* 十時、建日子たちを迎えて、新年の雑煮を祝う。
* 日あしややにのびて元日のそら明るく
産土(うぶすな)の宮に人のつどひ来 天神社に詣でて
2014 1/1 147
* 箱根駅伝 東洋大の往路復路総合優勝を見届けて建日子、仕事場へ戻っていった。元日、二日と泊まっていった。のべつまくなく仕事しているようだったが、昨夜はマリリン・モンローの映画二本「お熱いのがお好き」「帰らざる河」も楽しんでいた。
* 医学書院の上司(編集長)であり、森鴎外記念館館長で近代文学研究の泰斗と目された「長谷川泉」さんが、自署してわたしのために書いて下さった色紙「 啄」二字を、秦建日子に与えた。勤務の間にもわたしは長谷川さんの背中を観ながら、あの社内激務の人にして文学研究の厖大な仕事が出来るのだ、自分も出来ると思い思い小説を書き始め、太宰治文学賞から招待され自立していった。云うまでもない「 啄」とは、一つの卵殻を雛は内から、親は外からつついて生まれ出る意義であり、その気合いの相互いに機を一にするのを「 啄同機」という。親と子との機にこと寄せてこれは師弟の相成る機微を謂う熟語。
いつしかに長谷川さんが私を信じ認めてくれていた允可のような色紙であり、それに同じい気持ちを(まだいくらか早いとも思うけれど)秦建日子に伝えて置きたくなった。
色紙はたまたま一人の「長谷川泉」が代表してくれているが、無名も無名、応募すらもしていなかった小説『清経入水』に、どんな縁あってのことか、満票で太宰賞に選んで下さった選者、井伏鱒二、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫の諸先生もまた、身の引き締まる「 啄同機」を証して下さったのである。思えば生涯に、何人も何人も小さな卵の殻をまさに親心で外から割って下さった諸先輩がおられた、作家・藝術家にも、批評家にも、研究者・学者にも、また願ってもない「いい読者」の中にもおられた。
とはいえ、それでも本当に大切なのは、卵の殻を真摯に内側からつついて割って翔び起とうとする雛の誠実と気力と勉強であるだろう。宝であった一枚の色紙「 啄」「長谷川泉」に、深い思いと望みをこめ息子に伝えたのである。
2014 1・3 147
* 毎夜遅めに黒いマゴに二人がかりで輸液を続けてる。漆黒の毛艶もあり、心もち元気に外出も繰り返し、そこそこには帰ってきて寝ている。そばに一緒にいて欲しいと呼びに来たりもする。排尿便の習慣もほぼ出来ている。一頃よりは吐かない感じ。われわれを絶対に信愛している様子を見守っている。
2014 1・6 147
* 明日の朝は、七草粥を祝う。滑るように時は流れて行く。
2014 1・6 147
* 建日子の誕生日。おめでとう。一九六八年の今日、大谷口の日大病院で生まれた。四十六歳になったか。建日子誕生の翌年二月にわたしは私家版『清経入水』をつくり、六月桜桃忌には思いがけず太宰治文学賞を得ていた。わたしの四十六歳には、初の新聞連載小説『冬祭り』を書き上げていた。建日子はもうすでに小説本も十指にあまり、劇作・演出の舞台も数重ね、テレビ・ドラマは単発、連続もう何十作かに達している。よく頑張っている。健康に気をつけ、怪我と事故に用心して欲しい。
2014 1・8 147
* 歌舞伎座をひけたあとの寒く冷え切っていたこと、風も吹いて。幸い雨にも雪にも遭わなかった。
* 帰宅後に、黒いマゴに輸液。
2014 1・9 147
☆ 秦 恒平 様
寒さが厳しくなって参りました。
今日から一段と寒いようです。
お元気でお過ごしでしょうか。
今日は、おやじのたまり場というサークルで、囲碁をするために出かけます。囲碁は下手なのですが、皆さんとの会話を楽しむために行っています。退職後は話をする人が少なくなり、サークルに行くようになりました。
平成21年の12月に大津(石山)に転居しました。
もうすぐ出かけますので、とりあえずご連絡まで。 川 母方の甥
* フェイスブックでどちらからと無く見つけ出していた。連絡先を尋ねていた。逢ったことは一度もない、母ほど年かさの異父姉の子と想っている。いつか碁を打ちたいものです。
2014 1・9 147
* さ、黒いマゴに今夜も輸液だ、一日も欠かしていない。そして、もう休む。
2014 1・11 147
☆ 今日も寒い日のようです。
天気はまあまあです。午前中は、ほったらかしにしておいた記帳を少しし、午後は歩きに行こうと思っています。
仕事は定年退職しました。
定年後は息子の薦めで行政書士の仕事を時々しています。ぼけの防止でしています。
記帳は自分の確定申告の準備です。
今年の7月で67歳になります。
1 年が早くたつようになりました。
アドレスのnaoko は娘の名です。今は妻と2人で暮らしています。
寒い日が続きますから、どうぞお体を大切にお過ごしください。 大津市 芳
* わたしには、生母方にもこのように年齢のちかい甥がいた。ほかにも甥も姪もおり、それどころか実父方にはもっと大勢の従兄や従姉がいる。異母妹の二人には大勢の若い甥や姪がいる。ほとんど誰とも会ったことがない。父母をともにする唯一人の実兄北澤恒彦には早くに死なれてしまった。
* 今日は、なんとも、ヘトヘト。このまま休むことになりそうだ、黒いマゴに輸液だけしてやって。翁の能に「黒い顔の翁どの」が登場して鈴を揉んで祝福の藝をする。「黒い顔のマゴ」も元気づけられて欲しい。
2014 1・13 147
* 四時。今日二度め気づかぬママ機械の前で寝ていた。休んで欲しいと眼の訴えなのだろう。
* 晩は、ぶっ通しで仕事していた。これから黒いマゴの輸液。元気でおれよ、少しも永く。
2014 1・15 147
* 帰ってきて、途中からだが松本清張原作の三億円事件、好きな田村正和のたいした芝居ぶりに感嘆しながら、グイと惹きつけられたまま最期まで楽しんだ。楽しみながら、黒いマゴに輸液もした。ああ、もう日付が変わっている。
2014 1・18 147
* 妻の救急診療に随伴のため、記録できず。
* 就寝前から妻に猛烈な腹痛と嘔吐が続いて朝に及んだ。車を呼んで日曜ながら地元病院で緊急治療を頼んだ。当番医が若い脳神経外科医だったが。スキャンにまわしてくれ、胆石が認められた。わたしも胆嚢に満杯の胆石をもっていてしばしば同様の苦痛を訴えたが、胃全摘と同時に胆嚢も摘除、以来そのての痛みは起こさなくなった。妻の苦痛の表現には覚えがあり、しかし夜を徹して朝にもまだ治まらないというほどの体験はなかった。
スキャンの結果、転籍の少量が確認された以外には、目立った故障は発見されず、痛み止めを含む点滴を受けて痛みもおさまり、正午過ぎに歩いて家まで帰れた。まずまず有難かったが、今後に供えることも必要になろう。
長時間の点滴の間、点滴はきっとあろうと量も多めの「校正仕事」を持っていたので、『みごもりの湖』の初校を終え得た。それでも余った時間、椎名麟三の「美しい女」を面白く読んで治療室から解放されてきた妻をむかえて家までを歩いた。風はあるが明るい好天なのが有難かった。
* 妻はすぐ床に就き、わたしは仕事のため機械の前へ。ひとしきりでやめてわたしも休息した。夜前はほとんどわたしも眠れなかったから。食事もせず晩の八時過ぎまで寝入っていた。九時から、昨日に続く松本清張原作、ビートタケシ主演のテレビ映画を観た。楽しめるものではないが松本清張らしい、ビートタケシらしい、いい追究だった。秦建日子の「ダンダリン」で面白い仕事をしてくれた竹内結子が逸材ぶりを今夜の映画でも見せた。
2014 1・19 147
* 黒いマゴに今夜は輸液してやれない、妻は、快復しているわけでなく、不快感を抱えて眠っている。わたしの疲れも取れていない。ぐっすり眠りたい。
2014 1・19 147
* 今日は黒いマゴの輸液を午前と夜遅くと二度した。
2014 1・20 147
* 近江の、石馬寺や近江八幡や信楽を舞台にとりこんだ永いテレビ映画を観た。十ヶ月の愛児を火事で死なせた母親と父親との永い深い苦悩と悲しみに絡んでなされた犯罪を、遺品整理業の女性の眼と思いと勘とで鋭く掘り起こしていた。
子を、不用意の内に死なせた親たちの悔いと悲しみとの深さ。何と言われようと子を死なせた母や父には、真っ先に自身への悔いと罪障感、そして猛烈な喪失感をともなうひたすらな悲しみがある。それが自然で当然、もしも、その自然当然を棚に上げ、わが子を殺したわけではないと他者(例えば自分たちの親)に向かい逆上して、誤解に誤解を積み重ねながら賠償金めあての裁判沙汰に及んで行くような恥知らずな欺瞞と偽善へ逃げ込んで行く親たちがいたならば、そんなに恥ずかしくも憎むべき非道は無いであろう。
岸本加代子と謂ったか、主演女優の哀しい哀しい母親の、また人生を謬っていったしかし妻子への愛深い父親の、真情はピュアであった。道に外れた自己弁護の醜さなど微塵も無かった。
2014 1・20 147
* 生活の歯車がいくらかチグハグしている。医院、病院通いが頻繁で、わたしの「仕事」も多岐に頻繁になっていて、迂路つきもし捗りもしないのが気に障るのだろう。「湖の本」と「選集」の進行の併走になるのへ慎重に立ち向かいたいとおもうからでもある。口先まで出ている歌にしても纏まってこない。
妻は循環の診察に地元病院へ出かけ、わたしも昨日行けなかった歯科へ出かけねばならない。
* 妻の、循環での詳細な診察結果は、良かった。胆石なら血液検査で分かるがその形跡も無い、腹痛はなんらかの胃腸障害であったろうとも。何にしても穏和に状態と謂われてきたのは有難いこと。 2014 1・21 147
* 疲れも出て、「お宝鑑定団」を観ていた。高橋道八(道八二代)黒茶碗や、備前の傾いた大壺に惹かれた。偽物や不十分ものは、今夜のは一見して分かった。三朝温泉の町でいろいろのモノが出ていたが、温泉そのものに魅惑されていた。
このごろ、というより、よほど前から、温泉に浸かりに行きたくて堪らないが、黒いマゴの為にも旅はしにくく、そもそも妻は温泉は苦手にしている。独りで出かけられるか、どうか。第一、どこへ行くのか。温泉体験がじつに貧弱なことに我ながら驚く。
熱海まで出かけながら、予約無しのため温泉に入れず、しかたなく駅前の古びた魚屋食堂で、それは大きな伊勢海老や、いろんな刺身を豪快なまでたらふく食って帰ってきたのを、懐かしく思い出す。
袋田の「四度の瀧」を観にでかけ、地元の温泉にひっそりと、たっぷりと漬かってきた懐かしい記憶もある。
小松の井口哲郎さんに山代温泉に連れて行って頂いたのも嬉しかった。
交通公社出版の取材旅行で出雲、宍道湖へ旅して、何とか謂う大きな温泉で泊まったこと、そこの露天風呂に浸かったあと、外気に冷えて頸が石のようにかたまり死にそうな思いをしたこともあった。
そういえば、箱根山へ登ったことがある。温泉旅館だった。あ、そういえば、何かの取材旅行で道後温泉へ連れて行かれたこともあった。この程度では、貧弱な温泉体験と謂うしかあるまい。
2014 1・21 147
* 二月には、暫くぶりに松たか子の芝居をコクーンで楽しむ。染五郎ら若手の歌舞伎もある。そしてもう三月、四月の歌舞伎座の誘いが来ていて、高麗屋、松嶋屋に手配を頼んだ。柿葺落一年をしめくくる三月は昼夜とも充実、
昼は、若手に花をもたせた「壽曽我対面」、音羽屋、播磨屋の「身代座禅」、山城屋成駒屋の父子に我當、秀太郎の松嶋屋兄弟の「封印切」、玉三郎が伸び盛りの七之助を引っ張る趣向で「二人藤娘」、夜は幸四郎の「加賀鳶」四幕、吉右衛門、菊五郎、藤十郎の「勧進帳」、大切りに玉三郎、勘九郎で近松の「日本振袖始 大蛇退治」が存分楽しめる。
四月は歌舞伎座新開場一周年記念。我當、時蔵らで目出度く「壽春鳳凰祭 いわふはるこびきのにぎはひ」、次いで松本幸四郎「鎌倉三代記 絹川村閑居の場」、ついで病を克服して坂東三津五郎と又五郎で「壽靱猿」は、ぜひとも大和屋の元気な登場を願いたく、大切りはなんと人間国宝山城屋「坂田藤十郎一世一代にてお初相勤め申し候」近松門左衛門作の「曽根崎心中」とある。治兵衛は当然に成駒屋の翫雀。左團次、東蔵が付き合う。「一世一代」で勤めるとは今後はもう観られないぐらいの意味である。
夜の部は、今回はやすんで、その日、妻の七十八歳をどこかで美味しく祝ってやりたい。夫婦して元気に迎えたい
2014 1・25 147
* 今夕はまた歯科へ二人で通う。
黒いマゴ、昨日どこかで誰かとケンカし怪我して帰ってきた。耳の辺に掻き傷。すぐ治療に運んだ。今朝輸液。
家じゅうで医者通い。やれやれ。
上の左奥に、マグネット付きで大きな入れ歯が入った。これは取り外せない。どこへも寄らず帰宅、晩はずうっと仕事。もう十一時。もう一度黒いマゴに輸液してやる。
2014 1・28 147
* 黒いマゴ、今夜は輸液を拒絶。やれやれ。
2014 1・29 147
*今日はくろいまごに朝夜二度の輸液を励行した。昨夜は出来なかった。今日はおとなしく受け容れてくれた。
2014 2・1 148
* 裸眼でも、読書用眼鏡でも、小ささい活字が幾重にも乱れて読めない。かろうじて、機械のキイが見えている。十時。休みがてら階下で、黒いマゴに輸液してやろう。マゴも堪えている。わたしたちも、みな堪えている。それでも起って生きねば。
2014 2・3 148
* もう、いけない。疲れた。明日は一日がかりで聖路加内科と眼科。黒いマゴの輸液して、休みます。
もう纏めに入るかなと思っていた一つの小説に大きな展開が予測され初めて、逃げずに立ち向かう気になっている。健康さえ保てるなら、気落ちしないで続けられる。
2014 2・4 148
* 節分には、命じられたまま今年も豆をまいた。
2014 2・6 148
* 黒いマゴの輸液を今晩は休むと妻が言う。では休もう。
2014 2・6 148
* 病院行きで留守中のSPAMメールが100を越していた。何になるのだろう、こんなムダをして。100ともなると削除にも時間を無駄遣いしなくてはならない。疲れた。九時半だが、黒いマゴの輸液を済ませたので今夜は寝てしまいい。
2014 2・7 148
* 仕事へ時間を振り向けるより余裕がない。仕事していると眼が疲れて霞んだり滲んだり乱れたり。やすみやすみ、また機械へ、またゲラの前へ戻って行くしかない。やすんでいるとき、耳で聴いてたのしめる録画映画を観ていたりする。いまは「へスラー戦車隊」 ヘンリー・フォンダ、ロバート・ライアンらが出ている。やすみ中に酒が入ると、寝入ってしまう。
黒いマゴの輸液も済ませた。今夜もはやめに寝よう。安定剤のリーゼをときおり一錠服している。
2014 2・8 148
* 雪が厚く残っているが、快晴。都知事選への影響は如何、昼食過ぎて、まだ投票所へ行ってない。午後八時になると途端に桝添の当選確実が出る筈だ。それでも投票には行く。
午前中は、校正しながらソチの実況を聴いていた。上村選手の四位は立派、拍手を惜しまない。
三時過ぎて雪道を踏みながら二人で投票に行った。建日子は、棄権。虚しくても、投票は投票。
2014 2・9 148
* 居間の軸を、ビュフェの「薔薇」の額にかえ、真下に夢前窯の原田さんに戴いた金銀彩の大壺( 夫婦の骨壺にと創ってもらった)を据えた。
霜雪もいまだ過ぎねば思はぬに
春日の里に梅の花見つ
日比野光鳳のかな書きを添えて上村淳之の花鳥「早春」が目の前に架かっている。大雪のあとの日射し明るいが、道路はまだ夜来の雪を積んでいる。かなり寒い。都知事選に出かける。
* 晩、「天才」美空ひばりの番組を半ば聴いていた。つまらない歌を信じられぬほどうまく唱う真の天才。同世代の直木賞作家が天才はひばりだけ、同時代を生きたのが嬉しいといった感想は、そのままわたし自身のもの。石原慎太郎が出てきて好きな歌だと少し声を添えるほどにして聴かせた歌の作詞が、妻の兄の保富康午だったのに、妻と一緒にびっくり仰天した。これまでずいぶんひばりの歌は繰り返し沢山聴き、音盤も持っているのにたったの一度も聴いた覚えがなかった。石原もまたひばりは田中角栄と並んで同時代を生きてきた二人の天才と明言。義兄の名前をほんとうに久しぶりにテレビで見た。石原氏に少し感謝した。
2014 2・9 148
* ともすると、うとうとと寝入ってしまう。からだが寝たがっている。テレビなど見て聞いていても、とぎれとぎれて何やら分からずじまいになる。一つには、目覚めてさえいれば眼を、視力を費っているからだ。
それでも、もう黒いマゴ今日の輸液を済ませた。
2014 2・11 148
* 東急八階の「揚州飯店」で、しっかり夕食してきた。うまい紹興酒を出してくれた、妻も初めておいしいと褒めた。料理はたっぷり有り、黒いマゴにもいくつも土産ができたほど。ほかに最後の炒飯は、土産にして貰った。
渋谷へは保谷から副都心線の急行をつかえば、あっという間に着く。ただし渋谷地駅下はややこしい。今年は新年の松濤能楽堂の「翁」についで今日文化村の松たか子と、渋谷へは二度目。帰りも急行快速でまっすぐ帰ってきた。
* 悪玉コレステロールの退治にいいと聴いて、このところ夫婦して赤いワインを日に一杯ずつ薬のように呑んでいる。保谷駅構内にワインの専門店があり、店員に教えられて二種類二本買って帰った。
なだめつすかしつ毎度のように二人がかりで黒いマゴに、輸液。
今日は、午後からは休息の日になった。いま、機械の視野が明るい。
2014 2・13 148
* 亡きやす香のお友達から、ことしも愛情がいっぱいのチョコレートをもらった。ありがとう。
2014 2・14 148
* 今晩は輸液を完遂できなかった。途中で零れてきた。
2014 2・14 148
* 夕方から建日子が帰ってきて食事をしテレビを観、そしてシャリー・マクレーン、アン・バクスターらの映画『愛と喝采の日』を感嘆し合って行った。いいものを一緒に喜び合うのは幸せだ。黒いマゴも建日子に馴染んできて、今晩はすろーずに輸液できた。
2014 2・15 148
☆ 秦恒平 様
珈琲 ご注文ありがとうございます 佐川急便にて 先程こちらを発送しました
昨年は 建日子さんのタクラマカンの大阪公演を観に行き 建日子さんの作品らしい 優しさと苦難の織り成すものを楽しんできました
長男も春から大学生で ゲームソフト制作の関連学科に進む事になりました
そんなこともあって 近頃応援しているものに 誰でも、いつでも、自由に学べる無料のネット学習サイトのeboard[ いーぼーど] というのがあります
http://www.eboard.jp/
肩の力を抜いた 短時間の1コマを系統だてて作り 寄付と 動画サイト閲覧数の収入だけで 頑張っています。
一度見ていただけたら幸いです
それでは 今後とも宜しくお願いします
_/ coffee 豆 凛
_/ E-mail:k_iwata@pop06.odn.ne.jp
* 父方の従弟に珈琲豆を注文している。南山城の木津川市加茂町。今度の『選集①』で出す「みごもりの湖」の舞台にもなっている恭仁京に近い。父の一等末の妹、わたしには叔母の子。なつかしい叔母のことを「けい子」という作に書いている。
2014 2・15 148
* 大事件。妻が自身の機械に造りだし、自身のプリンターで「湖の本」刊行前には宛名印刷してくれていた読者、寄贈者、大学高校等の名簿をすべて機械から見失ってしまった。見失った時点、引き出せなくなった時点が、いつであるか、昨日建日子が来て妻に頼まれ機械を操作するより「以前」か「以後」か。機械に自信のないわたしが今しがた観てみた限りでは、妻がそのために使用していたという「筆ぐるめ」とか云うアプリからは記録されていた内容はすでに「削除されている」と有る。そう見えるがわたしには確たる判断は、また捜索もできない。
はっきりしているのは、それら宛名住所録が無い限り、宛名印刷が出来ない。手書きするにしても正確な住所を確認しつつ済ませるには途方もない時間と労力とが要り、とくに高校大学宛の手書きの住所記録が無い。本の発送に多大の支障が起きたということ。
以前にワープロに保存していてワープロが働かなくなったときも、たいへんな時間と労力とで妻が自分のコンピュータに余儀なく書き写した。せっかくのそれも、今回の消滅前にバックアップしてなかった。
なぜ記録されていた内容が消滅したのか、分からない。困った。一種の錯覚で、簡単に機械の奥からまた見つかるのだとどんなにいいか。個人情報に属する名簿なので、商売で修繕などしてくれるよく知らない人に安直には頼みたくない。建日子に自信があって昨日来て点検していたのなら、データが「削除」されてしまっているなど、ワケが分からない。弱った。
* いかんとも為す術無く疲労す。妻は明日は医科歯科で診療予約。わたしは夕刻歯科へ。いろいろに緊張する。
2014 2・16 148
* 妻、医科歯科の歯科へ。神戸先生に紹介状をもらって。抜歯と出血との関連を用心しての配慮と。
2014 2・17 148
* 妻の電話。医科歯科病院での診察、無事に済んだと。よし。
* ついで、入れ替わりにわたしが沼袋の歯科へ。
帰路、先週と同じ「中華家族」に入って「マオタイ」を三種の前菜(蒸し鶏、鮑、海月それにトマトと胡瓜)でゆっくり味わいながら「みごもりの湖」の後半を読んだ。マオタイは60度ちかく、じつに美味い。そのまま帰ろうかと思ったが、スタンドバーに寄って、ズブロッカをダブルそしてシングル、しみじみ楽しんだ。此所のマスター君は建日子のもう大昔の連続ドラマ「天体観測」の大フアン。お客もいろんな年齢差の人たちと出逢えて楽しい。それにそれに、凍らせたようなロシアの酒の美味いことも格別で。心楽しく、しかし気をつけないと電車を乗り越すと心配したが、心配までもなく無事に帰宅。
* 帰ってみると六時前に建日子が来てくれていて、懸命に妻の機械と格闘に格闘を、ということは思案という思案の限りを試み尽くして、十時半過ぎてとうどう削除・消去されていた必要なデータを掘り起こすように回復していってくれた。ウン。ありがとう。感謝に堪えない。十一時前に、今夜は車でなくて徒歩で駅まで帰っていった。幸い、副都心線を巧く使うと保谷から一本で中目黒へ帰れるのだそうだ。有難いことだ。
昔、昔、西武池袋線へ地下鉄が乗りいれると予告されていたとき、そんなはるかな未来まで生きちやいないよとわらっていたが、今では聖路加へも渋谷へも横浜中華街までても、一本の電車で行ける。
* 幸いに、建日子に初めて抱いてもらったという黒いマゴの輸液も順調に出来た。想えば今日はいい一日だった
2014 2・17 148
* この年になると杖をついた同年輩にはこと欠かない。しかし若い男性がお洒落にステッキを愛用している姿は見ない。
漱石の「彼岸過ぎ迄」には人の探偵をたのまれる気のいい生年がおもしろい杖を好んで持ち歩いていた。わたしは、少年の昔からそれを面白く趣味のあることと感じていた、ただし彼の杖、家賃を踏み倒して逃げた男の忘れ物の杖は、握りが蛇の口を明いたようになっていて、それは勘弁願いたかった。
手術のアト、余儀なく二年も杖つき暮らしをしているが、杖が格好わるいと思ったことなく、今は妻の買ってくれた紫檀の生一本を愛用しているが、どこか古道具屋におもしろい杖が埃をかぶってないかなどと趣味が高じている。しかもたしかに杖は用心がいい。まだよろめくことの珍しくない身には、あえて杖を追放の必要がない。出来合いの代用品のような杖は二本ほど置き忘れてきた。気に入った杖は大事に身の一部のようにして置き忘れてこない。
ただし杖は身丈にきちっと合った長さでないとかえって疲れる。こっちの身が月日を追い縮んできているので、いまの杖、心もち長すぎる。杖屋でなら簡単に調節できる、はず。
2014 2・22 148
* 黒いマゴの輸液を今夜も終えた。必須の要件にしている。うまくすると十数分で済む。太い針で皮膚の下を刺されるのが、時に痛いらしくて可哀想だが、元気でいて欲しい。
32014 3・2 149
* 黒いマゴが部屋の外でないた。入れて欲しいのかと思って戸をあけてやったが入らない。もう階下へ降りてきて寝なさいとと言いに来たのだ。はいはい。
2014 3・2 149
* 建日子の新刊河出文庫『ダーティ・ママ、ハリウッド行く!』を真夜中に読みながら、ふと気がついて日下三蔵氏の「解説」を読んだ。なるほど、刑事ものの読み物にもこういう「分類」や「係累」があるのかと教わった。建日子のこの作は、コメディタッチとしてあるが、わたしの感想では「軽口」の妙味で読ませているように思える。わたしなど逆さまになっても出てこない軽口をとても上手に使ってズンズン読ませる。「軽口」は易しい業でも軽薄な業でもなく、例えば、ムダ口を叩いてしまえば軽口の妙は殺される。そういう意味ではストイックな文藝であり、お調子に乗ってやればたちまち愚な只のお巫山戯に流れてしまう。建日子の軽口は、無駄なく決めて簡潔のリズム、わたしの云う文藝としての音楽をけっこうテキパキ奏でている。才能というものだろう、わたしには真似もできない。
2014 3・5 149
* 秦建日子作の文庫本「ダーティ・ママ ハリウッドへ行く」を帰りの電車で読み終えて、散髪屋のお兄ちゃんに上げてきた。前巻の「ダーティ・ママ」は連続テレビ劇各回のノベライズ本だったが、今回は一冊での長編一話。主役永作博美と香李奈との印象がくっきり残っていて、わたしはこの連続テレビ劇は建日子の物ではよく観ていた。こういうのを楽しませてもらえるとは夢にも思ってなかった、父親にない何かを蓄えていたのだった。
2014 3・6 149
* 輸液という最低限の用事も済ませた。本が読めない。校正ゲラも読めない。機械が眩しい。十時過ぎた。
機械用の眼鏡がどんなふうに新調できてくるか、待つしかない。仕事から離れて心身を養わねば。
2014 3・7 149
* 眼が、ひきつれそう。字を読み字を書くしかない仕事をしてきたのだ。これからも、逃げ出さない。
秦の祖父は明治二年に生まれ、敗戦翌年の二月末日に七十九で亡くなった。希有の長生きに思われたがまったく老衰の寝たきりだった。
まこと人の世は これやこの行くも帰るも命にて一期一会の逢坂の関
2014 3・11 149
* 昨日処方された薬をひとやま地元の薬局で受け取り、黒いマゴの欠かさぬ輸液十日分も受け取ってきた。
選集①の校正を、日に50頁ノルマで読んでいて二日、あと200頁は慎重に慎重に(ミスがまだ残っているので)読まねばならず、湖の本119発送の用意も。峻険の桟道を気をつけ気をつけ渡って行くよう。大丈夫。出来ることを出来る限り遂げるまで。今週これからも、来週の前半も予定がツンでいて、次の歯科予約は再来週に延ばしてもらった。からだを歩いて、動かして。そうした外出のさなかにも合間合間を利して選集①責了のための校正はつづける、時間のある限り。腹はきまっていて、アタフタはしていない。成るように必ず成る。
2014 3・12 149
* 眼がギラついてきた。やすまないと。今日の校正必要分がもう25頁のこっている。校正は、家ではついつい他の仕事へも手が出るため捗らない。外へ持ち出して、どこでもいい机のあるところへ座り込むのがいい。
今晩は湯で本を読むのはやめ、百人一首と戯れていた。三首ほど。あまり巧くなかった。目はやすまったので、今日の分をもう七頁ほど読んでしまう。いい具合に黒いマゴの輸液もうまく済んだ。
2014 3・12 149
* 黒いマゴの輸液には十五-二十分かかる。マゴをわたしの膝にのせ、その間に妻が注射針を皮膚と肉の合間へ刺しいれる。そのときの痛さが負担なのは当然でときには暴れるが、宥めるためにも二人がかりで実行している。マゴを膝に置いたその間は立って動けないので録画映画を部分的に観ている。このところヒッチコック映画がつづくが、彼にも駄作はある。「北北西に進路をとれ」はだが名作で、小気味よいテンポでおもしろく説得力もあってきびきび進む。何といっても、金髪のエヴァ・マリー・セイントのすばらしいオーラの代表作になっており、スマートを繪に描いたようなケーリー・グラント、存在感の名優ジェイムズ・メイスンも嬉しい限り。たいてい輸液が済むと映画は次回廻しにするのに、とてもとても、やめられない、とまらない魅惑に負けた。
エヴァ・マリー・セイントも、先日の「ホークレディ」ミシェル・ファイファーも、型にはまった美女ではないが、上の映画ではどんな大女優にも寸毫劣らないオーラを光らせて魅力満点なのだから嬉しくなる。
2014 3・17 149
* 夜遅くまで発送作業をつづけたが、明日で中途の一段落があり、その先へもう一つ大きな一山を越さねばならない。ま、慌てることはない。作業しながら、中国映画「この子をさがして」という佳い作を観た(聴いていた。)
輸液も済ませた。
発送の作業だけでも著しく眼の不調が加わり、しまいには半分失明に近い曖昧な視野をまるで游いでいるみたい。困惑。
2014 3・21 149
☆ 湖のご本届きました
こんばんは!
