ぜんぶ秦恒平文学の話

文学作法 2018年

☆ バグワンに聴く  『般若心経』より

おまえはそれに気づいていないかもしれない。
自分がひとりのブッダであるなどとは
それは源であり
目的地でもある
ところが、おまえは眠りこけている

* いろは歌の結びに
あさきゆめみし
ゑひもせす
と有る。はかない夢をみたよ 酔いもしないが と読みやすい、が
浅き夢見じ
酔ひもせず
と、前句は否認・否定とわたしは読んでいる。
生きて今在ると思う、それが浅はかな夢であり、覚めよと教えられている。
この感懐のもっとも自覚的に熱く世を蔽おうとしていたのが、俊成が選した千載和歌集の時代かと眺めている。夢から覚めようと願う歌、夢だ夢だと自覚している歌が、秀歌が、かなりの数見受けられて、選歌していて何度もほろっとも、はっともして頭をたれた。

* 夢の大安売りは人の世の軽率な早とちりである。夢に浮かされず、覚めて励むのが本筋である。
2018 1/1 194

四体 誠に乃(すなは)ち疲る
庶(ねがは)くは異患の干(おか)す無からんことを
盥濯 簷下(えんか)に息(いこ)ひ
斗酒襟顔(きんがん)を散(さん)ず     陶淵明

* 昨日 夢 に触れてものを言った。正覚という到達の此岸に 夢 がある。生あるものの現世は夢であるのに気がつかず人は生きていると教えられてはいて も、容易に夢から覚め得ない、正覚に達しない。往時の知識人達は男女の別なくそれを識ってはいたが、夢から覚めることはめったに出来なかった。出来ない、 出来ないと歎く声は、物語にも、日記にも、ひときわ多く和歌集に見られ、わたしの見るかぎりもっとも本心から歎いていたのは千載和歌集での歌人たちであっ た。この和歌集の真率な魅力は、遺憾にも現世の夢から覚め得ない人たちの肉声を響かせる哀れにある、あるのではないか。わたしの『千載秀歌』選には多くそ ういう歌を拾ったのは、わたし自身の根深い願いの反影であるだろう。

おどろかぬ我心こそ憂かりけれ
はかなき世をば夢と見ながら  登蓮法師
* 「おどろかぬ」は目が覚めぬの意。なさけない、夢うつつに生きたままでは。

夢覚めむそのあか月を待つほどの
闇をも照らせ法のともし火    藤原敦家朝臣
* 現実現世も迷夢に過ぎぬとは、だからその迷いの闇の「夢」から覚めよとは。

人ごとに変るは夢の迷ひにて
覚むればおなじ心なりけり    摂政前右大臣
* 憂き世のことはみな「夢の迷ひ」。正しく覚めたなら等しく仏に成れる。

つくづくと思へば哀しあか月の
寝覚めも夢を見るにぞありける 殷富門院大輔
* 寝覚めも夢。その夢から真に覚めよと。それが本覚、正覚。
だが此の世からの真の寝覚めこそが難しい。哀しい。

* ただ悲観的な自覚でなく、それぞれの立場から、「夢」の浅さを覚悟しているのだと思う。
あの、いろは歌 の結びを「浅き夢みし」でなく、「浅き夢見じ」の強い否定でわたしは読んできた。
ブッダフッドは 「夢」のなかには無い。それでも夢を生きて行く、夢に浮かされずに。
2018 1/2 194

 

賀正  今・此処をつひの栖ぞ 松立てて    恒平

人生とは八十年、百年 「今・此処」の現時に尽きている。「今・此処」が「つひの栖(すみか)」に他ならない。
2018 1/3 194

 

* ほぼ終日、「ある寓話 ユニオ・ミスティカ」の結びに目を皿にしていた。
もう二、三、前半に、また後半に、巧く加えたい、容赦なく削りたい箇所がある。根気があれば、程遠くなくゴールインが見えてくるだろう。
2018 1/3 194

* 入浴中に寒気がして慌てた。しっかり漬かりながら校正していた。湯も熱かったはずだが。汗を出している内に急いで出て、しっかり厚着し、うまい酒の一 升瓶をあけて気に入り唐津のぐい飲みで一合余を飲み干した。選集今回の校正は、われながら面白くて楽しい。
「茶ノ道廃ルベシ」は、「花と風」「手さぐり日本」「女文化の終焉」などと並んでとびきり若書き一冊だ が、おそらく現代茶道に論及してこれほど的確に批評し切れたどんな類著も無いとわたしは確であると共に、「日本史に学ぶ」「洛東巷談」らとも共に、まさしく「秦 恒平の思想書(エッセイ)」の中核に成っている。他に類のない論攷かつ提言と成っている。そう信じている。
「茶ノ道廃るべし」はむかし北洋社から出版して版を重ね、講談社版に転じても詠まれたが、二度とも、 かなりきつい茶の湯業界の締め付けが来た。ついには版を絶たれてしまった、が、それでもよく廣く今にも記憶され、愛読しまた刺激された読者が多かった。今度「選集」の一部に入るけれども、単独で再刊されても、「ちくま少年図書館」もそうだが、毫も 古びないまま新鮮な訴求力を示せると思うのだが。
2018 1/3 194

☆ 水鳥を水のうへとやよそに見む
われもうきたる世をすぐしつゝ   紫式部
* 水鳥もわたくしも一緒ですよ、浮いた憂き世を漂っていますよ。

紫式部には、こういう「内省」の和歌がまま見受けられ、そのまえにじっとわたしを佇ませる。

* 階段脇、壁際三分の一には近刊の「湖の本包み」が幾重にも積まれ、上がりきって二階窓際廊下にも文庫本新書本だけでなく雑多に単行本も置かれてある。 目につくところに『マゾヒストMの遺言』と題した沼正三の一冊があり、手にとってきた。沼正三の名も人の記憶に遠くなったか知れないが『家畜人ヤプー』の 作者だった。わたしは作家になってまだまだ駆け出しの頃に、世に鳴り響いたこの謂わば「神話」のごときマゾヒズムの名作の全書版を、著者が「会心」と喜ん でくれた「書評」を書いている。なまじいに昨夜作者に阿るような書評をわたしは書かない、書いたことがない。よく読み込んで、いいものはいい、つまらぬも のはつまらないのである。
手に取った上記本の表見返しには「秦 恒平様  沼正三」と自筆され、さらに便箋一枚に大きく書かれた手紙が挟まっていた。ちなみにこの『マゾヒストMの遺書』は2003年夏に筑摩書房から出 ていて、はや「遺言」とあるように晩年の著、あの『家畜人ヤプー』が初めて出た頃から半世紀近くも経っていた。幸いにわたしも、なお作家生活が出来てい た。見る人によっては貴重、というのも、伝説に彩られ忍者のようにながく正体を秘し隠し、人も探索に走ったほどの「沼正三」自筆の手紙である、掲げてお く。

☆ 秦 恒平様
冠省  いつもながら御高著御送付頂き 遅ればせ乍ら御礼申し上げます。なかなかの労作で敬服致しております。
ただ 何故 御高名な秦様が、私如き怪しき物書きに、かほどまでご興味をお持ちなのか解しかねます。
さて返信代りに、私の自伝兼あの頃の時代史をかねた拙著上・下二巻本 お送りします。御笑覧あらば幸甚に存じます  敬白

* 即ち 沼さんのこの手紙は上記「遺書」本にでなく、「天野哲夫」名儀で書かれた大著『禁じられた青春』上下に添って届いたものだった。「天野哲夫」と いう氏名は新潮社の編集者としての本名?で、久しく作家「沼正三」の「代理人」と称し称されていたが、上の「遺書」本にも証すように同一人格なのであり、 此の『禁じられた青春』は、(誤解されては困る。一の「表現」と受け取って欲しいが、)さながら自爆テロリストが躰に巻いた爆薬のように熾烈な筆致・筆触 で実に多くが書かれてあり、「驚倒」という実感は、あの『家畜人ヤプー』でのそれと同質だった。

* たしかに沼(天野)さんが怪訝に思われたほど、この人(たち)とわたし・秦 恒平とに共通点も所縁も無かった。ある対談の中で天野さんと対談者とが、二人してわたしの名前と小説「蝶の皿」とを挙げながら、「この人(=秦)は真正マ ゾヒストですよ」と言い合っているのを見つけ、大笑いしたことがある。わたしは、マゾヒストでもサディストでもない、ただの平凡人である。ただ、マゾヒス トだサディストだと決め付けて人を謗らず、「表現」が良ければ良いと認承できる、する、だけのこと。あの沼正三『家畜人ヤプー』を大きく「創成神話」とと らえて愛読を重ねてきたのも、「過激な逸脱者の目」と謂われた天野哲夫の「青春」から目を逸らさなかったのも、それであり、それに尽きている。

* 毎日日の階段の上り降りが書かせた一文として、記録しておく。
2018 1/4 194

☆  いよよ華やぐ命なりけり
小説が書かれ読まれるのは、人生がただ一度であることへの抗議からだと思うーー
暮れに読んだ本にそう書かれていたのが、心にかかっています。
また別の本には、
分析的な論理ではどうしても言い表せないものがなければ批評の文章は出来ない、まず感動がなければ自分の批評はなかった、と小林秀雄は語ったーー と。  九

* 「文学」を研究している人のお便りとしては、もの足りない。顧みてただ他を語っており、自身の立ち位置や反応や見識が伝わってこない。取り立てられた言葉とて、もの思いつつ文学や表現に向きあっている身には、新しくも刺激でもない。
だからどうだというのですか、そこが聴きたい。

* 「卒寿とはこんなものかと首かしげ」と川柳のつもりらしく、妻はおもしろいと謂い、よたしは言下に否認した。「こんなものか」と「首かしげ」とはおな じ意味の重複である。短詩型がこんな鈍いこと経をやっていては困る。ただしわたしは「卆壽」にまだほど遠く、「こんなもの」も「どんなもの」も判らない。

* 「三軆千字文」を手にとってぱらぱら見ていて「知過必改 得能莫忘」(であろう)対句を見つけた。「知過ぐれば必ず新ため 能を得れば忘る莫れ」とでも読むのか。米寿過ぎて「知」は目減りの一方、新たな「能」はとても覚えられない。と謂いつつ、「からだ」の正字に「軆」と「體」のあるのを今知った。使い分ける機会も有るまいが。 わたし、今、煙草吸わない一服中です。

* へんに寒む気を感じる、ときどき。熱があるのか、気もつかず腕まくりしたりしている。
2018 1/4 194

* フローベールの『紋切型辞典」は、フラッと手を出すに恰好の辞典。
「アメリカ」 世間の不当さを示す好例。 それでも、とにかくアメリカを称賛すべし。特に行ったことが無い場合には。 そして、自治 self-government について長広舌を振るうこと。
とある。 「アメリカン ファースト」と巻き舌で叫ぶあの男の顔が目に浮かぶ。しかし、
「愚か者」 あなたと同じ考えを持たない人のこと。
とある辛辣は、聴くに値する。
2018 1/6 194

* 選集第二十七巻を編成し終えた。またも五百頁を越す大冊になる。面白い佳い一巻になって呉れるだろうと、私も楽しみに待つ気持ち。
2018 1/6 194

* 台所で、「千載秀歌」を克明に二度目の初校。千載集は勅撰和歌集だが、そ こから秀歌を選び抜いて補注と感慨を加えるのは茂吉の『万葉秀歌』と同じく、私の気の入った仕事、仕上げたのが平成十二年正月人日(七日)、聖路加の人間 ドックで胃癌と診断されて二日後であった。その正月七日晩の写真が撮れていた。体重87キロ近かった。六年過ぎ、この間、一度も新幹線に乗っていない。今 朝の体重は、67キロ。
2018 1/8 194

* 外へめったに出ないので厳しい寒さも、知らずにいる。烈しいと謂えるほどの喉の渇き、胸の灼けに悩んだりしているが、水分や青汁や野菜ジュースで対抗 しながら、仕事している。だんだんに選集は収束へ向かって行く。長編の新作は、一つは「脱稿」と呼べる少し前まで来ているが、売り物にはとうてい危ない作 なので、先行きが見えない。。
もう一つは、せめて瀬戸内海の景色を実の眼で瞥見なりしたいと願うのだが。小さく収束してしまうかどうか。ま、粘ろう。
2018 1/13 194

* 古井由吉氏の「妻隠(つまごみ)」という粋な題の作を読みはじめた。「八雲立つ出雲八重垣妻隠みに」が初出の古語、いまわたしの書いている長編『ユニ オ・ミスティカ』の初章見出しに「八重垣つくる」を用いていて気を惹かれた。古井作は昭和四十五年(一九七〇)十一月群像に発表とある。わたしは同じ年の 二月「畜生塚(新潮)」三月「秘色」(展望)六月「或る『雲隠』考」(新潮)を発表し五月には単行本『秘色』を筑摩書房から出していた。前年には『清経入 水』で受賞し、翌月には『蝶の皿』(新潮)を発表していた。
斯くも麗々しげに同時期の自作を挙げてみたのは、「ああそうか、<小説>とは、この古井さんの『妻隠』のように書かれた物で、当時のわたしの、いや今日 に到るまでわたしの全ての創作は、「物語」と受け取られてきたんだろうなという、あまりに遅幕な思い当たりを真実笑いたかったからである。
わたしの受賞第一作『蝶の皿』は「新潮」の新人賞特集に並べられたのだが、あのときの絶望的な衝撃は忘れられない、わたしは即座に「作家、さよなら」と 手記を書いて、このような文壇ではやって行けないと諦めたものであった。わたしは小説家には成れない書き手だと刺されるように感じた。
古井さんの「妻隠」を、同じ大系版の二段組み七頁分まで読んできて、上の思い出と只今の感想とで、まさしく笑いだしてしまったのだ、そうか、小説ってこういうふうに書くんだ、と。
ただ、こうは言うておきたい。わたしは、谷崎や鏡花や荷風や川端や三島ばかりを愛読したのではなかった。藤村、漱石、鴎外、露伴、花袋、直哉、秋声、龍之介なども十二分に愛読できた。
けれど、なぜか佐藤春夫の「田園の憂鬱」「都会の憂鬱」は読み進めずに投げ出したのを想い出す。佐藤の他の作はそうでもなかったのに、著名な上記二作には、文学の「文章」は確かに在り、しかし、いつまでも物語が、いわゆる文学としての筋が、「展開」しなかった。
「作家さよなら」は、結局 わたしを「騒壇」の外へ自ら押し出したことになる、が、その実はその「騒壇」でこそ、わたしの厖大な依頼原稿の山は築かれて いたのだ。要するにわたしは、自分の願のままに創作し構想し出版したかったのだと思い当たる。わるい意味でもいい意味でもわたしは頑固で、たぶん時には頑 迷であったのだろうよ。
2018 1/14 194

* 書かれていない、少なくも適切な説得力および明敏な読書力を持しては書かれていない現代文学批評の「大きな主題」がある。在ると、わたしは感じて、観て、待っている。
だが、誰に出来るのだろう。生きているうちに誰かの立派な達成に出会いたいが。
昔なら、この人なら、と信頼できる「文学」的な書き手、目配りの確かな人が何人もいた。「文学」業績と呼べる「大きい深い文学論」が幾つも出たものだ。作家からも出たものだ。
この三十年、そういう成績に出くわしたことがない。研究者も文学者も 穿鑿と思いつきに埋没してほとんど渙発力も発信力を持てていない。寂しいことだ。
2018 1/15 194

* 選集の新巻編輯で、苦心惨憺。内容と頁数との兼ね合いは無視できず。かなり長時間唸っていたが、決せず。
2018 1/16 194

* 選集第二十七巻を、表紙、口絵、總扉、奥付を除いて全部入稿した。
わたしの、小説を含めて自発的と心している仕事は、「死なれて死なせて」「身内 島の思想」「花と風」「平安女文化」「中世論」「谷崎論」「藝能 茶の 湯・能」「古典と和歌」「ことば、京言葉、からだ言葉 こころ言葉」「差別批判」そして「京都論」という風になる。もうかなりの範囲を選定し収録した。予 定ではあと六巻。大量の文章がとり残されるだろうが、創作、詩歌・美術、講演・対談等、各般随筆選、年譜年表などまで、ハテ、手がうまく廻るか。執筆年表 がとてもわたしの手で纏まりそうにないが、記録は、九分半まで出来ている。
わたしの後半生の文学活動が一貫して電子メディアの利用によって捗ってきたことも忘れがたい。
健康と体力への不安がいつも忍び寄ってくる。今生を楽しみたい希望も失せ果ててはいないが、時間が足りそうにない。選集のためにはあとどうしても二年は 取り組まねば。湖の本の材料は、まだ二十巻分はラクに編めるが、からだとアタマとが追いつくか。脳のほころびはじりじり拡がっていると実感している。
2018 1/17 194

* 友人の「王十八の山に帰るを送り、仙遊寺に寄せ題す」とある白楽天の詩を、なつかしく読んだ。「仙遊寺」は、わたしが高校時代にどっぷり浸って、寺内の来迎院を舞台に処女長編『慈子 斎王譜』を書いた京の御寺(みてら)「泉涌寺」の前名または異名である。

曾て太白峰前に住し
数(しば)しば仙遊寺裏に到り来たる
黒水澄みし時 潭底出で
白雲破るる処 洞門開く
林間に酒を煖めて紅葉を焼き
石上に詩を題して緑苔を掃ふ
惆悵(ちふてふ)す 舊遊 復た到ること無く
菊花の時節 君の迴るを羨む

* なんと、懐かしい。なんと、羨ましい。
たしか高倉天皇は「林間に酒を煖めて紅葉を焼き」の心情から、衛士が帝愛玩の紅葉を焼いたのをゆるされた。
わたしは、ただただ泉涌寺が懐かしい。帰りたいのだ。
「黒水澄みし時 潭底出で  白雲破るる処 洞門開く」と。泉涌 来迎。
どんなに愛したろう、あの清寂を。

* 小説を書き継ぎたくて機械へもどっても、眼の不自由でよぎなくまたまた中休みしなければならない。仕方ないと諦めながら、想いついたり、思案したり。『ある寓話』の発端など、かなりに手を加えた。
2018 1/21 194

* 大事な捜し物をしながら、この機械の四面の極み無き混雑をすこしでも新たようと苦心惨憺したが、埃は舞い、労のみ重なって、効は無し。今さらに無用のものの多いことと棄てがたいこととに愛想も尽きて呆れるばかり。
それでいて、オオッとばかり久しぶりに目に入った材料に刺激されて「書きたく」なる。これ、書き上げるまで命があるだろうか。このごろはコレがついて廻って、情けない。
2018 1/21 194

 

* 筑摩の大系、古井・黒井・李・後藤篇の「解説」を担当されていたのが、川島至さんだった。川島さんは、わたしを、江藤淳の後任に東工大教授として呼んで呉れた当時の主任教授だった。
川島さんには、ごく早い時期に親切な書評を何度かしてもらっている、「異端の正統」というとらえ方だった。わたしは、作家としての出だし、盛んに「異 端」と謂われた。「清経入水」も「蝶の皿」も「畜生塚」も「慈子」も「秘色」も「或る雲隠考」も、みな「異端」といわれ、しかし同時に「美と倫理」の作風 とも評され、それなりに文学の「正統」を体しているというフクザツな受け取られ方だった、よく。
ビックリするが、わたしのような作風の作家は、当時同時代にほかに見当たらなかった。
今一つ、早くからわたしの作で際立ったのは、「美と倫理」の文学と受け取られながら、今日で謂う「不倫」の愛が何のためらいもなく書き継がれていたこと。不倫小説と謂われた覚えはなく、まだ「不倫小説」と批評される作もめったに無い時節だった。
わたしは、不倫などという批評のされ方はしなかったが、一作家としては、直哉も潤一郎も、藤村も漱石も、荷風も鏡花も必然の作風と共に不倫を書いてい た、書かない人は少なかったと自覚していた。当然だった。夏目漱石は「門」の中で、「誠」という物言いと共に主人公達の不倫の愛に深い意義を与えていたの である。
2018 1/21 194

* 雪降り始めたなかを自転車で、郵便局へ。積もってしまうと走りにくい。
用は握らず、先へ渡せと、会社のころから思ってきた。仕事とは「向こうへ片づけること」とも。
それでも手元に用事は溜まる。八十路を歩いて様態は同じ、とは。

* 古井由吉作「妻隠」を読み終えた。なによりも「文学である文章」に敬服した。わたしはこういう小説はまず今後も書くまいが、こういう「小説」が書かれ うる文学の可能性は嬉しく信じたい。解説者の川島至さんは古井文学には「作者」が存在しない、作に作者が干与しない稀有の文学といわれているが、「妻隠」 は、自筆年譜にもいう保谷在住新婚頃の古谷氏を髣髴とあらわしていると読めた。一つには、極くまぢかい同時期に、ほとんど様子も違わない間取りの社宅で、 ま、新婚の頃を暮らしていたから、その類似親近感に引っ張られて読んだせいかも。古井由吉、黒井千次、坂上弘といったわたしと同世代作家達が「内向の世 代」と評されていた作風としての「内向」へはわたしは向かわなかったと思う。わたしがもぐり込んだのは、歴史や他界をふくんだ「時空間」だったと自覚して いる。

* 片づけている内に手に取り、「承久記」と関連資料に読み耽っていた。「初稿・雲居寺跡」が露呈しているようにわたしは源平闘諍の十二世紀にも匹敵して承久の変に関心が深かった。「京都」の歴史的運命を変えてしまった遺憾な「変事」という思いが少年時代からあった。
その一方でというか、同様にというか、わたしは「秘色」や「蘇我殿幻想」や「みごもりの湖」や「風の奏で」でも、上古・古代の「変」事を繰り返し書いて きた。「変」は、新井白石の歴史観の骨格・結節を成している重要な概念で、白石好きなわたしはこれをよほど早くから「意識」し、小説の話材を探索してきた のだ。承久の変こそは古代が中世へ変貌する厳しい契機だった、わたしは、せめて『初稿・雲居寺跡』にそこそこの「結び目」をつけてやりたいのだ、が。
時間が、欲しい。
2018 1/22 194

* やがて十一時。「ある寓話」を、巻き返し前進させておいて、機械から離れよう。
2018 1/22 194

* 気に掛けている或る京都市内の一地点周辺の地図にこのところヒマをみては見入っている、その関連の捜し物に苦慮もしているが、いろんな想像の、それも恐ろしげな繪が、脳内にうち重なって見えてきている。役に立つかなあ。
2018 1/23 194

* 相変わらず「口説音頭」も愛読し続けている。どういうものかと、判らぬまま気に掛かる人もあろうか。滋賀県米原町に伝わる「一谷嫩軍記」の(二)のアタマをちょっとだけ書き写してみよう。

ちょいと出ました私が
遠い昔の祖先より
歌い継がれた磯節を
不便ながらもつとめます
老若男女の隔てなく
どしどし踊って下されや
お願い申して皆様へ
早速ながらであるけれど
読み上げまする題目は
摂津にては一の谷
二葉の軍記の末期をば
悪声ながらもつとめます
途中さ中でわからねど
さても熊谷直実が
敦盛卿に打ち向い
これはしたりや御大将
そもそれがしと申するは
ちょうどあなたと同格の
せがれが一人有りつるが
その名を小次郎直家と
今朝東雲の戦いに
一生懸命働きしが
まめな三郎の放つ矢来たり
右のかいなに突き立てば
直ちに陣屋に立ち戻り
父上抜いてとあるゆえに
すでに抜かんとなしけるが
右や左を眺むれば
皆歴々のお方なり
卑怯見せては一大事と
わざと声は張りあげて
あいやいかには小次郎よ
戦の半ばであるけれど
たとえを引くではないけれど
それ鎌倉の権五郎(ごんごろ)は
奥州栗谷川の戦いに
鳥の海の放つ矢来たり
左の眼へ突き立てば
血潮の流るるそのままで
その矢を抜かずに権五郎
七日七夜がその間
敵を追いかけ回してぞ
ついに勝利を得たとあるに
わずかな手傷を苦に病んで
父親抜いてと言うような
畢竟か弱い小次郎は
我が子でないぞや小次郎よ
七生涯の勘当だと
叱りつけるなら小次郎は
父上さらばおさらばと
又も戦場におもむきしが
功名立てしかただし又
討死せいかいかがぞと
三千世界を訪ねても
親の心は皆一つ
経盛様(=敦盛の父)はさぞ今頃は
どこにどうしているじゃろと
お案じなさる必定なり
幸いあたりに人もなく
落ちて恥辱にならぬ場所
いざ落ちたまえや御大将と
鎧の浜砂打ち払い
御大将を駒に乗せ
まびしゃく取れば敦盛は
これはしたりや熊谷や
さすればそなたの情けにて
卑怯のようではあるけれど
塩谷の里へ落ち延びる
熊谷さらばと敦盛が
駒の頭を立て直し
半段ばかりも落ちられる
それはよけれど皆様へ
誰知ろまいとは思いしに
これぞ源氏で名も高い
平山の武者所末重が
大音声は張り上げて
やーや熊谷直実や
捕えし敵の大将を
取り逃がすとは何事ぞ
熊谷次郎直実は
二心に極まりなし
熊谷もろとも召し捕れと
どつとばかりに押し寄せる
ここの収まりどうなりますか
読みたい(=謳いたい)けれども時間なら
又の御縁とお預り
ここらで止め置く次第なり

* 「どしどし踊って下されや」と口説き音頭をとって(うたって)いるのであり、本を「読んで聴かせ」ているのではない。盆踊りのような踊りの輪へ音頭良 くうたい口説いている。いま手にしている大冊の『音頭口説集成』第一巻にだけでももの凄い数のこういう「口説」が集めてあり、こんな歌舞伎の下書きのよう なモノばかりでなく、津々浦々の悲恋や邪恋や伝承や怪談や敵討ちや、また教訓や数え歌の類が満載されている。浪花節の何段階か前の未熟・杜撰も露わである が、まさしく「物語」のタネに溢れていて、それが一種の「歌謡」として音頭をともなって縷々口説かれ、「説経節」にまではまだまだ整備されていないけれ ど、まさしく文学・文藝と芸能との謂わば「未然形」を成している。
ほぼ何もかも言い尽くされたような文豪達のさらに枯れ朽ちた枝葉末節を掘り出しては、「ほぼ無価値に」穿鑿しつづける自称「研究」よりも、こういう未開 未萌の、荒れ地ではあるが萌え出ずる未萌の要素にみちた、荒野にして沃野へも着目して呉れまいモノかと、何の保証もなくて乱暴ながらわたしは好奇心いっぱ い外野で希望している。
2018 1/23 194

* 少年来袖珍愛玩の「白楽天詩集」七言律最初作のまさしく「詩の音楽」に惹かれる。多く、音読のままに読み下すのが快適。

☆ 正月三日閑行
黄鸝巷口 鴬 語らんと欲し
烏鵲河頭 氷 銷せんと欲す
緑浪 東西南北の水
紅欄 三百九十橋
鴛鴦蕩漾 雙雙の翅
楊柳交加 萬萬條
借問す 春風来る早晩ぞ
只 前日より今朝に到る

* 「興到りて筆之に随ふ自由自在の才及び易からず」と選者井土霊山が謂う、誠哉。再読三読、生気を覚える。
2018 1/25 194

* 雪は、降る雪も積む雪も、たしかに美しい。そのあとが難儀。
つい先頃、新聞に応挙の名品「雪松図」の写真が出ていた。此の作は応挙のと限らず、世界の絵画ともヒケをとらぬ名品と思っている。
松に雪…。書いている長い小説は「雪と松」の物語になる。

* 「平成は穏やかであったか」20枚の原稿を書けと頼まれ、断りそびれた。書き始めねばならない。

* 八時半、京は機械の仕事を長時間続け、もう眼は潰れている。
2018 1/25 194

 

* 二十四日深更 小学館本で夢の浮橋の巻まで『源氏物語』を、読了。同時に新岩波文庫版『源氏物語』では「花散る里」の巻を読み進んでいる。もう二十度を幾度か超えていよう。

* 後藤明生氏の「ひと廻り」を読み終えた。一種の文藝ではあるが作品に富んだ文学としての創作とは受けいれ得なかった。
井口さんに教わった古井由吉氏の「雪の下の蟹」が幸い筑摩の大系本に収録されていたので読みはじめた。まだ一頁ほどを読んだだけだが、この人の文学として文章は無用に浪立たずとても静かにしかも流暢、時に美しくすら感じる。おもしろく物語れる作家とは想いにくいが。
李恢成氏の「半ジョッパリ」は、読み進むに難渋はないが文学の文章に胸が波打たれるという気味ではない。想うまま書き進む手記のよう。
黒井千次氏の「時間」には乗って行けず、職場モノから抜け出た作をと物色中。

* この人たちの創作とくらべると泉鏡花の作は飛び抜け飛び離れてまばゆいほどの音楽を通俗も承知で奏でる。作者は酩酊しているわけでないが、読者は酔っぱらいそうになる。

* 優れた作家は、例外なく独自の文体を確保した文章家である。鴎外、漱石、藤村、荷風、鏡花、秋声、直哉、実篤、潤一郎、孝作、康成、由紀夫。こう書き並べて一人として曖昧に他と入り交じらない。斯くありたい。

☆ 和漢朗詠集 立春
池の凍(こほり)の東頭は風度(わた)って解け
窓の梅の北面は雪封じて寒し    藤原(菅)篤茂

* 「立春の所懐 藝閣の諸文友に呈す」とある。こういう慣いを持ち合ってのお務めであった。作者は藤原氏でなく菅原氏ではないかと想われる。それなら篤茂は道真の子である、が。
王朝の男子は、不可欠の能としてこういう文彩を磨いていた。女子には無い慣わしであった。光源氏や薫大将が「学」「文」と謂うときは概ね斯かる勉強の意味であった。
2018 1/26 194

* なにもかも煮詰まってきて、収束を急いでいるような気になるのは宜しくない。のほほんと、無遠慮に大手を広げた気分でいたいもの。

* バカな用事で、タクシーを呼び、田無の郵便本局まで往復した。
帰ってきて、栃の心平幕での初優勝相撲に盛んに拍手を送った。よしよし。
日本人でないからと海外からの力士達を露骨に差別しイジメたがる日本人識者達のねじけた空気、ガマンならない。

* 色川大吉先生に寝る前の読書、過ぎると眼をますます悪くするよと注意して戴いた。
今、順不同に新岩波文庫版『源氏物語』は「須磨」巻に入る。合わせて亡き島津忠夫さんの『「源氏物語」放談』を。これは強かに痒いところへ手の届いた「放談」めく研究成果本でありがたい。面白い。
ああもう何度、十何度目になるだろう、二十度めちかいパトリシア・マキリップの『星を帯びし者』をまたまた面白く、滑り込むように別世界へ歩を運び始め た。引き続いて三巻の相当な長編だが、一度は原作でも読んでいて、ほぼ隅々まで記憶しているが、愛読書とは、『源氏物語』も同じで、それでも読んで行って 新しい感銘も発見も得られる。
『家畜人ヤプー』の作者今は亡き沼正三の『マゾヒストMの遺書』がずんずん読める。読み終える頃にはぜひ『家畜人ヤプー』をわたしも書評した都市出版版の完成本で、数度目を読み返したい。
羽生清さんのじつに特異に構想構成されて多彩な挿絵意匠にも心惹かれる『楕円の意匠 日本の美意識はどこからくるか』を、再び、第一章「水辺葦 言葉の 霊」から読み進めて終えようとしている。神々の黄泉比良坂そして倭建の吾妻がたり。次の章は、伊勢物語の世界へ踏み込まれるらしい。世の才媛かとおぼしき 方、かかる詩情と洞察の日本論を書かれては如何か。
面白いのは、やはり鏡花の『芍薬の歌』 作風の違いを超え、「文学の文章」として昭和の戦後をあまりに温和しいが呼吸し得ているのは、筑摩大系本で今今読んでいるなかでは、古井由吉、竹西寛子、やや手荒いが富岡多恵子。
もう一冊は『口説音頭集成』です。とにかくも果てなく読みたくなり、わたしが選べばどの本も面白いのだから、処置無し。

* 加えて、私の「選集」の校正ゲラも慎重に読まねばならない。いま、第二十六巻を初校しており。もう明日にも第二十五巻の再校ゲラが飛んで来そう。

* しかし、なによりかより大事に頭も心も費消気味につかって連日呻いているのは、書き懸かりの小説の進行と成熟。そのためにわたしは癇癪玉を百も身に抱いたままでも生きている、毎日。
この日々の「私語」もまた掛け替えない相当量の創作のつもりでいる、ここにはウソは書かないが。
2018 1/27 194

* 「仕事」をし「居眠り」し、手近に在ったかなり昔の「新潮」に出ている大江健三郎の長くて覚えられない題の長編のアタマを読んでみたりしていた。むかし、 谷崎が怒気さえはらんで責めた大江産さんの悪文の悪弊も、外国語に翻訳されれば霧消してしまうはずと、わたしは感じも言いもしてきた。その実感を今日も もった。志賀直哉のみごとな日本語も外国語に翻訳すれば少年の「綴り方」だとドナルド・キーンさんが言うていたのの、ちょうど裏返しになる。「飜訳」には 必ずそういう問題がついてまわる。物語というか面白い話題・話材が退屈なく展開しない限り、身辺日常をただきざみ上げた日本語で名文の私小説は、外国語に されると「文学」に成りにくい、と思う。
もっとも鏡花ほどの日本語になると飜訳できないという難儀もある。一葉は飜訳できても鏡花の日本語はあまりに特異。いきおい「あらすじ」の紹介というやりかたになるだろう。どこかで「文学」は「あらすじ」の妙を備えていざるを得ない。
2018 1/28 194

☆ 雪の美しい中、
選集が輝くように届きました。
HPで昨日雪の降るなか郵便局へ足を運ばれたことを読み 足下やお身体を案じていましたが、手渡しをしてくれた配達員の方にも感謝でした。
秦様のご本で、古典の世界からいつしか謡曲の詞章の美しさへと導いていただき、遅まきながら、古典の魅力を感じている今 とても嬉しいです。
教科書の「香爐峰の雪」から「降るものは。雪」とサロンの雰囲気を思い浮かべるまで成長させていただいている思いです。
第二十四巻とても嬉しいです。ありがとうございます。じっくりと丁寧に読みつぎたいと思います。まずは到着のお礼まで。
お二人様のご健康をお祈り申し上げます。  持田晴美  妻の親友

* 次の巻も 次の次の巻も 次の次の次の巻も 楽しんで頂けると思います。

* 読者のなかに、職分ではなくて能を観賞し、謡や仕舞を習い、能を演じる人が何人も居られる。茶の湯の人も。現代の短歌人も俳人も、川柳の人もおられ る、が、ゆはり古典を原典で堪能したり、ことに(百人一首は例外としても)和歌を豊富に常に詠めている人にはなかなか出会えない。漢詩も。漢詩はともかく も、古典文学に親炙して行かれるには和歌を読んで欲しい。和歌の面白さ豊かさ美しさ巧みさを感触できないまま源氏物語や伊勢物語や女日記の類は味わいきれ ないと思う。

* 疲れた。
2018 1/28 194

* さて『ある寓話』が最終に間近く大きな景色にであうだろう、心静めて書ききりたい。無用に焦り慌てまい。
2018 1/30 194

* 昨晩 淡谷のり子の生涯を好意裕かによく描いた映像に感銘を受けた。兵営慰問で歌っている半ばにも特攻少年兵が舞台へ静かに一礼して還らぬ出撃に向かうのを見て、「泣かない」淡谷のり子が声を放って泣くシーンには泣かされた。
淡谷さんとは、亡き山本健吉先生と二人で、鼎談の場に赴いた懐かしい記憶がある。一場の佳い機会を得ていたのだとシンミリした。淡谷さんは自身生涯の一筋を崩さずに話されていたと思い知る。
山本健吉先生には、その晩年、可愛がって頂いた。お話を聴く機会がよく有った。二人で横浜関内まで講演に行ったりした。昭和の文藝批評家のなかでも、最 も尊敬し多くを学び取ったと思えている。根底に日本の詩歌への篤い深い親愛と理解とがあり、それが批評のみごとな文体と説得力に成っていた。
小林秀雄、河上徹太郎、唐木順三、中村光夫、臼井吉見、福田恆存、平野謙等々、鳴り響くような批評家があり、昭和の「文学」を鞭撻されていた。幸せな時代であった。
いま平成早や三十年、一代の師表の如き文藝批評家は誰なのだろう、識らない。
2018 2/1 195

*  古証文という言葉がある。「古い証文 効力のなくなっている証文 故券」と辞書は教えているが、「古証文をもちだして」という世間でのややこしい物言いも ある。あれは、あれも、それもとか、その時は、あの時もと「古証文」を並べて押して出たり歓心を買いたげな物言い、とかく心弱い人間ほど仕勝ちではある が、宜しくは思えない。
2018 2/3 195

* ときどき岩波文庫の『日本唱歌集』を手にする。この音痴のわたしでも七割は唄える。今朝は「文部省唱歌」に限って観ていた。デタデタツキガの「ツキ」  はいしいはいしい の「こうま」 あたまを雲の上に出し の「ふじの山」 とけいはあさから かっちんかっちん の「とけいのうた」 春が来た 春が来 た どこに来た の「春が来た」 あれ松虫が鳴いている の「虫のこえ」 道をはさんで畠一面に の「田舎の四季」 など、詩のいいのもある。
色香も深き、紅梅の とはじまる「三才女」とは誰か、小倉百人一首に親しみ出せば「みすのうちより 宮人の」の二番は小式部内侍、「きさいの宮の仰言」 は伊勢大輔と分かった。一番の、庭木のすばらしい紅梅樹を宮中より請われ、「勅なれば いともかし うぐいすの 問わば如何に」と聞こえ上げた才女はさす がに分かりかねた。教室で先生に教わった記憶もない。この才気、伊勢であったように今、すこし朧ろに覚えているが、それよりなにより「清・紫」でないのが 趣向である。
旅順開城約成りて の「水師営の会見」はまだ心地良く唄えていた、曲にも佳い哀調があった。
大方はむしろ大好きだったのに 「我は海の子白浪の さわぐ磯部の松原に」 声を張ってよく唄ったが、せいぜい三番まで、よくよく譲っても五番までで、ことに七番の歌詞は好まなかった、今も詩の美感において、歌いたくない。
いで大船を乗出して 我は拾わん海の富
いで軍艦に乗組みて 我は護らん海の国
和歌の世界に吹きかよう自然美や四季の感興、花や風に愛豊かにふれた作詞が好きだった。
岩波文庫の「唱歌集」「童謡集」「民謡集」はいつも手の届くところに在る。

* 昨夜も寝る前に重たい『音頭口説集成』を読んだが、耳に目にかすかにも聞き覚え見覚えてきた凄惨な「心中」口説きがたくさん収録されている。歌舞伎の 舞台、嫋々の新内がきこえる「浦里時次郎」の心中などなど、ごくの田舎で口説かれていて、それらが多くの歌舞伎作者達による舞台が先なのか口説きの方が先 であったか、もっともっと探訪探索してもらえないものかと思う。思わずウウウと唸ってしまうほど切な哀愁が、素朴・稚拙な言句・口説のままに溢れている。 歌舞伎舞台の洗練はその裏返しに凄みさえ覚えさせる。
2018 2/4 195

* 小説のために、ここ数日、それ以上も、息をつめて「それ」を思っている。なかなかまとまった絵柄にならないが、急かず、歯を食いしばるように眼裏の闇に追っている、追いつめようとしている。『ユニオ・ミスティカ』は思いがけなかった方面へ根を生やしたがっている。
2018 2/4 195

* 落ちつかない。吶喊し突貫したい、まっ暗い高い壁。

*めげてしまわず、期限の迫った原稿を書いたり、しておかねばならん校正その他の仕事をしたり、読み継いでいる七八種の本を、心惹かれながら読み耽ったりしていた。
明日中には久しぶりの引き受け原稿「平成は穏やかであったか」20枚を書き上げる。もう三分の二は初稿出来ているが、ま、慎重に。

* 都での難を「須磨」へのがれた謫居の源氏を、父太宰大貳とともに船旅都へ帰って行く娘が、波路はるかに源氏がひく琴の音に居堪まらず文と歌をよこすあたりでは、いつにもなく泣けてきた。
源氏物語を読むのに、読んでいる巻よりあとの巻に関しては、拘泥せず読み耽るのが結局佳いと思うという島津忠夫さん『放談』の見解は、わたしが源氏を繰り返し繰り返し読み重ねてきての、ほぼ最初から定めていた覚悟であった。
しかもなお、そのようにして源氏物語の本筋や命脈は正確に捉まえられたのである。発見するには、素直な視線の働きが要る。
「光」と「匂い」には「色」という縁がある、「光」と「闇」は切れている。「光」源氏の世界を宇治十帖で正確に相続しているのは「匂」宮であると書いたと き、当時慶応の人気教授で大きな存在だった池田弥三郎さんが、即座に手紙を下さり、有り難い初のご指摘でした、初めてでした、と。そういうことが、タダの 愛読者にも在りうるのである。
母桐壺や祖母の遺邸二条院に、まだ少年の光源氏が「おもふやうなる人を据えてすまばや」と呻くように生母に似た義母藤壺に思慕してやまなかった、それこそが光源氏の物語全構想の起点だと指摘した人を、それ以前にわたしは知らない。不動の視点であると思っている。
2018 2/5 195

 

* 読書しながら泣くようになった。昔は源氏物語のことに「須磨」の巻で、いよいよ京を逃れる前に光君が父先帝の御陵へお別れにゆく場面へ来ると、決まっ てぐっと来たが、他に強い記憶はない。最近になって嗚咽に近く感動または動揺することが増えてきた。この近日での顕著な例を挙げてみよう、またしても『音 頭口説』からで、題して「越後お女郎口説」。

☆ 越後お女郎口説
越後蒲原ドス蒲原で
雨が三年日照りが四年
出入七年困窮となりて
新発田(しばた)様へは御上納できぬ
田地売ろかや子供を売ろか
田地ゃ小作で手がつけられぬ
姉はじゃんか (不器量) で金にはならぬ
妹売ろうと相談きまる
わたしゃ上州行てくるほどに
さらばさらばよお父ちゃんさらば
さらばさらばよお母ちゃんさらば
またもさらばよ皆さんさらば
新潟女術(ぜげん)にお手々をひかれ
三国峠のあの山の中
雨やしょぼしょぼ鶏るん鳥や噂くし (ママ)
やっとついたが木崎の宿よ
木崎宿にてその名も高き
青木女郎屋というその家に
五年五ヶ月五五二十五両で
長の年期を一枚紙に
封じられたはくやしはないが
知らぬ他国のぺいぺい野郎に
二朱や五百で抱き寝をされて
美濃や尾張の芋掘るように
五尺のからだのまん中ほどに
鍬(くわ)も持たずに掘られた
くやしいなあ

(小山直嗣氏編『新潟県の民謡』)
<参考>
『越後瞽女日記』所収 「蒲原農民くどき」 も、ほぼ同詞章

* 末尾のこの  くやしいなあ  で声たて泣いてしまった。
斯くも真率悲痛な肉声の「くやしいな」という活字を聴いた・読んだことがない。今も泪で字が見えない。
斯かる悲話はイヤほど知っても読んでも来た。ただ、「くやしいなあ」一語が斯くも自立独立して表現の妙を突出させた例を知らない。
音頭口説は音頭で囃しつつ歌うとも読むとも知れず語って聴かせる。時には聴きながら囃しながら踊るのである。哀調といえば通り一遍だが「哀」の全容を此処は「くやしいなあ」の呻きへ結集させた。文藝の「表現」は、真実、斯くありたい。

* これに併せ、また斯かる「くやしいなあ」の有ったのが、古今東西の戦陣に涌いては消えた慰安婦の慰安所。いまなお韓国と日本とのあいだで往年來の慰安 婦問題が燻り続けているが、慰安婦・慰安所が実在して悲惨を極めたことは絶して否定・否認できない。どんなに凄まじいモノであったかを沼正三の『遺書』は つぶさに聴き取り調べて明瞭に今に伝えている。

☆ 沼正三『マゾヒストMの遺言』 に聴く
軍の慰安所というものがどんな所か、ぼくは会社の労務課長Nから聞いたことがある。(沼さんは青年時、満州へ就職していた。)労務課の主任務は現地人の苦力(クーリー) を多く集めることだった。慢性的に人不足なので、阿片を餌に釣り出すという。現地では、頼りになる家庭薬もなく、薬としては痛みどめの阿片だけ、阿片は労 務者にとっての必需品なのであった。その阿片を求め、Nは僻地から僻地へ、満蒙国境地帯の奥地を渡り歩く。そのNから、慰安所の話は聞いたのである。
軍の駐屯地には、思いもかけぬ奥地でも、必ずといっていいほど慰安所があったという。
慰安所は「前は戸がなく蓆(むしろ)が下がっている。……各分隊毎に蓆の前に列をつくる。一 名平均約五分、共同便所の感あり」(岡村俊彦『榾火 第一〇一師団鮮血の記録』文献社)というセックスのゴミ捨て場のようなあさましい状況だという。Nに いわせると、その入口の蓆に誰が書いたものやら、「突撃一番!」と大書された紙札が貼りつけてあったりするという。女たちは、いったい何千人の突撃一番の 銃剣をその膣に突き入れられれば済むことなのか。
娼婦に強制連行があったかなかったかのむなしい論議が交わされている。花岡鉱山事件に象徴されるように、労務者らも強制連行された。娼婦においても実情は変わりないと判断されるぺきであろう。
地方の貧困者の子女は、物心つく頃から奉公に出された。子守奉公、女中奉公、機織女工などなど、哀話に尽きることはない。
遊廓の女郎はどうなのか。みんな喜んで自ら進んで自発的に女郎となったのであろうか。そんなのは例外中の例外に過ぎない。
ましてや軍の戦塵腥い前線にあっての慰安所に、誰が好んで自発的に志願する者がおろう。

* これが現実だったとはいえ顔を覆いたくなる。韓国の、もと慰安婦だった人たちが日本を責めて賠償させた(賠償は協約され既に実行もされている。)のは当然だった。
但し、わたしは、あの「慰安婦像」を衆人環視のなかへ立てて見せて胸を張ってでもいるようなあの国の人たちの感性にも、痛ましいほどの疑問を持つ。
慰安婦だった人のその苦渋や恥辱にはきりきり胸が痛むが、その人たちが、今、又も、新たに「銅像」として顔を晒される気持ちはどんなであろう。その近 親、知友、同郷のひとらまでが恥しめられる気はしないのだろうか。まるで同国人たちが少数同朋被害者たちを、今度は自分たちの手で「衆人環視の中へ晒し出 し」ているとしか見えない。あの無神経には軽蔑をさえ覚える。彼女らの戸籍謄本に、国家が「元慰安婦」とまで前科のように記載してはいないかと、危ぶみさえ する。
2018 2/6 195

* 午前中に、発送を終えた。そのあと、昼食後もとろとろしていた。うしろ頸筋疲れたくから両肩が痛んでいる。ぼろぼろの歯を、つい噛みしめて暮 らしているので、歯の根はいつも痛い。おデコあたりがうずうずとせり出しそうに疼いているが、みなみな勝手にせいと、放っておく。
何がしたいか、と云えば…寝入りたい。去年の今頃 こう歌っていた。

尿が出て便出て喰へて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし
余念なく眠ってをればよいものを
なぜ起きてくる 死にたくないのか
* たまたま頁を開いて白楽天の詩『感情 情に感ず』に目が触れた。「野菊の如き君なりき」か。

中庭、服玩を矖(さら)し 忽(こつ)として故郷の履(くつ)を見る
昔 我に贈りし者は誰ぞ 東隣の嬋娟子(せんけんし)
因りて思ふ 贈りし時の語 特(た)だ用ひて終始を結ぶ
「永(とは)に願はくは履綦(くつ)の如く 双び行き復た双び止まらんことを」と
吾 江郡に謫(たく)せられて自(よ)り 漂蕩すること三千里
長情の人に感ずるが為に 提携して同(とも)に此(ここ)に到る
今朝 一たび惆悵(ちふてふ)し 反復して看ること未だ已(や)まず
人は隻(せき)なるも履(くつ)は猶ほ双(そう) 何ぞ曾て相ひ似るを得ん
嗟(なげ)く可く復た惜しむ可し 錦の表 繍(ぬひとり)もて裏(うち)と為す
況(いは)んや梅雨を経て來(より) 色黯くして花草死するをや

* ひとはいまいかに生きつつ 山川のおもひのままに老ひたまふらん
2018 2/11 195

* 李恢成作「半チョッパリ」を読み終えた。次いで、黒井千次作「時間」を読み通してみようと思っている。
作風の似た小説家などいうものは、存在しない。そこに創作の孤独と自負と覚悟とが有るのだ。

* 昔は「文学」の不動のジャンルとして「文藝批評」が読んで楽しめまた鞭撻された。
今日、文藝批評の領域に冠たる輝きを見せているのは誰か、よく見えない。わたしが知らないだけか。一人もいないのか。
2018 2/11 195

* 歌集『少年』を何度か改版している間、わたしは俳句へは、気持ち距離を置いていて、蕪村は愛読しても芭蕉にすらやや身を引いていた。子規でも短歌の方に早く親しんだし、虚子よりも左千夫や節へ先に身を寄せた。
しかし徐々に俳句は難しいと歎きつつも芭蕉に胸打たれ、子規や虚子の句に心惹かれ、俳句の「俳味」を思いまた愛する気持ちを受け容れていった。
不幸にして、古今の歌集にくらべことに近代のすぐれた俳句集を多くは所持していない。私的に親しかった数人の句集を戴いて愛玩してはきたが、史的な展望で 近代現代俳句を所有は出来ていない。幸い三省堂の呉れた本に、稲畑汀子編『ホトトギス 虚子と一〇〇人の名句集』一冊があり、座右においてしばしば手をの ばすが、俳句は難しいという思いはなかなかあらたまらない。ひとり、ついつい虚子の境涯にのみ引き寄せられている。これだけの百人が夥しい作で選ばれてい ても、心惹かれ心打たれる句は決して多くない、むしろ少ない。
けれど、わたしは一心に近代俳句を読んで味わっている。そしてそれなりにわたし自身の「理解」も得つつある。
いつか、その「初感」を纏めてみようと思っている。外野、黙れと、またまた怒られるかも。
2018 2/13 195

* 全然順不同、手に触れたのから次々、沼正三の『遺書』 羽生清の『楕円の意匠』 『源氏物語 明石』 泉鏡花『芍薬の歌』 『音頭口説集成』 島津忠夫 『源氏物語放談』 パトリック『星を帯びし者』 黒井千次『時間』 それに自分の『能の平家物語』「京洛探訪」を それぞれに気を入れて読んでいると、ほ んとにこの世にはさまざまな読み物があるのだとびっくりしながら、感心してしまう。どれもみな面白いのだ。時間さえあれば一度に十五册ぐらいは併行して読 んで楽しめる、事実それぐらいを毎晩読んでいた時期もあった。なによりも読書により世界が途方なく拡がってくれる、古今かつ東西南北へ。知らないで居たら わたしはただ一介の東京郊外の一軒家に暮らしている吾一人でしかない。よんでいればこそ、海風の荒れに襲われた光源氏が須磨から明石へかつがつ逃れ行くさ まも目に見、うっそうの架空世界で額になぞめいて光る星三つを刻まれたヘドの青年領主が辺境の地をさすらい歩くことになる経緯も、聡明な現代マゾヒストの 切れ味に富んだ「日本」批評に頷くのなども、とうていしることは出来ない。知らぬが仏なのか、知れて有り難いのか。決め付けて思う必要はないが、わたしは 「読めて」幸せに感じている。
2018 2/14 195

* もう前世紀のことになるが「東京新聞夕刊」でことによく読まれてきた匿名「大波小波」欄に、前後十年の余も寄稿し続けていた。いわば私の「批評」を磨く砥石のような絶好欄であった。
最初に、「秦さん書きませんか」と依頼されただけ、で、そのあとは筆と思いにまかせ寄稿するだけ、採用するしないは編集局の裁量だったが、驚くほどよく採ってくれた。時には連日採ってくれたこともあり、寄稿内容が別の場で話題にされることも、まま、有った。
ま、そういつまでもする仕事でないと思い、新世紀に入って数年で自然と遠のいたが、「湖の本」の二巻分も溜まっているのではないか。ま、「前世紀の遺物」という言い訳で、この際まとめておければ、秦 恒平・一筆呈上「批評」のサンプル集ともなるだろうか。
2018 2/17 195

* 「選集」26巻の初校を終えた。兄恒彦との往復書簡を収め得て、感慨深い。元気でいてくれたら、もっともっと多く話したかった。「京都」を語りあうのに此の兄ほと゜屈強の話し相手はなかったろう。死なれたことの最も重いものを兄はわたしに遺していった。
「湖の本」139巻を入稿もした。
2018 2/17 195

* 杏牛さんの厖大量の新句集ゲラをようやく読み終えた。俳句は真実、ムズカシイです。
2018 2/18 195

* 短歌は「私性の詩」であり、「私」や「我」の思いや行いや境遇を歌う。
「難波江の蘆のかりねのひとよゆゑ身を尽くしても逢はん」と思うのは、だれでもない「私」「我」の思いであり、そう読まれそう歌われたいという表現である。
俳句は、そういう「私」や「我」をなるべくは「捨てた」世界をもっぱら表現してきた。
「古池や蛙とびこむ水の音」「白菊の目に立て見る塵もなし」「鮎くれてよらで過行夜半の門」「あるほどの菊抛げいれよ棺の中」「遠山に日のあたりたる枯野かな」など、作者の「私」は音もなく「消され」てある。しかも確然として詩情は眼前に在る。
例外ももとより有りはするが、「俳句は花鳥諷詠」という広大に感化成した高濱虚子らの主張には、究極は海山も谷川も里も家も人も我もを「捨てた」「超えた」空白に、ただ花をただ鳥を歌うだけで宏遠な世界を表現せよという提唱であったろう。
「寂しさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里」と歌う西行は、率直に「私」の思いを表現しているが、「一家(ひとつや)に遊女もねたり萩と 月」と吟じた芭蕉は、清しくも「私」を「消して」血の通う境涯を見せている。芭蕉が不在なのではない、「消して」示している。俳句はなによりも「私性」を 消すという「抽象」の美と世界とを捕捉し表現してきた、それが魅力だったとわたしは眺めてきた。
ただ、それがいわば常識となりきってくると、当然のように抵抗が生じ来て、またいろいろな主張があらわれる。俳句を「無私の詩」からやはり「私・我の 詩」で在らせたいとも。平談俗語の詩ではいけないと、漢字ばかりで韻律をみせる俳句も流行りを見せつつある。「挨拶」という俳諧世界の慣習を拡大して、読 者には目にも見えない「私の体験」をそのままただ真っ向書き連ねた俳句も出来てくる。
芸術は「常識」に随ってはおれない。たえず「非常識」と謂うも避けがたい奇妙の境地や境涯を開拓するのが芸術だという思いが、少なくも実作者達には、私にも、ありうる。
むずかしいことである。
2018 2/19 195

* 仕事しては寝て休み 起きて仕事してはまた寝て休んでいる。一つには眼を休めるためだが、不可解な疲労感は抜けない。嬉しいこと楽しいことがあると、たと えば佳い映像や劇をテレビなどで見つけると心身の晴れを感じる。庭へ来る小鳥たちを見つけてもホッと嬉しい。黒井マゴがいてくれたら、どんなに楽しくここ ろやすまるだろう。国会の映像や総理の顔や声が目に耳にくるとヘドが出そうになる、リクツは謂えない、ただ不快感に掴まれる。ま、こういうことは、お互い 様であろう。
もう二十年も三十年も昔にした対談や鼎談を機械に入れて校正しいると、懐かしく嬉しくなる。今日は、今西祐一郎さんがまだ九大助教授の時代に、教授の中 野三敏さんと三人で、「日本の古典とエロティシズム」を話しあった初出誌を読み直していて、面白かった。とうじわたしは東工大へも出ていた。話題が高潮し てくると、もう一時間も二時間も時間をくれていたらと、話し足りていない、残り惜しい気がしたほど。
あの鼎談が済むとすぐ、わたしと同い年の中野教授は持参の風呂敷からやおら「上出来」の春画帖を披露してくれた。春画は苦手だが、性の話題には「古典」 とも「歴史」とも「日本人」とも意味深く絡み合う機微が豊富で、いままさに書き継いで仕上がろうとしているわたしの『或る寓話』も、あの鼎談の頃にはひそ やかにわたしの身内に孕まれてたのかなと思ったりする。

* わたしは文学部の出だが「文学」の専攻生ではなかった。しかし顧みれば、なんと大勢の文学・古典・日本史の優れた学者達に親しくしていただいてきたか と、瞬時、頬が熱くなる。上司でもあった長谷川泉さんを別にしても、ちょっと疎かに名を挙げにくいほどわたしは大先達の「学者・研究者」らの知遇を得続け てきた、今にしてなおしかり、今西さんや長島弘明さんのようにすこしお若い先生方とのお付き合いも途切れていない。いちど、本気でお名前を列挙してみたら 我ながら驚嘆するだろう。
妻に、よく笑われる、お年寄りにばかりモテル人ね、と。文学生活を顧みても、「まったくだ」と頭を掻くしかないほど。そのいっとう最初が、太宰治賞選の 満票であったなあと、石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫という錚々たる選者先生のお名を思い出す。
2018 2/20 195

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
人間にも事業にもそれを見るのに最良の目の位置がある。正しく判断するために近くで見なければならないものもあるし、遠くへだたってでなければ正当に判断できないものもある。
2018 2/25 195

* わたしのように年がら年じゅう仕事している者には、読み書きの「仕事」は波風のようにどっと押し寄せたりやや引いていてくれたりする。しばらくやや安気に していたが、三月めがけてどっと攻められている。頭の痛い瘤の幾つかも無くはなく、肩や頸筋が凝って痛む。わたしには、これが、生きていると謂うこと。
ああ、自分を甘やかしているなと思うと、ラ・ロシュフコーを読んで頭も顔も張りとばしてもらう。手放せない憎いほどの箴言集であり、おそるべき倶生神である。
2018 3/1 196

