ぜんぶ秦恒平文学の話

映画・テレビ 2002年

 

* 伊藤若冲の佳い放送があり、なかでも絢爛豪華にして緻密な写生様式を鳴り響かせた「動植綵繪」群に圧倒された。岸部一徳と山本学を使い、外国人コレクターを絡ませてドキュメンタリーともドラマともつかぬ仕立てで画面構成されていたが、その臭みなど少しも気にならず、ただもう、この凄みのある風の変わった画家の力の「太さ」に感動し続けていた。声にもならぬ声がノドから鼻から歯の間から漏れ出ているほど、感動して、観ていた。ひよっとして甥の黒川創も番組に絡んでいないかと期待していたが、それはなかった。恒は、どう過ごしているだろう、このところ、何も知らない。

* その前に、インターネットで村上華岳を見ていた。「裸婦図」がいきなり大きく目に入り、溜まらなく懐かしく、そのままあちこち見ていれば、当然ながら祇園の何必館にすぐ直面する。ひさしぶりに「太子樹下禅那図」と梶川芳友の文章に出逢い、大いに満足した。そのままメールを送って、この文章だけは佳い意味でちからがよく抜けていて、素晴らしいと褒めた。褒めたついでに半分は本気で、この繪と文を電子文藝館の「随筆欄」に欲しいなと思った。芳友も日本ペンクラブの会員なのである。
2002 1・2 12

* 西田敏行演じる一茶を、石田ゆり子が嫁いできたところまで見て、先は諦めてきた。わるいほどではない、が、芝居のテンポがゆる過ぎる。
2002 1・3 12

* ワインを飲みながら、高島忠夫息子兄弟の弟の方主演の、NHK時代劇を観ていた。剣客で、目付をつとめる異腹の兄の面倒になるべくならぬよう、弟は世間に出て、「よろづ仲裁」のような仕事をしている。これもいい。兄とその妻、嫂もまたいい。比較的穏やかな時代劇で、キムタクの演じた忠臣蔵とはだいぶ格が高い。キムタクが堀部安兵衛を演じると、、剣術の基本のすりあしもできない。むちゃくちゃである。それでも視聴率は高い。視聴率などというものの馬鹿らしさである。
真行寺なんとかという自意識の強い女優が、旗本の妻女をしゃかりき熱演していた。この女優の演技は、いつも万事が外へ出る。表情や言葉や身じろぎの激しさで出る。真に旨い女優はその逆に、それらを抑制して内に蓄えてうごき少なく、ぎらっと出す。真行寺の他にもこの手の勘違い女優は幾らもいるが、そうでない優れた演技者もいる。
昨日の夜に松本清張原作を演じていた秋吉久美子の演技は、その最も美しく完璧な例の一つであった。父を喪失している子がその故に母を憎んでいた。しかも母に似た恋人を得、だが結婚に踏み切れない。母への思い出の中にあらわれる或る男に拘泥していたのだ。だが実の父は手形詐欺集団の頭領として官憲に追われていた。母の身近にいると思っていたのは、妻の家に立ち寄るかも知れないのを張り込んでいた、二人の刑事の内の一人であった。
そういった事実に隠れた謎を、母の死後に、息子と恋人とは追ってゆく。秋吉はその母と恋人を二役演じて、美しく哀れに存在性の豊かなリアリティーを「溢れるほどの静かさ」で演じて感動させた。激しく粗く感情を表へ外へ出すことでも女は造形できたろうが、そうはしない方を、決定的に秋吉は選んでいた。大声を出し顔をつくり身もだえしての芝居は、ラフにはやりやすい。しかし観ていて乗ってゆきにくい。
秋吉久美子は、さきの時代物で嫂を演じていた原田美枝子とならぶ映画女優であり、ただのテレタレではない。作品が「読める」。不必要には体や顔で暴れない芝居が出来る。人物の内面がいつも出来ている。大竹しのぶもこれができる。浅丘ルリ子もこれが出来る。うまい役者は、外へは最小限しか出さぬことで内側からのエネルギーを放射する。
真行寺は上手い方のタレントだが、白石加代子らと同じで、力ずくのこけおどしをやるので、白けてしまうことが多い。
昨日の秋吉久美子には脱帽した。
2002 1・4 12

* 映画「アマデウス」は、長篇をやすみやすみ読む按配に、DVDで見ている。いい映画だが、息苦しい厳しい主題であり、楽しいよりも、あまりに切実である。
2002 1・9 12

* 映画「アマデウス」は、モーツアルトの音楽の美しさにこそ驚嘆するが、見ていてあまりにつらい。舞台を知っているので結末は見る前から分かっているのだが、サリエリ役もアマデウス役もまるで知らない俳優なので、だれかが演じているようにとても思われず、感情移入してしまうと苦しくなってくる。雨の共同墓地の死体穴に、袋詰めのモーツアルトがどさりと棺から滑り落とされる無常。ぞっとする。二度と見たくない映画だ。楽しんでみるのには、題も見ていないキアヌ・リーブスのサスペンスの方がいい。やれやれ。 2002 1・13 12

* 多大の期待をもってNHK芸術劇場の歌劇「トラヴィアータ」を観た、聴いた。生放送で、こうまで望めるかと思うほど見事に美しいオペラのドラマチックな再現だった。音楽そのものが楽しめ、ドラマには泣かされた。
椿姫という小デュマの小説を読んだのは、中学二年生の三学期に、人に借りてであった。大人になってからも岩波文庫で二度三度読んでいるが、お話としては純熟しておもしろく書けているが、面白すぎるという気がして、同じ面白さでもバルザックの「谷間の百合」やスタンダールの「パルムの僧院」やフローベールの「ボヴァリー夫人」などに比べると読み物だという感想を持っていた。オペラとしてはさわりの部分は何度も見聞きしてきたし、有名なアリアにも馴染んできたが、今夜のように、固定した舞台から解放されて、豊かにリアリティーのある演出で全曲全場面をくまなくりあるスペースで見聞きできたなんて、はじめてことだ。満足した。シェイクスピアの芝居の、リアルスペースでの忠実なテレビ再現も有り難く、好んでよく観たが、こんなふうにオペラを生放送の緊張感とともにまたみせてくれるなら、テレビを、もっと有り難いと思うだろう。いいジェラールですばらしいヴィオレッタだった。ビデオにも撮りながら妻と二人で観た。ビデオは躊躇なく保存版になる。
この物語が好きかと云われれば、ノーと答える。それでも音楽も登場人物の演技にも歌唱にも満足した。それだけは書いておきたい。
2002 1・20 12

* ビデオの映画「ノッティングヒルの恋人」を本ほ読むように、朝のうちに三分の一ほど観た。ジュリア・ロバーツが世界一の美女だとは思わないけれど、心根の清々しい、いい女を演じるののうまい人で、この映画も、「プリティーウーマン」にならぶか、それ以上に清々しさの風立つ、気分のいい仕上がり。いま、こういう真情の柔らかに美しいものに触れると、とても強く感じてしまう自分に、少し驚いている。それほど現世はなまぐさくきなくさい。
2002 1・21 12

* 雪 明日は雪かきをする程積もるかも。
イタリア チネチッタ撮影所のドキュメンタリーを観ていました。
1936年に発足したといいます。
昔々、宝塚時代の八千草薫が「蝶々夫人」を撮る時に、その名前を覚えました。まだ自由化をしていない、ヨーロッパなんて夢みたいに遠い頃、出し店の二階にはイタリアの小物を多数置いていたので、懐かしんで来た彼女に、応対した覚えがあります。
十五、六年前の「ニューシネマパラダイス」を観ましたか。戦中、戦後のシチリアの村が舞台で、映画好きだった子供が、多感な少年時代を経て、その後ローマに出て映画監督になる話ですが、音楽と共に哀愁のあるいい映画でした。その子役で好演した地元のトト君が、今青年になり、ローマへ出て映画の仕事に携わりたいと、熱っぽく話していました。ロッセリーニ、ビスコンテイ、フエリーニ、等の巨匠が名画を撮った処。アメリカ映画も「ベンハー」「クレオパトラ」等数多く創られています。
ニュヨーク同時多発テロ事件で封切を延期された、スコセッシ監督、デイカプリオ主演の大作「ギャング オヴ ニューヨーク」もここで撮られました。
又、映画のお話になってしまいました。

* とてもこんな映画通ではない。しかし、高校、大学のころ日本映画の全盛時代であったため、映画への敬意をわたしは強かに我が身に植え付けてきた。かなり真剣に見た。その頃は外国映画はむしろ軽薄だと思い、進んでは観なかったが、カーク・ダグラスとトニー・カーチスの「バイキング」の美しい写真とあらい物語に魅せられて、洋画も選んでみるようになった。選んでというと可笑しい、それなら入場料の安い映画を選んでと云うべきだ。ジェニファ・ジョーンズの「女狐」とかいった映画が、無性に印象深い。黄金色に萌えるような山原を駆け下りてきたジェニファが底知れぬ野井戸に呑まれてゆくシーンが夢のように。
この頃は、日本映画というと、それこそ試写会に呼ばれる機会にしかみない。そもそも映画館に行くひまがなく、テレビでは洋画なら観てもいいと思ってしまう。洋画はくだらなくてもそれなりに珍しい眺めがある。風俗がある。
近年印象的に覚えている日本画には、テレビで観た「雨あがる」「しゃる・うぃ・だんす」などがある。
2002 1・26 12

* 二時間半しか眠れず、五時前に起きて、前夜、妻がビデオにしておいたハンフリー・ボガートらの「俺たちは天使じゃない」を一人で観た。一両日前は、スピルバーグ総指揮の「トゥイスター」を同じように早暁に観た。幸い両方とも面白く、後者のヘレン・ハートもいい女優だし、前者のジョーン・ベネットの奥さんぶりは、エリザベス・テーラーとスペンサー・トレーシーの「花嫁の父」での母親役を思い出させて、なお若く綺麗な上品さで、満足した。ハンフリー・ボガートなんて、なんて懐かしい俳優か。「カサブランカ」「麗しのサブリナ」など。今朝の映画では凄みとおかしみとを兼ね合わせて、飄々然として、すこし不気味な魅力がおかしかった。変ったクリスマス映画であった。
2002 1・28 12

* NHK番組製作局のディレクターから電話があり、「芸能花舞台」名作文学シリーズ第一回で、谷崎潤一郎「細雪」を採り上げるにつき、わたしの作詞・二世荻江壽友作曲の荻江節「松の段」を、潤一郎作詞・二世都一廣作曲の一中節「花の段」と同時に放映したいがという、依頼。荻江に、前もって聞いていたことで、承知。
ただ「松の段」としてあるように、これは小説『細雪』の外側でモデルとして現実に生きた、松子夫人と妹重子さん、そして谷崎の三人三様を書いたもので、「幸子」「雪子」に宛てて書いてはいない。壽友に頼まれて作詞したときは、谷崎と重子さんとはもう亡くなっていて、また相逢う日を「松=待つ」きもちで、幽明境を異にした思慕を主題にしていた。それだけは、関係者にも分かっていて欲しいと電話で伝えた。企画書では「幸子 花柳春」「雪子 西川瑞扇」となっている。「花の段」こそ小説の内側を歌っていて、「幸子 花柳春」「雪子 西川瑞扇」「妙子 西川喜優」で問題ないが、それとても谷崎の当時の気持では、作中の蒔岡姉妹以上に、松子、重子、信子三姉妹が色濃く念頭にあったのは間違いないところである。と、これだけを認めてさえ置くなら、こだわる所ではない。企画通りで差し支えない。
二月九日午後一時教育テレビ「芸能花舞台」放映。同、十六日午前五時十五分、十八日午前○時十五分にも、再、再々放映とか。わたしたち夫婦のしょっちゅう観ている番組である。

* 「細雪松の段」初演は、藤間由子が弟子と二人で舞い、次いで先日亡くなった名手今井敬子が松子夫人の希望で一人で舞い、また京都先斗町の芸妓たちが温習会で演奏した。作詞は、あえて谷崎作詞「花の段」や和歌をふまえながら書いており、結果的に松風村雨の姉妹が行平卿を慕うのに似て、松樹を谷崎に、二人姉妹が幽明境を異にしながら松をめぐって連れ舞われたりしてきた。ともにまた逢い逢うのを「まつ」と契りながら、空漠々と松子夫人ひとりが此の世に生きてある寂しさを表現した。国立小劇場で二度公演し、ともに松子夫人は泣き崩れておられたのが忘れられない。
松子夫人は、これは一人舞がよかろうと思われ、二度目はご自身今井さんに働きかけ、いろいろ話し合いもして実現した舞台だった。わたしも話し合いに加わった。松子夫人もまた最近今井さんも、逝ってしまわれた。
2002 1・29 12

* 今夜、映画「ジャンヌ・ダルク」が放映された、わたしは、不必要にむかつきたくなかったので初めのうち見なかったが、仕事の一段落で階下におりると、ランスでの戴冠の辺から、掌を返したように、ジャンヌが新国王と側近勢力に「用済みの危険な邪魔者」として見捨てられてゆく経緯、偽善の塊のような聖職や学者や市民から、こともあろうに宿敵イギリスの勢力に手渡されて火炙りになるまでを見てしまうことになった。映画はシンラツにジャンヌの動機を神自身の威嚇によって暴いてゆき、そして神に赦されてジャンヌは死んでゆくが、それが後世に列聖されるに値する真に殉教といったものであったかどうかの曖昧さを、映画の作者達は、愛情をもって告発している。その批評は新鮮で深い。
それにしても、ジャンヌを利用し棄てて殺した「世間」の勘定高さには、やはり、自民政権をめぐるもろもろの臭い勢力を連想させて、あたら優れた映画の味を陰惨にした、残念な。
千葉のe-OLDからのメールもほろ苦い。

* 相変わらずのお元気な人生劇場!嬉しくなります。
それにしても、おもしろがっちゃうしかない変な連中は、ほんとに愉快でないですね。
国連のおばさんが受けなかったのが、せめてもの救いです。
2002 2・1 12

* まんまと、芸能花舞台の「細雪」花の段・松の段を観わすれた。晩にはシュワルツェネッガーの「ゴリラ」を観た。「松の段」がいつ放映されていたのか時間帯も覚えていない。再放送も含めて三度も放映されるので、油断した。
2002 2・9 12

* もっと仕事する気でいたが、トム・ハンクス主演、スピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」では、これを観ない手はなかった。戦争映画の最高傑作の一つであり、スピルバーグの映画の中でもひときわ優れている。ハリソン・フォードのやる考古学者ものの冒険ストーリーよりも遙かに価値がある。 2002 2・10 12

* 家に帰っても直ぐは休めない。メールが沢山入っていた一つ一つを処置し、幾つも発信した。
あすは、二時には、駒場で川端文学を語らねばならない。先日見逃した芸能花舞台の再放送が、明朝朝の五時台にあるという。ふう、これは堪らん。荻江壽友氏から二三日前に電話があり、わたしは留守であったが、放映を観たものとその話をすべく掛けてこられた電話らしく、聞いて恐縮した。放映そのものはたいへんな好評であったという。明朝がだめでも、確かもう一度、再々放映があると聞いている。
2002 2・15 12

