* 一の贔屓の沢口靖子が、「科捜研の女』その他、着実に、巧く確かに演技しているのを喜んでいる。なんという美しい、りりしい表情の佳い顔であることか。
2013 1・5 136
* 明日は俳優座に招かれている。山田太一さんのドラマ。そのためにというのではないが、湯に漬かろう。
* 湯にいるとほっこりと安住する。今夜は五冊を少しずつ読んだ。入浴後の体重は44.5kg。
盛んに予告していたドラマ「とんび」を離れ、年賀状をアドレスとして記録、まだ、よほど残っている。記録し保存しておくとやはり便利。機械の破損したときにかなり多くというか、殆どを消失していたので、欠かすことの出来ぬ作業。
* ドラマといえばこのところ何度も「仁」というのを面白く興深く観ていた。こういう手法は、わたしの太宰賞受賞作の「清経入水」や「初恋」「風の奏で」などより以前には小説でもドラマでも見なかったものだ。
さて「イ・サン」が今夜で終わる。
2013 1・13 136
* 入浴後、思いがけず小池栄子が捜査一課の管理官をつとめる刑事物の二時間ドラマを観た。颯爽として重みもあり、なかなかの「おやじ殺し」管理官ぶりで楽しんだ。この女優、建日子の「サマーレスキュー 天空の診療所」で、よく抑えた芝居で脇役を魅力的に演じていて感心していた。今夜のはまるで別人の役柄であったが、お見事に演じていてなかなかの才能。オーラが立っていた。もとから巧い女優と云うより、巧くなって行く女優がいるのだ。男優も同じだ。沢口靖子もしかり、阿部寛もしかり。どこかに素直なところを柔らかく持ち合わせているのだ。生意気にコチコチ、自分をやわらかに開けないでは、女優とも男優ともいえず、生涯認められることがない。演技は、百万言では買えない。優しい素直さが、それを掴み取る。作家も画家も、ものを創り生み出して行く者は、みな同じだ。
小池栄子に今後も注目したい。
2013 1・28 136
* このところ、韓国製の宮廷劇に行き当たると観ている。建物、衣裳、人情の葛藤、宮廷内の勢力・官制、王位を囲む後宮の制度・官制、庶民の社会などが珍しい。
日本の宮廷に比して、葛藤や陰謀や紛糾が執拗なまで多いのに驚く。医術の不十分で人死にの頻発も目立つのは、日本でもおなじだった。
2013 2・19 137
* 韓流ドラマでは「イ・サン」を縮尺版も長編版もこころよく見終えていたが、「トンイ」の縮刷版を終えて新年いらいやはり長編版も始めたので、これを楽しんでいる。「イ・サン」ほどの感銘作ではなく気散じな王宮ものだがそれなりに変化に富む熱い場面も展開もあり、いまやっている「妖婦」なんぞの不愉快さは無い。
2013 2・26 137
* 晩、創作上の関心事にふれた録画映像を再検討。役に立つと思う。
2013 2・26 137
* 映画「スミス都へ行く」を面白くまた感銘深く観た。初めてではないが感銘新たに敬意を深く持った。ジエームズ・スチュアートが若い。ジーン・アーサーが佳い助演でドラマを盛り上げた。
そんなことよりも、アメリカ議会が、なによりも「合衆国憲法」を第一に重んじ、憲法への偽り無い忠誠を信任の議員に要求しまた議員も制約している。そしてまたリンカーンの遺訓である「人民の、人民による、人民のための政治」を高らかにうたっている。なるほど現実はそうは美しくも清くもないことを映画は示している、が、それ以上に上の精神を最重要とした映画づくりであり、胸に響いてくる。
総理も都知事も代議士の多くも率先して「日本国憲法」を足蹴にし罵倒している野蛮な現実を、わたしはしんから恥ずかしいと思う。
わたしは早くに、国会で出来上がる法律のすべてに「国民の、国民による、国民のための**法」と角書きして欲しいとの希望を語りも書きもしてきた、その気持ちは深く強くなるばかりだ。
遺憾ながら、安倍内閣は、アベノミクスの名で、少数富裕層のより富裕増をめざし、大多数の弱者をますますの最大不幸の地獄へ蹴落とそうとしている。わたしはそう見切っている。一時の賑やかしで安倍も取り巻きも浮かれていようが、経済の舵取りはなまやさしくはなく、きっと行き詰まって、そこでジタバタしながら強権の暴政をあえてしようとするだろう、それが自民党の固疾である。この観測の幸いに外れることを望まずにおれない。
2013 2・28 137
* ブラジルとの野球は、日本は勝てても大苦戦だろうと予想していた。結果は知らない。一点とられ二点とり、同点にされて、安打数は格段にブラジルが先行し、日本の貧打もさりながら投手も二人まで、低調だった。その後のことは知らない。
建日子が「原作」と銘打ってある篠原涼子の雪平夏見「アンフェア」を観た。面白く観たけれど、ああもややこしく脚本を作れば、作品としてのクオリティはダメージを受けやすい。わたしが、自身の今今の創作で苦労して拙速を避けているのが、そこなんです。
