☆ 心と静 1999 7・8 「こころ」
* 「心」は無尽蔵に容れ得るが無一物の虚無にも帰れる。八方に関心を広げ得るが、ただ一つことに集中も出来る。どのような状況にあっても、心は内奥に「静」の質を、金無垢の一点のように抱いている。そういう趣旨を荀子は説き、荀子の「心」の説を報じていた漱石は、小説『こころ』の「奥さん」にだけ、ひとり「静」さんという実名を与えていた。「先生」も「K」もその「静」さんを真に我がモノに出来ず、自殺した。得たのはあとで登場の「私」だった。「私」と「静」の仲にはもう「子」の影がはっきり作品にさしている。
* 心の内奥に、静かなものを。それが、「全部の価値をストンと見捨ててしまうことで気楽になる」意味に繋がる。心は働かせるけれど、心そのものを虚しくする意味で、「心=マインド」の「奴」になってしまわぬ意味で、「静」を見失わない。そんなようで在りたい。出来なくはない。いや、出来ないことであるの、かも知れない。 「むかしの私」より
2009 1・26 88
☆ 心を師とせざれ 1999 8・29 「心について」
* NHKが、相も変わらぬ「心の時間」みたいな宗教番組をつづけている。たまたま東大名誉教授が仏教のはなしをしていた。いろんな「文句」を引き出して話していたが、語り手の話と聴き手アナウンサーの合いの手と、引用されている文句のあるもの例えば道元の言葉などとが、なんだか、ばらばらに齟齬している印象をもった。
そもそも仏教の要諦を「心」で話そうというのが無理である、「無心」ならばともかく。「心=マインド」をアテには出来ないことを、わたしは「からだ言葉」に次いで「こころ言葉」を調べ始めた昔から、痛いほど感じていた。乱れ、砕け、くじけ、呆け、喪われ、「心ここにあら」ぬような、心。根があり、構えがあり、底が見え、熱くもなり、冷えもし、苦しくなり、「心も空に」なるような、心。こういう「こころ言葉」を無数に持つことによって、どうしようもなく「つかみ所のない」その本性を示している、心。そんな頼りない心など頼んではイケナイというのこそが「仏教の確信」であり、核心であろうに。「無心」の明静を求めてゆくのが、禅の根底であろうに。
「心」とさえ口にしていれば、鬼の首でも取れると言いたげな誤解から、はやく脱却しないと、人間の心はますます千々に砕け乱れて、果てない混乱のなかで不幸の種をまきひろげて行くに違いない。「心」はもともと数知れぬ「ケイ礙=障り」に囲繞されている。それどころか「心」こそが即ち「障り」なのであるが、その障りがなくなる、つまり心が心ではなくなる「心無ケイ礙」「心にケイ礙無」き「無心」に成ろうとするのに、「心」に頼ってそう成ろうとは、それ自体が、はなから矛盾し撞着している。仏も達磨も道元禅師もそんなことは言っていない。「心」が諸悪の原因なのだ。
しかし、そのように説いているかずかずの経典があるではないかと、手当たり次第に引用されるものだから、それらの中でまた混乱や齟齬が生じてしまう。経典に対するクリティクはむろんされて来たのだけれど、根本の批判はどこかで都合よく匿し込まれてしまう。すなわち、大方の経典は、殆ど全部といってもいい経典は、釈迦没後の、遅いものでは数百年も千年ものちに書かれている。無数の解釈と潤色と創作とにより、いろんな弟子筋門弟筋の都合と主張とに合わせてつくられたものである。仏教「的」な主張の言語「的」な多様の表出、意図的な表出なのであり、釈迦自身に帰属するものはいたって薄い。アテには出来ないし、とくに「心」に関しては誤解や曲解が渦巻きながら、なにかしら「心=仏」かのような、とんでもない話に俗化して、それが今日でも、NHKだの大手新聞だの感化力の強大なマスコミの安易安直極まる「売り物」になっている。
しかし、正しくは「無心=仏=覚者=ブッダ」なのである。名誉教授はしきりに「仏様」とわれわれとを別物に話しているかに聞き取れたが、深い仏の「教え」は、われわれはみな「仏」になれる存在、「仏」を抱き込んだ存在なのだが、「心」に惑わされ、その貴い真実真相にたんに「気づいていない」のだという指摘の「中」にある。
いっさいの言語的表出に過ぎない経典から厳しく離れ、「心」の拘束や干渉を排して、本来抱いている仏性を「無心」の寂静として気づかねば、自覚しなければ、とうてい安心もない。むしろわれわれは「心」などという文字から、おぞけをふるって身を反らせることを思わねばイケナイのである。
2009 2・12 89
☆ 哲学と哲学学と 1999 12・31 「心」
* 最近知りあった或る若い、ハイデッガー哲学などを学んできたという、著書もある高校の先生の、歳末の手紙を読んだ。「哲学で人は救われるでしょうか」と前便に書いたのへ、返事ともなく返事があった。
正直に、率直に言って、そんなことを考えて哲学の勉強をしている研究者は、今の時節、ひとりもいまいと思います、自分もそうです、興味深いから、面白いからやっています、というのが、返事の主意であった。率直な表明で気持ちよかった。
* その一方で、全く予想通りの返事であり、今の時代、哲学がほとんど「人間」の自立や安心の役には立たないワケも、よく分かるのである。
言うまでもなく、所謂「哲学」を勉強している人たちは、哲学者ではない。「哲学学」の学者・研究者に他ならず、それは「文学学」の学者研究者と文学者とが異なっている異なり方よりも、もっと差が深い。
「知を愛する」と訳してしまえば、なにやら「研究」や「詮議」もその内のようであるけれど、だから哲学がもともと「人を救う」ものかどうかには異論が出て当然かも知れないけれど、ひるがえって思えば、わたしを救ってくれない哲学になど、何の魅力も感じなくなっている。
そんなものは知的遊戯的詮索の高級で難解なものに止まる。つまり哲学がつまらないモノになってしまっている証拠だと思う。
世間には「哲学者」などと麗々しく名乗っている人もいるのだけれど、おれは「哲学学者」ではないぞという意味なのか、いややはり「哲学学者が哲学者なのである」意味なのか、どういう積もりであるかと時々教えを請いたくなる。
老子は哲学者などと言われたくもなかったろうが、とびきりの哲学者に思われる。ソクラテスもキリストも仏陀もそのように思われる。