* 廊下を走る跫音にめざめて、黒いマゴを外へ出してやったのが、暁け白む前の五時過ぎだった。はからいごとかと、テレビの前に行ってみたら、潤一郎の「花の段」を三人の女達がひらひらと踊っていた。画面に歌詞を、小さくてもいいいっしょに出せばもっと興味がもちやすいだろうにと思った。音曲の水準も踊りも、感心しなかった。もっとも途中から入ったのである、葛西アナと生稲晃子らの前説があったかどうかも分からない。
やがて「花の段」は終えて、「秦恒平・作詞」「荻江壽友・作曲」と出て「松の段」の始まる前に、だれやら和服の女性が出て、しんみりとも、ものものしいともいえるナレーションがあった。話の中身は穏当だった。何よりよかったのは、踊りの主が「松子」で、添えが「重子」としてあったこと。見せられた企画書の段階では、これも「幸子」と「雪子」になっていた。NHKに電話して、それでも構わないけれど、もともと「幸子」のモデルの松子夫人と「雪子」の妹重子さんとに宛てて書いた「歌詞」であること、「松の段」という題も「松子=待つ」にかけて、幽明境を異にした二人の姉妹の、やがては相逢う日を「待つ」とよびかわす幻想劇になっていることを、説明して置いた。それがそのように修正されていたのは有り難かった。それでこそ詞が生きるし、意図も生きる。
贔屓目だが「花の段」より、格別佳い場面に創られていた、けっこう長く、三場面ぐらいには移り動くのだが、まずまずの振り付けのように思われた。踊りは、どうもあまりうまいとは観なかったが。曲を壽友が自身でうたってくれると最高なのだが、いま健康すぐれないと聞いていた。女性が謡っていた。ナレーションでも触れていたが、今井敬子が一人舞いで国立小劇場で舞ったとき、わたしたち夫婦の一つ前の席で観ておられた松子夫人の、感極まって泣かれたのが、今は夢のように懐かしく懐かしく思い出される。
予定録画のセットをしておいたと妻はいうのだが、うまく撮れているのか、なんだか分からない、まだ確認しないまま機械の前に来た。

* 谷崎潤一郎には「妻の妹」は難しい課題である。細雪の雪子も、痴人の愛のナオミも、「妻の妹」なのだ、モデルは。今日の駒場での講演も、その方だと話が弾むのだけれど。
いっとき、華麗な、だが寂寞の思いにもひしがれる半時を過ごした。わたしの夢のような希望をいえば、吉永小百合と沢口靖子とで「松の段」を舞って欲しいが。靖子はまだ若いかな。いずれにせよ、踊りでなく、舞が佳い。藤間由子は姉妹で舞い、今井敬子は一人で舞い、先斗町の温習会は姉妹で舞った。今日も一人で踊り終えるかと思ったが、やはり重子さんが彼方の幻で登場した。どっちでもいい、壽友の曲がいいので、歌詞を明瞭に発声してくれると、もっといい。
2002 2・16 12

* 今夜にも零時過ぎてからまた「芸能花舞台」が放映される。谷崎先生の「花の段」にならんで私の「松の段」が演奏されるなど、いわば生涯の記念でもあり、もう一度見て、もう一度テープにおさめておこうと思う。
2002 2・17 12

* 夜前、潤一郎の「花の段」わたしの「松の段」をもう一度録画しながら、妻と観て、今朝、マゴに六時半に起こされたのをしおに、ビデオの「松の段」を一人で見なおした。舞踊は花柳春と西川瑞扇、荻江節は荻江寿ゞその他。春にも瑞扇にもしどころがあり、振り付けに苦心の跡が見えて、観るつどに感じが深まり嬉しくなった。番組の結びを法然院墓所と枝垂れ桜に置いて、「此処に細雪は完結しました」というナレーションもほろりとさせた。
昭和三十九年であったか、谷崎の訃報をラジオで聴いたのは偶々夏休みで家族中京都に帰っていたときだった。たまらず、夕暮れ前にひとり法然院の谷崎用意の壽塚を訪れて一時を過ごした。最初の小説私家版を、わたしは谷崎潤一郎、志賀直哉、窪田空穂、三木露風、中勘助に送っていた。太宰治賞までに、なお五年。

* 感慨深い記念なので、「松の段」を書き写しておきたい。亡くなるまでほんとうによくして戴いた谷崎松子夫人への、これは、心からの慕情と感謝の書下ろしであった。言うまでもない谷崎作詞の「花の段」に和している。詞にも、意図して谷崎の和歌のことばなどを繰り入れている。テレビで観世栄夫氏がすこし触れていたものの、事実は、「松の段」作詞の方が、松子さんのあの著書よりも、先のことであった。
じつは、我が「松の段」の語るようなきわめて微妙な、妹重子さんと谷崎と松子夫人との間柄には、それまで、人はあまりふれなかった、むしろタブーであるとされていた。わたしの「谷崎の『源氏物語』体験」という『夢の浮橋』論が出るまでは、だれも三人のことは口にも出来なかったことですと、『夢の浮橋』を口述筆記した伊吹和子さんに聴いたこともある。
作詞中に「我」とは「松」子夫人、「きみ」とは妹「重」子さん、「人」とはおおかた谷崎潤一郎に宛ててある。

* 荻江「細雪 松の段」  秦 恒平 詞

あはれ 春来とも 春来とも あやなく咲きそ 糸桜 あはれ 糸桜かや 夢の跡かや 見し世の人に めぐり逢ふまでは ただ立ちつくす 春の日の 雨か なみだか 紅に しをれて 菅の根のながき えにしの糸の 色ぞ 身にはしむ

さあれ 我こそは王城の 盛りの春に 咲き匂ふ 花とよ 人も いかばかり 愛でし昔の 偲ばるれ

きみは いつしか 春たけて うつろふ 色の 紅枝垂 雪かとばかり 散りにしを 見ずや 糸ざくら ゆたにしだれて みやしろや いく春ごとに 咲きて 散る 人の想ひの かなしとも 優しとも 今は 面影に 恋ひまさりゆく ささめゆき ふりにし きみは 妹 (いもと)にて 忍ぶは 姉の 嘆きなり

あはれ なげくまじ いつまでぞ 大極殿の 廻廊に 袖ふり映えて 幻の きみと 我との 花の宴 とはに絶えせぬ 細雪 いつか常盤(ときわ)に あひ逢ひの 重なる縁(えに)を 松 と言ひて しげれる宿の 幸(さち)多き 夢にも ひとの 顕(た)つやらむ ゆめにも人の まつぞうれしき
──昭和五十八年三月七日作 五十九年一月六日 藤間由子初演 国立小劇場──
2002 2・18 12

* 細雪 やっと昨晩テレビで見ました。切ない、本当に!最近テレビで見た吉永小百合の「細雪」の雪子や「おはん」のイメージなども重なって、HPの文章を読みながら「おんな」をさまざまに感じ考えさせられました。お気楽主婦の「生きるって悲しい」に、いくらかの批判はされても仕方のないことですが、やはり生きていく哀切は拭えなどしません。
講演のあと、お体の不調を感じられたようですが、以後大事にしていらっしゃいますか? いくらか暖冬とはいえ今が一番寒いとき・・暖かければそれだけ花粉症に苦しまなければならないし・・・。どうぞ無理なさいませんよう。

* 甚だ特殊なものに部類される「松の段」の舞踊であり荻江節であるが、こんな風に感じてもらえると、そうかそうかと身につまされる。
いま大竹しのぶの演じていた「棘」というテレビ劇の後段を見ていて、大竹のあまりのうまさに嬉しくなっていた。最高の演技にであうと、もうその劇がどんな筋であるかも関係なく、演技そのものの光ったファシネーションに惹かれ、嬉しい嬉しいという気分になる。藝というのはそうなのだ。「松の段」を亡くなった武原はんがもし舞ってくれていたらどんなであったろうと想像してしまう。神技の持ち主であったが。
2002 2・18 12

* イングリット・バーグマンの生涯を語った番組に目をひかれた。
いちばん美しい女優と謂うことになるとエリザベス・テーラーを落とすわけに行かないが、一番好きな外国人女優ということなら、籤とらずに、バーグマンである。ハリウッドではさんざんの悪評であったらしいが、わたしは中学三年でバーグマン主演のテクニカラー「ジャンヌ・ダーク」を、学校から観に行って魅了された。それより前に観ていた少女エリザベス・テーラーの「大平原」よりも深く魂を揺すられた。もともとわたしは歴史映画が好きなたちで、しかも信仰にふれた映画であったから、好みからいっても感銘はひとしおだった。ぶるぶる震えていただろう、感動して。最初のアカデミー賞の「ガス燈」や二度目の「追憶」よりも、わたしにはジャンヌ・ダークの殉教に惹かれる素地があった。ハンフリー・ボガートとの「カサブランカ」も素晴らしかった。
なによりも、悔いなき前進の人生に敬服していた。短いトーク番組で、黒田あゆみの司会も渡辺淳一や美輪明宏の話も今ひとつではあったが、大写しになるバーグマンの顔は有名な左顔であろうがなかろうが、亡くなる寸前まで、渡辺が謂うように「凛」として美しかった。不世出という思いを新たにした。

* いま外人女優の名前は八十人までそらで数えたてられるが、一に指を折るのは、いつでもバーグマンかエリザベス・テーラーである。そして、キム・ノバク、ソフィア・ローレン、ジーナ・ロロブリジータ、ヴィヴィアン・リー、ブリジット・バルドー、ベティ・デイビス、デボラ・カー、シャーリー・マクレーン、ジョーン・フォンテーン、ジョーン・ベネット、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、キャサリン・ヘプバーン、グレース・ケリー、カトリーヌ・ドヌーブ、スーザン・ヘイワード、モーリン・オハラ、ジェニファ・ジョーンズ、ジュリー・アンドリュース、ミシェル・モルガン、マレーネ・ディートリッヒ、グレタ・ガルボ、ドリス・デイ、ジェーン・フォンダ、アリダ・ヴァリ、アヌーク・エーメなどと続く。
歌手は、ことに外国の歌手はビートルズすら知らないぐらいだが、映画の俳優・女優の名前や顔は、まぎれもない人生の通過点のようにすら、思い出せてくる。ナタリー・ウッド、メリル・ストリープ、メグ・ライアン、ロザンナ・アークエット、スーザン・サランドン、メラニー・グリフィス、ジーン・セバーグ、ミレーヌ・ドモンジョ、アンジー・ディキンソン、キャンディス・バーゲン、シガニー・ウィーバー、ソフィ・マルソーなども思い出せるし、バーバラ・ストライサンド、エバ・マリー・セイント、アン・バクスター、アン・マルグリット、マーガレット・オブライエン、デビー・レイノルズ、ラナ・ターナー、リタ・ヘイワース、ピア・アンジェリ、シルビア・クリステル、アンナ・マニヤーニ、マリア・シェル、そしてジュリア・ロバーツやジョディ・フォスターなど、際限もなくまるで誘い込まれるように思い出せてくる。よっぽど女優が好きなようであるが、男優だと女優よりもいつももう二十人ほどは多く数えられる。ちょっと退屈の怖くなるときには、これを始めると時を忘れ、雑事も忘れる。たいしたコンパニヨンたちである。

* ほんとはこんな暢気なことはしていられない急ぎの用事があるのだが、どうにも気が乗らない。早く済ましてふらっと遊びに出たいが、難しい。
2002 2・26 12

* 昨夜、南極に生き抜いた「タロ・ジロ」の映画をみた。劇映画であるから事実そのままとは思わないが、大筋は現 実をふまえたのであろう。犬たちを残さねばならないにしても、なぜ鎖につないだか、その理由は聞き漏らした。それがひどいと怒る向きもあろう。映画を見る のもイヤという人もいよう。だがわたしは、あの際の、その後の、人間のドラマにはあまり気が動かなかった。いわば山男達の緊急になすべき緊急判断に従って 人身の事故だけは避けたのだろう、冷静に。鎖のことはよく分からないが、それをとかく言う気はしなかった。むろんイヌの関係者達の心情は察してあまりがあ る。イヌではないが、わたしもネコを飼って愛している。
だが、感動したのは、そう、ほとんど「無心」に、可能な限りイヌたちが生きようとし、生きて生きて、そして死んで、そ して二匹だけ生き残っていた、その生死のけわしさと生きる意欲のはげしさに、であった。わたしのような生半可な人間の遠く及ばない生きる意志を描いた映画 であり、高倉健も渡瀬恒彦も夏目雅子もあまり眼中に入らなかった。
2002 3/17 12

* ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘップバーンの「昼下がりの情事」という見逃せない映画をビデオに入れながら、発想の作業の合間合間にブルース・ウィルスの名作「ダイハード」を見ていた。このみごとなテンポには惚れ惚れする。日本のドラマはこの快適なテンポの嬉しさを、滅多なことで与えてくれない。「阿部一族」がいいテンポの凄いほどの悲劇であったが。
2002 3・24 12

夜、息子がすこしだけ「関わった」けれど、だから「脚本」として名前も出るけれど、実際は「ほとんど触っていない」というテレビドラマをみかけた、が、すぐ映画「ダイハード」3に、切り替えた。「お気楽主婦」三人のドタバタぶりは、視聴者もそうだが、女性そのものをバカにしていないかと懼れるほど、例の浅野ゆう子らの薄さ、軽さ。「ダイハード」もこのバージョンは、1や2にくらべるとあまり気乗りしないものと分かっていたので、途中で退散して、それより久間氏の小説を読み継いだ。
2002 3・29 12

* 作業しながら、昼にはトム・ハンクスの「プライベート・ライアン」に感動した。夜はジュリア・ロバーツとデンゼル・ワシントンの「ペリカン文書」を、もう十度も見ているだろうに、緊張して、面白く見た。ま、見たと云うより聴いていたのだが。いい映画だ。「プライベート・ライアン」にせよ「ペリカン文書」にせよ、これほどの映画作品なら、どんな端役で出た人でも誇らしいであろう。作品とはそういうものであらねばならぬ。
わたしが、作品というのは、AとかBとかいう結果そのものを謂うのではない。それは「作」なのだ。「作品」とは、その AとかBとかの「作」が身に体し帯びている「品位」という意味、「気品」という意味だ、「作品」があるかないか、それが問題なのだ。優れた作には作品がある。優れた人に人品や気品があるように。
2002 3・30 12

* 涼しい顔と絶妙との間でせいぜい十分のあいだに何度も何度も笑わせたのが、「笑点」で前座をつとめた漫才の夢路いとし喜味こいしだった。たいしたことは演っていないのに、可笑しくて笑う。うまいとは、円熟とは、ああいうものかなあと思う。
2002 4・8 13

* ハリソン・フォードとアン・アーチャーがジャック・ライアン夫妻を演じるシリーズの「今ここにある危機」をビデオで楽しんだ。何度か見ているが、てきぱきとした運びで見せる映画になっている。それにくらべると今夜テレビが流した「TAXI2」は、第一作に比べて退屈な失敗作であった。第一作はめざましくも面白く、ラストは抜群であったのに。
2002 4・13 13

* しようのない映画やなと思いつつ、本を読み継ぐように何度にもこまぎれで観ていた「昼下がりの情事」であったが、それでも最後にほろりとした。オードリー・ヘップバーンのえもいわれぬ魅力には負けてしまう。不思議な女優だ、しかもうまい。ゲーリー・クーパーのしょうのない漁色ぶりにはゲンナリするが、いいジイサンに見えるから辛抱しておくとして、ヘプバーンの父親役、私立探偵がいい役だ。

* きのうの晩、ちろりとやって来て少し仮眠し、すこし話してから芝居の資金の足しにだとかを百万借りだして、息子は、あたふたと戻っていった。先日、ある連続ドラマの初回分に秦建日子が脚本を書いていたのを、わたしたちは見損ねていた。三人で観た。題は、忘れた、原作もののようだ。長瀬某と、以前「編集王」で主演した某とが、一対で張り合い、植木等がおさえて出る「マネーゲーム」のような、金融や銀行の出てくるドラマであった。タイトルバックなど面白く、二十分ほどはまず好調に感じ、どこかから普通の平凡なドラマのように感じかけたが、まあ持ち直して、初回分を終えた。70点ぐらいかなあ、次ぎも観てみていいが、建日子は初回だけで、オリているらしい。初回分にも特別建日子らしいものは出ていなかった。誰かと二人の名前が「脚本」として出ていた。もうすぐ、八千草薫主演のドラマが有ると聞いている。
2002 4・18 13

* 今時分、テレビで、秦建日子脚本の八千草薫ものをテレビが流しているはずだ。コマーシャルをはさんだテレビドラマは焦れったいので、妻がビデオに撮っておくのをあとで観る。
2002 4・19 13

