうど良いようです。
最近の私は、*町で研修をしています。配属は難聴者用の字幕放送をする部署で、私の希望するところでした。
その中でも仕事は2つあります。
1つは、できあがったテレビ番組の映像を受け取って、データ化をする仕事。
もう1つは、データ化された映像に字幕を打ち込んでのせる仕事です。
後者の仕事は、映像を見て、聞こえた日本語をそのまま黙々と打ち込みます。まるで職人のようなのです。
現在はそこで研修をしているのですが、とっても楽しいです。職場の雰囲気はとても居心地が良いです。みなさんが、いろんなことをきちんと教えてくれます。
慣れない仕事で大変ではありますが、楽しみながら何とかやっています。
実は先日、家族が増えました。4~5歳の三毛の女の子です。夫と相談し、ソラと名付けました。なぜなら、ソラマチがオープンする前日に出会ったからです。ソラちゃんとの出会いは、会社からの帰宅途中。家の周りにいるところを発見しました。そしてその場でソラをかまっているところに、近所に住んでいるという女性が近づいてきて、少し立ち話しました。
どうやらその女性の家にいる猫の餌を、ソラが盗み食いをするので迷惑しているのだそうです。その言葉を聞いて家へ連れ帰ることを決めました。
今では元気いっぱいに部屋中を駆け回り、悪戯しています。野良生活が長かったせいか、そんなに懐いてはきません。少しさみしい気もしますが、お互い上手く距離を保ちながら暮らしています。
それでは、またメールします。 稟
2012 6・18 129
* 入浴しながら本を読むと知ると厳しく叱責して下さる読者がある。が、やめられない。ことに現在は湯に漬かっていると少しでも腹部が軽い、柔らかい、少し落ち着いてくれる。
建日子が、七月の初めに二三日でも蓼科へ行かないかと誘ってくれたけれど、この重苦しい腹具合のまま蓼科までの車での往来はいかにもシンドイからと、折角の親切を断った。京都という誘いもしてくれたが、京都は京都なればこその気難しいしがらみもある。せっかくだから菩提寺へなどと真っ先に思ってしまう。
もっと近場の温泉があれば、湯に漬かりたいなと言うと、熱海か箱根かと問われている。四度の瀧の大は子などと言うと、妻は放射能でダメよと。東北へはどうしても足が竦む。地震もおさまっていない。
* 明日は桜桃忌。昭和四十四年(1969)の太宰治賞受賞から、満四十三年経てきた。作家生活五十年は、平成三十年(2019)か。健康からしても無理か。ま、一日、一日の積み重ねに堪えて行くだけのこと。それも、妻や、建日子とともに
2012 6・18 129
* 颱風一過、蒸し暑く、猛暑日にもなりそうと。
昨夜はテラスで、ベンジャミンの大鉢の倒れたのを、吹き降りの雨に打たれながら、安全なところまで引きずっていったりした。
2012 6・20 129
* 門玲子さんの「私の高齢期」を校正し終えた。途中何度か身にもつまされ衝き上げられる感動に、身を硬くし泪を堪えた。
「 e-文藝館= 湖(umi)」への掲載の作業は、落ち着いて明日にしようと思う。門さんの場合は「介護と仕事」、私の場合は「病気と仕事」それぞれに「仕事」を励みにも救いにもしている。生易しい日々ではない。
妻や息子に、大きな負担をかけたくないと、しみじみ思う。わたし自身が妻や息子の元気に生きる力になってやらねばならない。 2012 6・27 129
* 昨日、気に掛けていた建日子へのメールを送った。きっぱりモノの定まり無い甘えたメールであったが。
* 建日子 いろいろと
親切に気をつかってもらいながら、意気地なくクスリとあらがい過ごしています。
くるまで蓼科まで行ければいいのに、つい長距離・長時間に、躊躇ってしまい。それでも、どこかへ自動車に乗せて欲しいなあとは願っていますが、さて、どこもよく知りません。
お奨めの小劇場芝居で座席のとれそうなところなら母さんと行けていいとけれど、今言うて今は、ムリと思う。
「四度の瀧」の東北はまだまだ地震がやんでいないし、放射能汚染もある。今日も病院の三階外来で強い揺れを感じました。
体調は、いいとは言えませんが、痛いというような苦痛とは違います。気力をおびやかす、しつこいダルさ。食餌がほんのお義理程度しか摂れないまま、抗癌剤はきちんと服用しています。
眼の手術の迫ってきたのも、胃全摘以上に気分のわるいことです。
湯に漬かっているとき、横になって寝てしまうときが、らくです。
銚子とか館山とか、ひろい海がみたいと思うときもありますが、災害とは出会いたくない。
こういう煮え切らない日々を過ごしています。
またの入院のために、たまたま手に入ったお金を宛てようと、奨めてもらったパソコンを諦めていたけれど、機械の前にいるときは、体違和をいつも殆ど忘れられているので、思い切って買おうと思いかけています。そのためには部屋の模様替えが必要になるかと、今は、そういう労作が不可能に近いほどからだが萎えていますが、最小限の場所をつくって我慢しようかと。
ま、なにもなにも極まりのつかない日々ですが、病気を躱し躱し、頑張ります。
これは、親切へのお礼のメールだから、気に掛けなくていいです。
元気に、怪我も事故もなく良い仕事、心ゆく仕事を楽しんで下さい。今月は連続ドラマがあるとか。楽しみにします。 父
☆ パソコンは買いましょう!
ぼくからのプレゼントでもいいですよ。
面倒な最初のセッティングはぼくがやれるし。
大型のノートか、省スペース一体型のデスクトップなら、たぶん、部屋の模様替えすらほとんど必要無くやれると思います。
いかがですか? ☆秦建日子☆TAKEHIKO HATA ☆
* 建日子がコンピュータを使い始めたのは、わたしよりもずーっと後のことだが、今は彼、I T 製品の大通らしい。ウーン
2012 7・4 130
* 今朝、あの大河ドラマ「江」で彼女の夫になる徳川秀忠を好演した、向井理クンがテレビで話していた中で、座右銘というか好きな言葉として「禍福は糾 (あざな) える縄の如し」と挙げているのを、頷いて聴いていた。いいことも長続きはしないしわるいことも長続きしないとは、わたし自身の実感でもある。例外もあろうが、概してそのように生きてきた気がしている。
そうそう言い忘れたが、向井理クンが今度主演する連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」( 日曜夜九時) の脚本は、秦建日子と。
2012 7・6 130
* 連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」(秦建日子脚本)第一回、申し分なかった。殺しドラマばっかりにいつもウンザリしているので、出だし尋常、山も美しく、主演の向井理は元々好きなので、見やすかった。あれは小池栄子ではなかったか、彼女の助演といい、笹野高史の顔が見えたことといい、嬉しいサービスだった。もう一人芯になってくる助演女優尾野真知子の今後にも期待したい。 2012 7・8 130
* 九時半に一度起き、朝食不如意で全身けだるいまま、こんなときは寝るに限ると昼すぎまで、左手に眼鏡を掴んだまま正午過ぎまで夢を観ながら熟睡。
昼食も意のままには行かず、おそらく不調の原因の一つであったろう排便に強硬にこぎつけた。少し視野が明るくなったか。
昨日の晩、蓼科から帰りの建日子が寄ってくれ、蕎麦などみやげをくれた。わたしは茫然と眼を閉じて坐っているのが限界で、気の毒にほとんど対話も出来なかった。わたしの痩せているさまに母に驚きを隠さなかったようだが。
* 午后にも二時間余寝ていた。
夕食はやや食べた方か。
2012 7・11 130
* せいぜい朝寝してと思ってもほどほどに起きてしまう。
今度の建日子ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」日曜夜九時のヒロイン尾野真知子が、「山名さん」の番組でインタビューされているのを聞いていても、すみずみまで理解しているし新聞もちゃんと読めるけれど、躰は雲に浮かんでいるようで茫然自失、起つ気にもなれず起っても歩く気になれない。それでもよたよたと庭に降りて咲き盛りの桔梗の鉢を写真に撮り、よたよたと二階の機械の前まで来た。此処へ坐ると、すこししゃきっとする。
体温36.2度 血圧98-59(75) 血糖値117。血圧が異様に低い。ドクターは抗癌剤の影響と摂食障害のせいであり、しかし血圧が高いよりいいんですと。ただ茫然自失の如く、寝ているのと同じ。
いま、わたしの安心の場は、便座。両膝に両肘つき両手を握り、頭を深々下げ瞑目しているとそのまま昏睡に近く眠ってしまう。きつい便意が来ようと尿意が来ようと、そのまま安心して寝ておれる。
2012 7・13 130
昨十二日 聖路加病院の食堂で