しかし彼らの、また彼らのと限らず優れた「人の師」の教えを、ただ「祖述」し「解析・解釈・解説」して事足りている人たちを哲学者とは思われないし、ただの評論家を哲学者とは呼びたくない。いや哲学者だとつよく主張されれば、もうこの年になって、そんな哲学なら何の魅力も用も無い。そんな哲学とは、ただ「心」のコンプレックスに他ならない。エゴの凝った「心」の、こてこてした、ややこしい塊に過ぎない。
所詮は捨て去るより意味のない負担に過ぎないのである。
安心や無心は到底得られない。 1999 12・31 「むかしの私」より
2009 3・9 90
☆ 身にしたがう心 2001 2・24 「心」
* いますぐ初出の場と年次は分からないが、筆者肩書に東京工業大学教授とあるから平成初年代のもので、「私のマインド・トゥデイ」と題した固定欄の最初に掲載されたことがコピーの頁数でわかる。
わたしの「心・身」に対する基本の思いを述べている。
だがこれを書いたとき、バグワン・シュリ・ラジニーシにまだ出逢っていなかったのが、バグワンのつねに「落とせ」とつよく警告する「マインド」なる「欄」の名付けに少しも反応していないことで分かる。しかも、「心」に対し戸惑いと疑念をすでにさしはさんで、「心」は「身・体」にたしかに繋いで置かねばと覚悟している。
この原稿、ここ数年、どこへ見失ったかなと捜していた。ふと、うまくプリントコピーが見つかったので、ここに採録し、「e-文庫・湖」にも掲載しておきたい。
* 身にしたがう心 秦 恒平
「こころ」という言葉を詠みこんで「心」を詠じた和歌は数知れない。が、心ひとつで心の歌には、なかなか、成らない。
「かきくらす心の闇にまどひにき夢うつつとは世人(よひと)さだめよ」という業平の歌も、「色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける」という小町の歌にしても、「夢」「花」といったシンボルとの取り合わせで生きている。取合わせ抜きにさも絶対境めいて「心」を純然抽出してみようと、どう「心見て」も、それで「心」が見えるものではない。
わたしの造語で恐れ入るが「こころ言葉」といえるような表現が、日本語にあって、日常にじつに多用されている。「心根」とか「心配り」とか「心地」とか「下心」とか「心ばえ」とか「心掛け」とか「心得る」とか、際限がない。
それらの「こころ言葉」をもし用いずに、同じ趣意を伝えたりしなければならぬとなれば、どんなにかくどく、まわりくどく言葉を費やさねば済まないか、「心細い」はなしになる。
ところで、わずかに、こう拾ってみただけでも、じつに「日本語」感覚の把握している「心」には、根や底があったり、分配できたり、地や構えがあったり、下や上になったり、映えたり掛けたり獲得したり出来るもののようである。さらには太くも細くも、広くも狭くもなるようなものとして、「心」は、あたかも形ないし象を成しかつ備えて想われて来たことが分かる。
もとより「こころ言葉」は「こころ」にだけ熟してはいない。「気は心」というように「気」にも「魂」や「意」にも熟していて、表現の多彩さ巧みさには「心奪われ」てしまうほどである。
「気」には味あり色もあり、遠くも近くもなる。
「魂」は消えたり入ったりする。
「意」には内外があったり注げたりもする。
こういう全部をひっくるめての「こころ言葉」であり、それ即ち「日本の心」の具体を、よく指し示している。この指示にしたがわずに、ただ観念として「心」を語ろうとしても、かえって「心ない」ことになる。
いま「具体」とわたしは言ったが、もう一度和歌の話へもどってみると、じつは、「心」が「身」つまり「からだ」に取合わせて意識されている時に、往々、おもしろい「心」観察が成っている。とりわけて天才の、内省的な胸に芽生えたこんな一首に、感じ入る。
かずならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり 紫式部
心から心にものを思はせて身を苦しむるわが身なりけり 西行
心が身で身が心というような、統制のつかない微妙な関与と反発との隙間を縫い取るように、われわれは生きている。暮らしている。心だけ、身だけで、喜怒哀楽はしていない。
しかもなお紫式部ははっきりと「身にしたがふは心」と呻くほどに認めている。
西行も心任せにすれば「身を苦しむる」と嘆いている。
「身」に「心」をしっかと繋ぐこと。それは、「心」を、「具体」の連関においてのみ働かせてしか、「身」の安堵つまりは「安心」もないとの認識であったのか。
興味ふかい詮索の余地が、ここに、在る。 2001 2・24
2009 4・1 91
☆ 黒いピン なんじゃい 静かな心 湖
* むずかしい、夢を見ていた。
神さまから、としておこう。人生の早い時期に、意味もなく、一つの小さなピンを貰った。八ミリ四方ほどの黒いつまみの画鋲のようだったが、それを服のどこかに刺してくれた。わたしは、ほとんど意識もしなかったし、身につけているとも忘れ果ててながく生きてきた。
わたしの夢中の人生は、多彩で、波乱にも内容にも運不運にも恵まれていた。その意味ではけっこう結構な歳月ではなかったか。しかも、その結構さに、わたしは好都合より不都合感を、清明よりは混濁を、宥和よりは窮屈を、静かさよりは騒がしさをどうやら感じ始めていた。
何なんだ、これは。
そしてわたしは、初めて自分が身に帯びている黒いピンに目をとめ、それを抜いてみた。すると、日々の暮らしが、多彩も波乱も運不運も落とし喪い、なんだが、ゆたゆたと有るとも無いともはっきりしないが、冴えないなりに晴れやかな、ものに追われないゆるやかに静かな時間空間にのんびりしていることに気がついた。いくらか物足りなかった。
で、黒いピンを刺し戻してみると、また、ものごとが忙しく回転し始めた。ワッサワッサと生きている自分へ戻っていた。が、どうも、そんな騒がしさの底を流れている気分は、イイものではないのだった。いやな毒が感じられた。ピンをはずすと、みーんな忘れたように、ゆったり暮らしていた。
* 「黒いピン」の夢だ。わたしは、まだ、黒いピンを捨ててしまえていない。ときどき抜いたりまた刺したりしている。恥ずかしいことに思われる。黒いピンを抜き捨て去ってわたしは死ねるのだろうか。刺したまま死ぬまで生きるのだろうか。