いつもありがとうございます。
お眼の不調の中でのいろいろな作業、お疲れのことと思っています。
今日は春本番のぽかぽかとした陽気で、お墓参りに行ってきました。
常林寺では、副住職さんにお目にかかりました。昨日東京から本が届いたとおっしゃってました。
新門前のラジオ店や、叔母さんのお眼が悪かったことなど、よくご存知でした。
お墓は草一本なくきれいでした。
また京都にお花見においでになれますよう願っています。
お大切にお過ごしください。 みち 母方従妹
* 墓参までしてもらい、感謝に堪えません。京都の花が観たいです。
* 黒いマゴの輸液は、太い針で250cc。毎日で、可哀想だが、これも大切にいつまでも愛したいから、マゴには辛抱しろよと励ましている。
2014 3・24 149
* すぐにも手をつけたい、つけねばならぬ仕事が目の前に大小犇めいて、ぼおっと、気が遠くなりそう、出しかける手が迷ってウロウロする。こんな時機がこの年齢になって来るとは思わなかった。エイクソと投げ出して寝てしまいたくなる。寝たっていいのである。それでも仕事の塊はほぐれないし減りもしない。やるよりない。何からやり出すか、それが肝腎の要である。エイクソ。
それでいて、数日でもう花は盛りを迎えそう。去年は花を観にも出なかった。ことしは行きたいと妻は言っている。誕生日が来ると妻も七十八歳になる。歌舞伎を昼の部だけにしておいた。そのアトにと思っているが、疲れがでて中だるみしないといいが。
四月歌舞伎座は柿葺落からまる一年も過ぎて、「一周年記念公演」ですと。歌舞伎座松竹百年ですと。商売上手でありますよ。
昼は、片岡我當君が座頭格で時蔵とならび立つご祝儀「壽春鳳凰祭 いはふはる こびきのにぎはひ」で始まる。
次いで大高麗屋松本幸四郎が、手だれの梅玉、魁春の三浦之助、時姫で、佐々木高綱を演じる大歌舞伎「鎌倉三代記 絹川村閑居」が、楽しみ。
加えて、「坂田藤十郎一世一代にて曽根崎心中お初相勤め申し候」とある。今後はもうこの大役はしないとの建前であり、息子の中村翫雀の徳兵衛とで渾身の藝を見せる。これはもう見逃せない。翫雀にはやめに鴈治郎を襲名して欲しい。資質は十分で期待している。
病気で休んでいた坂東三津五郎が、播磨屋の軽妙又五郎や伸びてきた息子の巳之助と、どうか元気でおめでたい大和屋の芝居「壽靱猿」を大いに愉しませて呉れますように。
で、そのあと、さっとどこかで花見して、なにか美味い物を食べましょう。
春だもの。花だもの。
* 今夜は黒いマゴが輸液させてくれなかった。よほどイヤなのだろう。可哀想に。
しかたなく、録画映画の「ジョー・ブラックをよろしく」に惹きこまれた。死の迎えを受けたよき父、よき経営者を名優アンソニー・ホプキンスがすばらしく演じ、金髪のブラッド・ピットが不思議な美しさと畏さとを演じ通した。令嬢役もいい大人だった、ことの次第と最期のちかづきに涙した。不思議に佳い映画だった。
さ、疲れをいやして、仕事も何も半端だがやすもう。「お迎え」は来る。いつか必ず来る。
2014 3・27 149
* 若干の不審や反発も覚えながら、ヒルテイに「聴く」ことは多い。
「やむをえぬ理由から、古い友人や親戚の者と交わりを絶たねばならないならば、何もいわずにそうするがよい。その前に議論などかわせば、必ず問題のにがにがしさや醜さを増すか、あるいは別れるよりもなおわるい、中途半端な、いつわりの和解に終ることになる」と。娘夫婦との場合、こういうふうにはわたしは出来なかった、しなかった。無道に対し「逆らひてこそ、父」に徹し、「書く者」の務めとして何冊も本を書いた。『逆らひてこそ、父』『華燭』そして『かくのごとき,死』さらに長編『凶器』を書いた。どんなに堪え、そして起って書いた。生きる証として書いた。いつわりのわかいなど拒絶した。ヒルテイの謂う意味は痛いほど分かっている。それでも、と、あえてこう書き記しておく。
2014 3・29 149
* 黒いマゴが輸液をいやがる。針の太さをみればわたしでも怯える。可哀想でならない。
2014 3・29 149
* 応挙という画家はわたしが敬愛する何人かのなかでランクの高いひとりである。ことに、「雪松図」に胸打たれたのを快く強く自覚してきた。
もともと「松」という樹木が、杉、檜、樅などより好きで、当代最高水準の若い女優「松たか子」が贔屓なのも、実力によるのはむろんだが、端的な「松」という名乗りを、よそながら気持ちよく愛している。彼女の舞台で失望を覚えたということが絶えて無い。希有なことである。
それは、ま、よそごとであり応挙の「雪松図」にもどってあれこれ思うとき、「松風」とは耳にも目にもする言葉だし、「雪月花」という取り合わせも、幼くから馴染んだ茶の湯の場では耳にタコほどのいわば三幅対にされている。現に叔母から伝えもつ軸物で、小堀宗中筆になる「花」「月」「雪」の簡明かつ瀟洒な三幅を愛蔵している。都ホテルでの茶会で「花」の軸をかけたこともある。あの会では、そうそう、若き日の淡々斎が「好み」の美しい松を描いた「末広棗」を茶器に用いた、あの棗は叔母もわたしも大好きだったが、松本幸四郎のお祝いに、よろこんで呈上した。これま、本題を逸れたが、「松と鶴」「松と旭」などは蓬莱山の代役をするぐらいで、元日には決まってわが家の玄関を飾る秋石画の「蓬莱図」、それはが見事な巨松に鶴と旭とを配している。
まわりくどいが、つまりは「松と雪」という組み合わせは、応挙の素晴らしい大作以前には、あまり観た記憶がない、ということ。
ところが、かねがね愛読中の『十訓抄』で、「松の貞節」という一節にひょいと出逢った。秦始皇帝が幸い松を頼んで「雨宿り」できた礼に、松に酬いて「松爵」の称と位階(五位)とを贈った逸話も、そういえば『十訓抄』の早いところで読んでいた。
で、この古典の筆者は「松の貞節」をどう書いているか、長くはない、すこし約して書き写してみる。
そもそも松を貞木といふことは、まさしく人のために、かの木の貞心あるにあらず、
雪霜のはげしきにも、色あらたまらず、いつとなく緑なれば、これを貞心にくらぶるなり。
勁松は年の寒きにあらはれ
と古人が書ける、そのこころなり
圓山応挙がこんなことを識っていたかどうか、しかし同様の感懐はきっと持ち合わせていた、だからあんな見事な「雪松図」が成ったのにちがいない。いずれこの辺の感興をわたしも創作の中で趣向に用いているのを明かすだろう。永井荷風は「 東綺譚」の女に「雪子」となづけ、谷崎潤一郎もまた「細雪」のヒロインを「雪子」と呼んで愛していた。しぜん「松・勁松」は男をあらわすだろう。 2014 3・30 149
* 日曜の雨、春雨というにふさわしい静かさで柔らかに降り次いでいる。書庫の上の狭庭に雪柳が波打って光っている。ちいさな変わり種の水仙もひとむら愛らしい黄金色を雨に濡らしている。咲きかけの櫻には誘いの春雨だろう。
2014 3・30 149
* 昼前、まっすぐ青山墓地へ。櫻は満開、人出も晴れやか。妻の祖父母、両親や兄夫婦たちの墓参。去年も一昨年もわたしの病気で来れなかった。絶好の日和、強かった風もおさまって、晴れ晴れとした櫻が日射しに輝いていた。まん満開だった。
「大江戸」という老舗で、鰻で昼食、わたしは八海山も。とても佳い感じの江戸前の店だった。
外苑前からタクシーで一気に靖国神社まで走り、境内の櫻、市ヶ谷通りの櫻並木に堪能した。市ヶ谷から有楽町線で妻は先に帰り、わたしは練馬から江古田へ戻って、歯医者へ。そこでも哲学堂への大通りは満開の桜並木だった。
またもや刺し歯一本が新たに入り、都合十万円。歯は齢というからなあ。実感としては、歯は弱いなあ。
江古田で「VTVO」に腰を据え、ズブロッカ(ウオトカ)を三杯、佳い赤ワインを一杯。馴染んだお店の青年が今夜でやめ、沿線で独立するという。お祝いの気持ちもあり、名残惜しくもあり、美味しくよく呑んだ。
2014 3・31 149
* 昨日、妻の親族の墓地からほんの少しま近をそぞろ歩いていて、思いがけず志賀直哉ならびに父祖親族一家の墓地を見出した。「志賀直哉墓」とある一基も確かに見て、思わず声が出た。墓域は鎖されていた。垣根のそとから静かに一礼してきた。
「墓」というものは、、しかし、妙にはかない。石や岩や土で死者を地下におさえた感じが、古事記のむかしからハッキリしている。
「墓」は、生きてある人の胸の内に在るものとわたしは思っている、「慕」情とともに。その人の生きて覚えていてくれる間が「墓=慕」であって、その人も亡くなれば死者への記憶もなくなり、墓石はただ形だけ残る。
志賀直哉はたとえば『暗夜行路』や『母の死と新しい母』や『和解』を介してわたしの胸の内を墓にして今も生きている。森鴎外も谷崎潤一郎も太宰治も同様で、眼にのこっている禅林寺や法然院の墓碑・墓石は、いまでは記念碑にすぎない。「石の墓」は欲しくないなあと、昨日もまたわたしは思っていた。不埒な思いなのであろうか。
2014 4・1 150
* 建日子が、母の誕生日の晩餐に参加しますと言うてきた。
2014 4・4 150
* 歌舞伎座、三列目花道間近な通路角席という絶好席で、新開場一周年、鳳凰祭四月大歌舞伎の昼の部を楽しんできた。今日を晴れ着の妻は七十八歳の誕生日を幸四郎夫人にはんなり祝ってもらい、嬉しそうだった。
開幕の「壽春鳳凰祭 いはふはる こびきのにぎはひ」は我當の帝を芯柱に、時蔵、扇雀、橋之助、錦之助らのはなやかな舞いが、美しい舞台とともにきっちり楽しめた。
「鎌倉三代記 絹川村閑居の場は」鎌倉時代のはじめに人も物も事も設定してありながら、大坂と江戸との葛藤を暗示するつくり、その敵味方の入り組んだ人間関係を冒頭にわかりやすく工夫してあって、そのぶん、幸四郎演じる藤三郎じつは京方佐々木高綱である趣向が大らかに生きた。前半、三浦之助(梅玉)と時姫(魁春)のかかわりように大芝居の濃厚さと色気とがあり、義太夫狂言の重みと面白さが楽しめた。
つづく「壽靱猿」には歌舞伎踊り大和屋の名手三津五郎が、重い病の床から元気に復帰してくれた嬉しさで、満場拍手喝采。女大名三吉野には達者の又五郎が藝風満帆につきあい、大和屋子息の巳之助も進境の踊りでこころよい舞台を見せてくれた、だが、なんともかとも小猿の子役のかわいらしい猿楽が佳かった。たのしかった。
大喜利は一世一代、坂田藤十郎と中村翫雀の父子でみせた圧巻の「曽根崎心中」 ひょっとすると本当にもう見られなくなる山城屋のお初かと思うとこっちの気の入れようも半端でなかった。成駒屋も、このところ毎度のことだが、気力充実の好演で人間国宝の父の一世一代をよく引き立ててみごとだった。
* 茜屋珈琲でゆっくりした。満員で大忙しのマスターとも歓談しいしい美味いコーヒーを楽しみ、昭和通りの画廊永井で安井曾太郎のスケッチ展をのぞいてから、有楽町線で麹町まで。
中華料理の「登龍」の前で建日子と合流、馴染みの店で和やかにながながと料理を楽しんだ。最初には、スッポンのスープと北京ダック、わたしはマオタイ、甕出しの紹興酒、妻は赤ワインで、車の建日子は黒烏龍茶。あとは思い思いの料理を心ゆくまで。わたしは、量を控えめに。親子三人、胸の底までのびのびできた。
それから建日子の大きな車で家まで送られ、家で佳い和菓子とお茶でいろいろに話せた。
凸版印刷から届いていたわたしの「選集①」の「函入りツカ見本」をこれは豪華だ、ちかごろこんな立派な本を見たこと無いよと気に入ってくれ、「もらって行きます」と持って帰った。それもそれで心嬉しかった。
妻の、いい誕生日になった。建日子と和やかにゆっくり食事でき、車にも乗って、親は他愛なくただ嬉しかった。
* 十時半。そういえば郵便も見てない。
2014 4・5 150
* グレアム・グリーンの『愛の終り』モオリスへの、ひいては神様へのサラアの愛の吐露。吸い込まれるように耽読している。
レマルクの『凱旋門』では、いましもラヴィックがパリで、ゲシュタポの凶悪ハーケに向き合っている。医師はハーケを殺したく、ハーケの方は自身この拷問や虐殺で不幸の底へ突き落としたかつてのジューの一人を忘れている。緊迫。そして、先はどう動転するか。
いま、この二作にバランスしてわたしを異境へ誘いうるのはマキリップの『イルスの竪琴』三巻かと想っていたが、建日子が読みたいからと持って行った。彼はいまル・グゥインの『ゲド戦記』を原語でよんでいると言う。
2014 4・7 150
* 起床8:30 血圧132-60(57) 血糖値86 体重67.7kg
* 十時半、地元の厚生病院で心エコー検査をうけ、先日来の他の検査もふくめた診察・診断を受けてきた。心臓に関して検査の限りでは全く正常と。有難く、安心した。「安心」とはうまい言葉だ。
妻は昼過ぎに、お茶の水まで抜歯後の診察を受けに出かけた。
2014 4・8 150
* 孫やす香の一の友だちが、元気に、変わりなくわたしたちを励ましてくれる。ありがとう。あなたも日々を幸せに、お元気で。
☆ おばあちゃま!
大変おそくなりましたが、
お誕生日おめでとうございます!!
私のお誕生日には、おばあちゃまはすぐメールをくださるのに・・・
本当にひどい私です!