* 脚本を息子が書いたドラマを、二十分ほど観て、機械の前へ戻ってきた。八千草薫が老いてなお綺麗にすっきりしていた。おはなしは、あまりにスローで、かえって落ち着いた気持ちになれなかった。若い女弟子の匂いに汚れた蒲団の襟に顔をうずめて泣くような花袋の凄まじき作品、宮沢賢治が手帳に書き留めていた祈りの詩、蛞蝓に似た三人の貧しげな男に「守られ」て、廃工場の片隅のような物陰に素っ裸で寝かされ客を迎えている瀕死の「淫売婦」との出会いを、痛々しい怒りと感動とで書いた、葉山嘉樹の小説。そういうのが頭にあった。
「藝」とはなにか。藝のある創作は強い。ものつくりの中にも、「藝術」という言葉を軽侮し軽視し遁走する人達が多いのだが、「藝」と「術」とに分けて想えばまさかに不用とは言えまい。「藝」とは何なのか。辞書をひけば分かる、たいした深みのある字義ではない。習って覚える技、あそびごと、遊芸、そして仕事のやり方。その程度のことを、だが、名人上手や名匠や文豪はだいじに個性的に深く磨いた。多くの藝談のなかで、わたしが感化を受けたのはやはり谷崎潤一郎の「『藝』について」のちに改題しての「藝談」だった。テレビドラマが藝術であるわけないじゃんという人もいる。それなら、小説も繪も藝術であるわけないし、事実、藝も術もなくても小説として売れているし繪の展覧会も出来ている。掃いて捨てるほど有る。心がけの問題であり、そんなのは遁辞の最たるモノに過ぎない。藝術でなくていいとして、だが「藝」と「術」まで無くていいとは逃げ出してほしくない、藝術でないなら余計のこと。  2002 4・20 13

* アーノルド・シュワルツネッガー主演の「トゥルー・ライズ」が予期したよりずっと面白くてトクをした気分。ヤに面長な、だがハダカのスタイルは抜群の奥さん役が、だんだんに頗るセクシーに感じよく美しくなってくるのも、甚だ結構であった。あらっぽくて間のいいサスペンス映画として、上出来。ニューヨークの航空機テロと酷似場面があらわれるためか、お蔵入りであったと漏れ聞いていた。なるほどと思ったが、映画は映画、娯楽ヅクリで深刻さはない。シュワ君にはコメディアンのセンスがある。幾つもの映画で見知っている。それが今夜の映画にプラスに働き、スリリングであっても、安心感があり、恐ろしげなかった。かなり楽しんだ。
2002 4・20 13

* 好きな番組であった野沢那智ふきかえ「ナッシュ刑事」らの活躍するシリーズドラマが、いつ知れず田原番組の裏に貼りついていた。すこし残念。溜飲の下がるテンポのよさで楽しませる。なんで、こういう具合に日本の刑事物、探偵物のドラマは創れないのか。むかしの「七人の刑事」や「事件記者」はもっとリアルにテキパキしていた。映画シナリオを書いていた人が、テレビドラマにも顔を出してきた頃の脚本は、映画的な藝があったということだ。「シナ研」で、ド素人のわたしが感心して聞いたのは、映画は金をとって見せる。客が金を出してくれなければ話にならない、というのが一つ。厳しい条件で創られている。また映画は退屈させては話にならない、最初の三十分に精魂を尽くして藝をみせる、というのが二つめ。あまりに当たり前のようだが、上の二つが、テレビドラマにはない。金を払ってでも見たい藝ではない、客の程度を舐めきって、視聴率稼ぎだけでやっつける。説明また説明で、表現がない。「ナッシュ」や「ER」の十五分分に、二時間もかけている。だらけるのは当然だ。
2002 4・21 13

* 「ダーティ・ハリー」4 を、とびとびに見た。以前にも見ている。このシリーズはイヤではないが、暗い。中でも今夜の映画は、ソンドラ・ロックとの共演がかなり陰惨な復讐劇で、しんどい。だがそれなりに何かに迫っている意欲は買える。二人の共演では「ガントレット」の方がすかっとする。殆どが夜の場面。暗いのも当然だった。
2002 5・2 13

* 「初めてのお使い」という佳い番組が有る。今夜は傑作特集だったが、そのなかに叔父さんの楽屋へ、鼓の締め緒を一心にかけて届ける女の子がいた。あのお母さんが、昨日かりんとうを送ってきてくれた望月太佐衛さん。締め緒を受け取ったのが望月流家元の太左衛門。届けるだけでなく、また駆け戻って自分の勤めの舞台。みごとに太鼓を打ち、終わってほっと笑んだのが、すてきに可愛かった。小十年前のフィルムで、今は中学生。あんな年少で、母のアトを追うべくみごとに太鼓を打つ。藝道である。
他の「お使い」もみな、感動した。
2002 5・4 13

* ERを見損ねた。いまテレビのドラマでわたしを感動的に満足させる連続ドラマは、これだ。今夜は「サトラレ」という題の妙な映画があって、わたしは観なかったが、妻にビデオ撮りを頼んで仕事をしているうちに、「ER」が通り過ぎた。撮影現場も出来たらぜひ観てみたいほどの映像の迫力。
2002 5・24 13

* ジャン・クロード・ヴァンダムの一度前に観ている映画の、これも後の三分の二ほどを観た。やたら強い男の一人で、映画の中でだれが一番つよいのだろうなどと、たわいないことを想っていた。双子の弟が殺されていて、兄が乗り込んで復讐的に悪を一掃する。その手の映画の中では、楽しませて悪くない方の作で、最後まで観た。彼の映画では、ロザンナ・アークウェットと競演の逃亡者だか脱獄者だかいう映画がハートがあって印象にのこっている。あれでは、女優の方に惹かれていたか。彼女は「グラン・ブルー」でもすてきだった。

* 深く感動したのは、もう深夜になって始まったのをたまたまスウィッチして観た「E R」で、これまでの中でももっとも優れた場面を展開した。ことに、父とも敬愛した恩師が、臨床現場で初期痴呆化症状をみせたのを、教え子の女性部長医師が臨床からはずす決意をする二人の場面では、泣いてしまった。夫に死なれてゆく老妻の場面も、麻薬をやっている危険な妊婦を警察の手で保護するつらい主任ナースの決断後の表情も、幸せを得て病院から去ってゆくエイズを身に持った女性黒人小児科医も、自分の子かどうか判明せぬまま愛している黒人の外科医師の涙も、どれもこれも珠玉の見せ場を盛り上げてくれた。
これぐらい群を抜いて優れたテレビ映画を観ていると、群百のつくりものはむしろ気の毒、とてもつらくなってしまう。
2002 5・31 13

* 昼間のカメルーンとアイルランドのサッカー勝負は面白かったが、晩のドイツとサウディアラビアのはワンサイドゲーム。かと言って「極道の妻たち」などという映画ぐらいイヤな見ものもないので、仕事へさっさと戻れた。
2002 6・1 13

* 歌舞伎座を満員にした桂米朝最期のというふれこみの独演会。「百年目」がじつによくて、大阪桜宮の花見。むかしの円生のはむろん隅田川の花見。円生の独演も殊に佳かったが、今夜のテレビの米朝は遜色のない上品の「百年目」で、思わず高く手を拍った。「一本笛」もおみごとであった。まだまだ楽しませてくれる。
小さんに死なれてみると、関東にはもう名人級が払底している中で、上方の米朝と文枝とには期待がかかる。大事に長命して欲しい。
米朝門下の御番頭格桂ざこばの「阿弥陀池」が大笑いさせてくれた。息苦しいぼやき口なのだが、それなりに向いた噺を選んでいた。
昼にも三遊亭圓楽の「死神」をテレビは用意していたが、これは聴きよい話ではないので、また圓楽では物足りないので聴かなかった。
2002 6・8 13

* 鈴木氏の手紙が届いたとき、「クルーシブル」という恐ろしい、興味深い映画を観ていた。アーサー・ミラーの「坩堝」を元にしたものらしい、十七世紀マサチューセッツ州で起きた大規模な魔女裁判の悲劇を、ねばり強く描いていて、奇跡も起こさず、深刻なキリスト教の問題をなげかけたまま、暗然と終えていた。神の奇跡を誘い出すことなく映画にエンドマークを出した見識は買いたい。ウィノナ・ライダーが成熟した少女の恐ろしさを不気味に出し切り、それにひかれた村の少女たちの集団ヒステリーが、無惨な大量処刑へと識者たちを導いていった。キリスト教の牧師と政治的・法的な知識人である。ジャンヌ・ダークのような奇跡とはかかわりない、妻帯の誠実な男とふとした出逢いで通じた少女の、欲望と邪知が悲惨な結末を現出した、それに教会内聖職の者たちの暗闘がからんだ、すべて人間の犯罪であったが、「悪魔との契約」事件がフレームアップされた。デッチあげられた。
魔女裁判には関心をもっていた。が、なかなか適切な参考資料に目を触れる機会がなかった。興味深い映画が観られた。

* 映画の試写会招待が二つ届いている。観に行きたいが、ついつい物忘れして逃してしまいそうだ。一人で出て行くのがつい億劫になりもする。
2002 6・12 13

* 昨深夜、偶然始まって間もない大林宣彦監督の「告別」という映画に独りひきこまれて、三時まで、食い入るように観た。赤川次郎の原作は知らないが、映画には敬服した。静かな静かな映画でありながら、胸の波打って耐え難いほどの感銘があった。遠い日に失ったものへの執着が、現在の不如意と共に幻想的に形象化される。主人公は山の中に孤立した電話ボックスを見つけるが、そこから電話すると、二十年も前に死なせた学校の女友達が、なにごともなく昔のままに電話口にあらわれ、彼の誕生日に、二人だけで弁当も持って自転車で遠足に出る約束などする。

* 既に死んでいる女と、電話でだけは平常に会話出来る掌説は、わたしも書いている。もっと大きくふくらませてみたいと思っていた。映画は、しみいるように懐かしく悲しかった。そしていい結末へ流れ込んでゆき、わたしは、いっとき放心のまま映画の余韻に寝に行くことも忘れていた。
2002 6・12 13

* 会議に兜町のペン新館へ出向く直前だが。
今夜のフジテレビ十時十五分(以降は毎週十時始まり)で、秦建日子が単独担当の脚本を書く連続ドラマ「天体観測」がスタートする。昨日人に読者のメールで教わり、今日さきほどテレビの予告で、他の新スタート二本とならんで内容を紹介された。失礼ながら他の二本は、ちらと場面をみただけで願い下げのクチだが、「天体観測」には小雪という若い女優が出てきて話してくれた内容、また写真の何枚かをみたかぎり落ち着いた「空気」が感じられ、ウンこれなら建日子らしいな、建日子らしい題材のようであるなと好感をもった。原作モノであるのかどうかも知らないが、彼の思いが素直に出せる設定のようであり、わるくフザケないで落ち着いた若い生活を感じ考えさせるドラマになればいいと期待をかけて、ここに触れておく。
2002 7・2 14

* フジテレビの連続ドラマ「天体観測」の初回は、期待を裏切らず落ち着いて静かに展開した。騒がしくないのがいい。「生きた空気」がドラマを終始流れていた。当然そうあるべきでいて、こういうことは、めったに無い。ことさらに品下がる「騒ぎ演技」を客が喜ぶものと決めてかかった、フザケ芝居がたいていだ。わたしは殊にそれが、嫌い。
ドラマが、質的な自然さと、濃度を持った「空気」とともに推移していれば、見ていられる。そうでないと、ただ軽薄なツクリモノだ。
青春と青春後期を描こうとしている。大学一年生たちの思いつきで始めた「天体観測」サークルに寄った七人の仲間たちが、卒業して数年後に再開する。あたりまえに皆が幾重にも折り重なる記憶とその後の歩み・環境をもっている。設定は、普通のもので、特異さは特にないが、それが成功していて、あまり無理がない。しかも今日ただいまの現在進行形であるのも見やすい。ことに私からすれば、東工大の学生諸君の中でも一番ながい付き合いは、新任の年に入学してきた人たちで、そういう諸君の顔も思い浮かべる。今夜も、ぜひ逢いたいとメールをくれた丸山君、柳君たちの学年だ。建日子のドラマは、ほぼ今の柳君や丸山君の時点を書いているのであるから、私としては、馴染みの深い群像だということになる。一作家教授なりに、彼等のことはかなり知っている、外も内側も。興味深いのである、建日子が自分より半世代あまり若いその辺の青春や青春後期をどう描くか。
建日子は、早大在学の学生としては、学業や学問的には問題にもならない怠け者のようであったが、そのかわり、かなりワルク遊び回っていたのがこのドラマに役に立ってくるだろう。そういうのの生かせる、つまり「実感」のもてる・だせる題材を書いたらどうかね、と、よく苦言を呈してきた。人殺しドラマなんて、実感では書けないし、書くだけの腕は出来ていない。それにおよそ意味がない。わたしの目からは悉く失敗か不出来かなのも無理ない。
だが今度の題材は、いかにも建日子にふさわしい。ふっくらとした彼の美点が、すこしあわれに甘くでてくるのではないか。息子はわたしのようなワルではない。心優しいストーリーが展開するのではないか、それも、今回は適していると思う。大まじめに書いてみればいいと思う。
初めて、いろいろな意味で「安心」できて、悦んでいる。親バカであるが。
2002 7・2 14

* 昼に連続モノの、お気に入りの「ニキータ」を。この極限状態を過酷な任務に生きるしかないニキータの、張りつめた綱の上の演技が、たとえ作られた物語とはいえ、いつも胸に残る。夜はエディ・マーフィの「ネゴシエーター」がけっこう面白く、ヒロインの黒人がとっても可愛くて参った。そして「ER」だ、どうするとこんなドラマが撮せるのか、この映画を観るときだけは、現場に行ってみたい。
遊んで暮らしたのではない、これらの時間、日本の古代から幕末に至る詞華集の全部を読み、目指すモノを拾い出し続けていた。映画を片目と片耳で聴きながら、優れた日本の和歌俳諧の主要作品の全部を読んで点検した。感銘を受けた。
2002 7・5 14

* 鳴り物入りで前宣伝した「東京物語」を見た。松たか子に惹かれてである。この若い女優は底光のしたホンモノの魅力である。期待に背かなかった。八千草薫と宇津井健の東京へ出てくる尾道の老両親も思ったより無難にやってくれた。野田高梧の脚本、小津安二郎の名作だった。それには及ぶべくもない、何よりもカメラワークが凡庸で、演出もあまりに平凡。脚本にも、平凡の非凡がない。室井滋は騒がしい。人間の騒がしいのは性格であり構わないが、演技としてもっと静かな騒がしさも可能な筈である。他も、可もなく不可にちかい。味わいがない。ミス・キャスト。そして母の卒去と遺骸の前での愁嘆場は、これはどんなふうにやっても泣かせるわけで、ドラマの力ではない。
かつては原節子の嫁、柳智衆の舅、姑はふたしかだが東山千栄子ではなかったか。これは言うまでもない感動作であった。それを実現したのは脇役達のちからでもあった。主役だけでドラマは成り立つものでない。鳴り物入りで見せようなら、もっと適役を脇に揃えるべきだった。チョイ役で手伝っていた竹中なんぞに、一度長男役を渋く演じさせてみたかった。

* こういう「生活ドラマ」が増えて欲しい。もう「人殺しドラマ」は飽き飽きしている、数を減らして欲しい。「人殺し」ものと分かると、わたしは直ちに見るのをやめることにしている。
2002 7・6 14

* 「東京物語」私も観ていましたが、途中で寝てしまいました。リメイクは総じてオリジナルを越す事なく、あの時代だからこそ、小津安次郎の描く世界、子供達から見放され、唯一、絆も少ない次男の嫁の優しさに救われて故郷に帰る老夫婦の心情が汲み取れるので、あの話を現代に置き換える事自体に、無理があります。私達が今、親を身近に看る、もしくは同居の慣習の最後の年代にあり、端的に言えば、縦型家族制度の崩壊を自認出来る世代の最初だと、最近友人ともよく話題にします。あの話が現代に対しギャップがあり、違和感があるのです。