* 中学の頃に、一学年下の女友達が、こう述懐した。複雑な家庭環境にいた子であり、それだけに、その言葉は忘れがたく、今にしてますます鮮明に甦る。
「あれもそれも、これもどれも、もう、むちゃくちゃにいろいろあるやろ。わかってくれるやろ。そゃけど、ある瞬間に、『それがなんじゃい』と思うときが有んのぇ。すとんと一段沈んでしまうの、ごちゃごちゃから。いっぺん『なんじゃい』と思てしもたら、もう、なんでもないのん。あほらしぃほど、なにもかも、なんでものうなるのぇ」と。
わたしは後年、この「なんじゃい」を「風景」にしたのが、高花虚子の句「遠山に日のあたりたる枯野かな」ではあるまいかと思い当たった。以来、わたしの中にも、「なんじゃい」という名の「他界」が、広やかに明るく静かに定着したのである。遠山に日のあたりたる枯野へ、いちど「すとん」と身を沈めれば、ハイジャックもテロも、ましてやウイルスもくそも余計な幻影に過ぎない。要するにそれらは悪意の攻撃なのであり、されるままに「それが、なんじゃい」という「本質的な反撃」がありうるのである。ペンクラブの、電子文藝館の、文字コードの、また湖の本だの、創作だの読書だの酒だの飯だの、ああだのこうだのとわたしが頗る打ち込んでいられるのは、根底に、「なんじゃい」という「気づき」を身に抱いているからである。
* その「湖の本」新刊の発送用意も、よく頑張って、九割がた出来ている。本が届いても、メインの作業は出来る。
カミュの「シジフォスの神話=不条理の哲学」を高校三年生の頃手にして、不条理の喩えに、シジフォスが巨石を坂の上にはこぶと、すぐさま神により転がし落とされてしまい、また押し上げてはまたまた転がし落とされ、その果てない繰り返しのさまの挙げてあるのを、読んだ。
また、向こうへ飛ぼうとしている蠅だか虫だかが、透明なガラスに阻まれ、ガラスに突き当たったまま飛び続けようとしている、飛びやめれば落ちてしまう、のにも譬えられていたと思う。
わたしたちのしていることは、大概これだが、「湖の本」など、可笑しいほどの好例である。へとへとになって飛び続けている、と謂うしかないが、それが「なんじゃい」と思っている。この「なんじゃい」は意地でも負け惜しみでもまったく無い。
* 遠山に日のあたりたる枯野かな という高浜虚子の句のことを書いた。黒いピンを抜いて、ときおりわたしは現世の塵労からこの「枯野」に降りていって、ひとり、佇んだり寝そべったり遠山に視線を送ったりして過ごす、と、書いた。
塵労の一つ一つは、それなりに日々の暮らしに意義の重いものばかりで、くだらないとは言いにくいけれど、奔命奔走であることには違いなく、刺された黒いピンのあまりな痛さに、ただ走りに走ってのがれようと、あれをやりこれをやり、もっともっとと果てしないのだと謂うことは、じつに明瞭なこと。
そういう自分が、その塵労を「なんじゃい」と、すとんと落としてしまい、胸奥の「枯野」に憩うというのは、ある人からそれと指摘され、「秦さんに似合わない」「暗い」「もっと明るい気持ちを持たなくては」「枯野などと口にしない方がいい」と忠告されたような、本当にそれは此のわたしの「鬱」のシンボルなのであろうか。にわかに、直に応える気はない。
ただ、この野の景色は、暗くない。ひろびろとした野の枯れ色は、草蒸してまばゆく照った真夏の青草原とはちがった、懐かしいほどの温かみと柔らかさとを持っている。けむった遙かな遠山なみには柔らかに日があたっている。風あってよし、鳥がとんでもよし、野なかに一条の川波が光っていてもよい。どこにも暗いものはなく、騒がしいものもない、清い静寂。胸の芯にゆるぎない一点の「静」は、優れた宗教家なら一人の例外もなくそこに人間存在の真実と本質を見定めてきた。仏陀も老子もイエスも、また荀子や荘子や、道元や一休も。暗いものも重苦しいものも騒がしいものも無い真実の風景。虚子がなにを見てなにを思って書いた句であるかは知らない、が、此の句に出会ったときわたしは真実嬉しかった。あの瞬間には、たしかにわたしは、身に刺された黒いピンの果て知らぬ唆しからまぬがれていたと思う。
わたしを「鬱」かと心配するその人は、「楽しみを自分で見つける努力をしています。生活にメリハリを付けたいのです。よく出かけるのもその一つです。なるべくストレスを溜めない生活を求めて」とメールに書いている。甚だ、良い。が、それもまた「黒いピン」に追い立てられた塵労のたぐいであるかも知れぬ。いわば虚子の、またわたしの謂う「枯野」ではない、現世の「荒野」「荒原」の営みと一つものであるかも知れぬ。クリエーションとリクリエーションと、対照して質的にもべつもののようにどう認めたがっても、所詮は同じ次元の場面の違い、痛みに脅かされ外向きに外向きにはねまわっている、「もっと」「もっと」の欲望というものに過ぎない。「いいえ楽しみはちがう」と言われるだろうが、それも見ていると慣性化し、いつか義務のように繰り返して、やめるのが不安でやめられないだけの例は、少なくない。そういう営為のいかに苦痛であるか、虚しいかは、体験的にわたしも知っている。例えば「祈る」という、長い長いあいだ一日も欠かさなかった行為を、わたしがピタッやめたのは、繰り返し続けること自体に自由を奪われかけていると感じたからだ、そんな祈りに何の意味があろう。
「静かな心」でいたい。それは、外向きにどんなに走り回っても得られはしない。自分の内側の深い芯のところにひろがっている「遠山に日のあたりたる枯野」のようなところでしか出逢えないのではないか、「静かな心」には。
そういうことを思うのが、つまり「鬱」なのだと言われるなら、否みようないが。
* 黒いピンが身に疼くように痛む。今は、だが、抜けない。
* 平成二十一年のいま十一月、わたしの「湖の本」の通算101巻を発送すべく九割がた用意は出来、明後日から送り出す。「*」より上の記事と事情符合していて、わたしの今の心境ともかけ離れていない。だが、上の記事はみな、二十世紀が二十一世紀に大きく動いた年の日記「私語」である。つい昨日一昨日に、九・一一のニューヨーク・テロがあったし、小泉総理は全面的にブッシュ米大統領の報復戦争に賛同し協力すると言挙げしていた。二○○一年のはなしだ。