☆ お元気ですか、みづうみ。
雨が降りそうですが、ほんのり暖かくて春の雨という言葉が似合います。
本日は一つ質問させてください。
昨日の私語で、羽生清(きよ)さんの『楕円の意匠』について「語の正しい意味でのみごとな『エッセイ』である」と書いていらっしゃいます。『「研究」の名に悪酔いした程度の自称研究者では こういう独創の所産・創出、なかなかあり得ない』とも。
広辞苑の説明によるとエッセイは「①随筆。自由な形式で書かれた思索的色彩の濃い散文、②試論、小論」です。また同じく随筆については「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。漫筆。随想。エッセー」とあります。
昨今の書店にエッセイとして並ぶのは、後者の随筆をさすものが多く、作者が肩肘張らずに書いた身辺雑記であったり、作家や芸能人の余技として書かれた感想文のようなものがあふれていて、エッセイは小説や詩より気軽な読み物扱いされる傾向があることは否めません。
しかしながら、秦恒平のエッセイはそのような仕事ではなく最高の文藝です。
選集第二十二巻(女文化の終焉・十二世紀の美術・趣向と自然・中世の美術・中世の画人たち・光悦と宗達)のあとがきで、みづうみはエッセイについて、こう書いていらっしゃいます。

「エッセイ」とは最も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智である。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって「言葉の藝術」になる。

 

みづうみの文学活動における「語の正しい意味でのエッセイ」とは何か、なぜあえてエッセイを書きつづけていらしたか、頭の悪いわたくしに、もう少し詳しく教えていただけましたら幸いです。
これからお昼ご飯です。昨夜作って一晩寝かせた野菜のカレーはおいしいのですよ。
雀  雀隠れに餌を撒き夫婦信じ合ふ  相模ひろし

* いつもの句名乗りの「雀隠れ」が季節感を招く。草木の芽が、春になりようやく伸びて、雀がとまったとき、からだが隠れて見えぬほど茂ったことを謂う「雀隠れ」きいわゆる季語なのである。作者を知らないが、おもしろい句だ。

* さて「エッセイ」だが。わたしは世間で軽く謂う随筆・漫筆・雑文の類とは異なって、自身に対し躾けているエッセイへの思いは、上に引用されてあるように、最 も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智の散文表現、それを「エッセイ」であると。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって本質志向する「言葉 の藝術」それが「エッセイ」であると。成し得ているとはとても言いがたいが、湖の本を「創作」と「エッセイ」とに分けたときから、わたしはそう自覚してき た。「エッセンス」という意味で「言葉の本質の精華」をこそ「エッセイ」は表すのだと。表したいと。
2018 3/5 196

☆ ロシュフコーに聴く
洞察力の最大の欠点は、的に達しないことではなく、その先まで行ってしまうことである。
2018 3/6 196

☆ ロシュフコーに聴く
「剛胆とは、大きな危難に直面した時に襲われがちな胸騒ぎ、狼狽、恐怖などを寄せ付けない境地に達した、桁はずれの精神力である。英雄たちがどんなに不測 の恐るべき局面に立たされても己れを平静に持し、理性の自由な働きを保ち続けるのは、この力によるのである。」

* 自身の不安定な小心を知り尽くしているゆえに、上の箴言は鳴り響く。
2018 3/7 196

* 洛中の杉本秀太郎と洛外のわたしとの京都対談はケッサクだった。
追いかけて、歴史学者の脇田晴子さんと、正月の新聞で二日にわたり「利休」を語り合った対談も面白い。
わたし自身の記憶以上に、コレまでに数多い対談、鼎談、座談会をしてきた。受けたインタビュー記事も、大小結構残っているし、講演と放送原稿となると、 手が回らず放り投げてあるのも含め何十回もそれ以上も引き受けていた。アタマの体操としてはかなりいい刺激になったし、話し言葉を介して見つけていったポ イントも有った。
東京へ出て来てもう満五十九年が過ぎている。昭和三十四年(1959)二月末に妻と上京し、そのまま用意の新居(新宿川田町のアパートの六畳一間)へ入 り、すぐ、本郷の医学書院へ採用前の見ない出勤、そして三月十四日に新宿区役所へ結婚届を出したその晩に、妻の母方親類(伯父)の家へ妻の兄妹はじめ親戚 らが集まって披露と対面の機会をつくってもらった。
五十九年は永くも夢のようでもある。もう事を終えたのでもない、終えるということは無いだろう。
2018 3/7 196

☆ ロシュフコーに聴く
「最高の才覚は、事物の価値をよく知ることである。」
2018 3/8 196

* ある年の正月元日の新聞のために「利休」四百年を記念の対談をし たとき、お相手は滋賀県立大学名誉教授、対談当時は鳴門大学教授だった脇田晴子さんで、のちに文化勲章を得られるほどの中世商工業専門の歴史学者とも何も 知らなかった。読み返していても、まるで脇田さんに聞き役を務めて貰ってたような成り行きで。ただ生年はわたしより八歳も若く、それにしては一昨年の逝去 は早すぎたと惜しまれる。長生きしてきた間には、いろんなことが有ったんだと可笑しくなる。
2018 3/8 196

☆ ロシュフコーに聴く
「真の友こそは、あらゆる宝の中で最も大きな宝であり、しかも人がそれを得ようと心がける事の最も少ない宝である。」
「賢者は征服することよりも深入りしないことを得策とする。」
2018 3/9 196

☆ ロシュフコーに聴く
「欲はあらゆる種類の言葉を話し、あらゆる種類の人物の役を演じ、無欲な人物まで演じてみせる。」「欲で目が見えなくなるひとがあり、欲で目を開かれる人がある。」
2018 3/10 196

☆ お元気ですか、みづうみ。
新しいメガネは如何でしょうか。役に立つとよろしいですね。
先日は、「エッセイ」についての質問にお答えいただきありがとうございました。
英語のessayには thesisのような厳密さはない評論や小論文も含まれるようですが、エッセイはじつに懐が深いもので、まだまだ開拓すべき面白い文藝ジャンルという印象を強くしました。湖の本103巻『私╶╴随筆で書いた私小説╶╴』もエッセイの可能性に挑戦した新しい文藝ではないかと思っています。
「私語の刻」も 新しいタイプのエッセイに入るでしょうか。
秦恒平は一つのスタイルに安住することなく、過去の仕事を模倣することなく、文藝を生き生きと変貌させていく作家です。
今日は気持ちの良い晴天で、春の近いことが感じられます。
お幸せな一日でありますように。  鴬  はしたなき鴬餅の黄粉かな 能村喜舟
* 昔の文学全集の魅力は優れた小説や詩歌だけでなく、仰ぎ見るほどの批評家たちのみごとなエッセイを編輯してあったことで、順不同に北村透谷、幸田露 伴、森鷗外、正岡子規、折口信夫、小林秀雄、河上徹太郎、唐木順三、中村光夫、臼井吉見、吉田健一、山本健吉、福田恆存、伊藤整、花田清輝といった、もっ と他にも優れたエッセイストが居並んでられた。批評も評論もまた「文藝・文学」作品に相違なく信奉し、わたしはみな慕うように愛読し学び教えられてきた。 文壇の外にも優れたエッセイストはおられた、何人も。
今は……、ほとんど、わたしは識らない、残念ながら。放談や放言にもいいものはあるが、やはりエッセイがエッセイになる結び緒は「文章・文品(作品)」であろうと思う。
2018 3/10 196

☆ ロシュフコーに聴く
「われわれは、たとえどれほどの恥辱を自ら招いたとしても、ほとんど必ず自分の力で挽回できるものである。」
2018 3/11 196

* 「湖の本」139巻を要再校用意した。「選集」25巻校了へ漕ぎ着けた。「選集」26巻は再校進捗、「選集」27巻は 初校進捗、「湖の本」140、 141巻も入稿の用意が進んでいる。湖の本創刊三十二年の頃には、仕掛かりの小説、せめて一作にしっかりメドをつけたい。もう少し、もう少しのところで濃 い深い闇の底を這い回っている。
2018 3/11 196

☆ ロシュフコーに聴く
「われわれの力(メリット)が低下すると好み(グウ)も低下する。」
2018 3/12 196

* 「湖の本」114は「ペンと政治」と題し2012・12・8 に「序にかえて」を書いて、あえて一文士の私が「政治」に触れると述べ、本の表題には はっきりと「新世紀へ、崩壊の跫音」と挙げた。続いて「湖の本」115でも「ペンと政治 二上」として「福島原発爆発」そして「変節野田内閣」をはげしく 責め、「湖の本」116では「ペンと政治 二下」として、「野田総理の惨敗・安倍<違憲>内閣・迫る国民の大不幸」と国と国民の前途を憂えた。さらに「湖 の本」122では「九年前の安倍政権と私」と題し、好む内閣の悪政により国民に迫ると予言した「大不幸」が歴々の事実と化して国と国民の上にのしかかって くる怖ろしさに言及し筆誅した。さらに時を重ねて今日只今の、一例がモリトモ・カケイのていたらく、さらに大きくは極東での書くの脅威と緊張に対するとて ものことケッコウとは申しかねる拙な外交等々、もう、エエカゲンにしてんかと歎かずにおれない。
ある雑誌は、わたしに「平成は穏やかであったか」と聴きにきたが、わたしは、これは「平成」の両陛下にこそ真率にお伺いしたいと願ってしまうほど、真正 直なところ、憲法の尊重、平和の希求、国土と生活との安全、主権在民と基本的人権、福祉等々、あらゆる面に置いて新世紀の日本の政治、ことに第一次以来の 安倍政権のウソクササにはほとほと怒りの余りに泣けてくるのである。
昨日今日に思い至ったのではない、わたしは「崩壊の跫音」を新世紀の早くからきっちり予言していて、予言は不幸にも外れてくれなかった。
2018 3/12 196

☆ ロシュフコーに聴く
「誰のことも好きになれない人は、誰からも好かれない人よりもはるかに不幸である。」
「愛されていると思いこむほど自然なことはなく、またこれほど当てにならないこともない。」
2018 3/13 196

☆ ロシュフコーに聴く
「われわれは実際に持っているのと正反対の欠点で自分に箔をつけようとする。気弱であれば、自分は頑固だと自慢するのである。」
2018 3/14 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「虚栄心は、理性よりもいっそう数多くのわれわれの好みに反することを、われわれになさしめる。」
「人は決して自分で思うほど幸福でも不幸でもない。」
2018 3/15 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「情熱は必ず人を承服させる唯一の雄弁家である。それは自然の技巧とも言うべく、その方式はしくじることがない。それで情熱のある最も朴訥な人が、情熱のない最も雄弁な人よりもよく相手を承服させるのである。」
「情熱には一種の不当さがあって、それが情熱に従うことを危険にし、またたとえこの上なく穏当な情熱に見える時でも、警戒しなければならなくするのである。」
2018 3/16 196

* 無数の「からだ言葉」エッセイを読み返していた。「からだ言葉」「こころ言葉」への手の出し方は、わたしの創意であり思想そのものの原料であった。東 工大教授を定年を迎えかけていたとき、大学院への組織替えに応じ主任の川嶋至さんはわたしに残って欲しかったらしく、盛んにわたしに学位をとりませんかと 奨めてくれたとき、たとえばあの「手の思索」「からだ言葉」「こころ言葉」等の追究をあのまま纏められれば学位は確実ですよと太鼓判を捺してくれていた。
わたしにその気は全然無く、定年退官の日をただ待っていたが、川嶋さんが上記の仕事の独自性や到達を評価してくれていたのは嬉しく、感謝していた。
今回、関連のエッセイをエッセイとして読み返しながら、とにもかくにも日本の言葉を独自・独特の創意と発見とで手づかみにするのを楽しみにしていたのだ と、永い文士生活を顧みて思わず笑ってしまう。「秦 恒平選集」の次巻では私なりの「和歌・物語・能・そして茶の湯」体験を、次の第二十六巻では私の「京都と京ことば」とを、第二十七巻では「日本人のからだ 言葉、こころ言葉」の満開状況をエッセイとして指摘し検討しておきたい。少なくも誰にもそれ以前に見つけられなかった日本の光景を写生しておきたいのだ。

* ああ、それはそれ、今は見失っている失せもの(小さな文献の一点)を早くこの混雑を極めた身辺で掘り当てたいのだが。捨てるわけはないのだが。
2018 3/16 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「欠点の中には、上手に活かせば美徳そのものよりもっと光るものがある。」
2018 3/17 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「会話をかわしてみて思慮深くて感じがよいと思われる人が、これほど蓼々たる有様になっているのは、ひとつには、言われたことにきちんと返事することよりも自分の言いたいことばかり考える人が、あまりに多すぎるためである。
最も頭がよく、最も愛想のよい連中ですら、熱心に聞いている顔をして見せるだけで、その時彼らの目つきや頭の中にあるのは、こちらの言うことに対する上の空な気持と、自分の言いたいことに話を早く戻したがっている焦燥、それが、ありありと見てとれる。
そんなふうに自分を喜ばせることばかり求めるのは、他人を喜ばせ、もしくは説得するためには拙策であり、よく聞きよく答えることこそ、人が会話の中に見出し得る最大の妙味の一つであることを考えようとしないのである。」
2018 3/18 196

* それにしても、なんで、こう、とてつもない異様にケッタイな夢を毎晩みるのだろう。

* 家の内のあちこちにいろんなカレンダーを掛けてある中で、心ふるえ感動して見入るのは、菱田春草の描いた、「帰樵」の繪。
ちいさな写真だがその画面は、右上から左下へ大らかな山稜で静かに二分され、上は、しみじみとほのかな夕茜に染まった大空がなつかしく、下は、ただもう柔らかに暗がりそめた一面の広い優しい山原。
その大きな空、大きな山とのあわいの坂を、米粒ほど遠く小さく声もなく、しかしくっきりと前屈みの 夫婦が前後一つに連れ合うて、此の一日を樵りしてきた柴荷を大きく背負い、静かに静かに小さく小さく麓へ帰って行く。これぞ天、色淡う縞なして静かに広い 広い夕茜の空。これぞ地、柔らかにただ一と色となって大きく広く広く陰った山原。そのあわいを黙々と帰って行く樵り夫婦、その何というなつかしい小ささ、 たしかさ。
「ああやって、われわれも今、帰って行くんだね」
思わずわたしは、今朝も、妻に声掛けていた。
2018 3/18 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「虚栄心は、理性よりもいっそう数多くわれわれの好みに反することを、われわれになさしめる。」

* 停滞  いちばんの敵。 適切な休憩は親切な友である。
2018 3/19 196

* 沼正三の、「遺書」のエッセイや物語『ヤプー』を読んでいると、つくづくわたしは、マゾヒズムもサディズムも無いなんとも早やまともな健常普通人でしかないことに、いささか落胆しそうになる。

* ま、しかし、『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』がどんな風に纏まるのか、纏めたい仕上げたいのか、自分との問答は、もう暫く根気よく続くらしい。
2018 3/19 196

☆ 3月19日
先日のお問合せ gallantryのことを書きましたが、手持ちの辞書をあたってみて英語、フランス語、イタリア語、などで同じ記載がありました。
雨夜の品定めのような いくらかしっとりした雰囲気があったかどうかは存じませんが、男同士のその類の自慢話、笑いを誘う猥談も含まれていたのでしょ う。彼らの頭上に「パリ」があった・・と鴉が感じられたのは、さもありなんと、そして無意識であれ、幾らかの疎外感も。わたしは、勝手ながら、猥談と辛う じて距離をおく鴉に好感をもちます。
「翔び回るのは元気に身心を自身で守れるときにして頂戴」と書かれていますが、身心、殊に精神が弱っている時だからこそ、元気になるために飛翔び回るのです。良いか悪いかは別にして新しい処、人、ものの中に自分を投げ出すのは、やはり歓びなのです。
好奇心、興味旺盛なアホ鳶です・・野次馬的とは思いませんが。
今日から二日ほど曇りや雨の予報です。梅や桃、菜の花、道端の雑草もみな美しく迫ってくるような錯覚を覚え、桜に彷徨い歩く日が待たれます。

14日 ジェンダーの問題の草分けの一人 E.バダンテール の記載。
そういう本も読まれるのだな、と些か奇妙な感想をもちました。が、彼女の『母性という神話』という衝撃的な本こそ、すぐ次に出てくるルソーの話とも関係してくるのです!
生ませた子供を何人もみな他家へ預け生涯顧みなかったという、あのジャン・ジャック・ルソー(教育論『エミール』の著者)、それを知った時わたしは、再び彼の本を手にすることはしませんでした。。
そのようなことが彫刻家のロダンにもありました。(そして情熱的な像、それはカミーユの存在によって、ある部分では彼女の作品の模倣だとの指摘も。)
ルソーもロダンも、躊躇や苦悩なしに子供を手放し顧みなかったのは、パダンクールに依れば、フランスの都市で18世紀にはごく普通に里子に出していたと いう、その影響をうけていただろうとも考えられます。乳幼児など小さい時は死亡率の高さゆえに、まだ人間と見做されなかったと言われますが、その傾向は日 本にとどまらず世界の各地で見られたと思います。
現在わたしたちが思う子供とか家庭についてのイメージもまた不変のものではなく、さてどのように変容していくのでしょうか。

「文学は何と云っても文章が個性的に光らねばならない。どんな面白ハナシでも騒がしい、また凡庸な、要するに雑文ではいけない。」
そして「エッセイ」とは最も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智である。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって「言葉の藝術」になる」という鴉の言葉を噛みしめ、何と厳しく遠い道であることか・・ため息、です。
先頃、掲載されていた絵、画家の「名前失念」と書かれていたのは、イギリスのラファエル前派、エドワード・バーン・ジョーンズです。「ブライア・ロー ズ」シリーズ3、中庭 1889年 ずっと昔、鴉と大原富枝氏との対談が雑誌『芸術生活』に載って、その頃にラファエル前派の記事もあり、読んだ記憶があ ります。
昨日京都から戻りました。雨の中をよく歩きました。出かけたのは竜谷大学の曼荼羅の展覧会、ここはいつも静かで、今回も二尊院の両界曼荼羅など興味深く見ました。
そして昨日は仏師松本明慶さんの美術館で約160体!という仏様に会ってきました。繊細緻密、不思議な力に 見終わって呆然とするほど。全身全霊込めて一筋の仕事をされてきた人には絶対到底かないません、鴉に対してもそう思います。
くれぐれも体調に留意され、佳き春を過ごされますように。  尾張の鳶

* この旺盛な鳶の「いきおい」をわたしは良い栄養剤のようにいつも貰って、感謝している。

* 鳶メール冒頭の、「gallantryのこと」 わたしなりのも の思いがある、もう昔井上靖夫妻と日中文化交流協会に率いられ訪中したときの、あれは北京から大同への寝台車のなかで、同室した先輩、辻邦生、清岡卓行、 大岡信という三人の盛んな会話にかかわっての、鳶へものを尋ねたのであった。わたしはあの時、サンニンの盛んな会話に一言も差し挟まなかった、差し挟めな かった、差し挟む気がなかったのだが、何でもサンニン友が盛んに口を揃えて同意し同感しあっていたのが、女性に対しては何といおうと「ギャランティ」とか 「ギャラントリー」とかが一等大事だ、そうだそうだ、それが一番だというような賑やかな結論だった。つまりは序には何よりも慇懃に世辞を振る舞うべしと異 口同音賛同しているように察しられたが、いちばん若い、しかも「パリ」暮らしになどかつて縁もなかったわたしは、くちを挟む気も余地もなかったのである。
最近、あちこちで、セクハラのパワハラのと喧しいとき、こあの昔の旅のあのような「ギャランティ」とか「ギャラントリー」とかをふと思い出し、女の人はそれをどう感じるのだろうと海外生活の豊富な「尾張の鳶」に尋ねてみたのだった。

* 断っておくが、わたしは根が女文化の京都で女の人たちの中で成人したような男である から、辻さんや大岡さんらのそんなワイワイ話に目をまるくし耳をそばだてたのではない。なにしろわたしは光源氏らおとこどもの女たらしのサマを十二分に承 知しつつ小説を書いていたのである。わたしの今回の関心は、そんな「ギャランティ」とか「ギャラントリー」 とかがセクハラに類することもあるのか、罷り間違えばパワハラにもなるのかと不思議に思ったのだった。亡くなって仕舞われたが、あの辻邦生さんや大岡信さ んの風貌が思い出され、そしてあの人らとセクハラなんぞとに縁があり得たろうかと、ふと笑えたりしたのだった。

* この先をもうすこしわたしなりに考えてみたいと、じつは、思っているのである。
2018 3/19 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「見たところ滑稽だが、隠れた動機はごく賢明かつ堅実な行動が無数にある。」
「行為から最大限の効果をそっくり引き出そうと思うなら、行為と計画のあいだに一定の釣り合いを持たせるべきである。」
2018 3/20 196

* 階下や書庫はべつにし、いまわたしが機械に向きあっている近くの書架その他、狭苦しいなかに見えている事典、辞典に順序無く視線を送ってみる。
平凡社の日本史大事典六巻 角川書店の平安時代史事典本編上下巻と資料索引編 明治書院の和歌大事典 小学館の古語大辞典 新潮 世界美術辞典 東京書籍の佛教語大辞典 朝日新聞社の現代日本朝日人物事典 岩波書店の日本古典文学大辞典六巻 櫻楓者の蕪村事典 岩波佛教辞典 淡交社 の古寺巡礼 京都三十巻 岩波書店の広辞苑 弘文堂の文化人類事典 平凡社の小百科事典 社会思想社の日本を知る事典 美術新聞社の美術名典 平凡社白川静著の字統  岩波書店の日本語語感の辞典 集英社の大歳時記 淡交社の原色茶道大辞典 角川書店の日本地名大辞典の京都府上下巻 平凡社の日本歴史地名大系27京都市 の地名 笠間書院の歌枕歌ことば辞典 中央公論社の新撰墨場必携 その他には 英語やドイツ語の大小の辞典が有る。
身のそばには、いわゆる読み物は置かない、書架には古典や歴史の当面必要な研究書、各種古代の漢籍や間近に必要な雑誌文献類を手の届く範囲に。
他には、福田恆存全集・飜訳全集全十六巻、森銑三著作集全十三巻、そしてわたし自身の選集を現在まで二十四巻が書架に。
以上が、機械前の席から前に左に目に見え、手に取れる。辞書・事典は、とに書くも参考にはしている、依存しきらないけれど。
背の後の、危なげな棚二段には、「湖の本」既刊全巻が揃えてあり、機械にも入れてあり、過去の「仕事」の大方が必要に応じ、みな取り出せる。まだ初出 本・紙誌からプリントのままの原稿もたくさん袋ワケして残っている。ようも、たくさん書いたもの、依頼があったものと、あきれるばかり。
そのほか、やたら仕事中関係の本や地図や文献が足もとにも通路にも散らばり置かれてて、しばしばモノを見失っては呻いている。

* 亡くなった阿部昭の「桃」「人生の一日」を、以前に読んだ「司令の帰還」も思い出しながら、シンミリと読んだ。父、母、時。わたしには無い書かれよう だが、古井由吉、丸山健二らも、黒井千次らもともども「内向の世代」などと謂われていた記憶があり、ああそうかと思い当たったり。そろそろ第九十四巻の柏 原兵三、高井有一、坂上弘、古山高麗雄の巻へ移ろう。早くに亡くなった柏原さんは、わたしの受賞式のあと新宿のバーでの二次会へも加わっていて下さったと 覚えている。坂上さんには一度銀座での独り歩きで出会って、何階かのバーでご馳走になったことがある、誰だった一人お連れがあった。高井さんはどこか新聞 社の人として知っていた。古山さんも袖すり合う程度には面識だけはあった。
2018 3/21 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「自分が間違っているとはどうしても認めようとしない人以上にたびたび間違いを犯す人はいない。」
「馬鹿には善人になるだけの素地がない。」
2018 3/22 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「他人に理を見出そうと思わなくなる時は、すでに自分にも理はない。」
「人は、欠点を隠すために弄する手段より以上に許しがたい欠点など、めったに持っていないものである。」
2018 3/23 196

* しかし、ま。『イルスの竪琴』のマキリップや『ゲド戦記』のル・グゥインらの世界に沁み通って行くような読み手でまた書き手であっては、所詮「内向の 世代」の人たちの私・身辺小説めく心境と文章と本位の文学に久しく馴染まなかったのは、ムリもないか。伊勢・源氏・寝覚また能や歌舞伎や雨月・春雨に惹か れて、谷崎や川端へ流れ着いているのではなあ。しょがないか。

* 明石で妃がねと予言されていた 女児が生まれ、源氏はすぐさま乳母仕えの女を送り出す。そんな間際にも女が若々しく気がきいているとちょっと誘いかけもし、女は惹かれながらもかしこく捌いて明石へ向かう。
こういう源氏の女とのやりとりを、不快ととり男を責めるか、どうか。例の中国への旅中、夜汽車の中で先輩作家らがさかんに大事がり頷きあって、男の女性へのギャラクシイだかギャラントリーだかと大声を挙げていたのも、要はこの際の光源氏の態度や行儀をぜひ必要と
認め合っていたのだろう、わたしもそれは感じていた、ただし、この場合も、源氏の眼や思いに女に観るに足りた人柄や聡さがあればこそで、さもない相手を、女なら誰でも良いというのではけっして無かったのだ。そこを観るべしとわたしは源氏物語に教わってきた。
2018 3/23 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「いかに世間が判断を誤りやすいとはいえ、偽の偉さを厚遇する例の多さは、真の偉さを冷遇する場合をさらに上まわるものがある。」
「罪はずいぶん庇い立てされるが、無実のほうはそんな庇護を見出せるどころではない世の中である。」
2018 3/24 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「人間一般を知ることは、一人の人間を知るよりもたやすい。」
2018 3/25 196

* 気がつくと尻を痛くして倚子で寝ている。
大相撲には興味失せており。「鶴龍」が優勝したらしい。名は、これでよかったか、想えば、妙な名だ。「白鵬」「玉鷲」はわかるけれど。近時の角界、四股名が文字どおり美しからぬ「醜」名たくさんで、うんざり。

歴代横綱は、如何。
明石  綾川  丸山  谷風  小野川  阿武松  稲妻  不知火  秀ノ山  雲龍  不知火  陣幕  鬼面山  境川  梅ヶ谷  西ノ海   小錦  大砲  常陸山  梅ヶ谷  若島  太刀山  大木戸  鳳  西ノ海  大錦  栃木山  大錦  宮城山  西ノ海  常ノ花  玉錦   武蔵山  男女の川  双葉山  羽黒山  安藝ノ海  照国  前田山  東富士  千代の山  鏡里
吉葉山  栃錦  若乃花  朝潮  柏戸  大鵬  栃ノ海  佐田の山  玉の海  北の富士  琴桜  輪島  北の湖  若乃花  三重ノ海   千代の富士  隆の里  双羽黒  北勝海  大乃国  旭富士  曙  貴乃花  若乃花  武蔵丸  朝青龍  白鵬  日馬富士  鶴龍  稀勢 乃里
不知火、梅ヶ谷、大錦、若乃花が二人、西ノ海は三人もいた。
やはり佳い名、好きな名が多い。
谷風、小野川、小錦、太刀山、玉錦、双葉山、羽黒山、安藝ノ海、千代の山、柏戸、大鵬、玉の海、千代の富士、武蔵丸、白鵬など。
角力の品格だの美学だの謂うなら、見苦しい、聞き苦しい四股名は或る程度までよく指導し注意して欲しい。

* ついでに謂うが、大相撲の主な「手」数 いろいろを挙げてみる。問題になる「張り手」「かち上げ」は入ってない。いずれにせよ、本場所で手に入れた列挙で、わたしのウロ覚えではない。
つかみ投げ  掛投げ  櫓投げ 二丁投げ  一本背負い  首投げ  腰投げ  下手出し投げ  上手出し投げ  掬い投げ  小手投げ  上手投げ   下手投げ  浴びせ倒し  寄り倒し  寄り切り  押し倒し  押し出し  突き倒し  突き出し  掛け反り  撞木反り  居反り  裾払い   裾取り  足取り  小褄取り  褄取り  大股  外小股  小股掬い  二枚蹴り  渡し込み  三所攻め  蹴手繰り  蹴返し  河津掛け   切返し  丁斧掛け  外掛け  内掛け  徳利投げ  合掌捻り  腕捻り  大逆手  はりま投げ  鯖折り  網打ち  下手捻り  上手捻り   頭捻り  内無双  外無双  肩透かし  逆とったり  とったり  巻き落とし  突き落とし  傳反り  外襷反り  襷反り  呼び戻し  後も たれ  極め倒し  極め出し  打棄り  割り出し  送り引き落とし  送り掛け  送り投げ  送り倒し  送り出し  逆吊り落とし  吊り落と し  送り吊り出し  吊り出し  素首落とし  叩き込み  引っ掛け  引き落とし  小手捻り  首捻り

* こういうの、折に触れ機械に入れて、整理・分類してあり、すぐ見つかる。暇潰しのようで、じつは役に立ってくれるのです。水滸伝の豪傑達も、すぐ列挙できる。数百項もあるこの機械抽斗を一度アケルと、面白くて時間のたつのを忘れてしまうのが、難。
2018 3/25 196

* もう十時前。今日はまだ十一時間しか暮らしていない。選集の納品と発送まえの例の緊張感を抱いている。二十八日には聖路加へ受診に。その翌日から送り 出し。用意は、出来ている。むかしから、そう、中学高校の学期末試験などの昔から、わたしは、「仕事」とは「用意」であると思ってきた。会社勤めで、こと に二足の草鞋で忙しかった極みも、同じこの思いで、誰もが驚くほど正確に大量に仕事を遂げてきた。要するにただただ尋常な男でしかなかった。
2018 3/25 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「大らかさ(ジェネロジテ)と見えるものも、実は小利に目をくれずに大利をねらう、偽装した野心に過ぎないことが多い。」
「大多数の人に見られる忠実さは、信頼を引きつけるための自己愛(アムール・プロプル)の策略に過ぎない。それは自分を他の人びとよりも優位に立たせ、最も大切なものの預かり人にする手段なのである。」
「寛仁大度(マニヤニミテ)は全てを得るためにすべてを黙殺する。」
2018 3/26 196

☆ 春日  朱文公(朱子 太師徽國公)
勝日尋芳泗水濱
無邊光景一時新
等閑識得東風面
萬紫千紅總是春

* 『千家詩選』の二である。仙明治日本の漢学者はシャチコ張っていて、「道学大いに明なるの日、これ勝日」と読みとり、理に付会してあたら「春日」の喜びを諷詩かのように読む。明治末期知識人の無用の強張りであり、素直に「是春」の喜びを汲めばよい。
* 朝一番にやっと 散髪できた。頭がもしゃもしゃだと気分が腐ってきて機嫌が直らない。散髪したいしたいと二週間は気が腐っていた。「萬紫千紅總是春」と、明日は朝早くから築地での糖尿病検査へ。

* 源氏物語「澪標」巻で、明石から都へ復帰し自身は内大臣に、かつての舅を太政大臣に請い戻すなど威勢を回復してゆく光源氏は、一方では紫上の機嫌も取 りながら遠く明石に生まれた女児に素早く乳母を送り、五十日の祝いにも都からの手をつくしている。そして花散る里のようないわばワキの女へも労りの身を漸 く運べるようになっている。何といっても光る源氏、世離れ久しくとも女は源氏を前でにしては嬉しさに見も心も膨らむ上に、「例のいづこの御言の葉にかあら む、尽きせずぞ語らひ慰めきこえ給ふ」のである。まさにこの、「例のいづこの御言の葉にかあらむ」にこそ、光源氏の「女」にむきあう性本来の和顔愛語というか、外国語では何と謂うのか、はっきりシンセリティと謂うに当たるものがある。
これを軽薄な虚言と聴くか愛の誠意と受けとるかは、相手のあること、一概には言えない。今日で謂う例の「パワハラ」「セクハラ」になるのか愛の喜びになるのかは、「女」の胸に問われる。
ただ一つ謂える、光源氏は、明らかにいつも相手の女を瞬時に選び見ぬき、彼の目に思いに無意味に値打ちない女に「むだごと」は浪費しなかった。失敗例は唯一、倍も年かさな「源典侍」の挑発に遊んでしまったことか。斎院の「朝顔」からはついに見向かれなかったことも、か。

* 「湖の本」140の初校ゲラも届いた。139の要再校戻しはほぼ目前のこと、141入稿の用意もほぼ出来てある。「選集」は第二十七巻まで目下自動的 に流れ進行中。その次をどう編むかは、まだ決めていないが急ぐことは無い。明後日からの第二十五巻を送り出してからは、書き下ろしの創作へ集中できるだろ う、ぜひそうしたいと願っている。
2018 3/27 196

☆ 城東早春  楊巨源
詩家清景在新春
翠柳纔黄半未匀
若待上林花似錦
出門倶是看花人
2018 3/29 196

☆ 春夜  王介甫 (王安石)
金爐香燼漏聲残
剪剪輕風陣陣寒
春色惱人眠不得
月移花影上闌干

* 徒らに解釈しない。ただ漢字の音楽を聴くのみ。王安石も宋朝を支えまた揺るがした大きな政治家であった。
程明道、朱子、蘇軾。みな大きい名前であった。
2018 3/30 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「粧った実直さは巧緻な瞞着である。」

* 心嬉しい一つを書き留めておく、筑摩の大系で初めて作品に出会った亡き柏原兵三さんの芥川賞受賞作『徳山道助の帰還』に感銘を得たこと、篤実かつ深切 の一作で、紛れもない一人の「男の一生」が、何もかも過剰に陥らぬまま親愛も尊敬も批評もまじえつつ、いささかの脱線も単調もなく高ぶりもせず淡々とかつ 深々と書き切れていて、久しぶりに、鷗外や露伴の人物もの現代版に出会えた気がした。わたくしの常に謂いかつ願う、「作」に「品」が添い、「作品」として 美しいのである。こういう嬉しい思いをさせて貰えて読み上げた現代の作を、わたしは久しく忘れていた。
淡々としていた、しかも面白く読めたのである、面白く読めて作品に富んだ作、それが「文学」の本物であること、謂うまでもない。
この作の面白さは決して波瀾の筋でも玄妙の趣向でもない、そんな両方とも此の作は持たない、まさしき一軍人(陸軍中将 勲一等功三級)の、而も人間的 な、というより独りの男としての生真面目に歪みのない「一生」が語られてあるだけ、しかしそんな表現にシッカリ成功していて読後感も静かに深い。作者は作 者自身の母方祖父のほぼ実像を表現したのであったろうか。
いい出会いに恵まれた。一度、わたしの作家としての出発の日にお祝いに加わってくれた先輩作家の「作品」に、四十九年ぶりに出会えたのである、喜びとしたい。

* 源氏物語「澪標」はいろいろな面から物語の構想・成長上に微妙に大事な巻であるが、それはそれとして、光源氏の「住吉詣」は物語深層の動機をさぐる不 可避の要項、この物語はその全面が深海の竜宮竜王の意思と硬く結ばれていることを読者は心得ていなければならない。その意味ではあの『平家物語』も同じで あり、物語られる語りこそ王朝貴族世界と源平闘諍戦記の差はあれ、支配されてある運命は「海」「海底」に在った。光源氏はその海の神々への畏怖と感謝の思 いに満たされて住吉詣でしているのだが、お定まりの水辺の女たち「あそび 遊女」があらわれ、なみの貴族達はたわいなく戯れ遊ぶのだが、此処でも光源氏は だいじなことを胸に懐っている。
「いでや、をかしきことも物のあはれも人からこそあべけれ、なのめなることをだに、すこしあはき方に寄りぬるは、心とどむるたよりなきものを」と「おぼ す」のである。本を戴いた此の巻の校注者今西祐一郎さんは、男が女らに「興を催すことも心にしみることも、(相手の)人となり次第だろう、ありふれた色恋 沙汰でさえ、多少とも軽薄な気味のある相手は、心惹かれる点もないのに」と。遊女とは限らず、ただ軽薄媚態の女たちを源氏はとても受け容れ得ない。わたし は、はやくにこの「分かれ」を空蝉と軒端の荻という二人への源氏の向き合いように感じ取ってきた。彼にとって、女は女なら良かったのではない、なにかしら 敬意を感じ得られるほどの相手にならば、「例のいづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえ給ふ」のである。

* これは、容易ならぬ視点であろうが、今の世のフェミニズム、ジェンダー読者らは、どう気づいてどう読まれているのだろうか。
2018 3/31 196

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「短所でひき立つ人もいれば、長所で見劣りのする人もいる。」
2018 4/1 197

* 文藝春秋の専務を退かれた寺田英視さん、選集來着そして食事へお誘いの電話をもらった。お誘いの方は、ご迷惑を懸けてはいけないので辞退した。寺田さんはお元気そうであった、何よりのこと。
私の「湖の本」は最初の数巻まで、紹介されて、都内の某印刷所に印刷製本を依頼していたが、あまりの乱暴粗雑な製本に泣かされ、編集者の寺田さんに泣き言をもらしたら、即座に凸版印刷の古城進工さんを紹介して下さった。以来、三十余年。有り難い極みのご親切であった。
「湖の本」の旗揚げには出版への「敵性作家」とも叩く人もあったが、寺田さんはナニ躊躇いもなく即座に凸版へ声を掛けて下さり、古城さんも以来三十年、「選集」という仕事も加わって、今でも濃やかに心配りをして下さっている。
我一人で生きているのでは、ない。しみじみ、いつもそう思う。
作家、評論・批評家、各界の人たち、また何人もの各社編集者や新聞記者に励まされ続けてきた。永井龍男先生、福田恆存先生は、それぞれ十指にあまる購読者をさえ紹介して下さり、福田先生の奥さんはいま以て「湖の本」代をお支払い下さっている。なんという、幸せか。
2018 4/1 197

* 『山海評判記』の日本語、『家畜人ヤプー』の日本語、『源氏物語』の日本語。これぞ、この差異こそ「モノスゴイ!」 と戦くほど。どれが佳いか、断然それは「源氏物語」の筆づかいである。
しかし鏡花語調の特異な溌剌にも、ほとほと感嘆。とはいえ、煙に巻かれるようなメマイを嬉しく受け容れられぬ限り、もはや鏡花世界は今日の読書子に歯が 立たない、どころか 歯が缺けるだろう。今回は私も小村雪岱の挿絵にどれほど救われていることか、同志社の田中教授、此のすてきな特装美本を下さったのに 深く頭を下げている。雪岱といい清方といい鏡花文学の長生きに貢献してくれること、この上もない。
東工大の学生クンが、「鏡花は、ナニガナニヤラ さっぱり判りましぇーん」と教授室まで告白しに来てくれたのが、今にしてクスクス笑えるほど、可笑しい。
2018 4/1 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「心の瑕は体の傷と同じ。癒(なお)そうとどれほど手を尽くしても、傷跡はいつまでも残るし、傷が再び口をあけるおそれは絶えずつきまとう。」
2018 4/2 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「心の健康も、当てにならないことにかけては体の健康と変わらない。だから人は、たとえ情熱から縁遠いように見えても、元気なときに病気になるのと同じに、いつ情熱にとりつかれるかわからない。」

* アクティヴに聴いておきたい。

* 昨夜、重ねて亡き柏原兵三さんの短篇「毛布譚」を読んだ。健康な均衡を保って心温かい。措辞文章淡々の味わい、穏和で家庭的な私小説の極に位置する か。志賀直哉の私小説には時に反世間的な「劇」的展開が読めてハッとさせられるが、柏原さんの私小説には「劇」の影がさり気なく抑制されてある。教養的な と評判されているようだが、平衡を保って心慎ましく家庭的な、と謂いたい善意の世界に読める。わたしには、書けない。
小学館版「昭和文学全集」第三十二巻「中短篇小説集」の中ほどで、柏原兵三作「贈り物」に次いでわたし秦 恒平作「廬山」が収録されている。世界と作風との差異は、目に見えて、著しい。
しかしながら、今回のわが読書企劃でかつて読み知ったことのない柏原文学に出逢ったのは胸に柔らかに灯のともる感覚だった。他にも心ひかれた二、三の同世代作家の作風とも顕著に異なって読めた。わたしはこうは書かない、書けない、という心地もまた確か。
妻にも読んでもらった、予想通りに、肯定・親和・好意的の受容であった。
2018 4/3 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「もしわれわれが情念を抑えることができるとすれば、それはわれわれの強さよりもむしろ情念の弱さによってである。」
「心中得意になることが全くなければ、人にはほとんど何の楽しみもなくなるだろう。」
2018 4/4 197

 

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「節制とは健康を愛すること、もしくはたくさん食べる力のないことである。」
「人間の中にある才能はどれも、それぞれの木と同じく、めいめい固有の特性と効用をもっている。」
2018 4/5 197

* 何としても、仕掛かり二つの小説を心ゆくまで書き上げたく、選集も、予定のもう八巻(未編集は六巻)を仕上げたい。
なぜ、こう心身に活力を欠くのか自分でも分からない、あるいは、分かっている、のかも分からない。
わたしは今、昨秋の妻が院手術の頃のように、事を挙げて「祈る」ということをしないでいる。ただ、妻が両親からうけついだという鐵観音像に向かい、また 秦の両親と叔母との位牌に向かい、毎朝夕、お互い過ぎ来し八十余年の数々を念頭に、「有り難うございました」と頭を下げ、且つは今日只今も護られているの を「有り難うございます」とのみ、心ゆくまで繰り返し頭をさげている。尽きるところ、わたしにはもう、「感謝」しか無くなっているようだ。くだくだしい言 葉での祈りはしていない。過去を感謝し今日を感謝するだけ。

* ロクなことをしてこなかったことも、根が、ロクな人間でないことも承知している。今更 仕方がない。意馬心猿をしょせんはよう鎮め得ないヤツとして、このまま衰えて行くと諦めかけている。かけているという未練も笑えてしまうが。
ま、正気のある間は、もう、一とがんばり粘るとしよう。
2018 4/5 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「凡人は、概して、自分の能力を超えることをすべて断罪する。」

* 人は生まれながらに「ひとり」であり、老いにつれて人生「おひとりさま」の日々を、ともすると強いられてしまう。それは分かっていても、老後の孤独・ 孤立は成ろう限りは避けたい。厳しい。寂しい。叶わぬ望みであり、帰する所は動かない覚悟せよせよと、山折哲雄・上野千鶴子「対談」はほとんど漫才口調で ある。けっこうなお人らである。
夫人を或いは夫君を病ませて悲しい寂しい厳しい日々に堪えている人たちの多いこと、或る意味どう避けがたい仕儀であろうとも、とてもとてもお笑いの語りぐさになどしてられない。聞くもつらい。
2018 4/6 197

 

* ずうっと、『或る寓話』に組み合っていた。小説世界へ入っていくと疲れを忘れてられる。ただ、眼は疲れる。
2018 4/6 187

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「この世はまことに不確実で多様に見えるが、にもかかわらずそこにはある一つの密かなつながりと、常に摂理(プロヴィダンス)に導かれる一つの秩序が認められる。これによってあらゆることはそれぞれの序列をまもって歩み、それぞれの運命の流れに従っているのである。」

* そうなのかも知れない。

* 昨夜、高井有一作、芥川賞受賞の「北の河」を読み終えた。しんしんと寂しさに身も心も千切られそうに寒い作、しかし優れた文学作品であった。
少年「私」は父を喪い母とともに戦禍をさけ父の故郷へ、真冬には雪深い寒い東北へ疎開していた。父方親類の家の隠居所を借りて母子は暮らしていたが、こ の状況は此の私自身が丹波の山奥へ戦時疎開していたときと酷似している。わたしは母と二人、親縁はなかったが人の紹介で或る大きな農家の隠居所を借り、戦 禍を避けていた。
高井作は、そんな疎開生活の中で自分は死ぬと少年に言い聞かせさえして河へ身をなげて死んでしまう母を書いている。生きてはいけるかも知れないが此処に は、少年と二人で口数もなく暮らしている日々には「生活」は無いと言い切って母親は死んで行く。少年は為す術もなく母の自裁を見送る。小さな柩に折りたた まれた母の死骸、傷ついた顔のそばに少年は年寄りが切った髪の毛を置いて、それだけが少年にとって母の葬儀だった。

* 此の私自身の戦時疎開をそのまま比較することは、当を得まい。高井作「北の河」の少年は、当時国民学校四年生だった私より二つ三つ年長で、微妙にものに感じる感覚は鮮鋭で繊細だったろう、此の私自身のそれは太宰治賞を受けた「清経入水」に露わされている。二つはもう比べものにならない「別」世界を描いている。
どう「別」なのか。おそらくはその「別」を究尽することで高井作に何かが加わり見つかるとはわたしは思わない、高井作はすぐれた「私小説」的世界を現じ ながらの表現であり、実のところ日本の近代、現代文学の廣い範囲の表現様式に優に含まれている。このところ歩タクシの読んできた何人もの同世代作家の作の 大方は高井さん基本の作風と齟齬のない同類を成していた。その大方が子であり実の父や母をもって、ドラマを生きたり感じたりしていた。

* わたしは父や母という血縁を最初から喪っていた。そういう人もこの世に少なくはないし、そういう小説家もいたであろう、そんな中で、わたしは自身を芯 にして、人間を親兄弟親類といった見方でなく、「世間」「他人」「身内」と把握して、自分からも同化でき向こうからも同化してくれる、譬えて言い替えれ ば、「自分」一人でしか立てない「島」に一緒に立てる立ってくれる「身内」「真の身内」というものがきっと在り現れ出逢えるのだと考えた、悟った、そして 待った。わたしには、父と自分とか母と自分とか、肉親と自分とかいう「関わり」を根底から欠いていたのをむしろ幸せと、好都合とするほどの
現世理解を幼いうちに探り探り求めていた。高井作の少年と母とのような血縁の凍えた寒さを体験せずに、わたしは「身内」の到来、出現に生きる希望を寄せていた。
わたしの文学世界の特異は、一つには、そう把握されていいのだろう、「島の思想=身内観」であったんだと、新ためて自身思い知ったことである。
一つ、自身で今に指摘しておくべきは、わたしの「身内」願望の多くも深くもが、「女」に向かい働こうとし続けてきたこと、其処にやはり、男の父以上に、女の母への言いしれぬ葛藤が在ったのだと思うしかない。
わたしは今なお、実の父も母もとうてい理解できていない。言い替えれば二人ともが「真の身内」であり得ぬままの「他人」のままなのである。
2018 4/7 197

* 花粉のせいかと想うが、旧臘このかた、久しくも洟とくしゃみに悩まされ続けている。
十一時、もう機械から離れよう。
『ユニオミスティカ 或る寓話』はたいへんな作に成ってきて、しかもなおなおの展開欲も加わり、呻いている。
最近、「これが純文学だ」と自ら吠えている小説集をもらったが、本当にそうならば、わたしは「純文学」など書きたくない。
今夜からは坂上弘氏の、さ、何を読もうか。
2018 4/7 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「あまねくすべての人に及ぶ善意と、大いなる世才とを見わけることはまことに難しい。」
2018 4/8 197

* 茫然と 機械にただ触って、あれこれしている。頭の中では、小説の嶮岨に足踏みしている。
天気が良ければ出かけたい気があっても、何処へという何のアテも思い浮かばない。外で、独りでウカと酒を飲むのはもう、アブナイという以上に、危険な気がしている。
間違いなく楽しめるのは、優れ本の読書だけか。それも視力を尽くしていうアンバイに成って行く。それならば「読む」よりは「書く」方へ死力を尽くしたい、たとえ思うたままの「有即斎箚記」であろうとも。
2018 4/8 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「つまらぬ原作の滑稽さをはっきり見せる模倣だけがよい模倣である。」
2018 4/9 197

* 今ぶん 「秦 恒平選集」でいえば、第一巻から第十七巻の戯曲「こころ」批評「こころの心見」までが、わたしの小説・創作と、以降第十八巻「梁塵秘抄 閑吟集」からさき がわたしの論攷や批評を含んだ思想とエッセイの世界に入っている。後にもう二巻ばかりは小説・創作をと記しているが、予定してきた三十三巻では漏れ落ちる 仕事がでるだろう。
何にしても、わたしの文学・文藝は創作と思想との両翼で、その片方だけで見終えてしまうことは出来なかろうと私自身感じている。
「身内 島の思想」「一期一会」「花と風 古代と中世」「谷崎潤一郎」「古典 文学と藝能」「女文化」「和歌と美と美術」「手の思索」「死なれて死なせて」「京都と京ことば」「手の思索」「身と心 からだ言葉・こころ言葉」そして「ペンと政治」「バグワン」…そして敢えて謂えば、「性の衝動」。
どの創作にも、わたしのエッセイ・思想は裏打ちのように貼り付きしみ通っているのではないか。
2018 4/9 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「重々しさは精神の欠点を隠すために考案された肉体の秘術である。」
2018 4/10 197

* 昨夜、坂上弘氏が昭和四十四年の二月に発表した「野菜売りの声」を読んだ。なんらの感興も得なかった。仔細に見ると文章にも渾然の筆はつかわれてい ず、要するに「母」と「息子」との切り離れのまったく無い私小説(語り手が作者自身では無かろうとも)に終始し、そのなかに文学的な感銘、志賀直哉からな ら得やすかった純度の高い感銘は得られなかった。
この昭和四十四年桜桃忌にわたしは「清経入水」で受賞し、「新潮」八月号の新人賞受賞者特輯では坂上氏の新作その他七八人の作とならび、わたしの「蝶の 皿」も掲載された。「清経入水」や「蝶の皿」が、その時期新人文壇の露わな「私小説・身辺小説」傾向とどれほど懸け離れていたか、わたしは、これが文壇、 これが作家というのなら自分は「作家さよなら」だと即、そんな手記を書いたのを覚えている。しかしわたしは立ち止まった。「清経入水」は当時最高と黙され た選先生の満票当選であったし、「蝶の皿」の反響もよかったのである。受け容れられる余地が全くないのではないと感じられ、で、引き続きわたしは「畜生 塚」「慈子」「或る雲隠れ考」「秘色(ひそく)」などを発表していった。
わたしには絶対に現実に葛藤すべき実父母をもたなかったから、親と子とで紡いでいるような「私小説世界」は持っていなかった。わたしは「他人」「世間」 と関わりつつ「身内」を願う行き方しか生来持たなかったのだ。柏原兵三氏「徳山道助の帰還」「毛布譚」、高井有一氏「寒い河」、坂上弘氏「野菜売りの声」 のような「親子」小説をわたしは書くすべだに持って無かった。わたしは血縁や家族でない「他人」にこそ人生の真を探索していた、少年の胸の内で、いつも。
2018 4/10 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「最初に一つの欲望を消しとめるほうが、それに続くすべての欲望を満足させるよりも、はるかにたやすい。」
2018 4/11 197

☆ 詩解(抄)   白楽天
新扁 日々に成る
是れ声名を愛するにあらず
旧句 時時に改め
無妨(はなは)だ性情を悦ばしむる
祗(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦して 一生を過ごさんと
2018 4/11 197

* 長島弘明さん校訂・校注・解説の岩波文庫『雨月物語』を嬉しく有り難く読了した。今西祐一郎さん校訂・校注。解説の岩波文庫『源氏物語』第三巻もひとしお有り難く、「研究」という名にふさわしい検討の成果を目の当たりに手に触れて教えられる喜びは、いい知れない。
こういう古典研究の精度からすると、近代・現代の日本文学研究というのはいかにも「薄い」。ま、研究に値する選りすぐりの古典とはちがい、対象になる作 も作者も程度低いのだからお話しにならないのも分からなくはないが、第一に必要なのは研究者の「読める」ちから、「選び出せる」ちからなのは歴然としてい る。「読む」「読み取る」ちからであっとこえを挙げさせてくれる「研究」、研究そのものが「文学・文藝」であるほどの「研究」に出会いたいと願っている。
2018 4/11 197

* 今度の巻の、実質は 「能 死生の藝」「能の平家物語」と「宗遠、茶を語る」「茶ノ道廃ルベシ」の二本の柱で支えている。
いま、能と茶と どっちが現代日本人により近しいか。
言うまでもない、日本人は、老いも若きも、目ざめた朝から晩おそくまで、時として、いろんな種類のお茶ないしお茶代わりを呑み、暮らしの拠点を茶の間に主に置いている。
わたしは「日本人の茶好き」を「茶の湯」世間の独占所有かのようには考えも語りも説きも書きもしてこなかった。
そこを理解して私の「茶」ばなしに近づいて下さると、例外なく、日本人の日々の暮らしと独特に密接してくるのだが。
2018 4/11 197

 

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「人は決して今思っているほど不幸でもなく、かつて願っていたほど幸福でもない。」
2018 4/12 197

* 十時。何としても、次の「湖の本」139の納品、五月十一日発送までに、『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』集結へ向かう最後の難所・関所を踏み破りたいが。
2018 4/12 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「臆病は、治してやるつもりで叱ることが危険な欠点である。」
2018 4/13 197

* 川端康成の逸文いう、全集未収録 掌大の短篇を送ってくれる人があった。「名月の病」「妻競」二編、べつだん何らの感興も涌かなかった。重箱のすみをつつく類いかと。
代表作の「読み」に、のけぞるような新たな角度や見解が提示されるのなら瞠目するだろうが。

* わたしは曾て、谷崎検討の大きな一環として、五人の新進研究者とともに、谷崎と、漱石、直哉、鏡花、川端、三島との比較検討の論攷編を企劃し、結果的には成らないまま断念したけれど、
類似の規模での大きな掘り起こしを川端の場合でも、「研究」の名と実質とでやれないのかと思ったりする。
川端康成と三島由紀夫となら、どっちが文学として大きいかなどとは問わないが、その双方からの落差など説き明かしてくれるなら読みたいと思う。いずれに しても、もう上に挙げた作家らの考究を躍り越え、「戦後昭和平成文学史」のデッサンなどこそ競われて良いのではないか。「平成」はもう来年で終えるのだ。
2018 4/13 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「われわれの行為は題韻詩(ブー・リメ)のようなもので、おのおの好き勝手なことにこじつけて辻つまを合わせる。」
2018 4/14 197

* 「釣りバカ日誌」はわたしの最も好む身内モノ映画のシリーズで、今夜も盛大に笑わせて貰えた、近来こんなにシンから笑い続けたなんてことは、絶無だったろう。シンから共感しつつ笑えるのはこの上ない妙薬。

* 映画の前に京都の国宝めぐりをみせて貰えた。智積院、鳳凰堂、浄瑠璃寺、三十三間堂、それに京都博物館などなど、懐かしさに泪が出た。
京都 たしかに良い。昔の権勢は、権勢ゆえに同調も容認も讃歎もしないけれど、置き土産のように佳いモノをわれわれに沢山遺してくれたことには感謝せざるをえない、有り難うと云ってしまう、心から。
それに比して、近代現代の為政者や経営者はいったいどんな素晴らしいモノを後世に遺してくれたと云えるか。道路、ダム、橋、鉄道を挙げることはできる が、政治や実業の支配者個性は与っていない。それらは人類史必然の文明ではあるが、民族の個性に彩られた日本人ならではの文化とは云いにくい。
*  むやみやたらに 京都 流行だが、けっこうだが、 ただ 上澄みの一辺倒で わたしの いわゆる 「洛東巷談 京都縦横無尽」「京のわる口 京ことばの凄み」ふうの大きな半面がほとんど省かれている。それはそれで宜しいけれども「京都」の凄みも知ってていいのでは。
2018 4/14 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「誰の助けも借りずに独りでやっていく力が自分にはある、と信じる人は、ひどい思い違いをしている。しかし、自分なしには世の中はやっていけないと信じる人は、なおさらひどい思い違いをしている。」
2018 4/15 197

☆  西洋の
多くの古典に眼を通されていることを知り、それが先生の著書の通奏低音として静かに響いていることを知り あらためて敬服いたしております。
私が、西洋の古典文学を意識して読むようになったのは高校時代からでした。
大きな影響を受けたのは、桑原武夫著『文学入門』(岩波新書)です。巻末に西洋の小説50選リストがあり、これらを大学卒業までに9割方読みました。
社会人になると、手に取る本は、金融、法律、会計、統計などなど実践的なものばかりで古典文学をひもとく余裕はなかなかありませんでした。たまにモームやシャーロック・ホームズのペーパーバックの頁を繰る程度でした。
プラトンは、高校時代に大学受験を目前にしてなぜか突然本屋に注文して手に取り
ました。爾来付き合いを続けています。
古典ギリシア語を学び原典に触れるようになってからようやく少し理解できるようになりました。(この辺のことを奈良康明先生の仏典を読む会の会報に寄稿した昔の文章を添付いたしました。お目通しをしていただければさいわいです。)
会社を定年退職し5年間で三つの大学院をハシゴしましたが、これは専ら環境問題の研究に専念しました。
ようやく11年前から哲学書を楽しめるようになりました。
病と上手に付き合いながらマニアックにギリシア哲学の原典講読を続けていきたいと考えております。  篠崎仁

* 添付されていたギリシア哲学体験記も読ませてもらった。
ギリシア哲学については、つとに原始佛教との意味ある接触を識っていたので、むしろ佛教の側から好奇心を伸ばしていたが、何と云ってもギリシア哲学はプ ラトンなので、「饗宴」や「ソクラテスの弁明」などを先行させながら、岩波文庫のプラトン本を古本も含め買い集めて、読めるだけは読んだ。夢中になった程 ではなかった。一年で放棄し東京へ走った、大学院での専攻が哲学・美学だった。
ま、わたしはとにかくも雑食の読書家だったし、芯の関心は、日本史、日本の古典、日本の美学、日本の信仰にあったから、西洋哲学は、時代を飛び飛びいろ んな古典的哲学書をつまみ読みしていただけで、大方は、必要に応じ通史的な「西洋哲学史」をおよそ便宜に利用していたに過ぎない。

* 少年の昔から法然上人に惹かれて、日本化した浄土佛教を識って行き、遠祖ともいえる晋の恵遠を「廬山」に書いた。滝井孝作・永井龍男に芥川賞へ推され、永井先生には「美しい小説、美に殉じた小説」と書いて頂いた。
後年には、そして今も、禅へ心惹かれ、「バグアン」と出会って今日がある。
基督教への好奇心的な関心も早く芽生えて、とにかくもあの浩瀚な旧約も新約聖書も通読してきた。関連の映画もあまさず観てきたが、教会の歴史や在りよう には厭悪感もあり、むしろ基督教典への入門や解説をたくさん読みつぎ、ついに新聞小説で、「親指のマリア  白石とシドッチ」を連載した。
日本の神道へはじかには近寄らず、柳田国男全集 折口信夫全集を手もとに揃えて濫読に近く多読した。私の目線は高踏にはなく民俗へ向いた。もともとわた しは、信仰という人間の心根にこそ関心はあっても、宗教・教派・教団という党派色のきつい組織は毛嫌いしてきて、今も変わらない。

