ぜんぶ秦恒平文学の話

文学作法 2019年

 

*  独り 早起きし、戴いていた「獺祭」特製の酒と簡素な私のための煮染めで新年を迎え、そのまま、たまたまの時代劇映画を見て過ごした。

 

* つまらぬ作であった。武士になど生まれなくて、どんなによかったろう、わたしは「人」として生涯を終えられそうなのを、心安らかに喜んでいる。人が人 に仕える人生など、バカげている。刀など突っ立てて「男」がりながら、むだで無意義な殺生のまま命果てて成り立つ「士」道など、バカげている。わたしが赤 穂義士の討ち入りを受けいれるのも、主君の仇討ちというより、「無道の公儀」への決死の叛意をこそ是とみるからである。

 

* やれやれ新春早々から、不粋になった、が、戴いていたお酒は、美味かった。

2019 1/1 206

 

 

* 録画しておいた徳川家康二部作、いわば江戸開府のための二大要項である「水」と「金」との上水篇を感動とともに見終えた。立派な歴史劇、あの「阿部一族」に継ぐ秀作であった。涙をこらえる場面も再三。

しかしわたしの期待しているのは今夜に放映の「金」篇である。もう数年の余も苦心惨憺の長編「オイノ・セクスアリス 或る寓話」のなかで、どうあっても 関わり無しに済ませ得ない話柄と絡んでいて欲しいのだ、さらなるヒントが得られるかどうかと願っているのだが。さ、どうか。

何にしても「江戸開府」はこの際わたしの関心外ではあるが、歴史的に「江戸開府の二大要件」が「水」と「金」であったことは、確実。そこへしかと着目し た原作者も企画・脚色者も見るべきを見ていた。テレビ劇で大きな足跡をのこしたいなら、こういう抜きん出て確実な「着目」と「勉強」が不可欠。子供だまし のような思いつきだけで「殺し」の「刑事」の「犯罪」のと浅はかに繰り返されてては叶わない。

今晩の「金」篇に期待したい。わたしにもわたしの「ドラマ」がいくらか見えているので、さらなる刺激を受けたいと。

 

* よほど手こずったが「選集」第三十巻が編成をほぼ終えた。確認し入稿できれば、第二十九巻の責了へことを運ぶが、その前か後かに「湖の本」143巻を発送せねば。

 

* 三が日、無事というば無事、あっけなく過ぎて行く。寒い。

年賀状でアドレス確認・修正するのが、細字見にくく、苦痛。五分の一ほどでやめる。

七時。九時からの「家康 江戸開府」ドラマの下巻、江戸に金座を起てる「後藤」の系譜を、叮嚀に参考に確認したいので、休息する。

 

* 「家康の小判づくり」面白く観たし、わたくし関心のそして推理してすでに小説に書き入れていた問題点もわたしなりに確認できた。も少しく小説が書けるだろう。

もう今夜はやすむ。三が日は終えた。熊本でのつよい地震の報道を心配している。

2019 1/3 206

 

 

* ちょっと気のしんどい上・中旬の開始。着々、用意して進むだけ。

眼目は、小説『オイノ・セクスアリス』

悪なれば色悪(いろあく)よけれ老の春  虚子

 

☆ 初蝶來(く) 何色と問ふ黄と答ふ  虚子

 

* 小説の、難所ではあるがわたしには格別興味深い、ま、穿鑿にうちこみながら、疲れると階下で「湖の本」封筒にハンコを捺していた。このハンコ捺しがま た草臥れる、単調な、しかし力仕事になる。で、疲れると二階へあがりまた小説世界を杖をひきひき探索する。そして疲れる。

入浴して、今度は「選集29」責了への最終校正を、眼を洗い洗いしつつ重ねる。読みかけの、湯気に濡れにくい本も選んでもちこむ。

2019 1/4 206

 

 

* 小説では まっかなウソも書くし、うそとしか思われないホントも書く。書き冥加。 2019 1/4 206

 

 

* 昨夜おそくに「秦 恒平選集」第三十巻を「入稿」した。

 

* ウーン。深入りが過ぎても創作の本来を傷つける。傷つけずに面白く興あるさまに仕立て、そこにリアルを建てねば。小説は、まこと手強い真っ暗闇である。思いがけず余分、ないし過分の道草を食っている、わたし自身はまったく楽しめるのだが。

2019 1/5 206

 

 

* ひとつ 景色面白い山を越えたが この山、三笠山のていで、山路は難儀にアトを引く。アトを引くそれに引かれ惹かれて踏破して行くのだが。その辺の同 人誌などに溢れているあっさりの私小説なら 話題は、身辺にも機械の中にも私語の日記にも いっぱいある。いっぱいあると、わざわざ書いてもショウがない と放っておく。疲れ休みに、そういうのを瞑目のまま頭の中で文にして想っている。いくらでも出来る、が、やはり佳い創りの小説は簡単ではない。容易に成功 しない。

そんなにガンバッた事が云えるのに、仕事を離れれば心身の茫然は惘れるほど。飲食の、何にもどれにも気も湧かず手も出ない。

八時過ぎだが、今朝も七時半頃から休みなく、幾いろもの仕事や用事をつづけてきた。

 

 

* 明治二年に生まれた秦の祖父は昭和二十一年閏の二十九日に亡くなった。七十九、ウソのような長寿だと惘れていた、小学校四年のわたしは。しかし秦の父 は九十一、母は九十六、叔母は九十三歳で三人とも気の毒に東京へ移り住まって亡くなった。たまげた長寿だった、わたしはまだ還暦にもなってなかったろう。 だが、満八十三、今は。母に届くのには、もう十三年も野越え山越えねば。「最後の長編」を今書いてますなんて言ってはならんわけだ。

2019 1/5 206

 

 

* 日曜朝の討議番組(じつはいっこう討議ではなく、出席の識者が問われて答えるだけなのだが。)は、「昭和をかかえた平成の評価」「技術と人 間」の二大問題を掲げていて、心して聴いていた。此処の発言はさすがに聴かせるものがあったが、それにしても何という「遅々(おそおそ)」な問題の認識で あることか。

わたしは雑誌「myb」に「『平成』は穏やかな時代だったか」と問われ、独り、はっきりと「穏やかではおれなかったて『平成』」と七、八項を掲げ、否認 した。上の「時代の推移」に絡めてはアメリカ帝国主義というしかない「グローバリズム」に屈してきた政経の結滞と沈下、「機械技術と人間」に絡めては人間 の精神と知性が機械力に屈従し続け、危険なまで腐蝕の度を深めてきたことを、殊に指摘しておいた。

わたしの斯かる指摘はまったく今にはじまらず、前のも後のも遅くも前世紀の80年代から、繰り返し栗の返し此処でも「私語」を重ねてきた。なにより人間 精神の環境破壊と腐蝕を懼れてきた。「平成」のいましも終えてしまう今にしての識者らの「歎きブシ」は、こっちも悲しい。

どう元号が新たに変わろうと、「日本と日本人」の明日は、手さぐりを強いられる暗さの中で、無分別な人性放棄に陥りつつ「機械・技術」に奉仕し隷従して 行くことだろう。機械が日本人を根から変質させ、乗じて他国が、「日本と日本人を占領し労力化」して行き兼ねない。恐怖とともに予言しておく、日本と日本 人は正気を取り戻さないと、「家畜人ヤプー」へ現実に陥りかねない。

 

* 昨日わたしは、心身疲れたまま、或る一つの「史的で美的な推理」をほぼ「アソビ半分」に全うした、アタマの体操として。ちょっとキゲンはよかったのである。

 

* アレコレまったく忙しい。十七日には「湖の本」143が出来てくると、即日発送にはいるが、そのための用意もまた大方、躯を主に遣う。できれば、数日 の余裕をもって納品を待ちたいのだが、「選集」29巻を責了へコシを運んでおかないと、追うように「選集」30大冊の初校ゲラがドッサーと飛び込んでく る。

しかし何というても、昨日の「推理」も栄養にして長編小説を、しっかりした健康体で起たせてやらねばならぬ、第一に。或いは第二部まで「仕上げた」のか も知れぬが、それも「第三部(一応は<完>まで書けているのだけれど、まだ明らかに<未完>)」がシカと落ち着いてこそ云えること。まだまだガマンが大 事。

九時前。もう 二階仕事は限度。

2019 1/6 206

 

 

*  難しいことになってきた、途方もない別の小説が進行中の小説の中へ割り込んできて大手をひろげかねない。それもおもしろい、けど、仲をとり持ってやらねば ならない。その腕力を遣うのに疲れる。どうなるかと楽しみであるが御破算でみな崩れ落ちないと限らない。退く気にはなれない。

2019 1/8 206

 

 

* 八時前。また、ヤヤコシサに屈しないで小説へ戻る。

2019 1/8 206

 

 

☆ 年賀の歌  鈴木牧之の「北越雪譜」より

○ 年賀の 歌

余六十一還暦の時年賀の書畫を集む。吾国はさらなり、諸国の文人三都の名家妓女俳優健來舶清人の一絶をも得たり。みな牧之に贈(おくる)といふ事をしる したるなり、人より人にもとめて千餘幅におよべり、帖(でふ)となして蔵す。ひとゝせ是を風入れするため舗(みせ)につゞきたる坐しきの障子をひらき、年 賀の帖を披(ひら)き並べおきたる所へ友人来り、年賀の作意書畫の評論などかたりゐたるをりしも、順禮の夫婦軒下に(我が里言には廊下といふ)立(たち) けり。吾が家常に草鞋(わらんづ)をつくらせおきてかゝる者に施すゆゑ、それをも銭をもあたへしに、此巡禮の翁立(たち)さらでとりみだしたる年賀の帖を 心あるさまに見いれたるが云(いふ)やう、およばずながらわれらも巡禮の腰をれを申さん、たんざく玉はれといふ。乞食(こつじき)のやうなるすがたには似 気(にげ)なきことばのおぼつかなしと思ひながら短尺(たんざく)すゞりばこいだしければ

三途川(さんづがは)わたしは先へ百年(もゝとせ)も君がむかひをとゞめ申さん   五放舎

としるしたるふでのはこびも拙(つたな)からず。年賀にはひとふしかはりたる趣向といひ、巡禮に五放舎(ごはうしや =御報謝)と戯(たはぶ)れたる名も おもしろく、友人と倶におどろき感じ宿を施行(せぎやう)せん、ゆるゆるものがたりせんなど友人もさまざまにすゝめたれど、杖をとゞめずして立さりけり。 國は西國とばかりいへり、いかなるものにてやありけん。

 

* ほのぼのと胸に灯が入る。こういう短章の妙趣に『北越雪譜』満ちあふれている。どうしてもっと早くに出会っておかなかったか、しかし遅ればせにも出会えて真実嬉しい。

こういう嬉しさ・優しさ・人徳を、もう昨今のスマホ世間はとても生み出せないのではと嘆く。朝から夜中まで、テレビもネットも、世はあげて人類の愚民化を急いでいる。そう急がせている「何奴か」が隠れている。「精妙にして悪辣な機器・機械」でないことを念う。

2019 1/9 206

 

 

 

* 韓国は意図的に日本を挑発している、と、わたしは感じている。

朝鮮半島、中国、ロシアも日本を意識的に硬軟両面で包囲の自覚、明瞭に持っている。

アメリカも、最終的に日本が弱まりまた潰れても自国へ損害が及ばぬ限り、容易に見捨てるであろう。

戦争への強気を持った國々が合意で取り囲む「悪意の算術」という「外交」のいろはを、今、彼らは意識的に実践し、「日本」を挑発して攻撃への口実を獲ようとしている。

そんな明々白々の事態に、日本の売国政権も、無自覚国会も、御用達司法も、ほとんど何の有効な「算術」、「初歩の算術」すらも持ち合わせていない。金を使って古物の武器を買いつづけ、ポチよろしく商売大統領にひたすら手を擦っている・

あと永くて十数年の内に、「日本列島」と「日本人」とは、絶好の餌食として蚕食廃亡してしまうのではないか、危険性は、掌を指さすに近く濃厚と推測し憂慮し予言する、予言が外れますようにと拙に祈りながら、わたしは。

今の、若い太平楽日本人を眺めていて、國と命の存亡をかけた凄絶な闘い、とても出来そうには思われない。文明の便利に魂を抜かれ、世界に誇れる文化と伝 統とを、「国家・国民」という広い眼と堅い足場とで護りぬくど根性がもう立ち枯れているのではないか。はっきり云っておく、スポーツと芸能とで、しかもそ れをただ眺めて喝采しているだけで、「國」を護る力は養えない。大きなつよい意志を堅い縄を力あわせて綯って備えるには、共通して豊かに確かな「日本語」 が「国語」が「文藝」が生きていなくては。いま、日本語をだれよりも確かに口に出来る人は、「天皇さん」ご夫妻だけかと思うと、泣けてくる。

2019 1/12 206

 

 

* 「決定的に」少年のわたしを「先」へ押し出した「愛読書」は、と、思い出してみると。

一気にはとても思い出せない、が、ゆっくりと、順不同で。

2019 1/13 206

 

 

* 機械温まらず延々不調をガマンして此処へ辿り着く。ひたすら辛抱。その間「北越雪譜」を拾い読み楽しむ。また中村光夫の岩波新書『日本の現代小説』をも興深く拾い読む。午前、もう九時半に

なっている。

「私」という自身をさながらに構築した土台石のような書物を昨日から思ってきた。もう少し書き足さねばならない。

  •  国民学校、小学校時代

「現代語訳・古事記」 「小倉百人一首(ないし「一夕話」) 「家庭大百科宝 典」 通信教育教科書「日本国史」 頼山陽「啓蒙日本外史」 袖珍版「選註 白楽天詩集」 五冊本「唐詩選」 「般若心経」

  •  新制中学時代

豪華本与謝野晶子訳「源氏物語」 岩波文庫「若山牧水歌集」 岩波文庫「北原白秋詩集」 春陽堂文庫夏目漱石「こころ」 岩波文庫「平家物語」 岩波文庫「徒然草」 新潮社版デュマ「モンテクリスト伯」 樋口一葉「たけくらべ・にごりえ」 谷崎 潤一郎中公版「細雪」岩波文庫「蘆刈・春琴抄」 新聞連載「少将滋幹の母」 「天の夕顔」 岩波文庫バルザック「谷間の百合」 ゲーテ「若きヴェルテルの悩み」 ガードナーの処世エッセイ「道は開ける」など二册

 

  •  高校時代

岩波文庫「源氏物語」 斎藤茂吉自選歌集「朝の蛍」 角川文庫高神覚昇「般若心経講 義」 倉田百三「出家とその弟子」 島崎藤村筑摩版「家」「新生」  トルストイ「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」 エミリ・ブロンテ 「嵐が丘」 ドストエフスキー「罪と罰」 ホフマン「黄金寶壺」 創元社版「谷崎潤一郎選集」全六巻 志賀直哉「母の死と新しい母」「暗夜行路」 上田秋成「雨月物語」

 

  • 大学・院から上京初期

裏千家茶道誌「淡交」 美学者小林太市郎の本 「国民文学論」 角川版「昭和文学全集」全巻

 

寶文館山田孝雄「平家物語」 田邊爵「徒然草諸註集成」 岩波文庫「梁塵秘抄」 岩波文庫新井白石「西洋紀聞」 谷崎潤一郎中央公論「夢の浮橋」 森鴎外「阿部一族」「渋江抽齊」 幸田露伴「運命」「連環記」 円本徳田秋声集「あらくれ・ 黴など」 講談社版「現代日本文学全集」約百全巻 他に 研究書何冊か。

 

* つよく、切実に感化され影響されたと思える本や作のみ挙げた。およそ、こんなところか。

かなりの読書が、のちのちの創作ないし創作生活へ影響していたと分かる。

そして、これら以外・以降に大量の読書の日々があった。よほど貪欲雑食性の本好きであるが、通俗の読み物に惹かれたのは、「モンテクリスト伯」だけ。

2019 1/14 206

 

 

*   仏壇には、ひらひらした一册の表裏に経文があり、なかで「般若心経」に最もはやく心惹かれて、ふりがなのままワケ分からずに讀誦の習いをもった。たった二 百六十(二)字で、しかも色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 などと諳誦しやすい。ま、幼稚園 国民学校では そのようなお馴染みであったが、 「もっと識りたい」意欲は強まるばかりだった。そこへ、出来て間もなかった「角川文庫」に、高神覚昇『般若心経講義』が文字どおり洛陽の紙価を高めて売り に売れた、わたしは昭和二十七年九月初版の十一月再版を、乏しい小遣いを惜しまず「七拾円」を支払って買った、高校生だった。

解説の友松圓諦が書いている、この短いお経は、なまじいの講義ではとてもおはなしにならず、ゴツゴツと難儀な物と。それを、わたしにもついて行ける「講 義」にしてくれていて、じつに興趣ゆたかに教えられる名著であった。ことに、わたしは、講義本文以上にも、詳細な「註」を介して「哲学」としての「経典」 に魅了されていった、つまりは、概念としてのみこむのに「註釈」の備えていた構造感に呼び込まれた、ま、「受け売り」が幾らか可能になる特典を大いに多と したのだった。

「哲学」の二字に親しんだ、まさしく最初が此の「般若心経」であった。話し相手になってくれるだれ一人も近くにいなかった。

その角川文庫、背は貼られ、表紙は欠け、目次はバラけ、紙も印刷も古色赤然の一冊が、今も、わたしの左掌に持たれている。とてもとても棄てる、処分するという気にはなれなかった。

 

* 薄紙を貼り重ねながら不要を裂き棄てるようなことをしている。いいのかまずいのか分からない。この作を、本屋に売り込むなど考えていない。ただもう小 説が書きたい書きたいと思っていた六十年昔の青年の気分に戻っている。とんでもない、とほうもない、極限までバカげた妄想の網にひっかかって藻掻いてい る、幾分の楽しみを味わいながら。

結局この発禁ものの長編は、本には出来ないで棺桶に入れてもらうことになろうかも。

2019 1/14 206

 

 

* 「般若心経講義」に著者高神覚昇が二頁の「序」を書いている。単行本としての初版時であろう「昭和二十二年春」とある。わたしは昭和十年十二月に生まれており、この角川文庫版を手にしたのは昭和二十七年初版の再版十一月。

簡潔で適確な「序」で、今もたしかに頷けたのでコピーしたいと思ったが、紙の劣化著しく、真っ黒にしか写らなかった。

佛教の真義は「空」そして「因縁和合」と説いてあるのを高校生なりに深く頷いた感謝が思い出せる。

2019 1/15 206

 

 

*猛然文学の非小説と読んで親愛した梅原猛さんの死を東京新聞で知った、茫然自失、哀しみに堪えない。あなたまでもか。云う言葉がない。

親しんだ思い出は、 山のようにある。「墨牡丹」をかいたのを梅原さんがほめていたと聞いた。たまたま京都へ出向いたとき、ふと思いついて旧・京都美大(京都芸大)に就任さ れてまもない「学長」室のドアをいきなりノックした。どんな顔をした人か、と。初対面だった。突如としてわたしを日本ペンクラブの理事に引っ張り出したのも新 会長の梅原さんだった。京都中信の京都美術文化賞選者をともにし理事会でいつも親睦を深めたのも梅原さんだった。おそらくわたしを京都府文化功労賞に推し たのも梅原さんだったろうと想っている。「選集」を送れば受け取ったよと、ときに独特の悪筆で激励してくれるのも梅原さんだった。ときどき理事会で会長意見に 逆らって怒らせたこともあったがアトを引く人ではなかった。

嗚呼 わたしより十も年長だったのだ、重い病気も多年通ってきたひとだ、仕方ないかと想いつつも悲しい。

死なれるのはかなわない。

いっぺん梅原歌舞伎へと誘われながら観て上げなかった。

それにしてもあの悪筆、中村光夫先生と双璧であったなあ。

2019 1/15 206

 

 

* 毎夜 寝入る前に十種もの読書は当たり前に続いていて、そのなかの新顔で興を惹かれている一冊が杉田玄白の『蘭学事始』と、『三浦梅園集』 ことに後者は、江戸時代後期にめざましい力感で経済論「価原」を呈し、日本の哲学史に初の閃光を放ったが、この人の、いわば宇宙哲学ともいえて着実な人間哲学のおもしろさ、根底を衝いていて、脱帽する。えらい人はいたのだ、昔には。

今一冊、中村光夫の「近代の日本文学」史論に、痛いほどいまさらに教えられる。残念、論攷は、いままさにわたしなどが文壇へ登場の「直前」で終えられて いる。悔しいほど残念だが、このところわたしは、ま近い若い、と云ってもじつはもうトウのたってきた研究者を捉まえては、少なくも『敗戦後日本<文学> 史』をこそ書いてみせよと挑発しているのだが、ひとりとして、そんな大きな意欲も力も持たぬらしい。文学研究の大きな一端は「年譜」が書けるかで示され、 もう一端は或る程度の時代区分と認識とに徹して「文学史」が(或いは包括と検討と評価に徹した「作家論」が)書けるか、で決まる。爪楊枝で石垣の隙間のご みを穿鑿しているような「研究」感覚では、学問は、前途への大きな証明にも照明にもならないだろう。

2019 1/16 206

 

 

* 八時半。小説「ある寓話」は、えらいことになってきた。譬えては畏れ多いが出雲の大注連縄のように二筋のはなしがひしと縒り合わさってきた。わたしの非力で縒り締められるかしらん。こんなことに成ってくるのだな小説というのは。

発送をいっそ幸便に、数日、堪える。想いかつ案じる。

 

* 日頃年頃付き合って果てしないにかかわらず「天地の条理にいたりては、今に徹底と存ずる人も不承候」と十八世紀の哲人三浦梅園は云う。

「なれ」「なれ」てしまい「是が己が泥(なず)みとなり、物を怪しみいぶかる心、萌さず候。泥みとは、所執の念にして、佛氏にいはゆる習気にて候。習気 とれ不申候而は、何分、心のはたらき出来らず候。」「とかく人は人の心を以て、物を思惟分別する故に、人を執することやみがたく、古今明哲の輩も、この習 気になやまされ、人を以て天地万物をぬりまはし、達観の眼は開きがたく候」と。

「習気」とは、くせ、思い込み、まさに無反省な「泥(なず)み」「所執の念」のこと、バグワンは「マインド・分別」の習気を云い、「ドンマイ」とわたしを叱りつづけた。

2019 1/16 206

 

 

* あの敗戦後に日本流に謂う米進駐軍内の乃至は関係の目利きらが、選り抜きの日本の美術品を、幸いに没収や破毀でなく買い上げて持ち帰り、美術 館に買い取らせることで保全を得ていたというテレビ番組を昨日観た。ああこれが「戦争に負ける」といいうことの残念極まる文化破壊だと悲しみつつ、それで もおおかたが無道な破毀破損に終わらずともあれ「美術文化」として佳い環境で守られたことに感謝の思いも抑えられなかった。

世界史的にも、多くの戦敗ないし被占領国のかけがえない文化文物が、とれほど多く没収され無意味に破壊破毀され乱暴と汚辱のうちに泥土と帰したかを思え。

「戦争をして負ける」という無惨さには、人的な最大不幸とならんで誇らかに愛しい文化文物の被害が確実につきまとう。自然はまだしも自力で回復の力をも つが、暴力で喪われた無数のすばらしい文物またその技術は取り返しが付かない。奪われてはならぬ。奪わせてはならぬ。守り育てねばならぬ。

「戦争をしないで國の人と自然と文化」を安寧に確保する「政治・外交」こそ絶対に必要なのだが、そのような宰領・采配を、国民は、今、だれに信頼できるの か。少なくも確かな「国語」の能をもたない安倍・麻生なみ不勉強の政治屋たちには、到底期待できない。ではクイズが得意な東大卒なら出来るのか、とてもと てもそんな次元のオツムの問題ではない。

真実「愛国」の資質と能力なき政治家は、害悪に同じい無為か屈服の売国へ趨ってしまう。日本は、いましも、明瞭に、奪いたい害意に取り巻かれている。政治は、国土保持の保全にすら意を傾けていない。いたるところで、国土は外国の金に買われ続けている。 2019 1/17 206

 

 

* 少なくも残る三巻の選集の二巻には小説・創作を加えておきたい。何方かが、全書誌をと言って下さってたし、最終巻にはそれも考えていたが、それは或る意味ではわたし自身の仕事ではない気がしている。可能な限り三巻分とも小説のために取っておきたい。

ただ、いま書いている長編のうち一作は、少なくも定価のついた「湖の本」では剣呑に想われる。非売本の「選集」収録が穏当に想われる、が、書き上げるこ とこそ第一。作者当初の意図を踏み越えるように作が勝手に発酵していて、取り押さえられるのか、それが心配。それも楽しみだけれど。

2019 1/18 206

 

 

* 杉田玄白の『蘭学事始』をも、面白く読み進んでいる。

 

* なぜこんなに今、「読みたい」のだろう。これまで読んだ物も、まだ読んでない物も、そして自分の書いてきた小説や主な論攷も、みな読んでおきたい気がする。生き急ぎ、か。余儀無し。

2019 1/18 206

 

 

* 日本酒が切れたので、12年モノのオールドパーを飲みほし、12年モノのシーバスリーガルを美味しく戴いている。「湖の本」を送り終え、次には「選集」第 30j巻の初校が出てくるまでに、落ち着いて心して創作を先へ追いたい。いま絶好の集中時になっている。落ち着いて落ち着いて落ち着いてよく読み返し返し 徹底した推敲に集中したい。もう一月も下旬に向かっている。時の滑りの速いこと。

2019 1/19 206

 

 

☆ 白楽天の五言古詩に「春遊」があり、こんなふうに諷している。

 

馬に上りて門を出づるに臨み 門を出でて復た逡巡す。

頭を廻らして妻子に問ふ、応(まさ)に怪しむべし春遊頻りなるを。

誠に春遊の頻りなるを知れども 其れ老大の身を奈(いかん)せん。

朱顔去りて復た去り、白髪新たにして更に新たなり。

請ふ君十指を屈し、我が為に交親を数へよ。

大限 年百歳、幾人か七旬に及ぶ。

我れ今六十五、走ること坂を下る輪の若(ごと)し。

仮使(たとひ)七十を得せしむるも、祇(ただ)五度の春あり。

春に逢ふて遊楽せざるは、但(ただ)恐らくは是れ 癡人。

 

* 六十五歳で白楽天は歎いている。わたしは、いま八十三。唐の古代と平成の下限をならべみれば、似たところを歩んでいて、たとえ「九十を得せしむる」なら、なお「七度の春」があると、そう思い思い

「癡人」の謗りを嗤って なおなお「春遊」を諦めてはなるまい、が。

2019 1/20 206

 

 

* 小説「ある寓話」 じりじりと煮詰まりつつ。所詮名作でも秀作でもなく、このよへ生まれてきたわたし自身のきついこだわりを、ま、よほど気に乱暴に祈り籠めたようなただ結び目の長編になるだろう、うまくすればもう一編の『清水坂(仮題)』も、また。

幸いにこの二た山を越えうれば、また先へ書きまた語る嬉しい時が戻ってくれるかも。

2019 1/21 206

 

 

* 明日には、『選集』第三十巻の初校が出揃うてくる。いよいよ『選集』も最期の大台に乗るのだ、体調をシカと作ってしっかり対応しなくては。そのためにはシッカリ新作の長編を仕上げねば。

2019 1/21 206

 

 

* 冒頭にいわば私自身の「総論」ふう三編をあえて置いた、うち巻頭二編を読みかえし、納得した。私なりに「選集」の批評を呈しうると思う。

2019 1/22 206

 

 

* ほんとうにわたしは八十三の老耄であるのか。わたしが毎朝毎晩苦慮に呻いて書き継いでいる小説はまさしく恋愛と思慕と愛欲の老境 「オイノ・セクスア リス 或る寓話」なのである、及びもつかないが、しかし目のマン前から瞬時もおかずいつも菲才のわたしを睨んでいる写真・谷崎潤一郎の晩年には絶妙の「夢 の浮橋」あり呵責ない「鍵」ありしたたかな「瘋癲老人の日記」があった。書き上げたい、そのためには容赦なく書ききれる体力を保たねば。疲れ果てて寝入っ ていては意味がない。

2019 1/24 206

 

 

* 妻が歯医者通いの留守、思うほどは進捗せず、じっと辛抱。ただ。この三月、二た月かけて、自分が何を書こうとしてきたかは、しっかり見えてきた。存外 にこの長編は、変は変なままに処女作からすくなくも長編『生きたかりしに』までの諸創作を束ねて結ぶ意図せざりし意図へにじり寄っているのかも知れない。 作者が作者を解説にかかった按配なのかも知れない。凍えたような血と熱い血とがとっ組んで泣いているみたいで、笑える。

2019 1/25 206

 

 

☆ 少し落ち着かれましたか。

お酒の呑み過ぎも水分不足もよくないですが、水分の取り過ぎによる「水毒症」というのもあるそうです。

 

腎臓の処理能力を超えると、細胞が膨張して低ナトリウム血症を引き起こし(特に脳の細胞はデリケートで影響を受けやすいそうです)、(胃)腸機能の低下、口の渇き、疲労感やだるさ、神経過敏や注意力低下、頭痛、めまい、吐き気、痙攣、昏睡なども。

脛を指で押して指の跡が残れば、その部分の細胞が膨張している証拠だとか。

 

水分補給は少量をこまめに、体を動かして血行を良くすることが大切とのことです。

 

『湖の本』、読み終えてからメールをと思ってましたが、ちょっと気になったので。

こんな心配は無用なら、その方がいいのですけれど。

 

せっかく先週のうちに送って下さったのに、今週は何かと立て込んでしまい、車中での読書もままならずでしたが、まずは「美の散歩」、次いでそうした日々の中で紡ぎだされた「秦テルヲの魔界浄土」を、タイトルも興味深く読みました。

 

(この講演、4頁に「2003年」とあるのは「2004年」の誤りですが、日にちも「1月16日」ではなく「17日」ですね。

 

「美の散歩」184頁にも2004年1月「16日」に「講演無事終えた」と記してますが、15日に「明日夕刻前に打ち合わせ」とあり、18日に「昨日」国際美術館の閉館式があったのに臼井さんが来てくれたとあるのですから「17日」のはず、と疑問に思って調べましたら

 

 

 

「日時:2004年1月17日(土)13:30~15:00

 

講師:秦 恒平 氏(小説家)

 

演題:「秦テルオの魔界浄土」

 

会場:京都国立近代美術館1階講堂

 

聴講料:無料

 

定員:先着100名

 

※当日午後12時30分より美術館エントランスにて整理券を配布。 」と判明しました。)

 

「秦テルヲ」との出会い(といっても、本物はまだ見てませんが)はいつだったか、何を見たかは覚えてませんが、第一印象は「こわい」―でした。

 

「過去未来にわたって想像の垂線に沿い上下する」のが性に合ってる(「清水坂」もそのような作品と推察してますが、もう一作の方は秦さんの「魔界浄土」になるのでしょうか)にしても、時には「現在の地面や水上を平ったく動きまわる」ことも必要です。

 

出掛ける目的地が考えつかないなら、久しぶりの「美の散歩」、行けたらと前に書かれていた竹橋の美術館の特集展示あたり、よろしいのでは。会期中に、インフルエンザの流行も下火になるといいですね。  葦

 

* 上の年次日付の齟齬など、責了のころには気づいていたが、妙にメンドクサクて、調べれば分かることと放置した。いい態度はないが、このアタマと視力で の誰の補助もない大仕事で、言い訳にはならないが沢山な誤植があろうと思っている。三十三巻の大尾をまち、次は第一巻から叮嚀にかつ楽しんで読み返しなが ら、正誤を拾って行きたいと実は切望している。谷崎先生も、そんな思いを吐露されていたのを覚えている。

 

* メールの人の名乗りは「考える葦」とみて似合うが、「葦(い)」字には小舟の意義もある。人類史にもっとも基本的な最初期ののりものであったろう。舟は、自身も他者をも搬んでくれる。

 

* 今も手にしている『新編熟語字典』は内海以直という人の「編纂」になり「大阪」の「又間精華堂」から「明治三十九年十一月十日発行」された和装和綴 424頁、現今の文庫本大ぴったりの実に手触りやわらかな一冊。表紙の手ずれは著しいが糸綴じはまだシッカリしていて、久しい便利愛玩の「字典」。発行時 まだ八歳の秦の父の持ち物ではありえない、やはり祖父鶴吉の蔵書であったろう、感謝している。「目録」(目次)をみると「イロハニホヘト」の順になってい て、巻頭は「イ部(ヰ部併記)」とあり、「依」「位」「意」などにはじまり「一」になって中に「一葦(いちヰ)」「チサキフ子 ヲイフナリ」と、無数の熟 語の説明はこの程度で済ませてあるのが、かえって端的で思い惑わない。「イ」項のずうっとウシロ四字熟語には「一葦帯水 チカキアヒダヲイフ」も在る。昨 今一般に「一衣帯水」とこの機械でも即出てくるが、水面に細い葦一筋を隔てたまぢかと想えば、「衣」より「葦」がふさわしくはないか。

 

* ついついこんな詮議で時間を費消してしまうのがわたしの、ま、煙草代わりなのである、が。

2019 1/26 206

 

 

* 朝から、超細字の文献をイヤほど読んで、ほとほと降参しているが。読みかつ調べてものごとを納得するのは興深い務めではあるのである。

両腕で胸を抱いて瞑目すると全身がひびくように鼓動している。やすみやすみ。またやすみながら仕事はやめないでいる。

2019 1/26 206

 

 

* コツコツと「選集」29巻の送り出し用意にもかかっている。今度の巻はわたしの文学生涯に省くことのならない歌集『少年』『老蠶(光塵・亂聲)』に加 え、「名鑑賞の極」とまで喜んで貰えた詞華集『愛と友情の歌』をとり纏め「秦 恒平選集」を自愛の結びへと近づけた。ことに後者の詞華集を私の詩歌に寄せた愛の深さと受けいれて戴ければ嬉しい、自分もふくめ、たった200册しか送り 出せないのだけれど。

2019 1/27 206

 

 

* 堅い壁に身も気も削っていて、しんどい。ガマンの日々をもうよほど重ねている、が、ガマンしてアキラメない。疲れは、寝て癒す。六百頁にせまる「選集30」の初校も疲れを癒やすのによく役だってくれる。仕事をしているのが、結局は憩いであるのだ。

2019 1/27 206

 

 

* 「湖の本」143分の印刷所と黒猫ヤマト送料、そして郵袋分の支払いをしたら、「湖の本」分の蓄え預金が、創刊満三十三年を直前についに完全ゼロになった。成り行きはとうから見通していて、ちっとも驚かない。今後は、生活費のための預金から不足分を足して行けば済む。

「選集」分の、まるまる持ち出しは、東工大時代の給与賞与退職金の全部と年金とで、残る五巻分、ほぼ予定通りきっちり支払って、それで通帳はカラにな る。郵送費がバカ高くなり、収録増も必然考慮してきたのでよほど窮屈だが、有り難い喜捨も折々に戴いており、よくよくの事故がないかぎり、無事「選集」は 完結できるだろう、とうてい「全集」ではあり得ないが。ちなみにわたしの勘定ではもし「秦 恒平全集」となると、厖大な生涯の日記や未収録原稿も加わり、もう三十三巻加えても、とても足りないだろう。できるかぎり「秦 恒平・湖の本」は算盤など抛ったまま、続ける。

それより何より、「残年の健康」を大事に考慮し用心していないと、みながハンパに終わる。

 

* 死なれた多勢が頭を過ぎって、思わず心身のこわ張っているときがある。その疲れがしみじみとある。

 

* 元・青山学院大学長、元・福田歓一東大法学部長の夫人、現・滋賀県知事の三日月大造さん、大阪の石毛研究室の石毛直道さん、歌人の尾崎左永子さん、京 都の陶芸家松井孝・明子夫妻氏、そして東海学園大名古屋図書館からも 「湖の本」143へ 受領等の叮嚀な謝辞や挨拶があった。

 

* 天理大からは「選集」二十八巻への礼が来ていた。

 

* 一箇所を通り抜けた、か。書こうとし思案し歯を噛みしめてしまい、痛くて。それぐらいはショがない。見えない疲労で瞼が塞がってくる。少なくももう数 カ所越えずに済まぬ難所が残っている。そう分かっているだけで助かる。とほうもないバカを遣ってるのかも知れないが、えやないかと半分がた諦めている。

2019 1/30 206

 

 

* 今回の「湖の本」 反響広がっていて、思いの外。一枚の写真も入れられなかったので、文章として「読んで貰える」ことを大事に思っていた。文章は、志賀直哉のように書きたいといつも願っているのだが、問屋が卸さない。

2019 1/31 206

 

 

* 穏和な季節のうつりゆきが日本国土のあたかも美徳であったのが、すっかりグローバルな乱調子に巻き込まれ、以前のままの季節感が感触しにくい。とほうもない損をしている心地。

2019 2/1 207

 

 

* 父親の幼い娘の虐待致死、教育委員会の情けないバカな自失の狂態。

機械ひとつに繋がれてはるばる禿頭の男を訪ねて殺された女子大生。

手玉に取って金を借りに借りた男への借金返済を、縁談のよしみと天皇さんにまで直訴しようとしたとかいう、宮家内親王の恋人家族の珍にして怪。

こんなのばっかり。

男はきらい 女バカ とわたしが謂うとき、男へも女へもはっきり「畏敬」「敬愛」の「褙(うらうち)」がしてある。惚れることの可能な相手こそが望まし く、むりな相手へは気を入れない。ごく普通に交際するか離れている。惚れてくれないような男女ではとくべつの意味合いが湧いてこない。「愛読者」をわたし は何より大事に想うのである。「身内」というに正確に近いから。

 

* ムッチャクチャの小説世界に投身して、アベノリスク日本にサヨナラしたくなる。

幸い、今日は、じりじりと匍匐前進らしき体験を自身に許容できた。

 

* 八時にならないが、強いて走り過ぎ書きすぎては不味い。もう今晩はほかの仕事をしよう、二階でも階下でもよし。

2019 2/1 207

 

 

* 機械のご機嫌を待ちながら読んでいた三浦梅園に、「約をいるゝる事、牅(よう)よりす」と、また教わった。進んで人に説くには、先ず其の人の理解しや すい所から説くべし、と。哲人梅園の「多賀墨郷君にこたふる書」は、そのお手本のように「天地の条理」を説きかつ伝えようとしている。

こんな面白くよく出来た、しかも藤の花が詠んだ和歌をも、梅園は利している。

思ひきや堺の浦の藤浪の都のまつにかゝるべしとは

堺の浦にみごとに咲いていた藤の噂に、ある天子は寄越せと都へはこばせ移し植えた、その晩に天子の夢に妙なる美女があらわれ嘆いて歌ったのである。

藤と、まつ(都で待つ 都の松) 浪と、かゝる  藤はこらい松の緑と濃い縁をうたわれてきた。「和歌」という表現のおもしろさ、美しい律の「うた」を嬉しく受け取れる。即、梅園の何を説くとかかわりなしにも楽しめてしまうのがつまり「和歌徳」なのである。

2019 2/2 207

 

 

* 次の次の「選集30」でわたしは「文学と(大勢の)文学者」を読むことで前半の三分の二を締めている。夏目漱石について、ことに作品「心 こころ」に 関しては戯曲や上演台本も含め、「選集」第十七巻で、また谷崎潤一郎については、「選集」第二十、二十一巻両巻を挙げて収録してあり、第三十巻にこの二人 の文豪に関わる文章は入れていない。

 

* 落ち着いて、ガマンして、一行でも二行でも物語を掴み出したい、今日も。もう午ちかくなった。

 

* 食後、夢のような景色に逢い、そしてはっと機械の前で目ざめた。窓から頭を出し外の路を見ていたが寒くなかった。また機械へ戻ってきた。

途方に暮れている。何とも、はや。

2019 2/2 207

 

 

* 『日本の出版業界はどうしてこうなってしまったのか』と題し、日本書籍出版協会専務理事の中町英樹氏が「本の未来研究会リポート」として日本文藝家協会会議室での講演録を、文藝家協会が会報に添えて会員である私にも送ってきた。

一読、失礼だが、笑ってしまった。わたしが「秦 恒平・湖の本」を創刊した三十三年もむかしにすでに予見できていたことだ、すでに143巻、今も障りなく「湖の本」は刊行されつづけ、一巻ごとに、書店に 並ぶ単行本と同量ときにそれをも凌ぐ内容を保持し続けているが、出版界の成績の惨憺たること、中町氏の講演が示す各種の数字、なにより講演の表題そのもの が無惨に表している。

わたしは出版業という商業を念頭に置いていない、何よりも「創作と文学・文筆」に深く強く愛着してきた。もしわたしと同じ思いの文筆家らに有効に示唆す るなら、文藝家協会は上記講演の表題よりも、むしろ率直にこの「秦 恒平・湖の本」という稀有の例を以て、会員諸氏の自覚や奮起を促すというのが本筋であろう。

文藝家協会を現に会長として率いておられる出久根達郎さんは、有り難いことに「湖の本」創刊の昔から今も「継続購読」して下さっており、一作家による「作家自身の文業」を「三十数年、百五十巻ちかく」刊行し続け得てきたのを、よく知っておられる。

いまでは、「秦 恒平・湖の本」そのものを手にもし承知もしている文壇・各界の人は実は千、二千に止まらないのが事実なのであり、だが、それを口外し評判するのは「タ ブー」のようですよと笑って告げてくれる人もいる。亡き鶴見俊輔さんはわたしと対談の折も、秦さんの「湖の本」につづく書き手が十人もできるといいんだが と述懐されていたのを、はしなくも中町氏の慨嘆講演録を読み、わたしは痛々しくも思い出した。

但し鶴見さんは明言されていた、「湖の本」に続くには、何より自身文業の質と量とを持ち得ていること、編輯・出版の技術を持っていること、そして家族の協力 が絶対的に必要ですがね、と。

 

* 第三部をこまかく推敲しながら読みすすめて、展開にヘンな遺漏なきよう地がため。

2019 2/3 207

 

 

☆ 前略

湖の本143 ご恵贈 ありがとうございました。 高齢のため(一九三○生)、心ならずも購読の継続を断念したものにとって 思いがけない贈りものでした。

母方が秦姓なので、ずっと関心をもっておりましたので「ハダテルヲ…」は興味深く読ませていただきました。

練馬美術館も近いので、わりあいのぞきますが、二○○三年の展示は存じませんでした。

湖の本122册 選集三冊も ハードカバー本数冊と共に愛蔵しています。

いつまでも ご健勝で。 お礼まで  草々  一月 雪もよひの日   杉並区  江藤利雄

 

* 嬉しい有難いお便り。こういう方々に私の文学・文藝と「湖の本」とは支えられてきた。わたし自身がいまや八十三歳、受賞以来の作家生活満半世紀、しぜ んと読者の大勢もわたし以上に高齢で、亡くなられた方ももう数え切れない、積算されている出版赤字がもう相当なのは当然の成り行きであり、だが、わたしは それも苦にしない。文学活動のために生まれて、五十年も本や原稿で稼いできたものを今こそ「秦 恒平・湖の本」「秦 恒平選集」のためにつぎ込んで遣いきって何が惜しかろう。大事なのは、もうこの上に怪我や大病はせずに、気力を充たしてなおなお「可能性」へ向け生きて努 力することだ。

 

* 我慢よう、粘って書き進んでいる、まだ幾フシもの我慢・粘りが要る。

 

*  梅園の謂う、諸事万事「泥(なず)み」という「習気」 「慣れ癖」という「筈」依存。これあるうちは深層の真相真実へは定まって行けない。これほどの真実は無く思われる。

2019 2/5 207

 

 

* もう三時。ここへ「私語」が来ないのは、仕事に向き合うているということ。ただし、ときどき休息して長大で胸の痛くきしむ激変の革命映画「ドクトル・ジバゴ」を「継いで観もしていた。「革命」などといえど悪しき支配の権力・権勢がただ交替し人格が喪われて行く、だけ。

そしてわたしは今、放埒無慙な最後ッ屁を放とうとしている、のかも。雑然とまとまりに欠けながら整然と構築された無慙な物語になろうとしている。悲惨の二字が加わるのかも知れない。わからない。

 

* 「ドクトル・ジバゴ」 これぞ凄い映画作品の第一級だった。革命の無残もさりとて、この「愛」の画きかたも頭抜けている。いい作に出逢えて嬉しい。

2019 2/6 207

 

 

* 機械の煮えがことのほか遅く、じっと我慢して、そのあいだ『風の奏で』上巻を手にし読み始めていた。わたし自作のほとんどに愛着を喪っていないが、ことに「風の奏で」は愛着ことに深切で、この世界、堪らなく懐かしい。

ま、いわば『慈子』も『畜生塚』も『清経入水』も『秘色』も『みごもりの湖』も『隠水の』も『冬祭り』も『四度の瀧』も、いささかの差異なくわたしはどの作のヒロインたちも真に「身内」として深く深く愛している。

わたしは「文学」を創ってきたという以上に愛しい「ヒロイン」たちを創ってきて、常に倶に日々生きてきたのである。深くまことに愛するが故に、ただただ 恥ずかしくない文章・文藝をそれら世界へそそぎこみたかった。いまも、『風の奏で』を久しぶりに読み返し始めて、文章・表現に些かの遺憾も無いのを自認で き、思わず嬉しく胸をなで下ろせた。

わたしのヒロインたちは、虚構・仮構の生命でありつつ、すくなくも私一人とは万世生き続けてくれる。その確信がわたしの「文学」であり、「生きる」実感であり、世の諸作者のことは知らない、凡そ。べつの次元に在る、のである。

 

* いま、まさにもう一つの奇妙の世界を創ろうと日々苦悶している。苦悶、良いと思う。

 

* 太宰治が芥川賞を欲しいとあれこれしたとき、選者の一人であったか川端康成は苦言を呈していなかったろうか。だが、わたしは観る気なかったが妻の観て いう限り、川端と三島由紀夫とをとりあげたテレビ番組では、二人ともノーベル賞が「欲しくて欲しくて」堪らずに、三島より年長の川端は自分が先にと熱望の 余り三島に「推薦」を懇望してやまなかったというハナシ。

正体見たり。そんなのは、ハッキリ言って根から察し得ていた。まことに、バカらしくバカげたハナシだ。けれど、作品は見捨てたりしない。

2019 2/7 207

 

 

* 自身にとってまさしく刺激的ないよいよの場面へ、ぎりぎり寄ってきた。今一度、第一部、第二部を慎重に点検して第三部との致命的な齟齬がないかを調 べ、その上で吶喊する。じつはこのところ「湖の本」も「選集」の仕事も、意識してワキへ避けている。此処を乗り切ってしまうしかない。

2019 2/7 207

 

 

* で…、いよいよ一等ムズカシイところへ割って入らねばならぬ。凝然。アタマへ綺麗な寒気でも容れてこないとイカンかな。

 

中村光夫『日本の近代小説』を、「敗戦」の頃まで、ペン片手に気 を入れ読んできた。沢山なたくさんな諸先達の作家の足跡をみてきた、幸いわたしは、新婚の貧の貧の中でも講談社版『現代日本文学全集』を一巻一巻買いとと のえて全百巻余をつぶさに教科書のように諸年譜ともども愛読した往年を経ていて、次から次の作家の名も作もアタマにあり、多くの代表作を敬意を払って読ん でも来ている、中村先生のきびきびとした口跡で教えられる大方が水のしみるようによく分かり、時に目を閉じてジイッと固まってしまう。この本は昭和四十四 年の日付で出ていて、実におなじ此の年の桜桃忌にわたしは作家として文学界に登録されたのだ、この著者中村光夫の授賞講評をもらって、だ。

 

* 五十年の作家人生には、幸いにイヤなことよりも嬉しかったことが何度もあるが、あれはいつころになるかピアニストの中村紘子のリサイタルに招待された 晩、その会場に中村光夫先生も見えていてご挨拶したとき、先生はわたしの肩に手を置かんばかりに近寄られ、小声で、「あんたのような人が、もっといなくて はなあ」と殆ど嘆息されたのを忘れることができない。「このまま行こう」とわたしはあのときこころを決めた。

過ぎし昔を偲ぶのは、わたし自身のいわば衰弱であるのかも知れないが、わたし自身のさまざまな作家としての記憶のなかに、いわば「敗戦後・平成の日本文学」に対する厳しいアンチテーゼを呈しうるのなら、それは後々の文学史家たちのためにも必要と、ほぼ信じている。

 

* 選集第三十巻の口絵写真を入稿した。

2019 2/8 207

 

 

* 長編。手探りでクライマクスへ進んでいる。じりじりと。じりじりと。深い濃い闇へ足を踏み入れる怖さ。創作は、それ以外のなにものでもないのだが。

2019 2/8 207

 

 

* 小説、ただもう、じり、じりと足先の闇を踏んでいる。もう今日は堪えよう。書くから、読むへ、そしてやすむへ。

あの昔の「般若心経講義」は高校生にも愛読でき、決定的な何かを心柱へ加えてくれた、それにくらべ今読んでいる中公新書の「法華経」は、わたしのような 一般の読者を斟酌無く、モーレツに難解で観念のままをつき出され、身に沁みて法華経の有り難さが伝わってこない。やたらに佛教の原語を羅列してあり、わた しの未熟は云うまでもないけれど、なにも有り難くは身についてこない。例文をあげて問いたいけれど、ただただヤヤコシイので、こっちの根気がもう消耗して いる。語義はわかる。組み合わせた論理もわかる。しかし「法華経」の「妙」が嬉しく優しく尊く説かれていない。伝わってこない。 2019 2/8 207

 

 

*   ひとしお寒く機械の煮え立たぬこと延々。『北越雪譜』に「削氷」のことなど楽しみ読む。筆者の鈴木牧之のおりおり書き入れている歌にも穏和な到達感がう かがえ懐かしい。或る年の晩夏、三国嶺をこえた時 「谷の底に鴬をきゝて   足もとに鴬を聞く我もまた谷わたりするこし(越)の山ぶみ」とあるなど、述 懐の拙ならざる心境と聞いた。「削り氷」また「氷室」について和漢縦横に歴史を観じながら独自の見解見識を楽しむ筆致など、敬愛できる。

 

* 三浦梅園は真の見識のためには「習気」「泥み」「慣れ癖」「筈という根拠無き思い込み」を排し、「平生慣れて常とする事」をこそ「疑の初門」とせよ、 読書して見識を誇るのは浅いあやまりに陥りやすく、「最初書によるもよく候へども「執する所ありて、徴を正にとらざれば、是また大習気の種子」「書」は往 々「大習気(勝手なまちがった思い込み)の種子」なれば心して欲しいと教えている。

 

* 堂も気になるので昨夜苦情を述べた「法華経」を説いている中公新書の一部をひいておく。じつに興味深くかつわたしは教えられている、のだが、分かる者 だけがわかれば良いと言うほどの難しい字や言葉がならぶ。あの『般若心経講義』だと、こういうところを高校生の耳にも入るようにいろいろに深切であった が。

 

☆ 『法華経』 「天台の法華思想」より

空とは、人間に対して神を、凡夫に対して仏を、悪に対して善を、総じてAに対してBを固定的に対置することを否定したものであった。ABの対立をこえた 不二のところに存在の究極的な実相、それを支える真理(法)があるということである。ここから、天台の絶対観も打ちだされたのである。真の絶対的な神ない し仏あるいは善は、人間・凡夫・悪との対立を突破・超絶したところに存するので、そこのところを絶待妙と呼んだのである。

このような絶対観から、さらに次のごとき論理が展開される。すなわち相待妙では、相対的存在(麁)を相対なるものとして否定し、破り捨て、それに対して絶対的存在(妙)を立てるので、そこで「開麁顕妙」と 定義されてくるのである。わかりやすくいえば、ふつうは人間を否定し捨てて、絶対なる神が立てられるが、そのようにして立てられた神は真に絶対とはいえな い。真に絶対的な神は、人間との対立をいま一歩超絶した不二のところに見られるものである。それを積極的にいえば、真に絶対的な神においては、人間はその 中に包みこまれている。これが「開麁顕妙」ということである。

これを逆にすれば、人間の中に神を見るということになる。「開麁顕妙」の絶待妙ということから、現実の仮(け)の世界、麁(そ)なる存在へ還帰し、それが生かされてくるということである。空につ

いていえば、AB二の仮からAB不二の空に入ったのであるが(従仮入空)、そこで不二・空に停滞するのではなく、真の不二・空は而二(にに)の仮へもどり(従空入仮)、それを生かすものである。天台 宗六祖の妙楽湛然が『法華玄義』をさらに注釈した『法華玄義釈籤』の巻第七上で、「不二にして二、二にして不二(不二而二・ふににに、二而不二・ににふ に)と主張したゆえんである。小乗教徒は、不二・空に停滞し、現実世界に再入して、それを生かすことを忘れてしまった。その結果、濃厚なニヒリズムにおち いったのである。

ここであらためて注意すべきことは、人間の中に神を見るとか、現実界に降りてそれを生かすといっても、人間をそのまま神とし、現実をそのまま絶対と肯定 するのではないということである。人間は神ではなく、現実は有限・相対な世界であることは厳然たる事実である。その事実をふまえたときは、人間に対して神 が立てられ、現実に対して絶対が立てられねばならない。すなわち、相待妙が説かれる必要性がここに存する。いいかえれば、「開麁顕妙」の絶待妙は、そのような事実を無視し、人間をそのまま、現実をそのまま絶対なるものとして肯定することではないので、その意味では

「破麁顕妙」の相待妙を中に含むものである。従仮入空(じゅげにっくう)から従空入仮(じゅぐうにっけ)へ、さらに両者を総合した中道第一義が立てられ、即空即仮即中の円頓止観ないし一心三観が、しめくくりとして説かれたゆえんである。

 

* Oh! 単簡の論調論旨として読み取ることはわたしにも難儀ではないが、語や文字の真意に徹到して破顔一笑、おもしろい、よう分かったなどとはとても 一市井の読者としてはくっついて行けない。佛教大学の学生の教科書にならともかく。「新書」版というのは、初心の読者にも「親切な深切」本であってもらい たいよなあ。

 

* 法華経を誹ることは固く控えたいが、天台本覚の議論は煩瑣な観念の組み立てに成りすぎていないか、わたしには浄土三部経のほうが入りやすく受けいれや すい。ことに往生之業念仏為先と極めた法然「一枚起請文」の徹底で、無用の懸念の脱落がほぼ実感できる。それが有り難い。法然の「選択本願念仏集」は「一 枚起請文」の徹底よりは論旨多大であるが、趣意簡明で承知し納得しやすい。大正末年に日本古典全集刊行会が上製文庫判の第一回『法然上人集』を出したのを わたしは古本で手に入れ、座右に離さない。 2019 2/9 207

 

 

* 疲れやすみに下へおり、やっていた市原(弁護士)の法廷ドラマで、安達祐実の芝居に泣かされた。結婚していなかった父と母の娘として不運・不幸に育ちながら父と母とを愛しつづけていた娘の物語だった。

わたしも、結婚できずに別れ別れの父と母とが産み落とし他人に育てさせた子であり、上の安達祐実の役の娘のように純然と両親を愛するということなく、拒 み通して父も母も愛さず大人になって結婚し、親にもなった。そのことで不幸という実感はほとんどもたなかった、愛の幸せは他人から真実の「身内」を得て育 てるのが本当だと確信しつつ大人になったし、老境の今もそれこそが真実だと疑っていない。簡明にいいきればわたしの文学は「身内」の可能をしっかり意識し て求める文学世界。安達祐実の芝居に泣かされたけれど、「おれのとはちがうなあ」である。

2019 2/11 207

 

 

* しんぼうよく、根気よく、食いつくように、この十日ばかり難渋して書きついだ文章を読み直し書き直しまた繰り返していた、目が見えればもっと頑張れる かと思うが、此の文字盤もうすぐらい蔭のようで、ただ心当てに捺している。有効にコトが進んだのではない、コトを運ぶ瀬戸際へ辿り着いただけ。しかも、も う一と展開の想も萌していて、オイオイ、マダかよとすこしはボヤク心地ですらあるが。慾ハイはかかず意欲的には慣れる限りと願っている。想うだに難しい荒 い水際へ逼っている。疲れきらないようにしたい。しかし眼も腹も背も足腰もアタマも疲れている。酒も飲み尽くした。茶筅も遣わず熱湯に抹茶を匙で溶いて呑 んでいる。七時半。もう三時間は続けたい気だが、この仕事は想うだけではサマにならない。しかし想うだけでも 必要で有効な段階もある。そんな時は躯を横 にし夢うつつへ入り込む。わたしは、リアリストのではないリアリティを望んでいる。それは「ことば(文章)」で

つかむしか道がない。

2019 2/14 207

 

 

 

☆ 最近のHPの文面から

鴉の苦闘が偲ばれます。言葉は時に(常に)両刃、烈しく人を消耗し傷つけます。心配していました。命あってこそ、です。命惜しんで、大切に、大事に、元気に。

最近『風の奏で』を読まれていると書かれていたので、わたしも手にしてみました。三日ほどかかって再読したのですが、こんなに難しかったかしらと・・わたしの頭も老化しているのだと再認識しつつ。最後の「灌頂」の辺りは繰り返し読みました。

来週数日は京都にいます。何がしかのお手伝いができるならおっしゃってください。

40号の絵に難渋しています。

少しでも向かい合えばそれだけ少し進んでいますが。   尾張の鳶

 

* らくに作れるものは有ろうが、らくに創れるものは無い。

創るとは、無かったものを新しく生むこと と思いながら。

 

* 剣戟だけが切り結ぶのでない。小説・物語もいろいろ幾重に切り結ばねばハナシが生きない立たない成らない。これが容易でない。参ったと何度も謝らされながら、機をうかがって奔り抜ける。躓いたらもう御破算。やり直し。「剣客商売」という好きな時代劇がある、なかなか、ああ切れ味よく商売が出来ない。参る。

2019 2/15 207

 

 

*   今日は「選集30」の校正を、寝床に坐り込んだまま、たくさん。短い一編を前半の後に付け加える用意もした。後半は、全体の三分の一量、どんどか進められ る、が、長編『或る寓話(仮題)』を気を入れていよいよ収束すべく、熟慮もし、進展もさせたい。意欲と体力との釣り合いをうまく付けたいが。

2019 2/16 207

 

 

* なんと。

三時半、一気に最後まで重々書き込み書き新ため読み込んできた作を、最後まで手を入れ入れ読み通した。最新稿の「脱稿」とするには、いま少し書き新ためて書き添えて視野と鮮度 をもちたい場面が書き残されているけれど、ま、暗い長いトンルだったが、遠くに、小さい出口が白く見えてきた。だが、まだまだ。第一、二、三部を通し、ウムと肯き表題が書き込めるまでは。

 

* 四時過ぎから六時まで草臥れきって睡る。睡るのが、なによりの休息、イヤな夢に襲われなければだが。とは云え、夢はわたしのような物書きには財産でもあります。

2019 2/17 207

 

 

* 来週は、またまた、力仕事で数日追われるだけでなく、聖路加へも行かねば。

そして早や、弥生三月。結婚して満六十年になる、昼と夜と二日かけて歌舞伎を楽しみ、下旬には、内視鏡検査などを受けねばならない。胃全摘から、まる七年。無事に通過したい。

ま、それまでには今日メドの立った長編小説(選集の大冊一巻分)に、せめて表題を決めてやりたい。ただ何としてもこの作、作家秦 恒平の晩節を真っ向蹴散らして、狼藉を極めている。「湖の本」という売り本には、とても出来まい。

2019 2/17 207

 

 

 

☆ 無量壽経(=大経)に云く、設(も)し我れ佛を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽(しんげふ)し、我国(=阿弥陀如来の極楽浄土)に生ぜんと欲して(一念=)乃至十念せんに若し生ぜずば正覚を取らじと。

 

* さまざまに多く宗教者の宣明のなかで、他に、かくも端的に有難い確信を聴いたことがない。

 

* こう書いたところへ、久しい友達の、つらい病躯・病苦を日々看取っているという歎きのメールが来ていた。

ただただ祈ります。良くして上げてください。華が萎れてはだれもが寂しい。怪我なく気力をつくされよ。祈ります、痛苦のすくなかれ、軽かれと。奇蹟あれと。  遠

 

☆ 彼(かの)佛 今現に世にましまして(阿弥陀如来として=)成佛し給へり。當(まさ)に知るべし、本誓の重願(=一念ないし十念すれば必ず極楽浄土へ迎え攝るという誓い)空しからざる事を。衆生称念すれば必ず往生を得と。

 

* もろもろの雑事雑業にはしらず、ただ「南無阿弥陀仏」と称名正念の正行を選擇(せんちゃく)して委ねよと法然は、まさしくソレダケを以てよしと確信した。永く永くいろいろと経めぐってきたが、これに勝る確信は得られると思えない。

2019 2/18 207

 

 

* さ、もう一箇所へ書き込みたい視野がある、それで、一応は「完」と書き込めようか。2009年5月ごろに着想試筆が残っている。まるまる十年に近い。 最初の着想時には夢にも思っていなかった奇想の展開で、むかし伊藤桂一さんにいわれた、「秦さんは一つの小説で三つも四つもの小説を書いている、ボクらは その一つ一つを別に書きますがね」と、まるで、そんなことになってきた。

のちには熱愛してアツアツの愛読者に成ってくれた人が、『風の奏で』の単行本を初めて手にしてなんでこんなにムズカシイかと腹を立て、本を壁に投げつけ たと笑い話を聞いた。やはり、時空を隔てて幾重もの歴史現代小説だった、「尾張の鳶」が読み返してくれても、こんなに難しかったかと思ったとヘキエキして いる。わたしは「秘色」や「みごもりの湖」や「風の奏で」「冬祭り」「秋萩帖」等々みな読者を悩ませてしまう組み立てを好んできた。秦 恒平の作を愛してくれる人は、余程の読み手であるか、失礼だが稀有な人なのかも知れない。稀有な人に、この新作を、穏やかな仕方でどう手渡せるか、これか らはそれが難儀な思案になる。ちなみに、全編でおそらく湖の本の五冊ほどに相当する。150册限定で非売品の「選集」でなら、パンパンに張った大冊一巻に 相当するだろう。しかし150册では「湖の本」の全巻継続読者分にも、当然ながら数が足りない。特別な材料をつかった美装本なので、臨時に数をたくさん増 やすわけに行かない。 2019 2/18 207

 

 

* わたしもポロ、機械もボロ。うまく仲よく釣り合っている間は、仕事はつぎつぎに出来るはず。最後は目前と覚悟して、出来る仕事を快楽したいもの。早く 帰ってこいとうるさいほどなもう一つの新作「清水坂(仮題)」にも組み付きたい。瀬戸内を実際に走れないなら魔法を使う。

新しく始められるなら始めたい創作への思案は、可笑しいほど「在る」のである。覚悟は覚悟。しかし野放図でもいいと思っている。したいだけ、したい。

2019 2/18 207

 

 

 

* 森下兄  ご苦心を察します。

西欧でも、歴史的に、時代の変革を推進した中核のエネルギー は、学生をはじめ若者達でした。その若者の中に今、革新へ励む意志がなく、保守政権をむしろ許容の気味が濃厚です、それも政治的判断ではなく、ただダラシ なく機械アソビに耽っているだけのようで、安倍は支持率を維持して自足の按配です。

情けなくて、お話にならないと嘆いています。

 

残年 すくなく、 成ろう限り 半世紀積んできた自身の仕事を 今一段 より良くより確かに積み上げたいと、その願いで 健康を大事に思っています。

 

千枚に及ぶ長編を いましも仕上げようとして、日々、渾身集注しています。

 

八十年余を生きて、いま、日本も世界も 残念ながら最悪の時代に思われます。

 

せっかく、健闘されますように。からだも労って下さい。   秦 恒平

2019 2/19 207

 

 

* 1998年3月からだったろう、東工大院生田中君のおかげで、わたしは、この「ホームページ」を運用できるようになった。着々、様々に組み立て始めた。以来二十年を越えて、わたしは日々に「私語」 し、まは大勢の知友・読者とメールを交換し続けてきた。それら厖大量の全部が今も保存されてある。何年の何月何日かの交信が、みなたちどころに拾い出せ る。

ひとつには、多彩な「メール語」「メール表現」にわたしは作家・小説家として津々の興味をもち、創作上の表現資料として、いつでも多彩に組み立て組み替 えながら利用できるよう「心用意」しつづけてきた。無数のメールにも、明らかに、すてきに可塑性の豊かに佳いもの趣味のあるのもあれば、思わせぶりに我勝 手なだけの味もそっけもないのもある。あきらかに個性の反映であり、巧みに入れ併せ組み併せフィクションを加味し再構成すれば、小説家にとりじつに多彩に 利用価値がある。

そしてまた厳然と受信データのついた「記録」「証跡」でもあるから、かりにヘンな言いがかりがついても、ほぼ即座に日付明らかな保存メールを点検し、有 無と是非の判定が明瞭に利く。小説家、創作者としてのこれらはじつに価値ある「取材」であり「佳い財産」になっている。なによりもメール交換の往時がたちどころ に復元される。いいお手紙やメールのごく自然に温かに書けるお人をわたしは自然敬愛する。お人柄である。此のわたしは、ヘタである。

 

* 元朝日新聞社の伊藤壮さん、「越乃寒梅」の無垢純米大吟醸と特選の二升を送って下さる。有難う存じます。

「秦 恒平・湖の本」創刊の三十三年前、伊藤さんの全的な応援を戴けてなかったら、出だしの苦戦苦闘はたいへんだったろうと思う。おかげで創刊の「清経入水」は三刷りも出来たのだった。その土台に載って三十三年を乗り切ってきた、いまや赤字はとても免れないけれど。

むかしは懸命に読者数を殖やしまた維持すべく、刊行の作業のほかに随分手をかけていたのだが、読者の多くがあまりに高齢化しわたしたちも高齢となり、過分の作業は諦めるようになり、本の質をこそ大事にとこころがけてきた。

伊藤さんは、いまなお、嬉しい御褒美と激励とを続けて下さる。感謝感激に堪えない。

2019 2/21 207

 

 

* まだ宵の口、七時までにもう少し。もう少しは頑張ろう、目の衰えも押し切って。こんどの長編は、どう受け取られるか極めて懸念はされるけれど、わたし としては動機の強い、所詮は書かねば済まなかった境涯を構造的に、美的かどうかは別として、組み立てようとめちゃに頑張った。本人だけが、ホウ・ホウ (好・好)と少し喜んでいる。どんな組み立てか予想できているだれ一人もいないだろう。それに励まされ、ま、今晩ももう少しは頑張ります、まるで受験勉強 の生徒のように。

2019 2/21 207

 

 

* まだまだ、手が離せない。息を呑み堪え堪えながら読み継いで手を加え、いろいろと思い直している。いつでも通常することで特別な何事でもない けれど、いちばん気を遣う段階で、投げ出すことはできない、躓き躓き、しかし通り抜けねばならない。それに煮た怖い細道を夢で何度か通り抜けたことがあ る。

八時半。疲れた。朝も昼も晩もまともに食べた、食べられたと云えない。よく謂うゲップなんてモノではない、あの十倍も、表現できない凄いツマッた嘔吐音 で食道から空気を吐き出している、一日中。さながら破裂音を吐いては、ぐったり疲れる。食べるからか、食べないからか、分からない。

2019 2/22 207

 

 

* 第三部を叮嚀に読み進んだ、最期の最後の大事に想う少なくももう一場面を創り出さねばならない、その仕事の直前箇所まで書き込み書き直し読み直してき た。かけるかしらんともう歳ご案じてきた箇所は乗り切った、と思う。もう少しだ、重いけれどもそこを担いで通り越したい。

眼も眼だが、ものを食べるとすさまじいのどが破裂音をあげて在りもしない空気を吐き出したがる。ときにいくらか食べた物も戻ってきそうになる。これに困惑、これに迷惑する。滅入る。

それでも今夜は、柔らかに柔らかに炊いた妻の握り飯を二つも食べられた。卵のスープも一碗吸った、あとで、えづいたが。越乃寒梅もすこし頂いた。そしてすぐまた機械へ来た。わたし一人が懐かしくて、他の人にはほとんど意味も無さそうな他界へわたしはいそいそと駆け込む。

 

* わたしはほとんど健常な理性も悟性も喪いかけていて、片脚はもうこっちでない側へ引っ掛けている心地がする。

2019 2/23 207

 

 

* 今日は血のめぐりわるいか、焦れたように筆先が渋り渋り衝っかかってばかり。こういう時はどう疲れようと諦めず、意地になってこっちからも衝っかか る。退がれば追い込まれ、むちゃくちゃになる。わたしは、原稿用紙の時代から、「書けない文士」の見せ場のような、書きかけの紙をくしゃくしゃに丸めて投 げ散らすようなことはしなかった。原稿用紙20行のほとんどが書き損じの真っ黒でも明いて行には文章を試み続けた。破れば負けと。

今日は朝からもう夕方まで、苦戦。

2019 2/24 207

 

 

* 韓国大統領が、公然「親日」は「清算」すると。これほど大胆な公言を一国の指導者がなしうる素地は、日本の政治外交の事実上国際的に壊滅に近い現状が挙げられる。

わたしは文大統領のかような発言を、来るモノがもう来たかと聴いた。

朝鮮半島を先鋒とした日本への極東での孤立化と圧力の攻勢は、わたしのもうもう早くからつよく推知し憂慮してきたこと。トラポチの安倍政権はいまだにポチの尾を振って米トランプが守ってくれるなどとウツケたことを妄想しているのか、ばかげている。

聡明で機敏、断乎として日本の安定した自立を国際的に主張できる「外務大臣」に人はいないのか。なすこと、いうこと、みな落第の総理と大臣達よ、去れ。

 

* 不快症 つまりは不快感に堪えないという病状に罹っている気がする。

小説世界へ戻りたい、ないしは読書三昧に入りたい。

2019 2/27 207

 

 

* 新刊の「選集」29 には前半に、前後二つの対照的な歌集『少年』と『老蠶』とを収め、『老蠶』には「光塵」「亂聲」の二集を収めた。序や跋のたぐい、また全一巻の後記も、いの読み直してみた。これらがきちんと書けていてわたしの重いと齟齬するまた欠けるなにも無いので、安心している。これはこれで、よろしい。

後半の鑑賞詞華集は、わたしの全仕事の一角を成す代表作であり、愛読して戴くに十分足りている。詩歌、ことに和歌短歌はわたしの文学・文藝の欠かせぬ先駆であり一角であり、この集の成ったことで、「秦 恒平選集」を心がけた半ばが満たされたと喜んでいる。

逢えて掉尾とは謂わないが、仕上がりへ日々近付いている或るいみでは猛烈をきわめた長編小説『オイノ・セクスアリス 或る寓話』も、大いに顰蹙を買う末期の暴作になるだろう。

2019 3/1 208

 

 

* 七時すぎ。まだ宵も宵の口、だが、グタグタに疲れている。「寓話」は、とにもかくにも難所を通り越してきた。その気なら今晩にも仮のエンドマークがつ いている其処まで「読む」だけなら読み上げてしまえる。しかし、もう少し腹をくくって其処へ行き着きたい。逸るまいと…・

 

* 選集でほぼ作だけで520頁ほどでおさまるだろう、選集は400字用紙の頁2枚に当たる。1000枚はすでに越えているが、搾れる限りは搾りたい。急 ぐ必要はない。少し温存して『清水坂(仮題)』を再稼働!に懸かるのも良い。腹にある別の新作にしかと色目を遣ってみるのもいい。

何にしても健康と視力だ、近所の眼科へ通おうか。

2019 3/1 208

 

 

* 創作『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、おそらくこの一両日にも初稿脱稿といえそうになってきた。ということは、この作を今後どう待遇するのか。 「湖の本」だと各厚めの上中下三册本になるが、定価つき売り本の「湖の本」で公開するには過激で過酷で危なく、それは避けたいと思っている。「選集」だ と、短篇「黒谷」と二作で600頁前後の大冊一巻にまとまるだろうが、かりにそうなっても、その巻は、これまでのように気軽に差し上げることは出来ない。 せいぜい50册ていどを従来どおり選ばれた大学や図書館、そして井口哲郎さんのように多大にお世話になってきた数人ないし十人ほどにしか差し上げられな い、と、いまは思っている。いかにも秦 恒平そのものの小説ではあるが、「オイノ・セクスアリス」 過激で過酷で危ないのである。ホントしての仕上がりで謂えば、昔風に『慈子』『三輪山』『墨牡 丹』『四度の瀧』などと同じ、『豪華少数限定本』ということに成る。

2019 3/2 208

 

 

* 「或人」が云うた、「婆子焼庵」の「則」があるが知っているか、と。『畸人伝』中の「僧無能」の伝のなかでわたしはこれを読んだ。「婆子」は固有名詞ではあるまい、「婆さん」であろう。

「婆子一庵主人供養す」とある。坊さんに「庵」を施与し日々供養奉持していたのだろう、それも、もう多年のこと。

ところで、この「婆子」 或る年の「一日」つまり或る日 「二八の好女子をして抱住していはしむ。師恁麼時如何」 妙齢の美女に抱きつかせて、「お師僧、どんなお気持ちか」と問わせたのである。

僧の曰く、「寒巌枯木三冬無暖気」と。

女子はそのまま婆に告げた。

婆はどうしたか。 「婆二十年来此俗庵主を供養すといひて、終に僧を放出して庵を焚」いたと。「是非如何」と「或人」が問うている。

 

* 「則」というから、禅家では公案に類してよく識られているのだろう、わたしが疎いだけのハナシだが。

「予曰、凡古則は別に一隻眼を開いて看べし。此和尚の実徳と相通ぜず」と。「予」とはこの場合『近世畸人伝』の筆者自身、つまり著者伴蒿蹊であろうか。その上で「予」は「或人」に向かい反問して云う、もしこの和尚の言句態度が「もし然らずといはゞ、誠に子に問はん。庵主あるひは女子に婬せば、また婆子何とかせんと。」「寒 巌枯木三冬無暖気」を婆子は「俗」答と怒って多年供養の庵を焚き棄て和尚を追い出したが、美少女を抱いて婬していたなら「婆子」はどうしたとと謂うので しょうと。「或人微笑して去。」とこの項はひとまず結ばれているが、禅問答はややこしい、が、思案は強いられる、そして思案など棄てよとも逼られる。

「畸人伝」の「僧無能」の一文に含まれた「婆子焚庵」の則であり、実は当該の「無能」という名の坊さんにのまったく似た話が書かれている。この僧無能は深 更にも端座念仏していたが、無能の美貌に惚れぬいた「女子やがて背より抱くに、おどろくけしきなく、念誦気平らかなるさま」微動だにせず、「半時ばかりを へて、女自放て出たり。朝に及て狂を発し、獨言して恥をのぶ。和尚(無能)憐みて、為に念仏を授けて後、やうやう癒ることを得たり。女子是よりのち終身嫁 せず、念仏して逝せりとぞ。」とある。先の「婆子焚庵」は、この僧無能への「批評」ともなっている、らしい。

 

* ただいま読み継いでいる『近世畸人伝』で、問いを突きつけられたのはこの「僧無能」の一編しか、まだ、無い。どうも、というか当然というか、伴蒿蹊は無能や庵主僧やあとにも出る王陽明の挙止を肯定していると読める。当然と謂える、けれども、一抹、なにか、たゆたいのこる疑念もわたしは払いきれないまま、余分な時間を費やしてここへ提出しておくのである。

 

* 『オイノ・セクスアリス』は直訳すると「老人の性的生活」ということになる。容易ならぬ「千枚」小説であるが、やはりあの鴎外先生生涯唯一の発禁小説 『ヰタ・セクスアリス』にわたしは一度も感じ入らなかった反動を、この歳になって爆発させたことになる。書き始めたのは今から丁度十年前、古稀を過ぎてい た。

しかし十年ちかくもかかって何とも手から放せなかったのは、「小説」としてマダ足りない何かを感じ続けていたからで、その「何か」をやっと掴みかけ掴みかかって掴み取れたのは、じつはこのほどの一年前ぐらいからであった。

 

* あんまり長いので、読み返す便のためにも何となく三部に分けて手を掛けつづけたが、ようやく、全編を一つなぎに取り纏めてもう一度二度、叮嚀に、慎重 に、大胆に読み直してみようと思う。そのためにさらに表現されることが増すか、ガックンと削り取られるか、分からない。三部でなく一編の作として徹底した 読み直しに、今日から取り組む。

2019 3/4 208

 

 

☆ 拝復

『秦 恒平選集第二十九巻』 またまた厚く御礼申L上げます 秦さんの本を見るといつも 「あの頃

秦さんはもう こーんなことまでしてたんだ!」と思います

大学病院のエレベーターがまだ蛇腹扉の頃 ひょいとリ乗り込んだら 品のいいおじさんがニコニコLて妻が抱いていた赤ん坊の頭を撫でてくれました  高見順!(と後で気付いたのですが)ドアを押さえて待っていてくれたのでlす 本を戴いてすぐ頁を捜しまLた

今日はゆっくり『亂聲』で遊べました いつも素晴しい印で 見入っています

春ですが呉々もお大切にされて下さい  敬白    千葉 e-OLD  勝田貞夫

 

* 井口哲郎さん刻の「亂聲」印を喜んで下さったのも、嬉しい。勝田さん、此の二字をハガキ一杯の大きさに色刷リして楽しまれたらしい。

高見順の記事がひとしお嬉しく懐かしい。『愛の歌』には高見順の佳い詩を三作採り入れている。何ともいえず佳い詩である。小説家高見順と同じく伊藤整と の詩は、胸に沁みる。詩人と名乗る人の詩作が、独り合点の意味不明、表現雑然という例が多いのは残念だ。「詩」とは何なのであろう。

2019 3/6 208

 

 

* 晩方まで、「選集」第三十巻の初校了、要再校請求用意にかかりづめだった。九割五分がた進み、もう一息で、明日にはみんな揃えて送り返せる。「平成」最期の巻になる。

ついで「選集」第三十一巻を、思い切って入稿したい、作家生活満五十年の桜桃忌に新作の長編小説として、原則「門外不出」の一本にしておこうと思う。

 

☆ 芳醇浩瀚の『秦 恒平選集 第二十九巻』を

嬉しく拝受いたしました。

いつになくまとまった時間のとれぬ中、折々に気ままに読ませていただいている 『愛、はるかに照らせ』、各項それぞれに切々と身にしみ、とりわけ「さま ざまの愛」の諸歌に感銘を受けています。<愛ならぬ詩は、ない> そのことを深く感じます。日本の歌は豊かですね。そして、その豊かさは秦さんが開示して 下さったもの、 遅くなりましたが深くお礼申しあげます。

寒さは幾分かゆるみ、櫻の蕾もふくらんできたようですが 油断大敵、どうぞお身体お大切になさって下さい。    敬   講談社役員 元・出版局長

 

* 無類の読み手が、「さまざまの愛」をとりわけ取り出して下さった。

いま、一巻のそれらの頁をひらいて、わたしの心籠めて選び取ったさまざまな愛の詩歌と「あとがき」を読み返し、諸作の「うたの品位」に嬉しく親しく新た めてあたまをさげた。と同時に、ああこの「あとがき」を書いた日に、丹誠育てた愛する娘の朝日子を、押村高(現・青山学院大教授)に嫁がせたのだったと、 きりきり、胸が痛んだ。

だれよりも朝日子と建日子とに、生涯かけて『愛、はるかに照せ』よと、懸命に書き下ろした一冊であったが。

娘・朝日子の顔を、婿押村高の顔を、ちらとみた最後は、もう十数年前、押村夫妻共同で、名誉棄損の損害賠償請求裁判「被告席」へ「父のわたし」を立たせた、あの日。ありうることか。

懸命に、仲に入って祖父母の傷心を慰め和ませつづけてくれた孫のやす香は、肉腫に斃れ、成人の日を前に急逝し、もう一人の妹孫みゆ希とは、久しく不自然に往来遮断されたまま。

肉親の愛を、うまれながらに喪って「もらひ子」で育ったわたしは、もともと肉親以外との「身内の愛」を早く、年幼く、少年の日々から慕い始めていた。繪に描 いたようなわたしのそういう人生だったなと、今にしてしみじみ思う。

新作『オイノ・セクスアリス 或る寓話』も、老境の性を無慙に書いたなどというより、遙かに重く、ほかへ ほかへ、べつの事件へ逸れて行く。

2019 3/11 208

 

 

* 「聖道は機縁浅薄 浄土は機縁深厚」 「凡そ四十八願皆本願なりと雖も、事に念仏をもて往生の規とす」 「専心に佛を想へば、佛、人を知り給ふ」な ど、法然のことばに出逢っている。受けいれている、信じようと。佛教は「事実」ではない。価値高く有り難い稀有のフィクションであろう。小説家としてのわ たしは「フィクション」を「事実」よりも高く深く受けいれる。

 

* 「南山」という二字が 胸のうちに光って沈んでいる。

2019 3/12 208

 

 

* 谷崎先生は生前、松子夫人への想いを寄せて家を倚松庵と称しておられた。往古、同じ「倚松庵」を称していた人に江村専齊があり、これは「庭に古松拾余株」あったからで。

この専齊に「平生唯一の一字」があったのを、今、ふと慕わしいと感じる、すなわち「些(すこし)」と。後水尾上皇に「修養の法」を問われ、「平生唯一、些(すこし)の字」を「持」しているだけですと。

何に付けて「些(すこし)」を持する勇気はわたしには難しいと恥じ入るが、飲も食も、なにごとも、養生すらも「些」とは、容易ならぬ生き方と思えて、慕わしい。「畸人伝」で出逢った。

 

* 日本ペンクラブの「理事」になりたいと「徒党」の名を揃えて推薦投票を希望切望のメールが来る、来る。

伊藤整とか高見順とか、白鳥とか直哉とか潤一郎とかが見聞きすれば、瞬時に唾棄したであろう。

こういうところへあざとく名を揃えてくる、あっちの連中・こっちの連中の木っ端のような氏名を、わたしは文学・文藝の人としては心裡に抹消する。ペンク ラブの良い運営には、色んな思想信条能力個性の人らが寄りより心を合わせればいいとわたしは思う。「党派」で支配しようなど、言語道断の思い上がりであ る。

こういう悪傾向も、理事会に延々何十年も居坐って「私物化している常連」などの居すぎた「悪弊」の揺り返しとも思われる。再選年限をきちんと協定して、 新鮮な人らが交替して行く方がいいのではと、わたし自身「理事」時代に思っていた。永くても一人で五、六期再任を限界とすべきなのである。

 

* ま、こういう感想・私語も「些(すこし)」にせよと嗤われそうだが。

2019 3/13 208

 

 

* 打ち込んで、長編の綴じられて行く第三部に読み耽ってきた、今日は。ときおりは熟睡もしながら。読者のことは分からない、今度の此の長編も、むろん、 わたし自身のために書き進んできた。そして今、まずは満足しかけている。もしいま死んだとしてもわたしの一生は、かなり相応に、かなり手を掛けて書き結ば れてある、と感じられる。十年掛け、最後の一年を掛けて、書けて、書いてよかったとさらに先へも意欲が動いている。

このマエの書き下ろし長編は実の生みの母を追いかけた、『生きたかりしに』だった、が、今度の作は徹底的に創作(フィクション)であり、それでいて作者 自身をよほど追究して書けてある。いま目のうえの書架に「選集」が29巻、そのうち17巻が小説等の創作であり、この作が第31巻に入ると、創作は18巻 になる。こころづもりではもう一巻分を創作・小説に残し、多くの随筆は心残りだが省くことになるだろう。

顧みると、わたしは、これで上げるのも手間なほどかなり多数の長・中編小説を書きのこしていて、おもったより短篇は数少ない。つまりフィクションを書い てきたということか、今度の長編は、初中期のフィクションとは一見一読、タチのちがうものに成った。それでいてある種凄惨な総括にも成ったかと、そのこと を今、わたしは少し喜んでいる。まだ脱稿はしていないけれど。

 

* 十一時。もう、最後の場面へまで来た、明日には読み上げられよう、か。     2019 3/15 208

 

 

* 書き下ろし長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を、午後一時過ぎ、ともあれ「脱稿」した。

 

* 間をおかず、おとらず難儀にフクザツな『清水坂(仮題)』へ取り組む。このあと『選集』はもう二巻しか余裕がない。予定している小説集の、いい感じに巻頭へ入れたいのだが。

問題はわたしの、体力・健康。なんとか ムリにも乗り切りたい。

2019 3/16 208

 

 

*   機械の転送機能に不安あり、どうなるか。コンテンツの全部、別に保存はしておいたが。

 

*とにかくも入稿だけでも無事にしたいと。懸命にややこしい機械と話し合いの交渉を続けている。

 

* 未完成の「清水坂(仮題)」原稿も展開して、入念に読み直さねば。目の前に、何が問題でどこへ物語を運ぶのか、かなり詳細な覚え書きが書き出され、貼 り付けてある。うまく運べると、これは問題なく興趣に富んだ展開になるはず。欲深く用意しているのが、障りにもなりかねないので。もう気持ちはこっちの進 行へ向いている。

 

* 予告ではない、物語本文と関わるとも云えず、つまりは「序詞」であるが、こんな一文に催されるようにして小説「清水坂(仮題)」は述懐され語られ始める。わたしの気分を励ます気持ちで、異例だが披露しておく。

 

☆ 序詞

 

あ…分かった…。

男のもしもしを聞くときまって、それが女の最初の挨拶だった。三十数年電話をかけてきた。いつも男がかけた。いつ、どこから突然かけても、女は声ひとつで男を受入れた。前置きはぜんぶ省けて、寄り添うほど温かに女から話しかけた。

「なにかあったん」

「なにもないけどね。そっちはどう」

「変わりないわよ。きのう**へ行ってきました」

「お母さんは達者」

「こっちより元気なの。いっしょに**寺の紅葉をみてきました。すこぅし冷えましたけど、よかったわ。今日は、どこから。大学…」

「ちがう。出張費をもらって、天の橋立の根っこの…松林のなかにある、宿屋。すいててね。絶景をひとりじめ」

「蕪村なの、また。加悦…。それとも浦島太郎の方かな」

「そっちに近いな。元伊勢の籠宮(このみや)さんの狛犬にも逢いたくてね。それと、国宝の、海部(あまべ)氏系図がお宮に里帰りしてて、見せてもらえる段取りができた」

「やれやれね」

「なんだい、やれやれってのは」

「よかったわねということよ。それで…あと、京都に寄るの」「逢ってくれるならね」

「逢ってあげたいわよ。でも逢うと、あなた、命がないわ」

「命は惜しいな、まだ。も、ちょっとね。やっぱりやめとくか」

「電話が無難でいいって、いっつも、おなかン中で思てるくせに」

「それはちがうよ。もう一度でいいから、いっしょにあそこへ行きたいよ」

「言わないでそんなこと」

女は毎度のこと、ここで、しおれた。男はじっと受話器に耳を押しあて、女が、ひそめた息のしたで泣いているのを聴いた。どっちからも、さよならとも言わず、男が先に、いたわるように電話を切った。

 

高校の卒業生名簿に、旧姓なにがしの女名前に添えて「死去」とあることを、男は二十年もまえ、東京駅の新幹線ホームへ向かう改札口ちかくで、擦れ違った 昔の同級生から聞いた。バカなと言い返しかけ、口を噤んだ。数日まえにも電話で彼女と話してるなどと、それは誰にも、妻にも、言えたことでなかった。頬の 毛のそそけ立つ恐れと悲しみに負け西へ向かう指定席に沈んだが、やがて立ち、車内電話から三年坂わきの女を呼んだ。あ…分かったと例の科白がすぐ出迎え て、「なにかあったん」と驚いたふうもない。いつものように、数日まえ話したことも無かったかのように、女は次々に時節季節の話題を追い、笑いさえした。

とうとう男は絶句した。声を堪え、そして、もう一度だけでも、いっしょに「あそこ」へ行きたいと口にした。

「言わないで」と女は声を放った。

男は震える手で受話器を置き、立ちすくんだまま肩を縮めていた。目の前のベルがすぐ、激しく鳴った。受話器から女の声が、こころもち遠く、しかしはっきり男の名を呼んで、「またかけてや…」と、こと切れた。

 

* この未刊の作は、書き上げた新長編よりなお一、二年前から書き始めていて、つまり十一、二年も抱いている。まだ当分かかるのであるが、このからだで、 是非見たい行きたい瀬戸内海へ行けない、それで停頓を余儀なくしてきた。脱稿した京都の長編は、さいわいに力を貸して下さった方があり。いい写真をわざわ ざたくさん撮って送って下さり、それで書き上げられた。瀬戸内海は、やはり肌で触れてこないとと、アタマが痛いが、魔法を使うしかない。

2019 3/16 208

 

 

* 「選集 第31巻」を、もう思い切って入稿しておいた。全身気怠く重いが外出する。うまく気が変わるといいが。

2019 3/17 208

 

 

* 『清水坂(仮題)』をまたまた(もう十度できくまい)読み返しだして、ひとら読ませるのが惜しいくらいとんとこと面白く読み耽っていた。ほとんど手入れの必要が無く書き進んである。

それにしても、なんと「こだわり」の深いわたしであることかと、一生おなじことを繰り返し書いてきたような気がする。血をわけた「肉親」よりも、まるきり世間の他人から見つけた「身内」たちをわたしは、途方もないまで生涯愛してきたと思う。

ともあれ、手の掛かる初校も再校も責了もいま手元に無いあいだに、『清水坂(仮題)』というまるで破れ障子のような手荒い、だが物語に富んだおはなしに 打ち込みたい。あんまり途方もなくて瓦解してしまう懼れもあるけれど。なんだか小説を「書き始めた」昔へ帰ってきているような弾んだ気持ちもあり、そんな ときは、つぶれそうな疲労も病識も苦痛も忘れていられる。

 

* 階下のテレビも、どうしようもなく、つまらない。

また機械へ来た。

2019 3/17 208

 

 

* 国内の、国外からの報道の、あらけなくこころないさまざまにホトホト、現世逼塞の窮状と発狂時代かという情けなさを覚える。もはや人間は人間としての尊厳を打ち捨てるのか。ああもう「、わが人生、こんなとこで」 アガッていいのかナと思う。

2019 3/18 208

 

 

* 『清水坂(仮題)』は自動車と電車と船とオートバイと乳母車とが連結して走っているような展開で、書いた当人のわたしがビックリしている。めまぐるし いが基本の色と線とは同じである、つもり。まだ半分ほど読み進んだだけだが。この「列」車、どこでうまく停車するのだろう、運転しているわたしにもまだ見 えていない。

 

 

* 今日は、もっぱら『清水坂(仮題)』に向き『清水坂(仮題)』合って、少し呆れかなり楽しんでいたが。この先の難路はナミでなげに想われる。本題は、もう書こうと意図した初めから決まっていて、仮題は改められる予定。本題を書くとタネが割れてしまうので、今は伏せている。

2019 3/18 208

 

 

* 作家で駆けだした頃の、最高にこわい先生は雑誌「新潮」での担当編集者だった、小島喜久江さん。寡黙で峻烈。鉛筆での短い傍線だけで教えられ 鍛えられ、小島さんがタダの傍線だけでなにを指摘しているのか、その意味を、歯噛みしながら覚えていった。「蝶の皿」「畜生塚」「或る雲隠れ考」「青井 戸」がフリー・パスし、「青井戸」がもうちょっと長い作だと芥川賞に推せるのにと小島さんは惜しがってくれたのを嬉しく覚えている。

しかし、筑摩書房の<展望>で井伏、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫 六選者満票当籤の太宰治賞「清経入水」と 瀧井孝作、永井龍男に推された芥川賞候補作の「廬山」とは、どう悪戦苦闘しても、「新潮」編集部では通らなかった。

作品の評価とは、それほども微妙にややこしいことを、作家志望の若い人たちは心得ていて、やみくもに自信喪失しないようにと励ましたい。

とにかくも、しかし、夥しい人数の編集者たちと「満五十年」もつきあってきたが、小島喜久江さんの鞭撻はわたしには最高に有り難くまた怖かった。「作 品」読み取り励ますとはこういうことかと、この「女弁慶」の鉛筆一本に追いまくられた私「牛若丸」は大汗をかいた。感謝しきれない。わたしよりも一回りほ ども年長であったのだろうか、いまもお元気か、どうか。

 

* 夜前の夢で、じつはその編集者小島喜久江とのうれしくも親密な夢をみたのである、ビックリ、そして夢のあとあじは温かに嬉しいものだった。それを書いておきたく、余計かも仕入れない前条をも書き置いたまでである。

 

* 『清水坂(仮題)』をずうっと読み進んでいた、思いの外に長い作になりそうだ、まだ先はよほどの転変 を践んで行きそう。落ち着いて探索して行く。よく識った世間をよく識ったままに書く気はない、「ありし」世界でなく「あるべかりし」世界へ入って行くので なければ踏み込む楽しみがない。

 

☆ 拝啓

「秦 恒平選集」第二十九巻をご恵送くださり、ありがとうございます。御礼のお葉書を、と思いながら、例によってずるずるてと遅くなってしまいました。どうぞお許し下さい。

所収の「少年」、以前文庫本でいただいたとき、あヽ、秦さんはなによりもまず”歌を詠む人”なのだ、と感じたのを憶えておりますが、「亂聲」は、その思 いを増々深くさせる歌集で、どきどきするような「うったえ」に、心を、ぐい、と掴まれる感覚に陥りました。有難うございます。

お身体くれぐれもお大事に願います。 敬具   久間十義  三島由紀夫文学賞作家

 

* 「亂聲」には、新作長編『オイノ・セクスアリス  或る寓話』のため、作者自身を鼓舞すべく、想像の限りをつくしたモーレツな試作歌がならべてあり、お行儀のいい方々にはとてもお勧めできない、顰蹙を買うだけと警告もしてある。

それもあり、この「老いの・性的生活」を寓話として書き上げた長編新作は、森鴎外先生唯一の発散作「ヰタ・セクスアリス」のあとを慕って発禁などという厄はさけたく、「非売本」の「選集」へ入れてしまうと決めた。

これまでも、自分もふくめ200部(150部限定)しか製本していないが、それだけの「装幀・造本」であるとともあれ自負している。願わくは収録の中味も相応した仕上がりでありたいと、ま、懸命に努めてきました。

 

* 一方、相次ぐ予定の『清水坂(仮題)』は、或いは早い時機にまず「湖の本」で発表し、「選集」最終巻 になる第三十三巻に、まだしゅ収録されてない小説の何作もと併せ締めくくりたいというのが我が皮算用である。そのためには、何より、健康な気力と想像力 と。癌の胃全摘から、満七年を恵まれた。三日後に、腫瘍内科で、上部消化管の内視鏡や循環系の諸検査を受け、四月三日には内分泌科で心エコー検査も受け る。一つ一つ、また一つ一つ。

2019 3/19 208

 

 

* 一両日まえのメールに、「今日も好天、笑顔の袴姿が溢れてキャンパスも晴れやかでした。(私の着物姿、お見せする機会のないのは残念。なかなか評判は 良いのですよ。)」とあった。卒業のシーズン、ただしこの人は晴れやかな学生の一人でなく、歳もそこそこの「先生」の筈だが。

フランスの軍人公爵ラロシュフコーの手厳しい『箴言集』に、若い女性はコケットでとかく老人に接してくると、繰り返し書いていた。わかるような、わから ぬような。ただ、わたしはこの手の「コケット」は喰わない。「女文化」の京都で鍛えられ、着物・着こなし・身のこなし・もの言いは、さまざまな場で堪能し 記憶もしてきた。

 

* 西欧で生活体験のあった先輩作家の、清岡卓行、辻邦生、大岡信と四人で一つの寝台車で北京から朔北の大同へ向かっていた晩、彼らは、盛んに「女」に対 し「男」たるもの何より真っ先に「ギャラントリー(世辞)」を以てすべきであると、まるで若いわたしに言い聞かせる按配に口角に泡して熱心を極めていた。 しかしわたしは歳のべつなく女性へそういう斟酌はしない。全くしない。できない。褒めるときは気を入れてきちっと褒める。褒めにくいのを強いて褒めるな ど、しない。それで嫌われてきたかは、知らない。

 

* 『清水坂(仮題)』は、やんちゃ坊主のように手足をひろげ振り回している。書き手には面白い。読み手のことは棚上げに、楽しもうとしているが、「清水坂」で跼蹐し、「瀬戸内」へ物語をかっ飛ばすのに苦労しそう。

2019 3/20 208

 

 

* おそらく現時の保守支配政権の悪政下、明治近代以降 今ほど、文藝活動や国語力の沈滞し停頓していた時は、幾度もの戦時下にでも絶えて無かったことで、目に余る。

一つには文藝活動に携わる、誰よりも作家・批評家・エッセイスト、詩歌人の実力が低調であり、文藝世界を否応なく率いて行くほどの文豪や真の藝術家が、払底ないし臆病なまで隠居してしまっているのだ。

そして出版者、編集者。その文学の価値を高めずに低め低め続けてきた責任が重大である。売らんかなに狂奔のぶざまなほどの勘定違いが、かかる歴史的な沈滞と空疎と苦渋とを招いた、その責任はじつに重い、重い、重いのである。

2019 3/20 208

 

 

* 日の出の勢いの大関候補貴景勝を横綱白鵬は「壁」になると猛戦し快勝した。さも在って欲しいのが横綱である。安易に道を譲るようなことでは存在の意味がない。貴景勝は喜んでよい。

文学の世界にもむかしは強い横綱大関が犇めいていて、懸命に取りすがりながら「自分の世界(自分の相撲)」をと心がけた。入学早々に「自分なりの世界 を」などと先走って「そんなの在るのかい」と河上徹太郎先生、吉田健一先生に笑われてしまったのは、わたしにとって最高の教訓だった。そのとき即座に理會 できて本当に良かった。答案を出し続け、松園女史を書いた「閨秀」は吉田先生朝日新聞の文藝時評全面の絶賛を戴いた。「雲居寺跡 初恋」を書いたときは河 上先生から「あれでいいんだ」と頷いて戴けた。

「壁」は高く堅いのがいい、そして乗り越えて行く「道(手法)」は、自分自身で見つけ鍛えるしかない。

いま、文藝・文学の世界に勝れて嶮しい「壁」の「役」を、誰がしているのか、よほど低い壁かして、よく見えてこない。

ペンクラブで前に会長を勤め上げた浅田次郎が、この春の理事改選で、二十人も名を連ねた「成りたい候補」連の中に入り混じって、メールを寄越すのをみて、肌寒くなった。

2019 3/21 208

 

 

* 十一時。温かな一日だったのが、冷えてきた。ゆっくり睡りたいが、夢にも、「清水坂」の古来今往を、物語りながら歩きたい。私ならではの物語り方をさらにさらに見出して行きたい。もう、ほんとうに良かろう、好きに好きに書いても。語っても。一厘の損得もかかわりない。

2019 3/22 208

 

 

* 井口哲郎さんから、実は、渇望していたお手紙を頂戴した。ただ、書き上げた長編新作との濃い関わりがあって、詳細をここで公表するわけに行かない。ただただ井口さんの慮り優しいご厚情に頭を垂れて感謝のほかはない。嬉しい。

 

☆ 庭の

紅梅の花が衰えはじめました。山茱萸は咲き続け、木瓜が元気になってきました。

三月六日のH・Pに「勝田貞夫」さんが、「亂聲」印を楽しんでくださったという記述を発見し、ちょっといい気分にんりましたが、これは秦さんの「おことば」だからこそ、さりぬべしと、思い直したことでした。

ただ、それをお示しくださったこと、気にとめたお人があったことは、嬉しいこと、でした。

(あえて、中略)

秦さんのお気持ちに応じた私の思いとお受取りください。

 

お口添えのあった『北越雪譜』を引っばり出して、「眺め」ています。(著者鈴木牧之の洒脱に巧みな挿画も数多い。 秦)黄色の帯は健在?ですが、頁の上 部はうっすらと汚れ(ヤケ)が入ってきています。昭和四六年八月一○日 第一八刷発行の岩波文庫です。高校時代に読んだはずでしたが、それは図書館で借り たものだったのかと思い返しています。さし繪だけでも楽しめますが、お示しの「佳い文章」を読みかえしてみます。

「雪」で雪国に住む私のことを思いつなげてくださったようですが、今年の当地(=石川県・能美)、全く頼りない?くらい雪が少く、関東地方の雪の情報を気にしたくらいです。

田んぼでは、もう春の動きが始まっています。荒耕(あらおこし)も済み、水がはられている田もあります。稲田は、六反を標準に区画されている(集落の周りは二百歩前後の水田が残っていますが)そうで、そこに夕陽が映えて、ちょっとした眺めです。

平凡な日常には、お伝えするようなニュースはありません。無理に書くのも「おたいくつさま」でしょう。  文章も内容も乱れ飛びました。

先だってはH・P作で出会った秦さん、目ざしに何か「意欲」みたいなものを感じ取りました。念願の思いが達成なされることを念じています。

お二人の春を願っています。    井口哲郎   前・石川近代文学館館長 県立小松高校校長

 

* 何十度頂いても、嬉しい、温かい、思わせぶりもゴアイサツもない、ほんとうに自然にお声の聞こえてくるお手紙で。こうありたい、こう書きたいといつも思いながら、わたしはしゃちこばっている。人間の出来がちがうんだなあと、情けない前に、懐かしいと思う。

申し訳ない、タネはあかせないが、おかげで、新作長編に華を添えて頂けた。嬉しい。

 

*   追いかけているもう一つの創作も、長編へと歩みながら作者を翻弄してくれる。たくさんにメモに近い試行錯誤も機械の中で積み重ねてあって、それを便宜に利 用して行く「参照」が煩雑でへこたれていた。メモに類する書き置きを取り纏めプリントしておいて参照し使用したいのに、プリンターが故障して働かず、買っ て帰ったプリンターはまだ荷も明けていない。アタマに来そうなとき、雑然と積んだ新編のサマザマのなかから、大きな字ですでにかなりの試し書きや予備知識 の印刷束が、ふっと、見つかった。腰の抜けそうに驚喜、つまり、すっかり忘れていたほど永くこの「清水坂(仮題)」は『オイノ・セクスアリス 或る寓話』 に道をゆずって待機していてくれたのだ。ゴメンよと云うしかない。

 

* 初期作とかぎらず、かりにも創作をわたしは「絹」のように編んできた気で居るが、後期高齢の今は、触感を分厚に「藁」で手編みした「茣蓙」のように 「書こう」としてきた。感触に手荒いほども差をつけながら、久しく心がけ追いかけてきた「主題」を、露骨なまで露表させ、作家生涯の首尾をつけたいと。

そう行くかどうか、まだ中途で、しかももっと先も考えている。谷崎先生は六十年を、立派に、やすみなく書き続けられた。成ろうなら、わたしももう十年、 小説を書き批評を書き、闇に私語もたくさん言い置きながら、追いつきたい。「パソコン」という機械機能の片端をでも手にし得た大きな恵みに感謝する。そし て「秦 恒平・湖の本」にも類のない道を付けえた自身の意欲に感謝する。願わくは、致命的なまでボケずに済みますように。

2019 3/23 208

 

 

* イチローの引退は、来るものが来たということ、素晴らしい人間であったと、同時代を生きて嬉しかった大きな一人。美空ひばり、坂東玉三郎、そして白 鵬。同時代を楽しませてくれた抜群の四天王と思っている。文学に、政治に、こういう人らと同じ嬉しさを貰えないで来たには、失望している。

志賀、谷崎、川端、三島らの時代を、わたしと「同時代」とは残念ながら云えない。 2019 3/24 208

 

 

* みっちり勉強し思索し推知し検討して、「それ」か「あれ」か、「こう」か「そう」かと表現へ身を寄せて行く。ラクでない、が、苦痛なのではない。匍匐前進ということば、コンパットの昔にはよく聞きよく読んだ。創作は匍匐前進にまぢかい。

 

* 京都でひとを案内して歩くらしい人から、比叡山の印象的な洛北円通寺の写真が送られてきた。小説『畜生塚』での一等美しかった景色である。懐かしい。

 

ひとは観てわれは観もえでなつかしむ

比叡の嶺にたつおもひでの樹々

 

遠地借景の典型例のお庭であり、等間隔に庭さきを明るく区切った小高い樹々が印象的。

帰りたい、訪れたい先が山のように。建日子に委ねてある萩の寺の秦の墓地は草むしているのだろうか。

2019 3/24 208

 

 

* 『清水坂(仮題)』も想えば思うほど、ものすごい(嫌いなもの言い)ありさまで、ひたすら、待って辛抱して幾筋もの隘路を繋げ繋げ突貫して行くしかな い。途方に暮れながら闘志のようなものも涌いてくる。勝つあるのみ。いまは機械に字を書くより、白い大きな紙をひろげてありとあるキイを展開し結び放し繋 ぎ書き加え消し去るといった作業が必要。

一つには、行きたい、行かねばと思っていた瀬戸内へ、とどのつまり行けずじまいになっているのがきつい痛手。飛行機では瀬戸内を眼下に四国へ二度渡っているが、船は、松山から向かいの中国筋へ渡っただけ。ま、地図、海図は穴の開くほどみているのだが。

蛮行も敢えてするのみ。

2019 3/26 208

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

腫瘍の検査がご無事に合格でおめでとうございました。喜んでいます。そして、ようやく循環器科への診察の道筋もついて安心いたしました。良い先生にしっ かり診察していただき必要な治療の始まりますことを願っています。本格的な診察も検査もこれからですから、それまでどうかご無理なさらないように、いつも ニトロをお手元に用意してお過ごしくださいますように。

選集第三十一巻『オイノ・セクスアリス 或る寓話』が一体どのような作品なのかまったく予想もつきませんが、「呆れかえって殴りかからないで下され」というようなものでしたら、それは大成功なのではないでしょうか。

女には絶対にわからない境地が表出されていて、世の中に溢れている男女の性愛を描くポルノグラフィックな作品と一線を画す、ありそうでなかなかない、男という力の真実、男の性と生の実相が迫ってくる、独創のように思います。

 

話変わりまして、本日火曜日夜7時半よりBSプレミアムの「イッピン」という番組で「究極の帯」と題して山口源兵衛さんが誉田屋として出演なさるようで す。以前、みづうみにお会いになりたいと熱心に言ってこられた方です。個性の強い方ですから、好き嫌いはあるかもしれませんが、逸品を創る創作者としてみ づうみに感銘を受け共感なさっていらしたのだと思います。ご参考までにお知らせしておきます。

 

 

 

わたくしは親不知が時々痛むし、細々した不具合が他にもいつもあってすっきりしません。丈夫に生まれていないのはしかたありませんが。晴れやかに元気であるために、美しいものを身近に置こう、読もうと心がけて暮らしています。

 

朝晩はまだ肌寒さを感じます。お風邪など召されませんように。

 

蝶  方丈の大庇より春の蝶  高野素十

 

 

* ここで自作を暴くのは、良い趣味と思えないので沈黙します。

 

*  女の「帯」を気を入れて書いたのは、『蝶の皿』かも。昭和四十一年八月五日に、二週間かけ一気に脱稿しており、三十歳半の当時まだ多忙も多忙のサラリー マン医学編集者だった。あの厳しくも難しかった「新潮」編集部が、一字の変更もなく受け容れてくれた作品で、太宰賞受賞後翌月の「新人賞作家」特集号(昭 和四十四年九月号)に載った。

実は此の作、私家版の第二冊『齊王譜』巻頭に入れたのちに、「小説新潮」へ送ってみたところ、編集長から、この作は、むしろ「新潮」の方へ送られてはと示唆があったのを覚えている。

* 「選集」第三十巻の表紙や口絵の初校がきた。やがて再校が出て、これが、新元号での第一

作となり、追って「選集」第三十一巻の初校が押し寄せて、これが桜桃忌には作家生活満五十年記念の、名作でも秀作でもないむしろダメ作かも知れないが、「問題作」には成ってくれよう。良くも悪しくも私のこれまでの多くの小説を、或る意味で「締めくくる」でもあろう。

但し、それで「おしまい」では、決してありません。すぐその次の難儀な坂で喘いでいる長編を、なんとしても坂上まで押し上げたい、できれば、「湖の本」のために。

五月の永い連休より先に「選集」30の製本納品は所詮無理と観て先へ延ばすことに決めた。

2019 3/26 208

 

 

