ぜんぶ秦恒平文学の話

文学作法 2017年

 

* 夕食後、建日子をいまや秦家の「当主」と頼んで話しあった、が、「して欲しいことが有れば、そう言ってほしい、言われたことはする」と。
その、「して欲しいことが有れば、そう言ってほしい」が、少なくも、わたしには途方もなく重い。「頼まれたことはする」の前に、まず頼まれねばならぬ事を「箇条書きに書き出してほしい」とは、途方に暮れるほどキリがない。「老いの日々」と「書く」しか手がない。
「親には頼まない」が、「子供には頼りたい」とわたしは「自問自答」に書いている。
あの新門前の、育ての恩有る老親たちに、あれこれ「頼まれた」からわたしは四半世紀かけてその老後を見守った・頑張ったのではない。わたしの方で無い知 恵と時間と労力を掛け、恩義有る父も母も叔母もをようやっと京都から東京へひきとり、妻と二人して三人とも最期を見送った。世話は不充分に過ぎていただろ う、しかし、「頼まれたから」そうしたのではない。「当主である子」の自覚と責任とでそうした。菩提寺とも親密に付き合ったし、墓も新しくした。三人に難 儀が有れば、大変な連載や文債をわんさか抱えていても、吹っ飛ぶように京都へ走った。妻も走ったのだ。妻は難儀な舅の病院付き添いで、心臓をいためもし た。

* このさき、難しい晩年を、日一日、わたしたちは迎えねばならない。長寿は、いつしかに身に帯びた罰のようになってきた。

* 幸い、わたしには最期まで「仕事」というクスリがある。服み忘れまい。

しんしんとさびしきときはなにをおもふ
おもひもえざるいのちなりけり     遠

* ひとり残って、今夜は泊まって行くという建日子と、雄町の純米大吟醸とっておきの「室町櫻」を組み合いながら話した。
こうして穏やかにしんみりと酒酌みながら話し合える機会は、もう残り多くはないだろう。最良の酒になって嬉しかった。

* 二階で、「清水坂(仮題)」をグイグイと書き増していった。書きたいものを書き続けたい。書ける嬉しさがあれば、なまなかには潰れないと自信している。

* 元日は、もう逝く。
2017 1/1 182

*  夕方まで建日子と過ごした。雑煮も食事もともにし、建日子はこつこつ仕事をしていた。わたしも機械の前で昔々の谷崎潤一郎を語り合った鼎談の色淡くなっ い原稿を苦心しながら読んでいったりした。ときどき階下へ降り、親子三人で「剣客商売」など、好きなテレビドラマの録画を楽しんだりした。夕方、車で帰っ ていった。二人で呑みさしのまだ半ばは残っていた「櫻室町」の一升瓶をもたせてやった。高田芳夫さんに送って頂いた「又玄」筆の洒落な鶏の墨絵に「結構結 構」と書かれた色紙も持たせて帰した。

* 疲れているが、昨日から今日へ小説「清水坂」が前進したのが心強い。
しかし、もう、休みたい。
2017 1/2 182

* 長谷川泉さんに司会して貰った橋本芳一郎さんとのいわば鼎談を、ながく置き忘れていたが、いま克明に読み直していると、つっこんで重要な谷崎論のポイ ントを押さえていたと想われる。この鼎談は、勤務先でわたしの上司であり目標でもあった長谷川さんが、わたしのためにこういう「場」を設定してくださった のかと、今にして有り難く頭が下がる。ほぼわたしの独演会に近いまま進行していて、思わず首をはくめてもいる。「国文学 解釈と鑑賞」昭和五十八年(一九 八三)五月号に載っていた。わたしは四十七歳、「神と玩具との間 昭和初年の谷崎潤一郎」をもう世に出していた。わたしの創作生活は、「谷崎愛」の日々と 併行していたのだった。
2017 1/3 182

* 昨日の朝までは京の白味噌仕立ての雑煮、今日の昼は焼いた餅での清まし汁の雑煮を妻と二人で祝った。
テラスの奥のネコたちの家のそばへ輪切りの果物を置いてやってある、それへ今朝もふっくらと小さな目白たちが降りてきて一心に食べていた。真実心温まる のは、こういうとき。うそくさい人間の世の中はみなテレビの報道やコマーシャルでやかましくかき回し気味に代弁されていて、吐き気がする。かろうじて「北 の国から」のような歴史的な秀作長編ドラマに相寄る魂のぬくみを覚える。
藝術・藝能は、真に人の魂を感動で震撼するしか存在の意義がない。さもなくて蔓延っているのはすべてうそくさいただ商売道具や売り立ての呼び込みに過ぎ ない。スポーツというのはいいなあなどと、ふと思われる。イチロー、白鵬、沙羅、内村航平、ピンポんの愛ちゃんら。かれらの勝負にはうそが見えない。

* 妙なことを書き付けておくが、わたしは国民学校へ入学の当日このかた自分の「恒平」という名乗りに気持ち寄り添えなかった。それまで「宏一 ヒロカ ズ」と呼ばれていたのに突如として國民学校の門ぐちでおまえは「恒平」と強いられた。それが実は戸籍名であったが、知るよし無かった。「ヘイ」とい う発声がイヤだった。「工兵」とか「コッペパン」とかあだ名された。周囲をみまわして「**平」と名乗った友人知人にまるで出会わず、辛うじて歴史上の人 物に、新平の君平のという例をみつけた。大昔の時平、忠平、まさしく恒平がいても、みな「ときひら」「ただひら」「つねひら」と呼ばれた左大臣や摂政や太政 大臣らであった。高校の頃に小説まがいや批評を学級誌や新聞に書いたときもペンネームを使った。私家版本に「畜生塚」や「斎王譜」ゃ「蝶の皿」を書いたと きもその菅原万佐というペンネームを使っていて、新潮編集長の酒井健次郎さんとの初対面では、「男かあ」とのけぞられたりした。酒井さんは今後は実名でと 「厳命」された。
そんな次第で、やはり「**ヘイ」にかすかに身を引き続けてきたのに、東工大教授になって大講堂に溢れる学生達とつきあううち、ちらほらと「**平」君らのいるのに気付いた。
以来二十年、ところがこの頃になって、「**平」君のいることいること体操の「航平」君を先頭に、どの畑からも「**平」君が立ち現れていて、なんだか、照れてしまうこともある。
ま、それだけのハナシではあるが。  さ、仕事します。
2017 1/4 182

* 年賀状を去年よりも多く戴いていることに恐縮している。仕事を介して触れあいが持続しているということか。
新聞を見ても便りにふれても、日々に訃報が逼ってくる。「生まれた」朗報に胸を熱くしつつ、その何倍もの「死なれた」重みに堪えねばならない。訃報や病報に接するつど、わたしたちはより確実に生きててあげたいと思う。「確実に」の三字に踏ん張る気魄をこめていたい。
2017 1/5 182

* 選集第二十一巻の編輯に苦闘している。内容にではなく、編成と組指定とに。もう少し。

* ようやっと大づかみ出来たが、仕上げにはもう一手間も二手間も欲しい。確認に必要なものからしてさがさねばならない。もう眼はまったく見えなくて、いま緑内障の目薬をさし、文字が見えてきた。
点眼するとしばらくそのまま瞑目していなくては。そんな時に数をただ数えててもつまらなくて、いつも神武から桓武まで五十代を一気に唱える。百が必要なら 百代後小松天皇まで数える。せいぜい一分から三分までで達するが、ま、その程度にしている。百二十五代の平成の天皇さんまで唱えるとほぼ四分ほどかかる。 神武、桓武、明治、昭和、平成などはいいが、後白河、後醍醐、後小松、後花園、後土御門、後柏原、後桃園などは舌が縺れそうに時間がかかる。
いま、源氏物語「五十四帖」を覚えている。四十八帖ほどは思い出せるが、順でなくてはいけない。順に、桐壺、掃木、空蝉、夕顔、若紫と出てくると、自然物語そのものが甦ってきて、おおいに物語の風情まで思い出せて楽しめる。
よほど「数える」というのが好きで、子供の時にわりあい孤独に遊んでいたと謂うことだろう。そういえば、「畳の目」一つに、じーっと見入ってものを想っていたりしたなあ。
2017 1/5 182

* 心身不快。手洗いで便座につくと直ぐ、太息とともに両肘を膝にがっくり頭が下へ落ちる。胃全摘手術を受けて退院した五年前がずうっとそうだった。一年 の抗癌剤を終えてやがてそれが無くなり普通に頭はあげていた。三、四ヶ月前から気が付くと当然のようにがっくり頭を落としている。疲労が心身に溜まってい るらしい、少なくも躯に。しかし気分の不快も濃い暗い霧のように新聞からもテレビからも振り続ける。安倍、トランプ、韓国、ロシア、そしてテロとネット犯 罪。

* 気が付くと、妻のほか人間と話していない。それも妻がおおかた独りで喋っている。わたしはおおかた聞いている。
かわりに、墓のネコたちや、手洗いのライオン太郎、次郎、小次郎や、犬のヘンリー、猫のモーリーや、また横綱白鵬と日馬富士の写真たちへ、ひっきりなし無邪気なほど優しく朗らかに話しかけている。囃し舞ってくれるお獅子人形と一緒になって玄関でわたしも舞ってやると、「秦 恒平さん江」とサイン入りの「靖子」の澄ました顔写真が笑ってくれる。
書斎には谷崎先生夫妻の写真がある。仰いて頭を下げる。部屋中のいろんな繪や写真たちへ話しかけている。
リアルな暮らしに疲れ、とかく、絵空事の世界へ独り這入って行く。支那の或る古代人のように、そういう「部屋」をわたしは持っている。書籍もまたそう「部屋」に類している。しかし作によってはよけい気鬱になる。「リチャード三世」も「椿説弓張月」も、重い。
光源氏は玉鬘を髭黒大将にうばわれ、紫上を息子の夕霧に見られ…。「螢」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」藤袴」そしていましも少女「真木柱」が泣いている。源氏物語世界に音もなくものの影が降りてくる。

* 自殺した兄恒彦に、生きていて欲しかったなとしみじみ思う。

 

* 小さなメモ用紙にボールペンで走り書きしたのが出てきた。かなり昔のもの、自分の走り書きの字を、向こう側に置いて眺めるのは初めてかな。

ありとしもなき抱き柱抱きゐたる
永の夢見のさめて今しも
来る春をすこし信じてあきらめて
ことなく「おめでたう」と我は言ふべし (言ひたくもなし)

* むかしむかし『斎王譜』(慈子)を私家版の本にしたとき、関西の友人のひとりだけが、「繪空事の不壊の値」という言葉にたちどまり、言おうか聴こうか という様子だったが、それ以上は言わずわたしも話さなかった。のちに論者たちはむろん此処へ立ち止まってはいたが、ま、通り過ぎていった。

* 絵空事の一生だったかなと、小さな息をついている。もう少し、夢を見ていたい。
☆ 無門慧開(1183-1260)『無門關』の自序に聴く
仏たちの説く清浄な心こそを要とし、入るべき門の無いのを法門とするのである。
さて、入るべき門がないとすれは、そこをいかにして透過すべきであるか。
「門を通って入ってきたようなものは家の宝とはいえないし、縁によって出来たものは始めと終りがあって、成ったり壊れたりする」というではないか。
私がここに集めた仏祖の話にしても、風も無いのに波を起こしたり、綺麗な肌にわざわざ瘡を抉るようなもの、まして言葉尻に乗って何かを会得しようとする ことなど、もってのほか。棒を振り回して空の月を打とうとしたり、靴の上から痒みを掻くようなことで、どうして真実なるものと交わることができよう。
もし本気で禅と取り組もうと決意した者ならば、身命を惜しむことなく、ずばりこの門に飛び込んでくることであろう。その時は三面八臂の那吒のような大力鬼王でさえ彼を遮ることはできまい。インド二十八代の仏祖や中国六代の禅宗祖師でさえ、その勢いにかかっては命乞いをするばかりだ。しかし、もし少しでもこの門に入ることを躊躇するならば、まるで窓越しに走馬を見るように、瞬きの
あいだに真実はすれ違い去ってしまうであろう。

* 無門法門の透過、わたしは、しない。
2017 1/6 182

* 若い人たちが大勢で書いた『谷崎潤一郎読本』が送られてきている。大方、息子か、中には孫世代かと思うほど若い筆者も。「研究者」という人たちだ。彼らの仕事は「オリジナリティ」の開華であって欲しい、先人の涎を嘗めているばかりでは「研究」も侘びしすぎる。
「オリジナリティ」の目星は、大きく、その論攷・論文の執筆され発表された「年次」にある。おなじ事を述べていても「初発・初出」の論攷より「後出し」で は「オリジナル」とは謂えない。研究者・学者らの学問研究がなまぬるい祖述・追随にばかり止まらないのを、わたしは願う。
2017 1/8 182

* あの激しい空襲、そして戦後占領国の支配下で、日本の文化材・最良の美術がいかに危難を免れ得たかをつぶさに識らせてくれたテレビ番組に感謝する。ウオーナア博士らの愛と尽力とに心から心から深く感謝する。
戦勝による日本への賠償として日本の文化材を没収したいと望んだのはどこよりも先に中国だった。アメリカにもその意思はあった。結果的に、マッカーサー がこれを認めなかった。日本の文化財は奪略を免れたのだ、だが、それは奇跡と謂うにちかい。戦勝国の敗戦国の文化財の没収ないし破壊は多くの歴史がむざん な実例を見せている。わたしは、この「私語」のなかで、繰りかえし繰りかえし将来のそんな悲惨を免れるためにも、無用の好戦に走ってはならぬと願ってい る。日本人の命よりも大事に感じている祖国の文化・文物を蹂躙させてはならない。近隣国は、歴史的な「怨」「憎」「妬」からも、何を措いてもむしろ文化財 を奪うか潰すかで戦勝のあかしとするであろう。
絶対に無用に戦争してはならない。挑発されてもいけない。自衛は、やむを得ない。 2017 1/8 182

* 起床五時半。不快の極みというほどの夢見に、床を出てきた。どうにもならなかった。死のうとしていた。
こんなときは仕事をするしかない。

* 冷ゆる手に頬をはさみて目をとぢて
はるかの闇を翔びゆくわれぞ

* 九時過ぎた。「清水坂(仮題)」を検討しいしい推敲しつつ、またひとつ山の語り場へ来ている。寒いので湯飲み酒も呑んでいた。物語と謂うよりも述懐で はあるが、わるくも良くも縦横無尽に話は交錯している。ひょっとしてこういう書き方はこれが最期かとも思いながら、好き勝手に書いている。
途中でもいいから「湖の本」にし、「選集」で書き終えてもいいかなどとも、ふと、思うが、根をつめて「繪空事の真相」をやはり書き上げたい。
2017 1/10 182

* 湯飲み酒がまわってきた。午後は、寝て過ごすか。「清水坂」を夢のように飛翔してまわりたい。
2017 1/10 182

* 頸が痛く強張ってきた。それでも、小説は生き物のように柔らかに動いて、やや複雑な十字路へ身をすすめてきた。どっちへどうとりあえず展開するか、また思案のしどころへ来た。むずかしいのだ「清水坂」という世界は。
2017 1/10 182

* 今日は『ユニオ・ミスティカ(仮題) ある寓話』の方へ掛かってきた。読者にどう届けうるかは若にないが、丁寧に推敲し補筆しているのが嬉しいような 照れる仕事にすすんでいる、と云っても今日読み進んだのは書けてあるぶんの二割にも及んでいない。どう仕上がって行くか、実は初稿としては仕上がっている のだけれど、ことりナイショで楽しみながら推敲し添削し補筆しているので。かなり長い作になっているんで、冗長や饒舌は避けたいのである。
こういう仕事をしていると、外出はつい、またねとなる。健康ではない。なんとかして「京都」へ帰ってきたい。
2017 1/11 182

* 「湖の本133」発送の用意を始めた。用意が出来ていると想像以上に気が明るい。追われると、シンドい。事実以上に気が重く暗くなる。出版や編集は、いわ ば雑用のかたまりであり、雑用といえども一つ欠けても全部停頓する。とかく停頓させる編輯者や製作者はいい仕事、たくさんな仕事は出来ない。徹底的にわた しはそれを医学書院で覚えてきた。月刊誌の定日発行や単行本の刊行や多数の共同執筆本の仕上げ進行で覚えてきた。役に立ってくれた。それで「自由」に立つ をえた。身の不幸とは思っていない。
2017 1/12 182

* 「井伊大老」は、しみじみ胸にせまる新歌舞伎の一名作。今年一年で「幸四郎」を卒業する九代目の井伊大老は、さながらに父先代の口跡風貌を甦らせた思 いの深い懐かしい役づくりで、玉三郎のすばらしい愛らしい「しづ」とさしむかいに、彦根城あの「埋木舎」へ帰りたいと相擁する場面では、思わず、わたしは 声をもらし京都や来迎院の恋しさに泣けた。
初世白鸚と六代目歌右衛門の舞台はじつに佳かった、決して忘れない。だが九代目幸四郎と美しい極みの玉三郎しづとの双璧も、このさき幾度も情け深く熱く 光りつづけるだろう。来春には十世幸四郎となる子息染五郎が、長野主膳というむずかしい人物を、たじろぐことなく、きりっと演じた。もう一人正室の人と格 とをこころよく見せていた、芝雀あらため四代目の新雀右衛門にも、うんうんと頷けた。後場の側室「しづ」との対比が品位を保ち得た。

* わたしがこの芝居を愛してきた理由のひとつには、井伊直弼と日本との、外向きには開国・外交の決意、内向きには埋木の昔から独自に培ってきた一期一会の茶と愛と、に若くから心惹かれかつわたしなりに物思うこと多かったからである。
井伊直弼の{開国}への覚悟、尊皇はともかく「攘夷の危うさ」にたいする認識に、わたしは反対を唱える気になれなかった。井伊なくて、むやみな攘夷に 走っていたなら、日本はたぶん西欧列強に分け取りに占領されていただろう。列強の対抗を巧みに必死に操りつつ、開国の姿勢を保ったことで、不平等条約には ながく泣かされたものの、日本は西欧の帝国主義をなんとかすり抜け、明治維新と近代とを迎えることが出来たとわたしは信じている。井伊直弼大老たる頑張り は、多く若き幕末の俊英らを死なしめたものの、まこと危うい瀬戸際を通って日本國の壊滅を防いだ。天皇制をすら結果としては護ったと、わたしは、ま、そう 思ってきたのだ。彼井伊直弼を人としても信頼する基盤には、名著『茶湯一会集』があった。「一期一会」の思想としての高さをわたしは井伊直弼から学んだの だ、云うまでもない長編『慈子』はその真実のレポートであった。
2017 1/12 182

*  「ユニオ・ミスティカ」にかかり切っていた。面白かった。機械向きの目が疲れると階下におり、昨日茜屋のマスターに貰ってきた、染五郎が座頭、ラスベガ スのホテルで公演してきた歌舞伎尽くし「獅子王」の録画を観た。佳い外交である、演者達も楽しみ観客も大いに楽しんでくれていた。
2017 1/13 182

* これだけむきだしに性を書いてしまっては、読者の九割九分が背を向けられるだろうと思うと、気に入ってはいても本にしにくい。絶筆ではない、文字どおり遺書として選集の最期の巻にするかと思いつつ、気を弾ませて半ばを推敲した、が。
2017 1/14 182

* 好調に『ユニオ・ミステイカ』を読み進んでいて、この分だと少なくも初稿としては九割九分の余も出来上がっていると自信が持てる。それでも徹底して推 敲している。こう直せばこんなに文章がかわるのだと一つ一つ驚くぐらいに気をいれて歌わない音楽として完成を願っている。推敲はしすぎても作を殺す。難し いこれぞ創作というもの。
それに。此の老境の性を語っている「ある寓話」も、もう一つの仮題『清水坂』も、思いなし従来のさくよりも一入に「述懐」口調を受け入れていて、そのぶん行文(文をやる)息づかいの推敲が難しい。また面白くもある。
ま、どう纏まるか纏まりが付かないか、「寓話」は性の露出ゆえに破産の懼れも濃い。
2017 1/15 182

* 本の山のしたから一冊『日本人の心情 美と酬の感受性』を見つけた。芸術生活社の本じゃないかオヤオヤと、目次をも見 るといきなりの一等先に「消えたかタケル」秦 恒平と出ていて驚いた。「”建”を喪った日本民族の底に連綿と脈打つ負の心情」と編集部が添えている。十九人の文章を並べていて目次最初の頁だけ見ても、 筆頭のわたしに続いて、奈良本辰也、吉田知子、笠原伸夫、松永伍一、谷川健一と続いている。奈良本先生を随えていたとは畏れ多い。そういえば、祇園「梅 鉢」の止まり木にならんでよくお話しを聴いたなあと懐かしい。
上の「消えたかタケル」は太宰賞受賞直後に雑誌「芸術生活」の依頼で書いた作家ほやほやの時期の一文だが、文中に「日本俗情史」こそ必要なものと強調し ていたのを覚えているし、「芸術生活社」もヤケに共感してくれて「書け書け」とすすめられたが、新米作家がそんな方面へ脱線はおろか小説を書けと筑摩にも 新潮にも絞られていた。わたしが書きそうにないので、芸術生活社は上のような編輯本を企画したらしい、しかも新米作家の一文を巻頭に置いてくれていた。今 させに首をすくめる心地である。
とはいえ、「消えたかタケル」という問題提起は大事であって、わたしのその後の厖大な批評や論攷の仕事のさな゛ら原点を実は成していたと思う。「湖の本 エッセイ」のごく早い巻に入れていたと思う。ちなみにこの本最後の締めくくりは尾崎一雄さんが書かれていて、ホオッと畏れ多いのである。大方の先達が、も う亡くなられていて感慨深い。戸井田道三、楠本憲吉、山本健吉、高橋義孝、暉峻康隆、武智鉄二、三宅藤九郎、山本太郎、秦秀雄、坂東三津五郎、壇一雄と並 べば、わが駆け出しの頃のすべて著名人。なら、これはまさしく露払い役をそせてもらっていたということ。ほっと肩の荷がおりた。
芸術生活社からは立派な造本で『廬山』を出して貰ったが、あの会社は今もあるのかなあ。
2017 1/17 182

* 『亂聲』を、ほぼ編み終えた。歌いまた舞い遊ぶ宴のまえに、幕の内で、鼓笛また鉦鼓を以て盛んにもて囃したのだという、古人らは。わたくしに、もうそんな晴れやかな宴はない、終焉のほかには。ま、思うがまま、わが為わが手で出放題に囃しおく一巻になろうか。
2017 1/19 182

* 湯に漬かってわたしの「夢の浮橋」論を読み返し、また源氏物語「梅枝」巻を読み上げた。『源氏物語』だけは、世界文学のどの時代へもっていっても、どんな名作と並べても、ビクともヒケをとらない。読み物としてでなく、文学表現としての底力なのだ。
2017 1/19 182

* 尿が出て便も出て食えて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし

* およそ 余の実事は「なんじゃい」と吐き捨て、思いは「絵空事の世」にある。 2017 1/22 182

* 現実を今様とすると不安不満不快が殺到してくる。幸いにわたしは絵空事の世界を豊かに持っていて、そこへ意識を昇華すれば、想い静かに幸せになれる。その世界とは死の世界かと問われれば暫く口をせ噤むが、そこへ死ぬのではない、そこで生きるのである。 2017 1/25 182

* 起床9:00 血圧<135-60(70)> 血糖値100 体重66.3kg

* 『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』にかかり切っていた、が、終始めがねの視力が機械面に組み合わず、気を殺がれて苦労も疲労もおびただしい。眼を閉じ、闇に埋もれ沈んでいるのが、らく。
機械を離れていい照明で読書している方が、らく。
2017 1/26 182

* ある人の亡くなった頃から静かに想い描いていた現代の物語へ、もう近づいてはと思いかけている。和泉式部の日記と歌とをより新鮮な気持ちで読み込みた い。こんな時節になって、なんでまたわたしはこんな別世界を想い描きたいのか。いまいまの着想ではなくて愛着失せていないからとだけ書き留めておく。
2017 1/26 182

* 夜前就寝前に珈琲を二杯喫んだ上に。床についてから「藤の裏葉」巻、「ヘンリー四世」、「蘆刈」論、「弓張月」、「小笠原物語」、「和泉式部日記」を二冊 読み、新しい小説の構図を考え考えていてまったく眠れなくなり、眠れずじまいに朝になった。朝一番に「蘆刈」論を読み終えた。
2017 1/27 182

* 白人君臨主義のトランプと領袖また支持者達の勝手な咆吼を聴くにつけ、「白人」というのはもともと残忍な人種であったのだと、沙翁の歴史劇からも理解できて、複雑な迷惑感を覚えてしまう。
日本の百二十五代の天皇で、はっきり「殺された」と云いきれるのは、海歿した安徳幼帝を強いて含めて、他に身内に殺された只一人しかいない。島流しに 遭って死んだのが四人、都を平城や吉野へ離れて死んだ天皇、薬殺されたかと疑われた天皇もいはいるが、皇位を争い何かというと倫敦塔へ投げ込んでは陰惨に 殺していた英国皇室史のような乱暴は、少なくも日本には無い、ないし極めて少ない。臣下として皇位をなみしたような蘇我氏や僧道鏡でも、源平北条足利また 織田豊臣徳川でも、皇室には露わには手をかけなかった。天皇同士で戦をしたのは保元の乱の崇徳・後白河だけで、南北朝の頃でも天皇同士が戦陣で戦闘したの ではなかった。
ま、中国でも朝鮮半島でも革命思想を負うた王位王権の熾烈で凄惨な抗争はあったけれど、白人世界史での王権争奪戦は、神の名においてはるかに欲深く陰険で血なまぐさかった。
トランプは、おそらくヒットラーの支配を暗に継ぎたいのではと猜されるが、それにしては知恵も人格も気品にも欠けた行儀の悪い、完成でも知性でも劣りすぎた大統領をアメリカ人は選択してしまったなと。わがこととしても甚だ憂わしい。

* せいぜい、わたしは絵空事の不壊の世界をますます大事にしたい。
2017 1/27 182

* ハテ、わたしは。情けないが旋頭歌のように繰りかえし謂うなら、

尿が出て便出て食えて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし

根本は「食えて」にある。美味しく、噎せず、詰まらせずに食べたい。見た目の色かたちにも嫌悪感ヵ゛先だってしまい、できれば食べまいとする。しかも、 ラチもなく間食し、繰りかえし呑んで居眠りしている。いわば「食鬱」症か。明後日からの湖の本133発送、二月十五日からの選集18発送を終えた下旬ご ろ、鞄を背負い杖をついて、思い切って短い旅でも出来るといいが

* 湯に漬かって、「春琴抄」論を読み。また古典の物語を読んだ。新しく書いてみたい小説の大きな想を、ほぼ掴み得た気がしている。あることを想ってい た、が、乗れなかった。べつのことを想いついた。これは行けるぞと感じた。たくさんたくさん時間と体力が欲しいが、欲深くなってはいけない。
2017 1/28 182

* もう長く書き書け書き続けている長い二篇とはべつに、小味な別の小説一篇がほぼ書き上がっていたことに気づいた。今書いている二作の一つの、いわば露 払いのように先行していたようだ。見失っていた子にはからずも再会した心地だが、そういうふうな仕上がったか、仕上がりそうなもう幾つかの小説が荒削りな 初稿のまま他にも有る。有るモノだなと苦笑いしている。
2017 1/29 182

* 長くはない小説を一作、それなりに仕立て上げた。この近年書き続けているうちの一作を、方法的に導き出してきた、いわばその前を走って、ま、走り終えたという一作である。仕掛かりの長編のためにもこの一作、出来ていてくれた方が良い。そう思って仕上げた。

* もう一作、まるで他に似たどんな作もない変わったふうな未完の小説を、仕上げておこうと、今の仕事のなかへ付け足すことにした。放っておいては残り惜しい、モチーフのつよい作と思えるから。容易い仕事でない。が、仕甲斐がある。小説を書くのはわたしの仕事だ。
2017 2/1 183

* 「私語の刻」のこんな「私語」、誤記・誤打をおそれぬ書きッ放しではあるのだが、それでいて、わたしの日々の意識では、こういう短い感想や雑駁な記録 であれ、「文章」の勉強は十分出来ると自覚している。「文体」という、自身に根をはった「歌わない音楽」をどう養い引きだし奏でるか、こういう場がこれで 貴重なエクササイズになってくる。句読点一つ、音韻の流れ、組み立てを、こういう簡単な行文を通じ、なかば無意識にこころがけて、勉強している。機械打ち の行文のこれは恵みであり励ましにもなっている。「私語の刻」また文藝。勉強の時間である。

* 朝から、もう三時近くまで、たぶん百五十枚まででおさまりそうな小説(仕掛かりの長編とは別作
)に取っ掛かっていて、面白くなってきた。いちばん機嫌のいい折りである。しかし何より眼精疲労は甚だしく目薬をつかい、濡れた綿をつかい、眼鏡をうるさいほど取り換えて、とどのつまり機械の前でお手上げになり休息する。
休息にはそのへんの本へ無差別に手を出すのだから、やはり目はつかってしまう。音楽がいちばんいいのだが。
で、さっきから寺に触れ手に取っていたのが、金版捺し表紙の字も絵もくすんだ漢詩集で。なになに、越山芳川伯爵題詩 清国公使胡大臣題詩の志士必誦 袖珍版「宋 謝畳山 輯」の『千家詩選』で、「日本 四宮憲章 訓」とある。秦の祖父旧蔵の遺品だ。
ちなみに奥付をみると明治四十一年十二月二十五日に東京神田の光風楼書房から初版出版、翌年三月十八日には訂正四版が出て、「定価金五拾銭」百五十頁にやや満たない。
こういう本は、表紙をめくってから目次へ辿り着くまでに盛んに偉い人たちの題詩や揮毫や緒言が十人近く居並ぶ。清国との友好だか交流だか親善の高まって いた時期とみえ、日清一如のていを成していて、しかし、ありがたいことに宋の謝畳山輯に背かず精選編輯された詩はすべて漢詩、和製漢詩は含んでいない。 「志士必誦」の志士に拘泥しなくていいようだ。
巻頭に宋の程明堂「春日偶成」と風雅の作である。

雲淡風軽近午天   雲淡ク風軽シ近午ノ天
傍花随柳過前川   花ニ傍ヒ柳ニ過随ヒ前川ヲ過グ
時人不識予心楽   時人ハ識ラズ予ガ心ノ楽シキヲ
將謂倫閑学少年   マサニ謂ハントス 閑をヌスミテ少年ヲマネブト

一読、なかなか、単なる風雅ではない。むしろ「程子オモヘラク」時節時好を楽しみ思っているものを、時人の蒙、知己ならざるを慨嘆するの気味が濃い。「閑学少年」とは、少年の遊蕩に堕していると。「明堂先生」は宋河南の人である。朱子とともに程朱とならび称された。

* よろしき休憩であったけれど、目は休まらなかった。
秦の祖父鶴吉の遺してくれたこうした漢籍の類が、はるかに立派な大冊までいまもたくさん家に在る。とりわけて『韓非子』を読んで、盗用のマキァベリズムを識ってみたいのだが、時間がねえ。

* 乗りかかった舟かのように、根をつめていた。二枚腰に粘ってでも土俵を割らずに仕遂げたい。

* 十二時が目の前に。よく頑張った、よく思案もした。さ、機械からは離れる。
2017 2/2 183

* あと十日、「選集⑱」送り出し用意に取り組みだした。数は「湖の本」より遙かに少ないが、荷造りの手間は掛かる、というだけでなく手指の痺れているわたしには出来そうになく、すべて妻に托さねば済まないのが、難。
それにしても書架にすでに並んだ『秦 恒平選集』十七巻にさらに十六巻を加えて行くというのだ、ビックリしてしまう。この時節、かつて盛行した作家や批評家の個人全集など、ほとんど聞かなく なった。自力で世に問える作品やエッセイをたっぷり持った作家も批評家も容易には見当たらないらしく、寂しい「日本文学」世代と謂うしかない。リッチを 誇っているのは通俗な読み物・売り物の人ばかりらしく、まことに「寂しい極みの現今日本文学」世代と成り果てているらしい。

* 小説文学の痩せ・貧しさもさりながら、今一つ目立つのは、今日、小林秀雄、河上徹太郎、中村光夫、臼井吉見、唐木順三、福田恆存、山本健吉等々、更に やや時代おくれて活躍した何人かの批評家、論客らに匹敵した批評家も論客も、わたしり目が疎いためか知らないが、まことら貧弱という払底しているかに想わ れる。創作と批評は健全な両輪となり文学という藝術を走らせる。
どうなっているのか、だれか教えて欲しい。上に挙げたような人たちは、批評自体が文学の文章で気品や気概を湛えていた。
今日、たまに目にとどく批評・評論の頁をくると、ただガサツに乱暴で、読む「嬉しさ」よりも「苦痛」を持ち込んでくる。作と作品とはべつものだという機微がまるで分かっていない、らしい。

* いま一つを敢えて謂えば、かつては桑原武夫、吉川幸次郎・吉田精一・森銑三・角田文衛、紅野敏郎と謂った幅広く底深い学匠たちが研究と論攷・批評・行 為の質を高めていた。優れた大勢が亡くなってしまい、いまや色川大吉も梅原猛もあまりに年老いられた。若きカリスマを蓄えた俊秀の名を教えて欲しい。

* 思いがけず懸命の創作になろうとしている、構成や推敲の便を考えていま途中までプリントしている。
2017 2/4 183

* 「かたる」のはラクなようで「文学」として達成するのは容易でない。いまも「源氏物語」「和泉式部(日記)物語」「石清水物語」「椿説弓張月」と、平 安盛期、或いは鎌倉初期かも、そして中世室町時代、近世江戸時代の四つの物語を読んでいて、しみじみとその「文学達成度」の差異を思わずにおれない。確実 に時代を降るにつれて不味くなる。しかもいまわたしは現代平成の「物語」そのものを書き表しつつあるのだず、忸怩たるを免れなくて、恥じ入っている。困 る、困る。

* 今日も、でも、無性にガンバッテいた。もう疲れて疲れ果てた。やすみます。
昨日今日の感激の一つは、政治でも経済でも無い。Dlifeドラマの「NCIS」が泣かせた。同じ一時間ものを昨日観て感動し今日も観て、父と息子との久しい再会と熱い抱擁に涙した。嬉しかった。
2017 2/4 183

☆ <小説を書くということは
物語を作るということ。
物語を作るというのは自分の部屋を作ることに似ている。
部屋をこしらえてそこに人を呼び、そこがまるで自分だけのために用意された場所であるように、相手に感じさせてしまう。それが優れた正しい物語のあり方だと考えます。>

ーある作家の文章を読んでいて、思いがけず「部屋」という言葉に出逢いました。

<相手がその部屋を気に入り、それを自然に受け入れてくれることで自分も救われることになる。なぜなら僕とその相手とは、部屋という媒介を通して、何かを共有することができたから。
それが僕にとって物語の意味であり、小説を書くことの意味です。
物語という部屋の中で僕はなにものにでもなれるし、それはあなたも同じです。それが物語の 力であり、小説の力です。
どこまでが自分の夢で、どこからがほかの誰かの夢なのか、境目が失われてしまうような小説。そういう小説が、僕にとっての「良き小説」の基準です。>

そんな風に言葉は続いています。
別の文では、彼は<希望や喜びを持たない語り手が、我々を囲む厳しい寒さや飢えに対して、恐怖や絶望に対して、どうやって説得力を持ちうるだろう?>とも記しています。

昨夜、湖の本を受け取りました。
まず読み始めた「京の散策」に、「ものがたり」の「もの」とは鬼・霊にこそ通じて> とあるのに頷きつつ、八一さんの声と重なっていくような先の文章を 思い起こしました。「清経入水」「風の奏で」から「冬祭り」へと連なっていくお作の流れも自然と思い合わせられ、興味深く。
立春大吉。明日は雨模様のようですが、月曜には明るい日差しも戻ってくるでしょう。
新作の成りますこと、とても楽しみですが、日々お大切に。

* わたしが作の中の「部屋」で、自在に古人や非在の知己と会話談笑していることを書いたのは岩波「世界」に『最上徳内』を連載し始めたごく最初での発明で あった。上古中国の趙岐も自ら築いた墓室に出入りしては故人と話していたのは識っている。しかし創作と「部屋」とに関わって、わたしが先の連載に「部屋」 を書いたよりも以前、昭和五十七年(一九八二)「世界」十月号よりも以前、三十五年前よりも先だち「作家」である誰かの、上のような発語が著述されていた のなら、寡聞の不明を驚かずにおれない、が、上の読者のメールは、「ある作家」としか書いていない。教えて欲しい。
2017 2/5 183

☆ 先の文章の書き手は
村上春樹です。
「小説を書くということは~」は2001年8月執筆(タイトルは「遠くまで旅する部屋」。
「どこまでが自分の夢で~」は2005年3月27日発表「温かみを醸し出す小説を」。
「希望や喜びを~」は2009年秋発表「物語の善きサイクル」。
何れも『村上春樹 雑文集』2011年1月収録)、
「物語を語るというのは、心の闇の底に~」は、『職業としての小説家』2015年9月です。
村上春樹の「部屋」は、読み手(聞き手)と共有する場として思い描かれています。 九

* 村上春樹はわたしの十四年後に生まれ、わたしの十年後にデビューしている。ふしぎなほど現世の縁のない作家で、何処の國かでしていた演説にだけ、感服した覚えがある。
世紀を隔てて前後していた小説・創作における「部屋」の弁であると分かった。感謝します。
いましも、わたしはわたしの「部屋」で、奇妙のもの語りの入れ替わり入れ替わりつづくのに、聴き入っている。
2017 2/5 183

☆ 「和久傳」節分の掛紙には「福は内・鬼も内」と書いてありました。
メール頂戴しました。ありがとうございます。ご心配頂いた花粉の飛散は、まだのようで…助かってっています。どうぞ、先生もお大事になさって下さいませ。
京の「神楽岡」 神あつまりて遊ぶところ。
今年 今月 今日 今時 神祇官宮主の祝ひまつり…平安宮に、大儺「鬼やらひ」の声が響くころ。
二月二日節分に、先生からの御本が届いて、嬉しくて。
読み始めたら引き込まれ、気が付くと三時間が経っていました。このまま、お休みの一日を楽しく読んで過ごそうとしたのですが…先生への御礼に「追儺」の気分をお伝えしよう、そう思いたちました。
「吉田山には、ときどき神様が降りて来るんだよ。」
母方の祖父は生まれたばかりの私を膝にのせて、話し聞かせたそうですが… 翌年には鬼籍に入ってしまったので、覚えがありません。学生時代を京都で過ごした祖父は、毎朝吉田山中の道を遠回りして通学していたそうです。
山頂の社殿 [ 斎場所 大元宮 ] は、 祭事に限って開かれるとか。茅葺の八角形の本殿に、六角形の後房がついた珍しい形。屋根の上には、方形と円形の勝男木と並んで、宝珠を戴いた露盤がありました。
神仏は習合しているのだなぁと、面白く拝見していると、三人の殿方が後房正面を目指して歩いてこられました。そして静かに一列に並ばれました。それから ゆっくりと謡本を開いて、「神歌」が始まりました。聞き慣れた観世の様ではなく、独特のたゆたう風がありました。本殿から低く漏れ聞こえてくる祝詞と、普 段着のお能。
こんな稀有な機会に恵まれる。京都は、不思議の面白の街です。
「ちはやふる神のひこさの昔より」と謡ったその時、東の方角で鐘が鳴りました。真如堂でしょうか。それとも、くろ谷さん?
お寺の鐘の音を、日に何度も聞くのが京都の日常で す。黄鐘調か、盤渉調か、聞き分けられる耳をもちませんが…何処のお寺の鐘の音も、耳ではなく心に響くので、ただ聴き入るばかりです。
東京の先生のお耳にも、何処かの懐かしいお寺の鐘の音が、蘇りましたなら幸いです。
お身体、くれぐれもおいとい下さいませ。  百   拝
追伸 ———-
今回添付させて頂く写真は、吉田神社の勧請元である春日大社節分會へ以前行った時に写した燈籠です。もう一枚は、疫神祭の時、散供の米が蒔かれる辺りです。
吉田山と神楽岡が、同じ場所を指す言葉だと、京都に来て知りました。
祖父は敬虔なクリスチャンでしたが、神楽岡でたくさんの神様と出逢って楽しんだのだと思います。

* 濃厚に京の風を頬に感じる。よしだじんじゃ、だいげんぐう、しんにょどう、くろだに、かくらおか。 いましも、その界隈を体感しながら奇妙に歪んだ物語を仕上げてやろうと、書き継いでいる。
2017 2/6 183

* 九時半。もうムリが利かない。きのう戴いたいい酒の、瓶にもう少し残ったのを湑みに、階下へ降りたようかと誘惑されてもいる。
昨夜も寝床でたくさん本を読み灯を消したのは、二時半だった。目も胸も躯も休ませないとと思う。起きて何かしている時だけが生きている時間ではない。分かっている。やれやれと首も振っている。
みの数日打ちこんでいる小説、よほど奇妙に怖くなってきた。こういうモノは他に書いたことなかったと思う。夢に見そうだ。
2017 2/6 183

* もうよほど前から金久与市という著者の『古代海部氏の系図』という本も読みつづけてきた。
太古からの「海・水」の民を想う思いは私の大方の小説世界に浸透している。ことを日本という世界に囲ったうえでいえば、国宝に指定されてある「祝部氏系 図」はほとんど「神代」とも連袂した幽邃の歴史を、他の、類似のいかなる文献資料よりも遠く古くから微妙に証言しており、古事記や日本書紀世界を謂わば分 数式の分子とみるならこれは不動の分母に位置している、と、それがわたしの理解であって、そのためにも上に挙げた金久氏の著は、身震いがするほど興味深く 多くを教われる。

* 上の『無門關』また『古代海部(あまべ)氏の系図』らはこの後も「私語の刻」へ何度も登場して貰うだろう。
2017 2/7 183

* 京恋しさが乗り移ってか、「京の散策」三度目、喜寿の歳であった「2005年分」も、幸い反響が好い。日録「私語の刻」の私語を抜き出したに過ぎないが、一年を通じて柔らかに主題を追ってのエッセイに成っていようとは、むしろ心がけてきたこと。
2017 2/7 183

* 「選集⑱」送り出しの用意は半ば出来た。あと二日も要すればいつ納品されても送り出せるだろう、納品は十五日。いま精出して初校しているのは「選集⑳」で、その次巻ももう初校が出てきている。

* 仕掛かりの小説、じりじりとクライマクスへ動いている。こんな小説を書くのかと大方睨まれそうな異色作だが、ま、いいでしょうよ。仕上げを待っている 小説が、長い短いあわせると少なくも五作ある。その二つが旧作、三つが新作。それでいて、別の新しいモノも書き起こそうかと思いかけている。宜しくない傾 向かも知れない。
2017 2/7 183

* 「百尺竿頭、一歩を進む」とはよく聞きもまた云いもする。行くところまで行ってさらにその先へどう進むか進んでいるのかと自問したり他を批評したていていりしている。
しかしこの一句の出と把握とはそんな自問や批評を絶対的に超えていて、その真意を聴くだけでも容易でない。『無門關』第四十六則「竿頭進歩」には、こう有る。

石霜和尚云(いは)く、「百尺竿頭、如何(いかん)が歩を進めん」。又た古徳云く、「百尺竿頭に坐する底(てい)の人、得入(とくにう)すと雖然(いへど)も未だ真と為さず。百尺竿頭、須(すべか)らく歩を進めて十方世界に全身を現ずべし」。
無門曰く、
「歩を進め得、身を翻(ひるがへ)し得ば、更に
何れの処を嫌つてか尊と称せざる。
是の如くなりと然雖(いへど)も、且(しばら)く道(い)へ、
百尺竿頭、如何(いかん)が歩を進めん。嗄(さ)」。
頌(じゅ)に曰く
頂門の眼(まなこ)を瞎却(かっきゃく)して、
錯つて定盤星(じょうばんじょう)を認む。
身を拌(す)て能く命を捨て、一盲衆盲を引く。

文字列を読んで行くのが精一杯と、降参する。
訳注の西村恵信師はこう読まれている。

☆ 石霜和尚が言われた、「百尺の竿頭に在るとき、どのようにしてさらに一歩を奨めるか。」
また古徳が言われた、「百尺竿頭に坐り込んでいるような人は、一応そこまでは行けたとしても、まだそれが真実というわけではない。百尺竿頭らそらに歩を進めて、あらゆる世界において自己の全体を発露しなくてはならない」と。
無門は言う、
「一歩を進めることができ、世界のただ中に身を現じることができたならば、
ここは場所がよくないから、尊しとはいえないなどという処がどうしてあり得よう。
そうはいうものの、一体どのようにして百尺竿頭から歩を進めるのか、
言ってみるがいい。さッ」
頌(うた)って言う、
頂門の眼を失えば、
無用のものに眼がくらむ。
身を投げ命を捨ててこそ、
衆生を導く人ならん。

* 「定盤星」は、天秤の竿の起点にある星印で、モノの軽重に関わらないムダ目を云う。

* こんな手引きに手を預けて終えていては、しかし何事ともならぬまま、言葉にのみ躓いてしまう。わたしはそう感じている、目下は。そしてたとえ「百尺竿頭」にいま在ろうとも、在ること自体が大きな躓きであると、も。
2017 2/8 183

* 視野にじんで目の具合ひとしお宜しくなく、七つもあるどの眼鏡も使えず、裸眼でいる。

* なぜかズシーンと沈んだように気も身も重い。組み合っている作が陽気でないからかも。十時半に成らないが、もう寝床へ行って本を読もう。校正をしよ う。トランプもそのワンワンもいやなら、豊洲も築地も石原もドンとやらも堪らない。堪らない。だれかわたしを空飛ぶ絨毯へ攫ってくれないかな。

* 黒いマゴに逢いたい。
2017 2/8 183

* 百尺竿頭と、昨日私語したが、顧みればまだどれほど先のことやら、想うだに可笑しい。ましてその先へ「一歩」踏み出す・出せるなど臆病で力無い者は夢にも見ようがない。
2017 2/9 183

* このところ組み付いている小説が、みごと爆発してほしい芯の場面の目前へ逼迫している。さして長くはならず、無駄なく引き締めたいが。
2017 2/9 183

* おっ師匠(しょ)ハン やっぱり手紙も呉れた。
先日送ったわたしの『もらひ子』を読んだらしい。
子供の頃、自分が「もらひ子」であり、じつはあの子も「もらひ子」と初めて知った一人が、此のおっ師匠(しょ)ハン  だった。五年生か、六年生よりまえであったろう、突如、キリッとして顔も身なりも綺麗な女の子が隣の組へ転入してきた。敗戦して二年と経ってなかったの で、学校中に戦災や引揚げの転入生は溢れてたのだが、その子は、驚いたことにわたしの叔母、むろん血縁のない叔母といたって仲良しの小母さんの「もらひ 子」だった。叔母と小母さんは幾世代も大昔からのわれらが共通母校の卒業生・同級生同士、まさしく近い親戚のように感じていた家へまるで降って湧いた「も らひ子」であったのだ。
わたしは生まれて初めて、「もらひ子」という身上や心情を分かちあっているらしき美少女を識り、率直に動揺も同情もし、血縁なんか問題にならない一と組 の従兄妹同士の気がした。「もらひ子」には「血縁」とは奪い取られたものと小さいわたしは思っていたから、この「従兄妹同士」には、わたし一人が勝手な想 像で思い込みであれ、ある種「同盟」感覚が通っていた。わたしに小説というモノを、それも「もらひ子」小説を書かせた一つの「動力」かのように此の「おっ師匠(しょ)ハン」はけっこうに「機能して」いたとも謂えようか。「おっ師匠(しょ)ハン」とは、昔から若柳だか藤間だかの舞踊の先生をしていて、今でもそうであるらしい。
とはいえ、この若き日々のおっ師匠(しょ)ハンの先行きは、わたしとまた天地ほど、北と南ほど懸け離れていて、およそわたしが東京へ出てこのかた六十年近く、消息もふっつり絶えていた。
それが、ふうッと、便りがきたのだ、此のわが家へ。ああ、もうはや「小説世界」へ入っているかと惘れるほどであるが、懐かしくもある。向こうもとても懐 かしいらしい。呉れた菓子の「梅の壺」を追っかけてきた比較的長い手紙も、まぎれなく「もらひ子」であった運命に殉じて触れてあり、しかも交々の物思いに 今も悩まされているという風情を籠めている。妻もわたしものけぞったほど不思議な事実も語られていた、「この手紙笑わずに読んで下さい。思ったままに書き ました。」と結んである。だが文面を此処に披露はしないでおく。

* 十時半、もう限界。字も、強い照明を当てながらただもう手探りでキイを探している。もうダメ。しかし今日はよく頑張った。諦めずに、粘った。初稿でこ そあれ、初稿からも書き殴りはしない。句読点の位置にも繰りかえし神経をつかい、目で読み、口でも読み、目を閉じてでさえ読む。日記とはちがうが、日記で も深切にと気は遣っている。

* びっしりと水に浸かったほどに疲れた。こんなでは、病院ででもないと、着替えて家の外へなど半歩も出られない。着替えるのがむかしから面倒な人である、わたしは。
疲れました。階下へ行ってや すみます。朝寝も、出来るとき休まるときは、強いて起き急がない。けど、寝る前の読書はムリにも読みたい。読まねば惜しい本があまりに家中に満ちてあるの だ、角川の「新修日本絵巻物全集」の充実した月報32巻を束ねて持ち出した。「日本の中世風景」を四人の研究者が衆議検討している中公新書上下巻にもまた 惹かれて持ち出した。読めるうちだ。読めるうちだ。読めるうちだ。
2017 2/9 183

* まるで眠れなかった。夜中二度も灯りをつけ、校正し、「為朝」を読んだ。灯を消すと書きかけの小説のことが目の奥で渦巻いた。
2017 2/10 183

* 「異様」な作、じりッと前へ進んだ。さ、もう逃げ隠れできない大山場へかちっと脚を掛けねばならない。山が崩れてはならない、崩れないと限らない。踏ん張りたい。

* いちばんの長編、しかもほとんど仕上がっているのにうかと手放せないのが、『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』で、まちがいなく幾昔か前なら発禁で裁判 所へ送り込まれかねないこと。三部校正になっていて一部は。いや、打ち明けていいことでない、小説のためには。もっとも吹っ切れないのは二部にあたるとこ ろ、すべて「あのひと」としか呼べない無数の「あのひと」を妄想して妄想の極みを歌い尽くした百数十もの性欲・性愛の「短歌集」に出来ている。作家として 読者や知己を一挙に喪うそれは愚劣な暴挙であるのかも知れないが、表現と想像との限りを尽くしてある。それだけに見る人は何を勝手気ままに思われるかしれ ず、そんなことは文学であれ他の芸術であれ「お断りします」とは言えない。手が後ろに回りかねないのは作者著者だけなのである。しかも作者のわたしは微塵 も「猥褻」などという言葉に拘泥していない、そんな概念は無いと見切って表現している。しかし「世の中」は簡単ではないと承知もしていて、だから踏み出さ ないでいる。書いたのは徹して「性」であり「性愛」である。文学の作者として歩んできて、「書く」ときめそして「書いた」のである。
そして第三部がいちばん長い。三部を通して選集の厚めの一巻にほぼ当たっていよう。「選集」なら非売の限定出版ということで、本に出来る。「湖の本」では、きかえって久しい読者に厭悪・嫌悪で背かれてしまうかも知れぬ。「遺作」にしておいても、棄てるよりは好い。

* 『清水坂(仮題)』は面白い物語に纏まると、纏めたいと思って粘っている。筋も筋だが物語るという述懐の文学的な質をだいじに考え、ひしと抱えている。

* 中断している『初稿・雲居寺跡』は、現状の中断でも、それなりにトルソのような生気は持てているが、さらに「いい恰好」でおさまるなら、ぜひ収めたいものと思案も勉し強もしているところ。

* いま、もう一つ。これは、見ようでは、いちばん先に問題視した『ユニオ・ミスティカ』という長編をわたしの身内から引き擦り出してきたともいえる「題未定」の一作が、もう書き上がっている。軽くて俗な新しいスタイルで通せてあると謂うてもよい。

* そしてこのところ十日ほどもウンウンと書きコミ続けてきた新作は、異様なものに纏まるだろう、異様なら異様でシッカリ異様に纏めねばならないと、今日もウウ、ウウ唸っていた。

* 九時。疲れた。昨夜「小説」に搗き混ぜられあまりに眠れず閉口した。からだはへとへとに懈いが創作欲はダレていない。が、もう休まないと。
2017 2/10 183

* ちょっと願い事があり、当今國文学関係で有力な出版社を人に尋ねたら、大学等の文系にたいする政治的な圧迫や軽視の影響であろうか、たとえば有精堂出 版のように曾てはいい仕事をしてくれていた会社が倒産したり、また縮小分散した会社も廃刊になっている著名だった雑誌もありますと教えてくれた。
思わず天を仰ぐ、が。
だが、また文系学の退潮や被差別事情は、一つには関係してきた文系知識人や学者・研究者また文藝団体等の能力や見識や矜持が情けなく衰えているからで、 自業自得とさえわたしは眺めている。作家・批評家にも、自分たちの仕事を、稼ぎに換算こそすれ、日本の文化を担おうという高邁な自負がのほほんと磨滅して いる。
「いま、どこにいるの? 文豪」と、かつてわたしは嗤った、むろんわたしなりの自己批判であり自覚だった。まこと、漱石も志賀も谷崎も川端も三島も秋声 も鏡花も、みな地を払って、代われる者が文藝家協会にもペンクラブにも見当たらない。情けなくて、そんな「騒壇」の外へわたしは身を置いた。
「云々」も読めない総理の政治や追随者らが、文系は金儲けの役に立たないと邪魔にするのは、あるいは理の当然。
いい政治に必須は、「国語」教育こそと柳田国男の往年の憂慮がはっきれ現実になっている。国語の先生がたはなにを思って教壇に立っているのか、聞きたい。
わたしは、売るために売れるものを、など書いてこなかった。心ゆく作が書きたかった。書こうとしている、力不足でも苦悶しながら、昨日も今日も。

* 昨夜はよく眠っていた、ただしずうっと頑固に「一つ」と思える同じような夢ばかり見ていた。夢は疲れる、みな妄想なんだ。
2017 2/11 183

☆ 文化。藝術は
「果実よりは花」、「する」ことより「である」ことに価値があると言ったのは、丸山眞男でしたね。
政治や経済は「果実」(結果)が全てで、政治家が「無為」であることは「無能」に等しいが、学者や藝術家は業績(の数)や効用は問題でなく静閑にも意味がある、とも。
現代日本に最も必要なのは、ラディカルな精神的貴族主義とラディカルな民主主義が内面的に結びつくことだと、既に五十年も前に訴えてられていたことを、改めて今、思い起こしています。  九

* わたしはこのように概念的で観念的な、それも人の言葉で自身を語るよりも、別の奮起をこそ若い人に、むろん老耄の自身に対しても、望んでいる。
いま、人の言葉に信を寄せて「無門關」に応じるのなら、わたしはあの宮澤賢治の「雨にも負ケズ」の詩を突き出したい。禅の一字をもっとも静謐に堅固に悟り得ている。  2017 2/11 183

* もう少し、少しだけで一編の小説が終えて好いのだ、だが、息をのんだまま堪えて堪えて、待つ。待っている。

* 今日晩の七時、百枚近い書き下ろし新しい小説を少なくも初稿脱稿した。此の作をいつ書き始めていたか、俄には日付ようの書留めが見当たらないが、「枕 草子現代語訳」を草稿の用紙裏を利して手書き稿が残っている。最初の機械稿は、初めて「最上徳内」連載途中から購入使用した「二行」ワープロで出来てい る。「枕」現代語訳が学研から出たのは昭和五十五年(一九八○)二月のこと、「徳内」連載は今少し以前のことと思い出される。何に しても、三十年前後の昔に書き起こし、半ばで棚上げになっていた作と想う、しかも棄てきれないでワープロ稿もその後を画策し構想したメモの類がたくさん 残っていたのを活かしながら今回は仕上げたいと踏ん張った。わたしの創作としては桁外れに異色かも知れない。
とにかく、問題はこれからの徹底推敲で左右される。出来るか、棄ててしまうのか。この先のことだ。「題」は替えるかどうかも推敲次第、原稿題は『蒼い雛』としてある。 2017 2/12 183

* 明後日からの「選集第十八巻」送り出しに備え、とに書くも受け入れて積み上げるため玄関先を片づけた。西隣棟へも幾らか保管できる場所を用意してき た。腰がきつく痛むが、直前にチオビタを一本飲んでおいたのが、すこしは効いたか。西隣はちいさい家一軒分がほとんどすき間無く物置き(本と資料)に成り 果てている。
わずかなすき間に坐り込んで古い資料を見始めると時間が流れ去る。
断乎見もせず棄ててしまえば畾地(らいち・余地・田畑の空き地)が出来るのだが。
昭和三十四年(一九五九)三月いらいの例えば郵便物が以降少なくも去年までほぼ一通も余さず保管してある。私史年譜資料として惜しい私信や記録もあれば、著名人肉筆の来翰来信もある。六十年分近いそれらをせめて五分の一に処分できても畾地はよほど拡がる。
湖の本三十余年分の記録や書簡や読者カードを躊躇無く捨て去れば広い場所が空いてくれよう、しかし惜しんで思いの残る来信をだけでもと想うと選別はたいへんな労作になり、しかもわたし自身の目や思いを注がねばならない。「湖 の本」は稀有の事業であるだけに、出版史てきに関心を持たれて当たり前なのだが、とかくこの仕事は文壇的・出版業的には、とんでもない例外として「無視し ておこう」ということになっているとも洩れ聞いている。そうではない有り難い声や言葉もたくさん寄ってきている、今も、むろん。

* とにかくも、まともに家の中で「安座」がしたいと、いつも苦笑している。三百坪もの家屋敷で育ってきた妻に、このぶんでは生涯六畳間より広い部屋で暮らさせずじまいに済んでしまう、申し訳ないと思っている。
2017 2/13 183

* ほんとうに、妻もふと思い立って一緒に出てくれれば、一泊の旅ぐらいは出来ると思うのだが、妻の健康のことも配慮しなくてはいけない。ま、それでも、気の晴れる気を晴らすことは大切と、しみじみ感じてはいる。
新婚のすぐ二、三ヶ月後には、霞ヶ浦を舟で潮来へ渡ったのが懐かしい。
「冬祭り」で描いた鞍馬の火祭、比良のケーブルも、妻と二人だけの旅だった。
名古屋のボストン美術展や熱田神宮へ行ったのも、水戸の偕楽園や袋田の四度の瀧へも、仙台松嶋へも、足利の藤見へも、みな、ふっと思い立ち二人でふいと電車に乗ったものだ。
旅は、やはり劇場での観劇の楽しみと、また味わいが格別にちがう。
前から、いちど、銚子のトンガッタ岬へ立ってみたかったが時間が掛かりそう、全く不案内だし。大きな都会だとなんとか宿もあるだうが。
小説も書きたくて新潟県の村上へも久しく願を掛けてきたが。
なににしても今時、雪國へ向く手はなかろう。
2017 2/13 183

* しんそこ楽しめるような洋物の映画盤が欲しいが、最近テレビが見せる映画は、かつて観たものか、ヤケに凝って辛気くさいのばかり。
バート・ランカスターらの「オペラ座の怪人」などもう一度見たいが、昔に録画したテープはもう機械が写してくれない。板に直して貰うには一枚千円かかっ てしまう。やれやれ自慢のコレクト二百ほどがムダに場所塞ぎになっている。「オペラ座の怪人」のクライマックスで歌われるグノーのフアウスト絶唱が聴きた いな。「椿姫」の一幕もいいが、アトへ行くと可哀想で。「シェルブールの雨傘」も懐かしい。記憶がうすれボヤケてくると、好きな洋画ベストはとても10で は選べない、漠然とせめて30作位を順不同に挙げるしかない。正確に題も覚えていない、あの俳優の女優の監督のということになってしまう。
イングリット・バーグマン、エリザベス・テーラー、ソフィア・ローレン、キム・ノバク、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、キャサリン・ヘプ バーン、スーザン・ヘイワード、モーリン・オハラ、デボラ・カー、ジャクリーヌ・ビセット、キャンディス・バーゲン、ナタリー・ウッド、ジョーン・フォン テイン、ブリジット・バルドー、ケイト・ウンスレット、アン・アーチャー、アン・バクスター、アニタ・エクバーグ、アリダ・バリ、ジュリー・アンドリュー ス、ジュリア・ロバーツ、ジャネット・リー、ドリス・デイ、ジェーン・フォンダ、ミシェル・モルガン、ジャンヌ・モロー、ピア・アンジェリ、ローレン・バ コール、アンディ・ディキンソン、ミア・フアロー、ミレーヌ・ドモンジョ、リタ・ヘイワース、ジョディ・ヤング、ベティ・デイビス、シモーヌ・シニョレ、 グレタ・ガルボ、ソフィ・マルソー、ナスターシャ・キンスキー、アヌーク・エーメ、マリア・シェル、マレーネ・デイートリヒ、マーガレット・オブライエ ン、マージ・ヘルゲンバーガー、エリザベス・シュー、バーバラ・ストライサンド、ジューン・アリスンーーーー。
以前はこの倍ほどは名を覚えていたが。
とにかくも忘れやすくなった今でこそ、わたしは「数える」ことに気を入れている。ルグスリをさして、50数えるのに、神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝 安、孝霊、孝元、開化、崇神、垂仁、景行、成務、仲哀、応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略、清寧、顕宗、仁賢、武烈、継体、安閑、宣化欽明、敏 達、用明、崇峻、推古、舒明、皇極、孝徳、斉明、天智、弘文、天武、持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳、光仁、桓武天皇まで五十代天皇を数 え挙げることにしている。一から五十を数える単調さより、ともあれ歴史の影を念頭に感知できている興味は捨てがたい。歌うように口に出来るのが面白い。
眠れないときは百人一首の和歌か歌人かを、時には双方揃えて思い出して行き、ま、八十ほどには達して、それで眠れるときと目が冴えてしまうときと、ある。
たった四十七人なのに赤穂義士の姓名は二十人ぐらいしか覚えられない。
ほかには、般若心経。ほぼ辿り読めるが間をおくと忘れる。いま完璧なのは歴代天皇の一二五代で、これは平成から神武まで逆にも正確に辿れる。

* あーあ、時間つぶししてしまい、十一時半になってしまった。今日も、猫たちの家の上やそばへへとんできて餌を食べている鵯、目白を何度も何度も見て楽しんでいた。
2017 2/13 183

* ワインをのむと、とろりんと酔いが早く睡くなる。そんなとき校正ゲラをもって床へ行き、坐ったまま校正し始めるとすぐシャンとする。『昭和初年の谷崎 潤一郎』のおもしろいこと、こけを通読しているとこの時期の「痴人の愛」「蓼喰ふ虫」「乱菊物語」「吉野葛」「盲目物語」「武州公秘話」「蘆刈」「春琴 抄」から「猫と庄造と二人のをんな」のまで全部を同時に読んでいるくらいに面白い。

* しばらく少し気楽にさせて貰えたが、もう明日からはそうは行かぬ。仕事の大波が次々に寄せてくる。むろん搦め手の雑用があるが、雑用こそが促進剤であり意外に大事でぜったいに省けないのだ。
2017 2/14 183

☆ いわふね せなみ
大化の頃、越國に置かれたとある【磐舟柵】は、『紀記』『続日本記』にみえるそうですが… 白鳳には、もうみえなくなるとか。
【磐舟柵】は、新潟県村上市北西の港町岩船にある『石船神社』境内に在ったともされて、石碑が立っていました。並んで『奥の細道』の句碑もあったような気がするのですが… うろ憶えです。
物部と罔象、能の檜垣もからんで、此の世と此の世ならぬところが交錯する感じがして、その場に長く居ることも、もう一度訪ねることもできない場所でした。
先生、メール頂戴しました。ありがとうございます。
先生の文章を拝読すると、様々なモノ・コトが枝葉のように広がって行きます。もう四十五年近くも前のことを、たった今、其処に居るように感じて、様々に蘇るものがありました。
高校に入学してすぐの頃、下宿から車で十五分ほど離れた『石船神社』に連れて行ってもらいました。
誰が【磐舟】に乗ってやって来たのか? もしくは【磐舟】に乗せて逝かせたのか? それとも又、それらは思いや願いに過ぎないのか?
あまりにも多くの、渦巻くモノやコトが見えるような、聞こえるような気がして… その場に長く居られず… 連れて帰ってもらいました。
村上高校に通った三年間、すぐ近くに暮らしながら、もう一度行ってみたいと思いながら、【磐舟】を再度訪ねることは出来ませんでした。
下宿先は羽黒山の麓で、御神体の山の中腹には【西奈彌羽黒神社】の社殿がありました。毎日ではありませんでしたが、社殿に続く参道の階段を数え切れないほど上り下りしたので、その時吸ったり吐いたりした空気の喉を通る記臆は消えません。
創建は、持統元年。現在「臥牛山」とも「お城山」とも呼ばれる山中に元あったものを、寛永に遷座させたものと聞きました。緑深く連なる隣の峯への遷宮は、社殿を見下ろすのが畏れ多いとの理由からと聞きましたが… 神籬の、美しい山の頂を傷つけて、城という人の棲家を建てておきながら、合わない理屈と、子供ながらに思いました。でも黙っていました。
その遷座を祝って、寛永に始められたのが村上大祭と聞いております。
初めて祭を見た時、笛も鉦も鼓の音も、歌う声も何もかも、海の人の祀りだと感じたのを覚えています。
京都の祇園囃子は、神幸祭と還幸祭で調子が違っていますが… 村上の海人の祭は、それとは違う「なにか」があるように感じます。
それは、今はまだ、私には解りません。解らないから京都に居るのかもしれません。
昨夏、『伯牙山』の町内で聞こえて来た声が耳から離れずにいます。
「悪さしたりするモンや、困ったりする基(もと)んところを、どっか余所へ行ってもらうんやのうて、キツうに追い出すっていうんやのうて、なんていうんかな、おさまる所へおさまってもろうて、なんとかあんじょうにやってこ、な。そんなんが鎮めること違う?」
「鎮める」を探して「鎮め方」をまだ見つけられなくて、京都に居るのかもしれません。
長々と失礼いたしました。
思いつくままに、書き散らしてしまいました。
今回添えた写真は、凍てつく雪の朝も、裸足に草鞋履きで托鉢に出かける『大徳寺僧堂』の雲水の姿です。
冷え込む日が、まだ続いてゆくそうです。
どうぞ、お大切になさって下さいませ。 京・鷹峯   百

* これは思惟の輪を重ねたかのように、わたしの越後へ寄せてきた関心に響き合う。わたしの書きたいな書けるのではと願っていたのは、「百」さんの体験し た世界とはなはだ似通いつつ、時代は降っている。が、つよい刺激を受けた。そしてわたしはわたしの「鎮め方」を凝視しなくてはならない。感謝します。
2017 2/14 183

☆ お元気ですか。
あっという間にお正月が過ぎ、1月のスケジュールを終えて、ほっとしたとたんに寒くなって風邪を引いてしまいました。まだすっきりしませんが、今日は街なかへ行き、用件を終え、お菓子を色々と送りました、楽しんで下さい。
湖の本-なつかしく楽しんで居ります。
今日は先日の雪の写真を送ります、わが家の近くでは小鳥が元気に歌って居ります、早く温かくなってほしいな!と思いつつ、無理をせずにお元気でと。  京・北日吉   華

* 感謝。
写真は、渋谷通り坂の途中、小松谷正林寺總門を見入れての雪景と想われる。懐かしい。お寺というと、不思議に「門」に惹かれる。漱石に『門』という秀作がある。禅の『無門關』も在る。
この辺、小松谷というように小松の大臣、平重盛の邸宅があったところで、墓もこの正林寺に在ると思う。いわゆる六波羅の東南極を固めていた。渋谷坂を越 えればそのまま山科へ、近江へ抜けて出られる。つまり都へ入っても来れる。『冬祭り』終焉の場の歌の中山清閑寺は京と山科の境に位置している。
わたしが京都幼稚園へ園のバスで通っていた頃、(真珠湾奇襲・開戦の年だ、)昼御飯をみなでこの正林寺門内で食べたある日、給食に煮た茄子が入ってい て、どうしても「イヤ」、どうしても「食べなさい」で、先生付きで独り境内に残され、大泣きしながら、ぐちゃぐちゃのを嚥み込んだ思い出がある。あれ以来 今日まで煮た茄子をゼッタイに食わなかったが、やはり家では母に口へ押し込まれ嚥み込まされた思い出がある。
さようにもわたしは茄子の煮たのが大っ嫌い。しかし茄子の生っているあの姿形も紫紺の美しさもまた花の優しさも大好きなのであります。茄子は天麩羅でもダメ、漬け物は食べます。
ついでながら、南瓜を煮たのも大嫌いだった。戦時中の代用食で飯にも混ぜて炊かれたが、茄子ほどでなくても辟易した。空腹でも食い気が湧かなかった。そ れが、この二十年ぐらいは薄く切って天麩羅になって出ると甘みを味わえるようになった。青唐辛子も牛蒡もかろうじて噛めるようになった。人参にはいまも手 が出ない。「ずいき」という、なにものだか分からない奇妙な食い物にも辟易した。
ちなみに、茄子喰い大泣きのあの日、同じ幼稚園児で同じその場にいた我が家の真向かいの女の子に「アホや」と嗤われた、嫌いなものが出たら(何と謂うたか)「エプロン」だかのポケットに突っ込んで帰ったら「ええのや」と。そういう知恵も勇気も持ち合わさなかった。
も一つちなみに、この正林寺の界隈、いま書いている小説で使っていて、見確かめにゆきたいのだが、情けない。

* 美学の後輩で京都暮らしの人が、上品な京の干菓子やお香や、わたしにはまさしく故郷・地元「祇園界隈」のいろんな情報を送ってきてくれた。ありがとう。

* 京都へ行かずとも、ただ思い出しながらあれこれ書いていったら、上のような思い出や関連の感想で、すぐに本の何冊も書けてしまいそう。「人」も交ぜて書いていったら、おのづから小説に成って行くだろう、だがもうそんな暢気な残年は恵まれまい。

* さ、明日には幾らか送り出せるだろうか。
2017 2/15 183

* 歌集『亂聲(らんじゃう)』をほぼ編み終えている。
2017 2/16 183

* 「和泉式部日記」を興趣に魅されて読み終えた。和する歌「和歌」相聞贈答のおもしろさのなかで、愛にむ満たされた女の「つれづれ」に逆らいまた靡いて実存的な侘びの深みに静かに身も心も沈めてゆく。その雅びのせつなさ、また強さに惹きこまれた。
2017 2/17 183

* 江戸時代「人間・人物」研究で精到いたらざる無き大学者は森銑三先生に真っ先にだれもが指を折る。その「森銑三著作集」全十三巻はわたしのもっも愛読してきた大森林にも似た宝庫で、いまこの機械から立つだけで手の届く書架に並んでいる。
昨日から、その著作集の充実した月報を一纏めに括りだしたのを、読み出した。大勢の人が森先生に触れてさまざまに語られており、それはそれでかけがえ無く貴重な読み物を成している。
森銑三先生とは、わたしが「世界」に『最上徳内』を連載し始めたら、早速にお手紙を下さり励まして下さった。どんなに力を得たか、森銑三を識った程の人 なら、それが大変な後押しであったと直ぐ判って下さるだろう。その頃森先生は入院されていて、早稲田で講義を聴いていたという小林保治教授とお見舞いに上 がり、病室で、元気なお声でのお話しを多々お聴きできたのを思い出す。その後も、ご著書をどんどんと送って下さった。「徳内」を書いて良かったなあとしみ じみ今も思う。
似た思いをわたしは幸せなことに、『花と風』で荻原井泉水さん、『谷崎論』で野村尚吾さん、『日本を読む』で下村寅太郎先生等々、数え切れないほど大勢 の大先達から声を掛けてきて頂いた。まさにみな大先達であったことが、わたしの名誉であり、しかしつぎつぎに亡くなられていってわたしは寂しい思いに耐え ねばならなかった。
できれば、きちんと書き残しおきたいと、願っている。
2017 2/19 183