* こんな粗雑な回顧ででもいささか自身を顧みられたのを篠崎さんに感謝する。
2018 4/15 197

* 封筒に、わたしの住所印などを発送予定の数に満ちるだけは事前に捺しておかねばならない、これは根気仕事でかなりシンドイが、ま、やがての「湖の本」 139分は捺し終えた。宛名印刷して封筒に貼らねばならない。足りない分は宛先と住所を手書きせねばならない。出来本の送り出しこそ一等の注意力、腕力を 要する労働なのである。
云うまでもなく、収支はつくなわない、当然の赤字っているが、幸いそれは気にしていない。選集も湖の本も建日子さんの支援が有るのでしょうと云う人が、ときどきいるが、両方とも、ビタ一文の支援も手助けもしてもらっていない。
稼いだだけは使い果たして死にたいと昔から考えてきた。だんだん近い気がしている。せめて、もう三年、待ってくれるといいが。妻の、母親の面倒は息子がみるだろう。

* この「私語」も、追い追い、老い老い、もじどおり「闇に言い置く」感じになって行く。育ての親たちに手をつき頭を深くさげて京都を離れてきた日々をこのごろよく思い出す。秦の父がひとりで京都駅へ見送ってくれた。
来年春にはあれから六十年になる。ウソのように驚かれる。ウソではなかったのだ。それどころか秦の父も母も叔母も東京へ引き取って、みな「平成」に入っ て見送った。三人とも九十歳を越す長命で、一番からだの弱かった母が、九十六歳まで生き抜いてアトを追った。耳も目も歯も弱っていたがボケていなかった。 今でいう誤嚥で逝ってしまった。

* ほんとうに可能なら、三十三巻で「選集」を結びとめ、ほどをみて「湖の本」を終刊にしてなお正気と体力とが残っていれば、京都へ一部屋でも借りて帰り たいという願い、無くはない。だが、それは以下にも気弱。「湖の本」の種はまだまだまだ尽きないかぎり奮迅すべきかとも。からだや気が保てればいいが。食 べられない、食べたくないというのが、なにより今、心もとない。
2018 4/15 197

 

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「すべての人間のあいだにある類似と相違がどれほど大きいかを理解することは難しい。」
「人間の心をあばいて見せる箴言がこれほど物議をかもすのは、人びとがその中で自分自身があばかれることを恐れるからである。」

* これは、まこと、手厳しく言い得ている。
2018 4/16 197

* 「myb」の新装新刊5号が届いた。大きな「特集①」は「『平成』は穏やかな時代だったか」で。八人の筆者のトリをとって、実に実に久しぶりのわたしの原稿が掲載されている。編集室は、ま、喜んでくれた。云うべきを、よく考え、取り纏め云うたまでのこと。
この春は、紅書房の依頼にも久々に応えた。ま、恥ずかしくなく責に応じ得たと思っている、句集の俳人奥田杏牛さんからも名だたる「久保田 萬壽」一升を戴いて恐縮した。

* 植物病理学者で茶人でもある北海道のmokatさんが出張先の灘で選んで送って下さった純米大吟醸の一升は名付けて「風花」でした。もとより「花と風」とは私の詞藻と思想面での代名詞。実に心得ていて下さり嬉しかった。

* とにかく原稿料で稼がない、出版は即出費だけの代名詞であり、卑しいけれども、ご好意の品が配達されてくるいわば「花」や「風」の賑わいを、老夫婦は心より感謝し喜んでいる。

* ああ それにしても 「おだやかではおれなかった『平成』」が、もう、三十年とはね。
2018 4/16 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「自分がしている悪のすべてを知りつくすだけの知恵を持った人間はめったにいない。」
2018 4/17 197

* ただ懐かしいのではなく、京都へはどうしても帰らねばラチの明かないアテがある。
実は、脚を延ばし、瀬戸内の目当てへも行きたい。
行けないためにと謂うのは情けないが、それ有って、書きかけの小説は一つは九割がた、一つは六、七割がたで、苦悶しつつ頓挫し二年を経ている。京都が懐かしいと繰り返す時、わたしの想いは苦悶に近い。
しかし、小説の取材は、観光・物見遊山でない。一種の狂気に入って独り其処に同化し作の世界や人物と対話しつづけなければ無意味な散策に尽きてしまう。
しかし、私の心身に現に生じている臆病と億劫とは、宿を予約し新幹線に乗るというそれだけをもさせない。ぜひ独りで動かざるを得ないし、さだかなアテド もなくひたすら歩きまわらねば済まない。実を云うと目指しているその方面に、わたしは、ほぼ不案内なのである、行ったことも観たこともない京都なのであ る。疲労し、そんな出先で潰れたら、と想うと二の足を踏んでしまう。
もしかりに建日子が同行してくれると言い出そうが、それでは父子の「観光」旅行なみにむしろ京都を識ったわたしが息子にサービスすることになる。作中世界との対話はとてもそんな遊び心地では実現できないほど幻怪に難しかろうと、今も、看ている。
他の、何を措いても第一の優先事でありながら、実現出来ない。弱ればますます出来なくなる。わたしが「京都へ」というとき、現実世界の誰や彼やに会いたい見たいでは、無い。進行中の作世界と何より何処より出会い…たい、のだが。
2018 4/17 197

 

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「馴れ馴れしさは、社交生活のすべての規則の弛緩に近いもので、気楽な付き合いと呼ばれるものに人を到達させるために、放縦が持ちこんだものである。これ は自己愛の所産の一つであって、すべてをわれわれの弱さに合わせようとして、良俗の強制する奥床しい隷属からわれわれを引き離し、また良俗を気楽なものに する途を求めるあまり悪徳に堕さしめてしまうのである。
女性は生来男性よりも柔弱なために、いっそうこの弛緩に陥りやすく、またそこでより多くを失う。女性の毅然とした品位が保たれず、人が彼女に払うべき敬意が薄れてしまい、貞淑はその権利の大部分を失う、と言うことができる。」

* 馴れ馴れしくするのもされるのも、おそらく大方の人は嫌いだろうと思う。自分からそう接した相手など永い歳月に思い当たらない、独りもなかったと思 う。むしろ男性同士にはときとして馴れ馴れしく出てくるタイプがいたと思うが、あれは男社会の競い心でもあるのだろうし、所詮親しくはならなかった。
茶の湯を介して知った「淡交」とは少年来念願の境地であったけれど、簡単な文字のママの理解ではとてもとても到達どころか近づきもならない、難しい人間関係だとしみじみ思う。少なくも賢さよりも聡さがよほど大事になる。
2018 4/18 197

☆ 羽生清 著 『楕円の意匠』 四 蛇鱗紋 -舞台の奥-  より抄・引用

あわや、お組が法界坊に組み伏せられようとしたとき、要助の身元引受人甚三郎は自分の掘った落とし穴に落ちた法界坊から吉田の家宝「鯉魚の一軸」を取り 返す。そして、要助とお組を逃がす。二人が歩き出そうとすると、野分姫の霊が現れ祟りで動けなくなる。「鯉魚の一軸」を開くと威徳に恐れをなして霊は消 え、二人は無事に立ち去る。穴から出てきた法界坊は甚三郎に傘で打ってかかるが逆にやられる。

甚三 思い知ったか。
法界 チエヽ、殺さば殺せ。思いこんだるあのお組、生きかわり死にかわり、恨みを晴らさでおくべきか。

強欲な法界坊に翻弄される二人の美女。野分姫が死に、お組は逃れる。甚三郎はお組と要助を葱売りの姿にして「隅田川」の土手へ逃がす。凄惨な殺戮の場が 一転して桜花咲く隅田川に変わると、これまでの騒々しい喜劇は怨念劇舞踊「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」になる。

名にし負う、月の武蔵に影清く、霞を流す隅田川、
岸を分くれば下総と、昔は言うても今もなお、
よしある人の言問はば、色在原を都鳥、群れ寄る波に
せかれては、伊達な浮世を渡し守。

そこで野分姫ゆかりの袱紗を焼いて回向をすると、お組がもう一人現れる。

松若  ヤアくそなたもお組、こちらもお組、コリヤどうじゃいのう。
お賎  ほんにコリヤ、こちらもお組様、あちらもお組様。
松若  お組が二人になつたわての。

お組と同じ娘姿に潜んだ二つの霊。お組と見まごう振りの奥から、突如、野分姫の怨恨と法界坊の執着が顕れる。殺された娘と殺した僧との霊の合体。異様な のに、舞台の禍々しさを懐かしく想う私がいる。そもそも、私と他者の間が、そんなに明快に分離できるのか。いつも行い澄ました私を生きて疲れてしまった人 間たちが、舞台にとけ込んでいる。自分の殻から出てきた観客の気が一つの波長に揺れて動く。そのとき、人は誰にでも成る。
性別も年齢も国籍も関係ない。人間であることさえも。狐でも蛇でもかまわない。いっとき、そのような時間を持つことで、私は、私であることを許される。 その私がさまざま登場人物と一つになって楽しむ小説や芝居。殆ど、疑問を感じずに読む本や観ている映画、その鑑賞を可能にしている根拠は私の奥にあるさま ざまな私ではないか。
安珍の清廉が清姫の情念を駆り立てる。二人は光と影、一心同体。それを見せる『隅田川続悌(すみだがわごにちのおもかげ)』。(中村=)仲蔵が、初代新 七に望んで、立役でも踊れる鐘入までをつけた葱売りの所作を書いてもらzた曲のため、この芝居は今日まで生き永らえたといわれる。
「道成寺」から生まれた「双面水照月(ふたおもてみずにてるつき)」。だから、法界坊は鐘を曳いて登場し、最後は鬼になる。
清姫と安珍は「双面」。清姫の業を引き出したのが安珍なのだから、安珍に無罪は許されない。無意識の偽善は女の側にあるばかりではない。存在自体が罪で あるような良い男、業平も源氏も女たちの潜在意識が要求していた役割、女たちを喜ばせ、悲しませ、生きていることを感じさせる役割を果たしただけかもしれ ない。
安珍と法界坊、口説かれて逃げ回る模範僧と女に目のない破戒僧。どちらが罪深いのか。己の成仏のため娘の命がけの願いも無視する身勝手。それは、「あは れ」を知る雅男(みやびお)の対極にある。女は「この世で男にまとわりつき、あの世で成仏のさまたげになる」などと、己の弱さを他人のせいにし逃げ回るの が名僧か。
娘と見れば、野分姫もお組も諸共に妻にしようとする法界坊は、業平や源氏に近いけれど、雅な「いろごのみ」が嫌らしい「いろきちがい」に変わるのは、い つだろう。引用に次ぐ引用で、古典的な教養なしに芸能は楽しめない。実は現在を楽しむ能力を持っていたら、古典の方は自然に身に付く仕組みになっているの かもしれない。
法界坊は、乞食坊主。高僧でありながら、吉田家の姫に狂う清玄を登場させて、言葉を批評した南北作の『桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしよう)』 (文化十四年・一八一七)。
序幕、高僧清玄による剃髪の時を待つ桜姫の前に、かつて一度の契りで子までなした盗人釣鐘権助が現れる。

心づかねば引きしむる、はずみに腕の入れ墨に、
鐘に桜も有明の、灯に一目見たばかり、どんな顔
やら殿御やら、知らず別れたその跡で

盗みのついでに自分を犯した顔も知らない男に思いを募らせ、去り際に男の腕に見た「鐘に桜」の入れ墨を自らの腕に施した桜姫。二度と男に会えまいと得度 しようとした矢先の再会に、二人は人目を忍んで抱き合う。この桜姫は清玄が愛し心中を企て一人死なせてしまった稚児白菊丸の生まれ変わりだったのである。 それを知った清玄は盗人権助の罪を着る。

* 「日 本の美意識はどこから来たか」と問いながら、この著は、美しい構成で、遠く「古事記」では黄泉比良坂や吾妻に「言葉の霊」を問い、伊勢物語と業平の「道中 の景」を問うて愛の深秘に迫り、歩を運んで源氏の六条御息所から四谷怪談へまたぐ愛の計り知れぬ懼れをまさぐった後へ、この日高川と隅田川にくりひろげら れる美意識をさながら自身「体験」してみるかのように、なおなお著述後半へ思索されて行く。この著者の意識の原点は「古事記」にあり、それは日本の古典展 開の揺るぎない大きな原点であることをわたしも共感している。源氏物語や平家物語を語るに当たっても、深い思いは古事記に探らざるを得ない、そんなこと を、どれ程の人が心得ているのだろうか。
神話と物語 怨霊と幽霊 島原と吉原…。合わせ鏡の対比から「日本」の男と女が抉られてゆく羽生清よさん(京都造形藝術大学教授)の洞察と方法、そして述懐の文章には、びっくりさせるほどの独自性がある。「名著」だと敢えていう所以。

* 上に取り上げられた舞踊やお芝居のいずれもをわたしも妻も繰り返し耽美してきた。あの勘三郎が演じた法界坊のごときは、「平成中村座」の「松」の席、われわれの顔がくっつくほどの真近へ宙をとんできて、笑いながら妻のペットボトルからお茶を含んで去っていったものだ。
「櫻姫東文章」は、受賞のすぐ後に某劇団のアングラ公演へ招待されて初めて観た。怖い芝居だったが底光りして美しかった。のちに紀伊国屋劇場で新劇の人た ちの、そしてむろん歌舞伎座でも何度も観てきて、羽生さんの挙げられているこれらはみな、これこそ「もの凄い」しかしまたじつに「美しい」世界なのであ る。
わたしは「四谷怪談」は怖くて遠慮してしまうのだが、この本での羽生さんの「お岩」への愛と共感の深さには教えられた。そしてこの著者は、ここでも私が 観てきたとヽ視線・視点で「四谷怪談」の根を「古事記」に見抜いておられ、敬服した。これは、そうなければならぬ視点なのである。

* 自分の今の仕事に停滞を来しているしんどさも手伝い、いろんな優れた著作にいまわたしは心身を浸し続けてもいる。
2018 4/18 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「新しさの魅力と長い付き合いとは、全く正反対のものであるにもかかわらず、われわれが友達の欠点に気づくのを等しく妨げる。」

* 欠点などというモノが問題にもならないのは長い付き合いの友人であろう。逆に、欠点の見えてこない新しさの魅力には用心すべきだ。
2018 4/19 197

* 選集第二十七巻の初校をようやく終えた。なんと600頁に辛うじて抑えた。重い本になるが、読みやすさや面白さではうまく纏まったと思える。ほっとし ている。次は、第二十六巻を慎重に責了にし、作家生活満四十九年の桜桃忌までに刊行しく、合わせて第二十八巻の編輯を進めねば。予定では、あますところ六 巻分。とても満ち足るワケに行くまいから、少しでも残念・未練を減らすべくよく工夫して編成しなくては。ムリに強行すれば作家生活満五十年の日までに仕上 げられなくはないが、もはや何を急ぐ必要もない、「湖の本」百五十巻も「選集」三十三巻も、ただただ健康との相談を大事にゆっくり楽しめば良い。

* 「湖の本」はこの六月十九日までに百四十巻になる。平均すれば、これらの一巻一巻は量的に市販単行本のほぼ一冊分に相当している。つまり三十二年かけ てそれだけの本を出版してきた、送り出してきたわけで、これは「湖(うみ)の本」というかつて例のない類のない発明がさせた仕業である。三十二年前にわた しはすでに人も驚く数の市販単行本をすでに持っていたし、持てていたことが「湖の本」を可能にしてくれた。この可能が、わたしの「読んで・書いて」の跡絶 えない日々の結果を「出版」というかたちに実現してくれた。三十二年前のわたしにコレがなかったら、幸い依頼原稿は跡絶えずに原稿料は稼いでいたろうが、 秦 恒平著という「単行本」は容易にうまれてはくれなかったろう、それが「良い本」よりも「売れる本」へ狂奔していた当時いらいの出版状況で、今日はさらに悪 く煮詰まっていると、とても本など出して貰えないと文学作家達は歎いている。開店休業を強いられるか、安直読み物へ筆を枉げるしかないという。

* 或る社の或る編集者は、叛逆の敵前逃亡と嗤い、到底十册も出せまいと断言したが、わたしは、ま、本ものの「編集者」で、そのうえ有り難い「いい読者」をもつ「作者」であった。
そのわたしの背中を、ただ黙って押して、「湖の本」のためいっとう肝腎で一等有り難い印刷会社を一言半句なく即座に紹介して下さったのが、文藝春秋の寺田英視さんだった。
むかし、亡くなった鶴見俊輔さんのインタビューを受けたとき、鶴見さんは、多くの作家がどんなに秦さんの「湖の本」に習いたいと願ってるか知れません よ、ただ残念ながら条件が調わない。第一に継続可能な作品の量と質と産出力、第二に熱い「いい読者」、第三に編集・製本の技術、第四に家族の協力、第五に 疲労を超えて行く事務能力 が、大概の作家たちにはとうてい望めないからねと云われた。

* 「選集二十七巻」600頁を一気に「要再校」請求の手を入れて、宅急便に託してきた、

* 上の作業しながら吉永小百合の映画「伊豆の踊子」を聴いていた。高橋正樹の高等学校の「書生さん」役は、彼生涯の出来役で、その後は無用に気張るばっ かりでほぼ観るに堪えないが、この映画ではさっぱりと初々しい。最近のイケメンたちよりよほどいい。「伊豆の踊子」の書生さんでは、ヒロインと結婚し ちゃった彼が好き。ひはり主演「伊豆の踊子」の「書生さん」はややイカツイ青年だった。
この映画観るつど、川端康成が「感動」源をむ抱いたまままっすぐ人々の胸へ撃ち込んだ名作は、やはり「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」に尽きていて、その後は 作がだらしなくなるが希薄になるか奇に走っている。わたしの偏見かな。
2018 4/19 197

* 源氏物語「松風」の巻は胸に沁みて佳い巻。明石方の姫が紫上に預けられる。明石の母や祖母には哀しい別れにはなるが、姫の生い先、必然の入内を予測す れば、もっとも然るべき一同聡明なはからいとわたしでも思う。わたしはこののちのち中宮となり匂宮らの母となる明石の姫が好きである。この人は根の祈り に、「海」を深く負うている。ダテに「明石」で生まれたのではない。
2018 4/19 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「貴顕の人の打ち明け話にもましてわれわれの自惚れをくすぐるものはない。なぜならわれわは、そうした打ち明け話はほとんどの場合、単に虚栄心からか、も しくは秘密を胸にしまって置けないためにされるにされるに過ぎない、ということは考えないで、これをわれわれ自身の人徳の然らしむるところだと見なすから である。」

* 兼好法師考で、彼が自讃の一条、法聴聞の暗い堂内で貴女にしなだれ寄られたのを、半世紀も昔の論攷ないし創作時に解したのが、上記とまさしく同じわたしの観測であった。
2018 4/20 197

* 選集 予定だと あと六巻 四苦八苦して算段してみたが、少なくも二、三巻は足りないと見えてきた。あたまの禿げるほど無いチエを絞って「編輯」という仕事をとりあえずは一応完遂するしかない。ウーム。
2018 4/20 197

 

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「哲人たち、とりわけセネカは、彼らの教訓によって少しも罪悪を除きはしなかった。彼らは傲慢というものを確立するために自分たちの教訓を用いたに過ぎない。」

* わたしは大学で美学・藝術学をまなび、わずか一年間で遁走したが大学院では文学研究科の哲学専攻生であった。美学・藝術学・文学は理解できるが わた しはどーも哲学ないし哲学者ことに後者の実在が信じきれなかった。西欧哲学以前のまだしもソクラテス・プラトンには教わったが、基督教に近縁の宗教哲学者 や近代のめちゃくちゃ難解な哲学には親しめなかった。なによりも哲学に人間の生きる苦悩や喜びを和らげ励ます真率な真理を求めていたから、ほぼ酬われたこ とは一度もなく、むしろ東洋の哲学や高僧達の生き方に刺激されていた。
まして生まれてこの方の日本人で、哲学者を名乗り呼ばれる誰からもこの娑婆世界で通用する卓見によって励まされた体験はほぼ一度も持てなかった。はいごに宏遠な仏教を背負ったバグワン、または溯ってイエスの言葉にこそ頷いてきた。
ま、こんな告白もしておいていい時機かも。

* 毎朝いくらか遊び心地で引いているこのラ・ロシュフコーの「箴言」も全面信頼しているのではない。ただかかる言行には毫も哲人意識がなく、むしろそれへの冷笑が浮かんでいるのを容認しつつ聴いているのである。
2018 4/21 197

* 専修大の新井教授から岩波新書「五日市憲法」が送られてきた。新井さんは色川大吉先生のお弟子さん、ペンの理事時代からなにかにつけ御世話になりご示教願ってきた方。「五日市憲法」には関心を寄せてきた。一勉強出来ます、感謝。

* 一勉強というと、このところ気を入れてきたのが司馬江漢の「西方日誌」で、これはもう芳賀教授の仰有るまでもなく、久しい日本の紀行史を真裏返しに まったく新しい姿勢と文辞で愉快至極に書きつづったみごとな成果なのである。もっと昔に読んでいたら、なにか徳内や白石ふうの仕事へ仕立てられたかもなあ と頭を掻いた。
肝を掴んで揺すられるような面白いモノ・コト・ヒトがまだまだ無数なのだと思うと、ふうっと力が湧いてくる。
2018 4/21 197

 

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「自然はわれわれ自身知らない諸々の能力と才覚をわれわれの精神の奥底に隠したらしい。情念だけがそれらを掘り出す権限を持っていて、時どき、人為の及びもつかない確実で完全な見識をわれわれに持たせるのである。」

* 電源を入れて、作業可能になるまでに最低でも十分以上はじっと待たねばならない。その間にロシュフコーを読み後拾遺和歌集などを読む。 勅撰の連歌集 はあったと思うし漢詩集もあったが勅撰発句集は編まれなかった。編まれなくても構わないが、私撰でもいい千句程度の一冊が欲しいものだ。解説も解釈も要ら ない。「武玉川集」も座右に運んできて置きたくなった。
賞味期限の遙かに切れている機械と我慢強く付き合うには、暫時の待ち時間に堪えねばならず、それを逆用出来る興味を身辺に簡単に見つけられるよう、和歌 集や漢詩集や江戸小事典の「砂払」などを手の届く範囲に常備してある。現代ものの詩歌句集は出してないが、上村占魚の「吟行歳時記」は座右便利している。
2018 4/22 197

* とうとう鏡花の「山海評判記」を読み終えた。小村雪岱の挿絵に案内して貰った、物語というかストーリーを一読で把握できる読者は一人もいまい、名うて の読み手ももてあましながら佳い佳いと強弁していたようだ。ただ鏡花の「おしゃべり」は絶品でだれも真似は出来まい。それを心底から楽しんでいると物語世 界が向こうから近づいてくる、わたしが請け合う。

* 吉村昭さんの「海の柩」「休暇」「ハタハタ」を読んだ。このどれ一つにも作家吉村の年譜的背景は関わりなく、すべてが興味ある題材を見つけて追いかけ た調査結果のような小説になっている。作者の生な血液型が関与していない創作なのだ。そうかそういう作者がいるんだと発見した気分。
わたしも、どれかそんな小説を書いたろうか。只の一作も無い。どの作にも私の生身の血が流れ込んでいる。それが佳いのか悪いかは知らない。自分と切れた調べ仕事のような小説読み物で佳いなら、わたし、今でも、幾つでも書けるなあ。
2018 4/22 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「勝利は、勝利を目的とせず、行動する各自の個人的利欲だけを目ざす無数の行為によって産み出される。例えば、軍隊を構成するすべての者が、自分の名誉と自分の栄達に向かって進むことによって、大きな全体の勝利という幸福を獲得する。」

* この公爵は、軍隊を率いた高級軍人であった。上の軍隊の勝利云々は、彼なりの譬えであり、その限りで蓋然性の高い見立てになっている。
彼の箴言性を帯びた「引退」論もなかなか云えていて面白い。少し時間のあるときに吟味したい。
2018 4/23 197

* 金井美恵子さんの短篇「帰還」「腐肉」など読んだ。作風、分からなくはない。しかし趣向の短篇としては切れ味は今一つで、不思議も奇妙も怖さも、今一つもの足りなかった。少し長い作も読んでもようか。

* で、此の巻に収録した自作も読むのか。
ま、それは時間を節約しよう。いま思っても、あ、しまったという作品選択はしていない。

* そうそう。それよりも、こういう全集には「月報」が付いて、収録作者について「語って」貰えている。吉村さんには「早稲田文学」での盟友らしい岩本常雄氏が、金井さんには俳優の殿山泰司さんが書かれている。
わたしを紹介して下さったのは、太宰治賞の選者のお一人でもあり、文学・史学・哲学の碩学として知られた唐木順三先生であった。ふるえるほど嬉しく、また恐縮した。
どんなことを書いていて下さったか、畏れ多いが、本が出た当時どれほどわたしが嬉しかったか、察して頂けようかと。

☆ 秦 恒平の独自性   唐木順三

秦恒平氏の生れ、育つたのは京都の祇園界隈、中学も其処、高校も其処から遠くはない。大学は同志社。少年の時から『源氏物語』に取憑かれ、光源氏、薫大 将、匂宮、その光のかがやきや陰翳、薫りつや匂ひの濃淡や色合を己が感覚世界に移して、よろこびやあはれを共にするといふ早熟さであつた。高校生のときに は同居してゐた叔母に茶の湯を習ひ、習ひに習つてほどなく代稽古をするといふほどの域に達した。『源氏物語』と茶の湯、五十四帖の、時とともに展開し、読 む者の心にさまざまな想念と自由な情景をかもしだす物語と、狭い茶室の中に人と人とが寄合つて、茶を点(た)て、茶を喫するといふ単純な行為の中に主客と もどもの共同空間、共通感情をかもしだす茶会式と。この拡散と集約、自由と規制との二つの方向を、本人の意向に拠るか否かは別として、若い秦恒平が合せ兼 ねたといふことが、後の創作活動にとつての要(かなめ)となつてゐると思はれる。
祇園といふ遊里を含む一帯には伝統につちかはれた芸事(げいごと)、稽古ごとが、なほ生きてゐて、其処に住む人々の行住坐臥にも、ゆきずりの挨拶言葉に もおのづからにそれがあらはれてゐた。観世父子の「稽古は強かれ、情識は勿れ」とか、「能(のう)は若年より老後まで、習ひ徹るべし」といふ一徹さが、謡 ひにも舞ひにも、また市中の茶の湯の稽古にも、さまざまな芸事にもなほ残つてゐたと、秦恒平を通して、否応なく納得させられる。同志社を卒業後、東京に出 て、医学書院といふ全く畑違ひの職場に身を置いて、みやびだの幽玄などとは無縁の年月を過してゐる間に、この作者の脳裡に、京都が、祇園が、またそこでな じんだあれこれのひとびとが、濾過された形であらはれ、それを文字言葉で造型する作業の結実が、読者を誘つて夢ともうつつともつかぬ境へつれこむのかもし れない。例証を挙げる煩をはぶくが、たとへば『月皓く』の一篇だけでも読めば十分に納得が
いくだらう。大晦日の夜、暗く苦しい道へ入つてゆくかもしれぬ女客を迎へ入れての茶席には、「一陽来復」といふ軸が掛けられてゐる。主も客も、その席につ らなつた若い作者も、ひとこともその女客の境遇に触れないながら、一碗の茶を点じ喫するといふ所作のなかに、この女性への思ひやり、心づくしのほどが、炭 火のほのぼのと赤い中にただよつてゐる。一陽来復などといふ平々凡々の言葉が、この折なればこそ生きて働いてゐる。

小学校で「アイウエオ」 の五十音図で仮名を教へるのに不服を言ふのではないが、家庭では親から口うつしで「いろはにほへと」の四十八文字を唄つて教へ てほしいと、さういふことを秦氏は言つてゐる。それが仏語の「諸行無常、是生滅法」に由来することなど、どうでもよいが、「いろはにほへどちりぬるを」と いふ語感、やまとことばの美しい音律と、いろはにほふといふ微妙なことばづかひを、幼いときから口うつしに伝へてほしいといふのである。とにかく秦氏ほど 京言葉を美しく書き誌しうる作家は他にはないだらう。『閏秀』の中に、上村松園の母のいとなむ茶舗の店先での会話が出てくる。母が店先に立つた客に声をか ける。「まあお寄りやしとくれやす」。客がそれに応じて、「さうどすな、ほなちよつと休ませてもらひまひょ」。一見なんでもない対話ながら、この短い応答 のなかに、母の顔、客の顔、その所作までがでてくる。もうひとつ、随筆集『優る花なき』の中の「京ことばの秘密」から引く。東京の秦宅へ、いまは七十五歳 になつた京都の叔母を引取つた。これまで京都の祇園町から一歩もよそへ出なかつたこの老婆の京ことば。お医者さんがかくかく言つたの場合は「お言(い)や した」、御用聞の場合は「言うとつた」、近所の奥さんの場合は「言うたはつた」。かう言はれ、誌されれば、この三様の言葉づかひ、その区別もわからないこ とはない。然しお医者さんだけの
三人だつたとしても、この根つからの京都女性は、相手の年齢や人相や応待の仕方によつて三様の言ひ方をするだらう。そして、それを聞く周辺も、その三様の つかひわけによつて相手の人柄とともに、それをいふ女性の心理をも理解するだらう。それが京言葉の微妙で隠微なところであると同時に、王朝以来の宮廷歌人 また女房日記のみやびの一様相でもあらう。それをそれとして示してゐるところに秦作品の独自性がある。然しまた『茶ノ道廃(すた)ルべシ』といふ近著の示 してゐる、茶道の「家元制度」や職業茶人に対する痛烈卒直な批判、そのしたたかな心ざまもまた秦氏一流のものである。この本は裏千家の機関誌ともいふべき 『淡交』、その肩書に「茶道誌」とつけられてゐる月刊誌に連載されたものの集成である。ここでも秦氏の茶の湯に対する執念と自信のほどを感じる。茶が 「道」などといふ抽象にかたまる以前、点茶、喫茶の所作と心づくしが即ち茶寄合だといふのである。

* 京都(祇園) 言葉(京ことば) 茶の湯 源氏物語 そして 批評。 パチッと観てとって戴いていて、ただ頬を熱くする。1978年5月の月報であ る。唐木先生方に太宰賞とともに背を押して頂いての作家生活、まだ満九年に足りない時機であった。おそらくわたしは此の文学大系に入集、最新参作家であっ たろう。以来、まる四十年。唐木先生も第二回受賞の吉村昭さんも、同じ月報で吉村、金井、秦三人との「出会い」を書いてくれていた第九回受賞の宮尾登美子 さんも、亡くなっている。く地上手な宮尾さんが、月報でわたしに触れて何を云うて呉れてたかも、懐かしいまま、覗いておこう。

☆ 三つの出会い (抄)  宮尾登美子
(前略) 秦さんとの出会いも吉村(昭)さんと同じ日の禅林寺(=太宰治のお墓がある。)で、この時期秦さんはまだ(本郷の医学書院に=)勤めていて課 長の要職にいたはずだった。この日、吉村さんが秦さんと私を吉祥寺の小料理屋でご馳走してくれたが、このときの秦さんの印象はまことに張り充ちて若々し く、私は彼の洋々たる前途を予見する思いがした。加賀乙彦氏によれば、この頃の秦さんは(勤務時間中にも=)喫茶店をハシゴしながら時間を拾っては小説を 書いていたそうで、それにしてはその頃もいまも颯爽として変らず、仮にもこの人は人前に疲れた顔などさらしたことがないように見える。同じ受賞作家(=第 七か八回受賞だったか)の三神真彦氏もそれをいい、そのあと、「彼はほんとにいい!やつでねえ」と !つきで強調するのを忘れないが、これは要するに、秦 さんが人生に対してなみなみならぬ闘志を持ち、男らしく果敢にそれに立ち向っていることの何よりの証し、とはいえないだろうか。先年(井上靖団長ら日本作 家代表団の一人として)中国から帰ってのち秦さんはまた一まわり大きくなり、且つハンサムになりまさったことをもつけ加えておこう。(以下略)

* ハハアっと承ってはおいたが、作家にも、超多忙の中間管理職としても気を張って打ちこんでいたのはその通りだった。三神さんも、はやくに亡くなった。
2018 4/23 197

☆ ラ・ロシュフコーに聴く
「悪徳は、薬の調合に毒が使われるように、美徳の調合に使われる。思慮がこれを混合し緩和して、人生の苦難によく効くように役立てるのである。」

* 切れ味鋭い。
2018 4/24 197

* 浴室で、源氏物語「薄雲」巻でさきの太政大臣、光君の舅が亡くなり、藤壺女院も病い篤いまでを読んだ。
戦後日本史で、岸信介らがアメリカの支配的政策とも同調しながら安保条約改定への姿勢を見せている辺を読んだ。
たまたま見つけた昔々といっても1980年代の「新潮」で、丸谷才一、大岡信、進行役で三浦雅士三者の吉田健一さんを語る鼎談を読んだ、おおむね当時文 壇の力絵図のようなことも混じったり、流石に面白く読んだが、吉田さんが新聞の文藝時評ででも、評論や詩は語っても日本の現代小説を全く認めも読みも取り 上げもしなかったと三人ともどね断言談笑しているのはどうかと思った。
吉田さんは、わたしの小説「閨秀」を朝日新聞の文藝時評全面を用いて絶賛して下さっていたのをわたしは忘れない。あれは喜多流家元の次男喜多節世の結婚 披露宴に出て、娼妓の中原名人に次いで祝辞を述べてきた帰宅の途次であった、夕刊を買ったら、文藝時評の全面を用いて吉田健一さんはこの上無しと思う絶賛 の文を寄せられていたのだ。
こういう一事から垣間見ても文壇人の口から出任せは往々あるということで、こうした一つ一つの積み重ねにであいつつわたしは「湖の本」をひっさげつつ「騒壇餘人」として文壇離れを実行していったのだった。

* やはり「新潮」の昭和四四年八月号、これは六月桜桃忌にわたしが太宰賞を受賞した直後であったが、「新人賞特集」に「蝶の皿」をと云われてハイハイと 承知した。その特集には「阿部昭」「佐江衆一」「坂上弘」「渡辺淳一」他三人ほどの新人賞作家が並んでいたのを、今日たまたま書庫で見つけてそれぞれ三頁 ほどずつ読んでみたが、「蝶の皿」はさながらに「異物」のように懸け離れた作であり表現であり文章であった。わたしは、自作に自負してはいたものの、他の 大方。というより全部がこんな索漠とした小説でこれが現代日本文学というのであるなら、こりゃ「作家、さよなら」だよと、その題で、その日のうちに手記を 書いた。書き置いたそれが今も家のどこかに眠っているはず。
2018 4/24 197

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「幸運に耐えるには不運に耐える以上に大きな幾つもの美徳が必要である。」
「われわれの持っている力は意志よりも大きい。だから事を不可能だときめこむのは、往々にして自分自身に対する言い逃れなのだ。」
2018 4/25 197

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「神は、自然の中にいろいろな木を植えたように、人間の中にいろいろな才能を配した。それでひとつひとつの才能は木それぞれと同じに、いずれも独自の特性 と働きを持つようになっている。だから世界一立派な梨の木も、ごくありふれた林檎を実らせることはできないし、最も傑出した才能も、ほかのごくありふれた 才能と同一の結果を産むことはできない。」
* まさしく、言い得ている。

☆ 津浪の町の揃ふ命日     武玉川

* 胸へ来る。ただ「七七」で莫大な情報量を蔵している。江戸時代にも、悲惨な津浪に人は遭うていた。
五七五の雑俳より、いっそ新奇に簡明で至妙。興味津々、こころみたくなるが、難しい。仲間があって心がけるほどでなくては、とても。

* 二階の廊下、外向き窓の下に文庫や新書用の書棚が並んでいて、部屋側の壁一画に、鮨の「きよ田」二台目が送ってきてくれた半畳大沢口靖子の写真がかけ てあり、この廊下を「靖子ロード」と勝手にわたしは呼んで、階下から機械のある仕事部屋へあがってくるつど、ちょっと立ち止まって棚を溢れた本のいろいろ に手を出してみる。
いまも又しても秦の祖父の蔵書であった手帖大の田森素齋・下石梅處共選『頭註和訳 古今詩選』を見つけてきた。大阪文友堂書店蔵版で明治四十二年十二月 二十五日発行「正價五拾銭」八十翁中洲の「思無邪」と題字がある。まさかに本嫌いだった秦の父が十二歳で手にした本とは思われず父が日ごろ「学者や」と畏 怖していた祖父鶴吉の蔵書に相違ない。日本人の作を先行させつつ古来漢詩の名作を蒐めてある。訓みのみ示し敢えて釈一切を省いてあるのが、いっそ有り難 い。

述懐   大友皇子
道徳承天訓    道徳天訓を承け
鹽梅寄眞宰    鹽梅眞宰に寄る
羞無監撫術    羞づ監撫の術無きを
安能臨四海    安(いづくん)ぞ能く四海に臨まん

開巻の第一首、あの壬申の乱に叔父大海女皇子(天武帝)に背かれ敗れた弘文天皇が皇太子時季の述懐であろう、三、四句に接し胸の熱きを覚える。大友妃十 市皇女は大海女の娘であった。鮒鮓の腹に父蹶起をうながす密書を含めて吉野へ送り、父天武は妃(亡き天智帝の娘)とともに起った。夫大友に背いた十市はの ちに神隠しかのように雷爆死した。わたしの小説「秘色(ひそく)」はこの世界を書いた現代小説である。

* ただ五言七言等を問わず また絶句律詩等を問わず、和製の漢詩はむしろ大友皇子ら、せいぜい菅原道真あたりまでを絶頂に、時代を下るにつれ、ことに幕末維新期の甚だしい和臭・稚拙・絶叫は読むに堪えなくなる。いわゆる詩吟という詠詩法のひどい悪影響である。しかも近世の、ないし日本史上でも最高位詩人とあげて良い新井白石の作を只一首も収録していない。
「明治」の本には、詩とかぎらず、往々奇態に捩れた国粋・権道主義が臭う。今日につづく長州閥政権の基本姿勢はまさに反動極みなき「明治」賛美を腹に持っ ていて、警戒を要すること甚だしい。勝海舟 坂本龍馬らの影もささず、水戸の幕末に聞こえた藤田東湖の如きは「夢攻亞米利加」と題して「絶海連檣十萬兵  雄心落々壓胡城」とぶちあげ、目が覚めて冷や汗を流している。

* 実はこの詩集のほかに、当面の創作に刺激を呉れる一冊を見つけて、ホクホクと機械の前へ来ていながら、その前に、ちと落書きに時を移した。
2018 4/26 197

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「正 義とは、自分の所有するものを奪われるのではないかという強い危惧にほかならない。隣人のあらゆる権益に対する配慮と尊重、隣人にいかなる損害もかけまい とする細心の注意はここから生まれるのである。この危惧が人間を、生まれや運によって自分に与えられた富の限界内に踏みとどまらせるのであって、これがな ければ人間はひっきりなしに他人から略奪し続けるようになってしまうだろう。」

☆ 高尾が出来て読売が出る   武玉川

* これは今日人には判じ物とすらいえない評判句。「読売」とは、今日で謂う「号外」。「高尾」とは地名を謂うのでなく、絶世の美容と知性・素養・人格を 一心に湛えて衆庶の敬愛をあつめえた最高級・特定の花魁・太夫・遊女の名乗りであって、高尾太夫は吉野太夫らと並んで絶巓に在った。
この「高尾」は代を嗣ぎ間隔をおいて何人か実在したのであり、その間隔がかなりあって「高尾」不在が惜しまれていたときに、何代目かが名乗って出たのを「読売」を奪うように歓迎したのである。
西鶴の「一代男」にも、身請けされ理想の妻女とたたえられた「吉野」が描かれ、歌舞伎にも、落語にも、ものの本にももて囃されるそういう人間味の尊敬された「遊女」が事実実在したらしい。
江戸時代は、おもしろい世情を湛えていた。

* 色彩には、線とならんで、口舌の必要ない魅力がある。この日録の冒頭にわたしはいつも三、四の写真を「マイピクチュア」から選んで出しているが、今掲 げている、夜の浄瑠璃寺九体堂、咲匂う大紫と皐月、愛らしい仔猫の黒、そして晴れ晴れとした富士山。それぞれの色の美しさに、とかく騒ぎがちな日々の思い を有り難く慰められている。躑躅と皐月とはわたしがカメラに入れた。こんな楽しみも、「述懐」を託した今月の歌や句とともに今今わたくしの「述懐」なので ある。
2018 4/27 197

* 今日、行方のホドはまだ暗闇ながら、長い小説へ思い切った舵をとってみた。いずれはぶち当たらねば済まない難所と覚悟していたが、ほんとうに永らく手がかりも見つけられなかった。我慢して闇の底を匍うて進むしかない、今日はもう休みたい。
2018 4/27 197

 

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「気質には頭脳よりも多くの欠陥がある。」
「私欲は諸悪の根源として非難されるが、善行のもととして誉められてよい場合もしばある。」

☆ 拍子に乗つて長崎の嘘    武玉川

* 唯一他国へ開港されていた「長崎」へ行ってきた観てきたといえば、世界の果てまでも観てきたかと人に思われる時代があった。つい、見聞のほかのホラを吹いてまわるヤツもいた。時代を超えて云える指摘。
2018 4/28 197

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人がどんなにわれわれを誉めても、それは何ひとつ新しくわれわれに教えることにはならない。」

* そう心得ている。誉められていやな気はしないが、そこでおしまいにした方が良い。新しいちからは、新しい視野は、自身で創り出すしかない。

☆ 取りつき易い顔へ相談    武玉川より

* 的確に見ている。なにとなく自分にもこういう場面に遭遇しこういう塩梅に人を頼んだような弱いときが有った気がする、無かったわけがない。
こんな明察にならべては直にすぎて妙味ないが、私も、一句。

☆ 覚え無いとはうまい言ひぬけ   有即斎

* なにも高等な財務官僚だけの話でない、身に覚えのないひとは一人もいまい。
2018 4/29 197

* 長編のため、昨日から「探索」をはじめ、ちりちりと、一つ輪を絞って、望外のいい音色が聞こえてきた。辛抱よく、辛抱よく。

* ああ、もう夕方か。寝坊していると生きている時間が減る。つい遅くまでいろんな本を読んで寝ると、明け方に、まるで怪談のひどい夢見で不快なまま寝過ごす。まったく困ったもの。

* 手が痺れるほど重い事典を何冊も繰っていて、字の小さいのにほとほと、閉眼? しかし、面白い。
2018 4/29 197

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「世には運と全くかかわりのない一種の栄達がある。われわれを衆から際立たせ、いかにも偉業を成す器らしく見せる、ある種の風格がそれである。それはわれ われが知らずしらず身につけている価値である。われわれが人びとにいわれのない畏敬を抱かせるのはこの資質によるのであり、家柄や顕職や、さらには実力に も増してわれわれを人の上に立たしめるのは、通常これなのである。」
「栄達を伴わない偉さ(メリット)はあるが、何らかの偉さを伴わない栄達はない。」

* 「人柄」ということを謂うているのだろう。

☆ 入れ歯の工合噛みしめて見る    武玉川

* 入れ歯はよほど厄介なモノで、入れるのも外すのも、それが上も下もとなると情けないほど。殊に入れた当座はヘンにギクギクして不快なのを何とか噛みしめ噛みしめともあれ諦める。ふしぎに時間が経つとちゃんと収まってくれている。
この七七雑俳のこんな時には、貴賎都鄙・善悪・老若男女にかかわらず、全く同じ神妙に「噛みしめる」顔になっている。まさしくその無差別な、笑えない可笑しみを、句は正確に掴んでいる。
2018 4/30 197

* 時間を掛けてちと面白づくの短篇をとまま巧く滑り出し書き継いだのを、機械操作のワケの分からないミスで一瞬に消してしまった。もう、そんなことに腹は立てないことにし、辛抱強くゆりなおすことにした。惜しいのは、「時間」です。

* 明け方の夢は、変、大いに変ではあったが、襖も庭先の障子も開け放たれた三十畳ほどな廣い茶座敷にえらそうな武家も紳士も男ばかりの大人達がいならん で、これから台子の茶が点つらしかった。座の世話をしていたのは巌谷大四さんと藤間紀子さんとで、誰が手前とは分からないが正客が、十五代将軍を辞した徳 川慶喜さんだと耳に入った。巌谷さんはわたしを見つけると中へ入れ入れと誘われ、けれど礼儀として前将軍家へ何か一冊自著を奉呈しなさいと云われる。摩訶 不思議にわたしもたちどころに『親指のマリア  シドッチ神父と新井白石』一冊を正客の座前へ持ち込んだ。慶喜さんは、「おお白石か」と声をあげて、しば らく白石の進退と詩とについて身を入れて話され、わたしも受け答えしていたが、そのまま、客座の末へさがった。この大人数で「お詰め」は、しんどいなと思 ううち、台子手前に歩を運んで出たのが、誰か分からない、ナントも驚いた洋服の若い人で。巌谷さんと高麗屋夫人とは、相並んで東(とう)、半東役を引き受 けながら、温容と美しい言葉とで座は和み、そのまま溶けるように夢は流れて消えていった。
いつもこんなならラクなのに、いつもは、なんとも凄惨な、狭い暗い町の底を匍うように彷徨うたりするのだ。で、寝たくなく、つい寝床で何冊も何冊も本を 読むのがまた良くないのかも。「家畜人ヤプー」だの、野坂昭如の「エロ」とか「とむらい」とか、やたら蛇の出る鏡花とか。わずかに源氏物語に癒やされる。
これまでで、いっとう役に立った夢は半世紀も昔の、「清経入水」の出だし、かなあ。夢も体験のうちと思うことにし、とにかくも魘されまい。

* 四月が逝く。なにがあったとも覚えない、櫻もろくに観なかった。こうして老いて行くのかと思う。
2018 4/30 197

* また十一時になってしまい、明日へ繋ぐと。
あと十日の余裕で、「湖の本」149。これはもう、「ビックリ・ポン」ですよ。しかしまた 秦 恒平だからこそ、という「仕事」でーす。
2018 4/30 197

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「運命は、光が物を浮かび上がらせるように、われわれの美徳悪徳を浮かび上がらせる。」

* これぞ、箴言。これを実感しないですむ人がいようか。よほど鈍感か鉄面皮というしかない。

☆ 親指に折らるゝ人は手柄なり     武玉川

* 判じ物のようだが、良くも悪しくも、謂えている。「手柄なり」とは、武玉川世界の温和な善意の反映で、逆もある。
2018 5/1 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「何人(なんびと)も悪人になる強さを持たない限り善良さを称えられるに値しない。それ以外のあらゆる善良さは、おおむね、怠惰か意志の無力に過ぎない。」

☆ 死んだ和尚を褒める豆腐屋    武玉川

* 大寺院のはなしではない、町の小路に溶け入ったようなお寺さんのこと、そういうお寺のちかくによく豆腐屋が店出ししていたのは、精進料理につかえる豆腐は代表格で、寺には便宜、豆腐屋には常得意だったという、江戸のはなし。今度の和尚さん 豆腐に飽きてでもいるのか。
2018 5/2 198

* まったく新しい、在来と別の仕事を小説としてこの一両日來続けている。寄り道の体ではあるのだが、気を入れててきぱきと書き上げて仕舞おうとしている。

* 眠さと疲労感とで、午後、二度も一時間ホドずつ寝潰れた。それでも仕事の手は休めていない。
2018 5/2 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「大部分の人間は植物と同じように各々隠れた特性を持っており、偶然がそれを発見させる。」

☆ 闇のとぎれる饂飩屋の前    武玉川

* 蕎麦屋でなく饂飩屋である。寛延のころはまだ饂飩屋が江戸蕎麦の勢いに席捲せられてなかった証言でもある。なにしろ江戸の町の夜の暗さは今日の想像を 絶していたらしい、森銑三先生は明治のなかごろまでもそうだったと云ってられる。そんな夜の闇の町通りにもうどん屋だけが外提灯を吊って店を明けていると いうのだ。武玉川の寛延期は十八世紀の真まん中ごろである。
2018 5/3 198

 

* 性を主題の晩年作をと随分昔から心がけてきて今苦心惨憺しているのだが、そのために、機械のあちこち、奥道や横道や隠れ道を悪く探訪し、きわどい、な いしきれいな女写真も、けっこう取材してある。随分著名な女優も、おう、こんなの有るのとビックリの佳い写真を機械のなかに残してくれているので、これも 「取材」と割り切ってけっこう集めてある。これだけは自身で撮ったものは無い。撮ってみたいか…イヤイヤ。

* 飛び入りで追ってきた小説、早足で進んでいる。が、十一時過ぎた。休みたい。
2018 5/3 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「謙虚とは、往々にして、他人を服従させるために装う見せかけの服従に過ぎない。それは傲慢の手口の一つで、高ぶるためにへりくだるのである。そのうえ、 傲慢は千通りにも変身するとはいえ、この謙虚の外見をまとった時以上にうまく偽装し、まんまと人を騙しおおせることは無い。」

* 辛辣に見抜いて言い得ている。凄い。

☆ 肩へかけると生きる手拭    武玉川
世話狂言でよく見るが、存外に身近な暮らしでも戦前までは見かけたもの。洋服を着てでは始まらない、半ば胸もはだけて浴衣のにいさんや小父さんが下駄を鳴らし、闊歩していた。手拭がバカにならなかった。
2018 5/4 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「現在自分が何を欲しているのかもはっきりわからないのに、将来自分が欲するであろうことを、どうして請け合えるだろう?」

* 箴言というほどでも無い。

☆ 葉ほど世間を知らぬ茶の花   武玉川

* 「茶の花じゃなあ」と、意見が出来そう。茶の木は、花よりも葉に出番がある。
2018 5/5 198

* それは気を入れて想像に身を任せながら書き留め続けていた。さ、どうなるのか。からだを運べないなら想像を働かせねばすまない、それに永らく躊躇していた。
想像に任せて良いわけでない、想像の働いてない仕事は写実でも幻想でも欠けてくる。想像とはいえ何のより所も持たない想像はでたらめになる。危ない危な い。徹した推敲が結局欠かせない。推敲という才能をもてないままの書きっぱなしは、見かけ元気そうでも芯が弱い。自分のほんとうの文体、本当の構想力は 「推敲」の中で感触し把握しなければ。銓衡に満票で当選受賞した初稿「清経入水」から雑誌「展望」に晴れて発表した「清経入水」への、只一晩の徹底推敲で わたしは途方もないご褒美の体験ができた。いまもそう思っている。
2018 5/5 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれの敵は、我々について下す判断において、われわれ自身ではとてもそこまでは行けないほど真実に迫る。」

☆ 塩気の抜ける海女のおとろへ    武玉川

* 海女と限らず、老い病まいを見据え、こわいほど掴んでいる。
2018 5/6 198

☆ ゴールデンウイークの最終日
ゴールデンウィークの世の中と関係なく、お家で過ごされている日常でしょうか。
長い小説が一歩二歩完成に着実に近づいているのですから、「不埒」に小説の世界に遊ばれますように。同時に少しでも戸外で散策を楽しまれたら、など思います。やがて汗ばむ季節になります
から今こそ近隣を歩くなどなさってください。
連休の高速渋滞など全く関係なく、鳶は遠くに翔ばず、姑の世話をして過ごしています。連休の時は動きません。そのうち、と言ってもまだ何も具体的な旅は、外国に限っては、決めていません。
野坂、五木という人たちのもの、読んでいますがいずれもかなり以前のことです。
五木氏は竜谷大学に入ったり、百寺巡礼など仏教への関心帰依の方向を示していますが、テレビで解説を聞いていて、わたしにはまだまだ分からない事の方が多い。彼の幼い時の過酷な戦争体験と戦後は無視できないと思います。
同じことが野坂氏についても言えます。「野坂は特異で悪くないが、騒がしくて」というのは分かります。騒がしくないと自分の中の暗さや切なさに耐えられなかったのかもしれません。戦争体験のないわたしが勝手に憶測するのは控えますが。
ポルノを全否定する気はありませんし、表現の自由は死守すべきものと思いますが、彼の『四畳半襖の下張』など、今でも幾らかの忌避感を捨てられません。
菱田春草の「帰樵」という作品は知っています、が、実作品を観たことはありません。夕方の空が画面の半分ほども占めて、家に帰って行こうとする二人の姿が小さく描かれている。鴉の現在の心象風景そのものかと窺えます。
この頃のわたしは「春はあけぼの」の清少納言の見た東山の空の色がどんな色かと考えています。夕焼けの茜色と飛行機の窓から見る朝焼けの色、どちらも強烈ですが、あけぼの色はどうしてもやわらかな色だとしか思えないのです。
「女坂」の(二)早く読みたいです。
「若い若い世代との生き方猛烈な落差に」追いついていけない、追いついていくつもりもないのですが、改めて考えてみます。
「この歳になって驚くこと、驚けることの在るのは生きの在る証拠と」
これには全面的に同感。ボケず、最期まで生きたいものです。新鮮なものを持ち続けていきましょう。
くれぐれも大切に、大切に。
少しだけ戸外の空気を吸って歩いてくださいますように。   尾張の鳶

* わたしより一世代は若い。まだまだ生き生きと飛翔し続けてください。此の鴉はとんと意気地無く軒下で降ってもない雨を避けています。小さいときよく親に「ウチ弁慶」と情け無がられました、が、そんなでもなく育ちは育ったと思いますけれど。
敗戦直後の小学校では民主主義の生徒会をと提案し、全校選挙で初代の生徒会長を務め、新制中学でも生徒会のワンマンと云われるほどのリーダーでした。
但し、高校からは一転、表へ立たず、独り歌を詠み社寺や墓地や山を歩き、「長」という役はたいてい断り続けました。群れるのが、やはり生来好きでなかっ たのでしょう、だから全校生でする体操だの、合唱だの、分列行進だのイヤでした。文壇へも、いわば招き入れてもらったのに、「騒壇餘人」へとわれからはみ 出てしまった。社会性は見失ってない気だけど「社交性」は身に付かなかったのだから、茶人としては大x点の落第生です。
2018 5/6 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれが不信を抱いていれば、相手がわれわれを騙すのは正当なことになる。」
「人間は、もしお互いに騙され合っていなければ、とうてい長い間社会をつくって生き続けられないであろう。」

* 唸る。

☆ しやぼんの玉の門を出て行く    武玉川

* 門の内で、こどもが。けれどその姿は見えず出さず、ただ しゃぼん玉が門の外へふわりふわり。時を喪ったような得も謂われぬ静謐・安楽・幸福感を「表 現」して、至妙。こういう感覚を幸いにもわたしらの世代は記憶している。社宅の門へ帰ってくる、と、姿も声もなくて確かに朝日子と建日子とが、いる。
2018 5/7 198

* かつて源氏物語を読み「朝顔」という女人に立ち止まる気分はあまり無かったが、今回の(もう二十度は出会っているだろう)出会いでは心騒ぐものがあ る、明らかに朝顔は紫上を深くおびやかして、上へ出てきかねない好奇の存在なのだとシカと見えてきて、けわしいハラハラ感に襲われている。わたしは終始紫 上に思いを寄せているが、光源氏が朝顔に向こうとする男思いの微妙さも分かる。
なにより、どれほどの心まどいを描こうと葛藤にちかづこうと、この物語は堂々と静かに深い。これは最高の達成の証で、また読みだしているミルトン『失楽園』の大きい力もそこから底から沸き立ってきて深く静かなのである。
これらに較べると、天才的奇想に相違ないが『家畜人ヤプー』をすぐれた文学の一種、とすら読めない。
2018 5/7 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「誰も彼もが自分の記憶力を慨嘆し、誰一人として自分の判断力を慨嘆しない。」

* まさしく。
2018 5/8 198

☆ 向ふ木挽(こびき)の揃ふ鼻息    武玉川

* 大きな木を、向こうとこっち二人がかりの大鋸で丸太に引く。気合いが揃わねばどうにもならない、その機微とも必然ともを的確に句にした手柄。揃えようとして揃うと云うより、必然、揃わずにいなくなる意気の通り、生きのはずみに美しさがある。
2018 5/8 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人は他人の心中を忖度するのは好きだが、自分の心中を忖度されるのは好まない。」

☆ 殖えずにしまふ母上の金    武玉川

* 「母上」などという甘え方で母親の懐金を厚かましくアテにするのは、なにも身分ある家のドラ息子・ドラ娘にかぎらない。
わたしを育てた秦の母は、一週、十日ずつの生活費を父からもらうのに日ごろ泣きの涙でいたから、とてもとても「母上、お金頂戴」など云えはしなかった。 老いて老いて我が家の叔母も含む三人の老人はみな九十過ぎまで長命し、わたしたち家族に見送られたが、なかでも九十六まで一等生きた母が「一期の呟き」 は、人間生きの根を左右されるのは、「お金やな」であった。
母は年金も下りるようになり最期にはかなりの金額を仕舞いこんでいた。母を見送ってからわたしははじめて「母上」の「殖やし」ていたお金を謹んで頂戴したのだった。
うちの息子や娘が、妻を「母上」呼ばわりしているかは知らない。娘にも息子にも過分にはあえてしんかったが、いろいろに気配り・金遣いはしてきたつもり でいる、友達からは二人とも「貧乏人」とわらわれていたとも聞いているが。貧乏こそ、人の常というもの、そこで才覚を養う以外に具体的な努力はない。
2018 5/9 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれは自分の幸も不幸も自己愛(アムール・プロプル)に見合う分しか感じない。」

* 厳しい、が、かなり的確な指摘である。

☆ 今戸の旭けぶりから出る    武玉川

* 浅草待乳山の奥、東を流れる隅田川に面して今戸焼の集落がたえず窯の煙を上げて旭を迎えていた。景勝と謂うでなくても、穏和な太平楽を感じさせたらしい。
2018 5/11 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「謙遜は、誉め言葉を固辞するように見えるが、実はもっと上手に誉めてもらいたいという欲望に過ぎない。」

* 微妙にそのように見えも感じもすることがある。厳し過ぎとも見てとれるけれど。

☆ 六十四州眠る元日    武玉川

* もうこんな静かなのどかな元日など失せた。なによりうるさいテレビや新聞があり、信心失せの初詣や福袋さわぎなど。わたしの子どもの頃は、まったく武 玉川の通りで、朝はやに雑煮を祝ってしまうと、午前中、家の外へ出てみても人ッ子ひとりの影も戸を開けた家もなく、町通りの東の端から西の端までわたしの 踏む下駄の音が鳴り響くようであった。家の内で大人はみな寝入っていた。「お正月さんがござった」とはそう静かさであった。
2018 5/12 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「ふさわしさ(ビヤンセアンス)は、あらゆる掟の中で最もささやかな、そして最もよく守られている掟である。」

