* 十時に建日子たちが来て、雑煮で元旦を祝った。わたしは、餅を一つしか食べなかった。
建日子たちが、特製のラベル、むかしわたしが朝日子と建日子とを抱き上げた写真、をつけた清酒を土産にもってきた。嬉しいというよりフクザツな気分だっ た。朝日子も建日子も可愛かっただけに、深い痛みも覚えた。その酒を呑んだ。酔った。例年のように初詣に近くの天神社へ出かけたが、烈しい頸筋の痛みを覚 え、ひとり途中から帰って、寐た。この頸筋へ刺し込んでくる痛みは、過去にも数度覚えていて、いずれも死の恐怖に近かった。
いまは落ち着いている。
* こういう元日は、過去に記憶がない。ま、いろんなことが有っていいのだ、今日、いま・ここを生きるだけのこと。
思い寄らぬほどたくさんな年賀状を戴いた。わたしからは一枚も送らなかった。わたしに出来ることは何だろうと、もうそんなことも思わない。分かり切っている。生きている限り、したいことをしつづける。いやなことは、いや。
2016 1/1 170
* 建日子と三人で二日の雑煮を祝う。
元旦 建日子祝儀の播州一献
良き日々の朝日子・建日子と父
2016 1/2 170
* このところ、何度も、グノーの歌劇「フアウスト」を、ただ音楽として聴きながら、原作を想っている。つれて、ミルトンの『失楽園』をなんともいえない 憧れ心地で思い出す。幼少、誰にも知られずわたしは河原町三条の基督教教会へ行ってみたいと想っていたのも思い出す。あれはどうしたのだろう、中学生の 折、人に貰ったとは想われない、偶然に拾ったのかしれないが十字架の鎖を持っていた。英語の先生に見せたら「コンタツ」と謂うものと教わった。身につけは しなかったし、いまでもどこかに仕舞い込まれているのかも知れない。
小さい頃から、家には漢籍も古典籍も信じられないほど豊富だった。だが、そんな中に、誰かから送られたらしい小型の良い新約聖書があり、じつは、わたし はその文語体が気に入り、福音書などはみな繰り返し読んでいた。基督教の空気は、誰からでもない教会からでもない、一冊の聖書から吹き込まれていた。かす かに教会へ気が動き、そのままになった。コンタツとやらを拾っても身には帯びなかった。まったく同時にわたしは、仏壇の般若心経や燈明の色に惹き込まれ、 また地獄の想像に夜中泣き叫ぶ子だった。
高校生のうちか大学入学のころには裏千家から茶名を受けていた。希望した一字は「遠」つまり茶名は「宗遠」とつけられたが、これが「老子」から得た一字 で、老子も荘子も唐詩選も白楽天も、みな祖父の遺していた蔵書で、例外なく小学生の頃のわたしの愛玩書だった、愛読書とまではとても云えなかったが。
わたしは、聖書も含めて古典や歴史書との出会いが、いわゆる小説などの読み物と出逢うよりよほど早かった。変わり者にならずに済まない環境がはなから養家にあったのだ。
* いま、わたしはこの「私語」の冒頭、櫻につつまれた自分の写真に添えて、
あのよよりあのよへ帰るひとやすみ と、述懐している。
まだ生まれていない無のあの世から、いずれ死んで行く無のあの世への、みぢかい旅のこの世。ま、ひとやすみしているようなこの世。前世に物語はなかった し来世にも物語はない。「あらゆるものが最終的に源に帰る。それが自然だ。源が終着地だ。元気に自然に生き静かに自然に死ぬとは、それを知るということ。 苦労や苦行で光明(悟り)を得たがる、死んで天国や極楽へ行きたがる、みな無意味で不自然な「目的地」を幻想しているに過ぎない。天国も地獄も、聖職者が こじつけた不自然な論理の荒唐無稽な絵解き。
中学の頃、わたしはもうひとかどの免許ももった茶の湯好きだったが、ある時、教室で図画の先生から指名され、「お茶で大切なんは何や。言うてみ」と問われた。もぐもぐと、実感のないわびのさびの和敬清寂のと言いかけていたうが、先生、一語「自然や」と。
* バグワンも「自然」と言う。ブッダが、なによりも根源の自然を言う。来て帰る「源」である「自然」を「禅(ディアナ)」と。地獄極楽の仏教などは、後世の宗門仏教が利用した方便であった。
2016 1/6 170
☆ 建日子 明日の誕生日を
心より祝います。おめでとう。おまえの生まれた日も嬉しかった気持ちもよく覚えています。
建日子を待ちて
母ひとりで産むにはあらで父も姉も一つに祈るお前の誕生
建日子誕生
赤ちゃんが来た・名前は建日子・男だぞ・ヤマトタケルだ・太陽の子だ
建日子退院
これやこの建日子の瞳(め)に梅の花
平和な誕生日を、怪我なく、めでたく迎えて祝って下さい。
いわば、新年の本番。
大切に、心ゆく一年を建設し創作して下さい、落ち着いて。
健康を祈ります。母さんを、頼みます。
明日、十一時に入院します。明後日には帰りたいと思っています。 父
2016 1/7 170
* 明日は妻が地元病院の循環検査。明後日の水曜午後も、また私が築地へ病院通い、眼科。そのあと五時、「楽・萩」展のレセプションに。当代の楽吉左衛門 は逸材、行けば楽しめるのだが、妻の体力がどうか。金曜は、夕刻にこれも二人で歯科。十九日にはさらにまた聖路加の腫瘍内科と循環器内科へわたしのダブル ヘッダー。いやでも歩く運動にはなるが疲労も加わる。湖の本の発送が、すぐ続くが、用意できるかどうか。居直ってゆっくりやるしかない。
2016 1/11 170
* 生母方の太郎兄には孫に当たる大隅真理子が、結婚して前田真理子になったと知らせてきた。住まいは奈良市と。母親が、わたしの姪に当たるらしい。房三 兄の息子は深田姓で豊中市に、良子姉の息子は大津市に、健在。姪と謂いいい甥といっても、わたしとそう年齢は離れていない。
天涯孤独のはずが、やたらと血縁・親族ができてしまったが、淡々と、綿との方からは是まで通りでいる。
2016 1/12 170
* 小休止はするが渋滞はなく、着々と。大ごとも雑用も。
今夜は早めに機械をはなれて、からだを横にし熟睡を待ちたい。今夜の黒いマゴ殿の輸液も終えた。
2016 1/13 170
* よく晴れている。暖房が容易に効かない。やす香のお友達から贈られたMISSONIのすこぶる軽くて温かな手ざわりを愛して肩から掛け、胸まえでパッチン で摘んでいる。上半身、まことに暖かくやす香が肩へ来ている気がする。なによりも肩を包んでまったく負担にならず、軽くて当たりのとても柔らかに温かなこ と、が嬉しい。 2016 1/21 170
* 話したき夜はめをつむり呼びたまへ
羽音ゆるく肩によらなむ 恒平に 母辞世
* 遺言として遺されたこの一首が、ようやく、胸の内にやすらかな所を得ている。姉を抱いた若き日の母の写真を、そばに見ることもできるようになった。なんと、永く永くかかったことか。
2016 2/2 171
* もう機械から離れたい。黒いマゴに輸液して、すこし寛ぎたい。
今日、黒いマゴが、外で。わたしの足もとから運ぼうとしていた大きな荷へむけ、少なくも一メートル半ものほぼ直線の放尿をみせてくれた。みごとな勢いな ので見ていて嬉しかった。元気なんだと嬉しかった。もう二年ちかく、輸液を毎日の日課にしてきた。彼とはお互いに愛おしい身内である、まぎれもなく。
2016 2/3 171
* 父方従兄の広田雄一夫人の電話で、妻がかなりながく、いろいろ話し合っていた。従兄とはいえ父のほうへ近いような高齢で、むずかしい病気でもう永く苦しんでいると。
そういう、話題や噂が、増えて行く一方です。
☆ 如月に
お正月は、スケジュールが多くて、31日の日曜迄楽しみました。
今月は、早速、今日、建仁寺、東陽坊の月釜に出向きました、ついでに、お菓子をお送りしました。(体力が着くかと葛湯を、小豆が体に良いと仙太郎の最中を)ご賞味下さい。
-親指のマリア- 力を入れて読んでます。
歌舞伎の事、先代の役者等 楽しんで読みました。有難うございました。
今夜は此にて 京・小松谷 華
* 建仁寺東陽坊の月釜とは、なんと懐かしいこと。家からは、祇園町をとおり抜ければもう其処に在って、秦の叔母に連れられても独りででも、なんども出向 いた馴染みの月釜。菓舗の「仙太郎」もちかく、いまこの界隈は書き続けている小説「清水坂(仮題)」の舞台そのもので。嬉しい、いい後輩である。呼びかけ てくる声も聞こえる。
2016 2/5 171
* 十二日には、ひさしぶりに松たか子の待ちかねた舞台、作は野田秀樹。めずらしく建日子も観たいというので、三席並んで楽しむ。こういう機会がもっと多く有ると佳い。
2016 2/5 171
* 朝のドラマの週間分をみていて、人気のあるのがよく分かる。女性の明治近代という点だけから観て、いまでもヒロインの開発的で聡明な生き方に憧れる人は今 日でさえ少なくあるまいかと想われる。理想化されてもいるので相応の検討や批評は必要であるにせよ、健全な「進路」と「展望」を志向して元気なことは認め られる。わるいことでない、どころでないアクティヴィティは健康に描かれている。
秦の母は豪家の末の末の子に生まれて家の逼塞零落の波をかぶり、成績優秀で向学心にもえていたのに上の学校へ進ませてもらえなかった。このことは、母の 場合わが子をついに産めなかった残念以上の悔しさだった。「あさ」のドラマを観ていて、不本意な結婚生活に身も心も埋めきった秦の母のためにも、わたしは 悔し涙をこぼした。同時に、あの、わたしの生母の、「階級を生き換えた」ような「ものすごい」までの生涯のガンバリにも、「生きたかりしに」と呻いての最 期にも、今更に驚く。
2016 2/6 171
* さ、黒いマゴに輸液してやったら、床について、もうすこし、いろいろ読もう。水滸伝はもう十巻本の第二巻に入っている。
2016 2/7 171
☆ 拝啓
暦の上では春立ちましたが変わらずの厳しい寒が続いております。如何お過ごしかとお伺い申し上げます。
本日先生からご本が届きました 時間をかけてゆっくり読んで参ります 心よりお礼申し上げます。
私共 お陰様で元気にしております。
今の(京都)河原町商店街は昨年八月二十一日にオープンされました、地下一、二階に丸善が戻って参りました、よって来客数も増えて来ております。
四条通も歩道拡幅工事も済み、沢山の人が来訪されております。
むし寿しをお送り致しましたので ご笑納ください。
結びに 先生 どうぞお身体はご自愛の上 ご家族様のご健康をとも お祈り申し上げます。
四条河原町上ル西側 ひさご寿し
* 「ひさご寿し」はあの河原町の繁華で、店の前に行列がたつほどの人気の、また美味い寿司店で、亡兄北澤恒彦が親しく経営診断や指導をしていた縁で、ま ことに珍しくこの店の二階で兄と歓談し食事もしたことがあり、私ひとりでも、妻と一緒にも、京都へ帰るとよく立ち寄ってきた。感じの良いご夫婦がじつに勉 強に熱心な優等のお寿司屋さんで、たえず新工夫が実現している。兄と私とのこともよく分かってくれていて、気分的には親戚のように思い、また湖の本にも応 援して貰ってきた。兄も亡くなるので湖の本の親切な応援者でいてくれた。「ひさご寿し」には、少なくも第十一巻と、いずれの『いきたかりしに』は謹呈した いと思っていた。
特製の、おおきな「むし寿し」二た鉢が美しい荷につくられて届いたばかり、いま、妻が階下で温めてくれている。ご馳走になります。
2016 2/10 171
* 嗣治やマネやルノワールらの「猫」の名画をテレビで暫く愉しんだ。永く見ていると取り付かれそうなので機械の前へ来た。ここでも目の前に妻が描いた亡 き「ノコ」の繪が、亡きやす香の幼な顔の鉛筆画など、まあなんと他にも、本はむろん、いろんな繪や写真や道具や資料や雑物やダンボールが氾濫していること か。おかげで、と思うことにしているが、たった六畳間が奇妙にもこもこと暖まっている。もう片付けようなどと思わない、目当てのモノを見つけるのにかなり 苦労はしても、である。
2016 2/11 171
* 書庫うえの庭で梅が満開。朝日子の結婚披露宴のために帝国ホテルの「光の間」を言ってくれた、大学の先輩でも私の読者でもあった佐一郎さんが、鉢植え の佳い梅を下さったのを、数年後に鉢のまま書庫上の庭土へおろしてやった。それが、年々にすばらしく沢山な白梅の花を咲かせる。いまも物干しから妻と眺 め、黒いマゴも勇んでその庭へおりたち、潔くも花へ放尿して見せた。元気でいいよ。
2011 2/11 171
* 楽しみに待ち望んだ、野田秀樹作演出、松たか子主演の「逆鱗」を秦建日子も誘って三人で観にゆく。
* 野田仕立ての台本は弓の達者のよう。ゆるゆると人魚を追いつかまけつ極端なまで遊び心を漂わせて慌てず急がず、そしていつか矢をつがえ、引き絞り、狙い 定めて射放つ。「人魚」の物語が「人間魚雷」への痛切歎きと怒りとに変じている。劇場を埋め尽くした若い人、中年の人、初老の人でさえもあの軍政権による 我が「人間魚雷」の強行暴発は直かの記憶にはあるまい、いま八十の私たちも国民学校以前の聞きかじりでしかなかったが。それだけに野田秀樹の用意は新調で 死かも激しい祈願をさえ籠めていた。感じ入ってわたしは瞼を泪で熱くした。松たか子や阿部サダヲらの熱演好演に拍手を惜しまなかった。いい観劇になった。 いくらか寸を短く、短兵急に攻めていたとも云えないではないが、この「アベノリスク」でこてこてに焦げ付いている昨今を背景にみれば、やはり露わなほど主 題「逆鱗」の訴求は必要なことであった。
建日子と一緒に観たのも、お互いに、よかった。松たか子、期待に背かない力演で、しかも演技にゆとりも静かさもちからも漲っていた。
* はねたあと芸術劇場の近くの地下に、大きな生け簀のある広い生魚店に入り、たっぷりと山盛りの刺身などを堪能した。今夜は建日子も飲めたし、よく食べ た。池袋というのは、我々にも建日子にも最も出逢いやすい場所。閉店の十時半まで、心地よく食べかつ話して楽しんだ。黒いマゴにも肴のお土産を忘れなかっ た。
2016 2/11 171
☆ おじい様
大好きな おじい様 ハッピーバレンタイン
12日は(松たか子、野田秀樹らの芝居に=)お誘いいただいたのにお目にかかれなく すみませんでした。またお会いできるのを楽しみにしています。 かおり(亡きやす香の親友)より
* やす香の気持ちを汲んで下さって、欠かさず、心優しい佳いチョコを戴く。今年はフランスのAL製12個。絢爛、玲瓏とした珠玉のよう。わたしからは、いつも何にもしてあげられない。
いまも、かおりさんに贈られたmissoniの華やいだ膝掛けをショールーのようにして肩を包んでいる。羽のように軽くて、あたたかい。やす香のブレゼントとも想い愛用している。
ありがとう。
2016 2/14 171
☆ 冠省
選集第十一巻「或る雲隠れ考」他 ご恵贈いただき拝受いたしました。
ありがとうございました。
「余霞楼」は、この建物をモデルにしたのですよと、お話をうかがい乍ら京の街を歩いたのを懐しく思い出します。私も謡曲の手ほどきは鶴亀からでした。
先日 近くに住む友人が、秦先生のエッセイが載っていますよと、資生堂発行の豪華本「香」をとどけてくれました。
女を映して紅く匂い、白く薫る 梅
人の憶いに咲いて匂う 櫻
花の映えに 名の栄えを重ねて 藤
喜びと悲しみを 無垢に彩る 菊
四編のエッセイが 美しい写真を添えて載っています。
思いがけない御作に出会いますと 逢いたかった人に会えたような うれしい気分になります。
眼がまた少し弱ったようで 字がうまく書けません。乱筆 おゆるしください。
まだしばらくは寒い日が続きます。
先生も奥様も どうぞお大切にお過ごし間ください。 和歌山 貞 拝
些少 同封致しました、 お納めください。
* 今にして思うのだが、原稿をじつに多く望まれて書いていたのだ、その当座は、イヤなものは書かなかったが、まずははいはいと書いていた。わたし自身は 寡作寡筆のつもりでいたのだが、本にしても秦建日子のようにはとても売れなかったのに、自著市販だけでも百に及び共著を含めればもっともっと多くなり、寡 作では無かった。多い多い方だった。おかげで、いま、かなり平然とあえて無収入の儘、非売品の選集など出せているわけで、いわばその為に懸命に働き続けて きたわけ、のほほんと遊びたいから稼いできたのではない。狭い家で、夫婦で安楽に座れる畳のアキすらなく、車もない、海外はおろか国内の小旅行もしない。 ひたすら、書いて、本にしてきた。それが道楽だと言われれば、左様でと応える。子供の頃から本を読むと言って「極道」と叱られてきた。極道はやまない。幸 せである。
三宅さん ありがとう存じます。
2016 2/14 171
* そぼふる雨の中、歯医者へ行ってきた。少し下の歯がいまぶん落ち着いている。行くまでは食べるたびに、食べなくても、簡単に落ちた。少しは落ち着いて 貰いたい。帰りに「中華家族」で。わたしはマオタイ。妻はいろいろ。いつも杏仁豆腐をおしまいにサービスしてくれるのが冷たくて快い。
朝日子の小さかった頃いらいの歯医者さん通い。半世紀を優に超えている。江古田駅前もすっかり変わった。
2016 2/15 171
* 秦の祖父鶴吉は明治二年に生まれ昭和二十一年二月末に亡くなって、七十九歳だった、と思う。ま、いまのわたしと同年令だった。驚嘆に値した長寿だったし、寝たきりで動けなかった。
いまのわたしは、この通りだ、書く言葉も、まるで少年のように心おさない。
2016 2/25 171
* 「選集⑫」送り出しの用意にかかる。
生母方親類の現住所を確かめに、何軒にも電話をかけて確かめたりした。
2016 2/28 171
* 夜更かしして寝床で読書や校正をし、明け方五時六時に黒いマゴを外へ出して遣って、十五ないし三十分で帰ってくるのを家に入れてやる、と、そのまま起 床もならず、寝入ると目が覚めない。ま、寝入るのは健康法のうちと勝手に考えて容認しているが。午前の長い日の方が仕事は格別にはかどる。ま、成るように 成ればいいとしているけれど。
食餌の量を意図して減らしている。出来れば65キロ台に近付きたい。糖尿の今のままの正常値安定を持続したい。
2016 3/1 172
☆ 美しいご本をご恵贈くださり
誠にありがとうございました。
京都弁の御作、たいへんおもしろく拝読いたしました。全て、解読(京都弁の)できました。
私の姑も「タカ」さんでした。夫は七人兄姉の末っ子でしたので、結婚したとき、既に本物のおばあちゃんでした。私自身がお祖母ちゃん子でしたりので親し くつき合い、嫁姑関係は良好でした。ところが兄嫁(姑といっしょに暮らしていた)から、「おばあちゃんの前では声まで違う」といじめられました。
秦先生のこともお作を読んで存じ上げていましたが、お母様ののお口から出た言葉で復習させていただいたことになり、たいへん興味深く、感銘を受けました。淡々とした語り口の中に、お母様のお人柄が手にとるようにわかって、「いいお方なんやなー」とうれしく思いました。
(巧まざるユーモアというのでしょうか、声に出るほど笑ってしまったところもありました。『その女大学が尋ねて…』)
心がほかほかとしてきたのは、今まで存じ上げてきた先生と奥様の人となりを こんな生の声で話してくださったような感じで確かめられたからでしょうか。ほんとうにありがとうございました。
おもしろい物を「道の駅滝宮(たきのみや)」見つけました。お笑いぐさになさってくだされば幸いです。(用途はペーパーウエイト=文鎮だそうです。) 高松市 洋
* こういうお便りを戴けて、すこしでも秦の母への思いが生かせたかと、妻の創作を借りてでも一巻のうちに「参考」として収めておいたのを喜んでいる。わ たしは秦の父にも母にも「もらひ子」として痛められた覚えは全く持っていない。養育の大恩にほとんど報いられなかったのを、毎日、父母叔母の位牌に詫び、 また感謝している、心から。
2016 3/1 172
孫姉妹で飾った雛人形
姉やす香はこの年十九歳で亡くなった。
花さそふ風のほのかににほふまで
春はきにけり桃のはやしに 爺
* 七時、雛祭りを祝った妻が久し振りのちらし寿司、蛤の汁、苺がうまく、戴いた絶妙の純米吟醸「最上川」ももう二本目に喉を鳴らしている。
2016 3/3 172
* いろんな、小さいとも用意とも謂えない大事な「補充」原稿を、かなり苦辛して、目も酷使して二つ、三つと片付けた。すっかり用意して、それで行くと決 めたものを、頁数の読みを慎重に全く別の原稿へ用意をし換えたり、なかなか緊張した。平行棒を歩かされたような揺れ揺れだった。ま、それなりに行方の見え るところまでガンバリつづけて、十一時になった。もう黒いマゴに輸液してやらねば。
* 目をつむって字の読み書きが出来ないものかなあ。
2016 3/6 172
* マレーネ・ディートリヒとチャールズ・ロートンのおもしろい裁判劇「情婦」を観ていながら居眠りしていた。十時になった、作業は明日にのばしておいて、黒いマゴに輸液だけして寝入りたくなった。
2016 3/11 172
* 帰国中のロスの池宮さんと辛うじて電話が通じた。こちらふたりとも間の悪い風邪気味で申し訳なかった。このところ電話まで不調であったが、すこしの間話せて良かった。送って戴いた「オールドパー」を独りでしみじみ堪能した。妻は風邪の不調で床にいる。
わたしも、明日一日の休養を頼みに、明後日の結婚五十七年を楽しむ歌舞伎座雀右衛門襲名興行に備えて休養したい。
* だめ。また機械の前で寝入っていた。ゆっくり休みたい。
2016 3/12 172
* 本送りで風邪をこじらせたか、妻の体調よろしくない。明日の歌舞伎座へも行けそうにないと。ムリを強いたかと気が重い。
2016 3/13 172
* 結婚五十七年、 妻が風邪をこじらせ、歌舞伎座の雀右衛門襲名口上を断念、前二列中央の二席分をご近所の芝居好きな奥さんに差し上げた。雨、しとど。ま、こういうこともあるということ。わたし独りで出かけても意味のないことと断念した。
四月の、妻傘寿での歌舞伎座を楽しむとしよう。
* 朝ぬき昼の食事に、赤飯と豆腐汁と美味い酒とで、妻と祝う。 2016 3/14 172
* 晩 ひばりの名曲を幾つか聴き、聴くにつれ涙が溢れた。死なれたくなかったとしみじみ思う。ひばりというと、どうしても少年の頃の出逢いを思う。ああ。もういないのだな、向こうにいるのだなと思う。向こうにいる人があまりに多くなってきた。
* 天才ひばりのあとへ思いがけず建日子の作というドラマが現れ出た、が、あまりのつまらなさに逃げだした。「刑事フォイル」や「NCIS」を観ている目 には、あまりに画面の密度がぬるくゆるく、しまりなく、娯楽の域にも達していない。「人生は紙飛行機」とうたいあげている連ドラ「あさがきた」の方が客を とらえるコツを駆使し得ている。やれやれ。
2016 3/14 172
☆ 大好きな おじいさま、おばあさま
結婚記念日おめでとうございます!
おばあさまがお風邪をひかれたとブログで読みましたが、体調はいかがでしょうか?
つい前週まで暖かかったのに、今日は寒くて外にも出たくない日でした。(会社には嫌々ながら、ちゃんと行きました)
そんな天気では、風邪を引く気がなくても調子が悪くなってしまいますよね。
どうか温かくして、美味しいものをきちんと食べて、早く良くなってください。
私の元気が、おばあさまに届きますように\(^o^)/
花粉症以外は元気いっぱいな 馨より 亡きやす香の親友
* ありがとう。
2016 3/15 172
☆ みづうみ、お元気ですか。
お風邪の具合とても心配しています。発送作業のお疲れのせいかと思いますと、ご本を頂戴するだけのわたくしは本当に申し訳ない気持でいっぱいです。梱包 や運搬などの発送作業、どなたかお手伝い、学生さんのアルバイトなどお頼みすることは無理なのでしょうか。学生さんにとっては良いアルバイトのはずです。 失礼な言い方かもしれませんが、傘寿の方のなさる肉体労働ではありません。「選集」と「湖の本」をお続けになるためにも、お二人の作業の軽減が不可欠と思 うのです。どうかご検討くださいますよう伏してお願い申し上げます。
選集第十二巻『生きたかりしに』 いつものことですけれど、素晴らしい一冊です。亡きお母様はどんなにお喜びでしょう。三浦くに(=阿部ふく)のよう に、才能豊かで烈しく生きる方でなければ、みづうみのような文学者は生まれていません。『生きたかりしに』を読んでそのあとに『わが旅 大和路のうた』を 読みますと、さらに切々と胸に迫ってまいります。歌人安部鏡の歌大好きです。みづうみの作品と一緒に、死なないお仕事になりましょう。
お早いご快復お祈りしております。
末筆ながらご結婚記念日おめでとうございました。 囀 囀をこぼさじと抱く大樹かな 立子
* 母ふく(阿部鏡)の短歌抄を喜んでくださり、嬉しい。とにもかくにも文学少女が文学老女のまま辞世の歌まで、わたしへの遺言歌までのこして行った、や はり「短歌」の表現が生涯を引き締めていると思う。むりやりも幾らかはまじるが、抄録してただ歌だけをならべてみて、「佳い」ように、贔屓目かも知れぬが 思っている。母の歌はまさしく歌の原義に密接し、まさに「うった」える言葉と律動とで創られている。うったえるのが「うた」の本来だというわたしの定義に さながら模範の証歌を母はたくさん書きのこしてくれた。母の伝説がすべて消え失せるときにも、「歌」は遺るだろう。
2016 3/15 172
* 階下でしたい仕事があり、黒いマゴに輸液もしたい。十時まえだが機械を離れる。妻もわたしも、やや持ち直しかけている。
2016 3/15 172
☆ 昨日
雨の中 ご本が届きました。
見開きの おじい様 お母様の お写真は タイムスリップした様な懐かしさを感じてしまいました
私にまでに立派なご本お送り下さり恐縮致します 先に(湖の本三巻本で=)拝読させて頂き 正直 胸締めつけられる思いもありましたが 今回ご本の最后に 奥様とのこの后を詠まれたお歌に心安らぎました どうかお揃でお健やかな日々であります様に。
拝受 御礼まで 有りがとうございました。 三月十五日 清 生母の姪か従妹か
* 生母方の親類から、初めてお便りをもらったねである。感無量。
この母は、平成の初年に九十一、九十三、九十六歳で亡くなった秦の父、叔母、母らより、なお数歳の年長であった。四人の子をなしてから夫に死なれ、その後に時を隔てて私の父と出逢い、兄恒彦と私とを昭和九年春、十年暮れに生んだ。
父のちがう長姉とも長兄、三兄ともそれぞれ只一度ずつ逢うことができた。次兄は戦時中に亡くなっていた。そしていまは優しかった姉もこころよく逢ってく れた二人の兄も、それのみか、両親をともにした兄北澤恒彦も、此の世を遠く去ってしまい、久しい。母の血は、いま、私一人に流れている。
縁戚で出逢えた人は多くはないが、能登川、水口、山科、京都、三重、静岡、横浜、市川などへ話を聴きに出向いた。
母には母代わりの長姉一族が能登川の広壮な本家を手広に嗣ぎ、次姉の嫁いだ三重の婚家とも深い縁を重ね重ね、子弟は各地に広く住み分けている。
さらには伯母や母からは実父、私には祖父である人の生まれが、東海道水口宿本陣であり、ここにもいい知れない遠い歴史が宿っていた。母は自身「白道」と時に称し、この祖父「白峯」を終生恋い慕っていた。
* 兄恒彦と私との実父に関しては、私自身の内でほとんど何一つも片づいていない。父の生家は南山城の当尾にあり、私には祖父に当たる人の子女や孫らの拡げている門戸は各方面に途方もなく広い、らしい。
実父との関わりを本気で書いておくか、どうか、まだわたしは腹を括っていない。おそらく、それだけの時間は残されていないだろう。わたしは母を、母の生 前も死後もひさしく受け容れなかった。ようやく桎梏を押し切って「生きたかりしに」を書かせたのは、母の歌であったと思う。母が歌など書く文学少女とも まったく知らなかったまま、わたしは秦の叔母の添い寝の手ほどきで和歌というものを教わり、国民学校の四年生から一人学びの短歌を創り出して今日にいたっ ている。今度の選集本に「参考」として「阿部鏡短歌抄」を私の手でアンで添え得たのは、おそらく最良の供養であり母孝行になったかと胸を撫でている。
実父とは、そういう接点が見つからない。
2016 3/16 172
☆ おじいさま、おばあさま、聞いてください!