2013 3・2 138
* 妻が風邪ぎみ。寝てもらっている。
わたしは終日小説に組み合っていた。まだ、予期しているだけで山は幾山も越えて行かねばならない、慌てて怪我してもつまらない。まだ、この書きかけの第一作、ほんとうに成るかどうか、命をつめてしまってはならないし、弛んでもよくない。
九時になっている。
独りで夕食したとき、たまたま以前の大河ドラマ「篤姫」の最終回を観た。あれは「清盛」とはちがい絵巻物であったが、主演した若い女優がよく長丁場に堪えて耐え抜いて立派に演じ終え、一種の感動作として咲ききり咲き終えた。
さ、わたしも風邪ひくまいぞ。休憩しよう。休もう。昨夜は、宵寝していたせいか寝つけない時があった、それで本を読んだ。今夜は寝入りたい。
2013 3・30 138
* 建日子と、映画「船をおりれば彼女の島」を観る。もう数度観ているが、静かに胸にしみる。木村佳乃、大杉漣、大谷直子、昭英、烏丸セツ子、林美智子、佐々木蔵之介らしっかりした演技陣でかためて、美しい佳作となっている。九時に、建日子は仕事場へ戻っていった。
「或る寓話」を、もう一押しした。もう休んだ方が良い、明日はまた歯医者へ。なにかしら金属をさした左奥の下歯が、冷たい水を含むと、沁みて痛い。
* さ、弥生尽。すばらしい四月を迎えたい。
2013 3・31 138
* チャールトン・ヘストンの映画「ベン・ハー」に晩の仕事時間を奪われたが、それに値する最高のキリスト教娯楽映画で、迫力は、「クレオパトラ」「十戒」などに劣らず、ヒューマンにして敬虔な感動にも溢れる。今日という日に、これがまた観られたのは幸いなことであった。両眼に熱い涙あふれにあふれて、とても後味の佳い、余韻たしかな名作と云える。
2013 4・5 139
* 晩 高麗屋一家のテレビ番組観る。白鸚が染五郎だった頃からの高麗屋贔屓で、はからずもというか、いつしれずご縁が出来ている。いまの幸四郎、染五郎、金太郎三代、それに松本紀保、松たか子の芝居はほぼ欠かさず観てきた。贔屓、親愛ということが生きの命の妙薬になることを心嬉しく感じている。
高麗屋さん どうかお大切に。みなさん、お元気に、怪我も事故もなく、ご活躍あれと。
2013 4・21 139
* 起床8:30 血圧123-61(56) 血糖値99 体重65.8kg 朝 饂飩 納豆 など 朝の服薬 手足の痺れがほぼ失せ、久しく出来なかった指さきで鼻や耳をほじくることが出来る。味覚障害、口腔内の砂を含むようなザラザラ感もほぼ減退し、食べられる品数と味わいも戻って来つつある。抗癌剤の副作用で視力がガタ落ちのころ、以前の眼鏡がまるで使えず、弱った視力に合わせて眼鏡を作ったのが、視力回復によりまたも現在の眼鏡が合わなくなっている。眼鏡トライの処方箋を早めに欲しい。またまた眼を弱らせないために。
排便 午 焼き蕎麦 柑橘 飲み物 午の服薬 歯医者で二本目の仮歯を入れて貰う。奥のもう一本が欠けたまま。ついで近いうちには欠け落ちそうな上正面の二本が不安定、舌で押してもゆらゆらする。やれやれ。 夕方帰宅。 吉備から頂戴した大きな「桜鯛」一尾の蒸し物を美味しく嬉しく頂戴し、万歳楽の「白山」を呑む。筍飯の筍は讃岐から頂戴した。 晩の服薬後 仕事 そしてお宝鑑定団を観る。点数を限って前後にいいものを見せてくれる。今晩は、雅邦門下四天王の一人、薄幸孤月懸命の真作五点が観られた。一種の小美術史のように、時間を惜しまぬ解説の入るのも有難く。ほかにもしみじみと佳い作が何点も出て、見応えがした。美しい、佳いものが巷にかくも多く愛蔵、秘蔵、または偶然に隠れているのを、番組が掘り起こしてきてくれる。
2013 4・23 139
* 目疲れを避けてキッチンへ降り、妻と、録画の映画「リッチ&フェイマス ベストフレンズ」を観た。ジャクリーン・ビセットとキャンディス・バーゲン。うら若いメグ・ライアンも娘役で。「リッチ」な読み物作家と「フェイマス」な藝術派作家。愛あり葛藤もある身内の友情。何度も観てきたが、面白くて、いい狙いで、好きな映画。ジャクリーヌ・ビセット出演作では秀逸。
2013 5・28 140
* 今夜から四週つづくNHKでの秦建日子作ドラマの題は、「お父さんは二度死ぬ」と。ギョッ。
* わが家では韓国産の現代ドラマは見向かないが、歴史物・宮廷物には目をむけている、ことに「イ・サン」「トンイ」の二編は要約編をみおえたあと、全編も好んで観ている。この二つ、王にもヒロインにも爽やかに好感がもてるので。「トンイ」と同じ粛宗の後宮を描いたものでも、「妖婦」は不愉快だった。
* 「お父さんは二度死ぬ」の第一回を観た。手堅く三十分にまとめていた。視聴者へ呈した表現効果のほかに、この息子らしい両親や姉へのメッセージもありげに構成されていたことには、強いて立ち止まる気はない、願わくは「表現効果」以上の迫真がどこまで可能かをわたしは観ようと思う。次々を期待する。
