* 夜は、建日子が持参の中から映画「カサブランカ」と「黄昏」とをつづけて観た。
「カサブランカ」はイングリット・バーグマン、ハンフリー・ボガートの歴史的な名画、構成も演技も水も漏らさない完璧の出来で、はじめて観たという建日子も感嘆絶賛。「黄昏」はジェニファー・ジョーンズとローレンス・オリヴィエという名優を揃えたが、息苦しい展開に冗漫もあって、わるくはないが、また観たいという作ではなかった。二人ともさすがにみごとに役を演じているのだが。
映画は楽しい、家族で観ているともっと楽しい。のんびりもしたが「カサブランカ」の余韻すばらしい。バーグマンの美しさ。
2012 1/2 124
* もう何年か、妻の方がなにかにつけ沢口靖子のドラマを愛好していて、わたしも付き合う事が多いが、もともはわたしの方が大の贔屓なのであり、美空ひばりの例と同様、妻の方が熱心に後追いしてくれたのである。
今日の夕方にも何だか中途から「靖子ちゃん」が弁護士役のドラマをわたしも見た。見ていながら、ああ沢口靖子なりに清潔に真面目にうまく演じる女優になったなあと嬉しかった。生一本ではあるが繊細に感情を造形もして見せてくれるようになった。そしてまあ、これほどの美女は日本の女優で他にだれがいます、居ないではないかと思い当たり、その辺も妻とわたしの評価も好みも一致する。
なにしろそれぞれ二人で、また三人で、楽屋でならんで写真に撮られた女優は、他に一人もいないのだから贔屓も贔屓なのはあたりまえということ。ハハハ
2012 1・8 124
* 大河ドラマ「 平清盛」の一回目を観た。話はかなりツクッテあるが、あらましは通説に沿っている。白河法皇など、なるほどこういう権柄な人と人に思われているのかと面白かった。もうすこし当たりの柔らかい好色の狸おやじだったようにわたしは想ってきた。いかに院政の御一人であれ、あんまり厳つく権柄なわけ知らずでは肝腎の待賢門院璋子に嫌われ怖がられよう。
白河法皇と孫の鳥羽天皇と皇后璋子との三角関係はだいたいあのようなものであったとされている。皇后の生んだ後の崇徳天皇の父は白河院であると。わたしは小説『絵巻』では、璋子と有仁親王との恋を想像して書いたのであるが。なににせよこの紊乱にややこしい人渦が絡みつき、これから保元の乱へ向かう。
清盛の父も白河院かと、ほぼ肯定されているが、母は明確でない、祇園の女御といわれた女の縁者であろうかと。ドラマでは白拍子風情につくってあった。これもその子が平忠盛に育てられ平太清盛と成って行くのは概ねその通りと。
* 忠盛も清盛も、白河院も鳥羽院も待賢門院も、みな千載和歌集世界の同時代人である。千載和歌集は藤原俊成の撰であり、勅撰の院宣は後白河院から出ている。後白河は、例の問題になる崇徳天皇の同母の弟で、父はいわば戸籍通りの鳥羽天皇。そして千載和歌集に先行していた俊成私撰の「十五代集」といわれる隠れた歌集には、崇徳院が深く関わっていた。崇徳院に勅撰の意志があったとも観て少しも可笑しくない。百人一首にも名高い「瀬をはやみの」一枚札はこの院の秀歌であり、よほど和歌に堪能であった。後白河の方はむしろ歌謡歌手として名人であり『梁塵秘抄』を自ら編んでいる。
千載集には崇徳院の歌はたくさん採られてあり、後白河の御製は、在るが、少ない。清盛のも頼朝のも義経のも、見当たらない。しかし源氏の義家や頼政の歌が採られてあり、平忠度の秀歌も、よみびと知らずとしてだが、一首採られてある。今度の大河ドラマ「平清盛」は、父忠盛ももとも「千載和歌集の時代」にすっぽり含みこまれる。
* わたしは少年の昔から、源平の時代に馴染み、しかも当時大方の贔屓と異なりわたしは赤旗の平家贔屓だった。後白河贔屓でもあった。さてこそ『清経入水』を書き『風の奏で』を書き『梁塵秘抄』や『女文化の終焉』を書いてきた。行き着いたところが、目下の『千載秀歌』撰註であり、小説でもまた平家物語に取材してひそひそと今しも書き継いでいる。
大河ドラマは、観て行くだろう。むかし「源義経」をドラマにした時の義経は尾上菊五郎で、痺れるような美男子だった。義経はすすどい小男であったとものの本にはあるけれど。今度の平清盛は誰が演るのだろう。
2012 1・8 124
* 宵から晩へ、大河ドラマの「平清盛」と、ひきつづき時代劇とを観た。趣はまるで違うが二つとも楽しめた。日曜には慣例で観てきているものが多く、九時から「トンイ」十一時から「イサン」と韓国歴史ドラマをつづけて観ている。今夜は松たか子の出る長いドラマもあるらしい。
2012 1・15 124
* 昨日贔屓のモックン主演ドラマを「運命の人」を観はじめた。松たか子がすてきに好い感じで、モックン敏腕記者の恋女房を演じていて、ドラマも堅調に真面目に批評的でよかった、が、やや進行が重苦しく停頓する感じがし、疲れてきたので、録画していることだからと一時断念。今度は溝口健二監督の昭和十一年(一九三六)作品「祇園の姉妹」を見始めた。現代の沖縄問題を追及している「運命の人」に対し、七十五年前の京祇園花街の藝妓姉妹の物語では、比べものに成らず溝口作は古びていたか。大違い。山田五十鈴十八歳の主演映画のリアリズムは、思想的にも藝術的にも圧倒的な迫力で、妻もわたしも感動かつ脱帽した。残念ながら、関西の女作家の原作という「運命の人」は、映画作品としてまるで太刀打ちが成らなかった。脚本と監督との力の差はむごいほど歴然、モックンも意気込みが先へ先へ出て「おくりびと」よりよほど窮屈であった。ただし全部はまだ観ていないので断定できないが。
本木雅弘は、「徳川慶喜」でも「夏目漱石」でも、もっと深い演技で落ち着いていた。それにしても松たか子は、いい。びっくりする。
2012 1・17 124
* 日曜は妻にもわたしにも、テレビデー。わたしは作者に勉強のあとの見える「平清盛」と、つづく人情物めく江戸の時代劇を、まず楽しんだ。あとのは、主役の男女優山本耕史と中越典子に好感を持っている。二人とも、清潔。
* ほぼ期待したところまで今日の仕事ははかどった。さて湯に入ってから、日付の変わるまで幾つかドラマを楽しむ。映画を観るかも知れないが。
* どうやら増血剤を飲み始めた副作用が、胃のもたれや軽いむかつきや肌の痒みなどになって出ているらしい。発熱はしていないが、けだるさに負けて入浴はあきらめ、「トンイ」を見おえてから、また校正を一時間。妻にも手伝って貰っているので明日にもスキャン校正は全部終えてしまえそう。さ、今夜の仕事は、ここまで。 2012 1・22 124
* 文は人なりという。過剰に歪めて奉ずるのは困りものだが、それでもやはり文は人でも志でも気稟でもある。自分からそれを汚すことはない。創作はそうでも、他のもの、たとえばメールや日記や手紙なら好きに書き好きに言って好いじゃないかという理窟も成り立つ。それは否定しないが、文章は、一度きたなく持ち崩せばとても直せない。小島さんは黙ってそう注意していてくれたとわたしは今も感謝している。
今夜は、建日子原作の「ダーティママ」三回目が放映される。 2012 1・25 124
* 池上季実子と書いたか、この女優が好きで、つまらないと分かっているサスペンスものでも、この人が出ているならと、観ている。主役の張れる、しかし澁い脇をかためるのにも、抜群の演技力に加えて凄みもユーモアも分厚く持っている。表も裏も幾重にも芝居のうらうちの有る玄人藝。そういう意味でなら原田美枝子も宮本信子も同じように好きである。
2012 1・29 124
* 大河ドラマの「平清盛」を書いている人は、かなり的確にこの時代をつかんでいる。評判が悪いと聞くが、それは大衆紙芝居を安直に期待する視聴者の方が、水準が数段低いのである。自然主義の私小説つり純文学のようにこの大河は流れ始めたが、それはそうあって自然当然である。武士とはただに「侍」に過ぎなかった。それをそのまま捉えつつ王家の犬には鳴らない秘めた意思を忠盛はよく演じている。あの父ならこの子がそだつだろう。今度の湖の本に入れた「侍」「御繪と侍」などがその辺を裏付けている。
* つづく山本耕史らの「陽炎の辻」も、娯楽作ながら楽しめる。 2012 1・29 124
* 八時まで、で、食餌は停止。それ以降は、明日の午前中まで未体験に挑むことになる。
* 建日子、八時までいてくれて、相談も出来たし、彼の仕事も進んでいるらしかった、いつも新鋭機を駆使して原稿を書きつづけている。若いアタマが回転しているのだ、いいことだ。慎重に、大胆に。
今夜は十時から「ダーティママ」の第三回。永作博美にも香莉奈にも馴染んできた。刑事役の永作も巡査役の若いのも建日子の連続ドラマで馴染んでいる。
2012 2・1 125
* 建日子もいる時間に、仕事しているそばで久しぶりに再放映の「剣客商売」の藤田まことを観た。懐かしかった。小説の時代物はどうにも頂けない・頂かないわたしだが、「陽炎の辻」も「剣客商売」も「八丁堀の七人」も、そして「子連れ狼」も好んで観てきた。水戸黄門や大岡越前や暴れん坊将軍は、いけない。
2012 2・1 125
* 午后の腹の痛みもしつこかった。どうやら確定的に胆石・胆砂の痛みというのが当たっているようで、妻に背筋の下の方を指圧してもらい、痛みが緩解した。パソコンの検索も役に立ってくれた。
「平清盛」「陽炎の辻」を楽しみながら、下巻本文の校正にも手を付けていた。今夜はゆっくり寝たい。
2012 2・5 125
* よく眠れて、七時半にはすっきり起床。
思い浮かぶ仕事や要事はいっぱい、その交通整理にメモがたくさん出来る。
* それでも韓流の歴史ドラマは観ている。日曜夜、昨日の「トンイ」も「イ・サン」も、月曜朝の「海神」も盛り上がっている。歴史と時代考証への興味であるから、ときどきでもいい、小さい半島地図に問題の地名位置をしらせたり、何世紀のいつごろと小さく案内してくれるともっと面白く感じるだろう。なかなかの俳優・女優がいると、感じ入る。ただ、現代ドラマはつまらない。日本の方が断然いいなどとは決して言わないが。
2012 2・6 125
* 留守に届いていた手紙や、昨日今日のメールを読んでいた。またドラマの「平清盛」なども楽しんだ。
病院へわたしは源氏物語宇治の「総角」巻、ゲーテの「フアウスト」「ゲド戦記」の第二巻を持ち込み、最良の選択であったが、ほかに自作の幾つかも持ち込んで、ていねいに読んできた。なかの、「絵巻」は、われながら美しいと思えた。ありとある待賢門院を書いた読み物を高く藝術的に超えていると、胸を張って嬉しかった。史実を認識しながら全く想像力を遊ばせてフィクションの美を組み立てている。文字で書いた「絵巻」として完璧であった。そういう思いにもなれた病室暮らしだった。