私、子供ができました!
さっき病院で診てもらい、分かったばかりです!
妊娠初期段階なので、きちんと成長してくれるか不安ですが、嬉しくてついついお二人に連絡してしまいました。
ちなみに、予定日は*月**日くらいだそうです。
子供ができた嬉しさはありますが、母になる実感はもちろんまだなく、何に喜んでるのかよく分からない不思議な状態です。ふふふ。
というわけで、ご報告でした! やす香の一のお友達
* 萬歳! わがことのように、こころもち案じながら待望していた、良かった!!
さ、 たいせつに たいせつに、母子もろ、ともに元気に育ちますように。
こんな嬉しいことを聴くとは! よろこびがうまく言葉にならないよ! 心からの最初のおめでとう
を言いますよ。そして わたしたちからも天上のやす香に伝えます、すぐ。嬉しいお知らせでした。ありがとう、ありがとう。
* いい仕事を わたしもしたくなった。頑張らなくちゃ。
2016 3/22 172
☆ 前略
『生きたかりしに』 立派なご本をお送り下さいまして ありがとうございました。
今はもう人手に渡ってしまいました懐かしい のと川の家(=秦の生母三姉妹らの本家)の事など
書いてありますので 思はず 時を忘れて読ませて頂きました。
私は今年十二月八日 満九十五歳になります。一生懸命計算して自分ながらびっくりしてます。目も見えなくなりました。今は息子夫婦に見守れながら 世話になりながら 猫二匹と一人暮しをして居ります。
話しは変りますが、
ご本開けたところ、おふく(=秦生母の本名、作では、秦と兄恒彦以外の全部の氏名が変えてある。)おばさんやおじいさんのお写真 とても懐かしく思いました。 恒平さんとははじめてお逢ひしたような気がします。
叔母さんによく似ていらっしゃいますね 叔母さんも よい息子さんをおもちでお幸せだったのだなー、と えらそうに 思いました。
どうぞこれからもお元気で 益々よいお仕事をされますようお祈り申し上げて居ります。私はなるべく皆に世話をかけず暮す事で せ一ぱいです。ご想像下さいませ。
呉々 御身ご大切に祈ります。
先づは御禮まで 愛知・津島 富永 豊 従姉・生母の姪
☆ 秦 恒平様
『生きたかりしに』、ありがとうございました。はてさて、どうしてわたしに、と思案していたところ、清水の姉(奥村優美子)から電話あり、父・矢澤三郎がいつかどこかで貴方様とかかわりのあった縁で送ってくださったと知りました。
ご著書を開くと「水口」という地名。父と貴方様との接点があるとすれば、水口ではないかと思って、その前後を拾い読みしました。
父・三郎は静岡の「矢澤漆器店」の三男ですが、父の父(わたしにとっては祖父)・小嶋紀四郎の実家が水口の小嶋家でした。紀四郎が矢澤漆器店に奉公に来て、そのまま婿養子(六代矢澤久右衛門)になったという次第です。
一九九七年、叔父・叔母・従兄弟たちと水口の小嶋家を訪ねたことがあります。
小嶋米子 滋賀県水口町元町9の8
小嶋家は脇本陣で、となりに本陣があり、「明治天皇行在所跡」の石碑がありました。
小嶋家は「大本教」 (現在は「大本」) の信者で、その影響で父・三郎も熱心な大本教信者でした。
でも、ご著書では、お母様がキリスト教信者であったとは書かれていますが、大本教とのかかわりは出てきません。父・三郎と秦様がどのようなかかわりがあったのか、知りたくなりました。 .
お母様の残された短歌を読んで、その鮮烈な生涯に胸が締め付けられます。
二〇一六年三月二〇日 矢沢国光 埼玉・川口 矢沢国光
* 能登川へ養子で入った私の祖父(生母ら三姉妹の父)は、かなりの確度で、水口宿本陣の娘と参勤交代で往来のあったさる九州大名との中に生まれたといわ れていることは『生きたかりしに』でも触れている。その祖父生母はのちに静岡の矢澤家へ再嫁したかと、水口宿脇本陣の小嶋家で聞いていた。すべては往時渺 茫、ではあるが、かつて訪れていろいろ話を伺った静岡市に現存の矢家さん三軒等へも当然、今回の本をお送りした。川口とは近い。一度お目に掛かりたい。
☆ 秦恒平様
お変わりございませんか? 私はお蔭様で元気、毎日会社へ出勤しあくせくと働いております。
御著 確かに拝受致しました。 ご厚志は大変有難いのですが、昨年五月のお手紙にも書きました通り、私は文学には お恥ずかしい事ですが全く無知無能で、また関心も御座いません。 その為、せっかく立派な御著を頂いても、文字通りの「猫に小判」です。
最初のご本は少し拝読致しましたが、悲しいことに何のことやらさっぱり解からずで、2回目以後の分に就いてはチャレンジする意欲も時間も無いため、そのまま保管しております。
この様な次第ですので、今後は私への御著のご恵贈はなさいませぬ様お願い申し上げます。 実は、この様な不躾なことを申し上げ、お気を悪くされないかと とても心配なのですが、折角頂いたご本を読まずに積んでおくのも甚だ心苦しく、不躾とは思いながらもこの様なお願いを申し上げる訳でございます。
なお、お尋ねの(三重県津市の=)油田夫妻ですが、もうだいぶ前に二人とも癌で亡くなりました。
ご健勝をお祈り鼓します。 草々 千葉・市川市 田中稲蔵 生母次姉の孫か
* 生母の親戚筋から、四人の方の手紙をもらえて、ほおっと息をついている。何にしても母に直にかかわったお人は、ほとんどが亡くなられている。「いとこ」といえどわたしより遙かにみな年長、その子弟となると所縁は薄れている。せめて十五年早く作を纏めておけばよかった。
2016 3/22 172
* 息子が、秦建日子が、いま、三重県の桑名で映画を撮っている、そうだ。わたしは彼のツイッターもフェイスブックも全く読めない(完全な不具合)し、 ホームページも開けなくて、活動のさまはほとんど見えてこない。ず、今日、彼には母港であるような河出書房の小野寺社長から新刊の『KUHANA クハ ナ!』という小説仕立て一冊が送られてきた。東海地区限定で九月三日から劇場公開されるという。三重県書店商業組合推薦図書だとも帯にある。
松本来夢・須藤理彩、それに多岐川裕美と風間トオルの名前が出ている。「アンフェア」原作者が描く、笑いと涙と音楽溢れる物語だそうで、「うちら、ジャ ズ部はじめました!」という「JAZZ×KIDS」の映画になるらしい。本はまだ一行も読んでないが、殺しモノでないらしいのは有り難く、以前の小説 「チェケラッチョ」や「SOKKI」の系列か。心朗らかによめるといいと期待している。
2016 3/24 172
* なんとしても本になるのが余りにも遅れたので、生母の親戚も知友もほとんど存命でなく、その子弟ですら高齢に過ぎて、直接わたしの母や祖父におよぶ関心は薄れているだろう。残念と言えば、残念。そういう方たちにすればうかと感想も出ないだろう。 2016 3/26 172
* 妻の従弟から、いつものようによく選んだケーキが送られてきた。
妻も父方母方に親類が多い。妹も健在で「選集」の仕事を、いつもいつも手厚く親切いっぱいに応援してくれる。
兄恒彦が元気でいてくれたら、どのように言うかなあと、見果てぬ夢の儘、さびしく、なつかしく思う。
2016 3/28 172
* 六時に黒いマゴを外へ出してやり、また入れてやって、そのまま「水滸伝」など読んで起きてしまった。花粉のくしゃみ十連発。ウウ。 2016 3/30 172
* しんどい仕事をしている午後に、妻が、胸の骨がポキっと音して、痛いと。
近くの病院へ一緒に歩いて出向いたが、整形外科の外来のない日で、仕方なく、むしろ家からすこし近くに近年出来ていた新しい医院へ。
幸い、顕著な症状はレントゲン写真で窺い見えず、貼り薬をもらって、しばらく静養、来週またの来院をと言われた。やや愁眉を開いた、が、とても心配し た。痛みは鎮まっている。この五日の祝い日を目の前に、どうかどうか粗忽な怪我はあってならない。力仕事をひとりで利金でし続けたりしてはいけない、呼ん でくれればよい。
家に若い力、嫁の手助けなどが全く求め得られない現実を、よくよく認識しながら傘寿が寄り添いせめて怪我無く生きて行くしかないのだ。体力を過信して多寡をくくっては悲劇を招く。
* 建日子の、三重桑名市での映画づくりは、どうなっているのかな。
2016 4/1 173
* 六時、黒いマゴを外へ出してやろうと起きてみると、テラス、書庫のまえによその猫がおっとり座っていて。ガラス戸を隔ててどっちも声ひとつ立てず。怒りもせず逃げもせず。マゴを出すのはひかえた。怪我がいちばん怖いと、ネコでもノコでも身に沁みている。
そのままわたしは独りでワールドニュースなどみながら軽い朝食。
ひれにしても安倍という総理の「核」にかかわる思い上がったデタラメのほど、ホトホト惘れる。福島原発の現況、ていたらくをみても、いかに日本がろく すっぽ認識も洞察も能力もなくて引っ込みもつかぬまま原発を濫造してきた無責任さが分かる。日本の原発の惨害は、この後、ますます、ますますかくちで突発 するだろう、人工の機構である、耐用年数に応じた劣化は容赦なく進行していて、しかも安全な「廃炉」に関して、日本は、学的・技術的に完全にお手上げなの である。しかし原発の劣化は容赦なく進行しており、福島でのあの素人目にも、安全委の委員長からも失笑を買っているような汚染水対策をみても、所詮は原発 の収支決算は危険極まる大赤字に終わるは必定なのだ。とても儲かりそうにないので一つ廃炉にすると当たり前に決心した電力会社も、これから無事の「廃炉」 学構築と完遂までに、気が遠くなるほどの巨大な失費を迫られる。
安倍総理。ホラをふくよりも、まことの智慧に生きて「核」の安全に懸命に対策せよ。
2016 4/2 173
* やす香が絶望的な苦痛に孤独に悲鳴を上げていた頃から、きっちり、十年。死なせてしまって、十年。生きていてくれれば、今年初秋には三十歳、嗚呼。
「mixi」に苦痛の限りを叫びながら、なにひとつの支援も慰安も家族親族から受けられてなかったあの数ヶ月が、まだ有効な治療へ間に合ったかも知れな いあの数ヶ月が、やす香の病悩日誌にはあまりに悲しく明示されている。読み返して肌寒くなる、…なにもしてやれなかった。
あの日誌は、秘密の独り日記ではない、ソシアルネットの「mixi」で、たいへんな数の人が見知っていた。友だちたちは、一刻もはやく有効な手をうたねば「shi」だよと叫んでいた…。そして死なれてしまった、いやいや、死なせてしまったのだ。ご免よ、やす香。
* 歯医者のあと、タクシーで目白駅へ、環状線で目黒駅へ、東急目黒線で大岡山へ。おっそろしく久し振りに東工大満開の桜を妻と堪能してきた。
雲のわくように奥行きのある東工大の花盛りが好き
* 妻の体調をいたわりいたわり、電車一本で、三田線白金の瑞聖寺へ、やす香の墓石に触りに行った。墓石の裏に刻まれた名前を撫でさすって、やす香、守ってやれなくてご免よと二人で泣いてきた。
白金から三田線で日比谷まで。疲れと空腹とを、久し振り帝劇モウルで妻の希望の儘、鰻を食べた。塩もみのキャベツ、ホタルイカ、生酒、ビール。あとは一本の有楽町線で帰ってきた。
2016 4/2 173
* 終日、一つの仕事を苦渋を噛む心地で続けていたが、ながもちしない目をやすめるためには階下で、小津映画の「晩春」を、午後に晩に二度観た。 やはり原節子、柳智衆、杉村春子、三宅邦子、それに珍しくも懐かしく月丘夢路が、ほかでなら岡田茉莉子のやるような役をみせてくれた。「小父様」役のあれ は潮万太郎かな、めず西区とてもいい役でいい味をみせてくれた。
それにしても終幕の柳智衆父親の声なき慟哭には胸の奥を削られる気がして泣けた。
女の子を育てるのは、ほんと、つまらない。つまらなかった。
* 明日は、妻八十歳の誕生日。
無事に、楽しく過ごしてきたい、歌舞伎座では高麗屋父子が芯、三月に、無念、行けなかった埋め合わせもしてきたい。開幕の染五郎・松也の操三番叟、はんなりとほくほくしたい。疲れ切らないように帰ってきたい。黒いマゴが留守を守ってくれる。
2016 4/4 173
* 平成二十八年(2016)四月五日 今日 妻も八十の傘寿
* はるばると二人で歩んできた。
相あひの八十路に匂ふ桜よと
傘かたむけてあふぐ此の日ぞ
黒いマゴと迪子とわれに咲く花の
天晴(あは)れ八十路を生きて行かまし
2016 4/5 173
* 染五郎と松也の松壽操三番叟、楽しむ。若高麗屋の存在感が、三番叟でも、次の生首の次郎でもぐうっと大きくなって、所作も悠々、自信に満ちて美しい。松也にもがんばって欲しいが、次の玉太郎役はすこし萎んでいた。
大切りの、身替座禅では、流石の仁左衛門もすこし印象が乾いてきたかと。むしろ山の神の左団次がすこぶるの実在感で圧倒的に舞台を厚くも面白くもしてくれた。又五郎の太郎冠者はあんなもの、器用にやっつけてくれる。侍女千枝の米吉の愛らしさ、いつもながら胸が痛いほど。
さて昼の部の大半は二番目の不知火検校の通し。幸四郎が悠々とやる。染五郎が生首次郎を付き合い、魁春、友右衛門、弥十郎、秀調、秀太郎、孝太郎、錦之 助らが多彩に付き合う。が…、所詮は通俗的な鮮度の薄い二流の作劇であり、しんから乗って行けないのは幸四郎はじめ誰にも彼にも気の毒であった。宇野信夫 作の芝居で胸に迫って身に沁みたという舞台には、ま、めったには出逢えない。とはいえ、幕切れの花道で不知火ならぬ松本幸四郎が吠えた捨てぜりふには凄み が出た、あそこで上演が生きた。
その点、三番叟も身替座禅も、ある種の颯爽とした魅力を発散する。
* やっぱり歌舞伎座の時間は、なんのかんのとゴタクを並べようが、つまりは楽しい。今日もむろん楽しかった。幸四郎夫人とも染五郎夫人とも、番頭さんとも、たのしく話し合うてきた。
* 昼の部がはねてから、ぶらぶら銀座をさすらい歩き、四丁目の靴の「よしのや」で妻が希望の真っ黒いシンプルな靴を買い、帝国ホテル五時開店の「なだ 万」へ入って懐石の「花」と、貼特吟醸純米の「鶴齢」を。酒も最良、料理も繊細かつ上品な献立ですこぶる美味く、満足した。写真も撮ってくれ、お祝いの一 品もサービスされた。靴の「よしのや」でも写真を撮ってくれてお祝いの小土産を呉れた。
「なだ万」のあと五階のクラブへ上がり、メンバーを更改し、ここでもシャンパンで妻を祝ってくれた。
* ゆっくりゆっくり、電車と車で、帰宅。留守番の「黒いマゴ」にも、なだ万の美味い肴の切り身を土産に。
2016 4/5 173
* 東工大の桜、三十枚ちかくも撮ってきたが、なかなかどれも惚れ惚れと躍動的な満開の風情、やっと整理した。今年は、元旦からたくさん写真を撮ってい て、わたし少し自惚れています。保谷の大白蓮満開のもちょっと自慢です。1904年に買ったワイシャツの胸ポケットに入るほどのコニカ・ミノルタですが、 電池二つを交替に、もう十二年、無数に撮ってきました。不出来のはあっさり消去すればよく、しかし、ほとんど消去の必要なく機械の中に整理してある。しか し選集の口絵となると、なかなか無くて苦労している。
* 黒いマゴがそばのソフアへ来てわたしの仕事をみていたので、いい音楽いっしょに聴こうかと、ピアノの幻想即興曲、マリア・カラス、小鳩くるみの埴生の宿、松たか子の「みんなひとれぼっち」などを聴いた。音楽はしみじみと胸のつかえや疲れを溶かしてくれる。
マゴと一緒に階下へ、かれは外へ夜の散歩に出、わたしは機械を始末しに上がってきた。これから、マゴに輸液する。マゴはかなり会話できるし理解もすこぶる良い。妻もわたしも黒いマゴが愛しくて堪らない。少しでも少しでも長生きして欲しい。
2016 4/12 173
* 「べ平連と市民運動の現在」(吉川勇一が遺したもの)という冊子本が、編者の高草木光一さんから送られてきた。吉川さんは多年小田実らと「ベ平連」は じめ市民活動に挺身されてきた人で、亡き兄の北澤恒彦とも提携して闘ってきたひと、同じ西東京の人で、生前からそこそこの連絡を保ってきた仲である。慶応 大学を沸騰させた白熱の議論を収録したほんであるらしく、高草木さんは慶応の経済学教授。
さきに東大教授の坂村健さんに戴いた二册の内「IoTとは何か」はいわば電脳哲学である。
どちらにもしっかり目を通したい。
2016 4/20 173
* 黒いマゴの輸液まで、もう少し書きかけの作を読み継いでみる。今晩はまだ機械の字が読めている。
2016 4/23 173
* 輸液も終えた。十一時近い、もうやすむ。
2016 4/24 173
* 写真機、つまりカメラが欲しくて堪らなかった、大学生になっていたか。毎日のように河原町のサクラヤとかいった店のショウウインドウを見に行っていた。ラ イカふうの機械に魅されていた。金のあるワケがない、その当時父は月に1500円小遣いを呉れていた。学校での食費や付き合いをそれで賄えというとこと だった。乗り物になどめったに乗らず、歩いて行ける限りはよく歩いた。のちのちは妻になる後輩と歩きに歩いていた。
幸い、叔母は茶の湯の先生で、わたしは小学校五年から稽古に励み、中学の頃は中学の茶道部で、高校の頃は高校の茶道部で、わたし自身が点前作法を部員に 教えていた。叔母の稽古場ででもたいていの人にはわたしが代稽古していたし、ていねいに教えたので、むしろ歓迎されてもいた。叔母はなにがしかのバイト賃 を呉れ、大いに助かったものの、とても高級なカメラには手が届かない。惚れ抜いていた機械は、ニッカの2.8は、五万円もした。倚子の上に立って富士山を 見上げている心地だった。だが、叔母は、買ってくれたのである。ホントだ。叔母の気持ちは知れなかったが、とにもかくにも天に昇る心地だった。
しかし写真にはフィルム、現像、焼き増しといった費用が要った。ま、焼き増しなどと言うことは後々までめったにしなかった。棒焼きだけ、焼いても名刺大 がせいぜいで、手札になどなかなか出来なかった。しかし、カメラは愛した、自慢の愛機だった。今も、大事にしてあるが、今は、コニカ・ミノルタの小さなデ ジカメ、胸ポケットにも入る。2004年頃に買った。若い女の店員に、「あなたがお父さんのためにと選ぶなら、」と訊いて、奨めてくれたのをそのまま買 い、そのまま今もつかっている。この頁の、大概の写真は、その機械で撮った作である。「おとうさん、写真、上手」と妻は賞めてくれる。写真をほめてもらう とご機嫌である。満開の桜も、大白蓮も、明石町の花も、みな同じ掌にうずまるような小さなデジカメで撮った。いつでも、ポケットに入れて、どこででも気が 動くと、撮る。だいじに感じているのは、いつも、構図である、が。クリアないい色も願っている。
うちの三獣士 次郎 太郎 小次郎
* 便座に腰かけると目の真ん前にこの子らがいて、いつも、ひとしきり話しかける。目が生き生きと答えてくれる。可愛くて堪らない。
2016 4/26 173
* 歌人の故石本隆一さんの夫人からも、戴いた石本さん全歌集への返礼に送った『生きたかりしに』へお手紙を戴いた。母の短歌抄から抜いてくださった分を、感謝して書いておく。
故る里の鎮守の森の椎の木のしたに佇み亡父(ちち)呼びてみる
燃ゆるものみな燃して心定まれとわがひとり居の窓を雨打つ
泣けば泣き笑めばまた笑む手鏡の影のみわれに離れじと言ふ
けさ見れば小さき花弁にべに染めて薔薇の挿芽に初花ひらく
わが挿しし挿木ゆ青き双つ葉のうら若々し命ゆたかに
これは、あれだけの歌かずからして、じつに、なかなかな一つの選歌だと、敬服した。母が喜んでいるだろう。
* 同じ郵便で届いた某有力短歌誌の、作品1から5までのそれぞれ筆頭作を五首あげてみる。
明晰な論文読めず書けずなりぬ雪の降る夜の炬燵に入りて
目の前の尾びれ追いかけ回遊する視界の狭き魚を見ており
消極を嘆くことなく日の暮れてまたささやかな二人の夕餉
このイルージョン世は全て幻想と赤きワインのグラスをかざす
白壁に映りし日影の早や消えて吾に夕寒む甚くけわしく
* 京・下鴨の関谷啓子さんから、亡き兄恒彦の思い出を送ってきて下さった。市役所で兄と同僚だった方から紹介され、「生きたかりしに」を送ったのへの返礼だった。さほど濃い知り合いというのではなかったらしい。 2016 4/26 173
* 漱石原作「こころ」戯曲を丁寧に読み返して「選集」原稿を創っている。上演した台本「心 わが愛」よりは長編だが、演じてくれた「先生」加藤 剛や「静」香野百合子や「私」らの声音がそのまま耳に甦ってくれる。初体験の戯曲だった、愛おしい孫娘やす香の誕生記念するような創作になり上演になっ た。大盛況で、好評だった。「静」と「私」との愛と結婚への前奏曲である解釈がたいへんな論議も呼んだ、が、わたしはこの早くから、限定豪華本「四度の 瀧」を五十歳の賀に刊行の折りの後書きにすでに確言していた。確信してもいたし、いまも揺るぎなく確信している。
* 「ディアコノス=寒いテラス」「逆らこてこそ、父」の校正は、とても重苦しい。精魂をこめた私小説である、その重みを堪え堪えて読み継いで行く、文学としては遺憾を覚えないが、体験の苦痛がはげしく甦るのに堪え続けねばならない。
* そんな時に、原作原稿の「畜生塚」「斎王譜」の読み返せる嬉しさと安堵とは底知れない。わたしのなかに、まだそれらの世界がちからづよく生き残っていると 知る安心。有り難さ。生きの妙薬である。これあれば、なんとか、目のふさがりそうな大きな重石の私小説送り出しに堪えられる。
* 「少年」のむかし、短歌に心を籠めていた。東京へ出て、朝日子が生まれる前後まで歌を詠んでいたが、昭和三十七年夏から小説を書き始めると、ふっつりと短歌から遠のいた。もともと俳句は難しいと手を出さなかった。
建日子が生まれ、ついでかなりの間をおいて朝日子を嫁がせたころにも、ぽろっぽろっと作が残っていたが、比較的尋常にまた短歌づくりに手を出したのは、 二十世紀のごく最期からで、新世紀に入ってからは思いがけず折々に歌よむことが増えた。2011年晩秋には、久々に二冊目の歌集「光塵」を編むことまでし た。数えてもいないが、かなりの数の「句」も含んでいる。
「光塵」を編んで、明けて正月五日に胃癌を診断されて大きな手術を受けた。その頃もその後も、歌や句めくものを随分書き散らし書き置いてきて、潤一郎先 生の述懐にならえばそれは発汗や排泄にも似た吐露といえば吐露、遊びといえば遊び楽しみであった。第三歌集を編むにも苦労がないほどの数も書き散らし書き 溜めた作が、機械に雑然と貯蔵されていたのを、とにかく刷りだしてみた。それらには、「小倉ざれ和歌百首」のようなのも入っている。「ざれ」てはいるけれ ど、むしろ韜晦の気味を歌に「うったえ」たのでもあり、藝はみせている。
「少年」以来の全部を新選集の一巻にしてもよいと思っていたが、むしろ「湖の本」の一冊に先に第三歌集を編むのが順だろうと今は思いかけている。気に入った表題ができるかどうか。
2016 5/3 174
* 十一時。黒いマゴに輸液して、寝る。明日は朝から、選集「第十三巻」り送り出しにかかる。
2016 5/5 174
* 浴槽でも読んでいた。読み書き十露盤とむかしの人は子弟に躾けた。十露盤はできない。この前までのドラマ「あさが来た」のヒロインは、少女ともいえな い幼いころから十露盤大好きだった。わたしとはカスリもしない。しかし「読む」は早かった。国民学校二年か三年で渋々書いた作文を教室で先生に賞められ、 「書く」への自覚ができた。帯同して、和歌(と俳句)への関心が生まれた。六年生でもおなじように作文が賞められ、中学ではもう「読む」とともに「書く」 意欲に引っ張られ、鞄には教科書のほかに短歌用、俳句用、自由詩用、作文用の帳面をいつも持ち歩いていたが、俳句と詩との分はすぐ不要になり、短歌のため と日記のために、いつも二册は大事にしつづけていた。
「読む」のは嬉しかったが、家には母や叔母の婦人雑誌が二、三册のほかに小説、読み物は皆無だった。しかし祖父の蔵書の古典や漢籍は吃驚するほど多くあ り、良くは読めなくても熱心に手に取るクセが出来ていた、小学生の頃から。「百人一首一夕話」「通俗日本外史」「白楽天詩集」が気に入っていた。「生活大 寶典」という事典では多方面に雑学した。「歌舞伎概論」という本のなかから芝居の場面紹介を抜き読みして長科白を暗記したりした。中学へ進んでから、京観 世の舞台で地謡に出ていた父の謡曲稽古本から「梗概」の頁をくり返し耽読した。
「読む」楽しさは捨てがたい。「書く」よろこびも捨て得ない。幸せと云うべきか。 2016 5/8 174
* じつを云うと…、ああ、云うまい。ただただ内奥の不快に、呻き、堪えている。
* 恒彦兄がいてくれたらなと、口惜しい。
いい本に、没頭したい。気分のやすまるモノを読みたい。少年の昔の、「モンテクリスト伯」へ帰ろうか。
しばらく「選集」「湖の本」を休息して、書きかけの新しい創作へ没頭するのがいい。そうしよう。幸い、「繪を描いてください」の「お父さん」とちがい、今のわたしは「書ける」のだ。不快な呻きをぶっつとばす怪作を書けばいい、書き上げればいい。
2016 5/10 174
* 各務原のいとこさんから、美味しいお酒「三千盛」を二升頂戴した。伊藤壮さんからも無垢の「越の寒梅」を一升頂戴した。出来れば一升を五日もたせたいが、ま、四日か、美味いと二日三日で明けてしまう。肴、無ければ無くて呑んでしまう。
秦の父は、梅干しがダメで、酒の気はまったくダメな人だった。わたしは酒粕が子供の頃から好きで、母のつくる粕汁が大好きだった。酒に口をつけたのは中 学の折、叔母に連れられ琵琶湖畔、唐崎での栄養剤「ワカモト」の園遊会で、初体験だった。八十年に、四、五度は酒の上でしくじっている。無かったも同じほ ど低率ではあるまいか。
2016 5/15 174
* さ、黒いマゴに輸液したら、欲も得もなくからだを横にして、可哀想なエドモン・ダンテスの不幸を暫くは負い続けましょう。
最悪の最前線の兵士達のドブ鼠のさまを描いているバルビュスの『砲火』は、サドよりも、カトリック自殺へ追い込まれるク゜゛レアム・ぐりーたような
2016 5/16 174
* 夜前本が届いていて気付かなかった。「ひとまず閉店」の『追憶のほんやら洞』本が届いていた。なかに、京大大学院経済学研究科教授依田高典さんの一文 「北澤恒彦が慕った森嶋先生、森嶋先生が愛した北澤恒彦」が有り難かった。兄の、わたしと無縁だった世間での言動を何一つも知らぬ儘に死別したわたしに は、ともあれ、有り難かった。
他のたくさんな「ほんやら洞」人らの文章は、無縁というに近いか等しいだろう、わたしは茶の湯を愛してきながら、しかも生来喧しく「かたまる」のが好きでない。
