ぜんぶ秦恒平文学の話

家族・血縁 2019年

 

* 建日子来る。
雑煮 一椀半しか食えず。
初詣に出ず、仕事。小説に とほうもないアヤがついてきて ま、いいか。

* 元日など要らない。大晦日から、いきなり正月二日になればいい。

*,年賀状、今年も百枚二三十ほと゜も戴いた。
いっとう嬉しかったのは、お元気でありますようにとずうっと案じていた桶谷秀昭さんの、力ある毛筆大字の賀状の届いていたこと。まさしく、元気を戴いた。文筆家や各界人、読者、知友、東工大卒など。昔とハッキリちがうのは、出版社からの活版モノの無いこと。依頼原稿というモノを今世紀に入って、全然承 けてないのだから。ペンへも協会へも委員会や会合へもまったく顔を出していない、もう死んだかと思っている人もいるかしれない、な。

* 終日 むしろ仕事に勤しみ、時に和久傳の「紅」を口に含み、そして…酒正月。要冷蔵で抱きかかえていた名だたる「獺祭」四合を夕方には独り呑みほし、さらに純米大吟醸の「金婚」「松竹梅」と、総じて七、八合ほども独り戴いた。
もう今日は寝入りたい気分、明けたなら、どこかへ独りで旅に出たい気分。
元朝朝一番の、なんだかややこしい名の時代劇映画がすっかり、わたしの気分を壊した。
建日子が来てくれたのに、なにひとことも親身のいい対話も出来ないまま。可哀想なことをしているが、わたしの気分は、途方もなくわるい。
明日には、どうか平常に戻りたいが。

* 小説、長編の第二部の部分をねちこちと検討して夜更かし。

* 夕食後、やや持ち直し、建日子と、更に酒を飲んで、いろいろ話した。
20191/1 206

* 独り泊まっていった建日子、ゆっくり熟睡し、キッチンで親子水入らずの雑煮を祝ってから、また仕事場へ帰っていった。
2019 1/2 209

* えいやッと、もう隣から大きな重い荷を六つもこっちの玄関へ運んだ。一度階段の上りへ転げかけた。上りで大過なく済んだ。心臓がすこし痛んだ。

* 「マ・ア」のヤンチャが過ぎてしばしばモノが割れ、トースターも顛落破損してしまった。悪意というモノのない子たち、半分諦めている。戸外へ出してやりたいと思うが、その勢いでご近所に障ると困る。迷子になり行方不明になるなど思わないのだけれど。 2019 1/2 206

* 女優の大島れい子が、各地の旧家の蔵の荷を売り払うのに付き合っているのをみた。要するに化学に換算し、その品々にはどの家族もまったく知識も愛着も関心もなくて、いい値が付いたら家族で河豚が食べたいなどと。ご勝手ではあるが、品物には、それなりの価値もあるけれど
、大切に貴重なのは、久しく「使い・遣われ」てきた「思い出」という価値をまったく勘定に入れてない人たちばかりなのが。なさけなかった。

* 建日子とも今朝、雑煮を祝いながら話してたことだが、毎年必ず大福茶のために用いる「しらたま」と呼んでいる愛らしい湯飲みは、建日子が未だ母親のお 腹にいて生まれる寸前にうちでお茶の稽古をしていた二人がお歳暮に贈ってくれた品なのだ、つまりは建日子の年齢分ずうっと愛用し続けてきたしなであり、そ の「おもいで」の懐かしい重みはとても価額では測りきれない。品物、ことに愛用・愛玩の道具とはまさしく「思い出」の値打ちでこそ愛されて然るべきなの で、そんな片鱗もなくただもう価額に替えようと払い出されて山積みの書画骨董道具衣類等々、なんという哀れに気の毒な生涯であることかと、持ち主、売りた い主たちの浅はかな気の低さ、情けなくて見ていられなかった。遣って愛してくれる持ち主でない持ち主にまったく顧みられずお払いにされる運命の道具など、 在れど無きに等しく、なんとも情けなく、可哀想。
2019 1/2 206

* 明治二年に生まれた秦の祖父は昭和二十一年閏の二十九日に亡くなった。七十九、ウソのような長寿だと惘れていた、小学校四年のわたしは。しかし秦の父 は九十一、母は九十六、叔母は九十三歳で三人とも気の毒に東京へ移り住まって亡くなった。たまげた長寿だった、わたしはまだ還暦にもなってなかったろう。 だが、満八十三、今は。母に届くのには、もう十三年も野越え山越えねば。「最後の長編」を今書いてますなんて言ってはならんわけだ。
2019 1/5 206

* 七草粥の雑煮を二人で祝う。四日の午には焼き餅の澄まし雑煮を二人で祝った。十日過ぎには鏡餅を割り善哉を煮る。十五日には小豆粥の雑煮を祝 う。わが家の正月はその辺まで。今年はその頃に「湖の本」143巻めを送り終えるだろう、そうありたい。二月には「選集」第二十九巻が仕上がってくる。幸 いに恙なければ。いや先のハナシは今はすまい。
2019 1/7 206

* 秦建日子 誕生日 おめでとう。どうか 心ゆく 佳い創作を続けてください、カーサンと二人で赤飯で祝いました。
2019 1/8 206

* 「アコ」に起こされてしまう、もっとも、昨夜はやはり疲れて十時には寝入ってしまった。よくねたという自覚で目ざめたらやっと零時過ぎ。次ぎに四時に手洗いへ。
2019 1/11 206

* 障子外がほっと白んでいたので起きた。「アコ」が巻きつくように両足首に絡むのでホトホト歩けない。二階へかろうじて逃げ込む。
2019 1/12 206

* 吉例、小豆粥の雑煮を祝う。
2019 1/15 206

* 歯科から帰る。留守番の「マ・ア」大いに喜ぶ。「中華料理」でマオタイをたっぷり二杯。いま広い東京でもわたしのた めにマオタイ酒を常備してくれている店は、無い。幸いに妻はこの店が好きで、歯科の帰りというと此処へ寄り、妻は甘いめの酢豚を、わたしはマオタイを。 すっかり親しい店になっている。だいたいわたしは、食べ物やサンとはすぐ仲良くなる。ものを美味く楽しく食するには一等の心がけである。

* 保谷まで電車で寝入る。妻に揺り起こされた。わたし一人なら飯能辺まで乗り過ごしていたかも。
ご近所さんと、タクシー相乗りで帰宅。
2019 1/15 206

* とくに兄分の「アコ」にこのモノの積み上がって満杯の仕事場をザンザンバランと踏み荒らされるのが困る。参る。

* ゆっくり湯に漬かって疲れをとりたい、但し校正しながらデス。
2019 1/22 206

* 『北越雪譜』の「雪の深浅」「雪意(ゆきもよひ)」「雪の用意」をあんまり身に沁みたので写そうとしたがルビびっしりで機械も対応できず。
こんな細い日本列島で、背骨のような山脈の北と南の大差にしみじみ驚く。「バカか、おまえ」というのはわたしの口癖だったと建日子らは思っているらしい が、わたしが同じように云われた数少ない一つに富山出のナースに「京の雪の風情」を賞美したとたんの手跡での一喝だった。忘れることができない、意味はや や異なるにせよ「一枝の師」であった。
2019 1/24 206

* 妻を診察の主治医の観測、とても良かったと。ありがたい。良かった。
2019 1/29 206

* 食がすすまず、用意してくれる妻に申し訳ない。もっと努めて食べないとと思うが。今日は、蜜柑とアルコールばかり口にしていた気がする。からだは動か していないのに疲れて、五時頃の夕食後、十時半まで着のまま寝入っていた。目ざめて朝かと思った。このまま、もう一度寝に就くとする。破裂するような嚔を 連発したり。熱は感じていないが、寒い。
2019 1/29 206

* 節分、わが家では夕過ぎて恒例の「福は内、鬼は外、福は内」の豆撒きを、年男でもある私が、入浴のあと、夕食の前に例年通り、一階、二階の全部の戸口や窓で、執り行った。
歳の数に一つ多く豆を食するのも定まりだが、これも例年、歳の端数に一つ足すだけに遠慮している、つまり八十三歳のわたしは、豆四粒を口にした。また香ばしく焼いた目刺しを食するのも恒例、美味い「獺祭」といい煎茶で、珍しく夕食の足しに、四、五尾も食べた。

* 八時半を過ぎている。入浴のママ校正もし読書もしたし、仕事は辛抱よく気を入れてかなり打ち込んだし、もう眼は限界。あとは成るままに気楽にすごして早めに寝たい。 2019 2/3 207

* 明日明後日の昼過ぎには建日子招待新作の芝居を二つ、観にゆくのよと妻に言われた。明日は雪かもと。建日子の演劇は久しぶり。先日、テレビで「ルパン 三世」の漫画映画を見せられたが、五分で退散した。建日子の本領は一に舞台かも知れない、さ、何を観せてくれるか。楽しみ。
朝日子やみゆ希も来るといいのに。

* 明日は都心も積雪と。雪で電車のストップも困ってしまうし、寒いも滑るも危険千万、観劇はヤメにするしかなくなった。残念。
2019 2/8 207

* 戴いた純良の雲丹で、戴いた「獺祭」二升の最後を醑んだ。鱈と、佳い白豆腐と水菜の鍋が口に優しく。飯は、喰わず。それでも、がっくり疲労している。明日、建日子の芝居、行けるかどうか。妻ひとりで、行ったことのない小さな劇場へ行けるか、心配だが。

* ニューズは、右も左もロクなことはなく、昔はもっともっと暢気に暮らせていたな、貧しかったけれどと嘆く。

* どうにもこうにも、一歩二歩が進まない。想と言葉とが容易に馴染まない。暗闇へ身を投げねばならないのに動けないまま、数行しか書けていない。ぐっすり寝てしまうのがいいかも。建日子の作・演出劇も覧てりたいが。
今日、久しぶり不覚にも健康の懸念を口にしてしまった。挫けてはいかん。一月前、歌舞伎座の帰りに三笠会館で撮った、すこし元気そうな写真を、関守石のつもりで置いてみる。
2019 2/9 207

* 日暮里まで建日子作演出の芝居を観にいった。印象は、「つか(こうへい)芝居」流にあまりに忠実げな「つか芝居」のシンの深刻味にほど遠い、いわば好き放 題な「演劇漫画」のようだった。殺陣の烈しさには感心したが、「今日日本のないし世界の諸問題」にはなんらコミットするところのない、「センチメンタルな 面白づく」で、きわどく被差別の問題などをはらむかと見せていながら、色つけ程度の彫り込みのないそえもので、「作・演出・演技」の全員がおおいに楽しん でいるとはよくわかるが、さて観終えた観客が、なにかきらっと光る日々の「生き」にかかわる「課題や感銘」を持ち帰れるといった舞台ではなかった。
まあ、「ようやるよ」という、それは一種の共感でも感嘆でもあるにせよ、そのレベルですべては停止していて、「愛」の「恋」の色を意識のツクリのようで いて、それさえただ飾り物のようでしかなかった。「面白く観たならいいではないか」と云われれば、「ハイ、けっこうでした」と応えるけれど、それだけ。
かつての「らん」という舞台に連携するのだと謂うが、「らん」をダシにして全員で「面白そうに遊んだ」というような印象、「らん」の迫力には遠く届か ず、「タクラマカン」や「月の子供」らが持っていた生のままの感動、泪をもよおした感銘、息苦しいほどの問題意識とは、べつのものに思えた。
厳しい感想だが、ウソは云えない。演出は熟達・達者で粗相ないが、科白は聞きづらく説得力に乏しかったが、運動会としてはお見事な全身の働きで。ま、それを楽しんで観てきたというのが、結論かな。

* 久しぶりに、池袋西武地下のカウンター「寿司政」を、妻と楽しんで帰ってきた。妻もわたしも手足の攣縮に困惑した。脚力も体力も失せつつあるなあと、 いかんなあと、思う。疲れた。わたしは昔から土地勘のあるほうで、馴染みの街なかで戸惑うことはないが、妻の感覚のチグハグなのには、いささか震撼を覚え た。

* 疲れに、吃驚している。つい寝入ってしまう。九時にもならないが。今日はもうこのまま休んで、明日は明日に気力を備えようと。
2019 2/10 207

* 疲れやすみに下へおり、やっていた市原(弁護士)の法廷ドラマで、安達祐実の芝居に泣かされた。結婚していなかった父と母の娘として不運・不幸に育ちながら父と母とを愛しつづけていた娘の物語だった。
わたしも、結婚できずに別れ別れの父と母とが産み落とし他人に育てさせた子であり、上の安達祐実の役の娘のように純然と両親を愛するということなく、拒 み通して父も母も愛さず大人になって結婚し、親にもなった。そのことで不幸という実感はほとんどもたなかった、愛の幸せは他人から真実の「身内」を得て育 てるのが本当だと確信しつつ大人になったし、老境の今もそれこそが真実だと疑っていない。簡明にいいきればわたしの文学は「身内」の可能をしっかり意識し て求める文学世界。安達祐実の芝居に泣かされたけれど、「おれのとはちがうなあ」である。
2019 2/11 207

☆ 大好きな おじい様へ
愛をこめて (大きな ハート)   かお吏

*  亡き孫やす香の、大の、一の、親友から、わたしへ、今年もバレンタインデーのチョコレート(「Nakamura Chocolate」)が朝一番に贈ら れてきた。やす香の代わりにもと思い続けてもらっているかと、涙が湧く。添えられたカードには、それは可愛いお嬢ちゃんと「かお吏」さん夫妻のいい写真 が。幸せに、お元気でと心から祝福する。おりしも、やがては三月雛祭りもちかづく。多年愛蔵してきた「繪所預」土佐光貞が画いた精緻に美しい雛の繪を上げ たいと今も妻も同意して心嬉しく決めた。やす香もきっと、天国で大喜びして賛成しているだろう。

画所預 土佐光貞 画

* 妻に、荷造りを任せた。
妻からも、チョコレートを二箱も、もらった。
ポルトガルのワインで、それぞれに食した。
2019 2/14 207

* 難関を、ひとまずコジ明け、いくらかホッとしている。まだまだ先に幾つも通らねば済まぬ関はあるけれど。先は先。毎日前へ歩いて行くしか道はない。

* とはいえ明日の日曜ぐらい、街なかの人だらけは叶わないが、昼過ぎにも また寿司ぐらいつまみに近まへ出T:てみるか、などと。
むかし、よく、東京駅構内へ沼津辺から店出しの鮨屋の止まり木で、バカバカといろいろ喰いまくった時季があった。ちょっと佳い酒も呑ませた。鮨も東京駅も山手線も懐かしい。
先日、妻と、建日子の芝居を観に日暮里まで乗っただけで、ウソのように山手線が懐かしかった。
あした、「選集」30の校正刷りをたっぷり持ち、山手線を腰かけたまま二回りもまわってみようか。
六十年も暮らしてながら、東京をよく知らないと我ながら惘れる。
いまは上野も浅草もよっぽど遠くなり、気軽に、「杖」なしでは出向けそうにないとは情けない。   ゆーっくり、手足をのばして好きな湯に漬かれる銭湯 すら知らない。予約せず熱海までこだまに乗りながら、どこの温泉宿でも断られ、駅前の魚屋でひたすら美味い伊勢海老や刺身を食っただけで帰ってきたのを、 今もよく思い出す。焼き魚も煮魚も食べられない、鮨や刺身ばかり好んできたなあとやっぱり惘れている。

* 「杖」のはなしをしたが、胃全摘の手術後に二本ほど安物買いの銭失い電車などに置き忘れてきた。で、松屋で、妻に紫檀のやや高価な一本を買ってもらい 以来失くしていないが。杖というとわたし、漱石『彼岸過ぎ迄』に出てくる、なんでも蛇のアタマを握りにしたとかいう杖が初対面から気になり今も妙に忘れが たいばかりか、わたしも何かしら恁う、竹でも木でも何でもいい珍しいツクリの愛用に耐える杖が見つからんかなあと、ずうっと半ば夢見ている。古道具や古物 をあつかう店が無いのかなあと思いつつ、東京では知らない。今日の街中にはときどき古びた店があったものだ、落語に出てくるようなハナシにならない珍物も 店の隅や表に転がっていた。東京では、識らない。浅草でそれとなく探したが、表を厚い硝子戸で締めてあるような店では、弁慶が小野小町にやった恋文のよう なヤツは見当たらない。
仙人が背丈より高い「杖」をついてる繪などみると、どこかしらにわたしにも妙なシロモノが見つかりそうな気がするのだが。
そうそう長い自然木の杖は地面をつく先っちょがよく小さな二股になっている。あれは、杖の安定のためでない、蛇を抑えくるっと巻いて掴み取るのである。なんも、はや。

* あ、午。ちょっとノンビリしたのかな。
2019 2/16 207

* 難関を、ひとまずコジ明け、いくらかホッとしている。まだまだ先に幾つも通らねば済まぬ関はあるけれど。先は先。毎日前へ歩いて行くしか道はない。
2019 2/16 207

* 妻は、ご近所の女子会、つまりは婆ァ会へ、昼飯とお喋りに出掛け、留守居のわたしは「マ・ア」の徹底的ないたずらに翻弄されていた。やっと、三時、いま妻が帰宅、わたしは、へとへと。眠たい。
2019 2/17 207

* 今日一日、独りで留守の食生活は、「マ・ア」にも首を突っ込まれひっくり返され、なにもかもムチャクチャ、最低も最低。仕事の前進がその御蔭と思うことに。
「マ・ア」は堪らなく可愛いくて、べつべつの個性がとても面白い、が、狭苦しい家の中で、日々に成長しつつの運動不足の不満もあろう、それはそれは兄弟仲よく暴れ回る、回る。戸外へ出してやりたいが、固く禁じられている。わたしまで、フラストレーション。

* 来週は、またまた、力仕事で数日追われるだけでなく、聖路加へも行かねば。
そして早や、弥生三月。結婚して満六十年になる、昼と夜と二日かけて歌舞伎を楽しみ、下旬には、内視鏡検査などを受けねばならない。胃全摘から、まる七年。無事に通過したい。
ま、それまでには今日メドの立った長編小説(選集の大冊一巻分)に、せめて表題を決めてやりたい。ただ何としてもこの作、作家秦 恒平の晩節を真っ向蹴散らして、狼藉を極めている。「湖の本」という売り本には、とても出来まい。
2019 2/17 207

* 夕方になると、めっきり疲れ、夕食への意欲がほとんど失せてしまい、冷奴の四きれに削り鰹をかけ、伊達巻きを二きれ食べて棲ませてしまう。食後、そのままの姿勢で暫く寝入っていた。
二十五日にはわたしが聖路加へ出掛け、翌二十六日の朝一には「選集」29巻が出来てくるが、妻は午後には定期の診察へ地元病院へ。その診察無事を心より願っている。「選集」の送り出しを無事に、疲労困憊せずに着実に済ませたい。
三月には、満六十年の結婚記念日も来るが、不安心をかかえての腫瘍内科のカメラ検診などが下旬早々には予定されている。幸いに凌ぎたいと願っている。胃全摘の手術を受けてから満七年の検査になる。
2019 2/21 207

* 九時になる。機械の光にはもう眼は限界。また明日に。

* 今日も、隣室でピアノが鳴りはじめている。弾くという水準ではないが、楽しめばよろしいのだ。
2019 2/21 207

* 揚げかき餅二片、ワインとチーズ二片、小粒の和三盆二粒。独り早起きしての朝食。「マ・ア」も起きてこない。冷え冷え。
2019 2/24 207

* 土佐光貞の雛の図、無事に届いていた、安心した。雛壇に雛飾りは昨今では場所が得にくい。喜んで貰えて嬉しい。大の大の仲良しであったやす香も、にっこりしてくれているだろう。元気だったら可愛い子を抱いてたろうに。
もう一人の孫娘みゆ希はもう二十代も後半の大人であろうが、どこでどう成人の日々を送っているのか、祖父母はまったく知りようもない。今や、わたしたち祖父母の血はこの子独りが受けついでいる。もう結婚して子供が出来ているのだろうか、それすらも全く分からない。