今年も素敵なお誕生日を過ごされたのでしょうか。
可愛らしい桜が咲く中、おじい様と2人で仲良く歩かれている姿を勝手に想像しては、温かい気持ちになっています。
私の家の近くは、サトザクラが満開です。
ポンポンまるまって咲いた桜達がかわいらしく、それを見ながら会社へ向かうのが楽しみなのです。
明日は、やす香と私の親友の結婚式です。
サトザクラのような衣装を着て、式に参列する予定です。
それでは明日は、やす香と待ち合わせをして行ってきます。 香
2014 4・12 150
* 今日の輸液も終えた。日によっては、体調と気分によっては黒いマゴも輸液に猛反発する。それに太い針の刺しようでは液の体外への洩れ零れがして難儀する。無事だとほっとする、マゴもわたしたちも。
2014 4・12 150
* 昨日の晩、秦建日子脚本の連続ドラマ最初の長時間版「マルホの女」があって見始めたが、わたしは十五分ほどで退散した。シナリオを勉強に研究所に半年通っていたのは、小説を書き出した頃であったが、名だたる巨匠先生達の口を揃えての曰くは、「最初の出で停滞すれば、あとがどんなにであろうと、客はさっさと逃げますよ」と。小説でも同じだが、小説よりシナリオやドラマ脚本は厳しい。映画館なら金を払っているから我慢して付き合うが、テレビなら容赦なくチャンネルを替えるか立ち去ってしまう。昨日のドラマは、出だしに快適なテムポも刺激もなく、役者ぶりの紹介が主になっていて、観客は軽く突き放されていた。台本は擁護できても演出は拙であった。退屈してわたしは自分の仕事へ立ち去った。今日、もう一度放映されたのを妻はまた観て、佳い線を描いていて悪くはないけれどねえ、出だし少し退屈したわねえと。二時間ものは、とかくそうなる。時間に追われて一時間でかちっと纏めた方が刺激も効果も感銘も良い。海外物で、以前「クロージャー」という取り調べ専門の練達女刑事の犯人追究ドラマに感心して毎回観ていたことがある。こっちが追いまくられるほどスキがなかった。「ドクターX」や例の倍返し銀行トラマや、藤田まこと時代の「剣客商売」など、或いは緊張させ、或いはゆったりさせてくれた。登場する人間の把握の強さ。深さであることは、小説もおなじだが、小説は文章の彫琢が人間の劇をしっかり確保しなければならず、花も欲しい。通俗はいけない。映像は、通俗をおそれずダイナミッキな時間の推移に劇を盛り込んで欲しい。建日子に、二回目以降を期待する。
2014 4・13 150
* 昨夜眠りそびれて夜中に多く本を読んでいた。その眼疲れもあってか、永い一日の何度か眼をふさがれ、とても疲れた。仕事にも根をつめた。十一時。黒いマゴの輸液をしたら、やすむ。
2014 4・14 150
* 黒いマゴの輸液は、わたしの膝に載せて、妻が針を皮膚と肉とのあわいへ入れる。はやくても十数分、点滴の点が短いと二十数分もかる。そのあいだ、わたしはマゴのからだを抱えてやりながら録画の映画を観る。この二日ほどアンソニー・クインが力演の「バラバ」を観ている。慣例に従いイエスかバラバかと問われたユダヤの民は、イエスの磔刑をと叫んだ。ならず者のバラバは命助かり、不思議の運命をたどってローマで剣闘士として勝ち残り、自由民になる。そして、いま、そのローマが燃えている。
基督教が、どのようにして、ギリシアやオリエントの文化を下敷きにしたローマで、ついには国教たり得たのか、わたしは、その関連の歴史映画を見逃さないようにしている。辻邦生さんの超大作『背教者ユリアヌス(皇帝)』も興味津々読んだ。
基督教の魂にはすぐれた光輝を見ないわけに行かない。しかし基督教という専制君主で巨大領主でもある組織宗教にはとてもついてなど行けない。基督教からほんとうに高貴なものを得たいとは願っている、それは荘子や老子やブッダに願うのとまったく同じなのである、わたしにすれば。佳いものは佳い。宗教も文学藝術も、変わりない。囚われてはいけない、汲み取るのだ。
2014 4・15 150
* ぐっすり寝てしまうが勝ちか。それでも今日、「清経入水」のルビ打ちを済ませ、「風の奏で=寂光平家」原稿をだいぶ読み進め、新しい「湖の本120」の原稿用意にもかなり視力を費った。ときどき温めたタオルを目に当ててやすみながら。点眼は頻回に。しかし、気分の晴れ間は短すぎる。おまけに今夜は冷えてきた。くしゃみも連発している。やがて十一時。マゴの輸液に降りる。
2014 4・16 150
* 初出紙誌、初版本、共著本など、「作家」と呼ばれてから四十五年の物のかたちした足跡の片づけまたは処分に真剣に挑まねば、もう二棟の家に脚の踏み場も無くなってきた。建日子の蓼科の別荘に疎開できないかなあ。それどころか、我が家にはまだ建日子の処分責任のあるモノがわんさと在る。じつにじつに困るのだ。
2014 4・17 150
* 建日子からコールデンウイークの予定を聞いてきていると。なにごとぞ。珍しいところへでも連れて行ってくれるのかな。選集①の刊行記念会でもしてくれる気か。
2014 4・19 150
* 今週はここ数日雨もよいらしいが、週末には晴れて「選集①」が出来てくる。次いで日曜に「今藤会」で一日唄と音曲を聴き、高麗屋父子と病癒えた三津五郎の踊りも楽しんでくる。帰りに麹町でまた中華料理、というよりさっぱりと蕎麦など食べて帰れるかどうか。月曜には歯医者で新しい差し歯が入る。
わたしにゴールデンウイークは何の関係も無いが、月替わりの一日、建日子が帰って来ると予告有り。「選集①」刊行を喜んで祝ってくれると嬉しい。八日まで何のアテもなく、八日夜明治座の染五郎「伊達の十役」以降になると、わたしも妻も病院通いが毎日のように続く。十五日には俳優座公演に招かれている。劇壇昴も「リア王」という佳い公演の案内を呉れている。
2014 4・20 150
* 十一時過ぎ、黒いマゴの輸液も終えてあり、もう眼をやすませねばならぬ。
2014 4・20 150
* 何より急務として、選集①を受け容れる「場所」を生み出さねばならない、玄関にもものが山積みのママ、それだけでもどこかへ移し運ばねば。明日、雨の予報だが、降られても何とかしないと。 2014 4・21 150
* 余儀なく、奮発して、新刊「選集①」搬入のために玄関に積んだ本を隣棟へ運び込んだ。運び込むためには隣の玄関に山積みのべつの本をなんとかして、どこかへ片づけ片寄せねばならず、本の包みは岩のように重くて参った。ロキソニンの世話にもなり、したたか汗もかいた。
我が家はひろく自室は15畳あり、空き部屋もあります、少し受け容れましょうかと声がかかっている。本気にしてしまいそう。羨ましい。我が家には八畳の間も無い。秦の両親が最晩年に短期間くらした隣棟も、一階は、本包みや初出本や新刊刷りだしや発送用の袋などなどでもう脚の踏み場もなく、二階は二階でバンザイするより無い。
ま、いいか。成るように成るだろうか。成るまいなあ。
2014 4・22 150
* 昨日、われながら驚くほど腕も脚も働かせた、今朝も故紙回収の手伝いで重い束を幾つも運んだ。それから書庫に入り、とにもかくにも沢山な本に触れては積んだり崩したり読んだり思案したりし続けて、その間に胸が痛み始めた。筋肉疲労だけならいいのだが。
なにとなしダルい。目もよく見えない。書くのはさほどでないがたくさん機械の文章を読んでいた。眼精疲労もやむをえない。
休息がわりに黒いマゴの輸液を手伝いながらゲリー・クーパーの西部劇をたわいなく観ていた。観終えると、すぐぐれごりー・ペックの「アラバマ物語」が映りはじめた。それは後日の楽しみに電源を落としたが、もう仕事らしい仕事ができそうにない。
* 機械の文章は文字を大きくして読むようにしている。本も、文庫の字は小さいのが難で、辛いときは単行本の字の大きめのを読む。いま手にして愛読し続けている田能村竹田の画論『山中人饒舌』が読みやすく、読みやすければ自然惹きこまれる。
西山松之助先生の三回忌記念に奥さんから頂戴した『茶杓探訪』も読みやすく、かつ興趣に富んだ鑑賞と批評でもあって、手元に置いていてはもったいない気がするが、茶杓を自分で削るほどの人にあげたい、そんな人はめったにいない。札幌の真岡さんに削らないかと嗾しているが、返事がない。今日書庫に入っていて、やはり西山先生茶杓の図説ものがみつかり、懐かしかった。
漫然と図書館に入れるより、愛読もし愛蔵もしてくれる人それぞれに上げたい本が無数にあるが、問い合わすことも難しい。図書館学をすこし囓っていた朝日子がいれば、蔵書目録をつくってもらって、それを公開して希望者を捜せるといいのだが。
日本の古典、日本の文学史、近代文学、文学研究、作家論、作品論、伝記等々。そんなふうに歴史、美術、詞華集、それと事典、辞書が多種類。広範囲にいつのまにか揃っている。辞書は生涯大事に生かしてきたが、それでもまだ間違う。(フルメトロン点眼)。 2014 4・23 150
☆ おじい様 おばあ様
先日は、温かいメールをありがとうございます。
(中略)
現在、休みは火・水曜日です。
そのうち1日は、びっくりするぐらい寝て過ごしますが、残りは活発に過ごしています。
おじい様おばあ様と、どちらかの日にお会いできたら嬉しいです。
おじい様から直接、体調が安定していると聞けて安心いたしました。
目だけがいけないとのこと。
何か私がお手伝いできないかなぁ、と思っております。 藤
* 亡きやす香に代わって、わたしたちを、こう呼んでくれる人。嬉しく、真実 感謝し愛している。幸せであり続けて欲しい。
やす香の妹の押村みゆ希はもう大学生かと想われるが、どこでどう暮らしているのかも全く分からない。両親が愛をこめて名付けた「朝日子」の名を改名してまでどこかで暮らしている「やす香・みゆ希の母親」は、健康な精神で生き生きと幸せにしているのだろうか。それなら良いが。
「真の身内」は、血縁やDNAが決めるのではない、と、しみじみ思う。妻がいて建日子がいて、黒いマゴもいて、いま、やす香の親友もいてくれる「身内」の有る、幸せ。そういう形而上的な実感を此のわたしに育ててくれたのが、漱石の『こころ』であった。一つ下のわたしに春陽堂文庫の『こころ』を手渡して戦後の新制中学を卆えていった人、その人」が生まれて初めての最初の「真の身内」であった、以来六十余年、昨日も今日も、明日も、わたしは「その人」を、今どこにどう暮らしているのか、元気なのか、何一つ知れずにいるただ「その人」を、生みの母よりも育ての母よりもまこと「母」であったような「姉」と、身に沁みて感じ、思慕している。お元気でと祈らずにおれない。
2014 4・23 150
* 十一時ちかく、『秦恒平選集 第一巻』がダンボール函入りで山のような嵩で届いた。玄関がまるまる塞がった。
美しく仕上がっている。佳く出来ていればいるほど、発送には気を遣う。正直のところ気が遠くなる。ともあれ、題字を刻して戴いた能美の井口哲郎さん(元石川文学館館長)に真っ先に郵送してきた。無事に届いて欲しい。
さ、あとのことは、ボーオッとしていてどう収まりがついて行くのか見当もつかない。豪華とは謂わないが美しい清潔な本になったという嬉しさを、妻とふたりで噛みしめながら、ワインと赤飯という妙な取り合わせでともあれ祝った。そのあとは全然手もつかない。
このあとは追っかけて届く凸版印刷の請求書に、気丈に立ち向かわねばならない。豪華限定本をどんどん創ってもらっていたのは三、四十年も昔、いちばん新しいのが、わたしの五十の賀に和歌山の三宅貞雄さんが渾身の力をこめて創られた、それこそ優美に豪奢な『四度の瀧』だった、あれが「秦恒平・湖の本」のいわば旗揚げ本になった。谷崎松子さんの題字、森田曠平画伯の版画など入って組みも刷りも装幀も函も完璧だったが、当然ながら高価についた。今回本は頁数にして、倍。ずしっと重い。あえて私家版の非売本にしたのである。
ではあるが、本の姿・形よりも、「作」を観てほしい、作が「作品」を備えているか、それがわたしの、物言いは変だが「勝負どころ」。その辺を読み取って是非してくださる、またできれば永く恵存ねがえる各施設、各界の先輩・知友に感謝をこめ贈呈したい。
所詮、これは私・秦恒平の「紙の墓・紙碑」である。どこまで私の寿命がもつか、どこまで資金がもつか、或る意味で楽しめるゲームのようなものか。息子の、やはり作家である秦建日子が「発行者」の名を副えてくれたのが嬉しく、有難い。
昨日詠んだ述懐歌を、此処に、置く。
* をしげなく花びらくづし大輪の赤い椿は地にはなやげり 恒平
* 咲き残る木瓜の紅しづかなりいましばしつよく生きてありたし 湖
2014 4・25 150
☆ 選集第一巻上梓 お疲れ様です。そして、おめでとうございます。
すべて、了解です。
保谷に行くのは、たぶん、5/1になると思います。
楽しみにしています。 建日子
* 感謝。
2014 4・26 150
* 生憎か幸いか連休にはいると郵便局から本が送り出せない。ま、ゆっくりと荷造りに専念しておく。そうはいえ、「選集②」も「湖の本120」も、そして小説も進めなくては。五月八日から十五日まで、なにやかやと用事がかたまっている。
建日子が来ると言うている。豊島園で妻の友だち夫婦と出会おうかという話も出来ている。「選集①」は、手渡し可能な人には手渡したいと思うが、飛び回っていては身が保たないかも。
2014 4・26 150
* 能美の井口哲郎さん、 名酒「十代目」でお祝い戴いた。なんと嬉しいことか、越前の好きな盃で、ぐいぐいと頂戴した。わたくしから御礼申し上げねばならないところ、不調法を恥じ入りながら、お酒の美味さに身を任せている。一日に建日子が来てもかれには車の運転がある。二人分、しっとりと至醇の名酒を頂戴したい。ありがとう存じます。銘の「十代目」がおもしろい。有難い、が、それはいささか私書きかけの小説にかかわってくるので、この上は触れない。
* こころよく機械にむかい熟睡していた。宵の七時に目覚めた。 2014 4・29 150
* 昨夜遅くに建日子が隣へきて泊まっていた。今朝、記番第二の選集①を手渡した。喜んでくれた。
天気も晴れやかになり、注文の読者や寄贈先への発送を再開した。
凸版印刷からの請求見積もり書も届いた、記番本150部とごく若干著者本を合計して、消費税込み183萬円ほど。(郵送料は各册350円)。ま、この分なら、小説だけで予定の非売二十巻、日頃無益な贅沢を慎んで暮らせば、また体力気力が続くならば、老夫婦一期一巻の覚悟でなんとか進捗できるかも。幸い、秦建日子も幾分か支援してくれるという。有難い。いっそ建日子には、もし父が死んで仕残したとき、可能ならアトを引き承けてもらえれば、などと内心甘えている。
2014 5・1 151
☆ 秦 恒平様 ありがとう存じます
此の路やかのみちなりし草笛を
吹きて子犬とたわむれし路 (阿部鏡= 秦恒平生母)
何と申し上げていいのやら、言葉が見つかりません。
お母様の歌碑の前にご恵送賜ったご本をお持ちし、ご報告し、お祈りしてまいりました。
ご縁とはいえ、格調高いすてきな玉著こころより御礼申し上げます。
自転車でも行ける山裾に、これからは度々ご報告にと涙ながら何やら嬉しゅうございました。
五箇荘図書館へも行ってまいりました。下記の宛名です。担当の方が恐縮しておられました。
〒529 -1421
滋賀県東近江市五箇荘竜田548
五箇荘図書館 ****様宛 です。
先ずは取り急ぎ御礼まで。
どうかどうかご無理をなさらずに・・・。お母さまからです。 東近江 五箇荘 川島民親拝
* ありがたいことだ。
故郷を石もて追われた生母阿部ふく(歌名 鏡)のためにものちにわたしの異父長姉川村千代が、母ふくの歌一首を刻して佳い歌碑を建ててくれていた。川島さんは五箇荘の人、早稲田を出て、のち、故郷に帰って創作もともに郷土愛の仕事に精出されている。「ペン電子文藝館」に所収の「わたしの昆虫記」は傑作である。お宅に、何度か泊めて戴いたこともある。
* 建日子、選集①50册を持って帰った。本の出来映えに、「発行者」として満足げであった。
2014 5・1 151
☆ (妻宛て 義妹より)
素晴らしいご本『秦恒平選集』第一巻をご送付下さり 有難うございます!
限定版なのに 私にまで頂いていいのでしょうか? 価格も書かれてないので 少し困っています。
それにしても体調の良くないなか よく頑張られましたね。
シンプルな美しい装丁で、上品な濃紺の色も素敵です。きっと佳い布を使われているのでしょうね。手触りも素晴らしいです。
活字も読みやすい大きさと形、しっくりとした紙とその色…とさすがです。
そしてあのデッサン! どうしてこのように描けるのか 改めてしばし眺めてしまいます。
お二人とも 今はほっとされていることでしょう。妹として何もお手伝いせず、申し訳なく思います。
私も これから大切に読ませて頂きます。
とり急ぎ、御礼まで迪っちゃんにメールします。
秦さんには くれぐれもよろしくお伝えくださいね。
貴重なご本を本当に有難うございました。 藤沢市 琉
お二人共、お体を大切になさって下さい。
* 神秘的といえるみごとな画筆と画境に住んでいる義妹。詩集ももっている。去年、何十年ぶりかに再会した。妻とはひっきりなしに交信している。「湖の本」も応援してくれている。
☆ 秦恒平様「選集」誠に有難く。
突然 「ポストに入らなかったので」と郵便局の方が店に上がってこられ 受け開け見てびっくりです。
選集第一巻の完成おめでとうございます
貴重な一冊を 母(=亡き叔母けい子)と私へ送っていただきありがとうございます
添え状 いつも見られた線の躍りがない風なのは 長い病との並走 ぜひぜひお身体お大事に。
文尾に ご笑納下さい などと秦さんらしくもない
「作」を観よ と読ませていただきます
重ねて ありがとうございます。 木津川市 実父方従弟 孝
☆ 素晴らしいご本をありがとうございます。
この度は、ご立派な選集のご出版まことにおめでとうございます。
先ほど郵便局の方が届けてくださいました。飛び上がるほど嬉しいのですが、こんな貴重なご本、私が頂戴してよろしいのでしょうか。
本当に素晴らしいご本でしみじみと眺めています。
宝物が一つ増えました。
大切に読ませて頂きます。
本当にありがとうございました。
奥様共々お大切にお過ごしくださいますよう。 京都 養母秦従妹 みち
* わたしは人さまのご厚意を存分に戴きながら、怠惰にも、ほとんどモノを差し上げたり贈ったりする習いを持たない、出来るのは著書に限られる。ほんの稀にお茶をなさる方に叔母から伝え持ってきた茶道具を差し上げているのが例外に属するか。妻には、しばしば衣服などを見立てて勝手に買って帰ったりするが、それはわたしの趣味に類し、しかも絶対的に見立てに自信があり、事実似合わなかったりしたことは一度も無かった。
そのほかは、子供達にもことごとしくプレゼントなどということを習いにしなかったし、お互いまるで気まぐれにしかもごく些少の品を、時に互いの古着などをやりとりするだけ。むかし、娘がマオタイ一瓶を買って帰ってきたなど、まことにめずらかに嬉しい土産だった。
要するにわたしは一心に本を書いて出して、なかば押しつけがましく 人さまに差上げる以上の何もしない、できない人なのである。それとても湖の本本は読者のみなさんにお買いあげ頂いている。なんという果報者であるか。
2014 5・3 151
* 夕方に夫婦二組で会う約束が流れ、その分、力仕事や書き仕事に精出していて疲れた。久しぶりにピザなど取り寄せたが、食欲もうすく、一時間ほど寝入っていた。
* 四日も連休で郵便局が使えないのに、閉口。用事が停滞している。今度の本は一冊一冊の包装がたいへんな手間で、妻が器用に工夫してやってくれなければわたしなら途方にくれたろう。ま、それとても晩年の一と景色と想えば幸せなことだ。「抱き柱」は抱かない、成るがまま有るがまま、それを受け容れ、たとえ苦労でも楽しむようにしている。
2014 5・3 151
☆ かお吏です。
おじいさまの選集、ありがとうございます!
こんなに立派な本を頂戴していいのかしら、とドキドキしながらページを開くと、おじい様の似顔絵が。
いつもと違い、作家の顔をされていますが、とっても素敵な絵です。
後書きには、おばあ様のこともチラホラと・・・
何だか、この本をすごく愛おしく感じます。
大切に読ませていただきます。
お2人にお会いしたい、と主人が言っていました。聞いたら、5月**日または**日の昼は空いているとのこと。
初めて会う方には緊張する性格の主人ですが、ご迷惑じゃなければ、4人でお会いできますでしょうか? 亡きやす香の親友
2014 5・8 151
* 能美の井口さんから懇篤のお手紙に添えて、此度選集の「発行者」に印稿を添えた「秦建日子」「建」の印を、私に吊って飾れる「秦恒平選集」の刻板二種ならびに、用意して頂いていた各刻字五印を、頂戴した。布装そのままの色板に置かれた金の五字が映え映えと美しく、柱に掛けている。やす香の写真と御舟画の牡丹にはさまれ、さらに奥に谷崎潤一郎の筆になる「鴛鴦夢圓」のめずらかな揮毫が一連を成してダイニングを飾っている。井口さん、有り難う存じます。お誕生日の御健勝を心より嬉しくお祝い申します。
☆ 五月八日、八十二歳になりました。
この誕生日に、いい思いをさせていただいたことを、しみじみと感じています。
連休中に集ってきた子や孫たちに、あの本を見せびらかして、得意になっています。
さて、過日表紙の見本を見せていただいた時、仕上りがとてもきれいにできていましたので、強くは申しあげませんでしたが、あれは「印稿」のつもりだったのです。あの字を印字して、篆刻に仕上げればと思っていたのです。お電話でそのことを申しあげたのですが、そのご依頼もなく、そのままの方がいいように思い、結果をお待ちしていました。
実は、『選集』のあとがきーー「創刊に際して」を拝見しましたところ「刻字を表題に頂戴した」とありましたので、動揺しました。そこで刻字がなければならない思い創った次第です。字体は、印稿よりやや太めになっていますが、木が損いやすいのでーー技術が至らないせいもあります。
表題のご依頼があった時(案として)お示ししたのは、篆刻によるものです。いつでも応じられるように石を準備していたのですが、前述のように、「見本」の出来がよかったので、折角材料もあるし、印稿も認めてもらったので、自分なりの記念に、彫ってみました。
額は、以前に短冊用に作ったのですが、計算違いで寸足らずになってしまったのを利用しました(ありもので失礼ですが)。ガラスまで取りはずせば、「刻字」の方も入れることができます。拙い作を飾ってくれと申しあげているわけではありません。決して私の遊びに入ってくださいと申しあげるつもりもありませんので、そこをご理解ください。
同封のハンコ二顆は、発行者へのごあいさつです。建日子さんには、ハンコの趣味はないかみ知れませんし、あくまでも、私の一方的な押しつけなので、私の気持だけお受取りくださって、適当に処置してくださるようにお伝えください。
当分このいい気分が続きそうです。本当にありがとうございました。どうぞ巻が重なること、お体お大切にとお祈りしています。
奥様、御子息様に、よろしくお伝えください。
五月八日 井口哲郎
秦恒平様
* わたくしが、いかに果報者であるかを、だれもだれもが分かって下さるだろう、心底、ご芳情に御礼申し上げ、数々のご無礼をお詫び申し上げます。
わたしはまだ手先がしびれて震えているので、まして、たださえ昔からハンコを捺すのが下手であったので、実は「印稿」を有難く使わせて頂いた。「印稿」は理想的に印影が仕上がっている。わたしが不出来な私用の印肉を用いてあり合わせの紙に捺してでは、作の出来をずれたり揺れたり損ねてしまう。また印刷所の人たちにいいように捺して下さいとは言いたくなくて、美しい「印稿」に感謝してこのように製版をと依頼した。結果的には大成功であった。その上に、今日のような品品にして頂戴できたというのは、冥加に過ぎる嬉しいことであった。井口さん、有り難うございました。『秦恒平選集」の「短冊額」、それは映え映えと私達の身近か間近かに輝いています。それも、いつかは建日子に預けて後事を託し得ればと願っています。
2014 5・9 151
* 本発送の荷造りは容易でない、わたしでは出来そうにない。まだもう少し送り出したいが、今日は妻の循環系検査入院。大事なきを願っている。
2014 5・12 151