* 昨日、腫瘍内科の先生、秦建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」第一回、ご夫婦で観て下さっていた。わたしの新刊にも、こういう気持ちと姿勢で生きていらっしゃるんだなあと。感染症の部長先生も読んで下さっていた。文学好きで、歌集『少年』も喜んで下さっていた。
また、二十年ちかくも妻の主治医でいてくださった前の副院長先生とも、偶然院内で出会い、上機嫌で、こんどの『元気に老い、自然に死ぬ』はぼくらの必読書です、とてもよかった、いろいろ考えましたよと。
仕事を通して思いの繋がる励みと喜び。これこそが、力。
2012 7・13 130
☆ ロマン・ロランが言う
悪意をふくんでいる批評に対する最良の返答は、決して返答せずにどしどし自分自身の創造的な仕事をつづけることである。藝術上の不当な攻撃をいちいち相手にして必ずそれに返答するという悪い習慣に染まってはならぬ。
☆ ジャン・クリストフが言う
私はあなた(=大公)の奴隷ではありません。私は言いたいことを言うでしょう。書きたいことを書くでしょう。
* 息子の秦建日子にも甥の黒川創にも、これを伝えたい。
2012 7・15 130
* 建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」二回目、緊迫していい流れだった。瑕疵は強いて謂えばあるが、ドラマの基本姿勢が誠実なのは気持ちがいい。
2012 7・15 130
* 昨日河出書房から新刊の文庫本、秦建日子『サマーレスキュー 天空の診療所』が届いていた。
救える命は救いたいという著者の思いは、日曜夜九時に放映されているドラマからも確かに伝わってくる。姪のやす香に死なれた体験や、今度の父親の胃癌や母親の心臓の手術などに立ち会ってくれた体験が生きているのだろう。
子供の頃にはそうは言わなかった、「死んだら死んでしまいだ、死なんか考えないよ」と。そうは言いながら、漱石の『こころ』を読んでやると、途中で泣き出した。どうしたか聞くと、自殺した「K」が「可哀想」と泣いていた。体験を積み重ねながら、確かに生きて行く。確かに生きているようだと眺めている。
2012 7・16 130
* 家に届くのは来週の水曜というから、我が物として観られるのは先になるが、今日買って支払いもしてきたビュッフェのリトグラフは、洒落てすっきりと、美しい薔薇の花。いつか建日子がよろこんで持って行くだろう。かなりな奢りになったけれど、美しいモノを身の側に眺めるのは嬉しい贅沢の一つ。
2012 7・21 130
ーーー眼科入院手術による九日間の空白ーーー入院中備忘
秦恒平(オンコロジイ患者)の容態日録3 眼科入院九日間
2012 朝の血圧 朝の血糖値 日々容態
7/22 122-58(76) 87 朝食メロン1/4 パン1/4 ソーセージ1本 体調普通 聖路加眼科入院 診察 昼食食べる 湖の本113初校開始 妻を遊楽町まで見送りシャツ衝動買い建日子に遣る 白鵬全勝優勝逸す 平清盛・薄櫻記・ 建日子作のサマーレスキュウ、イ・サン観る 新しい目薬加わる 体調は良い
7/23 体調良 食餌も摂れている やや難尿 8;30診察検査各種 点眼各種 右腕に点滴の用意 昼血糖値12;45 サイプレジン、ネオシネジン、ミドリン点眼 校正進捗 主治医大越貴志子先生担当医稲垣圭司先生 15: 30 黄斑前膜除去のための硝子体手術と白内障手術 執刀医は主治医でも担当医でもない年配と想われる男性先生であった。一時間ほどで手術成功 苦痛なし 妻医師説明聞く 建日子見舞い来室 夕食 妻と建日子帰して 寝る
7/24 122 88 体温6 度5 分 片目で校正続行 朝診察 除膜等キレイに成功 体調良 三種点眼七時十時十三時十六時十 九時二十一時 食餌摂れている 妻来て帰る 校正・読書少しずつ イチローヤンキースに移籍驚く 原発政府事故調の不十分怒る 手先痺れ顕著
7/25 82 朝食後多量排便 腫瘍内科名取先生来室 泌尿器科診察8/16延期 下駄と甚平で外出 名取先生抗癌剤再 開は退院後からと 歓談 手先痺れにヒルドイドソフト軟膏処方 「 湖(うみ)の本」 113初校了 独りでシャワー なでしこジャバン試合少し観て 寝る
7/26 88 朝診察順調と 食堂パンケーキとオレンジジュース苦い 食物の大方苦い 妻冷えたメロン持参 下痢二度下痢止め服用 腫瘍内科山内先生名取先生以下来室 妻を新富町駅へ見送る 荷物半ば持ち帰る ショートケーキら買うも味無し 点眼ごとのガーゼ眼帯取り外し苦手
7/27 91 男子サッカースペインに勝つ ロンドン五輪開会式か 食餌まあまあ 味蕾ザラツき食餌大半が苦い 夕食鰻感謝 仕掛かり創作原稿点検思索心に動くモノあり 退院7/30かと。 持参のフアンタジー愛読 腫瘍内科名取先生抗癌剤服用は八月一日から再開しましょうと。 食餌口に苦いのが苦 浅草の花火今年は観られず゜やや頻乏尿か
7/28 五輪開幕 空腹感あり驚く 食べている 名取先生来室 午后診察術後右眼とてもキレイと 建日子と万有美と見舞い 栗饅頭など 妻も来る 送る
7/29 116 92 9:40 朝診察了 脚力快感 御飯食べられる 五輪のメダル連呼が不調を呼ぶ一戦一戦を真摯に闘え 退院を待望 眼科主治医も担当医も病棟病室に足を運んでこない 夕刻前親切な看護師に洗髪してもらう 建日子署名本にわたしの署名も添えて呈上 夕刻病院近隣治作辺を散策 平清盛・薄櫻記を楽しみ泪す インシュリンは朝昼晩に各4単位就寝前に6単位注射してきた トールキン『指輪物語』第二巻、マキリップ『イルスの竪琴』第二巻読了『中国古代寓話集』も荘子、 列子、 戦国策、観非子、呂子春秋を読み通してきた 明日は退院か
7/30 108-58 82 入念な朝診察と諸検査を経て本日午前の退院がきまる 9:20家で待機の妻に退院決定を伝え、手早く持ち帰りの荷も用意 数日滞っていた便が快調大量に 空腹感 次回眼科診察日決定 抗癌剤休薬が名取先生の配慮でやや延長されていて、お蔭で確かに楽。 病棟に預けた薬や診察券も戻され 新処方薬も抗癌剤はじめ幾つも 妻到着 病院請求書も調い、一気に退院手続き終わる 食堂で朝食にカレーライスがとびきり辛かった 食堂に隣接の画廊で北京出身の王亜君が描いていた『木立』を記念に買った 熱暑を避けタクシーで保谷に帰る 点眼その他の日常生活に戻る
「眼を病んで 手術(オペ)受けて暑い日家に 退院(かへり)来ぬ あるがまま あるがまま 仕事に向かふ」 湖
2012 7・30 130
* 昨晩は建日子の連続ドラマが五輪番組に食われて中止だったけれど、六時からの「平清盛」も、六時四五分からの「薄櫻記」もよかった。
聖路加の眼科病棟の看護師さんたちには「サマーレスキュー 天空の診療所」その他のフアンが想像以上に大勢なのに驚かれた。折良くノベライズ文庫がでたところなので、十冊余も献呈してきた。テレビはやはり人気者であるらしい。わたしのことなど、誰も知らない。サッパリと気楽である。
2012 7・30 130
* 夕食後に、近くの薬屋スーパーに、「ナンパオ」左眼用の保護強壮剤、 おーいお茶など妻と買いに出てきた。
黒いマゴの、甘える甘える。
七時、十時、十三時、十六時、十九時、二十一時に、二種ないし三種の点眼を欠かすことができない。わたしは、眼帯を外したいが、遺物や埃を警戒しなくては成らず、わけても打撲が危険。就寝時には金属の眼底を用いる。
2012 7・30 130
* 夜十時半過ぎて、目黒から保谷まで建日子、自転車で退院を喜びに来てくれた。三人で、福原愛の卓球戦を観ていたが、分がわるく、惨敗のおそれも目前に見えていたが、なんと最終セットで逆転勝ちした。すばらしかった。闘い抜く愛ちゃんの顔の美しかったこと。メダルの何のと言う段階でなく、こうして自己の力と集中とを傾注して一つ勝ち上がった、そこにすばらしい花があり、感動が胸の奥で熱く燃えた。しみじみとして「いいものを観た」と建日子は言い残し、深夜にまた目黒へ帰っていった。
こういう勝負にこそ眞の感動がある。なにものでもない、ただ徹底して立ち向かう姿。ほんとうに「いいものを観せてもらった」。 2012 7・30 130
* テレビの「平清盛」と「薄桜記」とをつづけて楽しみ、妻に同行を頼まれ、郵便局のポストと、ちかくの店での買い物に。この辺は夜道がくらく人通りのない道路工事場の縁り道など気持ちが良くない。低血圧でふらふらしているのだから、杖はついていてもやや脚もと心許ない。
今度は九時から建日子脚本の連続ドラマ「サマーレスキュー」三回目が待っている。そのあと入浴して、ほどほどに就寝と。
2012 8・5 131
☆ パソコン 建日子
クラッシュする前に、早め早めに変えていくのが吉だとぼくは思っています。
新機種買ってはいかがですか?
