ぜんぶ秦恒平文学の話

家族・血縁 2017年

 

建日子ら来て 雑煮祝う。
近くの天神社へ初詣に行ったが、延々の参拝客で、脇から境内に入り「遙拝」のみして帰る。妻や建日子らは夕近くにもう一度参拝に行った。わたしは失礼した。

* 賀状たくさん戴く。私からは失礼のみ、恐れ入ります。

* 心身とも不調で食欲無く、酒もあまり呑まず呑めず、機械にむかい仕事するか、横になって校正するか、いつしか睡っていたりした。母子らの話題にも加われなかった。

* 夕食後、建日子をいまや秦家の「当主」と頼んで話しあった、が、「して欲しいことが有れば、そう言ってほしい、言われたことはする」と。
その、「して欲しいことが有れば、そう言ってほしい」が、少なくも、わたしには途方もなく重い。「頼まれたことはする」の前に、まず頼まれねばならぬ事を「箇条書きに書き出してほしい」とは、途方に暮れるほどキリがない。「老いの日々」と「書く」しか手がない。
「親には頼まない」が、「子供には頼りたい」とわたしは「自問自答」に書いている。
あの新門前の、育ての恩有る老親たちに、あれこれ「頼まれた」からわたしは四半世紀かけてその老後を見守った・頑張ったのではない。わたしの方で無い知 恵と時間と労力を掛け、恩義有る父も母も叔母もをようやっと京都から東京へひきとり、妻と二人して三人とも最期を見送った。世話は不充分に過ぎていただろ う、しかし、「頼まれたから」そうしたのではない。「当主である子」の自覚と責任とでそうした。菩提寺とも親密に付き合ったし、墓も新しくした。三人に難 儀が有れば、大変な連載や文債をわんさか抱えていても、吹っ飛ぶように京都へ走った。妻も走ったのだ。妻は難儀な舅の病院付き添いで、心臓をいためもし た。

* このさき、難しい晩年を、日一日、わたしたちは迎えねばならない。長寿は、いつしかに身に帯びた罰のようになってきた。

* 幸い、わたしには最期まで「仕事」というクスリがある。服み忘れまい。

しんしんとさびしきときはなにをおもふ
おもひもえざるいのちなりけり     遠

* ひとり残って、今夜は泊まって行くという建日子と、雄町の純米大吟醸とっておきの「室町櫻」を組み合いながら話した。
こうして穏やかにしんみりと酒酌みながら話し合える機会は、もう残り多くはないだろう。最良の酒になって嬉しかった。
2017 1/1 182

*  夕方まで建日子と過ごした。雑煮も食事もともにし、建日子はこつこつ仕事をしていた。わたしも機械の前で昔々の谷崎潤一郎を語り合った鼎談の色淡くなっ い原稿を苦心しながら読んでいったりした。ときどき階下へ降り、親子三人で「剣客商売」など、好きなテレビドラマの録画を楽しんだりした。夕方、車で帰っ ていった。二人で呑みさしのまだ半ばは残っていた「櫻室町」の一升瓶をもたせてやった。高田芳夫さんに送って頂いた「又玄」筆の洒落な鶏の墨絵に「結構結 構」と書かれた色紙も持たせて帰した。
2017 1/2 182

ネコとノコと黒いマゴもゐてさもこそは
和(おだ)しき後世(ごせ)のわれらの家ぞ

* ネコノコ黒いマゴの家に隠れ蓑が落ち葉して、その枝にかけた餌籠にもう何日も以前から小鳥たちがやってきては嬉々として餌を食べて行く。猫たちも華やいだ気分で嬉しかろう。妻もわたしも喜んでいる。絶えず話しかけている。少なくも私に他の墓は要らない。
2017 1/3 182

* 昨日の朝までは京の白味噌仕立ての雑煮、今日の昼は焼いた餅での清まし汁の雑煮を妻と二人で祝った。
テラスの奥のネコたちの家のそばへ輪切りの果物を置いてやってある、それへ今朝もふっくらと小さな目白たちが降りてきて一心に食べていた。真実心温まる のは、こういうとき。うそくさい人間の世の中はみなテレビの報道やコマーシャルでやかましくかき回し気味に代弁されていて、吐き気がする。かろうじて「北 の国から」のような歴史的な秀作長編ドラマに相寄る魂のぬくみを覚える。
藝術・藝能は、真に人の魂を感動で震撼するしか存在の意義がない。さもなくて蔓延っているのはすべてうそくさいただ商売道具や売り立ての呼び込みに過ぎ ない。スポーツというのはいいなあなどと、ふと思われる。イチロー、白鵬、沙羅、内村航平、ピンポんの愛ちゃんら。かれらの勝負にはうそが見えない。

* 妙なことを書き付けておくが、わたしは国民学校へ入学の当日このかた自分の「恒平」という名乗りに気持ち寄り添えなかった。それまで「宏一 ヒロカ ズ」と呼ばれていたのに突如として國民学校の門ぐちでおまえは「恒平」と強いられた。それが実は戸籍名であったが、知るよし無かった。「ヘイ」とい う発声がイヤだった。「工兵」とか「コッペパン」とかあだ名された。周囲をみまわして「**平」と名乗った友人知人にまるで出会わず、辛うじて歴史上の人 物に、新平の君平のという例をみつけた。大昔の時平、忠平、まさしく恒平がいても、みな「ときひら」「ただひら」「つねひら」と呼ばれた左大臣や摂政や太政 大臣らであった。高校の頃に小説まがいや批評を学級誌や新聞に書いたときもペンネームを使った。私家版本に「畜生塚」や「斎王譜」ゃ「蝶の皿」を書いたと きもその菅原万佐というペンネームを使っていて、新潮編集長の酒井健次郎さんとの初対面では、「男かあ」とのけぞられたりした。酒井さんは今後は実名でと 「厳命」された。
そんな次第で、やはり「**ヘイ」にかすかに身を引き続けてきたのに、東工大教授になって大講堂に溢れる学生達とつきあううち、ちらほらと「**平」君らのいるのに気付いた。
以来二十年、ところがこの頃になって、「**平」君のいることいること体操の「航平」君を先頭に、どの畑からも「**平」君が立ち現れていて、なんだか、照れてしまうこともある。
ま、それだけのハナシではあるが。  さ、仕事します。
2017 1/4 182

* 心身不快。手洗いで便座につくと直ぐ、太息とともに両肘を膝にがっくり頭が下へ落ちる。胃全摘手術を受けて退院した五年前がずうっとそうだった。一年 の抗癌剤を終えてやがてそれが無くなり普通に頭はあげていた。三、四ヶ月前から気が付くと当然のようにがっくり頭を落としている。疲労が心身に溜まってい るらしい、少なくも躯に。しかし気分の不快も濃い暗い霧のように新聞からもテレビからも振り続ける。安倍、トランプ、韓国、ロシア、そしてテロとネット犯 罪。

* 気が付くと、妻のほか人間と話していない。それも妻がおおかた独りで喋っている。わたしはおおかた聞いている。
かわりに、墓のネコたちや、手洗いのライオン太郎、次郎、小次郎や、犬のヘンリー、猫のモーリーや、また横綱白鵬と日馬富士の写真たちへ、ひっきりなし無邪気なほど優しく朗らかに話しかけている。囃し舞ってくれるお獅子人形と一緒になって玄関でわたしも舞ってやると、「秦 恒平さん江」とサイン入りの「靖子」の澄ました顔写真が笑ってくれる。
書斎には谷崎先生夫妻の写真がある。仰いて頭を下げる。部屋中のいろんな繪や写真たちへ話しかけている。
リアルな暮らしに疲れ、とかく、絵空事の世界へ独り這入って行く。支那の或る古代人のように、そういう「部屋」をわたしは持っている。書籍もまたそう「部屋」に類している。しかし作によってはよけい気鬱になる。「リチャード三世」も「椿説弓張月」も、重い。
光源氏は玉鬘を髭黒大将にうばわれ、紫上を息子の夕霧に見られ…。「螢」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」藤袴」そしていましも少女「真木柱」が泣いている。源氏物語世界に音もなくものの影が降りてくる。

* 自殺した兄恒彦に、生きていて欲しかったなとしみじみ思う。
2017 1/6 182

* 建日子、今日、四十九歳に。心身のより豊かな健康を願う。
2017 1/8 182

* 今日、妻は、建日子たちと会い、新宿伊勢丹で建日子に背広上下を買ってやるのだと。あまりにいつもガキのようなみすぼらしい恰好なのを見かねたらしい。
2017 1/10 182

☆ 新しい年
如何おすごしでございましょうか。
『秦 恒平選集第十六巻』ありがとうございました。
重いお話と実験的な形で なかなか読み進めることができませんでした。
「父の陳述」 ようやく読み終え、著者の意図であったのか読者の勝手であったのか、私はひたすら飽海櫻子さんに感情移入しておりました。
先に子を亡くすことは 何より辛いことのように思います。
しかもそれが自分の生き方と深く関わっていることに気づかないわけにはゆかない…その悲しさ悔しさ、どうしようもない思いをぶつける相手を何としても捏造せずにはおれない気持 よくわかるように感じます。
人の記憶は コンビュータのデジタルな蓄積とは違って 牛乳の中にインクが滴りおちてゆくような極めて不安定なもので、最近あメリカでは大切に育てた娘から 性的虐待で訴えられ、身におぼえのない攻撃にさらされて困惑している父親が多いと聞きました。
このとき、真偽のほどを疑いながら、でも女性の置かれた立場に対する不満の爆発と考えるなら、わからなくもないと思いました。
男女同権を教えられ 一生懸命勉強してきたのに、ひとたび結婚すると、家事、育児は否応なく女性の肩にかかってくる……更に大変なのは 文化の違う婚家と実家の板ばさみ…。無意識的に沈澱した鬱屈がつくりだす妄想と 結局は男社会であるという現実。
夫の名で花ひらいている美枝子さん(=作中筆者の妻)の才能は素晴らしいです、でも、違う生き方をしてみたいと思うとき、それを阻むのは夫も含めた男社会であるように思います。
櫻子さんにとって、その男社会を代表しているのは、欠点だらけの目の前の弱い夫であるより、社会的評価を得ている立派な父親です。
女性が溜め込んできた怒りが、今、ネット社会の中で、さまざまな形で噴出してきているように思われます。
メールを使わない私には 読めていない小説のようですが、新しいメディアになじみがないからこそ 相対化して眺めることのできた部分もあったかもしれません。
夫が書いているのか はたまた ふじ乃さんに隠れているのか 櫻子さんの言葉は少なく、それだけに読者は、自分の中で櫻子さんを思い描くことができまし た。 そして、 これこそ著者の意図であり。 ひょっとすると。 私は先生の小説を正しく読んでいるのかもしれないなどと考えてみたりしました。
先生 奥さま どうぞお身体を くれぐれも大切におすごし下さいますように。  羽  京・美大教授

* おそらく全選集の中で最も読みにくい長編へ、これほど率直に私見を伝えて下さった方は少ない、無かったとすら謂えようか。かならずしもわたしの胸奥本 音の扉へまで手はか届いていないけれども、一人の男で夫で女の子の父親であるわたしの読みに、見届けがたい見落ちもあるのかと思ってはいる。
が、今の、明日のわたしに、おそらくは母である妻にも、のこされてある難関はまだ越え得ていないし、越えるべきなのか越えるに値しないのか、老躯に重い 難問だが、正直なところ、わたしたちは、とうに手を挙げて「答案」はもう提出したと思っている。忘れているしかないと思っている。
もう結婚したか、母にもなっているか只一人の血脈の孫、押村みゆ希の愛と聡明とに期待を掛けている。
2017 1/11 182

 

* 昨夜も不可思議な夢を見た、が、幸いにも終始黒いマゴが、ときにノコやネコがいっしょに前になり後ろになりついてくれていた。遍歴の先は、妙に巨大で しかもガランと寒い中に異様な人たちが落とし物のようにばらばらにしゃがんだり起きたりしている建物だった。上階も地下もあって、精神病院とも見えず、と きどき顔見知りの男や女もいたが声は掛けなかった。なかには朗々と歌唱う、女優の多岐川ゆみに似た女もいた。猫たちがいっしょで心強くも嬉しくもあった。 危険も異様体験もなかったけれどぐったり疲れる夢だった。八時だ起きなくてはと思いつつもう一時間似た夢の中を歩いていた。
2017 1/17 182

* あすは一番の寒さとか。雪にならないように願う。

* 黒いマゴを見送ってからは寂しいかぎりだが、ネコ、ノコ、マゴの奥津城に愛らしい墓碑がわりも置き花や草の鉢も添えて、始終話しかけており、すがたこ そ見られないが、三人! ともいつもこの家で一緒に暮らしている実感がある。その上に、この一二ヶ月前からネコたちの家の上の大きな隠れ蓑や南天へしょっ ちゅうヒヨドリや目白や鳩が来てくれる。食べ物を出しておいてやると競うように食べに来てくれる。
これはわたしにも妻にも、とても嬉しい。ま、それやこれやで、よけい籠もり居の日々になってしまうのだが。毎朝起きてすぐ、朝の挨拶にマゴたちに声をか け、「トーサンもカーサンも今日も家にいるよ」と云うと、喜んでくれている気がする。ウソクサイ現つの臭気は、ともあれ身をよじるように遠避けている。
2017 1/23 182

* 生活のリズムを建て直さないと、鬱陶しさが基調化してくる。黒いマゴが現実生活から退場した。彼ゆえに家は留守に出来ないだから出来ないと思っていた旅を、妻と一緒に考えて好い時機になっているのではないか。戴いた背負い鞄で、二人とも着のみ着のままの短い旅なら出来るのではないのか、京都でなくても。
2017 1/25 182

* 昨夜、もう機械をしまう直前にこんなメールが妻から来た。
「 鵯のこぼし去りぬる実の赤き
作者は誰でしょう 」
終日といっていいほどテラス脇の隠れ蓑へ鵯が二羽ときに三羽も来る、目白も鳩も来る。餌をおいてやるのに妻は忙しいほどだ。
しかし、いかに妻の「駄句」といえど「去りぬる」というもの言いはあり得ない。ま、子規のころより溯った作者だろうが。
返事。
「名も無い人の駄句ではと。
鵯のこぼしてゆきし実の朱き  ならば如何。
「し」音「サ行」音を重ねた諧調が、まるでちがう。「し・さ」のつづきは鈍い。
鵯のこぼし去りぬる実の赤き
「こぼし去りぬる」なんて、俳句の軽みがブチこわし。「こぼし・去りぬる」と動詞をむだに説明的に重ねたのが重苦しく、「の」の音二つも、かろやかには響きあっていない。
ただ、「赤き」の形容は結句として働き宜しく、ここを「赤さ」と名詞に云いとめては重く暗くなる。 「赤」という字はナマで、すこし気恥ずかしい。  遠

* どう見つけたのか、妻から、「蕪村です」とメール。蕪村先生に恐縮なれど。
2017 1/27 182

* 明日からの二月のために南山城、当尾里の浄瑠璃寺(九体寺本堂)を描いた美しい絵を友達から借りて掲げた。
この寺は、実の父方の当尾里に在り、父の祖父が、明治の廃仏毀釈の折り、大庄屋として、身を以てこの堂に泊まり込み、金色の国宝九体仏を賊達から護りぬいてくれたと聞いている。
もういい大人になってからわたしは、幼少以来初めて父の実家を訪ねたとき、木津市で学校長をしていた当主の叔父は、わたしが訪ねてきたと叔母から知らさ れ、飛んで帰ってきて、いろいろの話のあとで当尾里を深切に案内してくれ、浄瑠璃寺や岩船寺へも連れて行ってくれた。ご住職にも引き合わされた。
2017 1/31 182

* 庭と庭木の餌場へ朝になるとひっきりなしに鵯たちがきて餌を盛んに啄むのが窓ごしにいつでも観て楽しめる。そこには亡くなったネコたちの家も在り、昔のまま、いつも、親しく声を掛けてやれる。
好天、すこし肌寒い冬らしい気温。さし逼って気辛度な用事もなく、おちついて仕事に向かえる。出かけても、いい。
それで、さて、この今の仕事部屋をみまわすと、「足の踏み場もない」という慣用句をさながらに、狭さにせめられ手当たり次第に置かれたモノ、モノが三層 四層に積み重なって、片づけようが無い。不要のものを棄てればいいのだ、が、何がどう不要か、仕事がらみに内容のあるメモやコピーや書き物や本や資料とな ると、棄てるか棄てないでおくかにあたら時間を費消してしまう。しょうがなく、モノが層を成し堆積するままにしてある。ま、襤褸を身にまとったあんばい、 そのためか、妙に部屋が温かい。
2017 2/2 183

* 黒いマゴに逢いたい。
2017 2/8 183

* このごろ老夫婦の楽しみは黒いマゴたちの家から空へのびた隠蓑の茂りへつがいらしい鵯(と想っているのだが)たちや小鳥(目白か)が来ては、書庫前のテラスへ置いた輪切りの蜜柑をさかんに食べてくれるのを窓越しに観ていること。
2017 2/9 183

* 大きな機械に慣れたいと思いつつ、不慣れの難しさに閉口して機能的にまったく活用できないままで居る。今のこの機械からほとんどを移転してあるが、それも自在には操れない、そもそもインターネットへも繋げていない。
そんな中で、はからずも、孫娘押村やす香が、肉腫のため病院で死んで行くせいぜい数日前か、高校での学友達がみな浴衣姿で集まり、集会室へ送り出された やす香のベッドサイドで朗らかに歌を唄ってくれているビデオ写真を観た、聴いた。やす香も泣きながら唄っていた。観て聴いて、わたしも泣いた。
やす香が最期に此の祖父母の家へきて、妹の押村みゆ希と嬉しそうに雛祭りをして帰っていったとき、我が家の猫の黒いマゴは、まだ小さかった。そのマゴも 十七年をわれわれと一緒に生き、昨初秋死んでいった。やす香は二十歳を目前に、さぞや無念に、しかも母の誕生日に生命維持装置を切られて死んで行き、以 来、十年も余。国連へ勤めたいと張り切って大学へ入ったのに、もうその夏のうちに逝ってしまった。かつては歓喜の朝日子誕生日であったのが、やす香命終の 日になってしまい、両親であり祖父母でもあるわれわれ夫婦は、大切な大切な日付への歓喜をまるで喪ってしまったのだ、取り返し付かず。
2017 2/9 183

* おっ師匠(しょ)ハン やっぱり手紙も呉れた。
先日送ったわたしの『もらひ子』を読んだらしい。
子供の頃、自分が「もらひ子」であり、じつはあの子も「もらひ子」と初めて知った一人が、此のおっ師匠(しょ)ハン  だった。五年生か、六年生よりまえであったろう、突如、キリッとして顔も身なりも綺麗な女の子が隣の組へ転入してきた。敗戦して二年と経ってなかったの で、学校中に戦災や引揚げの転入生は溢れてたのだが、その子は、驚いたことにわたしの叔母、むろん血縁のない叔母といたって仲良しの小母さんの「もらひ 子」だった。叔母と小母さんは幾世代も大昔からのわれらが共通母校の卒業生・同級生同士、まさしく近い親戚のように感じていた家へまるで降って湧いた「も らひ子」であったのだ。
わたしは生まれて初めて、「もらひ子」という身上や心情を分かちあっているらしき美少女を識り、率直に動揺も同情もし、血縁なんか問題にならない一と組 の従兄妹同士の気がした。「もらひ子」には「血縁」とは奪い取られたものと小さいわたしは思っていたから、この「従兄妹同士」には、わたし一人が勝手な想 像で思い込みであれ、ある種「同盟」感覚が通っていた。わたしに小説というモノを、それも「もらひ子」小説を書かせた一つの「動力」かのように此の「おっ師匠(しょ)ハン」はけっこうに「機能して」いたとも謂えようか。「おっ師匠(しょ)ハン」とは、昔から若柳だか藤間だかの舞踊の先生をしていて、今でもそうであるらしい。
とはいえ、この若き日々のおっ師匠(しょ)ハンの先行きは、わたしとまた天地ほど、北と南ほど懸け離れていて、およそわたしが東京へ出てこのかた六十年近く、消息もふっつり絶えていた。
それが、ふうッと、便りがきたのだ、此のわが家へ。ああ、もうはや「小説世界」へ入っているかと惘れるほどであるが、懐かしくもある。向こうもとても懐 かしいらしい。呉れた菓子の「梅の壺」を追っかけてきた比較的長い手紙も、まぎれなく「もらひ子」であった運命に殉じて触れてあり、しかも交々の物思いに 今も悩まされているという風情を籠めている。妻もわたしものけぞったほど不思議な事実も語られていた、「この手紙笑わずに読んで下さい。思ったままに書き ました。」と結んである。だが文面を此処に披露はしないでおく。
2017 2/9 183

* ほとんど眠れぬママ、早めに床を起ち、庭の隠れ蓑へきて餌をつつく鵯たちを見て楽しんだ。ふっくらと大きく頭の白い「ヒーヨ」とほっそり黒くて嘴のな がい「ヒーヨ」が交互に来、一緒に来、ふたりで木の葉にまぎれて小さな頸や翅を動かしている。「命」の美しさ愛おしさを見て楽しんでいる。黒いマゴたちも 楽しんでいるだろう。    2017 2/10 183

* 一日の楽しみは、階下へおりるつど庭の樹へきている鵯や目白を観ていること。鵯の大きいめのは、ふっくらとまるみを帯び、ああ抱いてみたいなあと想わ せてくれる。「命」生き生きとした美しさに鳥たち、溢れている。好物は、目下は蜜柑です。目白も大きな鵯の隙をついて二羽三羽も降りてきて蜜柑をつついて いるもと、大きな鵯が追い立てに来る。鵯、すこしは馴れて来てくれたかなあ。
2017 2/10 183

* 隠れ蓑へ来て大小の鵯が二羽三羽、わたしらも寄せてと鶯色の愛らしい小さな目白たちも来て、あちこちと妻が用意の蜜柑の皿へ舞いおりる。嬉しくて仕方ない。
2017 2/12 183

* 明後日からの「選集第十八巻」送り出しに備え、とに書くも受け入れて積み上げるため玄関先を片づけた。西隣棟へも幾らか保管できる場所を用意してき た。腰がきつく痛むが、直前にチオビタを一本飲んでおいたのが、すこしは効いたか。西隣はちいさい家一軒分がほとんどすき間無く物置き(本と資料)に成り 果てている。
わずかなすき間に坐り込んで古い資料を見始めると時間が流れ去る。
断乎見もせず棄ててしまえば畾地(らいち・余地・田畑の空き地)が出来るのだが。
昭和三十四年(一九五九)三月いらいの例えば郵便物が以降少なくも去年までほぼ一通も余さず保管してある。私史年譜資料として惜しい私信や記録もあれば、著名人肉筆の来翰来信もある。六十年分近いそれらをせめて五分の一に処分できても畾地はよほど拡がる。
湖の本三十余年分の記録や書簡や読者カードを躊躇無く捨て去れば広い場所が空いてくれよう、しかし惜しんで思いの残る来信をだけでもと想うと選別はたいへんな労作になり、しかもわたし自身の目や思いを注がねばならない。「湖 の本」は稀有の事業であるだけに、出版史てきに関心を持たれて当たり前なのだが、とかくこの仕事は文壇的・出版業的には、とんでもない例外として「無視し ておこう」ということになっているとも洩れ聞いている。そうではない有り難い声や言葉もたくさん寄ってきている、今も、むろん。

* とにかくも、まともに家の中で「安座」がしたいと、いつも苦笑している。三百坪もの家屋敷で育ってきた妻に、このぶんでは生涯六畳間より広い部屋で暮らさせずじまいに済んでしまう、申し訳ないと思っている。
2017 2/13 183

☆ 「忘れられぬ画家たち」 のご本
松園・華岳と夢中で読みました。
魅入られるように以前見た絵が周りを取り囲んでくれるような気がして、静かな美術館の中で絵に浸っているような気すら致します。
何年か前ですが、舞囃子の序の舞のお稽古をしています時、部屋に松園の「序の舞」の大きな絵を貼って励みにしたことがあります。こんな使われ方をして苦笑されていることでしょうね。
「花筐」や「砧」を舞うことができるときがくればとも。
HPの私語の刻で小旅行などしてみようかなーと書かれていましたが、ご夫妻で是非是非お出かけください。お家を空けることが可能になったのですから。杖とリュックがあれば心丈夫でしょう。
寒暖の差も激しいのですが、蝋梅も咲き、白・紅梅もほころんでいます。暖かい地では桜も。
お大事にしてお出かけください。
私たちも興味の赴くまま小旅行をしたり、新聞の販売店がくれます美術展の招待券などで上野あたりまで出かけています。
次なるご創作のご本をお待ちしています。お二人ともご無理なさいませぬようにお気を付けてお過ごしくださいませ。  練馬  晴   妻の親友

* ほんとうに、妻もふと思い立って一緒に出てくれれば、一泊の旅ぐらいは出来ると思うのだが、妻の健康のことも配慮しなくてはいけない。ま、それでも、気の晴れる気を晴らすことは大切と、しみじみ感じてはいる。
新婚のすぐ二、三ヶ月後には、霞ヶ浦を舟で潮来へ渡ったのが懐かしい。
「冬祭り」で描いた鞍馬の火祭、比良のケーブルも、妻と二人だけの旅だった。
名古屋のボストン美術展や熱田神宮へ行ったのも、水戸の偕楽園や袋田の四度の瀧へも、仙台松嶋へも、足利の藤見へも、みな、ふっと思い立ち二人でふいと電車に乗ったものだ。
旅は、やはり劇場での観劇の楽しみと、また味わいが格別にちがう。
前から、いちど、銚子のトンガッタ岬へ立ってみたかったが時間が掛かりそう、全く不案内だし。大きな都会だとなんとか宿もあるだうが。
小説も書きたくて新潟県の村上へも久しく願を掛けてきたが。
なににしても今時、雪國へ向く手はなかろう。
2017 2/13 183

* 暖房していないと冷房しているように冷え込む。元日から玄関に据えていた盛花の大きな壺から花を抜き、沈めてあった山や剣山を取りだそうと手を澄み切った水に沈めて、あまりに痛い冷たさに降参した。噛みつかれたように痛かった。
2017 2/13 183

 

* あーあ、時間つぶししてしまい、十一時半になってしまった。今日も、猫たちの家の上やそばへへとんできて餌を食べている鵯、目白を何度も何度も見て楽しんでいた。
2017 2/13 183

* 七時頃起きたらもう晴れた朝空を背景に隠れ蓑へ鵯二羽が来ていた。もう少しと床に戻っていたが、八時過ぎ、猫の声にとび起きた。書庫上の庭へ、かつて見知 らない白に黒少しの太った猫が来ていた。黒いマゴを見送っていらい久しくよその猫の姿も声も、見も聞きもしなかったのに、一両日のうちに二三度気配を感じ ていた。黒いマゴたちとちがい、デブっとしていた。鳥たちの寄るのを意識して姿をみせたらしく、匂いヅケなどしているのかも。
それでも、また鵯も目白もかるがると隠れ蓑や南天の中を行き来して馴染んでいた。せっかくの楽しみ慰め、こと無く在りたい。

☆ おじい様
Happy Valentine (赤いハート印) 大好きです!
かお吏&ゆい佳  (亡きやす香一の親友と赤ちゃん)

* 愛らしく元気そうなゆい佳ちゃんに初対面。しかも例年のすてきなチョコレート!!
ありがとう、お二人さん。お元気で。
2017 2/14 183

* 黄昏れて木の葉裏に夕暮れが溜まってくれば、もう鵯たちはどこかへ帰って行ったかなと、縁側から籠手をかざす、と、シンとして静かに鵯が二羽、押し黙ってじいっと枝にいてくれる。とても嬉しい。
2017 2/14 183

* 妻に、手伝わせることばかりで、なにもしてやれないでいる。いまもまた新しい用事を頼んでいて、しかも明日からは選集の荷造りだ。申し訳ない。人を頼 んでも、その人にどこに坐って手伝って貰うのか、その場所から思案にくれるのでは、ああ。疲れを溜めないように、急がないように、せめて。いそがば、休め ということ。

* 疲れた。十時だが、もう寝室へ降りる。
2017 2/14 183

* 九時前、『秦 恒平選集 第十八巻 梁塵秘抄 閑吟集』着。送り出し作業に入る。荷をひらき、印を捺し、荷造りになる。本を運ぶ力仕事と、本の点検・捺印はわたしがす る。荷造りの手間は全部妻がしてくれる。かなり難儀な包装と荷造りになる。ま、慌てず急かず、ゆっくりやろうと。
天気良く、日の光は狭庭に溢れている。小鳥たちも来る。
そんな平穏とくらべれば、国会の大臣答弁はウソと誤魔化しに溢れ、咎は内政外交に及んでいる。起業者・経営者らも平然と社員を酷使し利益を溜め込み、テレビでは電波にわく蛆虫がただ大笑いし、ただ手を叩き、空騒ぎの為に空騒ぎしている。
2017 2/15 183

☆ 猫どん
しばらくまえと思っていても、十年も過ぎているかもしれませんが、鳥の餌台をつくっていました。他所の 猫どんがきて、鳥を観ています。「だめよ」と声をかけるぐらいでしたが、毎日、下に、気配をけして陣どっていました。あるとき、その重そうな猫どんが、二 メートル近くもとびあがって、雀をつかまえてしまいました。
秦さんちの、ことりが狩られたら、と、余計な心配をしています。 柚

*  書庫の屋上からもし他所の「猫どん」がテラスへ跳び下りると、もう一度ニメートル以上を跳ばないと、どこへも逃げて出られない柵が出来ています。しかしそ の柵は晩年の黒いマゴの行方不明は防げましたが、元気な「猫どん」なら越えて仕舞うかな。黒いマゴでもその前のノコでも元気なときはテラスから書庫の上へ 軽く跳び上がっていました。もっとも昨日出現した何処かの「猫ドン」は図体太くてとても跳べそうにはなく、跳びおりても来なかろうとタカをくくっています が、ハテ。
鵯たちね目白たちも、自分たちの「隠れ蓑」かのように舞って来てくれています。ただし鵯は目白を追い払い、目白は隙をねらって隠れ蓑や南天でせっせと食 べてくれています。蜜柑も御飯もよく食べます。木の下でネコやノコや黒いマゴたちが小鳥の来訪を歓迎していると想っています。わたしも妻も浮き浮きしま す。テレビや新聞のニュースが伝える汚濁の津浪から、そうして遁れているかと思うと情けない。

☆ お元気ですか。
あっという間にお正月が過ぎ、1月のスケジュールを終えて、ほっとしたとたんに寒くなって風邪を引いてしまいました。まだすっきりしませんが、今日は街なかへ行き、用件を終え、お菓子を色々と送りました、楽しんで下さい。
湖の本-なつかしく楽しんで居ります。
今日は先日の雪の写真を送ります、わが家の近くでは小鳥が元気に歌って居ります、早く温かくなってほしいな!と思いつつ、無理をせずにお元気でと。  京・北日吉   華

* 感謝。
写真は、渋谷通り坂の途中、小松谷正林寺總門を見入れての雪景と想われる。懐かしい。お寺というと、不思議に「門」に惹かれる。漱石に『門』という秀作がある。禅の『無門關』も在る。
この辺、小松谷というように小松の大臣、平重盛の邸宅があったところで、墓もこの正林寺に在ると思う。いわゆる六波羅の東南極を固めていた。渋谷坂を越 えればそのまま山科へ、近江へ抜けて出られる。つまり都へ入っても来れる。『冬祭り』終焉の場の歌の中山清閑寺は京と山科の境に位置している。
わたしが京都幼稚園へ園のバスで通っていた頃、(真珠湾奇襲・開戦の年だ、)昼御飯をみなでこの正林寺門内で食べたある日、給食に煮た茄子が入ってい て、どうしても「イヤ」、どうしても「食べなさい」で、先生付きで独り境内に残され、大泣きしながら、ぐちゃぐちゃのを嚥み込んだ思い出がある。あれ以来 今日まで煮た茄子をゼッタイに食わなかったが、やはり家では母に口へ押し込まれ嚥み込まされた思い出がある。
さようにもわたしは茄子の煮たのが大っ嫌い。しかし茄子の生っているあの姿形も紫紺の美しさもまた花の優しさも大好きなのであります。茄子は天麩羅でもダメ、漬け物は食べます。
ついでながら、南瓜を煮たのも大嫌いだった。戦時中の代用食で飯にも混ぜて炊かれたが、茄子ほどでなくても辟易した。空腹でも食い気が湧かなかった。そ れが、この二十年ぐらいは薄く切って天麩羅になって出ると甘みを味わえるようになった。青唐辛子も牛蒡もかろうじて噛めるようになった。人参にはいまも手 が出ない。「ずいき」という、なにものだか分からない奇妙な食い物にも辟易した。
ちなみに、茄子喰い大泣きのあの日、同じ幼稚園児で同じその場にいた我が家の真向かいの女の子に「アホや」と嗤われた、嫌いなものが出たら(何と謂うたか)「エプロン」だかのポケットに突っ込んで帰ったら「ええのや」と。そういう知恵も勇気も持ち合わさなかった。
も一つちなみに、この正林寺の界隈、いま書いている小説で使っていて、見確かめにゆきたいのだが、情けない。

* 美学の後輩で京都暮らしの人が、上品な京の干菓子やお香や、わたしにはまさしく故郷・地元「祇園界隈」のいろんな情報を送ってきてくれた。ありがとう。
2017 2/15 183

* 汽車・電車で関門トンネルを抜けたことは二度あるが下関で降りた事はない。鞆の津で一泊したことがある、「ミマン」誌だったかの旅で、妻の代わりに朝日子が一緒だった。
このところいわば獣肉にはほとんど気を惹かれない。魚の淡泊な刺身がいいと、夕食に、また鮓を和可菜に頼んだ。あれは胃全摘より以前だったろうが、銀座 裏で「鉢巻おかだ」で鮟鱇鍋のコースを妻と堪能したのを思い出す。生涯で何が美味かったかとなると記憶しきれない中で、あの「鮟鱇なべ」の仕上げの美味 かったことは。京・祇園「かき舟」の「鍋」も忘れられない。歳末になると編集委員との忘年会をどうすると思案するのが編集者の役だった。新宿「田川」で、 小児科の馬場先生らに「河豚」を食べて頂いたが、お相伴の「雑炊」が美味かった。つまりわたしは雑炊が好きだったらしい。あれは満腹するので、いまは危険 で近づけない。腸閉塞がこわいのである。おかげで、いま、あれが食べたいという気が湧かないのは、口惜しいほど。
鮓が、届いたらしい。仕事づけで目がよく見えない。
2017 2/18 183

* 以下の一文は要あって繰っていた昔の日記から見つけたもの。記憶が薄れアタマも惚けていて確かにトハ言えないが、娘の朝日子がブログにに書いていた創作を見知って読んでの感想かも知れない。

* 仮に「幹」とでも作者を呼んでおくが、「幹」から送られてきた三編の小説の最初に書かれたという八十枚ほどの小説を最後に読んだ。連載中のブログに、 一回分を二つ行き方を変えて書いたりなど、いかにも習作であるが、厳しい勝負世界の内容を、不思議にシュールに、しかも生活そのもののなかで表現してい る。作中単身赴任の寂しい「男」を「父」として面倒をみにくる「娘」の活気には、不思議に目に見えない「はたらき」がある。たわいなげなオハナシのようで 居て、凄みのきいた背後の闇をかかえ、そこから人生を厳しいとも温かいとも読み取らせる「複眼の照り」も有る。四百枚の長編とも百数十枚の中編とも異なっ た、しかも双方の基盤になっていそうな体験が描かれているようで、「幹」がやがてまた新たに書くと予告しているブログ小説を、わたしは楽しみにしている。 2006 1・28

* 不幸にしてわたしは娘の小説を読んで感想を述べたのを「傲慢な」と排撃され、はては名誉棄損と訴えられ、損害賠償金も請求された。その事実は、もはや如何ともしがたい事実として「済んで」しまっている。それはそれ。
しかしわたしは朝日子が、書き続けていればいいがと、今も思って期待もしている。あんな実の娘からの暴発がなく、そのまま書いたり読んだり感想を交わし あっていれば、必ず世に出て、リッチとはゆかなくても個性的なフェイマスな作家へ手が届き得たろうにと今でも惜しんでいる。あの当時もすでに二三の文藝編 集者はわたしとの間で話題にもしてくれていた。着実な構造上の美観を作に組み立て得てゆけば、ある種ふしぎな書き手の一人に立ち得たろうにと、久々に昔の 朝日子作を読み返してみようかなどとまで思った。酔狂かも知れないが、
多くの人は、建日子さんが起たれて好かったですと慰めてくれる。この「リッチ・ライター」の弟と、姉朝日子の構想感覚とでは、明瞭なまで「文筆」の筋 が、すくなくも昔読んだ限り、違っていた。娘は建日子に漏らしていたという、自分の書いているものを分かってくれるのは「あの人」だけよ、と。だけ、とは 思わないが、まっ先には父のわたしであったと今でも思う。書き続けているなら、読みたいと思っている。
2017 2/18 183

* 今日も、疲れると縁側に立ち、黒いマゴ立ちに話しかけ、また隠れ蓑やテラスへ降りてくる鵯や目白たちに声を掛けて、「いのち」の輝きと喜びとを感じていた。
2017 2/18 183

* 妻が定期の予約診察に近くの病院へ。留守をしながら、テラスの隠れ蓑へ来ている鵯をずいぶん永い時間見ていた、向きあっていた。静かで和やかで、いい気持 ちだった。数メートルの近距離でわたしのいるのは見えていように翔び去らずに清閑を満喫しているという小鳥の風情に魅されていた。
テレビは、金正男暗殺だの都議会の百条委員会だのトランプのバカ騒ぎだの、ばっかり。せめて独りの時間は静かにと、鵯に話しかけながら倚子に腰掛けていた。日光燦爛、風はやや強く、清らに静かであった。鵯を木の枝にのこしておいて機械へ来た。
2017 2/21 183