* 地元病院での妻の循環系検査一泊入院。検査結果は幸いに良好とのこと。クスリと思って二人とも毎日少量の赤ワインをほぼ欠かさず飲んでいるのが幾らか奏功しているかなどと思っている。明朝退院。一日の休息と思ってのんびり過ごして欲しい。わたしも。
そうはいいながら検査前も検査中も、「雲居寺跡」原稿にルビ打ち。これが、いちばんしにくい仕事。相撲でも観て休もうか。市内の堀上さんへ本を届け方々話しに行こうかと思うのだが、イヤに風が吹いている。酒など飲むことになると帰りが危ない。
2014 5・12 151
* 明朝、病院で妻が退院前に、主治医の検査結果説明を聴く。
水曜日は、午後のおそめに聖路加の眼科へ。いろいろ検査があるらしいが、何のためやら、何ともワケが分からない。
木曜日は、俳優座公演に。久しぶり。来月は劇団昴の「リア王」が楽しみ。
金曜日十六日夕方には、歯医者。歯は、疲れも加わってアッチもコッチも不調。「ネバー エンディングですねえ」と女医さん。やれやれ。
* ひどい風。なんとなく独りの留守はつまらなく、黒いマゴとはやばや寝てしまおうか。
三月末青山墓参や靖国神社の満開の櫻など、撮り溜めた沢山な写真の整理などしていた。
気がついてみると今日は、昼も晩もろくに食事していない。それでいて、なにやらかやらつまみ食いしていた。十時半。もう寝よう。 2014 5・12 151
* 地元病院の主治医から三度にわたる妻の冠動脈手術後の経過が良好であったこと、診察はつづけるが、手術的治療に関してはともあれ「卒業」とみましょう、薬もひとつ減らしましょうと、わたしも呼ばれて説明を受けてきた。四度目の一泊入院を無事退院してきた。有難し。
2014 5・13 151
* 立命館大学図書館から「選集①」受領の挨拶があった。やす香の妹、ただひとりの孫娘となった「押村みゆ希」が、立命館大学のたぶん文学部に遊学しているやに風の便りにもれ聞いているのだが、どんな一人暮らしを京都でして居るのであろう。
* 木津川の父方従弟から、京都国立博物館で開いた、海住山寺など『南山城古寺巡礼』展の大きな図録などを送ってきてくれた。今度の選集の長編『みごもりの湖』のいわば主要舞台の一環を成している。物語は、まさしく京都博物館の展示に、あり恵美押勝を湖西勝野の渚に斬った石村石楯ゆかりの供養経を語り手が見付けたところから始まっているのだ。従弟は、気づいているのだろうか。
☆ 秦恒平様
先日 京都国立博物館に、わが家の檀那寺である海住山寺からも出展している「南山城古寺巡礼」と銘打った特別展に行ってまいりました。 時々の戦乱をこの地の彼方此方で離れ避けた仏像等が 一名刹であるかのように京博の展示室に置かれていますのは不思議な体験でした。 もうすでにお手元にあるかもとは思いましたが 図録をお送りします。
併せて テレビの録画DVDも二枚。
一つは関西ローカルでのみ放送された番組での 街かどめぐりのコーナーで木津川市加茂町が紹介され、えちの店が数分登場したものです。 度々購い頂いているコーヒー豆 こんな様子で商っております。店舗は二階なのですが、少し一階の扉の所も映っております。(恒平の訪れた=)32年前と殆ど変わっていないかと。 まず二階に移した 守伯父(=恒平らは叔父。父の異母弟)の描いた吉祥天の油絵も一瞬映っています。
もう一枚は、 今、話題の富岡製糸場と加茂をつなく 横浜三渓園についてのものです。 岩田孝一拝
* ぜひ恭仁京 海住山寺などをめぐって、藤原仲麻呂、橘諸兄、聖武天皇、光明皇后、孝謙・称徳天皇、恵美東子、沙々貴山君仲子、石村石盾らの凄絶な古代的闘争、それに加えて現代の近江・京都を舞台にした繪屋菊子・槇子姉妹と幸田康之・迪子夫妻との死生と人間を懸命に問う物語を、読んで欲しい。
2014 5・14 151
* 明け方、妻が、病院で受けた造影剤や輸液を入れる針のあとが堅く腫れて左腕から肩へ背へ、痛がった。まったくゝ左肩、腕への痛みをわたしも永く味わっている。寝ているときが辛い。昼間は手先が痺れたり肩こりの程度で我慢できている。原因も、わたしの場合ほぼ分かっている。寝たまま一方へ向いて多量の読書をするからである。妻の場合は、緊縛による大きな皮下出血などを構うところから来ていると思う。根本は寝姿勢、姿勢の問題であろうかと。
2014 5・15 151
* 妻、左腕・肩の痛みと内出血との治療を厚生病院で。投薬もあり、大事無しと。
2014 5・16 151
* 歯科の診察の帰り、妻、左腕。肩に激痛をうったえる。辛うじて帰宅。
2014 5・16 151
* 妻の左腕内出血と腫れを伴う烈しい痛みは、まだ和らがず、配剤された痛み止めや安定剤でおさえている。熟睡がなによりと思われる。痛み疲れであろう、寝入っている。それでよい。幸い腹痛とか心痛とは筋がちがっており、医師も時間で和らぐと観ているようだ。
2014 5・16 151
* 怠らず黒いマゴの輸液は続けている。
2014 5・17 151
* 南山城の従弟が送ってくれた京都博物館での「南山城古寺巡礼展」の大きな図録を楽しんでいる。わたしの父方実家吉岡家は、現在木津川市加茂町当尾に屋敷があり、一帯の大庄屋を務め、廃仏希釈の頃には浄瑠璃寺の九体阿弥陀堂を身を以て守ったと洩れ聞かされている。当尾地区には、平安時代の浄瑠璃寺、奈良時代の岩船寺、さらに上古來の石仏群が現存し、加茂町にまでひろげれば海住山寺等々の古刹。古京が含まれている。図録は、貴重な建築、仏像、美術、文書資料等々を克明にみせて呉れる。
若ければ、乗り出して書き表してみたい「物語」がいくつも浮かび上がる。何をするにも、もう残り時間が切迫している。
2014 5・18 151
* 夜、輸液の前からクリント・イーストウッド監督の快作「ガントレット」、もう四五回めを楽しんだ。ソンドラ・ロックがよく、イーストウッドがまた佳いのだ。ペアの主役に清潔感があり、カタルシスに富む。佳い監督だ。
2014 5・18 151
* 妻の左腕痛 緩和せず、病院へ。わたしも歯科へ。
2014 5・19 151
* 片づけ上手とはいえないし、設え上手ともいえない、買い物上手とも言えないけれど、一つ、妻には庭の草花や木の花を美しく生けるセンスがある。今日も、手洗いに入って歓声が出た。花の名は知らない。珍しい小花を二種類、丈高くまた低く、越前の徳利に綺麗に立てていた。
狭苦しいわが家には、もう居間にも台所にも仕事場にも足の野踏み場もない、ただ、手洗いだけが難を免れていて、偽り無い気分、其処へ入りく便座に腰をおろすとほんとうにほうっと寛ぐ。目の真ん前の壁に、目の高さで愛らしいライオンの仔の三獣士と目が合う。その真上に、「ヘンリー(犬)とモーリー(猫)」の邪気のない笑顔が並んでいる。さらに上には、横綱白鵬と日馬富士とが太刀を横たえて凛として立ち構えている。すばらしく全体に晴れやかに賑やか。
そして左手に、季節のいろんな花や草葉が色んな花器をえらんで美しく挿されてある。この花や草や葉ががどんなに心地を和ませ花やがせてくれることか。それはもう妻の創作世界である。
2014 5・20 151
* 手洗いに妻が挿した白・紫の苧環、可憐に小花のあかい姫檜扇の瑞々しい愛らしいみどり葉。胡銅の耳付き筒花入れに、小気味よく美しい。花がいい。花が好きだ。
覚えきれないほどいろいろ珍しい美味しいご馳走を頂き、美味いお酒もたくさん頂いた。よく食べてよく飲んだ。すこしずつ食味が戻ってきている。体重のリバウンドには細心の注意をしているが、たとえば一時はなくなるかと怖れた頭髪など着実に増えてきた。顔つきも少しはシャンとしてきたかも知れないが、まだ鏡にうつる姿形は病的にひよわい感じ。
ま、少しずつ少しずつ、でよろしい。
2014 5・21 151
* 気まぐれな空模様だが、両国へ。気持ち晴れやかにと。
* 大相撲、正面桟敷席の三列目で、快適に取り組みが見られた。大砂嵐と遠藤は、あっけなく大砂嵐が怪力で突き出して勝った。
案じていた一敗同士の横綱白鵬と大関稀勢乃里戦は、横綱の気迫と出足が優って圧勝、大関は二度まで早立ちの仕切り直し。呆気なかったが、白鵬が一敗のほかは白星を並べて先頭に立っている。気を入れて勝ち抜いて欲しい。
声援も出来た。妻も、まあまあ左腕痛み止めを途中服用しながら、よく持ち堪え、相撲をしっかり楽しんでいた。
2014 5・22 151
* 家中に起きた不幸な事故や発病を告げる便りがつづけざま届く。いずこも同じかと歎かれる。ことに転倒の怪我は高齢者にはことに厳しい。
わが家では妻の左腕動脈に血瘤が認められ、昼過ぎのいまから埼玉国立病院へ入院と決した。
* 入院。六時四十五分ころから八時四十分ほどかけて手術終了。予後と後遺症に関してはハキとした見通しは立っていないが、手術は全身麻酔して順調に終えた由。
冠動脈の検査手技を受けたとき、穿刺の針が動脈を突き抜いていたらしい、左腕の全面に紫がかったまるで黒雲が覆い、目を覆うようであった。地元病院では一泊入院と聞いてきたが、紹介先緊急入院した埼玉国立病院では、早くも週明けまでは退院はムリと。病院はかなり遠く、タクシーの片道がほぼ三千二、三百円という距離。
二時頃に入院し、手術終了後に医師の説明を聴き、帰宅したのは十時過ぎ。
* ま、妻にも黒いマゴにもわたしにも、試練。黒いマゴの輸液を医院へ運んでしてもらうより無い。
今日は手術の済むのを待ちながら集中治療室で「雲居寺跡 初恋」および「絵巻」のルビ打ちに打ちこんでいた。だいぶはかどった。
湖の本は、停滞し遅れる。やむを得ない。
2014 5・23 151
* 明日からの何日か、気をつけて注意深く身も心も働かさないと。わたしの永い入院治療中は妻に途方も無い苦労を掛けた。幸い、少しずつ少しずつ快方のわたしが頑張ってやらねば。
明日も忙しい。もうやすもう。
2014 5・23 151
* 夜中三時頃、淋しそうにしている黒いマゴのそばへ行ってやり、少し酒を飲んだ。床へ戻ってから本を読んだ。鍾銭重の『結婚狂詩曲』下巻を読み上げた。上巻では少し投げたくなっていたが、下巻でなんとも頼りない婚約から結婚が成り立ってからり夫婦のひっきりなしの鍔競り合いに引かれて読み通した。「中国人」てこうなんだと何だかヤケにリアルに分かったような気がしてしまうところが味噌だった。かなりのど根性批評であったが、読み返すことはないだろう。しかし、夫婦・結婚にはこういう面があるのだなあと、いささか忸怩とした気分も味わった。
『中世騎士道物語』が関心のアーサー王まで来て、その伝奇的な面白さへズブズフし入ってみたい気がしている。
2014 5・24 151
* 昨日は、黒いマゴのために輸液が出来なかった。今朝いちばんに医院に連れて行って、女医さんに輸液して貰った。
* 集中治療室から一般病棟に移ったと妻のメールが来ていたので、なにはともあれ、ハイヤーを呼んで埼玉国立病院へ走った。
六人部屋の窓寄りベッドに妻はいて、機嫌は良さそうだった。うまくいって退院は火曜日かと。予後と後遺症に違和・異常のないことをせつに願う。ベッドサイドで小説「繪巻」のルビ打ちを進めていたが、眠気と疲労に襲われ、このままでは帰路が危険に想えたので、三時ごろに帰ることにした。
バスの便もよくわからず、土曜ということでタクシーの姿もなく、かなり時間を浪費のあとようやく来たタクシーで帰途についた。やっと保谷駅ちかくへ戻ってきたので、ほとんど食事らしい食事も出来てなく、寿司の「和可菜」へ寄ろうとタクシーを降りたら、店は「準備中」。相当な日照りと暑さの中、しかたなく家までゆっくりゆっくり二十分余も歩いて帰宅した。へとへと。
それでも、寝てもしまわず、相撲を観ては菓子で酒を飲んでいた。白鵬は鶴龍を退けて一敗を守り、二敗同士の横綱日馬富士が大関稀勢の里の髷をつかむ反則で負けた。盛り上がる夏場所になった。
* 夕食らしい何も食べずに、(食べずに空腹な方が、じつは腹がラクなのであるが。)二階へ上がってきた。すぐそばで、黒いマゴが静かにやすんでいる。暑さに負けていないかと心配も心配だが。
夜中から目を使いすぎていて、視野が濡れたように滲み霞んでいる。やすむしかない。今日はかなりの暑さ。
☆ ちゃんと帰れたでしょうか?
ゆっくり休めたでしょうか?
台所のガス台の左下の辺りにわかなのお品書きがあります
その辺に見つからないなら扉の裏も見て。
とにかく食べて下さい。
ひょっとして寝ているかと思うのでメールにしました。
☆ 歌 これでいい?
惜しげなく花びら崩し大輪の赤き椿は地に華やげり
もう夕食が済みました。
明日もマーゴを宜しく。
☆ 食事
テーブルの西瓜でもメロンでも
とにかく食べなさい
菓子と酒ではいけません
冷蔵庫をよく見て。
☆ 寿司
わかな寿司
(電話番号)
* 腹の張るものを食べる気がしない。字が読めない以上は、寝るか、なにか録画した映画を観て、はやめに眠るか。
2014 5・24 151
* 黒いマゴに付き合ってやり早起き。「湖の本120」要再校戻しの用意を終えた。朝食は、卵納豆。九時になったら黒いマゴの輸液に獣医院へかけつける。可能なら午前中にすこし寝ておく。病院で、ルビ打ちをと心づもりしている。
☆ (ブルフィンチの= )ギリシア・ローマ神話
簡単に一話読み切れてここ(=病院のベッド)で読むにはいい本です。
左腕の(濃厚紫斑= )色はずんずん変化しています。でも、昨夜も鎮痛剤を呑みました。
痛みは家で我慢していたのと雲泥の差で、ありがたいです。
腫れもしびれも日にち薬の様子
焦っても仕方ないです。
ではでは
* 午前のほぼ二時間ほどを家で寝入っていた。眠気もとばし、なにより視力を助けねばと。いま十一時半。「要再校」送る。
* 一時前、タクシーで病院へ。火曜日午前に退院出来そうな。よほど症状和らいできている。
ベッドサイドで「繪巻」のルビ打ち終わる。次いで、長編「風の奏で」のルビ打ちにかかるったが。
五時前にタクシーに乗り、和光市から保谷へ帰り、白鵬29回目の優勝を応援、確認した。スカッとした。
* 黒いマゴに高見の見物されながら、ものすごい山の大きなダンボール類を積み上げて、悪戦苦闘して一括紐を掛けた。あさってには故紙回収とやら。
* さて晩飯か。何を食えばいいのやら。出前の鮨を取るか。寿司屋、三度電話したが、「ただいま電話に出られません」と。めんどくさくて断念。酒を飲み缶ビールをのみ、余っているミルクを温めて飲んだ。パンには手が出ず。お腹、変調。
2014 5・25 151
*庭の花に水をやり、黒いマゴを輸液に医院へ連れて行き、爪も切って貰ってきた。
妻は明日の午前中に退院できそう。予後は地元の病院でフォローしてもらう。左腕・肩全体の黒ずみ褪せはじめ、きつかった痛みも和らいできていると。
* 平日の見舞いは正午以降なので、ともあれ、わたしはこの眠気をはらうために寝てみる。
* 明日午前の退院がきまったようだ。有難し。
2014 5・26 151
* 病院へ出向く気だったが、テレビの前で坐ったまま寝入っていた。「寿司」屋へは電話が通じない。これも何かあったかと逆に心配。詩人の山中以都子さんに頂いた名酒「三千盛」二升を飲み干した。ご馳走様でした。お酒と、あまいものと、塩辛や生味噌で食生活している。ぼーッとしているので、寝るが何よりか。黒いマゴもまぢかで安眠している。
* 目が覚めたら五時前。病院へはムリしないと決めた。何か主食らしきを食べねばいけないが、さがしてみよう。まだ眠い。相変わらず黒いマゴはうしろで安眠してくれている。気が休まる。ひねものの三輪素麺をみつけた。とにかく熱湯に入れて、茹であがったのへ出汁をかけて食べた。腹だけが張った。
* 明日退院。建日子が迎えに行ってくれると連絡あり。わたしは黒いマゴを輸液に連れて行く。
* 目は霞み、眠くも。テレビはつまらなく、本が読めない。近江の美酒を戴いて酔って、黒いマゴと寝よう。
2014 5・26 151
* 日曜日に作・演出公演をうちあげた建日子の迎えで、つまはたぶん午前中にも退院してくる。有難し。
黒いマゴ今日の輸液も終えてきた。
2014 5ー27 151
* 12:10 建日子の車で、妻、退院。午後、地元病院の主治医に報告。
* なににしても、今回は、不運といえば不運、手技上のことであり得ることではあるが、医療過誤の事実は動かない。医者にかかる、病院へ通うということには、ついてまわる不運である。あの幾夜幾日にわたる堪えきれないほどの激痛を想い出すつど、その辺の機微によく思い当たるべきである。医療には常に完璧など期待できない。思い知るべきである。
2014 5・27 151
* 利き手の左が妻はまだ痛み痺れで使えない。黒いマゴはまた輸液に連れて行った。目の前の「時間」が黒く混沌としている。そんなときは手さぐりで、触れたものごとから片づけるよりない。そのうち視野が晴れると期待しながら。
なんとなく気が晴れぬ。
2014 5・28 151
この度は御著を賜り、誠にありがとうございました。貴重な選集にて、恐縮しております。
函入り、布装、かっちりした存在感のある御造本にて、どこかなつかしい香りがしているように思いました。
このところ身辺あわただしく御礼を申し上げるのも遅くなり大変失礼いたしました。
改めて じっくり読ませていただきたいと思います。
どうぞ御身大切にお過ごし下さいませ。 かしこ 横浜 稲垣みゆき 元中央公論社編集者
* わたしり殊に気に入りの単行小説集『閨秀』出版を担当してもらった。昭和四十八年(一九七三)暮れだった、四十一年も昔だが、お互いに若かったなあと感慨深い。賞をえた筑摩から本が出るのは自然だが、できれば中央公論社、新潮社、講談社、文藝春秋からも創作を出版したいと、念頭に置いていた。谷崎先生ゆかりの濃い中央公論社には憧れもあった。嬉しかった。すばらしい装幀だった。念願は着々と果たしていった。
稲垣さんは退社されてからも、いちはやく『湖の本』を応援してくださり、今日に至っている。
ふしぎなことだが、もともと私には母なる港であって自然な筑摩書房とは、今、全く縁が絶えている。
今晩は、文藝春秋の寺田さんが「選集」創刊のお祝いにと、わたしと発行人の建日子とをご馳走して下さる。思えば、みな久しく久しいご縁が絶えないでいる。秦建日子も各社のお世話になって活躍している。
2014 6・2 152
* さ、西新橋まで、出かけてこよう。
* 西新橋の京料理店で、文春の寺田さんに、建日子と一緒に馳走になる。建日子に得るところ多い出合いであったなら有難い。わたしは気楽にご馳走になった。専ら鱧料理を戴いた。
建日子は店の前でわかれ、寺田さんに保谷まで送ってもらった。
* 建日子、「選集①」へ助勢50部分を拠出してくれた。感謝。 2014 6・2 152
* 「湖の本120」の再校が出そろった。これでもう休みが無くなった。真夏へかけ、多忙と緊張がつづく。
今日午後には妻の埼玉病院への退院後診察に、同伴する。
2014 6・3 152
* 埼玉病院で妻の手術をして下さった先生の最終の予後判定を受けに行き、お礼を申し上げてきた。大丈夫、「卒業」ですと。
成増駅から池袋へ戻り、久しぶり東武の懐かしい「美濃吉」で、妻の奢り、京料理と名酒「桃の雫」を堪能してきた。美味かった。
東武の中で、夏向きに妻のいい漢字のアンサンブルを見つけて買ってきた。電車では「湖の本120」の再校を読んでいた。
暑くなってくると、そうそう出歩けない。わたしは熱中症で痛い目に遭っている。
2014 6・3 152
* 起床8:30 血圧134-69(55) 血糖値87 体重68.6kg
* なぜこう睡いのだろう。夜中三時から四時まで目を覚まし灯をつけて本を読んだからか。家に黙然と帰ってきている朝日子と碁を囲んだり、朝日子が一円の金も持っていないのに気がついて、自由になるある程度の金額を与えようとしたり迷ったり、気の重い夢を見続けるのがキツかった。「中世騎士物語」の前半「アーサー王とその騎士たち」を読み終えた。幼い頃、武士の「武者修行」という潔癖な克己の行為に好意をもっていた。自分も一つそれを書いてみようと思い立って忽ち挫折した体験は何度か告白してきた。騎士達の行状にはもっと華麗な装飾がついてまわる。高潔な勇気と武術だけでない、王への中世と貴婦人への拝跪の愛。さらには円卓、聖杯、聖剣。そして史実とも架空の伝説とも蒙昧として判断しきれない不思議さ。まさしくロマンスであり、わたしには許容できる傾向がある。
それは、ま、いい。アーサー王と王妃ギニヴィア、騎士ラーンスロット、騎士トリストラムと王妃イゾーデ、騎士ガウェイン等々の闘志や殉情、誠実そして信仰。それは、十分それでいい。映画・映像・文藝からの断片ながら素地も持ち合わせていた。
これから気になるのは、このブルフィンチ著の後半で、「マビノジョン」と掲題されていて、全然予備知識がない、が、イングランド、スコットランド、アイルランドなどの古代・中世に孤独に根をはっていた物語世界なのであろうか、それならば、読み進めているオフェイロン著「アイルランド 歴史と風土」の叙述とかなり併行し並走する物語世界であるのか。それならば大歓迎、その世界をわたしは観てみたい、識りたい。「マビノジョン」 ことばとしても聞いた覚えがない。そういうものとまだ出会えるのだ。
2014 6・8 152
* 手洗いの胡銅の瓶に、白こめを撒いたような南天の花と花やいだ青葉とが挿してあった。目が洗われた。
2014 6・8 152
* 機械の輝度を最低に下げるほど視野が眩しくて。サングラスで仕事している。
黒いマゴの輸液は毎日欠かさず。家の中、とほうもなく片づかず。
2014 6・11 152
* 浴槽で「ギリシア・ローマ神話」「中世騎士物語」「南総里見八犬伝」ラ・ロシュフコーの「箴言集」「拾遺和歌集」そしてカミユの「ペスト」を読んだ。「ペスト」がじりじりと、そして果然クライマックスへ突き行っていく。建日子には「異邦人」を渡して奨めておいたが、読んだろうか。何かを感じたろうか。わたしは「異邦人論争」を読み返したくなっている。
2014 6・11 152
* 腫瘍内科で血圧を測っているとき、前の副院長林田憲明先生に声を掛けられ、思わずも歓談、「選集」刊行を心よりお祝いお慶び戴いた。妻の他院での動脈瘤手術のことにも御見舞いとお心づかいを下さり、とにかく夫婦家族、何があってもいつでも遠慮無く声を掛けてくれるようにと。感謝。
* 成増の埼玉病院へ入院保険の証明書を受けに行っていた妻が、有楽町線でまっすぐ新富町、そして聖路加へ来たのと合流し、築地の「更科蕎麦」で、菊正と梅酒とでおそい昼食をとり、、新富町から一路帰ってきた。猛烈なカンカン照り。真夏も真夏の眩しさだった。
これで来週いっぱい、仕事が出来る。いささか英気も養えるか。その次の月曜、火曜と医院・病院通い、二十五日からはいつもの発送になる。
2014 6・13 152
* 黒いマゴに朝の内に輸液してやらないと、この日照りの夏には危険が迫る。出来る限りのことはしてやりたい、真に「身内」なのだから。
2014 6・17 152
☆ お元気ですか、みづうみ。
わたくしは無事生きております。帰国しましたら、日本はすっかり梅雨でした。ツバメのヒナ三羽が今年も無事に巣立ってほっとしましたら、別のツバメが近くに新たな巣をつくり始めました。まだ楽しみも、心配も続きそうです。
相変わらず出たり入ったり慌ただしく過ごしておりますが、「私語」は毎日しっかり読ませていただき、みづうみの猛烈に勤勉な日々に圧倒されています。ふつうの人間は締め切りがなければ、みづうみのように動けません。
先日「リア王」を観劇なさった時の私語の中で。シェイクスピアとトルストイとは、後者が前者をほとんど嫌いであったと。
トルストイがシェークスピアを「ほとんど嫌いであった」とは知りませんでした。みづうみに教えていただくと、なるほどとわかる気がします。毎日の読書に「私語」があることで、わたくしはかなり物知りになります。
もう一つ、以前みづうみに、みづうみご自身の「リア王」が書かれるべきとお願いしたわたくしのメールを憶えていてくださいますでしょうか。(あれは今までさしあげたメールの中で、みづうみにとって一番不愉快で、わたくしには最も痛切な表現であったメールと思っています。)『凶器』よりさらに凄まじいもの、みづうみが「リア王」でもあることに迫る「娘難」の小説をお書きいただきたいと、勝手に切望しています。あれこれとわたくしの妄想は広がるばかり。お許しくださいませ。とりあえず蒸し暑い今日を、涼しく爽やかにお過ごしくださいますようにお祈りしています。 緑 万緑のなかや吾子の歯生え初むる 草田男