2012 3・4 126
* 久しぶりにフランス映画「愛するために、ここにいる」を観た。作品に富んだ純文学の味わい。それにしてもなんと寂しいのだろう、だれもが実はこれほど寂しく余儀なく生きているのか。
2012 3・30 126
* 昨晩久しぶりわが家で、「平清盛」を観た。着実に侍から武士へ成長して行く清盛像が、むろんフィクションも援用しながら、要所要所でよほどリアルに史実にも即して力強く表現され、従来の大河ドラマが安易に豪華絵巻に絵巻にと飾り立てていたのとちがい、「意欲的な時代と人との表現」にひたと向き合いドラマを進めている。わたしは賛成している。主役の清盛も顔が出来てきたし、鳥羽院、忠盛、それに摂関家の忠実、忠通、頼長の親子三人なども、さもあらんという実感に近くよく造形されていて、このドラマがいまのところ「創作」の本道をむやみな繪にしてしまわず進めているのに賛同している。通俗読み物に堕することなくて、好ましい。
山門大衆の強訴に真っ向矢を射かける表現などに、清盛の言い放つ神輿など「ただの箱」も、忠盛の呟く「迷信」もよく生き、古代の終焉へまっさきに武士が歩を運んでいた事情が見えてきたのも、よい。こういう出でなければ平清盛をとりあげる意味がない。
大河ドラマでは過去に何度か源平がとりあげられてきたと思う。しかしその大方は通俗に甘んじた絵巻志向だった。今回の「平清盛」のこれまでは、文学表現になぞらえても概ね首肯でき支持賛同できる。
『千載和歌集と平安女文化』上巻が、期せずして清盛同時代の背後を証言するように語られているのが、多くの読者を喜ばせているらしい、払い込み票の書き込みから、よく窺える。
2012 4・2 127
* どなたにも一言のご挨拶もよう書かずに「発送」の作業を、夕方まで、少し、した。それでも、口も利けないほど疲れた。今日はもう働かない。
作業しながら、三谷幸喜の「ラジオの時間」と、長野の松本市であるか、桐という所にある、拘置所内、受刑者のための「 中学」に取材の、とてもよく出来たドラマを見聞きしていた。いい作品は、好い。
2012 4・5 127
* 午前中、本の発送。手早くとは考えない、一冊一冊一冊と亀の歩みのように。題は覚えないが、サミュエル・ジャクソンとジャック・ニコルスンではなかったか、ともに余命幾ばくもない患者が病院を抜けだしてスカイ・ダイビングなどの冒険をしたり世界をみてまわったりしながら、「身内の愛」をわかちもって、ついには別れる、死に別れる。
じっと画面を見ていたら身につまされて泣かれたり苦しんだりしたか知れないが、発送作業の方へすこしばかり逃げていた。いい映画だった。
* 映画といえば一昨日に観た「塀の中の中学校」にも泣かされたが、あの映画の中で記憶にクッと引っかかる場面・科白があった。
映画の本筋は、初等教育すら受けて来れなかった受刑者からの、選ばれた数少ない希望入学者のために「塀の中に」正規の中学が設けられているという、実の話。指導の先生は刑務官で、たまたま任命されてきたひとりが、オダギリ・ジョウの演じる実は写真家として立ちたい若い先生。任じられた仕事にまるで熱も情も無い。ひたすら自信に満ちて応募した写真コンクールでの入賞を待ちこがれていた。
ついに結果が出た。四人か五人だったかの最終選考に残っていた彼は、だが、独り、いちはやく落選。後に残った候補作者には彼の後輩でかつては彼の足もとに及ばなかった名前も入っていた。彼は編集部に乗り込み、編集長に落選の理由を尋ねた。編集長は言い渋っていたが、思い直して話してくれた。残された数人の候補者の中で彼は真っ先に選考からハズされたと言うのだ、そして他候補について熱心に選考の議論が闘わされたと。彼は茫然とし、理由を問うた。答えは簡明だった。
「花がない」と。
彼の勤務の日々が、此の只一言の「花がない」を説明していた。いかに技術があろうとも作の世界に「花がない」。決定的な批評だった。それはまたわたしが創作や執筆にあたって心底冀い大切にしてきた真情であり信条でもあり、また大切に思う後輩にもこころから「花がほしい」と助言したり批評したりしてきた。
* バグワンはよく言う。花は、匂わねばならないと。「匂う」という花の命がどんなに価値高いか、貴いか。さきの映画をなかば耳で聴いていながら「花がないんです」との一言に、すべてを理解した。
* 午后も発送の作業をして、ほどほどでおさめた。花は咲いているが風はあらく、空気冷えて作業する手が冷たい。
2012 4・7 127
* 夕食までに今日の作業を終え、あとは、明日の通院受診に備えて休息する。朝昼のあいだ、録画の映画「レッドクリフ」前後編を半ば「聴いて」いた。
2012 4・8 127
* 「塀の中の中学校」という好いドラマの中で、「先生」役の若い刑務官が、その役を嫌いながら実は自信のある「写真家」として世に出たい熱望に悶えていたという話を前にも紹介した。コンクールに出した自信作が、最終銓衡の五人のうちに残りながら、真っ先に彼の作と名とが銓衡から外され、残りの四人で熱心に選者達は議論したという内情を聞き知った彼は、どうにもこうにも合点ゆかず、事務方責任者である編集長に、ま、問詰に出向いた。なかなか答えて貰えなかったが、ついに編集長は只一言彼の作の真っ先に割愛された理由を、「花がないから」と。技術はとにかくも「花がない」からと。
* 陰気・陽気という。陰気はだれにも分かる。難しいのは陽気で、この語彙があまりに普通語に化しているからだろう。「陰の気」に対して「陽の気」とそこへ戻したうえで「陽気」の意義や魅力がとらえられねばならない。陽気とは賑やかにはしゃいだり、あっけらかんと無防備だったりすることではない。しかも「陰気」に咲く花は無い、いかにささやかにものに隠れたように咲いている花でさえ。上の「花がない」という編集長から伝わった選者たちの批判は、いいかえれば創作されるものには必須の「陽の気」が欠けているという真意であったのだろう。
話はとぶが、高校生の昔に幸運に南座の顔見世がみられて、初世吉右衛門はじめ、後の六代目歌右衛門や当時もしほの後の勘三郎、染五郎の幸四郎たちと出会った。ついで、市川壽海や、のちに仁左衛門や三津五郎や延若らに成って行く関西の役者たちとも出会ったのだが、そんな歌舞伎体験のなかでわたしは心幼いながらに「花」「陽気」という言葉の感じを体感した。たとえば「もしほ」今の勘三郎のお父さん、また「我當」今の我當・秀太郎・仁左衛門らのお父さん、そして「延次郎」のちの延若らの芝居を、「花やなあ」「陽気やなあ」と愛したのだった。河豚に中って死んだ「蓑助」のちの三津五郎もそうだった。みな当時の「花形」だった。
花の、陽気の魅力を、実の花や実のお天気よりも、わたしは歌舞伎役者たちから教わっていたのやと、感慨深い。
「花」も「陽気」もけっして大声で話さない。しかし黙っているのでもない。自身をけっして寡黙になど抑え込んでいない。静かに静かにたくさんなことを話しかけていて、しかし押しつけてもこない。静かに匂って明るい。
若い刑務官の「先生」は、不幸にして読み書きも出来ない受刑者を教育する役など不当で不要だと内心に見捨てていた。ただもうレンズを通して技術的に物を再現していた。写されるモノも死んでいた、写す自分も陰気に凍えていたのだ。
* マインド人間は、容易にさわやかに匂わない。陽の気に自身をゆだねられない。分別を重んじすぎ、分別くさく陰気をかかえこみ外へも陰気を滲ませている。マインドという「心」に毒されるのだ。解き放てないモノをかかえこみ、いつしれずそんなものを後生大事な自分の本領かのようにしがみつく。「心無 礙 無 礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想」の「 礙」、これこそが陰気の因となり花の匂うのを抑圧する。
2012 4・19 127
* 長門裕之と津川雅彦兄弟の久しい愛憎と和解への「語り」を、テレビで津川に聴いた。胸に響いている。
2012 4・22 127
* 「平清盛」が、来る保元の乱を予感させながら父忠盛の死を迎えていた。俳優の名前はよく覚えないが清盛の「顔」に好感をもっている。いまどきの、化粧もし身装品もひらめかせたヒャラヒャラ男達より何十倍も「男」の魅力に富んでいる。字義はちがうけれど紛れなく彼処に「侍」がいて、「武士」の世を狙っている。武士を称讃する気はないが、屈辱をはねのけて時代に挑んで行く男は魅力に富む。わたしが源氏よりも平氏を、ことに清盛を評価してきたそのままを、大河ドラマは再現してくれつつある。きれい事の絵巻にしていないのが出色の気概で。武士達はまさにあのようにして地を這い、あのように藻掻いて「公家」のまえに起ち上がろうとしたのだ。
今日の国民も起つべし。
敵は、目の前にいる。
2012 4・22 127
* 『平清盛』おもしろく観た。
保元の乱ほど人の渦のややこしく巻いた騒動はめずらしく、これが頭にちゃんと入っている人は数少ない。妻など、出入りの人の数が多くて混乱するとこぼす。それが当たり前。
脚色者はかなりよく整理して、いささか理詰めなほどじりじりと保元の乱の用意をしている。
2012 4・29 127
* 五時。おもいきって入浴し「ゲド」を楽しんでから、夕食にしよう。六時の『平清盛』を観よう。
* 清盛役が好い面構えに光ってきた。保元の乱は、ま、たいていの観衆には一度や二度では人の渦が看て取れない。あれくらいややこしい紛争は、ま、応仁の乱がのちのち有るぐらいなもの。しかし見通しが出来てみると、図式的な人間関係であって、分かりにくくはないのだが。それにしても今様の世界や青墓のような女世界を映像として避けずに表現している努力は小さくない。乙前に、祇園女御と同じ女歌手を配役しているのも面白かった。
2012 5・6 128
* けさの六チャンネル、関口宏が司会している「サンデーじゃぽん」(?)はいい話し合いを聞かせてくれた。国是としての「原発」のそもそもの由来から、現在の東電のとんでもなく途方もない傲慢と欺瞞との実情に的確な非難と批判とがだされ、それは現内閣の無力・無責任と表裏していること。副知事の猪瀬氏がいつも言うようにガバナンスを革めないとどうにもならない。いささかは期待を寄せた現経産相の酔態にもにた言行のブレにしばしば失望を強いられている。期待できそうと喜んだ民主党の若手大臣・副大臣級が、急激に凡庸化してきている、つまり官僚と財界との操り人形に成りきってきている。政治主導の掛け声に乗ってやったつもりの国民はまんまとダマサレた。国民のわれわれも情けないが。