* 此の機械だけでなく、妻の機械も、ときに明らかに受信していなければならぬメールが届いていないということが、有る、らしい。ワケは分からない。あるがままてあるしかない。
2019 2/24 207

* 米の飯が針のように口に突き刺さっていた。正常の水加減だと云われてもとても米の飯が食えなかった。で、水加減を25%も増したという飯で握り飯にしても らうと、米が柔らかに刺激的でなく、もともと米の飯の好きなわたしが、昨日今日海苔で巻いた握り飯を美味しく食べている。昨日は二つ、今晩は三つも食べ た、ただし、他はもう何も口に入らない。しかし、米の飯が旨いと口に入ってくれるのは久々に嬉しい。鮨屋の鮨飯もわたしには口に障るのです。妻が気の毒。
2019 2/24 207

 

* そばでラジオを再開したが、何番組か知れない、デスクジョッキーと音楽とが連続するらしい。おしゃべりの独特な風を、聴き流している。別世界に片脚を踏み込んだ気分になる。

* 江古田の歯科へ。帰りに、銀行から幸四郎へ歌舞伎座の券の支払いをすませ、はじめての魚の店「魚功」へ入ったのが成功、珍しく「魚」をしっかり二人で食べた。いい店だった。ネコ・ノコ・黒いマゴのために鉢植えの花を買って帰ってきた。
2019 3/5 208

* 九時 予約の散髪屋へ自転車で走る。明日は歌舞伎座へ。今年三月は、天皇・皇后最期の「平成」三十一年中のわたしたち結婚六十年、皇太子夫妻としてのご成婚より、ホンのすこし、われわれが早かった。よくぞまあ、六十年。感謝も感慨も深い。
2019 3/6 208

* 京都の都心 四条河原町東北の永楽屋は、京都で暮らしていても眉を張る名菓・名菜の店、そこで選りすぐりの品を揃え、あきとしさん、お送り下さった。 「選集29」の歌集『少年』 詞華集『愛の歌 日本の抒情』が頂戴した御馳走、今夕、建日子が久しぶりに寄って呉れるという、「セイムス」で山田錦の清酒 を買ってきた、せめて酒肴を楽しんで欲しい、有り難いこと。
恐縮です。 花さそふ風のほのかににほふまで春はきにけり桃のはやしに  恒平 2019 3/9 208

* 建日子、九時過ぎに都内へ帰る。三時間ばかり歓談。からだ大事に、健康で仕事を続けて欲しい。
2019 3/9 208

☆ 芳醇浩瀚の『秦 恒平選集 第二十九巻』を
嬉しく拝受いたしました。
いつになくまとまった時間のとれぬ中、折々に気ままに読ませていただいている 『愛、はるかに照らせ』、各項それぞれに切々と身にしみ、とりわけ「さま ざまの愛」の諸歌に感銘を受けています。<愛ならぬ詩は、ない> そのことを深く感じます。日本の歌は豊かですね。そして、その豊かさは秦さんが開示して 下さったもの、 遅くなりましたが深くお礼申しあげます。
寒さは幾分かゆるみ、櫻の蕾もふくらんできたようですが 油断大敵、どうぞお身体お大切になさって下さい。    敬   講談社役員 元・出版局長

* 無類の読み手が、「さまざまの愛」をとりわけ取り出して下さった。
いま、一巻のそれらの頁をひらいて、わたしの心籠めて選び取ったさまざまな愛の詩歌と「あとがき」を読み返し、諸作の「うたの品位」に嬉しく親しく新た めてあたまをさげた。と同時に、ああこの「あとがき」を書いた日に、丹誠育てた愛する娘の朝日子を、押村高(現・青山学院大教授)に嫁がせたのだったと、 きりきり、胸が痛んだ。
だれよりも朝日子と建日子とに、生涯かけて『愛、はるかに照せ』よと、懸命に書き下ろした一冊であったが。
娘・朝日子の顔を、婿押村高の顔を、ちらとみた最後は、もう十数年前、押村夫妻共同で、名誉棄損の損害賠償請求裁判「被告席」へ「父のわたし」を立たせた、あの日。ありうることか。
懸命に、仲に入って祖父母の傷心を慰め和ませつづけてくれた孫のやす香は、肉腫に斃れ、成人の日を前に急逝し、もう一人の妹孫みゆ希とは、久しく不自然に往来遮断されたまま。
肉親の愛を、うまれながらに喪って「もらひ子」で育ったわたしは、もともと肉親以外との「身内の愛」を早く、年幼く、少年の日々から慕い始めていた。繪に描 いたようなわたしのそういう人生だったなと、今にしてしみじみ思う。
新作『オイノ・セクスアリス 或る寓話』も、老境の性を無慙に書いたなどというより、遙かに重く、ほかへ ほかへ、べつの事件へ逸れて行く。
2019 3/11 208

* 新作の長編 昨夜11:45 一通りの原稿整理が出来た、けれど、まだ手放せない。今日も、さらに集注したいが、十三日は病院の診察日。
そして十四日は、「結婚満六十年」 歌舞伎座を二人で楽しむだけ。
六十年めは、「ダイヤモンド婚」と謂うそうだ。

妻をえて六十年生きてダイヤといふ
宝石になんぞ触つたこと無く      恒 平

とっておき、時代ものの「オールド パー(=老いボケ)」で祝うか、呵々。
2019 3/12 208

* さ、明日は、好きな「盛綱陣屋」などの歌舞伎座を、六十年の「ダイヤモンド」と楽しんでくる。
2019 3/13 208

* 結婚満六十年 「ダイヤモンド婚」とやらを、朝、赤飯と、もづくの汁で、ふたりで祝う。

けふの日を稀有のふしぎとよろこびて
数かさね来し春をことほぐ
菱田春草画 帰樵によせて
老いまさる心の萎えは労はりつ
はげましつ夕焼けの山を下りゆく    恒平

* 手のとどく近くに、戴いたカレンダーから切り取った春草画の「帰樵」を、日々にいつもしみじみ眺めている。微妙な色彩の夕焼けいろがわたしのンメラでうまく写せないのが残念。

* 起床7:30 血圧 137-67 (64)  血糖値106 体重64.7g

* 風邪というより、強烈に花粉に目も鼻ものどもやられていると気づいた。
胃全摘のあと数年は 花粉症を感じなかったのが。戻ってきたか。
2019 3/14 208

☆ お元気ですか、みづうみ。
昨日の病院ですが、「心エコー」の予約だけでいらしたのですか?
専門医師の診察ならびに現況の心電図をとるという最低限の検査はなかったのでしょうか。急ぐ必要はないという医師の判断であれば ひとまずの安心ですが、痛みがおありの場合 ふつう心電図くらいとるものではないかと思います。
もし簡易検査もなかったのなら、ご安心なさるためにも、お近くの病院でよいので至急ご受診なさるべきだと思います。
それから ニトロは 奥さまからもらうのではなく、ご自身ですぐに服用できるようにいつも携帯なさるべきでしょう。
お節介ではございますが、この件書かずにはいられませんので、どうかお許しくださいませ。
今日の晴れやかな青空は ご結婚六十年を寿ぐものでございましょう。

どうぞ楽しくお幸せなお二人の祝日をお過ごしくださいますように。そしてくれぐれもご無理なさいませんように、お元気にお戻りください。  雲  少年の見遣るは少女 鳥雲に   中村草田男

* ありがとう存じます。
2019 3/14 208

* 「雲」さんの警告が的中 歌舞伎座で、体調不安、「盛綱陣屋」はかろうじて観たが、つぎの所作事「雷船頭」を終えたところで、のこる高麗屋父子の出揃う 「弁天娘女男白波」を、稲瀬川勢揃い 景気よろしくと大いに楽しみにしていたが、急遽失礼し、日比谷のクラブで食事や休息もみんな諦めて、そのままタク シーで帰宅した。間近い聖路加とは分かっていたが、救急へ跳び込むのはイヤだった。家に帰って、すぐ床に就いた。
2019 3/14 208

* 胸苦しさがぬけず、かるい頭痛もぬけない。睡りたいが、なかなか、そうも行かない。病院へは行きたくない。病院では、仕事が出来ない。
秦の父も叔母も母も、病院や施設で死なせた。無残で、なんとも申し訳なかった。
2019 3/16 208

* 留守中、メールで、まことにモットモに、モーレツに、叱られていた。
もし妻の体調がこうなら、仰有るよう慥かに、引っ担いでも病院へと思う、まったくその通りと思 い、お叱りに感謝しいる、のだが。
それでもわたしは病院より、日曜の人出の街へひとりで出て行った。
妻は従姉を中野の病院までお見舞いに行き、しかし従姉はもう退 院していて、「から振り」だったと。かなり笑える。
胸は重い。腹は渋い。ガスは抜けている。便意も尿意もまともにある。
要するに、ただ、シンドい、ので、寝に行く。
2019 3/17 208

* 妻と築地を歩いて、木村屋本店で自慢のサンドイッチを買い、近くの「宮川本廛」で絶品の鰻蒲焼きと、いかにも鰻屋らしいうまい酒を楽しんで、一路、車中寝たまま帰ってきた。「マ・ア」大喜び。やはり疲れていて、二時間ばかり床に就いて寝入った。
2019 3/22 208

* 京都でひとを案内して歩くらしい人から、比叡山の印象的な洛北円通寺の写真が送られてきた。小説『畜生塚』での一等美しかった景色である。懐かしい。

ひとは観てわれは観もえでなつかしむ
比叡の嶺にたつおもひでの樹々

遠地借景の典型例のお庭であり、等間隔に庭さきを明るく区切った小高い樹々が印象的。
帰りたい、訪れたい先が山のように。建日子に委ねてある萩の寺の秦の墓地は草むしているのだろうか。
2019 3/24 208

☆ なんと元気なお爺ちゃん
この年齢で 自宅で普通に暮らせる幸せはないと思う。
高校同期会のお世話を 毎年計画してくれる男性がいて その気力に報いる為にも毎年出かけて、守美ちやんにも会います。
京都弁でワイワイと話してきました。
この五月の連休明けに こちらの息子夫婦が 私の親のお墓参りに京都へ連れて行ってくれるとか。
泉山には久し振りで楽しみです
又…     花小金井   泉   中・高校一年後輩

* わたしは、
聖路加へ電車一本で通うのが、せいいっぱい、永くも歩けず、食も、極く細、目も半ば霞んでいます。京都はおろか、都心の花見にも行けません。
ただ 気はまだしゃんとしていますが。
京都で観たい仕事に必要な写真は、頼んで撮って送って貰っています。
お元気に、楽しめる限りを 楽しまれよ。  湖

* これは、テルさんとのメール交換とは、別のたより。なんとも、なにもかも 嬉しい。秦の親のお墓、どうなっているのだろう。しかもわたしは、実の父、生みの母の墓が何処にあるのかも、まったく知らないでいる。

* どこへか、「倶會一處」とだけ刻した小さな石の下で、骨の一欠け、灰の一摘みずつでいい、希望の人の誰も拒まずに同居できれば、それもいいなあと思ったりするのである。肉親というものにわたしは失望し尽くしたまま生まれて、成人した。死ぬときはどうか。
む緒
2019 3/28 208

* グタッとし、仕事が停頓ぎみ、前作に必死に齧り付き寄せ切った疲労が抜けないか。いらつかないで、花見にでもと。
明日、江古田二丁目の歯科へ。あの大通りは豪快な桜並木になっている。満開に近いだろうと、期待。帰り、その脚で街へ出ようか、とも。
わたしたちの唯一と謂っていいゼイタクは、日比谷のクラブで二十年余も会員であることと、しかも出向くのは年に多くて十回あるか、少ない年は一、二回しか行かずに、一年一年終えていること。
行けば美味い洋酒が、多いときは三種も置いてあり、食事も好きに美味い物が選べる。今年度は、しかし、度も通ったろうか。
ゆけばゆっくり寛げる。気持ちよく迎えてもくれる。ペンクラブや協会へ出向いていた時代は、東京會舘での会合のあと、よく独りで気軽に、隠れに行った。独りの時はよく校正がはかどった。

* 仕事にならない今日一日だった。心身共に不調。抵抗できなかった。
やがて、十時。弥生尽。
睡りたい。
2019 3/31 208

平成三十一年三月 結婚六十年 歌舞伎座への午後に 八十三歳
この日 歌舞伎座で体不調 急遽タクシーで帰宅
長編「オイノ・セクスアリス 或る寓話」脱稿 「清水坂(仮題)」創作中

* 神戸歯科へ。江古田二丁目のバス通りは大木の櫻並木が満開に近く。
帰り、江古田の「中華家族」で、マオタイをダヴルで二杯、まことに美味し。
妻は、マーボー豆腐と酢豚。妻が大のお気に入りの店。すっかり馴染んで、家で食事しているよう。マオタイを常備し呑ませてくれる店は、いまどき東京でも、絶無に近い。
2019 4/1 209

* 「マ・ア」に起こされ、早く機械の前へきたが、機械は容易に云うことをきいてくれず、一時間ほど辛抱よく待っていた。

* 気怠い体調のまま、ややこしい作業を、郵便局への自転車走もふくめ、あれこれし終えて、もう四時半。ぐったり。
明日はまた築地へ。「心エコー」とやら。何が飛び出して来るやら、新しい病気など贈り物に呉れませんように。
湯に漬かって、せめて20頁ほども再校ゲラを読みましょうか、それとも『復活』を読み継ぎましょうか。この六月の桜桃忌まで、よほどモノスゴク煽られつ づけそう。比較的わたしは梅雨入りには負けないが、逆に妻は五月六月にへばることが多く、それにも神経を病む。やすやすと暮らしたい。
2019 4/2 209

* 八時。鈍い頭痛で、情けなく疲れている。妻の方がさほどもなく帰り着いた。
明日はなにも外用が無いと思うとほっこりと安心する。こんなことではハナシにならない、思い切って少し遠くまでと思うが、仔猫(とも、もうとても云えな い)「マとア」とに永い留守番は、元気ハツラツだけにかえっておっかない。独りでとなると、わたしはケイタイという機械すら一度も所持したことなく、物騒 なメイワクをかけたくはない。やれやれ。
2019 4/3 209

* 妻、八十三歳に追いつく。めでたい。五月六月の不安定気候をつつがなく乗り越えて欲しい。お祝いの赤飯が歯痛で食しきれなかった。わたしの食のほそいこと、無きに同じい。

* 夜中、上左の歯茎腫れて痛み、ヒノポロンでしのぐ。あけがた胸焼けた。へんに視野がほのくらい。
朝食後 ロキソニンでいろんな痛みおさえる。卓効あり。
昨日は、ほとんど寝て暮らした気がする。一昨日、8800歩の出歩きが堪えたか。
夜中の夢に、弥栄中学の頃の給田みどり先生を、京都の頃の家に迎えたはいいが、押入れ内の梯子段をあがったところの祖父の箪笥の前へ座布団をだし坐って頂いたのは何とも奇妙。箪笥の中のいろんな祖父蔵書について辨じていた気がする。
ほかにも妙な夢をみていた感じ。忘れている。
2019 4/5 209

 

* 建日子が帰ってきて夕食をともにして、ほどなく帰っていった。もっといろいろ実のあるはなしがわたしはしたかったが、多忙を極めていては仕方なく、多 忙のたねは「映画」製作だと。ここのところ建日子は二、三もいわば「地方創成」政策にも実を寄せたような桑名や宇都宮などで地域に取材の映画を楽しんでい るらしい。心ゆく仕事であるなら何でもよろしく、よく納得して励んでほしい。
建日子の仕事は、総じて仲間なしに出来ないのではないか、わたしの方はいわゆる同人仲間も作家づきあいも無いという方が早かった、が、しかも先達の大家 らと「仕事」を介して接することは甚だ多かった。次の「選集」30も、少し前の講演・対談の巻なども、今われらがらビックリするほど先輩方に励まされてき た。何をしでかしても「3」パーセント内の極少数派だけれど、けっこう賑々しく過ごせてきたんだと納得する。「孤独」はいい、「孤立」はいけないと、わた しはこれで、そう確信している人である。
2019 4/9 209

☆ 合掌
今般は御書多数、しかも真筆の添状までたまわり、うれしく、ありがたく存じおります。
『バグワンと私(上、下)』は、全頁コピーして枕元に常設しておりました。
秦様の御道程は、あたかも「阿闍梨の道」の如くと思うております。  草加 白蓮寺開山

* 「バグワン」の『存在の詩』『般若心経』『究極の旅』三巻は、父わたくしに遺し置いていった、娘・朝日子の有り難かった遺産である。
2019 4/12 209

* 寒季には部屋に入れてある大きな重たいベンジャミンの鉢をを、妻と協力してテラスへ出した。明るい日光を浴びて、いかにも嬉しそう。
2019 4/20 209

* 少し、ホンの少ぅし身辺に積んであった雑物を分別処分にまわした。とにかくも棄てることを躊躇っててはハナシにならない。

* マウスの握り用に右だけのちっちゃな毛糸の手袋を使ってたが、その季節も過ぎた。来る寒季まで抽斗へ。同じような手袋の片方だけが五種類ほども階下に あった。なぜ片方を失うのか。分からん。この冬の外出には、指先だけが外へ出る手袋で通した。杖を使うのに、たださえ痺れている指先の掴みがにぶいと危険 なので。それももう仕舞っておける。もうはや暑くもなりつつある。
2019 4/21 209

 

* 「中務内侍日記」の抄、京から尼崎への日数重ねた往来の記を、ことに景色のめずらしさ面白さに心惹かれて楽しみ読んだ。亀山、後宇多、伏見朝のころに 禁中に奉仕した女性で父は宮内卿藤原永経。簡単には目に入らぬ日記なので、抄とはいえ大和田建樹編の『日記文範』を有り難いと思った。この本の有り難くも 親切でも面白くもあるのは、二十八編の各時代日記の抄である上に、いわば頭註欄にあたるところに、貝原益軒、新井白石、賀茂真淵ら「近世三十六大家国文」 を抄出してくれており、更には「和歌類纂」として、住吉大明神、衣通姫、柿本人麿の和歌三神の歌や六歌仙の歌以降、歴代多数の秀歌選からの更なる抄出がさ れていて、存分に各時代の趣致秀歌に触れうるのが、面白くもありがたい。
明治の人らはこういう本で往時の文化や文藝に親しんでいたかと、懐かしい気がする。
この手の明治本を家に蓄えている人はもはや極めて数少ないことだろう。わたしは少年の昔から祖父秦鶴吉が丹精蓄えておいてくれたこの手の古書籍に日ごろ親しめて、たとえようもない恩恵を得てきた。
2019 4/22 209

* 妻の定時診察、恙なく、ホッとした。留守番をしながらいろいろ仕事した。すこし遊んでもいたが。
2019 4/23 209

* 帰宅したら、映画製作で岐阜県で仕事に追われているという建日子が、寸暇を利して顔を見世にだけ来てくれて、幸い帰宅のわたしとも顔を合わせ得て、また車で帰っていった。顔が見られてよかった。
2019 4/25 209

* 夜中、それぞれ五キロ近くなっている「ま・あ」が、廊下と寝室とで疾走の大運動会をやってくれ、往生した。で、近頃では例になく朝寝してしまった。
2019 4/26 209

* 身辺に積み溜めたさまざまをとかく惜しみまた気遣うのはやめ、思い切って処分すべく、仕事のあいの休息がわりに選別している。想うよりたやすい作業でないのに困惑しつつ。

* 機械がここまで作動するのに今朝は格別時間が掛かった、画面もほの暗い。
ま、待つ。じっと待つ。
2019 4/27 209

 