* 作家、小説家にとって、批評や評価を受ける何がいちばんの大事なものか。謂うまでもない「作」「作品」である。私生活ではない。「批評や評価を受ける」 際の上等な参考資料として、作家・小説家の当時の日記や感想や書簡類が挙げられるのはごく自然当然であり、しかしまた、過剰にそれらに意味を保たせすぎる 過ちも大抵ではない。作家小説家の書簡類を山のように拾い出し積み上げて、そこに「作」「作品」生成の秘密や鍵がありげに「論じたてる」などは、決して穏 当でも正当でもない、作家・小説家が、「作・作品」のわきへ書き置いた書簡も感想・感慨もメモも、かなりに気晴らし念晴らしや模索に過ぎず、煙草の煙なみ の役しかしていないことが多い。しかもなお極めて核心に触れた述懐が混じらぬでも、決して、無いとは云える。それを見出せるかどうかは研究者のちからだ が、紙屑の山のように書簡やハガキを何百千通探し出して、それが「研究」といえるかは甚だ疑問に感じているのも間違いない。縁の下を支えていることには 成っているのであろうが、「作・作品」論を目覚ましく輝かせ在来の「読み・評価」を替え得たという例にはほとんど出会えたことがない。むしろ「作・作品」 の行文・表現を慥かに適切に深く読み取る能力こそが「研究」というの名の実力に値してくる。

わたしは、そう思っている。

作品論でなく、作家論の資料として書簡や日記やメモの類が役立つことはあるが、所詮は「作・作品」が在っての作家・小説家であり、作家・小説家がどう人 物として面白かろうと「文学論」の本流には成りがたい。夏目漱石の、谷崎潤一郎の、川端康成の「人」を読むのではない、「作・作品」を読むのが本来であり 研究の的である。研究と称して紙屑拾いに終始していては勿体ないと、わたしは、五階かも知れぬが思っている。大切なのは、「作・作品」の文であり文章であ り想であり表現であり主題であり感銘である。と、思っている。

2019 3/28 208

 

 

☆ 秦さん  沖縄韓国のことなど    テル  中・高同窓  元・日立重役

 

 

ご無沙汰しております。「私語の刻」がもう20年、一日も欠かさず書き継がれているとは本当に驚きです。また立派な著書を次々と刊行され、送っていただき深謝いたします。

 

私は秦さんと同じ年に生まれ、弥栄中、日吉ケ丘高と同窓ですが、秦さんの生活と文筆活動は全く信じられない思いです。

考えてみれば三条神宮道の洋服屋のうちに生まれ、一介のサラリーマンとして今までボーと生きてきた自分と秦さんをくらべるのは無理な話ですが、その分よく遊んできたのと少し人の気持ちに寄り添えるようになってきた思いがあります。

いま心を痛めているのは沖縄と韓国の人々の事です。

 

先日沖縄に出かけて3月16日那覇市で開かれたオール沖縄会議「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守 り、辺野古新基地建設断念を求める3・16県民大会」に参加してきました。1万人超える参加者から次々と立って話されたことは県民投票で示された民意尊重 の訴えでした。

故翁長雄志さんが沖縄の歴史をふまえ「魂の飢餓感」と表現された「民意」に寄り添うことが、できないものでしょうか。

 

沖縄と同じ構図が韓国の民意にもあると考えるのは、おかしいでしょうか。

韓国国会議長の「日本の天皇がひとこと謝ってくれれば」の発言に日本の民意は猛反発しているようですが、私は同意できません。

このところの韓国問題に過剰反応することは日米戦争勢力を利するだけと考えます。

 

友人と宮古島に行ってきました。自衛隊ミサイル部隊が着々と配備されています。この島の人々はトランプ・安倍が企む「中日限定戦争」に巻き込まれることになるのを恐れています。可能性がないとは言えません。

 

添付「宮古島旅行報告」  秦さんに読んでいただければうれしいです。

 

* ちょっとズレルかも知れないが、ひとまず率直に。

 

* テル さん

メール嬉しく。旅行記はこれから拝見しますが、沖縄 韓国 に関わって 今 乱暴なほど率直にいえば、

 

 

沖縄には 「独立」運動の声のあがることを期待します、ありえな いことですが、かつ一つの真剣な擬制・擬声として有効な何かがあろうと思うのです。日本政府も米国も、とにかくは当惑し警戒するでしょう、何より中国は  もの欲しげに沖縄の揚げる旗へちかづくでしょう。 もう、ほかに運動の手は無いとわたしは観測しています。沖縄の知人達には、物騒なのでこれは、いまぶ ん、話しかけていません。

 

 

 

韓国は、明らかに図に乗っています、というより、そう動くしか政府は国民と結びあう手加減ができないのでしょう。

天皇の謝罪云々は、日本の憲法への無知と横暴はまぬかれず バカげています。

日本国がシャンとした政府なら、「国交断絶」を正面に。対峙していいと観ています。そんなことになれば、韓国は、北朝鮮、なにより中国の、そして米国の舌なめずりに出会うでしょう、モットモ望ましくないはずの孤立を敢えて招くだけです。

 

 

 

外交とは、世界史的に、「悪意の算術」である とは数十年のわたしの持論です。

日本は下手すぎますが、韓国もいま、かなり強気そうにビビッテいて賢くない、と、わたしは眺めています。

 

 

 

旅行記を読めば、また考えを新ためるかも知れませんが、とり急ぎ、メールへの感謝と感想まで。  秦

 

☆ 秦さん

私もとりあえず、貴兄の見解に関し、乱暴なかつ素直な返信を致します。

外交は騙しあいで、いき詰まれば戦争に持ち込むというのは 帝国主義時代の手垢にまみれたやり方です。

また戦争によって領土を奪い自国のものとすることも正義と考えられていた時代が長かったです。いまだにこの帝国主義時代の考えを振り回す大国の指導者がいることも事実です。

このような「悪意の算術」をいつまでも通用させて良いものでしょうか。

人類は第2次世界大戦で貴重な人命と文明の破壊を経験しました。中でも日本はかって経験したことのない原爆の惨禍に見舞われました。国益・人種・宗教など紛争の種はつきないけれど、この解決の手段を核兵器をちらつかせたやり方に依存することは間違いです。

70年前に日本国憲法の前文と第9条が人類の正しい方向を示しました。

この考えを理想論とか空想とかいう人がいますが、人類が存続するにはこの方向しかないと考えます。

沖縄についていえば 世論の力で時代遅れの基地普天間の撤廃と辺野古建設断念を実現できないでしょうか。

韓国問題は難しいですが、秦さんの「持論」は理解できかねます。  てるさん

 

* 憲法と悪意の算術と闘いと人類史のこと。

 

テルさん  走り書きですが 「私語」で 思いをもう一度述べてみました。御覧下さい。 秦

 

* このようなテルさんの返事があろうとは重々分かっていた。それでも、思ったままを書いた。

かつて、「湖の本」118で「憲法は抱き柱か」と語ったので、わたしの憲法感や問題への活動ないし闘争への意識についてはかなりを語り終えている。

日本の現憲法に匹敵ないし凌駕する良い憲法をもったままヒットラー・ナチスは暴虐を平然と冒したし、中南米諸 国の憲法条文は敬服の他ないほどだが、施行も履行も全然といえるほど為されていない。良い憲法をただの「抱き柱」に終わらせないためには 意識ある国民は不 当な権力と闘わねばならないが、「闘い勝つ」方法を持とうともしないで  ただ条文を讃美していても、所詮は働きのないボヤキで終わるしかない。「闘うなら勝 つ気概と手段」をこそ持たねば、空論に終わってしまう。

事実、日本の現憲法は、戦後の「統治型保守権力」の前に、ただの「抱き柱」と年々歳々に化しつつあ るのは、明瞭。

 

「世論」という二字が出てくるが、 「悪意の算術・政権」の前で世論が操作されまた圧伏されてきた歴史は、その逆の数百千倍に相当してきた人類史の事実を思えば、かりにも「世論」で悪や 悪政と闘って勝ちたいなら、デモや署名やコールで事はかどらせようなど、国民性にも依るが、日本人の最も拙で弱い方法だと、もうもう気づいて良い筈。

闘う なら「勝つすべ」を持たねば世論は空論の代名詞で終わる。大方、それで終わっていればこそ、安倍内閣の支持率は、歯痒いほど下がらない。しかも、「悪意の 算術」に最も長けたいわゆる大資本企業の「算術」の前にも、立ち向かう労力も知性も脆弱を極めている。

 

外交とは「悪意の算術」というわたしの多年の指摘は、近代の英仏独米露等 西欧の帝国主義どころか、はるか昔のエジプトやギリシア・ローマの昔から、また、中国でも インドでも、三韓の朝鮮半島でも、アラビア世界でも、はるか上古から「善意の外交」に徹した例など無きに同じく、呆れるほど強慾な「悪意の算術」を繰り 返し続けてきたし、日本のちっちゃな戦国時代ですらそうだった。明治維新でも、事実上は「悪意の算術」で結着していった。

第一次大戦でも、その講和後勝者國の 「悪意の算術」は、ほぼそのままナチス誘引の理由になっていたし、第二次大戦後の日本占領政策が「悪意の算術」のまま、今なお続行して、「敗戦日本」はいまも日々「悪 意の算術」の前に身をひしゃげているのは、「沖縄」が、「首都の空」が、「安倍のトランプを平和賞にという追従」などにも歴然としている。

「いつまでも通用させては」云々でなく、人 間の外交的優劣の争いは、本質において、たぶんネアンデルタールの、北京原人の昔からすでに変わりなく、これからもほぼ絶対に変わらないとわたしは歎きもし信じて もいる。

その先へつながる「わたしの人間・社会」観は絶望的で、出来れば、はやめに一度目か何度目か知らないが、人類は滅亡して出直した方がいいとぐらいに思っている。

今の ままで行けば、科学政略文明と人文創造文化との軋轢は果てしなく、後者の敗亡と破壊・沈滞・消滅は必至とまで、わたしは望みをほぼ失っている。余命・残年のすく ないであうろうことを、無責任にも、むしろ有り難しと待っているほど。

だからこそ、ヘンかも知れないが、老耄を励ましてわたしはわたしの創作に励みたい。

 

* ま、この程度を 今一度 答えておきたい。 テルさん、いかがでしょう。

この議論に加わって下さる方は、どうぞメールを下さい。

2019 3/28 208

 

 

☆ なんと元気なお爺ちゃん

この年齢で 自宅で普通に暮らせる幸せはないと思う。

高校同期会のお世話を 毎年計画してくれる男性がいて その気力に報いる為にも毎年出かけて、守美ちやんにも会います。

京都弁でワイワイと話してきました。

この五月の連休明けに こちらの息子夫婦が 私の親のお墓参りに京都へ連れて行ってくれるとか。

泉山には久し振りで楽しみです

又…     花小金井   泉   中・高校一年後輩

 

* わたしは、

聖路加へ電車一本で通うのが、せいいっぱい、永くも歩けず、食も、極く細、目も半ば霞んでいます。京都はおろか、都心の花見にも行けません。

ただ 気はまだしゃんとしていますが。

京都で観たい仕事に必要な写真は、頼んで撮って送って貰っています。

お元気に、楽しめる限りを 楽しまれよ。  湖

 

* これは、テルさんとのメール交換とは、別のたより。なんとも、なにもかも 嬉しい。秦の親のお墓、どうなっているのだろう。しかもわたしは、実の父、生みの母の墓が何処にあるのかも、まったく知らないでいる。

 

* どこへか、「倶會一處」とだけ刻した小さな石の下で、骨の一欠け、灰の一摘みずつでいい、希望の人の誰も拒まずに同居できれば、それもいいなあと思ったりするのである。肉親というものにわたしは失望し尽くしたまま生まれて、成人した。死ぬときはどうか。

む緒

2019 3/28 208

 

 

* 「職原鈔」という本があった、律令制より以前から、あらゆる「官職」を手引の事典であって、それの必要度は、多年、まこと大化の昔から何世紀にもわた り、はなはだ実用的に高かったとは推察がきく。私には、しかし、さしあたって必要は無かった、せいぜい「官位相当」の一覧表で足りてきた。

が、ここに『和歌職原鈔  付・版本職 原鈔』の一冊があり、巻頭に先ず「四部配当和歌集」が出ている。「四部」とは一長官(かみ) 二次官(すけ) 三判官(ぜう) 四主典(さかん)謂う。そ してすぐ「八省之歌一首」を掲げている、「八省は八つのつかさとよむ。此上に二官とて 神祇官太政官あり。配当此下の哥にあり」とし、

中務。式部民部に。治部兵部。刑部大蔵。宮内八省

と。さらにこれらの官掌をことこまかに紹介し解説している。

なるほど、いわば官吏諸氏には虎の巻に相当しただろう。和歌の体であげてあり記憶の便もあったわけだ。ことにこれら官職と地位との相当、官位相当、をよく覚えているのは、上下関係を気に掛ける官吏には大した必要であったろう。一例を挙げれば、

左右京や。東中宮に。修理もみな。大夫といへば。従四位下ぞかし。

式民部。兵部刑部に。大蔵や。宮内も卿は。皆正四位下ぞ。

従一位は。天が下にて。たゞひとり。太政大臣。相当と知れ。

正一位。神の位と。きくなれど。人にはこれを。贈位とぞいふ。

また國の、大中上下も覚えやすく歌われていて、これは、心得ていてはなはだ大切な知識である。

ま、このほか無数に歌の体をなして 教えられる知識多い。古典や歴史に関心有る者の座右においた大いに便利する一書、昔の人はマメに勉強していたということか。

校注者の今西祐一郎さんにはやくに頂戴し、ただに愛玩また大いに便宜している。平凡社東洋文庫の一冊である。

2019 3/29 208

 

 

*  一昨日來の、遠い昔からの友「テルさん」とのメール交換にふれて、しみじみ思うことは、わたしが、人類社会の前途や人間の善意や信念に、ほぼ、今、希望を 喪いないし諦め、絶望の方を受け容れているという自覚である。毎月、この日録の冒頭にわたしは自身現在の「述懐」を托して幾つかの詩句を借用しているが、 今月のそれをわたし自身で顧みても、肌寒いまでに自分が明るくて望ましい人間の未来を見捨てているかがハッキリしている。そしてそれを今、深く訝しむ、否 定する、拒むという気が涌かないのである。

 

ししむらゆ滲みいずるごときかなしみを

脱ぎてねむらむ一と日ははてつ       田井安曇

 

身のはてを知らず思はず今日もまた

人の心の薄氷(うすらひ)を踏む       石上露子

 

これやこの往きて帰らぬ人の世の

つきぬ怨みの夢見なるらむ          遠

 

人も押しわれも押すなる空(むな)ぐるま

何しにわれらかくもやまざる         遠

 

あすありとたがたのむなるゆめのよや

まなこに沈透(しず)くやみのみづうみ   遠

 

* わたしはこれらを通してほぼ現代にも未来にも幻想は持たない、持てないと、諦めて表白している。

 

* テルさんから、もう一度の存念が伝えられているらしく、まだメールを開いていない。とにかく、読んでみよう。

 

☆ 秦さん

私の拙文に対し丁寧な返事を2度にわたった頂き、恐縮しています。

 

何度も読み1日考え、以下返信することにしました。

 

・「絶望の虚妄なるは希望に相同じい」とは魯迅の言葉ですが、私はこの言葉にずいぶん励まされてきました。いまの日本に比べてもはるかに絶望が社会を覆っていた時代でした。秦さんの絶望は大きくて深いものだと理解します。でもその中に希望はないのでしょうか。

是非聞かせていただきたい。

 

・「悪意の算術」が人類の歴史を支配してきた、とのお説ですが確かにそういう時代がありました。単純に考えて悪意は他人を押しのけて自分だけが得をする、生き残る、ヒトラーやトランプのあからさまな作動です。

このような人たちが人間の悪意を利用し、国民を扇動し、歴史を支配したことは否定できません。

すこし話が変わりますが、我々ホモサピエンスは共生の遺伝子を持っており、そのことでコムニティをつくり、言葉を紡ぎ、文字を持つてきたということを聞 いたことがあります。「悪意の算術」に対抗できるのは「共生の算術」と思います。人権宣言やワイマール憲法や日本国憲法は人類の共生の思いを体現していま す。

今は確かに「悪意の算術」がすこし優勢な時代かもしれませんが、悪意はそう長続きはしないと思います。

人類は必ず核戦争による絶滅を避け、生き残る道を見つけるに違いありません。

 

・「憲法9条は抱き柱」とのお説ですが、納得出来ません。

私は「憲法9条は灯台」だと思っています。この灯台の光は少し陰りはありますが、日本だけでなく、世界のひとたちの心をてらしています。そしてこの灯を消してはいけない!!「安倍9条改憲」を成功させてはいけないし、成功しないと思います。

 

以上偉そうなことを書き恐縮ですが、ほかの方のご意見も伺いたいです。 てるさん より

 

* 素晴らしい、羨ましいほどの意欲と肯定のテルさんの言葉で、真実敬服する。じつに、まことに斯くありたいものと願う。

それでも、わたしは、望みは望みとしてその望みの実現性を、「人間が人間であればこそ」絵空事に近い、同じいと、楽観できないでいる。

プラトン(ソクラテス)が人間の築く「国家」を精緻に論じ尽くしたが、その実、その最良・理想としたような国家ないし支配者を、絶えて人類は、人間は、 (極言とは承知で謂う)ほぼ一度も一例も持ち得てなどこなかったし、悪しき支配者と悪しき政治と悪しく果てない人間の強慾と怠慢とが、日々に日々に濃厚に 醜悪に地球を冒しつづけ、良くなってきたと思えるほとんど何ものをも喪いきり見失い続けているのを、わたしは悲しくも予感、いやもはや実感している。極論 すれば、「文明」の悪と便利とが「文化」の精美で優秀な無用性を損ない続けて行く年々歳々と情けなく見ている。

「人間支配の悪意」こそ歴史を蔽って来続けたが、「人間本然の善意」はただ寶玉に似て、日々の人間生活を堅固に永続的に支え切れて来なかった。歴史は、 おおむね人間が惹き起こす「悪しき事変と争乱」とで、結果、より不幸な「人間支配の度」を増し続けてきた。 トランプ、プーチン、習近平、金正恩その他世 界中の強権悪政者たち、そして安倍晋三ら、彼らの欲に根を生やした支配意図こそがますます増殖されて行き、私民はほぼ禁獄にちかい被支配にこそ喘ぎ続け る。歴史は、その「逆」を示したことは稀に稀にまれに過ぎている。

日本國憲法が素晴らしいのは、実は非道の政治家でさえ知っている。国民も知っている。しかし「知っているだけ」のハナシにされている。「抱き柱」と謂うわたしの譬喩は泣きの涙とともに、そこに生じている。

闘うなら、勝たねば。勝つには真の智慧と手段が要る。今日の世界で、虐げられた弱者の闘いに

、遺憾にも智慧も手段も無いにひとしいと、誰よりも悪しき支配者どもが大嗤いして知っている。希望は持ちたい。しかし希望は、ただ持っているだけでは、縋り付くだけのか細い「抱き柱」に過ぎない。

 

* もう一度、さきに挙げたわたくし「述懐」の歌を、わたし自身、読み返す。悲しい実感である。

 

* 友どちよ、きみらの考えを聞かせて欲しい。

2019 3/30 208

 

 

* 目下のところ「俳句」に拘っているが、わたしはもともと白川静博士の名著の一つ『字統』に教わっていわば「俳味」という境涯を理解してきた。

「俳」字は古義「たはむれる」とあり、人が二人して相戯れるさまを示すかとされ、『荀子』に「俳優侏儒」というように、障害者たちが多くそのような「役」 を演じ、そこから「遊戯する」のを「俳」といい、そのような人を「俳優」と謂ったが、この際の「優」の原義は「憂愁」と謂われてある。

「俳」にはそこに「愁いすらを帯びた遊び戯れ」の意義がある。俳優達の演戯には、根底「俳優侏儒」のもののあはれ「憂愁」が、もともと体感され境涯と成っ ていたのであり、忘れ去っていいことではない。素面尋常の俳優というのでは矛盾するのを今日の俳優達にもわきまえて欲しい。ただ楽しませ喜ばせ笑わせるの でなく、底に、其処に、棚引くような「あはれ・かなしみ」の真率が表現され得て「俳優」なのである。これは、劇作・演出家である 秦建日子への言及として おく。

 

さて「俳句」の「俳」はもともと「俳諧」であり俳句は近代になっての改変された称であるのは、近代短歌の例と同じい。近代以前のむいわよる短歌は長歌との対称であった、これは常識。

俳諧の「諧」が諧謔・喜笑を意味していたのは当然で、いわば「おかしみ」「可笑しみ」の表現を芯に抱いていた。ただし、ここにも「俳優侏儒」の憂愁が沈潜して「あはれ」「しづか」と手を繋いでいたのを忘れることはできない。諧謔・喜笑と憂愁・静寂とが表裏してすぐれた「俳諧」となった、芭蕉の「みなし栗」時期を脱皮脱却しての清風・正風がそれであった。芭蕉かずかずの名句は、繰り返し云うが、「俳優侏儒の憂愁が沈潜して「あはれ」「しづか」と手を繋いでいる。

かかる「俳」味を欠いた自称俳句は、ただ騒がしい。穢くさえある。

 

* 朝飯前に、演説してしまった。

2019 4/1 209

 

 

* もう一時間半もすると、安倍晋三内閣が制定する新元号が公表される。どんな文字・言葉の元号であろうと、わたしの関心事ではない。

あえて謂えば、この五月一日からは、わたしはわたし自身の名「恒平」を、「恒久平和を願う」わたし自身の新元号と思って生きようと思う、何年続くか分からないけれど。毎日、毎月、毎年を深切に迎えかつ見送りたい。

 

* 新元号が「令和」と決して内閣が発表した。万葉集からと自画自賛しているが、ごくふつうには、こう書かれた二字は、「和令(し)む」「和せ令(し)む」 「和ま令(し)む」以外に訓みようがない。

「令(し)む」「令(せし)む」はまさしく「せよ」「させる」の指令、命令、訓令にほかならず、「和をもつて尚しとなす」の訓えは聖徳太子の昔からあるが、おうおうに、時々の政治は「和」の名において追従、追伏、あしき賛同を国民に「強い」てきた。「令」は、「法 令「律令」の意味でもあり、それは、よかれあしかれ人に「強いる」「せしめる」意味を第一義に帯びている。「和」は。そのような意味合いにより、つねに「令」の前に傷つけられ強いられ命じられやすい、ないしは甚だ 悪用もされやすい一字であることを、人は歴史的に繰り返し繰り返し体験しつづけてきた。

 

令和

 

の二字は、音も、わるくかたく冷たく、聡明な叡智が見出した二字とは、とても考えにくい。

やっぱりこんなことかと、「平成」と示されたあの日あの時の思わず完爾と笑みの漏れた記憶からは、はなはだ「劣って」「悪用され易い」二字とわたしは読み取る。万葉集との関わりを酌むには余程も遠回しなコジツケを必要とする。

「和」を、文字どおりに、司「令」し、命「令」し、訓「令」して、国民に従順たれと謂いかねない「敗戦後統治型保守政権」の本音も露わな元号になってし まったと、「日本の未来」をかえって肌寒く危ぶんでしまうのが、わたしの誤解であったという先々の成り行きであって欲しいものだ、が、期待しにくい。

 

* わたしはわたしの、「恒平」元年を迎える。元号は、国民に「強いない」と法定されているのだから。

2019 4/1 209

 

 

* 神武から平成への125代は、わたくしの、恰好の「諳誦もの」であった。これからも、光格、仁孝、孝明、明治、大正、昭和、平成とつづく、のびやかな 音調を愛して、ここでわたしの歴代諳誦は停止する。たとえ「和」が穏和、平和であろうと、指令、訓令、号令、命令されるのはイヤ。まして悪政や偽政への 「唱和」「賛同」「和談」「賛成」を「法令・制令」化し強制しかねない時代の趨勢には、追従しない。万葉集も妙なお役に立てられたモノだが、誰がそんなオ ハナシを、いつまで記憶しているものか。国民のアタマにこびりつくのはなによりも「令」一字でしかないだろう。

 

* 「令」の字義は、文化勲章もうけられたと思う、白川静博士の比類無い名著『字統』に学ぶべきだろう、「みことのり(勅令)」「いいつけ(命令)」 「(上輩にとって)よい」「せしめる(訓令、指令、法令)」を意味し、「礼冠を着けて、跪いて神意を聞く神職を象形した文字」であった。字形のママに「命 (命じる)」としても用い、「したがふ」意味に通じた。まさしく「政令を発する」意に通じ、「謹み跪いて上意を聞く」形を体している。「命」「令」はまさ しく同意義を有して、もとまぎれない同義の「一字」であった。「命令」の意より「官長や使役の義となり、敬称としては「令閨」「令嗣」「令夫人」など云う が、要するに「命・令」のむ「威令」に類していて、「しむ」「せしむ」「せよ」の義が本体になっている。

海外の評判でいちはやく「命令」の「令」と指摘されたのは当然で、政府や外務省がどう糊塗・強弁しようとしても「令」は「強いる」意味にはっきり繋がる。おそらく、過去の元号でどれだけどのような意義で「令」が用いられているか、調べてみると良い。

2019 4/3 209

 

 

* ときおり、印象に残った秀句を書き出してみようか。

村上鬼城

小春日や石を噛み居る赤蜻蛉

てふてふの相逢ひにけりよそよそし

十五夜の月浮いてゐる古江かな

池内たかし

絵馬堂の乾ける土間や秋の雨

仰向きに椿の下を通りけり

さる人の墓あり牡丹見る寺に

 

* さ。気を励まし、われながら得も云われない「清水坂」へ、おもひを燃やしたい。

2019 4/3 209

 

 

松本たかし

とつぷりと後ろ暮れゐし焚火かな

流れ行く椿を風の押し止む

仕(つかまつ)る手に笛も古雛(ひいな)

 

長谷川素逝

牧の駒あやめの沼の岸に来る

山こえてゆく子らゆゑに夕焼けて

茶の花のひそかに蕊(しべ)の日をいだく

2019 4/4 209

 

 

*   高濱虚子

人病むやひたと来て鳴く壁の蝉

遠山に日の当りたる枯野かな

桐一葉日当りながら落ちにけり

春風や闘志いだきて丘に立つ

白牡丹といふといへども紅(こう)ほのか

流れ行く大根の葉の早さかな

夕影は流るる藻にも濃かりけり

大空に羽子の白妙とどまれり

たとふれば独楽のはぢける如くなり

一面に月の江口の舞台かな

手毬唄かなしきことをうつくしく

大根を水くしやくしやにして洗ふ

いかなごにまず箸おろし母恋し

深秋といふことのあり人も亦

初蝶來(く)何色と問ふ黄と答ふ

虚子一人銀河とともに西へ行く

舌すこし曲り目出度し老の春

去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの

悪なれば色悪(いろあく)よけれ老の春

風雅とは大きな言葉老の春

2019 4/5 209

 

 

*  「選集」30の再校がまだ半ばへ行かない、「選集」31の新作長編の初校はこの週明けに届く筈。そして書き下ろしの小説『清水坂(仮題)』にいま苦 戦の最中にいる。「湖の本」144巻の入稿も手がけておきたいし、この十日過ぎからの、新たな循環器科の、また低血糖気味の内分泌科での 新検査データを 踏んだ診察も気が抜けない。

苦しい四月、五月になりそうだ。いちばんは食べて体力を戻すことか。今朝の体重は、術後七年余の最低であった。あんなにウマイものの食べたがりであったのに。これでは、妻を支えてやりにくくなってしまう。

春風や闘志いだきて丘に立つ  虚子

ぐあいに久しく、やってきた積もりなのだが。

六月、三谷幸喜作の歌舞伎座初登場、九月白鸚の「ラ・マンチャの男」の予約もしてある。崩折れないよう、シャンと立たねば。

 

* かねがね、藤村、漱石、潤一郎に、もう一人加えるなら「愛読はしない」が松本清張と答えてきた。その考えに変更はない、が、作を読んでもドラマをみて も、不愉快すさまじく、まるでカタルシスを得ない。「文学」以前の「読み物」アクがしみついている。しかし先の三者のまるで触れ得なかった人間悪・社会 悪・政治悪の世界へ深く切り込んでいる。無視は成らない。清張に代わる文学作家に出会いたいと、よくよく思っている。

2019 4/5 209

 

 

* うんべルト・エーコ原作、ショーン・コネリーの演じる映画「薔薇の名前」を、落ち着いてもう一度見直したいというので、かなりコワイ思いをしながら、 じっくりと観た。以前に観たときにはまだ胸にも腹にも入ってなかった基督教、それも正統派基督教にかかわる勉強や思索や判断を幸いに『オイノ・セクスアリ ス』のために重ねていたので、よほど踏み込んで理解も批判もしながら、わたし楽しみもしたし理解もした。直ぐにもまた、とは云わぬまでも、いつか、きっと また見直したくなるだろう。

やはり力のこもったいい映画は、テレビドラマより遙かに本格の重みと面白さとで惹きき入れてくれる。ショーン・コネリーにも満足した。

2019 4/5 209

 

 

* この分なら、わたしの『清水坂(仮題)』は、みなさんに、よっぽどビックリしてもらえそう、「清水坂」は、仮題だけれども。

 

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』がどんな顔をして、明日、初校ゲラ現れ出るか、息をつめて待っている。この歳になって、創作・小説の仕事でこうも毎日毎日コーフンしてられるなんて、幸せな爺さん作家ではあるまいか。

 

* 選集30の再校を捗らせないと全体に、キツクなってくる。「文学と文学者」を読むだけで300頁を越している。短文のもまじるが、相当の長文でわたし なりに力も思いもこめて書き上げた作が相当数ある。井上靖論など一冊の本にしていいほどの量と内容、十分気を入れて書いている。秋成、紅葉、花袋、折口、 小林秀雄等々、フレッシュな気分で思い切った筆を運んでいる。

このあとへ更に250頁ほども「美術と美術家」を語っている。再校といえども容易でない。かなり纏まった一巻に成ってくれるだろう。

 

* 新元号に賛同しないもの、世論調査で「3」パーセントと。わたしは、生涯なにを考えなにを為してもこの程度の数字に繰り込まれる超少数派のようである、それで宜しい。

2019 4/8 209

 

 

* 小説『オイノ・セクスアリス』初校、気がかりなまま、昨日のうち一気に六十頁分読み終え、ま、この分なら 今ぶんは 快調という実感がもてた。特別な意味はないが、大よそ「三部」に編成してある、その第一部だけなら 「湖の本」としても送り出せるかなあと感触している。 おそらく明日の病院外来待ちで第一部は読んで仕舞えそう。面白く読ませる(少なくも私には)ものを持っている。

ともあれ、いまぶん、ホッとしている。作者冥加というか。

この勢いで、つづく『清水坂(仮題)』も書き抜きたい、が、何としても実地の取材・見聞の利かない世界へ入らねばならない。ま、あの(いまでもわたしの 代表作として先ず指を折ってくれる人が多い)『みごもりの湖』の近江、ことに湖北の表現・描写は賞讃の的にからなったが、実は皆目わたしの見知らぬ世界 だった。ただただ地図だけを眺めて書いた。そういうことは不可能でない、けっして容易ではないのだけれど。

2019 4/10 209

 

 

 

* 新作の小説を三分の一近く、つまり緩やかな第一部を読み終えようとしていて、我ながら、小説家というのは奇妙な世界を創り出す生きものなのだと惘れて さえいる。小説としては、いっそ快調に書けまた駆けている。へへえと思う。しかし、こんなシロモノは広い世間様になら いくぶん胸を張って読んで戴くが、 身のそばの人らには、近寄っても貰いたくないと閉口している。小説家って、(と謂うては逃げ口上になる、明らかにワタシって) 実に奇態、変態な生きモノ なんやなあと閉口している。

それでも、もう、いつお迎えがあるか知れぬ今に、この長編作を書き上げて置いてよかった、文字どおり「妙」に首尾を綴じめる事になったナと思っている。 いま、わたしは、どっちかというと、もうあの世へ先だった人たちのほうへ身も心も寄せているのかも知れぬ、たぶんそういう作に仕上がっているらしい。

 

* さて置き去りになど出来ない「清水坂」が嶮しい、「選集30」の再校そして責了にも精をださねば。

2019 4/12 209

 

 

 

* 機械の煮えてくるのを辛抱よく待ちながら今朝は『近世畸人伝』の拾い読みで、心和むものがあった。

「淡海狂僧」  いづこの人といふことをしらず。乞丐(=乞食)の如くにて、近江愛知川のわたり、高宮のほとりを狂ありく僧あり。あるときも彦根某寺 (それのてら=禅寺)の和尚に行あふ。狂僧問て曰、和尚法味は如何(=日々悟りの境地は如何ですか)。答て曰く 如流(流るるが如し)、(狂僧は)詰曰 (なじりて云う)、塞如何(塞いたらどうする)。和尚答ることあたはず。狂僧頓(とみ=即座)に和尚を推倒し、(師家のもつ=)柱杖を奪ひて背を舂(うす づき=つき叩いて)うたふ、

一夜ちんちんちがはば、いく夜さちがふもしれませぬ。和尚什麼(和尚さんどうなさる)、 と 即走去る。是 其比(そのころ)の童謡を用るなり。

彼の師家も 恥て家に帰らずといふ。

 

* 「如流」などとカッコいいことを云って、「塞」一言で打たれている。

ありそうなことで、肌寒い。

このあとの「表太」 表具師太兵衛のはなしは、さらに面白かった、が、また機をみて。

2019 4/13 209

 

 

* 白隠禅師に別首座という弟子があり、出家が寺を持てば在家と変わらないと、所定めず行脚の歳月をすごし、「示し」を乞われればその人の世態に 応じていた。或る乞食坊主が問うと、雨だれの石をさして「あの石を見なさい、雨だれで減ったんだよ」と。農人に問われると、「田に水があれば鷺が来 て泥鰌をほしがる。泥鰌は遁げるさ、鷺は踏もうとするさ」と。また或る元日に人のもとで雑煮を喰っての際、主が「示し」を乞うと、こう云うた、「昨日は大 晦日、今日は元日だから雑煮をいただく」と。 「僧別首座」これまた『近世畸人伝』の一人である。

 

* 『近世畸人伝』で印象を得た一語に、「生平」がある。要はわれわれが今日にも用いている「平生」と同義のようではあるが、「平生心」を謂うてあるとわたしは汲んできた。

「生平」、佳い一語だと思う。

ところで上の「別首座」の項は、上のように記事した最後に、著者伴蒿蹊が一語、「老婆親切といふべし」と置いている。「老婆心」「老婆親切」 辞書を引いてみれば、ふと胸に指さされるものを覚えるだろう。伴蒿蹊と別首座と いずれが「老婆親切」か。それを問うている、わたしがか。

2019 4/16 209

 

 

*  朝、最初に『近世畸人伝』の「僧涌蓮」の項に惹かれる。真率人の及ばぬ所あり。

野べみればしらぬけぶりのけふもたつ

明日の薪やたが身なるらむ

行末の身のさちあらんをりをりも

世の常なきを思ひ忘るな

この手の歌は どうしても、すこしにおうのが、難か。

 

* 歌をもらって、「秀歌に返しなし」ということを識った。一つの在りよう。

2019 4/17 209

 

 

*  正岡子規のそばに、年嵩の内藤鳴雪翁がいたことは、ずっと以前にも此処に触れた。この翁に『鳴雪俳話』と題した好著がある。明治四十年十一月廿八日に日本 橋の博文館から定価貳拾八銭で刊行されている。秦の祖父の蔵書であったが、わたしが永く座辺に置いてきた。引かれてある俳句に佳いのが多く楽しめるととも に、いくらかわたしの頑なかもしれぬ俳句感覚を養われてきた一册である。この人は俳句はもと「滑稽」であったとハッキリ正解し、しかも芭蕉の正風により優 れた肉親を俳句は得た、だが俳句の良き滑稽は生きているし生かさねばならないと本筋を確かに掴んでいる、それをわたしは尚美している。

蕉風なる滑稽美 これの容易でないことをわたしは思うゆえに安易に俳句に手出ししてこなかった。佳句をもとめて読んで楽しむに止まってきた。『鳴雪俳話』は私のために今も古びていない。

「平成」から歴史のうごく五月が近付いている。

湖の水まさりけり五月あめ    去来

胸のふくらむような懐かしさで読む。

 

* もう一冊を今朝は手にした。大和田建樹編 東京 博文館蔵版の通俗作文全書の一冊『日記文範』である。やはり明治四十年八月十三日発行、定価は参拾五 銭。秦の祖父鶴吉は明治貳年生まれだった。三十代も終えて行く頃の好学心であったろう、これらはまだ軽い感じの書籍で、鶴吉の遺してくれた漢籍や和書や事 典・辞典は家に余る大量であった。

この『日記文範』目次は、誘引に富んでいる。時代差など無視して並んでいる「菅家日記」「文化二年日記」「水蓼」「後の岡部日記」「春の錦」「家長日 記」「藤垣内翁終焉の記」「中務内侍日記」「故郷日記」「待たぬ青葉」「御蔭まうで日記」「蜻蛉日記」「忘れがたみ」「小木曽日記」「日記の内」「相馬日 記」「本のしづく」「讃岐典侍日記」等々々、まだまだ、まさに雑多に列べてあり、通常では出会いかねる珍しいものがたくさん混じって、とても貴重で有り難 い。

明治人は、まだまだこういう感性で往時往年の行文に親しもう学ぼう習おうという気があった。「中務内侍日記」には、「宮内卿藤原永経の女にて。亀山後宇 多の両朝より。伏見天皇の御代にかけて。禁中に奉仕せし人」としてあり、普通ではいまやこんな文献に出会うことも難儀になっている。ま、この内容の混在ぶ り面白い。中味も、面白い。いまどきこんなに便利に遠い歴史の広範囲へアタマのつっこめる手近な本、見つかるまい。

まさに古書だが、棄てがたくやはり身のそばに置いている。時に、どれとなく目に附いたのを読んでいる。

 

* 自身、雑食型読書家と書くときもあるが、実は、雑食の「雑」などたいしたことなく、むしろかなり偏った好みの偏屈型読書家と改称すべきだろう。ガンと して読まない世間、それと、読もうにも読む力のない広範囲な世界の書籍世界がある。たいしたことのない読書家だと 思い知っている。

 

* 持田鋼一郎氏 「米欧亞回覧の会」編になる『岩倉使節団と日本近代一五○年 歴史のなかに未来が見える』と題した、盛大そうな、シンポジウムか学会よ うの集会での持田氏「発言」を含む一冊を送って下さった。不平等条約にぎりぎりに縛られた明治政府のよく踏み込んでの苦闘につぐ苦闘を想ってみた。

いまの、厚かましいほどの敗戦後統治型保守政権の、さあ、いらっしゃい、不平等ケッコウとでも言い続けて米国の支配にひれ伏すように従属して盛んに故障する古物武器や飛行機や軍艦を買いまくってる安倍晋三等にこそよくよく考えさせたい。情けないワン オブ アメリカ め。

2019 4/18 209

 

 

*  「家長日記」と「鳴雪俳話」を拾い読みながら、えんえん機械の始動を待っていた。

藤原家長は土御門院の頃の歌人、克明な日記でも知られている。『日記文範』に引かれてあるのは後鳥羽院の和歌所が設けられて盛んに和歌や歌人の発掘され て行く活況を書いていて、血が沸く。優れた女歌人らが老いて払底を嘆く内に次々に優れた歌詠みが見出されきおい始めるのも目新しいいい場面。簡潔な筆致 で、世の動きまで捉えている。

俳話では、小春をよんだ

 

辻占の髯抜く橋の小春哉  素堂

 

柴舟のぬれてけふれる小春哉  右常

 

など今日では目にしないが、それだけに懐かしい風情で、字句の斡旋も、妙。

 

鴨の首よけて身をかく小春哉  幽泉   の情景は、判読できるが、「鴨の首」とちょん切れるのがわたしの趣味に合わない。

わ たしなら、

首よけて鴨の身をかく小春哉   と、河の流れ・語の流れの心地を加味するが、如何。

 

* 昨日 ある人から第三歌集とあるを贈られてきた。これがまあ、なんとも「体言繋ぎのぶつぎれ説明歌」で溢れており、「結社」短歌の「無反省・無錬磨の ままな自己満足」に終始しており、ひとごとならず落胆。結社の現主宰がおどろくほど長文の跋を入れているが、作歌人の歌作はほとんど批評されていない、推 奨もされていない。

体言・用言と謂うではないか。この「体用斡旋」の妙が、いわゆる散文を「美しいうた」に変える魔法なのに、まったく理解できていない。いまの「自称歌 人」たち。歌を「つくる」に心せいてあたふたせず、古今の佳い歌集を肉親と化するほどまずまず「読みに読んで」心得たまえ。

2019 4/19 209

 

 

* 新作長編の校正読み 最終三部の半ばへかかってきた。乗り切っているか、どうか。

おそらく「オイノ・セクスアリス 或る寓話」と題してあるこの長編が、どんな、ト拍子もない「劇・寓話」をはらんで展開しているか、当然ながら察し得られまい。十年前に試筆の時には、わたし自身、夢にも想ってなかった。成功したか、大失敗か。わたしにもまだ分からん。

ただ、第一部は、ま、なんとか公表できても、第二、三部は、文字どおりに「私家私蔵」のほか無いかもしれぬ、物語はかなりに花やいで展開するのだけれども。

赤裸々な描写や表現、展開にもビビらず「強いご希望」の方とは、ご相談したい。

 

* 長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』510頁分の「初校」を終えた。感慨有り。目をつかい、思案・判断をわずかな日子で重ね、さすがに心身ともな疲れ切っているが。

『黒谷』一編を副え、「再校」でもきちんと推敲した上で、六月十九日の桜桃忌を期し、作家生活「満五十年」記念の「紙碑」として、『秦 恒平選集』第三十一巻に収めたい。

「跋」ももうほぼ書き上げて置いた。

 

* 六百頁にも及ぶ「選集第三十巻」の「再校」分も、なお百数十頁読み残していて、なによりコレを先ず「責了」にし終え、早く本として送り出したい、五月中にも何とか。

 

* 目の霞みには五種類の目薬を時にあわせ使い分けているが、目まわり洗滌の綿が比較的瞬時に視野を明るくクリアにしてくれる、ものの三分間と保たないけれど。暫時でも視野が明るむと嬉しくはある。

もう、十時半になっている。寝みたいが、寝床でまだ校正もしたい、『復活』も読み継ぎたい。

2019 4/19 209

 

 

* 新作長編の校正読み 最終三部の半ばへかかってきた。乗り切っているか、どうか。

おそらく「オイノ・セクスアリス 或る寓話」と題してあるこの長編が、どんな、ト拍子もない「劇・寓話」をはらんで展開しているか、当然ながら察し得られまい。十年前に試筆の時には、わたし自身、夢にも想ってなかった。成功したか、大失敗か。わたしにもまだ分からん。

ただ、第一部は、ま、なんとか公表できても、第二、三部は、文字どおりに「私家私蔵」のほか無いかもしれぬ、物語はかなりに花やいで展開するのだけれども。

赤裸々な描写や表現、展開にもビビらず「強いご希望」の方とは、ご相談したい。

 

* 長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』510頁分の「初校」を終えた。感慨有り。目をつかい、思案・判断をわずかな日子で重ね、さすがに心身ともな疲れ切っているが。

『黒谷』一編を副え、「再校」でもきちんと推敲した上で、六月十九日の桜桃忌を期し、作家生活「満五十年」記念の「紙碑」として、『秦 恒平選集』第三十一巻に収めたい。

「跋」ももうほぼ書き上げて置いた。

 

* 六百頁にも及ぶ「選集第三十巻」の「再校」分も、なお百数十頁読み残していて、なによりコレを先ず「責了」にし終え、早く本として送り出したい、五月中にも何とか。

 

* 目の霞みには五種類の目薬を時にあわせ使い分けているが、目まわり洗滌の綿が比較的瞬時に視野を明るくクリアにしてくれる、ものの三分間と保たないけれど。暫時でも視野が明るむと嬉しくはある。

もう、十時半になっている。寝みたいが、寝床でまだ校正もしたい、『復活』も読み継ぎたい。

2019 4/19 209

 

 

*  『近世畸人伝』中の、今西行とも呼ばれた「僧似雲」が、あの西行終焉の地とつたえる河内弘川寺を発見し供養し維持した人と知れたのは有り難い。一度だけ、平凡社時代の出田興生さんと、もう晩景の河内弘川寺へ辛うじて車で辿り着いた昔を懐かしむ。

似雲の辿り得たむかし、そこには「唯行塚」という土地の人にもワケ分からぬ塚一つが在ったという。西行終焉の地と見きわめて弘川寺を守り、彼自身もそのまま其処に住みついて「春雨亭」と称し

並ならぬ昔の人の跡とめて弘川寺にすみぞめのそで

と詠んでいる。その亭や、畳一、二枚。広げよと奨められても、

我が庵はかたもさだめず行雲の立居さはらぬ空とこそ思へ

と肯んじなかった。掻餅二枚をただ舌にのせて一日の粮に充て、飯を炊ぐこともしなかったと。

「畸人伝」記事はもっと長く、似雲その人の評価にも含みありげであるが、煩わしく。

2019 4/20 209

 

 

* 「月並」という言葉を、まったく聞かないではないが、ときどき、「平凡な」というぐらいな感触で使われている。もっと辛辣な批評・批判をこめて使った のは子規派の俳人達であったろう、『鳴雪俳話』は一章を建てて論じている。以下のような例句も挙げて、手厳しく批判し非難している。

「初夢や夢の世ながら好もしき」「草の戸も行儀に並ぶ雑煮かな」「よきほどにまづ稲つむや寶船」「雪までも載する初荷の車かな」「廻さるゝ猿また人を廻 しけり」「鳥追の笠ぬがせたく思ひけり」「笑ふ時開く禮者の扇哉」「初夢のはなし暫くをしみけり」「一日の景色よ誰れも晴れ小袖」「雪消えて今年になりぬ 冨士の山」「山里も一日めくや人出入り」

明治ないし以前の情景ではあり、じつは明治の昔に堂々の「明治何々集」に編まれていたなかの、恐らくは藤次著名の人の評判の句であったと思われる。ま、当 節の今日感覚からは風俗も生活も隔たりまずは受取りにくくもあろうが、たしかに、「月並俳句」と子規派のひとたちが退け認めなかったワケらしきはよく見え る。昨今テレビ番組でわめきながら持ち出され褒貶されている類いへ、ハッキリ繋がってくる。

「雪までも載する初荷の車かな」など、あまり理に落ち、「まで」「も」「載する」は聴こえ鈍重、俳句という至妙の「うた」たり得ていない。一例、「淡雪をつんで初荷の車かな」とでもする道があろう。「まで」「も」と説明しなくても「初荷」は積まれてあり、それへ雪のかかる風情でめでたさも言い得ていよう。

鳴雪は、子規派が主張の「詩美」を負うて云いきる、「詩美は理屈を説かず、智識に渉らず、偏へに趣味を感情に訴へて現はす」と。「この定義に違ふものは即ち非美である。俳句にして、この定義に違ふものは即ち非俳句である」と。月並派の俳句と自称しているあまりに多くが、詩美を逸れて非美に堕し、「極めて通俗的で、品格がなく、又、専門としての域に進んで居らぬ」と。

 

* ま、はなはだ微妙で、事実、鳴雪翁、わが派の「詩美俳句」たるを列挙してくれず、芭蕉や蕪村や先人達の秀句を挙げて称揚している。しかし、鳴雪の曰うことは、およそ的を外していない。

俳句もまちがいなく「うた」であり「詩」であり、表現として逸れてはならぬ詩美と技法を求められている。「うた」は、私の思わく「うったえ」また「うた え」の真実感と流麗とを備えていなければならず、俳句の場合はそこに「俳味」すなわち精美の微笑を誘う滑稽感覚をもたねばならない。「詩 美は理屈を説かず、智識に渉らず、偏へに趣味を感情に訴へて現はす」とは、ほぼ適確に云われている。わたしが短歌の場合に「用語の詩化」そのための、ま た、その結果としての「うたの聴こえ」を大切に云うのも、そのためだ。鳴雪翁の「作句の要訣」という発話にも聴くに足るものがあるが、今は触れない。

 

古池や蛙(かわず)とびこむ水の音   芭蕉

 

春雨の中を流るゝ大河かな       蕪村

2019 4/21 209

 

 

 

* 「中務内侍日記」の抄、京から尼崎への日数重ねた往来の記を、ことに景色のめずらしさ面白さに心惹かれて楽しみ読んだ。亀山、後宇多、伏見朝のころに 禁中に奉仕した女性で父は宮内卿藤原永経。簡単には目に入らぬ日記なので、抄とはいえ大和田建樹編の『日記文範』を有り難いと思った。この本の有り難くも 親切でも面白くもあるのは、二十八編の各時代日記の抄である上に、いわば頭註欄にあたるところに、貝原益軒、新井白石、賀茂真淵ら「近世三十六大家国文」 を抄出してくれており、更には「和歌類纂」として、住吉大明神、衣通姫、柿本人麿の和歌三神の歌や六歌仙の歌以降、歴代多数の秀歌選からの更なる抄出がさ れていて、存分に各時代の趣致秀歌に触れうるのが、面白くもありがたい。

明治の人らはこういう本で往時の文化や文藝に親しんでいたかと、懐かしい気がする。

この手の明治本を家に蓄えている人はもはや極めて数少ないことだろう。わたしは少年の昔から祖父秦鶴吉が丹精蓄えておいてくれたこの手の古書籍に日ごろ親しめて、たとえようもない恩恵を得てきた。

2019 4/22 209

 

 

* 「元来俳諧は、滑稽といふ意味」「真面目でない正格でないことをいふのが主意」であったと鳴雪は俳諧の遠い歴史へ目を向け、和歌時代は越え て、中世末から近世初へ、山崎宗鑑、松永貞徳、西山宗因、井原西鶴の時代、ま、「虚栗」調の松尾芭蕉までを、「正風の芭蕉」俳諧に到る「前史」と観てい る。文学史的な常識といえよう。

露骨な滑稽、正格を逸れた野放図な破格が、漸々克服されて、ついに芭蕉へ、さらに蕪村、ま、一茶らも含めて明治の正岡子規に到り着き、「俳味」も豊かに「詩美」にせまる「表現」の歴史を生み創り出したと。

異存はない。

弁慶も立つやかすみのころも川     宗鑑

これはこれはとばかり花の吉野山   貞室

世の中や蝶々とまれかくもあれ     宗因

ほととぎすいかに鬼神も確かに聞け  宗因

雪の河豚左勝水無月の鯉        芭蕉

ま、こんなことを芭蕉一門も永らくやっていて、漸く「蕉風・正風」へ到り着く。芭蕉句はもっともっと根底から愛読され感化されていいものを深く湛えている。誤解してはならない芭蕉は俳諧元来の「滑稽という俳味」を棄てたどころか、より「詩美」として生かしたのである。

古池や蛙とびこむ水の音         芭蕉

2019 4/23 209

 

 

* 赤穂浪士に小野寺十内の名のあるのは少年の昔から懐かしいまでに記憶しているが、その妻女の人となり麗しく聡く健気であったことが、夫十内討ち入り直前の、また切腹直前の妻に充てた書状によく表されいて、思わず涙した。

討ち入り前には、「心の働きおはしますと覚え候ゆゑ中々心安く存、今更おもひ残すこともなくて、心よくうち立候まゝ、そこもとにも、せめての本望とおも ひ給ひ候へかし」とある。覚悟の討ち入り前に「心の働きおはしますと覚え候ゆゑ中々心安く存」じおると書き送れた夫十内の妻への愛情はいかばかりであった ろう。

切腹の直前には、「そこもとの歌さてさて感じ入り候。涙せきあへず、人の見るめをおもひ、まことに涙をのむといふ心にて、幾度か吟じ候。 是につきても 必々歌御捨なくて、たえずよみ申さるべく候」とあるなど、「哀やさしくこそ」と 『近世畸人伝』の著者も涙している。ともに和歌の道に日ごろ思い入れてい た夫妻であった。当節現今の世の夫婦というは、何をつてに如何様に深い思いを日ごろ交わし得ているのだろう。

 

別れても又あふ坂とたのまねば

たぐへやせまし死手の山越

 

復讐の折、あづまへ出たつとき逢坂山を越えながら妻に送った十内の歌。

夫と行を共にした子息幸右衛門も念頭に、十内妻女の鬼録法名のうへに遺されてある歌は、

 

つまや子のまつらんものをいそがまし

何か此よにおもひ置べき

 

と 「自滅」と記されてある。

妻であり母であった此の女人もまた 自ら刃に伏したとみられている。

その是非は今問うまい。 問い返したいは 幕藩武士の世界をである。

 

*   世間は十日間もの「お休み」だという。ま、お相伴にあずかろう。どこへも出かけない、なんとか「清水坂」を上り下りして過ごします。家の中も少しはかたづ けたい。じつは寝たいだけ寝ていたい。寝ると安まる、からだも目もあたまも。爺さんの言いぐさじゃなあ。

 

* 『日記文範』各頁の頭注部に列挙されてある上古より近世の秀歌選から、わたしの気に入った作だけ書きだしてみたくなった。そうは沢山は拾えまいと実は思っているが。

 

☆ ほのぼのと明石の浦の朝霧に

島がくれゆく舟をしぞ思ふ  柿本人麿

 

「の」「あ」「し」音の、「は」行音の、これほど美しい諧調・詩化の妙は 久しい和歌の歴史でも突出している。

 

☆ 思ひつゝぬ(寝)ればや人の見えつらん

夢と知りせばさめざらましを  小野小町

 

本音と想わせる「うた=うったへ」の真実感に惹かれる。

2019 4/24 209

 

 

* 十一時前には病院へ、築地へ、出かける。『或る寓話』第一部の再校ゲラがもう届いているのを持って出かける。循環外来は待つ覚悟で行かねば。その用意はぜひ必要。

診断の無事を願っている。

 

☆ 雪降れば峰の真榊うづもれて

月にみがける天の香山(かぐやま)  皇太后宮大夫俊成

 

☆ 心なき身にもあはれは知られけり

鴫たつ澤の秋の夕ぐれ         西行法師

2019 4/25 209

 

 

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』一部の半ば過ぎまで読み返し、みなさんのお気持ちは察しにくいが自分としては、書くべく、書きたかったものを書き たいように書いていると、ま、納得できた。まだ「寓話」へまでは来ていないが、おそらくは此の第一部だけでも一編と謂えるに近いまで纏まっているだろうと 思いかけている。それなら、その第一部だけで一冊の「湖の本」144に仕立ててもサマには成るのではないか、と。 2019 4/26 209

 

 

* 稲荷か清水かというほど京都への人気の大半を占めるらしい清水寺は日本中でも屈指の名刹だが、「寺」ではなく「坂」「清水坂」として意識しながらお寺へ通う人はどれほどあるのだろう、いかにも繪に描いたようなお土産屋を記憶して帰る人が多かろう気がする。

しかし清水坂は、なかなか、ただの坂道ではない、久しい日本史から眺めれば途方もない難しい坂である。少なくもいま「清水坂(仮題)」という小説を書いている私には、担ぎきれないほど重い複雑ななかみの大袋ではあるのです。

 

* 世界的な都市である京都に、明治以降、「京生まれ」「京育ち」の小説家があまりに少ない、「京住まい」の異人さんは何人も居られたし、今も居られるけ れど。ややこしい限り難儀な「京」の人や暮らしや町・巷を書いてくれた作家が少ない。貴賎都鄙の集約された「京都」とわたしは繰り返し謂ってきたがその 「賎」と「鄙」の顔を描こうとした人が、なかなか見当たらなかった。「異人さん」の目には見えないのであろうが。

2019 4/26 209

 

 

*  大和田建樹の本の「和歌類纂」から更に秀歌中の秀歌をと思ったが、あまり秀歌が選べてなくて、容易に胸に落ちる秀歌と出会えないのに落胆した。選ぶというのは実に難しい見識なのだとよく分かる。

 

名月や煙り這ひ行く水の上   嵐雪

 

中間(ちうげん)の堀を見てゐる涼み哉   木導

 

春雨や蜂の巣つたふ屋根のもり   芭蕉

2019 4/26 209

 

 

* 送られてくる歌誌の現代短歌に「前詞」の付いたのは、無いにも等しく少ない。一つの理由に、現代短歌は相聞無く、感情的な人間関係のからみを読みこん でも歌われることは極めて少ない。王朝の和歌は、ことに「後撰和歌集」などはおよそ全てといいたいほど具体的な人間関係や交情関係を表現のためのまさに 「和する歌」が圧倒的に多い。歌の評価も、そうした背後また前後、また表裏の人間関係をすら興ある前景や背景としてよみこみながらせねば済まない。一首の 歌だけで前詞を無視してしまうと半端なことになってしまう。そのよしあしの判断は微妙だが、時代を経つつ一首単立の創作へほぼ移行していったのもムリない と想われる。

わたしは、概して前詞にも作者にも斟酌無く嘆賞できる秀歌を望んできた。いま謂う『後撰和歌集』はひときわのいわば交際・交情和歌集なので、

 

梅の花折ればこぼれぬ

わが袖ににほひ香うつせ家苞(いへづと)にせむ   素性法師

 

のような歌が見つけにくい。だから「後撰」には独特の和歌世界が楽しめるのでもあるが。

2019 4/27 209

 

 

* 書き進んでいる作に展開を予期はしているのだが、手を掛けて前進するには、力(りき)の蓄えがどうしても必要。充電をじっと待っている。

 

* 健康でさえあり得れば、今のままでいい。

 

* おそらくは、私、「文学」を信じ愛し、幸いにも最後の最期まで「自身楽しんで・親しんで・創りだして・遺して」死んで行ける、ほぼ最後の独りになりそうだ。

新元号時代を見越した新文学賞も乱立しかねないが、それらの全部が軽薄な「機械アソビ」の一種とも化してゆき、関連企業の増益にのみ貢献することになるのだろう。

年を追い日を追い かつて「文学賞」の名を背負って輝いた芥川龍之介も谷崎潤一郎も川端康成も三島由紀夫や太宰治さえも、すでに漸漸として「旧時代の遺 物」かのように忘れられて行くと見えている。真実、徹した文学批評が払底の現況では賞の選者じたいが「文学の疲弊」に寄与しかねない。近年の東京新聞「大 波小波」に、厳しく光る批評でなく、生ぬるい「本の宣伝」ばかりが目立つ時代だ。編集者も記者も、何を見抜けるのか、自身に問えと云いたい。

永井荷風の境涯が慕わしい。

2019 4/27 209

 

 

* 和歌、和する歌と云い、相聞、相ひ聞こえと云い、むかしのインテリとさえ限らず、思いを詩歌に創って言い交わすことができた。

いま、日本人のおおかたはそんな能力の全部をうしない、メ-ルや、よく知らないがラインとか呟き(ツイート)とかで交歓し会話していて、血肉をおびてふ れあう人間関係は干上がり、それはただセックという「つきあい」でしかまかなわれていないかに見える。人間の精神的・心情的・美的劣化の進み工合は甚だし い。

 

* 王朝が雅趣の社会を反映し精選した一つの試み、結果を、小倉百人一首と見立てて、そこには天皇や親王・内親王が百人中十人ほど、納言から大臣、摂政・ 関白が二十余人、女性が二十人近く、その余半数ほども、すべて位階をもつ官僚か知識人(大学人に相当)としての僧かである。市民庶民は含まないが、彼らも 類似の才覚を持っていたことは万葉集や説話に多数見えて、この伝統は明治に到るまで、衰微しつつも維持されていた。

今日、天皇皇后さんらにその伝統の立派に生きていることは、みなが知っている。が、安倍総理、麻生副総理らの日本語水準の雑駁は蔽いようが無く、大臣級も同列で時に醜悪なことは目に余っている。

そしてそういう連中が、日本の文化から「文」を抹消し減殺し教育の場から外そうなどと、信じがたいバカを計画している。万葉集に花を得たと胸を張って新元号を定めながら、まったくバカげた日本語や日本文学の圧殺を計画しおろかしい体現をさえ成している。

なさけないことに、日本文藝家協会も日本ペンクラブも、また作家・劇作家・詩歌人、文学研究家や教育家からも、この日本語文化絞殺死の危機にむかい、ほとんど何の有効な反論の運動も起きて見えない。

2019 4/28 209

 

 

* 時代が変わる動くなどと、今更思わない。自身最期への「常の日々」が始まるだけ。その意味で、「平成」の果てる明日以降を、わたしは「恒平」元年の開始と思おう。

 

* なんとなし、グジャグジャと過ごしていたようだが、交通整理にしたがい視野は明るみ、進むべき仕事はきっちり進んでいる。

新聞雑誌は今の視力ではまったく読めない。テレビも、顔より聴き慣れた声で誰それと分かる按配で、大きなテレビ画面に貼り付かないと「観て」は楽しめない。このところ耳に届く話題は一辺倒、あれやこれや面白づくの穿鑿に興味なし。

明日には、今上両陛下に「ごくろうさまでございました」と敬意と感謝ささげ、御健勝を願うだけのこと。新しい天皇さんたちのことは、さきざきに俟つだけ、いま何かと口を出すのは遠慮が行儀であろう。

2019 4/29 209

 

 

*  明日からは、思い新たに「恒平」の日々、歳月を、生きうるかぎり生きる。

 

* 皇室のことも 改元のことも 関わりなく。ただもう 古代末中世初の「清水坂」を見歩いている。疲れる。疲れるけれども 京都は 言語に絶してヤヤコシ クも、おもしろい、関心を向ければ向けるほどこっちの視線より京都の方が深くなる。「清水坂」は、なかでも頭を掻きむしってしまうほど、ヤヤコシい。観光 客は、気楽でいいなあと呻いてしまう。

わたしの京都は、「風の奏で」「冬祭り」「雲居寺跡・初恋」「黒谷」等々、そして「オイノセクスアリス 或る寓話」についで、この「清水坂(仮題)」に集約されるだろう。

2019 4/30 209

 

 

あのよよりあのよへ帰るひと休み

方丈

高校時代 この二字に逢いたいばかりに 近くの東福寺へ足をはこんだ。

雪のまじるつむじすべなみ普門院の庭に一葉が舞ふくるほしさ     2019 5月頃

 

* 時代が変わる動くなどと、惑わない。私自身最期への「常の日々」が始まるだけ。続くだけ。

その意味で、「平成」の果てた今日以降を 私の 「恒平」元年が始まったと思おう。

 

* 新天皇の即位述懐の弁は穏当であった。政権の跳梁と傲慢に屈せず、しかと存立願いたい。

 

* 昭和は永かった。戦前・戦時・戦後と 空気の色を変えた。平成は戦争を知らず過ごせた。稀有の時代だった。お世辞にも善政はなかったが、上皇ご夫妻は懸 命に堅固に平和憲法と共に生きられた。容易でない聡い生きように徹しられた。わたしたちは終始敬意と親愛を惜しまなかった。

新天皇もはっきり憲法に触れて即位の言葉を語られていた。

憲法を率先して冒し守らない自民政府の猛省の機ともなるべく、七月の選挙では国民もよくよく考えた票を投じたい。

2019 5/1 210

 

 

* 十時 よほど疲れている。休息も休息にならない。躯をよこたえて、寝入れれば寝てしまうにしくはない。

「清水坂」がきつく、道に迷っているよう。隘路では焦らない、すぽっと抜け穴が見つかることもある。「オイノ・セクスアリス 或る寓話」はその御蔭を何度も受けた。

目が霞むと頭も霞む。小説世界には霞むという妙味も無くはない。

 

* 恒平元年の第一日は、小説『黒谷』を、面白く読み返せた。「選集31」に新作長編に添えて収録できるのが嬉しい。

2019 5/1 210

 

 

* 往時渺茫の思いに駆られる。芯にまで疲れが積んでいるのだろう。何を慌てることも驚くこともない。片端なりに面白い八十余年だった。夢にもこんなに長生きすると思ってなかった。まだ幾らか残りを楽しませてもらえるだろう。

 

* イエス・キリストが、ではない。 正統(カトリック)を称する古代中世の基督教会は、教父・教皇を先頭に徹頭徹尾女性蔑視に明け暮れた。

日本の鎌倉新佛教の、名だたる教祖たち、法然、親鸞、一遍、良忍、日蓮らは、一斉に、女人救済を大事に説いた。

この差異はよくよく見るべきである。

 

* いまの世の中で、日本と限らず、地球規模でもって自己のメールアドレスを他人に知られればどのように悪用されても防ぎようがない。私は。二十余年もむ かしにこのホームページを公開したその日から、メールアドレスを公開してきた。どのような地方からの読者からでもメールを受け取れるようにと。

いま、わたくしの許へ、その私のメールアドレスを利用(悪用)して、日本語で、海外語で、国内からも海外からも、奇態な脅しや結局は金銭請求のメールが 頻々と来る。笑えるほど来る。むろん、わたしのメールアドレスを用いて、私以外のどれほど大勢へ向け悪質なメールが飛び交っているか、実態は分かりようも なく知りたいとも思っていない。そういう悪質で低級な人間の多い時代なのだと無視して一切応対しない。ご迷惑を掛けているかもなどとも考えない。こういう 時代の悪疾が蔓延っていると云うに過ぎず、同様のことは世界中で数限りなく為されていることと思う。そう心得ていることは、現代を生きるのに利得無き必要 悪かと心得ているだけ。「LINE」紛糾とやらも見苦しいまで多発していると聞く。関わりを持つ、持ちすぎると、そんなコトが起きてしまう。よくよく心 知った親しい知友・知己をこそ大切にしなくてはと思う。

2019 5/2 210

 

 

* 人に贈るのに、自分の気に入ってないモノを選ぶなどは、心ない限り。気に入り愛を覚えてきたものをこそ贈る。わたしはそうしてきた。もっとも、わたしが愛していたといって、贈ったさきの人にも愛されるか喜ばれるかは別問題で、そこが微妙に難しいドラマが生じ、思わずアタマを掻いたことも何度もある。

鑑賞する品と 愛用する品との違いもある。茶人として愛用してきたからといって、贈った先も茶人とは限らないが、幸いに、茶湯の用を離れても各種茶道具には、平生の鑑賞や愛玩に堪えて美しいものが少なくない。

 

* 「恒平」元年を歩み出す機に、ホームページを開設いらい二十余年も巻頭に置いてきた、平成八年満開の櫻の春 六十歳で東工大定年退官時の写真を外した、もう「卒業」と。

 

* わけもなく ただただ疲れて 心身はたらかず、情けない。「清水坂」の上り下りに苦しんでいる。

このからだでも京都へ帰れて、歩けて、空気を吸い色を見、もの音が聴ければ、カタはつくだろうに。やれやれ。

2019 5/3 210

 

 

☆ 陶淵明に聴く   雑詩其六

 

昔聞長者言   昔、長者の言を聞けば、

掩耳毎不喜   耳を掩うて毎(つね)に喜ばず。

奈何五十年   奈何(いかん)ぞ 五十年、

忽已親此事   忽ち已(すで)に此の事を親(みづか)らせんとは。

求我盛年歓   我が盛年の歓を求むること、

一毫無復意   一毫も復(ま)た意無し。

去去轉欲遠   去り去りて転(うた)た遠くならんと欲す、

此生豈再値   此の生 豈(あ)に再び値(あ)はんや。

傾家持作楽   家を傾けて持(もつ)て楽しみを作(な)し、

竟此歳月駛   此の歳月の駛(は)するを竟(お)へん。

有子不留金   子有るも金を留めず、

何用身後置   何ぞ用ひん 身後の置(はから)ひを。

 

むかし若かった頃は、老人たちが何かお説教めいたことを言ったりすると、いつもいやがって耳をふさいだものだ。

ところが何としたことだ、五十年を経てみると、自分でも同じことをやっているとは。

若い時代の楽しかった生活をふたたび求めようという気は、さらさらないが、時が過ぎてこうも遠くなりかかると、ああ、もう人生は二度とかえってこないのだなあと、しみじみ思う。

これからは、有り金はたいて楽しみを尽くし、駆け去って行く残りの歳月を過ごすことにしよう。

子どもたちには財産など残すまい。死後のことまで思いわずらう必要がどこにあろう。

 

* 実は陶淵明 このとき「五十歳」と云うているのだ、が、私の身にそえて「五十年」と読ませてもらった。もう私にはたくに足る「有り金」など無いが、「身後の置(はから)ひ」などなく残り少ない「此の歳月の駛(は)するを竟(お)へ」たい思いは日々に切である。外出もままならず気もなく、つまりは「書きたいだけを書きたい」ということ。これが、命を日々食い破るほど、厳しい。わたしの闘いであるが、目下、分がわるく土俵際へ押されている。

国技館の武蔵屋の竹蔵くん、番付を送ってきてくれた。

角界のバカバカしいほど横綱白鵬イビリが過ぎている。自己都合のアベカワ国民栄誉賞をきれいに袖にしたイチローくんとならぶ、現代最高最強のアスリート白鵬をわたしは国籍など何の斟酌もなく手拍子美しく応援する。怪我せず、夏場所も頑張ってください。 2019 5/3 210

 

 

* 清水坂へ、想いを飛ばしつづけていた、が。容易でない。それはそれは、興趣豊かなおもしろい物語になるだろうのに。翔が欲しい。想い想い想い続けるしかない。

『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を仕上げてからでも、書きさしの『清水坂(仮題)』をアタマから何度読み直してきたか。今日もまた読み直し読み進み手をかけながら、ジリジリと前へ出て来たが、書き掛けてある先はまだかなりの文量がある。慌てない。慌てない。

こんなときの作者わたしの楽しみは、おそらく「だれ一人」として、この作の「本題」を察しも成らぬだろうというヘンな自負心、それも根気の養分なのだか ら許されよ。視力は、今日の分はもう底をついていて、この「私語」の画面も霞んでいる。勘と慣れに頼っているだけ、ときどき目薬を浴びるように垂らし、 「目まわり清浄綿」を使う。その瞬間だけは視野が清々するが一分ともたない。このごろは、ディスプレーの広いテレビでも間際へ倚子を寄せないと、誰である やら、どんな美人の顔もよく見えない。

 

* こんな「私語」に視力を浪費しなくてもと想う方もあろうけれど、わたしは、これで、この「私語」を書くことで、少しでも佳い、生き生きした文章の勉強 をしているつもり、句読点の打ち場所や、テニヲハなどの置き方や、漢字とかなとのバランスなどを、詩歌のさいにわたしのよく謂う「語の詩化」を意識して推 敲している気でいる、なかなか行き届かなくても。

ま、煙草で一服ということの無いわたしの、それが幾らかは「あそび」に類しているのです。

 

* 上野千鶴子さんの前に送ってくれた『生き延びるための思想 ジェンダー平等の罠』に、いろいろに教わっている。愛読し、慎重に熟読している。ことに、「市民権」なる権利の歴史的な検討と批判に頷いている。

惜しいことにこの本は『オイノ・セクスアリス』のためにはタイミングとして間に合わなかった。

 

* もう、やすむ。また、明日に。まだ十時だが、読みも書きもできない。

2019 5/4 210

 

 

* しばらく 陶淵明の短い詩句を聴いて過ごそうかと思う。幸田露伴が校閲し漆山又四郎が訳注していた昔の一冊本岩波文庫『陶淵明集』を機械の傍に置く。

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

静寄東軒  静かに東軒に寄り

春醪獨撫  春醪(しゅんろう)獨り撫(ぶ)す    春醪は、名酒

 

有酒有酒  酒有り酒有り

閒飲東窗  閒(ひま)をえて東窗に飲む    窗は、窓

 

良朋は悠邈(遠くて) いつも首を掻き延佇(ただ立ち尽く)fad@fyすと。 願(つね)に人をおもひ友をおもへども、逢ふに由無しと嘆息し酒を愛する陶淵明。 同感。

2019 5/5 210

 

 

* 八時半。終日、京都縄手の「梅の井」で、昔の同級生と話し込んでいた、いや長いハナシを聴いていた。聴きながら書き取る難しさ。歯を噛みしめている痛さ。

 

* 何が隘路で 何が懸案かと 書き出してみたのが三年も前か。まだ、大半の道が見えていない。「湖の本」の優に一冊ないし一冊半は書けているのに。どこ かで一瀉千里と働いて呉れよと願っている。知る限りこういうややこしい迷路を不思議に美しく書けたのは泉鏡花だけかなあと思う。しかも今しきりに読み返し たいのは潤一郎でさえなくて、漱石とは可笑しいが、分かるなあという気もしている。

2019 5/5 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

人亦有言   人も亦(ま)た言へること有り

日月于征   日や月や于(ゆ)き征(ゆ)くと

 

人亦有言   人も亦(ま)た言へる有り

稱心易足   心に稱(かな)へば足り易しと

揮茲一觴   茲(こ)の一觴(いつしやう)を揮(つ)くして   觴 は酒杯

陶然自樂   陶然として自ら樂しむ

 

つい、酒になるのが、陶淵明至極の境涯。

 

* よく寝たが、奇態に過ぎた夢を見る。何がわたしの脳裏に棲みついているのか。

2019 5/6 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

翩翩飛鳥       翩翩(へんへん)たる飛鳥は

息我庭柯   我が庭柯に息(いこ)へり

斂翮閒止   翮(つばさ)を斂(おさ)めて閒(しづ)かに止(とど)まり

好声相和   好声 相ひ和す。

豈無他人   豈(あに我に)他の人(友)の無からんや(しかも)

念子寔多   子(君)を念(おも)ふこと寔(まこと)に多きに

願言不獲   願(つね)に言(ここ)に不獲(えず)

抱恨如何   恨みを抱いて如何(いかん)かせん

 

「好声相和の人」を想い 願い 待つ。この気持ちが失せれば人は涸れ枯れる。

2019 5/7 210

 

 

* 「清水坂(仮題)」の胸のまん中へほとんど乱暴に吶喊した。くだくだとモノのまわりを嗅ぎ回っててもどうにもならんと。吶喊すれば何処かに痛い傷も出来る。血も流れる。踏み越えて行くしかない。筆先に勇気がなかったのだ。

 

* 十一時。疲れた。

2019 5/7 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

童冠齋業   童冠 業を斉(ひと)しくし、

閑詠以歸   閑(のど)かに詠じて以て帰る。

我愛其静   我れ其の静を愛し、

寤寐交揮   寤寐(寝ても覚めて)も交(こもごも)揮(ふる)ふ

但恨殊世   但だ恨むらくは世(=死生)を殊(=異)にし、

邈不可追   邈(ばく)として追ふ可からざるを。

 

往時、いっしょに授業を受けては、互いに若くのぴやかに詩をうたいながら帰って行ったものだ。

わたしはその心静かなありようが慕わしく、寝ても覚めても今も思いこがれている。

残念なのは、遠くはるかに世を隔ててしまい、もはやどうしようもないこと。

 

* 幼稚園、国民学校=小学校、新制中学、高校、大学   男女となく、なんと多くの友に先立たれていることか。日々にむなしくも親愛し思慕して忘れがたい。

新制中学に進んだとき、音楽の教科書に「オールド・ブラック・ジョー」を歌う曲とと歌詞とがあり、音楽の先生はこれを歌わせずに年終えられた。わたしは 久しくその配慮に感謝し、十余歳の少年少女生徒にあのような、「死者のもとへ」「早くお出で」と誘うような「歌詞と歌」とを選んだ教科書をほとんど嫌悪し 憎悪したのをよく覚えている。

ああしかし、あのころ、音楽教室や講堂の壇上で、遠足の途上で親しく唱い合っていた何人も何人もが、もうこの世をはなれ、あの「オールド・ブラック・ジョー」らの空の上へ行ってしまっている。

 

我れ其の「静」を愛し 寝ても覚めても 交(こもごも)に恋しい。恨むらくは死生を異にし、邈(ばく)として追ふこともならぬ、と。

この「静」一字を いかに反芻しうるか。老境の一公案とも謂うべきか。

 

* まだ七時まえだが、許されるならすぐにも寝入りたい。がくっと頸が前へ落ちそう、まるで土壇場。何としても 面妖にして奇怪な清水坂を跳び越えたい。そんな清水坂が だが 好きなのだ。

2019 5/8 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

晨耀其華   晨(あした)には其の華を耀(かがや)かすも

夕已喪之   夕べには已(すでに)に之れを喪ふ

人生若寄   人生は寄(き=旅の一夜)のごとし

顦顇有時   しょせん顦顇(しょうすい=やつれつかれ)の時がくる

 

このホームページ冒頭にわたしはこころして書いている。

 

このよとは  あのよよりあのよへ帰るひとやすみ  と。

 

* ジリリっと、少し、考えようではよほど筆が前へ向いた。がまんして書き進める。

 

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』全編が再校で届いた。たぶん、もう誤植程度の他は直しも出まいと思う。これぞ徹底して想像力による創作で、読まれ る方は事実の下地を頑強に穿鑿されるだろうが、そこが作者には苦心かつ会心の取材、想像と創作、至極のおもしろさ。ま、自己満足の極というもの。

再校はずんずん進み数日に少なくも読み通せる。「選集30」刊行が先行するので、こころゆくまで、まずは私が十年の苦労を反芻し楽しむことに。

2019 5/9 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

縦浪大化中   大化の中に縦浪として    縦浪 ほしいままに放浪す

不喜亦不懼   喜ばずまた懼れず

應盡便須盡   應(まさ)に盡くべくんば便(すなは)ち須(すべから)く盡くべし

無復獨多慮   復(ま)た獨り多くを慮(おも)ふなかれ

2019 5/10 210

 

 

* 羽生さんの『紋様記』 女三宮を語られている座標のよさを納得した。女三宮は朱雀帝の愛娘として物語の真半ばに叔父光源氏の正妻となる女性、源氏物語 の発端へ胎内からすでに手を届かせていただけでなく、源氏へは罪の子の薫大将存生の母親として物語り最期の夢の浮橋をも視野に収めている。まことに広角度 に源氏物語の全容を視野に収めている唯一人なのである。個性としても才知の面でも必ずしも魅力に富んだ女人ではないが、理想的な女人藤壺中宮に光源氏との 罪の子冷泉天皇があったように、女三宮には夫光源氏を苦渋に泣かせた柏木藤原氏との罪の子薫がある。羽生さんの視点は正当に慥かな位置と女人を捉えてい た。

 

* 相次いで、建礼門院徳子では、なんということ、私のいましも昇降に苦闘の物語「清水坂(仮題)」と危うく接触し、硬質の小さな火花がパチパチッと散っているのにも感嘆した。

 

* わたしの物語も、じりじりと或る表情を浮かべ始めている。ここでは軽率に慌てまい。やすみやすみやすまない気合いが、大事か。

2019 5/10 210

 

 

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』 第二部再校ゲラを読み終えた。第三部へ展開して行く。あぁあ、こういう小説へ到達してしまったのかァと。そして、まだ、先があると八十三歳のわたしは確信している、健康さえ保てれば。

2019 5/10 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

中觴縦遙情   中觴(=なお酒半ばあり) 遙情(=世を超えた思い)を縦(ほしいまま)に

忘彼千載憂   かの(古人の謂へる=)「千載の憂」など忘れ

且極今朝樂   且(ともあれ=しばらく)は今朝(こんてう)の楽しみを極めん

明日非所求   明日(めうにちに)など求むる(=期待できる)ところに非(あら)ねば。

 

とかくここへ陥りやすいが、手綱を手放しては、やはり、ならぬと私は思っています。

2019 5/11 210

 

 

 

☆ GWに帰省したのは何十年か振り、

躑躅と藤の倉敷を起点に、山陰は牡丹祭の大根島から隠岐の島を遠望する美保灯台へ、蒜山の温泉に温まり、父の里・備中高梁では蕗や蕨も摘み、蓮華畑の吉 備路を過ぎ、瀬戸大橋を渡って、幼い頃に駕籠で登った金比羅さんや丸亀城天守閣から讃岐富士も眺め、新緑の季節を満喫してきました。

名の通り山陰は曇天でしたが、伯耆富士(大山)を越えて山陽に戻ってくると晴天、「晴れの国岡山」と誇らしくはありますが、四国や中国地方の山々に守られた陽光の地は、「裏日本」を一段低く見てきたようにも思います。

 

 

 

吉備路は出雲と大和を結ぶ神々と文化の通り道、吉備王国は越の国と同様に前つ国・中つ国・後つ国に 三分割され、総鎮守の吉備津神社も、備中の吉備津神社(元々の吉備津神社。娘のお宮参りもここでした)、備前の吉備津彦神社、備後・福山市の吉備津神社に 分けられ、出雲の神も降り立ったとされる吉備の中山が備前・備中の境になっています。地元には両備バスを始めとする両備グループという企業もあり、備前 焼・備前長船・備中神楽・備中松山城など懐かしく思われますが、備後(後つ国。ここにも上下意識が潜んでいるのでしょうか)にはなじみが薄く、すぐに思い 当たるものがありません。

 

 

 

海から離れた吉備地方が交通を海に求めたときに目を付けたのが倉敷、酒津(今は桜の名所。昨春は自転車で花 見に行きました)は吉備の美酒が高梁川を下って荷揚げした河口の港、昔はここから南は浅海が広がっていたそうです。実家のある福島や近隣の中島・黒崎の地 名にも海が感じられます。

 

添付した写真は児島の王子が岳。地元の人にもあまり知られていない私のお気に入りの場所です。瀬戸大橋が春霞に少し霞んでいました。このふもとに塩田王の野崎家旧宅があります。ここの庭園の躑躅はまだ咲き始めでした。   吉備女

 

* 予期した多くがそれとなく語られていて興を覚えるメールだった。山陽ことに吉備人には存外に瀬戸内海への共生感はうすく、山陰への対抗感や優越感があ ろうかと遠くから察していた少なくもなかばは確かめられた。九州や四国の人たち、南海道の人には瀬戸内海は必須の要路だったろう、が、ことに吉備路の人か らは都へ確実に地続きという下意識が優勢に働いて、海賊の巣のような瀬戸内海に多くを賭けて生きる必要はなかったろう。そう想ってきたので、上のメールは はからずも多年のわたしの推察をむしろ微妙に支持するての表現がいくらも読み取れ、有り難かった。さしあたって現下のわたし自身の関心事からは逸れてい て、つまり、手放しに忘れていてすむ範囲が確認できた。有り難かった。

2019 5/11 210

 

 

* なぜか不穏に胸が重い。冷暖房をとめた。頸が硬い。

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

今日天気佳   今日天気佳し

清吹與鳴弾   清吹と鳴弾と

感彼柏下人   かの(懐かしい=)柏下(=墓所)の人に感じては

安得不爲歡   安(な)んぞ歓を為さざるを得んや

清歌散新聲   清歌に新声を散じ

緑酒開芳顔   緑酒に芳顔開く

未知明日事   未だ知らず 明日の事は

余襟良已殫   余(わ)が襟(むねのもやもや)は良(まこと)に殫(つ)きたり。

 

あの柏下に眠る人のように、われわれもいずれは死ぬと思えば、どうして楽しまずにおられようか。

清新な歌声が風に乗って飛び散り、緑の酒に酔った顔がほころぷ。明日のことはわからぬが、

ゎが胸中のもだもだした気持は、歌と酒のおかげですっかり消えてなくなった。

 

* 清歌に新声を散じたいものです。

2019 5/11 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

今我不爲樂   今我れ樂しみを不爲(なさず)んば

知有來歳不   來歳の有りや不(いな)やを知らず

 

* 然り、しかも私、独り足の向くまま気儘には昔からどこへでもよく歩いたが、大学時代の妻とは例外に、他の誰とでも、何処で会い何処へ行くなど決めるの は実に億劫で ヘタで 機会を我から抛つのがつねだった。same time  same place という same という取り決めの能力(気働き)がなかった。今はますます無い。会いましょうとお誘いを受けてもではではと自分では動けない。

会社時代も、平常、社の仲間と飲み食い遊びに行くということを、まず、した覚えがない。独りではしばしば気に入りの店へ足をはこんでいながら。

同人の結社のという発想は全然なく、文学賞に我から応募もせず、書きはじめたのも独り、本も独りでつくり始めた。

茶の湯人としては落第の、おおかた独行独歩独決で、中国やソ連へ招かれたように、また東工大教授や美術賞選者やペンクラブ理事に依頼されたときのように、お誘いが有ればことに依り応じてきた。

陶淵明の上の詩句に顔を打たれる気がした。

2019 5/12 210

 

 

 

* 結局あてどもない外出よりも、疲れたら一、二時間でも寝入りながら、小説を書き進めては推敲し、ゲラになった小説に目をとおし、何種もの本に手を出し ては読むという一日を今日もすごした。島尾伸三さんからお母さん島尾みほさんの代表作短篇集を樗得題した。トルストイ『復活』は下巻を半ばまで。芥川龍之 介が単独編輯した六巻もの近代日本文学選集を好き勝手にあれこれを読んでもいる。上野千鶴子つんの『生き延びるための思想』も、気まぐれに社会思想社版大 冊の『日本を知る事典』も煙草がわりに好き勝手に頁を繰っている。

この数日では、羽生清さんの『文様記』が、日本史と日本の女性の視野をさぐった出色の好エッセイであった。羽生さんの著作の背後背景には大学の教室で接しているアジア各国からの留学生の関心や感想が有効に生かされていて、それが「日本」を語って生気を添えている。

犀利な文学論、優秀な敗戦後文学史など読みたいモノだが。

2019 5/12 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

結廬在人境   廬(いほり)を結んで人境に在り、

而無車馬喧   而も車馬の喧しき無し。

問君何能爾   君に問ふ 何ぞ能く爾(しか)ると、

心遠地自偏   心遠ければ 地自(おのづ)から偏たり。

採菊東籬下   菊を東籬の下に採り、

悠然見南山   悠然として南山を見る。

山気日夕佳   山気 日に夕に佳し、

飛鳥相與還   飛鳥 相ひ与(とも)に還る。

此中有眞意   此の中(うち)に真意有り、

欲辯已忘言   辯ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。

 

陶淵明の全詩中 もっとも心惹かれ傾倒の思いを深く深くするのは、「飲酒」と題された連詩句のこの「其の五」である。ここに悠然と眺める「南山」とは かの虎渓三笑の「廬山」を謂い、しかも胸懐の「青山=帰るべき奥津城」をも謂うている。

若き日に心決し心籠めて

採菊東籬下

悠然見南山

と剛毅に刻された心友井口哲郎さん二行の板作を頂戴してわたしは私室に日々に眺め、先頃には、重ねて「南山」朱白の二印を乞うて美しく刻して戴いた。小説 『廬山』は私の心籠めた代表作であり、瀧井孝作、永井龍男先生の知遇を得、また小学館の「昭和文学全集」にも採られている。

 

* 亡き安田武さんに貰っていた岩波新書『昭和青春読書私史』は、身につまされるほど面白く体験を共有していた。なにしろ大デュマの『モンテクリスト伯」 にはじまりレマルクの『西部戦線異状なし』で結ばれていて、取り上げられた夏目漱石、中勘助、モーパッサン、田山花袋、島木健作、ツルゲーネフ、水上瀧太 郎、ジイド、永井荷風、川端康成とならぶと、喚声をあげたくなるほど「すべて来た道」であり、唯一わたしの無縁であったのはジョルジュ・サンドの独りだ け、彼女の作にはまったく触れた記憶がない。

安田さんは同じ保谷の駅近くに住まわれていて、会合でも西武電車でもよく顔が合いよく話した、わたしより丁度一回りも年輩だったがそんなに感じないほど若々しい元気な人に思えて安心していたのに、亡くなって仕舞われた。

安田さんに言われたことで、二つ、忘れがたい言葉があった。

先の一つは、「秦さんの仕事にはとっつきにくかった、が、いちどとっつかれるとアヘンのように放せないよ」と。とても励まされた。

もう一つは、「ちくま少年図書館」に『日本史との出会い』を書いて「後白河天皇と乙前」「法然と親鸞」「足利義満と世阿弥」「豊臣秀吉と千利休」という 四つの出逢いをとおして古代から中世へを中学高校生のために「語って」書いたとき、安田さんは「ぼくも、こういう本でこそ日本史が学びたかった」と、書き も話しかけもしてもらったこと。

新書本を読み返しながら、しんみりと安田さんも懐かしくわが「青春読書私史」も懐かしかった。こういう本をわたしも書いておきたかったと思い、ここの「私語」では十分に書いているとも思ったが、やっぱり、書いてみたいなあと思う。選び出すのが大ごとだけれど。

 

* ボー然と疲れたまま書庫の整理に入ったが、本が手に重く感じられた。一冊一冊が読んで欲しい、も一度読みなさいと奨めてくる。戴き本の貴重なのが、あ らためて茫然とするほど数多い。大辞典も大事典も大史料や大資料本もガンとして勉強しろと逆に迫ってくる。遁げだしてきた。疲れた。

戴き本の貴重な小説や論攷やエッセイがたくさん遺っている、ほとんどの方が当然のように亡くなっている。健在と知れているのは、桶谷秀昭さん、加賀さん、大江さん、李恢成さんらぐらい。愕然とする。

2019 5/13 210

 

 

* それはそれ。『清水坂(仮題)』の険しさに、卒倒してしまいそう。呻く。唸る。喚きそう。それでも、一箇所を凌いだ。

2019 5/13 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

人易世疎   人は易(かは)り世は疎(うと)し

 

歳月眇徂   歳月 眇(べう)として徂(ゆ)く   眇徂  いつ知れず遠ざかる

 

* 島尾みほさん短篇の、息長いセンテンスの見事に揺れぬ美しさに感嘆。

 

* トルストイが国宝的な文学者でかつ高い爵位をもしもってなかったら、カチューシャならぬ彼自身が徒刑囚にならなかったのが不思議なほど、批判と批評の厳粛に正当であることに、いつもながら驚嘆し賛同する。

日本にドストエフスキーの追随者は生まれ得たが、トルストイの表現力と人生・人間観は移植され得ぬままだったと思う。

 

* 「清水坂(仮題)」ただただ読み返し読み返し読み返しながら隘路を抜けて行くしかない。今日もまた。ガマン。ガマン。

 

* 『オイノ・セクスアリス』の口絵写真が出来てきた。本が出来て、それを先ず観た読者も、どんな物語と、察し得られる人は、ま、無いだろうナ。

 

* 六月歌舞伎座は部外の劇作家の初歌舞伎書き下ろしと聞いている。作家生活五十年、湖の本創刊三十三年、144巻刊行を祝える。

雨季を経てどんな暑い夏になるのだろう、耐え抜かねばならぬ。

2019 5/14 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

縦浪大化中   大化の中を縦(ほしいま)ま浪(なが)れ

不喜亦不懼   喜ばず 亦 懼れず

應盡便須盡   應(まさ)に盡くべくんば便(すなは)ち須(すべから)く盡くべし

無復獨多慮   復(ま)た獨り多慮する無かれ

 

人生似幻化   人生は幻化に似たり

終當歸空無   終(つひ)に當(まさ)に空無に歸するのみ

 

縦浪して不喜また不懼というにちかく生きて来れた。人生の幻花に似てまさに空無に帰って行くことも、それとはなく分かっている。イヤなものもヤツもたくさん見たが、イイものや人にも出会ってきて、そんなものだと思う。

 

* この前、学部の卒論に参考論文など一条も附さなかったと書いたら、それだけで「落第」が普通と読んだ人に言われた。なんと、わたしはそう聴いてあ、そ んなものかと初めて知った。その論文は80点をもらい試問もパスし、大学院への二人に一人に入った。わたしは、つい昨今まで参考論文の突いてない論文はそ れだけで落第などと夢にもおもってなかったのだ、びっくりポンである。

わたしは非常識なヤツと思われてきたきが今頃している、悔いはすこしもないのだが。

ちかごろ、課か部か社の全部でか知らないが残業しないことを主題にした連続ドラマがあるとか聞いた。よほど奇抜なのか。

わたしの勤めたときの編輯職の忙しさはひとにもよったがわたしの場合言語道断で、単行本の取材担当分で百二十册ほど、月刊五誌の定日発行責任を課長とし て負い、さらに加えて毎週の書籍企画会議にまる一年間一度も欠かさず毎週一ないし数点の書籍企画書を出しだつづけ、さらになおかつ管理職でありながら、夕 刻五時五分前には帰宅用意し、五時には退社のカードをガチャンと押して、六時少し過ぎには家で夕飯を摂っていた。そして小説を書いていた。受賞後は、テレ ビやラジオにも何度も出て話していた。会社の仕事で、年間の生産性で、当初提出計画を達成しなかったことなど一度も無かった。だから、会議残業以外の五時 帰宅でも、昼間に喫茶店で小説を書いたり独りで街で飲食したりも、普通にしていた。入社試験や面接後にも、長谷川泉編集長は「編輯職は二十四時間勤務、そ の時間をどう使おうとそれぞれの才覚と努力です」と言われていた。長谷川さん自身、大学の先生もし、国文学の著書も多く授賞もされ、森鴎外記念館の館長さ んでもあった。わたしはただその背中を見て追っていただけ、「非常識」をしているなど思ってなかった。わたしはわたし自身に勝負を賭けていたに過ぎない。

ま、もうのこり少ないのは分かっている。好きに、やれるところまで、やるだけのこと。

2019 5/15 210

 

 

* 靖子ロード(半畳ほど超大きな沢口靖子の写真をかけた、文庫本・新書本の本棚の並んだ短い廊下)から岩波文庫旧版、無住一圓の佛教説話『沙石集』上下 を機械の側へ持ってきた。拾い読みはしてきたが、すこし根をつめ読み進みたいと。「説話」は、物語とも随筆ともちがったなかなかの読み物なのである。

校訂者の筑土鈴寛の巻頭解説は昭和十七年七月、大戦争の真最中に書かれていて、なんと冒頭に無住の生没年を「一八八六 ー 一九七二」としている。まさ に「紀元は二千六百年」と國を挙げて歌った時期の編著、わたしは古本屋でこういう本を見つけるとボロボロに頽れたような本を廉価で買い漏らさぬように気を 付けていた、東京へ出て結婚し勤め始めた頃のことだ、余分な小遣いはなく、食い扶持を減らした。電車賃もつかわず、ひどいときは新宿区河田町のアパートか ら本郷赤門前の医学書院まででも歩いた。歩けば歩けるものだった、昼飯は会社の賄いで金15円で丼飯と味噌汁一椀を呉れた。飯に、備え付けの醤油やソース をかければ結構な食事だった、そして編集者としての取材途中で古本屋が見つかると、店頭に投げ出されている廉価の破れ岩波文庫を買えるだけ買った。「西洋 紀聞」「梁塵秘抄」「徒然草」「平家物語」「古事記」「源氏物語」「雨月物語」等々、そうして手に入れそうして読みはじめた。学校の頃の蔵書はみな京都を 離れるときに売り払ってきた、昭和文学全集の谷崎集二册だけを手放せなかった。

説話では最近の『今物語』が断然有り難かった。説話は面白いので、たくさん読んできたが『沙石集』は二巻の大冊、どこまで読めるかなあ。

2019 5/15 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

遙遙望白雲   遙遙として白雲を望む

懐古一何深   古(いにしへ)を懐ふこと一に何ぞ深き

2019 5/16 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

人易世疎   人は易(かは)り世は疎し

 

歳月眇徂   歳月 眇(べう)として徂(ゆ)く

2019 5/17 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

清歌散新聲    清歌新聲を散じ

緑酒開芳顔    緑酒芳顔を開く

未知明日事    未だ知らず明日の事

余襟良已殫    余が襟(おも)ひ良(まこと)に已(すで)に殫(つ)きたり

 

吁嗟身後名    吁嗟(ああ)身後の名

於我若浮煙    我に於いて浮かべる煙の若(ごと)し

2019 5/18 210

 

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

凱風因時來   凱風 時に因りて來り

囘颷開我襟   囘颷 我が襟を開く

 

営已良有極   営み已(を)へて良(まこと)に極まり有り

過足非所欽   過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非(あら)ず

 

遙遙望白雲   遙遙として白雲を望み

懐古一何深   懐古なす一に何ぞ深き

 

* 暴行されての妊娠であろうとも、母体の生命危険時のほかは、すべて妊娠中絶を一斉に厳罰と、アメリカの一州。アメリカという國がますます分からない。

そのアメリカは、大統領再選戦略のためでのみイスラエルと深く組んで中東の不穏をむしろ煽り立てている。加えて、中国との 世界史をあわや誤読しているのかと眉を擦ってしまうほど露骨な「覇権」闘争に、両国とも狂奔。ロシアも黙っていない。

人類の未来、じつに暗い。危ない。今にして、忘れられかけている「家畜人」飼育と駆使との「イース」王国が架空で終わらない地獄の地球時代到来を危ぶま ねばならない。電車に乗ると、乗客の九割の余をみると、家畜人予備として飼育されてある機械アソビに耽溺ヤプーの危うさに肌寒くなる。残年乏しい老境を受 け容れながら、上の陶詩を噛み締めていたい。

2019 5/19 210

 

 

* じいーっと、モノの到来を待つ心地で辛抱して手強い物語世界への次の入り口を探っている。手も足も出ないままガマンして堪えている。堪えている。

2019 5/19 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

靄靄堂前林   靄靄(あいあい)たり堂前の林

中夏貯清陰   中夏 清陰を貯ふ

凱風因時來   凱風 時に因りて來り

囘颷開我襟   囘颷 我が襟を開く

息交逝閑臥   交を息(や)め逝いて閑臥し

坐起弄書琴   坐起に書琴を弄す

 

營已良有極   營み已(をは)りて良(まこと)に極まり有り

過足非所欽   過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非ず

 

遙遙望白雲   遙遙として白雲を望み

懐古一何深   古(いにしへ)を懐(おも)ふこと一に何ぞ深き

 

* モーツアルトのバイオリン・ソナタ集を、ヘンリック・シェリングとイングリット・ヘブラー(ピアノ)で満喫しながら陶淵明の詩句に聴いていた。朝の至福。

もう久しく新聞を見ない。字小さくてまったく読めず、見出しにも心惹かれない。無くて何差し支えもなく、乏しい視力を新聞で費やすことはない、読まねばならぬ本、読みたい本はまだ山のようにあるのだ。

テレビは大画面の五十センチ前へ近寄って観ている。いい映画、いいドラマ、いい自然美、そして芸能花舞台や相撲・競走・跳躍などの他は、天気予報で足りている。耳はちゃんと聞こえている。いい音楽にはよろこんで向き合う。

2019 5/20 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

投冠旋舊墟   冠を投じて舊墟に旋(かへ)り

不爲好爵縈   好爵に縈(ほだ)さるるを爲さず

養眞衡茅下   眞を衡茅(かうばう=粗門茅屋)の下(もと)に養ひ

庶以善自名   庶(こひねがはく)は 善を以て自(おのづ)と名のあらんことを

 

冠も好爵も無縁。老耄、善の名をかかげ生きて行けるわたくしではないが、幸いに衡茅(かうばう=粗門茅屋)との縁は濃く今も心身をそこに養っている。感謝。

2019 5/21 210

 

 

* 永く 東工大を退任春の大櫻にまみれた笑顔の写真を、久しく、四半世紀も此のHPのアタマへ置いていたが、もう卒業したいと、この春、「方丈」二字にすっきり取り換えた。歳の垢は逃れがたくついてまわる。思い出は澄んで綺麗に越したことはない。

2019 5/21 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

栖栖世中事   世事は栖栖(せいせい=慌ただしく不安定)なれど

歳月共相疎   歳月と共に(我は=)相ひ疎し

去去百年外   去り去る百年の外には

身名同翳如   身名同(とも)に翳如(えいじょ)たらん

 

窮居寡人用   窮居して人用寡(すくな)く

時忘四運周   時に四運の周(めぐ)るをだも忘る

空庭多落葉   空庭 落葉多く

慨然已知秋   慨然として已(すで)に秋(=わが晩年)と知る

 

今我不爲樂   今 我 樂みを不爲(なさず)して

知有來歳不   來歳の有りや不(なし)を知らんや

 

千六、七百年も昔の、悠然と南山を眺める陶淵明の姿が、身近くに見えてくる。「栖栖世中事」に心さわぐ自身を情けなく体感もしながら。

 

* 陶詩には「閑事」を慕い、創作では不思議をかきわけ、世界は幾多の争いを押しつけてくる。読んでは、羽生さんの『文様記』に酔い上野さんの『生き延び るための思想』に教わり、トルストイ『復活』ではネフリュードフの奔走に心痛み、久間さんの『限界病院』に病者としての胸を騒がせている。千頁に余る事典 に手を出しては気の向くままに拾い読むクセも直らない、社会思想社の『日本を知る事典』 淡交社の『原色茶道大事典』 平凡社の『史料・京都の歴史』 平 凡社六巻本『日本史大事典』に、休息の煙草代わりに手が出る。恰好の煙草がわり。ふっと 疲れを忘れる。これは遣らないだろうが昔々の試験勉強用らしき 「覚えたい英語6000語」というのが靖子ロードに遺っていて、もいっぺんアタックしようかなどと思いかけたりする。好奇心はまだまだ余っているらしい。

2019 5/22 210

 

 

 

* とにもかくにも、小説の話だが、懸案のように気に掛けていた一つの仕掛けをコソッと作の中へ埋めた。訳だって生きて欲しいが。

一時、もう眼は霞みきっている。階下で、洗ってこよう。洗ってはいかんという説もあるのだが。目拭き綿は使いにくい。目薬は、のむルテイン錠のほかに七種類もいつもポケットが身のそばにあるのだが。

 

* わたしは小説でいつも大事な探しものをする。見つかってくれると書き上がるが、見つけられないと泣く思いをする、今回も「清水坂」で、探しあぐねている。むろん、諦めていない。

 

* 明日には「選集」第三十一巻『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の三校が出揃い、これを読み終えれば、いよいよ選集もあと二巻になる。第三十二巻の編 輯を慎重にはじめて、むろん多くが溢れて遺ることになるが、悔いない編輯で美味く結びたい。一巻は小説集になるが、最期の一巻をどうするか。いい智慧が欲 しい。

この二十八日からの『選集』第三十巻送り出し用意はきっちり出来ている。

六月十一日からの『湖の本』第144巻、創刊三十三年記念、作家生活満五十年記念の発送用意も、当日までに、まず余裕をもって仕上がるはず。

十年を掛け、脱稿へしかともち込めた非売本150部特別限定美装本『選集』第三十一巻『オイノ・セクスアリス 或る寓話』(全)は、おそらく、六月末には送り出せるだろうと思う。森鷗外先生の『ヰタ・セクスアリス』と向き合えますかどうか。

 

* 力を蓄えたく、今夜も、火花のような着想を探り探り睡ければ早めに寝てしまいたい。

2019 5/22 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

衰榮無定在   衰栄は定在すること無く、

彼此更共之   彼此(ひし) 更(こもご)も 之れを共にす。

 

寒暑有代謝   寒暑に代謝(=往復・交替)有り、

人道毎如玆   人道も毎(つね)に玆(かく)の如し。

達人解其會   達人は其の会(え=真意)を解し、

逝將不復疑   逝(ゆくゆく)將(まさ)に復(ま)た(代謝あるを=)疑はず。

忽與一樽酒   忽ち(=かつ悠然)一樽の酒と與(とも)に

日夕歡相持   日夕(につせき) (行き逝くを=)歡びて相持(あひぢ)す。

 

陶淵明は六十二、三歳で亡くなっている。わたしは彼のほぼ二十年先を今も生きていて、ようやくに陶詩の意味を味わい得かけたかという、ザマ。

 

* 選集31巻になる『オイノ・セクスアリス 或る寓話 ・ 黒谷』の三校が出揃い、現状、直しの無いきれいな校正刷り三通が、夕方四時半ごろ、手もとに 出来た。念のためもう一度通読してから、オロシ(責了・昔風には下版)たい。出来不出来は作者としては口を緘じておくが、ま、本当の意味でマル十年かけ仕 上がったわけで。「忽ち(=かつ悠然)一樽の酒と與(とも)に」と、戴いた「獺祭」を独り賞味し、そのまま八時半までぐっすり寝入っていた。

 

* ほぼ十年がかりの、もう一作『清水坂(仮題)』もを、堪え堪えこの夏には仕上げたい。これは、いかにもいかにも秦 恒平の「仕事」と謂えるだろう。べつの新作へも、じつはもう気が動いている。

2019 5/23 210

 

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

營已良有極   營み已(をは)りて良(まことに)極まり有り

過足非所欽   過ぎ足るは欽(ねが)ふ所に非ず

 

遥遥望白雲   遥遥として白雲を望み

懐古一何深   古(いにしへ)を懐(おも)ふこと一に何ぞ深き

2019 5/24 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

銜哀過舊宅   哀しみを銜(ふく)みて舊宅を過(よ)ぎり

悲涙應心零   悲涙 心に応じて零(お)つ。

借問爲誰悲   借問す 誰(た)が為にか悲しむと

懐人在九冥   懐(おも)ふ人は九冥に在り。

禮服名群従   礼服は群従と名づくるも (=血縁に於いては「他」と同じいが、)

恩愛若同生   恩愛は同生(=同朋)の若(ごと)し。

門前執手時   門前に手を執りし時

何意爾先傾   何ぞ意(おも)はん 爾(なんぢ)先ず傾かんとは。

在數竟未免   数に在り 竟(つひ)に未だ免れず

爲山不及成   山を為(つく)りて(=多く思ひ半ばにして)成るに及ばざりしならん。

 

* 誰も、死なないで。死なれるのは叶わない。

2019 5/25 210

 

 

☆ 夏のような

(=前夜の)九時過ぎ、目が疲れて既に階下に行かれた頃でしょうか? 熟睡したいと昨日書かれていましたが、眠れましたでしょうか?