* 同じ番組で、久々にカネヤン金田正一と会えたのが妙に妙に嬉しかった。あの顔、声、姿が、わたしの謂う「陽気」の体現で。
* 「平清盛」「トンイ」ともそれぞれに面白く展開した。
2012 5・13 128
* 盲腸をとったのは大学へ入ってすぐの今時分であった。移動盲腸で、手術に時間がかかり、術後の痛みに泣いた。術創はいまでも十センチ余もあり、多年に及んで時にヒリヒリした。
いま胃全摘の術創は、まさしく鳩尾からまっすぐ縦にまっすぐ下腹部に及んでいる。ワイシャツの前合わせのようであり、釦がわりに、楔を打ったように小さく横に切り口が綴じてある、ようだ。まだ、まじまじとは直視していないが、こういうのを「ものすごい」と謂いたい。
昨日、おお美人だと感じ入った愛らしい若い人が、何の目当てでかお寺さんに出入りし、住職としきりに対話している番組をちらちら観た。この若い綺麗な女性、本尊の仏壇をみても、床の間の繪や書をみても「すごーい」「すごーい」の連発で、ばからしくなった。仏様を目して「凄惨」「悽愴」はないだろう。「すごい」の国を挙げての乱発、もう歯止めがない。情けない。
2012 5・20 128
* 保元の乱前夜の緊迫も、大河ドラマはかなり立派にリアルな写真で描き出した。両陣営の駆け引き、そして清盛の、また義朝の決断。侍達の意地と野望。来週の保元の乱永い一日がどう描かれるか楽しみ。
2012 5・20 128
* 機械の前でする「仕事」が、幸い一つ二つではない。一つをやすみたくなれば、もう一つへ気持ちを振り向けてそれをする。次へ次へ。そして元へまた戻る。「読書」も同じように出来る。薬の影響からわたしをかすかにも救い出せるのは「仕事」「読書」と予想していた、その通りになって行く。飲食がアテにならず、気の晴れる芝居は、だが好きなときいつでもとは行かない。最寄りのターミナル池袋へ出て映画館に入るのはどうだろうかな。
家には、もう古いビデオテープの録画映画が、テープのままのも板にしたのも含めて三百作ほども在る。それほどわたしは映画も好き。それらを「全部」観るという気晴らしもあるのに気が付いた。そのために古いシステムのままテレビが一台茶の間に残してある。名案では無かろうか。
2012 5・21 128
* 映画の「オールウェイズ」を面白くこころよく観ていたが、茶川龍之介クンが芥川賞候補にきまった辺から、へんな詐欺師が出てきて不愉快になり、テレビの前を離れてきた。『廬山』が芥川賞候補作に挙げられたのは、太宰治賞をもらってから一年半か二年ほど経ったあとのことで、まだ会社づとめしていた。家へはしきりに各社の電話などあったらしいが、そんな雑踏はまっぴら御免で、社を退けてからは、お茶の水の鰻屋で独りゆっくり酒をのんでいた。結果の出たあと時分に家に帰った。
選評では瀧井孝作、永井龍男のお二人が佳い批評で推してくださり、吉行淳之介が自身との作風の違いに触れていた。『廬山』はのちに小学館の文学全集に採られた。
茶川龍之介クンのように、芥川賞を狙うというような心がけで「純文学」を書こうなどという姿勢に、わたしは賛成しない。
2012 5・26 128
* 大河ドラマの「保元の乱」は、およそはこの通りと納得できる画面を創っていた。城郭のない時代である、まして都の内と外、近在の高松殿と白河北殿の対峙。夜討ちと火攻めでケリのつく戦であり、一にかかって信西と頼長との勝負にもならない阿呆らしいような勝負であった。ほんとうの源平の角逐とウカ名の別れ路は次の平治の乱で決まってくる。
鎮西八郎為朝をもうすこし見映えのする美丈夫にしてくれると良かった。これから『椿説弓張月』原作本を手に入れて読もうというのにあんなきたない鬼のような侍では迷惑する。昔の絵本では、弓勢おそるべきしかしふっくらした美丈夫に描かれていたぞ。
2012 5・27 128
* 昼には、撮りためたVTRから「ノーボディ フール」を楽しんだ。ジェシカ・タンデイの亡くなったときの追悼放映だったと思う。ポール・ニューマン、もとよりジェシカ・タンディーも胸打つ好演で、ブルース・ウィルス、メリー・グリフィスが佳い共演だった。渋い、なかなかの顔合わせではないか。親子や夫婦のながくこじれていた関わりが、歳月の名采配で、落ち着くところへ静かに柔らかに軟着陸して行く。名前を覚えなかったがポールの息子役もとても温かい演技を見せてくれた。
つづいて、もう一つ見始めたが、途中で一仕事があがったので、「途中停止」にしてある。
映画大好き。これはと楽しめた多くを録画してある。選り好みしない、手に届いたテープを片端から取り出して、観なおして行きたい。
2012 5・29 128
* 発送作業のかたわらで、エディ・マーフィの「ビバリーヒルズ・コップ」を、またハリソン・フォード、アン・アーチャーの「パトリオット・ゲーム」を流し、 観ていた。何度も観てきた。わたしは文藝の上の安直な読み物は全然認めないが、映画での娯楽作を娯楽というそれ故に軽んずることはない。文学と映画とは創作の手法がちがう。映画では純の通俗のという区別はつけられず、俳優の演技も含めて映画技術の優れた物は優れており、いかに高等な意図で企画されていても映画技術が拙くてはお話しにならない。同じ事は文藝のうちの純文藝・文学にも、いわねばならない。意図において通俗でなくても下手な小説や戯曲では、やはりお話しにならないのである。
2012 5・31 128
* 発送作業を急ピッチで。その間に「ビバリーヒルズ・コップ」2と、チャーリー・シーン、ナスターシャ・キンスキーの超級のスリル「ターミナル・ヴェロシテイ」を耳に楽しんでいた。二級作だが面白く、映画の魅力に富んでいた。
2012 6・2 129
* 日曜の夕食後は「平清盛」を観て「トンイ」を観て「イ・サン」を観ている。あとの二つは朝鮮の宮廷劇だが、宮殿や庭園や家屋や室礼や衣冠や王宮内の制度などに興味を惹かれている。
今晩は間に、オマーンとのサッカーがあったが、三対零までみれば興は尽きた。日本の選手たち、うまくなったものだ。
2012 6・3 129
* 好天のもと歯医者を無事に終え、どこへも寄らず、強い日ざしに疲れながら帰宅。遅い昼食が、食べられこそしたが、腹にもたれて、疲労を加重。しばらく横になり、「八犬伝」を少し読み、『源氏物語』夢の浮橋をとうどう渡り終えた。ほぼ二十度めの読了である。
その以後は、「 湖(うみ)の本」 112の発送作業に。シルベスタ・スタローンの「ロッキー・ザ・ラスト」と、スチーヴン・シュピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」とともに。前者は「ロッキー」シリーズの最良作と思っている。後者は、おそろしい。人間は、傲慢にも造ってはならないものを、時に造り出して人間自身を破滅の恐怖へ誘い込む。原水爆もそうなら、原発もそうだ。「ジュラシック・パーク」には明瞭にその警告がある。
2012 6・8 129
* 発送の仕事にうちこんで、八割がた送りだせるように頑張った。あとは、時間をかけて、少していねいに送りだす。
今日は、その間に、メリル・ストリープ、デニス・ウェイドらの「激流」、やはりメリル・ストリープの「ソフィの選択」、ユル・ブリンナー、スティーヴ・マックイーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、ロパート・ボーンらの「荒野の七人」を、半ばは耳で聴いて楽しんだ。まだまだ数えきれぬほどVTR録画がしてあり、それに倍して、板にも録画してある。長時間を要する半ば繰り返しの肉体労作のとき、映画はじつに効果的な音響であり映像である。但し、吹き替えでないと困る。
とにかくも仕事は捗っている。
2012 6・9 129
* 発送を続けながら、録画したジョン・ウエイン、ディーン・マーチンの「リオ・ブラヴォー」、マーロン・ブランド、エヴァ・マリー・セイントの「波止場」をすぐそばで聴いていた。
2012 6・10 129
* 「平清盛」今日も結構であった。
保元の乱後の平家方は叔父忠正一族、源氏方は父為儀子弟らの、清盛による、義朝による斬首の刑はまこと苛酷に過ぎたが、世を替えようと急ぐ信西入道の野心と後白河天皇の放胆とが何百年絶えていた死刑を強行させた。清盛と義朝とが結託して朝廷に背いていれば一気に武家の世になった可能性は有ったが、清盛にも義朝にもそこまでの決断は出来ない、それほどに今日の吾々には思い至れない朝廷と摂関貴族の律令・莊園という法と政経の実力はまだ余喘を保っていたのだ。
だが、それももう永くはない。すぐ追いかけて平治の乱が起きる、起きねばすまない。平治の乱では平家と源氏との勢力争いがおまけのように付き従い、表向きは後白河・二条という父子上皇天皇の不仲、それに従う側近貴族らの地位争いが起きるのだが、結果としては清盛が義朝を追い落とし死なしめたのが歴史を大きく動かした。
それにしても清盛役の松山ケンイチという俳優の「男」たる面構えが、回ごとに美しく強くなって、みごとだ。わたしは少年の昔から平家贔屓の清盛贔屓だからそう思うのだろうが、この面構えひとつでも今回の大河ドラマは当てている。視聴率の低いという噂が事実でも、このドラマの質の高さ、見識のまともさが表れているのだから、関係者みな胸を張って制作し、演技し続けて貰いたい。
2012 6・10 129
* 発送の中休みに、機械の前へ。映画は、キアヌ・リーブスとキャリー・アン・モスらの、いっそ思想的に傾倒してきた「マトリックス 1」を。やはり、何かしら深く考えさせられながら。
今は、シルベスタ・スターローンとシャロン・ストーンの「スペシャリスト」を途中まで。画面停止、待機している。
メールも来ていないので、また階下へ。発送をどんどん進めて終わらせたい。
2012 6・11 129
* 録画しておいたクリント・イーストウッドの少し珍しい部類、「センチメンタル アドベンチャー」を観た。
2012 6・12 129
* 映画「キング・オブ・ハーレー」は、リンダ・フィオレンティーノと共演したチャーリー・シーンが、数百もの暴走族に痲薬捜査官として潜入する危ない作であったが、芯のところで安易なブレがなく、派手ではないのに心惹く画面がつづいた
2012 6・14 129
☆ お元気ですか、鴉
ベトナムから戻ってきました。
今NHKのBSでロード・オブ・ザ・リングを放映しているのですか、東京では如何?