情け無いと言うべきか当然のことか、世の中はグローバルに変化し続けてきたのに、わたしは、いまも同じように感じ、思い、「いま・ここ」にいる。
2009 11・8 98
* 全幅の敬愛をもってもう十数「「年読みついでいるバグワンの言葉を、いましもまた繰り返し読んでいる『ボーディダルマ』から、スワミ・アナンド・ソパン氏の訳を有難くかりて、少し書き写しておきたい。
* バグワン・シュリ・ラジニーシ(和尚)は語る。
おまえが世界のなかに見るものは、実在(リアリティ)ではなくて「現われ」にすぎない。見かけの形、仮面(ペルソナ)の奥深くには実在がある。実在を知るには、見かけの形から「自由」にならなければいけない。だが、執着のすべてがおまえを阻んでいる。おまえは仮面に執着してしまっている。おまえたちが成長し、成熟するのはまれなことだ。おまえたちはただ自分の玩具(おもちゃ)を取り替えつづけている。子供のままだ。おまえは自分の〝ぬいぐるみのクマ”(テイディ・ベア)を次から次へと取り替えている、今も。
鉄道の駅や空港で見かけたことがあるだろうが、小さな子供が汚いぬいぐるみのクマを引きずりまわしている。彼らはそれをどうしても手放せない。それがなかったら眠れない。ぬいぐるみのクマはらの仲間だ。らは大きくなるとぬいぐるみのクマは手放すが、ほかのぬいぐるみのクマが見つかってから初めて、それを手放す。次のぬいぐるみのクマがどんな形をしているかは問題でない……それは、例えば金銭だっていい。
おまえは醒めていないから、自分では気づいていないが、ちょっと目を向けてみなさい。なにが自分のぬいぐるみのクマなのか、見つけることができるだろう。
この世界のあらゆる形象は、おまえがこの世界の実相(リアリティ)、自らの存在の実相を知ることを妨げている。現われているものは実在(リアリティ)では、ない。実在は、現われの背後に隠されて、在る。この実在と調和しないかぎり、儚い頼りない「夢」と同じ素材からできたさまざまな形象は、絶えずおまえを苦しめつづけるだろう。誰もが苦悩や惨めさを感じているが、それを「落とす方法」があるようには思えないので、それを抱いたまま生きつづけている。
だが、ボーディダルマ(達磨)はその方法を教えている。そしてこれはあらゆる宗教にとって本質的な方法だ。それは離脱、「見せかけの形」から自由になることだ。
経文に言う。「離脱すなわち悟りであるのは、それが形象を無に帰するからだ」。
三つの悪しき境涯は、貪欲、怒り、妄想だ。
おまえは、これら三つの境涯をよく見守らねばならない。というのも、これらが光明(エンライトンメント=悟りへの至近状態)を得る上での三つのきつい障害になっているからだ。
ボーディダルマの言明はきわめて簡潔で、凝縮されている。彼は哲学的な議論には立ち入らない。彼はただ事実のみを語る。それが彼の美しさだ。彼は宗教全体を、その抜け出す方法を、ごくわずかの言葉に還元している。
貪欲とはおまえの攻撃性のことだ。
それは「さらに多くを求めつづける」欲望だ。
それはけっして止まることがない。その欲望はさらに多くを求めつづける。さらに多くを求めつづけるので、おまえはいつも惨めなままでいる。どんなものを持っていても、おまえはそれを楽しむことができない。「もっと多く」を持っていないからだ。だが
、おまえがもっと多くを持つようになる頃には、欲望は、さらにその先に行ってしまっている。それ(貪欲)はつねにおまえよりも先にあって、さらにさらに多くを求めつづている。
さあ、なにかを期待してばかりいる人が、幸福で喜びに満ちていられるだろうか? おまえはつねに現実の許す以上のものを期待している。いつも挫折の感覚がつきまとうのはそのためだ。おまえの存在のどこかにはつねに悲しみが潜んでいる。
貪欲とは〈存在〉に対する攻撃的な姿勢だ。おまえはできるだけ多くをつかみ取り、さらにさらに多くのものをつかみ取ろうとする。生涯を、全知性を、もっともっと多くをつかみ取ろうとすることに費やして、それがいったいなんになるのか? 死は一秒たりとも遅れては来ない。死はつねに正しいときにやって来る。つかみ取ったすべてのもの、生涯を費やしたすべてのものを、おまえはここに残して行かねばならない。
世間にはあらゆるたぐいの強欲な人々がいるし、自分の内側にもあらゆるたぐいの強欲さが見つかる。そしてこの強欲が満たされないとき、怒りが起こってくる。欲求不満が起こってくる。おまえは世間に対して怒りを覚え、自分に対しても怒りを覚える。誰に対しても怒りを抱くようになる。
どの年寄りにもそれを見ることができる。なぜ彼らはあんなにいらだっているのか? どうして彼らはあんなに鼻持ちならないのか? 彼らは欲求不満の人たちだ。彼らはその一生を、「もっともっと多く」をつかみ取ろうとすることに費やした。だが、その「もっと」に満足できたためしはなかった。いまや彼らは生に怒りすら感じている。ほんのちょっとの口実を見つけては怒りだす。強欲がその根本原因だ。強欲が満たされないとき、おまえは結果として怒りや失望、いらだちや挫折感を味わうだけになる。
そして怒りや失望や挫折感から第三のものが生じてくる――妄想だ。妄想は、ひとつの慰めになる。
妄想は、おまえ自身をなんとか「ひとつ」にとりまとめておく為のものだ。
誰もがなんらかのたぐいの妄想を抱いている。誰もが自分の実情とは違うものごとを考えている。だが、これらの妄想は潤滑剤としては役に立つ。おまえが、どうにか生きていくための助けになる。
それ(妄想)はたいへんな慰めだ。たとえ首相になることができなくても、少なくとも自分は首相だという妄想を生み出すことならできる。現実には大金持ちになれなくても、自分は大金持ちだと「信じる」ことならできる。自分の妄想を確固たるものにしてしまえば、誰ひとりそれを変えることはできない。
妄想は、おまえのなかにあまりにも深く定着してしまっている。人が妄想を抱くのは、休みなく失意のなかで生きることがきわめて難しくてイヤだからだ。おまえは自分が手に入れていないものを自分のものだと信じはじめる。だが……自分自身の心(マインド=分別・思考)のなかをのぞき込んで、どれほど多くのものが「たんなる妄想にすぎない」かを確かめてみるといい。