その意味では、表現としては巫山戯まじりを敢えてしながらも、息子の作ドラマの前に他局で観ていた「ドクター」ものの方が、より切実な「生きるつらさ・かなしさと、よろこび」とを、ただ効果としてだけでなく「直接」に掴み取っていたと思う。
もう一ついえば、妻の手でコピーして転送してきてくれた、この連続ドラマに触れ作者秦建日子が、作者として作者のブログにならべていた「ことば」、あれは、どんなものだろう。
2013 6・1 141
* 眼の不自由に、この光る画面の機械の細字を読みかつ書きつづけるのは不摂生極まるが、所詮投げ出すことは出来まいと思っている。せいぜい機械に眼を曝している時間を、また小さい字の書物に読み耽る時間を減らすしかない。寝入るとたしかに眼は少しラクになるが寝てばかりもいられぬ。ま、機械より、本より、まだしもテレビで大画面映像を眺めている方が良いと勝手にきめつけ、今晩は、映画「十三人の刺客」を三時間ちかく観ていた。
とてつもない酷薄無道、将軍の血族という特権に驕った殿様を、義士というべきかテロというべきか、十二人の手だれの藩士と一人の山男とが中山道の山中に襲う。殿様の一行は数百人、それを只一人の藩士と山男とだけが生き残って、殿様の首もろともに討ち果たす。そういう筋立て自体は発想として珍しくない。
珍しく感じたのは、その殿様の狂った「ことば」であった。家臣や領民男女児童や、はては国家・人民を、いかなる犠牲においても「戦争」へ追い込んで楽しみたい殿様のいっそユーモラスなほど狂った「ことば」には、おりしも「国民の最大不幸」を好戦と特権支配独占を意図的になんら反省も思慮もなく遂行しようと躍起になっている、安倍晋三「違憲」総理を、したたか想わせた。実に時宜にかなった映画番組であった。
情けなかったのは、かかる深刻・惨逆な映画の進行を幾十度もさまたげてはいるコマーシャルが、女達の化粧に資するまことさまざまなサプリ広告ばかりで、いい大人の女達がキャアキャア騒いで「お肌」「首筋」「頬ぺた」などの「ツルツル」「プリプリ」を渇仰しきっている顔つきのアンマリなあほらしさで。日本の国はどうなって行くのかと、男も女も老いも若きも微塵もおそれたり思案したりする聡さに欠けてみえてしまう。わたしはそうとは信じていないのだが、なんとも心細くはあり、生きているのが虚しくすらなりかねない。
アメリカは原発をつぎつぎ廃炉にして行こうと決しているのに、安倍「違憲」内閣も「違憲」国会も、国を挙げて死の商人として「原発」を他国に売りつけようと躍起だ。しかも日本国内でも原発再稼働や新開発に露骨に無顔としながら、危険な核廃棄物の最終処理について問われれば黙して何一つ答えられないのである。
わたしの謂う「迫る国民の最大不幸」はもうすでに眼前に、具体的に憲法破壊行為を先立てつつ、日々に露われている。日本の国に救国の「義士たち」は、どう起つのだろう。起ってくれという熱望・切望をもつには、なにより一人一人がバカな「殿様」を憎まねばならないはず。
* とはいえ十一時まで懸命に「仕事」しつづけていた。疲れた、が、仕事を前へ押し出して行けるのは、生けるかいありということ。
2013 6・8 141
* 『頭註・和譯 古今詩選 完』と題した文庫本より幅のせまい本も秦の祖父は遺していた。明治四十二年十二月二十五日に大阪の山本完蔵が「発行」し東京の至誠堂、大阪の寶文館が「発売元」になっている。「大阪文友堂書店蔵版」本であり、和漢の詩を田森素齋、下石梅処が「共選」している。巻頭には大友皇子の「述懐」詩が掲げられている。ちょっと便利すぎてかえってあまり手に取らずに来たが、ポケットにもおさまりやすいし機械のそばに置くにも場所ふさぎにならない。
いましも機械のすぐそばに積んである文庫本大の本は、この「古今詩選」のほかに、「陶淵明集」「白楽天詩集」「臨済録」「浮生六記」そしてペトラルカ「わが秘密」 フローベール「紋切型辞典」 サド「ジュスチーヌ または美徳の不幸」 マルクス・エンゲルス「共産党宣言」そして岩波文庫「日本唱歌集」と案内書「丹後の宮津」。ほかに手帳型の歳時記も二、三種。どれもほんの数分のひまを利して楽しめる。
重い大きな本も手の届くかたわらに置いて、読み進めている。「古今著聞集」「十訓抄」「上田秋成年譜考説」「川端康成伝」そして小説のための参考書たち。
書架と書棚と本と、まだ増えて行く全部の湖の本と、三台の機械と、参考資料で、そのうえに壁や障子に貼り付けた繪や写真やカレンダーで、この六畳の書斎は、爆発しそう、足の踏み場も通路も無い。もうこの雑然から生涯わたしは遁れることがないのだろう、所詮これがわたしの「身のほど」というものか。あらゆるモノ、モノの山にわたしの呼吸も体温も体臭も伝わっている。ジェジェジェ!