* そのメールというのを覚えていない。いずれ「あの頃」の物だろうが。わたしは先日も書いている、「わたしは「リア王」という劇がツライほどカナシイほどナサケナイほどニクイほど、好きなのである。四代悲劇では一に好き。不自然であろうが底知れぬ阿呆な父王であろうが、父親をあれほどに裏切る娘たちを、わたしは憎んで余りある。それだけに末娘のコーディリアには想いが添うのだけれど、今日の肝腎のコーデイリアは科白があまりに力不足で残念だった」と。なるほどわたしの「リア王」は書けぬものではない。『凶器』よりさらに凄まじいものを、か。不可能ではない、むしろ書くべきなのかも知れぬ。
とはいえ、今わたしは、「畜生塚」「慈子」「隠沼」「隠水の」など懐かしい「身内たち」の世界へ甦って、優しい気持ちにひき戻されている。阿呆な父なのかも知れないが、自愛に溢れていたその父に無礼の限りを働いた恥知らずな娘や婿の小説を、徹底的に書くには、相応の用意が要る。
2014 6・16 152
* 娘がお茶の水高校に入った三年間は、素直に生き生きしていた。同じ大学に進むと、異様に変貌した。口のききようは横柄になり、聴くに堪えずお高くなった。賢いのかもしれないけれど、賢いのと聡いのとはちがうよ、もっとしなやかに、はれやかに謙遜になれないのかと父親はよく諭したが、耳にも気にも入らなかった。不幸が始まっていた。
京都で育ち女文化に薫染されてわたしは大人になった。聡い女性の魅力を見分けることにわたしは長けていったと思う。賢いだけのバカは視界からふるい落として顧みなかった。心ひかれた人たちは、いろいろな意味合いで聡いものを魅力にしていた。聡明で心優しい、それが何よりだ。分からん人にはなんぼ言うても分からへんの。分かる人には言わんでも分かるの。中学生の頃、そう教えてくれた一つ上級の人は、えらかった。だから、どうするのか。それは、銘々が心して思い当たるしかない。
2014 6・17 152
* 建日子が七月か八月に、両親と三人で京都へ付き合うよと。黒いマゴの輸液は引き受けるからと言うが、ハテナ。それにしても七八月の京都は焦げ付くように暑い。
* 今朝、黒いマゴが外出したまま永く行方知れずになり、探し回って、ご近所まえの乾いた溝の蓋の下に蹲っているのをわたしが発見、首輪を掴んで引き出した。熱中症で脱水されてはいけない。心から愛し心から日々案じながら共生しています。
2014 6・17 152
* 「月皓く」をもうかなり読み込んだ。叔母の稽古場だった茶室が、そこへ出入りしていたお弟子さんたちが懐かしい。叔母は裏の離れに独り暮らしをし、京間の四畳半を茶室に用いていた。お花の稽古日には同じ四畳半で御幸遠州流の生け花を教えていた。小さい頃からわたしは、茶の湯の日にも生け花の日にも稽古場へ出入りした。生け花は手に負えないが茶の湯は叔母に代わって教えられるほどわたしもよく稽古した。釜も掛け客も呼んだ。
2014 6・18 152
* 下は、わが家の黒いマゴの近影。最近、なぜか前の道路のまんなかに坐って黙想し瞑想していること多く、路上の哲マゴと敬愛を謹呈している。
2014 6・18 152
* 「月皓く」を読み終えた。叔母宗陽をこう書きとめておけたのが有難い。元朝の祇園、清水もなつかしい。こんなにわたしは故郷を愛していたんだと、今更に気恥ずかしく申しわけすらなく想い出す。
2014 6・19 152
* 来週水曜までの発送用意には、もう五日しかゆとりなく、月曜夕刻には歯医者へ、火曜午後には聖路加へ行かねばならない。腹をくくってもうゆっくりするしかない。妻の左腕はまだ力仕事にも、痺れで細かな用事にも堪えない。ま、なんとかするさ。
晩、おそくから送り封筒に宛名書きを六十人ほど。これだけでも、やや前に用事が進んだ。雨の音が強まって、風も吹いている。
2014 6・19 152
* なにしろ電話というのが鬱陶しいのだが、それでも声を聴きたい人はいる。口に合うおいしい御菓子を食べる気分かなと思いつつ、相手の気の重さを思うとそういう真似もしない。めったにしない。声を聴かせたら、きっと嬉しいと言ってくれると思うだけで電話機を観ている。
わが家では、と云うかわたしだけの思い習わしに妻も相槌をうっているのだが、息子の、秦建日子のドラマに出演していた男女すべての出演者達は、例外なく、みな「うちの娘」「うちの息子」と呼んで「おお」「おお」とテレビへ声をかける習わしが出来ている。とても心賑わって嬉しい習わしなんです。電車の中の広告などでもよく見つけて、横の妻に「ほら息子がいるよ」「娘だよ」と教える。こういうタワケた七十八爺、ま、ゆるされよ。実の娘に去られ、孫娘を死なせ、息子と黒いマゴ猫しかいない。やはり寂しい。その意味でも大勢の「息子・娘」を贈りものにしてくれている秦建日子、親孝行してくれているわけだ。松たか子は「ヒーロー」に出てくれていた。願わくははやく沢口靖子も「娘」と呼びたいです。
2014 6・23 152
* 孫のあるご婦人はみなさんお元気そうで。うらやましい。わが家にも黒いマゴはいますけれど。可愛いけれど。
* 終日、発送に余念なかった。よく働いた。今回は、準備不足で、もう数日掛けねばならないかも。
十時。疲れを溜めないように、作業切り上げた。小一時間でも仕事して、やすもうと思っている。晩、シャブシャブ用の牛肉で実に久しぶりにカレーをつくってもらったのが口にあって良かった。冷えた西瓜も。赤ワインを、薬とおもってぽっちり。ビール一缶。清酒を180
ml。発送の仕事は、終始、妻との共同作業だが、まだ利き手の左手に、ことに手先に痛みを残しているので、そのぶん、わたしが奮励。本は重いです。
2014 6・25 152
* もう一月の余も紛失したきり、ほとほともう諦めていた室内用の眼鏡一つが。なんたること、この足元に近く物の入ったダンボールの蓋が、ひらっと外向けに伏せていたその真下蔭から妻が拾い上げてくれた。足元暗しの間抜けな見本のようで、照れ隠しもならない。ま、在るべきが在ってくれて、よかった。
それにしても今朝は、イヤに目が霞んでいる。
2014 7・1 153
* 霞んだ目で「誘惑」を読み進んだ。京都に育ての両親を置いたままの語り手幸田は、四十年生きてきたと言うている。今のわたしはそれから三十八年も生きてきた。作に表れている父も母も(叔母も)東京へ出て来て、父は九十一で、母は九十六で死んだ。実の父も死んだ、叔母も九十三で死んだ。なんというむごいことであったかとわたしは嘔吐を催しそうに哀しく苦しく恥ずかしい。
しんどい作やなにあとわたしは半ば泣いてしまっている。作家生活はほぼ順調だったが、独りの生まれたものとしては、厳しい辛い日々を背負っていたと気がつく。今にして気がつく。
2014 7・1 153
* 我が家の黒いマゴは、いたるところに出張しては路上で哲学しているようだ。「猫あるき」という佳い番組にもそしらぬ顔して登場している。テレビへ呼びかけるとこっちを向くから不思議だ。
2014 7・6 153
* 歯医者の帰り、江古田の「中華家族」で、妻は食事し、わたしはマオタイをたっぷり二杯。「風の奏で」好調に校正、進んでいる。よくこんな作を遂げておいたと嬉しくなる。ほとんどどんなところも直したいと思わない。小説家が小説で平家物語の成り立ちを現代の思い入れも充分に書ききれば、こんなものだ。吉川英治の「新平家物語」などと、モノがちがう。平家物語に関心深い読者に出会いたい。湖の本で在庫があります。
* あすは、日比幸一さんと昼食。妻も。晩は、建日子が尋ねてくるとか。
2014 7・7 153
* 建日子が、六時半頃、何か仕事の延長で、保谷へ寄ってくれた。十時半まで、今日は三人でかなりよく話し合えた。いろんな話を、ただし創作の話を遠慮会釈なく語り合えたのは楽しかった。彼と、政治絡み、事件絡み、人の噂がらみのような話をしてみても楽しくない。根本の共通点は「創る」ことにあるのだから。わたしは、今進めている小説についてもキリキリいっぱいに近いまで話したりした。「選集」などに手を染めた以上は、新作にハッパのかかるのは当然で、承知の上で踏み切ったこと。新作にわたしは苦しんでいない、むしろかなり楽しんでいる。苦しいとなるとなんとか早く形にしたくなるだろうが、わたしは、少しも慌てていない。心ゆくまでてをかけたい。
建日子に、「雲居寺跡=初恋」の再校ゲラをもって帰らせた。映画に、映像に、脚本に、できるものなら、やってみろ、そういう形で父親は息子に批評されたいと。できるか。できるものかと挑戦的に思っている。できれば…、秦建日子、一つたしかな山を越えるだろう。朝日子なら、傲慢な父親と吐き捨てるのだろう、しかしそれは「批評」でもなく、まして「創造」でもなく、それこそが「傲慢」の本義だろう。傲慢からはいいものは決して生まれない。
2014 7・8 153
* 猛烈な照りと暑さ。いやはや。黒いマゴには輸液、欠かせない。
とにもかくにも今日明日に「風の奏で」初校を終え、送り返さねば。眼、ぎらぎらしている。
2014 7・12 153
* 黒いマゴの輸液、済ませた。
* 嘉田由紀子さんの後任、滋賀県知事選挙では嘉田さんと二人三脚の三日月氏が自民候補を一万票余抑えて当選。好かった。嘉田さんからはわたしの「選集①」へ叮嚀な感想に加えて、知事を二期満了で退任するむね挨拶があった。願わくはなお一層の新乾坤のあらんことを。
朗報であった。「三日月」氏という姓は珍しいが、「朏(みかづき)」さんという姓もある。同じ滋賀県にも有る。わたしの母方祖父の出た水口宿本陣筋にあった。水口の朏家は京都市へ出られている。このおそらくは血縁もあるかと窺える朏健之助さんから、わたしは祖父阿部周吉の書軸を受け取って大切にしている。
2014 7・14 153
* 歯の痛みもなんとか持ち堪え、明日夕刻また歯医者へ。来週水曜二時には聖路加、これははやばやく解放されるだろう。小雨や夕立ぐらい平気、有楽町レバンテのようなからりとしたビヤレストランに腰を据えて校正に励もうか。
二十七日は孫娘やす香の命日で、娘朝日子の誕生日。
* 家では妻のテレビ好きに机のある部屋が占領されるので、近隣に馴染める喫茶店が見つかるまいかと大泉方面をよほど根気よく自転車で探したが、運動にはなったけれど目的は全然果たせなかった。西武線を南へ越えれば在るのだろうが。
結局は街へ出るか電車に乗るかしか、ない。食べたくないのでレストランは適しない。おっとりと明るく静かな喫茶室が欲しいが、安心して自転車が置けないと困る。
何のことはない、隣棟の二階には使ってない書斎があり、大きな机もあるのだ、億劫がらずそこへ機械も一台もちこんでネット使用が利くようにすればいい。メインの仕事場を分散する不便をいやがってきたが、もう背に腹は替えられない。
2014 7・17 153
* 黒いマゴが弱っているように感じたので医院に連れて行った。検査の結果、実は、腎臓等の機能、驚異的に回復し、口腔内の異常も失せていると。熱中症で弱らせないようにとのこと、安心した。昨日は終日ぐったりし、赤い舌を吐き、粘性の涎を垂らしていたので心配した。まずは、一安心。
* 獣医さんの待合いでもひたすら「雲居寺跡」校正。
* 雨もよい。それでも夕刻、歯医者へ行く。次回二十八日には、また歯一本を抜くと決まる。やれやれ。
帰路、「中華家族」でマオタイ二杯呑んできた。マオタイが美味い。
2014 7・18 153
☆ 秦 恒平 様
前略 このたびは、豪華限定本『秦恒平選集』ご恵与にあずかり、ありがとうございました。ご厚情に深く感謝いたします。
巻末の「創刊に際して」をまず拝読、「今生の終焉も・・」の感想は、数年年長の私にこそふさわしいと感じながら、医学書院以来の長い年月を振り返り見たことでした。
「みごもりの湖」「秘色」「三輪山」、あらためて、ゆっくりと読ませていただきます。年月を経た今、どのような風景が新しく私の眼前に展開するのか、それも楽しみの一点です。
井口哲郎氏の「説文」風の刻字、細川弘司氏の達者なべン画、いいですね。
表紙の紺地と金箔が、あか抜けていて、お酒落だと思いました。
御礼が遅くなったことをお詫びします。先日の抜き刷りでも触れたデッサン会仲間のグループ展に出品するなどのことがあり、雑事に追われておりました。
やがて猛暑の季節、ご自愛ください。 草々
2014年7 月19日 粂川光樹 (明治学院大名誉教授)
追伸 同封のものは、私が所属する銅版画工房の仲間内の落書き雑誌『工房万華鏡』に連載中のエッセイの一部です。馬鹿話ですが、笑っていただければ、と思ってお目にかけます。感想を頂戴するほどのものではないので、ご放念ください。
* 入社同期のよしみで口癖につい粂川君といってしまうが、その粂川さんが上の手紙に添えてくれたエッセイの一つが、このまま通過できない意義を帯びているので、関連の箇所だけ、ちょいと書き抜かせてもらう。
☆ 閑話休題(それはさておき)第十話 スケッチ・デッサン・クロッキ-
(前略)
すべての少年かそうであるように、少年の日の私は女の人の裸をぜひ見てみたいと思っていた。でも少年には無理な願いだ。魔法の透視眼鏡はないものかとニキビ面の十代は考えた。着衣を通して、中のヴィーナスがそのまま見える、そんな眼鏡だ。それを掛け、ドキドキして街を行く。女性の群と擦れちがう。お、見える、見える、というわけだが、もちろん、そんな眼鏡があるはずもなかった。
しかL 、日進月歩と言うべきか、以来半世紀以上が過ぎた今日に至って、私はようやくその不思議眼鏡を我が手に掴んだと感じている。そこに少年のドキドキがないのは致し方ないとして、なにしろ、とてもよく「見える、見える」だ。あそこにもここにもヴィーナスがいる。街が楽しい。電車が楽しい。そして実はと言えば、これもまた、幾らかはリン版画工房のお陰なのである。だが、万華鏡ならぬこの不埒眼鍍のことは、この文の最後で物語ることにしよう。
(中略)
閑話休題(それはさておき)、冒頭で触れた裸体透視のことに話を戻そう。リン版画工房にお世話になって、私はすでに10年を越えた。だが、なかなか思うような銅版が彫れない。下手である。なぜだろう。才能がないのか。それはそうでも、そう思いたくはない。やはり絵の基礎が出来ていないのが原因だ。その部分を怠っているからだろう。それをしみじみ悟ったのは、三年ばかり前だった。以来、改めて描画の練習を始めた。日課として毎日ともかく一枚は「何か」を描くことに決め、中断していたヌードデッサンも再開した。今は毎月計2 回、固定ポーズと、ムーヴィング・クロッキーの会に出て、勉強している。その効果は版画の上にまだ現れないが、自分の中ではいくらか手応えを感じるようになっている。手応えの一つは、人物の裸の線がどうやら掴めるように思えることだ。着衣の男女を見る。すると、その着衣を内側から支えている、骨格や肉付きの様子も透けて見えるようになって来た。
「お、見える、見える」
である。このことを女房に話すと、
「ああた、それは幻覚ですよ。いよいよね」
と言った。.彼女によれば、これは最近注目を浴びている「DLB (レビ-小体型認知症)」というものだそうである。
「何? でえ・、える、べえだと? 馬鹿言うな」
でも、こういう認知症なら悪くない。もっと進行してもいい。私としては、桃源郷をさ迷う気分の日々である。
* 粂川さんは東大出の、謹厳な日本上代学の一権威であり、漱石「明暗」未完の続編を書いた小説家でもある。さらに挿繪も描き銅版画も彫る。そういう人の、これは、たんなる笑い話ではないエッセイらしいのでこう書き出してみた。
じつは同様の話題で先日も、わが書きかけの小説がらみに上の述懐と似た、いやもっと徹底した実感をしゃべってしまって妻と秦建日子とに大いにわらわれ軽蔑されてしまったのである。
わたしは、と謂うのは避けておくが、いましも「ヰタセクスアリス」を物語っている主人公は、少年時代から、その気なら着衣の女のすっぱだかが丸見えに見える。その体験的な下地は幼時から母に連れられた銭湯の女湯で、少年はむろん性欲からではなく物珍しさと感嘆の思いから、ただもうひたすらに女体というものを観察し嘆賞し手で触りこそしないが徹底的に眼で愛でて成長した。上の粂川さんが憧れていたことぐらい、特段の難しさなどなしに、洋服からであれ和服からであれ、ほぼ何でもなく透けて見ることが出来たし、古稀をとうに過ぎた現在でも何でもなく見えている。それが嬉しい楽しいなやましいなんてことはちっとも無い。
しかし妻も息子も噴飯のていで嗤いとばした。だまっていればよかったのだが、小説は進んでいるのかと、何を書いているのかと聞くので一端を話してやったまで。
粂川さんの述懐は、すこしは、わたしの、ではないその作中老人の才能を弁護し擁護してくれそうではないか。
2014 7・22 153
* 黒いマゴの輸液には十数分か二十分かかる。太い針を刺されるのはイヤだろう、で、わたしの膝に抱きかかえているうちに妻が刺す。うまくいけばそのまま輸液できるが、刺しようが浅かったり皮膚を塗ったりするとたちまち水が溢れるように洩れる。これが難しい。
輸液の間わたしは動けないので、そのあいだ、録画の映画を小刻みながら毎日見続ける。昨日までは「ショコラ」をとても面白くみていた。ジュリエッタ・ビノシュがすこぶる魔女ふうに魅力的で、ジュディ・デンチもなかなかの存在感。中世を思わせるほど牧歌的でかつ閉鎖的な因習にもしばられた小さな町での物語。初めて観たときから、好きな、佳い映画の一つと数えてきた。いまの体調ではジュリエッタのつくる多彩な「ショコラ」を味わう元気がないけれど、魔術的なうまみが、不当にアタマを抑えられて暮らしていた町の人たちをめざめさせてゆく。漂泊の魔女母娘も呪縛から解き放されて行く。
* その気になればどんなに忙しい中でも楽しめることはいくらでもある。いい映画ならちぎりちぎり観ていても十二分に惹きつけられるし、本にしても、いっきに沢山読もうとしないなら、存分に楽しめる。詩歌を読むのは小説や論攷を読むよりも、別の打ち込みがようが利く。小説を読めば、たちまちに他界へとんでゆける。また庭の花を、草や葉を、ふと観ているだけで堪らなく嬉しくなる。まして、家の内にかけたり置いたりしてある繪や、書や、壺や、蒔絵のものをへ眼を送る嬉しさ、しんそこ楽しめる。人間の才能の中で、こういうふうに豊富に容易に静かにものの楽しめるちからがいちばん貴いのかもしれない。
2014 7・24 153
* 備前焼 伊部の川井明子さん明美さん連名で、窯だしや横浜で個展の案内がきた。「又、お会いしたいです。暑さ厳しい折柄、ご自愛下さいませ」と。りっぱに出来た大壺を玄関に飾っている。横浜の個展へも一度出かけた。備前らしい焼きの美しい花筒や瓶が忘れられない。いまは息子が持ち帰って愛している。
2014 7・24 153
* 朝の五時にそとへ出してやった黒いマゴ、熱暑の一日を夕方五時半近くまで遊びほうけてか、どこかに暑を避けたままか、帰らなかった。それから輸液した。元気ということなら宜しいのであるが。
2014 7・25 153
☆ 秦先生
今年も隅田川花火大会がやってきます。
明日お天気大丈夫そうです。( 去年は雨でした)
もしよろしければ浅草にいらしてください。
いつも間際で申し訳ございません。
よろしくお願いいたします。 望月太左衛
* 明後日はやす香の命日。花火をみあげながらもう天上のやす香を見送った何年も前を想い出す。そしてあれから何年もの間、無念の苦界に心身をふかく傷めた。
かなり疲れてはいるが、久しぶりの浅草の花火を見上げてきたいという気は有る。だが往きもたいへん。帰りもたいへん。体を動かすのは大切だが。今日の猛暑が明日には退くとも言い切れぬ。悩ましい。
2014 7・25 153
* 孫のやす香をこの日付で死なせて八年になるか。やす香の母朝日子がこの日付で生まれてからは、何十年になるのだろう。一年として欠かしたことなく赤飯で祝ってきた今日の日付だが、あれ以来、一度として祝っていない。
かみなりが来て雨も来て遠のいて
なんといふ寂しい夏の今日かな
生きいそぐとは死にいそぐことなのか
みえぬ眼のまへをかきまぜてゐる
わらつてゐるやす香の写真(あれ)は泣いてゐる
泣くな泣くな泣くな 詩を読んでやるぞ
哀しみを銜(ふく)みて旧宅を過(よ)ぎり
悲涙 心に応じて零(お)つ
借問(しゃもん)す 誰が為にか悲しむと
懐(おも)ふ人は九冥に在り
門前に手を執りし時
何ぞ意(おも)はん 爾(なんぢ)先ず傾かんとは
数(すう)に在り 竟(つひ)に未だ免れず
山を為(つく)りて成るに及ばざりし 陶淵明
したいこと就きたい仕事なりたい人
させも就かせも成らせもあえず
☆ ぼくの姉の誕生日。 (建日子 facebookに)
もうずいぶん長く会っていないけれど。
そして、たった19歳で逝ってしまったぼくの姪の命日。
あれから、ずいぶん長く時は流れた。
姉さん。誕生日おめでとう。
やす香。安らかに。
2014 7・27 153
☆ 秦建日子のFACEBOOKに
「着ているものを見れば、その人の中身もわかります。着ているものが変わればその人の中身も変わります」
「まじですか。ぼくは何を着るようにすればいいでしょうか。アドバイスください」
「秦さんはユニクロを着ていればいいと思います」
「……」
実話。
* 上の、息子の曰く「実話」がどんな状況のはなしかは知れないが、やや関連したところを昨夜わたしは小説で触れていた、ま、まるで別の話ではあるが。
哲学者アランの問題提起に、人は裸身のときか着衣のときか、どっちが本来と謂えようかと。大学の頃、めずらしくアランの訳書を買って読んだ。
このまえ書いたが、女の裸が観たい観たいという昔の友人のエッセイを紹介しながら、わたしはというと子供の頃から、大概な女性の裸身など着衣の上からまる見えに見えるとも告白していた。わたしにすればそんな事はたいした能でも性質でもなく、ま、観察と想像力の問題に過ぎないのだが、それよりも、女の裸身は美しいかどうか、それこそがわたしの美学を左右すると観じてきたのであり、アランを読んだことは大きな契機であった。それだけを、記録しておく。
2014 8・7 154
☆ 暑中お見舞申し上げます。
このたびは あたたかいお手紙と選集をお送りくださいまして本当にありがとうございました。うれしくて何度も読み返しています。
新しい部署に着任して慣れない毎日ですが お手紙をお守りとして持ち歩いています。
選集 美しい装丁に、ご自宅とかお庭の書斎を想い起こしました ネコちゃんとノコちゃんの姿も (子どものときはこわがっていたのが おかしいです)。
母も折に触れて秦先生どうしていらっしゃるかと話しています。 この湖の本でいつも近くにいらっしゃるような気持ちにはなっているのですか…。ご尊顔拝することができたら本当にうれしいです。
酷暑 どうぞお体 おいといくださいませ。 阿
* 猫の絵はがき。じつの娘からのように嬉しく。やす香のお友達を、じつの孫のように想っている。
2014 8・7 154
* 「阿」や、秦建日子は、邦題『真実の瞬間(とき)』という映画を観てきただろうか。ハリウッドを舞台に、名優ロバート・デ・ニーロとアネット・ベニングが、前の大戦直後のアメリカで二十年ほども吹き荒れた「赤狩り」マッカーシー旋風と戦い抜いた(しかし惨憺たる目に遭ったのだけれど)、アーウィン・ウインクラーによる監督作品だ、凄絶、観ていて息をするのも苦しいほど、リアルで、ダーティで、非道と悪政を相手に人としての節操と誇りとを枉げず、勇敢無比に闘った名画だ、マッカーシーズムへの怒りにうち震える名品だ。観てなかったら観て欲しい。文化とは何か、創作とは何か、人間とは何なのか。
優れた映像の持つ説得力の美しさ強さ。おなじことは、文学でも演劇でも美術でも、思想でも、敢行されねばならない。屈服してはならず、問題を抛擲してもならない。
この映画で為されていた非道・無道・脅迫は、日本では戦前戦時に為され続け、アメリカではヒロシマ・ナガサキに原爆を落として戦争に勝ったあとで、思想と表現との自由を壊滅させるために為された。
いま、日本ではまたもやそういう時代・時勢への反動志向が安倍「違憲・棄憲」政治の露骨な反民主主義とともにまたぞろ復活しそうに蠢いている。さような無道と闘うべきは、文字どおり「今でしょ!」。真剣に生きていこうとする若い精神と肉体とを、政治悪の餌食にしてはならぬ。
2014 8・7 154