* この読者の感想は適切で、体験者世代の苦々しさも感じ取れる。たしかに現代では、昨日放映の「東京物語」ふうの子供世代の在りようこそが一般で、日頃は親のことなど構ってもいない。松たか子のようなお嫁さんを泪のでるほど憧れた老夫婦が多かったろう、我が家でも「ああいう嫁さんがいたらなあ」とは苦笑いしたものの、現実には松たか子やまして往年の原節子ふうのお嫁さんは、もはやお伽噺でしかない。「縦型家族制度の崩壊を(身を以て)自認出来る世代の最初」が我々だというこのメールの主の自覚は厳粛である。わたしなど、ずっとずっと早くから横型社会、親子よりも夫婦が軸の社会こそ今は自然だと言い暮らし実践してきた。それでいて、親たちのことをアタマから見放したことは無かった。十分ではないのを気の毒に思いながら、私も妻も、親たちに意識の、体力の、多くを傾け続けた。
今はそうは行かない。娘は、不幸な婚家の事情から、十余年、親に顔も見せていない。息子は三十四歳すぎて妻子もない。構わないではないか、とは思う、が、幸せな親であったかどうかは、歳月とともに疑いを深めるであろう。そして諦めをもつだろう。

* 原節子、そして柳智衆・東山千栄子の昔には、観客もまたこの親をあわれみ、この嫁に嘆美の思いをもち、幸いにうちではそんなことになっていないと思える家庭が多かったのだろう、だからヒットした。いや内心に迫る不安がひたひたと現実味を帯びていた、だからヒットしたのだ。だが、今はこんな例ばかり見聞くようになっている。その一半の理由には、親世代の夫婦仲の不安定が指摘出来るだろう。宇津井健・八千草薫のような穏やかに仲のいい老夫婦が世に満ちあふれているわけでない。あれすらもお伽噺めくと自嘲している夫婦や親子があまりに多くなった。子の世代だけが責められていいのではない。

*原節子は最も早くにわたしの愛した人であった。映画など観られる日々ではなかったが、ナショナルか日立かどこだか、父の電器屋には企業から届くカラーのポスターという恩恵があり、狭い店の中に原節子の美しい笑顔がよく見られた。街へでれば化粧品の店などにも原節子は健康な美貌、最高の美貌を惜しげもなく中学生のわたしに向けてくれていた。気品、清潔、健康、端正。最も望ましい女の魅力の全部をこの女優は持っていた。魅力的な女優はたくさんその後に見てきたが、原節子の美徳とはおおむね逸れていた。美しいが下品であったり、可愛いが端正ではなかったり、気品は感じられても弱かったりした。さきの八千草薫などは佳い方であった。松たか子でも、魅力は十分で品もいいが、原節子ほど美しくはない。その意味で、遠くまだ及ばないけれど澤口靖子をわたしは原節子以来かなあと期待している。
「お嬢さんに乾杯」「山の音」「麦秋」「秋日和」「東京物語」 なつかしい。
2002 7・7 14

* とりとめの有る無しは別にして、気持ちの佳い寝覚めから一仕事のアトに、こういうメールをいろんな知人や仲間達に同報で送っているような主婦・老主婦が増えている。新風俗といえようか。黒人女優の美しさにしびれることがたしかに増えて、わたしも楽しんでいる。名前はめったに覚えられないが。
わたしはBSは敬遠して受け入れていない、が、「紅はこべ」とは。記憶から完全に消えていたものが、深海からのたよりのように浮き上がってくる。明らかにアレは小学校の六年生頃に本を借りて熱中した。
2002 7・9 14

* メグ・ライアンの「フレンチ・キス」を妻がとって置いたビデオで見た。少しお色気のラヴ・コメディーだ、楽しく見た。いやみのない女優である。男役のケビン・クラインもティモシー・ハツトンもさほどではないが。
それより、武田麟太郎の「一の酉」をスキャンしながらDVDで聴いていた、チャールズ・ロートンの、と言うよりも、ブレンダ・デ・バンジーとジョン・ミルズの演じる傑作「ホブスンの婿選び」が、途中までみて仕事の方は済んだが、面白かった。靴商店の店主の娘と、雇われて地下室で仕事をしている靴職人との結婚戦略である。19世紀のランカシャー地方の物語で、商人は本来の語義でのブルジョア、職人はプロレタリアで、階層としての深い切れ目が間に横たわっている。それを越えて、オールドミスぎりぎりの娘は生来の才覚で売り手と経営のセンスをもち、木訥で無学な職人は抜群の技量を手にしている。二人は協力して旧弊で横柄な紳士顔の父親と、巧みな条件闘争をくりひろげ、勝ちをおさめてゆくのである。
2002 7・9 14

* 建日子のドラマの二回目を一緒に見た。無難であったが、二回目なりの求心的な一つの「劇」が、輪郭濃く、ほしいところだと思った。たださえ七人、八人にひろがるのであるから、身内感覚とともに求心的な核になって爆発する印象的な事件。今回も上司のセクハラにともなう一つの事件はあったのであるが、もう一突き深く痛く刺し込まれた疼く劇性があってよかったか。さもないと仲良しが感傷的に仲良しがっているという風に「閉じこもり印象」がでてしまう。独りしか乗れない船に七人で乗ってきたような身内感覚は、現代の渇望であるから訴える力はある。それだけに散漫なこまぎれにだけは陥らぬように。一回ごとのたたき込む主題性をもつといい。建日子にモーパッサンの凄い苦みを求めにくいとしても、菊池寛の短編がかかえているような明確な主題性、訴えを、一回一回持ってみてもいいか。散漫なままテンポを失したら全部瓦解する。
2002 7・9 14

* 評判ばかり聞くので、どんなものかと、映画「スターウォーズ」の第一回を見た。特に面白いということはなかった、特殊撮影のスピード感に惹かれるぐらいか、迫力からすればシガニー・ウィーバー主演の「エイリアン」?だったかの方が凄い。映画の最後の方で、やはり「ER」に乗り換えた。正解であった。これは、よかった。
2002 7・12 14

* 秦建日子脚本の「天体観測」三回目を見た。よくも、あしくも、マイルド。連続ものとはいえ、一時間の読み切りとして、魅力的な主題が、芯の人物に焦点を結んで活発に活動しなくてはいけない。胸にしみるいい台詞や、人間的にいい思いや動きは概念として伝わってくるものの、一人一人の主要登場人物の頭を、まんべんなく平均的に順々に撫でて廻っているようでは、挨拶ばかり多くて劇的にダイナミックな勢いは出ない。「劇的」とはどういうことか、福田恆存さんや木下順二さんら演劇界の大作者に優れた論著がある、すこしは勉強もしたがよかろうと思う。無駄な、なくてもいいカットが多すぎるのは演出家のせいとも謂えるが、やはり脚本で削ぎ取って置かねば。ま、わるくはないが、よくもない。三回目ともなれば、全体の筋の発動に手に汗握らせる工夫が必要だろう。
小説は、原則として一人で書くが、脚本なんかは苦しいときは人に喋りまくって人の発想も頂戴してゆかねば。三回目をみてハッキリわかるのは、時間に追われて余裕がないので、場面を人間でたらい回しにして繋いでいること。そのために全体がフラットになる。いいセリフもあるので終盤に少し救われたものの、力感不足。一回一回に、作品に焦げ付き焼き付けたような強烈な印象の主題を持って欲しい。
2002 7・16 14

* 「ER」は面白いし、すばらしい。事件が事件をはらんで事件を産んで行く。事件は人間が作りだす。人間が事件の経過によって激しく変動してゆく。それがドラマだ。わたしは決して「ER」のような現場を知っているわけでないが、医学の臨床雑誌や研究書を作っていたし、医師達の、ナースたちの顔や声や感情や理性を外部の人よりは見知ってきた。だから、というほど豪語はできないけれど、「ER」の凄まじさがやや肌身に近く感じ取れる。医学生ルーシーの死を描く回がトバされて、その次回分が今夜放映されていた。何らかの「危険」に対する配慮があったと思うし、適切な配慮であったろうと思う。「ER」は、いろんな事件を背負った、しかも特定できないいろんな人間が、きわどい場所にまで入り込めてしまうそういう危険ゾーンである。ドラマはみごとにその危険と献身とを伝えてくれるだけでなく、人間の内面をえぐり出してくれる。感心する。テレビを見始めて何十年になるか、連続ドラマでは、過去にも佳い作品に出逢ったが、「ER」が、総合的にみてナンバー・ワン。秀作として印象に残っているものも、刺激的であったのも、概して海外のものが多く思い出されるのは、何故だろう。
2002 7・19 14

* 今夜が、これまでではいちばん「劇」性をもって筋が運ばれ、場面により厳しい呼吸も優しい台詞も聴き取れた。およそ一人物に事件の焦点をしぼりながら、他の人物たちがまずまず自然に揺れ動き続けたので、四十分ぐらい経過した頃に、おやまだ二十分も残ってると、満足感があった。先日来たときに、建日子はこの家の隣棟で、今回分の為にウンウン唸っていた。一緒に三回目をみて、こんなふうに七人八人の役者の頭を順に「いい子いい子」して撫でて廻ってては、フラットになるだけでヤバイぜと、少し酷評した。それが少し利いたのなら嬉しいが。現に今夜のは、手法的に著しく改善されていたと思う。最後の方の、女のナレーションだけは、今回の女性脚本協力者の書いた詞のような気がした、が。
建日子の書いた台本で、殺しドラマでないもので、はじめて「言葉」のしっかりした或る意味「曲者」が登場した。これは初めてとすら謂える。そして、そのためにドラマに渋味が出た。これも初めてではないか。
2002 7・23 14

* 建日子の「天体観測」が新聞のドラマ時評の大きい欄で、他の一作とならべて取り上げられていた。まじめな行き方が、相応に評価されていると読めた。ドラマは、脚本だけではない。演出も演技も撮影も。だから、良くても「俺の力」とは言えない、当然だ。だが、全体の行き方が、ワルノリや軽いノリに流されずにいるうちに評価、少なくもまともに評判され始めているのは、脚本の手柄であろう、けっこうなことだ。このドラマなら、この叔父さんの仕事を、姪のやす香には、せめて見せてやってくれるといいが。
2002 7・27 14

* 夕方、筑紫哲也と田原総一朗と猪瀬直樹が、黴の生えたような往年の全学連や日本赤軍などの「総括」をしていた。少し暢気すぎる気がした。
これだけ顔を揃えるなら、今今の問題、目睫に迫った「住基ネット」などについて警鐘を乱打して欲しかった。市民や学生の政治的エネルギーを萎縮させ沈滞させ消滅させたのは、往年の学生運動から社会に出てたちまち「転向」し、マスコミにはびこり根ざし、かつての運動基盤に逆に圧力を加え続け根絶やしにしてしまった、彼等の同類たちマスコミ貴族だという思いを、わたしは捨てていない。戦前戦中にも「転向」者は多かった。戦後数十年の現在にも、大きな顔した「転向」貴族がいっぱいいる。もう五十年たてば、校正の眼識者は、戦前戦時の「転向」と戦後数十年の「転向」現象とを一連で論評し批評することだろう。
2002 7・28 14

* 昨夜の映画「テス」がジィーンと身内に籠もっている。岩波文庫の赤い帯で、どれだけ多く「テス」という題をみてきたろう。それでいて買わなかった、読まずに来た。めぐりあわせが無かった。NHK名作映画で「テス」をと番組で知ると、だが、何を措いても観たかった。観てよかった。そんな風になって行くのだろうと先行きは概ね推察できたけれど、終始画面の静かなのがよかった、写真のしみいるように美しいにも心奪われた。惨憺たる物語だが、ヒロインの無垢と純な愛の深さにカタルシスがあった。救われる嬉しさすらあった。
2002 7・29 14

* 就寝前に、バグワンは別格として、「うつほ物語」と西鶴の「一代女」を並列で読んでいる。床につくまでは、北条民雄の「いのちの初夜」の校正。これが真実胸を打つ作品で、ぜひこれをと推薦してくれた加賀乙彦氏に感謝する。川端康成が絶賛し即座に文学界賞が授けられたのも、むべなるかなと手を拍ちたい。佳い作品に出会って一字一句を丁寧に拾い取るように読んでゆく幸せには、言葉もない。

* 日本ペンクラブの電子メール使用会員が四百人に近づいている。まだ五人に一人に足りないが、電子メディア委員会を発足させた頃の三倍強に達している。インターネット使用者も増え、ホームページを開いている人も増えているだろう。最初にアンケートをとって意識調査してから満四年は経過し、様変わりは進んでいる。
2002 7・29 14

* 秦建日子脚本の五回目の「天体観測」を見た。やはり、出演者を順繰りに転がしながら前へ送る書き方だったが、人物に馴染んできているので、引き込まれた。三十分ごろからあとへ、十分時間的に濃度をもっていた。少しずつ主になる駒を置き換え組み替えてゆく気らしい、そこに太い筋があらわれれば、いい。甘くしないで、真面目にもの思わせる路線でいい、視聴率は飛躍しないかも知れないが、観る人の胸にモチーフが記憶されるような作品に成ってゆくといいなと思う。ちょっと親父の点、甘い嫌いはあるが。

* 彼の世間では火曜サスペンスが横綱級だという。何かの代名詞のように言われてきたのは知っている。その「火サス」をいきなり書かせてもらったことで彼は幸運を得たが、火曜サスペンスを自分の気持ちで離れたことでも、転機をつかんだ。転機が幸運に傾くのか不運に傾くのか結論はまだまだ出まいが。「天体観測」へ突き当たったのはよかったなと思う。真面目で、前向きなのは、佳いではないか、ワルノリやコロシよりも。あまり時代の流行りではない、苦しい道ではあるが。だが、それならそれで、ナミの何倍も他に侵されないモノを蓄え続けねば。
2002 7・30 14

* 「ザ・ロック」というショーン・コネリーとニコラス・ケージのアクション映画をビデオで観た。とてつもない筋書きは筋書きとして、フォーサイスの原作は概して大いに読ませる面白いものであるが、この映画は原作よりもずっと魅せてくれる。魅せ・見せ続けて呉れる。ビデオは仕事の合間に本を読み継ぐように何回かに分けてみていることが多いが、この映画は席を立たせない。

* さて、久米宏の番組が「住基ネット」をどう論じてくれるかを、聴きに行こう。わたしにも、一つ、日本ペンクラブ内で出来るし、した方がよいと思う方策があるのだが。
2002 8・1 14

* 殺人時効の直前に逮捕された福田和子の実録ドラマが、大竹しのぶ主演で、二時間。みごとなドラマツルギーで、杉村春子の再来を思わせる大竹の、絶妙な変わり身の演技もさることながら、息もつかせぬ場面の積み上げだけで運んでゆく「劇」的迫力は、簡潔で、必要以外の一切を殺しきった短い台詞と、全員の静かにリアルな声音とで、修羅場というものの大方が表へ出ない、迫真の修羅そのものを見せつける手法。ひたひたと緊迫の度を高めた。これほどみごとな「創作ドラマ」には、めったなことで出会えない。この前では、日本製視聴率追いドラマのすべてが、くさいくさいつくりものであることを、逆に見せつけた。殺さずに、騒がず叫ばずに、笑いをとらずに、音楽をかきたてなくても、クオリティーの高い、真面目で迫力にも魅力にも富んだ、空気の濃いドラマは書けるのだ、作れるのだ。これを、どれほど秦建日子に話してきたことか。

* 引き続いての「緊急治療室 ER」の、これまたすさまじいまでの迫真と、切実な「劇」のみごとさ。

* 今日はいろいろあったけれど、何もかもふっとばす、二つのテレビ夜ドラマに、満足した。
2002 8・2 14

* ああ、フツーのドラマにしちゃいけない、テンポ上げて。その場その場で酔わないで。そんなことを思いながら「天体観測」の五回目だか六回目だかを観た。田畑智子がひまわりの絵をもらう場面は、少し外されて、不覚にも涙を流した。ま、先の展開も読めてきているし、それなりに、わるいとは思わなかったが、スローに暗めないで。フツーのドラマに希釈されてゆくと、つらいものがある。
写真がいいように思った。
どの俳優もわるくない、女がいい。しかし、ドラマの中で自殺未遂しそうな心を病んでいる役の女優が、始まる少し前のコマーシャルだか何かで、アッケラカンとご機嫌の笑顔でおしゃれについて話していたのは興ざめした。芯にいる三人の女優は、佳い。好感をもっている。
2002 8・6 14