* この「ジェジェジェ!」が何の意味か、先日の「助六」に登場の通人三津五郎が満場を爆笑させたときも、妻もわたしも分からなかった。朝のNHKドラマで東北の海女さんたちが発する驚愕・驚嘆を意味する語彙とはあとで聴き知ったが、あの爆笑の波はドラマのアピールの行き渡っているのを示していたのだ。じつは、わたし自身、めったに朝の十五分ドラマなど観ないのに、今回のは主役の女の子のオーラの盛んなのにびっくりし、ときどきは観ていた。それなのに「ジェジェジェ!」は印象になかった。今年の流行語大賞にはこれか、例の「今でしょゥ」のどっちかだと下馬評は既にかしましいとも耳にした。ジェジェジェ!
* 眼の不快はたまらないが、できる「仕事」は根もつめて進めている。休憩もとるようにしている。本が読みにくいなら、無数に取り溜めてある録画映画を、読書に準じて楽しみなおす手もある。
2013 6・16 141
* 昼には、ジョン・ウェイン、キム・ダービイの「勇気ある追跡」を、夜にはういる・スミスらの「インデペンデンス・デイ」を楽しんだ。テレビ番組がみなみなあんまりつまらないので、映画に切り替えた。ビデオでもCDでも、合わせれば和洋300作を下らないかなりよく選んだ録画がある。しばらく前からアトランダムに見直している。小説の娯楽読み物は閉口だが、映画の値打ちは文学とはしっかり異なっている。娯楽もアクションも社会派も歴史・時代物も構わない。映像として優れた運びであれば映画は佳い。
目をやすめるといっても、機械の前から活字本や新聞雑誌へ直行では、休憩にならない。せめて映画で休息しようというわけ。
2013 6・21 141
* そうそう昨日の夜おそくに秦建日子の三十分刻み四週の連続NHKドラマ「お父さんは二度死ぬ」が終わった。四回目に奇想天外の逆転をみせたつもりらしかったが、どうひっくり返す気なのか、話半分行かぬうちに予想できたし、その程度小手先の転換を「売る」ために、つまりは前三回分が煮え切らない「前説に終始」していたわけだ。毎回をもっと盛り上げ楽しませる上手い作りが出来なかったか。
小説でなら、わたしなら、むしろ「正妻」に焦点を結んで表現して行く。
そもそも、最後まで観客をひっぱっておき、見え見えのドンデン返しというもの作りは、いかにも薄くてイヤだと、志賀直哉がだれかの作を突き返していた記憶がある。「二度死ぬ」の意味もちらと見えただけ、ドラマと写真としては思わせぶりな題であるだけに、今少し「バッチリ」作意として主張してくれてよかった。拍子抜けした。
2013 6・23 141
* 映画「ブーリン家の姉妹」はわたしの好きな歴史もの。妻が近くの病院に行った留守に観た。スカーレット・ヨハンソンの演じたメアリ・ブーリンと、ナタリー・ポートマンのアン・ブーリン。英王ヘンリーをめぐって、一族の男どもの欲と王の好色とが織りなした権謀と愛欲との歴史劇。四十五年の一代の栄華をむかえるエリザベス女帝が登場前夜の、血飛沫にまみれた暗い暗いドラマ。イギリスの歴史は繰り返しこういう陰惨な史劇を見た目華麗に描き出す。こういう惨劇を塗り重ねながら、しかも英国史は、ローマ法王庁のカソリックから離れ、また王の強権を牽制してマグナカルタを打ち立て、産業革命を遂げ、共産党宣言にすら場を貸してきた。イギリスこそ世界中の後進他国に対し徹して帝国主義を駆使しつづけたし、植民地支配の手口は常に非紳士的にえげつなかった。英国には多大の興味・関心・敬意をすらわたしはもち、しかし心底から好きになれなかった。それでいて英国の「歴史もの」と知ると放っておけない。
2013 6・25 141
* もう一度、妻と、夕食のあいだから「ブーリン家の姉妹」を観た。あれだけの内容を二時間でびしっと描いて写真は美しくドラマは緊迫。それからすれば、テレビでの二時間ドラマの何と何となかみ薄く薄く低級なことか。
2013 6・25 141
* 気に入りの日本の比較的若い女優さん、つまり倍賞千恵子や吉永小百合や宮本信子らは埒外の別格として、二、三十人はいる。ドラマはつまらなくても顔はみたいのでテレビドラマはときどき観る。息子秦建日子の書いたドラマに出演した若い男女優は、ま、息子・娘みたいな気分でみているが、「ばかみたい」ではある。しかし好きで気に入りとなると「ばか」というよりかなり性根に結ばれた批評かもしれない。その人とわたしとを繋ぐなにかしら性根の問題があるのだろう。いやいやそんな大層なことを云う必要はない、つまりはただ、ただただ好きなのだ、「好き」とは簡単すぎる日常語だが、容易ならぬ語彙の真相を含んでいる。
甲部の芸妓でかつ法廷弁護士を演じている涼風真世は、宝塚を出てきて以来ずうっと好きであったが、ぴったりの役どころで主演した作があまりにすくなかった。いまの藝者弁護士というドラマは例によってドラマとしては観るべきなにも無いが、涼風をイカスにはいい設定で、和洋の衣裳そして姿勢・表情ともスカッとして美しいのを、一ファンとして喜んでいる。やっぱり「ばかみたい」ではあるが、意地というものの萎えた老人の甘えでもある。歳とり衰えてゆくのに甘えているのだ、とことん「バカみたい」である。