2016 5/18 174
* 今日も、疲れを芯に感じながら、幾つもの仕事に飽くことなかった。力仕事も余儀なく混じった。
十時前。 黒いマゴに輸液してやろう。一日でも半日でも気分良く長生きするんだよ。
2016 5/18 174
* 十時半。しっかり、読みかつ書いた。疲れた。黒いマゴに輸液してから、さらにゲラを持って床に就きたい。
発送の用意も、進めてきた。あと二週間で「湖の本」第百三十巻が出来てくる。そして、それを追いかけるようにして桜桃忌過ぎには、「選集」第十四巻も出来てくる。新たな入稿用意も着々進んでいる。
2016 5/19 174
* 戯曲、漱石原作『こころ』のほかに、当然にも、原作を脚色した加藤剛さんら俳優座劇団が希望の舞台台本『心 わが愛』も、用意しなくてはならなかっ た、いやいや、この方が本来の「注文」であり、戯曲の方はわたしが是非に書き置きたかった。上演時間などに、また出演の劇団員などにとらわれずにわたしは 漱石の小説「こころ」の解釈・理解、その表現に取り組みたかった。ふつう新劇の舞台は、よほど長くても二幕構成で三時間未満であり、わたしの書いた戯曲は 倍近くもの分量と場面を持っていた。
台本の方も、稽古が始まると、演出や俳優からの希望で、新たな場面を加えたり、また省いたりかなり日に日に動的に変容して行くのはあたりまえのことで、 だからたいへんとも、おもしろいとも云えた。ウームと唸ってしまうような追加や削除や変更希望にも付き合わねば済まない、それが演劇の現場だ。
いま、戯曲も文字に組み上げ、台本も現場感を生かしたまま決定稿にちかく落ち着けようとしている作業、懐かしくも、たいへんでもあって、面白く新たな刺戟を受ける。
今では、息子の秦建日子の方がすっかりこういう方面のプロになっているのだが、俳優座で『心 わが愛』の幕が開いたときは、まだ早稲田の一年生であった が、彼ももう目前に五十というトシを迎えかけていて、指折り数えるまでもなく、わたしが戯曲を書いたり台本を作ったりしていた五十歳に近寄っている。思え ばわたしも長生きしてきたんだと、すこし呆れる。そうそう戯曲『こころ』はわが「湖の本」創刊の年の創刊『清経入水』につぐ第二巻めの刊行だったのだ、ま さに俳優座の幕があがるその時の仕事だった。つまり「満三十年」昔のことだ。長生きしたなあ、わたしも「湖の本」も。
2016 5/20 174
* 三十年前の今日も明日も、「湖の本」創刊第一巻『清経入水』の「桜桃忌」に刊行へと、無我夢中に打ちこんでいた。あの年の春からわたしは早稲田ら頼ま れて文藝科の創作指導にも当たっていた。早稲田へは二年通った。その二年の内にのちの直木賞作家角田光代を見つけ出し、「小説家」への道へ、背を押した。 元気にしているか。実のある良い仕事を、確かな表現と感動の作を創り続けてくれるように。ふの年、秦建日子は早稲田法科へ入学したのだった。
2016 5/21 174
* 故紙回収の手伝いは、いつも。我が家で出す故紙は、量があって重い。妻が荷に括り、わたしが指定の場所へ運ぶ。裏の白い大きな綺麗なゲラが大量に出 る。昔のわたしならゼッタイによう捨てなかった、真っ白い紙こそは創造の場と思えた。今もそう思うけれど、家が狭くて置ききれない。それに今ではたいがい 機械に書き込んでいる。機械からプリントするのに裏白紙は役に立つが、使用量は多くはない。
2016 5/25 174
* 黒いマゴを、我が家では、ご近所に詫びながら、家の内と外を自由に出入りさせている。家に閉じこめるに、忍びないから。彼は、夜は我々と寝ているが、 明け方四時から五時半ごろには外へ出たがる。長い短いはあるが、やがてテラスへ鳴いて帰ってくるので入れてやると、ぐっすり寝入る。
昼間は、まさに出たり入ったり、出来る限り応じてやっているが、ご近所中がゴミ出しの日は、迷惑になってはいけないので、出さない。
家の中では、寝室や廊下やわたしの仕事場のソファや、まこと好き勝手なところで寝ている。戸外へ我々も一緒に出て遊べと誘いに来る。二階へ行こうよと呼 びに来て先に立つ、階段でも、一段一段前を上り下りしてうしろからついてきてとふり向きふり返る。排泄できる用意は家の中にもあるが、やはり戸外が快いで のあろう。このごろは、だれも居ない西の棟の草木を目の前にした明きテラスの身一つの箱に入って、午も夕も晩でも寝入っている。
いつか外出して、家へ帰って来れなくなってはと案じており、少なくも、夜は敷地内にいてほしいと、今、人に頼んで備えの工夫をしている。それが出来れ ば、戸外へは出せないが、屋外の空気に触れたり木や草へ放尿したりしたい時のために、テラスへは好きに出られるようにと。もう、子猫の頃とちがいも高くは 飛び上がって一気に屋根の上や書庫の上へは行けなくなっている(と思う)。それならテラスと書庫添いの人目立たない通路とは黒いマゴの気儘な世界にしてお いてやりたい。われわれの手や眼や足や声のとどく昼間は、望めば敷地内、外へも好きにあそびに出させてやる。もうあまり遠くへは行かなくなっていて、六七 割がたは我が家東西二棟の敷地内でじつに静かに休憩し寝入っていてくれる。迎えに行けば一緒に帰ってくるし、ひとりで台所口へきて入れてと鳴く。われわれ も出てきて一緒に遊べとも、鳴く。
* もう、六月の声がする。八時半。もう幾つか、仕事が出来る。
2016 5/29 174
* 何といえばいいか、端的に苦境といえば分かるか、とにかくも気の重苦しくてシンドイこの頃ではある。仕事に行き詰まっているとか、健康の悪し き兆しとかいったことではない、どうあっても担いで通り越してゆかねばならない気分の悪い荷を背に負うてこのごろを過ごしている。そんな荷は払い捨ててし まえばいいという考えようも有るが、それはしないと決めている。それだけのこと。
あはれともあはれともいふ我やあるべき
あるはずがなし われは父なり
と歌ったのを思い出す。
なにをしに生きてある身の無意味さを
ふとはき捨ててしごとにむかふ
とも歌っていた。
生きてあるかぎりは 堪えねばならぬか。 2016 5/30 174
* さて、妻は新しい機械を買って貰って「嬉しくて」と、ほくほく。ただし妻の新機が穏当に順当に諸般設定されて起動稼働してくれるのか、わたしは、まったく今や機械の手順になど自信も責任ももてないので、手出しも口出しもしない。
願わくはただ、妻の機械穏和に働いてくれて、発送のための宛名印刷や、必要なコピーの電送などして貰えないと、「湖の本」や「選集」のしごとが進められない。成功を切に祈っている。
2016 6/1 175
* 朝から妻は新しい機械の起動と設定までにただもう四苦八苦、会社へ電話を延々掛けて教えて貰いながら遅々としてはかどらない。機械は新しくなればなるほど 扱いにくくなるという悪癖を負うている。わたしはそういう傾向を好かない。もう手も口も全く出せないしだす気に成らない。
* で、ひたすら仕事していた。
2016 6/2 175
* 黒いマゴを、いつでもテラスと書庫添い通路へ出してやれるよう、西庭との境へささやかな木戸を建ててもらった。夜中に黒いマゴが遠くへ散歩に出かけ、 帰れなくなっては困るので。ネコの最期近くにそういうことがあった、思いがけぬところへもぐり込んで寝ていることが、マゴにも無くはなく、用心した。ほっ そり軽くはなってきたが、まる二年にもなる毎日の輸液も効いていて、それなりに健康を保ってくれている。
2016 6/3 175
* 妻の買った新機まるで稼働せず、地元で修繕の業者に来てもらい、二時から、いま五時過ぎ、まだ何かしらやり続けている。必要最小限度を、安全パイだけ を働かして使用すれば比較的無事なのだが。ま、幸いに新旧二台の機械が、働けるようになりそうな気配だが。さ、どんなものか。
その間に、わたしの選集第十七巻入稿分、読了と整理とが、ほぼ終えた。
わたしは自分に使えそうにないアプリには手を出さないし、降る雨のように機械の向こうから来る「誘い」には、一切乗らない。あれだけ自在に使えていたツ イッターもフェイスブックも、ちょっと人手に触られてからは皆目役立たずになっていて、すると、(ツイッタ-のビジネス活用)名義で、わたしのメールアド レスを掲げながら「御社のサイトをアピールする最適の方法をお教えします」などと言いかけてくる。同類の誘いはああも言いこうも言いながらイッパイ来る。 一切触りもしないから無事で済んでいる。
* もうそろそろ片づくかなあ、階下のテンヤワンヤは。
* 幸いに、新機は初期設定へ三時間かけてもどして、稼働可能の処へ持ち込んでもらえた。かなり異様な機械であるらしかった。さらに幸いに、ウイルスによ り大きく損壊した旧機も、回復へ持ち込んでもらえた。あとは、妻の勉強と用心とに期待。みすみす悪誘惑のウイルス攻勢に乗っけられていては機械も堪るま い。
ま、わたしの機械など、とうのとうの昔にオンボロお古になりきっているが、まだ使えている。
2016 6/6 175
* 機械の設定と修復のさわぎに煽られて疲れた。仕事はしっかり、した。九時だが、黒いマゴの輸液だけして横になりたい。
2016 6/6 175
* 十時まで、安眠できた。安眠はいかにも大事なこと。それでも夜中、明け方ちかくなると黒いマゴがめをさまして鳴く。砂のトイレでおしっこをす るから見に来てと誘ったりするのだ。とにかくいっしょに何でもしてくれと甘える。外へ出たがるのは、テラス外を木戸で塞いだので、テラスまでは自由に出ら れる。幼かった頃は、テラスから一気に書庫の上庭まで跳び上がっていたが、いまは高くは跳べない。外気と草木の匂いとはテラスでいつでも好きに呼吸できる ようにしてやった。
2016 6/7 175
* 昨日歯医者への西武線電車で今度の新刊を読んでいた妻が、「小倉ざれ和歌百首」の「叙景歌」がひときわ「美しい」と感想を洩らしてくれた。ちょっと嬉 しく、有り難く、アタマを下げた。「ざれ和歌」とは謂うが、作としてはけっして悪くは戯れていない、むしろ大方はほんものの「和歌」になっている筈と自負 している。石清水の零れ出るように自然と言葉も調べもわたしのなかから生まれてくるのだ、「つくった」歌だとは咎められようが、そして「つくった」には相 違ないけれど存外本音で歌ってもいるのです。
2016 6/9 175
* 妻の機械、順調にはとても動かず、ヘキエキしている。
* 西棟のせまい南テラスで黒いマゴが昼寝するので、布のデッキチェアをマゴのそばへ持ち出し、それへ寝てそこで校正した。風がわたり、もう足もとへまで細長い土庭一面に草花が密生。陽射しに悩むことは全くなく、問題は、これから蚊が来るか、だが。
2016 6/10 175
* 視野がくらく滲んで、気が晴れない。それでいて、ああもしたい、こうもしてみたいという気は絶えず湧いてくる。むかしからある「千字文」を読んで何か 問題をみつけたいとか、抱えてきた幾つかの主題から選んで纏まった論考もしてみたいとか。気楽に別に書き始めている小説もあり、描きかけの小説の隘路をど う吶喊するかも。
結局出不精になっている。まして出かけて行く「先」を思案する根気が無い。
さ、黒いマゴに輸液して、エドモン・ダンテスのいよいよ始まる復讐の、まずはイタリアでの展開を楽しもうか。
2016 6/10 175
* 西のテラスのデッキチェアで三十分ほど寝てきた。足もとの小箱で黒いマゴも寝ているのを箱ごと膝にのせて寝ていると、黒いマゴも安心しきって寝ている。草花の上を風が通って涼しい。これからの問題は、蚊だな。
2016 6/12 175
* 散髪疲れでもあるまい、視野の不安がさせるのか、からだがフラつく。血圧を案じたが、正常。貧血していないかと妻は案じる。検査のアト、貧血を言われたことはない。が、とにかくも立っていて、ヨタッと揺れる。しょうがないので、漫然とやすんでいる。
* 九時。黒いマゴの輸液だけ済ませて横になろうと思う。
2016 6/16 175
* 「追想のほんやら洞」から、京大の依田高典教授の経済学者森嶋通夫教授と兄北澤恒彦との交情に触れた一文を、機械へ取り込んだ。「北沢氏の生涯は、編集グ ループSURE・編『北沢恒彦とは何者だったか?』に詳し」いと書かれてあるが、甥の北沢恒(作家・黒川創)や姪の北沢街子らが関わっていたそのSURE で編んだ兄恒彦を語る冊子に、わたしは一瞥の機会も得ていない。つまり、わたしは兄が「何者だったか?」実のところ何も知らない。兄にもらった少しの著 書、多年に亘りもらっていた手紙、最期(依田さんの文にも書かれているように、兄恒彦は自殺していた。)にちかい時期に交換していたのメールなどでしか、 兄が分からない。生前の兄は、彼自身の属していたらしい社会とはまるで無関係に、ただ弟で作家であるわたしやわたしの家族に向き合ってくれていた。も生ま れながらバラバラに人手で育った兄と弟としての再会感覚と親しみとだけで、懇談の機会すらせいぜい一二度、その余の出逢いはいつも立ち話程度で行き分かれ ていた。甥も姪も「秦さんには必要ないだろう」とでも思い、送ってくれなかったのだと思われる。
依田さんのその一冊子によって書かれてある、われわれ兄弟の生母や母方祖父の事情には、無理もないが、その辺は長編『生きたんりしに』を書いたわたしほどの正確に近い情報量は有る筈も無く、明らかな事実違いも認められる。それは致し方もない。
* 母を書いた。母方の祖父や親族に関しても、身を働かせて多くを知り極力慎重に知れた事から母方世界をわたしは書いた。父方世界へも踏み込んで書いた。
兄恒彦については、彼自身の著書や発表しわたしへも送ってくれた文章はともかくとして、青春期の兄の像は、多く生母のことばや母から兄に宛てていた手紙からしかわたしは知るすべなかった。甥や姪達に聞くという真似は意識してほとんどしなかった。
江藤淳が自死し、半年もせず北澤恒彦も自死した年に、わたしは『死から死へ』を湖の本に入れたけれど、それは「死」の問題にしか触れ得ていない。で、も う一度、兄について別な確度と視野からあくまで「弟の作家から」という視線で書いておきたいなあと、思い至っている。誰のためにでもない、北沢の家族に向 かってでもない。「わたしの兄・恒彦」を思い起こしたいのだ、そのよ手だて・材料には、甥や姪の生まれる以前から、わたしに宛てて書かれいつのまにか溜 まっているはずの恒彦書簡を、少なくも独りで読み返してみたいなあと思っている。そして書くなら、小説世界を創りたいのだが。じつは、まえまえから秘かに 抱いてきた着想もあるのだ、が。
しかし、それだけの時間がわたしに残っているのかなあ。
ともあれ、半世紀余の全来信(一応一年ごとに分類してある)から、手紙や葉書を取り集めねばならない。ま、そのついでに今は不要と考えていい来信ものを処分して家の内にすこしでも空き地を作っておかねば。
* 九時半。もう眼が、ダメ。
2016 6/17 175
* 帝国ホテルのクラブでもらってきた佳いワインの栓を抜き、前夜祭は小津安二郎の映画「彼岸花」を妻と笑ったり泣いたりして観た。山本富士子が演技賞も のの京娘を浪花千恵子と母子で演じ、佐分利信と田中絹代夫婦に、有馬稲子と桑野通子の二人娘。柳智衆の娘に久我美子。有馬稲子と結婚するハンサムに左田啓 二。
なつかしい、おもしろい、しみじみとした戦後映画、昭和三十三年の秀作。この年の春、わたしは大学院に入り、妻は四回生、そして翌三十四年(一九五九)の春まだきには倶に東京へ出、六畳一間のアパートを新居に結婚したのだった。
以来、五十七年、太宰治賞を受賞し作家生活に入って明日で満四十七年、湖の本を創刊して明日で満三十年。
2016 6/18 175
* 六月十九日 日 桜桃忌 太宰治賞47年 湖の本創刊30年
* 起床8:30 血 圧130-64(59) 血糖値99 体重66.8kg
* 赤飯で祝う。京干菓子、宇治上林の抹茶、二服。
* 上京結婚して57年、夫婦して「一所懸命生きてきた」ことだけは間違いなかったと、言い合う。それで、よし。
* あれもありこれもありあれもこれもなく
歩一歩(あゆみあゆみ)行く あるがままの日を
のぼるのかくだるのかわれの老の坂
ドンマイ(do not mind 気にするな)花も嵐もある道
2016 6/19 175
* なにごともなく、今日を送る。体調は、いくらか重苦しいが、酒量もおさえ、多くは何も食べず、仕事もせず。浴室で、バルビュスの「砲火」とデュマの「モンテクリスト伯」を一時間、楽しんだ。
七時。のんびりしよう。
明日は三部制で「義経千本櫻」を楽しむ。屈指の名作、染五郎の知盛、幸四郎のいがみのごん太、猿之助の狐忠信。猿之助は典侍の局も、染五郎は静御前も、 と、若手は女形でも競演してくれる。酔うほどに楽しんできたい。席は、三列目、四列目、五列目と、いつもながら三部「それぞれの絶好」席を用意して貰って いる。
眼のかすみが、なんとかおさまってて欲しい、が。
* 今月はこのあと、月末に、師匠の「つか芝居」を建日子が初演出の舞台がある。
そして七月一日からは、選集第十四巻の送り出しになる。この巻はバラエテイのそれなりに面白い一巻になっている。
2016 6/19 175
☆ 父の日おめでとうございました。
体調はいかがでしょうか?
来週から舞台の本番が始まります。
初めての、つか先生の作品です。
劇場にて、お待ちしております。
本番終わったら、近いうちにまた保谷にも行きますね。
☆秦建日子☆TAKEHIKO HATA☆
* つかこうへいの弟子として、はじめて先生作の本を演出するので、緊張も一入だろう。がんばっていい舞台を創り上げて下さい。
2016 6/21 175
*「ドクターX」 日本製の連続現代ドラマでは一等スカッとして小気味よく、感銘も深い。スキル抜群の外科医大門未知子のフリーランスとしての生き方にも むろんわたしは共感する。わたしは肩書きのある地位にも権能にも無縁ではなかったし推賛推賞も受けては来たが、われからそれらを望んで手をかけたことは一 度もない。いつも向こうから手を伸べて招いた呉れた。地位や肩書きにも恋着しなかった。利用したと言えば、騒壇余人として活動している限り、知名度は年を 重ねるほど各年齢層には届きかね。読んで貰える機を得ても、「この秦 恒平って、何なの、誰なの」と思われるであろうの、ま、かすかな経歴を示しているだけのこと。わたしもまた一人のガンコなフリーランスなのである。大門未 知子の好きなのは当たり前。
* 「ドクターX」の以外でわりと共感していたのは、秦建日子の作った「ダーティまま」、ちょっとばかり懐かしかった。テレビ映画としては、断然「阿部一族」そしてビートタケシの演じた「 」。外国製の連続モノでは、「コンバット」。
「コンバット」とは戦線の様子こそちがうけれど、思想的な基盤を一つにしたような、アンリ・バルビュスの小説『砲火』が、じつに佳い線をぐいぐい伸ばしていて、読んでいて、著者の積極的な批評・批判のみごとな表現力へ今まさに惹き込まれつつある。
なるほど将校以上将軍大臣にいたる体制側は、各国で挙ってこの反戦の傑作を嫌悪したが、兵士層の民衆はこれを、じつに敵味方の別なく、という以上に最前 線でドブネズミのように闘わされていた敵味方が、まさしく結束し、声高に圧倒的にこの小説をわがもののように支持した事実に、大きく頷ける。此の作は、当 然、最大級の世界文学として大きく広く顕彰されたばかりか、バルビュスの批評と思想とは世界的な反戦団体の成立を現実に産み出したのだ。
2016 6/23 175
* 朝からがんばって、選集⑭送り出しの用意、大方調えた。すこしく気分ゆっくりのままに、月末を骨休めしたい。三十日には、久し振りに秦建日子演出の「つかこうへい」作のラク日の芝居を見に行く。
思い出す、建日子がはなばなしく、つかさんの弟子の一人として劇作・演出を始めた頃、わたしはちょうど東工大教授の日々だった。噂を聞いた学生が駆け 寄ってきて、羨ましいですと云うので、「ナイショだぜ、ボクは小説のときははた・こうへい、芝居のときはつか・こうへいなんだよ」と小声でいうと、跳び上 がってびっくりされたのに、びっくりした。ハハハ
2016 6/25 175
☆ 「リング リング リング」に拍手喝采。
秦様・迪子様
天気予報にウロウロさせられる昨日今日ですが、お二人様のお身体の調子は如何でしょうか。
昨日建日子さんの公演「リング リング リング」を中学3年生の孫娘と一緒に見せていただきました。
ダンスのレッスンをしている彼女もとても迫力ある舞台を楽しんでいました。主役のキンタロウーさんも知っているようで私などは知らない物まねやギャグに受けていました。
建日子さんのつかこうへい氏に寄せられている熱い思いのご挨拶を生の声で聴き、人と人との出会いにも感激していたようです。
つかこうへい氏に出会われたころの「プラットフォーム」の舞台からのご成長ぶりを見せていただける幸せを感じていました。
熱い思いでの脚色、演出での舞台から伝わってくるメッセージに、心動かされて見せていただきました。
ありがとうございました。 練馬 持田 晴美
* ありがとう存じます。
2016 6/26 175
* 黒いマゴの健康も気がかり、妻は獣医院へ連れて行った。腎、肝ともに弱っていると。この夏をなんとか堪えて欲しい、堪えさせてやりたい。
2016 6/27 175
* 機嫌の悪い体不調ではあるが、思い切って、というより、ふと思いつき思い至って、新作中の小説のために「勉強」を始めたのが、なんだかズンズン面白く 嬉しくなって、あたまの中へ相当な栄養分を蓄えたと思う。どんなとか何をとかはナイショだが、大岐に役立ちそう、役に立てたいと腹を括っている。これで、 今日一日、ムダにならなかった。ホクホクしている。このさきは、わたし自身のノーミソをつかうだけ。真夜中、めが覚めてしまっても、暗闇を睨んで思案の種 はいくらでも有る。
九時半。
今日はくろいマゴを医者にみせ、輸液も投薬もされていて、このまま床について好きなだけ本を読んでもいい。テレビも、滅多には面白い番組無く、やたら現れる安倍の顔など、見たくもない。
2016 6/27 175
* 働いて最も忙しい年代へ、管理職世代へ卒業生はみんな来ている。職場を大きく異にした人たちが、都合を付け合ってうまく顔が合うなど、容易でないと察しがつく。
むかしは、狭いながら我が家へ学生、卒業生、よく来てもらったが、湖の本あり選集ありの今や、夫婦二人ですら安々と坐れる場所がなく、たまに建日子が 帰って来ても、とにかく積んだモノを片寄せ片寄せてムリムリ坐らせている有様。それなので、ぜひにという人とは、ともあれ日比谷のクラブへ出向いたりして 会っている。
話題はたくさん有る、ひさびさに顔を見たいと思っている、が、飲む方はいいが、食のすすまないのが困る。
東工大の頃は、いろんな学生達を連れ歩いて、まこと、よく食い、よく飲も、よく話し合った。楽しかった。
「地元のお店」とあるが、妻と歯医者帰りの、江古田のフレンチ「リオン」や、「中華家族」や、スタンドバーや、老舗の蕎麦屋などのことか知らん。練馬駅で下車、気楽な寿司やトンカツを食べることもあった。
しかし、霞ヶ関の丸山君らには、やはり都心が便利だろうか。週末にと丸山君も柳君もいうのは分かるが、金曜の晩のことか、土日のことか、ハテ。いずれに しても今週末は、三十日に建日子演出の芝居を見に行き、七月一日には「選集」⑭が出来てきて、早速二人がかリで、気の張る荷造りと送りとにかかる。函装で 大判の五百頁平均、かなりの力仕事なのである。
七月八日金曜の夕方は、江古田から歯科医院へ。五時頃に、いつも解放される。酷暑の七月初旬には、初体験、逗子まで、義妹の繪の個展にでかける算段をし ているが、逗子という土地、まだ見当もつかない。かなり遠いらしく、久々の遠出体験をすることになる。留守の黒いマゴのためにも、泊まってはこれない。
* 明日、選集⑯再校ゲラ、選集⑰の初校ゲラが届くと連絡あり。
* 今夜も、勉強で、つい時間を忘れていた。黒いマゴに輸液してやらねば。
2016 6/28 175
* 明日は建日子演出の芝居を見に行くが、一日、保谷へ顔を出そうかと電話呉れた。一日朝から、選集の送り出しで、家中のどこにも座ってもらえる場所がない。今回は、パスとあきらめた。
2016 6/29 175
* さて、いよいよ建日子が恩師の芝居「リングリングリング」を初演出の舞台を観に。新宿へ出かけます。
* 新宿、全労済ホール・スペースゼロで、つかこうへい七回忌追悼特別公演、原作・脚本つかこうへい、脚色・演出秦建日子、出演キンタロー、芹那ほかの 『リング・リング・リング』を観てきた。いつもは建日子作・脚本・演出劇で、ひとの作・脚本を脚色演出したのは初体験だったろう、しかし、生前のつかこう へいに心酔師事し、その七回忌に期待されての初の機会であり、生涯に大きな意味と足跡をのこしたことになる。懸命・渾身の仕事であったことはよくよく感じ 取れ、観客の一人としても、まずは、慶びたい。
* 今日が千秋楽であったからかどうか分からないが開幕前に建日子が舞台へ出て、恩師との出会いや感激の記憶を、気持ちこまやかに、いい言葉でうまく観客に語ってくれた。ほんとうに自立し成長した「秦建日子」がもはや危なげなく舞台の前面中央に立って話していた。
* つかこうへいの芝居は、もう十数年以上もまえに、瀧野川とか謂ったあたりまで妻と一度だけ見にいったが、やかましい印象だけを記憶してみな忘れてい る。テレビで「熱海殺人事件」とかを観たが、テレビ画面で観る舞台からは、評判の高い作だったろうに、ほんものの感銘は受け容れにくかった。映画もなにか 観たかもしれない、が、記憶に残っていない。
つかこうへいの小説は文庫本で数作よみ、やはり同じ小説家として近づきやすく、どれにも強い好感をもった。むろん、彼と我との小説の「表現」は乖離して はいたが、つかさんのハートには純乎として共鳴・共感できるモノがあった。彼は秦建日子の父親が秦 恒平であることは知っていたし、どこかの劇場で言葉を交わしたこともあった。私の眼識たしは彼に心から感謝を述べ、彼は穏和に頭を下げていた。
思いがけない惜しい限りの死が彼を襲い、秦建日子はさぞや寂しくも哀しくも心細くもあったろう。つかこうへいは、わたしよりもよほど若い人であるはずだった。師匠の役はとてもできないが、つかさんの代わりにも、わたしが長生きしてやらねばと思ったことであった。