ボーディダルマは言う。
悪しきの三つの境涯は貪欲、怒り、妄想だ。三界を離れることは、この貪欲、怒り、妄想から退き、徳行、瞑想、智慧に立ち戻ることだ。
道徳性と瞑想と知恵は、実のところ三つの別々のものではない。ただ名前が三つあるにすぎない。
確実なのは「瞑想」だ。瞑想はおまえの生に一方では道徳性をもたらし、他方では知恵をもたらす。だが、直接、知恵を達成しようとしてもなにひとつできない。直接、道徳的になろうとしてもなにひとつやれない。
だが、瞑想についてなら何かすることができる。瞑想ならおまえでも直接「する」ことができる。道徳性と知恵の両方はその副産物として生ずる。おまえの行為には道徳性が備わり、知恵はおまえの英知(気づき)、最終的な光明=エンライトンメントとなる。
たしかに私(=バグワン)の見方からすれば、すべてはいずれ奪い去られてしまうものだ。それなら奪い去られてしまう前に、それを使い、費やし、楽しむほうがいい。なぜ死がそれをもぎ取ってゆくまで待っているのか?
宗教は、おまえの心臓の鼓動のようなものになるぺきだ。
瞑想は、おまえの呼吸のようなものになるべきだ。なにをやっているときでも、呼吸はかならずそこにある。それは遊離した行為ではない。そうなって初めておまえの存在のすみずみにまで瞑想性が染みわたる。
心は「空」と知ることが仏陀を知ることだ。十方の諸仏には心がない。心などないと知ることが仏陀を知ることだ。
これこそ正真正銘、ボーディダルマの言明だ。覚者(ブッダ)には心がない(無心がある=ハブ・ノー・マインド)。心など無いと知ることが仏陀を知ることだ。
* 心は諸悪の根源になりうる。無心=静かな心になれるかどうか、だと、わたし (秦) も思う。 2006 1・2
2010 10・11 109
* 「古典のなかの、からだとこころ」と題し、和歌歌謡、俳諧川柳 の からだ言葉やこころ言葉を読み込んでいったことがある。その仕事は楽しめた。「koten09 」にそれを活かしてみようと手をかけているが、読んでいる方がおもしろい。
「序」にかえてこんなことを書いていた。
☆ 古典の、からだとこころ 秦恒平
古事記や万葉集の時代、「からだ言葉」は熟していない。
胸といい乳といい腕といい、ただ肢体の名がそのまま出てくる。
「からだ」の各所が遠慮なく直視されている。
「蛆たかりとろろぎ」いる腐乱死体すら直叙される。
恋愛や愛欲にも、そのままの「からだ」が直叙される。
「からだ」が隠喩の材料に意外なほど使われないのである。
一方で「こころ」の苦悩や歓喜は、恋の場面で、生活の場面で、多彩に「こころ言葉」と熟して活躍している。
当然のように「からだ」はリアルに、「こころ」はサイコロジカルに、少し距離をおいて対峙していたようである。
平安時代にはいると、古今集にも源氏物語にも、露骨な身体部分名の直叙は水の引くように影をひそめ、ほとんど「身」の一字で総称されて、「心」と対になる。
「からだ」は卑下されたか、ときどき露骨に性的な隠語はあらわれるものの、ことに文字表現において肉体の直視はむしろ忌避されてしまう。
「身と心」と。
これはことに和歌のような短い表現には便利な把握で、そうでなくても「心身」は、いまも常用語になっている。腹、首、目鼻口、尻の肘の爪のと言っているかぎり、端的に「心」と一対には並べにくいが、「心・身」となると、無縁の一対どころか、緊密に連携・連帯した何かであると、いやでも納得できる。
「心身の発見」と呼んでよいこの認識は、ほとんど最上等の哲学とさえ成る。
紫式部も和泉式部も西行も、中世歌謡の作者たちも、また芭蕉ら近世の俳人たちも、みな「身と心」の兼ねあいに、折りあいに、また齟齬や違和に、身を揉むように心を悩ませていた。現代人の日々の悩みとて例外であるわけがない。
一方江戸時代に入って、俳諧や川柳が市民の声と言葉を喚起しはじめると、爆発したように「からだ言葉」が日々活躍し始める。
自分や他人の「からだ」がまた目に入ってきて、それも上古の人のそれとは違っていた。
「からだ」が「からだ」から氾濫したようにはみ出て、べつのとは言わないが、もっともっと豊かな「表現」を獲得していったのである。
むろん俳諧や川柳にも「こころ言葉」は多彩に豊富である。和歌や歌謡にも、圧倒的数多くは「身」であるが、「朝顔」「人目」「眉ごもり」「面影」等の「からだ言葉」は効果的に生きている。
ここでは、大きく対比し和歌と歌謡から「こころことば」を、俳諧と川柳から「からだ言葉」を、目に付くままに拾って、古典を代表させてみた。
* 「 mixi」 に、日記を寄せておいたら、コメントが寄せられていた。
☆ こんにちは。
寒い日が続きますね
我が家のセキセイインコどもも12歳になりました
>政治は政局、経済は萎縮
そういう状況の昨今、私にとって希望の言葉は、アイザック・ニュートンの言葉です。
“I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
– Isaac Newton ”
「私は浜辺で遊ぶ少年のように思われる。私は、時々なめらかな小石や普通より美しい貝殻を見つけては喜んでいるに過ぎない。しかし、真理の大洋は、すべて未発見のまま私の前に横たわっている―アイザック・ニュートン」
心の瞳を閉じなければ精神は枯渇せず。
巷ではインフルエンザが流行っています、どうぞご自愛を
* 励まして頂いたか。 ここにキイワードとして、「心の瞳」とある。まさしく「からだ言葉」でありかつ「こころ言葉」であるが、そして幾度となく耳にも眼にもしてきたと思うが、読み取るのが難しい。「心眼」という熟語の現代的な翻訳であろうか。そして心にそういう観る働きを確かに認めている、認めてきた、という実感はあるけれど、読み取るのはなかなか難しいなと思う。
2011 2・2 113
* 怪我も事故もなく、穏やかに、健やかに、元気にと、日々の願いにしている。それらは、「心」において可能なのか、「体」が支えてくれるのか。「心がける」のは大事だが、とかく忘れがちになるのも、心の頼りなさ、だれしも覚えがある。不摂生なわたしだが、それでもわたしは「体」の正直を尊重している。心身相関の大事は言うまでもないが、体の達者が気の弱りを減じてくれることは体験するが、逆は、どうだろうか。気力を大切にしてきた。気力とは心のことか、体のことか。