* 近くの「セイムス」へ買い物に行った。「マ・ア」たちの排便用の砂袋を三袋も買うととても妻は運べない。自転車の前後に載せ、しかも引いて帰る。ついでに妻は他の買い物もする。ビールとウイスキーも買った。
2019 4/27 209

* 湯を出て、八時半。ほっこりしている。湯では、「清水坂」関連の参考本三冊を見えない目で読んでいた。今夜はもう根気が尽きている。寝入った方がいい。
世間の十連休を、わたしらは一日半日として便乗もとくべつ楽しみもせず、いつもどおりに家にいた。家にはそれは仲良し兄弟のアコとマコとがいる。今日は、わたしも一緒に庭へ出ていた。ふたりとも路上へは、警戒心つよく、出たがらない。
2019 5/6 210

 

* 意義を正確には識らないが老境に「断捨離」が流行という。こういう三字はあたまに無かったが、断乎たる身辺整理の意味らしい。「捨」はモノを捨てるの か、それは分かる。わたしも捨て始めている。「断」「離」とは何。ムダに疎ましい人間関係を整理してしまういみか。それも分からぬではない、が、わたくし ほどの老齢だとそれさえ大方無くなっている。生きてて欲しかったという願いの方が多いかも。
ま、当面は「捨」に拍車をかけるか。幸か不幸か長女の朝日子は、かなりのもの欲しがりであったと覚えているが、縁がない。これは遺して置いてやりたいと いう詮議も意味が無くなっている。おなじ事は長男建日子にも云えて、彼とわたしの趣味とは千里も離れており、かつ自分の仕事に幸い日々多忙に過ぎるほどで 親の持ち物になどなんら斟酌はなく、しかも幸か不幸か、妻子すらない。
ひとり、孫娘みゆ希がいるが、百パーセントも接触なく、なにを考慮の意味も失せている。残年だが余儀ない、手の出ようも無い。とうの昔に「断」絶している。

* 両親の血を分けた亡き兄北澤恒彦には三人の遺児があるが、わたくしらの口も手もだす必要のない賢い独立者たちで、お互いに忘れていても何の差し支えもない。
母の血をわけた四人の姉兄はもうはるか以前に亡くなり、遺族とは面識も知識もない。
父の血をわけた二人の妹とも、四半世紀はすぎた父の葬儀で一面以後、会う機会すら持たなかった。

* 身内と、心から信愛した人らもつぎつぎに亡い。

* 体力と気力のゆるす限り、まずは「捨」 そして可能なかぎり 「贈」「譲」 の方法で、美術骨董そして役に立つ古書や貴重本を手放し 身辺を寛げた い。幸い、地元の図書館も、国会図書館なども、(送り出す労力は要るが)書籍はかなり受け容れてくれる。自動車で受取にも来てくれる。
2019 5/11 210

* 靖子ロード(半畳ほど超大きな沢口靖子の写真をかけた、文庫本・新書本の本棚の並んだ短い廊下)から岩波文庫旧版、無住一圓の佛教説話『沙石集』上下 を機械の側へ持ってきた。拾い読みはしてきたが、すこし根をつめ読み進みたいと。「説話」は、物語とも随筆ともちがったなかなかの読み物なのである。
校訂者の筑土鈴寛の巻頭解説は昭和十七年七月、大戦争の真最中に書かれていて、なんと冒頭に無住の生没年を「一八八六 ー 一九七二」としている。まさ に「紀元は二千六百年」と國を挙げて歌った時期の編著、わたしは古本屋でこういう本を見つけるとボロボロに頽れたような本を廉価で買い漏らさぬように気を 付けていた、東京へ出て結婚し勤め始めた頃のことだ、余分な小遣いはなく、食い扶持を減らした。電車賃もつかわず、ひどいときは新宿区河田町のアパートか ら本郷赤門前の医学書院まででも歩いた。歩けば歩けるものだった、昼飯は会社の賄いで金15円で丼飯と味噌汁一椀を呉れた。飯に、備え付けの醤油やソース をかければ結構な食事だった、そして編集者としての取材途中で古本屋が見つかると、店頭に投げ出されている廉価の破れ岩波文庫を買えるだけ買った。「西洋 紀聞」「梁塵秘抄」「徒然草」「平家物語」「古事記」「源氏物語」「雨月物語」等々、そうして手に入れそうして読みはじめた。学校の頃の蔵書はみな京都を 離れるときに売り払ってきた、昭和文学全集の谷崎集二册だけを手放せなかった。
説話では最近の『今物語』が断然有り難かった。説話は面白いので、たくさん読んできたが『沙石集』は二巻の大冊、どこまで読めるかなあ。
2019 5/15 210

* 午後 暫くのあいだマコをうしろに籠に入れ、アコを前籠に入れて紐をもち、自転車でごく御近所を走って疎との空気と眺めとを楽しませてやった。楽しん だかどうかは分からないが、思ったより温和しかった。あばれもしなかった。家に帰ると、卓の上でふたりともホッコリ寝入っていた。
2019 5/17 210

* 烈しい雨のなかを徒歩で通った妻の定時診察、幸いに事無くパスで、何よりであった。
2019 5/21 210

* 七時過ぎに目覚めかけたのをそのまますやすや睡りつづけて三時間ちかく、嬉しいほどな快眠であった。おもしろい佳い夢も幾つかみた。まだ小さい建日子 と、石壇からぴょんと跳びっこをしたら、わたしは空を泳ぐように十数メートルも跳んだりした。建日子と母親とが歩いて行く、その頭上半メートルほどをわた しは泳ぐように浮かんで翔んでいた。ほかにも、若々しいバカバカしいような面白い夢をみていた。目ざめて十時過ぎにはおどろいた。「長尾」の黒いマコと 「花尾」のアコとが「起きなさい」と傍へ来ていた。
2019 5/24 210

* メールの往来も、仕事向き以外はほぼ無くなり、妻以外に、人と顔を見合って肉声で話しあうことなど、ゼロに近くなった。アコとマコとの対話が、とても貴重。そして想像の世界でのたくさんな対話。
2019 5/24 210

* 年数を隔てて三枚、自分の老け込んできた写真を気恥ずかしく列べてみたが、十歳前後の写真など一枚もない。戦争に負けて行く時期で山の中へ逃げていた し、家に写真機など無かった。秦の父母等の写真は今も少なくないが大方は写真館で撮られている。新制中学へはいると、写真機をもった同級生が二三人いて、 たまに写されたのが数枚も遺っているか。
2019 5/25 210

* 三册束の荷をキッチンのテーブルへわたしが運び、妻が開封してわたしが10巻ずつに積み上げ、一巻ずついろいろの印形で捺印し、10巻積みで茶の間へ 運び込む。妻が予定の送り先名簿にしたがい地方別に「ざっと荷」に仕上げてくれたのをわたしが点検の上で荷造りし、地方別に玄関へ運び出しておく。あとは 郵便局の集荷を待つ。簡単なようですべて力仕事、手早くラクにはとても進まない。ほっこりと疲れる。ことに今回の造本では、函と本身との釣り合いが窮屈 で、捺印のためにいちいち本を函から取り出すのがかなりの力仕事になるのがシンドい。函入りの特装本はここが微妙に難しいのである。

* 八時過ぎ。今日は、二人ともやすみやすみ先を急がぬ程度にそれぞれの作業を積んだ。
雨季は、妻の体調のあまり元気でない時季、事を急ぐより、ゆっくり休み休み、途中で一度睡って貰って、ま、予定の三分の一弱ほどをやっと荷にしたが、今日は郵便局の集荷は求めなかった。明日に廻した。

* なにより困惑したのは、函と本との仲が悪く、つまりキチキチの寸法で融通無く、印影を本に入れるべく。函から本をだすのに力一杯振り出す始末に、閉口した。疲れ果てた。ツカ出しの妙味こそ函入り本の味わいなのに。ちょっと恥ずかしい。

* この疲労からして、どう考えても、予定の「あと三巻」で「限界」と見切り「選集」は打ち上げにするのが穏当と思う。むしろ、よくもよくも佳い装幀で三 十巻までも大冊の束を、若い誰の手一つも借りず何もかも老夫婦で送り出せてきたものよと、我ながら少しビックリ気味ですらある。悔いなく全うしたい。たく さんな編み残しの出来るのは仕方ない、それもいわば豊年満作の文学生涯と賀していいだろう。
2019 5/28 210

☆ 順調に
撮影が進み、本日深夜にオールアップの予定です。
明日、岐阜から東京に帰ります。

戻ってすぐはまだバタバタしているので、次に保谷に行けるのは6月の中頃かと。
また連絡します。  秦建日子

* 地方創成の劇映画製作を楽しみつづけているらしい。 心行く仕事を生き生きと遂げていって下さい。
2019 5/30 210

 

* 視力のある間は幸い、日本語でならいかようの読書にも入り込める。処分する前に読んでおきたいと思う本が、数百册できかない。そのほかに重い事典、字 典、年表、写真集のような参考書が多く、これまた手に執っては見ている。書庫にはいると、つい出られず、ネコたちが呼びに来る。
2019 6/2 211

* 井口哲郎さん、鶴来の「萬歳楽」を送ってくださる。ありがとうございます。

* 折良く、建日子が夕方帰ってくると。
2019 6/2 211

* 夕刻 建日子が帰ってきてくれた。
私には、使い慣れていまは手放しているという 小さな しかしなかなか扱いや機能の面白そうなカメラをお土産に呉れた。
カーサンには 京の上賀茂神社の御守りを呉れた。
夕食をともにし、あれこれとハナシに興じ、おしまいに、強いて「NCIS」の最新編を観せたところで、大きな自用車で都内へ帰っていった。
建日子が来てくれると 得も云われず心温もる。
2019 6/2 211

* 建日子の呉れたカメラ、やはりマニュアルがないと使い切れない。なにしろ目が見えなくてちっちゃな色薄い字は何一つ読めない。以前に建日子の買ってく れたパソコンも、マニァル無く、まるで使えないままに放置されている。機械音痴なので、指導書が有ってさえあやふや、無くては、何も覚えきれない。頭も悪 く成りすぎている。
2019 6/3 211

* 七時過ぎ、もう一踏ん張り台所で作業してくる。ふたりのネコたちがしきりに傍をかけまわるのが、哀らしくて気の紛れ、安めになっている。
2019 6/11 211

*  夕方 建日子来て、メロンや讃岐うどんを歓んで食して、また仕事場へ帰っていった。建日子が帰って来てくれると、しんから寛ぐ。怪我なく元気でがんばっ て欲しい。岐阜で撮ってきた映画の仕上げの仕事を心急いているらしかったむ。心ゆく仕事をして欲しい。大きなメロンを一つ持たせて帰した。
2019 6/15 211

* 「藤」さんと同じ京大卒の「尾張の鳶」さんには、「三部通して読後に」感想が聴きたいと伝えてあり、今日は、懐かしい「高台寺」の写真をたくさん送ってきてくれた。感謝。
高台寺から清水三年坂へは、一本道。『みごもりの湖』では、朝日子も連れて夫婦で散歩の途中、名ばかり丹波の壺を古物の店で買ったり清水焼「鬼の面」に 驚いたりしたのが「書き出し」であったかも。月釜がかかると茶室時雨亭へも通った。「高台寺」は、『雲居寺跡 初恋』の舞台、そして現在でも『初稿・雲居 寺跡』の仕上げがわたしの宿題になっている。
壮絶なほどの大竹藪は 私の愛してやまない、清閑寺陵奥の景色であろうか、『冬祭り』の恋しさを思い出したが。ありがとう。

* 高台寺だけでなく、ナーンと近江の石馬寺へまで脚を伸ばして貰っていた。なんという、懐かしさ。初めて石馬寺を訪れ、庭の見えるお部屋へあげてもらい ご住持のお話を伺ったのは、何十年の前か、むろんわたしは会社員・編集者としての出張を利してあの石段をのぼったのだ、また小学生の建日子を連れてもでか けた。あそこへ行けてなかったら、「名作」までいわれたわたしの代表作「みごもりの湖」は書けてなかったろう。
「尾張の鳶」さん、京の出町菩提寺の「秦家墓」の現状も写真で送ってくれた。墓碑は綺麗だが卒塔婆はみな荒れている。少なくも、わたしの古稀いらい、十 余年は躯が許さず、掃苔すら出来ていない。建日子に寺と墓のことは依託してあるが、彼も目下働き盛りの忙しさ、かなしいことに頼むに足るお嫁さんがいな い。
2019 6/16 211

* 湘南の義妹から姉へたくさんな吸い物など送られてきた。食事の用意に苦心惨憺の妻をたすけてくれているのだと思う、感謝。
2019 6/21 211

* 森下君は昨日、手紙も添えて、例の自編「懐メロ特集」盤も送ってきてくれた。これが、私、手近なラジオの操作手順を忘れてしまい聴けないというのが、 悔しいのである。ラジオ屋の息子で育ちながら、情けない。機械は難しい。建日子の呉れた機能優秀らしい小さいカメラもまだ旨く使えない。超ロートルのこの パソコンも気息奄々のままで、新品に替える勇気がない。なさけない。
2019 6/21 211

* 「マ・ア ふたり」に朝ばや強かに揺り起こされ、庭へ出て、maokatnに頂いた百合根の少しを土に活かしたのが美しく七、八つも花を咲かせたのを、写真に撮ったり。
2019 6/22 211

* 回収の朝、重い重い故紙をわが家はいつも莫大に路上へ運び出す。荷造りは妻が、運ぶのは私。ほんの少し家の内外が片づくのが功徳。
2019 6/26 211

* 天野哲夫の(正しくは)『禁じられた青春』を読み進み、彼は昭和十九年か二十年、満州から故国九州へ帰って徴兵試験に甲種合格する。一世代早く早く彼 は昭和の日本を歩いて行く、わたし自身はまだ京都の国民学校で三年生だったろう、敗戦の年の雪の丹波へ二月末三月初には秦の祖父と母と三人で疎開した。縁 故という縁故もなくてご近所の紹介一つではるばる亀岡から二里ほどの樫田村字杉生のまっくらな山上の空き家に入った。四月から一四年生、八月には天皇の声 をラジオで聴いた。杉生には敗戦後もふくめ一年半いて、大怪我もし大病もして、辛うじて京都へ帰った。勇断連れかえってくれた秦の母の大恩は忘れたことが ない。
わたしは今、あの昭和二十年の敗戦から戦後を現在の日本よりも切に思い起こしもの思いつづけている。映画『日本のいちばん長かった日』八月十五日、それに先だった廣島と長崎の原爆での壊滅。
いま、全代議士は あの戦争と敗戦とに直かに学び返して欲しい。
それは新天皇夫妻にも秋篠宮家にも、切に願うことである。
平成天皇ご夫妻は、まことにご立派だった。
2019 6/26 211

* 私の 感傷 の原点は、当尾の祖父母の邸で犬ころと地べたにしゃん゛んでいた(上記の)写真でも、戦中戦後の丹波の山村暮らしでも、有済小学校の五年 で送辞を読み六年の卒業式に答辞を読んだことでも無い、 原点は 八坂神社の西楼門の裏で、優しく力強く「背」を押して、「さ、ひとりで行きなさい」と励 まされた日に在る。意識も意嚮も自覚もあのときに点火された。
2019 6/28 211

☆ 返信が遅くなり申し訳ありません。
澤田(=文子)さん(=大学の同窓 妻の一の親友)のことは自分も気になっていました。

3月に小包をお送りしたのですが、受け取られないまま返送されてきました。そして、その後もお手紙をお送りしたのですが、筆まめな澤田さんには珍しく、返信もありませんでした。

今回、メールをいただいたので、思い切って、今日、初めてお宅を訪ねてきました。

呼び鈴を押しましたが返答がなく、お隣の方にお尋ねしたところ、3月にお亡くなりになったとのことでした。
澤田さんとはいつも手紙のやりとりでしたが、非常にやさしく、あたたかく接していただいたのに、自分は何もできず、このようなことになってしまい、本当に申し訳ない気持ちで一杯です。
今はただご冥福をお祈りするしかありません。   京・伏見   森野公之

* 茫然…  妻には、わたしとちがい同窓の友の訃報を知らないのを羨んでいたが、音信が途絶えているのを案じ、「シグナレス」の親切な森野さんを煩わせて、かかる悲報を受け取ることになった。
2019 6/29 211

* 早くに目覚め、まだすこし睡いが、「選集31」の受け容れ用意に力仕事(邪魔になるあれこれの片づけ・片寄せ)もして、腰の痛み止めも一錠口にした。起きて働いていると{マ・ア」は喜ぶ。寝かせておきたい妻にも、起きてと盛んに催促に行く。ゆれゆれ
2019 7/2 212

* 夕食後、二人とも疲れて、妻は眠り わたしも横になって「復活」「饗宴」「沙石集」「住吉物語」「傷つけられた青春」を、少しずつ面白く読んで休息した。またひき続き仕事した。作業は明日がヤマで、明後日には終えたい。
2019 7/2 212

* 選集三十一巻が長い書架一段の大方を占め、「小説・戯曲」等の創作が十八巻、論攷・批評・エッセイ等が十三巻が並んだ。
言っておかねばならない、『秦 恒平選集』の実現を率先して望んでくれたのは、妻の迪子である。「湖の本」だけでは、作品が可哀想と思ってくれた。「非売本」で、よくこれだけの特装美本 がと、不思議と案じて下さる人もあるが、たねを明かせば、是は東工大教授として招聘されたおかげで、就任から退任までの全給与賞与に一円の手もを着けず、 年金とともに、一口座に放りっぱなしにしておいた。「選集」一巻一巻には予期した以上の高額の支払いまた送料が必要だったが、幸いに、あと二巻、預金はす べて使い果たしても、義妹をはじめ、有り難い読者方おりおりの手厚いご喜捨やご支援も得て、なんとか、かつがつ払底しても赤字は、出てもごく僅かと思って いる。
妻は、昔々貧の極の頃に、乏しい貯金をとりくずして四册もの「私家版本」を造るのも賛成して、表紙の繪まで描いてくれた。この私家版本がなかったら、応 募とか投稿とかをまるで考えていない私に突然『清経入水』への太宰治賞とか、「新潮」からの原稿依頼など、ありえなかった。
選集三十三巻は、この時節に お伽噺のような豪華版になる。今時の出版不況、全集を出してくれる出版社など皆無だろう。
作や原稿を山のように書いて置いたからではあるが、かれらに「晴れの姿を」と。いわば希望し提案してくれた妻に感謝している。
2019 7/4 212

* 手元に溜まった長編第二、三部での完結を手順良く印刷製本へ回送しなくては。それが済むと、此処暫くは選集の新入稿は待機のまま、「湖の本」の発送を 終え、心ゆく創作へ気を入れて行く。次の新作も考えている。郵便が来ていたが、ソレも物の下になってか、見つからない。妻は疲れて寝入っている、「マ・ ア」もいっしょに。雨季から暑季へ、我々の苦手な季節だけに、ただ無事に乗り越したい。

* もう、祇園さんの神輿洗い。鉾巡幸の日、わたしは聖路加内分泌の診察日。やれやれ。
2019 7/9 212

* まるで出歩かないので、いつのまにか財布がカラ同然。明日から土、日。ちょっと出歩く気になったが、電動自転車で久々に走ってみるか。何か食べたい か。食べたい何も無い。南座わき松葉屋の鰊蕎麦がふっと恋しい。食べる気も食べたい物もないので、今度の長編ではたくさん「爺さん」に食べ歩かせた。京で の昔はわたしは余分なお金はまるで持てなくて、妻とのデートもひたすら「歩き」とせいぜいラーメンだった。小説では、わたしの行ったこともない佳い店で、 「爺さん」よく食べに食べていた。懐郷の思いが能く利いた。
東京では、むかしは寿司の「きよ田」がわたしたち最高の佳い贅沢だった。辻邦生がはじめ連れて行ってくれた。大きなパーティ会場から、小学館の会長に誘 われ二人で出向いたことも、御茶ノ水大入学祝いに朝日子に御馳走してやったことあった。井上靖、山本健吉等々で静かに賑わう超特級の寿司店であったが、店 主が病気で亡くなってしまった。わたしが沢口靖子が贔屓と知るやたちまちに会社に掛け合って畳半畳大の写真や献辞入り署名の額写真などを幾つももせしめて くれたのが、今この部屋にも、「靖子ロード」と称している二階廊下にも、デーンと懸かっている。
この「きよ田」代替わりの店が同じ場所で開いているとちらと耳にしている。「きよ田」初代は伝説的にしられた名人で、わたしたちが仲良しだったのは、二代目。
美味いいい寿司が食べたくなった。
「きよ田」のほかではやはり小学館会長に連れて貰った銀座の「すし幸」、気楽にとまり木でというなら たまたまとびこんだ東京駅構内で、沼津から店を出していた店でよく喰いよく飲んだ。懐かしい。まだその店、あるかなあ。懐かしい、が、さて食欲が湧かないのが情けない。
2019 7/12 212