まだ五月と言うのに夏のような暑さに驚いています。関東も同じですね。

昨日はバラ園に出かけたのですが、花を存分に楽しむより木陰ばかり求めていました。

家の薔薇は早々にピークを過ぎてしまいましたが、ブラシの木の赤い花が重たげに咲いて、時計草も咲き始めました。

「思い立てばすいと京都へ飛べて=羨ましい)」と書かれていましたが、スイと動きがとれる鳶では

ないのですよ。日曜日に絵の教室があるからこその関西行きで、それも目下娘が京都に住んでいるからこそ可能に。

今日は珍しく手元にある上野千鶴子氏の随筆? を読んでいました。

ほぼ同じ年齢、世代で状況は読みとれます。人それぞれの性格や資質の相違からでしょうか、かなり違う道を辿ってきたと痛感します。わたしはもっと異なった道を歩きたかったのにと愚かなことを痛感しています。後悔、とまでは言えないかもしれませんが。

絵を脇に置いて 暫くは本の世界に埋没したい、そんな時期です。

くれぐれもお身体大切に。

暑さに負けないよう、穏やかに、力を溜めてお過ごしください。  尾張の鳶

 

* メール嬉しく。声が聞こえそうに、ありがたく。読者としての鳶といったいいつ頃出会ったやらあまりに歳月を経て容易に思い出せないが、京都の博物館の辺で偶然声を掛けて貰ったのだったかも。

京都博物館。もうどれほど久しく訪れ得ていないか。

瓢鯰図のまえで、早来迎の前で、高台寺蒔絵の前で、崇福寺址出土の秘色などに驚いて、こわい倶生神像に怯えて、『みごもりの湖』を引っ張り出してくれた奈良時代の古写経に、等々、京都は、博物館はわたしの想像力や創造力を刺激する静寂の宝庫であった。

 

* ああいけない。思い出はどう懐かしくても、今の鋭気を弱めかねないのだ。

2019 5/25 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

運生會歸盡   運生は會(かなら)ず盡くるに歸す、(=生は必ず死に歸する)

終古謂之然   終古 之れを然りと謂う。

 

故老贈余酒   故老 余(わ)れに酒を贈り、

乃言飲得仙   乃ち言ふ  飲まば仙を得んと。

試酌百情遠   試みに酌めば百情遠く、

重觴忽忘天   觴(さかづき)を重ぬれば忽ち天を忘る(=天と一体になれる)。

 

自我抱玆獨   我れ玆(こ)の獨(=個性・自我)を抱いてより、

僶俛四十年   僶俛する(=勉め励む)こと四十年。

形骸久已化   形骸(=からだ・肉体)は久しく已に化する(=とうに衰へ切つて)も

心在復何言   (天と一体の=)心在り(=まだ失っていない) 復(ま)た何をか言はん。

2019 5/26 210

 

 

* 仰天厖大の国費で使用の折もなく故障の悲劇すら多い戦闘攻撃の飛行機や武器を、ただただトランプへの阿諛追従で買いまくっている安倍内閣。

その総費用の数パーセントでも貧窮・困惑する国民の福祉・救済に充てれば、歎きの声もすこしは静まろうに。

非人道の政治。

「戦争」での結着を公言する国会議員のトチ狂って浮かれ出る素地は、いま安倍総理らこそが膿み爛れつくりだしている。

わたしの錯覚だと謂える人は教えてもらいたい。

 

* 美しいものに、可能な限り一の創りだした美しい優れた作品が観たい。

せめて上野の東博常設館・東洋館を静かに歩きたい。どんなに佳いだろう。観て歩くだけで二時間はかかるだろう。往復にもそれ以上はかかる。

それでも 佳い物が観たい。五島美術館や国立工藝館やその他、いくつか招待が来るのに、臆病になり一人歩きができないとは情けない。

結局 何より心ゆく楽しみはすぐれた作品を読むことに尽きる次第。

いいお天気に、晴れやかな富士山が観たいなあ。

2019 5/26 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

得知千載外   千載の外を知ることを得るは

正頼古人書   正に古人の書に頼(よ)る

2019 5/27 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

雖未量歳功   未だ歳功を量らずと雖(いへど)も

即事多所欣   即事 欣ぶ所多し

2019 5/28 210

 

 

 

* 三册束の荷をキッチンのテーブルへわたしが運び、妻が開封してわたしが10巻ずつに積み上げ、一巻ずついろいろの印形で捺印し、10巻積みで茶の間へ 運び込む。妻が予定の送り先名簿にしたがい地方別に「ざっと荷」に仕上げてくれたのをわたしが点検の上で荷造りし、地方別に玄関へ運び出しておく。あとは 郵便局の集荷を待つ。簡単なようですべて力仕事、手早くラクにはとても進まない。ほっこりと疲れる。ことに今回の造本では、函と本身との釣り合いが窮屈 で、捺印のためにいちいち本を函から取り出すのがかなりの力仕事になるのがシンドい。函入りの特装本はここが微妙に難しいのである。

 

* 八時過ぎ。今日は、二人ともやすみやすみ先を急がぬ程度にそれぞれの作業を積んだ。

雨季は、妻の体調のあまり元気でない時季、事を急ぐより、ゆっくり休み休み、途中で一度睡って貰って、ま、予定の三分の一弱ほどをやっと荷にしたが、今日は郵便局の集荷は求めなかった。明日に廻した。

 

* なにより困惑したのは、函と本との仲が悪く、つまりキチキチの寸法で融通無く、印影を本に入れるべく。函から本をだすのに力一杯振り出す始末に、閉口した。疲れ果てた。ツカ出しの妙味こそ函入り本の味わいなのに。ちょっと恥ずかしい。

 

* この疲労からして、どう考えても、予定の「あと三巻」で「限界」と見切り「選集」は打ち上げにするのが穏当と思う。むしろ、よくもよくも佳い装幀で三 十巻までも大冊の束を、若い誰の手一つも借りず何もかも老夫婦で送り出せてきたものよと、我ながら少しビックリ気味ですらある。悔いなく全うしたい。たく さんな編み残しの出来るのは仕方ない、それもいわば豊年満作の文学生涯と賀していいだろう。

2019 5/28 210

 

 

* 人類史にあっていわゆる優生思想の法的・政治的強要を、わたしは、理のまた利の如何を問わず決して受け容れない。

遺憾にも日本にもそれがあり、その真の清算と悔いと贖罪がいま求められている。今日の午後に一つの法的見解が示されるが。判決の遺憾を超えて私は、かかる思想や政策には与(くみ)しない。

2019 5/28 210

 

 

* 自分に信仰心が無いとは思わない、法然さんの一枚起請文をありがたしと受け取っているし、禅というか、バグワンと云うのが適切だが、胸に落ちて受け容れている。が、ごく狭い了見であるにすぎない。

今日も疲れやすみの内にむかし版の岩波文庫『沙石集』下巻を開いていて「妄執に依って魔道に落つる人の事」に出会って、かなりのビックリした。賢人の覚 えあった宰相が出家し行道にも身を入れてなかなかの人として逝去、だれもが極楽往生と思っていたのに、人の夢に現れて魔道に苦しんでいると。なぜか。在世 中に、「当世の御政(まつりごと)の濁れる事、恒に心にかかりて、我其の官にありて、其事を司どりてひき直さば、さりとも是程の事はあらじなんど、由なき 事、ややもすれば心の中ばかり、人知れず思はれし」ことが重い障りになってしまい魔道におちて苦しいと。

「世をすてて深き山に住み、実の道に入れども、「思ひ染みぬる妄念すてがた」い「塵労の中にして心濁」ったのが良くないのだとこの著者は註釈している。「その執心も、世のため人のため、利生の一分に」はそういあるまいが、それでも実の道を逸れているのだと。

こういうのを聴くと、わたしは、つい信仰から遠のきそうな心地がして困るのである。やはり阿弥陀の本願に頼み、法然親鸞の言葉を受け容れつつ、禅の不立文字に心を晒したいか、となる。

2019 5/28 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

老少同一死   老いも若きも同じく一死

賢愚無復數   賢も愚も復(かえ)る數無し

日酔或能忘   日(ひび)に酔へば或ひは能く忘れんも

將非促齢具   將(は)た齢(よはひ)を促すの具に非ずや

2019 5/29 210

 

 

* だれかの歌であったか。

夢の世やああ夢の世や夢の世やああ夢の世や夢のまた夢

 

* 八時四十分 疲労困憊。

2019 5/29 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

衰榮無定在   衰榮は定まりて在ること無く

彼此更共之   彼此(ひし)更(かはるが)はる之を共にす

2019 5/30 210

 

 

☆ 陶淵明の短詩句に聴く。

 

履歴周故居    履歴して故居を周(めぐ)るに、

鄰老罕復遺    鄰老復(ま)た遺るもの罕(まれ)なり。

歩歩尋往迹    歩々して往迹を尋ぬるに

有處特依依    處有りて特に依々たり。 (=ことのほか立ち去り難いところがある。)

流幻百年中    流幻 百年の中、

寒暑日相追    寒暑 日に相追ふ。

常恐大化盡    常に恐る大化の盡きて、   大化(=宇宙の気、生命力)

気力不及衰    気力 衰ふるに及ばざらんことを。

撥置且莫念    撥置し(=撥ひのけ)て且(しばら)く念(おも)ふこと莫(なか)れ、

一觴聊可揮    一觴(=盃の美酒) 聊(いささ)か揮(つく)す可し

 

* 「還旧居」の詩、 處有りて特に依々 の思いが脳裏に満杯している。

 

* ほぼ一と月か。陶淵明詩に目を向けてきた。

 

* 五月も逝く。

2019 5/31 210

 

 

* 明治の『日本辭林』に聴く。

私の今手にしている第拾五版『日本辭林』は大宮宗司編纂 大橋新太郎発行 東京博文館蔵版

明治廿六年三月三十日印刷出版 仝三十五年三月廿五日十五版発行 並製定価金(汚れていて  拾五銭の上一字分読めず)は、巻頭に「文典大意」が詳細 で、いわゆる口語文語文法以前の日本語文典への「総論・音韻・言語・文章そして假名づかひ」の総合理解が詳細に示されている。『辭林』つまり辞典はその後へ続き、さらにそのあとへ「冠詞一覧」が続く。縦13センチ 横10センチの小さい本だが総頁数は800頁前後。堂々の『日本辭林序』も巻頭に。

ことに面白く有益に教えられるのは「文典大意」中のことに「かなづかひ」か。「わ は」「ゐ い ひ」「う ゆ ふ」「ゑ え へ」「を お ほ」「じ  ぢ」「ず づ」にはいつも悩まされ、これがまたいわゆる「新旧のかなづかい論争」の原点になっている。上の実例を挙げてみたいが、そんなことをしている と貴重な一日の半分も費やしかねない。

 

あわだたし 惶遽  あわゆき 沫雪  いわし 鰯  かわく 乾く  ことわざ 諺  こわだか 聲声高  さわぐ 騒  しわざ 作業  すわる  坐  あわつ 周章  いわけなし 稚  うわる 稙  くわゐ 烏芋  ことわり 理  さわやか 爽  ずわえ 條  たわむ 撓  たわやか 窈窕   たわら 俵  はらわた 腸  よわし 弱  うらわ 浦回  くつわ 轡  みなわ 水泡  たわやめ 美女  のわき 暴風  ゆわう 硫黄   あわ 泡、沫  おほわ 輞  くるわ 廓  ひわ 鶸  みわ 酒瓫

語彙の中や下に来る場合 上の例はみな「は」でなく「わ」で、他はおおかた「は」でよいとしてある。よしあしの確認はしていないが、教えられる。この手の示唆や教唆で充ちていて、やはりたいそう有益で有り難い。

私は、古典への思いももとより、旧かなづかひを心底、尊重している。

堅固な造本でかろうじて保っているが表紙と背との境には割れ目が露わに成ってきている。

おそらくは今今の人に手渡せばごみにして棄てられかねないが、貴重な古典への視野と知識とが充満した一巻である。愛玩、措き難い。

2019 6/1 211

 

 

* 明治の『日本辭林』に聴く。 「あい」

「新井君美有言曰欲知古言冝讀古典」と序の冒頭にある。新井君美とは、新井白石。あまりに当たり前のようで、この序の書かれた明治中期にすでに天下に読書 人は多いが古典を読むモノは「甚少」と言い切っている。若きも老いも機械にのみ多くの娯楽と便宜を頼んで仕舞っている今日では、古典を日常読書の書目とし て座右に常備しているような読書人は、専攻の学者以外には稀有に少ないだろう。

『日本辭林』は「阿の部」のはやくに、「あい」と置いて、「愛 唯」の二字をあげ、「愛(め)で慈しむこゝろ。また、応答する時の声なり」としている。

あたりまえのようで、しかし後者の「あい アイ」は、今日人の辞書感覚では多く脱落していはしないか。しかも、「あい」「あいよ」「あいあい」「あー い」などの発語は、普通にも、ことに商店の店頭と奥との応答にはしきりに、いまだに耳にしていて、かすかにも下町感覚を通り抜け「江戸庶民の日常」を肌身 に覚える心地がする。

2019 6/2 211

 

 

「あいだちなし 無分別 物に分別無きをいふ」 「あいだる 驕 和悦を以て媚ぶるをいふ」 「あいなし 無愛 愛敬なく また分別もなきをいふ」  「あいなだのみ 無敢頼 一向に詮(かひ)無き依頼(たのみ)なり」 「あいろ 文理 物のあや また、物のありさま」 「あういく 奥行 人の後方(し りへ)に随ひ行くをいふ」 「あうなし 無奥 遠き慮んばかりなく浅はかなるをいふ」 「あうら 足占 足を踏み歩きて卜ふ占法なり」 「あえか 危気  幼稚に柔弱なること。かよわし」 「あえもの 肖物 相似たもの また 他と同様にあるもの」 「あか 閼伽 仏前に供ふる水 また 香水を盛る器」  「あかかがち 酸漿 ほほづきの古言なり」

 

* かかる古語は無数に保存され。現代の文章家にもふつうに用いている人はいる。

2019 6/3 211

 

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

往時渺茫都似夢    往時は渺茫として都(すべ)て夢に似

舊遊零落半歸泉    舊遊は零落し半ばは泉(=あの世)に歸す

 

* そういうものなんだと、この歳(八十三)になると、ただ思う。白楽天がこう託(かこ)ったのはわずか五十歳ごろ。何を云うかと言い返してやりたくもある。

当分、白楽天に聴いてみよう。陶淵明よりはやく国民学校時代すでにその詩集を愛玩していた。小説の処女作『或る折臂翁』は明白に白詩「新豊の折臂翁」に強烈な示唆を得ていた。国民学校、小学校、新制中学、高校、大学のあいだ「抱き込んで」いた。往時渺茫ではあるが、浅い夢ではなかった。

2019 6/4 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く  月に感じて逝きし者を悲しむ

 

存亡感月一潸然    存亡 月に感じて一たび潸然(さんぜん)

月色今宵似往年    月色 今宵往年に似たり

何處曾經同望月    何れの處か曾經(かつ)て同(とも)に月を望みし

櫻桃樹下後堂前    櫻桃の樹下 後堂の前

 

* 胸に沁む。

 

* まあそれにしても、近親間の殺傷の多さよ。さもなくば無思慮な交通事故。更に加えて愚かな政治家どもの暴言、妄言。

上に掲げた、白詩が ひとしお身に沁み懐かしい。

2019 6/5 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

嗟嗟俗人心   嗟嗟(ああ) 俗人の心

甚矣其愚蒙   甚しい矣(かな)其の愚蒙

但恐災將至   但(ただ)災ひの將(まさ)に至らんとするを恐れ

不思禍所従   禍(わざは)ひの従(よ)る所を思はず

 

驕者物之盈   驕れるは物の盈(えい=傲慢の極)

老者數之終   老いは數(=壽命)の終(はて)

四者如寇盗   四者(=権・位・驕・老)は寇盗(こうとう)の如く

日夜來相攻   日夜來りて相ひ攻む

2019 6/6 211

 

 

* 懸命に「清水坂」を這いのぼっている。繪は見えているが、繪にックっていては自然な繪に成らない。何としても物語との話し合いをしっかりつけて収まり を得なくては。さこが急所で難所で息が詰まる。藝術はただ成るものでなく創り上げるものであるが、ただのツクリものでは話しにならない。創り手の血がにじ み本音本性が表現されねばならない。この「表現」というのが最たる難物。

2019 6/6 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

風吹棠梨花    風は棠梨の花を吹き    棠梨(やまなしの類か)

啼鳥時一声    啼鳥 時に一声

古墓何代人    この古き墓は何れの代の人ぞ

不知姓興名    姓も名も知れず

化作路傍土    化して路傍の土と作(な)り

年年春草生    年年 春草生ず

感彼忽自悟    彼(それ)に感じ忽(こつ)として自ら悟る

今我何營營    今し 我 何の営営     営営(あくせく)

 

* 白楽天の読みやすいのは過剰に自虐の風のないことか。杜甫をやや苦手にするのと対照的。

2019 6/7 211

 

 

* 迷路じみて逸れかねなかった「清水坂」を、どうにか、相応の路へ引き戻せた、引き戻せつつ、あるのかも知れぬ。

心身とも今朝から働きすぎ、すこし左胸が重い。三時半。すこし横になってもう残り少ない『オイノ・セクスアリス』三校を読み終えてきたい。

 

* 京の「清水坂」が、凄みを帯びて世界をひろげ、かけ、た。だが、まだ物語は紡がれねばならぬ。今夜はもう、むしろ、立ち止まろう。

2019 6/7 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く   新豊折背翁

 

戒邊功也       邊功を戒むる也

 

新豊老翁八十八    新豊の老翁 八十八

頭鬢眉鬚皆似雪    頭鬢(とうびん)眉鬚(びしゅ)皆雪に似たり

玄孫扶向店前行    玄孫扶(ささ)えて店前に行く

左臂憑肩右臂折    左臂(さひ)は肩に憑(よ)り右臂(ゆうひ)は折る

問翁臂折来幾年    翁に問ふ 臂(うで)折れて来(よ)り幾年ぞ

兼問致折何因縁    兼ねて問ふ 折るを致せしは何の因縁ぞ

翁云貫属新豊縣    翁は云ふ 貫(=本籍地)は新豊縣に属し

生逢聖代無征戦    生まれて聖代に逢ひ 征戦無し

慣聴梨園歌管聲    梨園 歌管の声を聴くに慣れ

不識旗槍與弓箭    旗槍と弓箭とを識らず

無何天寶大徴兵    何(いく)ばくも無く 天寶(年間) 大いに兵を徴し

戸有三丁點一丁    戸に三丁(三人の男子)有れば一丁を點ず(徴兵された)

點得駆將何虚去    點じ得て驅り將(も)て何處(いづく)にか去(ゆ)かしむ

五月萬里雲南行    五月 万里 雲南(=中国南西部)に行く

聞道雲南有濾水     聞道(きくならく)  雲南には濾水(=大河 古来戦役の難所)有り

椒花落時瘴煙起    椒花の落つる時 瘴煙(=瘴癘の悪気)起こる

大軍徒渉水如湯    大軍徒渉(かちわた)れば水は湯の如く

未過十人二三死    未だ過ぎずして十人に二三は死すと

村南村北哭聲哀    村南村北 哭聲哀し

児別爺嬢夫別妻    児は爺嬢(やぜう)に別れ 夫は妻に別る

皆云前後征蠻者    皆な云ふ 前後に蠻を征する者

千萬人行無一迥    千萬人行きて一の迥るもの無しと

是時翁年二十四    是の時 翁は年二十四

兵部牒中有名字    兵部の牒中(=徴兵名簿)に名字有り

夜深不敢使人知    夜深くして敢えて人をして知らしめず

偸將大石鎚折背    偸(ひそ)かに大石を将(もつ)て鎚(たた)きて臂(うで)を折る

張弓簸旗倶不堪    弓を張り旗を簸(あ)ぐるに倶に堪えず

従茲始免征雲南    茲れ従(よ)り始めて雲南に征(ゆ)くを免る

骨砕筋傷非不苦    骨砕け筋傷つき苦しからざるに非ざるも

且圖揀退歸郷土    且つ圖(はか)る 揀退(れんたい=不合格)し 郷土に帰るを

臂折來來六十年    臂(うで)折りてより 来来 六十年

一肢雖癈一身全    一肢癈すと雖も一身全(まつた)し

至今風雨陰寒夜    今に至るも風雨陰寒の夜は

直到天明痛不眠    直ちに天明に到るまで痛みて眠れず

痛不眠          痛みて眠れざるも

終不悔          終(つひ)に悔いず

且喜老身今獨在    且つ喜ぶ 老身の今 獨り在るを

不然當時濾水頭    然らざれば当時 濾水(ろすい)の頭(ほとり)

身死魂飛骨不収    身死し魂飛びて骨は収められず

應作雲南望郷鬼    應(まさ)に雲南 望郷の鬼と作(な)り

萬人塚上哭呦呦    萬人塚上(てうぜう) 哭して呦呦(ゆうゆう=戦死者の哭声)たるべし

 

老人言          老人の言

君聴取          君 聴取せよ

君不聞          君 聞かずや

開元宰相宋開府    開元の宰相 宋開府は

不賞邊功防黷武    邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防ぐと

 

又不聞          又た聞かずや

天寶宰相楊國忠    天寶の宰相 楊國忠は

欲求恩幸立邊功    恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て

邊功未立生人怨    邊功未だ立たずして人怨を生ず

 

請問新豊折臂翁    請ふ 問へ 新豊の折臂翁に

 

* 気の有る人は、白楽天のこの慷慨 深く深く読み取って欲しい。

いま、安倍晋三総理の内閣は、与党自民党は、トランプ米大統領の商売と権勢に阿諛追従、なんと、攻撃性の航空機だけでも世界中に類の無いほど、またまた 百数十機も大量購入し続けているという。それをどんなときに どう使用する気か、国民は一言半句の説明も聞かされず、そもそもアメリカの古物扱いさえして いる飛行機や武器で、日本政府は、安倍総理は、いったい誰を敵と見定めて何をしでかそうというのか。

「恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て 邊功未だ立たずして 人怨を生ず」 天寶の宰相 楊國忠のザマを、安倍や麻生らは、いったい誰の喜悦・満足のためにしようとしているのか。

「邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防」いだ開元の宰相 宋開府のような見識も外交力も有る総理に、交替して欲しい、ぜひ。

 

* 何度も触れてきたが、白楽天のこの長い詩を、明治四十三年袖珍版 神田崇文館「選註 白楽天詩集」の280-285頁で頭にも目にも焼きつけたのは、 国民学校三年生そして敗戦後に疎開先から帰京した小学校五、六年生のころで、すでに小説家に成りたかった少年は、書くならば真っ先にこの白楽天の詩に取材 してとはっきり決めていた。そして安保闘争で国会周辺が盛り上がったころに、遂にわたしは「処女作」として『或る折臂翁』と題したいま読み直してもちょっ と怕い、父と子の、夫と妻のいま読み直してもちょっと怕い小 説を書いた。しかも妻のほか誰にも見せないまま一九九四年に、まるで別の長編の埋草めいて「湖の本30」ではじめて活字にした。さらに遅れ遅れて『秦 恒平選集』第七巻に「処女作」として収録した。講談社で文学出版の指揮者もされた天野敬子さんに「震撼しました」と望外の賞讃を受けた感激は忘れられな い。

今も、この詩は、時として気を入れては読み替えしている。反対の考えの人もあろうかも知れないけれど。とにかくも国民学校の生徒時代は、男の子はいつか 徴兵されることを避けがたい運命とまで観念していた。わたしは京都でも疎開した丹波の山なかででも、「兵隊にとられる」であろう運命を忘れられない少年 だった。そういう少年として長詩「新豊折臂翁」にひしと向き合っていたのだった。

 

* 『選集31 オイノ・セクスアリス 或る寓話 ・ 黒谷』を、週初には「責了」できるところまで読み込めた。

2019 6/8 211

 

 

* いまも慎重に思案してみて、『清水坂(仮題)』への宿題はまだまだ山ほどあると気づいた。周章てまい、落ち着いて濃厚にも軽妙にも物語の味をわたし自身が楽しまねばいけない。

2019 6/8 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

世間富貴應無分     世間の富貴は應(まさ)に分(あず)かる無くも

身後文章合有名     身後の文章 合(まさ)に名有るべし

莫怪気麤言語大     怪しむなかれ 気の麤(=乱暴・粗雑)と言語の大を

新排十五巻詩成     新たに十五巻の詩を排して成る

 

* 白詩を大ならしめた「樂府(がふ)」などを含め、十五巻の詩集を成したとき、白楽天自身の愉快に友の元九に呈した壮語ではあるが、本心でもあったろう。

「選集」三十巻 わたくしにも類似の感懐はあるが、「身後」の世界などまことに危ういことをも承知し笑っている。

活動は半世紀を優に過ぎ行き、「単行図書」 百册をすでに超え、「湖の本」百五十巻をまぢかに超え、五、六百頁平均の「秦 恒平選集」三十三巻をきっちり成し遂げ、 「念念死去」の「騒壇餘人」として、当然にも遠からず私は世を去る。虚名など欲しくない。少年の意欲のまま熱い心で書き続け考え続けて行くまで。

2019 6/10 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

後亭晝眠足    後亭 晝眠足り

起坐春景暮    起坐 春景暮る

 

淡寂歸一性    淡寂(たんせき) 一性に歸す

虚閑遺萬慮    虚閑 萬慮を遺(わす)る

 

行禪與坐忘    行禪と坐忘と

同歸無異路    歸を同じくして異路無し

2019 6/11 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く    閉關

 

我心忘世久     我が心 世を忘るること久し

世亦不干我     世も亦 我を干(おか)さず

遂成一無事     遂に一(さつぱり)と事無きを成しえて

因得常掩關     因(おかげ)で常に關(もん)を掩(閉め)てをける

 

著書已盈帙     著書は已(すて)に帙に盈(み)ち

生子欲能言     生れし子も能くもの言はんとするに

始悟身向老     始(やうや)う身の老いに向(なんなん)を悟り

復悲世多艱     復(ま)た濁世には艱難の多きを悲しむのみ

 

歳暮竟何得     この歳暮(=晩年) 畢竟(いまさら)何をか得(もと)めむ

不如且安閑     いま且(しばら)くを 坐忘かつは安閑たるに如(し)く無し

 

* なかなか。

吾が晩年のもとめて事多いを少し慚じ、しかしまあきらめて、今朝からも湖の本144の発送に励んでいる。

2019 6/12 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く     感 情 (情に感ず)

 

中庭曬服玩    中庭 服玩を曬(さら)し

忽見故郷履    忽(こつ)として故郷の履(くつ)を見る

昔贈我者誰    昔 我に贈りし者は誰(た)ぞ

東鄰嬋娟子    東鄰の嬋娟子(せんけんし 美少女)

因思贈時語    因りて思ふ 贈りし時の語を

特用結終始    特(た)だ用ひて終始(いついつまでも)結ばんと

永願如履綦    永(とは)に願はくは履綦(りき この靴)の如く

雙行復雙止    双び行き 復(ま)た 双び止まらんものをと

自吾謫江郡    吾 江郡(江州)に謫(左遷)せられて自(よ)り

漂蕩三千里    漂蕩すること三千里

爲感長情人    長情の人(かの愛おしい人)に感ずるが為に

提攜同到此    提携(靴は持参)し同(とも)に携へ(同行し)て此に到る

今朝一惆悵    今朝(こんてう) 一(ふと)惆悵(ちうてう 哀しみに堪えず)

反覆看末已    反覆して看ること未だ己(や)まず

人隻履猶雙    人(われ)は隻(独り)なるも履(くつ)は猶(今も)双

何曾得相似    何ぞ曽て相ひ似るを得ん (靴と人とは同様には行かぬか)

可嗟復可惜    嗟(なげ)かはしく復た口惜し

錦表繍爲裏    錦の表 繍(ぬひ 刺繍)の裏

況經梅雨來    況(いは)んや梅雨を経て来(より)

色黯花草死    色黯う花草の風情も死(う)せんをや

 

* 思わず眼をとぢて想う。

2019 6/13 211

 

 

* 食事に行こうと誘っておきながら、着替えた妻が迎えにきたときはソファでぐっすり寝込んでいた。もうその気になれず。申し訳なかった。『清水坂』へ向 き直り、手を入れ、思案し、いま、プリントしている。機械画面のママでは長い前後を見わたして手入れするのが難しい、し難い。現在すでに「湖の本」の一巻 相当の量にまで展開していて、先はまだ作者にも不明。

 

* 気むずかしい印刷機がともあれ無事に刷りだしてくれた。徹底して推敲が可能になる。前作も此の作も、客観体の筆致でなく、「語って」いる。語りが「味」になってくれるといいが。

2019 6/13 211

 

 

* 「湖の本」144 届き始めたか。三部ある第一部だけとはいえ、驚いて眉を顰める人も少なくなかろうと思うが。ま、ここにも瘋癲老人とおもっていただこう。

もう問題は、次の創作が盛り上がってくれること。じつは、そのほかにも、もう書き上げてあるさほど長くはない作もある。書こうとしているものもある。処 女作時期に手書きで書き詰めた原稿のままの長い作もある。清書して徹底的に手を加えている時間の余裕が無いのだ。やれやれ。昔の説話本などを拾い読んでい ると、これこれと意欲の動いて行く世界があちこちに有る。やれやれ。

2019 6/13 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

歳華何倏忽    歳華(歳月)の 何ぞ倏忽(しゅっこつ 忽ちに過ぎ)

年少不須臾    年少(少壮)は 須臾ならず(あまりに短い)

眇黙思千古    眇黙(心地をこらして) 千古を思ひ

蒼茫想八區    蒼茫(果てなき) 八區(八方世界)に想ひを馳す

2019 6/14 211

 

 

☆ 秦恒平様

昨日、『湖の本』144のご恵贈に浴しました。いつもながらのご好意に感謝します。

昨夜遅くに、眠気も催さずに拝見しました。益荒男の伝統を引く「をのこ」であれば、書いてみたい類いのものですね。

笑いながら拝見。ありがとうございました。

ご健勝をお祈りいたします。     並木浩一  ICU名誉教授

 

* この『オイノ・セクスアリス』第一部の主要趣旨には、カトリック基督教への烈しいほどの批評が一眼目になっていますのへ ご批評 ご批判の無いには すこし拍子抜けの思いがしました。

ただに「をのこ」の問題だけでなく、「性」「性行為」への姿勢は、基督教と教会の歴史を大きく根底から揺るがし続けて、現在では、事実上の破産に到っている大問題かと私には見えているのですが、お教え願えるのを期待しておりました。

 

☆ 秦恒平様

お忙しい生活の中から、思いがけないメールをいただき、恐れ入りました。

カトリックへの批判はよく分かります。アウグスティヌスの女性蔑視など、酷いものです。しかも原罪を性欲と結びつけて理解した。これが後世への影響は大きなものです。

女性蔑視と聖職者の結婚奨励はルターによって行われましたが、原罪理解の呪縛からの完全な解放は現代世界に入ってから、もっと厳密に言えば、フェミニズム神学の台頭を俟たねばなりませんでした。

 

私は十数年前に東京神学大学で非常勤講師をしばらく勤めましたが、私が親しかった学生のペアは神学校を卒業すると直ぐに副牧師としての赴任教会で結婚式 を行いましたが、女性の方は妊娠6ヶ月ぐらいのお腹を見せながら、気後れする様子もなく結婚式に臨んでいました。彼らは神学校でも、仲間からも、奉職教会 からは祝福されました。これだけの変化がプロテスタント教会では起こっています。

 

ボン大学の教授時代に、ナチスと戦って指導的な役割を果たし、キリスト論的な教義学の大作を中途まで書いた神学者のカール・バルト(1886ー 1968)は、秘書のキッシュバウムによる口述筆記、討論、校正などで献身的な協力のお陰で膨大な仕事をしました。夏は山荘で二人だけで生活し、当然、性 的な関係がありました。

バルトは妻のネリーにキッシュバウムの件を告白し、責任を認めて離婚を申し出たようですが、ネリーはその申し出を退け、二人の関係を苦々しい思いで受け入れて離婚することはありませんでした。

バルト家ではキッシュバウムは一室を与えられ、夜中にバルトに起こされて口述筆記をしたようです。キッシュバウムが60歳代に病気入院するまで、バルト家では奇妙な同居生活が続きました。

もちろん、バルト家では家庭秩序が守られたものと思います。バルトはキルシュバウムの存在について、対外的に隠すようなことをしませんでした。彼女の存 在と寄与は公然のことで、バルト家を訪ねる学者その他の人々とのディスカッションにはキルシュバウムが同席して議論に加わっていたようです。

 

バルトは教義学の創造論の中で、結婚と男女の役割について美しい叙述をし、「一夫一婦制がキリスト教の立場である」ことを明確な言葉で記しました。よく ヌケヌケと書いたものだという批判をする人もあったようですが、この叙述は自己への審判と懺悔を行いつつ記したものと受け止めるべきでしょう。

バルトの論述は誰のものよりもリアルで柔軟です。キリスト教教会はこの件でバルトを葬ることはありませんでした。むしろ、人々はバルトの倫理学から具体的な男と女について学んだのです。

ただし、バルトが当然と考えていた男女の役割論は古い考え方として退けられています。

 

カトリックにおける聖職者への禁欲の要求は、現実には神父たちによるセクハラ事件を多発させ、女子修道院はレズビアンたちを排除できないというようなことはよく知られています。今日は聖職者の減少に悩んでいます。

カトリック教会もいずれ教義を改訂し、性の抑圧を撤回するでしょう。

 

応答までに一筆しました。   ICU   並木浩一

 

* わたしの必読の愛読書の一つはミルトンの『失楽園』であることは、何度か話題にしてきた。基督教に関しては『シドッチと白石』を新聞連載するより遠く 以前から関心深く勉強もしてきた。そして世界史的にみてわたしは基督教への親愛や前向きの関心を少しずつ失って行き、否定や否認へ傾かざるをえない方へ歩 んできたと思う。解放神学やフェミニズムへの理解が加わるに連れて、その程度は大きくなっていた。

『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、老人の性行為をおもしろづく書こうとしたものでは全然無く、「益荒男の伝統を引く「をのこ」であれば、書いてみたい類いのものですね。笑いながら拝見。」というのには強く引っかかったのである。

わたしが、今度の作で意識の芯に置いていたかも知れぬのは、「一夫一婦」というある種模範的な、ある種無惨な人類史の「一制度」がもたらしているかと思われるきついヒズミを、せめて指摘だけしてみたい思いであった、かと。

2019 6/14 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

萬里抛朋侶    萬里 朋侶を抛ち

三年隔友于    三年 友于(ゆうう 朋友ら)に隔たる

自然悲聚散    自然 聚散を悲しむ

不是恨榮枯    是れ 榮枯を恨むならず

 

謾寫詩盈巻    謾(みだ)りに書寫して詩は巻に盈ち

空盛酒満壺    空しく盛りて酒は壺(こ)に満つ

只添新惆望    只だ 新たな惆望(哀しみや望みばかり)を添ふるのみ

豈復舊歡娯    豈(あに) 舊き日々の歡娯を復(ふたた)びせんや

壯志因愁減    壯志は愁ひに因りて減じ

衰容與病倶    衰容は病ひ與(と)倶(とも)にす

相逢應不識    相ひ逢ふも應(まさ)に識(きづか)ざるべし

滿頷白髭鬚    頷(あご)に滿つわが白髭鬚(はくししゅ)に

 

すこし意気阻喪の体でもの悲しいが、知友と相い逢わぬこともう五年十年になる、私は。白髪は葎のごとく、白髭鬚は甚だしい。

2019 6/15 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

晨起臨風一惆悵     晨(あした)に起きて風に臨み一たび惆悵す(=悲しみに沈む)

通川湓水斷相聞     通川(=東京)湓水(=京都) 相聞(そうぶん=通信・消息)を斷つ

不知憶我因何事     知らず (君が=)我を憶ふの何事に因るかを

昨夜三廻夢見君     昨夜 三廻 夢に君を見しは

2019 6/16 211

 

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

紅旗破賊非吾事    紅旗破賊は吾が事に非ず

黄紙除書無我名    黄紙の除書(戦功を賞する詔書)に我が名無し

唯共嵩陽劉處士    唯だ嵩陽の劉處士(=友人)と共に

圍棊賭酒到天明    棊を圍み酒(=罰盃)を賭けて天明に到らん

 

* 藤原定家が日誌「名月記」に書き置いて名高い「紅旗征戎は吾が事に非ず」の、これが原拠。

 

* 好天。風はあるが。

2019 6/17 211

 

 

* ところで此の『オイノ・セクスアリス 或る寓話」の 第一部のどこかで、ある気鋭の社会学者の『性愛論』を読んで、巻中一度も「美」の文字を見なかったのを作中の「語り手」はボヤいていた。

白状しておいていいと思うが、わたしは、この長編で、愛と性愛との「美学」的「批判」を「プラトン(ソクラテス)への意識と無意識とのあいだぐらいで  書こうともしていたのに、気づいている。今かかずらわってモノ言うのは控えておくが、真と善とを当然に抱え込んだ美の意識や問題とともに、「老いの」また 「若い人妻」の性・セクスアリスの批評をやってみようと考えていた。いま、ドニ・ユイスマンの『美学』を再読しつつ、思い出していた。が、ま、これは、事 実問題として 現実の「読者」のみなさんには伝わるまいと、はなから諦めてはいた、が、その諦めへの、ちいさな、そして我勝手な呟きを、第一部のどこかで 一と言漏らしていたのだと思っている。

2019 6/17 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

甕頭竹葉經春熟    甕頭の竹葉(ちくえふ)は春を經て熟し

階底薔薇入夏開    階底の薔薇(さうび)は夏に入りて開く

 

明日早花應更好    明日 早花 應(まさ)に更に好(よかるべ)く

心期同醉卯時杯    心に期す同(とも)に卯時(ぼうじ)の杯に醉はんと

 

* 機械の始動に延々とかかる。その間、ゆっくり詩集など読んでいる。辛抱、辛抱。

2019 6/18 211

 

 

☆ 感想私信

リーアン・アイスラーの「聖杯と剣」を読みました。

女性原理社会から男性原理社会への移行による男性支配社会の出現・運営への不満と将来への改善策でした。

私見ではキリスト教団と言うのはイエス死後の相続権争いでできた教団のことでしょうから、男性使徒の女性信徒への嫉妬、恐怖による女性支配がテーゼになるのは当然だったのでしょう。

中世のカタリ派虐殺にしても、法王庁のやっかみと自らの不品行の隠蔽のための八つ当たりでしょうから、地球の歴史を有史以前から鳥瞰的に眺められれば 「一夫一婦制」も違う形態をとったことがあるのでしょうし、これからも、いや今でも制度の意識の中で余裕をもって性生活を満喫している男女はたくさんいる ことでしょう。

荷風さんのように結婚せずとも多くの女性に「一悦」を求めて生き切った散人もいました。

と、老耄のとりとめのない脳内整理はこれまでにして、

「オイノ・セクスアリス」では鴎外、荷風に連なる慷慨作家の系譜を垣間見ました。

全編を読んでいないので感想も上っ面の見当違いになりますが、歌舞伎の十八番を好きな一幕のみ繰り返し味わうように「性愛交歓場面の所作」に我を忘れました。読み終わって部屋の空気が変わっているのが不思議でした。スカッとしました。

「雪」さんは「濹東綺譚」の「お雪さん」や「細雪」の「雪子」を絡ませて私の脳内で動いていたのかもしれません。

元東大学長の「伯爵夫人」の味気なさに比べても、改めて秦さんの文体の美しさが醸し出す悦びを感じました。

「ほんもの」「似せもの」論も、井筒俊彦さんの「形而上体験」の無い「形而上学」は無いを思い出しました。

「ほんもの」を知ってる老人に贅言を費やしてもらって、その一端に触れてみたいのが今の私の愉しみです。「似せもの」に老いの繰り言を積み重ねられても「ほんもの」ができるわけじゃあるまいし。

秦さんのように わざと老耄ぶりを文章化するのではなく、 支離滅裂、独断偏見の本当の耄碌感想をお笑いください。

続篇を愉しみにしております。  野人

 

* まだまだ先でどう「落っこちる」か知れないので多くは語れないが、どうなりますやら、私自身がどきどきしています。見て見にくいものごとをきびきびし た文章と化して提供して行くのが作家の作品のお役目であると思っている。選集は月明けに出来てくるが「湖の本」ではどう早くてもあと二巻を送り終えられる のは八月中頃かなあ。男性には男性の、女性には女性の厳しい叱声がきかれるだろう。

ちなみに、『オイノ・セクスアリス」という標題を献じて下さったのはこの読者である。「伯爵夫人」とあるのは<私、なにも識らないが、わけもなく妙にドキッとしました。

2019 6/18 211

 

 

* 明日は、第五回太宰治文学賞受賞、満五十年の桜桃忌。

すこし、気も躯ものびやかに迎え、過ごしたいもの。歌舞伎は、部外の劇作家による歌舞伎座へ初登場の新作。面白くありますように。

三月の結婚満六十年を祝っての歌舞伎座では気分がわるくなり、途中で劇場を出、途中日比谷で休息と思ったのも玄関で断念して車で帰宅した。もうこの体調では何が起きるか分からない。

今夜はもう仕事も置いて、横になり、沢山な本の拾い読みを愉しみながら寝入ってしまおうか。本は枕もとにさまざま山積み。今日は書庫から岩波文庫プラトンの「饗宴」を久しぶりに持ち出してきた。

岩淵宏子教授からは編著の女流文学全集新刊が贈られてきている。「清水坂」文献も「瀬戸内」文献や地図も、大小いろいろ積んである。地図や海図は見飽き ないが、字の小さいのには音をあげる。コワーイ、コワーイ、コワーイ事を創造し幻想しながら夢を見るのも、今は役に立つ。

それにしても、五十年、処女作へ着手からならほぼ六十年、よう生きて来れたなあと少し惘れ。せめてもう少しはと本音で執着しているような己れにも、惘れている。 、

2019 6/18 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

人各有一癖    人 各々一癖有り

我癖在章句    我が癖は章句(=詩作)に在り

萬縁皆已銷    万縁 皆な已に銷(き)ゆるも

此病獨未去    此の病 独り未だ去らず

毎逢美風景    美なる風景に逢ひ

或對好親故    或ひは好き親故に対する毎に

高聲詠一篇    高声一篇を詠じ

怳若與神遇    怳(きょう=恍惚)として神( しん)與(と)遇ふが若(ごと)し

 

恐爲世所嗤    世の嗤ふ所と爲るを恐れ

故就無人處    故(ことさら)に人無き處(=廬山)に就く

2019 6/19 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

夜夢歸長安    夜 夢む 長安(京都)に歸り

見我故親友    我が故(ふる)き親友に見(まみ)ゆるを

 

還指西院花    還(ま)た西院の花を指し

仍開北亭酒    仍(な)ほ北亭の酒を開く

 

如言各有故    各(おの)おの故(=積る話)の有りと言ふが如く

似惜歡難久    歡びの久しくし難きを惜しむに似たり

 

覺來疑在側    覚め來たりて側(かたはら)に在るかと疑ひ

求索無所有    求め索(もと)むるも有る所無し

殘燈影閃牆    残燈 影は牆(かき)に閃き

斜月光穿牖    斜月 光は牖(まど)を穿(うが)つ

天明西北望    天明 西北を望む

萬里君知否    萬里 君知るや否や

老去無見期    老い去りてまた見(まみゆ)る期(ご)無くと

蜘蹰掻白首    蜘蹰(ちちゆ=茫然) 白首(白髪頭)を掻くのみ

 

* 白楽天の「感傷」、胸に沁む。当時の彼はしかしまだ五十前。私は今、八十三歳だが、「蜘蹰掻白首」とは思っていない。ただ、「京都」へ帰りたい、話し合い酒を汲み合える友は稀に稀であるけれども。

2019 6/20 211

 

 

☆ 透き通る青い空を見ると、

学生時代のある光景を思い出します。

天候不順ですが、お元気ですか。

この度は、『秦恒平選集 第30巻』および『湖の本 第144巻』をお送りいただきありがとうございます。『選集』は、宛名書きを直接書いていただいているのを見ると、いつも申し訳なくありがたく思っています。

小林秀雄の項、納得して読みました。

また川端追悼の「廃器の美」は、<死なれた>と使われた最初ではないか、と思ったりしました。一度調べてみたいと思います。

このように纏めてくださると便利になります。

また『湖の本』では直筆のコメントを添えていただき、距離がずっと近づいた気分になります。刺激になります、ありがとうございました。

先に、「蝶の皿」論を書いて例のところへ送りました。ほんとうなら『冬祭り』に行く予定だったのですが、十分の体力がなく、前回の「或る雲隠れ考」のイメージを引きずったまま「蝶の皿」へ、また妖しく惑わされてしまいました。

先生 どうかお身体大切になさってください。   奈良・五條  榮

 

* 小林秀雄についての一文は、わたしとしても、やや「会心」の心地でいる。読んで下さったのだろう、まだ勤め先にいたある日、会社の受付へ、「小林秀 雄」名刺に「秦 恒平様」と自署されて当時評判の大著『本居宣長』が、人手を介し届けられてきたときの嬉しさ、忘れられない。一度もお目に掛かったこともない。

同様のことが、井上靖について初めて書いたときにもあり、びっくりした。亡くなるまで永い御縁がはじまった。

『選集30』の七十数編の文章中でも、巻頭の「虚像と実像」のほかにとなると、上の二編にはっきり自信があった。巻は異なるが潤一郎の「夢の浮橋」論、漱石の「こころ」論を大事に思ってきた。

評論は、把握と表現とで興趣深くかつ内容の正しいことが必須とわたくしは思い続けてきた。

 

☆ 拝復

ご高著「湖の本」通巻第144巻『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第一部を ありがとうございました。少しずつ読み進めておりますが 谷崎潤一郎の晩年の小説にも通じるように受けとめております。今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます。

長雨の季節を迎えておりますが くれぐれもご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます  かしこ   山梨県立文学館

 

* 谷崎先生晩年作、たとえば『鍵』は、国会でさえバカげた声が舞った。最晩年には『瘋癲老人日記』があり、すこし早くには『夢の浮橋』もあった。谷崎作 の世界に尻込みし、また悪罵していたフツーの読者の声はよくよく聞いたし、それはそれで谷崎世界とは縁無き衆生であっただけ。しかも谷崎先生の世界は練達 の物語世界であり、論や攷の性格は淡い。

わたしは、昔から小説を用いても論じ究求したいものを平然と作の中へ持ち出してきた。『オイノ・セクスアリス』の吉野東作老人は、老いの精力を誇るべく 物語って出ているのではない、「生まれる」という受け身、「死なれる」という受け身、「もらひ子」という運命への悲と哀を通して愛と性愛との衝突を問うて いる。問い方はあるいは冷酷と謂うに近くもある。

谷崎先生の晩年作が私の念頭に無いはずがなく、しかも、どう、どこへ、そこから離れ得られるか、離れての世界が創れるかを、十年、考えつづけてきた。第一部だけでそれを推してもらうワケにはやはり行かないはず。

読者との久しい「縁」を大切に思ってきた。大切に思っている。

2019 6/20 211

 

 

☆ おはようございます。今年も早や梅雨入りして不安定な気候が続いておりますけれど、先生にはお元気で執筆のご様子、何よりでございます。

先日新作をいただきました。そしてページを開いて、まずその文字量に圧倒されました。「命つきるまで書いて書いて書き続けるぞ」という先生の気迫が空から襲い掛かってくるようで、思わず身をすくめそうになりました(笑)

さて いただいた今作、結論から申しますとこれはちょっと私には高度な作 品だったようです。こういった作品を読むたびに、男性と女性の性や恋愛についての考え方には大きなひらきがあるなあと思ってしまいます。もちろん恋愛やそ れに続く性というのは、とりもなおさず「生命力の発露」であり、「生きる希望」なのだと理解はしているつもりです…。でも    ゆめ

* 前の三分の一だけで読み始めて貰ったのは、製作の作業としても経費としても余儀ない事ではあったが、わたしも残念。 感想や批評は全編を終えてから願いますと告げておきたかったが、こういう作は「読みたくない」という方の思いを封殺したくなかった。「湖の本」の購読者が 赤穂なみに「四十七人」になっても、それとても「私の文学生涯」と思うけれど、幸い、そうはならないだろう。感謝に堪えない。

 

* 作者は、老いた男の性を、男の視線でエゴイスティツクに書こうとしたのではない。むしろ出来るだけ数多くの、意識的な国内外女性たちの著述や言葉をなるべくよく参照しよく聴き取って書いてきたつもりでいる。

「男性と女性の性や恋愛についての考え方には大きなひらきがある」とは、ほんとうのことだろうか、また それが男性にも女性にも老いにも若きにも 「よい・いい」ことなのか という疑義を作者は今も持っている。同時に、愛と性愛との意味の「重なり」や「離 れ」は、男女を問わずきちんと洞見されてきただろうか、何がほんとうに自分には重いのかとも、わたしは問いかけたかった。

2019 6/20 211

 

 

* 今、私に大事なのは、次の長い新作を書き切ること。そのためには歩いて食べて健康を維持すること。分かってます、つもり。

2019 6/20 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

高天黙黙物茫茫    高天は黙黙 物は茫茫

各有來由致損傷    各(おのおの)來由有りて損傷を致す

 

外物竟關身底事    外物 竟(つひ)に身底の事に關はらせず

謾排門戟繋腰章    謾(みだり=無用)な門戟は排し 無意味な腰章など繋ぐまじ

2019 6/21 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

緑陰斜景轉    緑陰 斜景轉じ

芳氣微風度    芳氣 微風度(わた)る

新葉鳥下來    新葉 鳥 下り來たり

萎花蝶飛去    萎花 蝶 飛び去る

閑攜斑竹杖    閑(しづ)かに斑竹の杖を攜(たづさ)へ

徐曳黄蔴屨    徐(おもむろ)に曳く 黄蔴(こうま)の屨(くつ)

欲識往来頻    往来の頻りなるを識らんと欲せば

青蕪成白路    青蕪(せいぶ) 白路を成す

2019 6/22 211

 

 

* 夕食進まず。雨と気温との障りか、秀作だった「刑事フォイル」に続くらしいアガサ・クリスティものが不快千万で、昼間、記録仕事などに精出していた妻 もからだを休めに寝入り、わたしも横になって、天野哲夫に読み耽り、つづいて『饗宴』『住吉物語』ユイスマンの『美学』も面白く興深く変わり映えもして読 み継いでいった。その間に大きな荷で苫小牧の林晃平教授から來贈の千頁にも及ぶような『浦島太郎の伝説』を手にした。林さんはもうかなり以前に、やはり今 回と同規模の『浦島太郎』研究書を出され、読んでいた。浦島太郎は私に体力と時間があれば書きたい主題の大きなひとつであった、ありつづけていた、だが、 容易にそこへ手が届かぬママになっていた。

立派な考察本のまた成ったのを祝し、また感謝申し上げる。

2019 6/22 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

外累由心起    外累(がいるい=世俗の煩ひ)はわが心由り起こるもの

心寧累自息    心寧(やす)ければ累も自づと息(や)む

 

宜懐齋遠近    懐(おも)ひを宜(よろ)しくせば 遠きも近きも齋(ひと)い

委順随南北    順(自然)に委ねれば 南も北も随ふ(無い)

歸去誠可憐    歸去する(懐郷の想ひ)は誠に憐れむ可(べ)きも

天涯住亦得    天涯に住するも亦(ま)た得ん(出来る)

 

* 大きな建物(大学、大ホテルや大庁舎)で迷いに迷って為すすべなく動顛する夢をよく見る。イヤなものだ。そういう夢を介して自身の生前や過去に思い沈むことも。よほど濃厚に根の哀しみを抱いているのか。

むかし 親子か夫婦かという選択に、わたしは終始一貫 夫婦 と口にもし内心にも思っていた。「肉親」という存在への徹底的な失望感 喪失感を持ち続け ていたのだと思う。他人の中から真の身内をと切望し続けてきたと思う。生みの親たちや得た娘や孫を思うとき、冷え切った血縁にひたひたと胸を浸される悲し みに身もよろめく。わたしの内なる愛は(建日子と、兄恒彦を除いて、)悉く血縁の外へ外へと奔り流れてきた。『オイノ・セクスアリス』では無謀なまでかす かにもそれを取り戻そうと喘いだらしい。つづく『清水坂(仮題)』では、久しいそんな身の藻掻きをきかいな歴史のなかで我から見なおそうとしているのか も。

わたしの八十年を貫いてきた痛い固い抜けない棒は、「もらひ子」というにあったと、実は、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を書き終え『清水坂(仮題)』を書きながら、切にあらためて思い当たり思い得た気がする。一種の鈍感か。

「真の身内 島の思想」は、わが逃れがたい運命であり発見であり願望であったようだ。

2019 6/23 211

 

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

長羨蝸牛猶有舎     長く羨む 蝸牛すら猶お舎(いへ)有るを

不如碩鼠解蔵身     如(し)かず(=負ける) 碩鼠(せきそ=大鼠)の解(よ)く身を蔵すにも

 

但道吾廬心便足     但(た)だ道(い)はん 吾が廬(すみか)は心便(すなは)ち足ると

 

* むかしは簡素な書斎(とは謂えぬ、身のまわり)を心がけていたのに、いまや、言語道断にあれもそれも、どれもこれもが身辺、壁、襖、障子を塞いでいる。賑やかなと思うことにし受け容れている。ちょっと目を上げると谷崎先生の炯眼とまっさきに視線が合う。

2019 6/24 211

 

 

☆ 今年また災害多き年の先触れ、地震地など 死者なきこと幸いなれどこの梅雨の季、被災の方々難儀嘆きつつ過ごしています。

ご大病克服ご執筆ますますお盛んなこと敬服いたします。

新刊『オイノ・セクスアリス』ありがとうございます。性科学のテーマたりうる「相死の生」、新作でのご展開興尽きません。ただ 書き出し南座観劇に始ま り これまで湖の本にてなじんでおりました秦さんの随筆 アタマにしみこんでおり、創作といわれてもとまどうばかり過激な描写が 著者の本意と離れて評判 になることもやと案じております。 一茶の七番*との符合に若き頃興じたこと思い出しました。

お揃いでお大事にと念じております。

万緑のなか一条の出水跡     周   神大名誉教授

 

* 作者と作中の吉野東作氏との「あはひ」を何となく抱き合いに浮揚させたく、また「オイノ」古稀から語り始めるにも幸便と、南座の顔見世で語りはじめ、 しぜん吉野氏が京都人で京都が世界であることを明示してみました。第一部は全部の三分の一弱の進行になっています。七月二日には「秦 恒平選集 第三十一巻」 作家生活五十年の新作として全編が纏まります。

 

☆ 拝啓

「湖の本」一四四 拝受いたしました。先般、選集第三十巻の後書にて予告なさいました『オイノ・セクスアリス』、心秘かに楽しみにいたしておりましたが、何と今回の「湖の本」にて第一部を刊行なされ、びっくりいたしました。恐る恐る頁を開いているところです。

拝受の御礼まで一言申し上げます。  九大名誉教授  祐

 

* 「湖の本 144」として「第一部」を先行させましたのは、「第二・三部」 145・146巻で完結とすることで、湖の本創刊・満三十三年記念の新作 としたかったからです。「湖の本」で大冊一冊は難しく、「選集」は限定百五十部の特装非売本で、私用の例外を含めても二百冊しか作れませんので。

2019 6/24 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

量力私自省     力を量りて私(ひそか=自儘)に省みれば

所得已非少     得る所 已(すで)に少なきに非ず

 

若無知足心     若(も)し知足の心無くんば

貪求何日了     貪求 何れの日にか了らん

2019 6/25 211

 

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

曠然忘所在     曠然 として所在を忘れ

心與虚空倶     心は 虚空と倶にあれと

2019 6/26 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く      馬上偶睡、睡覚成吟

 

長途發已久    長途 發して已(すで)に久し

前館行未至    前館 行くも未だ至らず

體倦目已昏    體(たい)倦み 目は已に昏くら)く

瞌然遂成睡    瞌然(こうぜん=眠気萌し)遂に睡を成す

右袂尚垂鞭    右袂(うへい)は尚ほ鞭を垂れ

左手暫委轡    左手(さしゅ)は暫く轡(たづな)に委(ゆだ)ぬ

忽覺問僕夫    忽ち覺めて僕夫に問へば

纔行百歩地    纔(わづ)かに行くこと百歩の地のみ

形紳分處所    形紳(=身と心) 處所を分かち

遅速相乖異    遅速 相ひ乖異(かいい)す

馬上幾多時    馬上 幾多の時ぞ

夢中無限事    夢中 無限の事

誠哉達人語    誠なる哉 達人の語

百齢同一寐    百齢も一寐(いちび)に同じ

 

* あの「一炊の夢」が白楽天の思いに兆したかは知らないが、この年(八十三歳)になってみると、「百齢も一寐(いちび)に同じ」 この一編 過ぎ越し人生を痛いまで想い返させる。

2019 6/27 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

新篇日日成    新篇 日日に成る

不是愛声名    是れ声名を愛するにあらず

舊句時時改    舊句 時時に改む

無妨悦性情    無妨(はなは)だ性情を悦ばしむる

 

祇擬江湖上    祇(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)

吟哦過一生    吟哦して一生を過ごさんと

2019 6/28 211

 

 

* 私の 感傷 の原点は、当尾の祖父母の邸で犬ころと地べたにしゃん゛んでいた(上記の)写真でも、戦中戦後の丹波の山村暮らしでも、有済小学校の五年 で送辞を読み六年の卒業式に答辞を読んだことでも無い、 原点は 八坂神社の西楼門の裏で、優しく力強く「背」を押して、「さ、ひとりで行きなさい」と励 まされた日に在る。意識も意嚮も自覚もあのときに点火された。

2019 6/28 211

 

 

☆ 秦 兄

憂鬱な季節が早く終わることを念じながら、遅々として進まない作業の手を止めて、兄の日録から「オイノ・セクスアリス」にたいする反響などを興味ぶかく 拝見しています。兄は文人として宿願の一つを達せられました。いまはその最初の一部しか知り得ませんが、その続篇にもまして、最後の ? 大作を大いに期待している一人です。

仮題の「清水坂」から日録の読者諸氏はどんな内容を想像し期待しておられるのでしょう。

京都の観光スポットの上位を占める清水坂ですが、私はこの仮題を最初に兄の日禄で見たとき、反射的に類義語として「奈良坂」が閃めきました。

京都人の兄なら 文人として、平安から鎌倉・室町時代にさかのぼる「賤民」に関心がない筈がないと確信しています。「性」と同様、この大きなテーマにも是非とも取り組んで頂きたい、否、取り組むべきだと私はおもいます。京都人の作家として。

もし、私の勘が外れているなら 酷な言いようですが、この難題に対して病身老躯に鞭打って作家 秦恒平の心血の最後の一滴まで注いで頂きたいとおもいます。

「遊女」「河原者」「乞食」等を快刀乱麻、どのような切り込み方でも結構ですから何としても最後の最後の力作として後世に遺してください。

そのためにも、日々じゅうぶんご自愛のほど。     2019-6-28   京・岩倉   森下辰男  少年期同窓

 

* 森下君は、わたしの仕事の一部分しか目にされてないので、わたしの多くの仕事の一貫した大きな主題が京都で学んできた「人間差別」へのつよい批判だと 気が付いていないようです。わたしの京都観や京都批評はもとより、小説「風の奏で」「冬祭り」「あやつり春風馬堤曲」「最上徳内 北の時代」「シドッチと 白石」 批評でも 『日本史に学ぶ』や中世論等々、仕事の大方が、人間差別への強い批判や批評の仕事なのです。それに気が付かない人は、秦 恒平は「美と倫理」などと云うてくれるのです。それもケッコウですけれど。

『オイノ・セクスアリス』も例外でなく、仮題『清水坂』は、全然例外であるどころか、作家生涯のカナリに辛辣な批評の物語に成るでしょう。京都生まれそだちだからこその仕事をわたしは最初から意識的に積んできました。出世作となった「清経入水」も当然の出発点でした。

 

* わたしの小学校は有済校でした。「堪えて忍べば済す有りと」と刻んだ石が校門内の草むらに埋もれていたのを知っています。学区のかなりの範囲が歴史的 な被差別地区であった日常と現実をわたしは少年の昔から体験的によくよく知っていて、だから、批評的な作家になったのです。近隣の粟田小学校区にもそうい う地域の含まれていたのを知っています。いえいえ、京都には実に広範囲に同様の問題があり地域が広がっていました。なんの、京都には限らないのです。忘れ ていてはならないのです。

 

* 森下君 「最後」ということばを何度も使ってくれていますが、私はまだ「最後」というより、まだ昨日今日明日の課題と心得ています。出来る限り、努めますから元気で観ていて下さい。

2019 6/28 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

琴書中有得     琴書の中に得る有り

衣食外何求     衣食の外に何をか求めん

濟世才無取     世を濟(すく)ふに 才 取る無く

謀身智不周     身を謀るに 智 周(あま)ねからず

2019 6/29 211

 

 

「オイノ・セクスアリス」 「湖の本」分の第二部零校ゲラがもう届いている。この二日には本に成って届く『選集』本文そのままの流用なので、たくさんは手がかからない。相次いで第三部の零校も出てくるだろう。「五十年」の、とにかく柱が樹った。

何としてももう一作の長編を追い込みたい。周章てまい、秋にもとも冬至の誕生日にとも、腰は据えて書き上げたい。何度も何度も何度も読み返しながら、じりじりと進んで行く。

2019 6/29 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

黄壌詎知我    黄壌(=黄泉の国では) 詎(なん)ぞ我を知らん

白頭徒憶君    白頭(=白髪のこの歳で) 徒(はるか)に君を憶ひ

唯將老年涙    唯(=ひたむき) 老年の涙を將(もつ)て

一灑故人文    一(=ひたすら) 故人の文に灑(そそ)ぐ

 

* 喪った人らを悲しみ慕うばかりの境涯になったか。わたしの『死なれて 死なせて』は わたしの生涯と文学とをひらく 重い鍵の一つ。

2019 6/30 211

 

 

* 今度の長編でもっとも「効果」をあげたのかも知れぬのは、「雪」「雪繪」と名告る若い人を、徹して「メール」という手段を活かし尽くし人物表現できた ことかナと思っている。なかなか「愉しい創作」であった。二十余年 無慮無数に受け取ってきたさまざまなメールのいろいろの断片がよくヒントを呉れ役をし て呉れた。メールというのは通知や通告であるより、お話やお喋りが本来なのだろう。

2019 6/30 211

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

老愛尋思事     老いては尋思の事(=あれこれ物思い)を愛し(=に耽り)

慵多取次眠     慵(ものぐ)さに取次(=気儘)の眠り多し

 

* なかなかそうも行かないが。

2019 7/2 212

 

 

* 昨夜の内に「湖の本145」長編の第二部を読み上げておいた。ホンの二三箇所直しあり。

案じていた表紙繪も印刷所で無事進行しそう。今日からの「選集31長編全」の送り出しを終えれば直ぐ「湖の本」二部も責了、三部の零校も出て来よう。

「選集」は、あと二巻、やり直しは利かない、この編輯には慎重に周到でありたい、いずれ悔いは残ろうとも最少にとどめたい。周章てまい。

 

* 八時を過ぎている、九時には本が届いてくる。懸命の仕事で、作家満五十年、湖の本満三十三年を遂げ得たこと、「騒壇余人」 思いのほか幸運な足どりであった。

 

* 昨日 東京新聞夕刊一面に、「三田文学」副編集長とある粂川麻里夫氏の「文学」と題した一文に強く共感。趣旨は早く早くからわたしの言い続けたことで あるが、文壇人の直の言葉でこれが聴けたのは嬉しかった。署名記事であるのでここへは写さないが、連絡が取れればお願いしたいほど。

2019 7/2 212

 

 

* 中・高同窓の京の横井千恵子さんから、京の漬け物をいろいろに送ってもらった。

横井さんとは近所で無二の仲良しだった、内田豊子さんは亡くなっている。西村肇君も、三好閏三君も田中勉君も、亡くなった。大学の重森ゲーテも早くに。

死なれてしまった人たちのことが、しげしげと思い出される。

今日出来てきた本の長編小説も、割り切って謂えば、「死なれて 死なせて」というわたしの本の主旨を物語化したとすらいえようか。

今度の本の口絵には 表にも裏にも色の写真をしっかり入れた。「湖の本 第一部」で、老人のエッチな噺と先を予測し尻込みされた読者が、これら口絵写真を見たら、あれれれ、どんな噺かと驚かれるだろう。

2019 7/2 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

病將老齊至    病は老いと齊しく至り

心與身同歸    心は身と同(とも)に帰る

白首外緣少    白首(=白髪の老は) 外緣(外界の囚はれ)少なく

紅塵前事非    紅塵(世俗の塵まみれな)前事(=過ぎしわが生き方)は非(=もはや無)なり

懐哉紫芝叟    懐(おも)ふぞや 紫芝の叟(=はるか過去の詩人賢人達)を

千載心相依    千載(を隔てても) 心は相ひ依る

2019 7/3 212

 

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く     中隠

 

大隠住朝市     大隠は朝市(街なか)に住み

小隠入丘樊     小隠は丘樊(山なか)に入る

 

不如作中隠     如(し)かず中隠と作(な)れば

 

似出復似處     出づるに似 復た處(を)るに似

非忙亦非閑     忙に非ず 亦 閑に非ず

不勞心與力     心と力とを勞せず

終歳無公事     終歳 公事無し

 

君若欲高臥            君若し高臥せんと欲すれば

但自深掩關            但(ただ)自ら深く關を掩(おほ)へ

亦無車馬客      亦た車馬の客の

造次到門前      造次 門前に到る無かれ

人生處一世     人生れて一世に處(を)り

其道難兩全     其の道兩(ふた)つながら全うし難し

賤即苦凍餒     賤は即 凍餒(とうだい)に苦しみ

貴則多憂患     貴は則 憂患多し

唯此中隠士     唯此の中隠の士のみ

致身吉且安     身を致すこと 吉 且つ 安し

窮通與豊約     窮通と豊約と

正在四者閒     正に四者の閒に在り

2019 7/4 212

 

 

☆ 瀧のような

雨の中、御本を抱えて通勤。

昨夜帰宅後、夕食や入浴もそこそこに読み始め、仮眠を挟んで朝食前にも読み、急ぎの仕事だけ済ませて、あれやこれや思いつつ、先程読了しました。

「今は、とりあえずこれだけです。」 とは ヒロインのメールでしたね。  市川

 

* 第一信が届いた。感謝。 自分でも、作の始末のところを読み替えしてみた。ま、作者なりに納得もした。そうそうは容易く書ける、書けた小説とは思わない。半世紀、五十年 を書いて創って生きてきたと思う。

 

* 感謝

今巻 みな送り終え、ともあれ、手を離れました。

 

 

つぎは 清水坂で立ち往生しないよう、頑張らねば。 秦 恒平

 

☆ 発送作業、お疲れでしたでしょう。

暫く少しゆっくりなさってください。

先程 午後の配達便で選集が届きました。

第一部は既に「湖の本」で読んでいますが、第三部の終わりは、514ページ。すぐには読み切れません、ゆっくり読んでいきます。その最後の、

「ユニオ・ミスティカ=性一致の恍惚境は、まちがいなく在る。叶う。

だが、男女の愛、大きな愛には「その先」が、まだ有る。人と人の愛に、どんなに良い「性」があっても万能の通行手形ではない。・・

分かっていた。むごいと知りつつも。」

重い言葉を、繰り返し読んでいます。

吉野東作氏=秦氏と書けばお叱りを受けるかしれませんが、二重写しの人物として読んでしまうでしょう・・。

6月28日 の森下辰男氏の文の後に、秦文学の一貫した大きな主題は「人間差別」へのつよい批判であると書かれています。

京都を舞台にしたこの小説には 『風の奏で』と重なる部分があるのではないかとも・・

佐比の河原、西院、わたし自身も実際に歩いて さまざまに感じるものがありました。同時に『風の奏で』の終わりの辺り、河原灌頂を思い起こしています。

今はとりあえず、本を手にして、これから読みます。

今日は東京は強い雨が降ったようですね。こちらも夜中に降りました。

お身体、大切に、大切に。

 

書かれていました、九十老三人・・「京都からこっちへ引っ張り出したのを、つくづく、今、申し訳なかったと謝っています。」と。

どうしたらよかったのでしょう。長年生きた京都の地から剥いだと感じればつらいけれど、精一杯をなさったのだと思いますよ。   尾張の鳶

 

* ま、いつも「罪は、わが前に」あるのだが。何かしらは 久しい読者にはしかと伝わるのだろう。かつがつ 五十年を歩み続けた記念の作になったのかもと。

澄んできれいな焔を自身も感じ読み人にも感じて貰いたかった。誰もが、徹して此処までは書けなかったように書ききりたかった。さもなくては鷗外先生に申し訳が立たない。

 

* 選集三十一巻が長い書架一段の大方を占め、「小説・戯曲」等の創作が十八巻、論攷・批評・エッセイ等が十三巻が並んだ。

言っておかねばならない、『秦 恒平選集』の実現を率先して望んでくれたのは、妻の迪子である。「湖の本」だけでは、作品が可哀想と思ってくれた。「非売本」で、よくこれだけの特装美本 がと、不思議と案じて下さる人もあるが、たねを明かせば、是は東工大教授として招聘されたおかげで、就任から退任までの全給与賞与に一円の手もを着けず、 年金とともに、一口座に放りっぱなしにしておいた。「選集」一巻一巻には予期した以上の高額の支払いまた送料が必要だったが、幸いに、あと二巻、預金はす べて使い果たしても、義妹をはじめ、有り難い読者方おりおりの手厚いご喜捨やご支援も得て、なんとか、かつがつ払底しても赤字は、出てもごく僅かと思って いる。

妻は、昔々貧の極の頃に、乏しい貯金をとりくずして四册もの「私家版本」を造るのも賛成して、表紙の繪まで描いてくれた。この私家版本がなかったら、応 募とか投稿とかをまるで考えていない私に突然『清経入水』への太宰治賞とか、「新潮」からの原稿依頼など、ありえなかった。

選集三十三巻は、この時節に お伽噺のような豪華版になる。今時の出版不況、全集を出してくれる出版社など皆無だろう。

作や原稿を山のように書いて置いたからではあるが、かれらに「晴れの姿を」と。いわば希望し提案してくれた妻に感謝している。

2019 7/4 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

日入多不食        日入りて多く食らはず

有時唯命觴        時有りて唯だ觴(酒杯)を命ず

何以送閑夜    何を以て閑夜を送らん

一曲秋霓裳    一曲 秋の霓裳

一日分五時    一日を五時に分かつ

作息率有常    作息(為すも憩ふも) 率(おほむね) 常有り

自喜老後健    自ら老後の健を喜び

不嫌閑中忙    嫌はず 閑中の忙を

是非一以貫    是非は一を以て貫き

身世交相忘    身世(わが事 よそ事)は交(こも)ごも相ひ忘る

若問此何許    若し此(ここ)を何許(いづく)と問はんか

此是無何郷    此は是れ 無何郷(無何有の郷=在り得ない場所 ユートピア)

 

* 相い響いて慕わしい。

2019 7/5 212

 

 

 

勿謂土狭    土 狭しと謂ふ勿(なか)れ

勿謂地偏    地 偏なりと謂ふ勿れ

足以容膝    以て膝を容るるに足り

足以息肩    以て肩を息(やす)むに足る

 

皆吾所好    皆 吾の好む所

盡在吾前    盡く吾が前に在り

時飲一杯    時に一杯を飲み

或吟一篇    或ひは一篇を吟ず

妻孥煕煕    妻孥(妻子)は煕煕(嬉々)

鷄犬閑閑    鷄犬は閑閑(悠々)

優哉游哉    優なる哉 游なる哉

吾將終老乎其閒

吾 將(まさ)に老いを其の閒に終えんとす

 

* 実感に逼る。

2019 7/6 212

 

 

* 「剣客商売」という ま それだけのドラマを、他のくだらなさ過ぎる日本ものよりはましかと見ているが、このごろ「客」という一字に思いが傾いている。

「客」とは、旅人、来客、根底には「まれびと」「まろうど」つまりは「神」「神位にあるもの」の意をわが国では「感じて」きたと思う。本国の中国で、元 来がそうであったのだろうが、現在ではどうか知らない。日本では「お客さん」と、敬意や畏怖を二重に謂うこともある。妙な一字である。

「漢字」の不思議は白川静博士の『字統』をなによりも珍重し教わっている。さながら異界の「客」となる気がする。

 

* 何ともいえず心身とも疲れている。仕方ない。こういう時は、いっそ気楽に休も。

* いい工合に、「湖の本145 長編二部」を読み終えたところへ、「146 三部」零校が届いている。十年掛けて何度も気を入れて読んできた、近年は殊に。

この長い小説は、結句 自分で自分のため、自身を癒し励まし しかとモノを思い直すために書いた作。死なれて、死なせて、身内を分かち合うての倶會一處。何人(なんにん)何人(なんびと)であれ、ネコたちであれ。たとえ「畜生塚」と呼ばれようとも。

 

* 病臥や加療や老衰を、あまつさえ訃報を伝えられること、月日を追うて多く。自然の趨か。

2019 7/6 212

 

 

* 十時になる。横になり、いろいろ読書して寝入りたい。次の外出は、十七日の聖路加内分泌。気をらくにしながら「清水坂」をはみ出す勢いで書き継いで行 きたい。この作が「選集」を締めくくる長編になるだろう。まだ何も楽観はしていない、悲観もしていない。なにに近いかというと、楽しんでいるのかも。短編 が一つ書けている。のこる二巻の選集のおそらく一巻半は小説で尽くされ、「けじめ」っぽい文献は少しになるか。周章てずに、しっかり編輯したい。

2019 7/6 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く    眼花を病む

 

頭風目眩乘衰老    頭風 目眩 衰老に乘じ

秖有增加豈有瘳    秖(た)だ增加する有り 豈(あ)に瘳(い)ゆる有らんや

〔傳(春秋左氏傳)云く、加ふる有り而(て)瘳ゆる無しと〕

花發眼中猶足怪   花 眼中に発するも猶ほ怪しむに足り

柳生肘上亦須休   柳 肘上に生ずるも亦た須(すべから)く休すべし

大窠羅綺看纔辧   大窠の羅綺は看て纔(わづ)かに辧じ

小字文書見便愁   小字の文書は見て便(すなは)ち愁ふ

必若不能分黒白   必ず若(も)し黒白を分かつ能はざれば

卻應無悔復無尤   卻(かへ)つて應(まさ)に悔い無く復た尤(とが)め無かるべし

 

* 此の白楽天の詩句に聴くとおりに、刻々悩んでいる。

2019 7/7 212

 

 

* 少なくも自身で人間ドックを予約して出向いた2012年以降、一度も京都へ帰っていない。それ以前の記憶で確実なのは古来稀の七十歳誕生日、2005年12 月には今度の長編巻頭の南座観劇のままに妻と帰京しているが、それ以降は全く記憶がない、帰京すべき用事も幸便も無かった。まるまる十四年間は京都へ帰れ ていない。たとえ帰京の折りに恵まれても多忙のママ先ず二泊がいいところで、日帰りは始終、たいてい一泊で東京へ舞い戻っている。昭和三十四年、一九五九 年に上京、就職結婚して、氏一九六九年に受賞して作家生活に入り七四年に二足の草鞋の片方をぬいだが、とても左団扇でなど暮らせなかったし、書きに書いて 書き捲っていたので、作家業の余のヒマなど有り得べくもなかった、そして東工大教授への招聘があった。ま、京都には親たちも家ももう無かったし、二十余年 勤めた京都美術文化賞の選者も体力と時間を惜しみ、辞して退いた。

 

 

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、まさしくこの、事実、作者わたくしの古稀より以前から大病後までのほぼ十年の「京都」を場面にし、印刷会社の相談役吉野東作老の 気儘なフイクションとして成り立っている。故郷愛がひしひし作者の手をひっぱって成さしめなさしめたといえるが、「もらひ子」として生まれ育ち愛おしい人 らとも出会ってきた、身の痺れるような懐古の思いに作者は手を牽かれ続けていた。創作の機械へ向かう坐辺には、父が母を描いた繪があり、妻とこもる茶室 「寝どこ」の写真もありつづけた。襖には、京都市の南半を詳細に伺わせる大きな地図が終始貼られていて、まだ剥がしていない。「藤基次」の名を刻して「天 正十九年八月 吉祥」と明らかに刻んだ、音色も清しい砂張の「環鈴」も、いつも、手渡されたまま わが手のふれる間近に在った。

したいけれど出来ない、 出来ないけれどしたかった、 してきてよかった、とても出来なかった、よかった、いやだった。

そういう赤裸々な性の描写・表現が かくも徹底して成された近代日本文学作品は、荷風散人にも無かった。(タダのエロ読み物はどんな古本屋にもワンサとあったものだが。)

性の極致は、人の「生まれて・死なれて・死なせて」に直に交叉してくる。男女の悲喜劇はまっこう此処に生まれる、多くの目がただ逸らされているだけなのだが。

 

* 性行為というだけで、のこる三分の二も読まないまま立ち去った読者が、ほぼ予想通りにあった。それは推察できた、アキラメを付けていた。

わたしは、自身 書くべきを、思い切り書いただけ、書かなかったら悔いたであろう。

 

☆ ありがとうございます。

選集31巻、はじめから、読みました。眼がだんだんと焦点があわなくなり、よく使うらしい、左目のまぶたが、痙攣しました。

いろいろに刺激されたり、気になったりしたところには、付箋をつけました。こうしないと、あとで見つけるのがたいへん。ページにも、本文にもなので、なにごとか、という様子になりました。

ひとつずつ、整理して、文章にできるか、こころもとないのですが、今、気にしているところは、キリスト教の「原罪」という概念、と「差別」。もっともっと なんでもあり、とおもえる、性行動のことです。

東作氏がたくさんにのべているので、さらに、どこに読者への仕掛けや、伏線があるのかみていました。

樹をみて 林をみられていないかも。      沙   大学同窓

 

* ありがとう。

基督教では、わたしは、横道かも知れないがミルトクの『失楽園』を繰り返し読みながら、解放神学やジェンダーに目を配ってきた。性の容儀などは、所詮は 当事者間のいわば勝手で、ハタが喧しく批評できることでもすべきことでもない、ただそこに犯罪意志や行為がまじってはならないだけ。性的な交わりに、罪、 原罪などと持ち込んだ宗教感覚は、普遍で不変のものとは思いにくい。アウグスチヌスのようにいえば、人間は絶えて仕舞ってこそ神意にかなうのかと問わざる を獲ない。

 

* さらにさらに勉強を追加した御蔭で、「清水坂」脱走の路の、一筋二筋が見え、こりゃ、どう疲れても奮起せなあかんなあと自身を励ましている。ま、やってやりましょ。創作とは、発明でも発見でもあります。だから書ける、だから入り込める。

2019 7/7 212

 

☆ 白楽天の詩句に聴く    哭

 

今生豈有相逢日    今生 豈(あ)に 相ひ逢ふ日有らんや

未死應無暫忘時    未だ(吾は=)死せざれば應(まさ)に暫くも忘るる時無し

 

* 点鬼簿に存命の名を書き入るる日に日を増してただ目を瞑る   宗遠

 

* 七夕を忘れしままの夢に見き川のあなたに待ち待つ人らを     宗遠

2019 7/8 212

 

 

* 『オイノ・セクスアリス』には吉野東作という語り手の爺さんが仕掛けたややこしい仕掛けが野放図に隠されていて、この爺さん自身も生まれつき背負うたややこしい仕掛けに難儀に、悲しげに絡まれている。

まだ、今分は内容に触れてこの「私語の刻」に露わにモノの云いにくい物語なので、お手紙や長いメールで戴く褒貶の如何にかかわらず、この場での微妙な、種割りに繋がりそうな対論は避けておきます。

なによりも今の私は、次の「清水坂(仮題)」長編を怪我なく仕上げること。

2019 7/8 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く     任老

 

不愁陌上春光盡    愁へず 陌上(=街路また人生とも)に春光(=壮年の耀き)盡くるを

亦任庭前日影斜    亦た任す 庭前(=老境とも)に日影斜めなるも

面黒眼昏頭雪白    面(かほ)黒く 眼は昏く 頭(=髪)は雪白

老應無可更增加    老いは應に(=当然)更に(=もはや)増加すべきこと無かる可し

 

* 耳順(六十)の吟には、「五十六十 却つて悪しからず 七十八十は百病に纏はれ 病羸昏耄の前に在る」と吟じていた白楽天。九世紀半ば、「老いに任せて」七十五歳で亡くなっている。私はいま八十三歳の半ばを過ぎ、如何にも遺憾にも「老應無可更增加」とお任せの気分ではない。

2019 7/9 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

琴詩酒伴皆抛我     琴詩酒の伴(とも) 皆 我を抛つ

雪月花時最憶君     雪月花の時 最も君を憶ふ

 

* 和漢朗詠の昔ひとの白詩に親しんだこの一聯はシンボルのようであった。私もまたこの詩句をはやく幼く覚えて忘れない。雪月花時最憶君。いま八十を過ぎて思いは、泪ぐむほど切である。

2019 7/10 212

 

 

 

* 『オイノ・セクスアリス』に作者は、「雪」ないし「雪繪」と呼ばれる、まだまだ若い女性を、もっとも多くの言葉を費やして創作した。

思い有って、人として女としての印象を、内容は複雑なまま説明は避けて簡明にすべく、他者と関わって双方・双面から直かに描くのを避け、ひたすら独りの 女をただ「一方向き」に描いた。ごく最初の出会い場面以外では文字どおりの客観「対話」場面は無く、ひたすら女の「独り語り」ないしその記録に徹した。こ ういう書き方を、わたしは意図して初めてした。結果、女の印象は一面的にだが徹底した。そのため、あたかも語り手に対して「雪」「雪繪」がこの長編の女主 人公・ヒロインであるとつい読まれるであろう、それも意図に容れつつ、しかしこの長編小説で彼女「雪」「雪繪」は、或る意味、疎外された「独りの他者」の ままに終えて行く。小説の主人公は、決定的に語り手の「吉野東作氏」であり、小説世界は一貫して、彼自身の「生まれ、死なれ、死なせ」て「生きている老 い」が、幸なのか不幸なのかも云わず終始無残なまでに語られる。「オイノ」は、読みようでは「老いの」よりも「俺の」でもありますねと、すでに一読者から 指摘もされている。

早い時期の小説『初恋 雲居寺跡』の「雪子」を「また書いたか」とも指摘されている。この吟味や検討は、「愛」と「性愛」に触れて微妙なより多様の推量を読者に要請するだろう。

2019 7/10 212

 

 

* さ、「清水坂」を書き次ぐ。

 

* 早い夕食後、昏倒したように六時半近くまで寝入っていた。

少しく機械前の身辺を模様替えし、ラジオで録音盤が聴けるようにした。いまもマリア・ジョアオ・ピレシュでモーツアルトのピアノ曲が聴けている。

ソクラテスら(プラトン)は人間に必需基本の教養として 詩歌、音楽そして体育と言い続けていた。わたしには自身を体育する励みがなく、成年以後もなかった。一時期、一日に数時間も自転車で遠乗りを楽しみ続けたのが例外というに近いが、もうそれは危険極まりない。

詩歌(文藝)への、また幸いに器楽曲や舞台音楽への嗜愛は失せていない。

 

☆ 秦先生

『秦恒平選集 第31巻』をご恵贈賜りありがとうございました。

青春の多感な時代に、鷗外の『ヰタ・セクスアリス』を期待しながら読んで肩すかしを喰らったことを思い起こしました。

10年を閲しての傑作『オイノ・セクスアリス 或る寓話』、簡単に “笑って受納”とはいかず 感想は追って…。

目下、クセノポンの『ソクラテスの弁明』を、プラトンの『弁明』と比較しつつ辞書と首っ引きでカタツムリのごとく読み進んでおります。

気候不順の折、お体おいとい下さいますようお祈り申しあげます。  篠崎仁

 

* わたしは今 さながら愛に捧げる演説集の『饗宴』を、何度目か、読み返している。むろん岩波文庫の飜訳でであるが。愛と性愛との難題に取りついて、ここ十年「オイノ・セクスアリス」を歩んできた。

いっしょに大学院へ進んだ大森正一君はプラトン学が専門だった。わたしが院を見捨てて上京就職結婚して間もない頃、早稲田での美学會に誘ってくれて会い に行った、園頼三先生、金田先生方ともお目にかかれた。その大森君、早くに亡くなった。美学で一の仲良しだった(と、わたしは想っていたのだが)重森ゲー テにも若くして死なれてしまった。ごく最近には同じ美学で一年下、妻の一の親友だった澤田文子さんが亡くなった。もはや避けがたく思い出はみな誰かの死へ 繋がれて行く。白楽天ででもそんな詩ばかり拾い読んでしまっている気がする。

今度の小説にも書いたが。

ただ「倶會一處」の四文字を刻むほか何一つ加えない小さなまるっこい石の下に、誰彼となく真実懐かしい人らやネコたちと、いつか、笑顔で輪を囲みたいものだ。それまでは、妻と、出来ればいっしょに百歳まで生きてみようと笑っている。

 

 

* じりっと先へ出たが。

すこし怖くなってきた。

2019 7/10 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く     思 舊

 

閑日一思舊    閑日 一たび舊(=友)を思ふ

舊遊如目前    舊遊 目前の如し

再思今何在    再び思ふ 今 何(いづ)こに在ると

零落歸下泉    零落 下泉に歸す

或疾或暴夭    或ひは疾み或ひは暴夭し

悉不過中年    悉(ことごと)く中年を過ぎず

唯予不服食    唯だ 予(われ) 服食(=服薬)せず

老命反遅延    老命 反(かへ)つて遅延す

 

* 感慨あり、長詩の上辺をかすめ採った。

 

* 今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行く経過となった。

しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、つよく肯定しつつ、それが「所有」の思いに帰着し固着するのを惟い、しかし「愛」とは「共有の生」を謂うの であると思い寄っていた。「性愛」に執すれぱむしろ「愛」に背くか遠ざかるのでは。『饗宴』のソクラテスが「愛」をどう語っていたか忘れている、今、読み 返し始めている。

2019 7/11 212

 

 

* 「なんでも貯蔵庫」のような機械のなかを散策していたら、「2011年9月24ー30日」の「私語」がポコンと独り立ちしていた。何故か分からない が、この日付は、その歳末、聖路加診察で自発的に先生に「人間ドック」を紹介してもらった年の秋に当たっている。明けて正月五日の検査で二期胃癌間違い無 しと診断された。九月にはもう毎度のように腹痛に悩まされていた。今度の長編主人公吉野東作氏も同様に胃癌で入院している。ちょっと面白いので、吉野氏で はない、秦 恒平氏の当時の「私語」をそのまま此処へ再掲してみたい。

八年余の「昔ばなし」であるが、八年後の昨日今日にもえげつなくブリ返しているモンダイに触れていもする。忘れてはいけない。

 

ーー☆ーー

 

* 二○一一年(平成 年)九月二十四日 土

 

* 頭痛が無いわけでないが、鎮痛剤を口にせず晩まで過ごしてきた。仕事もし、気に掛かっていた用事も幾つも片づけた。妻と、かなり大事な相談もした。

師走に、七代目幸四郎の「曾孫」に当たる染五郎、松緑、海老蔵、三人での日生劇場公演が決まっているのが、今から楽しみで昂奮させてくれる。師走はわが家の祭り月でもある。元気を取り戻して、ぜひ楽しみたい。

いい劇場でいい芝居をみて、好きなものを食べて帰るという。概してものぐさなわたしの、これはささやかな贅沢で、他にはこれという何もしないで満足している。ほかに何が欲しいだろう。孫だなあ。

* 明日、思い切って「湖(うみ)の本」新刊分通算第109巻を、ぶっつけに入稿する。

 

* 九月二十五日 日

 

* 大江(健三郎)さんや山本太郎くんらの「反原発デモ」が成り立ったのは頼もしかったが、まだまだこの程度で満足していられない。漠然とした反対の声の結集から、より具体的な、子供にも理解できるほど明確なポイントを幾つも掲げながら前進したい。

こと原発に関しては、譬えば「便所のない豪邸」に同じだとわたしは謂った。かりにその場凌ぎの便所はあっても、集約された屎尿処理場のおよそ一つも国内に存在しない建設ラッシュだったと指摘した。

しかも原発の爆発により広範囲の要避難地域が必要となり国民の生活基盤を奪うだけでなく、自然や大地を汚染している。汚染を機械的に大地から剥ぎ取って も、剥ぎ取られたその汚染物の処理には全く手が着かない、つまり重大な危険物をただ場所移動しているだけで、何一つの解決策も見当たらないまま無策に政府 は、原発は、棒立ちのママ、なおあつかましく原発の擁護や稼働や新設をすら機会あらば口にしようとしている。その意味で新・野田内閣は、前の菅直人総理よ りも悪質な底意を優先させながら動こうとしている。

 

* どこかに、国の買い上げた県規模ほど広大な囲い地をもち、原発由来の譬喩であるが有毒屎尿を少なくも数百年規模で埋設しうる大施設を用意すべきだろ う、日本列島国土の中でどこにそれが可能か、為政の人はおそれず考慮して欲しい。当然に原発の無反省な新設はもとより全廃し、休止施設の再稼働よりもより 確実な廃炉計画を鮮明にすべきだ。

 

* 原発のために関わった推進・反対の大勢の学者達の国民的な大討議とともに、政府機関へ喰い入ってきた良心無き御用学者達の一掃も、視野に入れて実行した方が佳い。

 

* 東電の傲慢なウソ体質も徹底糾明しつつ、不幸な爆発の経緯を正確に白日に曝すとともに、発電と送電との分離経営を絶対に実現すべきが国会・内閣・財務・経産の国民への義務である。

分かりよい目途を立てて広い理解を糾合しながら、ただ花火のように打ち上げて終わらない継続した反対と監視の運動が続きますように。原水爆反対や禁止へ の多年の活動エネルギーが、原発反対の動きへ効果的に流れこむことを期待したい。

* 経済界奉仕第一の新野田内閣をわたしは警戒している。原発で謂えば菅内閣よりもよほどアトもどりしてしまうのではないか。少し舌のまわらないもどかし さは有るが、「アメリカ語」政治とのバイリンガル追随のグローバリゼーションが、世界的に行き詰まりのママ、それでも相変わらず無反省に、超近視のまま引 きずり回されるだろう「日本」の内閣と「日本経済人」たちとの、政治にも生活にも思想にもひよわい理想無きファッション感覚が、ますますこの列島の基盤を 沈下させて行くだろうと、もう、いくらか投げ出したいような心地でわたしは、いる。

 

* 昼過ぎ、鎮痛剤一錠のんだ。痛みがなければ、もう普通に近い。全身に活気が帰ってきてはいないという程度。「湖(うみ)の本」の通算109巻を入稿した。ゲラの段階で、組み付けに少し、いやかなり、工夫を要するか。

 

* 白鵬、十三勝二敗で二十度目の幕内最高優勝を遂げた。横綱に勝った琴奨菊は三敗ながら、来場所の大関を手に入れたろう。もう一人白鵬に勝った稀勢の里も来場所次第で大関も不可能でない。ようやく日本人力士擡頭の気配か。

わたしも体調に負けていられぬ。気の持ちようを晴れ晴れと動かす方へ身を向けたい。停頓していた心気を一新したい、だが、ともすれば睡魔に見舞われている。

 

* 相撲の世間だけでも、大きくモノゴトが変わって行く。なにもかも変わって行く。当然だ。

幸いわたしの人生は、ものごころついて以来、「読む」「書く」「本」そして「文学・文藝」であり、そういう分母に乗って、数々の「人」世間が、分子のよ うに去来した。幸なのか不幸なのか知れないが、分母は一貫し、どうやら終焉まで変わるまい。が、分子のほうはありとあらゆる意味で「しおどき」がちかづい て来ている。すくなくも囚われのない物静かな、少し心寂しいほどの日常に落ち着いて行くだろうし、それがいい。

 

* 九月二十六日 月

 

* 朝、いきなり「訃報」と題名、発信者には弥栄中学時代「友人の姓」だけあって本文を欠いたメールを受けていた。家族からの報せか、本人が誰かわれわれ共通の知人の訃報を告げようとしたのか、分からない。カナダにいる田中勉君に問い合わせている。

もう、こういう報せは日常事になろうとしている。気を病みすぎないよう落ち着いて報せに聴かねば。

* 秦の母は九十六歳まで生きた。その伝にしたがえば、妻も私にも、なおまだ二十年二十一年もの余命がある。さすがに信じようがない。何をして、または何 はしなくて、残る日々をどう暮らして行くか。それが窮屈な枠組みを自身に強いるのではなく、たぶんにふっくら柔らかい時空のなかで、なるべく心ゆく楽し い、おもしろい日々を味わって行きたい。なにより不要モノ、不要コトを惜しまず捨てて行くこと。もう広い世間は要らない。

 

* 二葉亭四迷の『平凡』を(=「ペン電子文藝館」のために)校正していたが、正字に忠実に、難儀な宛字に読み仮名をとなると、容易に捗らない。読み仮名は必要だが、正字は新字にという原則で紹介しないと、あたら若い読者を困らせそうだ。

 

* 疲れが溜まっていてか、午后いっぱいを寝入ってしまった。まだからだに活気がない。

 

* 愕いたことに、もしかして福盛くんの訃報でもあるかと案じて、カナダの田中君まで問い合わせてみたのが、じつは当の田中勉君の訃報であったと、夫人光子さんから報せが届いた。なんという悲報か。言葉を喪っている。

田中君のことはもう繰り返しここにも書いてきた。新設新制の京都市立弥栄中学に文字通り新一年生として入学した年、同級生だった。以来六十年もの親交 だった。高卒からのちにカナダへ渡って久しく。近年、重い辛い病気をしたという便りを貰っていたが、それも回復への道のりと想っていた。寂しい。五体、固 まっている。

* 九月二十七日 火

 

* 左後頭一部に苦痛でない程度の、やや執拗な軽い鈍頭痛が残っている。鎮痛剤を入れなくて一晩の睡眠が可能な程度だから、だいぶ落ち着いているけれど、違和感ははっきりまだ有る。

勉さんのことなど、どうしようもなく想いを扱いかね、悲痛払うに払いかねる。家に閉じこもっていてはいけない。ゆっくりゆっくりでもいい、乗りもので遠い空の空気を吸ってくるといい。

日記に向かっていても、ほんとうに今日が九月二十七日かどうかすら自信がもてない。

* 訃報は混線していたのだが、いまさき、あらためてカナダの田中光子さん(勉さんの夫人)から私宛に夫君逝去を報せるメールが届いた。言葉もなく参っている。付されて届いたトロントの日系新聞の弔意の記事等、残念ながら文字化けで読み取れない。

 

* re  言葉もなく

うちのめされ、固まっています。想いはただただ弥栄中学の昔の思い出に張り付いてしまい、勉さんの笑顔を食い入るように見つめています。いけません、今 は、恥ずかしながら物書きが言葉をぜんぶ喪ってしまい、身震いばかりです。  奥さん。お悲しみ、お察しするばかりです、たくさんたくさん泣いて上げて下さい。ごめんなさい、よくない慰め方だと思いながら、わたしも泣いています。堪 忍して下さい。今は堪忍して下さい。 秦 恒平

2002.03.20     田中勉と。京・祇園・千花で(の写真入る)

 

* 九月二十八日 水

 

* 底知れずなにかに惘れはてている。これは、どういうことか。気力の萎えか。

* 強くはないがしつこい左頭痛は常在している。深部でない、表在痛。我慢を強いられるほどではないのだが集中力を妨げる。

 

* 人気の市川亀治郎が伯父の「猿之助」を襲名するのは期待していたことで、めでたい。父・段四郎が元気な間にいい猿之助になってくれますように。初めて 猿之助と共演の若い亀治郎の舞台(=風呂場のなめくじ役)を観た日から、踊れるいい役者だと間違いなく期待してきた。期待は少しも裏切られていない。こと しは「油地獄」のお吉でしっかり見せた。

病める猿之助は二代猿翁になるとか。それでよい。初代猿翁の舞台も懐かしく忘れていない。新猿翁は事実上もう舞台は勤められまいが、病んでからも存在感 豊かに一門を束ねていた。坂東玉三郎の応援も大きかった。笑也、笑三郎、春猿などイキのいい女形が育っていて、男役には右近、段治郎、それに壽猿などがい る。新猿之助にはガンバリ甲斐のある一座だ。

それに加えて仰天のニュースだ、佳いニュースだ。

久しくも久しく四十五年も父子絶縁であった猿之助長男に当たる映画俳優香川照之が歌舞伎界に新加入し、市川中車の名跡を継いで来年六月から歌舞伎舞台を 践むというのだ、容易なことではない、容易なことではない、が、なにかしら心嬉しい。新中車の息子も團子という懐かしい子役名で同時にデビューすると。

新中車母の浜木綿子も案じるように本当に文字通り「容易なことではない」のだが、映画界で実力を認められてきた蓄えの上に資質の新発見を願い、期待した い。妻など、今からもう観たい観たいと、新猿之助、新中車、新團子、二代猿翁も含めて堂々の襲名興行の成りますようにと祝っている。佳いニュースだ。記者 会見のようすも嬉しいほど、よかった。

 

* むかし若かった猿之助と幸四郎とが一つ舞台で共演した日、「早慶戦」などと声の上がるのも楽しく聴いた。幸いいま若い染五郎と中車になる亀治郎とは気があっている。高麗屋もあげて澤潟屋を応援してくれるだろう。

 

☆ 願いをこめて。  吉備の人

長らくご無沙汰しました。おかけする言葉がみつからなくて今日まで過ぎました。体調のすぐれない方にふさわしくないと承知しながら敢えて清酒をお届けす ることにしました。秋の気配も色濃くなりつつあるときなので、秦さんがお酒を口にできる日の早く来ることを願っています。

 

* 有難う御座います。嬉しく頂戴します。

 

* 馬場あき子さんの新歌集『鶴かへらず』を頂戴した。

 

うらぶれた汚れた孔雀冬ざれの日本にゐて日本に似る

 

大根を抜かれし跡地しみらかに陽は射せり慰められてゐる安堵感

 

さきの歌、ちょっと思い付きの感あるが。あとの一首にとくに共感するが、「しみらかに」は所得ているだろうか。楽しみに読ませて貰います。感謝。

 

* ジェンダーの視点から見た沖縄と副題して、「上野千鶴子に挑」んでいる島袋まりあさんの『日本のポストコロニアル批判』が興味深く、また手厳しい。教えられている。

 

* 書庫にはいると、国文学そして歴史それも中世を論じたいまや古典的な本が数あるが、そして私自身も熱心に中世を考え語り書いてきたのだったが、蔵書と してみる多くの昔の中世論は、いまでは影が薄くなっている。わたしはもともと日本史をいつも裏側から、支配者より支配されている側から観てきたので、過去 のでなく近来の活溌な中世論にこそ大いに啓発され励まされる。

何と言っても網野善彦氏や横井清氏や川嶋将生氏らの中世研究に教えられ鼓舞されてきた。京都で感触してきた中世が生き生きと起ち上がってくる。多くの論 攷や論文がじつに生き生きと面白い。さてさて、その功徳がどうかして今も取り組んでいる小説(=仮題清水坂)に美しく反映して欲しいモノだが。

 

* 幸いに猛烈な颱風はひとまず去って呉れ、烈しい夜雨を戦くように聴くことは、とまれ免れている。ただし夜雨はいつも激しいわけでなく、秋ふけゆく夜の雨は人によりひとしお寂しかろう。

晩唐の詩人に四川での「夜雨 北に寄す」がある。北にある妻か恋人かが、いつお帰りかとはるばる問うてきた。

 

君 帰期を問ふも未だ期あらず、巴山の夜雨秋池に漲る。

いつか共に西窓の燭を剪り、却つて話さん巴山夜雨の時。

 

李商隠の好きな唐詩です。

 

* さてバグワンといえば、なによりわたしには「心」を語ってくれる人だ。彼は司祭でも僧でもない。彼はひとりの覚者ブッダとして、一言一言わたしの眼をのぞきわたしの手をとって話しかけてくれる。当分の間、バクワンに「心」の事を聴こう。

 

☆ バグワンに「こころ」を聴く。『存在の詩』より

スワミ・プレム・プラブッダさんの翻訳に拠りながら

 

あらゆる問題の根本となる問題は「心」だ。

心の本性がわからない限り

おまえは人生のどんな問題を解決することもできまい。

心こそが問題なのだ。

 

ひとつひとつの独立した問題を解決しようなどとしないこと。

そんなものはありはしない。

心そのものが問題なのだ。

しかし、心は地下に隠されている。

私がそれを「根」と呼ぶのはそのためだ。

根はつねに不可視でありつづける。隠されている。

 

決して目に見えるものと戦わないこと

さもなければ、おまえは影法師と戦っていることになるだろう。

それでは、おまえが自分自身をすりへらすことはあっても

おまえの人生にはこれっぽっちの変化も起こり得ない

同じ問題が何度も何度も何度も持ち上がることだろう

 

心は決して平和には成らない

「無心」は平和そのものだ

が、心自体は決して平和でも静かでもありえない

心はまさにその本性からして緊張と混乱なのだ

心は決してクリフーではありえない。

なぜなら、心は本性がすなわち混乱であり曇りであるからだ。

 

決して「静かな心」など達成しようとしないこと

さもなければ一番の最初から

おまえは不可能な次元に向かっていることになる

「こと」のはじめは、まず心の本性を理解すること

それからはじめてなにかが為されうる。

 

* わたしは、いの一番にこの『存在の詩』を手にしていながら、こういう根の注意を聞き飛ばして「静かな心」が欲しいと願っていたのだった、あの漱石の『こころ』の「先生」のように。一度や二度ひらひらとものを読んだだけでは、聞いただけでは、ほんとにダメだと思う。

 

* 九月二十九日 木

 

* 捜しものは相変わらず見付からないまま、また、もっと今が今に大事に取り纏めた創作資料が見付からない。よくよく衰えが進んでいるのか、身辺にモノが 多すぎるのか。広い場所で整頓できているとは言えない、狭い上に、モノの上に下にモノが、つい、置かれて記憶から落ちてしまう。やれやれ。

ま、また手間・ヒマを掛ければ再度の取り纏めが不可能ではないのだと半ば諦めている。たいていのものが機械の中へ電子化されてあるのでそれが出来る。

 

* 体調が本復に近いとすら言えないのだが、気分からも普通へ近づいて行きたいので、久しぶりに、ゆるゆる出歩いて来ようかと思っている。乗り物の中で読 み返してみたいモノを取りそろえてあったのが見付からないのだ、ま、ぼおッとして来いということか。

* ひどい腰痛もなく、なにより朝にはあった頭痛もなくて、帰って来れた。たしかに疲労はあり、西武線の中でよろけたり、保谷駅の構内ですうっと目の前が 白くなったり仕掛けたけれど、元気は元気、外出してよかった。本の一冊も持たなかった、何も読まなかった。ぼおッとしているのがよかろうと思っていた。

 

* 吉備の人から、名酒「八海山」一升頂戴していた、なんと有り難いこと。嬉しいこと。

 

* 岩橋邦枝さんから『評伝 野上彌生子』を戴いていた。

 

* 秦建日子の、朝日新聞だかに出たという河出書房のどでかい広告を、妻がご近所から貰っていた。例の女刑事行平夏見もの四連作を並べていて、通算してだ ろうか百何十万部のベストセラーだと。親父には逆立ちしても出来ない芸当である。すくなくも養ってやらなくて済む大親孝行者だ。そんなに売れなくてもいい から、ますます佳い作、作の品の賞味できる作をこころがけてくれますように。

 

* かなり汗を掻いて捜して、一つ、今や大事な方の失せモノを見つけ出せた。ほっとしている。幸い頭痛も出ていない。安眠して、明日九月三十日を迎えたい。

 

* バグワンに聴く。 『黄金の華の秘密』より

スワミ・アナンド・モンジュさんの翻訳に拠りながら。

 

人間は機械だ。機械に生まれついたわけではないが、機械のように生きて、機械のように死んで行く。社会によって、国によって、組織化された教会や寺院に よって、既得権益を有する者達によって、比喩的に謂うのだが、催眠術にかけられているからだ。社会は奴隷を必要とする。社会の一員となり文明を身につける プロセスというのは、すべて深い催眠術に他ならない。

おまえは自分の内にある肉体以上の何かを知っているだろうか。生まれるよりもまだ先に自分の中にあった何かを観たことがあるだろうか。

人間は不死の存在たりうるが、肉体と同一化しながら生きているために、死に囲まれて生きている。社会はおまえが肉体以上のものを知ることを好まない、い や許さない。社会が興味をもつのは知能も含めておまえの肉体だけだ──肉体は利用できるが、魂は社会のためには危険なのだ。魂の人はつねに危険なのだ、な ぜなら、魂の人は一個の自由人だからだ、社会は彼を奴隷に貶めることが出来ない。魂の自由人は単に機械である人間達がつくりあげた社会、文明、文化の構造 に拘束されない、拘泥しない、それらに仕えねばならぬとは考えない。考えないで済ませうる自由を生きている。それらのものが謂わば監獄であることを本質的 に見抜いている。彼は群衆の一部ではありえない、彼は個として存在し、それらの監獄様のものをべつの生命として個のために活かそうとするしそれが出来る。

肉体は機械化した群衆の一部だ。だがおまえの魂はそうではないし、そうであってはならない。その魂は自由の香りを帯びている。

社会からすればおまえが魂であろう、魂を得よう観ようとし始めたら、たいへんな危険だ。社会はおまえの生のエネルギーがただ外へ外へ流れ続けて欲しい。金 や権力や名声や、そういったものに興味を持ちそれらに奉仕し跪いていつづけて欲しい。社会はおまえが生の内側に入って行くことをどうかして妨げたい、そし てその最良の方法は、自分は内側へ向かいつつある、入りつつ有るという偽りの仕掛けをおまえに提供することなのだ、ここに、じつに難儀なトリックが無数に 考案される。はっきり言う、巧妙で偽善そのものの落とし穴、罠だ。観てごらん、どんなにそれが多いか。

 

* わたしは映画「マトリックス」をありあり想い浮かべる。

 

* 九月三十日 金

 

* 昨日岩橋邦枝さんに頂いた『評伝 野上彌生子』の冒頭で、大いに感銘をうけたのを、ぜひ記録したい。

彌生子は漱石の弟子であった。漱石の絶筆に『明暗』のあることは誰でも知っているが、彌生子の処女作がまた「明暗」という百二十枚ばかりの作で、彌生子 は漱石の懇切丁寧な五メートルにもなる巻紙での手紙をもらい、宝物のように終生これを語っているが、自作のほうは彌生子自身見失っていて、死後に発見され 全集の補遺により活字にされた。

わたし・秦は漱石先生の批評と激励の手紙の中で、ことに心肝に響く「ことば」と「声」とを聴いたと思っている。すこし此処こ書き写させて頂く。本当に本気で小説を書こう、創作しようと決意した人ならば、こころして聴いて欲しい。

 

☆ 岩橋邦枝著『評伝 野上彌生子』の冒頭に聴く。

 

第一章 師・夏目漱石──作家になるまで

野上彌生子は、長篇小説『森』を執筆中の(齢=)九十代の日記にしるしている。(もんだいは幾つになつたではない。幾つになつても書きつづけることである。)

彼女は、夏目漱石に師事した明治期以来、昭和六十年(一九八五)に九十九歳十一ケ月で急逝するまでたゆまず書きつづけて生涯現役作家を全うした。

 

彌生子は、昭和四十一年の〝漱石生誕百年記念講演〃「夏目先生の思い出」のなかで、夏目漱石から貰った長い手紙をところどころ読みあげて披露した。六十 年前、二十一歳の彼女が初めて書いた「明暗」という題の小説を漱石に見てもらったとき、漱石が懇切に批評した手紙である。(人物の年齢は、誕生日前もその 年の満年齢を記す)

漱石全集の書簡集に、明治四十年(一九〇七)一月十七日付野上彌生子【当時は八重子】宛の「明暗」評の手紙が収録されていてその全文を読むことができる。次のような書きだしである。

 

《   明暗

一 非常に苦心の作なり。然し此苦心は局部の苦心なり。従つて苦心の割に全体が引き立つことなし

一 局部に苦心をし過ぎる結果散文中に無暗に詩的な形容を使ふ。然も入らぬ処へ無理矢理に使ふ。スキ間なく象嵌を施したる文机の如し。全体の地は隠れて仕舞ふ。  》

 

このように箇条書きで、漱石は作品の批評とあわせて、文学者になるということの根本義を噛んで含めるように諭している。懇切叮嚀な批評と教えは、七箇条にわたる。

《明暗は若き人の作物也。(略)才の足らざるにあらず、識の足らざるにあらず。思索綜合の哲学と年が足らぬなり。年は大変な有力なものなり。》《余の年 と云ふは「文学者」としてとつたる年なり。明暗の著作者もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず文学者として年をとるべし。文学者として十年 の歳月を送りたる時過去を顧みば余が言の妄ならざるを知らん》

この作者の若さでは《人情ものをかく丈の手腕はなきなり》、だが《非人情のものをかく力量は充分あるなり。絵の如きもの、肖像の如きもの、美文的のものをかけば得所を発揮すると同時に弱点を露はすの不便を免がるゝを得べし》と激励をこめて教えている。

 

中略

 

彌生子は、所在不明になった「明暗」の原稿について四十歳の頃すでに、その古原稿を覗いてみたこともないので何を書いたかよく覚えていないと小文「二十 年前の私」にしるしているが、漱石からもらった「明暗」評の長い手紙のことは、生涯にわたって何度も感慨をこめて書いたり語ったりした。次に引くのは八十 七歳のときの述懐である。

《もし先生が、お前にはとても望みはないから、ものを書くなんてことは断念した方がよからう、と仰しやつたら、私はきつとその言葉に従つたらうと思ひま す。さうすれば、作家生活には無縁のものになつてゐたはずです。ところが、さうではなく、いろいろ御親切な教へを受けたこと、わけても、文学者として年を とれ、との言葉は私の生涯のお守りとなつた貴重な賜物でごさいます。》(『昔がたり』解説)

彼女は九十二歳の談話でも、もし漱石から文学など考えずにずっと細君業をすべきだという手紙をもらっていたら、自分はなんにも書かないですごしたのではないかと思う、と語っている。

彌生子はもともと作家志望ではなかった。《知識慾には駆りたてられてゐたが、自分でも作家にならうなんてことは夢想してもゐなかつた》(「その頃の思ひ出」)という彼女が小説を書きだしたのは、夫の野上豊一郎から聞く漱石山房の木曜会の話に触発されてのことであった。

 

* もっと読み続けたいが、措く。

《才の足らざるにあらず、識の足らざるにあらず。思索綜合の哲学と年が足らぬなり。年は大変な有力なものなり。》《余の年と云ふは「文学者」としてとつたる年なり。明暗の著作者もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず文学者として年をとるべし。》 漱石

《わけても、文学者として年をとれ、との言葉は私の生涯のお守りとなつた貴重な賜物でごさいます。》 彌生子

これだ。文学に志すというなら、これだ。趣味で何が出来るだろう。

 

* もう一つ、岩橋さんの叱咤も聴くべし、(もんだいは幾つになつたではない。幾つになつても書きつづけることである。)

 

* いろんなことに雑然と手も出し口も出しているわたしだが、確実にこう思っていて疑わない、「よけいなことをしでかすより、三行でもいい、佳い文章を書きたい、いつまでも書いていたい」と。

 

* 「小説が書きたい」「書いたから読んでほしい」と、少なくも永い間に数十人ないしもっと多くに頼まれた。だが「文学者として年を」とった、とりぬいてきたいったい何人がいただろうか。世に出る出ないはべつごとである。

 

* 「湖(うみ)の本」通算109巻の棒組初校が出てきた。ちょっと手を掛けて「組み付け」ねば成らないが、手はもう付けている。根気よく、少し大胆にするしかない。

 

* いましも妻は懸命に「秦恒平参考文献・輯」に連日連夜取り組んでくれている。「論攷」「書評」「批評」「世評・アナウンス」に分類して、保存してきた 限りを電子化してくれているところだが、その総量の多いこと多いこと、出てくるわくるわの何というか「頼もしさ」に、妻はスキャンし、校正して読み、或る 意味で楽しんでさえいてくれるようだ。まだ、百の一つにも当たらないほどで、「湖(うみ)の本」創刊以前の、以後も含めて、どんなふうに秦恒平の創作・著 作・人間が批評され観察されていたかがこわいほど覿面に読み取れてくる。有り難いことだ。

今日はたまたま見つけた「古典遺産」№33という1982.10月の雑誌巻頭で、「座談会・秦恒平著『風の奏で』を読む」という長篇を手渡しておいた ら、興がわいたか直ぐさまスキャンし、一通りの校正までしてくれた。平家物語研究者として知られた今はない梶原正昭教授をはじめ加美宏、小林保治教授三人 で、わたしの小説を専門の研究者・学者の立場から大量に読み合わせてもらっている。

おそらくわたしの熱心な読者でもこんな文献には目も触れたことないだろう。表題などのデータだけでなく、出来る限り本文内容も読んで貰えるように用意しているが、なにより総量の多さにわたし自身が仰天している。嬉しい悲鳴である。

 

* なにをどう疲れたのか、夕食後の六時半過ぎから真夜中の日付の変わる間際まで熟睡していた。枕で抑えるためもあるが、少し左に頭痛が出ているが、堪え られぬ程ではない。起きあがって、ふっと手を触れた資料棚の一皿に、ちょうど手をかけはじめた「湖(うみ)の本」新刊分の支えになる、昔の歌帖数冊がもの のしたから出てきたのも心強い。

 

☆ 九月尽   播磨の鳶

九月が過ぎ去ろうとしています。八月末の「発病・不調」から一か月、やや安心かと胸なでおろしつつも、一昨日の記述、カナダの友人の訃報に接しての鴉の悲嘆を思います。どうぞ彼の分までも、まだまだ「執念」く書いてください、生きてくださいと願うばかりです。

先に送った文章(=ヨーロッパ紀行『レオンの宿』「e-文藝館=湖(umi)」に収録済み)に、「佳いよ。」といただいた一言は、本当に初めてのことで した。嬉しいと素直に受け止めます。鳶は救いがたく単純人間でもありますから。同時にいっそう心して暮らし、ものごとを見つめたいと自ら戒めます。

先日浄瑠璃寺に出かけた時のこともただただ備忘録として書いたのですが、そこからどう展開したものか、まだ時間がかかりそうです。

明日は神戸で詩の朗読がありますが、これは以前書いたものの中から選んでいこうと思っています。

何故か、メールの通信に問題があり、コンピューター不調。本当に機械音痴で途方にくれます。それにワードの使い方もこのコンピューターでは不慣れで困っています。

十月、元気に過ごせますように。鳶は元気ですよ。

 

* 昨日、漱石が初めて野上彌生子に与えた書簡、その冒頭で、読んだ、

「才の足らざるにあらず、識の足らざるにあらず。思索綜合の哲学と年が足らぬなり。年は大変な有力なものなり。》《余の年と云ふは「文学者」としてとつたる年なり。もし文学者たらんと欲せば漫然として年をとるべからず文学者として年をとるべし。」

「文学者として年をとれ、との言葉は私の生涯のお守りとなつた貴重な賜物」

というのが、痛切な妙薬のように頭で鳴っている。二十歳のモノに、まだ若い、三十、四十になってから書けなどという助言でも叱咤でもない。あくまで「書く人間としての覚悟で」日々を生きよ、「年をとれ」と漱石は忠告している。

 

* 八月二十九日に苦しみはじめ九月二十九日に久しぶりに独りで街へ出た。しんどかった九月が逝く。

 

ーー☆ーー

 

* 書き初めて二十余年、欠かさぬ秦 恒平の「日録 私語」の 一見本。 原発 歌舞伎 バグワン そして漱石などに心惹かれて書いている。ふくつうでなく異様な頭痛を訴えている。癌の手術以降、そんな頭痛は無い。

2019 7/11 212

 

 

* 「湖の本」にして150頁あまり、ほぼ一巻分ほども書き進み、読み返し、推敲を重ねてきた。まだ書き手には跳ぶに難儀で冒険に類するサキがあり楽観出来ないが、「清水坂」を飛び出る楽しみも有る。

2019 7/11 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

病將老齊至    病は老いと(足なみ=)齊(ひと)しく至り

心與身同歸    心は身と同(とも)に(故地に=)歸る

白首外縁少    白首(=白髪の老人) 外縁(世のわずらひ)少なく

紅塵前事非    紅塵(=俗世に奔走の) 前事非なり

懐哉紫芝叟    懐哉(=慕ふは) 紫芝の叟(=風雅の商山四皓)

千載心相依    千載(=千年を隔ててなほ) 心相ひ依る

2019 7/12 212

 

 

* 「湖の本」145 146 新作長編の二部、三部(完) 月末から来月半 ばに刊行できる。第一部に次ぎ「続けて読む」とご希望の方にのみ お送りする。それぞれの「私語の刻」に、「選集本」には加え得なかったいささか作者の意 図や思いにも触れて置く。過去の創作・小説の展開を意図的に加上しながら嶮しい相対化をも「寓話」として心がけた批評的長編であり、厳しい品隲をお願いし たい。

 

*   何というても、この、もう五年余になる「秦 恒平選集」の停滞無い刊行は、励み喜びでもあったが心身に重く堪えた。あと二巻を心おきなくどう編むか、どう編みえて予定を完結できるか、怪我無かれと思いを励ましている。

2019 7/12 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

眼下有衣食     眼下に衣食有り

耳邊無是非     耳邊に是非(=五月蠅い噂も)無し

不論貧與富     貧と富など論ぜず(=問題としない)

飲水亦應肥     水を飲むも亦た應(まさ)に肥ゆべし

2019 7/13 212

 

 

* 疲れて参りかけたので横になりに行きながら、そのまま天野哲夫の『禁じられた青春』下巻を戦後も、東京裁判の後まで、残りも僅かまで引き込まれ読み進 み、「あとがき」も感銘と共に読んだ。上巻はどこへ行ったか、昭和十年生まれの自分に即し、昭和初年生まれの著者の前半分は処分したのかも知れないが、綿 密に、緊密に、 親密にとすら謂えるほどに「耽読」してきた。人生の最後へさしかかり生きてきた若き日々の日本を思い出したくなれば、この一冊にまさる名 著は無いであろう。書庫の何千册をカラにしても、この『禁じられた青春』下巻一冊は惜しんで残すだろうとさえ思う。

 

* ついで吾が『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部のなかの、東作氏が入院中にプラトン『国家』に刺激されて書いた健康と死とにかかわる長い吐露の文 を慎重に読み替えして、やはり「老い」の述懐として「病と死」とにかかわる思いはこの作に不可欠と感じた。この吉野東作氏の述懐は、はからずも作中の若い 「雪・雪繪」と書かれている女性に微妙に突っかかられていて、作の行方と転回を促している。若い人の気持ちは別として「老い」をかかえ「病い」をかかえた 読者には面倒でも読み切って貰えるといいのだが。

2019 7/13 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

五十八翁方有後    五十八翁 方(はぢ)めて後(嗣子)有り

静思堪喜亦堪嗟    静かに思へば喜ぶに堪へ 亦 嗟(なげ)くに堪ふ

一珠甚小還慙蚌    一珠甚だ小さく 還(ま)た蚌(=真珠を産む淡水の貝)に慙じるが

 

持杯祝願無他語    杯を持して祝ひ願ひ 他語無し

愼勿頑愚似汝爺    愼みて頑愚 汝の爺(ちち=白楽天)に似る勿れ

 

* 建日子五十歳 こういう思いをさせてやりたい。生来 愛情溢れているのだもの。

2019 7/14 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

隋年減歡笑     年に隋ひて歡笑減じ

逐日添衰疾     日を逐うて衰疾添ふ

且遣花下歌     且(しばら)く花下の歌を遣(し)て

送此杯中物     此の杯中の物を送らしむ(=酒の肴にしよう)

 

* 國やぶれて山河ぱあれど   あの敗戦の日。「断末魔の日の空は青かった」と『禁じられた青春』の著者は謂う。

遠い思い 出と重なるが、あの当日のわたしは、国民学校夏休み中の四年生、しかも丹波の山奥にいた。上の本の著者は私より十歳年長で、この「日本のいちばん長かった 日」には船にも乗らない海軍の「水長」とかであった。十日もせず、日本国の軍隊は失せて、彼はしこたま手に入れた荷を背負って故郷の家族のもとへ「復員兵」として帰宅 した。

それからが、あの、わたしにも記憶の日々に濃くなる「敗戦後」が始まる。

この本の著者の故郷は九州博多辺。私の丹波や京都との差異はあるが「敗戦の実 感」には濃密な共感がある。

「暑い夏、酷熱の夏」「日本人が皆死んだら陛下は」「断末魔の日の空は青かった」「原爆投下へ至複雑な迷路」「玉音放送の意味せるもの」「昭和は死んじ まった」「鍋墨か化粧品か、日本人女性の貞操の危機」「いい奴は死ぬ、屑が残る」「敗戦の屈辱はコキュの嘆き」「パンパン、どぶねずみ、巷が野性に返る 時」「戦争孤児たちよ、騙せ、盗め、かっ払え!」「敗戦の惨苦を口にし得る資格はありや」「物こそ神様、神々の流離譚」「あとがき」

天野哲夫の『禁じられた青春』のあの断末魔の夏以降の「目次」表記を書き出してみた。

むろん全部を記憶と意志とに響かせて熟読し、著者の言句に「異」を唱え たい何一条もなく、わたしは、とかく忘れそうにも忘れたくもなる、しかし決して忘れてはならない「敗戦後」少年の体験を心身に刻みなおした。

よく書き置い てくれたと感謝し胸の震うほどしっかり読んだ。

 

* それが、「敗戦の八月十五日」を一月後に迎えねばならぬわたしの、文字どおり「記念」の思いである。

歯噛みするほど残念だが わたしは 今の日本、ことにその政治と経済と外交と教育と文学とを、信頼できない。

 

隋年減歡笑     年に隋ひて歡笑減じ

逐日添衰疾     日を逐うて衰疾添ふ

 

読み書きの出来るうちは

 

且遣花下歌     且(しばら)く花下の歌を遣(し)て

送此杯中物     此の杯中の物を送らしむ(=酒の肴にしよう)

2019 7/15 212

 

 

* 『オイノ・セクスアリカ 或る寓話』を、もう何度目か、全編また読みかえした。書いて良かった、納得した、作家生涯五十年にこれは必然の作と 自身納得できた。そのためにかなり多くの、久しい、ことに女性読者を喪うかもしれなくても、わたしとしては。よく読んで欲しいと押し戻すしかあるまい。

 

* 性愛は「相死の愛」と。愛は「共生の愛」と。その思いを覆す理解に今のわたしは思い当たらない。

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

わた くし程度の蔵書量でも次から次に湧いてくる本にあきれるばかりです。とうとう梱包業者の手を借りましたが、何しろ桐箪笥にまで本を入れていたわけで……。 今回のリフォームの理由の一つが本の収納対策でもありました。みづうみのような桁外れの蔵書のおありの方は決してお引越しなさいませんようにお勧めしま す。

 

 

 

 

 

今回の『オイノ・セクスアリス 或る寓話』については、まだ考えがまとまらず、次回配本予定の「湖の本」でもっと読みこんでからと思っています。「選集」には書きこみや線引きや付箋貼ったりしたくありませんので。

 

でも、みづうみのご質問には即断即決でお答えできます。

 

 

 

同じ女として、「雪繪」には共感せず、したがって雪繪を愛することもなく、雪繪になって愛されたいとも思いません。

 

吉野東作=秦恒平とは、勿論思いませんが、みづうみの好みの女人はたとえば豪奢な(経済的な意味ではない)谷崎松子さんと思ってきましたので、登場した雪繪の造形には最初戸惑いました。今までのヒロインとは違います。

 

 

 

『初恋』の木地雪子はわたくしの愛してやま ない、ひたむきな美しいヒロインですが、雪繪は雪子とは被差別側にいたという点以外はずいぶん性格を異にしています。わたくしには共鳴しにくいヒロインで した。性的な魅力が描かれれば描かれるほど、彼女の本音というか正体が見えなくなります。あえてそのように作者が描いたのでしょうが、俗世間では「セフ レ」という関係以外のなにものでもない。慈子が当尾宏の絵空事への愛の象徴であると読めば、雪繪は吉野東作の性の、性欲、性的妄想の産物のようにも読めま す。

 

男の ひとが雪繪のような女を好むのはよくわかります。渡辺淳一の書くような通俗小説から純文学藝術作品にいたるまで男の作家はみな同じような女を好んで書いて います。自分より能力的にも経済的にも社会的にも少し下にいること、結婚してくれと言わず、妊娠させる心配もなく、したがって責任をとる必要がなく、自分 の生活は守れる上に、性的な相手はとことんしてくれて官能的で最高に魅力がある、まさに理想的です。そんな都合のいい女は世界のどこにもいませんが、男の かたの見果てぬ夢というものでしょう。女が自分を性的に裏切らない男はいると信じているのと似ています。

 

わたくしは天性の娼婦を愛しますが、雪繪 はそうではありません。マノン・レスコーになれない中途半端なインテリ女です。雪繪にはわたくしが生理的に受けつけない何かがありました。美空ひばりの天 才を称賛しますが「血の昏さ」がやりきれないというのに近い感情でしょう。しかも雪繪には美空ひばりを輝かせていた歌はなく、彼女の交際相手と同じ色合い の前向きでない「辛気臭さ」を感じました。

 

 

 

わたくしは男でも女でも闘士に共感しま す。晴れやかに明るく立ち向かう人間が基本的に好きなんです。人間の不幸の在り方は底なしですから、被差別部落出身であるという理不尽な受け身の不幸でさ え不幸のランクではましな部類かもしれません。ハンセン病患者やナチス政権下のユダヤ人でも立ち上がった人間はたくさんいました。差別されたことが、愛さ れなかったことが自殺の一因になるなら、人間誰でも何度も死ななければなりません。雪繪は幸福になれたし、自分ひとりの力で幸福になるべきだったと、そう 思えてなりません。

 

第一印象ですから、この感想も今後変わる可能性がありますが、大きくは変わらないと思っています。

雪繪に抱く「好きになれない」という手厳しい感情は、しかしながらこの作品の評価とは無関係なことです、作品としてはとても面白かったのです。

でも、雪繪についてのこの感想を、みづうみがもしご不快に思われたらほんとうにごめんなさい。

愛とは「共有の生」を謂う╶─けだし名言でありましょう。

しかし、わたくしはみづうみにこう問いたいのです。

 

性愛に執することが愛から遠ざかることだとしても、みづうみは「共有の性」「相死の生」の前提がなければそもそも「共有の生」に至らないとお考えではないかと。

ユニオ・ミスティカなき男女の愛はありますか?