* で、今日の舞台であるが。
* まるで間違っていて、実は、それぞれにそれぞれの方法があるのだろう、けれども、芝居を喜んで観に出る機会の多いわたしには、今日の舞台以前にも接し てきた幾人かの、幾つもの劇作・演出家の舞台から得た印象が渦巻いていて、あげく、当節の新演劇における「当世風」とすら言い切れそうな「或る整理整頓し た理解」が出来ていそうな気がしている。素早く断っておくが、それは、劇団俳優座や劇団昴の芝居とはいわば「別種の方法・主張」をみせていた。
* 割り切った見方を、敢えて口にしてしまおう。
開幕して、二時間の芝居なら一時間以上。三時間の芝居なら二時間をかなり過ぎるまで。彼らの舞台は、よく謂う「おもちゃ箱をひっくりかえした」みたいな 雑踏・騒然、科・白のぶちまけ・かきまぜ・のまま進行して行く。俳優座や昴での舞台とは、また歌舞伎や、沙翁劇などとは、似ても似つかぬ大騒ぎ・小騒ぎを ネタに煮込んだ「猛烈なごった煮」のさまを呈する。そういう「ていたらく」が「絶対先行条件」のように舞台狭しとぶち撒かれる。
そしてである。
上演時間の押し詰まって行く中で、突如、まさしく、それぞ「劇的」に、途方もなかった混雑の奥から魔法の糸をふうっと手繰るように、物語が「核芯の筋と主張」を掴みだし、一気に、かなり説明的でもあるのだが、分かりよい劇の高揚と解決とが導かれる。
よく云ってそれまではただ面白がって舞台を見聞きしていた、或いは「うへえ叶わんなあ」「なんじゃこれ」と音をあげかけていたう観客が、ここへ来て、 ぎゅっと芝居の収束力に胸や腹やハートをつかまれてしまう。感動という、共感という、そんな躍動が「ウソのように」目の前で弾けるのにひっ掴まれたように 観客は「同化」してしまう。「そうなのか」「そうなんだ」という良い意味「降参」の心情や理解を舞台へ喜んで観客はなげこみ始める。そして大団円、終幕の 拍手を観客は熱く心用意する。
* こういう「作り」の芝居を、いくつも観てきた。
最近では、池袋の大きな劇場で観た松たか子の芝居がそうだった。
野田秀樹や、クドカンらの芝居からわたしは、上のような今日的な舞台のいわば「キマリ作法」めくものを、何度か感じた。
むかし遠くまで出かけ、つかこうへいの芝居を観た印象を、今にして思い起こすと、要するに雑然騒然のごった煮をギャグや大声や舞踏や格闘などの「科・ 白」、すなわち「科=肉体の躍動」「白=破裂音・騒音めく聴く必要すら無いほどの言葉」を、先ずは三分の二もの長時間、手を変え品を替えて舞台にぶち撒 き、その「ごみ屋敷」のようなギャグと乱雑の舞台を、ある時点から急速に、一気に、魔術的に「理解と感動」へ引き絞って行く。嗤ったり呆れたりただ面白 がっていた観客の眼に、ウソのように「劇」の狙いが見え始め、びっくりするような熱い涙が湧き出す。
* 今日の舞台も、概要をいえば、そのように構成演出されていて、ひたすら「やかましく」進行し、その果てに、激しいが静かな納得と感銘とを与えつつ収束していた。
* 少し憎まれるかも知れないが、現代の先頭で沸騰している若い演劇的才能の「手法」が、意外なほど解りやすい組み立てで、かなり皆さん右へ倣えしているのだなと、ちらと思ったりもしている。
「表現」の「方法」という点では、通俗読み物は論外としても、文学といえる小説表現者の方法は、はるかに「さまざまに異なって出てくる」「出てほしい」という感想を、小説家のわたしは、あらためて、持ち始めた。
但し明言せざるをえない、今日凡百の小説家に「方法」を探究する者のはなはだ稀であるということも。
2016 6/30 175
* 黒いマゴも老境に懸命に耐えている。いま、幸いに、妻がいちばん元気そう。
わたしの今なにより苦痛なのは、食が進まずしいて食べると鳩尾の辺が膨満気味につらくなること。ワインとビールとが口に合わない感じで、日本酒とも一週間ほど払底の儘に離れている。珈琲、紅茶も遠慮して、もっぱら抹茶を点てて自服している。
2016 7/1 176
☆ 建日子さんの、
同じ創作者としてのご活躍とご成功、お父様としてどんなに心強く誇らしくいらっしゃいますでしょう。
建日子さんくらいの年頃、みづうみはどんなご様子でいらしたのでしょう。タイムマシーンなどあれば、お目にかかりたいものです。きっとご高齢の両親と叔 母さまを抱えて、お仕事にもご家庭にもさらに猛烈な八面六臂のご活躍でいらしたのだなあと、思い巡らせております。 羅 羅(うすもの)に女の息のか よふらく 上村占魚
* 建日子は今年の正月に満四十八歳になったと思う。いい大人だ、孫のいる人もあろうか。
わたしの四十八歳は一九八三年・昭和五十八年、建日子は早高生だった。朝日子を嫁がせる二年前に当たる。すでに作家代表として中国へ、ソ連へと旅し、初 の新聞小説「冬祭り」も終え、代表的な仕事や著作の多くを遂げていた。湖の本創刊、東工大教授の生活へもうしばらく間があった。
* 劇団俳優座でこの二、三十年にわたしがもっとも注目し期待し迫力に富んだ活躍を秘かに喜んできた女優の一人から、速達の、いい手紙を受け取った。とく べつ何の用有ってではない、挨拶をしたい、せねばと思いつつ歳月を過ごしてきましたという、それだけのことだが、気持ちの良い熱い手紙であった。
この人、演技する女優であるだけでなく、オリジナルの劇作また演出も手がけていい実績を残している。
こんな人と建日子の秦組芝居とがぶつかれればいいのになと、内心夢見てきた。顔を合わして話し合える機会が有れば楽しいが。
2016 7/2 176
* 「選集⑭」の送り出しは、まず間違いなく今日のうちに作業を終えられる。送り出しもしてしまえるだろう。
新たな体勢での新たな仕事を推し進めて行けるだろう。やや気持ちもラクに日々を送り迎えられる。八日夕刻には妻と歯医者通いがある。その前にも、妻の妹 の繪の個展に、逗子という所まで一日かけて出かけるだろう。逗子の土地勘全くなく、どれほど遠いのか近いのか、知らない。
2016 7/3 176
* この夏は他の何よりも黒いマゴへの細心の介護が大事。人間なら百にも近かろう、目はまだ美しく佳い視線を合わしてくるが、体躯はかなり痩せて抱いてやると硬い骨がさわる。この猛暑の夏をなんとか凌がせてやりたい。
2016 7/4 176
* ホームページの総量が、わたし自身にも計り知れず厖大になり、全容を、具体的に此処に確認し記憶するのが容易でなくなっている。この「宗遠日乗・私語の 刻」だけでも、1998年3月以降此の先月までに「176ファイル」も収録保存されてある。おそらく近現代に書かれた「日記」群のなかでも突出した大量、 200頁の「湖の本」にあてはめて80ないし90巻分を擁している。
わたしのホームページは、むろん、日記だけではない。既刊の「秦 恒平・湖の本」すでに小説等とエッセイ等とを含め、全130巻が保存されており、なおこの先へ続々刊行され収容されて行く。
他に、わたし自身の創作、随筆、論考、詩歌、東工大体験等々、また生活史に属する厖大な諸記録等々が密集保管され、さらにその他に、幕末來平成に到る文 豪・大家、詩歌人、新人らの心してわたしの選び抜いた優に600もの作品集「電子文藝館・湖(umi)」までが、このホームページにはおさまって在る。
よくまあ、なんとか保管してきたよと思うものの、もう、わたしの手から頭から大きく剰る大荷物になってきてしまった。娘・昔の朝日子が傍にいて手伝ってでもくれれば運営を委ねられたろうが、それももう叶わない。
せめて、すこしずつでも不備を直し、手も加え、ムダは省いて、サマを調えてだけは置きたいと思っている。
2016 7/6 176
* 黒いマゴの輸液に腎・肝の水薬もまぜて、毎夜、欠かさない。生き長らえてほしいと、切に祈り続けている。
* 待望の、松たか子主演の公演が十一月コクーンで決まっていて、予約を終えてある。黒いマゴがなんとか達者に、留守を守ってくれますように。
2016 7/11 176
* 幸い妻の体調も、今日地元病院での定期的な診察で、けっこうですという結果であった。無事に夏を乗り切りたい。
2016 7/12 176
* 黒いマゴの体調を心底案じながら日々を迎えている。シンとして寂しい静かな日々を送り迎えている。
* 元気づけのように、録画してある「ベケット刑事(キャッスル)」の美貌を二人で眺めている。
ビートルズのいう「ピースとラブ 平和と愛」とは、まこと真実である。「ラブ」という「愛」を、字義どおりそのまま、本当に容認できるのなら。そのへんの混乱を人の世はまだ見極めきれていない。「世のなか」というその「世」の意味も深くは悟られていない。
2016 7/13 176
* 朝早や、黒いマゴと庭へ出る。ぬか雨のすずしい空気を味わうようにマゴきれいな眼を見開いていた。塀にのせてやり、そのまま植え込みの椿のそばへ歩み寄っ て、道路やお向かいを懐かしそうにしみじみと眺めているのを写真に撮った。寂しくも愛しかった。抱き取って…なんという軽さ…。
2016 7/15 176
* 気分も 仕事上も すこし息をやすめている。こんなときにこそと、おっそろしく厖大なホームページの収録内容を、目次に沿って逐一点検している。
整理のきくところは処分して宜しく、「記録」として遺すべきは慎重に保存しておく。
大事をとって何もかも、幾重にも、保存してきたが、無用の重複があるかもしれない。それにしても、苦渋に満ちて言語道断で不当な歳月にも、耐え抜いてきたのだと、今更に、思う。よく崩れなかった。
2016 7/15 176
* さ、黒いマゴに輸液して、寝床に座って校正して、本も三、四册楽しんで、寝る。
2016 7/15 176
* いまから、久し振りに日曜夜十時の、秦建日子のドラマを観る。いい刺戟を呉れるといいが。
2016 7/17 176
* 老母が「睡眠導入剤」を濫用して弱って行くと、ツイッターでいい齢の息子が零 しているはなしを聞いた。これは危ない。が、わたしたちの経験が役立つかも知れない。何処かで書いた気もするが、京都から秦の母を東京へ引き取ったとき だ、とてももう朦朧然と弱った母の面倒は見られないと父から引き取りに来てくれと頼まれた。むろん、引き取りに出かけた。
さて同居して、母の様子は別に寝たきりでもなく医者通いを要しもしなかった、が、よほど呆然とはしていた。しかし、散漫とながらわれわれと対話もしていたけれど、日を追うてよたよたし、浴室で失禁したりしはじめた。
こりゃいかん。しかし臓器的な病状とも思いにくいが、と、日ごろ、京都の開業医からずいぶん大量に出されて抱きこんでいた「お薬」を調べてみて仰天した。すべてが「睡眠導入剤」つまりは眠り薬だった。
わたしは、その全部を取り上げ、捨てた。そして母には言った、眠れなかったら起きていなさいと。起きていつもりでも、実は必要なだけは眠っているものです、と。母は、そうかいなあとぼやきながら、「睡眠薬」全然無しの生活を始めた。
そして、どれほどの日が経っていたか、ある日、母は、突然こんな口を聞いた、「なんでアテは、此処にいるのやろ」と。それは全く永い眠りからスパッと目 ざめた人の口調だった。「くすり漬け」のくすりが抜けて、ポカッと目が覚めたのだ、その口調は、我々の家へ連れてきた頃のソレとはまるで違って朝日のよう にカラリと目ざめていた。母は、東京へ連れてこられていたソレをすら認識していなかったのである。なぜ目が覚めたか。わたしは叮嚀に理由を告げた。
みるみる母は元気になって行き、「もう京都へ帰りますわ」と言った。わたしは危ぶむことなく、京都へ送っていった。その後、賢い母は「睡眠薬」に手を出 さず、いちばん弱いかと見ていたが、夫よりも姑よりもしっかり長生きして、九六歳で「東京で」亡くなった。父は九十一で、叔母は九十三で亡くなった。そん な三人を、わたしたちはそっくり東京へ迎え取って、そして見送った。精一杯の親孝行だった。
* 睡眠薬の常用まして多用・濫用は、危険です。薬で眠らねばならない必要は、概して、無い。
* いまも短歌の同人誌は、俳句よりも多数送られてくる、むろんざっと目を通すが、胸に届く表現に出会うことは、めったに無い。投稿義務を果たすべく無理 じいに五七五七七をツクッテいる。しかも詞がいかにも貧相に乾涸らびている。日本語の素養がなくて、短歌ゴッコに集団で精を出しているらしいが、指導者の 歌からして、なかなか出来ていないから読むのがしんどい。
わたしはここ久しく、歌を、ツクラない。デキルのを書き留めて、いささか推敲している。時に「ざれ歌」を楽しむ。
* こんな一首をはるか昔の日記にみつけた、
香ぐはしき空の色して若葉咲く萌え野の原の日の光かな
清瀬の平林寺へ、まだ小さな娘の朝日子を連れ、夫婦して日曜に遠足に行った。そのとき、朝日子が景色の中で片言のようでいながら本気でいろんな感想を言 うのだった、そんな片言をほぼそのまま一首にしておいた。歌は、ま、こんなふうに実感とことばとが触れ合って生まれてくるのが本来だろうと思う。むりやり の義務義理でこねあげた歌がまるで「うたっていない」のは、当たり前だ。
青竹のもつれてふるき石塚のたまゆらに顕(た)つ櫻子のかげ
こんな歌を、自分の書いた昔の小説の中で、見つけた。嵯峨あらし山のなつかしい墓地の春か。
在るとみえて否や此の世こそ空蝉の夢に似たりとラ・マンチャの男
幸四郎と松たか子の舞台に惹き込まれながら、歌っていた。壇のうえにいたがる人ほど文藝から遠くなっていないか。
2016 7/20 176
* 大相撲の山場をテレビの前から離れてきて、『斎王譜』の祇園会あと祭りの場面を読んでいた。泣きたくなるほど懐かしい好きな場面、三つになる朝日子の夢中 で興奮していた声が耳の奥に宿っている。親娘三人で祇園会に京都へ帰るのが心底楽しみだった。夫婦で、街の夜歩き食べ歩きを楽しんだ。美しい京都であっ た。
2016 7/23 176
* 建日子脚本の連続ドラマ「そしてだれもいなくなった」の二回目。機械のあらゆる個人情報をうばわれることで、この社会への存在証明を根底から喪ってし まうというハナシは、サンドラ・ブロックの映画「インターネット」でも、他の男優のなにかででも、観てきた。それだけに、秦建日子オリジナルといえる機械 恐怖環境の提示や問題提起が見えてきて欲しい。なににしても、昨日今日の「ポケモン」騒ぎからももう現実に人間の自己没却進行が肌に粟を生じつつある。な により怖いのは、それに人間が気付かないまま機械の餌食と堕落して行くことだ。バカなはなしだ。
* 建日子のドラマ、すくなくもわたしの求心力や鑑賞力にはなんら響き合わず、ものの十数分でテレビの前を離れて仕事に戻った。
ひとつには、出演者に、主役も含めて心惹く演技力つまり「科・白」が認められない。「科」とは身動きの意味であり「白」とはもの言いの意味。その両方で 痛切にこっちの目や耳に「おおっ」と働きかけてくる巧い役者が、ゼロに近い。それではどんな佳い脚本であっても画面が燃え立つわけがない。
歌舞伎役者は別にして、一つの見当を付けておこうか。
超級の役者は、科・白の両方が抜群で、観客を魅惑し感動させる。柳智衆、仲代達也、杉村春子ら、を挙げておく。優秀な役者は、科・白の、少なくも片方は 抜きん出ている。大勢いる。どっちもダメなのは山のようにいる。そんなのに当たると時間つぶしと覚悟して向かうしかない。
ことにテレビ画面で付き合わねばならない「白 もの言い」のほうだが、いいとわるいの区別はすぐ付く。いい方は、小声での囁きや呟きも「聞こえ・聞かせ る」ように話している。ひとかどの役者だと思っているらしい人気のある不出来者に多いのが、囁きせりふや呟きせりふを、本気で囁いたり呟いたりして「聞こ えも・聴かせも」しないで、それが演技だと思いこんでいる。いくらイケ面でも美女でも、こういう不覚の役者にであうと、肝腎の科白が両方潰されてしまう。 ひいてはドラマ総体の感興をこわしてしまう。「小声・低声」のせりふをが「小声・低声」のまま「聴かせる」俳優とそれの出来ない俳優とで、二流、三流はすぐ分かってしまう。
2016 7/24 176
* 七月二十七日 水 娘朝日子(56歳)誕生日
孫やす香命日(2006年 19歳で逝去)
* 明後日には、胃全摘手術後では最長距離への逗子まで妻と出かける。義妹の繪の個展がある。姉妹の叔母の告別式で逢って以来、一方的にわたしの仕事へ支 援応援をいただくばかりで来た。おりしも今日は娘朝日子の生まれた日、あの頃、妻の長い入院のあいだ妹にはいろいろ世話になったのを、なつかしほどに思い 出す。保谷と藤沢とではなかなか顔を見ること、姉妹のあいだでも無かった。ひょっとすると従妹とも出会うかもと妻は楽しみにしているが、交通の便にうまく 乗り切れるためには、二人で出かけるのが何より安全策でもある。二人とも熱中症でバテないよう、よくよく気を付けないと。
2016 7/27 176
* あさっての浅草の花火を観にいらっしゃいと望月太佐衛さんの例年のお誘いがあった。感謝。何としても、明日の逗子行きが目の前で、疲労するかも知れ ず、明後日はキツイなあと残念ながら辞退しました。やす香告別の晩、出席を親から拒絶され、わたしは浅草で花火を見上げ、天上の孫娘と泣きながら向かい 合っていた。あれかせ十年が経った。
2016 7/28 176
* 九時過ぎにバス停へ向かい、九時四十二分保谷発の副都心線で一気に横浜へ、京浜急行に乗り換えて新逗子へ。義妹が駅頭で待ち迎えてくれた。
近くの二階レストランに、十数点、まことに手堅い、詩的にシュールな繪をならべ、詩も数点、壁にかけて読ませてくれた。
妻や義妹には従姉妹の後藤さん夫妻もみえ、五人で食事し、男二人はすこしビールとバーボンにも手を出し、そして歓談。義妹は詩集をもちそして繪を描き続 けている。後藤夫人も活気に富んで手堅い繪を描きつづけ、さらに俳句の方へも夫婦していい顔を向けている。自然、繪を軸に、俳句と詩と短歌(和歌)にふれ た歓談となり、望ましいいい時間が楽しめた。妻も繪を楽しんで書き、選集に参考で収めた「姑」のような文章も書いてきた。わたしは繪がまるで描けない、の に、大きな美術賞の審査に四半世紀ちかくも選者として携わってきたし、美術と美術史とにふれた著書も何冊ももっている。創作を念頭に話題が的をえてコンデ ンスする時間は、楽しい。そういう対話と時間とが、ほんとうは、もっと欲しいのであるが、なかなかそうはいかないものだ。
家では、黒いマゴが心細く留守番をしてくれている。二時過ぎの新逗子発でわれわれだけ先に帰路につき、日照りのまばゆい四時過ぎには保谷へ帰ってきた。
遠足という気分を楽しんだ、なにしろ保谷で横浜中華街ゆき副都心線にのれば、一気に横浜駅へらくらく座って行ける。帰りも同じ。ウソのように便利。保谷から西武線のゆっくり電車で秩父へ行くのと変わらない。窓の外は、とくべつケッコとも云えないぶん、ゲラ読みの校正は往復の電車でたいそう捗った。
ただし、やっぱり人混みの駅構内や階段・エスカレーターなどでは、よろよろして危ない。人にぶつかってもぶつかられても危ない。油断はできない。
妻は、久し振りに妹に逢い従妹とも逢えて、楽しそうだった。もっともっと話していたかったろう、が。
黒いマゴは、二階の机の下へ隠れて、観念して留守番してくれていた。粗相ももなかった。
2016 7/29 176
* 明日は都知事選。建日子もこっちへ来て投票するらしい。
もう今夜の機械仕事は、やめ。
2016 7/30 176
* 昼過ぎに建日子帰ってきて、母と、投票に。しばらく寛ぎ話してから、次の池袋での用事に出かけて行った。
いくらか降ったけれど、それよりも濃厚に負担のかかる暑さで参る。三人とも、ふらついた。もう五時過ぎて、なおぎらぎらと障子窓の外が西日に熱している。
原作『斎王譜』で今日は「お利根さんの話」を聴いている。この作の中に、すでに「蘇我殿幻想」や「チャイムが鳴って更級日記」も芽生えていたと分かる。 「美しいかぎりの小説を書く」とひそかに口にも出し力んでとりくんだ作であった。大勢の「いい読者」らといっとう早くに出逢えた「慈子」の原作である。昭 和四十年(一九六五)四月三十日に稿を起こし、四十一年五月二日に一応仕上げていたと、私家版巻末に記してある。半世紀前、ちょうど三十歳、むろんはるか に「作家以前」の作だ。
2016 7/31 176
* 黒いマゴが、かすかに食欲を回復し、排尿便も利き、身動きの元気も見せてくれるのを、愛して、喜び眺めている。
2016 8/1 177
* 建日子は、わたしの今の機械を触っていって、母親に、オヤジの機械、まだ動いているのは奇跡のようだと囁いていったと。この機械よりは新しいシステム の機械を二台もそばに置いたまま、わたしの老耄のアタマは手慣れないそれらへ手が出ないのである。インターネットの設定すら出来なかろうと投げ出してあ る。
ワープロ機能だけが使えれば、原稿の送りなどは妻の最新の機械に頼めば(これも甚だ頼りないが)なんとかなるだろうし、メールを諦めてしまえば、世間は 遠くなるけれど現在も、交信はうんと減らしている。 「私語」を主とした日記のたぐいは、ワープロ機能が在れば書きおくだけは百万枚でも書き継げる。要す るにネットのお付き合いが今にも不可能になるだろうと息子は指摘していったに過ぎない。
ドロップボックスというのを建日子はわたしの機械に仕置いて呉れたらしいが、それも八月末にはわたしの機械では機能停止になると通告されている。大事はない。役立ててきたという実感もないのだから。
2016 8/2 177
* 浸潤性自家熱中症とでもいえそうな疲労感に負けそう。黒いマゴ今日の輸液も終えたので、十時半だが休みたい。今日は階下でも二階でもとかくすると居眠りしていた。むろん仕事も、しっかりしていたけれど。
2016 8/4 177
* 家の中でも、上も下も冷房していても、暑い。黒いマゴも弱っている。
ポストへ自転車で走っても往復六七分が息切れしそうにしんどい。朝日賞の推薦を催促されたので投函してきた。
この分では、明日夕方の歯医者通い、ラクではない。週明け月曜には午前予約で聖路加の二科へ出かけねばならない。
2016 8/4 177
* 黒いマゴにはやめはやめの輸液して、日照り熱暑のなかを二人で歯医者へ。
帰り、ひさしぶり中華家族へ寄ってきた。帰りの電車は江古田から練馬へ、継いで石神井公園へ、そして保谷へ帰ってきた。留守に排尿便していた黒いマゴ、すこしものを食べてくれた。
クーラーを四箇所につけていて、それでも家の中も暑い。
* やす香の一のお友達、おなかの赤ちゃんも元気に、お勤めにも頑張って出ていると、メール。よかった、よかった。
2016 8/5 177
* 色んな仕事をした一日。黒いマゴに輸液して早く寝る。明日は朝の出が早い。
2016 8/7 177
* まだ朝日子が高校生、建日子は小学生時分らしく、妻も一緒に、誰の案内も無くなんとモスクワの大きなホテルに泊まって食事をし、モスクワの街なかを、ああ だこうだと、はしゃいだり戸惑ったりしながら彷徨い歩いてる夢を見ていて、眼がさめた。なぜモスクワなのか。モスクワはわたしの訪れた外国の都市のなかで も印象の濃い懐かしく美しい街だが、夢中の光景はうつつの記憶と重ならなかった。なのにモスクワと四人とも思いこんでいた。
* 黒いマゴの輸液と附加薬とをもらいに獣医院へ、いつものように自転車で走った。大きな大きな交叉点で自転車への衝突事故があったらしく救急車やパト カーが来ていて、警官らが大わらわに汗を流していた。大破した自転車が「現場」に荷物とともに頽れていた。よくは分からないが、真っ黒い大きなオートバイ を警官らが検分していた。
何にしても、この広い十字交叉の道路が出来たのでは、近いうちに事故が起きると用心していたが。自転車は身動きかるくて安全などという思い込みは危ない。図に乗ってはいけない。しかし暴走してくるオートパイや自動車は怖い。
* ドヨンとして熱中ぎみに腹重く、噛み合わせ硬く痛み、眠けにも包まれている。しかしボケてはいられない。沖津浪のように仕事のうねりが迫ってきている。湖の本131を手放すことから始め、遅滞なく寄せる波へ乗りあげて行かねば。
2016 8/9 177
* 建日子の連続ドラマが好評らしいのだが、どうもわたしは乗れなくて、見続けてやっていない。世界観も人生観も創作へたちむかうモチーフもはっきり違 う。違っていて、だから良かったのかも知れないが。洋ものでは、また始まっている「ER 救急救命医療」「NCIS」それと、刑事ケベックのすばらしい美 貌にこわいほど惹かれている。映画が観たい。
歩け歩けと云われているが、暑すぎる。十八日の歌舞伎座が楽しみ。老い鬱に落ちこまないように胸の内をくつろげたい。いま、額の左のうわっつらに指先で ふれるだけで痛い。痛む歯を食いしばってみにくい眼を追いつかって仕事しているのだ、ろくなことはない。しきりに、「間に合うように」とものを追っかけて いる。すこしも寛いでいない。
2016 8/14 177
* 岡山から、地酒の四合瓶が届いた。このところ渇いていたので、すぐ和可菜から刺身をとりよせて。酒も魚も美味く。
食が進まず、カアサンに医者へ抱いて行かれた黒いマゴも、肴をすこし食べた。肝臓も腎臓もいけないけれど、肺と心臓と、口腔内は綺麗ですと。体重はまた700も減って、かつがつ2キロ。暑い夏を、どうか乗り切って欲しい。
* 先日、撮っていったマゴたちのなかなか佳い写真を三枚、建日子が送ってきてくれた。
彼、連続中のTVドラマ、今日の世の中への「批評性」がみえ、好評をあつめているらしい。いまのところわたしは乗れなくて、観てやれていない。そのうち通して観る機会があるだろう。
2016 8/15 177
* 『死なれて死なせて』を書き下ろしたのは、ちょうど東工大教授の文部省辞令を学長を経て受け取った頃であった。
せめて死なせまいと願いながら、日々黒いマゴが、ほそぼそと、しかし健気に生きてくれているのを、心から嬉しく喜んでいる、決して泣いて哀しんだりしてはならない。 2016 8/16 177
* 髪を洗って気持ちいい。明日は三部制の二部だけを歌舞伎座で楽しんでくる。染五郎と猿之助の弥次喜多だというから、あははと笑ってきたい。黒いマゴに留守をさせるのが気がかりだが、頑張ってくれると信じている。
2016 8/17 177
* 撮りためたたくさんな黒いマゴの写真に題をつけていた。おお、黒いマゴ!