2011 5・16 116
* こんなメールも届いていて、これにはとりあえず返事も書いた。
☆ 拝啓 東北大地震のあと、例年になく早い梅雨入り、と天変地異の様相を呈しています。
先日は湖の本『バグワンと私』下を御恵投下さり寔に有り難く感謝申し上げます。先生は「心」を全面否定されているようですが、私は、「心=知・情・ 意=精神活動」と捉えていますので、ひていすべきものとは考えられません。 編集者
* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きを否認していませんし、私も。
只、「心」一字の中のマインド(分別・思考)サイコ(心理)偏重が、人間の魂(ハート)や身体を如何に損ない、ミスリードしているのかへの体験的な反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いているのは、明瞭に認められる人間にだけある混迷です。刻々に分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、そんな心の「全肯定」にこそ問題があるのでは、と。さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、無心や静寂を自身に願ってきたのではないでしょうか。不一 秦恒平
2011 7・2 118
* 「心の全面否定」を承えないと云ってこられたひとへの所感、もう一度、昨日とおなじに書き出しておく。自身の為にも。
* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きそのものを否認していませんし、私も。
只、「心」一字の中の、マインド(分別・思考)サイコ(心理)への偏重が、いわば過剰な追従が、人間の魂(ハート)や身体を如何にしばしば、如何に多く損ない、生活や行動をミスリードしているのかへの体験的な深い厳しい反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いている事実・ 現実は、明瞭に認められますし、また不幸にして人間にだけある、混迷の有様です。
いかに多く、私をも含め「心定まらない」「心定め得ない」人や例に、この世間、溢れていますことか。刻々に、分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、なんとか心静かにと己が舵取りに心労を重ねています。そんな頼るに頼りがたい「心」という「分別・思考」「心理」への、謙遜な反省を欠いた「全肯定」にこそ、人生の巨大な問題があるのでは、と。
さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、「無心や静寂」を自身や他者の上に切に願ってきたのではないでしょうか。
不備ながら、怱卒ながら、当座のご返事だけとさせて下さい。なにしろ此の年になって尚私も不束な「途上の独白」に右往左往している最中です。恥ずかしながら。
今後とも、どうぞご示教を得られますように。お元気で。取り急ぎ。 不一 秦恒平
* ふしぎなほど、この歳になって、昔風に謂えば机に向かって、実際には機械に向かって、書きつづけたり書き直し続けたり読み直したりする仕事が、向こう先が見えないほど目の前に山になっている。目の疲れ甚だしいが、これですることが何もなかったらかえって雑念に追いまくられるだろう、わたしは仕事に熱中しているときは意外と心静かでよけいなことは忘れていられる。妙な精神安定剤よりも遙かに仕事が効く。とはいえ、ワーカホリックではない。仕事に名誉心も射幸心も拘泥すらも無くて、イヤな不愉快な仕事であるときすら芯のところで楽しんでいる。まして積極的に踏み込んでいる仕事だと気は静まって晴れている。不思議である。
今日も、思いがけないちょっとした発見から、気合いの入った仕事を一日中続けられた。
だが、もうやすまないと本当に目を痛めてしまう。と、云いながらやすむといってもまだ十時半だと、呑んで、映画を見るだろうか。今日、吉備の人の有り難いいつものお心入れの名酒を頂戴した。京都の、気のいい「樅」のちいチャンから夏のご馳走を送ってもらっている。彼女のお店には、島尾伸三も連れて行った、甥の恒も猛も連れて行った。三人ともむちゃくちゃカラオケ上手で飲みっぷりよかった。わたしは、呑む一方で歌わない。
で、今みたい映画は。もう一度、「マトリックス」の第三部が見たい。
2011 7・3 118
* 午前に、詩人と編集者とへ、必要な返信を二つ書いた。昨日もハガキで何通か返信・返礼を書いたが、怱卒なもので失礼した。ハガキは手書きだが、長めの手紙は機械で書かせて貰っている。手紙もハガキも久しくめったに書いてこなかった。メールの効く方はメールで赦して貰っている。
しかし、手紙やハガキをすこし復活させてはどうか知らんと、おそろしく筆まめな志賀直哉の書簡集にすこし惘れ気味に感心していた。さ、どうなることか。
* やはり当面、「心」に触れて下さった方には、お返事したくなる。今朝は、あらためて一通書き直した。
* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きそのものを否認していませんし、私も。
只、「心」一字の中の、マインド(分別・思考)サイコ(心理)への偏重が、いわば過剰な追従が、人間の魂(ハート)や身体を如何にしばしば、如何に多く損ない、生活や行動をミスリードしているのかへの体験的な深い厳しい反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いている事実・ 現実は、明瞭に認められますし、また不幸にして人間にだけある、混迷の有様です。