セッテイングに行きますけど。
見てみないとわからないけど、モニターが壊れただけなら、モニター変えれば旧機種まだ使える可能性も。。。
* バソコンのこと、ありがとう。
建日子
後始末にわあっと洪水のように用事が増えました。いろいろにバックアップしていて助かりましたが、常々ではないので、ここ半年余のコンテンツは消え失せました、いや見つからない。
旧機の画面が出ないけれど 子機との連携が生きている感じです。うまくすると復旧可能なのではないかという未練ももっていますが、今現在は使い物になっていません。なんとか救えるなら内容を救い出したい。クラッシュという感じ(過去に経験したのと)違う感じです。
それにしても或る限界に来ているのは間違いなく、新機種に遣い佳いややこしくないウインドウズ適応の機械がみつかれば、とは願っています。
今日と明日は聖路加へ。今日だけは母さんと。その次は十六日に腫瘍内科と泌尿器科へ。前立腺への術中・術後感染が執拗に残っている感じ。明後日からその日までは予定がありません。
抗癌剤に負けないで、敵対すべきでなく協調しようとつとめています。体調はヘバッテもいません。休み休み好きな本を読み、日記を書き、創作を楽しみ、入浴と睡眠を好んで、機会を得ては観劇など楽しみます。十七日に幸四郎父娘達のドンキホーテ観ます。楽しみ。月末にはやはり高麗屋の舞踊公演を二日間楽しみます。
九月にも歌舞伎昼夜、そして保谷のホールでの坂東三津五郎独演会を見に行きます。
母さんが、建日子に頼んで鎌倉へ行ってみたいなと。涼しく成ってからだなあ。
今度の文庫本『サマーレスキュー』、まずまず書けていると、楽しんでいます。物書きの根底は、想像力がデティールまで旺盛に生気溌剌と生きることと、文章が雑にならぬこと。両方とも新文庫うまいものです。
五輪も楽しんでいます。福原愛のあのがんばり。あの精神が団体の決勝にまで実っています。彼女、国民的なアイドルに成る天性の持ち主だね。
ではでは。怪我無く事故無く元気でね。お見舞いにも来てくれて、ありがとう。 父
☆ とりあえず、
前に勧めたDELLのパソコン、注文だけしておいてはいかがでしょう。
ぼくがセッティングに行くまでは、段ボールに入れっぱなしにしておけばいいだけですし。。。 建日子
* 従来子機に無整理に投げ込まれていた厖大な記事たちを整理し、しかるべく分類格納しなくては。「半仕事」のような用事が土砂石流のように出来てしまった。体調の微妙な違和が忘れられる。
2012 8・7 131
* 病院で建日子の新作小説『サマーレスキュウ』を読了。清潔さと優しさ。それが持ち味のママ、あっさりと、しかし涙ももよおす感動編に成っていて、今までのドレよりも抵抗少なく読めた。
2012 8・8 131
* 昨日の晩、建日子が来て、「指輪物語」映画三部作の第一部三時間を見せてくれた。どうかなと危ぶんだが、三部ともアカデミー賞の作品賞を取っていると聞き驚いた。あれだけの優れた超大作のファンタジーが映画化出来るのだろうか。その危惧はたちまちに一掃され、感嘆しながら見せてもらった。
大自然も、脅威の自然も、ホビット、エルフ、ドワーフ、人間、魔法つかい、亡霊や怪獣などの描き分けも、大危機や異様世界なども原作の味わいを相当リアルに再現し得ていて信頼できた。
映画の後、女子レスリングなど観て建日子は都心へ車で戻っていった。たぶん今日はわたしのために何だか新しいパソコンを選んで注文していてくれると。
2012 8・10 131
* 六十七年前、疎開先丹波の山なかで迎えた真夏の灼光と、ラジオで村のひとと一緒に聴いた陛下の声音を忘れない。負けたくやしさは無かった。京都へ帰れると目の前が夏の日射し以上に明るかった。
しかし実際に京都へ帰ったのは、一年余も後の秋のこと、腎臓を病んで満月のような顔になろうとしていたのを、母は咄嗟に引っ担ぐようにして亀岡経由京都へ連れかえり、家にも戻らずその脚で、昔からお世話になっていた松原通り樋口医院に担ぎ込んでくれた。巌先生が秘蔵のペニシリンを使って治してくださった。あやうく命拾いした。医院の二階座敷に師走も押し詰まるまで「入院」していた、一升瓶に溢れるほどの尿が出るまで。
その間に、わたしは二階座敷の本棚から、新潮社版世界文学全集の端本や漱石全集に初めて手を触れたのだった。母のおかげ、樋口先生のおかげである。
家のあった新門前通りから、祇園の花街や建仁寺の広い境内を通り抜けて、六波羅の坂道を東へ登って行くような樋口医院を父母はすくなくもわたしの主治医かのように頼んでいた。何故だろう。
2012 8・15 131
* 玄関内に、どさりと大きなダンボール函。建日子が熱心にすすめて買わせた、何ともわからないパソコンであるらしい。どうなることやら。わたしが箱を開けてあれこれするのは遠慮しておく。そのうち帰ってきて、建日子が何とかしてくれるだろう。
2012 8・21 131
* 体重66.2kg 血圧102-55(55)血糖値 102 服薬 朝、体違和無い。桃の朝食。
吉備の有元さん、再びすばらしい桃、純白にちかい、かすかに桃色の珍しい桃を五顆下さった。じつに美味く、ほの甘い甘い水気に命蘇るよう。有り難うございます。
* 昨晩、建日子が自転車で目黒から帰ってきて、届いていたコンピュータをすっかりセットしていってくれた。ディスプレイと一体型、マウスもキーボードもコードが要らない。あらましを遣ってくれたので、細かいことはこれから彼に教わることに。気分もふしぎに明るくなった。有難う。
それから、やはり持参の映画「指輪物語」第二部を数時間親子三人で楽しんだ。
わたしはこの作二度目を読んでいるさなか。一度目の読みもかなり克明に忘れていないので、映画の作画のみごとな再現、丁寧でリアルな再現に驚嘆しつつ、大いに楽しんだ。ここまで出来るのかと映画技法の進化にも深化にも敬服する。少なからず文学表現が寂しくなるが、とはいえトルーキンの原作は、映像に負けない適確で美しい描写とはげしい展開、たじろぐことが少しも無い。名作と謂うにみごと値している。
ただし大長編なので、せっかちな人、手荒い読みになれた人には勧めない。一行一行の美味をすいこむように楽しめる人ほど原作の確かさ美しさにしっかり溶け入れる。映画は、まだ、もう一部ある。
見終えて、あれで一時過ぎていただろうか、また自転車で目黒へ帰っていった。有難う。どうか怪我しないで、事故にあわないでと願い願い見送った。そして、床に。残しておいた稗史とファンタジー「南総里見八犬伝」「指輪物語」「イルスの竪琴」を楽しみに楽しみに読んで、こころよく寝入った。いまこの三冊が、胸の内で魅力を三つどもえに発揮している。建日子の置いていったSF「星を継ぐもの」も佳境に入ってきている。東洋文庫の「唐代伝奇集」1と2は読み終えた。読み継いでいるもう十数冊も、それぞれに読み応えがして競うほどにわたしを飽きさせない。
* 新機は、とてもまだ、思う画面すら引き出せない。慌てまい。 2012 8・24 131
* 「平清盛」が煮詰まってきて、今晩の「五十賀」の舞や歌のきそいも興ふかく観た。「薄桜記」は、ストイックな丹下典膳もさりながら初めてみるような柴本幸の離別された妻千春役が重みと魅力を出してきた。しかし浅野の殿中刃傷から、足がやや宙に浮かないかと案じられる。
今夜はまだ、九時から建日子作の連ドラ「サマーレスキュー 天空の診療所」もある。十一時には韓国の長い長いドラマの「イ・サン」も観る。日曜はそういう晩にしてある。
2012 8・26 131
* シネマスコープのように新機の画面広い。すこしずつ機能を試して行く。