* 京・古門前の大益(林)貞子、口寂しく糖分の欲しいときに恰好の、鍵善良房・和三盆、小粒の「おちょま」や、老舗の水羊羹を送ってきてくれた。
敗戦後の小学校で同学年。秦の叔母宗陽が、ひそかにわたしの嫁にと先の親へ声を掛けていたとは、近年になって当人から聞いた。ありそうなことだったと、 驚きながら聞いた。事実は舞踊仲間で同性の先輩と「結婚」した。幸せそうと聞いていた。いまは独りになり、いまでも舞踊の弟子を指導していると。元気がな によりです。佳い京菓子、心入れ、ありがとう。
2019 7/13 212

☆ 白楽天の詩句に聴く

五十八翁方有後    五十八翁 方(はぢ)めて後(嗣子)有り
静思堪喜亦堪嗟    静かに思へば喜ぶに堪へ 亦 嗟(なげ)くに堪ふ
一珠甚小還慙蚌    一珠甚だ小さく 還(ま)た蚌(=真珠を産む淡水の貝)に慙じるが

持杯祝願無他語    杯を持して祝ひ願ひ 他語無し
愼勿頑愚似汝爺    愼みて頑愚 汝の爺(ちち=白楽天)に似る勿れ

* 建日子五十歳 こういう思いをさせてやりたい。生来 愛情溢れているのだもの。
2019 7/14 212

* 京・古門前のお師匠はん 縄手のお茶漬鰻と、昔むかし秦の叔母社中たちのなつかしい写真を数枚送ってきてくれた。知る限り、いまも存命なのは お師匠はんのほかに只一人だけ。
2019 7/18 212

* 昨日送られてきた昔の写真の一枚は、間違いなく縄手の龍ちゃん宅の炉開きの茶会だろう、先生である叔母宗陽をなかに七人がいわば記念写真に入ってい る、うち今も健在なのは、高校生だった龍ちゃんと藤間のお師匠はんの、二人だけ。六十余年もむかしの写真ということ。そんな時が事実在ったのだというこ と。
2019 7/19 212

* 妻と連れて ネコ兄弟の「アコとマコ」のため、大量の砂や餌などを、近くのセイムスへ買い出しに。砂袋を三つも買うととても持ち運べないのでわたしは自転車。
ついでにスコッチを買ってきた。役所広司が広告している「正麺」も買った。
ネコたちとの共生がどんなに幸せかは、日々に身に沁みて満喫出来ている。同時に同じ母から産まれたという兄弟の仲佳さはうるわしい限り、眺めるだけですさみがちな人間は感嘆し感謝してしまう。

* 何をしてこう草臥れるのか、分かりません。もう十一時。
2019 7/20 212

* 今日、参議院選挙。建日子も帰って来る、それだけが嬉しい楽しみ。
2019 7/21 212

* 猛暑に負けそうになりながら、投票所まで歩くのを避け、自転車で独り参議院投票を済ませてきた。建日子が来ていて母子で歩いて投票に行くだろう。
卒倒しそうな暑さ。往復して十分とかからない自転車走なのに疲労困憊。情けない。

* 世上、無残な、また理不尽に不快なニュースが続出している。日韓のあいだにも愚かしいような揉め事が失せないでいる。この蒸し暑さと似通っている。
かまわずわたし自身の仕事に励もう。と、思っても疲労困憊。情けない。

* 建日子が岐阜の土産に持参のしぼりたての酒に美味く酔った。建日子が心ゆく仕事で満ちたり、元気でいて欲しいと願うばかり。
朝日子が和装の最近らしい写真を機械の中で建日子が見つけたらしく、母と息子で驚嘆していた。わたしは見ていない。

* わたしは今ほんとうに何を望んでいるのだろう。死んでしまった人の方へばかり想いが傾くのも健康でないが。こんなことを書いていてもつい歯を食いしばっていて歯が痛む。
2019 7/21 212

* 明後日は、長女朝日子の誕生日、六十歳へはもう一年か。それにしても歳月の足早なのに驚く。心ゆく健康な日々を送れよと願うのみ。
2019 7/25 212

* 熱暑の中 併せて10キロを超えている「マコとアコ」兄弟を自転車の前後ろに載せて、なにかしら必要らしき定期の注射に連れて行った。重いよりも、暑いに閉口した。簡単に済んでよかった。

* 望月太佐衛さん、浅草明日の花火に例年通り招いて下さったが、とても体調およばず、感謝して辞退。七月二十七日は、娘朝日子の誕生日、孫娘やす香の命日。嗚呼。
2019 7/26 212

* 新しい物語の大事な一面に必然の結着を付けえたかという時に、建日子がふらっと立ち寄ってくれた。それはもう嬉しいことであった。だべっていても佳い のだけれど、三人と「マ・ア」ふたりも入り、気楽に「剣客商売」の新しいところを二つ観た。建日子は機嫌良く付き合ってくれる。商売柄、でてくる俳優達の こともさすがによく識っていて、親二人はホウホウと感心して聞いてもいる。こんな団欒がもういつまで出来るのかと案じつつ、建日子の方に怪我なかれ病むな かれよと心よりわたしは祈っている。
きげんよく、車で帰っていった。ながく引き留めたのかも知れない。
2019 7/26 212

* 七月二十 七日 土  昭和三十五年 朝日子生まる

「朝日子」の今さしいでて
天地(あめつち)のよろこびぞこれ風のすずしさ
2019 7/27 212

☆ 秦先生
メールをありがとうございます。

隅田川の花火 台風の中、開催できてよかったです。

ツィッターアップしました。

今年は稽古が長引き、雷門の稽古場から少しだけ見ました。

今、夜行バスで金沢に向かってます。

柿木畠商店街の水掛神輿に参加します。

今後ともよろしくお願いいたします。  望月太左衛

* 毎年お誘い頂いて。去年は妻も一緒に、太左衛さんのお姉さんのお部屋からみごとな花火を堪能させてもらった。
もう十二三年になる、肉腫に奪われ愛しい孫やす香の逝ったあの年にも、天上のやす香と地上の私は一緒に花火を見て、泣いた。とりかえしのつかない悲しみであった。幸せな妻にも母親にもならせたかった。元気に仕事もさせてやりたかった。

☆ 今年の祇園祭も過ぎました。
何時もご心配頂き嬉しいです。
私の体調が今一で。日々の家事、何とか過ごして居ますが今日の様なお天気は特に辛いです。
夫の方は 週明けには外来でバタバタです。私の体力が衰えて来たので困った事です。
何か楽しい事 探してます!  京。北日吉   華

* 年寄りの二人暮らしで片方が大きな怪我をしてしまうと、ほとんど共倒れに同じようになる。何もしてあげられず、見舞いを書き送るすらかえって気の毒になる。平穏なご恢復をただ願うばかり。

* 土佐の出の女性読者、東京へ転勤して、以来何十年、連れてのぼった一人のボクちゃんが、今は父親に成っているという。時の流れの強かさよ。
この人、土佐の産、猛烈と謂いたい美味さのお酒に添え、珍しい食べ物や飲み物をいろいろ送って下さった。ほくほくと頂戴している。
戦中戦後を極く貧しく育ったわたしは、免れようないいやしんぼうで、口に入るものを頂くと恥ずかしいほど嬉しい。感謝 という他の言葉がない。
十歳の疎開先山国で敗戦、十五歳で祇園石段下の新制中学を生徒会長で卆えた。二度とイヤという思いと、いっそあの時代へもう一度とも思う。それほど、今の日本の政治は危なくて、嫌い。安倍政権は嫌い。危ない危ない。若い人たちよ、眼をしかと開いてくれ。
2019 7/28 212

* なぜか、アコに限って、わたしの目の前の書架、谷崎松子夫人の本の上においた人形、それ一つを執拗に、もう何十度も銜えて逃げ出しに来る。マコは一切そう いうことははないのに。理由が分からない。ゴジラ風の人形は今や噛みに噛まれているが、まだ原形をやや留めている。わたしも奪い返しては元の所に戻すが、 根限りの知恵を働かせてアコは奪いに来る。御蔭で松子夫人の美しい表紙写真の本は書架から落とされて申し訳がない。
2019 8/5 213

* 朝から心身きりっと立たず、かすかな吐き気ににた感じで項垂れ、いい始動を待っている。ショパンのいろいろを聴いていたが、いまは倍賞千恵子の「かあ さんの歌」を聴いている。わたしの幼時に「かあさん」はす重すぎる秘密の禁句だった。倍賞千恵子の歌を聴いているとこの歳になってなお泪ぐむ。
2019 8/12 213

* 少し、少し、前へ出た。これからが ややこしい。上手くすると爆発するが、不発に終わるとみなやり直しになる。

* 今日はきまりの妻の検査と診察。パスしてくれたらしい、明後日は朝涼しい内に出て、歌舞伎座真夏の第一部だけを楽しむ。二十一日には、「湖の本146}『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部の完結編を呈上する。これで本当に十四年の仕事を手放せる。
「第一部」だけで以下不要と断られた人数は、妻の調べで、ほぼ三十人ほどと。思いの外数寡なかった。どっちみち、決して書かずには済まなかった「作」であった。体力も気力も我慢も要った。
次作も「いい脱稿」に成功すれば、奇妙意欲の長編を送り出せる。すくなくも、私だから書ける、書いた物語になる、「湖の本」の二巻分ほどのちょっと怕い長編に纏まるだろう。

* 連作を心がけていた『女坂』の二は、もう書けていて、次いで三を三として書くか、別に自立の一編にするか思案している。
「信じられな話だが」久しい宿題で抱き込んでいる上越を舞台の作もあるが、現地の海と川と山を見なければ。もうそれはムリか。
上田東作(秋成)若い日々の思慕の物語が書けるかもしれない、ただ残念にもわたしは秋成の昔と限らず大坂を識らないので困っている。九割九部参考文献の「無い」ところへ首を突っ込むので無謀とも、便利ともいえるが。
そしてもう一つ、わたしの書ける材料が(具体的には何も知らないので、思い切った架空の組み立てになるが、)兄恒彦が亡くなって以降念頭を去らない舞台が見えている。
この調子では、まだ潰れて死ぬわけに行かんなあ。さっささっさとやらないととても時間が足りない。
とにかくも『選集』33巻を仕遂げること。
出せば出すほど赤字を山と積む現行の「湖の本」は、続けてという読者の有り難い声が強い。妻にかける体力的負担をどうかして庇いたいのだが、アルバイトを頼むしかないか。本に出来る材料は跡絶えはしないので。ヘタな戦争に國が引き摺り込まれないよう願う。
2019 8/13 213

* ほんとうは今日こそ映画「日本のいちばん長い日」を観るとみころだが、先ごろ観てしまったので、真逆の選択だが日米合作の「トラトラトラ」を観た。痛 快などとは思われず、アメリカ側の右往左往ぶりが「こういうものなんだろうなあ」と印象に残った。映画としての出来は上等だが、幼稚園に通ってた日の十二 月八日を思い出してはるかな心地がした。あの日も幼稚園へ運び込まれた午の給食のにおいが甦った。じつは幼稚園の給食はおおかた苦手で食べ残しては先生に 叱られた。
2019 8/15 213

* 「マ・ア」に起こされたまま、床に坐って中公新書「続・照葉樹林文化」を、ちょっと貪り気味に読んでいた。もっと早くに勉強しておきたかったことがま だまだ幾らもあり、悩ましいほど。幸い、アタマはまだ貪欲なほど敏感に反応してくれる。国民学校に入ってもうすぐわたしは大人のとうに打ち捨てていた通信 教育の教科書「国史」にむしゃぶりつくように繰り返し予も耽った。「歴史」への思いの根は深く遠くへ潜って、いまも時となく露表する。まだまだ生きている ぞと思う。悟り済ましたような老人になるより少年の敏感すぎた敏感をまだまだ持ち運んでいたい。

* 早めの昼食と謂うほども食せず、一時前まで寝潰れていた。
2019 8/19 213

* 九時きっかりから作業をはじめ、六時前に第一便を宅急便に託した。わたしよりも妻が疲労した。果汁やビタミンや強壮薬をのませ、水分をたくさん摂らせ て、やっと凌いだ。シャリ少なめの特上寿司の出前を頼んだ。妻はよく食べられたが、わたしは美味いと思いつつ残した。どうも満腹は気分に添わない。
作業中、ひさしぶりにアネット・ベニングの絶品、マイケル・ダグラスの「アメリカン・プレジデント」わ心底楽しんでいた。ついで、なんと「ターザン」を 観聴きし、さらに次いで気に入り山本耕史らの「薄櫻記や「剣客商売」を見聞きしていた。幸いに事前の用意が万全に出来ていると、発送の作業中はそういう主 に耳のまた目の楽しみようがある。
明日、さらに発送作業を続ける。ダンボール函に荷造りした湖の本を60册の重さを、繰り返し返しキッチンから玄関へ持ち運ぶ。腕力はあるなあと納得しな がら腰の痛みに気配りし続ける。もうこの仕事も永くはなかろうなあという気分が、渚へよせる小波のように寄ってくる。「選集」は何としてもあと二巻で予定 の目標に達する。「湖の本」は具体的に創作・執筆活動の舞台であるだけに、極力続けたいが、出血の増はがまんするとして、老夫婦の体力がどこまでもつか。
2019 8/21 213

 

* 尾張の鳶、「松葉」の鰊蕎麦を送ってきて下さる。せびったか催促したかのようで申し訳ないが、鰊の妙味を味わいたい。感謝感謝。美味しいモノを頂くと 理屈抜きに嬉しがるというのは、これはもうあの「戦時」「戦後」少年の餓えていやしい尻尾の残りなのである。お金はその気があれば何とか稼げるにしても、 美味い物はかくべつということ。朝日子や建日子らには分かるまい。
2019 8/23 213

* 送り作業のアトは、どうしても腰へ痛みが来て残る。季節的に例年皮膚の一等弱り出す時機にもなって、残暑を耐え抜くのはなかなかの難儀。気をちらすに は結句読書がいい。本当は散歩しないといけないのだが。「マ・ア」を家に閉じこめているのも心苦しい、が、好きに外歩きさせるのは厳禁されている。

* 心身ともに衰えている。すぐ横になりたい。
鴎外先生の『ヰタ・セクスアリス』を「金井湛」君が遊廓へつれてゆかれ、はなはだ受け身に童貞を投げ出して帰宅したまで、ほぼ九割がた読んだ、帝大を最 年少最短で卒業し公助の留学候補になっている時機で、それまで女の手を取ったともましてキスしたとも無いが自慰に類した経験は持っているらしいし、寄宿舎 で何度か襲われた様子も見えていたが。まことに淡々と、むしろまことに冷淡な性的青春が当然のように書かれてある。残る一割ほどの十頁足らずに何が書かれ ているか記憶にないが、先生の文学生涯でこれが唯一の「発禁」に合った作と聞くと、今ではとても信じられない。わたしの今度の作を同時期に出していたら作 者のわたしは絞首刑にされたかも知れぬ。
鴎外先生はもっぱら成人して行く少年における「性欲の発芽」を順次追われている。それが「セクスアリス」になっている。
国民学校(小学校)一年を終えたはるやすみに何用でか秦の父はかなりとおい木津川添いの担任の女先生宅へわたしを連れて行った。用向きなどわたしには何 も分からず、しかし人生を刺激する一大事が起きた。辞去の際に女先生はわたしに謂わば現代語訳された『古事記』一冊を下さり、これが私のその後の読書・思 索・好学の決定的な推進力になり、ほとんど全編、少なくも神話部分は諳誦した。二年生になって先生はよく指名して教壇に立たせ「おはなし」を命じられたが わたしの話嚢には古事記が詰まっていて、いくらでも話せた。
当然、みそさざいに教わられた男神女神の「あなにやし」の性も性格に察した。鴎外先生または金井君ならぬわたしは、戦時中の当然として入浴は父や母に連れられ銭湯の女湯へも男湯へも当たり前に通って「見聞」は濃やかであった。
3029 8/23 213

* わたしが寝過ぎていると思うらしく、「マ・ア」が、或る程度の時間が過ぎると、交互に、足の先を噛んだり頭を小突きに来る。察しが早く、気分わるく不調で寝入っていると、心配そうに傍へ来て観ている。歴代のどんな子もみなそうだった。
2019 8/27 213

いまも心通ふ いとし 黒いマゴ 去年の今朝 見つめあふ
九月までがんばり 七日午前 看取られて 静かに卓上で逝去
2019 8/29 213

 

* 床にあぐらで、気を入れて何種もの文献を読みあさっていた。いまさらそれらのどれこれを使う気では無いのだが、夏ばての頭、刺戟しないと。長時間、赤ペン 片手にいろいろ読み耽っているあいだ、黒いマコは、(一年前に見送ったのは「黒いマゴ」で。そっくり。)わたしの足元で両手足をあげ腹をだして安心で気楽な熟睡を楽し んでいた。この子は、わたしに心ゆるして警戒も不快感も全然みせず、しんじつ馴染んでくれている。うれしく心なごむこと、この上ない。
2019 8/29 213

* 妻にも夏バテが見え、今夕以降休息させ、わたしも横になり、トルストイ、プラトン、ル・グゥイン、司馬遷「史記列伝」講義を読み継ぎ、そっと機械の前へ戻ってきた。とにかくも明日来る九月を先ず無事に乗り切りたい。猛烈な残暑よりは、無事の雨を待つ。

* 私に理解できない「警告」や「示唆らしき」記事が機械へ頻々と入る。処置の力はないので全て「x」で消し続けてきたが、今夜はやや具体的に、この機械は基本「*」で設定されているのが、いつからか「**」に変更されている、元へ戻すべしと。
たしかに、もう何年も前になるが建日子が何かしら「設定変更」をしてくれ、しかしその結果かどうか以来私の「ツイッター」も「Fブック」も行方不明に使 用不能になっていた。ま、それもいいサともう多年放ってあったが、二年ほど前から盛んに「それは宜しくない」との抗告が連日機械に入りだし、また「ツイッ ター」「Fブック」からも私を指名で「もっと活用して下さい」と云うて来るようになっている。私の機械判断力では応じる能がなく、煩瑣な抗告の一切は無視 し消去してきた。今夜は、なんだか決定的な口調のほとんど「指示」が届いていて、困惑している。昔は東工大の学生君や卒業生が頼れたが、今はみな社会の一 線で忙しいはず、邪魔になるまいと決めている。
さ、どうなるやら。分かりません。
2019 8/31 213