2016 8/18 177
* 染五郎、猿之助らの思い切りおふざけ歌舞伎の「弥次喜多道中」、笑い転げて喜んでいる客がある以上は、連れ添って観ているしかない。
次幕の、成駒屋、成駒家一統の所作事をそこそこ楽しんで帰ってきた。
黒いマゴ、留守番していてくれた。食べて飲んでも、まずまずで、安堵した。
2016 8/18 177
* 映画「紙屋悦子の青春」はすこぶる上質上等の作品で、感動のままに酔った。たった五人の、まことに静かな九州の言葉での対話、対話で紡がれる、しかも 毫末の停滞も退屈もなく、戦争という惨禍の重みをひしひしと身に迫って思わせる迫力には、ただ敬服した。「作品」の美しさ深さ豊かさ、ああ、こういう風に 映画は創られ得るのだと感嘆した。そのまえに、「そしてだれもいなくなった」というウソクサイ作り話を三回分続けて見て聞いてのあとの、けれんみなく誠実 を究めてごく普通に作品の澄みわたった感動作、それが映画「紙屋悦子の青春」であった、たった五人の出演者の真率な演技の自然さと時勢のけわしさとに、涙 を怺えられなかった。
「作」と「作品」とはまったく別次元のもの、「作」は世にみそもくそも溢れかえっているが、「作品」を湛えて胸を打つ創作はめったにない険しい現実を、あらためて、まざまざ思い知らされた。
なんの目的意識もなしにただ録画しておいたのが、大当たり、近来、これほどの優れた創作映画に出逢えたことがなかった。
2016 8/22 177
* さ、もうやすもう。黒いマゴに輸液してやって。床に就いてから、深夜まで好きに本を読み、好きに校正もする。わたしの眼に宜しくないのは、機械画面のギラギラなので、寝床では明るいライトと裸眼とで読んでいて、むしろ、だんだん読みやすくなる。
2016 8/22 177
* 妻が定期の受診に地元病院の循環へ行き、送り出し作業は偏頗にしか捗っていない、妻でないとうまく出来ない手作業がまだ三分の一も進んでいない。急ぐことはない。
わたしはわたしの仕事を、せかせかはしないで進めている。新たに書く、読み返す、校正する、調べる、考えるといった仕事が欠かすわけに行かず連続する。
2016 8/23 177
* 黒いマゴを自転車の前籠に載せて、夕暮れの近所をゆっくりと幾廻りも走った。黒いマゴは、昔名が大あわてで飛び降りたが、今は静かに乗ったまま、静 かに界隈を眺める風情で温和しい。先日来何度か試みて、そのつど一度も降りたい怖いというそぶりなく、むしろゆっくりと眺めて楽しんでさえ居るようだった ので、速度はあげず、静かに静かに話しかけてやりながら、同じ界隈を十分十五分走った。
黒いマゴ…よ。父さんも母さんも…幸せだよ、おまえといっしょで。喜んでいるよ、おまえの呼び掛けてくる声を。
2016 8/23 177
* 朝一番、故紙出しを手伝ってから、黒いマゴをのせて自転車で近隣を遊走。黒いマゴ、視線を送って視野をたのしむふうに見えた、そうであれば好 いが。抱いてやるのが手痛いほど痩せたが、意思と判断とで家内でも戸外でも、静かに静かにしかし自身で歩んできまりの場所に排泄したり、寝たり、飲食した りしてくれている。畏怖を覚えるほど聞き分けよくよく分かってくれて、聡い。
2016 8/24 177
* 疲れたが、懸命に、半歩、一歩ずつ前へ。歩みやめれば潰れてしまう。
疲れるに連れ、いつか歯を食いしばっており、それでは歯は痛み傷むばかり。からだの愚痴が多くなってきて、人間の不出来が自覚されてくる。困る。
* 昨日今日、よく身体も働らかせた。重い荷造り本を抱え持ち、狭い家のなかではあるが幾十往復もして玄関へ積み上げつづけた。妻もわたしも、へとへと。
2016 8/24 177
* 黒いマゴが目ざめて廊下へ出ててたので、手洗いに立ったそのままわたしも床をはなれ、テラスへの戸をあけてやり、わたしはデッキチェアで「選集⑰」の再校 など。黒いマゴが外庭へ出たがったので一緒に出てやり、水を飲ませ、また自転車の前籠へ乗せてやった。すこしもイヤがらず、坐ってそのまま周りを眺めるふ うなので、戸外へ出て、近隣を十数分、ゆっくり走ってやった。涼しくて、静かで、人とも車とも出合わず、黒いマゴはゆったりした表情であちこちを楽しげに 眺め眺め、いささかも自転車乗りを怖がりも嫌がりも降りようともしない。こういう散走をわたしは昔から希望していたが、なかなか、静かには乗ってくれな かった。飛び降りて怪我させたくなく連れ乗りは諦めていたが、最近、フト試みてみたら、いとも静かに温和しく、走りながらの前籠からの眺望を、おっとり楽 しんでくれる。なんと嬉しいとも、しかし、黒いマゴ老いゆえの「あなた任せ」かとも、ただ凝っといっしょにいてやるのである。「いっしょにいる」のが、安 心で嬉しいか、ひたっといつも間近に身をやすませている。可哀想に、抱いてやれば手が痛むほどに黒いマゴの五体は骨と皮のように痩せているが、排泄も飲食 も休眠も、われわれへの応答や訴えも、なにより視線の明るさ・寄せ方など、明瞭に意識的で聡明なこと、日々、感嘆させられる。
黒いマゴの老い痩せを、衰えを、妻はともすると泣き歎くが、わたしは今は泣かない、歎かない、それよりも、黒いマゴが、そのように毎日をわれわれと友に して呉れるのを、心から喜んでいる。嬉しいと思っている。いまは歎いたり悲しがったりする時だとはけっし思わない、それよりも黒いマゴとすこしでも「今・ 此処の時と場合」とを喜び合ってやりたい。 いまわれわれが泣いては、いつもわたしたちを見て見て懐き頼んで一緒にいてくれる黒いマゴが、可哀想すぎる。倶に在る刻一刻をいっしょに喜びたい。
2016 8/26 177
* 夕方にも黒いマゴを自転車の前籠に乗せて、ゆっくり近隣を四、五周した。
2016 8/26 177
* 朝一番に、宇治の水谷(佐々木)葉子先生、宇治茶をたっぷり送って下さる。
わたしは子供の頃から親が「茶くらひ」と謂うほどよくお茶をのんだ、戦時中でたいそうなお茶ではなかったが、番茶大好きだった。いまでも変わらない。こ の半年余は、毎朝自分に二服、妻に一服ずつ抹茶を点てて服している。叔母の稽古場このかた抹茶も大好きで、もう欠かせない。抹茶は、茶碗で茶筅をつかって 点てている。わたしの流儀では茶筅をしっかり用いて濃やかに茶をたてる。五年生頃から叔母らに「恒平のお茶は美味しい」とおだてられては頻りに茶をたて茶 の稽古に励んでいた。叔母の弟子達にも高校生の頃は代稽古で教えていたほど。宇治の抹茶は、さすがに美味しい。
2016 8/28 177
☆ 残暑 お見舞い申し上げます。
今年の夏は天候不順なようですけれども、お変わりなくお過ごしでしょうか。
明後日にかけて大型台風が近づいているとか、どうかご用心ください。
我が家の南面はちょっとした林になっているので、夏はセミの大合唱です。けれどもう夏の盛りも過ぎて、朝ベランダへ出ると蝉の亡骸が2つ3つと落ちてい る毎日です。長い間土の中で眠り、やっと表の世界に出て来たと思ったら短い夏をなき通して一生を終わる、そんな生き物もあるのですね。
そして先週は「秦選集 第十五巻」ありがとうございました。立派な厚い本で内容も濃く深く、なかなかするすると読み進むことができません…。少しずつゆっくり読ませて戴きます。
そして「逆らひてこそ、父」 完結おめでとうございます。そして大変お疲れ様でした!
深くはき出されたのだから、きっと今度はその分深く新しい息を吸うことができるはず。ずっと続けている朗読でも「腹式呼吸」は基本中の基本です。深くはき出すからこそ、その分深く息を吸うことができるわけですね。
私も二親とは早く別れ、父とは中学生のときにわかれて以来、最後まで会うことはありませんでした。(正確に言うと小田急線の中で一度見かけたことはあります。)
また私自身も三十代の半ばで小学生だった一人息子を連れて離婚していますので、たくさんの辛苦はありました。
けれどすべて分かれ道において自分自身の決断で決めたことですからまったく後悔していません。
先生の「愛憎」をのぞきみるたびに、本当に情が深いかたなんだなと感じます。お嬢さんへの複雑な想いについても、私などからすれば少しうらやましいほどです。
当たり前の事を申しますが、親子、夫婦といえどもまったく「別人格」ですから、それぞれがそれぞれの自己責任において選び取ってきた結果なのだと思いま す。お嬢さんも悩んだ末、実家を捨てて婚家をとる決断をなさったわけですね。後顧の憂いなく、それぞれの道をきっぱりといくしかないと感じます。
研究者であれ、芸術家であれ、スポーツ選手であれ、名が出るまでに実家の相当の経済支援が必要との話はよく聞きますし、実際そうなのでしょうけれど、やはり人として自分の力一つで世界に対峙すべきだと私も思います。
スヌーピー(漫画の哲学者風の犬)の言葉の中に「配られたカード(トランプの)で勝負するしかない」というセリフがありまして、笑ってしまいました。なかなか意味深で面白いことをいう「犬」なんですよ。
朗読は11月「朗読フェス」では「もっと本も読もう」(長田弘)、10月図書館朗読では「冬の足音」(藤沢周平)を読むことになっています。
「もっと本を読もう」は、詩のなかの言葉を自分の言葉とするために暗唱しました。
どうぞおげんきで!! 田無 ゆめ
* 蝉よ汝 前世を啼くな後世(ごせ)を啼くな
いのちの今を根かぎり鳴け と、聴きも思いもしてきた。
「配られたカードで勝負するしかない」のが当然で、たとえ親でも子でも、ひとの手の内を覗いたり無心したりせず歩んできた、自分(たち)の脚で。しかしまた世の大勢の方々の励ましは、いつもいつも有り難く享けてきた。
耳目をひらいてそれなり気に掛けてきたが、子が父を、舅を、被告席に立たせて「名誉毀損の賠償金」を請求したという実例に、わが実の娘や婿のほか、ただ一例も出遭わない。
では実際に、いったいどんな「名誉」が損なわれたというのか、彼らの訴因は、わたしの的確な反駁をうけるつどくるくる変わり続けて、裁判を経てなお、まるで何の裁判であったのかと、まるで解せない、判らない。良識ではかられる裁判員裁判がぜひ受けたかった。
2016 8/29 177
☆ 昨日
無事、選集⑮巻いただきました。
ありがとうございます。
現在、舞台の稽古を連日やっています。
9/24から一ヶ月のロングランです。
改めて詳しくご案内しますね。
まーご(黒いマゴ)によろしく。
☆秦建日子☆TAKEHIKO HATA☆
* 建日子の「創作」人生、順調にもう久しい。よく努めて、懸命に、かつ楽しむように仕事を重ねまた拡げている。健康でいて欲しい、そして油断なく賢く、怪我と事故とを避けて歩んでいって欲しい。
2016 8/29 177
* 遠くもない郵便局と獣医院へ自転車で、日照りの坂を上り下り行ってきたが、貧血気味なのか朝からかすかによろめいていて、バテた。陽射しに堪えて歩きま わる元気はなく、ま、可能なら山手線で居眠り半分校正半分で二周ぐらいしながら気儘に途中下車してみたいが、とてもそんな酔狂もなりそうにない炎暑。最寄 り駅へ出向くだけでも、五体炎上しそう。
2016 8/31 177
* 夕方、黒いマゴを前籠にのせて、自転車で近隣を、ぐるりぐるりとほぼ十周もしてきた。黒いマゴ、まこと穏和に首を前に左右にのべて穏やかに夕涼風を楽しんでくれていた。
* 写真の電送が出来ていないようだ。ややこしいので、一旦、撤去した。八月の写真が美しく、気に入っている。
2016 9/1 178
* 黒いマゴと起きて、庭で水をのませてやり、自転車の前籠にのせて近くを十数分ゆっくり回走した。涼しくてわたしは心地良いが黒いマゴはどうだろう。いまは ほとんど啼かない。後ろ脚は両方とも関節を外しているかのように開き、それでも、ゆっくりゆっくり歩いて、ともあれ排泄にはきめられた場所へ夜中でも行っ ている。よく鳴いた元気な大きな鳴き声を聴きたいが、この数日、まったく声を出さないでわたしたちの顔をみて視線を合わせようとする。眼がよく見えている のかと危ぶむが、溜めた涙を拭ってやると、もちまえの綺麗な眼が賢く光る。食は、帆立貝や生肉や魚をごく少量なら妻の指先から食べてくれる。輸液もまった くイヤがらない。
心ゆくまで静かに聡いまま生きておくれ。
* 昨日、藤沢の義妹から妻へ、先日の逗子での個展に出ていてわたしも褒めた繪の一点が贈られてきた。画中に、ちいさかった昔の姉妹が写った写真が巧みに 取り込まれてある。その箇所に佳い風が通って、超緻密画を描き続けてきた義妹のとかく窒息きみの画面が自然に和らいで美しさを湛えていた。さっそくビュ フェの薔薇のかわりに玄関正面へ掛けた。
* 義妹は同じ贈り荷のなかに、姉妹の兄・保富康午の二十前頃に書いていた詩集も入れて呉れていた。若い日の友人だったという谷川俊太郎が友情に富んだ跋 を書いてくれて、この詩集じたいは二十世紀末に出版されていた。妹も詩集をもっていて、先日の画展にも幾つかの詩作を壁にピンで捺していたのへ感想を言っ たりした。その時の詩を愛誦したさる音楽家が作を乞うて作曲し、リサイタルで公表されたという話も妻を経て聴いている。
2016 9/1 178
☆ ひたぶるに人を…
『新・罪はわが前に…』と「湖の本」では付されていた、限りなく「私小説と読める創作」を再読し終えたところです。
その何とも言えぬ重苦しさは、「二一」の末、14年半も化石になっていた「ムンクふうの」ラブレターを読み、娘の「片思い」に今更に気付いて流す涙の辺りから後の部分に、ある種の救いの可能性が秘められていたように思います。
(ムンク論を結んでいた「太陽」の詩は、私家版の詩集の序詞として一部表記を改められて既に引用されていた「四」へと戻る仕掛けになっていましたね)
殊に好きなのは、入れ子型に組み入れられた(475頁以降)の「萩」の文章と最後の「硯滴」です。
あのような「奥野」が(或いはそうした「奥野」なればこそ)このように艶かしくもたおやかな文を「長かった夏のなごり」に綴り、そしてまたしんみりと胸に沁みる師走の描写で、この「遺書」を閉じることができるのだなぁと、深く深く感じました。
この作の後の日々こそが書かれざる我が「私小説」そのもの、「老いの恋」「老いの性」を書きたいとどこかに書かれていた新作は、『罪はわが前に…』三部作の綴じ目とも、「起承転転」の真の「転」にもなろうかと心待ちにしています。 九
* 表題に引かれてあるのは、岡野弘彦さんの名歌で、愛誦惜しまぬこの一首。
ひたぶるに人を恋ほしみ日の夕べ萩ひとむらに火を放ちゆく
* 有り難い感想であった。
じつにじつに心重い仕事だった、どう静かに一篇を終えるのか、日々に痩せる思いだった。
しかし、わたしは書いた。「書く」ことにいささかの迷いも無かった。渾身の筆を運び続けた。
正直にいえば、このままで「終わり」にしたかった。
出来なかった。
2016 9/3 178
* 黒いマゴの衰弱痛々しく、それでも便意あれば懸命にきまった場所へ行こうとする。後ろ両脚はまったく脱臼しているようで、しかし痛みも訴えない。啼きもし ない。視力がどれほど残っているのか、かすかに視線を送ってくるが。ものを敷いてテーブルに乗せ、なるべくわたしたちの身の傍にいる心地でいて欲しいと。 時折りそっと頭をもたげていたりするとホッとする。聴診器での心音は健在に想われ、医師は心臓肝臓、きれいですと。けさも意志的に戸外へ出て水道水を呑み たいと。水を呑み、かすかに食欲もみせた。が、もう、まともな身働きは、できるよりできないに近く、それでも黙々と歩こうとはする。
2016 9/4 178
* 京都の画家林康夫さんから、選り抜き、美しいほどの京の漬物各種を、お手紙添えて頂戴した。
お漬け物だと、茄子も小さい頃からむしろ喜んで食べてきた。お酒のアテにも恰好の妙味で、粋な味わい。
煮さえしなければ、(煮ては、サンザンの気味悪さだが)、茄子はなんと美しい野菜だろう。丸くても長くても。そして茄子の花の優しいこと。茂吉の歌に幹 のまま腐れている「赤茄子」というのはトマトだろうと受け取ってきたが。トマトも、真夏の汗みづくで家にかけこみ、井戸水に冷やしたのへとびつくようにか ぶりついた季節感、なつかしい。日焼けし上気した少年の口に赤いトマトは繪になって似合った。
京の新門前にあった我が家には、かなり深い井戸があり、釣瓶で汲み上げる井戸水は真夏でも冷やっと手をひくほど冷たかった。なぜか「一閑人」のように井戸を覗き込むのが少年のころ好きだった。他界への通路のような気がしていて、そんな掌説も後年に書いた。
奥の部屋のそとに、山茶花や笹に囲まれた、ま、あれで畳一枚ほどの泉水があった。金魚やちいさな鯉をだいたい十尾ほどいつも放していた。泉水とは名ばか りでわき水ではなく、それで年に何度か水を換える、その役は少年のわたしがした。古い水をバケツへ何十杯もくみ出して井戸わきの「流し」へ流し、井戸水を 何十度も汲んでは泉水に満たした。そんな作業の前には小魚たちをつかまえてワキへよけておかねばならない、それがまた楽しい遊びでもあった。
* もの忘れひどく、ことに固有名詞を忘れ果てて困惑することが増えたが、新門前時代は、つまり京都で暮らした時代は、おおかた、しっかり記憶が甦る。上のような断片をも湧くにしたがいちとちと書き置くのも、人さまはしらず、わたしには佳い滋養かもしれない。
2016 9/4 178
* 仕事をしている大テーブルに敷物を敷いて黒いマゴを横臥させていた。トーサンやカーサンの居ずまいも声も感じ取れるのが安心だろうと。
と、気が付くと、黒いマゴ、向こう(テレビ)向き横臥のまま、それはそれは美しいほどの弧状の橋をかけたように細いきれいな尿をものの三十秒の余も、音もなく放水してみせた。妻もわたしも、ただもう眺めて、何故とはないが嬉しくさえあった。
2016 9/4 178
* わたしが入浴すると、どこにいても、かならず浴室へ顔を出して湯や水をのんで行った黒いマゴが、今夜は顔を見せに来なかった。湯に漬かったまま、源氏 物語「葵」の巻、バイアット「抱擁」の、後半の後半の、かなり、くんづほぐれつ物語が錯綜する辺、そして近江国でかつて彦根藩領と郡山藩領の農民に起きて いた規模の大きい抗争と結果そしてその後にかかわる論文を読みふけっていた。
* 今は機械の前で、(およそ選集の一巻分に剰りそうな)長編新作の最終部の仕上げに唸っていた。頭、禿げそう。
* うかとしていたが、明後日は久し振りに聖路加眼科で諸検査がある。朝の十時半の診察予約だが、検査のためには一段と早くに顔を出さねばならない。ゴッホとゴーギャンでは雑踏が辛い。出光が何をやっているか。しかし、黒いマゴの容態も心配だ。
2016 9/4 178
* 黒いマゴ、水が飲めなくなった。排泄の自律もむずかしくなった。見ていない瞳と見ている瞳とがぼんやりと交替し、時にわたしを見ようとする視線を向けてくる。
* 泣いている。
* 空也上人が歩いていると、ある家の門に年七つになる子が泣いていた。上人が訊ねるとその子は、二つの時父に死なれ、今朝また頼む母一人にも死に別れた哀しさに泣くという。
上人は「泣くな泣くな」と励まし、「朝夕歎心忘、後前立常習」と口ずさみながら行ってしまった。
子どもはぴたりと泣きやみ、近所の者はあんなに哀しんでいたのにといぶかしんで訊くと、その子は即座に、「朝夕になげく心を忘れなん後れ先立つ常のならひぞ」と詠った。上人の口ずさみをとっさに歌一首によみ解いたのだ。
ただものでないと人が感心した通り、この子はのちに立派な僧になったとか、と『古今著聞集』哀傷の項の、「空也上人詠歌慰孤児事」は書いている。
☆ お元気ですか、みづうみ。
九月のお写真のマゴを拝見しました。すっかり痩せてしまい胸が衝かれて、お見舞いの申し上げようもなくご連絡まで遅くなってしまいました。お許しください。お悲しみの場所がいっぱいの幸福でみたされますよう陰ながらお祈りするばかりです。
選集第十五巻無事に届いております。ありがとうございました。
第十五巻で、『ディァコノス=寒 いテラス』と『逆らひてこそ、父』の二作を一巻になさいましたこと、素晴らしい編集だと思っています。大変稀少なご本なのでお願いしてよいものか迷ったの ですが、もし可能なら別に一冊購入させていただけませんでしょうか。配本については色々なご予定もおありと存じますので、どうかどうかご無理はなさらない でくださいますように。自分用一冊を欲張って保存したいという話ですから。
明日の聖路加、検査の結果良好で、お疲れののこりませんように。
袷 秋袷身を引締めて稽古事 虚子
* お見舞いありがとう。
写真は、衰えのみえないように撮りました。実際は、謂うに堪えない痩せようで。今日は、ほぼ一日ものも食べてくれず水ものんでくれず、毛布ごと卓にのせて おいてやると、じっとわたしの眼を追い視線を送っていました。もう排泄を節する運動力もなく、うしろ脚は関節がぜんぶ外れています。それでも苦痛を訴えて 啼くこともなく、静かに静かに生きています。 みづうみ
2016 9/5 178
* 黒いマゴは、卓の上に寝かされていて、わたしが席にいるとまじろぎもせずわたしの眼を求めて見つめ続けている。黒いマゴにこんなにも愛されているのか と万感こみ上げてくる。わたしが用で立って二回などへ行っていると、妻の眼をじっと追い求め見つめている、横になったまま。もう自力では寝返りも打てな い、かすかに首を動かしてわたしたちの眼を見に来る。席へ戻ると、かすかに首を傾け動かしてわたしの眼を見つめる。
さっき、妻が排泄の後をからだまで綺麗にしてやって、ちょっと離れたとき、この数日一声も声を漏らさない黒いマゴがちいさく鳴き声をきかせた。妻は驚喜 して傍へ行くと、じつは、また粗相していて「それをごめんねって報せたのよ」と妻は泣いた。そんな遠慮はしなくていいよ、黒いマゴよ。
2016 9/5 178
* 病院を出ぎわに家へ電話した、黒いマゴは静まりきって寝ていると。慌てて帰らなくてもいいわよと言うので、朝食抜きであったから、「ボンシャン」で昼食。みごとな前菜、海老の料理と、メインは黒毛和牛のステーキを頼み、ワインはソムリエにまかせて美味い赤を二杯。デザートと例の濃い珈琲。美味かった。
銀座一丁目からストレートに保谷へ。
ところが駅前タクシーが来ない。照りつける日盛りに立ちつくしたまま一時間、定時バスを二台もやりすごして頑固にガンバリ、あわや熱中症かというまで待って待って、かろうじて家に帰れた。美味い昼食を摂ってなかったら斃れていたかも。
2016 9/6 178
* 黒いマゴ、広い卓に寝かせて、同じ所でわたしも妻も用事をしている。ジーッと視線を視線に結んでくる。一声も声出ず、身動ぎもむずかしい。ふかいゆる い呼吸をし、排泄もしている。しかし食べてくれない。水は、スポイトでいっそ強いている。輸液も欠かさない。しかし針をさす場が無くなってきた。抱いてや ると掌に痛いほど骨がさわって、肉部はほとんど無くなった。苦痛を訴えることもまったく無い。じいっと、わたしたちと一緒にいて、わたしたちを見ている。 見つめている。見えているとは思えない瞳の時と、生き生きと視力を感じさせる瞳の時とが有る。ただただ見守っている。十七歳になっている。われわれよりも 老齢なのだろうが、とてもそんな気になれず、黒いマゴ、孫のような我が子に思えて長く久しくともに生きてきた。
2016 9/6 178
黒い猫のマゴは逝きしか生きの緒を
静かにゆらし吾ら観てをり
九月七日八時二十分に黒いマゴは
ややに顫へて生きおさめたり
その時し無言電話ひとつ鳴り来しか
マゴを抱きくれし亡き孫の声ぞや
ネコとノコもこころ優しく迎へくれて
父・母のことなど聴かされをらむ
2016 9/7 178
* 最愛の黒いマゴ、朝、八時二十分、父と母と眼を合わせたまま、父の与えるスポイトの水を数滴含み、やがて、しずかにかすかに痙攣し、啼くことも苦悶もなく、生きの緒をまこと穏和に天に預けた。天のやす香が迎えてくれた報せも聴いた。
黒いマゴ、本当に本当に、十七年、ありがとう。わたしたちの地獄苦のような歳月をも、よく倶に一処に生きて励まし慰めてくれた。
* 『死なれて 死なせて』を書いたときはもう祖母なるネコに死なれ死なせていた。哀しみを身いっぱいに抱いたまま書いた。そして十九年生きた娘の(ネ コ)ノコを辛い思いで死なせてしまった。ネコ・ノコのいまも暮らしている奥津城へ黒い男子のマゴも送ってやろう。いつか、わたとたちも同じ家へ帰って行 く。やすらかにあれよ、黒いマゴよ。
☆ マーゴちゃん
愛されて 見守られて 幸せに天国へ行けて良かったですね。
静かに亡くなるのは 、お二人への 愛の通信だと思います。
ひと足お先にね また逢おうねと言って…
さびくしくなるでしょうが 魂はいつも一緒です。 琉 義妹
* 少しも様子変わらずに卓の上でマーゴはわたしを見、妻をみて静まっている。
2016 9/7 178
* 卓の上で昼寝しているような黒いマゴの肢体をずうっと見つめていて、泣けて泣けてどうにもならない。タオルで蔽った躯も少しずつ冷えて来たか。ずうっとずうっとこのまま傍で見守っててやりたいが。泣けて…どうにもならない。
こんなことはわたしたちと黒いマゴとだけのこと、よその人には無縁のこと。だからひとしお胸に沁みて悲しく寂しくた堪らない。空也上人のいわく「後れ先立つ常の習い」と分かり切っていて、だから悲しくは無いなどとは容易に言えない。
いつも二人でかけるとき、必ず黒いマゴに留守をお願いしていた。黙って二階のわたしの部屋へ、ソファへ上がっていった。帰ってくると玄関へ迎えに出てく れた、嬉しそうに大声で鳴いて。ほんとに何でもよく判ってくれる子だった。家にいると一緒に遊んでくれと甘えに来て、よくカーテンの後ろへ隠れた。どこかな あと探すとカーテンの下から尾のさきを出して見せ、それでも「どこかなあ」と名を呼んで探してやると、きまってものかげで「ここにいるよ」と鳴いて教える黒 いマゴだった。
2016 9/7 178
☆ 今、マゴとのお別れを知りました。
残された時間の長くないことは存じておりましたが、今朝のことでございましたか。
心よりお悔やみ申し上げます。
猫にも犬にも人間には決して持ち得ないかたちの幸福があり、人間のどうにもならない癒し難いものを深く慰めてくれます。何かを成そうとしてではなく、ただ 誰かの傍にいるために生きてくれます。わたくしはその無心の幸福を羨ましく思ってきました。看取るためには先に死ねないと思うのですが、いつかわが家にも 訪れる愛猫との別れを考えるとダメージの大きさに鬱になりそうです。
別れのない人生は出逢いのない人生ですから、別れの嘆き悲しみも、出逢えた大きな幸福の中にすでに含まれていると思うしかないのでしょうか。
みづうみと奥様に愛されてしあわせな猫ちゃんでしたね、マゴは……。輸液の毎日が長く続いていましたが、みづうみと奥様のために長い間頑張ってくれました。
静かな大往生でございましたね。
桐 桐一葉日あたりながら落ちにけり 虚子
☆ マゴちゃん、
ゆっくりお別れができるように一日待ってくれたのでしょう。
本当に優しい、聡い子だったのですね。
深く愛し愛されたマゴちゃんのご冥福を、心よりお祈りします。 九
* ありがとう存じます。
* 黒いマゴを卓の上に寝かせたまま、話しかけ話しかけ仕事もし、いつも魚をよろこんでくれるので出前の鮨をとって、寂しいけれど声を弾ませながら夕食もした。
晩は、たまたま見つけた映画「動乱」を耳に聴きながら、静かにしずかに寝入っている黒いマゴの顔へもときどき話しかけ話しかけ、そこで出来る仕事をつづ けていた。命ということを、思い思いながら。二、二六の青年将校達無念の死刑も寂しい限りだった。あれから日本は崩れて行き、今なお崩れ続けてハッキリ危 機にある。そんなこと、賢かった黒いマゴにもわかっていたろう。バルビュス「砲火」や「光」の思いを切々思い返した。
* 今夜は、川になって寝ようと思う。
2016 9/7 178
* 朝から、黒いマゴの静かな静かな体を卓に置いていろんな仕事をしてきた、話しかけ話しかけながら。泣きながら。この子の姿も声も無くなった家の中など 想像できない、寂しくて。 人間に向かう以上に小動物に親愛を覚えるなど、精神の衰弱脆弱にほかならないと思っているが、無用に強がってみせても始まらな い。
2016 9/8 178
* どっちかが黒いマゴのそばについてやりながら用事や仕事を。二晩目を、そばて寝てやることに。明日夕刻の歯科、黒いマゴに最期の留守番を頼んで出かけ るかも。「お前に留守番を頼めると父さんも母さんもとっても安心なんだよ」と言い言い、十七年も、よく留守番を引き受けてくれた。一度の事故もなかった。 いやがって、すねたり、あばれたりなどしなかった。黙って二階のわたしの機械部屋でソファに寝て帰りを待っていた。ただいま、かえったよというまでもな く、気配で、とんとんと嬉しそうに玄関へ迎えに降りてきてくれた。悲しいことに、明日はもし留守を頼んでも、迎えには来て呉れられない。
* 十時前だけれど、もうやすもうと思う。
2016 9/8 178
* 目ざめたら妻は床にいなくて黒いマゴが毛布にくるまれて横で寝ていた。顔の見える側へ移って顔にキスし手足を手につつんでやり、よく歌ってやった思いつきのまね歌を泣きながら三度歌って聴かせた。
マーちゃんはネ マーゴっていうんだホントはね
だけどチッチャイから 自分のこと マーちゃんて 云うんだね
カワイイね マアちゃん!