* ときどき、むしろたまたまと謂うべきか、テレビの場面が目に入るつど「またかい」と声が出るほど「京都」を舞台のドラマや案内や解説が多い。幼いよりたっぷり馴染みの街や辻や川や木立や山や店の写真がふんだんに、と謂うより、手当たり次第に画面に飛び出してくる。わざわざ帰らなくても「京都」が或る程度楽しめる。
もう一度同窓会を考えていますと世話をしてくれる中学友だちが手紙をくれている。うん、もう一度なら出掛けて行けるだろうと思っている。
大学での友人から京の「蚊やり香」を頂戴した。「蚊取り」ではない、「蚊やり」…。物言いも懐かしい。
2013 6・26 141
* 昨夜みた、録画映画「キングダム オブ ヘブン」は十字軍とサラセンとの虚しい烈しい攻防を描いて、なかなか見せた。俳優の名も知らず顔も覚えていず、そのぶん新鮮で迫力ある歴史画であった。フローベールの「紋切型辞典」で「十字軍」の見出しには、「ヴェネツィアの商業に役立っただけ」と端的に簡潔そのものだったのが印象的だった。映画も、辛辣な批評という以上の非難を十字軍にないしはサラセンに対しても、無用の戦闘と吐き捨てるように浴びせていた。
「なんでこんなことになるんでしょうね」と妻が洩らすのへ、わたしは即座に「神がいるからさ」と応えていた。
2013 6・30 141
* 午後ハンフリー・ボガートのキビキビした喋りだけが取り柄の「マルタの鷹」を観た、時間つぶしだった。
2013 7・10 142
* このところ企業や銀行や病院の経営事情に切り込んだドラマの力作が続く。「七つの会議」「半沢治彦」「DOCTORS 」など。飽き飽きしている殺し物や刑事物よりよほど優れていて、息をのませる。
2013 7・28 142
* 歯医者と「リオン」から帰ってきたのが八時過ぎ。九時から「鑑定団」を楽しんだ。近藤裕三雄渾の「染付金彩」を堪能した。
2013 7・30 142
* 眼がギトギトしてきた。やすもう。「DOCTORS 」、やはり手術の場面でほろりとする。他は、喜劇っぽい付け足し。比嘉愛未というナース役は時代物でことに味わいある役をみせる。
2013 8・1 143
* 土曜の「七つの会議」は緊迫を保ったまま終えた。日曜の「半沢直樹」は息もつかせずクライマックスにひた向いている。近時の連続ドラマでは最高水準の秀作が競い合った。頼もしかった。それにしてもこんな世界に身をおかなくて本当によかったと身の幸運を感謝する。誰かが「経済優先の寂しい日本」といった批評を新聞に書いていた。「経済」「景気」「金回り」いくら聞いてもきかされてもそんなものに魂を食わせたくない。
2013 8・4 143
* ソシアル・ネットワークには、早くに「mixi」 次いで「twitter 」 さらに「facebook」に 曲がりなりに加わった形だが、「mixi」はとうに放擲して何年にもなる。もはや開こうと試みても開くまい。「twitter 」も「facebook」も、時間をかけて関わるには私自身にモチベーションが無い。ホームページで十分に足りている。時間が惜しい。自分から開いてみようという気にならないし、人のつぶやきやことばを多少見てみてもほとんどが無意味なもので、日頃を忙しく真剣に過ごしている人ほど「ただ加わっているだけ」の感がある。当然と思う。内容のある、鼓吹力のある世間への発信に真実努められる人には大いに活用して貰いたい。無定見な若い人たちには、ただ軽薄な麻薬の濫用なみお遊びにすぎぬと見える。ばかげている。
むかし、「北の国から」のなかで、初期の携帯電話機能に毒され中毒症状を起こした少年のぼろぼろの姿を作者が適確にうつしだしていて敬服した覚えがある。その少年はまだ当時は希少の例だったが、いまや日本人の何割もが、それも若者の多くが、またインテリのなかにも、無批判に毒を嘗め毒を呷っている例が、目を覆いたいほどいる。これもまた間違いなく日本の悪しき「違憲」政治による「国民の最大不幸」現象にほかならない。
2013 8・5 143
* 鳥越俊太郎氏らの、原爆・原発をめぐるアメリカのタチのわるい隠蔽や日本国への陰険な干渉・強要や、それらへの為す術もない日本政府の追従と阿諛迎合の実態をあばく報道番組は優れていた。
なさけなさに涙を怺えられなかった。
2013 8・11 143
* 1000回記念のテレビタックルが面白く、ほろ苦く、だんだん苦々しく情けなくなった。番組が出はない、政治の推移が、である。
2013 8・12 143
* 以下、秦建日子の新しい連続ドラマのニュースらしいと妻が報せてきた。
☆ 竹内結子、12年ぶりに髪バッサリ!日テレ連ドラ初主演でブラック企業に立ち向かう!