* 九月早々、よほど気をたしかに据えて対応して行かねば、わが家の「人間」二人の健康と体力は、剣呑と見えている。

* 私の「異様」は毎夜の夢に現じている。とても信じられない不穏で奇矯で劇的な、夢、夢、夢。まずは夢から、私は狂い始めているのか。

* 何もかも仕遂げて行こうとなど、厚顔で強慾。少しは仕残して行くのが愛想だろうと、咎められているのかも。これは、気弱なのか。
2019 9/1 214

* 黒いマコの草噛み過剰による嘔吐がおさまってホッとしている。
妻にも躓いて貰いたくない。わたしはナニとでも頑張れる。
2019 9/3 214

* 建日子が、めずらしく、「父さん、この作者好きだよね」と、ル・グゥインの『なつかしく 謎めいて』という一冊を持参して呉れたことがあり、 以来、 永い時間を掛けて読み進んでいる。グゥインらしい超級に興趣の一冊で、「シータ・ドゥリーブ式次元間移動」で、さまざまな世界へ「旅」ができる。いわゆる 人間の世界ではないが人間の國と同様に同様のしかしいろんな人たちが生活していて、「私」はそんな旅が好きでしばしば自在に出向いてその世界の人たちと仲 よく、しかし相当に気も遣って叮嚀につきあっている。その見聞記、変わり種の「新・ガリバー旅行記」なのだが、知恵溢れたル・グゥインの筆の冴えで、まこ とに和やかに珍しく面白い。原題は「Changing Planes」 ただの着想小説ではなくみごとな創作世界である。
2019 9/4 214

* 黒いマゴが懐かしい。やす香が可愛がってくれていたのに、やす香もいない。仲よくしてるかな、あっちで。
ねこ のこ 黒いまご そして今は 黒いマコと、アコとが、兄弟愛うるわしく元気に老いたトーサン、カーサンを慰め励ましてくれる。手は貸してくれなくて手は掛かるけれども、日々の喜びはたっぷり呉れている。
2019 9/7 214

* 鯖虎の「アコ」兄貴は、わたしの部屋へ来て、他には何一つワルサしないのに、書架の、表紙カバーに谷崎松子奥さんの写真の出ている単行本の上に置いた、赤 い帽子のゴジラ(伊藤カオリさんのプレゼント)一つを執拗に徹底的に狙っては掻き落とし、銜えて階下へもって降り、銜えては廊下にコツコツ転がしして得意 満面。その奪取のはずみに美しい松子奥さんの本は書架から顛落し、大学卒業時の記念品も転げ落とされる。重々防禦しているのに、部屋への出入り口の用心をウカと欠いた時に侵入、まんまと 戦果のごとくゴジラを銜えてくる。もう少なくも三十度はヤラレている。くそッ。
もっぱら兄貴のアコの所業で、弟のマコはしない。但し、わが家の障子紙で無事な箇所ははなはだしく寡く、もっぱら兄弟して破り放題。防衛の手もなくやられ、重めの戸のある部屋は閉めてしまうしかない。くそッ。
2019 9/9 214

☆  秦 兄
台風15号の被害はありませんでしたか。案じています。
被害が微少でありますよう念じています。  京・岩倉   辰

* 感謝。
折角戴いている音盤が、わたしがラジオをよう正しく扱えなくて、まだ聴けていない。これまで、あちこちのボタンを押しまくって、たまたま鳴りだしてくれると、電源を切らずに何日も聴いていたが。これで、「ハタラジオ店」の息子だったとはなあ。
永かった人生で一等苦痛で困惑したのは、高校か大学の頃の夏休みに、秦の父に命じられ、ナショナル門真の工場へ通い、「テレビ」なる機械内部の扱いを講 習させられた時で、皆目分からず手も足も出ぬ苦痛で、しまいには門真駅を毎日通り越し大阪市まで行き、ぶらぶら歩きしては京都の家へ帰っていた。今までの 人生で、あれ以上シンドかったことは無いなあ。しかし馴染みのない大阪へとは気が利かなかった、京都でなら街や山歩きが楽しめたのに。わたしは、どこか抜 けているのです。
2019 9/9 214

* 日照りの中を、妻と、近くの「セイムス」へ必要なまとめ買いに行き、何より「マ・ア」たちの重い砂
を二袋など家へ運んだ。これも運動に類するが、今、グッタリしている。
2019 9/11 214

* 夜來 マコ、吐く。悪食の気味あり、防ぐには大人の用心あるのみ。材質の区別なく紐状のモノは何でも口にしているらしい。妻は後始末に追われて、疲労。横になっている。わが家の食生活は、いまやわたしの食欲不振が響いて、実も形も失いかけている。心身老朽か。困った。

* 昼下がり、市の小さいバスで保谷駅へ出、銀行から「ラ・マンチャの男」への支払い送金し、またすでに大きく欠損の出ている「湖の本」入出金郵便通帳へ当面の補充分を用意した。
地下鉄で銀座松屋へ、弱り気味老夫婦の鰻での昼食をホンの少し。わたしは蒲焼きでお酒少々。
2019 9/12 214

☆ 言わずもがな
吉野東作は上田秋成の「蛇性の婬」からのネーミングかな。
こだわり過ぎかもしれませんが、父親にとって一番の「お気に入り」は愛娘でしょうし、娘にとっての「とくべつ」は父親ではありませんか。
雪絵の「嫌いです」は「だ~い好き」と聞こえますし、その他のメールにも父親に甘える娘の調子が
数多く見受けられます。
巻末の「むごいと知りつつも」は 親が娘を導きそこねた述懐のようにも響きます。
更にはいとし子が自死による水の浄化を受けたあと、荼毘に付されようとしている雪絵に 「生きたかりしに」と共に 火の供養が待っているのは、再生の願いも込められているのではありませんか。
「ユニオ・ミスティカ」が到達点ではなく、そこから始まる父と娘の新たなる「生きたかりしに」物語としても成り立つと思いました。。
勿論寓話ですから典型を描かれたものと承知いたします。
相変わらずの自分勝手な感想で失礼しました。
秦恒平様      東京・狛江    方外野人

* 虚を衝かれた。そして、胸を衝かれた。

* 虚を衝かれたのは、「蛇性の婬」の飛び出したこと。私の創作世界では東作秋成の「蛇性の婬」という作はよかれあしかれ大事に絡みついている。こうはっ きり指摘された人、私の評者におられたろうか。重い、そして必然の指摘である、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』で然りとまでは言わぬけれども。

* 胸を衝かれたのは。
「事実」という何かに即して言われているのでないと分かっていても、私にとって、「娘・朝日子」との久しい絶縁状態は、やがて死んで行く身にも思いにも 大きく「重い」。しかし私自身は微塵も何らかの打開にと動いていない。愛おしんだ昔の思い出を抛っていないだけ。此の「私語の刻」末尾にほんの少々並べら れた写真が雄弁に証言している。
妻(母)や息子(弟)が何を考えているかは私にもよく分からない。唯一関わりのあった事実だけをいえば、 妻が、つまり娘の母が命も「あはや」と危険だったとき、弟にそれを告げられても、「見舞わない」と一言で峻拒したと聞いている。
私は、なにらの利害や傷害や障碍も無いまま、父親を指さし「名誉棄損」と称し裁判所の「被告席」に立たせて賠償金を取り立てた「娘(婿・大学教授 も)」の「人」として、知性としての誠実が全く理解出来ないまま、ほぼ二十年を暮らしてきた。理解できないまま私は指一本もどう動かし働きかけることも出 来ないできた。娘との楽しかった、愛おしかった思い出だけが今も時として澎湃と甦るだけである。
切に願っている、出来れば娘・朝日子にだけは、こんな、子として人として恥ずかしい行儀のままに終わらせたくないとだけ願っている。亡き孫娘のやす香も心 からそう願って祖父母との親愛を切に繋ごうと努め続けてくれていた。そのやす香が、二十歳成人の直前に重い病で逝ってしまって、はや十三年。今月が誕生月 であった。

「おじいやん」と「やす香」

* プラトン、ソクラテスは嗤っている、真に徳と誠を得ているつもりの知性なら、およそ裁判官や弁護士の判断になどすがる真似はしないと。

* それにしても「オイノ・セクスアリス 或る寓話」が斯かる方面から読まれるなどとは、作者は夢にも思わなかった。恐縮し、かつ何だか虚を衝か れた心地である。感謝しています。言い遺しておいて遣りたいと思っていた多年の思いをすこし書きおく機会を下さったとも。そして次作でも、ちょっとのけぞっ て下さるかも知れぬと。
2019 9/16 214

* 昨夜は 疲れ寝に床に臥した。いまは昔、京都へ帰ったとき妻と 丹波亀岡から戦時疎開してい た山間の「杉生」(昔は京都府南桑田郡樫田村、今は大阪府高槻市とか。)まで訪れた。亀岡市のひっそり閑とした料亭の広間で食事し、保津川沿いに嵯峨へ 戻っていった。そんな夢をかなり克明に見ていた。市内三条の三島亭ですき焼きを食した時は、もう妻は疲労困憊していた。楽しいままに気の毒なことをした と、今もときおり思い出して話しあう。
2019 9/19 214

 

* 朝から観世流謡曲「清経」をしみじみと懐かしく聴いていた。いまは能舞台で能一番を観る元気がない、しかしみごとに稽古された名手らの美しい謡曲を聴くのは、どんな音楽の名曲にも匹敵する。家のどこかを捜せばたくさんな謡曲集が潜んでいるはず。
秦の父は観世流を習い、大江又三郎らの能楽堂での地謡に何度か使われたと言っていた。謡曲の美しさを私は秦の父の謡で身に沁み覚えたのだ。私自身は謡え なかった。秦の叔母の茶の湯の方を習い覚えた。いい家へ私は貰われて育ったのだ、申し訳ないほど恩返しの親孝行は出来なかったが。
2019 9/22 214

* 夕刻 建日子が用の途中に寄ってくれ、一緒に夕食しながら、関脇御嶽海が評判の貴景勝を破って二度目の優勝相撲を観たりして、また次の仕事へ大きな車で出向いていった。わたしのためにCDを聴く専用機械を持ってきてくれた。ありがとう。
建日子が元気な顔を見せてくれると真実ほっとする。私の気弱に弱ってきていることを実感させられもするが、せいぜい顔を見せて欲しい。
金田小夜子さんに戴いた金澤の宝玉のような「ルビーロマン」を美味いねえと感嘆して食して行った。
怪我なく、事故なく、心ゆく仕事を楽しむといい。仕事とはシンドイものでもあるのだが。
2019 9/22 214

* 建日子の呉れた「CD」の聴ける機械が此の仕事しているまぢかに落ち着き、いま、森下辰男君の呉れたメンデルスゾーンの音楽を楽しみながら、これを書いている。
森下君に感謝、建日子アリガトさん。
2019 9/27 214

* 「マ・ア」の砂など買い足しに妻とセイムスへ買い物に行く。
2019 9/29 214

* 一ヶ月、プラトン最大最重要な著書『国家』の文庫二冊本の「上巻」から聴いてきた。
この大著の全編を、わたしは二度読み終えたところ。胃癌全摘の手術を受けに聖路加へ入院した日から読み始めたのだ、もう七年半の歳月が過ぎた。正直なところソクラテスの曰くに、全面賛成していない自身も自覚している、女性観などは。
この七年の間に、顧みて「湖の本」を36巻分、平均600頁に逼る『秦 恒平選集』を第31巻まですでに刊行してきた、書き下ろしの長、短篇も刊行し、また現に脱稿しつつもある。
目は暗く歯は大方無く体重は術後より現に7キロ近く減っている。往時からすれば 27キロも減っている。歩行に杖は欠かせず、荷物は、戴いた背負い袋で負うている。食は進まない、昔と変わらないのは、「酒飲み」だけ。幸い血糖値も血圧も尋常で助かる。
生きてきた と、しみじみ想う。感謝している。創作にも読書にもなお意欲あり、好奇心も知識欲すらまだまだある。
こうして「自身の既往」を敢えて反芻しいしい、自身を励ましている。妻にも建日子にも助けられ、ふたりの「マコとアコ」猫とも、それは仲良しである。みなみな、怪我すまいよと願う。
2019 9/30 214

☆ 秦 兄
雑食系音キチからの音楽便。
何に限らず好き嫌いのないことだけが取り柄の老生だが 時の権力者の長期にわたる居座りだけ
はご免蒙りたい。
11月20日には歴代総理在任期間の最長記録保持者になるが、日本憲政史に最悪の一頁を加え
ることだけは絶対に許さじと Amazon本を出したが、紙本に拘り 2年間を無駄にして時間切れを
迎えることは真に慙愧に堪えない。
死の商人と二足のわらじを履く世界中の悪徳政治屋を-掃せんとして2冊のKindle本を纏めて
〟The best way to wide out bad politicians in eIection〝と題してAmazon本にして地球温暖化にも触れたが、傷心無念の老生にとっての救いは スエーデンの少女GretaThunberg のこの度の国連での名スピーチである。
世界中の政治屋は何と聞いたことか。蛙の面に小便の破廉恥な政治屋にたいして「あなたたちを
絶対に許さない」と断じた少女のような未成年者に選挙権を与えて ×票 で悪徳政治屋を一掃せんとする私の主張は必ず陽の目を見るときが来ると 少女の演説を聞いて確信した。
やっぱ半端ない、などと気色のわるい言葉を大人までもが平気で口にしている日本人には愛想が
尽きるが 嘆いていても埒が明かないので根気よく活動をつづけることにしよう。
9月19日に 84歳になり 耳目に支障はあるものの 肺同様に2つある臓器は 1つあれば最低の用は足せると楽観視して1次目標の百歳めざして猪突猛進するので 兄にも是非お付合いを願いたい。
乳牛ですらモーツアルトを聞けば良質の乳を出すそうだから 万物の霊長なら効果のない筈もな
いので これからも独断と偏見の音楽レシピの中から見繕って精々届けることにしよう。
きようは兄の好きな李香蘭の秘曲第2集とBGM用にJ.S.バッハの名曲を聴き比べていただこう。
李香蘭の音源は大半がSP盤のため針音が気になるがスクラッチノイズの中から妖艶なソプラノを
聴きとるのも亦一興かも。
バッハはモダンジャズに化けたものも入れたが 出来るだけ刺激のすくない演奏を選んでおいた。
カーステレオでも聴いていた音源ゆえトランキライザーになるだろう。随分と逡巡したが誕生日前
に免許証を返納したので もう運転しながら 音楽を聴くこともなくなった。
20数年湖国にいた頃と違い 京都に戻ったので不便は何もなく、森下の棺桶は車と言われていた
だけに心配事がなくなり 家人も安堵していることだろう。
では愛息ご手配の装置で音楽の五目飯をお二人でご賞味ください。2019-9-30 森下辰男

* 感謝、感謝。 幸い建日子の呉れたCD専用?機 好調に音楽を聴かせてくれる。持ち駒はテープよりCDがたくさんなので、音質も悪くないので喜んでい る。森下君の選んでくれた「これが芸人だ」という音盤では、東京ぼん太の歌のうまさ、坂上二郎の「鉄道員」の歌、渥美清の「遠くへ行きたい「人生の並木 道」にほろっとした。植木ひとしの「はいそれまでよ」「スーダラ節」にも、久しぶりに笑えた。今日もらった李香蘭秘曲第二集は題をみても全部知らない。楽 しませてもらいます。感謝。
2019 10/1 215

* 建日子の呉れた機械で、CD盤は懸念なくたくさん聴けている。テープも、ラジオも、その下の古機械で支障なく聴けている。音楽が、と云うてもクラシックの主に器楽曲にかぎっているが、こう楽しめるとは思ってこなかった。
2019 10/3 215

 

* 書庫に「墨」という大きな雑誌が何冊もあり、なかに「千字文」特集がみつかり喜んで機械の側へ運んだ。見ると、なかに私の連載小説「秋萩帖」 二の帖がきれいな挿絵も添えられ載っていて、おやおやと驚いた。一九八六年の九・十月号だ。三十五年も昔だ。働き盛りへ向かっていた。
千字文は秦の祖父鶴吉の蔵書、「真行草 三軆千字文」を邨田海石という人の書いた「天地」二册を愛して座右を離さないのだが、「千字文」なる中国の文化 遺産にかなり詳細な解説や多くの名筆例が大きな画面で多数掲載されているので、遅幕ながら嬉しくてならぬ。正字も読みもきちんと表覧されており、四字一句  二百五十句 千字に、一字の重複もなく しかも銘々の句が意義深いとも分かり、ほくほくしている。祖父からの学恩、はかり知れない。
しかし、これを諳記はもう無理です。今、確実に諳記できているのは神武から平成・令和まで天皇126代だけ。般若心経がほぼ正確に近くまで。千字文は、いまや実利には遠い、趣味の対象。
2019 10/6 215

 

* 機械の前で疲れ寝している時、建日子が来てくれた。長くは居れないようだったが、トーサンのために凄いほど上等な(むろん、使い終えての品らしいが) 写真機を持ってきてくれた。巧く使えるかなー、何よりもこれほどのキャノンを使うのには広々とした何処かへ出て行かねばナア。隅田川とか、秩父とか、箱根 とか、むろん京都とか。からだがなあ…云うことを聴いてくれるといいがナア。

* 建日子はほかに、トーサンは音楽を楽しんでいるのでと、ジャズも含めてクラシックのCDを100枚ほども大きな紙袋二つに入れて持ってきてくれた。ア リガト、建日子。建日子が来てくれると、奇妙に、家へ帰ったように寛ぐ。忙しくしていて永くは居れないのだが、ホッコリと嬉しく心慰む。いま、貰ったなか から、手に触れたモーツアルトのバイオリン協奏曲四番と三番とをこれも建日子の呉れた器械で聴いている。幸せなことだ。建日子が元気に怪我なく心ゆく仕事 をしつづけて呉れますよう。舞台でも、映画でも、テレビドラマでも、小説でもいい、自身の内深くに根ざした仕事を楽しんで仕遂げて行って呉れよ。
2019 10/13 215

* 建日子の呉れた音楽の板を、つぎつぎに(これは何、なんどという穿鑿ぬきに)聴いている。わたしは、概して個人の演奏(小音楽)に聴き惚れてきた。建 日子のはオーケストラというのか大きな音楽が多そう。何にしても人のナマの言葉や声のない器楽曲は邪魔にならず、懐かしい。演奏しているのが誰といった関 心はもっていない。いまはバッハが鳴っている。ベートーベンより、バッハの方に遙かに親しんでいる。
2019 10/14 215

 

* 「湖の本」148の原稿を半ば以上整理し用意し終えた。よく働いたのではなかろうか。今夜は、もう休もう。
建日子の呉れたガッチリ重い「CANON」カメラが自在に使えるように成るには。使い続けてみることか。いいカメラだなと羨望の機械。
わたしが初めて自分のカメラを手にしたのは大学生のころ。河原町の「桜井」のウインドウに出ていたライカマウントのニッカが欲しくて欲しくて、毎日のよ うに眺めに行っていた。叔母の茶の湯の代稽古をするという約束で叔母が「五万円」という当時では目を剥く大金を出してくれて手に入れた。じつにいいカメラ だった。今想うと、昭和三十年にもならぬ時期の五万円のカメラとは途方もなかったのだ。今も持っているが、もはやフイルムも手に入れにくい。骨董品であ る。たれかカメラ・マニアがいれば上げてもいいか。
それにしても、いい機械ほどややこしい。わたしが2004年に有楽町で買った愛用のカメラはワイシャツの胸ポケットに入った。すごいほどたくさん撮って みごとに撮れるいい機械だったが、もう充電が利かなくなってきた。電池も充電器も、もうこんな機械は「有りませんよ」とビックカメラで引導を渡された。 15年を愛用し続けた。嵩の低さも軽さも有り難かった。今度のキャノンはとてもとても、持ち歩きもたいへん。どう慣れるか。背負い袋にうまく入るかな。頸 に掛けては、頸が曲がりそうに重い。これも人生か。建日子 アリガトさん。
2019 10/14 215

 

* 兄のアコ、テラスから脱走。こういうこと、一度は必ずと思っていた、遠くへは行けまいと安心しているが、書庫上の草むら、さぞ新世界で面白かろう。弟のマコは度胸無く、木登りして書庫上へという心配はいまのところ無い。
ひとしきり探訪したと見えて、書庫のエプロンからテラスへ飛び下りご帰還となった。
2019 10/15 215