* 妻は庭からすてきに新しい綺麗な木槿と朝顔とをコップに入れていた。
もう、猶予はならないと覚悟した。今日ひとりで留守番をさせるなど、可哀想で出来ないと覚悟した。
ここぞと思っていた、ネコやノコたちの奥津城のわき、巨木に育った隠蓑の根方、南天たちの根方をわたしがスコップで懸命に掘った。深く掘った。木の根た ちが蔓延っているのを謝り謝り、ネコやノコにもマゴをかわいがってやってねと頼んだり謝ったりしながら、窮屈な姿勢で懸命に掘った。二十一年前のノコの骨 が微塵の白いモノに変じて土の深みに無数に現れた。
妻が、やわらかい袋に黒いマゴの可憐なからだを穏やかにくるんでやった。お別れではないよ、さよならなんて云わないよ、またネコやノコもいっしょ、黒い マゴも一緒に暮らそうねと語りかけながら、はなも一緒に、土を高く盛ってやった。傍の石の上へ木槿たちの花をかざり、線香をたっぷり燃してやった。九時十 五分。
黒いマゴ、ほんとうにほんとうに有り難う。よく我が家へ来てくれた、永く仲よく素晴らしく楽しく嬉しくわたしたちと暮らして、生き甲斐明るい佳い歳月をわたしたちに贈り物してくれたね。ありがとう。
* 食卓の上で向き会ってきた四日三日だった。二た夜、川の字に寝た。このように過ごせて黒いマゴ、おまえも、わたしたちも幸せだった。記憶は宝だが、ああ残念と思い残すなにものも無い。
父さんは仕事、家運は暮らし、に、しっかり生きて行くよ。
湖の本131の刷りだしが届いた。「選集」二十一巻以降の函表紙や本体背文字などの置きプランも届いた。「秦 恒平選集」大三十三巻が出来たら、黒いマゴにも一冊献じよう。
* がっくり気落ちして寂しい夫婦は、三時過ぎ、土の下でモコやノコと出逢ったであろう黒いマゴに、出かけてくるよと声を掛け、まず、江古田まで。銀行 で、一つは凸版印刷に選集⑮巻の支払いを、また染五郎の「そめいろ」へ九月歌舞伎の支払いを済ませてからも二丁目の歯医者へ。娘のような女先生にもっと大 事にしなさいと痛いねじを巻かれてきた。それでも歓談し、ドア外まで出て見送られてきた。
バス、新江古田駅で途中下車し、久し振りに「リオン」でゆっくりフレンチのディナーコースと赤ワインを味わってきた。ブックオフにも立ち寄り、「聊斎志 異」分厚い上下巻を千円足らずで買ってきた。古今のいわば怪談、珍話、寓話の満載本で、日本語訳がすてきに宜しく、無類に面白い読み物として永く愛読でき る。
2016 9/9 178
* 黒いマゴの新しい家を飾って、昨日朝にコップに添えた底紅の木槿、一日花といわれる木槿が、夜中も、今朝も美しく花咲いたままで。ゆうべは夜 通しテラスに灯をつけておいた。手洗いに立つつど呼びかけていた。けさもそばへ行って声を掛けた。「ありがとう。マゴ」と。この家も庭もみんなおまえたち (黒いマゴ、ノコ、ネコ)の世界、好きなように駆け回れよ」と。「父さんや母さんがしょげていたら、マゴ、励まし助けておくれ」と。
* テラスの端で、小さいスコップ一つ、左半身に無理強いの姿勢で長時間、黒いマゴの新しい家を
用意してやった、その痛みが左腕、左肩、左尻、左脚に来ている。なんでもない。
2016 9/10 178
* 黒いマゴの永眠を悼んで獣医院の皆さんから、お花が届いた。ありがたく墓辺を華やがせてやった。妻が、めっきり参っている、わたしもだが。だが、シャ ンと生きねば黒いマゴをかえって哀しませることになる。明後日から、創刊三十年記念の「湖の本131」発送を始める。明日もう一日の余裕を大事にしたい。 左半身の痛み、和らぎますように。発送用意は、今し方ほぼ終えた。一歩一歩歩き続けていないと喪失感に参りそうになる。
2016 9/10 178
* 堀上謙さんの訃報に動顛し、想い乱れたまま、宜しくない夢見から身を揉むように目ざめたら、六時前、妻はもうキッチンにいた。そのまま起きてしまった。
* 脱水ひどく腎臓、肝臓最悪と警告され輸液を指示されたのが三年前の真夏八月だった、以来、輸液と投薬をほぼ一日も欠かさず、想えば三年ものあいだ、黒 いマゴはわたしたちへの愛情のままに耐え抜いて生き長らえてくれた。何といっても黒いマゴ自身のガンバリは言語に絶していたのだった、しかもついこの夏八 月まで、黒いマゴが苦痛をうったえて啼いたり騒いだりしたことは一度として妻もわたしも、記憶がない。最期の最後まで静かだった、ただいつもいつも視線を 求め視線をひしと合わせて飽くことなくわたしたちの眼をみつめて、庭へ出たい、水をのみたい、砂でおしっこをしたよ、うんこをしたよとそのつど教えに来 た。後ろ脚はまったく脱臼してか使えないのにゆっくり家も庭も歩いて、夜中の便意尿意にも自分で砂場へ行って排泄していた、しようと努めてくれていた。
久しく久しいわたしの希望であった、自転車の前籠へいれていっしょに走り回ることも、八月、九月に入って亡くなる二三日前までじつに静かに、しかも顔を上げてご近所をたしかめ楽しむように一緒の時間をわたしのために創作してくれた。嬉しかった。
☆ 九月
悲しみの日々、死なれた者の思い、どうぞ堪えてください。
御身大切に。迪子様大切に。 尾張の鳶
* 書きかけの長い小説のなかへ黒い子猫の「存在」を、これまでも触れてきた以上に、もっとしっかり大きく造形してみようかと思い立っている。それあるゆえに「脱稿」しかねていたのかと。
* 往年 愛したネコを悼んで
1984.04.15 愛してやまぬ「ネコ」逝けり
ネコ逝きてふた月ちかくなりゐたる吾が枕辺になほ匂ひゐる
この匂ひ酸しとも甘しとも朝夕にかぎて飽かなくネコなつかしも
線香も残りすくなく窓の下に梅雨まち迎へネコはねむれり
* 母ネコはそれ以前、一九七六年春の頃、我が家の近くで娘のノコを生んで、我が家に引き取られてノコを賢く育てて、六年の間、暮らしていた。わたしを、千年の恋人かのようにいつもみつめて、ノコにもだれにも愛情あふれて静かな聡い優しいネコであった。
母ネコが亡くなったとき、テラスの遺骸のそばへ、いったいどこから持ってきたのか太ノコは、太い竹輪を一本銜えてきて、母のすぐ傍へ置いたのには天を仰 いで泣かされた。驚愕した。埋葬の時は、二階の屋根のヘリからじいっと母ネコの葬られるのを見下ろし見送って動かなかった。
1995.8.6
鳩啼くや愛娘(ノコ=母ネコの子)十九年を生きぬけり
この心優しいネコの子、つまり「ノコ」ちゃんは、十九年我が家に生きて、愛おしい限りのわたしたちの秘蔵っ子だった。不幸にして病魔に遭い壮絶の最期だった。泣きに泣いた。いまでも泣く。
黒いマゴは、十七年生きてわたしたちの無二の「身内」になった。
99.10.4
このマゴを斯うも愛しては良くないと
深くおそれて頬寄せてゆく
09.12.21
黒いマゴの我の湯槽で湯を呑める
ただそれだけが嬉しくて笑ふ
この十七年の間に、わたしはいとしい孫娘やす香に死なれ、死なせ、あげく、実の「娘、婿」の連名で、やす香を「死なせた」とは親が「殺した」と謂うの だ、名誉毀損だ損害賠償金を支払えと訴えられ、数年もの被告席裁判苦に、腸も凍えて千切れそうな苦痛と堪忍に堪えねばならなかった。かりにも哲学を学び説 くインテリ夫婦の、かかる実親への仕打ち例が、世の中に有ったりするのか、わたしは曾て知らない。しかも父・秦 恒平に、それよりずっと以前、ベストセラーにもなった志の文化叢書の一巻『死なれて 死なせて』の著のあったこと、それを読めば著者の説く「死なせて」の 意味は誰にもはっきり明確に知れるというのに…。
黒いマゴは、裁判沙汰の間、終始、私を慰め励まして最たる温かい命であった。彼に日々励まされてわたしたち祖父母は仕事にうちこみ、五百頁平均の「秦 恒平選集」を出し始めはや第十五巻、「湖の本」は創刊三十年を迎えて第百三十巻を達成、それらを皆きっちり見届けてから、黒いマゴは静かに静かに、かすか に身を顫わせて、わたしたち二人の眼前で息絶えていった。泣かずにおれない。
十七年のあいだに、わたしは胃癌で胃全摘し、一年間の苦しい抗癌剤にも堪えた。三度入院した。四年半が経った。
12.02.24
人の見舞ひ欲しくはなくも黒いマゴの
受話器の闇に鳴くがかなしき されど嬉しき
どんな遊具にも見向きもせず、黒いマゴはひたすら私や妻と「遊び」たがった。家中の隠れん坊が大好きだった。
12.09月
ちりんと鈴鳴らして在り処(ど)おしえつつ
黒いマゴはわれを隠れんぼの鬼に
12.10月 黒いマゴ 最愛の猫
われが着肌を好んでマゴの敷寝する
汝(な)が夢に かけて悪政などあらじ
13.01.19
隠れ蓑の根かたに埋めしネコ・ノコよ
しばし待てよわれもそこが奥津城
ネコとノコと黒いマゴもゐてさもこそは
和(おだ)しき後世(ごせ)のわれらの家ぞ
13.02.21
三角の帆がけのやうに黒いマゴは
耳だけ上げて熟睡(うまゐ)すらしも
三角の帆だけのやうに耳だけで
熟睡の黒いマゴが愛らし
13.10.05
黒いマゴの三角の耳の一つだけ
妻と寝ていてまだ六時半
16.04.05 妻傘壽
相あひの八十路に匂ふ櫻よと
傘かたむけてあふぐ此の日ぞ
黒いマゴと迪子とわれに咲く花の
天晴(あは)れ八十路を生きて行かまし
2016 9/11 178
* 発送の仕事しながら、妻とわたしとで、まるで交替のように、黒いマゴの「不在」に泣いている。家中のいたるところにいて、さも父さんや母さんを待っていた黒いマゴなのに、今は…いるはずの黒いマゴがいないのだ、何たることか。
* 読者分から送り始めた。作業は順当に進んでいる。作業の合間にも黒いマゴの不在が不当に悲しくてせきあげるものを堪えきれない。話しかけに庭へ出て、テラスへ腰を下ろしてしまう。
五体と眼と気の疲れにぐたりとしている。九時前。明日のことを思い、もう休息しよう。
2016 9/12 178
☆ お元気ですか、みづうみ。
雨の 一日。お悲しみの時間をお過ごしのご様子に胸が痛みます。ペットロスと言葉にしてしまうと一つの治療可能な病気のように分類されてしまいますが、動物との 出逢いと別れはそれぞれのひとにとってかけがえのない愛の経験で、人間との死別とはまた違う種類の癒し難い悲嘆だなあといつも感じています。
世界には野生のシャチや水牛やライオンと深い友情に結ばれて、そして死なれて立ち直れない悲しみを抱えている人もいますし、死にゆく愛猫を看取りながら自 分も一緒に連れていってくれと号泣した男のひととか、愛犬の死に衝動的に後追い自殺をはかろうとして踏みとどまった身近な話も(二人も!)聞いたことがあ ります。泣き暮らした友人曰く、次の犬を迎える以外に喪失感を癒す方法がなかったそうです。つい最近もご近所の奥さんからこんなに堪(こた)えるとは思わ なかったと、猫ちゃんの病死の話を伺ったばかりでした。
人間のお葬式で泣くひとはめったにいないが、ペットのお葬式では男でも泣くひとがたくさんいるというお坊さんの話も読んだことがあります。
「人間に向かう以上に小動物への親愛に溺れるなど、精神の衰弱脆弱にほかならない」というみづうみのお言葉はその通りなのでしょうが、愛犬愛猫との別れに おける人間の手放しというほどの悲しみ方には、何か特別なものがあるのかもしれません。言葉のない関係だから、胸から胸への信愛、人間どうしのように見返 りを求めあわない関係だから……でしょうか。
わたくしは幸いにも十年前に同居をはじめた猫との変わらない毎日を過ごしています。二十歳までは生きましょうねとよく言い聞かせていますが、ペットロス、しかも重度のペットロスになるのは避けがたいことです。
それでも人間とのお別れとは比べものにならなくて、人間の場合は悲しみに身を任せられないほど、泣けないほど哀しく複雑で深刻なものです。マゴをお見送りになってすぐに堀上謙さんのご訃報にどんなにご心痛のことかとお察ししています。
書くという「喪」のお仕事が、みづうみのせめてものお慰めとなりますようにお祈りするばかりでございます。
湖の本を待ちながら 火 送り火や音なくそよぎゐる草木 占魚
* 悲しめば、黒いマゴも悲しむのだと、こらえている。のこされた人間は人間らしくつとめて生きること。
2016 9/13 178
* やがて三時。送り作業、一応終えた。疲れました。妻と二人だからできる仕事。感謝。
2016 9/14 178
* 明日の歌舞伎座は、黒いマゴの、きっとそうだと想う、愛の籠もったわれわれへのプレゼント。
容態が善転しなければ歌舞伎は諦めようと思っていた。そんなトーサンとカーサンの囁きを黒いマゴは察していたのだ。六日の、わたしの聖路加眼科へもちゃ んと行かせてくれ待っていてくれて、明くる朝の静かな永眠だった。九日の夕方には二人での歯医者行きが予定されているのも、黒いマゴはちゃんと知ってい た。留守番をさせるのは可哀想でもトーサンは一緒に留守番と決めていた。黒いマゴは聞き分けていたと想う。
2016 9/14 178
* 寸断の眠りのママに床を離れた。久しい例のままに「マーゴ、おっは」と呼びかけて。
* 昨日は雨にも降られず、銀座一丁目まで。大通りへあがったその場で、妻の着てきた藍染めのブラウスに羽織って恰好とみえる上着を見つけ、妻も気乗り し、試着して、そのまま着込んで歌舞伎座へ歩いた。茜屋珈琲店でマスターとしばらく歓談、歌舞伎座稲荷に頭をさげて、四時十五分ごろ劇場に入った。染五郎 の番頭さんに筋書きをもらい、今日は花道わきの四列という絶好席。大芝居の「吉野川」では玉三郎定高と吉右衛門大判事の、両花道、大川を遙かまたいだ遠声 のやりとりが絶対の聴きもの。ごく間近に美しい玉三郎の朗々の大科白を堪能のうえに、さらに私らの席の手も届きそうな真ん前で、若く美しい菊之助雛鶴姫と 母定高との命懸けの大芝居になる。吉野川に隔てられ、上手には染五郎久我之助の館が、こなた下手には雛鶴姫の館があり、二人は両家の事情にさえられて逢う もならない相思相愛。その久我之助は川のあなたからまっすぐわたしと妻との席へ向いて懊悩と愛の科白を云う。高麗屋は、大芝居「吉野川」を観るにこの上な い佳い席を用意してくれていた。しかし黒いマゴになお命脈があらばわたしたちはこの九月秀山祭を断念して誰かに券を譲気だった。黒いマゴの情愛で観るをえ たこの日の観劇にわたしは妻が描いた彼の最期の繪像を持参し、花道にまぢかな最高の玉三郎を観せてやった。大和屋を驚かせたかも知れないが。
* 「妹背山婦女庭訓」はとびきりの歌舞伎。「吉野川」の幕の背景は、大化改新前夜。それへ、ロミオとジュリエットなみの相愛劇が愛を貫いて本当の悲劇に なって行く。母定高は愛ゆえに覚悟の愛娘雛鶴の、父大判事は愛ゆえに覚悟の愛息久我之助の頸を、自ら斬って二人の「祝言」とする。その背後には、恣まに国 崩しの巨悪「蘇我入鹿」への反抗という政治姿勢が働いている。
* 雛飾りの華やぎの前で玉三郎と菊之助という最高・最良のコンビネーションを、梅枝、万太郎、芝のぶら最小の人数でもりあげる覚悟と悲哀の極。
今一方は父吉右衛門と息染五郎と二人だけの決意の最期劇。
佳い芝居、まこと大歌舞伎の美しさ悲しさを、よく盛り上げてくれた。
黒いマゴもビックリし感嘆していただ。
* 中幕はお笑いの「らくだ」 これをまことすっきり仕立ての好台本で、染五郎の紙屑や、松緑の半テキ、なんと亀寿のらくだで大笑いのかんかん能を踊る。家主夫婦に歌六と東蔵という贅沢な顔がそろい、わたし贔屓の米吉がいいおてんばを見せてくれた。
この芝居、延々と焼き場まではこんだ冗長劇をむかし見せられ興褪めしたが、今夜の舞台はまことに親切で簡潔ないい笑劇に成功。らくだに抱きつかれた紙屑や染五郎に、みごとに笑わせられた。松緑のカッコいい流暢なべらんめえだが、聴き取りにくいのは、難。
* 大喜利は、美しいかぎりの大和屋坂東玉三郎を女王然とはなやかに取り囲んで元禄の男・女大勢が蝶のように舞い遊んでみせる所作の花舞台、踊りの好きなわたしは大満足。黒いマゴにも観せてやった。マゴに見せてもらった今夜(昨日)の歌舞伎座秀山祭でした。
* はねて八時半。日比谷へ走って、久し振りにクラブ入り。シーバスリーガルをダブルで三杯、暫くぶり、いや久し振りのウイスキーが美味かった。妻はちいさいビール。おきまり、エスカルゴ、そしてサイコロステーキ、これが美味かった。満足して、帰路に。帰宅して、十一時。
やっぱり玄関から家の中へ、「タダイマぁ。帰ったよう、マーゴ」と呼んだ。
2016 9/15 178
* 寸断の眠りのママに床を離れた。久しい例のままに「マーゴ、おっは」と呼びかけて。
* 昨日は雨にも降られず、銀座一丁目まで。大通りへあがったその場で、妻の着てきた藍染めのブラウスに羽織って恰好とみえる上着を見つけ、妻も気乗り し、試着して、そのまま着込んで歌舞伎座へ歩いた。茜屋珈琲店でマスターとしばらく歓談、歌舞伎座稲荷に頭をさげて、四時十五分ごろ劇場に入った。染五郎 の番頭さんに筋書きをもらい、今日は花道わきの四列という絶好席。大芝居の「吉野川」では玉三郎定高と吉右衛門大判事の、両花道、大川を遙かまたいだ遠声 のやりとりが絶対の聴きもの。ごく間近に美しい玉三郎の朗々の大科白を堪能のうえに、さらに私らの席の手も届きそうな真ん前で、若く美しい菊之助雛鶴姫と 母定高との命懸けの大芝居になる。吉野川に隔てられ、上手には染五郎久我之助の館が、こなた下手には雛鶴姫の館があり、二人は両家の事情にさえられて逢う もならない相思相愛。その久我之助は川のあなたからまっすぐわたしと妻との席へ向いて懊悩と愛の科白を云う。高麗屋は、大芝居「吉野川」を観るにこの上な い佳い席を用意してくれていた。しかし黒いマゴになお命脈があらばわたしたちはこの九月秀山祭を断念して誰かに券を譲気だった。黒いマゴの情愛で観るをえ たこの日の観劇にわたしは妻が描いた彼の最期の繪像を持参し、花道にまぢかな最高の玉三郎を観せてやった。大和屋を驚かせたかも知れないが。
* 「妹背山婦女庭訓」はとびきりの歌舞伎。「吉野川」の幕の背景は、大化改新前夜。それへ、ロミオとジュリエットなみの相愛劇が愛を貫いて本当の悲劇に なって行く。母定高は愛ゆえに覚悟の愛娘雛鶴の、父大判事は愛ゆえに覚悟の愛息久我之助の頸を、自ら斬って二人の「祝言」とする。その背後には、恣まに国 崩しの巨悪「蘇我入鹿」への反抗という政治姿勢が働いている。
* 雛飾りの華やぎの前で玉三郎と菊之助という最高・最良のコンビネーションを、梅枝、万太郎、芝のぶら最小の人数でもりあげる覚悟と悲哀の極。
今一方は父吉右衛門と息染五郎と二人だけの決意の最期劇。
佳い芝居、まこと大歌舞伎の美しさ悲しさを、よく盛り上げてくれた。
黒いマゴもビックリし感嘆していただ。
* 中幕はお笑いの「らくだ」 これをまことすっきり仕立ての好台本で、染五郎の紙屑や、松緑の半テキ、なんと亀寿のらくだで大笑いのかんかん能を踊る。家主夫婦に歌六と東蔵という贅沢な顔がそろい、わたし贔屓の米吉がいいおてんばを見せてくれた。
この芝居、延々と焼き場まではこんだ冗長劇をむかし見せられ興褪めしたが、今夜の舞台はまことに親切で簡潔ないい笑劇に成功。らくだに抱きつかれた紙屑や染五郎に、みごとに笑わせられた。松緑のカッコいい流暢なべらんめえだが、聴き取りにくいのは、難。
* 大喜利は、美しいかぎりの大和屋坂東玉三郎を女王然とはなやかに取り囲んで元禄の男・女大勢が蝶のように舞い遊んでみせる所作の花舞台、踊りの好きなわたしは大満足。黒いマゴにも観せてやった。マゴに見せてもらった今夜(昨日)の歌舞伎座秀山祭でした。
* はねて八時半。日比谷へ走って、久し振りにクラブ入り。シーバスリーガルをダブルで三杯、暫くぶり、いや久し振りのウイスキーが美味かった。妻はちいさいビール。おきまり、エスカルゴ、そしてサイコロステーキ、これが美味かった。満足して、帰路に。帰宅して、十一時。
やっぱり玄関から家の中へ、「タダイマぁ。帰ったよう、マーゴ」と呼んだ。
2016 9/16 178
* 機械の「メモ」に手を染めたい、なるべく早く取り組まねばと願う仕事が書き上げてあり、それが、減るより増えていて、気持ちを圧してきている。残年を 慮る気があって胸を押してくる。家の中に黒いマゴの姿が失せていると思い知る寂しさにも負けがちになる。いかん、いかん。
旅行ということを意識もし無意識にも、想っていた。旅行に出てもいい状況になってしまったが、妻は遠出して疲れる気にはなれないらしい。独りで…ハテ、どこへと。京都では宿が容易にとれないらしいと。それと杖に頼っていては旅の荷が満足にもてない。
2016 9/16 178
☆ まーごちゃん
おじい様、おばあ様
可愛いまーごちゃん、長く幸せな人生にいったん区切りをつけたのですね。
お会いしたことはなかったけれども、いつも近くに感じていました。
頭の中で、まーごちゃんはいつも、おじい様のパソコン作業を愛らしく邪魔してるのかしら、おばあ様がお料理されてるのをのんびり眺めて過ごしてるのかしらと想像していました。
おじい様おばあ様がお辛い時には、まーごちゃんに私の分も2人のそばにいてほしいとお願いしたりもしていました。
そんなまーごちゃんの可愛い姿がいったん見えなくなるのは寂しいです。
まーごちゃん、いつもいつも支えてくれて、本当にありがとう。今度会う時は、黒くてステキな体をなでなでさせてね。
おじい様のご本、頂戴しました。ありがとうございます。
今月末で産休に入るので、おじい様の本を読んで母になる日までを過ごそうと思います。
またメールします。 馨 亡きやす香のお友達
* 馨さんには、わたしたちの辛くて悲しかった激動の時期にも、またその後にも、本当のまご娘からのように、終始一貫して力強く優しく慰められ励まされて来つづけた。嬉しかった。ありがとう。
やす香も健在なら三十歳になる。なんということか。やす香は黒いマゴとも親しみなれて遊んでいった。いまも、出逢って仲よくしているだろう、黒いマゴがこときれた瞬間に無言電話がふっと切れた。やす香が迎えとったよと報せてくれたのだとわたしも妻も思った。
2016 9/16 178
* 十一時が過ぎた。九時以降になると階下におりて、三年間、黒いマゴの300cc輸液を続けた。この一年は腎臓肝臓のための薬も追加して輸液した。さぞ きつかったろう、痩せて針を刺せる場所が見つけにくく、二度も三度も液が洩れてくることもあり、刺し直しを重ねたが、よくガマンしてくれた。ガマンにガマ ンして三年間わたしたちのため懸命に生き延びてくれたのだ、よく頑張ってくれたね。ありがとうよ。感謝しているよ。心臓も肺もさいごまで綺麗だったと。脱 水に気付いてやれずに衰弱させたのはわたしたちだった、ごめんよ。
この時間になっても「輸液しようね」と階下へ降りて行かずに済むのが堪らなく寂しい。
2016 9/16 178
* 黒いマゴの九月を仔細にカメラに収めておいたのを、今朝、妻と観て、泣いた。「いのち」の不思議に畏れを覚える。
幸いに、ネコとノコとが眠っている、いや、仲よく日々楽しんでいるテラスの端の奥津城へ、黒いマゴも見送ってやれた。白い布にやわらかに包んでやり、妻 が手折ってきた底紅の木槿の美しい三輪に飾られて、わたしの掘り下げた地のかげへ黒いマゴは静かに帰っていった。九月七日朝に眠りに入り、九日重陽の佳日 に黒いマゴをやす香やネコやノコのもとへ見送った。
奥津城の位置は、寝室の、わたしの床の枕に直ぐ近く、壁を隔てて本棚のすぐ戸外の真下。マゴたちの談笑が顔のまぢかに聴けるところでわたしは寝ている。 いずれ行くよ、そこへ行くよ、そこのほかに行きたいところは無いのだ。菩提寺とのことはみなもう息子に委ねてあり、わたしはあそこの墓に入りたい気は少し もない。
新門前狸橋から白川へ、八坂神社西楼門内南側、四条大橋からの鴨川、泉涌寺来迎院の前橋と含翠庭、日吉ヶ丘高茶室そば又は運動場、東福寺通天橋から渓 へ、清閑寺境内、黒谷三重塔、真如堂西側、同志社大学寧靜館前、若王子新島襄墓前、将軍塚、嵐山渡月橋から上流へ、鞍馬寺境内、そして松ヶ崎の円通寺前 庭。
焼かれた骨は粉にして、上の各所に、ただかすかに撒いてくれるだけでいい。残った骨は、どう処分されても構わない。そう、思っている。葬儀の必要なし。むろんお授けの戒名も不要。強いてとならば…、イヤ、要らない。秦 恒平だけで良い。
2016 9/17 178
* 名大名誉教授の山下宏明さんから、身に沁みるお手紙を戴いた。
鎌倉の橋本美代子さん、湖の本131の払い込みに添えて「黒いマゴ」に花をと過分のお心遣いを戴いた。昨日には甲州の葡萄をたくさん頂戴していた上に。
木津川市加茂の従弟岩田孝一君から、珈琲豆や碾茶をたっぷり送ってもらった。
2016 9/17 178
* 黒いマゴたちへ声をかけてから、湯を沸かし、美味い葡萄を四つ五つ含んでから、茶をたて、二服した。インシュリンも四単位注射し、十余種もの薬も服しておいて、二階へきた。すこし、まだ眠いかな。
2016 9/18 178
* 輸液してやりたいのに、黒いマゴ、いない。身を切るように寂しい、非在が。
2016 9/18 178
* 終日 仕事していた、痛い歯を食いしばりながら。それでいて、なにかというと、黒いマゴに語りかけていた。家のいたるところに姿があって当然なのに、無いとは、合点が行かないのです。
2016 9/19 178
* 終日の雨がはげしさを増してきている。黒いマゴたちが寒くありませんように。
* 昨夜中、手洗いに立ったあと、なにげなくキッチンと廊下との隔てが明いていたのを占めて寝室へ戻った、が、あのドアは、黒いマゴが夜中に起きて一寸し た夜食や水飲みに行けるよういつもとおれるだけは開けておくのが無意識の慣いだったのだ。それをフイと閉めてきた。それに気が付き、真夜中わたしは激しく 泣いた。起きていつものように明けてやりに行った。まだまだわたしたちは黒いマゴのゼッタイの不在を肯んじていない。締めてやっては、マゴは夜食も水飲み も夜中の家中散歩も出来ない。ごめんよと、わたしは泣いた。愚かしいが、この愚かになにか縋っていたい。それほども、世間のザワメキからは背き果てている のだ。