* 「お宝鑑定団」の値の付き方が、何と無く、実の価値よりも、あるいは相場よりも高価に寄りすぎていないだろうか。市場価値をむやみに釣り上げることはして欲しくない。
楽茶碗が四枚持ち出されていた。画面越しに見ても正確に判断が付いた。鑑定はほぼ妥当、通販で三千五百円で買った白楽をもちだしていたのに、五万円と評価されたのも、三万円でいい気はするが、それはそれで掘り出しに類するわるくない姿と色をしていて、買ったおじさん、目は高かったと言えよう。
ホンモノは二枚、紛れもなかったし、箱書きも間違いない。見覚えがある。わたしも楽は了入、旦入、宗入、慶入、もっと溯った一入などを所持している。すべて千家ないし楽家の筋の確かな箱書きが附いている。別家筋の佳い茶碗もある。わたしは茶碗が、造形として好きなのである。だが、惜しいことにわたしの手元で、今、それら茶碗は死蔵されているだけで、何の値打ちもない。「お宝」ですらないし、番組に持参する気など毛頭無い。以前は取り出してせめて飾って手に取り、そのまま茶をたてて飲んだりしていたが、家が狭くなる一方で危なくて置いておけない。
それにしても、そもそも、あのような無際限な「公開」番組で、「この箱書き」があるので「プラス百万円」といった、安易な公言を聴かされるのは、とても不愉快。モノの値打ちにはいろいろの角度があり、ことに付加価値の大きな茶道具ではあるが、あんなことを公言されて、結局箱書きする家元筋を利するばかり、不当にものの値段を吊り上げることで虚飾してしまう。なにか「為にする」気がありはせぬかとイヤな気がする。
だいたい美術的な価値を、価額に換算して「お宝」にしてしまう、それだけでも、この番組には罪深いものが無くはないのだし、なんだ、二百五十万円のうちの、百万円はあの箱に書かれた字の値段かという、つい出てしまうであろう一般の感想には、ひどく純真の思いを歪めてしまう毒が混じる。その結果、箱と箱書だけはほんものだが、中身はとんでもないガラクタというのも実は出回る。
この世間に触れて五十年、いろんなものを、わたしですら見てきた。
ものを愛する気持ちならまだしも、付加価値の途方もなく権威的で強圧的な定着へ、世間の物持ちをあおり立てないで欲しい。鑑定士の諸先生が率先その辺には節度をみせて欲しい。投機の対象に美術骨董が当然のように扱われ出した歴史は遠く溯るけれど、願わくは、「いい仕事してますねえ」の嘆賞が、どこのどのところかを、もっと美しく楽しませて貰いたい。
2002 8・11 14

* 建日子の「天体観測」の今夜分は、よく動いた。批評させるヒマを与えず、批評を力で引きずって走るだけの勢いがあった。それでいて安く妥協したシーンはつくらなかった。よしよし。
2002 8・13 14

* わたしの場合はあまり適例ではない、たいてい独りの世界を経営していたいたから。学校時代で心身に刻みの深いのは中学三年間くらいで、たとえば大学は、同じ専攻の妻と四十何年も暮らしているのだから、その余はごく普通につきあっているだけで、友人達とも容易に逢えるわけではない。過去のよりも、いつも今の知り合いや出逢いを大事にしてきたから、それもわたしはあまりべったりとは付き合わないから、ま、さらさらとしている。冷淡ですらある。「天体観測」の七人のように、同じ大学で四年を過ごし、卒業しても奇跡的に近くに暮らし、ひっきりなしに携帯電話を鳴らし、職場や私室にまで訪ねあいという、あんな「奇跡」的な相互熱愛には、、だから愕く。ま、ドラマの勝手にすぎない、そういう設定が都合がいいということだろう、それでも構わない。
だが、「どちらかと言えば(政権や法律から)永くリスクを背負う若い人(大学生等)が積極的に立ち上がらなければならないのに、幼児化、政治離れした大半の若者は、ヤワで、念頭に何もありません。これがどうしようもない日本の現実です」という母親からの慨嘆を、彼等はどう聞くか。聞く耳は無用か。大人達は多くそこに若い人の選択を見たい気がある。
色気になにより価値を置きたい年代であるのは、百も千もわたしは承知し、生身で覚えている。男はとくにそうかと思う。だが、七人、八人の全部がそうでなくても、会話や態度の片鱗に、日々色気ざかりの価値観を相対化する「おや」と目の光り耳のそばだつものが、現れ出ても佳いだろう。そもそも彼等の年頃、自分の行く末を思って、今の今を自己批評するのにわたしは精一杯だった。すでに家庭を持ち、小説が書きたかった。国会へのデモにも参加し組合運動にも仕事にも不熱心ではなかった。
ドラマの一人の青年は、この危機の時世の零細企業との付き合いに若きコンサルタントとして辛苦している。いい表現だと思う。後輩一人との協働にかすかな責任も帯びて働いている。また犯罪社会と紙一重のうしろ暗い蠢動があり、ひとりの青年は自らその蟻地獄に身を投じて、友人の苦境を救っている。それもいい、リアリティーはある。だからそれでいいじゃないか、それで上等だよという気があるから、新聞でも幾分かは好評である。だが、そうかなあと思っている大人の批判の投書も新聞には出てくる。まじめに友情しているけれど、視野狭窄はないかと。彼等は果たして選挙に行くのだろうかと、少なくもその一点にわたしは確信が持てない。選挙なんか、とは、だが言われたくないのである。
2002 8・19 14

* 夜前、おそくからNHK特集で、世にいう「台湾沖海戦」の、虚構されていた幻の戦果の仔細を、ほとほと言葉も喪って、観た。赫々の大勝利として大戦末期に国を挙げて「嘉尚(勅語の表現)」し、「手の舞い足の踏むところを知らなかった(当時大本営の僚官の回想)」乾坤一擲の大空襲作戦だったが、事実上、戦果はゼロに等しく、数百機を駆り出した友軍機はほぼ全て帰還しなかった。米側の調査では、巡洋艦二隻に幾らかの損害を与えた程度の、三次にわたる我が方の空襲の成果だった。だが、わずかな帰還兵士と鹿屋海軍基地と大本営海軍部との、ずるずるとひきずりこまれた「虚構の合作」によって、なんと、敵空母だけでも轟撃沈十一隻、撃破八隻、戦艦その他も無数、という愕くべき「大本営発表」に結果した。
そのような虚報は、だが、すぐさま、無傷に姿をみせた米空母その他の大艦隊の存在により、実は消散してしかるべきであったのに、これを海軍は一切握りつぶし、むろん国民にも、また「競争」関係の陸軍にも、まして首相にも天皇にも、一切知らせなかった。天皇は勅語を発して海軍の成果を嘉し、首相小磯国昭は起死回生の大戦果を国民の前に出て高らかに祝った。
その結果として、陸軍参謀本部等は、敵空母の影響を安心して度外視し、レイテ島への友軍集結、有利な大決戦と大勝利を信じて強行し、悲惨に殲滅されてしまった。敗戦への道のりは決定的に縮まったのである。
この海軍の大戦果に疑問を感じた将校は、実は海軍部にもいた。だが、口にし主張できる空気ではなかった。また、たまたま鹿児島の鹿屋基地に立ち寄っていた陸軍の大本営参謀は、この戦果報告はおかしいと感じて大本営陸軍部に電報していたが、握りつぶされていた。戦果にケチを付け得ない空気があった。フィリッピンを護っていた山下奉文将軍は、その陸軍参謀の話をじかに聞いて、敵空母の全滅など到底信じられないと、陸軍地上勢力のレイテ島集結作戦につよく反対したというが、南方総司令の寺内元帥はこれを一蹴した。海軍の大戦果に、陸軍も負けていられるかという、それだけでの強行であった。致命的勢力である敵空母は「すべて健在」との情報が、海軍の握りつぶしで、陸軍には全く伝えられていなかった。
大本営とは、天皇直属の戦時下最高参謀中枢で、陸軍参謀本部と海軍軍令部とから参謀が送り込まれていた。だが、終始一貫、海軍は海軍の、陸軍は陸軍の情報を、相手側に伝えようとしないで敗戦時に及んだという。敵が米英軍である前に、日本の海軍と陸軍とが戦争し合っていたようなものだ。同じ日本語が通じ合わなかったのだ、国の運命を左右した軍の最高機能にあって、これであった。

* 日本の運命は、こういう大本営や軍部に握られていた。そして、人間はこういうことをしでかす生き物だと思わずに居られない。最大危機の「有時」にして、こうだった。小泉内閣が海軍だとすれば党内抵抗派は陸軍かもしれない。危なくて、何をしでかすか知れたものではない。
いざという時に、「それは、違う」せめて「それは違うのと違うやろか」と立ち上がって言えなくてはいけないのだが、アメリカでは、反戦の姿勢を見せただけで、学校から追放されかけた学童があり、テロ撲滅戦争に反対した一議員は孤立を余儀なくされている。横浜市議会では、二人の女性議員が議会場での日の丸掲揚に反対し、意見陳述したいという要請を悉くはねつけられた挙げ句、現に議会から除名されている。世の中で価値ある存在として、いわゆる少数意見にも耳を傾けるという習慣が、聡く賢く定着しなければいけないのに、こういう日本だ。

* 幻の大戦果にさわぐ気持ちを、バグワンと、「うつほ物語」で静めるのに、明け方まで。そして、目が覚めたとき、恥ずかしながら午まえであった。いくつもメールが来ていた。
2002 8・20 14

*「天体観測」のつづきを見た。ま、ほぼ予想通りの筋書きで事が推移している。そこは三十数年人一倍観てきた親だから、作の手の内など、いろいろ想像したり推定したりできるのが、人とはちがう面白さ。例えば知也といったか、彼の部屋の天井に星がきらめいている。あんなにどでかい星ではないが、現にいまわたしのキーを叩いている部屋の天井一面に、ちいさな銀色の星たちが、なかなか巧みに配置し貼り付けてある。中学の頃か、高校に進んでいたろうか、いやこの部屋を建日子が占領していたのなら大学生であったかも知れないが、留守番をさせて親が留守しているうちに、ガールフレンドと二人で貼った「作品」だ、新しいうちは電灯を消すと一面に発光した。
あっちこっちに微笑ましく想いあたるあれやこれやが、作者なりの思い入れであろう、適切に使われている。想えば息子は多彩な生活をしていたといえるらしい、そしてそれを今しも必死に役立てている。
2002 8・20 14

* 夕食後に、ひょこっと戸棚から出てきたシモーヌ・シニョレとローレンス・ハーヴェイの「年上の女」をまるまる観てしまった。初めてではないが、新鮮にひきこまれた。シモーヌ・シニョレが見事な演技。ローレンスの役は虫ずの走る青年でありながら、年上のフランス人教師アリスの愛により愛に目覚めてゆくプロセスを、しかもアリスを裏切って令嬢との結婚へ駆け込んで後戻りしないところにも、出自の根の悲しみが光り、見捨てられない悲劇がよく書けていた。ズッシーンと胸に残るモノクロームの名画であった。
2002 8・21 14

* ビデオにとってもらった「北の国から記憶」前半を聴きながら、やっと名簿の「あ」行読者に挨拶を書いた。これに集中しないと万事が停滞する。「北の国から」には泣かされる。佳い場面を繋いだものだから、初見の際の記憶も加わって、耳でだけでも思わず声を放ちそうに泣かされる。感傷的だからではない、ドラマに無理がなく必然の力があるからだ。父親と離婚が成り立って東京へ帰って行く母親を、妹娘の幼いほたるは駅にも見送らない、が、汽車の走り出した川沿いにいて、ひとり必死に駈けて母との別れを惜しむ。それは母との最期の別れでもあったのだ。ほたる役の中島朋子も、母親役の石田あゆみも絶品で、ただ泣かされるが、ここで泣かされるのは幾らかはキマリである。
友達のショウキチを複雑な気持ちでサッポロへ見送ってから、息子のジュンは父親と妹とに、ラーメン屋で、せつせつと自己批判の告白をする。それはいい、ジュンのうまいこと、この役のために生まれてきた役者かと思えるし、父親役の昔の「あお大将」田中邦衛もそうだ。だが、ドラマは親子の中でだけでなく、ラーメン屋の若いぶっきらぼうで不機嫌な女との間に、言葉すくなに盛り上がる。女は、親子の機微になんか関わっていられない、早く店を閉めて、家に帰りたい。そして軋轢は自然に起きてくる。そのドラマの自然必然に力強く効果的なことは、初見の時から、ことに印象に残っていた。ああいううまいドラマづくりにも泣かされるのだ。ラーメン屋の女は、あの短いが緊迫して充実した一場面のゆえに決して忘れない。

* こういうドラマがすでに何度も書かれ、もう一回たけで終わると聞いている。どんなに良くても、多の作者の書くこれの二番煎じは、つまらない。また新しい必然の、毅然として深い効果あるドラマが、他の誰かにより制作されねばならない。やってほしい。
2002 8・24 14

* 長塚節の「鍼の如く」全部を起稿し初校した。念のためもう一度通読してから入稿したい。二階へ上がり階下へ降り、その場その場でそこにある作業を進行させている。起稿校正にしても、短歌に倦めば歌舞伎の台本を読み、また短歌に返る。すこし疲れて歯がかすかに痛む。
2002 8・25 14

* 秦建日子脚本の「天体観測」もう九回目を観た。演出のせいかどうか、前半の六割程度がいくらかテンポ崩れで、ギクシャクと流れがわるかった。おいおい、間が延びてるよと声を掛けたかった。しかし、内縁関係の妊娠出産問題が、恭一の母とユリとに二重に出て、さらに突然出現の実父との対面という、ま、此のわたしには覚えのある場面が出てきたりして、後半の三割四割の所は引き込まれた。
タケシの会社でのサイバー犯罪めく動きにも興味をもたずにおれない、どういう陥穽がタケシに仕掛けられ、どう這い上がれるのか、七人八人の中でいちばん陰翳もあり興味を持って観ているのはこのタケシ君なので、電子メディア問題にどんな切り口を作者がみせてくれられるものか、残り少ない先が楽しみだ。
アンマリドマザーについては、実を云うと「秦サンには隠し子がいるのじゃないですか」と本気で人に言わしめようとばかり、不思議な小説を幾つか書いてきた覚えがあるので、むろん関心はあるが、体験的にはやはり実の親たち、生母と実父とのことで、ちいさい頃からわたしは揉まれてきた。生母の出現を厭悪してガンとして受け入れない少年・青年時代をもち、あげく、死なれていた。そして小説では「母」ものも書いた。だが「母」なる観念は愛したが、生母を愛したとは到底言えなかった。実父の如きは徹底して拒み続けた。会いたいという働きかけは母からも父からも執拗なほど続いたが、わたしにその必要はなかった。
母はさきに死に、父はわたしの書く「母」ものを読んでいた。二人の親を共にしていた兄とも、わたしは四十半ばまで、いくら会おうと云ってきても会わなかった。必要がなかった。「必要」が生じてからは、兄とは交際したが、兄の子の恒=黒川創と顔を合わせていた方が遙かに数多い。それでも、やはりわたしの方に「必要」が出来て実父とも会った。妻子を除いたあらゆる肉親の中で、いちばん最後に、一度だけ父と川崎の小さな寿司屋で寿司を食い、異母妹夫婦のマンションに連れられた。
あの日の記憶はくっきり隈なくとは言えないが、印象は鮮明に残っている。今日の恭一クンのように、あんな簡単なものではなかった。わたしの父は父親がって、少しカサにかかってきそうなのを、終始冷淡なほど気持ち突き放し気味に、最後まで「あなた」はという風にしか喋らなかった。懐かしくも嬉しくも有り難くもなかった。行儀はわるくしなかったが、それが他人行儀ということなのは承知していた。父を喜ばせたい気持ちは湧いてこなかった。まして「おとうさん」などと云いはしないで別れた。次にあったときは父は死に顔であった。死なれてみれば取り返しは附かないが、何を取り返したいのか、そういう実体は無かったようだ。感傷はあったが、生母の時と同じく急速に過ぎていった。あんなに親しまなかった秦の親たちの方へ、今は思いははるかに濃いし、深い。それが自然だと思っている。