* 建日子の呉れた、初見参のジャズ盤八枚を聴いているが、すさまじいほどの吹奏やドラムに反り返る。仕事中は、フルート曲や能管やピアノ曲がありがたい。仕事中でなければ、ジャズのピアノも悪くないだろうが。
映画で、兄弟のピアノでミシェル・ファイファーが歌う好きな佳い作があって、おりごとに観ているが、あれもジャズなのかな。ジャズは即興とも聞いた気が するが、その辺のセンス、わたしにはまだ掴めない。いま鳴っているのは、ジャズ・バラードの「マイ・フーリッシュ・ハート」とか。しかし、題のちがう15 曲もが一枚に入っていて、演奏もいろんな人のよう。
だんだん好きになるかな。やはり大好きな映画の「帰らざる河」で、マリリン・モンローの歌がしっかり耳にのこっていて、これも折り有ると観かえし聴き返している。ロバート・ミッチャム主演というのも殊に嬉しい一作。

* そういえば、わたし。一頃は海外映画の主演男優も主演女優も各100人以上もそらで上げられた。そのなかでも、いま挙げた、「眼下の敵」のロバート・ ミッチャム、「帰らざる河」のマリリン・モンロー、そしてミッシェル・ファイファーが大好き。ま、私には大好きはいっぱいいるのだが。

* お、ジャズ 佳境にある。右から左へ「処分」という必要はないようだ。と、盤の置き場所がまた要る。建日子はほかにクラシック音楽の盤を100枚ちか くも持ってきてくれたのです、有り難いが置き場所に頭痛む。わたし自身で既に持っているのが少なくも6-70枚は在る。ウーム、ちっちゃな家じゃのう。
2019 10/15 215

* ジャズを聞いている。高らかな吹奏楽器や打楽器の多い音楽のようです。耳に真新しく新鮮ではある。建日子が払い下げてくれたCD用の機械、簡明な手順 で使える。もっともっと多様に簡明に使えるのらしいが、センサーの使い道が難しそう。ま、CDが好きに聴けるだけで満足。
キャノンのカメラ、どうやら写すことは出来かけている。この機械へどう取り込むのか、それがないと撮った写真が楽しめない。
2019 10/16 215

* Stella By Starlight という曲のジャズを聞いている。知りもせずジャズは「やかましい」と受け付けなかった、ごめんあれ。むろん、ジャズとはと聞かれてもわたしはどう返事も出来ないが。
なんだかピアノの奏者の鼻声みたいなのもかんかにまじる。あの希代のビアニスト、グレン・ゴールドも興が乗るとか、ときどき演奏中の呟きがきこえる。あれもわるくない。

* 建日子の新しい連続ドラマが始まるという。このところ、あまり観てこなかった気がするが、今夜始まるという、観てみましょう。本当は、選び抜いた、建日子の惚れ込んだ優れた「文学」作品を一回もので脚色して見せて欲しいのだが。
荷風の「踊り子」 鴎外の「阿部一族」 康成の「伊豆の踊子」 など懐かしい。「地方創成」とやら政府政策への協力映画もいいでしょうが、渾身の独創力で、感銘の文藝感ゆたかな映画を、創作でも脚色でもいい、一本でもいい、観て、行きたいものだ。
2019 10/18 215

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

昭和十九年は実に駆足の如くにすぎていった。この年の六月--ローマの陥落、ノルマンディのいわゆる「史上最大の作戦」、七月--学童疎開の開始、サイパン島玉砕、東条内閣総辞職、八月--シナ南部からB29の北九州、南朝鮮、山陰地方への空襲、パリ陥落、九月--停戦交渉をなんとかソ連に仲介してもらおうと特派使節派遣を最高戦争指導会議で決定しながらモロトフ外相に拒否されるという醜態、ドイツのV2号ロケット弾は画期的傑作として威力を発揮したが時すでに遅しの憾み、そして十月-レイテ沖海戦、神風特別攻撃隊の初出撃、十一月-- 超弩級、幻の大空母『信濃』が竣工しながら、四国へ回航中、米潜水艦の魚雷四発であえなく沈没、わずか十日間の束の間の命、サイパン、テニアン、グァムの 飛行場からB29の東京大空襲の開始と入れ違いに、日本からは風任せ風頼りの風船爆弾九千三百個が大空に放たれる苦しまぎれの「ふ」号作戦開始--

* 私は九歳、この愉快ならぬ報道の殆どを、耳ラジオ、目新聞から受け取っていた。
「風船爆弾?」 さすがに口には出さなかったが、失笑し失望した。
疎開先の田舎、当時の京都府南桑田郡樫田村字杉生の農家には書籍をほぼ全く見なかった。むろん本屋もなかった。秦の父母はわたしのために本を買うなど一 切なかった、病気した時に「花は無桜木人は武士」という半漫画のようなのを買ってくれたのが只一度で、失笑するしかなかった。仕方なく母と叔母の婦人雑誌 の買い置き二册を繰り返し読んだし、京都にさえいれば祖父の漢籍や古典や辞書が山のようにあり飽きなかったけれど、疎開先へは持ち出していなかった。読む モノ無し、教科書と遅れ遅れの新聞だけ、ラジオは聴けた。京都へ早く帰りたかった。

* 今朝、明け方の夢に懐かしい人たちと出会っていたが、誰で何処でがまるで分からなかった、胸のワクワクする嬉しい出逢いに相違ないのに、何もシカと把 握できなかった。気分だけが靄のようで、残り惜しく目覚めた。なにしろ、人と、会わない話さない。出かけないのだから当然。用もなくボーっと出かけるのが 漫然と懶い。不健康やなあと思いながら「静かな」ジャズの吹奏を聴いている。建日子の呉れた一箱のジャズ十枚には「Jazz Ballads」とある。わたしはBalladsの意味も知らない。思いこんでたより十枚ともまことに静かな演奏なのはBalladsゆえであるのか、それも分からない。「ジャズは喧しい」と思いこんでいたのは何故かも説明できないが、とにかく此の「Jazz Ballads」は静かで、読み書き仕事に邪魔にならず有り難い。すこし眠気ももよおしてきた。
2019 10/19 215

 

* 明け方の五時台から執拗に「マ・ア」に起こされた。仕方なく、ファビュラス・ベーカーズとか云ったか、ピアノ抜群のジェフ・ブリッジス兄弟と好きなミシェル・ファイファの映画を半ばまでまた観ていた。彼等のピアノもジャズというのか、そういうことは分かりません。
努めて食べている。血圧は高めに、血糖値は低めに推移。
妻は、ご近所のお婆さん達とおしゃべり昼食会とか、タクシーに乗ってちょくちょくどこかへ出かける。このへん、五十年のうちに、お気の毒にお爺さんはおおかた亡くなり、連れ添いの家のほうが少ない。五十年……
2019 10/20 215

☆ 木犀が花盛りです
他所の垣根が、金と銀の交互であることにきづきました。においが少しちがいます。
千里の保富家の、ご兄妹それぞれ一本ずつの木犀のなかで、迪子さんのが、いちばんおおきかったのを覚えているのですが、なんで千里かが不明です。なにもかも、曖昧模糊なのがおそろしい。
この物忘れは、とし相応かとか、精密機械みたいな人間のありようが、どこかに影響を及ぼしているらしいとか。
はずれ感がつよい毎日で、ひきこもりがなにより、を改めたいのですが、体力が。
ジャズに開眼、おめでとう!
お怪我のありませんように。 大阪・豊中 美沙

* 「開眼」は、おそれいるが、食わず嫌いに馴染まなかった「いいモノ」がまだまだまだ、あるのだろう、出会えるなら出会いたい、ヒトでも モノでも コトでも。欲張って云うのではない。生きてあることを喜びたい。

* 妻の妹が、予定の入院日を今日迎え、手術に備えた。
無事の成功を切に切に心より祈る。
2019 10/21 215

* 音楽の恵みを惜しみなく私に注いでくれる京都の旧友森下辰男兄は、「早大一法35J」卒とCD版に書いている。同窓の「呑んべえオヤジ」さんらと旅行 も楽しんでいたようで。森下兄は、思えば、わが息子の作家・秦建日子の直の大先輩だったのだ、今まで気づかなかった。いま、フランク永井と松尾和子とが 「昭和枯れススキ」を歌っている。「昭和」ははるか三十数年も昔に影を遠くして、もはや枯れススキですら無くなっている。
いやいや、今日を明日を思って、怯むまい と 生きている気。
2019 10/22 215

* 妻の妹の手術、無事に終えたと。よかった。ほんとうによかった。
2019 10/22 215

* 建日子の山のように呉れた音楽CDのなかから、「シャンソン ベスト・コレクション」一枚が見つかった。シャンソンは演奏曲でなく歌謡曲のよう。馴染みは 無い。だれがなにを歌っているのか、ケースの超ちっちゃな字は一切読めない。ピアフの映画は観たことがある。唄は知らないが危険な道を爆発物を積んで運搬 するような誰かもいたかなあ。
2019 10/24 215

* 大雨が行って、秋晴れ。もう、「マ・ア」兄弟ぬきの私たち「秦家」の日々など考えられない。家中の障子紙は破り尽くされているが、排泄の行儀は正し く、なによりもわれわれ大人を愛してくれている。朝、も少し寝ていさして欲しいが、起きて起きてがあの手この手でくる。今朝は妻にまかせて、わたしは朝寝 させてもらいました。

* 亡くなった懐かしいたくさんな人をしきりに想い出すが。なんと、遠いことか。

あなたとはあなたの果てのはてとこそ
吾(あ)に知らしめて逝きしかきみは    恒平
2019 10/27 215

* まあなんと沢山なクラシックCDを建日子は呉れたのだろう、100枚はあった。なるべく静かに聴きいりたい盤を手もとに置きたい。いま、ヨハン・シュ トラウスの曲を聴いている。ダンス向きに流れるような調べではあるが、非凡に胸にせまる優美とは思えないまま、聴いている。
2019 10/27 215

☆ メール頂き
有り難う御座いました。ご心配頂きうれしいです。
日々 なんとか過ごして居ます、今日(=昨日)は久方ぶりに良いお天気で、北側の土手の草取りをし、土からエネルギーを頂いてました。
先程まで NHKの古典芸能への招待を見て楽しんでました。
明日は 日赤へ外来診察です、日々スケジュール一杯です。
22日の時代祭は 即位の為 26日に変更され、何時もの様に大勢の人出とか、此れから東山付近は観光客で大変です、
私は外出しない様にして居ます。では今夜は此にて。お休みなさいませ。 京・北日吉   華

* 老老家人の看病に心身を尽くしている人の多いこと。…たしかに、小さい頃、これほどの歳まで命あるとは思いも寄らなかった。戦時の徴兵をも念頭にわた しは人生二十年とさえ少年の胸で思っていた。健康、そして長命はだれしもの祈りであった。秦の父を91歳、叔母を93歳、母を96歳で見送った時は医学の 勝ちとさえ思ったものだ、が。いま、人生百歳という可能性を、人は、いや私たちは、今、どう受け承れているのだろう…。
だれもだれも、怪我なく、恙なくありたいと、それを思う。
2019 10/28 215

* 「母」については、「湖の本 母の敗戦」にも「選集 生きたかりしに」にも書いたが、「父」については断片的にしか書いたことがない、触れまいとして きた感さえある。が、もうそろそろそうも成るまいと、かねがね少しずつ書き置いたものなどを構造化してみたいと思うようになったが、実に気の重い仕事で、 身内からグウーっと、草臥れる。ま、やりかけたなら、やり次ぐべきか。
2019 10/28 215

* 「書く」という営みで生母と向き合えたのに較べ、実父との対面は、とても息苦しい。どこかに父を赦していない思いが滓のように残っているらしい。残さ れた父が手書きの嵩だけで堆い。仰天してしまうほど美しい達筆だが、テンデン・バラバラの書きッ放しで、貫く棒の如きものが見つからない。あるとすれば、 生まれ育った「家」ないし「親」への怨み節、そして人生不遇への愚痴というに尽きるかも知れない。もし事実がそうならなにもわざわざほじくって日の目に晒 して遣らなくていいこととも思われる。私も、へんにオタオタしてしまいそうである。
2019 10/29 215

 

* 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 思い直しつつ

この手記は、どこへどう到達するとも、到達すべしとも、筆者自身に分かっていない。ただ「途上の独白」というのがふさわしい。何処への? 答えられない。静かな心への。死への。あるいは何かに「間に合いたい」と──死ぬ日まで独白しつづけるのだろう。
筆者は、偶然にバグワン・シュリ・ラジニーシの「本」に出逢っただけ。その生涯や実像にほとんど知識を持たないし、持ちたいとも想わず今日まで来た。そ の意味では、バグワンが語りまたひとに答えたとされているおよそ七、八種のいわば「講話」集だけにわたしは頼んでいるのだから、その編訳者たちへの真摯な 信頼を措いてわたしは何一つバグワンに関して言えない。これほど不確かな、いいかげんなことは無いかも知れない。だが、言うまでもなくあらゆる聖典やバイ ブルに向かう今日の信仰者や帰依者も、実は同じであることをわたしは知っている。仏陀もイエスも自ら書いた何一つも残したわけではない。
わたしはわたしの思い一つで何人かの有り難い編訳者の誠実に信倚し、そうして「聴いて」きたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉を耳にし胸におさめ、そ して能うかぎりわたしはわたしの「いわば世界史的な信頼」をバグワンに預けてきたのである。それだけを、まず、ここ冒頭に断っておきます。       2011.03.23                          秦 恒平

一 平成十年 バグワン・シュリ・ラジニーシとの出逢い

* バグワン・シュリ・ラジニーシというインド人をご存じですか。アメリカのオレゴンでしたか、に拠点をえていたらしいのですが、裁判によって国外に追放され ました。一時、オーム真理教のお手本かと噂され、日本でも手ひどく否定的に話題になった人物だそうで、もう亡くなっています。
わたしは、ほんの一年ほど前から、偶然に「本」など手にして、読み始めました。バグワンについては全然予備知識もなく、むろん「オームがらみの噂」など何 も知らず関心もなく、いいえ、じつは無意味な先入見を「ひとつ」だけ持っていたのですが、いわばそれが理由で、およそ気まぐれと謂うしかない出逢いから 「読み」始めたのです。
ずいぶん昔ばなしになります、が、今日只今、もう四十ちかい、二児の(たぶん二児のままかと思うのですが、)母親になっています嫁いだ娘・朝日子が、まだ 大学 (お茶の水女子大)に入って間もない時分に、他大学生との小さなグループで、盛んに「バグワン、バグワン」と言いながら我が家へも集まって交流していたこ とがあったのです。講話集のような分厚い本が二冊三冊と娘の机に積んでありました。わたしは娘がへんな宗教団体に接近してはいやだなと思っていましたの で、冷淡でした。幸いなことにというか、短期間で娘の熱はすっかり冷めたようで、ひょっとして娘は、「恋」という信仰の方へ転向していったのだろうと思わ れます。
* バグワンの本はそれきり棚に上げられていました。
幾変遷もあって娘が嫁ぎますときも、娘は所持のバグワン本を三冊全部、家に残して行きましたし、家族のだれも手に取りもしなかった。あのオーム真理教が大騒ぎの頃も、かけらほども誰も思い出したりしなかったのです。    (平成十年 1998.04.01)
2019 11/1 216

* 「アコ」の爪を切ってもらいに近くて助かる、医院へ。弟の「マコ」はヤンチャはしても爪は出さない。兄貴の爪は痛い、とてもいい子ではあるのだが。

* 生母には短歌や詩をふくんだ文集があり、幾らかのノートと書簡が或る時期に纏まって遺っていた。私にもいくぶんの接触はあった。人となりや言動、暮らしにも証言してくれる何人もがあった。
父には山のように大学ノートや帳面への書き入れがあり、勤務の立場(鍛鐵工場の次長や工場長としての覚え書きや記録の類はわたしにはとても理解が届かな い。しかし父の勤務生活ははなはだ不本意に中断を強いられたらしい、そこには戦後の空気としての左翼がかった思弁がまじっていて、堅固な思想や詩作とは想 いよれないのだが、一種のレッドパージじみた職場からの脱落があったようにも想われる、が、分量の多さと、系統だたないその場その場のもの言いが多く、読 み取って行くのがんなり、いや、よほど難しい。これに脚を取られると泥水にはまって足が抜けないというおそれもある。だからこそ特異な父親像の組み立てら れる可能性もあるのだけれど。私にそれだけの時間が在るかどうか。
2019 11/1 216

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

2 そのバグワン本を、「いったい朝日子、あの頃 なにに血迷っていたのかな」と、ふと娘の気持ちを知りたさに手に取ったのが、去年(平成九年・一九九七)でした。
そして、驚いたのです。ほんとうに驚いたのです。
正直に言って、とてもあの頃の娘の、手に負える本ではありませんでした。その後の娘の娘時代を振り返れば振り返るほど、バグワンに娘が浮かれていたのは事実でしたが、受け容れるにははるかな距離のまま退散したにちがいない、と、そう想えました。
朝日新聞が、「心の書」を数冊選んで、週に一度ずつ四回コラム原稿をと頼んできたとき、わたしは、源氏物語、徒然草、漱石の「こころ」とともに、バグワン の「十牛図」を<解き語り>した講話を選んで、原稿を送りました。すると、担当記者から丁重に、バグワンに関する一回分だけは再考慮されてはどうかと電話 がかかり、やがて、バグワンがかつてアメリカのオレゴンで裁判にかかり追放された頃の新聞記事などを送ってきてくれました。こだわる気持ちは無かったし、 なによりわたしにはその手の予備知識も情報もなく、ただもう、本を読んでの感嘆のほか無かったのですから、原稿は引き取り、すぐ、べつのものを書いて渡し ました。
しかし、その時でもわたしは、バグワンの説きかつ語る言葉が、じつに優れた境地にあることは信じられますと記者に伝えておきました。要は、私自身の問題でした。
原稿を書いて新聞社に渡してからも、もう月日が経っています。しかし、その後も他の講話を時間をかけてかけて読み、その示唆するところの深く遠い端的さに は驚嘆と畏敬を覚え続け、いささかも印象は変化していないのです。伝え聞くオーム真理教の連中の、あんなむちゃくちゃとは似ても似つかないものだと、何の 思惑もなく、一私人として、バグワンにわたしは敬意を惜しまないのです。
いまは、『般若心経』を語っている一冊を読んでいます。高校生このかたこの根本経典を説いた本には何度も出会ってきましたが、バグワンの理解は、透徹して、群を抜いています。
余談ですが、わたしは、わが日本ペンクラブ現会長の梅原猛氏に、「般若心経」を説いてみませんかと、二度三度立ち話のおりに勧めています。氏はバグワンの 説く意味の「叛逆者」とはかなり質のちがう、与党的素質の濃厚なかつ大度の人ですから、また特色ある理解が聴けるのではないかと期待するのですが。「般若 心経」は、或いは、氏の試金石ではあるまいかとすら思っています。これは余談です。
もし私が東工大教授の頃に、教室や教授室で「バグワン」の話などしていたら、或いはオーム真理教寄りの者かと、物騒に思われたろうかと、苦笑しています。
しかし、繰り返しますが、その説くところを静かに味読すればするほど、バグワン・シュリ・ラジニーシは、オームの徒なんどとは全く異なった、本質的な「生」のブッダです。
* しかしまた、わたしはバグワンを、まだ二十歳過ぎた程度の人に勧めようとは思わない。「知解」は試みられるでしょうが、人生をまだほとんど歩みだしていな い年代では、この講話を、親切にまた深切に吸い込むことは無理です。つまりわたしの娘も、いいものに出会いながら、何一つ得るところなく別れています、投 げ出したのです。無理からぬことと、よく分かったつもりです。その娘が、バグワンの本を、父のわたしに、十数年も経ったいまごろに出会わせてくれたこと を、喜んでいます。
1998.04.02