ご覧になっているかもしれませんが。
先日の何必館の村上華岳展は、ベトナムに発つ前日京都に寄って、観たのです。細かなこと
は改めて。
湖の本112も届いています。 尾張の鳶
* 映画の指輪物語は途中から少し観て、テレビから離れた。いま丁度発端の所からまた読み直しつつあるので、映像に想像力の邪魔をされたくなかった。かなりリアルに創ろうとして、映画は映画らしい苦心をしているように思われた。
映画では、監督としても信頼し高評価しているクリント・イーストウッドが主演で監督の「目撃」が、何度観ても面白い。卑劣な犯罪を犯す大統領がジーン・ハックマン、それを誤魔化す補佐官がジュディ・デイビス、大統領らの犯罪に批判的なシークレット・サービス、スコット・グレン、大統領に妻を殺された大統領には親ほどの支持者が、ジョージ・マーシャル。此の犯罪の一部始終を隠し窓を通してすべて観ていた天才的な盗賊が、クリント・イーストウッド。その娘で弁護士でもあるのが、ローラ・リニー。この弁護士に好意を抱きながら盗賊を追う敏腕刑事がエド・ハリス。贅沢な配役。ローラ・リニーもエド・ハリスも大好き。
こういう引き締まって面白い映画は、ストーリーがどう読み物程度でも、映画表現がよく練られていたなら大いに楽しめる。けっして暇つぶしとしてでなく楽しめる。
2012 6・16 129
* 今日は妻と息子とが、どこだか、六本木の方まで津軽三味線を聴く食事会とやらに行く。わたしは晩方留守番して、好きに読書など楽しむ気。以前ならこの「など」に食うや酒を呑むが入ったのに、今は二つともすこぶる気乗りしないとは、やれやれ。読書で疲れたら妻の帰宅までぐっすり寝ているという安楽もある。それがいいかも。いやいや今夜の日曜には、「平清盛」や「トンイ」最終回もあるのだった。
颱風が来ているとか。せめて今週のうち、出歩きたいとも願うが、杖と傘とを両手に持つのは気乗りしない。
* 手紙を寄越した俳優座の女優と連絡が取れた。観劇を申し込む用件を機械の傍のfax で依頼。
この二階の、なんという暑さだろう、いやはや、これからが大変。
* 留守番しながら用意された晩飯を食い、きまった薬を飲み、「平清盛」を観て、録画してあった「007 ゴールデンアイ」を観終えた。ジェームズ・ボンド役はピアーズ・ブロスナン、マドンナはイザベラ・スコルプコ。仇役はショーンビーンとフーケ・ヤンセン。ジョデイ・デンチも少し顔を出した。シリーズの中でも面白い方の一編。
* 今夜は永く連続した韓国ドラマ「トンイ」の最終回だった。
賤民の娘トンイが王に愛され宮廷の荒い波風を人間として、女として立派にくぐり抜けて、ついにわが子を王位にまで真実高邁に慈悲深く育てきった。そういう物語で、先行していたやはり宮廷劇の「イ・サン」と同系の物語。どっちがどうとも甲乙つけがたく好感の持てるドラマであった。
ドラマの終わったときに、妻が帰宅。
2012 6・17 129
* 昨日、ハリソン・フォード主演映画の第一等と推したい「エアフォースワン(米大統領専用機)」を見た。映画的に勝れてスリリング、しかも大統領個人の孤独でかつ真摯なテロと闘い抜く敢闘精神には、「愛」深く、感銘を催してあまり有った。テロの首領役も存在感に溢れて好演。
クリント・イーストウッドの「目撃」と同じ、娯楽映画であれ娯楽の質的表現に卓越した構成が認められる。
これに匹敵する日本映画も、まま、無いではない。ビート・タケシの「点と線」や、もう昔になるが鴎外原作の「阿部一族」なども、忘れがたい。
* 美味いものを食べるのが闘病の薬の一つになると期待したのは、アテはずれで、食べるのがむしろ今は苦痛に属している。その代わりになって、録画しておいた沢山な「映画」VTR CDD が大いに役だってくれている。まあ、よくこうも録画しておいたと謂うほど、今在る全部を見通すには一年有っても足りない。「映画ってほんとに面白いですね」という挨拶でいつも解説を結んでいた評論家の顔つき口つきを想い出す。
いまは、機械の中に、ジュード・ロー、レイチェル・ワイズ、エド・ハリスの「スターリングラード」が入っている。これも胸に迫る戦争映画の傑作の一つだ。
2012 6・20 129
* ボクシングの井岡、八重樫、組織を異にした二人の世界チャンピオンの頂上対決は凄いほどの企画だが、観たいものでない。三ラウンドほど観ていたが、映画「スターリングラード」を苦い感慨とともに見終えた。
ザイツェフ狙撃手を愛してドイツの情報を探りとっていたロシア少年サーシャが、廃墟の空にたかだかとドイツに、エド・ハリス演ずる狙撃の名手に吊されている場面は堪らない。天才的なロシア狙撃兵ザイツェフ、ジュード・ローの演じた狙撃も見応えがあるが、レイチェルワイズの演じたターニャとの、恋という以上に戦場での性行為のみごとなほどの美しさ、真実さにもつよい感銘を受けた。そして二人の、戦後の再会にも。
で、ボクシング試合の結果も知らないが、知らなくてもいい。
2012 6・20 129
* はっきり言って、からだは、実に不快でシンドい。自転車で走ってこよう。風に吹かれ、視界がひらけ、花や樹木に目をあてて来よう。 長時間は禁物。ま、一時間か。
* 東大泉から東へ北へ初めて通る田舎道をゆっくり走って、出会った埼玉県新座市内の木蔭の深い公園に入り、ベンチで、東洋文庫を読み、また持ち出してきた小説の書きかけを頭から再検討し始めた。頸に架けた小さい録音機を初めて利用してみた。
自転車で家から離れてくる間際のからだの不快はひどかったが、初めての景色に出会う走りや、静かな木蔭でのささやかな「仕事」の最中は、よほど不快も忘れておれる。
一時間半の外出で帰宅した。そのあとの何とも謂いようのないシンドさ、不快感。横になる以外にかわせない。
どれほど寝入っていたか、あ、寝ていたんだと思い、目覚めてからそのままね栄花物語、和泉式部歌集、古今著聞集、日本藝能論、東洋文庫を二冊、そしてゲーテの『イタリア紀行』を読み進んでいるうち、ラクになっているなと感じられた。
だが、六時過ぎ、夕食の膳に向かおうとすると、堪らない拒絶感とシンドさが湧き起こる。しかし抗癌剤はのまねばならず、やはりよく食べて食後にのむ方がいいにきまっている。堪えて、食べ物を飲み物を口にするのが辛い。だが、今夕もとにかくきまった量の薬は服した。
逃げるようにこの機械の前へ来て、キイを敲いたり本を読んだりしているうち、少し和らいでくる。
やはり湯に漬かろうか。
映画はいまジャック・レモンとシャアリー・マクレーンとの「アパートの鍵貸します」を途中まで。佳い作とは思っているが、今の体調には、当然のようにもの悲しく、愉快でもなくて。大の贔屓の二人の顔をやすやすとみていられない。
今晩は九時から松本清張作の「波の塔」の映画化公開がある。ビート・タケシの主演した「点と線」が圧倒的だった。「波の塔」も待っていた。
* 68.7キロ。浴槽のそばへスタンドを置き(これは用心が大事)、「八犬伝の世界」「南総里見八犬伝」犬塚番作の初登場を夢中で。辻邦生さんの「夏の砦」を数頁、『指輪物語』ではガンダルフと若きホビット統領の魔法の指輪をめぐる真剣な対話を、読んでいた。そのあいだは、からだも思いも、ラク。
さ、今度はテレビ映画を楽しみたい。楽しませてくれるように。
* 「波の塔」は、単なる意外な駄作であった。
2012 6・23 129
* 昨日よりマシだが、口の中のワル味が不愉快で滅入る。ひっきりなしに歯を磨くしか逃れようがない。
昼に、冷えた素麺が食べられた。炭水化物の摂り過ぎはよくないが、まるで摂れないでは困惑する。服薬の「食後」という約束は、やはり何かしら炭水化物を腹中したアトという気がする。朝、何を食するか、晩、何を食するか、美味く食べられるか。そんな懸念のママいろんなことをしている。めったにしないことだが、クグっていると最新のニュースが読める。気にしている「平清盛」の内輪話も読める。平宗盛という、わたしの創作では欠かせない御曹司がそろそろ登場するらしい、配役もきまったらしい。
* 「平清盛」は面白く観た。
2012 6・24 129
* 読書に匹敵して、たしかに映画もわたしは青年の昔から大好き。このごろ頭もボケてきて急激に減ったけれど、ひところは海外の映画男優・女優の名など、それぞれ百人以上も即座にすらすらと言えた。それほど映画を俳優への贔屓の気持ちと一緒にして楽しめたし、今も楽しめる。先日の「湖の本」発送作業中に見始めたVTR録画映画も、あれあれというまに三十作ちかく観ていた。今は「アパートの鍵貸します」が中途で。あれだけ何度も何度も楽しんだ贔屓作なのに、今回はなんとも重苦しく不快で哀れで観ていられないのだ。
一頃は海外の映画ばかり贔屓にした。青春期に観た黄金時代の日本映画への郷愁が新しい時期の日本映画に背かせていたのだろうが、あるとき、ふと、近来の日本映画にも秀作があると気づいてからは、日本の映画もたくさん録画した。
薬の苦をまぎらわすにも、せいぜい映画を観よう。しかし映画館へは行かない。「仕事」を軸に、本を断続して読み進む、それと同じに映画も本を読む要領で観たいから。それをさせず、一気に全編観させる映画に出会えれば、それは幸せ。
2012 6・28 129
* 「アパートの鍵貸します」を観終えた。ビリー・ワイルダー監督の秀作に違いなくうまいし面白い映画に相違ないが、ジャック・レモン、わけてもシャーリー・マクレーンの佳い顔をみていると、もののあはれに惹かれて泣かされるのが少し辛い。それでも秀作のほまれに少しもきずはついてない。終幕大晦日のニューヨークを走るマクレーンの横顔が、美しい。
2012 6・28 129
* 今夜の「平清盛」は平治の乱。保元の乱はあっという間の勝負で、血なまぐさい死刑などもあったが、要するに勝った負けたの結着は判りよく割り切れていた。平治の乱はくだらない動機で始まって終わったものの、及ぼしたあとあとへの影響は深刻だった。信頼などの愚かな公家の末路はお話しにならないが、源氏の義朝の浅慮はそのまま時代を、信西入道が計らおうとしていた方向とは違う方へ奔流させた。清盛とて、信西の野心を正しく読んでいたか心許ない。信西は間違っても武士の世を考えてなどいない、明らかに後白河上皇を頂いた公家政治を、摂関家の割り込みを排して実現すべく、清盛と平家の武力をそこそこに厚遇しつつ背後に備えようとしていた。義朝の野心は信西の眼にはちいさく田舎臭く映じていたろう。
清盛は、その信西を義朝らに殺されてしまうと、行く先々の展望を切り替えるしかない。義朝の源氏と並び立っていては公家の犬のままになる。源氏を倒して、こんどは直に後白河院との間で前途を画策するよりない。摂関家も近臣公家ら公家社会は清盛の味方にはならない。
来週のドラマがどう動くか、差し当たっては平氏が源氏を都から追い出す。捕らわれた頼朝の命乞いも始まるだろう。牛若など幼児をかかえた義朝寵愛の常盤は清盛に縋ることになろう。清盛はもう頼む信西を喪って前途を独りで考えるしかない。後白河院との親昵や競合や確執の時代へ動きながら、妻時子の妹滋子を後白河に提供する。史上もっとも幸せな皇后といわれた建春門院をあの好色な院は、他をすべて顧みないほど愛したのである。娘徳子、のちの建礼門院を、その滋子の生んだ高倉天皇妃にして外戚の権を得たというだけの清盛ではなかった。
『猿の遠景』という著がわたしに在る。一点の名画を介し、清盛と後白河院との時代や折衝がおもしろく読み取れるはず。
2012 7・1 130
* 午前中は動けなかった。韓国の連続ドラマ「王建」の途中をたまたま観たあと、元ボクサーのガッツ石松主演、渡瀬恒彦、原田美枝子、富田靖子それに大滝秀治らベテランが見事に競演した二時間ドラマ「つぐない」を観た。大概なら途中でテレビの前を立ち去るのだが、釘付けにされた。こういうのに出会うと嬉しくなる。