 

 

 

読むべきもの書くべきものが山のようにありますのに、日常生活の雑事の多いことにはうんざりです。なかなか体力がついてきてくれません。

みづうみの優れたところは名作を書くことだけでなく、作品を本にし配本までこなしてしまわれる超人的実務能力にもあると、ただただ感嘆するばかりです。

でもご無理しないでごゆっくり進んでくださいますようにと、毎回無駄と知りつつ書かずにはいられません。

萍   萍に大粒の雨到りけり  星野立子

 

 

 

* 作が いい読者に出逢えているのを、喜ぶ。

 

 

 

* 今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行くような経過となった。

 

* しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、肯定しつつ、それが「所有」の思いに帰着し固着するのを惟い、しかし「愛」とは「共和の生」「生産の生」を謂うのであると思い寄っていた。「性愛」に執すれぱむしろ「愛」に背くか遠ざかるのでは。

『饗宴』のソクラテスが、ディオテマから「愛」をどう教わっていたか忘れているが、今、読み返し始めている。

 

 

* 最後まで、新長編を何度目か読み返した。少なくも、必然、書かねば済まなかった作と思えて、さらに先があるとしても、作者としてそれは一つの納得である。納得はまだまだ幾重もの先を擁しているはず、「書く」ことで彫り起こす以外にない。

 

 

* ソクラテスの『饗宴』を読み返していて、あの「寓話」を書きながら、「性愛」を論じた或る学究の本に只一度も「美」に触れて語られていないのに、語り手の「吉野東作氏」が不満を漏らしていたのを思い出した。

ソクラテスに「愛」を教える聖なる智者の巫女ディオテマは、「要するに、愛とは善きものの永久の所有へ向けられる」ものと云い、ソクラテスが「愛の名に 値するほどの熱心と熾烈な努力とを示す人は何ういう途を進み又どういう行動を採るのか」と問うたのへ、それは「肉体の上でも心霊のうえでも美しいものの中 に生産することです」と言い切っている。「生産は ただ 美しい者の中でだけ出来る」とも。従って「産出に際して運命の女神や産の神の役を勤める者は<美 の女神(カロネー)>なのです」と。

「ソクラテスよ。本当のところ愛の目指すものは、貴方の考えるように、必ずしも美しい者とは限りません、」「美しい者の中に生殖し生産することなので す。」「では、なぜ生殖を目指すのでしょうか。」「愛の目指すところ善きものの永久の所有であるとすれば、 必然に出てくる結論は、愛の目的が不死という ことに在るということになります」と。

 

 

* あのアダムとイヴの生殖の愛を決定的に女の躯の死すべきホドの「悪」と否定した 正統基督教の教父や教皇らの姿勢や理解とは、まったくかけ離れている。

ギリシャの性愛にも日本の性愛にも「神」的に美しいちからの臨在が云われ、基督教では神が見放した女ゆえの悪かのように断罪され、その行き過ぎの是正が性的放埒へ濁流となって流れた。

秦 恒平作「或る寓話」ではどうであったか。

 

 

* 十時を過ぎた、機械から離れる。

2019 7/15 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

午後恣情寝    午後 情を恣ま(気の向くまま)に寝ね

午時随事餐    午時 事に随ひ(有るがまま気儘に)餐す

一餐終日飽    一餐すれば終日飽き(用が足り)

一寝至夜安    一寝すれば夜に至るまで安し

2019 7/16 212

 

 

* 永井荷風訳詩の『珊瑚集』を身のそばへ持ってきている。近代の日本の作家では誰をと受賞の記者会見で聞かれ、漱石、藤村、潤一郎と躊躇わなかった。作 家としての時代を睨み捨てた世投げた生き方でいうと、永井荷風こそもっとも慕わしい。泉鏡花にも同様の強い批判ないし忌避の気味があって慕わしい。

2019 7/16 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

已過愛貪聲利後    已に聲利(名誉や利益)を愛貪するを過ぎての後

猶在病羸昏耄前    猶ほ(未だ)病羸昏耄(病気や耄碌)の前に在り(陥っていない)

未無筋力尋山水    未だ筋力の山水を尋ぬる無きにあらず

尚有心情聽管絃    尚ほ心情の管絃を聴く有り

閑開新酒嘗數盞    閑(しづ)かに新酒を開きて數盞を嘗め

酔憶舊詩吟一篇    酔ひて舊詩を憶ひ一篇を吟ず

2019 7/17 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

我若未忘世    我 若(も)し未だ世を忘れざれば

雖閑心亦忙    閑と雖(いへど)も心は亦た忙ならん

世若未忘我    世 若し未だ我を忘れざれば

雖退身難蔵    退くと雖も身は蔵し難からん

我今異於是    我 今 是れに異なり

身世交相忘    身も世も交(こもご)も相ひ忘る

 

* 終わりの二行には、身も世も及ばない。

2019 7/18 212

 

 

* 友禅の模様を、鴨川でも白川でも水洗いしていた光景をよく覚えている。なにとなく繰り返し繰り返し洗いながら好き進めているようないまの長編ではあるが、先に『オイノ・セクスアリス 或る寓話」三部完結分に適切なあとがき「私語の刻」を付けねば。それが済むと、十年掛けた長編と、まずまず一時的にも手が切れる。

 

☆ お元気ですか

みづうみのお疲れのごようすを心配しております。みづうみは、いつも全力疾走で、ペダルを漕いでいないと倒れてしまうという紳士かつ猛者ですが、少しだけでよいので どうかごゆっくり進んでいただければと願っています。

『オイノ・セクスアリス』を読みながら、吉野東作に必要だったのは妻との関係で充分満たされている「共有の生」の愛ではなく、性への渇望に苛まれる男を癒す「雪繪」との「相死の生」の性愛のほうであったのだろうな、と。独断と偏見ですが。

お元気で、お健やかに、毎日お仕事楽しんでくださいますように。

飯   麦飯もよし稗飯も辞退せず   虚子

 

* 「吉野東作氏」を本質動かしていたの は、生まれたという根の哀しみと、死者への思慕とで、「オイノ・セクスアリス(老境の性)」は有ってよし、無くて仕方なく、「相死の生」はどう重ねても所 詮不毛と見ていたのではないでしょうか。「雪繪」もそれが分かってきたのでは。

2019 7/18 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く  自 喜

 

身慵難勉強    身 慵(ものう)くして勉強し難く

性拙易遅廻    性 拙(つたな)くして遅廻(ぐづぐづ)し易し

布被辰時起    布被(煎餅布団から) 辰時(午前八時頃)に起き

柴門午後開    柴門(かざらぬ門)は 午後に開く

忙驅能者去    忙は能者を驅りて去り

閑逐鈍人來    閑は鈍人を逐ひて(ゆっくり)来る

自喜誰能會    自ら喜ぶこと(=この満足) 誰か能く會(え 理會)せん

無才勝有才    才無きは才有るより勝る(=樂でござる)

 

* 蒸し暑い、か。

2019 7/19 212

 

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

併失鵷鸞侶    併せて(相次いで)鵷鸞の侶(鳳凰や鸞のような親友)を失ひ(亡くし)

空留麋鹿身    空しく麋鹿の身(びろく 野卑なわたくし だけ)を留む(生き残る)

2019 7/20 212

 

 

* 「湖の本146」 思いをのせた「私語」を添えて『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第三部完結巻を責了で印刷所へ送った。八月中に送り届けられる。十年がかりの長編はされで完了となる、機を得てさらに推敲はするけれども。

さ、ますます『清水坂(仮題)』へ殺到しなくては。

2019 7/20 212

 

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

琴罷輒擧酒    琴(きん)罷(や)めば輒(すなは)ち酒を擧げ

酒罷輒吟詩    酒罷めば輒ち詩を吟ず

三友遞相引    三友 遞(たが)ひに相ひ引き

循環無已時    循環して已(や)む時無し

 

古人多若斯    古人も多く斯くの若(ごと)し

嗜詩有淵明    詩を嗜(たしな)むは淵明有り

嗜琴有啓期    琴を嗜むは啓期有り

嗜酒有伯倫    酒を嗜むは伯倫有り

 

三師去已遠    三師 去りて已(すで)に遠し

高風不可追    高風 追ふ不可(べからず)

三友游甚熟    三友 游(ゆふ) 甚だ熟し

無日不相隨    日として相ひ隨はざる無し

 

* 詩歌は愛読愛吟できるし酒は大好き。ただ幼來 楽器には縁がない。少年の頃、秦の父に、和笛を習いたいと希望したら、胸を悪くするからと許されなかっ た。肺病のなにより怖い昔であったから押して出る気は失せて、以来、ハモニカを鳴らす以外に楽器とは縁がない。で、聴く一方、それで十分。

2019 7/21 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

放眼看青山     眼を放ちて青山を看(み)

任頭生白髪     頭は白髪の生ずるに任す

不知天地内     知らず 天地の内

更得幾年活     更に幾年の活くるを得ん

 

* 人の生くるや至る処に青山あり と謂う。「青山」とは、とわに眠りにつく奥津城の意味と思う。

とはいえ、白楽天がいうまま、「此れ従(よ)り身を終うるに到るまで 尽(ことごと)く閑日月と為さん」とは業の深いわたしは、今、言えない。

 

* 午前の十一時 すでに眼が霞んでしまい。

 

てさぐりに生きてこの世のおもしろさなさけなさをぞわらひくれめや

2019 7/22 212

 

 

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第二部(「湖の本145」)は、この二十九日から発送できる。第三部完結の第146巻も「責了」になっている。おそくも八月中にお届けできる。

 

* この長編は作者が八十年身に抱いてきた葛藤のいろいろを、苦心惨憺のなかで自身検討し自身賢明に慰撫している作のように想われる。そんなものを客観的 な叙述の小説になど出来はしない。「吉野東作氏」という「わたくし」の発明で、この、一人で二人に、二人で一人に、いささか無責任に喋って貰うことで、根 の深いコンプレックスや身のふるえるほどの思慕や自愛の欲求を、対象視も諧謔視も誤魔化視もしてもらえたのだ、と想っている。ただりスケベー読み物かのよ うに身を避けられた五十人ほどの読者とのお別れは残り惜しいが仕方ない。

2019 7/22 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

人生變改故無窮    人生變改して故(もと)より窮まり無し

昔是朝官今野翁    昔は是れ朝官 今は野翁

 

無情水任方圓器    情無き水は方圓の器に任せ

不繋舟隨去住風    繋がざる舟は去住の風に隨ふ

 

* 白楽天の詩は 彼の國で多大広汎に賞讃もされ、また厳しく平俗視もされたという。ただわが平安朝のひとらはその取材や表現の平易平明また物語る技の高 度に巧みなのを歓迎し感化された。わたしもその伝統を一日本人としてあまりこだわり無く受けてめ歓迎もしている。一つには大いに敬愛し親炙やまざる陶淵明 と白楽天に系脈のあるのも尊重している。早くいえば、この二人の詩はわたしには親炙し易いのである。それでいい、足りていると拘泥していない。悠然として 南山をみる気分で足りている。

2019 7/23 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

憶歸恆惨憺     (故郷へ)歸りたしと憶ひ恆に惨憺(=胸破れ)

懐舊忽踟躕     舊(亡きひと)を懐(おも)ひ忽ち踟躕(ためらふ)

 

* 故紙回収の朝の力仕事、腰骨に響く。三百册を超す淡交社総色刷り写真は豪奢で多彩な趣味の雑誌、地域の図書館には分に余るか受取らず 思い切って故紙 として半分近くつまりは捨てた。勿体ない。ま、一冊一冊の重さよ。二階から持って降りる身の危険、怖い。場所さえあれば幾重にも活用しまた観て楽しめるの に。

価値ある書籍や雑誌が文化財として保持できず廃棄されていく日本の現実には、断末魔の卑しさがが耳にこびりつく。内閣の総理や副総理の文化水準のテイ ノーにちかい現状が、文化を誇った日本の終末期を情けなく例示している。半世紀ともたず、電子器機以外の文化財は、法隆寺も清水寺も八坂神社も他国へ買わ れてしまっているかも知れぬ、嗚呼。

2019 7/24 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

大都好物不堅牢    大都(おほよそ)好(よ)き物は堅牢ならず

彩雲易散琉璃脆    彩雲は散り易く琉璃は脆し

2019 7/25 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

倦鳥得茂樹    倦鳥 茂樹を得

涸魚反清源    涸魚 清源に反る

捨此欲焉往    此れを捨てて焉(いづ)くに往かんと欲す

人閒多険艱    人閒(じんかん) 険艱(けんかん)多し

2019 7/27 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

去矣魚返泉    去矣(ゆ)け 魚は泉(=淵)に返るもの

超然蟬離蛻    超然(=未練なく) 蟬は蛻(ぜい 殻)を離(す)てるもの

是非莫分別    是非(いいkわるいのと) 分別する莫(なか)れ

行止無疑礙    行止(進むにも止まるに) 疑礙(=惑い ぎがい)する無かれ

浩氣貯胸中    浩氣 胸中に貯へ

青雲委身外    青雲 身外に委ね

捫心私自語    心を捫(な)でて私(ひそ)かに自(われ)語る

自語誰能會    自(わ)が語るを 誰か能く會(理會 え)せんや

2019 7/27 212

 

 

* かなり片づいた二階「靖子ロード」の一書架の上に、まるで読んで欲しげに、岩波文庫、ショーペンハウエルの『自殺について』一冊が載っていた、現れ出たというふ うに。『死に至る病」と一緒に大昔も昔に買ったという記憶はあるが手にしたことがない。で、ソファにもってきて、数点の短論文のなかの「自殺について」を 読み始めて、なんとも胸がスッキリした。しんきくさい哲学的論議で人の「自殺」をとやこう謂う手ているかと思いの外、じつに明快。わたしの久しく何として も理解も是認も出来なかった基督教の司教や教会や教徒らの「自殺」ないし「自殺者」批判へのきちっとした批判・非難の言論が展開されていて、嬉しくなっ た。著者の曰くには、旧約・新約の聖書なかに人の自殺を禁じ否認し非難した何一つの教条も全く見当たらないという確言一つを知っただけでも、わたしは基督 教では全然無いのだけれど、胸がすうっと晴れた。嬉しかった。

わたしが先々に自殺するかどうかは目下の問題でないが、少年の昔このかた、私の身辺に知人に「自殺者」は、数えれば老壮若十人近くはあり、その人たち男 女ともに「自殺した」が故に人格的批判を投げつけるなど、とてもとても出来たはなしでは無かった、深い哀悼をこそ心底覚えはしたが。

今日、わたしはショーペンハウエルに、感謝する。

問題は、しかしながら、「死なれた」悲しみは深く余儀ないものの、「死なせても」いいという議論はよくよくの、よくよくの「例外と思しき」理由を以てしてさえ、安易に肯定してはならない、成り立たない。

小説家として、作の世界の中でわたしは何人もを過去に「死なせて」きた。「殺した」と謂える事例すらある。「死なせ」たくないなあと思いつつ書いた幾篇もの自作を、わたしはいつも悲しむのである。

2019 7/27 212

 

 

* 谷崎松子夫人には家中のものがいろいろにものを頂戴したが、私の頂き物の中に、「お手づくり」のそれは美しいふわふわの大座布団があり、あまりの勿体 なさに美術品なみに置いてきたが、もう何十年、すこしのへたりも無く健在なのを惜しみ、ソファに背もたれとして置き、大きな体をゆったりと安楽に使わせて 頂きましょうと、目の前のお写真にお許しを願った。潤一郎先生も「いいよ」と言うておいでに見える。

 

* なにもなにももう心して心入れてだいじに、しかし心地良く使うものは使って気持ちを楽に大事にすべき時機にきていると思う。

 

* いまや「清水坂」を離れて怕い旅をしている。無事に帰れるかどうか。不案内の旅先を懸命にものまなびしているが、視野のいたみが凄い。怕さもこらえ道中もこらえ、生還できればいいが。

2019 7/27 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

時遭人指點   時に人の指點(うしろ指)するに遭ひ

數被鬼揶揄   數(しばしば)鬼にさへ揶揄さる

兀兀都疑夢   兀兀(こつこつ 茫々)として都(すべ)て夢かと疑ひ

昏昏半似愚   昏昏(暗暗)として半ば愚に似たり

 

萬里抛朋友   萬里 朋友を抛ち

三年隔友于   三年 友于(ゆうう)に隔たる

自然悲聚散   自然 聚散を悲しむ

不是恨榮枯   是れ 榮枯を恨むならず

2019 7/28 212

 

 

* 気分直しにただただ綺麗な歌声が聴きたく、李香蘭を選んでいた。前半は文字どおりに李香蘭の歌だが、後半は日本の歌を懐かしく美しく歌ってくれる。 これほどの美声歌手が当時ほかにいたろうか。今、いるだろうか。浜辺の歌、宵待草、そして荒城の月。いま、「荒城の月」を聴き、涙の溢れるのにおどろいた。

ほかに、心惹かれて思い出すのは小鳩くるみの、歌声豊かな埴生の宿。 また聴きたくなった。

「敗戦日本人」の絶対に忘れてならない絶唱は、菊池章子の「星の流れに」。

わたしは、もう日本の現世を見捨てつつあるのだろうか。「選集」をもうあと二巻つくり終えねば、それまでは…などと感じているのだろうか、根深い悲しみに負けて。

「星の流れに」を、聴いた。「敗戦」とはアレだった、子供の目にも思いにも。アレは、負けた日本政府の苦肉の或る策でもあったと耳にしたことがある、多く良家の婦子女を占領軍の凌辱から守るのだと。本当だったか。もし本当に本当だったなら……言葉を喪う。

2019 7/28 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

我今幸無疾        我は今 幸いに疾無し

人老多憂累     人老いれば憂累は多きも

我今婿嫁畢        我今や(子女の)婚嫁も畢(お)え

心安不移轄    心安らかに移転せず(気も散らず)

身泰無牽率    身泰らかに牽率(拘束される)無し

所以十年來    ゆえに十年來

形神閑且逸    形神(身も心も)閑(のどか)にして且つ逸(気まま)

況當垂老歳    況(いは)んや垂老の歳に當たり

所要無多物    要むる所 多物無し

一裘煖過冬    一裘(一枚の皮衣で) 暖かく冬を過ごし

一飯飽終日    一飯(一食で) 終日飽く(腹も減らぬ)

勿言舎宅小    言う勿(な)かれ 舎宅小さしと

不過寝一室    一室に寝るに過ぎず

2019 7/29 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

憂方知酒聖    憂へて方(はぢ)めて酒の聖なるを知り

貧始覺錢神    貧して始めて錢の神(しん)なるを覺ゆ

 

行藏與通塞    行藏(=身の進退)と通塞(=運不運)と

一切任陶鈞    一切 陶鈞(=轆轤 造物主を謂う)に任す

 

* 朝一番に瓶缶を戸外へだしに出、猛暑にヘキエキ。「一切任陶鈞」もラクではない。

2019 7/30 212

 

 

* 夕方 作業終える。高校宛て寄贈を遠慮し、「セクスアリス」を遠慮された読者も数十人あり、送る数が少なくなり、その分がラクであった。宅急便、郵便の仕事とも終えて、ホッとしている。あいにく近くの鮨屋が休日、クッキーと美味いワインとで妻と乾杯。

暑さもあるが、さすがにジリジリと力仕事が心身に響いてきている。せめてもう少し、もう少し、頑張りたい。『オイノ・セクスアリス 或る寓話』「湖の本」版「完」の第三部は、八月中に感謝を込め呈上本を送り出せると思う。

さ、それまでに新作長編をなんとしても粘って脱稿したい。「これは、まぎれない秦 恒平だ」といってもらえる長編を、ぜひ二作続けて御覧に入れたい。

2019 7/30 212

 

 

* 頑張ろうかと思ったが ムリ書きして混乱しても仕方ない。じいっと、想う ということが大事、びっくりするような展開が想いに舞い込んでくる、そういうことは、まま有る。からだは仕方ないが想い・心が草臥れていてはどんな妙も真実も取り逃がしてしまう。

2019 7/30 212

 

 

☆ 白楽天の詩句に聴く

 

人情重今多賤古    人の情は今を重んじて 多く古へを賤しむ

 

* 永く白楽天に聴いてきた。本が手近にあり、日本の上代古典にも親しんできたわたくしには、そのむしろ平俗とも謂える詩句に身近に馴染みやすかった。

2019 7/31 212

 

 

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』への感想は、題名ないし第一部だけで閉口・退散された方もあり、なかなかご迷惑もかけていそうな気がする。第二部 にすこし「あとがき」を添えたが、第三部完にも倍ほどの「あとがき」を添えた。いまここへ持ちだしてもいいのだが、それでは「湖の本」を愛読して下さる方 には味気ないだろう。

 

* それよりも次の作へと、喰って掛かりたい。

 

*「myb」最終号にぜひ書いてと電話が来たが、断った。時代へもの申すことの甲斐なさ。書くなら、創作、そしてこのHPの「私語」で十分。わたしのこの 厖大な「私語の刻」は、騒壇餘人・秦 恒平の「最大作」として遺るだろう。 機嫌のいい総題を新しく付けておいて遣りたい。

2019 7/31 212

 

 

 

☆ 西欧詩句(抄)に聴く  永井荷風訳著『珊瑚集』より

 

蝸牛(かたつむり)匍ひまはる泥土(ぬかるみ)に、

われ手づからに底知れぬ穴を掘らん。

 

われ遺書を厭(い)み墳墓をにくむ。

死して徒(いたづら)に人の涙を請はんより、

 

ボオドレエル 「死のよろこび」より

 

* 荷風の詩精神は辛辣だから、「珊瑚集」に訳出している詩人達も詩もまた独自に辛辣で、しかし荷風の「詩のことば」は分厚く美しい。

さ、どこまでわたくし、聴きとれるだろう。抄出は、わたくしの好き勝手に、長短の作からの一部である。

2019 8/1 213

 

 

* この数日、一九九五年刊の谷川健一『古代海人の世界』を読んでいる。刊行 されてすぐ貰っていたが、新聞連載『冬祭り』にしてもその十年十五年前にもう書いてしまっていて、貰った当時の自分の仕事とは縁遠くなっていた。以来すで に四半世紀、書庫でみつけて読んでみようと。ま、早く早くに柳田国男、折口信夫の全集をはやくに読みあさり読み耽っていたので、おおよその見当は自分自身 の推量や体験も含め付いていた。蛇を点景のように書いた作家は何人も居るが、『冬祭り』のように書いただれ一人もわたしは知らない。しかし日本を考えるの にその視点や視野をもたずに何が言えるだろう。

2019 8/1 213

 

 

* 一押しで開くはずの戸が、押せない。臆病。立ち往生している。

気を替えて、まるで別世界へ旅した方がいいのかも。いま読んでいる『アンナ・カレーニナ』は、つらくなってゆく世界ではあるが、文藝作品としては世界の最高峰にあり、いまのところ「読みすすむ」だけで楽しい。没頭できる。

またもマキリップのはるかな旅世界へ翔びこむのもよく、いっそ「フアウスト」や「オデュッセイ」も変わりばえがする。ながいながいホビットの旅にまた同行する手もある。

日本の文学なら、露伴か鴎外の史伝ものまたは藤村の小説「夜明け前」。

まるで念仏してるみたいだ。

2019 8/1 213

 

 

☆ 西欧詩句(抄)に聴く  永井荷風訳著『珊瑚集』より

 

この世はさながらに土の牢屋(ひとや)か。

蟲喰(むしば)みの床板(ゆかいた)に頭(かしら)打ち叩き、

鈍き翼に壁を撫で、

蝙蝠(かはほり)の如く「希望(のぞみ)」は飛去る。

 

ボオドレエル 「憂悶」より

2019 8/2 213

 

 

* 京都の森下兄、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』へ読了長文のメールを呉れた。

ただ、「湖の本」読者のほぼ全員が、完結作として本にした『選集31』は目にされていない、つまり完に到る作の第三部をお届けできるのは八月下旬になる。この第三部「完」の行方に直か触れの評判をここに紹介するのは、多くの「湖の本」読者 に申し訳ない。森下兄の感想は、ここへは「控えます」と一旦書いたものの、批評感想の大方は上の禁忌には触れ「ない」森下兄の直の議論なので、大半に当たるその箇所は、兄からの熱い好意として紹介させてもらう。女性の皆さんからは矢来の直撃も有るか知れないが。

森下兄、ありがたく、感謝します。

わたしは、「湖の本版 第一部」に短い序を副えたが、これは作の発送や成り行く経緯に触れただけ、作そのものへの作者の思いまでは出さなかった。だが 「湖の本版 第二部」後記の「私語の刻」には、やや踏み込んで作者の手法や主人公(吉野東作)の語り口などに意図をもたせておいた。それはそれなりに私・ 秦 恒平の思いに副うているので、森下兄の批評のあとへ添えておく。しかし、やはり「湖の本版 第三部完」にも添えた、やや長文の作者・秦 恒平の「私語」は、八月下旬の版本まで、当然のこと伏せておく。

 

☆ 冗文ですが

秦 兄  労作「オイノ・セクスアリス・ある寓話」を読み終えて、作者が読者に望み、期待するような読後感かどうかをためらいつつ感想をできるだけ省エネ文体でメール分送しよう。

(中略失礼 秦)

年来の読者の幾人もが本作品に拒否反応を示されたようだが、恐らく一種のカルチャー・ショツクを受けられたのだろう。ひとは願望本能によって常にY路に立たされ二者択一の選択を重ねつつ一つの文化からより高度の文化に向けて脱皮をくり返しながら成長をとげていく。

 

未知の文化に触れたときの戸惑いや受容の可否は、願望本能の強さと自身の属する文化圏によって異なる。

 

作者は、作品を一つの寓話に仕立てた。寓話でナポリの美術館にある16世紀中庸のフランドルの早逝画家ピーター・ブリューゲルの「盲人を導く盲人」を思 いだした。寓意は異なるが兄の寓話は生きとし生けるものが持つ二大本能の一つである性本能の赴くところは世間や社会が、誰が何と言おうとおおらかで心地よ く、その極致が「ユニオ・ミスティカ」であるとよむ。

 

そうであれば、二大本能の食本能を堪能するものはグルメと称し美食家と自慢するのに、なぜ性本能を全うする好色家は助平や漁色家・猟色家と蔑称され、性 を公然と語り、書くことは憚り、忌避し非難されるのか。見方や表現によっては、レストランで女性がソーセージをかじり、ソフトクリームを舐めているポーズ がよほど卑猥に見えたりする。そうならまるで「目くそ、鼻くそを嗤う」ではないか。

 

食本能を満たす時はさしたる規制や非難はないのに、性本能を満足させようとすれば、なぜに無粋な法や倫理や宗教が直ぐにシャシャリ出てくるのか。

 

人の理系か文系かの見分け方は「氷が解けたら何になる」の答えが「水」なら理系、「春」なら文系だというが社会科学系、わけても法律をすこし齧ったもの は理屈っぽくて嫌われる。だから私は法律が嫌いだ。法律は必要悪と思っているから少ないほうがよい。無粋な法を振りかざすより、ニワトリの哲学者やネコの 物しり博士に寓話やお伽噺を語らせて処世上の教訓を垂れさせるほうが居心地がよい潤いのある世界ができあがる。そんな世界の構築は物書きの領分であり特権 である。

 

日本の性の風習・風俗が窮屈になったのは儒学者による「礼記」の「男女七歳にして席を同じうせず」の堅苦しい思想が入ってきたころからではないのか。

 

混浴や夜這いなど日本の性の風習・風俗は長いあいだ大変おおらかで開放的であった。現に昭和40年代でも社員旅行の温泉旅館が混浴で修学旅行の女子高生 の一団と大浴場で鉢合わせをして若い男性社員たちがのぼせたことを思いだす。裸の娘たちも大勢なら羞恥心より好奇心や挑発心が勝つことを実感した。

 

願望本能は止まるところを知らず、次から次へと湧き上がってくる。道徳や宗教や法律で抑圧抑制すればするほど大きく膨らんでくる。隠すほど見たくなるのが人情なのだ。

 

そんな願望本能と性本能の合体から迸りでた「オイノ・セクスアリス」を兄はある寓話という。どんなに恰好をつけても所詮、性は性(さが)である。性行為 は種の保存のための営みであることに間違いはない。生あるものがこの営みを嫌い怠れば種は断絶する。ゆえに、この営みをこの世でいちばん快感のともなう行 為に造物主は指定されたのである。答えてくれるなら、お前たちも絶叫するほど気持ちがいいのかと蝶やアリにきいてみたい。ある寓話は読者に問題を提起し挑 んでいる。

 

性行為を「繁殖作業」と捉えてしまうと閉経後の性交は無用で無意味な行為に堕してしまうことになる。そこから某元都知事の「閉経後の女が長生きしても無 駄」発言が飛び出してくることになる。この発言に世の女性たちは目尻を大きく吊り上げる。しかし、ある寓話の「いいわ、もっと奥まで」にはニコリともせず 目尻を下げない女性がいるという。これは摩訶不思議である。自家撞着ではないのか。

 

男尊女卑なる語はここで出てくるべきではない。かつては若衆買いを愉しんだ上臈女房も居たし、いまもホストクラブのイケメンに入れ揚げるマダムやカミさ んも大勢いる。性の快感に男女の違いはないし、五感による行為も男が主で女が従であるはずがない。大方の男性読者は「爺さん、何を食って長時間も精力絶倫 なんや」「五感だけでなく、第六感や想像力で制御しているのか」「男はかくこそあらまほし」と鼻の下をのばし、よだれを垂れているが、兄の女性読者にもこ んなイケメン・ペットを飼いたい願望を持っているひとは大勢居るはずと放言したら集中砲火を浴びるだろうか。桑原くわばら、雷が落ちないうちにひとまず区 切ろう。   2019-8-2   森下辰男  中・高 同窓

 

* 『オイノ・セクスアリス』 第二部 作者後記 (湖の本145 版)

 

私語の刻

 

『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、老人の性交為をおもしろづく書こうとしたものでは全然無い。今度の作で意識の芯に置いていたか知れぬのは、「一夫 一婦」というある種模範的な、ある種無惨な人類史の「一制度」がもたらしているかと思われるきついヒズミを、せめて指摘だけはしてみたい思いであった。夫 には「妻」、妻には「夫」が生涯に占めている、重さ。

すべてが「吉野東作という私人」の走り書き、書きっ放しの体裁ゆえ、表記の混雑など気にしていない。超雑食型の素人の筆者が、思うサマに何をどこまで書 いて喋って、言い得られるか。終始一貫して、文筆を職とはしていない一老人の「雑記」「雑談」のまま。それが、言い淀みも矛盾や記憶違いも自在の狙いで、 また作者の意図でもある。そういう「書き方、話し方」の可能を探ってみたかった。単純な一人称記述ではなく創ってみかった。

二部、三部へむけて 「性愛」と「愛」とは重なり得るのか、それはあだ疎かには書かなかったつもりだが、叱正や叱声も受け容れねば成るまい。ただ、こんな作は 他に誰も書かない、書けなかったろう。鷗外先生もあの「セクスアリス」で、「若い女」は書かれなかった。

まだこの先でどう「落っこちる」か知れないので多くは語れないが、見て見にくい「もの・こと」をきびきびした文章で提供して行くのが「文学作者の作品の役目」とわたくしは思っている。男性には男性の、女性には女性の厳しい叱声がきかれるだろうけれど。

ちなみに、『オイノ・セクスアリス』という表題を「老いの」と謂うた気でいたが、九州人なら「オイノ」は「おれの」とも読みますと馬渡憲三郎先生に教わった。外国語でならもっと奇抜な意味に読まれるのかも。

谷崎(潤一郎)先生晩年作、たとえば『鍵』には、国会でさえバカげた非難の声が舞った。最晩年には『瘋癲老人日記』があり、すこし早くには『夢の浮橋』 もあった。谷崎作の世界に尻込みし、また悪罵していた「フツーの読者」の声はたくさん聞いたし、それはそれで谷崎世界とは縁無き衆生であったというだけ。 一言付け加えれば、谷崎先生の世界は練達の物語世界であり、論や攷の性格は淡い。

わたくしは、昔から、小説を「用いて」も論じたい究求したいものごとを平然作中へ持ち込んできた。『オイノ・セクスアリス』の「吉野東作老人」は、老い の精(性)力を誇るべく物語っているのではない、おそらくは「生まれる」という受け身、「死なれる」という受け身、「もらひ子」という「根の悲しみ」を老 いてなお見つめつつ、且つ「愛と性愛との衝突」を問うている。問い方はあるいは冷酷と謂うに近くもある。谷崎先生の晩年作が私の念頭に無いはずがなく、し かも、どう、どこへ、どこまで、そこから離れ得られるか、離れての世界が創れるかを、十年、考えつづけてきた。「第一部だけ」でそれを即、推側してもらう ワケにはやはり行かないはず。第二部へ入って、第一部からの印象、男の視線や思いでばかり女が語られているという先入主は、意外な方角へ新ためられると 思っている。

何はあれ、読者との久しい「ご縁」を本当に有り難く大切に思ってきた。今もこれからも切にそれを思い願いながら、永くはあるまい残年をしっかり書き続けたい、何の躊躇いもなく。

 

* それにしても「湖の本145 第二部」の表紙繪、それはそれは美しい女性裸像ですよ。

2019 8/2 213

 

 

* 自作の長編、ジリッと動いた。夜前、眠りながらもずうっとこの作のさきを思い続けていた、おかげでジリッと動いた。何をし、なにを読み書きし、なにを観ていても、アタマにあるのは、この、ジリッと、の先へであるが。

今日もやはり暑さ負けしていた。せいぜい食しもしていたけれど、疲れた。

2019 8/2 213

 

 

☆ 西欧詩句(抄)に聴く  永井荷風訳著『珊瑚集』より

 

大海(おほうみ)よ、われ汝を憎む。狂ひと叫び、

吾が、魂は、そを汝、大海の聲に聞く。

辱(はづかし)めと涙に満ちし敗れし人の苦笑ひ、

これ、おどろおとろしき海の笑ひに似たらずや。

 

ボオドレエル 「暗黒」より

2019 8/3 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

エピグラフ     ある精神の内部には一匹の蛔虫が棲んでゐる。それはあらゆる養分を食ひつくすが、なにものも生産はしない。が、このいやらしい虫にも一分の矜りはある。

くやしかつたら、おれが食ひきれぬほどの養分をとってみるがいゝ。

 

* 福田恆存は真の批評家で哲学者であり、劇作等の創作者であった。その徹した辛口に、極言にヘキエキする人もあろうが、痛みを伴いながら真相の摘出されているの が此の『日本への遺言」であろうと私は半ば身を固くして聴いてきた。私のいわば勝手が抄録するのではあるが、抄録の限りは本文を変改はしない。その晩年で の出会い以降 終始私に優しく親切であった福田先生との「対話」のていに、その肉声に耳を傾けたい。福田恆存は日本語表現の純潔をまもるために終始いわゆ る旧仮名遣ひを説き克つ実践したひとであり、私はその思いに根底で服していることも告白しておく。

 

* 『珊瑚集』の詩句は、いまの私にしっくり添ってこなかった。

 

* 朝いちばんから、幾つものショパンのピアノ曲がすぐ身のそばで、と絶えなく。わたしも音に成りたい。わたしはいま金縛りに遭って動けない。身の内の貪欲な蛆虫に好き放題に食い荒らされ抵抗できないのか、情けない。

10枚組みの、なつかしい日本の唱歌集を聴き始めた。最初に『故郷』20曲。

「いかにいます父母 恙なしや友がき 雨に風につけても 思いいずる故郷」と、東京へ出て六十年、その年々の思いでひとり入浴のつど歌い続け涙の顔を湯に漬けてきた。いま「父・母」亡く「友がき」すくなく。せめて山青く水清き故京でありますように。

丹波への疎開生活を体験しなかったら、街育ちのわたしは「菜の花畠に入り日うすれ」るのも「里わの火影」や「蛙の鳴く音」の朧月夜は知らぬママであっ た。言いたくはないが、戦争苦がわずかにわたしに酬いてくれた見聞だった。「朧月夜」も「青葉の笛」も「冬景色」「四季の雨」にも、みな、日本語の美しい 優しい文語表現をしみじみ教えられた。

そして「あおげば尊し わが師の音」と思うだけでわたしはこの六十年、有り難い嬉しい熱い涙にくれてきた。何人も何人も何人もの先生から戴きつづけた御 恩を別れたことが無い。わたくしの得てきた最良の幸福であった、それは学校という世界から離れて東京で一作家として暮らし続けていた間にも数えきれぬ師の 恩に出逢えた。幸せ者であった。

2019 8/4 213

 

 

* 気分を換えたい。が、日々の炎暑に閉口。ガマンの日々、ガマンの日々。こういうときこそ佳い読書に(変な物言いだが)手広く没頭したい。夕過ぎにも、 入浴前に、長島弘明さん、高田衛さんの詳細な秋成研究を較べ読みしていた、じつは昔から「秋成八景」と心がけながらまた「序の景」しか書けていないが、し かと手がかりが把握できればぜひ書きたいと願っている一景がある。長島さんに教えて貰いたいが、そのためには、今の仕事を仕舞い終えておかねば。

ともあれ「秋成」は私にはインネンの主題なのである。秋成の実名は「東作」であり、秋成の名乗りもそこに発している。東作西成、春作秋成という語感が古 来出来てある。わたしが今度の『オイノ・セクスアリス』の語り手を吉野東作と名乗らせたのも、意図は、糸は、引けている。もしこの作に論者が出るとして、 一つはそこまでも視野を持っていないと抜け落ちる世界がある。

ついでに、もう一つ、触れてきた人がないので云うておくが、三部に分けたのは「湖の本」一冊の規模に応じているのだが、他に、この長編は、「八重垣つく る」という見だし以外はすべて小倉百人一首からの随意のかつ意図的な引用を重ねていて、アテずっぽうはしていない。分かる人には、その一つ一つの歌句見だ しだけで、ついて行ける道が辿れる。「読む」のが「難しい」と大昔からさんざぼやかれてきた、こういうのも元兇のひとつなのだろうだが、「把握と表現」と はさぼっていない積もり。爺さんの性行為だけしか見えない読めないのでは、なあ…。

2019 8/4 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

性    よく身上相談などで、「彼は一個の精神的人格として、私を求めてゐたのではなく、ただ私を通じて女を求めてゐるだけだ」などといふ憤懣が語ら れます。が、ロレンスにいはせると、「それなら、まことに結構」といふことになる。男は女のなかから花子を選びだしてはならぬ、花子のなかから女を引きだ せ、さう、ロレンスはいひます。もし男が他の女ではない花子を選ぶとすれば、その花子が相手の男にとつて最も女をひきだしやすい女であるといふ理由をおい てはない。さういふ恋愛と結婚とのみが、真の永続性をかちえる。精神だの人格だのいつてゐるからいけない。といふより、誰も彼も自分の性欲を、精神的人格 といふ言葉のかげに、押しやつてしまふ。人々は性に触れたがらない。いや、直接に触れたがらない。精神的愛といふ靴の革を通して、霜焼けを掻くやうに性欲 をくすぐつてゐるだけだ。さうロレンスはいつてをります。

 

* 上の語録は、福田先生の奥様から「謹呈」して戴いている。これを出されて福田先生は逝去された。奥様は、いまもわたくしからの送本を「心待ち」に老境を静かに過ごされているとご家族に伺っている。

2019 8/5 213

 

 

 

* 昔の唱歌を聴いていると自分の力が想像以上に衰え弱まっているのを実感する。秤の重さが現世側で著しく軽くなっているのを予感する。もうちょっと、も うちょっと、待って貰いたい、もう身の回りを片づけようの始末しようのなど考えない、しておきたい仕事をしておきたい、待ってもらいたい。待ってもらいた い。

2019 8/5 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

美 感Ⅰ    不潔を悪であるとする考へ、といふよりは不潔にし か悪を意識しない心理、これはかならずしも神道的観念に養はれた古代日本人のばあひにのみいひうることではありません。現代の日本人についても、そのうち でももつとも西洋的教養を身につけてゐるひとたちについても、そのまゝあてはまるのです。

日本人の道徳感の根柢は美感であります。そして、その美感の最低限を示す原理が「汚れてゐない」といふことであり、それがまた同時に最高原理にもなりうるのです。つまり、「汚れてゐない」といふ「醜悪の欠如状態」が積極的な最高の美にもなりうるのです。

私は、日本人のさういふ美感が、明治以来、徐々に荒されていくのを残念におもふと同時に、またそれだけが頼るぺき唯一のものであり、再出発のための最低の段階であると信じてをります。

日本人に「罪悪」の問題を識別する抽象化の能力が欠けてゐることはたしかであり、それが調和を愛する感覚的美感によつて助長されてゐることもまた疑ひの 余地のないところですが、さればといつて、これを土台としないかぎり、私たちは動きがとれないのです。第一、それを無視して押しつけてくる抽象的観念とい ふものにたいして、私たちの美感は、そもそもそれを歪んでゐるものと見なすでせう。

 

* どんなに雑然と暮らしていても、美感を棄てて生活はしていない、雑然なりの美感のあるのを知っていて、十分にとは容易でないが少しずつでも身辺に美感 への工夫はしている。それが他の者の美感に副うているかどうかは知らない。いたるところへ視線を動かした先にわたしなりに「佳い」視野を生み創ろうとはし ているのだ、わらわれようとも。繪、書字、写真、本、物、そして音楽。どんななにものにも美感への素質はある。こちらに応じて活かす気がアレバのはなしだ が。

2019 8/6 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

芸 術Ⅰ        ユートーピアならざる素の人生はなんぴとにも芝居を許さない。演戯の自由を与へない。ひとびとはしかたなく芸術といふものにすがりつくのであります。いくら芝居気の多い芸術家にしても、実生活では、芝居をしとほすわけにはいかぬ。が、他人の芝居にすがりつくだけではがまんできないのです。そこで、自分の芝居気をもつともよく満足させてくれるやうな架空の世界をつくつて、わづかに自分を慰める。それが芸術といふものです。

 

* 辛辣なようで、まことに「本当」の断言である。どれほど読書しても観劇しても鑑賞しても、それで満たされない「溢れもの」をかかえていたから、いるから、私は小説を書き、論攷し随想し、歌も詠んできた。秦 恒平が吉野東作に語らせるという手法は思いの外に楽しかった。

「芝居気」というキーワードでわたしは「谷崎潤一郎の本丸」に逼れたと今も思っている。松子夫人はとてもよく分かっていて下さった。水上勉さんのように真顔で、「秦さんは、谷崎夫妻の隠し子では」と編集者に囁かれたというのも、ふしぎな機微に不れておられたのである。

2019 8/7 213

 

 

* 朝から、もう十何度目になるのか「清水坂(仮題)」をまた読み返していて、その感覚に推されて前へ出ようと。読む。読む、読む。そして把握をつよめ表現を呼び寄せる。 2019 8/7 213

 

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

ご連絡遅くなりましたが、湖の本第145巻 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第二部、無事に受け取っております。ありがとうございました。

振込用紙を入れていただきたかったのに、ちょっと困っています。第三部の配本の際には是非わたくしには振込用紙を同封なさってくださいますように。

みづうみが今回の本をわざわざ「呈上寄贈」としてご遠慮なさる必要はどこにもないと個人的には思っています。性愛が大きなテーマになっている作品に性描写があるのは当たり前ですし、性愛を通して人間の真実に迫る試みであればなおさら避けられないこと。

今時は 新聞小説でさえ過激な性描写が堂々と描かれて社会的に許容されています。思い 出しても、渡辺淳一、林真理子、高樹のぶ子の連載等々、昭和のはじめであったら発禁ものでありましたが、時代はどんどん変わっています。ジェイムス・ジョ イスやD・H ロレンスが破廉恥と集中砲火をあびたのが嘘のよう。

そもそも、わたくしはまだ中学生くらいの時に家にある本の山から 『ファニー・ヒル』も取り出して読んでいた記憶があります。当時は内容がよくわからなかったし、面白いと思いませんでしたが…。けしからん文学少女でした。

こんなふうに書くと 生来スケベ心のある読者なだけと笑われるかもしれませんが、性的妄想さえ恥じる品行方正を信条とする人間なら、そもそもあらゆる「小説」の「読者」にはならないでしょう。「品行」と「品性」は別ものです。

現在ダンボールに埋もれて、色々なものが行方不明になっているので落ち着いて感想を書 かせていただく環境にないのですが、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は 「男」の真実を知るための一冊、そして「男」について「女」について考え続け てきたわたくしには山ほどの問題提起をしてくれる本当に面白い作品だと、まずお伝えしておきます。

手厳しい意見があるとすれば 性描写についてではなく (これは見事なもの) むしろフェミニズムの観点からありそうで 大いに論客の皆様で議論を戦わせてほしいと思います。ただしこの作品はかなりの難物で 私に読みこなせる力量があるかどうか、まったく自信がありません。

「吉野東作」という主人公の名前で すぐに「上田秋成」のことを思い出したのは、わた くしがみづうみの長年の読者であるからにすぎなくて、作者の真の意図にはまだ思い至れません。もう少し作者からのヒントをいただけたら、などと虫がいいお 願いをするわけにはいかないでしょうねえ。

今回はあとがきについて簡単な感想を書いておきます。

 

>『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、老人の性交為をおもしろづく書こうとしたものでは全然無い。今度の作で意識の芯に置いていたか知れぬのは、「一夫 一婦」というある種模範的な、ある種無惨な人類史の「一制度」がもたらしているかと思われるきついヒズミを、せめて指摘だけはしてみたい思いであった。夫には「妻」、妻には「夫」が生涯に占めている、重さ。

 

「一夫一婦制」を批判するのは女より圧倒 的に男が多いと思いますが、この制度は男が自分の財産や地位を自分の血を分けた子にだけ継がせたいというところから始まったという説を読んだことがありま す。男の女への強権支配の一つでありました。それ以前は日本にも「夜這い」の時代があり、母親の産んだ子の父親は正確には誰かわからなくて、集落全体で育 てたような時代があったとか。

一夫一婦制が確立してから現代にいたるまで、まじめな「男」ほど、皮肉にもこの制度に手枷足枷のように縛られる不自然に苦しんで? きたのかもしれませ ん。「一夫一婦制」がもたらしているかと思われる「きついヒズミ」は男の側により大きい。男の性はどこまでいっても一夫多妻志向だからです。「一夫一婦 制」は男側のモラルがより多く問われるものです。

わたくしの素朴な疑問は「一夫一婦制」を批判する「男」は、はたして自分の妻が他の男と性交渉をもつことを許容するのかということです。妻が他の男と寝 ることに平気でいられるのか、育てているのが自分の子かどうかわからない状態に耐えられるのか。そんな男が一般的になる日がくるとはとても信じられませ ん。吉野東作さんは、自分と同じように妻が若く性的に旺盛な男と不貞行為をすることを歓迎できるでしょうか。妻を愛していればそんな地獄に耐えられるはず がないと思うのです。『暗夜行路』の時任謙作はただ一度の妻のあやまちでさえ苦悩深かったのですから。

「一夫一婦制」のヒズミをいう場合、多くの男は自分が裏切られることは想定外で「一夫一婦制」を批判しているのではないでしょうか。もちろん、現実には 妻側の婚外交渉も少なくないのは承知ですが、夫側の裏切りほど公然とはされてこなかった。むしろ妻の人生の一部には必ずといっても過言ではないほど、夫に 裏切られる悲哀と苦悩が存在してきたのではないかと思います。どんな誠実な夫であっても、この点に関しては浮気性で遊び人の男と似たり寄ったりと思ってい ます。これは女が怒ってもどうにもならないことで、しかたないとしか言いようがないのでしょう。

 

>「愛と性愛との衝突」を問うている

 

 

 

これは男と女ではまったく違う様相をして いる指摘だと思います。極論をいえば加害者と被害者のようなコインの裏表の問題です。男の場合は愛と性愛が必ずしも重ならないのに比べ、女には愛と性愛は 分けられない。分けられたとしても少なくともこの二つが衝突まではしない。吉野東作との性愛を極めて「愛」に届かない雪繪の絶望はそこにあったのではない かと悲しみます。結末のむごさはショッキングです。結局吉野東作は自身の日常生活を変えることなく生き続ける「男」という加害者であり、雪繪は「女」とい う被害者として終わってしまった。

しかしながら、吉野東作はひどい男ではまったくないわけですから、益々始末がおえません。男が誠実に男であろうとした結果、あるいは男の自然に従った結 果、かくなる惨状が露呈した。吉野東作の罪深さは、男というものの定めであり業であるのかと、女である私は慄いていました。男というのは結局そういう性的 存在であり、それにつきあわなければならない女もその程度のものであるということになるのかもしれません。

 

 

演説メールになっていないことを願いま す。この『オイノ・セクスアリス 或る寓話』本文についてわたくしが思うことは、じつはもっと強烈なのですが、それはまたじっくり考えて書いてみます。 「湖の本」のお蔭で、わたくしは一生考えることには困りません。あと何十回生まれなおしても足りないくらい。

 

 

今日も猛暑日だそうです。外出などなさらずクーラーの効いた部屋でゆっくりお休みいただきたいと思います。

右眼も大切になさってください。受診も早めになさいますように。

わたくしは午後から外出しなければならないので戦々恐々。

闇   金亀子(こがねむし)擲つ闇の深さかな  虚子

 

 

* まことに幸せな作者だと感謝する。

その一方、まだまだスレ違っている要所があるなあとも感じている。

「一夫一婦」制は 歴史的に観て男からの要請、女への強請であったろうか。女性こそが歴史的に久しく切に願望し要請し形成してきた制度かとわたくしには見えている。

明治から(ごく控えめに)敗戦までの(と遠慮しておくが)日本の支配的男社会は上層部や富裕層ほど 「一夫一婦」制など奉じている気も必要も認めていなかったろう。わたしは子供の頃から妾宅へ出入りの男大人の例を幾らも見知っていた。わたしはイヤだと思っていた。

わたしが「一夫一婦」を今度の作で問い直したのは、本来は女性側の願望として起ち上がりながら、西欧的なフリー・セックスやウーマン・リブ、フェミニズ ム等々の思想的洗礼を受け容れ、むしろ性的に解放されてくればくるほど、「一夫一婦」制は、むしろそれゆえの嶮しい制約かのようにも見始めていないか、 と、問うたのである。信頼に足るという広範囲な社会学調査の数字もそれを裏書きしている。解放された今日の女性の好色(コケット)からすると妙に制度的に 「超えがたい制約」に変わってきているのではと。そこでわたしは「性愛」と「愛」の差異を、少なくも認知しかけたか、とは謂えるのかも。

もっともこの作に籠もった主題は、しかし、性では、制度では、無いと自覚している。「吉野東作」の根が、あの平秩東作よりも「上田東作」に生えているか という自覚もそこにあるが、残念ながら長島教授にもわたしの「ひっかかり」を解く文献も研究も「ありませんねえ」とのことであった。

 

 

* わたくしの内なる「闇」へまた迷い込む手がかりにも、「第三部」の「あとがき」を読者へお届け前ながら打ち明けておこう、か

 

 

私語の刻   湖の本146 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部完の後記

 

むかし まだ子供の頃にも、「親子か夫婦か」という選択にわたしは終始一貫 夫婦 と口にし、内心にも思っていた。「肉親」という存在への徹底的な失望 感 喪失感を持ち続けていたのだと思う。「世間」で出会った「他人」の中から「真の身内」、独りしか立てない小さい島に何人ででも立ち合える、そういう 「身内」をと切望し続けた。生みの親たちや、得た娘や孫を思うとき、冷え切った血縁にひたひたと胸を浸される悲しみに身もよろめく。わたしの内なる愛は (息子建日子と孫やす香と実兄北澤恒彦の他)悉く血縁の外へ外へ漏れ零れていった。新作の長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』では無謀なまでかすかに それを取り戻そうと喘いだらしい。「真の身内 島の思想」は逃れがたいわたしの運命であり発見と願望であった。

今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行く経過となった。しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、肯定しつつもそれがとかく 「所有」の思いに帰着し固着するのを惟(おも)い、しかし「愛」とは「共生の生」を謂うのであると思い寄っていた。「性愛」に執(しう)すればむしろ「真 の愛」に背くか遠ざかるのではと。

『オイノ・セクスアリス』に、作者は、「雪」ないし「雪繪」と呼ばれる、まだまだ若い女性を、もっとも多く言葉を費やして創作した。が、思い有って、人と して女としての印象を、内容は複雑なまま説明は一切抜きにすべく、語り手から「相手・他者」として関わり描くのを敢えて避けた。ひたすら「独り」の女をた だ「一方向き」に描いた。ごく最初の出会い場面以外では文字どおりの「対話」場面は無く、ひたすら女の「独り語り」ないしその記録に徹した。こういう書き 方を、わたしは意図して、初めて試みた。しぜん長編の「創作」として、かなり効果をあげたか知れないのは、「雪」「雪繪」と名告る若い女性を、徹して 「メール」という手段でのみ人物表現できたことかと思っている。ちょっと愉しい「ラヴレター」の創作であった。作家として、過去無慮無数に受け取ってきた メールの断片が女性の造形に「ヒント」を呉れいい「役」をして呉れた。「メール」は、通知や交渉や陳述であるより、自然と「恋文」になりやすい表現手段で あろうと、機械(パソコン)を使い始めた二十数年前から予感していた。

結果、女の印象は一面的にだが、徹底した。そのため、あたかも「雪」「雪繪」がこの長編の「女主人公・ヒロイン」であるかとつい読まれるであろう、それ も作者は意図に容れつつ、しかしこの長編小説で彼女「雪」「雪繪」は或る意味、疎外された「独りの他者」のままに終えて行く。この小説の主人公は、決定的 に語り手の「吉野東作氏」その人であり、小説世界は一貫して、彼自身の「生まれ、死なれ、死なせ」て「生きている老い」が、幸とも不幸とも云わず終始無残 なまでに語られる。「オイノ・セクスアリス」の「オイノ」は、読みようでは「老いの」よりも「俺の」でもありますねと、すでに一読者から指摘されている。 早い時期の小説『初恋 雲居寺跡(うんごぢあと)』の「雪子」を「また書いたか」とも指摘されている。この吟味や検討は、「愛」と「性愛」に触れて微妙な より多様の推量を読者に要請するだろう。性愛は「相死の愛」と。愛は「共生の愛」と。その思いを覆す理解に今の作者わたしは思い当たらない。

それにしても、昨今、死なれてしまった人たちのことが、しげしげと思い出される。此の十年掛かりの長編小説も、割り切って謂えば、『死なれて 死なせて』というわたしの主著の一冊をあだかも物語化したとすらいえようか 倶會一處(くえいっしょ)。ま、所詮「罪は、わが前に」いつもあってそんな五 十年を歩み続けた「記念」の作になったのかと。自身 書くべきを、思い切り書いただけ、書かなかったら悔いたであろう。

余儀ない次第で、第一部から、歴史ある正統基督教への「不承の言」を多く吐いている。横道へ逸れたとは思わない。かねてミルトン『失楽園』を繰り返し愛読しながら、今日の解放神学やジェンダーの著の何冊にも目を配ってきた。

性行為の容儀などは、所詮は当事者間のいわば勝手で、ハタが喧しく批評できることでもすべきことでもない、ただそこに犯罪意志や行為がまじってはならな いだけ。しかし性の交わりに、罪、原罪などと持ち込んだ古代・中世基督教の宗教感覚は、普遍かつ不変とは到底思いにくかった。アウグスチヌスの言うように いえば、人類は絶えて仕舞ってこそ神意にかなうのかと反問せざるを得なかった、かえって今日現代世界の性的紊乱と暴走の頑固で滑稽なほどの根は、カトリッ クにこそあると思わざるを得なかった。

作者が踏み込んで書いた分、読まれる方は何かとシンドイことでしょうと思う。それでも作家生活満五十年、少なくも、必然、これは書かねば済まなかった作 と思え、さらに先があるとして、それゆえにかなり多くの、久しい、ことに女性の読者を喪うかもしれなくても、作者としてそれは一つの納得である。納得はま だまだ幾重もの先を擁しているはず、さらに先を先を「書く」ことで彫り起こす以外にない。

「吉野東作氏」を本質動かしていたのは、「生まれた」という根の哀しみと、死者への思慕とで、「オイノ・セクスアリス(老境の性)」は、有ってよし、無くても仕方なく、「相死の生」はどう数を重ねても所詮不毛と見ていたのではないでしょうか、と自分に問うている。。

ソクラテスの『饗宴』を読み返し、此の「寓話」を書きながら、「性愛」を論じていた気鋭の或る学究の本に只一度も「美」に触れて語られていないのに、語り手の「吉野東作氏」が不満を漏らしていた箇所を思い出した。

ソクラテスに「愛」を教える聖なる智者の巫女ディオテマは、「要するに、愛とは善きものの永久の所有へ向けられる」と云いきり、それは、「肉体の上でも 心霊のうえでも美しいものの中に<生産>することです」と言い切っている。「生産は ただ 美しい者の中でだけ出来る」とも。従って「産出に際して運命の 女神や産の神の役を勤める者は<美の女神(カロネー)>なのです」と。

「ソクラテスよ。本当のところ愛の目指すものは、貴方の考えるように、必ずしも美しい者とは限りません、」「美しい者の中に生殖し生産することなので す。」「では、なぜ生殖を目指すのでしょうか。」「愛の目指すところ善きものの永久の所有であるとすれば、必然に出てくる結論は、愛の目的が不死というこ とに在るということになります」とディオテマはソクラテスに教える。あの、アダムとイヴの生殖の愛を決定的に女の躯の死すべきほどの「悪」と否定した 正 統基督教の教父や教皇らの姿勢や理解とは、まったくかけ離れている。ギリシャの性愛にも日本の性愛にも「神」的に美しいちからの臨在が云われ、基督教では 神が見放した女ゆえの悪かのように断罪され、その行き過ぎの是正が性的放埒へ濁流となって流れている、嗚呼。

2019 8/7 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

猥 褻   チャ タレイ裁判のときにも問題になりましたが、猥褻といふことと性的刺戟といふこととはちがひます。前者は好もしくないが、後者は好もしいことであります。私 たちは大義名分とかかはりなく、性的刺激をそれだけで快く受けいれるべきなのです。壮年には壮年の性的刺戟があり、老年には老年の、そして幼少年には幼少 年の性的刺戟がある。もしそれを悪しきもの、有害なものと見なす観念が私たちを支配しだすと、そのときにこそ猥褻な心理が動きだすのです。

〔注・「チャタレイ裁判」とは、ロレンスの小説『チャタレイ夫人の恋人』出版の是非をめぐる裁判。現実)の「結合」 の章、参照〕

 

*  「性」の意識・自覚を欠き、隠し、心身とものけぞり避けて遁れるフリをする。猥褻は、まさしくそこへ付け入る。

 

* 冒頭に掲げた「方丈」二字の気品・気稟に、毎朝一番に接する感服と喜悦は、ちょっと他に例がない。この「方丈」に生きたいと真率願う。

2019 8/8 213

あのよよりあのよへ帰るひと休み

 

高校時代 この雄渾二字に逢いたいばかりに 近くの東福寺へ足をはこんだ。

 

 

* 小泉進次郎と「おもてなし」女史との「出来ちゃった婚」のアッケラカンと当たり前な会見は、日本の男女の性的関係も「ここまできたか」と思い入る。こ れで、「婚前性交渉の当然感覚」は一気に奔流し、あたかも正当化されるだろう。幸いにこのために両親が夫妻として安定してくれるならいいが、無軌道の「落とし子」としてこの「私」自身のように無責任に 投げ出されずに済むことを願う。わたしはいい養家を得、強い意識で自身を育てたが、誰もが出来ることでない。

「幸せな愛ある夫婦としての結婚と性行為ならば許そう」とカトリックは、男女の性交をまるでイヴ(女性)の堕落行為として、ながい歴史のさきのさきで渋々認知し祝福を約束した。離婚は許されないと。

しかし、 夫婦の愛の不確かさはいたるところで認められ、それ故にも、婚前に永遠の愛を確認し合わねば、しかしそれは「性愛」抜きでは難しいと、若者達は好都合にまずは「からだで付き合い」始める。そして愛よりも性慾が先行し、養育の 責任を父からも母からももたれない子が生まれて、この世で孤立しかねない、あちこちで。現にそうなっているだろう。親たちの子殺しも増えている。

期待の政治家、小泉進次郎ら夫妻には、大きな責任が生じるのを、しっかり理解し担って欲しい。

 

*   このところの私の驚嘆は、嬉しいほど、こわいほど、「アンナ・カレーニナ」にある。これも、要すれば「性愛」「性慾」ゆえの悲惨に陥る。

 

* 尾張の鳶から届いていた長編へのかなり長いと想われる感想が、ほたしのインターネット・エクスプローラが昨日していないため読み出せないままになって いる。この超古物機械は至る処でひっかかって働いてくれない。単純なメールがいちばん有り難い。幸いにメールは昔と違いよほどの長文も届けてくれる。

2019 8/8 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

言 語         「それは頭で考へた事だ。」私達はよくさう言ふ、勿論、悪口である。考へるのは大脳の役割であるから、頭で考へなければ何で考へたらいいのだ、手脚で考へ ろとでも言ふのか、そんな文句が返つて釆かねない。

しかし、私達は物を考へる時、事実、手脚も使つてゐるのではないか。手脚ばかりではない、姿勢、脈搏、息遣ひ、その他、全身のあらゆる機能を 使つて考へてゐる。物を考へれば、自づとそれらすべてが同じリズムのもとに統合、制御される。思考は肉体的行動なのである。これは比喩ではない、事実なの だ。

私達はその時々の目的を意識して行動する。が、最終目的を意識してゐる訳ではないし、誰もそれを意識する事は出来ない。物を考へるといふ行動も同じ事で あつて、差し当り必要と思はれる事を考へるだけの話で、究極の結論や解決となると単純な肉体的行動以上に意識出来る筈のものではない。

よく人は言葉は自分の意や心を他人に伝へる道具だと言ふが、もしそれが道具なら、相手の手もとまで届かぬ梯子の如く不完全なものであり、人はそのもどかしさに悶え足掻く。意も心も他人には絶対に伝らぬ。伝達可能な意や心は伝達するに値しない。

言葉は伝達の具ではなく、訴への具である。さういふ言葉だけが生きた言葉であり、生きた言葉で書かれた文章だけが有機体のリズムを持ち得る。

 

* 「生きた言葉で書かれた文章だけが有機体のリズムを持ち得る。」と。

生きた文体の意味であり、強く確かに把握された表現のことであり、小説や随筆でいえば、名品、秀作の適確に脈動している表現である。

いや実は是は言語での表現に限らない。美術の場合も同然である。

2019 8/9 213

 

 

* こんなことは、分かったこととして男女の誰もが知識し承知しているのだろうか。

「貞」という漢字は、もともと探湯盟誓(くがたち)や湯神楽、いずれにせよ罪を問う「卜問」の原義をもっいる。不貞は然様に顕れる。

その一方、貞淑、貞潔、または不貞等は、漢字文化のもとでは、全面、女子の誠・不誠をのみ問題とし、惘れるほど男子は貞・不貞を問われていない。

『アンナ・カレニーナ』の冒頭では、夫オヴロンスキーのいわゆる浮気の不貞が妻を泣かせており、懸命に義妹アンナ・カレーニナに慰められて夫を許している。

しかしこの物語の凄惨な悲劇の行方は、そんなアンナ・カレーニナ夫人自身の「不貞」に対する、「女性ゆえ」に容赦なき社会的・世間的糾弾で決まって行く。

帝政ロシアでも、しかしそれはいっそ例外に近い悲劇だったが、漢字世界では、女の不貞は容易には許容されなかった。少なくも言葉や文字の上で「貞潔」は 女に求められ「不貞」は女に罰せられた。もっとも最近では、やたら男共が率先してか強いられてかテレビ電波を利用して天下に頭を下げている。世の中、良く なりましたねと喜ばれているのだろうか、ナ。

2019 8/9 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

夫婦の理解    「理解」はけつして結婚の基礎ではない。むしろ結婚とは、二人の男女が、今後何十年、おたがひにおたがひの理解しなかつたものを発見し あつていきませうといふことではありますまいか。すでに理解しあつてゐるから結婚するのではなく、これから理解しあはうとして結婚するのです。である以 上、たとへ、人間は死ぬまで理解しあへぬものだとしても、おたがひに理解しあはうと努力するに足る相手だといふ直観が基礎になければなりません。同時に、 結婚後も、めつたに幻滅に打ちまかされぬねばり強さも必要です。

 

* 概して、私も同感できる。

2019 8/10 213

 

 

 

☆ 仙人

お元気ですか。みづうみの白いお髭の写真、文学仙人みたいです。なかなか気に入りました。Tシャツが黒っぽいと、あるいはお着物ですと もっと仙人になりそうです。

 

 

 

「一夫一婦制」が女性側の要請であったと いうのは一度も読んだことも考えたこともありませんでした。わたくしの見解が間違っていたのだと思いますが、女の願望で男に「一夫一婦制」を承認させるほ ど、それほど女が強かったとはなかなか信じられません。男は昔も今も圧倒的な強者です。フェミニズムなんて所詮ごまめの歯ぎしりに過ぎない、特に日本で は。

さらに、もし女側に願望があったとしたら、それは一夫一婦制のかたちをとるのではなく「多夫多妻制」ではないかと思うのですが。

 

「一夫一婦制」であろうとなかろうと、実 質的に男は自分たちに都合のよい一夫多妻をずっと生きていると思います。建前としての「一夫一婦制」を利用することに男側のメリットもあるから、この制度 が現在も続いている。男側が有利でなければ「一夫一婦制」がこんなに長く続いているはずがないと思います。男は建前を堅持しつつ、自分の好き好きに一夫多 妻を、「吉野東作さんのようにでも」生きている例が多いのではないでしょうか。厳密な意味で「一夫一婦制」を実行しているのは、現在の天皇陛下くらいだろ うと どこかで読みました。

 

キリスト教の女性蔑視、女性差別はもちろんそうでありましょう。ですが、イスラム教や儒教や仏教に比べたら、まだキリスト教がましではないかと思っていますが、このあたりは如何でしょうか。

イブは諸悪の根源とみなされていたとしても、男を惑わすほどの魅力を認めている点で、女子と小人とは……の世界より女に少し重きがあります。みづうみのお考えを、もし機会がありましたらお教えいただければ幸いです。

 

昨日 チェーホフの「カシタンカ」を読んだのですが、ため息しかなく相当めげてしまいました。生涯左派に投票し続けた男チェーホフは、ましな飼い主からひどい元 飼い主のもとに嬉々として戻って行くカシタンカという愛らしい犬の姿にロシア国民をみていたのではないかと思い、それがそのまま日本国民のことと重なって しまいました。むごくてせつない話です。傷がひりひりして涙さえ出ない。みづうみがチェーホフについて書いた文章が胸深く響くのです。それにしてもこんな 短編一つにでも、チェーホフの見事なそして救い難い才能が!

 

 

 

明日(=今日)もたぶん猛暑。クーラーの中でお静かにお過ごしくださいますように。

 

 

 

炎  骨の音させて溽暑の立居かな   大野林火

 

 

 

 

 

 

さきほどホームページから仙人さんの写真が消えて さっぱりしたみづうみに変わっていました。少しがっかりしています。

 

 

* メールにも人それぞれのクセがあるというか、この読者のメールは少しくむ「挑戦的」であっても快い刺激と問題提起にいつも満ちていて、時にはいささか気押され、閉口もする、が、快くもある。

最近もらったメールに、「この一年は、公以上に私的な人生の転機となりそうです。(今はまだ、そうとし か言えません。)」というのがあり、何、これ、と。メールでは「思わせぶり」に「吾が田に水を引きたげ」な語りかけは、意味をなさな い。インテリジェンスのズッコケのようにしか受け取れない。

 

* で、さきの率直に端的なメールだが、チェーホフへの思い入れには深く共感。

女性差別は、「イスラム教や儒教や仏教に比べたら、まだキリスト教がま しではないか」とのこと、適確な知識も無くそういう比較は、私には出来ない。わずかに「佛教にくらべたら」という点、他国は知りませんが日本の顕著な祖 師・大師佛教で女性をアウグスチヌスや古代中世の教皇たちが女性に示したような無意味な暴言は誰も吐いていないようです。

源氏物語で、ただ一人、ガンとして光源氏の求愛に従わなかったのは、「槿 アサガホ」という貴女でした。男の来訪と愛をただ待つ寝殿造り對屋や壺の一人になど、なろうとしなかった。

女の誰もが男 制度の一夫多妻を心に厭いつつ随順した歴史は、何よりも「皇室」を第一義の「例」として実在した。日本の皇室は「男系の皇胤皇統」を絶対に必要としたから。

現在、ないし一二代前からの敗戦後天皇さんらが、あたかも率先したかのように一夫一婦制を「象徴」的に実行してこられた、必然のツケが今ないし明日、明後日の喫緊の問題になっています。平成 夫妻の一夫一婦のみごとな実例はまことに麗しかった、しかし、久しく久しい男系皇胤天皇制厳守の日本史が袋小路に入りかけている、とも謂える。

「一夫一婦」を内心に願い続け た久しい日本女性の意向と願望とは、敗戦後の新憲法で制度化ないし同然となり、それゆえの皇室をめぐるてんやわんやはこの先でこそ続くでしょう。

一般国民の性を伴う男女関係は、完全に放免まては手放しの状況へ無軌道化し、男女を問わず、「性的お付き合い自由・出来ちゃった婚当然」の時代へ、実は、もう、とうから歩んでいて、今回「小泉・ク リステル」カップルにより「模範的な社会常識」化したものと見える。久しく久しい男系日本史の果てへ来て、「女の勝ち」機運がいましも見えてきたのか、どうか。

 

 

* 「も し女側に願望があったとしたら、それは一夫一婦制のかたちをとるのではなく <多夫多妻制>ではないかと思うのですが」という発言もサキのメールにあっ た。もう少し聴いてみたいが、教会による「祝福」制結婚の事実上の質的無意味化が働いてくると、性的に自由と日常の行為で自認した社会、先行社会では、事 実上の多夫多妻そして子供は社会が養育という思想が揺らめく水の影のように先行しているのは、先進国ほどありえているのではとわたしは観じている。今日の 西欧思想とはよほど異なるけれど、ソクラテス・プラトンらの思索的な討論の中にもすでにそういう兆しは皆無だったのではない。

 

 

* ま、深入りできる用意はない。わたしには「清水坂」を駆け上るか駆け下りるか、が、目下の難儀。

2019 8/10 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

自己表現     おのれがおのれを表現しうるーーそんな安易な考へに頼つてゐるかぎり、われわれはせゝこましい告白のリアリズムから脱け出られぬであ らう。われわれが敵としてなにを選んだかによつて、そしてそれといかにたゝかふかによつて、はじめて自己は表現せられるのだ。

2019 8/11 213

 

 

* 一日 「清水坂」に立ち竦んで動けない。体験したことのない怕さ。ものは見えて聞こえているのに入れない。「清経入水」の序詞でも似た感じはあったが、あれは怕かったのでなく、不思議なのだった。こんな思いは初めて。

 

☆ メール、うれしく、

厚く御礼申し上げます。恐縮です。

 

じつは、本棚の秦さんの本を並べかえたりしていまして、「六義園」に逢えました。

 

それで、 『廬山』 を読みました。 長い年月を待って、間に合った祖父母に、恵遠になった劉が、

 

「此の世のことはみな、夢まぼろしと思せよ」の一言 を、また聞けました。

 

恵遠が、秦さんの日本語で言ってくれてよかったです。

ありがとうございます。 励みます。 励みます。   千葉市  e-OLD  勝田

 

* 『廬山』かァ。懐かしい。

目の上の書架に、550頁平均のわたしの「小説」選集が18巻分並んでいて、芥川賞候補作となり、瀧井孝作先生、永井龍男先生に推された『廬山』は、そ の第四巻目に、「蝶の皿」「青井戸」「「閨秀」「墨牡丹」「華厳」とともに並んでいる。不十分で恥じ入る作は一つもない。今も読んでいて下さる方の有る有 り難さ。冥利である。

 

* もう書き進むしかないまで読み替えした。書く、しかない。

 

「湖の本146 第三部完」の納品へ、きっちり十日。発送の用意はもう出来ていて、半日の歌舞伎を楽しむほか仕事は書きかけの長編を書き進めるだけ。ただ書けばいいわけでない、覚悟して十分にしかと書かないと、惨事に落ちる。勝田さんのメールが、今夜はことに嬉しかった。

2019 8/11 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

便利(前略)     昔はあつたのに今は無くなつたものは落着きであり、昔は無かつたが今はあるものは便利である。昔はあつたのに今は無くなつたものは幸福であり、昔は無かつたが今はあるものは快楽である。幸福といふのは落着きのことであり、快楽とは便利のことであつて、快楽が増大すればするほど幸福は失はれ、便利が増大すればするほど落着きが失はれる。全く奇妙なことだが、人は暇をこしらへて落着きたいと切望し、そのために便利を求めながら、その便利のおかげでやつと暇が生じたときには、必ずその暇を奪ひ埋めるものが抱合せに発明されてゐるのだ。つまり、便利は暇を生むと同時に、その暇を食潰すものをも生むのである。

 

* ここで謂われる落着きとは明静・静穏の意味で、落着(らくちゃく)のことではない。

 

* 古代のプリニウスが、「自然が人間に与えてくれたあらゆる賜物のなかで、時宜をえた死ということにまさる何物もない、その場合にも特に最上のことは、 誰もが自分自身で死の時を選ぶことができるということだ」と云う、前半の「与えてくれた」ではなく「与えてくれる」ならば頷く、が、後半は言い過ぎではな かろうか。自然がそんなことを人間に教えているとは、まして最上の教えとは、わたしには、今、感じられない。人間の側に高慢がありはせぬか。

2019 8/12 213

 

 

 

* 心待ちにしてきた「尾張の鳶」さんの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』への 批評・感想が届いた。有難う。こうも読まれれただけで、「書い」てムダでなかった。有難う。

しかし「選集」に一巻という纏まった形で作が本になったのは、六月末のこと。「湖の本」版で第一部 が送れたのは桜桃忌だった。

第一部だけで、五十人ほどの以降受取拒絶に遭ったが、予期の範囲。その後にも断片的に感想は届き、そつどわたしは常ならしな い、作の意図や姿勢や願いをこの日記に漏らした、いささか誘導に類するかと気が咎めもしたが。

 

* 全文の紹介には却って誤解を導きかねぬモノもあり、それは避ける、が、感謝を込めて、なるべく送られてきた感想ないし批評・批判・非難の大方を(整然 とした書きようではなく、日記風であるのだが、)ここに示しておきたい。断っておくが、この人は文学研究者でも批評家でもない。一家庭婦人で、祖母 でもあり、詩を書き繪を描き、相当に広範囲の世界を旅し、京大出という縁からも京都に、京都の貴賎都鄙や差別問題に、とくべつ詳しい人である。私より十ほどは若い。

 

☆ 感想 (『オイノ・セクスアリス 或る寓話』への)

 

「今度の長編で、「創作」としてもっとも「効果」をあげたかも知れぬのは、「雪」「雪繪」と名告る若い 人を、徹して「メール」という手段を活かし人物表現できた ことかと思っている。なかなか「愉しい創作」であった。」

作者はそう述べています。

メールという形式は、時間の経過を窺える利点があると同時に、お話し、お しゃべりであるならば、深い掘り下げができないという欠点もあり得るとも。(若い人より年配の人が多いと考えられる)読み手は、彼女を魅力あるヒロインと して捉えきれないのではないかと危惧します。

 

* 秦   「魅力あるヒロイン」と読まれる必要はなく。若い大学出の普通の女性のいかにも「メール」依存の日々がこうなのであれば、人と しての評価などともあれ、生活も人がらも感覚もきっちりそれらしく伝わると作者は勘定をつけていた。このメールは、モデルなど有って出来る表現ではない。

 

作者の十年にわたる長い道のりに多くの思索、探求、工夫、戸惑いがあったかを、遠くから察します。

ジェンダーやカトリックなどさまざまなことを思索しての、そのうえでの現時点での総決算に近い思い、問題提起でありましょう。カトリック、プラトンの思想など容易にわたしの理解の及ばない点も多々あるので、脇に置きます。

現実の作者と作中の吉野東作氏が、奇妙に微妙に重複し、同一人物とも。ごく自然な手法ですが、この作品においては重複の度合いが増していると感じます。現時点 で「選集」を読める幾分間近な位置にいる読み手には、東作氏と作者を分ち難く、互いの翳が濃く重なって感じられます。小説家と、出版印刷業に携わってきた人、ダブルの映像、ほぼ重なり、 同一人物として読みます。

 

* 秦   離れるも近寄るも 作者がわざとの意図で、どう読まれようとも読者しだい。

 

何故、小説家は他の人に「投企」するのでしょうか。投企・project・・自己の存在を他者に託し、その存在を肯定・了解し、小説の中で他者として描 写することで創造の可能性を見出しています・・が、それ以上に突き放して他者・吉野氏を自在に動かしているようにも感じます。

 

* 秦  「突き放す」のでなく 吉野東作さんの好き勝手に作者はしてもらっている。

 

東京ではなく京都という舞台。京都に帰りたいと作者は切望し、帰らず切望するからこそ、京都は理想の土地、故郷。そして時間感覚の曖昧さを自由に遊泳され ています・・ 例えば巨椋池は現在どれ程その名残の水域があるのか、また場面として登場する建物や店舗は変遷烈しいので、現在を識っている者には意外な感も あります。架空の名前だったら構わないのですが・・。

桂川近くの寺の名前など、これは些末の問題というより 小説そのもののもつ自由、秦文学の持つ幻想 性、現と幻の交錯混在融合でしょう。同時に極めて意識的に緻密に書き進めているのだと思います。読み手としてはクイズを解くような興味が加わります。

 

* 秦   「昨今現在の京都如何」は、小説としては問題外。巨椋池など、むかし、ひどいときは東寺の足もとへも逼ったほどの大遊水池だった し。このへん はみなフィクションの特権行使。東作自身の年齢も、結婚から古稀をさえ超えて行くくらい。「時間」経過は作の中で「たぷたぷ」していて問題なしと。特定の 店の名など、実名にしておいた方が、つくり話にならずに実感で書ける。体験的には知る限り、「作時間」のあいだでは大概みな「実在」していたことだし。

 

浩氏(ICU名誉教授)が指摘された 少年にとっての「少女」の問題、「性」の目覚めの問題。

性的な部分に関して男の子を育てていないからでしょうか、漸く今になって納得がいく話もありました。男の孫二人を垣間見ていると、既に赤ん坊の時から性器を意識し、それが全く陰湿な要素なくあっけらかんとしており、性は生きる喜びなのだと考えさせられます。

少女、女は異なります。女にとっての性、性交とは「何か」と問われて、一歩も二歩も曖昧な地点で語る女とは明らかに異なる男性の在り方です。

第二部にある女性医師・研究者の性に関する質問に対しての返答は、確かに吉野氏の求めからは遠いものだったでしょうが、女性としてはやはりあの程度にとどまるものかもしれません。

私自身がこれを問われていても基本的にはあまり違う内容を付け加えられません。つまり、一歩も二歩も隔てた所から半ば逃げの姿勢で構えている・・確かに不十分ですね。

性行為そのものについて書くとして単なる個人的な性史を描けば少しは問題提起ないし新局面の発掘になっていたのでしょうか。

例えば田中優子氏の江戸時代の文化研究から生まれた著書『春画の研究』『江戸の恋』や上野千鶴子氏や佐伯順子氏の一連の研究と著書。彼女たちは臆することなく性についても論じています。

若い世代の女性には もはや言葉に臆することなく闊達に自己の経験を話すことなど今更の感があるのかもしれませんが・・。

弁解めきますが結婚している場合の「縛り」もあるでしょう、少なくとも特に女にとって。婚姻制度は、一夫一婦制度、そしてそれに伴う「世間」の判断は容 赦ないのが実情です。特に「家庭」自分の経済基盤を確保すべく主婦は願います。田中氏、上野氏、(佐伯氏?)ともに独身であり、本音・ホンネを言える場を確保 していると思います。わたしにはそのような勇気や価値観は十分にはありません。ジェンダー、フェミニズムなど真正面に据えて生きてきた道筋ではなかったけれど、意識も、現実に対処することにも、決して逃げてはこなかった…とだけしか言えません。

そして日本社会は依然として男女平等からは遠い処にあります。

 

上記の「浩」氏は述べています、作者は「老いゆく現実、身体的・性的能力低下の焦りとそれに基づく妄念を絡ませて、エロスとタナトスの徹底的 な相関関係を描いて見せたのだと。」

エロスとタナトス、窮極の生きる問いです。

作者は語ります 「もっとも根底へ人間の 男女の 老若の 幸不幸の 信不信の問題を提起しようとした」と。 熱い苦しい思い、覚悟が伝わってきます。

「ふだん記したいけれど出来ない、 出来ないけれどしたかった、 してきてよかった、とても出来なかった、よかった、いやだった。・・そういう赤裸々な 性の描写・表現が かくも徹底して成された」・・性の極致は、人の「生まれて・死なれて・死なせて」に直に交叉してくる。男女の悲喜劇はまっこう此処に生 まれる、多くの目がただ逸らされているだけなのだが。」と書かれている。(7月7日のHP記述より)

それはやはり 男であることにも依っています。夫人は苦笑いされながら、しかし夫であり、作家を見守っているのでしょうか。秦文学にまさに殉じて。妻 として、揺れるものはあるはずです・・。また健康問題から仕方なかったとしても性行為を他の女に任せて安住できるものとも到底思われません。そしてさらに 思うのは、このように書いてしまうわたし自身が解放されていないことを如実に露呈しているのです。

 

性描写、それ自体に限定すると、無数の人の無数の限りない描写が、そして切実な叫びや涙が溢れてくるでしょう。

吉野東作氏の記述は優しい、性の場面での記述は優しい。裏返せば性を媒介した時、その前後の幾らかの語らいの優しさも。「部屋」と表現されるその場は「家」ではありません。その外では彼東作氏の冷たさを感じます。

小説の主人公、決定的に語り手であり主人公である吉野氏。彼は「生まれ、死なれ、死なせ」て「生きている老 い」が、幸なのか不幸なのかは云わずに終始語っていく。幸不幸、彼に迷いはなく、幸福に生きたい(誰しも幸福に生きたいですが。)人とのつながりある幸福、殊に妻との固く結ばれた絆に一瞬の迷いもなく、運命を感じ続けてきたのです。

女はそのような妻になりたいでしょうか、答えは些か否定的です。

源氏物語の紫の上、源氏最愛の妻である紫の上になりたいでしょうか? なりたくないので す。愛ゆえに一層閉じ込められてしまう女の生き方は残酷です・・勿論閉じ込められていなくても、それでも人は孤独ですが・・。

源氏物語の中で特異な存 在・・最後まで男を拒否した槿という女性・・ただし彼女は身分高く、経済的基盤にも恵まれた存在だったと思います。今日においても経済的な自立は勿論重要 です。(雪・世津子にあっても無視できない問題でした。) 槿が穏やかな暮らしの中で幸せだったと言い切れるか、それは分かりません。

つきつめれば 誰しも孤独な一人であり、疎外された他者として終えていくのではないでしょうか。それは存分に分かっており、早くから感じ取っていたように思います。むごくも寂しくも間違いなく事実・真実なのだと。

 

* 秦   源氏物語の女性達と、いわば「一夫一婦」のことでは、すこし見解を前に書いて置いた。

この長編物語ですくなくも物語に顕れる限り、「一夫一婦」ゆえに世にも稀な「さひはひ人」と羨ましがられたのは、「明石尼君」ただ一人であり、「一夫多妻」 を忌み厭ったのは他の全ての女人、撥ねのけぬいたのは「槿」が一人、厭って死んだのは「宇治大君」が一人。

女性の「一夫一婦」願望を暗に社会化した源氏物 語は明らかに一つ大きな力になったし、すぐ引き続いて、「更級日記」の著者も名作「夜の寝覚」の魅力的なヒロインに、いわば男支配社会への闘いをすら試みさせ ていた。「そのような女になりたかった」女性は、やはり想像以上に多数であったろうと、わたしは当然のように思う、容易には実現しなかったけれど。

 

7月11日のHPに

「今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行く経過となった。・・しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、つよく肯定しつつ、それが「所有」の思いに帰着し固着するのを惟い、しかし「愛」とは「共有の生」を謂うの であると思い寄っていた。「性愛」に執すればむしろ「愛」に背くか遠ざかるのでは。」と書かれています。

「共有の生」性を含んで、なお共有の性ならぬ生であると強く思います。それ故に性愛を強調したくないとも思います。「これ」がこの作品を読んでの終着点ではないでしょうか。生きる哀しみを思います。

 

* 秦   以下、まだ「湖の本版 第三部完」を読まれていない方のために、完結への推移に触れた部分は此処には省く。

 

作者の根の哀しみ、死者への思慕、本当はこのことこそが作者の思いの根底・中核だと。痛切に受け止めながら、同時に厳しい問いかけも始まります。     尾張の鳶

 

☆ 今「感想」を送信しました。

読み返し最初にファイルとして送ったものを少し直しましたが、感想の域にとどまり 不十分に終わっていますが お許しください。まだまだ読みが浅いのです、痛感しています。

連日の暑さ、そして今週は 台風の行方が心配、ちょうどその頃に関西に行く予定なのです。

『清水坂』の上り下り、いかがでしょうか。

とにかくお身体大事に、大事に。 取り急ぎ  尾張の鳶

 

* この場で割愛の内容にも、重い指摘や批判がつよく出ていて、それらを引き出せたことに作者として喜び感謝し、おそらく吉野東作氏も頭を下げていると思う。ま、概しては、「尾張の鳶」さんでも、作世界の奥へまで手をつっこんでは読めてない感じでしたなあ。

機敏に察しがきけば、第一部冒頭にわざわざ置かれた短い「雪繪」メールに、「ひとこそみえね(あきはきにけり)」の一句がかぶせてあるだけで、「雪繪」の 自意識そして全作の成り行きに察しがとどく、わたしが作者でなくても、とどく。作の組み立てに、部分の表現と対抗するほど気を遣っていた、ただの趣味で百人 一首の句・句をただ綺麗事には見出しに使ったりはしなかった。

2019 8/12 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

レトリック     現代の日本ではレトリックを言葉のごまかしと解し、これを卻(しりぞ)ける傾向が一般である。近代日本文学も専らその方向 を辿つて来た。が、レトリック無しに言葉の藝術としての文学は成立たない。更に言へば、それでは言語生活そのものも成立たない。レトリックとは言葉による 建築術なのであつて、譬へば nature の様に日常生活の次元では一般に一つ乃至は二つの意味にしか使はれてゐない語を、何回何十回と繰返し使つて行くうちに、その求心力と遠心力とを相互に対立 させながら強める事なのである。さうする事によつて、読者、或は観客は、それまで自分の内にあつて無関係に分裂孤立してゐた表象が一つのものとして統合さ れ、日常生活とは異つた次元に完全な世界を発見する。言換れば、秩序の恢復を得るのである。

 

* じつに大切で、適切な示唆。言葉や文章で仕事をしながらこれに気づかないでは、土足で自分の顔を踏んでいるに同じい。

 

* わたしは「和歌」が好き、なかでも拾遺和歌集と千載和歌集を愛してきた。

勅撰和歌集に蓄えられた日本語のレトリック模範は永遠の寶であるが、現代歌人 たちはあまりにもこれをゴミ箱をみるように見捨て果て、学ばない。真似よと云うのではない、学べとわたしは云う。歌誌も歌集も相変わらずよく戴くが、叮嚀 に言葉の練られた作があまりに寡く、ただもう雑駁に我が儘に、ことばの命が窒息死させられ死骸化している。感興の「共有」という嬉しさが伝わらない。なにより日本語特有の「 詩」を読むという嬉しさが乏しすぎる。

 

子におくれてよみ侍りける       平 兼盛

なよ竹の我が子のよをばしらずしておほしたてつと思ひけるかな

 

愛児を死なせ死なれた父の悲しみ歎きとは前詞から知れるとしても、歌一首のキイを成している「よ」の含みが深く美しく切なく読み取れなくては。

「なよ竹」とあるから、「よ」は「節」とまで行ける人はあろうが、和語の「よ」には、なお、「世、代、夜、齢、予、余、四」等々の含みがある。死なせた親に「わが子のよ」はあまりに忌みが重い。「おほしたてつ」の「つ」という言い切った思い込みの悲しみも、深く、重い。

 

* もっとも、選び抜かれた和歌集と個々人の気ままな私家集とを直に較べるのは気の毒である。といって、今日の広大な短歌世界から、「百人一首」 では余りに厳しい、(例が 無くはなく、岡井隆に少なくも二度の試みのあったのは承知している。有り難いことにその二册に、ともに私の二首を選んで貰っていて、その嬉しさ、忘れてい ない。 大岡信にも優れた「詞華集」の永い意欲と努力があった。)が、「精選の詞華集」ならばけっして不可能でなく、試みられたことは数あり、わたし自身も依頼さ れて試みた。これらを、もう少し徹し て定時的継起的なに成し続けてもらえないか。結社内での選抜はいかにもなま緩く、感じ入った例がまず無い。講談社の「昭和万葉集」は好企画であったがあま りに厖大な記念碑に過ぎ、個人で座右に愛玩はしにくかったが、私の編んだ『愛と友情の歌 愛、はるかに照せ』は、あの昭和万葉集もその他も厖大に読んだ上 で、編んだ。出来ないことでなく、歌壇が心を合わせて 佳い「選歌集」を、せめて十年に一度は出して貰いたい、但し選者に、少なくも結社主は必ず外して欲しい。

2019 8/13 213

 

 

* 少し、少し、前へ出た。これからが ややこしい。上手くすると爆発するが、不発に終わるとみなやり直しになる。

 

* 今日はきまりの妻の検査と診察。パスしてくれたらしい、明後日は朝涼しい内に出て、歌舞伎座真夏の第一部だけを楽しむ。二十一日には、「湖の本146}『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部の完結編を呈上する。これで本当に十四年の仕事を手放せる。

「第一部」だけで以下不要と断られた人数は、妻の調べで、ほぼ三十人ほどと。思いの外数寡なかった。どっちみち、決して書かずには済まなかった「作」であった。体力も気力も我慢も要った。

次作も「いい脱稿」に成功すれば、奇妙意欲の長編を送り出せる。すくなくも、私だから書ける、書いた物語になる、「湖の本」の二巻分ほどのちょっと怕い長編に纏まるだろう。

 

* 連作を心がけていた『女坂』の二は、もう書けていて、次いで三を三として書くか、別に自立の一編にするか思案している。

「信じられな話だが」久しい宿題で抱き込んでいる上越を舞台の作もあるが、現地の海と川と山を見なければ。もうそれはムリか。

上田東作(秋成)若い日々の思慕の物語が書けるかもしれない、ただ残念にもわたしは秋成の昔と限らず大坂を識らないので困っている。九割九部参考文献の「無い」ところへ首を突っ込むので無謀とも、便利ともいえるが。

そしてもう一つ、わたしの書ける材料が(具体的には何も知らないので、思い切った架空の組み立てになるが、)兄恒彦が亡くなって以降念頭を去らない舞台が見えている。

この調子では、まだ潰れて死ぬわけに行かんなあ。さっささっさとやらないととても時間が足りない。

とにかくも『選集』33巻を仕遂げること。

出せば出すほど赤字を山と積む現行の「湖の本」は、続けてという読者の有り難い声が強い。妻にかける体力的負担をどうかして庇いたいのだが、アルバイトを頼むしかないか。本に出来る材料は跡絶えはしないので。ヘタな戦争に國が引き摺り込まれないよう願う。

2019 8/13 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

いい文章     いい文章を書くといふことが、いい政治をするといふことと同様に、あるいはそれ以上に、人間の未来にとつていかに大切なこと であるかを、あなたがたは知らないのです。政治が悪ければ国が滅ぶとは考へても、一国の文学が亡びれば、また国が亡ぶとは考へない。政治家も啓蒙家も、も うすこし文章といふものに想ひをひそめていただきたいとおもひます。

よく考へてみてください。文学者の政治的な無智と、政治家、あるいは啓蒙家たちの文学的な無知とどちらがひどいか。が、世人は文学者の政治にたいする無 知は世を誤るもののやうにおもひながら、政治家の文学にたいする無理解は大したことではないと考へてゐる。それは現代日本の文学者にろくな作品がないから といふのではなく、文学そのものの人生における効用を知らないからです。ぼくにとつては、そのはうが由々しき問題です。

ぼくはむしろさういふ世間にたいして、文学の効用を説くことこそ、文学者の社会的な責任のひとつだと考へてをります。もちろん世間を文学からそつぽむか せたのは、文学者の責任です。文学者が文学の効用を信じてゐないからこそ、問題は文学者の政治的責任といふ形であらはれてくるのであり、ますます混乱をは げしくするのではないでせうか。

* これぞ、いまこそ日本が心貧しい「亡国」に陥るかどうかの第一義肝要の急務なのであるが、文学作家も文学団体も文学研究者もこれを深刻な国家的民族的危難と自死の兆候と観る眼を曇らせるか、まるで失明している。

文豪の働かない働けない文学界、高価値な実績をろくにもたないただの団体役員がただ肩書きを求めて奔走し、適切な現在未来への視野も視点も戦略もなく、 統治型保守政治の締め付けのままに云うべき言葉を喪って「文学」を見棄てようとしている。生きた言葉を持たない者らの「文学」とは、何。

2019 8/14 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

一夫一婦制Ⅰ     私の考へによれば、道徳もまた自然科学上の諸原理と同様、仮説に過ぎない。もともと絶対的な善といふものはないのである。だが、仮説にしても、それがあるのとないのとで

は大違ひだ。一夫一婦制も仮説である以上、あらゆる結婚の現実に適用できる鍵にはならないし、論者の言ふやうに大部分の結婚がこの仮説に反してゐる。しかもなほ相変らずこの仮説は生きてゐるし、役に立つてゐる。

なぜなら、私たちは一夫一婦制のもとでは浮気も出来るし、雑婚に近い性の放縦を楽しむことも出来るが、反対に雑婚社会では一夫一婦制の長所を享受するこ とは出来ないからである。言ひかへれば、一夫一婦制には貞潔と放縦とがあるのに、雑婚には放縦しかなく、それも、貞潔といふ反対概念のない放縦だけでは、 放縦にすらならず、要するに元も子も失つてしまふのである。どう考へても損ではないか。

一夫一婦制は普遍的理念として存続せしめなければならない。ただし、これに反逆するのは個人の自由である。欲するもの、能力あるものはドン・フアンにで も、ドンナ・フアンナにでもなるがいい。望むらくは、それに理窟をつけないことだ。同志を募らないことだ。よろしく孤軍奮闘すべきである。

 

* じつは福田恆存のこの「遺言」、今度初めて読んだ。

もはや今日では女性の方で「一夫一婦」社会でぜひありたいとは思わなくなっているらしく、「多夫多婦」制が「いいのでは」という女性からの提言を今回読む機会があって、すこしビックリした。

『アンナ・カレーニナ』時代の、ロシアとは限らぬ西欧貴族社会では、雑婚ゆえの放縦は女性側にも放漫に実在したらしい。日本では、敗戦後ないしウーマ ン・リヴの頃からはよほど様変わりしてきたようだが、それ以前は、神代の昔から、ま、久しく権力と富力と魅力の男達がもっぱら「放縦」を甘受し得ていたと いうしかない。

2019 8/15 213

 

 

☆ ごぶさたしています。

秦さんは、もう「清水坂」ですのに、まだ、「寓話」に、とらわれていましたが、作品は一人歩きしていいのだ、と気がつき、やっと私なりに読めました。ほっとしています。

めずらしく、作品について何度も書かれていましたね。それに、生活と意見のはっきりした言葉も新鮮です。

毎日の、暑さがこたえているのか、なにもかも変調です。

あした(=今日)は、余力をはかりながら、(=歌舞伎)楽しんでいらしてください。

猛々しい天候にも、お気をつけて。     柚

 

* ちょっと「寓話」の話をしすぎたかと反省しているが、ま、それだけ吐露した容量も多かったかと。方法的にも常にない試みも無遠慮にしている。話題も方 面もけっして淡泊でなく、また幾隅かで作者ひとりひそと楽しんでいたりもする。えげつなくいえば此のさくを論じられるなら秦の少なくも全小説を論じ直すぐ らい奈コトになるのかも知れない。

 

* 留守の内にやさり『寓話』へ踏み込まれた編集者、研究者のありがたいお手紙も届いていた。ただ、なんとも知れず気が萎えて疲れてしまい眼も弱っている ので、明日へ送っておく。じつは「清水坂」から目覚ましく遁走しかけていもいて、そいつをシカと追いかけるのにはよほど気力と体力と筆力が要る、むろん想 像力も。ビビッテはならない。

2019 8/15 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

地声だけの役者           イギリスの役者は、少くともプロである限り、三種.類の声を持つてゐなければならないと言はれるのですが、日本の役者は歌舞伎俳優をも含めて、ほとんどす べての人が一つ声、すなはち平生の自分の声、地声しか持つてをらず、若い人がふけ役を演(や)らされた時以外は、どんな役でも同じその声で片附ける、声ば かりではない、喋り方も大して差が無い、といふ事です。姿勢や歩き方、手の動かし方まで、その役者の実生活における癖をそのまま舞台で露出して、一向省み ない様です。

その癖、かつらの色とか衣裳とかには目の色を変へんばかりに神経質になります。たとへば、この役は自前の洋服で演つてくれと言ふと、それではいつもの自 分から脱け出し、役の人物に成り切れないと言ふ。なるほど御尤もと思ふのですが、それなら、地声で喋つたり、普段の癖を丸出しにした歩き方や笑ひ方では、 やはりいつもの自分から脱け出しにくく、役の人物に成り切れない筈ではありませんか。

 

* 昨日 七之助の「政岡」を観かつ聴いての感触がまさにソレであった。幸四郎の八汐は

みごとに変わりばえしていて感じ入った。

声を聴いただけで、ああこの役者は彼だ彼女だとすぐ当てられるのは、テレビでも毎時のことで、演劇製作、演出、創作の真実大家であった福田恆存の上の指摘は、 まことに厳しくしかも当然至極。

同じ俳優・女優の異なる舞台は、大劇場でも小劇場でもテレビでもイヤほど観てきたが、「この役、誰なの」と驚かされることは、よほ どの名優でないと、無い。むしろそれではいけないかのように、凡優たちは、異なる舞台・演劇での AからZまで を同じ顔の同じ声の同じ仕種で演じてくれる。 知名度は上がるだろ、が、役によくそった変わりばえの面白さなど、滅多に楽しめない、凡優たちでは。

小説が、同じ設定、同じ表現、同じ描き方で同じようにしか人間が書けないの では、困る。おなじ事ではないか。一冊の本に何作も入っていて、え、みな、この一人の作家の作なのと惘れさせるほど藝が大事なはず。

2019 8/16 213

 

 

* ジリジリと「清水坂」で苦行しつつ、気慰みに、「選集 第三十二巻」に収録小説集を検討、目次を立てていた。いわゆる版元からの単行本出版にはしな かった、みな「湖の本」版。さきざきでまだ新作が出来ると思っているが、この巻では最新作長編「清水坂(仮題)」で締めくくれるようでありたい。最終巻に は、「私」ものの思索・感想・記録・年譜等々を取り纏めたいが、未公表・未収録分を含む詳細な作品年譜までは手が届かない。私自身まだ生きているのだか ら。

 

* そこへ京都から、写真。 嗚呼!