☆ 手代は婿にならむとすらむ    武玉川

* 息子の無い旦那や社長の手代・社員どものとかく見たがる、夢。悲喜劇のタネを「ならむとすらむ」と厳粛な顔を作ってひやかしている。実例を、二、三は見知っている。 2018 5/13 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「知性(エスプリ)の嗜みは、上等(オネット)で繊細なことどもを考えるところにある。」
「知性(エスプリ)の軽妙洒脱(ギャラントリ)とは、人を喜ばせることどもを感じよく言うことである。」

* 同感し、共感する。
かつて、女文化の世間で「オネット」な男も女も、双方このことを「エスプリ」の嗜みとして心得ていた。
世とともに、男も女も、知性が、そして感性も、「ギャラントリ」を見失ってゆき、いきなり性的な直接行動に、思ったり思わせたり、走ったり走らせたりし、あげく事態の推移を安直に「加害行為(ハラスメント)」と片則飜訳して、何が何でも責任問題に置き換えて行きたがる。
「知性(エスプリ)の軽妙洒脱(ギャラントリ)」になど、もう今日大方の男も女も双方から背を向け、あたまの中には、ただ「性行為」ふうの「つきあい」を「する」「しない」ばかりが腐臭を帯び発酵しているのではないか。

* 前に書いたか知れないが、日本作家代表として、四人組追放直後の中国政府の招待をうけたおり、人民大会堂での会見も終え、北京を一旦離れて、北の大同 へ夜汽車に乗った。清岡卓行、辻邦生、大岡信の三氏とわたしは寝台のある車室を倶にしたが、うえの三氏は、みなパリなどの海外生活を体験されていて、その 上で、三人は声を揃え、いかに男として女にまず接すべきかをそれは熱心に、まるで合唱するかのように語り合い続けてやまなかった。わたしは、終始、先輩作 家達の元気な共感ぶりを眺めていたが、どこへどう彼らは結論を落ち着けたか。それは、文字どおり上のラ・ロシュフコー氏の「箴言」二項と、物言いも正しく そのままであった。三氏は上の箴言を受け売りするように全肯定していたんだなと、今にして思わず笑えてしまう。「ギャラントリ」という言葉が盛んに首唱さ れていたが、「軽妙洒脱」かも知れないが、まさか無礼にはあるまいが「ひたすら慇懃に」とも釈れる。
要するに女と出会えば、何より「ギャラントリ」ですよ、それは「ゼッタイ必要」ですよと三氏はもろ手を挙げんばかり無邪気に嬉しげだった。

* 海外で暮らしたことのないわたしは、団長の井上靖氏に誘われたこの中国訪問が、飛行機に乗った最初だった。
しかし、日本の男たち、女たちの「出逢いや触れあい」がおよそドンナであったかは、日本文学史を通じておよそ察していた。公爵の「箴言」にも上の三氏の 「ギャラントリ」合唱にも異見なく頷けるのである。ただ問題は、この「エスプリ」に満ちた「オネット」な「ギャラントリ」が、今日のいわゆる「セクハラ」 へと、どう変転していったか、だ。

* 一つには、男女の出逢いから交際の、 「エスプリ」に満ちた「オネット」でありえたのが、(黒澤映画「お嬢さんに乾杯」など)そのような穏和な「おつきあい」過程を当節ではいきなり省略し、い つ頃からか、もうよほど前から、「おつきあいしてます」とは「性関係にあります」意味へ直結してきたのが関わっていようと、わたしなどはただ驚いている。
ほんとうの意味で上等な「ギャラントリ」の結果ならそれでいいが、そうはとても思いにくい性急な男女関係が世間に瀰漫してきているのでは。そこに、いろんな意味の力づく「ハラスメント」という故障が割り込むのでは。

☆ 抜いた大根(だいこ)で道を教へる    武玉川

* 即、目に見える。きちっと「人」の表情や声音までが表現されていて、嬉しくなる。
2018 5/14 198

* 体調不快。どうしようもない。仕事するしかない。

* 湯で、「少女」の巻、「聊斎志異」「失楽園」の三大作にそれぞれに思いを馳せ、そして津村節子さんの「さい果て」を読み進んだ。良い本物、良い作に触れていると思いも深まる。

* 選り抜きの藝術性ゆたかな映画の名品に真向かってしまうと、ツマラナイてれびドラマやバラエテイなど「失せおれ」と思ってしまう。国会の委員会も、吐き気がする。
2018 5/14 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれは、悪徳を持つ人のすべてを軽蔑はしないが、いかなる美徳も持ち合わせない人はすべて軽蔑する。」

☆ 裸でよいと伯母がまた来る    武玉川

* 「伯母」が眼目、叔母ではダメ。昔は伯母は親類へ上からものが云えた。世話も焼き小言も云うた。此処は「姪」を嫁にやれやれと、本人より何よりまだ何 かと親が渋っているのに、強い「伯母」御、先方は気に入っている、持参金も道具も要らないと云うているのにと、やいのやいの。
当節「伯母さん」のちからは、どんなものか。
武玉川には上から目線で世話焼きの「伯母」さん、ちょくちょく顔をだす。

☆ 今度も女伯母一人褒め    武玉川

* 『細雪』の蒔岡家が四人姉妹、西洋にも四人姉妹の人気作があった。
2018 5/15 198

* そして、諦めずに気を起こして今日も又、五木寛之氏の文業を理解したいと鶴見さんの解説や自筆年譜をよみかえしつつ、エッセイであるのか「風に吹かれ て」の抄出集を読んだり、短篇のどれかをと物色していた。長い「さらば モスクワ愚連隊」「蒼ざめた馬を見よ」は以前に読んでいた。氏は、自身を「戦中 派」と自認し、敗戦でいのちからがら日本へ逃げ帰っていて、日本が祖国なのかかつての支配国が祖国のような気がしてしまう敗戦体験に身を寄せるように読め るなら読んでみたいと。
津村節子さんの「さい果て」は夫妻して目先も見えない行商の旅にある。真率な、ただそれが文学を支えているいじらしいほどな懸命の生に、胸打たれる。
みんなみんな文学へ命懸けでつっかかって行き、しかも突っかかり方ははっきり違う。
驚くのが迂闊なのだろうが、わたしとても貧しい暮らしは暮らしであったが、京都で生まれ育って京都には「文化」が溢れており、わたしは国民学校の初年か らそれら「京の文化」を浴びるほど心身に浴びておいて東京へ移転したのだった。その豊かさからすれば、大方の作家は冗談でなくたいへんにお気の毒であっ た。竹西寛子さんと丸の内の大きなホールで源氏物語の対談したあと、竹西さんは「秦さんには<京都>がある、わたしたちには大変なハンデキャップよ」と嘆 息されたのを思い出す。「京の昼寝」という言葉がある。地方の人が渾身勉強しなくては住まないことを京都の人は昼寝の内にも見てとれる、と。
むろん、京都の人なら、書き手なら、みなそうとは謂えないが、わたしはそんな言いぐさが有るとも知らず異として意識して京都の文化や歴史にはやくに没頭できた。わたしは真実恵まれていたんだと今にしてしみじみ思い当たる。
2018 5/15 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「悲嘆の中にはさまざまなたぐいの偽善が存在する。ある種の悲嘆では、われわれは親しい人の死を泣くと称してわれとわが身を泣く。自分はせっかく故人によ く思われていたのに、と残念がり、自分の楽しみ、自分の喜び、自分の箔が減ることを泣くのである。かくて死者は、もっぱら生者のために流されているに過ぎ ない涙を、餞(はなむけ)として受けとることになる。私はこれを一種の偽善だと言う。なぜならこのたぐいの悲嘆においては、人は自分で自分を欺くのだか ら。
次に、世の人みんなをまやかすから、最初のほど無邪気でない偽善がある。それは美しくかつ不滅の悲しみという栄光に憧れるある種の人の悲嘆である。すべ てを食いつくす時が、この人たちの実際に抱いていた悲しみを消してしまった後も、この連中は泣き、嘆き、ため息をつくことを、執拗に続けずにはいないの だ。陰気くさい顔を作り、あらゆる所作を通じて、その悲しみは死ぬまで尽きないであろうと人びとに信じこませようとするのである。
こうしたわびしい、人をうんざりさせる虚栄心は、ふつう野心家の女に見出される。女であることが栄光に通じるあらゆる道を閉ざしているために、彼女らは癒やされぬ悲しみをひけらかすことによって有名になろうとするのである。
さらにもうひとつ別種の涙があり、これは小さな水源しか持っていない涙だから、流れてもすぐ涸れてしまう。つまり、心やさしい人だという評判をとるため に泣く、同情されるために泣く、泣いてもらうために泣く、しまいには、泣かずにいると恥ずかしいから泣く、というのがそれである。」

* この公爵がドライに割り切りたい、それのやや過ぎた人だとは分かるが衝くべきを衝いてくるお人ではある。
かんけいするかどうか知らない、が、はじめて源氏物語を読んだ中学(与謝野源氏)・高校生(岩波文庫・島津久基訂)頃から八十二歳の今日まで、この物語の男女、女はともあれとしても、男たちの「泣く」「泣く」「泣く」並みだり量の多さに驚かされてきた。
当節、男があたりはばからず泣いた図は、某市議が経費をごまかしたとバレて記者会見の場で泣き喚いたぐらいしか知らない。
しかしわたしとて実は実によく泣くのである、佳い物をみれば見るほど、こみあげて泣いたり泪をこぼしている。わたしは源氏物語の感嘆の粋としての男どもの泪を、いわば「紳士の実と礼」と受け容れてきたのだろう。フランスの公爵に源氏物語を読んで貰いたかった。

☆ 力があつて下卑た若殿     武玉川
この「力」が腕力・膂力であるのなら、ま、それも生まれつきかと観ていられようが、この「力」が「若殿」ゆえの「権力」「暴力」「圧力」という今日はや りの「パワハラ」の源泉になっては迷惑至極。「若殿」に限らない「姫」でもおなじ事と、いま韓国財閥の「姫」たちが抗議されている、当然の事です。
2018 5/16 198

☆ (前略)
早速拝読いたしておりますが、よくこれだけ当時の文壇の権威たちに、葉に衣着せぬもの言いをされたと、感服いたしました。秦様の求道者的一面を改めて知 ることが出来ました。匿名とはいえ、作者の名は知れて了う文壇の中でずい分損をされたことと拝察すると同時に、秦様の面目躍如という思いもいたしました。
ますますのご健筆を。 敬具    持田鋼一郎

* 文藝出版社の編集者だった人。わたしの「大波小波」寄稿をみて、「匿名とはいえ、作者の名は知れて了う文壇の中でずい分損をされたことと拝察」は、すこぶる率直で、その世界の在りようがかなり露骨に察しられて面白い。
わたしがいろんな「損」らしきを背負い込んでいたらしいとは、何人もの同業ないし編集者らワケ知りのの口から聞いていたし、わたしは、いつも「どうぞお構いなく」と思っていた。
なによりも、考え得るあらゆる「損の合算」ほどの「得」をわたしは「ことの最初に」何の理解もなく承けていた。投稿も応募もせず、向こうから、選者満票の太宰治賞当選付きで「作家」として文壇に登録された。
これは、他に比類無い珍しい事例であり、その辺の事情は、津村節子さんにじつに率直で的確な述懐がある。
津村さんは同人誌に属したまま数回も直木賞候補に挙げられて授賞されず、ついに芥川賞受賞で津村さんのいわゆる「同人誌作家」から「晴れて作家」になら れた。「候補では意味がない」またもとの「同人誌作家」に戻るだけ。津村さんは切実にそれを云われている。夫君の吉村昭さんは芥川賞候補にやはり数度挙げ られながら授賞成らずに、第二回太宰治賞で奥さんの津村さんより一足早く同人誌作家から「作家」になられた。津村さんの上の述懐には、夫妻しての多年のく やしさ、なさけなさがしみ通っていていて、胸を打たれた。わたしは、そのような感懐の片端をすら察した、味わった体験無しに、まるで当たり前のようにある 日突然「作家」として文壇に迎え入れられ、仕事は跡絶えたことがなかった。みるみる著書を山と積んでいった。わたしはいかにも無神経に、実は文壇事情のな にも知らないまま、ただ当たり前に書きに書きまくっていたのだが、それが「いろんな損」に結びついていたか知れぬとは、それさえ察していなかった。ときど き人に囁かれて、そんなことって有るのかなあと思っていた。
2018 5/16 198

* さ、また、あしたから気を換えて苦悶をすら羅楽しみに、「仕事」しよう。
あの世よりあの世へ帰るひとやすみ
の今生、あんまりな長ッ尻はいけないよとそろそろ囁かれている。損も得も無い。津村さんは、ただもう「書きたい 書きたい 書きたい 書きたい」と云ってられた。たぶん今も毎日そう思われているだろう。
幸い算盤は捨て果てているが「読み・書き」の勉強は八十年続けてきて飽きはきていない。
2018 5/16 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人は自分について何も語らずにいるよりは、むしろ自分で自分の悪口を言うのを好む。」

☆ 雪へおろせば沈む乗物    武玉川

雪がふんわりと積つた上へ駕籠を据えると、その駕籠が、重みで何寸か沈んだといふだけのことであるが、たゞそれだけのことに、いふべからざる趣がある。 その駕籠を舁上げたら、そこには四角な、大きな跡が附いてゐよう。この句を見て、その面白さをすぐに解する人でなくては、武玉川の読者たり得る資格はな い。(森銑三)

* 「沈む」に、表現という「為し技」の機微がある。
2018 5/17 198

* ピンポンとチャイムが鳴った気がして急いで寝床から玄関へ出たが、誰もいず。そのまま二階機会の前へ来た。機械が作動するのに信じがたいほど時間が掛かる。じっと辛抱して待つのも、修業のようなもの。待つ間に本を見ている。
わたしの新刊「一筆呈上」 いまのところ見当はずれは見つけていない、概して今も共感、つよく共感できる。「大波小波」欄へ本一冊になるほども書いた人、どれほど居ただろうか。「匿名とはいえ、筆者の名は知れて了う文壇」と、元・筑摩書房の編集者はためらいなく証言!してくれていて、世間知らずのわたしなど今頃に「やっぱりそうか」とむしろ感心してしまう、そういう世界であった、今もあるのだろうか「文壇」とは。「騒壇餘人」への道はついていたのだと、分かり良くなった。
2018 5/17 198

* 身に付いた垢とか脂気とか臭いは、入浴のつど洗い流すのが常であろう。昭和十四、五年ごろのこと、秦の母に銭湯の女湯へ連れて行かれたのは当たり前の 有り難い事であったが、そんな時の母の持った金盥には白い「軽石」と呼ぶモノがきっと入っていて、これを 使って踵などをきしきし擦っているのにいつも 「なんでや」と半ば呆れていた。しかし女湯のなかでは例外無げに同じそういう「まはだか」姿が居並んでおり、わたしは子ども心に奇異に眺めつ聞きつしてい た。
そういえば「糠袋」というのも使われ、秦の父と男湯へ行くと、「ええオッサン」にも糠袋を遣っている人がいた。
なにも軽石や糠袋のことが言いたいのではない。文章、文藝のことを思うのである。
文章の隅から隅まで、からでいえば手指や足の指の股からなにから、とことん垢も臭いも脂気も徹底的に洗い流さねば済まぬという文章が、はたして読む人の 心を打つのだろうか、と、そういう疑問に触れてみたいのである。無感情なまでに洗いに洗いさらに洗い上げた文章は、さっぱりと明るい、またキッパリとムダ が無いと、一応言える。しかし魅力が感じられるかとなると、どうも味も素っ気もなく、文の趣旨を伝える文には明快なようで、どう読んでも、いくら読んで も、汚くはないが、ちっとも美しくない。ロボットが書いた「名文」ならぬ味わいなど感じ取れない只の「無色簡明」にだけなっている。推敲や添削の意義をど こかで勘違いしているのだ。
文章の妙はただただ没個性に清潔を願うところにはない。直哉には直哉のにおいが、潤一郎には潤一郎の色がある。
問題の奥には、言葉が、文が、文章が「音楽」にもかよう独自の「文体」として生きなければ、どんな多様な内容のお話でも味気なくなって、手放してしまうという文藝・文学のこわさが在る。自身の生まれつきもっている臭いや脂気や垢の味わいを殺せば澄むないし済むものではない、逆に生かせる道があるのを根気よく辿ることだ。
2018 5/17 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「人は、欠点を隠すために弄する手段より以上に許しがたい欠点など、めったに持っていないものである。」

☆ 女の誉める女すくなし    武玉川

* 「かやうな句は、過去の女の句で、今の私達の句ではないといへるやうであつて貰ひたいものである。 森銑三」
2018 5/18 198

* 「一筆呈上」はすべて前世紀の古証文、当時の世情や風聞や思念によって「批評」として書いた者。今日からすれば当たらぬ事もあるし、しかし、今日なおまったくこの「批評」に堪え得ていない遺憾な現実も夥しいというところで、共有ないし再批評して欲しいと願っている。
2018 5/18 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「神は人間の原罪を罰するために、人間が自己愛を己れの神とすることを許して、生涯のあらゆる行為においてそれに苦しめられるようにした。」

☆ 女の誉める女すくなし     武玉川

* 西洋では、「女子と女子との間には、停戦ありて和睦なし」と。森銑三先生は、今はもうこんなで無くあって欲しいと仰有っているが。
2018 5/19 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「我々の涙には、他人を欺いたあとでしばしばわれわれ自身まで欺くのがある。」

☆ 雪の深さの知れる大声    武玉川

* 季節はずれですが、この春はわが家へもご近所へも「大雪」が降った。しぜんと大声も出た声のしんと雪に吸われながら聞こえるクリヤな感覚を、興趣と感じていた。

* 今朝は昨日よりよほど冷える。
2018 5/20 198

* 津村節子「さい果て」はぐいぐい読ませる徹底私小説(としか思われない、二人だけの主役夫婦も、わたしの多少は存じ上げている吉村昭・津村節子さんを 実感豊かに映しているとしか思われない。)で、真摯に書き抜かれてある。この真剣で切なるひょうげんからすると、「新潮」昭和四十四年九月号の新人賞作家 特集に登場の私小説は、敢然とした私小説にも徹しきれないぬるい作ばかりで、これらの中へ反私小説の唯美的幻想作「蝶の皿」を寄せていたわたしが、これが 属すべき文壇という者なら、とてもとてもやってられないと直ちに「作家さよなら」の手記を書いて篋底に秘め置いたのもムリがない、わたしはあの特集を観て 識って、もはや日本の優れた私小説は死んだか、物語は空しく殺されるかだと実感した。幸い、そうとばかりは謂えないのを津村節子さんの「さい果て」や亡き 柏原兵三や古山高麗雄の「プレオー8の夜明け」などが教えてくれた。
2018 5/20 198

* 何十年来のお付き合い、今西祐一郎さん(九大名誉教授・前国文学研究資料館館長)による岩波文庫新版『源氏物語』第三巻校注者としての巻末解説「物語 と歴史の間 不義の子冷泉帝のこと」は、一度は纏めて聴いておきたいと願っていた物語核心の「準拠」問題。「少女」巻を読み終えるに連れ解説も丁寧に読み 取って、のどの閊えもスウーッとした。感謝感謝。

* もう一つまた読みはじめたのは江戸の戯作。そのなかでもわたしの殊に推奨したく教えられもしたのは、江戸戯作の先蹤を成し得た、短篇だけれど卓越の記 念碑昨『跖婦人伝』。作者泥郎子は賀茂真淵門の国学者で幕臣の山岡浚明、二十四歳の作になる。一人の夜鷹(お席)が、吉原の名だたる花魁高尾太夫らを胸の すく、また聴くに堪える弁舌でこてんぱんにやっつける「色談義」で、もとより「跖」のなが示唆しているようにあの孔子や高弟達をこっぴどくやっつけて二の 句も次がせなかったという大盗「盗跖」の故事古傳を踏んだ冴えた脚色であるが、「色説序」「跖婦人傳序」「跖婦人像」と前置きして「跖婦人伝」そして更に泥郎子の「色 説序」に次いで「色説」と「評」で結ばれる。ただただ夜鷹お跖の啖呵が圧倒的で、しかも荒唐無稽の放言ではない。「色説」の「手巧多(てくだ)の章 第 三」「数百の手くだは、床の一悦にしかず。此の一悦に至て、粋もなく家暮(やぼ)もなし。其無(そのなき)によつて無量の極意あり」など、豁然と鳴り響く ようである。
短いもの、もっと読まれ識られていい先駆の炬火と見える。久々に読み直して、すかっとした。

* 「ベトナム戦争」の敬意と評価とにも、強く心惹かれた。外来の無道な勢力(アメリカの南ベトナムへの支配干渉は言語道断で、南を抑えられないとなると 北ベトナムへも悪辣を極めたと言うしかない非人道の攻撃を加え続けた、が、南北ベトナムの國民は徹底抗戦と優れた政略により、結果的にはアメリカを追い 払ったのである、少なくも一旦は。
国民が敢然と闘ってでも抗争しないで、国土と国民を支配しようとはっきり意図して掛かってくる米国の帝国主義は、とうてい払いのけられないだろう。韓国 は北朝鮮や中国やロシアとも、試行錯誤を重ねる姿勢を見せているが、日本の安倍政権は、ひたすらにトランプに服従し、国民の支持を得て頑張るのでなく、国 民を抑え込んで追従政策への追従と奉仕を強いようとのみしている。財界がそれを忖度し服従しようとしているが、その先には、主権国家の頽廃があるだけだ。
2018 5/20 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「真の恋がどんなに稀でも、真の友情よりはまだしも稀ではない。」

* この公爵の「友情」なるものへの呵責ない低評価、といっては間違う、友情の尊さを高く認めながら遺憾にも然様な友情の極めて稀なことへの慨嘆を繰り返 し繰り返し述べていて、これまた遺憾にも、まことその通りと頷くしかないのが肌寒い。わたし自身はこれで友情に恵まれていると感謝している。

☆ 売つた屋敷を編笠で見る     武玉川

* 今の世にもかかる体験者は少なくなかろう。住み慣れた、屋敷などといえない家をうって立ち退くのは心さびしい。わたしにも覚えがある。撮り置きの写真をみるのも身が疼く。
2018 5/21 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「我々の持っている力は意志よりも大きい。だから事を不可能だときめこむのは、往々にして自分自身にたいする言い逃れなのだ。」

☆ 一人ずつ子の戻る夕暮    武玉川

* もう すっかりこういう光景は見られなくなったが、わたしの幼時もこうであった。久保田万太郎の 「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」もこうだ。路 上、子供達が集って一つの遊びに熱中している図など、もう久しく目にした覚えがない。家にテレビがあり、路上に車の往来がある。索漠。
2018 5/22 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「すぐれた面を持ちながら疎んじられる人がおり、欠点だらけでも好かれる人がいる。」
「他人に支配されないようにするのは、他人を支配するよりも難しい。」

☆ 娘の謎を伯母が来て解く    武玉川

* 払底してこういう「伯母さん」は見なくなった。当節は伯母さん叔母さん母さん世代のほうが、「お肌がどうした」「附け鬘がどうの」「お通じにはどの薬の」とウロウロしてて、娘、息子らは「勝手に育つ赤いトマト」の気で居る。
2018 5/23 198

* 昨夜、長編「さい果て」に、同系の後日篇「玩具」「青いメス」を添えての津村節子作『さい果て』を読み終えた。おもえばここ数年、現代日本の文学を「読 んだ」という実感も覚えもほとんどなかったあとでこれと出会い読み終えたのは、一事件であった、つまり面白く共感し感情移入しつつ読んだ、読めたというこ と。
一つには吉村昭・津村節子というご夫婦作家の少なくもご主人の吉村さんとは、ともあれ同じ「太宰治賞」を受けた同士のご縁があり、かつわたしの印象と作 中の 夫「志郎」サンの印象とはよくうまくカブっているのだ。総じてこれは「志郎モノ」と読んで佳いほどの、妻からの夫への観察・批評、それを下支えて生き生き した夫妻物語になっているのだ、それへ惹き寄せられ、わたしは読み切った。「夫婦ないし夫婦愛」を書いて出色の表現であり、身辺私小説しか書けない「書き た い人」たちの好適な、文句の挟めない佳いお手本になっている。筆が萎縮していない。書くべきはおどろくほど率直に端的に効果的に書かれている。
感じ入りました。
それにしても津村作にせよ柏原兵三作や古山高麗雄作にせよ、「徹した私小説」というつくりで成功し、いわゆる「物語」は少ない。まだ筑摩大系「ウシロから」読み の中で、物語には多くは出会えてない。野坂、五木、井上ひさし氏のなかにはあるだろう、富岡多恵子作にもあったか。
ま、私小説のようにつくりながら実は思い切った物語を 書いてきた私と、同じまたは似た意図で書いてきた人も大勢あるのだろうが、めったに好例に出会えない。
2018 5/23 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「善と同様悪にも英雄がいる。」
「偉人の栄光は、常に、彼らがそれをかち得るために使った手段を秤にして量られねばならない。」
「どれほど華々しい行為でも、偉大な志から出たものでなければ偉大と見なされるべきではない。」

☆ 講中寄って褒める戒名    武玉川

* 秦の親たち三人の戒名が、幸い好もしいとみている。
わたし自身は、お寺さんに戒名をつけて貰いたいとは願っていない。秦 恒平で宜しく、ま、自身で名乗ってきた「有即斎・宗遠」でけっこう。
2018 5/24 198

* 選集二十八巻の編輯に取り組み始めた。原稿の多さに溜息をつく。
2018 5/24 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「美徳は、虚栄心が道連れになってくれなければ、それほど遠くまで行けないだろう。」

☆ 生きた娘の代る人参    武玉川

* 「人参」という著効の高価薬が尊ばれた時代、親のため身内のために娘が色街へ身売りして金をつくったような話はイヤほど聞いてきた。昨今でも、「人 参」のためとは言わなくても同様なことがあるのかどうか、戦前戦中にはあった、ありえたろう。敗戦後にもあったと想われる。「生きた娘」の句に深い歎きが 籠もる。
2018 5/25 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「世界の趨勢のみならず、考え方の嗜好まで変えるような全面的な変動が存在する。」
「國の中に奢侈と過度の文明化があるのは亡国の確かな前兆である。なぜならすべての個人が自分自身の利に汲々として、全体の幸福に背を向けるからである。」

* 一九三五(昭和十)年生まれのわたしは、まざまざとそれを体験した。
そしていままさに「文化」を忘れた「過度の文明化」の害毒に日本人は、人間は、焼かれつつある。

☆ 女房の名を附けて売る餅    武玉川

* そういう餅屋や菓子屋がけっこう多くあった。森銑三先生のいわれるように「気分が明るくて、何か景気がいゝ。」昨今、そんな風情には出会わない。
2018 5/26 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「軽蔑すべき人間に限って軽蔑されることを卑屈に恐れる。」

* 地位が上がって、「学長」の「学部長」の「理事」の「監督」のとなれば、なおさらで。

☆ 狸が呼んで名を替える尼     武玉川

* これは今ここへ引くほどの句ではないのだが、幼い記憶にすこし引っかかって妙に懐かしくもあるので。昭和二十年三月、京都市内から、雪の丹波山奥の、 まるで深い薬研の底を小川と村道のくねっているような小さな田舎へ、母と、戦時疎開した。わたしは国民学校三年生をそ匆々に終えてきたばかりの満でいうと 九歳余だった。
その、当時京都府南桑田郡樫田村字杉生は農家が十数軒ともないちっちゃな部落であったが、そんな集落からは街道沿いに一キロほど離れて尼寺があり、とに かくも大人の庵主さんと、も一人、今での遠い印象からすると十代後半か二十歳ほどの若い女性がひっそり暮らしていた。二年近く疎開していた間に、この尼さ ん達をみたのは数度となかったが、やはり村の若い衆は「庵主さん」ではない若い尼さんをなんとか俗名で口にしてはなにやかや言うていた。なにしろ戦時戦後 でほんものの若い衆といっても農学校生かそのちょい上、いまの高校世代しか男のすくない農村だった、そういうお寺の存在は、無縁であればあれ一種別世界め いてわたしは感じたり遠くからお寺の石垣を眺めていた。
上の句、狸だか若い衆か、なにかしら尼さんをからかいかねなかった風情で、森銑三先生はごく穏和に読まれているが、「名を替える」には何ほどか案外なドラマもありそうに読め、通り過ぎてしまえなかった。
2018 5/27 198

* 昨夜遅く読み上げた鏡花の京都編、「笹色紅」。もってまわったおはなしではあるが、場面場面が目に見え手に触れるように私には親しく、大方は芸妓、茶 屋の女たちの「京ことば」が、ようここまで鏡花が聴き取っていると舌を巻くほど、正確とは思われないままにも感じはじつに面白く身ぢか耳ぢかで、それに惹 かれた。それ以上に、縄手、大和橋、竹村橋、西石垣、大嘉、千茂登だの西大谷だの、そしてクライマックスを産み出す疏水の瀧だ、もう新門前のわが家から小 走りに二、三分の近所だった。疏水の瀧(鴨川運河・疏水閘門)へは、よく人が身を投げたし、水死の事故も起きた。お話しはいかにも鏡花の流儀、引き抜いて の大化けなど笑えるが、なにしろ祇園の「芸妓言葉」はしみじみ身に沁みた。編者が解説で不自然としている「「私(あて)がもつはけ」「支度させるはけ」な ども、この界隈で育った秦の叔母のもの言いそのままで、語尾の「はけ」は後年に瀰漫の「さけ」よりもよほど順当であった。鏡花の聴き取りはただならぬ耳と 語感との良さを見せている。その点、京の土を踏まずに書いたと思われる「瓔珞品」の京ことばはよほど不自然に読める。
四条大橋から手の届きそうな辺に竹村橋という、流れては替え流されては替えの仮橋がむかし渡してあったとは縄手育ちの父にも叔母にもよく聞いた。芸妓舞 子が自殺する場としても知られたのを鏡花は舞台に用いている。後にはそんな流れの速い深い疏水上に「かき春」という舟料理や浮かんで、一度両親や叔母にご 馳走した。それも今は無くなった。
今一箇所、一対作である「楊柳歌」にも<この「笹色紅」にもあらわれる、これまた花街の女が心中や自殺によく走ったおそろしい魔所があった。一人歩きまわる少年のわたしも、其処へは近寄らなかった。

* 鏡花の書き遺してくれた「楊柳歌」「笹色紅」は、京都が感謝していい「故山を飾る」逸品である。
2018 5/27 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「率直とはこころを開くことである。これはごく少数の人にしか見出せない。ふつう見られる率直は、他人の信頼をひきつけるための巧妙な隠れ蓑に過ぎない。」

☆ 奇麗にしなび給ふ上人    武玉川

* 持戒正しくもろ人の帰依を受けてきたお上人がお年をめされてきたが…という。お目に掛かりたい。
2018 5/28 198

* 横になっても、脚の攣縮痛と肩や頸の痛みは退かず。サロンパスを貼りに貼る。
外出続きであったとはいえ、こんなテイタラクでは衰弱してしまう。なにより、どんな旅も難しくなる。
五月はあと三日。「選集26」を六月八日に送り出しの用意は、この月内に出来る。すぐ引き続いて二十二日の「湖の本140」発送用意に掛からねば。六月はよほど忙しくなる。
しかも何よりは、長編創作の、鍛錬。渦を巻いてきている。
2018 5/28 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「大きな存在、大きな人物になるためには、自分の運を余す所なく利用する術を知らねばならない。」

☆ 買つた屋敷を愛宕から見る   武玉川

* 「売つた屋敷を編笠で見る」の正反対、愛宕山へわざわざ登って買った屋敷を嬉しがる。編み笠で見たことはあれ、高いところからわが家を眺めるなと。とてもとても。
2018 5/29 198

* モリ、カケ、アベのウソクサイどころかウソそのものの悪政に日大アメフトのウソ・ハラ騒ぎ、吐き気がする。

* わたしは世離れてはいるけれど、ミルトンの壮大な『失楽園』 また『アラビアンナイト』に心酔し、また近代現代の日本史を学んでいる。
五木寛之の「ソフィアの秋」はイコンという美術と、グルジア方面の牧歌的なロマンスに惹かれて読み進み読み終えたが、やはり、何処かで「なげやり」な読 み物の域を出なかったのは残念。今は井上ひさしの「手鎖心中」に期待している。大庭みな子作は何を読むか選びあぐんでいる。
なんといっても『失楽園』『千夜一夜物語』で心を洗われている。
岩波文庫新版の第四巻の出を、待望している。

* 『手鎖心中』も面白くは読み進められるが、それは描かれている世間をわたしも知識として持っているからで、小説としては要は時代もの。わたしはまった く同時期の最上徳内を描いたが時代物にはしなかった、その気がなかった。わたしは「徳内さん」と二人で田沼の昔の、そして昭和の現代の蝦夷地・北海道を 「旅」してまわった。歴史を今に活かすように構想した。時代小説はつまらない。わたしはいろいろ歴史の人を描いてきたが時代劇にしたことなど有ったろう か。
2018 5/29 198

 

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「われわれに感嘆する人びとを、われわれは必ず愛する。そしてわれわれが感嘆する人びとを、われわれは必ずしも愛さない。」
「少しも尊敬していない人を愛すのは難しい。しかし自分よりはるかに偉いと思う人を愛することも、それに劣らず難しい。」
「われわれは己れの欲するところを知りつくすには程遠い。」

☆ 緑子(みどりご)の欠(あく)びの口の美しき    武玉川

☆ 腹の立つとき大針に縫ふ    武玉川

* 前の句を受け取れない人はいまい。
さて、アトの句を実感できる女性が、おいでか、な。
2018 5/30 198

☆ 公爵ラ・ロシュフコー(1613-80)『箴言集』に聴く
「物事をよく知るためには細部を知らねばならない。そして細部はほとんど無限だから、われわれの知識は常に皮相で不完全なのである。」
「ある事が、さんざん思いをこらしても考え及ばないほど完璧な形で、ひとりでに頭に浮かぶことがある。」

* いま、しみじみとそう思い、そう願っている、小説家として。

* 公爵ラ・ロシュフコーにかなり永くお付き合いを願ってきたが、ひとまずは、これまでとして、感謝と敬意とを十七世紀へ送る。

☆ 隠居へ孫を運ぶ雨の日    武玉川

* 些少の都会生活者に「隠居」は思い寄らないにしても、年寄りには年寄りの部屋があろう。孫の世話を押しつけ気味に頼むとも、雨ゆえの無聊なればこそ慰めにかわいい孫を預けるとも読める。武玉川の境涯なら、後者と、わたしは読みたい。

* 昨夜も二時過ぎまで次から次へ本を読んでいて、ま、そこそこに睡れてポコッと早めに目ざめた。いま、九時。このぶんでは昼間に睡くなりそう。ま、いい。あるがまま。けれど暢気にはしていられない仕事の混みようで、なるままにとは捨て置けない。

おいおいと老いをはげまし老いらくの
老いのあまえの日々を追ひ行く    遠
2018 5/31 198

* 機械の前へ来て、ラ・ロシュフコーが「箴言」の最後に、「死の蔑視の思想・言論への批判」をしている文庫本での四頁ほどをプリントし、繰り返し読んだ。
「死の蔑視」とは、はやくいえば「死ぬことなど怖くない」という主観を謂うているのだと思う。「異教徒」のよく説きよく謂うとしているので、佛教なども また武士道なども念頭にあるのだろう、それとは離れて、わたしも「死」と向き合いそうになるつど、同じ論点で物思うことがいわば幼來あったように自覚して いる。老いてますます、この論題は意味を大きくしつつある。
2018 6/1 199

☆ 鳶といはれて酒を買ふ母    武玉川

* 子を褒められるのが、母はわがことより嬉しい。鳶が鷹を生んだねなどと客にいわれると、ほくほく愛想の酒を買いに走る母親。あたたかな武玉川の、表現。
☆ 親の闇ほかの踊は目に附かず   とも有る。盆踊りに家の少娘もまじっているのだ。
親の、母や父の、子にしてやれる心からの励ましは、これに尽きる。世間には「拝み倒しにまだ懲りぬ母」もいようが、そういう「モノ・カネ」で出来合うのは土間親にも可能と思われず、そもそもそれでは親は心淋しい。
☆ 親の闇たゞ友達が友達が    と、子の「わるさ」を友達のセイにしてしまう親であっても心淋しい。
2018 6/2 199

☆ 詠懐    白楽天
尽日松下坐 有時池畔行  尽日松下に坐し 時有つて池畔に行く
行立與坐臥 中懐澹無営  行立と坐臥と 中懐は澹(たん)として営む無し
不覚流年過 亦任白髪生  覚えず流年過ぎ また白髪の生ずるに任す
不為世所薄 安得遂閑情  世を薄(かろ)んずる無くば 安(いづく)んぞ閑情遂ぐを得ん

☆ わが幼名で捨子育てる    武玉川

* そういうことも有ったんだ…と、想う。
2018 6/3 199

* 漱石は、さびしい意味で「寒しい」と表記する人であったのを思い出す。寒暑をとわず、さびしいことが小波なしてせまってくる。
2018 6/3 199

☆ 親の昔を他人から聞く    武玉川

* 同様に 己が昔を他人からいろいろ聞かされたことであった。
2018 6/4 199

* ワケ分からず食べられそうなあれこれを呑み込むように口にしていて、体重が増えていた。
何に驚いたかフト目ざめて。そのまま起きて、溜まっている瓶・缶の類を指定の場へ出してきた。便意を促すにだけ役立つような朝食、冷たいミルクとパン少し。睡いが。

* 上野千鶴子は「おひとりさま」という一語を表題に含めた本をもう五六册も呉れている。家事は曲がりなりに最低限は覚えて行くにしても、「ひとり」で老 耄の命を永らえて行くどんな意味・喜びがあろう。世間も國も世界も、心惹くナニモノもなく、心惹く多くの全ては過去への記憶にある。自分一人で創れる世界 はあろうと思うが、「ひとり」でのそんな営みにどんな喜びがあり得よう。
安倍、麻生、自民、トランプ、金世恩、習近平、プーチン。わたしに生きる嬉しさをささえるどころか醜悪なまで日々の立ち行く土台を破壊し続けている。もうケッコウだ。

* よそう。何を書き散らすか知れない。

* うえに挙げた三枚の写真に、思いを静めている。美しいものに見入れる喜びが、いまや何より尊い。徳力さんの版画は堅持のこの詩の全部を何枚かに作られているが、何十年かまえ、京都の姉小路の嵩山堂でみつけ、この一枚だけを買い求めてきた。十牛図の版画も買った。
「西につかれた母あれば」という思いは東京で暮らし京都に秦の両親・叔母をのこしていたわたしには四六時中思いを離れぬ苦衷であった。わたしも妻も何度 も何度も京へ奔って老いの苦境を支えたが足りることでなかった。三人ともついに東京へ引き取ったものの、つまりは順々に死なせてしまっただけ、申し訳な かった。それでも秦の父は九十一、叔母は九十二、母は九十六まで生ききった。母まで生きるのにわたしはもう十四年堪えねばならない。
もう一つ侘びのしようもない申し訳ないことは、建日子に妻子が亡いからは必然「秦」という家は絶えるのである。育てて貰って、「家」を遺せない罪はひとえにわたしが引き受けて死んで行かねばならぬ。御免なさい。
生みの母、実の父は秦の親たちよりもっと早くに死んでいて、実の兄恒彦も、父を異にした深田家の姉一人、兄三人も、とうに亡くなっている。
妻の両親は、わたしたちが結婚したときに二人とももう亡くなっていたし、その後に妻の兄夫婦も亡くなっている。
わたしの点鬼簿には記憶のかぎりの、百、二百の名がもう並んでいる。重い事実である。
2018 6/5 199

* 今もそうか、書店と縁を切ったような暮らしで知れないが、昔は本や雑誌を買うと「付録」が附いていて、本体の方は失せ果てても付録だけ残ったというこ とは、幾つか在る。これはのちのち「参考」に使えると思うと捨てがたいそういう「付録」は、ものの下や間にでも捨てずに記憶に置いていた。いま手にしてい るのは旺文社の「歌に見る近代世相史」とある小冊子で「懐しの明治・大正・昭和歌謡集」とある。敗戦後の昭和三十五年までの年表が附いているから、わたし たちが新宿河田町に住み長女朝日子が生まれた年まで、「皇孫ご誕生」とは今の皇太子さんのこと。「ハガチー事件でアイク訪日中止」は、安保闘争の激化を思 い出させる。社会党委員長浅沼稲次郎が暴漢に刺殺されたが、暴漢を祀る動きもあり、米日保守の左派撲滅への動きが露呈してきた頃に当たる。この冊子は東京 で手に入れ、わたしは「小説を書こう」としてすでに反戦の「或る折臂翁」と向きあっていた。

* この歌謡集にはあの「りんごの歌」を最後に「昭和時代 戦後」の歌は出ていない。明治の最初は「宮さん宮さんお馬の前に」の「トンヤレ節」である。歌 は世に連れ、或る面では一級の史的証言を成す、こういうのは、時勢を読むのにとても有効な好資料いや史料として参看できる。今も頁を繰ってそして目を閉じ てモノ思うことがある。わたしは徹して軍歌、国威発揚歌が嫌いで通してきた。しかも時に急激に口に甦ってきて暗然とする。「わがおほきみに召されたる い のち栄えある」だの「父よあなたは強かった」だの、不快であった。
2018 6/6 199

 

☆ 祝・ご退院
お元気ですか、みづうみ。
奥さまのご退院おめでとうございます。早めに病院にいらしたことが正解だったと思います。早期発見早期治療が大切です。
みづうみの私語にちょっと心配しました。

>「ひとり」で老耄の命を永らえて行くどんな意味・喜びがあろう。世間も國も世界も、心惹くナニモノもなく、心惹く多くの全ては過去への記憶にある。自分一人で創れる世界はあろうと思うが、「ひとり」でのそんな営みにどんな喜びがあり得よう。

お気持ちはわかりますが、「ひとり」で老耄の命を永らえる意味がないと仰るのは、奥さまを抱き柱にしていらっしゃるようにお見受けしました。このままでは奥さまも建日子さんもご安心できませんでしょう。
みづうみが生き ていてくださるその存在の重さに、日々励まされ慰められているわたくしや多くのご友人や読者をおいていかないでください。「骨董品のようになって生き残っ ている」ことの素晴らしさは、みづうみにはおわかりにならないかもしれませんが、ふつうの人間は「骨董品」にはなれずただのガラクタになるだけですから、 極上の骨董品でいらしてください。
友人が長期入院した時にご主人さまのために頼んで便利だったという「わんまいる」という配食サービスのサイトをご参考までにお送りします。

http://www.onemile.jp/html/page1759.html?gclid=CjwKCAjw3cPYBRB7EiwAsrc-uRU4WIK0Ecne_fs23XicGE2CXEEhna8_SK7gRtzAN80bnfGQzNYHeRoC2kIQAvD_BwE

0120-548-113

奥さまのご年齢で毎日三食ご用意なさるのは、かなりの重労働と思われます。上手にこのようなサービスをご利用ください。冷凍庫に惣菜があると便利です。こ れからも奥さまのお具合の悪いときはあって当然ですから、奥さまに今のまま過重な家事のご負担がかかりませんように、一度試していただければと思います。 何を食べるかは、良く生きることとつながっています。
奥さまのご入院中、一日二回も病院に通われ ていらしたのですから、お疲れが出て当然でございましょう。みづうみのご年齢を考えると一日一回でもバテるはずです。どうかご無理のないよう、お二人ご自 宅でゆっくりご静養ください。  螢  螢火や山のやうなる百姓家  富安風生
* ありがとう。

* 気の弱りを忽ち次つぎに叱られた。
気を励ますモノが、もう、妄想ぐらいにしかない気がして、この辺でもしもミルトンの『失楽園』のような壮大な詩情が生まれたらどんなにいいかと凹むので ある。底知れぬ地獄の暗闇に堕とされた悪魔(サタン)はじめ無数の堕天使たちが懸命に再起をはかる壮烈な願いをわたしはただじっと見まもっている。

* わたしは、今、自分でない何かに化けたいと、妄想力に願を掛けているらしい。
2018 6/7 199

* 九時前 選集第二六巻 納品。直ちに送り出し作業にかかる。
「京都」でまとめた一巻、とても一巻で足りないのだが、わたしの一生、わたしの文学にとって、「京都」はその芯棒に相当している。もう一巻「京のエッセイ・随筆」巻が欲しいが、巻数の残り少なく割愛となるかも知れない、心残りになりそう。

* 妻の荷造り作業のペースを落としているので、毎回の三分の一も捗っていないが、それで好いとしている。ことに、選集は篤志のご助勢の方のほかは殆ど全部を施設・大学・各界知己への寄贈に当てているだけ、日程に追われてはいない。
2018 6/8 199

* 夕飯のあいだ、あと、 深作監督の歴史劇鴎外原作『阿部一族』を久しぶりに観て感動、感銘を新たにした。日本の、劇場映画ではない「テレビ劇」では、 間違いなく今日まで「最高の名作」と謂うてわたしは憚らない、並ぶモノをただ一作も知らない。画面の隅々まで、科白の一つ一つまで、配役の一々の表情や動 きまで残り無く記憶していながら、ウブで無垢の感銘に浸され、完成度ゆたかな脚色藝術の力に、幾度も嗚咽した。セリフのどの一つまでも完璧に書けていた。
「阿部一族」こそはわたしの反戦思想、反権力思考の不動の原点であり、六林男の無季俳句
遺品あり岩波文庫「阿部一族」
に心から哀悼と共感をささげて来た。鴎外先生、よく書き置いて下さったと感謝にたえぬ。
この一作に匹敵する現代近代を描ききった藝術抜群のテレビ劇を、まだ、一つも挙げることが出来ない。

* 劇映画「戦場に架ける橋」の途中からを午前中に作業しながら観・聴きしていた。

* わたしは夏目漱石の「心」を舞台劇のために脚色している。「竹取物語」を朗唱劇として書き下ろしてもいる。
映画のシナリオも「懸想猿」「続・懸想猿」と題し、シナリオセンターでの課題作として提出して当時松竹の副社長か専務をされていた城戸四郎さんに「80 点」と評価して貰っている。城戸さんも評価に関わられた評論家岸松雄さんも、評点に添え口を揃えて「小説家」になりなさいと奨めて頂いた。その道へ進んで お奨めにしたがって良かったと思う。それでいて、今以てわたしは創作劇でないめ優れた原作の脚色シナリオへの夢という欲というかを諦めていない。秦建日子 の舞台はもっぱら彼の創作劇であるだけに、「脚色」への好奇心をわたしは捨て切れていない。まして、鴎外の「阿部一族」や向田邦子の「風たちぬ」をまた繰 り返し観た今、そういう余分な色気に惹かれてしまう。
疲れてへとへとなのに、どうしてわたしはこうよぶんな好奇心へ色めくのだろう。
2018 6/10 199

☆ 『一筆呈上』
ピリリと辛い 読んでいると、声まで聞こえてくるような お顔まで見えるような……
痛快 痛快……    鎌倉  橋本美代子

* わたしの「大波小波」寄稿には 匿名に隠れて邪まに人や事や物を貶めようと謂う気は無かった。人気のコラヌを利してわたの「批評」を文と藝とでおもしろくもヒリリと辛くも表現したかっただけ。
2018 6/10 199

* 全身の違和と不快居座り、夜中にもいたく咳き込む。いちばん迷惑なのは集中力の落ちること。散髪で無精髭も髪もじゃも解消したが、視力と視野の不安定は如何ともしえず、ただ辛抱あるのみ。

* 抗癌剤以降 歯が多くおちて入れ歯になってはまともに喋れないが、顧みて、随分数多く、テレビ・ラジオで話し、また保存し得た講演録また対談座談会の 数多かったことに、今更に驚く。今ひとつ驚いているのは、作家同士での対談や座談会は数回としかなくて、多くは若かった昔から、いつも著名な学者・研究者 に向きあったり、中へ加わって、緊張も恐縮もせず普通に話しつづけていること。
思えば「作家仲間」といったつきあいが、少ないどころかほぼ「無いまま」に半世紀過ごしてきたのに、今更に驚く。国文学、歴史学、思想・哲学、美術、演劇等の知己の方が断然数多く、そういうお付き合いにわたしは久しく励まされ続けてきた。
やっぱりヘンな人であるらしい、わたしは。

☆ 虚空裏に向つて釘橛(ていけつ)し去るべからず。
「虚空に釘を打つような真似はするな。」    臨済

* 問うては擬議し惟うては擬議し応えても擬議している。臨済和尚はそんな横面を張る。張られてばかりいる。それでも、うじついていず、たとえ天下の嶮であれわたしは、今も、小説を書いている。ピシャピシャと自分で頬を打ちながら書いている。
2018 6/14 199

* 浴室で歩、かつて岩波の「文学」に載った座談会「洛中洛外図屏風について」を読み返し、とても面白かった。上杉本の洛中洛外図屏風」が岡見正雄先生と 兄弟の佐竹教授の手で刊行された頃の記念の座談会で、名古屋工大から   教授も加わられ、わたしはおそらく岡見先生の推挽で中に加えられたと思う。岡見 先生は精緻を極めた『太平記』の校注や「室町ごころ」の提唱でも当時学界に聞こえた大先生であったが、わたしの高校時代の「古典」の先生でもあられた。京 極裏寺町のお寺のご住職でもあり、学校へは袴姿に洋靴で登校されるような異彩の「ボーズ」先生だった。学界に名高い大先生などと誰も思っていなかった。古 典の授業ははじめから終いまで先生の朗読だった。受験勉強の連中はブーブー歎いていたが、わたしは先生の朗々と読まれる古典の文章を耳に聴きながら悟れる モノが多かった。耳を澄まして聴き入っていた。
作家になってから、よく励まして下さり、祇園町でご馳走になったりもした。

* それはそれとして「洛中洛外図」座談会でも岡見先生の発言はふわふわと「京都」の天上をただよう念仏のようで、しかも示唆に富み、わたしは多くをまた教えて頂けたと思っている。わたしはまだ若僧だった。えらいところへ呼び出されるなあとびっくりした。懐かしい。
2018 6/14 199

☆ どんな抱き柱(万巻の経典など)を抱こうと「荒草曾て鋤かず そのような道具では無明の荒草は鋤き返されはせぬ」と臨済和尚は、軽薄な教養に頼る識 者の弁を蹴散らす。「你(なんじ)が信不及なるが為に、所以に今日葛藤す  所詮おまえたちは信念不足なままの無用の議論に落ちこんでいるにすぎない」 と。「少信根の人、遂に了日無けん  信念の欠けた者はいつまでたっても埒のあく日はない」と。

* 信 とは、信じない ことか。信じたとき惑うのではないか。
2018 6/15 199

☆ 「擬議  もたもたする」    臨済録

* 咄嗟のおりに一瞬 反応・応答できない。もたつく、その瞬時に一喝され棒を喰う。禅問答など及びも附かないが、「擬議す もたつく、もたもたして」痛 棒を食っている例をしばしばみるつど、慥かに自身の日常にもかかる「擬議」のざまを幾十度露呈しているかと痛いほど自覚する。自縄自縛なのだ、咄嗟に 「打ってくれる」師ももたないのだ。
何に、何故「擬議し」もたつくのだろう。もっともらしく思慮分別しようとし「もたつく」のだ、分かる・分からないの間でもたつくのだ、擬議するのだ。
臨済和尚は喝する、「乱りに斟酌する莫(なか)れ。会(え・わかる)と不会(ふえ・わからぬ)と、都來(すべ)て 是れ 錯(しゃく)}と。

* ただただ擬議の歳月を積んできただけかと、歎くも居直るも擬議、もたつき。嗚呼と呻くのも擬議、もたつき。

* 春草の画「帰樵」は胸に蔵った。ヒョイト見つけた庭の「白にら」はもうとうに季節を終えて枯れ草になっているが、白い星が目に染みるまま、上に置い た。わたしの写真は、2004年頃に買ったワイシャツの胸ポケットに入るほど小さな「コニカ」。よう役立ってくれている、じつはいろんな使いようもあるら しいのだが、何一つ頭に入っていず、ただ一通りに写すだけ。いつでもどこでもフラッシュしてしまうのを調整するすべも覚えていない。生来の機械音痴が度を 越し老いに従い増している。
2018 6/18 199

* 「湖の本」141 表紙、あとがき、奥付添えて 全要再校で送り返した。「選集127」の要念校ゲラが届いたので、急ぎはしないが、「湖の本140」 発送など間にも「全責了紙の点検」を進めて月内には責了にする。じつは「選集28巻」の編輯に苦慮している。原稿が足りないのではない、予定で残り六巻分 には有り余っていて、どうきりぎりいっぱい入稿しどう残り惜しく剰すかに頭を悩ましている。ま、生きている間書き続けるのだろうから選集に収録できない作 や文が居残るのは当然の話。ま、思い切るしかない。
それよりも書きかけの長編二つをスッパリと仕上げることだ。
2018 6/18 199

* また気ぜわしくなってきたが、明日「四十九年」めの桜桃忌午後には、妻の入院で延期していた歯医者へ夕方には出掛け、あと、その脚で街へ出ようかと話 している。明後日には聖路加の内分泌診察があり、金曜にはもう「湖の本」第140巻発送が始まる。三十二年ものあいだ140回も本を「発送」という力仕事 を重ねてきたわけだ、なんという珍な作家で珍な夫婦だろうか。そして七月早々にはまた聖路加へ通う。どんな暑い真夏を迎えるのだろう、関西の大地震の被害 たいへんと聞くが、あの人この人らみな無事を願わずにおれない、天災地災も、政災もまこと叶わない。

* 小説を前へ前へ押し進めたいと、せめてそればかりを願っている。バテて潰れないように気を付けたい。
2018 6/18 199

☆ 「虚空裏に向かって釘橛し去るべからず  (虚空に釘を打つような真似はするな)」  臨済

* 概して、さように空語を弄して胸を張っているのだ。分からずにではなく、分かって乍らやめないのだ。情けない。
2018 6/19 199

* 朝、不快。

* ただ、臨済に会う。

* 花柳章太郎と山田五十鈴の絶品、泉鏡花原作、桑名船津屋を舞台の映画「歌行燈」を観て、滂沱の涙にくれ感動、心身の不快を洗い流す。
2018 6/21 199

* 午後、鏡花の映画「歌行燈」に続いて康成の映画「山の音」を観た。もう何度も観てきた映画だが、原節子も山村聰も上原謙も長岡輝子も中北千栄子も杉葉 子らも、演者はみな、メ一杯によく働いて見応え有ったのだが、それなのに今日は、一倍観ていて気がシンドかった。神経質に世界が病んでいた。
筑摩で出した1972年の処女評論集『花と風』に、川端文学を「廃器の美」と題して短く書いているのは、わたしが川端に触れた数少ない例であるが、感想 は変わらない。谷崎を花爛漫と謂い、川端を雨に打たれた花と謂い、三島を豪奢な造花と比較して謂ってきた感想も、変わらない。
川端康成の作には、小学校の五、六年頃友達に借りて読んだ少女小説のようなのが最初だった。「千羽鶴」「山の音」が競うように戦後文学としてもて囃され たときには、「山の音」の方が断然良いと思った、川端文学で指を三本折るなら『伊豆の踊子』『雪国』『山の音』という実感は今も変わらない。『山の音』よ り以降の川端文学の世界も筆も、病み気味にやや薄汚いという印象をあらためることが出来ない。

* 数十年に受け取った名刺の約半分を一部残して捨てた。新聞・放送・出版から各界人の名刺、それはそのままわたしの「歴史」であるけれど、顧みて執着すべきなにものでもない。
2018 6/21 199

* 此の機械のデスクトップには「黒いマゴ」の写真一枚が出してある。亡くなる前、半月か一と月足らず前の塀の上の黒いマゴが、じいっと優しい視線でわたしの目を見ている。わたしも目を目へ近寄せて、泣いてしまう、人はわらうだろうが。
わたしは八十三歳へと日々歩んでいる老人なんかではない。愛情や哀情にあふれた今も中学高校生のような少年なのだ。
2018 6/21 199

☆ 秦先生
先日はありがとうございました。御礼遅れ申し訳ありません。
学生時代と同じように、先生に問いかけられ、私たちの感じたことをぶつけ、また、違った角度から見ることを促され、また考える、という楽しい時間を過ごすことが出来ました。
先生も、私たちの話を聞きたい、と言われていましたが、時間と共に、ご自分でよく話され、まだまだお元気だな、と感心・安心しました。
私としては、先生の「島」の話に 新たな光を与えていただいたことが、最も大きな収穫でした。
これまで 1人しか立てない島に2人(以上でも=)が立つ、幻想かもしれないそういう島にはとても静かなイメージを持っていました。一つの島に一緒に立 てる奇跡という言葉のイメージから、勝手にそう思っていたのだと思います。しかし、どうやって二人で立てるようになるか、ということがずっとわかっていな かったのです。それは奇跡を待つことによってしか作りえないのではないか、というとても受動的なイメージをもっていました。
しかし、今回、「私が「呼びかけ」ているのですよ。そのそれぞれの呼びかけで海全体はワァーワァーとにぎやか・うるさい…のかもしれないですね。そういう中で、その呼びかけに応えるのです」というお話を聞いて、ふっと腑に落ちました。
私にとって「呼びかけ」が、音のある世界が とてもクリアにイメージでき、受動的ではなく、能動的に「二人で立つことを欲していることを表すことが、そ の世界を成立している重要の要素である、という認識が生まれ、とてもうれしく、そして安堵しました。自分に何かできるんだ、と。
いつも自分の認識の話ばかりで申し訳ありません。もっと文化的な話が出来ればいいのですが。
また、お時間を作っていただくお願いをさせて頂きます。次回は、また輪を大きくできればと思っております。よろしくお願いします。   柳博通  東工大院卒 建築家

* 申し分なく、嬉しい。
2018 6/22 199

☆ 謹啓
梅雨も半ば。今年は明けも早く、暑さ厳しくなりそうとの予報、奥様ともども健康をご案じ申上げます。
さてこのたびも御「選集第二十六巻」を頂戴いたしまして誠に有難うございました。
今集は、秦さんの過去、現在、未来にかかわる「京都」とあって、中身も厚さも尋常ならざるものと感じます。
まずは、北澤恒彦さんとの「兄弟往復書簡」を拝読、改めて実兄恒彦様との心の交流が実生活同様、束の間といってもよいような短い時間であったと知るにつ れ、このような形で「京都」を語り合ったこと、本当に貴重で示唆深い交歓のときだったと思います。甥の黒川創さんにもご兄弟の血が色濃く流れていてご活躍 になっているのでしょうね。
御身大切に。御礼まで。    徳島高義   講談社役員