2012 7・4 130
* へたなドラマを観て、口直しに録画してあった「雨に唄えば」を楽しんだ。ジーン・ケリーはもとよりだが、デビー・レイノルズが若くて愛らしい。もう一人の、ジーン・ケリーも顔負けにうまいドナルド・オコナーがダンスをとことん楽しませてくれる。くっきり印象にある。
2012 7・4 130
* ちょっと作業しながら、「雨に唄えば」を見終えた。ダンスのべらぼうに巧いドナルド・オコナー。テレビでも、マイケル・ダグラスとグィネス・パルトロウの「ダイヤルM」を観た。俳優は二人とも贔屓だが、映画は不愉快だった。
2012 7・5 130
* 今朝、あの大河ドラマ「江」で彼女の夫になる徳川秀忠を好演した、向井理クンがテレビで話していた中で、座右銘というか好きな言葉として「禍福は糾 (あざな) える縄の如し」と挙げているのを、頷いて聴いていた。いいことも長続きはしないしわるいことも長続きしないとは、わたし自身の実感でもある。例外もあろうが、概してそのように生きてきた気がしている。
そうそう言い忘れたが、向井理クンが今度主演する連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」( 日曜夜九時) の脚本は、秦建日子と。
* 午后、はからずも「二百三高地」という映画の始まるのに出会った。戦闘の悲惨さをつぶさに映画的に描きながら、日露戦争の眼目となった乃木さんの指揮した旅順攻撃の劇映画化で、明治天皇に三船俊郎、乃木希典は仲代達也、彼を戦略的に救った参謀総長児玉源太郎に丹波哲郎、ドラマの主人公に葵輝彦と夏目雅子という、その他にも日本映画男性陣を総動員したかの力作であった。さだまさしの「教えてください」「山は死にますか、海は死にますか」と訴える主題歌に泣かされた。
日露戦争は明治三十七年(1904)に始まり、乃木の率いた第三軍の旅順攻撃は八月十九日に始まって、旅順のロシア軍が降伏したのは翌年の元日であった。戦闘の悲惨と残酷が、時代が百年前であるだけに肉弾相撃って凄まじい。凄いとはこういう惨状にこそ用いる批評語だ。
2012 7・6 130
* とても睡い。血圧が下がっているのか。記録によると、だいたい130-140あった血圧がこの三週間ほどは平均して110台ときには102などという低いときもある。それで、こう目の前が白っぽく揺れるようであるのか。素人判断はできないが、五体が一日中睡けに取り巻かれている。だからこそ一日中断続して面白い本を読んでいる。日にかならず読むと決めている本は、階下で15冊、機械の前で3冊在る。
録画した映画も楽しんでいる。昨日今日は「大統領を作る男たち」前後編、期待通りに楽しんだ。この映画、夫婦して何度繰り返し観てきたことか。
役の名でいうと、FBI 捜査官のマンクーソ(ロバート・ロッギア)と、性的異常者で教師だった世界制覇野
心の副大統領候補男ファロン(ハリー・ハムリン)を「政治的英雄」に仕立てて反米活動に向かわせようとする底意と策謀を抱いた美女サリー(リンダ・コズロウスキー)が、フルに活躍する。二線級の俳優達をリアルに生かして四時間を超す大作に些かのブレがなく、ストーリー自体が緊迫して面白く、十分楽しませてくれた。
2012 7・7 130
* 「平清盛」についで九時からの連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」第一回が始まる。期待と楽しみにして観る。
* 連続ドラマ「サマーレスキュー 天空の診療所」(秦建日子脚本)第一回、申し分なかった。殺しドラマばっかりにいつもウンザリしているので、出だし尋常、山も美しく、主演の向井理は元々好きなので、見やすかった。あれは小池栄子ではなかったか、彼女の助演といい、笹野高史の顔が見えたことといい、嬉しいサービスだった。もう一人芯になってくる助演女優尾野真知子の今後にも期待したい。
2012 7・8 130
* 妻が髪結いさんへ行っている留守にたまたま映画「クレオパトラ」を中途から観て、最後まで惹きこまれ、感動を新たにした。
こういう歴史劇が、たとえ脚色され潤色され過剰に批評されていてもわたしは好きで、つとめて観るようにしているが、この名高いエリザベス・テーラーとリチャード・バートンの演じたアントニウスとの映画を通して観たことがなかった。
なんというエリザベス・テーラーの美しさであったろう。わたしは少女時代の作から、「花嫁の父」の頃のエリザベスから、「熱いトタン屋根の猫」などいろいろ観てきた。奇跡としか言いようのない天恵の典型という美女は彼女をおいて無い。イングリット・バーグマンですら、美しいと言うだけで言えば敵わない。海外女優ではわたしは早くからこの二人を双璧と観て、毫も揺らがないて来た。
だが、映画「クレオパトラ」もすばらしく、殊に脚本の科白がみごとな音楽美に溢れ、文藝の魅力にも感嘆したのである。
2012 7・13 130
* 普通のドラマなら「平清盛」悪行のかずかずを描き出そうとするだろうが、今回の大河ドラマは、実に正しく、武家の武家として起とうとする意図と意欲とに基づいている。源平のいずれにもそれがあり、しかし源家の棟梁義朝は早まり焦って平家の清盛に名を成させた。清盛は後白河上皇の意も受け、武家の手で、平治の乱の大将を以て任じ信西入道を殺した公卿藤原信頼の頸を六条河原で斬った。その上で、とうとう、父忠盛の果たせなかった公卿の列に武士の清盛は並ぶのである。
脚色者は平家物語の虚構や仏臭をあえて採らずに、歴史が孕んでいた体制の変更を着々実証して行く。りっぱな見識とあえて言う。
* 建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」二回目、緊迫していい流れだった。瑕疵は強いて謂えばあるが、ドラマの基本姿勢が誠実なのは気持ちがいい。
2012 7・15 130
* テレビでは折りからオリンピックだったが、「金メダル確実」の「金メダルしか頭にない」のと聞かされ続けると、挙げてメダルの奴隷のように思われ、選手達が哀れだった。柔道の福見選手などわたしは試合まえから可哀想でならなかったが、銅メダルにも届かなかった。届かせなかったのは、マスコミや多血質の応援者の過剰な間違った応援にあった。百平泳ぎの北島も然り。
勝つの負けるのに拘泥しすぎて負けてしまう。そこへ行くと、一度一度を懸命にれいせいに闘っていたアーチェリー三人で勝ち取った銅メダル、女子重量挙げの三宅選手の銀メダルは光っていた。積み上げた努力が光ったのであり、勝とう勝とうでは躓いてしまう。 わたしは、ぎすぎすしたメダル・オリンピックより何層倍も、吾々の此の世からはしっかり離れた精緻な巧緻な文藝として輝ききった世界的なファンタジーや寓話の方が面白いと、夢中になれた。
* 昨晩は建日子の連続ドラマが五輪番組に食われて中止だったけれど、六時からの「平清盛」も、六時四五分からの「薄櫻記」もよかった。
聖路加の眼科病棟の看護師さんたちには「サマーレスキュー 天空の診療所」その他のフアンが想像以上に大勢なのに驚かれた。折良くノベライズ文庫がでたところなので、十冊余も献呈してきた。テレビはやはり人気者であるらしい。わたしのことなど、誰も知らない。サッパリと気楽である。
2012 7・30 130
* テレビの「平清盛」と「薄桜記」とをつづけて楽しみ、妻に同行を頼まれ、郵便局のポストと、ちかくの店での買い物に。この辺は夜道がくらく人通りのない道路工事場の縁り道など気持ちが良くない。低血圧でふらふらしているのだから、杖はついていてもやや脚もと心許ない。
今度は九時から建日子脚本の連続ドラマ「サマーレスキュー」三回目が待っている。そのあと入浴して、ほどほどに就寝と。
2012 8・5 131
* 午後二時になるが、夜前の女子サッカーや吉田選手の女子レスリング、ボルト選手の200決勝など、結果を知らない。
* 昨日の晩、建日子が来て、「指輪物語」映画三部作の第一部三時間を見せてくれた。どうかなと危ぶんだが、三部ともアカデミー賞の作品賞を取っていると聞き驚いた。あれだけの優れた超大作のファンタジーが映画化出来るのだろうか。その危惧はたちまちに一掃され、感嘆しながら見せてもらった。
大自然も、脅威の自然も、ホビット、エルフ、ドワーフ、人間、魔法つかい、亡霊や怪獣などの描き分けも、大危機や異様世界なども原作の味わいを相当リアルに再現し得ていて信頼できた。
映画の後、女子レスリングなど観て建日子は都心へ車で戻っていった。たぶん今日はわたしのために何だか新しいパソコンを選んで注文していてくれると。
2012 8・10 131
* 晩、三浦友和と山口百恵の映画「伊豆の踊子」を楽しんだ。泪もした。同題の映画は美空ひばりのも、もっと古いのも観てきたが、三浦と山口とのこの作品が第一ではないか。三浦も質実で情味豊かなら百恵の踊り子もせつせつと悲しい初恋を、真正直に美しくあどけなく見せてくれた。川端康成原作に立派に肉薄していたと、満たされた。
2012 8・10 131
* 朝の、血圧114-62(81) 血糖値 92 体調わるくない。手先の痺れ、きつい胸焼けに、体の痒み加わる。赤飯、バナナの朝飯。朝は薬の種類も数も多く。ナンパオとアリナミンも加えた。体力の元気を喪ってはまずい。昼前に郵便局まで自転車を使ったが、視野曖昧で、帰りの坂道難渋し疲れた。昼食ハカ行かず。疲れて寝てしまう。目覚めてそのまま読書。夕食なかなか摂れず難渋。ドラマ「薄桜記」楽しむ。
2012 8・12 131
* 「平清盛」よろしく「薄桜記」よろしく、建日子の「サマーレスキュー 天空の診療所」も落ち着いていて、なかなかよかった。殺しなく犯罪なく刑事が出てこず、気持ちが清々する。ついで「イ・サン」を暫くぶりに観るつもり。このところ日曜夜はテレビを楽しんできた。
2012 8・19 131
* 体重66.2kg 血圧102-55(55)血糖値 102 服薬 朝、体違和無い。桃の朝食。
吉備の有元さん、再びすばらしい桃、純白にちかい、かすかに桃色の珍しい桃を五顆下さった。じつに美味く、ほの甘い甘い水気に命蘇るよう。有り難うございます。
* 昨晩、建日子が自転車で目黒から帰ってきて、届いていたコンピュータをすっかりセットしていってくれた。ディスプレイと一体型、マウスもキーボードもコードが要らない。あらましを遣ってくれたので、細かいことはこれから彼に教わることに。気分もふしぎに明るくなった。有難う。
それから、やはり持参の映画「指輪物語」第二部を数時間親子三人で楽しんだ。
わたしはこの作二度目を読んでいるさなか。一度目の読みもかなり克明に忘れていないので、映画の作画のみごとな再現、丁寧でリアルな再現に驚嘆しつつ、大いに楽しんだ。ここまで出来るのかと映画技法の進化にも深化にも敬服する。少なからず文学表現が寂しくなるが、とはいえトルーキンの原作は、映像に負けない適確で美しい描写とはげしい展開、たじろぐことが少しも無い。名作と謂うにみごと値している。
ただし大長編なので、せっかちな人、手荒い読みになれた人には勧めない。一行一行の美味をすいこむように楽しめる人ほど原作の確かさ美しさにしっかり溶け入れる。映画は、まだ、もう一部ある。
見終えて、あれで一時過ぎていただろうか、また自転車で目黒へ帰っていった。有難う。どうか怪我しないで、事故にあわないでと願い願い見送った。そして、床に。残しておいた稗史とファンタジー「南総里見八犬伝」「指輪物語」「イルスの竪琴」を楽しみに楽しみに読んで、こころよく寝入った。いまこの三冊が、胸の内で魅力を三つどもえに発揮している。建日子の置いていったSF「星を継ぐもの」も佳境に入ってきている。東洋文庫の「唐代伝奇集」1と2は読み終えた。読み継いでいるもう十数冊も、それぞれに読み応えがして競うほどにわたしを飽きさせない。