facebook 何とも理解できないまま偶然に建日子の「お友達」なるべらぼうな人数の名前を眺めた。なかに東工大の人や、母方兄の孫娘らしいのやが入っていて「お友達」指名してみた。但し、それ以上の何もわたしは出来ない。一歩踏み込んだのかどうかも分からないしこっちから通信する道も知らない。
このホームページ内容が、新機に現在進行のまま転移しているのを確認できた。これは安心。
この二年ほどの写真を喪ったと思われるのが惜しい。わたし自身の自写像などみな消えた。花や風景・場所などを映したのも近来のは消えている。
2012 8・27 131
* 昼食後昼寝それから仕事 湖の本113の跋文を補足して要再校の用意終えた。明日、歯医者に行くときに郵送する。本文の三校も終えて、可能ならもう一度通読したい。
今日建日子が脚本を書いた連ドラ「ドラゴン桜」の途中を観て楽しんだ。
建日子のテレビドラマで、出来も良くて好きなのはと聞かれたら「ドラゴン桜」と答えるかも知れぬ。主役の阿部寛がこのドラマで溌剌としている。出演の他の生徒も補助の女先生長谷川京子もすてきである。なにより東大受験必勝を演じながら、かなり適確に東大などの在る社会を諷してかなり激しいのが、わたしの好み。
いま、新機に一太郎最新ソフトをテンストールしている。新機のデイスプレーは左右50センチほどか。かなり迫力。慣れればこっちで仕事が出来るだろう。
2012 8・30 131
* 年のことでいま思い出した、今年は暮れの誕生日がくると喜寿七十七歳になるのだった。病気つづきでそんな祝い事は念頭を落ちこぼれていた。古希の時は歌集文庫「少年」が折りよい記念になったが、今度は何のアテもない。平凡社文庫がいつ頃の刊行か、知らない。
* 「一太郎2012承」を本機、新機、ポータブル子機、そして妻の機械にもインストールした。かなり斬新に使い善くなっているのではないかと期待している。
むかしは機械のキャパシティが、東工大の生協で最初に買ったのが800MGしかなかった。2ギガになったとき嬉しかった。それが40ギガになったときは信じられなくて小躍りする心地であったが、まえに建日子が買ってくれたポータブル機械ではさらに飛躍的にギガが増え、こんど建日子が選んできた機械では全く信じられない数字になっている。感嘆していいのか、たんに科学が野放図なのかが分からない。
2012 8・31 131
* 「平清盛」ドラマの純文学めき、作者のセンスにわたしは共感の一票を呈する。わたしの根からの清盛への共感、後白河院への共感を、理においても聡く満たしてくれている。
「薄桜記」すこし大まかに事が運んでいるが、どうか案に相違したおもしろい展開を願いたい、典膳と小春のために。吉良家討入りで典膳と堀部安兵衛との決闘になって終わるなどは、つまらない。原作者に期待したい。
柴本幸という小春役が段々によい。他のドラマで見た覚えないが。上級武家の妻女らしさに、忘れていたものを思い出させる品位がある。
ほかで何作か見た松下奈緒とかいった女優の丈高い気品にも、似た味わいがあり期待している。
* 日曜の夜は、もう二つ、建日子作「サマーレスキュー」と韓国の「イ・サン」を楽しむ。
2012 9・2 132
* つづいて、秦建日子脚本の連ドラ「サマーレスキュー 天空の診療所」を観た。検事や刑事や人殺しがひしめき合うテレビドラマの世界では一服の清涼剤のように清々しいのが、父親からの褒美。それでよい。心ゆく仕事をして欲しい。
* 今日観てきた「かもめ」の中で、売れっ子作家のトリーゴーリンには、作中、「上手に書く、しかしツルケーネフやトルストイにははるかに及ばない」とレッテルが貼られている。
トリゴーリンの創作は、ただもう思いつきの継ぎ接ぎで面白づくに書かれているらしいことは、ちいさな属目や人の言葉からの着想をこまめなメモ書きしていることで分かる。おそらく彼は、彼自身の内面から噴出する主題や動機を持っていないのだ。おもしろく上手に書けるけれど、所詮トルストイには、ツルゲーネフには立ち向かえないのだ。
読み物の売れっ子作家には、藝術文学に遠く及ばぬ軽薄がつきまとって臭みのように離れない。我が命のいたみやよろこびから噴き出すような必然味が薄く軽く、要するにメモばかりに頼った思いつきの作しか書かない・書けないのだ。
トリゴーリンにしかなれないのでは情けない。ツルゲーネフやトルストイになって欲しい。建日子は、幼かった頃、ツルゲーネフの「初恋」や「父と子」を読んで感心していた。なつかしくそれをわたしは思い出す。
2012 9・9 132
* どうしてるかなあといつも噂していた亡きやす香の一のお友達から、声が届いた。情け深い声。放映関連のお勤めは、さぞ忙しくさぞ興味深くもあるのだろうなと想ってきた。夫君の海外留学は以前から決まっていたと聞いていた。新婚さんが半年でもべつに暮らすのはさびしいことでしょう、が、持ち前のがんばりと明るさで乗り切ると思っている。
やす香が今ももし元気でいてくれたら、何を励みに力づよく生きていたろうか。国連職員になりたいと言っていた。ならせてやりたかった。
☆ おじい様、おばあ様
大変ご無沙汰しております。
お久しぶりのメールです。
今日は大切なやす香のお誕生日。
何を欲しいって言うかなと考えていました。
私の誕生日に何度か写真立てをプレゼントしてくれました。
思い出や人との繋がりを何よりも大切に考える、やす香らしい贈り物です。
大切にするだけでなく、人と繋がる才能があります。
その才能は、誰もが真似できるわけではありません。
本当に深くしっかりと繋がることは、なかなか難しいことです。
それをサラッとやってしまうやす香は、私の憧れです。
そして、可愛らしいやす香のことを考えると自然と笑顔になってしまう私。
今日は私にとっても素敵な1日になりそうです。
今度の15日に**君がフランスのリールへ出発します。
半年間離れて暮らすことになりますが、そんなに不安はありません。
**君は自分自身の成長のために頑張る期間ですし、
私はわたしで、絵を描いたり、家を模様替えしたり好き勝手過ごそうと考えています。
淋しくなったら、少し電車に乗って姉に会いに行くのもいいかなとも。
何事もやってみなくては分からないので、今はとにかく**君を無事に送り出すことに専念します。
昔からの私の夢が、猫と一緒の一人暮らしをすることだったのです。
これを機会に、ソラと、この夢を楽しみたいと思います。
9月に入ったというのにまだまだ暑くて、昼なんて空に入道雲がクッキリです。
毎晩窓を開けては、冷たい良い風まだかな、と待ちわびています。
どうか暑さに負けずお過ごし下さいませ。
またメールいたします。 香
2012 9・12 132
* 秦建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」は最後まで清潔に、そこそこの感動ももりあげて実に行儀良く観ている私をも泪させてくれた。それで十分。俳優諸君も落ち着いたやくわりを元気に心地よく果たしてくれていた。
2012 9・23 132
* 留守中、かつて建日子が在学当時、早稲田中・高校で教頭をされていた橋本喜典さんから、九冊目の歌集『な、忘れそ』を戴いていた。感謝。
2012 9・26 132
* 強い颱風が近づきつつあるが、今晩は妻の叔母の通夜。五反田まで出向く。台風に遭いたくないが。
天気予報に従い、明日十時の告別式に参上することに。
2012 9・30 132
* 五反田桐ヶ谷斎場で、妻の妹はじめ親戚大勢にみな久々に会う。真新しい感じの広壮なこの斎場では、葬儀も出棺のお別れも火葬への見送りも骨壺への納骨も、お斎も、すべてがこの斎場内で済ませられる。初の経験。それにしても、癌はわたしだけでなく、親類の同年配の男性に、何人もの、いろんな癌体験者がいた。