* 上に、「余談」のまま、今は亡き梅原猛氏に「般若心経」について書いてみませんかと繰り返し奨めていたと書いている。これは、いささか梅原さんをゆす ぶる行為だった。彼の佛教観ないしは日本人観は、いわば「あの世」を「あり」と信じ、「魂」をありと信じる哲学で。
それに対し「般若心経」は「空」観の一の 根本経典であり、「死後」を持たない、釈迦は「後世(ごせ)」も「死後の魂」をも認めていない。この辺は、禅家の秋月龍珉氏が梅原さんを鋭く批判しつづけて『誤解 された佛教』の顕著な例と挙げている。
梅原さんは「般若心経を」と聞くと、頸をよこに振っていた。私は、聴いてみたかったが。

* 般若心経は 仏壇にいつも手に取れる小さなころから馴染みふかいお経で、高校にはいると創刊された角川文庫からまっさきに『般若心経講義』をいそいそと乏しい小遣いで買った。やさしく語りかける講義で、表紙ももげるほど耽読した。決定的に忘れがたい読書であった。
だが、問題が一つ起きている。この日録「私語の刻」の冒頭に「方丈」とかかげて、その下に私は、

あのよよりあのよへ帰る一休み

と現世を観じた一句を掲げている。明らかに、和泉式部の

暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかに照らせ山の端の月

に感化されている。じつはそれだけでない、「この世」を「旅宿の境涯」とうけとめた人は、中国にも日本にも少なくはなかった、多かった。こんなこともわた しは忘れていない。建日子がまだ小学生の頃、わたしと入浴しながら「お父さん、人はみな、<この世>という<休憩所>にいるんだよね」と言い出し、わたし は湯槽へ転びそうに仰天した。聞くと、読んだばかりの『モンテクリスト伯』にそんなふうに書いてあったよ、と。また、ビックリした。あとでしらべて、つま り私もまたまた読み返して、たしかにそれに類する表現・述懐が書かれていた。

* 「この世」ははたして「休憩所」での「一休み」であるのか。
ひょっとしてあの「一休」さんの思いもそうであったのか。

* 『般若心経』の「空」観は、そうは言っていない。気になりながら、上掲の一句、そのまま置いて、今、わたしは、その思案を避けている。フィクションと知りつつも、先へ逝ってしまった人たちのあの世があればこそ、諸々の今生世愚にも煩多にも堪えてられるということ、あるではないか。ウーン。

* それにしても低劣内閣・愚衆自民党であることよ。どこまで続く泥濘よ。
2019 11/2 216

* 法政大山口二郎教授の岩波新書『民主主義は終わるのか』は、今こそ読んで考えたい、動けるなら動きたい働いてみたいと願う「危機」の言説・提唱であ る。若い人たちよ、ただの御節介を言う言える立場に私は無いが、ほんとうに危ない日本の明日だと想われる、案じられる。やす香は、生前、断乎として法政大 へこそ進学したがって、そして入学した。惜しみて余りある、すぐさま病に斃れてしまった。山口さんの講座を聴かせてやりたかった。
2019 11/2 216

* 亡父吉岡恒にかかわる父自身の筆記・所感・述懐・信仰・書信等々が、手に負えぬほど手もとにあるのは知っていたが、かつて一瞥してその多岐に亘り或る 意味で一途、或る意味で散乱の記録を今朝から再確認して、長嘆息している。これはまさしく「一人」のきわめて意識的で多彩な吐露
というしかない。もはや残年に恵まれていないわたしの手では、どうしようもない。兄・恒彦が存命なら多大の関心を寄せて分析し批評し「父・恒」像を建立したであろうが。
父に、孫は「大勢」いるが、妹二人の家庭の大勢の孫は、こういう作業に向いていないだろうし、妹二人の明白な意志でこれら資料は私に全面依託の体で父死 後の直ぐに送ってこられた。放っておいたのは私である、任されたのだから全処分してもいいだろうが、それに忍びない一人の特異な「人間」像がここに集結し て書き表されているのだ。
祖父「恒」と、あえて同名を父・恒彦に与えられた甥・北澤恒(黒川創)がすべて了解して受け継いでくれれば有り難いのだが、彼にもこごに忙しい事情というものが在ろう。
当然のことに私の父の遺した一切は「手書き」で、それを機械へ写すだけでも、一年はかかるだろうし、さまざまな断章・断片に書かれた「紀年」を決するのもとてもとても容易でない、父の亡くなった以前と言えるだけ。これでは甥の恒も音をあげるだろう、やんぬるかな。

* 今は私は、また別の「信じられない話」に手を付けてしまっている。「信じられない話」は、その気で眺めれば広い世間にいくらも隠れている、ことに「むかし・むかし」という時空では。

* 建日子の呉れた盤から、モーツアルトの「フルート協奏曲」二番を静かに鳴らしている。とても、いい。
2019 11/4 216

* 掲げた写真は、みな、自分で撮っている。来迎院がなつかしい。「慈子」が縁側へいなにも姿を見せて呼んでくれそうに思う。
どの写真もワイシャツの胸ポケに入る小さなカメラで撮った。しかし、もう寿命か、電池の充電が利かないか利きにくくなっていて、残念。

* スマホという便利かも知れないが老若男女を白痴化しているしか見えない機械は決して手にしない。いわゆるラインとかネットというものも使わない、まっ たく無縁に過ごしている。しかし、ひとりで病院などへ外出のとき、簡単な携帯電話だけは持たないと危ない気がしてきている。家との連絡さえとれればいいの だが、その余の目的は全くない、が、連絡できないと、緊急時の危険に対応できない。街でゆっくり、家へ帰ったら、妻は救急車で入院していたという変事が あった。肝が冷えた。のに、まだ対応できていない。店へ「買いに行く」という面倒がイヤなのである。が、とにかくも電話「だけ」の最簡単品だけは必要だ。
2019 11/4 216

* 新しい物語を、跡絶えずに書き継いで行く気でいる。病院、医院のほかで人と口を利くことが久しく無い。昨日、川口君の電話で暫時話したのが稀有。一つ には、入れ歯が落ち着かず、喋りにくくて。仙人のような通力はまったく無くて、妻と「マ・ア」とだけの「お仙」めく日々に身を浸している。もう、このまま 黙然と気軽に残年を楽しむだけ。
それでよい それでよいとよ 寒鴉
2019 11/5 216

* 妻はきまりの診察を受けに近くの病院へ、わたしと「マ・ア」とは静かに留守番。
2019 11/5 216

* モーツアルトのフルート協奏曲、静かに美しく鳴り続けている。もうそろそろ妻が帰宅かな。往き帰りともタクシーを使うように云ってある。夕暮れが日ごと早く くらくなる。
2019 11/5 216

 

* 歳をとると夜眠れないと聞いてきたが、朝までよく寝る。「マ・ア」につつき起こされねば、いつまで寝ているやら。寝入る前の読書が利くのか。しかし夜 をこめてアタマに歌が甦り続けている。一夜で幾つもの歌ではない、ほぼ一つの歌詞(の一部)とメロデイが反復している。ゆうべは「フランチェスカの鐘の音 が」「チンカラカンと」と反復つづいて、わたしは「チンカラ」はいかん、「キンカラ」がいいと抗いながら「やっぱりチンカラか」と反省したりし続けてい た。これは安眠とはいえないか。
朝早や、冷え込んでいた。

* けさは、「A couple of (二つの)」「A part of(の一部分)」というのを復習した。couple が「夫婦」の意味となどとうに意識から落ちていたなあ。
2019 11/6 216

* テラスへ出していたベンジャミンの、大きな鉢に大きく育ったのを、十一月になると、寒気から庇い来春まで狭い居間に入れてやる。これが、重い重い力仕 事。毎年のわたしの用事で、今しがた無事に今年も部屋へ収めた。狭い部屋がますます狭く、天井を枝がこすって傷つけないよう、例年、一苦労する。とても妻 の手と力とでは出来ないだけに、わたしの体力・健康のバロメーターになっている。いつまで此の重い嵩高い出し入れが出来るか。ま、今年も無事に遂げた。

* 「湖の本」発送のための、肩の凝る、しかし不可欠の用事の一つも終えた。一つ一つ、用事は遂げて行く。それが一等の確かな早道。

* 建日子の呉れた百ほどのクラシック音楽のCDをひとつ一つ確かめ、読み書きの仕事に障ってくる交響楽や大きな音の協奏曲の盤はとりわけて妻の方へまわ す。喜んで受け取ってくれる団体があるという。いまは「ドレスデン宮廷管弦楽団のホルン協奏曲集」を聴いている。やわらかに聴いておれる。モーツアルトの 「フルート協奏曲二番」もよかった。同じくモーツアルトの「クラリネット」や「ファゴット」の協奏曲も聴いてみる。グレン・グールドのピアノは籤とらずに 手もとに置いている。
2019 11/9 216

* 昼すぎ、「マ・ア」のための買い物に行ったついでにウイスキーも買ってきた。さしたる量とも思わなかったが、ぐっすり寝入ってしまい、大相撲が中入りになっていた。
皇室のバレード様の行事もあったらしいが、それにはあまり関心がなかったものの、なにもかもおいて午后を寝入っていたとはビックリ。体調を損じていないか。
2019 11/10 216

* 「秦 恒平・湖の本」を送り出す封筒に、大学・研究所、高校、作家・批評家他へ、宛名を貼らねばならない。そして購読者の皆さんへも。そういう作業を、創刊以来 150回ちかく、34年ちかくも重ねてきた。私はいいが、手伝ってきた妻はよほと゜草臥れたろう。ともあれ「秦 恒平選集」(とても「全集」というにはほど遠いが)予定の33巻を敢行し終えたい。お終いの2巻分は編輯が難しい。新年の前半は掛かることだろう。
* いま難しいのは、私も妻も、それぞれにどう「休息」したり「楽し」んだりするか、のように思われる。体力を労りながら、惜しみなく時間も費用もかけたい。
もうよほど昔になるが妻は「先に死なせてあげる」と云ってくれた。有り難かった。先にゆく気の私ひとりの願いをあえていえば、もし死後があるのなら、テ ラスの隅でやすんでいる「ネコ」「ノコ」「黒いマゴ」らと、そして、懐かしい京都の街や、東山や白川ですごしたい。妻にもいずれは来てほしい。
2019 11/10 216

* 二階から降りると妻は「発送用意」などに疲れて寝入っていた。「マ・ア」も妻のそばへ遣り、一人台所で休息し、また機械へ戻って奇怪な物語を古い古い文献などから掘り起こしていた、が、もう疲れた。床に就くには心もち早いが、やすもうと思う。
2019 11/11 216

* 九時半。もう今晩は躰を横にしよう。異母妹の夫は、自動車を道ばたに止め、背をうしろへ傾けた姿勢で「心筋梗塞死」していたと。敬虔なキリスト教徒であったと。天に召されたものと。嗚呼。
2019 11/15 216

 

* 書庫から和綴じの本など面白づく数册持ってきた。
大正十一年の非売品『椿山集』が珍しい。元勲といわれて内閣を総理し日本国陸軍を牛耳った元帥山県有朋の美装の私歌文集「風雲集」と「年々詠草」それに「常磐会選歌」が加わっている。

安政四年丁巳の秋松蔭先生の門人伊藤俊助杉山松助け伊藤傳之助岡千吉郎等政府の命を承けて時勢視察のため京都へ登りけるに予は當時未だ先生の門に在らざれど總樂悦之助と共に此一行に加へられ萩城を發して都に上りけるとき嵐山にてよめる

花とのみ見てやかへらむ嵐山松のこのまのもみちそめしを

文久元年酉の十一月九州諸藩の情勢を探らんとて  (以下略しておく 秦)

* 嵐山一首の 花 嵐 松のこのま もみちそめし  等の詩句を深読みしていいかどうか。
何にしても、こんな珍しい本もわたしの祖父は所蔵していた。ほとんど何一つも役立てた形跡無く、ただ孫の私のために和漢の典籍を百にもあまるほど蔵いおいて、ごく幼い私が好き勝手に手にしているのを黙認してくれていた。
明治の初めには文豪とも目されていたろう成嶋柳北文業の全部を編纂した『柳北全集』も、近代の文藝史にはいまや貴重な一巻と想われる。私ごときの私蔵は もったいなく、何方かにお知恵を借りて施設へ寄付したい。和綴じの大冊『文法詳解 増補明治作文三千題』などというのも、ヒヤーッと声が出そうに面白い。
かと思うと、積善館発兌で、賀茂眞淵翁講義、賀茂飛祢打聴の『校注古今和歌集講義』上下巻があり、塚原渋柿園講述『処世応用 孫子講話』なんてのもあった。「処世応用」というところが明治四十三年二月再版の所以か。みな、読んで見たくなる。
これだから、書庫へ入ると、なかなか出て来れない。しかし、いまどき、よりによって明治初期文藝を研究するヒマ人はいないか。
2019 11/16 216

* 明治の元勲といわれた陸軍元帥、公爵山県有朋総理の私家版非売の家集「椿山集」を昨日つぶさに読んで正直、感嘆した。彼の公生涯にわたしは久しく厭悪 観劇体験こそ持て、わずかに山県狂助時代の攘夷への働きに共感していた時期をはなれれば長州閥と横柄陸軍の象徴としか思ってこなかった。しかも、東京には 椿山荘があり京都にも瀟洒な庭園が瓢亭の真東に隣接していて、その風雅にはたしかに心を惹かれていた。
今度「椿山集」の行分と多くの和歌を読んで、文も歌もいわば素人にちかいもののその清雅な余裕のほどにいたく感じ入った。昔の武人の懐の深さを覗き見る心地だった。
これと較べると同じ長州閥のさきっちょでウロチョロする安倍晋三の無教養な国会答弁や軽薄に不行儀なヤジのとばしようなど、山県有朋とは雲泥の差だなと情けなさを深めた。

* 「椿山集」 なにかのかたちでもっと人目に触れて佳い資料性(行状記を含んでいるのだ。)と風雅の境涯がある。決して上級の藩士ではなかったが、吉田松陰を慕い、文も和歌も粗忽ならずときに美しくも書けている。
それにしても奥付に「非売品」と明記されたこんな珍本を秦の祖父は大正の初め五十代極初にどうして手に入れたのだろう。
なんだか。明治の歴史を復習してみたくなった。たいへんな古書の顔つきをした『明治の歴史』という上下本も、やはり秦の祖父鶴吉の遺品にまじっていて、今も、私の書庫に遺してある。
2019 11/17 216

* 携帯電話をとうとう持つことになったが、マニュアルの字が小さく、多様に大量で、当分は役に立たない、立たないままでありたいもの。
2019 11/20 216

* 発送前の大方の用は終えた。あとは謹呈分の追加若干の封筒宛名を書けばよい。残る四日半、本業へかかれる。
手に入れた「携帯電話」の学習も。だが、これはとても苦手。いつになったら使えるか分からないが、外出時の緊急に、家と、妻と、建日子「とに」、乃至「から」通じさえすればよいのだから。
2019 11/20 216

* モーツアルトの「フルート協奏曲第2番」の静かな美しさに魅了されている。つづく「フルートとハープのための協奏曲」も。このところもっぱらこのモー ツアルトに身も耳もゆだねている。建日子のどさっと呉れた100枚ちかいクラシックの盤から拾い上げた。喧しい交響曲や協奏曲は割愛させてもらい、受け容 れてくれる何処と屋らへ妻が送り届けている、らしい。たけひこの呉れた中でいま一等愛用し感謝しているのは、比較的に操作の容易な何と謂うのかな音楽の盤 を差し込むと自動的にいい音色で拡声してくれる機械。デザインが軽妙で場所を塞ぎすぎず喜んでいる。
2019 11/24 216

 

* 思い出した、昔も昔のこと学生時代だったが、昨日十一月二十六日に、まだまだ結婚前の妻と、鞍馬から貴船へ、錦秋の山越えを楽しんだ。ひと月ほど前、十月十六日には大文字山へ登った。秋色はまだほのかで、比叡をかえりみ京の街を望んだ空が広々と蒼かった。
京都へ帰りたい。
2019 11/27 216

* 昨晩、ふたりのネコたちが、キッチンで、われわれ不在の間に、妻が長時間丹精して煮ていたらしい豚肉の大鍋を、(幸い火もなく熱もなかったようだが)ガスレンジから轟然顛覆床に落下させた。

* ネコたちは宜しくない。しかし、野性をもった動物を狭苦しい謂えに閉じこめておいて、(用心は当然としても)「ネコ可愛いがり」に流れて日ごろ相応の 「躾け」が出来てなかったのは夫婦府ともども人間がわにも咎は免れない。元気いっぱいの一歳未満兄弟をどう躾けるどころか、居間の廊下側障紙は一齣も余さ ず破り尽くされ、仕方なく障子そのものを閾もろとも造り替えた。鴨居上の小障子は全面残りなく破られたママで、今は寝室の障子も大方「マ・ア」の爪牙に破 れ放題。そして今朝は、箪笥の上からかなりの重荷を妻の枕わきへ衝き落として呉れた。「朝です、起きて餌を下さい」という意思表示なのである、が。人間が 怪我をしてはハナシにならない。

* どうするか。昔の 母ネコと娘ノコはこんなことはしなかった。躾けもしたし、賢かった。亡くなった愛おしい黒いマゴはどうだったか。まことに賢い温厚な牡猫だった、イタズラされて閉口した記憶は無いにひとしい。

* 黒いマゴへの愛惜が今度の兄弟への溺愛になって、躾けがほとんど出来ていない。何処へも跳び上がり食膳へも平気。躾けないまま何を歎こうと怒ろうと、ハナシにならない。
わたしの仕事部屋を兄貴の「アコ」が特定のモノを狙ってやってくる。本人は面白くて楽しくて自慢なのだ、それは仕方ない。わたしは今では、どう煩わしく て一度一度の襖や戸の出入りにも「厳重」な自衛の工夫をし、ほぼ完璧にもう防ぎ得ている。障子への被害も最少に防げている。
監視や禁止よりは躾けが「サキ」で、そのためには「叱る」のも「罰する」のも子育ての理の当然。「ネコ可愛がり」は人間の不届きに相当してしまう。

* バグワンもネコたちとの共生は訓えて呉れていませんなあ。
2019 11/30 216

☆ 湖の本着きました!  琉   義妹

* 妻の妹、手術が無事に終えてよかった。ウーンと長生きしてもらいたい。
2019 12/1 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

32 * 2002 12・05    バグ ワンに聴いていて、ふと立ち止まりました。訳語の問題があり、訳語にとらわれるより、意義を深く酌むべきだと思いますが、彼バグワンは、たしか「孤独= ローンリイ」と「独り=アローン」を見分けて、孤独は毒だが、独りは全くのところむしろ望ましいと言います。これを私の物言いに言い直しますと、「孤立」 は毒であり、「孤独・自立」は望ましいのです。私・少年の昔に、そのように教えてくれた人がいました。
バグワン独自の説得では、孤立の男女が孤立のまま出逢って結婚しても、二人とも孤立の毒から免れるわけがないと言っています。お互いの孤立の毒を相手の存在に肩代わりさせ合うだけで、孤立は失せたように感じ合っていても、そのかわりの不幸を抱き込んでいると。
これにくらべ幸福な愛ある結婚は、たとえ孤独を識っていても自立した独りと独りとで達成できるもので、お互いに妻や夫のより豊かな「独り=アローン」を成さしめ合えるのが大切だと。
孤立に泣く男女は当然のように相手にそれを癒して貰おうとし、自分の不足を放置します。孤立感は支え合われたようでいて、それでは自立した者の充足は生ま れっこないから、当然のように不幸の坂をすべり落ちてゆく。支え合うというと言葉は佳いが、自立した者同士だからより確かに支え合えて幸せがありうるの で、「独り」に成れていない半端者同士では、どんなに疵を舐め合おうと癒えて健康にとは行かないと、バグワンは言うのです。
これは、深い洞察です。自立し「独り」に成れる前に、孤立をただ嘆いて寄り合っても、根本の姿勢が出来ていなくて、どうしてその不幸が無くなるものか。 孤立も不幸も、見かけの安寧の下で崩れを増しつつ倍加してゆくだけであるとバグワンは言います。厳しい指摘ですが、わたしも、その通りだと思います。此処 の安易な誤解が、安易な結婚に繋がり、そして夫婦ともども孤立のままな不幸を、うわべ仲よげに、増長している例が多いのではないでしょうか。