* この多忙と疲労と弱い視力とで、ダラシないほど多彩に読書しているとときに呆れてくる人もいるが。
読みはじめた「森銑三著作集」月報の①で、随筆家相磯凌霜氏が「荷風先生と森さん」の題で書かれている中に、森先生が尊敬されていた永井荷風の言葉として、こう挙げておられる。
「相磯君、無駄な本を読まなくては、いけないよ、必要な時だけに読む本は後に何も残らないからね」と。仰天し卒倒してしまうこれぞ金言・至言で、わたし が久しい人生で胸に蓄えていながら卓的に言いきれなかった「実感・核心」そのものであった。これの分かってないような人の仕事は薄くて浅い。荷風はこうも 言ったそうだ、「今の大学の先生なんか、案外無学の人が多い様だね。其処へ比べると、森(銑三)さんの様な人が本当の学者と言ふんだよ」と。森先生は、荷 風の偏奇館時代からしばしば荷風を其の研究の成果で「嬉ばせ」ておられた、とも。
「無駄な本を読まなくては、いけないよ、必要な時だけに読む本は後に何も残らないからね」
いわゆる「研究」と自称しているらしき学者のやたらバラ撒かれてある「試論」の薄さは、荷風の言によって性根の安直と不勉強を衝かれている。なによりもそういうシロモノには即ち「文藝」の魅力・滋味・筆力が欠けている。必要しか必要としない薄味はすぐに乾いて行く。
2017 2/20 183

* 色川大吉先生、島津忠夫さんのご遺族、また早稲田の図書館、昭和女子大図書館からも、「選集⑱巻」受領のご挨拶が届いている。
凸版からは、早々、請求書が届いている。1,771,200円。大体、限定150部より心持ち著者用に多めに製本しているが、いつも、これほど、ないし やや多くを製作費として支払っている。現金など遺しても仕方がない。「本」は、わたしと妻との、文字どおり「紙碑」「紙の墓」であり、それとても年々歳々 朽ちて失せて行く。笑える。 2017 2/21 183

☆ いつも
お心づかいをいただき恐縮し感謝いたしております。
小説(=仮題「清水坂」)が進んでいますこと、期待と喜びでいっぱいです。「先生が大変な状態で執筆されている」と感じつつ、早く完成された作品を読みたいと願っている自分です。すみません。
ご健康 心よりお祈り致します。  今治市 元図書館長  木村年孝

* この木村さんのお住まいがある四国へ実地に渡ってこないと、十分でないと分かっているので、とても苦しい思いを抱いたままジリジリと物語を組み立てている。
2017 2/24 183

* 「湖の本135」にすぐにも持ち出せる用意を終えた。書き下ろしの短編小説二篇(仕掛かって煮つめている長編ではない。)と、エッセイとで。「134」の出来を確かめながら、「135」も起動に載せたい。
「選集題十九巻」はすでに責了していて、おそらくいつでももう製本可能にまで用意されていると思う。そのあとの「第二十・二十一巻」は二巻相伴っていて、校正には当分かかる。仕上がるモノは躊躇わず仕上げておき、次との間は空いても、着々と「選集」は仕上げていきたい。
あと十五巻を予定していて、所収内容は溢れるほど確保しており、さらに新作も仕上がって行くだろうが、流石に資金的にはもう十五巻分にキリキリ一杯届くか、一、二巻分は不足してくるかと。
ま、そんなことは気にしない。成るようになる。ただ内容本位に、シッカリ充実した「秦 恒平選集」にしたい。健康でさえあれば、確実に出来る。要は、「質実」相伴って小説もエッセイ・評論も優れて「文学」たり得るかどうかだけ、他にものさしは無い。
2017 2/25 183

* 「水甕」という大きな短歌結社が臨時増刊で「五十年史」を出したのは、昭和三十八年(一九六三)五月だった。わたしはもう東京で、勤めながら独りで小説を書き始めていた。
その四百数十頁もの分厚い雑誌に、386人の「水甕人自選歌」も掲載されていて、作者五十音順と思われる一等最初に、「給田みどり」の名のあるのには、 これまでも何度も目をとめてきた。五十音のトップであるからは、「きゅうた・みどり」ではない、姓は「あいた」と読まれているのだ。
わたしの中学時代の、また、亡くなられるまでもわたしの懐かしい恩師であった「きゅうた・みどり」先生は、たしかに歌を詠まれ、当然にもわたしの短歌に つよい後押しをして下さった。尾上柴舟門の「水甕」に加わっておられたかは知らないのだ、が、いかにもという印象はある。
で、今回は掲載十首を丁寧に読み返し、まちがいないあの「きゅうた」先生だと確信した。
もともと「あいた」と苗字を読むのが本来で、しかし戦後の新制の栄中学では、だれにも分かりよく「きゅうた・みどり」先生で通されていたのだろう、他の先生方も例外なく「きゅうた先生」と呼んでおられた。生徒にも慕われて、ほんとうに優しいいい先生だった。

* ここまで書いて急に先を書くのが惜しくなった。べつに、新ためてていねいに一編の私小説なりエッセイなりに仕立てられる、そう催すちからが湧いてきた。
この「私語」は、文藝連鎖にもと心がけてきたので、ここから出発して別作として書き進めたらと感じたり思ったりした例・箇所は沢山ある。その可能性を実 感していながら、つい、そのまま通過していた。それでいいとも思っていた。わたしのこれらの「私語」を或る程度の分類に応じて、只、並べただけの例えば 「京の散策」や「詩歌断想」や「文学を読む」や「ペンと政治」などがそれなりに読者の皆さんに許容されてきたのも、断片の発語なりに文藝という意思や意欲 を持ち続けてきたからだろうと、ま、思っている。
わたしの「内」に、書かれて膨れようとしている酵母のような種がまだ無数に生きていて、出番を待ってくれているという実感がある。なかなか、ボヤッと遊んでいられない。

* 昨日妻に確かめた、三十三巻と目指している「選集」を、急がずにゆっくりと出していくか、急ぐというでなくても出来ればサッサと出し続けたがいいか、 どう思うかと。妻は、言下に、後者を採った。わたしも同じ思いでいる。残年・余命にもう限りが見えている、夫婦ふたりともに。心ゆくまでの仕事をつづけな がら「選集」を願ったままに完成させて、なおその後が可能な限り「湖の本」で文学を実践すればよい、命の限りと。
こういう気持ちでいる。心ゆく最晩年をわたしは「仕事する」という「無心の禅」境にと願っている。妻も同じとわかり安心した。
2017 2/26 183

* 森銑三先生の著作集の各月報記事がとてもオモシロイ。誰もがその研究業績の徹底した成果と多彩を讃歎されている森先生の、ことに独自の論及と達成は、 西鶴の真作は「好色一代男」一作のみという驚愕の論旨にあらわれている。学会は容易に認めない乍らに、じりじりと先生の論壇の精確さが証明されつつあるの が今日の成り行き、まことに「好色一代男」は信に名作の名に背かないのをわたしは読んで知っている。もう一度作も森先生の論攷も読み返したく、ウズウズし てきた。
このような森先生からのお手紙にはげまされてわたしは『最上徳内』を書いたのである。書庫へはいると先生に戴いた本が何冊もある。嬉しくなる。
2017 2/26 183

☆ 春の気配を
そこここに感じられる今日この頃です。ご健勝にておすごしのことと存じます。いつもながらご厚情、ご配慮に心からお礼を申し上げます。
昨年末をもちまして国際ペンの実務から解放されましたので ようやく時間的にも精神的にも余裕をもてるようになり、それに応じ先生からのご恵賜いただいた数々の御著をあらためて読み直しています。
そのたびに感じるのは文学創作に関して真の情熱と思いを抱く本格派の作家先生がペンの世界ではほとんど見られなくなってしまった昨今のジリ貧ぶりです。
その意味でも先生の存在とご活躍ぶりは私にとって大変なはげみとなっております。今後ともますますのご活躍を祈念申し上げます。   堀武昭  前・国際ペン常務理事

* 私のことはヌキにして言うが、堀さんのペン世界への批判・批評はまことに図星をついている。日本のペンクラブの世界に向けても誇れる顔は、島崎藤村、 正宗白鳥、志賀直哉、川端康成、芹沢光治良、石川達三、中村光夫、遠藤周作らの会長名で代弁されていた。ほんとうなら今は大江健三郎を会長に、まことに 「日本文学と世界文学」の今後を優れて裨益してゆかねばならないのに、「文学」への真摯な努力で実績を積んできた人たちは、ほとんどが現在ペンクラブに ソッポを向いてしまっている。
今日、ペン会員の有志らしき一団が、理事選挙への支持期待を手紙で寄せてきたが、そこに名をつらねた大方は、「文学・文藝」の豊かに価値高い実績など全 くもっていないのをわたしは危惧する。そういう人も汗をかいてペンの為に前向きに頑張ってくれるのはいいとしても、理事会を主導する空気は「文学・文藝」 の香気であって欲しい。まるで「多数派工作」めいてもいて、それはそれとしても、少なくも日本ペンクラブは国際ペンの一翼として「文学・文藝」の質実高邁 で以てこそ存在感をもたねばウソだろう。
2017 2/27 183

* 「同じ釜の飯を食った仲」と、むかしは耳にもした。今でも云う人はあろう。たいていはそれを「同士」と謂った語感で諒承しているが、実は底の深い意思表明でもあった、とわたしは思っている。
同火の食を分かちあう仲という同士たちは、別火の食を同士・同類外に強いることがあった。差別である。「別火」の根底は神・霊へのささげものを人とは別 の火で調理して供した、敬神敬佛の振る舞いに端を発していたに違いない。修二会の「別火の勤め」も聖なるものとの深い接触にさいして厳重になされた次元の 高い差別の認識行為であろう。俗の火ではない火で、会式が成し遂げられる。そういう意味でこの「別火」俗界より尊い「お別火」として堅く守られる。
これが世間化してくると「同じ火で炊いた釜の飯を食う」のという同士感へ転じて行ったのだと思う。「おべっか」は「お別火」であり、「お別火をつかう」 とは、だれとなく煙たい他者を他へ逸らして尻を背を向ける一種へつらい気味の差別行為になる。上司を外しておいて部下だけで呑みに行くようなものである。 もっと深刻な差別もあったに違いなく、いまでもあるであろうと想われる。
これが、わたしの「別火」観であります。そのように書いたことも有る。
2017 2/28 183

* 国会も国会だが、わたしとしては日本ペンクラブの現状にも憂慮せざるを得ない。昨日の須藤甚一郎会員からの来信内容の、曾てこのクラブで経験したこと のない「要請」、それ自体に即座に賛否を決する判断材料をわたしは持たない。もう十年来クラブの会合にも欠席しつづけてきて、去年突然に浅田現会長名で 「表彰会員」(以前は「名誉会員」と謂っていたに準じたか。)に推すと通知された会合にも、出かけては行けなかった。表彰状一通が送られてきたのも、その まま押し入れに仕舞ったままで、しかし私の強い関心と希望とは、「日本ペンクラブ」が国際的な組織の大きな一環として世界に胸の張れるりっぱな内実を持ち 備えて欲しい、理事会の中で主導権争いや分派活動に割れることなく、日本を代表する文学・文藝団体として真摯な問題意識にもとづいて活動して欲しい、とい うに尽きている。

* 昨日、分派活動めくてがみを受けた後、めったになく事務局に電話して様子を聞いてみたが、要するに「ペン」の現状は「グチャグチャです」と。思わず、額に手をおいて慨嘆した。
分派活動が、一人の人の「どうかしてペン会長になりたい」希望で動いて居かねないなど、人が人ならまだしも、わたしの理事十二年実際の見聞からしても、 問題のその人は、気宇・実力において、遠藤周作会長より以前の会長らに比し、あまりに「貧相」に「気の低い」名前が上がっているのだ、ウハッと閉口した。
はっきり言うが、もし可能ならば大江健三郎または村上春樹をわたしは新会長に推したい。さらにはっきり言うが、「ペンクラブ会長」には、世界に通用する 本格派の「小説家」「戯曲家」「思想家」から選ばるべしと言いたい。理事にもP・E・Nの豊かな実績があり、世界語に翻訳して世界に通じるだけの仕事をし てきた人を招請したいと願う。リッチ・ライターでなく、フェイマス・ライターをわたしは待望する。

* 一昨日わたしの「選集」にお手紙を戴いた堀武昭さん、世界ペンの理事として久しく大活躍されてきた堀さんにも、昨日、お礼かたがた日本ペンを憂慮のメールを送り、今朝には長文のお返事も戴いていた。それは此処には明かさないけれど、「文学創作に関して真の情熱と思いを抱く本格派の作家先生がペンの世界ではほとんど見られなくなってしまった昨今のジリ貧ぶり」 という一昨日のお手紙の一節は、わたしを衝き動かした。その愁いと、「井出孫六 小中陽太郎 三好徹 山本博」四氏連名で、六人の一般会員(大原雄 丘真 也 近藤節夫 須藤甚一郎 村山精二 保岡孝顕氏ら)を新理事選で推したく、ご支援をという来信の内容とは、トーンがよほど違って感じられた。

* ま、ウソクサイこの世のこと、猿の尻笑いかと苦笑もされるが、湯に漬かって、源氏物語「若菜下」巻をゆっくり読んでこよう。

*  これが書きたさに先ず作家の名を望んだという、最初の「谷崎潤一郎論」を読み返し始めた。三十四歳頃か、とにかく「谷崎論」の次元を置き換えたほどの仕事 として、以降「谷崎論者」としての強い発言権を文壇で確保した仕事だった。谷崎伝記の著者として知られていた野村尚吾氏がいちはやく、かつて無かった谷崎 論の画期的に大きな新生面と受けとめて、盛んに紹介してくださった。『神と玩具との間』を貴重な資料を大量に遺託し書かせて下さったのも野村氏だった。論 の中でむしろ異を唱えて批判した中村光夫先生や篠田一士さんも力強く称讃して下さった。おかげで、わたしは小説の創作と評論、エッセイとの両翼を最初から 拡げて大量の原稿を書かせてもらえたし、ほぼ十年で六十冊を越す著書も持てた。
そして、半世紀近く、今なおわたしは書いているし、読んでいるし、思惟思索を重ね続けている。
2017 3/1 184

* 高橋事務局長から送ってもらった「会員通信」の同じ頁の末で、文末は次頁へ消えているが、興味をひかれる一(半)文を読んだ。筆者は谷真介さんとあり、存じあげないが「ある出版」と題してある。

☆ ある出版     谷 真介
安部公房氏の文学語彙に関心を持ったのは、もう二十年も前のことであった。新作が発表されるたびにそのフレーズをチェックしているうちに、その数も四百 種六百項目以上にもなったので、このあいだそれを『安部公房文学語彙辞典』として友人と費用半分持ちで自費出版をした。刷り部数は一〇〇〇部、定価一五〇 〇円でともかく一冊の本を造ったが、個人で書物を刊行するということは大へんなことであることを改めて知らされた。
まづ印刷所へ支払った一冊当りの製作費は、B6二一○頁の本で六八七円だった。造った本を書店に出してもらうには取つぎ店、書店に手数料を払わなければ ならない。それが約三割の四五〇円。つまり定価から一一三七円が差引かれることになるから、直接的には一冊当り約三六〇円が手元に入ることにな  (次頁 へ消えている。手元に次頁無い。)

*  昭和五十一年八月という四十余年も以前の事例ではあるが、またそれたけにこれは貴重な証言で、此の成り行きを失礼ながら推測すれば、一○○○部製本の殆 どとは謂うまいが大方は手元に山積みになったろう。購読者を持たないまま千冊も本を造ればまさに「積んでおく」だけになる。どうかして読んで欲しい本な ら、本は心籠めた手作りで街の印刷屋で作り、読んでくれるかも知れぬひと、どうか読んで欲しい人へ「寄贈」するしかなく、手元へはいる金額を勘定しても文 字どおりの皮算用に終わる。

*  わたしの初期(昭和三十七、八、九年頃)の私家版四冊は、平均しても各册二百部未満を形にし、当時、たった一人だけが三冊目のために「五百円」下さっ た。大方は、知友と著名文人へ、やみくもに、しかし敬意をこめて贈った。それが大成功した。「太宰治賞」がまさしく天から舞い込んできた『清経入水』は私 家版四冊目に、受賞第一作になった『蝶の皿』は三冊目に、『畜生塚』歌集『少年』は二冊目に、『慈子=斎王譜』は三冊目に、『或る雲隠れ考』は四冊目に、 『シナリオ・懸想猿』は第一册に、みな、作品としてもう仕上がっていた。作家生活に入ってからとんとこと、みな新たに出版され単行本に成って行った。
私家版を千部もつくって売ろうというのは、特異例はあるにせよ至難というより無謀と謂うにちかい。昨今、本は、ますます売れなくなっているとか。本よりも、小説にせよエッセイ・批評にせよ、むしろ「原稿」で雑誌・新聞等に売れるようにと勉励した方が確かな道だろう、か。
2017 3/2 184

* キムタクと「清盛」君らのドラマ、しっかり盛り上げてきて、大門未知子ドラマとは味わい異なった一労作に盛り上げてきたと思う。

* わたしはテレビを、コマーシャルも含めて、出演者の「魅力」をさまざまに検討評価して愉しんでいる。人物の「魅力」とは何であるか、ほたしがまだ六十 代なら「書き下ろし」て論じたかも知れない。人の「魅力とは」何か。しっかり書かれればベカトセナーになるかも知れないな。
2017 3/5 184

* 「記憶の型」には人名型と地名型があり、柳田国男は徹して地名(出身地)型、森銑三は徹して人名型だったそうだ。前者は人の名に、後者は出身地や地名にはテンと関心がないと。
超多忙の医学編集者であったわたしは、先生や看護婦の名前と電話番号と住所・所属先とを、平均してよく覚えていた。といってもセイゼイ、各二百数十人程 度だった。小学校、中学の友達の名も住まいもかなりよく今も記憶していて、名と顔と家のあった辺りとを兼ね合わせ思い出せる。高校生では出身中学はわかっ ていても家の辺りとは思い及ばない。大学になると、大方は、アウト。
「歌物語の歌忘れ」という諺がある。
2017 3/6 184

* 息子の秦建日子が「おやじの<選集>は<全集>だね」と母親に囁いたとか。「全集」は作者の強い意向で削除される作も有るが、歿後刊の全集ではミソも クソも入れられて、その上に全集未収録の作や短文まで「発見」に熱心な例もある。優れて意味深い発見は有り難いが、生前に作家自身が忌避して除外した作ま で機械的に入れてしまうのは、作家側の真意にそえば、余計な出過ぎだと思うことがある。そうも云いきれない例もある。むずかしい。いずれにしても「全集」 は概してないし普通には創作とエッセイに大きく分けて発表順に編成されている。
わたしの「選集」の「選」は、内容による「選別編輯」の意味であり、小説の方も概ねそのように選輯したし、エッセイや論攷では殊にその点に著者自身が興 味を覚えている。何が収録されて何が洩れてしまうか、「全三十三巻」と予定して増やすことは出来なかろうからのこる第二十二巻から第三十三巻までをどう編 成するかには、精魂を籠めねばならない。わたしの「寐られない」自覚の大方はじつは次々の巻をどう選輯するかを夢中に考え、悩んだり愉しんだりしている、 らしいのである。
今日は不調なのだし、それならと、もう二時間も、次の「第二十二巻」編輯思案に没頭していた。
2017 3/7 184

☆ 前略
パソコンの具合がよくなって、秦さんのホーム頁を開いたら、いきなり私の名前がでてきました。お返信。しかと受止めました。励まされました。ありがとうございます。以前にもこんな形の文言があったのかも知れませんが、その頁数が多くて探しあぐねています。
それから華岳を読んで、画集と照し合わせたりして、「私語の刻」を読み忘れ、今日になって拝読しました。「四人とも他人とは思」えず、秦さんを重ねて感じ取りました。
さかのぼって、「京の散策」で、十年前のHPを読み、そこにも私の名前を発見、「何十年も逢ってなくても、何の障りにもならない」とあり、胸の支えが少しばかりおりたようで、とても嬉しく思っています。
相変らず、メールがうまくいきませず、やっぱり手紙で、一言お伝えしたく筆を執った次第です。 奥様にもよしなに。  お大事に。
三月三日    井口哲郎   前石川近代文学館館長 元小松高校校長先生

* わたしが、いかに幸せ者であるかは、このお手紙一通でも優に知れる。井口さんのお手紙はいつも体温のママに温かくて優しいのである。わたしは無法者 で、とてもこういう井口さんの深切に、はるか及ばない。ただもう甘えて嬉しがっている。なにといっても石川県と西東京、お互いに仕事はあり、お目に掛かっ ただけを数えれば半世紀ちかい歳月に指を十本は折れていないだろう、しかし、そんなことは何でもない。いつでも、口の中や頭の中で少なくもわたしは勝手に 話しかけ喋っている。さらにその上に、今この機械から手を伸ばせば井口さんに戴いた「秦 恒平選集」の背の文字にやすやすと手に触れられる。十八巻に及んだそれら選集の背文字をほぼ一日中眺めかつは感じ続けている。安心とは、これである。
それでも、逢いたいなあと、思います。その為にもお互いに元気を維持して躓かぬようにしなくてはいけませんね。
2017 3/7 184

* ともあれ目の前で大きく固まっていた仕事の山の大半を、慎重に片づけた。明日からは、吹っ切った気持ちで「創作」や、「選集」21巻の初校や、「湖の本135の編輯、「選集」22巻の編輯に取り組んで行く。春が来る。
今日「湖の本134のために書いた「私語の刻・跋文」は、老境の心事を画する一文になったと思う、そういう覚悟で書いた。吹っ切ったということだ。
2017 3/8 184

☆ みづうみ、お元気ですか。

今日は陽ざしが明るくて春の気配を感じます。どうぞお元気に、昨日のようにお疲れにならないで、お大切にお過ごしください。
雨  いつ濡れし松の根方ぞ春しぐれ  万太郎
* 藝術を無心に語ってたいそう面白い長いメールだった。私自身の仕事のためにも、いつか役だってくれそうと欲が出て、私蔵し、ここへは引かないことにした。感謝。
2017 3/8 184

* 浄瑠璃寺へも父方当尾の家へも、もう訪れる機会はないだろう。父の敗戦もしっかり書いておきたいのだが。島尾伸三さんの撮ってくれた浄瑠璃寺三重塔を 振り向いて観た写真を選集十八巻の口絵に入れることが出来たのを、なにともなく実父への挨拶のようにも感じている。高木さんの繪が有り難かった。
2017 3/8 184

* 書いてきた「或る寓話 ないしユニオ・ミスティカ」から、どうにか手が離せそうになってきた。
三部に分かれていて、第二部が、一と三とを狂瀾怒涛の気味に、そう長くはなく繋いでいる。そこを乗り切れるかビビッていたが、いいんじゃあるまいかと、 腹がくくれてきた。第三部は、べらぼうに長い。いくらでも削れるけれど削れば削るほど高い砂山は崩れ落ちて行くかも。ま、も一度、きっちり読んでみようと 読みはじめている。

* さ、もう目が見えない。機械から離れる。機械の画面や文字が堪らなく眼に堪えるが、機械からは解放はされない。
2017 3/9 184

 

* 四人の誰か知り合いを四人の旧知の医師を紹介していたが、その四人のドクターから次々に電話が来て、懐かしく久闊を叙している夢を見た。なんらの事実もないただの夢だが、ヤにリアルであった。最近に類似の実例があったか。まったく無い。
これなど尋常に類したもので、奇妙奇天烈な夢を毎晩のように見る、さもなければ夢の中で仕事をしている。
とにかく、夢は大嫌い。やたら「夢」を美化したり目標視したりの言動を見聞きすると顔をしかめてしまう。生きていると思っていること自体が夢で、この夢から覚めたとき、決定的に変わらずに変わる。正覚がある、と、古人の願にちかくわたしも願っている。「夢」は好かない。
* 昏睡というにちかく睡くなる。全身が違和の渦を巻いてくる。寝入るか、仕事に耽るか、どっちかでしか身が保たない。いまは、今も書き進んでいる小説の 推敲に心身を預けている。散髪したいのに、そのために着替えるのが面倒で躯も気持ちも動かない。とても健康とは言えなく情けない。
2017 3/11 184

* 高知から少年をつれて転勤上京した読者が、この三月末で定年退職と。美味しい大きい土佐文旦を故郷からたくさん送って下さった。息子さんももう立派な 社会人のはず。ああ人生、と思う。その人生に伴走して「湖の本」はまだ走り続けている。三十の人が三十年読んで下さっても六十余歳。まして創刊の頃もう四 十、五十、六十台であった読者は…と思うとうたた感慨なきを得ない。十人に八人九人は過ぎ去ってゆかれた。多年のご愛読感謝に堪えず、また、そのおかげで 今や収支の均衡は大きく負に傾いていても、気持ち悠々と刊行を続けられるのである。ありがたい晩年をわたしたちに下さったのは、間違いなく読者の皆さんで ある。

* いま、永く書き続けている小説のほかに、「黒谷」「女坂」と題した新作二つがほぼ出来上がっていて、次の次の「湖の本」へ送り込める。出来ればもう一 作短編を加えて三作一巻にしたくはあるのだが。これと同じ頃には、新しい長編(ほぼ選集一巻分に相当)「或る寓話(仮題)」も送り出せそう、だが「湖の 本」では三巻分にもなろう、これを二巻分に強硬に縮めるべきか思案している。
もう一つの「清水坂(仮題)」は、気は乗っているのだが題材からも何とかして瀬戸内海を見に行きたい、しまなみの大橋が渡りたいと苦慮している。車が使 えればと願うが、タクシーでは気儘が利くまいし。むかし丹波篠山へやきものの取材に行き、「冬祭り」にも活かすことのできた丹波や室津探訪は、姫路の陶芸 家が自身で親切に案内してくれた。あの時に篠山で買ってきた丹波の重い重い大壺、いまも玄関外を護ってくれている。
ま、慌てずに機を待ちたい、健康を気づかいたい。

* 「女坂」を仕上げた。

* べつのもう一つの小説を着想した。あすからもう書き出し始められるか、想を胸にし発行の期間をみるか。これは作柄による、間違えると元も子もなくなる。さ、キムタクの「A Life」録画分を観に降りる。
2017 3/12 184

*  疲れは果てなく濃いが、気持ちは沈滞していない。ただ、安倍政権と稲田はじめ不出来大臣や森友学園籠池氏や四国の加計、大学疑惑や、金正男暗殺や、トラ ンプをはじめ応酬の極度の右傾傾向など不快な世界は醜悪に粘った吐物のような話題を浴びせかけてくる。ひれらを、精一杯、楽の茶碗や、歌舞伎や、古典や、 沙翁劇や、自身の創作の仕事で澄ませようと懸命なのだ。体調はわるくて当たり前の気分に落ちこんでいる。どうにか、ならんものかと歎かれる。これはこの、 いわゆる「終活」なのか。

* わたしは、しかし幸せ者であるに相違ない。蔵を建ててくれるような金づくの読者はいないけれど、雅な、静かな、心温まる手紙やメールでいつも励まされ ている。そういう人たちが身内にちかい思いで、わたしの仕事を培い励ましてくれる。人気の役者やタレントのフアンとはちがう。思いや好みの通じ合える人た ちである。有り難いと思っている。
わたしに先だって亡くなっていった同世代の兄や友や孫娘をまでを既に、少なからずもっている。その人達の分もしっかり幸せに生ききって生きたいと妻とも話している。
2017 3/15 184

* 問題のある(と教師側から決め付けた)生徒の実名リストと、決め付け内容を一覧にして配布した学校があった。馬鹿な教育の悪見本で、今日の日本の精神的な ゆがみを露表して余さない。校長や教師からも教育委員会や識者からも、誰の口からも教育の本質は「愛」であるという自覚が出てこない。児童生徒を「愛さな い教育」という逆立ち現象にだれもこのキーワードからの批判が無い。
わたしの戦後早々の新制中学の先生方の特質をいうなら、即ち「生徒への愛」というに尽きていた。生徒もそれを感じていた。だから卒業後何十年も当時の先生を慕うのだった。

* 愛の欠けた「教育」って何なんだ。そんな教育からどんな生徒が育つのだ。教育勅語が問題になっていて、その中には良き文言があるなどと右傾も甚だしい ことをほざいている大臣もいるが、教育勅語には皇祖皇宗への絶対的服従にこそふさわしい徳目が語られているだけで、先生方の児童生徒達への人間的な慈愛は 一言半句も語られていない。
わたしが東工大教授として登校した期間、わたしの思いは男女をとわず学生達への愛情をなにより大事に胸にしていた。知育は、愛育とのせいぜい両輪をなす に過ぎない。むしろ知育と人間性との共通の分母を成して大切なのは「愛」なのだ。問題児のリストをつくって地域に配布してしまう教師とは、呆れ果てた人屑 に過ぎない、いや、もっと性悪しき犯罪者にも等しい。
戦後文部省・文科省の指導意識の根底のあやまりが無残に露呈しているのであり、あまりに情けない。教育委員だの教育委員会だの教育長だのという、あれら は今、いったい何に奉仕し機能しようと云うのか。強権による上からの管理と支配の教育、愛なき教育の推進にほかならない。その卑しいまで高ぶった表情が、 保守政権代々の文部・文科大臣の「顔」にしばしば現れていたし、今も然様。今日「恥ずかしきもの」の一代表は生徒よりも「先生」である。「先に生まれた」 というだけの手ひどい粗材たちである。
2017 3/16 184

* 源氏物語では「若菜下」巻で藤原氏の長子柏木衛門督が光源氏正妻の女三宮に忍んで犯し、はっきり謂えばレイプし、「石清水物語」では、天子の妻として 入内目前の「木幡の君」を光源氏にも見まがう継兄でしかも武士でしかない伊予守が、ひれも手引きに助けられ忍び入って犯した、まちがいなしのレイプであ る。かなり事細かに描写されていてしかも表現はいっそ美しいまでに優しくて、そこが読み甲斐といえば言えるから、こわい。
源氏物語には、こうい場面が何度も何度も出てくる。毅然として突き放していたのはかぐやひめだけとさえ言える。
柏木と伊予守との犯しを昨夜たまたま同時に読んだ。わたしはどっちかというと、伊予守の方に愛を認め、柏木には同感できない。物語の作者も、じつは前 もっての色んな場面で貴公子柏木がいささか出来ていない軽い男であるとことを予告しているのに、今回の通読でなんどか納得した。

* いわゆる日本の古典物語で、皇族貴族の男達は、たいてい女を「レイプ」しているのだと、この言葉によって喝破されたのは九大教授だった今井源衛さんだった。今井さんにも随分親しくして頂き教えられた。
2017 3/17 184

* 『枕草子』の抄読・抄訳を始めた。予期を超えた大冊ではあり、根気仕事であるが、内懐へとび入ってスッキリした現代語訳を遂げたい。
2017 3/19 184

* 昨今、「検索」物識りと謂える人が多いように思う。原著や原作、原物などなにも知らず、機械でただ「検索」しただけの知識人、物識り。こういう人は、 所詮はオリジナルな自身の言葉を創り出せない。永井荷風のことばとして、「無駄な本を読まなくては、いけないよ、必要な時だけに読む本は後に何ものこらな いからね」と聴いたのは、乏しい体験に照らしても「至言」である。検索でことの済んでしまう勉強などは「泡」に過ぎない。

* わたしは寄せ集め文学全集では、書き手の作だけでなく「年譜」も愛読する。「字書・辞書・事典」も各種楽しむが、たとえば歌舞伎座で手に入る「歌舞伎 読本」などもまる暗記してしまいそうなほど、毎年刊行のものを、寝床の傍に置いて夜中に愛読し楽しんでいる。色んな施設や企業、出版社から、凝った雑誌を 送ってくれるのを、せいぜいわたしは読むようにしている。丸善の「学鐙」 「ちくま」「波」「本」「春秋」或いは歴史の吉川弘文館の「本郷」その他、右か ら左にはとても処分しがたい雑誌が送られて来る。念入りの「文化」である。

* 「文化」についてわたしは、以前に、人は入浴してからだを洗うにも、手洗いへ入って排尿排便するにも自分なりの手順を守っているもので、それも「文 化」だと謂うた。手当たり次第のやりっ放しに手順・手続きを創って行く、それこそが文化・文明の根底だとも。そんな感覚で、わたしは「包む」ものの発見、 発明、「容れる」ものの発明を殊に大事な「文化」と観てきたので、ことに容れ物としての「函・箱・筺」をなかなか棄てられない。いい「はこ」が明くと、つ いとって置く。わたしのこの狭い仕事部屋にそんな空き箱が、紙のも木のも金のも在りすぎて困惑している。しかし佳い「はこ」には魅される。容れるにふさわ しいモノを創りだしてやらなくちゃ、などと思う。
2017 3/19 184

* 光源氏の正妃女三宮を犯した柏木の密通は露顕した。源氏の目をおそれて宮が粗忽に隠したのが見つかったのだ。「こうもあらわに書くのか、愚かな」と源氏は、柏木の文と判じ、軽蔑している。恋文にも書きようがあるのだ。
いまどき、メールでそういうのの交換は不作法な限りに行儀悪くなっているのではないか、メールなんて、無縁な他者の目からも、郵便ハガキなみに露出に近い物。恋文を書くのはいいが、それにも配慮や作法や行儀があるだろう。

* 源氏物語にも枕草子にも、ほんと、魅了される。時代という大量の時間に選別され濾過されてのこってきた古典のすばらしさ。そういう濾過や選別を経ていない 現代の芸術や文学の運命は、頼りない。森銑三は断定している、古典の二大散文作品は「源氏物語」と西鶴の「一代男」と。その「好色一代男」も、森先生の西 鶴論攷とともに毎夜読み進んでいる。
2017 3/20 184

* 清くて旨い水を呑んでいるように『枕草子』がおもしろい。

* 三島由紀夫が自決のあとを追うように割腹死を遂げた村上一郎さんは、初対面から最期までわたしに殊に優しい心遣いの人であった。恐縮するほどたびたび私の作に好意的に触れて下さり、歳末のアンケートに吉行淳之介とならべて私の名を挙げてられたりした。
亡くなったのは一九七五年 昭和五十年三月二十九日だった。
それより前、三月二日に、ふいと村上さん、自宅からはるばる徒歩で我が家へ訪ねてみえた。ちょうど居間に雛人形を段飾りしていて、それにも喜ばれ、目の 前で盆点てながらお茶を点ててあげたのをとても喜ばれて、静かに穏やかに腰をおちつけて雛たちのまえでわたしと妻とへ話しかけ話しかけして、来て好かった 好かったと、また静かに歩いて帰って行かれた。「お別れに来て下さった」と後に妻としみじみ話し合うたのを忘れない。
村上一郎と桶谷秀昭とを同時に喜多能楽堂で引き合わせてくれたのは馬場あき子だった。桶谷さんはそれより以前にわたしの「畜生塚」を推賞して下さっていたし、無名鬼を名乗っていた村上一郎という歌人にして思想家はそれまで何も知らなかった。
つい最近、「りとむ」同人の山口弘子さんが、その村上一郎の奥さんであった今は長谷えみ子さんを「無名鬼の妻」の題で作品社から本にし、なかに私の一文を使ったのでと本が送られてきた。
村上夫人ともわたしは村上生前からお目に掛かっていて、繪に描いたような佳人と思っていた。夫君を見送られたあとにも、お目に掛かることは何度もあっ た。夫人はいつしかに馬場あき子の門にはいって短歌に執心出精され、長谷えみ子の名で佳い歌集を一冊出され、その出版記念会にもわたしは出席してお祝いを 申したのだが、そのあと、朝日新聞の時評で、その盛大を極めたような出版記念会をわたしは厳しく批判したのだった。記念会は夫人の人柄にも歌風にもふさわ しからぬもの騒がしいモノで、祭り上げられた歌人が、いかにもお気の毒に思われたのだ。あのころは何かというと歌人たちが出版記念会を競い合っていて、背 景には結社の威勢開陳の気味も露骨だった。わたしはそういうのが嫌いなタチで、長谷さんにはまったく似合わない盛会をうとましく思ったのである。
ほんとうに久しく、ご縁が絶えていて、わたしよりよほど年長の「無名鬼の妻」が健在であると山口さんの新刊で知った、知れたのは嬉しかった。長谷さんは記念会のあとに結社から離れられ、べつの仲間との歌作にうちこんでこられたと聞き、胸をなでおろした。
2017 3/21 184

 

* 興味深く「枕草子」を読み進んでいる。女文化の精粋という認識にあやまりを覚えない。女たちの肉声が聞こえてくる。
2017 3/22 184

 

* 選集第十九巻が刷り上がってきた。二十九日には「本」になって我が家へ届く。
第二十巻、ドッカーンと「再校ゲラ」出そ ろった。この大冊を丁寧に校了にするのは、かなりシンドい。第二十一巻の初校了を先行させたい。
「湖の本134 亂聲・詩歌断想(二)」の三校出を頼んである。「湖の本135」新作中編二作等がすでに入稿してある。いずれも作者のわたしが、さあドン ナかと、ワクワクしている。次第によって、量的にも湖の本で三巻の大作となりそうな『或る寓話(仮題)』を一気に刊行するか、と、息を呑んでいる。
2017 3/23 184

* 疲れ切っている。

* 枕草子で、気分を持ち直した。源氏物語「若菜下」巻は女三宮と柏木の取り返しのつかぬ悲劇が始まっている。「石清水物語」の木幡の姫と伊予守との悲劇ももう取り返しがつかない。ひとり「一代男」の世之介は少年の身でとほうもない好色道を闊歩して行く。
古典は、美しい。とかく渇きがちな現代の老人を深く静かに慰めてくれる。
2017 3/23 184

* 枕草子の読みが、清涼剤の役をしてくれる。賢しい女房達の肉声が聞こえてくる。笑ってしまうこともある。

鳥は、(と、仰せに。)
異国のものだけれど、鸚鵡に心惹かれる。人の言葉をそのまま真似るというではないか。
郭公
水鶏。
鴫。
都鳥。
鶸。
ひたき。
山鳥。友を恋しがり、鏡を見せるとよろこぶそうだが、いじらしくて、とても心惹かれる。雌雄が、夜は谷を隔てて寝るという話もかわいそうだ。
鶴は、えらく仰々しい恰好だが、鳴く声が天にとどくとは、すばらしい。
頭の赤い雀。
斑鳩の雄鳥。
巧婦鳥。
鷺は、見た目がわるい。目つきなど、ともかく親しみにくいが、「ゆるぎの森に独りでは寝ない、と妻を争う」というのが、おもしろい。
水鳥では、鴛鴦に心惹かれる。寒夜、夫婦して場所をかわり合っては、「羽の上の霜を払う」というのなど、とても佳い。
千鳥も風情がいい。
鶯は、詩にもすばらしい鳥と書かれ、声をはじめ姿かたちもあれほど上品でかわいいというのに、宮中に来て鳴かぬ、とは感心できない。誰かが、「宮中では 鳴かないのよ」と言ったのを、まさかとは思ったが、十年もお仕えして気をつけていたけれど本当に、一度として声を聞かなかった。嘘でない。呉竹に近く紅梅 の木もあって、鴬が来て鳴くにはじつにうってつけの場所と思うのに。宮中から退って聞いていると、みすぼらしい民家の、貧相な梅の木などではうるさいくら い鳴いている。
鶯はまた夜鳴かないのも寝坊の感じでいやだけれど、今さら、どうしようもない。
夏すぎて、秋の終り頃まで年寄りくさい声で鳴いていて、そんな時季には「虫喰い」と下々の者が名をつけ替えて呼んでいるのが鶯のために残念だと、奇異な気がする。
それも、雀みたいにいつも居る鳥ならそう気にしまい。春に鳴けばこそ「あらたまの年立ちかえる」元旦からもう待たれるのは鶯の声だと、歌にも詩にも作ら れるのだろうに、やはり春のあいただけ鳴く鳥であったらどんなによかったろう。人のことにしても落ちぶれて、世間の評判もわるくなりかけたような人を、わ ざわざ非難はしない。鳶や烏といった手合いにそう目をつけ耳を立てる者も居はしない。
だから言うのだ、鶯は「すばらしかるべきもの」と思うにつけて老い声を嗤われたりするのが、納得できない、と。
それでも賀茂祭の帰りを見ようと雲林院や知足院の前に牛車をとめて行列を待っていると、郭公ももう待ちきれないでか鳴き出す、と、鶯がとても上手に真似て木高い茂みから声をそろえて鳴き立てるのには、さすがに聞き耳を立ててしまう。
郭公については、今さら言うこともない。いつしか鳴き声も得意げに、卯の花や花橘にいつも来てとまっては見え隠れしているのがじつに心にくいまでの、風情の佳訃さ。
五月雨の短夜に目ざめして、どうかして人の先に初音を聞こうと心待ちのあげく、夜の闇のかなたで鳴吝はしめた声のなんとも巧者に、魅力あふれた佳さというものは、まあ、心も空の思いでどうにもならない。
それが六月になるとけはいさえなくなってしまう、もう、何から何まで、言うもおろかというもの。
夜鳴くものは、郭公にかぎらない、みなすばらしい。
もっとも赤ん坊だけが、そうは言えない。                (第三八段)

虫は、(と仰せに。)
鈴虫がすてき。
茅蜩。
蝶。
松虫。
蟋蟀。
促織。
われから。
蜏。
螢もいい。
蓑虫はことにあわれを誘う。鬼が産んだというから親に似て恐ろしい心があろうと当の親が粗末なものを引き着せて、「もうすぐ秋風の吹く時分にはね、迎え に来るから。待っておいで」と言い含めて逃げてしまったとも知らず、風の音を聞き知っては、八月、秋半ばともなれば「ちちよ、ちちよ」と、心細げに鳴くの が、あんまりかわいそう。
額ずき虫。これがまた殊勝な虫で。そんなちいさな虫は虫なりに、道心を発してあちこちと拝んで歩きまわるとは。思いがけぬ暗い所などをほとほと音を立てて歩いているのがおもしろい。
蝿ときいては「憎いもの」に数え入れたいくらい、これほどかわいげのないものはない。人並みに目の仇にするほどの大きさではないけれど、秋になってもむやみに何にでもとまり、人の顔に湿れたような足でとまるなど、もう……。
人の名前に蝿の字がついたのも、ほんとに気味がわるい。
夏虫はちょっと愛嬌もあってかわいい。燈火を近づけて物語など読んでいると、本の上を飛びまわるのが、おもしろい。
蟻は、いやらしいと思うけれど、身軽いことはなかなかで、水の上などをどんどん歩きまわるのがおもしろい。                            (第四〇段)

* 憂き世ばなれがする。
2017 3/24 184

* テレビも鬱陶しく、すこし部屋は冷えていたが暖房もせず「枕草子」を読み進んでいた。枕草子は本来、清少納言単独の著作などではなく、定子皇后のサロ ンを構成していた才長けた女房達が、后の宮のいわば主宰のもと、各種の話題に花を咲かせたのを書記役の清少納言が簡潔にとりまとめつつ、ごく自然に彼女の 類想、感想、回想ないし創作に近い話題にまで筆をのばしていったもの、というのが私の根底の理解なのである。その理解に沿って読んでいると、いましも、そ のそこに女たちの声・言葉が花咲くように交錯している息づかいまでが感じ取れる。じつに雅やかに面白く、しかも「女じゃなあ」と笑えてしまうほど露骨な本 音も平気で飛び出してくる。こういう面白さは源氏物語ほどであっても、物語からはナマには聞こえてこない。枕草子のきわだった効果である。
ここ数日来、快い薬効のように楽しんでいる。が、冷えてきたので、機械の前を退散する。
2017 3/24 184

* 終日「枕草子」に向きあっていた。こまかな作業で、目もからだも疲れた。

* 縁側からもキッチンからも見える隠れ蓑に、一日中二羽の鵯が食べに来る、鳩も来る。鳩が来ると鵯は尾羽をこまかに打って警告ないし威嚇、また は警戒し ている。黒いマゴたちの家の間近へ生きの命の取りが遊びに来てくれるのを妻とこころから喜んでいる。せまいながらテラスにも木立にも書庫のエプロンや屋上 にも「命」が耀き「命」洗われるのは、ほんとうに嬉しい限り。

* やがて櫻が競い咲くだろう。花に浮かれることも無い、風に誘われもすまい。
来週、出来てくる選集は、『花と風・日本の永遠について 手の思索・手さぐり日本 日本を読む・一文字心象日本史』 わが前半生に培ったわたしの「心根」である。
2017 3/25 184

 

* 皇室にこと寄せての明治の「大逆事件」が如何な物であったかを今広く真剣に国民に伝え、「テロ」防遏を口実に国民の基本的自由の権利を狭く厳しく制限制圧 しようとしている「テロ等防止法案」にしっかりと目を向け反対しなければならぬ。いま政府は森友等のドサクサを利して危険極まりない反動法の成立を狙って いる。目を背けていてはならない。

* 心身清涼剤がなくては持たないほど政治というよりはっきり悪政の毒が國中に回ってしまっている。わたしは、ここ幸いに『枕草子』を熟読の用をもってい て、ずいぶん気分を直して貰っている、とはいえ、枕草子の時世にもたとえば官位といった「身分」にともなうイヤな感じは、清少納言自身気がついていたり、 まるで気づかないでいたりのまま、いろんなことをハッキリ書いている。

碁を打つ人
碁を打つにも、身分の高い人の方は直衣の襟の紐も解いて、ごく気らくな感じに碁石を悠然と盤上に播いているのにくらべ、身分の低い方は坐りようからかし こまった様子で、碁盤よりすこし離れて、及び腰で、袖の下はもう片方の手でおさえなどしてこわごわ打っているのが、おもしろい。 (第一三九段)

位というもの
位というのは、やはりたいしたもの、同じ人であっても、大夫の君とか侍従の君とか申し上げている時分はまだ与しやすい感じだけれど、中納言、大納言、大臣などとおなりになってしまうと、万事思い通りでご立派にお見えなさること、まるで別人のようだ。
分相応に言うなら、受領なども皆、そうしたものではないか。多くの国を歴任し、大弐や四位、三位などになってしまうと、上達部なども敬意を払っておいでのようだ。
女となると、やはり映えない。
宮中で、帝の御乳母は内侍のすけや三位などになると重々しいけれど、さりとて不相応な出世でたいしたものだ、というほどのことではない。また誰でもなれ るわけでない。むしろ受領の北の方になって任国にくだるのをこそ、並みの身分の女性には最上の幸せと思ってもてはやしうらやみもするようだ。むろん、並み の娘が上達部の北の方になり、その上達部の姫君が入内して后の位につかれるのこそすばらしいとすべきだろう。
一方、男はなんといっても若い身のうちにしっかり出世するというのが、一等すばらしいにきまっている。
坊さんなどが、なんとかと名乗っては世間へしきりと顔出ししてみても、なんの事はない。お経を尊くよみ、眉目も麗しければまたその分女房にへんに軽く見 られ、何かとうるさく噂される程度で終わりそうだ。それも、僧都、僧正という事になると、み仏の現れ給うかのように、しごく恐れ入り有難がってしまう有様 は、これまたくらべようもない。    (第一七八段)

* こういう「位」感覚で、総理夫人付き秘書は余儀なく動き、財務省の高官はさかしく動き、そうした忖度のもみ消しにも、また出世希望の官僚達はシャアシャア と動いている。自分たちの悪しき願望や思惑や忖度を、けっして賢明とはいえないが懸命に奔走する市井の一私人に押しつけ、証人喚問までして、政府・与党・ 行政・御用評論家・御用マスコミらの全部が、目の色変えて「消し」「潰し」にかかっている。
しかし、何が一等「悪い」というなら、総理という「位」にあぐらをかき、恬として恥無き者にこそ、イカン・遺憾・如何と叩きつけたい。

* また云っておく、「権」とは「かりの」「かりもの」「当座のもの」の意味である。主権は国民にあり総理は、行政は国民から一時的に「権」を「かりている」だけの存在なのだ。思い上がってはいけない。

* 長谷川泉先生のお声がかりで、橋本芳一郎さんと鼎談した「谷崎論」でのわたしの発言は、読み返してみて重要なポイントにつぎつぎにほぼ適切に触れ得て いたと分かり、昔懐かしかった。長谷川さんはわたしの勤務先の編集長であり、他方では森鴎外研究などに大きな業績を遺されたこの世界で泰斗といえるお一人 だった。この忙しい編集長にしてあのような研究・業績が積まれるのなら、わたしも懸命に勉強や創作に努めようと思った。B5版の、雑誌のような私家版を初 めてつくったとき「畜生塚・此の世」をみてもらった。次の機会には四六版にし頒価も入れなさいと言われた。
太宰賞を金原社長ともどもとても喜んで頂いた。長谷川さんには「花と風」も賞めて頂き、なかの「生け花と永生」を国語の教科書にとって下さった。「手さ ぐり日本 手の思索」からも「じょうず・へた」の箇所を国語教科書にとって下さった。初の井上靖論を書いたのも長谷川さんの編輯本だったし、幸いそれが井 上先生との御縁をもたらしてくれた。長谷川さんと一緒に井上家へ招待されたり、のちには訪中国作家代表団にも入れて下さった。
先達・大先輩とのご縁というものは、顧みれば、じつに無数に生じていろんな方々へ結ばれて行ったが、その前提には、懸命の勉強や仕事の実績が必要にな る。わたしはエライ人たちににじり寄ってなど行かなかった、そういう方々からいつも声を掛けて下さった。わたしに心嬉しい誇りがあるといえば、なによりも それだ。
熱い志をもって自身の仕事を大切にしている若い人たちに助言出来るただ一つは、黙々といい仕事を積み上げよということ。浮かれていてはいけない。
2017 3/26 184

* 昨日の大阪場所千秋楽、大怪我らしい新横綱と角番ながら横綱に一勝先んじている大関との相撲、百人が百人横綱に分がないと予想しているようだったが、 わたしは本割りの取り組み前から、これは横綱が勝つと予告し、事実勝ち、決勝戦もまちがいなく横綱が勝つと予告して、その通りだった。わたしは此の横綱贔 屓ではないので、気持ちでは大関に本割りで勝って優勝して欲しかったのだが、二人を見ていて、とても大関に勝ち味が見えないと確信した。まったくその通り だった。
むかし、娘の朝日子がなにかのおりにわたしが口を利きかけるのをほとんどヒステリックに「言わないで! パパがそう言うとそうなってしまうんだから」叫 んだのを思い出した。何のちからもちでも無いけれど、まま、そういうことはあったので、むしろ自分で自分に用心もしている。
二〇一一年一〇月二三日にわたしは前歌集「光塵」を締めくくる歌を詠み、ほぼ一月後に本になっている。その歌は、こうであった。

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ

年明ける前にわたしは自発的に人間ドックを予約し、年明け早々の正月五日には、動かし難い胃癌二期を見つけられた。

死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ

と、その日に述懐している。
二〇一二年二月十五日、八時間の胃全摘手術を受けた。術後の一部に、癌転移を残していたという。
あれから、五年過ぎた。この五年、老いの華やぎは我ながらめざましかった。
「湖の本」は一三四巻に達し、『秦 恒平選集』は、明後日、なんと第十九巻が、早や出来てくる。小説の新しい未発表作もいくつも送り出して行く。不安が、無いではない、が、ただただ一日一日を生きて行くだけ。誰にも真似をさせない。

* 気に入りの篠原涼子の「アンフェア」最終篇とかも低調なカメラワークで新鮮な躍動感に乏しく、逃げだして、枕草子の無類の鮮度を楽しんでいた。枕草子 に匹敵するのは源氏物語しか無い。その源氏物語でも、枕草子に取材したなと想える場面が幾つもある。紫式部はしっかりと清少納言を読んでいた。
2017 3/27 184

* 「枕草子」は定子皇后の光るような知性感性を光源とみて読みすすんでいる。その背後に、摂政兼家の三子、道隆・道兼・道長らの権力交替のすさまじい歴史変 動がある。たいへんな女文化期の動乱に根生えて「枕草子」も「源氏物語」も「後拾遺和歌集」も大輪の花に咲いた。
2017 3/28 184

* 「枕草子」を読んでいると、清少納言にであるよりはるかに率直な憧れ心をもって皇后「定子」に魅了される。わずか二十五歳ほどて亡くなったと憶えてい るが、女性として、いやその上を行く人柄の完成されたほどの気稟の清質もっとも尚むべきを覚える。白い紙を拝領したり上出来の畳を頂いたりして少納言が嬉 しがる気持ち、よく分かる。
清少納言の筆には「思わせぶり」がときに臭みになるが、皇后定子のことばや振る舞いにはそれがない。

* さ、もう機械は休もう、十一時だ。
2017 3/29 184

* 『枕草子」「いはでおもふぞ」と清少納言に与えた中宮の一言には、読むたび胸が熱くなる。

* どうしてこう不快なニュース種にばかり付き合わねばならないか。
どう考えても、寸詰まりに器量のちいさな宰相と取り巻きばかりの日本、情けない。いい読書で清いまはるしか無いとはね。情けない。
2017 3/30 184

* 喜多能楽堂へは、四十八年昔に馬場あき子さんに誘われたのが初めてで、太宰賞をもらったばかりのわたしの「清経入水」は新鮮な話題にされた。次の機会 には桶谷秀昭や村上一郎を紹介された。おいおいに喜多節世や後藤得三、喜多実、新しい喜多六平太らとも懇意を得ていった。見所では数十年のうちにそれは大 勢の知己を得てつき合いを深めたが、だんだんに亡くなられて、今では、意の一番の馬場あき子としか出会えない。実に寂しい。むろん今日も言葉を交わしてき たのは馬場さんだけ。実に寂しい。

* しかしながら夢うつつに舞台を遠望しながら、もやもやとした煙が渦巻くようになにかしら新しい私の物語へ柔らかく結晶して行く予感にもわたしは恵まれ てきた。うまくすると、むかしむかし「畜生塚」や「慈子」を書いたように能の小説が倦まれてくるかも知れない。そのためには、わたしは、一日も長く生き続 ける覚悟をしなければ。
2017 4/1 185

* 三田文学 早大図書館 山梨県立文学館から選集第十九巻受領の挨拶が届いていた。第一巻いらい「小説・戯曲・シナリオ」を揃えてきた(まだ二、三巻は 小説・詩歌で編めると思っている。)が、概ね「エッセイ・論攷・随筆」へ推移してきたので、数少ない寄贈先を、学者・研究者・批評家、研究施設・大学・図 書館等へ移して行く気でいる。気鋭の研究者に出会えると幸せなのだが、だいたい教職という地位を願っている学級ほど、新鮮な研究対象へは臆病で、「お馴染 みの」似たり寄ったりの撫でさすったような「試論」「序説」ばっかり追いかけていると見えるのは、残念だ。
2017 4/1 185

* 「道徳」教育発足 「教育勅語」の復帰 体育に「銃剣道」 「防衛予算の拡張」 場当たりの「原発再稼働」 強引な「避難手当解除と危険は無視の帰還指示」 労働環境悪化と強制労働の当然視。
悪いことばかりが「政治」の名で為されて行く。大反動時代へ日本はもう突入し、戦争体験の無い好戦政治家と国民との悲惨な心中死と亡国への悪衝動が露出してきた。

あらざらむ此の不慥かな身の終(はて)を
なに歎くまじ けふの明日(あした)ぞ

なんて夢を見ているが、そうは行かぬ。たしかなことは 「あらざらむ」 所詮は死んで行く、という事実のみ。「今日の明日」のようなあたりまえの死後が待っているだけと思いたいのだが。

* 「枕草子」を「雪山の賭け」「此の君」などまで読み通してきた。もう数編でおさめがつく。「雪山の賭け」は大事な一編。何度呼んでも胸がつまる。清少納言を女としてさして好きとは思わず久しく来たが、此度ばかりは、しみじみ身のそばの人のようにあわれに観じた。
紫式部はなかなか斯うは正体を見せてくれない。

* すこし眼をやすめたいと、まだ六時だが、もう、どうにもならない。

* 「ユニオ・ミスティカ」の仕上げへ一歩一歩にじり寄っている。

* 晩は、階下で「選集第二一巻の初校戻しのための大きな整頓にかかっていた。
十一時過ぎた。熟睡したい。昨夜は夜中に目が覚めてしまった。
2017 4/2 185

* 今回の「選集」では最初篇に「花と風」を、次篇に「手」を置いた。前者では「永遠」の文化を思い、後者では「現実」の「文明」を 考えた。手を持たずに人間は構造的な文明を創りも保ちも出来なかったろう。文字パレットで「手」ヘンの漢字をときどきズラーァっと眺めてみる。文明の根源 を眺める気がする。わたしは美や思想をばかり観ても思ってもいない。もう一方に手のちからを見ている。
2017 4/3 185

* 「枕草子」の仕事をし終えた。予期していたより遙かに楽しくも面白くもあり幾重にも感銘を得た。いい仕事が出来たと喜んでいる。

* 小説にと願う「想い」が雪の玉にうたれるように次々へ湧いて、思わずニゲだしたくなる。時間も体力も足りるだろうかと思案が先立つ。さっきも、すでに 一応書き上がってある(しかし、躊躇って放置した)小説、百七十枚も書けていて先の有る小説の原稿が二つ出て来た。作家に成ってからのと成る前の二つだっ た。実を言うと、高校から大学時代へかけてレポート用紙一冊分に小さな字で書いていた小説(らしき)長い原稿も見つかってある。とてもとてもそれらを電子 化している時間の余裕はもはや無い。時間は目の前の仕事に使い切らねばいけない。
しかし何をそんなに書いていたのだろう。大学にいたら、筆耕アルバイトしてくれる学生が居たかも知れないが、あの研究室で忙しい東工大では無理だった。

* 十時。階下にもしごとは幾つも待っている。もう機械は閉めよう。

* ポカンと遊びに出られるとなどと想うが、根からわたし遊びは苦手らしい。

* 瀬戸内海の海運にかかわる本があると、報せてもらった。詠めるなら読みたい。
さ、今日の機械仕事は終わり。
2017 4/3 185

* ときどき思う、もしも私の創作・著作の全解説をと頼まれて、だれが書けて書いてくれるか、結局は懇篤の「読者」にしか出来まいと思う。
2017 4/4 185

* 春風や闘志いだきて丘に立つ   という虚子の句にひしと背を打たれる。

* 風雅とはおおきな言葉老の春   という同じ高濱虚子の句も胸に抱く。

* 遠山に日の当りたる枯野かな   というやはり虚子の句を忘れたことがない。

* 虚子とは何の縁もない。子規の弟子で俳誌「ホトトギス」を興して近代俳句を領導した巨匠で漱石に名のない猫の物語を書かせたひとといった史的事実しか知らないが、その句の大きくも堅牢で風雅な味わいにいつも魅了される。

虚子の句を噛むほど読んで力とす

と、八年前の一月に述懐したのが『光塵』に容れてある。

* 昨日、しばらくぶりに建日子と食事して、一つ、珍しい、ま、「収穫」があった。何要が有ってのことか「源氏物語」を読んだ、いや、読みかけたがマッタク何が何やら、エロだかグロだか、とても読めなかったと。与謝野晶子の訳で読みかけたのだが、と。
建日子からもちだす話題に源氏物語とは豹変もいちじるしくて嬉しかったが、さて、彼も母も父のわたしもそのままに捨て置きたくはない。
わたしのように中学生だったら意訳と省略もある晶子訳からでもいいが、もう五十歳の作家には向かない。さりとて原文でなど逆立ちしても今は、ムリ。とに書くもなんとかしよう、しなくてはと、話は半分笑い話に終えてきたが、「湖の本」で何か読めないかと。

* 源氏物語に触れてわたしの理解を書いた文章は、エッセイ、小説ともに少なくないが、真っ先に書いたのは小説「或る雲隠れ考」で、質的にも主題的にも 「畜生塚」「慈子(斎王譜)」とで大きくわたしの処女作世界を成している、が、源氏物語に取材した自愛の小説ではあるが物語の絵解きでも解説でもない。小 説としては他に短編「加賀少納言」「夕顔」があるが、これは物語を手引きするものではない。
源氏物語に触れて論じた最も早いエッセイは、三十四歳、1970年に「ちくま」に書いた「桐壺の巻」で、これを読んだ京大卒の、後々も今も名だたる碩学 が「嫉妬した」と告白されたものだった。この一文を基盤に以後のわたしの源氏物語観は構築されていて、「源氏物語の本筋」「講演・桐壺と宇治中君 源氏物 語の美しい命脈」や「古典独歩」中の源氏物語諸エッセイ等にほぼ尽くされているが、今一つ興味深く接して貰えるのが「谷崎潤一郎の<源氏物語>体験 夢の 浮橋」という論攷がこの世界史的に稀有の名作物語の心の臓を強烈に腑分けし得ていると思う。「夢の浮橋」とは源氏物語五十四帖の最終巻の題である。

* これぐらいを前置きしておいて、関連の本を建日子へ送ってやろうと思う。所詮元文は読めないのだから、谷崎松子夫人から朝日子へ署名入りで贈られた見 るも美しい「潤一郎訳 源氏物語」新書版一箱を添えて送ってやろうと。荷造りが難しいので受け取りに来てくれると助かるが。
松子夫人に戴いた「谷崎源氏」を朝日子は、持って行かずに嫁いでいった。建日子にひとまず譲り伝え、大切に、機会があらば朝日子次女のみゆ希へ遣って欲しい。

* 目先の仕事へチョイと役立てたいだけの源氏物語への関心らしいが、それはそれ、源氏物語への継続した関心が興味となり大きな敬愛へ、そして息の大きな 糧とまでなりますようにと願う。源氏物語はそれほどの文学の至宝だとわたしは思っているし、そう思ってきた人が古来夥しいことに静かな敬意を深めて欲し い。それはこの語へのたいへんな財産になると思われる。わたしに源氏物語無しの人生は思い及べなかったほどだ。
2017 4/6 185

* 「選集 第二十二巻」の編成を決めた。
原稿の一部が機械の中で発見できず、延々と検索。発見できて好かった。入稿の用意にかかるのだが、慌てることはない。近いうち、四月二十八日に「湖の本 134」が出来てくるので、先に発送用意を早い中からゆっくり手がけたい。懶けていて間際に急かれると、わたしも妻も気づかれしてしまう。作業仕事にはむ しろ永い時間かけても、ゆっくり進めるようにしている。

☆ 術後五年 御快癒おめでとう御座います
京都はいよいよ桜開花 明日から観光地付近には近寄れません
先生の「中世と中世人」唐木先生の「千利休」を読ませて頂いております
能には親戚もおり何度も招待されるのですが 足が向きません 室町期の「能」はどうだったのか? と考え 専門故か 衣装もどうしても腑に落ちません そして明かりが駄目です そんな風に感じて観ていても本当につまらないのです
茶会も参加しません
呉服業界の付き合いも有りません
先生と唐木先生の御著書は本当に有り難いのです
のんびり御来洛の節は 是非 運転手させて下さい 食べ物の制限が有るかも知れませんが
案内させて下さい 御回復祈念致します  京・室町  源兵衛

* さもあらんと思います。懐かしい唐木先生の名前も出て来た。可愛がって頂いた。「いい文章でときどき怖い毛ずねを出すなあ、きみは」と笑われ たのを思 い出す。筑摩の全集では月報に一文も頂戴した。亡くなられてから先生の故郷の方々から呼ばれて話しにも行った。選者の臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中 村光夫の四先生にはことにいつも親しい励ましや評価のことばを頂けた。幸せ者であった。
2017 4/7 185

* 「谷崎論」のしごとの途中、谷崎と芥川の墓所が同じ慈眼寺という、巣鴨駅から10分ほど、染井霊園の西に隣接しているようなお寺にあるのを思い出した。花吹雪だろうか、いちど探訪、掃苔したいもの。

* たまたま藤森重紀という文学者の「断章」ほどの述懐を目にし、深く頷いた。

「いかに鋭利な演繹論といってもそれが対象の核心をよぎらず、したがって対象の重量をずっしりと背負うことがなければ、それはついに空論におわるほかは ないし、また、いかに綿密な帰納論といっても、それが論者の主体的な問題意識に出あわぬかぎり、それはついに文学論とはならない。作品と論者とのはげしい 格闘のないところには文学論は決して成立しない。」
「実証的研究となると周辺探索の緻密さが競われることになるが、それが作品内質あるいは文学それ自体の課題との有機的関連をとりにがすときには、いわゆるトリヴィアリズムの空虚におちいる」。

* 桶狭間の急襲と成功、作品論は、結句そうでなければ、ぬるま湯をかき混ぜただけの駄文にたいてい終わっている。
研究者の論攷は責任をもって先ず「正しく」そして興趣に満ちて「おもしろく」あってほしい。
その余一般の評論は、ともあれ「おもしろく」て、しかも読みはあくまで「正しく」あって欲しい。佐助犯人説のようなただでたらめな思いつきは、いけない。明治に殉じて「こころ」の先生は自決したなんてのも、困る。
「読む」ちから、眼光紙背に徹して正しく「読む」ちから無しに作品や作家への意義有る批評は成り立たない。
2017 4/8 185

* 朝のうちにも名古屋の画廊主、大脇八壽子さんから名古屋市でしか手に入らないらしいいろんな味わいの味噌をたっぷり頂戴した。酒の肴にもなりそう。佳 い手紙も添っていた。むかし村上華岳の観音像を手に入れたので観て下さいと誘われて、京都へ所用の途中下車してみせてもらってきた。以来、三十年にもなろ う、大脇さんも古稀ではないか。どんなに若かった人も確実に年を取るのだなあと天を仰ぐ、自分は棚に上げて。バカみたい。今日も銀座からの帰り、地下鉄へ おりる階段であわや転げ落ちかけて危うく前の建日子に掴んでもらえて助かった。それでいて少年のような気でいるのだ。バカみたい。
2017 4/9 185

* 昨夜、『石清水物語』をまことに興深くおもしろく読み終えた。この一巻の中世物語の背景へひろがっている「実」話世界はまた確実にわたしの仕掛けの小 説世界へ繋がってきて呉れるかもと、希望ももてた。なかなかの、心にくい情緒と姿勢とで組み興された物語で、ただのツクリ話でない堅い手応えがある。出会 えてよかった。このような平安擬古の物語に「武士」が主役で登場するとは、その武士に実の源氏武士の影が見えているとは。 おもしろいし、少なくも当分は 座右から手放せない。

* 今一つ、多年の念願を心新たにまた呼び起こせた、仕様によってはこれまた花やいでしかも重たげな恐怖へも繋がって行く小説世界への意欲を、鬱蒼とした中世の風景から昨夜の或る読書で甦らせることが出来た。欲しいのは、時間、時間、時間。時間と健康。 2017 4/10 185

* 廃仏毀釈から今日の文化財保護政策までの経緯を放送大学で聴講した。日本の國と人とが古来「焼損文化財」を大事に保存してくれた有り難さ、目から鱗が 落ちた。怪我に遭った数々の色々な文化財からもどれほど多くが、材、質、色、技、由緒伝来等々、教えられ学び取れるか知れない。こういうことを大切に、そ れらへの研究・検討・保存・記録に日本人ほど心をいたした文化国家は世界に類がなかったと教わった。涙ぐむほど感動した。
わたしは不幸にして実の親たちとの、しぜんその親族との縁に生まれつき薄く、多くは伝聞で耳にした程度であるが、そんな中で、一等嬉しく、誇らしくすら忘れないできたのは、南山城当尾の里で大庄屋の役だか職だかにあった父方祖父いや曾祖父かも知れないが、庄内にある浄瑠璃寺九体堂九体佛などを身を以て守りぬいたということ、これまでも何度もここに書いてきた。欲得もからんで仏像の金箔を剥がしに来ようとする暴漢を防いだと聞いた。浄 瑠璃寺へも岩船寺へも当尾の石仏へも、わたしは何十年ぶりかで唐突に実父の生家を訪れた際に、家の跡を嗣いだ叔父吉岡守に連れて行って貰った。住持にも引 き合わされたが、それは記憶からとんでいる、しかし九体寺の仏像や堂塔はなつかしく目の奥にいつも沈んでいる。高木冨子さんが送ってくれた繪の写真もいつ もわたしを癒してくれる。
父の生家、叔父の家を、わたしはもう一度「蘇我殿幻想」連載の取材でカメラの島尾伸三さんらと立ち寄っている。そのとき浄瑠璃寺で撮ってもらった写真を、「選集十八巻」の口繪につかった。

* 日本の文化財が焼損せず汚損・破損せず、まして破壊されずかつ不当に損失・略奪されないようにと、わたしは、わが身をおもうよりも大切に痛感してい る。人名はもとよりとして、日本の文化財が蹂躙破壊されるのを恐怖する思いがなにより戦争イヤ、という気持ちの底にある。その思いで、わたしは石器土器の 往古來、無数の名品、名作、逸品の名と姿とを折り有るつど思い出し数を数えるように指折り折り思い出している。我が愛国のそれが芯、どんな機械文明よりも 手作りされ手塩に掛けられてきた文化文物こそが、「國と民族」との芯に在る。
2017 4/11 185

* 快晴。気持ちいい。
血の臭いのしている世界情勢など、耳にしたくない。
青葉の青、ちりしきる雪柳の白に心洗われる。
とても、あれにもこれにもとは心を分割できない。読み・書き・出版に思いをあつめながら、政道世道の非理はゆるすまいと願う。

* と、思っていたら、雨にもなった。
今日は終日も「選集」の第二十二巻の編成に取り組んでいて、大方、終えた。おかげで、目、ぼろぼろ。
2017 4/12 185

* 選集二十二巻を入稿。二十三巻の編成も出来ている。残す十巻に心残りのすくない編成をよくよく思案したい。
選集二十一巻の初校ゲラが明日届く。選集二十巻は、責了のための再校をつづけている。
湖の本134巻発送の用意を進める。
135 136巻は入稿してあり、初校出を待っている。
2017 4/13 185

☆ 拝啓
その後 如何おす過ごしでせうか 毎々「選集」御恵投にあずかり有難く存じます。
十九まきまで頂戴して その量と内容とに殆ど呆然としてをります。作家とはかくなるものとの感を一層深くしてゐる次第です。不備    前・文藝春秋専務  寺田英視

* 巻中の誤植をときおりご指摘いただく。多くは「は ば ぱ」等の濁点、半濁点で、実際虫眼鏡で確認しないとわたしの眼では見えない。半盲に近い視力 で、吾一人で校正しているので、魯魚の誤りもきっと免れ得ていないと残念だが、斟酌・忖度の可能なミスに止まっていて欲しいと願っています。部会が混乱す るような間違いはしたくない。

* もう、第二十巻が責了にまぢかい。二十巻で、いま目の上に作り付け書架の、まる一段を埋める。もう、十二巻 落ち着いて、いい編集に励みたい。
創作、論攷をふくめて、一つにそれら仕事の量、むろん質も、そして今ひとつに、それらの仕事をに積み上げていた年齢の若さに、漸く、プロの読み手方も、気づいてくれてきた。
2017 4/13 185

* 湖の本134発送用意のなかで封筒に住所院など捺す作業に力が掛かる。今日一日でほぼ八割余を仕遂げ、これを終えると、宛名を貼り付けて行く。宛名の 出来ていない人には手書きで宛名しなければならない。あと数日、発送用意に手がかかるが、創作と取り組める時日も十分あり、或る大事な判断を下さねばなら ない。書き下ろしている長編を、少なくも、先に「選集」一巻として仕上げて、状況判断の上で「湖の本」で異例の造版をするか、だ。決心はついていない。わ たしの瘋癲老人日記は、まだ先途の確認が着かない。

* 家中の書籍をそうは減らせないが、毎日のように妻は重い大きな荷づくりをしては、図書館等へ寄贈しつづけている。惜し観て余りある珍しい戴き本も多い のだが、秦建日子に皆目似た方面の読書・蔵書の習いが無いので、受け入れてくれる図書館へあずけて処置を任せるしかない。ある若い書き手の胸をたたいてみ たことがあるが、自分は当面の仕事に用のある本だけ手に入れ、仕事が済んだらみな捨てていますと。
わたしは、永井荷風の教えのように、目的の仕事に必要な 本を調べるだけでなく、無縁と思われる洋の東西古今の文献や創作をいっぱいとりこんで「栄養食」にしながら仕事してきた。絶えず、あ、これも、あ、これも読ん どきたいという書物や資料や事典に取り囲まれている。機械の辞書検索で用が足るような仕事はしたくない。機械では、目的の文字や事項の「前や後ろ」が調べられない。
しかし、もう残年余命は限られている。今日は、「植物」の事典数冊、重さにして20キロにもなりそうな荷を図書館へ寄付した。
信じられないほどな大先生、大先輩からの戴き物や戴き本が、ある。無神経には施設へ送れない。すこしずつでも心通った人たちに遺して行きたいが、そうい うものの好きそうな人が少なくなっている。街へ出れば、魂をぬかれたような「スマホ亡者」の群れにイヤほど出会えるけれど。
2017 4/15 185

 

* 朝いちばんに、しみじみ、相国寺法堂への石道、空高くさす櫻と松の大樹を目にすると、佳い人生やったなあと思わず感謝する。すべては無に帰する、が、無になるなにも無い。
2017 4/16 185