2012 10・1 133
* さすがに今日は、いろいろに、疲れた。「死なれた」人たちの歎きにふれ、「病んだ」「いま病んでいる」人たちの苦渋にもふれてきた。妻の叔母の死に顔にもふれてきた。通夜や葬式に意識して遠のいてきたわたしが、なにを思って妻の叔母の死と火葬とを見送り、また大勢の親戚達にも顔を見せに出かけたのか、じつのところ自分で分からない。死者と、生者の多くに会いに行ったのだ、その五体にひびいた振動は、やはり、しんどかった。疲れた。
だが、わたしは、いくら疲れてしんどくても、そういう人なかへ出るのを、むしろこれからも敢えてしてみようとすら思っている。久々にペンの例会や、ゆるされるなら委員会のゲストとしても顔を出してみたいなと。一方ではいたずらに幽霊のように痩せて皺だらけの己れを人に見せに出て行くのは、悪い冗談かとも遠慮する思いもある。
2012 10・1 133
* 昨日は黒いマゴに「お留守番」を頼んでいた間に、美術展関連の招待や本の贈呈があったりした。
* 池田良則(遙邨さんの孫、わたしの朝刊小説『親指のマリア』の挿絵担当)さん、新刊本、ハガキ、日展招待券を戴いた。ハガキには池田さんのサインの入った「石榴」二顆の無彩画。白日会デッサン展が銀座で開かれる。中山忠彦以下46名46点が展覧されるなかに池田さんも入っている。
中山忠彦の現代美人に徹底した画蹟のなかで、わたしの贔屓の洋食店、根岸「香美屋」の店頭に、小品ながら印象的な一点のあるのを思い出した。池田さんには「裸婦」の無彩画を貰っていたのを、建日子が仕事場へ持ち帰った。
2012 10・7 133
* お茶の水女子大の教授をされていた三木紀人さんから「日本人のこころの言葉」シリーズに入った創元社刊の『鴨長明』を戴いた。三木さんは、昔も昔はお名前など確かめられなかった。なにしろわたしは東大と何の縁も無かった。文学部の書庫入りを可能にしたのは、仕事でご一緒した当時小児科助教授、のちには日大医学部長、学術会議会員になられた馬場一雄先生で、人物保証の紹介状を書いてくださったのである。の書庫で親切にして下さったのが、わたしと同年の三木さんだった。娘がお茶の水に入学して教授の三木さんを知り。三木さんの口から昔の出会いを告げ知らされたのだ。
御陰で論文も書けたし、後の長編『斎王譜 改題して 慈子』が生まれたのだった。
人は一人で生きてはいないのだ。
* その三木さん、当然ながら一番最初に「方丈記」の書き出しを「こころの言葉」に挙げておられる。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と。
記事の表題には「川の流れに無常を感じると。
いまのわたしは、これに「無常」よりも、より深く「常」を覚えている。
また「子を思う心のあわれさよ」と表題して、
「そむくべき憂き世にまどふ心かな子を思ふ道はあはれなりけり」という長明の歌が出してある。「子を思ふ道はあはれ」と解ってもいるが、わたしの場合六十に近い娘や五十になろうという大人も大人のわが子秦建日子を思って「あはれ」という時季は過ぎている。彼女も彼も、胸に恥なき歳月を追うて行くしか無い、わたしの務めは妻の健康と元気を見守るだけだ。
なんとなく、わたしは鴨長明に無用の感傷癖をおぼえるときがある。「方丈記」は名作であるが。
2012 10・11 133
* そうそう、今夜は建日子たちに、演舞場での幸四郎が名演の「勧進帳」を観せてやりたく夜の部の座席を送ってやった。たしか前から二列中央角席という絶好席を松嶋屋が送ってきてくれた。
☆ 勧進帳
歌舞伎今観おわりました!
素晴らしかったです
ありがとうございました! 建日子
2012 10・19 133
* 建日子帰宅 歓談。
2012 10・31 133
* 昨夜は例の自転車で目黒から建日子が帰ってきて、映画「指輪物語」の第三部四時間を、親子三人で十分に楽しんだ。よく出来た、壮烈で美しい映像の魅力を三人で三嘆した。読む方は二度目を第四巻、半ばまで読み進んで楽しみを尽くしている。はじめのうちは「八犬伝」の導入に魅されていても、物語が進行するにつれ、「指輪物語」の語りの精緻な美しさに、より惹き込まれている。
* これも昨日。福田恆存先生の劇作「明暗」を嗣子である福田逸さんが演出されるということで、「同伴者」ともどものご招待を戴いた。この作は漱石の「明暗」とは関連の無い福田先生独往の創造世界。
以前には「堅塁奪取」の見事さ、面白さ、怖さに痺れた。有難いお誘いであり、ぜひ大勢に観て欲しい。建日子たちにも観てほしく、追加で注文しようと思う。
2012 11・1 134
* 今月は能楽堂をはじめ、国立大劇場、新橋演舞場、そして妻ももろとも招待されている福田恆存劇の「明暗」を、息子の秦建日子も加わって三人で観る楽しみが待っている。その頃までになんとか少しでも安定した眼鏡が出来て欲しいが。眼鏡自体に動揺があれば何度でも作り直す気でいる。この闘いは苦戦し難渋するに相違ないが、根気よく執拗に押し返したい。
2012 11・9 134
* 今読んでいるゲーテの「親和力」は劇作や翻案には恰好の小説。またプーシキンの「ボリス・ゴドゥノフ」もロマン・ロランの「愛と死との戯れ」も、短篇の史劇ながら、激しかったロシア皇室の交代劇、また凄惨なギロティンが働いたフランス革命のさなかを、一つは僭帝の苦悶、ひとつは革命に翻弄されていまなお苦痛に息をひそめた人たちの、まさに「劇」作を成している。
劇作家で演出家でもある秦建日子が、巧みに翻案してこれらを日本や中国に持ってきても素適に生きる、感動的に生きる作だと思う。いずれもすばらしい傑作である。読んでごらん。
2012 11・11 134
* 夕刻まで睡れてよかった。入浴と睡眠とは、これもわたしの味方。
今日明日明後日と家におれる。珍しいこと。
近々の金曜には「反原発」を下に秘めた俳優座公演。 次いで日曜には、期待と不安の、新しい眼鏡が出来ている筈。そして月曜の歌舞伎は、江戸以来の顔見世興行。
松嶋屋仁左衛門の「熊谷」休演と聞いているのが残念至極、とはいえ代役に、音羽屋松緑とは、期待も大いに大いにあって、楽しみ。妻は「松緑」襲名の弁慶いらい大の贔屓。
「汐汲」の山城屋藤十郎は言うに及ばない、彼が扇雀・鶴之助の花形上方芝居で大いに鳴らした頃から、そして鴈治郎時代も通してのわれわれ大の贔屓。
大切り「四千両小判梅葉」の前評判も高い。音羽屋菊五郎御大以下、大勢の役者が勢揃いの賑やかな黙阿弥芝居が楽しめます。元気に観てきたいです。
その翌日は歯科に通い、その後は、二十九日に、これも期待に胸も熱くなる福田恆存作・嗣子福田逸演出、夫婦ともお招きの大作「明暗」が、建日子もふくめ、われわれを待ち受けている。
ようやく通院ラッシュからも徐々に抜け出して行けそうな気配で、有難い。
何でもいい、楽しめる限りは何でも楽しみにし、病苦と懸命に対峙し克服しなくては。
本音をいえば、「喜壽」の祝いに、師走の休薬期に三泊ほど京都へ出かけられないかと、半ば本気で願っている。こころおきなく京都に身を置いて京都の山川を眺め、空気を吸ってきたいのだ、墓参もしたいし、顔を見たい人もいる。新幹線は坐ってさえいれば、たとえ寝ていても済むし、京都はタクシーの使い道が東京とは段違いに好適なんだし。
無理で無ければ、出来れば建日子も一緒に行ければ最高なんだが。彼はいまもべらぼうに忙しそうだから。ムリかなあ。
主治医と相談すれば、止めるより奨めてくれそうな気がする。
* 九時半、完全に眼は霞んでいる。もう、よそう。
* 急遽 秦建日子のブログから。
☆ 仲間由紀恵主演の本格医療サスペンス「悪女たちのメス」続編放送決定!