* 新機は、とてもまだ、思う画面すら引き出せない。慌てまい。 2012 8・24 131
* 九時から北大路欣哉の新「剣客商売」が始まるというのを心待ちにしている。以前の藤田まことの風格とどう拮抗するかが楽しみ。わたしは、とうてい自分に不可能な日本の剣術に興味を抱いている。「薄桜記」も以前の「塚原朴伝」も、そんな気持ちで観ている。
2012 8・24 131
* 四時から五時まで、松本幸四郎の「ラ・マンチャの男」千二百回上演を記念した密着番組を妻と観た。舞台の感激を下敷きに、さらに沢山の感動の涙を流しつづけた。いい番組であるとともに、ほんとうに見事な舞台であったこと、幸四郎の豊かな強さをしみじみ実感し、心から敬服した。
松たか子も松本紀保も、娘として俳優としてとても佳い証言や思いを語ってくれた。
幸四郎は優れた歌舞伎俳優であり、世界を把握した名優である。彼の演劇としての歌舞伎にも、勧進帳や熊谷や松王丸や由良之助等々にも、わたしは全身を寄せた贔屓であるとともに、「ラ・マンチャの男」はじめ数々の歌舞伎でない芝居も、わたしは、いつも妻とともに、心底楽しんで拍手してきた。幸四郎も高麗屋の女房さんも松たか子も、贔屓のあまりに日本ペンクラブに推薦し入会してもらった。そうすることがわたしにはとても嬉しかったのである。
いい企画番組に出逢えて、嬉しかった。再放映があれば録画したい。
そうそう、夜前夜中に起きて夢うつつの歌を書き留めていた。
在るとみえて否や此の世は空蝉の夢に似たりとラ・マンチャの男
在るとみえて今ここの世ぞ空蝉のあてどなけれとラ・マンチャの男
* ちりんと鈴 鳴らして在り処(ど)おしえつつ黒いマゴはわれを隠れんぼの鬼に
* なんとなく歌の「やうなもの」がのどもとへ顔だして苦笑ひしてをるじややら
* 「平清盛」が煮詰まってきて、今晩の「五十賀」の舞や歌のきそいも興ふかく観た。「薄桜記」は、ストイックな丹下典膳もさりながら初めてみるような柴本幸の離別された妻千春役が重みと魅力を出してきた。しかし浅野の殿中刃傷から、足がやや宙に浮かないかと案じられる。
今夜はまだ、九時から建日子作の連ドラ「サマーレスキュー 天空の診療所」もある。十一時には韓国の長い長いドラマの「イ・サン」も観る。日曜はそういう晩にしてある。
2012 8・26 131
* 昼食後昼寝それから仕事 湖の本113の跋文を補足して要再校の用意終えた。明日、歯医者に行くときに郵送する。本文の三校も終えて、可能ならもう一度通読したい。
今日建日子が脚本を書いた連ドラ「ドラゴン桜」の途中を観て楽しんだ。
建日子のテレビドラマで、出来も良くて好きなのはと聞かれたら「ドラゴン桜」と答えるかも知れぬ。主役の阿部寛がこのドラマで溌剌としている。出演の他の生徒も補助の女先生長谷川京子もすてきである。なにより東大受験必勝を演じながら、かなり適確に東大などの在る社会を諷してかなり激しいのが、わたしの好み。
いま、新機に一太郎最新ソフトをテンストールしている。新機のデイスプレーは左右50センチほどか。かなり迫力。慣れればこっちで仕事が出来るだろう。
2012 8・30 131
* 「平清盛」ドラマの純文学めき、作者のセンスにわたしは共感の一票を呈する。わたしの根からの清盛への共感、後白河院への共感を、理においても聡く満たしてくれている。
「薄桜記」すこし大まかに事が運んでいるが、どうか案に相違したおもしろい展開を願いたい、典膳と小春のために。吉良家討入りで典膳と堀部安兵衛との決闘になって終わるなどは、つまらない。原作者に期待したい。
柴本幸という小春役が段々によい。他のドラマで見た覚えないが。上級武家の妻女らしさに、忘れていたものを思い出させる品位がある。
ほかで何作か見た松下奈緒とかいった女優の丈高い気品にも、似た味わいがあり期待している。
* 日曜の夜は、もう二つ、建日子作「サマーレスキュー」と韓国の「イ・サン」を楽しむ。
2012 9・2 132
* 夕食後、疲れた妻を寝かせて、わたしは古い録画からシュワルツネッガーの「トルーライズ」という破天荒で家庭的な活劇スパイものを見聞きしながら、辛うじて刷り出せた謹呈者の宛名シールを封筒に貼り込んだ。しかしその他の、大学高校への寄贈シールも、肝心の読者の宛名シールも古い古いワープロがもはや働いてくれなくて、刷り出せない。妻は、それら一つ一つを新たにパソコンに打ち直している。たいへんなことだ。
わたしは、謹呈追加分を、手書きで宛名書きする。今回はこれがきっと多数になる。
2012 9・3 132
* 午後、気づかずにいたロシア映画「戦争と平和」第二部の途中から観て、第一部から観られなかったのをくやしがりながら、あまりの画面の美しさに感嘆しながら、ナターシャの初々しくも危うい恋の美しさとあはれとに魅入られていた。アンドレイに惹かれて求婚を受けながらアンドレイは一年の猶予を請い、その一年はナターシャは「自由であり婚約にとらわれないで欲しい」と告げられる。背景にアンドレイ公爵家の家の事情も伏在していたがそれを知らぬうら若い処女ナターシャには過酷な要請であった。そして、無頼の武官に恋をしてしまい誘拐されそうになったのを、辛うじて阻んだのはナターシャからもアンドレイからも信頼厚いインテリのペーチャだった。ナターシャの中途の恋を伝え聞いたアンドレイは冷たく婚約の解消をペーチャに言い、ナターシャのロストフ伯爵家に伝えてくれと頼む。
オードリー・ヘプバーンの「戦争と平和」も好んで観たが、さすがロシア映画は、美しさと感性の豊かに清潔で静粛でかつ絢爛たる演出において擢んでていた。明日の第三部は必ず観る。トルストイの『戦争と平和』ほど好きなロシア文学は無い。
このトルストイとチェーホフとは、ことに親しかったと『妻への書簡集』に繰り返される記事で知られる。心嬉しくなる事実。
それにしてもチェーホフの結婚生活のいかにもの哀れであることか。チェーホフは貧しい下層の出で、トルストイ伯爵家とはちがう。しかも彼は家庭と一族とを支え、母と妹の存在に気兼ねして婚期を大きく逃し続けていた。女優オリガ・クニッペルとの結婚式の挙げ方も異様であった。宴会に知友を招いておいて二人でぬけだし、教会でふたりだけで夫妻の誓いをし、その足で遠く旅立っていった。結婚の前にチェーホフはオリガに、挙式前に誰一人にも結婚を告げないと誓って欲しい、そうしたら結婚しようと頼んでいた。母と妹への気兼ねであったと伝記は伝えている。
トルストイの晩年の家庭生活も必ずしも幸福では無かったと、よく知られている。二人の文豪はしたしく何を語り合っていたのだろう。
2012 9・4 132
* 平清盛は浄海入道となり今の神戸、福原の港を大きく修築し、孰れは平氏の構えた新都として遷都を考えた。結果的には成功しないが、彼の意図は、海を手中にして宋との交易利に基づいた新たな国作りを実現し、武士を頂に立たせようと。
源氏の頼朝が武士の世を建てたのではなかった、平氏の清盛の構想を頼朝は、制度的に踏襲したのだ。彼には守護、地頭といった制度こそ武士支配の国土観から必至であったが、宋との交易などという、土地支配とは異質な発想は出来なかった。清盛には日本の土地は狭く限界は険しい。海に囲まれているからだ。清盛・浄海の眼には「海」の道が見えていた。
国宝の「猿図」があり、それは宋の画家の作かと伝来されていた。ところがその猿は明瞭に日本猿であり、青森辺を北限に日本国にしか棲息しない。「この絵の猿は日本猿だよ」と指摘されて学者達を狼狽させたのは、今日平成の天皇が皇太子時代のエピソードであった。
ところが、当時十二世紀半ばの日本の絵師たちに、現存する「猿図」の猿のような表現・繪心は実在しなかった。鳥獣戯画の猿のようにしか、猿を画面いっぱいに精緻に写実的には描けなかった。だが宋の画家にはそれらを得手とする著名な画家たちが実在し、だからこそ由緒書きの「伝」は、特定の宋画家の名を絵に添えてきた。だが宋時代の中国に「日本猿」はいなかった。皇太子の指摘をうけた学者達は、日本猿を宋に運んで描いて貰ったという説明を思いついた。
これは嗤うべきこじつけか。
いやいや、宋との往来は、平清盛らにとっては、ま、朝飯前。しかしわざわざ「猿図」を何でと思う人はあろうが、当時は日吉信仰の真っ盛り期だった。ことに後白河院。清盛が手配して日本猿を宋に送って作画を依頼し、その成果を後白河院に献じるなどは、なんの造作も無い。そううことが清盛には出来た。頼朝等はそんな真似はしなかった、出来なかった。
上のエビソードを起点にわたしが東洋の『猿の遠景』を書いたのは、もう四半世紀も以前のことだ。
* つづいて、秦建日子脚本の連ドラ「サマーレスキュー 天空の診療所」を観た。検事や刑事や人殺しがひしめき合うテレビドラマの世界では一服の清涼剤のように清々しいのが、父親からの褒美。それでよい。心ゆく仕事をして欲しい。
* 今日観てきた「かもめ」の中で、売れっ子作家のトリーゴーリンには、作中、「上手に書く、しかしツルケーネフやトルストイにははるかに及ばない」とレッテルが貼られている。
トリゴーリンの創作は、ただもう思いつきの継ぎ接ぎで面白づくに書かれているらしいことは、ちいさな属目や人の言葉からの着想をこまめなメモ書きしていることで分かる。おそらく彼は、彼自身の内面から噴出する主題や動機を持っていないのだ。おもしろく上手に書けるけれど、所詮トルストイには、ツルゲーネフには立ち向かえないのだ。
読み物の売れっ子作家には、藝術文学に遠く及ばぬ軽薄がつきまとって臭みのように離れない。我が命のいたみやよろこびから噴き出すような必然味が薄く軽く、要するにメモばかりに頼った思いつきの作しか書かない・書けないのだ。
トリゴーリンにしかなれないのでは情けない。ツルゲーネフやトルストイになって欲しい。建日子は、幼かった頃、ツルゲーネフの「初恋」や「父と子」を読んで感心していた。なつかしくそれをわたしは思い出す。
* さ、今度は、韓国製の超連続ドラマ、気に入っている「イ・サン」を観に階下へおりる。仁政の善政の苦難の王を描いている。悪政にうんざりしているときの、これも清涼剤。
2012 9・9 132
* 同志社の加藤千洋氏が瀬戸内の大島、伯方島 大三島を探るというので、少しく関わる興味があり観ていたが、「水軍」も「船」も「漁」もうわべをかすっただけで、この地域の歴史や伝説などには少しも触れてこないので失望した。伯方の古い塩づくりを再現していたところだけ、目がとまった。
2012 9・12 132
* ドラマ「薄桜記」に惹かれ続けてきた。来週で終わるそうな。残り惜しい。
2012 9・14 132
* 水泳の二百平泳ぎに、北島の日本記録もロンドン五輪での世界記録をも抜く大記録を、日本の高校生が打ち樹てたのには感嘆した。
2012 9・17 132
* 「平清盛」は今夜も面白く観た。福原の清盛、都の重盛、東国の流人頼朝と、三極の体が、いずれ重盛の逝去で二極化し、しかも源家の極がまた以仁王の宣旨により木曽義仲らの台頭を促すことになるが、もう少しの間が必要になる。徳子平氏が高倉天皇に入内してのちの安徳天皇が産まれるまでは、その後も暫く清盛の権勢、緩まない。それだけ後白河院や近臣、摂関家などの陰謀や暗躍が本気ではじまる。鹿ヶ谷の謀議など。ま、それも徳子平氏の入内が先行しなければならない。御産の平安を願って清盛が喜界が島の成経、康頼に赦免状を送り俊寛ひとりを赦さないのも、鹿ヶ谷の失敗を示している。この事件は小さい事でなく、平家の命運に罅入らせた大事であった。