 

尾張の鳶・寫  今宵 京の大文字

2019 8/16 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

性          よく身上相談などで、「彼は一個の精神的人格として、私を求めてゐたのではなく、

ただ私を通じて女を求めてゐるだけだ」などといふ憤懣が語られます。が、ロレンスにいはせ

ると、「それなら、まことに結構」といふことになる。男は.女のなかから花子を選びだしてはならぬ、花子のなかから女を引きだせ、さう、ロレンスはいひま す。もし男が他の女ではない花子を選ぶとすれば、その花子が相手の男にとつて最も女をひきだしやすい女であるといふ理由をおいてはない。さういふ恋愛と結 婚とのみが、真の永続性をかちえる。精神だの人格だのいつてゐるからいけない。といふより、誰も彼も自分の性欲を、精神的人格といふ言葉のかげに、押しや つてしまふ。人々は性に触れたがらない。いや、直接に触れたがらない。精神的愛といふ靴の革を通して、霜焼けを掻くやうに性欲をくすぐつてゐるだけだ。さ うロレンスはいつてをります。

 

* 作家として迎えられたころ、何かというと「異端の正統」「美と倫理」の作家と謂われ、 また、書かれた。「王朝文化の」とも「中世論の」とも「辛口批評の」とも「谷崎研究家」とまで謂われた。異存など無かったが、看板は無用と思い、いつかは 「性」「性愛」を真正面から書いて論じたいと思ってきた。広い読書世間へは出ていないけれど、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』はわたくしの文学生涯晩 年に一つの結び目として、ま、働いてくれたようだ、書くべ気きを書いた、なんとか書いて置けたとやっと思うことができる程度に、有り難い、読後の感想や反 応も得られた。

 

* 夜中に何度か目ざめてはいるのだが、半醒半睡のまま小説のさきを夢中にまさぐっていて、朝の目覚めが遅くなる。何にしてもこの悪気候、睡れるなら十分に睡っていたい。 2019 8/17 213

 

 

* 凄いというしかない暑さ。地球が、ではあるまい、人間が地球を狂わせているのだ、末期症状。恐竜たちは人間の歴史を何万倍も生きてなお死に絶えた。人 間にはそれが来ない、無いと思うのは傲慢で無思慮だろう。地球は、確実に人間を遠からず罰して滅ぼすだろう。詩や美術はむりだろう、せめてどうかして技術 を尽くして美しい音楽だけでも遺し伝えたいが。

 

* 昨晩もらった京の「大文字」の写真は美しく胸にも目にもしみて、泣けそうだった。

 

* 懸命に用意してくれる食事がほとんどとれなくて妻に気の毒、だが食べられない。食べたくない。私も、困る。息切れの「清水坂」に祟られているのか。ほ んの一の思いつきというか不審というかに取りつかれて、今度の小説は、いうならば中学高校の頃にはもう頭にあった疑念の持ち越しなのである、何というしつ こさか。最初の疑念は、ものの一、二行の言葉で示せる、のに、いま問題の「清水坂」はとうに厚めな「湖の本」の一巻分を超えていて、まだしばらく脱稿とは 行くまい。難しい理屈を述べ立てて論攷しているのではなく、面白い物語に展開していると胸を張って佳いのかも知れないが、なんだか尋常ではなくて、書いて いる当人がぐるぐる巻に締められている。

でも、立ち往生してられぬ。一気呵成と謂う。一気呵成こそ必緊肝要の難所を、いま、突っ切らねばとてもモノがのどを通らない。

 

* 一、二歩をとにかくも跳び出した、かも。

もう目が見えない。

2019 8/17 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

仲間うち            日本人のことを、よく秘密ずきだとか、表現が下手だとかいひますが、けつしてそんなことはありません。元来、日本人は開放的で、秘密がない。みんな仲間内 なのです。ですから表現が下手なのではなく、表現の必要がなかつたのです。つまり島国で異民族と接触する機会がほとんどなかつたといふことになります。封 建的といふことばひとつでかたはつきません。

同胞が仲間うちである集団生活に、他人を自己の敵と見なす外国の生きかたがはひつてきたとき、すなはち、自分で自分を守るか、さもなければ権利義務とい ふ契約によつて自分を守るか、さういふ西洋の「仲間そと」の対人関係を押しつけられたとき、明治の日本人が、それによつて利益を得るよりは、失ふところの はうが多かつたのは当然でありませう。これは不可避の歴史的な運命だつたと私はおもふ。私たちはどうしてもそこを通らざるをえなかつたのです。が、そのさ い起つた混乱の原因を、すべて日本人の劣等性にのみ帰してしまふのはまちがひではないでせうか。

制度や法律をいぢくるひとたちの眼には、それが一般民衆のうへに絶大な力をふるつてをり、それなくしては民衆の生活は成りたゝぬやうにみえます。が、仲間うちの生活に馴れ、争ふことを好まぬ日本人の大部分は、生涯、法律の条文ととかゝはりなく暮らしてゐるのです。

 

* 権威や権力に強いられてセンチに赴いた日本兵は、海外の他国内でこそかなりに強く、はげしく闘ったといえようが、万一、この日本国土内を襲われて闘わ ざるをえなくなった場合、「仲間うち」感覚の日本国民は結束して死守激闘できるのかどうか、なにより当節の都会型若者を眺めている限り、その自立自発性は 予感もしにくい。戦闘(コンバット)は、ベースボールやサッカー・ラグビー等の対戦とは異なりしかも「仲間うち」意識の大観衆はいわば傍観者に過ぎない。

敗戦で占領された当日ないし後日の日本と日本人の大人しさは世界をむしろ驚嘆させた。沖縄の人たちはもはや必然の死を賭して「仲間うち」として無残に討たれたが、本土日本人の「仲間うち」意識は今も沖縄は「仲間そと」のように傍観している。

 

* あの敗戦直後、丹波の山奥の寥々たる寒村でも、もし刀剣を所持と知られれば沖縄へ連れて行かれ「重労働」と口々におそれ、ある日、ジープの一台が姿を みせるや忽ちに広場の蓆のうえに何十という刀剣類が供出された。秦の母も、箪笥から二振の大小を持ち出したものだ。日本の「仲間うち」は闘わないのだと子 供心(国民学校四年生の夏休み中)に感じた。マッカーサーの米占領軍はあれで比較的穏和に占領していたかとも思われるが、とてもとても「次」は恐怖に突き 落とされるだろう。中国本土へ拉致されたときの恐怖と絶望とが明瞭に知れていればこそ「香港」の人たちは「仲間うち」の力をいま結集している。日本では、 あの安保闘争このかた「仲間うち」結束の力を体験していない。

アメリカは伝統的に「仲間そと」を敵同然に見なしてきた自国本位の国家。そんな国家と「仲間うち」の安全保障を買い取ろうと日本の政権は「仲間うち」からの税金を、古物兵器の買い取りや駐留愚のご接待に尾を振り続けているとみえるが、如何。

2019 8/18 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

歴史     小林秀雄が荻生徂徠に学んで学問は歴史に極ると考へるのは至極当然である。吾々は歴史が在る様にしか、歴史が書かれる様にしか生きられないからだ。吾々の人格は吾々の過

去にょつて成立つ。吾々は吾々の過去であり、吾々の過去以外に吾々は存在しない。その吾々はまた歴史の中に生れて来るのである。確かに吾々自身の過去や歴 史が無ければ、吾々は存在しないのだが、その過去や歴史は既に在るからといつて吾々の所有には成らない。無為にして放つて置いたのでは、吾々は禽獣と同じ 様に唯瞬間的現在しか所有出来ない。それは何も所有しないといふ事である。吾々は己れを空しくして過去を、歴史を自分のものにしようと努めなければなら ぬ。それは今日の歴史学が好んでさうする様に現在の自分を正当化するのに好都合な資料の集成を意味しない。歴史を追体験し、それを生きる事、さうする事 にょつてしか、吾々は吾々の過去や歴史を自分の所有と化する事は出来ないのである。そして、過去や歴史を所有出来なければ、人格が成立しないとすれば、歴 史とは人間の本性であるといふ小林秀雄の言葉は充分に納得出来ようし、学問は歴史に極り、学問は人倫の学だといふ考へ方も極く当り前の事に思へて来る筈で ある。

 

* この八月という月は、痛いほど「現代日本の歴史体験」を想わせる。わたしは求めても原爆体験や八月十四、五日の「記憶を新たにしていたい」一人である。

2019 8/19 213

 

 

* 「マ・ア」に起こされたまま、床に坐って中公新書「続・照葉樹林文化」を、ちょっと貪り気味に読んでいた。もっと早くに勉強しておきたかったことがま だまだ幾らもあり、悩ましいほど。幸い、アタマはまだ貪欲なほど敏感に反応してくれる。国民学校に入ってもうすぐわたしは大人のとうに打ち捨てていた通信 教育の教科書「国史」にむしゃぶりつくように繰り返し予も耽った。「歴史」への思いの根は深く遠くへ潜って、いまも時となく露表する。まだまだ生きている ぞと思う。悟り済ましたような老人になるより少年の敏感すぎた敏感をまだまだ持ち運んでいたい。

2019 8/19 213

 

 

* いま鳴っている唱歌の盤は、「城ケ島の雨」も「美しき天然」も「出船」も「ゴンドラの唄」も「波浮の港jも「影を慕いて」も「国境の町」も「湖畔の 宿」も「誰か故郷を思わざる」「惜別の唄」も「山小舎の灯火も」も「あざみの歌」も「長崎の鐘」も「さくら貝の歌」も「白い花の咲く頃」も「水色のワル ツ」も、まあよくもじめじめとセンチに気取った歌と歌い方ばかりと、時代をも顧み、いっそ愕然。

「リンゴの唄」「青い山脈」のメロディ、そしてひばりの「川の流れのように」にしか、心寄せて聴き取れなかった。戦争を怒り原爆を責める歌がまるで遺っていない。

いっそ「晴れやかなきみの笑顔やさしくわれをよべば」と、生き生き歌った唄が、戦後少年は胸をふくらませて大好きだった。

 

ひばりの「川の流れのように」は、真実身に沁みる。これと、小鳩くるみの「埴生の宿」を聴き、そして「蛍の光」を歌いながらこの世に暇を告げたいものともう三十年も想ってきた。

2019 8/19 213

 

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

俗物礼賛     俗物とは自分を現実の自分以上のものに見せかけたい人間のことである以上、かれは本質的に理想主義者なのである。見せかけるだけでなく、それにたいする努力と反省とがともなへば、尊敬すべき人物に成りうる。

 

* 自分は俗物でないと思っている人も時にいる。異様なみものである。

2019 8/20 213

 

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

文化人     私が非難してきた「文化人」といふのは、世間のあらゆる現象相互の間に「関係を指摘」してみせるのがうまい人種のことであります。関係さへ見つければ、それで安心してしまふ。それを聴くはうも、説明さへつけば、解決されたと思ひこんでしまふ。

 

* まさしく うえに同じテレビ番組や解説の多いこと多いことに、わたしも惘れ、失望してしまう。

2019 8/21 213

 

 

* マ、マ。そんなことより「清水坂(仮題)」へ確乎として立ち帰らねば。もし他の人がこれを書いていたならわたしはきつい技癢を覚えるだろう、それほど、とっておきの世界・話材なのである。

この「技癢」ということば、むかしむかしに鴎外先生の『ヰタ・セクスアリ ス』の初めの方で、漱石先生が『三四郎』を書かれた、作の鴎外作の語り手「金井湛」氏がいたく感じたとあって、覚えた。新潮の辞典では「自分の才をみせた いこと」「他人のすることがもどかしいこと」とあり、わたしはむしろ「自分の腕がむずむずしてしまう」ことかと読んできた。なるほどなるほどと思ったのを 忘れない。そんな述懐が許されるほどうまくいってるかどうか分からないので気が気でないのが、本音。

2019 8/21 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

きまじめ     諧謔や虚偽をきらふ精神、それがきまじめであります。それは人間を、自己を、つねにその限界内にとぢこめようとする精神であります。きまじめな人間ほど、この限界が眼についてしかたがないのです。のみならず――すなはち、限界がじつさいに見えるだけでは

なく――限 界をのりこえることによつてこつぴどく報復されるのがこはいばかりに、なるべく動かぬやうにこゝろがけるのです。動きさへしなければ、限界をのりこえるや うなまちがひはせずにすませます。かうなると限界がみえるといふよりは、みづから限界を小さく設定してしまふのにひとしい。そのいちばんいゝ方法は、欲望 に忠実であるよりは、結果に忠実であるといふことだ。みづからがなにを欲するかに耳をかたむけようとはせず、現実はいかなる欲望をきゝとゞけてくれるかに のみ、ひたすら意を用ゐることだ。現実が許容しさうもない欲望をいだき、これを実現しょうとはかる人間にたいして、きまじめなひとはむしやうやたらに腹を たて、ふきげんになります。きまじめなひとといふのは、実生活上のリアリストといふことであります。

 

* ちいさいリアリストということである。

2019 8/22 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

私の政治行動      私は政治に極く少量の精力しか割かぬが、この種の文章を発表することも私の政治行動だと言へよう。が、厳密に言へば、それは反 政治主義行動である。政治を全人間活動の最高価値と見なし、それを基準として自他を裁くのが進歩主義者であるとすれば、さういふ彼等の政治観に、私の「ブ ルヂョワ・デモクラット」的政治観が、もつと根本的には私の古風な文化観、人間観が反撥するのである。私が政治的にどれほど先走らうと、この「座標」を去 ることは出来ない。またどれほど形勢が非であらうと、私は日本の最少数派としての民主主義的儀礼を超えないであらう。

 

*  「書く」ことをのぞいて、いま所用は次の火曜に聖路加へ通うだけ、とは、うそのよう。ま、そう極端でもないのだが。とにかくも『オイノ・セクスアリス 或 る寓話  湖の本144-6』の仕事は終えた。『選集題三十一巻』としても収まりがついている。この解放には、心底、ほっとている。とっておきのワイン二 本の二本とも栓を抜いてしまった。

さ、次が待っている。次の次も待っている。

残暑はまだ過酷だろうが、今日は小雨。機械の不調など成るようになると気を取り直して、前へ踏み出そう。

どうもわたしは、気持ちよく見た目もよく「枯れてみせる」ことなど出来ない男。なまなましいほどまだ「こども・新制中学生」少年のシツコサが遺ってい る。それも、よしとしよう。欲しいのは、少しは動ける「体力」なのだが。せめて、少し遠くまで電車に乗りたい。よく晴れた富士山を新幹線からでよい、近く で観あげたい。

 

* 「最上のものの悪用は最悪となる」としョーペンハウエルは書いている。「純粋な僧侶は最高の栄誉に価いする存在である。けれども殆ど大抵の場合僧衣は 単なる仮装なのであり、この仮装の影に本当の僧侶がひそんでいることは恰も仮装舞踏会の場合におけると同じように稀なのである。」と。ま、そんなことなの だろう、わたしは今それへ深入りの気もない。

子供の時、松原の珍皇寺に六道参りにつれて行かれ、そこでも怖く、家に帰っても床についても怖く泣き叫んだのを覚えている。小説家になって『此の世』 『廬山』を書き『マウドガリヤーヤナの旅』を書いた。けれど今は、わたしは死後の世界を信じていない。かすかにも畏怖の思いが湧くなら、それはもう法然の 「一枚起請文」に全面依託してなにも恐れない。ただもう現世の愛と親しみとから永遠に離れるのを惜しむ気持ちだけ。 2019 8/23 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

前 衛              前衛の根本は何か、その必然性は何処にあつたのか、それは言ふまでもなく、芸術不信といふ事に外ならない。そこまで行かなくとも芸術家である事の不安から 発したものには違ひありません。

絵の場合でも音楽の場合でも、本物の前衛芸術家はその苦痛から出発したものです。俺のやつてゐる事はもはや芸術でも美でもないかも知れぬ、俺は芸術家な どと呼べる筋合のものではないかも知れぬ、さういふ不安を以て一歩を踏出した、といふよりその外に手が無かつたからです。

それが今日ではどうか。皆、好い気な顔をして脂下(やにさが)つてゐます。先覚者にとつて外に手が無かつたその足掻きが今では手になつてゐる。芸術でも 芸術家でもないかも知れぬといふ不安の表現が妙に安定した様式を持ち、しかも不安の表現であるが故に、それこそ最も現代的な芸術なのだと、自他共に思ひ込 んでゐるらしい。

この甘たれた浪漫主義、即青春謳歌は「親の苦労、子知らず」以外の何ものでもありません。

2019 8/24 213

 

 

* 機械の前へ戻ってきても、からだもあたまも働こうとしない。とても気怠い。敷いて午を食して腹が懈く重い。やっぱりここは読書を楽しんで切り抜ける か。ショーペンハウエルの哲学はいまのところ気分を励ますタチのものでない。鴎外先生の発禁作は、もはや完全に現実感を喪いきっている。かつては「名作」 とよめたような読者もあったろうが、今では博物館のガラスケースに入った肉や神経の働きを蒸発させた乾いた骨のように面白い「歴史」というだけである。三 四郎君は今も生きているが金井湛君はただの記憶に化している。

 

* 琴の音に峯の松風通ふらしいづれのをよりしらべそめけむ   斎宮女御

女文化盛期の卓越したサロンを主宰したすばらしい女性の一代を代表し勅撰「拾遺和歌集」をも代表する一名歌であるが、今日ではかかるなごやかに優美な自 然や景観を見失っていることもあり、容易に理解できる人がない。一首の意味すら読み取れない。これはなによりも下句のうち「を」一字が読み取れないのであ る。これを「(琴の)緒」そして「(山の)峯」と読めれば、事実上句にその双方は明示されてあるのだから、それだけの感情移入で琴の音色の美しさ遙かさそ して山の峯峯の美しさ遙かさは感触でき歌のうまみに頷ける。当時にあってはそれは単なる語彙の遊びでなく、日々に聴きも得、はるかに眺めもえられた現実の 美しい把握なのである。琴を弾じているのは人であると倶にどこかの山の峯(を)であり、琴の緒が鳴るだけでなく山の峯も鳴っている。琴と峯と人と山との合 奏。斎宮女御の日本語、精妙というしかない。

2019 8/24 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

代議士     乱暴なことを言ふやうだが、何年目かに与へられる、それも唯の一票で、全社全人中最も低劣だと言はれる陣笠代議士を選ぶといふ、わづかそれだけの権利を与へられただけで、

主権在民も何もあつたものではあるまい。もしその気になつてゐる人がゐたら、やはり何かにだまされてゐるのである。

第一に、代議士といふとまるで国民の代弁者のやうに聞えるし、さう思つてゐる人もゐるらしいが、実際は党の代弁者ならぬ代<数>者に過ぎないではないか。人間ではなく、数であり記号である。

選挙のたびに党か人かといふ愚問が提出され、それがまた甚だ高踏的に論ぜられるが、これも何かにだまされてゐるのであらう。

代議士は始めから<人>ではない、<数>である。もし人であるとすれば、問題は彼が何人分であるかといふ、その党内、党外の勢力にある。何人分といふのは、つまり数ではないか。

 

* わたくしも いつも そう思って歯ぎしりしている。

2019 8/25 213

 

 

☆ 秦恒平様

『オイノ・セクスアリス』第三部をいただきました。ご厚意に感謝します。

「私語の刻」で記しておられることですが、女性の側からの一方的なメールを動力にして、二人の関係を始め、そして終わりに至る手法を、私も面白い試みと 感じていました。その手法が真の対話なき人間関係の不毛を象徴していると受け止めました。三回に亘る「私語の刻」は重要なので、選集に収録されることを期 待します。

前々便で記しましたが、現代のプロテスタント教会はキリスト教が長く陥ってきた性の抑圧からかなり解放されていますが、現代に出現したプライヴァシーの 時間・空間における個人の自由な行動と、神の前で誓約した夫婦の関係をどのように調整するかは、キリスト者に課せられた課題です。キリスト教は血縁的な家 族ではなく、人格的な信頼関係に基づく「ホーム」を重視していますから、ホームの信頼関係を壊さない範囲での個々人の自由は、神学者バルトの例に見られる ように、ある制約を課して認められる余地があるでしょう。しかしキリスト教は「対話性」を重視しており、同性愛を含めてセックスは対話の特別なかたち(第 三者を排除した関係)として考えているので、このような関係を夫婦以外に築くのは、通常のキリスト者にはちょっと負いきれない重荷です。

酷暑の峠をようやく越えたと実感できるようになりました。

ご夫妻のご健康をお祈りします。  ICU名誉教授   浩

 

* 得難いご示唆を頂戴したと感じ、内心に深く感謝申し上げている。

 

* {女性の側からの一方的なメールを動力にして、二人の関係を始め、そして終わりに至る手法」とは間違 いでないが、この「吉野爺さん」からもメールはそのつどに出ていたはずだが、それを敢えて交換メールにせず、女性からのメール一筋で状況をさせたことで、 重かれ軽かれ女の存在感と言葉の味が出せたのだと思っている。若い女と爺さんのメールがえんえん交換剃れて表へ出ていたなら、堪らない通俗に陥る。雪絵の メール一本槍にすることで紛れもないこれぞ今日の恋文としか謂えぬ効果をあげ「人」も表せた。ばかげた対話をえんえん読まされてはだれでも往生する。爺さ んのよくもあしくも「根性」は、自然と「某年・某月・某日」に尽くせたと思う。

2019 8/25 213

 

 

* 横浜の原三渓とその庭園の建築や美術蒐蔵と生活をふくむ生涯をテレビ番組にして貰い、多大の驚嘆と共感とで見終えた。TBS日曜朝の、文字どおり軽くて薄い、掘り下げの無いないし乏しいニュース談話番組より、強く胸に沁みた。

 

もう一字掲げて 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

「文化人」     私が非難してきた「文化人」といふのは、世間のあらゆる現象相互の間に「関係を指摘」してみせるのがうまい人種のことであります。関係さへ見つければ、それで安心してしまふ。それを聴くはうも、説明さへつけば、解決されたと思ひこんでしまふ。

 

* 文字通りに此の阿呆らしさで終始する「文化人」らの放送力を鼻先であしらったようなご教示は御免蒙りたい。あの関口司会の番組はスボーツの評判に ちょっと「文化人」が顔を揃えて花でも添えている気らしいが、分けてやり給え。五人六人の文化人のいっそう突っ込んだ討論こそ聴きたいのだが。

2019 8/25 213

 

 

* 明日午後の診察(いつもご簡単)に築地へ出るが、幸いに校正のゲラが無い。めったにない期間なので、書きかけの「清水坂(仮題)」原稿をプリントし、 読めるかぎり外の空気なり場所なりで読んできたと用意した。かなり煮詰まっているので、「長編」と謂うほどには成らないのかも知れぬが、しっかり書き込み たい、なにしろわたしの作である、とろとろと坂道を水の垂れ流れるような簡単ななロモノではない。わたしの作を読み慣れ愛好してきてくださった方々には 「清経入水」や「秘色」の昔と読みあわせてくださるだろう、そういう最新作にしたいと願っている、難渋してはいるのですが。

2019 8/25 213

 

 

* 途中までの最新作をまたまたアタマから読み直している。二十度ではきくまい、読み返すのが一等の推敲になり添削になり先へ展開への推力になってくれる。これをイヤがらない。前作でも繰り返し繰り返し読み返して行く間に作に血が流れ肉がついた。

 

* 依頼を受けW書き始めたという作は、わたしにはむしろ少なく、自身書き下ろして親しい編集者に読んでもらうことが、後々ほど多かった。

正式に依頼されて書き始めたのは、新潮新鋭書き下ろしシリーズへの『みごもりの湖』そして新聞連載小説の『冬祭り『親指のマリア』 また岩波の雑誌「世 界」に連載の『最上徳内 北の時代』や「太陽」などへの書き下ろしがあったが、だんだん、自分の書きたい作をだけ主に書くという生活へ引き搾っていった。 「湖の本」創刊という事業が決定的にわたしを「騒壇余人」へと自覚させていった。

創作者としての五十年、わたしはお休みしていた時期を一度も持っていない。

2019 8/25 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

性の美感      西洋流にいへば姦淫の場所と称すべき遊廓を、あれほど複雑に美化した国民は、まづ洋の東西に類を見ないでせう。私たちの祖先は、風俗から些々たるエチケットにいたるまで、遊廓独自の美学を生みだしたのです。

西洋の考へかたがはひつてくるまで、日本中のどんな堅人も、それが道徳上の問題たりうることに想到しなかつたといふことは、世界的奇現象といはなければ ならない。封建的観念にとらはれてゐたといふことでは解釈がつきません。世界中どこの国の封建時代だつて、そんな現象はありませんでした。もちろん一夫多 妻の宗教はあります。しかし、江戸時代の日本では、姦淫の場所たる遊廓を美化して、その存在を認めてゐたと同時に、清潔な結婚の場としての家庭をも美化し て、同時に両者の併存がおこなはれてゐたのです。その家庭ではまた他の国民のおよばぬほど、簡潔な風習が支配してゐたのですが、これを目して日本人を表裏 ある国民と考へるのは早計で、私はやはり道徳の根柢に、あるいはそれ以上の生きかたの基準として、美感といふものが日本人を動かしてゐたと考へるのです。

 

* 日本人の性愛を語って一度も「美」の文字に触れていない或る学術書に不満をもったと、わたしは最近の長編で言い及んでいる。

2019 8/26 213

 

 

* 学童生徒の自殺が珍しくないほどになっている。悪社会の病根のように成っている。それにしても死なせる側に思い上がった無責任の悪行があり、しんで行く側にもちょっと信じられない弱さも見える。

一つには、これも現下の国語教育・文学教育・情操教育の貧困が見え見えに過ぎている。

 

* 一等早く小倉百人一首の面白さを和歌自体と『一夕話』等で、四年生から丹波へ戦時疎開するまでに読み知っていた。また『白楽天詩集』などの世界も覗い ていた。『啓蒙日本外史』の朗読を楽し現代語になおされた『古事記』や通信教科書「日本国史」をイヘン幾度も絶って繰り返し読み耽っていた。敗戦後京都へ 帰れば、『モンテクリスト伯」「ああ無情』それに漱石全種へ手を伸ばす機会さえ持っていた。

新制中学になると、一葉世界を知り、なによりも与謝野源氏の世界を尽く覚えていたし、人から借りてバルザックやゲーテやヘッセを読んでいた。毎朝の朝刊 連載『少将滋幹の母』を読んでから登校したり、谷崎の『芦刈』『吉野葛』などに魅了されていた。☆一つの岩波文庫なら乏しい小遣いでたまに買えたりした。

 

* 現実の世界の何重層倍の佳い文学世界を所有していたから、現実に何が有ろうとたちどころにそこへ飛び込めて楽しめていた。わたしの貧相な綿布の掛け鞄 には授業外の三册のノートが入れてあり、作文と短歌・俳句と詩が書き込まれた。ま、よほどの外圧が濃いに暴力的にふりかかろうと、だれもわたしのそんな内 面世界の広大は脅かせなかった。

 

* 誰にも出来るとは言わないが、そばにいる教師やおとなにそれに手をかせる心用意が有れば、苛められるという被害感と少しは拮抗する別世界からの自信やちからづけにあずかれるだろう。

当今の経済優位統治型戦後保守政権の面々のその方面の素養や趣味能力のなさが、子供達の心根をかすかに干上がらせて自力で起つ喜びを奪っているのだ。

現実日々の体験や他との折衝などじつは小さい小さい淺い淺い薄いうすいのである、それを豊かに深めるためには文学や美からの栄養が必要なのに、恥知らず な政治家と政治とは率先それを少年少女の胸元から剥ぎ取って、死にたければ死ねというに均しい程度の自覚しか持っていない。

経済人、科学者、政治家が、日本語世界の豊かさを蚕食し吐き捨てている。

2019 8/26 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

自由の限界             人間にとつて、自分にとつて、最も手に負へぬものは政治的、経済的、社会的な諸条件ではなく、実は人間そのもの、自分そのものなのである。譬へば、すべて が自分の意の如くならざるはない独裁者にとつて、真に意の如くならざるものは、自分の内にある独裁的権力欲なのである。女性が男女同権を主張する場合、そ の女性の真の敵は男性ではなく、また男性の造つた社会構造でもなく、それは女性自身の生理的、心理的限界なのである。男が女より優れてゐるなどと言ふので はない。男もまた男の限界を持つ。

自分にとつて一番どうにもならぬものは自分であり、人間にとつて一番どうにもならぬものは人間である。前者の考へ方は道徳に、後者の考へ方は宗教に道を通じてゐる。

もし自由といふものを政治的、経済的、社会的概念から道徳的、宗教的概念にまで救ひ上げようとするなら、私達は何々からの自由のうちに「自分からの自由」「人間からの自由」を考へなければならぬのではないか。

 

* まことに、然り。

2019 8/27 213

 

 

* なんとも心身怠く、ともすれば寝入ってしまうが。処暑のバテで、わたとしては多年夏バテは九月も中頃にヒドかったのが、一月早い。凄いほどな暑さの中 で、わたしとすれば二篇多年の創作で四苦八苦したのが堪えていて、のこる一編行き詰まりの苦境に喘いでいる。先の一編への読者からの反応反響もさすがによ 今回は重い重い、今日も例になく多くのお手紙をいただいたが、よくも重くもハラに堪えた。「湖の本146」は『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部の完 結編で、結末は、読者の百に九十九人はひろいんと目されていただろう若い人妻の投身自殺というむごい悲劇で終えていて、結語の一行は(作者自身ではない、 が)「物語」終始一貫の語り手のことばで、「分かっていた。むごいと知りつつも。」と 全編の「完」を告げ終えている。いますこしこの一言に先立てての、 彼「吉野東作」老人の見解は恁うである、

 

ユニオ・ミスティカ=性一致の恍惚境は、まちがいなく在る。叶う。

だが、男女の愛、大きな愛には「その先」が、まだ有る。人と人の愛に、どんなに良い「性」があっても万能の通行手形ではない。

吉野に、此のわたくし吉野東作に謂えたのは、それだけだ。

分っていた。むごいと知りつつも。                 ──完──

 

* 小説の「結び」はじつに難しくて気を遣うが、こんなに過酷な結びを書いたのは初めてだろう。

これへいたる、ほぼ千枚余の長編小説は、時を経るに従い多くを、ことに若い未婚・既婚の男女にも、家庭の、また老境の夫婦にも問いかけ続けるだろう、性と愛とを。

 

* それにしても、多くコレまでに戴いた反響に、動かぬヒロインと目されているらしい若い人妻へのに批評がマッタクと言っていいほど無いにも作者は驚いている。

 

* たくさん頂いたお手紙お便りの紹介は体調を憚り、せいぜい気概も体力も新作のほうへまわしておきたい。

2019 8/27 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

照れくささ      現代の日本人が明確な理想人間像をもたないといふことは、とりもなほさず自己完成への情熱をもつてゐないといふことだ。自己完成の情熱とは、自分が偉くならうといふこと

であり、自分を偉くしようとつとめることにほかならない。

自分を偉いものにしようといふんだつて――冗談ぢやない、そんな小便くさい夢は若僧にまかしておけ。といふわけでぼくたちは、たとへそんな夢をかいまみ たとしても、自分の甘さをわらはれるのがいやさに、それをひとしれず葬つてしまふ。やがて、おとなになり、そんな乳臭い野望をもらす青年のまへで、照れく ささうにおなじやうな嘲笑をくりかへす。

 

* 他の人からそんな希望や抱負を聴かされたことは、無い。

わらわれたことは、ある。

わらわれるのも悪くない場合がある。思い直すことが利くからである。

太宰賞受賞の晩の宴会場のあるテーブルで、選者の河上徹太郎先生、作家・批評家の吉田健一先生にわらわれた。わたしはまだ会社員だった。

「で、これから(文学・創作)はどうするね」と河上先生。

「自分らしい自分の道を まっすぐ行く気です」と。

「有るの、そんな道」とお二人。

絶句し、即座に分かった。

道は探し当て造り出すしかない、と。

あの手厳しい警索がなかったら、半世紀を作家としては生きられなかった。

2019 8/28 213

 

 

* 「教育」を語り合っていたテレビ番組を興味ふかく聴いていた。

 

* 初等科教育に感想の言える備えはないが、中・高・大学教育で文科系、ことに文藝・文学を排除し抹殺してさえ可と仕掛け仕向けつつある政府・政権政党の、恥無き見識無き素養無きを心より憂える。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が招聘され来日して現在の東大での初講義はこのように伝えられている。かつて、ヨーロッパ諸国はロシアを途方もない田舎の無教養な野蛮国と思いこんでいた。常識だった。

ところがロシア文学が飜訳されてヨーロッパに広まるにつれ、先入観は直ちに革まって、その藝術性のたかいことに驚嘆し賞讃し、ロシアは謂わば一夜にして優れた文化国家として、ヨーロッパに止まらず世界からの尊敬を受けたと。

ハーンは、日本の選り抜きの学生達にまっさきにそれを伝え教えて、日本の文化をいや増しに世界に伝えうる文学・文藝の成育に努めたまえと激励した。

わたしは、世界一の短篇小説集としてロシア人チェーホフとともにロシア人ツルゲーネフの『猟人日記』を推し、モーパッサンらのそれに毫も劣らないと敬愛してきた。

世界一の藝術性豊かな長編小説としてはためらいなくロシア人であるトルストイの『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』とともにドストエフスキーの『罪と 罰』や『カラマゾフの兄弟』をあげて、ドイツのゲーテやマンや、フランスのバルザックやフローベル、スタンダールらに優に伍して凌ぐものがあると愛読して きた。

これでこそ、世界に重んじられる文化国家なのであり、國と国民とが重んじられるのは、決して軍備や経済の優越に拠るのではない。それを忘れた政治と政治家のあまりな「貧相」をこそ国民は恥ずかしいと思わねばならない。

 

* あのラフカディオ・ハーンのあと教壇に立ち、やがて真の文豪夏目漱石があらわれ、また森鷗外も大きく並び立ち、島崎藤村や泉鏡花や徳田秋声や永井荷風らも文豪の名に恥じない創作で、つづく志賀直哉や谷崎潤一郎や川端康成や三島由紀夫らを薫陶したのだった。

現今の、もっぱら国民「統治」に総力をかけた自民保守政権は、ほとんど「文化国家・日本」の何たるかを、ただ偏波に軍備や戦闘に関わる科学分野にしか認知ようとしていない。

また文壇も、何が代表作・名作と見分けも知られもせず真の指導的存在力を欠き、大江健三郎らをただ逼塞の体で脇へ敬遠したまま、通俗の読み物以外に文学文豪として周知敬愛の一人をも、これはと指させる名作をも、産みかつ起たせ得ていない。

一つには出版の責任も重い。多く受ける読み物にしか力を注がず、新しい力への応援も声援も育成をもサボってきたのである。売れるのが前提であの泉鏡花は佐塚として生存し得たか、考えてみよ。

いま、世界中で、かつてのヨーロッパが刮目しかつ尊敬したロシアを見るような目で、今日の日本と日本文学を見ている國があるでしょうか。

「無い」という確言をすら私は世界視野の信頼できる人に尋ねて、聴いている。「無い」のである。情けない國になっているのである。

2019 8/28 213

 

 

* 新味に富んで静かな義士外伝といえた 「薄櫻記」  よき死に場所を求めて生きる武士が、剣士が、哀れであった。丹下典膳(山本耕史)、千春(栗本幸) 愛ある佳い夫妻であった。

性愛は、こうはならない。性愛は所詮は「欲」 性欲、愛欲、所有欲を出ない。典膳と千春のような夫婦愛やよき友愛は、究極「思ひ・想ひ」という「火」の愛に溶けて結ばれる。結ばれないのはニセ夫婦 エセ友人に過ぎない。

 

* まえにちょっと触れておいたが、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を読まれた殆どの方が「ヒロイン」と疑われなかった「雪繪」へ、同じ女性の読み手から、「結末を哀れ」がる以外にほとんど的確な批評の出て無いことに、じつは作者は驚いている。

 

*やがて十一時半とは驚いた。疲れていて当然。

2019 8/28 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

膠着語(日本語)    シェイクスピアの人物の意思と行動力とは、とりもなほさずそのせりふが意思的であり、行動的であるといふ事に他ならな い。とすれば、すべては翻訳に懸つてゐる。逍遙訳ではどうにもならない、逍遙一人が悪いのでもない、またそのシェイクスピア訳だけが悪いのでもない。言文 一致の運動が間違つてゐるのである。それは意図としては西洋化、近代化を目ざしながら、結果としては膠着語としての日本語の弱点をさらけ出してしまつた。

言葉は断定する、断定すれば責任が生じる。が、膠着語では、語尾の屈折によつて断定と責任を先に延し、あるいは曖昧に回避する事が幾らでも可能であり、 微妙な心の動きや詠歎の表現には長けてゐても、言葉が言葉を生んで行くリズム、人物が言葉によつてある結末に追込まれて行く行動のリズムを作り出す事は容 易ではない。

といつて、日本語は情緒的であつて論理的ではないなどといふ迷信を私はもともと信じてはゐない。ただ、さう思込みたがる日本人が多く、その思込みが日本語を論理的でなくしてゐるだけの事だ。

言葉によつて断定する事は一つの行動である。行動すれば間違ひを犯す。間違へばその責任

を取らねばならない。それを恐れる為に言葉に行動性を持たせぬ様にしてゐるだけの事なら、そこに生じる情緒、詠歎はいづれも偽りの感傷に過ぎない。そこに安住する為の思込みを捨てればいいのである。さうすれば、シェイクスピア劇の日本語訳は可能である。

 

* 膠着語とは、わたしが「京ことば」について触れる適例の、「ちがうのと、ちがうやろか」で理解できる。

2019 8/29 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

隠居      江戸時代について、考慮に入れて置くべき事がある。それは隠居といふ一種の制度、乃至は慣習である。この慣習は室町時代から戦国時代にかけて定着したものらしいが、少く

とも江戸時代においては武士と町人、農民と漁民との別を問はず行はれてゐた。年齢は大体四十歳以上であるのが普通だつたが、寿命が著しく延びてゐる今日、定年五十五歳や六十歳で隠居させられたらどうなるか。

封建時代の人々は自ら隠居して老後を楽しむ智慧を身に附けてゐたが、今日の「若い老人」は隠居生活を楽しむ術を知らない。彼等こそ生き甲斐を何処に求め るべきか。隠居して公の社会集団、或は家族集団から離脱した時、その人の私的生活の安定度は殆ど零に近くなる。吾々は公のうちにばかりでなく、私のうちに 生き甲斐への通路を見出して置かなければならないのではないか。なぜそれが出来ないのか。

 

* 現在の定年が何歳ぐらいか、私が東工大教授を定年で退任したのは満六十歳の年度末だった。今ではおお かたもう少し上だろうが、識らない。云われている事情は変わっていまい、もっと悲惨かも知れぬと、わたしも早い時機からいわゆる「定年後」の三十年をどう 生きる気かと「大波小波」などで問うてきた。上野千鶴子さんの「おひとりさま」論調は絶対的に必然であった。何処かの新聞記事が上野さんの論調や口調を非 難していたが、彼女の先見の明は、明度こそ断言できないがおくれた常識をよく超えていた。

 

* 機械が働いて呉れるまで一時間ちかくかかった。老人はいい辛抱を教えられる。いわゆる実世間もぐっと狭くなった気がする。幸いに、わたしはかなり豊か に楽しめる「別世間」をもっている。そこでわたしを迎えてくれる実在・架空の人やネコたちを取り混ぜ殆どがもう現世の存在でなく、但しあのオールド・ブ ラック・ジョーのように「待っている、早くおいで」などと云われてはいない、が、一日一日、わたしもそっちへ歩み寄っている。今、今、楽しんでしておきた いこと、それは云うまでもない。

 

* 明日、八月が逝く。あの燃える京の大文字を、来年まで胸に目に、持ち歩こう。

2019 8/30 213

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

教 養     ゲーテの修業と遍歴とは、畢竟、教養、形成(Bildung)以外のなにを意味してゐるのでもない。かれは環境のうちに埋没したたんなる生活者ではない。ひたすら自己を完成し、

人間性の頂点に達しようと意思する精神である。

奇怪なことに、日本ではかうした教養への意思が、生活を遊離し書斎のうちに閉ぢこもり、あるいは衒学的なペダントリとむすびつき、あるいはいはゆる自由主義的なディレタンティズムとむすびついてしまつたのである。それは尊大な事大主義であり、現実を蔑視した態度なのだ。

 

* 耳が痛い。

2019 8/31 213

 

 

* 午前十時すぎ。読みに読み、贅肉を殺ぎにそいで「湖の本」の一巻で収まるほどにと願っているが、多彩のあやは締め殺さずはんなり生かしたい。ときど き、作者の方で目が回りそう。物語のそれも特徴かと想っている。「かたり」ということに、強い興味共感も恐怖もある。「いづれのおほんときにか」とか「我 輩は猫である。」という「カタリ」には自在な可能性が働いていて生き生きした興趣が光り出す。すぐれた小説ほど、「かたり」の自在と工夫とが産み出す「不 思議」を生かす生きた「声」が聞こえる。

2019 8/31 213

 

 

* 恒平元年(2019)九月一日 日

 

*  この、闇に言い置く私語の刻の表札に、 「方丈」 と掲げている。

佛教語辞典等には優れた師僧の簡素な居所・居室と解説されているが、私はそんな風には受取りも用いてもいない。居所・居室に譬えてもいいが、我から入り、声かけて望めば向こう一枚の襖をあけて誰でもが入って見え、対話に応じてもらえる、それを私の「方丈」と思ってきた。親しんできた。

2019 9/1 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

修 養     履歴書に趣味は「読書」 と書込みながら、読書を趣味に仕切れぬ何かが日本人にはある。或は何かが日本人には欠けてゐるので、読書を趣味にし切れないのかも知れない。いづれにせ よ、日本人は読書を「修養」と心得てゐた。読書ばかりではない、茶を点てるのも、花を活けるのも、歌を詠むのも、すべて「修養」なのである。遊びを「道」 にしてしまはなければ、安心して遊んでゐられない何かが日本人にはある、或は何かが欠けてゐる。何かがあると言へば豊かさになるが、何かが欠けてゐると見れば、そこに貧しさが窺はれて来るのである。

善かれ悪しかれ、その典型が芭蕉だ。彼は遊びを真剣勝負にしてしまつた。更に、その真剣勝負を、亜流達は遊びにしてしまつたのである。お蔭で俳諧は普及 し世俗化した、が、誰も彼もが真剣を弄べば、真剣勝負は何処にも見られなくなる。なぜなら、それは真剣ではなく、当人が真剣だと思込んでゐるだけの話だか らだ。

同じ様な世俗化現象が近代日本文学史の上でも起つたのではなかつたか。今日もその現象は続いてゐるのではないか。

二葉亭四迷は文学がつひに真剣勝負に非ざる事に見切りを附けて政治に身を投じてしまつたが、彼を担いだ自然主義の作家達は、小説が遊びである事の自覚無しに真剣勝負の風狂を演じた、お蔭で小説は普及し世俗化した。その結果どういふ事が起つたか。

 

* これぞ「凄い」 これぞ「うら悲しい」 辛辣な問いである。今日の文学批評家はどう答えているのだろう。

 

* 私の読書は、ちっちゃい年頃の昔から、「好奇心」「大人への好奇心」とい うに尽きていた。だから秦の祖父鶴吉所蔵のかなり大量の漢籍にも和書にも辞書字典や生活百科寶典や日本旅行案内の大冊にもただ弄くるだけでも飽きなかっ た。この傾向は今にも続いて変わっていないと思うが、ただ「くだらない」「ばからしい」ものは忌避して今も顧みない。修養意識は無く、やはり価値ありそう なもの・ことへの「好奇心」というのが当たっている。白楽天も古事記も源氏物語も百人一首も平家物語も、徒然草も、漱石も、藤村も、潤一郎もそうであっ た。泰西文学にもそうであった。

好奇心というのは、しかし、歯止めが利きにくく、時に暴れ者になる。

2019 9/1 214

 

 

* 九月早々、よほど気をたしかに据えて対応して行かねば、わが家の「人間」二人の健康と体力は、剣呑と見えている。

 

* 私の「異様」は毎夜の夢に現じている。とても信じられない不穏で奇矯で劇的な、夢、夢、夢。まずは夢から、私は狂い始めているのか。

 

* 何もかも仕遂げて行こうとなど、厚顔で強慾。少しは仕残して行くのが愛想だろうと、咎められているのかも。これは、気弱なのか。

2019 9/1 214

 

 

 

☆ 或る寓話 拝受しました  (波)

湖様    「湖の本」を長い間ご恵送いただいているにも関わらず  何のご挨拶も申し上げない失礼を心からお詫び申し上げます。

この度は「或る寓話」を拝受いたしました。 まだ一読しかしておりませんので浅い感想しかお伝え出来ませんが 女性の性愛と愛の身勝手さ、を感じております。

 

持病はいくつかあるものの 何とか元気にしております。

一昨年伯母と母を相次いで看取りました。

 

 

 

蒸し暑い日々、どうぞお体に十分気を付けて 執筆活動を続けられますよう、遠くから応援させていただきます。   波

 

 

*  懐かしい。「恵送」どころか多分に永く叮嚀にご支援頂いてきた。経営者であり大学の講師もしながら、高齢のお年寄りを身近に日々介護されていると分かっ ていて、つい伺うことも遠慮していたが。やはり寂しいことであったと。私の此の歳では、赤ちゃんが生まれた喜びよりも、身寄りまた自身の年の弱りを聞くこ とがもっぱら。

「何とか元気に」の一言にふと安堵する。

心嬉しい久々のお便りであった。感謝。

短い当座の感想のようでありながら、男性の、ではなくて「女性の性愛と愛の身勝手さ」という指摘・批判は、これまで接した大勢さんの感想に、無かった。なぜかなあと思っていたのである。ただし斯く謂われている「女性」が「誰」を指さしているのかは明瞭でない。

 

 

☆ 「オイノセクスアリス・ある寓話」の感想文のつづき  (辰)

秦 兄  8月2日に「オイノ・セクスアリス・ある寓話」の読後感をつぎの出だしで送信した続きを少々。

 

 

「『合 は離の始め、楽は憂の伏すところ』で、これ以外の結末はないだろうと予想していたので最終章は一応納得できた。一応と書いたのは読み終えた読者諸氏がウー ンと唸るとすれば、それは最後の雪の消え方と原因に戸惑い、様々な反応があろうという意味。この大作を完結させようとすれば、松と雪の関係をこれ以上つづ けるには無理があり、秦恒平と吉野東作がジキル博士とハイド氏であれば松は死ぬところだが、秦=松ではそれはならず、となれば雪が溶けて消える以外の結末はない。

遺書でもないかぎり、自死の原因について第三者の無責任な詮索は死者を冒涜することになるのだが、それでも多くの読者の感想や批評を兄以上に日録によむのを楽しみにしている私は野次馬である。」

 

 

と書いて兄の労作に対する読者諸氏の感想や批評を楽しみにしている一人だが、秦文学の愛読者は性を主題にしたこの作品にはいささか戸惑っておられるようだ。

 

そんななか、或る女史の7月15日の掲載文には大いに頭を掻くところが多々あった。

作者はこの作品で多くの問題提起をしているが、その一つ「一夫一妻制度」について語り手の吉野東作氏は明言していない。病身の妻を慮って性生活から遠ざかっているときに雪繪が現れた。

 

しかし、一触即発の欲情も最初の性行為にいたるまで数年を要しているところが心憎い。雪繪と性関係を持つことで妻に対する後ろめたさを他の気配りで補填しているところなど、秦恒平と吉野東作は私の好きな「ジキル博士とハイド氏」さながらで興味ぶかい。

 

読 者もまた二重人格的性質を多分に持っていよう。しかし、日録に送信することは実名・ハンドルネームを問わず、その人の思いが反映される。話題が当たり障り のないものなら気楽だが「性」に関わると送信者の実像に直結するから簡単ではない。読者諸氏が口を閉ざす所以であろう。

 

東作は妻の性生活の途絶えに対する思いの記述を避けている。一夫一妻制に触れる以上、この辺の描写も多少要求される。妻は東作の情事を知ってか知らずかも含めて。

 

作者「私語の刻」のことばを借りれば、「すべてが『吉野東作という私人』の走り書き、書きっ放しの体裁で・・・」と、するりと躱されるのだが、私はここに秦文学の一大特徴をみる。他の作家は延々たる「私語の刻」を持たない。いまでこそHP活用の作家はいるが、「私語の刻」を嚆矢とする。作者からの一方通行でなく読者との双方向性はマスコミ(アナログ)とSNS(デジタル)の相違とおなじである。

 

作品はいったん作者の手を離れた瞬間から全ては読者の読みに委ねられるのだが秦文学はちがう。30年以上にわたり「日録」をつづけている偉大な業績はこの作品に至って一段と光彩を放っている。

 

秦夫妻が並々ならぬ老躯の労苦を厭わず私家版に拘る所以は実にここにあるのだとおもう。私は秦文学を一言で表すならこの点を挙げる。「私語の刻」を持つことの意義は計り知れない。

 

案ずることはただひとつ。視力にはじまる身体の衰えである。私もキーボード上で隣接のキーを叩くこと屡々である。あるのは意欲と気力のみ。あらゆるサプリメントを用いてつぎの大作の完成をねがう。独断と偏見による私の音楽サプリが兄に役立つことを念じて。

 

一夫一妻制度や宗教との関わりについてはまた別の機会に。      2019-9-1  京・岩倉  辰

 

* モノ語り とは 鬼・陰(もの)の語 りで、近代日本で謂う「私小説」の筆致や意向とは次元がまったくちがう。「吉野東作」は「もの」としてほぼ自在に好き勝手に「カタッ」ているがそれが「騙 り」でないとは誰にも謂いきれず、むろん秦 恒平とは濃厚に「有縁」そうに構え利用しているが、所詮「無縁」の架空人である。「鬼・陰」は自在に闇の奥から語りかつ語れる能と場をもっている。作者秦 恒平はそういう鬼・陰としての「吉野東作」を呼び出してきて語らせかつ読者を騙らせている。不思議な「遊戯」として人間社会に登場した「物語」というもの の、それが本性である。

「辰」兄は、「ものがたり」の責任を作家にとらせたそうだが、多くの読者も「鬼・陰」世界でなく「現実(リアル)の娑婆」の事や思いや行いのように読み たがられるようだが、そこで蹴躓いていれば、新聞記事を読んで憤慨したり同情したりするのと変わらず、それでは「物語という文学」が楽しめないのでは、な どと云うと、それも秦の高踏な韜晦であると攻め責める道もある。「文学の作品評」は、なかなかラクなものでなく、古めかしいが眼光紙背に徹して尖鋭な記憶力・推理力・芸術のセンスを持たねば逼り切れない。

 

* 妙なことか当たり前か知らないが、「性交為」表現の数知れず繰り返されることにみなさん驚かれている、らしい。これほど多年に亘り多数回の描写はさす がに驚かれただろうが、その表現自体も一つの語り・騙りの芯に意図して物語られている。「性交為」の表現などわたしの五十年の作家生活で書かれていない作 の方が多いほど当たり前の課題で、あの可憐な「慈子」このかた、太宰賞の「清経入水」を経て、魅力に富んだ女性登場でそれを欠いている例は、極く初期の 「畜生塚」ぐらいか、それさえ洛北円通寺前庭花の蔭でのキスシーンには描写の力をこめた。今回作で、性の表現に及第点を下さった読者が一人だけあったのを 忘れていない。じつは、その手の場面をもった他人の仕事のその箇所の汚さやいい加減さにわたしは何十年吐き気しそうに惘れ続けてきたのです。

 

* 上出の「波」さんからの、「女性」のと出た一言は、この「鬼・陰語り」のフクザツな騙りを突きぬく厳しい道になるかも知れない。語り手吉野東作氏ない し作者の「性愛」と「愛」を、なんだか「辰」兄はじめ問いたげに見えるのですが、「語り手は騙り手」のただの化け物という視点があり得ます。

 

* 新作の方、機械仕事に楽なように大きな字で書き進み、あらましだが、いま96頁まで下書きできている。手入れ分も含めもう20頁書くと「章」を変える のだが、変えなくて「書き上がる」なら書き上げたい、今の機械原稿でいうと700行更に書き下ろすのだが、可か不可かの見通しは立たない。この仕事に魘さ れて奇怪な悪夢に夜々疲労してしまうのだろう、だが仕方ない。

願わくは、わたしも妻も健康を維持し、躓いて入院騒ぎになどならずにいたい。そうなったら、ほぼもうお手上げになる。祈る思い。

2019 9/1 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

言葉の誤用     意識の歪みは存在の歪みによつて決定される前に、まづ言葉の誤用から始る。

 

* 厳しい指摘である。

2019 9/2 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

文化人    大ざつばにいへば、民衆は心理的に動く。「文化人」は論理的にものを考へる。といふより、さうしてゐると思ひこみたがり、さうす ることを高級だと考へ、それでこそ「文化人」だと考へてゐます。だから、論理的に割り切つて進めぬ民衆が、「文化人」の眼には愚昧と見え、すべてを割り切 つて進めぬがゆゑに生じる民衆の迷ひを、文化や学問で救ひあげてやらうなどといふ、とんでもない仏心をだす。さういふ「文化人」が、私の眼には、無辜の良 民をうしろから袈裟切りにして、溝河に蹴落しておき、「南無阿弥陀仏、成仏しろよ」と手を合せる辻斬り侍のやうに見えてしかたがないのです。

選挙民をたぶらかすインチキ政治家とどこがちがふのでせう。

国民の一人l人に竹槍をもたせようとした狂的軍閥政治とどこがちがふのでせう。

私たちが外国の書物を読み、外国人と個人的に接してみて、一番痛切に感じることはなにかといへば、やはり自分たちも日本の民衆の一人だといふことでせ う。彼等に比べれば、私たちは心理的に考へ、心理的に行動する。その点では中国人でさへ、私たちよりはるかに西洋に近いのです。

日本人は随分特殊な国民性をもつてゐると私は思ひます。

 

* 東海「粟散の辺土」と列島日本国は永らく謂われ、海に隔てられての「プラス・マイナス」を歴史的に蒙ってきた。国難という意味では、周辺の海は防禦的 に永く働いてくれたが、先の戦争では、空爆という激襲に痛めつけられた。海からの艦砲射撃も明治以前に已に地域的に体験していた。

さらに「情報」という名の莫大な心的物的干渉はすでに世界中から寸刻の容赦なく「隔ての海域」などを無意味化している。この現実から、目が離せない、政 治も国民も。ナチ興隆期の「地つづき」応酬の悲惨は深刻だった。日本ももう海に護られてなどいない現実、忘れてはならぬ。

2019 9/3 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

言文一致     明治以来の言文一致はその動機において正しかつたが、結果的には大変な誤りを犯したと、私は考へてをります。なによりの証拠は私たちの文学が詩を失つてしまつたことです。

といふことは、私たちが文学を失つたといふことです。

これは漢学者の松本如石氏に伺つた話ですが、坪内逍遙は早くも明治三十五六年頃に、言文一致の主張が間違つてゐたと、述懐してゐたさうです。

おそらく、それは間違つてゐた。なぜなら言文一致といふことにおいて、音声言語の文語による鍛錬と格あげを考へることなしに、一方的に文字言語の口語による破壊と格さげだけしか考へなかつたからです。

 

* 謂われている「文学が詩を失つてしまつた」の「詩」の意味を、今日の文学者らの中でいちばん理解できていないのが、「短歌歌人」だと謂うしかない。短 歌が藝術言語による歌・詩であることを最も「雑」然と忘れ果てている。

 

* 昨夕、湯につかりながら、もう昔の別冊 「新潮名作選 百年の文学」の中の、小林秀雄・中村光夫・福田恆存三氏の鼎談「文学と人生」を半ばまで熟読、血肉に通って有り難かった。三人とも私の文学 人生に大きな力を戴いて忘れがたく、鼎談の随所に肯くところ多かった。まだ三分の一か半分で湯を出たが、前半の、ロシア文学(ソ連文学ではない)への共感 から西欧文学へ近寄られているあたりの回顧に深く肯いた。ああさうか、やっぱりそうかと嬉しいほど合点した。

トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、そしてプーシキンやツルゲーネフを知らずに、または早い時機、小青年期に読まないでいたら、わたしの人生観・人間観は大きく何かを欠いていただろう、そう永く永く実感してきた。

2019 9/4 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

お芝居     自然のまゝに生きるといふ。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のまゝに生きることを欲してゐないし、 それに堪へられもしないのである。程度の差こそあれ、だれでもが、なにかの役割を演じたがつてゐる。また演じてもゐる。たゞそれを意識してゐないだけだ。 さういへば、多くのひとは反撥を感じるであらう。芝居がゝつた行為にたいする反感、さういふ感情はたしかに存在する。ひとびとはそこに虚偽を見る。だが、 理由はかんたんだ。一口にいへば、芝居がへたなのである。……

舞台をつくるためには、私たちは多少とも自己を偽らなければならぬのである。堪へがたいことだ、と青年はいふ。自己の自然のまゝにふるまひ、個性を伸張 せしめること、それが大事だといふ。が、かれらはめいめいの個性を自然のまゝに生かしてゐるのだらうか。かれらはたんに「青春の個性」といふありきたりの 役割を演じてゐるのではないか。私にはそれだけのこととしかおもへない。

 

* 中国六朝 梁の周興嗣が武帝の命を受け、四字一句 二五○句 一千字の韻文を撰した。耳にはよく聞く『千字文』で、昔か興味を覚え、「天地玄黄 宇宙 洪荒」と始まっていることは高校時代には識っていたが、秦の祖父の蔵書にも見つからないまま大人になり、いつか古書店で、「眞行草 三軆千字文」天地二册 を手に入れ、ヒマを見ては愛玩している。漢字というのは底知れず興味深い物で、白川静博士の「字統」などの大冊も手のどくところに置いて、必要に応じむし ろ楽しんで見ている。「令和」の「令」なども即、白川博士の教示にあずかった。

『千字文」いつでも引き出せるように機械に入れているが、正字ですべて拾い出す難渋はたいへんで、やっと「天地」二册の「天」册分の「眞」字だけ、およそ五○○字ほどを転記した。各四字一句の読みはとにか意義を解説した本が欲しいなあと、手に執るつど歎いている。

2019 9/5 214

 

 

* 亡き近藤富枝さんの文学碑が軽井沢に出来たとご遺族より通知。

私の紙碑は、作品。「秦 恒平選集」33巻と「秦 恒平・湖の本」おそらく150巻以上と、HPの厖大量の「闇に言い置く 私語」と心得ている。何も、加えてくれなくてよい。

2019 9/5 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

理想と現実     日本人には、理想は理想、現実は現実といふ複眼的なものの見方がなかなか身についてをりません。自分ははつきりした理想を 持つてゐるといふ意識、それと同時に、現実には、しかし理想はそのまま生かせられないから、かういふ立場をとるといふ現実主義的態度、つまり態度は現実的 であり、本質は理想主義であり、明らかに理想を持つてゐるといふのが、人間の本当の生き方の筈です。これは個人と国家を問はず同じ筈です。

これをもつと日本人は身につけるぺきだと私は思つてゐます。

2019 9/6 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

愛国心     物の中にはそれを造つた人の心、それを所有し、使用してゐる人の心が生きてゐる。譬へば、親にとつて死児の遺品は決して単なる物とは言へない。自分の子供が愛玩してゐた

おもちやは、遺された親にとつて、子供の心と自分の心とがそこで出会ふ場であり通ひ路なのであり、随つて、それは心の棲家なのであります。

自分自身の所有品についても、自分が長年の間使つて釆た、詰り附合つて来た品物は事のほか愛着を覚え、吾々はそれを単なる物として見過す事は出来ないの です。消しゴムや小刀の様な些末なものですら、そしてそれがもう使ふに堪へなくなつたものでも、むげに捨て去る気にはなかなか成れないものです。

この「こだはり」を「けち」と混同してはなりません。それはその物の中に寵められてゐる自分の過去の生活を惜しむ気持であつて、吾々はその物を捨てる事によつて自分の肉体の一部が傷附けられ切落される痛みを感じるのであります。

ましてその物が、自分が生れた時から暮して来た家、子供の頃に登つた柿の木、周囲の山や川、さういふものともなれば、なほさら強い愛着を感じ、自分の肉 体の一部どころか、時にはそれが自分の命そのものに等しい感じを懐くのであつて、それを私達は「命よりも大事な」とか「命の次に大切な」といふ言葉で表現 してゐるのです。さうした自然、風物、建物に対する愛情が愛郷心、愛国心の根幹を成すものではないでせうか。

 

* この思いを押し広げてわたしは、「愛国」の根に、便利を朱とした経済科学文明よりも、伊勢神宮や法隆寺や古典籍や仏像や絵巻や能や祇園祭などの、日本人にしか創れなかった美しい「文化」を置いて喪いたくない。たとえ原発の全部が失せても構わない。たとえ新幹線が間引きされても構わない。

2019 9/7 214

 

 

* 仙台の遠藤恵子さん、名品の色蒲鉾を二重ね、送って下さる。学長職は退かれても大学の先生としても活動されていよう。今少し近くで親しく出会えれば、昔々の医学書院同僚のよしみで、いまいまの女性学のことなど具体的におそわり啓発して貰えるだろうに。

さきの長編でわたしは若い女性を書き損ねたろうか。あるいは老い男の性と生の表現を間違えてたろうか。

 

* 夏バテをなんとか凌いで、早く立ち直りたい。

2019 9/7 214

 

 

* 我ながら仰天びっくりの 嵩・量の 今回新作のためのメモ 想い 調査等々を書きのこしていて、それ自体の もはや無用 または なお要検討 の判定や処置が必要になる。こういう経験は何度もしてきたが、かなり悩ましい作業で、アタマを締め付けられる。

まだまだ解放されそうにない、ゴールはもう見えているのだが。いいかげんに投げ出すという気になれぬ。

2019 9/7 214

 

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

スポーツ      藝術には動と反動とがあるゆゑに、そこにはたえざるくりかへしがあるのです。が、スポーツにはくりかへしがない。それは無 限直線上の運動であります。なるほどスポーツにおいても、呼吸と脈搏とは平常の状態を脱し、強烈に生自体の可能性を発揮しようとする。が、ゴールに突入し た選手は息もたえだえになつて、その場に倒れる。そこにはくりかへしがない。いや、くりかへしの余裕がないのだ。

今日、スポーツはもはや肉体の健康のためのものでもなければ、身体を強壮にするためのものでもなくなつてしまつたのです。観衆にとつても、これは好奇心の満足を意味するだけのものにすぎません。

スポーツばかりではない。現代文明は呪はれたる好奇心のために、進歩と速度との幻影に憑かれ、人間の生理的限界を無視してまで、呼吸と脈搏とを早めよう と狂気のごとく努力してゐるのです。が、よかれあしかれ、われわれはこれを阻止できない。われわれはこれについてゆかねばならないのです。

歴史をして赴くところに赴かしめよ、であります。

 

* 私も つねづねそう感じそう批評している。

ギリシヤ人は 人間として最高最良の知性と肉体のために、詩(文藝)、音楽そして体育を必須の者と掲げていたが、いずれも、たんに読者、聴衆、ないし観客として愛好せよというのではなく、自身の教養・素養・鍛錬として大事にと考えていた。

今日の人間は、おおかたが、それを、自身の素養や錬成でなく、ただ才能ある他者(作家 音楽家 スポーツマン)からうけとる娯楽・趣味としてのみ余所に見ている例が圧倒大多数になっている。もはやどうなるものでも無いのだが。

2019 9/8 214

 

 

☆ 『日本への遺言 福田恆存語録』(抄)に聴く

 

太宰治     太宰治は恥でもないものを恥と仮説した。悪でもなんでもないことを悪とおもひこんだ。それゆゑ、彼の十字架や神は、はなはだ低 い位相に出現する。あたかも(日本の=)自然主義の作家たちが情欲を醜悪と見なすことによつて、低級な精神主義を発想せしめたのと似てゐる。

 

* 幾つもの ふしぎと心懐かしい出会いの夢を見続けていた。「なつかしい」という和語がわたしは好き、いつもそういう心地でいたい。東工大の男子卒業生らしい二人とも夢で交歓を喜んでいた。誰とは分からず。

 

* 西東京の台風はさった。夜通しよく降っていた。秋になって行く。

「帰樵…」 まだ早い早いと思うようにしている。一日一日、平生心のまま仕事にうちこみたい、が。

 

☆ 『唐詩選』(抄出) に聴く  李白「子夜呉歌」

 

長安一片月  萬戸擣衣聲  秋風吹不盡

總是玉關情  何日平胡虜  良人罷遠征

 

厭戦の情を この上なく切なく美しく。

2019 9/9 214

 

 

* 新作終幕への足固め、できたかと思う。あとは、エドモン・ダンテスではないが断崖を海底へとびこむ決意で励むこと。あとじさりすまい。

2019 9/9 214

 

 

*  和歌や短歌は創りもし俳句も読んで喜べるのに、日本国内でいわゆる「詩」が、久しく私には分かりづらかった。日本人の習慣では、短歌、俳句、詩という三種 が普通の散文と相並んでいるという受取方になっていて、では、ここにいう「詩」とは何なのかの説明や理解が出来なかった、し難かった。つまりは和歌、短歌 は「詩」ではないのかという反問がいつも胸に動いていた。私には、「詩」「詩情」「詩美」を理解する用意はいつも在って、それは時としていわゆる散文の文 章にもしかと感じ取れた。だがそれは、そのように受け取っている「詩」は、短歌、俳句、散文と並んで並列の表現様式とは思えなかった。

或る程度好意的に前向きに受け容れて謂うなら、日本人の謂う「詩」とは、短歌や俳句の「定型詩」に対する「無定型詩」のことと謂うしかなく、あるいは私 以外の誰もがじつはとうからそう思ってきたのかも知れない。それなら此の私がただ至らなかっただけのことになる。但しそれならこの「無定型詩」には広く観 て小説や随筆や、さらには評論・批評も含め、むろん戯曲の科白も含まっている。強硬に謂えば歌人、俳人という人種は理解可能にあり得ても、「詩人」という 名乗りは、あらゆる範疇での「優れた散文・演劇語」の筆者全員のものであるべきだろう。島崎藤村はまことに優れた「詩人」だが泉鏡花は、志賀直哉は、川端 康成は「詩人ではない」という理解は的を失している。

外国のことは正しく謂えないけれども、西欧に短歌や俳句は無いモノと観ている。だからこそシェイクスピアもゲーテもチェーホフも大きな意味で「詩人」として尊敬されているし、当然であろう。ボーボワールやリルケだけが詩人なのではなかったし、いまも同じではないのか。

日本には「詩」として短歌・俳句・無定型詩があり、かつてはこれに「漢詩」が加わっていた。多くの「歌謡」「民謡」もまた無定型詩であった。

やや長広舌に及んだが、わたしのセンスでいえば、現今のいわゆる日本の「詩」「詩人」の作や姿勢には、強いて「詩がる」ことで却って喪っている真の 「詩」「詩性」がありはせぬかと懸念している。趣向に過ぎて自然を欠いた「詩作」に多く出くわし、「むりやりくり詩」としか読めぬ作が多そうに見えてい る。詩人を悪く謂うのでは決してない、日本語で「詩」という無理なジャンル立てがわざわいしてないかナと思うだけのこと。

然るべき教えがぜひ得たいと、永く願ってきた。

2019 9/10 214

 

 

*  今朝もキッチンの卓にあった或る歌誌へ目をむけていて、ああ、この頃の歌人はさながらおのが歌作を、述懐でさえなく、気のきいた箴言を為すかのように、ま た成すかのように「諷して、ツクッテ」いるらしいと気づいた。和歌のどの時代にもどの勅撰集にも、いくらかはこの傾向は見える。

 

極楽ははるけき程と聞きしかど勉めて到るところなりけり

 

濡衣をいかがきざむ世の人は天(あめ)の下にしすまむかぎりは

 

前歌は、ま、坊さんの自覚と読んでよかろうが、一般の読者は箴言じみて受け取ったろう。後の作など、気のきいた箴言きどりに読める。むろん近現代の著名歌人にも無いわけでなく、しかも秀歌がある。

 

おいとまをいただきますと戸をしめて出てゆくやうにゆかぬなり生は   斎藤史

 

など胸に響いて忘れがたい「箴」とも読める。

だが現今の歌誌等に氾濫しているのは「箴めかし」た「雑に安い思いつき」の、しかも表現に「うた」の美しさが目も耳も蔽いたいほど欠している。

短歌も俳句もまた「批評」のはたらきをするが、むりやりくりの「思いつき」を読むのは愉快でない。

2019 9/11 214

 

 

* とにかくも「清水坂(仮題)」を仕上げること。根気をあつめ搾ること。

2019 9/12 214

 

 

* いわゆる定型といわずとも、広義の「詩」美には「韻」「律」がはたらく。散文にも、演劇語にも存在している。

 

まだあげ初めし前髪の  リンゴのもとに見えしとき

前にさしたる花櫛の  花ある君と思ひけり      藤村「初恋」

 

明らかに七五の「律」を追い しかも初・三句を「の」「音」の「韻」の美で「詩化」している。ことに後者のはたらきはいわゆる散文=小説でも随筆でも、 文の「品格」や「詩美」にかかわっていて、これに無神経な書きやりは文章を詩性から遠のけてしまう。雑文とは、ここへ神経の通っていないものを謂う。

 

秋の日の

ヰ゛オロンの

ためいきの

身にしみて

ひたぶるに

うら悲し      上田敏訳 エ゛ルレエヌ

 

五音律の美を「の」音のろ、「し」音の韻の美がゆるぎなく作を「詩化」している。かほどまでになくとも散文を書く時もこういう「韻」の効果は、わたしは忘れないでいる。

 

光る地面に竹が生え

青竹が生え

地下には竹の根が生え

根がしだいにほそらみ

根の先より繊毛が生え

かすかにけぶる繊毛が生え

かすかなふるえ        朔太郎「竹」

 

なぜこの詩の美しさが多くをして愛せしめたか、適切な繰り返しの「韻律」と簡明な漢字・かな「音」の用い方で、語句の意味・意義を超えた「詩化」世界が実現している。

井上靖の「散文詩」にもそうした天性の表現が観てとれる。

いわゆる小説や随筆の「書き出し」や「結び」にも必然の「詩」の読み取れる例は、枕草子や源氏物語や徒然草や藤村、直哉、龍之介、康成また由紀夫の科白等々に人は覚えがある筈。今日に所謂自称「詩人」だけが詩人なのではない。

2019 9/14 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

 

国家というものがなぜ生じてきたか。われわれがひとりひとりでは自給自足できず、多くのものに不足していたからだ。 食料 住居 衣服の備え。

2019 9/15 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

 

国々にとって公私いずれの面でも害悪が生じるときの最大の原因であるところのもの、そのものから戦争は発生する。

 

* いま、私の思うところ、日本国で害悪最大の原因になっているのは、安倍総理である。

2019 9/16 214

 

 

 

* 余の経典はしらず、般若心経は、最高の哲学的表明と高校のむかしから思い捨てたことがない。他のいくつかの佛教経典とはその後に出会ったが、それら は、浄土三部経も法華経も華厳経もみな壮大な「フィクション」とわたしは受け取っている。その上で、無くなる二日前に書かれたという遺言、法然の「一枚起 請文」は有り難いと受け容れている。一遍の、「南無阿弥陀仏<が>往生するぞ」という簡潔な教えもありが足しと受け容れている。「フィクション」と思いつ つ私はただただ日に時に事に場合により「なむあみだぶ」と云うている。効く利かぬではない有り難い薬を服するように。

 

* 東工大の教授室に置いていた機械は、要するに古朽ゆえの不能状態と電器屋に診断された。思えば四半世紀以前に買ったのである、当然か。機械なるものの頼りなさであろう。

ラジオなら、諦められる。「原発」という機械の大故障は直しもならず捨てもならない。賢い國は見捨て始めているのに、日本ではまだ原発にしがみついてい る、必然必要の「廃炉」の手順も確保できぬママ放置していながら。私が、あの大部で奥深いプラトン・ソクラテスの『国家』を二度も読み替えしてまだまだと 思っているのは、あまりに哲学の聡明を欠いた日本の政権・政治家達の愚劣を歎くゆえである。国家の根源を彼らもまた国民もあさはかに見失っている。その不 幸、将来未来にわたって甚大。

2019 9/16 214

 

 

☆ 言わずもがな

吉野東作は上田秋成の「蛇性の婬」からのネーミングかな。

こだわり過ぎかもしれませんが、父親にとって一番の「お気に入り」は愛娘でしょうし、娘にとっての「とくべつ」は父親ではありませんか。

雪絵の「嫌いです」は「だ~い好き」と聞こえますし、その他のメールにも父親に甘える娘の調子が

数多く見受けられます。

巻末の「むごいと知りつつも」は 親が娘を導きそこねた述懐のようにも響きます。

更にはいとし子が自死による水の浄化を受けたあと、荼毘に付されようとしている雪絵に 「生きたかりしに」と共に 火の供養が待っているのは、再生の願いも込められているのではありませんか。

「ユニオ・ミスティカ」が到達点ではなく、そこから始まる父と娘の新たなる「生きたかりしに」物語としても成り立つと思いました。。

勿論寓話ですから典型を描かれたものと承知いたします。

相変わらずの自分勝手な感想で失礼しました。

秦恒平様      東京・狛江    方外野人

 

* 虚を衝かれた。そして、胸を衝かれた。

 

* 虚を衝かれたのは、「蛇性の婬」の飛び出したこと。私の創作世界では東作秋成の「蛇性の婬」という作はよかれあしかれ大事に絡みついている。こうはっ きり指摘された人、私の評者におられたろうか。重い、そして必然の指摘である、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』で然りとまでは言わぬけれども。

 

* 胸を衝かれたのは。

「事実」という何かに即して言われているのでないと分かっていても、私にとって、「娘・朝日子」との久しい絶縁状態は、やがて死んで行く身にも思いにも 大きく「重い」。しかし私自身は微塵も何らかの打開にと動いていない。愛おしんだ昔の思い出を抛っていないだけ。此の「私語の刻」末尾にほんの少々並べら れた写真が雄弁に証言している。

妻(母)や息子(弟)が何を考えているかは私にもよく分からない。唯一関わりのあった事実だけをいえば、 妻が、つまり娘の母が命も「あはや」と危険だったとき、弟にそれを告げられても、「見舞わない」と一言で峻拒したと聞いている。

私は、なにらの利害や傷害や障碍も無いまま、父親を指さし「名誉棄損」と称し裁判所の「被告席」に立たせて賠償金を取り立てた「娘(婿・大学教授 も)」の「人」として、知性としての誠実が全く理解出来ないまま、ほぼ二十年を暮らしてきた。理解できないまま私は指一本もどう動かし働きかけることも出 来ないできた。娘との楽しかった、愛おしかった思い出だけが今も時として澎湃と甦るだけである。

切に願っている、出来れば娘・朝日子にだけは、こんな、子として人として恥ずかしい行儀のままに終わらせたくないとだけ願っている。亡き孫娘のやす香も心 からそう願って祖父母との親愛を切に繋ごうと努め続けてくれていた。そのやす香が、二十歳成人の直前に重い病で逝ってしまって、はや十三年。今月が誕生月 であった。

 

 

「おじいやん」と「やす香」

 

 

* プラトン、ソクラテスは嗤っている、真に徳と誠を得ているつもりの知性なら、およそ裁判官や弁護士の判断になどすがる真似はしないと。

 

* それにしても「オイノ・セクスアリス 或る寓話」が斯かる方面から読まれるなどとは、作者は夢にも思わなかった。恐縮し、かつ何だか虚を衝か れた心地である。感謝しています。言い遺しておいて遣りたいと思っていた多年の思いをすこし書きおく機会を下さったとも。そして次作でも、ちょっとのけぞっ て下さるかも知れぬと。

2019 9/16 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

 

気概というものがどれほど抗しがたく打ち克ちがたいものであって、それがそなわっていれば、どんな魂でも、いかなる事柄に直面しても恐れず、不屈である。

穏やかな性質と気概のある性質の、そのどちらかでも欠けているならば、けっしてすぐれた國と国民の守護者にはなれない。

 

* 我が国の総理は、国民の強権による統治・支配には辣腕をもってシテも、他の強国の支配者には卑屈なほど信念と気概とをもって当たっていない。慣れて馴 染んだ「お友達」大臣や党員にはこの上なくあまく利益を供与しても、手腕と気概の対抗者らにはその正反対の態度で、国家国民のための高度の配慮をうち捨て ている。

 

☆ 『唐(から)物語』 の (一)

昔 王子猷、山陰といふ所に住みけり。世の中の渡らひにほだされずして、唯だ春の花、秋の月にのみ心をすまLつゝ、多くの年月を送りけり。事に触れて情 深き人なりければ、掻き曇り降る雪はじめて晴れ、月の光きよくすさまじき夜、一人起き居て慰め難くや覚えけん、高瀬船に棹さしつつ、心に任せて戴安道を尋 ね行くに、道の程遙にて、夜も明け月も傾きぬるを、本意ならずや思ひけん、かくとも云はで、門のもとより立ち帰りけるを、いかにと問ふ人ありければ、

諸共に月見んとこそ思ひつれかならず人に逢はんものかは

とばかり云ひて、遂に帰りぬ。心のすきたる程は、是れにて思ひ知るべし。戴安道は剡縣といふ所に住みけり。此の人の年頃の友なり。同じさまに心をすましたる人にてなん侍りける。

 

* この「子猷訪戴」の故事に、何知らず初めて出会い、胸に響き打たれ、感動のママに書いたのが極く初期の小説『畜生塚』であった。事実上の太 宰賞受賞第一か二作目として「新潮」に発表したが事実はずっと前、第一冊目私家版本に歌集『少年』とならべて、しかも医学誌大の大判本に8ポ二段組みで掲 載していた。ワケもわからず志賀直哉、谷崎潤一郎、中勘助、窪田空穂ほか数人の作家批評家に送りつけていた。受取の返信の無かったのは谷崎先生だけであっ た。この「畜生塚」は「新潮」の編集者小島喜久江さんが気に入ってくれ、ぜひしっかり手を入れてみて下さいと云われ、懸命に推敲した。そのまえに「新潮」 初の掲載作となった『蝶の皿』は一字一句のダメだしもなく、新人賞作家特集に、事実受賞後最初作として世に出た。昭和四十四(1969)年夏だった。

「子猷訪戴」の記事は京都の叔母から送ってくれていた茶道誌「淡交」誌上で出会ったのだ、とうじはまだ古典の『唐物語』を識らずにいた。この近年にたまたま古い文庫本を手に入れてその巻頭に上の記事のあったとのを知った時は、びっくりした。

佳い逸話と胸に落ちる、が、私自身ははるかに雑に日々なお騒がしく生きている。

 

* 「湖の本」や「選集」を実際に組み版したり校正したりして呉れている担当の人の残暑見舞いにも前回の『オイノ・セクスアリス 或る寓話』には「私ども 制作スタッフも内容を読みまして、少々驚いておりました」と感想が添えられていた。小説の「内容(物語・寓話)」への驚きであったか、「性交為」の相次い で数多な連続と描写・表現とに驚かれたのかは即断出来ないが、大方の読者は後者のようであったと想われる、それは何故かに文学上の問題があろう、か。私 も、他人様の書かれた同類の描写や表現に顰蹙し厭悪した経験は少なくなくて、こんな風にしか欠けないのか描けないのかと物書きとしての筆ぢからにこそ眉を 顰めた。人間といえども清浄の人であればあるほど避けて通れる行為でなく避けた方が良い行為でもなく、貴賎都鄙の日常自然な通過行為である。文学表現の部 分的な題目・課題になり得て自然な行為である。のに、しかしまあ何と汚らしく拙劣な、書き手その人にすでに汚穢行為という先入主があると思えて、それにこ そ顰蹙してきた。

性の行為場面を私は初期作以来、なんら避けず、一つの高揚ないし純愛の場面として何度も何度も触れて書いていた、ぜんたいにそう露わでにではなかったが。

しかし今回の東作老と若い雪絵との度重ねた出会いは「性交為」をこそ大事に繰り返されていた以上、隠微にもので蔽い隠したような表現では書き手の手控えまたは力不足ということになる。私は、汚穢感に傷つかない筆遣いにことに注意して真っ向に書きかつ描いたつもり。

読者の誰か一人の方が、それも女の方が、その用意を認めて「是」のメールを下さっていたのは有り難かった。

「驚かせた」ではあろうが、要は性行為の一部無いし一種ないし一場面で、それが作の行方のためにも必然であるなら、作者は自然当然必然をきちっと為したまでと思っている。

いい機会とみて、明言しておく。

2019 9/17 214

 

 

* もはや前世紀であるが、東工大で機械を初めて買い、学生君らに遣えるようにしてもらい、そしてメールが遣え始めた頃、わたしは著名な或る婦人雑誌に、 「電子メール」は「恋文のように」書いた方がいいと寄稿した。機械での語りかけは慣れない打ちはよけいに堅苦しくて、悪気なしに咎めてるように読まれたり 読めたり「ケンカ」している例をもちょくちょく耳にした。

わたしは、文学用・創作利用の用にもいろんな「電子メール」文体の蒐集をはかったほど是に興味をもった。もらって楽しめるメール、まじめなメール、真面 目すぎるメール、親切なメール、深雪の過ぎたメール、いたずらメール、ぴんぼけメール、ど説教メール、小うるさいメール、詰問メール等々、むろんほんもの の恋文メールは遺憾にももらえなかったが、私はというと、主張通りに気分は恋文ほどの温かな心持ちで書くのを分としてきた。

時々はほんものの恋文っぽくも戯れた。()鯛のでんしめーるザッして

例えば、まさしく譬えばであるが、ある人、むろん読者、には譬えば「伊勢うつくし」とだけ送ってみる。さ。これは謎である。

しかし「伊勢」が、平安時代の著名な女性歌人だとまではなにか事典か案内で調べられる。美しい女人であった。恋多い女人でもあったと、そこで止まってしまう。「うつくし」が「愛し」の意味ももつことが伝わらない、私の「恋こころ」を察知するには当然これでは半端である。

伊勢が歌仙とたたえられる女歌人であるとともに、百人一首の一人と、これが思いつかないらしい。

 

難波潟みぢかき蘆のふしのまも逢はでこの世を過ごしてよとや

 

と出ている。私自身にも、

 

伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしかひとはかほどのまことを知らず   恒平

 

と歌集に載せている。これは、「逢いたいな」と誘うラブレターに相違なく、だが、冗談ほどにも伝わらないから、おもしろい。おもしろくもない。だから、こんな歌も作られる。

 

逢ひたいと云へぬ歎きをひと言にお元気でとただ受話器を置ける    恒平

 

斯く、私の歌集や歌作は、いわゆる世の歌人さんたちの歌作と少し筋違いに、背後に「小説世界」を予告ないし用意ないし企図している。体験歌でも経験歌で も願望歌でも殆どまったくなくて<

みな私の想像力での創作用意・覚えでもある、但しあの、歌集『少年』は純然の創作歌集です。「光塵」と「亂聲」とは、実と虚とが 混成の歌集、勝手気ままな『老蠶』の繭づくりなのです。

2019 9/17 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

 

国家のすぐれて立派な守護者(指導者)となるべき者は、その自然本来の素質において、知を愛し、気概があり、敏速で、強い人間であるべきだ。彼(ら)は生来、必須の教育として、身体のためには体育、魂のためには音楽・文藝を身につけていなければならぬ。 2019 9/18 214

 

 

* ごく静かになつかしくフルートのテープ曲が身ぢかに聞こえている。さ、「清水坂」へ帰ろう。

 

* どうしてもせずに済ませない用事が家にはあり、大概は力仕事でモノを持ち運びしたり置き直したり、時に脚を取られて横転したりする。生きて暮らすことの余儀ない通り道と心得てるまで。それでも、しんどい。

疲れて休息に階下に降りても下らない喋くり番組や安い犯罪、時代劇、かと思えば安倍やトランプノの貧相な顔があらわれ、安息の場は睡眠しかない。情けな いことだ。なにも自分が、トルストイのような素晴らしい世界を創作しているとまで云わないが。結局は、いいものを「読んで」気を静め清めようとしている。 いい音楽と、よく出来た映画だけは楽しめる。慰められる。食べ物が、このリストから落ちてしまっている。酒は呑みすぎると仕事にも躰にも障る。

 

* 斯く見入ると、この「私語の刻」は、他のみなさんにはばかばかしかろうと、私にはかけがえ無い私自身の「所有」なんだと思う。1998・3月末から、じつに21年、原稿用紙で十万枚を超えたろう「私語」をほぼ一日も絶たないで来た。ここから、何冊も本に成った。

2019 9/18 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 藤澤令夫氏の訳に習う

 

すぐれた語り方と、すぐれた調べと、様子の優美さ(気品)と、すぐれたリズムとは、人の良さ(エウエーティア)に伴う。ただしそれは、愚かさのことを体 裁よく「人が好い」と呼ぶ場合のそれではなく、文字通りの意味でその品性(エートス)が良く(エウ)美しくかたちつくられている心のことだ。若者たちは、 将来自分の任務を果す人間となるべきであるならば、それらをあらゆるところに願い求めなければならない。だからこそ、音楽、文藝による教育は、決定的に重 要なのだ。リズムと調べというものは、何にもまして魂の内奥へと深くしみこんで行き、何にもまして力づよく魂をいかす。

(ましてや国家国民のために務むべき 総理や副総理や大臣や代議士は 率先斯く生きてあるべき者らである。)

2019 9/19 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

 

國と国民に放埒と病気がはびこるときは、数多くの裁判所と医療所が開かれ、法廷技術と医療技術が幅をきかす。

自由教育を身につけたと誇って自称する人(大学教授や知識人)までもが、安易に裁判官・弁護士を必要としてしまうと謂うこと、──いったい、一国の教育 が悪しき恥ずべき状態にあることを告げる証拠として、これよりもっと大きなものを何か見出せるか。自分が用いるべき正義や判断を他の人々から借り入れざる をえず、そういう他人をみずからの主人・判定者となし、自分自身の内には訴えるべき頼むべき正義や判断を何ももたない・もてないという状態こそ、恥ずべき ことであり無教養の大きな証拠ではないか。事に処して安易に法廷や弁護士の判定や助勢を頼んでそれが正義かのように自負し自涜してしまう愚かさ。

自分自身の生涯を、大方いねむりしている裁判官や弁護士などを少しも必要としないようなものにするのが、教養であり、知性や判断力であって、どれだけ美しく善いことであるか。

2019 9/20 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

 

悪徳はけっして徳と悪徳自身をともに知ることはありえないけれども、徳のほうは、素質が教育されることによって、時のたつうちに、徳自身と 悪徳との知識をともに把握するにいたる。そのような人こそが知恵のある賢い人になるのであって、悪人がそうなるのではない。國と国民の指導者や裁判官や教 授にはそういう徳をもった賢い人こそがつかねばいけない。

2019 9/21 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

 

音楽・文藝の教養を身につけた者は、その気になったならば、その同じ道に沿って体育を追求してわがものとなし、やむをえない場合のほかは、 なまじな医術など必要としないようになるのがいい。その体育の内容をなすつらい鍛錬そのものも、彼は体の強さを目的とするより、むしろ、自分の素質のなか にある「気概」的な本性に目を向け、それを目覚めさせるためにこそ体育すべきだ。

 

* 城西大の学長をされていたと思う水田宗子さん編集の文藝・詩誌「カリヨン・ストリート」を戴いて掲載された幾つかの詩を読み詩人の対談を読んで、先日来の詩についての思いとあわせ、いくらか日本でいわれる「詩」なる感じが見えてきた気がした。

素直に簡素に率直な日本語できちんと語られてある詩と、やたらに気取って日本語をこねまわして詩と自負・自称したものの差が見えてきた。「カリヨン」に は、見た限り、気取って無茶な日本語はみえなくてその心境のよみとれて感興を覚える作にいくつも出会えたのは幸いだった。

2019 9/22 214

 

 

* 歯は痛むが、久しい重荷をなんとか運べて、さすがに今日は気持ちが明るい。まだ推敲という次への道のりはあるが、やっと歯医者へも行けそう。顔も洗い鬚も剃れそう。 2019 9/22 214

 

 

* もう何十度目か知れないが、初稿脱稿後を、また一から読み直し始めた。じつは、もう次の新作かねての想もうずき始めている。

2019 9/22 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」 多く藤澤令夫氏の訳に習う

 

われわれの國の補助者たち(総理や大臣や代議士や首長たち)が、国民の為を思って闘う味方でなく残忍で強慾な暴君に似た者とならせぬよう、あらゆる手段を講じて防がねばならない。

2019 9/23 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

 

政治のあり方そのものが良くなく、しかも国民に国政を動かすのを制限し禁じさえし、侵す者は罰する。他方、そのような悪政を恣にする自分た ちに奉仕し忖度して諂い機嫌をとってくれて、そうした追従に巧みにたけた者を有能の者と用い、名誉をさえ与える、そういう政治を平然と固持して政権に居 坐っていられる国家こそ、最悪と云わねばならない。

2019 9/24 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

 

「真の勇気」とは、法律によりまた良い正しい教育により形成された考えを、あらゆる場合を通じて保持し続けること、苦痛の内にあっ ても快楽の内にあっても、欲望の内にあっても、恐怖の内にあっても、それを正しい考えを守りぬいて投げ出さないこと、あらゆる場合を通じて保持することを 真に「勇気」と呼びたい。

2019 9/25 214

 

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

 

「勇気」と「知恵」とともに、国家と国民の持たねばならぬ大きな一つは「節制」だ。快楽や欲望を制御し、おのれに克つ。負ければ 「放縦」に陥る。「節制」は、国家・国民の全体に、文字通り弦の全音域に行きわたっていて、最も弱い人々にも最も強い人々にも、またその中間の人々にも、 佳い調和と合意のもとに佳い歌が歌えるようにする、その調和と合意こそが「節制」にほかならない。

2019 9/26 214

 

 

* 朝食は、大粒の葡萄を六つ七つ、それだけ。煎茶を二煎。また二階へ。九時前。今朝は袖無しでは肌寒い。両の掌は、もう久しく、胃全摘以降、抗癌剤以 降、びりびり音がしそうに痺れつづけている。メール、来ない。メール、書かない。フルート曲を鳴らしたまま推敲しつづけている。

この新しい長編、名作でも秀作でもないが、何がこれを私に書かせるのだろう。何かしら喪ったもののあるのを取り返そうとしているのか、死ぬより先に。

2019 9/26 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

 

「節制」と「知恵」と「勇気」 この三つの国家の大事すべてに力を与えてしかと生じさせ、それらの徳を そのものが内在する限り 存続させるはたらきをするもっとも必要なもの、それは「正義」だ。「正義」はすぐれた国家のうちにこそ有る。

まちがった強権統治により自分が不正なことをされていると考える国民は、心を沸き立たせ、憤激し、正しいと思うことに味方して闘い、じっと堪え忍んでも必ず勝利を収める。この気高い闘いをやめてはならない。

 

* 安倍政権に、「節制 知恵 勇気」 そして 「正義」は有りや。認めない。

2019 9/27 214

 

 

* 十時、最新作・長編『清水坂(仮題)』の第二稿を成した。起筆から、十二年七ヶ月抱え持ってきた。辛抱がいいのか、ドンなのか。しかし、ナントモ云えず、嬉しい。まだ気が若いのか、アホなのか。

ともかくも、もう一度、明日から全編を推敲する。

2019 9/27 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

 

「不正」とは、一種の内乱であり、余計な手出しであり、他の分をおかすことであり、魂のなかで分不相応に支配権をにぎろうとして、 魂の全体に対して起す叛乱である。それらの本務逸脱が、不正、放埒、卑怯、無知、一言で謂えばあらゆる悪徳にほかならない。とかく過剰に逸脱し高慢に権 力・支配力と不正な富に走る権力者が国家の柱そのものを食い荒らし腐らせる。

徳とは魂の健康と美しさであり、悪徳とはその病気であり、醜さであり、虚弱さである。

 

* 忖度を事とする友人や子分たちで身の回りをかためて国を売るほどの巨悪の利・不利に走る内閣、理性が想定しうる一切の危険を顧みず、現に原発建設の悪しき企みと同心により巨富を私的に手に入れ続けて恥無き関係者たち。

すぐれた憲法をもちながら、日本という国家、根で腐りつづけている。せめては、将来にその禍根を負わねばならなくなる若い人たちに、気づいて、起って、検(あらた)め革(あらた)めて欲しい。

2019 9/28 214

 

 

* 視力をたすけて15級の字で『清水坂(仮題)』は書き進めてきた。書き上げた今、本にする際の10級にあらためてみると、推敲・添削のせいもあり思っ たより本分量は縮まり、ま、いつもの「湖の本」一巻分で纏まっていると知れた。それはそれで問題はない。三稿めを作りながら読み進んでいる。

お午になっている。

 

* 私の小説に、ごく初期以来、身の回り・身近な知友からの評判ないし苦情はとにもかくにも「ムズカシイ」の一語に尽きていた。なにより字が読めないと云われた。

以来、五十年。はじめて今回作に徹底して「よみがな・ルビ」をふることにした。見た目の清潔を大きく損なうだろうが、私はもともと日本語の佳い文学・文 章は、絵画であるよりまず根底で音楽であると思ってきた者。思い描いたままの「音」のつづきで作を読んで欲しくなった。いささか強いがましいけれど、しか もそれを実行してみるとたいへんな苦労でもあるのです。

うるさいと云われもするだろう、読めてたすかると云う人も多いはずである。昨日仕上げたままで入稿することも不可能でなかったのに、ま新しい作業を思い 立ったので、仕上げには数日を加えてしまうこととなった。ウーンと唸ってもいる…が。ま、仕遂げてみよう。作が生きるのか壊れかねないか、分からない。

 

* 十時になる。目はもう霞みに霞み、処置無し。「よみがな振り」作業は、叮嚀に「読む・校閲」にはいいが、先へすすむのがたいへん。全四章と見ている が、まだ二章の半ばにしか届いてない。早くても明後日まではこの作業に没頭することになる。いまのところ、作自体に渋滞や怪我は見つかっていない。

2019 9/28 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

 

「多くの美しいものは見るけれども<美>そのものを観得することなく、他の者がそこまで導こうとしてもついて行くことができない人たち、また、多くの正しいものは見るけれども<正>そのものを観得しない人たち、その他すべてにつけて同様の人たち  このような人たちは、万事を<思わく>しているだけであって、自分たちが<思わく>しているものを何ひとつ知ってはいない。そのような人たちは真に<愛知者><哲学者>であるよりは<思わく>愛好者にすぎない。

たんに<思わく>にばかり導かれた偽り多い政治による治世は、国家の不幸かつ危険そのものである。

 

* 新聞の大見出しとテレビのニュースなるものがこころよく見えるといいのだが。ウンザリする。

2019 9/29 214

 

 

☆ 「プラトン著『国家』により ソクラテスに聴く」

 

「もしすぐれた人物たちだけからなるような国家ができたとしたら、おそらくは、ちょうど現在、支配者の 地位に就くことが競争の的になっているのと同じ仕方で、支配の任務から免れることが競争の的になることだろう。そのときこそ、真の支配者とはまさしく、自 分の利益や名誉ではなく、被支配者・国民の利益を先に考える。

わたしは断じて賛成しないのだ、「正義とは強者の利益だ」という「不当な政治」にはね。

 

* 一ヶ月、プラトン最大最重要な著書『国家』の文庫二冊本の「上巻」から聴いてきた。

この大著の全編を、わたしは二度読み終えたところ。胃癌全摘の手術を受けに聖路加へ入院した日から読み始めたのだ、もう七年半の歳月が過ぎた。正直なところソクラテスの曰くに、全面賛成していない自身も自覚している、女性観などは。

この七年の間に、顧みて「湖の本」を36巻分、平均600頁に逼る『秦 恒平選集』を第31巻まですでに刊行してきた、書き下ろしの長、短篇も刊行し、また現に脱稿しつつもある。

目は暗く歯は大方無く体重は術後より現に7キロ近く減っている。往時からすれば 27キロも減っている。歩行に杖は欠かせず、荷物は、戴いた背負い袋で負うている。食は進まない、昔と変わらないのは、「酒飲み」だけ。幸い血糖値も血圧も尋常で助かる。

生きてきた と、しみじみ想う。感謝している。創作にも読書にもなお意欲あり、好奇心も知識欲すらまだまだある。

こうして「自身の既往」を敢えて反芻しいしい、自身を励ましている。妻にも建日子にも助けられ、ふたりの「マコとアコ」猫とも、それは仲良しである。みなみな、怪我すまいよと願う。

 

* もう九時になる。懸命に、読んで読んで、添削、推敲、満足したわけでなく、明日にも視線をさらに深くして。へとへと。だが、間違いなく一両日で入稿で きると思う。やはり待って頂いている「湖の本」の読者へ先にお届けしたい。『選集』は、第32巻の巻頭へ、余の長短幾つもの作と一緒に収録したいと思って いる。これきもう、あの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』とはまったく相異なる物語になっている。.