* 色川大吉先生、島津忠夫さんのご遺族、また早稲田の図書館、昭和女子大図書館からも、「選集⑱巻」受領のご挨拶が届いている。
凸版からは、早々、請求書が届いている。1,771,200円。大体、限定150部より心持ち著者用に多めに製本しているが、いつも、これほど、ないし やや多くを製作費として支払っている。現金など遺しても仕方がない。「本」は、わたしと妻との、文字どおり「紙碑」「紙の墓」であり、それとても年々歳々 朽ちて失せて行く。笑える。 2017 2/21 183

* 酔う。そして眠る。目ざめて、機械の中の黒いマゴ最期の日の写真を見て、声なく涙を流し続ける。
2017 2/21 183

* 昨日妻に確かめた、三十三巻と目指している「選集」を、急がずにゆっくりと出していくか、急ぐというでなくても出来ればサッサと出し続けたがいいか、 どう思うかと。妻は、言下に、後者を採った。わたしも同じ思いでいる。残年・余命にもう限りが見えている、夫婦ふたりともに。心ゆくまでの仕事をつづけな がら「選集」を願ったままに完成させて、なおその後が可能な限り「湖の本」で文学を実践すればよい、命の限りと。
こういう気持ちでいる。心ゆく最晩年をわたしは「仕事する」という「無心の禅」境にと願っている。妻も同じとわかり安心した。
2017 2/26 183

* 妻は留守の内に、内裏雛を美しく飾ってくれていた。 ほこりっぽい家に春の花の匂いがした。
弥生の迎へに
2017 2/27 183

* 二月二十五日にやす香 みゆ希が姉妹で遊びに来て、二人で雛人形を全段嬉しそうに飾って行った。それが最期となり、その年の七月、姉やす香は肉腫という最悪の癌で二十歳の誕生日も待たず永逝、あの雛祭りからすでに十一年が過ぎた。

やす香死なせ黒いマゴも死なせ老い二人
八十路を日々に目をあげて生く
2017 3/3 184

*  明日は日曜。一日ぐらいぼうやりしててもいいだろう、が。鵯が、鳩も、置き餌を食べにテラスへ来てくれるのが嬉しくて。息を凝らして眺めている。ネコもノ コも黒いマゴたちも一緒に観ているだろうと、いつも声を掛けている。文旦やオレンジやフルーツゼリーがあって、ときどき苺まじって果物は有り難い。食べ物 を食べ損ねるとえづいて吐くのが苦しいが、腸を詰めて塞ぐよりは、吐いた方が遙かにマシ。米の飯がたべにくい、口の中でばらけてしまい味わえない。さっき は葛湯と櫻塩煎とを。酒類の飲み物は中毒しないようにだけ気を付けて一日中少しずつ愛飲している。
2017 3/4 184

* 今日は、総じて不調、実効のないかたづけ事に時間と神経を使い疲れてしまっている。こういう日もある。
写真を替えた。写真コレクションの量がこの古機械を圧迫している気がする、時として機械が「描画」を拒んでくる。理由が分かれば対応できるだろうに、いつも「何故」そうなのかが分からない。
ドラクロワのもゴッホのも、珍しい方に属している。写真の借用である。
プチ・ジャンの真作で小品ながら好きな「花」の繪を愛していたが、いまは建日子に遣ってある。
シルクスクリーンの版画ではミロの大作を一点買っておいた。颯爽とした線の廻転で描かれた騎馬の一騎打ち。やはり版画だが、銀座の画廊で、ビュフェの 「薔薇」が買ってある。ピカソのごく小品の佳いのも。しかしこのピカソは精巧な印刷かも知れなくてやはり建日子にやってある。
建日子はわたしから骨董の類もよろこんで仕事場へ持って帰るが、よく旅しているのに、自身の好みで手に入れたと観せてくれたその種のモノは一点もない。趣味がよほどちがう。
2017 3/7 184

* 息子の秦建日子が「おやじの<選集>は<全集>だね」と母親に囁いたとか。「全集」は作者の強い意向で削除される作も有るが、歿後刊の全集ではミソも クソも入れられて、その上に全集未収録の作や短文まで「発見」に熱心な例もある。優れて意味深い発見は有り難いが、生前に作家自身が忌避して除外した作ま で機械的に入れてしまうのは、作家側の真意にそえば、余計な出過ぎだと思うことがある。そうも云いきれない例もある。むずかしい。いずれにしても「全集」 は概してないし普通には創作とエッセイに大きく分けて発表順に編成されている。
わたしの「選集」の「選」は、内容による「選別編輯」の意味であり、小説の方も概ねそのように選輯したし、エッセイや論攷では殊にその点に著者自身が興 味を覚えている。何が収録されて何が洩れてしまうか、「全三十三巻」と予定して増やすことは出来なかろうからのこる第二十二巻から第三十三巻までをどう編 成するかには、精魂を籠めねばならない。わたしの「寐られない」自覚の大方はじつは次々の巻をどう選輯するかを夢中に考え、悩んだり愉しんだりしている、 らしいのである。
今日は不調なのだし、それならと、もう二時間も、次の「第二十二巻」編輯思案に没頭していた。
2017 3/7 184

* 浄瑠璃寺へも父方当尾の家へも、もう訪れる機会はないだろう。父の敗戦もしっかり書いておきたいのだが。島尾伸三さんの撮ってくれた浄瑠璃寺三重塔を 振り向いて観た写真を選集十八巻の口絵に入れることが出来たのを、なにともなく実父への挨拶のようにも感じている。高木さんの繪が有り難かった。
2017 3/8 184

* 今日は市の保谷庁舎まで税の申告に。手続きは何十年来みな妻がしてくれていて、わたしは散歩についていったまで。申告といっても、かつかつ数万円しか 収入はない。湖の本は慢性的に出血しているのだし、新規の原稿依頼は受けないのだから。それでも申告はしないといけないのである。

* 家から市庁舎まで歩き、市庁舎から保谷駅近くの「唐津うどん店」まで歩き、唐津の地酒「太閤」一合で饂飩をすすった。また家まで歩いた。腰が痛かったが、手術以降、今日がいちばん長く歩いたのではないかしらん。
2017 3/10 184

* 「戦争と人と」を描いて完璧に近い造形美を成し遂げていた英国の連続ドラマ「刑事フォイル」を深い敬意とともに見終えた。海をこそ隔てていたがドイツ とイギリスとの近さが国土と国民におよぼす痛切な苦渋。ひれがあの大戦字の日本の銃後とどれほどの差かは感嘆には言えないが、それ以上に、日本海だけで隔 てた隣国との戦争状態が生じそうなときに、日本と日本人は、何をもってその事態から国土と国民の平和を守れるのか、とても気になる。いまの政権はアメリカ に頼りながら軍備と戦闘能力を前へ押し出したがっているが、白兵戦の時代ではない。どんな高度の算段と決断とで「平和」外交をどれほど狡猾でも云い全うし うるのかが、総理大臣、外務大臣、防衛大臣、法務大臣らの顔を見ているだけで絶望の寒気に誘われる。

* 明日、結婚届して五十八年になる。自分たちの平穏な終焉を願えば済むのか、そうではない。若い彼らのためにも彼女らのためにも、さきざきの日本文化を受け継いでくれる世代にも、どう平和を守りぬきたい。
2017 3/13 184

* 夫婦して、朝、赤飯で祝った。五十八年前、新宿区役所へ結婚届けした。よく歩いてきた。山も川も谷も峯もあった。ほぼ渋滞なく、打ちこんで創作と執筆の仕 事をしてきた。五十八年のそこここで区切りをつけたように、私家版製作、太宰治文学賞、湖の本、東工大教授、日本ペンクラブ表彰会員・理事、京都美術文化 賞選者、京都府文化功労賞、秦 恒平選集といった標柱も起ててきた。徹して騒壇餘人、初・中・後三つの自発出版のほかは、みな、求めずして向こうからわたしを訪れてきた。
2017 3/14 184

* 縁側からもキッチンからも見える隠れ蓑に、一日中二羽の鵯が食べに来る、鳩も来る。鳩が来ると鵯は尾羽をこまかに打って警告ないし威嚇、また は警戒し ている。黒いマゴたちの家の間近へ生きの命の取りが遊びに来てくれるのを妻とこころから喜んでいる。せまいながらテラスにも木立にも書庫のエプロンや屋上 にも「命」が耀き「命」洗われるのは、ほんとうに嬉しい限り。
2017 3/25 184

* 昨日の大阪場所千秋楽、大怪我らしい新横綱と角番ながら横綱に一勝先んじている大関との相撲、百人が百人横綱に分がないと予想しているようだったが、 わたしは本割りの取り組み前から、これは横綱が勝つと予告し、事実勝ち、決勝戦もまちがいなく横綱が勝つと予告して、その通りだった。わたしは此の横綱贔 屓ではないので、気持ちでは大関に本割りで勝って優勝して欲しかったのだが、二人を見ていて、とても大関に勝ち味が見えないと確信した。まったくその通り だった。
むかし、娘の朝日子がなにかのおりにわたしが口を利きかけるのをほとんどヒステリックに「言わないで! パパがそう言うとそうなってしまうんだから」叫 んだのを思い出した。何のちからもちでも無いけれど、まま、そういうことはあったので、むしろ自分で自分に用心もしている。
二〇一一年一〇月二三日にわたしは前歌集「光塵」を締めくくる歌を詠み、ほぼ一月後に本になっている。その歌は、こうであった。

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ

年明ける前にわたしは自発的に人間ドックを予約し、年明け早々の正月五日には、動かし難い胃癌二期を見つけられた。

死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ

と、その日に述懐している。
二〇一二年二月十五日、八時間の胃全摘手術を受けた。術後の一部に、癌転移を残していたという。
あれから、五年過ぎた。この五年、老いの華やぎは我ながらめざましかった。
「湖の本」は一三四巻に達し、『秦 恒平選集』は、明後日、なんと第十九巻が、早や出来てくる。小説の新しい未発表作もいくつも送り出して行く。不安が、無いではない、が、ただただ一日一日を生きて行くだけ。誰にも真似をさせない。
2017 3/27 184

☆ シンガボールより
東京の桜開花、関東地方に寒波とは目まぐるしい気候ですね。
病院の結果良かったとHPにあり、嬉しいことです。
シンガポール、スコールがない日はやはり暑い。これから徐々に暑くなるでしょう。日の出、日の入りは一年通してほぼ7時。
送った写真は、部屋からの景色で、大体20階から30階建てのマンションが林立しています。
孫たちの元気腕白に振り回され追いかけまわされています。
家では日本語、相手によっては英語と切り替えて自然に話しているのは羨ましい。わたしは「シン」グリッシュがあまり聴きとれず、溜息がでます。が、さまざまな人種の人を見るのは興味深いです。
どうぞお元気で。大切に、大切に。  尾張の祖母鳶

* 我が家には相手をするにも孫がいない。相手をしてくれる孫もいない。ネコの黒いマゴは隠れ蓑の根方でネコやノコと仲よくしている。
わたしを「もらひ子」にした秦の両親や叔母が「秦」の姓存続をどう願っていたか分からないが、孫の建日子の代でハタと絶えてしまうのはさぞ残念だろうと、これにもわたしは二重三重に親不孝の深い歎きと憂さとを抱いている。
2017 3/28 184

* 隠蓑をめぐって鳩二羽と鵯二羽、脚やすめの場所取りに翔うちかわす攻防戦になっている。木の下へ妻のおく餌が気に入ってか。ささやかな賑わいだが純粋で宜しい。
2017 3/31 184

* 夜中、窓のすぐ下から黒いマゴの呼んでいる一と声を聴いた。ネコもノコも、マゴも、いっときも身内を離れない。人間が、とかくするとうそくさい現世を体現してしまう、己れも含めて。そういう鬱をまぢかにいて慰められている。弱いものだ、わたしも。

* 我が家の、縁側と書庫とのあいだのテラスは、文字どおりに猫の額ほどしかない。選集のどれかに家族で撮った写真を入れた。この文字どおりの狭庭で、朝 日子がまだ家にいた頃から大違いに変わったたった一つは、わたしの背丈をすこし超えたほどの隠蓑の木が、いまや書庫上の庭を超え家の屋根を超えて高々と青 空を望んでいること。その根方に、ネコもノコもマゴも、仲よく永久の憩いにある。ちかごろはそんな三人の住まいを賑わわせて鵯や鳩や目白が妻のおく餌に 寄ってくる。朝日子に見せてやりたい。
2017 4/1 185

* 隠れ蓑に鵯ひそと羽うちて朝日しづかに羽づくろひせり

ひよどりの胸ふくらませ黒き尾をチチと鳴きたかくあげて勇まし

めをとかと息ひそめ見る鵯の二羽が朝日に映えてうごかず
2017 4/4 185

* 妻八十一の誕生日。オンコロジイ・腫瘍内科五年の診察に同行、そのあと妻の両親らの墓参は、例年のならい。京都の秦の墓所へはもう六年余も参れていな い。お寺への挨拶やつき合い、墓の面倒見は建日子に委任してあるが、ちゃんと顔つなぎも掃苔もして呉れているのだろうか。

* お墓で思い出した、谷崎潤一郎と芥川龍之介の墓がおなじ東京のお寺に在る、が、一度もまいっていない。いちど地理をしらべて行ってみたい。
2017 4/5 185

* 七時過ぎた、妻の誕生日を赤飯で祝おう。そして病院へ出かける。
2017 4/5 185

* 青山墓地で、この何年かつづけてきた妻の実家、保富家の墓参りをした。墓地の櫻並木は花やいではいたが、花曇りの空もよう。
外苑前大通りの大きな喫茶室で休息、レアチーズケーキでお茶を。建日子との待ち合わせ時間をにらんでおいて、わたしは、せっせと校正、妻は上野千鶴子さんにもらった本を読んでいた。
五時前、原宿駅ちかくの中華「南国酒家」で建日子と待ち合わせ、ゆっくり時間を掛けて食事した。母の八十一と父の五年無事経過を祝って銘々に卓要生花を呉れ、料理も紹興酒もご馳走してくれた。ありがとう。
便利な電車乗り場まで連れて行ってくれ、電車一本で保谷まで戻れた。
2017 4/5 185

* 昨日、しばらくぶりに建日子と食事して、一つ、珍しい、ま、「収穫」があった。何要が有ってのことか「源氏物語」を読んだ、いや、読みかけたがマッタク何が何やら、エロだかグロだか、とても読めなかったと。与謝野晶子の訳で読みかけたのだが、と。
建日子からもちだす話題に源氏物語とは豹変もいちじるしくて嬉しかったが、さて、彼も母も父のわたしもそのままに捨て置きたくはない。
わたしのように中学生だったら意訳と省略もある晶子訳からでもいいが、もう五十歳の作家には向かない。さりとて原文でなど逆立ちしても今は、ムリ。とに書くもなんとかしよう、しなくてはと、話は半分笑い話に終えてきたが、「湖の本」で何か読めないかと。

* 源氏物語に触れてわたしの理解を書いた文章は、エッセイ、小説ともに少なくないが、真っ先に書いたのは小説「或る雲隠れ考」で、質的にも主題的にも 「畜生塚」「慈子(斎王譜)」とで大きくわたしの処女作世界を成している、が、源氏物語に取材した自愛の小説ではあるが物語の絵解きでも解説でもない。小 説としては他に短編「加賀少納言」「夕顔」があるが、これは物語を手引きするものではない。
源氏物語に触れて論じた最も早いエッセイは、三十四歳、1970年に「ちくま」に書いた「桐壺の巻」で、これを読んだ京大卒の、後々も今も名だたる碩学 が「嫉妬した」と告白されたものだった。この一文を基盤に以後のわたしの源氏物語観は構築されていて、「源氏物語の本筋」「講演・桐壺と宇治中君 源氏物 語の美しい命脈」や「古典独歩」中の源氏物語諸エッセイ等にほぼ尽くされているが、今一つ興味深く接して貰えるのが「谷崎潤一郎の<源氏物語>体験 夢の 浮橋」という論攷がこの世界史的に稀有の名作物語の心の臓を強烈に腑分けし得ていると思う。「夢の浮橋」とは源氏物語五十四帖の最終巻の題である。

* これぐらいを前置きしておいて、関連の本を建日子へ送ってやろうと思う。所詮元文は読めないのだから、谷崎松子夫人から朝日子へ署名入りで贈られた見 るも美しい「潤一郎訳 源氏物語」新書版一箱を添えて送ってやろうと。荷造りが難しいので受け取りに来てくれると助かるが。
松子夫人に戴いた「谷崎源氏」を朝日子は、持って行かずに嫁いでいった。建日子にひとまず譲り伝え、大切に、機会があらば朝日子次女のみゆ希へ遣って欲しい。

* 目先の仕事へチョイと役立てたいだけの源氏物語への関心らしいが、それはそれ、源氏物語への継続した関心が興味となり大きな敬愛へ、そして息の大きな 糧とまでなりますようにと願う。源氏物語はそれほどの文学の至宝だとわたしは思っているし、そう思ってきた人が古来夥しいことに静かな敬意を深めて欲し い。それはこの語へのたいへんな財産になると思われる。わたしに源氏物語無しの人生は思い及べなかったほどだ。
2017 4/6 185

* 昼以来、建日子の源氏物語に親和的に近寄れる参考書をと書庫へも入っていた。晩になってから、ともあれ「枕 草子」入稿の用意をし終えて、さて今一度と、この部屋の書架の高い所にえるセットものから、学研版円地文子訳「源氏物語」、あれなら頭も多く懇切な初心者 向け編輯が行き届いているからと、狭い足場へ登って、無理な姿勢で大きな本を一番上の棚から一冊抜き取って、降りながら後ろ向きに転倒、わたしの背中で、 湖の本全巻その他山積みの棚へもたれ込み、棚が転倒全壊し本が身動きならず散乱した。この修復模様替えは、なにしろ狭い狭い部屋だけにどうして好いかと途 方に暮れている。散乱した本だけはやっと積み上げてみたが、襖へ突っ込んだ柱ともなっていた整理棚は、もう使えないほど傷んでしまった。
わたし自身は狭い壺のようなところへ背と尻から落ちて動けなかったが、なんとか起つだけは立った。背中にも腰にも、微かながら痛みが残っているので今夜 には痛みが表へデイ来るかも知れない、が、ま、骨折はしていないと思う。これが崩れ倒れたらタイヘンだなと日頃思っていた所へ転げザマ体当たりして押し倒 したことになる。
なんとか、整備し直さないと、歩くに歩けない。やれやれ。建日子は本など受け取りに来ると言ってたらしいので、少し力仕事を手伝って貰いたい。二階なので、運び下ろすにも運び上げるにも、労力が要る。やれやれ。大怪我にならなかったのがまだしも幸いであった。やれやれ。

* 懸命に、壊れた整理棚と同じのを隣棟からガンバッテこっちへは運び入れ、妻に手伝ってもらって、ほとほ苦労しながら辛うじて階段を二階へ、積み本で狭 まっている廊下を奥のわたしの機械部屋へかつがつ運び入れて壊れた棚と、狭い畾地でやっと入れ替え、上棚を渡して、それからは独りで頽れ落ちた大量の本を とにかくも棚に載せた。本の置き棚は二段になっていて、しみじみ湖の本本だけでも百数十册は重い。ま、仕方がない、明日に延ばしていては仕事が停滞する し、建日子が来れるのは実はいつのことやら判らぬとあっては、「おひとりさま」労作には慣れるしかない。最低限度、未整頓に積まれたままながら散乱したも のがとまれ片づいて、よかった。

* しかし、臍の左下部に指で触れても判る鶏卵大かるい痛みの膨らみを触知している。
もう十二時。酒を少し含んでおいて寝よう。
こういうことが、これからはともすれば起きて対処しなければならない。大怪我をしては一巻の終わりになる。やれやれ。
2017 4/6 185

* 京室町の源兵衛さんから、「一歩 踏み出したい」と、自家、自身の来歴等を前置きに語ってこられた。

☆ 一歩 踏み出したい
母方は彦根井伊家の御用商 特に大麻布を扱う(徳川幕府より井伊家のみ大麻布専売を許認可)戦後 没落 父方はおそらく丹波出身一族 江戸初期より織物を扱う
母方の祖父は能三昧 母は女学校より98歳までシェークスピア研究 叔父はロートレアモンに一生を捧げる
父方の祖母は 富商ながら室町の乞食と蔑称される程 粗衣粗食に甘んじるも 片や茶室を作り茶に没頭
父方母方共に没落と云う環境下 借金を抱え商売に勤しみ今日を迎えるも 遅まき乍ら中世文化に興を覚え 濫読する中 先生の御著書「茶の道 廃るべし」に出会い 何か救われたと実感した次第です 「湖の本」も有り難いです なにより先生が同時代におられることを有り難く思います
本当に何も知らない分からない者ですが もしご迷惑でなければご教示賜りますれば幸いです
なにより先生の御回復 京都にお出かけ出来る御快癒を祈念致します    源兵衛

* 私からは、とかく申し上げるナニモノもなく、ただ創作と著述とがあるだけ。どうお役に立つ何を自分が持っているのか判らないが、メールの対話ででも、もし何かが見えてくるなら、お互いに有り難いとしよう。
秦の母方のことよくは知らないままになったが、福田という元は豪儀な富商で合ったらしいが、母の父か祖父かの代から零落甚だしく、母は優等生だったけれ ど女学校へあげて貰えなかったのを死ぬまぎわまで泣いて悔しがっていた。母の兄は室町で仕事をしていたと漏れ聞いているが、よくは判らないののになった。 この伯父さん、いかにもおっとりとした好い人だった、懐かしいキワミのような京ことばを聴かせてくれた。上の娘、ほぼ同年の従妹とはいまも文通があるの で、今のうちに福田という大きな家の話を聴いておきたくなった。弥栄中学から中信の美術賞まで永くお付き合い頂いた画家の橋田二朗先生も母の出の福田と縁 戚であったらしいのに、それも何も聴かずじまいに終わっていた。

* 実の父方吉岡家は学術・教育の、実の母方阿部家は実業の、ともによほど大きな一家一門で今もありまた曾てあったけれど、わたし自身は、ほぼ生まれなが らに小さなラジオ電器屋の秦家へ貰われ、何もかも「根」に類することは極くの噂程度にしか知らぬまま、一作家の秦 恒平に成った。まして娘朝日子や息子建日子ともなれば、わたしと妻との家庭以外に、それ以前の根の知見など何一つも持っていない。思いようでは、これほど 気儘に自在自由な足場は無い。自身の目と心とで健康に心ゆく一生を生きてくれるように。
私と妻との血筋は、あまりにもかすかに頼りなく、娘朝日子の次女みゆ希独りを通してしか生き続けられない。そのたった一人きりの孫である「押村みゆ希」 の現在も、わたしたちには露ほども判らない知れないでいる。思いようでは「血縁」とは、いかにもイヤなものだ。だからこそ血縁ならぬ「真の身内」という思 想は重いのだ。わたしは幸せに生きている。
2017 4/7 185

* 次の日曜には、松本紀保らの芝居を、以前に見たのをもう一度見に行く。そのあと建日子と出会い源氏物語のわかりいい本を手渡してやる予定。
週末には歌舞伎座を昼の部だけ。骨休めというと芝居になる。よく見えないからときどき居眠りしているのかも。いつも舞台の役と真向きになれる絶好席を貰えているので、居眠りなどすると高麗屋に逆に見られてしまうのです。
2017 4/7 185

* 明日午後、築地で松本紀保らの芝居を観たあと、夕刻建日子と会い、源氏物語の入門書を六七册手渡してやる約束。芝居のはねる頃まで雨とか。しかしまだ散るよりも咲き揃っていまい、築地も櫻はなかなか綺麗。
2017 4/8 185

 

* 今日は、サマ変わりのした、ふつうの家屋の一部屋をそのまま舞台に用いながらの松本紀保らの芝居を、隣室に坐って妻と観てくる。客は二十人ほど。紀保 という女優は弟の染五郎や妹の松たか子とは生き方のまた行き方のちがった意欲的な実のある舞台をみせてくれる。今日の芝居、以前に一度観て、とても芝居の 空気も展開も面白かった。建日子にも見せたかった。
芝居の後、その家の前でその建日子と会い、築地その辺のどこかで親子三人で話してくる。

* 演劇ユニットMISOJINの、アトリエ鶏由宇さよなら公演「ドアを開ければいつも」、同じ部屋で二度目にもかかわらず、松本紀保らの卓抜な演技力と作・演出の完璧な仕上がりで、じつに新鮮、力強い感銘を覚えた。はやくに母を失い老いた父と次女(紀保)とで住む、たまたま父が不在の家 へ、長女、三女、四女が母法事のために帰ってきての、まことにまことに仲良いありのままのお喋り芝居なのだが、山も谷もあり、みごとに自然でしかも怖いほ ど緊迫もする劇的時空であった。以前によほど感心したので躊躇いなく二度目を観に行ったのだが、最初の折り以上に泣かされもした。思わず笑いもし、手に汗 もにぎった。場面に不在の亡き母、ムズカシイ老父もしぜんと話題に参加してきたのは家族の歴史を語り合えばあまりに当然、そこに実の姉妹四人と、虚の両親 との「劇」も実現されていた。徹底的なリアリズムのようで、リアルを超えたイデアルな実在感を作劇も演技もが創り出していた。注目公演としても満足度ラン キングでも第一位を獲得しているのは、よく判る。

* どんな舞台であったか。舞台ではない。普通の和風民家の二階へあがる、と、広くもない、せいぜい八畳ほどの「畳」部屋一つが隣室とは襖で隔てられてい る。造り立てた部屋ではない現実に民家の二階そのまま。そしてその部屋に閾一つでまおもに隣接した畳部屋へ座椅子と倚子とでせいぜい二十数人の観客、妻と 私は倚子席にして貰っていた。
これは、いわば廊下に沿った我が家でまんなかの六畳の和室で芝居をし、客は廊下の外のテラスに席をもらって観劇するのと同じなのである。狭い、しかし濃密で実験に富んだ世話な劇空間なのである。
面白かった。三度目の機会が有ればまた見に来るだろう。建日子にも、朝日子にも、死んでしまった孫のやす香にも見せたかった。

* ハネ出されて築地の路上へ出ると建日子が待っていた。即、銀座のまた三笠会館へ向かい、イタリアンの階にあがった。出逢いの目的は「源氏物語」本文を 手早くかつ判りよく読み取れる参考書を七、八册手渡してやること、そして先日妻の誕生日に南国酒家で中華料理をご馳走してくれたお返しもしたのである。
妻も建日子もイタリアンのコースを美味いと喜んでくれたが、わたしはパスタの皿も肉の皿もうまく口にあってくれず、お添えモノの初めの軽い二皿と、デ ザートにエスプレッソを賞味した、いやいや妻と私はキールロワイヤルを楽しみ、建日子は葡萄のジュースをお代わりしていた。
銀座で別れてきた。いい日曜だった。ああいう芝居を観てくると、朝日子もいたらいいのにとも思ったが。
2017 4/9 185

* 朝のうちにも名古屋の画廊主、大脇八壽子さんから名古屋市でしか手に入らないらしいいろんな味わいの味噌をたっぷり頂戴した。酒の肴にもなりそう。佳 い手紙も添っていた。むかし村上華岳の観音像を手に入れたので観て下さいと誘われて、京都へ所用の途中下車してみせてもらってきた。以来、三十年にもなろ う、大脇さんも古稀ではないか。どんなに若かった人も確実に年を取るのだなあと天を仰ぐ、自分は棚に上げて。バカみたい。今日も銀座からの帰り、地下鉄へ おりる階段であわや転げ落ちかけて危うく前の建日子に掴んでもらえて助かった。それでいて少年のような気でいるのだ。バカみたい。
2017 4/9 185

* 廃仏毀釈から今日の文化財保護政策までの経緯を放送大学で聴講した。日本の國と人とが古来「焼損文化財」を大事に保存してくれた有り難さ、目から鱗が 落ちた。怪我に遭った数々の色々な文化財からもどれほど多くが、材、質、色、技、由緒伝来等々、教えられ学び取れるか知れない。こういうことを大切に、そ れらへの研究・検討・保存・記録に日本人ほど心をいたした文化国家は世界に類がなかったと教わった。涙ぐむほど感動した。
わたしは不幸にして実の親たちとの、しぜんその親族との縁に生まれつき薄く、多くは伝聞で耳にした程度であるが、そんな中で、一等嬉しく、誇らしくすら忘れないできたのは、南山城当尾の里で大庄屋の役だか職だかにあった父方祖父いや曾祖父かも知れないが、庄内にある浄瑠璃寺九体堂九体佛などを身を以て守りぬいたということ、これまでも何度もここに書いてきた。欲得もからんで仏像の金箔を剥がしに来ようとする暴漢を防いだと聞いた。浄 瑠璃寺へも岩船寺へも当尾の石仏へも、わたしは何十年ぶりかで唐突に実父の生家を訪れた際に、家の跡を嗣いだ叔父吉岡守に連れて行って貰った。住持にも引 き合わされたが、それは記憶からとんでいる、しかし九体寺の仏像や堂塔はなつかしく目の奥にいつも沈んでいる。高木冨子さんが送ってくれた繪の写真もいつ もわたしを癒してくれる。
父の生家、叔父の家を、わたしはもう一度「蘇我殿幻想」連載の取材でカメラの島尾伸三さんらと立ち寄っている。そのとき浄瑠璃寺で撮ってもらった写真を、「選集十八巻」の口繪につかった。

* 日本の文化財が焼損せず汚損・破損せず、まして破壊されずかつ不当に損失・略奪されないようにと、わたしは、わが身をおもうよりも大切に痛感してい る。人名はもとよりとして、日本の文化財が蹂躙破壊されるのを恐怖する思いがなにより戦争イヤ、という気持ちの底にある。その思いで、わたしは石器土器の 往古來、無数の名品、名作、逸品の名と姿とを折り有るつど思い出し数を数えるように指折り折り思い出している。我が愛国のそれが芯、どんな機械文明よりも 手作りされ手塩に掛けられてきた文化文物こそが、「國と民族」との芯に在る。
2017 4/11 185

* 快晴。気持ちいい。鵯も来訪。

* この春は花見らしきをして来れなかった。今日、歌舞伎のはねたあと、日も長くなっていることだし、木挽町からどこかへ足を伸ばしてみたい気分も、湖の本発送前に疲れを溜めたくはないけれど。芝居を楽しんでこよう。

* 黒いマゴとは、掌ひとつに載っていたときから亡くなる日まで、額と額とで「ゴッチューン」と触れあい続けていた。鼻と鼻とで「ハナ・キッス」もしていたのを夜中に思い出し、懐かしさに胸がつまった。
2017 4/14 185

* 凸版へ「第十九巻」の支払いを済ませてから、ぼんやりと地下鉄で上野へ行き、不忍池の春の風情や上野の街をそぞろ歩いて、馴染みの「天庄」でしっかり 二人で天麩羅を。わたしはビール一本。鴎外「雁」の道を通って東大まで歩いていったが、両脚に強烈な攣縮痛が起き、辛うじてタクシーを拾い池袋西武まで 帰って、座れる西武線で帰ってきた。歩いていて、猛烈な痙攣にほとほと困じたのは三度目かな。この調子では、なかなか歩きに出られないが、歩かないといけ ないのかも知れない。歩かないから脚が弱っているのだろう。これでは、うかと一人旅が出来ない。
2017 4/14 185

* 家中の書籍をそうは減らせないが、毎日のように妻は重い大きな荷づくりをしては、図書館等へ寄贈しつづけている。惜し観て余りある珍しい戴き本も多い のだが、秦建日子に皆目似た方面の読書・蔵書の習いが無いので、受け入れてくれる図書館へあずけて処置を任せるしかない。ある若い書き手の胸をたたいてみ たことがあるが、自分は当面の仕事に用のある本だけ手に入れ、仕事が済んだらみな捨てていますと。
わたしは、永井荷風の教えのように、目的の仕事に必要な 本を調べるだけでなく、無縁と思われる洋の東西古今の文献や創作をいっぱいとりこんで「栄養食」にしながら仕事してきた。絶えず、あ、これも、あ、これも読ん どきたいという書物や資料や事典に取り囲まれている。機械の辞書検索で用が足るような仕事はしたくない。機械では、目的の文字や事項の「前や後ろ」が調べられない。
しかし、もう残年余命は限られている。今日は、「植物」の事典数冊、重さにして20キロにもなりそうな荷を図書館へ寄付した。
信じられないほどな大先生、大先輩からの戴き物や戴き本が、ある。無神経には施設へ送れない。すこしずつでも心通った人たちに遺して行きたいが、そうい うものの好きそうな人が少なくなっている。街へ出れば、魂をぬかれたような「スマホ亡者」の群れにイヤほど出会えるけれど。
2017 4/15 185

* 政府も、万一の際は「地下鉄街」へ降りよの「堅固な建物」へ隠れよのと言いだした。まあ、なにと甘くて的確を欠いた助言であるか、日本政府とはかくも超緊 急有事にさいして国民と国土とを守りぬくに足る対策を持たない愚昧政権であるかを露呈したというしか無い。「アメリカ第一」だと喚いている大統領にただ尻 尾を振っていても、事態の深刻にたいする政策や用意の持てていない日本の政府。岸から仲宗根をへて安倍に引かれた「不沈空母」神話など、風見鶏の羽ももげ よと紙屑と化している。

* いま、もし海外にいるなら建日子に冷静に状況を洞察して強いて帰国するなと、両親には両親だけの覚悟があるから案じなくてよい、聡明に生き延びて自分の生涯を心ゆくまで全うせよとメールした。

* そして、こつこつと、落ち着いて今日は「ユニオ・ミスティカ」を書き継いでいた。それで、いい。
2017 4/22 185

 

* もう機械へ向かい続ける視力が散ってしまっている。

* だれか、妻以外の人と言葉を交わしただろうかと、歯医者のお嬢と口をきいて、帰りに時計の電池を眼鏡屋で替えてもらって、思い出せるかぎり、ずーっ と、それだけ。電話は嫌いで掛けることも、掛かってくることもない。掛かってきても妻に任せてめったに受話器をもたない。人間を半分がた廃業しているみた いだが読書はその分をよほとしっかり補ってくれる。例のわたしの「部屋」へは、このところ夕霧だの世之介だのおっそろしい一休骸骨などが呼べば襖の向こう から顔を出してくれる。骸骨さんは凄いよ。
2017 4/23 185

* 四月が逝く。はやいはやい。
穏やかな五月であって欲しいが。わたしの大将人形と馬とは、どこに仕舞われているんだろう。
2017 4/30 185

* 狭い家にものの多いのは、家そのものが逸失や紛失の原因になる。何処にあるかを忘れるか、思い出しても容易に見つけられない。それは、ま、あきらめもつく。
日々に、とても大事な類いを見失うのは、要するに老いの記憶がボケるからで、今日も夫婦して半日の余も泡を食って捜索、あああと大きな声になるほど、最 後にはああナルホドというところから見つかった。ナネホドまでに延々と時間が掛かり、怒号の国会ほど騒ぎ立てて、ま、見つかってよかった。なんだか、発明 でもしてかえってカシコクなったような呆気ない終幕だった。
2017 5/1 186

 

* 初めての谷崎論を書いた三十数歳の昔は遠くなったが、仕事はピカピカで残っている。太宰賞こそ貰っていたが、先行きの知れない新人だった。授賞式の挨 拶で中村光夫先生は、芥川賞なら三年は世間も文壇も憶えていてくれる、太宰賞なら二年は憶えていてくれるから落ち着いて書けばいいと挨拶されていた。そん な中で小説ならぬ谷崎論を書き下ろし、谷崎伝記の当時決定版を書かれていた野村尚吾さんが「かつて無い谷崎論が現れた」推賞され、新人小説家の処女評論に 花が咲いた。遠慮もなく中村光夫先生ら何人か先達の谷崎論も批判していたが、温かに迎えられ会えば励まされた。わたしは新人でコチコチに小さくなっていた けれど、思い起こせばずいぶん目立った新人時期を歩いていたのだった、文壇のことはなにも知らず馴染まずわたしは小さくなっていた。銀座や新宿の酒場へ出 てもにで呑んで語るなどと言う真似はしなかった。出来なかった。自分なりの世界を書き続けたいとウカと言ってしまい、河上徹太郎先生、吉田健一先生に即座 に「そんなの在るの」と授賞式の会場で遣られていた。わたしは私の世界を探し築くことにのみ熱中し、それは小説だけでなく批評や論攷にも延びひろがって いった。十年もせぬまに六十册も著書を持っていた。

* 勉められるときに勉めた。学びもしたし思索もした。しておいて好かった。よそ見しているヒマもなかった。ビックリ仰天の東工大教授の話が突然の電話で きたときも、キョトンとしたまま建日子に「お父さん、一流校だよ」と奨められて引き受けた、その当時、何人もの学界人から「名人事です」と祝われたときも 「なんで」としか思えなかった。わたしよりも人の方がわたしを見ていてくれたのだと、今頃になって嬉しくなる。

* 日付が変わったが、幸い、数日はラク日がつづく。天気がよければ、ふらふら出歩けると佳いのだが。
2017 5/1 186

* 鵯が、虫食い季節に入ってこっちへ姿を見せない代わりに、せっせと雉鳩のつがいが来て、米や飯をまいてやると余念なくそれは綺麗に食べ尽くして行く。 火に三度三食はして行くから妙に嬉しい。神経質な鵯たちと違い鳩はわたしたちを怖がらず、あしもとへまでも近寄る。「いのち」が生き生きと間近で動き働き しているのを見る嬉しさ、励まされる。まったくウソクサク無いのも嬉しい。
2017 5/3 186