* 「湖の本121」の再校ゲラが届いたので、建て頁を確認しながら跋文と奥付の要再校ゲラと表紙の責了紙とを、今、送り出してきた。発送用意がまたしても大変だけれど、本紙責了自体は八月中にも可能かも知れない。九月十二日はやす香の誕生日。生きていてくれれば幾つになるのかなあ。俳優座公演の「心-わが愛」開幕の頃にやす香は生まれたのだった、戯曲「こころ」が「湖の本」第二巻として出来たのだ、とすると、あれから二十八年、思えば「湖の本」はやすかと同い年なのだ。死なせたくなかった。
2014 8・12 154
* 西の書斎をやはりクーラーで冷やしておかないと熱気で蒸れてしまう。昼間にクーラーをつけに行き、夜分にはとめに行く。少しずつ馴染めば、西の書斎で機械仕事も出来はじめるだろう。書斎のつづき部屋には、作りつけの広い本棚に、ほぼ一点も洩れず単行本自著や共著の蓄えがある。新井白石全集や基督教文献なども置いてある。東芝トスワード第一号機もしまってある。書斎には谷崎文献が揃えてあり、文庫本専用の書棚ふたつから大量にあふれ出ている。
このところ、「ペスト」を読み終えてから、現代小説を読みたく、今晩、すこし文庫本をこっちへ、東の母屋へ運んできた。
ジョイス「ダブリン市民」 フォークナー「アブサロム、アブサロム」 グレアム・グリーン「事件の核心」 ガルシア・マルケス「族長の秋」それとこれは正体不明だが、サラ・ウォーターズの「半身」 以上五冊。二十世紀文学の幕を開けたジョイス。ノーベル賞作家のフォークナー、マルケス。国際的なスパイでもあったグレアム・グリーンの「事件の核心」は、あの「情事の終わり」とは異なる世界。いや似ているとも言えるか。
この超多忙の中で、現に十数册を読み続けていて、かなり重い小説が加わる。読めるかな。読みたいと思っている。
書斎に秦の叔母玉月宗陽の遺品の大きな函があって、そこから淡々齋校閲、井口海仙著の「茶道問答集」もこっちへ持ってきた。茶の湯は身に沁みたわたしの素養の最たる一つ。懐かしみながら、こぼれ落ちて行く知識の記憶をすこしずつ拾ってみたくなった。昭和二十三年九月の本で、真っ赤に紙が劣化してきている。わたしは新制の弥栄中学一年生だった。もう茶の湯の稽古はだいぶ進んでいた。この、問答というよりはなはだ具体的で箇条の質疑集は、読み始めると興味深くてやめられなくなる。さすがに茶の湯、いかにも平生の暮らしと密接に触れ合っていて、智慧として生かしやすい。わたしの小説では、「畜生塚」「ある雲隠れ考」「慈子」「蝶の皿」「みごもりの湖」「「青井戸」など、茶の湯世界とすら謂えば言えるもの。茶の湯と能。このふたつをわたしは秦の叔母から、秦の父から学んできた。陶淵明や白楽天などまた日本の古典や歴史などへのつよい興味は秦の祖父の蔵書から学んできた。感謝している。
* 夕暮れ前、あおむけに体を伸ばして湖の本を再校し、「慈子」を初校し、何冊も本を読んだ。「書く」仕事もした。「書き起こす」仕事もした。妻につきあい、Dfileの映画も観た。わたしはわたしの録画から「プライドと偏見」についでデカプリオの「ロミオとジュリエット」を機械に入れてある。黒いマゴに輸液の時、マゴを膝に載せたまま15分か20分、好きに映画を観ることにしている。
今夜は、新しく運んできたどれかから読みだそう。もう眼は水に浮いているが。
2014 8・13 154
☆ 忙しいのは
おれのせいじゃない。
と、心のなかでつぶやいてから、すぐに間違いに気づく。
忙しいのは、どう考えても自分のせい。
因果応報。自業自得。
そして、書きかけの小説をボツにしてまた一から書き直すのだ。
没にする分量を考えると気が遠くなるけど、仕方ないのだ。 或る四十半ば過ぎた作家の「facebook」から
* そう。仕方ないのだ。「facebook」にわざわざ書くことではない。言いたいなら、自分のブログで「私語」する程度にすれば。四十半ばは働き盛り、二度目三度目の噴火のときだ。黙々と堪えて膨れあがって、爆発すればいい。自身の年譜をしっかり腹に入れ、黙々、着々、変容と充実を遂げてゆくのが大事だ。
* 散髪してきた。気持ちいい。
作家の場合、小説なら一作と数えエッセイなら一編と数えている。著書なら一冊ないし一巻と数えている。散髪屋さんは人一人の髪を刈り整髪するのを何と数えているか聞いた。青年は単に「一人」かなと言い、父親は「一頭」かと笑った。それはそれで笑い話だが、利休の師は生涯に数え切れない点て茶を即ち「一期一碗」と謂い、井伊直弼は数重ねる茶会を「一期一会」と謂った。「一期」とは生涯の意味であろう、それで「一碗」それで「一会」とは、どういう覚悟であるか。作家は、とは謂わないわたしはと限るけれど、覚悟は「一期一作」「一期一編」「一期一巻」と思ってきた。それでも悔いはのこるが、仕方ないとは投げ捨てない。やはりあくまで「一期一作」と立ち向かう。当然と思っている。
* 八百枚ほどに書き置いた『生きたかりしに』全五章の一、二、三章が妻の手で電子化された。このあとどういう進展があるにせよ、もう今日、電子化されていない長大作は、手の施しようがない。
これもまた新たに読み直していって、新作として「湖の本」に、うまくすれば選集にも入るようなら有り難い、が。とにかく読み直して行く。もともと、講談社の書き下ろし依頼で、「上田秋成を」という話だった。ところが、書き始めようとしたところへ井上靖先生直々のお電話で、作家代表団として中国政府の招待に応じ、いっしょに旅をしませんかとお誘いがあった。即答で「行きます」と返事し笑われた。同行は井上先生夫妻、巌谷大四、伊藤桂一、清岡卓行、辻邦生、大岡信氏、そして日中文化交流協会の白土吾夫氏、佐藤純子さん、姉昭和五十一年(一九七六)十二月の、渡しには初の海外旅行になった。北京、大同、紹興、杭州、蘇州、上海を訪れた。四人組が逮捕された直後で、全土はまだ武闘の余波を残していた。
秋成を書くというまさに出鼻をくじかれたが、いい旅だった。秋成を諦めたのではないが、私なりのわたくしらしい秋成探索をこころざして生母の生涯を追いかけたのが此の「生きたかりしに」だった。まったくの、しかも血まみれのような私小説ができ、講談社からの出版はわたしの方で断念した。そして作も、そのまま棚上げし、二年半後昭和五十四年九月には今度はソ連作家同盟の招待でモスクワ、レニングラード、グルジアへ旅立った。これも楽しい旅になって、帰国すると待ち受けていたように初の新聞小説連載の依頼が来たのだった。泉鏡花賞二度目の候補作となった長編『冬祭り』を書き上げた。その後「世界」での長い連載『最上徳内=北の時代』や朝刊連載小説『親指のマリア』などが相次いだ。みな、一期一会の渾身の仕事になった。そして決断の「湖の本」をも実現して、後半生への扉を自分で開けた。昭和六十一年の桜桃忌だった、その年秦建日子は早大法科に入学していた。わたしは五十一歳だった。いまの秦建日子がもうその歳に迫っている。もうちっとも若くはない、心底「仕事」を見極めながら打ちこんで行く歳ごろだ。
わたしは、この超む多忙の中で、またも新たに妻の書き出してきてくれた『生きたかりしに』をも本格仕上げて行かねばならない。この作の題は、わたしの生母の辞世歌の第五句そのままである。母は「死にたかりしに」とは嘆かず「生きたかりしに」と叫ぶように世を果てた。母を書き、実の父をも書く、そしてロマンも寓話も書く、書き続ける、それがわたしを生かす「仕事」だ。立ち向かうまでだ。
2014 8・15 154
* 京は大文字の夜。「みごもりの湖」でも、「慈子」でも「雲居寺跡=初恋」でも、、「死なれる」ことを一等重い主題として受けとめ書いていた。堪らない死をもう何人も見送ってきた。いずれはわたしも逝くのである。真っ赤に炎をあげた大文字が、無性に懐かしい。いつまでたっても、こどもか、少年のようである。
2014 8・16 154
* 黒いマゴのお医者さんで輸液分を十日毎に買ってくるのが、この一年四ヶ月のわたしの仕事。そうとうヒドイ腎臓だったのがよく立ち直ってくれていて女医さんも喜んでくれている。マゴの年齢はどれほどですかねと尋ねてみると、人間の八十歳でしょうねと。ウヘッ。わたしは今年の暮れに七十九歳になるのだ、「黒いマゴ」どころか「黒い兄者」だなあ上座に上げないとしつれいだなあと妻と笑った。元気でもっともっと長生きしてくれるといい。いまでは、ほとんど「会話」もできるほど、ものがよくわかる兄貴である。
2014 8・19 154
* 留守のうちに妻が十人余の送り出し荷造りをしてくれていた。晩から、そして明日から、こつこつと発送する。「湖の本」と同じ作業では済まない。本を傷めないように気遣いしなくては。
* 「生きたかりしに」を読み始めるとやめられない。秋成への関心もわが身の程への関心も、書いていた当時から見て衰えていない。読み始めるとどんどん時間をとられる、が、いまは、これに時間を費やしていい時ではない。
2014 8・20 154
* 「兄者」の輸液を終えながら映画「イヴの総て」を驚嘆の思いで見終えた。ベティデイビスの圧倒的な存在感、アン・バクスターの戦慄の演技。映画藝術の最たる一つであること間違いなし。ただラストシーンのなぞりは、本当に必要だろうか。
2014 8・21 154
* 起床8:45 血圧136-71(61) 血糖値105 体重67.9kg
* 朝、目覚めると、床に坐って真っ先に緑内障用の「タブロス」(日に一回)を点眼する。これは忘れてはいけませんと、もう大昔から言われていて、それで起床なにをおいても第一番に実行する。次いでですぐ、秦の両親と叔母の位牌、妻が持参の観音像に「敬意」を表してから、体重、血圧、血糖値を計り、記録する。ついで食事前のインシュリン注射(朝昼晩)。食後に服する十種類ほどの錠剤を必要量、七宝の小皿に出しておく。そしてすぐ座布団を膝に置いて黒いマゴを載せ、落ち着かせる。輸液の用意は妻がして、マゴに注射。針の刺入をしそこなうと体外へ液が洩れる。刺入に成功すれば、早いときは十数分もせぬまに輸液終了、マゴは自由を得る。われわれは朝食する。用意しておいた食後の薬をすべて服する。
以上、毎朝のきまり。
2014 8・23 154
* 疲れか。機械の前で、腰掛けたまま寝入っていた。三度ほど気付いて目覚めようとしたが、すぐまた。やすもう。
と、言いながら、やはり仕事をつづけていた。結果も効率も、よし。やがて十一時。
今日息子へのメールで初めて洩らしたが、なにとなく、前立腺そして咽喉の辺に「違和感を予感」している。次回診療のおり検査を願い出ようと思っている。
2014 8・23 154
* 「選集③」の「月皓く」を初校し終える。この作、秦の叔母宗陽のプロフィールにもなった。仮構ではあるが、つねの稽古場や、茶事や大晦日埋火の茶や、おけら参り・清水参りなど、みな身に沁みて覚えている。
もう一作、中編「誘惑」の校正を始める。おいおいにツキモノを揃えねば。
2014 8・24 154
* 輸液後、すぐ、烈しく労働した。朝食、すこしワインと「ちんぐ」を腹に入れた。二階へ上がったが機械の前でなくソファに落ち込み、昼前まで寝入っていた。からだが堅くなった。 2014 8・25 154
☆ 作家・秦建日子のブログから
あえて振り出しに戻ってみる。
この夏は、延々と「刑事 雪平夏見」シリーズのvol.5 を書いていました。
着々と半分近くまでは進んだのですが、でも、何か足りない。
ひと味足りないというか、今ひとつ立体的でないというか、ずっとモヤモヤしていて、8月のあたまに、一度、構成をガラッと変えて、振り出しに戻ってみました。
で、かなり良くはなったのですが、まだ微妙なモヤモヤがあり……
着々と3分の2くらいまで進んだのですが、やっぱり何か足りない。
モヤモヤ。
モヤモヤ。
そして、ついに! そのモヤモヤの正体に! 昨夜、ようやく辿り着きました!
やった!
それは何を意味するかと言うと……
そう! もう一回振り出しに戻るわけですね(笑)
でも、同じ振り出しでも、それまでの試行錯誤があるのとないのとでは全然違うわけで!
なので、雪平夏見のその後を楽しみにお待ちいただいている皆様! 夏には書き終えますというお約束はちょっと破ってしまいますが、もう少しだけお待ちください! ここからは早いはずです!(今までの経験上)
☆
そして、この夏、雪平夏見と並行して、「民間科学捜査官 桐野真衣」シリーズのvol.2 も書いていました。
こちらも着々と半分近くまでは進んだのですが、でも、何か足りない。
ひと味足りないというか、今ひとつ立体的でないというか、ずっとモヤモヤしていて、こちらも8月の半ばに、一度、構成をガラッと変えて、振り出しに戻ってみました。
で、今、また着々と半ばまで取り戻しました。
ただし……
なんか、予感がするのです。
あー、これももう一回は振り出しに戻りそうだ。
正確に言うなら、もう一回は振り出しに戻るべきだ。
出版社さんと約束している締め切りがもうそこまでやってきているのですが、でもでも、締め切りに合わせてそこそこのものを書くのではなく、
「よし!突き抜けた!」と自分で思える感覚を大事にしたいと思っています。
なので、桐野真衣のその後を楽しみにお待ちいただいている皆様! 秋には出しますというお約束はちょっと遅れてしまうかもしれませんが、もう少しだけお待ちください! もう、ゴールは近いです!(今までの経験上)
☆
以上、見苦しい言い訳のブログでした。
すみません。
頑張ります。
* 建日子は昭和四十三年(1968)年に生まれている。今年四十六歳になっている。建日子の生まれた翌年に、父であるわたしは太宰賞を受けて文壇へ招じられた。建日子の年齢は、ほぼこれまで父の外向き文学人生と同年齢なのである。その年にはわたしは初の新聞小説『冬祭り』連載を終えており、文学選集に入る主な小説の大方はすでに書き上げている。それらはわたしという人間を「根」にして生えだした樹木であり花であった。息子に向かい父が自慢し自賛しているのではない、一つ、言いたいのである、秦建日子という人間を「根」にして生えて出た樹木を書き花を書くようにと。迷い迷いながらでいい、「根」をみつめ「根」を育て「根」にこそ立ち向かえと。どのような売り物であってもいいが、秦建日子ならではの「根」から生え出たみごとな樹木を、花を、創れ。それが言っておきたくて、わたしは老境にも病身にもめげずに自身を励まし「仕事」し続けている。いまに仰天するような「エロセクスアリス」を、また現代歴史ロマンを、さらにおまえの実の祖父母の「人間」を再現してみせてやるつもりだ。
めげず、くさらず、我慢づよく、胸を張って頑張りなさい。
2014 8・28 154
* とても気に入っている「NCIS」一時間を楽しんでから機械の前へ来た。もう日付が変わっている。
嬉しいメールが一つ飛びこんできた。
☆ 御本拝受いたしました
叔父上様 と今回もそう呼ばせていただきます。
急に寒い日が続きます。夫婦合わせて125歳という身には少々きつい夏のおわりです。
思えば叔父上のご本にめぐり合ったのは、上原謙と高峰三枝子の入浴シーンで一世を風靡した「フルムーン」のコマーシャルが流れていたころだったかと。たしか「二人合わせて80歳以上」が条件で、「そんなのいつのことよ」と笑いあった我々が、合わせても50歳に満たない昔のことでした。
思いがけずも第1巻をご恵贈いただき、嬉しくももったいなくも思い、開いて読むのは畏れ多いと、筑摩書房の「秘色」と新潮社の「みごもりの湖」なぜか2冊ずつあるのを読みかえしております。
家内いわく「死んで天国に持っていけるものは、ひとに差し上げたものだけなんだって」もしもそうであるならば、果たしてこの身が、この魂が、天でも地底でも持ち込めるものがあるだろうか・・父も母も送って久しく、「死なれる」ということの意味を叔父上の言葉で噛みしめたこと、まるで昨日のことのように思えます。息子も娘も一応は一人前の生活をしているいま、晩節をいかに「贈る側」として過ごすのか? 40年前には思いつきもしなかったこと、叔父上の言葉に考えさせられます。
お礼が後先になりました。第2巻、謹んで拝受。ありがとうございます。
HPにて皆様のお礼状を拝見しながら、さてどうしたものか・・・
お身体にさわらぬなにか美味なもの、記憶にだけ残るすぐに消えてしまうような儚い嬉しい香りを放つもの・・・そんなものを探し当てることができましたら、贈ります。あるいは市井の一職人にはかなわぬことかもしれませぬが。
奥様ともども、どうかくれぐれもご自愛くださいますように! 鎌倉 橋本靜一 美代子 甥・姪
* 稚いほどの年頃から天涯孤独ということばを知っていた。そして灼けるほどの渇望で「身内」を欲しいと願った。むろんフィクションではあるが、「選集②」の長編『風の奏で』は、そういう渇望をもっとも深々と書き取った小説、ある面からは最愛の作といえようか。
そんなことをいうものの、小説家に成れたわたしには、この数十年のうちにじつにたくさんな親身の人達を得ることが出来ていた。上のように呼びかけてくれる人ももったのである。わたしは本を売って蔵を建てたいなどとねがったことはない、わたしのような書き方では有りうべくないそれは妄念。わたしは小説を書き文章を書いてなによりも「真の身内」が欲しかったのである。そんな変テコな作家はほかにいないだろう、だから「騒壇余人」なのである、わたしは。リッチを追うような「ウソくさい」創作はわたしには出来ない、can not である。顔を合わしたことの一度もない上の「甥・姪」に感謝しなくては。いやいや、上のようなお手紙やお便りを下さる何方にもお礼を申さねばなりません。
2014 9・1 155
* 「廬山」を最頂点を過ぎた辺まで読み進んできた。亡くなった兄の北澤恒彦が最初に反応して手紙を呉れた。此の作は多くの人からわたくしの実父生母を慕って供養した(ような)作と読まれた。恒彦もそういうことをモノに書いていたし、ことに母方の親族であるらしき何人もの人から、また父方の何人もの人から、こういう作を書いているのだから、兄ともつきあえ、異母妹ともつきあえ、母の墓参りもしていないのは宜しくないことと、その後何度も手紙で責められた。なるほどさように読まれて自然なところがある。とはいえ、わたしの本音ではあくまでも作中のいとも稚い劉少年、のちの恵遠法師の思いになりきって書いていたのである。むろん、心をそえて読み返している今では実の両親を思わぬではない、が、百パーセントにちかくわたしが此の作で愛を傾けていたのは劉であり、その祖父母であり、彼の父と母とてあった。純粋にそうであったればこそ、山頂での幻想が生きた。わたくしの「南無阿弥陀仏」が書かせたしょうせつであって、余分な思惑は持たなかったから美しく書けた。永井龍男先生が「廬山は美しい作品である。美に殉じた小説である」と芥川賞候補作として選評を書いて下さったのも、なまじな思惑などを交えずに書ききったからであったろう。今晩、読み進みながら二度、三度、クグッと喉をついてくるものに負けたのも、まちがいなく劉少年への愛と共感以外の何でもなかった。
はっきり云ってわたしは「もらひ仔」として育ったことには繰り返し繰り返し作のなかでこだわり続けてきたが、生母や実父に眷恋の感情は結局の所ほとんど持たずに今日に至った。毎朝静かに挨拶しているのは、はっきりと育ててくれた秦の父母と叔母に向かってである。
実父母にもしこだわっていたなら、わたしがあかの他人の中からこそ「眞の身内が欲しい」などと望むわけがなかった。わたしを論じてくれる人の嵌ってしまいやすい見当の逸れが、そこにある、のかも。
* とはいえ、今日信太周さんのお手紙に書かれていた、死なせてしまった孫やす香のほかに、もう一人の孫みゆ希がいて、とても気になっている。完全に音信不通。立命館大学に入っているらしいとわかり、facebookにいるとも知れてわたしもfacebookに入り、妻と連名でメッセージを送ったのがもう何年か前。しかし、返信なく、しかも通信不可能になっている。本人一人の意思表示なのか、押村家の意志が加わっているのか、全く分からない。血縁というモノの虚しさをわたしは幼くからいやほど味わい尽くしてきて、いまなお同じ。幸いわたしには、心に育み抱いてきた身内がいる。寂しくはない。
2014 9・3 155
* 法政大学日本文学から、受領の挨拶。早稲田へも青山へも縁故でらくら入れたのを避け、敢えて法政の願いの教室へ入学し、国際的に活躍したいとわたしたちに語っていた、孫のやす香よ。入学した春、妻と法政大学の校舎を観に出かけたのを思い出す。
2014 9・4 155
* 藤野眞功作の小説処女作を半ば以上読んできて、いろんな思いを味わっている。裏切った女を殴って殺し、刑期を終えて出てきた息子と、その息子と同居する、妻のない父親。そんな親子を物語りの芯に、おそろしげな「此の世」が汚くもむきつけに蠢く。まだ小説の行く末は見えないが、所詮カタルシスなど望めそうになく、もの凄いまま小説は雪崩れ落ちて行くだろう。
この父子を、べつの方角から悪意の食い物にしようと迫ってくるブローカーや、いやらしい週刊誌記者らがさし迫っている。
週刊誌というものの悪辣には、わたしも覚えがある。わたしは断乎として週刊誌記者のインタビューなど受けなかったが、受けた相手側は、なんらかの条件と甘言を容れながら不快で気の毒な見返りを、金銭すら支払って手にしたのかもしれない。週刊誌の、編集者ではない「契約記者」が悪辣な思惑や打算を胸に秘めていやすいことを、藤野氏の小説は今しもはげしく暴露しつつ、父も息子も脅されている。背後の雑誌出版者や編集者は、記者のその手の暗躍に責任は取らない。あるいは上手を行く商売にはしる。「真実」のレポートといった甘いものでなく、思惑と利害意識が優先して働く世間のようだ。
2014 9・7 155
* まず間違いなく明日土曜中には「湖の本122」発送を終える。晩には建日子が来るという。日曜、月曜の連休、わたしも連休。
今朝、捻ったように右のうしろ腰が痛んだが、どうやら軽快した。作業の疲れで歯が浮いている。かみ合わせに痛みが来る。もう、やすもう、何ということもない、もう十一時半だ。視野がまっしろに眩しい。なんともはや至る所、故障。だからどうというワケではない。
2014 9・12 155
* 元新潮の坂本忠雄さん、元総理の菅直人さん、親鸞仏教センターの本多弘之さん、日本文化資料センターの今井康雄さんらの「湖の本121」へのご挨拶など、あまりに疲れているのでお名をのみ挙げてお礼申し上げる。
凸版からは「選集③」の跋文初校、また芸術至上主義文藝学会の例会案内、奈良市あやめ池の中の美術館から「華岳・波光」特別展の招待状、日本近代文学館の月報、京の星野画廊からは日仏画家の競艶「憧れの女性像」展案内、丸善の月刊誌「學鐙」、JR西日本の「Blue Signal 」等々が舞い込んでいた。とにかくも、片づけることから次へ次へと。
もうすぐ建日子が帰って来る。今朝、仙台の遠藤恵子さんから戴いた「三段」のご馳走を、「湖の本」発送打ち上げ、「選集②」刊行の心祝いに戴くことに。
2014 9・13 155
* 建日子が帰ってきて、仙台の遠藤さんに戴いためずらかな蒲鉾料理をさかなに食事し、三人で小津安二郎の「秋刀魚の味」を観た。建日子は小津作品との初対面だという、いささか惘れた。岩下志麻の、柳智衆、佐田啓二らのよろしさに心底惚れた。
建日子がいると、しんからくつろぐ。黒いマゴと二人だけの日々は、やはりどこか寂しいのだと分かる。
とにかくも、発送を終えて、寛ぐことが出来た。
2014 9・13 155
* ゆうべ、建日子に、おやじは「朝日新聞」のことをなぜHPに書かないかと聞かれた。わたしは、このところ新聞報道からもTVニュースからも意識して目も耳も放していて、くわしい何事もいわば見捨てていた。マスコミの報道が真実真相に、意図せずまた意図して乖離していることは根から常態であって、批評的に批判的に読まねばいけないと腹から思ってきた。自分自身に関連してわずかなりと「報道」された体験者なら、嗤いたいほど無署名の新聞雑誌記事がトンチンカンを書いていることは分かっている。例外は無いと思っていた方がいい。
大新聞だからだいじょうぶなどということは、噴飯もの。大新聞だからこそ、ことに政治面・社会面のことに主張記事には眉に唾して向かうべきなのは「読み手」の常識で有らねばならぬ。