2019 9/30 214

 

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

 

さきの大戦開戦前夜  全員が非常識を常識と信じ切っている時代に、本当の常識が通用するはずがなかった。走っている列車の車内では、走っているのは列 車ではなくそとの風景のほうだと見える。これが常識だとする世を挙げての非常識は、常識のほうをかえって非常識だと見なしてしまいがちである。

山本五十六ならずとも、手段としての開戦であり、目的は戦争そのものではなく妥協と和睦にこそあるのであった。目標はあくまで有利な講和条約の締結にあった、それが当然の常識であったのに。

 

* 亡き天野哲夫はもと新潮社の編集者であり、かつ一世を震撼した『家畜人ヤプー』の作者沼正三の本名であった。わたしは、天野哲夫の「批評」を、今でも優れた高みに感じて受け容れている。その幾分かを「今日」にも伝えたいと思う。

2019 10/1 215

 

 

* 少し、感じの出たみじかい一節を適所に追加で挿めた。納得がいった。

視力のために大きな字で書き続けてきたので、さて入稿の10級にもどすと、少なくも25頁分ほどは減っていた。「湖の本」の、平均ほぼ一巻分にはなっている。1000枚の長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』に次いで、また長編といえる<最新作>を続けざま送りだせるのは小説作家としての身の幸と思う。感謝する。

2019 10/1 215

 

 

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

 

〝蒋介石を相手とせず″と言い放って江兆銘(精衛)の南京政権を画策した日本ではあったが、その裏では常に重慶の蒋介石とは連絡路線がいくつもつなげられていて、日本の本音では、江兆銘ではなく、やはり蒋介石との手打ち式がやりたくて、その裏交渉の掛引きに腐心したのである。

蒋介石は米英を恫喝して、支那に対しての援助をもっと 強化せよ、ビルマからの援蒋ルートを活発化せよ、米英ソの三国だけではなく、支那をも入れた四大国を同列に扱えと、ごねにごね通しで後にカイロ会談をも開 かせ、国際的地位を米英ソと同格に確保した。もし、支那を軽く扱うなら、支那は連合国側から抜け出て勝手に日本と手を結ぶがよろしいか、という含みを持た せて蒋介石はスゴミをきかせたという。それはそれなりの、対日ルートの窓口がいくつもあったからである。

こうしてみてみると、フリードリヒ・ハックの忠告や中野正剛にまつまでもなく、長期戦、百年戦争を覚悟せよと国民には云いながら、軍指導層は、開戦当初 から停戦和睦のいい潮どきを模索していたのである。永びけば馬脚が現われることを、いちばんよく知っていたのは軍部であったのかもしれない。

 

*   中国の久しい歴史が示してきたのは、どの時代のどの国とても「外交」上手でなくては生き延びられなかったと云うこと。わたしの小さかった頃、まだ「国民学 校一年生」早々の子供までが鼻歌然と侮蔑の的として悪態をつき誰も当然に思い顔でいたのは、アメリカのルーズベルト大統領、イギリスのチャーチル首相、そ して「支那」の蒋介石だった。「ソ連」のスターリンのことは子供の知見のまだ範囲外であった。それにしてもカイロ会談やボッダム宣言に支那の蒋介石まで顔 を並べているのには子供心にも奇異でかつ驚きであった。

わたしは昭和十七年(一九四二)四月から尋常小学校入りであったが、この春から小学校は「国民学校」と名をあらためていた。太平洋戦争(大東亜戦争)は 前年暮れの八日の真珠湾「トラトラトラ」奇襲の日に始まっていたが「支那」との戦争はもっと早くから膠着同然につづいていた。「戦争」は昭和二十年、一九 四五年、わたしの十歳半四年生の夏休み中に丹波の疎開先で「敗戦」した。だれもが「終戦」と謂うていた。国民学校はもとの小学校に戻った。紙を畳んだだけ の教科書のいたるところに墨で抹消の指示が出た。先生も、上級生も、ぴたりと、生徒を、下級生を、殴らなくなった。

 

* こういう現代の史実も、あれから七十数年、作家と称しているわたしの息子ですら、しかと心得ているかどうか覚束ない。物書きは「歴史と人間と」から普段に深く学ぶしかないとわたしは感じてきた。

2019 10/2 215

 

 

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

 

昭和十七年一月一日、宮中の年賀の式典に前総理で重臣の近衛文麿が参内したところ、わらわらと枢密顧問官の老人たちが彼を取り巻くように寄ってきて、口々に興奮しきった子供のような取り

のぼせ方で言いたてた。

「近衛さん、実に惜しかったですね。あなたがもうちょっと総理をつとめていたら、今回のような大戦果の栄誉は東条(秀樹・当時首相)ではなくあなたの上に輝いたんですから、惜しいことでしたな」

代わる代わる、口々に上気した顔で挨拶をしてくる、これには、近衛も答えようがなく、苦笑するばかりであった。

枢密顧問官といえば、天皇の諮詢(しじゅん)にこたえるための枢密院を構成する、勅任官という上級官吏の中でも、特に天皇の親任によつて叙任される最高 官吏で、主として、文官がこれを占める。例えば宮中顧問官、元老院議官、諸大臣に大審院長、東大をはじめとする帝国大学総長、帝国学士院長などの経験者中 から天皇によって親任される。いわゆる制服組ではない。文民の超一流をなす人々である。昨日までは戦争を危惧し眉をひそめていた人々である。その日本の知 性を代表すべき老人たちが、今、鬼の首をでも取ったように興奮して、この手柄は東条でなく近衛さんに取らせたかった、惜しいことをしたと、言いたてるので ある。

制服組は外見こそ尊大で倨傲に見えたかもしれぬが、直接の責任を負う立場から、思わぬ緒戦(真珠湾奇襲等)の勝利に喜びはしたものの、だからなお、この先が大変だ、の自覚があった。ところが文民たちは、文学者も画家もその他芸術家もマスコミも、あげてもう単純にこのままの(対米英中)勝利を信じて熱狂したのである。

 

* こんにち、政権に追従して最も憂慮される一つは、上級裁判所かもしれぬ。下級審の良い判決を往々にして平然と覆し、怪訝をきわめる「行政の後追い」をしていないか。 2019 10/3 215

 

 

* どうあがいても とり返しつかぬ事がある。生まれてきたということ。

 

* さすがに、それでも少し寛いでいる。

仕事というのは、終えるのが妙薬である。「剣客商売」を観てきた。酒が美味し。

2019 10/3 215

 

 

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

 

昭和十七年の『中央公論』新年号の画期的な大座談会『総力戦の哲学』は、『中央公論』の総力をあげて取り組んだ大企画で、京都哲学の四俊とうたわれる第一線の哲学者四人、高坂正顕、鈴木成高、高山岩男、西谷啓次を配して縦横に「戦争」を論じさせたものである。

高坂が口火を切り、「戦争は歴史の現実を分析する鋭い顧微鏡のようなもの、戦争はわれわれに歴史の動力学を教えてくれる」といえば、鈴木は、「戦争は歴 史を掘り下げますね、高坂さんの〝戦争の形而上学〟もそうだが、戦争は哲学を要求する性質があって、そこに総力戦の意味がある、哲学的戦争ですね」と応じ て、いわゆる戦術史的な戦争観を超克することを提唱する。「近代が行き詰って総力戦がある、つまり総力戦とは近代の超克なんです」

高山岩男が発言する。

「史観というものが必要だ。ルーデンドルフが前大戦から定義づけた全体戦とも非常に違うね。宣

戦布告で戦争が始まり講和談判で終って平和が戻る、こんな理解で今度の戦争を考えると危険だ

ね。(真珠湾奇襲の=)十 二月八日に大戦が始まったんじゃなく、支那事変とか経済封鎖というときに既に始まってるんだ、それが、今までのように講和談判で終るという形はとるまい。 一方で戦争しながら一方で東亜共栄圏の建設をやる。こうしていけば絶対不敗で、そのうちにはこの共栄圏を、新秩序というものを認めざるを得なくなる、この ときが終りだ。これは世界観転換の問題なんだ」

鈴木「よく解るね」

(私<=著者・天野>などにはなんにも分らない)

西谷「倫理や世界観といっても、それは平時のもので、戦争では一時逸脱する。同時に、平時とか戦時とかの区別を超えた歴史のもっと深い底から戦争は盛り上ってくる……戦争自身の中に建設

があるので、そこを見なければなるまい」

高山「それが皇戦、当然皇戦にならざるを得ない」

西谷「単に戦いというものを超えてね、歴史的なものだ」

鈴木「その、戦時と平時の区別をなくす、僕も賛成したい……ブルクハルトは最も真剣に戦争を

考えつめた歴史家だが、同じような考えだね。……戦争は惨害だというだけでは済ませない、戦争

は歴史の真理を発掘してくれるものだ」

高山「大乗的な指導の立場、日本には実に高い立場から指導するという精神が流れている。平和

主義の空虚な観念は現実的ではない、本当に大きい和、〝大和〟だ、これを指導できない……」

以上は、大座談のごく一部である。軍部に対する人文主義の最高の叡智と仰がれる哲学界の俊秀が、いったい何をしゃべりあっているのか、延々六十ページにわたる大特集のどこを読んでも分り

はしないのである。分らないどころか、当時でもマンガのようにオカシイのである。

 

* 「哲学者という名のスノップども」と題された一章のごく一部だあるが、私も天野の憫笑に同調する。「哲学」という美名は、世界史の近代、現代を経過す るに連れ、ほとんと「戯言たわごと・譫言うわごと」と化して、「スノッブどものスノッブ」に他ならなくなった。現代、宗教とともに、それ以上に「哲学は機 能していない」というのが私の久しい実感である。「信仰」はまだしも人を支えうるが、「哲学する」のは容易でなくただ哲学史を講義する「哲学学」だけが、 教室にだけ残っている。

「戦争」を「どう考える」か、それこそは、老若男女、人一人一人の「権利と実感」であるのかも。

2019 10/4 215

 

 

☆ 「天野哲夫著『禁じられた青春』下巻に聴く」

 

かっぱらいがいてスリがいて、アヘンを日常に吸っていて、十歳やそこらの少女が売春をしたり妾になったり、一夫多妻の妻妾同居が珍しいことでは なく、纏足の風習がまだ残っており公然と人身売買があり、手洟をかみ人前でも平気で野糞をたれ、風呂にも入らず垢だらけで虱をわかし、ニンニクの臭いと いっしょくたの悪臭を放ち、義務教育の励行も行われぬので文盲が多く、広大な国土、厖大な人口、悠久の歴史文化を持ちながら実際はその国土も四分五裂、地 方軍閥に土豪に政商がバラバラに割拠して私兵を養い、香港、廈門、澳門を外国に占拠されて公然と麻薬や賭博場のメッカとなり、上海、杭州、蘇州、漢口、沙 市、天津、福州、重慶など手当たり次第に「租界」という名の特殊地域を外国に献上し、「犬と支那人は入るべからず」の立て札を立てられても唯々諾々として 謝謝と叩 頭せんばかりの愛想笑いを浮かべながら面従腹背、嘘八百並べるのもこれも身についた生活の知恵、東三省と呼ばれる東北・満洲の地は、ロシア、日本に権益。 えられ、それなくしても奉天の軍閥、匪賊によって、これさえ本国からは手も出せぬ治外法権の場となっていての勝手放題、こんな国、こんな国民・民族なん て全く考えられない末期的様相であったのである。

思えば、こうした祖国の状況を憂うるあまりの革命行動が頂点に達しての辛亥革命は明治四十四

年十月、湖北省・武昌で烽火をあげ、三民主義(民族、民権、民生)を唱える孫文を臨時大総統として南京に中華民国を成立させたのは明治四十五年一月、その 翌二月に、清朝最後の幼帝、宣統帝、溥儀(三歳)の退位によって、秦の始皇帝以来の二千年にわたる支那王朝の幕は閉じられたのである。

 

* 書き写すも鬱陶しいが、私が幼少期をようやく抜けて行く昭和十五年(一九四○)ころの隣国支那にかかわる耳学問のほぼありのままが、ここに証言されている。こういう時代を生きてきて、では、もはや無縁の過ぎし歴史か。

そうは思われない、現下のわが日本は首都の空をすら米国に占領されており、そして横浜には「租界」化の懼れも濃厚な「カジノ」を開こうという、国土と国 民の腐敗への誘惑に、政府も横浜市行政も警戒の自覚をもはや抛擲しつつある。どんな客を期待しているのか、「爆買い」の記憶も新たな中国からの旅行者も勘 定に入れているのだろう、あの「支那」といわれた中国はいまや帝国主義的にもアメリカと世界一を争おうという富裕国とも、凄まじい貧富差の國ともみられて いる。

日本は敗戦から七十数年、いまなおアメリカ支配の敗戦国義務をわれからも背負い込んで、国土を分かち古道具並みの武器を大量に税金で買い込んで恥じない 政治が居坐り続けている。かつての「支那」同然の日本国が見たい、支配したいと願望している近隣国は機会を露骨に狙い始めているのではないか、やがて死ん で行くものとして、子孫、弱小の世代にどうか日本の国土と文化を守り抜いてと遺言したい。

2019 10/5 214

 

 

* グレン・グールドのピアノの颯爽快速感に魅される朝の嬉しさ。

 

* とはいえ、体調の違和拭いがたく、散漫にやすみやすみし、横になったまま手に触れる本を読みあさる。

アンナ・カレーニナ流浪・孤独を深める痛ましいまでの女の悲惨、打ってかわってキチイとレーヴィンの真実味溢れる結婚生活幸福な日々、の、対照に胸を穿たれる。読み進むのも怖い小説、しかもみごとな把握と表現の構造美。

鴎外先生のやっと二十歳台の『ヰタ・セクスアリス』を読了。堅牢にして流暢な叙事叙述。「名作」と受け取る人もあるようだが、セクシイな何物も特段には 書かれていない。これが鴎外唯一の発禁小説であったとは、時代やなあ。わたしの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の方が文藝作品として冒険と発明とがあ るのでは。

芥川龍之介が編集した「近代日本文藝読本」の最初の二巻から、鴎外の飜訳「老曹長」、加藤武雄の「薬草の種」が佳い感じに胸に沁みた。この六巻本は買ってしばらく乗らなかったが、今では恰好の読み本としてかすかに敬意も払いながら愛読を重ねている。

ホーマーの長巻も長巻『イーリアス』 神々も神の子も兵も激戦激闘、死屍燦爛。それにしても女神さんたちの贔屓側に別れての敵対戦闘意欲の凄みに辟易の気味。あまりに大長編。

プラトンの大作『国家』分厚い二巻を後ろの詳細な解説までふくめ、再読を終えた。たくさん教えられた。仏陀、基督、ソクラテスと子供の頃から頭にあり、 その時機時期に応じて心して触れて読み継いできた。八十余年、心に残って、より近付きたいのは、バグワンへの親炙もあり、禅。

2019 10/5 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』作者)著『禁じられた青春』の下巻に聴く」

 

まだ、支那事変も始まらぬ以前、特に九州の中等学校の修学旅行においては、旅順、大連とか、上海、蘇州とかへの、海を渡っての大陸旅行が普通であった。

洋車を乗り回した日本の修学旅行の生徒らは、群集心理的な仲間意識と若気からくる客気にはやり、車代を値切りに値切り、ついには一銭も払わず、これに抗議する車夫を四、五人で袋叩きにする、こうしたことは、その夜の宿における自慢たらたらの手柄話となるのであった。

こちらは日本人である、あちらはチャンコロである。この相互の、優越と従属の関係は、自然法

のように当り前な日本人一般の常識と化していたのである。

旅の恥はかき捨て、これがもっと野放図に解放されると、欧米流でいうトローペンコレルToropenkoller、いわゆる熱帯性嗜虐症といわれる圧倒 的に支配的優越感を発現させることになるのである。本国では紳士淑女でも、これが植民地において現地人に宗主国人として臨む時には、時に残酷な圧制者に一 変する。そうした欧米流の植民地支配感覚の、これは疑似体験といったようなものであるのかもしれない。

 

* わたしの幼い記憶では、つまりは京都市内のただ一角に暮らしていたに過ぎないのだが、幸い敗戦後の「占領軍」(だれもかもが進駐軍としか謂わなかった が。)や私服の「外人」に、上のようなあくどい「メ」に日本の大人や子供が遭っていたということを聞かずにすんでいた。しかし、往昔の日本人には中国の人 を「チャンコロ」呼ばわりしていのは蔽いがたい史実であり、このての史実は世界史的にさまざまに繰り返されているという。

いまだに被占領国土で米追従を陰に陽 に強いられている現実にも目を蔽えないが、いつの日にか不幸にして近隣国の占領支配に遭うときがどんなものかは、想像に余ると覚悟していて然るべきだろ う。そういう「メ」に遭わずに済む真に聡明な日本国政治であって欲しいが、ソクラテスの謂う最悪「僣主独裁統治」強行の現総理のもとでは、いずれ「米国日本州」へと陥落して行く道しか立ち行かなくなりかねぬ。

2019 10/6 215

 

 

 

* 書庫に「墨」という大きな雑誌が何冊もあり、なかに「千字文」特集がみつかり喜んで機械の側へ運んだ。見ると、なかに私の連載小説「秋萩帖」 二の帖がきれいな挿絵も添えられ載っていて、おやおやと驚いた。一九八六年の九・十月号だ。三十五年も昔だ。働き盛りへ向かっていた。

千字文は秦の祖父鶴吉の蔵書、「真行草 三軆千字文」を邨田海石という人の書いた「天地」二册を愛して座右を離さないのだが、「千字文」なる中国の文化 遺産にかなり詳細な解説や多くの名筆例が大きな画面で多数掲載されているので、遅幕ながら嬉しくてならぬ。正字も読みもきちんと表覧されており、四字一句  二百五十句 千字に、一字の重複もなく しかも銘々の句が意義深いとも分かり、ほくほくしている。祖父からの学恩、はかり知れない。

しかし、これを諳記はもう無理です。今、確実に諳記できているのは神武から平成・令和まで天皇126代だけ。般若心経がほぼ正確に近くまで。千字文は、いまや実利には遠い、趣味の対象。

2019 10/6 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』作者)著『禁じられた青春』の下巻に聴く」

 

(あの大戦のさ中、昭和十七、八年ごろ) 人生二十五年と、あのころ、私たち青少年は誰もが口にした。実感はまだ痛切にそこまで至らずといえど、しかし、戦争の深まりと成行きを考えれば、私たちの未来に、二十五歳から先があるとは思えなくなっていた。

「今が、いちばん幸せなときだろうね」

と、父がみんなで一緒の夕飯の膳を囲む折に、しばしば口にしていたことを思い浮かべる。(ほどもなく一家は、戦争の煽りでちりぢりになってしまったと。)

あの頃、夏休み冬休みどころではなく、恒に勤労動員で農家の手伝い、飛行場建設の土方作業、松根油採取用の松の根っこ掘り……等々に従事し、その間に軍 事教練があり、(中等学校)五年生になると新兵として実地に全員が(近隣の)四十六部隊に入隊しての兵営宿泊訓練が、少なくとも一週間は義務づけられてい た。

 

* 天野氏は不運にして私より幾らか年長であった。私は真珠湾奇襲を幼稚園の歳で聞いた。空爆の大戦果よりも私の胸を襲った痛みは、人間魚雷、九軍神爆死 の喧伝だった。その当時から、この私は、「人生二十年」かと思いついていた。米機の爆撃は烈しく、「兵隊さん」に取られることは絶対に避けられないと思っ ていた。すでに私は祖父の蔵書「白楽天詩集」により「新豊の折臂翁」の長詩を読んで胸に抱いていた。自分で自身の腕を折ってでも兵役を避けうるものだろう か。この思いこそが小説家・私の処女作「或る折臂翁」に実った。「人生二十年」かという幼い諦めを打ち消してくれたのは「祖国の敗戦」であった。

 

* だが、今度戦禍に巻かれる時は、青年天野の体験もあったものでなく、いきなり日本列島は「廣島」「長崎」となりかねぬ。「人生」など敢えなく雲散し霧消しかねない。若い人たちの生き甲斐ある未来は、若い人たち自身の、今が今の、自覚と行動でしか護れない。

2019 10/7 215

 

 

* 殊に昨今つよく感じることだが、夥しいコマーシャルを含むテレビの現実を見ていると、すでにそれが私や妻の「時代」では無くなっていると、「よそ」世 界にさえ思われる。譬えれば時代差こそ有れまさに「時代劇」を見ているのと似て「遠い」世界に急速に成りつつある。だから今今の商品を大声で「なんと」 「なんと」と売り立てているのを眺める距離感と、「剣客商売」や韓流の「オクニョ」などを楽しんでいる距離感とに差異が無いのにビックリしている。それで いいのか良くないのかも分かりません。

 

* 誰の何のなど考えない、しみじみ美しいフルートの曲を繰り返し今朝から聴き続けている。東工大の頃の上尾敬彦君のプレゼント、彼ならではの選曲の優しさも嬉しく。

で、私はいま何をしているか。濯鱗清流。もっぱら入稿原稿づくり。

「選集第三十二巻」の小説原稿がもう順序に配列されている。入稿の前に、処女作から最新作まで。とはいえ、手書き原稿から器械へ写せるなら、もう何作か が埋もれているのだが。間にも合うまいし、本にそれらを含む収容力もない。やはりそれは何れ「湖の本」で初出刊行を考えた方がよい。 「選集第三十三完結 巻」の編輯は難しい。書誌、年譜、随筆等々、自身に関わり深い資料的原稿をつくりながら新作の短篇等を拾い採るか。

慌てまいと思う、ただそりためには体調と健康とは維持していないとし損じる。「選集」を早くアガッてラクになりたいという気分もある、にはあるが。

2019 10/7 215

 

 

 

* 以下にことさらに紹介するのは、挙げた文意への賛同とは程遠い批評のためであり、著者の真意も謂うまでもなくそこにある。こういう時代時世心情に、老いも若きも日々引き摺られて無残な国運を懸命に健康に押しとどめる術も力も当時の日本人は持てなかった。

果たして現今は如何。それが問いたい若い人たちに。

「禁じられた青春」とは何であったか。今日、ほんとうの意味で「禁じられてはいない」と云うのか。衆愚政治のまんまと餌食にされてただ痴呆化しているのではないのか、と。

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

茨城県友部町の郊外。そこには、これから大陸へ雄飛しようという青少年のための訓練所があった。主宰者というか指導者というか、加藤完治という農本主義の教育者が所長であった。

友部の訓練所は、農業ではなく一般事業に従事する中卒以上の青少年を訓練する所で、大陸の気候風土にあらかじめ慣れること、そして日本精神涵養の仕上 げ、再確認のための精神教育をやる訓練所であった。この友部や内原あたりは、内陸性気候というか、気候状況が満洲に似ているというのである。九州育ちの私 は、生れて初めて、雫下十度近い寒さ冷たさを体験した。

時折は、朝礼の壇上に加藤完治自身が立つ。彼は、国士として、神道を基礎にした農本主義の実

践的な教育者として名の高い人であった。

「君たちは、ここで、今まで身につけてきた日本精神の総仕上げを行い、勇躍満蒙の地へ旅立つのである。どこへ行こうと、日本精神はアジアの最高原理であり、その実践と、現地民への普(あまね)き教化こそ、君たちに課せられた大使命であることを忘れてはならない。

(一)帰一惟神(かんながら)の原理   我が国土のすべては神の産みなせるもの、この精神は、天地開闢(かいびゃく)の古よりこの国に充ちあふれておる。

(二)天皇の原理   君臣の名分は、国初より厳として確立されておる。大義苟(いやし)くも紊(みだ)るることがあってはならぬ。

(三)八紘為宇(はっこういう)の原理    家は皇国の単元であり、皇室を宗家とする家族国家である。この原理を以て異族をも包含し、皇化融合に努め誠を尽さねばならぬ。

(四)皇道文化の原理   皇国の文化、経済、産業等、また等しく神の産みなせるもの、この道義に則り、広く異国の生成にも実をあげねばならぬ。

(五)無窮弥栄(いやさか)の原理    皇統連綿として存するは万古不易の厳然たる事実であり、

脈々として而(しか)もいよいよ溌剌(はつらつ)、天壌(あめつち)と共に窮(きわま)るところなきを胆に命ずること。

以上、五つの原理を忘れてはならない」

加藤完治は、名物の顎髭しごきつつ、職員の挙手の礼を受け、ゆっくりと壇上から下りた。

ここ、友部の訓練所は、いずれも十七、八歳以上、最低、中等学校卒以上の、いわば当時のセミ・

インテリ層である。

 

* 二度あることは三度ある 三度目の(正直ならぬ)地獄を、なんら備えずバカ笑いして待つ愚かさとは、付き合えない。

2019 10/8 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

汽車は安東に三十分はど停車したあと出発した。荒茫千里の大満洲にあって、これから五時間の奉天(瀋陽)までの安奉線は、珍しくトンネルまたトン ネルの難所となっている。何しろ今もって虎が住むという長白山系をかいくぐる二百七十四キロである。難所であって当然であろう。明治四十三年十一月の全面 的開通以前は、奉天ー安東間は旅程三百六十キロ、野越え山越えの旅に十日間を要したというのだから、これをわずか五時間で突破できる安奉線の恩恵は測りがたく思われる。

本来、この線は、ロシアの圧力によるカシニー条約という密約により、当時、清の北京政府がロシアにその敷設権を与えていたものである。それを日露戟争の結果日本が引き継ぐ形になった。ロシアの土木工事はまだ半ばであった。

日本は日支共同組織による用地の補償と、新たな土地購入に手を染め、まずそれまでの土地所有者への弁償、新たに加えて六百二十二万七千二百八坪を購入し たという。その費用、九十七万千六百七十五円、その他に、墓所の土饅頭などの移転埋葬料、風致に美観を添えるべく沿線の寺院を修築、老木名樹を保護、道路 の改修、水流の整備等の間接投資に二百万円、それぞれを投ずる。

それに、本工事の三千万円を合すれば、はぼ三千三百万円もの大金が投下されたことになる。明

治四十三年当時、うどん、そば一杯「三銭五厘」である。それを昭和六十三年に換算すればほぼ一万分の一、当時の三千三百万は、昭和末年にあっては三千三百 億円となろう。これだけが、この局地的な僻遠の人外境に短期間に投じられたことにより、この沿線はいちどきに活況を呈し、一帯は富裕な村落に変貌すること になる。

 

* 上記引用を読んでこれぞ恩恵に満ちあふれたすばらしい事業と思うかも知れぬが、まさしく、ここに見えるロシアの意図、それを引き継いだ日本の魂胆こ そ、いわゆる弱小國に不動の支配力を意図した典型的な「帝国主義」の発露ないし成果というものであった。利を与えるとみせかけて、根元の利権を他の強国が 握りしめて弱小国に以降永く鑑賞し遂に支配する。満州はその典型であり、衰退の中国はまさに随所に列強の帝国主義支配を許したことで、永く永く苦難の抵抗 闘争を強いられた。蒋介石も毛沢東も、それを闘った。

 

* 「帝国主義」という強国の暴利支配意図は、英仏米露和メキシコらを歴史的に栄えさせて、日本は鎖国そして明治政府のガンバリで免れ、上記国の仲間入り して、あげく米英と衝突、第二次世界戦争へ拡大した。「帝国主義」を、今もロシアは、中国も、露骨に実践している。云うまでもないアメリカも。日本の保守 政権政府さえも、と、見きわめる眼は必要なのである。

2019 10/9 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

昭和十七年の東京空襲時の経験談を、朴翔龍は詳しく話tてくれ、その印象も強く残っている。

昭和十七年の四月十八日未明、東京の東方千五百キロの海上で、日本の小さな哨戒船第二十三日東丸は英雄的な最期を遂げた。日東丸は洋上に、二隻のアメリカ 空母と一隻の巡洋艦を発見し、急遽、東京へ打電し、巡洋艦ナッシュヴィルの集中砲火九百発を浴びて沈没する。これは、かつての日本海海戦時、行き先不明の バルチック艦隊を南方洋上に発見し、進行方向は津軽海峡でなく

対馬海峡であることを確認する決め手となった仮装巡洋艦・信濃丸の英雄的な第一報に劣らぬ意味合いを持つ。

空母エンタープライズ上の米ウィリアム・ハルゼー海軍中将は、日東丸の最後の打電に神経をと

がらし、猶予はならじと僚船ホーネットに緊急指令を発する。数分後に、ジェームズ・ドーリットル陸軍大佐率いるB25十六機がホーネットを発進する。

飛行距離にぐんと厳しい制約のあった当時の航空機からすれば、この発進は計算に合わないもの

であった。もう五百キロは日本に近づいておかねばならぬところを、計画に狂いが生じ、発進した飛行隊の続制も乱れ、各機がバラバラの状態で本土上空に突っ込んだのである。

十六機のうち、十機はともかくドーリットル自身が指拝し、各機隊形のとりようもなく東京上空に達し、新橋駅周辺に二千ポンドの焼夷弾投下をはじめとして 港湾地帯、製油所、北部下町の鉄鋼工場などを攻撃、日本戦闘機に追われた数機は搭載爆弾を投げ捨てて逃亡にかかるが、捨てられた

爆弾が中学校や病院などに命中し、無差別爆撃の非難を浴びることになる。

B25k三機は横浜の工場、石油タンクを襲い、二機は名古屋を、一機は神戸の川崎航空機工場に

少なからぬ損害を与える。

被爆工場九十、巨大ガスタンク六が破壊され二百名余の負傷者を出したとはいうものの、死者五

名、日本側の損害は軽微にすんだわけである。この結果は、日東丸によって引き起こされたアメリ

カ側の狼狽ぶりによることが大きく、日東丸の功績はもっとたたえられてしかるべきだとされる。

アメリカ軍も一種の決死隊の如く、その結末は惨たるものに終る。

 

* 日本国土の空襲初体験であったか。やがてこういう惨事は十八年ともなれば度を増し回数を増して、二十年真夏の敗戦まで二度の原爆もふくめ無差別住宅爆撃が各都市を襲い続けた。

もうそんなことはあるまいと、思っているのか。中曽根康宏という鈍感な、何でも「先送り」が得手の総理は日本列島を「不沈空母」と嘯いていた。

なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ

原爆出来る潜水艦は東京湾の奥へまでも忍び寄れる時代なのだ。

2019 10/10 215

 

 

 

天皇(昭和)の怒りは、一つは日本の神聖な空域を犯した神聖冒涜にある。今一つは、天皇がひそかに模索し、打診していた和平交渉に手痛いシッペ返しを食わされた ことである。シンガポール陥落は一つの重要な転機となるはずであった。海軍や外務畑や元老や、天皇の母堂である貞明皇太后をはじめ、中野正剛ら右翼の一部 にすら提唱されていた停戦論を待つまでもなく、この最も有利な時機に米英と交渉の場を持つことは、まさに日本にとって、願ってもない良きタイミングであっ た。この時期、友邦ドイツは欧洲と北アフリカの覇者であり西太平洋と東アジアの覇者は日本であった。アメリカのルーズヴェルト政権の政敵、経済界との不協和音の軋(きしみ)にどうはずみをつけてやるか、事の次第によっては停戦交渉の条件づくりも全くの絵空 事とはいいきれない。ベルン、マドリッド、テヘラン、リオデジャネイロ、ヴァチカンにモスコウでの工作に、木戸幸一も近衛文麿も腐心したものである。

米CIAの前身であるOSS(米戦略局)欧州本部長アレン・ダレスらとのベルンでの接触が模索され、蒋介石との秘密交渉ルートの打診が行われつづけてい たのだ。日本は、進撃を停止するばかりでなく、最小限の支那駐兵と満洲国の承認とボルネオの石油をはじめとする日本に不可欠な資源の保証さえあれば、それ 以外の占領地からは撤兵しよう、ルーズヴェルトや蒋介石のメンツが立つように工夫をしよう、こうした腹づもりを持っての打診である。

期待された反応は何一つなかった。その代りに、いきなりドーリットルの東京奇襲を受けたのである。これがアメリカの回答である。

(二十数万人非戦闘員農民の殺害を伴ったの日本軍の昭和十七年五月より八月にかけ、四ヶ月にわたった)浙江作戦は、仕返しと見せしめのための懲罰作戟ではあるが、同時に、神州不可侵体制を確固としたものに固めあげる重要な意味をも含めていた。

 

* 一度起きた戦闘行為の戦争は、はかりがたい何から破滅的に拡大していくか知れない。開戦は概ねそのように起きたことを憂慮し配慮しなければ。

 

* グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲、男性的なピアノの底深さに聴き入りながら、あぶない歴史を反芻している、わたし。やれやれ。

2019 10/11 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

北太平洋のど真ん中に、併せて四平方キロにも満たない、ミッドウエー。ここまで来ればハワイ諸島はねう近い。ハワイの前衛でもあるこの島は、日本側の動 向を探る無線盗聴と偵察機の警報線形作る触覚。これをもぎ取り、逆にこれをアメリカ西海岸へ向け変えることは、日本にとり、これ以上の重大な作戦は無いと 見えた。

山本五十六が編成した艦隊は、陸においてヒトラーの大機械化軍団三百万、おそらく史上最強の軍団といわるるに対し、これは海における最強最大の大艦隊であった。

作戦に遺漏はなかった。長官・山本五十六は、かつての三笠艦上で指揮を執る東郷平八郎さながら、世界最強の大戦艦大和の艦橋から号令する。

だが、勝つべき戦いに山本艦隊は負け、負けるべき戦いにニミッツ艦隊は勝利したのである。山本五十六は戦死した。

 

* 日本海軍の戦力は半分以下に落ちた。次に待っていたのは「アッツ島の玉砕」「ガダルカナルの地獄」であった。戦意を失したのでなく、経済戦争において、とうてい日本はアメリカに太刀打ち成らなかった。

2019 10/12 215

 

 

* やっぱり、亡き富永いく子のいっとう美しいと思う木槿満開の繪を観たくなった。美しいものにこそ身も心も添い寄る日々でありたい。

 

* 二代松本白鸚丈の「句と絵で綴る」句文集『余白の時間(とき)』が贈られてきた。句も絵も高麗屋の文字通りに大好きな得手で、楽しさに溢れて、墨書も みごとに流暢。いままでも何冊も本をもらっている。その文筆の滞りなく胸に届くのをよろこんで躊躇いなく日本ペンクラブの会員にも推薦したのが、さあ、も う昔のこと。文筆の妙は白鸚さんだけでなく、奥さんも、松たか子も、十代目を襲名の新・松本幸四郎も佳いエッセイを折に触れてしなやかに、生き生きと、多 彩に書かれている。

この前の、あれは幸四郎として最後の本であったか、自分は「いま、ここ」が大事で好きだと表紙にもでていたと思う。

私も、歌集『光塵』の結びに近く 2011・8月「病む」と題しながら、「いま・ここ」に生く と二首を成し、9月1日にも、

「いまここの生きの命よ秋さりぬ」 と書いている。年明けて、二期胃癌が見つかった。

私にも「いま・ここ」の強い思いが常にあり、それなくて「生きる」ことは無い。

2019 10/12 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

(満州では)日本人であるということが、それ自体で既に特権者である。私は特権階級の一員として遇されていた。日本人に准じ、日本人待遇という 扱いが朝鮮人。現地の本国人である満人にシナ人は更にその下である。つまり、その土地の者が一番下で、よそ者の朝鮮人がその上、更によそ者の日本人が一番 上にあって、私など、ポッと出の青二才が月給一百塊円(ほぼ日本の円といっしょ、百円 内地では大卒以上で)、そんな私・日本人が将校とたとえれば、どう優秀であれ年輩であれ 朝鮮人は下士官か古参兵あたり、その下で兵隊なみの満人、シナ人の不満はもっともで、鮮人を怨み、鮮人は満人・シナ人を軽蔑した。しかも日本が謳いあげていた建前「満州」の旗 印は、「人種平等・日鮮同盟・五族協和」で、なんともそらぞらしいことであった。

 

* 支配する國と国民、支配される國と国民の、さもさも当たり前のような「図」が、今日ですら、世界中に見受けられる。トランブが将校なら安倍晋三は、中国はおろか北朝鮮以下の兵隊のように「ヘイコラ」と屈服し奉仕していると見えているのだが、如何。

2019 10/13 215

 

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

昨夜の台風をご無事にお過ごしでしょうか。雨風に洗われた青空がひろがっていますが、暑い一日になりそうです。

先日のみづうみから頂戴したメールを複雑な思いで何度も読み返しています。

 

>わたしは、後世 後生 というのを心底は信じていないので、

 

『畜生塚』や『死なれて・死なせて』ではかくありたい願望を書かれたのでしょうか。「身内」観は真理に王手をかけた秦恒平の思想でありましょう。

わたくしはキリスト教で育った人間で、キリスト教の教える愛が骨の髄までしみこんでいます。しかし、みづうみの「身内」観は、これまで信じてきたその愛のかたちを変え、ある意味わたくしを再構築してしまうほどのものでした。

「身内」とは、つまり倶會一処のことと理解していましたが「後世 後生 というのを心底は信じていない」ということは、「身内」の愛は所詮みづうみの創作、今生の夢にすぎないと理解すべきなのか。

歌は、日本語美の極致でしょうが、わたくしは心底和歌の真実を分かったと言いきれたことはないのです。歌は赤裸々に説明せずに、暗示やほのめかしで互いに察しあう心情の伝え方に妙味があるのでしょうが、何が真意か、解釈はいかようにも成ります。

「伊勢うつくし 逢はで此の世と歎きしか ひとはかほどのまことを知らず」は愛なのか、性愛なのか、どちらにも受け取れます。言い尽くさないことは詩美 をより深めるとしても、言い切らないことで逃げ道が出来るという日本語の欠点をこれほど抱えた文藝もないのではと思うことがあります。素人感剥き出しの感 想で申しわけないのですが。

バートランド・ラッセルの『幸福論』の中に、幸福であるために「望んでいるもののいくつかを、本質的に獲得不可能なものとして上手に捨ててしまう」という言葉がありましたが、みづうみと出逢ってからのわたくしの道のりはもしかしたらこの道のりであったのかもしれないと思うことがあります。

 

幸いみづうみは多くの作品を与えてくださっています。作品と出逢い続けている限りみづうみはいつもわたくしと共に生きてくださることになりましょう。フランクルの云うように、レモンからなんとか美味しいレモネネードを作らなければなりません。

 

 

 

 

 

みづうみの新作が待ち遠しい日々です。でも、過剰にお身体をお使いになりませんように。どうかどうかお元気でいらしてください。

梨  剥きたての梨の光れる夜の雨  戸塚久子

 

 

* このメールには、直に答えるという以前に、私自身で自身に問い返しておかねばならない難問がある。

このホームページの頭には以前から、今も、こんな自句をかかげている。

 

 

あのよよりあのよへ帰るひと休み  と。

 

 

これは、はたして言い得ているのか、と。

 

* 初校を終えた。表紙とあとづけを添えて 明日送り返したい。難しい批評家の妻も致命的なケチはつけなかった。今度の作は、量として長くはならなかったが、筋の異なる三つの物語がかなり親密・緻密 に噛み合って成っている。「清水坂」はなみたいていでなく諸国とも結ばれたややこしい坂で、すこし読者を悩ませる辺りもあろうけれど。

 

 

* 世界は異なり触れ合わないようでもあるが、前作の長編『オイノ・セクスアリス  ある寓話』も、必然の作であった。これの有ると無いでは私の文学生涯が筋違いになる。そう思っている。

2019 10/13 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

シナは、日本にとっては常に仰ぐべき師表であり、学を、道を、倫理を、仏を求むべき母胎であ

り続けた。そのシナが、(あの満州建国の時代)なぜあの ように零落しきってしまったのであろう。文字の国といわれながら、現状は民衆の九割もが文盲といわれる。煙草とアヘンとセックスと堕胎は大人だけではなく 子供にとっても日常化した風俗となり、人身売買が横行し泥棒に野盗山賊に私兵を養う地方地方の豪族大地主は幾十幾百の奴隷を畜(か)い、そして纏足に宦官 という奇習で知名度高い老残の國、老残の民族、世界の侮蔑を一身に受け、鉄道鉱山をはじめとする基幹的権益を諸外国に分け捕りされ、しかも主要都市に外国 租界というシナ特有の治外法権の地区を許し、〝イヌとシナ人は入るべからず″の立札など立てられていかんとも出来得ずにいるこの民族は、それを現実におい て目のあたりに見るとき、私たちが歴史的に教えられてきた栄光あるシナ民族とは、どうしても一つのものとして重なることができないのである。西欧列強が腐 肉に群がるようにこの病める大陸を争ってむさぼり食うあさましさは、見るに耐えなかった。人間は、このことにおいては、ハゲタカやハイエナをそしることは できないのである。隣人としてこれを坐視するを得ず、なおこれを放置すれば明日は同じく我が身に降りかかる災いであるから、アジア防衛の義を以て立った日 本ではあったが、その理想主義はいつしか現実には西欧列強に劣らぬ(帝国主義的な)利権漁りにと変貌して餓狼の如き貪婪さを発揮する。

その大きな誘因は、あの当時シナ人の卑屈な「没法子(メイファーズ)」という言葉に露われていた。「泣く子と地頭には勝てぬ」「長いものには巻かれろ」であった。

 

* 今日只今の我が国日本の政治に、そのケは無いと言い切れますか、安倍サン。

2019 10/14 215

 

 

* 「私語の刻」とはうまく名付けた。時を選ばず言葉選ばず量を選ばなくて、好き勝手にその時々の思いを吐きだしていい場所、他の読者をなにら求めも望み もしていないが、隠し立ての気もない。ひとりごとが他人様の耳に入ったとて、どうしようもない。行アキには、不定の間隔で「時間」が挟まっている。

 

*  美術にふれるほどに久しく目を楽しませてきた、「蘇東坡大楷字帖」「顔真卿麻姑仙壇記大字帖」「柳體楷書間架結構習字帖」「宋黄山谷書墨竹賦等五種」質 素な四册、字を「読む」のは幼來大好きでも、書字・習字にはこれまた幼來全く手の出ない私には、大層に謂うてもちぐされにしてしまう。「字を読む」には、真行草の「三軆千字文」で事足りている。

これまでもう数え切れないほど「本」の仕事をしてはきたが、中に、光文社知恵の森文庫の古美術読本(二)で『書蹟』一冊の「編」者を名乗っているのは、今も身の細る気恥ずかしさ。ま、「読本」なんだからと、意味のない言い訳を呟いている。

だが、思いの外にわたしは書畫が専門の二玄社によく原稿依頼を受けていたし、豪勢な雑誌「墨」に『秋萩帖』という長い小説を連載もしている。上野の国立 博物館の創立記念に「講演」を頼まれ厚かましく大きな講堂で話したこともある。「若い」というのは物騒なもの、それに気が付かないのです。

2019 10/14 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

戟局は日々悪化の気配であった。ヨーロッパのドイツ軍は、あらゆる戦線で敗色を濃くし、北仏ノルマンディに連合軍の上陸を許し、その後二ヶ月余りの戦いの末パリは解放された。

ちょうどこの時期、日本のサイパン守備隊二万と民間人一万人以上が全滅する。新聞用語では玉砕とあるだけで全滅とは書かなかった。玉砕より全滅のほうが 切実感があってより強く我々の決意を新たにさせるものがあるのであるが、こうした言葉の言い換え、スリ換えが頻発して怪しまれない時期とはなっていたので ある。

 

* 子供心にも 子供の目にも ありありとあの「玉砕」二字は記憶にあり、わたしは、この美しそうな言葉の故に前途への悲観をしかと覚えた。

よく覚えている、わたしは国民学校二年生で、教員室の廊下に張り出されていた世界地図に、日本軍が戦果をあげたらしい各所に小さな日の丸が挿してあるの を友達と見入りながら、日本は「負ける。この日本列島の、アメリカ国土とくらべて問題にならん小っちゃさを観て分かるやんか」と口にしたとたん、通りか かった男先生に、廊下の壁に叩きつけるほど殴られた。昭和十八年の新学期だった。サイパン島での全滅は一年余もして、昭和十九年七月七日の悲惨であった。 わたしは生来の悲観少年だったか。先生にぶっトバされた時も、そうは思わなかった。理は理だと思っていた。

2019 10/15 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

当時十八歳の(天野)少年の目からしても、(太平洋)戦争の勝利はおぼつかなく思えた。じゃ、負けるのかというと、奇妙なことに敗戟の実感もな かった。人生二十五年と口で言い、二十五歳まで生きられれば充分だと思い定めつつ、本音のところの実感はなかった。天皇の醜(しこ)の御楯(みたて)とし て二十五歳を限りに死ぬんだの意識は最初からなかった。天皇のためと心底燃え立つが如くに覚悟できていた壮年(の日本人)が、果して何人いたかは覚束ない ことである。建前ではそうはいっても、それは抗いがたい運命のために、運命に捕まった諦念の如きものでの二十五歳を受容していたまでのことである。天皇と は、私たちの、強制的な運命として存在したのである。土下座をして、恐懼感涙にむせびつつ拝むべき運命そのものであった。

「天皇陛下バンザイ!」と叫んで日本兵は喜んで戟死をするという神話を、当時、本当に信じる者

は少なかった。死ぬ時は、「お母さん!」と叫ぶ、誰もそのはうが納得できる話であった。それをし

も、「天皇陛下バンザイ」を信じていなければならないのである。それは天災の如き運命として抗す

べくもなく信じねばならないのである。信じることに慣らされるうちに、天災にさえも、それを天の恵みとして感謝する、第二の天性が育つものである。それが 運命というものであった。その運命という磐石の重石の下からでも、しかし天皇の名にかえてお母さん! の叫びを消し去ることはできなかったのではなかろう か、建前がいかにあろうとも。

勝つとは思えないが、負けるとも考えられない、正直、それが大多数の実感であったろう。勝ちはしないが負けもしない、じゃ、どうなるのか、それが分らない。あるのは一日一日だけが確実に経過していく事実だけであった。

 

* 天野さんの十八歳頃、わたしは八、九歳へ歩んでいて、ここまでハッキリはしないが、地図だけ観ても国力の差、日本は勝てないだろうと口に出し、先生に壁へ叩き付けられていた。

だが 私の今の思いは、万一、次に戦争が起きた時は、戦場で「お母さん」と呼んで死ぬどころか、みんな一緒に瞬時にアウトという、廣島、長崎どころでない威力の下で灼 けて蒸発する確率の高さなのである。それを念頭に現実の日々を実感で把握していなければ、と。

風水害も予防しきれない国内政治のママで、 他国で古道具化していかねない兵器買いに、うつけ顔で途方もない「円」を無駄遣いしている歴史・今日感覚で、よろしいんですかと、誰よりも若い人たちに未来を賭して発言 し行動して欲しい。そいう気がしています。

 

* 「フヽウ こいつ日本!」という感嘆詞で<「エラヒと賞美」の流行り言葉の流行った時期が江戸の末期にあったという。 いま、「こいつ日本!」と何に 感嘆出来るかなあ。国連で温暖化の危険を言を尽くして怒った他国の少女。あれぐらいを日本の若者が云うてくれれば、おおごえで「おお こいつ日本!」と叫 びたくなるのだが。

2019 10/16 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

「八路はな、ほんというと、匪賊じゃない。共産党の軍隊や。共産党って、知っとるか? うん、そりゃ詳しか話はでけんし、俺もホントのところは分らんが、大金持ばなくして、みんな公平に富を分かち合おうって、えらい理想的なことば目標にしとる。

でもな、俺は密雲ちゅう町の居酒屋で聞いちょったが、百姓たちが話しとるとたい。

〝シナ人は、どうしてこうも貧乏じゃろう?″

一人がいうと、一人が答える。

〝金がないからよ″

〝金、どこへ行っちまうのかよ″

〝日本人が持っていく。蒋介石が持っていく。あとは人民軍が持ってくんだよ″

どんな理想か知らんが、シナ人はな、本当は何も信じちゃいない、ただ思っとるのは、変化だけだよ、明日何かが変わってくれさえすればいいとね。何がどう 変ろうと、変りさえすれば、今日、現在より悪く変ることだけは絶対にないと思ってるからね。みんな、ホントは何も信じとらんのだ」

 

* 上の「シナ人」の代わりに思ってみたい、今日只今、あの敗戦から74年のわが「日本人」は、「何」を「信じ」て、または「信じない」で、「ど う」日々を暮らしているのだろう。「どう」という思いをまったく忘れ果てるか、そんな思議の「能」を喪い果てているのではないのか、ゾッとすることがあ る。

2019 10/17 215

 

 

*   歯医者を、今日、失敬して行かずじまいにした。何とも今日は歯をがりがり遣られたくなかったので。 代わりに、「オイノ・セクスアリス 或る寓話」最初の 「ひとこそみえね」「ながくもがなと」「八重垣つくる」の三章を楽しんで読み返した。こういう「語り口」での長編を一度ぜひ書きたいと願っていた。「語 る・騙る」おもしろさを堪能してみたかった。

書いて良かった。書いておきたかった、もう一つの大きな願いは、云うまでもない若い女性との赤裸々な性行為の描写ではなく、「倶會一処」の願いであった。

2019 10/17 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

男は死に際が肝心〟と言われた。〝往生際の悪い奴″は軽蔑された。死をも怖れぬ者は〝敵ながら天晴れ〟として相応の敬意が払われた。そして〝瓦となって全うするより玉となって砕けん〟が信条とされた。

乃木希典は夫妻ともども明治天皇に殉じて死んだが、殉死そのものというより、かねがね自分の

死に場所を、死のタイミングを捜しつつ生きていて、たまたま大帝崩御に絶好のその機会を発見し

たとも言われる。目的はかねがねの宿題であった〝死に場所捜し〟にあり、天皇の薨去はたまたまの方便的機縁にすぎなかったということである。その当否はい ずれにしても、ただ言えることは、当時の青少年に強く灼きつけられていた〝男の死に方″という重い命題である。〝天皇″信仰や〝護国の鬼″という心情ぐる みの理念は、もしかすれば、繰り返すようであるが、たまたまの方便的機縁ではなかろうかと考えたりもした。

平時には間遠に聞える海鳴りのようにしか死の音を聞くことはないが、戦時下の当時にあっては

〝死″は直接に岩壁に吼ゆる波浪の轟きの如くに目前に聞えたものである。戦時下とは、執行猶予付き引き伸ばされた時間ではなく、実刑判決の如き、凝縮され た時間であった。その時間に捕まり、その時間の中で凝縮的に生きるしかない運命しかないとしたら、そしてほかに選択の余地がない場所に追い込まれていたと したら、人はその立場を正当化するものである。正当化のための理論が正当化されるのである。あの当時敗色濃き戦時下の私たちは、大いに死を正当化し、その 正当化のための理論に傾倒し、心情的にも内省的にも死の理論に自らを馴致していったもののようである。

天皇と祖国は不可分のものであった。シャム双生児のように、それは同体のものであった。天皇

は即祖国という理念と信仰の体現者であり、祖国は天皇という国体を具現化する代理的表現とも

なっていた。天皇が祖国を表現する具現者ではなく、祖国のほうが天皇を表現するために代置せしろられているという形であった。そして、結果的に、その二つは一体のものであった。

それらの事情の深い検証を、当時の青少年は試みずにしまった。軍制化の弾圧体制という人為的

な機構上の制度によって抑え込まれていたことは、もちろん大きな原因の一つであろう。しかし、

それにもまして、私たちの心情の中には、〝恋を恋する″がように、〝死に場所、死に方″に恋をし

ていたという下準備が既にして整っていたことによるものとも思える。

私たちの耳には、大楠公のいわゆる七生報国ということは、つまりは、”お前は死ねるか!”という問題でしかなかった。

 

* 当時八、九歳の私にも、「お前は死ねるか」という無音の問いは心臓をかすかとすら言えず震わせていた。私のその場合の死とは、空爆死によるよりも、いずれ決して遁れ得ぬ「兵役」の代名詞のようであった。天皇の国体護持などという思いとは、かけ離れていた。

 

* 私は今 暫定・限定的に新憲法による「象徴天皇制」をむしろ前向きに受け容れている。その真意の大方は、さきの平成上皇・上皇后の真摯な在位期への敬 愛と心服にのみ拠っており、願わくは令和の御夫妻にも切に切に同じご努力を期待し希望している。私は、即位される新天皇さんを、皇太子さんの昔から人格的 に信愛している。

しかし、天皇制が、その将来において無価値な帝政の旧態へ退行し悪しき藩塀がまといついて民主主義と憲法を冒そうとでも動くなら、けっして許容しない。そんなもののなかで死に場所など求めてはならない。

2019 10/18 215

 

 

☆ 秦 兄

新しい装置で音楽を楽しんでますか。

私も朝からヴィヴァルディの『四季』をイ・ムジチのLP盤で聴きました。

チャイコフスキーやアストル・ピアソラも「四季」を残していますが、厳寒の地や南の国で生まれた音楽を何の抵抗や違和感もなく自然に享受できるのは 春夏秋冬の多彩な日の本に生まれ育まれた感性があるからでしょうか。

遺憾にもその繊細な季節感も 科学技術の進歩によって昼夜の別も寒暖の差も平坦化され鈍化しつつあることは否めません。

平坦化現象を歓迎する向きもありますが平坦化は没個性につながり面白味がありません。

春夏秋冬の自然を花鳥風月として愛でていられるこの星も 経済効果最優先の政治屋たちの怠慢でやがてはカオスの星くずに化してしまうでしょう。そんな危機感を1億2000万の何割の国民が持っているでしょう。

ネットのtwitterやFacebookをのぞいても 反吐の出そうな書き込みばかりで辟易します。そんな時は決まって George Lewisで「The World is Waiting for the Sunrise」(世界は日の出を待っている)をボリュームを上げて聴くことにしています。

彼の名演から 私の一押しの曲を17の楽団の演奏による聴き比べ盤をけさ投函しました。

テレビや新聞記事に苛ついても詮無いことですが、ひとときのトランキライザーにでもなれば幸いです。   京・岩倉   森下辰男

 

* この歳(やがて八十四歳)この期(痩躯ゆらゆら)に及んで力強くも認識正鵠の友あるを、心底心丈夫に典を仰いで感謝する。

ごく一時期、フェイスブックにもツイッターにも 活溌に意見・意嚮を述べていたが、幸いにと(今は思っている)全部機能的に目の前から消滅したので、想 像の付くヘドのようなバカ騒ぎから離れ得ている。わたしは家賃払いの「ブログ」を奨められたがガンとして自前の「ホームページ」を構想し運営し、そして書 き語り続けてきた。まだまだ、このまま思うままに「今・此処」を生きてゆく、少年の心地を喪うことなく。

森下兄。 お互いに!

2019 10/18 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

昭和十九年は実に駆足の如くにすぎていった。この年の六月--ローマの陥落、ノルマンディのいわゆる「史上最大の作戦」、七月--学童疎開の開始、サイパン島玉砕、東条内閣総辞職、八月--シナ南部からB29の北九州、南朝鮮、山陰地方への空襲、パリ陥落、九月--停戦交渉をなんとかソ連に仲介してもらおうと特派使節派遣を最高戦争指導会議で決定しながらモロトフ外相に拒否されるという醜態、ドイツのV2号ロケット弾は画期的傑作として威力を発揮したが時すでに遅しの憾み、そして十月-レイテ沖海戦、神風特別攻撃隊の初出撃、十一月-- 超弩級、幻の大空母『信濃』が竣工しながら、四国へ回航中、米潜水艦の魚雷四発であえなく沈没、わずか十日間の束の間の命、サイパン、テニアン、グァムの 飛行場からB29の東京大空襲の開始と入れ違いに、日本からは風任せ風頼りの風船爆弾九千三百個が大空に放たれる苦しまぎれの「ふ」号作戦開始--

 

* 私は九歳、この愉快ならぬ報道の殆どを、耳ラジオ、目新聞から受け取っていた。

「風船爆弾?」 さすがに口には出さなかったが、失笑し失望した。

疎開先の田舎、当時の京都府南桑田郡樫田村字杉生の農家には書籍をほぼ全く見なかった。むろん本屋もなかった。秦の父母はわたしのために本を買うなど一 切なかった、病気した時に「花は無桜木人は武士」という半漫画のようなのを買ってくれたのが只一度で、失笑するしかなかった。仕方なく母と叔母の婦人雑誌 の買い置き二册を繰り返し読んだし、京都にさえいれば祖父の漢籍や古典や辞書が山のようにあり飽きなかったけれど、疎開先へは持ち出していなかった。読む モノ無し、教科書と遅れ遅れの新聞だけ、ラジオは聴けた。京都へ早く帰りたかった。

2019 10/19 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

本当に米機の空襲が始まったのは昭和十九年の十月、シナ本土から北九州爆撃が最初。東京空襲も 同年、十一月二十四日をもってやっと初空襲が開始された、その目標も、製鉄所、飛行機工場、飛行場等に限られ、民間人は、まして地方の家々では、首を長 く、枕も高々と敵B29の編隊を仰ぎ見ながら、さながら渡り鳥の飛来を見るようにその美しさを嘆賞している余裕さえ見せていた。

大本営が、フィリッピンを決戦場と決したのは昭和十九年(一九四四)十月十八日、レイテ沖海戦は十月二十三日から二十五日にかけての一大海空戦であっ て、結局、巨艦武蔵の沈没をはじめとするわが連合艦隊滅亡の戦いとなった。敗北が決定的となっていた二十五日、神風特別攻撃隊が初出撃した。体当たりの自 爆機十三機に護衛機十三機を四隊に編成し、本居宣長の和歌にちなみ「敷島」「大和」「朝日」「山桜」の各隊とし、その指揮を弱冠二十四歳の関行夫大尉が とった。

二百五十キロの爆弾を抱えた零戦が、レイテ沖の米空母に体当りして自爆、一隻を撃沈、三隻を破壊。その壮烈なニュース報道、そしてニュース映画には確か に形容しがたい感動を与えられたものである。よしんば、当初からこの戦争に疑義を持ちつづけた人であっても、特攻隊は全く別次元の衝迫力で人の心をも揺さ ぶるものがあった。

「たまらない気がするね。とにかく(若者の命が)、惜しいね」

もうこれが最後という沖縄からの疎開船に乗って、幸運にも私の(満州からの)帰郷の直前に引き揚げて来ていた父が、代用食の夕食の膳を囲みながらつくづくと言ったものである。

 

* 私は目前に満九歳を控え、まだ京の祇園に近い自宅にいた。むろん特攻隊の壮烈死も新聞やラジオで知った。堪らなくイヤだった。臆病もむろんあったが、 それだけではなかった。しかも、私も空襲に向かうB29の機影を振り仰いでよそごとのように眺めていたのを想い出す。わがことにさし逼らねばモノを見よう としない、それがどんなに怖ろしい結果を引き寄せるか、令和を謳歌の若い人たちに考えて欲しい、せめていま香港の民衆を目に耳に胸に焼きつけて。

2019 10/20 215

 

 

* 昨日、わが家では思想的に共感し信頼している山口二郎さんから、瀬戸際に立つ日本『民主主義は終わるのか』を戴いた。<政治の常識>はなぜ消えた?

ソクラテス(プラトン)は、理想的に賢明な哲人王が統御するのが理想的な第一の国家だとし、それが叶わ ぬなら、そういう人たちの合議国家が好いと云う。それも成らないなら民主主義国家でもいいが遺憾にも安定永続しないといい、そのうちに国家と国民と法律と 権力を吾がものと悪し様に利する集団が、好き勝手に国と民の運命を歪め支配する僭主型支配国家に陥るという。目下の自民党統治日本はそれに相当していると わたしは観ている、山口さんも…と思われる。それどころかソクラテスは、さらにその先に最悪の「独裁僭主」支配国家を観ている。日本国家は、この最悪独裁へと日々に近付きつつはないか。よくよく、よくよく見きわめて真摯真剣に対応しなくてはなるまいか。山口さんの新刊をしっかり読みます。

2019 10/20 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

後になって追懐されるとき、戦時下の日本列島を暗黒の黒一色に塗りつぶすことは一種の後知恵による時代印象の改竄である。三寒四温の気流のぅねりというものがあるのであり、 人それぞれの笑いや涙や団欒は、あの時代は時代のものとして、日々に営まれていたのである。そして一億一心の総力戦では確かにありながら、人されざれの置かれた幸不幸の差は、極端に不平等なものといえた。幸運なものは、空襲をされず、家を焼かれず、兵隊にとられることもなしに過すことができた。

その限り、その人たちは楽天的であった。そしてその範囲において、わが将士の奮戦ぶりに、沖縄のひめゆり部隊の壮絶な集団自決に、誰よりも熱く感動したのである。

 

* この指摘は、峻烈に正鵠を射ている。爆撃されなかった京都に育ち丹波の山奥へ疎開し、敗戦後も一年して傷つかず焼けもせず戦禍の何一つにも遭わぬ京都市内の家へ私は帰っていった。

幾度も幾度もこの幸運と、対比を絶していた同じ日本人やその家庭の不幸を思わずにおれなかった。その思いが熱ければ熱いほど私のうちに忸怩としたモノがぶすぶす燃えた。

 

* その思いに重なってくるいましも聴くジャズの名曲「St.James Infirmary」の17バンドの切々として独自の演奏に胸打たれ胸を塞がれている。盤をおくって呉れた森下君の解説によると、「私の好きなディキシーランド・ジャズの名曲St・James Infirmary「聖ジェームズ病院」を聴き比べて頂こうとおもいま す。売春婦の情夫が彼女の死を知って聖ジェームズ病院にやってくるところから歌の曲は始まりますが、それぞれの楽団が薄幸の女の死をもの悲しい旋律で紡ぎ 出しています」と。

わたしは敗戦後の無傷な京都市内でも夥しい「売春婦 パンパン」を日常に見知っていた。買い手の占領軍兵士であれ「情夫」であれ何の珍しさもなく、しか も私は「負ける」とはこれだこれだこれだとよく泣いた。私が戦後歌謡曲で他の何にも何百倍して今でさえあの、「星の流れに身をうらなって」と歌った菊池章子 の歌を思うのと、このジャズとは、痛いほど強烈に連携してくる。伴奏など似てる気さえする。

2019 10/21 215

 

 

* 現下の日本という国家のありようを私なりに把握したいために、実に七年半掛けて大部上下巻の岩波文庫プラトンの『国家』を二度、一克に読んできた。最 悪の把握ないし理解に辿り着いたことは、二十日の「私語」にも書き置いた。まだまだ思い至らぬ有様ながら、一方では、わたしはわたし本来の仕事を通して表 現するしかない。残年はもう目に見えている。街頭に立って獅子吼もならない、私の現実の世間は余儀なく狭まっており、敷かし幸いに書いた物を、思った事 を、「私語」も「本」にも出来る。その道をもう暫く懸命に歩いて行くまでの日々であり、その日々を貧しくしないための楽しみや喜びも創り出し続けねばなら ないのです。

2019 10/21 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

限りなくゼロに近いといっても、我が高射砲が、時には彼ら(空襲の米機)を撃墜することもある にはあったのである。搭乗兵はパラシュートで脱出し、住民に生捕りにされる。こうしたことが、ごくたまにはあって、そして、私が目撃したアメリカ兵という のは、偶然にも、ごくまれにしかない、こうしたケースでのB29搭乗員だったようである。

付添いの日本の衛生兵が、担架の中にしゃがみ込み、万国赤十字精神にのっとるかのように両側に、横たわるアメリカ負傷兵の面倒に、細心の注意を払ってい るようであった。更にその両側を、殺気ばしった目つきの憲兵上等兵と伍長が、これはまた、いかめしくも剣付き鉄砲の銃身を右腕に水平にかまえ、必要とあら ば、発砲するも刺突するも如何ようにも即応する構えを群衆に見せている。憲兵は、アメリカ兵を群衆から守るために、必殺の気構えなのだ。

群がる地元民は、在郷軍人や警防団や国防婦人会や、雑多な組合せながら、いずれも手に手に

竹槍を持ち、それは地元工場の挺身隊に動員されてきているらしい、若い女子学生とて同様であっ

た。教員もいたろうし工員もいる、農民もいる、主婦もいる、子供もいた。

「たたっ殺せ! 刺し殺せ!」の怒号は、彼と彼女らが一団となって発する喚き声であった。

思うに、見るも無残なアメリカ兵の様相というのも、パラシュート脱出降下時の負傷というより、

それが軍当局に通報され憲兵が逮捕・護送のため駆けつける小一時間ばかりの間に、それを生捕りにした地元民間人たちのリンチによるものだったようである。

憲兵とは、怖い存在である。特高と憲兵が衝突すると、どちらが勝つだろうか、やっぱり、いくら特高でも憲兵に勝つことはできまい、憲兵とは、それほどに威力的で、怖ろしい存在であった。

ところが、私は、憲兵より怖ろしいものを見た。それは、一般民衆というものであった。普通はごく優しくて親切な小父さんたちであろうと思える人達が、時と 場合によっては、凶暴な集団に一変してしまう。野獣のような人間というが、野獣は、最低限、食うためだけの殺しをしかしない、腹満ちてあれば、ライオンで すら目を細めて通りすぎる兎を優しく見送るというではないか。

「たたっ殺せ、刺し殺せ!}

衆をたのんでトコトン傷めつけてやろうとする歯止めのはずれたサディズムの快感。

 

* 分からないでない、が、分かってはならない。

2019 10/22 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

「モハヤワレワレハ敵ノ空母ノ数ノ優勢ヲ在来ノ攻撃方法ニヨッテハ覆スコト能ハズ。ワレハ体当リ戦術ヲ実行スル特殊攻撃隊ノ即時ノ組織化ヲ主張スル。(軍需省の大西瀧治郎海軍中将宛 空母「千代田」發電報)

この作戦は、大いなる誘惑であった。安上りな一とただ一人の命と引換えに大艦を沈め、数千人を殺傷できるとなれば実に有利な取引といえる。そして機能的な安上りの日本の飛行機は、使い捨てにもってこいの条件を備えていた。ただ突っ込めばいいのである。

神風特別攻撃隊の最初の出撃はサイパン玉砕戦から四ヶ月後の昭和十九年十月二十五日、レイテ沖海戦の折敢行された。出撃機は四機、隊員六名。直接の責任者・大西中将は折から次々と輩出していた志願者の中から選ばれた六名を前に訓示を与えた。

 

諸子は今や神である。諸子は体当りの結果を知ることはない。しかし、それは決して無駄なものでないことを確信してほしい。本官は、及ばずながら諸子の英 雄的行動を最後まで見届け、これを、畏くも大元帥陛下にご報告し奉ることを約束する。諸子は既にして靖国の神である。安んじて往かれんことを。最善を尽さ れんことを要望する。

 

特攻機第一陣は、ただの四機四人の自爆と引替えに、三隻の敵空母を大破、一隻を撃沈、数百名を殺傷したのである。特攻機は飛び続け若い兵士は戦死し続けた。だが敗色の払拭には遠く及ばなかった。

 

* 未来へも積み重ねる人類の戦争史でも、二度と繰り返されることのあるまい凄惨な作戦であった。

 

* 今上天皇の即位式が成された。ご夫妻ともども心身のご健康を願う。即位のお言葉はご立派であった。現憲法をぜひご尊重あっての象徴あられたい。

2019 10/23 215

 

 

* 二時までたっぷり外来で待った。

「オイノ・セクスアリス」の湖の本一を、90頁まで読んだ。ここまでだけで、一編の私の論攷になっていて、読めない人にはともかくも、私としては、腑に落ちて、変化も主張もある演説ふう読み物になっていると満足した。

ここがしかと読めない人に、此の長編小説は、猫に小判だろうと思う。五十年の作家生活の一つの「達成」のようにすら書き切れていると思えた。五十年前では決して書けなかった。

これよりアトの、「湖の本」でいう、二へ、三への展開、ことに若い「雪絵」という女性との性の没頭などは真実味に満ちたお愛想のようなもの、長編創作の核心は、別にある。大方の読者は、赤裸々な性の表現で喜んだり惘れたりされたらしい、それも作者の仕掛けであった。

2019 10/23 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

 

ヵーティス・ルメー少将が、

日本人の多くは、日本の敗戦を信じなかった。神州不滅が信仰的確信であった。戦後、合衆国戦略爆撃調査団が、日本人は、いつごろから敗戦を自覚し始めたかを、世論調査した時、サイパン島全滅直前の昭和十九年(一九四四)六月時点でも、わずかに「2」パーセントであることが分った。これが、急に敗戦を自覚し始めたのは昭和二十年三月十日の東京大空襲に至ってのことである。マリアナの司令官カーティス・ルメー少将が、ワシントンに「これから目ざましいショーをご覧にいれます」と打電して開始された一大殺戮劇、広島の被爆死者を五百名上回る八万名弱の日本人を焼き殺した一大ページェントに至って、やっと敗戦の可能性を信じ始めたのである。それもしかし、十九パーセントにすぎない。

戦争を悲惨なものとして呪詛する気分が生れたのは、実は敗戦五カ月前のその時に至ってようやっとのことであった。フィ リピンで沖縄で、どんな悲惨事が起こり、敵の来襲が本土のすぐ足元に迫って来つつあろうと、実際に、直接自分らの上に爆弾が落ち目前で家が焼け肉親の凄惨 な死を

目撃し、自ら恐怖の極みを体験することによってでなければ、戦争を呪詛する気分にはなれなかったのでる。だが、それでも、敗戦の自覚と戦争呪詛、戦争はショーでないことを覚った人々は十九パーセントにすぎなかった。

国際法の条約と議定書には、市民に対しての戦時規則があり制約がある、もはやそれが何らの意味をも為さなくなった。それまで、B29は、高空から特定の 目標に正確に爆弾を落す、軍事施設と軍需工場を破壊することが爆撃の目的であった。日本の荒鷲たちが長駆、重慶を昆明を爆撃したのも、同じである。三月十 日の米空軍による東京大空襲はそれを一変させた。「焼き尽せ、殺し尽せ」が目的となった。命中の正確さはもう必要ないこととなった。低空から、人口密集地 に焼夷弾をバラまけばよかったのである。

 

* アメリカは、事実に於いてこういうことをやる國であつた、そして仕上げかのように広島長崎へ原爆を落としたのだ。許せない。敗戦後の日本政府はこれに対し謝罪一つも正式には求めなかった。許せない。

2019 10/24 215

 

 

* いちばん、今、リアルに逼ってきて息苦しいのは、あの追いつめられた「敗戦」の思い出。二度とあんなことを経験してはならない、だれであろう と。それにしても、論外の殺戮絨毯爆撃と原爆を予告もなく投下したアメリカという國をわたしは憎いと思う。それに正面から批判をあびせ得ない出来た日本の 政権をなさけなく思う。

2019 10/24 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

民間人の大量自殺の悲劇で彩られたサイパン戦全滅は、昭 和十九年(一九四四)七月中旬であった。その後のレイテ島攻防戦で、日本軍は四千名の米兵を殺し、引換えに六万五千名の日本兵が死んだ。昭和二十年早々 からのフィリピン戦では、一万余の米兵が死んだが、日本兵は二十六万名弱が死んだ。二月から三月にかけての硫黄島で、七千名の米兵の命と引換えに二万一千 名の日本兵が灰となった。

硫黄島以後、米爆撃機B29にとり、日本内地の上空は好きなように開放されたレジャーランドとた。フラメンコでもジプシー・ダンスでも、お好みのま まに踊り狂って大騒ぎして帰ってくればいい、東京で八万、そしてほかに六十箇所にも及ばんとする日本各地方都市への連日空爆ショーで、二十万日本国民がバーベキュー に献ぜられた。三月十日の東京でのショーは、オリンピック開会式のようなハデなセレモニーとなった。〝我ら戦士、戦闘精神にのっとり、イエロー・モン キーどもを最後の一匹まで焼き殺すことを誓います″との選手宣誓を声高らかに大統領へ誓う米飛行士らの、はずむような声が聞こえてくるようであった。

沖縄決戦では、昭和二十年五月一日から六月二十二日にかけての二ヶ月足らずに十一万名の日本兵士が戦死、巻添えの中学生、女学生らを交えた民間人、約七万五千名が悲惨な死を遂げている。米兵一万三千名の命を奪ったこれがそのあまりにも高くついた代償である。

そして最後のイベントがヒロシマ・ナガサキで決行された。ショーのクライマックスはここにおいて極まり、同時にそれは科学兵器の大規模な人体実験であり、医学をはじめとするあらゆるデータ収集

の貴重な場を提供することにもなった。

戦争の責任問題が皇室に及ぶこと、日本の国体変革にそれが関わることを懸念し、善後策に日本

の上層部が真剣に頑を悩まし始めたサイパン島全滅以後に限っても、総計百万名になんなんとす

る日本人が凄惨な死を遂げた。それは単なる死でなく、どの屠殺場の牛や豚でももっと楽な安楽死を遂げたであろうに、これは引き伸ばされ、その苦痛が余計長びくように仕掛けられた屠殺行為による死というものであった。

 

* ゾッとする、が、やはり安易に記憶から消し去っては済まぬ取り返し付かぬ「闇黒・残酷時代」が此処に在る。何としても繰り返すまい。屈服や追従や忖度がその道ではあるまい。政治家に真の聡明と機略が望まれる。

2019 10/25 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

大多数の日本の軍人は、下層階級の出身であった。家貧しくしてその子優秀であれば、士官学 校が兵学校が門戸を開いてくれる。なおそのうえ、士官学校や兵学校では、皇族らの学友となれる特権をも得るのである。秩父宮が高松宮が三笠宮が、同期同窓 として学んだのである。日本は藩屏政治であり、結局は(天皇をとりまく貴族、重臣、名門らの)文官支配の政治であった。軍人は、東条秀樹とて、用済みとな ればいつでも首をすげ変えることのできる消耗品として使い捨てができたのである。天皇の意思を完全に無視して行動できる軍人など一人もいなかった。大御心 に添い奉ることこそが……という軍人の本領を踏み外す外道は一人もいなかった。

ここのところの確かな新しい見直しにおいて、アメリカは、一兵の損傷もなく、なお二百万もの武装兵が守備する日本本土の無血占領を果たし、その後の執拗 なゲリラ・テロの反抗を受けることもなく、かえって逆に頼り甲斐のある共産軍への優秀な番犬として「日本」を飼い慣らすことが出来た。これほど従順におと なしく自らの国土をすっからかんに明け渡した例が世界史上にあったろうか。

 

* 敗戦前、天皇制「日本」の異様なまでの特異が、つくづくと思われる。しかし、新憲法下の「象徴」昭和天皇は、神の威力を脱ぎ捨てた。そして平成、そして令和。おりしも即位式そしてパレードも。

歴史の評価は、難しい。

 

* こういう顧みをわたしは身に帯びた義務とも感じて今は亡き天野哲夫さんと「対話」している。生前晩年の天野さんとは二三度も文通はあったが、一度もお めには掛かっていない。私のような作家が(いろんな意味があったろうが、天野氏に)関心を持ってくれるのは不思議とも人に漏らされていたようだが、私には 私の「人と思想」を観る思いがあった。

2019 10/26 215

 

 

* 亡くなった懐かしいたくさんな人をしきりに想い出すが。なんと、遠いことか。

 

あなたとはあなたの果てのはてとこそ

吾(あ)に知らしめて逝きしかきみは    恒平

2019 10/27 215

 

 

☆ お元気ですか。

 

エスカレーターでは、難を免れ何よりでした。転倒は怖いものです。後遺症が残って寝たきりになる場合も。これからはお荷物は必ずリュックにしてくださいますように。(=むろん、鳶さんからプレゼントの背負袋を背負っていて、右手に杖と、もう片手に、血糖値検査後の針などを大きな袋に入れ病院へ持参していた。)

話題変わります。

わたくしは、夕方五時から放送されている BS世界のドキュメンタリーシリーズを、料理しながら良く観ています。作業しながら流しているので肝心な部分を聞き逃していることも多いのですが、毎回驚 き呆れることが多くて 「ひどい」ではなく 「ひでェな」と行儀悪い言葉で憤ってしまうことが多いのですが、同時に世界には正義や真実を求めるこれほど多 くの報道関係者、作家やジャーナリストや監督たちがいることに感動も覚えるのです。

 

一昨日の、タイタニック号がなぜ沈んだか、というドキュメンタリーをご覧になっていたでしょうか。その場合は、読み流していただければと存じます。

 

 

 

偶然、百年以上前のタイタニック号の処女 航海出航時の写真アルバムが発見されたことから、「タイタニック号沈没の真相に迫る」という番組でした。本来衝突でも持ちこたえられる設計であるはずの巨 船が、氷山にぶつかっただけでなぜあれほど短時間に沈没したのか。長い間「謎」とされてきましたが、それにはたしかな理由があったのです。

 

結論から言うと、新発見の写真から、タイ タニック号は出航前から、船底の燃料貯蔵室で石炭火災が起きていたことがわかり、これが「沈没の主因」でした。会社はこの火災を把握していたにも関わら ず、経営上の問題で強引に出航し、船員たちには厳重な箝口令を布きました。乗船客は火事を知らされずに船旅を楽しんでいたのです。

船員たちは航行中も燃えた石炭を取り除くという作業を必死に続けましたが、大量の石炭を鎮火出来ず 火事は広がるばかりで 収拾できませんでした。

氷山が航路上にあることは分かっていましたが、石炭火災処理のため、航行のスピードを安全速度に落とすことが出来ず、氷山に衝突。千度にもなる石炭火災 により、本来浸水しても船が沈まないための防水隔壁が脆くなっていて一気に水が侵入し、沈没に至ったということが、現代科学で証明されたという話でした。

 

生きのびた乗組員の火災の証言があったに もかかわらず、この火災は、船舶会社の息のかかった事故調査委員会で「無視」され、「沈没の真相が明らかにされず責任者は罪を免れた」ということでした。 会社の経営優先の結果、千五百余名が海の藻屑となるまったく無惨な「ひでェ話」でした。

 

一連のドキュメンタリーシリーズを観ながら、いつも感じることは、「世間に流れている定説はすべて疑う必要がある」ということ、「庶民に決して真実は知らされない」ということ、「歴史は殆どが権力側の嘘で出来ている」ということです。

 

さらに、「わたくしたち日本人は、船底で 火事の起きていることを知らない、あるいは見ようとしない「タイタニック号の乗船客同然」であるかもしれない、という思いが拭えなくなりました。悪化する ばかりの経済然り、収束不可能な原発事故然り、瀕死の民主主義然り、「何か一つのきっかけ」で、「氷山程度のきっかけ」で、海底深く沈没する船に乗ってい る国民よと。

私語に毎日記載されている「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」を読んでいるせいでしょうか。強い危機 感を抱きながら、わたくしごときにも今・此処で何か出来ないかか、出来ることは本当にないのか、と、自分に問うています。

 

私語の頁に掲載されるさまざまなお写真を見ていると、みづうみが美しいものしか傍に置いていないことがわかります。花も絵も淡々斎好みの末広棗も志賀直哉全集も。

 

どうぞお元気にお過ごしください。  濁  老の頬に紅潮(さ)すや濁り酒  虚子

 

* デカプリオと、ケイト・ウィンスレット の「タイタニック」に胸を騒がせたのは何年まえか、昨日のように思えるのに、文字通り「凄い」ことを聴かされた。ちらと「隔壁」の話題を耳にしたと思う が、タイタニックのそんな凄惨な悲劇とは思い寄らず、二階へ戻っていた。何という、欲深い権勢の無責任な「殺人」か。日本人はいまそんなタイタニックの船 客ではという指摘と指弾は胸を震わせる。なんということか、なんということか。

 

 

* 「父よあなたは強かった」「暁に祈る」などという歌を流行らせた時代。いやだった。ほんとにいやだった。

そしてあげく、菊池章子は歌声せつせつと「星の流れに身をうらなって」泣いたのだ。敗戦とはあれに極まっていた。繰り返してはならぬ。そのためには國 は、政治は、国民は何を考え何うこころ励まして勤めねばならぬか。文学者達よ、何を考えているのか、言いたまえ。悪政・失政のために、きみの「言葉」をま た売るのか、空しくもウソくさく「父よあなたは強かった」などと又しても。

 

 

* 「明日はお立ちか」という小唄勝太郎の 唄った歌を、あなたは覚えているか。特攻へ立つ青小年兵を泪声で見送るおばさんの歌だ、ボロ飛行機とともに敵艦へ体当たりに散りに逝く子を見送る「母」の 歌と聞こえる。決行指揮官の大西中将は、特攻第一陣機の兵士らへこう語ったという。

「諸子は今や神である。諸子は体当りの結果を知ることはない。しかし、それは決して無駄なものでないことを確信してほしい。本官は、及ばずながら諸子の英 雄的行動を最後まで見届け、これを、畏くも大元帥陛下にご報告し奉ることを約束する。諸子は既にして靖国の神である。安んじて往かれんことを。最善を尽さ れんことを要望する。」

 

* なにかしら最期の命を削っているような心地がする。

2019 10/27 215

 

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

昭和二十年(一九四五)七月十七日、ドイツのポッダムにおいて歴史的会談が始められようとしていた朝早く、アメリカのトルーマン大統領は秘密の報告を耳にした。

「赤ちゃんは生れた」。

赤ちゃん誕生! ただの赤児ではなかった。その笑顔により、そのつぶらな瞳が輝くとき、世界は為に消滅するほどの、強大な悪魔の赤児であった。

怪物誕生の七月十六日午前五時三十分、アメリカはニューメキシコのアラモゴードの荒野に、巨

大なキノコ雲が万雷の轟きと共に幾つもの太陽の輝きを放ってその不吉な全容を現出した時、十七

キロ隔てた観測地点でこの瞬間を見つめていた一連の「マンハッタン計画」なるものの責任者、グ

ローブズ将軍はつぶやいた、「これで戦争は終った」と。

トルーマンは戦争早期終結へのはやりたつ気持ちを抑えかね、「第五○九混成部隊により、八月三日以降、天候が許し次第」この怪物は日本上空に放たるべきであるとの命令を下した。ポッダム宣言に先立つ二日前のことである。

 

* 肌に粟立つとはこれに越すものがあろうか。ヒロシマ・ナガサキの惨劇は、もう云いたくない。しかし忘れてはならぬ。「鬼」というモノの人間に棲む最悪例を世界史に示したのである。

2019 10/27 215

 

 

* 新作の叮嚀な責了のために慎重に読み進んでいる。

 

* 手持ちに沢山なすでに材料の在るのへ目を向け、次へ、次の次へ、心はせて。そして疲労は濃い。濃くても仕方ない。快いことを、思うなり読むなり書くな り聴くなりして疲れは払う。他にどんな道があるか。繪は好きなのに画集はあまり手にしない。重いのも苦手、何としても印刷された繪は割り引かれる。美しく 鳴るピアノや弦や笛は、そしていい歌声も、ありがたい。

2019 10/27 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

歴史は夜つくられる、歴史の設計図は、常に水面下の闇の中で描きあげられる。天皇を中心とする最高指導層の間では原爆を待つまでもなく、降伏意外に道がないことを確認しあっていたのである。

降伏に備え、その時のために天皇最側近の内大臣木戸幸一侯爵は、「日記」の一部の書き換えを始め、昭和十九年のひと夏をかけて、藤原氏の嫡流、五摂家筆頭の近衛文麿は「覚書」と「日記」の創作を秘書のファイルに綴りこむ作業にとりかかったといわれる。

その折の渉外要員保全のため、慌しく、文民中の親英米派、和平派なるメンバー吉田茂らを故意に逮捕させておいた。思 想犯として短期間逮捕されたというこの履歴書を彼等に与えることで、彼等が、日本の降伏の後、米・英との有利な窓口になるであろうとの深慮遠謀の一端をこ こに見る思いがする。いずれにしても、天皇とその藩屏の意図は、(原爆を浴びるより前に)とっくに降伏を決定づけていた。ただし皇祖皇宗の天皇制を守護 し、出来うる限りは日本列島のそのままの保全。

問題は、国民にその意図を示すタイミングとその方法で、タイミングを失し方法を誤れば、収拾のつかぬ混乱が生じ、あるいは騙されたとして国民の怒りは天 皇への憎しみへと一変する懼れもあった。高官の大多数は、軍人にでさえも、早くから降伏は避けられずとの認識は持ちながらも、明確な発言や、表立った行動 は凍結したまま、たがいに疑心暗鬼、腹の探り合い。彼らは、第一、勝利者の報復を恐れていた。ポツダム宣言に対し、笑止千万、来るなら来てみろどころか、 見苦しいことを通りこした一場の笑劇(ファルス)を演じていた。そして、原爆は投下された。惨害は想像に余った。

 

* 天野さんの本は上下巻で千頁余の大册、わたしはその下巻から、ごく僅かを拾い取っているだけ。わたしのような爺さんがでなく、『禁じられた青春』(葦書房 平成三年)とある表題を受け、日本の近未来を案じている青春・青年たちにこそ、こういう本は読んで欲しい。

2019 10/28 215

 

 

* 「母」については、「湖の本 母の敗戦」にも「選集 生きたかりしに」にも書いたが、「父」については断片的にしか書いたことがない、触れまいとして きた感さえある。が、もうそろそろそうも成るまいと、かねがね少しずつ書き置いたものなどを構造化してみたいと思うようになったが、実に気の重い仕事で、 身内からグウーっと、草臥れる。ま、やりかけたなら、やり次ぐべきか。

2019 10/28 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

さかのぼる昭和二十年(一九四五)五月二十五日の夜、重大な意味を持つ空襲が敢行された。 三月十日に見るようにジャップを焼き殺せとばかりのそれまでの無差別爆撃は、それでも病院大学とそして皇居を除外する努力を示しつづけた、ところが、この 夜の空襲では、目標は下町の庶民たちではなく、宮城をはじめ支配層の貴族たちに向けられたのである。

藩屏を形成する日本の最上層の家族たちが住む九十一の邸が焼け、七人の皇族とその多くの侍従たちも家を捨て皇居の濠の内側に逃げ込んだ。しかし、そことてもはや聖域ではなかった。

陸軍省が焼けおちる間、炎と煙と、そこに秘されていた必勝のための数々の重要書類が火の粉と

なって空を舞い、皇居の屋根瓦に降りかかる。皇居防衛に動員された消防士、近衛兵は九千五百人、宮内省の鎮火だけは成功したが、隣接の建物はことごとく瓦 礫と化した、鳳凰の間も宴会場も、皇太子の別殿も、濠の外の赤坂離宮も焼け落ちた。この日の空襲で目標にされたのは、最も富裕な、軍人以上に隠然たる影響 力を持つ高級市民らの邸であった。米軍が、日本の権力構造の根幹を粉砕しにかかったことは明らかであった。この危機感が、このエリート階層の相互離反を招く代りに、逆に、いっそう強く彼らを皇位の周辺に結束させる結果を招いた。降伏は避けられぬ、しかし国体は護持せねばならぬと。

六月八日、最高御前会議で「基本政策」が確認された。要は、和平であり、しかし遷都はしない。天皇も政府も東京を離れないということは、徹底抗戦は取りやめたことを意味した。

国民はいっさいを知らされずにいた。連合艦隊を、神風をまだ信じていた。夢にも原爆が襲うなどとは知るよしなかった。

フランス近代詩の翻訳者で詩人でもあった堀口大学は、その頃、こんな詩を発表していた。

 

戦ひが、この戦ひが、/すめらぎのみ国の勝に/終るなら、終るためなら、/命なんぞ惜しくはないさ/よろこんで今にも死ぬさ、/につこり笑つて死ぬさ、/敗れたら!/生きてゐないさ!

 

詩人は、國敗れても、死にはしなかった。詩の真実は何かとここで問うつもりはない

終戦の聖断なるものは、昭和二十年八月九日の天皇御前会議で下された、さらに十四日、再度下った。ヒロシマ、ナガサキの原爆惨禍はすでに起きていた。「いかに有利に敗けるか」の時間稼ぎの間に蒙った人類史初の悲痛の惨禍であった。

八月十五日 敗戦の日の空は 抜けるように青かった。

 

* 敗けてよかったなど、国民学校三年生 十歳の子供心にも思わなかったが、昭和二十年八月十五日、夏休みの抜ける青空、戦争が終えてよかったとはしみじみ思った、山奥の疎開地から京都へ「帰れる」と胸を躍らせた。

2019 10/29 215

 

 

 

* 十月、はや余す、二日しかない。

八月、九月、最新作小説の仕上げにシンから疲労困憊したのは、ま、当然の仕儀。そして仕上がり入稿し校正の、十月。思いの外の疲れの執拗に驚くが、思っ た以上に天野哲夫氏の『傷ついた青春』の反芻が心身に堪えた。忘れていたい、しかし忘れがたく忘れてもならぬ「敗戦」への回顧というよりキツイ追体験の日 々だった。当然にも愉快ななに一つも甦ってこない思い出なのである。

もう二日の十月、相応のとじ目を見付けねばならぬ。

 

* 「書く」という営みで生母と向き合えたのに較べ、実父との対面は、とても息苦しい。どこかに父を赦していない思いが滓のように残っているらしい。残さ れた父が手書きの嵩だけで堆い。仰天してしまうほど美しい達筆だが、テンデン・バラバラの書きッ放しで、貫く棒の如きものが見つからない。あるとすれば、 生まれ育った「家」ないし「親」への怨み節、そして人生不遇への愚痴というに尽きるかも知れない。もし事実がそうならなにもわざわざほじくって日の目に晒 して遣らなくていいこととも思われる。私も、へんにオタオタしてしまいそうである。

2019 10/29 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

敗戦して、即 天皇の義理の叔父、東久邇宮稔 彦王内閣の出現は、格別なことに思えた。(=満十歳に満たない私・秦も、丹波の山奥の疎開先で驚いた。)東久邇宮は、陸軍幼年学校、士官学校、そして陸軍大学 校を卒業し、三十一年間もの経歴を誇る現役の陸軍大将、生っ粋の軍人であった。三十三歳から四十歳の七年間にわたる壮年期、フランス駐在の情報将校として 働き、その間にフランス陸軍大学をまで卒業し、帰国するや第二師団長、陸軍航空本部長、シナ事変に当っては第二軍司令官として北支に兵を進め、大東亜戦争 時には防衛総司令官であった。この東久邇宮は、真珠湾攻撃のその時、「首相として内閣を組閣」のはずだった。「戦争がもし不首尾に至る時、皇室に累を及ぼすおそれあ り」と木戸幸一の進言で、代役に立てられたのが東条秀樹だった。

それが、敗戦の今や、「皇室の安泰、天皇の戦争責任からの回避」を最大の使命として総理大臣となり再登場した。内閣の顔ぶれをみればこれが敗戦内閣かとおどろく。 「陸軍大臣」も「海軍大臣」も「軍需大臣」も「大東亜大臣」もいた。子供の目にも奇異に映った。山崎巌という元警視総監で思想統制の元締にあったのが「内務大臣」という奇妙 さ、その山崎が、組閣後の十月三日、「政体の変革、特に天皇制の廃止を主張する者は、すべて共産主義者と見なし、治安維持法によって逮捕する」と英国人記 者に語った。これが、即、内閣の命取りとなり、GHQは、間髪を入れず、山崎発言のその翌四日、「政治犯の即時釈放、思想警察の廃止、山崎内相以下警察関係首脳の 罷免…等々」の指令を発し、東久邇内閣は翌五日、総退陣した。

 

* 「GHQ」の果断を、私は、今も評価し感謝する。「押しつけられた改革」などとは決して云わない。敗戦後の日本政府の内にも外にも、一つ間違えば、こと思想統制 では、東久邇内閣・山崎内相の姿勢のままで行きたかったと云わんばかりの「超反動感覚」が執拗に生き続けて、今でも、とさえ思われかねない。

2019 10/30 215

 

 

☆ 「天野哲夫(=沼正三『家畜人ヤプー』)著『禁じられた青春』に<戦中・戦後>を聴く」

 

玉音放送を無視し、終戦の詔勅を耳にするや、あえて天皇に逆らうように沖縄に特攻出撃して 散華した司令長官がいる。海軍中将、第五航空艦隊司令長官・宇垣纏である。若い搭乗員十八名が進んで随伴し、九機の編隊で飛び立った。戦果のほどは分から ない、しかし目的は自決にあった。「驕敵を撃砕し能わざりし責任を詫びての打電を機上より発しての自殺行であるが、承詔必謹、大元帥陛下の至上命令遵守の 皇軍統帥大原則に背犯する違法をあえて犯しての特攻出撃は、裏を返せば、統帥部への、統帥権への身を挺しての抗議行為というものであった。死んでいった部 下たちが、それじゃ浮かばれませんという無念の思いをこめての、上御一人への抗議を意味するのである。

台湾に基地を持つ飛行第二十九戦闘隊の特攻隊長であった陸軍中尉・橘健康という二十三歳の若者がいた。一度二度と特攻出撃しながら、二度とも天候不良そ の他の事情で目的を果せなかった。三度目の正直をと、次の出撃にすべてを賭けていた時、八月十五日を迎えてしまった。本来なら、助かったと喜ぶべきであろ うに、彼は九月十六日、台湾の台中飛行場の愛機・疾風号の機上において拳銃自決を果した。懐中に、かねがね認めていた血染の遺書を所持していた。長文のも のであるが、その中の、二人の妹に宛てた文章の一部を抜き書きしてみよう。

 

……天下泰平、うまいもの食って立派な家に住んで、奇麗な着物をジャラジャラ着て、ただ遊びほうけてばかりの人間が溢れて、貧乏人がそれを怨む。貧乏人 でも、頭のいいすばしっこい奴がいて、金を儲けて倉を建て、立身出世したと思ったら三代目の孫が倉も屋敷も売っ払ってしまって、墓の下で悔し涙を流す。こ うした世の中をみんなぶっこわすための戦争であるはずだった。旧いもの、みんな一掃し、新しい明日をつくる、この革新のために我々は戦った。

もう繰り事はよす。すべては終った。兄はもう橘健康ではない。兄の死を知らされても、嘆いてなぞくれるな。……

天皇陛下万歳

 

神風特攻隊を編成した当の司令長官・大西瀧次郎中将は八月十六日、割腹自決を遂げた。

ーー善く戦いたり、深謝す。吾、ここに死を以て旧部下とご遺族にお詫び奉るーー

 

責任自決といえば、陸軍中将・篠塚義男の割腹自決はその典型の一つ。遺書に言う。

 

戦争開始に当り、軍事参議官として会議に列席、開戦を可と報告致し候。

此の信念は今も変らずといえども、国家の運命今日に至りし上は深く責任を感じ候。戦没者及び其の遺族、並びに国民各位に陳謝致し候。

 

語学に堪能で、その俘虜情報局長官時代。大国らしい紳士的な俘虜の処遇を主張して反対派と戦った陸軍中将・浜田平は、九月十七日、任地タイの宿舎で自決した。任地住民から思慕敬愛されたというのに。

 

碁にまけて眺むる狭庭(さにわ)花もなく

めくら判おいて閻魔と打ちにゆく。

 

遺筆はただこれだけであった。

責任感を痛感するほどの者はこうして死んでいった。軍人以上に戦争を賛美し、戦意昂揚を煽りたてた詩人・文人・哲学者らは掌返して口を拭った。軍部独裁というが、時局に便乗・迎合せし文民指導層の狡猾卑怯ぶりは、より一層度し難かった。

 

* 得も言われぬ重苦しい気持ちで十月尽を迎えた。昭和二十年の敗戦も今も息苦しいまで胸を重くするが、世に謂う「令和」元年とやらの現在日本はどうであ るのか。ただ「情けないなあ」と、瞑目してしまう。わがわずかな残年を自身でしかと数えるためにわたしは此の「老い老い私語の刻」日々の

日付を私自身の「恒平」の名で数えると決めている。

 

* 亡き天野哲夫さんに感謝しつつ、大部の『禁じられた青春』の我流の「読み」をここで一旦終える。天野さんはこの本のあとがきで、自身の時代への視線や批評に自負を明記されている。私は本書を読みながらおおむね氏の自負を肯定出来ていた。それを附記しておく。

2019 10/31 215

 

 

* この日録「私語の刻」、今年の九月分を「保存」し終えて「215」ファイルに達し、さらにそれ以前にも相当数月々の「私語」が保存できてある。 1998年の三月下旬から欠かさず日々に、月々に、年々に書き溜めてきた。ただの日記ではない、私、最大厖大の文業になっている。

2019 10/31 215

 

 

* 来月、つまり明日からは、久々にバグワンに聴いていた日々を、新たな気持ちでおさらえして行く。

2019 10/31 215

 

 

 

*  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 思い直しつつ

 

この手記は、どこへどう到達するとも、到達すべしとも、筆者自身に分かっていない。ただ「途上の独白」というのがふさわしい。何処への? 答えられない。静かな心への。死への。あるいは何かに「間に合いたい」と──死ぬ日まで独白しつづけるのだろう。

筆者は、偶然にバグワン・シュリ・ラジニーシの「本」に出逢っただけ。その生涯や実像にほとんど知識を持たないし、持ちたいとも想わず今日まで来た。そ の意味では、バグワンが語りまたひとに答えたとされているおよそ七、八種のいわば「講話」集だけにわたしは頼んでいるのだから、その編訳者たちへの真摯な 信頼を措いてわたしは何一つバグワンに関して言えない。これほど不確かな、いいかげんなことは無いかも知れない。だが、言うまでもなくあらゆる聖典やバイ ブルに向かう今日の信仰者や帰依者も、実は同じであることをわたしは知っている。仏陀もイエスも自ら書いた何一つも残したわけではない。

わたしはわたしの思い一つで何人かの有り難い編訳者の誠実に信倚し、そうして「聴いて」きたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉を耳にし胸におさめ、そ して能うかぎりわたしはわたしの「いわば世界史的な信頼」をバグワンに預けてきたのである。それだけを、まず、ここ冒頭に断っておきます。       2011.03.23                          秦 恒平

 

一 平成十年  バグワン・シュリ・ラジニーシとの出逢い

 

*  バグワン・シュリ・ラジニーシというインド人をご存じですか。アメリカのオレゴンでしたか、に拠点をえていたらしいのですが、裁判によって国外に追放され ました。一時、オーム真理教のお手本かと噂され、日本でも手ひどく否定的に話題になった人物だそうで、もう亡くなっています。

わたしは、ほんの一年ほど前から、偶然に「本」など手にして、読み始めました。バグワンについては全然予備知識もなく、むろん「オームがらみの噂」など何 も知らず関心もなく、いいえ、じつは無意味な先入見を「ひとつ」だけ持っていたのですが、いわばそれが理由で、およそ気まぐれと謂うしかない出逢いから 「読み」始めたのです。

ずいぶん昔ばなしになります、が、今日只今、もう四十ちかい、二児の(たぶん二児のままかと思うのですが、)母親になっています嫁いだ娘・朝日子が、まだ 大学 (お茶の水女子大)に入って間もない時分に、他大学生との小さなグループで、盛んに「バグワン、バグワン」と言いながら我が家へも集まって交流していたこ とがあったのです。講話集のような分厚い本が二冊三冊と娘の机に積んでありました。わたしは娘がへんな宗教団体に接近してはいやだなと思っていましたの で、冷淡でした。幸いなことにというか、短期間で娘の熱はすっかり冷めたようで、ひょっとして娘は、「恋」という信仰の方へ転向していったのだろうと思わ れます。

*  バグワンの本はそれきり棚に上げられていました。

幾変遷もあって娘が嫁ぎますときも、娘は所持のバグワン本を三冊全部、家に残して行きましたし、家族のだれも手に取りもしなかった。あのオーム真理教が大騒ぎの頃も、かけらほども誰も思い出したりしなかったのです。    (平成十年 1998.04.01)

2019 11/1 216

 

 

* 生母には短歌や詩をふくんだ文集があり、幾らかのノートと書簡が或る時期に纏まって遺っていた。私にもいくぶんの接触はあった。人となりや言動、暮らしにも証言してくれる何人もがあった。

父には山のように大学ノートや帳面への書き入れがあり、勤務の立場(鍛鐵工場の次長や工場長としての覚え書きや記録の類はわたしにはとても理解が届かな い。しかし父の勤務生活ははなはだ不本意に中断を強いられたらしい、そこには戦後の空気としての左翼がかった思弁がまじっていて、堅固な思想や詩作とは想 いよれないのだが、一種のレッドパージじみた職場からの脱落があったようにも想われる、が、分量の多さと、系統だたないその場その場のもの言いが多く、読 み取って行くのがんなり、いや、よほど難しい。これに脚を取られると泥水にはまって足が抜けないというおそれもある。だからこそ特異な父親像の組み立てら れる可能性もあるのだけれど。私にそれだけの時間が在るかどうか。

2019 11/1 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

2   そのバグワン本を、「いったい朝日子、あの頃 なにに血迷っていたのかな」と、ふと娘の気持ちを知りたさに手に取ったのが、去年(平成九年・一九九七)でした。

そして、驚いたのです。ほんとうに驚いたのです。

正直に言って、とてもあの頃の娘の、手に負える本ではありませんでした。その後の娘の娘時代を振り返れば振り返るほど、バグワンに娘が浮かれていたのは事実でしたが、受け容れるにははるかな距離のまま退散したにちがいない、と、そう想えました。

朝日新聞が、「心の書」を数冊選んで、週に一度ずつ四回コラム原稿をと頼んできたとき、わたしは、源氏物語、徒然草、漱石の「こころ」とともに、バグワン の「十牛図」を<解き語り>した講話を選んで、原稿を送りました。すると、担当記者から丁重に、バグワンに関する一回分だけは再考慮されてはどうかと電話 がかかり、やがて、バグワンがかつてアメリカのオレゴンで裁判にかかり追放された頃の新聞記事などを送ってきてくれました。こだわる気持ちは無かったし、 なによりわたしにはその手の予備知識も情報もなく、ただもう、本を読んでの感嘆のほか無かったのですから、原稿は引き取り、すぐ、べつのものを書いて渡し ました。

しかし、その時でもわたしは、バグワンの説きかつ語る言葉が、じつに優れた境地にあることは信じられますと記者に伝えておきました。要は、私自身の問題でした。

原稿を書いて新聞社に渡してからも、もう月日が経っています。しかし、その後も他の講話を時間をかけてかけて読み、その示唆するところの深く遠い端的さに は驚嘆と畏敬を覚え続け、いささかも印象は変化していないのです。伝え聞くオーム真理教の連中の、あんなむちゃくちゃとは似ても似つかないものだと、何の 思惑もなく、一私人として、バグワンにわたしは敬意を惜しまないのです。

いまは、『般若心経』を語っている一冊を読んでいます。高校生このかたこの根本経典を説いた本には何度も出会ってきましたが、バグワンの理解は、透徹して、群を抜いています。

余談ですが、わたしは、わが日本ペンクラブ現会長の梅原猛氏に、「般若心経」を説いてみませんかと、二度三度立ち話のおりに勧めています。氏はバグワンの 説く意味の「叛逆者」とはかなり質のちがう、与党的素質の濃厚なかつ大度の人ですから、また特色ある理解が聴けるのではないかと期待するのですが。「般若 心経」は、或いは、氏の試金石ではあるまいかとすら思っています。これは余談です。

もし私が東工大教授の頃に、教室や教授室で「バグワン」の話などしていたら、或いはオーム真理教寄りの者かと、物騒に思われたろうかと、苦笑しています。

しかし、繰り返しますが、その説くところを静かに味読すればするほど、バグワン・シュリ・ラジニーシは、オームの徒なんどとは全く異なった、本質的な「生」のブッダです。

*  しかしまた、わたしはバグワンを、まだ二十歳過ぎた程度の人に勧めようとは思わない。「知解」は試みられるでしょうが、人生をまだほとんど歩みだしていな い年代では、この講話を、親切にまた深切に吸い込むことは無理です。つまりわたしの娘も、いいものに出会いながら、何一つ得るところなく別れています、投 げ出したのです。無理からぬことと、よく分かったつもりです。その娘が、バグワンの本を、父のわたしに、十数年も経ったいまごろに出会わせてくれたこと を、喜んでいます。

1998.04.02

 

* 上に、「余談」のまま、今は亡き梅原猛氏に「般若心経」について書いてみませんかと繰り返し奨めていたと書いている。これは、いささか梅原さんをゆす ぶる行為だった。彼の佛教観ないしは日本人観は、いわば「あの世」を「あり」と信じ、「魂」をありと信じる哲学で。

それに対し「般若心経」は「空」観の一の 根本経典であり、「死後」を持たない、釈迦は「後世(ごせ)」も「死後の魂」をも認めていない。この辺は、禅家の秋月龍珉氏が梅原さんを鋭く批判しつづけて『誤解 された佛教』の顕著な例と挙げている。

梅原さんは「般若心経を」と聞くと、頸をよこに振っていた。私は、聴いてみたかったが。

 

* 般若心経は 仏壇にいつも手に取れる小さなころから馴染みふかいお経で、高校にはいると創刊された角川文庫からまっさきに『般若心経講義』をいそいそと乏しい小遣いで買った。やさしく語りかける講義で、表紙ももげるほど耽読した。決定的に忘れがたい読書であった。

だが、問題が一つ起きている。この日録「私語の刻」の冒頭に「方丈」とかかげて、その下に私は、

 

あのよよりあのよへ帰る一休み

 

と現世を観じた一句を掲げている。明らかに、和泉式部の

 

暗きより暗き道にぞ入りぬべき

はるかに照らせ山の端の月

 

に感化されている。じつはそれだけでない、「この世」を「旅宿の境涯」とうけとめた人は、中国にも日本にも少なくはなかった、多かった。こんなこともわた しは忘れていない。建日子がまだ小学生の頃、わたしと入浴しながら「お父さん、人はみな、<この世>という<休憩所>にいるんだよね」と言い出し、わたし は湯槽へ転びそうに仰天した。聞くと、読んだばかりの『モンテクリスト伯』にそんなふうに書いてあったよ、と。また、ビックリした。あとでしらべて、つま り私もまたまた読み返して、たしかにそれに類する表現・述懐が書かれていた。

 

* 「この世」ははたして「休憩所」での「一休み」であるのか。

ひょっとしてあの「一休」さんの思いもそうであったのか。

 

* 『般若心経』の「空」観は、そうは言っていない。気になりながら、上掲の一句、そのまま置いて、今、わたしは、その思案を避けている。フィクションと知りつつも、先へ逝ってしまった人たちのあの世があればこそ、諸々の今生世愚にも煩多にも堪えてられるということ、あるではないか。ウーン。

 

* それにしても低劣内閣・愚衆自民党であることよ。どこまで続く泥濘よ。

 

* 信じられない話だが、また、小説一つ出来る気配濃く、どう転ぶとも、わたしが一に楽しみにしている。むろん真面目に書くが、肩肘はらないで、面白くと願っている。

 

* 法政大山口二郎教授の岩波新書『民主主義は終わるのか』は、今こそ読んで考えたい、動けるなら動きたい働いてみたいと願う「危機」の言説・提唱であ る。若い人たちよ、ただの御節介を言う言える立場に私は無いが、ほんとうに危ない日本の明日だと想われる、案じられる。やす香は、生前、断乎として法政大 へこそ進学したがって、そして入学した。惜しみて余りある、すぐさま病に斃れてしまった。山口さんの講座を聴かせてやりたかった。

2019 11/2 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

3   *  バグワンの『存在の詩』を、毎日、欠かさず音読し続けています。世間のなかで実在し活動していたバグワンの「風評」といったものは、今では裁判記録など含 めていくらか知っていますが、「講話」から聞き取れる世界の「深さ」には、計り知れぬものがあり、優れた言葉のみがもちうる魅力に溢れています。アサハラ なにがしの貪欲で残虐な悪心と、バグワンの説く思想としての「叛逆」とはあまりに異なっていて、同一視など、失笑の他ない。バグワンにより、こんなに豊か で、こんなに静かな「安心」が得られるとは、予期していませんでした。  1998  04・28

*  バグワン・シュリ・ラジニーシの説教集を、とうどう三冊、娘が物置に片づけて嫁いで行った分厚い三冊を、ぜんぶ、「音読」し終えました。「音読」という読み方には利点もあり欠点もあります。

最初の読み方としては、話し手の息づかいや内面のリズムが察しられて、音読はよかった。バグワンの気息に親しみ馴れることができ、直観で、言葉の背後ま でを見通せるようにもなったと思います。音読では立ち止まるということがないから、知解や義解では不十分なところを沢山置き去りにしてきましたが、それは それで立ち止まらず通過していいのだと思っています。

順番でいえば、ティロパという人に拠った『存在の詩』」から、十牛詩画を語る『究極の旅』そして『般若心経』へでしょうが、読み始めようとした頃の関心事 から、まず「十牛詩」を読み出して、すぐさま、これはただものでないと観じ、敬意をはらって読みすすめ、次に「般若心経」を感嘆して読み、三番目に「ティ ロパ」を、深い興奮にかられながら静かに読了しました。それぞれを読み終えるのに数ヶ月ずつをかけました。

*  娘がお茶の水に入って一年ほどして、他大学の男子学生らとバグワンを読むグループを作っていた頃、わたしは、そんなものに見向きもしなかった。案の定、グ ループもやがて消滅て、娘の口からバグワンのバの字も出なくなりました。説教書は、机の上からとうに影も失せていました。

数年して、「曲折」を経て娘は嫁ぎ、また「曲折」を経てその婚家との音信が絶えました。

そのまま数年して、私はふと好奇心からも、娘が学生時代のごく一時期ながら熱中していた「バグワン」とは誰ぞやと、知りたくなりました。物置へ投げ込まれ ていた三冊を探し出して読み始め、そしてもう娘のこととは離れて、わたしは、「バグワン」の「ことば」に多くを識り、また多くを教わりました。

深く揺すられました。

日々に文字通りに激励をうけ、鞭撻され、叱咤され、痛くも恥ぢしめられました。

* 聖書も仏典も外典も、まこと多くにこれまで触れてきました。宗教学や神学には関心があり、かなりに読んでリクツも言ってきた方です。だが、バグワンには多く「言葉」をうしなって、ひたすら「聴く」気になれた。これほどの透徹に、会ってきたことがあるだろうか。

* バグワンは、だが悪声にも包まれてきた聖者らしい。そんなことには驚かない。オーム真理教の徒が、あるいは有力な「種本」に悪用したかも知れない。 しかしバグワンの説くどこからも、サリンやポアのごとき、ハルマゲドンのごとき、愚劣な行為も予言も出ては来ません。バグワンはイエスを愛しているし、仏 陀も深く愛している。だれよりも彼自身に近い、いや近い以上に「等質の同一人」とでもいいたいほどなのは、「道・タオ」の老子だと断言しています。素直に 聴くことができます。 無為にして自然の老子的な達成から、最も隔たった存在なのがあの麻原彰晃であったことは、余りにも明白。

*  『般若心経』を解いて、バグワンほど「空」を目に見せてくれたどんな人が、かつていただろうと、わたしは思うのです。

『十牛図』の詩を解いて、バグワンは、さながらに老子を体現します。そして『ティロパの詩句』から、あたかも「二河白道」を渡って行く者の、畏怖にも満ちたおそるべく深い平安へのすすめを説きます。解いて明かします。

バグワンの「人」について私は多くを知りません。ただ三冊の本が私の前に残されたのは、娘の意志とでも理解しておきましょうか。その三冊を読み終えて、私 はすでに楽しみにして次の『道  タオ』上下巻を、池袋の「めるくまーる社」から買い求めておいたのを、また音読し始めたばかりです。

*  私は、自分がどれほどバグワンから隔絶して遠いかを、つらいほど思い知らされ続けています。私の声に出して「読む」のを時に横で聴いている妻が、それに気付いて思わず、わらうほどです。

この一年、私は毎日毎晩にバグワンに叱られ続けてきました。悲しいほど私はいろんなものごとに執着しています。バグワンの言うところの「落としなさい」と 最初に聴いたとき、私は、怖さにふるえました。うんざりし、げんなりするほど多くの「落としてしまえない」物・事・人を私は抱えています。その愚にはきち んと気付いているし理解もしているのに、「落とす」ことが出来ません。「落としてなるものか」とさえ抱き込んでいます。情けない。

*  裏千家の茶名を受けるとき、大学一年生かまだその前年であったかも知れませんが、私は、望んで「宗遠」と授けてもらいました。「遠」の一字は私自身で「老 子」から選びました。ですが、老子のいう真意からはただもう程遠いだけの、うつろな名乗りになっています。  1998  11・05

 

*1998  11・05 というデータは、私がこの機械に「作家・秦 恒平の文学と生活」というホームページをその三月下旬に設置開業した年に当たっている。20余年を経てきた。

 

* こんな記事も残していた。

 

* 「心」は無尽蔵に容れ得るが虚無にも帰れる。八方に関心を広げ得るが、ただ一つことに集中も出来る。どのような状況にあっても、心は内奥に「静」の質を金無垢の一点のように抱いていると、そういう趣旨を荀子は説きました。