* 朝いちばんに京都のお師匠はんが電話で、湖の本の礼を。叔母がわたしのお嫁さんにとひそかに画策し養女にしたかったらしいとは、このまえ、本人が電話で笑い話にしていた。これは知らなかった、が、叔母にすればしそうな思案であった、かも。
いま、京都はどこへいっても中国人と韓国人ばっかりで住み着いている人らもいると聞かされると、なんだか邪魔くさくなる
2017 5/5 186

* ひとつぶの米ものこさず雉鳩の
テラスにおりて食ひて行きつも  遠

* 鵯はこのごろはどっと増えた虫のたぐいをご馳走にしているらしい。
2017 5/7 186

* テラスにデッキチェアを出し、 あしもとに白米をすこし撒いておいて、里見弴の短編「父親」を読んでいた。会話が徹底した大阪弁なのに感じ入る、ああ そうかそうかと、もの言いやモノの名や仕きたり・振るまいの一つ一つに懐かしく納得しながら読まされてしまう。この作家の徹した作風が露わで、もう花のつ く世間からおりたもと母芸妓と売り出しの娘芸妓げいこの裏町の小家へ母のもと半年ほども深い仲だった男が訪れて深酒が荒ればんで行く。世話の描写に徹して 理想っ気など滴もない描写は感嘆の細密藝、だが、それっきりで、小説としての落としどころは、不逞にけちくさい好色なそんな男が、あるいは娘芸妓の「父 親」だったかも、そうならどうなるのやという、因縁。うまいものだが、それだけ。そのそれだけを楽しめる読者だけが里見弴の世間へ入って行ける。わたしは少年の昔からわりと入って行けた。大昔の第ヒットだった全集本の古本の一冊「里見弴 佐藤春夫集」を買っていた。そして春夫の名作の誉れ高い『田園の憂鬱』などには入って行けず、里見の「多情多恨」などという遊蕩小説はおもしろく読み上げていたのだ。
そんな古本を書庫で見つけて持ち出してきた。この里見が白樺派の一員だったのは理解できるけれど、志賀直哉と喧嘩したなどもっともな気がした昔を想い出す。この里見の晩年の作が一つ二つと小津安二郎映画になっているのも忘れていない。

* チェアの足もとへ撒いた白い米を、つがいの雉鳩が二羽、舞い降りてきて嬉しそうに食べていった。
2017 5/9 186

* 青い花の名、聞いたが忘れてしまった。いま、隠れ蓑の落ち葉が目立つ。入れ替わるのだろう。黒いマゴの寝ているうえの南天も新しい葉が豊かに増して瑞 々しい。「マゴ」と呼びかけている。一日中、縁に立てば「ネコ、ノコ、マーゴ」と呼びかけてはひとしきり声に出して話している。めざましく大きくなった隠 れ蓑も南天も、愛したネコたちの命のように眺めている。
2017 5/10 186

* 朝一番にみる、色美しい浄瑠璃寺、そして小紫、大紫の花、花。目も、思いも、洗われる。

* 毎朝、毎日、毎晩、八十一どころか少年のままの幼い、だが生き生きとした気分で気儘に過ごしているのが、ときに恥ずかしいが、ときにとても嬉しい。枯淡とか仙境など所詮縁のないものだと明きらめている。
あらけない世の行く果てに身をちぢめ
嘆いてゐても詮無いぞ 起てよ   遠

* 西日をさけてこの機械部屋の西の窓はいつも雨戸がかけてある。しぜん戸袋は空いていて、そこへ何かしら鳥が巣をつくったらしい、ことこと、ことッとかそけく音がする。観たい、が、そっとしておこうと思う。                      2017 5/11 186

* 一つ、こころを決めた。押し入れの奥までをぎっしり占めていた東工大学生諸君の三万枚に及ぶ挨拶の文などを全部処分して東工大をわたしも卒業すると。 関係の書類や資料もびっくりするほどノコしていたが、もうそれらに目を触れる残りの余裕は無い。それよりも身のそばを少しでも寛げないと、先日のような棚 崩れした本の下敷きで大怪我をしかねない。
棄てることを憶えねば。
なにしろ湖の本の関連もの、本自体はおくとも、校正刷りなど唸るほど関連残滓のあるのを棄てはじめている。山のように原稿の初出雑誌や初出本が保管して あるのも、「四度の瀧」年譜所載分までは目をつむって棄てようかと思いかけている。わたし自身の著書だけは単行本や共著本や限定本や湖の本は置いておく が、それも三册ずつ程度に絞って他は欲しい人にあげるなり図書館や古本屋に引き取って貰うことにしたい。
狭い家を言語道断に狭くして暮らしている。愚かしいのかも。
2017 5/12 186

* 妻の体調、終日よろしからず、仕事をしていても気になる。診察を受けようと奨めるがイヤがって寝込んでいる。
健康の思わしくない読者・知人のみ多くて、一つにはこの寒暖のブレのきつい日々の天候も禍するのだろう、妻は例年この梅雨入りの時季に弱る。
わたしはひたすら目を酷使気味に働かせ、黙々、仕事を続けている。この夏を、どうかして無難に乗り越えて行きたい。
2017 5/14 186

* 昨夜 妻は九度近くまで発熱していた、ロキソニン一錠を服させ氷で冷やし発汗もさせて、今朝は解熱していたが、休ませている。わたしは二時過 ぎまで看ていたが、今朝の目ざめでは、妻もすこし快くなっていたので安堵した。老人だけの、親身な家族の居ない核家族の心細さに、今後はますます対面する だろう、一つ一つ力も思いもあわせて、凌いでゆくしかない。

* あの手術以来、今朝、はじめて体重が64キロ台へ落ちた。手術前86.6キロ、手術後66.6キロほどであった。2キロほどさらに落としたわけで、血 糖値は安定する。高校から結婚のころまでほぼ60キロ程度で、自覚的には削った鉛筆のようだった。ま、63キロ前後で落ち着きたいのだが。
2017 5/15 186

* 高い熱こそおさまっているようだが、五体の不快感で妻は今日も終日床にいる。明日は地元病院で予約の診察日、二十分ほど歩いて行かねばならぬ、わたし も付き添って行こうと思う。なにしろ真夏日ほどの暑さと、昨日の、今日でも、いっそ寒いと言ってしまう気温の乱高下で、例年妻はこの季節に凹むのだが、わ たしも凹む。立ちどまったら崩れるかも知れず、ただただ仕事を、読み書き出版に勤しむことで精神を強く保っている。夕刻過ぎて急ぎの要念校分を自転車でポ ストへ入れてきた。六時半でまだ外はほの明るかった。
2017 5/15 186

* へんに寒い日で、わたしもしきりにくしゃみする。下半身が寒い。この辺で、と云っても十一時過ぎたこと、階下へ降りて蒲団へ脚だけつっこんで本を読も う。かつてのひところに帰って、枕元に大小の本がる十册余も積まれてある。ゲラもある。妻の容子も看ながら睡くなるまで読みたいだけ読む。機械の画面字は 見にくい限りだが、裸眼での本はむしろ慣れてくると読める。
わたしもからだのアチコチが硬く、いささかボーとしている。
2017 5/15 186

* 午後は、妻の病院へともあれついて行く、少なくも送って行くと決めている。

* 妻、胆嚢炎で消化器外科へ緊急入院、点滴を受けている。
いつもの循環器系の検査と診察だけなら上首尾であったが、わたしは執拗に尿検査も受けさせていた、その方の結果から、即座にCT、心電図、血液検査等の追加が必要になり、黄疸も出ていて、とても放置できないと即刻入院が決まった。
今日が定日の循環器検査であって、懇意の主治医は担当からはみ出て胆嚢損傷を発見してくれた。尿の所見で歴然であったらしい、付き添って行っててまだしも幸運だった。不用意に明日明後日まだも放置していれば、危なかったと。
病院へは、私の脚で十五分、自転車なら五分で行ける。それが、ひとつの安心。いま、聖路加までの連日の見舞い通院は負担がひどくなる。こういう時は来る とお互いに感じていたが、妻が先に躓いた。ガンバッテ、切り抜けて行きたい。

* わたしはこの三日、ほとんど食事が出来ていない。戴いてある開新堂のクッキーとか、蕎麦を70グラムほど茹でて呑み込んでいる。麺はひとつまちがうと腸に詰まるので慌てないようにしないと。

* 病院から帰って、以上の日誌で九時になった。セイムスて日本酒を買ってきたのを少し飲んで寝よう。
明日の聖路加通院は、延ばして貰うしかない。

☆ 驚き、心配。
手術の必要性あるのでしょうか。
鴉、消化しやすく栄養あるものを食してください。大事なことです。 尾張の鳶
2017 5/16 186

* 起床7:00 血圧137-61(64) 血糖値88 体重64.7kg

* 検査の追加が伝えられたと、九時、妻から電話。黄疸が強まっているようで。

* 聖路加の今日の診察、延期にすったもんだ、診察は一月以上も向こうになり、処方箋だけもらいに行かねばならない。

* 出版のほう、万事停頓する。 仕事の進行を人為的に遅らせる算段、必要。今日にも、選集発送のケース届くのも待たねば。生協の配達もある。

* 思いの外にことは進行しているが、慌ててはならない。なにしろ八十一の老老ぐらし、ほかに頼れる手はないと、かねて分明。出来ることを出来る限り、わたしが努めること。

* 届くべき必要な物が、容易に届かないのをガマンして、家で待っている。
仕事のやりくり段取りなど、目を行き届かせ、落ちの無いように確認のメモを。
家事とわたしの食事などにはなかなか手が届かないが、生協からの食品等は、冷蔵庫のいろんな棚が満杯なほど収納したが、なにがわたしに使えるか、どう使うかは手探りしかない。

☆ 落ち着いて
なにがいちばん大切かを考えて、あわてず、無理をせず、ご自分の耐力を過信せず、とにかく、何かを口にして。
おふたりで一セットということを忘れずに。 豊中市  安川美沙   妻の学友

* この助言に尽きると思う。感謝。 お見舞い ありがとう存じます。

* 今日家で待ち受けの用、十一時半済ませた。昼食 なにか思案して、病院へ行く。

* 四時まで点滴のベッドサイトドでたっぷり校正していた。徹底した絶食。発熱がひかず、赤い顔をしている。会話はできる。明日MRI検査をするという。 頑張って持ち堪えて欲しい、その為にも点滴が効果をあげてほしい。家事その他の頼まれ仕事がいっぱいあるのを一時わたしが帰宅してこなしては、また必要な 物を持参する。個室であり、その点、気分は助かっている。
わたしも食べねばと思うが今朝の生協配達で冷蔵庫は溢れるほどになった。豆腐を食べて欲しいというが、豆腐一丁がガンとして見つからない。

* 六時にもう一度見舞うが、雨か。自転車だと七八分と掛からないのが助かる。

* 大勢さんにご心配を掛けている。恐れ入ります。

* 自転車前輪のパンクに困ったが、そのまま六時に病院に入り、七時過ぎにはお帰りをの放送で仕方なく帰ってきた。冷蔵庫の底から豆腐一丁をみつけだし、なんとも致し方なく、削り鰹をみつけてぶっかけ醤油味で半丁喰い、半丁残った。腹が冷えそう。

* 妻の容態は停頓というところか、顔は熱で赤く、黄疸のことは判らないが肌に痒みを感じている。医師の検査方針が徹底せず、明日といっていた検査が明後日に延期。
とにかく治療効果をあげてほしい。胆石が問題らしい。MRI検査が奏功してほしい。いまのところただただ点滴を続けている。病気が複合化して行かないよ う適切な手を打って欲しい。心細く気弱になってはいけない。やや長期戦も余儀ないかも、それだけにわたしが潰れたり怪我したりしては堪らない。疲労は蓄積 されてきている。
人を雇えと奨められる。雇うとどうなるのか、楽になるのか気苦労が増えるのか。判らない。仕事の進行は意図して抑制するしかないが、仕事離れしてしまえばわたし自身が潰れかねない。

* ともあれ、しかし、病室で存外に校正の仕事を進めてきた。今夜は早く床についてからだを休めよう。

* 聖路加の診察がたてこんでいて、日延べなどを頼むのが大層なことで。いま、目と前立腺とのドクターへ手紙を書いた。受付での変更はたいへんに厄介なのである。

2017 5/17 186

* リーゼを服して一時半に寝た。明け方、かなり汗をかいていたので起きて直ぐ着替えた。
黒いマゴやネコノコに「カーサンを護っておくれ」と声を掛け、鳩に米をまいてやった。
祈っている。心強くありたい。

* 小さなパンケーキ一枚温めてシロップを掛けて朝食。三枚用意したが一枚で満腹した。有元さんに戴いた美味しい葡萄一房を少しずつ味わう。妻とも食べたいともう一房を楽しみに待つ。

* 聖路加の眼科、前立腺科へ速達で事情を伝え診察日の延期を願う。電話ではえんえんとかかってラチがあかないのに昨日も懲りたのだ。

* 自転車の前輪パンクか、確認しないと。自転車は必須の用品、これだとカラダの負担無しに病院へ見舞える。
2017 5/18 186

* 自転車はパンクしていた。自転車屋があいてなかったので向かいの懇意な散髪店に頼んで預け、家まで歩いて戻った。暑くて暑くてふうふう。ふらふら。すぐ電動自転車を引っ張り出して病院へ。持ち運びのものもいろいろ有り。

* 赤く熱気に照っていた妻の顔が白くなっていた。相変わらず尿は黒ずんでいるらしいが、他は痛みも熱気もなく、すこしく普通の顔つきになっていた。室温が高く、わたしは着たものを脱ぎたいほど。この病院ではお高い個室なので、その点はやや気楽。
折り返して、電動自転車で自転車屋に戻ってパンク自転車の直っているのを確認、チューブ替え含めて三千円なり。いったん電動で家に帰って、また歩いて自転車屋まで行き、乗って病院へ向かうつもり。

* 読者の胡子文子さんから涼菓をいただく。いまは何もかもわたしの為に助かる。感謝。妻は当分完全に絶食と点滴。新検査は、明日とか。

* お見舞いのメール頂いているが、そのままで失礼している。 さ、また病室へ向かい、夕方まで話し相手をしながら、枕草子や「女の噂(一)」の校正などしてくる。校正仕事は停滞がない。
読書は、源氏物語が中継ぎ三帖のあたまの「匂宮」に入り、ほかに討論『中世の風景』また「絵巻」月報三、一遍聖繪につづいて、平治物語繪詞。沙翁劇は悲 劇中の悲劇の名作「リア王」 そして中世の『いはでしのぶ」 を読み進んで気持ちの平穏がえられるまで。そしてリーゼ一錠で昨夜は寝入った。

* 正午へ三十分前。左頸からうしろ肩へやや硬くなってきている。危険信号、ムリはきかない。
朝、吉備の人お心入れのピオーネが素晴らしく美味く、五顆嘆賞。もう一度戴いてから出掛けよう。

* 自転車屋への日盛りの徒歩がきつかった。ふうふう。自転車が直って空気もシッカリ入っていて実に助かった。

* 妻の様子やや尋常にかえれつつあるかと愁眉をくつろげた。明日検査の行方が平穏であってほしいと祈る思いでいる。テラスのネコたちにも「カーサンを 護ってくれよ」と再々こえをかけ頼んでいる。庭や二階で花への水やりもした。ごもくをどう棄てるのかも知らない。大きな冷蔵庫のドアが締まらないほど満杯 なのら何を食って佳いのかもわからない。食べよたべよと病室で尻をたたかれいろいろ聞いたけれど食欲湧かず、てぢかな甘酒を溶き、苺をあらって四つ食べた だけ。これはブルーチーズかな、大きいなと思った四つのひとつを囓ったが正体不明の別ものだった。食い物を探すだけで腹具合が変になってきた。
真綿で包まれたように疲労が被さってくる。ま、手当たり次第に食えそうな物を食っておく。
2017 5/18 186

* 五時になる、もう一度冷蔵庫を物色してから、また病院へ走る。建日子が見舞いにくるかも知れないとも。昨夜は白い豆腐一丁だけの晩飯だった。なんともつれなかった。

* 六時に病室へ。校正の仕事持参の分を終える。妻の様子はややに改善しているのかも。点滴の効果か、明日はMRI検査。無事を願う。わたしの校正してい る間、妻はうとうとしていたりテレビ見ていたり。個室なので気兼ねはなく、しかしわたしがいるので安心感もあろう、とくべつしゃべりあってもいない。
七時過ぎて建日子が見舞いに来た。見舞いは七時までです追い立てを食った。わたし独りさきに自転車で帰り、追っかけて建日子も帰ってきた。ふたりで珍し く酒を飲んだ。建日子は有元さんのピオーネに驚喜のていであった。九時半まで、父子で歓談、母親の居ない場で二人和やかに酒を酌み交わしての歓談は稀有の 体験、とても喜ばしかった。

* 明日のどうか平穏を願って、まだ十時だが、もう機械仕事はやすもうと思う。
2017 5/18 186

* 寝汗をかいていた。適切な食事が選び出せず、台所道具なども昔とちがい成功なのだろうが使いこなせなくて、缶詰も開けられない。ごみの始末も、分別の原則 が掴めていず、ビニールの明き袋も見つけられないが、どうも無いと不便らしい。トースターやチンの類も適正時間がわからず、結局手当たり次第に口にし易い 物でお茶をにごしている。

* 鳩のために米をまいてやった。花にも水をやった。

* 病室にいても校正しながらとろんとするときがある。暑い。検査午後。そして夕方から食事が出て、土日を隔てて月火水と三種類の検査をして、様子を見て 退院か。さらにまた日程を調整して胆嚢摘出の手術になるかと。全身症状は改善の方向にあるが、直ぐには帰してくれそうにない。

* 午に帰って食事、これが参る。冷凍されている何かしらを解凍してどうとかと。やってみると、油濃くて肉は硬くて、およそ苦手な雑なもの、処分。ヤクル トを飲み、蜜柑の缶詰をあけ、とろろ芋の冷凍をもどし、卵を割り込んで味だしかけて、喰う。食後に美味いピオーネを数粒食べてからまた病院へ。近くて助か る。
2017 5/19 186

* MRI検査てせ胆石はみな十二指腸へ降りていて、ケッコウでしたと。夕食が出た。
それでもなお、土日をそのまま入院して過ごし月火水の三日、内視鏡や胆嚢造影など三種の検査をつづけると。その結果胆嚢摘出の手術をいつするか決めましょうと。わたしの腸閉入院よりも永い。ま、温和な推移を願うのみ。

*  近くはあり日に三回も病院と家を往復している。しんしんとも疲労して、今日は午も夕も冷凍食の扱いを失敗して二度とも棄てた。とろろ芋に卵をかけて食 い、あとは菓子と酒。食品の調理説明の字がちいさく読めなくて、二度とも失敗した。色目悪く、見るからしつこそうな雑な煮物は辟易してしまう。ま、すこし ずつ上手になるか。
2017 5/19 186

* 花に水もやった。書庫上の細い庭を埋めるように紫蘭が満開。そして隠れ蓑、新陳代謝の落ち葉また落ち葉、いっそ華やか。
九時には病院へ。

* 昼前に帰り、一時に行き、三時半に帰ってきた。
2017 5/20 186

* さて、トリの唐揚げひとつ温めて。ヤサイジュースとヤクルトを飲んで。また病室へ。別に何も話すのではないが、わたしが部屋にいて校正などしている間、妻は本を読んだり寝入ってたりテレビを観てたりしている。わたしがそばにいて、安心していてくれればそれでいい。
明日も何も無しの休息入院。月曜にまず内視鏡検査から再開。

* 家に帰れば二階で、入稿原稿づくりと、創作。階下では校正往来のようのほか、昨夜は大きな郵便発送用に百枚も「住所印」「書籍小包印」「謹呈印」を捺した。

* 尾張の鳶さんにらった「背負い鞄」がとっても役だってくれている。背負って自転車に乗ると両腕を安心してハンドルに任せられる。自転車走り、軽快です。感謝。

* その自転車の鍵が利かなくなって弱っている、やはり院の自転車置き場でそのまま置くという勇気はなく、また何か対策しなければならぬ。とにかく「食 事」などというまともなことはまるで出来ず、口にも通らない。あり合わせの菓子と果物と飲み物とを強引に口へ運んで済ませている。

* 妻は食事が出始めたが点滴はまだ続けている。今日明日はただもう個室で休息ということ。全身状態は、ま、改善ないし回復しつつあるらしく。それだけでも、喜ばしい。

* 目が開けてにれないほど睡いが、そうは甘えている気にならない。昨日届いた「選集二十二巻」の初校もはじめている。「選集二十一巻」は責了にして送り 返したく、「湖の本136」巻の初校も終えておきたい。腰を据えて真作の長編を少なくも手放して可な所までは持っていっておきたい。

* 下でも二階でも花に水やりを励行している。テラスへ米を撒いておいてやると、確実に鳩(だろう)が来て食べて行っている。きれいに無くなっているがこのところ姿を見ない。

* ボワーンとアタマが曇っている。校正していても、漢字の間違いには気がつくが、ただしい漢字がときに書けなくなっているのに驚く。ま、そんなものか。
きょうはもう二階仕事をうちあげて、階下でハンコ捺しだの、責了紙仕立てだのを。
テレビもろくすっぽ観ていない。
今日も三度病室へ行って仕事していた、が、病室の暑いこと。室内熱中症も大いに警戒しなくては。
2017 5/20 186

* 七時に起きた。やはり疲れがからだより、顔の辺に感じ取れる。ボーっとしている。

* 九時半、気力うすれ、ト゜ロンと疲れに五体支配されている感じの日盛りの下を病院へ走った。冷たい水を二本買ってやり、有元さんの美味しかったピオーネの最後の五、六粒も容器に入れてきた。ヤクルトや朝刊やアエラなども。
正古誠子の歌集が気に入ったらしい。昨日は能村登四郎の句集を持て行った。全身状態はかなり改善の方向で、食餌も快適に受け入れている様子。

* 病室暑く、冷房しても妻には冷えわたしには効かず、ぐったりと疲れが増してきたので、十一時前にいったん家へ帰ってきた。昼食を摂らねば。この疲労に 負けてボケては困る。両肩にかるい凝りの現れるのは頸に響いてくると宜しくないので、しばらく休憩、できればカラダを横にしてやりたい、が。

* 選集送り出し用のハンコ捺しはみな用意できた。挨拶文は書けて用意出来ている。問題は宛名印刷で、これは妻のしてくれる機械手順をわたしは知らない。退院を待ちたい。

* 妻の従弟が収穫した玉葱を送ってきてくれた。入院は妹にも報せていない。この週半ばすぎて退院帰宅できればいいのだけれど。希望を持ちたい。明日の内視鏡検査はだれしもイヤなもの、通過儀礼だとおもうよう励ましている。

* いま、二階で、原稿を読み、物干しの花に水やりをした。庭やテラスの花にも水をやった。
いちばん困っているのは、ごみ出しの幾分類もあってややこしいこと。ヘキエキ。

* こんどは階下へ降りる。昼食は、冷凍の鰻を解凍した。袋ごと熱湯へと聞いて、たしかに袋に入って田ので熱湯へ入れたがどうもヘンだ、よくみると大きい 袋の中に袋入りの鰻が三袋入っていた。外袋から出して、さらに熱した。ま、なんとかかんとか、テレと山椒とで二袋喰った。パイナップルの缶詰を開けた。缶 切りを見つけるのに苦労した。なるほど「学習」いや「自習」である。

* 日盛りのなか、三時前に病室へ、そして妻とときおり詞をかわしかわし、わたしは「わが十二世紀の百年」を思いながら仕事をつづけた。五時前からは、テレビの大相撲を「聴いて」いた。横綱三人が勝ち名乗りを聴いた。
2017 5/21 186

* 今日、妻は内視鏡検査を受ける。無事を心より願う。朝食を済ませたわたしは、八時半、病院へ向かう。

* 九時半内視鏡検査、十時に病室へ戻る。黄疸を興したに値する病変らシキハ十二指腸ヘンに見つかったというが。本人は、予期した以上に平然と病室へ帰っ てきて、点滴。十一時十五分ころから水分摂取、昼食も、従来循環器内科の投薬も再開されたのを確認していったん帰宅。あたまの焦げるほどの熱暑だった。
神経質にイヤがっていた内視鏡検査も温和に終え得て良かった。
2017 5/22 186

* 医師の説明を聴いたが全面的には理解できなかったが、大過はなかったものと受け取った。明日そして明後日もうひとつずつ検査して退院し、その後のことは主治医の指導に待つと。ともあれ一安心した。

* 家事的には無能な亭主と嗤われている、だろう、が、学習すればなんとか妻も助けてやれるだろう。編集者として雑用のかたまりのような仕事を 独特の工 夫と手練とで人もおどろく能率で年々歳々実績を挙げていった。あの頃の若さも理解力もうせているだろうが、頭が働いていれば自然と覚えるが、今は、ムリ だ。ひとつには辛抱が足りない。三分火に掛ける三分が辛抱しきれない。
2017 5/22 186

* なんとまあギラギラと暑いこと。それでも自転車で五分のところに妻はいる、幸いの個室へ見舞ってやれば、その場で妻は寝ていてもテレビ観ていても、わたしはひとりで仕事は出来る。仕事が出来るのなら、ただそばにいてやれるだけはいてやりたい、それだけのこと。

*横綱の相撲三番観て、帰ってきた。高野豆腐というのを煮てみたがサンザンのけっかに終わった。これだからわたしは料理はすぐれた芸術だと讃美するのである。結果的に酒を飲んでの晩食になった。米飯や麺類は胃全摘以降、まったく馴染めない。
2017 5/22 186

 

* 十時半。もう機械では目が利かない。階下へ降りる。テラスに黒いマゴやネコとノコとが仲良くいてくれるので心やすまる。
2017 5/22 186

 

* 今日は超音波での検査と聞いている。あすは造影、そして順調なら午後にも退院が可能か。

* 朝、こころもち涼しいが、暑くなるのだろう。

* 超音波試験は終えた。
二時間ほど病室にいて、家に戻って、明日朝に回収される、重い重い大きな「故紙」の山を六つ七つも紐で束ねて、朝一番に外へ出せるよう、用意した。出版に関わる故紙と雑誌宣伝物の類がベラボーに我が家は多い。束ねるだけで汗ダク。
戸外へ出すときは必ず手伝っていたが、束ねるだけでも大変な力仕事になる。妻に、ゴクローサンと言い言い束ねたり運んだり、「故紙」の「腰」痛いのに堪えた。
猛烈暑いが、日盛りの草花に水をやって、一休みしてから、また病院へ。

* 明日は、どうか無事に退院したいものだ。
退院は、嬉しいものだ。この数年に、わたしは、自分のを五回、妻のも五、六回、体験している。

* 三時前から六時前まで病室で校正、妻は、つかれたであろう、寝入っていた。大相撲を見終えずに帰路につき、途中一度、危うく転倒しかけて持ち堪えた。自転 車の前輪が道路の何か高い隔てに乗り上げたのだ、夕暮れてもいたし、わたしの目も鳥目のように見えなかった。まずまず無事に帰宅。疲れた。ちっちゃな冷凍 のパンケーキ二枚を温め、シロップでそそくさと喰って夕食。あとは鮭のほぐしで、酒。

* 無事に明日の晩は妻をいえに迎え入れたい。その先はその先、いまは考えない。熱暑と日照り、疲労の極へ来ているが、からだの疲労は何とでも乗り越えられる。精神を疲労困憊させてはいけない。いま、七時十分。からだを休める。
2017 5/23 186

* 起床7:00 血圧129-55(63) 血糖値97 体重66.0kg

* 九時半、寝過ぎた、故紙を出さねばと跳び起きたら五時半だった。小さな枕時計の針もまともに見えなくなった。
故紙 無事に大量に外の我が家の塀際へ出した。何年もそこへご近所からも出てくる。重い紙の大荷物運び出しを、近くで済ませられるのは助かる。

* 台所の流し場もほぼ、綺麗に、とはゆかぬが片づけた。
建日子が生まれる前の妻が絶対安静を言い渡されていた間も、むろん勤めには出ていたが、五時には社を飛び出し、池袋で食べ物を仕入れ、帰ってなんとか食 事を作って朝日子と食べていた。顔が揃い言葉がかわせる、それだけで安心であった。年の瀬へ迫っていたので、なんとか正月やすみを無事にすごし、医師達が 病院に揃っているときに出産させたかった。神、仏に願った。建日子誕生は一月八日の晩であった。

のぼるのかくだるのかわれらの老の坂
ドンマイ(do not mind)花も嵐もある道

と、去年の桜桃忌にうたった。その桜桃忌がまた近い。胸はって相次いで 第20 21巻 自信の「選集」が送り出せるだろう。「湖の本」新作の中編小説「黒谷」「女坂」二作、もう責了にできるのだが、発送さきの数多い作業に は、なにか工夫をしないと妻をつかれさせてはならないし、しばらく待機のままで。

* 生協やヤクルト配達分も受け取った。十時半。
妻は、午後に胆管造影して、わたしも一緒に説明受けて、退院という予定。入院して九日め。思いの外に長かったとも、まあまあ良かったとも。油断はしていない。

* 四時半、無事、見舞いの建日子もともに、妻退院、帰宅。ほっとした。
これからもこういうことは繰り返さねばなるまい。より慎重に暮らさねば。結局何であったか、うまが、胆石が胆管にでなく腸へ落ちてくれたということか。
二十数回も日照りの下を自転車で毎日見舞った。病院の近かったことに感謝する。聖路加へまで毎日通うのはとてもムリだったろう。個室だったのも幸いし、仕事はできた。
家事の大変を九日間、つくづく体験した。

* 妻は病室での読書に歌集を求め、てもとに届いていた正古誠子さんの新刊歌集を皮切りに何冊も病室へ運んだ。高校時代の国語の上島史朗先生、中学の給田みどり先生のも。俳句よりも歌が分かりよかったらしく、ことに正古さんの歌に共鳴を覚えたらしい。

* わたしは、高校へ入るすこし前に東山線(京の市電通り)菊屋橋わきの古本屋で斎藤茂吉自選の歌集『朝の蛍』をなけなしの小遣いで買ったのが最初で、愛 読のうちに一気になにかしら眼が開け、歌集『少年』の歌が出来ていった。茂吉本は寶と謂うてよく、ほかに導きは無用なほどであった。あんな貴重でやすい買 い物はなく、書庫のなかにうもれて光っている。和歌は『小倉百人一首』に、短歌は茂吉の自選一冊で徹底して学んだ。
いい大人になってからは谷崎潤一郎の国風歌二冊の自筆稿に触れる機会があり、松子夫人のお許しを貰って『谷崎潤一郎家集』を編み大阪の湯川書房で二種類の豪華本を創った。
わたしの第一歌集『少年』は高校の三年間の作を大きな中心に、朝日子が生まれる頃までの作で編み、数種の本に成って世に容れられた。先ずは茂吉の、つい では牧水の感化があったろう。岡井隆が自選二度の「昭和百人一首」に、二度とも『少年』から各一首ずつ選抜してくれていた。嬉しいことであった。
第二歌集『光塵』は、はるかに遅れて平成二十三年秋に編んだ、その直後に癌を病み、五年を過ぎたところで第三歌集『亂聲(らんじやう)』を編んだ。気儘に自在な行儀のわるい放歌録である。

* 九時過ぎた。今夜こそ安眠したい。ともあれ妻が諸検査の結果も、険悪でなくて何よりであった。よかった。お見舞い下さった皆様に、お礼申し上げます。
2017 5/24 186

* 家に二人で、たった二人だが二人でいる有り難さをつくづく思う。
2017 5/25 186

* 大紫の写真があまり色美しいので替えかねている。今日手洗いに、久しぶりに妻の置いた、十薬の翠の葉と白い小花とがとても美しく、歓声をあげた。
2017 5/25 186

* 食卓にも爽やかに十薬の葉と花が目に染みる。

* いま機械に向かっているすぐ右より目の前の障子の外、閉じた雨戸の引き込みのなかで、椋鳥と思われる小鳥の、雛かと思われる居ずまいや囀りがしきりに 聞こえる。障子を開けて観たくもなるが、開けないで、好きに住まわせてある。生き物のいのちがそこに生きてあると感じ続けられるのは嬉しい。鳥の出入りは 階下からそとへ出て二階を見上げれば目に見える。飛びたてばすぐ上に電線があって羽を休める姿も見える。

* 今日は、雨。やや涼しい。
2017 5/26 186

* 選集第二十三巻 入稿した。のこる十巻で思いを尽くすのはなかなか難しく、何を断念して剰すかを慎重に考えねばならない。優にあと二年半で予定へ到達 するだろう、願わくはその余は「湖の本」が生かせればいいのだが、これは作品や資金以上に、わたしたちの体力が働いてくれるか、妻は休ませて、わたし一人 の力で「発送」できるかどうかだ。作品の編輯や校正はわたしには何でもない。体力は発送にだけかかる。急げば疲労に負ける。従来五日かかったのなら、二週 間かければよい、少しずつ送ればいい。老齢読者のご健勝をと何より願う。赤字はもう余儀ないと諦めている。

* それにしてもよく働いているなあと、我ながら、思う。ひと様には呆れられているが、わたくしには、励み楽しみなのである。

* 躑躅の時季は過ぎたが、あんまり うちの大紫が色美しく、それに浄瑠璃寺も。
五月も過ぎて行くが花の写真の交替が惜しまれてしまう。
2017 5/26 186

* 障子そと、雨戸の戸袋でさかんにチチチチチと椋鳥の雛たちだろうか鳴ききるのが可愛い。障子や硝子戸をあければ怖がるだろうと、見たいけれどそのままにしている。
テラスに白米をまいておく、と、いつ来て食べて行くのか、きれいに無くなっている。またまいておく、と、またいつか無くなっている。鳩だろうが、ここ暫く姿を見たことがない。けれど撒き米はかならずきれいに食べてある。嬉しくなる。
2017 5/27 186

* チチチ、チチチィとさかんに椋鳥の雛たち、まぢかな窓そとの戸袋で声たてている。巣立ち、近いのか。
テラスの撒き米に鳩いち羽の来ているのを二度見た。わたしがすぐ近くにいても平気で食べ続け、水盤の水のんでゆったり翔び立って行く。二羽で来ていたのになあ。
* 地震か。
2017 5/28 186

* もう六月になるのか。一日、久しぶりに、しかし必要もあって休んでしまっていた聖路加へ、と思っている。明日は妻の退院後の初診察。
2017 5/30 186

 

* 脂のものは食べ過ぎないようにと、気長な投薬でとひとまず妻は退院後最初の診察から解放されてきた。ほっと一息ついています。
脂が宜しくないとなると、妻とは和食へ傾くか。
2017 5/31 186

* 晩になって妻がまた発熱し、氷で冷やしている。明朝にもまた通院か。穏やかに治まって欲しい。
2017 6/3 187

* 氷枕をつくり、水分を摂らせ、温かにして。
妻は幸い、今朝、解熱。ほっと一息ついた。様子を見てみる。昨日今日、冷え込む。今朝など脛を出していると寒いほど。
とにかくも梅雨入りのころは決まったように妻に故障がおきやすい。ま、なんとかこの程度で乗り切って行きたい。このまえの黄疸発症時は肌や尿にいろんな変化が起きていたが、昨日来の発熱にそれらは帯同して来なかった。ま、注意深く様子を見たい。
2017 6/4 187

* 妻の容態 尋常そうで ひと息ついている。
2017 6/4 187

* 戸袋の椋鳥たち、巣立っていったらしい。
鳩は、つがいで、テラスから廊下へもあがってきて撒いた米をじつに紀要にこつこつ食べて行く。生き物の生き生きとしたのを眺めるのは楽しいという以上に嬉しい
2017 6/5 187

* 耳が汚れるという。そんな時節で、目に触れ耳に届いてくる事件や話題は、加計だの安倍夫妻だの菅某長官だのトランプ親子だの金正恩だのプーチンだの近 習平だのの体臭がらみで、堪らない。思いの洗濯にわたしは日に何度でもネコ、ノコ、マゴたちの家に近寄って、ひとしきりあれこれ話しかけてくる。
2017 6/6 187

* 柴又へは二度行った、妻とは菖蒲園へも同じ日に行った。
寅さんは、ま、人気の類型である。わたしは倍賞千恵子が勤めに勤めたあの「さくら」という女人をもっとも美しい日本の女の理想的造形と受け入れて愛してきた。一作一作のいわゆるどんなマドンナたちよりも、である。マドンナでは浅丘るり子が抜群の好印象だった。
2017 6/6 187

* 椋鳥は巣立っていったが、雉鳩の二羽はいつのまにか来てきれいに米を平らげて行く。廊下にも撒いておくと、いつしれずそれも綺麗に無くなっていて楽しい。
2017 6/7 187

 

* 四国の大成繁さん、美味そうに味付けの用意も添えた讃岐うどんを戴いた。
高麗屋のお蕎麦には緑いろも清々しい立派な本山葵が、調味された出汁やきざみ海苔や七味唐辛子もいっしょに、添うていた。今夜建日子が顔をみせるそうだが、どっちに手を出すかな。両方、と云うかな。

* 建日子は、新潮社の単行本を題をまるで替えて、河出からまた文庫本を出してもらった。覚えられないほど長い題で、びっくりポンである。
2017 6/15 187

* 建日子が来てくれ、いつにない中味の濃い話題で三人で話し合えたのは何よりでした。
2017 6/15 187

* 夕方、暫くぶりの歯医者へ通う。妻が、脂っけの食事を禁じられているので、帰路のフレンチも中華料理も難しい。和食の店を見つけないと。

* やはり「リオン」でフレンチとチリのワイン。しっかり美味しかった。馴染みの店で店からも親切にメニュを按配してくれるし、心底ゆっくり寛いで食べら れ話せて、言うことなし。脂っ気は控えねばならない妻にも相応の料理が出て満足していた。前菜からコーヒー・デザートまで、満足し満腹した。
幸い雨にも降られず、帰りの電車では二人とも席を譲られて、さして疲れずに帰宅。 2017 6/16 187