* ラ・ロシュフコーの「箴言集」(二宮フサ訳)にあれこれ同感しながら拾い読みしていた。

われわれの情熱がどれだけ長続きするかは、われわれの寿命の長さと同じく、自分の力ではどうにもならない。

情熱はしばしば最高の利口者を愚か者に変え、またしばしば最低の馬鹿を利口者にする。

情熱には一種の不当さと独善があって、それが情熱に従うことを危険にし、またたとえこの上なく穏当な情熱に見える時でも、警戒しなければならなくするのである。

* にもかかわらず情熱が身も心も熱くしているとき、わたしは躍動する。少年の昔にそうであった。老年の今もそのようだ。利口だからではない。どう愚かし い自分であっても愛しているのだ。ロシュフコーは言っている、「自己愛(アムール・プロンプル)こそはあらゆる阿諛追従の徒の中の最たるものである」けれ ど、「自己愛は天下一の遣り手をも凌ぐ遣り手である」とも。自己愛は何の自慢にもならない命だが、どう恥ずかしくても命のあるうちは生き続けるしか無い。
2017 4/16 185

* 北朝鮮は、見よがしの大きな軍事パレードと、一発の実験爆弾とで大きな記念日に格好をつけた。米朝中のにらみ合い、腹のさぐりあい以外のなにものでもな く、由々しい限りの戦闘行為をどっちが先に為し「得る」かが見合いになっていて、危機が回避されたわけではない。云えることは、この事態に日本政府は何の 「決意」も「対応」も持ち得ていないということ。必要なことは戦力によって自立することではあるまい、「政治力」によって虎狼の国際情勢のなかでどう「自 立」出来るのかを思惟かつ行為しなければならない。
アベノミクスのような経済オンリーの国是で動いていれば、國の実質は力無い肥満へのみ向かって真の国力はむしろ弱まるだろう。安倍内閣は強引に安保法を 国会と国民に押しつけたが、米朝軍事緊迫のなかで、いったい何が出来ると謂うのか、北朝鮮からの核爆弾を十数分間のうちに防ぎうる何らの効果的な防備も日 本列島はもてていない。
おそらくアメリカはじめ諸外国の滞日人口は秘かに減らされて行くだろう。海外に縁のもてる恵まれた日本人家庭の海外脱出も本気で増えて行くだろう、危険は増しこそすれ一分も減ってなどいないのだから。
日本國自前の「軍事・軍力」で何かが安全に革まるなど、どう信じられるのか。「核」戦争にまさに巻き込まれかねぬ今、「政治」の力こそが発揮されねばならないのに。

* 黒澤明監督、原節子の「わが青春に悔いなし」を観た。反戦の地下活動に生きて官憲の拷問に獄死した京大卒の男に青春を捧げた京大教授の娘。夫の両親に つかえて懸命に農村に生き抜いて敗戦を迎え、戦後日本を率いるエースに育って行く。京大の学長になった娘の父親ははればれと娘の泣き夫闘士の人生を頌えて 志をついて欲しいと学生達を励まし共感の拍手に迎えられる。

* ああしかしながら、今日は如何。
学長の演説に真実拍手し共感を誓った青年達は、確実に戦後の保守権力とその手先の執拗な排撃をうけて潰されていった。あらおる労組と社会党との壊滅はそ の象徴であった 。その今日只今の目で黒澤と原節子の「わが青春に悔いなし」という革新的な意気に燃えた映画をみると、泣きたくなるほど時代錯誤劇に見えてしまう。
かろうじて「戦場のメリー・クリスマス」を撮った最後の全学連監督ぐらいまでは、戦後の革新民主感覚も生きていたろうが、テレビ画面に朝から晩まで交替 でのさばり、コトあるつど保守政権の先手組となって革新感覚を叩きに叩き続けてきた似而非卑屈保身知識人らの横行の結果・成果として、今日の安倍自民政権 はのさばり返っている。この「現実」の苦々しさをしみじみと思い知らせたような黒澤・原節子映画の再映であった。情けない思いを苦々しく味わい返した。流 石の黒澤も、時代という魔物のあくどい変貌の速やかさは捉え切れてなかった。

* 働く人こそが民主主義の健康な担い手でなければ、國と時代とは少数独裁強権の支配により好き勝手にされて行く。
2017 4/17 185

☆ 秦 恒平先生
拝啓 陽春の候、先生にはいかがお過ごしでしょうか。
平素より 「湖の本」 のみならず、豪華限定版『撰集』のご恵投にあずかり、感謝いたしております。
私事ながら、小生 八年間の国文学研究資料館の任期をこの三月末で終え、再び福岡に戻ります。研究者にはふさわしからぬ管理職を長年勤め、『源氏物語』をゆつくり読む生活からも遠ざかっていたことに忸怩たる思いです。
東京での八年は、その間、妻に先立たれたり、猫が死んだりと、必ずしも平坦ではありませんでしたが、古書店の豊かな東京で、充実した生活を享受することが出来ました。
同封の冊子、世の先輩方にお送りするのは烏滸がましい限りの内容ですが、館の古典籍プロジェクトの一環として、手元に集まった本を眺めながら綴ったものです。お笑い捨てください。
どうか佳き春をお過ごしください。 敬具  今西祐一郎  前・国文学研究資料館館長

* 『死を想え 「九想詩」と「一休骸骨」』と題された一書を頂戴した。
御縁は、わたしの源氏物語の読み、「桐壺の巻」にあったと伺っている。衝撃を受け嫉妬さえして、しばらく秦さんの文学から遠のいていたものですと笑い話も聞いた。
新鮮な源氏物語の読みを聞かせて頂ける折りの早かれと願っています。

* ところで上の一冊だが、平安時代の物語では源氏物語以前にはリアルな死が語られなかったと書き起こされている。平安時代以前には「物語」といえる著作 は無いといえるから、源氏物語は死なれた事実へのもっとも早い文学ということになる。しかして「九想詩」すなわち屍体の腐敗を九段階にわかって見据える、 谷崎『少将滋幹の母』にみられる「不浄観」などが語られるのだが、死屍の相の凄まじい廃亡について謂うなら、見遁してならない大きな先例が古事記にすでに 的歴として表されている、すなわち妻イザナミの死をかなしみ夫イザナギが黄泉の国へ追っていったけれど、すでに「ヨモツヘグヒ(死の世界の食事)を済ませ ていたイザナミの死屍はみるも無惨に「蛆たかりととろぎて」目も当てられなかったと、ある。不浄観どころかイザナギはたちまちに黄泉の国から走って逃げて いる。
わたしが日本の「死ないし死屍」に関してもっとも早く最も凄い表現に接したのは、源氏物語よりよほど早くに古事記からであった。わたしが古事記に接した のは、国民学校一年生を終えて二年生に進む前の春休みに、なぜか秦の父につれられて木津川ぞいにお宅のあった担任の吉村女先生を訪ねた日、帰り際に先生が 私に手渡して下さった時である。四六判の、古事記と題された現代語訳の一冊だった。わたしの生涯最初の猛烈な愛読書がこの『古事記』であった。この本をほ とんど丸暗記してしまったわたしは、意気地のない弱虫から生まれ変わったように自信に満ちて教室で過ごせるようになった。わたしは先生が指名されればどん なときでも教壇にあがって、日本の神話をいくらでも同級生相手に話して聞かせることができた。
2017 4/17 185

* 安倍内閣の粗製お友達・濫造大臣、出るわ出るわ、防衛、文科、法務、復興、地方創成等々、昔の内閣なら、総辞職ないし解散が当然だった。厚顔無恥内閣と謂うべし。

* ま、厚顔無恥は、此のわたくしでもあろうけれど。

* この前の「光塵」と、こんどの「亂聲(らんじゃう)」と、どうかしらんと思い思いいたが、今朝新集を読み返し、なるほど、こういう老境を歩いてきたか と、想像や創作を我からおもしろく、納得した。納得できた。大嗤いされよう、罵倒さえされようか、だが、厚顔無恥でござると知らぬ顔でまかり通る。
2017 4/18 185

* 妻が近くの病院に定期の診察をうけに出ている間、成瀬ミキヲ監督の映画、原節子、山村聡、上原謙、杉葉子、丹阿弥谷津子らの、川端原作「山の音」を観 ていた。観ながら発送用意の作業をしていた。いい映画で、川端文学ではもっとも早く親しんだ佳作だが、久しぶりに観て、すこし病的にシンドかった。吉永小 百合の「伊豆の踊子」の方にいまなら手を挙げる。
映画「山の音」をはじめて観たのが、東工大の教授室でだった、そのころお茶の水女子大から「副手」とでもいったか、アルバイトのようにして私の講義時間 ごとに駆けつけてくれていた谷口幸代さんが、テレビのためりフィルムを持参してくれて教授室のテレビでみせてもらったのだ、かなりの時間かけて二人で「山 の音」の読みを語り合ったと覚えている、なかみは忘れたが。

* わたしが川端康成に就いて原稿を書いたのは、大昔の処女評論集『花と風』の中へ「廃器の美」と題して載せた短文だけだろう。この感想、今も、今日久々に観た映画「山の音」を介しても、変わっていない。
谷崎文学は ちからづよく満開の花、川端文学は雨に濡れた花、三島由紀夫は贅沢な造花とも、どこか、いつか、日録にでも書いた覚えがあり、いまも変わら ぬ感想であって、「山の音」は川端文学では好きな方の最右翼の一作ではあるけれど、たとえ話にしても「伊豆の踊子」「雪国」にならべると、侘びしい。「千 羽鶴」と並べて色合いは異なりしかもぐっと「山の音」は佳いが、ともに心病んで寂しく思われる。いま谷崎潤一郎の昭和初年につきあっているから、よけい、 そう感じるのだろう。しかも「山の音」より以降の川端作は、もっと良い意味の健康を欠いて迫力が沈んでいる。川端康成を既往へ溯れば、つい泉鏡花へ突き当 たる。谷崎を溯れば、親和的には永井荷風へ、対抗的には夏目漱石へ突き当たる。
わたしは、やはり、藤村、漱石、潤一郎の大きさと強さとに文学の核心をいまなお観てとりたい。
2017 4/18 185

 

* 夜中に目が覚め、そのまま電灯をつけ、源氏物語「横笛」「夕霧」「鈴虫」の巻を読み、好色一代男を丹念に読み、沙翁の「十二夜」を読み進め、最後には日本と西欧との「中世」論を熱を入れて読み耽った。いずれも特級の面白さで、しみじみ教わった。
余の物はともかく西鶴の一代男から何を教わると嗤う人もあるか。いやいや、そうではない。
わたしは、べつだんの趣味など無いけれど長編「ユニオ・ミスティカ」をよほどの昔から年老いてからはと志してきた流れで、男女の性行為・性交のスキルに 関わる文献や書画や描写・表現には気を入れて触れてきた。その点、一代男はまこと仰天の好色行動の連鎖小説なのであるが、一方森銑三先生ほどの碩学が、源 氏物語とならび称されるほどの傑作であり、小学館版の詳細な頭注などからも莫大に教わるものがある。体験はできないが、リアルに的確な知識と生来の想像力 とを綜合すればかなりの「表現」は得られる。読者はちかいうちにされを納得されるだろう。
2017 4/19 185

* 話はまるで変わるが、わたしは何十年も前に『神と玩具との間 昭和初年の谷崎潤一郎と三人の妻たち』という大冊を論述し出版した。そのベースには谷崎 伝記でいい仕事をされた野村尚吾さんのあたかも遺託の体で、二百通にも及ぶかという実に貴重な谷崎書簡等々の写真またコピーを取り纏め手に入れていた。そ の書簡類の価値にはここで贅言を費やすまでもなくて、いましもわたしの迷っているのは、これら資料をどう誰にないし何処へ手渡して伝えるかなのである。資 料はたしかにつぶさにもうわたしが使用仕切ったと云えなくもない、が、わたしの仕事をさらに再検討してさらに新たな谷崎論の展開や谷崎松子論や佐藤春夫論 や、が生まれ得なくない。可能性は大きく、わたしに残年と余力が恵まれるなら、『晩年の谷崎潤一郎」論へも拡張して行けるのだろうが、正直の所、確信でき ない。むしろ最後まで小説を書きたい。
さて、谷崎論者ないし文学論者の誰ならば、期待に応えて呉れるだろうか、というのが、今のわたしのかなり強い願い・期待なのであるが。
2017 4/20 185

* あれをしよう、これをしようとしても、目も疲れ、集中力を欠き、残念だが機械から離れてできる仕事(たくさん有る)をしようと。いちばん気を惹かれる のは、やはり「読む」こと。「中世」研究書が面白く読める。なにかしら力も得られる。いま欠いている小説への刺戟もある。
源氏物語は「夕霧」の巻を読み終えたら、「御法」「幻」はとばして、いっそ「竹河」へ飛んでおいて、宇治十帖へ進みたい。島津さんの「放談」も読みた い。島津さんは源氏物語専門の学者ではないが、数十年の読みの特異さに自負もおありであった。わたしは、源氏物語というと亡くなった今井源衛さんにいろい ろ教わった。島津さんも今井さんと親しかったと聞いていたが、今度の本をまさしく置き土産に亡くなった。所沢か保谷かでいちどは私と話したかったと言われ ていた、と

* 思えば、数えきれぬほど大勢の人文・文学の碩学・研究者に親しくして戴いた。名前など挙げはじめたら懐かしくてかえって悄げてしまうほど、殆どの方々に死なれてしまったが御恩の嬉しさは忘れていない。
2017 4/21 185

* いま、もし海外にいるなら建日子に冷静に状況を洞察して強いて帰国するなと、両親には両親だけの覚悟があるから案じなくてよい、聡明に生き延びて自分の生涯を心ゆくまで全うせよとメールした。

* そして、こつこつと、落ち着いて今日は「ユニオ・ミスティカ」を書き継いでいた。それで、いい。

* 「選集」の二十巻をもう百頁も読めば責了に出来る。二十一巻も再校が、二十二巻も零校がやがて出てくるだろう。二十三巻入稿の用意も着々進んでいる。
「湖の本」134巻は来週末に出来てくる、135巻は初校が届いており、追いかけて136巻の初校も届くはず。
書き下ろしている小説は風をはらむように着実に成熟しつつある、丁寧な仕事をしたい。心がけている短編中編小説への気も機も動いている。死ぬまでは生きている、少なくも。
2017 4/22 185

* 戦災へのわたしの、およそここ一年以内での暴発予感が杞憂に終わるなら、本当にケッコウなことだ、が、北朝鮮に対し、国連、国際間で「核保有 国承認」がされない(されてはならない)限り、あの國からの暴発、または米朝衝突等による戦闘状況はいつ突発しても(過去の世界史的な開戦事情等に照らし ても)可笑しくない。
それに備え、國家と、国民・国土と文化を「安全に守ろう」という施策が、とうから、具体的に多数用意されていなければならなかった。しきりに「有事」を 口にしていたわりに、用途や意図不明の軍事・軍備に向けられていたほどの政策や対策が、上に謂う「安全」のためには殆ど全くみられない。せいぜい緊急の 「椿事」ぐらいにしか思い及ばぬままでの、「地下鉄へもぐれ」の「堅い建物へ急いで入れ」の等の唐突な指示には、基盤も確信も感じ取れない。市街へ出てい る多数の群衆にそもそもどう「緊急事態」が知れるのか、ごく短時間内に報せ得るのか、もはや昔の市街戦や爆撃とははるかに程度を異にした致命的襲撃がたや すく可能になっているのに即応した「常日頃の有事対策」が国民に助言すらされていない。
現況は、北朝鮮も米国も韓国も中国も、ことに日本も、いわば「すくみ合って」の無事を保っているに過ぎない。「すくみ姿勢」はしかし長持はしないもの だ、なにとしても「対話」による緩和へと歩を運び合うしかないのだが、北朝鮮はたぶん「核保有と核兵器生産」に世界的・国際的な公認をつよく要求してやま ないだろう。中国、韓国がもしこれに妥協したなら、日本と米国とはどうするのか。少なくも日本にはどうする外交力も政治力もとても発揮できそうになく、ず るずると米国に頼って吠えるにとどまるだろうが、米国第一トランプ政権が、いやいやアメリカ国民が「日本のために」戦争の危険を冒しつづけるそもそもどう りが無い。日米韓の協力と安倍総理は口癖なみに軽々と言い続けてきたが、どこにそんな「協和・協力」が成り立っているか。「竹島」「慰安婦像」での日韓対 立すら緩和もできていない。すこしの被害は与え得ても北朝鮮にアメリカ本土がつぶせるワケがなく、両国が真っ向争えば北朝鮮に勝ち目は無いだろう、が、自 暴自棄にちかいトバッチリ核被害や化学兵器被害は真っ向日本を襲うだろう。アメリカに日本を助けるという方途は無く、有るのは北朝鮮本国を徹底的に潰す攻 撃だけだろう。所詮、日本は日本の智慧と力とで国土と国民とを護らねばならない、軍力・兵力など、このさい殆ど役に立たないだろう。

* ま、今はこのように考えながら、わたしは、いつ何が起きても不思議で無いどころでない緊迫感を持っていると、此処に言い置く。無事平穏を願いつつ。手を拱いていられるのかとは憂慮もしつつ。

* フランスのモラリスト、ラ・ロシュフコーに聴く。
「年とった気違いは若い気違い以上に気違いだ」と。わたしのことかも。
「頭のいい馬鹿ほどはた迷惑な馬鹿はいない」と。これもそうかな。頭はよくないけど。
「弱さは悪徳にも増して美徳に相反する」とも。
「大事に当たっては、好機を生じさせようとするよりも、到来する好機に乗ずることを第一に心がけるべきである。」 永い人生に近い思いで踏ん張った実感は何度も。静かな勇気が要る。
「いかに世間が判断を誤りやすいとはいえ、偽の偉さを厚遇する例の多さは、真の偉さを冷遇する場合をさらに上まわる」とも。嗤ってしまう。
「人生には時として、少々狂気にならなければ切り抜けられない事態が起こる。」 分かる。
「弱い人間は率直になれない。」
「われわれの力(メリット)が低下すると、好み(グウ)も低下する。」 然り。
2017 4/23 185

* 今日は小説に時間を掛けてきた。その勢いで、面白い話材を展開できそうな、小説のすべり出しを気持ちをかき立てるほどに検討してみた。関連の資料がど うも手元に在るらしくて、さて何処にと急には見当がつかず探さねばならない。探す抽斗のたぐいがバカに数あってしかも満杯、探索に骨を折らねばならない。 とっかかりだけで謂えば珍しく東工大ダネなので、学生達から手に入れてある莫大な文書やメモ、ノートを調べることになるが、果たして見つかるか。見つから ねばまたそれなりに話は展開するだろう。思いも懸けないまるで別の興味が湧いてしまうかも知れない。

* もう機械へ向かい続ける視力が散ってしまっている。
2017 4/23 185

* 「タカをくくる」のは容易いが、歯止めのない甘えになるとき、笑うに笑えないハメに陥る。
2017 4/24 185

* 書きかけてそこそこ纏まっている「ある寓話」は現状で湖の本にすると五巻分に迫っていて、選集なら優に一巻分になっている。おおまかに、第一部 そし て長くない第二部 一部二部に何倍してとても長い第三部の仕立てで、その分担自体に構成上さして問題はない、のだが、それにしてもどう絞るか、絞りすぎれ ば全体を殺して仕舞いかねない。よく寝かして、しんぼうよく味わい佳いお酒にしたい。慌てまい。願わくはわたしに寿命が欲しい。

* 「清水坂(仮題)」の方へ精魂を振り向けて行きたい。これはさほども長編にはすまいと想いながら、じつは楽しんでもおり、苦渋もなめている。視野をどうかして瀬戸内へ開きたいのだが。

* 学生に返った気分で、またまた「中世」を、「物語」を、人の世の「歴史」を学び直そうとしている。教えられることの嬉しさが老耄の芯をあたたかにほぐ して呉れる。今西祐一郎さんの『死を想え 「九相詩」と「一休骸骨」』を学んだ。島津忠夫さんの『源氏物語放談』では「放談」という学問道に教わり続けて いる。森銑三先生に手をひいてもらって江戸時代の人たちと膝つき合わせるように会っている。「一代男」のような途方もない好色道の背後背景に奇妙に懐かし い人の暮らしや想いが観て取れる。なんと現代世界は愚かしくも喧しいのだろう。
2017 4/24 185

* 一触即発の十分懸念される極東の明日を迎える。何も起きて欲しくないが、何が起きても、それが明日でなくても、三日後でも十日後でも三ヶ月後でも半年 後であろうと極めて不幸なことで、かつ墓初の憂慮されることには何の変わりもない。幸いに明日何も起きなくても、居直ってはしまえない、それを心得て日々 を迎えねばならぬ。不幸なことだ。

* ここに載せてある写真たちに心静かに向きあいながら、今日の機械で「書く」仕事は終えよう。「読み」に階下へ行こう。
2017 4/24 185

* 医学書院に就職し編集者になってこのかた、切腹もの、最大の失敗を犯した。
「選集⑳」の{責了紙}となるべく丹念に、熱心に再校をつづけてきた数百頁分を、なんと明日の故紙回収紙として妻の方へ渡していた。我が家では信じがたいほど回収してほしい故紙が山のように出る。妻は今回もそれらを大量に積み重ね、すでに幾つも幾つもの荷にしていた。
荷のすべてをまた解きほどいて、かろうじて、いま、故紙の山から「捨ててはならない、進行中の再校ゲラ」をほぼ一巻分救出した、それ自体もはや奇跡のよ うだが、そもそもそんな事態へ大事な大事な校正ゲラを混ぜて出したというのが、此のわたしの際立った「衰え・不注意・失錯」であった。真実胸を撫で下ろし ながら、かつ愕然と落ちこんでいる。ああ潮時がきたのかと、かの桂文楽引退の一瞬を痛いほど思い出している。文楽は、高座で、一瞬「絶句」した。そのまま 高座で深く深く頭をさげ、そして名人文楽は「引退」したのだった。
2017 4/25 185

* わたしが『父の陳述』という長編で最もアピールしたかった一点は、「ソシアル・ネットで」の発語・言説に「文責明示」をという願いであった、市民社会での その確率が、少なくも良識の慣行が無ければ人は、社会は、國も世界もムダで有害な混乱へかき回されてしまうことになる、と。作を成したあとからケイタイ、 スマホ等々のネット利用は爆発的に増殖し、その有用も便利も否認しないがそれに倍するとすら嘆かわしい、人間の機械化、機械依存ないし機械による被支配傾 向が強まって来ている。そこからデマゴギーは氾濫し、狭く見積もっても都市人間が、若きはもとよりいい大人まで人間らしい表情や言葉を喪ってきている。せ いじまでが、そのような危うい感興へ粗末なことばを抛つことで自己満足しかけている。
少なくも、ねっと社会での発語・発言には「文責明示」を明瞭で譲らぬ認識により制度化しないと、世は挙げて無責任な落首・デマの乱雑境と化してしまう。すでにそうなりかけている、いや半ばなってしまっている。
わたしは、いま、いかなるネット社会情報も自身の「此の機械から」は受け取っていない。ツイッターもフェイスブックもミクシーも、わたしの機械は全く繋 がらなくなっていて、私自身がどう発言しようも読み取ろうも成らない。その意味でも私個人の現今日本や世界の情報源はわずかなテレビ情報番組の域を出ない し、買っている新聞一紙もいまやわたしの視力では「無」にちかく遠い存在である。わたしが、いま、日々にここで発言・発語しているのは、「情報源」による ものというより、つまりは「私」自身の根から生えて出ている思惟や感想や意見なのである。それをもし支持している何かがあるというなら、おそらくは私の 「歴史」感覚ないし「人間」観なのであろう。
世界情勢や日本の今日から明日へ、わたしは、無用に悲観も無用に楽観もしない。危ないと痛いほど感じているだけは真率な体感という近い。だから、どう疲 れてもわたしのしたい仕事に日々はげんで「間に合い」たいと思っている。何に。何故に。それは考えないことにしている。永遠は考えて実感などできない。考 えないから永遠は在る。

* あす、湯気の立っているような中編の二作が「湖の本135」の初校として届く。これはわたしも気になる。校正するのにドキドキしそうだ。
あさってから「湖の本134 亂聲(らんじやう)」を送り出す。世間にいわゆるナミの短歌集ではない。散文集でないだけで、好き放題まるで雑纂されてあ り、中に、思い切って放埒な、顰蹙を買うであろう「つくりうた」も並んでいて、長編小説「ある寓話 ユニオ・ミスティカ」の「為の」モーレツな試作も混 じってある。送り出すのにいくらか気が重いけれど、ま、終幕へと舞い遊ぶまえのまさしく「亂聲(らんじやう)」と、幾分は居直っている。それよりもやはり仕上がろうとしている「ある寓話 ユニオ・ミスティカ」で長編構造の一廓として読まれる方が無気味に効果的かもしれない、が。

* 関わってあえて謂うワケではないが、谷崎を論じた長編の『神と玩具との間』を脱稿の「おわりに」に添えて当時「谷崎全集」に未収録であった短文を今しみじも読み返して、わたしはいまさらにホクホクとして心地で嬉しくなる。

☆ 趣味と娯楽   谷崎潤一郎

文学上の労作は私に取つては職業である。しかしながら、何がいちばん楽しいか、いちばん好きかと云はれれば、やはり思ふやうに筆が動いて、自信を以て仕 事をしつつある時である。さう云ふ時、全く此の道ばかりはいくつになつても止められないと云ふ気がする。年をとればとる程、小説を書くのが楽しくなる。と 云ふのは、すつかり手に入つてラクになつたと云ふ意味でない。なかなかムヅカシイものであることが分つて来るにつれ、一層精魂を打ち込むかひがあるのを感 じる。私はその点で故二葉亭とは反対に考へる。文学は男子一生の仕事として有り余るほどに思つてゐる。もし私にして生活に追はれる心配がなければ、書き上 げることよりも書くあひだの道程を、もつとゆつくりと楽しむであらう。食ひしんぼうが一と箸づつ物を味はふやうに、今日は一行、明日は一行と云ふ風に、書 いては眺め書いては眺めして行くであらう。そして倦んだら釜の湯を汲んで、こころしづかにお茶のうまいのをすすりたい。多少でもそんな工合にして何物にも 妨げられずに暮れて行く一日が、私には最も愉快である。趣味も娯楽もおのづからその中にある。実に晴れ晴れとした気持ちになれる。外にも道楽はないことも ないが、そんなものは第二次、第三次である。

(『神と玩具との間 昭和初年の谷崎潤一郎と三人の妻たち』の=)最初の校正を今終え、明年には谷崎潤一郎十三回忌および(谷崎の伝記作者=)野村尚吾三周忌を迎える。重ねて、感無量というしかない。  秦 恒平  一九七六年大晦日

* 心底から、今、わたしは、上の谷崎先生の感想に共感し同感出来るのを幸せに感じている。谷崎先生は老いれば何を楽しむかも時分の旧作をゆっくり読んで 楽しむと謂っておられた。いましも日々に関わっている『秦 恒平選集』の仕事は先生の言葉を早くはやくに読み知っていて、いつかわたしもと思い願っていたそれなのである。
2017 4/26 185

☆ お見舞い
みづうみ、お元気ですか。

* 突如のきつい胸苦しさに脈も微弱に呻いたまま気が遠くなりそうになったのを、妻が所持のニトロを口に含み、辛うじてもとに復した。

と ありましたので、昨夜からとても心配しています。奥様がいらっしゃらなかったらどうなりましたでしょう。ニトロカプセルを首にかけている方も見かけます が、そのようなご用意もあるいは必要かもしれません。でも何よりそのようにならないのが一番です。どうか早めにご受診くださいますように。そして食生活に もお気をつけてください。(セシウム蓄積されませんよう)
みづうみがお元気で、存分にお仕事をお進めになれますようにと毎日お祈りしています。 みづうみのご体調のお見舞いをしながらこのようなことお訊ねするのは大変申しわけないのですが、一つお許しください。
みづうみは以前湖の本で出版された年譜の続きを作成なさっていらっしゃるでしょうか。
「湖の本134 亂聲(らんじやう)」発送作業はくれぐれもご無理なさらないでください。お大切にお大事にお過ごしください。
春  春昼や魔法のきかぬ魔法瓶 安住敦

* あの胸の痛さにはビックリした。千枚に及ぶほどの再校ゲラを、こともあろうに「故紙回収」の方へわたし自身で廻していた(回収は今日であった)その大失錯に自、身老耄を案じて衝くように胸を痛めたのだろう。妻にも心配かけました。
わたしの機械仕事の部屋は二階にあり、手洗いは二階にもあるが、少しの息抜きも兼ね洗面所に近い階下へ降りることが多い。自然朝から夜まで昇降を繰り返 しているのだが、正直な物で、午前中はすたすた上り下りしていても、昼下がりからは疲れてよたよたしてしまえ。ゆっくりになる。そのうちかすかに胸が重く 感じられたりする。ひういう自分と気ながに付き合ってゆくのが老の坂というもの。気を付けて暮らしています、つもり。

*  さてその「年譜」だが大きな気がかりの一つで、「湖の本」版では、昭和四十四年末までを詳細にしあげただけで、それ以降のは、五十歳記念の限定本『『四度 の瀧』巻末に、昭和五十九年八月末までの分をあらまし作りだしてあるにとどまり、以降三十年余りが出来ていない。仕事の「初出」に関してはわたしは妻に頼 んでそのつど記録を励行してもらっていた筈であらゆる「初出誌・初出本」等は家中に保管されているのだが、手をかけて年譜化して行く労力も時間も無いまま に打ち捨てられてある。せめて初出記録カードの有るかぎりだけでも年譜化しておけると、と、あの織田一磨画伯を敬い羨んできた。
わたしは、勤務の昔から社長譲りの几帳面さで手帖への記録も欠かさず、他に大小のノートへの手書き日記も、大学ノートだけで何十册になっている。みな、 捨て去られて何の役にも立たなくなっており、或いは朝日子ならばと希望しないではないのだが望みはなく、さりとて今のわたしにそれに割ける残年余命は無 い。出来れば、選集を引き受けてくれている「京都府立京都学・歴彩館資料課」がそれらも引き受けてくれるなら収めたいなと願っている。以前に若い研究家に その辺を期待し委託したいと思ってはみたが、会って話して断念した。
ま、そういう次第です。

*  昨日辛うじて廃品故紙の山から探し出せた「選集⑳」再校ゲラ、見つかったと安心していたのに、中ほどの18頁分が脱けていたと今日夕過ぎて判明し、かろう じて印刷所が控え余分に出してくれるゲラから逸失分をひき抜いて校正をし直した。この程度の逸失で済んでいて助かったが、昨日、564全頁数を追って確認 しておかなかったわたし自身の怠慢に惘れてしまった。かつがつ二度助かった。
2017 4/26 185

☆ 骸骨さん
23日のHPには・・「部屋」に(源氏物語の)夕霧、(一代男)世之介、(九相死骸骨版の)「一休骸骨」が、「呼べば襖の向こうから顔を出してくれる。骸骨さんは凄いと書かれてあり、気持ちが引っかかっていました。
『清経入水』以来、或いはこれまで折に触れて述べられてきたこと、夢の中に襖があり、開けても開けても世界が部屋が広がり続いていく、自在にものに出会う。それは秦文学の原点であると読者であれば十分に理解していることですが、それでも胸衝かれる思いになります。
そして昨日25日の胸苦しさと・・浴槽に浸かって校正をされた・・!
とにかくまず第一にお身体ご自愛ください。
わたしは骸骨さんは怖いし出会いたくありませんが、ただただ優しく美しいものばかりに出会えたらと思っています・・。
桜が散り、若葉の季節ですが、わたしの庭の八重桜は今が満開です。明日は風が吹くらしく、やはり花に嵐・・でしょうか。庭に木を植える余地は既にないの ですが、まゆみと藤を買い求めました。そして課題で描くことになっている白牡丹も。今はまだ蕾ですが、この状態から何枚もスケッチする予定です。
繰り返し、どうぞ大切にお過ごしください。
『乱聲』楽しみにしています。  尾張の鳶

* 「一休骸骨」は一休作と仮託された、中世「九相詩」本の剽げた骸骨版で、「九相詩」 のように生々しくも凄まじい美女が死屍の九変相を「不浄観」のように描いたり歌ったりしたのと趣がちがい、全て、陽気そうでさえある骸骨たちが立ち現れ、 さまざまな愛慾変相などを演じて見せてくれるので。
わたしのいわゆる「部屋」とは、「清経入水」の冒頭にあげた前文中の、あのアケテもアケテもとは違い、ま、気持ちは似ているのだけれど、長編『最上徳 内』冒頭に書いていある、さまざまな人たちとの「出会い部屋」のことである。紫式部とも会うが紫上とも逢える、いっそ陽気に喜戯愛慾にはげみ合う骸骨とも 逢える「部屋」のことである。ま、「蛆たかりととろぎ」たる女神の死屍によりは、ものも訊ねやすい。
「亂聲(らんじやう)」は、楽しみにされない方がいいと思います。

* 藤の植えられる庭とは羨ましい。

ひよどりの来啼かぬままの隠れ蓑
葉は満ちたりてかぜに光れる  八一
2017 4/26 185

☆ 「ユニオ・ ミスティカ」へと
連なっていく『亂聲』、ドキドキしながら待ってます。  九

* このドキドキは、厭わしいほどに裏切られる。  ☆ 「ユニオ・ ミスティカ」へと
連なっていく『亂聲』、ドキドキしながら待ってます。  九

* このドキドキは、厭わしいほどに裏切られる。

* 今日届いた「湖の本135」の初校は、半分以上も読み進んだ。巻頭一編の小説は、ま、読みようにもよろうが、わたしの作世界に少し変わった一郭を加え た、または添え得たかも知れない。愛着はしながら、しかも五分の一へも進まぬママ棚上げになっていたのを、一気に書き上げた。
もう一作は、「一作」とも謂いがたく、いずれつづく長編『ある寓話 ユニオ・ミスティカ』を導くための前哨とも前蹤ともいうべき「試作」、または「露払い」というに近い。なんら長編の下絵ですらない、とはいえ、よほど頭も手も想像も用いて、すこし異様な、発火への「導線」のような役を永い時間かけて押しつけた。感銘とは異質の読み物になっている。
2017 4/27 185

* 夜九時、一日の作業を切り上げてきた。疲れた。クロネコのケース一つに、荷造りした本が60册入る、のを幾つも幾つも幾つも持ち上げて、朝から晩まで、キッチンから玄関へ運びつづける。
発送の合間に中休みに二階で創作の手入れもし、昨日届いた「湖の本135」の初校も昨晩以来もう三分の二進めた。残る三分の一も今夜のうちに読み終え、それなりに納得したい。
発送の作業は明日も終日。なんとか明後日には終えたい。
そのあとは暫く、第四週まで、予定的にはらくになる。四週には病院・医院通いが固まっている。そしてそのあとはまた、何かと仕事が固まって追いかけてくる。「湖の本」創刊三十一年の桜桃忌前後には、さらにまた新しい小説を一作、また一作と心がけている。
2017 4/28 185

* 口もきけないほど疲れた。頑張れば今晩に終わるだろうかと願った作業、明日に延ばした。

* クロネコやまとの事情で、「湖の本」もついに終えねばならなくなりそう。一つには、値上げ。もう一つには、荷にシールを貼る作業を我が家で引き受け手欲しいと。今の作業量でも身いっぱいなのに手作業が増えるのは躯がつらい。
どこかでは終止符やむをえないと覚悟してきたが、大きな心残りにはなる。思案のしどころで、疲れが重い。

* 十一時半  やっぱり、がんばった。明日、昼前には発送作業を終えられる。仕事に打ち込める。大きな連休らしい。旅の出来る人も多かろう。羨ましくもあるが、このままも、いい。書庫に買っておいていつか読もうととって置いた『説経』の本を急に読みたくなってきた。
新聞やも雑誌の類はもう字が見えない、うす色のコピーや会報のたぐいまったく見えない。字の大きな本は本体も大きくて重たいのが難だが。わたしの選集、重いかなあ。
あ、日付がやがて変わる。寝床でもう少し校正してから本を何冊か読むのが、このごろの常。灯を消すのは二時。朝は、気儘に。
2017 4/29 185

* 一仕事終えての今の願いは、美味いなあと思えるモノが食べたい。想いも寄れないのである、なさけない。

* 真作の小説「黒谷」を読み終えた。走り書きほどに筆を運んであるが組み立ては出来ていて、読み味さらさらと、気に入った。短編か中編か、新たな一つ を、ともあれ創作歴に加えたかな、と。「女坂」の方は文字どおり思いつきの走り書きで、想像力はこまごまと使ってあるが、次へ新たに展開する長編構造物の 試作ふうな地固めのな作業。

* かりに「湖の本」が終熄しても、みう二三年は「選集」がある。そしてわたしの手には、前世紀らいの「秦 恒平の文学と生活」という大きなホームページがあり、六百作にあまる各ジャンルの文藝作品を収録した「e-文庫・湖(umi)」がある。此の発表機関をわ たしは手中に主宰し得ているので、いざとなろうとも此処で死ぬる日まで「創作」し「執筆」して行ける。もっと公開しやすい設定上の工夫を人手に委ねて改訂 してもらうことも可能だろう。
2017 4/30 185

* 角川版「絵巻」はたしか三十巻きに別巻二巻。都合三十二に及ぶ「月報」だけで束ねると八、九糎もある。一巻には、玉上琢弥 円地文子 徳川喜宣 梅津 次郎 長谷章久氏らが書き、さらに秋山光和・竹西寛子の対談もある。それぞれの立場からとっておきの話題で知見が述べられているのだから、それぞれに短文 であっても贅沢なほど中味がつまっている。玉上さんは「国宝『源氏物語絵巻』と『源氏物語』」の題で、目の覚めるような見解を簡潔的確に示されて、物語と 絵との切っても切れない関係が語られ、屏風絵・屏風歌なる慣習に移って、唐絵には漢詩、大和絵には和歌が添えられるがそれ自体が仮作(フィクション)の始 原のようなものと明快に。屏風は多くが六曲一双、つまり十二扇あるので自然と四季十二月月次の絵や詩歌が創られて行く。描かれている風景が歌枕として意識 されて行く。
こういう屏風の絵や詩歌を、絵解きし解説する大人やむ物識りや文人らがいて女子供に話してやる、それが自ずからな「歌物語」に成って行く。
屏風絵は大きくて部屋に場を占めているがいが、紙繪はそうはいかない、しぜん、専有的に物語を聞いたり挿し絵を見たりできる人数は少ない。絵と物語とが 一つの絵巻物に仕立てられるなどよくよくの趣向でごく少数物の専有秘蔵に属する。物語が読まれるには書写・写本によるしかなくそれらには絵はつかないし写 本の数はすくない。物語が多数の読者に読まれ出すのは「版」という仕方が技術として可能になってからのことと思うしかない、と。
源氏物語絵巻が何本も出来ていたのではないし、絵巻の形で読まれるなどは稀で、女子供は大人や物識りに読んで聴かせて貰うのだった。

* こんなことが一冊の著書の要点ほどの内容が、たった一頁半に、きちっと語られてある。玉上さんは傑出した源氏物語学者だった。

* 国宝「源氏物語絵巻」を所蔵されている名古屋徳川美術館の徳川さんは、いきなり大名家所蔵のの「表道具」「奥道具」がどのような区別であるのかを具体的に語り出されていて、思わず聴き耳を立てるほどに乗り出して読んで行く。
みなさんが、その人ならではの内容豊かな短文を競うように提出されているのだから、この「月報」というもの、まことにきちょうでしかも興味津々に面白い 文献集なのである、わたしは早くから選りすぐりの全集本での月報を珍重してきた。「ああ、月報は捨てちゃう」などという阿呆名な人もいる。但し単独作家の でなく集合の「文学作品」全集の月報は、あんまり役には立たない。専門書として編成された全集の月報が価値高い。
『絵巻』三十二巻の月報を今年中かけて堪能するほど読みたい。森銑三著作集の月報も大いに楽しんだ。
2017 5/1 186

 

* 初めての谷崎論を書いた三十数歳の昔は遠くなったが、仕事はピカピカで残っている。太宰賞こそ貰っていたが、先行きの知れない新人だった。授賞式の挨 拶で中村光夫先生は、芥川賞なら三年は世間も文壇も憶えていてくれる、太宰賞なら二年は憶えていてくれるから落ち着いて書けばいいと挨拶されていた。そん な中で小説ならぬ谷崎論を書き下ろし、谷崎伝記の当時決定版を書かれていた野村尚吾さんが「かつて無い谷崎論が現れた」推賞され、新人小説家の処女評論に 花が咲いた。遠慮もなく中村光夫先生ら何人か先達の谷崎論も批判していたが、温かに迎えられ会えば励まされた。わたしは新人でコチコチに小さくなっていた けれど、思い起こせばずいぶん目立った新人時期を歩いていたのだった、文壇のことはなにも知らず馴染まずわたしは小さくなっていた。銀座や新宿の酒場へ出 てもにで呑んで語るなどと言う真似はしなかった。出来なかった。自分なりの世界を書き続けたいとウカと言ってしまい、河上徹太郎先生、吉田健一先生に即座 に「そんなの在るの」と授賞式の会場で遣られていた。わたしは私の世界を探し築くことにのみ熱中し、それは小説だけでなく批評や論攷にも延びひろがって いった。十年もせぬまに六十册も著書を持っていた。

* 勉められるときに勉めた。学びもしたし思索もした。しておいて好かった。よそ見しているヒマもなかった。ビックリ仰天の東工大教授の話が突然の電話で きたときも、キョトンとしたまま建日子に「お父さん、一流校だよ」と奨められて引き受けた、その当時、何人もの学界人から「名人事です」と祝われたときも 「なんで」としか思えなかった。わたしよりも人の方がわたしを見ていてくれたのだと、今頃になって嬉しくなる。

* 日付が変わったが、幸い、数日はラク日がつづく。天気がよければ、ふらふら出歩けると佳いのだが。
2017 5/1 186

* わたしが東工大へトビ込んだ一つの狙いは コンビュータへの縁を求めてだった。ワープロは文壇でも最も早い時期、東芝が売り出した第一号機を買い入 れ、即日、連載小説の途中から書き始めていたが、パサコンには手が届いていなかった。わたしは根は機械音痴に近いのだが、コンピュータはわたしの作家生活 に役に立つはずと言う確信に近い予見を持っていた。しかし独りでは使いこなせまいと言う懼れも深く、東工大からのお呼びは、その意味で渡りに舟だった。任 官し研究費が出ると直ぐさま学生生協でパソコンを買った、だが、教授室へ顔をみせる学生達がみな笑ってしまうようなヤスモノだったらしい。結局東工大に在 任中は、機械、ほとんど活用できなかった。やっと退官後になって家へ遊びに来てくれた天才のような学生の一人がわたしの希望をあれこれ聴きいれながら、 あっというまに現在の此の「ホームページ」を創作してくれたのだった。わたしは日記を書き始めメールを保存しはじめた。
わたしは「メール」という表白・表現の秘めもっている「文藝」の素質にいちはやい予感をもち、「佳いメール」を収拾しつつ、それらを取り混ぜ培養するか のように小説の文章への素材化を意図し続けてきた。信じられぬほど面白くも豊かにも人間を感触させ表現させる「味の素」に成り得た。「メール」は作家であ るわたしの表現を刺戟する「栄養」に造り替えうる素材の意味を持った。十人百通のメールを文藝というすり鉢にいれてすり下ろすと一人の新たな性格が立ち上 がってきたりする。
2017 5/2 186

* 憲法記念日 発布の直後に当時の文部省が学童生徒を対象に懇切に「憲法」の本旨と国民挙げての総意・念願を解説していたのは、極めて貴重な文献となっ ている。此処へ足場をしかと戻さねばならぬ。少なくも全文の精神と不戦を誓い合っての平和三原則とは誠実に守りたい。その余の箇所で改訂を要する物は慎重 に協議して改めればよい。

「e-文藝館=湖(umi)」 論説・解説

掲載史料は、日本國憲法が、昭和二十二年(1947)五月三日に施行された同年八月二日付け、著作兼発行者「文部省」名義で公にした、日本國政府による公 式の「新憲法」認識ないし解説であって、学校生徒児童を主対象に広く配布されている。奥付には同日付け「文部省検査済」と極めが打ってある。(この本は浅 井清その他の人々の尽力でできました。)と奥付に付記してあるが、新憲法発布にともなう「憲法尊重」のもっとも純真な理解を、明瞭に確認した、公式の文部 省刊行物であることに相違はない。
以来六十年近く、いかにその後の日本國政府政権が、恣に「憲法」解釈変義や拡大解釈を重ねてきたかを疑い、また多くの機会に不当に軽視・無視・蹂躙を重ねて「遵守義務」に公然背いてきたかをも疑い、あらためて此所に「憲法」条文の総てを併載して、深く思い致したい。
この機会に此の史料、並びに「憲法」そのものが読み直されることを切望する。 (秦 恒平)

 

あたらしい憲法のはなし

附・日本國憲法

文 部 省 著作兼発行  昭和二十二年(1947)八月二日

目 次

一  憲 法
二  民主主義とは
三  國際平和主義
四  主権在民主義
五  天皇陛下
六  戦争の放棄
七  基本的人権
八  國 会
九  政 党
十  内 閣
十一 司 法
十二 財 政
十三 地方自治
十四 改 正
十五 最高法規

一 憲 法

みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい 憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身 にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。
國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。
國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱が なくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなけれ ば、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをた いせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。
ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。こ の権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだ けをおはなししておきましょう。
みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の 力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國 民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の 中に書いてあるのです。
そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、 その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権 利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとで おはなしするように、これからは戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。
これまであった憲法は、明治二十二年(=1889)にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどの あたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るため に、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜ んたいでつくったということになるのです。
みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。 こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、 しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。
みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、 一つ一つ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第一條から第百三條までありま す。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。
この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というも のは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、 この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これか らさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。
それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」で す。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、も ののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。

二 民主主義とは

こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうで きいたでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知って おかなければなりません。
みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、も んだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめます か。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことが もっと多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないとい うことになります。そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事を きめてゆくことが、民主主義のやりかたです。
國を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。
しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの意見をきいてまわ ることもできません。そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが國会です。國民が、國会の議員を選挙 するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめま す。そうしてほかの議員は、これにしたがいます。これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。これが民主主義です。ですから、民主主義と は、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で國を治めてゆけ ば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。
國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを 「代表」といいます。まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆ きますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。
しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえると きは、國会だけできめないで、國民ひとりひとりが、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、國民が直接に國のことをきめますから、 これを「直接民主主義」のやりかたといいます。あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、 代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だ いたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。
みなさんは日本國民のひとりです。しかしまだこどもです。國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。國会の議員を えらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方 もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな気がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、國を治 めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくこ とができるのです。みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいこと はありません。これが民主主義というものです。

三 國際平和主義

國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おゝぜいのほ うの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやっ てゆくのでなけれは、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。
これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國 の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義とい います。だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほ かの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えてい たので、とうとう戦争をはじてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いこ とばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくの であります。

四 主権在民主義

みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。
國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりま せん。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、い ちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいと いわなければなりません。
國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しまし たように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に 存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権 在民主義の憲法であるということになるのです。
みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつに もっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは 民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりま せん。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。

五 天皇陛下

こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえら んだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのな いように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことに なりました。
憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、 日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。 記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわす ときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日 本の國をあらわされるお方ということであります。
また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり 天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それ で天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。
このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆ かなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町の すみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなけれ ばなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。

六 戦争の放棄

みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおか えりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろし い、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしい ことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた國に は、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、また こんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。
そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をす るためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「す ててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中 に、正しいことぐらい強いものはありません。
もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたので す。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになる からです。また、戦争とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうし てよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

七 基本的人権

くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけたゞれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強 く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中 に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、たゞ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなけれ ばなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。
人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆける ことなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、國の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を 加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。
またわれわれは、人間である以上はみな同じです。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありませ ん。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はない のです。差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。
國の規則の上で、何かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利」といいます。自由と平等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとする ならば、この自由と平等とは、みなさんの権利です。これを「自由権」というのです。しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。このいちばん大事な人間の 権利のことを「基本的人権」といいます。あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に与えられた権利として記しているのです。これを基 本的人権を「保障する」というのです。
しかし基本的人権は、こゝにいった自由権だけではありません。まだほかに二つあります。自由権だけで、人間の國の中での生活がすむものではありません。 たとえばみなさんは、勉強をしてよい國民にならなければなりません。國はみなさんに勉強をさせるようにしなければなりません。そこでみなさんは、教育を受 ける権利を憲法で与えられているのです。この場合はみなさんのほうから、國にたいして、教育をしてもらうことを請求できるのです。これも大事な基本的人権 ですが、これを「請求権」というのです。争いごとのおこったとき、國の裁判所で、公平にさばいてもらうのも、裁判を請求する権利といって、基本的人権です が、これも請求権であります。
それからまた、國民が、國を治めることにいろいろ関係できるのも、大事な基本的人権ですが、これを「参政権」といいます。國会の議員や知事や市町村長な どを選挙したり、じぶんがそういうものになったり、國や地方の大事なことについて投票したりすることは、みな参政権です。
みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を与えられました。この権利は、三つに分かれます。第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参政権です。
こんなりっぱな権利を与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、 むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、わすれてはなりません。國ぜんた いの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

八 國 会

民主主義は、國民が、みんなでみんなのために國を治めてゆくことです。しかし、國民の数はたいへん多いのですから、だれかが、國民ぜんたいに代わって國 の仕事をするよりほかはありません。この國民に代わるものが「國会」です。まえにも申しましたように、國民は國を治めてゆく力、すなわち主権をもっている のです。この主権をもっている國民に代わるものが國会ですから、國会は國でいちばん高い位にあるもので、これを「最高機関」といいます。「機関」というの は、ちょうど人間に手足があるように、國の仕事をいろいろ分けてする役目のあるものという意味です。國には、いろいろなはたらきをする機関があります。あ とでのべる内閣も、裁判所も、みな國の機関です。しかし國会は、その中でいちばん高い位にあるのです。それは國民ぜんたいを代表しているからです。
國の仕事はたいへん多いのですが、これを分けてみると、だいたい三つに分かれるのです。その第一は、國のいろいろの規則をこしらえる仕事で、これを「立 法」というのです。第二は、争いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめる仕事で、これを「司法」というのです。ふつうに裁判といっているのはこれで す。第三は、この「立法」と「司法」とをのぞいたいろいろの仕事で、これをひとまとめにして「行政」といいます。國会は、この三つのうち、どれをするかと いえば、立法をうけもっている機関であります。司法は、裁判所がうけもっています。行政は、内閣と、その下にある、たくさんの役所がうけもっています。
國会は、立法という仕事をうけもっていますから、國の規則はみな國会がこしらえるのです。國会のこしらえる國の規則を「法律」といいます。みなさんは、 法律ということばをよくきくことがあるでしよう。しかし、國会で法律をこしらえるのには、いろいろ手つづきがいりますから、あまりこまごました規則までこ しらえることはできません。そこで憲法は、ある場合には、國会でないほかの機関、たとえば内閣が、國の規則をこしらえることをゆるしています。これを「命 令」といいます。
しかし、國の規則は、なるべく國会でこしらえるのがよいのです。なぜならば、國会は、國民がえらんだ議員のあつまりで、國民の意見がいちばんよくわかっ ているからです。そこで、あたらしい憲法は、國の規則は、ただ國会だけがこしらえるということにしました。これを、國会は「唯一の立法機関である」という のです。「唯一」とは、ただ一つで、ほかにはないということです。立法機関とは、國の規則をこしらえる役目のある機関ということです。そうして、國会以外 のほかの機関が、國の規則をこしらえてもよい場合は、憲法で、一つ一つきめているのです。また、國会のこしらえた國の規則、すなわち法律の中で、これこれ のことは命令できめてもよろしいとゆるすこともあります。國民のえらんだ代表者が、國会で國民を治める規則をこしらえる、これが民主主義のたてまえであり ます。
しかし國会には、國の規則をこしらえることのほかに、もう一つ大事な役目があります。それは、内閣や、その下にある、國のいろいろな役所の仕事のやりか たを、監督することです。これらの役所の仕事は、まえに申しました「行政」というはたらきですから、國会は、行政を監督して、まちがいのないようにする役 目をしているのです。これで、國民の代表者が國の仕事を見はっていることになるのです。これも民主主義の國の治めかたであります。
日本の國会は「衆議院」と「参議院」との二つからできています。その一つ一つを「議院」といいます。このように、國会が二つの議院からできているものを 「二院制度」というのです。國によっては、一つの議院しかないものもあり、これを「一院制度」というのです。しかし、多くの國の國会は、二つの議院からで きています。國の仕事はこの二つの議院がいっしょにきめるのです。
なぜ二つの議院がいるのでしょう。みなさんは、野球や、そのほかのスポーツでいう「バック・アップ」ということをごぞんじですか。一人の選手が球を取り あつかっているとき、もう一人の選手が、うしろにまわって、まちがいのないように守ることを「バック・アップ」といいます。國会は、國の大事な仕事をする のですから、衆議院だけでは、まちがいが起るといけないから、参議院が「バック・アップ」するはたらきをするのです。たゞし、スポーツのほうでは、選手が おたがいに「バック・アップ」しますけれども、國会では、おもなはたらきをするのは衆議院であって、参議院は、たゞ衆議院を「バック・アップ」するだけの はたらきをするのです。したがって、衆議院のほうが、参議院よりも、強い力を与えられているのです。この強い力をもった衆議院を「第一院」といい、参議院 を「第二院」といいます。なぜ衆議院のほうに強い力があるのでしょう。そのわけは次のとおりです。
衆議院の選挙は、四年ごとに行われます。衆議院の議員は、四年間つとめるわけです。しかし、衆議院の考えが國民の考えを正しくあらわしていないと内閣が 考えたときなどには、内閣は、國民の意見を知るために、いつでも天皇陛下に申しあげて、衆議院の選挙のやりなおしをしていただくことができます。これを衆 議院の「解散」というのです。そうして、この解散のあとの選挙で、國民がどういう人をじぶんの代表にえらぶかということによって、國民のあたらしい意見 が、あたらしい衆議院にあらわれてくるのです。
参議院のほうは、議員が六年間つとめることになっており、三年ごとに半分ずつ選挙をして交代しますけれども、衆議院のように解散ということがありませ ん。そうしてみると、衆議院のほうが、参議院よりも、その時、その時の國民の意見を、よくうつしているといわなければなりません。そこで衆議院のほうに、 参議院よりも強い力が与えられているのです。どういうふうに衆議院の方が強い力をもっているかということは、憲法できめられていますが、ひと口でいうと、 衆議院と参議院との意見がちがったときには、衆議院のほうの意見がとおるようになっているということです。
しかし衆議院も参議院も、ともに國民ぜんたいの代表者ですから、その議員は、みな國民が國民の中からえらぶのです。衆議院のほうは、議員が四百六十六 人、参議院のほうは二百五十人あります。この議員をえらぶために、國を「選挙区」というものに分けて、この選挙区に人口にしたがって議員の数をわりあてま す。したがって選挙は、この選挙区ごとに、わりあてられた数だけの議員をえらんで出すことになります。
議員を選挙するには、選挙の日に投票所へ行き、投票用紙を受け取り、じぶんのよいと思う人の名前を書きます。それから、その紙を折り、かぎのかゝった投 票箱へ入れるのです。この投票は、ひじょうに大事な権利です。選挙する人は、みなじぶんの考えでだれに投票するかをきめなければなりません。けっして、品 物や利益になる約束で説き伏せられてはなりません。この投票は、秘密投票といって、だれをえらんだかをいう義務もなく、ある人をえらんだ理由を問われても 答える必要はありません。
さて日本國民は、二十歳以上の人は、だれでも國会議員や知事市長などを選挙することができます。これを「選挙権」というのです。わが國では、ながいあい だ、男だけがこの選挙権をもっていました。また、財産をもっていて税金をおさめる人だけが、選挙権をもっていたこともありました。いまは、民主主義のやり かたで國を治めてゆくのですから、二十歳以上の人は、男も女もみんな選挙権をもっています。このように、國民がみな選挙権をもつことを、「普通選挙」とい います。こんどの憲法は、この普通選挙を、國民の大事な基本的人権としてみとめているのです。しかし、いくら普通選挙といっても、こどもや気がくるった人 まで選挙権をもつというわけではありませんが、とにかく男女人種の区別もなく、宗教や財産の上の区別もなく、みんながひとしく選挙権をもっているのです。
また日本國民は、だれでも國会の議員などになることができます。男も女もみな議員になれるのです。これを「被選挙権」といいます。しかし、年齢が、選挙 権のときと少しちがいます。衆議院議員になるには、二十五歳以上、参議院議員になるには三十歳以上でなければなりません。この被選挙権の場合も、選挙権と 同じように、だれが考えてもいけないと思われる者には、被選挙権がありません。國会議員になろうとする人は、じぶんでとどけでて、「候補者」というものに なるのです。また、じぶんがよいと思うほかの人を、「候補者」としてとゞけでることもあります。これを候補者を「推薦する」といいます。
この候補者をとゞけでるのは、選挙の日のまえにしめきってしまいます。投票をする人は、この候補者の中から、じぶんのよいと思う人をえらばなければなり ません。ほかの人の名前を書いてはいけません。そうして、投票の数の多い候補者から、議員になれるのです。それを「当選する」といいます。
みなさん、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことです。そうして國会は、國民ぜんたいの代表者です。それで、國会議員を選挙することは、國民の 大事な権利で、また大事なつとめです。國民はぜひ選挙にでてゆかなければなりません。選挙にゆかないのは、この大事な権利をすててしまうことであり、また 大事なつとめをおこたることです。選挙にゆかないことを、ふつう「棄権」といいます。これは、権利をすてるという意味です。國民は棄権してはなりません。 みなさんも、いまにこの権利をもつことになりますから、選挙のことは、とくにくわしく書いておいたのです。
國会は、このようにして、國民がえらんだ議員があつまって、國のことをきめるところですが、ほかの役所とちがって、國会で、議員が、國の仕事をしている ありさまを、國民が知ることができるのです。國民はいつでも、國会へ行って、これを見たりきいたりすることができるのです。また、新聞やラジオにも國会の ことがでます。
つまり、國会での仕事は、國民の目の前で行われるのです。憲法は、國会はいつでも、國民に知れるようにして、仕事をしなければならないときめているので す。これはたいへん大事なことです。もし、まれな場合ですが秘密に会議を開こうとするときは、むずかしい手つゞきがいります。
これで、どういうふうに國が治められてゆくのか、どんなことが國でおこっているのか、國民のえらんだ議員が、どんな意見を國会でのべているかというようなことが、みんな國民にわかるのです。
國の仕事の正しい明かるいやりかたは、こゝからうまれてくるのです。國会がなくなれば、國の中がくらくなるのです。民主主義は明かるいやりかたです。國会は、民主主義にはなくてはならないものです。
日本の國会は、年中開かれているものではありません。しかし、毎年一回はかならず開くことになっています。これを「常会」といいます。常会は百五十日間 ときまっています。これを國会の「会期」といいます。このほかに、必要のあるときは、臨時に國会を開きます。これを「臨時会」といいます。また、衆議院が 解散されたときは、解散の日から四十日以内に、選挙を行い、その選挙の日から三十日以内に、あたらしい國会が開かれます。これを「特別会」といいます。臨 時会と特別会の会期は、國会がじぶんできめます。また國会の会期は、必要のあるときは、延ばすことができます。それも國会がじぶんできめるのです。國会を 開くには、國会議員をよび集めなければなりません。これを、國会を「召集する」といって、天皇陛下がなさるのです。召集された國会は、じぶんで開いて仕事 をはじめ、会期がおわれば、じぶんで國会を閉じて、國会は一時休むことになります。
みなさん、國会の議事堂をごぞんじですか。あの白いうつくしい建物に、日の光りがさしているのをごらんなさい。あれは日本國民の力をあらわすところです。主権をもっている日本國民が國を治めてゆくところです。

九 政 党

「政党」というのは、國を治めてゆくことについて、同じ意見をもっている人があつまってこしらえた団体のことです。みなさんは、社会党、民主党、自由党、 國民協同党、共産党などという名前を、きいているでしょう。これらはみな政党です。政党は、國会の議員だけでこしらえているものではありません。政党から でている議員は、政党をこしらえている人の一部だけです。ですから、一つの政党があるということは、國の中に、それと同じ意見をもった人が、そうとうおゝ ぜいいるということになるのです。
政党には、國を治めてゆくについてのきまった意見があって、これを國民に知らせています。國民の意見は、人によってずいぶんちがいますが、大きく分けて みると、この政党の意見のどれかになるのです。つまり政党は、國民ぜんたいが、國を治めてゆくについてもっている意見を、大きく色分けにしたものといって もよいのです。民主主義で國を治めてゆくには、國民ぜんたいが、みんな意見をはなしあって、きめてゆかなければなりません。政党がおたがいに國のことを議 論しあうのはこのためです。
日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。それは、政党というものは、なんだか、國の中で、じぶんの意見をいいはっているい けないものだというような見方です。これはたいへんなまちがいです。民主主義のやりかたは、國の仕事について、國民が、おゝいに意見をはなしあってきめな ければならないのですから、政党が争うのは、けっしてけんかではありません。民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。また、政党がいる のです。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だけ、國民の意見が、大きく分かれていると思えばよいのです。ドイツやイタリアでは政党をむりに一つに まとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。國民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利が ふみにじられ、とうとうおそろしい戦争をはじめるようになったではありませんか。
國会の選挙のあるごとに、政党は、じぶんの団体から議員の候補者を出し、またじぶんの意見を國民に知らせて、國会でなるべくたくさんの議員をえようとし ます。衆議院は、参議院よりも大きな力をもっていますから、衆議院でいちばん多く議員を、じぶんの政党から出すことが必要です。それで衆議院の選挙は、政 党にとっていちばん大事なことです。國民は、この政党の意見をよくしらべて、じぶんのよいと思う政党の候補者に投票すれは、じぶんの意見が、政党をとおし て國会にとどくことになります。
どの政党にもはいっていない人が、候補者になっていることもあります。國民は、このような候補者に投票することも、もちろん自由です。しかし政党には、 きまった意見があり、それは國民に知らせてありますから、政党の候補者に投票をしておけば、その人が國会に出たときに、どういう意見をのべ、どういうふう にはたらくかということが、はっきりきまっています。もし政党の候補者でない人に投票したときは、その人が國会に出たとき、どういうようにはたらいてくれ るかが、はっきりわからないふべんがあるのです。このようにして、選挙ごとに、衆議院に多くの議員をとった政党の意見で、國の仕事をやってゆくことになり ます。これは、いいかえれば、國民ぜんたいの中で、多いほうの意見で、國を治めてゆくことでもあります。
みなさん、國民は、政党のことをよく知らなけれはなりません。じぶんのすきな政党にはいり、またじぶんたちですきな政党をつくるのは、國民の自由で、憲法は、これを「基本的人権」としてみとめています。だれもこれをさまたげることはできません。

十 内 閣

「内閣」は、國の行政をうけもっている機関であります。行政ということは、まえに申しましたように、「立法」すなわち國の規則をこしらえることと、「司 法」すなわち裁判をすることをのぞいたあとの、國の仕事をまとめていうのです。國会は、國民の代表になって、國を治めてゆく機関ですが、たくさんの議員で できているし、また一年中開いているわけにもゆきませんから、日常の仕事やこまごました仕事は、別に役所をこしらえて、こゝでとりあつかってゆきます。そ の役所のいちばん上にあるのが内閣です。
内閣は、内閣総理大臣と國務大臣とからできています。「内閣総理大臣」は内閣の長で、内閣ぜんたいをまとめてゆく、大事な役目をするのです。それで、内 閣総理大臣にだれがなるかということは、たいへん大事なことですが、こんどの憲法は、内閣総理大臣は、國会の議員の中から、國会がきめて、天皇陛下に申し あげ、天皇陛下が.これをお命じになることになっています。國会できめるとき、衆議院と参議院の意見が分かれたときは、けっきょく衆議院の意見どおりにき めることになります。内閣総理大臣を國会できめるということは、衆議院でたくさんの議員をもっている政党の意見で、きまることになりますから、内閣総理大 臣は、政党からでることになります。
また、ほかの國務大臣は、内閣総理大臣が、自分でえらんで國務大臣にします。しかし、國務大臣の数の半分以上は、國会の議員からえらばなければなりませ ん。國務大臣は國の行政をうけもつ役目がありますが、この國務大臣の中から、大蔵省、文部省、厚生省、商工省などの國の役所の長になって、その役所の仕事 を分けてうけもつ人がきまります。これを「各省大臣」といいます。つまり國務大臣の中には、この各省大臣になる人と、たゞ國の仕事ぜんたいをみてゆく國務 大臣とがあるわけです。内閣総理大臣が政党からでる以上、國務大臣もじぶんと同じ政党の人からとることが、國の仕事をやってゆく上にべんりでありますか ら、國務大臣の大部分が、同じ政党からでることになります。
また、一つの政党だけでは、國会に自分の意見をとおすことができないと思ったときは、意見のちがうほかの政党と組んで内閣をつくります。このときは、そ れらの政党から、みな國務大臣がでて、いっしょに、國の仕事をすることになります。また政党の人でなくとも、國の仕事に明かるい人を、國務大臣に入れるこ ともあります。しかし、民主主義のやりかたでは、けっきょく政党が内閣をつくることになり、政党から内閣総理大臣と國務大臣のおゝぜいがでることになるの で、これを「政党内閣」というのです。
内閣は、國の行政をうけもち、また、天皇陛下が國の仕事をなさるときには、これに意見を申しあげ、また、御同意を申します。そうしてじぶんのやったこと について、國民を代表する國会にたいして、責任を負うのです。これは、内閣総理大臣も、ほかの國務大臣も、みないっしょになって、責任を負うのです。ひと りひとりべつべつに責任を負うのではありません。これを「連帯して責任を負う」といいます。
また國会のほうでも、内閣がわるいと思えば、いつでも「もう内閣を信用しない」ときめることができます。たゞこれは、衆議院だけができることで、参議院 はできません。なぜならば、國民のその時々の意見がうつっているのは、衆議院であり、また、選挙のやり直しをして、内閣が、國民に、どっちがよいかをきめ てもらうことができるのは、衆議院だけだからです。衆議院が内閣にたいして、「もう内閣を信用しない」ときめることを、「不信任決議」といいます。この不 信任決議がきまったときは、内閣は天皇陛下に申しあげ、十日以内に衆議院を解散していただき、選挙のやり直しをして、國民にうったえてきめてもらうか、ま たは辞職するかどちらかになります。また「内閣を信用する」ということ(これを「信任決議」といいます)が、衆議院で反対されて、だめになったときも同じ ことです。
このようにこんどの憲法では、内閣は國会とむすびついて、國会の直接の力で動かされることになっており、國会の政党の勢力の変化で、かわってゆくので す。つまり内閣は、國会の支配の下にあることになりますから、これを「議院内閣制度」とよんでいます。民主主義と、政党内閣と、議院内閣とは、ふかい関係 があるのです。

十一 司 法

「司法」とは、争いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、 財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさ ばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。
裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめておりま す。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられな いことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるので す。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。
こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることが できるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所 は、たいへんおもい役目をすることになりました。
みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。

十二 財 政

みなさんの家に、それぞれくらしの立てかたがあるように、國にもくらしの立てかたがあります。これが國の「財政」です。國を治めてゆくのに、どれほど費 用がかゝるか、その費用をどうしてとゝのえるか、とゝのえた費用をどういうふうにつかってゆくかというようなことは、みな國の財政です。國の費用は、國民 が出さなければなりませんし、また、國の財政がうまくゆくかゆかないかは、たいへん大事なことですから、國民は、はっきりこれを知り、またよく監督してゆ かなければなりません。
そこで憲法では、國会が、國民に代わって、この監督の役目をすることにしています。この監督の方法はいろいろありますが、そのおもなものをいいますと、 内閣は、毎年いくらお金がはいって、それをどういうふうにつかうかという見つもりを、國会に出して、きめてもらわなければなりません。それを「予算」とい います。また、つかった費用は、あとで計算して、また國会に出して、しらべてもらわなければなりません。これを「決算」といいます。國民から税金をとるに は、國会に出して、きめてもらわなければなりません。内閣は、國会と國民にたいして、少なくとも毎年一回、國の財政が、どうなっているかを、知らさなけれ ばなりません。このような方法で、國の財政が、國民と國会とで監督されてゆくのです。
また「会計検査院」という役所があって、國の決算を検査しています。

十三 地方自治

戦争中は、なんでも「國のため」といって、國民のひとりひとりのことが、かるく考えられていました。しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとりひとり がよくならなければ、國はよくなりません。それと同じように、日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、その地方が、それぞれさかえてゆかなけれ ば、國はさかえてゆきません。そのためには、地方が、それぞれじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方には、その地 方のいろいろな事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」と いいます。それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。
こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの団体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの団体です。これを「地方公共団体」といいます。
もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共団体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共団体は、國のひながたといってもよ いでしょう。國に國会があるように、地方公共団体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。また、地方公共団体の仕事をする知事 や、その他のおもな役目の人も、地方公共団体の議会の議員も、みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することになりました。
このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、ある一つの地方公共団体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。
みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしましょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってください。

十四 改 正

「改正」とは、憲法をかえることです。憲法は、まえにも申しましたように、國の規則の中でいちばん大事なものですから、これをかえる手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。
そこでこんどの憲法では、憲法を改正するときは、國会だけできめずに、國民が、賛成か反対かを投票してきめることにしました。
まず、國会の一つの議院で、ぜんたいの議員の三分の二以上の賛成で、憲法をかえることにきめます。これを、憲法改正の「発議」というのです。それからこ れを國民に示して、賛成か反対かを投票してもらいます。そうしてぜんぶの投票の半分以上が賛成したとき、はじめて憲法の改正を、國民が承知したことになり ます。これを國民の「承認」といいます。國民の承認した改正は、天皇陛下が國民の名で、これを國に発表されます。これを改正の「公布」といいます。あたら しい憲法は、國民がつくったもので、國民のものですから、これをかえたときも、國民の名義で発表するのです。

十五 最高法規

このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。この最高法規としての憲 法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。この中で、國民の基本的人権は、これまで かるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろ いろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。
憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。これも憲法がはっきりきめています。
このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。また、日 本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本 の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。
みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。
おわり   (昭和22年8月2日発行)

日本國憲法

昭和二十一年(1946)十一月三日公布
昭和二十二年(1947) 五月三日施行

 

日本國憲法

日本國民は、正当に選挙された國会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたって自由 のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が國民に存することを宣言し、この憲法を 確定する。そもそも國政は、國民の厳粛な信託によるものであって、その権威は國民に由来し、その権力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれ を享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの 安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社会において、名誉ある 地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの國家も、自國のことのみに専念して他國を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自國の主権を維持し、他國と対等関係に立たうとする各國の責務であると信ずる。
日本國民は、國家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

第一章 天 皇

第一条  天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く。
第二条  皇位は、世襲のものであって、國会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
第三条  天皇の國事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
第四条  天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その國事に関する行為を委任することができる。
第五条  皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその國事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
第六条  天皇は、國会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
天皇は内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 國会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 國会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 國務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外國の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、國会の議決に基かなければならない。

第二章 戦争の放棄

第九条  日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない。

第三章 國民の権利及び義務

第十条  日本國民たる要件は、法律でこれを定める。
第十一条  國民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が國民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の國民に与へられる。
第十二条  この憲法が國民に保障する自由及び権利は、國民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条  すべて國民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する國民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。
第十四条  すべて國民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、國民固有の権利である。
すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。
公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を間はれない。
第十六条  何人(なんぴと)も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。
第十七条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、國又は公共団体に、その賠償を求めることができる。
第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してならない。
第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、國から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
國及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外國に移住し、又は國籍を離脱する自由を侵されない。
第二十三条  学問の自由は、これを保障する。
第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
第二十五条  すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
國は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
第二十六条  すべて國民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第二十七条  すべて國民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
児童は、これを酷使してはならない。
第二十八条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。
第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。
財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。
私有財産は、正当な補障の下に、これを公共のために用ひることができる。
第三十条  國民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。
第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由が なければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。
第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。
捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。
第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。
刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。
刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、國でこれを附する。
第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。
何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。
第三十九条  何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。
第四十条  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、國にその補償を求めることができる。

第四章 國 会

第四十一条  國会は、國権の最高機関であって、國の唯一の立法機関である。
第四十二条  國会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。
第四十三条  両議院は、全國民を代表する選挙された議員でこれを組織する。
両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。
第四十四条  両議院の議院及びその選挙の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。
第四十五条  衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。
第四十六条  参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。
第四十七条  選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。
第四十八条  何人(なんぴと)も、同時に両議院の議員たることはできない。
第四十九条  両議院の議員は、法律の定めるところにより、國庫から相当額の歳費を受ける。
第五十条  両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、國会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれぱ、会期中これを釈放しなければならない。
第五十一条  両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を間はれない。
第五十二条  國会の常会は、毎年一回これを召集する。
第五十三条  内閣は、國会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。
第五十四条  衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、國会を召集しなければならない。
衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、國に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。
前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであって、次の國会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。
第五十五条  両議院は、各々その講員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
第五十六条  両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。
両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。
第五十七条  両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。
両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。
出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。
第五十八条  両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。
両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。
第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。
衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多致で再び可決したときは、法律となる。
前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。
参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取った後、國会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。
第六十条  予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。
予算について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、 衆議院の可決した予算を受け取った後、國会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を國会の議決とする。
第六十一条  条約の締結に必要な國会の承認については、前条第二項の規定を準用する。
第六十二条  両議院は、各々國政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。
第六十三条  内閣総理大臣その他の國務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないことにかかはらず何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。
第六十四条 國会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。
弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