2016 9/20 178
* 働き盛りの建日子の、この数ヶ月の多忙な奮闘は、(実のところは、よくわからないけれど)たいへんなものであったらしい。こんどは一つの劇場で二つの芝居 を公演するらしい、旧作と新作と。そのほかに桑名で撮ってきた映画もやがて観られるらしい。芝居、テレビ、小説、映画と。願わくは真実充実した感銘の仕事 を見せてくれますように。
* やたら祭日や休日が続いているらしい、わたしにはいっこう関わりないけれど。明日は秋分とか、日一日と夜長になって行く。いちばん夜の長い日が来ればわたしは八十一歳になる。
なんとはなく、校正ゲラをかかえて、明日、電車に乗りに出ようかな。
ありし日の聡かりし黒いマゴ
* 廊下にいてもダイニングにいても、黒いマゴたちの華に飾られた奥津城が間近く、いつも声をかけててる。いっしょに暮らしている気持ちで居れて、哀しいなりにも、気持ちはまぢかにいつも優しい。
2016 9/21 178
* 冷たい雨が降りついで、黒いマゴたちも、寒そう。ネコ、ノコ、マゴよ、仲よく元気に過ごせよ。トーサンとカーサンもいつもそばに居るからね。
2016 9/22 178
* 冷たい雨、夜すがら降りついで、黒いマゴたち今朝も、寒そう。心温かに仲よく過ごしなさい。
2016 9/23 178
* 家の、いたるところから黒いマゴがひょいと顔を見せそうに想えて、言いようのない寂しさにしおれてしまう。それでも家にいれば気配を感じられるし、庭へ目をやればネコもノコも黒いマゴも仲よくそこにいてわたしたちを見ていると想える。
2016 9/24 178
* 目ざめると先ずテラスの戸をあけ、ネコ、ノコ、マゴに「おはよう、今日も元気で楽しくすごしなさい、トーサンもカーサンもいつも一緒に此処にいるからね」 と声を掛ける。それから体重などをはかる。妻はまだ寝ている。独り湯をわかし茶を点てる、二服。食パン半枚。たくさんな服薬。郵便物の用意を二つし終え、 二階へ来て、延々と時間掛け機械を起動。待つ間に、「後拾遺和歌集」の六撰めをゆっくり楽しむ。今朝は雑の一、二巻の辺を。
2016 9/27 178
* 秦建日子がどこやら一つの同じ劇場で、大幅に手直しした旧作と、意欲の新作とを二つ演出・公演していて、つまりは二度出向くことになるのだが、二つと も見て欲しいと。息子孝行に、妻と二度出かける。働き盛りのもう壮年、せいぜい生きのいい意気の籠もった感銘作をみせて欲しい。小説、舞台、テレビ、映画 と、手を広げている。心ゆく仕事をしっかり続け、なにより怪我も事故もなく、病気しないで欲しい。願わくは、(小声で云うが)マゴの顔もみせて欲しい。父 も母も寂しいのです。
2016 9/29 178
* 昨晩は池袋で、秦建日子作演出一ヶ月ロングラン二つの舞台公演のうち、ダンス・ミュージカル
「月の子供」を妻と楽しんできた。「月の子供」は建日子の作劇のなかでも訴求力のある「財産」ゆえ大事に手を加えるといいねと云ってきた。その話劇を思い 切ってダンス・ミュージカルに創り替えたのが成功していて、エネルギイが焔と化し、元気なしかも哀れ深い物語を歌とダンスで編み上げて行く。幾昔もまえの 「戯曲集」の読者達には伝えようもなく、ダンス・ミュージカルは「ことば」で以上に、つまり「科・白」の「白 ことば」以上に「曲 うた」「科 うごき」 で表現され進行されてゆく。文字だけでは収まっていない。ダンスや音楽を楽しみ、かつ、台詞をすらダンスやミュージックに溶け合わせて楽しまねばモノが見 えてこない。
広くはない舞台に相当な人数が交錯し変幻しつつ劇がすすむのに、全員がよく踊りよく歌っていて、しかも主要人物たちが、行き届いたアンサンブルで葛藤し 合っていたのは、稽古の成果と見えた。そんななかで、むかしコインロッカーの中に生み捨てられ、孤児院で育ち、その両親を捜している少年役が、天才的に実 にダンスも歌も台詞も読みも、全ての間の生かし方も巧いのに驚嘆し、終始その子に心奪われていた。桑名で撮ってきた映画「クハナ」で監督した建日子が見つ けてきたらしい。
わたしは、これで、もともとダンスも歌も、好き。歌舞伎でも舞踊・所作事は文句なしに楽しめる。
この「月の子供」なら、もう一度観てもいいなと思っている。
* 終えてすぐ劇場を出て歩いていたあとを作・演出家の建日子が追いかけてきた。路上で、数分
話しあって別れてきた。池袋駅前の老舗の「服部」で久し振りにカレーと珈琲を。妻はハデなアイスクリームを。
家ではネコ・ノコ・黒いマゴが三人で仲よく留守番をしてくれていた。安心。一つ家の内でまぢかに少しも変わらず、みな一緒に暮らしている感覚が嬉しく、しょっちゅうテラスへ目をやっては声を掛け合っている。
2016 9/30 178
* おお、忘れかけていた、十月早々の三日、五日と 聖路加病院へ行かねば成らず、七日には、「秦 恒平選集」第十六巻が出来てくる。送り出しの用意、出来ていない。ま、次週はほぼ明いているので、慌てまい。
十月ですか……。黒いマゴを見送ってから三週間も過ぎたのだ。滑るように秋が流れてゆく。
2016 9/30 178
* 晩は八時から気に入りの海外ドラマ「NCIS」に引き続き前回をうけて二回目の「夏目漱石の妻」を観ていた。この漱石妻を演じる尾野真知子がいい。漱 石役も、岳父役もいい。このドラマ仕立てがすこぶる佳い。もうあと二回続くという、楽しみ。漱石奥さんの「思ひ出」も息子の「父の思ひ出」もはやくに愛読 してきた。
ことに今夜のは、夏目家に猫がはいりこみ漱石に気に入られる。黒い猫で、うちの黒いマゴより図体は太いがクロネコらしい眼光は似ていて懐かしい。怪作 「我輩は猫である」が出来て行くのだ、漱石は猫にたすけられて「病識」にも導かれつつ佳い仕事のほうへ歩んで行く。全四回ではもったいない。
それにしても尾野真知子、(建日子脚色の「天空の診療所」に出ていた。つまり、うちの娘の一人。われわれは建日子作のドラマに出演していた俳優は息子、 女優は娘と、年齢に関係なく認識することにしています。)このところ俄然の活躍で、いずれも好演している。夏目鏡子役、これ以外に考えつかないほど、実感 できる。よろしい。
2016 10/1 179
* 今日もいろんなことをした。蚊がいなくなったので、テラスへ、ネコやノコや黒いマゴたちのそばへデッキ・チェアを出して、閑吟集や斎王譜をきもちよく 読み、この機械では、久々に谷崎先生の「夢の浮橋」論を読み返しはじめた。ほかにもいろいろと。そして、腰を伸ばして立ち上がり、フウッと恆存飜訳全集の 一冊を抜いていたのだ。
オイディプス王 アンティゴネ ヘッダ・ガーブラー サロメ それにT.S.エリオットの 寺院の殺人 等々とならんで、バーナード・ショウの 「聖女ジャンヌ・ダルク」が入っていたのだ、おうと声が出て、機械をはなれてソファへ移り、福田先生の解説と称された猛烈な「論」から読みはじめたのが 面白く、待ちきれずに論の半ばで「第一場」を読んでしまった。
2016 10/4 179
* 黒いマゴたちにおやすみと声をかけて床に就き、目ざめればおはよう、元気に楽しく、仲よくなと声を掛ける。いつもいっしょに暮らしている感覚である。
2016 10/4 179
* 十時半。この前まで、この刻限になると階下へ黒いマゴの輸液に降りていったのだ。まる三年の余も、ためらいなく毎日輸液していた。よくガンバッテ黒いマゴ、わたしたちと一緒に「身内」の日々を生き抜いてくれた、ありがとうよ。
今は、われわれのすぐまぢかで、嬉しいことに賢かった母のネコ、優しく健気だった娘のノコと一緒に仲よく楽しく黒いマゴは元気に生き続けている。たえず声もかけられる。肌に触れるように三ニンとも其処で暮らしてくれている。ゆっくり今夜も仲よくおやすみ。
2016 10/5 179
* 黒いマゴの逝去から一月がたった。それでも、いっしょに暮らしている、いつも、いっしょに。
* 孫逝きて黒いマゴもゆきて命とふ重きを双の掌にたえて持つ 遠
2016 10/7 179
* 昨日も今日も、わたしたち夫婦を泣かせるのは、黒いマゴの、見えないこと。生きの命の芯にまで共生していたのだとつくづく思い知らされている。
* おりしも選集は第十六巻、むごくもわれわれの日々を酸蝕した事件を書き表している。ひどくて、不快で、毎日を生きているのが辛かった日々の表現であり、いまもって遁れきれない、死にたいほどの惨憺とした毎日だった。
人間として、人間同士で向きあう不快の極限をわたしは味わった。
それに比しては、黒いマゴは真実われわれの身内としてともに生きてくれた。愛しても愛してもなお愛しあい足りないままに死なれてしまったと、妻は泣き、わたしも泣く。 2016 10/8 179
* 九時半まで 茫然として機械に触れていたが。もうやすもう。明日は、建日子が監督した映画を見にゆこうかと話しあっている。
2016 10/9 179
* 池袋で、秦建日子監督の映画「クハナ」を妻と観てきた。映画館で、独り、わたしが拍手を送ってきた。建日子の優しい持ち味のまっすぐ温かく出た佳い作 品であった。映画監督でなく、はっきり舞台演出家の「表現」におめずおくせず終始して、映画のスクリーンが舞台の場面場面に見えて、まさしく劇作家秦建日 子をマル出しの演出、それはそれなりに躓きなく成功していて面白く観た。なにより不愉快にまゆを顰める何もなく、まるで映画リアリズムからは懸け離れてい たが、堅固な写真を畳み込んでドラマを創っていたのは、ウン、それでいいよ今回はと、納得できた。子供達を上手に生かして描くのは秦建日子のあるいはお家 藝になっているのかも知れない。ダンスはなかったが、建日子が昔から好きなジャズ演奏をドラマの表舞台にしていて、音楽の躍動はホンモノの感動を喚び起こ していた。今回はこれで上等と思ったので、わたしは独りで拍手を進呈した。おそらく心ゆく仕事であったろうなと、納得出来た。初の映画として、成功してい たと思う。
* 映画館は、かつてやはり妻と「真珠の耳飾りの少女」を観たところだった。ルミネのその八階が食堂街としてむかしの何倍もの店がたち、若い客に溢れてい るのにビックリした。映画の後、「ライオン」でステーキを注文したが、肉の味がしなかったのは残念。ビアホールで美味い肉をと求めるのが間違っていたか。
それでも、いい半日を池袋で楽しんで、心地よく、黒いマゴたちのため小さな鉢の花を土産に買って、二人で帰ってきた。
* 急に秋深まってきて、ウカとしていると冷えを覚える。
2016 10/10 179
* 妻と最期の黒いマゴの写真見て、泣いてしまった。生かしてやりたかった。
2016 10/12 179
☆ 秦恒平様
11日の火曜日に『秦恒平選集第十六巻』をいただきました。いつもながら、忝のう存じます。最初の一編と巻末添え書きのみをまず拝見しましたが、後は昨 夜に読み始め、今日は朝からご著書に取り組んでおりました。「死なれて、死なせて」は『湖の本』で一度読んでおりました。改めて読んで、感銘をより深くし ました。
キリスト者は自己の生と死を、人間が抱えている被造者の制約からの解放、被造物全体の救い、という終末論的観点から考えるので、死別を相対化していま す。他方ではしかし、キリスト者は普通の人々と同じ感情を、生と死について抱きます。いわば二重に規定された人生を生きていますので、愛する者との死別を 重く、かつ軽く、受け止めるでしょう。キリスト者には吉野秀雄のような絶唱は歌えないと感じます。今生の別れをこれほど絶対的なものとして重く受け止めら れませんから。しかし、すごい絶唱だなと感じ入ります。圧倒されます。人間の真実を垣間見ます。私も100% 人間ですから。以前に拝見したときにもそう感じました。
愛するお孫さんを急に失われた悲痛事と名誉毀損の被告になられた無念、そして訴えを巡る概略については『湖の本』を通して知っておりました。『父の陳述 かくの如き、死』は初見です。昨日来、この苦渋に満ちた詳細な叙述を読みました。事の次第を書き尽くさねばならないと決意する一人の作家の、人間の真 実、現実に迫ろうとする気迫を真正面から受け止めました。
人は理不尽な事柄を語り尽くせば、それがその人には課題設定でもあり、解放でもあるでしょう。他方、娘さんは真実の前に打ちのめされ、たじろぐことが求 められるでしょう。それで人は変わっていきます。その可能性を考えれば、この書は娘さんに対する、お孫さんに対する愛の書です。人はみな、過ちます。赦さ れない過ちはありません。赦し、赦される体験を積み重ねて、人と人との結びつきはかえって深まるでしょう。それを切に祈ります。
私は月末の日曜日に横浜のある教会でなさねばならない礼拝説教と午後の講演の原稿作りに苦労しています。どうやら自民党に所属の教会員がいるようで(そ のことが教会の活動を制約しているようですから)、教会の方々にはかなり耳障りな話をしようと決心しています。政教分離はキリスト教の、同時に近代市民社 会のいのちです。現政権は政教分離の原則も、思想・信条の自由も平気で侵し、国家が個人の生き方を決めようとしています。今、戦わねば、時を失すると強く 考え、私は昨夏以来、多少の実践をしてきました。
ありがとうございました。平安を祈り上げます。 浩 ICU名誉教授
* ありがとうございます。わたくしどもには、巻頭の処女作の題のまま「朝日子」とは生まれた日のママの朝日子です。志賀直哉全集の第一巻の第一作が、と ても初々しいアンデルセンを意識された童話なのである。はるか後年にそれを見知って、わたしが娘満一歳の誕生日に書いておいた「生まれる日=朝日子」を思 い出した。やはりどうみてもわたしの作のようである。
2016 10/15 179
☆ 秦先生、おはようございます! 田無の ゆめです。
今朝も雨、秋もいよいよ深まってきましたね。
先日はご本・選集十六巻をありがとうございました。なかなか思うように読むことができなくて、お礼がすっかり遅くなってしまいました。
今回の内容については「湖の本」で以前一定読ませていただいていたので、そう新しい感興はないかと思って読み始めたのですけれど、やはり改めて人間の愛憎について考えざるを得ませんでした。
「人間関係は合わせ鏡」とよくいいますけれど、まことに「愛」と「憎」は背中合わせだと思います。この小説にでてくる、優秀で甘えん坊のお嬢さんにして も、客観的にみればいわゆる「ファーザーコンプレックス」そのものですね。「自分はもっと幸せになっていいはずだ」とずっと思っている。けれど世間はそう そう甘くはないわけで、父や弟に対しても羨望や引け目をいつも感じている。夫婦関係もけっして良いとはいえず、そのいらだちをぶつけても大丈夫そうな実家 の人々に対して投げつけてよこす。別の立派な顔もお持ちでしょうけど、一面「おとなこども」そのものですね。
先生には出来ないかもしれませんが、お嬢さんのことはもう忘れてあげてください。そうしないと、お嬢さんは「父の愛情」という名の「呪縛」から逃れて自立できないのかも知れませんよ。「忘れる」というのはある意味一番残酷な仕打ちかも知れませんけれども。
一読者の勝手な感想とお笑いください。
朗読のほうは2カ月に一度くらいの頻度で図書館での朗読などがあるので、下調べなどの準備や練習でかなり忙しいです。音読のおかげで本を二度も三度も楽 しめるような気がしております。この夏には家中の障子を張り替え、さっぱり明るくなりました。げんきにやっております。
* 上は、あくまで「小説」について言われている。そう受け取って、頷いています。
* 禅僧が座禅時の脳波の静謐に驚いたことがある。とても凡夫には叶わないことだ。あんな境地で創られる小説や藝術を想うことは出来ない。
創作や藝術品は、禅定のような平安の行為でも平安な産物でも、ない。つよい感動あるいは豊かな遊び心で生まれる「風狂」の所産である、しかも個性は静謐でありたい。そう、わたしは思っている。
2016 10/17 179
* 黒いマゴが、ネコがノコが、いとしく懐かしくて堪らない。呼びかけ語りかけ、ている。単にペットロスとはどうしても思われない。
いまも、カーサンのピアノを、三人(!)で寄り添い仲よく聴いているかなあ。
2016 10/17 179
☆ 人間のあらゆる性質のなかで、「最良のもの」は「誠実」である。この性質は、ほかのどんな性質の不足をも補うことができるが、この性質が欠けているとき、それをほかのもので補うわけにはいかない。
ところが残念ながら、この性質は人間にはむしろまれで、かえって動物の方にしばしば見られる。 (カール・ヒルティ 1833-1909)
* ふっと、微笑ましい。ヒルティは、これで、回り道をとりながら「進化論」を否認しているのだ。人間の方が動物より誠実の性質をもっているのなら「進化 論」を信じても好いが、遺憾にも人間が動物たちより性質としての誠実に富んでいるとは認められないと彼は、言い切っている。かなりびみょうなところでヒル ティは躊躇っている。
わたしはどうだろう。わたし自身も含めて人間の誠実に太鼓判をおす居直りはできない。亡くなったネコやノコや黒いマゴは徹底的に信愛しているのに。
* 終日、2005年の京都を省みていた。暮れの喜寿誕生日を妻と京都へでかけ南座の顔見世を楽しんでいた。坂田藤十郎の襲名興行であった。黒いマゴに留守番を頼んでいったのだ、ありがとうよ。
2016 10/18 179
* 晩、また、先日も、秦建日子作・演出「月の子供」を観に行った池袋の奥の劇場へ、二作をぶっつけ一ヶ月公演している別のもう一作を観に妻と出かけた。題して「AND SO THIS IS Xmas」
と。「これは戦争です」とも副題してあり、二時間余の爆弾テロ劇、いや「演技の劇画」であった。ちょろりと「戦争のできる國にしたい総理」への軽蔑と嘲笑 もあらわしながら、かなりこみ入った人間関係を通して、「愛」を表そうとしていた。劇場も吹っ飛ぶかという爆発の轟音を数度も表し、相当に多様な人数と人 間関係とを絡み合うように超特急の演技交換で表現していた。演出というめんからだけ観れば、これまでの旧作を飛び抜けて巧緻に出来ていた。演者たちもまこ とに達者に忠実に演出に応えていて感服した。
ただ、総じての印象では、舞台を画面に用いた突起的な「劇画」に終始し、胸に沁みてくる切なる感動や感銘は二の次に終わっていた。さらには、かすかに、 かかる爆弾テロ行為を迎え入れてしまいかねぬ「危険訴求」すら観客の胸に残すかも知れぬおそれも、わたしは持った、かすかにではあるが。そういう「危険訴 求」は大衆の無意識にもちやすい安易や軽薄に結びつきやすいだけに、かすかに胸が冷えもしたのである。
* それにしても、建日子、うまくなった。だからこそ、うまさという上滑りに自負が固まり、人間味の創作、深い愛や真実の表現を置いてけぼりにしないよう 気を付けて欲しい。その意味でも、映画「クハナ」の素朴で、すこし素朴に凭りかかりすぎはしていたが、あのような健康な批評性こそ、今後の創作に益々大切 だと思う。
* いい席を用意してくれていたが、冷房が降ってきて、寒かった。二時間余りの舞台の途中、二度腕時計をのぞいた。体調の落ちて行くのがわかった。夕食抜きで出てきたのも堪えたか。
妻と雑踏の夜の池袋をのがれ出て、西武八階の食堂街へあがったが、今夜も、うまい食に当たれなかった。不味い牡蛎フライだった、ビールで呑み込んできた。
2016 10/21 179
* 昨晩、建日子のなかなか巧みな戯画っぽい「劇画」を観てきたまま、今日、すこしだけ連続ドラマの「夏目漱石の妻」を観ていた。記憶の限りでいえば、今 年なテレビで観たドラマでは此の「夏目漱石の妻」が第一等、映画では、題をすぐ思い出せないほど、静穏に、哀切に、温かくしみじみと描き撮られていた反戦 映画が第一等であった。「劇」するから演劇だといいたいなら、その「劇」とはそもそもどんな劇であるのか、静かに考えてみる時も持ち合わせねばいけない。
最近、だれかが嘆いていた、自作の「詩」を「絶叫」して読みあげる会があるのだと。わたしも昔、そんなのに出くわし、ばからしさに会場を立ち去った思い出がある。詩でも演劇でも小説でも、絵画でも、真実大切なのは、「何」か。
2016 10/22 179
* 十 月二十九日 土 退院 正午過ぎ妻と病院を離れたが、築地での昼食後の路上で私に猛烈な頸・肩の凝結で失神前症状が襲い、近くの喫茶店で休息、かすかに回 復のときに今度は妻に異変が起き、すぐ「聖路加病院の救急」へ逆戻りした。わたしは水分とアリナミン数錠とで漸く回復し、妻も、CT等の検査を受けて若干 の処方があってのち、夕刻も過ぎた感じの六時ごろ、新富町から帰宅の地下鉄に乗った。二度乗り継ぎを要したがかろうじて座れて、まず無事に帰宅できた。疲 れた。
メールが九十ほど来ていたが、ほぼ全部、いかがわしい不良(SPAM)メールばかり。
2016 10/29 179
* 湖の本132の郵袋へのはんこ捺しを始めた、が、頸が痛み始めたので、機械の前へ戻ってきた。なぜ、こうなるか。何かが過剰なのだろう。しかし、前へ歩いて行く。立ちどまる気は無い。死はいつ来るかしれない。
じつは今度の入院で一度、退院時にもう一度、死を感じた。
入院中の一夜、俄かに暑いと感じ、それが熱くなり、目の前が白濁しながら激しく揺れ始めた。このまま寝入ればいいのかなとも感じたが、夜中巡回のナース に告げるとすぐ「血糖値、低い」と。それですぐ分かった、これに近い体験はインシュリンとご縁の十数年來に数度は体験していた。価を確かめると「41」と 言う、それはあまりに低すぎる。ナースは駆け戻ってブドウ糖を一袋呉れた。それで、すぐに持ち直した。だが、幸いに糖の補給が得られなかったらやがて 「ショック」が起き、死も優にあったのだ。「110」で正常という血糖値が「41」というのは、あのりに低い。しかしまた糖分を摂れば回復もする。
問題はなぜそんな数値が夜中に来たか、だ。
「点滴」中の抗生物質などの影響であったかもとかすかに聴いたが、正確には聴いていないし分かっていない。要するに「死」はすぐ目の前まできている「事実」だけをわたしは自覚した。
退院して昼食後の堪えがたいほどの激しい苦痛も、もし、わたし独りでいたなら、かなり危険な症状であった。まぢかな喫茶店へ入り、「水」を繰り返し返し 摂り続けながら、手探りで、いつも用意している手持ちの「クスリ」箱を取り出し、硬結してくる頸の痛みを大目のアリナミンで和らげようと努めた。これが幸 い奏功、しかし、今度は付き添っていた妻に変調が起き、病院救急へ車で駆け戻った。
* 何が起きるか分からない、だからこそ、敢然と生きて行くしかない。
2016 10/29 179
* 病室へ、黒いマゴが、その上で、それに抱かれるようにして「生き」をひき終えた「膝掛け」をもってきてもらい、黒いマゴのありし日の愛らしい感触とともに会話も絶やさずに倶に過ごしていた。おかげで、妻に遠路を何度も通って貰わなくても寂しくなかった。
黒いマゴをこれへ眠らせ見送りし
膝かけを胸に 病室の真夜
黒いマゴのいまはを抱いて濃みどりに
やはらかな毛布 撫でて泣かるる
静かにも息ひとつ遺し逝きにしか
あはれ黒いマゴよ いま一目逢ひたし
2016 10/30 179
* さ、十一月の松本紀保、松たか子 姉妹、それぞれの異色の舞台が楽しみ。
久々に、名手友枝昭世の能舞台にも招んで貰っている。
早野ゆかりが主演の俳優座稽古場公演にも、観てほしいと招かれていたのに、申し込む機会を逸してしまった。惜しいことをした。
それもこれも、しかし健康しだいのこと。十一月七日には「湖の本」132が出来てきて送り出さねばならない。いま、発送用意が怠れない。無事に間に合う といいが。送り出せるといいが。建日子に気働きのいい嫁さんがいてくれたらなあと、心底、希望してしまうが、ま、仕方ない。妻にひどい疲れが溜まらないよ うにと心底祈っている。
2016 10/29 179
* 八十老ふたりだけの暮らしを、いろいろに案じて下さる人が増えてきた。先日の入院では、妻の負担を憂慮して可能な限り家でやすんでもらい、わたしは病 室で黒いマゴをその上で見送った毛の膝かけと一緒に静かに過ごしてきた。保谷から聖路加は有楽町線で一本という幸いはあっても、保谷駅まで、また新富町か らの歩きは、ましてモノを持ってでは、けっこう遠い。妻は心臓への動脈にステントがもう数本も入っている。
これからの暮らしをどうすこしでも安全に立てるか、息子は忙しく、まだ老境の安全についてしみじみ具体的に話し合えたことがない。
わたしは運命のように、生まれつき気をつけ気を利かせ気を働らかせ、東京で多忙に暮らしながらも、京都の、大恩も義理もある秦の父や母や叔母との連絡をたやさず、ついには三人ともに我が家へ引き取りもした。妻も、健康をゆがめるほど、よく老人のため働いてくれた。
いま建日子は仕事が面白くて生き甲斐をすべてひこへ注いであり、幸せなこととわたしたちもじっと見守っている。わたしも負けないほどまだまだ忙しく仕事 を続けている。が……正直なところ明日のことも必ずしも万全とは保証がない。どう困っても、手伝い手は、いない。そのけわしい現実を見据えながら、極力要 心に用心しつつ後期高齢の翁媼の日々をどう設計し続けて行くか。幸せにも今まだ夫婦で暮らせているが、妻の負担は日々に重いのだ。
西ニ疲レタ母アレば 行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 宮澤賢治
* 望むべくもない。ひたすら慎重に、協力しつつ生きて行かねばならぬ。イージイな抱き柱は、我が家には、仮に望んでも無いと諦め、しっかり暮らさねばならぬ。いまなお暮らせている幸せをわたしは、天に、そして妻に、支え励まして下さる読者に、感謝している。
2016 11/4 180
* やす香一の心優しい親友が、無事に女の子を出産、名前をつけましたと報せてきてくれた。
まさに、秋、良夜。
良夜かな 子うまれ親もうまれける
柿の木に柿の実が生りそれでよし 恒平爺