* 恭一クンに皮肉をいうわけではないが、あの父親役は、正装した紳士の顔であらわれて、他人行儀であった。それを節度というか演技というかは別として、もしも彼がホームレスのようでいても、あんなふうに受け容れて来たろうか。第一、あの段階で恭一を煩わしてまで遠くへ呼びつけて逢いたがる父親の心理が、読み切れない。彼には、あの恰好であの「顔」の利く現状なら、恭一と同年齢に近い異母きょうだい達との「家庭」もあるはずだが、それが捨象されたままの出会いなど、嘘くさい。親子だからこそ感じる激しい生理的反感──子供の頃にわたしは養家へ押し掛けてくる生母にも、また実父にも、どうしようもない生理的な厭悪を禁じがたかった。どうだっていいじゃないか、そんなもの、居ても居なくてもたいした問題じゃない。わたしの「身内」思想はそうして生まれ、そうして小説を書かずに済まなくなった。

* あと三回で終わるとき、わたしたちは、わたしも妻もの意味だが、息子の初の渾身作・力作との別れを寂しく感じるだろう。ともあれ、建日子が頑張ったという思いを嬉しく思えるのは、なんだかとても矛盾し撞着した父親の感想のようだが、これまた実感だ。高名の木登りは、木から下りるまぎわになって気を付けよと子方に注意するそうだが、わたしは、そういう人ではない。いつ最期を迎えるか知れない命であるから、いつも、現在只今の「言葉」を遺しておく。そしてやがて現在只今の「沈黙」でコトが足りる親子になれるかどうか、それは分からないが、そうありたいと願っている。
2002 8・27 14

* 晩、「北の国から」の「記憶」編後編を見た。記憶に新しいところが、気持ちよくダイジェストされていて、やっぱりしたたか泣かされた。中島朋子の蛍のうまさときたらないし、宮沢りえのしゅうのいとしさは、この女優の多くの作品の中でもとびぬけてピュアに懐かしい。こんな魅力的な「女」像の構築出来るだけ、この女優は、ほんとうにすごい底力をもっている。きれいなだけではない。しかし中島朋子の蛍は、宮沢りえに負けてなどいない。それとショウキチ君の凛々しくも寡黙にいい青年に育っていたことは、どうだろう。
ドラマは、蛍とショウキチの結婚式で、そして父親とジュンとの二人の夜でほとんど大団円とみてもいいのだが、なおまた今度「次」が続くという。それで最期の最後だという。いいドラマが観たいものだ。

* そして「ER」を観た。贅沢に心嬉しい二つのドラマであった。
2002 8・30 14

* ダスティン・ホフマン、アン・バンクロフト、そしてキャサリン・ロスの「卒業」を楽しんで「聴き」ながら仕事した。さらにはメル・ギブソンとソフィー・マルソーの「ブレイヴ・ハート」も感銘深く見直した。このような歴史映画が好きで。
「卒業」のキャサリン・ロスの感じよいこと、それにくらべてダスティン・ホフマンにはなかなか馴染めない。挿入されている音楽の楽しめるのも嬉しい作品で。湖の本の発送用意の作業期にはこういうビデオ撮りしておいた海外映画がとても役に立ってくれる。仕事のお守りをしてくれる。
2002 8・31 14

* 映画「オペラ座の怪人」に、例によってしたたかに心を動かされながら、一気に作業を一山二山片づけた。あとは、封筒にハンコを押し、宛名ラベルを貼り付けて、一つ一つに異なるアイサツを入れておく仕事、全国の大学研究室や各界への寄贈アイサツをプリントし、カットし、今回分の新しい寄贈先を思案する用事が残っている。この仕事は商売にはならない、むしろ寄贈の形で文藝活動の実際を適切にひろく知らせることの方へ傾いている。原稿料や印税の収入が限りなくゼロに近づいていて、そのなかで、この事業を維持してゆくのは相当に厳しい。製本した分がかつがつ回収できればそれでいいのだが。

* 映画はテリー・ポロのクリスティーヌ役が人も歌唱も澄み切って美しく、好きなバート・ランカスターのキャリエール役が素晴らしいが、何と云っても仮面の怪人への感情移入が深くて、もう十度以上観ているが胸を絞られる。数多いビデオの中で妻とわたしが一致して愛蔵の一番に選ぶのは「オペラ座の怪人」ではあるまいか。夜に放映で観た「ノイズ」という映画にも、なにとはなくひきこまれていた。
2002 9・1 14

* 魯庵、当時は不知庵主人と名乗っていたが、彼と同世代、むしろ一つ二つ年長世代の若者達の「天体観測」十回目を、いま観た。美冬の動きに少し過剰なギクシャクを感じていた。トモヤ君のきわどい演説にも、とくべつ動かされるものはなかった。あの「反則」演説はわたしにはバカバカしかった。
わたしも、あのようにして、一日のうちに突如「時の人」になり、各新聞に出、受賞発表の桜桃忌には七時のニュースにさえ名前を読まれていたそうだ。はでな記者会見もあった。だがあの受賞にも、強いて云えば反則に近いことがあった。わたしは応募して候補に挙げられていたのではない。知らないうちに知らない人達の意向で作品が最終候補に差し込まれていた。わたし自身の反則でも異例の行為でもなかったが、何にせよ、わたしはそんなことには毫も斟酌しなかった。人生は面白いなと思ったし、それまでの自分の意志と希望とはきっちり生かされていたからだ。
トモヤの反則記録とて、あの深海での苦しい間際での朦朧とした逸脱行為であり、そんな反則自体も彼の体験としてはよく生きた。それでよろしい、マスコミが勝手にもてはやしたのは、マスコミの意志でしかない。何を抗弁しても引っ込むようなマスコミではない。
ことニュースになるものなら、是であれ非であれ、それはそれで食い物にして歓迎するのがマスコミというものだ。話し方次第とわたしが言うのは、そこである。その話し方にこそ、トモヤ君は「個性」を発揮すべきであった。あれでは人物が小さい。ハイヤーに乗せられて運ばれるトモヤが、既にして囚人かのようであった。あれこそ自分の責任である。溌剌とした劇的展開とは言えない。
それよりもタケシ君たちのペアに、心を惹かれる。ああいう詐欺がらみの犯罪蟻地獄は一つ間違えば「普通の市民」を手ひどくまきこむ。能力があればなおさら利用されて物騒だ。タケシとユリが、どう力強く乗り切って闘うかは、脚本家の腕の見せどころではないか。気になるといえば、そこだ。とんだ悲劇が来るのではないか。何にしても安易にして欲しくない。
恭一の前の上司、恭一の前の後輩、サトブーの夫。タケシたちを脅しに掛かる男。ああいう人達の心の内にこそ「天体観測」を支えるリアリティーの巣がある。
あの上司は恭一を意図して絞っていた。わたしでもああして部下を絞ったし、また絞られる立場にいた頃は、ガンとして頑張った。
あの後輩のような薄いヤツは、どの社会にもいて、本人だけが気付かずに自分自身をじつは痛めつけている。ああいうのも、いる。そして、ああいうのと、どう汚染されないよう距離をあけつつ必要に応じて付き合うかは、サラリーマンなら身につけるしかないテクニックである。
ああいう夫は、いたるところにいる。じつはああいう妻もいたるところにいる。結婚とは、水を満杯にした器を二人で持ち上げて、幾山河をも越えて歩き続けることだ。そのうちに余儀なく水はこぼれて減る。からにする夫婦もいる。ひどいのは、片方が手を放している。両方で放してしまっているのも、いる。
サトブーの夫婦は、夫の方は、はじめから水盤を持とうともしていない、妻一人でウンウン言って運んできたようなものだ。ああいう夫はじつにリアリティーがある。むしろああいう妻の方が、かなり無理している。
タケシを追い回して使ってきたあの男には、ドラマの最初から心惹かれていた。役者もいいが、ああいう存在はさながら「現代」である。善意を装った凶悪な悪意。そのシステムがフルに活動したときの怖さ。「天体観測」が伝えている現代像のあれは最たるもので、比較すれば、若者達のいささかデレデレとしたドラマは甘く、展望にも乏しく、無理に求心的に求心的にと仲間に仕立てられている。友人というのは、激しい遠心力で離れてゆくエネルギーも持ち合わねばならないのに。
ただ、ま、生真面目にやっているので救われる。それは裏返すと、観ていて「疲れる」ことでもある。疲れてもいいから、真面目にゴールを突き抜いて走って貰いたい。「2002年9月」という再現実の時点を麗々しく示していたと思うが、それならば、彼等の関心に首相の訪北朝鮮、田中康夫の長野県知事圧勝などの影も差さない、差しようもないことが、ま、いいけれど、気にはなる。こういうこと、おまえたち「何、考えてんだ」と。躍起になって考え考えしているようでいて、意外にそれがよく見えてこないドラマだ。

* それからすると斎藤緑雨の「わたし舟」は、ごくの短編小説だが、すごい。舞台を観ているように心から失せない。書いたときに著者は、「天体観測」のライター、秦建日子と同じ三十四歳だった。緑雨が文才を示したのは十二歳ごろであった。わたしの息子が初めて「思想の科学」に原稿を寄せたのもそのような年ごろだったろう。緑雨は正直正太夫と名乗り、超絶の辛口批評家であった。「箸は二本、筆は一本」と言った。

* ついでながら今ひとつ加えておく。うら若き政客たりし岸田俊子が、皇后の侍講の地位を去り、決然決起して女性解放・女権拡張を江湖に訴え、演説会の華として大評判であった頃の漢詩である。さきのものは、宮中に満十六歳で入っで二三年、明治の政治に激しい違和を感じた頃のものである。世は堯舜の聖代を言祝ぐかのようでいながら、此の明治の御代のどこに堯舜の政治があり、どこに心楽しき堯舜の民の平安が見られるかと喝破している。二十歳以前の作である。
次のは、前書きの通り。「学術演説会」とはいえ、女性の解放を凛々と説いたのが咎められての投獄であった。この時の詩編は数多いが、最初の一編を意訳した。一八六三年に生まれて、初めて投獄されたのは丁度二十年後であった。

* 宮中読新聞有感 宮中に新聞を読みて感有り
宮中無一事   宮中 一事とて無く
終日笑語頻   終日 笑語頻りなり
錦衣満殿女   錦衣し殿に満てる女
窈窕麗於春 窈窕とし春より麗し
公宮宛仙境 公宮はあだかも仙境
杳々遠世塵 杳々と世塵を遠ざく
幸有日報在 幸いに日報在る在り
世事棋局新 世事も棋局も新たに
一読愁忽至   一読忽ち愁いは至り
再読涙霑巾 再読涙は巾を霑せり
廉士化為盗   廉士化して盗となり
富民変作貧 富民変じて貧となる
貧極還願死   貧極つて死なんとし
臨死又思親 死に臨みて親を思ふ
盛衰雖在命 盛衰は命なりと雖も
誰能不酸辛   誰かよく酸辛せざる
請看明治世   請ふ看よ明治の世は
不譲堯舜仁   堯舜の仁に譲らねど
怪此堯舜政 怪む此の堯舜の政に
未出堯舜民 堯舜の民未だ出ぬを

* 明治十六年十月十二日、学術演説会を滋賀県に開けるに、はしなく警察官吏の拘引するところとなり、留めて監獄中に送らる。斜雨柵に入り寒風骨をきる。此の夕べ母は旅窓にあり、余は思ひ構へて夢見る無く、たまたま詩を賦す。

仮令吾如蠖曲身   たとへ吾れ蠖の如くに身を曲ぐも
胸間何屈此精神 胸間何ぞ此の精神を屈せんものぞ
雨声無是母親涙 雨声は是れ母親の涙には無くして
情殺獄中不寐人 獄中に不寐の吾が意志よ強かれと
2002 9・3 14

* 「北の国から」最終回の前編を見た。美しい写真だ。わたしの贔屓があるにしても、宮沢りえの「しゅう」と田中邦衛との湯殿の場面は身にしみるようであった。それはそれとしても、内田有紀の存在感には瞠目した。わたしはこのタレントがコマーシャルなどに登場したときから、「大物」だと云っていた。この素材を生かして使える佳いドラマや映画が必要だと云っていた。難しい役を陰翳をひきながら重く安定して魅力的に演じていた。蛍役の中島朋子もつらい所で懸命の芝居をしていた。地井武男のラストにも泣かされた。ドラマとしては、特別の展開ではなかったが、明日を大いに期待させた。
そして「ER」の残りを「少しだけ」やっと見られたが、勝れた磁器や陶器のみごとな破片を見るような感銘があった。ぜんぶ見たかった。
2002 9・6 14

* 二十一年かけたというドラマ「北の国から」が、完全に終えた。佳い終幕であった。佳い終幕へ、五郎も純も蛍も元気でこれてよかった。内田有紀を妻に、嫁に迎えたのにも納得した。久しくたのしませてもらった、心から拍手を送りたい。同じ思いの人が日本中に多いことだろう。
二昔あまり前、わたしは四十六歳になろうとしていた。思えば働き盛りであった。娘の朝日子は大学に入ろうとしていたろうか、息子の建日子は中学生になっていただろうか。いやもおうもなく、自分の人生と共にこのドラマも変遷してきた。多くの場面がくっきり印象に残っている。
2002 9・7 14

それにしても「北の国から」で積み残しになった感のある、ゆきこ叔母さんの息子のダイスケが、どこの誰とも確認できないメルトモとの、あてどない恋に確信して、かたくなに携帯電話のちいさなスクリーン世界とキーを叩く音とだけに沈没・没入しているサマは、凄かった。地獄のようだ。
2002 9・7 14

* 建日子も一緒にみた映画「荒馬と女」に、魂を掴まれる心地がした。クラーク・ゲーブルもマリリン・モンローも、えもいわれぬ男と女の魅力を極限まで表現し尽くし、常は好きでないモンゴメリー・クリフトまでがいとおしく切なかった。純文学の最良の達成のようで、菊池寛の主題小説ではないが、表現さるべきすべてが簡明簡潔かつ深々と把握されていて、モノクロームの魅力と相俟って、質実と鮮烈と、しかも美しさがコンデンスされていた。ジンジンと身内に今も映画が鳴り響いている。有り難い。
2002 9・9 14

* さてドラマ「天体観測」の十一回目は、終わる所で大失敗したと思う。
タケシが、ワルと取引をして警察へ自首するまでは我慢してもいい、が、警察の前まで来て、背後から突如刺されてしまうという安易さには、ガッカリ。警察の前はそれなりに人目も人通りもあるし、そんな路上で人を刺すようなプロの殺し屋はいない。素人の犯行であるが、しかも一刺しで倒しているのも安直だ。
それどころでなくいい加減なのは、医者も半ば見放したほど重篤瀕死の患者が、一夜明けて、かろうじて意識をいくらか取り戻すまでは、ま、あり得たとしようが、その直後の患者の、明晰そうな認識や、信じがたい身体能力や、危険な脱治療行動は、医学的にあまりに信憑性がない。更にそればかりか、大学出のおりこうさんがあれだけ人数揃っていて、一人として、反射的に医師や看護婦を呼び立てないまま、ついに医師も看護婦も影すらあらわさないまま、金切り声に包まれてタケシ絶命なんて成り行きは、あんまりリアリティーに欠けて馬鹿馬鹿しく、三文小説以下のダサイ場面となってしまった。
金切り声の友情や心配は、なにより医療の原状回復に繋がらねばお話に成らない。医者や看護婦を欠いたまま、いくら友情や愛情を籠めて名前を呼んだとて、絶対必要な医療上の処置を速やかに回復しなければ、前夜の医師の下した診断と憂慮とは無意味なムダごとになる。
タケシに自殺の意志がもともとあったのなら、死にぞこねたと知って暴発したとも言えるが、それなら自首には行かず海辺の小屋で死んでいる。生死の境からわずかに意識を取り戻した患者の一時的な錯乱は錯乱としても、それならなおさら、真っ先に「お医者さーん」「看護婦サーン」と金切り声を揃え、誰かが部屋から飛び出すのが緊急の一番適切な行為で、ただもうタケシの名を呼び立てていた彼等は、冷静を欠いて愚かというしかない。幾呼吸か遅れてサトブーが緊急ベルを鳴らしていたようだが、これがまたあの騒ぎで結局一人の看護婦もとんでこない。どんな病院なのだ、これは脚本家も演出家も、どうかしている、あまりにいい加減ではないか。
つまり、こういう仕儀になる。殺人は、刺した犯人によっては「未遂」であった。殺人は身内そのものの友人達によって実現したのである。事実裁判では、刺したのは致命傷ではなかったと判断されるだろう。「友の死」と題していたが、これは明らかに「友達による死ないし殺人」でしかない。何なんだ、これは。