情報解禁になりました! 「2」が実現できて、本当に嬉しいです。
11年12月にフジテレビ系で放送された仲間由紀恵主演の本格医療サスペンス「悪女たちのメス」の続編、金曜プレステージ特別企画「悪女たちのメス episode2 」(12 月21日・金 夜9:00-10:52 フジテレビ系) が放送されることがわかった。
「悪女たちのメス」は、コミカルでキュートな演技に定評がある仲間由紀恵が、冷徹でありながらも、命を救うことにひたむきな脳外科医・桧山冬実を演じて話題となった作品。今回の第二弾「悪女たちのメス episode2 」では、桧山冬実に降りかかる、医療ミスの疑いと、その陰に潜む悲しい過去、さまざまな思惑によって、起こされる事件の数々を描く。
また、仲間以外のキャスト陣には、医療ミスの疑いをかけられた脳外科医・白石由紀役に大塚寧々。虎視眈々と、執刀医の座を狙う脳外科医・理沙子役に山口紗弥加。病院が隠そうとしている真実に迫ろうと暗躍する医療コーディネーター、美原役に、木村文乃。さらに、前作に引き続き、冬美の姉、夏帆役として、西田尚美が出演する。
ストーリーは、石塚総合病院で、ある患者が術後に容態が急変、医師の白石由紀( 大塚) 、太田理沙子( 山口) らが必死に心臓マッサージをするが、その甲斐なく亡くなってしまう。これで立て続けに術後死が2 件も続いた。院長の石塚( 高橋英樹) は頭を抱える。数日後には、次のワールドカップ出場に期待がかかる現役サッカー選手・中川浩介の脳腫瘍のオペを控えている。石塚院長は、術後死の事実はもみ消し、中川のオペを別の病院の医師・桧山冬実( 仲間) に頼むことに…。
再び悪女を演じる仲間は「天才脳外科医・冬実が帰ってくるということで、うれしかったです。脚本は今回も面白くて、スピード感があり、サスペンス要素のある作品でしたので、楽しみに撮影に入りました」と明かし、「人が持つ野望や嫉妬など、登場する人たちのいろいろな思惑が交差し、そこに冬実の過去の事件も絡んできて、前回とはまた違った悪女たちが集まって来てワクワクさせられる展開になっています」とアピール。
さらに、自身の悪女な部分について「悪ふざけをしますね( 笑) 。監督をいじめたりとか…衝動に駆られます。監督がそうさせるのではないかと思うので、監督のせいです( 笑) 。監督が歩こうとする廊下をふさいでみたり。それは悪いなと思って、反省はするんですけど、なかなか直らないです( 笑) 」と笑顔で告白した。 (Yahoo!ニュースさんの記事から転載)
2012 11。13 134
* 十二月早くに 建日子が「いっしょに京都へ行ってもいい」と言ってくれている。妻は、黒いマゴのために留守居しようと言う。これは残念だが、黒いマゴも大事に世話してやりたい年齢へ来ていて、われわれにそれは親しく懐いているので、淋しい留守番に家に閉じ込めて出るのは可哀想。
建日子とは、彼の少年時代に一度、成人してからも一度、関西へ旅している。けっしてこれが最期と思っているわけでないが、超多忙の建日子が喜壽を祝って同行してくれるのは、とても嬉しい。新幹線の手配や、宿の手配なども頼まねばならないが、体調次第では彼にきつい負担もかけかねない。抗癌剤一週間の休薬期中に二泊と思っているが、さ、どんなものか。内心の予定では、帰ってきて翌日に腫瘍内科の診察を受ける。
あまり病状を軽くみて軽挙妄動になってはならぬが、ま、大丈夫だろうとも、かすかに楽観している。
* 八、九、十月の外出よりは減ると思っていた十一月も、十三回の外出、になる。ただ今日の、ボジョレーヌーボー予約のワインを受け取りに保谷駅まで出るのは、明日の俳優座観劇の帰りにと省略した。
十二月は、さすがに外出予定も減っていて、病院の診察や歯科眼科が若干加わってくるだろうが、加えて京都行きがあれば、楽しくもあり疲労も出ようか。
十日には尾上菊之助が花魁八ツ橋を演じる「籠釣瓶花街酔醒」が楽しみで。二十日には松本紀保らのミュージカル公演があり、出来れば喜壽当日には国立劇場での通し狂言、吉右衞門以下、華やかな顔ぶれの「鬼一法眼三略巻」が観られないだろうかと尋ねないし高麗屋にお願いしている。明けて二月の染五郎復帰、日生劇場の公演はもう確保できている。
着々と新歌舞伎座のこけら落としが近づいてくる。何としても観に行きたいなあと、そんな願いをも闘病の力にしている。
2012 11・15 134
* 十時半、さ、やすむとしよう。
妻は京都への旅をすすめてくれる。建日子も同行してくれる。
この体力や体調で、「軽挙妄動」になっては闘病の実を無にしてしまう。それが気がかり。行ってみたいが。
2012 11・16 134
* 手洗いに。蚊帳吊草の下へ小玉の赤い実がものの百も挿してあった。妻が、庭草に、京の杉田博明さんが花政から贈ってくれた盛り花の名残の赤い実を取り合わせたのだ。華奢で可憐な風情が嬉しく、手洗いにはいるのが心地よい。
2012 11・17 134
☆ 京都
ホームページ見てます。
せっかくのチャンスですし、12/3-5で京都行きいかがでしょう。
行きは出発を遅めに、帰りはチェックアウトしたら帰るだけ、と割り切れば、体の負担も最小限で行けると思いますが。。。
☆ 秦建日子☆TAKEHIKO HATA ☆
* re: 京都
建日子
一緒に旅など希有の好機かもしれないね。喜壽を祝って貰うこれ以上の贈り物はないね。
永く歩くという無理は出来ないだろうが、京都は車が使いやすいし。わたし自身は何でも食べられるわけでないけれど、建日子にそこそこの店を教えることは出来ます。楽しめるといいね。仕事に障りはありませんか。
十二時頃の新幹線で行き、帰りもそれぐらいで新幹線の切符がとれていると安心です。
どんなところへ建日子が行ってみたいか、それも楽しみ。
とくに人と会いたいといった望みはもちません。京都の秋色と山川の空気が目に胸に入れば幸せです。
宿は、三条・四条辺で、やはり祇園・東山に便利なところが有難い。河原町御池のオークラ京都ホテルなら、わたしに、カードがあると思います。
二十九日に福田恆存さんの「明暗」を一緒に観られるのもとても嬉しく楽しみにしています。
その日、観劇のあとに幸い時間の余裕があればいろいろ話し合えると思います。
生き急いでなどいませんが、建日子との機会は、ますます大切にしたいと、わたしも母さんも願っています。
では。怪我や事故や病気のありませんよう、人生安全運転してください、ぜひ。
メール嬉しく。ありがとう。 父
2012 11・18 134
* 建日子から新幹線や宿についての知らせが、晩にあった。抗癌剤からの負担はじりじりと濃くなってきている。しかも体が寒さに圧されている。出かける当日のことは予見できないが、出先のホテルでダウンしていては建日子が困惑する。軽挙妄動とまでは思っていないし多少の無理は利くと思うけれど、病人が無理を押すのも賢くないと、師走の京都行きを断念。建日子が同行してくれるという申し出はほんとうに嬉しかったが。その嬉しさを喜壽の祝いと受けとって置く。