* けさのテレビで あの志ん生の娘夫妻(七十・六十台)が「終活(死に支度)」を語っていたのはいちいち胸に落ちて教えられた。夫婦の気がまだ慥かであ るうちにこそ、「二人にのみ大事なモノ」を今のうちに「処分」できる。思い出はだいじだが、思い出の「モノ・シナ」は場所を塞ぐだけでなくアトの者が迷惑 するだけ。
「モノを捨てない」歳月をわたしは過ごしてきた。むろんそれが役立ってきた、創作や執筆の生活には。しかし、もう処分をためらうまい。

* そんなことを言いながら、次の「湖の本137」の編輯をと、とにかくも原稿類の大量にストックさけた大袋のなかのたくさんな小袋を点検し始めたら、まだ出番を待っている作物が我ながら呆れるほど溜まって在る。戸惑ってしまい、どう手を着けていいのやら。
2017 6/22 187

* 五百頁の選集が二十巻に成っている。
井口哲郎さんに書いて戴いた背文字が、自慢です。
もう、十三巻。
三年かかる、かな。健康を保ってしっかり仕遂げたい。

 

* うしろには小学館から戴いた日本古典文学全集全巻を置いて、狭い家ゆえ玄関の下駄箱のうえに並んでいる。蔭でおおった左上に「秦 恒平さん江」とある沢口靖子の最良の写真が本たちとともに「玄関番」をしてくれている。

* 七月は娘朝日子の誕生日に孫やす香を死なせて了った哀しい月でもある。この子らのためにも平安の世をつよく願い創り出さねば。
やす香は国連で働きたいと熱く語っていた。国際的に活躍している日本の若い女性をテレビに見出すつど、やす香の方へ言葉にならぬ声をただ送る。
2017 7/1 188

* 雉鳩の一羽がテラスヘ来て、撒いておいた米を余念なく啄み続けていた。ガラス戸をあけても逃げたりしない。倚子に腰掛けて眺めていた。食べては、水盤に張ってある水をのみ、また米を食べている。生き物の動きのおだやかな美しさ。空は青やかに晴れていた。
2017 7/6 188

* 同志社大の田中教授から、春陽堂版「鏡花全集」十五巻を引き取りますと連絡有り、目の前の書架の一一郭をきっちり占めていた大冊の十五巻を研究室へ寄贈できることになった。目の真ん前の書架にぽっかりアキが出来た。わたし自身の「選集」ののこる十三巻がそこへ入る。
春陽堂版の鏡花全集は鏡花の文学生涯の前半の全作を網羅していて、しかも天金の美麗特装版。むろんのこり惜しくはあるが、鏡花作品の主なモノはべつに所蔵本で十分読める。鏡花研究で今日の学会をリードしている田中励儀三の研究室へ収まるなら、願ってもない。
作家でもある秦建日子が、いっこうにほんものの文学の読者でなく、わたしの蔵書にいっこう気がない。しかたなく図書館等への寄贈を考えているが、あまりに惜しい。柳田全集、折口全集、谷崎全集、藤村全集、二十世紀世界文学全集、日本古典文学全集、日本歴史大事典集、講談社版日本現代文学全集、筑摩版現代日本文学全集、そのた尚二十種にあまる全集・選集類を、命のある間に適切な施設ないし人さまに譲り渡したい。
ともあれ価値ある春陽堂版「鏡花全集」大冊揃いの十五巻が同志社へ贈れることになり、嬉しく、ほっとしている。
単行本の小説等々で数十年のあいだに莫大に著者から寄贈されている。署名本も多い。いちはやく著者謹呈署名入りで贈られてきた俵万智の歌集『サラダ記念日』など、今も座右に愛蔵しているが、建日子には猫に小判に類する。愛蔵してくれる人に譲ることになる。そんな本が書庫に溢れている。佳い本であればあるほど、よくひとを選んで譲りたい。
井上靖の「短篇集」五巻、「世界紀行集」四巻も、できれば小説が詠みたい少年・青年にあげたいと、東工大学生君達の子女を目がけているのだが、これは乗り気の相手でないと勿体ないことになる。
2017 7/14 188

* 昼の寝起きにたまたま途中から観た「鑑定団」に、奇跡のような道入(のんかう)の平黒茶碗があらわれ息を呑んだ。樂旦入の、また裏千家玄々齋のみごとな箱書きも。重要文化財として保護して欲しいほどの名品だった。のけぞった。
柴田是真ら名工五人の合作になる調度箪笥にも感じ入った。
さすが浅草、いいものが出た、が、持ち出してきた大方の人はその品の値打ちをしらずにいい値なら売ってハワイへなどと云うから、仕方もないが、情けない。情けながりながらわたし自身も叔母から譲り受けたたくさんな道具の始末にじつは困惑もしている。道具は、多少でも趣味と愛情のある持ち主にこそ渡って行くべきなので、その点、うちの後継者は、落第。困っている。熱心に買いに来る道具屋が東京でも三軒ほどあるが、まだ呼び込んではいない。むしろ愛蔵してくれる若い人たちに出逢って、さし上げたいのだが。
2017 7/16 188

* 午過ぎて、牛になるなあと思いつつ横になって、校正もほどほど、「絵巻」月報で「繪因果経」について教わりながら寝入ったらしく、あ、もう朝だカーサンは起きているなとやっと身を起こして、観音像にも位牌にも例の「おはようございます、おはようございます」の二度礼を送り、テラスのネコ、ノコ、マゴたちへも、ウワッ暑いねえ、おはよう、良いお天気だね、今日もサンニン仲よく元気に元気に遊びなさい、トーサンもカーサンも家にいるよと決まりの声をかけてからキッチンへ。え、朝からテレビは相撲の話題かいとまだ気がつかなかったが、時計をみたら四時半。ウヘッと絶句。暑い朝でなく蒸し暑い夕方前だった。
ま、いい、眼はやすまったものとリクツを言うて妻に笑われてきた。寝て起きてまだ生きていたんだなと思う。
2017 7/17 188

☆ 読みました
黒谷。
結構手強く難しかったので、もう一度読んでみます。  建日子
2017 7/18 188

* 狭いながらも書庫前のテラスは左右に鉢植えが溢れ。まんなかに、うまくすればデッキチェアの置けるほどな畾地がある、そこへこのところずうっと米を撒いてきた、鳩の訪れを歓迎して。初めの頃よく二羽で来ていたが、いつか一羽になり、それも丸っこい鳩胸の一羽からやや細めの一羽に交替してきたが、いずれも撒いた米をひとつぶのこさず綺麗に食べて行く。嬉しくてまた撒いておくといつのまにか綺麗に一粒ものこっていない、が、なかなか鳩の姿に出会えない。朝もほの白むころには来て食べていって居るらしい。
命の生き生きとした行為が、眼に見えても見えていなくても励みになる。喜んでいる。鳩に呉れてやる米なら、もっとほかに…という声もあろうけれど、それには黙ってちいさく頭を下げておく。
2017 7/19 188

* テラスへ鳩が来て撒いた米をきれいに食べて行くのはもう前からだが、書庫上のエプロンや屋根へ来てそこから下に降りていたのが、初めてかどうか、隠蓑の同じ一つ枝にもう長時間とまっている。キッチンの窓から真ん前、妻からもわたしからもかなりまぢかによく見え、嬉しくなる。真下にいるネコ、ノコ、マゴたちも、庭の賑わいをさぞ喜んでいるだろう。
と…、なんとしたこと、植木鉢密集の葉蔭から尾の長いちいさな鼠があらわれて鳩の居ないまの米を、用心深く食べているのを妻が見つけた。ちと食べては隠れ、また現れては食べているのをわたしも見た。鼠に家に入られては困るが、ま、鳩も鼠も、いいか。
2017 7/21 188

* のうのうと脚をのばして湯に漬かりたい。温泉が好きなのにめったに縁がない。四度の瀧ちかくのあれは豊年満作とかいった宿の湯が最後とすると、もう随分昔。大きな檜の浴槽に満々と張った湯へ相客なしに漬かった快適・快感、忘れがたい。心臓の弱い妻は温泉に浸かるのが、苦手。
熱海まで独りで出かけ、温泉になど何処ででも漬かれるだろうと思っていたのに、いたるところで予約がないとことわられアタマにきて、駅前の魚屋の食堂で大きな伊勢海老をはじめいろんな刺身をたらふく食べただけで帰ってきたのも思い出す。美味かった。あれはいつ頃のことだったか。
建日子のなんとかいう信州の別荘へ連れられたとき、夜遅くに近くの温泉へ自動車で運ばれたが温泉の印象、何ものこっていない。
銭湯へ入ったなど、東京へ出て来て新宿河田町のみすず莊の新婚時代に近所の湯へ通って以来、一度も体験していない。そもそも保谷でも銭湯を見た覚えがない。
2017 7/21 188

* おそくまで京都の地誌・地図や、新旧の源氏物語本や、閨秀「伊勢」のことや、「絵巻」月報や、枕草子や、竹取物語などを読み耽り、そして「信じられない話」が寝た夢の中で錯綜し、七時にはムリに起きてしまった。観音様と、秦の親たちの位牌へ「おはようございます」と二回ずつ敬礼、テラスのネコ・ノコ、黒いマゴたちにも、今日も元気に楽しく仲よく「三人で」遊べよ、「トーさんもカーさんも家にいるよ」と声を掛けておいて、たいてい一羽で、ときに二羽でやってくる鳩のための白米をテラスの真ん中に撒いておく。
さてハダカの体重を計り血糖値と血圧も測ってノートし、食前のインシュリンをきまった単位注射し、病院処方の薬四種のほか、何となく習慣的なサプリ七、八種を、食後のため決めた小皿にちゃんと用意しておく。
これらが毎朝のきまりごと。
そして朝食前か食後かに二階の機械を明けに来る。これに、イヤほど時間が掛かる。
真ん前、目の上の書架は大きな字や大冊の全集類でいっぱい。その他いたるところに使い駆け読みかけの本や資料が雑然、建日子が欲しいとねだっている佳い革のソフアも、坐るどころかモノが幾重にも乗っかったまま。倚子の背側、張り付くように間近な机上には、二段に工夫した仮の板棚に、上は湖の本創作、下はエッセイがみな揃っていて、いつでも自分の仕事を読み返したり調べたり出来る。まだ本になれない待機中の原稿類も大きな紙袋五つ六つに入って到るところで場を塞いでいる。
機械は三台、しかし新しい方の二台を此のわたしは能う使えなくてムダに棚さらしになっている。日々の愛機は、はるか昔からの古物でゆーっくりしか働かない、もうこれは危機的状況というしかないが、根が機械音痴にちかいわたし、最新機へ新たに挑む能は無い。
2017 7/25 188

* ここ二週間ほど日本酒を口にしなかった。しばらくぶりに飲み、こころよく酔ってぐっすり寝入った。目が覚めても睡かった。
鏡を見ると髯が真っ白。髭を生やしている男達は、要するに髭剃りがめんどうなのだと思われる。面倒ではあるが髭を蓄えたくなどない。ひげは「蓄える」と謂う。いやな物言いだ。とはいえ家に籠もっている内は生えたのびたとも意識もせず、要するに剃るのが邪魔くさいだけ。気がついて鏡で見ると、仰天するほどのびている。とても剃りにくい。

* 祇園会の後祭りも過ぎてしまった。

* 明日は、いまも目の前で笑顔の孫娘やす香が十九歳の命脈を病院で絶たれた日。
加えて、やす香の母、われわれの初い子でありし娘朝日子が五十七歳になる誕生日。元気でいるのだろうか。
2017 7/26 188

* 孫の命日 娘の誕生日

天の川を越えてやす香のケイタイに
文月(ふづき)の文を書きおくらばや
おじいやんはケイタイ嫌ひですかと問ひながら
目をほそく細く笑まひしやす香
出ておいで 夢にうつつにやす香しだい
この肩に来て うたへ好きな歌を
最期の日々
来て来て来てと お土産はお蜜柑と呼びかけて
苦しかりけめ生きたかりけめ

露吹いて梶の葉の香に朝日子の
ひそやかに照る今朝のさびしさ

 

おじいやん!
2017 7/27 188

* とにかく食が薄い。食べたいよりも食べたくないという細い食生活では、夏のうちに弱ってしまうと思いつつも。よく冷えた桃や蜜柑や桜桃などが、美味い。幸いにわたしは甘味も酒も好きな昔から二刀流で、熱量はそれで摂っているが、それでは栄養失調になると自覚もしている。妻が脂肪を厳禁されているので、わたしも倣いぎみにしている。昔は好物の一位だった天麩羅が病後いっこう美味しくなくなり、ガッカリ。肉類も焼魚もつい敬遠してしまう。煮た魚は子供の頃から苦手だった。野菜も大の苦手で、胡瓜もみやキャベツばかり好んだ。今は、冷えた野菜ジュースを好み、薬だと思って青汁はせいぜい飲んでいる。
食生活を大いに沈滞させている元兇は、抗癌剤でボロボロになってしまった「歯」であろう、噛む力が萎え、すこし硬いものも容易に食せない。好きだった貝類が、牡蛎のほかほとんど噛めず、肉類もしかり。じつは漬け物、葉ものも意外に硬く、咀嚼しきれない。
一等いけないのは、食べると腹が張る、というより兆してくる腸閉感。閉塞しては激しい苦痛になるが、食べた物が食道や腸で停滞すると不快感はしつこい。緩下剤などいろいろに対処してし腸閉はいずれ排ガスや排便で脱するにしても、食欲は投げ出したくなる。「食べたい」「美味い」という最大の欲求や喜びを投げ出したくなる。

* こういう体調に低迷していても、幸いわたしは頑張って生きていられる。
やす香が可哀想でならなかった。海老蔵夫人も可哀想でならなかった。心から惜しんで見送った人、何人もいた。癌もこわいが抗癌剤もこわい。しかし、わたしはガンとして抗癌剤を受け入れて耐え抜いた。それでよかったのだと、今も、思っている。
いま、心を励ましてくれる「仕事」とそれを続けて行きたい「気力」等をもてているのを、幸せに思う。
なによりは病気しないで済むことだ。
2017 7/28 188

☆ 秦先生
こんにちは。
ご無沙汰をいたしまして、申し訳ございません。
明日、隅田川花火大会、ご都合いかがでしょうか。
お目にかかることができましたら、嬉しいです。  望月太左衛

* 例年の、有り難いお誘い。この数年は余儀なく失礼していた。行きはまだしも帰りの脚が安全に確保できないのと、体力とで。
めずらしく妻が、久しぶりに行ってみたいと言う。それならば腹をくくって、遊山でこそないが、往き帰り、やすみやすみ時間を気にせず「浅草」物見を楽しみに行こうと決めた。かなりの冒険だが、太左衛さんに、御好意に甘えますと返事した。
2017 7/28 188

* 昼過ぎ、かなり暑い。
花火の浅草へ 往復よほどシッカリしていないと夫婦して凹むかも。克服してくれば、次のステップ、短い旅への自信になる。

* 生憎の小雨になったが、ごろごろ会館前でタクシーをおり、浅草寺の大賑わいの中をゆらゆらゆらと散策、大きなホテルの上の階の食堂街で、海鮮和食で軽く夕食した。酒は避けた。ビールが冷えて美味かった。妻が脂っけを禁じられているので、好きな米久でのすきやきは諦めていた。この食道街、また来ても佳いなと思った。
六時半に、招かれている先へ、着。雨になっていた。様子を見て待つべく、太左衛さんの案内で近くの店でお茶を呑んだ。花火強行とわかり、雨の屋上は避けましょうと太左衛さん(弟・望月太左衛門、望月朴清)のお姉さんの私室へ通してもらい、窓際から真正面の花火をタンノウした。お喋りは女性がたにまかせ、わたしは一時間半、じいッと花火に吸い込まれていた。有り難かった。
やす香の告別式のばん、わたしたち祖母夫婦は、来会を硬く拒まれていた。わたしは太左衛さんの花火の招きに応じて、天上したやす香といっしょに夜空をみあげながらやす香と語り続けていた。太左衛さんは、静かによくいたわってくれた。忘れない。

おじいやんと呼びて見上げて腕組みて
はげましくれし幼なやす香ぞ
2017 7/29 188

☆ 秦先生
奥様
おはようございます。
昨日は雨の中のお出かけ、おつかれさまでした。
段取り悪く、お待たせしてしまい、申し訳ございませんでした。
また先生には貴重な御本を頂戴いたしまして、おそれいります。
有難うございました。
昨日の花火大会は私にとりましても
いままでと違い、落ち着いてみることができ、姉とも久しぶりに話をすることができました。
ありがとうございました。
お送りしたあの帰り道、車を拾えたので、まだ先生方が近辺にいらっしゃるようでしたらと思いケイタイへお電話してしまいました。失礼いたしました。
また来年、よろしくお願いいたします。
追伸
先生、奥様にお目にかかれて同行した**さん(邦楽のお弟子さん)も大変よろこんでいました。
奥様とのピアノつながりの会話をきいていて 連弾のように感じました。
いつも接している音楽の影響は大きいなと思いました。
発見でした!!
囃子をしているとどういう会話になるのかな?
お祭りみたい!? などと考えてしまいました。
感謝申し上げます。
惚(ほう)けたる老いそれなりに花やいで ありがとうございました。   望月太左衛

* 太左衛さん
なによりも 久々にお目にかかれたのが 心強う嬉しいことでした。お姉さんとも久しぶりした、無体なとびこみにかかわらず終始ご親切に お部屋までお入れ下さり、すばらしい花火を存分にほれぼれと見上げることができました、なにもかも太左衛さんのご好意からと、帰る道、道も二人して心から喜び感謝しておりました。

言問へば花とばかりぞ川開き

一閃のいのちか光(かげ)か花火かな

惚けたる老いそれなりに花やいで

こんなことを思いながら夜空を見上げていました。亡き孫娘も天上でいっしょに見ていたにちがいなく。

お弟子さんにもおめにかかれて嬉しく。またそんな機あって話の花も咲かせたいものですとお伝え下さい。
夕べは、言問通りを あのまま河童橋とかいうあたりまで、ゆっくりゆっくり歩きまして、そこの交叉点で、脇からきたタクシーに乗れましたので、そのまま池袋まで走りました。西武線でも二人とも座れまして、さしたる疲れなく保谷駅からまたタクシーで、十一時過ぎに帰宅しました。

思い切って、頑張って、出掛けて、本当に良かった、有り難かったと心から笑い合ったことでした。これで少し自信を付けて、こんどは電車に乗り一泊ぐらいの旅もと願っています。

けさは、わたくし、さすがにかなり朝寝坊しましたが、もう元気に仕事をはじめています。

アドレスを存じません、お姉さんに、くれぐれもくれぐれも御宜しく御礼の気持ちお伝え下さい。

太佐衛さん   ありがとう。 ますます御活躍を。怪我せず事故に遭わずにお元気で。

七月三十日 午後          秦 恒平
2017 7/30 188

* 朝、観音様や親たちの位牌や庭のネコたちにあいさつを済ませると、いっとき、掛けてある六閑斎の二字に目をむける。
新潮国語辞典は「閑事」を、「ひまなこと、無用のこと、むだごと」と。広辞苑も「急を要せぬ事、実生活に役立たない事、むだごと」と。そんな二字をこう書いた人の思いは何であったか。辞典の解は、それでいいのか。
白川静の『字統』によれば「閑」はもとは「蘭」で、「門遮なり」とあり、「門のしきり」転じて「遮る」「支える」「閉じる」「まもる」の意となり、悪に陥るのを守ることを「防閑」というと。また牛馬を囲って畜養する囲い処をも謂うと。
そして通用の「閑暇」「閑静」等の義は「間」字の仮借義であるとも。「間」は正字は「閒」につくり、「隙」のこと。「門・閒」については措くとして。
「閑事」を上の現代辞書にただならって読んでいては的はずれの憾みが濃い。天子に「十二閑あり」と謂うのは、十二のむだごとの意味でなく、十二の防ぎ守らねばならぬことの意味である。いうに
ちなみに「事」はもと祭事のち政事万般を意味し、要はいろんな「こと」に慣用されてきた。すなわち「閑事」とはさように「こと」多きを「門をとざして遮 りまもる」のが真意で、通用辞典の安易な解はむしろ「誤解」に近い。「清閑寺」の「清閑」は、明らかに門を杜じ清きをまもる意義。河原左大臣といわれた源 融に、三年「杜門」のことがあった。後世にいうお咎めの「閉門」ではない。みずから門を「杜」じかたく世に出なかったのである。
「閑事」とは、余事は排し、心にかなうことに真摯に静かに向きあう意味と、わたしは釈っている。
2017 8/2 189

☆ 暑い日が
続いていますがお元気の御事と存じます。
当尾、今のところ皆 元気に致して居ります。
二、三日前より 恒平様の本を整理いたして居りましたところ、本を開けると 紙きれと共に (「死なれて 死なせて」の御本です。) そのビラの用紙には 当尾の叔母様へと… 感激いたし涙があふれ出ました。
いつかの日、はんげっしょ の だんご作ってた時に。 暑い暑い日でした。

結婚式の時は 9人の兄弟皆々元気でしたが 今は私一人になりました。
私も昭和三年産まれで 木津川市より 1m四方の座布団を頂きました。
恒平様 いつまでもお元気でネ、 頼りにして居ります。
新茶が少々入りましたので お送り致します。    当尾   吉岡嘉代子

* 守叔父さんの奥さん 叔母さんの 思いがけないお便りを戴いた。嬉しく、胸を熱くする。

* この日ごろわれのさ庭に米まけば
鳩のきて喰ふが 嬉しくてならぬ   湖
ぽォと呼べば鳩のつがいは羽うちて
小屋根のはじに胸ふくらます
2017 8/4 189

* 朝いちばんに当尾の吉岡家から守・嘉代子叔父叔母の長女、わたしとは従妹にあたるのかきく子さんから電話があり妻が出た。わたしはまだ寝ていた。嘉代子叔母へ送った返礼の粗菓への礼であったとか、恐縮した。
守叔父にはすくなくも三人妹があり、いちばん末の、保谷の我が家まで訪れてくれたけい子叔母がはやく亡くなったのは聞いて知っているが、他の消息はなにも知れない。
守叔父らとは腹違いの実父恒には、少なくも三人の年かさな姉があって、それぞれにわたしから見て親ほどの年齢の従兄たちがいた。いくらかの接触はあったが、今は消息も知れない。
父恒にはわたしには父母をともにした子、兄北澤恒彦と私秦 恒平があり、兄は残り惜しくも先に逝った。母を異にした二人の妹がいま川崎市に暮らしていて、大勢の姪や甥がいるようだが逢っていない。
兄と私の生母方親類とは、現在、すべて本拠であった近江能登川を離れてしまい、きわめて希薄にしか消息も得られていない。
2017 8/9 189

* 外へ出られないほど、暑い日。
それでも庭へ鳩たちは来ている。米を撒いてないと、小屋根や書庫正面のエブロンで黙って待っている。わたしたちが嬉しいように、ネコもノコも黒いマゴも賑やかでさぞ嬉しいだろう。ときどき雀も、蜂も蝶も来ている。
五時半、もう目は霞んでいる。目もと、目じり、上下の瞼にジャリジャリと音もしそうに目やにがたまる。きつく拭って取り去るとウソほど視野が明るくな る。しかし、長持ちはしてくれない。目もと、両眼の少し外側を暫く刺戟してやると、やはりごく短時間だが明るくなる。一日中そんなこともしている。この暑 さでは青山一丁目の眼鏡屋までとても出向けない。

* 九時半。階下仕事に切り換える、辛うじて眼が保つあいだ。
2017 8/9 189

* ひとつぶの米ものこさず雉鳩の
テラスにおりて喰ひて行きつも
2017 8/13 189

* わたしは子供の頃から古本屋へ入ってもっぱら「立ち読み」しては書店の人にケンツクを喰っていた。もともと本の買えるお金などまったくもっていない し、秦の父は祖父とは大違いで本を読みたがるのは「道楽」だと貶す人だった。つまり本を買ってくれることは、ま、金輪際なかった。しかし祖父の溜め込んで いた漢籍や漢詩集や日本の古典や辞典は想像を超えて多く、大半はわたしが東京へ持ってきた。大きくなってからも書店は立ち読みの場所で、本を自前で買うの はよくよくの場合、書庫の蔵書の少なくも半分ほどは、みな出版社や著者からの戴き物である。執筆の参考にと原稿依頼に添えて出版社がどんどん貴重な本を呉 れる時代にわたしは作家生活していた。さきの絵巻などもみなそんな貰い物なのだから、有り難かった。それだけに死蔵せず、惜しまず人様にも施設にも差し上 げておきたいといつも思う。
2017 8/13 189

* 妻の循環定期の診察、穏当を得て有り難い。
病むと聞く人の多いのに心痛む。
2017 8/22 189

* わたしは京の祇園町へ抜け路地一本で通える背中合わせの知恩院門前通りで育った。祇園は甲部も乙部もよく知っていた、両方の銭湯にかよったし、国民学 校三年生まを終えるまでは、つまり丹波へ戦火を避けて疎開するまでは、秦の母に手をひっぱられ、女湯でからだ中を洗われていた。敗戦後の新制中学は祇園町 のま真ん中、八坂神社石段下にあり、「祇園の子」は大勢が同級で、同窓生だった。なつかしい。
そんな次第で、わたしはいわゆる色里へ客として遊びたいという欲求は一滴ももたずに大人になり、そういう世界へ近寄ったこと、ただの一度も無い。女を買 うという感覚はこの身の上でも皆無だった。一代男の世之介を羨む気持ちは滴ももたないのである。しかしもう本卦還りの世之介は、と同好の友を語らい、豪奢 に渡海の大船をつくって、ありとある性具や強精・催淫の薬や食物、衣裳を満載し、はるか海の彼方の「女護が島」へ旅だって行く。ウーン、すこしは羨ましい のかなあ。
ちなみにこの世之介が僅かな期間ではあれ祝言して理想的に美しくも聡い妻女にしたのが、名高い高尾太夫だった。しかし永くは専有しなかった。
いま一つちなみに書いておく、「世之介」の「世」とは、世の中とは男女の仲の意味で、これは平安の大昔から日本人の誰もが心得ていて、近代現代人がただ 忘れているだけなのである。わたしが、閑吟集の小歌、「世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり」を評釈したとき、専門の学者からそうは読まな かった、学者は窮屈で」と謝られたのを思い出す。わたしの『閑吟集』をまた御覧下さい。
2017 8/23 189

* 昨日柳君が来てくれて、何のお構いもサービスも出来なかったので、もう帰りがけ、わたしは彼を二階の機械部屋・書斎へ連れて行った。電器屋は二三度入ったことがあるが、めったに人は入れていない。ま、あまりな部屋の混雑ぶりをみてもらって何のサービスにも当たらないが、これを契機にすこしでも片づけたいと思っていた。
で、午後おそめに、小説の仕事をそこそこ捗らせたあと、それだけは気に入りの佳いソファ、建日子が欲しがっているソファをもう十年来満杯のダンボールたちが占拠しているのをなんとか排除しようと懸命に無い知恵を絞り、ま、ソファの上だけが本来の顔を見せてくれた。黒いマゴがその上ですてきに似合った敷物をひろげて躯を柔らかに沈めたのが涙が出そうに最高だった。そのまま機械に入っている歌を聴いた。小鳩くるみの「埴生の宿」、そしてペギー葉山の「大学時代」など。望郷の思いのなによりも迫ってくる歌を目をつむって聴いた。
もとの木阿弥にまたならないように、ソファ、だいじにしてやりたい。疲れたらソファに沈んで憩いたい。

* わたしは、いまも心幼い少年のようだ。恥じても始まらないが。

* 湯槽のなかで、中世を考え、ロシュフコーとしばし対話し、鳥辺野と化野の地誌をしらべていた。
2017 8/28 189

* 泉鏡花にかかわって過ぎ越し日々の感懐をしみじみと確かめている。鏡花を語る感懐は潤一郎を語ってきたそれらより、はるかにわたし自身の根に絡んでい る。わたしの鏡花観は、わたしの谷崎愛よりもなおなおわたし自身を露わにしているといえようか。谷崎を直に思わせるわたしの小説は一点も無いだろうが、鏡 花へ響きあう小説は、わたし自身ビックリするほど数多い。そこを抑えてわたしを論じてくれた論攷も、残念だが少ない。

* 泉鏡花の一冊を大半、一気に校正した。あと一編を丁寧に読んで、初校を戻したいが、もう二、三日か。
問題は大冊の選集が二巻分、再校と初校を待っている。加えてもう一巻の初校も出て来かけねない。これも再校分の校正を奮発して数日で、可能な限り八日までに終えたいが。

* 書き下ろし長編小説の、三分の上册を「湖の本」に入れるのは、もういつでも可能になっている。もう二册分をどうするか、これもほぼ仕上がっているが、 内容上、全册を公刊する「遠慮なさ」が持ちきれない。自信が持てないのではない。わたしの創作としては、未だ嘗てなく踏み込んだ「新」作になっているけれ ど、公開するには、踏み込み過ぎているか、とも。
ま、いい。わたしとしては「書き上げた」と思っている。
もう一作の「清水坂(仮題)」へ打ちこみたい、これは我ながら難路を築き上げている、だから面白いし書き上げたいのだが。少なくも京都に、なか三日も居 坐って「歩いて」「空気を吸って」「見定めて」きたい。人を頼んで写真にして送ってもらうのでは、協力してくれる人はいると思うが、足りない、達しない。 活字で調べても、それでは生きてこない。

* 八十二になろうとして小説の創作でこうも生き生きと悩むようなことが出来るなど、予想もしなかった。幸せなことだ。時間が惜しい。わたしの時間、いま、パンパン、はち切れそう。
朝日子がそばにいれば、なにかしら手伝って呉れたろうか。
謙虚に、そして大胆に沈潜して書き継いでいたなら、まちがいなく一風ある作者として世に起てていた。まだ、六十前。遅過ぎはしない。
2017 9/3 190

* 胸の痛い、黒いマゴの一周忌が目の前、三日前へ来た。

去年の九月四日夕方 母さんと、懸命に最期の水を呑む 黒いマゴ
2017 9/4 190

* 九月七日 木  黒いマゴ逝きて一年

在りし日の 紅いネクタイの黒いマゴ

心地よく安息の黒いマゴ                   2017 9/7 190

* 鳩が二羽、なかよくテラスへ降りてきて、巻いた餌を余念なくみな食べて満たされてまた帰っていった。わたしたちが近くにいてもちっとも気にしないのが嬉しい。
去年の今日は、泣く泣く愛おしい黒いマゴを、ネコやノコたちのもとへ、見送った。揃って、いつも狭い庭の「その其処」に居る。朝起きても夜寝る前も、日なかもひまさえあれば縁側から声を掛けて彼らと話しあう。
2017 9/7 190

* あ。十一時半。黒いマゴたち、ネコやノコにも「おやすみ」を云って、寝ます。
2017 9/7 190

* 明日・明後日の発送という肉体労働に備えて、今晩はすこしのんびり、戴いた美味い酒で寛ごう。九時以降は飲まないと決めて守っている。九時になった ら、また機械が抱え込んでいる「小説」の前へ戻ってくる。七時半がまわった。妻は毎日の日課で七時から一時間隣室でピアノを「鳴らし」ている。ご近さんに 叱られない限りは、良いことだと思ってい「音」を聴いている。
2017 9/8 190

* 九時前から懸命に力仕事を続け、いま、夕食前にと機械を見に来た。
作業前に、毎朝のように20錠ちかい薬をのむとき、強いアリナミンをいつもの倍量の2錠、痛み止めを1錠、予防的にのんでおいた。どっちもみこどに効い てくれ、石ほど重い本の包みを、一気に50册ずつ10数回も持ち上げてはキッチンから玄関へ運んで、潰れていない。痛みもない。
今晩も、十時までは、まだ頑張る。
腕力、まだシッカリある。こんな仕事はだらだらやってては疲れる。妻もよく手伝ってくれて、その間にもいろんな対話ができる。思い出話も子供達の話も「三人!」のネコたちの話も。
四時前から、録画してある松坂恵子の「蒲田行進曲」を半ばまで感じ入りながら耳で、ときどき目で楽しんでいた。よく出来た傑作映画というに憚らない。後半は夕食後に、また。松坂恵子、大好き。
若尾文子、岩下志麻、松坂恵子。はるかな初対面から何十年、わたしを裏切らなかった。
2017 9/9 190

* じつはこの瘋癲不良老人に、まつたく新たな、文学史にも同様主題はなかったのではと思う新着想があり、そんなのが成り立つだろうかと、ナイショで人に 意見を求めていたりする。まだ欲があるのでここへそれは書かないが。成るとも 成りそうとも とてもムリでしょうとも まだ意見は聞こえてこないが、 ひょっとして若い作家ででも可能とならば乗り出して試みる人もあるかもしれない。早稲田の教室から背中を押して文壇を志させた角田光代なら、ただ面白いだ けでない現代文学の問題作を送り出せそうな気がしている。

* 亡きつかこうへいに強く背を押して貰って世に出た秦建日子に、まだ「蒲田行進曲」の真実感に肉薄した切実な現代の「人間」「個性」大作小説が書けていない。売りものづくりに精魂を風化させられていないか、案じている。
2017 9/12 190

* 夕方五時前、建日子が帰ってきて、一緒に食事した。いろいろ話して、六時半には次の仕事へ出向いていった。いろんな思いがあるが、お互いに美味く話せないじれったさもある。
二階へ来て、また一時間ほど機械の前で居眠りした。今日はどうかしている。思い切ってもう休んでしまおう。
2017 9/18 190

* 横になって休息かたがた手当たり次第に書架の本や雑誌に手を出し、読み耽る。小林秀雄、中村光夫、福田恆存という懐かしい限りの大先達の鼎談も。山本 健吉さんというこれまた懐かしい人のエッセイも。小林先生から中村先生へ、太宰賞へ推薦の道が付いていた。福田先生は今なお奥さんを通して変わりなく「湖 の本」を応援していて下さる。山本先生とは一緒に講演に出かけたり、歌手の淡谷のり子と鼎談して美空ひばり嫌いな淡谷さんを困らせたり、懐かしい思い出が いっぱい。
「新潮」の、もう大昔の特別記念号を枕べに持ってきてあり、近代百年の記念作がずらずら並んでいたりする。手を出すと、やめられない。
こんな気分で書庫へ踏み込もうなら一日中嵌り込んで出てこれない。読みたくて堪らない本がまだ無数に有るなど、ナニという幸せなことか。
建日子など、ものは「手持ちの機械」で読むという。だからわたしの蔵書は要らないと。機械読みで満足などという、その真似はわたしには出来ない。やはり 頁をめくりめくり読みたい。書庫の蔵書たち、わたしの死後にはどんなに情けないめに遭うのだろう。歴史と古典と美術の専門書、いい図書館で引き受けてくれ ますように。雑誌は処分するしかない。
所詮日本に心豊かに平和な未来はのぞめまい、命あるうちに可能な限り読書を楽しみにしたい。そのためには、視力です。
2017 9/20 190

* 日銀理事を務めた実父方従兄が亡くなり、八十九の奥さんから長い手紙が来た。
父吉岡恒には年かさな三人の姉があり、廣田は一番上の姉で、わたしにはお祖母さんほどの伯母であったはず、ま、生涯ナニの縁もない人であったが。高橋という伯母もあったらしい。何人もの従兄らとも「会った」という記憶は何もない。
ときどき、川崎で暮らしている母ちがいの妹二人、どうしているかなと思うときもあるが。
実兄には無念に死なれ、甥姪とは疎遠なまま過ごしている。
わたしには血縁というものがあまりに淡く、それがわたしを小説家にしたのだから、それでよかったのだ。血縁はえてしてわたしの謂う「身内」とは逸れて行く。懐かしい友人やいい読者たちに恵まれてきたのを幸せに感じている。
2017 9/23 190

* 動物の心を聴いて読める西洋女性が、日本の老人夫婦に飼われている猫が、毎日のようにご近所からスリッパを銜えてくるのを実に的確にその猫から聴き 取って解説してくれたテレビ番組に、心から納得して嬉しくて泣けるほどだった。ネコが我が家へ来て妻にゆるされて子供達を生んだのも、子供達の最後に家に 残ったノコも一緒の家庭生活も、二人!が逝ってしまったあとまた我が家へ生まれたての黒いマゴが紛れ込んでの十七年のくらしも、まことに、その西洋の女性 がネコから聴き取っていたのとまったく同じ交歓・交渉の歳月だったなあと、とても嬉しく懐かしく、妻と、またネコと暮らしたいねとまで言い合っていた。い やいや、今度こそは、猫を遺してわれわれが旅立たねば成るまいそれは可哀想だ。
2017 9/23 190

* 源氏物語や枕草子の人たちなら、無数の同時代和歌や歌謡をよく覚えていて、片言の「引き歌」でちゃんと意思疎通ができたが、同じ真似を現代人同士、大昔の和歌や歌謡の一部を引いてものを言い交わそうなどは、よほどの場合以外はお話にならずヘンなイヤミに陥ってしまう。
名古屋の河文の若女将とわたしが閑吟集のうたで言い交わしたことがあるのは、相応の下地が双方に出来ていたから可能で面白かったが、ワケ分からず突っかけられたら、キョトンどころかアタマに来るだろうと思う。
秦の母や父はサイコロ・ゲーム半ば賽の目のひとつにも、面白い地口をよく口にしたが、誰もがワケ分かっていたのだから面白かった。平安時代の女同士男同士ないし男女の仲でも、相手が分かるワケのない引き歌で困らせたりはしなかった。
2017 9/24 190

* 妻の定期の診察、幸いに大過なく帰ってきた。
わたしは、二階へ上がるにも階下へ降りてきても、つい寝室にねころんでしまい次々に裸眼で本を読み、疲れるとうたた寝に落ちる。
明日は朝が早いなと思いながら、病院のあと、薬局のあと、サテどうしたいどこへ行きたいという夢が見えない。散髪してきた心地よさはあるが、金曜には 「アマデウス」を観て、土曜には「選集」(中世美術論)が出来てくる。送りの力仕事に三日がほどかけ、すぐまた「湖の本」(泉鏡花論)の出来を月半ば過ぎ に待ち待ち、発送用意。
たぶん、十一月中にも「選集」をもう一冊(中世論)送り、それで今年は締めくくる。
2017 9/26 190