女優の竹内結子が、10月にスタートする日本テレビの新ドラマ「ダンダリン・労働基準監督官」で同局の連続ドラマ初主演を務めることが明らかになった。本作は、「カバチタレ!」などで知られる田島隆(とんたにたかし)原作のコミック「ダンダリン一〇一」を基に、労働者の保護を職務とする労働基準監督官の姿を描いた作品。竹内は12年ぶりに長い髪をバッサリとカットし、ブラック企業に立ち向かう主人公・段田凛を演じる。
労働基準監督官という一風変わった役どころに竹内は、「まず労働基準監督官という職業があるんだというところからのスタートでした。労働基準法で子役さんが何時以降は仕事をしてはいけない、ということなどが決まっているのは知っていたのですが、それを取り締まる監督署があって、監督官がいるということは知らなかったので、一体何をするんだろうかと」と少し戸惑った様子。とはいえ、「わたしが理解していないことを人に伝えるのは難しいですから、台本でわからない言葉が出てくるたびに、参考にしている本を読みながら、ちょっとずつ理解を深めていっている状況です」と早くも役づくりに専念しているようだ。
今回の役のために、バッサリと髪を切った竹内だが、「機会があれば切りたいとずっと思っていたんです。自分でもビジュアルがここのところ同じになってしまっているような気がして、なんか変えたいなと思っていたところだったので。いいタイミングといい機会を頂いたなと」とコメント。「一つ一つ頂く作品に対して新しいものがあるといいなと思っているので、常に何かしら変化は欲しいですね」と語る彼女の女優魂がうかがえる。
また、「サービス残業」「名ばかりの管理職」「パワハラ」といった現代社会が抱える問題に切り込む本作について、竹内は「嫌なことがあれば、何とかしてほしいと声を上げる権利は誰にでもあるということをまず知ってほしい。仕事に身をささげますとか、命を削って働きますというのはカッコいいのかもしれないけど、それでも『あまりにもこれは!』と思ったときには口に出してみる機会は誰にでもあるんですよ、ということを観る人にまず伝えたい」と意気込みを語った。(編集部・中山雄一朗)
ドラマ「ダンダリン・労働基準監督官」は日本テレビ系にて10月スタート 毎週水曜日午後10時放送
コメント
from: Pan/Pin 2013/08/13 12:09 AM
秦先生は、ヘルメットや安全帯を使用している高所作業等の建築現場に行った事は有りますか…!?
胆肝癌の労災認定を受け、ニュースにもなった印刷会社の件は、ご存知ですか…!?
両方ともで仕事をした経験が有りますので、日本のテレビ、ドラマ業界が、そういった職業の人達に、何処まで歩み寄って行けるのか、辛口の目線で視ようと思ってます。
* この建日子へのコメントの書き手「Pan/Pi n」さんは、わたしの「ツイート」にも実に頻々と反応してきた人で。どういう人かは分からない。
2013 8・13 143
* 敗戦の日であった。NHK、七時半からの日本の今日からを考える一般市民と有識者との二段構え討論は煮えなかった。あれなら一般市民だけの熱い本音を引き出すだけでよかったと思う。有識者の中では半藤氏の、「日本という列島国は海岸線が長すぎて守れない国だ」「原発を海岸に五十数基も据えて、いつ攻撃されるか知れない、原発がやられたら放射能だけで…」という発言が、フォローされなかったのは残念だった。この二つの発言をこそ起点に置いて、討論すべきであった。
2013 8・15 143
* 午前、午後、映画『指輪物語』の第一部を心奪われながら撮影のみごとさ物語の適確な運び方をしみじみ楽しんだ。物語の再読めはいま第三部の「王の帰還」に入っている。よくぞまあこの壮大で巧緻なファンタジイをここまで映像化しえたものとただただ驚嘆。本当の意味でこれは「神話」たる達成を十二分に得ている。映画版をわたしのために贈ってくれた建日子に感謝しなくちゃ。
2013 8・18 143
* 映画「指輪物語」第二部を打ち込んで見終えた。すばらしい映像美であった。
2013 8・21 143
* イチローの日米通算4000本安打に拍手を送る。こんなストイックに実力を育て続け発揮しつづける選手は、二度ととは言うまいが、もうめつたに現れないだろう。同時代の空気を吸っていると思うと、胸を張りたくもある。
* その一方で、「怨歌」歌手ともいわれた藤圭子の飛び降り自殺には暗然とする。歌も凄かった、凄いほど美貌だった、が、その凄みを背負うたように日本の国は急速に地獄道へ堕ちていったのだった。まだそこから立ち直れていないのに、安倍「違憲」政権は、狂ったように国民の奴隷化強権に酔いしれている。国民の最大不幸は、日ごとにますます暗いかげを深めている。