第五章 内 閣

第六十五条  行政権は、内閣に属する。
第六十六条  内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の國務大臣でこれを組織する。
内閣総理大臣その他の國務大臣は、文民でなければならない。
内閣は、行政権の行使について、國会に対し連帯して責任を負ふ。
第六十七条  内閣総理大臣は、國会議員の中から國会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行ふ。
衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議 決をした後、國会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を國会の議決とする。
第六十八条  内閣総理大臣は、國務大臣を任命する。但し、その過半数は、國会議員の中から選ばれなければならない。
内閣総理大臣は、任意に國務大臣を罷免することができる。
第六十九条  内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない。
第七十条  内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて國会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない。
第七十一条  前二条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。
第七十二条  内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を國会に提出し、一般國務及び外交関係について國会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。
第七十三条  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、國務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、國会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して國会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
第七十四条  法律及び政令には、すべて主任の國務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。
第七十五条  國務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

第六章 司 法

第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
第七十七条  最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。
検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。
最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。
第七十八条  裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。
第七十九条  最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。
最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際國民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査し、その後も同様とする。
前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。
審査に関する事項は、法律でこれを定める。
最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。
最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。報酬は、在任中、これを減額することができない。
第八十条  下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、これを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。
下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。
第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
第八十二条  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。
裁判所が裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯 罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する國民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

第七章 財 政

第八十三条  國の財政を処理する権限は、國会の議決に基いて、これを行使しなければならない。
第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。
第八十五条  國費を支出し、又は國が債務を負担するには、國会の議決に基くことを必要とする。
第八十六条  内閣は、毎会計年度の予算を作成し、國会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。
第八十七条  予見し難い予算の不足に充てるため、國会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。
すべて予備費の支出については、内閣は事後に國会の承諾を得なければならない。
第八十八条  すべて皇室財産は、國に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して國会の議決を経なければならない。
第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
第九十条  國の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを國会に提出しなければならない。
会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。
第九十一条  内閣は、國会及び國民に対し、定期に、少くとも毎年一回、國の財政状況について報告しなければならない。

第八章 地方自治

第九十二条  地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九十三条  地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
第九十四条  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。
第九十五条  一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、國会は、これを制定することができない。

第九章 改 正

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、國会が、これを発議し、國民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の國民投票又は國会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、國民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

第十章 最高法規

第九十七条  この憲法が日本國民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の國民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第九十八条  この憲法は、國の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び國務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
日本國が締結した条約及び確立された國際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第九十九条  天皇又は摂政及び國務大臣、國会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

第十一章 補 則

第百条  この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。
この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び國会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。
第百一条  この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は國会としての権限を行ふ。
第百二条  この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。
第百三条  この憲法施行の際現に在職する國務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められている 者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によって、後任者が選挙又は任命され たときは、当然その地位を失ふ。

 

* 掲載した上の文献を どうかコピーして広く友人知己へもおひろめ願いたい。 秦 恒平
2017 5/3 186

* 「湖の本135」のために、必要な「覚書き」と「跋」とを書いた。校正も終えてあるが連休明けまでは返送しても仕方がない。「選集二一巻」の再校、 「湖の本136」の初校を連休中にせいぜい済ませておきたい。うかうかしていると「選集二二巻」の初校もでてきてしまう。「選集二三巻」の原稿読みがなか なかタイヘン。入稿には桜桃忌過ぎにまでかかるかも。

* 長編『或る寓話 ユニオ・ミスティカ』は少なくも分冊にしての第一册分は仕上がっていて、此処だけで場面はしっかり三変する。そのあとは変化なげにし かもきつい変化へ転覆しそう。第一册分三変の「中一変」分は途方もなく頼りない妄想・空想・幻想で埋められながら前を後ろへ橋渡し役をする。それがうまく 行くか、だが。ま、成り行くだろう。
いずれにしても、この作は公刊できるのか、作者にも分からない。

* 『清水坂(仮題)』は楽しめる、作者自身には。長々しい作にしないで、語り味を楽しんでいる。慌てまい。
今一つ「信じられない話だが」これまた後白河院絡みの蜘蛛の巣のような現代の物語が書き始めてある。成ればいいが。今いまの思いつきでなく、落想はやき り四半世紀も遡れるが、これも願わくは取材確認の旅へ出たくなる。ああ、その気になれば、ほかにも抱きしめている怖いモノ語りが在るよなあ。唐突だが必要 条件はしっかり栄養を食することだが、色や形や匂い、それに堅さだけで食い気が失せてしまうのではハナシにならない。佳い焼酎に蜂蜜を少量まぜながら、 750mlを二日半で飲み干した。谷崎先生は焼酎三分の一ほど酒をまぜ砂糖を加味して氷で呑むと暑気払いにいいなどと人に手紙を書かれていたが。
食の細ってしまう原因はやはり胃袋の失せたこと、腸がいきなり食道へ繋がれているので、胃で溜めて消化することが出来ず、細い麺類や茸類や堅めのものは常住腸閉塞の危険をともなうので、怖くてついつい美味しい上等食でも咀嚼しにくくてはつい敬遠する。
新茶を戴く季節になった。お茶は嬉しい。和三盆のような口当たりの優しい甘味も好き。酒も甘味も好きなので助かっている。
2017 5/4 186

* 「谷崎の歌」を読み終えた。松子夫人のおゆるしを得て豪華限定の『谷崎潤一郎家集』を手書きの原稿から克明に再現し刊行した昔を懐かしんでいる。わた し自身も『少年』のむかしから、老いてのちの『光塵』そして今度の『亂聲』をつくってきたが、少年好きの人からはなんたる雑な変貌よと笑われているか知れ ないが、それもこな谷崎愛という方へこかしている。谷崎先生は歌を国風おそらくは和歌と思い徹しておられながら、しかも歌はいわば汗や小便のように自然に 排泄していいものと言い切ってられた。わたしはこの谷崎流へためらいなく身を寄せていったのだ。
谷崎の歌は、歌人や評家また身よりからも酷評されることしばしばであったけれど、どうして、なかなか手誰の歌人でもあった。ぎくしゃくして面白くもなん ともない、わたしからいえばヘタクソとしか言いようのない有名短歌人は世間に溢れているが、その無味乾燥ぶりには和歌しらず、和歌わからずの鈍な不勉強が 禍していることに気がついていない。
ま、わたしの歌は、そんな批評すら承けるにあたらない私の好き勝手な妄想であり、お嗤いください。

うそくさいモノ・コト・ヒトやわれも然かと
痛いほど目とぢなみだこらへつ
ウソでないホントのオモヒに身を燃して
オロカなままに歩き果てばや
瀬をはやみいなともいはで稲舟の
行方もなみに漕ぎぞかねつる

*  メールには、書いていいことと、書かない方がいい範囲とが、確実にある。柏木という貴公子は源氏の正妻女三宮への文をあまりに不用意に書いてしまい、源氏 の目にふれたとき痛く軽蔑を買った。文の作法を知らない男も女も、あさはかに軽いのである。メールも源氏物語での文のやりとりも同じ。いまどき、他所の メール往来をでも覗き見する技くらいは、かなり大勢がおもしろづくに所有している。ハガキなみなのである、だからこそ、メールの書きわざには神妙なおもし ろみが添うと云える。メールの表現は文藝なのである。

* 眩しかったり暗かったり 読みにくい機会の字を懸命に読んでいると知らず知らず歯を噛みしめていて痛んでくる。歴史物の原稿を正確に復元しようとすると、無数のフリ仮名に脚を取られ続ける。参る。じんじん痛みが強まる。たまりかねてバファリンの厄介になる。
2017 5/5 186

* 北海道での「むかわ龍」発掘で七千万年前の全身像がビジョン化された。七千万年まえ。人間の人間らしい地球上での生活は七万年にも満ちていない。人間の誕生を地球の一年でみると大晦日の23時59分30秒頃にやっとと聴いている。
そんな人間が、なんという爛熟にさしかかっているのか。
わたしの小さかった頃には、漱石・鴎外はもういなかったが、鏡花、藤村、露伴も、谷崎も直哉も康成もいた。国民的な敬愛をあつめる文豪がいた。今は、…いるのか。識らない。
わたしの小さかった頃には、勝れて大きな画家・彫刻家たちがビカソをはじめ何人もが世界的に敬愛されていた。今は、…超えているのか。識らない。
わたしの小さかった頃には、今に比べればかなりまともな政治家が日本にもいた。今は、ヒド過ぎる。
わ たしの小さかった頃には、辛うじてラジオはあったがテレビもなかった。まして電脳機械やネット社会など無かった。便利は増えたが人間の爛熟腐敗はグローバ ルに進行し日本人の心身は、「九相詩」でいえば、すでに新死相をあらわにし、やがて第二肪脹相を呈し、第三血塗相に達し、第四方乱相の解体をみせはじめ、 第五噉食相にあってあらゆる虫・鳥・獣に食い散らされ、第六青瘀相、第七白骨連相、第八骨散相へまで転じて、もはや第九成灰相をすら安楽には迎えられない であろう「いちびって心ない、まともな目も耳も心も見失って、機械をつかうどころかあらゆる機械にかえって頤使されて暮らしている。それが文明の恩恵だと 錯覚している。
価額技術が野放図に発展発明されて行くのは人間の不幸の極を待ち迎えるに同じではないかと、志賀直哉はあの戦後に生真面目に発言していた。
マトリックス世界が来ている。人間は、一度は死に絶えて仕方ない文明の不幸をすでに生きている。文化的にすぐれたモノやワザは文明のこころない重圧で 踏みつぶされて行くだろう存在感を誇示しうるのは当分はアスリートが第一で、芸術家も政治家も学者ももはや年を追い日を追って粒が歪み潰れつつある。機械 と通貨との専横時代は進度をますます早め、囲碁・将棋のようなまったく何らの価値にもつながらない無意味な抽象の天才技でさえ、いずれ機械に制圧される。
機械こそは人間力の所産ではないかと安楽に思っているような暢気さで、いま人間世界はただの機械化または機械の奴隷化へ敗亡腐蝕しつつある。
これを救いだせるのは、真にすぐれた政治家と藝術家でしか無い。宗教家や哲学者にはもうモノが見えていない。

* 祈っている人の図像をわたしは、呆然と見ているのではない。その横に添うている気だ。
2017 5/7 186

* 疲れ果てた。下へおりて、機械の字でない字の本を読んで寝よう。ついにわたしの連休も終わる。この二三日一の楽しみの読書は、昔に井口哲郎さんに戴い ていた、石川近代文学館編の大きな『近代戯曲集』巻頭の鏡花作「天守物語」。せりふや場面の端々隅々まで何度もの観劇、ことに玉三郎演出の舞台を楽しみ尽 くしてきたので、活字から舞台が立ち上がるように甦るのだ、それが途方もなく面白く、いまでは鏡花の代表作は戯曲の「天守物語」し「海神別荘」と極めが着 いてしまっている。小説をあげろと言われても突出して一つ二つがでてこない、ま、学研版のために私の選んだ『高野聖』『歌行燈』に、現代語訳もした『龍潭 譚』か。
わたしにはことに「天守物語」「海神別荘」は魂の故郷のように懐かしいのである、怖いクセして。わたしの初期作の多くがその同じ懐かしさをひしと抱いている。
2017 5/7 186

* 枕草子の類聚篇わたしのように現代語訳するとすてきに嬉しく恰好の石清水のように胸ら落ちる。
源氏物語の「夕霧」が柄にない恋を野暮なほどぎりぎりと、柏木に死なれた女二宮へ向けて行く。源氏の正妃女三宮に横恋慕し現在の妻を「落葉の宮」などと 疎んじ続けた情け薄き柏木よりも、根は実直な夕霧の方がこの未亡人を結果は優しくすくい上げて行く。この恋の沙汰がおさまるともう光源氏の世界は夕闇へ沈 んで行くのだ。わたしは「御法」「幻」の二巻は近年はパスして「雲隠」あとの繋ぎ三帖「匂宮」「紅梅」「竹河」へ跳ぶ。

* 百二十五歴代はとぎれなく憶えきっているのに、わたし、源氏物語五十四帖の巻の名を正確に順には憶えてこなかった。
きりつぼ ははきぎ うつせみ ゆうがほ わかむらさき すえつむはな もみぢのが はなのえん あふひ さかき はなちるさと すま あかし みをつ くし 辺までは堅いと思うが。順を追わなくてよければ大方出てくるが、順が大事なので。ふじのうらば で夕霧は幼な恋を遂げ わかな上 わかな下から源氏 の物語はかげって行く。
みのり まぼろし くもがくれ にほふのみや こうばい たけかわ そして宇治十帖になる、巻の名はおおかた出てくるが、はしひめ から てならひ ゆめのうきはし まで、まだ正確を欠く。やどりき、あげまき、さわらび、あづまや、うきふね、てならひ、かげろふ、などがある。一つ足りない。
当分は、これを記憶して遊ぶことに。物語をアタマに納めるのにいい遊びになる。
数は五十四より少ないのに忠臣蔵の四十七人の姓名がよういに憶えられないのが癪の種である。
2017 5/8 186

* 月報集「絵巻」はズーンと内容が重い。短文の一篇一篇にしたたかに教えられる。二冊目は『一遍聖繪』という最初の『源氏物語絵巻』に劣らない名品。一 遍には弟で弟子、絵巻の書き手でもある「聖戒」について、また歓喜光寺という時宗寺院に関してもいろいろ教わり終えて、ひょいと次頁をあけてビックリ、わ たしの名と写真があらわれて望月信成先生と「対談」しているではないか、すーっかり忘れていた。源氏物語絵巻では竹西寛子さんが美術史学の秋山光和さんと 対談されていて懐かしいなと思っていたらも一遍聖繪の対談にはわたしが使われていたとは、恐縮した。望月先生はわたしが高校生ごろに既に京都では聞こえた 大学者でいられた。何十年も経って私も八十一だが文字どおりに恐縮した。明日、おそるおそる読み返してみます。
2017 5/10 186

* 思い立ち昨日来「湖の本」の一巻にやや剰るかというほどの「物語らしき」を試みて、ともあれ一段落させたが、今は、このままそおっと「棚上げ」にし、作そ のものにさらに何倍もつづくであろう「夢」を見させたい。これは仕上がろうとしている長編『ある寓話 ユニオ・ミスティカ」とも「清水坂(仮題)」とも、 別もの。

* もう選集二十巻送り出しの用意にとりかかった。六月五日まで、もう、二十五日と無い。用意を間際へ持って行くと気の重さが何倍にも成る。用意が出来て いると気軽に納品日が待てる。気軽に日々を待つのが老境の妙薬。周辺の仕事もハカが行く。 選集二十一巻ももう十日とかからず手を放して責了に成るだろ う。湖の本136の「枕草子」の初校も進むだろう。「枕草子」は気分爽快に嬉しく読めるが、ものの名に相当量の注意深い読み仮名が必要になる。

* いま、「ちくま少年図書館」でサンケイの賞をとった『日本史との出会い』を読み返している。本の出たとき、安田武さという名うての読み上手が「小さい 頃にこういう日本史が習いたかったなあ」と嘆息しながら喜んで呉れたのを想い出す。こういうのを新書版などにして呉れればいいのだがな。

* 来週水曜、その次週の月・火曜、暫くぶりに聖路加へ通う。金曜には歯医者へ。そういう予定もかしこく念頭におきながら六月を丁寧に待ちたい、選集を追 いかけて「湖の本135 黒谷・女坂」も送り出さねばならないだろう、十九日 桜桃忌が過ぎたあたりに発送したい、が。桜桃忌には、歌舞伎座が予約してあ る。
2017 5/11 186

* 一つ、こころを決めた。押し入れの奥までをぎっしり占めていた東工大学生諸君の三万枚に及ぶ挨拶の文などを全部処分して東工大をわたしも卒業すると。 関係の書類や資料もびっくりするほどノコしていたが、もうそれらに目を触れる残りの余裕は無い。それよりも身のそばを少しでも寛げないと、先日のような棚 崩れした本の下敷きで大怪我をしかねない。
棄てることを憶えねば。
なにしろ湖の本の関連もの、本自体はおくとも、校正刷りなど唸るほど関連残滓のあるのを棄てはじめている。山のように原稿の初出雑誌や初出本が保管して あるのも、「四度の瀧」年譜所載分までは目をつむって棄てようかと思いかけている。わたし自身の著書だけは単行本や共著本や限定本や湖の本は置いておく が、それも三册ずつ程度に絞って他は欲しい人にあげるなり図書館や古本屋に引き取って貰うことにしたい。
狭い家を言語道断に狭くして暮らしている。愚かしいのかも。
2017 5/12 186

* 「湖の本135」の再校が出た。「選集二十一巻」の再校、終盤へ来ている。「選集二十二巻」の入稿前再読、辛抱強く続けている。「湖の本136}の初 校も届いている。選集の一巻はだいたい湖の本四巻ないし五巻分に相当している。平均して常時少なくも「湖の本規模の十巻分」に作業の手を触れ生活してお り、さらに先行して、新作の創作数種と多種多様の読書生活がある。
読書はその場その場、窓辺に立ったままでも庭へ出ても書庫でも書架の前でも。
今朝は二階の廊下で立ったまま、「大乗非佛説論」にかかわっての仏教史に読み耽った。『出定後語』を著していた十八世紀富永仲基の、辛辣でかつ正確な 「異部加上」説に基づく議論・追求のすばらしさ、息を呑んだ。書庫にあるだろう『出定後語』原典にもぜひ向きあってみたい。
基督教は聖書一冊で足りかつ足らせているが、仏説は、小乗・大乗の大蔵経夥しくて、釈迦自身の言葉は不確実にかつ極めて乏しい。『仏のことば』とまとめ られた本を一、二読んでみたが、他方で阿弥陀三経や法華経や般若心経や木蓮経等々の大乗経を読んでも、謂わばさしわたしの長さ広さは途方もない。法然遺言 の「一枚起請文」でいいじゃないかと、途方もない結論を持ちたくなってしまう。ないし不立言語の禅へと気持ちは向かう。
で、やはり現代の和尚バグワン・シュリ・ラジニーシに聴きたくなるのだ。
2017 5/13 186

* 妹尾徤太郎夫妻の元へ昭和初年に集中していた、谷崎潤一郎と三人の妻達、佐藤春夫、谷崎鮎子、谷崎終平、谷崎すえらの二百通ちかい親書(多くは毛筆・ 但し写真とコピー)とを、一括して谷崎研究家の永栄啓伸さんに譲り渡した。わたしの書き下ろし論攷にすべて紹介はしたものだが、大冊をくり返し校正してい る間にも、論及仕残された「かなり大事な問題や課題」の幾らも残っているのに気がついた。もうわたしには追いかける余命乏しく、思い切って永栄さんに託し た。この人には谷崎論攷にすぐれた著作も論文もあると同時に私の作品を論策されたお仕事も粘り強く続けて戴いている。譲り渡した資料はどのように使われて も処置されても差し支えないので、せっかくの活用があれば有り難い。
谷崎の原著書で初版の原形をのこした何冊かも手元にあり、おいおいに委ねていきたい。谷崎に関する大勢の論者の著書も、このさき、谷崎論。谷崎学に向かおうとされる若いすぐれた学究にとり纏め差し上げたく、佳い出会いを願っている。

* もう、機械目が限界。階下で裸眼で校正、そして読んで、眠る。
2017 5/14 186

☆ 長い間
ご無沙汰して相済みません。選集と湖の本134のお礼も申し上げず失礼しています。
『花と風』は40年近く前岡山市内の細瑾社という書店で見つけたのが、秦さんの単行本との初めての出会いで、特に思い入れの深い作品です。
日記に食が進まないとあり,また奥様がご不調だともあり心配しています。
天満屋デパートにニューピオーネの初入荷がありましたのでお届けします。  吉備の人
* 恐れ入ります。有難うございます。
『花と風』はわたしのいろいろな思いや行いの原点に位置する述懐であって、いつも、そこへ帰って行く、行ける思いがある。今一つを挙げるならわたしの根 の思いと気概とをみせて滞りない一冊は「ちくま少年図書館」にいれてもらった『日本史との出会い』をわたしは思う。私の思想や言動の起点はよくいわれる平 安王朝古代にではなく、間違いなく「中世」への思いに根ざしている。この少年達に向いて「後白河院と乙前」「法然と親鸞」「足利義満と世阿弥」「豊臣秀吉 と千利休」をとりあげて「日本」を問い続け語り続けた気概は、今もわたし自身の力になっている。亡き安田武が、「こういう本で歴史を知りたかった、学びた かったなあ」と大きく嘆息してくれた昔をありありと思い出す。
いま、中世が忘れられ、昭和の大政翼賛体制、国家総動員体制への強引な政治の誘導に日本は立ち枯れようとしている。もう何年も前に「いま、中世を再び」と湖の本を一冊編んだ。その思い、今なお切に切であるが。

* 世界的にハッカー攻撃が拡大し、日立社内のコンピュータ・システムが崩壊したかのニュースがある。わたしは、世界戦争は核でよりも、電脳攻撃でこそ大 乱を生じるだろうと、ペンクラブの理事を勤めていた昔にくり返し憂慮を発言した。加えて、今後の人間の環境問題は、自然環境破壊以上に電脳機器による精神 環境の混乱と衰弱こそ重大事だと発言し続けたが、ほとんど顧みられなかった。そもそも電脳機械を使えている理事など数えるほどしかいなかった。予期し予見 したとおりに人と世界とが腐って来ている。困ったことだ。
とにかくも、百パーセント確実にその人と自信の持てないメールは、過剰なまで即削除している。
2017 5/15 186

* 国文学研究資料館の館長を退かれた今西祐一郎さんから、館でも、よろこんで「秦 恒平文学選集」を頂戴したいのですとお手紙を戴いた。ありがたい。
2017 5/15 186

 

☆ 京都には
現在も市立図書館は設立されておらず、名誉市民でもあった桑原さんの蔵書は三度の移動の後、右京中央図書館副館長が処分を決定、万葉学者の中西進さんは京都市中央図書館と右京中央図書館館長を兼任されています。  読者より

* なんともいえないが、不愉快極まりない。
2017 5/15 186

* 重苦しい疲労の底で、湖の本のために小説「黒谷」また「女坂」に次いで小説ではない「女の噂(一)」の校正が楽しいし、枕草子の読みも楽しい。助かる。
2017 5/18 186

* 今朝だったか、NHKでなんと田原総一朗が「高齢者の性衝動」を主題に話していてあれあれと思った。田原氏へも「湖の本」を送っている。
おやおや、ほぼ仕上がっているわたしの長編「ある寓話 ユニオ・ミスティカ} 何処かへ売り込んでやろうかな、時節に当たっているなあと、ニヤッとした。
2017 5/19 186

* 『女文化の終焉 十二世紀美術論』を読み返している。書き下ろしたのは四十五年ほども昔、また三十台だった。背丈にも及ぶかの参考文献を全部読み終えてから書き始めたのを想い出す。
いま、三十代作家でこのような論考を書き下ろし続ける人はいないと思う。あの当時でもじつはいなかった。わたしはあたりまえのように小説も書きエッセイも書き、長い広い両翼のように思いながら空高くをよほど孤独に飛翔していた。
しかし、いま想い出せばわたしは太宰賞以後、出版社づきあいはともあれ、けっして孤独な書き手ではなかった、ある時ある場所で吉行淳之介と筒井康隆とに 「よくまああんなに書くねえ」と冷やかされたほど、本は売れないけれど原稿依頼はひっきりなしに続いて、自然それらか本になっていった。十年で六十册も単 行本を出していた若い作家は事実は珍しかったのだ、しかもわたしは通俗読み物は一切書かなかったのだ。井上靖は訪中国日本作家代表に誘ってくれた。江藤淳 は東工大教授の後任に推してくれたという。梅原猛は日本ペンクラブの理事に引っ張ってくれた。文藝春秋の寺田専務は、わたしの「湖の本」刊行に凸版印刷所 を推薦紹介してくれた。
ずうっとわたしは、そういうあれこれをただ偶発的な幸運としか思えていなかった。そうではなかったと、近年つくづく思い当たるようになった。
「清経入水」のような不思議な小説が、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫ほどの難しい大先生達の満票で太宰治賞に選ばれてい たというほどの当選はよく見聞きすれば稀有の一語にすでに尽きていた。そんなこともわたしは判らなくて、ただただおずおずと「売れない作家」業を遠慮がち に歩んできたのだった。
「女文化の終焉」は古代と中世のはざま百年の文士的論攷として、いま八十一歳の見聞から推しても、懸命の力作であるとともに、文藝としての批評でありたくしんじつ勉強したものだと微笑ましくなる。心ゆく仕事をわたしはし続けてきた。そう、いま、はっきり言える。

* またまたものの下の下の中の方から、手荒に破った紙にこんな夢の句が三つ おおきなボールペンの字で書かれて出て来た。裏の印刷文には前世紀末の経済記事が出ていて、前歌集「光塵」期の作だろうと思うが意識して棄てていた句とも云える。記録だけしておくか。

妻抱いてなすにすべなき夢の夢

曙のありとしもなき姫ごとや

春愁といはでやあらん妻の尻

なんだこりゃ。
2017 5/22 186

 

* 妻は病室での読書に歌集を求め、てもとに届いていた正古誠子さんの新刊歌集を皮切りに何冊も病室へ運んだ。高校時代の国語の上島史朗先生、中学の給田みどり先生のも。俳句よりも歌が分かりよかったらしく、ことに正古さんの歌に共鳴を覚えたらしい。

* わたしは、高校へ入るすこし前に東山線(京の市電通り)菊屋橋わきの古本屋で斎藤茂吉自選の歌集『朝の蛍』をなけなしの小遣いで買ったのが最初で、愛 読のうちに一気になにかしら眼が開け、歌集『少年』の歌が出来ていった。茂吉本は寶と謂うてよく、ほかに導きは無用なほどであった。あんな貴重でやすい買 い物はなく、書庫のなかにうもれて光っている。和歌は『小倉百人一首』に、短歌は茂吉の自選一冊で徹底して学んだ。
いい大人になってからは谷崎潤一郎の国風歌二冊の自筆稿に触れる機会があり、松子夫人のお許しを貰って『谷崎潤一郎家集』を編み大阪の湯川書房で二種類の豪華本を創った。
わたしの第一歌集『少年』は高校の三年間の作を大きな中心に、朝日子が生まれる頃までの作で編み、数種の本に成って世に容れられた。先ずは茂吉の、つい では牧水の感化があったろう。岡井隆が自選二度の「昭和百人一首」に、二度とも『少年』から各一首ずつ選抜してくれていた。嬉しいことであった。
第二歌集『光塵』は、はるかに遅れて平成二十三年秋に編んだ、その直後に癌を病み、五年を過ぎたところで第三歌集『亂聲(らんじやう)』を編んだ。気儘に自在な行儀のわるい放歌録である。

* 九時過ぎた。今夜こそ安眠したい。ともあれ妻が諸検査の結果も、険悪でなくて何よりであった。よかった。お見舞い下さった皆様に、お礼申し上げます。
2017 5/24 186

* 私の第二歌集『光塵』に添えた「詩歌断想(一)」を見返していてふとこんなところへ目をとめた。
今の時節に、まんざら遠くない発言なので、ここへ再録しておきたくなった。2001年の2月2日の述懐である。15年も以前であるが。

☆  何の番組だか、昼ごろ、歌壇の将官や佐官級が一般の短歌を品評し顕彰している番組があった。推薦して、「じつに」とか「きわめて」とか強い言葉で褒めてい るいる短歌作品を読んでも、いっこうに感心できないことに驚いた。説明的な歌、ガサガサした歌、舌をかみそうな歌、観念的な理屈の歌、要するに感動のまっ すぐ伝わってこないへたな歌が、次から次に推され、褒められ、それでは作者より「玄人」を自認しているらしい推薦者・選者の鑑賞眼の方を疑うしかなかっ た。
たとえば俵万智の褒めあげた作には、「コンビニが」「コンビニが」と二度出てくる。二度出るのは必要なら少しも構わない。しかし、「が」という助詞の用い 方に歌人として何故疑問をもたないか。「が」は、格助詞の「の」にくらべて、いやしい、きたない、という語感を国語の伝統ではもってきた。そしてその短歌 では、「コンビニの」でむしろ正しい表現であった。事実、直ぐ次に登場して馬場あき子の推した短歌では、同様の第一句にちゃんと「の」を用いていた。散文 を書いていても、「が」と書いて、すぐ「の」の方がここではいいなと、書き直す例が多い。「が」は濁音の響きも感じわるく、必要なら必要だが、一音一音に 心を入れるはずの歌人詩人にして、俵万智のような無神経なことでは、なるまいに。国語の先生ではなかったのか。いや、国語審議会か何かの委員ではなかった のか。

☆ ソ連崩壊に関して、こんな歌が或る歌集にあった。気持ちは分かる、が、あるいは「短歌」での表現の限界をも感じさせる。こんなに簡単にいわれては受け取れない、もっとややこしい感想が胸にあるだろう、一頃の大人なら誰にでも。

搾取して富まむ所業を罪悪と断ぜし思想はいさぎよかりき
人の理想かなへし国と言ひあひて恃みたりしが無力にほろぶ

しかし「戦陣回顧」しての次の作など、とても秀歌とは言えないけれど、届いてくる毅い何かはある、はっきりと。

直立し吸ひし煙草は恩賜とか味は格別のものにあらざりき
菊の紋の煙草恩賜と渡しやる人死なしむるなんぞたやすき
人間を神とまつるはなじまずと靖国神社参拝を問はれ答ふる 畔上知時

さきの番組のような場合、わたしなら、この三首にも少し立ちどまりはしても、推さない。だが、ものは感じさせてくれる。そういう作品に出逢いたいと思うが、ただの概念ではいやだ。この場合など、これは実感だなとよく分かる。

楯などにされてたまるかその上に醜(しこ)はひどいとひそひそ言ひき
天皇は神にあらずと口ごもり部隊長に答へき二等兵われは
慰安所とは何かと問ひし少年兵帰隊し笑ふここちよかりきと
たはやすく鎮魂といふなたましひの鎮まるべきや蛆わかせ死して
侵略と言ひ敢へしばし黙したり戦ひ死にし友があはれに
営庭に集められ学生服に固まりぬかく兵とさるる思ひ惨めに
慰安婦にふれず戦地より還りしと言へば不具かと呆れられたり
毛一筋残さず爆死せしありき笑ひて戦争體験語るを憎む

こういう記憶に久しく堪えながら同じ作者に以下の短歌が出来てくると、読むわたしも、ほっと息を吐く。

とりし掌の温みは知れり年長くたづさひしもの妻の掌ぞこれ
家建てて移り住みきし九世帯それぞれに喪のことありて三十年

門過ぐる我にかならず吠えし犬この頃吠えずただよこたはる

畔上さんはかつてわたしの上司であった。上司としてよりも歌人としての畔上さんをわたしは敬愛していた、今も。お元気でと心より祈る。
歌集『時を知る故に』はお名前にからめた好題で、ほかにも印象的な歌、胸に残る歌がいくつも有った。いずれも「私史の玉」であり、上に挙げたどれ一つも わたしは先の番組のような場面で安易には称揚しないだろう。「歌史の玉」とまではいい得ないのだ。 2001 2・2

* 何も付け加えずにおく。こうした感想は、感想として単独に書き下ろしてきた原稿ではない、このホームページの「私語の刻」と題してある日々の日記であ り、二十年近い間に原稿用紙にすれば十万枚できかない感想を日々に書き置いてきた。そのままでは読み返すのも大変を極めるが、一人の親切な暑い愛読者が、 これら全日記を三十種類ほどに主題別に分類してくださったので、望めば直ちに「詩歌断想」だの「京の散策」だの「ペンと政治」だのとして独立編纂が利くの である。感謝して余りある恩恵であった。すでに何冊も何冊もの「湖の本」として編纂されている。
2017 5/25 186

* 選集第二十三巻 入稿した。のこる十巻で思いを尽くすのはなかなか難しく、何を断念して剰すかを慎重に考えねばならない。優にあと二年半で予定へ到達 するだろう、願わくはその余は「湖の本」が生かせればいいのだが、これは作品や資金以上に、わたしたちの体力が働いてくれるか、妻は休ませて、わたし一人 の力で「発送」できるかどうかだ。作品の編輯や校正はわたしには何でもない。体力は発送にだけかかる。急げば疲労に負ける。従来五日かかったのなら、二週 間かければよい、少しずつ送ればいい。老齢読者のご健勝をと何より願う。赤字はもう余儀ないと諦めている。

* それにしてもよく働いているなあと、我ながら、思う。ひと様には呆れられているが、わたくしには、励み楽しみなのである。
2017 5/26 186

* 印刷所へ原稿を添付フアイルとして送付したのが、メールごと、何度も届かないという事故が起きている。やり直していると「届きました」という時もある。案じている。仕事の能率が違ってくる。今回は三度送って三度届かない。
で、同じ方法で同じモノを妻のメールへ送ってみた。メールは届いている。メールならは他の何方へもちゃんと届くのだろうか。

* 気が腐る。

☆ メール届いています。安心して下さい。
通信不安定なところあれば、やはり心配ですね。
この五月はいろいろなことがありました。天気も急に夏の暑さかと思えば翌日は冷えたり。
病院の予約が取れなければ、長いこと待って一日がかりになりますが、それは苦しいでしょう。
わたしより歳上の人、歳下の人、この五月には親しい人のつらい消息を知りました。晴れ渡った空の青が哀しい。
めげず、日々を生きます。
鴉、 元気にお過ごし下さい。 尾張の鳶

* ま、なかなか想うままにはこの世のこと、成らないなあと思う。不思議なことかどうだか、こんなときこのところ無条件に手を出して頁を繰っているのはわたし自身の三册の歌集。なんとなくなんとなく自身の気持ちを納得したいと思うのか。

みなづきといひし水菓子なつかしく隠れ蓑うつ雨のおと聴く

と、五年前、二月十五日に胃全摘のうえに胆嚢も摘除したあの歳の、六月(みなづき)に歌っている。それ以前にもう一度入院し、七月にはまた目の手術で三度目の入院もした。

眼を病んで手術(オペ)受けて暑い日退院(かへり)来ぬ
あるがままあるがまま仕事に向かふ

子供の頃、お菓子「みなづき」の当たるのは、嬉しかったなあ。

* 印刷所とのやりとりを重ねるうち、「無事に届いた」と。ああーあ、よかったよかった。
2017 5/29 186

 

* 印刷所から、製本時に事故があり、「選集⑳巻」の五日納品を七日にさせてと。それはいいが、製本は完璧に願いたいと、希望。

* なにもかもがスムーズにとはいかないモンだなあ。
ISをかかえクルドをかかえ、米ロが構え、トルコも我を張る「中東」事情を解説されながら、暗澹とした絶望感にとらわれる。
こんなとき、わたしを清しく洗ってくれるのは「老子」を語る、和尚バグワン。バグワンは、どの優れた宗教者よりも老子を身にしみじみと共感豊かに語り聴かせてくれる。涙が出そうに、ありがたい。老子にもバグワンにも毛筋ほども狂信がない。

* 老子はロジックを用いない、アナロジーで語っている。わたしの最も惹かれるのがそこだ。わたしは論攷や評論や研究めく仕事を、「花と風」でも「女文 化」でも「趣向と自然」でも「谷崎論」でも、詞藻をつくしてのアナロジーとして、極端にいえば「詩」かのように書いてきた。バグワンに融け込めるのは彼も またロジックに毒されていない、毒されるな毒されるなと手を引いてくれるからだ。

* 弥栄中学にいら した万年元雄先生から、雅なかぎり彩々のあられを大きな缶にたくさん頂戴した。先生は、いまもお寺のご住職。橋田二朗画伯もご一緒にお三人仲良しであられ たわたしの担任、西池季昭先生は、菅大臣神社のご神職であった。京都やなあ。京都が恋しいほどなつかしい。おととい京都美術文化賞のことしの授賞式であっ た、行きたいと願ってはいたが、妻の入院がかりに無かっても、とても思い立てなかった。よほど臆病になっている。
幸いわたしの厖大量の仕事の少なく見積もっても九割は「京都」に触れて語り尽くしている。谷崎潤一郎が述懐していたとおりに、わたしも「秦 恒平選集」三十三巻ができたあとは、ゆるりと心静かに読み直せる日々をもちたい。
ただし、いま、もう複数の声で、おまえ自身で「秦 恒平論」を仕上げてから死ねと、きつく嗾されている。秦建日子に父・秦 恒平の全作を「解説」する力があるとは思われず、他の誰にも、「小説・創作」「論攷・批評」を綜合して作家世界論の書ける誰ひとりも今は思い浮かばないの だから、と。
そんな必要は、ない。さほども遠くなく、わたしは日本国は文物も自然も猛火に灼かれると感じているのだ。
2017 6/1 187

☆ 『谷崎潤一郎を読む』「夢の浮き橋 余白」に
近藤信行さんがお宅に伺ったという記述がありました。
近藤さんは私の所属する日本山岳会の先輩で、ご夫妻とお付き合いがあります。とはいえ、もう長い間お目にかかっていませんが。
近藤さんは、秦先生が中国にご一緒なさった辻邦生さんを世に出された方で、その辺の経緯は、辻さんの『のちの想いに』に詳述されています。
近藤さんは、20年ほど前岩波の『図書』に「荷風潤一郎」を連載されていて読んだことがあります。
湖の本を読んでいたら、近藤さんについて書かれていたので、一筆啓上いたしました。
気候不順の折柄、呉々もおからだおいといください。  仁

* 仁さん   お元気であってと願っています。
わたしは、ひょろそょろ、よろよろと観るから情けなく歩いていますが、気は慥かに仕事しています。
近藤さんが我が家へ見えた日のこと、昨日のように覚えています。そしてこの初対面が、私の「谷崎」世界を豊かに押し拡げた大きな契機になりましたし、中 央公論社や雑誌「海」での仕事も増えました。いまもいつも感謝しています。山梨の方へ引っ込まれましてからは、私もめったに出なくなっていて、お目に掛か る機会は有りませんが「湖の本」は送り続けています。
辻邦生さんとは 一緒に訪中国作家代表として、井上靖夫妻らと一緒に、毛沢東や周恩来逝去の直後に、人民大会堂で周恩来夫人との会見に臨みました。巌谷大四、伊藤桂一、清岡卓行、大岡信さんが御一緒でした。
辻邦生さんと私とは、「反リアリズム作家」とくくられ、よく一緒に論じられました。最も懐かしい先輩作家のお一人で、優しくして頂きました。よく読みました。
谷崎の大正期の優作「アヴェ・マリア」などに、ご関心の谷崎プラトニズムがよく現れています、概して谷崎ははっきりプラトニズムをアチコチで自白的に告白しています。
選集二十・二十一巻には、谷崎関連の論攷やエッセイを結集しました。
暑くなります。くれぐれもお大事に。我が家は五月なかごろに十日ほど家内が胆石・黄疸で入院し、幸い退院しまして一息ついています。  秦 恒平
2017 6/2 187

* 共謀罪法案に関知し批評したいなら、なによりも図書館の大事典で「大逆事件」の経緯をよく知ることだと思う。

* このホームペイジに入れてある電子文藝館「e-文庫・湖(umi)」六、七百作のなかにも、「大逆事件」がいかに国家による犯罪行為でありいかに国民 が震撼したかを証言した必読の詩や小説や論説が掲載されてある。安倍内閣が与党と共謀して為そうとしている「国民支配の悪謀」は、まさしく「明治の大逆事 件」の真相に露呈していることをよくよく知って欲しい。
作家である息子の秦建日子に、「まず、読んでみて欲しい」と送った、電子文藝館「e-文庫・湖(umi)」所収、歌人与謝野鉄幹の詩を、ここへも挙げてみる。

招待席
よさの てっかん  詩人 1873.2.26 – 1935.3.26 京都府に生まれる。 詩歌集「烏と雨」大正四年(1915)刊に収録の掲載作は、明治四十四年(1911)の大逆事件に絞首刑された医師大石誠之助を素材の諷刺詩で、作者の妻与謝野晶子に「君死にたまふことなかれ」の有ったのを想起させる。

大 逆事件は、ゆるされてならない大きな「国の犯罪」(フレームアップ でっち上げ)を暗部に、日本の近代・現代を大きく自壊と崩落へ導いた。「e-文藝館= 湖(umi)」に掲載している石川啄木の『時代閉塞の現状』 平出修の小説『逆徒』 徳富蘆花の講演『謀叛論」などは、同時期における優れて勇気ある聡明 な言説・証言となった。併せて必読願いたい。
鉄幹のこの屈折を装った批評の詩も「日本」を嘆く不気味な発語であった。 (秦 恒平)

誠之助の死   与謝野 鐵幹

 

大石誠之助は死にました、

いい気味な、

機械に挟まれて死にました。

人の名前に誠之助は沢山ある、

然し、然し、

わたしの友達の誠之助は唯一人。

わたしはもうその誠之助に逢はれない、

なんの、構ふもんか、

機械に挟まれて死ぬやうな、

馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

 

それでも誠之助は死にました、

おお、死にました。

 

日本人で無かつた誠之助、

立派な気ちがひの誠之助、

有ることか、無いことか、

神様を最初に無視した誠之助、

大逆無道の誠之助。

 

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、

その誠之助は死にました。

 

誠之助と誠之助の一味が死んだので、

忠良な日本人は之から気楽に寝られます。

おめでたう。

* そのいかに大勢な無実の「一般人」が「テロ等共謀」の名において巻き込まれ、数千というひとが逮捕され、秘密裁判であっというまに百に及ぶ人に死刑ないし極刑が言い渡され、あっという間に天皇の特赦にも洩れた十二人が死刑執行されていた。大石誠之助もその一人であった。
「一般人」を巻き込んで弾圧し支配できる、それが「共謀罪」の秘めた目標になりかねず、どんな結果をもたらすかの実例を、今の人は「歴史」にもよく学んで対峙しなければいけない。
2017 6/2 187

* きのう、明治の「大逆事件」を顧みつつ今回安倍政権らによる「テロ等共謀罪法案」への怖ろしい懸念をわたしは此処へ書いた。そのとき、相並べて言い置きたかった「横浜事件」にふれて、以前に東京新聞に発表していた一文をあえて再掲載しておきたい。

横浜事件 1942年、雑誌「改造」に掲載された論文「世界史の動向と日本」をもとに、「共産主義を宣伝した」とする治安維持法違反容疑で、同雑誌などの 編集者や新聞記者多数が神奈川県特高課(当時)に逮捕、投獄された、戦時下最大の「共謀」をでっち上げた言論弾圧事件。

* 再掲載
横浜事件再審決定に思う 秦 恒平   東京新聞2005(平十七)四月十二日(火)夕刊

反・主権在民国家  終わりなき「権力のテロリズム」

「国(公)の犯罪」は、まちがいなく有り得る。「私」の犯す罪より罪深く、歴史的に、事実、幾度も有ったのである。開戦や敗戦をいうのではない。例えば 国権を笠にきた弾圧やフレームアップ(でっちあげ)のテロリズムがあり、最たる一つに明治の「大逆事件」が思い出され、また昭和敗戦前の「横浜事件」が思 い出される。
横浜事件のほうは、粘りづよい運動と法の手続きにより、戦後六十年、最近、やっと再審査の細い明かりが見えた。だが、往時の被告たちは、もう、一人もこの世にいない。
大逆事件も横浜事件も、官憲の事件捏造と不当裁判の経緯はあまりに錯雑、詳細はしかるべき歴史事典などをお調べ願いたいが、ともに大規模な「弾圧」事件であり、「国権による犯罪」という暗部を多分に持っていた。
ことに横浜事件では、神奈川県特高により、「中央公論」その他の筆者・編集者たちが、何の根拠も証拠もなく約五十名も検挙され、凄い拷問と白白の強要 で、力ずく「事件」に作り上げられていった。表向きは共産主義思想の猛烈な禁圧とみせて、実は、「戦争政権」背後の勢力争いに陰険に利された、著作と編集 への「テロ」の疑いも持たれてきたのである。
この数年関わってきた日本ペンクラブ『電子文藝館』に、故池島信平の「狩りたてられた編集者」という一文を掲載しておいた。大意、こんなふうに書き出されている。
<昭和二十年三月十日の空襲は壊滅的で、私は雑司ガ谷の菊池寛氏の家に転げ込み、居候した。或る日、本郷の焼跡を通りかかると、当時、『日本評論』編集 部員の渡辺潔君と出遇った。「いま『文藝春秋』をやっているんだ。君等に会ったら、聞こうと思っていたんだが、やたらにこの頃、編集者が横浜の警察へ引っ ぱられているが、いったい、なにがあったんだい」と聞くと、渡辺君は、「実はぼくにもよくわからないんだが、うちでも美作太郎、松本正雄、彦坂武男の三人 が引っぱられた。こんどは僕のような気がするんだが、なにが当局の忌諱に触れたのか、わからないんだよ」と、深刻な顔をしている。これが世にいう「横浜事 件」で、前年あたりから、『中央公論』『改造』『日本評論』の記者諸君が続々検束されていた。身に覚えのないことで引っぱられるという恐怖は相当なもので あった。>
私は、これが「過去完了の事件」とは言いきれないのを、今、懼れている。昨今の政権与党の政治手法や法の制定は、個人の「保護」とか人権の「擁護」とか 美しい文字をことさら用いながら、その実は、言論表現や報道取材の自由を、また私民の基本的人権を、またもや専制と監視下に抑圧する意図を、ポケットに隠 した銃口のように、国民の方へ突きつけている。
権勢保持の「公の犯罪」をそのようにして法の名の下に「國」として犯しかねないのを、私は強く懼れる。「反・主権在民」政治の、津波にも似た不意の来襲を、心から懼れるのである。
いましも用意されている国民投票法案のごとき、明治八年の讒謗律や新聞紙条令などジャーナリズムの徹底監禁政策をホーフツさせる信じられない条文に溢れている。
だが、それ以上に私の気にかけ懼れているのは、物書きはもとより、新聞・雑誌の記者・編集者、出版人に、あのような「横浜事件」の悪夢再来を阻もうとする、自覚や意思や方策が、声を揃え手を携えて立ち向かう気概が、有るのだろうか、という一点。
罪無き言論人や編集者を無惨に巻き込んだ「横浜事件」は、決して過ぎ去った過去完了の弾圧事件ではない。うかと油断すれば、即座に、また新たな基本的人 権の苦難時代、主権在民のなし崩しに圧殺されて行く時代の、一序曲として位置づけられかねない、コワイ事件なのであった。
忘れてはなるまい。横浜事件は、私民の平和を侵す「公の犯罪」、主権在民を阻む「國のテロリズム」なのであった。「國」という権力機構は、国民に禍する「罪」を、じつに容易に犯し得るのである。公と称して国を「私する」からだ。
監視さるべきは、国民が公僕として傭っている、「政権」「政治」の方なのである。 2017 6/3 187

* 私・秦 恒平の自筆書簡がオークションに出ているが御承知かと言うてきた匿名個人か識らない機関がある。わたしの手紙など、悪筆でしかも走り書きで頂き物の礼か、 恋文に類するようなものばかり、何の値打ちもない。「恋文に類するようなもの」には註釈しておいた方が良いが、わたしは自筆書簡であれメールであれ、手紙 は「恋文かのような気持ちで書くのがいい」という誠に良き思想の持ち主である。たとえ用件の手紙でも。九割がたはそういう風に書いている。けんか腰や抗 議・非難の手紙もすこしはあったろう、そういうのは読んで面白いでしょう。
とにかくも手紙は文藝のジャンルとわたしは確信しているので、創作の中でも比較的多くいろんな作中人物に手紙を書かせているが、これからはメールを方法として用いた短編や長編の実作を用意している。むろんそれはみな「創作」である。
2017 6/3 187

* 日本史と西欧史の中世学者四人の討論、中公新書上下巻『中世の風景』を再び熟読し終えた。あいつぎ網野良彦の『無縁・公界・楽』の気を入れた再読にかかっている。「中世」はわたしの思想上の活力に溢れた源泉であったとしみじみ思う。

* 騒壇 とは、はやい話がほぼ文壇・出版、文人世間の意味でありわたしはもう三十年も昔から「騒壇餘人」と名乗ってきた、もうこの世間で何を何といわれ ようと御勝手にということ、だ。知りたくもない、知ろうともしない。なにかと知らせて下さる方もあって感謝もするが、時に耳目よごれる思いにもなる。やす い魂胆だが自分のことなど知らぬが仏という気持ちだ。
2017 6/4 187

* 書きかけの長い『ある寓話』を読み返し読み返し手を入れながら終結部への問題提起を思案している。

* おそらくは小説のために「選集」最低もう二巻、歌集等のために一巻は必要。すると七巻しかもう余裕がない。どう精選し編輯するか、アタマが禿げそうだ。年譜や作品年表へは手も回らず、余裕もない。かなり残り惜しい気分で打ち上げねばなるまい。ま、そういうものだ「仕事」とは。だからこそ「湖の本」という舞台は残しておきたい。

* 明日だった第二十巻の納品が、水曜へ延び、木曜には聖路加の眼科検診に行く。送り出しは慌てずゆっくりと手を掛けて。
いま湖の本は新しい小説二篇の135と、枕草子の選抄・現代語訳136が、十分進行しているのだが、選集よりも送本作業が重労働になるので、すこし、交通整理上の小休止をはかっている。

* 九時 もう機械仕事から離れ、階下で、読み仕事へ移動する。機械の眩しさにどうしても目が眩んでくる。
明日、明後日を幸いに安息日と受け入れて大きく息をつきたい。
2017 6/4 187

* 新しい小説二篇に「女の噂」を添えた「湖の本」135巻を、全紙「責了」で送った。「選集」第二十一巻も「責了」になっていて、これらがあまり相次いで出来てくると発送作業の重みで潰されかねない、せめて二週間以上は間隔をアケて製本して下さいと頼んでいる。
明日には「選集」第二十巻 谷崎潤一郎の名作を徹底読み直す重い大冊が出来てくる。これらが書きたい目にわたしは本気で「作家」に成りたかった。小説家 として認められれば批評やエッセイを書いたり本にしたりの機会に恵まれようと期していた。時代も良くて、まさしく願いは完璧なほど的中した。「秦 恒平選集」予定の三十三巻が勢揃いしたとき、わたしが異色の、「異端の正統」とさえ言われた小説家であることが、新たに成るだろう。続々重々しい論攷本・ エッセイ本が居並ぶ。
2017 6/6 187

* 選集から、私なりの詞華集は省けない。少なくも、実作と鑑賞とは。詞華集は、組み付けが難しい。ことに歌も句も詩のようなのも混じっていると。少しずつ、用意はしておかないと、急には入稿用意できない。

* わたしの歌集は『少年』で始まるが、それ以前、また時期も重なって、沢山な割愛作がある。電器屋をしていた父の店で剰っていた裏白宣伝用紙を丁寧に畳んで、沢山な日々の歌作を几帳面に書きためていたのが手元に溜まっているハズである。ちょいと読み返してみたいとも思い、割愛したものだ処分した方が良いとも。けっこう思いでも詰まっていて、電器資料としても興味は在る。

* 十時になる。機械からは離れようか。
2017 6/6 187

☆ 数日前、
夜中に ほととぎすの啼くのを聞き、息を呑みました。来年もこの声を聞くことができるかと、想ったからでございます。
本日はご高著をご恵贈たまわりまことにありがとうございました。百六十四頁 ほんとうに好きなものは、たにんに言えないものでございます。 私も「蝶の 皿」が なかなか人に話せなくて困っております これほど素晴らしいものほ教えるのが もったいない… 私だけの胸に秘めておきたい、大事な大事な世界と 思っております。 松子夫人の水茎の跡も麗しいおたよりに感動いたしました。

梅雨ら入りましたが、どうぞご無理をなさいませんよう、 くれぐれも御身体お大切に、
益々のご活躍をお祈り申し上げます かしこ   京・鳴瀧  浪

* 大学へ入って専攻をきめるのに、日本史かと思っていたのをふらふらっと美学・藝術学にかえた。面接された園頼三先生のお誘いに乗ったのだ。そのとき、 どんな文学作品が好きかと聞かれ、直哉の「暗夜行路」トルストイの「復活」と答え、何故かと聞かれて「男」が主人公なのでと返事した。我ながら驚いた返事 だが先生方も思わず沈黙された。本当なら、当然も当然に谷崎潤一郎の「吉野葛」や「細雪」と答えて当然であったのに、黙っていたのだ。
あのときのこと、今もよく憶えている。忘れたことがない。谷崎について思うさま書きたくて、その為には先ず小説家になろうと本気で思っていた。その通りになった、なれた。今回の、そして次回にも続く「選集」に二巻の谷崎論は、この方面で私の代表作と観て貰えるだろう。
「浪」さんのお手紙を嬉しく戴いた。いつものように過分のご支援まで併せ頂戴した。感謝に堪えません。
2017 6/12 187

* 荷風原作を脚色した映画「濹東綺譚」を山本富士子、芥川比呂志、新珠三千代らで観た。胸に迫るものが時代背景も巧みに描き取られ、ヒロインの生きのありさまが美しいまでに哀しかった。わたしの今書いている長編は、似もつかないが、しかもかなり深く重なってくるだろう。

* 身も病み、人も病み、世も病んでいる。淋しいことだ。もう機械からは離れる。  2017 6/12 187

☆ 秦恒平様
『秦恒平選集第20巻』を昨日昼に拝承。忝う存じました。早速読み始め、日付が変わってからも熱心に活字 を追いました。読み飛ばせません。「眼光紙背に徹する」推理に敬服しつつ、また漱石に対抗する文学的世界の構築者を叙述する試みとしても、谷崎における人 間の性(さが)への探索・「離見の見」的な耽溺と想像力・想像力・構築力の湧出の秘密に触れる思いを味わいつつ、さらにはキリスト教的な人間観との差異と 人間的な現実との重なりを意識しつつ、と、読みつつ複雑に心を動かしました。
著者の力業と文章力には敬服のほかありません。私とは違った日本人の伝統と心術に根ざした美意識があるのだと、つくづく感じました。感想は当たり前ながら、深い衝撃が残ります。
一つ、お赦しをいただきたいことがあります。
私の死後ーーこの年になると不意に意思伝達不能に陥る危険もありますーー他の書籍ともども『秦恒平選集』が古書店に売り払われないように、前々から考え ていたことですが、集を東北学院大学図書館に寄贈する件の実行に入りました。東北学院大学には、「東北弁のシェイクスピア」の劇団をその都度結成して実行 してきた下館和巳教授(私の大学の後輩で親しい友人)がおります。下館君を介して、図書館長の意向を確かめたところ、実にありがたい、とのお返事を先週末 に受けました。そこで早速昨日、既刊分19冊を宅急便で送りました。今回の20巻以降も読了し、しばし美しい著作を手元に置いて愛でてから、逐次送り届け るつもりです。寄贈先を東北と決めたのは、文化までもが東京一極集中となることへのささやかな抵抗です。東北学院大学泉キャンパスの教養学部図書館の、開 架式の書棚に並べられます。
ありがとうございました。    ICU  浩

* このお申し越しは、まことに有り難く、私の願いのままを為し下さろうとしている。
この『秦 恒平選集』を謹呈している方々の多くは、殆どというに近く私なみの高齢の知己であり、願わくは、いつかは、然るべき施設なり個人なりにお預け頂ければどん なに有り難いかと思い続けてきた。亡くなられた国文学者の島津忠夫さんは、所縁のおありの或る記念図書館へ寄贈の手続きをしておいて下さり、わたしは安ん じてご遺族のもとへ本をお届けし続けられる。「浩」先生のおはからい、とても有り難い。
この私家版が、数は知れないがネット上に売り物として出ていることを親切な読者が心配して知らせてくれている。文壇人・出版人ないし読者の中にも贈った 本をそのように始末される人の有ろうことは、察している。屑として廃棄されるよりは有り難いことと、一人にでも多く目に触れて頂ければわたしは本望と思っ ている、が、もしご縁あって、然るべき個人や図書館や施設へ移転して行くなら有り難いことと念願している。それは、私の方からむしろお願いしたいことで あって、島津先生生前のご配慮や「浩」名誉教授のおはからいに、わたしは感激している。
他の多くの多くの方々にも、本の御処分はお任せしていますとお願いも籠めてお伝え申したい。願わくは故紙・塵屑として廃棄はご勘弁願いたい。
2017 6/13 187

* 「テロ等準備法」参議院で、委員会採決抜きの議会強行採決で成立。
亡国への第一日を踏み出した。安倍政権の暴行はもはやとめどもなく、恥を知る自民・公明与党のだれ一人もいない。頭数と支配欲とだけで肩で風切る愚昧政権の醜さよ。
残年余命の少なさを思わず喜びかける自身にも、怒りを覚える。
わたしは諦めない。立ち直り、打ち崩せる日を、諦めない。野党の諸君よ、国民同朋の知己達よ。次の選挙では徹底的にこの悪法成立に無言で荷担した代議士達の永久追放を実現し、悪法破棄への決意を実現しよう。
それにしても、情けない国になったものだ。
少なくもわたしは、わたし自身の世界を、命懸けで、悪しき権力には奪わせない。  2017 6/15 187

* なぜ睡れなかったか。悩んだのではない、どの本も本もすこぶる面白かった、いや心惹く物をもっていて、ついつい読み進んでいたのだ。
源氏物語は、宇治十帖「橋姫」の巻が、平易でしかも静かに息の籠もった佳い文章で、宇治八宮の境涯へわたしを誘い込んだ。高徳の山僧や、冷泉院、中将薫らの心優しい登場も嬉しく、まだ幼いほどの姫姉妹、大君、中君の姿にももののあはれはひとしお増した。
わたしが、日本の古典ものがたりに触れて文を綴った最初は高校の新聞に寄稿した「更級日記の夢」そして大学へ入学早々創刊された紀要にまだまだ心幼い 「宇治十帖と人間形成」なるモノを掲載して貰った。三度目が、会社勤めの合間を盗むように東大国文科の「書庫」ゑとくべつに入れてもらい、小説『斎王譜= 慈子』を生み出す下地のような「徒然草の執筆動機について」であった、コレも母校の紀要に送り二回に分載された。もうあの頃は何としても、きっと谷崎潤一 郎論をと願っていた。谷崎へとわたしを導いたのは、むろん源氏物語であった、母と「母」とへの生得の関心であった。一冊の文庫本「吉野葛・蘆刈」がわたし のなかで源氏物語と化合していったのだ。

* このところ「絵巻」月報を次から次へ興味深く教わりおそわり読み進んでいて、「源氏物語絵巻」「一遍聖繪」「鳥獣戯画」「平治物語絵巻」「伴大納言繪 詞」「信貴山縁起絵巻」と孰れ劣らぬ名作について、作家のエッセイ、専門家二三氏の考察や解説、珍しい写真そして美術史家と作家との長めの対談を、大方興 味深く読んでいる。月報の全部を一揆に通読して行けば、関連の知識だけでなく絵巻という不思議な美術への敬愛をしっかり持てるだろう。
但し、読めば読むほど初読でなく、克明にわたしの入れた朱線が「お先に」とわたしを招いている。今度は黒いペンでさらに要点や要所を確認しながら読んで いてまことに興味深い。こんな一連の、すっかり忘れていたが、わたし自身が早々の二番バッターとして「一遍聖繪」をえらい先生と対談していた、きれいに忘 れていた。辻邦生さんや木下順二さんのエッセイも読み返せて懐かしかった、まだもう六、七倍も月報「絵巻」は続く。楽しみなことだ。
これを終えたら、森銑三著作集の月報に次いで、柳田国男全集の全月報、折口信夫全集の全月報もまとめてシコシコと楽しみたい、読みたいと思っている。

* バグワンの『老子 道』は、ま、何度目を読んでいるのか、しかし初読みの新たな感触と納得とで、心嬉しく、やはり先行した朱線に黒いペンで線を載せて行きつつ、しみじみと心打たれまた励まされて、読みはじめると永くなる。
ゆうべは第三章を耽読。「弓をぎりぎりまで引き絞れば ほどほどのところでやめておくべきだったと思うだろう。 持而盈之、不如其已」「仕事を終えたら 身を引く、それが天の道である。 功遂身退、天之道」と『老子』は上篇第九章に語っている。彼老子は、そしてバグワンは、徹して生のトータリティを大切 に、それを為し成すには「バランス」が大事と切に語り続ける。
昨日今日の我が国の昏迷にもしかと触れ、「生はつねにバランスをつくり出す。なぜなら、アンバランスというのは一種病的な事態にほかならないからだ。も しひとつの国で、政治家たちがあまりにもエゴイスティックになり、過剰に歪んだ政策や服従・忖度を国民に強いたりすれば、やがて痛烈な軽蔑に見舞われる。 政治家たちは、過剰な権力に任せた不当な欲望や追従など強いるべきではない。とかく、どんな政治家も自分が権力の座につこうなら、お山のはだか大将にな る。自分の限界を破ってしまうのだ。所詮、彼は引きずりおろされる。生はけっして不公平ではない、ということをつねに心にとめておきなさいと老子は説きバ グワンは語っている。
限界をわきまえること、つねに真ん中にとどまり、つねに満足して「もっと」を渇望することはない。
2017 6/16 187

* わたしの名前でわたし自身がツイッターやフェイスブックに所感を寄せていたのはもう数年以前の以前のことで、機械操作上の理解不能な障害が起きて、以 降、ただ一行の投稿も不可能になっている。それもまた良いことと諦めて放置したままである。たいへんな量のわたしへの「お知らせ」とか「友誼」の通知が経 営当局には届いているらしくしばしば通知がくるが、その内容をわたしの機械はガンとして読み出さない。そしてそれもまた良いことと諦めている。
もしかして、私の名前などを用いて世に放言の悪戯をする人がいても、全く私の関知しない無縁のよそ事であることを、こういう「イヤな時勢」であればこ そ、シカと確言しておく。わたしの処世と思懐とは、殆ど全部がこのホームページ「作家・秦 恒平の生活と意見」、ないし湖の本・選集という出版活動とに尽くされている。

* 「e-文庫・湖(umi)」への原稿転送がどうしても全面的にはうまくいかない、半端な形では読み出せもするのに。よっぽどややこしいツクリになって いるらしい、人手を頼んでできたものゆえ、わたし一人の手で難所を通り抜けることが難しすぎる、しかし、やってみつづける。老いのアタマでは複雑な機械の 回路を容易には通り抜けられないが、くり返し粘り強く試み続けることは出来るハズである。頭の体操と思えばいい。あわてふためくことはない。

* ゆっくり湯の中で枕草子を嘆賞した。枕草子を通読した日本人はたぶん源氏物語を気張って読み通した人よりも数少ないのではないか、随筆としてもかなり の量がある。岩波文庫の徒然草と枕草子を比べても分かる、倍以上も枕草子の文庫本は分厚い。正確にわたしがどれ程の量を精選したかは覚えないが、優に湖の 本一巻分にはなっている。おおかた取るべく選ぶべきは選んだという実感がある。もう初校を終えるが、校正にかなりの時間を要したのは、普通のほんとちが い、無数にルビをふらないと、古典世界に馴染まない人ほど生活具や衣裳や官職や人名など読みにくいであろうから。また和文脈を念頭に現代語訳しているか ら、モノ・コト・ヒトの名ばかりでなく、言葉遣いにもなるべく柔らかに静かにとこころがけた。漢字熟語の音読みにはしらず、和語で読みを振っている。原著 者の日本語ではあれ、現代のわたくしの日本語としても静かに柔らかに書き進めたかった。それで、かなりの時間が校正にかかった。もうすこし、で、要再校に まわせるが、現場には手間を掛けてもらうことになる。

* わたしは詩歌の現代語訳にははっきり反対で、大意を紹介しても訳さないようにしている。詩歌はあくまで原作のままの「うったえ」に応じるべしと。散文 でも、古典ないし文語の作を成るべく現代の散文に訳したくはない。上の学研版「枕草子」の選訳のほかには同じく学研版「明治の古典」シリーズ中の泉鏡花篇 を担当し、なかの一短編「龍潭譚」だけを今日語に訳した。主部にあたる現代語の名作「高野聖」「歌行燈」には、チエを絞って深く読みかつ慎重に、すくなか らぬ脚注を附した。その脚注にわたしは自信をもっている。煎薬
「龍潭譚」は佳い短編で、訳して行きながら、これにも丁寧に脚注を補った。その一部で大先輩の批評家とちょっとした論戦が生じかけたりしたが、訂正はしていない。これもいずれいいかたちで「湖の本」で取り上げたい。

* このホームページ「作家・秦 恒平の文学と生活」には、入れ子になって、厖大な日記部分「作家・秦 恒平の生活と意見」のほかにも、現に掲載六百作を越している秦 恒平責任編輯の電子文藝館「e-文庫・湖(umi)」を始め、湖の本本百数十巻等大量の作品・原稿(コンテンツ)のアーカイヴをも成している。
これらをすべて万一に備えて「保管」して下さるという声も届いていて、有り難く預ける用意をしているのだが、どうしてどうして簡単に整理がつかないで、毎日のように少しずつ複雑な手順で手を掛けつづけている。
ところが、実は私の機械で、上の「ホームページ」部分は、大きく云って全体の半量、その他に、やはり莫大な「一太郎」領域が在り、此処にはたやすくは外 へ持ち出せない、たとえばこの二十年の無数の知人のメールや、住所録や、メルアドや、むろん創作のためではあるが機械の奥から採集してきたアブナイ写真 や、真っ当で厖大な自慢の家庭写真などが、書きためた数え切れない原稿や資料やコピーなどとともに唸るほど溜まっている。これらも、いつでも人手に托せら れるようには分類整理しておかねばならず、しかし今分はバンザイ状態。ここには、全日記(私語)を三十数種に分類した全部も入っていて、思い切ってホーム ページに含ませておくことも必要かと思っている。
とにかくも、今は、親切に送ってきて戴いている外付けのハードディスクに、みそもくそも全部ひとからげに移転・保存しつつあるが、これは個人情報的にも 門外不出とするしかない。早く、無難に整理しておきたいと、この歳になって、なかなか俗用から離れられない、そのおかげで或いはわたしはまずまず日々を精 神的には活溌に生き延び得ているのだとも思うことにしている。
つまりは、こんな、今いう何もかもが、すべていつか、いつかどころか意外に早く烏有に帰し地球の埃となり失せるのだと、わたし自身は想っている。だから、出来ることはしておこうと思っている。この混乱思考はなかなかに趣味に富んでいるのかも。
2017 6/17 187

 

☆ バグワンに、そして老子に聴いている。
弓をぎりぎりまで引き絞れば ほとほどのところでやめておくべきだったと思うだろう……。生は何ひとつ完璧を望まない。完璧とともに停止してしまうから だ。ぎりぎりというのは、つねに死を意味する。完成は死だ。不完全こそ生だ。老子やバグワンにとって、ゴールは完成にではなく、トータリティにある。完璧 でなくてもトータルであることはできる。完璧というのは、もうおまえが凍り付いている、流れていないという意味だ。真に偉大な人間達はけっして完璧でな かった、トータルだった。自分のなかにあらゆるものをもっているという意味だ。算術的にではない、藝術的にトータルだった。詩(文学・藝術)というのは、 その中にある言葉全部「より以上のモノ」だ。そうあって当然、さもなければそれはただ単に言葉でしかない。

* 詩についてこんなに厳しく的確に語られたのを知らない。
2017 6/18 187

* 選集を送り終え、病院も医院も今月は一段落し、静かに心寛いでいる、にくむべき権道に図に乗っている政権への嫌悪の他は。
明日は、わたしにとって四十八年目の桜桃忌、歌舞伎座の幸四郎や仁左衛門を楽しんでくる。可愛い限りの米吉も「御所五郎蔵」でいい役をする。実はこの芝居、いまも書きかけの小説「清水坂」で役に立ってくれる、はず。
わたし久しぶりに散髪した、妻も髪を綺麗にしてきた。
雨だろうが、慈雨の季の風情とうけいれ、傘も持って出よう。
2017 6/18 187

* けさのテレビで あの志ん生の娘夫妻(七十・六十台)が「終活(死に支度)」を語っていたのはいちいち胸に落ちて教えられた。夫婦の気がまだ慥かであ るうちにこそ、「二人にのみ大事なモノ」を今のうちに「処分」できる。思い出はだいじだが、思い出の「モノ・シナ」は場所を塞ぐだけでなくアトの者が迷惑 するだけ。
「モノを捨てない」歳月をわたしは過ごしてきた。むろんそれが役立ってきた、創作や執筆の生活には。しかし、もう処分をためらうまい。

* そんなことを言いながら、次の「湖の本137」の編輯をと、とにかくも原稿類の大量にストックさけた大袋のなかのたくさんな小袋を点検し始めたら、まだ出番を待っている作物が我ながら呆れるほど溜まって在る。戸惑ってしまい、どう手を着けていいのやら。
2017 6/22 187

☆ 秀逸な谷崎論
おどろきました。
谷崎の義母あるいは生母との相姦の説 賛成です。
貴兄の谷崎にかける情熱 どこから来るのか興味あります。  梅原猛

* 梅原さんにしか書けない自筆の悪筆、「夢の浮橋」や「蘆刈」を読まれたのであろう、その「興味」とあるのへ「まるで直に応えた」ような、ある「樫」署 名の人の「秦 恒平」を語る、大昔きっちり四十年まえの新聞記事が、さっき云ういろんな関連資料の袋からすぐ現れ出た。ビックリした。
せっかくであり、その一文を、ここに転載しておく。

☆ 作家の群像 秦 恒平

象徴夢の空虚さ埋める営為 (見出し)
京都新聞 昭和五十二年(一九七七)十二月三十日

ここのところ谷崎への傾倒が目立つようで、松子夫人をたすけて『谷崎潤一郎家集』を編んだり谷崎に関する評論を一本にまとめたりしている。
ここのところ、といっても秦恒平の谷崎心酔の根はふかい。それは小説を書く以前からのもので、極論すれば谷崎がいたから小説を書き出した、といってもい いほどだが、見逃せないのは、彼の捉(とら)える谷崎の背後には源氏物語があることだ。そして彼の谷崎論は、そこに源氏を重ねて徹頭徹尾母恋いの谷崎論で あるところに特色がある。源氏における桐壺、藤壷、紫の上の、紫のゆかり三代の面影を谷崎の人と作品をたずねて、その分析はまことにあざやかだと言わねば ならない。「夢の浮橋」や「蘆刈」をこの独自のキイから解く手際など、ちょっとした推理小説もどきのおもしろさなのである。
秦恒平をして、こういう源氏重ねの母恋いという、独自の谷崎読みにしたものは何か。この年代の作家にめずらしく古典につよいことも理由の一つにちがいないが、根本の理由は、もちろん、もっとこの作家本来のモチーフにかかわるもののなかにあるだろう。
彼が「清経入水」で太宰賞をとったのは昭和四十四年だが、この作品は、疎開した先の、丹波の山奥における鬼女めいた美少女との出会いというストーリーを 持ち、それに清経塚の伝説がからんで怪奇小説の趣向になっている。私小説の傾向のつよいわが国の文学的風土に沿うかのように、一見、私小説とみまがう入り 口を用意しながら、やがて夢幻の世界に招じ入れるという秦恒平の特色はすでにこの処女作によく出ている。そしてここで彼は、次のような、主人公が繰り返し 見る夢の光景を描いてみせる。
それは、どこか坂の上に、なつかしい気分をさそう一軒の家があって、主人公はそこへ入って行くのだが、入って行くと、人の気配が散ってしまう。さっきしていた声を求めて部屋をつぎつぎに開けて行っても、人影に出会うことがない。そういう夢である。
のち、「貰い子」という主題を明瞭(りょう)にする作者にとって、この空虚な部屋は彼の存在の根であり、生まれた場所である。それは彼に拒まれており、 還(かえ)ろうとしても還って行くことの出来ない場所である。そこには人がいない。あるいは居ても、それが誰(だれ)であるかわからない。
この象徴夢の空虚さを埋めることが、すなわち秦恒平の文学的営為だと言えば、先の谷崎論のこの作家においてもつ意味は解けたも同然だろう。大きく摑(つか)んで、秦恒平の文学もまた母恋いの文学だと言っていいのである。
しかし源氏における生母桐壺、またその亡き桐壺に生き写しの義母藤壺の場合とちがって、秦恒平の作品では生母は何者であるとも知れず、また知れたところでそれは主人公を拒んだ。源氏=谷崎の幸福な例と、彼がたもとを分かたねばならないのはそのためだ。
ここから彼は肉親の立場を超えた特殊な身内観に導かれる。たとえ、血はつながらなくても、出生以前の闇(やみ)において同族であったことの結果として、 この世にはふしぎな出会いというものがあるのではないか、と。「清経入水」の、疎開地で出会う鬼女めいた美女はそういう身内の一人であり、年齢のことを考 えなければ、やはり母の代理と言えるだろう。
秦恒平の文学は、わが国の文学風土には根づきにくい作風である。仕事の割に文壇に評価されないのはそのためだが、どうかクサらずに、谷崎を念頭に、気長に大成を期していただきたい。(樫)