☆ 夜雨 微雨夜行  白楽天

早蛩(こおろぎ)啼きて復た歇(や)み
残燈滅(き)えんとして又 明らかなり
窓を隔てゝ夜雨を知る
芭蕉 先づ 聲あり

漠々 秋雲起り
稍々 夜寒生ず
自づと覚ふ裳の湿ふを
點(燈火)なく 聲もなし

* わが昔人らが白楽天の詩をことに慕い愛したきもちが分かる。
いまわたしはこれらを少年の昔から秦の祖父の蔵書に見出し愛玩してきた、国分青厓閲・井土靈山選、文庫本よりなお幅の狭い『選註 白樂天詩集』(明治四 十三年五月初版)で毎日読んでいる。この本には、忘れがたい反戦・厭戦の七言古詩「新豊折臂翁」が入っていて、国民学校三年生を終え丹波の山奥へ秦の祖父 や母と戦時疎開するより以前から愛読していた、「兵隊には行きとない」と思いながら。その久しい思いから作家以前の処女作「或る折臂翁」(選集⑦巻所収) を書いたのだった。秦の祖父は、夥しい数のこういう漢籍や古典を所蔵していた、ただし読んでいるのを観たことは無かった、長持の底や箪笥の戸袋などから発 見していったそれらすべては少年・秦 恒平のまつしく所有に帰し、その大方を京都から東京へ移していた。祖父はちいさい「もらひ子」のわたしにはこわい人であったが莫大な恩を受けている。「古 典」という詞藻と表現の結晶をさながらに「思想(エッセイ)」としてわたしは敬愛し親愛できた。これが無かったらわたしは作家に成れていなかったろう。
だが、これらの古典籍も、やがては廃棄されてしまう。「精神」としてこれらを引き受け得る子孫をわたしは持てていない。やんぬるかな。
2017 10/3 191

☆  しばらく
東京を留守にしていて今戻りました。

選集22巻、無事受け取りました。

ありがとうございます。 ☆秦建日子☆TAKEHIKO HATA☆
2017 10/4 191

* 十一時をまわった、いつのまにか。おそらく「今日のうち」に建日子が帰ってきて、今夜は泊まって行くと。カーサンははりきって、モノ、モノでひっくりかえった狭い茶の間をなんとか片づけてきれいな蒲団を、もう、敷いてやってある。黒いマゴもいるといいのに。

* もう目がつぶれそう、キイの字が見えない。
2017 10/14 191

* 建日子、昨夜十二時過ぎて、中野での仕事から帰ってきた。一夜茶の間で泊、今朝小一時間談笑、十一時過ぎ、小雨の中を次の仕事へ出かけていった。心身、健康であれと願う。
2017 10/15 191

* 膚寒くなってきた。ますます外出しない勝ちになりそうで、いけない。但し火曜には歯医者、金曜正午の腫瘍内科検査を挟んで水曜日からは「湖の本 137」の発送、来週月曜正午前にも感染症内科診察、お医者と伴走している気味であるが、木曜日には、久々に文春の寺田英視さんと会食予定。妻も一緒。こ の前は、もう久しいが建日子も一緒だった。
2017 10/15 191

* かつて感じたことのない程、苦痛で深いな選挙戦である。堪えて、顔をそむけまいとはしている:が。
「勝敗、決まりきってるのに投票に行くの」などと、わたしたちの息子までが言う。むかしむかし、聞いて耳の汚れた「お賢い人ら」の科白だ。

☆ 陶淵明に聴く。

先師 遺訓あり、
余(われ)豈(あ)に云(ここ)に墜さんや。
「四十にして聞ゆる無くんば、
斯(こ)れ畏るるに足らず」と。
我が名車に脂さし、
我が名驥に策(むちう)たん。
千里は遙かなりと雖(いへど)も、
孰(たれ)か敢えて至らざらんや。

「墜」とは、放棄。の意味。「名車」「名驥」は内なる真の才能・力量の意味、贅沢な自家用車のことではない。その才・力に真の脂をさし鞭打たずしては、所詮 千里を行くことは出来ない。
処世をだけ賢く願う人は、なんで苦労して「千里」をなど、「一里二里」で十分ですと云う。一理は有ろうが。
2017 10/16 191

* 聖路加病院へ。

* 十時半には血液検査を終えていたが、診察は午後二時前まで待たされた。検査結果や診察上状態は文句もなく上乗で不安無しと。それはけっこうであった が。たいして用もない安定剤のために薬局でまち、空腹の充たしようを思案しつつぶらぶらと銀座まで歩いて思案付かず有楽町でも思案付かず、有楽町線で池袋 下車、西武の京都名店展へ上がったが雑踏に辟易、結局八階の伊勢長で鰻にした。

*家へ帰ってみると、妻は救急車で地元病院へ緊急入院していた。胆石の痛みに耐えかねてお向かいを煩わせて救急車を呼んで貰ったと。
石がうまく降りてくれるといいが。
携帯電話をわたしが持ってないのが、こういう際の障りになる。幸い、いまは痛みは落ち着いて(資料で抑えているのだろうが、)いて病室への電話は繋がっ た。建日子には連絡したようだが、まだ病院へは来れていないと。こういうときに、気働きのきくお嫁さんが居てくれたらとしみじみ思うが。

* ま、様子をみつつ、気強く乗り切っていかねばならない。あいにく、あすから週明けへの天気が大荒れだという、月曜の診察も日が一週間延びた。終日大あ れの颱風と予告されている。雨降って地固まって欲しいもの。「湖の本」発送が終わっていて良かったが、発送作業が妻に障ったのかと思うと胸が冷える。

* 永田さんから、シーバス・リーガルとオールド・パーをボトルひとつずつ頂戴していた。久しぶりの洋酒で嬉しい。おそれいります。

* 建日子が病院の帰りに寄ってくれたので、独りも淋しく、一緒に映画「濹東綺譚」を観た。いま、帰っていった。
妻とも電話で明日の打ち合わせなど。
胆石はわたしも持っていて痛かった。この先、どうするのか、医師とも話しあわねばならないが。明日から強い雨、強い颱風と予告されている。月曜の診察も一週間延びた。 2017 10/20 191

* 雨の中十時に自転車で病院へモノを運び、三時まで病室にいて、校正など。
いったん帰宅、機械の前で寒いのに寝入っていた、寒くて目がさめた。

* 四国の大成繁さん、冷凍された蕎麦を下さった。有り難く。しばらく私の主食になる。

* いま郵便が届いたらしい。目を通し、もう一度病院へ走る。暗い道を自転車で。要心に用心して。

* 八度近い熱をもち、身動きの自在がなく、よく寝ている。七時の面会時間切れの頃、やや顔色が平生に戻っていた。どんな検査と対応とがなされるか、いず れにしても月曜以後になる。わたしも、草臥れないよう、むしろ仕事モードで意識的に生活時間を設計していたい。樂此不疲、今こそ大事と。妻の明日の投票は 無理になった。わたしは投票する、当然のこと。
2017 10/21 191

* そういう年齢へ追いい込まれてきたのか。
もっとも秦の母は、生来病弱だったのに九十六歳まで生き、夫よりも小姑よりもしっかり長命だった。わたしも妻もこの母にならうなら、もう十五年は頑張らねばならぬ。
2017 10/21 191

* 妻の容態の好転を心より願っている。雨も烈しいが、今日も病室(個室)で出来る仕事をしてくる。病院の目の前の小学校で投票もしてくる。午後に一度夕食のためなどに帰宅し、また病室へ戻る。七時には面会時限が切れる。

* とろとろと寝入りがちに下腹の膨満感を不快がっている。熱は引いているようす。金曜夕刻に救急車で病院入りして土曜日曜、ほとんど点滴以外に処置がない。
正午にわたしは向かいの学校で投票を済ませてきた。強い雨風で、投票所は閑散、これがどういう結果で現れるか。楽観はとても出来ないが。
二時前にいったん家へ帰ってきた。行きも帰りも強い雨風。濡れっぱなしで自転車で走る。幸い数分で往き帰りがきく。自転車事故にだけ要心し、厚着して濡れるのにはガマン。ただ颱風が来る明日はどうだか。
病室での校正の仕事は捗り、気にしていて大仕事二つの大方が纏まってきた。
今夕前にまた病室へものなど届け七時まで。

* 洗濯物が絞れてあるが、「干す」という手順に不慣れで、放ってあるが。故紙回収に故紙を出すという用もある。家事というのは、オオゴトに類していると 独りになるとよく分かるのだ、が。うまく出来ない。建日子がまともに普通の家庭を持っていてくれたら、せめて「気分」だけでも頼れるのだが。

* わたしは点滴でしのぐわけに行かない、なにかをマトモに喰わねばいけない、それがナカナカ。
今は買い置きの食パン一枚を鞄に、白砂糖を詰め物に容れてももち、また茹でてあった枝豆を小さなタッパウェアに容れてもち、ビスケットやキャラメルを少し掴んではポケットに突っ込んでいる。雨中、自転車の往来なので、酒は抑えている。天気だけでも早く回復して欲しい、妻の容態はいまぶん何にもわたしには分からない。

* 三時過ぎ、大雨の中を自転車で走り出し、ちかくの車道を越え出ようとして、なにかに引っかかり車道へ左向きに横転した。幸い車は来ず、左肘関節下と左 膝関節真上を強打したが、骨折には及んでいないと判断して、そのまま病院へ。かなり血まみれにはなって痛くはあったが骨折党の大事はないと判断した。腰の 左深くにも軽微ながら痛みがあるが大事には至っていないと思う。なにしろ土砂降りのずぶ濡れ、その冷えの方がみに堪えた。

* 妻は腹部の痛みを払拭しえていず、ベッドでの身動きもままならない容態で、あす朝にはエコーで検査するという。当然為さるべき検査は金曜の内にされて いたようで、医師達は前回入院時よりやや楽観気味らしく、しかし当人は前回入院時より間断無い軽いとはいえ苦痛を訴えている。
腹部膨満などは、わたしは腸閉塞で体験しているので、それをわたしは気に掛けているが、腸捻転が起きていてはとても軽い痛みでは済まない。
検査で無事が見通せるのを願っている。が、あすは伊勢湾颱風クラスの颱風が関東を襲うとか。昼過ぎには通過するだろうが、さ、明朝の病院行きは様子を見るしかないだろう。
それよりも左半身の転倒打撲の痛みが今夜中には強まりかねないと覚悟している。ま、元大関若島津のようにならなくて、ひとまずは、無事。

* 六時半、土砂降りの中をずぶ濡れで帰宅。いくら濡れようとも、自転車なら数分、歩けば二十分は掛かってしまい、よろよろと杖と荷物で歩くのは辛い。自 転車は、転倒さえしなければ、ラクなものだ。しかし転倒体験は、この四半世紀に十度は有る。怪我はいつも膝と肘になり、腰へ及ぶ。今日は幸い車に襲われな くて無事でよかった。
2017 10/22 191

* 選集24の初校を終えた。つきものなど添えて要再校、印刷所へ送り返すことになる。この感の刊行は正月にと思っている。
選集23の再校を終えたので、建て頁確認しも不審箇所など見直して、責了へ、そして十一月末には送り出したい。
選集25の編成が決まっていない。落ち着いて決めなくては。妻の快癒と退院とを心待ちにしている。
2017 10/22 191

* 九時半、雨なく強風のなかを病院へ走る。十時前、エコー検査。
検査ばかりしているが、執拗な腹痛と便秘は改善されず、ベッドの上で気儘な身動きもならず、軽熱あり、気力を欠いている。
鏡花の「風流線」を音読してやる間は聴いている。妻も鏡花が好き。
建日子が昼頃来てくれたので、病状等を伝え。医師が来たらしかとした改善を要望せよと言い置いて、いったん帰宅。建日子持参のパンを食べ、(朝も似たよ うなパンを病院売店で買って食べ、)洗濯物の処置や、故紙や、瓶缶や、生ごみや紙屑の処理などに右往左往してたいして片づかぬまま二階へ来た。
2017 10/23 191

* 長引く懸念在り。しっかりしないといけない。 昨日転倒の、肘・膝は順当の痛み。ひだり胸の腋かたへ別種の痛みがつよめに自覚される。肋骨に罅ぐらいは入ったかも知れないが、全身行動に障りはないので自然治癒に任せる。
とにかく、妻が弱気なのでわたしがシャンとしていてやらねば。他にほんとうに頼れる誰もいないと覚悟を決めるしかない。

* 午後も病院へ。やすみなく痛みを訴え続けていて、どうしていいか分からないのを、励まし慰め手を貸しては姿勢をかえ、時に叱り時に話題を拾って気を変えさせるように。

* 医師は、痛みがある間は手術は出来ないので、少し時間かけて痛みを和らげ回復させ、その状態で診察を追加しながら、手術の是非を考えると。あまり明快でなく、困惑気味だが、痛いという苦痛はともかくも和らげたいもの。
病室で、妻の相手もしながら、選集二十三巻の「責了」用意を続けて。七時七分前まで病室に。折角急いで帰ったのに、「大忠臣蔵」は見当たらず。

* 瓶缶ボトルを明日は出し、故紙回収や生協などその次の日は幾つも用がある。洗濯物がちっとも干せない。家の中がも索漠としてきた。乗り切って行くしかない。
2017 10/23 191

* 漆藝作家望月重延さんからも手紙を貰っているが、今日はそのまま頂いておく。
階下に用事が溜まっている。
老朽核家族のつらさは予期できていた、覚悟の上。妻と一緒に堪えているのだから、いっそ幸せといえる。
2017 10/23 191

* 漆藝作家望月重延さんからも手紙を貰っているが、今日はそのまま頂いておく。
階下に用事が溜まっている。
老朽核家族のつらさは予期できていた、覚悟の上。妻と一緒に堪えているのだから、いっそ幸せといえる。

* 故紙回収のための荷造りをしてへとへとに疲れた。わたしの校正ゲラの類が猛然と嵩高くかつ紙のこととて石のように重たい。一纏めにしようと四苦八苦し て結んだモノのあまりの重さに惘れている。これを明後日朝に路上に出すのはタイヘンだ。他に新聞や雑誌の類を荷造りして草臥れた。

*妻の一番気にしている洗濯物干しに手が出ず、ヘキエキしたまま。ま、あすがある。洗濯物が腐ると妻はいうが。

* 左肘の傷は乾いてきた。左膝小僧の傷はまだやや粘っている。左胸腋の痛みは目視はしていない。痛みはあるが軽微で、力仕事にも障りにはなっていない。「自然治癒などバーバリズム」と叱られているが、気をつけます。

* 鏡花の「風流線」に引きこまれて行きそう。
2017 10/23 191

* 妻の電話で起きた。一夜眠られず、しかし痛みはひいているので「退院したい」と。
これは錯覚と思った。しかし、ひとつには医療の適確への不信感にちかいものは動いて無理なく、わたしもその点は懸念しながら容態を観ていた。九時には病 室に入り、昼の小一時間帰宅していろんな用意をし、「選集第二十三巻」も責了で送った。四時すぎまでいたが、病状は一進一退という寄り進みがちに八度台の 熱、80未満の血圧、吐き気、寒気と重なってくると、とっかえ引き換えの点滴などが適切なのかどうかも疑わしくて、すこしく苦情もわたしは述べてきた。
もう一度、行くが、七時以降の就寝がどうなるか案じられる。転院と謂うことも本気で考えねばならないかも。わたしに起動力が無く、車の使える息子は仕事 で手がまわらず、運転の出来るべつの家族が切に欲しい。聖路加というと、保谷からはよほど遠い。自動車より地下鉄の方が速いが、体力を殆ど喪ったている妻 が堪えられるか。むろん、ハイヤーという手はあるが。

* 明日の午前は予約の故紙出しその他生活条件上の用が重なっている。

* お見舞いのお手紙なども戴いているが、またすぐ病院へ自転車で走る。腰痛背痛などでとうてい二十五分が歩けないので、危険は承知で自転車を使う。

* 事態 急変して 妻は集中治療室へうつされ、主治医の解説を聴く限り、予断を許さない危険な状態になっている。面会も一日に限られた時間内で厳重な禁断の上で十分間程度しか許されない。

* 入院以来の体調等を妻は、記録していた。わたしの観測では、たんに胆石の痛みからの入院以後の消化器外科の主として点滴に頼った処置にもの足りないも のを感じていた。ひとつには妻は心臓に弱味を持っているので循環器内科との緊密な連携が望ましいと思い、妻も切望していたが、二十日に緊急入院して二十四 日の今日まで、ただただ容態悪化をみつめてきた。あげく消化器外科の主治医は患者を循環器内科で引き取ってくれと。そこで、諸検査を追加しつつ、循環器内 科の主治医は集中治療室へ移して、以後は消化器外科と協力といった体制に入れ替わった。胆石で痛い間は手術は避けた方が良い。となれば消化器内科的な治療 がなさるべきに、消化器内科の専門医がいるのかいないのか分からない。
そんな、事情で、手に汗握って心配しつつ、妻の無事快癒を切に切に祈るしかない。

* 建日子と妻の妹には、事情を知らせた。 建日子は朝日子に電話したというが、全く応答が無い
という。

☆ まず、
奥様のご病状いかがでしょうか、お見舞い申し上げます。先日(消印-18日)お葉書をいただいたばかりですので驚いています。私の娘婿が同じ病で苦しんだことを知っていますので、さぞかしと思い、いち速いお治りを祈っています。
「濯鱗清流(四)」が届きました。「龍潭譚」は、『明治の古典』が手元になく、前巻の「枕草子」同様、図書館で読んだ記憶があります。その上、石川近代文学館にいただいた「生原稿」でも読むというなんとも贅沢な体験もさせていただきました。
「座談会」で、鏡花の作品は気軽に読まれないから、新たに作品の刊行もむつかしいというようなお話があったようです。秋声の方は、その記念館で毎年一冊 ずつ文庫本が出され、もう十冊にもなっています。平成27年出版の『爛』は、私の大好きな木村荘八の挿絵入りです。これらにしてもどう読まれているか知り ませんが、鏡花の万一一記念館ではそんな動きもないようです。
さて、「講演」、とてもなつかしく拝読しました。講演が終ったあとでのお話会で、私が的外れな発言をして同座の顰蹙をかったことを恥ずかしく思い出して います。ただ、参集の人たちは、ひとかどの鏡花通ばかりだったので、皆さんがとても感銘されていたことも記憶に新しいことです。
改めて目を通してみますと(冒頭に私へのお呼びかけを発見、恐縮です。私の方こそこのご縁は、生涯の大事です。)
講演のあちこちに秦さんの学識がちりばめられていることに気づきました。以前の「聞き」「読み」はなんだったのだろうかと、その浅さを恥じています。このことは、秦さんの作品を、読み重ねる度毎に思うことです。
それにつけても、ホームページに寄せられている読後感のすばらしさに敬服しています。前にも申し上げましたが、秦さんは、すごい知人、友人、読者をお持ちなのだとその都度感心しています。
(ここで筆がゆるんでしまいました。実は、長さが10間あまりある手作りの板塀の一部が隣家〈今は取り壊されていますが〉の屋根雪や雨のとばっちりを受 けて破損していました。幅1間ほど、板なら10枚足らず。それを手直ししていたのですが、台風襲来ということで仕上げを急いだのです。そのため疲れて-- やはり年ですね一中断しました。)
22日、総選挙の投票から帰り、簾を巻くなど台風の備えなどを終えました。お便りの続きです。台風情報によりますと、こちらよりも関東地方の方がが風雨が強そうなので、入院中の奥様のこととともに気にしています。いずれもいずれもできるだけ穏やかにと念じています。
近ごろは、手紙を書くことも少なくなっています。秦さんにはメールをお送りできればすむことなのかも知れませんが、相変わらず思うようにあやつれず、駄文を弄する結果になってしまいました。煩わしさお許しください。
お大事に    井口哲郎  前・石川近代文学館館長

* 病室の妻は、この井口さんのお手紙を拝読して、それから数時間後、集中治療室へ移された。感謝申します。そして妻の無事を願う、心底から。
集中治療室へうつるとも知らぬ前に、病室で、わたしは、選集第二十四巻のための「あとがき」を妻に読んで聴かせていた。もしわたしに何かの折りは、子供達にこの「あとがき」の気持ちをよく伝えて欲しいなどというて間もなかった。
2017 10/24 191

* 台所のとっちらかりを少しでも片づけて。

☆ 鴉に
あまりのことに震えています。
一番つらいのは迪子さま、そしてあなたご自身。
今はお家にいらっしゃるのでしょうか? 病院で少しでも近くに、と願いたいのに面会制限は厳しい、悔しいです。
病状好転され回復されますよう、鴉もお身体大事にして、気持ちしっかりなさってください。
祈っています。    尾張の鳶

* ありがとう。ほおっと胸に灯が入るようです。

* 十時過ぎた。今夜は、出来るだけの仕事をし続けて、疲れ寝したい。明日朝は一番に大変な重さの故紙を回収に出し、ヤクルトを受け取り、生協の買い物を受け取らねばならない。昼前には建日子が来るといっているが。病院へは行っても十分しか会えないと。やれやれ。

* 妻の無事退院までは酒を断つ。残っているいろんな酒類をみな物置へ入れた。
2017 10/24 191

☆ 恒平様
その後みっちゃんの様子は如何でしょうか?

昨日は読めた「私語の刻 日記」が 今日はどうしても見つかりません。

すみません。

もしよかったら、お見舞いに伺いたいですが、病院の名前を教えて頂けますか?

時間は、何時ごろがいいでしょうか?

快方に向かっていることを切に切に願っています。 琉  妻の妹

* 琉っちゃん 集中治療室は厳重で

一定 一時間内に消毒マスクつきで十分間しか面会が許されません。遠方からおいではとても無理なことで、事態の推移を見まもっていたいと思います。うまく落ち着 いてくれば数日内に大部屋へ(個室にいたのですがめが届きかねるというので、大部屋へと謂われています。)それが幸いいつになるかの予断が出来ていませ ん。

 

病院は **********。 これまで消化器外科でしたがほとんどギブアップの体で循環器内科に転じています。迪子本人が 家から遠い聖路加病院より、近い(私の自転車なら数分の)厚生病院を希望し循環の先生を信頼し続けてきました。

 

今 朝は早起きして、故紙回収の大きな超重い荷物を十ほど(我が家は校正済みゲラの山や寄贈雑誌等々やたらと故紙が多いのです。)慣れない手つきで荷造りし、 集積所へ何度も何度も運んだのですが、腰骨が折れそうに痛みました。迪子はこの荷造りを毎度黙々と自分でし、集積所へ運ぶ力仕事だけはわたしが手助けてい ましたが、迪子の頑張りように、真実驚嘆を新たにしました。

 

や がてヤクルトが届き、さらに生協が註文の荷をどっさり運んできますのを冷蔵庫へ保管。いちばん悩ましいのは次週からの註文をどうするのか、手順手はずが まったく分からないことです。ま、なんとか方法を勉強して凌ぐしかありません。わたしは、小さな字はほぼ全く読み取れない視力ですので、これは苦労しそう です。

 

ま、気持ちをなるべく湿らさずに、積極的に起ち居を渋らず、少しでも気づよく明るい心地を保ちたいと願っています。

自身の仕事も山ほどあり、「樂此不疲」懸命に。十一月末には予定の「選集」二十四巻の送り出しには、少なくもて退院していて欲しいと切に切に希望していますが。むろん作業はわたし独りでやりますが、手順などなにもんも迪子に教わらねば。
ま、 今朝は、そんなところ。病院事情は全く分からず任せるしか許されていません。
琉っちゃん ありがとう、心強いです、迪子もさぞや逢いたかろうと察しているのですが。容態の好転と安定とを祈っています。 恒平

☆ お忙しい中、
お返事有難うございました。
最近はゴミ出しも老人にとっては本当に大変なことです。無事に古紙回収の大仕事を終わられ、私もほっとしました。

建日子さんも今日は来られるようですので、何とかこの危機を乗り切って下さいね。

迪っちゃんに「パパもママもついてるから頑張って!」とお伝え下さいね。    藤沢市  妻の妹

☆ お祈りします
昔、父も集中治療室に入っておりましたが、入ったときより元気に顔色良く戻ってまいりました。回復のための集中治療室です。大丈夫と信じています。切に切にお祈りしています。
みづうみも頑張りすぎませんように、どうかご無理のないようにお過ごしくださいませ。       祈  一人の強者唯出よ秋の風  虚子

☆ 迪子様の苦しさ。秦様の難儀さを思いますと
居ても立ってもおれない、駆けつけたい気持ちです。
ただただ、少しでも苦しさが少ないことを祈っています。
何かお役に立つことが有れば、お手伝いさせていただきたいと思います。
家の電話番号
携帯番号  です。
比較的 お近くですから、お申し付けください。
湖の本届きました。
ご送付時にも迪子様の手を煩わせていたのだと、深く感謝しています。 練馬  晴美 妻の学友

* 御親切ほんとうに身に沁みて有り難い。

* しかし、中には、見舞いのひとことなく、この際「朝日子」と「和解」すればなどと、賢しらな、ワケ分からずの差し出口が、娘ほども若い人からわたくしに「あなた」呼ばわりで来る。よしてもらいたい。

* 「湖の本138」の初校が出そろってきた。どうかどうか、無事に、また妻と二人で発送できますように、そばにいてくれるだけで良いから。
2017 10/25 191

 

☆ 秦さん
迪子さんは、がんばってくれます。
昨日は、身動きのできない人の、移動方法を、お知らせしょうと、お電話を、とも思いましたが、信頼されている医師、秦さんの近く、ということでしたら、それにこしたことはありません。
洗濯ものが、かびれば捨てればよろしい。
古紙もためてすこしづつ。
生協の注文は、理解してください。
二人で出来ていたことを、ひとりでしょうと、決して思わないで。
我が家の、ありさまを、お見せしたいです。  柚  大学の学友

* 一時半頃、建日子らが来てくれて、洗濯物を干したり洗濯したり、食べ物を用意したりし、汚れ物やくず物などみな車で持って帰ってくれ、台所などすこし すっきりした。冷蔵庫に葡萄のあったなど見つけてくれた。葡萄は食べやすくてごく助かる。ちいさな持参してくれたドーナツとで十分一食になる。

*  三時前に病院へ入り、集中治療室待合いで待ち、三時半頃に中へ入れて妻の顔を見た。主治医の説明ではかすかながら体調は諸データで軽快改善の方へ顔をむけ ていると。何としても排便がなく腹部の緊満は苦痛のようでけっしてケッコウという顔はしていなかったが建日子たちの顔も見られ、力になったろうと想う。今 週一ぱい集中治療室での快方を期待し、うまくすれば大部屋(しかなくて)へ移り診療を続けたいと。なにしろ謂われている病変・病態は唯の胆嚢炎でも胆石で もなく、心臓からみに全身状態が混乱に近い悲鳴を上げているらしい。入院した日までむしろ健康だったし、入院の時もつまりは胆石の痛みとのみ診断されてい たのに、不可解な生理の変化ではある。手術の出来ない痛みをもった患者を外科でいろんな点滴をし続けるだけであったのがコトを混濁させたかとわたしは思 う。妻が執拗なまで循環の主治医をたより、わたしもそう有るべき体調と思われると希望した結果、外科医から主治医を変わってくれと循環の主治医へ申し出ら れたらしい。そして素早く集中治療室入りと、場もサマも変わった。不幸中の幸いであって欲しい。
2017 10/25 191

* 昨夜は深い気落ちと不安とに落ちこまぬよう、せっせと仕事し、夜更けまで鏡花を読み源氏物語「東屋」巻も読み終えた。薫は浮舟を手に入れ、宇治へ隠そ うとするが、これが新たな葛藤の悲劇を呼ぶ。「浮舟」「蜻蛉」「手習」そして「夢の浮橋」へ、最期の一冊になる。ゆっくり楽しんで読む読み方をしている。

* いま、六時。一呼吸入れたまま、食欲よりも躰を横にして寝入りたい。
「こんな時だからこそ、まずあなたが倒れてはいけない、クリアな頭で的確な判断をなされなければならないと思います」などというアッタリマエなことは、云われるまでなく、それでしか乗り切れないと覚悟し、身も心もフルに動かせている。仕事の手も抜いていない。「洗濯ものが、黴びれば捨てればよろしい。二人で出来ていたことを、ひとりでしょうと、決して思わないで」といった血の通った激励に「人」のぬくみを嬉しく感じる。
妻の帰る日まで酒は呑まないと決めた。喰う楽しみはいま極めて淡い。結局は、仕事して読んでよく寝るだけ、か。次の月曜にはまたわたしの方の病院へ通う。もう集中治療室を出てられると有り難いが。
2017 10/25 191

* 俳優座から一月公演の招待が来ている。しばらくぶり、妻も一緒に行きたいと思う。神山寛 川口敦子 小笠原良知 児玉泰次 そして美苗まではお馴染み サンである。「いつもいつも君を憶ふ」というタイトルは旧仮名です。ぜひ妻と行きたいが、高麗屋の毎々の配慮と、俳優座とはちがうので、招待席は丁度中ほ ど。いまの視力で届くかとは心配。「湖の本」を送っている美苗に声をかけてみるか、そんなことが出来ると嬉しいが。

* いまぶんは、妻の転院は考えにくい、が、そんなさいの移動手段についていろんな便宜をことこまかに教えてきて下さる方もあり、たたただ感謝。。
2017 10/25 191

* わたしの朝の体調があまり宜しくない。夜中一度起きようとして起ちそこねて頭から向こう先へつっ転んだ、幸い頭に痛みも損傷も無かったが右肘 外をなにか堅いものでの打ち傷が出来て痛むがたいした怪我ではない。この転びは手足四つの四つんばいから起とうとして、頭の重さで前へ突っ込んでつんのめ る、そのときアタマを強く打つと失神する。国技館で桟敷から起とうとして前頭部から激しく落ちて診療所ーへ連れて行かれたことがある。夜中の転倒もそれに 近かった。
朝の血仏、高い。からだシャンとしていないが、極力起ち居を億劫がらず立ち働こうとしている。

* なんとか自身を鼓舞してこの「おひとり様」仮住まいからの早期回復に努めたい。妻にも頑張って病を克服して欲しい。

* バルセロナの「京」からもメールで見舞いの言葉が来ている。

* からだフラツクが、堪えて、とにかく起ち居を面倒がらずムダになっても立ち働いている。

* 「選集第二十四巻」の初校済み要再校ゲラを送り戻した、月末への諸支払いにも気を付けている。「湖の本138」の初校は出ているが、さまで急ぐ用はなく、ごく普通にさっさと廻転可能と思っている。木を落ち着け静かにして「創作」分の充実に気を入れたい。

* 三時半にやっと面接出来たが、大口をあけての呼吸困難といくらか譫妄状態であいかわらず腹部をいたがり、わたしが来ているとは朧に気づいているのだろ うが、ここは何処で病院へ帰りたいとも譫言をいい、わたしは目も当てられず悲しかった。名前を呼びかけ、手を握り、額にも頬にも手を添えては励ましの言葉 を、いくら続けてもわたしの方が泣きたかった。泣いた。オリンピックの年まで一緒に生き抜こう、そして迪子が念願し発起した「選集」完結を二人で祝おう と、ナン百度もいいかわしてきたことか。
がんばってくれ、迪子。わたしを置いて行くなよ絶対に。

* 四時には容赦なく集中治療室を出された。いったいどこへ帰って行けと云うのか、ただ一人の家に。食欲無く、酒は昨日で断ってしまった以上、することは、仕事と読書で疲れ切って明日まで寝入りたい。

* 一つ、わたし自身は予測していたことでそれには、呆れ果てても驚かないのだが、建日子が懸命に辿り辿ってやっと電話の通じた我が姉の朝日子、母迪子に 父の私にも愛しい初子の娘朝日子(現在は、青山学院大国際政治学科押村高教授夫人で、戸籍名を替えての押村宙枝夫人)は、母の見舞いを、言下に「拒絶」し た、とだけ秦建日子は電話で私に伝えてきた。ただ聞き置いた。

* 明日の面会時間までが千万日に想われる。
仕事しよう、打ち込もう。時間を打ち消そう、それしかないのだし。
さっき聖路加の副院長先生と電話で話したが、わたしのことも心配して下さった。凸版印刷株式会社担当の人ちちも、メールでいろいろに見舞って下さった。

* 京都の「百」さんが、申さばご自身の日々の食い扶持を欠いてまでお見舞いの食べ物を送ってきて下さった。感激に堪えない。お手紙が添っているのに、わ たしの衰えた視力で、それが容易に読めない。もう半分失明してきたかと嘆かわしく、白い紙にほそい字は、 でも読んでみる。

☆謹啓
「水」の鏡花のつかわした雨龍が長く空にあるように 陽のない天気が続いています。
長い雨は、先生のお心晴れぬ反映でもあるように思えます。
奥様のご容態を拝読し心苦しく胸痛みます。一刻も早いご快癒を願ってやみません。
此の度 同送させていただきました食品は「お誕生日券」(=従業員用では。)を使って。自社製品をもとめた物でございます。手間いらずの佃煮を詰めまし たが、先生のお口に合いますかどうか、お好みに添えるとも限りませんが 少しなりともお役にたてればお食事を召しあがられる、お伴になれたなら など思い  勝手ながら送らせていただきました。「お茶漬け」に合う「ほうじ茶」も同封いたしておりますが、お茶漬けになさらずとも そのまま召し上がっていただけ るほどの味付けの濃くない佃煮でございます。また食後に「紅花」で染めた和三盆糖(=わたしの大の大好き)のお干菓子も入っております。しばし美しい「さ くら色」をお楽しみいただけましたなら 嬉しく存じます。
どうぞ 奥様のためにも しっかりとお食事をなさって下さいませ。
先生のお身体のご無事と お怪我の治癒をも 奥様と同様に心からお祈り申し上げます。
なによりも奥様のご病状の一刻も早い好転を願って願ってやみません。
お忙しい中に 長々と失礼をいたしました  敬白  鷹峯 相馬百合子

* 幸せな夫婦だとしみじみ思う。ありがとう存じます。ご馳走になります。このところ、まったく食事と云うことをしていない。今日は生協の葡萄の房にかこ つき、建日子の持ってきた蒸した様な黒い薩摩芋を皮ごと囓っていた。気が向けば好きな白砂糖を掌から嘗めていた。酒を断ってしまうと、気分転換が効かない が、よろけて転倒もしない。夜中寝床の上から堅い硝子戸へ頭突き転倒したのには驚いた。
2017 10/26 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
一度も身を危険にさらしたことがなければ、自分の勇気を保証することは出来ない。

* 夜中両脚に軽度の攣縮。ごまかしごまかし寝入る。目は早く覚めた。ときにリーゼの厄介になる。希望を持つことが大事、また家中のありとあるもの、観音 様、秦の親たちの位牌、ネコやノコや黒いマゴたち、獅子の太郎次郎小次郎にも白鳳・日馬富士にも、靖子の写真にも、ただひたすら迪子を護ってと祈ってい る。家中を用をつくっては歩きまわっている。
朝食は徑五六センチのホットケーキ一枚。ヤクルトと、など。気も、手も回らない。

* とに書くもまず今日の妻の快方へ動いての無事を願う。呼吸困難は見るもつらい、意識の清明をせめてと願う。医師達。看護師達の力量と親切な配慮を心から願う。

* おやの郷里の教会からの先生の迪子へのたよりによっても、妻迪子の日ごろ最大の願は、「ご主人様のお仕事 願どおり運ばれます」ことで、「体調はじ め」ご加護のあるように祈念しますとある。妻の本意・本心がひたすらわたしの仕事「選集」「湖の本」にありつづけていたことが証言されている。ありがとう よ。よくよく、わかっているよ、ありがとう。

☆ 病院でお会いします。
恒平様

今日は美しい朝です。

迪っちゃんがみんなの祈りのなかで 健やかな朝を迎えていますように。

迪っちゃんは、昔から勇敢な人です。

恒平さんのためにきっと病気を克服してくれると信じます。
どうぞご自身のお体もくれぐれも大切にされますように。
毎日 おふたりのことを心をこめて祈っています。 琉  妻の妹

* 四時半、緊急手術が始まった。迪子のガンバリを祈る。医師の渾身の力量を祈る。

* 難しい手術でしたが、ひとまず成功しました。
琉っちゃん(妻の妹)、はるばる遠方まで。
無事に帰宅されたかと案じておりました。有り難いお心づくしのあれもこれも、ただ有り難く嬉しく深く感謝申し上げます。
手 術は七時半過ぎて、ほぼ目的を果たしたそうで、壊死していた胆嚢が切除されていました。多くの周辺異常を抱え込んだままの手術でしたから、予後も相当難し く、何より呼吸力の快復へ細心の配慮と処置が必要、現在は「人工呼吸」の状態で、要心に要心して呼吸力回復へ向かわねばならないとのことでした。

手術段階をなんとか乗り越えたのは、しんからホッとしました、が、ドッと疲れています。建日子が終始付き添ってくれて帰宅まで付き合ってくれたのは心強いことでした、

とりいそぎ心からの感謝とお報せで、今夜は失礼します。ありがとう、琉っちゃん。

さらにさらにこの先の平安と無事をどうか祈ってやって下さい。

手術室に入る前も、術後の集中治療室でも、二度三度も、あのむごい状態の迪子が「琉っちゃんが来てるよ」の声に「しかと反応」してくれたのは嬉しくて、泪が溢れました。ありがとう、どんなに迪子の力になったか知れません。