* 思い立と、よく往復書簡を実現しておけた。よかった。書簡やメールの往来こそあれ、やはりこうしたたとえ「湖の本」であれ表立ったかたちで言い交わし 語り交わしていないまま死なれていたらどんなにか寂しかったろう。「湖の本エッセイ28」の『死から死へ』は江藤淳の自死から兄北澤恒彦自死までの半年を 日記でつないだものだが、重いきつい辛い二つの死であった。わたしには死ぬなと教えていったような二人であった、一九九九年の後半年だった、歳月の歩みの 険しくも速いことよ。

☆ 「用ひんと要せば便(すなは)ち用ひよ。 病は不自信の処に在り。你(なんぢ) 若し自信不及ならば、即便(すなは)ち忙忙地に一切の境に徇(したが)つて転じ、他の万境に回換(えかん)せられて、自由を得ず。你(なんぢ)若し能く念々馳求の心を歇得せば、便ち祖仏と別ならず。」 臨済
2018 6/23 199

* ここ暫くは重労働を要する仕事へはすこし間が開いて、そして「選集27」と「湖の本141」が出来てくる。八月九月のこととしたい、むしろその次の編輯が先行する。それより先に、しかかりの小説のガッチリした進行と補強が大切で、頭から離れない。

* 一つ階段を踏んだ。
2018 6/23 199

* 書きかけの小説に、呻きながら、肉をつけて。ただただ、息を呑むばかり。今日一日何をしていたかと思う。美味いのは、酒ばかり。
2018 6/24 199

* 読んでいる本は、みな、抜群に好い。
ミルトンの『失楽園』の宇宙大、壮麗の世界詩。ゲーテの『フアウスト』をはるかに超えた宇宙大の叙事詩の美しさ。
『千夜一夜物語』の野放図に華麗なミマ語りの面白さ。
『聊斎志異』の化け物世界の懐かしさ。
新井勝紘さんの『五日市憲法』のなにもかも諳記してしまいたいほど名「研究」行為の面白さで紡ぎ出される明治私民らの立憲行為の火傷しそうなほどの尊い熱さ。
そして、いまさらに チクショーそうであったかと呻くほど身に痛くも親しくもあり、気づききれなかった数々の「敗戦後日本史」の真相。

* しかしメインは「読書」ではありえず、苦悶の熱を噛むほどじりじりと小説世界の石垣を、建物を、築いて行かねばならない。何を書いているの。「ユニオ・ミスティカ」では分かるまい。
少なくも一作の主題は「老境の性」と覚悟するしかない。
カケイ・モリトモのウソのかたまりも、カジノ法への恥多い政治屋の動機も、ワン of TRUMPのみっともない恥ずかしさも、身を刻んで痛いけれど、ホットケ と嗾してくる内心の声にツイ従いたくなる。
2018 6/24 199

* じっくり構えて、長い小説の構想を 変えないまま太らせ始めた、肥満体にはしないつもりだ。
2018 6/25 199

* 腹具合、なんとなくノロリと重い。その一方で改善されて行くらしい全身症状も認知できている。腸が微かにククーっと音を上げている。視野がくらく、しょうじきなところ躰は寝たいらしいが、わたしはもう少し小説と組み合いたい。十本の指先がみな痺れて感触が萎えている。

* ロシアでのサッカー・ワールドカップ日本は意気があがっている。東京での国会や自民党事情は不快というに尽きる。さっかーの成績がどめでたく盛り上が ろうとも、安倍自民内閣の日本は暗澹の底で腐ろうとしている。わたし独りの心身の始末なら悟り澄ました顔をそむけて何からも遁れ得られようが、それが自殺 行為であることは分かっている。自死してしまいたい欲というのは、身を去らぬ執拗で厄介な大きな一つだが、負けられない。

* 生き生きと命のはじけたみるから新鮮な花は、得も云われず心励ましてくれる。花の名は何でもいい写真で観ていても咲ききって元気な花には励まされる。人間の言葉は、はずかしいほど頼りない。
2018 6/25 199

 

* 蕪村に「月天心まづしき町を通りけり」というのがある。「まづしき町」の読みはいろいろに有りうるが、わたしはもう何年も何年もおなじような 凄惨な家ともいえぬ家々両側から包まれた細道を夢に見る。ゆうべもかなり長い間 繰り返しそんな怖い路地をいくつも、幾度も、通っていた。わたしにはそん な原体験は無かろうと思うが、少年時代にいつしかどこかしらで擦り込んできたのだろうか。

* 概して、夢では、同じ夢に出会うという実感がある。ほかにも思い当たる数種の同じ夢見を覚えているが、いずれも原体験を察することはできない。空を游 いだりしている。山巓からふかい谿へ大きく身を投ずることもある。高い山際から深い谿へかわらけを投げたりは鞍馬の嶺で体験した反映か。
懐かしい人たちの夢が見たい。ネコ、ノコ、黒いマゴたちの夢がみたい。どう間違っても安倍晋三の顔など見たくない。
2018 6/28 199

* 筑摩書房の社長山野浩一氏が退任の通知、「長い間、御世話になりました」と手書きが添っていた。長い間「たしかに湖の本」はきちんと送っていたが、長 い間、年度年度の「太宰治賞」の通知一つ来なかった。「母港」へ船を寄せることすら出来ない無縁の三十年だった、よほど「湖の本」など嫌われたらしい。
2018 7/3 200

* 集英社版の四巻特大の『大歳時記』は持つも重い重い網羅的な大冊で、第四巻「句歌花実」の広範囲なエッセイ篇にわたしも六七編の執筆依頼を受け寄稿し ていた。あまりに本が大きく重いので書いた文をコピし保存しておくのも難儀、ながらく放ってあったが、本自体が場所塞ぎになってきたので今朝から苦辛して 機械でコピーを取り始めたが、やっと三編だけ。「極楽」「地獄」「身体」に関連して書いたもの、気張って書いているのに、少し照れる。
初出の書籍から依頼執筆分をとにかくコピーしておかねばならないのが、まだ身のそばに、押し入れに、二階にも階下にも「凄い」量が残っていて、いちいち 機械に入れて保存するのにひどい手間と時間が掛かる。いくら掛かろうと放っておくワケに行かない。健康さえゆるしてくれるなら、「湖の本」の200巻な ど、何でもない。よう書いていたものだ。本は「むずかしく」てたくさん売れなくても、原稿には原稿料が必ず支払われていた。おかげで「選集」が豪華な非売 限定本でも、「湖の本」が赤字を出していても構わずやって行ける。地道に暮らしても行けている。次から次へと、もう依頼原稿は書きませんのでと断るまで、 たくさんたくさん書かせてくれたたくさんな版元を、今も、有り難いと思っている。

* 十時半を過ぎた、もう視野が不安定に滲んでいる。機械から離れる刻限。幸いと、明日も出かけねばならぬ何用もない、落ち着いて仕事が出来る。床についても少し早く電灯を消した方が良い、昨日も二時過ぎまで裸眼で本を、すこしずつ、読み耽っていた。
2018 7/3 200

* 夕食前に、今日届いた「三田文学」で、坂本忠雄(元・新潮編集長)さんが石原慎太郎氏への聞き役を勤められた長い対談を読んだ。次号にも続くらしい。
石原氏の例の両手足をふりまわして一人舞台のような言いたい放題は、ほとんどわたしには縁がないなりに、二人での話題に登場の、小林秀雄、永井龍男、大 久保房男等々多数の今は亡き文壇人の名前には、私なりの懐かしい交渉や接点があって、そんな思い出にも手伝われてついつい読んでいった。
小林秀雄という人があつて私の「清経入水」選者満票の招待受賞はあり得た。わたしは私家版を小林さんにおそるおそる謹呈はしていたらしいが、筑摩書房の 「展望」も「太宰治文学賞」の存在も全く知らなかった、それほど「遠い外」にいて一気に文壇へ招いて貰った。あの大冊「本居宣長」を人を介して当時の勤め 先へ贈り届けても下さった。中村光夫さんから、「あんたのような人がもっといなくてはいけないんだが」と文壇へ慨嘆の言を聴き、また吉田健一さんに小説 「閨秀」を朝日時評の全紙を用いて絶賛されたときにも、わたしは小林秀雄という人の存在を見えない電波のように感じていた。
ただ、わたしは、石原氏がまさしく文壇での賑やかな先輩同輩後輩との付き合いようを謳歌されているのとは逆に、めったなことで人に文壇人には顔を合わさ なかった。本のやりとりに限ろうとして、会わなかった。それでも、作品『廬山』を芥川賞に推して下さった瀧井孝作さんにはお宅へ何度も呼ばれ、また同じく 永井龍男さんのお宅へも、一度だけ「帯」を戴いた単行本『廬山』を持参し鎌倉まで出向いた。瀧井さんにも「本」の帯を戴いたことがあるが、本の題を「糸瓜 と木魚」にしたかつたのに版元のきつい註文で「月皓く」に換えられていたのを瀧井先生は無視され、帯では「糸瓜と木魚」を大きく取り上げて下さつて、とて も嬉しかったのを忘れない。
永井龍男さんはコワイひとだったと対談の二人とも話されてたが、わたしにはいつも親切に優しい方であった。わたしが甚だ反文壇的な「湖 の本」を始めると、永井先生はすぐさま、十数人もの購読者を紹介して下さり、実に有難く励まされた。おなじ事は福田恆存さんも、あッという間に御親切にご 配慮下さった。嬉しかった上に、ビックリした。劇場で、初めてご挨拶したとき、「アア、想ってたような人ですね」と、それは優しい笑顔だったのにもビック リした。
井上靖さんに中国まで連れて行って戴いたのも、ある日突然に御電話で誘って下さったのであり、むろん同行した他の作家・詩人らとも、その折が初対面だった。
「群像」の鬼といわれた編集長大久保房男さんとの接触がいつであったか、俳人の上村占魚さんが紹介して下さったのだろう、「群像」との作のヤリトリは一 度も無かったのに、亡くなるまでそれは親しくして戴いた。その余恵のように、今も、「鬼」の弟子と自称の徳島高義さんや天野敬子さんのご親切を毎度得られ ている。しかし、このお二人とたとえ道ですれちがっても、わたしは見わけられまい、さほどまでわたしは、概して文壇の人たちと は「淡交」に徹しながら作家生活を六十年近くも続けてこれたのだ。

* ただ、淡交の親交者は、文壇を遠くはみ出て、文化界のひろくに、我ながら驚くほど知己を得てきた。わたしは孤立して生きてきたのでは、全く無い、ただ残念なことに多くはもう先だって逝ってしまわれているのだが。
2018 7/7 200

* 哀悼
2018 7/11 200

* 最期への一歩を 今朝から 踏む。心穏和に静かに生きを全うしたい。

* 愛らしい仔猫兄弟のアコとマゴが 今しもわが家へ「来た」不思議に、首肯く。敢闘の生は終えよう。あるままの足どりで、のこっている仕事を 日々 こころから楽しもうと思う。
2018 7/12 200

 

* アコはカーサンの頭のさきで、マコはあの黒いマゴとおなじに、わたしの頭のさきで、夜中、寝ている、が、なかなか、そのままではなく、気がつ くとマコもアコもわたしの顔へ来て、耳や頬や腕を舌を鳴らして嘗めつづけたりし、そのまま傍で寝入って行く。が、また気がつくと二人ともカーサンの脇で巴 になって寝入っている。二人とも一キロ余りの体重で、兄貴のアコが150グラムほど重い。アコはすこぶるの美女、ではない美少年。弟の黒いマコは小さい小 さい、が、負けずに好き放題疾走している。
元気いっぱい駆け回るアコとマゴの朝は早く、つられて起こされる。生きよ生きよと励まされる。
2018 7/14 200

* 一昨夜の夢は凄いもので無気味に怖かった。
例によって、しかもますます暗澹として規模も大きく狭苦しく封鎖された、あれは局見世のならんだ遊里ではない、あきらかにみじめな暮らしと乏しい灯しと 人の蠢きだけが密集して奥深い迷路だった、わたしは例によって路上に行き迷い、ふと小路を求めて踏み込んださきからもう戻りもならずに奥へ奥へ狭く折れ曲 がった陰惨な路地を進むしかなかった、なんとか明るいふつうの町通りへ抜け出したいと怖さに怯えて脚を運ぶうち、急な石崖へそまつに梯子が投げかけてある のを必死で登った、登り切った…ら、日のさんさんと照った広い白いのっぺらぼうなまるで布貼りのような坂が降っていた、わたしは身を投げるように駆け下 り、すると背後からも坂下でもわたしを追いかけ待ち伏せる人数の喚声がひびいてわたしは必死で追跡をよけて町なかへかけこんだ。やがての西に鴨川が流れて いて、しかもなお川西の遠くで大きな爆発の烟が黄色い噴水のように見えた。
わたしは夢で、何処へまぎれこみ、何処へ抜け出られて、何処へ遁げていたのか。分からないままいつものように夢覚めた。動悸がしていた。

* むかし「雲居寺跡 初恋」を書いたとき、絶望の別れを「雪子」とふたり、京の町、町をひたひたと歩いて歩いて歩きまわる場面を書いた。あの小説世界で の体験のおそろしいような補足をわたしは繰り返し夢見ているのだろうか。「月天心 ままづしき町を通りけり」という蕪村の句をわたしは底知れない何かのつ ぐないかのように想うのである。京都と切り離せない悪夢のように想われる。この三ヶ月ほどの間に、だんだんと怖さの度を越しながらもう同様の夢を三度も四 度も見ている。
2018 7/15 200

* 午前から、もう四時半まで、眼のための少しの中休みは入れながら、懸命に選集第二十八巻編輯の「読み」に没頭してきた。要事が、ほんとにいろいろ在る。放って置くことはできない。
わたしの「選集」は、決して「全集」ではない。選に剰って取り残される多くが出る。さまり一巻一巻の主題への纏まりをつけている。手当たり次第に葉容れていない。「選集」としてわたしなりの編輯術を働かせている。分かっていて貰えると思っている。
2018 7/15 200

* わたしのしてきた文学や思索の仕事には、幾つか、他の人からは出てこなかったキイワードがある。
「身内と島の思想」「花と風」「和歌と古典と日本史」「死なれて 死なせて」「手さぐり日本」「からだ言葉・こころ言葉」「茶の湯と一期一会」「京都」そして「女文化」という理解など。これらはみな一連に縄のように綯い合わされ「もらひ子」少年の昔から血肉になっている。
これらを鎖のような分子列とみれば、すべての分母には何がなるだろう、大胆すぎるもの言いかも知れないが「女」であろうか。

* 一冊の本ほどのいいわけが必要になるかも知れぬが、「男はきらい 女ばか」という少なくも日本人観を、あれは医学書院へ入社し二年も経ったかという 頃、編輯を担当していた看護系月刊雑誌のちいさな「埋め草」記事に自身で書いた「自覚」がある。この自覚はたやすい説明では通じまいが、じつは今も描き続 けている小説へも匂いのように流れ込んでいる。男は添え物で、やはり京の祇園近くの女の人たちの中で成人していった男の「自覚」なのである。
そんな自覚を心身に抱いたまま、この近年にフェミニズムやジェンダーのかなり基本的な著書なども勉強してきながら、時折りにともいえない、かなりしきり に考えるのが「男と女」のことという一般論より、敗戦後久しい日本ないし東京の風俗感覚に色どられ、近年とみにやかましい「セクハラ」とは何かという、そ う、課題でも問題でもない、つまりは一種「不審のようなもの」である。

* このまま「古事記」「万葉」「古今」「伊勢」「蜻蛉」「枕」「源氏」 ああ並べ立てれば日が暮れそう、「平家」「謡曲」「とはずかたり」から西鶴、近 松、南北、黙阿弥さらには明治以来の文豪達の作など、稲妻のようにはしり流れる「日本人のセクハラ」史は、大冊の論攷を優に可能にするほど材料豊富、元気 な昔なら、あの『死なれて 死なせて』や『能の平家物語』などの倍も三倍もの書き下ろしが、一気に書けたろう、が、今はそんな気持ちはない。で、もう此処には、これ以上は書かない、 創作中の長編や短篇、小説の世界へ譲る。
2018 7/16 200

* ツウィッターが今朝から二度も安倍晋三のつぶやき有りと私に伝えて来ている。私の機械はソシアルネットの受発信は不可能、そしてそんなものは見たくも ない。一国の宰相が「つぶやき」を以て国事を国民に告げるなど、その姿勢も行儀もヤクザに過ぎていて、そんなことまでトランプの「ワン」でいたいかと嗤え る。

* 今を去るちょうど四半世紀、沼正三の三巻版『家畜人ヤプー』第二巻の帯に、はからずも中沢新一氏のこんな一文を読み得た。ほ=
☆  『家畜人ヤプー』は十数年前に折り紙つきの過激であった以上に、今(=1993)もまだ極めつきの過激である。かつてヤプーであることは日本人 にとってはアイロニーだった。だが国際化された日本人は、今後自分がヤプーであることのうちに、唯一の可能性をみいだし、ノーという前にお尻を差し出して しまう、恐るべき民族となっていくことだろう。  中沢新一

* これは滅法 恐ろしいしかし正確の度を増し、 宰相以下の日本人が 作中「イース帝國」以上に過激で過酷な支配欲に今や酔いしれているトランプ米国に 尻をさらけ呈している見苦しい現状を 射抜くように予言していた と読まざるをえない。
2018 7/16 200

* (沢口)靖子ロード、つまりは階段を上がった窓ぎわを機械のある書斎までの短い廊下に、文庫本ばかり入る書棚が並んでいて暫時窓の外へ向き立ち止まる ならいの、今朝、表紙に補修のある本文に滲みもある『無名草子』一冊を見つけた。いわば平安女文化・文藝への物語ふうに創った初の「文藝批評集」なのであ る、「一 いとぐち」の書き出しから心優しくももの静かな、しかしはきはきもした女語りの「ことば・文章」が佳い。奥付では昭和十九年、つまりわたしが八 歳二ヶ月になる二月十五日の「第二刷」岩波文庫であり、定価四十銭 特別行為税相当額二銭 合計四十二銭ではあれ、む ろんわたしに買えたわけなく、秦の祖父の蔵書に一冊の岩波文庫も無かったし、この当時は祖父と母とわたしとは 丹波の山奥に戦時疎開中であった。恐らくは 上京結婚就職後に御茶ノ水駅ちかくの古本屋で安く買っておいたに相違ない、わたしは日本の古典の岩波文庫古本なら何でも買える限り買っていた。まことに廉 価であった。「梁塵秘抄」も「西洋紀聞」もそうして手にし愛読した。京都このかたわたしが所持の岩波文庫は「平家物語」上下「徒然草」そして島津久基校訂 の「源氏物語」六册本ぐらいだった。
『無名草子』の著者は、藤原俊成説 俊成女押小路女房説などあるが、昭和十九年本の校訂者富倉徳次郎は憶説と退けて、単に
一 建久・建仁の頃に在世の人
二 物語・歌集等について廣い知識と批判力とを持つてゐる人
三 女性であること
四  隆信・定家と親しき人(本文の中に「隆信の作りたるとてうきなみとかやこそ云々」「定家少将の作りたるとて」とか見えて隆信・定家に對して敬称を用ひてゐない所からの推定)
の四条件に當る一女性であり、その人については不明であるといふを穏當と考へる」と解説されている。

* 此処まで書いて、一女性への幾つかの思案も名も想い浮かんでいながら、今日は妻の通院診察の留守に「選集28巻」の編輯と読みとにたっぷり時間と視力 を費やした。それでも疲れて階下へ行くと、アコとマコとが、兄弟で半ば睡りながら熱愛の態で互いに抱きかかえて毛づくろいしたりしていて。じつに見ていて 気分よく心和む。同時に生まれた実の兄弟なればこそ、われわれの姿がなければないであくことなく互いに親愛している。嬉しくなり、羨ましくもなる。
励まされて、難儀な仕事へも根気よく挑み続け、先への道もほぼ見当たった気がしている。

* それにしても此の親愛する古機を、根気よくなだめなだめ画面を作り続けるわたしの粘りもなかなかです。 とても追っつかないけれど、昔ならもう『無名草子』の女作者を小説に仕掛かっていただろう。「慈子」「雲居寺跡・初恋」「加賀少納言」「秋萩帖」「あやつ り春風馬堤曲」「月の定家」「夕顔」「三輪山」「秘色」「絵巻」そして「みごもりの湖」も「清経入水」「最上徳内」「親指のマリア」も、みなチカッとした 思いつきから生まれた子供達だ。
そのような子供をまだわたしは生めれば生む気になれる。からだは老いているが、作品を願う生気は、精気も、剰っているらしい。怪我などしたくない。病気もしたくない。
しかし「食事」めく食欲は払底し、ただのどへ通りいい水気や柔らかいものばかり口にしている。何を食べても堅くて歯が痛い。医者は顔を見ると歯を抜くと云う。抜きたくない。

* 「無名草子」いとぐちの語り口の物静かに懐かしい味わい、ただものでない。隆信や定家に近くて親しい、しかも文彩の才気をたっぷり持った女性は、すくなくも二人すぐ思い当たる。
安倍だのトランプだのカジノだのカケイだの…、もうイヤだ。

ジョーカーか魔かトランプの塔が建ち崩れはやまる世界の平和

吹くからにアベノリスクのうそくさい屁よりも軽い自画自賛かな

* この重病体に等しい酷暑炎夏の気象が、今年だけとだれが謂えようか、死者は毎日出ている。しかもどんな報道も、「オリンピックは安全・万全か」という 当然の危惧をチラとも口にしない。聴いていない。観客ばかりでなく、鍛え抜いたからだの参加選手へも熱暑の危害を案じて対策すべきは当然だろうに。
2018 7/17 200

☆ 白楽天に聴く  「任老 老ゆるに任す」

愁へず 陌上に春光の尽くるとも
亦た任す庭前に日影斜めなるも
面は黒く 眼は昏く 頭は雪白
老ははや更に増す無かるべし
2018 7/22 200

* アレが在ったはずとアテにしていたものが見つからないと、落ち着きの悪いこと甚だしい。その辺の記憶を妻と確かめ合おうにもツーカーとは通じないこと が多くなった。しょがないですねえ。しかし仕舞ったつもりのものが貴重なモノなのにしまい場所を忘れると、とてつもなく迷惑する。「老ははや更に増す無か るべし」には相違ないが、困惑にも相違ないのであります。
2018 7/22 200

☆ 白楽天に聴く  「病眼花  眼花を病む」

頭風(とうふう) 目眩(もくげん) 衰老に乗じ
柢(た)だ増加する有り 豈(あ)に瘳(い)ゆる有らんや
(傳=春秋左氏傳に云ふ、加ふる有りてありて瘳(い)ゆる無し、と )   以下略

* 「花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り  目にかすみが生じただけでも心配」と白居易は歎いていて、まさに同病相い憐れむところだが、ま、それより も、「眼花」とは目がかすむこと、わたしの偏愛する「花」の一字は「ぼんやりする」の意味で、「頭風」の「風」もまた同じ、と詩集に釈字してある。
オー、古代と中世を目して論じたわが心入れの一書『花と風』の二字は、ともに……ウム。呵々。
「花」はわが眼をぼやけさせ、「風」はわが頭をぼやけさせているわけか。やれやれ 2018 7/23 200

柏叟 千宗室 筆

* 閑事 とは。いつか問うを已めた。
2018 7/24 200

* 後拾遺で哀傷の和歌を前詞ともたくさん読む。どの和歌集でも心打たれることの多いのは「哀傷」歌、歌合の出詠歌などのようにツクリものはめったに無いからだ。実情に打たれる。「死なれて 死なせて」の実感に満たされている。

子におくれて侍りける頃、夢にみてよ侍りける  藤原実方朝臣
うたゝねのこのよの夢のはかなきにさめぬやがての命ともがな

* 孫のやす香を肉腫に死なせて、はや十二年。
平成十八年七月二十七日。
われわれの娘・朝日子(やす香母)の誕生日だった。

朝日子誕生(昭和三十五年七月二十七日)
「朝日子」の今さしいでて天地(あめつち)のよろこびぞこれ風のすずしさ

* ふしぎに、どの勅撰和歌集の部立に、自身の死んでゆく「辞世の自覚や自哀」歌が纏まっていない。ま、当然かも知れないが。「哀傷」歌以上に読みたい気がする。
2018 7/25 200

* 丸山真男の『日本の思想』 歴研編の『日本現代史』に、呻くほど胸痛くも悔しくも多く多くを今時分「復習」している。一九五九年二月末に上京しその日から妻と暮らし初め、六〇年七月の今日朝日子が生まれた。六〇年代、七〇年代、八〇年代の昭和を経て、九〇年代から平成へ入った。代々の保守政権とよぎない付き合いを続けてきたのだが、「付き合い」の性根の意味を、まことに朧にしか察し切れていなかったと舌を噛む心地がする。池 田勇人の「所得倍増」という看板を貧しかったわたしも歓迎気味に眺めながらの日々があった。おもえば政治に国民の経済が真面に係わりだした初めだった、ア レまでの日本は、政治は天皇制と統治のためにあった。所得倍増という「経済」政策へ國の保守政治が舵を切ったのを甘く受けいれたときから大企業と政権の公 然たる癒着は濃厚となり、「国民の」経済という観点は棚上げされ、対米追従の貿易経済が日本の政治、国民支配の原則となってしまった。経済、経済、経済が 国民の首をしめ政治的な権利も基本的人権も窒息を強いられ続けてきた。わたしの大人としての生涯は、そんな「所得倍増」の掛け声に踊らされたままだった。 分かってきてはいた、わたしとても。しかし判り方があまりに足らず甘かった。

* スベンサー・トレーシーと、魂を抜かれそうに「美しいかぎりの」エリザベス・テーラーで、ヴィンセント・ミネリが撮った「花嫁の父」を、ひさびさ、大笑いしつつ胸に堪えて見入った。
映画という「表現」の、限りない、しかも確実な魅力を感じさせてもらうと、胸の底から嬉しくなる。
日本製テレビでの、殺しもの、刑事もの、犯罪もの、時代ものの、軽薄を極めて視聴者を下目に見たたヘタクソ・ドラマは、観ない。観るものか。幸い、気に 入った海外、日本の秀作映画が二百作は保存してあり、好きに選んで何度でも観られる。このところ日本映画の優作を楽しみ続けたので、これから海外のよく創 られた娯楽作を選んで楽しみ返したい。「読み・書き・観る」これからの時間をひとしお大切に愛おしみたい。
2018 7/27 200

* 颱風が近づいているらしい。異例の東海から関西、中国への進路が予測されているが、先頃大きな怪我のあった方面ゆえ、事なきをただ願う。

☆ 異常気候らしく
思いがけない進路をとっている台風12号、東京の今の空模様はいかがでしょうか。
こちらは曇りですが まだ明るい空です。数日前までかなり暑い日が続いたので、昨日の34度でいっそホッとしたくらいでした。
昨日本を送りました。北沢恒彦氏の本を読んだことがないと書かれているのを読んだことがあります。偶然北沢氏の『隠された地図』見つけたので、思わず買い求めました。
本の後ろの黒川氏(=創 実兄故恒彦の長男)が書かれた年譜だけを読んだのですが、胸が詰まりました。鴉ご自身と重なる多くの事柄が映されています。
ちょうど昨日のHPに丸山真男氏の『日本の思想』からの感想が述べられており、『隠された地図』の中の丸山理論に関しての著述に、鴉の関心が重なるかと思いました。
もしこの本が既にお手元にあるとしたら・・差し出がましい事とも思いますがご容赦ください。
今日は午後あたりから台風の影響が強まりますでしょうか、くれぐれも大切に、用心して過ごされますように。    尾張の鳶

* 尾張の鳶の好意、配慮、まことに有り難く。有難う。
むろん、甥に当たる黒川創(北澤恒)が亡父北澤恒彦の年譜を詳細末尾ににあげているこの一冊、その署名はオロカ存在をすらわたしは今日まで知らなかった、知らされても送られてもいなかった。
兄の「自死」したのは、江藤淳が七月二十二日に「自死」 を報じられたと同じ一九九九年(平成十一年)の十一月二十二日であった、らしい。二十三日朝六時半頃、恒彦次男の北澤猛の電話で告げられた。やがては「二 た昔もまえ」のことになる。わたしは京都での葬儀にも、思い出の会といった催しにも出掛けなかった。兄の年譜に尽くされていると思う謂わば「北澤恒彦の公 生涯、表生涯」に実弟のわたしは徹底して無縁によそで育って指一本も触れる折がなかった。生まれ落ちて以後に初めて再会したのが、もはやお互い壮年時で、 その後もわたしは「兄の表世間」とはまったく触れなかった。兄とのことで、鶴見俊輔はよく心得ていたらしいが、わざとは触れて話すことが無く、兄について わたしに片言でも話しかけてくれた人は、筑摩の編集長だった原田奈翁雄や作家の真継伸彦、井上ひさし、小田実らだった、われわれの間柄にまったく気がつい てなかったと云い、井上さんは「失礼しました」と、真継さんは「えらい男だよ」と囁いてくれたし、小田さんとは亡くなるまで親しく、「敬愛の気持を込め て」とまで献辞を添え『随論 日本人の精神』を贈ってくれたりした。
兄とは、亡くなる暫く前間で、頻繁に交信したり、時に会って食事したり一緒に人と会ったり忙しく立ち話で別れたり、「往復書簡」をもちかけて京都の話をしたりはしつづけながら、それでも、わたしは
兄の表世間へも兄の知友らの間へも一切意識して顔を出さなかった、唯一の例外は茶房「ほんやら洞」主人の甲斐扶佐義氏ひとりであろう、彼とはわたしの編輯 していた「美術京都」で対談もし写真家として京都美術文化賞を受けてもらってもいる。しかしひの甲斐氏からも兄の遺著のことは何一つ聞き出す機械すら無 かった。

* 兄のことを死以来忘れていたときは無い。つい先頃の「選集」第二十一巻には往復書簡を容れて反響があった。しかし北澤家からはなにも聞けなかった。そういう二人の生まれつきなのだと思うことにしてきた。

* 黒川創のあんだ北澤恒彦年譜にも、わたくしの名前が出てかすかに実親らと戸籍上の関係だけは記録されてある、わたしは恒彦の表社会とは全く無縁に等し かった以上、それが自然なのであろう、記憶の限り、一度だけ兄らの何かの会合で「作品」として「秦 恒平への手紙」というのを読んで発表したと有りびっくりした。その年次をいま覚えていないが、或いは兄弟往復書簡「京・あす・あさって」の実現した昭和五 十四年(一九七九)九月-十月より後日のことであったろう、推量に過ぎない。

* 兄がわたしを「弟」とみた上で手紙を寄越したのは、実は大昔のことで、東京で暮らし始めてからも何度か来信が、時に電話もあって「会わないか」とあっ たが、わたしはその全てを受けいれなかった。芥川賞候補になり瀧井孝作、永井龍男両先生に推された「廬山」を筑摩の「展望」に出したときにも、その作にも 触れながら兄が「家の別れ」というエッセイを「思想の科学」に出して送ってきてくれた。それは読んでいる。が、それでもわたしから兄の京都の勤め先を顔を 出し、ものの十分足らずも立ち話の初対面を実現したのは、ずーうっと後年であった。
わたしはそれを悔いているだろうか。悔いていない。そして出会って以降もわたしは兄と弟とだけの「付き合い」に終始して満足していた。その結果として、 兄はもう死んでいて、わたしの全く知らない兄の知友らの顔を見、声を聴くだけの葬儀にも思い出会にも、とても堪え得なかった。行かなかった。行かなくても 兄恒彦は弟わたくしの内にいつでも入ってくる。今もそう信頼している。

* 兄は筆まめでもあり親切でもありいろんなモノを、仕事の上の書類やレポートなどもたくさん送ってきた。メールになる以前の私信も、長年月に相当量届い ていて、復刻とまでいかなくても書き写して電子化データにはしておけるだろう、もうそんな残年がわたしに許されていそうにないのも慥からしいが。

* 年譜のことにばかり触れていたが、まだ『隠された地図』本文は、一行もまだ読んでいない。北澤恒彦の著書のうち五条坂の陶芸にふれたような一冊が記憶にある。『家の別れ』と総題した一冊がうちにあるのかどうか確認できていない。
ま、兄のそのような本や雑誌へのもの言いは、それこそ北澤恒彦の世界・世間のモノと思っている。「深田(阿部)ふく」と「吉岡恒」との仲にいしくも生ま れ落ちた兄と弟との世界・世間は、「北澤」とも「秦」とも縁の切れた別の「身内」なのである。それがわたしの向こうまで持って行く覚悟である。

* 「湖の本 エッセイ20 死から死へ 闇に言い置く」の末尾で、兄の死を思い新たに悼んだ。

* 兄の『隠された地図』本文の三編は、いずれも私の理解や関心の外にあった。もののみごとに私たちの知的理解や関心の範囲はズレていて、接点は、やはり、往復書簡で交叉し語り合えた「京都」であった。
2018 7/28 200

* 昨日の兄の遺著にかかわる文面の乱雑を整えておいた。関わって、しておきたいことは幾らも有るが、わたしは今、その辺で立ち止まっているワケ に行かない。客観的には、または検査データからはわたしの健康状態はむしろ良好と告げられている、が、主観的には、危殆の意識を捨てがたくいる。よく朝日 子が悲鳴をあげて抗議したのを覚えている、「パパがいうと、みんな当たっちゃうんだから」と。当てたくなどないが、現実に切に時間は惜しまねば。「長編小 説」を少なくも一つは心ゆくまで脱稿し、「選集」を予定の残る七巻まで健康にし終えておきたい。もし叶うなら、そのあとへ、ゆたかな「読み書き」の楽しみ と「私語」の時間を少しは恵まれたい、妻といっしょに。
2018 7/29 200

 

* 「湖の本 141」発送の用意は九分九厘出来た。「選集 27」が九月十日に出来る予定、その送り出し用意も早めにし遂げておいて、創作の日々に向きあい たい。辛抱に辛抱してモノのしかと煮えてくるのを誘い誘い待っている。欲の深い仕事で、それゆえにコトが破産する懼れはあるが、恐れまいと堪えている。
2018 7/29 200

* 昼間、見かけていた上戸彩の「浮草」を観終え、夜遅めから録画してあった宮澤りえの「紙の月」を半ばまで観た。
この二人こそ、めったに画面の中で一緒には出会うまいが、鬼気迫る微妙で深刻な演技者としては真っ向の好敵手であり、凄惨におそろしい女を身を退くほど 精緻に怖く演じる。上戸彩のこわさに、一度休んで今日中途から見終え、宮澤りえの女も、とても正視にたえないほどの巧さに、中入りの休みをとって画面から 逃げた。美味い女優は、もの凄い。男ではそんな身震いをさせる俳優はいない、いなくていいのである。怖いというのは女のもちまえ、それあっての女文化なの だ。
2018 7/28 200

☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の一  五十歳頃の作か

人生は根蔕(こんてい)無く  飄(へう)として陌上の塵の如し
分散し風を逐つて転じ  此れ已(すで)に常の身にあらず
地に落ちて兄弟(けいてい)と為る  何ぞ必ずしも骨肉の親(しん)のみならんや
歓を得ては當(まさ)に楽しみを作(な)すべし  斗酒 比隣を聚めよ
盛年 重ねて来らず  一日(いちじつ) 再び晨(あした)なり難し
時に及んで當(まさ)に勉励すべし  歳月は人を待たず

* この「勉励」はいわゆる学業ではない、「楽しめるときには、せいぜい楽しもう」ということと解釈されていて、それでよいと思う。何度読んでもわたしは痛く打擲されるように切ない。
2018 7/31 200

☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の五  五十歳頃の作か

憶(あも)ふ 我れ少壮の時  楽しみ無きも自ら欣豫(たのし)めり
猛志 四海に逸(は)せ  翩(つばさ)を騫(あ)げて遠く翥(と)ばんと思へり
荏苒(じんぜん)として歳月頽(くづ)れ  此の心 稍や已(すで)に去れり
歓に値(あ)ふも復た娯しみ無く  毎毎(つねづね)憂慮多し
気力 漸く衰損し  転(うた)た覚ゆ 日々に如(し)かざるを
壑舟(がくしふ) 須臾(しゅゆ)無く  我れを引きて往(とど)まるを得ざらしむ
前途 當(まさ)に幾許(いくばく)ぞ  未(いま)だ止泊する処を知らず
古人は寸陰を惜しめり  此れを念(おも)へば人をして懼(おそ)れしむ

* 実感に近い、が、せめて心は頽廃(くづ)すまい。
2018 8/1 201

☆ 陶淵明に聴く 「雑詩」十二首の抄 其の六の抄  五十歳頃の作か

我が盛年の歓を求むること  一毫も復(ま)た意無し
去り去りて転(うた)た遠くならんと欲す  此の生 豈(あ)に再び値(あ)はんや
家を傾けて持(もつ)て楽しみを作(な)し  此の歳月の駛(は)するを竟(お)へん
子あるも金を留めず  何ぞ用ひん 身後の置(はから)ひを

* 往昔詩人の五十歳はいま私の八十余歳に同じいであろう、「時が過ぎてこうも遠くなりかかると、ああ、もうこの人生は二度とかえってこないのだなあと、しみじみ思」って「駆け去って行く残りの歳月を楽しみを尽くしてすごすことにしよう」という陶淵明の詩句に、ごく素直に共感している。日ごろをそのように過ごしているつもりでいる。
五柳先生陶淵明は雑詩其の七で、こう思いを述べている。

家は逆旅(げきりよ)の舎なれば  我れは當(まさ)に去るべき客の如し
去り去りて何(いづ)くにか之かんと欲する  南山に旧宅有り

* この詩人にはかの「廬山」のふもとに生家陶家の墓地をもっていた。彼には帰って行ける死後の家があった。
此の私には、だが、無い。
わたしは実父吉岡家の、生母阿部家の墓地の在り処も知らない、父や母の墓参をしたことがない、出来ない。所詮何れもわたしは無縁である。
わたしを育ててくれた秦家の墓は京都にあり、いまは、菩提寺との接触や墓地の世話もみな息子の秦建日子に委ねてある。わたしも妻も、出向くに出向けない からでもあるが、妻子を持たない建日子の代で「秦家」の名跡を絶やしてしまう申し訳の立たない「不孝」を思えば、とても秦の両親らと同じ墓地に眠れる気に なれない。
我に「南山」無し。
妻にも建日子にも、わたしの墓は「無用」と言い置いてあるが、はて、建日子はともあれ、妻の行き先はと、これに正直、苦慮している。

* ぬるい湯をかき混ぜているような冷房、目盛りは23.5度なのに。これでは機械の前に永くは腰かけていられない。

* 恒彦兄の奥さんから便りがあった。「兄弟往復書簡」の入った選集を送っておいた簡単な礼であった。兄の死から二十年、その永さをどう生きてきたかという嘆息のような短文であった。

* 遺著『隠された地図』は甥の編んだ「北澤恒彦年譜」をざあっと一度読んだだけで、本文の三編は、「ミシュレの日記から」も「書評・丸山真男<反動の概念>」も「セブンティーンの<武装>」もとても手早くは読めそうにないので、そのままになっている。
年譜を卆読して、一つ感想があった。
わたしは自身の生涯でじぶんから他広い世間の他者を頼んで働きかけた覚えがほぼ無い、有るなら三册の小説私家版をつくったのを、やみくもに巨きな名前へ へ宛て、なにのアテもなく送付しただけがほぼ唯一例で、谷崎潤一郎、志賀直哉、小林秀雄といった或る意味で世間知らずな無謀な送本だったが、他は、太宰賞 の受賞も、文芸家協会やペンくらぶ入会も、作家代表としての訪中・訪ソも、東工大教授も、日本ペンクラブ理事も、京都美術文化賞の選者も、京都府文化功労 賞も、尽く、むこうから舞い込んだだけで、わたし自身その為に指一本動かしたということがない。これは別段自讃でも自慢でもなく、要するにわたしは高校へ 入学して以降、上京結婚就職り後も、ずーうっと、ほぼ一度として自分から動いて世間に「仕事」「創作」以外の地位や名前を求めなかったし、社交的な交際も まったく求めなかったとイウこと。実に大勢の多彩な知己知友はみなわたしの「仕事」「著作」を介してのみの親愛だった、だから何十年にわたって親しい人と も出会ったことの一度もない人のほうが断然多い。
これに較べると、た兄恒彦の生涯は活気に満ちて自発的な都邑との出会いや交渉に、舌をまくほど積極的で、著名な学者、作家、文化人、活動家たち、飛び抜 けて年かさな人とも若い人たちとも、めまぐるしく交際交渉しながら「火炎瓶闘争」の高校時代から「ベ平連」も「家の会」も市民活動・政治活動もじつにアク ティヴ、あまり使わないことばではあるが「すごいナ」という実感をしかと持った。
われわれ二人の中でも、わたしから働きかけて実現したのは「往復書簡」の一度だけ、しかし兄は高校生の昔に始まって結婚後にも頻々と会おうと伝えてきた、わたしは断り続けていたのだった。

* 実の兄弟でも、性質は、行動性は「ちがう」のだという実感、それが今度手にした遺著一冊の大きい感想になった。なんで本の題を「隠された地図」というのか、少なくも年譜からは読み取れなかった。兄ならこう付けるナという実感が無い。
2018 8/2 201

* アースシーは此の世の世界ではない、その半分でも一部でもなく、ゴントに生まれたゲドやアチュアンに生まれたテナーらの住む異世界であり、わたしは、い ま、ほとんどその世界の空気を吸っていて、此の、日本やアメリカや中国の在る地球世界の現実とも歴史とも無縁にありたいとほとほと願っている。同じように わたしはあのヘドのモルゴンやアンのレーデルルらの世界、現実の地球世界と無縁な異世界を旅し続けたいと願っている。それはわたしの或いは致命的な弱さか も知れず、或いは決定的な批評であるのかもしれない。
安倍晋三やトランプ。習近平、プーチンをはじめとする統治支配の意識しか持てない政治家ども、その亞型のようなスポーツマンシップの雫もない監督や理事 長や会長どもの顔を日々見せつけられるイヤラシさ。ゲドのような魔法使いがいて欲しいと此の八十三にもなろうという爺いが本気で願いつつ日々反吐を吐いて いる。

* 残日乏しく、わたしにはもうゲドやテナーを、モルゴンやレーデルルを、かれらの住む世界のような別世界を書き表すことはとてもできまいが、わたしは本 音のところ源氏物語や細雪や夜明け前よりも「アースシー」のような世界が書きたかったのだと、思い当たっている。やれやれ。なさけないはなしだ。

* 機械に最末期症状があらわれてきた。仕事を中断してしばらく席を外しても画面が消えることは無かったのに、電源からして消えているようになった。また 電源の最初から画面を展開することは出来るが、たいへんな時間ロスになる。小説の場合、句読点一つの変更も創作行為であり、即、保存しておかないと原稿が 元の黙阿弥に戻る。神経質なほどいちいち保存しておかねば危ない。いよいよ新しい機械を買わねばならないか、懸念されるのは新しい機械を設定できるかどう か、もはや自信がない。困惑。

* 昔ながらの、メールと一太郎とだけの仕事に切りつめれば乗り越せるだろうか。原稿が書けて、印刷所への送稿さえ可能なら選集も湖の本も続けられる。 ホームページは最悪の場合断念しても、わたし自身の「読み・書き・考え」は自在に保存できる。つまり文字どおりの「隠居」「閑事」の生活になる。潮時であ るのだろうか。
2018 8/3 201

* 長い小説がどれほど長いかの実感を掴みながら「劇」を組み入れねばならない。劇のおよそは掴んでいるが、どの辺でという「程」の慥かさを掴むには慎重を期している。

* 難しいアヤの一つを、からみつかれぬまま、フックラと適切に物語に置きたい。こうした要所がまだこの先に何カ所も現れる筈。慌てずに。
2018 8/4 201

* 『ゲド戦記』第四部「帰還」を、魅されつつ胸を戦かせつつ夜前一気に読了、各巻ともすさまじい迫力と魅力に富んでいるが、この巻のそれには、フェミニズム の思いも適宜に述べられながら、いわば全巻のヒロインといえるアチュアン出の「テナー」の活写で迫ってくる。
現実逃避と云われるのは心外でもあり辛くもあるが、事実、わたしは今「地球世界の現実・現象」の何一つにもと云いたいほど、魅されていない。あえて限定 すれば政治家や経済人や権力者やマスコミのハナクソたちの関わっている事象・事物・事件には憎しみさえ感じていて、その反射だとは軽薄に言わず云うべきで ないが、『ゲド戦記』や『失楽園』や、ないし美しくてすぐれた藝術作品に思いも心も託したがっている。あえて云うが今日の宗教にも宗教者にも、また今日の 哲学にも哲学者と自称している誰にも心服できないでいる。
『ゲド戦記』は嬉しいことに最期のもう一巻があり、そこへ早く身を委ねて沈潜したいと願っている。書庫へ入りさえすればそれが在る。
2018 8/5 201

* 長島弘明さんの『秋成研究』で、「天皇」に関連して宣長と秋成のちがいを示唆的に教わった。もとよりわたしの思いは秋成のそれに副っている。

☆  「荘子」内篇に聴く
澤雉(たくち)は(やっと=)十歩に一啄し、百歩に一飲するも、樊中(はんちう=鳥籠)に畜(やしな)は(=れラクに飲食す)るを蔪(もと)めず。神(しん=気力)は王(さか)んなりと雖(いへど)も、善(たの)しからざればなり。 (養生主篇第三)
2018 8/5 201

☆  「荘子」内篇に聴く
天から受けたものを十分に全うして、それ以上を得ようと思うな。要は己れを虚しくするに尽きるのだ。(亦虚而已) 至人の心のはたらきは、さながら鏡の ようで、去る者は去るにまかせ、来る者は来るにまかせ、(不将不迎) 対応しながら跡をとどめない。(應而不蔵)   (応帝王篇第七)

* バグワンにも「鏡」と聴いてきた、忘れたことはない。云うは易いのだ。
2018 8/6 201

* 「自分の家」と題した、何年と知れないが「七月三十日、三十一日」と業務上の日付のある新聞記事の校正刷りだしが、もう明日には読めなくなるという古 びようで見つかった。妻に書き取ってもらった。記事内容には記憶がある、が年次は忘れ果てていて、機械の中に記録されているかどうかも不明。しかし記事内 容は自分史にとっては捨て去れないもの、見つかってよかった。あきらかに「畜生塚」時代の思いなどを後年へ反映させている。危うく拾い取った。おおよそは 読者には知られている認識ではあるが「文章」というものは、いろんな面でメモとは別の顔色をしている。
書き写しておく。

* 『自分の家』   秦 恒平   (執筆年次は目下不明 某年真夏の新聞原稿らしい。)
母は近江の国、能登川町の阿部家に生まれた。父は山城の国、当尾(とうのお)の里の大庄屋吉岡家に生まれた。わたしは京洛の西、太秦(うづまさ)にちかい西院(さい亦はさいいん)で生まれたらしい。生まれると間もなくから、わけあって両親とはなれ、当尾の父方祖父母の屋敷で数年を過ごした。
なだらかな田畑の奥に石垣をついて、雲つくほどの柿の老樹と競うように屋敷は建っていた。大きな鈎の手になって、街道から門までながい土の道だった。年 寄りのほかに、まだ幼かった叔父叔母らも一緒に暮らしていたと思うが、さだかな記憶がない。それより以前の記憶はなにも無く、以後の記憶もほとんど無い。 わたしには、加茂町当尾での日々はあたかも前世。思いだせるかすかな痕跡のようなものすら、わたしは前世のこととして強いて忘れようとしながら育った。
満で四つか五つにならぬうちに、わたしは、京都市内のつまり養家である秦家へもらわれて行った。養いの母となるらしい人が、大きな木の飛行機で「ほら ブーンブーン」と機嫌を買いながら、カン高い声でもの言う。ただならぬ運命を感じ、息をひそめて周囲の様子をうかがったていたのが、まだ当尾でのことか、 もう知恩院新門前の電器商であった秦家へ連れてこられてからであったか、それもはっきりしない。そういう記憶をはっきりと追いつめるという事が、わたしに は、断乎としてタブーであった。おのが生い立ちの根を、むしろ、こつこつと記憶から断ち落とし落としすることで、わたしは「もらひ子」の自分を自由にし た。実の親たちもしょせん他人なら、育ての親たちも他人であり、揺るぎないその確認こそが、幼いわたしには、心を時空のさなかへ解き放ちまっさらの身で世 間を生きて行ける保証となり、基盤となった。
わたしは他人の「家」に根を預けているという意識を嫌った。自分が始祖となるはずの「家」を切望した。その「家」は普通の家庭とはちがっていた。そのま まあの世へ持ち運んで、「身内」として互いにゆるしあった大勢、妻子や孫もふくめた大勢と一緒に暮らせる家、本来の自分の家、のことであった。
いまも、おなじことを願っているだろうかと、ときどき考える。ふっと、笑えてくる。そういう笑いを黙然と胸に抱いたまま来た。抱いているのが重くなると「小説」を書きたくなった。本当の「身内」を尋ね歩くような小説ばかり、書いてきた気がする。  (作家)

* 『ある寓話 ユニオ・ミスティカ』にずうっと食いついている。わたし自身には差し支えないとして、こんな作をどんな読者が歓迎できるだろう。そこで拘泥してはいけないので、読者のことは想わぬことにしている。自己満足を貫くことでさくのかたちを丈夫にしたい。
2018 8/6 201

* 手の届くところにバグワンの講話本が九巻もある。一番手近な『般若心経』はもう藺篇もうことごとく絶ち頽れてかろうじて表紙でくるんであるだけ、手荒に繙いたわけでなく繰り返し読み耽った結果であるが、むろん捨て去れはしない。
わたしはバグワンの呼びかけに向きあうとき、かれは本のうえでは「あなたは」と語るが、わたしは「おまえは」と聴くことにしている。

☆ バグワンに聴く
おまえは、ねむりこけている。おまえは自分が誰かを知らない。おまえはそれに気づいていない、夢に見たこともないかもしれない、自分がひとりのブッダで あるなどとは。誰ひとりとしてほかの何ものでもあり得ないなどとは。ブッダフッドこそまさに自分の実存の本質的中核であるなどとは。それは源であり、そし て目的地でもある。ところが、おまえは眠りこけている。お前は自分が誰かを知らない。覚めなさい。

* バグワン一人の示唆ではない。久しい日本史の多くの男女知識人たちは自分が夢に生きて夢から覚めたいのに覚められないのを歎いている。和歌にうたわれる「夢」の文字には歴然とその苦い嘆きが籠められる。
わたしも、その一人のまま、迂闊な顔で歳を喰ってきた。
2018 8/7 201

* もりとも・かけい・安倍総理夫妻、自民党代議士、日大監督・理事長、ボクシング会長・理事会、東京醫大。
ウンザリ報道の尽きぬ連鎖。ウンザリしながら目も耳も背けておれぬ情けなさ。

* 目も耳もただ洗いたくて異世界文学に全身で親しむ。

☆ バグワンに聴く
人間は芽生えつつあるブッダなのだ。芽はちゃんとあり、いつ何どきにでも花咲き得る。すでにそこにある。<寶>はそこに在る。もう少しの目覚めが必要なだけ。
2018 8/8 201

☆ 湖の本139巻『一筆呈上』の中の
記事「漏らさじと、もつが大事な」の感想を書かせてください。

高橋和巳の『悲の器』に秘められた恋があろうがなかろうが、「没後20年」 で名乗って出た大林律子という女の気持ちは、よく分かる。よく分かるが尊敬の念はもたない。同情もしない。感謝もしない。人に知れても困るが、知れないま までは惜しい仲だと歌った秀逸の都都逸がある。しかし、嬉しいなら一人で嬉しがっていれば、いい。だれも共有できないタチの嬉しさなのだから。
この手の告白をタメにした女が過去にも大勢いた。文学(鑑賞)的な貢献をした例は極めて少なく、『悲の器』の場合もどうだか。アダ花が一輪散った感じだ。(一筆呈上)

『悲の器』を読んだのはあまりに昔で内容を殆ど忘れてしまっていますから、この女性のこともまったく知りませんでした。没後二十年経ってからのカミングアウトは、そのことによって傷つく関係者がいなくなるのを待った上での告白ではないかと推察します。
不倫ですから「尊敬の念はもたない」のは当然としても、「人に知れても困るが、知れないままでは惜しい仲だと歌った秀逸の都都逸がある」と一刀両断に斬 りつけられては彼女が少し気の毒と思いました。なぜなら大林律子とわからないように配慮したかもしれませんが、高橋和巳のほうも自分の恋愛か情事を書いて 発表したのですから、高橋和巳のほうにも「知れないままでは惜しい仲」という気持がなかったなんてことはないと思うのです。
下世話な言い方をすれば自分の「モテた」ことを書いたわけです。書いた人間が才能ある作家なら公表を許されて、素人の告白であれば許されないというのは 不公平だなあと思います。「この手の告白をタメにした女が過去にも大勢いた」と一方的に女側が責められるのはあんまりです。
一番の責任は先に書いた側にありましょう。作家が書かなければいらぬ告白も存在し得ないからです。作品のモデルになった人間が後で告白することのみを責めるのは片手落ちではないでしょうか。勿論作家とモデルの「男女逆」の場合も同じです。
暴露本というかたちはたしかに醜いものですが、それでも高橋和巳も大林律子もお互いさまの身から出た錆ではないかと思いました。作家とモデルの才能の格 の違いや文学的な貢献の有無は批判されても嗤われても当然ですが、カミングアウトそのものについては男女同罪だと、私は考えてしまうのです。
さらに、この「一筆呈上」の記事後半は次のように続きます。

作家がどれほどのラブレターを書くものか、一概には言えない。が、「藤十郎の恋」的なものを意識し繰り返してきた者の方が多かろうことを、相手の女(男)は心得ていた方がいい。不真面目だと決めつけられて余儀ない奇妙な営みを、小説家も詩人も、自身で「かきたて、かきたて」している。傲慢にいえば、かなり真剣に肥やしにしている。相手をダシにはしているが、仕方じたいは真剣で、必ずしもニセ紫の愛や恋と限らない。
覚悟を含め、じっと黙っていい肥やしになって果てた、どんなに沢山なホンモノの恋人たちがいたことか。昨今のそのてのウワサの無さ過ぎる文壇の方が、いっそ物足りない。(フーテン老人)

「藤十郎の恋」と「相手の女(男)は心得ていた方がいい」については、相手への真実の愛はないけれど、ラブレターの中に書いた愛には文学としての、芝居としての真実がある、という意味かしらと理解しています。ここまでは納得します。
「傲慢にいえば、かなり真剣に肥やしにしている」「じっと黙っていい肥やしになって果てた、どんなに沢山なホンモノの恋人たちがいたことか」については、長年の秦さんの愛読者の私でも、まったく賛同できません。
このく だりは、作家という高尚な藝術家からの、究極の「上から目線」ではないかと思いました。この文章は、モデルの女は「藤十郎の恋」の相手、セックスの相手だ けして黙って肥やしになって果てればいい、それが作家相手のホンモノの恋人の作法だという意味に受け取れます。作家が作品のためにひとを肥やしにすること は許されるという考え方、肥やしにする、される、という関係性のどこに「ホンモノの恋人たち」があり得るのでしょうか。才能という上下関係しかないので は? その作家は文学と自分の才能や作品を愛しているのであって、相手を、人間を愛していないのです。
肥やしにする作家は何をどう書いて もいいが、肥やしにされたほうは我慢して沈黙の美徳を貫くべきとは、才能あるものがないものに対する、まるで金持ちと貧乏人の関係のようなひどい差別で、 傲慢の誹りは免れません。秦さんのことを傲慢だと思ったことは一度もありませんが、この文章に限っては私には失望を禁じ得ないものがありました。
誰かを まったく傷つけずに書くことは出来ないことですから、小説に書いてモデルを傷つけた以上、書かれた側の発言が(たとえ一方的なお粗末なものであっても)後 から世間に出る場合があることも覚悟の上で作家は書くべきではないでしょうか。読者にとっては事の真相など、実際はどうでもいいのです。作品さえ佳けれ ば、肥やしにしたほうでもされたほうの作品でもかまいません。場合によっては肥やしにしたほう、されたほう、両方に読む価値のある作品があるかもしれませ ん。
秦さんが、どういうかたを念頭に 「じっと黙っていい肥やしになって果てた、どんなに沢山なホンモノの恋人たちがいたことか」とお書きになったのかわかりません。私の想像では作家相手に 「黙っていい肥やしになって果てた」場合は、相手の女が単に文学に関心がなかったか、自分が「藤十郎の恋」の相手でしかなかったことに気づいて自分のバカ さ加減に諦めて沈黙したただけの場合もあろうと思うのです。  一読者

*  わたしは、「家族以外」いわゆるあの人この人と明確に人物が実在のだれかと分かる小説は、ただ一作しか書いていない、『罪はわが前に』であり、この作が 深刻な後遺症を作中の人たちに残したらしい事実は漏れ聞いている、が、三人姉妹のどの一人からも周辺の知人達からも、一言半句の怒りの言葉も告げられたこ となく過ぎ、最愛の人は、自身の病衰と死去とを、絶対にわたしには知らせないでと厳重に周囲に懇願したまま、亡くなっていた。わたしはその逝去から一年半 をも経て、漸くその弟夫人を介し、ついこの先頃報された。
一年半。
それは、その人がわたしのために最期に贈ってくれた愛情と配慮であったと思う。
危篤と臨終とを俄かに告げ報されたとして、わたしはどんなに歎きかつ身動きも成らぬまま絶望的に悲しんだか、じつのところ、わたしはここ何年も日々にその時の到来に虞れ戦く気持ちでいた。
あの日、郵便箱の中に一通の美しい筆上書きの封書を見つけ、差出人の住所と名前をみた瞬時に、わたしの血は凍った。しかし、二階へ上がり、親切な親切な その手紙を読み、もはや故人である人の深切なある配慮を知り、そのまま階下で、妻にも手紙を読んで貰った。そしてその日の日記をすべてかき消し、ただ一 言、大きく、
哀悼
とのみ書いて、以降、ひとこともそれに触れてモノを云わなかった。妻も、云わなかった。
実は、ただ独り遺った、遺された三姉妹の次女も、この一年半、いやもっと以前からもじっと黙したまま、わたしから送り届ける本の全部を黙々と受け取ってくれ、姉にはかならず見せていますと。