2016 11/5 180
☆ お元気ですか。
お能はお疲れになってしまったようで残念でしたが、ご無事にお戻りで安心いたしました。
唐突なもの申しで、失礼はどうぞお許しを請いますが、こちら関西の放送局で仕事をしていた友人がいます。彼女は某有名司会者と組んで人気番組をもったり制作もしていましたが、ある時スパッとこの業界から足を洗いました。その理由がとても印象に残っています。
テレビなどの芸能業界にいる人たちは、みなやたらにテンションの高い、容易に敬愛しにくい人たちが多すぎ、仕事は面白くてもこのままズルズル一緒にいた ら自分はダメになると思ったそうです。彼女の意見が正しいかどうかについては判断できません、が、その後彼女は地味なしかし優れた研究者と結婚して主婦に なり、二人子どもを育てました。たいへん有能で、老親四人の介護も家事も完璧、優秀な子ども二人を育て、その上資産まで築きました。
他人の悪口を言わない彼女が、放送系の芸能業界についてだけは「人として実に気の低いひとたちが多すぎる」と言い切るのにも驚いたのですが、「やたらにテンションの高い」という表現には得心しました。
テレビの九割くらいの番組は人気俳優をそろえて話題を作り、視聴率をとろうという妙な高揚感、薬物中毒のようなハイテンションで、面白くもないものを面 白がってつくられている印象を持っています。内情を知らないので誤解かもしれませんが、出来上がった番組のお粗末と騒がしさを観て、そう感じています。
テレビドラマにもたしかに時折り優れたものはあります、が、映画や舞台より明らかに粗製乱造です。優れた仕事は「テンションの高さ」では出来なくて、真摯に落ち着いた姿勢で創られるものでしょう。お言葉を借りれば、「静か」な精神に生まれる仕事です。
テン ションばかり高い人らの間で仕事を続けていると、知らず知らずに自分もテンションを上げるのが習い性になり、創作者としても毒されていく怖さを、私などは 感じます。目立つ世界ですから、少しでも名前が出ていれば寄ってくる人間も多くて成功している気分に嵌りますが、果たして本当に成功しているのか、わかり ません。この世界に限りませんけれど、世間の活躍とか成功とは、単に仲間うちでテンション高く騒いで忙しがっていることだけかもしれないと思うことがあり ます。
才能も心もちもまともな人間がこういう場所に長居したら、無理にテンションをあげて、いずれ身体を壊すか心を壊すか家庭を壊すか、利用するだけ利用される使い捨ての駒にされてしまう。上の彼女は、つくづくそれを感じたと言うのです。
じつはわたくしの嗜みます舞の稽古では、毎回重心を落として舞台に足を着けて、地を踏みしめて、身体が浮き上がってしまってはいけないと厳しく注意を受け るのですが、重心が少しでも浮くと美しい舞になりません。生き方も同じようなもので、気を上げるのではなく重心を落とすべき、地に足をつけたきちんとした 生活者であることが基本だと、自戒しています。
秦さんは文学において本当に色々な仕事をしていらっしゃいましたが、常に重心が定まって中心軸のぶれたことのない方です。その文学は、時に狂気を孕んでいても、誠実な生活者であることの上に花を咲かせていると思うのです。
たとえば、義理あるご両親と叔母さまについて書かれた文章をしみじみ素晴らしいと思って読んでいます。失礼な言い方かもしれませんが、およそ文学作品のモ デルになるような要素のない、登場させるとしても端役のお三人なのに、秦さんの筆にかかるとどんな小説の主人公にも負けない生彩を感じるのです。鬱陶しさ やため息や滑稽さや身勝手さ痛さふくめて、人物のキャラクターが見事に立ち上がっています。そこそこの長所と許される程度の欠点を抱えている、どこにでも いる父や母や叔母であり、ラジオ店の店主であったり、主婦であったり、お茶の先生で、京都の片隅に、それぞれにままならなかった人生を黙々と生きていた、 日々の暮しをただ懸命に生きた生活者の人生がたまらなく愛しく感じられるのです。
秦さんには容易に真実の「身内」とは思えなかった疑似家族であったのかもしれませんが、その表現の中にご自身でも意識していらっしゃらなかったお三人への 深い情愛を感じるのです。きっと子ども時代からお三人それぞれの人生を凝視していらしたのでしょう。その人生の厳しさにも悲しさにも、寂しさにも愚かしさ にも、深く共感の届いていることにいつも感銘を受けます。一番身近にいらした親家族を、ここまで文学的財産にすることは、簡単そうでいて実は一番難しいことではないかと思います。家族ほど困難な人間関係はないからです。
自分に与えられた素材を最高の文藝にしてしまうのは「神が人間に期待するのは苦しみではない。レモンからレモネードを作っておいしく飲むことだ」というフ ランクルの言葉の実践にも思えるのです。(このことは『逆らひてこそ、父』『父の陳述』のような一連の恐ろしい作品についてもあてはまるものと私は考えて います。)
「生 活者」としての性根と土台なしには、創作者としての腹もすわらず、どんな成功も浮草のようなものにしかならないと、秦さんの刻苦勉励の日々から私は教えて いただいています。谷崎潤一郎も問題の多い兄弟たちや松子夫人の妹たちまで抱え、全身全霊で仕事をする逞しい生活者であったと思うのです。
失礼を敢えて申しますが、秦建日子さんにも、息子として、地に足のついた生活者として、文学者秦恒平を将来ご自身の最高の財産にしていただけたらと切に願っています。もう待ったなしではないかと思っています。秦さんが、とてつもなく重たい父親であることには少しご同情申し上げますが、今のうちにその父親でかつ創作者と、真実「出逢う」こと、大切ではないのかと思います。
秦さんは『愛。はるかに照せ』に挙げておられます。
思ふさま生きしと思ふ父の遺書に
長き苦しみといふ語ありにき 清水房雄
亡き父をこの夜はおもふ話すほどの
ことなけれど酒など共にのみたし 井上正一
これは、わが身を振り返っての反省でもあります。
子どもは親のことを殆ど知りません。近くにいるのに、あるいは近すぎるから、親がほんとうに苦しんでいたものの核心、その魂の最も美しい真実になかなか 想いが届かないのです。建日子さんには、私のように後悔していただきたくないと思います。秦さんと対峙し格闘して、その文学的遺産を受け入れ、守っていく ためのご準備をぜひしていただきたいのです。一時的にご自身の仕事の仕方を変えることになっても、それこそが建日子さんの創作者としての可能性をさらに高 めるものと信じています。
いずれは同じ創作者として建日子さんには父・秦 恒平を書く使命もおありでしょう。「ほんもの」の作者になって頂きたいと願っています。
偉そうなことを書いてしまいお送りしようかどうか迷ったのですが、やっぱりお送りします。ご不快でしたらごめんなさい。お忘れください。 神戸市 一読者
* 恐れ入ります。有り難く拝読致しました。息子にもいろんな思いの去来する時機かと想像しています。
2016 11/7 180
* 黒いマゴが逝って、もう二た月を過ぎている。いつでも目にしうる狭庭の奥津城にはネコとノコ母娘と黒いマゴとを想うよすがのシルシが立っていて、朝に、昼に、夕に、晩に、就寝前に、廊下から、あるいはまぢかへ行って声をかけている。
黒いマゴが永眠の床になった彼が愛した青い膝掛け二枚は、毎日、わたしの膝や肩やまた寝床の上に載っていて、声を掛け、手触りの温かさ柔らかさを愛おし んでいる。三匹などと想わない、いつもネコ、ノコ、マゴ「三人、仲よく、今日も元気に、あったかく暮らせよ、父さんも母さんも此処にいるよ」と声を掛け、 自身を温かにしている。
* 京都の秦母方従妹から入退院へのお見舞いがあった。ありがとう。名菓、いずれも大の好物です。
2016 11/14 180
* 十一時をまわった。目もまわっている。とっておきの有元さんのお酒もきもちよく回っている。
源氏物語は「少女」の巻。夕霧と雲居の雁のおさない恋のかなしみが始まる。好きな帖である。
真下五一の小説「京都」 いささか刺戟強く批評されながら読んでいる。
イプセン劇、身に迫ってくる科白の迫力。こわいほど。
バルビュスは「クラルテ」で、演説を始めた。
昔々、小学生だった建日子にお年玉にそえてやった岩波文庫、ツルケーネフ「初恋」がひょいと手元へ現れたので、なつかしく読み返している。
2016 11/14 180
☆ 札幌近況
hatakさん 斎王譜ご送付頂きありがとうございました。
愛猫マゴさんに死なれたhatakさんのHPを見るのが辛く、しばらくご無沙汰をしておりました。入退院されたことを知り、ちゃんと消息を見ておくべきだったと後悔しております。くれぐれもお体をお大切にしてください。
最近は東京出張も日帰りのことが多く、なかなか寄り道もできなくなりましたが、先日週末に学会の評議会があり、土曜の午前中に畠山記念館を訪れました。 二十年以上前に来た際には、敷地続きに般若苑という料亭がありましたが、今回訪れてみますと、庭も料亭もなくなっていて跡地には白い大きな邸宅が建ってお りました。
畠山記念館では、信長の井戸茶碗や秀吉の書状も出ておりましたが、牧谿の煙寺晩鐘図に足が止まり、橫物の大きなお軸の前で長い時間を過ごしてきました。土曜朝の美術館は人影もまばらで、畳の上に座ってゆっくりと国宝を堪能しました。
札幌に戻っても、霞棚引く風景が目の奥に残っております。
今年の札幌は冬が早く、紅葉の枝の上に何度も雪が積もりました。木々の冬囲いも終わり、半年近く白い世界になります。
はやインフルエンザも流行の兆し、くれぐれもご自愛下さい。 maokat
* こういう雅な便りをもらえる小説家は、もう川端さんもとうに亡く、払底しているのではないか。
この植物病理学者は、茶人でもある。
毎朝二服、妻にも一服、茶をたて、欠かさず服しているうち、不心得にもお茶が切れてしまった。章のない無茶人になってしまった。廊下の行き帰りに、庭で 暮らしている猫たちにいつも声を掛けている。三人で暖かくして元気に仲よく過ごせよ、トーサンもカーサンもすぐ傍に一緒にいるからね、と。写真を見ると、 妻の描いた彼女や彼の繪を見ると、まだまだ堪らない。
2016 11/20 180
* やはり外出疲れが残っている。機械からは離れ、からだを横にし、明るい照明に助けられて本を読むか。ワイ ルドの戯曲「サロメ」、原作原画の奇抜におそろしい豊富な挿絵も楽しんでいる。ツルゲーネフの「初恋」は、小学生だった建日子にやった岩波文庫。ちゃんと 読んで、かなりの刺戟を得ていたらしかったが。すっかり、つかこうへいの門下に入りきっているらしい、今は。自分のモノがもう確かに出来てきてよい時機かと。
源氏物語は「玉鬘」へ入っている。しそがず、楽しんでいる。ぐんぐんと物語が盛り上がってくる。
京の森下辰男君が送ってきてくれた、懐かしや「李香蘭」の歌20曲を聴こうかな、とも思っている。「夜来香」「支那の夜」その他、懐かしすぎる歌が録音してある。
2016 11/21 180
* 朝の故紙回収を大急ぎで手伝った。どういうワケか校正ゲラは各三通ずつ届く。たいてい一通でこと足るので、厖大な裏白紙が溜まる。保管も利用もできなくて 故紙として出しているが、紐で結わえた総量の重いこと、怖ろしいほど、そんなのが二た荷物になる。ほかに新聞雑誌、それからやはり莫大にダンボール函等を 処分する。妻が荷造りし、わたしが集積場へ運ぶ。ひとりで何もかも出来ないだろう。「ごみの家」がよく報道されるが、最初は、回収に応じるのにとても手が 足りなかったのかも知れない。
今朝はテラスに出ているベンジャミンの、冬に堪え得ない大きな植木を超大きくて重い植木鉢ごと、妻と二人で、今年も辛うじて、天井をこすりながら、部屋の中へとりこんだ。
* 「おひとりさま」の本で、とうから、どうするどうすると脅かされているが、どうできるとも見通しがない。「西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ 負」ってくれるだれ一人もいない。意気地のないハナシだが、せめて建日子に気働きの優しい嫁さんがいてくれたらなと、とうとうグチが出かけてきた。
ま、行けるところまで行くしかなく、行けなくなったら、使わないものから捨てていく事になろう。
2016 11/23 180
* 暫くぶりに江古田二丁目の歯科へ、妻と。
帰りに、江古田で「中華家族」に寄り、妻は好きな鮑と酢豚を、わたしはマオタイを。食後向かいのブックオフで「椿説弓張月」三巻と「無門關」とを買い、妻は駅前の花屋で黒いマゴたちのために鉢の花を買った。
さ、「選集⑰」の出来てくるまで五日間、有効に、用意もし、楽しんで休みもし、仕事もたくさんしたい。平穏に無事に歳末を送り新年を迎えたい。二十一日、誕生日。迎える一年を、八一と名乗ることにしようか。
2016 11/29 180
* 建日子の、河出からの小説新刊が今日送られてきた。さきごろの舞台劇と同題、どっちが先に書けていたのか知らないが、長ぁい英語題であるのが、うまく伝わるといいが。テロリズムへ触れた社会性のある作という。わたしはまだ一行も読んではいない。
2016 11/29 180
* その間に建日子が来てくれて、西の棟の最小限ぜひ必要な片付けを手伝ってくれた。わたしは腰が痛くてとても重い本を運んで二階へ往復が出来なかった。玄関を寛げておかないと五日に届く本が仮置きもならないのだ。ま、ひとまず用意は出来た。
* 建日子、わたしの名で、ツイツター、フェイスブックを新設して行ってくれた。
* もう十時半、機械を閉める。
2016 12/1 181
* 岩波文庫のツルゲーネフ「初恋」扉に、「建日子に 一九八〇年」とわたしの字が記している。お年玉であったか。昭和五十五年に当たっていて、わたしは 四十五歳、建日子は十二歳だった。しきりに感じ入っていたのを覚えているが、昨晩帰ってきたので聞くと、よく覚えていると。同じ頃に、建日子は「モンテク リスト伯」を読み終えて、いっしょの風呂の中で、「お父さん、人生は死ぬまでの休憩室なんだよね」と云いだし、聞くと、「モンテクリスト伯」で読んだよ、 と。あのときは、びっくりした。その後わたし自身で読み返して、なるほどそういう意味のことが書かれてあるのを確認し、もういちどビックリした。建日子、 小学校五年生ころのことだ。
「初恋」半分ほど読んだ。建日子のテロリスト小説とやらはまだホンの序の口だけ。
エリオットの戯曲「寺院の殺人」は、やや手強い。
2016 12/2 181
* 凸版から例年の大カレンダーが届いた。小倉遊亀の繪で来る一年を迎え送る。
今年は古徑だった。去年は御舟だった。御舟、大正十年仲秋に描く、白地染付の鉢に熟した柘榴二顆の繪は、名品だった。繪だけとりはずし此の部屋の障子に 貼っている。古徑が浅い硝子鉢に盛った豊かな青菜も美しく、御舟のとなりに貼ってある。竹喬さんの遠山が見える紅葉時風景も懐かしい。竹内栖鳳がみごと手 だれの、水ぬるむ泳ぐ蛙の繪も。
* そういえば、たったの六畳に本や機械の犇めいて狭い狭いわたしの二階仕事部屋だが、嬉しくなる繪や書や人や家族やネコたちで、賑やかです。荻原井泉水 さんがフアンレターを添えて送ってきて下さった「花 風」の二字額、宮川寅雄先生が下さった秋艸道人の「学規」の額、谷崎先生ご夫妻のお顔写真、それに沢 口靖子の写真があちこちに四枚も。ドルチのマリアも、城景都の美しい裸婦も。妻が描いた亡き孫やす香の繪、忘れられぬネコの子ノコや黒いマゴの繪も。
むろん作り付け書架も、あれこれの書棚も。よく黒いマゴが来て寝ていた、ソフアも。
整理のしようもなくモノの積みあがった小部屋だが、わたしには無類に温かい。目を閉じていると、部屋中に愛されている気がする。
2016 12/7 181
* 愛した、いまも愛しているネコ、ノコ、マゴたちの寝所を、たくさんな、いろんな花鉢が飾って、庭先が明るい。この師走、高麗屋にもらったポインセチアの 大鉢、持田晴美さんにもらったシクラメンの鉢をはじめ、目につくと買って帰る色よい小花鉢で、「三人」の「向こう」へ行っている猫たちを喜ばせている。
2016 12/8 181
* 所用、妻とひばりヶ丘へ、ついで石神井へ行き、寄り道しないで帰ってきた。
* 細川弘司君にお見舞いを送る。
2016 12/9 181
☆ 今年は
南座は「まねき」が上がるだけの寂しい顔見世になりました。
さて このたびは、ご高著第十七巻をご恵贈たまわりまして まことにありがとうございました。
漱石の「こころ」戯曲もさることながら、「こころ言葉<を><で>考える」に唸りました。 師走の大掃除の最中、つい頁を繰る手が止まらず困っております。貴重なご本、厚くお礼申し上げます。
どうぞご無理をなさいませんよう、くれぐれもお躯をお大事になさって下さいませ。
先斗町歌舞練場は昔の劇場の雰囲気を残し 役者の顔がよく見えました。 不一 京・鳴瀧 川浪春香 作家
* 心葉も添えて、過分の御助勢を賜り有り難う存じます。
先斗町の歌舞練場は、新門前通りの我が家から縄手へ出、鴨川をへだてた目の前にあった。荻江に書いた「細雪 花の段」を先斗町の綺麗どころが「鴨川をど り」で舞うので、ぜひぜひ来てくれと催促され京都へ駆けつけた日のこと、懐かしく思い出す。先斗町は秦の叔母宗陽・玉月がお茶、お花の師匠として何軒もの 御茶屋へよく出向いていた。そんなことをよく覚えていてくれる人やお茶屋が有った。
2016 12/9 181
五十九年前 プロポーズしました。
* 三ヶ月続きの通し狂言『仮名手本忠臣蔵』の歳末大切りを妻と観にゆく。楽しみ。
怪我の無いように、願って、出かける。
2016 12/10 181
* 国立劇場。本懐をとげて、となかくも「めでたい」「めてたい」と左団次の桃井若狭介に花水橋で見送られる大星由良之助以下の面々、ま、よしよし、「め でたい」と満足。幕間に高麗屋夫人に追ってみられて七八分も二階で歓談。三代襲名の話題に祝辞も添えてきた。思えば「高麗屋の女房」さんともまことに久し い。雑誌「ミマン」であったかに、頁を前後してずうっと一緒に連載していた。その後劇場で会い、高麗屋とともに日本ペンクラブに入会して貰った。以来、ず うっと親しくしてきた。
* 劇場を出たのが四時過ぎ。車で日比谷へ走り、今度は「MIK man in cat」というたわいもないが笑えもして人と猫との映画劇を観てから、クラブに入ってゆっくり食事し談笑休息して、九時までに帰宅できた。息抜きの一日になった。
2016 12/10 181
* デスクトップから「黒いマゴ」の元気な、また臨終ちかい日々の写真を観てしまった。泣いてしまった。目の真ん前には ほっ と一息して「向こう」へ行ってしまった、優しい、柔らかい、黒いマゴの即座のスケッチが、妻の描いた繪が在る。いつも、いっしょに、いる。
2016 12/12 181
* 先日、国立劇場の売店で妻が妙な買い物をしてきた。家に帰って明けた荷をみると、丈25センチほどのそのまま獅子舞のお獅子が立っていて、こ れが、はなやいだ祭り囃子にのり、面白く舞って呉れる。いったん舞い終えても、また一つポンと手を拍ってやると忽ちまた舞い始め、音響に反応していくらで も賑わい陽気に舞ってくれる。
玄関の、古典全集のうえ、沢口靖子の呉れた「秦 恒平さん江」の佳い顔写真のそばに置いて、ときどき舞わせてみる。浮かれて、玄関の板間でわたしも踊ってみせると靖子がおかしがって笑っている。
いい気晴らしであることよ。
* わたしの日々は、もう「仕事」づくめで、この数ヶ月、寝ての夢にも小説や選集や湖の本へのあれこれが連続し、なんだか寝ているのか起きたままで寝ているのか分からない。
この明け方は、最近の建日子の小説本をしんみりと批評し案じて話しかけていたが、おかしいことに本身の建日子の姿はなく、目の前でいかにも少年のように 小柄な建日子がわたしの話に聴きいっていて、「いいなあ。こんなふうに話し合えるのがいいなあ。(建日子も)帰ってきたらいいのにナア」と小首をかしげて 言うのである。「そうだな。こうして話せるのも今の内だもんな」とわたしも口にし、ビックリして目が覚めた。
建日子の新刊が、わたしには少し心配なのである。「話」は書いてあるが、書かれてある「文章」に魅する味が薄く、ぶつ切りの「説明」ばかりに見えてく る。小説を「文章」で読まされる、読む、妙趣がかなり薄れていて、こんなつくり「話」だけが常になってしまうと、もう文学へは高まれなくなるのが怖いの だ。文学へ戻れないのだ。わたしもそんな怖さをかつて自覚し、ゾウッとした記憶があるのだ。建日子、佳い文体と情感とを生得持っているのだから、せかせと 急いで「話」家で終わることなく、「小説」家、「劇」作家の「藝」をいい文章で深めて欲しい、と、夢の中でも願っていたのだ。
2016 12/14 181
☆ 建日子です。
お誕生日おめでとうございます。
私は今(前にお誘いした)宮古島で、大相撲の地方巡業の取材をしています。
初めて生で白鵬や日馬富士の勝負を見て、父上が相撲観戦を楽しむ気持ちが少しわかりました。
正月には帰ります。
お身体、引き続きご自愛を。
お誕生日おめでとうございます。 秦建日子
2016 12/21 181
* ど こへ出かけるというアテも今日はもってない。戴いてある珍味佳肴を卓にひろげ、いろいろの日本酒の名品を、今日ばかりはしたたか呑もうか。いやいや、酩酊 して寝入ってしまうだろう。音楽を聴き、敬愛の映画作品を楽しもうか。黒いマゴがいてくれたらなあと、しみじみ懐かしい。
2016 12/21 181
* 遺憾にも絵画や美術品は、そうそう実物を家の中で堪能はできない。我が家はそれでもその機会には恵まれているかも知れないが、とても多くは望めない。 しかし音楽は、とにかく、聴くことが、聴き入ることができる。わたしはこんなに音楽へはまりこめる自身とは昔は思っていなかった。
学生時代のある日、ふと家に帰る途中、父方の大叔父にあたる英文科の吉岡義睦教授と出会ってしまった。大叔父は同じ市電をどこかしらで途中下車してわた しに寿司をご馳走してくれた。わたしは無口を極めていたが、専攻しているのは美学藝術学だと告げ、すると大叔父の英文学教授は音楽が好きかと聴いた。美空 ひばりはともかくも、また秦の父に心得のあった謡曲のようなのはともかくも、西洋音学にはとんと縁も気もなかった。教授は、音楽には親しむといいねと言っ た。そしてそのただ一度の出逢いでは、それしか記憶した何もなかった。
けれど、あれから六十余年、わたしは、少なくもバッハやモーツアルトやベートーベンその他のピアノ曲も弦楽や交響楽にも深い懐かしさを持っている。読み書きの仕事しながらも、こころよく聴いている。そしてわたしは、音楽や歌声に、よく涙を流してしまうのだ。
2016 12/22 181
☆ かお吏です。
おじい様、おばあ様
素敵なお祝いが届きました!
ありがとうございます!
なんて可愛いリスさんと木のベルでしょう!
ゆい佳は周りのものに興味を持ち始めていて、木のベルの優しい音を聞かせたら、何?何?とキョロキョロしていました。
忙しい毎日ですが、娘の可愛さで何とか乗り切っています。
娘と大切に使わせていただきます。
本当にありがとうございました! かお吏とゆい佳より
* 嬉しい便り。
やす香も、さぞや、こういう日々が欲しかったろう。かお吏さんたちに、心からお願いしたい、どうかやす香らのぶんも、元気な幸せな日々を、と。
もう一人の孫娘みゆ希は、どこで、どう暮らしているのだろう。もう結婚したのだろうか。望みのままの職について頑張っているのだろうか。
やす香の生まれたその頃、わたしの「心 わが愛」が上演されていた。三十年の余もむかし話になった。みゆ希ももう二十五歳頃か、生き生きと心ゆく日々を聡くつよく生きていて欲しいと祖父も祖母も願わぬ日はない。病気するなよ。
* やす香を一時期両親のくらすパリへ送り出したまさにその頃にチェルノブイリ原発の大爆発が起きた。妻は、やす香の祖母は、愛おしい初孫のあの不幸な肉 腫という最悪の癌を、チゥルノブイリの悪しき放射線被害であろうと疑い歎きやむことがない。祖父のわたしにもそのような歎きがある。だから、原発や核弄り の横行、核兵器の悪しき使用にたいして徹底的に否認の姿勢を持しているのだ。
老い人われの病む身はあらき息ながら胸に
断乎と「No ! Nuke(核) !」のバッヂ
2016 12/24 181
* 午前、大雨っぽく屋根うつ雨を聴き続けている。雪でなくてよかった、昨日の降りでなくてよかった。こんな雨の中を病院通いでは気が晴れなかったろう。
* たいへんなものを家の中で見失っていたことに、必要もあって、気づき、一日家中の捜索に奔命、四苦八苦した。幸い見つかったが、真実疲れた。やれやれ。
2016 12/27 181
* 大事な大事な、失くせばえらいことになるものが見つからなくて、肝が冷えた。見つかって、ホッと。思わず酒を呷った。バカみたい。
2016 12/27 181
* 書庫わきの猫たちの家近くにこのごろ妻がちいさな果物を輪切りにおいてやると、いつか小鳥がきて綺麗に食べて行く、らしい。わたしはまだ小鳥の影は見ていないが、なるほど清潔なほど綺麗に食べてある。
* この歳末は、半世紀も続いてきたわたしの池袋へ買い出し外出を、みな、とりやめた。ラクだ。かなり苦になっていた。
もう何年も、正月が楽しいという気分では無くなっていた。ましてこの新年に、いて欲しい黒いマゴがいないとは。
雑煮の餅にも、買い食い出来合いのお節料 理にも、待ち迎える気が無い。妻が手づくりの干瓢や椎茸の煮染め、それに卵焼だけで十二分、とっておき戴き物の佳い酒がのめれば、うまし寝の寝正月になる だろう。歯の浮く身に、引っ張る餅は難儀。もろもろ噛むのが難儀。期待は、明日大晦日に、戴いた年越し蕎麦の鍋です。温まれば近くの除夜の鐘を聴きに、寒暁 の初詣でに出てもいいか。
2016 12/30 181