おやすみなさい。  恒平

* 一度急用有って手術前に帰宅しまた病院へ走り出すまぎわ、練馬から持田晴美さん(妻の高校の友達)がお見舞いにいいろいろとご馳走などと持参し来て下 さったのに、もう何の猶予もならない緊急手術だったので、家の前からご挨拶もそうそうにお引き取り頂いたのはまことに申しわけ有りませんでした。

* 京都の澤田文子さん(妻の大学の学友)から、お便りといろんなご馳走に与っていた。

* 今日の郵便もたくさん。今夜は、もう休ませて貰う。とにかくも妻の平安・平穏を願いつつ、一週間ぶりに熟睡させてもらいたい。一夜の、予後平和を願う。
2017 10/27 191

* 京都の秦方従妹、練馬の妻方従兄から見舞いのメールあり、

* 「みち」様
まだ人工呼吸の厳しい段階がつづきますので、
家内は頑張らねばなりません。わたしも懸命に努めねばなりません。
祈ってやって下さい。 恒平

* 濱靖夫様
有り難う存じます。手術成功とはいえ人工呼吸での迪子のガンバリがどうしても必要になります。どうか、祈ってやって下さい。昨日、妹琉美子が手術前にこえを掛け反応してくれていました。
わたしは家事ということに慣れずに来ましたので、戸惑いつつも懸命に迪子を助けてやるために努めます。
励まして下さり心より感謝します。  秦 恒平

* 持田晴美様

失礼を重ね申し訳なく。
迪子の容態はまだまだ楽観できない人工呼吸成功へのガンバリを要します。

琉っちゃんの声に、くるしい呼吸の中でしかと反応し手術室へ入りました。
手術は成功しましたが、呼吸回復へ、これからが長丁場のガンバリになります。
呼吸(いき)を揃えて頑張ります。どうか祈ってやって下さい。秦 恒平

いろいろ頂戴し、恐れ入ります、感謝します。取り急ぎまして。

* よく寝たと思うが、起き抜けの心身、こころもとなく揺れていて、落ち着こうと気を張っている。自転車で転倒の左肘はほぼ佳くなったが、左膝小僧の痛み はしつこい、ロキソニン絆創膏を貼っている。行動には支障ない。左腰はなんとなくときに痛みが出る。自転車等の行動には支障無い。
独り暮らしに慣れていないので、心身寒い。結局は仕事へもどるしかないのだが、出続ける家事上の無用物をどう分けて、何曜日には何をどこへ出すのか分かっていない。聞いたのだが控えがみつからず、ご近所で聞こうと思う。

☆ 建日子 急ぎの、お願いがある。
カーサンが多年可愛がっていたベンジャミンを部屋に入れてやらないと枯れてしまう。とても気にしていたので、至急部屋へ移動したいが、途方もなく重く、二人がかりでないと出来ない。わたしが腰に痛みが出いるので、単独でやると大怪我しそう。

「ベンジャミンは部屋に入れたよ」と云ってやれば、カーサンはすこしでも元気になる。

それだけでいい、頼む、三十分ほどでいい、なるべく早く時間を呉れますように。女手では難しい。頼む。

寒さに弱く、枯れてしまわせてはならない。バカげているかしれないが、カーサンを安心させてやりたい。モーレーツに重く、枝葉が張っていて運びこむのは容易でない。 返待つ。 父

☆ スケジュール変更のお願いしてみます。

うまく変更できれば、今日の14時に保谷に行って、お見舞い前にベンジャミンを動かしましょう。

建日子

* 感謝。待ちます。 父

* 正直なところ、静かな心が容易に保てない。弱いのに、惘れている。

* どうも今朝は何ともいえず心落ち着かない。家事の行方がよく見えず、ウロウロしているばかり。平安でいられないとは、こういう仕儀か。誰にともなく恥ずかしい。機械の前へ来てもボーゼンとして動揺している。静かな心にほど遠い。
2017 10/28 191

* 建日子が来てくれて、大きな植木鉢に超重いベンジャミンを、温かい部屋に入れてやれた。真実、ほっとした。胸のつかえが少し下りた。

* 建日子の車で病院へ。玉置医師の、昨日来の様子を二人で聴いた。改善されている向きも在り、まだ心配を残している点もあり、また新たに処置への同意書 を求められた。昨日来、おそらく六七通も同意書に署名してきたが。手落ち無くいろんな方策を最善に施して欲しいと呉々も願ってきた。人工呼吸で妻は、呼び かけにも手を握っても反応無く、ひたすら静かに寝入っていた。それだけでも、どんなに心やすく有り難かったか、どうか、快方へ、静かに静かに向かって欲し い、いくらか長びいても堪えて無事の退院へみんなのちからで漕ぎ着けたい。
建日子が来てくれて、僅かな時間であっても一緒に居れて、折れそうな心細さや動揺を和らげて貰えて有り難かった。気落ちしてくるととかくロクなことを考えない。

* 十一月顔見世の佳い席の券二枚は建日子に預けた。建日子にこそ観て貰いたい、わたしたちの代わりに。記念の、高麗屋現状最後の舞台が、幸四郎の「大石最後の日」で締めくくられる。観たかった。
2017 10/28 191

* 陶淵明に聴く

翼翼たる帰鳥  載(すなわ)ち翔り載ち飛ぶ
遊を懐(おも)はずと雖も  林を見れば情は依る
雲に遇へば頡頏(きっこう)し  相鳴きて帰る
遐路 誠に悠かなるも  性愛 遺(わす)るる無し

「翔」はまわりまわり飛ぶ。
「頡頏」は上へ下へ避けて飛ぶ。
「遐路」は遠い道。天空。
「性愛」は古巣への忘れられぬ情愛。

* 迪子 元気に帰ってくるのを 待っているよ。

* 建日子 激しい雨中を二時半、カーサンの病院に行き、

やや穏やかな雨中を、四時前に家に帰ってきました。三時まで待たされ、集中治療室での三十分間、名を呼んだり話しかけたり手を握ったり頬に触れたりして、小声で励まし続けました。

 

カーサンは謂わば平穏な寝顔で、ときどき、かすーかに人工による呼吸をしていました。むき出しの腕がやや太めにむくんでいるか、軽い熱があるかと初めは思 いましたが。腕はともかく、熱発とは見えず、全体に静かに穏やかな寝顔で、苦悶の影も見えなかったのは嬉しくて、泣きました。

 

ま、日曜で留守居のナースたちは何も云うては呉れません、が、午前に循環と外科の主治医二人とも見えたとのこと、「説明」等は、明日、直かに先生から有るはずと。
どうか、今夜も、明朝までも、その先も、平穏な顔で静かに回復へ歩んで欲しいと心底願いながら、また雨の中を真冬物を着込んだまま、帰宅しました。

 

何処かで、腕時計を見失ったかも。何重にも雨を避けた重装備で行ったから、沢山なポケットのどれかに入ってて欲しいが。(食卓の目の前に在った!)

 

明日は、やはり聖路加の受診を休みたい、気がします。あの二十日の聖路加行き留守中の救急車だったのがアタマにこびりついてて、怖いのです。もし築地へ行くとなると、九時半頃には家を出ますが。
今からカーサンの「転院」などという仕儀も無いことでしょう。懇意の副院長先生は出張中なのです。

 

歌舞伎券の始末はつきそうですか。
本当に観たい人、そして行儀の悪くない人に観てもらいたい。正面二列目ですし、高麗屋の役者さんたち、いつも、「秦さんらが来てる」と重々分かっているそうですから。

 

いろいろ挨拶やお礼の必要な人に、カーサンの代わりにせめてハガキを書きたいが、ハガキの在り場所が見つからない。わるいが、三十枚ほど、そして現金書留の封筒を五枚、どこかで買って来ておいてくれると、大助かりです。 取り急ぎ、少しクドクドしましたが報せまで。
カーサンの平安と快復とを真実祈ってやって下さい。  父
2017 10/29 191

* 聴くにあまる、雨。

* 不燃ごみを明朝、出さねばならないと。やっと一袋のこしらえが出来たが、合格して持っていってくれるのか、どうか。洗濯物など、なんとかしまうべきへ仕舞ったが。妻の物は妻の部屋へ容れ物をきめて一纏めにしておいた。なにもかも無用に触られたくはないだろうし。

* へとへと。

* 昨日今日、その前も、有り難い戴き物の、{早く食べよ}と注意書きの甘味菓子類ばかり喰ってきた。
冷蔵庫のどこかに絹漉しの豆腐など買ってあると聴いていたが。
果物も、柿など柔らかく弛んできている。
もう十日近く、もともとこここ数年苦手な白い飯を、食っていない。戴いている和久伝の佃煮で、明日か明後日か、飯を焚いてみよう。酒類は一滴も呑んでいない、

* ひっきりなしにモノを見失っては探しあぐねている。バカかお前と嗤いたくなる。
結局、自分の仕事だけがスムーズに時間を消化する。

☆ 聖路加病院には行くべきだと思います。
今は父さんも(カーサンの=)携帯を持っていますし、保谷厚生病院には明日は僕も行きますし、緊急時の連絡先として僕の携帯も入っているので、万が一の時に全然連絡が取れないということはないでしょう。

買い物(官製葉書・現金書留の封筒)、了解しました。食パンも買って行きます。 建日子

* 緊急時や万が一の時にどんな「連絡」も役立たないし、孫悟空のように飛んで駆けつけることも出来ない。そういうことは起きないだろうと待望し信じようとしているが、このバカげて廣い大都市で、この際の「緊急」や「万一」は、やはり避けたい。

* 七時半。(そうキイを打つのに四回も同じ失敗。)機械で仕事する。

* 三時間、見えない眼を使いながら、「選集」一巻の三分の二ほども編輯に没頭していた。雨も風も聞かなかった。妻にも「仕事しているわたし」が一等自然であるだろうし。

* お見舞いを戴いていた。感謝、感謝。 昨日も今日も、病院へ出かける直前に、京都から、ロスから、事情の知れない池宮さん、大益さんの電話を受けたが、先日の宇治の佐々木先生の御電話同様に慌ただしく失礼しました。

☆ 月の光
そちらは今暫く台風の影響を受けている頃でしょうか。こちらでは既に月の光がさしています。
病院での貴重な時間、鴉の真摯な思いが伝わってきます、一日も早く回復されますよう、願っています。
食事、一日のうち、せめて一度は外食でもお弁当でもいいですからしっかり食べて、あとは簡単な調理で、ただし栄養バランス考えてみてください。お身体案じます。
さまざま大変でしょうが、どうぞ乗り越えてください。
遠くからエールを送ります、祈ります。   尾張の鳶

☆ どうぞ無理せずに
迪っちゃん、すやすや眠れるようになって本当に良かったです!
まだまだ問題を抱えているとは言え、とにかく生きていて眠っているということ、本当に有難いことですね。

迪っちゃんは恒平さんの健康についていつも心配していました。

選集が全部出来るまでは頑張って欲しいと。

だからどうか無理せずに体を大切にして元気で下さいね。

恒平さんが健康でおられることが迪っちゃんの一番の願いです。

家事はヘルパーさんとかに助けてもらうことは出来ないでしょうか。どなたかに相談できるといいですね。

私は、迪っちゃんの手術の日はとても元気でしたが、ちょっと疲れが腹痛になって、昨日今日とごろごろ過ごしました。

今は元気になっています!

またお見舞いに行くのを楽しみにしています。

おふたりのご健康を心からお祈りしています。 藤澤の妹

☆ お見舞い致します
秦恒平先生
先生執筆の本や日記の愛読者です。
奥様のお身体はもちろん、先生のお身体も 心配しております。優しい息子様で、奥様も病床で励まされて いらっしゃることでしょう。
一日も早く奥様がお家に帰ることが出来ますよう  毎日、お祈りしています。雀より

* 有り難うございます。
とても佳い 雀二羽の写真も頂戴していながら、私の技術不足で此処へ再現させて戴けないのが、申し訳もなく残念至極です。

* 降りしきる雨音を 聴いています。
お辛い日々をお過ごしのこと、胸が痛みます。
ゆっくり湯船で温まれましたか。
今はただ、奥様の一日も早いご回復を祈ります。 九
2017 10/29 191

☆ お見舞いとお礼

秦恒平さま

奥さまの快癒を祈ります

なれない家事・ご自身の闘病・抱えておられる仕事 大変ですね

でも 秦さんと奥さんを案じておられる人が たくさんおられるのが救いのような気がします

「安倍改憲NO]へ3000万人目標の署名運動が全国の「九条の会」も参加してはじまりました

小生も函南町で地道に活動を続けています 函南・みんなの平和展の報告を添付します

立派な著書をお送りいただきありがとうございます  西村明男  中学高校の同期親友

* いましがたロスの池宮さんの電話があったが、妻の容態や経過などを説明的に話すのは余りに辛く、電話をうちどめて貰った。
ただもう、「選集25」のための原稿づくりをし続けていた。妹のメールにもあったように、妻は、ひたすらにわたしの「選集」が予期のまま完成するのを祈 るように期待してくれてきた。もう少し、もう少し、二人で仕上げたい、無事に快方へ向かい、元気に家へ帰ってきて欲しい。
妻はわたしを励まして呉れるのだ、ドーンと胸を張って生きてねと。分かっている。 2017 10/30 191

* 目先の仕事にも大きな難関がある。「選集23」が十一月末に出来てくるのに、送り先への宛名印刷がわたしには出来ない、妻の機械は手に負えない。送り 出し用意に、手書きで宛て名することになる。選集は、送り数は多くはないので何とかするが、進行中の「湖の本138」の宛名を全部書くのは手に余るだろ う。いまはそれへアタマが働かないが、何とかして道を見つけておきたい。人工呼吸の妻が、目を覚まし、目と目とでも聞けば応えてくれますように。

* なにかわたしのミスか、折角の不燃ゴミが置いて行かれている。まいった。

* リーゼを服して、気分を持ち堪えているが、捜し物、探し物がたくさんあって、何一つ見つからない。妻の私物領域はそっとしておきたいし、さて、この狭 いうちで、家計用の通帳やカードがみつからず、その番号も知れなくては、切り抜けに困る。所帯をもって運営するのは、うかつなことだが、かくも難しい。
今日も三時には家族面会ができるが、少しでも晴れやかに落ち着いた妻の顔が見たい。

* 四時三十五分 いま建日子たちはゴッツイ自動車で帰っていった。

* わたし、しんから、ぐったり・ほっこり疲れているが、人工呼吸の妻は、言葉こそ聴き取れないなりにしっかり黒瞳をみひらいて我々ひとりひとりを認識 し、話しかけるのにのにも触れるのにも、時折り、分かったという肯定の低い声を漏らし、漏らそうとしていた。視線はびっくりするほどしっかり合い、万感胸 に迫ってわたしは嬉しかった。
諸デ-タは、いまぶん快方の向きにあり落ち着いていると。それでも、まだ先々に問題が全回避できているとも確言しにくく要心していると、循環の主治医玉置医師の言。
妹が云っていたように、迪子は、妻は此処から頑張りぬくと思う。信じたい。我々の見舞いを真実喜んでいるという真っ黒い大きな瞳をしていた。顔をはっきりひとりひとりに向けるようにし、喜んでいると感じ取れたのは最高だった。

* わたしは「面会」許可の一時間いっぱい四時までそばにいてやりたかったが、「疲れさせる」と建日子に注意され、三時四十分には集中治療室を退室してきた。昨日も安堵したが昨日に勝って、妻に、迪子に「再会」できたという喜びに大きく励まされてきた。

* 建日子らは、台所や冷蔵庫の中を整理し、わたしの食べそうにないものは持って帰った。棄てるゴミの類も幾つにも包んで持って帰ってくれた。これは助かる。
白い飯を焚いて行ってもらえばよかった。和久伝の佃煮で温かい白いご飯をほんとうに久しぶりに食べたい。
2017 10/30 191

* いま、電話が鳴って、出遅れているうち切れた。なにごとと、血が凍えそう。建日子の方へは無かったと云うから、胸を撫でている。電話の音は、昔から、嫌い。

* 睡い。
今日入室許可を待つ待合へ、二時間近く早くに行き校正していたが、建日子らが着いたあと、堪えられずうたた寝していた。

* 此処で私事を麗々しく公開しているのはない。「闇に言い置く私語の刻」を生かして気持ちの安定や解放や沈静を計っているだけのこと。
2017 10/30 191

* 妻の住んで大きい黒い瞳にしっかり見られてきた喜びに励まされ、熟睡したい。明日は、瓶・缶を出し、ヤクルトの配達に支払いをし、黒猫ヤマトの一気に倍増した送料を支払う、午前中に。郵便局から暁会へ送金する。そして三時にはまた妻に会いに行く。
2017 10/30 191

☆ 良かったです!
恒平さん

迪っちゃんが大きな眼を見開いたとのこと、

私もまるで本当にその場にいるように、

私も迪っちゃんに見つめられているように想像しています。

恒平さん、本当に良かったですね!!

 

先日手術の日、迪っちゃんが手術室に入ったあと

みんなで一度家に帰ろうということになって外へ出ましたね。

あの時、恒平さんが自転車に軽々と乗って、バスに乗った私に

「有難う。それじゃ又ね~」と手を振って去っていかれたとき、

私はまるで無垢な少年の恒平さんに出逢った気がして驚きました。

全く老人ではなく、どう見ても子供のような感じがしたのです。

きっと迪っちゃんは、この純真な少年の恒平さんといつも一緒にいるんだなと、

その時ふいに納得したのです。

これは私にとってのある種の感動であり、喜びでした。

 

迪っちゃん、おうちに帰る日を楽しみに頑張ってね!

いつもいつも祈っています。 琉  妻の妹

* 最大の励まし。 琉っちゃん ありがとう。
2017 10/31 191

 

* 心を弛めてはならないと思っている。
瓶・缶は出した。ヤクルト、生協が来るはず、洗濯屋に預け物が有るらしく受け取りに行く。黒猫ヤマトが送料の集金に来る。郵便局に暁会への送金に行く。あれこれの送金や支払いの仕方よく分からず、戸惑うが。ま、やります。
三時には面会に行く。どうか晴れやかに安定していてくれますよう。
とにかく、煩をいとわず、たとえ一メートル往復の用事でも即座に立ち働いて脚を使うようにしている。いまは面倒がっていられない。生ゴミでもなにでも手に掴んで処分している。
ティシュペーパーが払底してしまったようで、甚だ不便。セイムスで売っているだろうか。どこかに蔵われてあるとも思うのだが、探し出せない。
四時以降は、仕事かる。
どうしても食事は、二の次三の次の、有る物の立ち食いのようなことになる。口に合わないと食べたい気が全然しないのが困る。夜の寝ぎわに菓子など、蜜柑など食うと、朝の血糖値が高い。久しぶりに、けさ、正常値を上へ跨いだ。

* ダスキン交換の所在知れず、今回受け取れず。 「湖の本137」の送料、支払った。待てど暮らせど来ないヤクルトと生協にいらいらしていたが、今日は 約束の水曜日でなく、火曜日だった。洗濯屋へ箸って出来ていた洗濯物は受け取ってきた。喉が乾くので、水分は絶やさぬようにしている。
郵便局へ走って来なければ。また階下からの忘れ物。受話器と妻のケイタイだけは持っているが。届いてた郵便物とりに行く。また無くしたと慌ててた腕時計は、ちゃんと左腕に。
2017 10/31 191

* 一時。気がかりのいろんなことが輻輳。二時にもなって、 高麗屋暁会払い込みに、そして田中励儀教授からの「泉鏡花」要望に応じて送本のために郵便局へ。いつもは妻が書いている頂き物への礼状もわたしが走り書き でご容赦願って投函してきた。また、払底の髭剃り刃やティシュペーパーを手に入れに近くのセイムスへ。みな自転車で走る、転ぶまいと気を付けて。
雑用ばかりのようで、みな放っては置けない。編集と家事とは似ている。
午前中にも あれこれ気に掛け気に掛けながら、こころよいわたし自身の一仕事も出来ていた。

* 三時面会、まだまだ辛いであろうが、昨日よりも一段とまた解放にあるかとみえ、不自由ながらかすかに会話も出来て、一時間たっぷり励まし慰め、妹から のメールを印刷して持参、読んで聴かせた。涙ぐみとても喜んで聴いていた。理解力も記憶力も、キッパリしていて心強かった。まだまだよく要心し、たぶん、 明日いっぱいは集中治療室での介護・看護を受けることになりますねと、主治医。幸い、諸データにも改善の兆しが見え、嬉しかった。たくさんなモノを身に くッつけられて不自由で不甲斐なかろうが、堪えてくれると思う。
2017 10/31 191

 

* 心優しいメールに気がすこし晴れました。ありがとう。気を付けて行ってらっしゃい。
わたしは、妻入院の二十日より以前から忘れ果てていた「入浴」を、ふっと思い出しました。

* 今晩は、冷蔵庫にあった、好きな絹漉し豆腐の一丁を、残っていた出汁醤油での清汁に簡単に煮立てて食した。堀部安兵衛・渡哲也と清水一学。天知茂の「大忠臣蔵」一時間を楽しむことが出来た。
油断なく。そう、油断なく毎日を過ごす気は、同じ。しかし、電話はまぢかに置いて、入浴の用意をしてみるか。老醜が老臭を加えるばかりでも、ナンだし。

* 久しぶりに湯につかり、「浮舟」巻を読み、「音頭口説」の仇討ちものを(読んで)聴いたり、いわゆる物語絵巻物における「女繪」鑑賞や理解の微妙なむずかしさをサイデンストッカーから指摘されたり、西東京市の広報を勉強したりした。
もう十一時近いので、湯上がりのまま風邪を引かぬよう機械仕事は今夜はもうやめて、階下ですこし寛いでから就寝前の読書、鏡花の大作「風流線」を読み進めながら寝入ろう。
それにしても鏡花が読めた、読んだ、楽しんできた読者の少ないのに、今更に改めて感じ入る。鏡花には確実に五百人の愛読者がいると、自然主義作家達が羨 望し妬んだというハナシを昔昔にわたしは知っていて、ああ、それで良いではないかと思ったりしたのはハテ、どうだったのだろう。

* 明日は水曜、午前中にいくらか用事が重なる。寝坊はできない。

* ベッドに幾重にも管で拘束されている妻に、せめて安眠が得られますように。
2017 10/31 191

* 昨夜は床で本も読めなくて寝入ったが、夜中二度三度も手洗いに立った。

* 建日子が食パンをたくさん差し入れてくれたが、いまのわたしの一食には、せいぜい一枚で多いほど。半枚でも足らせてしまう。
もう、しかし減り続ける体重は、この辺で支えねばいけなかろう。
今は、左膝の傷が痛む。立ち歩くと腰が刺すように痛む。腰かけての仕事には支障なし。

* 林檎の皮を剥いてみようと試みた。手先が、というより掌ぜんぶが痺れていてとても巧くはむけないが頑張って、ともあれ林檎を食べた。そこまではよかっ たが、顔を上げたとき開けたままだった抽斗のカドで右額の脇を衝かれた。先日も似たようなことで開けた戸棚の戸へアタマを衝きあげ痛い目に遭った。怪我 は、家の中でするもののようだ。躰のアチコチが打撃されて痛むが、幸い肋骨片は入浴の徳か、忘れかけている。始終痛く響くのは左の膝小僧の擦りむき瑕。有 り難いことに行動には支障がない。

* 京都の山口源兵衛さんから宅急便で京の大きな富有柿をイチダースも、練馬の、妻の従弟夫妻からも浅草今半の肉料理でお見舞いの宅急便をいま、玄関で童 子に受領、とりいそぎメールで率爾の礼を送った。頂き物には妻がいつも礼のハガキを書いていた。わたしはいま手書きのハガキすら書きづらく、失敬な走り書 きで御免をいうている。

* ヤクルトは受け取った。来週は火曜日に届くそうだ。生協への註文はわたしが注文用紙を一週前のに間違えて書き、通らなかったが、 もう一度午後来てくれるという。今から急いで書き直さねば。

* 眼を凝らして原稿も一章分読んだ。昔の「湖の本」の組みで12頁一章は、読みごたえがする。

* 疲れ切っている。身動きに感じる。怪我しないように、ようにと気を付けながら、動き回っているが。ゴミ処理がこんなに多様に多用でたいへんとは。分別に惑い容れる袋に惑う。こわいのは、なにかのハズミで腹をこわすこと。
飯を炊かないので、主食が食パンだけ。
パンケーキ風の甘い菓子は、主食にはむかない。
間食しているヒマもない。
水分は、とにかくお茶を呑んで、牛乳も、ヤサイジュースもある。水分は、水でも足りる。
果物は柿とリンゴと、蜜柑もすこしがあって、皮むきさえ億劫にしなければ足る。

* 仕事は、投げ出さないが、眼が痛いほど。

* 一時半。
二時半には病院へ行く。幸いに妻の顔をみてかすかにも目と言葉で対話出来るときが、わたしには休息だ、一時間足らずで部屋から出されてしまうが。
妻も好まないと思うので、病院へのお見舞いはご遠慮します、応対に気を遣わせ疲れさせるので。

* 妻は軽度のリハビリを始めていた。
声はまだシッカリ出せないが、記憶や判断は、ほぼ適確。しかし元気が出たというより、リハビリで疲れてかウトウトしがちなりに、ふっと心づいてはモノを 云おうとした。わたしから話しかけることは正確に聴き取れていたと思う。怪我をせず、しっかり食べてと。卵二個ではいけない、日に六個食べよとも。「面 会」は、わたしを指さし、「だけ」で良いと。ときどき自分からわたしの手を取ってきた。昨日は手さきにグラブを付けていたが、今日は外してあり、素手で握 りあえた。
「シッカリ、生きなきゃね」と、自分で自分に言い聞かせるように呟いたのが今日の喜びであった。この今の段階から、きっと強く頑張れるのが妻だと思うし、妹も最初にそれを云ってわたしを力づけてくれていた。
四時きっちりに、ルールで、退室。
とにもかくにもこれ以上自転車で怪我してはならぬと、それを要心して見舞いに走り、また走って家へ帰ってきた。とてもこの「往復」を徒歩で通す体力も気 も失せていて、ひたすら要心して自転車に頼っている。少年の昔からの自転車好きが、かえって事故に繋がらぬようにと願っている。じつは颯爽というほども軽 々と走っているのであるが。

* 妹が呉れたカステラ一切れと、ヤクルト、R1とでひとまず夕飯とし、あとは、気が向けば頂き物をなんとかして食べよう、と。「和久伝」のご馳走に、大 好きな和三盆が入っていて、疲れを癒して貰っている。焙じ茶も美味しく飲みたい。お茶は機械的に日常の鳩麦茶で済ましてきたが、いいお茶はたっぷり有るの で、手間を惜しまねば好きなお茶が堪能できる。ただただ披露して簡単に済ませようとしてしまう。

* このようなことは、大方は、病院へも家へも容易に来れない建日子への状況報告のつもりでいる。
杉田玄白というあの解体新書の大学者は、具合のわるいおのが老境を、すさまじいまで愚痴に書き、自身の容態を書き記し続けて気をやっていた。

* カタヅケや食事に気を取られていると不如意感に悩まされてだんだん不安定になってくる。で、他は忘れて機械での仕事に打ちこみだしたが、眼がギトギトと軋むほどに痛んで、それが辛かった。

* 少し階下へ行って、ボンヤリしてこよう。
2017 11/1 192

* こころよくベッドで目ざめたろうか、長い暗い静かな夜の寝苦しさは、覚えがある。落ち着いて、がんばって欲しい。妻のために佳い今日でありますよう。
2017 11/2 192

☆ さすが小説家
迪っちゃんの日々の回復の様子に、ほっと胸を撫で下ろしています。
リハビリが始まったのは本人にとってはつらいこともあるかも知れませんが、大きな一歩だと思うので 本当に喜ばしいことですね。

それにしても毎日、ご自分の様子を逐一書かれていることに驚いています。

自己観察者の目で、まるで日常がまたひとつの小説のようです。

仲良しの文鳥の絵が、とても心温まります!

どうぞお体を大切に、 いつも応援しています。 妻の妹 琉

* ありがとう。わたしなりに気を晴らして怪我なく生きて行かねばならず、それには、自身に向きあいながら家のことも仕事も大きな粗相なくやって行かねば ね。しんどいのも、つらいのも、意識して自分と向きあって隠れたり逃げたりしないのが、結局は素直な道なんでしょう。逃げ道なんて無いんだもんね。
それと、も一つ。書きっぱなしの誤字脱字はいつも迪子があとから注意して直してくれるのですが、そうはいうものの、この「私語」は、これなりに文章の稽 古のつもりでもあるんです。息継ぎの句読点の位置や、自分の文体をより確かに創って行くために、けっこう気を入れ、わたしふうに、書いているのです。推敲は、相当にしているのです、だから小説家の とホメてくれたのは、少年のようと云われたのとともに、嬉しいです。
「二人」の文鳥は、二人とも喜寿のおりに描いて貰ったんです。迪子の大のお気に入りなんです。
二時になりました。そろそろ病院へと。心用意します。
からだ 大事に大事にして下さいよ。 恒平
2017 11/2 192

* 「選集二十三巻」発送のための郵具が届いた。家でのわたしの態勢は、妻に手伝い続けてもらってきた「送り出し」用意を、頑張って独りでやってゆく覚 悟。宛名印刷がわたしに出来ないので、全部手書きとも腹をきめている。妻には、ひたすら快方へと願い、また、ガンバッテと祈っている。

* 集中治療室から一般病室へ移っていた。面会時間も三時から七時とひろがり、わたしは七時きっかりまで四時間、そばで、校正したり、話しかけたり、小声 を聴き取ったり、背をさすったり、姿勢を替えてやったりして過ごしてきた。途中リハビリもあり、なんと夕方の食事も出ていた。妻は気力と自覚とで折角食し ようと頑張っていた。治ろうという意志が見え、メモ用紙に必要なことが、あらまし書けた。歌めく感想すら書いてみせたのは上等だった。来週いっぱいはリハ ビリ、後半には少し歩けるようにも、と聞いた。よかった。ありがたいことだ。長びいても退院へ漕ぎ着けたいが、わたしの体力と、伴う注意散漫の怪我には気 を付けないと。
なにごともない平常時なら、自分の食事ぐらい何とでもできるのだが、病人を励ましてやりながらの毎日なので、生活意識もさまざま分散して危うい、気を付けないと。
建日子も三時過ぎに独りで来てくれ、リハビリの始まる前に帰っていった。
わたしは、湖の本のゲラをしっかり持参していたので、時間いっぱい手持ちぶさたなどと云うことなく、そういうわたしの姿は妻には一等当たり前のこととて、ウトウトしたり目ざめて対話したり姿勢替えを註文したり、退屈も不具合の苦痛も無さそうで良かった。
徐々にまた家から必要な品など運び込むことになり、それも快方への兆しであった。

* 七時過ぎて病院を出ると、真っ暗。自転車のかぼそいライトも頼みながら、むかし朝日子や建日子の通学道を走って家に帰った。

* 従弟の濱靖夫さんから重ねて懇ろなお見舞いを戴いていた。
2017 11/2 192

 

* 家事の要領をすこしずつ呑み込んできた。昨日までは病状がらみの動揺に思い屈していた。まだ油断も安心もならぬと自分に警めているが。

* 三時から七時まで四時間、ベッドサイドで「湖の本138」校正のかたわら、背をさすったり、上体を起こして遣ったり、かすれた小声でのわずかな対話や また筆談。そばにいてやるというだけの支援だが、妻は安心し嬉しそうに頼っている。むろんわたしの疲労を心配している。ま、おかげでというか、幸いに状態 は看護師の目にも予期以上に力有る快方へと見えているらしい。有り難い。
緊急入院してすぐ土日、いままた三連休。幸い退院と決まるには来週いっぱいを超過して長びくだろう、妻にいらだちが来ないといい、が、問題はわたしだ。 午後七時に病院を退出して真っ暗道を自転車で帰る途中、また家に帰りついての持ちきれぬほど重い濃い疲労は、ソラ恐ろしいまで危険になってきた。
いま、わたしがコケて取り返しつかぬ怪我をしたら。想像もつかない。
気力の問題ではない、生理的な体力の摩耗がなにより危ない。こう書いている間にも寝入りそうだが、みな投げ出して寝てしまえる事態ではない。食べようにも、疲れ切って手も出ないでただお茶ばかり呑んで脱水を恐れている。

* 明日のために、早く寝てやすむしか手がない。けれど頼まれごとなど最小限度の用意だけしておかねば。ぼやあっと疲れで瞼が塞いでくるが、負けるが勝ちとは行かない。

* 食パンをジャムで食べようとしたが、出しっぱなしにしたためかジャム瓶のなかに黴ではないかと見える徴候。ジャムが黴びるものかも知らずに生きてきたらしい。白い薄い食パン一枚、カステラ一切れ、と蜜柑蜂蜜だけの晩飯になった。生卵だけでも呑んでおこうか。

* 明日の、妻の希望、それぞれに用意した。卵を二個割って味付けて呑んだ。すこし力になったろうか。
2017 11/3 192

* 変にゴチャゴチャした夢で目が覚めた。フライパンにバターを敷き食パンをのせ糖分をぶっかけて焼いてみた。成功したとは云えず一枚だけをむりに呑み込んだ。ヤクルト二本、R1一本も飲み、粉の和三盆糖を嘗めた。何と謂っても煎茶が旨かった。

* 体重は妻の入院以来二キロ減った。六十三キロ台へ落ちこんだが、むしろ健康体重に近づいたのだと考えておく。ただ体力まで沈下しては困るが。

* 午前の仕事を正午まで。昼食は、「ぼうろ」と称した佐賀鍋島の和風パンクッキーのようなのを二枚、やや堅めの「ごまぼうろ」一枚。やはり卵二個を味醤油をポチリ落として呑んでおく。ほとんど立食というより、単に立ち食いの行儀ワルさだが。

* 「選集23」送り出しは独りで遣ることになる。宛名印刷の仕方が分かれば何でもないのだが。妻の退院を待ってはいられないので、とにもかくにも関連作業に手をツケ始めた。

* 一時四十分、もうよほど目が参っているので機械仕事はやめ、一時間ほど階下で休んでから妻に会いに行く。三時から七時のベッドサイドは容易でない、 が、今回はそばにいて治って帰ろうという意志の力に応援してやりたい。見ようでは「さいのろ」の極であるがそれが二人の生きてきた仕方であった。わたし も、ガンバッテやりたい。

* 病院から帰って食事したりものを洗ったり整理したりの間にもう九時過ぎた。病院へ往きは掛けていた、度のない柔らかなブルーライト除れの眼鏡を、院内の何処かで失い、三時から正七時まで、ついにその帰り際までも、帰ってからもう一度荷を総点検しても、出てこなかった。
機械仕事には、眼のためにも必需品、困った。

* 妻は快方へよほどしっかり踏み出していて、身動きにも力が出て来た。食事も、時間掛けて、しかし美味しそうに半分余も食べられ褒められていた。体力の 回復などまだ踏むべき階段はいろいろ有るらしいが、三連休のこと、ゆるりとしかコトは捗っていない。しかし、書字は可能で頼まれごとやこっちからの質問に はペーパーに出来る。人工呼吸だったのでまだ喉のかすれで発声はか細い。
快復快方へ頑張ってくれて、嬉しい。

* わたしも昨日の異様な疲労の深さに懲り、今日は病院へ出るまでにも、ベッドサイドでも、せいぜチカラを付けるように心用意した。行きも帰りも異様な強 風だったが慎重に自転車を使った。ご飯もレンジで温め、濱夫妻に戴いた「今半」の牛肉料理も湯煎で温めて、シッカリ食べた。お茶も呑んだ。家から運びの食 べ物も少しずつなら食べて良い、ただし口腔内や喉にザラつくものはいけない、しっとりと柔らかなものならとも赦されていた。
ともあけベッドサイドでは正四時間ブッ続けに「校正」してくるので眼は痛いほど疲れきっている。それでも、もう少し今からも原稿読みを続けてキリまで進めておきたい。

* 順不同、山科の詩人あきとしじゅんさん、下鴨の澤田文子さん、聖教新聞社の原山祐一記者、横浜の小泉浩一郎さん、吹田の歌人阪森郁代さん、二松学舎大、府中の平田布美夫妻、武庫川女子大、中央美術協会の後藤明子さんらから来信あり。

* 十一時が過ぎた。きつい時間だった、目をすこしは光から和らげていた眼鏡を紛失して帰ってきたのはきつかった。もう機械は閉める。
2017 11/4 192

* 七時五十分。正七時に病院を出て、家に帰って、パック半分残していた白いご飯を温め、梅の海苔茶漬けで、半分立ち食いのような行儀ワルサのまま流しな どを片づけ、明朝回収の生ゴミを出す用意もした。なんだか分からないが小さいカップのヨーグルト様のものょ口にした。お茶は淹れて何杯も喫んだ。
冷蔵庫から出しッ放しでいた三種のジャムをみな黴びさせ、生ゴミとして処分。
好きで、美味い透明な「蜜柑蜂蜜」は黴びなくてよかった。

* 戴いた1ダ-スの白いご飯パック「熊本城」は扱いやすく飯も旨く、とてもとても助かる。1パックで二食出来る。頼もしい。その点、食パンは簡単なよう で美味く食べるには手間も掛かり、一食一枚で多すぎて残りがちになるのが残念。量が食べられなくなっているのにビックリする。

* さて妻は、ハスキーな低声は相変わらずだが、意志も意識も健康で、まさに命拾いして生き返れたのを心から喜んで安堵を口にした。よかった、ほんとうに。うっかりの怪我で台無しにしないように気を付けよう。
「腰折れ」もわたしのためにいくつもメモ用紙に書いていて、よほどの心境と察しられた。来合わせていた五十前の建日子ら二人ともが「腰折れ」とは何と識らなかったには驚いた。
たくさんなメモや述懐を他にも書いていた。家で探してきて欲しいモノへの頼みや指示も幾つも。わたしも忙しい。
わたしの訳した「枕草子」を昨夜のうちに読んでいたと。「よかった、おもしろかった」と指で○をつくって大きく頷いてくれたのは、照れくさいが、嬉しく。
今日は校正ゲラが無く、小説「清水坂」の書けている分を全コピーして行き、ベッドのそばで読み直していたり。
四時頃か、建日子らが見舞いに来た。妻がナースに頼んで車椅子でトイレへ行ったのをしおに、帰っていった。建日子の頻りに咳込むのが気になった、からだ大事にしなさい。
七時きっかりまで、一緒に同じ「時」を過ごせるのはかけがえのない安心。
暗闇道を寒々と自転車で帰宅。