こう書いている間も、涙目・霞み目だけでなく、うかとしていると涎も垂れかねない。五体の内、抗癌剤の副作用は、わが顔のほうへ攻めかかっている。そして手先・足の裏の痺れ。
2012 11・22 134
☆ 京都 建日子
わかりました。
では、旅行はまたの機会に。
次は三人で行けたらいいですね。
* 楽しみが先々にあると思うことに。建日子、ありがとう。 父 2012 11・23 134
* 「仕事」が疼くように動いてくると伴って勉強も調べも必要になる。
手元に史籍集覧本の『参考源平盛衰記』が全巻揃えてある。和綴じ古活字本、割り注が夥しく入る。普通に読む平家物語流布本はいわゆる語り本、この源平盛衰記は浩瀚な読み本で、双方の記事には繁簡の大差がある。この数十巻の読み本を読んで行く必要を感じて手元に積み上げた。興味をそそるかなりの発見が期待できる。
もう一つは実父について書いている、そのための父の筆になる原資料の厖大なのを読み解いてゆかねば成らない。これは只に興味だけで読めない、時にはわが生皮を剥ぐつらさも味わわねばならず、つい手がつかぬところが大量に残っている。
こういう仕事も、その実はとても楽しみな探索や探求であり胸がそよぐ。うまく行くとも限らない、しかし執拗に追ってゆけばこそ狩りの面白みも身に添うてくる。
2012 11・26 134
* 「おやじ」である実の父の草稿や日誌は、おおかた以前に一度目を通したが、平静に読めないことが多く、もともとの風呂敷包みにして蔭に置いていたのを、覚悟も決め、また機械の傍へ持ち出した。へんに身構えずに、わたしの散文が書きたいもの。゛
2012 11・27 134
* 機械画面が眩しくてもうとても堪えられない、やすむことにする。
明日午後の楽しみは、劇団昴の主宰福田逸さんから夫婦招待の恆存先生作『明暗』を、サザンシアターで、建日子も一緒に観ること。感銘深い舞台が福田逸さんの演出で観られると、すこし嬉しい期待に緊張さえしています。明日で抗癌剤服用は、また一週間休薬になる。重苦しくよたよたした体勢を、しっかり立て直したいもの。 2012 11・28 134
* 昨日の恆存劇・福田逸演出「明暗」は深く考えさせる優れた出来であった、しかし理解の及ばぬまま刑事の謎解き芝居と受けとったかも知れない、とんでもない。
事実ややこしい乱脈を極めた裕福な親類一族の間で殺人や自殺も起きる。よそからは「良家」とも見えたろう一族である。そこには秘密もその暴露もありうべからざる一族間の情事や恋慕も、或いは陰湿に或いはあっけらかんと、遠い過去から現在にも断続・持続している。そんな状況の中で、まこと恆存劇らしい緻密な理解で一人一人の人間の性根がのこりなく表現され、劇の全体が「この人間 奇態な生き物」の陳列となっている。一人として見逃されず容赦なく科白を通して人物の「アク」が表現されている。胸を張って清廉の語れる誰一人も実在せず、その「あらわれ」として彼らの科・白すなわち言動の「言」は下心ゆえに拙な口ごもりがちとなり、また内心の影に押されて誰もが「おどおど」と殆ど棒立ちで立ち位置を変えて行くだけになる。福田恆存の痛烈な「人間批評」として劇は「劇しく」推移して行き、誰もが秘め持っていた人としての弱みや秘匿が明るみに出て、一組の夫婦は、久しい空しかった情事と幼子をめぐる哀れな死のゆえに、そして一人の母親も同様の持ち堪えがたい秘密のゆえに、自殺しまた昏倒死してしまう。
「明暗」の「暗」は歴々と舞台に魔のように渦巻き、「明」とはその魔を負うた人間の深淵が一刑事役の追究で暴露されてゆく中に表れると、ひとまずは、理解できそうだ。
「人間」の、ほとんどどうしようもない「魔」と「痴愚」とが、冷然と美しく深く整った「日本語」と「行儀」とで表現された、福田恆存劇の一代表作として、観客へのきつい挑戦作とも成っている。嗣子福田逸さんは、この「難しい」劇を、ともあれ適確にかつ筋を明快に通した演出に成功していた。これまた途方も無く難しい「表現」であったろう。
わたしも現に、「人間」の難しさに少しく挑んで創作に苦闘している。恆存先生の凄みに打たれてきたのは、逸さんからの励ましかとビリッと来たことを書き添えて置く。夫婦ともにご招待いただき、秦建日子にも観てもらえたのは、感謝にたえぬ有難い事であった。妻や息子にどんな理解がありえたかは、敢えて問わないでいる。「人間」を観る尺度も角度も、いろいろだから。
* 観劇のあと三人で高島屋十四階で中華料理を食べ、加飯紹興酒のうまさなども満喫、わたしも、美味い美味いとは思い切れなかったけれど、殆ど全部を腹中に納められた。必ずしも呑み助ではない建日子が加飯酒を美味いと手酌していたのも嬉しかった。
帰路は山手線以外になく池袋まで満員で、座れなかったのがちょっと堪えた。
いい一日だった。
2012 11・30 134
* 写真をホームページへ入れる方法が、機械的に変更になったのか、わたし自身の理解不足か、今までのように新しい写真を入れられなくなって三ヶ月も経つ。しょうがない、エイとばかり同じホームページの中の遠い昔の自影を引きずり出した。平成七年、退役にもう一年にちょうどもう一年の春、東工大には桜が満開の頃だ、この前年には、つか・こうへいに師事していた秦建日子が劇作家としてデビュウしていた。
教授室なのに本棚に本が無い。読みもしない本を研究費と称して浪費する気はなかった、読むべき本は家にある、学生に伝えたいものごとは頭にある。からの本棚はそれなりに講義用の物置としてちゃんと役に立っていた。趙即之の「方丈」二字が好きで、ひょいと置いてあった。お喋りに寄ってくる学生達が男女ともいっぱいいた。
なにより元気そうに見える。
いまのわたしは、最重量時からは23キロも痩せ、親しい知人でも見誤り一瞬言葉を喪うほど見る影無いが、それでも、63キロ半ほどあるし、頭の回転は変わっていない、気で、いる。
* 転送に成功するかしないか、非常に珍しいビュッフェの歌舞伎繪が、この画面では挿入出来ている。うまく転送し得ていて欲しいが。
2012 12・1 135
* 義妹から手編みの襟巻きをもらう。じつは寒くてはやくからボロ襟巻きを寝ているときも欠かせなかった。感謝。
吉野葛が美味しい。近所で買った白鶴の生酒粕も、焼酎も口に合っている。今夜は梭子魚(かます)も一尾食べられた。せいぜい食べるようにしている。間食もできるだけ好きにしている。
2012 12・7 135
* 昨日の晩、池袋での仕事からそのまま自動車で建日子が回り道して来てくれた。わたしは熟睡していたが起きて、歓談。相変わらず小説、劇作・演出、小説、秦組の養成と忙しさの極みだが、それで此処まで来たのだから、体調と気力とが続いている限りはそのまま運転していていいだろうと、健康は案じながら眺めている。彼に、平成中村座を観せておいてよかった。勘三郎の舞台には建日子も多く深くを感じ取っていたようだ。よかった。幸四郎の弁慶も観ておかせた。これにも感動したようで、甲斐ががあった。あれこれ言っても歌舞伎はいまもなお他のジャンルを大圧倒する熱源を腹に胸に足腰に、そして魂に孕んでいる。大いにいいところを盗み取って活かして欲しい。