* そのこと自体は、なにも上の「一読者」の投書ないし抗議とは関わらない、判然とした私事、重い重い私事であって、これ以上もう触れない。

* わたしは、露骨にそれと誰彼にも判明な「モデル私小説」など書かない、ないし書くなら上手に書こうという気でいる。

* 『悲の器』がらみには何を蒸し返す気もない。似た幾つかの「例」を朧ろには覚えているが、ことが「文学」たる「作品」如何にかかわりない限り、それらに深い関心も敬意も持てない。男女問わず「作 家」の人と「作品」とに光彩を添えてくれるものなら、いい批評行為にもなるであろうが、男と女の愛憎をただ読み物にしてくれても、わたしは、そこで時間つ ぶしはしない。男女・女男の葛藤を「文学作品」にするなら分かる。ただ噂の種にして終えるのもご勝手ではあるのだが、所詮、掻くのは恥の方ではなかろう か。

以前 柳美里作にかかわってモデルからの問題提起があった。請われて毎日新聞に一文を送った。書かずにおれないから作家は書くべし、ただし覚悟はせよと云いきった気がする。

この議論、もう繰り返さない。
2018 8/9 201

 

* 九時半、『ゲド戦記』第五部「アースシーの風」完結編を深い静かな感動で読み終えた。いま、あらゆる読書体験の中で選ぶとしても、一に、この、ル・ グゥインの名作を指さすだろう、この作品には帰依していると謂うていいあのバグワンの教えが、澄み切った風のように流れて生きていると感じる。この一ヶ月 ちかく、わたしはこのゲドやテナーやレバンネンやテハヌーやハイタカのおかげで幸福だった。陶淵明の詩にも通いあう幸福感であった。
2018 8/9 201

* 湯に漬かり、『失楽園』第九巻を読み始めた、サタンが蛇の体内に忍び入り、イヴを誘惑にかかる最も劇的な場面へすすむ。
清教徒革命に身を挺し、王政復古のなかでかろうじて死刑を免れながらも失明隠退し、そのなかでこの壮麗極まりない大叙事詩は書かれた。わたしはクリス チャンでなく、西欧文化に心酔してもいない東洋の一日本人だが、ミルトンによるこの大叙事詩が世界史、世界の文学史の燦然として至宝であることを疑わな い。原文でなく訳文でしか読めないが、しかも魅了され繰り返し惹き込まれ、その迫力は或いはあの『ファウスト』をも凌いで、『イリアス』『オデュッセイ』 ないしトルストイの『戦争と平和』にならぶ気がする。
日本文学史には、世界にも冠たる『「源氏物語』がある。
東洋では、この『失楽園』に並ぶのは、思い切って謂えば、創作された叙事詩としての『浄土三部経』や『妙法蓮華経』ではあるまいか。
日本の「近代現代」文学にはこれらに匹敵する壮志に満ち満ちた創作は見当たらない。現代語訳しようとは試みるばかりで源氏物語に匹敵する文学藝術作品と しての叙事詩性を帯びた大作は、わずかに島崎藤村の『夜明け前』のほか見当たらない。臼井吉見にも『安曇野』のような大きな試みはみられたが、純熟の「作 品」は得られていない。
2018 8/12 201

* 無性に、我がのもふくめ今日の日本語の文が殺風景に感じられ、逃げ込むように温和な古文に懐こうとしてしまう。そんなとき何を読むか、もっと も悦ばしいのが、誰の筆とも確定できていない多分十二世紀末から次の初期へかけて出来ていたか、物語批評書『無名草子』の穏やかな女ことば。鴨長明のカタ カタした名文よりもよほど心が静まり安まる。詳細かつ盛んに賛嘆されているのが『源氏物語』なのは当然のことだが、次いで『よはの寝覚』に最も多くを述べ て称賛しているのにも、まったく同感。追うて『狭衣』や『とりかへばや』に及んでいるのも的確。定家の『松浦宮物語』はまるで「万葉集」だとひやかしぎみ に冷笑しているのも面白い。日本の文藝批評史の劈頭に立つこの一冊が、女文化の神妙を表現して優しい和文の見本のようなのをわたしは歓迎している。いらい らと気の腐りそうなときの頓服の名薬である。

* さ、今度は、九月十日に『選集』第二十七巻が出来てくるまでの一と月足らずを、またまたいそがしく「読み・書き・思ひ」ながら過ごすことになる。気を腐らせまい、臭い物をどう突きつけられても。

* 九月から、宅急便の大幅値上げに次いで、郵便局のユーメールも目をみはるほどの値上げを決めてきた。出版の仕事を始めたときから、潰されるとしたら送 料値上げだなあと思っていたが、値上げ攻勢容赦ない。けれど、「潰れ」はしません、われわれが健康でさえあれば、まだ何年でも。そのためにも、わたしは杜 門の暮らしを改め、歩きに出なければ。病院かよいも減り、歌舞伎座への脚も、この上半期は余儀なく遠のいていた。思い切って、独りで(仔猫がフタリもい て、まだ留守番は出来ず。)新幹線に久々に乗ってみるか。というワリには、じつにマッタクいろいろと忙しくもあるのです。
2018 8/13 201

* わたしの眼も末期症状で、小一時間もせぬまに曇ってしまう。乱視や複視や蛇行視がはじまる。点眼と眼鏡の交替、裸眼視等々で凌いでいるが、一時間でも寝てしまうのが一等の効果。

* いろんな仕事を、余命残年と秤量しながら、なんだか「競走」ように進行に思い悩む。
なによりも書きかけの長い小説、難しい小説の二つ、発表するしないは別にしても、納得ゆく仕上がりに気が急く。より長い方の、謂わば「オイノセクスアリ ス」は、四百字用紙換算で千枚を超しつつあるかも。思い切り搾りながら、しかと書き込みたい。本舞台は、むろん、両作とも、京都。
十一月新装南座のこけら落としは高麗屋三代の襲名興行で、白鸚さんに誘われている。
2018 8/14 201

* 夜中、今朝の目覚の体調のわるさが、昨日とくらべ、データに露出している。機械の始動もオイオイオイと歎くほど永くかかった。白楽天を読んでいた。

☆ 白楽天  慵不能  慵(ものう)くして能(あた)はず

架上非無書    架上 書無きに非ざるも
眼慵不能看    眼慵く 看る能はず
匣中亦有琴    匣中 亦た琴有るも
手慵不能弾    手慵く 弾く能はず
腰慵不能帯    腰慵くして帯(たい)する能はず
頭慵不能冠    頭慵くして冠(かん)する能はず
午後恣情寝    午後 情を恣まに寝ね
午時随事餐    午時 事に随ひて餐す
一餐終日飽    一餐すれば終日飽く
一寝至夜安    一寝すれば夜に至るまで安し
飢寒亦閑事    飢寒も亦た 閑事
況乃不飢寒    況(いは)んや乃ち飢寒ならざるをや
2018 8/18 201

☆ 白楽天   偶 眠

放杯書案上   杯を放つ 書案の上
枕臂火爐前   臂に枕す 火炉の前
老愛尋思事   老いては尋思の事を愛し  (とかくあれこれし)
慵多取次眠   慵(ものう)くして取次(しゅじ)の眠り多し   (ふっと居眠り)
妻教卸烏帽   妻は烏帽を卸(おろ)さしめ
婢與展青氈   婢は與(ため)に青氈を展(の)ぶ
便是屏風様   便(すなは)ち是れ屏風の様(さま)   (まるで屏風絵)
何勞畫古賢   何ぞ古賢を畫くを勞せん

* 優しい奥さん。
「老いては尋思の事を愛し 慵くして取次の眠り多し」は、まさに只今の私。慨嘆無いでないが、半ば受けいれている。あらがっても、しょうがない。狭い家なのに目当ての望みのモノが容易に見つからないなど、結局 咎はわたしに在る。帽子をアタマにしたまま眠りにくいのは、ワケは分からないが実感なので、どんな帽子やら「烏帽」を脱がせてくれる奥さんは、わかってるんだなあと。
2018 8/19 201

* 陶淵明も白楽天もお酒大好きの詩人であった、あの李白も。
白楽天に「卯時(ぼうじ 午前六時頃)の酒」を讃歎、さけのまわりよくご機嫌にオダを上げている詩がある。佛法や仙方の功徳より博大な朝酒の神速にして功力倍するを謂うのである。

一杯 掌上に置き  三嚥 腹内に入る
煦(あたた)かなること春の腸を貫く如く
暄(あたた)かなること日の背を炙る如し
豈(あ)に独り支体暢(の)びやかなるのみならんや
仍(な)ほ志気の大なるを加ふ
當時 形骸を遺(わす)れ  竟日(きょうじつ) 冠帯を忘る
華胥(かしょ)の國(=夢中の楽園)に遊ぶに似て
混元(=宇宙始原)の代に反(かへ)るかと疑ふ

と、以下、盛大に気炎を吐き、

五十年来の心  未だ今日の泰きに如(し)かず
況(いはん)や茲(こ)の杯中の物あるをや
行坐 長(とこしへ)に相ひ對さん

と、結んでいる。

* 朝起きて食卓に着き、やおら卓の下にひそめた一升瓶から愛杯に酒をつぐと、たちまちに妻の叱声が飛んでくるが、白楽天のように呷りもしないし慷慨も壮語もしない、ただ此の一杯の美味が、分からんのやなあ。結びの三行 思いにちかいんやが。
2018 8/20 201

☆ 委 順 (なるにまかせて)  白楽天

山城雖荒蕪   山城 荒蕪すと雖(いへど)も
竹樹有嘉色   竹樹 嘉色有り
郡俸誠不多   郡俸 誠に多からざるも
亦足充衣食   亦た 衣食を充たすに足る
外累由心起   外累は心由(よ)り起こる
心寧累自息   心寧(やす)ければ累自(おのづか)ら息(や)む
尚欲忘家郷   尚ほ家郷を忘れんと欲す
誰能算官職   誰か能く官職を算(かぞ)へむ
宜懐齊遠近   懐(おも)ひに宜しくして遠近を齊(ひと)しくし
委順随南北   順に委ねて南北に随ふ
歸去誠可憐   歸去するは誠に憐れむ可きも
天涯住亦得   天涯に住するも亦た得たり
疎遠の町は荒れてはいても、竹や木々には好ましい姿がある。
役所の扶持は実に少ないが、それでも食っていけるだけはある。
世俗の煩いは自分の心から生まれるもの。心安らかならば煩いも自然に消える。
まして故郷さえ忘れようとしているところ、官位を云々するなどありえない。
気持ちが充ち足りれば遠いも近いも同じ、自然にまかせれば南でも北でもよい。
帰郷に心惹かれはするが、天の果てでも住むことはできる。

「帰去」は故郷に帰る。陶淵明に「帰去来の辞」がある。「可憐」は日本語より幅広い意味をもつという。対象につよく心惹かれるのであり、わたしが日々に「京都」へ帰りたいと願うのも、それ。未熟なこと、まだ「天涯に住するも亦た得たり」とは行かんなあ。
2018 8/21 201

* 『失楽園』で、イブはアダムにあさはかに反抗しまこと浅はかに蛇にもぐりこんだサタンの甘言に惑わされて堅く禁断されていた知識の木の実をむさぼり食い、あまつさえ夫のアダムにまで喰わせた。アダムは絶望的にイヴのあとを追い敢えて禁断の実を食ってしまった。

* 男と女とのかほど険しい危機そのものの対向は、他に例があるまい、ユダヤ教やキリスト教に流れた執拗なほどの女性蔑視の根源をこのエデンの園でのイブ の高慢と浅薄にみるのだろうかと、「失楽園」の詩句に肌に粟する心地で読み耽った。わたしが謂う「男はキライ女バカ」はご愛嬌なみの感想だけれど、エデン の園での「女」イヴの「ばか」はどう言い繕えばわたしのなかで温和に落ち着くのだろうか。わたしは一頃、異様に熱心に「マリア」を勉強したが、「イヴ」へ 溯るのが怖いほどに気重だった。しかし今は『失楽園』また「創世記」に拠りながら、またわたしなりの元に女を書いている創作行為のなかで、ますます「女」 が分かりにくくなってきた。「女バカ」という根深い感想の新ためようがダンダン望み薄くなって行く。フェミニズムにはあまり気乗りしていないがジェンダー という視野・視点はいま「オイノセクスアリス」に苦悶しながらも落とせないようだ。
2018 8/21 201

☆ 感月悲逝者  月に感じて逝きし者を悲しむ  白楽天

存亡感月一潸然   存亡 月に感じて一たび潸然たり
月色今宵似往年   月色 今宵 往年に似たり
何處曾經同望月   何れの處か曾經(かつ)て同(とも)に月を望める
櫻桃樹下後堂前   櫻桃の樹下 後堂の前

* 今年 此の前半にも何人にも逝かれた。詩的な知友に限ってもわが点鬼簿には数十人が已に数えられている。一人として忘れ得ず、声音も表情も若々しいままに想い出せる。悲しみも寂しさも尽きないままこれもまた佳い意味の「幸」と謂うべきだろう。
白楽天は この詩で、おそらく一人の人を想い潸然たるものがあるのだろう、「櫻桃の樹下 後堂の前」は的確に言い得て、美しい詩になっている。
2018 8/22 201

* 此処で 一つ 私どもとしては 「思い切って重大な提示・広告」を致します。「ご遠慮無くご利用」下さい。

今日現在も 「秦 恒平・湖(うみ)の本」の「全巻継続購読者」(ほぼ全員が 創刊以来の全巻購読者)の皆さんに「限らせて頂きます」が、三十余年にわたる「湖の本既刊本」(現在141巻 今後も継続)の、「小説・エッセイを問わず、どの巻であれ、何册であれ、在庫の限り」を、ご希望次第で、例外なく「無料で呈上」します。
「文学」の作として、お仲間なり、ご子弟・ご知友なりと、宜しいように自由にご利用くだされば、作者・著者として幸いです。
ただ、「巻」によっては、すでに在庫のもう払底、ないし払底しかけているのもあります。しかし斟酌なく、むしろ秦を助けると思って、「何巻を何冊」と、ご遠慮なくご要望下されば、可能な限り、すべて無料で、荷造りして送り出します、何の御斟酌にも及びません、喜んで差し上げます。
私ども夫婦の「残年寡き」を思えば、「一つの潮時」と、たった今、ハッキリ思い立ちました。発送にいささか年寄りのモタモタのありがちなのは、ご容赦下さい。
一つには、没後に在庫を残しても、事実上私の本意を践んで残部を活用できる者は無く、故紙同然に廃棄されるのは必至だからです。いっそ秦を援けてやると思われ、ご遠慮なくお申し越し下さい。

* 今日も予定した仕事はきっちり済ませた。「選集27」の出来に慌てることは無く、体力を大事に温存していたい。もっぱら創作へ心を用いつつ、「選集28」の初校は遅滞なく進めてある。
「湖の本142」を興味をもって貰えるように、工夫しながらほぼ腹案に沿って半ば以上組み立ってきている。
十時半をまわってきた。就寝前の読書を楽しみに階下へ下りる。「失楽園」らうちこんでモノを思い続けている。昔々の新潮社版世界文学全集の古本を三冊、 飛びつく思いで買ったのはまだ新制中学の頃、二冊は『モンテクリスト伯」上下で、もう一冊は「ボヴァリー夫人・女の一生」だったのが今も西の棟の振るい書 架に残っていた。無性にまた、『モンテクリスト伯』を此の古い上下巻本で読みたくなった。まだ読まれていない佳い本が数えきれず書庫にも、二棟の幾つもの 書架にもあり、死ぬ前に読んでおきたいなあとつくづく思う。みれんがのこるとかると、面白い佳い本を読みあましたまま逝くことかなあと思う。
2018 8/22 201

* 機械の温まる? のを待つ間に、珍しく中世説話の『今物語』巻頭一話を、三木紀人さんの解説で勉強した。「源氏の下襲の尻は短かるべきかは」と、「大 納言」が所持の扇繪をめぐる傍輩たちの誤解を見抜いて囁き去っていった女房に大納言が心奪われてしまう。扇の繪、弁という官職、その特徴ある下襲、源氏物 語の場面への読みや推察、その間違いの指摘など、わずか文庫本12行の説話が生きもののように揺らぐ面白さ。教えられた。
三木さんは朝日子が御茶ノ水に在学の頃の教授であられただけでなく、わたしが医学書院に就職して間なく、母校の紀要に論文が送りたくて、仕事の間をぬす んで会社から目の前の東大国文学科を訪れ、書庫へ入れてもらえないか本が読みたいと頼みこんだとき、応対して許容してくれたのが三木さんであった。わたし は毎日のように書庫へ通って学生、院生らの勉強にまじり、けんめいに「徒然草」関連の文献を読みかつノートしつづけた。徒然草の執筆時期を追った論文は二 回にわたり母校専攻の紀要に載ったが、それより何よりこのときの勉強が、最初期作の一つの仕上げになった長編『慈子(初題は『齋王譜』)のなかへ濃厚に生 かされた。いまも胸の鳴るような思い出である。
講談社学術文庫『今物語』も三木紀人さんに戴いた。

* 上の三木さんとのように、わたしは、作家としてスタート以降、幸いに、信じがたいほど優れた国文学・日本史学の学者・研究者に仕事を識っていただけ て、永く長くいろいろに教えても応援してももらえた。とてもお名前を列挙などできないほど大勢、それも目を剥くような森銑三、下村寅太郎、角田文衛、岡見 正雄といった大先生から「ファンレター」も貰っていた。文壇という世界へは我からこまごま近寄ることはしなかった代わり、他分野の碩学や優れた藝術家に は、敬愛しつつ親しんで、多くの示教に恵まれつづけた。残念、しかし当然にも、もう九割の余も亡くなられたが、今も、梅原猛さん、久保田淳さん、興膳宏さ ん、井口哲郎さん、信太周さん、高田衛さん、今西祐一郎さん、長島弘明さん、黄色瑞華さん等からそれぞれに多く深くを、つい先頃までは島津忠夫さんに源氏 物語の読みの詳細を感嘆しつつ教わっていた。

* ご縁というものを、わたしは大事にしている。大先輩にも、若い後生らにも。
2018 8/23 201

* わりと、すんなり機械稼働してくれいる。

* いずれ上野の池之端で撮ったのだろう、上に出してある「蓮」の写真が、われながら好きで、動きやすい心を静めてくれる。八坂神社の西楼門から撮った 「石段下四条の夜色」もわれながら、胸に沁みる。高木冨子さんの「浄瑠璃寺夜色」の繪も、観るから懐かしい、いわばわが生気と正気の拠住となっている。原 作畫は観ていない、もらった写真を観ているのだが、これで十分。
写真というのには、こころ捕らえてくる魅惑があり、溺れたくはないが、いい写真を撮りたい、撮れるととても嬉しいという魔にいつも憑かれる。わたしの撮った写真のここ十五年の「作」は一枚のこらず、ワイシャツの胸ポケットに入る小さなコニカ・ミノルタ「DIMAGE X50」 で撮ってきた。わたしには機械など選べない。有楽町の大きな店で、孫娘ほどの若い店員に、あなたのオジイチャンに選んで上げるなら「どれかナ」と頼んだら 上のカメラをすぐ選んでくれた、以来、十五年ちかくこのファインダアーからなにもかも覗いてきた。充電器も電池二本も即座に買ってきた。愛機である。

* 写真機には憧れた。
とても欲しかったが、大学時代でもカネというものを月に数千円、小一万もロクに持てなかった。辛うじて叔母の代稽古で小遣いを稼いでいたが、 父よりは金主と頼みいいこの叔母に、強請りにねだって五万円という金額をなかば強奪し、河原町の「さくら屋写真機店」のウインドウで何ヶ月も垂涎の的で あった「ニッカ」カメラが買えたのだった。昭和三十年になるならずの頃で、思えば、ライカマウントの分相応な高級品だった。むろん、重くもあった。
中国へ作家代表団にまじって出掛けたときは、軽量の安いカメラを持っていったと思う、ソ連の作家協会に招待された時も重いニッカは置いていった。

* 花の、やや逸らした角度からの美しい接写が好き、やや得意でもある。

* こんな感想をただ書いていても、わたしの「書く」楽しみ、書き飛ばさない「楽しみ」は、止めどない。随感随想の「文藝」連鎖と、ホームページ前置きに書いている通り。
ただ、これをやりすぎていると、仕事の進行に障る。
2018 8/24 201

☆ 「今物語」の二  忠度と扇

薩摩守忠度(さつまのかみただのり)といふ人ありき。ある宮ばらの女房に物申さんとて、局(つぼね)の上ざまにてためらひけるが、事のほかに夜ふけにければ、扇をはらはらと使ひ鳴らして聞き知
らせければ、この局の心しりの女房、「野もせにすだく虫の音や」とながめけるを聞きて、扇を使ひやみにける。人しづまりて出であひたりけるに、この女房、 「扇をばなどや使ひ給はざりつるぞ」と言ひければ、「いさ、かしかましとかや聞こえつれば」と言ひたりける、やさしかりけり。
かしかまし野もせにすだく虫の音や我だに物は言はでこそ思へ

(現代語訳〉
薩摩守忠度という人がいた。ある宮様に仕える女房に物を言い掛けようと、女の部屋のあたりでためらっていたが、思いのほか夜が更けてきたので扇を使って 音を立て、合図で自分のきているのを知らせたところ、その部屋にいた事情通の女房が、「野もせにすだく虫の音や」と誦(ずん)じたのを聞き、扇を使うのを やめた。
人が寝静まってから女房と会った時にこの女房が、「扇をなぜお使いにならなかったのですか」と聞くので、「さてねえ。うるさく聞こえたらしいので」と言ったとか。優美なことであった。
かしかまし……(うるさいことよ、野原で所狭しと鳴く虫の声よ。こんなにあなたのことを恋い焦がれている私でさえだまって耐えているのに)

* 薩摩守忠度は平家一門でも剛勇で知られた武将で、また優雅な歌人としてもただならぬ存在であった。わたしはこの忠度説話がことに好き。「女文化」を肌 身に理会していた平家の公達に比し、源氏の大将らは義経ですら不行儀にざらついていた。「アカ勝て シロ勝て」でやかましかった子供の頃は太平洋戦争への 前夜、わたしは幼稚園前から国民学校へ上がろうとしていた。源平闘諍のいきさつはあらかたもう心得ていて、わたしは終始「アカ」旗の平家贔屓だった。「女 文化」ないし「女文化の終焉」という歴史観はそのころから自身で紡いでいた。「徒然草」とともに新制中学で真っ先に岩波文庫『平家物語』上下巻をお年玉で 買い入れ愛読したのも(秦の父のだったろうか)通信教育用の教科書「日本国史」や人に借りた絵本などの感化であった。「女文化」へ身を添えながら大人に なって行く「男」をわたしは教養の如くに自身に律していたかと思われる。

* この数日 苦心の「湖の本142」編輯をほぼ完了した。多彩でかつ論争的に成る。

* いまも作品論をおくってきて下さる何人もの論述は、おおかたその作の、ないし作と作との関連中で語られている例が多い。わたしの「批評と述懐」からも汲まれかつ密に関わりつつ論攷されている例が少ない。もの凄い量なので手に余りがちなのかと案じられる。
2018 8/25 201

* 機械の煮えるのをただ待ちながら、今朝も『今物語』の三「雪の朧月夜」 四「蛍火」を、身にしみじみと嘆賞していた。
まさしくそれらは、「女文化」の粋とみえて教養も配慮も優情もこころよく非のうちどころなく表現され、美しい場面、場面を成している。よく話柄を選んで あり、あの『枕草子』のような筆記のエッセイでなく、むしろ、よく磨き上げた小説の場面、場面のように「語り」が的確で簡潔なのである。
時間があり手間を厭わねば此処に掲示したいみな魅力編ではあるが、講談社学術文庫『今物語』全訳注・三木紀人の一冊をお薦めしておく。
これはいわゆる説話集の域をこえ、丁寧に編纂された「女文化」の文藝名場面集に成っていると謂いたい。挙げられる詩歌も吾がもののように記憶して優に懐かしい作ばかり、それへも惹かれる。語釈も精緻にひろく検索検討されていて信頼に足るだけでなく、知恵も授かる無。

* このところ朝に辛抱よく機械に動き始めてもらうと、ついつい、いわゆる日記ふうの叙事でなくエッセイめく感想を述べてしまっている。そういう方へ方へ気が向くのだろう。

* 今朝も『風姿花伝』をはらはらめくっていて、「物学(ものまね)條々」に目をとめ、もう久しい自身の思い理解に触れてくる「科」という一字に出会っ た。ああ是へ立ち止まるとながくなってしまうなあと躊躇ったが、日頃も気になり気にしている一字だけに、通過しかねるのである。

☆  風姿花伝第二 物学條々
物まねの品々、筆に尽し難し。さりながら、この道の肝要なれば、その品々を、いかにもいかにも嗜むべし。およそ、何事をも、残さず、よく似せんが本意なり。しかれども、また、事によりて、濃き、淡きを知るべし。
先づ、国王・大臣より始め奉りて、公家の御たたずまひ、武家の御進退は、及ぶべき所にあらざれば、十分ならん事難し。さりながら、よくよく、言葉を尋ね、科を求めて、見所の御意見を待つべきか。

* こと細かには立ち止まらない、ここに謂う「言葉を尋ね、科を求め」とは、何かということ。

* いま、舞台で謂う「せりふ」を漢字に書くに「台詞」とする人の方が多い。台本にある詞とい理解か。しかし、もう一つに、昔から「科白」という表記があるが、どういう意味か、今日では大方の舞台・演劇人が忘れ果てているように歎かれる。
「科」とは何、「白」とは何。
「白」には、表白、自白、告白、白状などの熟語があり、何らか「言葉」で言い表す状況が察しられる。
一方の「科」には、「シナ」をつくるなど謂うようにな、肉体・身体による表現行為が察しられる。「言葉を尋ね、科を求め」という言句には「セリフ」が本 来持ちかつ表すべきものが謂われている。それの分かっていない俳優は、喋っているときは「躰」での科よき表現が置いてきぼり、躰を使っているときは「言葉 (表白)」での表現が置いてきぼりになる。ちゃちな初心の演劇を舞台で見るとこの「科」と「白」との有機的な美しい調和が成ってない。セリフといえば「台 詞」としか考えていない不勉強がバカバカしいほど露呈してくる。
建日子のごく初期の作演出舞台にも、口を酢くしてよく「科・白」の注文を付けたのを思い出す。
もう久しく、こっちのからだが言うこと聞かず、建日子の作・演出芝居も観ていない。
2018 8/26 201

* ところで、このところ、クソまじめなほどに思い耽っているのは、ミルトンの『失楽園』を耽読のなかで頭を擡げてきた世界史の、とまでは謂いたくない が、キリスト教世界が根の根から抱え込んでいる「イヴ 女」の問題、そこから、旧約・新約・ローマ教会を経、決定的に、悪辣なまでに構築されてきた苛烈な 「女性蔑視」の問題。今日も、革新的なキリスト教神学書の「女性蔑視」の章を熟読していた。
上野千鶴子に「女嫌い(ミソジニー)」の一冊がある。貰って、読んで、特には立ち止まらずに、自分の小説世界を考えていた。
わたしは「女文化」という文化史の発見提唱者であり、ま、信者であって、「男はきらい、女ばか」とは思いながら、「ミソジニー(女嫌い)」とは感じていない、が、「要検討」なのか。
イブは、とても「女ばか」だけでは済まされていない、が、……
旧約の「創世記」ではまだ掴みにくい「堕罪のイブ」が、『失楽園」では過酷なまでに、アダムや神や天使たちと対立した気味に把握されていて、この問題 は、このままにしておけんなあと、また改めて(じつは、おなじ事は過去にも何度も感じながら、イヴではなく、マリアの方へ視線を送り続けていたのだが)  キリスト教の世界と歴史とがウンザリとアタマにのしかかってきた。重い。

* これ、セカセカとはとても扱えない。尾張の鳶には、たくさん教わりたいことが有る。
2018 8/26 201

* 夏バテへの警鐘、かまびすしい。すでに自覚がある。
わたしは、少年の昔から九月にバテてよく病気した。事実上、それでわたしは大学「受験」という体験をせず、出来ず、成績表ひとつで同志社への推薦入学を 受けいれあった。このことの是非には、さすがに複雑な思いが残ったが、結果としてわたしは例えば京大へすすめばほぼ一途に「研究者・学者」を目がけていた と想われる、「小説家」へは向きにくかったろう、しかし、わたしの内には、「生まれ・育ち」からも、「女文化」の環境からも、「研究者・学者・教授」への 道をさして喜ばないタチが、原質が、先験的にひそんでいたと想う。
結果、此の道へ歩をはこべて良かったという結論ははやくに出せていた。
仮にわたしが官学から大学教授への道が歩めたとしても、例えば東工大でのあの「作家教授」で楽しんだような授業などは、有りうべくもないは明瞭、あれは 「作家」なればこその無免許「体験」であり、その限りにおいて却って当時「名人事」と喜んで観てくれた人らもあり得たのだった。
あの微妙な時季での「夏バテ」療養は、わたしの人生に希代な、奇態な、効能をもったのだなと今更に想う。

* その夏バテ危険の今日にも、昼過ぎのバスで駅へ向かい、聖路加病院へ診察を受けに行く、といってもものの五分のいしとの対話・歓談で服薬の処方箋を 貰ってくるダケなのである。ま、「お出掛け」のチャンスとして極端な運動不足をすこしでも解こうというワケ。校正ゲラをたくさん持ち、さらには、リュー サー女史の「解放神学」で、(おもに米国の)キリスト教女性蔑視がいかがなものかも勉強してくる。知的に気を張っているとたしかに自覚的な疲労は少ない、 軽いと感じられる、錯覚なのかも知れないが。

* いまも『今物語』で、また『風姿花伝』で、或るかねての思いを肥やす、ヒントのようなものが得られ、どう生かそうかなあと楽しみに思っている。

* すこし遅れたが、編輯に苦心した「湖の本142」も、ま、無事に入稿できた。単行本でも雑誌でも此のほぼ未公開の「新巻」は、ややポレミークの気味もあり、楽しんで頂けようか。
校正中の「選集28」は多く知名の作家・学者・藝術家らとの彩どり賑やかな対談・鼎談・座談会の「選」と、各方面へ出向いてのいかにも秦 恒平らしき講演の「選」とで、最多頁の大冊に成ろうとしている。選集全巻の中でも、特異で平易な追究を見せている面白い「選集27」は、九月上旬には送り 出せる。準備はもう出来ている。悪しき「夏バテ」に陥らぬよう用心しなくては。
2018 8/27 201

* 十一時になった。ガンバリ過ぎたか。
今日は、校正のほかに、キリスト教神学の本三冊ばかり、目次を拾って覗く程度ではあったが、確かめたいことのある気持ちで調べてもいた。一般にアメリカでのと限って「解放神学」といわれるものにも、大きな裂け目があることなど、確かめられた。

さ、機械から離れる。
2018 8/27 201

 

* 胃袋を全部喪ったあと、永らくわたしはこえをに出して歌が歌えなかった。声が出なかった。以来、六年半。本はよくてにとり歌詞だけを読んできた岩波文庫『日本唱歌集』をやはり機械の煮えを
待ちながら開いていて、ふっと声が出てまた「歌える」のに気づいた。幼稚園から国民学校へあがったころ、近所の子らと競い取るように歌った「青葉茂れる桜 井の」が歌えた。「天はゆるさじ良民の」と「ワシントン」も歌えた。「紅萌ゆる岡の花 早緑匂ふ岸の色 都の花にうそぶけば 月こそかかれ吉田山」は歌い ながら、いっぱい涙を流した。
唱歌からたくさんな、豊かな詞藻を学んだ、気を入れて学んだ。わたしが唱歌詩として最も敬愛して忘れないのは、大和田建樹が作の「旅泊」だった。

磯の火ほそりて 更くる夜半(よは)に
岩うつ波音 ひとりたかし
かかれる友舟 ひとは寝たり
たれにか かたらん 旅の心

詩が、歌が、じつに妙なることばの音楽なのだとわたしはこの歌にしみじみと学んだ。「磯の火ほそりて」「岩うつ波音」の「い」という音の静かさ。「ひ  ふ は ひ ひ」と点綴される「は」行の懐かしさ優しさ。「て つ と た と た た た た」と刻み込まれた「た」行音の確かな音階。
わたしは、自身あの「少年」短歌を作り上げて行くまでに、かずかずの佳い唱歌から、「詩歌」とは本質「言葉」の美しい「音楽」でありかつ「表現」である ということを学んでいた。近時近年の生まな観念や説明のイデオローグを「節くれの棒」のように並べたガサツな短歌に、とうてい「詩」として「うた」として の感銘を得られないのは、ま、わたしの宿痾かもと、笑っている。
2018 8/29 201

* 谷崎先生が、昔も昔お若い頃、年寄ったら自作をゆっくり読み直すのが楽しみと述懐されていて、谷崎文学ならさもあらんと羨ましいほどに感じていた。企 んだわけでないが、選集を決意して、はからずも自作の大方を克明に読み返すことになった。予定の三十三巻へ、もう残り五巻、溢れて剰るモノも相当出来てし まうが、それはそれ。むかし、むしろ実感のまま「わたしは寡作で」と書いていたのを読んで人に怒られたことがあった。たしかに創作とエッセイと、両翼・両 輪に、「寡作」では無かったとかなりにビックリしている。問題は、それほどの「作」に「作品」が添っているかで、これは読者が判定されること。
断っておくが、現在のわたしの視力、それでもわたし独りで校正しており人に頼んでいない。言い訳になるが見えにくい為のイージイ・ミス、誤植、は出てい る。その大方は、読者に察しのつく程度であってくれるようにと願っている。「は・ぱ・ば」にはとくに見損じがあるようだ。もし時間と体力がのこれば、読み 返して正誤表を造っておきたいが、出来るかなあ。

* 気になっていることのために、フランチェスコ・ペトラルカの「わが秘密」を持ち出してきた。フランチェスコのさまざまな問いに、最大の教父ともいわれるアウグスチヌスが徹底して応え、時に激しく討議がつづくが、主眼のアウク゛スチヌスの教えにある。
いま、わたしはその偉大な教父のキリスト教神学の問い返さざるを得ない疑念を持ちはじめている。ことに性ないし情欲・情念にかかわる見解をよく確かめたいのだ。
2018 8/29 201

* 書庫に入っていたが、暑さに参った。昼間に換気扇をまわすべきだ、夜分はご近所へ音が障る。
もとより気に入りで敬愛に値する以外の本はないのだからムリないが、処分して棚を空けたいとねがっても。もはや眼を閉じて手当たり次第という乱暴のほか に選びようがない。読みたい。ぜひ読んでおきたい。も一度読んでおかねば、などと一々手を引っ込めていては、三十糎の明きもできない。それだけ、つまりわ たしは自分の書庫を愛して誇りにしている。埃もかなり積んでいるけれど。
2018 8/30 201

* 「唱歌集」の歌詞はわたしの「文学・表現」への手引きだったと、つくづく納得する。好きな歌詞、嫌いな歌詞、なぜ好きでなぜ嫌いか、子供ごころに執拗に多年にわたり詮議してきたと思う。
「螢の光」の一番二番にはしみじみと賛同したが、三番四番の「教訓臭」は爪はじいて忌避した。
「あおげば尊し」は全身で共感し愛唱したが、「すめらみくにの、もののふは」だの「皇御國の、おのこらは」などいう「皇御國」なんてのはイヤだった。それより「四季の月」の四首の和歌仕立てであるのなど、美しいと思った。
一 さきにおう、やまのさくらの、花のうえに、
霞みていでし、はるのよの月。
二 雨すぎし、庭の草葉の、つゆのうえに、
しばしは やどる、夏の夜の月。
三 みるひとの、こころごころに、まかせおきて、
高嶺にすめる、あきのよの月。
四 水鳥の、声も身にしむ、いけの面に、
さながら こおる、冬のよの月。
こういう感触がたしかに日本のとは言い過ぎまいが岩、京や古典世界には実感として在った。唱歌や歌謡曲には四季を寓した佳作が多く、概してわたしは好き である。上の和歌の表現でわたしに自然に教訓してくれたのは、「花のうえに」「「つゆのうえに」「まかせおきて」「いけの面(おも)に」等、上三句の「字 余り」の美しさや確かさであった。四首いずれの三句裾の「に」や「て」音を落としたときの堅苦しさは歌の内在律には致命的になる。時に「六音の妙」 そう いうこともわたしは唱歌の歌詞にいつとなく学んでいた。

* 昨日おそく、ふと目に入った歌詞があり、「残暑お見舞い」に尾張の鳶へ送った。

* 『日本唱歌集』をめくっていたら、「とんび」という歌(葛原しげる作詩)に出会ったよ。知らなかった歌でなく、歌える歌でもあるので、二番まで歌ったよ。

とべ とべ とんび、空高く、
なけ なけ とんび、青空に。
ピンヨロー、ピンヨロー、
ピンヨロー、ピンヨロー、
たのしげに、輪をかいて。

とぶ とぶ とんび、空高く、
なく なく とんび、青空に。
ピンヨロー、ピンヨロー、
ピンヨロー、ピンヨロー、
たのしげに、輪をかいて。

いろいろ(=老々介護や創作や) シンドクもあるでしょう、察している。
が、
ま、時に 「とんび」にも なりなされよ。  保谷のからす

☆ からす、ありがとう、ありがとう。
歌詞の一行目だけメロディ知ってます。
空高く飛びたいですね。
元気に!       とんび
2018 8/31 201

* とても愉快とは謂えないタチの創作に手と時間を掛けていて、不快に疲れたのは宜しくない。投げ出してもいいと思うが、ケッタイはケッタイなりに一種の発見は成る。ま、もう暫くガマンか。

* 660頁ほどのを600頁程には縮めたいと願いながらの初校が、もう一息で済む。600頁まで減頁は届かないかも、ま、根気よく頑張った。何とか成る。
2018 8/31 201

* 偽書視されてきた武田の「甲陽軍鑑」が信玄腹心の武将の讃歎忠節のいわば克明を極めた見聞と記憶の口述筆記であったらしいとこれまた克明な国語・言語。口 語学からの研究で明かされてきた経緯をNHKテレビが伝えてくれた。感動もののみごとな追究、みごとな人間劇が窺い知れて手を拍ち感謝した。「研究」と は、かかる徹底した着眼・探究・発見・発明のかつ正しくて面白い仕事でなくてはならぬ。

* 文藝研究を片端とはいえ垣間見ていると、ちいさな端っこ作品のちいさな穿鑿で事足れりとした、植木いじりのようなのが目立つ。
作の真の重要さを深く見きわめて採り上げつつ、大きな、作家的、時代的、文学史的視野から新たな研究の沃野が獲得されて行くのでなければ、小さな植木鉢を弄っているだけに止まる。

* 何の目論見もなくただ読みたくて直哉全集の手に触れた一巻をもちだし、この機械の煮えてくる間にと、巻頭の「祖母の為に」を読んだ。観るから聴くから 男性的に簡潔、ラコニック(スパルタ式)な文体と表現の妙にひっぱり込まれる。直哉にこの祖母はことに大切な長上であり家族であり第一創作集の題にはこの 祖母の実名『留女』を以てしている。わたしはこの「祖母の為に」と、つづく「母の死と新しい母」とを、数多い直哉短篇のなかでも最も敬愛していると云いた いほどで、読めば、きっと心地良くも厳しくも冷水摩擦したような感銘を受ける。それはもう谷崎でも鏡花でも川端でもない。やはりどこかで漱石の文体へ通い あうものを感じる。
直哉を研究するのなら、こういう方面へ視野を深め広めて頑強に食いつくべきだろう。どうも昨今の自称研究者達、微妙に難しい「文体」論を避けて通る気味 が濃い。もの足りない。文学は、歴史学、国語学、民俗学、心理学、美学、地誌学等々の薫陶をえて作をゆたかな作品へ築かねばならない藝術だと承知している のだろうかと、外野は肌寒い気で眺めている。

* 九月になった。やす香の生まれ月だ。俳優座が「心 わが愛」を初演した月だ。生まれてくる初孫をわたしはあのころ男の子でも女の子でも「こころ」と名 付けたいような気でいたが、よして良かった。なにしろ「心は頼れるか」と批判し続けてきたわたしの「こころ」観なのだから。「静かな心」ほ得られなかった 漱石・先生。そのあとを追いたくはない。名付けるならやはり「しづ」さんか「しづか」さんであったか。いやいやそれはもう『蝶の皿』に用いていた。あれは あれに極まっていた。
わたしの此の機械の真向こう数十センチに、妻が、マミイが愛を込めて画いた幼い日のやす香の佳い鉛筆画が飾ってある。大学へ入ろうという頃の女学校制服のやす香の笑顔も手の届く近くに額に入っている。もう何年か、一日も欠かさず孫のやす香はわたしのそばに居る。
2018 9/1 202

☆ 炎暑お見舞い申し上げます。
殊の他、異常な暑さに音を上げながら、毎日を過ごしています。
先日は『湖の本141』を頂戴いたしまして誠に有難うございました。
總タイトルの「語り合う日本の古典風景」は、日頃、ご著作で馴染み仲となったテーマで、それぞれの分野で活躍されている学者先生などの活達な発言も面白 く、身になりました。「日本の古典とエロテシズム」「今様の世界」「洛中洛外屏風をめぐって」がそれですが、小生にとって、最も手応えのあったのは、杉本 秀太郎氏との対談「洛中洛外・歴史の風景」で、ご両所、京都で生れ、育ち、文学を目指した者ならではのやりとりが言外に滲み出て、良かったですねえ。秦さ んの杉本氏評、「洛中生息の井伏鱒二の山椒魚」には思わず、大笑いしました。
大暑をやり過ごした時のお躰、応えると案じます。
ご自愛専一に。     講談社役員 元・出版局長   徳

* 「対談」は、一種独特の創作行為で、ぶつかりあって咲く火花に妙趣がある。この一冊、幸いに受けてくれて嬉しく、お相手の皆様にもどうかご容赦いただきたい。

☆ お元気ですか。
蒸し焼きになりそうな通院は さぞお疲れになりましたでしょう。お怪我ありませんように。
今日は お願い、です。
永く購読してきました「湖の本」ですが、色々プレゼントしたりしまして、現在、相当に歯抜け状態になっています。厚かましいお願いですが、もし在庫冊数に余裕がおありでしたら、「湖の本全冊」頂戴できますでしょうか。
お送りいただける場合は、力仕事ですので、何度かに分けていただければと存じます。くれぐれもご無理のないかたちでお願いいたします。当然のことですが、送料着払いになさってください。よろしくお願い申し上げます。

九月に入りました。台風も来るそうです。
どうぞお大事にお過ごしください。  読者

*  わたしからの「私語」の上での申し入れ・要望に副ってご希望頂いたと思う。本が、実質的にわたしの手もと以外で生きてくれるのは、なにより本望。何方に も無制限にというわけにも行かず、一応、創刊以来「全巻ご購読下さっている方々」を念頭に、いわば「湖の本」活用・利用のご協力を願っている。本が、お役 に立ちますように。
送本、手早くとは行きませんが、間違いなく全巻を揃えましょう、先ずは荷造りの函から物色しますので。暫時お待ち下さい。
なお残部が、他巻に比し僅少になっている巻も出来てきています。ご希望の方はいっそお早めにお申し越し下さい。
2018 9/1 202

* 直哉の「母の死と新しい母」を、またまたまた、読んだ。清い冷たい水で顔を洗ったように清々しく嬉しい作品。作には品の有ると無いの大きな落差のあること をわたしは直哉の文章・文体から学んだのである。「母の死と新しい母」から真っ先にそれを教わった。「母の死」はいたましく恐ろしく胸に沁みた。「新しい 母」への直哉少年の慕情は、美しいほどに淳で、羨ましかった。わたしは「実の母」を受けいれなかった。「育ての母」には、懐きたいのにどこかいつも怕かっ た。
2018 9/2 202

* 颱風がまた逼っていると。天候の荒れは常時になっている。温暖化の悪影響は歴然というのに、トランプの無知蒙昧ははかりしれず、日本はとかく、いや、すす んでトランプの尻を追っているとしたら、颱風と地震の國日本の国益を政権は莫大に損ね続ける政治をしていることになる。

* 政府とか政治とか國とかいう感覚が腐れ気味に、イヤなものになっている。「私の私」を侵掠してくるくる一方の「公」がイヤになるのは不健康な迷惑だ が、日増しにそうなる。極端に「公」に尻を向けていたくなると、たとえば「私」の象徴のような志賀直哉の明晰でラコニックな文章が清々しい薬のように嬉し く親しくなる。古典もそう、漢詩もそう、いい映画もそう、そして自身の創作世界も。そういう世界をもてているのを嬉しい思う。所詮悟り澄ませるわたしでは ない。この辺で、日々を生きているよりあるまい。

* 今日午後には「選集28巻」の初校が戻せる。「湖の本142」の初校が今し方到着。仕事はほぼ停滞なく進んでいる。有り難し。

* 「オイノ・セクスアリス」など、アタマになかった。都内の読者が期待して待っているとメールを寄越されて、これは、「ヰた・セクスアリス」よりはるかに今の作者に嵌っていると喜んだ。「非売品」の「選集三十三巻」を無事これで大尾とできるだろうか。

* 「湖の本142」は、快調に初校進みそう。
2018 9/3 202

* アウグスティヌスとペトラルカの対話を読みながら機械の起ってくるのを待っていた。
「たくさんの人がきの先をゆくのに気づいたなら、どれほど多くの人があとについているかを思いたまえ。神に感謝し、きみの人生にも感謝したいなら、じれ ほど多くの人を追いこしてきたかを思いたまえ。」「限度をきめておきたまえ。越えたくても越えてはいけない限度をね」と、セネカの詩句はうたっていた。西 欧の賢者らしい落ち着きように思われる。
東洋の禅人なら、一喝しそうだ。

* 昨夜、寝入る前に、キリスト教(者)とユダヤ教(ユダヤ人)との苛烈な信仰上の、歴史上のかわりを読んだ。キリスト教(者)の女性蔑視の徹底して過酷な侮蔑に満ちていた歴史も、このところ学んできた。「教会」「法皇」「教父」といわれるものらの神の名において為し続けた歴史的な驕慢と独善に驚かされ続けた。

* 機械がえんえんと起動を躊躇う間に、直哉の「憶ひ出した事」もさらりと読んだ。善し悪し好き嫌いなどべつにしても、ああ此処に「人」がいると確かに感じられる嬉しさ、澄明感。
2018 9/4 202

* ツイッターもフェイスブックも登録され、一時期、記事も送っていたし、そのまま残存しているのかも知れない、が、遺憾なことに、わたしの機械でそれらを開いてみること、ましてや記事を送ったり反応したりが、「マッタク不能」となってしまい、もう数年になる。
日に二十、三十度も、運営当局からだれそれサンから連絡を求められていますなどの通知が降るように届くが、どんな記事や消息や通知も「マッタク窺い知ることができません」。随分失礼も重ねているかと思うけれど、もし必要なご連絡や消息は、私のメールへ直にご通知下さい。

* ソシアル・ネットの悪用や犯罪行為は、今世紀の初めに、日本ペンクラブに電子メディア委員会を理事提案したときにすでに予測し危惧し憂慮した通りの惨 状をも呈している。諸刃の剣で、一面に驚嘆の便宜もあるのは明瞭な事実だが、半面の腐臭を帯びた人間悪跳梁の世間とも成ってしまって、ますます悪行の手は 込んでくるだろう、機械というもののそれは悪魔性と謂うしかない。
わたしは、東工大の田中君に懇望して此の機械に「ホームページ」をつくってもらったとき、専門家の彼ですら、こんな巨大に育つものとは想像もしていなかった。
実際にいま一般に「ブログと」謂われているいわば「借家・アパート」住まいをわたしは避け、「公式ホームページ」という「自宅」を創ってもらった。此処でならば、わたしの「ことば」は明白に秦 恒平の文責でまっすぐ世界へ送り出せる。
何よりも何よりもネット世界での全ての発言には、誠実な文責を明らかにというのが、わたしのもう久しい、機械を使い始めて以来の不動の主張なのである。ホームページでなら、それが実行できる。

* 文責に欠けた、または故意に欠き隠したたぐいのソシアル・ネットでの「無責任ないし悪意一切の根無し発言」をわたしは無視し、チラとも覗き見ることが無い。フェイスブックにもツイッターにも、機械の不備不調故障が直っても、復帰の気持ちは全然無い。
私の述懐や批評や消息は、メール以外の一切、此のホームページ「作家・秦 恒平の文学と生活」の内、「闇に言い置く 私語の刻」でのみ明記する。わたしへのご連絡は、文責確かなメールか郵便かでお願いしたい。
2018 9/4 202

* 直哉「憶ひ出した事」に次いで、今朝も機械の稼働待ちで「或る一夜」を読んだ。癇性というのか、こういう人と平静に仲よく付き合い続けるのはさぞ難し いことであったろう。後年谷崎潤一郎との親交が終始互いの敬意・信愛に終始したのを、「文学の師」としてともに真実尊敬しているわたしは嬉しい。
四国の榛原六郎は、もう、むかし、しっかりした直哉論を読ませてくれたが、その後も思索しいろいろ書き継いでいるだろうか。病気に負けかけていた時期があったと電話で聞いたが、文学が妙薬だと信じて書き継いでほしい。
2018 9/5 202

☆ 「旅に出るので」と短く書いたからでしょうか。
フーテンの寅さんのような感じがするのでしょうか。或いは少々自棄になっているのではないかなど。平常心100%からはやや遠いくらいの、ただし普通の気持ちで、勿論楽しんで用心して旅行します。しかも今回は全くの個人ではなくツアーです。
台風は昨日午後の2,3時間、風雨ともに激しく、部屋にいても ゴーッという音で揺すられるようでしたが、関西の被害ほどではありません。
関空は何度も利用してきましたが、復旧までにやや時間がかかりそうで、経済的な影響も危惧されているとか。

「キリスト教の、教父や法皇達の、教会の、女性やユダヤ人・ユダヤ教にむけた本質的な蔑視のきつさ」と書かれています。
イエスがどのような生涯を生き、のちの者たちに何を託したかは最早推測も出来ませんが、キリスト教が確立されていく過程で様々な操作が為されたことは言 うまでもなく。幾たびもの宗教会議と正統異端の確執闘争。近親憎悪とでもいうのでしょうか、ユダヤ教やイスラム教に対する攻撃の歴史。そして女性蔑視・・ それは仏教においてさえ確かにある・・。
マリアとイヴ、さらにユダヤ教やキリスト教が生まれた中近東、ことに文明化の早かった地域エジプトやメソポタミアの宗教や世界観も無視できず、そこまで領域を拡げる必要さえ生じます。例えば、エジプトの神々の中のイシス、オシリス・・・生命再生の場での女性の重要性。
旧約聖書の中のエデンの園の禁じられた果実のくだりでのアダムとイヴも、注意深く読むと、いっそアダムの軽さ弱さも浮かび上がってきます。全てがイヴの誘惑の結果ではない・・。
マリア崇拝は殊にカトリック教会の古代から中世にかけての宗教会議で正統異端が厳しく論じられ、規制し、ローマ教会の権力が増大するにつれてマリア崇拝 も「利用」されてきたのではないでしょうか。ラテン国家イタリアやスペインのマリア崇拝と、家庭内でのマンマの位置。聖母たるマリア、そしてもう一人のマ リアの微妙な問題もあります。
先頃話題になった本と映画『ダ・ヴィンチコード』その他多くの本が出版されていますが、処女・聖女・母なるマリアと対極にあるマグダラのマリア。彼女は イエスの妻ではなかったかと。例としてレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の絵のキリストの脇に坐るのはマリアだと提起されていますし・・。
ユダについてもさまざまな論が展開されています。
興味だけを頼りに読み進むのは確かに面白いですが、時に自分に慎重であるようにと促しています。
遅ればせの勉強でも何でも、とにかく勉強も知識も、すべてすべてどんなに追いかけても追いつけない、際限ない。そして自分に与えられた時間は圧倒的に残りわずかと痛感し、いっそすべて断念したらいいなど思ってしまいます。
先日の「湖の本」から今様の歌を挙げれば
「我等は何して老いぬらん 思へばいとこそあはれなれ」です。
本当にそう思います。
そして「今は西方極楽の弥陀の誓ひを念ずべし」という立ち位置を得てはいません。

とりとめないことを書き連ねてしまいました。
残暑厳しい今日でした。くれぐれもお身体大切に、大切に。   尾張の鳶

旅は黒海とカスピ海に挟まれた地域、アゼルバイジャン、ジョージア、アルメニアに行きます。

* グルジア(ジョージア)とは懐かしい。

* 世界的な宗教には、少年の昔からとぎれなく関心をもちつづけ、仏典にも、旧約・新約聖書にも、ギリシァ・ローマ神話にも、コーランやユダヤ教の日々の行儀にまでも、粗い目は通し通し続けてきた。
新聞連載の『親指のマリア』でシドッチ神父を書くために、地中海の神話も含めて、キリスト教史をあたう限り調べた記憶もまだ新しい。
そして、近年、フェミニズムやジェンダーへの関心や読書と帯同して、キリスト教の「解放神学」をことに気を入れて読んできた。一つには今書いている長い 小説のためにも必要があり、一つにはミルトンの『失楽園』へ巨細に目を向けながら、もういちど創世記や教会史の面から「第一のエバ」ないし「マリア」に関 わる自分なりの思いにポイントを見つけたくなっていた。当然に、女と男と、肉と性との問題から、わたし自身の『オイノ・セクスアリス』ないし「ユニオ・ミ スティカ」の創作により良かれと意図してきた。
わたしには、昨日今日の興味や関心を超えた、しかしまだまだ理解不足な、重くて沢山な宿題なのである。
尾張の鳶には、いろいろと教わってこれた。何といってもわたしは鳶さんのように「西欧の空気」を直かに呼吸したことがないのだから、もどかしい。
映画「ダビンチコード」その他「絵解き」ふうの探索からは、面白くはあったが、さて身に沁みた実感は得られなかった。マグダラのマリア、ないしイエスの妻に関しては、ロレンスの小説などでも目に触れてきた。
中学でバーグマンの映画「ジャンヌ・ダーク」を観て以来、アヌイの劇「ひばり」や、ミラ・ジョボビッチの映画なども介して、ジャンヌに寄せてきた重い関心にも、どこかキリスト教と「女」との問題が絡んでいると思っている。

* ま、疲れるワケです。
2018 9/5 202

☆ 陶淵明 を適当に抄出

窮居して人用寡く  時に四運の周るをだも忘る
空庭落葉多く  慨然として已(すで)に秋を知る
今 我れ楽しみを為さずんば
來歳の有りや不(いな)やを知らんや
2018 9/6 202

☆ ふる里、颱風は大丈夫だったようです。
勤めの方はまだ進展なしです。
前回のメール、パソコンからは写真二枚、スマホからは一枚を添付しましたが、やはりパソコンからは届かないですか。
今回は朝の雨にけむるモンサンミッシェルです。

* 写真は、何を、何処を撮ったかには関心も興味もない。どうでもよい。どう撮ったか。それをわたしは観る。上手いと手を拍つ写真はめったに送られてこない。いいと感じたら、保存したり此処へ拝借したりしているが。
仕事でも、同じで。「何を」には関心も興味も湧かない、湧きにくい、仕事の価値は「どう」に在ると思っている。論文なら正しく面白く、評論から面白く正しく。「どう」という発明・発見こそが仕事の命だと思う。
2018 9/6 202

☆ 陶淵明に気儘な聴く

人生 根帯無く  飄として陌上の塵の如し
盛年 重ねて来らず  一日 再び晨(あした)なり難し
時に及びて當(まさ)に勉勵すべし  歳月 人を待たず

* 一日 再び晨(あした)なり難く 八十三歳になろうという日々はあるが 歳月人を待たずと云う覚悟でいる。要するに 無為の至難に屈して 小為へ逃げ込んでいるのだ、よく分かっている。

* 志賀直哉も、「廿代一面」などという間に合わせやっつけ仕事はバカらしくておはなしにもならない。こういう廿代青年らの病的なまで自堕落な消費生活にわたしは聊かも共感しない、軽蔑する。いい気なものだ。

* 「湖の本」142の初校をし終えた。ここ暫く余力を持てる。目の疲れはひどいが、この一巻も、いかにも「わたくしの批評と述懐」らしき二十編に編輯できたと思う。
十日の「選集」27出来待ちへ、明日、明後日の二日間。夏バテに備えたい。
十月中旬まで気の張る外出もなく、散髪はサボって真っ白い蓬髪もよしとしよう。白い鬚を蓄える趣味はない。
九時半だが、睡い。やすめということだ。やすむといっても、床に就けば十册もの読み継いでいる本がまくらもとに積まれてある。昔も昔の新潮社世界文学全 集版の「モンテクリスト伯」は全編を上下二巻に収めてあり、古本屋で買いそれは愛読したモノ。今回は文庫版でなくその懐かしい重い本で読み始めている。読 み物としては、世界一の傑作と思っている。現代史、解放神学、筑摩の大系本、直哉全集等々、けれど、つとめて寝てしまうようにしている。寝て休むのがいろ いろに最良と思えるので。ゆーっくりの入浴も。

* ふと。直哉の二巻で、つまらない「廿代一面」をトバすとつぎに、珍しいと云わざるを得ない「クローディアスの日記」が来る。
福田恆存の創作には「ホレイショーの日記」があった。ともに戯曲「ハムレット」の人物であり、ともに論攷でなく小説として書かれてる。すくなくも大学生の卒論の対象にしても面白いような読み甲斐のある作品論になるだろう、ハムレットを含む三作総合の。
そんなことを思いついて。すこし熱くなった。ま、「読む」だけでいい楽しみ試してみよう。いやいや、気が多いなあ。惘れるよ。
2018 9/7 202

* 陶淵明に、気儘に聴く

衰榮は定まりて在ることなく
彼此(ひし)更(かはるがは)る之を共にす
寒暑に代謝有り  人道も毎(つね)に茲(かく)の如し
達人はその會(え)を解し  逝いて将(は)た復(ま)た疑はわず
忽ち一觴の酒と與(とも)にして  日夕 歓んで相(あひ)持す
2018 9/8 202