夏目漱石は小説『こころ』の「奥さん」にだけ、ひとり「静」さんという実名を与えていました。「先生」も「K」も、その「静」を真に我がモノとは出来ず、自殺しました。静さんを得たのは「私」でした。「私」と「静」の仲には、もう「子」の影がはっきりさしています。

* 心の内奥に、静かなものを。それが、「およそ価値らしきものを、全部ストンと見捨ててしまって気楽になる」という意味に繋がると思う。心は働かせるけ れど、その心を虚しくする意味で、「心=マインド」の「奴」になってしまわない意味で、「静」を見失わない。そんなようで在りたいのです。出来なくはない と思う。いや、出来ないことなのかも知れぬと思う、けれども。平成十一年 1999 07・08

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* 首里城は再建されるだろう。わたしが真に惜しむのはもう二度と同じものの創れない文化財・宝物等の焼失。わたしがいつも懼れるのは、「文化財」の喪失、逸失、焼失、損失。取り返しが利かない。「文明・科学」の所産は簡単によりよきモノが作り出せる。

いま一つ惜しまれるのは、真の人材。さいきん、その思いをしないでいるのは幸せなのか、或る意味の不幸なのか。「巨星墜つ」という悲しみをすら味わえない今日か。国会に生息する怪物なみの愚昧たちを思うと、ただ暗澹。

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* それにしても「井筒」は懐かしい曲。筒井筒、少年少女からの恋の物語であり、わたしの最新作「清水坂(仮題)」もしかり、追いかけて書けそうな、「信じられない話だが」もそうなるか。ごく短い「井筒」を書いた覚えがあるが、また書きたい。

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* 出歩きながら、「オイノ・セクスアリス 或る寓話」の第三部一部抜きを読んでいたが、「松さま」こと吉野東作氏のもらっている実に頻繁な「雪」「雪 繪」からのメールの、みごとに簡潔で雄弁でムダもタカブリも無い自然さに、作者、われながら嬉しくなる。最良のラヴレターが書けていると思うが、如何。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

4   * 「心」は無尽蔵に容れ得るが虚無にも帰れる。八方に関心を広げ得るが、ただ一つことに集中も出来る。どのような状況にあっても、心は内奥に「静」の質を金無垢の一点のように抱いていると、そういう趣旨を、荀子は説きました。

夏目漱石は小説『こころ』の「奥さん」にだけ、ひとり「静」さんという実名を与えていました。「先生」も「K」も、その「静」を真に我がモノとは出来ず、自殺しました。静さんを得たのは「私」でした。「私」と「静」の仲には、もう「子」の影がはっきりさしています。

* 心の内奥に、静かなものを。それが、「およそ価値らしきものを、全部ストンと見捨ててしまって気楽になる」という意味に繋がると思う。 心は働かせるけれど、その心を虚しくする意味で、「心=マインド」の「奴(やっこ)」になってしまわない意味で、「静」を見失わない。そんなようで在りたいのです。 出来なくはないと思う。いや、出来ないことなのかも知れぬと思う、けれども。  1999 07・08

* 藍川由美のうたごえで騒ぎやすい心を静めているのかと思う。清潔、それは「静か」の代名詞でもある。濁って騒がしいモノは要らない。要らなくても、攻め寄せるのがそれだ。「方丈」以下の四枚の写真にわたしは今、その謂うところの清潔・静謐を託し求めている。

 

* 亡父吉岡恒にかかわる父自身の筆記・所感・述懐・信仰・書信等々が、手に負えぬほど手もとにあるのは知っていたが、かつて一瞥してその多岐に亘り或る 意味で一途、或る意味で散乱の記録を今朝から再確認して、長嘆息している。これはまさしく「一人」のきわめて意識的で多彩な吐露

というしかない。もはや残年に恵まれていないわたしの手では、どうしようもない。兄・恒彦が存命なら多大の関心を寄せて分析し批評し「父・恒」像を建立したであろうが。

父に、孫は「大勢」いるが、妹二人の家庭の大勢の孫は、こういう作業に向いていないだろうし、妹二人の明白な意志でこれら資料は私に全面依託の体で父死 後の直ぐに送ってこられた。放っておいたのは私である、任されたのだから全処分してもいいだろうが、それに忍びない一人の特異な「人間」像がここに集結し て書き表されているのだ。

祖父「恒」と、あえて同名を父・恒彦に与えられた甥・北澤恒(黒川創)がすべて了解して受け継いでくれれば有り難いのだが、彼にもこごに忙しい事情というものが在ろう。

当然のことに私の父の遺した一切は「手書き」で、それを機械へ写すだけでも、一年はかかるだろうし、さまざまな断章・断片に書かれた「紀年」を決するのもとてもとても容易でない、父の亡くなった以前と言えるだけ。これでは甥の恒も音をあげるだろう、やんぬるかな。

 

* 今は私は、また別の「信じられない話」に手を付けてしまっている。「信じられない話」は、その気で眺めれば広い世間にいくらも隠れている、ことに「むかし・むかし」という時空では。

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* 掲げた写真は、みな、自分で撮っている。来迎院がなつかしい。「慈子」が縁側へいなにも姿を見せて呼んでくれそうに思う。

どの写真もワイシャツの胸ポケに入る小さなカメラで撮った。しかし、もう寿命か、電池の充電が利かないか利きにくくなっていて、残念。

 

* スマホという便利かも知れないが老若男女を白痴化しているしか見えない機械は決して手にしない。いわゆるラインとかネットというものも使わない、まっ たく無縁に過ごしている。しかし、ひとりで病院などへ外出のとき、簡単な携帯電話だけは持たないと危ない気がしてきている。家との連絡さえとれればいいの だが、その余の目的は全くない、が、連絡できないと、緊急時の危険に対応できない。街でゆっくり、家へ帰ったら、妻は救急車で入院していたという変事が あった。肝が冷えた。のに、まだ対応できていない。店へ「買いに行く」という面倒がイヤなのである。が、とにかくも電話「だけ」の最簡単品だけは必要だ。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

5   * NHKが、相も変わらぬ「心の時間」みたいな宗教番組をつづけています。たまたま東大名誉教授が仏教のはなしをしていました。いろんな「文句」を引き 出して話していましたが、語り手の話と聴き手アナウンサーの合いの手と、引用されている文句のあるもの、例えば道元の言葉などとが、ばらばらに、齟齬して いる印象をもちました。

そもそも仏教の要諦を「心」で話そうというのが無理なんじゃないでしょうか、「無心」ならばともかく。「心=マインド」をアテには出来ないことを、もう四半世紀も前、わたしは「からだ言葉」に次いで「こころ言葉」を調べ始めた昔から、痛いほど感じてきました。

乱れ、砕け、くじけ、呆け、喪われ、「心ここにあら」ぬような、心。

根があり、構えがあり、底が見え、熱くもなり、冷えもし、苦しくなり、「心も空に」なるような、心。

こういう「こころ言葉」を無数に持つことによって、どうしようもなく「つかみ所のない」その本性を示している、心。

そんな頼りない心など頼んではイケナイというのこそが「仏教の確信」であり、核心でありましょうに。「無心」の明静を求めてゆくのが、禅の根底でありましょうに。

「心」とさえ口にしていれば、鬼の首でも取れると言いたげな誤解から、はやく脱却しないと、人間の心はますます千々に砕け乱れて、果てない混乱のなかで 不幸の種をまきひろげて行くに違いありません。「心」はもともと数知れぬ「罜礙=障り」に囲繞されています。それどころか「心」こそが即ち「障り」なので すが、その障りがなくなる、つまり心が心ではなくなる「心無罜礙」「心に罜礙無」き「無心」に成ろうとするのに、そんな「心」に頼ってそう成ろうとは、そ れ自体が、はなから矛盾し撞着しています。仏も達磨も道元禅師もそんなことは言っていない。「心」が諸悪の原因なのです。

しかし、そのように説いているかずかずの経典があるではないかと、手当たり次第に引用されるものだから、それらの中でまた混乱や齟齬が生じてしまいま す。経典に対するクリティクはむろんされて来たのですが、根本の批判はどこかで都合よく匿し込まれてしまってる。大方の経典は、いいえ殆ど全部といってい い経典は、釈迦没後の、遅いものだと数百年も千年ものちに書かれています。無数の解釈と潤色と創作とにより、いろんな弟子筋門弟筋の都合と主張とに合わせ てつくられたものです。仏教「的」な主張の言語「的」な多様の表出、意図的な表出なのでして、釈迦自身に帰属するものはいたって稀薄です。アテに出来ませ んし、とくに「心」に関しては誤解や曲解が渦巻きながら、なにかしら「心=仏」かのような、とんでもない話に俗化して、それが今日でも、NHKだの大手新 聞だの感化力強大なマスコミの安易安直極まる「売り物」になっています。

しかし、正しくは「無心=仏=覚者=ブッダ」なのでしょう。名誉教授はしきりに「仏様」とわれわれとを別物に話しているかに聞き取れましたが、深い仏の 「教え」は、われわれはみな「仏」になれる存在、「仏」を抱き込んだ存だけれどもが、「心」に惑わされ、その貴い真実真相にたんに「気づいていない」のだ という指摘の「中」にありましょう。

いっさいの言語的表出に過ぎない経典から厳しく離れ、「心」の拘束や干渉を排して、本来抱いている仏性を「無心」の寂静として気づかねば、自覚しなけれ ば、とうてい安心はないと思われる。むしろわれわれは「心」などという文字から、おぞけをふるって身を反らせることを行わねばイケナイのです

* 禅。 ここに安心の基本があった、釈迦の悟りのなかにそれがあった。わたしは、いまそう思っています。

わたしは、もともと法然や親鸞の念仏に深い敬愛を持ってきましたし、今も変わりありません。彼らはなぜに「南無阿弥陀仏」だけで安心に足りていると徹し ていったのか。行けたのか。その基本には、さきに言ったいわゆる経典成立の事情に対する批判や不審が据えられていたのではないでしょうか。凡夫衆生のだれ が百万の経典を読破して理解できるか、たとえ出来てもそれで必ず「安心」が得られるわけでない。抜群の経典への智慧知識を称賛されていた法然が、その「知 識=マインドによる理解」を決定的に批判し棄却してしまって、念仏の易行を「選択」したのでし。すべてを捨てたわけではないと言う建前のために「浄土三部 経」を選びのこしつつ、それでも死に際に「一枚起請文」を書いて、「南無阿弥陀仏」だけで足りていると念を押し行きましたた。法然は、おそらく、「禅定」 は凡夫衆生には難行であることが分かっていた。それに匹敵する「安心の無心」のために只六字の「南無阿弥陀仏」という、いわば至妙の「抱き柱」を建てて、 民衆の救いに「道」をつけたのに違いありません。

* わたしも、数少ないながら、かなりの数の経典を教科書のように読んできた過去をもっています。そして、つまるところは、仏教とだけは限 りませんが、それらからは「安心の無心」など得られるものでなく、「心=知識」ではない「無心の信」を非言語的に自覚して行くしかないと思うようになりま した。バグワン・シュリ・ラジニーシの導きが大きかった。彼と出逢ってから、もろもろのいわゆる「宗教的まやかし」に、まったくといえるほど動じなくなっ ております。  1999 08・29

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* 新しい物語を、跡絶えずに書き継いで行く気でいる。病院、医院のほかで人と口を利くことが久しく無い。昨日、川口君の電話で暫時話したのが稀有。一つ には、入れ歯が落ち着かず、喋りにくくて。仙人のような通力はまったく無くて、妻と「マ・ア」とだけの「お仙」めく日々に身を浸している。もう、このまま 黙然と気軽に残年を楽しむだけ。

それでよい それでよいとよ 寒鴉

 

* 夜前、驚嘆したこと。枕もとにたくさん積んだ本の中に筑摩現代文学大系本の必要もあって森鴎外本出ていた。「ヰタ・セクスアリス」を読み替えしたから で。また前々からの順番に読もうと「小田実・柴田翔」の巻も置いていた。小田、柴田両氏の長編作は、それぞれに読みわずらい投げ出してあった。前者の剥き 出しの大阪弁はやかましく、後者の文章表現には何としても退屈した。ゆうべもまたアタックシしたが投げ出した。で、鴎外集を手にし、ひらいたところの「安 井夫人」を読みだすと、べつに何という物語でもないのにその文体文章は爽快なほど面白く、一気に読み終えて「文学」的に満足した。

これは何だろうと思った。正直なところ鴎外の小説は、「阿部一族」をほぼ例外にけっして波瀾に富んで烈しく感動するという作でない。ただ、つかんだら放 さないという文体の剛力に引き込まれる。「安井夫人」もそうだった。おもしろいお話を読んだのではない、詩歌と読ませる文体のちからに魅されて一気に読ん だのである。

 

* わたしは此の「私語」もそう私語したいといつも願っている。雑文を書く気ではない。

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* 小説の創作には、仕上がっての妙 と 仕上げてゆく妙とがある。 昔、谷崎先生の仕事をみていて「未完作」も多いこと、その作に奇妙も微妙もときに美 妙も有るのに気づいてしきりに肯いたことがある。なぜ「未完」か「未完」の先に何が待っているのか、自身の仕事でもそれを想うことがある。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

6   * バグワンの『ボーディダルマ』には、敬服します。もうすでに、この「和尚」の大部の本を五冊読んできて、お蔭とも言えるでしょうが、妙趣が、真意が、 呑み込みやすくなっています。読んできた全部から、ほんとうに旨く要所を抄録できたら、どんなにいいかしらん、自分で自分のために欲しいとは思わないが、 初めての人には佳い出逢いになろうし、なって欲しいと思う。時間にゆとりができたなら、試みてみたいとさえ思うのです。

断っておきますが、バグワンの実像をよく知りません。どういう人たちを、どこにどう集めて説いていたのかも知りません。ただただ彼の「言葉」に、踏み込んで、耳を傾けてきただけです。それで十分でした。

* 荀子の説いた「解蔽」とは、幾重にも身にまとってしまったボロを脱ぎ捨てる意味で、脱ぎ捨ててしまえたとき「心」は「静=虚心=禅寂=無心」になれ るというのですが、そしてこの「虚心・無心」にわたしはまだあまりにほど遠いけれども、それでも、バグワンに出逢い、どんなに心身が軽く、らくになってい ることか。それを自覚していればこそ、苦しい人や、夜も眠れぬ人や、こだわっている人に、紹介したいまごころを持っています。しかし、そういうお節介がい けないのです。

わたし自身がまだまだとんでもない「こだわり」に生きていて、たえずバグワンに叱られ、妻にもよく笑われているのですから、そんなことを考えるのは、まるでオコがましいはなしです。  1999  09・04

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

7   *  宗教的な題材で幾つか小説を書いてきましたけれど、かつて或るカソリック作家との対話のなかで、「われわれカソリックの立場では」といった発言に何度も出 会い、思わず、「あなたは『立場』で信仰するのですか」と言い放ってしまいました。

それ以来でしょうか、いちだんと、特定宗教宗派宗団に傾いた信仰をうとましく感じるようになりました。

問題が難儀なので深入りしにくいのですが、少なくも「立場」に立っての信仰など、ホンモノではなかろうと思い沁みつつあります。法然親鸞の教えにも傾聴 していますし、イエスにも愛を感じますが、とらわれたくない。バグワンを通じて老子に聴き、達磨に聴き、ブッダに聴き、イエスに聴いていて、わたしは、も う大きくは逸れて行かないでしょう。宗団宗派ゆえの信仰をわたしは醜くさえ感じています。  1999  10・02

*  バグワンの『ボーディーダルマ』も三分の二以上読み進んで、音読しない日は、旅中を除いて、無い。この巻を読み終えたらもういちど『十牛図』などへ戻って、今度もまた音読し、感じ取りたい。

日一日と人生をおえる日が近づいています。死にむかって、何の安心も得ていない。深い怖れを感じています。特定宗派・宗団の教えには希望がもてません。 また経典や聖書を信仰することも出来なくなっています。新聞の連載小説『親指のマリア』で新井白石に言わせていました、せめてああいう「安心」を、いや 「無心」を得たいのですが、妻に言わせれば「マインドのかたまり」のようなわたしであるのも間違いなく、これを「落とす」ことは、残り少ない生涯で可能と はなかなか思われません。バグワンに聴きつづけるしかない、そうしようと思っています。大分前から、同い年の妻も、ほぼ欠かさずわたしの音読に耳を傾けて います。よほど信服しているようです。  1999  11・02

 

* 可能な限り静かに過ごしたいと願っている。心騒がせるあれこれはあまりに多く、多すぎて溢れている。そんななかで静かに生きるのは至難と分かっていればこそ、可能な限りそうありたい。

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* 政治や時世への口調も激越な主張と批判をふくむ論文がこの「私語の刻」へ時に送られてくる、私自身も似たことは書いているので貰ったそれを読むのは苦 にしないが、あくまで此処は、「作家・秦 恒平の生活と意見」「私語と交際」の欄として、読んで下さる方々は「秦が、また云うておるナ」と、笑って読まれもすれば辟易して読みトバされもする。あく まで「秦 恒平の私語の刻」であって、誰しもの開かれた「論壇」としては運営していない。分かって頂きたい。ご自身の「ホームページ」を設営され、そこで論陣を張ら れるようお奨めする。または、文量に制限がなく想えていた(私はそこからは完全撤退しているのだが、)「フェイスブック」を活用されてはどうか。

わたしの「生活と意見」には、 万般、私自身生来の「好み」が下地になっている。古典も和歌も美術も京都も歴史も信仰も文学も観劇も趣味も、飲食も旅も。

「湖の本」購読者と限らず、広い範囲で何十年来の、また最近の読者が読まれているらしく、その雰囲気は維持して行きたい。ご理解下さい。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

8   * 「本来は家庭で両親が育てるはずの『心』を、幼稚園と在宅保育サービスのシッターが共に家族を援助しながら育てていこうという試み」について、メールしてくれた人がいます。この括弧付きの「心」という意味が分かりにくかった。

「心を育てる」とは、正しくはどういうことを謂うのでしょうか。こういう表現や評論はしばしば耳にも目にもしてきた気がしますが、さて、どういうことを指し、どうなると「心を育てた」ことになるというのでしょうか、定義がアイマイなままに頻用されています。

子どもの心を、どうして両親が育てられるのでしょう。どんなふうにして「幼稚園と在宅保育サービスのシッターが共に家族を援助しながら育ててい」けるのでしょうか、具体的な方法論が出来ているのでしょうか。「心」とは何かを、把握しての話なんでしょうか。

子どもは育ちます。ものの苗も育ちます。育てると謂っていますが、育つのに手を貸しているというのが正しいだろうと、ずっと以前にも此処に書いたことが あります。「育てる」意識で接してくる親や大人への反感や反抗が、かなりの力になり、現代を混乱させてきました。反感をもち反抗的になった子どもにだけ大 人から責任を問うのは筋違いで、子どもの心を育てられると過信しながら、我が心根はけっこう勝手次第に腐らせてきた親や大人の愚と責任とは、わたしも勿論 含めての話、計り知れないのではないか。  1999 12・06

*  前夜、バグワンの『十牛図」を読みながら突如動揺し、眠れなくなりました。

人は、「社会」に追従することで己が「決断」をすべて回避し放棄し、追従を拒んでわが道を生きようとする者をみな「狂人」として誹り、非現実的な「愚 者」と嗤い、しかしながら、至福の静謐に至る者はみな狂人のように愚者のように遇され生きてきたのだとバグワンは言います。歴史を顧みれば、その通りだと 思います。バグワンに出逢うよりもずっと以前から、わたし自身そのように生きたかったから、そう説かれれば本当に深く頷けるのです。

頷けるにも関わらず、そのように生きることでどんなに傷ついているか、耐え難いほどである自身の弱さに気づいて、あっと思う間もなくわたしは動揺し動転し てしまった。寝入っていた妻を揺り起こして苦しいと訴えた。訴えてみてもどうなるものでもない、わたしは惑ったり迷ったりしたのではなく、ただ意気地なく 辛く苦しくなっている自分を恥じ、情けなくなったに過ぎません。  1999  12・19

 

* 廿年前の私語で述懐だが、一歩も前へ出られていない自身に驚く。歎く気力もない。困りましたなあ。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

9   * マインド=分別で書かれた人生論=生き方論が多かったと思います。それではどこまで行ってもなにも解決しない、するわけがない。「心」を「無」に仕切った人の生きそのものに触れてみたいとわたしは願います。なかなか出逢えない。

それならいっそ、古人が「自然(じねん)のことあらば」と謂っていた自然の方へ歩み寄りたい、「問う」ことすら忘れて。

いま瞬時、日なたの、草野の匂いや色にさゆらいでいた懐かしい嵯峨野の風情が、胸にとびこんできました。

その一瞬が、百万のことばよりも美しくて深かった。  1999 12・23

*  いまの私が私自身に言えるのは、バグワンに何度も何度も{叱られ}てきた、ということです。

ほんとうに透徹した存在は、人の目には逆に「乱心」したものと見えるであろうと。

また、人は映画や物語には惜しみなく涙を流して感動するにかかわらず、同じ事実現実に当面したときには、感動も涙もなく、ただ忌避し嗤い嘲り、理屈をつけながら、真に透徹した者を指さして、「乱心・狂気・非常識」の者よとただ指弾する。

幻影にはたやすく感動し、現実に背を向け真実から遠のくことを「常識」とすると。

そのようでありたくないと思いつつ、ときにわたしは動揺し、自身の醜悪に目を剥いてしまうのです。   1999  12・26

 

* ああと、声にもならず恥じいる。廿年前から、半歩一歩もわたしは清冽にも静粛にもなれていない。なろうとして成ることでないと分かればこそ、ひとしお。

 

*  私には「梁塵秘抄」「閑吟集」の両著があるが、先立つ「神楽歌」「催馬楽」には手を触れてこなかった。魅惑を覚えていながら敬遠していたのだが、古典全集 で双方へ目を向け、惹きこまれている。懐かしいのである。ここに「うた」の「歌唱・合唱」の原点が、「歌う楽しさ嬉しさ」の原点がある。「記紀歌謡」とも ども、今後もしみじみ味わい楽しみたい。平安時代をもさらに溯りうる風情がある。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

10   * 最近知りあった或る、若い、ハイデッガー哲学などを学んできたという、著書もある高校の先生の、歳末の手紙を読みました。「哲学で人は救われるでしょうか」と前便に書いたのへ、返事ともなく返事があったのです。

正直に、率直に言って、そんなことを考えて哲学の勉強をしている研究者は、今の時節、ひとりもいまいと思います、自分もそうです、興味深いから、面白いからやっています、というのが、返事の主意でした。率直な表明で、気持ちよかった。

* その一方で、全く予想通りの返事であり、今の時代、哲学がほとんど「人間」の自立や安心の役には立たないワケも、よく分かるのです。言 うまでもなく、彼ら、所謂「哲学」を学問している人たちは、哲学者でありません。「哲学学」の学者・研究者に他ならず、それは「文学学」の学者研究者と文 学者とが異なっている異なり方よりも、もっと差が深い。

「知を愛する」と訳してしまえば、なにやら「研究」や「詮議」もその内のようですれど、だから哲学がもともと「人を救う」ものかどうかには異論が出て当 然かも知れませんけれど、ひるがえって思えば、わたしを救ってくれない哲学になど、何の魅力も感じなくなっています。そんなものは知的遊戯的詮索の高級で 難解なものに止まっています。つまり哲学がつまらないモノになってしまっている証拠だと思います。世間には「哲学者」などと麗々しく名乗っている人もいる けれど、おれは「哲学学者」ではないぞという意味なのか、いややはり「哲学学者が哲学者なのである」意味なのか、どういう積もりであるかと時々教えを請い たくなります。

老子は哲学者などと言われたくもなかったでしょうが、とびきりの哲学者に思われます。ソクラテスもキリストも仏陀もそのように思われます。しかし彼ら の、また彼らのと限らず優れた「人の師」の教えを、ただ「祖述」し「解析・解釈・解説」して事足りている人たちを哲学者とは思いにくいし、評論家を哲学者 とは呼びたくありません。いや哲学者だとつよく主張されれば、もうこの歳になってそんな哲学なら何の魅力も用もありません。そんな哲学は、ただ「心」のコ ンプレックスに他なりません。エゴの凝った「心」の、こてこてした、ややこしい塊に過ぎません。所詮は捨て去るより意味のない負担に過ぎないのです。そこ から安心や無心は到底得られません。バクワンからそれとなく教わったことです。  1999 12・31

 

* 欧米といい東亜といい、情けなく日本にも、確然とした人道や正義は日々に崩れ去りつつ有る。目を背けてはいないが、立ち竦んでいる情けなさは如何とも しがたく、より良いより美しいより心根に力を添えてくれる文学や藝術・美術、そして自然の花や草や木々や空や風へ思いを寄せている。

世の成り行きに楽観していない。悲劇の跫音は近付いていると感じている。幸いわたしには読み書き創るちからがまだ残っていて、健康も保っているつもり。いますこし人と親しみたいが外向きに出歩かないのだからしょうが無いか。

2019 11/10 216

 

 

* 寝ても覚めても唇さきに短歌らしきがあぶくのように噴いてくるが、面倒で、書き留めていない。

 

* 「秦 恒平・湖の本」を送り出す封筒に、大学・研究所、高校、作家・批評家他へ、宛名を貼らねばならない。そして購読者の皆さんへも。そういう作業を、創刊以来 150回ちかく、34年ちかくも重ねてきた。私はいいが、手伝ってきた妻はよほと゜草臥れたろう。ともあれ「秦 恒平選集」(とても「全集」というにはほど遠いが)予定の33巻を敢行し終えたい。お終いの2巻分は編輯が難しい。新年の前半は掛かることだろう。 2019 11/10 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

11 *  バグワンの、『十牛図』を語りながらの説法は、平明にみえて深切、声に出して読みながら、ひとまとまり読み終えて、思わず知らず息を出し入れする自然さ で、「そうなんだよなあ」と、声を漏らします。難解な論議ではない、平易な談話なんです、すべて。ですが全身にしみ通ります。奇矯な偏狭な危険な野心的な 俗なもの、微塵もない。かといって高踏でも浮世離れもしていない。

もっと広い場所で、つまりは(日録「宗遠日乗」に埋まり嵌められた体でなくて、=)独立のページを用意して、「なぜわたしがバグワンを喜んで読んで=聴い ているか」を具体的に語りたい気もなくはないのですが、そんな行為が「エゴ心=マインド」のとらわれになるのでは、つまらない。

*  人は、色んな「抱き柱」を銘々に持たずには、生きていにくい存在です。金、権力、肩書、勲章、名誉。くだらない。

わたしは、バグワンの言葉で平和な気持ちを調え、そしてまた「南無阿弥陀仏」と、念じていたい。美しいいろんなモノに出逢っても楽しみたい。美食にも美人にも、まだ少し、いや少なからず、心を惹かれるけれど。  平成十二年 2000・01・31

 

 

* 自前で本を買う。そんなことは敗戦後、新制中学に進んでからのこと、それ以前は小遣い銭を持たなかった。ひたすら東山線、菊屋橋畔の古本屋で立ち読み していた。中学生になると夕方から夜分へかけ下駄履きで河原町を四条から三条を往復しては本屋で立ち読みした。買えるとすれば☆一つ15円の岩波文庫の いっとう薄いのを願うしかなく、いっとう最初に思いきって買ったのが、シュトルム作「みづうみ」だった。むろん☆一つ。物語はすっかり忘れ去っているの に、「みづうみ」はいまも、私のひそやかな通称にも「湖の本」の名にもなっている。

岩波文庫で次に買えたのは☆一つの「徒然草」、そして思い切ってお年玉をはたいての「平家物語」上下二巻だった。前者からは、『斎王譜(=慈子)』がう まれ、後者からは『清経入水』が生まれた。その両者より早くに、秦の祖父鶴吉の蔵書中の白楽天詩集愛読の結果として『或る説臂翁』が処女作になっていた。

中学二年を終えた時、卒業して行く人から春陽堂文庫、漱石の『こころ』を形見のように大事に贈られた。何十度も読み耽った。後年の俳優座公演加藤剛主演の『心 わが愛』脚本の成る原点であった。

いわゆる単行本へも「買う」という手を出していった一等先は、与謝野晶子の現代語訳『源氏物語』であった。その次が岩波文庫☆一つの谷崎潤一郎『蘆刈 春琴抄』そして一冊本の『細雪』をまさに清水の舞台から飛びおりる気持ちで手に入れ、愛読した。

 

* 少年時代の読書が作家にとってどんなに大きな重いものであるかを、ありがたしとしみじみ思う。小説家は心して「読む」ことを、美術家は心して「観る」ことを原点に成長する。

 

* 歴史の面白さは、信じられない話だが、追求していくと、ほとほと奇妙の視野を実感ゆたかにひろげてくれるところにもある。いくつかそういう小説を書か せてもらえ、いままた追いかけようかと。獲物へ手がとどくか、ファイトである。かなりの賭けでもある。邪道と本道のあいを須走りに駆け抜ける感じである。 私小説だけをリアリズムと思っている人には、出来ない。

2019 11/11 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

12 * 京都で、美術賞選考の席で、選者で染色の三浦景生さんから、わたしの、『死から死へ』(「湖の本エッセイ」20)のなかで触れていた「心」の問題について、自分は「同感」だという趣旨の話をされかけて、そのままになって東京へ戻ってきたのを気にしています。

「心」の文字は、ますます巷に氾濫しています。へんだなあと思っています。わたしは、ずいぶんいろんな異説を立てている方かも知れないが、中でも、「心 は頼れない」とする説は今日容易に世間さまに通じません。すこし余裕のあるときに思いを語ってみたい。  2000 03・12

*  バグワン・シュリ・ラジニーシの『十牛図』を二度目読み終え、『老子』二巻の上巻を、昨夜からまた新たに読み始めました。二巻とも読み終える頃には夏が過ぎて行くでしょ。

*  なんとなく今日はほっこりしています。腰のうしろが異様に痛みます。椅子がよくないのかもしれない、多少不安定に揺れるようになっています。ぐっすり安眠 したい。それとも面白いビデオの映画をゆっくり観たい。「オペラ座の怪人」がふと思い浮かんだが、ジョン・ウエインの「リオブラボー」でもいい。

日本製のテレビ映画では最高傑作の「阿部一族」もいいが、少し哀しすぎるかも。 2000  03・18

2019 11/12 216

 

 

* 昨日、「逆転人生」とかいう番組で、百人からの市民傍観者に囲まれながらの一、二婦人警官の横暴と、虚偽と、傲慢と、さらに仲間警官らによる不当極ま る逮捕、投獄、取り調べ、さらには延々九年に及ぶ理不尽を極めた法廷の裁判を経て、ついに「警官らの偽証」を証しやっと無実を確定勝訴した一市民夫妻の、 信じがたい「苦闘の限り」をみせられた。不快も不快、烈しい怒りと屈辱感に包まれた。あんな不実不当を、公然市民環視のなかで官憲は強行し、国や裁判所は 当然とするか。憲法が保証する国民、市民の基本的人権はかくもたやすく理不尽に踏み躙られるのかと、テレビの画面から顔をそむけ、呻いた。生き続けたいと いう思いを強かに傷つけられた。

「私の私」を 「公」の不当な強権から守りぬく意志表明と結束が欠かせない。

わたしたちの日本を、「香港」化してはならない。

 

* いわゆる常識やふつうに儀礼化している慣習が普通に守れない政治屋に、だれが投票するか。有意味な政治活動はろくに出来ず、ただただ自分に投票し当選 させてと彼等は願ってラチもない郵便物も家へ寄越すが、郵便の宛名すらまともに書けぬ市会議員(候補)など、どう推せるものか。国語と社会科とを中学で勉 強し直してこいと云いたくなる。そばでホルンの音いろが、パカパカパンと嗤っている。

この歳でムカッとするのは年甲斐なくバグワンの徒に似合うまいと云うか。いやいや、ムカッとする気力は失いたくない。礼なきは、決してうけない。

 

* どうしても必要な、たしか井上鋭さんの著書(表題が思い出せない)一冊が見当たらない。いつか必ず役に立つ本と意識明確だったので、手近にこそ有れまさか外へ流失処分などされていまいと思うのだが。

「捜す」のは、とてものこと、好きでなく得手でない。もう書店には見つかるまい、少し堅い図書館へ行かないと。

2019 11/12 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

13 *  梅原猛氏の講演「日本人の宗教観」が電子出版されるについて、解説をと、木杳舎から依頼されましたが、テープを聴いて、お断りしました。

「安心」をもたらすかも知れない体験や説法は聴きたいが、信仰心すらなく「宗教」について「知識提供的」に論じたり感想を述べたものは、不安解消の役には立ってくれません。バグワンのような人にこそ聴きたく、もう数年、一日も欠かしたこと、ありません。

昨日も妻に聞かれました。そうです、わたしの求めているのは「安心して死ねる」ことだけで、必ずしも宗教ではないし、まして宗教にかかわる知識ではない。 梅原氏の講演は、講演自体がとりとめないだけでなく、論旨が想像以上に平板で、胸を轟かせるようなものではなかった。話者のネームバリューだけのこのよう な企画が世間に氾濫して、ポイントをのがしているかと思うと、気が萎えます。  2000  03・27

* 闇に言い置くこともこのペイジで、ま、存分に書いていますが、こう、多方面にでなく、ある主題の追及へ、収斂可能なことも言い置きたい気がしています。小説ではなく、思索でありますけれど、では何が、いちばん言いたいか。

『一文字日本史』を雑誌「学鐙」に三年間連載して、本にしました。あのデンで言えば、わたしが最もいま念頭に置いている一字は、「静」 だと思う。『静の思索』を書いてみたい。

休息したいのか、そうではないのか。

あまり静かな心地でわたしはいないらしい。困ったものです。  2000 04・09

2019 11/13 216

 

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

14  *  加島祥造氏から、バグワンそのままに『タオ』と題した、「老子」を詩の文体で翻訳したような本が届いた。伊那谷の老子の異名で名高い人だが、老子を語ると は珍しい日本人だなと思っていて、出逢ったときに、バグワン・シュリ・ラジニーシをお読みですかと訊ねてみたら、まさしく、ラジニーシに学ばれていたと分 かった。今日のお手紙にも、ラジニーシに学んで「二十年」此処まで来ましたとありました。

ラジニーシについては、まともに話しにくいほど誤解されていて、朝日新聞は、わたしのバグワンに触れた原稿を、明らかに親切心からボツにしました。アメリ カから追放されたりしていたためです。作家である甥の黒川創にも、「バグワンを読んでいるよ」と言ったら、「やめた方がいい」と本気で忠告してくれまし た。理由を聴いてみると、とるに足りない、むしろ彼が一行もバグワンを読んでいないことだけが分かりました。バグワンの『タオ=道』も、『存在の詩』『般 若心経』『究極の旅=十牛図『『ボーディー・ダルマ』も、すばらしい真のエッセイ・講話で、ほんとうに安心がえたく静かに真実に生きて死にたいと願う人な らば、安心して読まれて佳いと推奨できます、自信を持って。

*  加島祥造氏も、二十年傾倒されてきたそうです。大きい証言だと思います。宗教でなくすぐれて宗教的であり、哲学でなく哲学をはるかに超えてアクティブであ り、禅に最もちかくて禅よりも日常生活を離れていない。あやしげなカルトとは天地ほども隔たった、「覚者」の生きたことばがマインドを透過してハートに吸 い込まれて行きます。ソクラテス、イエス、ブッダ、そして老子。全部を体し全部に通じながら、より現代的に柔軟で積極的です。ヒマラヤに籠もることを教え ず、この我々の街に立ち返って易々と生きることを語ってくれます。十牛図の第十そのもの。  2000・05・11

2019 11/14 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

15  * 元院生でもう立派に社会人になっている若き友から、おそらく、同じ東工大の卒業生と限らず刺激を受ける人のあるであろうメールが、届きまし た。この人なりに、元教授のわたしへの「挨拶」でしょうが、ぜひここに書き込んで置きたいし、ご意見も欲しいです。実は先日此処へ書き込んだ同期卒業生の メールへの反応でもあり、それに対し私が返事していた内容への「挨拶」でもあります。

☆ こんばんは!秦さん、お久しぶりです! 今年は、かなり唐突な、嵐の梅雨入りでしたね。

「湖の本」ありがとうございます、ちゃんと届いています。

先日の秦さんのホームページの書き込みで、『大嫌いになるべきは、「精神的向上心のない者は莫迦」という言葉のほうです。これは害だけがあって益も実質もない・・』という一節に、考えさせられています。

実は自分も、「精神的に向上したい!」とずっと思い、その正しさを信じていたにも関わらず、いつからか、ちょっと、その価値観に違和感を感じるようになり、この違和感は何なのだろうと、おぼろげながらに探っていたところでしたので。

ちょっとずれたところから書きますが、最近「努力するって、どういう事なのだろう?」と、今更ながらに考えていました。「努力、頑張り=善」と、言い切ってしまって良いのかと。

世の中では、努力することは誉められこそすれ、否定されることは余りありませんよね。逆に、何もしないことが誉められることも、ほとんどありません。その価値観はおそらく意外と根深く、自分の場合でも、頑張って仕事して、時に人から認められるとやっぱり嬉しいものです。

日常の中で忙しく走っていると、一体自分が何のために頑張っているのか、分からなくなる事があります。そんな時、認められ誉められる嬉しさが、努力した「結果」から「目的」に、いつの間にかすり替わっていることに気付く事があるのです。

でも自分たちは、本来、人から認められるために努力する訳ではないはずです。それがそんなに大した意味を持たないことは、ちょっと冷静になれば気付きます。

そうではなくて、人はみんな、それぞれが幸せになるためと思えばこそ、努力もでき頑張れるのだと思います。

それならば、努力などせず、特別に何にもしなくても幸せを感じられる人にとっては、「努力=害」以外の何物でもないのではないでしょうか。

さらに一歩進めて、幸せになるための努力とは、それでは何なのでしょう? 幸せとは、努力で得られるものなのでしょうか? と、自分に問うと、やはりそれも違うのではと思うのです。

幸せを感じるために必要なのは、努力よりも、「受容」であり「気付き」なのではないかという感じがするのです。(これは、物的には豊かな日本にいるから、そう思うだけかも知れませんが。)

確かに、努力というプロセスの中で喜びを見いだす、ということはあるでしょうが、それすらも無いのであれば、そんな努力は、ただナンセンスなのではない だろうかと、思ってしまうのです。にも関わらず、「努力=善」という漠然とした価値観に動かされ縛られて、深く考えずにただ頑張って疲れてしまっている人 が、結構多い気がしてなりません。

それじゃあ、人間に一切努力は必要ないのか?と考えると、それも違う・・・と、いつものように、「これ」という答にはたどり着けません。

それで話が戻るのですが、精神的な部分でも、それは同じなのかも知れません。「精神的向上心」が直接の目的になり得ないのは、「努力すること」それ自体が目的になり得ないのと、似ていると思うのです。

何のための「精神的向上心」なのか? いくら「精神的に向上」しても、幸せも感じられず、生きて在ることへの感謝も感じられないとしたら、その「向上」は余りにも無意味です。(そんな「向上」は、本当の向上ではないのでしょうが。)

いわんや、漱石『心』の「K」の場合のように、人間を不自然に窮屈にさせる「精神的向上心」であるのであれば、それは、無意味どころか有害でしかありませんね。

ですが、自分の場合「精神的向上心」の価値を信じることで、励まされ支えられた時期があったことも、まぎれもない事実なのですが・・

まとまりのない内容になってしまいました。

お体がよろしければ、またぜひお会いしたいです! それでは、お元気で。

* 暗闇にちかい不良画面で読んでいるので、頭が十分反応して行きにくいんですが、問題点がよく出ている気がします。

「頑張る」という物言いについて疑問符を付けた原稿を、随分昔に書いた覚えがある。それでも「努力」「努める」と言っていることは、自分にもしばしばあ りました。今でもあるかも知れず、むしろお気に入りの我が信条に近かった。それなしにわたしは有り得なかったとすら思う。そう思いつつ、そこから、少しず つそんな肩肘の張りを落としてきた昨今だとも、自覚していまする。少なくも「精神的向上心のない者は莫迦だ」などという底意のある、あの『こころ』の「先 生」の「K」にした挑発には、昔からあまり賛成できなかった。そんな「向上心」は、いやらしくさえあり、言葉としても嫌でした。

* 本当の問題は、だが、「心」にこそ在るのではないか。なにかといえば、無反省・無限定に「心」を持ち出し、二言目には「心」とさえいえ ば問題が高尚で有効であるかのように考えている世の知識人やコメンテーターたちの錯覚を、わたしは苦々しく感じています。嗤ってすらいます。

「心」ゆえに、人は惑い、苦しみ、悩み、混乱していることは明らかすぎるほど明かで、その、とらえどころ無く頼りなく、とても頼れるようなシロモノでない事実を、我々の日本語が抱えた無数の「こころ言葉」がよく証明していまする。

「心ここにあらざる」「心」を厳しく無に帰したところでしか、人は本当の意味で「静かに」は生きがたい。それを、真実察知し、嗟嘆し、ほぼ絶望していた のが、小説『心』の「先生」であり、作者夏目漱石にほかならなかった。バカの一つ覚えのように世の大人たちが無思慮に「心」を言うのをやめないと、ますま す「心の病んだ」社会の、よろめきも、暴走・暴発も、無くならない。わたしはそう思う。「静かな心」とは、「心に囚われない状態」を謂うのです、わたし は、そう考えています。安易に「精神的向上心」など謂うべきでなく、そんなことからもっと自由自在になった方がいい。それが、わたしの真意です。反論があ れば耳を傾けるにやぶさかではないけれど。

* バグワン和尚に叱られ叱られ、わたしは、すこしずつラクになってきたと感じます。この実感は、深いし、嬉しいものです。  2000 06・12

 

* よかれあしかれ、元教授のわたくしですら若く元気であったなあと、いささか「今」に銷沈している。胸に重石がかかったように鈍い窮屈感がある。モーツ アルト天来のフルート協奏曲二番にただただ思いを預けている。いい音楽の美しさに、ただ、ひたっている。言葉ではないが「美しい詩」に極まっている。

2019 11/15 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

16 *  夢から覚めては何のこっちゃというものだが、夢見ているうちは我ながら面白い面白いと夢に興奮していました。なんでも、「仁の風景」と題された大小相似の 風景画を自分で描き、上下に並べてみると素晴らしく奥行ふかい一つの景色になったので、大喜びして画中の人といっしょに繪の中へ飛び込んで行きました。

なぜ「仁の風景」で、なぜ描いたのかも分かりませんが、ふしぎに嬉しい珍しい夢でした。だが、こう醒めて書いてみると、あとはかもない。

バグワンは、このとらわれ多い生の現実を、醒めてみれば、ただ呆れるほどはかない夢なのだと、なぜ「気付かないか」と繰り返しわたしに言います。

わたしは気付きはじめています。

その先なんですね、しかし。人生が「虚仮」「夢」とハッキリ気付いて、さ、どう、自身の本性を知るか。  2001  07・01

 

* 18年前の方が自覚的に落ち着いていたのでは。バグワンにじかに聴く日々を取り戻したい、ただ、躰は動かさないのにやたら日々が気ぜわしい。

2019 11/16 216

 

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

17 *  日々にいちばん心をとらえる読書は、やはり、バグワンです。

いま一休の道歌を材料に「禅」を説いています。

バグワンは「禅=道」の人です。慰安を与える宗教家ではない。自身をみつめて自我を離れ自我を落とすことを抑制することのない「真の自由」を彼は説いてい ます。「悟れ」などと彼は謂わない、そんなことは忘れてしまえと言います。悟り=光明=enlightenmentを「目標」や「願望の対象」にしていて 「得られるわけがない」と云います。あたりまえだとわたもは思うのです。

何一つを映していない無限大の澄んだ鏡を、人は身内に抱いている、抱いていたい。そんな鏡で自分はいたい、というその希望すら捨てて、持たぬように。焦が れぬように。そして、目前に去来する多くを、鏡のままクリアに写し、クリアに通り過ぎさせたい。鰻を食べ、人に逢い、眠り、読み、電子文藝館も実現し、喧 嘩もし、一理屈もこね、文章も書き、鼻くそもほじる。血糖値もはかる、インシュリンも注射する。メールで息子に話しかける。すべて「する」ことはする、だ が「する」ことにすらとらわれないでいる。パソコンも昔の物語も、政治もバグワンも、ペンもパンも、ウンコもオシッコも、夢です。鏡を通り過ぎる影絵で す。ばかにもしない、それ以上のものでもない。いいものもある、つまらぬものもある。だが、それ以上のものではない、みな影絵として失せてゆきます。慰安 にもならないが、恐怖にもならないように。

わたしが、光明など望む資格もないのは分かっています。一匹の野狐(やこ)なんです。

こんな狂歌があると西山松之助先生の本でみつけた昔、苦笑しました。

いまだに苦笑しています。

ある鳴らず無きまた鳴らずなまなかにすこしあるのがことことと鳴る   2001  07・26

 

* 「なまなかにすこしある」だけで生き延びているのが、情けない。

 

* 「敗戦」のままの「アメリカ属国・日本」の現況を安倍「阿諛追従」内閣は続け続けて、実取引を描いた無駄な武器購入名目や日本国土へ進駐米軍や家族の「おもてなし」に、濫費に濫費を重ね続けていると謂う。日本の政治史最低最悪の歳月がさらに腐蝕して行く。

 

* 明治の元勲といわれた陸軍元帥、公爵山県有朋総理の私家版非売の家集「椿山集」を昨日つぶさに読んで正直、感嘆した。彼の公生涯にわたしは久しく厭悪 観劇体験こそ持て、わずかに山県狂助時代の攘夷への働きに共感していた時期をはなれれば長州閥と横柄陸軍の象徴としか思ってこなかった。しかも、東京には 椿山荘があり京都にも瀟洒な庭園が瓢亭の真東に隣接していて、その風雅にはたしかに心を惹かれていた。

今度「椿山集」の行分と多くの和歌を読んで、文も歌もいわば素人にちかいもののその清雅な余裕のほどにいたく感じ入った。昔の武人の懐の深さを覗き見る心地だった。

これと較べると同じ長州閥のさきっちょでウロチョロする安倍晋三の無教養な国会答弁や軽薄に不行儀なヤジのとばしようなど、山県有朋とは雲泥の差だなと情けなさを深めた。

 

* 「椿山集」 なにかのかたちでもっと人目に触れて佳い資料性(行状記を含んでいるのだ。)と風雅の境涯がある。決して上級の藩士ではなかったが、吉田松陰を慕い、文も和歌も粗忽ならずときに美しくも書けている。

それにしても奥付に「非売品」と明記されたこんな珍本を秦の祖父は大正の初め五十代極初にどうして手に入れたのだろう。

なんだか。明治の歴史を復習してみたくなった。たいへんな古書の顔つきをした『明治の歴史』という上下本も、やはり秦の祖父鶴吉の遺品にまじっていて、今も、私の書庫に遺してある。

2019 11/17 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

18  *  何度も言いますが、わたしにバグワンへの縁を結ばせたのは、嫁いでゆく娘が物置に仕舞って行って、もうそれ以前から久しく顧みなかった三冊の説法・講話本 でした。三冊が、その後わたしの手で七冊にも八冊にもふえて、ほぼ十年近く、読まない日がありません。それほどバグワンに「帰依」の現在からいえば、わた しは「無住の自在さ」にある種の共感を覚えているかも知れません、いえいえ成心をもたず、もう一度も二度も読み返して「理解」したい。

少年の頃から、仏教の基督教のという区別にも、念仏の法華のといった教派の差異にも、わたしはほとんど心をとらわれてこなかった。だが信仰心というので はないが、宗教的なセンスは信じて手放さないで来ました。法然・親鸞の至りついたところを、比較的、日本仏教の粋として感じ取ってきましたが、それが仏陀 の根本仏教から遠く隔たり離れてきた、甚だ特殊な「日本的」変形であることも分かっています。優れた宗教家の運動としてそれは少しも差し支えないことでし た。

ただ、法然・親鸞の教えは、基本的には慰安という名の「安心授与」の信仰です。抱きやすい「抱き柱」を抱かせて不安を取り除くものに他なりません。

仏陀その人の教えは、禅に伝えられている決定的な「脱却」、端的には「静かな心」という「無心=分別心を落としきる」ことで知るありのままの自身、その 安心。そういうことかと思われます。バグワンは、それを端的に示唆し、「タオ=道」を指し示していますが、それにすらとらわれるなと彼は言います。へんに 「柱を抱くな」といわれているように思うんです。未熟なままの気付きですが、わたしのは。ただ、ありのままに生きていたいんです、わたしは。

今日は、娘の誕生日でした。四十一歳になった筈です。   2001  07・27

 

*  何にとなく、じっと堪えて待っている。たいしたことではない、短い原稿を書いてしまいたくて、すこし手こずっているということ。ナニ。追われているのではなく。

2019 11/18 216

 

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

19 *  ゆうべ読んでいたバグワンは、こう話していました。断っておきます、読んでいる本で、バグワンは聴衆に「あなた」と呼びかけていますが、わたしは「聴衆の 一人」でなく、わたし一人聴いている気なので、「おまえ」と呼びかけられていると決めています。

 

☆  多くの人が巻き込まれれば巻き込まれるほど、おまえはますます考えこむ。「それには何かがあるにちがいない。こんなにたくさんの人がそれに向かって殺到しているのだから、きっとそれには何かがある !  こんなに多くの人が間違っているはずがない」

いつも憶えておきなさい。こんなに多くの人が正しいはずがない !  と。

 

*  また、こうも話していました。

 

☆  生は、どこでもないところから、どこでもないところへの旅だ。しかしそれは “どこでもないところ nowhere” から “今ここ now here” への旅でもありうる。それが瞑想の何たるかだ。どこでもないところを “今ここ” に変えること。

今にあり、ここにあること……。と、突如として、おまえは時間から永遠のなかに転送されている。そうなったら生は消える。死は消える。そのとき初めて、お まえは何があるかを知る。それを「神」と呼んでもいい、「ニルヴァーナ」と呼んでもいい、これらはすべて言葉だ──が、おまえはあるがままのそれを知るに 至る。そして、それを知ることは解放されること、いっさいの苦悶から、いっさいの苦悩から、いっさいの悪夢から解放されることだ。

<今ここ>にあることは、目覚めてあることだ。どこか別のところにあることは、夢のなかにあることだ──いつかどこかは夢の一部だ。 <今ここ>は夢の一部ではなく、現実(リアリティー)、現実の一部、存在の一部だ。

 

*  バグワンはこういうことを、一休禅師の、「たびはただうきものなるにふる里のそらにかへるをいとふはかなさ」という道歌を大きな見出しにして語ってくれて いました。  God is nowhere  神はどこにもいない  を、無心の子供は、一瞬にして、  God is now here  神しゃまは、今、ここに、いましゅ と読み替えてしまう ともバグワンは話すのです。  2001  08・26

2019 11/19 216

 

 

* テレビからは一日中 「スゴーイ」 「スゴーイ」と聞こえてくる。日本中が 鬼火と幽霊の舞うさながら「墓地」と化したかのよう。美しい正しい(と想 える)日本語と話し方は死滅して行く。電車では十人に八、九人がちっちゃなスマホ画面へ顔を埋めている。自転車に乗りながら、自動車を運転しながら、飲み食いしながらでも。機械が日々にますます人間を支配し駆使し奴隷化して行く現実版の地 獄図さながら。

サヨナラだけが人生だと呻いた詩人の声が耳に甦ってくる。

2019 11/19 216

 

 

* なにかしら晴れやかに心楽しむことが欲しい。自然の大きな景色を久しく見ていない。電車に乗るしかないが、思えば、池袋への西武線、聖路加への地下鉄のほか、久しく山手線へも乗らない。これらでは大きな自然は望めない。

上野の東博本館か東洋館のなかを、とぼとぼと、やすみやすみでも半日ほど歩いてみたいが。目が見えるかな。京都の博物館が恋しいほど懐かしい。「瓢鯰図」「早来迎図」「倶生神像」「崇福寺址の舎利容器」なにもかも懐かしい。思い出とは一種の毒のように想われる。

富士山を新幹線から観たいが、天気がよくないと無意味になってしまう。

2019 11/19 216

 

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

20 *  昨日就寝前の読書は二時三時に及び、中でも一休和尚の道歌を説きながらのバグワンのことばに驚きました。わたしが、ものを書き出してこのかた、創作動機の 芯に置いてきた一つ、「島」の思想と同じことが語られていました。おッ、同じことを言っていると思わず口に出たほどです。

わたしは、言い続けてきました、人の「生まれる」とは、広漠とした「世間の海」に無数に点在する「小島」へ、孤独に 立たされることだと。この小島は、人 一人の足を載せるだけの広さしか、ない。二人は立てない。そして人は島から島へ孤独に堪えかねて呼び合っていますが、絶対に島から島に橋は架からない、 と。「自分=己れ」とは、そういう孤立の存在であり、親もきょうだいも本質は「他人」なのだと。

だが、そんな淋しさの恐怖に耐え難い人間は、愛を求め、他の島へ呼びかけつづけていると。

そして、或る瞬間から、自分一人でしか立てないそんな小島に、二人で、三人で、五人十人で一緒に立てていると「実感」できることが有ります。受け入れ合えた、愛。小島を分かち合って一緒に立てる相手は、己と同じい、それが、「身内」というものだと。

親子だから身内、きょうだいだから身内、夫婦だから身内なのではないんです、「愛」があって一人しか立てない「島を、ともに分かち合えた同士」、それが、それこそが眞に「身内」なのだと。

ですが、それって錯覚でもありえます。いや貴重な錯覚というべきものでしょう、愛とは錯覚でもあると、わたしは感じていて、だからこそ大事なのだと考え、感じてきました。

*  昨夜、バグワンは、語っていました。(スワミ・アナンダ・モンジュさんの訳『一休道歌』に拠っています。以降、同じです。)

 

☆  ひとり来てひとりかへるも迷なり  きたらず去らぬ道ををしへむ     一休禅師

一休はどんな哲学も提起していない。これは彼のゆさぶりだ。それは、あらゆる人にショックを与える測り知れない美しさ、測り知れない可能性を持っている。

ひとり来て一人かへるも──

これは各時代を通じて、何度も何度も言われてきたことだ。宗教的な人々は口をそろえてこう言ってきた。「われわれはこの世に独り来て、独り去ってゆ く。」倶に在ることはすべて幻想だ。私たちが独りであり、その孤独がつらいがゆえに、まさにその倶に在るという観念が、願望が生まれてくる。私たちは自ら の孤独を「関係(=親子、夫婦、同胞、親類、師弟、友、同僚、同郷等)」のうちに紛らわしたい……。

私たちが愛にひどく巻き込まれるのはそのためだ。ふつう、人が、女性あるいは男性と恋に落ちたのは、彼女が美しかったり、彼がすてきだったりするからだと 思う。けれど真実ではない。実状はまったくちがう。いわばおまえが恋に落ちたのは、おまえが独りでいられない、堪えられないからだ。美しい女性が手に入ら なければ、おまえは醜い女性にだって恋をしただろう。だから、美しさが問題なのでもない。もし、女性がまったく手に入らなければ、おまえは男性にだって恋 しただろう。したがって、女性が問題なのでもない。

女性や男性と恋に落ちない者たちもいる。彼らは金に恋をする。彼らは金や権力幻想=パワートリップのなかへ入って行きはじめる。彼らは政治家になる。それ もやはり自分の孤独を避けたいからだ。もしおまえが人をよく観察したら、もしおまえが自分自身を深く見守ったら、驚くだろう──おまえの行動はすべてみな 「一つの原因」に帰着できる。おまえは「孤独を恐れている」ということだ。その他はみな口実にすぎない。ほんとうの理由はおまえが、自分が非常に孤独だと 気づいている、それなんだよ。

で、詩が役に立つ。音楽も役に立つ。スポーツが役に立つ。セックスもアルコールも役に立つ……。とにかく自分の孤独を紛らわす何かがぜひ必要になる。孤が を忘れられる。これは魂のなかで疼きつづける棘だ。そしておまえはその口実をあれへこれへと取り替え続ける。ちょっと自分の=マインドを見守るがいい。千 とひとつの方法で、それはたった一つのことを試み続けている。「自分は独りだという事実をどうやって忘れよう?」と。

T.Sエリオットの詩は謂うている。

私たちはみな、実は愛情深くもなく、愛される資格もないのだろうか?

だとすれば、人は独りだ。

もし愛が可能でなかったら、人は独りだ。愛はぜひとも実現可能なものに仕立てあげられねばならない。もしそれが不可能に近いなら、そのときには「幻想」を生み出さねばならない──自分の孤独を避ける必要があるからだ。

独りのとき、あなたは恐れている。いいかね、恐怖は幽霊のせいで起こるのではない。あなたの孤独からやって来る。──幽霊はたんなるマインドの投影だ。お まえはほんとうは自分の孤独が怖いのだ──。それが幽霊だ。突然おまえは自分自身に直面しなければならない。不意におまえは自分のまったき空虚さ、孤独を 見なければならない。誰とも何とも関わるすべがない。おまえは大声で叫びに叫びつづけてきたが、誰ひとり耳を貸す者はいない。おまえはこの寒々とした孤独 の中にいる。誰もおまえを抱きしめてはくれない。

これが人間の恐怖、苦悶だ。もし愛が可能でないとしたら、そのときには人は独りだ。だからこそ愛はどうしても実現可能なものに仕立てあげられねばならな い。それは創りだされねばならない──たとえそれが偽りであろうとも、人は愛しつづけずにはいられない。さもなければ生きることが不可能になるからだ。

そして、愛が偽りであるという事実に社会が行き当たると、いつも二つの状況が可能になる。

 

*  そしてバグワンは、深くて怖いことを示唆するのです。

* それにしても、わたしは、バグワンと同じことを考え続けて書いてきたのだと思い当たります。所々のキイワードすらそっくり同じです。そうです、わた しの文学が、主要な作品のいくつかに「幻想」を大胆に用いた根底の理由を、バグワンは正確に指摘しているのでした。いま上武大学で先生をしている原善は、 わたしを論じた著書をもち、しかもわたしの「幻想」性に早くから強い関心を示して論点の芯に据えていましたが、じつのところバグワンの指摘した「幻想」に 至る必然には目が届いていないと、作者として思ってきました。だが彼のために弁護するなら、作者のわたしとても、かくも明快に意識していたかどうかと、告 白するしかありません。

もう少し、バグワンの重大なと思われる講話の続きを聴きます。

 

☆  ブッダたちは情報知識=インフォメーションには関心を示さない。彼らの関心は変容=トランスフォーメーションにある。おまえの世界は、すべて、自分自身か ら逃避するための巨大な仕掛けだ。ブッダたちはおまえの仕掛けを破壊する。彼らはおまえをおまえ自身に連れ戻す。

ごく稀な、勇気ある人々だけが仏陀のような人に接触するのはそのためだ。並みのマインドには我慢できない。仏陀のような人の<臨在>は耐え難い。なぜ?

なぜ人々は仏陀やキリストやツァラツストラや老子に激しく反撥したのだろう? 彼らは虚偽の悦楽、うその心地よさ、幻想のなかに生きる心安さを許さない人 々だからだ。これらの人はおまえを容赦しない。彼らはおまえに真実に向かうことを強いつづける人々だ。そして真実は凡俗にとっていつでも危険なものだから だ。

体験すべき最初の真実は、「人は独り」だということ。体験する最初の真実は、「愛は幻想(=錯覚、貴重な錯覚)」だということだ。 愛は幻想だという、その忌まわしさをおまえ、ちょっと思い浮かべてみるがいい。おまえはその幻想を通してのみ生きてきた……。

おまえは自分の両親を愛していた。おまえは自分の兄弟姉妹を愛していた。やがておまえは、女性、あるいは男性と恋に落ちるようになる。おまえは、自分の 国、自分の教会、自分の宗教を愛している。そしおまえたは、自分の車やアイスクリームを愛している──そうしたことがいくつもある。おまえたちはこれらす べての幻想(=夢・錯覚)のなかで生きている。

ところが、ふと気づくと、おまえは裸であり、独りぼっちであり、いっさいの幻想は消えている。それは、痛い。

 

*  この通りであるなあと、少なくも「畜生塚」や「慈(あつ)子」や「蝶の皿」を、「清経入水」や「みごもりの湖」を、そして「初恋」や「冬祭り」や「四度の瀧」を書いた頃を通じて、わたしは痛感してきましたし、今も。

ですが、バグワンとすこし違う認識が無いとも謂えないし、それは大事なことかも知れないのです。「慈子」や「畜生塚」のなかで用いていたと思うし、請われ れば答えていたと思うのですが、わたしは「絵空事の真実」と謂い、「絵空事にこそ不壊(ふえ)の真実」を打ち立てることが出来ると書いたり話したりしてい たのでした。

一切が夢だから、早く醒めよ、そして真実の己れと、己れの内深くで「再会せよ」というのが、バグワンの忠告であり、じつは、ブッダたちの、また老子たち の教えです。そういう教えのもっている怖さを回避するために、教団仏教や寺院や経典ができ、また基督教や教会が出来、道教への奇態な変質が起きた。バグワ ンはそれらに目もくれるなと言いたげでして、わたしは彼に賛成なのです。それらはその人達の本来からは、ひどくかけ放たれたいわば俗世の機構にすぎません から。

いま触れた点でのバグワンとわたしとの折り合いは、そう難儀な事とも思っていません。わたしは「幻想」を創作の方法として必然掘り起こしたときに、「夢の また夢」という醒め方から、絵空事の不壊の値に手を触れうると思っていましたし、今もほぼそういう見当でいます。

*  わたしが、ふとしたことからバグワンに出逢ったことは、繰り返し「私語」してきました。もう何年、読誦しつづけていることか、しかし読んでも読んでも、聴 いても聴いても、飽きて疎むという気持ちは湧きません。ますます理解がすすみ、嬉しい安堵や恐ろしい叱責を受け続けています。その核心にあたる機縁に、昨 夜、はじめて手強く触れ得たのは幸福でした。  2001  09・07

2019 11/20 216

 

 

 

* わたしは、今日・現代の中国や朝鮮半島に特別の親和感を持っていないけれど、韓国製の歴史連続時代劇には、「イ・サン」「トンイ」「馬医」など長編を 一度ならず観覚えており、今は、月曜から金曜までの午前の、「オクニョ」「心医 ホ・ジュン」を異様に熱心に見続けている。時に録画分を再見してもいる。 日本の歴史連続時代劇で、これらほど緊迫感も豊かに面白い紙芝居をみせてもらったことがほとんど無い。

その理由のひとつは、京都に縁のある朝廷がらみの劇作になにらか遠慮があるのかと想う。「新平家物語」「平清盛」では後白河院、また「太平記」がらみに 後醍醐天皇の南北朝劇もあったが、この辺は作家達も取りつき慣れているが、源氏物語などはみな綺麗事で終え、どうも天皇さんを引き合いの劇作はタプーなの であるらしい。

その点、韓国の朝廷劇はもの凄い。剣も毒も陰謀も氾濫も色事も豊富にあらわれて紙芝居作りの手腕は必ずしも凡ではないのだ、惹きつける策と腕を磨いている。いまの「オクニョ」も「ホ・ジュン」も競い合うように人間劇でもある。

歴史ものと云わ、ず今、私を惹きつけてかならず見せるのはほぼ一つ大門未知子なる「ドクターX」のほかに見当たらない。ことに昨今、あまりにみなチャチ く、観客を下目にみて説明と間延び過剰に演出も芝居もヘタクソなのである。なにしろ売れているらしき俳優・女優がナマで顔を見せても、ほぼ必ず「スゴー イ」と宣う。「日本語をより美しく正しく愛していない俳優・女優」なんて者に、存在意義は無い。本当に疎ましくも「すごい」のは、國の政治現況だけ。「凄 い」とは「凄惨」「無残」「ムチャクチャ」の意味である、昔から。

 

* わたしは、あるときある社の編集者にそっと注意されながらも、日本の天皇さんにふれた小説を「三輪山」の雄略天皇、「秘色」や「蘇我殿幻想」で孝極、 斉明、天智、弘文、天武、持統天皇、「みごもりの湖」では聖武、孝謙、淳仁、称徳、光仁天皇、「秋萩帖」では宇多、醍醐、朱雀天皇ら、「絵巻」「風の奏 で」最新の「花方」では、白河、堀河、鳥羽、後白河、高倉、安徳天皇らを描いてきた。中国のポルノ小説を楽しんで学習された村上天皇にも触れている。天皇 さんがらみでの歴史時代劇はいくらでも話題があって「日本」の理解に有益なのに、遠慮が過ぎるのか、書き手に勉強がまるで出来てないのか、惜しいことだ。 わたしは、日々に、事ごとに、ボケ防止のためらも歴代天皇126人の諡を諳誦している。歌うようにすらすらと云える。時代時勢の変と事と流れが自然と絵巻 のようにあたまに甦るというトクがある。

2019 11/20 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

21 *  バグワンが、寺院の入り口におかれた「ミトゥナ像」について話していました。

国会の論議がダラダラと嘘くさい、そう、メールで朝から嘆いてきた人もいます。わたしも聴いていました、見てましいた。

男女抱擁のミトゥナ像に即して謂えば、真実に真に近づきうる瞬間を ミトゥナが体現し示唆していると、バグワンは、適切に教えています。ドンマイ= don’t mind なんです、基本の姿勢は。二が二でなくなり、一ですらなく溶け合っているそうそう長くは保てない瞬間の、無我。

覚者でない我々凡俗には、その余は、ぜーんぶ虚仮=コケであります、すべて。虚仮には虚仮と承知で楽しくさえ付き合っていますが、覚めれば何にも無い、夢。

夢ではないよと深い暗示が得られるのは、ミトゥナのような、二が二でなく一ですら無くなったような極限でだけでしょうか。ちがいますか。

国会なんて、コケのコケ。文藝館もドルフィン・キックも、みーんな虚仮です。ミトゥナ像が寺院の「入り口」に置かれる意味深さは、「入り口」を奥へ入っ て虚仮でない世界にまでは容易に進み得ない者には、理解が遠い。自我の心を落としきるのは容易でないが、それなしに、虚仮に振り回される幻影地獄からは出 て行けない。  2001  10・12

 

* 『オイノ・セクスアリス  或る寓話』の 私のうちに胚胎した、これが意識下の強い契機であったと思い当たる。十八年も昔になり、さらに数年経て、試筆ないし始筆したのだったとも思い当たる。軽々しい思いではあり得なかった。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

22 * 京都の仏教本の版元がくれました年賀状に、二十一世紀は「心の世紀」と書いてあり、そのつもりで本を作って行くとも。

途方もないことです。イスラムもアメリカも日本も朝鮮やロシアも、みな己が「心=マインド」を重んじて、エゴイズムに走っています。とんでもない。「心 の世紀」というのが痛烈な「皮肉」であるのなら賛同しますが、「心」を頼んで平和に幸せに安寧にと願う気なら、真っ逆様の誤謬でしょう。いかに「心」が人 間社会をわるくわるく複雑な欲の世にしているかを思い知ることなしには、二十一世紀は、破滅の世紀になります。

「心を忘れる世紀」「心を静める世紀」「心を無に返す世紀」でなければならない。「もとの平らに帰る楽しみ」はそれでしか得られないことを、かつがつ、わたしは理解しています。

善人になろうなどという話ではありません。わたしは悪人でも善人でもない、いい人でもワルイ人でもない。

そんなことはどうでも宜しい。

「今、此処」で生きているとおりの者であります。「今、此処」しか自分の世界の在るワケの無いのを、やっと分かってきたのが嬉しい一人であります。  2002 01・03

 

* めずらしく夢見も覚えず。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

23 * 五時に起き、古語の「こころ言葉」を、大辞典で全部読み直してみました。信じられないほど数多い。妙なもので、初めて知ったという 「こころ言葉」は、二、三もなかった。日本語の特徴とも謂いまするが、一つの語に多彩に意味が重複しています、それを押さえてゆくと、とても面白く、語の ふくらみが理解できます。起き抜けに本を一冊読んだような勉強をしました。日本人が心というモノをどう捉えてきたか、どう捉えきれないで、惑い、迷い、翻 弄されながら適当に付き合ってきたかが、よっく分かった気がします。

* 心のはなしに戻りますが、茶の湯の道の始祖というべき珠光に、大和古市の播磨法師澄胤に与えた「心の文」「心の師」と呼ばれる一紙があります。

「此の道、第一悪きことは、心の我慢我執なり」と書き出しています。「功者をば嫉み、初心の者をば見下すこと、一段勿体なきことなり。功者には近づきて 一言をも歎き、又、初心の物をばいかにも育つべき事なり」と続けているのです。そのさきは茶や道具に触れていますが、やがて総括して 「ただ我慢我執が悪 き事にて候、又は我慢なくてもならぬ道なり」と、微妙だけれど尤もな所を言い切っています。

そして、「古人」の言として、こう締めくくっている、「心の師とはなれ、心を師とせざれ」と。

* 心にいろいろ有ることは、日本語の「こころ言葉」だけでなく、英語でも、マインド、ハート、ソール、スピリットなどがあります。普通に は前の二つが漠然と混用されていて、現実にはハートを尊重している口振りや身振りでも、よく観ていますとマインドに終始した心の働きが多い。

マインドは頭脳的な心、ハートは心臓的な心と謂えるなら、日常生活で駆使している人間の心は、大方が思考、知識、利害、判断にかかわるマインドであり、 わたしが、頻りにいう、「心は頼れない」「頼ってはならない」という心は明瞭にこのマインドのことです。「ドンマイ=ドントマインド」なんです。マインド は、人をえてして我慢我執へ導き、トータルなものを分割に分割して多元化し混乱させ、あげくハートを苦しめる。珠光の「心を師とせざれ」とは、マインドに 導かれては成らぬ、「心の師とはなれ」とは、マインドをハートに替えよといった意味にもなっていましょう。

* ハートで話す稀有の政治家かのように期待されていた小泉純一郎が、更迭人事で血迷ってからは、ことごとくハートの抜け落ちた形骸と化し た打算と弁解の「マインド言葉」に終始しています。あの薄笑いがでてくるとき、彼の言葉はハートを裏切る自己保身と虚勢のウソを語っている。

だが、もっともっとひどい自民党員があんなに大勢なのです、それを見誤っていい訳がない。野党も、小泉を無謀に引き下ろしたときに、自分たちが整然と政 権交代へ結束して勝算があるならば知らず、小泉の百倍も愚かしく党利党略のまえに政治を私する旧来自民政権の復権を導き出すのでは、藪をつついて蛇の愚の 骨頂となります。冷静に政局と改革日本の筋道を見つめて欲しい。こきおろすだけが政治ではないでしょう。

政権のための政治でありすぎたのが不幸でした。国民のために政治があるはずではないですか、民主主義とは。  2002 02・08

 

 

* もう半世紀も大昔になる、美術出版社のために『女文化の終焉 十二世紀美術論』を書き下ろした時、「終焉」などという言葉が自分にもいつか意味をもつ のだろうかと遙かな思いをもったのを覚えているが、「終焉」が日に日に意味をもってきた。ほほう…という心地。モーツアルトの静かなフルートを聴いてい る。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

24 * 両手両足を車輪のようにふりまわして暮らしているように、わたしのこと、見えるだろうと想います。事実わたしは、自分のしたいことをそんな具合にし続けてきたし、今もしつづけています。滑稽なほどつづけています。

だが、自分のしたい目的、例えば「電子文藝館」自体にはなにか価値があるでありましょうけれど、それに熱心に「従事している」わたし自身の行動自体には、何の価値も無いこと、少なくもそれに自分は価値を置かないこと、を、当然と思っています。

人間は、およそ、どうでもいいことばかりをしています、毎日。生きる上で不可欠なのは、飲食と睡眠。それ以外はほんとはどうでもいい。どうでもいいこと を、どう「して」生きるか、どう「しないで」生きるか、それが人生ですが、そこのところに生き方の差が現れましょう。鈴木宗男のような生き方がある。老子 のような生き方がある。「なんじゃい」と思い棄てられる生き方もある。「しがみついて」放さない生き方もある。どっちの生き方のために「強くなりたい」 か、それが問題なんです。

* 徳、孤ならず。そう聴いています。わたしは、昔からこの教えに懐疑的です。孤独な人は徳がないのか。わたしは、時には逆さまに感じてきました。不徳に して不孤、とわたし自身を律したこともありました。真に徳高きは、むろん尊い。しかし、汚らしいほど如才ない、真実は悪徳と異ならないかたちで身の周りに にぎやかに人を寄せた徳人の多いことに、わたしはイヤ気がさしていたし、今もそうです。そんな意味でなら、いっそ世間の目に不徳と見えようが構うものかと 思ってきました。

孤独と孤立とはちがうでしょう。孤立しないように。しかし孤独には本質・本真のヒヤリとした美味があります。

「強くなりたいです」と歎く声に、わたしはシンとします。わたしも強くなりたかった。強くはなれなかった。バグワンに出逢って、だが、わたしのよわさ は、よほど鍛えられました。強くなどなろうとしなくていいのでは。エゴだけを育てて終いかねない。  2002 03・19

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* さ、何がどうあろうと明日朝の一番に最新作の小説本が出来てくるが、玄関に積み上げるだけ、何ほどのことも出来ぬまま発送は見合わせて聖路加病院へ受 診に行く。何時に帰るなどと強いては考えず、遅い昼食を何処かでして、一日休むほどの気で出向く。まだ何が何とも分からん携帯電話の必要がないのを願う。

さきの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は読者の皆さんの受け方はともかく、私自身は終末期を記念する代表作の一つという気でいる。なによりも、私でなければ誰にも書けないまでに性に逼って表現した、書いたと思っている。

つづく今度の作は、作も、書いてよかった、書けて善かったと思っていて、お届けするのに気は弾んでいる。扉裏に掲げた 河上徹太郎先生、野呂芳男博士の言に背いていないと思っている。作者の私自身が最初の読者となり、出来本を真っ先に手に、聖路加病院へ出かけたい。

まだ八時半だが、もう休養してしまう。

2019 11/24 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

25 * 何がといえば、やはり毎夜のバグワンに心身を沈ませゆく時が、有り難い。枕元に、いま、本が二十冊ほど置いてあります。『曾我物語』に入る前に『住吉物語・とりかへばや』が配本されると、気持ちはそれへ奪われてしまいそうです。  2002 03・25

 

* わたしがバグワンからどんどん遠避(とおざ)かりつつ ?

そう解釈されるのは単にメールのことばを鵜呑みにされていますよ。

わたしが「勉強」し我が身を何かに駆り立てようとしているのは、生きている証拠。生きる僅かの努力です。それだけの単純なこと。落ち込んで無気力だった ら・・嫌でしょう?  そういう無気力ではなく、異なる意味で無常観を抱え転変をみつめて、生きる根底で、わたしの内部で、バグワンの言葉は静かに響いていますよ。

勉強に、我が身を「駆り立てる」のでなく、勉強を「楽しんでいる」のでは「生きている証拠」になりませんか。所詮無益な夢だもの。無常とはそういうことで しょ。そんな無常から大きく目覚めて、常(じょう)の定(じょう)の体(てい)で、帰れ海へ、ちいさな波よ、かすかな波頭の一つよ、と。

なににしても「駆り立て」ればシンドク疲れます。疲れるとは、往々にしてマインドの餌食になっていること。

ドント マインド、ドンマイ。そういうことですよ、どこへ急ぐんですか。「いま・ここ」で、自然にゆったり楽しんでられるなら、たとえここが地獄であろうと、と。 ま、そういう気持ちで。

* 楽なことと、楽しむこととはちがう。

楽なことなら楽しめる、というわけではないでしょ。  2002 04・26

 

* 東工大卒業生の不審にでも答えていたか。

2019 11/25 216

 

 

 

* 「湖の本137  花方」 届いた。  では、築地(聖路加病院)へ向かう用意を。

 

* 早めに解放されたので、三笠会館に入って食事した。ステーキ肉を150グラム、しっかり食べたが、以前に二度来た時のように、美味いという実感にはならなかった。

「花方」は気持ちよく「一」を読みきった、が、この程度でも、「難しい」と謂われるのだろうか。

「語る」「もの語る」という「方法」にわたしは「好奇心」というほどの好みを、いまも持っていて、前作でも、今度の作でも「語る」楽しみでハナシを運んでいる。そういう「作」がこれまでにも多かったろうか、そうでもないと思うが。

 

 

* 出先で携帯電話、取り出してみたら、マックロ。「充電」出来てなかったらしい。充電すると「何時間」程度もつのかも分からない。機械かわたしか、どっちが頼りないのか。

 

* ケイタイやスマホで幼稚な子らが手ヒドイ犯罪に想像に絶して多数巻き込まれている、と、もはやそれさえ当たり前のようになっている。ネット、ライン等 が安易に普及すればまさしく亡国現象を巻き起こすだろう私は思い、「自然環境」の大事さと同等に機械の暴走による「精神環境」へ先見の目が必要と、その懸 念からも「ペン」理事会で、「電子メディア委員会」を設け勉強したいと提議したのだったが、事務局にホームページもまだ無く、メールの使えている理事すら 殆どいない時期であったから、相手にもされなかった。

2019 11/25 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

26 * バグワンは「習慣」で生きるな、習慣は落としてしまえと言います。「きまり」にしたがい、「原則や作法」をきめて「線路」の上を往来 するな、と。それは「死んだ生き方」だと言います。わたしもそう思う。昔からそう思っていました。こうあらねば、ありつづけねばとは、自分に強いない、固 定しないから、自由に発想できるのです。

小学校の頃から、決められた宿題よりも、自由研究が好きで、夏休みが済むと、成果を職員室にいろいろ持ち込みました。なにか「ちがう」ことを考えてみようみようとしていました。

人によれば、それは正道でない、横道であり邪道に落ちることだと言うでしょうが、習慣に強いられるのは、自分自身とのつきあいかたとして、なさけない。 人に決められたレールの上を、いや、自分で決めたことでも惰性的にハイハイと右往左往し繰り返しているのは、死んでいるようなものです。自分で自分に強い ている習慣であっても同じ事です、自縄自縛というものです。

習慣にとらわれないで自在でいたいから、『清経入水』などの「私家版」を創ったし、「湖の本」を実践したし、「東工大」にも飛び込んだし、「青春短歌大学」も発想したし、「電子文藝館」も創り上げました。

まだこの先に何が出てくるか、わたしにも分かりません。たのしいではないですか。ただ、なにをするにも、それが「習慣」となり、わたしを縛らないようにと気をつけています。  2002 05・14

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

27 * バグワンは、このところずっと、ティロパの詩句を語る『存在の詩』を、もう三度四度めでしょう 読んでますが心底、動かされます。よろこびを覚え、帰服しています。

多くの宗教は、わたしの謂う「抱き柱」を与えようとします、神だの仏だの念仏だの名号だのと。バグワンは、根底から、「生きて在る」ことを示唆してくれ ます。「抱き柱」を抱けなどとは全く口にしない。地獄の極楽・天国のなどというまやかしも謂わない。まっすぐ、生死の本然をどう生きるかを語ってくれま す。聴いているだけですが、その安心感と的確とは、身内のふるえを呼び覚ますほどで、卓越しています。

真に宗教的であるが故に、それは宗教を超えた印象を与えます。それが安心を呼び覚ますのです。  2002 05・31

2019 11/27 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

28 * 「抱き柱」というのは、わたしの造語です。信心をすすめる「信仰宗教」は、要するに人心にいろんな「抱き柱」をあてがってきたという のが、私の理解なのです。神や仏がそうであり、鰯の頭もそうである。壮大な神学や宗学、教典がその「柱」の周囲に積み上げられます。「南無阿弥陀仏」の一 声でもいいという法然や親鸞の教えはもっとも徹底した易行の、しかしこれも簡明無比の「抱き柱」です。保証は、抱いて縋っての「安心」だけです。理屈抜き です。天国・極楽や地獄を信じよといわれてもどうにもならない。

それでもわたしは、法然や親鸞にまぢかな柱を、久しく抱いていたんです。抱こうとしていたんです。もっとさまざまな「柱」は世界中のあちこちで用意され ていますが、要するに「信心」の強度や純度がなければ、合理的には何の役にも立ちません。そもそもそんなもの、役に立ちゃしないと思い始めたのは、バグワ ン・シュリ・ラジニーシの徹して「禅」に同じい死生観に感銘し始めてからでした。

いつしれず、わたしは、「抱き柱は抱かない」日々に入ってきました。自分が大海のひとかけの浪がしらのように在ることを思い、一瞬の後には大きな海と一 つになっているだろうと思う。虚無的に投げてしまうのでなく、自分が真実何であるのか、そう思うその自分という意識も落としてしまったときに、何で在るの か。そういうことを、「分別」でではなく知る瞬間がくるであろうと、「待つ」姿勢すらなく、わたし、待っています。

だが、たいてい人は「抱き柱」が欲しい。信心はうすくても、形だけでも抱き柱をほしがっています。そんな人に「抱き柱はいらない」というわたしの姿勢 は、途方に暮れてしまう別次元の観ががあったかなと案じていました。正直に書いたのですが、誰にでも勧めたいというお節介の気持ちはありれ゛ん。わたし独 りの思いでいいんです。  2002 07・09

2019 11/28 216

 

 

☆ 『湖の本』147『花方』をいただきました。

直ちにページをくくり、ただ今読了しました。いつもながらのご厚情に感謝いたします。

確かに、「現代の怪奇小説」の新たなヴァージョンですね。愛の開花までの美しいポエジーを切れ切れに散りばめつつ、平家の時代から現代までの人間の執念 を、ときになまめかしく絡ませています。日常を突如浸食する異空間・異時間の怪しい情念と美しさを言語の力によって、一瞬読者の脳裏に像を結ばせる。その 筆力にはいつもながら感嘆しております。

ガンの心配から解放されているご様子で何よりです。

ありがとうございました。お二人の平安をお祈りします。  IDU名誉教授  浩

 

* 怪奇は人の心を「白」くする。「怕」いの本義であろうか。

今回作『花方 異本平家』は、怪奇に重きを置くよりも「愛」の奇妙を楽しんで「語り」たかった、結果として何かしら美妙に「騙り」えていればいいと、文 章や語りにも思うまま遊びを拒まなかった。それぞれに色徴の異なっている「宗盛」 「花方」 「颫由子」 三枚の色よい花びらを一つの「花」へと組み合わ せ、その花が風車のように文学として舞い舞ってくれるといいが、と、楽しんだ。太宰治賞の「清経入水」へ河上徹太郎先生の下さった批評、野呂芳男さんの期 待と予言をもう年久しく胸に置いていた。

2019 11/28 216

 

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

29  (来信) ☆ バグワン・シュリ・ラジニーシ

秦恒平様 はじめてお手紙をだします。昨年より「闇に言い置く」を読んでいます。バグワン を検索中に先生のページに出会いました。

僕は、昭和11年生まれ、技術分野で会社を定年、文学青年のまま現在に至っている人間です。電子計算機開発の企業世界卒業です。

太宰、花田清輝、鶴見俊輔、奥野健男、などの各位の書き物を読み、「京大学派」が西ならば、東は「東工大自由人」の感があると日頃感じてきました。

昭和58年買って読まなかったバグワンを、60過ぎて、読みました。

人間の「業」を人間自身が「昇華」しようとする「傲慢」を、彼の「話」に老荘思想の如く魅かれながら、感じます。

オーム教と比較されたこともあるそうですが、バグワンは「自信」にあふれ、例えば、太宰の「壊れそうな花びら」に通じるところは無い。

一月に一度でも先生のバグワン随想 といいますか、チラリと・・・バグワンについての書き置くの「行」を期待したいのですが。お疲れ、ご多忙の毎日をかえりみず失礼のメールですが、バグワンの話を聞きたい。失礼の段 謝です。   神奈川縣

 

* メールを有り難う存じます。同世代の方からバグワンに触れて頂いたのは珍しく嬉しく存じます。

もう十年ほどには成りましょうか、一夜も欠かさず、バグワンの言葉を私自身の声に置き換えて、少しずつ少しずつ聴き入り、繰り返し繰り返しいささかも躓 くことなく聴き入っています。『存在の詩』『般若心経』『十牛図』『道・老子『』『一休』『達磨』その他、手に入れたものを順繰りに。私が読み、妻もこの 頃近くで聴いています。

オームなどとの関係は、絶無と思います。いささかオームの人らが「語彙的の模倣」はしたかもしれませんが。

バグワンは透徹していますし、私は、つとめて彼を、知解し分別しない、したがって変に「信仰する」こともない。何かを「解釈」するために読んではいませ ん。「安心」のためにというのがあたっています。バグワンに「抱きつく」ことはしていません。一緒に「呼吸」しています。

私にならってバグワンを読み始めた人はごく稀で、しかし、あまりつづいていないようです。そんなものでしょう。「怖がって」いる人もいましたね。

私は「喜んで」います。

二十年ほど前、大学生の娘が、仲間と騒いで読み始めていたとき、私は一瞥もしませんでした。娘もやがてバグワンの何冊かに埃をかぶせて、物置に放り込んだまま嫁ぎました。

偶然にみつけて、あの頃、娘達はなににかぶれていたのだろうという好奇心から開いてみました。

すぐ、「これは」と感じました。そして、座右のバイブルとなり、友となり、手放していません。バグワンは、やっと二十歳になる娘には無理だったろうと感じました。哲学として知解してしまえば、「それだけのもの」で終わりますから。

嫁いだ娘の、父親に残していって呉れた大きな贈り物になりました。

「私語の刻」でときどき触れていますが、「説明」してはいけないと思い、浅はかにふみこんだことは言わないでいます。

またお話ししましょう。お元気で。

わたしは若い人達と仲良くしていますが、殆どが東工大の卒業生です。徹して私は理科ダメ人間でしたのに、有り難いことです。

コンピュータも使えるように教えて貰いました。いまもなお。 2002 07・17

 

* 凄絶な環境を夢見た。案内があって、地 の底へ底へ降りていった先に一棟の協働住宅があり、ひさしく気に掛けてきた人とそこで再会した。大きなマスクをかけ顔は見にくかったが、その人とは知れ た。そしてまた地上へ戻ったが、そこも凄いような町で、抜け出て行くのに難渋した。恐怖と謂うより驚愕に胸をしめつけられた。説明のしようもない何も知ら ず分からない夢の奥底で、人と一瞬再会したのは事実だった。かすかに横顔だけが見えた。

 

* 夢見がどうしてこうも凄いのか、わたしはもはや下意識で狂い始めているのか。

バグワンへ戻りたいと思う。

美しいものが観たいと思う。この日録の冒頭をかざっている写真のどの一枚も我ながら美しいと思い、美しさを薬用のように心服している日々であるのだが。

もう師走、目前。

美しいものを観たい、せめて目に触れたい。

2019 11.29 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

30 * 「恐怖」というものが無ければ。

ですが、人間は恐怖する生き物であり、だから希望を持ったり絶望したり、努力したり怠けたり、します。祈ったりもします。善行に励んだり悪徳に走ったり します。「恐怖」の最たる最終のものが「死」であるのは、確実。死への恐怖のない人なら、上に上げたような分別も無分別もまったく必要がない。ありのまま に生きて死んで行くでしょうね。

ありのままに自然に湧くようにして出来る「感応」の行為は、なにかの分別・無分別という「恐怖」や 「過去来の知識」に催されてする「反応」の行為とは、まるで「べつ」ものだと、バグワンは云います。

たいがいのことを、われわれはリクツをつけてしようとします。これはコレコレだからいいことだ、わるいことだ、と。またコレは神仏の嘉されることだからしよう、これは他人がどう思うか不安だからよそう、などと。

心=マインドはそのように分別をつけますが、それらの分別の至り附くところは、得体知れぬものへの「恐怖」であり、しかし真に恐怖すべきものの真実在るかどうかをすら、人はほんとうは何も知らないで、ただ怯えているのではないでしょうか。

* 鉱物・金属も疲労することは飛行機の事故などで周知です。組織体も構造体も疲労する。罅が入る。寺田寅彦は人体の罅を研究課題にしました。人体にも 罅が入ると寅彦先生に教わったときは、子供心に驚きながら納得しました。納得できると思いました。心も疲労してひび割れる。心を病んでいる人、心の疲れ 切った人の多いことには驚きますし、自分でもやすやすと心萎れさせています。心は頼りにならないし、リクツをつけて無理に頼りにするのは愚かなことだと思 うのです。

心とはすこし距離をおいて、すこし冷淡に、平静に付き合った方が佳い。心の教育だのというのを聞くと、何をこの人は根拠に云うのだろうと軽薄さに驚いて しまいます。心や愛は、或る意味からは「害悪」であり「障碍」であると釈迦は断定しています。疲労した心、罅の入った心に無理な負荷をかけて「頑張る」愚 かさに気が付きたい。

「無心」とそれとは、真っ逆様の奔命にすぎません。  2002 08・13

* バグワンは、ブッダの言葉として「思考の被覆」ということを云います。これは荀子の「蔽」と同じ意味でしょう。思考の被覆をとにかくこそげ落とすよ うに、はぎ取ってはぎ取って「自由=無」に、と、バグワンは適切に語り続けます。荀子は「蔽」を、つまり心に覆い掛かる無数の襤褸を、「解」つまり脱ぎ捨 てねばと説いています。怨憎会苦。また嫉妬や怒り。さらには名誉欲や知識、見識の高慢。

思考は、ものを分断し、分割して処理しようとする特性を持っています。さもなければ機能しないのがマインドの得意な論理というやつです。それは犬である と、他から分ける。それは正しいと、他から分ける。それは美味しいと、他から分ける。この「分ける」ことに秘められた習い性の「毒」に気が付かないと、人 間はただの「分別」くさい「分割屋」になり、ものごとを、分けて分けて分けて、分けきれない小ささの前で縮こまってしまう。

トータルにものに向かう、いやトータルのなかにとけ込む、ということことがマインドには出来ないのです。むしろ常にそれに逆らい続けます。思考の被覆、 蔽、というヤツはそうして埃の降りつむように「心」を不自然な純でないものにする。あげくハートやソールが、思考機械のマインドに変質してしまう。そして ひどく気にする、こだわる、惑い迷う。ドンマイでおれなくなる。

* バグワンは、「思考するなかれ」といったバカは云いません。思考は、生きるための有用な機能であり道具ですからね。手段ですからね。バグワンはただ端的に、機能や手段や道具に「使われるな」と云うだけのことですだ、これって、たいへんなことですけどね。

道具はいつもそばに置いて、必要に応じて用いながら、それと悪しく一体化してしまわないようにとバグワンは言うのです。わきに、そばに、置いておくよう にと。思考が自然に生きて働いているのと、思考をウンウンと気張って用い使って生きているのとは、べつもの・べつごと、なんですね。

拘束的な思考はおおかた過去から来ます、規範や習慣や誤解といった形で。それに盲目的に従っているだけでいながら、さも自分が自然に生きていると思いこ むのは、とんだ見当違いだとバグワンは指摘します。そういう思いこみは、自分が自分で、呼吸なら呼吸をコントロールしていると思う錯覚と同じなんです。試 みにおまえは息を止めていられるかとバグワンは言います。自分のもののようでありながら、誰も、自分の呼吸=命そのものを自由になど出来ない。自分なんて ものにとらわれて過大に過信しているところから、大きな間違いが歪み歪んで肥大し増殖するのです。

* ま、こんなことは、言葉にしてみても始まらないし、それが間違いのもとにもなります。

なにも考えずに観じているものの有る、それでいいようです。「なんじゃい」と、さらりと思い棄てて、しかも静かに努めたい。楽しみたい。祝いたい。  2002 09・02

2019 11/30216

 

 

☆ 「湖の本」147(「花方 異本平家)拝受

読ませて頂きます。本当にありがとうございます。

過日の「オイノ・セクスアリス」は先生の「選集」31巻でも読み了えました。

只今 かつて読んだことのある鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を取り出して読み始めています。一寸面白い比較ができるかもと思います。

先生の「オイノ」の荘大なケウな血の流れなどみごとに創造想像そして実在実存をみごとに描き処理されていると思いました。

ただ、(これが先生の個性、固有でしょうが)セクスアリスが具体的過ぎ、文芸(アートとかクンストですが)を越え出ている風にも思え、私としては 放言お許し下さい 一寸惜しい気がしています。草々   東京・府中  杉本利男  作家

 

 

* 感謝。 後半のご指摘 放言どころか たぶん大方の読者 辛抱して下さった方も 投げ出された方も つまりはここへ感想が寄っていたことと思われ、常識ないしは良識からも ま、それが普通かと思います。

ただ、こうも思っています、この千枚もの長編で、稀有なまでの老人と若い人との関わりが多年に亘り続いた「性の出逢い」も 女性からのごく自然で実情実 感の籠もった多年連続厖大な数の「ラヴコール」 この二つは、「作の構造」そのものの構築上の要請で、これを おシルシ程度に省いては、建造物としてのこ の一作はかえつて薄味に、作の主要な主題や意図や語りをただのおはなしに貶めてしまいかねない、その勘定にこそ作者は意を用いました、そのためにも第一部 をことさらに「東作」氏の述懐や見解や論述や短歌等でバランスしたのでした。この作での「老い」と「若き」との「性」は幸せにも三回でも三十五十回でも等 質の燃焼を得ています、だから三回分書けばいいではないかというのでは、潤一郎先生の云われていた文学の構築的美感、構造的真実に背きかねないと懸念しま して、読者数を喪う危険もあえて「このままの作物」として本にしたのでした。

さらに、ご批判下さい。

2019 11/30 216

 

 

*  「選集 32」の編輯に大きな決心をした。手間はかかるだろうが。とにかくも試みてみる。今回の「選集」で私の「仕事が終わる」のではない、少し思い切っ た「中仕切り」を立てたに過ぎない。あとへ続くモノ・コトに、ここで脚をとられる必要はない。アトはアトと、躊躇いなく書きついで逝けばゆけばよい

2019 11/30 216

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

31 * 2002 11・09  昨夜もバグワンを読んでいて、頷いていました。

論理は、ちいさいものにしか通用しないと。小さいモノゴトには論理は大きな顔をして幅をきかせるけれど、命の底へ触れて行くようなことになると、生死の ことや無心のことや、思いも及ばぬ不思議を前にしたとき、論理はたいして役に立たない。真の心的大事に遭遇した時に「論理」がいかに小さいか狭いか浅いかがハッ キリしてくる、それに人は気づかず とかく 論理・理屈に しがみつくことで エゴ=心 を守ろうとするのです。

 

* 師走到来。今世紀初め頃にバグワン・シュリ・ラジニーシの声・言葉と日々を伴にしていた頃の私自身を顧み、心乱れがちな昨今の私を戒めたい、もう当分、バグワンとともに「思い」たい。

2019 12/1 217

 

 

* 久しぶりに倍賞千恵子の絶唱「「かあさんの歌」に涙ぐんでいる。

見たことも感じたこともなかった「かあさん」は、少年「もらひ子」の私の胸の、どう強がろうとどす黒いまで、うずめようを知らぬ大きな「欠損」であった。『オイノ・セクスアリス』にせよ今度の『花方』にせよ、他のことはどうでもいい、ほとんど懸命にその欠損を埋めようとしていたのである。八十四歳を目前に なお わたしは未熟な少年のまま底知れぬ感傷を捨てえないでいる。バカみたい。

2019 12/1 217

 

 

* 『花方 異本平家』へ どんな感想が届くか、まだ分からない。感想には、読んでの感想と、読まないでの感想がある。「平家物語に親炙」の人の感想が期待されるのだが、怒られるかも知れない。嗤われるのかも知れない。

ひょっとして(円地文子さんのほかにも)「花方 波方」に着目の論文なり創作があったか、それも知りたいし読んでみたいが。

 

* 九時。まったくの霞み目で、機械の字がもう拾えない。休まないと。

2019 12/1 217

 

 

* 恒平元年(二〇一九)十二月二日 月

 

* ここに「恒平」元年としてあるのは、今年が、私・恒平の死期をかぞえ迎える最初年であるという気持ちを示している。先のことは、考えない。

2019 12/2 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

32 * 2002 12・05    バグ ワンに聴いていて、ふと立ち止まりました。訳語の問題があり、訳語にとらわれるより、意義を深く酌むべきだと思いますが、彼バグワンは、たしか「孤独= ローンリイ」と「独り=アローン」を見分けて、孤独は毒だが、独りは全くのところむしろ望ましいと言います。これを私の物言いに言い直しますと、「孤立」 は毒であり、「孤独・自立」は望ましいのです。私・少年の昔に、そのように教えてくれた人がいました。

バグワン独自の説得では、孤立の男女が孤立のまま出逢って結婚しても、二人とも孤立の毒から免れるわけがないと言っています。お互いの孤立の毒を相手の存在に肩代わりさせ合うだけで、孤立は失せたように感じ合っていても、そのかわりの不幸を抱き込んでいると。

これにくらべ幸福な愛ある結婚は、たとえ孤独を識っていても自立した独りと独りとで達成できるもので、お互いに妻や夫のより豊かな「独り=アローン」を成さしめ合えるのが大切だと。

孤立に泣く男女は当然のように相手にそれを癒して貰おうとし、自分の不足を放置します。孤立感は支え合われたようでいて、それでは自立した者の充足は生ま れっこないから、当然のように不幸の坂をすべり落ちてゆく。支え合うというと言葉は佳いが、自立した者同士だからより確かに支え合えて幸せがありうるの で、「独り」に成れていない半端者同士では、どんなに疵を舐め合おうと癒えて健康にとは行かないと、バグワンは言うのです。

これは、深い洞察です。自立し「独り」に成れる前に、孤立をただ嘆いて寄り合っても、根本の姿勢が出来ていなくて、どうしてその不幸が無くなるものか。 孤立も不幸も、見かけの安寧の下で崩れを増しつつ倍加してゆくだけであるとバグワンは言います。厳しい指摘ですが、わたしも、その通りだと思います。此処 の安易な誤解が、安易な結婚に繋がり、そして夫婦ともども孤立のままな不幸を、うわべ仲よげに、増長している例が多いのではないでしょうか。

 

* 寒さが日増しに加わり、夜明けも遅れてきた。十二月は、生まれ月、日のいちばん短かな冬至に生まれ、十二月に求婚し、十二月には(何の関わりもないの だが)赤穂浪人達の「討入」りがある。わたしは、妙に、討入り贔屓で、大きな理由のひとつに「公儀への抗議」行動でもあったのを是とみている。緻密な創作 にひとしく緻密に構想・構築された或る美しさのようなモノにも心惹かれてきた、巷談に過ぎないと謂われようとも。で、「討ち入り」の話題が聞こえてこない とへんに物足りないのです。

 

討ち入りのこと聴かざりき十四日    2000-12-14

 

ヘンですかね。

2019 12/2 217

 

 

 

* 創作された小説にも、いろいろな動機や刺戟や勧誘が働いている。すこしずつでも作へ立ち入った感想や批評が欲しいなと期待している。「読んでから」と思ってられる方が多かろうと、心待ちにしているが。

 

* 「作家以前」「太宰賞まで」の自筆年譜を、思うとこ ろ有り読み返している。人さまに読んで欲しいというより、私自身が、いつ目をむけてもそこに生涯で一等懐かしい時期が思い出せるように書き綴ってある。こ とごとく ありありと往時を思い起こすことが出来る。往時をただ渺茫にしてしまうまいと克明に用意しておいた「私記録」である。

 

* 読み返しながら、思わず笑えるのは、私の、以下、こういう「男女観」の浮き上がってくること。

私の観察と批評とでは、「男は(金と機械と技術という)文明」に追従し奉仕し奮励し、「女は(女)文化」に慣れ馴染み育てられる、ということ。

私はと謂うと、根から「文明」は疎ましく、「文化」の方を熱く愛するということ。

私は「京都」という「女文化」の都市で、実にさまざまに多彩な「女文化」にまみれるように育った。端的に例を謂えば、秦の父長治郎の、日本中でも先駆け たほどのラジオ・電器の技術には全く馴染まず、しかし父が趣味の謡曲の美しさには傾倒し感化された。秦の祖父鶴吉は、どんな気分でか時に「恒平を連れて商 売に行く」と愚痴ったそうだが、私は「商売」は御免、しかし祖父が山と積んでいた書物からは本当に多く多くを学んだ。秦の叔母つる(宗陽・玉月)は茶の湯 と生け花、付随して和服・道具・書画や茶会へ、なにより女たちの輪の中へ少年の私を誘い入れた。大勢の老若の女たちがいつも「京ことば」で談笑していて、 わたしはそれらを見聞きしながら育った。

私の自筆年譜には、無数の女性との出会いが記録されているが、男友達の名前は極めて少ないのである。「女好き」とか「女遊び」とはまるで性質を異にした「文化」的な出会いが自然と私にに生まれやすかったと謂うことである。思わず、笑えてしまう。

2019 12/2 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

33 * 2002 12・29   暮正月 のようなけじめへ来ますと、メールにも、例年のように、恒例・常例として、おきまりの、といえる「ご挨拶」が増えます。いいかえれば「習慣」ですね。もと の意義の生き残った習慣ばかりでなく、意義など褪せ失せた「習い性」ともゆかない惰性のようなのも、情緒のただ安全弁になっているものも多そうです。一種 の安心をあがなっているのでしょう。

わるい工夫ではない。が、そんなのばかりが無反省・無意識に増えてゆきますと、いつのまにか「生きて」いるというより「習慣」に支配されている日々を送り迎えることになります。

「繰り返す」ことは、日本のようなきちんとした四季自然を恵まれた国民には、いわば体内機能とすら言えますけれど、ただ習慣で繰り返すのと、繰り返しの 一度一度を「一期一会」として繰り返すのとでは、雲泥の差があります。後者ほどの繰り返しでないものは、わたしは、もう重んじないことにしています。無意 識に繰り返して得られる程度の安心にはよりかからない。断崖にかけられた桟道を一足一足踏んで行く人生なのですから、安心より不安の連続なのは本来の自 然。うかと習慣に泥(なず)んでしまうと崖から落てしまう。繰り返のがほんとに良き習慣なら、「一期一会」の気持ちで繰り返すよりありません。

むかしから、何百度も繰り返し言ってきました、「一期一会」とは一生に一度きりのことではないと。一生に一度きりのこと「かのように大切に」同じことを 繰り返すぞという表明です。優れた茶人は「一期一碗」とも謂いました。優れた茶人は生涯何千度となく茶をたてて、なおその一碗一碗を「一期の一碗」として おいしくたてたのです。

* ただの習慣として繰り返していたことが、いっぱいあった。多くは、やめました。どんなにラクになれたことか。バグワンを読みつづけてい る、それなどは私の「一期一会」です。ほかには。もう、そうは、思い当たらない。「闇に言い置く」この私語、も、わたしにはただの習慣ではありません。

 

* 「美学・藝術学」を専攻と決心した時も、私の日常の好みの中に西洋の現代はもとよりクラシック音楽はほぼ影もなかった。きのう自分の年譜を見返してい て、ある時、たまたま街で私の実の父方大叔父にあたる英文科の吉岡義睦教授と出会い、ご飯をご馳走になった。その時に専攻のことを聴かれ、西洋のクラシッ ク音楽からも多くを承けなさいと訓えられたと書き残していた。

いまも、この機械の間近で モーツアルトの、好きな「フルート協奏曲第2番」と 「フルートとハープのための協奏曲」が美しく聴けている。日本の音楽で はもっぱら謡曲や和笛を、そして懐かしい唱歌の類を楽しむが、クラシックの盤も身ぢかに沢山置いている。あの大叔父(祖父の弟)に感謝している。私の主任 教授として終始優しくご指導頂いた園頼三先生と親しくされていたのもそれとなく覚えている。

 

* 私の学部卒論の題は「美的事態の認識機制」とご大層であったが、一本の参考文献も挙げて無いことに最近気が付いた。或る読者から「参考文献無しの論文 とは、それだけで落第です」と云われ、われながら大笑いした。園教授は卒論に80点下さり、躊躇もされず私に大学院進学を勧められた。プラトン専攻の友・ 大森君と二人だけが院へ進んだ。だが私は一年で院を見捨てて東京へ奔り、そして、少年の昔から念願の小説家になった。小説に「参考文献」は、ま、挙げなく てよい。「チャランポラン」な私と少しは身を縮めながら、往時を顧み、やっぱり笑ってしまう。

2019 12/3 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

34 * 2003 2・15  「ゆったりと、自由に」「ゆったりと、自然に」とバグワンは言います。

この「ゆったりと」が、大きい。

自由「がる」のも自然「がる」のも、まがいもので、それでは、とても、ゆったりとなんかしないでしょう。

 

* 佛教には、もとより多年関心を向けつづけてきた、子供の頃に灯明の仏壇と向き合い、備わっていた般若心経をワケ分からずに音読し慣れていた昔から。地 獄極楽を背後に感じながら佛教または佛さんをおそろしげに感触していたので、京都には見かけやすい仏具店の前を通るのも怖くて、その前は逃げるように駆け 抜けていた。秦の家は知恩院サンの浄土宗だったから「南無阿弥陀仏」の称行は体験していたけれど、ほとんどナニゴトとも心得てなかった。

少し知的な触れ合いを求め始めたのは、高校生になってから。倉田百三の「出家とその弟子」に感銘を受けた一方で、角川文庫から出た高神覚昇『般若心経講 義』を発奮買い求め、愛読、いや耽読、繙読したのがそれはそれは大きかった。八十四年の生涯で、少年青年時に私に切実に影響した本を、昨日、こころみに思 い起こして書き出してみたなかでも、この角川文庫からの感化はよほどもよほど切実だった。幸いにこの「講義」はラジオ放送されたもので、まことに砕けた口 調のたとえ話も薫育も平易に至妙で、読みあぐねる何もなかったし、うしろの「補註」が大いに知的満足を与えてくれた。またこの身に沁みた体験合ったが故 に、わたしはバグワン講話の中でも『般若心経』をことに耽読再読した。

昨日、就寝前、久々に、高神さんの「講義」の序文にあたる箇所を音読して、妻も聴いていた。

スキャンしてみたが、紙の劣化と活字のいたみ・うすさで叶わなかった。が、その内容は、美味い水をのむように今も身に沁みた。せっかくであり、今日から久々に「講義」を聴き続けよう。

 

* 実を云うと、たまたまであったが昨年か今年の早くにか、講談社学芸文庫で秋月龍珉著の『誤解された佛教』を買っていて、たまたま私より先に妻がこつこ つと読み継いでいた、わたしはそのあとで読みだして、論旨にふれるつど、何故となくもう一度『般若心経』に接したい願いをつよく持った。浄土教三部の「大 経・観経・阿弥陀経」も心して接してきたし「法華経」も、ときに大部の「華厳経」にも接してきたのだけれど、それはそれとしてそれらは要は壮大で華麗な 「フィクション」として敬愛してきたが、「般若心経」は佛教の核心にまぢかいものという思いを見捨ててきたことは無かったのである。禅の秋月さんの「佛 教」説も強い関心と倶に読み進めてきた。わたしはもうよほど前から「禅」にこそ佛教の核心を感じかけていて、「般若心経」の受容はその思いに反しないと思 えていた。秋月さんの本は、けっこう難しいのであるが、「般若心経」の「空」観とつよく馴染んだ所説と受け取れそうなのだ。

 

* ま、長広舌は措くとしよう。身に沁みて生涯に抱きしめつづけられた本と、少年、青年時に何冊も出会えていたことをしみじみ、感謝する。

2019 12/4 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

35 * 2003 03・05   街頭で、マイクをむけて、「いま、幸せですか」と聞いてまわっていました。思わず笑いました。即答を強いれば、自分は不幸ですと応える人は少ない。幸福の事象を「捜し」て応えるからです。

少し、己れの闇に降り、独りでしばらく自問し自答しなければほんとの答えは出ないでしょうし、また質問は、こう、すべきでしょう、「いま、真実、幸せですか」と。

かつて東工大でわたしの学生達がぐっと息をつまらせ考え込んだのは、この「真実」の二字があったからでした。

この問いから、しかし、ほんとうに知らねばならぬコトは、不幸ということぬきに幸福はなく、逆もしかり。したがって幸不幸は表裏してつねに在るという認識と、幸も不幸もともに無いという認識との、どちらに行くかを迫られていること。

「かなふはよし。かなひたがるは悪しし」と 利休は云いました。

幸福も不幸も、陥りやすいのは、とかく幸せ「がった」り、不幸せ「がった」りして、とらわれてしまうことです。「捜し」て応えているというのは、それです。

そんな応答は つまり「心=マインド」のなせるわざに過ぎず、だが「心」はあまりに強い力をもった「諸悪の根元」ですから、そのような幸福も不幸も瞬時 の投影、流れ走る白雲や黒雲をながめているに過ません。「有」情の境涯であり、それは、いつまでも変転する。変転しないのは、雲が覆い隠したその奥の、澄 んで「無」窮の青「空」だけ。

* 「がる」 のは、何かにつけて悲しい自己満足。かなふはよし。かなひたがるはあしし。

2019 12/5 217

 

 

* なにとなく、つい懐古的にもの思いがちに気とからだを安めている。

 

* 昨日一昨日に、思い返し顧みた  私・秦 恒平少年青年期の知情意に切実に感化を与えた書物たち、それ故にまた後年の創作や文藝に多大の示唆や刺戟を与え続けた書目を、ざっと記録しておく。大方は偶々(たまたま)の出会いともいえ、また心して買い求めもした。選んだと云うより、 やはり「出会った」のであるが、愛読という以上に繰り返し繰り返し「耽読」した。。

 

古事記 次田潤 現代語訳 有済国民学校一年担任吉村初乃先生に戴く

 

百人一首歌留多 秦家所蔵

 

百人一首一夕話 祖父秦鶴吉蔵書

 

阿若丸 講談社絵本 借用

 

選註・白楽天詩集 井土霊山選 崇文館 秦鶴吉蔵書

 

国史 通信教育教科書 秦家架蔵

 

日用大百科寶典 秦家架蔵

 

歌舞伎概説 秦家架蔵

 

源氏物語 与謝野晶子現代語訳 林佐穂家蔵豪華二册本

 

谷間の百合 バルザック 梶川芳江より借読

 

平家物語 岩波文庫上下巻 購読

 

モンテクリスト伯 新潮世界文学全集上下巻 古本 購読

 

若きウェルテルの悩み ゲーテ 岩波文庫 借読

 

少将滋幹の母 谷崎潤一郎 朝刊連載

 

心 夏目漱石 春陽堂文庫 梶川芳江に贈らる

 

天の夕顔 中川与一 岩波文庫 借読

 

蘆刈・春琴抄 谷崎潤一郎 岩波文庫 購読

 

徒然草 岩波文庫 購読

 

朝の蛍 斎藤茂吉自選歌集 古本 購読

 

若山牧水歌集 岩波文庫 借読

 

北原白秋詩集 岩波文庫 借読

 

細雪 谷崎潤一郎 一冊本 購読

 

谷崎潤一郎選集 六巻 創元社 購読

 

島崎藤村集(新生 嵐など) 筑摩書房文学全集の一巻 購読

 

般若心経講義 高神覚昇 角川文庫 購読

 

出家とその弟子 倉田百三 借読

 

源氏物語 島津久基釈註 岩波文庫 購読

 

更級日記 岩波文庫 購読 高校で輪読

 

旅愁 横光利一 角川昭和文学全集 購読

 

戦争と平和 トルストイ 購読

 

国民文学論 古本 購読

 

日本美術の特質 本編・図録 矢代幸雄 購読

 

夢の浮橋 谷崎潤一郎 中央公論 購読

 

平家物語 昭和八年刊 山田孝雄監修 寶文館 古本 購読

 

徒然草諸註集成 昭和三十七年刊 右文書院 購読

 

梁塵秘抄 岩波文庫 古本 購読

 

西洋紀聞 新井白石 岩波文庫 古本 購読

 

* これらが いわば多数濫読のほぼ不動の軸芯を成していたと謂うこと。今も感謝している。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

36 * 2003 04・02   * バグワンを、繰り返し繰り返し何冊も読んできました。多くを求めず、同じ数冊の本を繰り返し音読し続けてきたのです。もし中でも一冊をと言われても、どれも座右から放さないでしょう。いつも「今」読んでいる一冊が、最も真新しくて懐かしく思われます。

いまは、バグワンの原点かなあと感じる『存在の詩』を、半ばまで読んでいます。五度か六度めになるでしょう。屡々、胸の鼓動のおさえがたい感銘を受けます。ですが、概念的な摂取にしないたに、言葉としてはなるべく忘れ去り、胸の鼓動だけを嬉しく覚えています。

「ブッダフッド」と「禅」とに 「詩」的に深くふれながら、バグワンはいつも語りかけてくれます。

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☆ 師走

12月6日 金曜日  冬の青空です。東京の空は如何、寒くなり、雪かとも天気予報は伝えています。

湖の本が届いたのは 11月30日の土曜日でした。その日の午後、早速読み始め50ページ程 読み進めました。が、いかにも作者の世界そのものを、『風 の奏で』や『冬祭り』の世界と深くつながる世界を感じつつ、同時にやはり難解でもありました。古典を単に読むだけでなく、そこに疑問を呈することができる ほどの蓄積が自分にはないのを痛感、これも例の如くです。その日の日記を書き出してみます。

11月30日 土曜日  本、届く。50ページあたりまで読む。『清水坂』と仮の題をつけていた作品はテーマそのものから 『花方』と命名されている。まだ終わりまでは到底見えるはずもない。

テーマそのもの、平家物語の時代と世界だ。それは作者少年の日から直感と、長年蓄えられた膨大な知識と心底からの熱い思いに支えられている。結果としてわたしも含めて多くの読み手は、漢字の難しさどころではない、史書文書の類から何を読み取るのか、

人間模様の複雑、歴史的事実の煩雑に・・圧倒され困惑し 絶句さえしてしまう。

が、作者の語り口は昔の作品とはやや趣を異にする。先の『オイノ・セクスアリス』にも見られる軽妙洒脱に近く、優しさをも含んで 明るいとさえ言い得る、こなれた語り口なのだ。

清水界隈の通りからやや奥まった家に住む母子の図も 以前の作の中にあった。

ふゆこ、の「ふ(颫)」の字は ワードの画面の単漢字を調べても出てこない・・「嵐」の意味と。

が、ふゆこは冬子、『冬祭り』のヒロインであり、その墓所は作中に清水寺南に位置する清閑寺とされている。此処は高倉天皇、六条天皇の陵があり平家との因縁は言うまでもない。阿弥陀ヶ峰も視界の内にある。

 

そして用事もあり、なかなか読み進められなかったのです。

花方についての作者の疑問、探求が書かれて、ずっと以前から瀬戸内海方面に旅したいと言ってらした、その理由を納得しました。その土地に実際に行ったから書けるとも限らず、作者の想像力・創造力の豊かさに支えられれば、それで十分と納得もしました。

そして、敗者の系譜、或い?は穢れを浄める人々、流浪遍歴の人々・・先の『オイノ・セクスアリス』ではあまり書かれなかった・・中世以来の事柄も胸に沁みました。

再度読みましたが、まだ理解できたとは言えません。

わたしなりに(京都人にはなり得ない・・)改めて清水界隈、建仁寺界隈の空気を思い切り吸ってみたいと思っています。馬町や今熊野も懐かしく、但しここは若い日の一番つらかった時期に暮らしたところですが・・。

 

アフガニスタンで中村哲氏が殺されたこと、ウイグル民族のこと、香港のこと、さまざま思いが渦巻いています。

嘆きつつ、せめて友人から貰った矢車草の種が発芽生長しているのを、遅まきながら今日は植え替えしようと思っています。

くれぐれも寒さ対策なさって風邪ひかぬよう、御身体大切に、大切に。  尾張の鳶

 

* 尾張の鳶にして難渋の様子、『花方 異本平家』は、すくなくも「読みづらく」「難しい」小説に「なってもた」らしいナ。

 

☆ 「オハナシ、オハナシ」と

おとなを、追いかけていたころを、おもいだしました。

自分で、少し読めるようになっても、覚えてしまった本でも、読んでほしくて、終わるのが惜しくて、「・・・とさ。」となるところを 「・・・と。」で  止めていました。変な子です。

「花方」もそう。何度も読み返された息使いをかんじます。とてもやさしい。

錯綜する内容は、これからかんがえます。       柚

 

* こういう風に読んでもらえて、それで感じて考えて楽しんで頂けるなら、じつに嬉しい。

 

* じつは、かなり立ち入った作者の発想・構想を細かに書いて、ブチ撒けようかとも思っていたが、ま、まだその時期であるまいし、愛媛県今治市からは、本を、かなりまとめてご希望らしい電話もわたしの留守中(散髪)に頂いていたらしい。

ま、まだ作者のわたしが突っ込んでモノ云うのは早いと思う。それよりも、

 

* 今日も払い込みを戴き続けている中に、さきの『オイノ・セクスアリス ある寓話』へのきついお叱りで「購読をやめる」という一通があった。「湖の本」最初期から三十数年の、それよりももっと古くからの愛読者のお一人であった。恐縮した。

 

☆ 今回で

「湖の本」の配本をやめさせていただきます。

「オイノ・セクスアリス」 文章も内容も全くついていけませんでした 秦先生が一体何故このような方向にいかれたか全くわかりません。それ故 今回を最後とさせていただきます。

長い間 どうもありがとうございました。  東京・世田谷  定

 

* よくお気持ちは分かるし、こういう思いから立ち去られる方の出るのを、明瞭に念頭に置きつつ、あえてあの長編は「書かれて自然当然」と作者は考えてい た。作者も、成長し変貌を遂げつつ処女作以来の思想や感性や文藝を弱いマナリズムから守り勝ち抜き徹さねばならない。たんに作者の年齢・体力の問題だけで ない、人間理解の久しい宿題に新しい「解」を表現し続けるということである。

奇驕を狙うのではない、少なくも男女をとわず「人間の在る」意味を、生活感とともに問い続けねばならない、作家は。なかでも「性」は、そんな男にも女にも老いにも若きにも、無視し見捨てて済む課題ではない。

あの「オイノ・セクスアリス」では、しかも「性」「性行為」の行き着く限界を見つめながら、「真の身内」の思いや悲しみにもたとえまだ微かにでも、真相 をまさぐり掴みたかった。作者が老いればこその視野もあろうと思い、真剣にまさぐっていた。今だからやっと思い切って書ける課題を選んだ八十の老境。愚劣 でへたくそなエロ小説を書いたのではない。

若い女性と老人との性的な情事は、ごく顕著に頻発してくる「人間喜劇の主題」であると、フランスのラ・ロシュフコー公爵はその「箴言集」で二百年も昔に 喝破していた。わたしは、それにも頷く。誰かの真似をしたのでなく、私だから書けた人間劇を語る騙りで「物語って」見せただけりこと。

2019 12/6 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

37 * 2003 04・26   土田直鎮氏の『王朝の貴族』は浄土教の章で閉じられました。空也(市聖)、寂心(慶滋氏)、源信(恵心僧都)、そして往生伝。

夢中で『往生要集』を読んだ頃もふくめ、浄土教の感化は、小説を書き始めてからもわたしから離れませんでした。法然に、親鸞に、また一遍に、のちのちの 妙好人たちにまで思いはひろがり行き、浄土三部経を繰り返し繰り返し翻読し読誦し、そういう中で法然の「一枚起請文」に尽きてゆき、親鸞の「還相廻向」に 気が付き、そして、私自身の看破である「抱き柱は要らない」というところへ到達してきました。バグワンに、そして不立文字の禅に、いまのわたしは深く傾斜 し、自分の課題を眺めています。

岩波の『座談会文学史』で知るところ、夏目漱石も島崎藤村も最終的に「禅」へ歩み始めて、その到達には差がありました。谷崎潤一郎は宗教的な回心の何も のも語らなかった人ですが、生前に作った夫妻の墓石には「空」と彫り「寂」と彫らせています。文字の趣味に過ぎないのかも知れず、深い思いがさせたことか も知れません。

漱石は偽善とエゴイズムをにくみ、藤村は偽善者、エゴイストと罵られたことのある人です。漱石は露悪を指弾しながらそこに「現代」を見出し、藤村は露悪 の浄化にかなしみを湛えて家の根を思い、国土の根を思って「歴史」に眼を返していました。漱石は「肉」を書かずに躱し、藤村は肉におちて肉を隠そうとし た。潤一郎は、『瘋癲老人日記』の最後まで肉を以て肉に立たせ、一種の「歓喜経」を書きながら亡くなりました。

2019 12/7 217

 

 

* 谷崎先生は、ほんとうに瘋癲「老人」と自覚されてたのだろうか。

わたしがこのところ当惑し困惑気味なのは、丸くも枯れてもいっこう「老人」に成れないで、いわば「瘋癲少年」のようという気恥ずかしさである。

老齢の生理身体の衰弱は日々についてまわるが、老齢の気分がなかなかリアリティを得ず、わたしは相変わらず「むかし、むかし」を、せいぜい学生時代まで をまるで反芻しているではないか。成熟も老熟もない、わたしの小説で云えば「町子」や「慈子」や「紀子」や「芳江・道子・貞子」や「迪子」や「冬子、法 子」や「彬子」との対話でうとましい現実世界へ半ばもそれ以上も背を向け、日々暮らしている。令和の政治的・文明的な現実を厭悪して、いっそと深海に棲も うかなどと想っている。

想えばわたしはこれまで真実すばらしい老人を知らなかったのだ、わたし自身がもう八十四では、九十も百すらもホンの先輩というに過ぎない。若い頃に、あ ああの方は「理想の老人」やなあと感嘆した覚えが不運にして無い。文学賞を下さった諸先生も皆さん現役の働き盛りと見まもっていた。親しんだ山本健吉、井 上靖、宮川寅雄酢さんらも老人などとみてなかった、堅剛な老人像では瀧井孝作先生しか存じ上げてなかったか。

老境はどう生きるのか。考えたことも無いも同然で今日がある。やれ、やれ。『オイノ・セクスアリス』の吉野東作君は一つの生々しい答えであった。『花方』の越智圭介君は深々と回想の世界に沈んでいた。若き日々をこそ懐かしみ悲しみ反芻していた。

2019 12/7 217

 

☆ オフレコかな?