いかに多く、私をも含め「心定まらない」「心定め得ない」人や例に、この世間、溢れていますことか。刻々に、分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、なんとか心静かにと己が舵取りに心労を重ねています。そんな頼るに頼りがたい「心」という「分別・思考」「心理」への、謙遜な反省を欠いた「全肯定」にこそ、人生の巨大な問題があるのでは、と。
さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、「無心や静寂」を自身や他者の上に切に願ってきたのではないでしょうか。
不備ながら、怱卒ながら、当座のご返事だけとさせて下さい。なにしろ此の歳になって尚私も不束な「途上の独白」に右往左往している最中です。恥ずかしながら。
今後とも、どうぞご示教を得られますように。お元気で。取り急ぎ。 不一
平成二十三年七月六日 秦恒平
2011 7・6 118
* 六さん
メール便は久しぶりなので、これで届くかなあと心配ですが。お元気のことと思います。いつも、有難う存じます。
さて今日、
「こころ」とはなにか を郵便で受け取りました。「mixi」で書いてられるのもむろん知っていました。
率直に申して、この考察には、魅力を覚えません。
七十年、まさに心にかけてきた問題で、繰り返し繰り返し答案を書きつづけてきた実感をもつ私には、残念ながら「おおそうか「「そうであったのか」と新たに教えられる喜びが得られないのです。
今の私には、「心とは何か」という、いやほど繰り返しまた読んできた「辞書・辞典」水準での詮議穿鑿や一般論には、関心がもう無いのですね。何も得られない。己の死生に思い惑い苦しみながら、願わくは「心」になど煩わされたくない、どうしたらいいのだろうという、いわば「悲しみ」にこそまみれてきたからです。「もらひ子」の境涯を知った幼年から、漱石の「こゝろ」を読んだ中学生の頃から、『バグワンと私』の最近まで、輾転反側して「こころ」からの自由を願い続けてきた者には、物足りないというより索漠とした作文のように感じられるのです。ごめんなさい。
「mixi」を始めたとき、一機会かと、己れに強いてすぐさま、ぶっつけに、まる一ヶ月「静かな心のために」と題して述懐した数年以前も、わたくしには「心」のことは「なにか」ではなく、「いかに」して静かに無心へと深み行けるかという「死生」の問いでした。
おなじような、なまなましい「あなたご自身の呻きや歎きや煩悩」にまみれて「心」が問われているかと期待したのでしたが、「概念の処理に終始」されていては、所詮マインドという心の分別に過ぎず、ハートという生き生きとした鼓動のことばとは受け取れないのです。したがって結びに近く宣言されている、どんな「責任」を引き受けられるのかが、あなたの文章からは見えないのです。
率直に申しました。お気に障りませんようにと願っています。さらなるさらなる精到と透徹のご覚悟をいつかまた読ませて下さい。 私は、元気に過ごしています。 秦恒平
2011 7・28 118
☆ 秦 恒平 様 六
メール拝受しました。拙文を読んでいただけたこと、感謝しています。
「付記」に、・・・「こころ」とはなにかと、いままでに考えたことがなかったわけではない。折りにふれ思案して、わたしなりの像をぬり重ねてきた。しかし、それを人に説明できる言葉をいまひとつ、つかめずにいた。ある番組に触発されて、発語のきっかけを得た。そこから改めて、生まれた思索がこれである。一念をあかせば、責任を引き受けたつもりである。大袈裟かもしれないが、ひとりの思索者として、そう思っている、と、記しました。
「責任を引き受けたつもり」とは、たしかに、「大袈裟」なものいいで、「こころ」について発語することが、なぜ、「責任を引き受けた」ことになるのか、意味不明に感じられたことでしょうが、愛用の岩波「古語辞典」に解される「こころ」を思索点に据えて、その内実を明らかにすることは、それが「辞書・辞典」水準での詮議穿鑿であるにしろ、わたしにとっては欠くべからざる考察でした。それは、かねてからの難問であるサルトルの「想像力の問題」に近づくために避けて通れぬ峠でもありました。
むろん、秦様の言われる、「いかに」して静かに無心へと深み行けるかという「死生」の問い、ではありませんが、「私」とはなにか、それを今もなお問い続けているわたしにとっては、「こころ」とはなにかは、切実な(なにが、切実かと、おしかりを受けそうですが)問いでした。
「付記」の最後に述べたように、うかつに手は出せませんが、いったん発語した以上、「ひと」とはなにかの納得が得られるまで(それも、無理だよと、笑われるかも知れませんが)思索を止めるわけにはいきません。懲りずに、また、「作文」を送ります。 拝
* 書き継ぎ書き深められることを期待します。大勢の方の関心事として「こころ」のあることは常に事実なので。送って頂いた文章も、「 e-文藝館= 湖(umi)」に掲載させて貰います。大勢が読んで下さると思います。
おそらく、わたしが一等物足りなかったのは、「こころ」が、「語」として「思考・思索」されていた点にあるのでしょう。「あれが月だよ」と指さす「指」はなんら「月」ではない。月が真如であるとしてそれをさす「指」は「語」であり「思索・思考」という分別行為( マインド) にすぎなくて、そのままでは、とても月には達しない。よく謂われることです。
辞書的な「語」に頼んだ「思索・思考」という分別行為( マインド) で「こころ」を定義してみても、「こころ」はおろか「私」もたぶん「指さす」以上には、「概念」以上には捉えられない気がしています。
「指月」「捉月」のむずかしさに、人はくるしみなげいて来たと思います。 秦恒平
* お気持ちの動く方、ご遠慮無くご参入ください。
2011 7・29 118
* さてバグワンといえば、なによりわたしには「心」を語ってくれる人だ。彼は司祭でも僧でもない。彼はひとりの覚者ブッダとして、一言一言わたしの眼をのぞきわたしの手をとって話しかけてくれる。当分の間、バクワンに「心」の事を聴こう。
☆ バグワンに「こころ」を聴く。『存在の詩』より
スワミ・プレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら
あらゆる問題の根本となる問題は「心」だ。
心の本性がわからない限り