* 陶淵明に、気儘に聴く

廬を結んで人境に在り
而(しか)も車馬の喧(かまびす)しき無し
菊を東籬(とうり)の下(もと)に採り
悠然として南山を見る

* 陶淵明には故郷「南山」は帰るべき墳墓の地であった。
2018 9/9 202

* 昨夜、もう床に就くまえ、たまたま録画を拾い出して観た「大通りの店」という、題の意味も不明な映画、言葉は英・仏・独のいずれでもなく、その街には ユダヤ人が多く暮らしていて、しかもいましもナチスの親衛隊に占拠されているとだけは、すぐ分かった。そう分かってからの映画劇の進展は、いっそげらげら と笑えるような家庭的滑稽などを繰り広げながら何らの過激も騒動も無げであったのに、徐々に地獄相を帯びて恐怖と哀切の劇境へ陥ちこんで行った。説明はし ないが、身の毛もよだつ映画、屈指の名篇であった。
街中から、ひとりひとりユダヤ人の名が呼ばれ強制収容所へ送られて行くさなか、一人の、根はごく気の良いアーリア人男と一人のユダヤ人老婆との文字どおり「命懸けの混乱と葛藤」が悲惨な結末へ陥って行く。もう一度見直すのが、怕い映画。
こういう場面へ、われら日本人の暮らしが落ちこむことなど決して無いと、今、本気で楽観できるのか。日本は、かつて他国を占領はしたが占領されたこと が、無い。いや無いとは実は今日只今言えはしない、現に今しも、昨日も今日も明日もアメリカの帝国主義支配に国中を「防衛」という悪しき美名のもと占領さ れており、それも、いつか、そんなにも遠からずにアメリカと交替して、より征服欲に満ちた想像もならぬ暴虐の足下に国土と生活とを占拠・占領されないとは 否定しきれない。そんな危なさに「日本國」の政治は叡智と勇気とを見失いフラフラしている。われわれは、国民は、「私たちの私」は、この頼りない「公」を 正そうと分かっていなくてはならないのだ、身に沁みて。昨夜の、何処の國の誰が創ったともわたしには分からぬ映画「大通りの店」など、心して「わがこと」 のように誰もが観たがいいと、本気で思う。
2018 9/9 202

* 陶淵明に、気儘に聴く

道 喪はれて千載に向(なんなん)とし
人人 其の情を惜しむ  (相変らず思いを率直に出し惜しんでいる)
酒有るも肯(あえ)て飲まず  但だ世間の名を顧る
我が身を貴ぶ所以(ゆえん)は  豈(あ)に一生に在らずや
一生 復(ま)た能く幾(いくば)くぞ
倐(すみや)かなること流電の驚かすが如し
鼎鼎(ていてい)たり  百年の内  (一生をただぐずついて)
此れを持して何をか成さんと欲(ねが)ふぞ

* 生涯の所業は死の瞬時に無に帰するのみ。だから、酒や人を愛するようにいま楽しんでいる。
2018 9/10 202

* 心神とかく静穏ならず、情けない。
こんなとき、なにが私を静まらせるのか、定かでない。なにか素晴らしい人・物・事に出逢って感嘆するのが佳いようにおもう。
人で思い至るの は、例えば大坂の醤油屋に生まれ、三十代初めに若死にした、富永仲基。明治以前のすべての日本人のなかで、最も優れた「学者・研究者」は富永仲基(一七一 五-四六)だといえば、百人の九十九人以上が目をむいて疑うだろう、知らないからだ。本居宣長、法然、恵心、空海。いやいや、比べものにならない。
仲基は、佛教経典の歴史的根底を科学的な思考で徹底検討し、独特で卓抜な論証により世界史的にも類例の少ない理路と理解とを「経・律・論」三蔵の生起・ 成立につき、名著『出定後語(しゅつじょうこうご)』に鮮やかに示し遺してくれた。近代日本の仏教学も、先駆した富永仲基不動の論理に指一本の変更とて加 え得ていない。仲基の論拠とする理論は「異部加上」の説にあるが、この明快を極めて微塵否認のならない科学的思考の卓越には驚嘆しかないが、しかも今この 機械で「かじょう」と求めても「加上」という二字が出てこない。三十過ぎ、大坂の醤油屋の若僧に何が出来るかと今以て日本の知性立ちは承知していないので ある。しかしながら佛教の生い立ちから、小乗、大乗へと羽を広げた歴史のいわば生理を論証し得た明晰には、驚嘆せざるを得ない。
日本の十八世紀は多くの天災は忘れた頃にやってくるを輩出した不可思議に驚くべき時代であったが、そのなかでも論理・論攷の世界で近代・現代を優に凌駕し得たのは富永仲基しかいない。すくなくもその「異部加上」説からは多くを素直に学びたいものだと思う。
2018 9/11 202

☆ 陶淵明に気儘に聴く

我れは実(こ)れ幽居の士  復(ま)た東西の縁無し
物は新 人は惟(こ)れ旧     (物は新しいが宜しく 人は旧知が良い と)
弱毫 宣ぶる所多し         (拙い筆でも きみに云いたいことはいっぱい)
情は万里の外に通ず  形跡は江山に滞(とど)まるとも
君 其(そ)れ体素を愛せよ    (では おからだをお大事に)
來會は何(いづ)れの年にか在らん   (いつ また 会えるのだろう)
2018 9/12 202

* 今朝はひとしお機械の煮えたちに時間が掛かった。ひたすら、辛抱辛抱。その間に、王朝勅撰の和歌をたくさん拾い読みし、また『風姿花伝』と『今物語』とを拾い読みして楽しんだ。

* 和歌は、今日の雑言不粋、表現への能にも理解にも欠けた短歌に、のどの奥までザラつくのに比し、むろん千年余の時代差は否めなくても、日本語の表現美 と洗練された詩情に心惹かれる。心安まる。いかがなリクツを並べられても今日の短歌の多くは、あまりに多くは詩歌の真実を大きく逸れている。

すむとても幾夜もあらじ世の中にくもりがちなる秋の夜の月  公任

おきあかし見つつながむる萩の上の露吹きみだる秋の夜の風  伊勢大輔

やすらはでねなまし物をさ夜更けてかたぶくまでの月をみし哉  赤染衛門

今はたゞ思ひたえなんとばかりを人づてならでいふよしもがな  道雅

黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部

* 花伝書の問答條條の最初は、能の「場」と演能の始めにかかわってまことに微妙に的確な教えが語られていて、唸るほど頷かされるが、しかもなお、さも姿 勢を正し行を替え言葉も慎んで、「さりながら、申楽は、貴人の御出(おんいで=来会、その刻限の不同)を本(ほん)とすれば」とあるのに、胸を衝かれる。 観阿弥、世阿弥父子らにとって「貴人=当時の将軍足利義満や有力大名佐々木道誉ら、また高位の公家がた」の贔屓と扶持とにひたすら縋りながら「藝」を研き かつ社会的に存在を容認・支持されねば浮かばれなかった事実が、ありありと証言されているのだ。

* 今物語の説話はただ味わうに耐えて面白いというだけでなく、王朝の洗練され尽くした女文化が、わたしのはやくに指摘した終焉期の十二世紀を経て、十三 世紀へすすむにつれ、ものの風情、素養、行儀、理解等が滑稽なまで劣化し沈下して行く流れを象徴的なまで説話の一つ一つに証言させている、それに驚かさ れ、教えられる。三木紀人さんの釈も解説もまことに行き届いている。
2018 9/13 202

* アウグスティヌスがフランチェスコ・ペトラルカに話している、(=という構えで、ペトラルカは自著『わが秘密』を成しているのだが。)「情欲」に増し て「致命的な魂の悪疫(ペスト)」は、(対話している両人にとっての)近代では、「鬱病」だ、(語り手からしての=)古代人は同じ苦痛を「煩悶」と呼んで いたと。「この憂鬱においては、すべてがにがく、みじめで、おそろしく、そして道はつねに絶望へ、不幸な魂を破滅に追いやるものへと開かれている」と。
孤独と鬱とは、いままさしくわれわれ二十、二十一世紀「近代」の悪疫とわたしは感じてきたが、それは違っている。人間の群れて生きて在るかぎりどの時代にも「鬱病」は「情欲」にもまさる死への病魔であるのだろう。
いま、悪政への憤りにまさる鬱の誘いはない。腰が退けてはならぬと自身に言い聞かせ続けてきたが、荷風散人のあとを追う時機に来ているか…。エドモン・ダンテスが地下牢の深く深くで奇蹟のように同じ囚人ファリア法師と出逢えた幸福を真実羨みながらこの歳になった。
『モンテクリスト伯』の熾烈な展開を前にしては、直哉の『大津順吉』など、吹けば飛ぶ「ちり紙」同然の自己満足。やれやれ。『夜明け前』『家』や、『痴 人の愛』『武州公秘話』『細雪』『夢の浮橋』や、『吾輩は猫である』『彼岸過ぎ迄』『文学評論』などが読みたくなる。露伴、荷風、秋声らが、読みたくな る。書庫には、まだ一巻も繙いていない二十世紀世界文学全集が書架にびっしり並んでいる。
まだまだ このよに然様ならばと別れの手をふるわけに行かぬ。
2018 9/14 202

 

* 選集28の再校を始めた。わたくしの読者には今度の特大の一巻は、持って重いと叱られても、内容的には喜び、楽しみ、いろいろにもの思って戴けると思う。
まだ選集29をどう編もうか、思案を決めていない。あと、五巻。小説のために二巻分は取り分けておきたい、と、なると三巻分にどう何を選ぶか、何を何ゆえに割愛するのか、唸り続けるだろう。
しかし、何よりも、書きかけの長い小説を、納得して仕上げねば。
2018 9/14 202

* 古典文学に親しみ続けていると、今日にしばしば騒がれているセクハラどころか性的暴行の例は眉をひそめるほどに多い、一方、時代や制度や風習のため問 題視されたり訴訟に及ぶことなどは知る限りなく、女の側から恨み歎きの歌や文の送られる例は多くみえるが、それとて遁世への決意と協調していて祇王、祇 女、仏御前の例などすぐ想い出せる。源氏物語にも男の力づくまたは地位づくに女を襲い犯した例は数知れない、しかし、そのまま女の無残な不幸に終わった例 よりも、幸せな人生へ身を委ね得た、ないしそれに近い情けある情趣を保った例が少なくない。明らかに時代が今日とは異なり、この戦後現代と、戦前より上古 太古へ溯る過去を斟酌無く引き比べ事など出来ない。今日謂うところの「セクシャルハラスメント」を評定する能はもたない、が、別にもっと気になるのは「ハ ラスメント」という英語らしきもの言いで括られ最近日暦なみに騒がれる「パワハラ」である。
外国語に弱いわたしには批議しづらいが大学時代から常用の辞書に「ハラスメント」が出ていなくて、 harass とある動詞に、「うるさくせめ立てて 悩ます」 harassing に「悩ます」とある。それはそれで了解も理解も出来る。 powerharrasment という見出しは 見つからなかった。 ま、それはそれで、問題にするほどでない。

* 大哲ヘーゲルは人間の世界は壮大な「階段」に出来ていると、まことに分かりやすく説明した。階段は同等の刻みで無限に上下する。人は、そんな階段の何 処かに生きて、上りつ下りつしている。真横を見れば同階の人たちが無数に、しかし上階や下階をみてもまた無数に人が立ち、しかし、上へ行くほど人数は極端 に減って行く。富士山でいうと二合めから六合めぐらいは溢れんばかりの人数が銘々の階段を踏んで暮らしている。この階段世界では、上階は下階より「力  power 強い」のである。上位に立ち下位を見下す位置にある。ヘーゲルの理解はなんとも明快である。

* われらが日本の神代をみあげると神々のそこにも上下の差が出来てある。尊(みこと)と命(みこと)は権威に差がある。聖徳太子はその政策の基本に憲法 と共に十二階の身分差を決していた。教科書的な古典書の付録に、ほぼ例外なく「官位相当表」が附してある。整然とした「階段上下差」の法的な規定である。 むろん上は下より強くて偉くて富貴である。
つまり人類社会には、太古来、現代の只今まで、いたるところで上下の階段が刻まれ、企業にも、職階の名は覚えきれないほどあり、上は下より力を持たされている。下は上の命令や権威に随わされている。例外は無いのである、原則として。
上は、威張る。時に乱暴に威張り、力づくの例も厭がらせの例も珍しくない。みーんな知っている。
画人山下清は、口癖に、ものの価値を「兵隊の位」で確かめたがった。元帥、大将、大佐、大尉、曹長、上等兵、二等兵。そして古参と新参という上下階もあったし、今も在るだろう。
また、横綱、大関、関脇、小結、前頭、十両、幕下 まだ大多数のもっと下がある。ところでこの相撲の世界で、パワハラが問題になり、有能な横綱が詰め腹でクビにされた。したのは、横綱よりも「上」らしき組織であった。

* なにが謂いたいか。人間の世界に上と下が太古このかた無かったことが無い以上、時に甚だ疎ましく悪しき「パワー」で下位をいたぶってきた上位の居ない世間も時代も無かったのを、とても否認できない。
わたしは「上からのパワーの抑圧や無礼」を受けるのは、師でも上司でも先達からでも、大嫌いであった。わたし自身がややパワーを持っていたのは、新制中 学の昔の学級委員長、生徒会長じだいだけで、そのころのわたしは吉田茂なみに「ワンマン」とあだ名されていた。「ハラスメント」に及んだ意識も記憶も無い が。そして高校へはいると、今度は「坊主」とあだ名され、茶道部で茶の湯を教えていた以外は世捨て人ほど学校ともクラスとも関わらなくて、授業中を抜け出 しては近隣や市内の寺社巡りや博物館などに居た。大学でも同じで、勉強はしたが、構内より京都市の市内や郊外を歩きまわっていた。そんな彷徨へいつか今の 妻が同行するようになった。

* とはいえ、この頃、ことにスポーツ界に多いパワハラ問題には、ただもうやれやれといささかヘコたれる。人間関係に上と下、力の差をつけねば気の済まな い人類史が不同に実在してきた。さ、これに対向して「パワハラ」をどう糾弾し是正するのか、第三者委員会などという不思議な「上」に解決できるのだろう か。昔から「愛の鞭」などという微妙極まるパワーの行使があり、それが「ハラスメント」か愛なのかを見わけるのは、にんげんがなまじ口を利く動物であるだ けに難しすぎる。

* 半端に終わるが、「パワハラ」騒動にはきつい不快感と、「ウーン」と唸ってしまう少なくも一万年の人類史に寄せた嘆息と、を、斯く、アイマイに吐き出す以外、無いのです。
ただ、これダケは確言できる。いかなる上位・上階に在ろうとも、「上」の権力・威力を「下」へ押しつけ「ない」人は、想像以上に大勢いる、ということ。 政権の地位には、そういう、国民の真の選良代議士だけをつけたいが、それには、選ぶ国民の眼も思いも意志もワルすぎる。それにつけて又しても思い出す、あ の柳田国男が、いい選挙が成されるに最も必要なことは、国民が「国語」をよく「学ぶ」ことと喝破していたこと。
2018 9/15 202

* 漢字のたった一字が虫食いになった短歌や俳句の、その一字だけを推察して埋めるぐらい、「カンターン」と思われるなら、優秀な東工大生たちが四苦八苦 したのを尻目にしてみられるといい。よほどの詩人、歌人、俳人、文人になる気で試みないと、ま、惨敗する。出題者のわたしでも同様に試みられたら惨敗の憂 き目をみるだろう。東工大生はみな優しかった、だから「秦サン」に同様の課題を突きつけたりしないでくれた。じつは、それは恐ろしいことであった。以来、 いかなる同様の挑戦的出題も受け付けないと決めている。逃げている。
十ほど、例題を並べておきます。埋めるのは「漢字一字」に限ります。作者の原作を越す名作に仕立てることも可能なのです、秦教授はむしろそれを学生諸君に期待していました。

死ぬまへに( )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる   小池 光
起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の( )を流せよ   齋藤 史
病む母の( )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿(ゆまり)し給ふ   綴 敏子
父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く( )をおもへる   若山 牧水
草まくら( )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り   土田 耕平
平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを( )もまた言ふ   池田 勝亮
独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ( )であること   岡井 隆
父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の( )子とうつれよ   佐佐木幸綱
思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( )き苦しみといふ語ありにき 清水 房雄
亡き父をこの夜はおもふ( )すほどのことなけれど酒など共にのみたし 井上 正一
子を連れて来し夜店にて愕然とわれを( )せし父と思えり   甲山 幸雄

* 学生達がこの十倍二十倍の出題にいかに四苦八苦していい頭を使ったかは、湖の本『青春短歌大学』上下巻に丁寧に報告してある。

* 「鏤月裁雲」の季節。平穏であって欲しい。
2018 9/15 202

* 昨日書き飛ばしていた「パワハラ」への思案を、読み返してみた。
「パワー」は、悪しきもので無くなるべきか、価値を秘めて人の世に必要であるものか。この問いは自体が可笑しい。「ハラスメント」が悪い。だが厄介なことに、一方は「ハラスメント」だと不快に脅え、もう一方は「愛の鞭だった」などと、幾らかは本気で思っている。

* ロシアのプーチンが、安倍日本の総理を目の前に置いて、他の課題はみーんな棚上げのママに平和条約をなどと広言し公言したのは、あれこそは情けない日 本への太々しい「パワハラ」であると、わたしは感じている。即座に起って「それはソレンの身勝手だ」と云いきれる総理であるべし、いつもカラ自慢の「安倍 外交」とは斯くの如き屁っぴり腰のいわば「付け届け」外交なのである。
2018 9/16 202

* 終日疲れも眠気もひきずりながら、あれやこれやしていた。入浴もし、紙も洗った。
いつしれず 九時前。ひきずるように生きるという感じに実意が添う。昨日今日の仕事のメインは読書だった、ユダヤキリスト教からパウロらのヘレニストキ リスト教そしてさまざまな異端を整理して「霊肉二元」の正統キリスト教(カトリック)と強力な教会が、教父や教皇の感化や威光のもとに、われわれ非キリス ト教徒には奇矯としか思われない結婚・出産観や性生活を、古代から中世、中世から近世、近世から今代・現代へと、積み上げしかも積み崩しつつ、無惨なまで 教義の自己破産へ破裂してきた基督教会史を、繰り返し繰り返し読んで、正直なところ、実は惘れていた。
彼らの歴史で、十二使徒やパウロよりあと、最も重く尊敬されてきた教父の一人はアウグスチヌスだろうが、  いやいや、惘れて、モノをいう元気も無い。

* もう、寝てしまおう今日は。いやいや、いよいよ、ファリヤ法師に死なれた地下獄のエドモン・ダンテスが決死の脱獄へ身を投じるところをワクワクして読 もうと思う。この物語は本当にすみずみまでこの後の展開を覚えている。そしてこの物語に限ってはだからこそワクワクと弾んで先々が楽しめるのだ。少年の昔 へすぐ帰ってしまえる。幾分恥ずかしいほどわたしは、やがて八十三という自分の歳に不相応に、浮き浮きと子供っぽく暮らしている、ようだ。ありがたいこと に、わたしにはいわゆる定年も定年後も無い。したい事、したい仕事で、衰えたカラダではあるがハチきれそう。
2018 9/17 202

☆ ご著書御礼
秦先生、 朝夕、ひんやりした風を感じ、躰も少しずつ楽になってまいりました。人間同様この猛暑で痛んでしまった植木鉢の草花の手入れを楽しんでいます。
利 休梅やブーゲンビリアが狂い咲きなのか、遠慮がちに花開き、私が「お姫様」と呼んでいる真っ白の木槿も、今頃になって一日一輪か二輪、可憐な花を楽しませ てくれます。狭い庭やベランダを行ったり来たり、背中が痛いのも忘れ、重い植木鉢を運ぶのも楽しい時間です。(後が大変ですが)

『選集第二十七巻』有り難うございます。

好みからいえば「古典の、こころとからだ」からかなと思いましたが、ぱらぱらとめくり「からだ言葉の日本」も読み出したら面白くて止まりそうにありません。

でも巻頭の、先生の東工大の講義風景の写真を見て(なんと大勢!遅く行ったら席がない!)、「青春短歌大学」から読み始めることに決めました。つまり全巻興味津々です。有り難うございました。 ただし、卒業試験はきっと赤点でしょうね。
一問目、(理)(想)と書きましたから。  愛知  珊

*  なんでも無げであるが「からだ言葉」「こころ言葉」への着眼は、日本人の心身観の理解と腑分けにこのうえない文化遺産なのである。しちめんどうな「心」論 や「身体」論をはねとばしそうに的確な示唆を与えてくれる、多くを拾えば拾うほど。亡き川嶋至主任教授が、ほとんど辞を低うするほどに、これを論文に仕立 てて博士になり、大学院大学へも残ってほしいがと云われたのを感慨深く思い出す、わたしには、博士になる気も、教授職を長びかす気もなかったので、低調に 遠慮したのも思い出になった。
2018 9/19 202

* 安倍総理圧倒三選の由。情けない國になって行く。もう、振り向きたくもなくなっているのだが。
2018 9/21 202

* 「少年」という歌集を持っている。文字どおりに少年時代の歌集である。久しく歌を離れていたのが、老境に入ってぽつぽつと述懐の体で「光塵」「亂聲」 の二册を「湖の本」にしたが、これを一つに纏めて別題をと一思案、「老蚕」の二字を得た。「老蚕繭を作る」と宋の蘇東坡の言がある。激越なまで老いても努 力をやめないが、酬われはしない、と。そのとおり。「少年」「老蚕」と対になる。「光塵」「亂聲」ともすこぶる気に入っていて、ことら光塵には何の典拠もなく瞬時にただ思い浮かべた二字であった。二つとも中で生かすことになる。
2018 9/22 202

☆ 花傳第七 別紙口伝  に聴く

一、この口傳に、花を知る事、先づ、仮令(けんりやう)、花の咲くを見て、萬に花と喩(たと)へ始めし理(ことわり)を辨(わきま)ふべし。
そもそも、花と云ふに、萬木千草において、四季(折節)に咲く物なれば、その時を得て珍しき故に、翫(もてあそ)ぶなり。申樂も、人の心に珍しきと知る 所、即ち面白き心なり。花と、面白きと、珍しきと、これ三つは、同じ心なり。いづれの花か散らで残るべき。散る故によりて、咲く比(ころ)あれば、珍しき なり。能も住する所なきを、先づ、花と知るべし。住せずして、余の風体に移れば、珍しきなり。     ′
ただし、様あり。珍しきといへばとて、世になき風体をL出だすにてはぁるべからず。

* 「風姿花伝」にはじめて接したころ、此処に胸打たれ首肯いたのを嬉しく覚えていて、気持ちを正すためにも書き抜いた。
2018 9/23 202

* 外国人資金や資本で国土が無拘束に買い取られないよう、法整備が厳に切に望まれる。いま、いわゆる帝国主義手法で他国の国土と要衝や設備をおさえるこ とに飛び抜けて熱心なのは中国。中国は自国民を他国に扶植して制圧するすべに古来長けている。華僑もしかり屯田兵を常駐ないし永住させて行くことに熱意も 方策ももっている。日本政府は、政治家はそういう点の勉強をしっかり対応してくれ得るのだろうか。
かつて、(さきの湖の本「一筆呈上」で多くの人をびっくりさせたが、)わたしは東京新聞夕刊の人気の匿名コラム「大波小波」に数年にわたり沢山な投稿を 続けていたし、もし今も続けていれば、手ぬるい感じの新刊本の評判なんかでなく、うえのような問題に一石も二石も投じ続けているだろう。
いったい今、文藝の世界に批評のガイセツと筆力を以て鳴らした、小林秀雄、河上徹太郎、唐木順三、中村光夫、臼井吉見、吉田健一、山本健吉、伊藤整、平野謙らのような批評家、誰がいるのだろうか、知らない。
2018 9/23 202

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
一 蛇の毒が(身体のすみずみに)ひろがるのを薬で制するように、怒りが起ったのを制する修業者(比丘=男僧)は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 学究からももっとも古くかつブッダ(釈迦)の「ことば」と信じられる経典「スッタニバータ」の巻頭第一は「蛇の章」と題されている。以下十七節それぞれの末尾は「――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。」と教えられている。

* かつて日本ペンが主催したアジア太平洋ペン会議大会の差別と文学分科会で「蛇と世界」ち題して演説し、「蛇・龍」の認識に世界的な環をと提唱した。エ デの園にもまず蛇が出る。そんな例は世界を見わたして数多いに相違ない。ブッダでも斯くまっさきに「蛇の章」を掲げて教えている。日本の神話にも八岐大蛇 はじめ龍も現れる。ただのお咄と読み流すことはとても出来ない、ペンの「差別と文学」分科会と聞いて、躊躇なく「演説」のためのレジメを提出したことで あった。司会をし、また原稿の英訳を引き受けられた水田宗子さん(水田記念大学学長)が趣旨に感服してくれたのを思い出す。
2018 9/24 202

 

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 二 池に生える蓮華を、水にもぐって折り取るように、すっかり愛欲を断ってしまった修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 蛇は南アジアの代表的に多い動物、同様に蓮華も。
わたしは、もう久しくも久しく愛欲の行為などとは無縁になりきっているが、未練であるのか、奇妙なガンバリであるのか、愛欲を断ち捨てたいなどとはじつ は思っていない。「ぐっとくる」という生気は、すくなくも未だ見捨てたくはないらしいのである。すくなくも「オイノ・セクスアリス」を懸命に書いている間 は。ハハハ。
2018 9/25 202

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 三   奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことのない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 「スッタニパータ ブッダのことば」の初章は、(おおかたどの章もだが)短い全十七節を通読してしまうような読みようでは、とうてい「よくよく聴い た」とはならない。一節一節に少なくも静かに心して立ち止まりよく瞑想したい、どう難しかろうとも。一気の「通読」など、まるで、読んだとも受け容れたと も感じたとも、無縁。
わたしは、このもう八十三にもなろうというこのわたしは、「怒りが起こったのを制する」ことが出来ないし、「奔り流れる妄執の水流を涸らし尽して余すことない」境地になど、日々、ほど遠い。ブッダのことばを聴く、狩野なら謙虚に聴きいれたい気持ちはあるけれど。
2018 9/26 202

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 四   激流が弱々しい葦の橋を壊すように、すっかり驕慢を滅し尽した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 怒り、愛欲、妄執、驕慢。おお、なんとお馴染みのものか。
2018 9/27 202

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 五   無花果の樹の林の中に花を探し求めても得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見出さない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* うかつに聴くと サカサマになる。堅固なもののあるのに気付けよなどというのでは、ない。そんなものは何もない、虚妄にしがみつこうとしてはならぬと。すべては無常と。
ぢっと、聴く。おののきながら、しかし 深く感じ入って、聴く。「わたし」は到れず、わたしの「からだ」はそれと確信している気がする。

* 今日は晴れ、明日からはまたも猛烈な台風が列島を縦断かと。平穏であれ。
2018 9/28 202

* またしても「貴乃花」騒ぎ。ウンザリだ。
マスコミはただただ話の種にしていれば有り難いのだろうが、いささか見苦しく聞き苦しい。昭和の昔から大相撲とは気を入れて付き合ってきたが、元横綱貴 乃花が絶大な大横綱などと思ったことはなく、むしろここへ来れば、ただ見当はずれに不鮮明な妙な柄の大風呂敷を広げたがる。どう聴いていてもいわば「曲が り筋」の口説(くぜつ)でテレビ世界へネタを提供のヘンな伝道師タイプに見えてしまう。
大鵬、北の湖、千代の冨士とならんで、なにを凌ぐ高成績でもなく、休みも多かったし、同じ名の「若・貴 祖父孫三世代四力士」して、何十年も掛けて獲た優勝回数も、白鵬独りでの41回優勝、横綱800勝、幕内1000勝などと、遙かに遙かに比べものにもなら ない。騒ぎすぎ。
マスコミも、もっと大きな大事な、今日「日本」の難問題や大きな期待へ的を絞った報道に精勤して欲しいと願う。廃炉のてだても立たずに安易に稼働を急ぐ ばかりな原発、働き方改革と称する企業便宜の労働者絞り上げ、切り殺ぎ一方に走ろうとしている福祉行政の不実、児童生徒教育の意図的右傾化、総じて「私の 私」を「公」の実は政権とその周辺の私利のために締め上げようとしている悪しき統治保守への抗議等々。
かてて加えてマスコミの率先しての「日本語」汚染や玩弄の傾向。むかし、フランスの放送倫理にはフランス語のより美しい正しい用い方という規律や気構え があるのだと聴いて敬服したことがあったが、日本では、NHKすら、アナウンサーからして語彙の安易な片言化などを平気でやってくる。民間のはもっとひど い。「Nスタ」の「しぶ五時」の「まやテン」の等々と。

* 歴史的な碩学柳田国男は、「国語」を大切に理解し会得しないで「正しい良い選挙」は望めないと語っていたという。福田恆存もおなじ事をよりキッパリ言うていたであろう。
ウソクサイ、いやな日本になってきた。好成績なのはスポーツだけか。それもスクリーン(映像)フリーセックスとならぶ「3S」の大きな一角として、アク ドイまで「悪政の隠れ蓑」になっていることに、多くが気付かない。国民栄誉賞がこの何年かにどの「S」へ、より多くソソクサと呈されていたか顧みて思うも よかろう。
2018 9/28 202

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 六   内に怒ることなく、世の栄枯盛衰を超越した修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 私自身の栄枯も盛衰もナニモノでもないが、日本の「文化」は愛おしい、文明ではなく。
2018 9/29 202

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 七   想念を焼き尽くして余すことなく、心の内がよく整えられた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 「想念」とは思慮分別、バグワンのいう「マインド」のこと。あれこれ想念に囚われていると、なにかにつけ「擬義=もたもた」することになる。
2018 9/30 202

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 八   走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、すべてこの妄想をのり超えた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 努力精励しすぎることもなく、また怠けることもなく、要は「中道」を説くか。ま、そのつもりではいるのだが、人には、やり過ぎるやり過ぎる自愛せよと 叱られている。これで、かり怠けているとも思っているのだが。ただ、何度か自覚して書いている、わたしのは「仕事禅」と。とてもそんなではないけれど、 願っているのは、それ。
2018 10/1 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 九   走っも疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「世間における一切のものは虚妄である」と知っている修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 「虚妄」とは、即、「うそくさい」のである。二葉亭四迷は「クタバッテシメエ」と吐き捨てたかと云われる。わたしは、現世の様のあまりにも大方が「ウソクサイ」と嫌気し、遺憾にも自身をも例外となし得ぬママ「有即斎」を称しているしまつ。
2018 10/2 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 十   走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って貪りを離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 「貪り」とは、わたしにとり何であるか。思い放っている気でもまだ何をどう貪っているか。視線を闇に投じて見つめてみる。
2018 10/3 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 十一   走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って愛欲を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 愛欲は、虚妄か。
2018 10/4 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 十二   走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って憎悪を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 憎悪は我が身を苦しめるばかりである。
2018 10/5 203

* 雨もよいでもあり、空腹感すらないほど食欲なく、銀座から一気に帰ってきた。校正はかなりの量、出来た。講演の「色の日本」、また島崎藤村を語った二 つ、論攷にひとしいエッセイとして、これでよしと思った。小説世界と論攷世界とが完全に両翼を成しているのが、わたしの文学世界。その思いを日々に確かめ えている。わたしのうちに、伊藤整のような先達のあゆみへの共感が、いつ知れずインプットされていたと謂える。
帰宅しても、うけた郵便もなく。伊藤さんに戴いた「越乃寒梅」を唐津のぐい飲みでしっかり味わい、蕎麦を少々で本日の食事は、了。
2018 10/5 203

☆ 臨済和尚に聴く   入谷義高訳
当今の修行者が駄目なのは、言葉の解釈で済ませてしまうからだ。大判のノートに老いぼれ坊主の言葉を書きとめ、四重五重と丁寧に袱紗に包み、人にも見せ ず、これこそ玄妙な奥義だと言って後生大事にする。大間違いだ。愚かな盲ども! お前たちは干からびた骨からどんな汁を吸い取ろうというのか。
世間にはもののけじめもつかぬやからがいて、経典の文句についていろいろひねくりまわし、一通りの解釈をでっちあげている。まるで糞の塊を自分の口に含んでから、別の人に吐き与えるようなもの。

* 聴く、のみ。
2018 10/5 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十三   走っても疾過ぎることなく、また遅れることもなく、「一切のものは虚妄である」と知って迷妄を離れた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 貪り・愛欲 憎悪 迷妄(愚癡) のいわゆる三毒(貪とん・瞋じん・癡ち)を誡めていて、いずれもわたしは心して心してこころがけてはいるが、みな落第である。「いま・ここ」に「あるがままに」などと都合のいいいいわけをして日々に流されている。困りようも分からない。
2018 10/6 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十四   悪い習性がいささかも存することなく、悪の根を抜き取った修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 「悪い習性」とは「潜在的に潜んでいる性向」と解説されているが、分かりづらい。「悪の根」も分かりにくい。悪の根は蔓延っていて悪い習性に まみれて日々暮らしているような実感こそあれ、それらとは無縁でござるとは、あまりに厚顔でよう云わん。さてこそ「南無阿弥陀仏」でいいという法然や一遍 の凄みさえある到達に思わず知らずすり寄っている。
2018 10/7 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十五   この世に還り来る縁となる 煩悩から生ずるもの をいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 死後の煩悩ではない、生きている今に思い悩み思い過ごしてしまう煩悩を謂うのであろう。物欲はいっそ離れやすい。死なれ・死なせたかと思い悩み悲しみ生きて残るものらへの思い過ごしが、「死への転帰」を、険しくもことごとしくしてしまう。
2018 10/8 203

* 『モンテクリスト伯』を読んでいて、ふと立ち止まった。「物好き」という語彙に「アマチュア」と、ルビ。膝を打った。わたしはこの理解を肯定的に積極的に自覚的に受け容れる。
2018 10/8 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十六   ひとを生存に縛りつける原因となる妄執から生ずるものをいささかももたない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 「もの好き」とは訳して「アマチュア」だと大デュマの本で示唆された。わたしは源氏物語の徒であるから、昔から玄人より素人のちからや好みを 貴んできたし、願わくはわたし自身もそうありたい、あろうと律してきた。「繪合」の巻など読んでそう刺激されてきたのを自覚する。そしてそのような「素 人」の藝や好みを「もの好き」と解釈されて、なるほどそれだと却って意をまた新たにも強くもした。
もとよりブッダの教えには「物好き」などは「妄執」であろうけれど、わたしは自分の物好きが「生存に縛り付ける原因」とはなるまいようにいささか自身を 誡めている。自身の成してきた「仕事」も死の転帰とともに一巻の終わりでよろしく、生きている間はおおいに励みも楽しみもしようと、ひとさまから観ればバ カげたほどの金遣いも平気でしている。必要に用いる金もまさしく必要にせよ、物好きに使える金はまた格別と思っている。使い切ればよろしいと思っている。 いずれ寿命の方も息切れになる。
2018 10/9 203

☆ 『ブッダのことば』(中村元訳 岩波文庫) に聴く
蛇の章 蛇の十七   五つの蓋いを捨て、悩みなく、疑惑を超え、苦悩の矢を抜き去られた修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。――蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。

* 「五蓋」とは、貪欲、いかり、心の沈むこと、心のそわそわすること、疑い を云うと解釈されている。まこと、これらに恰も心身を乗っ取られたような日々を送ってきた、送り続けていると惘れる。

* 「第一 蛇の章」の「蛇」の項は、此処まで。全部で十二節もある。三、に「犀の角」の一節がある。「犀角」という熟語が使われてきたとして、どう理解 していたろう、とびきり堅くて貴重・希少のものと思っていたろう。此処では、独りを確立した堅固な修行者・求道者を謂うているらしい。他からの毀誉褒貶に 煩わされず、ただ一人でも自分の確信にしたがって暮らせ、「犀の角のようにただ独り歩め」と。犀の角は一本しか無い。
その「一」は、こうある。
「あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のように独り歩め」と。

* わたしは、逸れている。
2018 10/10 203

* 長い小説の推敲と添削をえんえんと続けてきたが、全体に、湖の本の三、四册分ほどに絞って、もっと絞ったり書き加えたりしたいと思っているが、全体の 四分の一ほどで第一部はほぼ纏まろうかとしている。それだけでも「湖の本」で発表しておこうか先を待つかと思案しはじめた、が。
2018 10/12 203

* 機械を煮立たせながら、キャロル・クライストとジュディス・プラスカウ共編の『女性解放とキリスト教』のなかの、P.トリブルの論考「イヴとアダム  創世記二、三章再読」を読んでいた。
今にして自身驚くが、この手の論著を何冊もわたしは手に入れていた。あけてみると、どの本も真っ赤に傍線が引かれている。何がわたしを催していたのか。 いま書きかけの、もう七割がた纏まろうとしている長編小説の背後にこれらの知見を置こうとしていたのだろう。想えばこの小説に手をかけて以来もう十年にな ろうか覚えていないほど遠い以前のこと。何が書きたかったのか。いまだにわたしは薬研を膝に抱いてごしごしとヤッテいる。

* 今日は、酒の気を抜きながら 大方の時間を小説二つの進行に掛けていた。
2018 10/15 203

* 六十一年前になるか、まだ大学生の昔の今日、秋晴れの大文字山へ一つ下の妻と登った。山頂を、すこし東側へ隠れた草の斜面から、大きな大きな 比叡山を仰向きに並んで寝ころんだまま眺めていた。それだけで、また山を下りた。紅葉の十一月二十六日には二人で鞍馬山へのぼり貴船へ降りた。求婚したの はその歳の師走十日だった。妻はまだ三年生だった。翌春わたしは院へ進み、けれど妻の学部卒業と合わせて院をやめ、京をはなれ東京に職を得て二月末に上 京、即、結婚して市谷河田町に暮らし、東大赤門まえの医学書院で働きはじめた。六畳一間の家賃が五千円、初任給は一万二千円(肇の三ヶ月は八割支給)、わ たしの財布はいつもカラだった。(妻には両親からの遺産が残っていたし、わたしは院の奨学金と京での蔵書を処分してきた蓄えはあったが、会社のボーナスも 含めて、将来のためにと手を付けなかった。)社の食堂では十五円で丼飯とみそ汁が買えた。みそ汁を飯にかけての昼飯でほぼ二年間過ごした。二年目の七月二 十七日に朝日子が生まれ、郊外の保谷社宅に入れた三年目の七月末から、突如、小説(短篇「少女」と長篇「或る折臂翁」)を書き始め、以降一日も、元日も病 気でも途切らせず、決然、貯金を使って私家版本を四冊つくった。上京結婚から十年め、書き始めて七年目、思いもよらなかった太宰治賞受賞の日を迎えた。昭 和四十四年(一九六九)の桜桃忌であった。八十三歳の来年は「作家生活五十年」になる。「秦 恒平選集」は三十三巻完結に近づき、「秦 恒平・湖の本」は百四十五巻には達しよう、加えて五十年を記念の新作長編(願わくは、中編も)が成って呉れるか、心して日々を元気にと願う、なによりも妻 が無事の健康を心より祈る思いで、願う。

* わたしは少年の昔から「歴史」好きだった。自身の生きようにも「歴史」を創って行くという意志・意欲 が昔からあった。その意味ではわたしは佳い意味での無心には成りにくい性質をもっている。生活を、人生を構造物のように思うことで自身をむしろ励ましてき た。以前。東工大で「結婚」を「学」に譬えてみよと挨拶を入れたとき、多くの返事のなかで「建築学」と応えてきたのに同感していた自分をいまも記憶してい る。が、さて…、この先をどう構築する気なのか、もう卒業して成るように成って行きたいのか。
この「私語」の上の方へ掲げた仙厓画「お月様いくつ 十三七つ」にそえ、わたしは数年前の自句、「柿の木にに柿の実がなり それでよし」と書き添えている。はて。はて。
2018 10/16 203

* アウグスティヌスと正統キリスト教の教義史を「性愛」ないし「女性」の方面から観ていると、キリスト教自体の異様な変容や変質の歴史が見て取れるのに 驚いている。わたしはペトラルカの『わが秘密』が終始アウグスティヌスとの対話というかたちで表明されているのに惹かれて読んだのだったが、そこの著での 対話者二人は「女神・真理」の前で「ペトラルカその人」にほかならず、歴史的な『告白』の筆者、あのほぼ絶対の存在であった教父アウグスティヌスとは別の 造形であった。実の教父アウグスティヌスの「性愛」「女性の肉」を語る内容も調子も徹底して否定・否認で貫徹されていた。わたしは、あのミルトンの『失楽 園』を知り、むろん旧約の「創世記」を繰り返し読むうち、第一のマリアというエバを原拠になされていったアウグスティヌスらに根底を置いた基督教会の「女 性蔑視」ないし「性愛」「結婚」「出産」等の徹底否定の歴史が、しかもそれが保ちがたく頽廃劣化して行く経緯が疎ましくも嗤えてきたのだった。ことに老い の性を通して微妙な「性愛」が書けるものかどうかと心がけている身には、アウグスティヌスや法皇らの言い様はあまりに厳格というより過剰に歪んだ「性」 「女性」蔑視の教条と見えてきたのだった。

* とはいえわたしは知られた「女文化」の論者であり、必ずしも女性を評価の言説でなく、男性の優越のもとに咲いてきた花であったと認識している。それを 当然とも容認しないが否認もしてこなかった。しかも正統キリスト教を守った教父や法皇らの古代中世にわたる女性や性愛や結婚・出産への偽善と矛盾をはらん だ蔑視には、顔を歪めてきた。

* こういう見解をわたしが此処へ書くのは、此処へ訪れる人に「読んで」と強要などしていない、読む人は読み、読まない人は読まなくて何差し支えもない 「私語」である。しかし「メール」は送る貰うともにただの「私語」ではない。相手構わずに書く物ではない。相手・読み手と関わり合わないただ自前の思惑や 行為や事例を一方的に送って構わぬものではない、少なくもそれでは、いくら貰ったメールでも面白く懐かしくは文面を喜べない。楽しめない。教えられもしな い。

* 語りかけるというのは、難しいことである。機械でメールというのをはじめた昔から、送るメールよりも、貰うメールの表現に多大の興味を持ち、それらの 自在で自然な再構成や再利用が面白い文藝の創作に役立つだろうと観てきた。だから、務めてそれらを「資材」と観じ、保存保管し表現を見直しいわば添削も推 敲すらもし続けてきた。そんな勉強の結果も、少しずつ形に、作物に成って行くだろう。
2018 10/16 203

* 「俊成三十六人歌合」をつぶさに鑑賞後、今度は定家撰の「八代集秀逸」をことごとくわたしなりに判じてみた。今度は後鳥羽院による「時代不同じ歌合」 これは以前にも丹念に読んで楽しんでいるが、新しい好みでいちいち判別してみる。「古今・後撰・拾遺等」の作者で「左方」を、「後拾遺・金葉・詞花・千 載・新古今等」の作者で「右方」としてある。歌人は百人、百五十番、二百首。こういうカタチで選び抜いた「秀歌」に出逢う楽しさと、それにも自分なりの合 点・納得も不承もあり、自分でも撰んでみたいと思いこんだりするのが楽しい。時間さえあれば、二十一世紀の感覚で選び直してみたいものだ、定家の「百人一 首」には敬意を払いつつ敢えて歌の重複は、むしろ厳格に避けて。
これって、すばらしい楽しみなんだがナア、ヒマが無いなあ。ただし、八代集を文庫本で携帯してさえいれば病院の外来ででも喫茶店や電車の中ででも出来る こと。ただ、八代集のワクをはずして撰ぶ対象を各家集や国歌大観へまで広げるのは事実上もう時間のないわたしには不可能。
それにしても、楽しめることは、いくらでもあるもの。美空ひばりの好きな佳い歌を十撰んで十編の短篇が書けないかと思っていたのだが。
2018 10/27 203

☆ ご本拝受の御礼
秦 兄  いつも有難うございます。
巻末私語の刻「2007.8.19」分の  「らしい」だけの存在が、きらいだ。 を見て同感と叫びました。  私自身はと言えば大学生時代は学生らし くない、社会人になったら社会人らしくない、と言われっぱなしのはみ出し野郎だったので、いまだに年寄りらしくもないなどと言われていますが、それでいい のだと言い聞かせてきました。
20日は 日吉ヶ丘(高校)の互福会があり 30名の参加で 東京からの箕中夫妻と久し振りに歓談しました。
「ハイド氏は・・」の方は 紙本と違って人目にもつかず、やはり口コミやSNSを駆使しないとダメなようで、目下Facebookを検討中です。それでも Amazonのプライム会員は \0 の設定なので 何人かは見てくれてはいるようです。
いろいろと有難うございました。今後ともよろしくお願いします。 京・岩倉  森下辰男

* もう11年余も昔の「私語・述懐」だが。「世の中の秩序や安全のためには<らしい>方がややこしくなくていいのであろうが、ウンザリだ」と書いてい た。「みな、<自身>をやすやすと見喪って時代や社会の鋳型どおりの<枠>内に安住している」と、例の美空ひばりに共感していたようだ。
わたしの「闇に言い置く 私語の刻」は1998年にホームページが出来て以来、莫大な、ほぼ間違いなく10万字分も 上の 此のたぐいのわたしの思い・ 考え・批評・述懐に満ち満ちている、筈。わたしを作家として論じようというほどの人が此処を通過していては論旨の根を堅められまい。
2018 10/28 203

☆ 御礼
秦様   「湖の本」142号、ありがとうございました。
「流通する文学」、「作家自身による出版」、自分が出版社に在籍したことがあり、著述や翻訳を業としてきただけに、身につまされつつ拝読しました。
パソコンの操作に弱いと同時に、紙の本に対する愛着が強い私は今でも取り残され、細々とものを書いておりますが、今後ますます絶望的になってゆくだろうという予感がします。
藤村が妻をめくらにしたり、子供を死なせたりしながらも小説を書き続け、自費出版した態度に、書くということの業を負った作家のど根性といったものを改めて感じた次第です。
もはや今の出版界は長期低落どころか短期陥落の時期に差し掛かっているのではないかとさえ感じます。編集者が「感動」より「売れる」を優先して本を出す時代に対する貴重なご発言、共感いたします。
短歌の試問にはまた落第のようです。
現在、西行を集中的に読んでおり、次は西行を書こうとしておりますが、出してくれる本屋はまずないだろうと考え、何となく悲観的になりますが、そんな時、秦様の存在は大変な力になっております。
ますますのご健筆、お祈り申し上げます。  持田 拝   元・筑摩書房編集者

* 妻の診察、今日の結果は珍しく上乗で、嬉しくなった。その妻が、外来の待ち時間に読んで、今度の「湖の本」巻頭の「流通する文学」が面白かった良く書けていたと、珍しく褒めてくれたのに照れた。
講談社の天野さんのお手紙にも、つよく触れられていた。
わたしも躊躇なく巻頭に置いた。
持田さんも言われるように、おそらく文学・文藝との実のある関わりでいえば、今日、「書籍出版」はもはや壊滅に同じいのであろう。時代をリードする文 学・文藝作品の噂など、かき消えたように無いが現実である。「文豪」がいないのである、鴎外(阿部一族 渋江抽齊)、漱石(それから こころ 明暗)、藤 村(家 新生 夜明け前)、秋声(黴 あらくれ)、鏡花(高野聖 歌行燈)、荷風(濹東綺譚)、直哉(暗夜行路)、潤一郎(痴人の愛 芦刈 春琴抄 細雪  夢の浮橋)、川端(伊豆の踊子 雪国 山の音)、三島由紀夫にならぶような、江湖の喝采を得たらしい「名作」の噂を聞かない。これでは文藝復興は、事 実、じつに覚束ない。その一つの表れは、日本の「文藝家」や「ペン」を「世界」へむけ「代表」しているのは「誰なのか」と観れば、すぐわかる。
いま一つを云うなら、今日日本の文学・文藝の世界に、真に畏敬され重きを成している批評家の仕事もまた、事実、観も聴きもならないという現実、これが情 けない。小林秀雄 河上徹太郎 中村光夫 福田恆存 山本健吉 唐木順三 臼井吉見 平野謙 伊藤整 等々の仕事を超えて行く今日的な文学批評の、噂さえ 聞こえてこない。じつに心細い。

* 今日、何の自慢にも成らない走り書きのような小説「女坂(二)」をパワハラ、セクハラに触れて書き上げておいた。
2018 10/30 203

 

* 王朝秀歌選、堪能した。
思い切って、芭蕉百句 蕪村百句を 楽しんで自選してみようか。容易でないが。百句に絞るのは容易でない、先ずは三百も撰んで土台を得てからか。そんなヒマは無いだろうな。
なら、またも王朝物語の粋を、宇津保、落窪から中世物語まで「読んで楽しむ」にとどめるか。わたしの古典体験の薄い部分はあきらかに「西鶴」 一代男  一代女 五人女ぐらいしか読んでいない。気が進まないできた。まだしも「近松」へは舞台や人形を介して縁があったし、所詮は舞台によって読み取るのが本筋 だろう。
2018 11/1 204

* 「選集第二十九巻」初校出。恰好の頁数になっていた。いろいろもう四册となり、小説のために二巻分を残すとするともう編輯出来るのは二巻だけ。収録洩れが思ったより大量に残りそう、ま、それも大きくは「余裕」と謂うもの、と諦める。
2018 11/8 204

* 夕近くから横になり本を読むほどもなく寝入って、朝かと思い目ざめたのが六時前だった。なんとなく肌寒く、しかも汗ばむようで、ぞくぞくもする。
夕食後、今日届いた歌集を、家集というてもいいのだが、校正し始めた。歌の校正など簡単に思えてそにあらず、歴史的かなづかいを確かめ始めるとたいへん な手間になる。弱った視力でおおきな思い大辞典をあっち開きこっち開きあまりにちいさなかなもじを確かめるのだから、あたまもふらふらする。しかし、短歌 はわたしの文学・文藝の人生に少年のむかしから魁けた創作であり、関わってきた仕事は、その重みも量も優に選集の一巻分に大きく剰るのである。

* 文字どおりの「少年」の作と、老境に入って再開ともなくよほど姿勢も思いも一転して作を積むように績み紡いできたので、大きく家集としての名を『老 蚕』とし、そのなかに、「光塵」「亂聲」「戯歌」としておさめた。老いた蚕の好き放題に吐きだした繭玉になっていよう。『少年』「老蚕』は、ま、歌集であ り家集でもあるが、わたしの短歌に関わる仕事には撰歌と鑑賞というそう軽くはない範囲がある。『青春短歌大学』はそれなりに好評裡に文学好きな読者を納屋 間瀬も悔しがらせもした。
もう一つ、金澤の松田章一さんにいつぞや鑑賞の名著と文字どおりに絶賛いただいた『愛の歌・友情の歌  はるかに照らせ』を共編しておいた。もうそれで選集一巻に剰るほどの大冊と成った。校正にしっかり時間を掛けたい。
2018 11/8 204

 

☆ 閑居偶成  大正五年春  漱石
幽居 人到らず
独り坐して 衣の寛なるを覚ゆ
偶たま解す 春風の意
来たりて竹と蘭とを吹くを

* 四君子で知られる菊、梅 そして竹と蘭。佳い選びといつもこころよく想う。
2018 11/9 204

* ペーター・ホーフマンが、ワルキューレから、「父上は私に刀を約束して下さった」とワーグナーを歌っている。いまは「冬の嵐は去り快き月が現れた」と。
テノールも好き、ソプラノもアルトも好き。日本の歌手ではこうはなかなか聴き入らせてくれない、盤もめったに無い。
流行歌は ひばり以外へは気が向かない、めったに。タマに、「津軽海峡冬景色」や「瀬戸の花嫁」のように心地よい歌のあるのも否定はしないが。
ペーター・ホーフマンの歌声、胸の内のもやもやした汚れ物を吹き飛ばしてくれる。

* 二時半。小説「清水坂(仮題)」に没頭していたが。
キャスリーン・フェリアーの打ち込まれるほど腹に響いて力づよいコントラルトで、いま、シューマン曲の歌を聴いている。ブラームスの、シューベルトの曲 もあとに控え、全21曲も。ボイド・ニール弦楽合奏団、指揮ボイド・ニール。圧倒の女声で、魅力発散。「女の愛と生涯」と題されたシューマン歌曲集作品 42を いま聴き終えた。シューマンのもう二曲があり、ついで、ブラームスの二曲がある。聴き飽かせない堂々の歌唱、揺るぎない。
なんて佳いのだろう、美しい藝術は。録音は、日本で謂う敗戦後の数年になされていて音源に瑕瑾なくもないが、それを圧し越えている。
シューベルトの七曲が始まる。
「算盤」を欠いた「読み書き」の日々と云ってきたが、このところ東工大時代に研究費で買っておいたラジオのおかげで「聴く」が加わってくれているのが、幸せ、仕事していても一日中「聴いて」も楽しめている。「観る」はどうあっても外へ出掛けて行かねばならない。

* いまは、もうお終いまえの「清しこの夜」を歌いおえ、伝承曲でおなじみの「神の御子は今宵しも」で歌いおさめようとしてくれている。
満足した。その間にも「清水坂」の推敲と進行に食いついていた。
いつしかに雨の音 しとど。外のうすぐらい一日だった。 四時半をもうまわった。
2018 11/9 204

* 昨夜、夕食のあと、フイと床に就いたままなんと真夜中三時半まで寝入っていた。
茶をのみにキチンに入ったが、そのまま、歌集『老蚕』前半の「光塵」をゆっくり校正し終えた。いかに歴史的仮名遣いの確認に手がかかるか自信がないのかに愕ろいてしまう。綺 麗に歌を組みつけた貰え、しんみりとわが述懐の一首一句を詠みかえして行けた。二時間ほどで床へもどりそのまま源氏「螢」巻、『国家』そして『山上宗二 記』をそれぞれ面白く読みつぎ、さらに『モンテクリスト伯』を読んだ。大デュマのいわば息の長さには感嘆し、時にはその克明に徹しているのに嘆息もするの だが、なかでもマクシミリヤンとワ゛ランティーヌの広い庭の垣を隔てた逢い引きの対話は文字どおりに綿々また綿々で驚かされる。大デュマがこの大長編より 以前に一世に冠たるフランスの戯曲家であった史実を思い出すべきだろう。

* 読書のまま、七時まえには「マ・ア」くんに熱心に起こされ、床を出た。二階の機械は消してなかった。

☆ 無題  三首の一  大正五年十月二十一日   漱石
元と是れ 一城の主
城を焚き 広衢を行く
行き行きて 長物尽き
何処にか 吾が愚を捨てん
2018 11/10 204

* 「清水坂」に一息ついて、リヒアルト・シュトラウスの歌曲をソプラノのエリザベート・シュワルツコップで聴き始めている。ヘッセの詩とアイヒエンドル フの詩で「四つの最後の歌」を歌い始めている。悠々たる美声。そのあとへ十二曲いろんな歌がつづく。詩の言葉などまったく聴き分けられないのがむしろ幸い か、いやいや詩は志であって美しい言葉の粋であり、歌の美しさと歌声の美しさに聴き惚れている。
日本では、こういうすぐれて美しく聴ける悠揚の歌曲が、数少ない、というより廉太郎の「荒城の月」のほか、まったく出逢えたことがない。日本語の歌詞を 聴いていて気恥ずかしくなってしまう。日本語の可能性をしたたかに持っていた三島由紀夫は自身の日本語を能や戯曲へもちこんだ。歌では聴かせてくれなかっ た、のでは。

* けさ、どこかのテレビで世界的なギター奏者という愛くるしい韓国名女性の美しい演奏と、視界の問いに答えて実に的確に藝術の創作に生きて自身と向き合う日々の志を聴かせてもらい、感銘を受けた。嬉しかった。
これにくらべるなどイヤなことだが安倍内閣の地方創生女大臣や五輪担当男大臣の地方的な国会答弁の汚らしさ、耳を塞ぎたくなる。
『国家』でのソクラテスは、アテネ市民のグラウコンを聴き手に、正しい国家には素質の異なった三つの種類の人達がそのそれぞれの自己本来の仕事を行って いるとき、國は節制を保ち、勇気を持ち、知恵のある国家として起てると云っている。これらの人々が、お互いの仕事道具や地位を取り換え有ったり同じ一人の 人間がこれらすべての仕事を兼ね行ってしまったりすれば、「何らかの重大な害を与え」国家は亡びてしまうと云っている。
かならずしもわたしは職業人、補助人、支配人といった分け方に全面同感はしていないのだが、さきの片山女大臣や櫻田男大臣には、いかにも「國を亡ぼし」かねない重大な「場違い」感を持たずにおれない。

* それにしても、ま、R.シュトラウスの歌曲を歌うソプラノの、なんと美しいことか。これに匹敵する「言葉の音楽」は、まさしく「源氏物語」の絶頂を描き取っている「玉鬘」十帖などではあるまいか。世界に冠たる最古最良の物語と云いきれる。
十六曲 最後のヘンケル詩「冬の捧げもの」が歌い始められた。
2018 11/10 204

☆ 無題   大正五年十月六日  漱石
耶に非ず 仏に非ず 又た儒に非ず
窮巷に文を売りて 聊か自ら娯しむ
何の香を採擷して 藝苑を過ぎ
幾碧に徘徊して 詩蕪に在り
焚書灰裏 書は活くるを知り
無法界中 法は蘇るを解す
神人を打殺して 影亡き処
虚空歴歴として 賢愚を現ず

* 漱石の参禅虚しかった体験は小説『門』に見えているが、漱石は終生英文学以上に漢籍と禅に心を寄せて終始禅人らしき口癖と姿勢と好尚を持し続けたこと は、よく見えている。またそれだけに漢詩での自己表白は、死期にま近いほど切実を増すと観ていい。若い時期ほど学習と実験の痕跡が露わなのも自然の趨であ ろう。
とはいえ、陶淵明を知り 白楽天を知り また李杜の詩境の自在から観れば、漢字の駆使という荷を負うたぶん漱石詩にはどうしても敢えて謂うの気味を免れないのが読んでいて切ない。そしてますます漱石に親しむ気も熱く加わってくる。
2018 11/11 204

* 朝食時 下劣で愚昧な品格最低トランプ大統領の言語を絶した醜悪を憎んでいた。へたをすると人類滅亡の時期をこの男の我が儘一途が早めてしまう。「ア メリカ史」を初めて学んだときの印象はハツラツとした健康さだった。わたしの未熟な誤解も加わるにせよ、いま、トランプのアメリカは不健康極まる狂態に在 る。
なればこそ、厭悪のあまり、藝術の力と美しさに思いはひたぶる向かう。
2018 11/11 204

* 午前中、歌集「老蚕」の校正、これがなかなか手間取る。
2018 11/12 204

☆ 戯画竹加賛    漱石
二十年来 碧林を愛す
山人 須(かなら)ず解(よ)く虚心を友とせよ
長毫 墨に漬(ひた)して 時に雨の如く
写さんと欲す 鏗鏘戞玉の音