そんなことよりも今夜の場面では、やはり宋との国交とも謂える貿易協商が実現して行くのが興味深い。こういうことは、清盛ならではの敢行であり、公家や源氏の思いも及ばない独創であった。福原の都は短命に終わったものの、博多を都近くまで引きずり寄せた清盛の大望は、凄いとさえ言って良いのである。
* 秦建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」は最後まで清潔に、そこそこの感動ももりあげて実に行儀良く観ている私をも泪させてくれた。それで十分。俳優諸君も落ち着いたやくわりを元気に心地よく果たしてくれていた。
2012 9・23 132
* 玉川総研の「オスプレイ 危険の検証」は的確で裏付けもよく調べてあり、納得すると同時に防衛大臣の軽率で真摯を欠いた対米追従の姿勢に怒りを禁じがたい。アメリカでは住宅地の上では飛ばせないというのに、沖縄では、日本国内では密集住宅の上で「訓練飛行」を平然と行う。また行わせてしまうという現実。誰もが許せないと思う。
2012 9・27 132
* ドラマ「平清盛」が面白い。この脚本を書いている人、そうとう勉強されている。後白河法皇と平の清盛との血のさそう共感と競合と反発とのドラマはこのようであったろうと思っている。悪行を清盛の意も体した時忠にこかしてあるのが面白い。この男はじつに好かんヤツで、じつは彼のかかわる小説をこの二三年ひきずっている。なにしろ面白い、このドラマは。視聴率など気にしなくていい、この文学性もたしかな脚本をしっかり最後まで書き継いで欲しい。
2012 9・30 132
* 清盛のドラマ。彼の生き急いでいることを作者は正確に捉えている。禿たちの不気味な跳梁の背後に、「平家にあらずんば人にあらず」とうそぶいた平時忠を置いたのも適切、平家のなかでわたしの最も嫌う男。
もと海賊達の協力をえて今の神戸港近辺に大船を受け入れうる公的な港を構築したのは清盛生き急ぎの最たる事業であった。
もう、平家追討の謀略は防ぎきれなくなる。東国では頼朝が時政女の政子と結ばれるだろう。中宮徳子平氏の懐妊が、皇子の出産 が清盛の最大の関心事となって行き、しかし、重盛が死の気配に包まれて行く。後白河院は清盛とのアンビバレンツ・愛憎をじっと抱き込み、摂関家の陰湿を好まず、油断が無い。
* 是に続いた藤沢周平原作のドラマは、好きな「ナンノ」や緒形拳の出ているものだったが、低調で通俗な例の人情でべたべたの甘い写真だった。
藤沢作はどれもこれも「人情という化粧水」でびしょつく通俗な浅さが、難。
志賀直哉がみれば、講釈と同じ、自分はこういう書き方は絶対しないとそっぽを向く。
2012 10・7 133
* 相棒の二人代わっての新「相棒」をテレビで楽しんだ。杉下右京はちと気味悪い男で、わたしは彼の相棒の方に、亀山、神戸と贔屓してきた。今回もそうなるか。
* テレビドラマに殺しモノが跋扈し氾濫しているのと軌を合して、世間にも陰惨で乱暴な事件が頻出している。無関係とは思われない。殺し報道などそんなに必要だろうか。殺しドラマなど、少し量的に各局申し合わせて自粛してもいいとわたしは思っている。
2012 10・10 133
*「平清盛」は建春門院滋子の死を迎え、後白河法皇と清盛・平氏とを繋いでいた太い綱が切れた。院側近の西光法師は反平氏の意向を叙位の不足に不満な藤原成親と分かち合おうとしている。次回あたりには俊寛も登場して鹿ヶ谷の謀議も間近となろう。清盛は自身の年齢も意識し始め、断乎とした道を逸れようとしない。東国では頼朝をとりまく関東平氏や源氏達の動きが微妙になり、其処へ文覚が火をつけに来るだろう。
清盛役の顔がますます立派になってきたのに驚く。
2012 10・14 133
* 早く入浴したので、晩がながい。九時から好きな米倉涼子の連続ドラマ最初回を片目で見よう。
2012 10・18 133
* 夜の平清盛、悽愴の感が加わってきて、鹿ヶ谷謀議がついに。むかしは信西につかえた西光が、また重盛等への嫉妬心にも燃えた公家成親らが、後白河院のようやく頭をもたげた反清盛の思いに近接して行く。こに源氏の行綱が加わっているのが、あとへ尾を引いて、この行綱が諸国に沈滞の源氏へ、反平氏の火種を撒いて行く。その背景に後白河の子、親王ともなれなかった以仁王や源頼政らがまだ身を潜めながら叛機を覗っていた。鞍馬では牛若が、東国では北条政子に煽られた頼朝が、隠忍していた。義仲の影がさすのにもう少し間がある。清盛には、旺盛な気力のかげで運命への察知が起きていよう。面白い。
* 夜十一時からの「イ・サン」もたいそう面白く、簡約編を以前に観て、いまは総集偏を楽しんでいる。朝鮮半島のこと、あまりに知らなさ過ぎた。書庫で、買い置いた参考の史籍を見つけてある、いずれ近いうちに読み始めたい。
2012 10・21 133
* かなり疲れている、やはり。米倉涼子の外科医ドラマを楽しんで、そして休もう。
2012 10・25 133
* 「お宝鑑定団」は、結局金額で評価するのがイヤ味になってくるが、一般にはだからこそ興味があるのだろう。何十何百万での買い物が無残に無価値化の鑑定が出るほど観衆は笑い、おそろしい高額が出ると感嘆している。そういうものだと心理の紋切り型が面白かったり苦々しかったりするが、「鑑定」手法には興趣を覚える。焼き物も繪も書もおおかた分かる。評価が外れることはあまりない。わたしの場合は金額で無い、「いい・よくない」である。今日も狩野伊川院の「西王母図」など、一目でコワイほど素晴らしいと直ぐ感じたし、柿右衛門十三代の濁し赤絵の壺も文句なく絶品だった。「容秀の木彫」の妙技にも感嘆した。そういう眼の法樂・悦楽はたいそう有難い。
* 美しい佳いものへの感受力は、われわれ凡人ほど相応に人生のいろんな場面で鍛えていないと身に付かない。百万円だと思い込んで五千円のしろものを買い込むのは、低俗な読み物やエンターテイメントがおもしろいと思い込んで純然の藝術文学を知ろうとしない姿勢に、全く同じ。
とはいえ、本物・本作から逸れた「似せ物」にも、思いがけぬ勉強の跡か゜真摯に垣間見える例も、在るのを馬鹿にしてはならない。そういう例を甘んじて発見し愛好することも美の体験には実在する。藝術の創作は、体験や心理のどこかに「模倣」の必要や必然が忍び入っているのがむしろ本来なのである。「藝も美も」体験して身につけるより王道も捷径も無い。
* 「平清盛」の視聴率が低いというが、それは低級な読み物や見ものへ寄って行く大衆の程度の問題で、このドラマはわたしのかつて観てきたタイガドラマの一二を争う優れた一つである。今夜の鹿ヶ谷の謀議と露見といい、伊豆の頼朝に北條政子に煽られてようやく起つらしくなってきた計らいといい、巧みにややこしい場面をアクティヴに創っていた。面白くて、六時に観て八時からももう一度観たほど。
2012 10・28 133
* 心強いと謂えば、ピカピカナンバーワンの米倉涼子が「わたし、失敗しません。しないんです」と言ってのける連続ドラマが素敵に面白い。この「ドクターX」は勤務医ではない。わかりよく言えば包丁一本さらしに巻いた板前ではないが、医師としての手術の技倆卓越を売り物にした、ま、アルバイト。
その大学病院の外科部長・教授にむかって「あんた、手術ヘタクソなんでしょ」と言い放った場面では、わたし、大笑いした。こんな痛烈な台詞聴いた事がなかった。放映の晩を楽しみにしている。
映像は文学ではない。面白くていい写真であることが評価の分かれ目。なにも文藝映画が傑作などという約束はない。「東京物語」も「七人の侍」も「阿部一族」も、写真の展開の佳い物は佳いのである。
* そろそろ「イ・サン」の時間。これまた楽しみの一つ。
2012 10・28 133
* 夜前、韓流時代劇の「イ・サン」を楽しんだが、この英明をうたわれたイ・サンの宮廷を別角度から描いている連続ドラマの途中の二回分を偶然夕食のあとで二時間近く観た。中国の清時代にならぶ朝鮮半島の「イ・サン」王政がどんなものであったか「歴史」として知ってみたい。
2012 10・29 133
* 昨夜は例の自転車で目黒から建日子が帰ってきて、映画「指輪物語」の第三部四時間を、親子三人で十分に楽しんだ。よく出来た、壮烈で美しい映像の魅力を三人で三嘆した。読む方は二度目を第四巻、半ばまで読み進んで楽しみを尽くしている。はじめのうちは「八犬伝」の導入に魅されていても、物語が進行するにつれ、「指輪物語」の語りの精緻な美しさに、より惹き込まれている。
2012 11・1 134
* 大河ドラマ「平清盛」の視聴率がわるかったこと、主役の松山ケンイチ君がスタッフや特に女優陣から不評を買い続けたということ、事実がどうかは知らないが、おかしい。ドラマの何が不評なのか知らないが、耳にする、スタート時点で描き出された「侍」風情が汚いなどは、むしろ精確な脚色の把握であり、一般視聴者の無知と視聴能力の低級を露呈しているに過ぎない。脚色者の勉強も感覚・感性・知性も、累代の大河ドラマからみれば飛び抜けて優秀であったし、難しい公武政権交替時代をリアルに良く捉えてきたとわたしは高く評価している。
松山君の清盛も立派に実感をとらえ、出色の面構えも磨かれて、わたしは何不足無く喝采している。見るに足るいい顔に成ってきた。むしろ女優陣の方に松山君に匹敵する傑出した魅力表現が足りなかったのではないか。建春門院の輝きなど、出せていなかったのは遺憾だった、歴世の后妃として最高の幸福を満喫した美しさに足りなかった。
このドラマでは、清盛のみごとな聳立感、父忠盛の気概、白河院の化け物度、後白河院の唸らせる実在感、信西の圧力、時忠のいやらしさ、源頼政のなにとなく武士として弱い存在感、重盛の苦渋など、男達をたいそうよく創りだしている。公家達の、右往左往も実際にああいうものであった。歴史的にも人間関係・階層関係の最も複雑で、しかもおよそ日本列島の全土にドラマが起きていた時代を、この程度まででも再現して見せた追究の力に、わたしは敬意すら表している。
脚色者も松山君も、わたしのこの評価にもし気づいたら、胸を張って欲しい。また一般試聴者も、ドラマを見る目をもっと質的に輝かせて欲しい。
2012 11・3 134
* 「平清盛」いよいよ絶頂の晴れと退潮へ向かう暗影とが交錯し始めた。重盛の唯一の見せ場「孝ならんと欲すれば忠ならず。忠ならんと欲すれば孝ならず」の慟哭を聞いた。伊豆の頼朝は父時政にゆるされ政子を妻にし、沙那王は母常磐の義経命名を得て弁慶と奥州へ下る途中、父義朝最期の地尾張で元服。源頼政はこの期に及んで清盛から三位に昇叙して貰っていて、まだ以仁王は現れていない。重盛の義兄成親の配流地での惨死は書かれたが、言仁親王・安徳天皇の誕生は描かれたが、鬼海が島の俊寛らのことは出てこない。割愛されたか。
2012 11・4 134
* 単身女性の貧困 貧困家庭の実情をNHK が報道していた。しかし番組は核心にあえて触れようとしていないと見えた。
一つは、「非正規雇用」という制度化された儲け主義経済界の利便を根底から見直し廃止すべきこと。これを受け入れ歓迎すらしてきたような「働き人の甘えたエゴイズム」が猛烈なしっぺい返しをされているとも謂えるが、そんな貧困者の実情を今が今無視した評論は措くべきである。「非正規雇用」制度は貧しい人たちを自殺へすら追い込もうとしている現実を直視したい。小泉内閣の最も悪しい悪政の一つ。
もう一つは、「政治悪」への批判がまったく出てこない。民間の狭い範囲の当事者・関係者だけが時に評論に陥り、時に半ば空しい奔走に追われている。しかし事は「非正規雇用」制度を制度化した根源の悪政意図に在る。それへ声を挙げて闘わねばなんらの解決もみないまま事態は悪化の道を辿るだけだ。