昭和十年京都市生まれ。同志社大学文学部卒。
著書「清経入水」「秘色」「閨秀」「みごもりの湖」「誘惑」など。

* 第三者としてはたいそう良く観てもらっている。少なくも記事の当時のわたしの思いとしては「その通り」と応えても言い過ぎにならない。「秦恒平の文学は、わが国の文学風土には根づきにくい作風である。仕事の割に文壇に評価されないのはそのためだが、どうかクサらずに、谷崎を念頭に、気長に大成を期していただきたい」とは知己の弁と、感謝を新たにする。思えば何人も何人もの人からおなじ事を言われいぶや激励を受けてきた。そもそも最初に受けた新聞の文藝時評や書評でも、何人かが、わたしを名指しで「異端の正統」と大きな見出しを書かれていた。まさしくわたし自身の思いに触れていた。
さて「その後」の成り行きは、おのずとまた新たな別の知己の批判と評価にまちたい。

* 東大大学院文学部、京都府立京都学・歴彩館から選集第二十巻受領の挨拶があった。

☆ 労作有難うございます。
秦先生、昨日は台風並みの大荒れの天候で、眠れぬ夜をすごさざるを得ませんでした。昨今の気候はちょっと予想を超えることが多く大変です。
ヨーロッパから戻り、少しはゆっくりできると思ったのもつかの間、共謀罪をめぐる大紛争に巻き込まれ、国際ペンとして2度目の抗議声明を発表する羽目に なりました。サンケイ、読売が内政干渉だと大騒ぎを始め、日本ペンも右翼からの抗議電話で追いまくられたとの事でした。だんだんいやな社会になってきまし たが、それにしても我々の無力さに絶望せざるを得ません。なんとも口惜しい気分です。
こんな折、たて続けに先生からの著作が送られてきて元気を頂きました。これだけ規則正しく出版を続ける先生の熱意と言うか、動きつづけるエネルギーと覚悟にはただただ脱帽するばかりです。
とあれ、梅雨もこれからが本番。先生におかれましてはくれぐれもご自愛のほど切に願っております。   国際ペン専務理事  昭

* 御苦労をかけている。どうかお怪我など無くご尽力下さい。

* 安倍総理と内閣との卑怯としか言いようのない不誠実な政治対応の数々、反吐が出そう。
2017 6/22 187

☆ 『秦恒平選集』第20巻を頂戴し、
誠に有難うございました。
谷崎潤一郎研究に逸することの出来ない名著『神と玩具との間』を中心とした谷崎研究の数々
を改めて拝読しています。
第21巻も谷崎論集とのこと、秦様の長年に亘る熱意が窺われます。当時、-部で流れたという谷崎の隠し子との噂も、今となっては興味深いエビソ一ドです。
新『谷崎潤一郎全集』も完結。研究の進展が期待できる一方、谷崎研究会が閉じられたことが残念です。
鏡花研究会は健在。   田中励儀  鏡花研究家 同志社大学教授

* 鏡花研究会は結集の当初から熱心な研究ひとすじで、羨ましいほどだった。
松子夫人のお元気な頃から、「谷崎研究会」の結成を熱く望んで、わたし自身は研究者ではないけれど、いろんな面で応援もしたかった。だが、わたしに声を 掛けてくるだれ一人もなかった。谷崎学のためにわたしはあくまで「外野」に過ぎなかったらしく、研究会がどんなふうに開かれていたのか、どんな見るべき成 果をあげたのかも、全然、目にも耳にもしたことが無かった。もうすでにわたしとしてやれる「谷崎愛の成果」は出し切っていたし、けっきょく、「谷崎研究 会」などというモノが本当に存在していたのかすら今日まで知らずじまいだった。知らぬままに、いつ知れず「閉じられた」と。
「鏡花学」もまた「川端学」も「健在」と聞いている。「谷崎学」には適切で的確な太い柱になれる学者・研究者が寄らなかったのか、ぜひ将来の優れた学究に期待を掛けたい。

* 光明寺の黄色瑞華さん、大阪池田市の陶芸家江口滉さんからも、お便りがあった。

* 発送用意もしながら、書きかけの長編二つの進行や仕上げに心身を励ましたい。
2017 6/23 187

* 長い小説の推敲や補強に昨日今日手をかけてきた。「湖の本136 枕草子」への「私語の刻 あとがき」も書いた。いま大量二巻分の初校と再校も抱えているが、慌てる必要なく、ていねいに読み進めたい。
2017 6/25 187

☆ 参考文献なしで卒論をお書きになったとは。ふつうの学生は参考文献の切り貼りでフーフーしながら卒論書いていますから、担当教授は驚愕なさったのではありませんか。参考文献なしということだけで落第ものなのに、卒論が認められたというのはそういうことです。
テレビや新聞のニュースを観ると憤死しそうで、心落ち着くのは難しいものです。

みづうみは、いつものようにお仕事でございましょう。どうぞご無理のないように、いつもいつも楽しんでくださいますように。   蘆   満目の青蘆に雨やむ間なし   蒼石

*  参考文献無しの卒論、自分でも今になってビックリしているが。評点の80だったのは覚えていてそのまま院の文学研究科に進学したが、一年で中退し東京へ出 た。しょせん学者にはなれなかったろう。東工大でもわたしはガンとして「作家」教授だった。博士号も大学院教授も奨められたが受ける気はなく六十歳定年退 官を選んだ。続けていれば、「今」はなかった、たとえたいしたことのない「今」であろうとも。
白状すると、谷崎論も、書架をこぼれるほど人様の研究著書など頂戴していながら、殆ど頁も開いていない。自分で書いた批評や鑑賞や読み・書きは、ただ谷崎全集を読み耽るだけで済む論攷であった。事実それで事足りている。
2017 6/26 187

* 秀歌秀句をさりげなく引いてくるのは、たやすいことでない。いつもメールに添えて季の俳句を呉れる読者がいて、よく吟味されている。
わたしの好みと知っていて古歌を添えて、また主にしたメールももらうことがあるが、かなり意味や意図の直か付けになり、とかく歌の妙や秀がしみじみとれていない。秀歌・秀句の「撰」は容易くはない。優れた物語での相聞・応酬や引歌のうまさにはいつも感嘆する。

* とはいえ近年のわが作歌・作句の行儀悪く構わないことは、度が過ぎているとあちこちで叱られているだろう。
2017 6/30 187

* 「ある寓話」に取り組んでいた。芯から疲れた。
2017 7/1 188

* 将棋四段藤井少年の公式戦負け無し29連勝新記録が停頓した。勝負事のこと、いつかは来ると少年も云っていた。よく勝ち続けたなあとあらためて称讃すれば済むこと。騒ぎすぎ。

* わたし、碁は、すこし打っても観ても楽しめるが、将棋とは全然無縁。
碁将棋の達人達の「読み」ぢからには驚嘆し、明らかに人間能力のたいそうな表現例であると思っている。少なからぬフアンを鼓舞するのも見えている、が、 ま、わたしの場合、思いを寄せるのはそこまで。藝術・藝能またスポーツなどの表現や力技の成果から受ける感銘や励ましとは、やや離れた、要するに異色の 「勝・負」事と眺めている。勝つか負けるかだけで結果を判決している。
「勝・負」そのものから直截の感銘を得られるのは他に相撲や野球や競馬の類いで、いわゆる古来スポーツ競技も藝能・藝術も、まさしき主目的は「才能・能力の発揮や表現」にあり、「勝・負」に尽きるモノではない。
ただひたすらな「勝負事」には、ま、「相撲」のほか、わたし、気が無い。むろん「戦争」も。
2017 7/3 188

* 老いの自覚では、わたしの場合、脚力の衰え、手先の痺れ、視力の喪失、記憶力の低下、食欲の減退が挙げられる。もう一ついえば、いい意味でも、宜しくない のかも知れないが「無雑作に」慣れるないし流れること。こまごまと執着せずに「やっちゃって」いる例が増え、広い意味で行儀がわるくなっている。つまり 「構わなく」なっている、衣食住や物言いに。よろしくもないが、よくない一辺倒とも思っていない。しぜん「文学・文藝」にもそれはよかれあしかれ表れてい るだろう、往時『少年』の短歌と近年・昨今の『光塵』『亂聲』の述懐をみくらべても歴然としていて、それが衰えの表れとばかりは云えない。
この七日に出来てくる「湖の本135」の小説二作「黒谷」「女坂」も無雑作なほど短い時間で或る意味書き流している。若い日々の入念に入念を積んだ創作とはあっさり書き置いている。
この二作をいっそ気軽に合間に書いて、現にうんうん云いながら書き継ぎ書き直し続けている長編にしても、姿勢も方法も念の入れ所もやはり若い日々のもの とはちがう。違って当然と思いながら根気よくやっている。この根気よく気を入れてまだ書けていること、を、生き延びている老いぢからと思っている。
いい感じに無雑作な作も創り続けたい。
2017 7/5 188

* 佐高信が、あの与謝野鉄幹の詩「誠之助の死」をまっさかさまに誤解し、赤恥をかいているらしい。ああ情けない。
共謀罪法が強行可決されて、わたしは即座に「誠之助の死」をもちだし、明治の「大逆事件」に言い及んだ。その後、同じ詩を話題にあちこちでものを申していたらしい例も見聞きした。
佐高信の、軽率という以上の「読み」の弱さには呆れてしまう。困ったモノだ。まともなことをまともに言える論客だけに、より自重し、日本語のセンスを学び直して欲しい。このままでは三文論者に成り下がる。
2017 7/5 188

* 拾遺和歌集を手にとってあけた頁に、いきなり雅致女(まさむねのじょ)式部、まさしく和泉式部の一首が目に来た。
暗きより暗き道にぞ入りぬべき
はるかにてらせ山の端の月
はじめて出逢ったとき ハッと目をとじ胸に手を置いて、「ああ、はるかに照らせ」と祈った。
この日録の冒頭、花にうもれた自身の写真に「あの世よりあの世へ帰るひとやすみ」と書き添えて、わたしは今もそん思いで暮らしている。
式部の歌についで、こんな和歌も読んだ。
極楽ははるけき程と聞きしかど
勤めて到るところなりけり   仙慶法師
特別な秀歌ではないが、この法師なりの納得、会得、頓悟のごときが端的に息するように表れている。ただ遙かに遠いだけでない、今生をよくよく「勤めて」こそ到りうる極楽なのだ、そうなのだと。
十、十一世紀のわが知識階層は、聖行・勤行をつくし得てこそ極楽は可能と明らめ諦めていた。「勤め」は容易なことで成らなかった。空也の、恵心の、そし て十二世紀法然の念仏易行へは距離があったのだ、まだ。「勤めて到る」の厳しい重さにどう取り組むか。美しい写経、美しい造佛・造寺はみな「勤め」の積も りで成されていた。信仰が美と美術に置き換わっていた。中世の親鸞も日蓮も道元も美の表現には頼まなかった。

* 後拾遺和歌集もパラッとあけてみた其処に、何重にも◎をつけて伊勢大輔の一首があった。
別レにしその日ばかりは巡りきて
いきもかへらぬ人ぞ戀しき
わたしの「点鬼簿」にも、いまや、数えがたいまでそれぞれ生前の氏名が「親族」「恩師」「先達」「親友」「各界知己・知友」等々、あまりに多すぎるほど居並んでいる。まこと「別れにしその日ばかりは年々に巡り」くるが、だれ一人生きかえって声を掛けてはくれない。
このごろ、そんな故人の夢をよく見ている。夢の間は自覚がなく、目ざめてから、あああのひとだった彼だったと思い至る。夜前は、ロス在住池宮さんの、は やくにシスコで亡くなった姉の大谷良子さんを夢見ていた。秦の叔母に茶の湯、活け花を習いに来ていた。わたしより五、六歳上の美しい人であった。
2017 7/6 188

* 暑さに参る。仕事にミスも出ているかと案じられる。気分を遊ばせてやらないと、千切れる。

* よほど疲れた。

* かなり以前から右手の指が五本ビンとまっすぐ延ばせない。握りもならない。ことに中指は骨が途中でナマって曲げても伸ばしてもペキッと音がしそうに痛む。
昨日今日たてつづけに湖の本を封筒に入れ封をする手作業の途中から掌ぜんたいが攣縮し拗くれてくるのに参った。激痛ではないが、掌も指も攣れて捩れてくるのは気味が悪い。左手はさほどの不便はなく、やはり右手の使い過ぎなのだろう。

* そんなでありながら、頭の中では仕たいしごと、仕掛けたいしごと、もう半ば思いついて呼ばれている新しいしごとが、渦まくようにわたしをかき混ぜてくる。調べたり、したい仕事のためにこのところは読書していない、面白そうに感じたさまざまに実に浮気に手を出している、もっとも通俗な読み物はむろん、あのり小説を読もうとしていない。古典か専門書か図録などを脈絡なく拾い読んでいる。そんな中から刺戟が来る。オとかオオっとか立ち止まって同じ箇所を何度も読んだりして興がっていると「書けよ」「書けるんじゃないか」と内心に促される。これって、かなり落ち着かないことでもある。

* なによりも濫読していて、突き刺されるように関心を持たされてしまうことが、たとえ断片でも、しょっちゅう胸の中へ跳び込んできて、それは痛み、ま、快い痛みに類する。興味をすぐ覚えてしまうのだ。わるいことではないが、必ずしもいいこととは言いにくい。

* そんな中からいまきつい痛みのように突き刺されている「地名」があり、その向こうにまだ書き出しもしていない物語がもやもや動きかけている。おれは今あまりに忙しいんだよとニゲを打っているが許してくれないかも知れぬ。わたしはモノやヒトの名に惹かれるタチらしい。「折臂翁」「清経」「秘色」「蝶の皿」「三輪山」「廬山」「秋萩帖」「加賀少納言」いましも送り出している「黒谷」もそうだし書きつづけているのも「清水坂」にひそんだある「名」だ。
信じられない話だが…」という大きな表題で、掌説よりは長い興味も趣味もある短編を幾つも書いてみたいなと催しかけている。気はある。時間と体力とが欲しい。
2017 7/8 188

* このホームページは、まだ、幾らでも纏めて書き入れ可能の部屋がもてている。部屋を創りふやすことも出来る。
で、感想のようなことはこの「私語」の日誌でいいが、微妙に創作的な着想・落想ないし試筆の類は、その為の部屋を建てて、随時書きためて行こうと想う。
2017 7/10 188

* 今度の「湖の本135」には新作の小説二篇に、「女の噂」と、ちと露骨な題で感想が付け加えてある。「こっちの方」が先に読まれてしまうかなあ。
2017 7/10 188

* 長編「ある寓話 ユニオ・ミスティカ」 三度び四度び 読み返して、また終結部へ来ている。これは、どう理屈をつけても、無惨な物語である。そういう無惨なものが作者のわたしに沁みこんでいるのだろうか。たいていの創作はひとさまに読んでもらいたいのだが、これは誰にも読んでもらいたくない、それほど無惨なもののように、今は、思えている。どう諦めをつけて手放せるのか。
2017 7/10 188

* さ、十一時。機械から離れます。 京都は、祇園会。宵山もまぢかく、コンコンチキチンが聞こえてくる。わたしの腸にまでしみとおった祇園会への思いは、『慈子』にある。寺町で後祭りの山や鉾をみたあと、紙屋川にお利根さんの家を訪ねて慈子に逢っている。あの静かさ、のなかに通り過ぎてきた祇園祭の本当の魅力が溶け合うていた。あの静かさへ帰りたい。
2017 7/11 188

* 頭の中が蜘蛛の巣の崩れたようなめちゃくちゃな網目になっていて、よくいえば万華鏡のよう。持った両手が痺れてくる重い大きな本をかつがつ支え持って、たくさん古い歴史を調べ読んだ。同じ京都でも、比較的わたしにも暗い地域がある。目は、思いは、今は鴨川ぞいに下流へ、南へ南へと向いている。掴み出せるといいのだが。しかし正直な所いまのわたしにそんな穿鑿や探索のヒマは無いはずなのである。「或る寓話」はともかくほぼ全容を掴み取っていて、推敲しての納得得られれば済むが、「清水坂」は複雑怪奇にまだまだ半ばで、世界を広めながら組み立てねばならない。厄介なことにいましもムクムク関心を持ち始めた歴史空間が、この「清水坂」世界と無縁でなくどこかで連携してしまいそうなので、ややこしくアタマがきしむのである。どうしよう。成るようになるなら好きに成らせてみよう。

* もう一つまるで別に思案のしどころに逼られているのは、目の前の目の上の書架をどう強引にデモ整理して本を入れ替えたり動かしたり省いたりしないと、わたしの選集が、もう十三巻、みなで三十三巻、おさまらないことになってきた。大小四段八劃の書架のきっちり一段一劃を選集二十巻で占めてしまった。もう十三册が加わる畾地を確保しなくてはサマにならない、つまりは他の本を抜き出して庭の書庫へ仕舞わねばならない。たださえ、脚の踏み場もないほどモノの積み重なったこの機械仕事の書斎を日々なんとか片づけたいと思いつつ、にっちもさっちも行かぬまま放置してある。放置というのは、さらに更にひどいことになって行くわけで、しかもこの始末はわたし自身でつけるしか手がない。しまいに天井ではない、床が抜けて階下へ転落しないか心配で心配で。

* が、そんなありさまだからこそ生き生きとしてられるのか、も。機械三台、附属の機械も幾つか。しかもものに埋められたように暮らしている六畳の小部屋は、ごく当たり前にあったかいのである。大小の書や繪や写真がこまめに数えると二十七点も場をふさいでいる。いかに雑然か、けれど、ま、あったかい気分でおれる。電話は一切来ない。音楽は好きに機械から聴き出せる。ちょっと手順を覚え直せば録画した映画も観たければ好きに観られるはず。いいじゃないかこれで、死ぬまでこれで、と、結局は思っている。
2017 7/12 188

* 記憶力は落ちていく一方だから、時間を待ったり何か待機したりやり過ごしたりの折り、今では神武から平成まで百二十五代を念仏のように諳誦して、済ませている。ほぼ二分半ほど掛かる。
おかげで各時代のいろいろを付随して思い出せ。上古から奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、安土桃山、江戸時代の色合いまでが事変や人名とともに脳裏に描けている。歴史に親しめていて、今日の日本や世界の方がうすぐらくなっていたりする。伊勢や和泉や少納言や西行や兼好や世阿弥らの時代が、何とも云えず身近に感じられ、なにかというと古典の全集へ近寄って行く。裏切られない確かなものがそこにあり、それらを味わい推しはかる際の目盛りのように歴代天皇の諡がしまりを付けてくれる。

* 「谷崎」世界を卒業して、いまは「中世」に、追っては「平安」へ、選集は動いて行く。わたしも動いて行く。世界は滅亡するかもしれないが、わたしは生きて行く。
2017 7/13 188

* 寝ぎわのコーヒーも効いたろうが、断片ながらさまざまに想うこと多さに睡れず、校正や読書後起床までの五時間弱の間に二時間以上目ざめて、また本を読んでいた。
戴いた本に相違ないが著者に覚えが無い、しかしその『伊勢』一冊、優れて面白く、深く頷かせる評伝で、この人として女として魅力に富んだ歌人の生きかた、生きた時代の人渦を、手に取るように物語ってくれている。研究者・学者と自称する人たちも、シチむずかしい論文のほかにも、こういう味わい深く適確な表現力で「歴史の人」を生き生きと甦らせてほしいもの。
昨日も読んでいた「絵巻」月報の何巻目かの冒頭、井上靖を聞き手に専門家の田中一松さんが、「石橋を叩きながら石橋をも渡れないようなていたらくなんですよ、学者たちは」し笑ってかるく自嘲されていたが、「学者」というモノの窮屈に片端なありよう、たしかにお気の毒とも思う、が、文学研究者の場合、培い蓄えた学殖を「文藝としても活かす才能」をせめて求めては、われわれ読書子は贅沢すぎるのだろうか。
歴史上の人と限らない、近代の文学者にも、汗牛充棟のせこせこした試論だの序論だのの研究論文ばっかりでなく、上の『伊勢』に類する「文藝の味わいもある親切かつ深切な」一冊一冊をせめて第一級の文豪や詩歌人のため書き置いてもらえぬものか。文学の読者がますます激減して行くなかで、虫眼鏡とピンセットで読まねばならない「読者離れ」のした論文の山が、ほんとうに生きた学問を形成しているのだろうか、と、あやぶむ。
こんなこと言うと、ますます嫌われるのだが。
2017 7/15 188

* このところ、というより、もう久しくわたしのために一等身近に欲しい読み物は、じつは一冊一冊が重い重い何巻もの「日本史大事典」だと思い当たり、同志社の田中研究室へ送り届ける春陽堂版『鏡花全集』十五巻を目の前の書架から抜いたあとへ平凡社版六巻を移し入れた。吉川弘文館のこれより何倍もある「日本歴史大事典」はとても入り切らず階下の小書斎に架蔵している。古典そして歴史、その面白さが身に沁みているので「現代」への強い関心も生まれる。そう信じてきた。
とにかくも他の本はともかく、事典・辞典は少なくも大小五十種以上、大切にしている。

* ちくま少年図書館におさめた少年らに語りかける『日本史との出会い 中世に学ぼう』をまた初校し終えた。生涯の一代表作ともなれと熱と愛をこめ語りかけたもの、「ちくま少年図書館」はたしかサンケイ出版文化賞を受け、わたしへも記念品が贈られてきたのを覚えている。本読みでは名うてのうるさ方だった安田武が、わざわざわたしを掴まえに来て「こういう教科書で日本史を習いたかったよ」と大まじめだったのを懐かしく思い出す。『選集第二十三巻』では他の何よりもこの一作を今の大人の人たちにも読まれたい、今のような情けない日本なればこそ、と願っている。今年中には刊行できるはず。
2017 7/15 188

* 東大名誉教授久保田淳さんに戴いていた「源平盛衰記」の第七巻に久しい関心事への言及のあるのをいまごろ見付け出し、呆れ、また喜んでいる。仕事を押してくれる。
2017 7/16 188

* 作者が過去に日記などで喋ったり書いてたりを足がかり手がかりにする小説の「読み」は、しばしば作者にだまされバカされる結果になる。谷崎読みで徹底的にわたしは覚えた。
作の全ては現に書かれ只今読んだ「現作の表現」に尽きていて、それを眼光紙背に徹して如何なる行間からも読み取らねば、ただ賢そうな「知ったかぶりの読み違いや読み落とし」に陥る。
過去の古証文にばかりとりついて、眼前の本文から心眼を逸らした「研究と称する軽い読み」が、とかく、はやりがち。作者たちはたいがいそう思っているだろう、作者が万能で神の如き者とは決して言わない、とても言えない、けれど。
2017 7/17 188

☆ 祇園祭
暑い日、市役所前、河原町御池角で山鉾巡行を見て、これから尾張へ帰ります。
昨日宵山はやや雨にたたられましたが、わたしは宵々山に行き、昨日は教室でした。
(中略)
今は列車の中、改めて書きます。
泉山戒光寺の仏さんに叱られに行きたいでしょうね。叱られなくてイイですが!
お元気で    尾張の鳶

* いま、「京都」の地名とともに、むせるほど想いをめぐらせている「或るモノ・コト・ヒトたち」のために、帰りの車中から、的確でたくさんな「オフレコ」のアドバイスがあった。おおかたは自身もう目を向けてはいたが、背後を支えられたようで自信ももてる。ありがとう。

* 誰もいない畳敷きの御堂にあがりこむと、内陣の奥に大仏さんがおいでになる。座像でない立像で、お顔は覗き込むように見上げる。静座したり胡座になったり、時には昼寝もした。だーれも来ない。戒光寺の丈六釈迦はわがものては言わなくても、いつも二人きりで向きあってきた。日吉ヶ丘高校に通って、一つは泉涌寺の来迎院、二つは奥の観音寺、三つは広大な東福寺の全部、それら泉涌寺末寺のひとつ戒光寺の丈六さんの御堂。安らかにいつも一人きりになれてお釈迦さんに日により叱られたり笑われたり知らん顔をされたりした。高校時代も、大学へ行ってからも、東京で暮らして帰ってくるたびにも。
たまらなく懐かしい。
2017 7/17 188

* 頭の中 交通整理して 思案の程を区分けし整頓し連絡を付け合わないと、狂いそう。
2017 7/18 188

* 「湖の本135」へ大勢の払い込みがあり、なかには選集へ支援のお志もまじり、また、何人もの方からお便りも戴いている。
ただ「黒谷」へ手が出ないで、「女の噂」から読んだというひとが多いのに苦笑。「黒谷」は、そんなに難しい作だったろうか。かなりの読み手であって可笑しくない人も、読みが届いてなくて、ひとこと示唆を送ったら、「予断によって、すっかり目を眩まされてました。降参です」とあやまって来られた。
谷崎先生と同じにみるのはオコガマシイが、「蘆刈」「春琴抄」「夢の浮橋」などあたら名作を何十年も正しく読み解かれぬまま亡くなったのは、残念を越してさぞ可笑しかったろうと想う。

* それにしても書きかけの「或る寓話 ユニオミスティカ(仮題)」に期待が寄せられ、有り難いが困惑もしている。これは、とてもこのままは本にしかねるほど性の秘儀に嵌って行く。どうしよう。これよりも早く『清水坂(仮題)』を進展させたいのだが。これと絡み合うようにいましも「賽の河原」へ関心が向いている。「信じられない話だが」と前置きの連作にも心惹かれている。こんな浮わ気ではいかんなあと手綱をしぼるのだがこの年になって「意馬心猿」のあばれようにヘキエキしている。
2017 7/18 188

* 催しがなくても便座で両肘を両膝に置きふかぶかと頭を垂れている。今はさほどでないが、抗癌剤の一年は、ひたすらこの姿勢で苦痛を堪えに堪えていた。いまもその名残り、しんどいとそういう姿勢に就いている。ときにはそのまま寝入って辛さを遁れたこともあった。いまも時折寝入ってしまう。寝入れる幸を想う。
ことし一月末にも、
余念なく眠つてをればよいものを
なぜ起きてくる 死にたくないのか
と独りごちた歌を『亂聲』に入れていた。胸の内で末句を「死ぬのがこわいか」と自問もしていただろう。
2017 7/19 188

* 夜前、床に就いてからものを「読み」に読んで、おまけに夜中に、録画してあった「NCIS」を一時間観て、さらに横になってから『絵巻』月報や中世王朝物語全集の『いはでしのぶ』の超入り組んだ関係系図を検討したり、京都市内地図に見入ったりして、四時頃、リーゼの助けを借りて寝入った。寝過ぎたかと思ったが八時過ぎに目ざめた。
国内外をとわずいま現代小説にまったく手が出ない。宇治十帖のみごとな文体にふれたり、和歌や秀句を読んだり、絵巻の世界や史実の闇をまさぐったりしていると、とてもかったるい現世ものへ気が向かない。あきらかにわたしが異常なのであろうが、しようがない。宇治十帖「椎本」巻では八宮が薨じ、のこされた二人の姫に薫や匂がからみついてくる。もののあはれしみじみと行文の確かさ美しさ、これはもう現代では稀有というより絶望的に出会えまい。
文学という藝術は溌剌とした生きの命である文体と表現の個性で自立する。独自の文体を持てなくては作家などと謂えない。いま世間にばらまかれている、私の所へも送られてくる安い同人誌の作のほぼ全部は、ただの自伝風か回顧録ふうに止まっていて、文体なく表現なく雑な「説明」に終始している。情けない。
歌わない音楽、独特な息づかいが刻む「間」の流れの飛沫くほどの確かさ美しさ、ちからづよさ。
むかし、亡くなった杉森久英さん巌谷大四さんと銀座を歩いていたとき、ある中年過ぎた作家志望の女性が熱心にあとを追ってきて、しきりに杉森さんからの助言を求め続けていた。しまいに、何が一番大事でしょうと訊ね、するとそれまで黙って応えなかった杉森さんは一言、「文体」とだけ言われてそれだけだった。
そのあと、わたしは巌谷さん杉森さんに「はちまき岡田」でご馳走になった。わたしは店が自慢の美味しい料理以上に、作家でもあったし名編集者でもあった杉森久英さんの、端的に「文体」といわれた一語を公案のように胸にとりこんだ。一緒に中国へ旅した巌谷さんも名編集者だった。後に、亡くなる日まで丁寧にお付き合い下さった、大久保房男さんも、いまもことあるつど励まされている新潮社の坂本忠雄さん、講談社の徳島高義さん、天野敬子さん、文春の寺田英視さんらもみな勝れた名編集者だった。もっともっと早くには、太宰賞に満票で選んで下さった選者先生もとびぬれた名編集者でもあられた。おそらく、どのお一人も違うことなく「文学は」とお尋ねすれば「文体」と言われたに相違ない。

* 「季節風」という百巻を超えて続いた同人誌があり、三原弘といういい作家がいた。在野というのもへんだが、そういう風に書き続けて最も立派な仕事をしていた、三原弘は、もうひとり四国の  と並んで光る双璧であった。「季節風」は手慣れた書き手達の同人誌で、いつも送ってこられる作を読んでいたが、三浦さんが亡くなってからは、雑誌がただ届くだけになっていた。たまたま片づけごとをしていて「季節風」百一号が出て来た。懐かしくて同人の一人に電話したら病気だった。別の一人にかけたら娘さんで、お父さんは三年も前になくなり、じつは同人の只一人市尾卓さんだけが健在と教わった。声を呑んだが、聞けば皆さんわたしより一世代上であった。
2017 7/20 188

* 若尾文子らの初めて見る、変わった、しかし面白い映画をみながら、月末刊の発送用意を終えた。大きな画面のテレビに張り付くぐらいに近寄らないと役者達の顔が見えにくいとは、情けない。
まだ十時前だが、もう機械からは離れるしかない。

* と言いながら、信じられない話を一つまた二つと手探りしていた。面白い仕事になると、つい時間を忘れている。
「夏バテに気を付けて、元気にお過ごしください」と何方からも言われている。わたしも似たことを言うているのだろう。わたしの場合、一日一日がいわゆる「終活」と思っているので、かなり気ぜわしい。それをうまく和らげて日々を生きて行かねばエンジンが灼けてしまう。幸い「騒壇余人」に徹していて、余分な雑音は希にしか聞こえてこないのが、安楽、有り難い。
2017 7/21 188

* 材料過多でアタマが音たてて呻いている。寝てしまえ寝てしまえと心臓がわたしを揺する。

* 京都の「まるごとイラスト・マップに見入り、詳細な地名辞典をさぐり続けている。イラストマップは遠い記憶を印象濃く甦らせてくれる。ただ、字の小ささに目をこらすのが辛い。

* 整頓もならず手当たり次第に(仕事上の)モノを投げ込んである14段整理棚がこの部屋だけで三つ、階下にも三つ、整理すれば必ず効果が現れると判っていても手が出せない。手を出すには棚の中身をみな吐きだした上で分類整理してまた棚へ戻さねばならないが、ぶちまけられる場所が無い。棚の他にもダンボール詰めの資料も押し入れに幾つもある。それぞれに面白い資料のはずだが、もう活かす余命は望めないのだから棄ててしまえばいいようで、しかしいちいち眺めるだけでも面白い楽しいという未練で、放ってある。

* いま、大学ノートで九册もの、「創作ノート」が見つかった。創作を進めて行く上でのとめどもない自問自答や構想や思いつきが、書き込んである。いろんな小説がそこから鍛えられ出来上がっていった。
そして今また、機械書きでなく、このノートの残る余白を利して、新たな着想にかかわる手書き「ノート」を書き始めようとしている。活気でアタマが灼けそう。加えて、必然、カラダは運動不足。

* 小さな字の重い本で地誌を読みつづけるうちに寝入っていた。寝るのは、わるくない。目が回復する。よくもない。時間が足りなくなる。
2017 7/22 188

* もう昔だが、「竹取物語」について三回にわたり名古屋、京都、東京で連続の講演をした。
おそらく「竹取物語」の問題の悉くを、あげて話し切っていると、いま速記録を読み返してみても思う。
源氏物語についても枕草子についても平家物語についても放送や講演で話したことはあるが、竹取物語についてほどことを分け話し終えたことは無い。
それほどもわたしに竹取物語の「動機」へ踏み込ませたのは、この物語が、学会でのどのような議論にも見たことのない、即ち、真実愛したものに死なれ・死なせた隠れた体験があったのではと言いたかったからだ。
まだ少年の昔から「かぐやひめ」昇天をかなしんだ気持ちには、まだハキとはしないがそういう推測がいつも胸の底に在ったからだた。その意味でも、残念ながらいまだ書けぬままの長編か短編かの心惜しい題材は、即ち「竹取物語」作者考なのである。三回連続の長い講演録はその詳細な下調べであった。『選集』第二十四巻の巻頭に、枕草子観、源氏物語観に先立て、収録のつもりでいる。

* 秦恒平の名でツイッターに記事が出ていると「ツイッター」通知が来るが、わたしはもう三年ほども機械設定の無効から、自分で記事を書くも読むも、そもそもツイッターを開くことも全然出来ないで居る。「フェイスブック」も同じで、どっちも百パーセント起動書き込みも読み出しも不可能状態にある。是までにも同じことを此処に書き置いたが、いままた繰り返しておく。わたし秦恒平の発言をツイッターやフェイスブックで見たのなら、誰かが悪意の所為であると明言しておく。
2017 7/26 188

* 創刊三十二年へ向かっている「湖の本」 よく続けられていると我ながら驚いているが、読者のおかげである。残念ながら経費的には累算赤字はもう何年も前から赤々と積み重なってはいるが、高齢読者からよぎなく人数が減って行く以上当然のことで、この程度の赤字でよく保てていると、それも感謝に満ちた驚きである。廉価どころかかなり高い一冊値段でお願いしているが、送料を加算し送金して下さる方も多く、値上げしてもいいよとまで言われたり、加えて特別のご支援を下さることもある。読者にまもられていると、しみじみ思う。ますます慎み、頑張りたいと思う。
2017 7/26 188

* 福縁善慶 尺璧非寶  と、千字文のなかに。まことや。

* 要事満載の実情であるが、ほっこりと放心の体でいる。一種の幸せといえようか。

* と言いながら、朝から夕過ぎまで、長編『ある寓話』に取り組み、「源氏物語」論にも「枕草子」校正にも真向かい、さらに新しい「泉鏡花の仕事」にも取り組んで、ほとほと食欲も失せるほど、疲れた。
2017 7/27 188

* 鏡花の美しい名作「龍潭譚」の口語訳を点検し始めた。
2017 7/27 188

* とにかく食が薄い。食べたいよりも食べたくないという細い食生活では、夏のうちに弱ってしまうと思いつつも。よく冷えた桃や蜜柑や桜桃などが、美味い。幸いにわたしは甘味も酒も好きな昔から二刀流で、熱量はそれで摂っているが、それでは栄養失調になると自覚もしている。妻が脂肪を厳禁されているので、わたしも倣いぎみにしている。昔は好物の一位だった天麩羅が病後いっこう美味しくなくなり、ガッカリ。肉類も焼魚もつい敬遠してしまう。煮た魚は子供の頃から苦手だった。野菜も大の苦手で、胡瓜もみやキャベツばかり好んだ。今は、冷えた野菜ジュースを好み、薬だと思って青汁はせいぜい飲んでいる。
食生活を大いに沈滞させている元兇は、抗癌剤でボロボロになってしまった「歯」であろう、噛む力が萎え、すこし硬いものも容易に食せない。好きだった貝類が、牡蛎のほかほとんど噛めず、肉類もしかり。じつは漬け物、葉ものも意外に硬く、咀嚼しきれない。
一等いけないのは、食べると腹が張る、というより兆してくる腸閉感。閉塞しては激しい苦痛になるが、食べた物が食道や腸で停滞すると不快感はしつこい。緩下剤などいろいろに対処してし腸閉はいずれ排ガスや排便で脱するにしても、食欲は投げ出したくなる。「食べたい」「美味い」という最大の欲求や喜びを投げ出したくなる。

* こういう体調に低迷していても、幸いわたしは頑張って生きていられる。
やす香が可哀想でならなかった。海老蔵夫人も可哀想でならなかった。心から惜しんで見送った人、何人もいた。癌もこわいが抗癌剤もこわい。しかし、わたしはガンとして抗癌剤を受け入れて耐え抜いた。それでよかったのだと、今も、思っている。
いま、心を励ましてくれる「仕事」とそれを続けて行きたい「気力」等をもてているのを、幸せに思う。
なによりは病気しないで済むことだ。
2017 7/28 188

* 今日も、伊勢、紫式部、清少納言、泉鏡花らと、ひたとお付き合いの一日だった。清々しい。

* 無雑作なほど歌や句を日記にも書いているので、妻が羨ましがる。歌に簡素なもの言いから親しみたいなら、まずは正岡子規の竹の里歌に親しむことを奨めたい。口語歌やそれに類した現代の短歌と称する例は、送られてくる歌誌に満載だが、なにが藝術やら、大方は無惨にひどい。
優れた歌人は明治以降にも大勢いた。大正にも昭和前半にもいくらも敬愛に値する歌人や歌作に出会えた。わたしの選し鑑賞した『愛、はるかに照せ』を読んでご覧なさい。心打つ短歌のむねにしみいる表現が満載されている。
現在今日の歌誌集団が、いちばん野放図に乱雑でいけない。美しくもおもしろくもクソもない。ヘタクソである。惘れる。
なんとか組といった親分の権力組織としか見えない集団もある。
しかし真摯に良く打ちこんで静かな結社もある。個性豊にいい表現につとめている数少ない優れた歌人もむろんおられる、が。
2017 7/28 188

* さ、あすには選集第二十一巻が出来てくる。第二十四巻の編成、ほぼ出来ていて、読み返しを進めている。
つぎの「湖の本137」編成のメド、建ってきた。今年も、とうに半ばを過ぎた。
新作の長編をどう仕上げ、どう発表するか。仕掛かりに中断している作をどう仕上げるか。選集はもう九巻と予定しているので、どう収録分の折り合いを付けるか、とてもムズカシイ判断を強いられそうになってきた。

* ま、出来ることを出来るあいだは無欲に仕遂げて行くだけのこと。わたしも妻も、なんの酬いも望んでいない。ただ歩んで行く。
2017 7/30 188

* 秦 恒平選集第二十一巻 出来。ついに本棚の一棚を越境した。敬愛やまぬ谷崎潤一郎夫妻に献じた、いわばわたしの、卒論。いいあとがきも書けた。真実、ほっとし、そして嬉しい。
あわてず、荷造り丁寧にゆっくり送り出す。
あますはもう僅か十二巻。いい智慧をしぼって、うまく編輯できますように。それとて「此の世」という「あのよからあのよへ帰るひとやすみ」での、これはわたしたちにしか出来ない、心はずむ遊び。それで良い。

* 「湖の本136 枕草子」現代語・選訳 全紙を今日責了で送った。
2017 7/31 188

* 朝、観音様や親たちの位牌や庭のネコたちにあいさつを済ませると、いっとき、掛けてある六閑斎の二字に目をむける。
新潮国語辞典は「閑事」を、「ひまなこと、無用のこと、むだごと」と。広辞苑も「急を要せぬ事、実生活に役立たない事、むだごと」と。そんな二字をこう書いた人の思いは何であったか。辞典の解は、それでいいのか。
白川静の『字統』によれば「閑」はもとは「蘭」で、「門遮なり」とあり、「門のしきり」転じて「遮る」「支える」「閉じる」「まもる」の意となり、悪に陥るのを守ることを「防閑」というと。また牛馬を囲って畜養する囲い処をも謂うと。
そして通用の「閑暇」「閑静」等の義は「間」字の仮借義であるとも。「間」は正字は「閒」につくり、「隙」のこと。「門・閒」については措くとして。
「閑事」を上の現代辞書にただならって読んでいては的はずれの憾みが濃い。天子に「十二閑あり」と謂うのは、十二のむだごとの意味でなく、十二の防ぎ守らねばならぬことの意味である。いうに
ちなみに「事」はもと祭事のち政事万般を意味し、要はいろんな「こと」に慣用されてきた。すなわち「閑事」とはさように「こと」多きを「門をとざして遮 りまもる」のが真意で、通用辞典の安易な解はむしろ「誤解」に近い。「清閑寺」の「清閑」は、明らかに門を杜じ清きをまもる意義。河原左大臣といわれた源 融に、三年「杜門」のことがあった。後世にいうお咎めの「閉門」ではない。みずから門を「杜」じかたく世に出なかったのである。
「閑事」とは、余事は排し、心にかなうことに真摯に静かに向きあう意味と、わたしは釈っている。
2017 8/2 189

☆ 若者は血気に逸って好みを変え、老人は惰性で好みを墨守する。  ラ・ロシュフコー

* 自戒している。
2017 8/3 189

* 眼前の仕事はあまりに多いが、どの一つも今
のわたしには忽せにできない。仕事はわたしの「禅」である。
2017 8/4 189

* 涼しいとさえ感じていたのが夜分になり、蒸し暑い。じわと汗を感じながら、小説を書き、選集の初校と再校をすすめ、「湖の本」のために鏡花に関わる昔 の色あせた座談会ゲラを苦心して読み読み電子化原稿に書き直している。「騒壇餘人」の「閑事」である。さればこそ出来る仕事。
八時半、だが、もう眼が見えない。
音楽を聴きながら、猫たちを写真で懐かしもうか。
2017 8/4 189

* 笠原伸夫さんの司会で、篠田一士さん、脇明子さんとの座談会「鏡花文学をめぐって」(解釈と鑑賞)に加わったのは、もう大昔になるが、懐かしい。
笠原さんは早くにわたしの「祇園の子」を力籠めて推奨して戴いて以来、御縁が濃かった。何度も出会い何度も話しあった。
篠田一士さんは、この一度しかお目に掛からなかったが、何方かとの対談で、「秦 恒平は、この先々まで文学的に大事な存在」と発言しておられたのを、人の送ってくれた雑誌で知り、恐縮した。まったく同様のことを別のやはり対談か座談会 かで臼井吉見先生が発言されていたのを、筑摩書房の編集者が教えてくれたのと合わせ、否応なく有り難く印象に刻まれている。いっこう奮発も爆発もしないで 老いて、申し訳ありません。
脇明子さんには、飜訳されたマキリップ三部作『星を帯びし者 海と炎の娘 風の竪琴弾き』を戴いたことで、わが読書しに痛切な足跡がのこせた。愛読とい う意味ではかほどに心惹かれた体験は、ル・グゥイン作の『ゲド戦記』にならぶ。今も心から感謝し、どうされているかなあとよく思い出す。
上記の「鏡花」座談会では、臆することなく鏡花論へわたし自身の切り口をつけて発言している。やがて、「湖の本」でわたしの鏡花世界をはらりと繰り広げてみたい。
2017 8/5 189

* 明けの五時過ぎ、妻が目を覚ましてしまったらしいので、わたしも起きてしまった。テレビで、ちょうどロンドン世界陸上100メートル決勝がは じまるところだった、結果は常勝を誇ってきたジャマイカのボルトが、今回限りの引退を表明していたボルトが三位で終え、十二年ぶりに三十過ぎているアメリ カのガトリンが勝った。
それでいいのだと思った、ボルトは不世出の名選手だったが懸命に最後のレースを終えて悪びれなかった。ガトリンはよくやった。これでいいと思った。ガトリンとは想えてななかったが、ボルトの金はおそらく無いと予想していた。これでいいのだ、歴史はそういうふうに動く。

* スポーツに過剰な思い入れは持たない。勝ち負けできまる人間の行為はどこかにキズを負うている。
努力の結果という称讃の道もあり励まされる思いも持つが、「今日、スポーツはもはや肉体の健康のためのものでもなければ、身体を強壮にするためのもので もなくなってしまった。観衆にとっても、好奇心の満足を意味するだけのものにすぎない」という亡き福田恆存の曰くに頷いてしまう。彼は語をつぎ、「スポー ツばかりではない。現代文明は呪われたる好奇心のために、進歩と速度との幻影に憑かれ、人間の生理的限界を無視してまで、呼吸と脈搏とを早めようと狂気の ごとく努力している」と。見るがいい、ゴールを駆け抜けた勝者は「息もたえだえに、その場に倒れ」てしまい「くりかえし」が利かないと。
作家志賀直哉は、過剰に前進へ狂奔する例えば「速度」への人間ないし科学の意嚮こそが、いずれ人類の安全と平和を決定的に損なうであろうと預言していた。いま北朝鮮の狂気じみた核武装推進に出遭っていたら亡き直哉は「言わんことじゃない」と髯を撫するであろう。

* わたしはすぐ背後の手置き二段の本棚上段に「湖の本」創作とならべ、二册の書を心して置いている。一冊が、亡き福田恆存の語録『日本への遺言』であ り、奥様から頂戴した。福田さんは生前わたしを再々励まして下さり、手づから「湖の本」継続の読者を十数人も送り先まで書き添え紹介して下さるなど御恩を 蒙った。奥様ご自身はいまも「湖の本」に毎回御送金下さっている。中村保男・矢田貝常夫編になる福田恆存語録、まこと脳味噌を揺すられる『日本への遺言』 一冊を、なにかといえば探訪し唸ったり恥じたり叱られたりしている。
その隣にもう一冊並んでいるのが、やはり今は亡き小田実が生前の著『随論 日本人の精神』である。いかな日本人は生きて来たか。これからどう生きるか。表紙見返しには小田さんの自筆で、

秦 恒平様
敬愛の気持を込めて──
小 田 実 2004・ 10・ 24  西宮にて
とある。これはわたしには一入嬉しい心の勲章である。福田恆存の批評と小田実の批評は明らかに異なっているが、しかもわたしは敬意をもって、この二人の二册になにかにつけ手を伸ばして一喝も三喝もを食らう。そしてまた立ち上がる。
2017 8/6 189

* ひとしお眼にきつくて難儀を極めた一仕事を、やっと終えた。一時間で読めてしまう大昔の座談会録を全面新たに書き写したが、極く薄の細字を読みとるのに、四日間、しんから草臥れた。しかし、相次いで「湖の本137」佳い一巻に纏まりそうだ。

* 推敲を重ねてきた長編「ユニオ・ミスティカ ある寓話」は、もう手を離せる直前まで来ている、が、大冊で、湖の本の三巻でも足りまい。それに売り物で ある「湖の本」で此の全編を公表するには懸念がある。すこし厚めに、前半だけを最初巻として本にし、余は封印して蔵っておくか、非売の『選集』へ強って収 めるか。作者としては、思った通り「書いてしまった」のだ、もう済んだという気もある。

* 『清水坂(仮題)』は、何としても今一度少なくも京都の地を踏んで歩いて見てきたい。この作のためにもどうか健康を維持したい。余をみな措いてもこの 作を書き上げたい。幸いに今日の屋も川も町も道もリアルに描き込んだ「まるごと京都」の地図繪を眺めて記憶に生きてある実感を掘り起こし彫り起こししてこ の頃を過ごしている。これまた眼がくらむほどの難儀なのであるが、少なくも京都市街の東側半分は今そこを歩いて通っているほど思い出せる。しかし地図本か ら音は聞こえない、匂いもしない、声も聴けない。

* 泉鏡花を論じた仕事をかなりの量、読み返していた。

* もう機会の字がむらむらに入り乱れて来始めた。もえ、やめ。
2017 8/6 189

* なぜともなく、手の届くところに雑誌「myb」49(2014秋)「同時代の空気・日本の明日」のあったのを見つけた。五十人ほどが短文で応 えていて、わたしは無縁と思ったが、見ると自分の名が混じっていて「日本の明日」と依頼に応じている。顔ぶれは、ま、なるほどと思うお人ばかり、上野千鶴 子も吉岡忍も色川大吉も山田太一も早乙女勝元も山折哲雄も応えている。
短文なのでざーっと通覧してみてビックリもした。「同時代の空気」はともあれ「日本の明日」の少なくも存在していることに疑念をもった応えは無く、少な くも「現状」存続のままに「日本」の近未来を「日常」感覚でいろいろに思議し推測されている。わたくし秦 恒平の憂慮だけは不吉なばかりにまるまる異色であった。以来三年を経ていて、しかしわたしの憂慮はまったく変わっていない、ないし、もっと悪い。 私の一 文を三年ぶりに引き出して置く。

* 日本の明日
大竹しのぶが主演の映画『一枚のはがき』を観て、胸のつまる辛さに堪えていた。没落農家の長男に嫁いで夫は応召そして戦死、老いた両親に請われて慣習の まま夫の弟と再婚し、それもまた応召し戦死。老父は死に老母は自殺。残された嫁は、村の世話役から妾になれと強いられていた。大竹のうまさに凄みがあつ た。
どうかして、こんなことは繰り返したくない、強欲な利権「違憲」政治にこんな悲劇をむざむざ繰り返させてはならない。こんど、こういう事が起きれば、悲 劇の度は地獄に同じだろう。何度でも繰り返し言うておく。政治と外交と軍事をこんど一度び謬れば、日本列島が、沖縄は台湾に、九州四国は朝鮮韓国に、西日 本は中国に、東日本はアメリカに、北海道はロシアに「分け取り」にされ、「日本」という国家は失せかねない。まさかそんなと馬鹿嗤いはよも成るまいと、わ たしは真実予感している。そんなハメに万に一つも我々の「日本」を壊滅させてはならない。 (はた こうへい・作家)

* 現在のわたしは、もっと徹して、現に日々に繰り返し「言う」ている。
広島・長崎「原爆」ま悲惨がいましも繰り返し思い出されている。はっきり知らねばならない、今は原爆でないその威力数千倍もの「核水爆」を米も露も中国 も北朝鮮も持っていて、現に「北朝鮮」は露骨に米の先兵たらんとしかねぬ「日本」を十分な核威力保持のもとに脅迫している。ヒロシマ・ナガサキの「数千 倍」を恐れねばならないのが現実に「明日の日本」いやいや「今日の日本」と心得ながらしっかり国も人も生き延びる手立てを講じねばならない、のに、安倍内 閣はただただトランプ米国の顔色を忖度しかつ依頼している。戦争の悲劇は突如としちいさな刺戟で爆発する。多くの歴史が訓えている。それもコンバット戦争 でない、一兵もわれわれの国土へ動かすことなく「核爆弾」は一瞬に日本と日本人を業火そのままに灼き尽くし得る。
若い人たち、さらにその後に生まれるべき若い人たちの「生」をわたしは心から惜しむ、愛しむ。同時に此の国にあふれた世界史に誇れる「文化」「文化財」 の壊滅・焼亡を心から哀しみ恐れている。たまたま昨日テレビ画面であの阿修羅像に見入り、へたをするとこの像が無惨に燃え殻になるのかもと想いこみあげる 涙を拭いもならなかった。
過剰な危惧と 嗤われても少しも構わない、そうは成らずに「未来の日本」がすぐれた政治力・国民力で平和に生き長らえ得るならば、どうぞ、と心底から祈り願う。

* 無言の阿諛追従という忖度を万民に強いて恥じないいわば「私」政権が、少なくもいま北朝鮮の力づくの恫喝、米国の我利我利の恫喝から、まこと聡明に身 を躱しつつ「明日の日本」の安寧へ成功してくれるとは頼みがたく、ほとほと困りもの。本音は日本も核武装をと用意しているのなら、そのこと自体が凄惨な自 死へ引き金をひく時限爆弾に成りかねない。
2017 8/7 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
野心や恋のような激しい情念でなければ他の情念を征服できんい、と信じているのは間違いである。怠惰はまったく柔弱ではあるが、にもかかわらず、しばし ば他の情念の支配者にならずにはいない。怠惰は人の生涯のあらゆる意図、あらゆる行動を浸蝕し、知らぬまに情念も美徳もつき崩し、消尽する。

* 上掲の写真三点、心を澄ませたいと心底願って掲げている。心淵を汚してくる不快はかぎりなく打ち寄せる。せめてマスコミを軽率に騒がせる他人のあれこれに心を乱したくない。到らぬ自身の気持ちを清いもの美しいものに励まされたい。
世中常なく侍りける比、久しうおとせぬ人の許に
つかはしける
消エもあへず儚きほどの露ばかり
有やなしやと人のとへかし     赤染衛門
2017 8/8 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
声の調子や目や表情には、言葉の選び方に劣らぬ奥深い雄弁がある。

* しかも明らかに良いと悪いの例がある。
良い適例は、天皇さん、皇后さん、皇太子さんに観ている。
悪い例は、恥無き現総理や、退任を余儀なくされた恥無き大臣や、悪しき忖度の限りを尽くして国税局長官に大出世したあの財務官僚に顕著に雄弁に観てとれる。
2017 8/9 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
死を解する人はほんの僅かである。人はふつう覚悟をきめてではなく、愚鈍と慣れとで死に耐える。そして大部分の人間は死なざるを得ないから死ぬのである。

* 抗弁しかねる。
2017 8/10 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「狂気なしに生きる者は、自分で思うほど賢者ではない。」「人生には時として、少々狂気にならなければ切り抜けられない事態が起こる。」「運も健康と同じ ように管理する必要がある。好調なときは充分に楽しみ、不調なときは気長にかまえ、そしてよくよくの場合でない限り決して荒療治はしないことである。」
2017 8/11 189

* わたしの二階六畳仕事部屋の雑踏がどんなかは、謂うもおろかで笑ってしまうが、なかで場を塞いで積みあがっているのが、紙のといわず木といわず大小の 「函・筺・箱」である。わたしの揺るがぬ信奉に「(女体も含めて)容れ物は文化である」がある。端的にツボ同様に「ハコは文化」なのであつて容易に棄てら れない。かなり困惑もしながら、「そやけど文化やもんなあ」と諦めている。
笑ってはいけない、歌合や繪合や花合を知っている人も「はこ合わせ」りあったことはめったに知るまいが、事実、宇多院や歌人伊勢の御の時代に為されてい たことが記録にある。有ってすこしも可笑しくない、すばらしい手箱には国宝もある。浦島の玉手箱とて使い捨ての粗末なものではよもなかったろう。
わたしを困らせているのはしかしそんな美麗の上等ではない、ただ菓子や嗜好品の空き箱にすぎないが、いつか役に立つかなあと惜しむのだ、「ハコは文化」だもん。やれやれ。

* この七月で、わたしの「生活と意見 闇に言い置く私語の刻」は、1998年三月以来20年余を経て「190ファイル」にも成った。このホームページの 中に「宗遠日乗」として全部が保管されてあり、大方が誰でも披見可能に出来てある。手がまわらずここ20ヶ月分近くがまだ整備できていないけれど。
ホームページを整備し、将来のためにも是が非でも副本を創って欲しい分散して欲しいと頼まれているが、容易に手が回らない。ホームページには「私語・日 録」だけが入っているのではない。「「e-文庫・湖(umi)」も全部入っている。その他、信じられないほど入っている。せめて幾らかは整理したいと思う がとても手が回らない。あと二年半か三年で幸いに「秦 恒平選集」三十三巻成し終え得ればわたしたちの生活はひっそり世間から遠くなるだろう。かのうなら「湖の本」は続けていたいけれど。ま、そのころになお幸 い余力が有れば片づくものは片づくだろう。いや、片づいたりしないままだろう。わたしの脳味噌もそろそろ溶けかかっているだろうから。
2017 8/11 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
他人のよい忠告を身のこやしにするのは、時として正しく自戒するのにも劣らぬ怜悧さがあってこそできることである。
2017 8/12 189

* 原稿料や印税といった収入と縁を切って、つまり依頼原稿等々を一切お断りして、もう歳久しくなる。全くといえるほどの無収入と「湖の本」の赤字、非売 の「選集」では出銭の暮らしを続けている。若い日々、年々に頑張っておいたおかげで、老いの日々をかつがつ、もう数年は生き延びられるだろう。子供達に遺 す必要も気もない。慈善といった余裕もない。風が吹き抜けて行くようなわたしたちの暮らしである。
そんな暮らしなので、大勢の皆さんからいろいろに頂戴するのは真実こころも花やいで、賑わってただ嬉しいのである。それは稼ぎではない、まさに頂戴している。心よりお礼申し上げます。

* ツイッターを介してわたしにダイレクトメールする人がいますと「ツイッター」がメールで報せてきたが、何度も云うように、数年前から、わたしの此の機 械ではツイッターへもフェイスブックへも全く繋がらず、何一つ読み取れない。わたしに用や話があるなら、わたしのメールアドレスで直に言うてきてもらいた い。
2017 8/12 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「われわれの気分が穏やかであるか荒れるかは、生涯の重大事によってよりも、むしろ毎日起きるこまごましたことの運びが、思わしく行くか行かないかによって左右される。」
「われわれはあまりにも他人の目に自分を偽装することに慣れきって、ついには自分自身にも自分を偽装するに至るのである。」
2017 8/13 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人間の心をあばいて見せる箴言がしばしば物議をかもすのは、人びとがその中で自分自身があばかれることを恐れるからである。」「賢者を幸福 にするにはほとんど何も要らないが、愚者を満足させることは何を以てしてもできない。ほとんどすべての人間がみじめなのはそのためである。」

* ラ・ロシュフコーの「箴言集」のまえで、わたしはクソミソに類している。それを恥じこそすれ、言い訳などなにひとつ、出来ない。
2017 8/14 189

☆   世中常なく侍りける比、久しうおとせぬ人
の許につかはしける      赤染衛門
消エもあへず儚きほどの露ばかり
有やなしやと人のとへかし
文集の蕭々暗雨打窓聲といふ心をよめる  太貳高遠
戀しくば夢にも人をみるべきに
窓うつ雨にめをさましつゝ

* 平安の和歌は「思い」をうたっている、人に呼びかけている。現代の結社短歌は、ほとんどが、推敲を経ないガサツな語句でただ五七五七七を観念で埋めている。
2017 8/14 189

* 源氏物語と取っ組んでいる。
2017 8/14 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
誰の助けも借りずに独りでやっていく力が自分にはある、と信じる人は、ひどい思い違いをしている。しかし、自分なしには世の中はやっていけない、と信じている人は、なおさらひどい思い違いをしている。

* まずは足もとに、また洋の東西に、ひどい権力者がいるなあ。

* 「嘘はわれわれの生活に深くからみついているので、たいていの人は嘘をいうことがなんの目的もきき目もないような、独り言や祈りのなかでさえ、やはりひと知れずいつわりがちである」と信心深いヒルティでさえ、言う。

* なぜか、この忙しいときに、ミルトンの「失楽園」が読みたくなっている。あの世界をおおきな白い翅をうって遊弋したいと空想してしまう。
2017 8/15 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「才気は時にわれわれに手を貸して敢然と愚行を犯させる。」「年をとるほどさかんになる血気などというものは、狂気から隔たること遠くない。」

* うむ。
2017 8/16 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「嫉妬の心(うら)には愛(アムール)よりもさらに多くの自己愛(アムール・プロプル)がある。」「嫉みは憎しみより解き難い。」
2017 8/17 189

* 「口絵」に苦戦。
だいたい、自分の写真はたいていプロが撮ってくれて、数多くはない。自分では景色や草木花や美術や家族や猫たちばかり好んで撮り、自分を人に撮って貰うことはめったにない。第一、妻も建日子もそういう写真はお話にならず下手なのである。口絵写真、種切れになりそう。

* それにしても、仕事、しごと、仕事の代表作にもなろうというどれもみな、若い若い頃にすでに書き下ろしたり連載したりしていたことに、我ながらビックリしてしまう。文章も同時代、同世代の大勢とかなりちがって速度はやく、語彙が多い。
小さい頃から人はわたしに向かい、口をひらくと、「おまえ、変わってるナア」「あんた、変わってるわ、ほんま」と、それしか言われなかった、が、そうなのか。そうかもしれない、どうでもいいが。

* 「選集」23の初校をツキモノみな添えて送り返した。「選集」24本紙 跋以外のツキモノ 口絵、函表紙 全部電送入稿した。

* ウエーッ、暑い。

* 今日はひときわ視力の衰えがきつく、昼間、あかるい電灯の真下でキイの字がとても見にくかった。疲れたが、しいて仕事をつづけた。夕方、三十分ばかり横になって「源氏」「絵巻」そして「海部直」の系図をしらべているうち眠気にまけて一時間あまり寝た。
「湖の本」136発送の挨拶や謹呈挨拶を全部印刷し終え、封筒へのはんこ捺しも全部し終えた。
2017 8/17 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
一つの問題に幾つもの打開策を見つけるのは、創意工夫に富むからというより、むしろ明知を欠くために、頭に思い浮かぶことのすべてにこだわって、即座に最善の策を見きわめることができないためである。

* しかり而して、小説に行き詰まると「幾つもの打開策」ばかりが跳梁する。やれやれ。
2017 8/18 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「精神(エスプリ)は怠惰と慣れから、自分に楽なこと、もしくは自分の気に入ることにしがみつく。この習性が常にわれわれの知識と対応を一定の限界に閉じこめてしまう。」
「大多数の若者は、単にぶしつけで粗野であるに過ぎないのに、自分を普通に自然だと思いこんでいる。」
2017 8/19 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人の趣味が変わるのを見ることはごく普通なのにひきかえ、人の性分が変わるのを見ることはごく異例である。
精神の狭小は頑迷をもたらす。そしてわれわれは自分の理解を超えることを容易に信じない。
2017 8/20 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「自然に見えたいという欲求ほど自然になるのを妨げるものはない。」
「時として人は、他人と自分が別人であるのと同じくらいに自分自身と別人になる。」
2017 8/21 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「われわれは自分が直そうと思わない欠点を、ことさらに自慢の種にしようとする。」
「最も激しい情念でさえ時にはわれわれに一息つかせてくれるが、虚栄心だけは絶えずわれわれをかき立ててやまない。」
2017 8/22 189

* 書きかけの「清水坂(仮題)」「ユニオ・ミスティカ 或る寓話」で想いが、ことに真夜中の夢うつつに錯綜し、熟睡出来い。各種のこまかな地図に見入り、地誌を探索し、そして寝入りながら想像するものだから、怖くすらなってくる。

* 関根正雄訳『出エジプト記』に引きずり込まれてもいる。実の父が遺してくれた『新約・旧約聖書』全一冊で長期間かけて全部を通読したときより、さすが に岩波文庫一冊でしかも平易な現代語になっているので、すくなくも前半は神話というより物語を読む感じ。加えてチャールトン・ヘストンがモーセを演じた映 画『十戒』の記憶がありありとある。それが、いくらかは邪魔でもあり助けにもなっている。
『創世記』も同じ岩波文庫に成っていて、『ヨブ記』とともに買ってある。
岩波文庫の新版『源氏物語』をアタマから読み進んでいて、小学館版の全集本で「宇治十帖」をゆっくり夢の浮橋」へ近づいている。「絵巻」月報は全三十六册ほどのちょうど半分を楽しんで、当分続く。
いま「湖の本」の校正からは手が離れているが、「選集」第二十三巻の最終稿を毎日読んでまだ四分の一ほど。新しい巻の編成で、入稿前原稿を仔細に検討もしていて、根気が要り、芯が疲れる。
食べて楽しもうという欲が失せ、自然 酒を生なりで飲んでいる、いろんな酒を。最近では岡山の「喜平」が近江の「鮒鮓」を肴に数日堪能した。いま、貴重品の「粒雲丹」を戴いているので、生協から酒の配給を待っている。
ほんとうは、京都へ行きたい。宿が取れないなら、晴れた日に富士山を眺めに行くか、温泉へ行きたい。
2017 8/22 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
模倣はきまって惨めなものである。およそ偽造されたものはすべて、本然のままである時には人を魅了するその同じものによって人を不愉快にする。
2017 8/23 189

* わたしは京の祇園町へ抜け路地一本で通える背中合わせの知恩院門前通りで育った。祇園は甲部も乙部もよく知っていた、両方の銭湯にかよったし、国民学 校三年生まを終えるまでは、つまり丹波へ戦火を避けて疎開するまでは、秦の母に手をひっぱられ、女湯でからだ中を洗われていた。敗戦後の新制中学は祇園町 のま真ん中、八坂神社石段下にあり、「祇園の子」は大勢が同級で、同窓生だった。なつかしい。
そんな次第で、わたしはいわゆる色里へ客として遊びたいという欲求は一滴ももたずに大人になり、そういう世界へ近寄ったこと、ただの一度も無い。女を買 うという感覚はこの身の上でも皆無だった。一代男の世之介を羨む気持ちは滴ももたないのである。しかしもう本卦還りの世之介は、と同好の友を語らい、豪奢 に渡海の大船をつくって、ありとある性具や強精・催淫の薬や食物、衣裳を満載し、はるか海の彼方の「女護が島」へ旅だって行く。ウーン、すこしは羨ましい のかなあ。
ちなみにこの世之介が僅かな期間ではあれ祝言して理想的に美しくも聡い妻女にしたのが、名高い高尾太夫だった。しかし永くは専有しなかった。
いま一つちなみに書いておく、「世之介」の「世」とは、世の中とは男女の仲の意味で、これは平安の大昔から日本人の誰もが心得ていて、近代現代人がただ 忘れているだけなのである。わたしが、閑吟集の小歌、「世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり」を評釈したとき、専門の学者からそうは読まな かった、学者は窮屈で」と謝られたのを思い出す。わたしの『閑吟集』をまた御覧下さい。
2017 8/23 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
生まれつきのままでは欠点になりさがる長所があり、また、あとから身につけたのでは決して完璧になりえない長所がある。たとえば富や信頼の使い方について賢くなるには理性によらねばならないし、反対に善良さや勇気は生まれつき与えられなければならない。 2017 8/24 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
狂気なしに生きる者は、自分で思うほど賢者ではない。
2017 8/25 189

* 夜前「総角」のあとで、久保田淳さんに戴いた『藤原定家全歌集』の四十頁余の「解説」を一気に通読、久々に定家卿の生涯を要領よく復習できた。幾つも新たに教わった。定家と限らず「侍従」という官職名の意味は「おとしものを拾う」ことと。侍従の唐名は「拾遺」と聞くと、あ、なるほどと。わたしも歌集を編んで『光塵』のあたまには前歌集『少年』拾遺を、『亂聲』のあたまには『光塵』拾遺を置いていた。
朝廷での「侍従」とは、では何を。要するに「あれこれ」か。定家はわずか五歳で正五位下に叙せられ侍従となって以来延々とじじゅうであったことに不満だった。中断して以降よほどの大人になって官位をあげてからもまた「侍従」だったことがある。一種なんでもやの無任所官なのか、定家は熱心に「蔵人頭」を願ったけれど叶わなかった。蔵人所というのは令外官で、天皇に直属して諸事に応じる。「侍従」は、ま、朝廷内の「あれこれ」に随時に応じていたのだろう。定家一代の自選歌集の総題は『拾遺愚草』である。拾いに拾い取ってある。

* 今朝は、食後二階へ上がろうとして、堪らず心身重苦しくそのまま寝室にからだ横たえて、『絵巻』月報の十九を、これはもう目から鱗の何枚も落っことしたほど面白く二、三大先達が蘊蓄を煮つめて語った短文を食い入るように耽読した。ただの単語的な知識ではない、大きな時代を深く読み取って興味津々の吐露に出会えたのである。ありがたく、すぐにも役だってもらえそう。

* ちいさく狭く凝り固まって執着するだけなく、いわば出会い頭にハッとくるような濫読体験の面白さ有り難さを思わずにおれない。

* わたしは生来いわゆる「研究」という方法に従ってこなかった。大学の卒論にも一行の参考文献も副えなかった。作家生活に入って以降も、小説と両翼をなして数多い論著を出し原稿も書いたが、それら著作に「註」はつけても「参考文献」をそえたほとんど一点も有るまい。わたしは「研究」という穿鑿の「方法」には従わず、谷崎にも学び「エッセイ」として『花と風』や『手さぐり日本』や『女文化の終焉』や『趣向と自然』等々を書き下ろした。「エッセイ」は、旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって「言葉の藝術」になる。正しく正しくと追って行く「研究」を文藝と呼んでは、エッセイにも研究にも失礼に当たるだろう。

谷崎潤一郎の『藝談』『陰翳礼賛』などが優れたエッセイとしての論攷であるのに、わたしは迷いなく従った。すべて最も言葉の真意にしたがって「エッセイ」として批評し論攷したのであ。とても世にはびこれなかったわたしを、突如として「国立東京工業大学」の教授に指名し推薦してくれた人たちは、そのようなわたしの、研究ならぬ「エッセイ」をもって「文学教授」にふさわしいと鑑識してくれたとしか思われない。そう鑑て貰えたらしいことこそが、今にしてわたしを喜ばせる。
「エッセイ」は、繰り返すが、旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって言葉の「藝術」になる。正しく正しくと追って行く「研究」は、しばしば言葉が蕪雑に騒がしい。それをしも文藝と呼んではエッセイにも研究にも失礼に当たる。
2017 8/25 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「粧った実直さは巧緻な瞞着である。」
「大度(マニャニミテ=ラテン語のマグナ・アニマ大きな魂に同じ。)とは、読んで字の如く、それだけで充分な定義になっている。だが、こんなふうに言うこともできるのではないか、大度とは自負心の良識(ボン・サンス)であり、人々の称讃を受けるための最も高貴な道である、と。」
2017 8/26 189

☆ 黒谷
如何お過ごしでしょうか。
東京は、太平洋側の東日本は八月に入ってからの日照時間少なく、野菜やコメの生育が打撃を受けていると。
こちら(=尾張)も幾分ヘンな夏です。
火曜日午後に小牧のメナード美術館に出かけて、日本画家・田淵俊夫の作品を見ての帰りに少し雨に遭いました。その夕方から夜にかけて、絶えまない雷雨と強烈な雨でした。スーパーセル謂われる巨大な雷雲、トルネードが、名古屋の西、清州で起きたとか。
早や八月も終わろうとしています。暑さを乗り切って無理せずお過ごしください。

『黒谷』より『女坂』や『女の噂』について大勢さんが感銘され書いてくださるのを解せない・・と21日のHPにありました。感銘されるかどうか以前に、読みやすいと言えば読みやすい、分かると言えば分かりやすいのでしょうか。
『黒谷』 現代物雨月物語は、鴉ご自身にとって極めて近く親しい愛しい物語世界。そしてかなり多くの読者がそれを「前提」として読み進むでしょう。「黒谷」「両親を亡くしている」信子さん、出町の萩の寺「常林寺」等々、想像できる馴染みの設定があり、そしてそれらを存分に操るように書き進めていらっしゃる。
小説の最後に棚から大皿が幼い紘子の頭上に落下する瞬間を述べて、物語が終わります。
どなたでしたか、だいぶ以前、七月でしたが、『黒谷』について述べてらして、大皿が紘子の頭部顔面を無残に害することを予測した人は、紘子を不憫と思いつつ、同時にそれが因果応報とも霊となった正美の怨念とも読み取ったように思いました。
わたしも一読した時はその解釈でそのまま納得しました。
後で読み返していくと本当にそれだけでいいのかなと疑問も湧きました。確たるものではないけれど、もしかしたら・・というほどの微かな・・。
内裏雛の顔、びっしり生えた黴の壮絶な「群落」はまさに告発すべきものの証でもあります。
お雛様を飾るという行為が、この小説の中で「象徴的な」意味をもっているのも感じます。
八朔という言葉が出てきましたので「八朔雛」という言葉も思い起こします。(わたしが以前
住んでいた地方に、中世から? 瀬戸内海で重要な港だった室津があります。その室津では八朔雛を飾ります。黒田官兵衛の妹が浦上氏との婚礼の日に龍野城主赤松政秀の急襲に遭い死んだのを悼んで、八月一日、八朔の雛祭りを行ったとか。)八朔雛には健やかな成長を願うよりも哀しさの方が感じられました。

物語を読み返していきますと、さまざまな箇所で「祖母」のひそかな目論見、願望として正美と信子(三歳年上の姉さん女房であっても成立したかもしれない)、その延長線上の異なる展開を小説世界は内包し隠しもっているように思われます。隠しているというより、正美と信子の間には十分な感情の往来があることが窺えます。寧ろ二人のささやかな好意、次第に迸りでそうになる感情は随所に語られています。黒谷の二階の、まさに北岡と郁恵の行為が行われた、あの場所での、結婚生活に失望した信子と正美の行為もまた仄見えてきます。取り落としてしまった過去の時間をどのように手にするのか、そのような時間は、正美には十分に残されてはいませんでしたが。
そして北岡との関係と同時進行かは不明ながら、正美郁恵夫婦の間には新婚以来それなりの性関係がありました。少なくとも白い結婚ではなかった。
郁恵と北岡の関係がいつ始まったか、これは重要な問題です。郁恵は妊娠が分かった時、自分の子宮に宿った子が誰の子かと断言できたのでしょうか。生まれてきた紘子に正美の面影は乏しいとしても、正美・郁恵夫婦の子供である可能性もまた否定しきれないのです。
この場合、紘子に向かって落下していく大きな重い皿の意味するところは、曖昧なままに終わるだろう紘子誕生の秘密に終局を引き寄せたいということか。正美自身の血脈への、紘子という存在を拒否峻拒し、血脈の切断を自ら図ったという、これもまた重く重い行為になります。