* という次第で、いつのまにか、また何曜サスペンスばりの殺しドラマが、ユニークにも愚かな愛の殺人劇に変じてしまった。熱心に観ている大勢のいい試聴者を、ナメてはいけない。

* タケシとユリとは、演技的にもだいたいずっと良かった。今夜はとくにユリが終始気の入った、気の抜けない芝居をしていた。タケシは前半さほどおもしろからず、後半すこしセンチになって、ベッドでの錯乱がいちばんうまかった。ま、錯乱までは絶対にあり得ないわけでもないから、我慢した。
建日子のハナシではテレビ屋サンは延々と「打ち合わせ」すると言うが、演出家も脚本家もチャランポランをやったのか、もの(治療室のシステム)を知らないのか。むかし、「日本刀」を、刀匠が、まるで包丁か鋏でも打つように、たった一人でトンカチやっているドラマの場面を見せられダアッとなったが、今日の「天体観測」の病室場面のデタラメは、先立つ「ナースのお仕事」のくだらないハチャメチャよりも、真面目なだけ救いが無い。
2002 9・10 14

* 八時前に帰宅、九時半過ぎからデミー・ムーアの「G.I.ジェニー」をみていたが、悪くなかったが、中断して「E R」を観たのが正解、よかった。これで一日中のもやもやが吹き飛んだ。
2002 9・13 14

* つよく勧められていたトム・ハンクス主演の「グリーンマイル」を観た。嗚咽になりそうなほど、感動。佳い映画があるものだ。トム・ハンクスの映画は「プライベート・ライアン」も「フォレスト・ガンプ」も秀作だしメグ・ライアンとの共演ものもみな面白いが、こんなに重量感のある深い映画もあったのだ。
死刑囚の話というのはたいていが堪らなく陰惨だが、この死刑囚監獄の物語は、たいへんな情況を、澄んだ印象のままに撮り切っていて、藝術の域に達していた。心から感心した。スティーヴン・キングの原作であるから、オカルトということだろうが、オカルトは好きでないのだが、そんな感じはしなかった。むしろ優れて宗教的であった。牧師などという存在を一切必要としていない画面によって、まさに宗教的にピュアな表現が試みられていた。立派である。トム・ハンクスにはいつも深く突き動かされ、快く驚かされる。
電気椅子での死刑執行の場面を三度見せられた。やはり凄いと言うしかない。しかし、三好徹氏の小説「遠い声」は遙かに暗澹として険しい臨場感に富んだ作品だった。アメリカ映画「グリーンマイル」は電気椅子で、日本の小説「遠い声」は絞首刑。どっちもどっちだと思う。

* ボディー・ラングェージやスキンシップが自然に交わされている西洋映画の男女や夫婦をみていると、ときに羨ましいほど嘆声を洩らしていることがある。日本人はああいう真似が出来ないか、へたくそ。今日の映画にも二組の心優しい中年老年の夫婦が出ていた。

* 胸の芯のところで小さく光って揺れているものが感じられる。じいっと堪えているような感覚である。何だろう。
2002 9・14 14

*  一昨日、「アフガニスタン展」を観てきました。
少女のころ、好きで好きでたいせつにしていたガンダーラの菩薩さまの写真がありました。きれいな口ひげをそなえていらっしゃって、少女のわたくしのあこがれの対象でございました。もしかしたら、その菩薩さまに逢えるかとおもったのですが、日本にはいらっしゃいませんでした。けれど、東洋と西洋のたましいが出逢って出現したすばらしいほとけさま、それから、そこに生きていたひとびとに逢うことができました。
高いところに安置されたほとけさまのおん眼にわが眼をあわせたくてしゃがんでいて、踏みつぶされそうになってしまいました。あんなところで蹲うのは、はた迷惑なことと反省しましたが、あの浄くてやさしいまなざしに見つめていただいたよろこびは、今もからだのなかで鳴っています。
湖のご本、お届けくださいまして、ありがとうございます。「湖のお部屋」で、「私語の刻」をうかがっていましたので、この度はもう一度と、「私語の刻」をまず、拝見いたしました。「治安維持法」という、さも、社会の安寧を目指したかの名をもつ法律のもとで行われた残虐非道を思い出したことでございました。
最後の「赤坂城はそろそろ撤退して新しい千早城に次の手だてを……」、以前にも、洩らしていらっしゃったおことばですが、心にかかります。
「グリーンマイル」、わたくしは映画館で見たのですが、もう、死刑執行の場面で眼をつむり、耳をふさいでしまいました。それまでの感動も失せてしまい、へとへとになって、客席のくらがりから出てきました。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」という映画も、やはり、死刑執行場面を、これは「グリーンマイル」よりもっと、くどく見せたものでしたが、これも、神経にこたえました。
今日はこれから、映画上映サークルの仲間と、「山の郵便配達」の上映会を致しますので、出かけます。
涼しくなって、少し、元気が出てきました。

* 「治安維持法」という美しい名前の残虐法のことを、日本人はもう歴史的な痕跡ほどに忘れてしまった。小林多喜二から田宮虎彦の「絵本」等に至るまでの多くあの悪夢の時代の小説を、もういちど大勢の目の前にくりひろげて多くを考え直して貰いたいと思うが、一人では手が回らない。

* 電気椅子での死刑執行場面は、ことに意図的に悪執行官が手抜きしたためにひどいものだったが、不思議にわたしはじっと凝視していられた。映画の意図と善意とが見えていたから。
それよりもこの映画「グリーンマイル」に唯一人の牧師や神父も顔を出さず、主役のジョーからも自身の死刑執行に際し牧師との会見は不要と無視されていたこと、心ある主任執行官に立ち会い祈って貰えれば十分と握手を交わしていた、あのような取り扱いに意義深いものを感じていた。教団的な宗教の形式主義や偽善への嫌悪感、宗教の根幹である「愛=慈悲」はもはや既成の集団宗教や聖職者には無いのだという断念の痛さ。それを、わたしは、一等厳しく感じ取った。誠実な愛。それが主題であった。オカルトとは思わなかった。奇跡映画とも思わなかった。
2002 9・16 14

* 夕食後にトム・ハンクスの「グリーンマイル」を観てまたしても、突き動かされた。 2002 9・18 14

* 秦建日子作「天体観測」がつつがなく終了したことを、心から安堵し喜んでいる。リアリティーに欠けるところも多々ある、ご都合本位の製作ではあったけれど、終始一貫して真面目に、ふざけない仕事であったことは評価してやりたい。不真面目にふざけた仕事の余りに多いテレビ業界であるが、心ある人はそれを肯定はしていない。胸に響く真面目なドラマのまじめな言葉を望んでいる。「天体観測」が何をほんとうは言いたかったのか、もう少し時間をおいて納得したいが、途中降板も打ち切りもなく好評の内に十二回が終え得たこと、ほっとしている。おめでとうと言ってやりたい。
わたしのように独りでやり遂げられる仕事ではない。局の意向があり、大将はプロデューサーである。俳優も演出家もいる。脚本書きの通せる自由は無いにひとしいだろう。そのなかで、とにかくあそこまで持っていったのだから、ご苦労さんであった。少し休んで、またいい仕事へ向き合って欲しい。
オリジナルと、脚色と。それにもつともっと雑学を豊富に身につけて欲しいものだ、世間には物知りは多い。余りに浅はかに嗤われてしまうようなチャランポランは避けないと、やめないと、いけない。
2002 9・18 14

* 「ER=救急治療室」が終わった。劇的な、すぐれて劇的なつらい終幕だった。このドラマの前ではおおかたのテレビドラマは影を薄くする。ほとんど一人も知った俳優が居なかったので、それにも助けられ、リアリティーは緊密でクオリティーは上質であった。何れの日にか、続編が観たい。
このドラマにはでたらめが無かった。それが長所で限界だとも言える。優れたでたらめというのもあり得て、面白いものだが、創るのは容易でない。不出来なでたらめほど興ざめするものはない。
2002 9・20 14

* あれは1969年の事件であったか、よど号のハイジャックを事実のインタビューに基づき再現ドラマ化したルポルタージュ番組をみた。引き込まれた。それにしても、あれは、ヘンだ。
2002 9・23 14

* 同居人をつれ、夕過ぎて息子が来た。晩、四人で、「北の国から」最終回二週分を見た。向こうはテレビドラマの体験者で、こっちは物書きであり批評好きの愛好者。ぽつぽつと出る断片的な感想の交換で、ドラマがふくらんだりへこんだりする。
四人とも、涙とはしっかり付き合っていた。息子の同居人は富良野塾にいたのである。事情通らしく、よく、ものが見えるだろう。
わたしなどは、「北の国から」の全体が、いわば古いタイプの幾何学世界、ユークリッドの世界に譬えて、見える。一つの統一的な「結(ゆい)」の思想で、かなりがっちり作り上げられている。前世紀的・伝統的・自然本位の結合社会がガンとして賛美され肯定され「変わらない」世界が、死後にも、夢見られている。そういう「遺言」が書かれてしまうほどだ。
だが、最後の最後に、ぽっちりとただ一点、この変わらない古い世界観を脅かす、非ユークリッド幾何学的異質の異物がまじってくる。携帯電話だけを握りしめて、ひたすらメール交信してきたという「恋人」と、この富良野で「出逢うため」にだけ母親の元へ帰ってきた、ダイスケという少年。「その恋人」を実は見たこともない。名前もハンドルネームだけだろう、むろん住所も年齢も性別も確認できていない。肉声も肉筆も知らない。しかも四六時中携帯電話をにぎりしめ、発信しつづけ、受信をまち、そして「その人」が来るものと信じて待っている、母親とも他の誰とも交感・交流できずに。
これは新世紀の病理とも生理とも謂える、機械化し都市化した乾燥しきった世界の申し子であり、当然に、このドラマの富良野人種には絶対に理解できない。気が狂ったか、非常識か、何を思っているのかが絶対に彼等には分からない。そして仕方なく強引にでもユークリッドの定義でダイスケ君の世界を解釈し訓導しようとするが、非ユークリッドの定理にもはや固着しているダイスケには、そんなのは「ダサイ」のだ、あんたらはなにも「ワカッテイナイ」「時代は変わっているのに」と叫ばせてしまう。
憤激した大人は、ダイスケをぶちのめし、携帯電話を水車のそこへ沈めてしまう。ダイスケは富良野から再び消え失せてゆく、母親にも行く先は告げないで。

* その描き方や演技のできばえは問わないが、作者は、かろうじて僅かに、此処に「北の国から」の二十一年とは異質な、新世紀世界の侵入を予感させている。そういう場面を用意しておいたのである。倉本聡その人の、それは、主題ではないだろう、が、慧敏に、そういう「ケイタイ少年」を最後に挿入しえたことに、わたしは敬意を覚える。
なぜなら、このダイスケのケータイは、無反省に多用に多用されていた「天体観測」での携帯メールとは対照的なまで、底知れず不気味に病的に見えているからである。しかもそういう見方を、作者は、少年に「ダサイ」と言い放たせているのだ。「天体観測」の携帯電話は、まことに安直で無反省な日々のツール以外のなにものでもなく、ツールへの批評も疑いも、その毒性への自覚も微塵も出ていなかったが、倉本聡は少なくも、この便利げな機械の「毒性」に、手の施しようもなく荒れてしまう富良野の大人達を描くことで、瞬間的ではあるが、痛烈な批評を最後に書き込んでおいたと謂えるだろう。
だからわたしは敢えて言う。
わたしの、そのような評価や感想に賛同したかしなかったかは別として、一人のテレビドラマ脚本家であろうとする息子秦建日子に、あの少年を、あのままフォロゥして思わず納得させる新しい別のドラまを創ってみたら、いや、創れるものなら立派に創って見せてくれよ、と。あのダイスケ君は、あのママでどう「ダサクなく」生きて行けるのだろうか。それは、いくらかは「二十一世紀の文明と生活」を予測することになるのではないか。これを倉本聡は自身への新課題として挿入しておいたかも知れないが、むしろ秦建日子ら後進作者への、「やれるならやってみよ」との挑発のようにも思えるのである。
「明日のダイスケ」が、リアリティーをもって描けないようでは、所詮は「北の国から」型の世界=掌から、脱出できはしないだろう。

* 建日子と席をともにし、視線を一つの画面にむけながら、感想や意見を話し合えるのは、彼は迷惑かも知れないが、わたしは楽しい。いちばん楽しいことの一つだと謂える。

* 真夜中の一時半にもなって、やはり忙しい日々らしく、車で戻って行った。私たちには心嬉しい休息であった。
2002 9・28 14

* 我が家ではBSの誘惑に陥るまいと、テレビは時代物の古い機械。映画の情報は各所から届くが、わたしはタバコの代わり程度にしか観ないことにしている。

*  BS「華麗なる・・・」のタイトルシリーズで、キャロル・リード監督、チャールトン・ヘストン主演の「華麗なる激情」を観ました。
これはサンピエトロ寺院のシステイーナ礼拝堂の天井画を彫刻家ミケランジェロが指名されての苦悩、依頼者ユリウス二世との葛藤を描いたもので、五百年後、すっきりと修復されたフレスコ画を観てきた者としては興味深く、ベテラン監督だけにちゃちでない作りがよく、佳い映画でした。
同時にアテナの学堂を描いていたラフアエロが、密かにその天井画を覗き、素晴らしい出来栄えに嫉妬した逸話なども以前に聴いた話で、これは事実かもしれない。サンピエトロ寺院で観たミケランジェロ23歳の彫像ピエタ、マリア様のお顔に魅せられたのを思い出して。
何れの時代も自志を貫く創作者は素晴らしいと、思います。
今秋は何人か知り合いがイタリアへ、イタリアへと旅行に出ます。せめて元気な間にローマ、フイレンツエ、二都市だけでも行って欲しいけれど。

*日曜の今夜、わたしが独りで観ていたのは、ピアーズ・ブロスナン三流の「007」だった。あまりつまらなかったので、新島襄の歴史的な一文を校正し、入稿した。
2002 9・29 14

* 世界の推理小説で史上ベストテンの常に上位を占めてきた「わらの女」は、ジーナ・ロロブリジータとショーン・コネリーで映画化され、きっぱりした文法で楷書風に描かれている。つまりあまりドキドキはしない。黒髪のジーナ・ロロブリジータの美しさを保存したいがために、ビデオは残してある。
ショーン・コネリーは、ニコラス・ケージとの「ザ・ロック」やアレック・ボールドウインとの「レッドオクトーバーを追え」などだんだん好きになってきている男優だが、「わらの女」での役は陰険で、その陰険も完全犯罪の典型作といわれる原作を受けているのだから仕方はないが、見ていて気分がわるい。だがジーナの魅力はぬきがたい。港のホテルへ逃亡し、黒いスリップ姿でベッドに倒れ込む色っぽさなど、ゾクゾクする。
残念なことに、たいていのラブシーンや性行為の場面に心身を動かされることが、殆ど無くなっている、だが、やはり、タマに佳い女にであうと、強くそそられる。いま、階下のテレビで、アーノルド・シュワルツネッガーと共演しているシャロン・ストーンという気の強そうな女優の顔(身体ではない)にも、ときどき強く魅される。ジャン・クロード・ヴァンダムの演じた「脱獄者」だったかに共演していた、ロザンナ・アークエットのハダカに切ないほど魅された記憶もある。日本映画は原則見ないことにしているし、日本の女優に性的に魅されたという記憶がほとんど無いのは、何故だろう。十朱幸代のあの柔らかい印象ぐらいがセクシイかな。
2002 10・4 15