2012 12・8 135
* 五十五年め、婚約の日
五十(いそ)五つ冬をかぞへて愛(は)しけやし妻よ永遠(とことは)に晴れやかにあれ 遠
2012 12・10 135
* 西銀座で見つけて、妻に、ちょっと様変わりの洒落た街着を買った。試着したまま帝国ホテルで昼食し、新橋演舞場へ。
菊之助の花魁八つ橋は、道中の花道がよく、愛想づかしは甲の声ですこし理詰めになったが、なんと美しいことか。「籠釣瓶はよく斬れる」と無念の次郎左衛門に斬り殺される直前の詫びを入れる八つ橋も、よかった。座敷に上がってからの御大尾上菊五郎の佐野熱演もなかなか丁寧な出来で、わたしは拍手した。三津五郎の栄之丞も、松緑の治六も、さすがさまになって花があった。若い役者を大勢使っていて、それだけ芝居のワキは甘くなっていたが、はんなりと、舞台は終始楽しめた。
三津五郎の「奴道成寺」は面替えの所作軽やかに、気持ちよく踊ってくれた。「娘道成寺」の優艶で濃厚な所作の美しさとは趣は大いに違うけれど、亡き勘三郎とは同年、踊れる男役者のそろそろ最右翼に三津五郎は立たねばならない、その気概が今夜の舞台にしんみりと感じ取れた。よかった。
* 一路帰ってきた。銀座から席を譲って貰い、ただもう瞑目していた。瞑目がいちばんラクなのだ。
* 晴れやかに、いい五十五年めであった。ともどもに、健やかでありたいもの、と
願へども晴れぬ病ひの身を起こし来新年も「いま・ここ」に生く
「念々死去・念々新生」のわがいのち安々と生き安々と行かめ
2012 12・10 135
* 眼が涙で潤み、霞んでしまっている。十時だが、もう休もう。
脚の痛い妻は近くの病院で対策してもらってきた。よかった。晴れやかに、晴れやかに。
2012 12・11 135
* 病院へ同行した妻から伝えたのだろう、CTスキャンの検査結果で、少なくも現在「癌巣」を示唆する所見が皆無であったのを、息子がいちばんに「よかった!」と妻のケイタイへメールを呉れていた。心配させたのだろう。よかったと思う。
2012 12・13 135
* 眼は、かすかに痛むほど霞んで、機械の字を読むのも二度三度目をしかめ瞬きしないと浮かんでこない。もう休むしかない。妻のピアノの稽古がたどたどしくまだ聞こえるのは八時にもなっていないらしい。
明日の投票のために、建日子がひとばん泊まって行くという電話が来ていた。妻は嬉しそう、わたしも心嬉しい。棄権されてはいかんのだ。一緒に投票場へ行けそうだ。嗚呼、期待したい!
2012 12・15 135
* 衆議院選挙 都知事選挙 最高裁判事適否投票 行わる。 午前、建日子もともに投票を済ませた。投票所、かつてなく多数の有権者の二列行列が長く続いていたのに、一驚。
投票のあと建日子は「何でもお宝鑑定団」を半ばまで観て、愛車ボルボに乗って仕事の方へ戻っていった。「投票してくれて、ありがとう」と見送った。
玄関正面に松篁さんのリトグラフ「雪ー鷺」を、掛けかえた。気稟の清質に満ちた名品。正月の建日子誕生日の祝いにやると告げてある。美しい佳いものに身近に触れられるのは、創作者には有難い大事なことである。
* 選挙結果。「こういう国民」と、もう暫くは付き合わねばならないのだ。
わたしは沈黙する。恋は成らなかった。
あはれともいふべきひとは思ほえで身のいたづらになりぬべきかな 謙徳公
2012 12・16 135
* 早くからの寒がりようを漏れ聞いた妻の妹が、手編みの襟巻きを創って贈ってきてくれた。詩人で画家でもある義妹の手仕事は、とてもしっくり首筋を巻いて温かく、嬉しがっている。先頃の妻等の叔母の葬儀で、ほんとうに久しぶり久しぶりに会った。お互いに年をとったなあと想いつつ、往年の、結婚前後の、また妻が出産の頃の思い出が蘇る。元気でいて欲しい。
2012 12・17 135
☆ 建日子です。
お誕生日おめでとうございます!
* 歳末も、歳末だからか、追いまくられているらしく、昨日も今日も会食も出来そうにない。
* 昔、娘の朝日子が、父わたしの誕生日に、思いがけず中国酒、大好きな「マオタイ」一瓶を買って帰ってきたことがある。ほくほくと嬉しかった。元気に、日々満足して暮らしているだろうか。
たった一人になった孫のみゆ希は、どこにどう暮らしているのかなあ。
2012 12・21 135
* 朝いちばんに、昨日録画しておいた秦建日子原作・脚色の二時間ドラマ、仲間由紀恵主演「悪女たちのメス」を観た。前にやった仲間と朝香との第一話「インシデント」より、わたしは、今回作のややこしさのほぐれて行く展開のうまみに賛成した。それにしても要するに「殺し」ドラマ、感動はない。その点は米倉涼子が大ヒットをとばした「ドクターX」の方が殺しでなく「生かす」ドラマだった分、痛快だった分、楽しめた。むろん「殺す」にも感動の湧く例も有りは有るのだろうが。
2012 12・22 135
* 茶の間に堆積・山積した重い物どもの整理と、隣棟や二階等へ力仕事での片づけ仕事にしんそこ疲労した。合わせて「百五十五歳の夫婦」には「暮れの片づけ仕事」はきつい。ま、なんとか正月が迎えられようか。妻は明日からお煮染めなどに取り組む。このところ立ち居に困窮するほど脚が痛くて病院にも通っていた妻には、手伝う誰もなくて、可哀想に思う。近年は料理を買うことにしているが、やはりそれだけでは間に合わない。
2012 12・29 135
* あした待たるるその宝船 と欲ばる気はない。靜かに晴れやかな朝日を迎えたい。建日子が発熱しているのが心配。
* 正月の用意は、大いに手抜きして、長閑にと。
玄関には上村松篁「雪 鷺図」を大きく好きな小品が二作を左右に配し、干支の小物のほかに高麗青磁象眼白鶴の皿が立ててあり、播磨の焼物師がわたしの骨壺をと頼んで焼いてくれた金銀彩の壺に妻が正月花を盛り上げている。玄関外には丹波で買ってきた大きな壺を置いている。
さて茶の間正面の壁には、「壽」の大字下に「たま」大きく描いた鵬雲斎の軸を掛け、大軸の下棚には、備前の川井明子が文部臣賞を得た大壺と、観世音菩薩像とが並んでいる。右の壁際に、これも好きな「花」の繪。
向き合っての壁際の棚には、城景都の秀作「双鳥図」と、一人で大いに気に入っている小壺や、まだ宗淑の頃の淡々斎好み、蓬莱松蒔絵「末広」の茶器が配してある。
その余は、新しいカレンダーを沢山もらっている。山種の竹内栖鳳ほかの名画集、速水御舟集、上村淳之の花鳥と現代書家たちとの競艶集、写真家隆雄氏の美しい作品集、動物の親子集、大相撲力士写真などで、狭い家がもう飾られている。
お正月さんが、もうはや、明日にはござる。今年と大違いな、心静かな新年でありたい。
2012 12・30 135