書き足りないことはありますが、今日はここまでにします。『黒谷』に関してページの引用など抜かして大雑把なところでストップしています。

18日の記載
ロシュフコーの箴言「一つの問題に幾つもの打開策を見つけるのは、創意工夫に富むからというより、むしろ明知を欠くために、頭に思い浮かぶことのすべてにこだわって、即座に最善の策を見きわめることができないためである。」の後に、鴉自身の「しかり而して、小説に行き詰まると幾つもの打開策ばかりが跳梁する。やれやれ。」と。これは書き手としての率直な思い。
読者としてのわたしは「最善の解釈」など出来るはずなく、幾つもの妥協ともいえる誤読・・「可能性ある解釈?」を述べるしかありません。

黒谷の墓地、真如堂、宗忠神社、吉田神社、(京都大学の学生のころ=)どれほど多くの時を過ごしたことか。本を読み耽った独りの時間がありました。休講になると必ず吉田山に出かけました。(蛇足ながら、黒谷の塔の下で露出狂の男性に出遭ったこともあります。石段を一目散聖護院の方に走り降りましたよ!)
そして吉田山で命を絶ったクラスメートを思い出します。
真如堂に下宿していた友人、男子も女子も思い出します。

今は、フランスの修道院の絵を描きあぐねています。
京都の絵も描きたいです。
日本画の紙やパネルはやはり油絵より値段が高いです。絵の具も種類によりますが高いものもあ
ります。来月の教室では金箔銀箔を使って切り箔や砂子を学びます。
白牡丹の絵に砂子を散らそうと思っています。

京都に行きたいと書かれています。ホテルは心配しなくても予約できると思いますよ。暑さを避けて、もう暫く待って、ぜひぜひ行かれますよう。
必ず必ず京都を歩かれますよう。作品のために。鴉ご自身のために。  尾張の鳶

* ありがとう。この「鳶」さんは、たしか、わたしより十ほど若い、敗戦直後の生まれではなかったか。世界中を「トビ」まわって、旺盛な知性と意欲とを磨いている「詩・画」人。たくさんなことを教わってきた。
鳶と鴉とは、一対の世界史的な嫌われ者なんだけれど、わたし自身は敬愛して已まないあの与謝蕪村描く、雪中の鳶と鴉の繪が好きである。

* 順不同、祇園の子 蝶の皿 絵巻 三輪山 青井戸 隠沼 加賀少納言 鷺 夕顔 於菊 余霞楼 孫次郎 露の世等々 その他連載した短篇集、掌説集などこつこつ書き置いてきたが、 今度の黒谷 も、この中へ加えてよしと思っている。先行作のどれに通うかと指さすことで、作の性根の読み取りも変わってくるか。
2017 8/26 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「大部分の人は羽振りや地位によってしか人間を判断しない。」
「あらゆる立場でどの人も、みんなにこう思われたいと思う通りに自分を見せようとして、顔や外見を粧っている。だから社会は見かけだけでしか成り立っていない、と言える。」

* あとの方の箴言にそって「見られる」なら、我が日常の「顔や外見」は、見よいどころか、あまりに見かねるもので、そもそもわざとそうなのでなく、自分の顔恰好をまるで平時は忘れ果てているのだ。よそへ出掛ける前にしか鏡を見ない。顔もろくに洗ってない。だから、白い髯が草むらじみてぼうぼう生え、白い薄い髪が八方へ逆立ち怪物のようなのに、鏡を見るその時までまるで気付いていない。暑いから、うすい下着を夜も昼も脱ぎ着もしないで、そのままゴミ出しや故紙出しも平気で手伝っているし、隣棟へ道路づたいの出入りもしていて、ご近所さんに見られてはと思い至ることもない。要するに常は自分の外見に全然「気がない。妻も、一緒に外出のときや、わたし独りで通院などの折り以外は、ひとこともわたしの見かけに苦情を挟まないので、たまに鏡を見てわれながら惘れた時は、この顔恰好と一緒に妻は毎日食事したりテレビを見たりしているのかと、びっくりする。
ま、それでも世間という「社会」へ外出して行くときは尋常に「見かけ」を整えて出て行くのだから、やはりロシュフコーの弁は逸れていないのだろう。
2017 8/27 189

* 『ある寓話』は着々成ろうとしている。繰り返し繰り返して推敲・添削を重ねてきた。作者として書き読者として読み、もうそれで気が済んではいないか、と思ったりもしているが。よほど長い作になっているが、その長さの評価でなにかしらふっ切らねばならぬと思っている。
作としては、そうは長編に成るまいけれど、構造や内容としてはよほどこみ入った世界で『清水坂』の険しさに喘いでいる。『ある寓話』はむしろ淡泊あるいは雑駁なほど無頓着に書き進まれてそれでいいのだが、『清水坂』はわたし自身でたじろいでしまいそうに複雑に時空と話柄が交錯する。その交通整理と、なによりの隘路は、書いている書こうとしている空気の揺れや色や音を現地で感じてこれてないこと。それが致命的な条件と云うことは無い、決して無いのだけれど。
『みごもりの湖』は近江の光景がじつに的確に美しく書けているといわれたけれど、大方は見知らぬままに想像力で表現した。それは出来ることであり、腹をくくればいいと思いかけている。
2017 8/27 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
一人一人の心の中に生まれつき自然に存在するこれほど多くのいろいろな矛盾は、人間の想像力ではとうてい考え出すことができないであろう。

* 小説家とは、この箴言にむかって何としても想像力を働かせるしかない難儀な商人である。
2017 8/28 189

* 昨日柳君が来てくれて、何のお構いもサービスも出来なかったので、もう帰りがけ、わたしは彼を二階の機械部屋・書斎へ連れて行った。電器屋は二三度入ったことがあるが、めったに人は入れていない。ま、あまりな部屋の混雑ぶりをみてもらって何のサービスにも当たらないが、これを契機にすこしでも片づけたいと思っていた。
で、午後おそめに、小説の仕事をそこそこ捗らせたあと、それだけは気に入りの佳いソファ、建日子が欲しがっているソファをもう十年来満杯のダンボールたちが占拠しているのをなんとか排除しようと懸命に無い知恵を絞り、ま、ソファの上だけが本来の顔を見せてくれた。黒いマゴがその上ですてきに似合った敷物をひろげて躯を柔らかに沈めたのが涙が出そうに最高だった。そのまま機械に入っている歌を聴いた。小鳩くるみの「埴生の宿」、そしてペギー葉山の「大学時代」など。望郷の思いのなによりも迫ってくる歌を目をつむって聴いた。
もとの木阿弥にまたならないように、ソファ、だいじにしてやりたい。疲れたらソファに沈んで憩いたい。

* わたしは、いまも心幼い少年のようだ。恥じても始まらないが。

* 湯槽のなかで、中世を考え、ロシュフコーとしばし対話し、鳥辺野と化野の地誌をしらべていた。
2017 8/28 189

* 湯槽のなかで、中世を考え、ロシュフコーとしばし対話し、鳥辺野と化野の地誌をしらべていた。
2017 8/28 189

* 書いている小説を、過剰にならぬよう気を付けながら少しずつ太らせて行けるとき、わくわくする。弄くり廻すのは下策だが、舞い手のいい後見のように、つかず離れず面倒を見て行くのが、小説という生きもののためには、いい。
2017 8/28 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人が知性(エスプリ)と判断力(ジュジュマン)を別々のものと思ったのは間違いだった。判断力とは知性の光の大きさでしかない。この光は事物の奥底まで貫いて、そこで見るべきものをすべて見、見えないと思われるものも見てとる。だから、判断力の効能とされていることは、ことごとく、知性の光の広大さのもたらすものだ、と、認めなければいけないのである。」
「知(エスプリ)」は「情(クール)」にいつもしてやられる。」
「頭(エスプリ)」には「心(クール)」の役はとうてい長く演じ続けられまい。」
「精神(エスプリ)」の欠点は顔の欠点と同じで年をとるほどひどくなる。」
2017 8/29 189

* 「ユニオ・ミスティカ」を慎重に補強している。ほんのわずか、口を挟む感じにコトやモノやヒトをさしこむだけで話が弾んだり膨れたりする。小説とそんな風に向きあっているときは疲れを忘れているが。

* 十一時過ぎた。もう、機械は離れる。瞼が重く塞いでくる。
明後日で八月が逝く。十一時前には聖路加へ行かねばならない、熱暑にすこし遠慮を願いたいが。「湖の本136」発送までになお八日間の余裕がある。九月には、歌舞伎座へ。月末近く、歯医者も、幸四郎の「アマデウス」も、聖路加の診察もあって「選集二十二巻」の送り出しが迫ってくる。九月はがいして気忙しくなる。いまのうち寛いでいたいが、疲れ切っていては仕方がない。
2017 8/29 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「毅いところのある人だけが真の優しさを持つことができる。優しそうに見える人は、たいてい弱さしか持たず、その弱さは容易にとげとげしさに変じてしまうのである。」
「真の善良さにも増して稀なものはない。善良だと自分で思っている人でさえ、ふつう、愛想のよさ
か弱さしか持っていないのである。」
2017 8/30 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
弱い人間は素直になれない。
2017 8/31 189

* 小雨の中、聖路加で診察を受けてきた。きまりの処方薬をもらい、また三ヶ月後を予約。

* 薬局で処方薬を受け取ったあと疲労感がつよかったので、築地で簡易な喫茶店で強いコーヒー
を飲んだ。不思議とコーヒーはわずかでも活力を呉れる。「NCIS」のボスも天才検査官のアビーもしょっちゅう強そうな大量そうなコーヒー・カップを手放さない。
昼食は、食べ物よりも美味いワインをのみ、あとエスプレッソをお代わりした。往きも帰りも車内で校正。これが、なんとも懐かしい、連載していたのは三十七、八歳頃のエッセイだった。
想い出すとクスッと来るが、医学書院勤務の頃の私家版の小説を読んで声援して下さった医学教授や病院長先生らは、異口同音、「八十の人が書いたような文章だね」と。
作家になり、小説の他にすぐさまエッセイも次々連載した、「花と風」「手さぐり日本」「女文化の終焉」「趣向と自然」など、みな四十前の仕事で、やはり「八十の人が書いたような文章」だった。いやもっと踏み込んで然様であったろう、よかれあしかれ同時期・同時代の作家・批評家に類をみなかった。世は、まだまだ身辺雑記・私小説ふうの時代だった。つまり、はなから、わたしは「騒壇餘人」へはみ出ていた。評価してくださる、作家・批評家と限らない各界大先達の諸先生がつぎつぎ亡くなってゆかれ、わたしは「湖の本」という赤坂・千早城に躊躇いなく立て籠もった。それも決して孤立無援ではなかったから、三十余年なお継続して、第百三十七巻の初校が今日家に届いている。ま、程なく湊川で討死にするだろうが、誰への忠義立てか。当然、「文学」にである。わたしは生涯バカ正直な「文学少年」で終わるだろう。
2017 8/31 189

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。*
われわれは生涯のさまざまな年齢にまったく新参者としてたどり着く。だから、多くの場合、いくら年をとっていても、その年齢においては経験不足なのである。
2017 9/1 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。*
われわれは生涯のさまざまな年齢にまったく新参者としてたどり着く。だから、多くの場合、いくら年をとっていても、その年齢においては経験不足なのである。
2017 9/1 190

* 「恋人同士が電話すら出来ずにいて、一週間ぶりの日曜に顔を合わせる。そんな時の身振り一つ、ため息一つは、どんなに雄弁であり、ーー食べ物に譬えるなら、おいしいことだろう。」
六十に手の届くオバサンが、若い女性作家のこんな小説中の一節に身もだえしそうに共感し嘆賞しているのを知って、ビックリしたことがある。気持ちの問題 ではない。この小説と称する文章、この幼稚さにびっくりし、それに共感できるオバサンの幼さにもビックリした。いつまでも少年であり少女であるのは佳いこ とでもあろう、が、幼稚はダメ。
それにこの作家の、これは、表現ではない、押しつけに同じ、説明である。表現でなく説明に惹かれている内は「読む」ちから、深まらない。
人につかはしける    紀長谷雄朝臣
ふしてぬる夢路にだにも逢はぬ身は
なほあさましきうつゝとぞ思ふ
2017 9/1 190

* 友人たちの繪を観ている。細川君は中学で同年、堤さんは高校で二つ若く、高木さんは「いい読者」で十ほど若い。繪の描ける人、羨ましい。図画工作はに がてだった。観る方へまわって、言葉で美しいモノを書き続けた。京都美術文化賞の選者を二十数年担当した。京都にいた若いうちに観られるかぎりをよく観て 歩いた。茶の湯の御蔭で広い範囲でじかに触れたり近づけたりもした。京都はそれだけで大きな美術館・博物館であり専門学校であった。『花と風』『女文化の 終焉』『趣向と自然』『手の思索』『茶ノ道廃ルベシ』らは、いわば京都「学部」生としての気負いの卒論であった、か。
2017 9/1 190

* 「湖の本137」再校出についで「選集第二十三巻」の要再校ゲラも出て来た。いま「選集第二十二巻」の責了へと再校に励んでいるが、どおっと津浪のよ うに要校正ゲラが押しよせてきた、しかも九月は中旬に「湖の本136」を発送しなくてはならない。全部のボールがこっちへ帰ってきて、この分では「選集第 二十四巻」の初校まででてきかねない。ウヘッ。どうしよう。仕事の浪というのはこんな具合に差し引きするのだ、分かり切ったハナシだ。
幸い「枕草子」発送の用意は出来上がっているし、「選集」送り出しの用意にももう取り組んでいる。この用意さえ出来ていれば、気苦労はせずに済む。忙し くなると分かっていれば早めから用意。どんなに忙しかったときでも会社で編集者の時代、その要領で、みな無難に凌ぎきった。生産計画を百パーセント欠いた ことなど一度もなかった。編集管理職の多忙のまま新米作家の身で書き下ろしの連載の放送のテレビのと追いまくられた。だが、対処為すべきは「用意」に尽き ていた。
2017 9/1 190

* 「ユニオ。ミスティカ ある寓話」 三分の一ほどを第一部として「湖の本」版にするかを考慮している。今日も、作を堅めの仕事に励んだ。

* まだ九時半だが、もう「機械目」は使用不能。階下で、裸眼の校正と、読書と。そして寝る。寝られるときに寝る。
2017 9/1 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「一種類の才気しか持っていないと、人を長く楽しませることはできない。」
2017 9/2 190

* 座右に詩歌の集をおかずにおれない。和歌集では後撰、拾遺、後拾遺三集を手放せず、日々に文字どおり愛翫している。なかでも後拾遺へ手が出る。

女の許より帰りてつかはしける     少将藤原義孝
君がためをしからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

男の、頼めてこざりけるつとめて    赤染衛門
やすらはで寝なまし物をさ夜ふけてかたぶくまでの月をみし哉

幼小来 感嘆してやまない歌が同じ和歌集の見開きに出ている。
月々に数多送られてくる現代歌誌のどの頁にも、なにを歌おうが、かほどの表現と真情に出逢うことは ぜったい と云いきれるほど無い。そもそも「うた」の「うったえ」も「うたう美しさ・みごとさ」も現代短歌は棄て果てている。屑の多産に過ぎない。
昨日触れた正岡子規最期の「九月十四日の朝」一文が湛えていた、あの美しい詩人の眼の真率を識らず、ただムリムリに造作されている今日の「歌」の汚さは目にあまる。
古代の人など、ただ遊んでいただけなどと思っていては恥ずかしい。
2017 9/2 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「ありのままの自分を見せるほうが、ありもしないものに自分を見せかけようとするよりも、ほんとうは得になるはずだ。」
「われわれの素質はすべて善とも悪とも不確かで当てにならず、ほとんど全部がきっかけ次第でどうにでもなる。」

☆ 陶淵明に聴く。

靄靄たる停雲
濛濛たる時雨
八表 同じく昏く
平路 これ阻まる
静かに東軒に寄り
春醪 独り撫す
良き朋は悠邈たり
首を掻きて延佇す

停雲は、親友を思ふなり。罇(たる)には新醪(しんろう)を湛へ、園には初栄列なる。願へども言(ここ)に従はれず、歎息、襟(むね)に弥(み)つ。

* 逢いたい友はみな遠くにある。はや界(よ)を異にしてもいる。

* 泉鏡花にかかわって過ぎ越し日々の感懐をしみじみと確かめている。鏡花を語る感懐は潤一郎を語ってきたそれらより、はるかにわたし自身の根に絡んでい る。わたしの鏡花観は、わたしの谷崎愛よりもなおなおわたし自身を露わにしているといえようか。谷崎を直に思わせるわたしの小説は一点も無いだろうが、鏡 花へ響きあう小説は、わたし自身ビックリするほど数多い。そこを抑えてわたしを論じてくれた論攷も、残念だが少ない。

* 泉鏡花の一冊を大半、一気に校正した。あと一編を丁寧に読んで、初校を戻したいが、もう二、三日か。
問題は大冊の選集が二巻分、再校と初校を待っている。加えてもう一巻の初校も出て来かけねない。これも再校分の校正を奮発して数日で、可能な限り八日までに終えたいが。

* 書き下ろし長編小説の、三分の上册を「湖の本」に入れるのは、もういつでも可能になっている。もう二册分をどうするか、これもほぼ仕上がっているが、 内容上、全册を公刊する「遠慮なさ」が持ちきれない。自信が持てないのではない。わたしの創作としては、未だ嘗てなく踏み込んだ「新」作になっているけれ ど、公開するには、踏み込み過ぎているか、とも。
ま、いい。わたしとしては「書き上げた」と思っている。
もう一作の「清水坂(仮題)」へ打ちこみたい、これは我ながら難路を築き上げている、だから面白いし書き上げたいのだが。少なくも京都に、なか三日も居 坐って「歩いて」「空気を吸って」「見定めて」きたい。人を頼んで写真にして送ってもらうのでは、協力してくれる人はいると思うが、足りない、達しない。 活字で調べても、それでは生きてこない。

* 八十二になろうとして小説の創作でこうも生き生きと悩むようなことが出来るなど、予想もしなかった。幸せなことだ。時間が惜しい。わたしの時間、いま、パンパン、はち切れそう。
朝日子がそばにいれば、なにかしら手伝って呉れたろうか。
謙虚に、そして大胆に沈潜して書き継いでいたなら、まちがいなく一風ある作者として世に起てていた。まだ、六十前。遅過ぎはしない。
2017 9/3 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
世間は偉さそのものよりも偉さの見掛けに報いることが多い。

☆ 陶淵明に聴く。

晨曦の夕(く)れ易きを悲しみ、
人生の長き勤(くる)しみなるを感ず。
同じく一(み)な百年に尽き
何ぞ歓び寡くして愁ひ殷(おほ)きや。

人はみなわずか百年の寿命で終るというのに、なにゆえこのように歓びは寡く、愁いのみ多いのであろうか。
2017 9/4 190

* 「龍潭譚」の現代語訳を、丁寧に丁寧に校正し、懐かしく楽しんでいる。本当は、「高野聖」「歌行燈」に附した脚注をも生かしてみたかったが、これは別に故紙を据えた作品論で生かすしかない。
泉鏡花で湖の本一冊が立つとは思ってなかったが。おそらくわたしの鏡花論は、わたしの谷崎論が「画期的な業績」と云われていると同じほどの特異な「開発」になっていることを疑わない。次の「湖の本」はその意味でも仕甲斐のある一冊になった。
2017 9/4 190

* 「黒谷」は、最初の一行、最期の一行、の二行で書けている。意外に気付もしなかった人多いらしく、笑えた。
「女坂」は書かなくてもよかった手すさび手ならしに過ぎない。ただ、長編「ユニオ・ミスティカ ある寓話」のための柔軟体操にはなった。あんなのなら「女坂」いくらでも書けようが、「作品」を得るのが難しい。
2017 9/4 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
真の雄弁は、言うべきことをすべて言い、かつ言うべきことしか言わないところにある。

☆ 陶淵明に聴く。

儻(も)し行き行きて覿(み)ること有らば、
欣びと懼れと中襟に交々(こもごも)ならん。
竟(つひ)に寂寞として見(まみ)ゆること無く、
独り悁想して以て空しく尋ねん。

もし、こうして歩いているうちに、あなたにお逢いできたら、
欣びと懼れが、わたしの心にこもごも湧きたつでしょう。
けれど結局は心寂しいままに終わり、逢うことはなく、
ひとり哀しい思いを抱いてむなしく尋ね歩くばかりでしょう。

* 妻としみじみ話した、わたしたちは幸せに、おおかた平安で希望のある八十余年を生きて来れた、万一のことがこの先に起きても諦めてともに死んで行ける。しかし、若い人たちの命は、人生は惜しんで余りあると。

* 決して核武装などして済む事態でなく、その選択は正しくない。
最悪の魔手はすでに他の近国の手にもたれてしまっている。一発の水爆よりも徹底して日本列島を壊滅させる手段は、ただ理論だけでなく可能に近づいて、魔 の手は明瞭に我になく彼にある。大事が到れば、列島の原発はことごとく相次いで爆発するだろう、この危惧、もう妄想とはいいがたい。
いまこそ、日本の政治は、「実(じつ)」のない言葉を飾ってその場凌ぎの空言空語に時を空費すべきでない。
真の「雄弁」が、国と国土と国民への愛と責任から、しかも有効に発せられねばならない。
安倍総理の顔、いまや脅えて歪んでいる。
大丈夫、代わって出でよと願う。
2017 9/5 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「善いことの終わりは悪で、悪いことの終わりは善である。」
「他人がわれわれに真実を隠すと怒ってはいるが、そもそもわれわれは自分自身にも斯くもたびたび真実を隠しているではないか。」

☆ 陶淵明に聴く。

在世無所須
惟酒與長年

世に在って須(もと)むる所無し
惟(た)だ酒と長年のみ。
2017 9/6 190

* 今日も、仕事のハカを行かせた。目が見えればもっとガンバレルけれど。

* 長い小説に「ヒトクセ」差し込みたいとやり始めたが、さ、収まるかしらん。夜中にまた目が冴えてしまうか。
2017 9/6 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
自分がどこまで怖がりかを常によく知っている臆病者はめったにいない。

* アメリカの大統領はどうだろう。北朝鮮の首領も日本の総理も、自分の臆病に日々脅えているように見受けるが。
2017 9/7 190

* 機械の内容を、あらためて大方、外付けのハードディスクに移してみた。相当な時間を要した。まだまだ全部をとは行かない。

* ともすると、グタッと疲れて潰れかける。横になり寝入って回復するとまた仕事をしている。仕事の間は疲れを覚えないのに、休憩に入るとドドッと疲労感 に陥る。困る。やすめという信号だと思って休むようにしているが、有り難いのか困るのか、からだを横にしてやると臥たままでの校正がハカが行く。いいとき は一気に五十頁も読める。やはり疲れてそのまま寝入ってしまう。ま、一時間か半ていど。

* データ保存の間は機械が使いにくい。機械から離れるわけにも行かない。で、後撰、拾遺、後拾遺和歌集に詳細にいろんな爪印のつけてあるのをさらに点検しつつとびぬけた秀歌を選んでいた。
また手の届くところへ出してある史籍集覧『参考源平盛衰記』のたまたま四に手を触れ、ぱらっと開いて「実定卿厳島詣」の各種記事を逐一読めたのが、いま も思案中の仕事のためにも勿怪の幸いだった。この本は、なみの平家物語では手に入らないおはなしもフンダンに集めていて、わたしのような小説家には、お宝 なのである。

* あ。十一時半。黒いマゴたち、ネコやノコにも「おやすみ」を云って、寝ます。
2017 9/7 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
最も微妙な狂気は最も微妙な叡智より成る。

* モンテーニュの「エセー」にも殆どこの通りの言表がある。叡智と謂うは憚るが、優れた創作は、微妙な、最も微妙な狂気に導かれる。万、相違ない。

☆ 陶淵明に聴く。

人も亦(ま)た言へるあり。
「心に称(かな)へば足り易し」と。
2017 9/8 190

* 今日責了紙を印刷所へ送った次の選集「第二十二巻」は、全編「中世の美術と芸能」にかかわり「日本文化」を批評的に語った「エッセイ=私の思想」にな る。幸い読者にも知友・知己にも、美術そして歴史方面の人が多く、数少ない中で、今回はそういう方々に主にお送りしたいと用意している。第二十三巻も真っ 向「中世」を論じた「エッセイ」として纏まっており、前巻同様に、その方面に向かわれている読者・知友知己に主に贈りたいと心用意している。
第二十四巻は、源氏物語を中軸に平安時代文学を縷々語ったエッセイ篇で、大册に纏まっている。もう初校が届いている。
2017 9/8 190

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
賞める非難があり、くさす讃辞がある。
自分をあざむく讃辞よりも自分のためになる非難を喜ぶほど賢明な人は、めったにいない。
人から与えられる讃辞にふさわしくありたいと願う気持は、われわれの徳性を強める。
2017 9/9 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
希望はもっぱら人をたぶらかすものだが、それでも、人生の終着点まで楽しい道を通ってわれわれを行き着かせることにおいて少なくも役に立つ。

☆ 白楽天に聴く
蝸牛角上 何事を争ふ
石花光中に此身を寄す
富に随ひ貧に随ひ且つ歓楽せん
口を開きて笑はざるは 是れ癡人
2017 9/10 190

☆ 黒谷
お忙しいことと察します。作業はかなり捗りましたか? 無理なさらずお身体大切に。
(ワードの画面から 送り忘れていた部分があったので送ります。)

『黒谷』をよく読んで・・と言われれば赤面、恥じ入るのみ。
作者としてもう少しヒントを与えて下さればと思っていたところでした。先日のHPには最初の一行と最後の一行に物語は書きつくされていると述べられています。
最初の一行では  母が肩越しに死者である正美の存在を意識しています。
最後の一行では 幼な子の上に落下していく大皿に、父であるはずの霊になった正美が載って落ちていくことを明確に認識しています。
母は霊になった息子正美の存在を感じ、無意識であるにせよ恐らく彼女が棚の上に置いた皿の行方を、起こるべき事態と顛末をどこかで願っていたのかもしれ ません。既に疑いをもっていたとも言える・・ その潜在的な疑いと失望と、いえそれ以上に強い嫌悪感や、正当な血筋が保たれない事
への強い怒りが、彼女を家中を奇妙な洋風に変えていく突飛な行為に走らせたのかもしれません。
端的に述べれば、母と正美の共同犯によって事件は惹き起こされていると。
黒谷や浄土寺、吉田山などの、時間を取りこぼしたかのような界隈の雰囲気が小説に大いに書か
れていたら、それも興味あることでした。或る意味、恐ろしいような・・・。
元気に秋を迎えられますように。   尾張の鳶

* これで、ま、「黒谷」は読み尽くされた、か。感謝。
この作、はじめから「蒼い雛」の題で書き進められていたが、成り行きを憶測ないし推測されてしまうかと、しかるべき改題をずっと思案しながら書き終え、 書き終えてから他に佳い題も思い浮かばぬまま、この小説世界が「黒谷」という真如堂や大墓地地域の不吉な「でき物」みたいと想っていたのでいっそ「黒谷」 が佳い、文字づらも音もすこぶるいいと即決した。問題の家庭・家屋の外へ空気を極力拡散させたくなかったので、必要最小限度しか黒谷や吉田山界隈は描写し なかった。

* ごく初期に「於菊」という怪談を、秋成の吉備津の釜を借りて書いている。いつか秋成を書く気でいたが、結局、書ききれずに、書ききれなかった絡みのま ま生母の「生きたかりしに」で強引に秋成を置きざりにした。秋成学の最先鋒長島東大名誉教授からも「秋成八景」が「序の景」だけではいけませんと謂われて いるのだが。どうも上田秋成には身につまされるところが濃くて。「黒谷」でもいくらか秋成投げだしの申し訳の気分があった。もう幾つか、怪談いや恠談を書 いておけるといいのだが。ちなみにこの怪談や恠談の「かい」の音の漢字には無気味な意味の字がたくさん有る。「恠」は「あやしい、あやしむ」の意味であ る。
2017 9/10 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人間の盲目は人間の傲慢の最も危険な所産である。傲慢は盲目を助長し強めて、われわれの悲惨を和らげ欠点を治してくれるかもしれない薬を知る術を奪ってしまう。

☆ 後拾遺和歌集を読む

にごりなく千世をかぞへてすむ水に
光をそふる秋の夜の月         平兼盛
ふる里は浅茅が原とあれはてゝ
夜すがら虫の音(ね)をのみぞなく   道命法師

ほのかにもしらせてしがな春霞
かすみのうちにおもふ心を       後朱雀院御製
かくとだにえやは伊吹のさしも草
さしもしらじなもゆる思ひを       藤原実方朝臣
2017 9/11 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
充分に検討せずに悪ときめつける性急さは、傲慢と怠惰のあらわれである。人は悪人を見つけようと欲して、罪状を検討する労を厭うのである。

* よく謂えている。が、「検討」以上に「直観」が見抜くちからも人は養い得ている場がある。ことが悪政や秕政に繋がる場合は逡巡はむしろ危険である。

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

小倉山たちどもみえぬ夕ぎりに
妻まどはせるしかぞなくなる     江侍従
のこりなき命ををしと思ふ哉
宿の秋萩散りはつるまで       天台座主源心
独(ひとり)してながむる宿のつまに生ふる
忍ぶとだにもしらせてし哉       藤原通頼
わぎも子が袖ふりかけし移り香の
今朝は身にしむ物をこそおもへ   源兼澄
2017 9/12 190

* じつはこの瘋癲不良老人に、まつたく新たな、文学史にも同様主題はなかったのではと思う新着想があり、そんなのが成り立つだろうかと、ナイショで人に 意見を求めていたりする。まだ欲があるのでここへそれは書かないが。成るとも 成りそうとも とてもムリでしょうとも まだ意見は聞こえてこないが、 ひょっとして若い作家ででも可能とならば乗り出して試みる人もあるかもしれない。早稲田の教室から背中を押して文壇を志させた角田光代なら、ただ面白いだ けでない現代文学の問題作を送り出せそうな気がしている。

* 亡きつかこうへいに強く背を押して貰って世に出た秦建日子に、まだ「蒲田行進曲」の真実感に肉薄した切実な現代の「人間」「個性」大作小説が書けていない。売りものづくりに精魂を風化させられていないか、案じている。
2017 9/12 190

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
生まれつきのままでは欠点になりさがる長所があり、また、あとから身につけたのでは決して完璧になりえない長所がある。

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

秋風にしたばや寒くなりぬらむ
こはぎが原に鶉なくなり       藤原通宗朝臣
寂しさに宿を立チ出デてながむれば
いづくもおなじ秋の夕暮       良暹法師
逢フまでとせめて命のをしければ
恋こそ人のいのちなりけれ     堀河右大臣
さりともと思ふ心にひかされて
今まで世にもふるわが身哉     西宮前左大臣
こひこひてあふとも夢にみつる夜は
いとゞ寝覚ぞわびしかりける    大中臣能宣朝臣
2017 9/13 190

* はやばや「湖の本137 泉鏡花」一巻の再校が出そろってきた。選集二十三の再校ゲラ、選集二十四の初校ゲラがもう届いていて、湖の本も。息を呑むほ どの仕事量の上に、選集・湖の本ともに新しい次々の巻の編輯と入稿も必要になってくる。そして小説も要注意の微妙な仕上げにまさに今取り組んでいる。
病気も怪我も、とても、していられない。幸いどの仕事にもわたしは興がって打ち込める。残念だが京都へ帰っては行けそうにない。あれが食べたい食べたい などと云う欲もない。酒量だけが、気を付けないと日に二合がこなからの二合半に上がりかけていて、べつにワインと缶ビールに手を出していることもある。熱 量は摂れるが、蛋白質がつい不足しがち。

* 選集第二十二巻「日本の中世論攷」の前篇、九月三十日に納品と連絡あり。追いかけて、十月中にも「湖の本137 泉鏡花」篇もほぼ間違いなく発送となるだろう。まだ腕力はあるが重量の持ち運びで足腰を痛めないようには気を付けねば。先は長いのだ。

* 「お城」の教授小和田哲男さんから、枕草子本文と戦国武将の手紙との「句読点」に触れて、「恐々謹言」のお便りがあった。「三田文学」「早大図書館」「山梨県立文学館」からも、受領挨拶あり。
京都の森下辰男君からも。

* 「ある寓話」に読み耽っている。どうしようかと思案の首をあっちへこっちへ投げながら。売り物にしてはならないか、しかし湖の本の読者にはお目に掛け たい。二册では入り切るまい、三册とも無料の非売献呈もたださえ出血しており、キツい。ま、きっちり仕上げたい、まずは仕上げて納得したい。
2017 9/13 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
われわれは肉体よりも精神の中にいっそう大きな怠惰をかかえている。
われわれが自分のすべての欠点の中で最もあっさりト認めるのは怠惰である。

☆ 後拾遺和歌集を読む  秋の歌と恋の歌と

白菊のうつろひ行クぞ哀なる
かくしつゝこそ人もかれしか     良暹法師
紅葉ばの雨とふるなる木の間より
あやなく月の影ぞもりくる       御製
けふよりはとく呉竹の節ごとに
夜はながゝれと思ひけるかな    源定季
君がためをしからざりし命さへ
長くもがなと思ひけるかな      少将藤原義孝
2017 9/14 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「運と気質が世を支配する。」
「弱さは悪徳にも増して美徳に相反する。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

やすらはでねなまし物をさ夜更ケて
かたぶくまでの月をみし哉      赤染衛門
もろともにいつかとくべきあふ事の
かた結びなる夜半の下紐       さがみ

年ふればあれのみまさる宿のうちに
心ながくもすめる月かな       善滋為政朝臣
かくばかり隈なき月をおなじくは
心のはれて見るよしもがな     賀茂成助

* 昨日 淡路島の田島征彦画伯より新作の絵本を頂戴した。ほろっと泣けた。

* 今朝 猪瀬直樹から、さる女性との「対談」新書版「国民国家のリアリズム」が送られてきた。
いま、わたしはこの手の本に期待を寄せない。寄せようがないのだ。対談相手の女性が趣意を開陳の「あとがき」をきちんと通読したが、女性本人がいったい 何を考え何を信じて何を云いたいのか、日本語の叙述表現として筋道も混雑し、なにも明晰には弁えられていない。ただ賢こがって蕪雑に息せききった悪文でし かなかった。

* 今はずばり、トランプとではない、「日本は北朝鮮とどう向きあうべきか」を真摯に日本人として考えたい。
今朝、北朝鮮はまた襟裳岬越え2700キロへミサイルをとばし、広範囲にアラームが鳴ったという。発射から数分内には日本本土に飛来する飛行体への用心を時を問わずどう国民にものいう気か、政府のアタマは痺れているのではないか。
顔をひきつらせてただ抗弁し、いっそうの制裁や圧力の強化を世界にもとめている総理の空疎な談話に、政治力の欠如をまざまざと感じる。アメリカへの追従 一辺倒政治のツケをさらにさらに無用な武器購入で増やし続けて実効の得られないこの「核危機」に、国土と国民はただ曝されかけている。
アメリカが核の傘で守ってくれる? お笑いぐさではないか。独自外交に、踏ん張ってシカと起つべき機であろう。どう話しあうにしても、トランプよりよほど出来の良い政治家が他に何人か居るではないか。嗤われているのに気が付かないのか。
2017 9/15 190

* 『ユニオ・ミスティカ  ある寓話(仮題)』は、湖の本で一部分などといわず、「選集」特別版一巻本にし、有料で、読者全員にというありがたい提案があった。残念だが、ああいう贅沢な限定小部数製本なので、製本材料のすでに用意されてある分量に限度がある。
2017 9/15 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
われわれは、自分は完全無欠で敵には長所が全くない、と全面的に言いきる勇気は持ち合わせないが、しかし部分的にはそう思いこんでいる節がなくもない。

* この十七世紀フランスの公爵は、「人間(=斯く聴いているわたくし・秦 恒平も含めて)の、見せかけの美徳の中に見出される無数の欠点」について語っている。「神が格別の恩寵をもってそれ(=上記の欠点)からお護りくださって いる方がたには全く関係がない」とも嗤っている。そんな「方がた」がいたら顔が見たいというのであろう、わたしは何かしら思い上がる気(け)を自覚するつ どこの容赦ない「箴言」の前へ張ってもらいにアタマを差し出す。差し出しながら自分がまだちっとも正直になれない不出来モノだと思わざるをえない。懺悔の 思いで「聴いて」いるのでなく、よほど「自虐」的に自分に惘れているのである。
もう当分、毎朝いちばんに「聴き」つづけます。

* もう一つ身のそばに置いた一冊がある、フローベール著の岩波文庫『紋切型辞典』。こういう単行の本が在るのではない、これは、この作家の晩年作のなか で、登場人物、老境の二人の男が編んでいる辞典なのであるが、どうしてどうして、紋切り型どころか型破りの「きめつけ」に富んで、面白い。

アメリカ
世間の不当さを示す好例。発見したのはコロンブスだが、アメリカという名称はアメリゴ・ヴェスプッチに由来する。
アメリカが発見されていなければ、梅毒やネアブラムシ(ブドウに寄生する害虫)は蔓延しなかっただろう。
それでも、とにかくアメリカを称讃すべし。特に行ったことがない場合には。
「自治(self-government)」について長広舌を振るうこと。

アルビオン(=イギリスの古名)
常に「白い(=ラテン語のalbus白いに由来)、不実なる、実際的な」といった形容詞がつく。
ナポレオンはもう少しでアルビオンを征服できるところだった。
称賛するときは、「自由の国イギリス」と言うべし。

日本(Japon)
この国ではすべてが瀬戸物でできている。

フランス学士院
愚弄すべし。

* 亡き阪大名誉教授島津忠夫さんの遺著『老のくりごと 八十以後国文学談義』をご遺族(藤森佐貴子さん)から頂戴した。まさに「珠玉のエッセイ集」であ る。嬉しい事に「秦 恒平氏の『京都びとと京ことばの凄み』を読む」一編まで含まれていて頭が下がった。京ことばは国文学古典の読みにもことに大切な関門であり、よく書いて置 いた、よく読み置いて下さったと感慨深い。
滋味掬すべく、「エッセイ」の本義を体した魅力の一冊である。読み進むのが楽しみ。
2017 9/16 190

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
最も賢明な人びとも、どうでもよいことにおいては賢明だが、彼ら自身にとって最も深刻な事柄において賢明であるためしは、まず無い。

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

あふ坂は東路とこそきゝしかど
心つくしのせきにぞありける
今はたゞ思ひたえなんとばかりを
人づてならでいふ由もがな     左京大夫道雅

心にもあらでうき世にながらへば
恋しかるべき夜はの月かな     三條院御製
もろともに同じうき世にすむ月の
うらやましくも西へ行クかな     中原長国妻
2017 9/17 190

* 亡き島津忠夫さんの『老のくりごと  八十以後国文学談儀』から、「秦 恒平氏の『京都びとと京ことばの凄み』を読む」の一文を転載させていただく。

秦恒平氏は「湖の本」という創作とエッセイのシリーズを私家版でつぎつぎと刊行している。最近(平成二十三年二月)「京と、はんなり 京昧津々(二)」 が送られて来た。「私語の刻」と題する後記の冒頭には、「雲中白鶴」と題して、二首の和歌を読み、「七十五叟 宗遠」と記した平成二十三年の年賀状をおい て、賀状の返礼に替えるといったいきな計らいのあとに、正月前半の「闇に言い置く私語の刻」を摘録して跋とする。この私語もおもしろく、考えさせられるこ とが多いのだが、今回、収められている「京都びとと京ことばの凄み」という長文から、いろいろのことを考えさせられた。これは、平成二十二年の京都女子学 園創立百年同窓会での記念講演とある。
京都を離れ、東京にもう五十年以上も暮らしているが、若き日を京都で過ごした思い出が、氏に終生付きまとっていることは、今まで何度も書かれ、読んで来 た。「京都に五十年、六十年暮らしている方の京都より、また幾味かちがった、歴史的な視野と批評とに培われた「京都」が見えている」という立場、これは私 も重要だと思う。
京ことばを散りばめられながら、話されて行く中に、平安朝文学を研究する上にも多くの重要なヒントを与えられる点がある。

では京の「美学」つて、何でしょうね。
春は、あけぼの。
これが「京の美学」です。これだけで、モノの分かった人になら「十分」なのです。

という。「春は、あけぼの」といえば、当然『枕草子』(雑纂本)の冒頭が思い出される。もとより、そうなのだが、氏は、「佳いものをいくつも選び出す。それぞれに、順序を付ける。つまり「番付け」をする」ことだと。

ある日、皇后さんは女房たちに、問題を出しました。
春夏秋冬、季節により、もっとも風情豊かな美しい「時間帯」はいつやろね…と。
女房たち、質問に身構えます。
まず「春は……」と聞かれて、おそらく、いくつもの答えがブレイン・ストーミングよろしく口々に出たことでしょう。しかし皇后さんは、そのなかから、 「あけぼの」という趣味判断の力に、最良の価値を認めました。そして、書記者として優れた才能を認めていた清少納言に、「春は、あけぼの」と記録を命じた のでありましょう。これぞコロンブスの卵と同じでした。かくもみごとな選択の出来たことで、定子皇后のサロンと、記録『枕草子』とは、歴史的な名誉と評価 とを得たのでした。

研究者による論文ではないから、考証はしていない。しかし、『枕草子』の性格と定子サロンの一面を生き生きと映し出しているではないか。

「京ことば」は、まさに千年の政治都市の培った「位取り」の厳しい日常の暮らしを、その現場感覚を、反映しています。夥しい敬語の微妙な「敬」度差は、それが世渡りの武器として駆使されてきた実態を、まざまざと、反映してあまりある。

という敬語の問題、それを、「祗園まぢかに生まれて七十五年、京都を一歩も出なかった」叔母を、にわかに氏の東京の家に引き取っての話、

お医者さんがこう「お言やした」、御用聞きがこう「言うとった」、御近所の奥さんがこう「言うたはった」、それを直接話法のまま全部京都弁に翻訳して叔母は喋ります。(中略)
それにしても叔母の翻訳の見逃せない点は、例えば、「慣れたかな」が「お慣れやしとすか」とか、多分「風邪をひかんようにね」と言われたのが、「お風邪 おひきやしたらあきまへんえ」とか、相手の普通の物言いを、自分に対する「敬語」に置き換えていることです。私でさえ聴き過ごすほどですから、京都慣れし ていない妻や子や、よその人の耳には、ただもうもの柔らかな物言いとしか響かないということです。

という、氏に取って卑近な日常の実例を取り上げて、

暮らしの現場で、コンピューターなみに「人の顔色」を読みながら繰り出される、その場その場での「物言い」の微妙さこそが、「京ことば」の、ひいては「日本語」の、タンゲイすべからざる、怖さ畏ろしさなんです。

という結論に導いてゆく。『源氏物語』に見る敬語はまさしくこうした見方を肌で感じながら読んでゆかねばならないのだと思うのである。私は三十年以上も名 古屋の「源氏の会」で『源氏物語』を読み、放談を繰り返している。いま「玉鬘十帖」を読んでいて、源氏方と内大臣方への微妙な敬語の違いを、注釈を頼りに 説明しているのであるが、これは、当時の女房社会では、それこそコンピューターなみに使われていて、作者はそれをいきいきと描き、当時の読者はそれを直ち に感じ取っていたことだろうと思う。

* 日ごろ思いかつ語ってきたわたしの要点を、平安文学・中世文学の泰斗であられた島津さんにきちんと読み取って貰えていたのだ、嬉しいことだ。折しも「枕草子 現代語選訳」を湖の本で出したばかり、わたしの思い切った現場感覚のかつて例のなかった読み込みを、「『枕草子』の性格と定子サロンの一面を生き生きと映し出している」と受け容れて戴けたのは、まことに嬉しいことだ。「敬語の使い分け」という京都びと日ごろ微妙の物言いを源氏物語の読みで裏付けして戴けたのも嬉しいことだ。
2017 9/17 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
美徳の虚偽性を証明する箴言を、われわれがとかく正しく判断できないのは、われわれがあまりにも安易に自分の中の美徳はほんものだと信じているからである。

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

黒髪のみだれてしらずうちふせば
まづかきやりし人ぞ恋しき       和泉式部
中たゆるかづらき山の岩ばしは
ふみゝる事もかたくぞ有ける      さがみ
あらざらむこの世のほかのおもひでに
今一度の逢フ事もがな         和泉式部

曇る夜の月とわが身の行末と
おぼつかなきはいづれまされり   大納言道綱母
夜をこめて鳥の空音ははかるとも
よに逢坂の關はゆるさじ       清少納言
2017 9/18 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「すべての感情にはそれぞれ固有の声音と身ぶりと表情がある。そしてその間の釣り合いがよいか悪いか、快いか不愉快かが、その人物を他人に喜ばれるようにも嫌がられるようにもするのである。」
「よい趣味は知性(エスブリ)よりも判断力(ジュジュマン)からくる。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

契りきなかたみに袖をしぼりつゝ
すゑの松山浪こさじとは        清原元輔
恋しさを忍びもあへずうつせみの
うつし心もなく成にけり         大和宣旨

いつしかとまちしかひなく秋風に
そよとばかりもをぎの音せぬ     源道済
まつ事のあるとや人の思ふらん
心にもあらでながらふる身を     藤原兼綱朝臣
2017 9/19 190

* 月末三十日からの「選集第二十二巻」送り出し宛先用意などに取りかからねば。用意は少なくも六割方出来てはいるが。
「湖の本137」も、もうはや責了可能の直前へ来ている、と、十月発送「用意」の段取りにもう逼られている。選集より数が断然多いだけ、シンドイけれど、だから時間をかけ、ゆっくり用意にかかりたい。

* 浴室で三種類のゲラを読み、薫中納言は帝の二宮降嫁を受け容れ、匂宮は二条院に妊娠の宇治中君をいたわれ愛しつつも夕霧の六君との結婚を拒むことが出来ない、そんな「宿木」巻を読み進んだ。岩波文庫版の第二巻が送られてくるのをもう待望している。

* おおけないことだが、わたしに、いまから「宇治十帖」現代語訳の仕事は出来ないものだろうか。大学へ入り、その年に創刊された「同志社美学」創刊号に、新入生の分際で寄稿し掲載されたのが「宇治十帖」にかかわる幼稚な感想文であった。
わたしの源氏物語読みの「命脈」は、「桐壺更衣と宇治中君」とをストレートに結ぶもの。桐壺、藤壺、紫上そして宇治中君。その裏とも表とも、桐壺帝、光源氏、冷泉帝、明石中宮、匂兵部卿宮。他はこの世界を洩れ零れている。
2017 9/19 190

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「運命の恩恵を受けない人から見たときほど運命がひどく盲目に見えることはない。」
「書物より人間を研究することがいっそう必要である。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  恋の歌と雑の歌と

恨み侘びほさぬ袖だにある物を
恋にくちなん名こそ惜しけれ      相模
人の身も恋にはかへつ夏虫の
あらはにもゆとみえぬばかりぞ     いづみしきぶ

ものをのみ思ひしほどにはかなくて
浅茅が末によは成にけり        和泉式部
消エもあへず儚きほどの露ばかり
有やなしやと人のとへかし        赤染衛門
2017 9/20 190

 

* 横になって休息かたがた手当たり次第に書架の本や雑誌に手を出し、読み耽る。小林秀雄、中村光夫、福田恆存という懐かしい限りの大先達の鼎談も。山本 健吉さんというこれまた懐かしい人のエッセイも。小林先生から中村先生へ、太宰賞へ推薦の道が付いていた。福田先生は今なお奥さんを通して変わりなく「湖 の本」を応援していて下さる。山本先生とは一緒に講演に出かけたり、歌手の淡谷のり子と鼎談して美空ひばり嫌いな淡谷さんを困らせたり、懐かしい思い出が いっぱい。
「新潮」の、もう大昔の特別記念号を枕べに持ってきてあり、近代百年の記念作がずらずら並んでいたりする。手を出すと、やめられない。
こんな気分で書庫へ踏み込もうなら一日中嵌り込んで出てこれない。読みたくて堪らない本がまだ無数に有るなど、ナニという幸せなことか。
建日子など、ものは「手持ちの機械」で読むという。だからわたしの蔵書は要らないと。機械読みで満足などという、その真似はわたしには出来ない。やはり 頁をめくりめくり読みたい。書庫の蔵書たち、わたしの死後にはどんなに情けないめに遭うのだろう。歴史と古典と美術の専門書、いい図書館で引き受けてくれ ますように。雑誌は処分するしかない。
所詮日本に心豊かに平和な未来はのぞめまい、命あるうちに可能な限り読書を楽しみにしたい。そのためには、視力です。
2017 9/20 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人はしばしば弱さから強かになり、臆病から向こう見ずになる。」
「どれほど念入りに敬虔や貞淑の外見で包み隠しても、情念は必ずその覆い布を通してありありと見えるものである。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  旅の歌と雑の歌と

わたのべや大江のきしにやどりして
雲居に見ゆる生駒山哉         良暹法師
風ふけばもしほの煙打チなびき
我も思はぬかたにこそゆけ       大貳高遠
いそぎつゝ舟出でしつる年の内に
花のみやこの春にあふべく       式部大輔資業

世中を何にたとへん秋の田を
ほのかにてらすよひのいなづま    源順
恋しくば夢にも人をみるべきに
窓うつ雨にめをさましつゝ        大貳高遠
しかすがにかなしきものは世中を
うきたつほどの心なりけり        馬内侍

* たんに党利党略の解散風、愚かな代議士の追いかけ、執拗極まる髪や膚の化粧品広告に痴呆顔を曝す女たちや、うそくさい売り言葉。
ほとほとイヤになった。
2017 9/21 190

* 紙切れに書き散らしてある歌のようなもの。棄てても良いのだが。順に構わず。

ヤブランは藪蘭と聞いておどろいて
さゝやかな花の色うつくしむ   つい先頃とおもう
木守りの柿ひとり照りて日新たに
われは八一の冬を迎へむ    去年の誕生日か
(去年)
九月七日八時二十分 黒いマゴは
ややに顫へて生きおさめたり
その時し無言電話ひとつ鳴り来しか
マゴを迎へくれしやす香の声ぞ
(腸閉入院)
黒いマゴをこれへ眠らせ見送りし
膝掛けを胸に病室の眞夜
黒いマゴのいまはを抱いて濃緑(こみどり)に
やはらかき毛布よ今し抱き締む
しづかにも息ひとつ遺し逝きにしか
恋しよマゴよ トーサンらのマゴよ
(よほど以前のものと思う)
蟲ひとつ夜長を啼きてなきやまず
吾もひとりの秋を睡れず
睡れずに少年の秋を恋ひゐたり
少女幾人(いくたり)も夢をよぎれり
夢をよぎる幻の中のまぼろしと
一人の名をば呼びてなげくも

* のこしておいてもしかたなく、電動で断裁。
2017 9/21 190

* とにかくも疲れる。ぐたっと来る。横になると寝入る。寝入ってはおれないのだ。生き生きした何かへの興味や好奇心をかきたてて生き続けねばならない。煩悩の技ではない、命をムダにしたくない。授かった命への恩を敬虔なまで返さねばいけない。
2017 9/21 190

* 創作も含め校正の仕事や発送、送り出しなどの予定も輻輳してくるので、ともするとフアンに浮き足立ちかねない。おちついて、病気に落ちこまないよう気配りもして努めないと。
明日は歯医者へ行く。月末には幸四郎劇の「アマデウス」サリエリを見に行って、すぐさま{選集第二十二巻}の送り出しを終えねばならず、待ったなしで次 十月半ば過ぎの「湖の本137」発送の用意をせねばならぬ。十一月下旬か師走初めには「選集第二十三巻」が出来てきて、それが今年内出版の最後になろう。 余すは、もう十巻。さ、二年で出来るか三年目にかかるか。編成に苦心を要するだろう、所詮は何かが残ってしまうだろうが、慌てまい。 願わくは新しい小説の巻を三巻ほども入れられるといいが。
2017 9/21 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「弱い人間は率直になれない。」
「人は愛している限り赦す。」

* 昨夜 寝る前になって書庫へ入り鏡花選集の一冊を抜いてきて短篇「清心庵」を楽しんだ。話し言葉の面白さに話の不思議が綺麗に加上される。
怪異篇と称して十ほどが編まれているが、長広舌の寺田透の「解説」は無用である。
作者の言葉ならまだしも有り難いが、一介の他者が作品集にそえて読者に読みを誘導ないし強要するにひとしい真似は、僭上の沙汰。論は論として別の場ですべし。

* もう一冊持ってきたのが「口説音頭集成」上巻。古来盆踊りで音頭として延々口説きうたわれた歌詞の集で、冒頭には「会津の小鐵」ついで「赤垣徳利の別れ」。七五調なみに延々と語りつぐ。まことに面白い。
わたしは、もうむかし、戦時疎開で丹波の山の中へ逃げ込んでいたとき、部落の祭に「友さん」という小父さんが聴いたこともない名調子で延々と八木節とや らを謳うのを小さな神社の拝殿に腰かけて聴いたことがある。意味のある言葉は何一つ覚えないが、「よいとよいやまっか どっこいさぁのせぇ」と何度も挟ま れる囃したては耳に残って忘れない。もう一つ、この祭の時、たまたま秦の父も京都から来ていてわたしの横にいたが、友さんの口説きか音頭かとにかくも紅潮 に達していたときに父は、突如として「友さん、ばっかりィ…」と大声を投げた。そんな父もかつて知らなかったし、その叫びが声援に類するらしいとは察した が、かつて知らず意味不明に奇妙だった。あのとき拝殿前の猫の額ほどせまいところで女の大人や子供がせいぜい六七人でへんに侘びしげに影のように踊ってい た気もするが夢のよう。

* 奈良県宇陀郡菟田野町で採録された「会津の小鐵」は長い長い口説きだが、

人に親分親分と
立てられますが悲しさに
引くに引かれぬ男の意地
剣の刃渡り数知れず
浪花で生れ江戸育ち
今ぢゃ京都の会津部屋
本名向坂仙吉じゃけれど
差した刀が長曽根小鐵
部屋と刀が仇名と成って
会津小鐵と人が呼ぶ
梅の浪花の皆の衆が
唄ひ出したるそのまた唄が
此の赤万膏薬でも
会津の小鐵がソテツでも
難波の福さんお多福でも
薬缶藤平が鉄瓶でも
馬屋のつぼ竹が竿竹でも
衿に大瓢箪背中に兵の字揚げりゃ
年期が増すばかり
あれが小林兵吉さんと
唄われました名物男
会津小鐵の売出しを
これ持ちましてよ
弁賊姫事 実明らかな
説明も成らないけれど
学びましたるお粗末だけを
悪声ながらも伺ひませう
京都北野天満宮の
東門に宅構へたる
男前なる文治と言ふて
やくざとせいの一匹鴉
ひょんな事から間違い起し
けんかの相手と役人と
間違いまして一刀の元に
斬殺したるそのために
軽くて打首重ねて磔
どちらにしても命のない所
小鐵の子分の小太郎が
親分小鐵に話しして

以下、延々延々延々と音頭の口説きが続いて行く。それに乗って盆踊りが続いているのかどうかわたしには見えないが、どうもそうらしい。敗戦後の京都でも 爆発的に流行った「盆踊り」の唄とはめちゃくちゃに異なっている。わたしらはあの頃、「瑞穂音頭」「京都音頭」「東京音頭」「炭鉱節」「真室川音頭」など で踊り狂っていて、「会津小鐵」や「赤垣源蔵」や「赤木谷悲恋心中口説」等々のごときは夢にも知らなかったが、田舎田舎には独特の音頭口説が遺っていてちゃんと唄い語りえた役の人がいたのにちがいない。書庫から持ち出した二大册には二百に及びそうな「音頭口説」が書き取られてあり、堪らなく刺激的に面白そうである。こういうのをわたしも、よく買って置いたと感心する。
じつは「説経」が読みたかったのだ、「山椒大夫」などのような。説経節と音頭口説とは筋が違っているような気がする、よく知らないので何とも謂えない が、「音頭口説」出来れば全部読みたい。もう四半世紀早くに読んでいたらわたしは不思議な小説を何編か書けていた気がして、もったいないロスをしたとやや 悔いている。わたしの身内にひそんだ「根の哀しみ」にかならず何かが触れて来るに相違ない。

*とにかくも「音頭口説」の多方面に多彩なのにおどろく。伝説や説話への、伝説や説話からの、双方向での浸潤のほどを察して、日本の文学文藝の理解から取り外してはなるまい。
2017 9/22 190

* 枕草子や宇治十帖を、さらには泉鏡花など耽読の一方で、日本の各地に伝承され語られ唄われ囃され踊られてきた「音頭口説」にも読み耽ると、いきらか身 を二つに引きちぎられるような感興へ落ちこんで行く。音頭・口説きはまさしく通俗の最の最たる表現だが、大方、七七七五音で唄われ語られ、七七音で結ばれ て行き、日本語の性質・素質からにじみ出るように湧いた表現でもあって、とても顔をそむけられない。極端なことをいえば、上の泉鏡花のみごとな魔術的な日 本語にしても、じつは、源氏物語や枕草子よりも、音頭口説を根に抱いているのだと読みたくなる、そう掴んだ方が正確だというほどの感触に痺れてくる。日本 文学の研究や批評に関わる人たちに、大きく廣く欠損している視野が有りはせぬかと気がかりである。

* それにしても読みはじめた鏡花の「高野聖」の出だし、痺れそうに懐かしい。「清心庵」の女と千太郎との対話の旋律もそれはもう面白いのナンノ。文学・文藝の底の深さの嬉しさよ。
2017 9/22 190

* 今日の歯医者についで、明けて月曜も水曜も聖路加へ通い、金曜には「アマデウス」を楽しみ、土曜にはもう「選集22」送りが始まる。送りまでに一週間 fあると思っていたが、ほとんど余裕が無いとは。送り終えれば即座に次の「湖の本」発送(十六日予定)用意に掛からないと、息を喘ぎそうになる。ま、これ だから健康も保てて行けるのかと思うことにしている。しかし本は、重い。このところの発送作業で左肩をかなり痛めているのが寝起きのつど分かる。老いの腕 力を過信していると危ない。

* 今夜は創作「清水坂(仮題)」にもぐり込んでいた。
2017 9/22 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人間は今あるようなものとして創造されたのではない。その動かぬ証拠に、人間は理をよくわきまえるほどますます自分の感情や性向の無軌道、卑しさ、退廃に赤面するようになる。
2017 9/23 190

* 日銀理事を務めた実父方従兄が亡くなり、八十九の奥さんから長い手紙が来た。
父吉岡恒には年かさな三人の姉があり、廣田は一番上の姉で、わたしにはお祖母さんほどの伯母であったはず、ま、生涯ナニの縁もない人であったが。高橋という伯母もあったらしい。何人もの従兄らとも「会った」という記憶は何もない。
ときどき、川崎で暮らしている母ちがいの妹二人、どうしているかなと思うときもあるが。
実兄には無念に死なれ、甥姪とは疎遠なまま過ごしている。
わたしには血縁というものがあまりに淡く、それがわたしを小説家にしたのだから、それでよかったのだ。血縁はえてしてわたしの謂う「身内」とは逸れて行く。懐かしい友人やいい読者たちに恵まれてきたのを幸せに感じている。
2017 9/23 190

 

* わたしの小説は、たいてい京都に触れている。小説の仕事をしていると自然に京都に触れてられる。今日もそんな時間を持っていた。

* 晩がた、京都の「華」さん、東山安井「柏屋光貞」の京菓子「おおきに」を抹茶に添えて送って来てくれた。なんと懐かしくて美味しいか。安井は祇園の南 寄り、建仁寺の東、絵馬のおもしろい安井金比羅宮がある。「おおきに」とはおかしな名付けと思われるかしれないが、祇園の舞子藝妓たちは日ごろから「お互 いに 思いやり 気をつけ合うて にっこりと」と躾けられ、「おおきに」を、欠かさぬ口ごとにしている。わたしがきっと懐かしがるとよく察して選んで、こ の日ごろ草臥れきったわたしに送ってきて呉れたのだ、「おおきに」ありがとう。
先日は、大学で妻と同期の友達が、「京便り」のいろんなパンフなどをやはり好きな和三盆を添えて送ってきてくれた。
みなが、元気で元気で長生きしてくれますように。
わたしは独りの孤りっ子で育ったので、根が、すこぶる人懐かしいタチなのである、根の哀しみを琴線に晒して暮らしてきたと思う。
2017 9/23 190

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

ありしこそ限なりけれあふ事を
などのちのよと契らざりけむ     源兼長
立チのぼるけぶりにつけておもふ哉
いつ又我を人のかく見ん       いづみしきぶ

思ひしる人もありけり世中を
いつをいつとてすぐすなるらん    前大納言公任
水草ゐしおぼろの清水底すみて
心に月の影はうかぶや        素意法師
程へてや月もうかばん大原や
おぼろの清水すむなばかりに    良暹法師
2017 9/23 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
うんざりすることのしにくい人を相手にしていると、ほとんどきまってうんざりする。
2017 9/24 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「もしわわれ自身が思いあがっていなければ、他人の追従がわれわれを毒することはありえないだろう。」
「追従はわれわれの虚栄心に俟たなければ通用しない贋金である。」

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と
などてかく雲がくるらんかくばかり
のどかにすめる月もあるよに      命婦乳母
むらさきの雲のかけても思ひきや
春の霞になしてみんとは         左大将朝光

思ひやれとふ人もなき山里の
かけひの水のこゝろぼそさを      上東門院中将
わかれ行ク舟は綱手にまかすれど
心は君がかたにこそひけ        藤原孝善

* 今日出かけなくて済んだのは、ほっこりと有り難い。なにとなく、いま、わたしはなかぞらに浮游の気味で頼りない。
しかし『参考源平盛衰記』第四十ないし四十六巻から多くの欲しかった知見が得られた。昔の袖珍版和綴じ和紙本はなんと軽くて柔らかいか、老人が寝ころがって読み進むのにほんとうに助かった。
『音頭口説集成』は大判で堅牢な製本で重い。しかしなかを読むのは至極く面白い。松園さんに「少女深雪」と題したそれは美しい繪があり、「朝顔日記」ヒ ロインとは知っていたけれどそんな芝居もしらねばそんな本も読んだことがなかったのに、「口説き」にはちゃんと載っていて、ゆっと話の筋が読み取れたのも 有り難かった。なにしろ七七七五調で口説いて行くからどう長かろうとどんどん読まされる。大冊の二册、みな読んでしまいそうだ。参勤交代の道中で三人は斬 り捨て御免を公儀にねだって聴許されていたと謂う「明石の殿さん」というのはひどいヤツであった、あちこちで怨嗟の音頭口説きにされている。
十巻選集版の泉鏡花本は四六版情勢ながら軽く造られていて、いまは『高野聖』を楽しんでいる。深い山道をゆく聖のしもとをしきりに蛇が出て悩ますのが叶わないが。やがては山蛭が雪のように笠へ降り次ぐであろう。
宇治十帖はやがて浮舟登場の「東屋」巻へ到着する。新岩波文庫版の第二巻到来が待ち遠しい。

* 校正も含め、こういうアタマの交通整理をしながら、何かしら凝集してゆく創作世界をと企劃も詩期待もしている。もう無駄足をしている余力がない。だか らこそ仕事以外にはひたすら楽しいことが有って欲しいのだ。楽しいなかに食事という養分が外れてしまい大いに寂しいが、喰うと心・身が疲れてしまう。機械 で遊ぶ気になどなれない。せめて空いた電車でのんびり遠回りしてきたいと思うが、億劫の虫がすぐ鳴き出す。バカみたい。明後日の糖尿診察日、淺井忠展など どうか。しばらく前になるが出光美術館のいい展示なのに、会場のくらさ、弱い視力で水墨画たちがよく見えなくてガッカリした。
久しぶりに東博の本館、東洋感じゆるゆる回るなども。しかし、あの馴染み深い鶯谷駅前の蕎麦「公望莊」がこの前取り壊していた。あの店では何十年、よく酒を飲んだがなあ。
2017 9/25 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「弱さこそ、ただ一つ、どうしても直しようのない欠点である。」
「自然が麗質を作り、運命がそれを活かす。」
「運命は理性の力では直せない数々の欠点を改めさせる。」

* 深く聴くに堪える。

☆ 鯨呑蛟闘波血と成るも 深澗遊魚は楽しみて知らず    白楽天

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

いかばかりさびしかるらん木枯の
吹キにし宿の秋のゆふぐれ      右大臣北方
うたゝねのこのよの夢のはかなきに
さめぬやがての命ともがな       藤原実方朝臣

を鹿ふすしげみにはへる葛の葉の
うらさびしげにみゆる山里      大中臣能宣朝臣
七重八重花はさけども山吹の
みの一つだになきぞかなしき    中務卿兼明親王
2017 9/26 190

* ものの端っこだけ聞きかじっていて、じつはよく知らないこと、沢山ある。「朝顔日記」の少女深雪のことなど全く知らなかった。「音頭口説」に教えられ た。阿波の少女おつるのものあわれな巡礼のはなしはホンの端っこは何度も聞きかじってきたが何も知らぬと同じだったのを、やはり「音頭口説」の「阿波の鳴 門」をつぶさに聴いて、思わほろりとず泪した。
「音頭口説」は読みはじめると投げ出せない、そこに七七七五調、七七調の魔力が働いて引き摺られて行く、それも快調 に。
いま鏡花の名作 『高野聖』をずんずん読んでいるが、むろんもう何度目の通読か知れないのに、今度はふと真新しい感想をもった。これは「音頭口説」の目を瞠るみご とな芸術化のように読めば読める。聖の「語り」の美事さは、「口説」の野卑にして未熟なと天地ほど大違いであるけれども、根は日本の民衆の「音頭や口説 き」を好んだ生地の、美事な仕上げの感がある。『龍潭譚』でもそうだったと今にして気が付く。「物語り」というも「小説」というも、根に、歌って語る「音 頭口説」と「囃 し」の楽しい風習が下敷きを成している。「あ、そうかあ」と目からウロコを落としたように、思う。
「エンヤ、エンヤマッカ、ドッコイサノセェ」と聞いた戦時中 丹波の山奥の、篝火もわびしいささやかな宮前の八木節囃し声と盆踊り、もろ肩脱いでえんえんと口説き続けた「友さん」の名調子。ああ、よく体験しておいたと、ふ と目尻に泪を溜める。
2017 9/26 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
優れた素質を持つだけでは充分でない。それを活かす術が必要である。

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と
とゞめおきて誰を哀とおもふらん
こはまさるらんこはまさりけり      いづみしきぶ
見るまゝに露ぞこぼるゝおくれにし
心もしらぬ撫子の花            上東門院
見んといひし人ははかなくきえにしを
獨露けき秋の花かな           藤原実方朝臣

男に忘られて侍りける頃
物思へば澤の螢もわが身より
あくがれ出ヅる玉かとぞみる      和泉式部
貴布禰の神 御返し
奥山にたぎりて落ツる瀧つ瀬の
玉ちるばかりものな思ひそ

☆ 晩桃花  白楽天
一樹の紅桃 亞(た)れて池を払ふ
竹遮り松蔭(おほ)うて晩くに開く時
斜日に因るに非ざれば見るに由無く
是閑人ならざれば豈に知るを得んや
寒地材を生ずるも遺(わす)られ易く
貧家に女を養ふも嫁ぐこと常に遅し
春深う落んと欲するも誰か憐惜せん
偶々白侍郎(楽天)来て一枝を折る
2017 9/27 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「才気は時にわれわれに手を貸して敢然と愚行を犯させる。」
「年をとるほどさかんになる血気などというものは、狂気から隔たること遠くない。」
「老人たる術を心得ている人はめったにいない。」

* 首肯かざるを得ない。ハテ、どうする。
2017 9/28 190

* どこか、綿のように疲れている。心因によるのか。気候か。利き腕で頸の後ろを掴むと電氣が走るように痛む。

☆ 舊房   白楽天
壁を遶(めぐ)る秋聲 蟲絲を絡(まと)ふ
簷(えん)に入る新影 月眉を低(た)る
牀帷半ば故(ふ)りて 簾旌(=簾)は斷え
仍(なほ)是れ初寒 夜ならんと欲する時

* ま、こんなふうに暮らしている。
2017 9/28 190

* 鏡花の「高野聖」 はやあしに遁げ走るように終えていったのが、怕さになっている。心が白くなる「怕」という一字、心して胸に抱く。この作には「一字」のむだも不足も無く、言葉が生きている。話しかけてくる。
次は、同じ鏡花の「註文帳」を読む。これは怖いぞ。
怕くても怖くても「作品」に富んだ秀作は美しい。
2017 9/28 190

 

* 妙な夢ばかりみていた、もう思い出せないけれど。なにかしら「数え」るようにものを覚えている。むかし、そんな掌説を書いたことがあるなあ。

☆ 光
ああ愉快、愉快ーーと、こんなふうに言ったことがただの記憶のかけらになり切っていた。男の子らしいいたずらをまんまと仕了せた時、また男の子らしい生真面目な仕事を成し遂げた時、すこし胸を張って、こんな言葉を使ったものだった。
男は、久しく愉快を感じたことがなかった。
毎日毎日、男の心には不等記号が愉快より一層多く不愉快の方に開かれ、もはや頑なに生活の下絵をつくっていた。
一、二、三、四ーー、歩けば男は歩数をはかっていた。一段、二段、三段ーー、昇れば階段の数をかぞえていた。
一人、二人ーー、道行く人影を男は意味なく数えていた。そして一日の暮れてゆくのを二時、三時、四時と、呟き呟き見送っていた。
数えられるものばかりが多く、数えても数えても、あまりに虚しくて男はしかとした印象を何事からももたなかった。俺は何をしているのだろうーー、そう考えることもあった。答えは見当たらず、男は自分が無数の数の一つであることだけを朧ろに知った。
数の内かーー。それは救われたような空々しいような気もちだった。
男は眼をつむることを覚えた。
眼をつむってしまうと、たちまち何一つ数えようがなかった。濃い闇の中では凝り堅まって確かな手ざわりで自分が自分に生き返った。静かな秩序が、整然と歩調をとって男の中で高らかに活躍した。
男は眼をつむって嬉しそうに歩いた。 だが、十歩も行けば不安がはっと捉えてきた。眼をあけてみて、男の胸はときとき鳴った。男はほぼ真直ぐ歩いていた。危なげはなかったのだ。
十五、二十、三十歩とやがて安らかに男は自分の闇を支配して進めるようになった。歩数をかぞえることもやめて、男は大きな充実にとり包まれ、むさぼるように一足一足愉快に歩いた。
走ろうとすれば走れた、だが眼をあけて見る外の世界は、あまりと言えば狭苦し過ぎた。 広い場所、人のいない場所を探ね歩いた。そのような場所があれば ふっと眼をつむって、男は自在に足早に確実に、あたたかい陽ざしへうつつに顔をふりむけ、悠々と愉快に歩きまわって過ごした。眼をあいて暮す世界より、眼 をつむって確と手に触れてくる世界の方が男には親しめた。安らかで、美しかった。ただのくらやみだったこの世界にあざやかな光と色彩が満ち溢れていて、紛 れもないものの像を日ごと男の眼の底にかたちづくって行った。
或る日も男がこの新しい領分をのどかに満ち足りて歩いていると、一人の少女に出逢った。遠い以前、男が男の子らしい清々しい声で、ああ愉快、愉快と言っていた頃愛していた、その少女だった。
昔通りの微笑を優しくふりむけ、少女は、あら、あなたもいらしたのと叮嚀に挨拶をした。あたくし、もう二年になりますの。それから、もっと早く来て下さると思ってたわ、と言った。
男は少女の傍を少年のように歩いた。ああ嬉しい、と少女は昔のように可愛く甘えて男を見上げた。
男は黙っていたが、幸福だった。闇にぱっと光が射して、なにもかも明るく、はっきり見えたーー。
崖を踏み外した男の死体は直ぐ見つけられた。
引き取り手のない死顔が愉快そうに微笑っているのを、人は無気味だと思った。

* 上のこれを書いたときわたしはまだまだ若く三十代だった、作家とも成る成らずの若い日にこんな世界へ紛れ入っていた。今にして、おそろしい気がする。
2017 9/29 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
極度の吝嗇はほとんど常に勘違いする。これほどしばしば目的から遠ざかる情念はなく、これほど現在に強く支配されて将来を犠牲にする情念もない。
2017 9/29 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
愛の喜びは愛することにある。そして人は、相手に抱かせる情熱によってよりも、自分の抱く情熱によって幸福になるのである。