早速のメール、嬉しく。

清水坂が本舞台でないことは、小説の半ば以後の展開から容易に理解できました。最後にかかるあたりでは再び微妙に感じるものがありました。

昨晩の 読者の方の「湖の本断り」のメール。『オイノ・・』に関連して予測でき、また実際に断る人々があったのは承知していても、やはり複雑な思いでした・・。

性を語るのは既にタブーでなく、世の中にはもっと露骨で暴力的な記事や小説が氾濫しているのに、そして現実のいとも日常的な行為としてあるのに。拒絶のメールとは、つらい。・・鴉は、勁いなあと思います。

あの作品に関して余分な感想ですが、吉野氏が世津子(雪・ 雪繪)との行為を重ねながら、不可侵の領域に妻を置いています、一瞬の迷いもなく。世津子との事はあくまでも世間で言う「浮気」「不倫」であり、糾弾され る行為です。吉野氏に世津子を痛切に恋し求めるものがあれば、それもまた人の心の様相として読者はまだ許せたのかもしれません。

とても常識的なことを書いてしまいました、ごめんなさい。  尾張の鳶

 

* あやまらないで。云いたくて「黙って」たことを 云った、云ってくれたということでしょう、ありがとう。 さて、清水坂でないなら、何処と見ましたか。

ところで、予想の範囲内ですから、向き直って作者から云えること、チャンとあるつもりですが、暫く措いて、他の方々の感想も誘えればと想います。

と云いつつ、やはり一つは云うておきます、「不可侵の領域」に措かれているのは、少なくも「真に身内を分かちもつる」妻をふくめ姉と妹の三人があり、東作氏を含むかれらはその世界を現実とも夢とも緊密に「身内」として分かち持ち、他界へすら飛翔できること。

それとは異質に、若い「雪」からの「誘い」を平然受け容れた現世の「東作」老には、浮気とか不倫とかとは擦れ違う「何か」冷酷なほどの確信があり、「雪 繪」を受け容れたのではない。「雪繪」にも、他の男との同棲、入籍、結婚式、出産願望といった、吉野東作老とは切り離れた別方角に「実生活」期待が膨れて います、不幸にして容易に酬われないけれど。結局そういう「老いと若いと」の出会いが実質実経験したのは、只一つ、どう悦ばしく嬉しく満たされようともか らだで営む「性・性行為」どまりで、「その先」は、どう「むごく」とも当然「無い」ということ。

それが、あの作の見分けた作者の「思想」というものでしょうか。長大作の敢えて大半を尽くすことで意識して言わしめたのは、「性行為の満足」で人生・生涯の構築は、成らない、ということ。

 

* ご批判も得たく、作の上の議論としての。。

2019 12/7 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

38 * 2003 06・06   今日もいろんなことをしました。あんまりいろいろで、忘れてしまいそうなほど。忘れてしまっても、ちっとも構わないのです。覚えていなければいけないような、何ほどのことが有るでしょうか。

道元は、日本の仏教に愛想を尽かし、禅の本道を学ぼうと宋に赴いたといいます。そして、天童山に入ったある日も、一心に古人の「語録=本」を読んでいま したとか。ある坊さんが、何のタメにそんなものを読むかと尋ね、道元は、古人が修行のあとを知って学びたいからだと答えたそうです。坊さんは「何のタメ に」と、また聞きました。郷里に帰って衆生を教化したいからだと道元はまた答え、さらにまた「何のタメに」と聞かれて、道元は衆生のために役に立ちたいと 答えたといいます。そこで「僧のいわく、畢竟してなにの用ぞ」と。道元はついに窮して答え得なかったのです。

禅を「言葉」に学ぼうとしていたからです。それは「行」ではなかった。そして彼道元はついに「只管打坐(しかんたざ)」へと極まって行ったといいます。

親鸞にも似た話があります。彼は念仏の多念一念論議でも、徹して「一念」がよしとした人です。「南無阿弥陀仏」のただ一念で足ると人に教えてきました。 ところが、ある時に、衆生救済の奮発として浄土三部経を千度読もうと発起したというのです。すぐ、恥じてやめたそうです。南無阿弥陀仏の一念でよいと信じ ていながら、なぜに経典の読誦にこだわったろうと恥じたのですと。親鸞は生涯にこういう「惑いに、二度襲われた」と反省しています。

* バグワンは、経典や聖典に頼ってそれを「読む」行為に「甘え」てしまうのを、著しい「エゴ」の行為として、いつも戒めます。わたしは、つくづくそれ を嬉しく有り難く聴きます。何かの功徳を得ようと読む聖典などは、ただの「抱き柱」に過ぎない。それあるうちは打開などあり得ないと思うからです。バグワ ンは、聖典や経典はすでに真に打開し「得た」人にとってのみ意味のあるもの、納得できるもので、そうでない者にとって真実の導きには決してならぬどころ か、そこで「わかった」という「エゴ」があらわれ、躓きを繰り返すに過ぎないと言います。全くその通りだろうとわたしも思う。

それでいて、バグワンを繰り返し「読み」つづけ、大部の源氏物語を毎日「音読」しつづけ、夥しい量になる「日本の歴史」を欠かさず「読み」続けたりして いるのは、迷妄・執着のかぎりのように思う人もあるか知れませんが、ちがうのです。わたしは源氏を読んで心から楽しんでいるだけで、「畢竟してなにの 用」とも関係がない。それは「日本の歴史」についても同じであり、ましてバグワンはただもう「読む嬉しさ」で読んでいるのであり、一時の道元のように、バ グワンの教えを「学ぼう」「識ろう」としてでは無いんです。学んでみても始まらないことをわたしは知っていますし、覚悟しています。わたしは、ただ「待って いる」だけです。何を待つとも、待っていて「間に合うとも間に合わないとも」わたしには何も分かりませんが、それは仕方ないこと。バグワンの声が耳に届くの が嬉しくて楽しいから読みやめないのであり、他の本もおなじこと。何も求めていないから楽しいし、何もいまさら覚える気もない。自然にゆったりと、無心に 、したいことをして楽しめればよく、まだまだそんなところへわたしは達していないけれど、達しようとして達しられることでもなく、恥じてみても始まりませ ん。

 

* 十六年余も以前の述懐ですが、いまも、「読み・書き・読書」どれも「ただ楽しく」てしているだけ。

 

* その「楽しみ」にも不覚の失敗で狼狽し慨嘆を余儀なくされる日もある。昨日発見した私自身の不用意なミステークは、明瞭に「五人に一人」の方に迷惑を かけていて、しかもそれらがどなたであるかを把握のすべが無い。願わくは「送付挨拶」から目を「奥付の表示」へ転じて、粗忽な挨拶では数字の誤記があった とご判断頂けると有り難い。

三十四年もおなじ事を続けていて、こんなミステークは初めて、アタマを掻いて恒平は閉口しています。

2019 12/8 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

39 * 2003 06・25   疲れて衰えがちな気根を潤してくれるのは、楽しみな各種読書のさらに根の所で、毎日毎日胸に響いてくる「和尚」バグワンの声と言葉です。これほど透徹したものを伝えてくれた人はいません。

もうわたしにはあらゆる聖典が事実問題として無用です。なぜなら聖典を読みとる力など、今のわたしに有るべくもないから。「enlightened=悟 りを得た人」にだけ聖典は、微笑とともに頷き読まれ得るもの。そうでない者には却って読めば読むほど自身のエゴを助長し、いわば抱き柱に固執させるだけだ とバグワンは云い、ティロパも云います。その通りだとわたしも今は思っています。聖典に読み依りかかる人達の切実さを否認しないから、「およしなさい」と は決して云いませんが、聖典を読めば救われるなどということは、誰が保証しうることでしょう。

わたし自身、例えばバグワンの言葉に耳を傾けていたら「悟れる」などと、つゆ思っていません。わたしはわたし自身に目覚めて行き着く以外に、どうにもな らないでしょう。バグワンはわたしを「静かに」はしてくれます、が、それで至り着くのでもなく、そもそも至り着くべき目的地などが遠く遠くの決まった地点 になど存在しているわけがない。目的地が在るとすれば、それは既に「わたし」の「うち」に在るようです、が、それが──まだまだ。

* 会う人ごとに「お元気そうですね」と云われます。そう見えるのでしょう、たぶん。しかし、わたしは衰えています、めっきりと。

* 僕は(  )へてゐる    高見 順

僕は( )へてゐる

僕は争へない

僕は僕を主張するため他人を陥れることができない

 

僕は(  )へてゐるが

他人を切つて自分が生きようとする(  )へを

僕は恥ぢよう

 

僕は(  )へてゐる

僕は僕の(  )へを大切にしよう

* (  )に漢字一字を入れよとは、東工大の教室の諸君には、難解な出題でした。 2019 12/9 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

40 * 2003 07・17

☆ 人の心は知られずや 真実 心は知られずや   室町小歌

* この、中世人たちの、うめくほどの「嘆息」は、次に、いったい、どの方角へ身を転じようというのでしょう。自棄か断念か暴発か狂気か、放埒か、無頼か。いいえいいえ、現代のわたしたちも同じではありませんか。

「心」などという、何とかに刃物ほども危ないものを、或いはたわいなくロマンティックに頼み、或いは小ずるく政治的に利用し、或いは偽善のために或いは打算のために或いは虚飾のために担ぎ出す。

「心」が良くしてくれた現代とは、何が在るの? むちゃくちゃになった人間たちの世間。いやになる、つくづく情けない。何故かなら わたし自身無罪でないから。わたし自身、むちゃくちゃだから。けちくさい心にしがみついて、口にする言葉はたちどころにウソになるばかり。

* 京の、家の近くの、白川の、狸橋の上から逝く川波に眼を凝らして、少年のわたしはいつも時を忘れていました。ちいさくするどくかすかに音たてて、わ たしのちいさな視野は躍るように不変でした。不変の川波は、わたしの眼玉のまるで鱗と化し、あれから六十年、わたしは鱗の眼で生きてきました。

いやだ。いやだ。

だが、どうにもならない。嘆息するのは人の心ではない。わたし自身の心が知れないのです、あたりまえです。あたりまえと思えるようになっただけが、終点前の、かすかな希望でしょうか。けれど、すごく寂しい。

2019 12/10 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

41 * 2003 07・27   ☆ すこし酔って帰ってきました。ごく近所で毎日曜日ジャズを歌うご夫妻と知り合いになり、焼酎をいただきながら聞いてきました。

ちょうど、無性に人を恋しくおもう気分のところでした。秦さんに甘えたメールを送ったら笑われるかも、と、ちらと思っていたら、メールをいただいていたので、うれしくて。

この数週間でめざましく元気になりました。

健康感を取り戻したいま、いかに自分が参っていたかがわかります。数週間前の自分さえ、今の私からみれば「途上」にありました。参っているさなかにその自覚がないのは、危険かもしれませんが、私にとっては救いでした。

声をかけてくださること、どれほど有難いことか。どれほど嬉しいことか、いつも胸にあります。ほんとです。

HP、PC上で書いたり創ったりしたたものを、yahooのサーバーにつなぐ作業が残っています。正直にいえば、すこしこわいのです。かざってはいませ ん。かえって、読まれることを思うと、そがれるものがあります。それもウソになりはせぬかと、自分の弱さを振り払おうと。

ごめんなさい、こんなこと。

ちょっと酔っているのです。おゆるしください。ひと恋しくて。   東工大卒業生

* この人、やっと、こういうふうに思いが、強張って守っていたものが、流れ出るようになりました。元気になってきたのは確かでしょう。こ の人も、いわば「こころ」派の人すから、その意味で「こころ」に対しては慎重に懐疑的に、少し冷淡に付き合って欲しいなと思っています。いつかまた結婚し たいと思う人に出逢うでしょう。その時までに、少し用心して自身の「こころ」を忘れるていたほうがいい。むしろ「からだ」をいたわり、優しく励まして鍛え ておくのがいい。慰め、また鍛えた方がいい。

「こころ」に従順すぎる人は「からだ」を傷めてまで「こころ」を守りまたふりかざしますが、そんな「こころ」のアテにならないことは甚だしい。「こころ」派の人で「静かな心」の人の、めったにいないことでも、わかります。

今日、四十三歳にもなった娘・朝日子よ。元気な心でいるかい。  2003 07・27

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* 一服気分で「催馬樂」を広げていて、「庭に生ふる」に出会った。

 

庭に生ふる 唐薺(からなづな)は よき菜なり

はれ

宮人(みやびと)の さぐる袋を おのれ懸けたり

 

「庭に生えている薺はいい菜だ。ハレ。宮人が下げている袋を、おまえは掛けている」と校注者は読み、擬人化した薺への「親愛の情にあふれている。それは 児童の心に通じている。わらべうたとみてよい」として、頭注では官人らが「習俗として」薺に似た「三角形の袋をさげていたかどうかは未詳」としているが、 そうだろうか。そんな歌のどこが「ハレ」と囃し合う面白い歌であろうか「わらべうた」などと誤解も甚だしい。

男である官人・宮人のいつも「さげて歩いている袋」は、決まっている、「きん玉」という袋で、庭の薺の恰好からそこへ聯想を持っていき、笑い囃している歌である。

困るなあ、一流の大出版社の古典全集の校注や解釈がこうでは。

 

* 実は前にも「閑吟集」でこんなのがあった。

 

世間(よのなか)は ちろりに過ぐる ちろりちろり

 

これを校注の先生は 「世の中のことはちらっちらっとと過ぎてしまう」と説明されていた。なんじゃいな。「世」は、古来、男女好色の仲を意味している。 好色一代男の名は「世之介」であった。「ちろり」はいわゆる酒の燗徳利、それに「ちろりちろり」と「短い間」の意味をかぶせて、好いた男女「床の一悦」 は、燗徳利の煮えるまも保たないで過ぎたよと、苦笑し失笑し自嘲し談笑もし唄っている室町小歌であった。

古典を読む時、いい校注の手引きに感謝と同時に自身の感性を忘れ果てていてはならない。

2019 12/11 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

41 * 2003 08・02  バグワンのことを「最大級の導師」「とうとう人類がかちえた真の王者」かどうかなど、そんな世評はわたしの知るところでありません。実像などなんにも識らないし識ろうともしてこなかった。

ただただ、わたしの魂にビリビリと響いてくる存在と言葉なんです。

だれかにバグワンの押し絵を「伝えたい」のではない、わたし一人の安心と無心へのそれがおだやかな静謐の時になるだろうと思うから向き合っています。聴 いています。おそれ、気をつけています唯一つは、そんな対話が、「知解」という「分別」へわたしを突き落としかねないのがこわい、ということ。   2003 08・02

 

* 私たちは生涯クルマという文明の利器の所有とは無縁で過ごす。だからアオラレた災難は知らないが、映像でみているかぎり低劣に悪質な暴行と見える。珍しく厳罰方向へ立法が用意されているとか、朝のテレビで聞いた。これは、よかった。

 

* あいかわらず携帯電話は、全然役立てられない。電話するという「ボーケン」も、家・妻・息子・義妹、地元病院、聖路加病院、歯科医の電話番号を妻が打 ち込んでくれただけ。何歩歩いたかだけは自然と破壊が知らせてくれる。そのために、ポケットに入れたまま、まだ全然使えていない。自分の番号だけは判じ文 にして覚えたつもりだが、此処へ開かすわけには行かない。やれやれ。

機械が勝手にチカッと光ったりする。何じゃこれは。明けると「お知らせ有り」などとあるが、わたしは、パソコンでの20余年の独り決めで、知らないメー ルや通知やメッセージは全く無視して即消去してきたように、携帯電話での「お知らせ」にも一切振り向かないと決めている。

 

* おおむかし、京都で電器屋をしていた秦の父が、何を思ってか、前ぶれ無くある日、まだテープ式というのかリール式というのか、「録音機」という新商品を送ってきてくれた。

嬉しくて、これに思いつきの「短い小説」を声で吹き込みたい、しかし家人の前では恥ずかしいと、みなが寝静まった真夜中に、寝床に寝腹這った恰好でマイ クを口にあて、小声で、口を放れた第一声が、なんと、「蛇を飼う夫婦があった。」であった。そのまま一編の掌説(私は自分のこの手の掌編をこう称してい る。)となり、これは面白いと「掌説」づくりに連日(連日一編という自分への約束をほぼ三週ほど守った。いつか『春蚓秋蛇』という一冊になった。もう吹き 込んだのではなく、「書いて」いたのだが。原稿用紙四枚をかなり厳格に守った。

わたしは、自身のこの総じて七十編は越しているだろう、「掌説」数々の世界を大事に「独特」と感じ、抱え持っている。そして、べつの長い作の要所にはめ 込んで利用もしてきた。今回最新作『花方』巻頭の序詞も、もとは「電話」と題した掌説を適宜に利用したのだった。こういう傾向の最初の表れは『清経入水』 の序詞であった、あれで味をしめていた。

2019 12/12 217

 

 

* 長い「私語の刻」を入れたので、作「花方」よりそっちへの挨拶が来る。私の編輯ミスであった。せめてもう二、三人の方の「花方」批評ないし批判が聞き たく、その上で私の構想、作を構築の狙いなど纏めておきたいが。天野さんのような感想があったのだから、読み手の方には失敗作とは思わないが、分かり佳い 読み佳い小説を書いた、前作よりもと思っていたが、前作の方が流のママに大筋が掴みやすかったかも。いくらかガッカリしている。せめて四章をただ一、二、 と数えず、「序詞」「一 宗盛」「二 花方」「三 波方」「四、颫由子」とでもしておけばよかったか。物語そのものがなにのことやらと掴めないままの方も 多そうに思われて、申し訳ない。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

43 * 2003 08・ 16   『ゲド戦記』の終巻「アースシーの風」が示唆していたように、地球が、根底のところで傷ましく病んできたような不気味さ。アメリカ、カナダの広 域大停電が、二昼夜に及んで原因すら掴めず、復旧にも手間取っているおそろしさも。科学的・技術的には理由は簡単につくのでしょうが、テロでなかったとも 断定できませんし、たとえテロでなくても、そうする気なら出来てしまうのが、サイバーテロの恐ろしさです。

映画「ザ・インターネット」のように政治的経済的に迫るテロもあれば、停電やダム破壊や列車妨害のような生活線から侵してくるテロもありえます。

だが、どこかで人の「内側」が侵されている、ともいえましょう。

安易にお題目や空念仏のように「心」に頼んで、その心が軽薄で実のない要するに安い分別心でしかないとなれば、いまの世、人の分別心はとかく「利」や 「得」の方にばかり働いてしまうのだから、「心」を振り回せば振り回すほど、現代の蟻地獄は深く凄くなってきます。わたしだとて、何の例外であろうや。

* 絶やさず来ていた人のメールが、ひたと止まることがあります。機械の故障も待ったなしに突如起きます。起きてしまえば、どうにもこうにもならないの が機械というヤツの傲慢さ、お手上げになる。回復には金と時間がかかる。よくよく考えれば傲慢なのは機械でなく、人間の無神経さにあるのですね。わたしと て何の例外であろうや。  2003 08・16

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

44 * 2003 09・02  ある人とちょっとした「こころ」論議が続いています。漱石の小説ではない。心、のハナシ。

その人は、確信的な「心」大切の信仰心をもっています。わたしの「心」不信が容認出来ません。断乎容認などしたくないんです。自分の「心」を愛し、信頼しきっているらしい。

わたしは何度も書くように、心はアテにならない、時々刻々変容し変貌して果てしなく、一つ間違うとそんな心に惑い、ただもう、うろうろしてしまうことが 多いと感じています。それはお前の心が定まっていないからであると云われればその通りで、不動心も無心も、滅相な。心の鍛錬も改造も、じつに難しい。わた しは人の心で傷つけられた覚えよりも、自身の心によってしばしば戸惑い傷つきさえした思いが、子供の頃からつよい。

できれば「心に頼る」よりも、心など「無いもの」かのようにし、心に振り回されまいと、つい、つとめたいのです。心は、「お前は逃げるのか」と咎めてき ますが、そういう心ほど、はなはだ危険なトリックを仕掛けてくる。心を落とさずに、心を蜘蛛の糸のように「他」へ絡みかけ寄りかかれ、それが「安心」とい うものだと、途方もないことを指示し司令してきます。自身を喪ってもよし、おまえは心そのものに成れと教えてきます。もっともっともっと願え、願望せよと 司令してきます。

心にもじつはいろんな心があり、一概に云えないのですが、人を凝り固まらせたり、ひっきりなしに分裂的に悩ましたり攻撃的に他に向かわせる点で、「諸悪の根源」じみるとわたしは理解して、もう久しい。ほんとうは、心のことなどあまり考えたくないのが本心です。

無心に近く、静かな心でいたいが、そのためには自身を「心の餌食」にしてはならぬと想うのです。

 

しづかなる悲哀のごときものあれどわれをかかるものの餌食となさず    石川不二子

 

すぐれた姿勢だと思ったし、教室の学生たちにもそれを伝えました。

喜怒哀楽や情熱や恋愛や努力が、心というものを離れた仕方では不可能なのか。それをわたしは考えてきました。

心はすぐ、目の前のそれが善か悪か、好きか嫌いか、大か小か、欲しいのか欲しくないのか、などと「対立」させ、「選べ選べ」「分別せよ」と迫ってきます。その騒がしい拘泥りが、人を「静かな心」から、むげに、むざと、遠ざけてしまう。

心をめぐる論議は、かなり、しんどいです。  2003 09・02

 

* 幾つもの資料戸棚の沢山な抽斗にも、押し入れの函、函にも、庭の物置にも、おそるべく多数の当時東工大生だった学生達の手紙・ハガキ・書き物や成績。 レポートなどが溢れかえっている。これをどうするか。唸ってしまう難問で、一切捨て去れという声も内心にあり、とても捨てがたい思いがそれ以上にある。或 る時期の或る場所で不特定多数の学生達と日々に応対していたそれらは厳然とした証拠物件になっており、独り独りの学生の性格を余念なくあらわにした証言集 なのである。懐かしい遺産であり、偽り無い此処の告白が詰まっている。わたしがもっとまだ若ければ幾つもの創作のいい栄養素になったろうが、いまは、どう 処置していいのかと、困惑のタネになっている。身動き鳴らなくなりしかし字はよめるという時の、佳い慰みにはなるなあと、やはり捨てがたい。

2019 12/14 217

 

 

* 次にと思案している仕事の心用意に重くて大きな日本地図帳を観ている、いや重い重いうえに字の小ささには負ける。今度も、私自身未見の地を、それも遠 く隔て合って何箇所かを繋ぐように物語を構想・構築できるか、甚だしい難行を強いられるだろうが、ま、ナントカに怖じず、よく見えてないまま践み出そうと している。「信じられない話だが」もう筆はするする動いている。

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* 討入りのこと聞かざりき十四日  と、かなり昔に。今年も、まるで聞かずに過ぎそう。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

45 * 2003 09・18    人は、人のことを、ほんとうに知らない、知ろうとしないでいて、自分の思いのままにならないと嘆く生きものです。しかもその「自分」のことだって、実 はよく知らない、分かっていない。そのこと自体が、分かっていない。雲の足場に幻覚の城を建てているような生きものなんでしょうか。

堅実に把握しないと、なにもかも表現は、ただもう泡のように頼り無い。無反省に「こころ」を信奉している人に、晴雨ただならぬ空模様のように、それが現れて見えます。

頭脳と心臓。この語に「こころ」とルビをふるなら、どっちにふるか。四の五のいわず、あえてどっちかを選んで見て、そしてなぜか、考えてみたい。東工大 の千人もの学生諸君は、かつて、教室でのわたしの問いに、なんと十の七人まで「心臓」の方にふりがなしましたよ!  2003 09・18

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

46 * 2003 10・05    「音読」で十年余になるわたしのバグワン本は、今また何度めかの『般若心経』を読み進んでいます。ゆうべは「知識」への本源的な批評を読んでいまし た。なにの花ともしらず眺めた花の美しさ、その瞬間には花と人との深い融和と一体感とがあります、が、一度びその花がバラである、ナニであると知ったと き、人と花とに「距離」が生じます。この「距離」という精妙に微妙で正確な指摘をわたしは直感的に全面的に受け容れます。そのようにして我々は余儀なく大 事な幸せを手放さざるを得ず生きてきたと思うのです。

知識は、まず何より知っているモノゴトと知らずにいるモノゴトとに、分離や分割を強いてきます。「分別」のつくりだす「距離」がいやおうなく現れます。 心は、マインドとは、「分別心」そのもの。マインドという心はこれを高く旗印に掲げます。人の不幸は、この旗印のもつ詐術に気付かず、大事なモノ・コト・ ヒトの半ばを実は捨て去ったことに気付かずに、もっと大事なモノゴトを手に入れた、獲得したかのように錯覚し評価してしまうこと。そして底知れぬ「もっ と、もっと」という蟻地獄に身を投じて行き、しかも本質的な関心にはほとんど何の役にも立たない・立たなかったことに、死の間際になるまで気付かないので す。

分別をのみコトとする知識=論理では、人は決して静かな無心には至れない気がする。むやみと知識に惑わぬ敢えて非論理や無分別の体のトータルな静謐が大 切と思うのです、わたしも、バグワンとともに。譬えて謂う「分母」がそれであり、それゆえに「分子」は自在に多彩に活躍してゆける。わたしの例でその分子 とは、政治への関心であれ、「湖の本」や電子文藝館であれ、無数の人間関係であれ、みなそれは夢であり絵空事であり虚仮(こけ)に過ぎません、分かってい ます。分かっていてずいぶん活躍すればいいんです。分かっているから楽しめばいいんです。しかし大切なのは分別や知識ではない、それらが引き裂いてきた夥 しい亀裂や分裂のみせている深淵の凄さを、一気に棄て去れることが大切です。人は勝手に分別という「真っ黒いピン」を我から無数に身に刺し、その痛みに耐 えかねて奔走しています。そんなピンはもともと刺されては居なかった。刺したのは自分なんです、それも分別や知識や打算で。

ピンは抜き去ることが出来ます。だが難しい。わたしのこういう言辞も、まだ分別くさいなと我ながら思います。  2003 10・05

 

* 16年の余も昔の自身日々の感想をこう読み替えしていると、以来老耄を重ねてきた今日という惘れる思いがある。もはやありのままにどう老耄に身をまかせて怪我だけはなく生き延びるか。そんな想いで吐息する。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

47 * 2003 10・31

* 漱石作のあの『こころ』でした、「先生」と「私」とが散歩に出て、広い植木屋の庭なかに入り込んで休息し、おしゃべりする場面がありました。わた しの脚色した戯曲では、此の場面で、加藤剛の「先生」と***の「私」二人に大事な会話をさせています。原作にもあったのですが、「こういう静かなところ にいると静かな心になりますね」と「私」が云い、それから「心」の話になります。会話は微妙な問題に触れていって、「先生」が「私」に念を押されて応えて います。なんでも遺産か財産か「金」のはなしでした。「先生」は言うのでした、はなから悪い人間はいない、人間を悪くするのは金だとか何とか云い、あまり の「簡単」さに若い「私」が鼻白みますと、「先生」は即座に逆襲して、そうれみろ、さも心、心ときみは言うが、そのきみの心が、じつに簡単に騒いだり乱れ たり変心したりするじゃないかと窘める。

漱石は「心」の頼りなさをよく分かっていたのでした。

心だ心だと騒がしいほど心をタテにとる人がいるものですが、そういう人に限って、いわば変心し躁鬱する度合い甚だしく、平静が保てない。その上、わるい ことに、そのようにバタバタする心をもっていることが、さも純真で素直で自身を刻々誠実に偽っていないのだと錯覚しているんです。

浅瀬をはしる水はせいせいとして清いようですが、さわがしく落ち着かない。よくもあしくも軽薄軽躁です。流れも見えぬ深い淵瀬の静謐がない。そして大事な物を見失うのです、喪失してゆくんです。 2003 10・31

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* どんな樹木も「根」がなくては育たない、伸びない。

私ひとりの「根」を、年譜的に観るなら、親から生まれての「三十三年半」、どんなに幼稚でたわいなくて頼りなくても、太宰治賞をもらい受けて文壇的に 「作家」として歩き出した以前に限られ、「その後」今日までの五十年余は、いわば「付け足し」の幹で枝で花で実であった。こんど「選集32」に{自筆年 譜}を入れるが、受賞以後の「作家」人生は取り上げない、『選集』と「湖の本」とで(未収録も多いけれども)「作家・秦 恒平の仕事」は提示出来ている。「書誌」等は「湖の本52」に大凡挙げてあり(湖の本があり、それで判然するが)、「年譜」は不要と考えている。ホームページ20数年の「私語の刻」がほぼ隈無く語り尽くしている。

2019 12/17 217

 

 

* 源氏物語「藤の裏葉」を楽しんでいる。幼な恋の夕霧と雲居の雁とは、女の父(かつての藤中将、現に内大臣)の不興で久しく成らぬ恋のままに、しかし夕 霧は冷静に思いを持していた、女の方も。夕霧の素晴らしい成長ぶりにつけ内大臣も気負けのていで、藤花の宴にことさらに夕霧を招いて、恋の成就をむしろ請 い求めるていに、子息達にもにぎにぎしく歓迎させるのがこの巻。その宴のなかで催馬樂の「葦垣」が唄われるが、これは「夜這い」囃す歌である、夕霧の、妹 雲居の雁へ忍び入るかに囃すのである、それが「葦垣」。夕霧はこれに応酬気味に催馬樂の「河口(川口)」を口にする。親の目を盗んで女が男を誘い入れる歌 であり、夕霧は諧謔のうちに夜這いの「葦垣」に応酬したのである。

かようにも「催馬樂」という歌謡には、あけひろげに堂上公家たちですら唄い囃して常平生興がれるタチの「性の開放感」が身上・趣味・魅力なのである。男 だけでなく、老女源典侍も催馬樂の歌詞をくちずさみに若い美しい光源氏を誘っていた。平安貴族らの性の開放は、今日のわれわれの想像を超えるまで浸透して いた。

「催馬樂」なりのエロスを魅力・魅惑の歌謡は、江戸時代にまでむしろ旺盛に生きのびていたのに、明治以後の近代現代には、かかる趣味能力は「トンコ節」程 度にまで貧弱に拙劣に落ち込んでいる。「催馬樂」学者まで、まるで取り澄ました叙景歌かのように読んでくれるのだから、「セクスアリス」は当節悪玉めいて 取られてしまうのも当然か。つまらない。そういえば、昨日だったか、何かのドラマで老境へあしのかかったような男が、昂然と「男の性力は六十五からがホン モノじゃ」と豪語していてビックリした。知りませんでした。

2019 12/17 217

 

 

* では、いよいよ最新作の物語『花方』への私の立ち位置と展望を、ほどほどにも開かしてみよう。

 

* 『花方』では、序詞の「電話」が示唆しているように、語り手「越智圭介」の「幼なじみ颫由子(颫うちゃん)」との「喪った愛」を、双方から追っている、そこに一つの軸線または主幹が立っている。謂わば「怪奇系の恋物語」が意図されたのを「序詞」は前置きしている。

そんな「颫由子」が、初めて、幼少「圭介」の寝ている枕がみに現れると読める怖い箇所に気づけていれば察しられ読み取れるように、「颫由子」は、舟玉の ツツ神であり、海の女神と読み取られて行くのを作者は期しているが、にそれをハナからあらわに示唆はせぬよう用意した。しかし、繰り返されている 「持っ てるか」「持ってる」という確かめの対話での「何」か「紐」様のモノを察しうれば、この物語世界の基調はすでに試薬に明かされてある。蛇の別名は、より広 く「くちなわ」「くくり」「ツツ」などであり、『花方』の世界は、瀬戸内・海=海底・海神達の世界、海没した「平家」とも必然脈絡を持ってくる。「颫由 子」のそのような世界と交響して、「異本平家の世界」を、一方では八島大臣「平宗盛」の異様が語り、もう一面では八島へ赴き平家に面体を焼かれて帰った院 宣の正使「花方 波方」の異様が語る。

小説『花方』は、平家学者達がこそっとも見捨てて障らなかったママの「花方・波方」の「出」の不審を語り手なりに解決して行く段取りとともに、平家を代 表した「宗盛」という存在の異様さを数多い「異本平家」の証言を利しつつ見開いて行く。いわば色彩のちがう「颫由子」「宗盛」「花方・波方」という三枚三 色の花びらを持った物語に創ってみたのである。その色違いな三枚が、ぐるぐるとメリーゴウランドのように回りながら、越智圭介の深い「悔い」とも「物哀 れ」ともいえる「述懐の物語」を為しかつ成して行く。

「清水坂」を便宜に「仮題」にして書いていたが、「作世界の真の本拠」は「(瀬戸内)海」なのであり、それも「海の底」であり、「海神達(ウワツツオ・ ナカツツオ。ソコツツオの蛇神たち)」なのである。「花方・颫由子」は瀬戸内の海底を「おのが世界」として抱いた女神ようの存在であり、それへ悪しく立ち 向かった平家(宗盛・時忠)の無残がけわしく「対置」されている。

小説『花方』は、喪った愛の残響を抱いた老人作家越智圭介の「悔い文」という結構を書き置いたもの。「颫」は「あらし」と示唆しておいた。海を支配しているのは「異本平家の世界」でも「龍蛇」なのであり、さればこそ「颫由子」は『冬祭り』の冬子の再来なのである。

断っておくが、この物語『花方』は、およそタダの一箇所も事実そのままを利した場面も展開も無い・完全な作者の創り語りである。さてこそ、これまた「異本 平家」一つの「追加」というほどの笑いを孕んでいる。山ほどの異本平家にさらに付け加えた「異本」と読まれてよく、事実・史実を穿鑿されるのはきっと微妙に面 白いはずだが、なによりもこの物語を私に書かせたのは、どんな『平家物語』本にも登場の、しかも人別不明なままの院使「花方」を放り出したままの学者先生らへの「注文」でも「抗議」でもあった。その一言は付け加えておく。

ま、こんな作者の解説が必要では失敗作だが、私としては書き置きたかった「怪奇小説」「冬子復帰」を意図し、かつ深く「楽しんだ」作、「自愛」作ということになろう。

ほんとは、まだ此処で云いたくなかったのだが、鏡花学者なら理解して下さろうが、この『花方』は秦 恒平なりの、一の『海神別荘』でもあるのです。

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☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

48 * 2003 12・25    夜前はクリスマス・イヴでした。明治の文学者たちの仕事を掘り起こして、時代の先端の「e-文藝館=湖(umi)」や「ペン電子文藝館」に送りこみ、 バグワンと源氏物語を音読し、そういえば、クリスマス・イヴからドラマの始まる、キム・ノヴァクとジェイムズ・スチュアートの映画「媚薬」を、ひとり、深 夜に見終えました。永久保存のためにディスクのチップを切り取りました。

そうそう藤村『夜明け前』の青山半蔵馬籠宿は、彼が、伊勢から京都へ少し長旅の間に、木曽一円の烈しい百姓一揆に巻き込まれていました。半蔵は心底から 京都の新政権に「復古の理想」を期待しており、時代の動乱に不安と反撥を禁じ得ない農山民達の動揺との間に、寂しい距離を痛感し始めています。島崎藤村の 筆は悠然として簡潔に深く時勢を剔ります。

源氏物語の音読は「竹河」の巻をすすんでいます。うまくすると、年内に終えて、新年からいよいよ宇治十帖に入れるかも知れません。

宇治十帖を、当時流行の言葉で「人間形成の文学」と読んだ拙い感想が、入学した年に創刊された大学の専攻紀要への、初寄稿でした。思わず顔赤らむ心地です。

バグワンは語っています。キェルケゴールが、人間は「おののく存在」だというのは、半ば正しく、サルトルが「自由は刑罰」だと言うのも、半ば正しいと。 「おののく」のはつまりは避けがたい死におののくであり、それは心=マインドに引きずられて、我=エゴを落とせない者達には、まさしくその通りである、 が、そこを透過したものには全く当てはまらないと、バグワンはまこと適切・的確に語っています。あの広大な外なる空(そら)と、自身が身の内にかかえてい る空(そら)とが、べつものでなく、全く一つに繋がり拡がっている空(そら)だとわかれば、と、バグワンは深い示唆を与えてくれます。

* 自由は、たしかに刑罰のように人の上に重くきつく問いかけて来ます。たいていの人は「自由」がおそろしい。不自由に何かの支えに取り縋り抱きついて いる方が遙かに楽なのです。人は自由が刑罰のようにこわいというサルトルの言説は的確です。ですが、彼の自由とは、自由になるもならぬも「自分」の問題と して捉えています。しかし真の自由とは、何かを自由にあしらう自由ではないはずです。自分自身「からの自由」こそが真に自由なのだとバグワンは云うので す、その通りです。サルトルの言説が優れた「警句」の域を超えてこないのは、発想の根に「我=エゴ=マインド=心」そのものの自由ということを重く引き ずっているからだと、わたしは、またまたバグワンの言葉に頭をたれています。  2003 12・25

 

* 朝起きて、いきなり不愉快な内外政治家のごまかし沢山な噂や、荒れ肌の小皺の洩れの出ないのなどの宣伝を聞かされる不快は無い。朝テレビは、火野正平クンの「とーちゃこ」チャリンコの旅番組だけで佳い。

褒めてくれている気で「凄いですね」など云われると腐る。

 

「凄い とは、血みどろの死骸や 火の玉のとぶ墓場や、怖い幽霊の出る場面などにほぼ専用された日本語です。素晴らしい意味など、本来、持っていないのです。

スゴイ ナント マサに などを口癖にして連発する 軽い薄い安い日本人ではありませんように。

 

* 点鬼簿に存命の名を書き入るゝ日に日を増してただ目を瞑(つむ)る   宗遠

2019 12/18 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

49 * 2004 01・04夜    一人暮らしは気楽なようで安易にもなりやすく、翻弄もされやすい。十分気を付け、あらゆる意味で「鍵」掛けを、慎重にとお節介をやきました。若い人の 自宅をあえて離れた一人暮らしでは、なにかしら、女の人の場合の最終的な破綻のケースが多そうに感じられるから。自由のつもりがいつ知れず不自由に拘束さ れ、ときに支配されてしまうこともあるのでは。

書きたいのは「ビューティフル・マインド」?。題を聴くだけで、つらそうに感じます。

「マインド」は、けっしてビューティフルにはなれませんよ、ハートとかソウルならばとにかくも。

「マインド」の機能は、迷・惑、そのもの、つまり思考・思索・論理・分別。そして自我の肥大増殖が残り、どこかで失調します。

ふつう、手ひどい失調にまで 陥らずにすむのは、よくしたもので人間様がどこかで分別や思索を投げ出しているからです。失調もしないかわり、たいした論理も残らない。理屈の断片だけが 貝塚のように積まれ、人はのんきにそれを自分の「思想」だなどというが、ナニ、ただの「ごみ堆積(ため)」なんです。これは、自嘲。   2004 01・04夜

 

* 15年も経っているのか。「ビューティフル・マインド」で生きて行きますなんてことを盛んに云う女子 卒生がメールを寄越し続けた時期だったかも。善意でぐらいな気だったか。「意」は厚顔ないたずら者で、瞬時もおかず善意らしくも悪意じみもする。いっそ 「意」は批評と行為・行動とに繋げばいい。悪政、忖度、横暴、強慾。打ち倒したい相手は山のよう。

2019 12/19 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

50 * 2004 02・28   なにのアテもなく更けて行く夜を半ば憎みながら、機械にふれ続けていました。二時になります。わたしの背後のソファには(愛猫の=)黒いマゴが熟睡して います、この部屋が暖かいから。わたしが、ここで起きているから。安心しているのでしょう。しかし、もうわたしの眼球、乾いて腫れてきました。階下に降 り、バグワンに聴きましょう。

いま、またバグワンは、ティロパの『存在の詩(うた)』を話してくれています、わたしはじっと聴いています、音読しながら。

源氏物語の「宇治十帖」は、いまにも大君が他界するでしょう。遺されて、中君の人生がはじまるのです。好きな女人です。

また、江戸時代の歴史に、いちばん必要な究明と理解とは、「大名と百姓」なのだとつくづく分かってきました。両者の間に「商業」が介入してきます。どれ ほど豪農にいためられながら貧農たちが立ち上がって行くか。どれほど幕府や藩や代官達が苛酷に農民をいためながら、しかも大名も武士も貧窮の坂を転落して 行くか。なぜか。

こういうことを理解していないと、勤王も佐幕も分かるわけ、ありません。 2004 02・28

 

* ほんとに、この師走、「討入」の一言も耳に眼にしなかった。「公儀」の無道・無残 いまほどヒドイ時はないのに。

2019 12/20 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

51 * 2004 03・22  いま。深夜ですが。死にたいほどと、瀬戸際の声がとどきます。若い人です。東工大の卒業生です。大教室でも教授室でも飲み食い歓談の折にも 「ハタ印し」めく一首を添えて。

☆  生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ   大島史洋

* 追うべき幸福ではないと実感したら、引き返すように。そう伝えましたら、「こころの声に、耳を傾けて。その声に従うのみです」と云ってきました。

むろん、花は後悔するために咲いたりしない。花は無心です。あえて強いて謂えば、後悔しないために花は咲きます。若い人の恋もそうでしょう。それでいいと思いますが、それにしても、またしても「こころ」の声にとは。「こころ」こそ いちばん頼れなどしないのに。

心=マインドは 一瞬にして、たった今し方のまっさかさまを云いだす魔物のようなもの。それぐらいは、どう若くとも体験的に知っているだろうに。

「こころ=マインド」とは、鏡ほどに澄んだ青空の前を、ひっきりなしに去来する「雲」のようなもの、別名は、思考・分別。

澄んだ無限の青空が、人根源の本来か。その青空を、ともすれば隠そうとして働く黒雲白雲とおなじ、所詮はよそから来ては去って行く「こころ」が自分なのか。少し本気で考えてみれば分かるでしょう。何のために、人は「無心」という澄んだ在りようを理想にしてきたか。

「こころ」より 「からだ」の方が信頼できるかも知れない。「こころの声」ほどアイマイでいい加減で頼り無くて変わり身の早い悪党は、世の中に他に無いのではないか。

頼めるほどのものは、そう、身辺に在るものではない。頼むとは、それに抱きつく・しがみつくこと、わたしの謂う「抱き柱」ですが、そんなものに所詮は頼っていられないでしょう。自分で自分を騙すような真似になる。

考えを、強いて、押しつけている気はなかったのです、向こうは「若い」のです。若くて惑っているのです、「こころの声」にしたがい戻れない橋を渡りたいというのです。

ああ、「心の声」にしたがうなんていう実体のない格好だけの言葉でなく、ただ眼をとじ、深い闇に静かに沈透(しず)いてみるといい。そこに何が有るか。そこに自分がいるか。心なるものが存在するのか其処には。肉体すらその闇には、無いのです。

闇は無限定に深い。その闇が、そのまま澄み切った青空に、一枚の何も映さぬ鏡になる、なれるか、どうか。わたしは、日頃じっとそれを「待って」います。努力して頑張って成れることではないし。人生は危ういのか。黙。  2004 03・22

2019 12/21 217

 

 

* 「群れ 権威 束縛」を嫌い、「フリーランス」の医師として、「失敗しないオペ」の山を築いて行くドラマの「大門未知子」を私が愛するのは「当たり 前」すぎるほどで、私自身も、へたな「失敗」を重ねながらだが、「湖の本(やがて150巻に)」「秦 恒平選集(600頁平均で、やがて33巻完結に)」と、厖大な「ホームページ(私語の刻)」の継続を励みに、「いわゆる出版世間や文壇世間」の 「群れ 権威 束縛」から全く身を避け、完全に「フリーランスの作家」としてここ三十数年、弛まず仕事を積んできた。いわゆる「文学」世間での寵辱・褒貶からは完全に無縁に生きてきたのである、ただもう、心親しい「いい読者」の皆さんの励ましに感謝しつづけながら。

こういう私後半生の生涯と執筆生活を、「実績」もなく自己満足の我れ褒めでやって来たかと嗤う人もあろう。それに対しては、「フリーランス」の日々へ向 かうより以前に既に、私は大小の各出版社の「評価」「依頼」のもと、小説・評論・研究・随筆等の「単行本」を、優に「100册」も積んでいた経歴を言い添 えておこう。私は、「不遇」の作家どころか、驚くほど篤く遇されていたわけで、心より感謝もしている。

2019 12/21 217

 

 

* 医学書院の原稿用紙に200枚ほども書いて、猛烈に改作し推敲した大昔も昔の小説習作が現れ出てきた。ほかに、大判のレポート用紙か便箋様のまる一冊 以上にびっしり書き込んだ小説らしきモノも現れ出てきた。前者を妻に機械の一太郎に入れてもらっているが、半年はかかりそう。

よっぽど本気で小説家になりたかったのだ。

「黒谷」のように、いまいまの読者からも「好き」といってもらえた旧作も生き返っている。まったく新しい作も、いま、仕掛かりが三作あり、書き進めている。

この歳になって、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』『花方 異本平家』とつづけて長編を読者の手もとへ送り出せた今年は、まず、有り難い一年だった。 有元さん、羽生さんら、わくわくして読み 堪能して読みして下さる方が『花方』にも有ったのが、嬉しい。来年も、思いの、乗り載った新作を期したい。

2019 12/21 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

52 * 2004 03・23    若い人もほんとうにいろいろです。男も、女も。老人だって、いろいろであるに違いない。

よくよく見ていますと、みな、それぞれに闘っている相手は、孤独、とでしょうか。いえ。孤独はいいのです、すばらしいクスリですらある、が、孤立してはいけない。

恋というのは心でするものだと、ある人は云いました。そうかも知れない、が、違うのと違うやろかとも思います。心が人を幸福にすることは、めったに、ない。無心なら、べつですが。

人は痛々しいまでに求めるけれど、けっして「静かな心」なんて心は無いのですね。無い、と確信したある瞬間に「無心」が来る、のかも知れない。

永遠にそんな境地は来ないかも知れない。  2004 03・23

2019 12/22 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

53 *  2004 03・28    頭の中で、ことばが沸騰するようにストラッグルしているのを感じます。なんだかむちゃくちやに混乱し廻転しています。液状のも筋状のも粒状のも板状のも、ぶつかり合うように攪拌されています。

狂うような自覚はない、それを眺めている基点とも支点ともいえそうな位置でわたしは眼を開いていて、意識は騒がしくありません。なんだか、とても寂しい とも表現できます。一昨日、京都の泉涌寺にいた気持ちに似ていますが、あのときは頭の中に沸騰はなかった。懐かしい声のような情愛にわたしはひたっていた と思います、あの数時間。

即成院の阿弥陀、戒光寺の丈六釈迦、悲田院の大空に吸い上げられそうな遙かな眺望、観音寺の日だまり、来迎院の静謐、金堂わきの大桜の漫々と湛えて漏ら さない咲き盛り、後堀河陵の裏山で聴いた鴬、母校日吉ヶ丘の校庭、東福寺僧堂、通天橋をのぞむ一瞬のめまい、東福寺伽藍の交響する明浄。人と出会ってもそ れと認められない深い現実喪失の澄んだ闇。

あそこで、わたしは鬱ではなく躁ではむろんなく、静であった。願わくは清でありたかった。

* 「落とせ」と バグワンはいいます。道元の心身脱落とか、放下とか、そんな意味かも知れません、持ったり縋ったりしている無意味なものから手を放すだけでいい、よけいなものは落ちて行きます。何が、よけいなのか。何がほんとうによけいなのか。

なにで「ありたい」かが、その「よけいな」ものを決めるのか。ま、いい。

* その人の言葉が、どうしても「本気」とは聞こえないような人が、いるものです。

ものを言うとき、だれしもが本気で言うと限らないのは、こんな悲しげな事実・現実は無いのですが、概して人は「本気の言葉」ばかりを話しているものでは ありません。それどころか本気で話すなんて愚かだ、バカだ、という価値判断すら現世ではかなりの力をもっている。本気でばかり話していると世間は狭くなる ぞと、どれほど、声ある言葉でも聴かされ、声なき言葉で嘲笑されてきたでしょう。

やはり子供どうしで群れて遊んでいた昔、よく、「ソレ本気か」と問いただし、問いただされる場面に遭遇しました。本気の反対語がなにであったか、「ウソ 気」というような不熟な語であったかも知れません、人はたいてい「ウソ気の言葉」を表へ出すことで、世渡りの瀬踏みをするものらしいと覚えていったもので す。

「じょうずにウソを言わはる」人が むしろ褒められていた社会が身の回りに、ひろい世間に、明らかに実在していました。

* 「その人」のことがほんとに好きなのに、その人の「ことば」が、浅い薄いかざられた「ウソ気」のものとしか思われない、そんな不幸な体 験を一度もしなかったわけではない。いや、何度も有ったかも知れません。そして、みすみすだまされると知ったまま、そこへ落ちこんで行く人もいないわけで ない。物語世界には、まま見かける主人公です。山本有三の「波」の女、谷崎潤一郎の「痴人の愛」のナオミ。男をあやつるために生まれたような女の、おそろ しいほどの魅力。わたしなど臆病だから、そういう女にはたぶん近づかないけれど、知らぬうちに近づいてしまってたら、どうするだろうかとは、想ってみるこ と、あります。そういう女ほどたぶん美しいのでしょうから、厄介です。

* 室町時代の絵巻に「狐草子絵巻」があり、愛した女の正体が「狐」と分かり、男は恐れ厭いニゲに逃げるのですが、あの雨月物語の名作「蛇性の淫」でもそうでした。

妙なことに、わたしは、それらを読んだとき、それらに類似の伝承・伝説を読んだとき、「えぇやないの、狐でも蛇でも」と想いました。だから「信田狐」の 伝説にも、それが歌舞伎になっても、「狐でもいいじゃないか、なぜイヤがる、バカらしい」という感想を大概持ったし、今も変わらない。だから『冬祭り』の ような絶境の恋も書いたのでした。

これを、さきに書いた「本気」「ウソ気」という意味に絡めて言いいますなら、人間の「ウソ気」よりも、獣たちの「本気」のほうが幸福に近かろうかと想っていたわけです。つまりは人間の女の、男の、「ウソ気」のほうがイヤでした。

その人の魂に、とても根ざしているとは感受しきれない綺麗な浅い「ことば」を、表情も平然と並べたてる女も、むろん男も、います。自分自身がそうでない というのは厚かましい限りと認めた上で、そういう「ウソ気」のことばを普通に使って生きている人間とは、「お友達に」なりとうないと、わたしは永く思って きました。

まわりくどくいえば、たとえばあの{懐かしい泉涌寺}を歩いているとき、一切のそういう軽薄な危険や穢れた情けなさから解放されていることが出来るんで す、そんな総てが「落とせて」いると思える。だから、わたしはあそこでは本当に「幸福」なのです、かなり寂び寂びとした幸福感ではあるけれども。

* あ、わたしは、いったい何を云うているんでしょう…、今朝は。なんのことはない、本気で人をだまくらかそうと予行演習していたのではないかしらん。分からない、自分自身がなによりも分からない。分かっているくせに、分からない。  2004 03・28

 

* 15年前の長々しい述懐を、やはり今も肯う。

2019 12/23 217

 

 

* 「花方」は、結果的にみれば、鏡花の「海神別荘」のようなと自身記録したのが十七日の「私語」だった。「同感」しての払い込み票記事と今日二十三日にはじめて出会った。もっと早くこの感想がまっさらで届いてたら、手を打って歓んだろう。

2019 12/23 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

54 *  2004 05・15    (東工大)卒業生の、また「片思い」に疼きながら希望を持っているメールが来ていました。美しい言葉で語られています。美しいというより、上古の物言 いでなら、うるはしい、か。「希望」は、人間の持つ最良の強みであり最悪の弱みです。そしてうるわしい言葉は、リアルとの間に隙間を生みやすい。餅を焼く と、焦げて硬い皮とやわらかい中身との間に浮き上がった隙間ができます。自分のうるわしい言葉に酔ってしまわず、「今・此処」に一つの肉体としてシャンと 立ってモノを見つめたい。わたしは、いつも自分にそう課しているのですが、自分の心がいかに瞬間瞬間にゆすられて右往し左往し定まりがたいかを、もの悲し くも痛感しています。それは波打つあえない波頭に過ぎない、心理に過ぎない。

* あまりに大勢が二言目に「心」といいますが、よく聴いていると、それは動揺果てなき「心理」「サイコ」の波立ちをしか謂えていないのです。ひっきり なしに揺らぐモノの影に過ぎないのです。朝令暮改や朝三暮四どころの大きなハバでなく、ものの三十秒や一分のあとにはちがう心に揺れている。その揺れを誤 魔化そうとすると、あの小泉総理のような死んだ目をして、言葉だけをうるわしく飾らねばならなくなる。

そうではない、心とは「ハート」だと謂える言い訳が幾らでも効くかのようですが、それならば「ハート」とは、心ではなくむしろ「からだ」と同じか、から だに膚接した真の「意識」にほかならないことが、分かっていないではなりません。ハートは、「虚妄の影に過ぎない心理=心=分別という実は無分別な動揺= サイコ」とは、全くちがう次元に働いています。ハートが人間のからだを働かせているのです。ハートは一つの概念でなくリアルな働きだから、人のからだが千 差万別なのは、ハートもまたそうだからです。きれいなハートもきたないハートもある。しかしいずれにしても、それは心理でなく、からだを働かせるちからで す。だからハートは「心臓」という臓器の名になっています。

だれも人にむかい、わたしの「心理を愛して」とは云わない。わたしの「ハートを愛して」というでしょう。人によれば、それが「からだを守る」意識にむす びついて、そうして「からだとハートとは別」なのだと錯覚するようです。錯覚なんです。サイコが、ではない。ハートがからだと、からだがハートと呼び交わ しているのです。

サイコは落とされていいゴミなのです。ただの波立ちなのです。少なくもそんな「心は頼れない」のです。そこへ加わって「いやよいやよも好きのうち」式に 言葉というサイケデリックなゴミが舞い上がると、よけいややこしくなる。リアルはみえにくくなる。このみえにくくする雲や霧を払って、青空をきちんと把握 するのが大切だと、バグワンに教わり、わたしは感じています。

* バグワンはたしかなことを云います。流れる河の岸にゆったり座れと云います。ただただ河を眺めよ、と。むろんこれは喩(メタファー)であ りますけれど、そうするのが人の「心」と向き合っている姿勢だと彼は云うのです。「心」は流れ流れ流れ続けている河の流れのようなもの。しかしそれは岸に 静かに在る自身とイコールではない。明らかに自身の外を「来ては去って行く」ものに過ぎないと。それに囚われたり、それが自分だと思いこんだりするのは、 虚妄に身を委ね売り渡し奴隷になるようなものだと。「方丈記」の書き起こしに似ていて、さらにバグワンは冷静で的確です。

二言目には、「心の教育」などとエラソーな、実(じつ)の無いことを提唱する人達に、流れ来て流れ去る我が身の「外」の雑念=心理にむかい、どういう教 育が可能なのか、そもそも教育の対象になるというその「心」を、あなたは措定できるのですかと問いたい。きれいな心でもきたない心でもいい、お見せなさ い、わたしの目の前に、と云いたい。

だが、ハートは、岸に坐してゆったりと静かに河の流れをただ見守っている「わたしやあなた」のその「からだ」に、いつも寄り添っています。一つなので す。ハートが「今・此処」に「からだ」として在るから、からだは生きている。「こころの教育」とは健康な、病的に陥らないための「からだの教育」でなけれ ばならない、そんなことは聡い古人はみな知っていました、あたりまえのことでした。

* 頼りない心理に身を任せて恋をするから、恋そのものも危うくなる。ハートとは「からだ」であると信じ思い、ハートとからだとの親密な相 談を大切にすること。「静かに定まる意思・意識」が、そうして人を活かします。そうわたしは、いま、思っています。言葉は美しくしたい、が、自分の言葉が うるわしいと感じたら警戒警報ではないでしょうかね。うるわしい相貌を持ちやすいのは「理」と「言葉」する。理に落ちれば実とのあいだに無用のスカスカの 隙間をよびこみやすい、それが怖い。ことばで生きていながら、わたしが、ことばを(自分のことばをすら、)全面的には信じも認めもしないのは、それだから です。  2004 05・15

2019 12/24 217

 

 

* 「湖の本」148『濯鱗清流 読み・書き・読書』本紙の再校了。末尾に、私が提案し、担当理事・委員長として創設開館し、日夜獅子奮迅のガンバリで充 実させた「ペン電子文藝館」「満二年」の「成果」および館長として樹てた経営方針を、「創立時記録」として副えた。わたしが「仕事をする」と謂えば「この ようにする」一例として詳細に記録してある。

2019 12/24 217

 

 

☆  『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

55 *  2004 05・19    なんでそんなに「心」が有り難いでしょう。きれいもきたないもない、動揺きわまりない実態のない影の去来に過ぎないのに。

わたしも昔、「判断」の二字に気張って大人の自負を賭けていました。判断に、自信が欲しかった。

だが「わかる」という言葉の虚しさ空しさを知っていきました。例えば繪は「みる」ものです、「わかる」為に観ることの浅さや薄さを人前で語ったことがあ ります。わかる(= マインド)とは、無限に解剖し分断・分割し分別することに他なりませんが、そうして分けて分けて行って何が残るのか。空疎な結果だけが「リクツ」としての こるのです。心という「分別の聖職者」は、切り刻んで、無くなってしまうだけの空疎へ空疎へと人を唆す似非(えせ)の道徳家なんですね、心とは。

マインドは、ソウルでもハートでもない。ところが巷間の「心の教育者たち」は、若者にいい分別をつけねばならぬ、ならぬと言い立てるマインド教徒です。 彼等は、うっかりハートやソウルをもちだせば、それがからだ=BODYと直結していることを知っています。だが彼等は無意味にからだを恐れている。きたな いと思っています。きたないことでは、分別心という自己中心慾の心の方が、もっと頼りなく、汚れがちでしょう。

からだは人をだまさない。こころは人をだますためにリクツを産み出すのです、「分別がある」と自称して。

* 分かっています、とても孤独な少数意見なのです、わたしのこういう「心」批判は。

でも、笑えてしまう。三十分「同じ静かな心」でいるような人をわたしは殆ど見たことがない。くるくるくるくる変わる心の人なら、吐きけのするほど大勢 知っていて、残念ながらわたしもその一人。どうか私のそんな心なんか、だれもアテにしないで欲しい。わたし自身わたしのマインドなんぞアテに出来ないので すから。それなのにわたしは自分が不幸でも孤独でもないと思えているのは何故でしょう。大海のたった一人でしか立てない小さな孤島の上にたち、しかも高貴 な錯覚に謙遜に身をあずけ、人と倶に立つ・立てると信頼しているからです。  2004 05・19

2019 12/25 217

 

 

* 「催馬樂」なる古典歌謡について、とりまとめ書物で講義された。なんで若かったうちに「催馬樂」「神楽」へも踏み込み著作しておかなかったかと、悔い る。もうはや講釈や鑑賞のしごとは出遅れ、だが……と、鬱勃と別途の世界が、遠霞みながらも生気をもちわが脳髄に動めき見える気がする。欲深く突っ込んで 鞭を当ててはどうか。胸のトキトキ鳴る心地がする。まだ老い耄れてないようだ、いやこれこそ老い耄れの兆しかも知れんが、呵々、握り掛けた緒のさきを手放 さないでおこうと思う。いま構造化のさなかへ寄っている進行中の創作からは、この想は、質も材も世界・時代も違うが、やきり「怪奇」めくのかも知れぬ。あ る「女王」さんとある「大夫」とが千年ちかくを超えて合唱してくれるかも。

 

* ところで、こっちは、また別。信じられない話だがこんどは瀬戸内から日本海がわへと、脚はとても運べないが貪欲に手を出している。序盤は奇妙にも微妙にも運べていて、私自身の働き場もすこし有りげに思われる。

 

* 物語るおもしろさは源氏物語からも谷崎先生らからもしたたか習ってきたけれど、私の物語の他にあまり例をみない点は、鏡花にもない点は、「時と所」と を千年ぐらいは平気で大きく違え跨ぎながら、衝突し結合し宥和し合体する作法である。例近代にもさがせば在ろうけれど、私のように数多くそれを実現してき た例は無いだろう。「清経入水」から「秘色」も「みごもりの湖」も「慈子」も「風の奏で」も「秋萩帖」も「近作の多くもそういう構造をもってきた。「現代 の怪奇小説である」といわれた河上徹太郎先生の太宰賞選評は、いちはやく作風の芯を射抜いて居られたことになる。

わたしは、私の作や作世界を論じて下さった多くを実は観ないようにしてきた、だからそんなことは誰も分かり切って論じられているのかも知れない、が、どんなものだろう。

2019 12/25 217

 

 

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

56 *  2004 05・22     死別のかなしみすら、二人の愛と幸せとを全うする小さな一部分だと思って欲しい。そう夫に言い置いてアンソニー・ホプキンス演じる大学教授の美しい 妻デヴラ・ウィンガーは、病に斃れました。名匠リチャード・アッテンボロー監督のあの映画「永遠の愛に生きて」は美しかった。

どんなに愛し合っていても、いろんな悲しみや怒りに襲われることはある。現世の人間関係はゴタクサしたものです。所詮そんなもの、ブッダとイエスとが出 逢うようなわけに行かない。そんなとき、「苦しいのも事実ですが、それも大きな幸福の一部ではないのですか」と、真実言い合えるなら、どんなにか人は救わ れましょう。安堵できます。身をゆだねられます。

* と、同時に、ともすると人が、「心で=分別や判断で=実は動揺果てない心理で=マインドで」日々、時々刻々生きているからゴタクサしてしまうのだと、慨嘆せざるをえません。

「マインド・コントロール」とは、なんてイヤな言葉でしょう。歴史上のどんなに優れた何人もが、「無心に」「静かに」と諭し続けてくれたか。それなのに 人は口を開くと、「心」が大事「心」を育めと云っている。似而非(えせ)の人ほど偽善の顔付きで他人の心をコントロールしたがります。教育基本法をいじく り回して自分達に都合良かれと画策したがるのです。自身の「心」が、どんなにはかなく頼りなく始終乱れがちなのにも、平然と眼を背けて。

信じています。

ハートとは、ソウルとは、「からだ」なのです。サイコでもマインドでもない。心理ではない。「からだ」こそハートなのです。心理は平気でウソをつくが、「からだ」はへたな分別よりはるかに正直です。

* 自分の心理と「闘うな」と言う人の言葉に、わたしは聴きたい。

喜怒哀楽、それら外から割り込んでくるすべてと、あらがい闘う必要は少しもないんです。それらをただ流れゆく川の波立ちを眺めるように眺めて、逝くにまかせよとバグワン・シュリ・ラジニーシは云いました。

喜びが湧けば純真に喜ぶがいい、怒りを圧し殺すことはない必要なら爆発させよ、悲しければ泣けばよい、楽しみは尽くせばいいと。ただ、それらの一切は、 来てまた逝くものでしかない。自分でも自身でもない。ただ来ては去って行く川浪に過ぎないのだと、「岸に座って静かに眺めて居よ」と。

わたしは、そうしようとして、ずいぶんラクになりました。喜怒哀楽をピュアに開放しつつ、それは自分自身ではないのだ、それこそ「心にうつりゆくよしなしごと」に過ぎないと分かっていよう、と。ほんとに、そうなんです。

* 秦の叔母は、生意気な若造にどんなにくまれ口をたたかれようが、「好きに言うとい(やす)」と取り合いませんでした。大概なことは自分 の外を、泡のように流れ来て流れ去る。その連続です。時に、どんぶらこと桃が流れてきます。拾いたければ拾い、拾いたくなければ眺めていればよい。「好き におしやす、」いずれは総て「うたかた」であり、自分でもまた自身でもないのですから。

自分が「在る在る」と思っているうちは自分はいない。見つかっていない。無い。自分は無い。そう腹から思えたときに初めて、自分が、海面の無数の波立ち の一つではなくて、底知れぬ海そのものだと分かるのでしょう。それまでは「好きに言うとい」と眺めているのがいい。何もしない意味ではない。したいように していればいい。余計なことをしなければいい。怒り笑い泣き楽しみ嬉しがればいい。毎日をそういう祭り日にすればいい。

わたしは、そのようにバグワンに聴いています。優れたブッダです。

感謝しています。   2004 05・22

2019 12/26 217

 

 

* 文部省とは「日本語」の読めない、国語を敬愛しない官僚らの集団としか想えぬほど近年の国語・日本語・日本文学への誤解と独断が決定的なまで すすみ、間違っている。むかしから教育の軸に「読み・書き・算盤」と置いて「読み」を第一にしてきたが、この「読み」は字が読めるというだけの意義でな く、「深く言葉が読み取れ味わえ、それが人としての知情意の精錬と深化に及び人生がより豊かに健康にし築けて人間としての幸福へも繋がる」という意味で あった。とりわけて「すぐれた文学」は精妙の感化の力で人を励まし教え慰め続けてきた。当今「文部省の日本語理解また文学理解」はあたかも心ないロボット の放言に同じい嫌いが濃い。

悲しむべきは日本の代表的な文学団体も、代表的な作家・批評家・詩歌人も概ねこれを無為に黙過の姿勢であること、七十年の創作生活を重ねてきた一人とし て、また多くの優れた歴史的先達の名と作とを敬愛し記憶している一人として、たまらなく「今日」が恥ずかしい心地である。

 

* ともあれ日本文藝家協会、日本ペンクラブを代表される会長先生の真率な広く伝わるご発言をぜひお聴きしたいもの。

2019 12/26 217

 

 

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

57 *  2004 06・03     ジャンヌ・ダルクはわたしが出逢った最初の西洋人でした。最初に見た天然色映画のヒロインでしたた。戦後の、新制中学三年生。学校から総出で観に行 きました。わたしには、あれ以前の西洋も西洋人も存在しなかったんです、戦時中、鬼畜米英などと聞かされていた以外には。

ジャンヌを演じたのは、イングリット・バーグマン。いまでも最良の女優の一人と敬愛しています。そして、幼かった私の心身に焼き付いたのは、「聖職者」 への軽蔑と「王権力や貴族」への憎しみ、蔑み。その線上に、いま、われらの総理が薄ら笑いでものごとを小馬鹿にごまかして得意がっています。新しくミラ・ ジョヴォビッチ演じる映画「ジャンヌ・ダルク」でも、今少し苦々しさが加わって、わたしは、つくづく人間への希望を喪いかけます。

そんなとき、わたしは、ただただわたしの奥底を走り流れる清い烈しいエロスの呼び声に耳を傾けます。アガペーを空念仏にしないために、わたしはエロスの愛を恋しいと思う者です。

まかりまちがっても、「心=マインド」には頼らない。  2004 06・03

2019 12/27 217

 

 

* 「自筆年譜」克明に読み返し進む。誕生より三十四年で受賞し、以後五十年 作家として歩んできた。その「作家以前」のわがためにいかに必要で滋養に満 ち妻子の愛に満ちて意味深い歳月、いや毎日毎日であったかを納得する。これは読者のためであるより、遙かに多く重く重苦しいほどの私自身の読み物。どんな 誰の「秦 恒平論」よりも性根露わに証言に満ちている。作家の半世紀を盛った堆朱堆黒の盆のように見えてくる。

2019 12/27 217

 

 

 

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

58 *  2004 06・14    「江戸文学」三十号が贈られてきて、ああもうこんなになるかと驚いています。「湖の本」が(2004年の只今で=)八十巻、創刊から十八年。われながら信じられない。この午前中にも新刊が出来て届く予定。それからが、我が家は「發送」の戦場。

その「江戸文学」巻頭に深沢昌夫氏の『近松の「闇」』という論文が出ていました。冒頭に興味深いのは、いまネット上で検索すると、「心の闇」が約二万八千、「闇」だけなら約九十四万六千件に達するとあり、確かめてみましたが、今はもっと増えている。凄い。

長崎の少女間殺人事件をひきがねに、またしてもマスコミは少女達の「心の闇」を盛んに指摘していますが、笑止にも、その「心の闇」が、そんな言葉だけの 域をこえて具体的に追究され解明されたという話を聴いたことがない。出来る話ではないらしいことを証してあまりあるのです。

せいぜい彼等が語るに落ちるのは、心とは「心理」のこと、心理的ケアというようなことになる。ケアといえば聞こえはいいが、コントロール、マインド・コ ントロールといえば、あのオーム真理教や統一協会の所業と何処が違うのかと問わねばならなくなります。つまり、そういうことが、ますます「心の闇」をかた くなな地獄に変えてゆくのではないですか。

* 「心を育てよう」と識者はすぐ云う。簡単に言います、が、「心」は育てられるモノではないし、探しても容易に把捉できないのが「心」という非在の機 能です。育てるなら「体育」の方がいいにきまっています。健康な肉体に健康な精神は宿るといわれてきた平凡そうな人類の智慧が、すっかり置き忘れられて、 何を慌ててか「機械オタク」を、幼稚園小学校からツクリだそうとするから、不幸な事件にもなってくる。あの彼女らが機械のエキスパートになる前に、校庭や 戸外でかけまわる楽しさを十分体感していたら、どうだったろうと、昔を思い出し出し、わたしは嘆きます。

コンピュータは偉大な「杖」であります。若いというよりまだ心幼い世代に「杖」は無用ではないですか。放っておいても彼等は電子的な技能など、社会の波 に揺られながら自然に覚えてゆきます。それは彼や彼女らには、「准・母国語」にひとしいんです。慌てることはないんです。

莫大な数のネット機械を小学校へ持ち込んだのは、政治的な利権がらみの一種の企業手配であったろうと、わたしは疑いません。その段階でいわば「生徒の心 の闇」は当然に棚上げされていました。そうしておいて、事件が起きると「心」の責任にしている。政治の責任、ないしは大人社会の責任でなくて何でしょう  コンピュータは、「老人にこそ適性の杖」と言い続けてきたわたしの、これが真意です。  2004 06・14

 

* いまや亡国亡魂の悪臭に、幼い子らからすでに毒され、痴呆のように掌大の機械のちいさな画面で麻痺状態、生き生きと働く「自身で産み 出した時間」がもてないでいるウツケ顔を電車の中で無残に眺めている。肌身も冷えてくる。幸いわたしの携帯電話はとてもそうは駆使され得ないのを、多としてお く 。

2019 12/28 217

 

 

* この数日聴きつづけているジャズは、「The Days of Wine and Roses」と総題されている16曲、静かに花やかで仕事や思索の邪魔にならず、音楽そのものが懐かしく感じられる。鎮静の効果も安楽の効果もあり、なにの邪魔にもならず懐かしい。

 

* これに較べると朝食時のテレビの騒がしいくだらなさ。なによりも広告の愚劣な不作法。

私は少年の頃の新聞や母らの婦人雑誌に載る婦人用広告のあんまりにほど簡素で控えめなのに子供心に驚いていた。女性の体調や生理や振るまいに関わる広告などは、この敗戦後でさえ、ながく久しく極めて抑制されていて、その気持ちは理解できた。

今はどうか、食事している前で、りっぱにご婦人顔、お年寄り風情の女性が、便所へ出入りして排便排尿の快適・改善のさまをニュルニュルの模擬映像つきで 破顔謳歌される。あるいは局所への生裡用品の貼ったり当てたり入れたりの気分良さを実演さながらに広告される。しかも登場女性達の表情の晴れやかに嬉しげ な事。少年少女がニキビを歎くのとはコトが違う、のに、である。

むろん男性側にもあるが、むしろ女性側の露骨さはとびぬけている。

最近は、倚子に置いた玉子へ女の尻をおとし、玉の当たりが肛門に「ああ気持ちいい」などと極くまともそうな中年女性が歓声天を仰いでいる。文字通りに凄 い時代、無恥放埒爛熟の時代になった。いかに、排泄排便性感は人の高貴卑賤にかかわりなく世界共通とはいえ、だからこそ、なにかしら黙して語らない見せな いで済ませたいことは厳存していいのでなかろうか。私がただ古くさいのか。

 

* 太宰府観光番組で、天神さんに「牛」が出た妻と観ていて、「猪」の出てくる和気清麿呂へわたしから話題が動いた。謂うまでもない、称徳女帝のとき、深 く深く露骨なまで女帝に取り入っていた僧道鏡に、譲位がらみに彼の帝位簒奪意嚮が露われ、廷臣和気清麿呂がはるはる九州の宇佐八幡まで赴き「神意」を問う てくる役に当たった。

彼人麻呂は、僧道鏡の邪心を真っ向否認の「神託」なるものをもち帰り、皇統一系の血脈の「穢れ」を敢然妨げたのである。

「<女帝>の、そこがモンダイ だったのね」と、妻は簡潔に指摘した。

天皇制が、万世一系男帝の血統に執着してきたのは、女帝がワケの分からない男性を夫に迎えたり子を為したりしたとき、その(道鏡に類する)男が簒奪した り、その子孫が即位して皇統一系の乱脈に陥るのを憂慮警戒したからで、その是非や可否はともあれ、久しく久しい日本の天皇制は、一種壮麗なフィクション・ 夢物語(ロマン)を頑固なほどほぼ徹して護りぬいてきた世界に類のない「神がかりの国体構図」なのであって、これを取り崩し、地球上どこにも在るごく普通 不安定な「王様制度」へ転換した時は、それはもう「是非はともあれ」あの「大嘗祭等」の神秘を信じて来た「天皇制」では全然無くなる。

無くなってもいいではないかという議論は、これはもう、まったく別途の、ふつうの政体議論にすぎない。

あの藤原氏も源氏も平氏も徳川氏も、少なくも表向き「自家男系の血統で皇位を」とは動かなかった、あくまで女性を宮中に入れて「外戚」たるを望むに留めていた。

「女帝」には慎重であるか、「万世一系の天皇制」などに固執しない気か、日本国民は慎重でありたい、日本の未来史に堪え得ない軽率だけは自戒すべきだろう。

女帝モンダイが、なにやら週刊誌的に話題にされる。

思い切って謂う、根幹の論題は、こと皇室に関するかぎり、「側室」「一夫多妻」を超憲法の極限定制度として容れるかどうかに関わってきそうなのは、二千年の日本歴史が証言していてる、上皇后さん、現皇后さん、次々の皇后さんのためには、決してそう在っては欲しくないが。

わたしは、万一にも男系皇統が維持できないのなら、神懸かりのロマンチックな「天皇制」とはさよならしてもいいかと思うが、つぎに現れる「民主主義日 本」支配の低劣な惨状は、心あるモノになら、だれでも容易に想像でき、真実憂慮される。ソクラテスも謂うていた、民主主義には優れた資質が期待されるもの の、そんな民主主義ほど、簒奪独裁者のあくどい悪支配に人民は遁れ得ない歎きを負うのが成り行きだと。トランプ、ブーチン、習近平、金正恩、そして日本の 民主主義も、日増し日増しに一党独裁から一人独裁へと蠢いているではないか。

 

しんしんとさびしきときはなにをおもふ

おもひもえざるいのちなりけり      恒平

 

* 「女帝」論は、慎重であるべきだろう。

2019 12/28 217

 

 

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

59 *  2004 06・27     自分が今、おそろしくカラッポに感じられます。イヤな意味でもイイ意味でもない。空腹感に似ています。戦時戦後の欠食児童であったからあの頃の空腹 に快感のともなうわけありませんでしたが、老いてきて、満腹よりも空腹の心地よしと想われる時も自覚しています。身軽という心地に近い。

荀子は心に「虚」と「壱」を説き、さらに「静」を説きました。無尽蔵に溜め込める心が一瞬にして空っぽにもなれる。無際限に関われる心がただに壱点へと集注もできます。そして心はその芯に深い静を湛えているのですが、人はそれに気付かない。

カラッポのママデいられたら、それがいいに決まっているのかどうか。考えて済むことではない。闇に沈透(しず)いて、静かに眠るのが今はふさわしいのかも。  2004 06・27

 

* 機械の温まって働きはじめてくれるのを じっと待ち 待ちながら待つことさえ忘れボーっとして静かに ジャズバラードの鳴っているのと共存している。わるい時ではない。待っていれば機械はどこをどう通りに通り抜けてか訪れては呉れる、そう信頼している。 「待つ」というきちょうなことを教えてくれたこの古機械は「導師」のひとりに値する。

2019 12/29 217

 

 

* 源氏物語を読み進めて「紅葉賀」巻にいたると光源氏のいわば晴れて公儀の麗姿に視線が集まる。なかでも競争相手の頭中将を「花のかたはらの深山木」ほどにおしのけて光は「青海波」を唄い舞う、そのみごとさを「佛の御迦陵頻伽の声」と褒め称えてある。優れて印象的な賞讃のことばであり忘れがたいのに、ある一抹の思いを 私も初読のむかしから感じていた。だが、ここは、無数の過去の読み手がほぼたがえず、光源氏の歌声が「佛の迦陵頻伽の声のよう」と解され読まれてきた。最新の岩波文庫版でも、「これこそ迦陵頻伽(極樂にいる絶妙な声の鳥)の声」とのみ註されてある。

これに対し、今年三月になってはじめて、鶴見大の年報に田口暢之氏が新解釈として、「佛の御 迦陵頻伽の声」と列びあげて読まれた。

「御(おほん)」は、他例少なくなく、この場合だと「佛の(御経を説かれる)御 声」を意味し、また例えば「帝の御」なら、帝の御歌とか御文や命令を意味し、これに準じて類例文が異数に稀などということなく通用している。わたしは田口 氏の新たな提言をほぼ受け容れたい気持ちでおり、これを新たに紹介しつつさらに微妙に意見を重ねられているのが最近の雑誌「汲古」7に、国文学研究資料館 の特任助教岡田貴憲氏の出された論文がある。私は、岡田氏のそれを読んで溯って田口氏所説の要点をのみ承知したのであるが、それにつれ田口氏のやや緩やか な感想ふう論攷に、付け足して教えて貰えると田口氏説もろとももっとしかと腹におさまる気がした。つまり少し物足りない箇所が在ったのだ。

で、資料館の岡田氏に伝えて欲しいと、古典研究会編「汲古」編集室へ、下記のメールを送っておいた。私のいたらぬ賢しらに過ぎないのかも知れぬが。

 

* 「汲古」編集室御中

 

いつも「汲古」賜り 欠かさず愛読しています。この歳末も極まれる時になって、甚だ恐縮ですが、

今回「76号」巻頭の 岡田貴憲さんご発表論攷、かねて気にしてきた論題なので 今しも気を入れて拝見しました。

ひとつ 筆者にお教え願えればと。 叶うならご仲介くださいませんか。

 

問題の  「佛の御迦陵頻伽の声」 ですが、

 

一つ、「佛」を 即(イコール)視して「迦陵頻伽」と申す例は  在るのか 多いのか、

 

二つ、「迦陵頻伽」のことを 「御迦陵頻伽」と 「御」字を副えて敬い申す例は  在るのか 多いのか、

 

この二点にも 言及しておいて頂ければさらに論旨が立つかと思いました。

 

 

 

幼來の源氏読みで、ここの「御迦陵頻伽」の「御」という敬辞にときどき「ひっかかって」気にしていました。

また久しく在来の読みでは 「御佛」でなく単に「佛の」 単に「迦陵頻伽の」でなく「御迦陵頻伽の」とあるのにも 少し気味のよくなさを覚え続けていました。 田口暢之さんの新説が、今時分にやっと出たというのもやや訝しく感じました。

 

以上 失礼ですが 論者の岡田さんへお伝えくださらば有難う存じます。

 

よき新年をお迎え下さい。    秦 恒平

 

* よけいな差し出口だったかと肩をすくめるが。先の 国文学研究資料館の館長さんだった、久しく昵懇を願っている、新版岩波源氏の校注者のお一人である今西祐一郎さんの感想・示教も得たいもの。

2019 12/29 217

 

 

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

60 *  2004 07・20    バグワンは、「心」が、いかに散漫かを語り、そんな散漫に拘泥してはますます混乱することを話しています。人は、一分も三十秒も無心になんかなかなか なれません、すぐ割り込んでくる思考に乱される。そのはかないことは笑い出すほどですが、バグワンは、そう、頼れぬ心、乱れ雲のような思考・分別は、ただ 笑ってやりすごせ、通り過ぎてゆかせよと言っくれます。これは高級な示唆です。  2004 07.20

2019 12/30 217

 

 

* 作家以前、作家までの「自筆年譜」は、まことに多 く、男ではなく女に、女たちに私が知情意を刺戟され養われてきたかを露わしている。まさしく京都の「女文化」で育てられ、それが栄養になり、さまざまに吸 収してしんしんに残るモノを掴み続けていた。それが、作家になっての創作へ根深くつながり、花になり実になったとは疑えない。もとより大方は時間の流れに 流されてそれぞれに遠ざかるだけではあれ、そんな多彩な女性の中でも、ひとしおの「真に身内」の実感を永く持ち堪え得た何人もが在った、在り得たことを私 は今も大切に生涯の幸と歓んでいる。

2019 12/30 217

 

 

* イングリット・バーグマンとユル・ブリンナーの映画「アナスタシア」を楽しんでいた。パーグマンの卓越した演技力と美しさとは有り難いことに決して古びない。皇太后と抱き合う場面が静かに沁みる。

さて、この映画の感想とも何処かで響き合うのか無関係か、戴いた以下のメールは、歳末の論議としてはあまり重いが、わたしの大まかな感想は、先に(この二十八日の私語に)漏らしたとおりです。「論議」は、ここ(私語の刻)へ来て下っている方々へもお任せしたい。

 

☆ みづうみ、お元気ですか。

少しでも、真摯な裏付けに欠ける言葉を書くと見破られてしまいます。「思わせぶり」「支離滅裂」「無意味」と手厳しく。大いに反省いたしました。書き過ぎること、身振りの大袈裟な表現をしないこと、舞でいうと「間」を大切にすることを心がけていかなければと思っているのですが、難しいことで らくに乗り越えられる課題ではありません。

年末慌しい時期ですが、みづうみの二十八日の記述に深く考えさせられました。

 

 

> 天皇制が、万世一系男帝の血統に執着してきたのは、女帝がワケの分からない男性を夫に迎えたり子を為したりしたとき、その(道鏡に類する)男が簒奪した り、その子孫が即位して男系皇統一系の(血の)乱脈に陥るのを憂慮警戒したからで、その是非や可否はともあれ、久しく久しい日本の天皇制は、一種壮麗なフィクション・ 夢物語(ロマン)を頑固なほどほぼ徹して護りぬいた 世界に類のない「神がかりの国体構図」なのであって、これを取り崩し、地球上どこにも在る ごく普通 不安定な「王様制度」へ転換した時は、それはもう 「是非はともあれ」 あの「大嘗祭」等の神秘を信じて来た「天皇制」では全然無くなる。

 

今ま で不勉強で、このような視点で男系天皇を守り続けた日本の伝統についてのご指摘を読んだのは初めてでした。普通の「王様制度」に転換することで、天皇制は 今までの天皇制ではなくなってしまう。女帝論は慎重であるべき、つまり女帝、女系に反対なさっていることがよくわかりました。みづうみのご指摘は日本の歴 史と文化への正統的な理解なのだろうと思います。

しかしながら、この「一種壮麗なフィクション・夢物語」をこれから続けるには民主主義を棄てるしかないのではと思わずにはいられません。戦後憲法の民主主義を棄ててまで守るべき男系天皇制なのか、私には正直よく分からないのです。 (秦=  日本のあの敗戦後、今日の、今日以降への「民主主義」は 極めて悪しく醜い「簒奪独裁民主主義」に陥ってゆくだろうと、ほぼ 望みを持ちかねているのを申しておきます。)

 

素人の素朴な疑問を書かせてください。

 

 

 

> 女帝がワケの分からない男性を夫に迎えたり子を為したりしたとき、その(道鏡に類する)男が簒奪した り、その子孫が即位して皇統一系の乱脈に陥るのを憂慮警戒したからで、

 

男子天皇がワケの分からない女性を妻に迎え子を為し天皇とした例もたぶんあったはずですが、それは男子天皇だから許される。皇統一系の血脈の「穢れ (ではなく、逸れ=秦) 」は女帝の場合のみ問題になるという男尊思想が伝統的な天皇制であることを理解しました。  (秦= 皇妃ないし律令の許した桐壺更衣のような貴族身分のほかにも、天皇には様々な愛妾や召人が出来、遊女妓女の類も混じったのは、常識的に知られてい ます、が、そういう女性の産んだ、親王ならぬ「庶王」が登臨即位の例は、寡聞にして私は識りません、かつ、まさかの場合も、男帝の血脈なら或いはあり得も したでしょう。明らかに日本史の天皇制は 制度的に、律令制以前から少なくも昭和まで、男尊女卑に相違有りません。 秦)

 

 

 

>思い切って謂う、根幹の論題は、こと皇室に関するかぎり、「側室」「一夫多妻」を超憲法の極限定制度として容れるかどうかに関わって来そうなのは、二千年の日本歴史が証言している、上皇后さん、現皇后さん、次々の皇后さんのためには、決してそう在っては欲しくないが。

 

これ は側室制度を認めれば男系天皇が維持できるという意味に受けとれますが、それは既に科学的に不可能だと証明されているのではないでしょうか。不妊の原因の 半分は男性側にあると言われていますが、天皇なり将軍なりに原因がある場合側室が何百人いても解決する問題ではありません。徳川家でもあれほど多く側室が いたのに直系男子が続いたのは三代まででした。つまり天皇家だけでなく子沢山の皇族全部に広く側室を認めなければ、男系男子天皇など到底維持できるはずが ありません。(不妊治療は進歩したものの、まだまだ男女産み分け医療は不安定でリスクの大きいものですし、倫理的な問題もあります。)皇 族の範囲をどこまで広げるのか、当然大変な人数になるでしょう。みづうみの記述の「極限定制度」は天皇家だけでは全く意味がなく、広く上級国民とされる階 層に側室制度を認める結果になりかねない。つまりそれは天皇家だけの問題にとどまらず、日本の一夫一婦制を根幹から変更し、憲法の国民平等、男女平等の理 念を放棄することでしか達成できないのではないかと思います。  (秦 = 概ね仰有る通りのようですが、そこに日本史は、「皇族」という親類親族を「藩屏」として設け、緊急の男系天皇を要請してきたのです。徳川が御三家、御 三卿を設けて「血縁」を確保したのとは、「男系」維持という一点で異なると謂えますけれど、多くの天皇が執拗なまで「男王」が産まれるためにいかに多くの 側室を持っていたか、また男 系の親類を要していたかは史実が示しています。また藤原氏も平氏も徳川氏も女子を宮廷へ送り込んでただ外戚であろうと狂奔しても女帝にはむしろ冷淡でし た。仰有る「医学的不妊や男子少産」が話題になってきたのは、久しい皇室の歴史でも、御承知のように「ごく最近」のことなのです。 一夫一婦制とは、問題の性質がてんで違っていました。

はっきり言い替えれば、民主主義憲法にしたがえば、男系一統の天皇制は難しいということです。同時に、日本人の広く国家社会がそんな天皇制の「消滅」にハイハイと従うのかど うかも、歴史的感情ないし親和感から観て、容易に信じがたい。あの昭和の敗戦時にすら、そうは成りませんでした。)

 

欧米の皇室が実質的には一夫一婦制でないのは承知していますが、それでも一夫一婦制は揺るぎません。なぜならもし側室が公然と認められることになれば現 代の王室は国民の信頼を失い早晩消滅するのが明らかだからです。欧米の王室の権威は昔日の面影もありませんが、それでも王室そのものの絶滅を避けるため に、王室の安泰のために、女帝、女系を認める方向に変わるしかなかったのだと思います。  (秦= 仰有るとおりです、西欧ほかの皇室について深い知識も 関心ももちませんが。 ただ、「皇帝」と「天皇」との呼称の差異には、不思議なモノがからみます。「天皇」受容のそんな類例が世界に無いのも事実のよう で、日本人の意識がどう動くかは、とても私の口を挿める問題でないと思っています。)

 

生き残るのは 強いものではなく変わることのできるものだというのがダーウィンの説でもありました。誰かを不幸にしてまで維持する必要のある伝統があるとしたら、伝統を 棄てるか変えるべきだというのが現代の良識ではないかと思います。男系維持に固執していれば、いずれ天皇制そのものの消滅を招くと思うのは間違っています か。天皇制度を維持したいということであれば、民主主義を棄てるか女系を認める選択しかないのでは。天皇制が欧米の王室のようになることと、民主主義を棄 てることを測りにかければ、国民にとっては民主主義のほうがより切実な必要ではないかと感じます。  (秦= 仰有ることはカッコ付きの「正 論」です。論としては異論ありません。が、とかく「論」だけで生きてこなかった「日本人の歴史」でもある。それに、私は日本人が立派な民主主義を堅持し育 てて行ける国民なのか、心底、憂慮しています。「簒奪独裁民主主義」という「国家」として最悪のどつぼに嵌りかねない、嵌りつつあるのを心底憂えていま す。)

 

そもそも天皇家に一夫多妻を認めるとした ら、現代女性は、良家の子女であればあるほど皇室に嫁ぐことはないでしょう。子ども、しかも男子を生むことだけを期待される場所にみづうみなら娘を嫁がせ ますか? 平安時代であれば天皇の母になることには大きな幸福があったかもしれませんが、現代の天皇はあの時代の天皇とは違う、カゴの鳥のような、実権の ない文化的な象徴でしかありません。例外的に成り上がりたい女が嫁ぐことはあり得ますが、そういう女ほど女に嫌われる存在はなく見え透いた野心が在る限り 「皇后」として国民に愛されることはないでしょう。 (秦= 私は、例外的に「成り登り」たがる、道鏡なみに困った男らの出現をも案じています。その余に はコメントしません。)

 

価値 ある伝統である男系男子天皇を維持するために法律的に側室を広く認めるというのが日本国民の総意として認められるなら、それはそれでかまいません。伝統と はそれほど大事なものなのかもしれないからです。ただし私は娘を外国に出します。そこまで女を、子ども、それも男子製造機のように見下す祖国に生きていて どんな女の幸福があるものかと思うからです。子のない女、男子を生まない女は二等国民であるとされる社会は、少なくとも女にはひどく生きづらい社会です。   (秦= 日本という国が、国民の生きやすい國であったかのかどうか、なんとも言えません。ただ、現在、レマルクを読み継いでいますし、西欧各国や中 国・朝鮮の歴史を、基督教史や儒教もふくめて或る程度心得ていますが、私自身は、「日本の文化」を「女文化」を、こころから愛して守りたいと思っていま す。)

 

現在 海外で仕事をしている日本女性と日本男性の大きな違いは異国に骨を埋める覚悟のあるなしと言われています。女は死ぬ気で異国に働き、男は日本に帰るつもり で仕事している。日本は男には住みやすい国であって、女には決して住みやすい国ではないことが大きな理由でしょう。日本の男は大概はやさしいし真面目で誠 実ですが、制度としては女に徹して冷たい国です。だから当然の帰結として少子化に歯止めがかからない。今後もこの流れは加速するでしょう。  (秦=女性 の逃亡、悪政との戦いの放棄とも聞こえますが。)

 

国連から女性差別 と指摘されている夫婦別姓を認めない法律もその一つです。みづうみは男ですから、現在の女子校の同窓会名簿作成現場の大混乱など想像もできないでしょう。 旧姓で仕事をしている、離婚した当時の姓で仕事をしているが現在の戸籍の姓は二度目の夫のものだ、などあらゆる場面で表記を統一しようがないのです。姓の 変わらない男なら結婚していようといまいと同じ表記なのに、女は( )内に旧姓表記する必要があることですらこれまでずいぶん差別的でした。名簿をみるだけで、あの人まだ独身なのかなどと個人情報がある程度知られてしまうわけです。しかも、本来の出生時の旧姓が隠れることで探したい人間を名簿で探すことにハードルがいくつもある状態です。 (秦= だから外国がいい、日本へ帰らないというのでは、国民としての努力の放棄になりませんか。)

 

 

 

現在では、仕事で通用している旧姓表記で( )内を戸籍の結婚後の姓にしてほしいという要望があまりに多いにもかかわらず、旧世代では( )内は旧姓にしか思えないのでそれが出来ないという厄介なことになっています。説明をつけても誤解する人間が跡を絶たず名簿表記はうまい解決方法がなくて複雑で紛糾、お手上げの状態なのです。

 

みづうみが以前に秦の姓を継ぐ人間がいな くなると嘆いて書いていらした時にも同じことを感じたのですが、夫婦別姓を認めさえすれば秦の姓は残せますのに そういう方向にはお考えにならない。みづ うみは結局旧世代の家制度に属している方です。それが悪いという意味ではなく、単にそうだということです。みづうみへの批判ではないのです。特権を持って いる人間には、結局わからないことでありましょう。わたくし自身も意識していない色々な特権があるはずで、悪意なくても誰かに酷いことをしているに違いな いのです。

以上、差別され続ける女側の負け犬の遠吠えとしてお心に留め置かれてお笑いください。 (秦= 結局は こういう「捨て台詞」で幕を引くのでなく、早い機会の「立候補」を奨めます。)

 

 

 

 

 

お寒さ厳しくなってまいりましたが、どう かお風邪など召されませんよう、お元気で楽しい年末年始をお過ごしください。やっと年賀状書き終わりましたが、年賀状スルーと言う言葉が最近はあるそう で、若い世代は年賀状を書きません。年賀状も絶滅危惧種となっています。世の中どんどん変わっていくことをこんなことからもしみじみ思い知るわけで…。   煤   煤竹の女竹の青く美しく    高野素十

* かなりややこしいので、その場その場で半端なコメントを挟んでおいた。

 

* 思い出した。「花方」で、すさまじい平家物語異本を背後に、決して史実ではない、兄宗盛が妹建礼門院の閨へ 母時子の嗾しで這い寄ることを書いていた。

小説作者の私は否認しているが、あれなどは、きわどい問題意識の露出であった。

 

* 元朝の心用意もした。

2019 12/30 217

 

☆ 往年の 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

 

61 *  2004  07・27   バグワンは、「今・此処」を、「ゆったりと自然に」と言いつづけます。けっして、喜怒哀楽するなという意味ではない。喜怒哀楽を免れる 人はいない、それはそれで怒るなら怒りなさい、楽しいなら楽しみなさいとバグワンは云い、ただ、それと安易に「一体化」するな、眺めて通り過ぎさせよ、 と。

すばらしい。同感です。

わたしは、例えば怒りをこらえないし、怒りをやり過ごして行かせています。悲しければ悲しむが、通りすぎて行くのを眺めています。嬉しくても楽しくても 同じようにしようとしているんです、出来ると思ってEます。成るように成ってきます。ものごとはそう簡単に毀れるものでなく、また油断して甘えていてもい けない。  2004 07・27

 

* 大晦日にとくに感懐は無い。無事に今日まで歩み寄れた(入院ということの無くて済んだ)今年に感謝深し。来年もと、切に願う。同じ憂いを抱く少なからぬ知友の御無事をも祈る。

2019 12/31 217

 

 

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