* 繪ごころのあった漱石が最も多く自ら好んで描いたのは、清少納言の謂うたあの「此の君」である「竹」であったらしい。「竹と蘭」は四君子のうち「梅と牡丹」よりも漱石に似合う気がしている。わたしは、「竹と牡丹」が好き。
2018 11/13 204

☆ 無題 二  明治二十八年五月
東風に辜負して 故関を出づ
鳥啼き花謝して 幾時か還る
離愁 夢に似て 迢迢として淡く
幽思 雲と与に 澹澹として間(しづ)かなり
才子群中 只だ拙を守り
小人囲裏 独り頑を持す
寸心 虚しく托す 一杯の酒
剣気 霜の如く 酔眼を照す

* なにかしら、京を離れ来た大昔の思いに重なる。
2018 11/14 204

 

☆ 無題   漱石
夜色 幽扉の外
僧に辞して 竹林を出づ
浮雲 首を回せば尽き
名月 おのずから天心

* 藤村 潤一郎とならんで深く敬愛してきた漱石の詩心とともに日々在るのを喜んでいる。

* 興あることに吾が潤一郎先生は、藤村、漱石のともに批判を秘め持たれていたとは、松子奥さんにわたし自身で伺ったことがある。
2018 11/15 204

* 「オイノ・セクスアリス ある寓話」 少なくも三部の第一部は まず手放してもいいところへ漕ぎ着けた。
この「寓話」 悲劇になるか喜劇になるか、先は、まだ延々波瀾に揺すられつづけ、読者は顔を蔽われるだろう。

* 胃袋がない。食道へ、細い十二指腸を引っ張り上げて直に繋いであると聞いた。余裕の「食べ溜まり」が無いのだ、食べたものが軽快に嚥下できず、モノに もよるが、麺類などをウカと啜ると胸元で渋滞して苦しい。時には、咳き込み、吐く。で、つい食が進まない、食べたくなく、食べまいと、食事を抑制してしま う。食べると、食べ疲れるのだ。
今日も夕食後の疲労に負けて三時間も寝入ってしまうことで、苦痛から逃げた。

* 九時過ぎて。「ある寓話」の第二、三部の展開を、またまた検討にかかった。「魔」という字が胸へ来る。
そういえば、「一文字日本史」を学鐙に三年連載していた最中に、数理哲学で世界的な下村寅太郎先生から「フアンレター」を戴いてビックリしたが、あのとき、先生は「魔」の一字をも思っておられた。わたしはあの頃「魔」に触れて書く用意が無かった。
わたしは、今、セクスアリスというよりも エロスの底をかきまぜながら「魔」に触れようとしているのかも。あるいは…魔の京都か。
どうなるか、どうするか、まだ強いては決め付けていない。検討し検覈する体力と気力とが切望される。もう余分なことに力を割いてはおれない。仕残しがあり、それどころか、もっと新たな、したい、書きたいことが切ないほど湧いてくる。
秦の、父は九十一まで、叔母は九十三まで、母は九十六まで生きた。いちばん弱いと見ていた母がいちばん長命した。わたしの生母や実父の享年を憶えていない。

* なににしても、ややこしい「作」の検討をわたしはわたしに強いねばならぬ。それも、一作でない。苦しくても、よく食べて、体力を養わねばと願う。家の 内にわたしを必要とする力仕事も決して無くならない。ま、洋服箪笥や衣裳箪笥を二つもひっ抱えて廊下越えに部屋から部屋へ移転するなどは、もう願い下げに したいが、出版の仕事もしているかぎり、壮年でもラクでない力仕事は無くならない。幸いにまだ六十三、四キロの体重を維持していて、これは結婚当時二十代 の健康時と同じ。もう減らす必要はない。むしろ美味しく食べる知恵をもたねば。
2018 11/16 204

* 今日は、なんとなく ぼんやりと やすんでいる。九時にもならないのに、ヘトヘトに疲れている。ためらわず、もうやすもう。わたしがやすむとは、階下へ降り、床に坐って校正し、横になって本を読む、という意味で。
このところ感じ入っている岩波文庫は、わずか十九歳の高橋貞樹の驚異の労作『被差別部落一千年史』のうち、「徳川時代における穢多・非人の制度(上・ 下)」で。その執筆の気概の正しさ、行文と把握の精緻に驚嘆する。多くの類著には接してきたが、モチベーションの熾烈にして健常なことは、まこと推讃に値 する。なんたる非道の歴史ぞ、心底恥じざるをえない。

* 昨日だかの東京新聞「大波小波」に三田誠広が、源氏物語を反体制の作と言っていると称賛気味の論旨であったが、そんなことは、何十年も前にわたしは、 源氏物語が、藤原氏の摂関専権に暗に否認姿勢の「源氏」物語であり「院政」を予兆するものと読み切っている。おそろしく古くさい証文を持ち出されて感じ 入っているなど、著者・筆者らの不勉強を露呈したに過ぎない。
全体に、コンに田の批評傾向には、歴史的な勉強と体得とが甚だ欠けていて、薄くてウソクサイと言うしかない。そもそも源氏物語は一度や二度の読みで云々するにはもじどおりに凄い闇をはらんでいるのだ、古典は舐めてかかってはいけない。

* 「モンテクリスト伯」は、いましも伯爵の示唆とちゅういのもと、ギリシャの王女エデが父王や母妃の非業の詩を、青年アルベールに精微なまで語って聴か せたところ。この呵責ないむごいほどのエデの物語は、大長編の一つの厳しい山場。詠んでいて溜まらず気の鬱ぐ場面であった。

* 「山上宗二記」をはたしてわたとし読むだろうかと案じていたが、すこぶる興味深く、茶の湯各種のの諸道具の所在や所持・伝来・特色・価値などを、余分な説明抜きに端的に羅列して行くのが、かえって実感に伝わってきて興趣津々の面白さ。岩波文庫を買って置いて良かった。

* 今日、西の棟の書庫から、ああこれを読みたいと、辻邦生の大冊上下「春の戴冠」と、木下順二さんに戴いたシェイクスピア歴史劇を大きく再構成した戯曲 「薔薇戦争」の木下訳本をこっちへ持ち込んできた。戯曲の方は再読になるが、沙翁その人のいくつもの原作も、福田恆存訳で愛読している。それでも、また読 んでみたくなった。けっして好きな國ではないのに、連続ドラマでも「フォイル」などひきこまれたし、古典的な英国の名作はよく読んできたと自覚している。
「春の戴冠」は実は本だけ手に入れていて(中央公論の編集者に貰っていた)、未読だった。『背教社ユリアヌス』の方を先に読んだ。
とにかく、読んでおきたい、モッタイナイなどと思ってしまうから、二百歳までも生きねばならないだろう。
2018 11/17 204

* あの「窮乏と忍耐と生死の危険との戦時中」を懐かしむ思いはさらさら無い、が、あの頃には無く今は溢れかえっていてイヤらしきものごとの多さよ、時勢の転変、当然とはいえ、ウンザリすることの多い毎日、ことにテレビコマーシャル、見ないようにしているが。
しかしまた、こうも云える。
もし、また、あのような戦時中の明け暮れへ舞い戻りを強制されたなら、今日只今の「この蕪雑・軽薄・雑駁、ウソクサイ限り」のコマーシャルや報道と称するバカ番組などが、それはそれは懐かしく思い出されるに相違ない。しかし、二度とそこへ戻れるだろうか。
戦争は、まことにまことに「険悪底知れぬ日々への沈没」になる。
若い人たちよ、その覚悟はせよ、その上で、ハロウインであれイヴであれ浮かれ放題もよし、完全な「自己責任」である。
やがて此の国に「徴兵」の制度復活は避けがたい議題になろう、所詮「志願」制で日本列島の死守は難しくなる、近隣國との地上戦場と化したときは。
「想像力」と「批評能力」の暢気な欠如・欠落こそ、今日日本人青少年らの「逼れる死病」と謂うに真近い。戦争の被体験者はまだしも「被害妄想というかすかな安全弁」を掴むことが出来る。
2018 11/18 204

 

☆ 秋深く
紅葉も進み、秋が深くなりました。庭の椿もそれぞれに蕾を膨らませています。先日訪れた鶴林寺の参道で、遠目では山茶花かしらと思ったのは椿でした。
今日も真っ青な秋空で、歩き回れば汗ばむでしょう・・地球温暖化という言葉が嫌でも浮かんできます。
日常のさまざまなご苦労、とくに体調と御自分の意志との葛藤を読むほどに思いやられます。大切に、大切にと遠くから述べるしかできませんが・・。
京都に帰りたいと時折書かれている鴉に 気候の良い時に無理なさらず京都に、とわたしが書いて・・鴉の返信には 「毎日毎夜 京都を いたるところ 歩いています。」とあり、一瞬絶句。そしてさすが作家の魂は強靭にして潤沢なのだと思い知らされました。
こんな風に書くとお叱りを受けそうですが、全面降伏でした。それでも愚かに付け加えるなら、やはり実際に京都での日々を過ごされますように・・と鳶は思います。
京都徘徊の顛末を書いて欲しいです。

昨日の記載に 辻邦生の大冊上下「春の戴冠」とあり、懐かしく思い出しました。この本との出会いは長く、今までに三回ほど読み直しました。ルネサンスや フィレンツエを歴史書や旅行記で読んでも、なかなか実感がもてなかった頃に読んで、体熱ある呼吸している人間を感じ取れた(気が)したのです。イタリア は、フィレンツエはわたしにとって特別な街です。でした と過去形で書きそうになりますが。
『背教者ユリアヌス』のテーマも興味あるものでした。
辻氏は原稿を書き上げて殆んど推敲することなく終えたと、ものの本で読んだことがあります。その点では疑問も残ります。また彼の視点と座標が何処か浮き 上がっているのかもしれないとも。(もっともわたし自身かなりその傾向にありますが。)ただし日本の小説家の中で特異な位置にあって 清々と輝いていると 感じます。
旅の後に絵を三点、小品ですが描きました。3号、10号、そしてもう少しで終わる20号Pです。いずれも朽ちていくような感があるものですが、それが自分の心象風景かと問われれば半ば肯定することにします。
「わたしは、今、セクスアリスというよりも エロスの底をかきまぜながら「魔」に触れようとしているの かも。あるいは…魔の京都か。」と書かれている。 以前 川端康成の晩年について話した時に、やはり「魔」に触れてらした。下村寅太郎先生も晩年に「魔」 の一字を思ってらしたのでしょうか。
「もう余分なことに力を割いてはおれない。仕残しがあり、それどころか、もっと新たな、したい、書きたいことが切ないほど湧いてくる。」
鴉の切実が響いてきます。
繰り返し、どうぞお身体たいせつに、仕事進みますように。 尾張の鳶

* 野垂れ死ぬ覚悟が 大事と感じている。よき友の視線や声を心底ありがたく思っている。

* 長谷川泉さんが、昭和文学史の試みを成されたとき、その一章にたしか「反リアリズム」と題して辻邦生と秦恒平の二人を挙げていて下さった。辻さんとは、中国の招待でご一緒に旅が出来た。四人組追放直後だった。
あの旅から帰国するとわたしは、作家代表団の一人である責めを果たす気持ちで、すぐ、「華厳」を書いた。この素早さには解散の顔合わせのおり井上靖団長 以下同行のみんながビックリしてくれた。「華厳」は自愛の作の一つ、リアリズムか反リアリズムかは思わず、小説はいつもこう書きたいと願ってきた。そのよ うに書いた。

* 十時過ぎた。マリア・ジョアオ・ピレシュのピアノ曲を鳴らしながら、二た色の「魔」界をかきまぜていたが。生涯かけて拘ってきた、戸惑い迷ってきた何 かが否応なく此処へ来て目に見えてきたようで、ひどく息苦しい。もう、やすもう。大笑いできるような本が読みたい。小説を読んで腹が痛むほど笑い転げたの は一作だけ、漱石末席の弟子であったさの作家の名もど忘れし、題はまったく覚えていないが、あの笑いは蘇らせたいもの。
2018 11/18 204

☆ 無題 明治四十三年九月二十五日  漱石
風流 人 未だ死せず
病裡 清閑を領す
日々 山中のこと
朝朝 碧山を見る

* この「碧山」はただ目に見えてある緑翠の山であるを超え、かの陶淵明のつねに憶い願っていた「南山」 すなわち終には帰り行く「青山」の気味であろう、が、漱石は大正五年までなお余生を抱いて優れた仕事をつぎつぎに成していった。
2018 11/20 204

* 津川雅彦と朝丘雪路夫妻への告別の会で、奥田瑛二という俳優が、弔辞で、生前津川に「藝術至上主義」を語りかけて痛罵され、「エンターテイメント 人を喜ばせる」のこそが俳優の天職だと叩かれたと語っていた。
これはまこと考慮と反省とに値する問題点で、津川の認識は、天の岩戸前のウヅメの舞遊びこのかた「遊藝者」たちが処世の鉄則なのであった。またそのゆえ にこそ遊藝者たちは神代このかたついこの戦前まで、優に二千年を人外視の痛烈な迫害と侮蔑・差別に地獄の苦しみを負い続けてきたのだった。それが日本の歴 史の「倫理に悖る」過酷な一面なのであった。理解できない人はわたしの著『日本史との出会い』ちくま少年図書館の一冊その他関聨の論著を読まれたい。
「人を喜ばせる」とは、じつに単純に分かりやすそうで、歴史的にはじつに複雑を極めた人間社会の負荷・負担の一面でもあったのである。「遊藝・藝能」の 人がまさしく地に這う境涯から、あたかも貴族・華族かのようなめざましい転換を体験し実現し得てきた「人間の、日本人の歴史」の或る意味凄まじさは、静か に心深く顧みられ、いかなる意味ででも「人間の人間による人間差別」は切に非難し解消されねばいけない。いまや社会の強者然と高慢化しつつある、その実た いした「藝も能もない喧しいだけの自称藝能人たち」にもそれは逆に言わねばならぬのである。
「藝術至上主義」などという名目が、いまもかすかにでも世渡りしている現実は、苦笑に値するとわたしは思っている。この人間社会に、「至上」などという 価値観をばらまくことほど罪なものは有るまい。「アメリカ・ファースト」などと蛮声を張りあげるバカな大統領がその醜くも露骨な実例である。
驕るなかれ。ほんとうに「人を喜ばせる」とはじつにじつに難しいことと心得て、むろん小説家も含む藝能・遊藝の人は、恥ずかしくない「藝・能」を渾身磨 かねばならぬ。亡き津川雅彦は、よくガンバッたなとわたしは眺めていた。惜しんで余りあるあの美空ひばり、中村勘三郎を思い出す。
万葉歌人たちや、紫式部、和泉式部、西行、兼好らこのかた、文学・文藝の歴史とて別でなく、西鶴、近松、芭蕉、秋成、蕪村らを経て迎えた、明治大正昭和の文豪達の「藝術」にわたしは感謝を忘れない。真実「喜ばせ」てもらったからである。
藝能人が浅い感覚から「藝術」をはねのけて驕ってしまっては大きく間違うのだとも、よく優れた先達に学んで欲しいと思う。
2018 11/22 204

 

* 西の棟に入り、荷で狭苦しい中をせめても寛げ得ないかと奮励していたが、なかなかハカが行かない。二階に、上京來六十年になる荷物の数々をもう目を閉じて捨てに掛かっていた。しかし講談社版の日本現代文学全集108巻はゼッタイに処分できない。
よく観ているとこの108巻に文藝評論集が実に十四巻、人数にすれば百人を遙かに超す人の仕事が収録されていて、はたして今日もしこのような全集が編ま れるとして何人ほどが権威も持ち得て撰ばれるのだろうかと肌寒くなった。わたしの不勉強のせいも有るが、平成以降に文学界を制して重きを成しているどんな 感化力・影響力・支配力ある文藝批評家の名が挙げられるのだろう。わたしはもう二も三十年前からこれを懸念して文春専務の寺田さんらに訊いてきた。
柳田国男、折口信夫、小林秀雄 河上徹太郎 唐木順三、中村光夫、福田恆存、山本健吉、臼井吉見、吉田健一、花田清輝、亀井勝一郎、伊藤整、長谷川泉、平 野謙、本多秋五、江藤淳、大岡信、川嶋至等々、思いつくまま挙げても、今日どれだけ匹敵する批評の仕事を誰がしてくれているのだろうと書架の前で茫然とし た。
研究の名に誇りつつ今日の現代文学研究江はほとんどが、試論や序論ばかりの屍体解剖に類似し、目の覚めるような新しい知見の発明・発見を持たない。大石 垣の込めモノのような探索にあけくれて、真に文豪や大きな才能の作家の真新しい驚愕の発明・発見など、雫ほどももう出てこない。
小林秀雄が私小説を語り中村光夫が風俗小説を語り山本健吉が詩歌の起原を語り唐木順三が中世を語り福田恆存が日本語を語り伊藤生が谷崎を語り平野謙が藤村を語り江藤淳が漱石を語つたほどの根底からの発明や発見の文学研究や論攷を、いまは誰が果たしつつ有るのか。

* いま、直ぐにも求められる大きな主題は、見渡しと読み込みのきいた真の「平成文学史」であろう、だれがこの天王山へ立派に駆け上がるかをこころして待 ちたいものだ。存外、小谷野敦のような行儀の悪い野武士が、真っ先に大きな旗を立てるのかも知れない、そのときは、願わくは、二度とない機会と覚悟を定 め、充実した、いい日本語で、落ち着いて、堂々と確かに書き上げてもらいたい、歴史的な名著と輝くほどに。
2018 11/23 204

* 冬至へ、わが誕生日へ、日一日 日が短くなりゆく。六時に起きても外は小昏い。
起きるとすぐ手洗いし、体重を、血糖値を、血圧を計り、インシュリンを注射し、食後のために20錠ちかい各種の錠剤を小皿に用意しておいて、二階へ。機 械に電源を入れ、温めはじめる。正確な起動までの機械との気の合った「おつきあい」がだいじで、一つ間違うと、えんえんとやり直さねばならない。辛抱とい うことをしみじみ憶える。イラつかないために、拾い読み可能な文庫本や袖珍本に気儘に手を出し、粘る機械と賢く妥協の姿勢を取る、「慌てないよ」という意 思表示。そのために「読む」のは避けて「拾い読める」手取り本ばかりがそばに用意してある。和歌集、漢詩集、明治版和紙装の古語や漢字の辞典、箴言や世話 咄の本、等々。新聞は覗きもしない、愉快な報知のまったく無いのに惘れるのが関の山だし、なにより字が小さくて視力に堪えない。情けないことに「見出し」 の拙なこと、しばしば真反対に意味の取りにくい例が多い。世を挙げて日本語の素養が、記者にも編集者にも、自然読者にも落ちているということ。なさけなく なる。
「読む」より「聴く」のがラク、また楽しくて嬉しいという一面がある。いまも、軽妙に、仲よしの四つの楽器が「朝のおしゃべり」とでもいうほどの軽音楽を聴かせてくれてる。ライヴらしく時折り拍手も聞こえる。けっこう、けっこう。
2018 11/24 204

* 明後日の「選集」しばらくぶりの第二十八巻の出来を待ち、毎度ながら気を張っている。ま、通過点と受けいれよう。残る五巻。第二十九巻はすでに進行中、ほぼ初校を終えようとしている。
第三十巻をどう編集するか、悩ましい。なにより、小説が、苦悶しつつ出番を待ちわびている、やはり、小説を優先せねば。
2018 11/24 204

* 六時半、朝一番のメールで、京都の「シグナレス」森野公之さんから、依頼というより懇願してあった「現地」写真が十葉ちかく電送されてきていて 感激した。感謝感謝、感謝に堪えない。
地誌は調べが付いても、風景・光景は目で、耳で、鼻で、手足で捕えないと。どれも今のわたしには不可能であったが、辛うじて親切な写真を送って貰え、嬉しくてならない。有難うございました。
2018 11/27 204

* 朝テレビの報道は、どれもこれも、心ゆかぬ、怪訝で不快なものばっかり。
世界中で 人の世が傾き崩れかけている。
ピサの斜塔は、梃子入れの甲斐あって傾きを徐々にマッスグへ回復しつつあると聞いているが、人の世は自滅崩壊へ我が儘をしつくしているとしか思われず、それも自然の趨と謂うべきか、根底から出直さざるを得なくなるのだろう。
地球の寿命からすれば人間はまだ一年三百六十五日中の、ものの数分間も生きていないと聞いた気がする。叡智ということばを、誰よりも政治家が抛擲し 商売人が唾棄忘却し 諸藝術の質も行き止まり沈滞をみせている。
さながら「スポーツ」だけが、今、此の世を「謳歌」しひとを励ましているようだが、どういう励ましなのだろう。元気を、勇気を、やる気、興奮を、嬉しさ を「貰える」などと口々に云うてて、さもあろうと思うものの、その元気、勇気、やる気、興奮や嬉しさで、人は、国民としては社会的にいったい何を為し得か つ成し得ているのだろう。「とめどない悪政と強慾と悪支配の容認・放任」とその元気、勇気、やる気、興奮や嬉しさとは無縁なのか、健全な肉体に健全な精神はやどると言いなしてきたが「スポーツの興隆」が何をこの現実世界に、人生に、もたらしているのか、よく見えないと云うておく。

* メールがうまく送れていないようで、ワケ分からす困惑している。シグナレスの森野さんへの礼文も、送信済みに成らない。ウーン、弱る弱る。
しかし送ってもらえた十枚ほどの写真はまさしくわたしの夢見つつ望んでいたとおりの光景で、興奮を抑えがたい、嬉しい、有り難い。有難う有難う。

* 気づかぬうちに「オフライン」とかになっていて、送信が滞るらしい。このため来信も停頓するのではないか。
2018 11/27 204

 

* 昨日の晩は、ほとんど睡っていて目ざめたときは日付が変わっていた。機械の電源を切ったり夜のインシュリンを注射したり服薬したりして、床の 中で残り少なくなってきた『モンテクリスト伯』を胸塞がるものを感じながら、エドモン・ダンテス「復讐」の凄さ、それを一度は悔いつつ、今一度「復讐」に 徹すべき天命の自覚にもど凄さに、かすかに戦きさえしていた。大デュマは、まさに瀧の落ちて迸るように「言葉」を発射する。舞台で云えば慎治が当麻での長 科白さながらに語らせまた語りついでやまない。圧倒される。
メルセデスとの別れ、モレルの家族との別れ、マクシミリヤンを伴ったマルセイユ。胸にしみて重々しい人生の悲哀、立ち向かう生気。
明らかに読者自身の生涯へも決定的に感化力をもってせまる再校のエンターテイメント、是に比すれば大概の読み物は、その場限りで忘れられる薄い軽い紙の ようである。馬琴の八犬伝からも吉川英治の宮本武蔵からもわたしは人生と人間への深いあわれもおしえも得られていない。しかし『モンテクリスト伯」の、エ ドモン・ダンテス、ファリア法師、メルセデス、フェルナン(モルセール伯爵)、ダングラール(銀行家・男爵と妻、ヴィルフォール(検事総長)と妻、カド ルッス、ルイジ・バンパ(山賊)、アルベール子爵、モレルまたマクシミリアン・モレルとジュリーら一家、ノワルティエと孫娘ワ゛ランティーヌ、アンドレ ア・カバルカンティ、ボーシャン、シャトー・ルノー、ドブレーら、ベルツェッチオやアリーら伯爵の部下達 これらの全員からじしにありありとした人間存在 のいわば地獄絵図が見て取れるとともに小説を読みこむ溜まらない面白さも豊かに酌み取れる。

* わたしはそんなふうにこの『モンテクリスト伯』という大長編と生涯付き合ってきた。これを上越す世界の長編小説はわたしの場合『源氏物語』というに尽 きよう。ちなみにわたしが今手にして読み終えようとしている新潮社版『モンテクリスト伯』上下巻の刊行は上巻が昭和二年、下巻が翌三年、わたしは昭和十年 に生まれ、この古びた古本を高校生時分に極くの廉価で手に入れていた。
2018 12/2 205

* 氷柱や雪にふれて富山出の助産婦先生にむかい京洛雪の風情をほめた途端に一喝を喰った思い出を書いた。『北越雪譜』の「初雪」なる一章を読み、まったく同じ「相異」に手厳しく触れてあり思わず手を拍ち頭を掻いた。
江戸の人らの「初雪」を賞翫すること甚だしき、「雪見の船に歌妓を携へ、雪の茶の湯に賓客を招き、青楼は雪を居続けの媒となし、酒亭は雪を来客の嘉瑞と なす」「雪を賞するの甚だしきは繁花のしからしむる所なり」と見抜いている。弁解じみるが京の人の雪を美賞するのはいますこし風情の嬉しさに寄り添ってい るが、しかし何にしろ牧之の縷々述べる如く「北越」の地形関東や京洛と真反対に異なって初雪から落雪積雪のまさしく「害」の重篤なるはとても江戸や京のそ れと比較を絶している。牧之は「羨ましい」というもの言いをしてはいるが、それは社交辞令、その『雪害」に難渋を極める年々歳々の苦悶のいかにきついかを 語っている。さもあろうと理解するに連れて、かの助産婦先生の厭悪の大喝が耳に蘇って、なんとも恐縮する。

* 久しく『北越雪譜』なる名高い著述の存在を識り一冊を買い求めてありながら、今日まで読まずに過ごしてきた、そこにもやはり京・江戸のものの安閑とし た敬遠が働いていたかと思う。しかし読み始めて即、理解できた、これは文字どおりの名著、しかもまことに読みよくて興味津々の名著だということ。永らく、 まことに失礼致しました。
2018 12/3 205

☆ 餅花  「北越雪譜」に聴く
餅花や夜は鼠がよし野山(一にねずみが目にはとあり)とは其角がれいのはずみなり。
江戸などの餅花は十二月餅搗の時もちばなを作り、歳徳の神棚へさゝぐるよL俳諧の季には冬とす。
我国(=北越)の餅花は春なり。正月十四日までを大正月といひ、廿日までを小正月といふ、是我里俗の習(ならは)せなり。さて正月十三日十四日のうちに 門松しめかざりを取り払ひ、(我國長岡あたりにては正月七日にかざりをとり けずりかけを十四日までかくる) 餅花を作り、大神宮歳徳の神 夷(えびす)おのおの餅花一枝づゝ神棚へさゝぐ。
その作りやうはみづ木といふ木、あるひは川楊(かはやなぎ)の枝をとり、これに餅を三角又は梅櫻の花形に切たるをかの枝にさし、あるひは団子をもまじ ふ、これを蠶玉(まゆたま)といふ。稲穂又は紙にて作りたる金銭、縮(ちぢみ)あきびとなどはちゞみのひな形を紙にて作り、農家にては木をけづりて鍬鋤の たぐひ農具を小さく作りてもちばなの枝にかくる。すべておのれおのれが家業にあづかるものゝひなかたを掛る、これその業の福をいのるの祝事なり。
もちばなを作るはおほかたわかきものゝ手業なり。祝ひとて男女ともうちまじりて声よく田植歌をうたふ、此のこゑをきけば夏がこひしく 家の上こす雪のはやくきえよかしとおもふも雪国の人情なり。
此餅花は俳諧の古き季寄(まよせ)にもいでたれば二百年来諸國にもあるは勿論なり。
ちかごろ江戸には季によらず 小児の手遊に作りあきなふときゝつ。

* 『北越雪譜』はかくのごとくに、さまざまの話題をあげて簡潔適確のいい文体で語られている。「夏がこひしく 家の上こす雪のはやくきえよかしとおもふも雪国の人情」を察しも得せず、兼好法師らの風雅にのみ聴いて誇っていた昔を、喰った一喝の耳によみがえるのを、苦笑する。
2018 12/4 205

* 今日も、また、わたしのメルアドを宛名に、下劣な脅迫で滑稽を極めた何百ドルかの金銭脅迫メールが来ていた。こういうのが、幾らでも来る。一切、相手 にしない。あいてにしてはいけない。混成が始まり、わたしはヨチヨチで機械を使い始めたときから、この手の犯罪が横行するであろうと頻りに警告をわたしは 発していた。機械が人間を駆動すべく成長し増長して行く現象は露骨である。あんなヘッポコな担当大臣で、賢すぎる機械の成長悪に立ち向かうことはゼッタイ にムリ。人類は、一つは気象の大変化、一つは機械化の支配意志化、この二つで一度は徹底的につぶれるのだろう。ターミネーターはもう、身のそば・掌の中に までうろついている。
2018 12/6 205

* 昨日は「ソフトバンク」が大混乱を列島にくまなく、たぶん海外へも及んで機能マヒに陥っていた。サイバーテロが起きても少しも驚かない時節であり、こ の手の大混乱がもっと纂逆に起きても当たり前な時代になりかけている。こういうことが必ず考えられると前世紀末から初めの東京新聞「大波小波」欄にもなん ども警告の投稿をわたしは繰り返していた。
機械を使っている気の人間が、きがつくと機械に支配されている一つの好適例を昨日の日本列島は体験していたのだ、携帯にもスマホにも指一本ふれたことにないわたしは、かなり冷淡に大騒動を嗤っていた。
何らかの「故障」ということで凌いで行くと思う、が、サイバーテロの恐怖府はなくなりはしない。自慢漫々の腕前が故意に悪辣に働けば、超規模の停電も断 水も列車や飛行機やダムへの危険な妨害も、外交や企業秘密も、破られ得る。テレビドラマなどの方がむしろ生やさしいほどこの手の技術はひしひしと進んでい てほとんど停めようがないと想われる。
ソフトバンク、今日はもう完全回復したかどうか、知らないで。知りたくもない。わたしはわたしの気むずかしい超老朽のパソコン機械くんと、辛抱よく仲よく折衝しつづけるだけのこと。

* たぶん海外からのと想像できる、しかし本語での、脅しのメールは、もうこの数年、何十度も受けている。
わたしの機械の中の「全部をハック」してあり、もし公開したならウンヌンと脅して、どえやら千ドルほども金が欲しいと要求しているらしい、が、わたしの 厖大量の機械内容、十万枚を越すただの日記・私語などを、どう公開されても痛くも痒くもない。「湖の本」や「選集」等々の厖大な文学作品も、みなすでに活 字で、電子文字で、公開が済んでいる。さらに広めてくれるなら、どうぞどうぞ。
古稀も傘寿もすぎての長編「老い」の「セクスアリス」のためには、あえて色気の取材も歳月掛けて及ぶ限りしてあり、試み書きもたくさん出来ている。これ ら長編はもう完成へ一歩二歩まで近づいていて、これを、私「秦 恒平」の名を正確に添え、正確に「公表」してくれるなら、自前で刊行の手間いらずで、いっそ助かる。読めば、面白くてビックリするよ。

* そんなことより、某低脳大統領の「ポチ」を以て世界に知られた、国民に対しては終始無責任極まり不見識極まる「ワンワン宰相」  どうにか辞めさせたいですね。
2018 12/7 205

☆ 秦 恒平様
拝復
「秦恒平選集 第28巻」お送りいただき恐縮しています。
本に添えられた手紙に “久しぶりに金原社長を拝し給え’’ とありました。
文面の意味をもう少し知りたいと思いお手紙します。
金原社長にお会いしたいということは、故金原一郎社長を題材にした小説をお考えなのでしょうか。
もし、金原社長(現在は、優会長、俊社長)にお会いしたいなら私より七尾清氏がいいと思います。まだ現役で医学書院の特別職(別紙名刺)で活躍されています。七尾氏に連絡を取り金原(俊)社長へ趣旨を伝えられる方が良いと思います。
取り急ぎご連絡いたします。
天候が不順です、くれぐれもご自愛ください。  敬具   向山肇夫 医学書院後輩
追伸
ペンクラブの電子文藝館は、全国の文学館とリンクを広げています。これが出来るのも秦館長
の遺産があることだからと思っています。

* この手紙には、驚いた。
向山君は入社早々わたしの係につき、わたしに追い回されながら仕事を覚え、わたしの退社のころは課長になっていた。小説三部作『迷走 課長たちの大春 闘』の初編「亀裂」の冒頭へ登場の課長職の、ま、モデルである。彼も定年で退職してしまえばさぞ退屈してるだろうと、理事時代に推薦してペンクラブに入 れ、わたしの委員会で手がけていた「ペン電子文藝館」のあれこれを手伝ってもらった。いまでは、すっかり「ペン会員」を楽しげに満喫している。金原一郎社 長とは、私的にはほとんど一言も口をきいたこと無かろうと思うが、まさかに俤など忘れてはいまいと、口絵のある「本」を上げた。
七尾君は、わたしの課長時期に入社し、配属されてわたしから雑誌編集の仕事を習った。よく働いてくれた。そのうちにわたしは太宰治文学賞を受け、作家と 兼業の五年を編集者のママ過ごし、退職。この七尾君の姿も、小説『迷走』のどこかでスケッチしたと憶えている。彼が、いまだに同じ会社で奉公していると知 り、いささかならず「呆れ」ぎみにビックリした。

* 敬愛も思慕もした金原一郎社長を、「小説」に書こうなど、つゆ思ったこともない。そんな関わりから現在只の 「孫」にでもあたるであろう医学書院会長 や社長に「わざわざ」会いたいなど、少しも思わない。往年の深い深い謝意と敬愛とを「本」の中でつたえて、ご霊前にも と思ったまでのこと。
本郷赤門わきの医学書院に、わたしは十五年半勤めた。その年の八月末で社長は「相談役」へ退かれたのを機に。同日付けでわたしも退社したのだった。
ひとえに金原一郎社長、長谷川泉編集長からつねに無言・無形の鞭撻を受け続けた十五年余であった。この出逢いがなくて、わたしの「作家」五十年など、容易には実現しなかったはず。
2018 12/7 205

* 人間には命綱の水道を、安易に民間企業に委ねようなどと、安倍自民・党利自儘な政治の血迷いは、果てしない。

* それでも小説は書けているし、推敲も利いてくる。
『寓話 オイノ・セクスアリス』は、おそらく、少なくも全三部の第一部だけで、「湖の本」ほぼ一巻に嵌ってくれそう。公表は此処までにしておいたが無難かも知れぬとやはり思うのだが。
書き上げてしまうことが、肝腎。
第一部の半分まで、また克明に、カッチリ推敲し続けていた。ここまでなら今すぐでも手放せそうに思えるが、やはり難所はこの先へつづく。ガマンして向き合うしかない。音楽も聴かず。九時半。疲れて、腹具合が気味悪い。
2018 12/7 205

* はやく床を出たのは、やや色気のあるいい夢の跡、そのままモノを思っていたから。モノというのは、ちかごろ「女性文化」という「表記」を大きな旗印にした研究団体や論攷・主張のたぐいが目に附くからで。
「女性文化」なんて在るのかな。「男性(の)文化」が在るとわたしは思っていないように、「女性(の)文化」も在るとは思えない、どっちにしても「男性」 がからみ「女性」がからんで初めて文化というなら文化の存在を可能にしている。だからわたしは数十年前から「女文化」と謂い、「男文化」も念頭にそれらは それぞれに男との、女との関わりを欠いても無視しても在り得ないのだと説いてきた。その上でわたしは日本文化は、ことに古代以降の文化的素質は「女文化」 とみるのが適切で的確と感じてきた、そう語り続けてきた。男性の、女性のという「限定」は事実を以てして「在り」得ないる。そんなものが在るなら指さして 教えてもらいたい。そして概して謂うなら日本は神代このかた「女ならでは夜の明けぬ國」であったに相違なく、しかしそう思いそれを受けいれてきたのは 「男」だったではないか。遊び、遊所。それは女性の専有であり得たか、男性がかかわって行くから成り立った世界だろう。政治の世界は「男性」専有世界で あったのか、そう思い込んでいる人は、モノの表・裏が見えていない。「男文化」には女の支えがあった、「女文化」には男の関心が裏打ちされていた。「男性 文化」など無かったし、「女性文化」も無かった、為政の関与をさまざのに受けいれてこその「男文化」「女文化」があり、日本文化はたぶんにより「女文化」 であったし、今も…とわたしは眺めている。

* こういう「おさらえ」を、暁暗の寝床の中でしていたのである、わたしは。

* 手の届くところにいつも谷崎先生ご夫妻がおられる。大谷崎の毅い顔、松子夫人の紫上もかくやという美しいお顔。
以前はいつもいつも谷崎先生に睨み据えられ萎縮したが、ようやく近ごろは穏やかに見ていただいていると感じられる。

 

目の前の 谷崎先生ご夫妻と 若き日の沢口靖子
書架この上に 福田恆存全集 森銑三著作集 古寺巡礼 京都など。
2018 12/9 205

* 明日は いつもの、夫婦しての歯医者通い。途中、「選集28」分の送金支払いも。前巻につづき大冊で、二百万を優に越すが、覚悟のうえ。「想像」の船 で、遠國へ「旅」している気でいる。別荘も持たない自動車も持たない、辺幅も飾らない、美食もしない。算盤ぬきの「読み・書き・本」だけの有り難い老境で す。
2018 12/9 205

 

☆  秦恒平選集28巻
ありがとうございました。
「島崎藤村文学と私」の中の出版社批判、私も出版社に勤務した経験があるだけに、深く共感いたしました。
このところ近くの図書館から村上春樹の小説を借り出し、8割くらい彼の作品を読みました。
確かに彼の作品は 社会や個人の背後に潜む闇の部分に迫ろうとするモチーフがあり、ストーリーの展開は読者を引き付ける力があり、間違いなく「才能」を感じさせます。
ただ、藤村や漱石と比べるとやはり 軽いという気がいます。もっともその軽さがベストセラー作家であるゆえんであるかもしれませんが。
藤村・漱石のような若い作家の出現を期待しております。
ますますのご健筆お祈りいたします。   鋼 拝   評論家・翻訳家・歌人

* わたしは不勉強で 村上さんの作を一つも識らずにいる。うえの批評に「軽さ」が指摘されているが、まだ東工大にいた ころ、評判らしい村上作を学生に借りて読み始めたが、文章が、「フワフワのポン」みたいに思え、そのまま撤退した。建日子が何冊かは今も持っているか知れ ない、借りて、腰を入れて読んでみたい。とにかくも、今日の大きな作家、しっかりした作家の、本格の作に出逢ってみたい。
低度の「読み物」は要らない。
むかし、「ペン電子文藝館」の館長をしてた頃、日本ペンクラブ理事諸氏に自作の提供を、それはもう繰り返し求めに求めたが、出してくれる人は少なく、出 してくれた作で、ウムと頷けたほど今も記憶に残る小説には一作も出逢えなかった。わたしの提案し設置した物故作家ら「招待席」には、紅葉・露伴・鴎外・漱 石・藤村・鏡花・一葉らにはじまり直哉、潤一郎、川端、太宰、三島、清張等々、さらには不幸にして湮滅作家にちかかった人たちからも、ガーンと胸に響く傑 作、力作、問題作がたちどころにたくさん呼び込めた。「ペン電子文藝館」が一気に輝いた。日本の「近代」文学は立派だったなあと確信できた。
だが、現代、それも「平成」を背負って、鳴り響くほどの作、真実の評判作には、わたし自身の不勉強もあろうがいっこう出逢えない。自身忸怩の思いで情け ないが、総じて現代文藝は軽く、ちいさく、一度でポイの消耗品のよう。「文学の世界」を足音も高く重く率いて歩く文豪らが、近代日本、すくなくも敗戦後の 昭和までには何人も実在したのに。創作者といつも帯同して、倶に、大きな批評家・研究者もおられたのに。今日の批評・研究で大柄に地響きするような何の評 判も聞けない。埋め草のような仕事ばかりになり、それも不要ではないが、やはりお手軽。
長谷川泉さんの、鴎外作せいぜい中篇の「ヰタ・セクスアリス」一作に、千枚もの詳細稠密の研究のあるのを昨日再発見し、往年碩学にとって「研究」の何であるかを痛い ほど思い知らされた。
わたしは「研究者」への人生を遠慮し「大学に残る」という道を自ら避け、作家の「創作」そしてつねに「述懐としての批評・観察」を両 翼に、ま、残念ながら低空飛行してきた。「文学・文藝」への責任は容易に果たせていないのを嘆いている。
2018 12/10 205

 

* 年の瀬やみづの流れとひとの身は  と 其角
ふした待たるるその宝船      と 大高源五

これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭小屋はもたぬ  と  11 12 21 と 七年前に。

二期胃癌診断の二週間前だった。歌集『亂聲』の巻頭に置いている。

* もう「選集」へは、何を収めるかよりも、何を容れないでおくか、の思案に成ってきている。よそ目にはお笑いごとであれ、わたしには厳しい自己批評にな る。人に即して文学者と美術家に関わった批評と述懐を、膨れあがるのを抑えながら、わたしの人生に根ざしたこの一巻は外せない。「創作」分に少なくも二巻 はぜひ宛て得たい、足りてくれるかどうか。と、残るはあと一巻しかない。「私」自身を取り纏めて置きたいが。

* 予定の『秦 恒平選集』三十三巻を仕遂げたあとへも、わたしに寿命があり意欲と気力のある限り「文学」生活は死ぬまで続く。それはそれで、運命に委ねる。健康でありたい。
2018 12/12 205

* 『ある寓話  老いのセクスアリス』第一部、絞って、また書き込んで、推敲して、ともあれまずは脱稿といえるところまで持ち運んだ。第二部、第三部に は、物語の展開を含みつつ、他愛なげに険しい道を浮きつ沈みつせざるを得ない。ぐっとガマンしながら粘り抜いて老いの無惨か滑稽か充実化を造形し続けた い、第一稿は末まで出来ているのであるが、本番はこれからだ。

* 幸いに、穏やかな師走を歩んでいる。怪我なく、無事に越年したい。

* 機械と、組み討ちのように、それでも霞んで干上がった視力で仕事を進めている。とけいを見ても何時だが張りが見えない。
2018 12/12 205

* 『ある寓話』 第二部 順調に読み進んでいる、ただし二部、第三部とも本筋でも脇筋でもなくしかし軽々しくてはならぬ別話と波瀾とが 順調をあえて阻まねばならない、そこが難関になりそう。
小説に取り組んでいると疲れを忘れている。が、機械から離れるとひきずられるように疲れが来る。
加えて 「選集30」の編輯にもとりかかり、原稿を読み起こしている。「對談・講演 選」の28巻よりいちだんと内容の濃い重い一巻にまとまるだろう。 頁がハジケないでくれるといいが。全編を校正しつつ構成も考慮しつつ「読み」直すというのは、よほどシンドイ、重い仕事である。創作とコレとを、前後に背 に負うて、この仕事はとても年内に片づかない。
次の外出は、十七日の聖路加、ことし最後の検査と診察。誕生日はどうなるか、どうするか、この何年かは、なんにも無しで過ごしてきたが。

* 疲れて階下へ降りるとバカ騒ぎの俳句教室とやら、参加者の駄句ぞろいは不思議でなくもともと俳句読み味わって覚えたというより、いくつかのきまり常識のまま苦心してひねるのだから、佳句のでる余地はよほどの偶然以上にあり難い。それはそれで仕方ない。
困るのは女先生の、はなはだ低次元な添削指導が世にみちびく俳句誤解の懼れである。俳句はたかが五七五三句で、短歌和歌よりやさしい創作と想わせかねない、しかし俳句は短歌よりも自由詩よりも遙かにはるかに表現難儀の「おそるべき詩」なのである。
せめて番組のなかで、出題に相応の真実名句と思いうる例を一句はかならず参加者にも視聴者にも読ませて欲しい、その名句をどう女先生が取り上げてみせうるか、わたしはそこが知りたい。

* こんなことを言うと怒る人もあろうが、すぐ手元に稲畑汀子編著の『ホトトギス虚子と一○○人の名句集』がある。「ホトトギス」は近代俳句の久しく王城であった。
しかし、わたしが歳月掛けて一人一人の一句一句を繰り返し読んで行って、「名句」と思しきは極めて稀れ、一人四十句、人により倍の句が並んでいて、名だ たる俳人たちにして、十句にも爪印のつく人は極めて稀れ、名の通った人にしても数句に足りないということが多いのであり、それほども俳句の表現と世界は険 しいのである。しかし、それを理解して行かないと「芭蕉」も「蕪村」も「子規」も「虚子」も自身の宝にならないのである。
「俳句の大衆化」というつもりだろうが、俳句は根が大衆の表現であった、ただ、テレビ番組のような軽薄な仕方でではなく、よほど厳しい自覚や適切な指導のもとに理解を深め表現を磨いて、俳句世界の和歌や短歌とはまるで異なる妙趣を画いていけたのである。
桑原武夫は「第二藝術」と批判したのは、俳句が安易な理解と表現で独自の「詩」境のあるのを見損なっている俳壇を嗤ったのであり、わたしだって嗤う。

虚子の句を噛むほど読んで力とす

これはわたしの俳句ではない、わたしの虚子愛なのである。

人病むやひたと来て鳴く壁の蝉

遠山に日の当りたる枯野かな

桐一葉日当りながら落ちにけり

春風や闘志いだきて丘に立つ

白(はく)牡丹といふといへども紅(こう)ほのか

夕かげは流るる藻にも濃かりけり

一面に月の江口の舞台かな

手毬唄かなしきことをうつくしく

大寒の埃の如く人死ぬる

大根を水くしやくしやにして洗ふ

深秋(しんしう)といふことのあり人も亦

虚子一人銀河と共に西へ行く

去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの     高濱虚子の句
2018 12/13 205

* 作家五十年、作家また画家と限定しても、これほど付き合いの悪いわたしにして、実に多くの文学者、研究家、美術家、芸能の方々と識り合い触れ合いまた 引き立てて戴いたと、今にしてあきれるほどである。三十三、四歳で作家として迎えられたのだから、そう若くなかった、が、若いと言えば断然若かったので、 先達の諸先生に引き立てられたことは数限りない。思い出の一々を書き出せば大きな一巻がたちどころに出来てしまう。思い出の中で大切にしている。こんど 「選集第三十巻」には関連の熱い文章をしっかり集めておく。
2018 12/14 205

☆ 秦 恒平様
選集28巻 ありがとうございました。
先月は 関西吉岡家いとこ会があり (神奈川・川崎在住の、わたしには異母妹にあたる=)昭子さん、ひろ子お二人が久しぶりに泊まっていかれました。
(孝一君の)姉が孫娘の写真を送ってくれました。母(=わたしには叔母)のひ孫の風貌かと思うとおもしろいものです。
良いお年をお迎へください。  孝一 拝

* 京都四条大橋の西南づめ、南座から鴨川を西へ隔てた支那料理の(と子供の頃から思いこんでいた)東華菜館五階へ寄ったらしい。
写真の人数をざっと数えると、幼児二人を除いて、総勢二十一、二人。ま、旧家とはそういうものだろう、最年長の広田英治さんが八十八歳とある。
川崎の妹二人はとにかく、他の、だれ一人もわたしは識らない、面識も記憶もない。血縁上の「いとこ」というと、この他に 存命であれば北澤恒彦も数えられていたか。
ま、父方でこうなら、生母近江能登川の阿部家方「いとこ」らも大変な人数だったろうなと思う。むろんだれ一人とも面識無い。
恒彦のことは分からないが、わたしには、こういう集いの「感覚」は、ま、まったく無い。
秦家には、「もらひ子」のわたし以外に無かった。建日子が今のまま子供をもってくれないかぎり、秦家は秦建日子で「絶」える。これだけは、秦の両親や叔母に申し訳ない。
わたしたち夫婦の血縁は、独りだけの孫・押村みゆ希に伝わるだけ、この孫娘が結婚したか、親になったか、まったく分からない。やす香の死後、只一度も逢えていない。

* 所詮、わたしに「血縁}はあまりに淡い。
しかし、「身内」という「島」の思いを確かと創り上げてきた必然に、わたしは生涯迷い無く立ってきたし、今も立っている。それでよかった。

* いまも書き進めている小説での「実感」では、しかし、わたしの生涯の主題・拘泥は、まちがいなく「もらひ子」という「身の程」にあったことが、よく分かる。痛いほどよく分かる。生涯わたしはそんなことで「もがき」続けていたらしいのである。
2018 12/16 205

* 機械に向けてボヤクからだが、やや失調気味のからだのこと、不調の機械のことで、いろいろ叱られたり教わったりのメールを戴いて、恐縮この上ない。
とにもかくにも、ガンバッテみるつもり、どうガンバルのかも、しかとは、よく分かっていないのだが。
何より、『ある寓話』の第一部をともあれ仕上げたと思うので、つぎは第二部を徹底させて行きつつ、今一つの『清水坂(仮題 題は決まっているが、ナイショにしておきたい)』を、能う限りおもしろく取り纏め仕立てたい。
明日には、やはり大冊になる『選集』第二十九巻の再校が出そろう。大事の記念碑の一つとして、美しく仕遂げたい。
『選集』第三十巻の編輯と本文の研覈は、毎日の仕事として、少なくも三分一量はもう進展している。新春の月半ばには無事入稿できるようにする。
「湖の本」143の「責了」は、年内、もういつなりと出来るところへ来ている。ただ「湖の本}144の編輯には手を付けていない。「145」も含めてすこし先をみながら、ゆっくりめに進めたい。
2018 12/17 205

* 「モノ凄い」と謂いたくなる嵩の、「選集」第二十九巻の再校が出そろって届いた、口絵も、函表紙も。
口絵の再校を頼み、併せて「湖の本」143巻の本紙を「全責了」 表紙のみ校正出を頼んで、宅急便で送ってきた。

* 選集29のメインを成す半ば以上の赤字合わせを慎重に終えた。ずいぶん、これで再校のハカがいったと思う。この巻の成るのは、あえて、他に増してといいたいほど、嬉しい。
2018 12/18 205

* 来年の十月、松本白鸚(と謂うよりも、前「幸四郎」というのが親しめる)が、1969年の日本初演以来半世紀を演じ続けてきた「ラ・マンチャの男」を、帝劇で公演と知らせてきた。わたしたち夫婦は、何度も繰り返し観てきたし 今度も 元気なからだで 揃って観に行きたい。
思えば、1969年は、わたしが受賞して「作家」生活に入った年、来年六月の桜桃忌で「満五十年」になる。三十三歳であった。

以来、喜怒哀楽のすべてを超えて、半世紀、わかりよくいえば「選集」三十三巻の結晶があり、「湖の本」145巻の刊行があって、なお、新しい先へと歩むだろう、歩みたい。
天皇・皇后さんのご成婚は、1954年四月十日だった。三十日足らず先だち、わたしたちは京都を去り東京の新宿区河田町で、三月十四日、六畳一間の新婚生活をはじめた。

勤め先は本郷東大赤門前、研究医書専門の出版社、醫学書院だった。
自称も他称も「まむし」といわれた怖い社長の金原一郎は、十五年半の在職中、退職の日まで、終始わたしには仁慈の人であった。心より感謝し、選集28の口絵に、生前手づから贈って下さった(告別用)喜寿の写真を収めた。
編集長は、森鴎外記念館の館長でもあった碩学・長谷川泉だった、ためらいなくわたしを「作家」生活へ送り出し、亡くなるまで親切を尽くして公私に応援してくれた。
わたしは、ともすると『癇癖談(くせものがたり)』を書いた上田秋成に似たかという苦い自意識を抱いてきたが、また、これまでに何度か、人からも吾からも「ドン・キホーテ」と笑われ、笑ってきた。
「ラ・マンチャの男」こそ、わたしの理念・理想であったかもなあと、今にして、仄かに思う。つよく思う。来年十月を楽しみに待とう。

新篇 日々に成る
是れ声名を愛するにあらず
旧句 時時に改む
無妨( はなは)だ性情を悦ばしむる

祇(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦して一生を過ごさんと          と、白楽天に倣って。
2018 12/24 205

☆ ありがとう御座いました。
今日、午前中に到着しました。
あまりにも立派で、びっくり。
早速に 我が家の床へ。半間で小さいのですが、掛かりました、なんとカンロク! です。お濃茶を頂きたい気持ち。遠慮なく 頂戴します。
荷造りも上手だったので 破損無く届きました、奥様に感謝です。

この後、女性は大変な仕事を!頑張ります。
暮れから寒くなるようです。
ともども、お大事にお過ごし下さい。  京・今熊野    宗華

* 無事着 よかった。
函の外に 毛筆で
若宗匠 玉 と 寿 横物
御箱書御願申上ます
林 弥男

箱の蓋裏に 鵬雲斎若宗匠時代の自筆箱書
自筆 寿 玉 横物  鵬雲

何歳頃の若書きか分かりませんが。
この宗匠は あまり達筆のひとではありません、昔から。
「林弥男」 は 知恩院古門前通りで古美術商の大家 「林」「本家」の婿で、総番頭だった人。
「林」は 京の道具屋としてはとびきり大きい一統の「本家」でした、今は商い絶えたそうですが、「千家」家元筋へも、宗匠らの方から辞を低くするほど、大きな存在、商家でした。

「弥男(みつお)」は、わたしの小説『或る雲隠れ考』(「湖の本 17」「選集 17」所収)で、本家の娘「千代」の婿に入る「弥一」に相当、 ヒロイン「阿以子」の父親です。
もっとも小説の骨格はリアルですが、物語がフィクションなのは、いつも通りです。

今の裏千家大宗匠の「若宗匠」時代の「若書き」ながら 大きな「祝儀物」として重宝でき、わたしたちも、連年、正月の居間に掛けてきました、が、大暴れする幼いネコの「ふたり」が、絶対に引っ掻き落とすと分かっているので、お正月前に、心籠めて 呈上します。
一切、遠慮も斟酌も返礼も無用です。私の「思い」です、喜んで酌んで下さい。返礼も遠慮も、ゼッタイに無用です。
今の内なら、うまく頼まれれば 鵬雲斎自身 或いは当代宗匠の「箱書」がもらえるでしょう、今となっては珍しい 使い勝手のめでたい 大物の軸ですから。
ま、道具屋の「扱い」ですから マッカなニセモノということも無きにしもあらずですが、間違いないと観てきました。
おめでたいお正月用の一軸なのは 相違有りません。  宗遠

* 読者で、はっきり裏千家系のお茶人と知れている人は、海外に一人、京に一人、関東で一人しか識らない。関東のお一人とは面識がない。持ち腐れになる茶 道具を道具屋に扱わせて金に換えるのは、実、気が進まない。気心知れて真実心親しく思っている読者筋へ、できれば差し上げたいというのが本音である。趣味 も関心も知識もない、しかも心通わない先へ投げ込むのではモノが可哀想すぎる。仕方なく、銀座で一軒の道具屋と繋ぎだけはつけてあるが。ほかに三軒ほど電 話で見せよと頼んでくる道具屋があるが、信頼に到らない。
かりにも美術館つとめをし、植物としての「茶」や、漆器に関心を深めかけていた娘の秦朝日子なら、ものの値打ちを少しは分かって大事にしてくれるだろうに、と、これも情けない。
2018 12/24 205

* わたしが、自身の小説・創作のためにも、「メール」につよい意識と関心を持ち、莫大に集積・蒐集・分別ろ利用していることは、何度も書いている。 「メール」は「恋文のように書け」とは、コンピュータに関わる依頼原稿の真っ先最初に書いたことで、今も、およそ「そう」考えている。わたしから「恋文」 のようなメールを受け取った人は、男女を問わず日本中に大勢おらける。ウソを書いたことはないのである。そういう気持ちで書くのである。
「恋文」は、しかし、じつにじつに難しいのである。やがて、わたしの新作の長編は、実例にちかいメールの創作に出遭われるだろう、覚悟していて下さい。.
2018 12/24 205

* この一週間ほど、「選集」大三十巻の編成と原稿としての読み返しにかなり没頭、三分の二ほどは終えている。
新年には、「湖の本」143の発送という肉体労働も来る、あっというまに来るだろう。創刊満三十三年は、なによりも、からだに、重い。「選集」予定の完 結にあと五巻、これと「湖の本」が重なってくる心身への重さは相当なものだが、ひるまず乗り越えて行く、行くしかない。妻の負担だけは何とかすこしでも軽 くしてやりたいのだが。
最初から、徹して、夫婦ふたりのふうふう仕事でやってきた、子供達に手伝ってもらったことは無い。そういう結晶なのである、もう少し、もう少し、もう何年か、なんとかわたしの労力腕力体力を絞り出し、頑張ってみる。
和風の甘味が身にしみ、精製のお酒が佳い熱を恵んくくれる。からだを破壊しない程度に美味い物は美味く味良く楽しみたい。
さいわい、いまぶん、諸検査で、肝臓も腎臓もきれいと医師は言ってくれる。
問題は、アタマやなあ。人の名前が出てこないよ。本は、まだ読める。字も書ける。有り難い。

*  九時。夕方から寝入っていた。夢さえ見ないで済むなら寝入るのがいちばん、ラク。

* 元日、目前。
元日が楽しみか。
昔は「お正月さん」の来るのが大好きなヒトだった、が。
もう、すくなくも、大病このかた、ずーっと、ずーっと、「元日」というと「おツトメ」のようで、ただ重苦しい。負担で鬱陶しい。楽しくない。心身が、のびのび生き生きしない。心も言葉も、どこかにツカエて生きた心地でない。
強いられたような、元日。ことばも蟠りを抱いて迎えるヘンな元日。そんな元日を迎えようと一年間励んできたか。やれやれ。
ビョーキかしらんと気が鬱ぐ。うそくさい。分かってはもらえない、ヘンだと。オカシイと。そうなのかも知れない、が。
京都へ帰れたら、どんなにいいだろう。
2018 12/30 205

* 書いた作をただただ読み進んでいる。
大晦日の片づけも掃除も、しない、手の着けようも無いのだから。
全身が違和感で気分わるい、落ちつかない。眠っていいなら、ただ寝入りたい。吐き気も。積みに積んだ疲労か。文字どおりドン突きへ来た感じ。大晦日、させりと流して終えたい。

* 染色作家、京都の渋谷和子さんより 新年を祝う額装の新作を頂戴した。感謝。

* 湯も遣ったし、年越し蕎麦なるものも食した。カレンダーも替えて、通過儀礼めくものの心打つことも微かになった。越年、迎春を祝うという気持ちは理解できるが、感動は乾いている。今日があり、昨日と明日とがある、そういうことである、あたりまえのことだ。

* 八時前。 今晩ぐらいは もう何もせず 寝入ってもいいだろう。夢でしかもう逢えない人の数が毎年点鬼簿に増えて行く。大晦日にはそれを思う。重く重く思う。
そう思いつつ、十時まで、どうしても「湖の本」「選集」次の発送に必要な「挨拶」を書き終えた。はて印刷機の故障が決定的かどうか、が、春一番の難題となる。早々から妻の機械へ助力を願わざるを得まいか。今年最終の、無事の祈りであるが。

* では、平成最後の三十年よ。来年の今日はどういう元号で無事に迎えられるのか、平安なれ。
2018 12/31 205

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