* 愛されるのが愛の喜びと大方が思いこんで人生を設計しようとしがち。大きな見当違い。
2017 9/30 190

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人の偉さにも果物と同じように旬(しゅん)がある。」
「伝染病のように感染(うつ)る狂気がある。」
2017 10 1191

* 選集第二十二巻の送り終える。

☆ 秦 恒平 様
この度は(谷崎を論じた=)貴重なご著書を、2冊も賜りすっかり恐縮しておるところです。夏休みに入り、研究室へ行く機会がなく、お礼をながく仕損じてしまい、誠に申し訳ございません。
豪華な装丁の選集の一巻一巻として、これら二つの大著が加えられたことは、谷崎の研究者にとって、また新たに越えなければならないハードルが大きく目の 前に現れた感がする、というのが偽らざる感想です。丁度、今年をもって、長くあった研究会もひとまず閉会となり、研究の方向性が、全集の刊行完了ととも に、やむかのように見えた矢先だったので、これは大きな励みとなる、と実感する次第です。
そう言えば、作家の方で、旧来の日本近代作家に自分を意識的に近づけていこうとする方も、めっきり減っていったような気がいたします。丁度、我々が大学 の教員になりたての頃に、テクスト論が学会を席捲し、カルスタやフェミニズムなどの流行から、まだしも谷崎は忘れられなかったですが、志賀直哉などは研究 者自身も、どうかかわりを持ち直していけばよいやら、まだ模索中の作家になってしまったようです。時代の推移といえばそれまでですが、直に彼らの文学を滋 養とする現役作家の方はもういないという中で、秦先生のように、研究史的にも重要な仕事をされた方は、きわめて稀でしょう。そして今後、こういった研究の スタイルは生まれないと断言できると思います。
また、研究文献目録を作りながら、網羅はできなかったとはいえ、多くの貴重なご論考を見落としていたことを改めて知り、申し訳なく思います。特に今個人的関心からですが、「谷崎潤一郎を語る」二十五篇を、あちらこちらとひも解くのが、大いに楽しみです。
私は、先生の注目される美としての谷崎より、大正時代の模索期の彼の方を追いたいと思い、直接先生のご論に何か申し上げることはありませんでした。正直 谷崎の研究も、今は積極的にしておりません。しかしこの労作を徐々に徐々に解読しながら、また新たな谷崎を自身の中で取り戻せるかを考えてみたいと思いま す。本当に、貴重なご労作を下さり感謝に堪えません。ありがとうございました。  平成29年9月   専修大学教授  山口政幸

* お手紙を、嬉しく拝見した。谷崎学のお一人として私の「思い」を深く汲んで下さり、感謝に堪えない。

☆ 秦 恒平様
謹 啓
「秦 恒平選集」第二十一巻(「谷崎潤一郎論 藝の魅惑と本質」「谷崎潤一郎論攷 全三十四編」をご恵贈賜り、まことに有難く、心より御礼申し上げます。全部読んでから、と思い御礼を申し上げるのが大変遅くなりました。お詫び申し上げます。
「春琴抄」改めて心を入れて読み直してみました。春琴自傷も佐助失明も「愛すればこそ」の自然な帰結と感じることが出来ました。春琴火傷ののち、佐助が 自らの目を針で突き、完全に失明してから、春琴に、もうお顔を見ることはないと告げる。「佐助、それはほんとうか、と春琴は一語を発し長い間黙然と沈思し てゐた佐助は此の世に生まれてから後にも先にもこの沈黙の数分間ほど楽しい時を生きたことがなかった」なぜなら「佐助それはほんとうかと云った短い一語が 佐助の耳には喜びに慄えているように聞こえた。」からであると、作者は佐助に述懐させています。二人の愛の本質がこの一語に凝縮していると感じることがで きます。
佐助も春琴の自傷を理解すればこそ、自らの目を突けたのであり、春琴に恨みを抱く門弟や美濃屋の利太郎の犯行、あるいは暴漢の行きずりの犯行であったな ら、犯人に向かう感情一怨嗟や絶望が春琴を、恨みと後悔が佐助を捕らえ、こうも二人だけの純粋な観念の世界に向き合うことは出来なかったろうと思います。 春琴の自然と佐助の無私がここで見事に結晶して、論理を超えた形象による人間学が語られていると感じました。
改めて気づくことは、句読点、とりわけ句点を強力抑制した文体でした。文章を停滞させる「。」を夾雑物として極力排除し、語りの息遣い、抑揚さえ感じさ せるように書いています。谷崎潤一郎はよほど視覚に鋭敏なタイプの形象性を重んじる作家であったと感じました。また人物の名前 鵙屋琴、鴫澤てる、と鳥の 名が連なり、加えて春琴が最も飼い慣らし難い鳥類 鴬や雲雀、駒鳥鸚鵡目白頬白を飼う。佐助の名もまた、鳶や隼などの俚諺にあるのではないかと感じまし た。このあたりにも谷崎潤一郎の仕掛け(思想)が透かし織されているのではないか、このような細部にまで象徴を行き届かせて「春琴抄」は古典的な名作に なっているのだと思います。
また歴史小説について語られた「歴史的な現象、あるいは事件というのは現代に及んで、往々持続的な多くの意味を持ち、その理解も変わっていく、理解が変 わるにつれて時代の意味、あるいは解釈も変わっていく。そういうアクティビティをはっきり作中に抱擁しているのが歴史小説で、ただの時代ものとは峻別すべ きだ」(座談会 谷崎潤一郎の軌跡)に、まさに秦文学が語られていると、秦文学はこの歴史小説観で書かれている
と感じました。座談会(無論論攷を含めてですが)には鋭い示唆に富む沢山の思想を見出しました。考え、噛みしめるべき思想、文学観は谷崎潤一郎をより深く 読む指針ばかりでなく、私にはむしろ秦文学を読み解く重要な鍵になる言説、思想に満ちたものと感じさせていただきました。
その意味で、選集第二十一巻は秦文学の研究に欠かせない重要な一冊になっていると思います。
日本語で書くことの難しさについて、また小林秀雄についての疑念など、どこか裸の王様的なところのある世界への覚醒を促す提言であり、理解できない自分 の非力を託(かこ)っていたものには、もういちど新しい目で、小林秀雄という文芸評論家を再評価してもよいのではないかと思わせてい
ただきました。判らないものは判らないといえる自己に対する信頼がなければ、真に良い作品との出会いは実現しないだろうと思います。
いろいろ思い沸くことはありますが、御著書を拝読しながら「ああ。やっぱり」「そうか」「そうだったのか」と何度も何度も思わせていただきました。楽しい、有意義な真に読書に値する時間を持たせていただきました。
有難うございました。改めて御礼申し上げます。
この週末から気温が下がり一気に軟から冬の気配へと陽気が変化するとの予報です。どうぞ先生、お奥様ともに呉れぐれも御体大切に、ご自愛くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。
本当に有難うございました。 敬具  平成29年9月28日  小滝英史 (作家)

* くわしく、よく呼んで頂き、感謝に堪えません。

* 選集世界が論攷とエッセイ篇へ展開して、「花と風」「手の思索」「日本を読む」という私基本の思想を枕に、わたくしを作家生活へかりたてた動因の「谷 崎潤一郎」を語る二巻を送り出し、かく有り難い感想や激励をいただいたところで、今日からは、「私の、中世」論攷とエッセイ篇とが大冊で二巻続くことにな る。私がいかに「現代」への悔しいまでの飽き足りなさを「中世」への思いで支えてきたか、それは昨日今日の政界へのほとんど憎しみに近い思いの分厚い裏打 ちちでもあることを率直に断っておく、その思いは主に美術を語っている第二十二巻よりも次へ続く巻に吐露している。
「日本」を語り、「谷崎」を語り、「中世」を語り、次々にこの選集は「私」を容赦なく「暴露」して行くだろう。
2017 10/1 191

* もう永らく角川版絵巻物全集の月報「絵巻」を全編愛読しているが、刊行ののっけに「対談」に呼び出されていて今さらにびっくりしたことは前に書いた が、ずんずん読み進んでもう二十何冊めになる、突如「月報」の筆頭に自分の名が出ているのをみつけ、仰天した。前の「一遍聖繪」対談はさすがに記憶してい たが、こんなところで巻頭エッセイを求められていたとは記憶からまったく洩れていた。「千秋楽」という題で書いていた。何十年も昔だ。
こんな調子で、四方八方からの依頼原稿を律儀に、手を抜かず無数に下記に書いていたまさにその「御蔭で」いまの私の生活は「稼ぎ無し」でも幸い成ってい る。誰の眼にも豪華な「選集本」も、極少部数ながら誰にも、妻子にも一円の迷惑をかけず、創り出せている。本はむずかしくてか売れたとは義理にも謂えない が、書く原稿は結果的にはベラボーに「売れていた」と今さらに幸い自得するしかない。
もう、余命は少ない。日本は、ますます危うい。未練は無い。
2017 10/1 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
ちゃんとわかる人にとっては、わけのわからない人たちにわからせようとするよりも、彼らに負けておくほうが骨が折れない。

* 「なんにも言わんかて、分かる人にはわかるの。分からへん人にはなんぼ言うても分からへんの」と京都で中学生の昔、上級生に教えられた。大人になって それをどこかに書いたら、当時高名な数学の大家が、「そんなことの言える女の子が中学にいよる。京都はすごい」とどこかに書かれていた。
わたしは、「分からへん人」にも懸命にモノを言うては失敗し嫌われてきた気がしている。
2017 10/2 191

* 今日は気をらくにしたまま、『ヨニオ・ミスティカ』の仕上げへ、じりじりと。まだまだまだ、細かいところへも思いをしかと添えて書き置きたいと。
2017 10/2 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「老いは若い時のあらゆる楽しみを死刑で脅して禁じる暴君である。」
「人は敵に騙され味方に欺かれれば口惜しくてたまらない。そのくせしばしば自分自身に騙され欺かれて悦に入っている。」

☆ 夜雨 微雨夜行  白楽天

早蛩(こおろぎ)啼きて復た歇(や)み
残燈滅(き)えんとして又 明らかなり
窓を隔てゝ夜雨を知る
芭蕉 先づ 聲あり

漠々 秋雲起り
稍々 夜寒生ず
自づと覚ふ裳の湿ふを
點(燈火)なく 聲もなし

* わが昔人らが白楽天の詩をことに慕い愛したきもちが分かる。
いまわたしはこれらを少年の昔から秦の祖父の蔵書に見出し愛玩してきた、国分青厓閲・井土靈山選、文庫本よりなお幅の狭い『選註 白樂天詩集』(明治四 十三年五月初版)で毎日読んでいる。この本には、忘れがたい反戦・厭戦の七言古詩「新豊折臂翁」が入っていて、国民学校三年生を終え丹波の山奥へ秦の祖父 や母と戦時疎開するより以前から愛読していた、「兵隊には行きとない」と思いながら。その久しい思いから作家以前の処女作「或る折臂翁」(選集⑦巻所収) を書いたのだった。秦の祖父は、夥しい数のこういう漢籍や古典を所蔵していた、ただし読んでいるのを観たことは無かった、長持の底や箪笥の戸袋などから発 見していったそれらすべては少年・秦 恒平のまつしく所有に帰し、その大方を京都から東京へ移していた。祖父はちいさい「もらひ子」のわたしにはこわい人であったが莫大な恩を受けている。「古 典」という詞藻と表現の結晶をさながらに「思想(エッセイ)」としてわたしは敬愛し親愛できた。これが無かったらわたしは作家に成れていなかったろう。
だが、これらの古典籍も、やがては廃棄されてしまう。「精神」としてこれらを引き受け得る子孫をわたしは持てていない。やんぬるかな。
2017 10/3 191

☆ 夜雨 微雨夜行  白楽天

早蛩(こおろぎ)啼きて復た歇(や)み
残燈滅(き)えんとして又 明らかなり
窓を隔てゝ夜雨を知る
芭蕉 先づ 聲あり

漠々 秋雲起り
稍々 夜寒生ず
自づと覚ふ裳の湿ふを
點(燈火)なく 聲もなし

* わが昔人らが白楽天の詩をことに慕い愛したきもちが分かる。
いまわたしはこれらを少年の昔から秦の祖父の蔵書に見出し愛玩してきた、国分青厓閲・井土靈山選、文庫本よりなお幅の狭い『選註 白樂天詩集』(明治四 十三年五月初版)で毎日読んでいる。この本には、忘れがたい反戦・厭戦の七言古詩「新豊折臂翁」が入っていて、国民学校三年生を終え丹波の山奥へ秦の祖父 や母と戦時疎開するより以前から愛読していた、「兵隊には行きとない」と思いながら。その久しい思いから作家以前の処女作「或る折臂翁」(選集⑦巻所収) を書いたのだった。秦の祖父は、夥しい数のこういう漢籍や古典を所蔵していた、ただし読んでいるのを観たことは無かった、長持の底や箪笥の戸袋などから発 見していったそれらすべては少年・秦 恒平のまつしく所有に帰し、その大方を京都から東京へ移していた。祖父はちいさい「もらひ子」のわたしにはこわい人であったが莫大な恩を受けている。「古 典」という詞藻と表現の結晶をさながらに「思想(エッセイ)」としてわたしは敬愛し親愛できた。これが無かったらわたしは作家に成れていなかったろう。
だが、これらの古典籍も、やがては廃棄されてしまう。「精神」としてこれらを引き受け得る子孫をわたしは持てていない。やんぬるかな。
2017 10/3 191

☆ ありがとうございました。
二十二巻すべてに言えることですが、この一冊の中にも、最高峰の日本の藝術文化が息づいています。
NHKBSの歴史討論番組を観ていましたら、高橋源一郎さんが「国というのは軍事力や経済力ではなく、文化じゃないか」という意味のことを発言していて、私もその意見に共感していました。
国の栄誉を担うのはオリンピックのメダリストではなく、優れた芸術家に他なりません。
たとえばモネの水蓮にひとはフランスをありありと感じ、谷崎潤一郎の『細雪』を愛するのはそこに日本が生きているからなのです。
秦恒平のこの一冊(=選集第二十二巻)にもわたくしは「日本」を抱くことができます。大切に読み続けます。
「ゼッタイ長生きを」というお言葉をいただきましたが、それなら、みづうみは、せめて百歳くらいまでは生きていてくださらないと困ります。みづうみと同 じ時代に生きていられなくなれば長生きなんてしたくありませんから。  絹  新絹やさらりと展べて見惚れぬる   矢嶋志恵子

* 日本は、いつも繰り返し云うように「政治」「経済」の国ではない、「文化」の日本なのだ。文明ではない、「文化」の日本なのだ。少なくも、「文質彬彬」でこそあらねば心貧しい下品な国に落ちこんで行く。安倍や小池の口から、文化への謙遜な愛をだれが聴いたろうか。

* 「創作」的な仕事をする人間は、「嫉妬」されても仕方ないが「軽蔑」されてはいけない。それも技術的な上手下手のレべルではない、「作品を欠く」こと によって軽蔑されてはいけない。あたら才能もフイにしてしまうのは「人」に「作」に「品」という「花」が無いからである。
2017 10/3 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
美しさとは別個の、感じのよさなるものについて語るとすれば、それはわれわれの知らない法則にかなったある調和である。顔立ち全体の、そして顔立ちと色つ や、さらにはその人の風情とのあいだにある、ひとつのえも知れぬ釣り合いである、と言うことができるであろう。

☆ 秋房の夜  白楽天

雲は青天を露はして 月 光を漏らす
中庭 立つ久しうし 却つて房に帰る
水窓 席冷やかに 未だ臥す能はず
残燈をかかげ尽くして 秋の夜は長し
2017 10/4 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
節度は野心と闘ってこれを抑えつけることができるほど大したものではない。そもそもこの二つは決してあいまみえることがない。節度が魂の無気力であるのに対して、野心は魂の活力であり熱気だからである。

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷の歌と雑の歌と

敦道親王におくれてよみ侍りける      和泉式部
今はたゞそよその事と思ひ出デて
忘るばかりのうき事もがな
すてはてんと思ふさへこそ悲しけれ
君になれにし我身と思へば
なき人のくるよときけど君もなし
わがすむ宿やたまなきの里

道とほみ中空にてやかへらまし
思へばかりの宿ぞうれしき   康資王母
津の國の難波のことか法ならぬ
遊びたはぶれまてとこそきけ  遊女宮木
2017 10/5 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「自分の欲することについて完全な知識があったら、われわれはめったに何かを熱望したりしないだろう。」
「大部分の女が友情にほとんど心を動かされないわけは、恋を知ったあとでは友情は味気ないからである。」
「友情においても恋においても、人は往々にして知っているいろいろなことによってよりも、知らないでいることのおかげで幸福になる。」

* したたかな箴言である。
2017 10/6 191

* 四国・今治市の木村年孝さん、ここ数年心がけ書き継いできた小説へ応援の地誌資料をたくさん送ってきて下さった。有難う存じます。行きたい、が、とても行けそうにない、どうしようと思い歎きつつ辛うじて近縁のテレビ番組などで辛うじて想像していたが。
読まねばならない。いまわたしは「読む」という好意に生活の大半を捧げているが、じつのところ視力はサンザンで小さな活字は見えない、読めない、インクが薄くても読めない。ひどいときは、源に今もそうなんだが、いろんな眼鏡を「三つ」も重ねている。
それでも読まねばならない、読みたい意欲はむしろ旺盛で、だから家中の到るところに積み重ねた本の幾分かでも処分したくても出来ない。手に取ると、あ、 も一度読んでからなどと思ってしまう。読書に趣味のない息子にでも命じて、おれの留守に一斉に始末しといてくれとでも頼まねばならない。
本の誘惑というのは、きつい。目下は徳に関心も用もない本なのに、手にとり題を見てしまうと、あ、これはまた読みたいと思ってしまう。まだしも「お寶」というに値する書画骨董茶道具を人様に差し上げてしまう方がし易い。ほんを貰って喜んでくれる人はあまりに少ない。

* 愚痴っているより、送って戴いたのを今晩は読もう。幸い妻にも手伝って貰い、「湖の本137」発送の用意はもう七、八割がたできている。『ユニオ・ミスティカ』最期の仕上げも近づいている、手を掛ければ際限ないけれど。

* ナニの勢いでだか、美術の世界にひたひた浸りながら機械に向かいづめの一晩であった、十一時、もえ目玉が灼けている。
2017 10/6 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人は理性でしか望まないものは、決して熱烈には望まない。
2017 10/7 191

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
会話をかわしてみて思慮深くて感じがよいと思われる人が、これほど寥々たる有様になっているのは、ひとつには、言われたことにきちんと返事をすることよ りも、自分の言いたいことばかり考えている人が多いためである。最も頭がよく、最も愛想のよい連中でも、熱心に聞いている顔をして見せるだけで事足れりと するのだが、その時彼らの目つきや頭の中にある、こちらの言うことに対する上の空な気持と、自分の言いたいことに話を早く戻したがっている焦燥が、ありあ りと見てとれる。そんなふうに自分を喜ばせることばかり求めるのは、他人を喜ばせ、もしくは説得するためには拙策であり、よく聞きよく答えることこそ人が 会話の中に見出し得る最大の妙味の一つであることを、彼らは考えようとしないのである。

* 大概な「会議」風景は上の如くである。
2017 10/8 191

* 夜前 鏡花の「註文帳」読み終えた。前半で作者がすくなからず独り合点にはしゃいでしまい、折角の後半への自然な流れが阻害されていたのは惜しかっ た。まったくの、これも、鏡花語りに徹した廣く大きくみれば音頭こそないが「口説き」ものだと、いまのわたしには読み取れる。馬琴の江戸のと云いすぎる前 に、「音頭口説」を研究者は識っておいた方が良い、識っておくべきだろう。
長ぁい「常右衛門高尾」という口説きを聴いた(読んだ)。唸った。歌舞伎や浄瑠璃や読み本や浪花節になるまえに盆踊りの音戸をともなった「口説き」とい う語りがつづうらうらに楽しまれ記憶されていた事実の大きさ。文学研究がおおかた見落とし目こぼしし見捨てたままになっていた庶民の芸能であった。説経 どっちが早い遅いはわたしには云いきれないが、大きな混合のありえたことは察しだけはつく。
2017 10/8 191

*  東工大で学生諸君が秦教授につきつけられて書きに書いた挨拶は、四百字用紙にして三万枚に及んでいた。もう保管に堪えなくなり、全部「燃える紙」と して処分と決めた。レポートの類も全部処分した。大学関連の書類や資料も処分するときめた。とにかくも家の中にすこしずつでも「場所」を作らねばならな い、モノに人間が圧し潰されないために。
いやおうもなく「国立東京工業大学・教授」からわたし自身も「卒業」して行く。「あの世からあの世へかえるひと休み」も永くなってきた。

* 選集二十四巻の初校残りが、まだまだ嵩がある。此の巻も、第二十巻なみに大冊になる。フー。
2017 10/8 191

* 今治の木村さんに送って戴いた地誌も興味津々読みかけている。
鏡花は次は何かな。源氏物語は「東屋」の巻を進んでいる。「音頭口説」大冊の一冊目をほとせなく読み上げてしまう。京都の地誌もこれまた興味深く読みあさっている。
ダンボール箱から、医学書院の原稿用紙をつかってなんだかアタックしていた五十枚ほどの原稿用紙があらわれた。棄てるのか、読み返すのか、なやましいこと。

* 明日もまだ休日だと。ヘンなの。
2017 10/8 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「若者は血気に逸って好みを変え、老人は惰性で好みを墨守する。」
「他人に対して賢明であることは、自分自身に対して賢明であるよりもたやすい。」 2017 10/9 191

 

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「われわれは理性の力では慰められない不幸を、しばしば弱さで紛らわしている。」
「ふとしたはずみがわれわれを他人に、またそれ以上にわれわれ自身に、わからせる。」
2017 10/10 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「気質には頭脳よりも多くの欠陥がある。」
「人の気質についても、多くの建物について云うように、それにはいろいろな立面(ファサード)があって、ある立面(ファサード)は感じがよく、他の立面(ファサード)は感じが悪い、ということが有る。
2017 10/11 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人は色々な種類の怒りを少しも区別しない。ところが怒りには、熱しやすい質(たち)からくる軽い、ほとんど罪のないものがある一方で、正確には自負心の狂態とも謂うべき非常に罪深い怒りがあるのだ。

* 公爵ラ・ロシュフコーの箴言集は 一応三部に別れていて、生前に削除されていた74項目、また歿後に刊行の箴言61項目がある。正篇と目すべき箴言は504項目も有る。わたしは、区別無くどの部からも、得心したものをその日の気分にもそわせて読み取っている。
正篇というか本篇というか、その最終No504は他と較べてたいそう長文であり、その趣意は「死の蔑視の虚偽性」にある。心して読みたいと思っている。 廣い世には、「死ぬ」など何でもないと謂うに近い、等しい覚悟を述べたり広言する人もある。日本では往時の武士のおおかたがそのように言いもし振る舞って いた、かも知れない。普通の人にも同様に言い放つ人がいる。ラ・ロシュフコーはそれらを虚偽性の名において批判しているらしいが、まだわたしは読んでいない。
2017 10/12 191

☆ 後拾遺和歌集を読む  哀傷と雑の歌

恋しさにぬる夜なけれどよの中の
はかなき時は夢とこそみれ     大貳高遠
別レにしその日ばかりは巡りきて
いきもかへらぬ人ぞ恋しき      伊勢大輔
きえにける衛士のたく火の跡をみて
煙となりし君ぞかなしき       赤染衛門
年ごとにむかしは遠くなりゆけど
うかりし秋は又もきにけり      源重之

入道摂政かれがれにてさすがに通ひ侍りける頃、
帳の柱に小弓の矢を結びつけたりけるを、ほかにて
とりにおこせて侍りければ、つかはすとてよめる
思ひいづる事も有じとみえつれど
やといふにこそ驚かれぬれ       大納言道綱母

* 後拾遺和歌集の、おおよそ前詞を割愛しても 歌ひとつで秀歌と味わえるものを書き抜き終えた。女文化の粋である、和歌。和泉式部 赤染衛門 伊勢大輔 道綱母ら、女流の傑出していたことが実感できる。
2017 10/13 191

* 大石内蔵助を三船敏郎が演じる連続ドラマ「大忠臣蔵」の再放送は、全部を放映か選んで行くのか知らないが、今日は第八回というのを観た。なぜ、こうも、忠臣蔵が好き なのか穿鑿したことはないが、半分以上、もっと以上は、つくりばなしの脚色と承知してながら、感銘を覚えて展開にのめり込むのが「忠臣蔵」での常のこと、わ たしもけっこう通俗であるのだが、この芝居に関するかぎり、わたしの心底からの好み、贔屓心へ、親しく寄り添うてくるのだから仕方がない。

* いま、わたしがテレビを好んで選んできっと観たがるは、腹の立つばかりなニュース番組ではない、鬮とらずの一つは、大門未知子こと「ドクターX」で、 彼女が真っ向「いたしません」と、三つ「群れを嫌い」「権威を嫌い」「束縛を嫌」い抜く徹底した姿勢に、文句なく賛同するから。
忠臣蔵贔屓は、幕府の片手落ちな処断への反感もむろんあるが、君臣一体の不可思議なほど深い濃い恩愛感とそれに酬いる精魂こめた生き方に魅されるのであろう。と同時に元禄というみかけの繁栄に窒息しかけていた「武士という男達」のある哀れさを認めているからだろう。
もう一つには今の「大忠臣蔵」には、永年馴染んできた俳優達が、この場合特に男優達が大勢、それも昔のままに元気に若々しく顔を並べてくれるのが嬉しい のである。自分も若返っている気がする。「あたらしかつとし」が不破数右衛門を懸命に若い元気で演じている。特別どうという思いの無かった俳優なのに、嬉 しくなる。今夜は、中村嘉津雄がウソのように若く現れ、さらにはなんとも懐かしい新国劇の名優の顔も見られた。なさけないのは、あんなに人の名前をよく覚 えたわたしが、そんな懐かしい名前もふっと唇のさきで消えたように思い出せないこと。やれやれ。
四十七士の姓名を覚えたいと何度もアタックしながら、出来なかった。
もう一つ、{NCIS」という米海軍特別捜査官たちのドラマも贔屓。これは、ただただチームワークの良さと個人能力のそれぞれの卓越に魅され親しんでしまうのであって。
2017 10/13 191

* 「箴言」の岩波文庫がかき消えたように身辺に見つからない。ま、この混雑の限りの部屋では、失せたとなると当分見つからない。代わりに何かが見つかるかも。
2017 10/13 191

* 鏡花は、「龍潭譚」「清心庵」「高野聖」「註文帳」「女仙前記」「きぬぎぬ川」を読み終えて、いま「春昼」を読みはじめて「春昼後刻」へ向かっている。「女仙前記」から「きぬぎぬ川」半ば過ぎまでは縹渺とした懐かしさが「龍潭譚」九つ谺の女や「高野聖」の女をも重ね想わせて宜しかった。鏡花という日との俗世へ向かう強烈な厭悪にわたしはつい心惹かれる。
そして美意識の、奔流ににた浪費がきららかな修辞の美になり読者をまさに幻惑する面白さ、叶わなさ。座談会のとき、他の出席者は鏡花の文章、読めば分か る分かる何でもないと繰り返していたけれど、わたしは、やはりそうは謂いきれぬ。東工大の優秀生の何人もが「何が何だかわかりません」と教授室へボヤイて 歎いてきたのを可笑しいほどに思い出す。彼らの方が、やはり普通であろう。鏡花の修辞が平気ですらすらとよく読解できるなどと言い張る方が、異様なのでは ないか、そう敬意を示しておいておちついて読み進めたい。

* 匂宮の男子をなした宇治中君を頼って、異母妹の浮舟がいよいよ登場してきた。物語は「東屋」巻から「浮舟」「蜻蛉」巻へややこしくなってくる。終始一 貫してわたしは中君が大の贔屓。浮舟のように波に漂うて危ういのりもの(女)には安心がならない。更級日記の著者はかなり賢い人と想っているが、なんであ あも浮舟に焦がれられたのだろう。
わたしは、やはり桐壺から宇治中君へまっすぐ引かれて行く豊饒な線が眩い。
2017 10/14 191

☆ 陶淵明

廬を結んで人境に在り、
而も車馬の喧しき無し。
君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると、
心遠く 地自(おのづ)から偏なり。
菊を採る 東籬の下(もと)、
悠然として 南山を見る。
山気 日に夕に佳し、
飛鳥 相与(あひとも)に還る。
此の中に真意有り、
弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。

* 「欲辯忘言」 弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。
真意を存じてしかも斯く在りたいもの。忸怩たるあり。

* 仕事にかからず、『古文真寶』をめくり続けていて、ふと目に入った陳師道の「妾薄命二首」が胸に沁みた。「妾薄命」は古来の楽府題で、姫妾の薄命(不 運・不幸)にしてその福を全うできないのを詠うのだが、この師道はまさしくその境涯を切々と表現しながら実は、多年恩顧学問の師に先立たれた悲しみと、節 を枉げていまさらに他に赴くを厭い、師の墓辺に残年を生きたいと謂うのである。
ことに第二首の声涙きわまって詩句の美しいのにおどろくが、顧みて想えば「不思議」を蔵した詩境ではある。小説にしたいほどの劇情が窺える。
たまたま見つけた詩篇であったが、『古文眞寶』には、かようにも獲がたい寶が溢れている。幸い前後集・私蔵本は久保天随の「釈義」が懇切で優れ、御蔭でおおかた私にも読めて、有り難い。
かかる優れた漢籍にいろいろ親しんでいると、あの「中国」という国が、極み無く膨脹しつつ古・今一体なのか別モノなのかが「混乱」してくるのが可笑しい。
古の中国にはもっぱらその高い深い「文化」で接しており、今日の中国とは容認しがたい「政治や、けったいな行俗や迷惑な事件」でしか伝わってこないのだから。現代の中国の文明ではない「文化」
の知見を持ててないということである。わたしの僅かに識っているのはときどき戴いている中国現代の戯曲集のそれなりの面白さだけで。今日現代の詩も小説も美術も音楽も陶芸も、識らないのである。
2017 10/15 191

* まったく思いも寄らないよほど離れた場所から、ひょこっと、見失っていた『箴言集』が現れた。どえなってますのや。

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「それ自体不可能なことはあまりない。ただわれわれには、ぜひとも成しとげようという熱意が、そのための手段以上に欠けているのである。」
「人は命を失うことは望まないし、栄誉は得たい。だからこそ真の勇者ほど、死を避けるために、訴訟狂いの守銭奴が自分の財産を守るために発揮する以上の手腕と知恵とを発揮するのである。」
2017 10/15 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「大人物とは凡人よりも情念が少なくて美徳の多い人ではなく、単に凡人よりも大きな志を持つ人である。」
「生まれつきの残忍性は、自己愛が作るほど多くの残忍な人間は作らない。」

* ラ・ロシュフコーが「箴言集」中、もっとも多く、きつく、深くえぐり出すのは「自己愛(アムール・プロブル)」と「嫉妬、嫉み」と想われる。人間の、とひろげて謂うては卑怯になる、わたし自身も、と身を抓って箴言の糾弾に堪えねばならない。わたしは、ラ・ロシュフコーの前を逃げ回っているのです。
2017 10/16 191

* かつて感じたことのない程、苦痛で深いな選挙戦である。堪えて、顔をそむけまいとはしている:が。
「勝敗、決まりきってるのに投票に行くの」などと、わたしたちの息子までが言う。むかしむかし、聞いて耳の汚れた「お賢い人ら」の科白だ。

☆ 陶淵明に聴く。

先師 遺訓あり、
余(われ)豈(あ)に云(ここ)に墜さんや。
「四十にして聞ゆる無くんば、
斯(こ)れ畏るるに足らず」と。
我が名車に脂さし、
我が名驥に策(むちう)たん。
千里は遙かなりと雖(いへど)も、
孰(たれ)か敢えて至らざらんや。

「墜」とは、放棄。の意味。「名車」「名驥」は内なる真の才能・力量の意味、贅沢な自家用車のことではない。その才・力に真の脂をさし鞭打たずしては、所詮 千里を行くことは出来ない。
処世をだけ賢く願う人は、なんで苦労して「千里」をなど、「一里二里」で十分ですと云う。一理は有ろうが。

* 岩波の高本邦彦さんから、受領のあいさつに添え、「総選挙が降ってきて野党がぐちゃぐちゃになっているのが残念です」と。同感。サマ変わりが願われる。
2017 10/16 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
むやみに細かいのは偽の緻密で、真の緻密は空疎でない細かさである。

* ある種の鏡花作品の表現に「むやみに細か」く畳み込み過ぎた緻密に作者だけが酔っぱらっているような欠陥が見られる、名人藝にも近いのだけれど。

* いま読み進んでいる鏡花選集は幻怪な物語の一巻になっているが、そのいずれにも陰に陽に蛇が、必ずといえるほど現れてくる。この事実に着目なく鏡花文学をどう語ろうと偏頗なよそごとになる。いま「春昼」の語りを読み進んでいる。

* 鏡花ほどの作品に触れていても、一度「宇治十帖」へ視野を替えるとその文学の香気と静謐・優雅は、くらべようもなく秀でて、珠玉ほどに懐かしい。浮舟は、はや匂宮に襲われた、薫大将に会う前に。

* どうやら「音頭口説き」の最評判は「石童丸」らしく、同様の筋書きは当然としても口説き方の違いは如実に各地方痴呆に歴然と記録されていて、その違い 様がまたおもしろい。子供の頃に講談社の絵本様の本で知っておそろしさに泣いた「石童丸」とはすこしずつ各地で話の持って行きようが変わっている。
まさに庶民の聴いて楽しめる聴く文藝であったのだ。

* ええいとばかり、二階の窓下にならべた書棚から、半ば目をとじて先ずたくさんな新書本を、どこへでも遣ってと妻に託した。時間さえあればまた読みたいものばかり、そういうのしか置いては居ないのだから、残り惜しくはあったが、とてももう読む時間がない。
この調子で、字の小さい本から処分して行く。選りすぐりの夥しい文庫本小説、愛読してくれる少年・少女がいたら、喜んで差し上げるのだが。
2017 10/17 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「人間の善き本性は、こんなに情け深いぞと威張っているものの、往々にして、ほんの些細な利害によって圧しつぶされてしまう。」
「われわれにこれほど妬み心を吹き込む自負心は、またしばしば妬み心を和らげる役も果たす。」

* 奇妙な夢ばかりを連日見る。夢で疲れる。昨日は なんとなくイヤな一日だった。歯医者帰りの夕食があまりに不味かった。つまらぬことをした。
幸い、選集の校正はハカが行った。{選集123」をやがて責了出来る。「選集124」初校了にはもう暫くかかる。そのあとへ何んな一巻を入稿するか、思案している。
長編「ユニオ・ミスティカ ある寓話」は、最期の仕上げにこまかな手入れを重ねながら随所にモチーフの補強も試みている。いきなり選集へ入れてしまおう かとも。すると湖の本の読者に待ちボケをさせてしまう。しかし「湖の本」読者全部の方がこの作を受け容れて下さるか、どうか。
2017 10/18 191

 

☆ 陶淵明に聴く

萬化は相い尋繹す   尋繹=推移交替
人生 豈(あ)に労せざらんや
古より皆没する有り
之れを念へば中心焦がる
2017 10/18 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
偉大な才能を作る下らない素質がある。

* アマデウスに潰されたサリエリの本音のように聞こえる。
2017 10/19 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
頭のいい馬鹿ほどほどはた迷惑な馬鹿はいない。
2017 10/20 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「単に無知だから利口者に騙されずにすむ、ということも間々ある。」
「ほんとうの騙され方とは、自分が他の誰よりも一枚上わ手だと思いこむことである。」
2017 10/21 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
「自分は人に好感を与える、という地震は、えてして人を不愉快にする決め手になる。」
「他人に対して抱く信頼の大部分は、己の内に抱く自信から生まれる。」
2017 10/22 191

* 選集24の初校を終えた。つきものなど添えて要再校、印刷所へ送り返すことになる。この感の刊行は正月にと思っている。
選集23の再校を終えたので、建て頁確認しも不審箇所など見直して、責了へ、そして十一月末には送り出したい。
選集25の編成が決まっていない。落ち着いて決めなくては。妻の快癒と退院とを心待ちにしている。
2017 10/22 191

* 選挙結果はサンザンであるのだろう、テレビを観ていない。このまま、出来ることなら「濹東綺譚」の荷風のようにこそ生きたいが。

* 昨夜、縹渺としてそらおそろしい海の怪異というべきか、鏡花の「春昼」「春昼後刻」を読み終えた。さながらに奇蹟のような日本語表現の奇妙・神妙に魅されまた戦いた。
引き続いて久しぶりに大作「風流線」を読みはじめた。強化策としては巨大な通俗作かもしれない、印象を改め得られるかもしれない。
鏡花は、どこをどう押しても体制派では全くない、市井は柔らかいが強硬なといえるほどの反体制文学者である。川端や三島のように政治風土に晩節を汚した 作家ではない。鏡花は「漱石さん」をかなり敬愛していた。ふたりの余に拗ねた拗ね方は、わたしには懐かしい。荷風はもとより、潤一郎も体制に媚びるナニモ ノも持たなかった。晩年の荷風こそは、わたしの
いわゆる騒壇餘人の最たる作家であった。いま荷風こそが真実懐かしい。
2017 10/22 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
人は年をとるにつれて、いっそう物狂おしくなり、またいっそう賢明になる。
2017 10/26 191

☆ ラ・ロシュフコー「箴言」に聴く。
一度も身を危険にさらしたことがなければ、自分の勇気を保証することは出来ない。

* 夜中両脚に軽度の攣縮。ごまかしごまかし寝入る。目は早く覚めた。ときにリーゼの厄介になる。希望を持つことが大事、また家中のありとあるもの、観音 様、秦の親たちの位牌、ネコやノコや黒いマゴたち、獅子の太郎次郎小次郎にも白鳳・日馬富士にも、靖子の写真にも、ただひたすら迪子を護ってと祈ってい る。家中を用をつくっては歩きまわっている。
朝食は徑五六センチのホットケーキ一枚。ヤクルトと、など。気も、手も回らない。

* とに書くもまず今日の妻の快方へ動いての無事を願う。呼吸困難は見るもつらい、意識の清明をせめてと願う。医師達。看護師達の力量と親切な配慮を心から願う。

* おやの郷里の教会からの先生の迪子へのたよりによっても、妻迪子の日ごろ最大の願は、「ご主人様のお仕事 願どおり運ばれます」ことで、「体調はじ め」ご加護のあるように祈念しますとある。妻の本意・本心がひたすらわたしの仕事「選集」「湖の本」にありつづけていたことが証言されている。ありがとう よ。よくよく、わかっているよ、ありがとう。
2017 10/27 191

* よく降るなあ。

* 源氏物語は「浮舟」巻へきて、いよいよ匂と薫と浮舟の、すこしは中君も関わって、たいへんな葛藤へ進んで行く。読むのがつらいほど、ややこしくなる。 小説としてはだが盛りの場面。「宇治十帖」を独立させたみごとな現代語訳ができれば、全巻で読むのとはまた異なる迫力の集中的に読み取れる十帖なのだが。
少なくも原作を最低十度は読み通し、構想のじつに微妙な語りの機微を頭に入れていないと、「現代語訳」はお安いお遊びになりかねない、わたしの教え子サン、しっかり取り組んでください。

* 聴くにあまる、雨。
2017 10/29 191

☆ 陶淵明に聴く
静かに念(おも)ふ 園林の好(よ)きを
人間(じんかん) 良(まこと)に辞すべし
当年 何ぞ幾ばくも有らんや
心を縦(ほしいまま)にして復(j)た何をか疑はん
2017 10/31 191

* 久しぶりに湯につかり、「浮舟」巻を読み、「音頭口説」の仇討ちものを(読んで)聴いたり、いわゆる物語絵巻物における「女繪」鑑賞や理解の微妙なむずかしさをサイデンストッカーから指摘されたり、西東京市の広報を勉強したりした。
もう十一時近いので、湯上がりのまま風邪を引かぬよう機械仕事は今夜はもうやめて、階下ですこし寛いでから就寝前の読書、鏡花の大作「風流線」を読み進めながら寝入ろう。
それにしても鏡花が読めた、読んだ、楽しんできた読者の少ないのに、今更に改めて感じ入る。鏡花には確実に五百人の愛読者がいると、自然主義作家達が羨 望し妬んだというハナシを昔昔にわたしは知っていて、ああ、それで良いではないかと思ったりしたのはハテ、どうだったのだろう。
2017 10/31 191

☆ 陶淵明に聴く

丈夫 志有りと雖も
固(もと)より児女の為に憂ふ
2017 11/1 192

☆ 福田恆存に聴く  民主主義過信
「民主主義とは為政者の側が最も大事なことを隠すために詰らぬことを隠さぬやうにする政治制度である。」
「私は民主主義を否定してゐるのではない、民主主義だけでは駄目だと言つてゐるのである。今日、私達の政治体制として民主主義以外のものは考へられな い。とすれば、政治や政治理念だけで、今日の政治的混乱を処理する事は不可能だといふ事になる。恐しいのは利己心と怠惰と破壊と、そしてそれらを動機附け し理由附けする観念の横行である。考へるとは今ではさういふ観念を巧みに操る事を意味する様になつてしまつた。さういふ世の中で本当に物を考へ、物を育て て行く事がどんなに難しい事か。」

* 尊敬する福田さんの語録「日本への遺書」は聴くに足るもの。しかも、そのなかにはわたしの得心、同心しがたいものも、むろん混じっていて、それはナニ不思議もなく、そうと承知でわたしは、福田さんが亡くなられてのちしばしばこの本を手にしている。
2017 11/2 192

☆ さすが小説家
迪っちゃんの日々の回復の様子に、ほっと胸を撫で下ろしています。
リハビリが始まったのは本人にとってはつらいこともあるかも知れませんが、大きな一歩だと思うので 本当に喜ばしいことですね。

それにしても毎日、ご自分の様子を逐一書かれていることに驚いています。

自己観察者の目で、まるで日常がまたひとつの小説のようです。

仲良しの文鳥の絵が、とても心温まります!

どうぞお体を大切に、 いつも応援しています。 妻の妹 琉

* ありがとう。わたしなりに気を晴らして怪我なく生きて行かねばならず、それには、自身に向きあいながら家のことも仕事も大きな粗相なくやって行かねば ね。しんどいのも、つらいのも、意識して自分と向きあって隠れたり逃げたりしないのが、結局は素直な道なんでしょう。逃げ道なんて無いんだもんね。
それと、も一つ。書きっぱなしの誤字脱字はいつも迪子があとから注意して直してくれるのですが、そうはいうものの、この「私語」は、これなりに文章の稽 古のつもりでもあるんです。息継ぎの句読点の位置や、自分の文体をより確かに創って行くために、けっこう気を入れ、わたしふうに、書いているのです。推敲は、相当にしているのです、だから小説家の とホメてくれたのは、少年のようと云われたのとともに、嬉しいです。
「二人」の文鳥は、二人とも喜寿のおりに描いて貰ったんです。迪子の大のお気に入りなんです。
二時になりました。そろそろ病院へと。心用意します。
からだ 大事に大事にして下さいよ。 恒平
2017 11/2 192

☆ 福田恆存の遺言に聴く   便利 抄
損だけを捨て、得だけを貰ふといふわけにはゆかない。
昔はあつたのに今は無くなつたものは落着きであり、昔は無かつたが今はあるものは便利である。昔はあつたのに今は無くなつたものは幸福であり、昔は無か つたが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落着きのことであり、快楽とは便利のことであつて、快楽が増大すればするほど幸福は失はれ、便利が増大す ればするほど落着きが失はれる。
人は暇をこしらへて落着きたいと切望し、そのために便利を求めながら、その便利のお
かげでやつと暇が生じたときには、必ずその暇を奪ひ埋めるものが抱合せに発明されてゐる。
便利は暇を生むと同時に、その暇を食潰すものをも生むのである。

* 街へ出れば、ありありと見える。落ち着き無くウソクサイ便利に狂奔するような現代日本よ。
2017 11/3 192

 

☆ 福田恆存の遺言に聴く   生死 抄
生の終りに死を位置づけえぬいかなる思想も、人間に幸福をもたらしえぬであらう。死において生の完結を考へぬ思想は、所詮、浅薄な個人主義に終る。

* 此処に聴く限りの故人の謂いは、私の同感しているものと示しておく。
2017 11/4 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   猥褻 抄
チャタレイ裁判のときにも問題になりましたが、猥嚢といふことと性的刺戟といふこと
とはちがひます。前者は好もしくないが、後者は好もしいことであります。
私たちは大義名分とかかはりなく、性的刺戟をそれだけで快く受けいれるべきなのです。壮年には壮年の、老年には老年の、そして幼少年には幼少年の性的刺 戟がある。もしそれを悪しきもの、有害ものと見なす観念が私たちを支配しだすと、そのときにこそ猥褻な心裡が動きだすのです。
2017 11/5 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   いい文章 抄
いい文章を書くといふことが、いい政治をするといふことと同様に、あるいはそれ以上に、人間の未来にとつていかに大切なことであるかを、あなたがたは知らないのです。
政治が悪ければ国が滅ぶとは考へても、一国の文学が亡びれば、また国が亡ぶとは考へない。
政治家も啓蒙家も、もうすこし文章といふものに想ひをひそめていただきたい。
よく考へてみてください。文学者の政治的な無智と、政治家、あるいは啓蒙家たちの文学的な無知とどちらがひどいか。
が、世人は文学者の政治にたいする無知は世を誤るもののやうにおもひながら、政治家の文学にたいする無理解は大したことではないと考へてゐる。それは現 代日本の文学者にろくな作品がないからといふのではなく、文学そのものの人生における効用を知らないからです。そのはうが由々しき問題です。
ぼくはむしろさういふ世間にたいして、文学の効用を説くことこそ、文学者の社会的な責
任のひとつだと考へてをります。
もちろん世間を文学からそつぽむかせたのは、文学者の責任です。文学者が文学の効用を信じてゐないからこそ、問題は文学者の政治的責任といふ形であらはれてくるのであり、ますます混乱をはげしくするのです。

* 終始一貫してわたしもまったく福田さんと同じく思い、考え、実践しようと生きてきた。東工大で若い指導的な科学者たちが東工大に「文学」は要らないと云っているときも、このようにわたしは語り続けた、実践した。

* 優れた文学は知識ではない、思想であり、読む人に、豊かに美しい詞藻を植え育てる。ただの読み物は文学ではない。売文に過ぎない。

* 金正恩とトランプは極東を人の住めない荒野に変える懼れを日々に増してきた。
わたしも妻も幸いに八十余年を生き生きと生きてきた。思うまま生きてきた。もういっしょに死んで佳いと今度のことでは何度も考えた。わたしはその気でいる。核の業火に灼かれて死ぬよりも。妻もそう思っていると想う。
若くて生きる意欲に未だ溢れ、相応の道の掴める人たちは、本気でその逃げ道へ走れるようしかと用意して欲しい。

* どこか愚かしい人間には、そういう瀬戸際までもう自ら歩いてきてしまっているという見きわめが成されてある。大いなる自然の罰は人間にこそ下される。そう想っている。
2017 11/6 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   少数派 抄遙かに
真の意味の少数派は、自分が少数派か多数派かといふ勘定を、さうは気にしないはずであります。
かれにとつて最大の問題は、自分の行動に論理の筋を通すといふことにあるのです。その結果、敗けても勝つても、しかたはない。万一のまちがひはまちがひなりに、自分の行動に筋が通ってゐれば、さう考へてゐるはずです。
それでは救ひがないといふ人が出てきませう。が、当人は、救つてくれるにせよ、罰するにせよ、かれは神に信頼してゐるでせう。

* わたしは生まれついて、どこにいても暮らしても「少数派」で生きてきた。(敗戦直後の小学校で誰もが初体験の「生徒会長」投票選挙に、また新制中学で も同様に当選したのは、例外というより他者の意志からそう成っただけである。)そして概ね福田さんの仰有っているようにそれが「筋」とも気張った気持ちで はなく、そうしか生きられない己れと思ってきた。ま、「神」かどうか、「運」まかせといった良い意味で「あきらめ(明きらめ)」た気分で通してきたが、そ の割には、見ようではさまざまに晴の場面にも恵まれてきて、努力の結果とも思い、「運」とも思う。
ま、まことに論外の「少数」体験として、学歴豊かな婿と実の娘とから、意味不明の「名誉棄損」を法廷に言い立てられ、「父」として「損害賠償」なるお金を強いられたワケのわからぬバカらしさには、今もただただ理解に苦しむ世にも珍しいことであった。
ちなみにこの「賠償金」は、妻が、つまり実の娘の母親が進んで私金を投じてくれた。
2017 11/7 192

* 妻は、病室へ向かうと、廊下でのリハビリ中、歩行訓練をしていた。声は擦れたままでよく出ないが、起ち居もしっかりとしてきた。六時の食事も三分の二もよく食べていた。ナースから退院後のケアについて、施設と相談して決めよと示唆があった。
予想を超えわたしの訳した『枕草子』を面白がっていて、わが意を得た。枕草子はほんとうに面白い古典なのであるが、日本中で、インテリジェントな大人で もかつて「春は、あけぼの」をかすった程度にしか読んでいない。清少納言描く王朝男女の日常も心情もじつは身近にありありと面白いのであるが。妻は今一 つ、学研のこの「日本の古典」の各巻担当者の豪華さにも一驚していたのが可笑しかった。
玉置主治医も来てくれて、あす、もう一度血液やレントゲン検査で状態を確かめたいと。慎重に慎重に、もうこの上は怪我も事故もなく元気に我が家に帰還して欲しい。
2017 11/7 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   言語 Ⅰ 抄
言葉は手段であると同時に目的そのものである。自分の外にある物事を約束にしたがつ
て意味する客観的な記号であると同時に、自分の内にある心の動きを無意識に反射する生
き物なのである。一語一語がさういふ両面の働きをもつてゐる。
ある人がある時に「あわてる」ではなく「狼狽する」を選んだことには、適否は別として、意味とは別の世界に、その人、その時の必要があるはずで、彼が言葉を選ぶのではなく、言葉のはうがその時の彼に近づいて来て、彼を選ぶのである。

* 同じ感想を、少なくも小説を書き始めて以来久しく、わたし自身も持ち続けてきた。たった今、こんな「私語」を綴るにも、同じ。
2017 11/8 192

* 今日の検査結果も大過なく概ね宜しく、体力をつけるべく今週いっぱいは病院に、週明けの都合のつく日に退院可能かと玉置医師のほぼ許可が出た。
建日子は月曜なら行けると。ぜひ怪我も事故もなくその日の退院を実現したく、妻には用心に用慎をと行ってきた。
今日は廊下歩行もかなり出来たらしく、夕食もしっかり食べていた。横臥していることは少なく(そう奨められてもいて)、ベッドに坐り、また降りて倚子に 腰掛け、そしてわたしの「枕草子」に読み耽っていたが、わたしの再校していた「竹取物語」の三連続講演が一段と手に持ちやすく読みやすくすこぶる面白いと 喜び、それならと、ゲラをそっくりベッドに置いてきた。
『竹取物語』というと、かぐや姫のお伽噺としか思っていない人が多いが、なかなか、どうして、世界中に根のある底知れず幅もある説話のまことに優れた一異 型で、わたしはそんな『竹取物語』の全面的解説のため、三回にもわけ、依頼されたラポ教育のチューターらのためにおよそ六時間ほどもかけて連続講演したの だった、名古屋で、京都で、東京で。
そして、その一方で、『なよたけのかぐやひめ』という、日本語(と英語と)の朗唱劇も書き下ろしたのだった。
2017 11/8 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   話合ひ Ⅱ 抄
今日、民主主義は「話合ひ」の政治だと言ひ、暴力の防波堤だと言ふ。しかし、ディア
レクティック(問答法)とレトリック(弁論術)を欠いた言論は暴力であり、暴力を誘発する。私は力と力との衝突を目的と目的との衝突と解するから、それを否定しない。だから、
それを論争といふ代償行為に流しこめと言ふのだ。
民主主義といふのは論争の政治である。
それを「話合ひ」の政治などと微温化するところに、日本人の人の好さ、事なかれ主義、
生ぬるさ、そして偽善がある。和としての「話合ひ」ではない、勝負としての論争が必要なのである。たがひに自分の方が真になることを証明しあひ、時には相手をごまかしてやるがよい。ごまかされた方が悪いのだ。ごまかしは悪であり、そのための雄弁は悪であるといふ偽善国に、民主主義が発達したためしはない。
ソフィストを生んだのは、民主主義の元祖である古代ギリシアではなかつたか。

* 難しいところと感じる、が、論争抜きの話し合いが穏和なようでかえってコトを腐らせて行く実例にはイヤほど出会ってきた。むろんこの「論争」とは言葉の暴力を投げ合う意味でない、実意と実理と実効を誠心誠意はらんだ議論の意味。
2017 11/9 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「世代の断絶」 抄
言葉が現実を離れた流行語となつて世間に横行し、親子、師弟の間に決定的な溝を作り、
両者の関係を荒廃せしめる危険が、今、まさに、ある。
なぜなら、親も子も別の時代なら、といふのは「世代の断絶」といふ言葉が発明されてゐない時代であつたら、殆ど気附かずに済んだであらう同じ様な思想感 情の食違ひを、この「世代の断絶」といふ拡大鏡を用ゐて、どうしやうも無い決定的なものに育て上げてしまふ過ちを犯してゐるからです。
2017 11/10 192

* 十時半。なぜか、しきりにさみしい。淋しいでも寂しいでもなく「さみしい」と書きたいような孤独感である。わたしも、もう疲労の限界へきているのだろ う、わたしを救っているのは「仕事がある」という否応もない日常である。竹取物語を深く広く読み続け、ついで枕草子を誰も言わなかったような独自の視野か ら読み深め、そしてまた源氏物語の命脈をしみじみと辿っていて、だからわたしは救われている。つかんでブラ下がれる世界があるのでやっと保てているような 自分がかぼそい息を吐いている。さみしいと思っている。守りきれない物を抱きしめているのだ、それは何だ。

* 妻の母は病いに死に、父は妻を追って死んだ。わたしの生みの母は「生きたかりしに」と歎きながら死んだ。実の父も、孤独に死んでいた。実の兄も自ら死んでいった。この人達の分もわたしは生きねば成らんと久しく思い続けてこの歳まで来た。…なんというさみしさか。
2017 11/10 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「太宰治」 抄
太宰治は恥でないものを恥と仮説した。悪でもなんでもないことを悪とおもひこんだ。
それゆゑ、彼の十字架や神は、はなはだ低い位相に出現する。あたか自然主義の作家たちが情欲を醜悪と見なすことによつて、低級な精神主義を発想せしめたのと似てゐる。

* 太宰治にはじめて触れたのは彼が心中水死して一年もあとだったか、「人間失格」や「グッドバイ」とかいった作をお向かい二階の歳いったお姉さんだか小 母さんだかに借りて読んだ。次に角川の昭和文学全集の一巻で主な物を読んでいた。高校から大学への時期だった、太宰治一人で一巻を占めていてビックリし た。
福田さんの「太宰治」観は、私自身が触れ始めた最初からの印象にほぼ正確に重なっている。太宰では「津軽」「富嶽百景」のような健康なものを好んだ。太宰治に敬意を惜しまないのは終生一編と雖も通俗読み物は書いていないことだ。
日本の自然主義はごったまぜで一概に云えないが田山花袋の「田舎教師」など、わたしは敬服する。ただ明らかに情欲は醜悪なんかであるワケがない。


雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケ
ヌ/丈夫ナカラダヲモチ/慾ハナク/決シテ瞋ラズ/イ
ツモシズカニワラツテヰル/…………
一日ニ憲法前文ト/九条卜少シノ条文ヲ読ミ/崇高ナル
リネンヲ/ジブンカッテニカイシャクセズ/ヨクギロン
シ迷ワズ/ソシテ改憲ヲユルサズ/
ヒデリノトキハナミダヲナガシ/サムサノナツハオロオ
ロアルキ/ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセ
ズ/クニモセズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ
二〇一七 春    あきとし じゅん

* 決シテ瞋ラズ/イツモシズカニワラツテヰル/………… という境地にはとてもわたしは到れないようだ。
2017 11/11 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「告白」 抄
世間を怖れる弱気が告白することもあれば、世間を怖れぬ強気が隠蔽することもある。告白にはかならずしも勇気を要しない。文学は告白であっても、人生は告白ではない。日本の私小説はそれを混同した。

* 昨夜ははやめに床に就き、宇治十帖「浮舟」の匂宮耽溺の場面に質感確かなリアリズムで惹き入れられ、継いで鏡花の(必ずしも彼の代表作の一つとも見な い)長編『風流線』へ転じたが、鏡花に気の毒だが月とスッポンという実感をもった。「浮舟」の方こそ現代文学の確かな優秀作とも覚え、「風流線」は華奢に 正体不明な紙風船のように感じた。源氏物語が世界にも冠たる古典といえる確かさに頭を垂れた。

* 明け方の夢で、わたしは、人に、自身の人生来し方を縷々総括するように懸命に、泣くほどに、話しかけ続けていた。与えられた「機会」であったのだと思う。
そんな前後に、なぜか海に漬かり、浅い海底はところどころで細い熱湯を噴き上げていた。わたしは游いでいた。
ふしぎな夢だった。浮かび上がるように目ざめた。七時二十分だった。
2017 11/12 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「優情 芥川龍之介」 抄
芥川龍之介の小説ではたしかに主題は理智的に処理されています。が、ひとの心をうつのは作者の情感なのです。ぼくのいふ日本的な優情なのであります。 『将軍』などそのいゝ例です。乃木将軍を皮肉な眼で見てゐるのは作者の理智──いや、それは現代人の概念的な理智にすぎない。そしてそれが主題を形成す る。が、読者はそれに感心してもならず反撥してもいけないのです。われわれの心を打つのは最後の父子の対話であります。──もつとはつきりいへば、両者の最後の妥協的な対話であります。

「雨ですね。お父さん。」
「雨?」少将は足を伸ばした儘、嬉しさうに話頭を転換した。
「又マルメロ(=原作では漢字)が落ちなければ好いが、……」

ぼくはこゝに芥川龍之介のほとんどすべての作品の末尾に読者の注意をうながしたいとおもひます。……要するに、作者の情感はときに恥しさうに照れなが ら、ときには子供つぽいほどみづみづしく、それまで書きつゞつてきた内容にたいして、結末にいたつてそつと自分の愛情をもらすのであります。ぼくはこの瞬 間に作者の理智が刻んだ主題などいつぺんにどこかへ吹きとんでしまふのを感じます。

* かつて、わたしは、福田さんがこう言われていた趣意にまったく寄り添うように「芥川龍之介」を語って「哀情」と題していたのを思い出す。わたしの芥川はこの「哀情」という表題に漲って尽くされている。
2017 11/13 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「日本一の名文」 抄
文学が宗教だといふのは、人々がめいめい勝手なまじなひを唱へて救はれるといふこと
でせう。それを宗教といふのはをかしい。が、それは宗教ではないにしても、とにかく日
本人は、そのまじなひを唱へる「気分的信仰」によつて救はれてきたことは事実でありま
す。その好例を次に示しませう。

須磨には、いとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の、関吹きこゆるといひけむ浦波、夜々はげにいとちかう聞えて、またな く、あはれなるものは、かかる所の秋なりけり。御前にいと人ずくなにて、うちやすみわたれるに、ひとりめをさまして、枕をそばだてて、よもの嵐をきき給ふ に、波ただここもとに立ちくる心ちして、涙落つともおぼえぬに、枕浮くばかりになりにけり。  -源氏物語『須磨』

日本一の名文であります。これは声明(しやうみやう) とつながるものだ。これを唱へてゐると、現代の私たちでさへ、さめざめとした気持で、孤独感を味はひ、そこから救はれるやうな気になる。文学のさういふ在 りかたは、たとへそれが今日、どんな見すぼらしいものとなりはてようと、依然として私たちのうちに生きつづけてゐる。それはお経にも謡曲にも通じるし、新 内にも浪花節にも通じてゐます。

* まさしく私の多くの読書体験を通じて、この「須磨には、いとど心づくしの秋風」に出会ってもらした深い嘆声は、福田さんの曰くに真実折り重なっている。
あえて、次にも福田さんの思いを聴きたい、これまたわたしの理解と共感にほぼ全面に一致している。

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「源氏物語」 抄
自己内部における個人と社会との対立、自我と他我との対立。それを可能ならしめたの
が、クリスト教の愛の観念にほかならぬ。
「源氏物語」にこのやうな倫理的主題を求めてもむだであらう。
「源氏物語」における男女の情事は、ただ男女の情事として存在を主張してゐる。それはなにか他の普遍的な主題に仕へてゐない。むしろ逆に人生のあらゆる位 相が情事のために仕へるといふ形をとる。なるほど「もののあはれ」といふ仏教的観念がそこにはあるが、じつはそれとても男女の情事を感覚的に濃密化し美化 するために用ゐられてゐるにすぎない。政治も社会も、情事のまへにはまつたく非力なものと化しさる。といふよりは、情事の装飾(アクセサリー)として、その縁飾として存在するにすぎない。
「源氏物語」において、女が男を、ときには男のはうで女を、拒絶することがあるにして
も、それは貞潔の倫理からではない。かれらが気にしてゐるのは、相手の求愛のしかたで
あり、それにたいする自分の受けいれかたである。つまり、かれらはぶざまな情事をした
くないのだ。へたな口説きかたをする男は、いい恋し手でない。へたな歌を贈つてよこす
男も、いい愛し手ではない。

* これは口軽い感想ではない、源氏物語の本質へ迫ったシンの批評であり、私も、初読このかた全くと言っていい同じ思いを、読み重ねるつど層一層と確かな感想・感銘として加えてきた。斯くありたしとすら同感してきた。
2017 11/14 192

* 午後二時間、二人とも昼寝した。体力気力の戻りを実感する。不行き届きの家事、仕事などいろいろ有るにしても出来ることを一つ一つ片づけて行く。
そして、創作に力を入れたい。
妻は好きな大相撲を嬉しそうに楽しんでいる。
日馬富士の不祥事を二人して歎いている。なんとか穏当におさまって欲しい。阿馬の昔からいい相撲取りだった。白鵬と並べて甲乙無く、応援し続けてきた。

* 書き始めたいと背をつよく押されるような新しい仕事への衝動が次々に来るのは苦しいほどだ、とても今、その時間すら恵まれていない。われながら不思議 な気がする、頭だか心臓だか知らないが、何がどうなっているのだ。活気を帯びて日を暮らすのはそれはそれだが、息苦しいまでに追われてはいけないだろう。

* 七册ほどの大学ノートで「創作ノート」と表題したのが見つかった。数十年も昔のだ、夥しい「着想」の類がこまごまと、あるいは殴り書くように、しかし 生き生きと書き留めてある。そこから仕上げてきた仕事も多いが、仕残したままになったのも、在るわ在るわと歎くほど在る。今からでも手を付けて佳いと思う のもある、その上に、今も今、思いついて胸ぐらを掴まれてしまう「材料」も湧いて出るから堪らない。

* 「貨狄」という二字ににわかに想像の展開する人はそうはいまいと思う。アアと超えも出そうに、引っ張られる。そんな時かお前と、自分の頭を今朝から叩いている。
2017 11/14 192

* ジリジリとにじり寄るように長編の終盤を固めている。 十時半。
妻も幸いに安定感をましつつ日常の家事に気を向け手がだせるようになってきた。ありがたし。
もう今夜もやすもう。鏡花の『風流線』が面白くなりだし、「浮舟」はいわば苦しい佳境へハナシが煮詰まって行く。
「絵巻」月報三十二冊ももうそろそろ終えそう、想像を遙かに超えて勉強してしまった。小説『絵巻』はもう書いたし、もう強いてこの楽しかった勉強を何か 形にしようと謂う気は無い。「月報」バカにならないという感謝の思いを大事に持っている。「絵巻」について、こんなに多彩に広く詳しく勉強したとはね、オ ドロキました。
2017 11/14 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「理想と現実」 抄
日本人には、理想は理想、現実は現実といふ複眼的なものの見方がなかなか身について
ゐない。
自分ははつきりした理想を持つてゐるといふ意識、それと同時に、現実には、しかし理想はそのまま生かしにくく、それで、かういふ立場をとるといふ現実主 義的態度、つまり態度は現実的であり、本質は理想主義であり、明らかに理想を持つてゐるといふのが、人間の本当の生き方の筈です。個人と国家を問はず、同 じ筈なのです。
これをもつと日本人は身につけるべきだと私は思つてゐます。

* 理想をもてない現実主義者の鼻持ちならぬ付き合いにくさ・阿呆さかげん、現実に足場を置けない理想主義者の鼻持ちならぬつき合いにくさ、阿呆さかげん、を想うべし。堪った物でない。
2017 11/15 192

* 選集第二十三巻送り出しの宛名印刷も出来て、手書きを覚悟していたのも乗りこえた。無事の納品を待つ。

* やすみやすみ大事に仕事している。やすみやすみ。それでよい。わたしの仕事はもはや「量」ではない、「質」でしかない。ていねいに、ていねいにと思う。

*  太宰賞を受けた翌年の桜桃忌だった、第二回受賞の先輩吉村昭さんに教えられた、仕事を欲しがって焦らないこと。きたない仕事に目が眩んで焦ってしまう と、たちまちに低俗な雑誌から「うまそうな」話が来ます、それに乗ったら、ただ「売り物の読み物屋」に落ちてしまい、足が抜けなくなります、秦さん、じっ とガマンして、いい仕事をすべきですよと。
痛いほど身に沁み、よく分かった。
そういう誘惑は受けずじまいで済んだが、巧言に乗せられ低調な読み物作家になろうなどとは毛筋ほども思わなかった、只の一度も。おかげで(物的贅沢な) お蔵は建たなかったが、「湖の本」の150巻もまだまだ不可能でなく、人も驚く内容ある美しい本の「文学選集」も、誰のご厄介にもならず自力で世に送り出 し続けている。大事なのは此の「自力」で出来ているという結果にある。
売り本で手元にあつめる売り金の多寡など、何の意味もなく、物質的な贅沢を奢るに過ぎない。
ひとたび文藝に携わった者に求められるのは、優れた「作品」を遺すこと、それだけ。
そのために真実願わしいのは、志し揺るがぬ良き妻と、七つ道具で追い回し牛若(作家)をサンザンに鍛えてくれる弁慶のような「本物の編集者」だ。わたし はひういう編集者達に恵まれた。「売れるものを書いて下さい」と。やわい志の書き手をおだてに掛かる編集者は、身を滅ぼす「猛毒」だと思えばよい。
2017 11/15 192

☆ 福田恆存の「日本への遺言」に聴く   「平凡と変化」 抄
人間は生きることの平凡さに疲れきつてゐる──だから、幸福ではなく、ただ変化を、それのみの理由によつて、求めたがる。むりもないことだ。しかし自分が 求めてゐるのがたんに変化だけだといふ事実は忘れたくないものだ。それを幸福だとおもひちがふところに、さまざまな不祥事が出来する。はなはだしきは、万人の幸福が自分の目的だとおもつたりする──ぼくが真に憎しみの感情を実感できるのはこの種のひとびとにたいするばあひだけだ。
2017 11/16 192

* 先の月の二十日この方 わたしは新聞を全く見てこなかった。右から左へ故紙にまわしていた。無くても何ひとつ困らなかった。テレビのニュースも大方は観ないで済ませた。天気予報と気晴らしとで済んでいた。

* 「討ち入り」「仇討ち」を待ちかねているわけでないのに、時として隠忍を重ね自重に苦しみ抜く赤穂浪士のような心境に落ちこみかけた自分を感じること がある。自分で自分が分からなくなる、ただワケもしらず緊張して暮らしているのが他人事のように哀れになる。やれやれと息を吐く。三船の内蔵助が率いる 「大忠臣蔵」を、多くはフィクションとよく知りつつ、その世界へ身を投げ入れているような自覚におどろく。わたしの中にはどうも赤穂浪士なみの根深い怨み ないし憾みがさも「公儀へも吉良へも」根づいているのだろうか。そうなの…かも知れぬ。いやそうと思えば自分が分かりやすくなる気さえする。

* 今晩は大門未知子の「ドクターX」の日だ、群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い。ああ、嫌いだ。
2017 11/16 192

 

☆ 白楽天に聴く

往時は渺茫としすべて夢に似
旧遊は零落して半ば泉に帰す

* それでも 歩んで行く。
2017 11/17 192

☆ 白楽天に聴く  「晩秋閑居」

地は僻にして門深う送迎少く
衣を披いて閑坐し幽情を養ふ
秋庭は掃はず藤杖をたづさへ
閑に梧桐の黄葉を蹋んで行く
2017 11/18 192

 

* 連年、ペンクラブの理事会に出ていたもう十数年も昔、しばしば「環境」が問題になり、「環境委員会」が新設されたりした。問題になっていたのは、要す るに「自然環境」だった。だが、孤り、わたしは「機械環境」の悪化がもたらす「精神環境」の疲弊と損壊こそが予想される喫緊の「環境」問題だと、ほとんど 完全に無視されながら、言い続けていた。
自然環境の人的破壊も、自然の回復力は偉大なまで深く、いつしか人間の為した賢しらの方が元の杢阿弥に旧に復している事例が多い。しかしながら機械が及 ぼしている青少年、おとなたちの精神のひずみは、いまや暴威と化しつつある。殊に仮名や虚名の横行をゆるしたままの「ツイッター」の弊害は、米国大統領を さえ多く謬らせている。
もとよりツイッターに限らない。まことにみごとな「文明としての成果」ももつ一方で、人間の精神を芯から灰化してゆく無責任な機械の遊戯性は、日常と化 しつつ理性も悟性も知性も感性もを「失見当」の痴呆へと誘い込んでいる。危うい哉。政治、哲学、宗教のなんら働かない日本にずるずると日々沈没しつつあ る。
2017 11/18 192

* 亡き大岡信さんの遺著『日本の詩歌』(コレージュ・ド・フランス講義録)を遺志により頂戴した。前に、『自選・大岡信詩集』『うたげと孤心』も戴いて いる。井上靖さんにさそわれ、大岡さんとも御一緒に中国を訪ねた旅はおもしろかった。四人組が追放された直後で、われわれ一行は人民大会堂で当時国会議長相当職の周 恩来夫人と会談した。「秦先生はお里帰りですか」とトウ・エイチョウ夫人に笑顔を向けられたのを忘れない。わたしの名は中国読みなら「チン・ハンピン」 と、断然まともな中国名なのだ。井上靖団長なら「チンシャン・チン」で、山本健吉さんなら「シェンポン・ゲンジー」だった。山本さんに、秦さんの名はいい なあと羨ましがられたのも、懐かしくも面白く。山本さんももうおられない。
あの旅に同行した井上靖夫妻、巌谷大四、伊藤桂一、清 岡卓行、辻邦生、大岡信また日中文化交流協会白戸秘書長も、みな亡くなっている。同年の筈の秘書佐藤純子さんと私とだけが生き残っている。まさしく「生き 残る」という実感だ。昭和五十一年(一九七六)十二月二週間の旅だった。私は満四十一に成ろうという若さ、いまの、眞半分の若さだった。
大岡信さんは、生来の文運に豊かに恵まれた優れた文化文藝の「批評家」だった。著書の交換も頻繁であった。二、三歳も年長であったろうか。点鬼簿中の大事な名の一人である。
2017 11/18 192

☆ 白楽天に聴く  「菊花」

一夜新霜は瓦に著きて軽く
芭蕉新たに折れて敗荷傾く      敗荷 は 枯れて行く蓮
寒に耐えては唯東籬の菊あり
金粟の花開きて暁は更に清し
2017 11/19 192

 

☆ 白楽天に聴く  「聞蟲」

暗蟲喞々として夜は綿々たり
況んや是れ秋陰雨ふらんと欲するの天
猶ほ恐る 愁人の暫く睡りを得んことを
聲々移りて臥床の前に近づく

雨をもたらす寂しい秋夜 人は蟲の音を聞きつつも睡りを得たく 蟲は人の寝静まるを厭うて臥所に近づく、と。
白楽天の全詩集、岩波文庫などに無いだろうか。書店と謂うところへついぞ行かないので分からないが。たしかに白詩は琴線に想い親しく響いてくる。日本人 の詩歌というと和歌、俳句、近代詩と論いやすいがむろんそんなことはないと大岡信さんの著『日本の詩歌』は真っ先に注意し、次いで挙げているのが「漢詩」 なのがおもしろい。歌謡や川柳などに先んじて日本人の、創作も含めた「漢詩」愛好を挙げるのは、重要で適切である。その篤い下地になったのが「白詩の感 化」であった。中国にまで名を響かせた菅原道真、新井白石、頼山陽らも輩出している。
中国という国には、現今の政体への不信や不快からも馴染みにくいのだが、その久しい「文化」には敬愛を禁じ得ない。なかでも陶淵明、白楽天の詩に李杜をも超えて最も魅される。陶詩の境涯、白詩の抒情。
2017 11/20 192