* 「DOCTORS 」の、たわいない中で死という問題に向き合いながら、ほろりとした。の
* 有ったり無かったり出したり絞ったり自慢したりする、あの「チエ」。漢字にすれば、知恵、智恵、智慧の三つぐらいに書き分けているが意味は異なっている。知と智と慧。穿鑿すれば果てしない義や意や解が深まるのだろうが。
* 無いチエをあれこれ思うより、映画「指輪物語」第三部『王の帰還』を、独りこの機械で見始めた。だが、あとは明日を待とう。
明日には黒いマゴが退院できるだろう。水や栄養を補給されて元気を回復してくれていますように。もう一晩のマゴの留守をわたしも休もう。もう画面の文字がみな薄れて滲んで崩れている。
2013 8・22 143
* 夜前は、就寝前に「指輪物語」第三部の映画を観ていた。すさまじい大戦争も壮麗な山城の攻防戦も、またフロドとサムとの孤独な悪戦苦闘も、みな「奇蹟」のようにみごとに描かれていた。この映画はこれからも繰り返し繰り返し独りで観るだろう。
2013 8・23 143
* 本の方を読み上げてからと思ったが、まだ先が長いので、映画「指輪物語」第三部をしっかり観終えた。感動に満たされた。
2013 8・24 143
* ドラマ「半沢直樹」に見入っていた。企業人の、大会社員のしんどさは、私などはなから見捨てていた世界であり、つくづくこんなドラマの世界に、間違っても飛び込めなかったであろう「幸運」に感謝した。医学書院という、ま、規模として岩波書店とほぼ同じと観られていた時期の会社に入社したその日に、自分は、いつの日にか会社を已められるだろうと思ったのを忘れていない。
仕事には励んだ。猛烈社員という云い方の流行ったころ、そう呼ばれた。いつのまにそんなに仕事をするのかと同僚に不思議がられたこともあった。管理職になってからも、人より多い仕事を九時五時でかたづけ、業務と責任上避けられない以外には残業しなかった。定日発行厳守の担当雑誌発行を一度も遅らせたことがなかった。雑誌担当でありながら、責任外の書籍出版企画を毎週の企画会議に出し続けた。仕事の多いことをいやがったことはない、が、入社三年目には小説を書き始めて、十年目には受賞していた。十五年目には退社して作家生活に入った。課長以上の昇進人事は受けなかった。
作家というのも、何度も云ってきた、出版社の「非常勤社員」なみであった。必然、私の道を独自に求めて行った。太宰賞も、ペンの理事も、東工大教授も、京都美術文化賞四半世紀の選者も、みな、わたしから求めたものでなく、向こうから招いてくれた。それらも時が来れば惜しげなく辞した。わたしは一介の物書きとして、作者・筆者として、出版人として、思うままに今日まで来た。休みたくなれば休んでいい、誰に迷惑も掛けないが、幸い健康がゆるせばわたしは死ぬまでの「書き手」自由な「書き手」で終えるだろう。半沢直樹には逆立ちしても成れない。成れなくて幸せであった。
* 二三日まえのたわい無げな「DOCTORS」で、やはり医療ものなりにほろっと来る場面があった。いつもある。やはり手術場面を通して、ある。二三日前のでは、患者の家族の問題でよりも、若い半チクで生意気な医者が、凄いほど腕の利いた手術の助手をつとめることを通して感動し開眼してゆくのに、ほろっとした。濯鱗清流とは、そういうことである。
2013 8・25 143
* チャイナと謂えば陶磁器。ジャパンは、それに対して漆藝を謂う。そんな漆藝を台湾に植え移してみごとな台湾漆藝の開花と充実にまで指導し尽くしていた一人の日本人が、台湾で、父とも母とも尊敬され信愛され感謝されている一つの歴史を、テレビで知った。感動の涙を堪え得なかった。山中公。技においても、人格においても、傑出し透徹した人物だった。その「顔」を写真で一見しただけで忽ちにこれこそが人品と頭のさがる勝れた美しさ。
日本人は、民間に在り。内閣にも国会にも、そんな感動をもって迫ってくる立派な「顔」を見たことがない情けなさ。
2013 8・31 143
* 堺雅人が熱演するドラマ「半沢直樹」の凄み、たしかな作劇のおもしろさ、痺れたように魅されている。ちょこっ、ちょこっとしか顔を出さないのに奥さん役の上戸彩のみごとなオーラにも魅される。中車も俳優の力量を存分に見せている。愛之助の金融庁検査官役はわたしの好まない彼の持ち味が露出過剰で、イヤ。
歴史劇では、かつて感動した「阿部一族」の上越す作品にまだ出逢わない。現代劇では、この「半沢直樹」はとびきり上等の方に属している、ビート・タケシが主演した「点と線」もよかったが。
佳い作に出逢う高揚感は、年を取るにつれて純度と熱を高める。幸せなことだ。
2013 9・1 144
* 琵琶湖上に模型飛行機をいろんな条件で飛ばせる競技は、もう回数も経験も重ねて、とても興味もスリルもある意気盛んに面白い催しで、さぞ人気は高かろうと思う。