ことに少なくもここ四半世紀の日本の大新聞・大テレビの(いまやNHKも含めて)歪報・歪説は「常態」と観ていた方がよかったのである。ジャーナリズムがそういうモノになりきっていた。情報を出す方も受ける方もそう感じてきた。わたしは疑わなかった。
そんななかで、この数年、わたしは比較的「東京・中日」新聞の姿勢に身を寄せてきた。
2014 9・14 155
* 遠藤さん
気候の定まらぬ今年ですが、(学長退任後=)すこしはゆっくり過ごされていますか。
この度は、じつに珍しい美味しいご馳走をいただき、折良く来合わせた建日子もいっしょに、「湖の本121」発送了の安堵を祝うことが出来ました。好きなお酒に最高でした。
わたくしたちが仙台を訪れて電話でお声も聞けたのは、あの災害の何年か以前でした。
さらにあの以前はというと、大昔に、創立された新生児学会第一回に会員格として主催の東北大に招待されて行ったのが、一度だけの仙台訪問です。
今回「選集②」におさめた『風の奏で』の十、十一の「仙台」行きは仮構ですが、この長編の中でも、もっともわたくしの気に入って好きな「仙台」の一日一夜を書いています。こんな「宿」がほんとに在るならまたぜひ行きたいと本気で願っています。
東京より北へはそうそう出掛けていませんが、「四度の瀧」で茨城の袋田の瀧へ、「最上徳内=北の時代」では山形へも青森へもまた北海道へも出掛けました、が、なんともいえず、わたしは仙台という市街と風情にいまも一等心惹かれています。
せめてもういちど出向ければ、遠藤さんに逢えれば、と、願っています。
いつもいつもお力添え下さり 心よりお礼申し上げます。
お大切に 日々お過ごし下さい。 お返事などどうぞご放念を。 秦恒平
* 遠藤さんのことは前にも書いた。医学書院の後輩で、同じ社宅の時期にお友達と二人にお茶の手ほどきをした。建日子が生まれるまぎわは妻に安静を要したのでお稽古も中断した。作家になったわたしが退社後に遠藤さんも退社し、大学教授から学長への道を歩まれた。
お茶の稽古の頃は朝日子が小学校へ入ったころで、われわれの家庭生活を日頃からよく見知ってられた。
そういえば、われわれの正月には大福茶のためにいつも白玉の湯飲みをきまって愛用している、それは遠藤さんともう独りの友人との贈り物だった。正月になると妻といつも噂をする。
* 気が向くと京都から戴いた飴を舐めている。
* 快調に、妻に贈った長編『墨牡丹』を読み進んでいる。こんなのが読みたいと思ったとおりに書けている。自己満足というとひとは嗤うが、わたしは、自分が嬉しいほど満足できるように出来るようにと小説を書いてきた。他人様のためにためにと書いていたのではない。そのとおりに書けていて何十年昔に書いた作が今でも自分に嬉しく書けていることに満たされている。幸せ者ではないか。
2014 9・15 155
* 留守中に、阿生が電話をくれていて、妻との申し合わせで、来週の秋場所十二日目をいっしょにと決めた由。何年ぶりの再会か。中日新聞へパスしたと報告に来てくれて以来だ。楽しみが出来た。わたしへメールも来ていた。建日子とも交信出来たらしい。
2014 9・17 155
* スコットランドへ旅してきた妻の親友持田晴美さんが、お土産に、珍しい、というより名前にとんと疎いわたしの知らないスコッチの細長い一瓶を、妻へのお土産とも一緒に、玄関外へそっと置いていってくれた。声を掛けても煩わせると気を遣ってくれたのでしょう、有り難う。「THE GLENLIVET」「NADURRA」とあり、沢山の横文字が書いてある。
先日は他の人から「OLD PARR」を戴いている。ふたつとも秦の親たちの位牌棚にのせてある。秦の父は梅干もダメな下戸だった。叔母は茶事での献杯ほどは受けられた。母は、性根は、憧れていたほど、量は別としてお酒好きだった。果物も好きだった。父と叔母の兄妹は甘いものが好きだった。戴き物があると、わたしはそっと廊下の奥の位牌棚へ置いている。
自作を読み返していると、まるで育ての秦の親たちへの反発や厭悪をさながら起爆剤かのように利用しながら「真の身内」はと追い求め続けていたことが身に痛く痛く思い当たれる。不孝の限りを尽くしたのだ、堪忍してください。
実の父母のことは、なんにも分からない。
自死した実兄恒彦はどうだったのだろう、今となればなにもかも霧の中だ。恒彦には二人の男子と一人の女子が成人しているが、結婚したのか、子がいるのかも、知らされていない。黒川創へわたしの仕事は漏れなく送っているが、彼からは葉書一枚の便りも絶えている。むかしのわたしに似ている。
生母から生まれた姉一人と兄三人はもうとうに亡くなった。晩年の姉とは懐かしい文通が繁くあった。長兄と末兄とは一度ずつ会い、心通っていた。よくして貰った。
実父から生まれた二人の妹は川崎で、達者に暮らしているだろう、か。
2014 9・23 155
* 妻、地元指導の健康診断に。無事。
2014 9・30 155
* 生母の生涯を賢明に追いながら敬愛する上田秋成を終始念頭に置いた八百枚「生きたかりしに」も、妻が懸命のガンバリで三分の二ほども電子化できてきた。講談社で書き下ろしとして依頼されていた作だが、わたしの方でむしろ引き下げた。それでも早い時機に「湖の本」へ入れていて十分成り立っていたなと今にして惜しかったと思う。不運な作になった。ま、それでもまだ間に合うだろう。文章としての推敲はほぼ十分に出来ている。読み直していくらか手を入れるとして、どこへどうという懸案がのこるだけ。
* 藝術至上主義文藝学会の馬渡会長から、「原稿・雲居寺跡」も読めるようにして欲しいと言われている。あまりに昔の原稿で、この先どこへ物語が展開して行くのか、わたし自身が記憶していないまま電子データにしつつあるが、和田義盛の和田合戦などにもう触れている。和田義盛は、歌舞伎の「近江源氏先陣館」で北条時政と対峙の君に佐々木盛綱ないし高綱らと気脈を通じていたように描かれている。わたしの「原稿・雲居寺跡」もどうやら都や近江國を語りつつ関東の和田義盛方との縁の濃さを表しつつあるようで、わたし自身がはらはらしている。
* 密かにでも電子化しておきたいと思う原稿やノートの多いことにいささか惘れている。年をとってしまったなあと悔いの傷みものこるが、やすやすとひとに頼める仕事でもない。頼めるとしたら全面的にその人を信頼して任せるしかないが、そんなことは空頼みでしかないだろう。
こんなとき、朝日子が間近にいて信頼できたならと、つい悔しくも思ってしまう。
2014 9・30 155
* わたしの両手指先の痺れは抗癌剤このかたとれない。そこへ妻の動脈血腫手術が起きて、手術は済んだが、手先に強い痺れがのこって日々の手作業に迷惑が出ている。昨日は、利き手の左親指の先を何かのはずみで切りこみ、過度ではないが出血が止まらない。指先のこと、うまく処置ができないので、やはり病院を頼むことに。わたしも脚の爪を切るつもりで肉を挟んでしまった。指先の働きは大事だ。
2014 10・2 156
* 夕刻、歯医者へ出向く。 二人で治療に二時間かかる。わたしはいくら待たされても本がある限り平気。今日は佐伯真一さんの「建礼門院の悲劇」を持っていて、たくさん読めてよかった。
妻の抜歯は、出血に大事を取って、医科歯科大に依頼。
帰路中華家族で晩飯にする。わたしは例の、マオタイ。食は、酢豚ととりの唐揚げ。
2014 10・3 156
* 秦の父からかすめる程度に習った謡は、たった二つ三つに過ぎなかったが、「花筺」も「東北」もろくに謡えはしなかったわりに文学としての詞からは多くを恵まれたと思っている。「東北」は梅花に心よせる和泉式部の「花ごころ」を謡っている。あげく「和泉式部は成等正覚を得るぞ有り難き」と謡い納められて行く。「花ごころ」を「色好み(コケティシュ)」と同義に読んでいいかは措くとして、すくなくも男女を問わず「花こころ」とは「夢見心地」の域にあるものだろう。ひいては今生を迷いつ惑いつ生きているのもわるい夢だと昔の人は夢から覚めたいと、少なくも仏教の建前からは願い続けていた。願うというその事がそのまま「花こころ」のままとしか見えない例が
数の和歌に創られているが、世は末世に及ぶにつれて夢から覚めねばという思いが真剣度や苦痛度を増してくる。千載和歌集に比較的注目してきたのは、その辺を想うからであった。
もっとも、「美しい佳い夢なら覚めないでいたい」と願う人も、いる。小野小町は和泉式部に先立って「花ごころ」の最たる女人であったが、代表歌のたいはんに「夢」の文字のみられるのがこの人の特徴であり、しかも「夢」から覚めたいと悶えるよりは、むしろ「夢」を見続けていたいと歌っている。
今今を生きる人にも、「美しい夢なら、成等正覚の有難さよりもいっそ覚めねばと願ってしまいます」と洩らす人も、現実にいたのを知っている。稀な願いではあるまい、むしろ大方の願いはこういうことなのだろう。小町や和泉が正覚を得たかは知らない。二人とも零落の末路が伝説化されているけれど、彼女らの幸不幸を浅はかには推量できない。帰ってくるところは、では、自分はどうか、というに尽きる。
2014 10・5 156
*起床9:00 血圧136-64(63) 血糖値90 体重68.3kg 夜中降雨甚大 書庫の書斎部分に甚だしい雨漏り、対応に奮迅、疲労切、防禦と対応、およそ成らず。嗚呼。
* 建日子 SOS保谷
次の機会に、雨を防ぐに足る材質のなるべく幅広く長いものを見つけてきてくれないか。書庫書斎が床上漏・浸水状態で、終夜悪戦苦闘したが、実効を得ず。戸外の上で覆うしかないか。
とにかく知恵がなくて困惑。キャンブ経験などで、いい知恵がないか。母さんからの希望も聴いてやって下さい。
今夕過ぎまで、ヒドイ状態になりそうです。 父
2014 10・6 156
* 書庫の被害部分に応急にビニールシートをかけてもらい、近づく「猛烈な颱風19号」をやり過ごして業者が対策工事する、らしい。業者が、保険が利くかも知れないから聞いて見よと助言してくれた。保健会社からいま妻の留守中に電話があったが、保険金がおりる可能性は甚だ低いと想われる、向こうの口つきからして。
2014 10・9 156
* ドラマ「大門未知子 ドクターX」今期初回の録画を、ことに手術場面をもう一度観ながら、黒いマゴ毎朝の輸液を。椅子に掛けたわたしの膝に専用の座布団を置き、穏やかに坐らせてから妻が点滴のため注射する。うまく刺せないと液が体外に零れてしまうので、簡単ではない。零さず、ひどく痛がらせず、液の流れが順調なように刺さねばならない。もう一年余も欠かさず続けてきて、見違えるほど黒いマゴ、元気を回復してきた。遊びたくて仕方なく、我々を誘いに来る。我々の言葉もおどろくほど理解できるし、ハッキリした意図や希望を告げてくる。対話が、よほど利いている。誰にもまして「身内」として共生している。
2014 10・10 156
* 創作していた最初の私家版原本「畜生塚・此の世」が見つかった。六七册、抜き刷りの歌集「少年」数十部と一つ箱に入っていた。記憶通りだった。
見つけたい失せモノは、まだ幾つか在る。むかし建日子ときゃっちボールしていたグラブ・キャッチャーミット・硬球の一式。一度何処かで見つけて懐かしみながらそのままにして、そのそのままの場所が分からなくなった。
永井龍男先生に戴いた「廬山」を褒めて下さった自筆原稿を今必要あって探索している。必ず在るはず。湖の本や単行本に使用した写真の原板も何種類か見つけ出しておかないと。これは、途方に暮れる。
最重要の文書・写真資料などは、一箱へとにかくも蒐めて手近に置いておかねば、もうモノは忘れ放題になってゆく。
2014 10・18 156
☆ 選集第三巻届きました。
おめでとうございます!
近々うかがいます。 建日子
☆ 選集第三巻
有り難うございます。本当に嬉しく。
お写真、学生時代、こんなお顔だったのですね。
「刊行に際して」が印刷日より後になっているのを見て、「あ。」と思いました。慈子の誕生日ですね。
ご本、大切にします。
お風呂では、ゲラに限らず、事故のないように十分お気をつけ下さい。ほんとうに。
ではでは。 蕪
* 跋の日付は、学生の頃、妻(になる人と)と大文字山に二人で登って、大きな比叡を観た日。
* せっかくの本を傷めないように、発送には神経をつかって妻が一冊一冊慎重に荷造りしてくれている。わずか5グラムほどの超過で、前回350円だった送料が460円に。厳しい。
巻頭につかった写真は、日吉ヶ丘高校の茶室「雲岫席」で、茶道部の稽古日に部員のだれかが撮ってくれたもの。
部の予算が乏しくて、貴人点には天目茶碗というきまりが出来ず、なみの茶碗が貴人台にのっているのが懐かしい。それでも広蓋の釜を使っていて、蓋は手前畳に入れている。わたしは、もう大学生(一年)で、稽古日には出向いて作法を教えていた。わたしが坊主頭でなくなったのは大学二年以降だった。
2014 10・21 156
* 八百枚の長編『生きたかりしに』を、今日は、読んでいた。やすらかな筆致で進んでいて、こころよくずんずん読めて行くにしたがい、胸も圧されてくる。「生きたかりしに」とは、生母の、いわば辞世歌の末句なのである。
2014 10・24 156
* 晩、建日子が帰ってきた。機械をだいぶ触ってくれたが、どうなったワケでなく、問題はまだ解決しない。はらはら。
建日子と一緒に観て三人で楽しみかつ感銘を受けたのは、昨日録画しておいたBSプレミアム、住太夫と清治との「阿古屋」での出会い・立会い。建日子は津軽三味線を習っており、また演出という仕事も手がけていて、超級の名人二人の「勝負」の気合いには相当の刺戟を受けたようであった。文楽をテレビででも観るのは「初めて」だという、不勉強なことだ。歌舞伎は両親の楽しみに任せておいて、文楽の人形、語り、三味線の渾然の藝から、多くを学んで欲しいもの。
仕事場から我が家まで、今は西武線と地下鉄とて一本で行き来が出来る。
とにかくも怪我せず事故に遭わず、意欲をもって立ち向かって欲しい。、
2014 10・25 156
* この三、四日、『冬祭り』を読み終えたあと、吸い寄せられるように『生きたかりしに』にほぼ没頭している。
梅若の能にはとても体力的に出られなかった。校正ゲラを持って街へ出ることも出来なかった。
ただもう、眼をやすめやすめ自分の小説を読み続けて手を添えていった。兄恒彦が恋しいほど懐かしい。あの兄が少年のむかしに「肝膿瘍」を患って入院していたとは。親の言いつけで強引に見舞いにやられたが、わたしは拒み通した。「血縁」の「うそくさい」ことをとことん嫌った。
2014 10・26 156
* 黒いマゴの輸液も欠かさず。
2014 10・27 156
* 「生きたかりしに」の第二章を読み終えた。
まざまざと昔の「旅」を、建日子をつれての、大和へ河内へ京へ近江への長い旅を思い出した。ああ、よく書いて置いたなと有りがたかった。
2014 10・30 156
* 建日子が機械に触ってから帰っていったあとに下記の連絡がメールボックスに入っていた。
いまのわたしの衰えたアタマは、こういう日本語のメール記事が理解できない、理解しようと働かない。
これは、要するに何の事?
■ Gmail アドレス、kouh@gmail.comを作成しました。
Gmail へようこそ。アカウントには http://mail.google.com/からログインできます。
使用を開始するのに役立つヒントをいくつかご紹介します。
Gmail のインポートツールを使用して、他のメールアカウントから新しい Gmailアドレスにメールや連絡先を移動できます。
Android 向けや iPhone と iPad 向けのモバイルアプリをダウンロードすれば、外出先でも使用できます。
アカウントで問題が発生した場合や、パスワードを忘れた場合は、このメールアドレスにご連絡します。
ご利用いただきありがとうございます。Gmail チーム
* この手の読み取れない連絡が、ニフテイからもドロップボックスからも届いていて、何かの手続きを強く促されているのだが、痺れたようにアタマが働かない。働かないアタマが良くないのだが、つまり途方に暮れる。陶淵明もバグワンも鏡花も読めるのだけれど。
2014 10・30 156
* 十時からもう日付が変わるまで、夢中で「生きたかりしに」を三章半ばまで読み耽っていた。これは、良い仕事に成るだろう。大量の手書き原稿はよく推敲できていた。この大部の長編を妻が電子化してくれなかったら、あたら埋もれてしまっていたかもしれない。
2014 10・30 156
☆ おじい様 おばあ様
ご無沙汰しております、馨です。( 中略)
先日、高校時代のクラスメート3人とやす香(=亡き孫)に会いに行ってきました。
3人ともやす香と仲が良く、久しぶりのプチ同窓会でした。
3人のうちの1人のために、やす香はいつも相談に乗ってあげていました。高校2年で行った修学旅行でも、班の人とうまく行かなかったその子のために修学旅行中は少しでも時間があると、話を聞いてあげていました。
「楽しみにしていた修学旅行だったけど、その子にだいぶ時間を割いてしまった」と、帰りのバスの中でグチをこぼしていた、やす香。
「私だったら、その子の悪いところを指摘して終わりにするけど」と、高校時代の優しさのない私。
「できたらそうしたかったけど、かわいそうでできなかったよ」と、やす香。
修学旅行の写真を見返して、やす香との写真が少ないと感じては、何となく覚えている、この会話を思い出します。
3人のうちのもう1 人は、大学時代にやす香と随分飲み歩いていました。
私はアルバイトが忙しかったため、やす香とお酒を飲んだのは数回だけです。
「飲んでる時に、その子の英語の宿題を、なぜか私がやらなきゃいけない」と、これまたやす香がグチをこぼしていたのを思い出しました。そんなことを言いながら、困っている友人がいると、どんな状況でも放っておけないのが、やす香のかわいいところです。
何だかやす香のグチ話ばかりになってしまいましたが、これもやす香ですよね。
他の人は口を揃えて、やす香は頑張り屋さんで優しい子だといいます。それもやす香ですが、その一面だけが一人歩きするのは、私の知らないやす香が出来上がるようで、少し寂しいです。
写真は、7月にやす香に会いに行った時のお花です。ゴッホという名前のひまわりだそうです。一目ぼれしたので、お土産に渡しました。
これまた随分前の話ですが、8月に姉の子が産まれました。女の子です。
2ヶ月がたち、首がすわり始め、笑うようになりました。
私にとっては、まだよく分からない存在ですが、ムチムチ元気に育っていて、ただただかわいいです。
久しぶりのメールだったので、伝えたいことも多く、長くてまとまりのない文章になってしまいました。
どうか、おばあちゃまの痺れている腕がつらくありませんように。
遠くからですが、お祈りしています。
* 建日子の仕事ともどかで接点のありげな忙しいテレビ系の仕事に奮励のようす。その中でやす香を今も愛してくれ、変わらず慰めてくれる人。
それにつけても、もう一人の孫娘 押村みゆ希は元気なのだろうか。立命館大をもうそろそろ卒業するのではなかろうか、何を勉強しているのだろう。立命館の図書館には「湖の本」もあたらしい選集も送ってある。目にでも触れる機会が有れば嬉しいが。
* 妻が懸命に頑張ってくれて、「生きたかりしに」第四章の電子化が出来てきた。関連して手に入れている関係資料がたっぷりあるのを、どう抑制して援用するか、難しいが大事な選択になる。加えて緊急「湖の本122」に「跋」を急がねばならない。
2014 11・4 157
* 歌誌「綱手」の主宰田井安曇さんが亡くなった。わたしの文庫歌集『少年』にいい解説を書いて下さった。「綱手」の会にも招かれ、よけいなお喋りをした。朝日子が青嵐中学のころ、国語の先生もされていた。
2014 11・5 157
* 過分な御喜捨を戴いた。感謝します。
京都市立月輪中学で教職の実習とは。なんとも懐かしい。「慈子」にも「隠水の」「誘惑」にも、あのあたりそして来迎院が佳い舞台になっている。わたしの高校は、月輪中学のまぢかに接していた。わたしは高校時代はずっと、大学いちねんのうちにやっと髪をのばした。学生服は親に衣服の負担を掛けないためにも有り難かった。なにを思ったか、大学に入って三、四年頃、秦の父はわたしを京極へ連れて行き、道ばたにたくさんぶらさげた背広の好きなのを買ってやると言ってくれた。生地の柔らかい、とても色濃い真緑のブレザーを選んだ。父は黙って買ってくれた。半ば嬉しく半ば照れていた。年齢格好でいうとそのころが「畜生塚」「みごもりの湖」はじめ諸作にかかわっている年齢になる。しぜん、なにもかも、フィクションである証になっている、と、思っている。
2014 11・7 157
* 樂と萩、吉左衛門と新兵衛との茶碗などの競作、図録の大きな写真でみるだけで胸の沸き立つ嬉しさがある。琵琶湖畔の佐川美術館だ、まだ会期がある、お出でを待つと樂さん再度のお誘いがある。とてもとても、行きたい。京都まで行けば、あるいは米原まで行けば、タクシーに乗れるのでは。だが片道では困る。帰ってこなくてはならない。黒いマゴのために、妻はちょっと身動き成らないのである。こんなとき、娘朝日子がむかしのままの正気でいてくれたならと「成らんバナシ」につい沈み込む。
朝日子との旅というと、雑誌「ミマン」だったか「ハイミセス」だったかが企画の旅に朝日子が嬉々として同行、松山や鞆や柳井や厳島を編集者・カメラマンたちと楽しく巡った瀬戸内の旅を思い出す。それはもはや一場の過去の夢でしかなくなったが、実はもう一つ、瀬戸内に焦がれる思いが有る。テレビで瀬戸内海を渡す「しまなみ」(間違いかも)とかを楽しそうに写していた、あそこを、あの大橋をどうしても渡ってみたい。これは、いま書いている小説のため。だが、京都へよりも倍ほど遠いか。志賀直哉の暮らしていた尾道辺まで行って車を雇うしかないだろう。先日玄関まで見えた愛媛の読者が、中国側まで車で迎えに行きますよと切言されてはいたが、人様を煩わすのは好みでなく、寂しいほどひとりで海や島を見たいのでもある。
それにつけ、妙なことを思い出すが、いまも歌舞伎座で活躍しわたしもとても贔屓にしている市川團蔵という役者、あの歌舞伎味豊かな当代團蔵より、もう何代か前の團蔵が、瀬戸内を船旅の途中、忽然と船上から姿を消してしまい、ついに見つからなかった事件がわたしのあたまの奥の奥の方に、忘れがたくのこっている。瀬戸内海というと、わたしは古の源平相闘った史事以上に、あの「團蔵」瀬戸内での静寂な失踪を想うのである。あの事件は、わたしが「清経入水」を書いたより以後のことであったろう、だか、ハキとは覚えない。わたしの中で清経と團蔵とは切れ離れている。
2014 11・8 157
* メールでは、ツイッター、「mixi」、それにフェイスブックからのやたらな通知がいっぱいでウンザリ。秦建日子の一日に十度を越すほどの「近況」など、どうにかしてくれというほど小うるさい。フェイスブックなどやめてしまいたいが、ゆめようすらわたしにはもう理解不能。わたしのアタマのなかは、遠慮無く希薄化しているようです。
2014 11・10 157
* 天気はよし。校正ゲラをかかえて街へ出てくるか。すこし息もつきたい。黒いマゴに輸液してやれば(二日、間が開いた)出掛けられるかも。家で早昼を済ましておいて。
2014 11・18 157
*ひょっとしたことで黒いマゴの輸液が三日近く出来なかった。てきめんに元気をなくし、昨晩そして今朝と輸液した。必要不可欠の感を再確認。
2-14 11・19 157
☆ 秋も深まり、
冬の気配が濃くなってまいりました。お元気でお過ごしでしょうか
建日子さんのお芝居について記事を書きました。
23区内に先に載りましたので同封いたしますね。
おけいこ見せていただき、取材を忘れて面白さに感動しました。
まばゆいような才能をお持ちですね。
秦先生ご夫妻が創造力を育まれるようなたくさんの愛情を注がれたのだなあと思います。
本番もとっても楽しみです。寒くなりましたのでどうぞお体にお気をつけて。またお目にかかれますのを楽しみに心待ちにしております。 阿
* 記事はまず 大きく 「稽古の様子全て見せます」 と四段ぬきで書き出して、写真付きで 縦四段 横は紙面半分以上 たっぷり紹介してあった。
ありがとう。手紙もありがとう。またみなで楽しく逢おう。
2014 11・20 157
☆ 拝復
わざわざのご連絡をいただいて、ありがとうございます!