* 寒さが日増しに加わり、夜明けも遅れてきた。十二月は、生まれ月、日のいちばん短かな冬至に生まれ、十二月に求婚し、十二月には(何の関わりもないの だが)赤穂浪人達の「討入」りがある。わたしは、妙に、討入り贔屓で、大きな理由のひとつに「公儀への抗議」行動でもあったのを是とみている。緻密な創作 にひとしく緻密に構想・構築された或る美しさのようなモノにも心惹かれてきた、巷談に過ぎないと謂われようとも。で、「討ち入り」の話題が聞こえてこない とへんに物足りないのです。

討ち入りのこと聴かざりき十四日    2000-12-14

ヘンですかね。
2019 12¥2 217

 

* 創作された小説にも、いろいろな動機や刺戟や勧誘が働いている。すこしずつでも作へ立ち入った感想や批評が欲しいなと期待している。「読んでから」と思ってられる方が多かろうと、心待ちにしているが。

* 「作家以前」「太宰賞まで」の自筆年譜を、思うとこ ろ有り読み返している。人さまに読んで欲しいというより、私自身が、いつ目をむけてもそこに生涯で一等懐かしい時期が思い出せるように書き綴ってある。こ とごとく ありありと往時を思い起こすことが出来る。往時をただ渺茫にしてしまうまいと克明に用意しておいた「私記録」である。

* 読み返しながら、思わず笑えるのは、私の、以下、こういう「男女観」の浮き上がってくること。
私の観察と批評とでは、「男は(金と機械と技術という)文明」に追従し奉仕し奮励し、「女は(女)文化」に慣れ馴染み育てられる、ということ。
私はと謂うと、根から「文明」は疎ましく、「文化」の方を熱く愛するということ。
私は「京都」という「女文化」の都市で、実にさまざまに多彩な「女文化」にまみれるように育った。端的に例を謂えば、秦の父長治郎の、日本中でも先駆け たほどのラジオ・電器の技術には全く馴染まず、しかし父が趣味の謡曲の美しさには傾倒し感化された。秦の祖父鶴吉は、どんな気分でか時に「恒平を連れて商 売に行く」と愚痴ったそうだが、私は「商売」は御免、しかし祖父が山と積んでいた書物からは本当に多く多くを学んだ。秦の叔母つる(宗陽・玉月)は茶の湯 と生け花、付随して和服・道具・書画や茶会へ、なにより女たちの輪の中へ少年の私を誘い入れた。大勢の老若の女たちがいつも「京ことば」で談笑していて、 わたしはそれらを見聞きしながら育った。
私の自筆年譜には、無数の女性との出会いが記録されているが、男友達の名前は極めて少ないのである。「女好き」とか「女遊び」とはまるで性質を異にした「文化」的な出会いが自然と私にに生まれやすかったと謂うことである。思わず、笑えてしまう。
2019 12/2 217

* 「美学・藝術学」を専攻と決心した時も、私の日常の好みの中に西洋の現代はもとよりクラシック音楽はほぼ影もなかった。きのう自分の年譜を見返してい て、ある時、たまたま街で私の実の父方大叔父にあたる英文科の吉岡義睦教授と出会い、ご飯をご馳走になった。その時に専攻のことを聴かれ、西洋のクラシッ ク音楽からも多くを承けなさいと訓えられたと書き残していた。
いまも、この機械の間近で モーツアルトの、好きな「フルート協奏曲第2番」と 「フルートとハープのための協奏曲」が美しく聴けている。日本の音楽で はもっぱら謡曲や和笛を、そして懐かしい唱歌の類を楽しむが、クラシックの盤も身ぢかに沢山置いている。あの大叔父(祖父の弟)に感謝している。私の主任 教授として終始優しくご指導頂いた園頼三先生と親しくされていたのもそれとなく覚えている。

* 私の学部卒論の題は「美的事態の認識機制」とご大層であったが、一本の参考文献も挙げて無いことに最近気が付いた。或る読者から「参考文献無しの論文 とは、それだけで落第です」と云われ、われながら大笑いした。園教授は卒論に80点下さり、躊躇もされず私に大学院進学を勧められた。プラトン専攻の友・ 大森君と二人だけが院へ進んだ。だが私は一年で院を見捨てて東京へ奔り、そして、少年の昔から念願の小説家になった。小説に「参考文献」は、ま、挙げなく てよい。「チャランポラン」な私と少しは身を縮めながら、往時を顧み、やっぱり笑ってしまう。
2019 12/3 217

* 今朝、寒い。家には「マ・ア」兄弟がいて、ヤンチャに揺さぶられながら気持ちは穏やかに温かい。嬉しいことだ。
2019 12/6 217

* 暖房していても 倚子の下半身が冷たく寒い。想えば長年かけてきた小説・物語の仕事が二つ終えたのだから、関連の参考資料を適宜片づけ処分も出来る。 次の小説に手がかりの作が三つほど閉口して動き始めていて、度の一つないし二つにてをかけてゆくかを決め、関連の資料を手近へ集めねばならない。「信じら れない話だが」と書き始めている今度は山と川の物語へ気を入れようかナと思っている。ま、この師走はすこし英気元気を養って過ごしたい、とはいえ、新年早 々にはもう「湖の本」148の発送用意と、「秦 恒平選集」第三二巻めの校正作業が始まる。輻輳しての製作と出版刊行とは、鐵のように重い。

* 思えば去年には、寝室に立ち並んだ二つの背の高い衣裳箪笥、洋服箪笥を、地震での転倒を懼れて、一つは、まるまる私一人の腕力で居間へ運び移し、より重いもう一つは、上下を二つに分け、背丈を低めて横に並べるという「馬鹿力仕事」が独りでやれた。今は、とても無理。

* ところが今は「マ・ア」兄弟に障子を破られ衣服を噛み切られ積み重ねた大事の薬箱などをひっくり返さ れ、仕事部屋へ侵入され、朝ははやくに起こされ、躾どころか さまざまなあとしまつに往生している、可愛くは可愛いのだが。兄弟の意気はぴたり合ってい て、ボケ老人は太刀打ちならない。疲れる一因です。

* 先日 新しく造って入れられた下の入れ歯、ハズして清拭しておいたらちゃんと嵌らなくなって、正しく閉口、いや開いた口が塞がらない。仕方なく新調以前ので「不十分」に間に合わせているが、明日の国立劇場、困るなあ。
2019 12/9 217

* 今日は、私たちの求婚が成って、満62年の記念日。
国立劇場で、高麗屋父子らの歌舞伎芝居を楽しむ。白鸚の「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」 幸四郎の「蝙蝠の安さん」。高麗屋お心入れの二列目角席、演技と真向かえる絶好席で十二分に心底楽しめた。感想は、明日に。幸四郎夫人とも夫婦それぞれに快く歓談、先月の幸四郎・染五郎父子上々出来の「連獅子」のことなど。午食は食道で、多彩な和食、たべきれなかった。

* 三宅坂から皇居に沿うて、日比谷公園越えにホテルに入り、クラブで安息。お祝いにと、シャンパン、美味いワインを振る舞われ、感謝。エスカルゴや、すこぶる美味のサーモンなどでスコッチを楽しむ。
日比谷から、タクシーで帰宅。「マ・ア」は大喜び。

* まる一日の外出でやはり疲れる。歯も傷む。ゆっくりやすみたい。実を云うと、昨夜中、右鼻から濃くてかなりの鼻血が出ておどろいた。
2019 12/10 217

* 私たちは生涯クルマという文明の利器の所有とは無縁で過ごす。だからアオラレた災難は知らないが、映像でみているかぎり低劣に悪質な暴行と見える。珍しく厳罰方向へ立法が用意されているとか、朝のテレビで聞いた。これは、よかった。

* あいかわらず携帯電話は、全然役立てられない。電話するという「ボーケン」も、家・妻・息子・義妹、地元病院、聖路加病院、歯科医の電話番号を妻が打 ち込んでくれただけ。何歩歩いたかだけは自然と破壊が知らせてくれる。そのために、ポケットに入れたまま、まだ全然使えていない。自分の番号だけは判じ文 にして覚えたつもりだが、此処へ開かすわけには行かない。やれやれ。
機械が勝手にチカッと光ったりする。何じゃこれは。明けると「お知らせ有り」などとあるが、わたしは、パソコンでの20余年の独り決めで、知らないメー ルや通知やメッセージは全く無視して即消去してきたように、携帯電話での「お知らせ」にも一切振り向かないと決めている。

* おおむかし、京都で電器屋をしていた秦の父が、何を思ってか、前ぶれ無くある日、まだテープ式というのかリール式というのか、「録音機」という新商品を送ってきてくれた。
嬉しくて、これに思いつきの「短い小説」を声で吹き込みたい、しかし家人の前では恥ずかしいと、みなが寝静まった真夜中に、寝床に寝腹這った恰好でマイ クを口にあて、小声で、口を放れた第一声が、なんと、「蛇を飼う夫婦があった。」であった。そのまま一編の掌説(私は自分のこの手の掌編をこう称してい る。)となり、これは面白いと「掌説」づくりに連日(連日一編という自分への約束をほぼ三週ほど守った。いつか『春蚓秋蛇』という一冊になった。もう吹き 込んだのではなく、「書いて」いたのだが。原稿用紙四枚をかなり厳格に守った。
わたしは、自身のこの総じて七十編は越しているだろう、「掌説」数々の世界を大事に「独特」と感じ、抱え持っている。そして、べつの長い作の要所にはめ 込んで利用もしてきた。今回最新作『花方』巻頭の序詞も、もとは「電話」と題した掌説を適宜に利用したのだった。こういう傾向の最初の表れは『清経入水』 の序詞であった、あれで味をしめていた。
2019 12/12 217

* 父のちがう一等上の兄の孫娘がうんと以前に東京まで会いに来てくれたことがあった。それきりだったが、結婚したという葉書が来ていて、携帯番号が出ていたので掛けてみたらかかったので驚いた。驚いててはハナシにならないが。元気そうで、子供ももう二人と。
次いで、階下の抽斗でなにやら紐をみつけたので、手に滑り落ちやすい携帯になんとか付けたいと。フツーならぜったい出来ない人が、奇蹟のように、ややこしい一つの小さな穴を利してうまく取り付けられたから、大雨になりそうだ。妻は髪結さん。帰ってきたら自慢できる。
2019 12/19 217

 

* 晩には、建日子が、夕食を一緒にしに来てくれる。有元さんに戴いた「越乃寒梅」、光明寺さんに頂戴の珍しい「甕覗」の杓酒を、こころよく楽しませて頂く。愛らしい「マ・ア」もたちも食膳のまわりを賑わわせてくれるでしょう。

* 建日子が、いろんなお土産持参で、誕生日祝いに来てくれ、夕食をともに。
いろいろ話し合えて、嬉しく、心づよく。また来て欲しい。
娘・朝日子(改名して押村宙枝とか)のいないのは、寂しいかぎり。もう還暦の大大人のはず、心穏やかに日々幸せでいるのだろうか。
祖父母として逢うこともならない孫の押村みゆ希は、三十歳近いはず、もう結婚しただろ うか、母親にも成っているのだろうか。私たちの血筋を嗣いでいってくれるのは、この孫しかいないのに道で出会っても分からないだろう、最後に顔を見たのは姉の、亡きやす香と雛祭りをしていった陽気な高校生だったが。

* 藤澤の妹が 携帯へ 祝いの電話を呉れた。ありがとう。携帯の初体験ながら、機械のあけようも聴きとりようも頭に入ってなく、手間取った。妻に助けてもらった。とてもあんな工合に永く電話ではよう話さない。慣れるだろうか。
2019 12/21 217

* 妻、昨日の疲れ寝のあいだに、「年譜」を校正しながら、懐かしい落語「芝濱」を聴しんみりと聴く。昭和三十二、三、四年の昔の克明な年譜を顧みながら、六十年という久しい上京・結婚生活を思う。「がんばろうぜ」と妻はその昔に私を励ました。よくがんばったと思う。
2019 12/22 217

* 「夜更けまでの音楽」と売り込みのジャズ・バラーズCD10枚を建日子が呉れていたのを、一枚目の「バイバイ ブラックバード」から鳴らしている、静 かで、しみじみ。
ジャズを聴いたり とうとう携帯電話を持ったり、わたしも動いている。蠢いているというべきか。   ま、携帯電話は 外出時の家族連絡用、緊急病 院用につかうのが、私に精一杯。実感で、なめらかに話せない。

* 今宵はもう二時間余も 二階で、六畳一間になにもかも積んで重ね並べたゴチャゴチャのまん中で、建日子の呉れたジャズ・バラードに心身をあずけ、ナー ンにもせずただやすんでいる。こんな時間は絶えて無かったこと。このわたし自身の体温で温めたような狭い部屋が好きなんだと、しんみり、納得。
階下へ降りると、キッチンには『選集32』一冊分600頁もの初校ゲラが手つかずで積まれ、「湖の本148」一冊の再校ゲラが、早く早くと待っている。いいんだ、この暮れはゆっくりしたい、と。
しかし、新しい創作の方が、チクチクと針で尻を突くように催促してくる。これは放っておけんのです。
やすむ。今晩は何が何でもやすみます。
2019 12/23 217

* 駅の 西友まで買い物にゆき クリスマス・イヴとはちがうが、たっぷり刺身など買ってきてくれ、夕飯を、蛤汁と、酒とビールとで心地良くすませた。世界中が穏やかな年の瀬であってと願う。
2019 12/24 217

* 天野敬子さん ビックリの、甘い美味い吊し柿をたくさん下さる。妻は歓声、私も引き込まれて一つ、堪能。ありがとう存じます。

* 能の梅若万三郎さん、雅に見映えの佳い洋菓子を下さる。
京・神宮道の星野画廊さんから、軽妙な京味横溢、永年馴染み惹かれてきた煎餅のひと缶 戴く。
感謝感謝。

* 時代も嶮しい時代で貧しく飢えて育ったからか、人間の根もいやしいのだけれど、賑やかに頂戴物があると小学生中学生のように嬉しがる。笑われ窘められているのだが。人さまと顔合わせて賑わうという日々でなく、心寂しくいるのかも。

* よく働いた、疲れた。九時半だが、階下へ。もう、「マ・ア」たちと、やすみたい。
2019 12/24 217

* ほっこりと昼寝、機械、例の不調。建日子 言を尽くしてぼろぼろのぼろ機械で「危ない」と言うていたが、なんとか、なんとかはなってきた。ぼろ慣れと いうもの言いは聞かないが有りそうに信じてきた。慣れ愛という表現も無くはないと此の機械を愛している、聴いているか、古古機械よ。
2019 12/25 217

 

* 原善君 携帯へ電話くれる、なかなかうまいことスット「受信」へ至らず、モタモタした。会いたいと、わたしも思うがそう元気でなく、その時々の体調と よく相談の上で着替えしたり履き物を考えたりしなくてはならない。じっとしてれば若い人なりにアタマも働いてくれている気でいるが、動くとなると老耄との 安全な相談が欠かせなくて。
昔のように来客をスイと家にあがってもらいもてなせるといいが、建日子の一人ですらどうどこに坐らせるかを考えるような物置同然の家になっている。「マ・ア」たちの障害物運動会にはもってこいなのだが。
2019 12/26 217

* 義妹の贈ってくれた、なんと謂うか「頸の輪」でほかほかと暖かい。ひところ、この機械部屋に暖房も無かったころの痺れるような寒さだったことを、ウソのように思い出しかねている。

* 夕方になって 台所流しの排水が詰まり、我々の手に負えず、業者にきてもらい、改善と復旧やっと成る。もの凄い汚れ詰まりが戸外にまで、と。肝が冷える。こういうことが水使いの「暮らし」には時ならずしかも必ず起きるのだ、用心を欠いていると。賢くありたいもの。

* 手ひどく疲れた。幸いか、ひところよりは食の嵩が増えている。体調のほんとのところはよく分からないが、毎日毎日を迎えて行くだけのこと。
2019 12/27 217

* 昨日、兄貴の「アコ」が水はけ不全の騒ぎさなかに戸外へ走ってしばらく帰らなかった。私は彼のためによかったと思っているが。ネコは戸外へ決して出す なと謂う「動物愛護」思想にわたしは幾分首を傾げる一人である。ネコ・ノコ母娘も、黒いマゴも自在に戸外生活を楽しんでいた。ご近所にご迷惑があったろう とも申し訳なく思うが、そして結果的には「ネコ・ノコ母娘は戸外で得てきた怪我などで命を短くしたか知れないが、じつのところ彼女らは長命であった。黒い マゴはわたくしたちの見まもるなか、静かに息をしひきとるまで殆ど戸外で怪我一つしてはこなかった。
アコは、たぶん緊張こそあれ、恐怖にまみれて逃げ帰ったようでなく、イタズラをしてきた形跡もなく、嬉しい体験をかみしめて、弟のマコにも自力の戸外体 験を奨めているだろう。きつく窘められているがわたしは、人質なみに狭苦しい家内にのみとじこめておく動物愛を信奉していない、内心は。
2019 12/28 217

* ほんとうに、この暮れは今晩まで、「討ち入り」の映像もみず噂の片端も聞かずじまい。時代を率いる内蔵助役者がいないのか。来春には新しい團十郎が生 まれるという。楽しみに。私は現・海老蔵の祖父が団十郎になった以前から観てきた、やはり在って心強い欲しい大名跡である。
歳末のテレビ劇では、韓流の歴史劇「心医 ホ・ジュン」に最も心惹かれて見続けた。新年の六日晩から、あともう三回で終えるという。
日本物では、大泉らの単発「あにいもうと」、米倉涼子の連続「大門未知子 ドクターX」の失敗しない手術に、愛や命の「実」味を感じた。
日本のテレビ劇の 殺人と刑事らの横行する安易な殺伐ものには吐き気がした。
本は、おおかた曾ての感動を繰り返し噛みしめる読書になり、新刊では、アーシュラ・ル・グウインの、建日子がもたらし呉れた新刊と、久間十義さんの嶮しい問題を孕んで時宜にかなった秀作『限定病院』がつよく記憶される。
2019 12/29 217

* すこし身辺の整理棚など片づけたが際限なし。

* 妻とふたり、年越し蕎麦を祝う。緊迫の名品、トム・クルーズ、ジャック・ニコルスン、デビ・ムーアの軍事裁判劇「ア ヒュウ グッドメン」に、もう数 度は観ているのに息を呑んで惹きつけられた。優れた「作品」の魅力、たんに作でなく「作品」に惹きつけられるのは「幸福」の一つである。
建日子が先夜もたらし呉れた酒の美味さにも魅されている。瓶の減りに目を見張る。 2019 12/31 217

 

* 入浴、無精髭をあたる。妻の心入れの蟹で建日子の呉れた岐阜の美味い酒を。自筆年譜を、建日子誕生から太宰賞授賞式の日まで克明に読みこみ、校正。
往時、渺茫の思いのまま、まだこれからとも思う。

* 十時半、風が鳴っている。ジャズを聴いている。

* 心静かに新年、恒平二年を迎えよう。トクベツの感懐もない。静かに靜かにと願うだけ。
誰も誰も、心も身も健康でと祈る。
新年を迎えて鳴りわたね京の除夜の鐘 聴きたいなあ。
2019 12/31 217

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