☆ 短いお昼寝お薦めします。
迪っちゃん、段々回復が進んでいるようでとても嬉しく思っています!
恒平さんは、今頃は病棟で校正のお仕事をされている頃でしょうか。

あまり頑張り過ぎないで、毎日少しでいいですから、お昼寝をお薦めします。

短い時間寝るのが苦手でしたら、お布団の中でゆっくり10分ぐらい暖まるだけでも体が休まります。病院にお見舞いに行かれる少し前に、5分でも眠れれば頭がすっきりします。

 

ところで猫のカブトが11月2日に21年8ヶ月の生涯を閉じました。

とてもとても安らかに逝き、大往生というようなものかも知れません。

老人の私たち夫婦に勇気を与えてくれたように思います。

いいお知らせではないので書くのをためらっていましたが、お二人にも精一杯生き抜いて欲しいと敢えて書かせて頂きました。
それには、どうぞどうぞお体を大切になさって下さいね。 妻の妹   琉

* ありがとう。

* どんなに大往生であっても死なれるのはつらいと我が家のネコやノコや黒いマゴにもわたしたちは泣いた。今でも。琉っちゃんたちの気持ちを想っている。

* さ、これから、頼まれてきたモノをいくつか妻の部屋から探し出さねば。

* 十一時半。「湖の本138」を要再校で明日送り返せるよう初校ゲラに念を入れていた。気を励ますべく、観てはいられなかったが、ホワイトハウスを舞台 とする政治陰謀とテロリズムの喧しい映画を付けっぱなしにしていたが、邪魔にはならず。一仕事の一段落はしっかりつけた。今度の此の「湖の本138」の編 成もわたし自身は気に入っている。

*もう余は措いて、やすまねば。眼が痛んでいる。 みなさん、そして迪子も、心静かにおやすみなさいと、八十二歳になろうという爺さんがご挨拶します。

* 今日、妻は、建日子らの前で朝日子の名前を口にした。ベッドでの日々のメモには、「やす香」の名が書かれていて「やす香、怖かったでしょうね」と。妻 は、やす香を心から愛していた此の祖母は、明らかに今回、死の恐怖を自覚し恐れて、それで、わたしの、わたしたちの声を胸に「頑張った」のだ。「迪っちゃ んは頑張れる人」という難手術直前の妹の励ましはわたしたちをも励ましてくれた。本当によく頑張った。「生き返れたのね」と二人向きあった病室で妻は何度 もわたしに漏らした。
愛して愛して育てた初子の娘が、弟建日子からの電話の向こうで母重態の見舞いを言下に拒絶した事実は、わたしからは妻に伝えていない。建日子も今日言葉を濁していた。
だが、わたしも妻も、朝日子を今も我が愛し子と思って想っている。
2017 11/5 192

* 金正恩とトランプは極東を人の住めない荒野に変える懼れを日々に増してきた。
わたしも妻も幸いに八十余年を生き生きと生きてきた。思うまま生きてきた。もういっしょに死んで佳いと今度のことでは何度も考えた。わたしはその気でいる。核の業火に灼かれて死ぬよりも。妻もそう思っていると想う。
若くて生きる意欲に未だ溢れ、相応の道の掴める人たちは、本気でその逃げ道へ走れるようしかと用意して欲しい。

* どこか愚かしい人間には、そういう瀬戸際までもう自ら歩いてきてしまっているという見きわめが成されてある。大いなる自然の罰は人間にこそ下される。そう想っている。

* 正午過ぎた。鶏卵二個をポッチリの味醤油を垂らして呑んだ。生協の卵は新鮮感と味に膨らみを感じる。他に何を食べるか、今日は知恵も欲も沸かなくて困る。
朝からブッ続けの機械・眼仕事で疲れた。
こんなときに昼寝をと妹は教えてくれている。トランプ来日の乱れ波に煽られ、日本中が落ち着かない。

* 「湖の本138」初校済みを宅急便に託した。前巻の支払い請求書が来ている。郵便局でどう支払うのか、自分でしたことがない、来れも覚えねば。
「選集25」の編成にメドが立ってきた。

* なぜか、今日はフラフラと頼りない。酒を飲めば気は晴れやすいが、ゼッタイに呑めない、呑まない。一時半。そろそろ階下で、遺漏のない今日の見舞い態勢に入る。シャンとしないと今日は危ない。目疲れで、睡い。
京都の秦家はあれで、父と母と叔母との三人家族で、よくモメながらもそれなりに支え合っていたし、場合に依れば東京から妻が手伝いや病院の付き添いにま で出向いた。あれで胸を弱くしたのだから、わたしは妻におおきな借りをつくっている、妻は貸しなどと決して云わないが。お寺とお墓の面倒などもみな嫁とし て妻が仕切っていた。

* 親指の腹が昔よく云ったアカギレ、ヒビワレのようになり、ものに触れると痛くて何をするにも持つにも障りになった。剃刀の刃で斬られ与三の頬ッペタの ようになっているのを、病院から帰ってきて、幸いいい具合のバンドエイドを見つけて助かった。無ければどうなるかと不安なほど痛んでいた。親指の腹はんに かにつけモノに触れるとよく分かった。

* 妻の壊死していた赤い胆嚢、術後にみせられゾッとした。わたしも胃全摘と同時に胆嚢も無くしたが、あの激しかった腹痛からすればやはり胆石も胆嚢炎も ひどかったのだとおもう。胆嚢を摘除すれば腹部が即健全になるといったモノではなく、この後とも「気を付けて暮らすように」と妻は執刀の外科主治医に言い 含められている。注意深くは、当然だ。夫婦とも医師も不安げであった難しい手術に成功したのだ、感謝しなければ。

* 妻の躰にたくさんブラさがっていた管が、今日で全部抜去され、一時間ほどの安静のアトから今週のリハビリが始まった。どれほどで幸いに退院の許可と指 示がおりるのか、まだ容態の快方を「待つ」ということ。妻は、一方で快方の元気をえながら、他方で病院疲れも抱えている。此処は、慎重に慎重に不慮の事故 や怪我なく「退院日を待つ」ということ、それは毎日四時間を付き添ってベッドサイドで仕事したり読んだりに自転車で通い詰めているわたしにも同じこと。

* 今日は「絵巻全集」の月報を六七部束にして持って行ったが、四時間のうちにたった一部しか読めなかったが、六七人の筆者がそれぞれの問題を短い原稿に 濃縮して繰りだし、例によって五来重の論攷の面白さは格別であった。七時二、三分前に小冊子をやっと読み上げた。むろん、その間には妻の起ち居を助けた り、双方の質疑応答があったり、背をさすったり、希望や頼まれごとを聴いたりと、いろいろ有るのだが、それにしても一冊の月報がたいした読み甲斐で、空也 聖に始まる鉦叩きや鉢叩きらの由来や変貌や藝なども面白く教えられた、たくさん。
ベッドサイドから仕事が確実に捗る、読める、そして妻とも話せて励ませるという、それで疲れも深まるけれどわたしは病院通いを「当然」としている。「安心」が、両方にとって大事だからだ。

* 七時過ぎ、家に独り帰っても、ちょっと「食事する」という気分に快復しにくく、口に入りやすいものを兎に角口にする。お茶だけはたくさん呑む。今夜 は、細長いソーセージの六本入った袋を熱湯で温めてから、妻に教わってきたようにフライパンでカリカリカリっとまで灼いて、それだけを四本喰った。他に何 をするのも面倒で、食欲もなく、こんな時でも宇治の茶を淹れて飲むのだけは出来る。「茶食らい」とよく親にも云われた。
とにかく、電話一本かけるのも億劫、買い物に出るなどとうていそんなに気にならぬ。家にあって手に合うモノにただ手を出している。そして、仕事。テレビもあまりにつまらなく、見る気無し。

* 九時半になる。明日持って行く頼まれモノを妻の部屋で今から探す。そのあと、もう少し今日の仕事を進めておく。

* 指定の容れ物の中に指定の衣類、繰り返し調べて二つの一つしか見つからず。

* 選集二十五巻 ほぼ固まってきた。十一時。そろそろやすむ。
2017 11/6 192

☆ 恒平さま
昨日、福田恒存の文章を読んで思い出したのが、先日再放送されたカズオ・イシグロ「文学白熱教室」でした。

彼が日本に来て、若い学生たちに話しかけ質問を受ける形の番組でした。

中心にあるのは、人は何故小説を書き、小説を読むのかということです。

文学と政治について語られている福田氏の文章とは視点が少し違うかも知れませんが、恒平さんがカズオイシグロのこの語りをどのように感じられるか、ビデオから一部を書き起こしてみました。

* *

迪っちゃんがどんなに家に帰りたいか、それを考えると胸がいっぱいになり、泣きたくなります。

もう少し迪っちゃんが楽に喋れるようになったら、お見舞いに伺いたいと思っています。

どうか無理せずに頑張って下さいね。 琉   妻の妹 詩集『薔薇の旅人」がある。

☆ イシグロ・カズオの言葉 (妻の妹から送られてきた)

(残念 わたしの機械では 何かしら必要な手続きをしないと 読み出せないと機械に云われてしまった。もう古い古い機械なので、こういうツマヅキはよく起こる。琉っちゃん、御免)
2017 11/7 192

* いろいろと親切に私の、ないしわたしたちの「仕事」へ具体的な手順などご助言下さる方もある。感謝。
ただ、只今のところ右往左往していて、出来ることしか出来ないでいます。ことに機械の上での新しいシステム風の立ちあげなど、今の弱ったアタマでは不安 心で、使い慣れている機械に思わぬ頓挫など生じては今やっている「仕事」の何もかもがストップしかねず、臆病なほどそれは怖い。妻の「持ち機械」二台と も、わたしにはワケ分からず、手が出せない。ご親切の生かしようもなく申し訳ない。
幸いアタマはハッキリしている妻の、無事退院帰還を切に待つしか無い。
機械は微妙を極め、たとえ同社の製品でも、システム稼働の仕方は段階的に大違い、らしい。ウカとは触れない。危ない。

* 『秦 恒平選集』第二十五巻を無事入稿した。バラエテイに富んだ面白い大冊に成りそう。
「仕事」は着実に進めている。
二十七日の「第二十三巻」納品までに妻が無事退院してこれるのを祈りながら、送り出しの用意をして行く。一つずつ、一つずつ。

* さ、病院へ走る。

* 八時過ぎ。病院から帰って、汗(今日は温かだった)のまま、佐賀のぼうろ菓子二つと凍った鶏ガラスープを温めて卵一つ割り入れて、そそくさとした食 事。八時まで「大忠臣蔵」の後半が見られた。同志社の先輩で亡くなるまで文通もあった坂妻三兄弟の長男田村の高田郡兵衛が懐かしかった。三船の内蔵助と千 坂兵部の丹波哲郎とが釣り合って快い。

* 妻は、病室へ向かうと、廊下でのリハビリ中、歩行訓練をしていた。声は擦れたままでよく出ないが、起ち居もしっかりとしてきた。六時の食事も三分の二もよく食べていた。ナースから退院後のケアについて、施設と相談して決めよと示唆があった。
予想を超えわたしの訳した『枕草子』を面白がっていて、わが意を得た。枕草子はほんとうに面白い古典なのであるが、日本中で、インテリジェントな大人で もかつて「春は、あけぼの」をかすった程度にしか読んでいない。清少納言描く王朝男女の日常も心情もじつは身近にありありと面白いのであるが。妻は今一 つ、学研のこの「日本の古典」の各巻担当者の豪華さにも一驚していたのが可笑しかった。
玉置主治医も来てくれて、あす、もう一度血液やレントゲン検査で状態を確かめたいと。慎重に慎重に、もうこの上は怪我も事故もなく元気に我が家に帰還して欲しい。

* 声がまだまだ擦れていて、普通会話もしんどそう、わたしなら耳を近づけて聞けるが、そうもならない対話はまだ疲れると。さもあろう。
緊急の救急車入院から手術まで、その後の集中治療室も、妻はよほど痛烈に「死」と闘い続けたらしい、繰り返し「生きて帰ったのね、あたし」と述懐を重ねる。やす香や黒いマゴたちが必死で救けてくれたほどの気持ちだったらしい。体験を噛みしめて長命して欲しい。

* いろいろ手助けや対話のかたわら、わたしは届いたばかりの「選集24」再校ゲラに読み耽っていた。古典の底知れない面白さをしみじみ楽しみながら自身の書いた話し言葉を聴いていた。二時半から七時、あっという間だった。慎重に慎重に自転車を走らせ帰ってきた。

* 明日は、生協がモノを届けてくる。ヤクルトは今朝届いた。ヤクルトとR1は病室へ運んで飲ませている。微糖の「午後の紅茶」が欲しいと云うので病院内で二本買ってきた。

*「選集24」郵送用にハンコ捺しを始めた。「NCIS」を観ながら予定の半分余を捺した。あとは、送り出しの挨拶を書いてプリントしなくてはならぬ。それも簡単に済む。
あます要件は宛名印刷だが、きっと妻が帰ってきて印刷だけはしてくれる。信じる。
2017 11/7 192

* 生協は、わたしとは全く別世界と思ってきたのが、今朝初めてわたしの注文品が届いた。モノが頭に入ってないので、「4」と書いたのだろう野菜ジュース缶の少なくも1ダースは入ってそうなのが四函も積まれて喫驚、ま、腐るまい、物置に仕舞っておくか。
冷凍庫にモノが入らなくなった。無念無想で冷凍冷蔵ごちゃ混ぜにともあれ仕舞い込んだが、どうする気と自身に問いたい。

* また新しいご好意の品々、一箱に入って到来。感謝。

* 寒いのか温かいのかもよく分からない。

* 妻はわたしの運んだ古白紙の束に、たくさん、①暮らしの上の示唆 ②医療上の進展や医師らの言葉 そして、③十月二十日救急車をお向かいの富岡さんへお願いして緊急入院して以来の、記憶や感想、腰折れふうの述懐など を沢山鉛筆書きして毎日わたしに手渡している。
どんな病状での過去の検査入院や手技手術入院より遙かにとび超えて深刻な思いに落ち、堪え、頑張ってきたのが読み取れる。
わたしも、ありとあらゆるモノにひっきりなしに祈ってきた。これも二人しての「大仕事」であったと、いま、しみじみ思う。まだまだ。油断していない。

* 選集24送り出しのためのハンコ捺しを全部終えた。次は、送りの挨拶むをプリントして、カット。そこで、宛名書きを除き用意の作業は、OK。昼食は、朝の残り飯をお茶づけ海苔とお茶とでかきこみ、ヤクルトやR1で、済ます。眼が重い。
朝は小雨であったが。濡れていい恰好で病院へ。初校の出来ている再校ゲラは、油断はならないが、ベッドサイドで十分ノーリツは上がる。目の疲れだけが剣呑だが。

* 建日子に官製葉書を50枚買ってきてと頼んだら、家にある分をもってきてくれたらしいのを、安心して礼状など送り出したら、「10円不足」とみな戻されてきた。こっちもモノ知らずなのが悪いけれども。やれやれ。

* 妻が家から持ってきてと頼んだ病室スリッパは、わたしが胃全摘入院に成功して無事に退院帰宅できたときのモノと。そんなところまで思いを馳せながら辛 い病状と闘っていた。「生きて帰りたい」と懸命に闘っていた。「迪ちゃんは頑張れる人です、だから希望を持っていますよ」と妹は手術の日にも親身にわたし まで励ましてくれた。ほんとうに、よく頑張った。ドクターもよく応えて呉れた。

* 今日の検査結果も大過なく概ね宜しく、体力をつけるべく今週いっぱいは病院に、週明けの都合のつく日に退院可能かと玉置医師のほぼ許可が出た。
建日子は月曜なら行けると。ぜひ怪我も事故もなくその日の退院を実現したく、妻には用心に用慎をと行ってきた。
今日は廊下歩行もかなり出来たらしく、夕食もしっかり食べていた。横臥していることは少なく(そう奨められてもいて)、ベッドに坐り、また降りて倚子に 腰掛け、そしてわたしの「枕草子」に読み耽っていたが、わたしの再校していた「竹取物語」の三連続講演が一段と手に持ちやすく読みやすくすこぶる面白いと 喜び、それならと、ゲラをそっくりベッドに置いてきた。
『竹取物語』というと、かぐや姫のお伽噺としか思っていない人が多いが、なかなか、どうして、世界中に根のある底知れず幅もある説話のまことに優れた一異 型で、わたしはそんな『竹取物語』の全面的解説のため、三回にもわけ、依頼されたラポ教育のチューターらのためにおよそ六時間ほどもかけて連続講演したの だった、名古屋で、京都で、東京で。
そして、その一方で、『なよたけのかぐやひめ』という、日本語(と英語と)の朗唱劇も書き下ろしたのだった。

* 「退院」となって、それからの家庭生活は、或いはもう、少なくもかなりの期間は、以前のようには二人の協働とは行くまい、わたしが、歩行や通院や買い物もふくめ妻の労作業の大方を手助けして支えねば済まなくなるだろう、わたしにはそれが出来る。
日々頼れる若い力づけが事実上見込めないかぎり、生活の重点をそのように切り換えて行かねば済むまい、それでも幸い「お二人さん」暮らしが出来るのであれば、「お一人さま」暮らしより遙かに有り難い。
この師走十日には、婚約して六十年という日が来る。われわれ夫婦の人生、まさしく三学期を迎える気概で、こころと力を協せることになる。ハテ、どんな卒 業式を迎えるのかは分からない。北朝鮮から爆弾が飛んでくるという可能性も十分ある。日本軍はかつて欧米に「圧力」をかけ続けられ、真珠湾へと爆発した。 北朝鮮の政治も軍事も、あまりに往年の日本帝国陸軍に似ている。しかも今度は真珠湾どころではゼッタイ済まないだろう。「悪意の算術」にだけは長けた米国 が護ってくれるなど、おそらく一場のお笑いに終わる。わたしはそう観ている。

* 秦野市の妻の従妹(画家)より見舞い状。隣家の大野さんから、御守りのお札戴く。
2017 11/8 192

☆ レンズは

使い物になっていますか?

母さんのお見舞いですが、次は土曜日の遅めになりそうです。新宿で仕事なので、それが終わり次第行きます。

何かかってきてほしいものあったら言ってください。 建日子

* レンズ、
役に立っています。ありがとう。引っ掛けがシッカリしてて、有り難い。

ケガ無く 事故に遭わずに 元気に心ゆく仕事をして下さい。

建日子の顔を見るのがカーサンには何よりの元気づけです。しかし、ムリはしないでいいよ。

カーサン ほんとによく頑張ったなあ と わたしも医師達も舌を巻いています。危ない瀬戸際を文字どおり懸命に我々の方へ帰ってきてくれたと、感謝しています。

食い物は冷蔵庫にいっぱいあるらしいが、みな、わたしの手に合わない。食欲が湧かないのです。ムリヤリ半端に喰って、お茶ばかり飲んでいます。蜜柑など、手間いらずで有り難い。柿やリンゴやバナナは不要です。
ま、気を遣いすぎないで。 元気が何より。  父

* あすは生ゴミを出す日。紙屑も一緒にと。なにもかもみな手づかみで片づけている。もう十一時をまわった。機械から離れる。
2017 11/8 192

* 選集第二十三巻送り出しの挨拶を書いて、プリント中。もねう刷り上がりそう。これで、妻が無事帰宅し宛名を刷りだしてもらえれば、月末納品に優に間に合う。そうありたい。
2017 11/9 192

* 退院可能と成ってきて妻は興奮で夜眠れず、疲れたまま、試験的に帰宅して家の内を点検してきたいなどと言いだし、きっぱり止めた。いまここで無用の怪 我をしたり違和を感じたなら、またしても先へ帰宅が延びる。帰宅したうえでも、スグに家事が出来るなど思うのは考え違い、当分はわたしがブレーキと杖の二 役を務めねばならないと思っている。よほど帰れるのが嬉しかったのだろう、分かる。

* 本当なら今夜は、高麗屋三世代、幸四郎、染五郎、金太郎の名乗り最後の舞台を、いい席でみせて貰うはずだった。

☆ 今日も
一日お忙しく過ごされたことと思います。
本当にお疲れ様でした。

これからも色々大変かも知れませんが、ふたりで居ることで色々相談できるのは心強いと思います。
明日は、短い時間で失礼するつもりです。
迪っちゃんも、恒平さんもお疲れのないようにと思っています。

(画家の)麻田浩氏とお知り合いだったとは! でもご病気で残念でしたね。

パジャマをひとつだけ持参するのをお許し下さいね。家に帰られたら着て頂きたく思います。

確かに絵を見るのは、疲れますね。もし疲れて帰りたくなったら帰らせてもらうかも知れません。

でもお会い出来るよう楽しみにしています! 琉    妻の妹

* 疲れてはいるが、尻を追われる急ぎ「仕事」は片づけたので、一息ついている。で、「大忠臣蔵」の録画も観た、大門未知子も楽しんだ。ボンヤリとでも、なんとか食べてもいる。妻の帰り支度の頼まれモノもほぼ見つけた。

* 今夜はただボーっとしたままで、寝入ろうと思う。
あと三日、金、土、日と病院へ通勤し、月曜に、妻退院。事故無くしっかり実現したい、ひたすらそれを願っている。
2017 11/9 192

* 藤澤から妹が見舞ってくれると聞いていたので、わたしも、二時前には病室へ。三時半ごろ妹が来てくれて妻は感動。妹にも遠路疲れが出ないように帰って欲しいと、四時の病院送迎バスで保谷駅まで戻ってもらった。姉妹、いいもんだなあと観ていた。
妻は、退院前とてどうしても興奮気味、動揺しないでこれからの永い日々、月々、年々への最初の一歩が今度の退院なのだと思って欲しい。
結局、七時までベッドサイドで校正を続けた。そんな家族付き添いは例がないかも知れないが、一緒にいるという療養なのだと思って力を合わせている。妻は頑張るタチでも、気の弱い寂しがりでもあるのをわたしは知っている。似ているのだろう。

* 妻は、妹にホトホト告げていた、怖かった、と。数日はもう無我夢中で頑張っていたと。肩を痛めそうなほど、妻はベッドで、いろいろ書きためている。小説になるなとさんにんで笑い合った。わたしは言った、題は「生還」フリガナは「よみがえり」だねと。妻は真顔で頷いた。

* 帰りの自転車、珍しく暗い細道で何度も自動車に出会い、慎重にかわしかわし帰ってきた。家では、「大忠臣蔵」が途中。矢頭右衛門七らを襲う浪士達の窮状に気が重かった。
2017 11/10 192

* 十時半。なぜか、しきりにさみしい。淋しいでも寂しいでもなく「さみしい」と書きたいような孤独感である。わたしも、もう疲労の限界へきているのだろ う、わたしを救っているのは「仕事がある」という否応もない日常である。竹取物語を深く広く読み続け、ついで枕草子を誰も言わなかったような独自の視野か ら読み深め、そしてまた源氏物語の命脈をしみじみと辿っていて、だからわたしは救われている。つかんでブラ下がれる世界があるのでやっと保てているような 自分がかぼそい息を吐いている。さみしいと思っている。守りきれない物を抱きしめているのだ、それは何だ。

* 妻の母は病いに死に、父は妻を追って死んだ。わたしの生みの母は「生きたかりしに」と歎きながら死んだ。実の父も、孤独に死んでいた。実の兄も自ら死んでいった。この人達の分もわたしは生きねば成らんと久しく思い続けてこの歳まで来た。…なんというさみしさか。
2017 11/10 192

 

☆ 新しい次元のような…
何か扉が開かれたような感じがしました。

ベッドで迪っちゃんが眠っていて

そばで恒平さんが静かに静かに仕事をしておられる姿

とても美しかったです。

この静寂の中にこそ本当の姿(真実?)があると感じました。

 

それから迪っちゃんが思わず笑って

姉妹で笑えたことも素晴らしかったです。

笑いこそが迪っちゃんの強さなんです。

 

本当に良かったという言葉しか出なくて…

 

私は(帰りの)電車でも眠って、夜も早々と床について

今日は元気です!

 

いつも素敵なおみやげを有難うございます。

迪っちゃんによろしくね。 琉

* 励まされているのだ。
漱石の『こころ』に出会ってこのかた、どんなに「静かな心」の持ちにくいこと、持てなければどうなるか、を怖いほど教わってきたのだが。情けなく心騒ぐ。

* 八時半、病院から帰り雑駁に豆腐汁をつくって飲み、片づけてから、二階へ。機械の前へ来て、今日病院で失くしてきたと落胆を極めていた掛け重ね遮光眼 鏡が、機械のそばに在ると気づき、嬉しさに大声が出た。無いと困るのだが、病院へ掛けて行ってたはずなのに帰りがけ見当たらないので、しんからガッカリし て帰ってきたのだった。
斯く、わたしの日々が正常な舵取りを謬り掛けていると思うと、もう、明日一日の妻の入院生活で限度だとしみじみ感じた。明後日の午前には退院予定になっ ている。もう一日、もう一日で、是非とも妻を家に帰して欲しい。わちたしに自己や怪我が起きてはまったく共倒れになってしまう。

* ああしかし、眼鏡が無事に在ってよかった。萎えそうに落胆していたのだ。

* 建日子が四時半頃まで、小一時間、見舞いに来た。頼んでおいた来年の干支飾りと生八つ橋とを持参。
妻の六人病室、三人に減っていて静かで温かだった。妻はときどき寝入っていた。声帯はまだまだ快復せず対話しにくいが、挙措は元気を取り戻しつつある。わたしは選集再校ゲラを黙々と読み続けていた。

* 病院へ、まだ明るい往きも、真っ暗な帰りも、自転車はちょっと気をゆるせば大きな怪我に繋がり、それでは何もかもオジャンという以上のおお事になる。 幸い、五分の距離。しかし広い大道路の踏切を二度は渡らねばならない。シッカリ気を付け、走って走って、もう三週間を過ぎた。疲れた。

* 今夜を含めてもう二た晩。もう二日。怪我も事故もなく無事退院へ漕ぎ着けたい。月曜、建日子が車で母を家へ連れて帰ってくれる。わたしは明日も明後日ももう二往復自転車での往来に徹するつもり。

* テレビの前でうたた寝していた。十時半。もう寝る。
2017 11/11 192

* 妻は今日一日を病室で安静に、明日午前、予定通り無事退院帰宅してほしい。怪我なく事故なく。
2017 11/12 192

* 妻は集中治療室から一般病室へ「生還」以後の日々に、半ばは必要からもたくさんな「メモ」を書いてきた。わたしに家の中のあれこれを教えたり、持って きて欲しい物の頼みであったりしたが、その余に妻なりの状況観察や自省や記憶の確認等々が(断片的とはいえ)あり、さらに加えて短歌にまで成らない短歌的 な表現、俳句にもならない俳句的な表現をも多々試みていたのは顕著な特徴で、妻なりの「生還」へのガンバリだったろう。
一方わたしの方はこの三週間の余、歌の一つも成さなかった。自転車で通い、妻のそばで少なくも三時から七時限界まで付き添い、黙々と「選集」や「湖の 本」の校正に打ちこんでいた。わたしのそんな「生活」を妻にただ感じさせていたかった。生きまた活きる大切さを無言に伝え続けていたかった。

* 先月二十日以来、三週間の余、欠かさず見舞い続けたのも、今日が最後、明日は、二三の検査データをとって置いて「退院」と決まっている。よく頑張って「生還」してくれた。
感じ入るのは、病院食を妻は実にしっかり食べる。努めて食べる。
わたしは病院食を食わなくてよく叱られた。妻の方は食事が出始めて以来、いつも褒められるほど進んで食べていた。快復を願う一心も手伝っていた。
明日は建日子が車で迎えとって家へ連れて帰ってくれる。わたしは明日も自転車で先に病院へ。怪我があってはならない。そして、当分は、二人住まい、「ブレーキと杖」の役を間違いなく務めるつもり。

* 十時半。もう眼が見えない。やすむ。
2017 11/12 192

* さ、無事に妻の退院手続きを運びに、病院へ出かける。九時をまわった。慎重に、心健やかな妻の無事帰還を果たそう。

* 午まえ、つつがなく妻、建日子運転車で、退院・帰宅・生還。よかった。ほんとうに、よかった。感謝。深く深く、感謝。
建日子の戻っていったあと、午後、三時間ほども、二人とも睡眠。
そして五時半、大相撲の二日目、白鵬の強い相撲を観る。日馬富士の、先場所のような奮起も期待する。

* 禁酒を解いて、写真家近藤聡さんに送って頂いてた近江の剛い酒「七本槍」を、しみじみと。感謝。
今日、もと朝日新聞の伊藤壮さんからは、すばらしく旨い好きな最中を頂戴した。これまた、しみじみ嘆賞。感謝。

* 慎重な日々を、二人倶に過ごさねばならぬ。

* 三週間の余、親切を尽くしてお見舞い下さいました何方にも、心より御礼申し上げます。
2017 11/13 192

* 妻は入浴もできた。気を確かにし、平常の健勝へゆっくり戻って行くが佳い。
2017 11/13 192

* 穏やかな朝食を夫婦で。ありがたし。

☆ @伊藤です。
お世話になっております。

奥さまの体調が戻られたとのこと、心配していましたが良かったです。

秦さんご自身も無理なさらずに、健康に気をつけてください。

今後とも宜しくお願い致します。  トッパン印刷株式会社

☆ 秦様
お疲れさまです。

有住です。

心配してました。

戻られて良かったです。

ひとまずは落ち着かれてると思いますが、ご無理はなさらずに。

引き続き私どもでできること、精一杯させていただきます。

よろしくお願いいたします。  トッパン印刷株式会社

☆ 秦先生

お世話になります小川です。

メール拝見しましたホットしました 本当に良かったです。

先生も無理しないで下さい。

選集23巻11月27日納品致しますので宜しくお願いします。 トッパン印刷株式会社

* ありがとう、感謝します。

☆ 奥様のご退院
本当におめでとうございます。
まだまだこれからのご養生など大変でしょうが、お二人で過ごされほっとされたことでしょう。
どうぞ奥様共々お大切に、お元気になられますよう心からお祈りしています。 みち 秦の従妹

* 午後二時間、二人とも昼寝した。体力気力の戻りを実感する。不行き届きの家事、仕事などいろいろ有るにしても出来ることを一つ一つ片づけて行く。
そして、創作に力を入れたい。
妻は好きな大相撲を嬉しそうに楽しんでいる。
日馬富士の不祥事を二人して歎いている。なんとか穏当におさまって欲しい。阿馬の昔からいい相撲取りだった。白鵬と並べて甲乙無く、応援し続けてきた。
2017 11/14 192

☆ 秋深くなりました
すっかりご無沙汰してしまいました。
昨夜HPを見てびっくりしました、奥様のこと一向に存じませず、無事退院されておめでとうございました、色々とおつかれ様でした、
ちょっと何かがあれば大変な歳になって来ましたね!
我が家も、殿が足を傷め(こうの所にバイ菌が入って切除しました、まだ完治出来ず)毎日マイカーで活躍中です、これからが、思いやられます!
10月末の、日・月曜に、京阪電車、京都市等が主催で、日吉ヶ丘の高校が東福寺のマルシエのイベントに参加し、茶道部が抹茶と和菓子で接待し、英語科が外国人を案内しました。お茶のOBもお手伝いに参加しました、両日雨でしたが、まづまづの成績でした。
足腰をかばいながら等々、結構忙しく過ごして居ます。
今日は雨の一日です、これから冷たい日が続きますくれぐれもお気をつけくださいませ。 華
2017 11/14 192

* ジリジリとにじり寄るように長編の終盤を固めている。 十時半。
妻も幸いに安定感をましつつ日常の家事に気を向け手がだせるようになってきた。ありがたし。
もう今夜もやすもう。鏡花の『風流線』が面白くなりだし、「浮舟」はいわば苦しい佳境へハナシが煮詰まって行く。
「絵巻」月報三十二冊ももうそろそろ終えそう、想像を遙かに超えて勉強してしまった。小説『絵巻』はもう書いたし、もう強いてこの楽しかった勉強を何か 形にしようと謂う気は無い。「月報」バカにならないという感謝の思いを大事に持っている。「絵巻」について、こんなに多彩に広く詳しく勉強したとはね、オ ドロキました。
2017 11/14 192

☆ 退院おめでとうございます。
迪子さんの無事ご退院をお慶び申し上げます。
大変厳しい3週間を乗り越えられて、よくぞ生還されましたね。
夫婦の絆が一段と強まったことと拝察しております。
当分は養生専一にお過ごしください。
秦さんもご無理なさいませんように! 2017/11/15  濱 靖夫(妻の従弟)

* 感謝。
2017 11/15 192

☆ よかったです!
ご無事の退院とうかがい ホッとしております。
本当によかったです!
日毎のご快復をお祈りしております!
秦様におかれましても、どうぞご無理をなさらないように。
明けて新年の舞台でお待ちしております!!  高麗屋事務所
2017 11/15 192

* 宛名の全部を手書きし、わたし一人で「新選集」を送り出さねばと半ば覚悟していたが、幸いに妻は殆どの宛名印刷を仕遂げてくれ、郵袋に貼り込み初めて半ばを超えた。大助かりである。
十時、みう疲れている、やすもう。
明日に希望を持って寝に就ける幸せを噛みしめる。しっかり立ち直りたい。
2017 11/15 192

☆ 秦先生、
建日子さんのフェイスブックで奥様の入退院を昨日知りました。
大変だったと思います。
でも、無事退院なされたとのことで、ホントにホントに良かったです。
私語の刻を読んで思いましたが、
車での移動などが必要であれば、いつでも連絡いただければ、私の都合をつけます。
気兼ねなくご連絡ください。
では、秦先生も充分お気を付けください。  柳   東工大院卒  建築家

* ありがとう。

* 松本幸四郎ご夫妻から、妻の退院を祝って頂き、豪華な花瓶が届いた。家が、華やかになりました。感謝、感謝。
2017 11/16 192

☆ 奥様のご退院  (谷内正遠の木版画「笑顔で花をささげ来る天女」絵葉書に)
おめでとうございます
その後もどうぞご養生のことお祈りしています。
ホームページの読者の皆さん、ほっとしていらっしゃることと思います
お二方 お大事に お大事に  濃美市  井口哲郎  (前・石川近代文学館館長)

* 有り難う存じます。今朝は、余儀ない要件もあり、手をつないで郵便局まで諸支払いに往復しました。お天気も宜しく、幸いにゆっくりゆっくり歩いて用を果たしました。「生きて帰った、帰れた」という喜びを家内は心底実感しているようです。
皆々サンの御健勝を願わずにおれません。

* わたしの方が、芯で草臥れている感じ、郵便局から帰って、そのまま、一時半まで寝入っていた。幸い「選集第二十三巻」の出来てくるまでもう九日の余裕がある。差し迫って追われている仕事も今はなく、せいぜい休養して備えたい。滞っている聖路加への通院も急に復さねば。

☆ 奥様のご退院、
ほんとうによろしゅうございました。
ご自宅での御二方のご様子、穏やかな日常が戻りつつあるお姿を拝読し、ほっとしております。
先日、メールを頂戴しておりましたのに…ご返信が遅くなってしまい、すみません。
風邪をこじらせ、落ち着かない日々を送っています。
また、日を改めてご連絡させていただきます。
先生もお風邪など召されませぬよう、どうぞ気をつけてお過ごし下さいませ。 京・鷹峰 百 拝
2017 11/17 192

* 元・朝日新聞社、「湖の本」刊行の恩人、伊藤壮さん、お見舞いの電話を下さる。妻は電話口で声が出ず、わたしも痩せて入れ歯が浮いてうまく話せぬままで、失礼した。お見舞い、有り難いこと。

* 大学同送の澤田文子さんもつまへ電話が来たが、話せなくて失礼した。

☆ 奥様のご退院
おめでとうございます。
先生のお嬉しそうなお姿が、目に浮かびます。本当に、よう 頑張られました !
ご退院後、何かと家事なども気になることが多いでしょうが、奥様、どうぞボツボツと、ご無理ないようになさいますように! お食事作りの「手抜き」の出来 そうな品を、送らせていただきます。それぞれ、我家でも試食いたしました。召しあがってくださいませ。
「ふぐのみりん干し」は、私の郷里の産物でございます。サッとあぶって召し上がってくださいませ。お酒のお肴にも、お茶受けにもなろうかと存じます。
日々寒さも増してきました。どうぞご自愛くださいませ。 かしこ 十一月十八日  佐藤宏子
秦 恒平先生
迪子奥様
追伸
適当な大きさの箱がございませんので、大きなダンボールになって、詰め物代わりにティシューなど入っております失礼を、おゆるしくださいませ。
返信のおハガキなど ご無用になさってくださいませ。

* 胸の芯にほっと温かな灯のともるような嬉しさでお心遣いの恰好の品々をたくさん頂戴した。妻には心強い有り難い品々で、二人してほろっとした。有り難う存じます。

* 芯の疲れが残っていて頸筋など凝っている。おいおいに、おいおいにと、ムリはしないでいる。睡い。妻は大相撲を喜んでいる。

* 今日もひとつ訃を聴いた。寂しいことだ。
2017 11/19 192

* 延期延期になっていた聖路加感染症内科の診察日が、十一月月末ちかくの午後遅くに決まった。この日は、午前の遅くにもう一科の診察も決まっていて、間 に、二時間ほど明くが。ながく気がかりだったりで、日時が決まってホッとした。但し聖路加の診察を受けに行っている間の妻の緊急入院が、今日から丁度一と 月前だった。今度の診察日、ぜひ、また留守の内にあの悪夢を繰り返さず済ませたい。幸い、妻の様子は安定している。 2017 11/20 192