☆ 白楽天に聴く  「清明の夜」

好風朧月清明の夜
碧砌紅軒刺史の家       刺史は、知事に相応
獨り廻廊を巡り行きつ復た歇(やすら)ひ
遙かに弦管を聴きつ暗に花を看る

白居易は杭州の刺史であったかと記憶している。
井上靖らと杭州に旅した日の晴れやかな湖色が目によみがえる。
2017 11/21 192

 

* 「ある寓話」の結び目へ少しく展開を試みかけている。が、明日に。十一時。明日水曜の午前はいろいろいそがしい。
2017 11/21 192

 

☆ 白楽天に聴く  「舊詩巻に感ず」

夜深けて吟罷め一長吁す    一長吁(う) ホーッと溜息をつく
老涙燈前に白鬚を濕ほす
二十年前の舊詩巻
十人酬和九人無し

* 中国に招かれ作家代表団として同行した諸氏十人の九人は、故人となられた。「現代語訳・日本の古典」や「現代語訳・明治の古典」で名を連ねた先輩諸氏の大方も故人となられた。いまや文字どおりに「先生」と申し上げるお人は広い世間に十指に満たない、か。じつに一長吁、老涙白鬚(はくしゅ)を濕ほす心地。
2017 11/22 192

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す」

巧拙も賢愚も相ひ是非す
何如ぞ一酔尽く機を忘る
君知るや天地中の寛窄を
鵰鶚も鸞皇も各自に飛ぶ

日馬富士事件の各社報道に触れていると、もはや是非をただかき混ぜて高見の見物を気儘にしているよう。鵰鶚(貴乃岩)も鸞皇(横綱)も各自に飛んだのだろう。一酔の機をしらぬ人らの是非にまた終わるか。
2017 11/23 192

☆ 白楽天に聴く  「酒に對す 二」

蝸牛角上 何ごとを争ふ       せせこましい世の中で
石花光中 此の身を寄す       火花ほども短い今生に
富に随ひ貧に随ひ 且つ歓楽せん
口を開きて笑はざるは 是れ癡人

早く逝った愛しい孫のやす香は、「笑う」「笑っている」のを、ほとんど身の哲学と心得た少女であった。その人生は、だが 悲しいかな石火光のようにあまりに短く果てた。いま、やす香はわたしの身のそばで写真と化って笑ってくれている。

薔薇と象と鶴と仏様と、笑っているやす香
2017 11/24 192

* 美しいものを見たい、出会いたい。久しぶりに戒光寺の仏様に逢い、思い和んだ。

* 源氏物語「紅葉賀」の巻は、藤壺出産の胸疼くほど懐かしい美しい巻である、源典侍のような頓狂の出番も用意されていながらも。
これに較べると宇治「蜻蛉」の巻の浮舟の哀れ、匂宮、薫君の悲歎、重いうちに底光りのする筆致に驚かされる。

* アッシジの壁画調査に関わった日本人美術史家の、日本の女繪との驚嘆をさそう類似相似を開示された小論文、加えて西欧の「明暗」日本の「濃淡」を解説されていたのに感じ入った。教わることは幾らでも在る。
2017 11/24 192

☆ 白楽天に聴く  「村夜」

霜草蒼々 蟲は切々
村南村北 行人絶ゆ舊
獨り前門を出でて野田を望めば
月は明らかに蕎麥の花雪の如し

蒼々は、青白う物凄い意、青々となると春草の形容。。「さうさう さうさう 蟲は切々」 詞藻、身に沁む。わたしの暮らしている西東京にも、少し歩けばかかる風情を共感できる。
2017 11/25 192

 

* 選集の仕事が、編輯が「京都」へ動いているので、京の便りはひとしお身に沁みる。京そだちだから成った仕事、京育ちでなければ成らなかったろう仕事を、莫大にと云えるほど積んできた。
ただ、思うのである、わたしの京都には、二年にも満たなかったが京都府下の深い山村疎開暮らしも含まれていて、この体験には感謝を禁じ得ない。俳優のひ の野正平が自転車で日本列島をはせ廻っているあの「故郷」感覚をわたしは、一方で京都市街での暮らしと同列にあの丹波の山奥にも篤くまた熱く抱いている。 京都や東京だけが日本ではないという国土愛を大事に大事にしている。処女作の「或る折臂翁」も文壇処女作「清経入水」も丹波というわたしの「京都」に根を 生やしたのだった。時折り、ひの正平にてがみを書きたくなる。

* 十時。階下での「読む」仕事へ移動する。明後日の今自分は、新しい選集の送り出し荷造りで草臥れているだろう、急ぐ必要は無いのだからゆっくり進めたいが。
2017 11/25 192

☆ 白楽天に聴く  「舊房」

壁を繞る秋聲 蟲絲を絡ふ
簷に入る新影 月眉を低る
牀帷半ば故(ふ)りて簾旌斷え
仍是初寒夜ならんと欲する時

我が家も、年々に故り行く。
2017 11/26 192

* いらいらしないために、赤穂義士四十七人のフルネーム、役儀・知行・扶持、切腹時の年齢を書き上げ、 べつに 四十七士の名を五十音順にわけて並べ、記憶しやすくした。一段と、親しみを増した。多年、これを心がけていて、やっと出来た。
125歴代天皇はしっかり覚えていて、二、三分のうちに云える。百人一首の百人中七十人くらいは思い出せるし、和歌も七、八十首は思い出せる。初句が出れば、全部覚えている。赤穂四十七士は永く、せいぜい二十七人ほどが限度だったが。
なにかにしつこく「待たされる」とき、こういう記憶遊びは役に立つ。般若心経も心得ていたが、最近心もとない。また覚えよう。
少年の昔、アブラハムイサクを生みイサク、ヤコブを生みってのを覚えようとして諦めた。
日本の古典の題を、五十。日本の近代作家の名と代表作とを八十。西欧の作家と代表作とを五十、けっこう厳しい。一時は西洋映画の男優の名も女優の名もそれぞれ百二十人ほど云えたが、今は三、四十人が限度。
頭の体操という風には思っていない。好きな遊びと思っている。うそくさい世間のあれこれに腐ってしまうより、よほど気が晴れる。妻の緊急入院した先月二十日以来、退院後も、わたし、「新聞」を一切目にしないで過ごしている。
2017 11/26 192

* 世に酷評の例は数え切れまいが、公然、表だって酷評が被害者を刺し貫いた例は多くは無い。夏目漱石が櫻谷屏風の大作「寒月」を指さして新聞紙上に酷評 したのはひときわ目に立った一例で。櫻谷自身は生涯漱石評に触れては何一言も語らなかったと言うが、櫻谷の業績へ高い再評価の動きが盛り上がって、テレビ 番組も組まれていた。
わたしは、しかし、かの大作「寒月」への漱石酷評は外れていないと今も思う。流石と思っている。寒々と真夜中の月を題しながら、描かれた主役の狼の眼は、瞳孔の描きようは全く「昼間の眼」ではないかとは凄い眼力だった。

* 漱石と鏡花とにどの程度の接近があったか知らないが、この二人は、じつは似ている。世のうそくさい、群れて、権威を立てて、他を束縛して横柄な世間ほ 嫌う点で痛快なほど共通している。その辺を大きく見落としたままの江戸文学との脈絡といったはなしばかりしてきた往時の鏡花論は概して嗤うに足りていた。 鏡花の怒りに充ちた不平の立て方に、或いはポーズ様も含まれたかは検証に値するとしても、そのポーズ自体は処女作の「蛇くひ」や「貧民倶楽部」等々このか た戯曲「海神別荘」「天守物語」等々を含んで天性の「ほんもの」であった。
いま読んでいる大作「風流線」正続も、石川県に実在して大きな事件に発展した銭屋五兵衛らの行状をフイクションの中へ拡大し凝縮し大わらわに捏ねあげた 力作なのである。「生如来様」と世間に頌えられた慈悲慈善でそびえ立った豪商の、実はもの凄いまでな搾取と悪徳との、これは必死に闘う小説になっている。
漱石はついに然様な小説は書かなかった、せいぜいが「坊ちゃん」で停まっていたが、世の三井や三菱らへ唾を吐きかけるような口調は何度もあちこちで漏らしていた。鏡花はそれと識っていて「漱石さん」に親しみをもっていたろうこと、万々疑いない。
わたしはそういう漱石や鏡花が好きなのである。

* さ、明日に備えて、もう機械から離れ、やすもう。
2017 11/26 192

☆ 白楽天に聴く  「閑坐」

暖には紅爐の火を擁し
閑にして白髪の頭を掻く
百年慵裏に過ぎ
萬事酔中に休す
論ずる莫れ身在るの日
身の後も亦た憂ひ無し
2017 11/27 192

* 吉川幸次郎、小川環樹が編集・校閲した『白居易』上下巻(岩波書店)を送ってもらった。文字の小さいのが残念、作は辛うじて読めそうだが註はあまりに細字で、視力は届かない。しかし、詩は読める。
毎朝読んでいる「選註 白楽天詩集」は国分青厓・閲 井土霊山選、明治四十三年八月第四版、定価金六十五銭の袖珍版で、文庫本より小さめだが幸い字は大 きい。絶句、律、古詩に分類してあり、かなりの厳選で、戴いた岩波版ほどは網羅されていない。この愛読してきた明治の本に出会ったのは国民学校の三年生以 前、そしていつしか「新豊折臂翁」を識って、小説という物が書きたくなった。根気よく胸に抱きしめ、会社勤めの第一次安保闘争時に刺戟され、とうどう書き 始めたのが処女作『或る折臂翁』だった。わたしの白楽天は、平安古典からの照り返しでなく、秦の祖父が蓄えていた数多い漢籍中のちいさな一冊『白楽天詩 集』に直かに衝突していたのだった。
残年は幾ばくとも知れないが、白楽天の詩、陶淵明の詩からは終生多くを恵まれ続けるだろう。
高木正一注の上記『白居易』上下を送ってきて下さった「尾張の鳶」に、感謝感謝。初見の作にたくさん出会いたい。ことに白詩の極めつけ自選の「新楽府」全五十詩が上巻に揃っている。公任や少納言の気分で読み続けたい。
2017 11/27 192

☆ 白楽天に聴く  「酔中紅葉に対す」

風に臨む 杪秋の樹    杪は、木末より転じ、ものの末 晩秋
酒に対す 長年の人
酔ふ貌は霜葉の如く
紅と雖も是れ春ならず

ま、私もこんな所です。
2017 11/28 192

* 夫婦とも、昨日今日、送り作業に根を詰め、よく頑張った。ほっこりし、佳い煎茶が美味かった。
まずは、長編『ユニオ・ミスティカ ある寓話』を仕上げて、「選集」に一挙に収めたい。久しい「湖の本」読者、いわば赤穂の四十七士のように結束して戴 いた有り難い「いい読者」にすら、あるいは忌避される怖れもあるが、作者である以上、良い形で、やはり、多年の読者には謹んで呈すべきが道だろうと思って いる。
2017 11/28 192

* 起床8:10 血圧131-62(63) 血糖値86 体重65.0kg

☆ 白楽天に聴く  「不睡」

焔短く寒缸盡き           缸は燈皿
聲長く曉漏遅し           曉漏は水時計
年衰へては自づと睡る無く
是れ三尸を守るためならず   庚申の風を謂うている

年衰え、夜半に仕方なく目ざめて本を読んでいたりする、わたしも。ムリにも醒めずムリにも睡ろうとしない。枕べには、読み物は置かない、やはり源氏や枕が恰好と。
2017 11/29 192

☆ 白楽天に聴く  「閑吟」

苦(ねんごろ)に空門の法を学びしより
銷し尽くす 平生種種の心
ただ詩魔のみ有って降すこと未だ得ず
風月に逢ふつど一閑吟す

憎らしいほどの境涯 とうてい静かな心のもてない私であるが、せめては斯く、創作をつづけたい。
2017 11/30 192

☆ 白楽天に聴く  「暮に立つ」

黄昏独り立つ仏堂の前
満地の槐花 満樹の蝉
大抵 四時 心総て苦しきも
就中 腸の断つは是れ秋天

しみじみ、身に痛いまで。
2017 12/1 193

* 「湖の本」128の再校ゲラが出揃ってきた。 さ、 師走です。

これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭部屋はもたぬ
2017 12/1 193

* 「大忠臣蔵」 いよいよ大石らの江戸入りになるが前途多難。最年少松之丞主税と一つ年上の矢頭右衛門七の、前髪をおろさぬ元服。

☆ 「浅野内匠家来口上」 に依る 討入四十七士
大石 内蔵助 良雄  筆頭家老     千五百石 45
吉田 忠左衛門 兼亮    加東郡代   二百石 63
原 惣右衛門 元辰     足軽頭(鉄砲頭) 三百石 56
片岡 源五右衛門 高房  用人 三百五十石 37
間瀬 久太夫 正明      目付 二百石 63
小野寺 十内 秀和      京都留守居番  百五十石   61
大石 主税 良金 内蔵助長男 16
磯貝 十郎左衛門 正久   用人        百五十石 25
堀部 弥兵衛 金丸      安兵衛養父    五十石(隠居料) 77
近松 勘六 行重       馬廻        二百五十石  34
富森 助右衛門 正因    馬廻使番     二百石 34
潮田 又之丞 高教      馬廻国絵図役  二百石  35
堀部 安兵衛 武庸      馬廻江戸留守居役 二百石 34
赤埴 源蔵 重賢       馬廻        二百石  35
奥田 孫太夫 重盛      馬廻江戸武具奉行 百五十石 57
矢田 五郎右衛門 助武 馬廻        百五十石 29
大石 瀬左衛門 信清 馬廻        百五十石 27
早水 藤左衛門 満堯  馬廻        百五十石 40
間 喜兵衛 光延 馬廻勝手方吟味役  百石  69
中村 勘助 正辰 馬廻祐筆頭     百石  48
菅谷 半之丞 政利 馬廻代官      百石 44
不破 数右衛門 正種    元馬廻元浜辺普請奉行 元百石 34
千馬 三郎兵衛 光忠    馬廻        百石  51
木村 岡右衛門 貞行 馬廻        百五十石  46
岡野 金右衛門 包秀 部屋住(亡父物頭  二百石) 24
吉田 澤右衛門 兼貞    中小姓近習 忠左長男 十両三人扶持 29
貝賀 弥左衛門 友信    中小姓近習蔵奉行  十両二石三人扶持  54
大高 源五 忠雄 中小姓近習膳番   二十石五人扶持 32
岡嶋 八十右衛門 常樹 中小姓近習 二十石五人扶持 38
武林 唯七 隆重 中小姓近習 十両三人扶持 32
倉橋 傳助 武幸 中小姓近習 二十石五人扶持 34
村松 喜兵衛 秀直 中小姓近習 二十石五人扶持 62
杉野 十平次 次房 中小姓近習 八両三人扶持 28
勝田 新左衛門 武堯 中小姓近習     十五石三人扶持  24
前原 伊助 宗房 中小姓近習金奉行  十石三人扶持 40
間瀬 孫九郎 正辰      久太夫長男     ナシ 23
小野寺 幸右衛門 秀富   十内長男       ナシ 28
間 重次郎 光興 中小姓近習喜兵衛長男 ナシ 26
奥田 貞右衛門 行高    孫太夫養子     ナシ 26
矢頭 右衛門七 教兼    長七長男      亡父二十石三人扶持18
村松 三太夫 高直      喜兵衛長男     二十石五人扶持 27
神崎 与五郎 則休      横目         五両三人扶持 38
茅野 和助 常成 横目         五両三人扶持 37
横川 勘平 宗利       徒士 六両三人扶持 37
間 新六 光風 喜兵衛二男     ナシ 24
三村 次郎左衛門 包常   台所役人       七石二人扶持  37
寺坂 吉右衛門 信行    足軽         三両二歩二人扶持  38 83

* 名前を口にしてみるだけで、すかっとする。ああ何という元禄ならぬ不快な「平成の公儀」風情よ。
2017 12/1 193

* 起床8:15 血圧132-64(63) 血糖値95 体重66.0kg
2017 12/2 193

* 予想した以上に、「尾張の鳶」にもらった『白居易』上下巻が、嬉しい。漢詩集というと律詩とか絶句とかに分類されているが、編輯校閲された吉川幸次 郎、小川環樹両碩学は、上巻に、詩人自負自選の「諷喩詩」百二十首余から、我が平安朝の詩歌を多大に感化した「新楽府」五十首を置き、下巻には諷喩詩中の 「秦中吟」三種を冒頭に抜き、次いで「閑適詩」「感傷詩」を並べ選し、ついで「律詩」の多くを選抜して、最後に年譜を添えられてある。
胸の内を清みやかに洗われるほどの感興を誘われ、幸福感に打たれる。有り難し。まことに有り難し。
漢詩と聞くだけで閉口する人があまりに多く、正直の所、漢詩が好きで座右から手放せないなどと云った人に出会ったことがないのだが、清冽これに過ぎるも のを多くは知らない。和歌、俳句、歌謡、そして漢詩は、わたしの日々のよろこびを成し呉れて歳久しい。有り難いと謂うに尽きる。

☆ 鏡に感ず 白楽天

美人 我れと別れしとき
鏡を留めて匣中に在り
花顔去りてより
秋水に芙蓉無し
年経て匣を開かざりしに
紅き埃りの青銅を覆へる
今朝 一たび払ひ拭ひて
自づから顦顇の容を照す
照し罷わり重ねて惆悵す
背に双つの蟠れる龍有り

「双蟠龍」の艶めかしさ、春愁遙かに、老愁はひとしお。
2017 12/2 193

 

☆ 白楽天に聴く  「自ら戯るる三絶句 心、身に問ふ」

心 身に問ふて云ふ 何ぞ泰然たる
厳冬暖被 日高(た)けて眠る        暖被 暖かく着込んで
君をして快活なら放(し)むる恩を知るや否や
早朝せざるより来(こ)のかた十一年    早朝 朝早い出勤

身 心に報ふ

心は是れ身の王 身は是れ宮
君 今 居りて我が宮中に在り
是れ君が家舎は君須(すべか)らく愛すべし
何事ぞ恩を論じて自ら功を説くとは

心重ねて身に答ふ

我の粗慵 休罷早きに因り
君に安楽を遺るの歳事多し
世間老苦の人 何ぞ限りあらん
君を閑なら放めざるも奈何せん

難儀な憂き世の偓促・奔走から、心である我が幸い早く引退してやったればこそ、身であるそなたは斯く永く安楽ができているのだ、と。
わたしはまだ心身に性懲り無く拍車をかけているの、かも。ウム。
2017 12/3 193

☆ 真冬日
hatakさん
奥様ご退院後、お加減はいかがでしょうか。お一人の危機数日間をサバイブされ、ほっとしまして、何か滋養のつく食材でもお送りしようと思案しておりまし たが、家内が調理に手間のかかるものは却ってご迷惑というものですから、今は考え中です。多分速やかにカロリーが摂れる液体(お酒)になるのではと考えて おります。
秦恒平撰集第二十三巻『いま、中世を再び』をお送り頂きありがとうございます。
「刊行に添えて」は「『受け手』の感受性が茶の湯、文学、演劇、人生で問われている」で結ばれていました。研究も まったくその通りだと思いました。
今年は冬の訪れが早く、札幌は師走に入る前から真冬日が続き、雪もどうやらこのまま根雪になりそうです。インフルエンザも流行ってきております。お二人がお健やかに年越しを迎えられますことをお祈りしております。  maokat

* ありがとう、maokat さん。友の「存在」をいかほど距離はあろうとも体感できている幸せを、しみじみ思います。年々歳々、そう実感します。

* 能美市の井口さんも選集の跋に触れて下さっていた。身の内に散点している火薬のような熱源が弾ける気持ちで、「あとがき」し、述懐している。
2017 12/3 193

 

☆ 白楽天に聴く  「閑詠」

月に歩して清景を憐み
松に眠りて緑陰を愛す
早年詩思苦み
晩歳道情深し
夜は禅に学び坐する多く
秋は興を牽きて暫く吟ず
悠然 両つの事の外
更に心留むる處無し

ちょっとカッコ良すぎるナア、しかし心惹かれてやまない。「早年詩思苦み」は実感、「晩歳道情深し」か…。「悠然 (書いて 読んで)更に心留むる處無し」こそ切に願わしい。
2017 12/4 193

* 京都の、さまざまに美しい精緻で清潔な「竹垣」編みの至藝に憧れて外国の男性が、京都の職人さんに弟子入りして、竹という素材が秘めた性質をそれは見 事なに生かしながら、さまざまな組み方で「生け垣」編みの稽古に打ちこんでいた。光悦寺垣、南禅寺垣、龍安寺垣、建仁寺垣、智積院垣等々の精微な割り組 み、 身の痺れそうな感激でわたしはテレビ画面をみつめていた。教える人、習う人、見まもる人たち、素晴らしい文化交流である。神懸かりに頑なな観念論な どに微塵も煩わされず「竹」の命を不思議なほど精微に汲み取りながら美しい竹垣が出来て行く。

もはやモンゴル人の相撲イジメに凝り固まってきたような、神懸かりにいかがわしい「相撲道」「角道」談義を朝から晩まで毎日聞かせる連中の、汚らわしい ほどのしたり顔、あまりにバカげて見える。バカの一つ覚えに神事神事と掘り返せば、果ては何が現れ出るのか分かって喋っているのだろうか、どれほどのこと を頭に入れてああも舌足らずに依怙地に吠えているのか、「竹」一本を生かした職人藝の清らかさに感じ入った目には、胸には、相撲屋たちの夜郎自大、浅まし い気さえする。
2017 12/4 193

☆ 白楽天に聴く  「詠懐」

委順は浮沈に任せてより
漸く覚ゆ多年功用深きを
面上 憂喜の色を減除し
胸中 是非の心を消盡す
妻児は問はず唯酒に耽り
冠盖は皆慵く只だ琴を抱く
長く笑ふ 靈均の命を知らず
江蘺叢畔 苦らに悲吟せしを

楚の屈原(靈均)が天命に安んじ得ず 澤畔に行吟し「泪羅(べきら)の鬼」となったのを、白居易は笑っている。白詩には先人の胸懐を斯く批評し去った例が、まま見受けられる。
「面上憂喜の色を減除し  胸中是非の心を消盡す」とは、我れ八十二愚傁 とても及ばず、「琴詩酒」に親しむもなお屈原の悲憤を偲ぶことが多い。やれやれ。
2017 12/5 193

☆ 白楽天に聴く  「自題酒庫」

野鶴 一たび籠を辞して
虚舟 長しへに風に任す
愁ひを送りて閙處に還し
老ひを移して閑中に入る
身 更に何事を求めんや
天 将に此の翁を富ましむ
此の翁 何れの處にか富む
酒庫 曾て空しからざること

斯くありたいが、なかなか。「愁ひを送りて閙處(とうしょ)に還して」しまえない。
2017 12/6 193

* 横になって疲労をやすめ、岩波文庫新版の『源氏物語』「花宴」巻を楽しみ、次いで筑摩の全集から真っ先に竹西寛子さんの処女小説というに近い「儀式」を読みはじめた。
秦建日子の『雪平夏見 アンフェア』の類をよろこぶ読者には、竹西さんの被爆体験をしみじみと追った『儀式』はとても読めまいと思う。『儀式』の方に深 く惹かれ胸打たれる読者には、『雪平夏見』はあまりに軽い読み物過ぎるだろう。むろん読者の数は、遙かに遙かに『アンフェア』に多かろう。
ここに露わになる、文学・文藝の「表現」「追求」の問題は、あまりに難しい。しかも避けては通れない。
白詩は愛誦するが室町小歌は読まない、などというわたしでは、ない。だが……。
2017 12/6 193

* 「大忠臣蔵」 先代松本幸四郎が日野家用人立花佐近役で三船の内蔵助と対峙し、大きな芝居を感銘深くみせてくれた。ゼッタイに通らねば済まぬ大の難所越え、二度三度と胸がつまった。討ち入りが迫ってくる。なぜにこうも忠臣蔵はわたしを揺り動かすか。
ことのついでに、五十音順に並べてみた「四十七士」の名を、ここに披露しておこう。

五十音順  赤穂四十七士

赤埴 源蔵 重賢 磯貝 十郎左衛門 正久 潮田 又之丞 高教

大石 内蔵助 良雄 大石 瀬左衛門 信清 大石 主税 良金

大高 源五 忠雄 岡嶋 八十右衛門 常樹 岡野 金右衛門 包秀

奥田 孫太夫 重盛 奥田 貞右衛門 行高 小野寺 十内 秀和

小野寺 幸右衛門 秀富

貝賀 弥左衛門 友信 片岡 源五右衛門 高房   勝田 新左衛門 武堯

茅野 和助 常成 神崎 与五郎 則休   木村 岡右衛門 貞行

倉橋 傳助 武幸

菅谷 半之丞 政利   杉野 十平次 次房 千馬 三郎兵衛 光忠

武林 唯七 隆重   近松 勘六 行重 寺坂 吉右衛門 信行

富森 助右衛門 正因

中村 勘助 正辰

間 喜兵衛 光延 間 重次郎 光興   間 新六 光風

早水 藤左衛門 満堯 原 惣右衛門 元辰   不破 数右衛門 正種

堀部 安兵衛 武庸 堀部 弥兵衛 金丸

前原 伊助 宗房   間瀬 久太夫 正明 間瀬 孫九郎 正辰

三村 次郎左衛門 包常 村松 喜兵衛 秀直 村松 三太夫 高直

矢田 五郎右衛門 助武 矢頭 右衛門七 教兼   横川 勘平 宗利

吉田 忠左衛門 兼亮 吉田 澤右衛門 兼貞
2017 12/6 193

☆ 白楽天に聴く  「感有り」

往時は追思する勿れ 追思すれば悲愴多し
来事は相迎ふる勿れ 相迎ふれば已に惆悵
兀然として坐するに如かず 塌然として臥すに如かず
食来れば即ち口を開き 睡来れば即ち眼を合す
二事最も身に關す
安寝餐飯を加へ 忘懐行止に任せ
命を委して脩短に随ひ
更に若し興来るあれば
狂歌酒一盞

* 眼科の診察には失望落胆するばかり。視野の清明は目ざめて小一時間もなく、以降は水の底を歩いているにひとしく、夜になればもう機械の字は九分がた推察して読むだけ。なによりも視野がすっきりと清んで見えない。
困りますといえば、疲労ですねと。疲労を和らげるお薬はと問えば、ま、ありますけどねと。そして緑内障の点眼薬「たぶろす」が一ヶ月後の再診までに十五 本。「たぶろす」点眼は日に一回、左右に一滴ずつ。点眼の瞬間だけ、視野が明るくなるが、五秒ともたない。視力は、1.2と。視力があっても、視野は暗く 滲んだまま。 どうにか、ならないの。「兀然として坐するに如かず 塌然として臥すに如かず」のみか。「狂歌酒一盞」か。

* 病院のアト、松屋裏で、京風の懐石で一盞また一盞してきた。帰路は「保谷行き」を幸い、「塌然」寝入っていた。
2017 12/7 193

☆ 白楽天に聴く  「独り在る」

飲徒 歌伴 今何くにか在る
雨と散り雲と飛び尽く廻らず
此れより香山風月の夜
ただ応に是れ一身の来

* いろんなものを読む、小説も以外も。そして気が付くと他の何よりもわたしは源氏物語の豊かな丈高い「面白さ」に心酔し感嘆している、心酔も感嘆もごく 自然当然に出来ることに驚きと感謝の思いを禁じ得ない。岩波文庫では「花宴」巻を読み終え、小学館版では「蜻蛉」巻を読み終えて、何のガンバリもなしにた だ自然にその文藝の偉さに頭を下げまたホクホクと嬉しかった。

* もとより平安の物語と限らず、日本の古典がおおきな偏頗をも抱え込んで日本の歴史と文化とを反映していることは重々認識し、そのうえでわたしは、わた しのオリジナルな提言として「女文化」という提唱をし続けてきた。『女文化の終焉』と題して十二世紀美術を書き下ろし論策したのは一九七三年、昭和四十八 年五月刊本でだった。以後、わたしは、間をおくことなく、必要に応じて随時、日本文化を「女文化」の称呼において語り続けてきた。「女」の文化を語ったの ではない、日本文化を「女文化」と捉えて日本の男女を念頭にしたのである。それも小説という日宇作の実践と帯同して認識し続けたのである。
だれもが触れても確かめてもこなかったが、日本で「フェミニズム批評」が日本近代文学会ではじめてとり上げられたのは一九八六年秋季大会「日本的近代と女性」という小特集が「最初」であったはず。
しかもそれは、またその以降も、フェミニズム批評やジェンダー論は、概ね、ほぼ例外抜きに「近代」でもって語られつづけ、しかもそれを「日本文化」の論として安易に置き換えてきた嫌いがある。
しかしそれらは、概して、「日本」を意識し冠しつつ。しかも「日本の古典」からの深い検討は欠いていたのではないか。日本の近代文学研究者には、日本の 古典を識らないだけでなく読めない人も少なくないという。さもあろう、と、わたしの見聞でも察しられるし、論攷を読んでみてもわりと容易く察しられる。
「日本文化と歴史」とへの、基底に達した論策が無い、ないし著しく乏しいないし不足のままで成されてきた「フェミニズム批評」や「ジェンダー」論議の分 厚さはとは、いかがなものか。例えば少なくもわたしの「女文化」という提議に誰が触れてものを思案してきたかを問いたいと思っている。
どうも「文化」という二字が安直な記号のように観られたままの議論展開ではないのか、とても気になっている。
上野千鶴子さんらの社会学的な仕事は、上野さんさんにたくさん本を戴いてかなり熱心にわたしも読んできた。が、文学・文藝研究の面では、上野さんを含む 「三女士」の勇ましい男子「文豪」退治を知ってはいるが、一面的で、こと「日本文化」と関わる「ジェンダー論」としては幅も深みも乏しすぎた。少なくも古 事記、万葉集、竹取物語、古今和歌集、伊勢物語、枕草子、源氏物語、夜の寝覚、和歌・歌謡集以降を含む日本古典文学をも「日本文化」の名において認識し得 たほどの議論は殆ど見聞に入ってこない。前提としても、結語としても、「日本文化」のそもそも「把握」が目に見えず耳に聞こえてこないまま、西鶴も近松も 抜きのママ躍起に「近代」ばかりが語られている。それでは、多くは学べず、出てくる議論も切れ味に欠けているのではないか。

* 九大教授だった今は亡き今井源衛さんが、たとえば源氏物語等での男女の性関係はほとんどが「レイプ」だと明言されたとき、なに不思議も感じなかった と同時に、そういう視野から見わたして何がどう論策されねばならないかなど、いっこうに発展の気配希薄なのをわたしなどは奇妙に思っていた。
わたしは「女文化」といい「平安女文化」といってきたが、近代日本にわたっても例えば一葉、たとえば松園、たとえば湘烟らを「近代女文化の旗手」とも掲 げてきた。こう掲げられた女の心身を介してジェンダー問題が語られているかどうかに好奇心ももってきた。概して、好奇心を豊かに面白く満たされたような記 憶がないのである。

* いま書き続けている長編『ユニオ・ミスティカ ある寓話』が、上のような視点観点のためにかなり刺激的な材料になるかどうか、「女文化」論者として一応気に掛けている。わたしにはわたしの反省というのも変か、視点と感想とは有るのである。

* 「尾張の鳶」さん、中国詩人選の『白居易』上下巻に次いで、岩波文庫版、川合康三訳注『白楽天詩選』上下巻を送ってきて下さった。字も大きめで読みやすい。感謝、感謝。
祖父譲りの『選註 白楽天詩集』もあり、これでほぼ完璧に白楽天世界に親しめる。
岩波文庫で、さきには松枝茂夫・和田武司訳注の『陶淵明全集』上下巻も「尾張の鳶」に戴いており、祖父が遺してくれた古本『唐詩選』も『古文眞寶』も手近にそろっているので、漢詩世界は十二分に楽しめる。漢詩が、平安和歌と並んで、ますます心親しく思われる。
2017 12/8 193

☆ 筑摩現代文学大系 最終巻の巻頭作、竹西寛子さんの「儀式」を読み終えた。最終部分に間近い文章を読み返したい。

☆  わたしは「、あの日を葬らずに生きたい。わが祖先はエジプトの奴隷であった……過越の祭に、自由を求めるイスラエルの民が、醒めて、暗い記録を読 みつづけるように。彼らはその時、恐らくこう思っているだろう。さりげなく、自分の歴史を葬ってしまうものは、やがてひきつがれる歴史の、すぐれた主人公 にはなりえないと。

美しかったあの土地が、紛れもないわたしのあの土地であるなら、何物かによって変貌させられてしまったあの土地も、同じょうにわたしのあの土地だと言うべ きであろう。どちらが本当かという問いに、正しく答えられる自信は、今はない。仮相と言うならばどちらもそうであり、どちらかが実相だと誰か言えば、い や、どちらもそうだと言いたい気持もある。しかし恐らく、変らないものというのは、かえるべき根源というのは、それらの相のいずれかではなく、いずれをも 斥けず、しかもいずれをも超えるところの、より豊かなものであるにちがいない。さまざまの相として現われながら、なお乱れることのない秩序に、しかと支え られているものであるにちがいない。わたしはこれからもあの土地へ行くだろう。けれど、わたしはかえるのではない。視野から失われてしまった物の、羽毛の ような頼りな
さが、そしてまた、日々目の前に在るはずの物の不確かさが、わたしにそう思わせる。残念なことに、その秩序は、ま だ、自分の予感の世界にしか思うことができない。わたしはそれを知りたい。ひらめきのようにでもよい、それを知らされれば、その時わたしはもう、身を締め 上げるような静かさに立ち竦みはしないだろう。光を遮られた空間にひき込まれ、一気に落ちてゆくような不安に怯えることもなくなるだろう。わたしは知りた い。

徐々に白い物が流し込まれ、静かに溶けてゆくような空の下で、樹木が、建物が、ようやくその形を目立たせはじめている。   (擱筆までにもう少し続く)

* この作には、「あの日」「あの土地」とはあっても、作中ただの一箇所で「原爆」とも「広島」とも書かれていない、が、そこにも作者の、また語り手の深い真意と歎きとが籠もっていて、読者はそれに躓きはしない。
明らかに「文学」の文章、「作品」のちからを感受できる、少なくもわたしには。

* 今日戴いた本に、大阪の、「巨匠」と謳われてそれに相違ない練達の眉村卓さん最新刊双葉文庫の短篇集『夕焼けのかなた」が、手元の此処にある。
巻頭作「喨々たるらっぱ」は、こう書き出されている。

☆ すぐに息が切れるのであった。大きな手術を受けてから二週間。三日前に退院したばかりなのである。入院中にリハビリテーションで歩く訓練を受け、日 常生活は大丈夫だろうと言われたが、こうして外出して地下鉄に乗り、買い物などすると、やはりきついのであった。そういうことなのであろう。八〇歳を超え た体が、そうやすやすと回復するわけもない。というより、回復ということ自体、期待すべきではないのかもしれぬ。
地下鉄の改札口を抜けていくつかの店の前を過ぎた朝岡は、上りの階段に来た。階段を登るとバスの乗り場なのである。バスの乗り場へは、エスカレーターに乗るコースもあるけれども、そちらは大回りになるのであった。こちらの階段を登るぐらいはできるだろうと判断したのだ。
階段にさしかかった。
慣れたコースなので、段数も覚えている。一七段の後踊り場になって、また一七段。 (以下略)

* 竹西さんの表現と、眉村さんの表現。本に、面白くて判りいい筋や物語を求める読者なら、恐らくは十中の九分九厘が「喨々たるらっぱ」を手に取るのでは ないか。また、文学の作品と表現、生きて行く切実な問題に触れたい読者ならば、さきと同率で、「儀式」の方へ立ち向かうのではないか。ただ「率」は同じと しても読者の「実数」では、「儀式」は、「夕焼けのかなた」に遙かにはるかに及ぶまい(残念ながらと敢えて言い添えておくが。)と思う。ここに文学・文藝 の難しさがある。わたしが「騒壇餘人」として生きよう、文学に「作品」の表現をこそと「湖の本」を思い立った気持ちは、此処にある。

* 次は同じ巻の高橋たか子さんを読む。竹西さんはわたしが『みごもりの湖』を出したときに対談して下さり、以降、久しく親しくおつきあい出来てきた方。 高橋さんとは新聞小説『冬祭り』に書いたソ連への旅に誘われ、終始ご一緒した。亡くなられた。作品は多分一作も読んでいない。何が読めるかな。
2017 12/8 193

☆ 白楽天に聴く  「独り在る」

泰山は毫末を欺くを要せず
顔子は老彭を羨む心無れ
松樹は千年なるも終に是れ朽ち
槿花は一日なるも自ら榮と為す
何ぞ須ひん世を恋ひ常に死を憂ふること
亦た身を嫌ひ漫りに生を厭ふこと莫かれ
生去 死來 都べて是れ幻
幻人の哀楽 何の情にか繋けん

* 白居易の最も自負自愛したのは自身名付けての、「諷喩詩」であった。彼自選自負の詩集『新楽府』に収めた大方の作がそれであった。
彼には、他に、「閑適詩」また「感傷詩」さらに数多の「律詩」があり、わたしが毎朝此処に引いて愛誦しているのは、大方が先の「諷喩詩」以外の詩句であ り、かの平安朝男女ら以降後世にまで、日本人の「白詩」愛好はもっぱらそれら「閑適・感傷」の詩、美しい情感に溢れた「律詩」へ集中し、時世・事変への烈 しい諷諫や批判をこめた「諷喩詩」から感化や影響を受けた例がほとんど見られなかった。その事実は、碩学吉川幸次郎、小川環樹両師が編輯校閲の『白居易』 下巻解説が明記している、即ち「国情の相違によるのか、それともまた、これを受けいれた人人の、文学にたいする心がまえの違いによるものであったのか、」 「いずれにしても注目すべき現象」であると。

* わたしは実のところ白居易の詩のを包括的な予備知識など、此の最近ですらほとんど持たなかった。大人になってからもそのような知識はほとんど望まず、国民学校の少年以来ただただ、秦の祖父の遺してくれていた明治版『白楽天詩集』にとりつき、好き勝手に読み耽ってきた、それだけだった。
ただ、こういう事実がハッキリしたのである、即ち上の吉川・小川先生らの「指摘」を受け、新ためて顧みれば、わたしはその袖珍版『白楽天詩集』の中から、他の多く「閑適・感傷」の律詩によりも遙か強い思いで、文字どおり終始一貫「新豊折臂翁(新豊の臂を折りし翁)」という反戦詩に強い関心や共感をもち、いつしかに、その詩から小説の創作を願いつつ、ついに昭和三十七年(一九六二)満二十七歳の誕生日に、処女作『或る折臂翁』を脱稿したのだった。その日その地点から、わたしは事実上「小説家人生」へ踏み出したのだった。
知るよしもなかったが此の、白楽天原作「新 豊折臂翁」こそは、彼が最も自負した詩集『新楽府』「諷喩詩」群の最たる一作であったのだ、そんなことを、わたしは、「尾張の鳶」から最近に戴いた上記の 本で初めて承知したのである。日本の文学史で、白楽天の「諷喩詩」に影響された例の無きに等しかったと聴くにいたって、また一つ私自身を証言しうる一項が 確認できたとは、望外のことと云わずにおれぬ。
こういう詩であった。


新豊(しんほう)の老翁八十八、頭鬢髭眉(とうびんしゆび)は皆雪に似たり。玄孫扶(たす)けて店前に向うて行く。左臂(さひ)は肩に憑(よ)り、右臂(ゆうひ)は折る。
翁に問ふ、「臂を折りしより幾年ぞ。」兼ねて問ふ、「折ることを致すは何の因縁ぞ。」
翁云ふ、「貫属は新豊県。生れて聖代に逢ひ征戦なし。聴くに慣る黎園歌管の声、識らず旗槍(きそう)と弓箭(きゆうせん)とを。
何(いくば)くもなく天宝大いに兵を徴(め)し、戸(こ)に三丁(てい)あれば一丁を点ず。点じ得て駆り将(もつ)て何処にか去る。
五月万里雲南(うんなん)に行く。聞説(きくならく)、雲南に濾水(ろすい)あり。椒花(しようか)落つる時、瘴煙(しようえん)起る。大軍徒渉(としよう)すれば水湯の如し。未だ十人過ぎずして二三は死すと。
村南村北哭声(こくせい)哀し。児(じ)は爺嬢(やじよう)に別れ、夫は妻に別る。皆云ふ、前後蛮を征する者千万人、行きて一も廻(かえ)る無しと。
是時(このとき)、翁の年二十四、兵部牒中(へいぶちようじゆう)に名字(みようじ)あり。夜深(ふ)けて敢て人をして知らしめず、大石(たいせき)を偸(ぬす)み将(もつ)て槌(つい)して骨を折る。弓を張り旗を簸(ふ)る倶に堪ず。茲(ここ)より始めて雲南を征することを免る。骨砕け筋傷む、苦しからざるに非ず。且つ図(はか)る、揀退(かんたい)郷土に帰らんことを。
此の骨折り来たる六十年、一肢廃すと雖もー身全し。今に至りて風雨陰寒の夜、天明に到るまで痛みて眠らず。痛みて眠らざるも終に悔いず、且つ喜ぶ、老身今独り或るを。然らずんば当時濾水(ろすい)の頭(ほとり)、身死し魂(こん)孤にして骨収められず、応(まさ)に雲南望郷の鬼と作(な)り、万人冢上(ちょうじょう)に哭すること呦々(ゆうゆう)たるべし。」
老人の言、君聴取せよ。君聞かずや、開元の宰相宋開府。辺功を賞せず、黷武(とくぶ)を防ぐ。又聞かずや、天宝の宰相楊国忠(ようこくちゆう)。恩幸を求めんと欲して辺功を立つ。辺功未だ立たずして人怨(じんえん)を生ず。
請ふ、問へ新豊の折骨翁に。

* 読み下しは全てにルビがあった。読めれば「折臂翁」の曰く、ほぼ完全に国民学校の三年生は理解した。すでに当時、兵役を科されての出征を見送る町内外 の儀式は頻々として有り、わたしはそれを勇ましい儀式だなどと夢にも思わず、自分なら、イヤと内心に拒んでいた。白楽天という詩人のこれこそ胸を打つ作品 と全身で受容し続けていた。
白居易のこれが「諷喩詩」である。毎朝にひいている閑適・感傷の律詩とははっきり異なっている。わたしの文学は、此処に樹ったのである、本来は。今も、逸れてなどいない。
2017 12/9 193

* 求婚六十年

むそとせの長い永い道のふたり旅
一と言にいへば   おもしろかりし  恒平
よくぞ来たりし  迪子

☆ 白楽天に聴く  「夜雪」

已に訝る衾枕の冷やかなるを
復た見る窓戸の明らかなるを
夜更て雪重きを知り
時に折竹の聲を聞く

* 川合康三訳注 岩波文庫『白楽天詩選』上下巻の「解説」を読みはじめ、七十年にして初めて白楽天(白居易)の詩につき、多くを教わった。かかる知識はんつて自ら求めてもこなかった。ただもう久しくも久しく詩作にのみ接してきた。それはそれ、と思っている。
とにかくも三種類の白詩本を文字どおり身近に置くことが出来、岩波文庫『陶淵明全集』上下巻も間近にあって、とても嬉しい。

* 昨夜、筑摩の大系本で高橋たか子作の短篇「白夜」を読んだ。高橋さんを「初めて」少し知ったと実感した。異様に迫られた。高橋さんの方からわたしへ関 心を寄せられてきた、そして一緒に当時のソ連へも永い遠い旅をした、かすかなワケが見えた気がした。わたしは高橋世界を全く知らなかったし、旅のアトにも サキにも何冊も本を戴いていたのを読んでいなかった。むしろ娘の朝日子が読みかけていたようなボンヤリした記憶がある。
文章の表現ではわたしは竹西寛子さんのそれに指一本ふれたい気がしなかった、整斉として完成に近いと感じた。高橋さんの文章には、わたしなら推敲する、 この軸は省くと何度も感じた、が、その文章世界の異様に魅力さえある感覚には驚愕した。はやく亡くなった夫君高橋和己さんも奥さんも遠くからわたしの作へ 声を掛けて下さっていたワケのようなものが、ほの見えた。

* 次は、富岡多恵子を読む。この人の文章も、かつて一行も読んだ記憶がない。

* 今朝、目ざめた床の上で島尾敏雄さんの集中講義録『琉球文学論』をひろげ、オモロの伝承や編纂などについて面白く教わっていた。この本も読みたい。色川大吉さんのフーテン老世界辺境の旅行記も。
なんとわたしはこう「いろいろ」なんだろう。
2017 12/10 193

* いちどその気になってしまうと、手放せない本が目の前に立ち現れる。島尾さんの遺著「琉球文学論」も島津忠夫さんの遺著「老のくりごと 八十以後国文 学談儀」も、手にしてしまうと教えられる多さに負け、つい読み耽ってしまう。老いて草臥れたこのからだにまだ好奇心をかりたてる吸収力が残っているのに、 途方にくれさえする。生きる力はまだまだ「書く」ために大事に温存しなくては、あまり「読む」ために浪費は謹まねばと思うが、読むと書くとは表裏していて 切り離せない。「読み書きソロバン」と謂うたものだが幸いソロバンは気に掛けなくて済むのは有り難い。

* 長編『ユニオ・ミスティカ ある寓話』の第一部と終幕部とに関連の新しい物語を加えたくなっている。出来不出来は分からないが、此の作がなにかしら 「かなめ石」に成って行きそう、根負けしないで書き抜きたい。『清水坂(仮題)』もめり込んでくる肩の荷になっているが、根負けしてはならぬ。

* 九時半。もう機械の字がよく見えない。今夜はもう休んだ方が良い、どうも体調、違和の重苦しさをはらんでいる。疲れであろう。
2017 12/10 193

☆ 白楽天に聴く  「閑臥」

盡日 前軒に臥し
神閑 境また空し
山あり枕上に當り
事心中に到る無し
簾は巻く 牀を侵すの日
屏は遮る 座に入るの風
春を望み春未だ到らず
應に海門の東に在らん
2017 12/11 193

* 凸版印刷株式会社へ「秦 恒平選集」第二十三巻の支払い送金を終えた。送料が無茶に値上がりしたのも加わって、一巻ごとに二百万円近く支払う。もう「十巻」を出し続ける予定だが、 さ、満足できるかどうか、別巻が難関か必要になるかも知れぬ。何処かでは断念するしかないにしても。
第二十四はもう責了、第二十五巻はもう初校が出ており、第二六巻は入稿用意が進行している。
2017 12/11 193

* わたしの「京都」を選集のために「掴み採り」したいと四苦八苦。両掌から、ぶわぁッと溢れ出てしまい、手に負えない。随筆や散策まで含めると「京都」だけで三巻分にもなり、それは困る。小説など編輯の巻数を用意しておかねば。

* 九時半。機械仕事は視力の限度へ。困る。目の疲労は心神の疲労へ直行してくる。健康なんだという自覚がとかく砂のように崩れてくる。
2017 12/11 193

☆ 白楽天に聴く  「陶公の旧宅を訪ふ 抄」
「余 夙に陶淵明の人と為りを慕ふ」等の序があるのは割愛する。

我は君の後に生まれ 相ひ去ること五百年
五柳の傳を読む毎に 日に思ひ心拳拳たり
昔 嘗て遺風を詠じ 著はして十六篇と成す
今来りて故宅を訪ふに 森(おごそ)かにも君は前に在す若し
樽に酒有るを慕はず 琴に絃無きを慕はず
慕ふは 君が榮利を遺(わす)れて 此の丘園に老死せしこと

* 陶潜に白居易があり 白楽天に陶淵明があり、さればこそわたしは二人を心に慕うのである。

* 人の世は軽薄に騒がしい。世常のむしろそれが平穏という意味でもあるのを否みはしないが、忍び寄る日本列島「最期」の危機は跫音を日々に強めている。 日増しにそれをわたしは感じる。受くべき送葬の儀式を置き去りに熱い火の粉とかき消えた無数の日本人原爆被害者たちを、安倍総理は覚えてもいないようだ、 トランプ米国のまえへ、日本列島をあの真珠湾なみに「謹呈」する気でいるのか。なにより、米と朝とを心して誘導し調整する高邁な「外交力=悪意の算術」こ そ今は望まれるのに。
いま日本人に「帰去来」可能な、いかなる美しき田園も北朝鮮の弾道下に見下されている。
日本も核を持てば好かったなどと決して思わない。
貪欲に利益文明へ狂奔し、豊かなるべき人文・文化を足蹴にし続けた、「文質彬彬」の真価を知らない蒙昧政治を憎む。それをまさしく選挙しつづけた国民多くの錯覚をも悲しむ。
2017 12/12 193

* 心身とも、何となく草臥れ、ヘバっている。腹への食べ物の収まりがうまくないのか、食べると気も身も重苦しく不快になる。困る。「 蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし夕餉はなにが喉とほるらむ」という戯れ歌は胃全摘そして三月退院の年の十一月の作、さらに四年余の今年正月末には、
尿が出て便出て食へて目が見えて読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし」と詠い、同日、「余念なく眠ってをばよいものをなぜ起きてくる 死にたく ないのか」とも自問している。体調としては、しかし、いのよりマシだったのかも知れない、いまは心身とも堪え性が薄れている。めざましい嬉しさや楽しみに 欠けているのかも、例年だと十一月の顔見世、師走の観劇、この十数年欠かしていなかった。

* いま一つには、一念発起で読みはじめての手始め、同時代女作家、竹西寛子、高橋たか子、富岡多恵子、津島佑子さんらの各小説の憂鬱さに閉口したのだと も思う。とはいえ、竹西さんの、広島被爆体験を作の地盤に鎮めた「儀式」にはつよく心動かされ、行文の確かさ美しさにも敬服した。
だが高橋さんの「白夜」 富岡さんの「壺中軒異聞」の 文学表現の異様さ、ガサガサと乱雑な日本語、しかもそれなりに小説世界が蠢いて生きている奇妙さ は、わたしの神経を戦がせることで度外れていた。小説のおもしろさが有るというなら、この二作には竹西さんの「儀式」よりも在るのだ、が、それ自体が堪ら ない気味悪さを誘うのだ。なにか狂ったり、度外れたりしている。
これから読む津島さんの作に何が現れるかは分からない。
が、よくよく往時を顧みて、此のわたしは、あの樋口一葉以降どんな日本の女作家の作を知ってきたろう。野上弥生子、宮本百合子、円地文子、林芙美子、岡 本かの子、佐多稲子、その辺で止まっていたのかも。以降は、読んで感心した出会いが無く、つまり見捨ててきたとでもいうしかない。一方上記の諸氏には「文 学」の面白さと感銘をそれぞれの持ち味と文章とで有り難く得ていた。違和感はなにも無かった。いやいやこまかに顧みれば、もっと何人もの忘れられたような 女作家の優秀作にも何度か出会っていて、「ペン電子文藝館」の招待席へ取り込んでいた。
まして竹西さんの著書はたくさんいただき、「みごもりの湖」では推挽の対談を付き合って頂いたし、歌集「少年」に有り難い一文も寄せて頂いた。朝日ホー ルで源氏物語を話題に舞台の上で対談もしている。つまり竹西寛子さんの文学世界の多くへは、じつは古典世界を介してわたしからも多く廣く重なっていた。認 めあえてきた。

* 高橋さん的、富岡さん的な世界を否定したり否認したりは決してしない。が、ああ、こういうのも在るなだと合点は行く。今は、そこでほぼ棒立ちで、二作めを読むか。分からない。
むしろ今の感想では、ずうっと同時に読んできた泉鏡花の長編「風流線」また「芍薬の歌」も、はっきりいえば駄作だということが言いきれる。
もう一つ、「源氏物語」は、途方もない世界史有数の「名作」だと、断乎またまた言い切れること。文章も、表現も、構想も、作の品格も、そして小説・物語 としての大きな豊かな面白さも。外国語については言えないので言わないが、日本の文学で、古典・近代・現代を通じて源氏物語に匹敵する只一作も無いと、悔 しさも嬉しさも半々、言うておく。

* 選集第二十六巻の構図が立った。久しぶりに亡き実兄恒彦の書簡を懐かしく読んだ。いま、だれよりもなどとは限定しないまでも、生きていて欲しかったと堪らない一人は此の兄北沢恒彦だ。
さてさて「湖の本139巻」の編輯にも掛からねば。すこし楽しみたい、ま、急ぐまい、
なにより心神のためにも。
食べ物を美味しく食べられるよう努めたい。先日「ボンシャン」で註文した前菜の大きな「生牡蛎」三つが忘れがたい、が、ああいうのは毎日は無いかも。師 走は忘年会で賑わう店だ、日比谷のクラブへ行きたいが、夜の場所だから、あまり寒い晩はヘキエキ。「なだ万」で誕生日を祝ったことが二度有る。忘れられな いのが「鉢巻おかだ」の鮟鱇鍋、美味かったなあ。癌になる以前だったが。
2017 12/12 193

☆ 白楽天に聴く  「杪秋の獨夜」

限り無き少年は我が伴に非ず
憐む可き清夜も誰と同うせん
歓娯は牢落して 中心少く
親故は凋零して 四面空し
紅葉の樹は飄る 風起こるの後
白髪の人は立つ 月明かなる中
前頭 更に蕭条の物有り
老菊 衰蘭 三両叢

* 老境は斯くの如く、だが、幸いにわたしはまだまだ少年の友にも心静かな夜にも恵まれ、楽しみもあり達者な知友も少なくはない。
しかし、白詩の謂うところの寂寞も足もとまで着々せまっている。目も心も背けて居れない。
2017 12/13 193

☆ 白楽天に聴く  「老いに任す」

愁へず 陌上に春光尽くるを    陌 は街路
亦た任す 庭前に日影斜くを
面は黒く 眼は昏く 頭は雪白
老まさに更に増加無かるべし

* ま、こんなところですか。

* 米・北朝の剣呑極まりない切迫をテレビは報じてやまないが、日本政府は思案に暮れているのだろう、音もたてない。戦端ひらかれれば北朝鮮の攻撃地は、 たちまちに米本土でなく滞日米軍基地に定まり、その多くは首都東京の郊外住宅地に接近して在る。一瞬にして数十万国民の悲惨な死が予測されているという。
しかし日本政府は、総理も、防衛相も外相も、官房長官も、ただ唖者のごとく緘黙のままおずおずと米国のダメな大統領の方へ尻尾を振っている、らしい。「老まさに更に増加無かるべ」きわれわれはまだしも覚悟出来るが、若い国民と国土とはどうなるのか。
明けて新年の二月が危ないとの観測をさまざまにテレビは伝えてくれるが、報道の何が真意なのか。ミサイルが東京と近郊とに雨降りかねない懼れと、例えば 一貴乃花の神懸かり「角道」とやらに振り回されている相撲協会の話題とが、等価値、等間隔でただ平然報じられてくる現実。一億一心の昔を懐かしみなどしな いが、あまりに日本国と日本国民の現実意識、あたかも砂塵のただ吹き巻くごとくではないか。

* 白楽天の詩に、ただ心静かにふれ且つ読んで思って日一日を追っている、わたし。愚か賢かを問わない。
2017 12/14 193

 

* 『能の平家物語』という本を出しているが、論攷というでなく、しかし感想・随筆というのでもない。能という不思議の演戯・文藝と遊び合うて、どうやら 自身の小説世界をいろいろに網掛けるように好きに感覚してたらしい。小説にもう成ったのもあり、成ろうとしたのもあり、成る可能を孕んでいる文章もある。 読み返してえらく楽しいから可笑しい。
2017 12/14 193

☆ 白楽天に聴く  「自喜」

身慵く 勉強し難し
性拙く 遅迴し易し
布被 辰時に起き
柴門 午後に開く
忙は能者を駆り去り
閑は鈍人を逐ひ来る
自ら喜ぶ 誰かよく会せん
才の無きは 才有るに勝る

* 将棋の若き渡辺竜王とコンピュータ棋王ボナンザの決闘に引き込まれた。此処には悪しき政治、悪しき経済の入り込む隙がない。その透明さに心許せる快味 を覚えた。ボナンザが押していると見えていたのが、ただ一手で竜王の強烈な逆転決勝があった。将棋には疎い疎い、少年時代からの苦手な競技であるが、それ でも終盤の攻め合いには息を呑んだ。将棋の面白さへもかすかに行為と好奇心をもった。
妻と囲碁を楽しむにはちょっと落差が大きいと思うが、将 棋なら、追っつ辛っつ、早晩わたしの方が負かされてしまいそうな予感がある。わたしのアタマはとても将棋的に働いていないのでは、囲碁の方へ親しいので は、と久しく思ってきた。妻は、逆のように思える。わりに佳い将棋盤と駒とがあるのだ、引っ張り出してこようか、などと思うほど渡辺竜王の勝ち将棋に朝か ら刺激された。「閑は鈍人を逐ひ来る」のか。
2017 12/15 193

☆ 白楽天に聴く  「中隠 抄」

人生まれて一世に處(お)り
其の道両つながら全うし難し
賤は即ち凍餒に苦しみ
貴は則ち憂患多し
唯だ此の中隠の士のみ
身を致すこと 吉且つ安
窮通と豊約との
正に四者の間に在り

* 人、貴賎のみならず老若の別を歩まねばならない。
老いて悩ましいのは、病い。家人が病むと、自分が病むより心安くおれない。
2017 12/16 193

☆ 白楽天に聴く  「微之を夢む」

晨起き風に臨み一たび惆悵す
通川 湓水 相聞を断つ
知らず 我を憶ふは何事にか因る
昨夜三迴 夢に君を見る

「微之」は生涯の親友、詩人元稹。時に二人は通州と江州に遠く別れ消息を欠いていた。
一夜の夢に三度も友と相見て。「惆悵」という白楽天頻用の哀情が身に沁みてつたわる。
2017 12/17 193

* わたしたちは夫婦して睡魔に見舞われているよう。からだに熱が籠もっているのか。

* 気がつくと また機械前の倚子で頭を垂れ寝入っていた。寝て、確実にいいのは視野がクリアに戻っている事。
よくよく思えばいまわたしに差し迫った何もなく、風邪気をいたわっておれば、差し迫った用は無い。誕生日まえに散髪したいのが唯一、それとて大ゴトではない。
食べ物は、偏ってはいるがむしろ過剰にとれている。体重は安定している。せいぜい寝て休んでいれば今は好いと思う。気がかりは「日本丸」の危なさ、これは、安倍晋三のような、トランプで国運を占っているような見当違いとその子分らに舵をとらせているかぎり、どうにもならない。
トランプの城の崩れ落ちること、ないのか。

*妻の風邪けは一進一退、わたしの体調は宜しからず、ぞわぞわとしたかすかな寒気に集中力を奪われている。
思い切って、寝入ってしまおうとおもう。

* それでもやはり仕事していた。幸いに、いまむやみに追い立てられる仕事は何も無い、なら今こそ仕掛かりの創作を打ちこんで追いかけることだと思う。も う熟して枝から落ちそうな果実は、「ユニオ・ミスティカ ある寓話」が一番、これを収穫できれば、攻城で大手門を抜いた気分に成れそう、どう発表するかな どは二の次で良い。
アレもしたい、コレも、ソレもとわたしは今何かに追われるように浮わ気になっている。それで気疲れもしている。凡の凡人の証拠のようにうろうろと、あげく疲れている。

* 十時半を過ぎている、結局。
また、階下で「壺中庵異聞」など読んで、寝ます。今夜は、亡くなった人たちと黙って話しているような按配だった。亡くなった人たち、わたしからして、死 なれた人、死なせたような人は、現世にも作の中にもずいぶん大勢いたんだと呆れる心地で、ぼーんやりしていたらしい。そんな誰も、こっちへ來いとは言いも 誘いもしない、が、手が届きそうにすぐ傍にいる感じがする。妻が先の入院中、だれかれとなしに懸命に救いを求めていた。願いを聞いて貰えたと感じている。
2017 12/17 193

☆ 白楽天に聴く  「劉十九と同宿す」

紅旗破賊は吾が事に非ず
黄紙除書に吾が名は無し
唯だ嵩陽の劉處士と共に
棋を囲み酒を賭け天明に到らん

「黄紙除書」は軍功による昇官を通達の任命書。定家卿の「紅旗征戎は吾が事に非ず」の原典。
今日終局の戦争では 紅旗も歓呼も吶喊も死闘もなく、核爆弾でカタが付いてしまう。「棋を囲み酒を賭け天明に到」って倶に果てるか。
2017 12/18 193

☆ 白楽天に聴く  「香鑪峰の下 石上に題す」

日高く睡り足るも猶ほ起くるに慵し
小閤 衾を重ねて寒さを怕れず
遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香鑪峰の雪は簾を撥ねて看る
匡廬は便ち是れ名を逃るる地
司馬は仍ち老いを送る官為り
心泰らかに身寧きは是れ帰處
故郷は独り長安に在る可けんや

匡廬とは、私も小説に書いた「廬山」の呼び名。司馬とは、政治犯に与えられている官職で、待遇はあるが職務は無い。けっこうなこと。
わざわざ故郷へ帰ろう帰ろうというでなく、「心泰らかに身寧きは是れ帰處」なにも「長安(京都)」だけが故郷ではあるまい、と。この東京には遺愛寺も香鑪峰も無く、核爆弾の懼れは杞憂とは見過ごせない難儀な都であるが、幸い目下の所「日高く睡り足るも猶ほ起くるに慵く 小閤 衾を重ねて寒さを怕れず」に居れるのは幸せなこと。
2017 12/19 193

 

☆ 白楽天に聴く  「江南謫居  抄」

澤畔 長き愁の地
天邊 老いんの身
蕭條 残活の計
冷落 舊交の親
草合して門に径無く
煙消えて甑に塵あり
憂へて方しく酒の聖なるを知り
貧して始めて銭の神なるを覚ゆ
虎尾は足を容れ難く
羊腸は輪を覆し易し
公蔵と通塞と       行蔵 は 出仕退隠 通塞 は 運不運
一切 陶鈞に任す    陶鈞 は製陶の轆轤 転じて 造物主を謂う

「一切任陶鈞」とは、まこと願わしく到りがたい境涯。斯く在りたい。
2017 12/20 193

* 昨日、原稿依頼が舞い込んだ。以来原稿を断り続けて近年はまったく影もなかったのに。
「平成」がやがて改元される。「平成」時代を顧みよと、用紙二十枚が宛行われてある。原稿料は無いも同然、一頃の一枚分稿料にも足りないが、それは気にしない。書けるかどうか。書いてみたいか、どうか。

* 機械の変調、辛うじて身を躱したが、不安定限りなく。
2017 12/20 193

 

* やそふたつ積んで壽(よはひ)を手に享けつ
日光(ひかげ)しづかな朝の狭庭に

* 九九と覚え上なき数の八一に
一つ上越す冬至生まれぞ        恒平

* 長寿を祝う故国近江の名酒「金亀」を盃に、妻が心づくしの赤飯と吸い物で、ささやかに朝食。

☆ 白楽天に聴く  「食後」

食 罷りて一覚の睡り
起き来たりて両甌の茶
頭を挙げ日影を見るに
已に復た西南に斜めす
楽しき人は日の促(はや)きを惜み
憂ふる人は年の賖(なが)きを厭ふ
憂ひ無く楽みも無き者は
長きも短きも生涯に任す
2017 12/21 193

* 京の華さんから、抹茶とお菓子を戴く。いつもいつも、戴いている。京都の、東山区のいろんな地図を送って下さる。地図があればわたしはいくらでも好きなままに歩き回れるのだ、京都なら。昔の京都が目に、脚に、肌によみがえる。
いま無性に、小松谷正林寺界隈へ思いが走る、しかも森々とした夜景に。わたしの小説がその辺で迷子になっているのです。
2017 12/21 193

☆ 白楽天に聴く  「冬至の夜 家を思ふ」

邯鄲客裏 冬至に逢ひ
膝を抱き燈前影身に伴ふ
想ひ得たり家中夜深けて坐し
還た應に遠行の人を説着すべし

* 久しくかかる「旅客」となっていない。わたしがもし旅にあらば、留守の妻は独り、話し相手も無い。
2017 12/22 193

☆ 白楽天に聴く  「晏坐閑吟」

昔は京洛聲華の客為(た)りしも
今は江湖潦東の翁と作(な)る
意気銷磨す 群動の裏(うち)
形骸変化す 百年の中(うち)
霜は残鬢を侵して多くの黒無く
酒は衰顔に伴ひて只だ暫く紅し
頼(さいは)ひに禅門の非想定を学び
千愁 萬念 一時に空し
2017 12/23 193

* 「ある寓話」に、夕方から取り付いていた。
自分からふっかけた難儀な問題をどうかして解いて細道を通り抜けねば。作中にもう一つ新しい別の物語を組み込もうというのだ、ブチコワシになるかも。
八時半。しんどい。
2017 12/23 193

☆ 白楽天に聴く  「眼花を病む」

頭風 目眩 衰老に乗じ
秖(た)だ増加する有り 豈に瘳(い)ゆる有らんや
<春秋左氏傳に云ふ 加ふる有りて瘳ゆる無し、と>
花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り    花 霞み目
柳 肘上に生ずるは亦た須く休すべし    柳 瘤
大窠の羅綺は看て纔かに弁じ    大柄で綺麗な模様は見わけられても
小字の文書は見て便ち愁ふ
必ず若し黒白を分かつ能はざれば
却て應に悔無く復た尤め無からむ

いささかヤケクソだが、いまのわたしの頼りない霞み眼に、そのまま。ああ。
2017 12/24 193

 

☆ 白楽天に聴く  「四雖を吟ず 抄」

酒 酣の後
歌 歇む時
君に請ふ 一酌を添へつつ
聴け 我の四雖を吟ずるを
年 老ふと雖も
命 薄きと雖も
眼 病むと雖も
家 貧しと雖も
躬を省み分を審らかにすれば何ぞ僥倖
酒に値(あた)り歌に逢ひ且つは歓喜す
榮を忘れ足るを知つて天和に委ね
亦た應に生生の理を尽すを得べし

* 年越えの借財なく、穏やかに新年を待つのみ、とはいえ、まだ雑煮の白味噌が買えていない。
2017 12/25 193

☆ 白楽天に聴く  「遇吟」

人生は変改して故(もと)より窮まる無し
昔は是れ朝官 今は野翁
久しく形を朱紫の内に寄せ        朱紫は身分高い官僚の衣
漸く身を抽き蕙荷の中に入る       蕙は香り草の帯 荷は蓮華の衣
情無き水は方円の器に任せ
繋がぬ舟は去住の風に随ふ
猶ほ鱸魚(ろぎょ)蓴菜(じゅんさい)の興有り
来春は 或ひは江東に往かんと擬(ほっ)す

* 白楽天に向きあっているだけで、ほかに何を云う必要も無く思えてくる。
不愉快とも、向きあわねばならぬ例はある。が、そんな必要の全然無い不愉快とも顔をつきあわさねばすまない「現実」がある。
いま、新聞は、眼の弱さもありほぼ全く観ていない。何の不自由も無い。この上に、テレビ番組の九割がたを見え無くし
、観たい番組だけは予約録画できたら、暮らし気分、よほどスッキリする。それほど不快、不出来な喧しい、下品に低俗なドラマや阿呆な喋くりばっかりが多すぎる。
2017 12/26 193

* 撫でた程度だが小説を少し動かした。
入浴し、大石と遙泉院南部坂の別れを見届けておいて、明日の、今年最期の聖路加受診に備えている。済めば、風邪を引き添えぬうちに休みたい。
2017 12/26 193

* 「能の平家物語」を通過し、いよいよ「茶ノ道」へ入ってきた。若返って行く心地がする。
2017 12/26 193

☆ 白楽天に聴く  「任老」

愁へず 陌上に春光尽くるも
亦た庭前日影ただ斜めなるも
面は黒く眼は昏く頭は雪白
老い應に更に増し加ふ無し
2017 12/27 193

* 大忠臣蔵 ついに吉良上野邸の表門、裏門から討ち入った。やはり、泣けてきた。わたしは忠臣蔵に弱い。ただ仇討ちではなく、吉良の首は「公儀(お上) への一戦」という、それだけで、わたしは彼ら義士たちの(たとえ架空の外伝だくさんであろうとも、)身を粉にした總力・盡力の精華を全肯定したくなる。い わば日本の庶民の応援したくなる懸命の行動であったのだが、その「応援」は実は情けなくもめったに政治面で実らない。あいかわらず「公儀・お上」サマサ マ、ただ追随し、ついには疑念さえ持たない・持てない国民性と下落している、情けない。
2017 12/27 193

☆ 白楽天に聴く  「冬日に負ふ」

杲杲として冬日出で       杲杲 日の出の明るさ
我が屋の南隅を照す      古詩には 我が秦氏の楼を照らす と。
喧を負ひ目を閉ぢて坐せば
和気 肌膚に生ず
初めは醇醪を飲むに似て
又 蟄する者の蘇るごとし
外は融けて百骸暢び      骨という骨がほぐれ
中は適ひ一念も無し       安らかで雑念も無い
曠然在る所を忘れ
心は虚空と倶たり

* 斯く在りたいが。あまりに、私、愚劣。
2017 12/28 193

* 「大忠臣蔵」 ついに吉良上野を討ち果たし、公儀の片手落ちに堂々の抗議を唱えた。わたしはひれで良かったと思っている。四家預けの真意は分からない が、切腹は、それ以外に無かったかと。テロリズムと非難する向きもあろうけれど、史実として、もっとも健康に。もっとも感銘深く長生きした反体制事件とわ たしは受け取る。
2017 12/28 193

* 選集台二十四巻送り出し(一月十九日)用意に、掛かっている。追われると落ちつかなくなる。

* 「或る寓話」を、大結びして行く「結び目」に一と綾をと工夫している。
2017 12/28 193

 

☆ 白楽天に聴く  「履道の居 其の一」

嫌ふ莫かれ 地窄く林亭小さきを
厭ふ莫かれ 貧家 活計微なるを
大いに高門有るも寛宅を鎖し
主人老いに到るも曾て帰らず
2017 12/29 193

☆ 白楽天に聴く  「北窓の三友  抄」

今日 北窓の下
自ら問ふ 何の為す所ぞ
欣然 得たり三友
三友 誰とか為す
琴罷めば輒ち酒を挙げ
酒罷めば輒ち詩を吟ず
三友 逓ひに相引き
循環して已む時無し

詩を嗜むは淵明あり
琴を嗜むは啓期有り
酒を嗜むは伯倫有り
三人は 皆な我が師

三師 去て已に遠く
高風 追ふべからず
三友 游 甚だ熟し
日として相随はざる無し
2017 12/30 193

☆ 白楽天に聴く  「洛陽に愚叟有り  抄」

洛陽に愚叟有り
白黒 分別無し
浪跡 狂に似たりと雖も
身を謀る 亦た拙ならず
盤中の飯を点検すれば
精に非ず亦た糲に非ず
身上の衣を点検すれば
余り無く亦た闕くる無し
天の時 方に所を得て
寒からず復た熱からず
体氣は 正しく調和し
飢えず なほ渇せず
眼を放ちて青山を看
頭は白髪生ふに任す
知らず天地の内にし
更に幾年活くを得ん
此れ従り身を終ふに到る迄
尽(みな) 閑日月と為さん

* 好縁を得てしばらくの間、白楽天に聴き続けてきた。
境涯遠く及ばないが、歳末、ただ懐かしく「洛陽の愚叟」を懐うて、新年を迎えたい。
2017 12/31 193

* 体感宜しきを得ず、見にくい目のまま懸命に難しい道をくぐるように小説を書き進め書き直し、呻いていた。それはそれで、最も賢い「時間との馴染みかた」なのだ。
2017 12/31 193

* 特別大晦日のようにも過ごしていない。八時過ぎたし、ま、やすもうかと、思いつつ「選集第二十七巻」に宛てても良い「編輯」手始めを順調に終えた。機械の中に往時の全仕事が幸い整備保管できていることの有り難さを思う。
来年も、なんとか無事に仕事を続けたい。

* 九時半。さ、階下へ。美味い酒をすこし飲んで、やすみたい。源氏物語の、版を異にした二册、泉鏡花選集の「芍薬の歌」、筑摩版現代文学大系、四女性作 家らの最後の巻、音頭大系、その他の資料類を枕元に積んで読み継いでいる。三十二巻の「絵巻全集」の全月報は大満足して読み終えた。
機械の側でも、白楽天や陶淵明の詩集を愛読中だが、明日の元日からは、またバグワンを読み返して行きたく思っている。

* ではでは。新年には是非新作の小説に自身納得したい。
2017 12/31 193

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