武蔵野版と多摩版よりも先に都内23区むけ紙面で掲載されたので、思わずお送りしてしまいました。
プロってすごいなあと、口をあんぐりして、(秦建日子「秦組」の=)お稽古なのに本気で笑って真剣にみとれました。
今日は大好きなスウェーデンの女性作家カミラ・レックバリさんという人のインタビューに行ってまいりました。
自分で持っている本を持って行ってサインしてもらうという公私混同ぶりです。
異動して、社会問題と直結する現場取材が減ってなんとなく寂しい思いをしていましたが、文化部は楽しい取材があってうれしいです。
高倉健さん、人格が清潔な方だったんですね。
あまり作品を鑑賞したことはないのですが、生き方の美しさにみな惹かれたんだろうなと思いました。
祖母は今日、87歳になりました。
病いがちょっとずつ進み、外を歩くことができなくなりましたが、生きていてくれることがありがたいです。
記憶の薄れていく祖母と毎日接するのは、元気な頃とつい比較してしまい、歯がゆく悲しく寂しくはありますが、本人がいちばん寂しいのですものね。
朝晩だいぶ冷え込んでまいりました。
どうぞお体をおいといくださいませ。
またお目にかかれますのを楽しみにしております。 阿
2014 11・21 157
☆ 今、
我が家の床に、貴方にいただいた「紅葉舞秋風」を掛けています。この時季を楽しんでいます。
久し振りの「ちりめん山椒」お送りします。ご賞味下さい。
昨日、(京都=)国立博物館へ行ってきました。
帰途、買求めたお干菓子も同封しました。
(展覧会は)24日までなので、混んでいるだろうとも思ってましたが、入場まで2時間20分……並んで順番を待ちました。
(高山寺国宝展か。)次の機会は私にはないと思い、元気出して行って来ました。高山寺の鳥獣戯画は、わたくし、好きでした。蛙とうさぎのなんともユーモラスな動きを楽しんできました。
(此の紅葉の一筆箋に書いた手紙を入れた鳥獣戯画の)ファイル 何かに使って下さい。小さなおみやげです。
どうぞ お体大切にお過し下さいます様に……大阪府 宗富
* 秦の叔母宗陽・玉月に最後まで久しく茶の湯・生け花を習った人で、もう九十に近いはず。この気概・気風、敬愛する。佳いご馳走、佳いお土産を貰った。以前に差し上げた軸は、圓能斎の一行もので、叔母もわたしもその筆勢の美しさをさながら散る紅葉と愛していた。床に掛けて下さっている風情が眼に見える。この人、「湖の本」の創刊以来のありがたい継続読者でもある。感謝。
2014 11・22 157
* ニフテイメールの設定変更が出来ていないので、十二月一日以降、「送信」不能になるとニフテイが知らせてきた。言われたように訂正したつもりなのに。このままでは、わたしからはニフテイで「メール発信不可能」になるということ。決定的に困るのは凸版印刷との連絡。なんともはや、末期症状が見えてきた。それもまた一つの階段かも。メールの「受信はできる」らしいが。何通かニフテイから通達メールを受けているが、視力も煩わしくアタマも莫迦になっていて、読めないのである。
もう一度ニフテイへ苦情を入れた。よそのメールを使うことにする手もあるだろうか。
質問に答えてきたニフテイの回答は以下の通り。読める人には簡単なのかも知れないが、わたしには、字が読みにくいのと煩雑感とで茫然としてしまう。それでも、後ろの方の箇条書きに従い手を加えて、これでいいだろうと安心していた。だが、訂正の容貌には堪えられてなかったようだ。あーあ。
以下に、ニフテイの回答と指示を転写しておく。
☆ 秦様
@nifty (アット・ニフティ)にお問い合わせいただき、ありがとうございま
す。@nifty カスタマーサービスデスク 入江です。
お問い合わせいただいた件について回答いたします。
【お問い合わせ内容】
@nifty メールの設定変更について
【回答】
弊社接続サービスのネットワーク変更に伴うメール設定の変更について、秦様
に当窓口までご連絡をいただくお手間をおかけしておりますことをお詫びいた
します。
このたびの「@nifty メール設定変更のお願い」メールにつきましては、ADSL接
続サービスをご利用いただき、「587 番ポート」でのメール送信の確認ができな
いお客様を対象として送信いたしております。
該当のお客様につきましては、メールソフトでの送受信をご利用の場合、ネッ
トワーク変更に伴い、一部メール設定の変更が必要となります。
このため、お手数とは存じますが、お使いのメールソフトにてメール送信サー
バーのポート番号が「587 」に設定されているかどうかをご確認くださいますよ
う、お願い申し上げます。
一般的なメールソフトについてのご案内となりますが、確認手順につきまして
は、文末に記載いたしますので、ご参照いただけますと幸いです。
なお、ご利用のメールソフトが上述と異なる場合、メールソフトの名称やバー
ジョン、設定変更手順につきましては、下記サポートページをご参照くださ
い。
■メールソフトの名前やバージョンを確認する方法を教えてほしい。
http://qa.nifty.com/cs/catalog/faq_nqa/qid _13823/1.htm
※上記ページで確認したメールソフト名やバージョンに基づいて、下記ページ
をご参照いただけますと幸いです。
■メール送信サーバーのポート番号を「587 」へ変更する方法を教えてほしい。
http://qa.nifty.com/cs/catalog/faq_nqa/qid _15088/1.htm
すでに送信ポートが「587 」に設定されている場合は、2014年12月1 日以降も送
受信が可能ですので、この点ご安心ください。
なお、設定確認が困難となる場合やご不明な点がございます場合、本件につき
ましては、ご契約状況を確認の上、お電話にて詳細をお伺いし、引き続きご案
内差し上げたく存じます。
お手数とは存じますが、文末のフォームにご都合のよろしい日時やご連絡先な
ど、必要事項をお書き添えの上、本メールにご返信くださいますようお願いい
たします。
文末となりますが、本件につきまして、ご案内内容がわかりにくく、お客様の
混乱を招きましたことを深くお詫び申し上げます。
今後とも@nifty をよろしくお願いいたします。
@nifty カスタマーサービスデスク 入江
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- Outlook Express における、送信ポート番号の設定確認手順
- Outlook Expressを起動します。
[ ツール ]→ [アカウント ]の順にクリックします。
- [インターネットアカウント ]が表示されます。
[ メール ]タブをクリックし、設定を確認・変更したいアカウントを選択
して、[ プロパティ ]をクリックします。
3.[ 詳細設定 ]タブをクリックします。
4.送信メールのポート番号に「587 」と入力します。
8.[ OK ]をクリックします。
- [インターネットアカウント ]の画面に戻ります。
[ 閉じる ]をクリックします。
以上で設定は完了です。
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- 返信フォーム
※当窓口はセキュリティの関係上、添付ファイルに対応しておりません。
メール本文内にご記入の上、ご連絡ください。
■ご契約内容確認項目
※お引越し等で、住所や電話番号を複数ご登録されている場合は、お心当た
りの住所・電話番号を全てご記入いただけると幸いです。
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・ご契約者様氏名のフリガナ :様 ※フルネームでご記載ください。
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・@nifty メールアドレス :
■弊社電話窓口からのご連絡について
・お名前: 様
・ご連絡先電話番号:
・ご連絡希望日 ・第一希望 2014年 月 日( )
・第二希望 2014年 月 日( )
・第三希望 2014年 月 日( )
※お時間の指定は、下記よりご選択ください。
例)第一希望 2014年 1 月 1 日(A )
A .10:00 ~12:00
B .12:00 ~15:00
C .15:00 ~18:00
D .18:00 ~19:00
※希望日時にはメールをご返信いただく翌日以降をご指定ください。
※メールの着信状況により第一希望に添えない場合もございますので、第三
希望までご指定いただけますと幸いです。
* 先日建日子が帰ってきたとき、何かしらやっていったあと、「Gmail アドレスを作成しました」という通知が来ていた。だが、説明もせず実技も教えずに帰っていったので、これが何事ともわたしには分かっていない。
☆ 「 Gmailへようこそ。アカウントには http://mail.google.com/からログインできます。
使用を開始するのに役立つヒントをいくつかご紹介します。
Gmail のインポートツールを使用して、他のメールアカウントから新しい Gmailアドレスにメールや連絡先を移動できます。
Android 向けや iPhone と iPad 向けのモバイルアプリをダウンロードすれば、外出先でも使用できます。
アカウントで問題が発生した場合や、パスワードを忘れた場合は、このメールアドレスにご連絡します。
ご利用いただきありがとうございます。Gmail チーム
この Gmailアドレスを作成した覚えがなく、このメールに心あたりがない場合は、 https://accounts.google.com/AccountDisavow?adt=AOX8kirmqVA-DtG4BpDzbER5QmnerlOn1KPAFJq7sMwyabbKPusD4kWfmrOjBq-eTAにアクセスして、このアカウントのリンクを解除してください。
* こういうメールを読み解くこんきがもうわたしに無い。字も小さく、わけも分からない。やれやれ。
2014 11・25 157
* 「選集⑤」の長編『冬祭り』きよく絞っても、夫れまでの四巻より100頁ほど増頁になり、おなじ事は後続する『最上徳内=北の時代』や『親指のマリア=白石とシドッチ』や『お父さん、繪を描いて下さい』や『逆らひてこそ、父』や『凶器』などみなに及ぶ。『生きたかりしに」に接続する『罪はわが前に』『身のほど 三部作』も『迷走 三部作』も同じ。わたしは、思いの外に長編作の覆い書き手だったようだと、いまごろ本人が驚いている。書いている「ヰタセクスアリス」ふうも長編である。健康で、摂生しないととても小説選集を全うできない。論攷・エッセイにも選集の形で纏めておきたい仕事は沢山あるのだ、わきめもふらず、しかも慎重に生きないと、わたしまで生きたかりしにと臍を噛むことになる。
どうか、妻にも健康に長生きして貰いたい、所詮は二人三脚でしか遂げがたい生涯の大仕事なのだから。
2014 11・27 157
* 感冒様の症状で妻は昨日病院へ。わたしもかるく咳をするので、今日の歯科をキャンセルした。
2014 11・28 157
☆ 秦恒平先生
外は冷たい雨が降り続いています。ご無沙汰ばかりですのに、お気にかけていただき恐縮に存じます。久々にパソコンを開きましたところ、お気持ちのこもったメールが届いていて、びっくりいたしました。心からありがたく、御礼申し上げます。
退職後の大きな変化の一つが頻繁にメールをチェックしなくなったことで、お返事が遅れ申し訳ありません。選集第三巻のお礼もきちんと差し上げないまま日々を重ねておりました。
多くの皆様同様『慈子』は千や生の世界と出会った特別のもの。それ以後ほかのご著書も入手したくて書店や神保町や古書店を巡り、また職業上の特権を利用して私家版等の国会図書館からの借り出しやコピー、そして豪華本の愛蔵……その当時はたまたま関わっていた仕事が時流に乗って多忙を極め、12時前に帰宅することがないような生活かつ各地を飛び回るような日々でもありました。
先日家の整理をしていたところ、先生の世界に関連してその頃書いた感想や批評? がまだ大量に残っていて我ながら驚きました。たとえば『清経入水』の原本との比較、量と内容そして整然とした文字……退職を機に仕事上の執筆原稿や掲載誌も処分しましたので、それらも処分いたしましたが、忙しい時期のほうが「勉強」していたなあと思った次第です。
先生が次の選集に『冬祭り』を思案されていた同じ頃、久々に先生の小説を読み返してみようかしらと思い、偶然にもまず『冬祭り』を選択。堪能して読み終え『みごもりの湖』を読み始めたところで、父が急逝いたしました。実は父がお世話になっていた療養型病院訪問の往復を利用しての電車内読書で、読み出すと止まらなくなり時折病室でも続きを読むようになった矢先のことでした。二月に母を見送り父に支えられておりましたので、喪失感は予想を超えて日々深まるばかり。『慈子』の入った選集をお送りいただいたのはその直後、穏やかで温かく確かな手触りでした。
先生のご境涯を思いますとあまりに「贅沢」なことではありますが、この年齢になってしみじみつくづく「天涯孤独」をかみしめております。両親は最晩年まで豊かな趣味を持ち続けて素質と努力で生活を楽しみ、私も忙しく働いていたため、お互い自立して暮らしていました。介護のまねごとに携わるようになったときには、あらためて自分はこの両親を見送るために生をうけたと感じ、私自身が大いに救われました。
自分のことばかりあまりに長く勝手に書き連ねましたこと、ご容赦ください。最近ようやく先生の日誌への安定した回路が見つかり、ご様子を拝読しやすくなりました。ご不調のなかでも自らを励まし前向きに取り組まれるお気持ちの強さと行動に、敬意を超えて憧憬を感じます。
「湖の本」のスタート時、反射的に浮かんだ言葉がありました。「湖のしずく」。その思いは今も変わりませんが、それはまたの機会に。
メールの文字をご覧いただくのもご苦労なことと拝察いたします。差し障り少なく年齢を重ねられますよう、ご無理なさいませんように。 2014.11.26 世田谷 滴
* いたましい状況のなかからの、述懐、さこそとお察しする。死なれて 死なせて 人は生きる。強く豊かに生きて下さい。
育ててくれた父も母も叔母も九十過ぎまで生きてくれた。生みの母は生涯奮闘のはてにおそらくは自死し、実の父はおそらく失意の老齢に崩れて果てた。実の兄また、雄々しい敢闘の半ばに、病んで自ら生母を追った。わたしの妻は青春のさなかに病んだ母に死なれ、父は妻のあとを追った。
『冬祭り』で、ヒロインは、自分は、死んでから生きるのと言っている。わたしは……死なれて 死なせて 生き恥を生きている。 2014 11・28 157
湖様 永い間 返信も送金もせず しかも限定150部という大変貴重な選集をお贈りいただいたにもかかわらず お礼の言葉一つもお伝えしなかった 許しがたいご無礼を心からお詫び申し上げます。
欝病の進む中、親も95歳90歳になりまして、今日もこれから行ってまいりますが 休日は親の世話に行き、あとはひたすら眠っております。仕事も今年いっぱいで一区切りをつけることになりました。業務執行は任せて、週2 回ほどの出勤にする予定です。
湖様の作品がこのような美しい選集としてまとめられて 「慈子」もありますこと、感動でいっぱいです。改めてお礼をさせていただきます。
どうぞお体を大切に いつまでも前向きにお仕事を続けられますよう 心からお祈り申し上げます。 川崎 慈
* 老々介護で 鬱 ではないかと案じていた。
われわれも、秦の父を九十一で、叔母を九十三で、母を九十六で見送ったが、この読者の現在よりはいくらか若く、妻が懸命に頑張ってくれ、わたしも元気に仕事が出来ていた。この人は、自力で立派に会社経営を成功させていたが、それも、独りでの老老介護には堪えていただろう、そう想って気に掛けていた。頑張ってもらうしかないが。
2014 11・29 157
* 秦組の秦建日子(はた・たけひこ)が十二月公演について、ネットで所懐を語っている。わたしたちも応援に見に行くことにしている。心ゆく舞台を創ればよい。真摯に心ゆくこと、それが創作という仕事の本道だ。
☆ 『くるくると死と嫉妬』、始まります! 秦建日子
あれはいつだったか。
気持ちよく晴れた秋の日だった。
私は道を歩いていて、一本の樹を見つけた。
大きな樹だった。
素敵な樹だった。
私はその樹をあの人と一緒に見たいと思った。
私は思う。
愛とは、同じ景色を見たいと思うことだ。
あの人と、同じ景色を見たいと思うことだ。
同じ景色を見たいと思っている限り、私はあの人を愛してるんだ。
『くるくると死と嫉妬』、今、自分の持てるすべてを注ぎ込んで創りました。
短期間の公演ではございますが、どうか、お時間を作って観に来て下さい。
劇場にてお待ちしています。
12/3-11 @ 東池袋・あうるすぽっと
出演 新垣里沙 丸尾丸一郎(劇団鹿殺し) 他
音楽 立石一海(作曲・ピアノ) 小山豊(津軽三味線)
<日替りゲスト>
12/3( 水)19時 折井あゆみ
12/4( 木)19時 三倉茉奈
12/5( 金)14時 寺島咲
12/5( 金)19時 鳥肌実
12/6( 土)13時 やくみつる
12/6( 土)18時 鈴木あきえ
12/7( 日)13時 小野真弓
12/7( 日)18時 片山陽加
12/8( 月)19時 中江有里
12/9( 火)14時 高垣彩陽
12/9( 火)19時 矢島舞美
12/10(水)19時 浦えりか
12/11(木)13時 矢吹春奈
12/11(木)18時 宮地真緒
アフタートークショー
12/3( 水)4( 木) 矢島舞美
お問い合わせ・オフィス・REN 03-6380-1362 begin_of_the _skype _highlighting 03-6380-1362 無料 end _of_the _skype _highlighting(平日12:00 ~18:00 )
当日券、全ステージ発売します。
* 「愛」がなにごとであるかは、まことに難しく、定義は人の数ほどになる。わたしも、こんな風に書きおいたことがある。
愛は。
愛は、一致である。一切分別が消え失せる。
愛は、焔である。無垢無数に分かたれ得る。
愛は、清水である。終に海となり一致する。
2014 11・30 157
* 「選集⑦」には、岩波書店の「世界」に連載した『最上徳内=北の時代』を予定に入れ、原稿を上中下巻、揃えて機械画面へ用意した。「mixi」に再掲しながらこうせいしておいた原稿だと、そのまま形だけ調えて、第六巻に引き続いて入稿できる。
万一わたしに何かが起きても、わたしなりの「選集編成案」を書いて置いてくれればも必ず建日子が形にしてくれると妻は言う。「編集」「校正往来」「責了」という一連は練達していないとじつに容易ではないのだが、姿形は出来てあり、凸版印刷ならきっちりした仕事で援けてくれるだろう。ま、力の及ぶ限りは自身の努力で前進させ、死んでしまえば、ま、それまでだ。立ち向かうまで手のこと、それは執念とか執着とか煩悩のたぐいでなく、生きてある自分自身を楽しむだけのこと。
2014 12・2 158
* つづく「湖の本」のために、たてつづけ妻が多くの原稿をスキャンして電送してくれた。どれを取り上げようかと贅沢に迷えるほど手元に電子データ化された原稿、校正の必要な原稿が山盛りになっている。感謝しながら、箸惑いしているほどで、みな機械によるじつに便利な恩恵である。
単行本に成っている原稿もあり、雑誌に初出のままプリントにしたもののスキャン原稿もある。
さらに機械の中に多年に何と無く書きためたままフォルダまたはファイルとして貯蔵された書き置き原稿が何百も保管されている。それらをどのように汲み上げてどのように編成するか、気が遠くなりそう。
おそらくは、わたしのように著述・著作・草稿類を網羅的に機械の中へ電子化して保有している書き手(小説家・批評家)はめったにいないだろう。生来ものを棄てない性質がもたらした功も罪も表裏のまるで「物置」のようにわたしの機械は働いてくれている。機械はいつどう故障するか知れず、従って最低二台新旧の機械で連携させ、またディスクやUSB保存もせいぜい怠らぬようにしている。
* 「糸瓜と木魚」を読みなから「明治」という時代を遠くから眺め返している。明治初年の画家たちが思い出される。おもしろい。
しかし、もう機械の字が読めず、機械に字が書けない。十一時過ぎ。
明日には「湖の本」新刊が出来てきて、もう試薬も「選集⑤ 冬祭り」再校ゲラが届いてくる。
もう建日子が渾身の劇作・演出の舞台も開幕している。
2014 12・4 158
* 東池袋のアウルスポットで、秦建日子作・演出の「くるくると死と嫉妬」を観てきた。不感心。
* 帰途、練馬で寿司を夕食に。妻には、好きな生牡蛎を。わたしには酒は美味かったが寿司は味覚に届かず。
2014 12・5 158
* 黒いマゴの輸液を済ませると、すぐ「湖の本122」発送の作業にかかり、午後と夜十時とに送り出した。明日も。
2014 12・6 158
* 菩提寺の板倉宏昌住職が、病気で席を弟に譲られた。前住職から挨拶があり、自筆の手紙に添え、京の銘茶が送られてきた。
この住職とは、もっと多くを語り合い教わりたかった。京と東京とでは距離があり、わたしはメール交換を内心期待していたが実現できなかった。重い病気の抗癌剤治療中ときけば、思い当たることが多すぎる。できれば「廬山」や「華厳」を中にして佳い対話が叶えばいいのだがと思いつつ、「秦恒平様」と上書きされた手紙を手に持ち、せめて病境の和らぎを祈っている。京都へわたしから出向けばいいのにと思いつつ、わたし自身、その自信がまだ持てない。
宏昌師の夫君は久しく檀家である秦家の年寄りたちとも懇意に願ってきた。父に松壽院、母に心窓、叔母に香月という戒名を付けられた。この前々住職は私と同年齢、もとより多年親しくしてきたがもう亡くなった。
人の亡くなるのが、年々に速やかなことに驚く。
2014 12・8 158
*朝、「浦霞」小酌 上煎茶で「とらや」羊羹一切れ 蜜柑 婚約以来五十七年を祝う。
2014 12・10 158
* 川崎の異母妹ひろ子からチョコレート、ひろ子の姉の昭子は電話を掛けてきた。妻に任せた。
* 有楽町の「レバンテ」で店が自慢の活牡蛎と牡蛎フライで、ビール。美味い。
三菱地所の美術館でミレー展(他にテオドールやコローやルソーらも)を観る。ビールのせいもあるか、相当疲れたが、大事にしたい日なので、よろよろと、なじみの帝国ホテルまで歩き、メインロビーで珈琲をのみながらわたしは「墨牡丹」再校、つまは今度送り出した「九年前の安倍政権と私」を読んで、五時半まで。正しくは八年前だがすぐ年が変わるので「九年前」としておいた。思ってたより読みやすいと妻は言う。
地下の「なだ万」で日本料理の「花」を。酒は純米の「浦霞」に。体調を損じていたので一合を二人でわけた。満腹。メインの焼物を黒いマゴの土産に。
とても電車で帰るのが辛くて、タクシーで保谷まで帰った。八時十五分。Dfileの「クローザー」を観て、ほっこり。
2014 12・10 158
* 法政大学からも。法政と聞くと、早稲田への縁故を断ってでも法政の「国際」に憧れて行った亡き孫やす香を恋しく思い出す。もうひとりの孫みゆ稀は、そろそろ立命館大を卒業するのではなかろうか。精神的につよく自立した大人への道を歩んでいてくれるだろうか。
2014 12・10 158
* 頼んでおいたスキャン原稿が妻からつぎつぎに電送されてきて、メールボックスにも一太郎にも溢れている。これらを四でよく校訂する仕事も大量になってきた。とても休んでいられない。
2014 12・19 158
☆ 今日が誕生日ですね。
おめでとうございます。
あと20年、元気でご活躍ください。 大津市 芳 生母方甥
* まだ会ったことのないこの人の母上が、わたしには父のちがう最年長の姉であった。歌を作る人であった。母のために能登川に母の歌碑を建ててくれた姉であった。顔を見合ったのは只一度、だが幸いに文通は数重ね、多くを教えてもらえた。実兄北澤恒彦とこの異父姉川村千代子と今生でわずかに出会えたのをわたしは懐かしく喜んでいる。この、ねう職を定年で退いたという甥とも、いつか会うだろうか。
2014 12・21 158
* 冬至。七十九歳の初日。
いつまでも日の出づる人であつてよと
父を祝ひてくれし建日子 (小学校一年生の昔に)
日の没(い)りの最(いと)ながき夜に吾(あ)は生(あ)れき
一陽来復の春を目ぢかに
黒いマゴの吾(あ)をよぶ深夜(みよ)に目覚めゐて
遠つ前(さき)の世をうつつに恋ひし
2014 12・22 158
* 暗くなっての力仕事だったが、玄関に積んだ荷を西棟に運び入れた。せめて玄関だけは正月らしくと。蓬莱山の繪軸を掛けて備前の大壺をその前に、脇に花を、と。茶の間が収拾もつかずモノに溢れ、雑煮を祝うわれわれの場所があるかどうかも危うい。
西へ運び入れたついでに、紅書房で出した『美の回廊』を一冊こっちへ運んだ。選集⑥に使いたい淺井忠の繪が手で居る。
2014 12・25 158
* 飽くなく、夜も仕事、仕事。そして少しずつは身の回りの山積みも整理がつく限り、整理。捨てられる物は捨てて。
32014 12・25 159
* 金銀彩の美しい骨壺を創ってくれた姫路夢前窯の原田隆子さんから便りと、見るも美しいちりめんじゃこが大きな筺で贈られてきた。いい出汁がとれるわと、妻が大喜び。
2014 12・25 158
* 小説世界に心身を浸して今日も過ごしている。疲れると、目先を変えて「繪」を語ったエッセイを次々に読んでいる、目がきかなくなるといつしか居眠りへ沈み込んで行く。なんと穏やかに心ゆくとしのせであることか。
正月のお飾りをこっちの玄関外にも、西の玄関外にももう飾った。あちこち干支の午たちにもお休み願って、未さんたちをお迎えする。繪も、あちこち、新しく掛け替えてみよう、玄関はやはり蓬莱山の長軸が佳いだろう。松篁さんの鷺のうつくしい「ゆき」をわきへ並べてみようか。ものでひっくりかえっているけれど、せめて雑煮を祝う間はめでたい掛け物を掛けようか。
2014 12・28 158
* もう何年も年賀状を失礼と決めている。わたしにはこり「私語の刻」でなにもかも賄っておく習いが出来てしまっている。心もちだけは、もとより何方にも平安なお正月をと心より願っている。
2014 12・28 158
* ついに、「生きたかりしに」828枚の原稿の電子化を、妻は遂げてくれた。わたしは761枚目まで読み進んでいる。まだ、手を入れることだろう、書き足すこともありそうに思われるが、骨子は確実に捉えたと思う。書けて佳かった。妻の協力に感謝。感謝。 2014 12・28 158
* 何十年も、暮れになると、蛤と雑煮の京白みそを買いに池袋へ出るのがわたしの仕事だった。ことしは、それから初めて解放された。いかに心のどかな暮れかと感謝している。なんとか茶の間も大方片付けて恰好をつけた。玄関には花もいけられ、「蓬莱山」の掛け物も、干支飾りもできた。あとは茶の間に何を掛けるか。
2014 12・31 158
* 夜十一時。今晩も、湖の本123 入稿原稿を編輯・編成していた。ほかにも、いろんなことを。
例年 壽 の題字を「たま」で囲った横ものの軸をかけてきたが、この新春のために幕末の岸連山描く「富士と三保松原」横ものの大軸を居間正面に掛け、脇へ、構わず、昨日まで正面にかけていた、ビュフェの「薔薇」リトグラフを移した。なかなか、似合っている。
玄関の、秋石手だれの「蓬莱山」長軸にも、あえて美しい瓶花を描いた額をはんなり並べてみた。これも気持ちよく似合っている。 家中に、真新しいカレンダーが幾つも。新しい凸版印刷の大カレンダーは安田靫彦集。この機械のすぐ上には「万葉に遊ぶ」上村敦之と十二人の書家の競艶。北川美術館の「壺」特輯も井上隆雄さんの藝術的な風景写真集も、市川染五郎君の気の入った舞台写真集も。
* 爪は切ったし湯も使ったが、鬚もあたっていない。元朝のこととして。
* こんなに、なにげもない穏やかな大晦日は珍しくも有り難く。どうか、誰のうえにも来る年の平安を心より祈る。
* こぞことし架け渡す橋はまぼろしに
灰のごと浮けり渡らざらめや 湖
2014 12・31 158