* 退院後初の妻の診察に付き合って病院へ歩いて往復、おかげで歩けた。帰りには、セイムスへ寄って買い物も出来た。
2017 11/21 192

* おいおいに、二人とも歯科通いが欠かせなくなってきている。
来週からは容赦なく忙しくなってくる、が、まだ妻は身動きも食事も、なにもかも要慎の埒をはみ出るわけに行かない。
わたしの手足と頭とをしっかり働かせねば。
このところわたし、杖をまったく手にしていない。杖に片手を預けていては手が足りなく、やって行けない。さいわい杖なしで不自由していない。
2017 11/21 192

* 早朝から妻を手伝い故紙をたくさん出した。出し終えてすぐに回収車が来た。間に合って良かった。
疲れたか、妻はキッチンで、わたしは機械の前で寝入っていた。妻は寝室へ行かせた。わたしは仕事。玄関でピンポンが鳴ると2階から返事してわたしが駆け下りる、階段の要心は怠らず。
2017 11/22 192

* 相撲茶屋の「竹」ちゃんから、来年のカレンダーが送られてきました、ありがとう。さて、横綱四人が顔を揃えて呉れてるかな。
なんだか「ちゃんこ鍋」が懐かしいな。むかし、妻と、友綱部屋がやってるちゃんこの店に二度三度通ったことがあり、まだ大関を張っていた魁皇關が部屋入 りと聞いて、わたしの奥さんは道の向かいの建物へ階段を駆け上り、魁皇關と握手してきたものだ。そんなアトで魁皇は優勝もした。最多勝記録にも達して、そ して引退した。ちゃんこも美味かった。

* 白鵬の負け相撲、残念であった。
2017 11/22 192

* 「選集」第二十三巻刷了の一部抜きが最終データも添って届いた。「選集」第二十五巻の初校も組み上がってきた。「選集」第二十四巻は師走の早々にも責 了可能なところへ来ている。「湖の本」138巻は、もう初校出になる頃か、ひょっとしてもう初校ゲラは届いているのかも。数も多く宛名のことが気になって 「湖の本」進行は抑えていたが、妻の退院生還で先は明るくなった。
仕事には、追われるより追って行くのが何より。
2017 11/23 192

* ポストへ自転車で遠くはないが、深み行く晩秋の冷気は身に沁み、まだ、わたし自身の疲れも、残っているなあと自覚する。ゆっくりゆっくり力を取り戻したい、二人とも。
* 妻のケイタイに入っていたという写真が十枚近く送られてきたのを、みな保存した。2012.1.7七草の朝のわたしの写真が珍しかった。胃癌確実と診 断された二日後で、当時の体重は86.6キロ覚えている。図体がデカい。同じ場所で同じポーズでテレビを観ている一、二年後のわたしは、確実に術直後から 20キロ余も体重を落としていたのがハッキリ分かる。いまも、ほぼ術後体重か、やや低めに推移。何としても表情は老いたなと思うが、あの頃は黒いマーゴが 元気で、いつもいつもわたしたちを励ましてくれていた、のに。術後四年半の初秋に逝ってしまった。

* 毎朝晩、かならず、庭にいるネコ、ノコ、黒いマーゴに声を掛ける。必ず言う、「今日も(明日も)トーサンもカーサンも家にいるよ」と。留守にするときは、「お留守番を頼むよ」と。
わたしは幼い日から「もらひ子」で育っていると知っていたが、それでも、秦の父の帰りが遅かったり、叔母の帰りが遅かったりすると、いつも待ちわび、早 く帰ってきて欲しかった。家に父と母とが揃っていてくれると心強くて安心だった。五年生、六年生頃までそうだった。で、ネコやノコや黒いマゴ達もそうに違 いないと、今も、思うのである。
2017 11/23 192

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す 二」

蝸牛角上 何ごとを争ふ       せせこましい世の中で
石花光中 此の身を寄す       火花ほども短い今生に
富に随ひ貧に随ひ 且つ歓楽せん
口を開きて笑はざるは 是れ癡人

早く逝った愛しい孫のやす香は、「笑う」「笑っている」のを、ほとんど身の哲学と心得た少女であった。その人生は、だが 悲しいかな石火光のようにあまりに短く果てた。いま、やす香はわたしの身のそばで写真と化って笑ってくれている。

薔薇と象と鶴と仏様と、笑っているやす香
2017 11/24 192

* いらいらしないために、赤穂義士四十七人のフルネーム、役儀・知行・扶持、切腹時の年齢を書き上げ、 べつに 四十七士の名を五十音順にわけて並べ、記憶しやすくした。一段と、親しみを増した。多年、これを心がけていて、やっと出来た。
125歴代天皇はしっかり覚えていて、二、三分のうちに云える。百人一首の百人中七十人くらいは思い出せるし、和歌も七、八十首は思い出せる。初句が出れば、全部覚えている。赤穂四十七士は永く、せいぜい二十七人ほどが限度だったが。
なにかにしつこく「待たされる」とき、こういう記憶遊びは役に立つ。般若心経も心得ていたが、最近心もとない。また覚えよう。
少年の昔、アブラハムイサクを生みイサク、ヤコブを生みってのを覚えようとして諦めた。
日本の古典の題を、五十。日本の近代作家の名と代表作とを八十。西欧の作家と代表作とを五十、けっこう厳しい。一時は西洋映画の男優の名も女優の名もそれぞれ百二十人ほど云えたが、今は三、四十人が限度。
頭の体操という風には思っていない。好きな遊びと思っている。うそくさい世間のあれこれに腐ってしまうより、よほど気が晴れる。妻の緊急入院した先月二十日以来、退院後も、わたし、「新聞」を一切目にしないで過ごしている。
2017 11/26 192

* 選集二十三巻送り出しの作業は終えた。
これで、師走・年内の発送作業は予定無く、心おきなく毎日の仕事に打ち込める。
歌舞伎見物も、この師走は予約しなかった。
およそ此の三十年来、顧みて例にないひっそりと静かな十二月になり、わたしは、冬至二十一日で満八十二歳になる。
同じこの十二月には、今を去る一九五七年、大学生の妻に求婚以来、満六十年めも迎える。よく二人して生き延びて来れた。それだけで、祝祭に足る。
2017 11/28 192

* 夫婦とも、昨日今日、送り作業に根を詰め、よく頑張った。ほっこりし、佳い煎茶が美味かった。
まずは、長編『ユニオ・ミスティカ ある寓話』を仕上げて、「選集」に一挙に収めたい。久しい「湖の本」読者、いわば赤穂の四十七士のように結束して戴 いた有り難い「いい読者」にすら、あるいは忌避される怖れもあるが、作者である以上、良い形で、やはり、多年の読者には謹んで呈すべきが道だろうと思って いる。
2017 11/28 192

* 妻と、郵便局そしてセイムスへ散歩かたがた用足しに出かけてきた。だいぶ、妻もしかと歩けるようになってきた。
明日は、わたくし、先月二十日いらいの病院通い(二科)になる。処方されていたお薬など、払底している。雨降りで寒いとか。ま、それぐらいは辛抱できる。事故発生だけは御免蒙りたい。

☆ 選集23巻おめでとうございます!
迪っちゃん
まだまだ続けられて良かったね!

ひとつの大きな山を越えたあとで、今回は特に感動的でしょうね。

本当に良かったです!!

でもあのお見舞いに伺った日のお二人が、

迪っちゃんは眠り、秦さんはお仕事をされていた

ただそれだけのことなのに、

窓辺のひかりを受けて、一枚の聖なる絵となって私のこころに残っています。

私は何度もその絵をそっと見るのです。

今日も美しい秋の日で、すべてがきらきらしていますね。

私はやっと平熱になり、少し遠い逗子の整形外科にこれから出かけます。

JRの逗子駅の近くですが、そこに大きな魚屋があり、いつもカブトに新鮮なアジやお刺身を買うのが習慣になってましたが…。

どうぞお大切にね。 愛とひかりを送ります 琉  妻の妹

* ありがとう。励ましもありがとう。
あなたも、からだ大事に大事にしてください。元気にまた合いましょう。
2017 11/29 192

* 建日子が階下へ帰ってきている、ようだ。

* 建日子もいっしょに、やす香が生まれた当時のアルバム二冊を大いに楽しみ、七時からは一緒に「大忠臣蔵」を観てくれて、母親のようやく無事に生還復帰 の実感を喜びながら、八時過ぎには次の仕事の吉祥寺方面へ出向いていった。次回、第二十四巻の口絵には、『古典愛読』を中公新書に書き下ろしていた当時に 父と息子と二人して旅した中禅寺湖畔での写真が入るのを見せたり、短いが和やかな親子三人の時が楽しめた。有り難かった。

* さ、明日は、先月二十日いらい久々のわたしの病院通いである。
2017 11/29 192

* ロサンゼルスから帰ってみえている池宮千代子さんの電話が、留守にあって、妻が出た。もっとも人工呼吸を余儀なくされていたため、まだ喉もとの不自由でうまく話せなかったろう。虎屋の菓子、また純米大吟醸酒まで送って頂いていた。恐縮。
2017 11/30 192

* いまさき、九時半、烈しい胸の苦痛に襲われ、急いで妻のニトログリセリンを貰った。四分で改善。そのあとに大きな排便があった。この二、三週間、ときおり胸に軽微な圧を感じることあり気にしていたが、先ほどの、急激な痛みには驚かされた。

* 手術してもらった外科の先生にお礼がしたいというので、妻に付き合い、地元病院へ往復した。もう一度お腹が痛んだが、和らいで済んだ。歩いていて腰も痛んだが。

* わたしの体調、どうも万全と読み切れない。引っかかる、とすれば心臓かと。

* 外科執刀医師へお礼に出向いた妻に付き添い、病院へ徒歩往復。疲れたか、帰って、機械の前で寝入っていた。
2017 12/2 193

* 妻の、退院後二度めの循環器内科診察に付き合う。夕暮れが早く、帰路は暗いので。またしても、は、ゼッタイに困るから。三時間。待合で、かなり校正の仕事が出来た。十五分余で歩いて通える病院は有り難い。
2017 12/5 193

* 横になって疲労をやすめ、岩波文庫新版の『源氏物語』「花宴」巻を楽しみ、次いで筑摩の全集から真っ先に竹西寛子さんの処女小説というに近い「儀式」を読みはじめた。
秦建日子の『雪平夏見 アンフェア』の類をよろこぶ読者には、竹西さんの被爆体験をしみじみと追った『儀式』はとても読めまいと思う。『儀式』の方に深 く惹かれ胸打たれる読者には、『雪平夏見』はあまりに軽い読み物過ぎるだろう。むろん読者の数は、遙かに遙かに『アンフェア』に多かろう。
ここに露わになる、文学・文藝の「表現」「追求」の問題は、あまりに難しい。しかも避けては通れない。
白詩は愛誦するが室町小歌は読まない、などというわたしでは、ない。だが……。
2017 12/6 193

* 「尾張の鳶」さん、中国詩人選の『白居易』上下巻に次いで、岩波文庫版、川合康三訳注『白楽天詩選』上下巻を送ってきて下さった。字も大きめで読みやすい。感謝、感謝。
祖父譲りの『選註 白楽天詩集』もあり、これでほぼ完璧に白楽天世界に親しめる。
岩波文庫で、さきには松枝茂夫・和田武司訳注の『陶淵明全集』上下巻も「尾張の鳶」に戴いており、祖父が遺してくれた古本『唐詩選』も『古文眞寶』も手近にそろっているので、漢詩世界は十二分に楽しめる。漢詩が、平安和歌と並んで、ますます心親しく思われる。
2017 12/8 193

☆ 拝復
はや寒波到来 ふるえあがっております。東京はいかがかと案じております。奥様ご療養とうかがい早いご快復念じております。「秦 恒平選集」第二十三巻ご恵与たまわりありがとうございます。限定私家版いただくご縁光栄 せめてよき伝搬者たらんの思いはあるのですが、なかなか果たせず ふがいないことです。
刊行時評判の「日本史との出会い 中世に学ぼう」 全編貫いて 人の下に人を作らず、人の上に人を作らずに裏打ちされ、歴史に学ぶとはこのことと感服したこと思い出します。学生ともども大いに鼓舞されたのですが、ますます下落の途たどるかの現状、茫々四十年です。
実は、六波羅蜜寺からの帰途、異界に迷い込んだかの思いで足早に立ち去り再び訪れることなく、余人はさておき、見て見ぬふりのわが身の罪深さ引きずっております。天皇の名の下の悲劇の数々。伯父は戦病死です。
ご看病多忙のおりくれぐれもお大事に。
通院待合室で古い歳時記冬の部に入営の季語を見出しました。
秋病むや妻添ひくれて比翼読み
かわりばえせず恐縮ですが (稲庭=)うどん少々お送りしました、  草々  信太周

* くれ秋を病む妻の手のちひささよ  遠
2017 12/8 193

* 求婚満六十年の前夜祭を「吉備の人」に戴いた名酒「獺祭」、神戸の岡田昌也さんに戴いた越前仕立て「汐うに」、京都の横井千恵子さんに戴いた千枚漬、そして名古屋の水谷三佐子さんに戴いた和久傳れんこん味の粽で、祝った。美味。

ともに八十一歳、わたしはこの冬至に、満八十二歳になる。
明日は日曜、あえて外出せず、家で静かに六十年の歳月に感謝し、妻の快復を重ねて祝したい。

* 誰も誰も、元気に幸せでと祈る。                       2017 12/9 193

* 求婚六十年

むそとせの長い永い道のふたり旅
一と言にいへば   おもしろかりし  恒平
よくぞ来たりし  迪子
2017 12/10 193

* 昨夜、筑摩の大系本で高橋たか子作の短篇「白夜」を読んだ。高橋さんを「初めて」少し知ったと実感した。異様に迫られた。高橋さんの方からわたしへ関 心を寄せられてきた、そして一緒に当時のソ連へも永い遠い旅をした、かすかなワケが見えた気がした。わたしは高橋世界を全く知らなかったし、旅のアトにも サキにも何冊も本を戴いていたのを読んでいなかった。むしろ娘の朝日子が読みかけていたようなボンヤリした記憶がある。
文章の表現ではわたしは竹西寛子さんのそれに指一本ふれたい気がしなかった、整斉として完成に近いと感じた。高橋さんの文章には、わたしなら推敲する、 この軸は省くと何度も感じた、が、その文章世界の異様に魅力さえある感覚には驚愕した。はやく亡くなった夫君高橋和己さんも奥さんも遠くからわたしの作へ 声を掛けて下さっていたワケのようなものが、ほの見えた。
2017 12/10 193

* たっぷりの名酒「獺祭」を、汐うに、いくらと、茄子の漬物とで堪能、昼食にかえてきた。着替えて出掛けるよりよほど思い静かに憩えることか。建日子が顔を見せて、一緒に一献してくれれば言うことなしだが。
2017 12/10 193

* 画家上村淳之さん、ご自身の花鳥画との書家の書との競艶カレンダーを送って下さり、加えてやはり書家たちと画家達とで成されたカレンダーも併せて戴いた。来年の部屋、部屋、写真家甲斐さんから届いているカレンダーもあり、楽しみなこと。
妻と、新宿河田町で新婚の頃は、カレンダーが手に入らなくて、買う余裕もなくてかなり困惑した。会社へ出入りの印刷所や製版所の営業さんらに頼み込んで、例年一つ二つを辛うじて手に入れていた。
2017 12/10 193

* どこへも出掛けず、静かに家で、書いて読んで呑んで食べて、居眠りなどしている。これが佳いんだ。
明日は、妻の歯医者通いに付き合う。そのサキかアトかに何処かでささやかに食事をと思っているが。
久しくクラブへも行けていない。例年もらってきた「来年の手帖」も欲しいので、ぜひ行かねば。

* きびしい寒さへむかうので決心はしづらいが本当のところわれわれは夫婦とも足腰のためにも健康に出歩く生活にも努めねばいけないのだと思う。いまも、 必要あって前世紀末の我々日々の暮らしを日録で部分的に読み返しているが、たとえば美術展のためにだけで、夫婦して横浜へも名古屋へも京都へも気軽に出歩 いていた。ふと思い立って水戸や袋田へ、仙台、松島へ、足利へなど、小さな旅も何度もしていた。もうモノは沢山持てないが軽装で動ける季節になれば、せめ て街へも出歩いた方がいいなと思う。
2017 12/10 193

* 妻の歯医者通いに付き添って行った。帰りに池袋ででも、いい夕食をと楽しみにしていたが、妻、へんに風邪ぎみのため諦めて帰宅。有り合わせの肴や漬物で酒を飲んで、辛抱。
どうも、ついていない。
2017 12/11 193

* 心身とも、何となく草臥れ、ヘバっている。腹への食べ物の収まりがうまくないのか、食べると気も身も重苦しく不快になる。困る。「 蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし夕餉はなにが喉とほるらむ」という戯れ歌は胃全摘そして三月退院の年の十一月の作、さらに四年余の今年正月末には、
尿が出て便出て食へて目が見えて読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし」と詠い、同日、「余念なく眠ってをばよいものをなぜ起きてくる 死にたく ないのか」とも自問している。体調としては、しかし、いのよりマシだったのかも知れない、いまは心身とも堪え性が薄れている。めざましい嬉しさや楽しみに 欠けているのかも、例年だと十一月の顔見世、師走の観劇、この十数年欠かしていなかった。
2017 12/12 193

* 選集第二十六巻の構図が立った。久しぶりに亡き実兄恒彦の書簡を懐かしく読んだ。いま、だれよりもなどとは限定しないまでも、生きていて欲しかったと堪らない一人は此の兄北沢恒彦だ。
さてさて「湖の本139巻」の編輯にも掛からねば。すこし楽しみたい、ま、急ぐまい、
なにより心神のためにも。
食べ物を美味しく食べられるよう努めたい。先日「ボンシャン」で註文した前菜の大きな「生牡蛎」三つが忘れがたい、が、ああいうのは毎日は無いかも。師 走は忘年会で賑わう店だ、日比谷のクラブへ行きたいが、夜の場所だから、あまり寒い晩はヘキエキ。「なだ万」で誕生日を祝ったことが二度有る。忘れられな いのが「鉢巻おかだ」の鮟鱇鍋、美味かったなあ。癌になる以前だったが。
2017 12/12 193

* 将棋の若き渡辺竜王とコンピュータ棋王ボナンザの決闘に引き込まれた。此処には悪しき政治、悪しき経済の入り込む隙がない。その透明さに心許せる快味 を覚えた。ボナンザが押していると見えていたのが、ただ一手で竜王の強烈な逆転決勝があった。将棋には疎い疎い、少年時代からの苦手な競技であるが、それ でも終盤の攻め合いには息を呑んだ。将棋の面白さへもかすかに行為と好奇心をもった。
妻と囲碁を楽しむにはちょっと落差が大きいと思うが、将 棋なら、追っつ辛っつ、早晩わたしの方が負かされてしまいそうな予感がある。わたしのアタマはとても将棋的に働いていないのでは、囲碁の方へ親しいので は、と久しく思ってきた。妻は、逆のように思える。わりに佳い将棋盤と駒とがあるのだ、引っ張り出してこようか、などと思うほど渡辺竜王の勝ち将棋に朝か ら刺激された。「閑は鈍人を逐ひ来る」のか。
2017 12/15 193

* 九時過ぎ。妻はかぜ気味、わたしも疲れてもう視野は滲んだように霞んでいる。機械からは離れねば。
幸い、富岡多恵子の『壺中庵異聞』が手荒いなりに固有の文体を働かせ、面白い、というより興味有る展開になって来て、長編だがこのまま先が追える。「豆 本」というのを是非にと頼まれ、一冊造らせたことがある。豆本といった好奇の探究にわたはむしろ冷淡だが、富岡さんの長編、少なくも読んできた前半は「豆 本」の版元と刷士とその妻(わたし)との奇態な関わりがまるで投げ出すような口調で、しかもこと細かに語られている他。製本や製版・印刷、出版の仕事は、 わたしの人生そのものであったとも云えるだけに、作の「わたし」り細かしい技術的な説明も、作者の体験かしらと想えるほどよく分かる。いくらかウンザリも するが、関わってくる三人が執拗なほど元気に書けていて面白くなってきた。少なくもこの長編は高橋たか子作「白夜」のようには狂っていない。そのぶん、 ひょっと手このまま平凡な長談義で終わるのかなあと案じないでもない。
2017 12/15 193

* わたしたちは夫婦して睡魔に見舞われているよう。からだに熱が籠もっているのか。

* 気がつくと また機械前の倚子で頭を垂れ寝入っていた。寝て、確実にいいのは視野がクリアに戻っている事。
よくよく思えばいまわたしに差し迫った何もなく、風邪気をいたわっておれば、差し迫った用は無い。誕生日まえに散髪したいのが唯一、それとて大ゴトではない。
食べ物は、偏ってはいるがむしろ過剰にとれている。体重は安定している。せいぜい寝て休んでいれば今は好いと思う。気がかりは「日本丸」の危なさ、これは、安倍晋三のような、トランプで国運を占っているような見当違いとその子分らに舵をとらせているかぎり、どうにもならない。
トランプの城の崩れ落ちること、ないのか。

*妻の風邪けは一進一退、わたしの体調は宜しからず、ぞわぞわとしたかすかな寒気に集中力を奪われている。
思い切って、寝入ってしまおうとおもう。

* それでもやはり仕事していた。幸いに、いまむやみに追い立てられる仕事は何も無い、なら今こそ仕掛かりの創作を打ちこんで追いかけることだと思う。も う熟して枝から落ちそうな果実は、「ユニオ・ミスティカ ある寓話」が一番、これを収穫できれば、攻城で大手門を抜いた気分に成れそう、どう発表するかな どは二の次で良い。
アレもしたい、コレも、ソレもとわたしは今何かに追われるように浮わ気になっている。それで気疲れもしている。凡の凡人の証拠のようにうろうろと、あげく疲れている。

* 十時半を過ぎている、結局。
また、階下で「壺中庵異聞」など読んで、寝ます。今夜は、亡くなった人たちと黙って話しているような按配だった。亡くなった人たち、わたしからして、死 なれた人、死なせたような人は、現世にも作の中にもずいぶん大勢いたんだと呆れる心地で、ぼーんやりしていたらしい。そんな誰も、こっちへ來いとは言いも 誘いもしない、が、手が届きそうにすぐ傍にいる感じがする。妻が先の入院中、だれかれとなしに懸命に救いを求めていた。願いを聞いて貰えたと感じている。
2017 12/17 193

* ところで、さてさて。
今朝の寝起きに、寝床脇の抽斗を手当たりに一つ抜いて、点検し始めた。いきなり「歴史調査研究所」からの封筒、私宛で、「<全国秦氏>家系共同調査案内書」と封筒に刷ってある。A4紙表裏に文面のA4紙四枚があるのをスキャンしてみた。

☆ く素姓〉のあらまし (1)
【概要】.
「秦(はた) はだ。古大姓、渡来族。応神帝のとき弓月君、百二十七県の百姓を伴って帰化したという。子孫はふえ広まったがとくに、朝廷の財政制度を確立するのに貢献した」(『日本姓氏大辞典』解説編)
「秦 ハタ ハダ 天下の大姓にして、其の氏人の多き事、殆んど他に比なく、その分支の氏族も亦甚少からず。而して上代より今に至る迄、各時代共、恒に 相当の勢力を有する事も、他に類例なかるペし。猶ほ後述の如く此の氏は韓土より渡来の氏と伝へらるゝも、後世皇別、神別の波及、八多等の氏が、反って秦氏 と称するも、此の氏の偉大なるを語る-資料たるペし。
(以下20頁・127項目にわたって詳述)」(『姓氏家系大辞典』)
【種 類】
・秦・奏・泰・畑・畠・羽田・八田など48種
・秦~姓 秦井・秦川・秦野・秦勝・秦許・素人など44種
~秦姓 太秦・上秦・津秦・豊秦など9種
【実 数】
・秦(はた・しん)全国641位・約3万人(「佐久間ランキング」)
・全国で6,988世帯・約25,000人(歴史調査研究所調)
【分 布】
①福岡 ②大阪 ④東京 ④兵庫 ㊥神奈川 ㊥愛媛 ⑦島根 ⑧広島 ⑨埼玉 ⑩北海道
(多い順ベストテン・歴史調査研究所調)
【地 名】
秦(寝屋川市・総社市・高知市)、秦山町(高知県土佐山田町)、秦庄(奈良県田原本町)、秦荘町(滋賀県愛知郡)、秦梨町(愛知県岡崎市)、秦野市(神奈川県)、秦泉寺(高知市)、太秦(京都市・寝屋川市)など42か所 (消滅した歴史地名も含む。)
【史 料】
秦氏系図(土佐)、秦氏本系帳、秦文書(若狭・兵庫・島根・岡山)、秦氏の研究(平野邦雄)、秦氏とその遺跡・伝承(今井啓一)、平安時代の秦氏の研究 (井上満郎)、瀬戸内海地域の秦氏に関する一考察(金子邦秀)、依知と案氏(細川光成)、古代の秦氏(秦公義)、伊予の豪族秦氏の命運(堀井順次)、秦氏 の秦之亡人説(井上秀雄)、秦氏とその神(半田康夫)、秦氏私考(田中勝蔵)、秦・秦野・波多野氏について(葉貫磨哉)、秦史談(松本紀郎)、秦氏の研究 (大和岩雄)など多数
(裏面に続く)

く素姓〉のあらまし (2)

【人 物】(順不同・敬称略)

秦 酒公(5世紀後半の渡来氏族)
案 河勝(聖徳太子の近侍者)
秦 朝元(奈良時代の医師)
秦 田麻呂(万葉歌人)
秦 武元(平安時代の高僧)
秦 致貞(平安時代の絵師)
秦 奥実(江戸初期の弓術家)
秦 宗巴(江戸初期の医師、京都人)
秦 徳隣(医師、宗巴の養嗣子)
秦 相看(秦家創建京都松尾神主)
秦 山我眉(江戸中期の儒者、美濃の人)
秦 滄浪(山我眉の子、明倫堂教授)
秦 星池(江戸の書家)
秦 友房(木彫師・塗師、作州津山人)
秦 親友(秦家創建、伏見稲荷神主)
秦 新村(三河田原藩儒官、就将館創設)
秦 竹探(大阪の書家)
秦 将蔵(幕末の志士、天誅組に参加戦死)
秦 魯斎(勝山藩医、成器堂開設)
秦 瀬兵衛(幕末期の社会事業家、出雲の人)
秦 蔵六(鋳金家。御璽・国璽を鋳造)
秦 猪之助(時計商、三重県人)
秦 敏之(シンガーミシン裁縫女学院設立)
秦 豊助(衆議院議員・政友会幹事長、東京人)
秦 佐八郎(細菌学者、島根県石見の人)
秦 銀兵衛(日本燐寸同業組合副組長、兵庫)
秦 りん子(敏之妻 洋裁教育家)
秦 勉造(保全病院長、福井県人)
秦 真次(陸軍軍人、仙台第2師団長、福岡県人)
秦 逸三(実業家・人絹技術者、広島県人)
秦 資彰(日立鉱山病院長、福島県人)
秦 常造(理研真空工業社長、島根県人)
秦 兵三郎(鍛工業・多額納税者、福岡県人)
秦 正次郎(日昭電線伸銅専務、広島県人)
秦 亀太郎(大東金属工業社長、広島県人)
秦孝治郎(大日本硝子社長、滋賀県人)
秦 彦三郎(陸軍軍人、関東軍総参謀長、三重県人)
秦 与兵衛(太子山奇応丸本家、京都人)
秦 米造(日本コロンビア社長、福岡県人)
秦 豊吉(演出・文葦家、筆名丸木砂士、東京出身)
秦  守(桜護謨取締役、徳島県人)
秦 理四郎(函館船渠東京出張所長、北海道出身)
秦 慧玉(曹洞宗僧侶・永平寺貫首、兵庫県出身)
秦 藤樹(日本微生物学協会長、長野県出身)
秦 清三郎(医博・京城帝大医学部教授)
秦 正流 (朝日新聞社専務・文筆家、滋賀県出身)
秦 順治(田辺製薬東京出張所長、広島出身)
秦 不二雄(名古屋高裁判事・弁護士、秋田県出身)
秦 計機雄(紅屋商事社長、大阪出身)
秦 豊(政治家・元参議院議員、愛媛県出身)
秦 次雄(上信電鉄社長、群馬県出身)
秦 郁彦(現代史学者、山口県出身)
秦 邦男(十条製紙研究開発本部長、北海道出身)
秦 佳朗(中国現代史・中国語研究者)
秦 和宣(日立機械エンジニアリンク社長、大阪出身)
秦 従道(チェスコム仙台社長、宮城県出身)
秦 剛平(ユダヤ古代史研究者、東京出身)
秦 恒平(小説家・文藝評論家、東京工業大学教授、京都市出身)
秦 博(大阪市立東高校校長、愛知県出身)

<中国>

秦 開(戦国時代の燕の将軍)
秦 瓊(隋末・初唐の武人)
秦 観(北宋の文学者)
秦 良玉(少数民族の女性指導者)
秦 力山(清末廟の革命家)
秦 兆陽(作家・批評家、長篇『両世代』など)
秦 川(元・人民日報社長)
秦 孝儀(故宮博物院院長)
秦 大河(雪氷学者、南極大陸横断国際隊員)
秦 輪生(気功法指導者)

* ア、もう、中断。しかし、「渡来系3姓<秦 はた 梯 かけはし 台 うてな>氏全国都道府県別分布一覧表」というのは面白い。秦氏は全国に6988 家が確認されてあり、福岡県(735)東京都(627)大阪府(664)兵庫県(415)神奈川県(373)愛媛県(367)島根県(312)広島県(282)埼玉県(267)北海道(250)などで多く、京都(167)と意外に少ない。最少は秋田県と沖縄県の各(6)とある。
いろいろにモノが読めてくる可能性がこの表覧に見てとれるが、わたしは表をスキャン出来ない。
ほかに「掛橋 桟 梯 雲梯 など「かけはし」という姓についても興味ふかい説明がいろいろあるが、もう、バンザイ、手に負えない。

* たった一通の封筒から、こういうのが出てきて、棄てがたいと保管されていたのだが、こう視線をあてようとすると、こんな程度でない無数無量の興味津々 の「ごみ」のような保管物が家中に百万も隠れているはず。人様にはお笑いだが、就職して初の給料支給書もあれば、初の私家版の印刷所請求書も出てくる。組 合の新聞に新入社員として初めて原稿を書いた刷り物も出てくる。兄からの古い古い大昔の手紙も物にまぎれて出てくる。
結局は棄てねばならないと思っている。なによりも、お、これは使えるじゃないかと小説の書き出しを迫ってくるモノやカミがぞろぞろ出てくると、胸が熱くなってくる。白楽天も、たいてい風雅に風流に安息しているようでも「詩」への思いにだけは心身が灼けると言っている。
 

掛橋、(かけはし) l;の世界を結ぷ姓
本州と四国を結ぶいくつかの連絡橋ができた。多くの人は、居眠りしたまま四国に渡れ

あわ              ヽヽ
昔は阿波国(徳島県) へ行くためのかけ席が淡路島で、アワジというのはそこからきてい

現在もこの工事は進み、「本州四国連絡橋公団」が、日夜仕事をいそいでいる。
そのPR誌にrかけ橋Jという雑誌がある。わたしは、そこに二年ごしで「掛橋さんと夢
さんの対談」というのを連載している。
掛橋や夢野という苗字は珍しい。その掛橋姓について原稿を書いていると、歴史家の牧野
さんからrかけはし氏の歴史」という本を贈られた。
ページをめくると、
うキて
かゃはし漉すセわち梯・横-(棲)・掛橋・薯横姓について総合的に書壌
療叩
〝れた本であることがわかった。なかなかの大著である。
さて、このカケハシという姓の由来は二つに考えられる。
一つは地名、一つは職業だ。
地名は全国にある。一つずつあげれば
掛橋(福島県いわき市)
桟(壊)(長野県上松町)
梯(兵庫県山崎町)
専横(奈良県境原市)
総じて地名は九州、東北、四国さらに山間僻地に多く、苗字ももとはここを発祥としてい
;」とがわかる。
カケハシの文字の違いはあるが、内容にはそれほどのひらきはない。漢字を当てたまで
化。しかし桟や梯になると、よむことも書←ナ」ともできない人もいる。だが掛橋の文字には
、の懸念はない。ただカケハシ姓のなかでは梯姓が一番多いのは事実だ。それでも全体を総
別しても五千人には至らない。
発祥地、歴史はさまざま
ところで、同じカケハシでも地域や発祥が別だから、ルーツもー様ではない。みな同族と
げるのはまちがいである。いま一例をあげると(前記、牧野畳氏著r大陸との架橋」)
(こ福岡県八女郡広川町梯の梯戌には真宗

小心      ・掛野
の開店寺住職でもと中野姓の氏があるd..
し{叶ヱ
九Vつかん
仇住職梯隆慶氏は十五代目。家紋大桑紋。
おえ                こうえい
(二)徳島県麻植郡山川町林氏流梯氏は川島城代林道感の後育。家紋は丸に五三桐。
●†はち
(三)■高知県高岡郡梼原町の掛橋氏は三島神社の神職。延書十三年(九;コ津野経高入国
仰来三十五代。家紋三房扁。
わたちい
(四) 三重県度会郡小俣町懸橋(掛橋)発祥の掛橋氏は伊勢神宮の社家。
カケハシの表記にはいろいろあるが、もとの意味は〝橋をかける″ことには変わりはな
「。もっとも古代は席をかけることは大変な工事で、小さな川はつり橋、大きな川は船橋に
′る以外はなかった。だからかけ橋の多くは山国ではつり橋のことだ。
カケハシの姓は地名に由来するものが多いが、なかには実際にこの工事を施行指揮した人
いる。職業からきているわけだ。だが、さらにもう一つ加えることがある。それは「この
とあの世」(仏教系)、「神と人」(神道系)とを結ぷ仕事がある。僧侶や神官に多いところを
ると、カケハシは、・その役目を果たす人のことでもある。
PHP文庫 あっと驚く苗字の不思議
あなたの意外なルーツを探る
2017 12/18 193

* やそふたつ積んで壽(よはひ)を手に享けつ
日光(ひかげ)しづかな朝の狭庭に

* 九九と覚え上なき数の八一に
一つ上越す冬至生まれぞ        恒平

* 長寿を祝う故国近江の名酒「金亀」を盃に、妻が心づくしの赤飯と吸い物で、ささやかに朝食。
2017 12/21 193

☆ 建日子です。
本日、私の映画監督第二作が完成しました。
今、内々の製作委員会で 完成試写が終わりました。

父上はお誕生日ですね。

おめでとうございます。

新たな一年も、お互いに、佳き作品を。。。

正月には帰ります。

* 「お互いに、佳き作品を。。。」と。覚えておくよ。「作」と「作品」とはまったくの「別」物。決して間違えないで。
明けて、幾つになるかな。満歳の五十かな。この先が、難しいんだよ。しっかり、おやり。

* 妻の風邪気味緩和せず、街へ出るのを諦め、下関の雲丹や、生協の蟹や、「和加菜」出前の刺身で、家で酒を呑む。吉備の人、お酒を新たに一升下さる。なにもかも、戴くばかり。ありがたし。

☆ 秦さんのお誕生日
迪っちゃん

体調は如何ですか? お元気?

実は秦さんのお誕生日に 少しだけですがお菓子を送ろうと思っていたのに、

気がついたら明日! 本当にご免なさい。明日お送りしますね。
ただ年末なので すぐ着くかどうかはちょっと分かりませんが…。
でも お二人共が、とにかくおうちで 82歳のお誕生日を迎えることが出来て良かったですね。

本当に本当に おめでとうございます!

秦さんによろしくお伝えくださいね。

どうか無理しないで、いつまでもお元気でいて下さい!! 琉  妻の妹

* ありがとう。あなたの励ましがなかったら、迪子が集中治療室入りしたとき、よう持ち堪えられなかったかと思うのです。ありがとう。アメリカの友人からたまたま電話があったあの頃、わたしは電話口で泣いたと、あとで聞きました。たしかに泣いたと覚えています。
あなたも、ご家族も、どうぞどうぞお大事にと心より願います。
誕生日を祝って下さり、ありがとう。お菓子を下さる。ありがとう。  恒平

* 明日は、正午過ぎの妻の歯医者通いに付き添う。転ばれてはならない、もっともわたしも転ぶわけに行かない。どつちがよろよろだか分からないが、わたしはまだ軽快に自転車には乗れる、坂道でも。しかし歩くのは上手ではない。天気であって欲しい。

* これで今日は眼に悩みながらかなり仕事には励めたのです。十時半。もう、休みます。
2017 12/21 193

* 藤澤の義妹も、心入れの、めずらかな甘味をプレゼントしてくれた。ありがとう。また神奈川まで妻と連れて、せめて横浜まででも逢いに出かけたいもの。

* 明日は、元気があれば、池袋まで、例年の如く雑煮のための京の白味噌を買いに出かけたいが。
なんとなくもう九時半。リーゼを服して、寝入れるといいが。
2017 12/22 193

* 建日子が風邪気味と。一緒に三箇日の雑煮を祝うのは断念せざるをえない、二人とも微かにもかぜ気味でいる、誰も彼も、わるい風邪へこじらせてはならない。建日子は正月に芝居の演出と公演を控えていると聞いている。お互いに大事をとりたい。
建日子、大事にしなさい、雑煮の味は変わらない、十五日の小豆粥の頃に味噌雑煮も食べに来なさい。
2017 12/29 193

* 家の中、何処も彼処も散らばっているが、片づけるなどに心身を労せず、今在るままに静かに無事に歳を跨いで越えたい。
2017 12/30 193

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