* 昨日、「まつと利家」を後半視ていた。なんだかかんだか女達のホームドラマのように進めてきて、それなりに定着していると見た、わたしは単純に、お気に入りおね役のノリピー酒井法子を見ているだけだが。
2002 10・7 15

* へんな物言いを聞いた。石田ナントカという女優が妊娠したという。それで父親のコメントを取りに行ったという。それを聞きながら、スタジオにいたその辺の事情通が、その父親のことを「オチチ」と謂った。そう聞こえたが、まさかと思った。すると今度は、ニュースワイド番組に出ていた男が、細君へのサービスの話をしながら、自分の妻のことを「オツマ」と、わりとハッキリ口にした。唸った。きもちわるい。
2002 10・30 15

* 昼過ぎに連続物の「ニキータ」を一時間見ていた。なぜかしらこのドラマが切ない。超現実的に陰惨な正体知れぬテロ組織に入れられて、絶対抜け出せない定めの儘、それでも自律し自立した女のハートとつよさを喪わない、組織に掴みこまれた不思議に美しい女性、ニキータ。出口のない陰謀と殺戮の時空に生きて、機械には成り得ない心臓を鼓動させるニキータ。どうという筋書きでもないのに、わたしはこのドラマに惹かれる。一時間見ると、ながく余韻を体内に感じ続けている。
2002 11・1 15

* 「ニキータ」を語って、「海の上のピアニスト」を忘れてはならない。似ても似つかぬ二つの映像作品だが、佳いものは佳いと思う。
ティム・ロスの切なく演じた、名匠ジュゼッペ・トルナトーレ脚本・監督の「海の上のピアニスト」は、そう、感動の質から謂うと、「グランブルー」に似ている。ともに海の映画だ、だがこれは、深く海にとらえられ、生まれてから死ぬる日までを巨大な客船の底で生き、どうしても陸地を踏もうとしなかった、まさに天資天才奇跡のピアニストにささげた映画だ。その設定の妙が、盛り上がるように批評の冴えになって行く。廃船になり爆破をひかえた巨船の奥底で、ダニー・ブードマン・T.D.レモン・ナインティーン・ハンドレッドは、弾くべきピアノもなく、うずくまっている、目に見えないピアノを自在に弾きながら。澄んだ瞳で。
かつて船内の楽団で演奏をともにしたトランペットの親友マックスが、とうとう彼を見つけだし、陸へ出ようと誘う。だが彼は静かに静かに友に語って、わらって、おどけさえして、しかし船とともに果てる人生をえらぶ。マックスも頷いて永久の別れをつげ、抱擁する。
1900はいう、ものごとには終わりがなければいけないのに、あの陸の上にはそれが無いとみえるほど、ありとあらゆるものが氾濫し延長し際限がないようだ、あそこでは生きられない、あんなところでは生きたくない。終わりを選ぶことで生きることを全うしたい、と。
やがて、海上の大爆発。1900の静かな声と思いが胸に残る。そして数々の奇跡を聴くようなピアノの音色・旋律のいろいろ。いま、この銀座で買ってきたビデオのなかに付録で付いていた小さなドーナツ盤で、演奏されたピアノを聴いている。びっくりするほど美しい音色だ。深海から届いた宝石のように。「グランブルー」や「タイタニック」が想い出される。

* この映画を少しずつ少しずつ本を読み継ぐように楽しんで見終えた日、盲目の日本の少年が、それは美しくみごとにチャイコフスキーとショパンとをオーケストラと共演するのを聴いて、わたしも妻も泣いた。嬉しくて、感動してである。「神います」思いがつよくした。「同感」と妻も頷いた。

* これはごく初めと終わりの半時間ほどを見たにすぎないが、「ドラキュラ」にも心を惹かれた。ウィノナ・ライダー、キアヌ・リーヴス、アンソニー・ホプキンスら名だたる俳優が真剣に競演していて、佳い映画に想われた。
ドラキュラなどの材料は、宗教映画として批評の腰が据わっている作品では、画面も展開も俳優達の意欲も訴え深くなるのが常で、ドラキュラなんかイヤという受け取りようをわたしはしない。日本の幽霊ものとはその辺が違う。このドラキュラは、全編見られればよかったなと、少し惜しい気がした。
なにか「伝えずにおれないもの=モチーフ」を力強く持った作品は、映画でも、小説でも、毅い。
2002 11・1 15

* ゆうべ、たまたまテレビの百物語で、「吉備津の釜」に取材した怪談を見た。秋成原作で、雨月物語の中でも、また数ある怪談中でも白眉の傑作であるから、観るかと聞かれて観るとすぐ誘いに乗った。怖かった、これが、やはり。椎名某の正太郎役に対して磯良役はお気に入りの冨田靖子。この磯良が凄かった。正視できない場面が重なり、身内をジンジンと音立てるように恐怖が走り流れた。そのあと暫く、なんでもない暗がりが気になった。仕事に没頭して忘れようとしたほど。あれが、心が真っ白になると書く「怕い」の真義なのだと思う。優れた怪談の功徳は、この、心を白にかえす「怕さ」に在る。それを、わたしは秋成の「吉備津の釜」に学んできた。「於菊」という三十枚ほどの小説に書いたことがある。磯良の「怕さ」は、多くの汚濁を追い払うに足りた気がしている。
2002 11・13 15

* 階下で作業しながら、デンゼル・ワシントン主演の「ボーン・コレクター」というサスペンスを聞き、ひきついでビートタケシらの「TVタックル」を聴いていた。拉致問題等が出てくると、もはや社民党は壊滅的な事態にある。云われているとおり責任は土井たか子において重い。この政治家の硬直した情味にかけた至らなさが、みな露出した。衆議院議長で勇退するか、新党をたてるかすべきであった。わたし自身の体験として、席を同じくして、つくづくと、ああこの人はダメだと実感したのが十数年も昔であるが、直観は残念ながら当たってしまった。
さはさりながら、自民党の傍若無人な悪政がよぎなく永久政権化するのは、ほんとうに、心から困る。野党の出来ない日本。それは、お上に右へならえのよくよく好きな国民性によるようだ。
2002 11・18 15

* 「まつと利家」を観た。猿之助と浜木綿子との息子が、ようやく秀吉という大役をあてがわれたのは、めでたい。風の変わった太閤をなんとか演じている。前に竹中直人の演じた秀吉は主役であった。おねが沢口靖子なんてもったいないと思ったが、あの汚らしい秀吉もおもしろかった。今度の酒井法子のおねも、かつてない描きようでわたしは賛成している。好きなノリピーが、こういう役を一心に演じているのは大いに宜しい。なんといっても松嶋菜々子がまつを豊かに丁寧に演じていて、この女優のうまみが味良く出ている。おおまかなようで、こまやかにやっている。利家はひれがなくて貫目がやや足りないが、馬鹿正直にやっているのが、あれでいいのかも。
2002 11・24 15

* 終日、本の荷造り。中途、風邪気味ですこしきつかった。晩は、ビートタケシの「BROTHER」という映画を観たが、何なんだ、あれは。むりやりリクツをつけてホメあげる連中が、いるのだろうか。
夕方に「ちいさな留学生」というルポルタージュをみたが、これには感動した。帳素という名の中国少女が、父母と一緒に二年間八王子に暮らした間の小学校生活を主に描いたモノだが、対象を追い続けるカメラの女性の愛ある意欲が良く伝わった。
2002 12・1 15

* 心祝いの日。好く晴れて。妻と西銀座へ出た。ニュートーキョーの上のシネマで、トム・ハンクス、ポール・ニューマンの「ロード・トゥ・パーディション」をやっていたので、時間をはかってニュートーキョーでまず軽食し、中ジョッキを一つ飲み干してから、久しぶりに映画館に入った。予想通りの、ガラガラ。こんな題の付け方で日本の客の入るわけがない。建日子に、子連れ狼の翻案だよと聞いていた。絵に描いたような焼き直しで、例は「荒野の七人」など幾つもある中で、とくに良くもとくに悪くもないのは、さすがにトム・ハンクスであり、ポール・ニューマン。二人とも名優といっていいし、他に良い作品をもっている。拝一刀だの大五郎だの柳生烈堂だのの顔をかすかに思い浮かべながら、そこはトム・ハンクスの芝居を見ていた。柄が大きい。父と子とのかかわりもしっとり書けていて、ラストへかけてほろりとさせた。
「モンテ・クリスト伯」というのも、クリント・イーストウッドの捕り物も、みたいもの他にもあったが、地下鉄を出たら目の前でやっていたので引っ張られた。まずまず。

* ぶらぶらと銀座を歩いて、DVDを二つ、カミュ監督の「黒いオルフェ」とマリリン・モンローの「帰らざる河」を買った。黒澤明の「生きる」という映画にはその昔、心臓を掴まれた覚えがあり、見つかれば欲しいとおもったが、いずれ見つかるだろう。
高校から大学の頃、本を買うのといっしょに「勉強」のつもりで、あの頃の日本映画をよくみた。あの頃は断然日本映画がよく、海外映画をバカにしていた。「夜明け前」「足摺岬」「日本の悲劇」「七人の侍」「カルメン故郷に帰る」「浮雲」「偽れる盛装」「祇園の姉妹」「東京物語」「彼岸花」「羅生門」「雨月物語」「近松物語」「切腹」「上意討ち」「野菊の如き君なりき」「二十四の瞳」「煙突のある街」など、たくさんたくさん感銘を受けた日本映画が思い出せるが、西洋ものは、そのあと、テレビで多く見るようになった。
若いときほど映画に多くを期待しなくなったために、無責任に楽しんでいられる西洋映画ににげたのかも知れないが、質的に彼我逆転したのだろうと思っている。たとえば試写会で見た「冤罪」「御法度」「本覚坊遺文」なども、わたしの中で特に佳いモノとしては残っていない。ところが、洋画の方では「グランブルー」でも「海の上のピアノ」でも「ダイハード」でも「エイリアン」でも「ブレイヴハート」でも「フォレスト・ガンプ」でも胸に何かが残っている。繰り返しみたくなる。
近年の日本のものでは、テレビ映画であった「阿部一族」「踊子」や、「北の国から」シリーズなどがやはり印象に濃い。北野たけしのなど、感心した一つもない。
2002 12・10 15

* DVDで、マリリン・モンローとロバート・ミッチャムの「帰らざる河」を宵のうちに見た。いやみのない、すっきりした佳作である。なにしろ、子役も佳いが、大人の二人が抜群にカッコいい。二人とも大の贔屓である。「荒馬と女」のモンローがよかったし、「眼下の敵」のミッチャム船長も素晴らしかった。

* さ、やめよう。吐きそうだ。
2002 12・11 15

* 誕生日の晩の食事を、自分ひとりで摂ったのは、生まれてこの方、一度も記憶がない。そういう珍しい日になったけれど、それもまた、わるくなかった。六十七になった男が、百歳の小町のすがたにシンとした感銘を受けてきたのは、有り難い嬉しいこと。
また家ではくつろいで、DVDの「ロリータ」を妻と観た。佳い映画作品で、スー・リオンのロリータは、さすが演技賞もので魅力いっぱい。ロリータコンプレックスのハンバートを演じたジェイムス・メイスンの役が珍らかに面白く、さながら「痴人の愛」のジョージそこのけの惑溺。それよりも、ロリータの母親役でハンバートを夫にしてしまうシェリー・ウインタースが、娘をしのぐ名演で妙に愛らしく、いつもどことなくウンザリさせる気の重い女役で活躍する女優なのに、ここでは軽快に軽妙で、やっぱり最後は自殺ぎみの交通事故、頓死。なかなか、やるものだ。そしてピーター・セラーズがハンバートからロリータをさらう、何とも厄介そうな脚本作家を演じていた。ずいぶん贅沢な配役に儲けものの思いをした。映画的にも洒落て快適な撮影であり、非凡、という印象を妻もわたしも分かち持てた。けっこうでした。

* 「ロリータ」の原作は世界的な作家であるナボコフが書いている。かなり陰性の抑圧下における人間の深層破壊を警告した人であり、「ロリータ」もそういう小説であり映画である。映画は深く批評的であり、かつ不思議な笑いを誘う滑稽感をも出していて、何度も何度も吹き出しそうに笑えた。わるい笑いではない。
ナボコフには、わたしはお世話になっている。
彼は、読者が「いい作者」を求めるのと同じように、作者も「いい読者」をもとめていることに気付いてくれと、自分で考えている「いい読者」の資格を、四つあげている。想像力のある人。記憶力のある人。少しだけでも芸術的センスのある人。辞書をひくのを億劫にしない人。わたしは完全に同感し、何度も何度も受け売りさせてもらった。もう一つわたしが付け加えるなら、二度以上読んでくれる人、である。
そのナボコフの代表作の一つが、どのように映画で表現されているのか興味があった。性的なシーンを期待したのではないし、事実、映画ではそういうシーンはほとんど一度として描かれていない。それも興味深い。予想したより何倍も佳い映画を楽しんだ。
佳い一日になってよかった。
2002 12・21 15

* アカデミー作品賞と、ケビン・トレーシーが主演男優賞の「アメリカン・ビューティ」は、それほどの傑作と思わないが小味に機微をえぐって、わるくない。こういう家庭崩壊の映画に、アメリカが大事なオスカーを与えていることに、ものを思わせられる。「ベン・ハー」でも「アラモ」でも「ザ・ロンゲストデー」でもない。ハッピー・エンドでもない。しかもハッピーの錯覚のなかで一人の男が撃ち殺されて死ぬ。題して「アメリカン・ビューティ」とは深刻、アメリカは。ブッシュは戦争に夢見ているし。
2002 12・22 15

* イヴの街へ出て美しい人の顔でも見たい気持ちだが、見なくても済む。機械の仕事をストップして、DVDで「帰らざる河」のマリリン・モンローを独占して楽しんだ。最後にモンローのケイが酒場で歌う「帰らざる河=恋人よわれに帰れ」にほろりとし、環視のなかで抱き上げて「ホーム」へ帰る馬車に我が子マークと並べてケイを乗せる、男らしいマット・コルダー役のロバート・ミッチャムにも心地よく共感した。ピュアでナチュラルで静かな映画、とてもいとおしくて、気持ちが佳い。
2002 12・23 15

* 気分はわるくない。休息に、またまたこの機械で「帰らざる河」をひとりで観ていた、今まで。
2002 12・25 15

* 宵のうちに、ケリー・マクギリスの実に美しい映画「目撃」を、ビデオでみた。ハリソン・フォードはなんでもないが、繪になる女優の、素朴で丈高い美しさは、観るに足りた。
2002 12・28 15

* 黒澤明らの脚本のママ、「赤ひげ」をリメークしてテレビが見せた。江口洋介は清潔感のある男優できらいではないが、三船敏郎の赤ひげに先行されていてはシンドイ。ま、おおむね、彼なりに演じたと褒めておく。若い女優達が競演した。鈴木杏の「おとよ」に可能性を感じた。
貧と無知(そしてわたしは付け加えるが、政治家の無恥)。それがなければ、人の病も社会の病も、かなりのところ起きはしないと、「赤ひげ」医者の言葉、よく言えている。日本の今日は、なにより心貧しく、そして決して良き知性には恵まれていない。文化人または知識人といえる、ないし人格者といえる、有力な政治家を日本の国はもう久しく持たないのである。禍根は其処に在る。ドラマの「赤ひげ」を観ながら、今も変わらないなあと感じていた。恥ずかしい。
2002 12・28 15

 

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