おまえは人生のどんな問題を解決することもできまい。
心こそが問題なのだ。
ひとつひとつの独立した問題を解決しようなどとしないこと。
そんなものはありはしない。
心そのものが問題なのだ。
しかし、心は地下に隠されている。
私がそれを「根」と呼ぶのはそのためだ。
根はつねに不可視でありつづける。隠されている。
決して目に見えるものと戦わないこと
さもなければ、おまえは影法師と戦っていることになるだろう。
それでは、おまえが自分自身をすりへらすことはあっても
おまえの人生にはこれっぽっちの変化も起こり得ない
同じ問題が何度も何度も何度も持ち上がることだろう
心は決して平和には成らない
「無心」は平和そのものだ
が、心自体は決して平和でも静かでもありえない
心はまさにその本性からして緊張と混乱なのだ
心は決してクリフーではありえない。
なぜなら、心は本性がすなわち混乱であり曇りであるからだ。
決して「静かな心」など達成しようとしないこと
さもなければ一番の最初から
おまえは不可能な次元に向かっていることになる
「こと」のはじめは、まず心の本性を理解すること
それからはじめてなにかが為されうる。
* わたしは、いの一番にこの『存在の詩』を手にしていながら、こういう根の注意を聞き飛ばして「静かな心」が欲しいと願っていたのだった、あの漱石の『こころ』の「先生」のように。一度や二度ひらひらとものを読んだだけでは、聞いただけでは、ほんとにダメだと思う。
2011 9・28 120
* わたしは早くに「からだ言葉」という概念を発見してそれら無数のことばの存在理由を問うた。同時に「こころ言葉」という概念も発見して同様に多くの「こころ言葉」の存在理由を説き明かした。からだとこころとの相関や乖離や協働についてかなり多くをかたりつづけてきた。わたしは「こころ」に惑わされるよりも「からだ」を大切に認めながら、両者は互いに表裏であり、かつ乗り越えて行かざるを得ない生の初歩段階だと観てきた。バグワンはからだとこころとを、肉体と精神とを、七段ある人間梯子の第一、二段であると教えている。
☆ 般若心経をバグワンに聴く。 スワミ・ブレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら。
「人間の魂は目的や意味を求めて叫んでいる。そして,科学者たちは言う。『ほら,電話(=ケイタイ)だ』,いや『ほら,テレビ(=スマホ)だ!』。これはまるで母親を求めて泣いている赤ん坊を,あめん棒やおかしな顔であやすのと同じことだ。すさまじい発明発見の激流は,人間を夢中
にさせ,自分を悩ませていることを忘れさせておく大役を果たしてきた。」(フランク・シード)
現代の世界があなた方に与えてくれた一切は
あめん棒,手すさびの玩具以外の何ものでもない
ところが,おまえは〈母〉を求めて泣いていたのだった
〈愛〉を求めて泣いていたのだった
〈意識〉を求めて泣いていたのだった
人生に何らかの意味を求めて泣いていたのだった
なのに,みんなはこう言う
「ほら! 電話(=ケイタイ)だよ!
ほら! テレビ(=スマホ)だよ!
ほら! こんなに一杯素敵なものを持って来てあげたよ!」
それで,あなたはしばらく遊ぶ
また,飽きる
また,退屈してしまう
すると,また彼らは新しい手すさびの玩具を探しに行く
こんなのはどうかしている
あまりにも馬鹿らしくて
どうしてそんな中で生きていられるのか信じられないくらいだ
われわれは人間の、人生の、 梯子の第一段でつっかえているのだ
覚えておきなさい
おまえは肉体の中にいる
が,おまえは肉体じゃない
それについては自分の中で絶えず醒めているがいい
おまえは肉体の中に住んでいる
そして,肉体というのはビューティフルな住み家だ
覚えておきなさい
一瞬たりとも私は
いわゆる精神主義者たちが時代を問わずやり続けてきたように
アンチ肉体になれだの,肉体を否定しはじめろだのということをほのめかしているつもりはない
物質主義者たちは肉体がすべてだと思っているし
かたや,反対の極端に走って
「肉体は架空のものだ
肉体などというものはない!
幻想が崩れるように肉体を壊せ
そうすれば,おまえは本当に本物になれる」と言いだす人たちもいる
この反対の極端は一種の反動にすぎない
物質主義者それ自体が精神主義者という反動を生む
彼らは同じ商売の相棒どうしだ
彼らはそんなに違う人種じゃない
肉体はビューティフルだ
肉体は本物(リアル)だ
肉体は生きられねばならない
肉体は愛されねばならない
肉体というのは神からの大いなる贈り物だ
一瞬たりともそれに反対したりしないこと
そして,一瞬たりとも自分がただそれだけだなどと思わないこと
おまえはそれよりはるかに大きい
肉体はジャンプ台として使うがいい
* 人間梯子の一段目(肉体・からだ)をバグワンはこう評定し、次いで二段目の「精神・こころ」をも批判する。あらためてまた聴こうと思う。
2012 6・17 129
* 老子に、「心を虚しくし、腹を実たせ」とある。「いまの人は心を実たすばかりだ」と裴航という仙骨の者が語っていた、「藍橋物語」という唐代伝奇のなかで。
航は言葉を継いでいる、「心が実ちれば妄念がおこり、腹が漏れれば精気があふれ出てしまう」と。「心が実ちれば」とは、さまざまな思念・思考・分別により心の乱れはち切れそうなことを直視している。荀子が、心は一点集中も八方関心も可能だが「静」かな心こそと教えていた。この教えは仏陀も老子も同じ。
2012 8・6 131
* が、つい手が出てしまう。「ブッダのことば」「荘子」そして「露伴随筆集」。二階の機械の側では、貰ったばかりの『荘子 雑篇』を、合間ごとに開いて読んでいる。「思慮をして営々たらしむることなかれ。」「人物利害を以て相い (みだ)さず、相い与(とも)に怪を為さず、相い与に謀を為さず、相い与に事を為さず」「恒有る者は、人、之を舎(す)て、天、之を助く。」「知 其の知る能はざる所に止まるは、至れり。」「霊台(=心の中枢)は持する有り、而うして其の持する所を知らず、而(かなは)ち持す可からざる者なり。」
人を傷つける武器の中でも、ことにむごいのは人の心だと、語られている。
2013 10/5 145