繰り返しわたしは言ってきた、働き人、労働者を真正面・第一義擁護する「政党」が、この国からまるで消え去っている。何という不幸で怠慢な事実だろう。かつてはそういう政党が、常に三分一の代議士を国会に送り、利益追求しか考えない保守政党にかつがつ対峙していた。大勢の困窮を免れて我が世の春に浮かれる如く労働者のための政党を、保守勢力はことごとに掣肘しついに破滅に追い込んだ。
追い込まれた政党にもまた自覚がなかった。社会党は分裂して右派は保守政党へ身売りし、左派は、必要で大事なことではあるが「憲法擁護」を叫ぶのみで、労働者を全く顧みなくなった。その意味では土井・福島女性二代の社民党党首の大きな無責任、観念論的な政治姿勢のもたらした無識見の咎というしか無い。福島党首はわたしにも国会を見に来てと言い寄越すけれど、もっと大事なのは彼女や彼らが率先国民の中へ身心を運んで、いかに働きたい人々が困窮の底へ、地獄へ追いやられて救いの手が無い現実に代議士としての良心を磨き直すべきである。旗印を、「憲法擁護」は良いとして、さらに大きな「労働者擁護と前進の政党」として国民との団結を呼びかける時である。「憲法」だけでは肝心の「票」はとれない。
一日「百円」の食費に喘いで「自殺」を思っている本来まともに働けていいはずの人たちを見捨てていて、何が民主社会党なものか。何が共産党なものか。何が「みんなの党」なものか。なにが「国民の生活が第一」の党なものか。何が「維新」なものか。何が「民主」の党、なにが「自由民主」の党なものか。
「非正規雇用」制を廃棄を含めて革新せよ。
社民党は国民の巷へ奉仕の足と心とを運び、働き人を徹底的に守れ。
* 福島原発の現場作業員の確保は二万数千人を確保と東電は従来語ってきたが、最低必要人員一万二千数百人に対して八千人しかなく、それも日々に一人二人と辞めていくと、作業員も東電すらも認めている。廃炉作業要因であるが、一つの廃炉にも四十年もかかると言われている。何なんだこの実態は。
* わたしは老いそして重い病に落ちている。しかし、もし「老議院」が実現するなら、懸命の一人として参加したいとすら願っている。老境にあるせめて75歳までの人は、新たに政治改革へと起つべきである。無為に隠居という屏息に陥るなと言いたい。
* 無事是貴人 但莫造作 祇是平常 無事是れ貴人 ただ造作すること莫れ ただ是れ平常なれ
「無事」とはなにごともなしに済ませた通り抜けた意味でもあるが、余計な何事もせず真実悠然無為の意味と思う。「造作」とは建築の意味でなく、あれこれと画策して動き回る意味と思う。「平常」とは、真実ありのままに健常な生き方暮らし方に安心し落着いている意味か。わたしは無心に、すべきことはしたいのだ。
2012 11・5 134
* 米倉涼子主演の「ドクターX」前回分を爽快感とともに観て休息。今夜の三回目。愉しみにしている。この女優、迸るほどのオーラと魅力とを兼ね持ち、かつての宮澤りえを継ぐ当代ナンバーワンのはじけよう。三回目も面白く観た。患者の味覚障害を書いていて、身につまされた。わたしの場合は抗癌剤の影響にほぼ相違ないのだが。
2012 11・8 134
* 「平清盛」は従来の三本指に数えられるほど、今夜の清盛と後白河法皇との確執が見事に象徴的に描けていた。清盛も後白河もドラマを盛り上げて立派な出来で、これほどの対立を見応え有る映像に創り上げるとは、敬服に値する。とても面白かった。
無理にも頂上へ登り詰めた者の孤独と空虚感は凄い。「そこから何が見えますか」という祇園女御の説破は厳しいのである。さてこそ来週は以仁王の平家追討の令旨が真っ先に源頼政父子を動かし、またあの鹿ヶ谷で裏切った源行綱や文覚らの手と脚で諸国の源氏に伝えられる。まさに風雲急。
2012 11・11 134
* 急遽 秦建日子のブログから。
☆ 仲間由紀恵主演の本格医療サスペンス「悪女たちのメス」続編放送決定!
情報解禁になりました! 「2」が実現できて、本当に嬉しいです。
11年12月にフジテレビ系で放送された仲間由紀恵主演の本格医療サスペンス「悪女たちのメス」の続編、金曜プレステージ特別企画「悪女たちのメス episode2 」(12 月21日・金 夜9:00-10:52 フジテレビ系) が放送されることがわかった。
「悪女たちのメス」は、コミカルでキュートな演技に定評がある仲間由紀恵が、冷徹でありながらも、命を救うことにひたむきな脳外科医・桧山冬実を演じて話題となった作品。今回の第二弾「悪女たちのメス episode2 」では、桧山冬実に降りかかる、医療ミスの疑いと、その陰に潜む悲しい過去、さまざまな思惑によって、起こされる事件の数々を描く。
また、仲間以外のキャスト陣には、医療ミスの疑いをかけられた脳外科医・白石由紀役に大塚寧々。虎視眈々と、執刀医の座を狙う脳外科医・理沙子役に山口紗弥加。病院が隠そうとしている真実に迫ろうと暗躍する医療コーディネーター、美原役に、木村文乃。さらに、前作に引き続き、冬美の姉、夏帆役として、西田尚美が出演する。
ストーリーは、石塚総合病院で、ある患者が術後に容態が急変、医師の白石由紀( 大塚) 、太田理沙子( 山口) らが必死に心臓マッサージをするが、その甲斐なく亡くなってしまう。これで立て続けに術後死が2 件も続いた。院長の石塚( 高橋英樹) は頭を抱える。数日後には、次のワールドカップ出場に期待がかかる現役サッカー選手・中川浩介の脳腫瘍のオペを控えている。石塚院長は、術後死の事実はもみ消し、中川のオペを別の病院の医師・桧山冬実( 仲間) に頼むことに…。
再び悪女を演じる仲間は「天才脳外科医・冬実が帰ってくるということで、うれしかったです。脚本は今回も面白くて、スピード感があり、サスペンス要素のある作品でしたので、楽しみに撮影に入りました」と明かし、「人が持つ野望や嫉妬など、登場する人たちのいろいろな思惑が交差し、そこに冬実の過去の事件も絡んできて、前回とはまた違った悪女たちが集まって来てワクワクさせられる展開になっています」とアピール。
さらに、自身の悪女な部分について「悪ふざけをしますね( 笑) 。監督をいじめたりとか…衝動に駆られます。監督がそうさせるのではないかと思うので、監督のせいです( 笑) 。監督が歩こうとする廊下をふさいでみたり。それは悪いなと思って、反省はするんですけど、なかなか直らないです( 笑) 」と笑顔で告白した。 (Yahoo!ニュースさんの記事から転載)
2012 11・13 134
* 清盛に、見かけ頽廃現象が出てくる。「清盛悪行」といわれる、が、彼の性根と執着は、あくまで武士が「侍でなく」生きられ、しかも国政を左右できる実力確保だった。だが、一触即発の反平氏蹶起を誘ってしまった
のは、重盛亡き後の平氏の棟梁宗盛の、源三位頼政嫡子仲綱にした愚行だった。脚色者はよく押さえている。かくて不平の塊の以仁王と八条院の反平氏の意思が、全国に散開の源氏に令旨を放ち蹶起に向かわせるや、清盛の恩顧に隠忍してきた頼政父子も漸く起つ。
次回、頼政らが起ち、かつ以仁王もろともすぐに宇治平等院で挫折する、が、伊豆の頼朝は、平氏の代官山木を急襲するだろう、そして一時は窮地に陥るだろう。木曾義仲の挙兵も描かれるかも知れぬ。
清盛悪行の象徴のように祇王祇女姉妹と仏御前の出入りが描かれたが、世間はやはり法皇の押し込めと幼い安徳の即位に観ていただろう。
2012 11・18 134
* 歯科へ。そして一路帰宅。昼食後、ちょっとしたテレビドラマに、機械前への足を止められていた。比較的好きな男優の主演作で、根の深く遠い警察犯罪を追究していた。こういう刑事の奮闘には、新聞記者のような「書き手」の協力しているパタンが「相棒」などにも見えている。たしかに刑事だけで組織の伏魔殿を掃除することは難しいことだろう。海外映画では「放送・放映」を頼む作を幾つか観てきた気がする。
2012 12・1 135
* フリーターの外科医大門未知子のドラマの面白いこと。息を呑ませる。まことピカ一女優の魅力満点。
* さ、今夜は休ませてもらう。
2012 12・6 135
* 晩には仕事も休み、ドラマ「平清盛」から。みごとな構成と迫力とで今回も唸らせた。清盛の「顔」の見事さ立派さは群を抜いている。こんなにも、演じられるのだと、感嘆。
次いで亡き勘三郎の「髪結新三」を満喫、手代に亡き芝翫、家主に亡き冨十郎という名優を配し、拐かされる娘は玉三郎、矢田五郎源七には仁左衛門、中剃りに染五郎という豪勢な花形を率いるていに、中村屋の小悪党新三は、めっぽう粋で格好よくてほれぼれした。録画した。
次いで「春興鏡獅子」も待ったなし録画。愛らしくも初々しい勘三郎弥生の美しい優しい所作を隅々まで堪能した。獅子は後刻に観るとして、次いで韓国の「イ・サン」を楽しんだ。
2012 12・9 135
* 米倉涼子主演の「ドクターX」は、近来も古来もなく図抜けた快作であった。視聴率の高かったのも当然と思う。
しかし視聴率はさほどなくとも大河ドラマの「平清盛」も、作者の勉強が脚色に骨太によく働いて、ずいぶんと大河ドラマは見てきた中でも出色の本格を示したものと評価する。視聴率は問題外で、ひとが大勢見るから良いわけでなく、ひとが大勢は見ないから良くないわけでも、けっしてない。見る人にもいろいろあり、作行きにもいろいろある。世の中には読み物へ殺到する読者もいれば、鴎外、漱石、直哉、潤一郎を愛読する読者もいる。ひとの大勢寄りたかって行く安直読み物には、往々、見るに堪えない下品なものが多すぎるが、それも或意味では防ぎようがない。富士山の姿をみれば分かる。裾野はあまりに広く、頂上は狭くて厳しい。どっちを好むかは、わたしは必ずしも「自由」だと思わない。「より優れた本格」への眼力を養うのは、或意味で生きて在るものの努力なのだから。
* 上の「一読者」さんは今こそ「原発小説」をと言われるが、すでに「事実は小説より」「奇」というより「劇」になっている。
わたしが今、日夜書いてる小説は、まるで主題を異にしているが、何等かの縁でもし接近するなら、触れて書き表せるかも知れない。しかし、無理にそんなことはしたくない。
* もう眼がつぶれそうに疲れている。休もう。
2012 12・13 135
* 討ち入りのこと聴かざりき十四日 00.12.14
いやいや、高倉健らの映画「四十七人の刺客」がもう始まる。妻に録画を頼んだ。眼が疲れに疲れているので、湯につかりたい。
* 映画のつまらなかったこと。
2012 12・14 135
* 乳ガンの同時法手術で、手早く癌も取り、乳房も、全摘どころか、元よりも美しく再生させている名誉の国手をテレビで観て、医療の愛に感心した。本人も家族もサゾ嬉しかろう。
* 昨日で大河ドラマ『平清盛』が大団円となった。立派に趣向の生きた誠実なザ・ラストであった。作者内田有紀さんに惜しみなく拍手を送るとともに主演の松田ケンイチ君の清盛変貌と大成と終焉の演技に感嘆し続けたことを大書しておく。もう一人の後白河院の役作りにも教えられるところ有った。滅多にない優れた藝術性を発揮の大河ドラマでした。ご苦労さん。
2012 12・24 135
* もっくん(本木雅弘)が不良少年めく禅坊主の役で、ついには首座をつとめ禅問答をやるという、破天荒に可笑しい映画を昼過ぎに妻と楽しんだ。バグワンや臨済録を気を入れて読んでいるように、いまの、近年の、もうかな永い年月のわたしは、禅に一等向き合っている。そんな眼で観てもなんとも可笑しくおもしろい周方監督の作画であった。これ以上を謂うと、生兵法に近くなるので黙するが。
2012 12・28 135