今夜の放映で、東工大チームが、大声援の中、2Oキロを越す美しい飛行を見せてくれた。よく頑張った。嬉しかった。
2013 9・4 14
* 韓流のまず「イ・サン」簡約篇を中途からみて、次いで「トンイ」の簡約編を中途から観た。そのあとまた「イ・サン」の全編を中途から楽しみ、さらに今は「トンイ」全編を見続けているが、今朝から、また「イ・サン」全編の開幕編をみた。ふたつの歴史物語は、それぞれの王とヒロインとがそれぞれに温良で聡明、純真なので、ひとつには韓国の歴史や文物にも馴染んでみたくて、くりかえし学ぶように観てきたのである。時代でいうと、「トンイ」の王は、今も名王と称えられる「イ・サン」の曾祖父にあたるらしい。
韓国・朝鮮の宮廷や王室は、よほど日本のそれとは異なって見えるが、ものの見えだけでは誤解もまじる。謙遜に見入りながら、宮殿や居宅の建築や、街区や、官制や、貴族社会や女官等の世間、また後宮のありようなどを興味をもって眺めている。各国の現代物ドラマには全く興味がない。
2013 9・12 144
* 九時、新刊117搬入、すぐ発送作業開始。終日。映画「指輪物語」二と三とに聴き耳を立てながら。
2013 9・13 144
* 効率よく発送、夕刻には見通しつける。作業中、映画「指輪物語」の一を耳に聴いていた。申し分なく、佳いファンタジー、佳い映画。夕食にワイン。
2013 9・14 144
* ドラマ「半沢直樹」をおもしろく観て。なんとなく疲れ残っていて、一日、ぼんやりと過ごした。眼鏡をかけ違えていると、機械用でなくつい室内用でキイを叩き字を読んでいると、たちまち視野がぎとぎと、いらいらと霞んでくる。
2013 9・15 144
* 夜、歌舞伎座で安倍晴明を演じている市川染五郎に密着取材の番組を、興深く観た。
2013 9・18 144
* ドラマ「半沢直樹」の最終回を興味深く観た。企業に巣食うう限りは、上には上がいるものです。
2013 9・22 144
* 映画「マトリックス」の第一部を見始めた。どんな映画がとアンケートされると必ず答えに加えてきた。年を追い月日を追うに連れ現世と「夢」みている世界が「マトリックス」であることに気づいてきた。ほとんど疑っていない。そのおぞましき「夢」からどう覚めるか。覚めることが可能か。バグワンに聴き、千載集などの古代釈教和歌からもひしひしと「夢」の歎きを聴いてきた。人間の世界は失せて、機械的な脳の支配する世界に、それと気も付かずに生きている人間達。
映画「マトリックス」を通してさまざまに思索を重ねてきたと思う。またも己が「マトリックス」を凝視するのである。
2013 9・23 144
* 久しぶりに映画の「ニキータ」を観た。連続のドラマでもニキータをむかしよく観ていた。はなしは違うけれど日本の「子づれ狼」に感じるかなしさと等質のかなしみを抱いたままニキータを観ていた。今夜もそんな感じ、すこし懐かしくもあった。
2013 9・29 144
* 映画「ママがのこしたラブソング」を観た。ウォームハート。老いたジョン・トラボルタと若い美しいスーザン・ヨハンソン。母(妻)にみちびかれた父と娘。しみじみと。
2013 9・30 144
* 「半沢直樹」が終わって、ちかぢかまた米原涼子の「Doctor X」が始まるという。ずいぶんガンバッタ女医さんではあるが、支持したくなる本来の自然さ、自然な強さが生きていて、医師として人間的にもムリがない。ムリなのは囲りなのである。そして失敗のない優れた手術手技で命が救われるというまともな感動がある。どんなに乱暴に見えようが、無茶に見えようが、自然な強さが熱い感動にきちっと繋がっているドラマは気持ちがいい。
2013 10・2 145
* 先日来、何度となく高麗屋のテレビ談話を聴く機があった。今夜は讀賣テレビのインタビューだった。聴き手が三人も並んでながら、なんとなくモノの聴きようが上滑りしたが、幸四郎はしんぼうよく静かに率直に話していた。彼からは、もうそろそろ能の名人達がのこしたような「藝談」の聴ける、もう決して早すぎない時機だと願っている。
2013 10・11 145
* 「相棒」の劇場版と聞いていた二時間半の映画を観た。岸辺一徳の演じる、ながなが面白い芝居をみせて呉れていた「官房長」が殺され、幕が降りた。警察社会の権力争いに終始したいやらしい限りの臭い作であったが、ドラマはよく描けていて面白かった。
しかし、時代物ではあったが真田くんと宮沢りえの「たそがれ清兵衛」のほうに作品があった。
2013 10・13 145
* いきなり五十年も前、小津安二郎が「脚本」、里見 原作のテレビドラマ「青春放課後」を観た。テレビ女優として売り出して間もない小林千登勢をもり立てて、いわば小津一家が助演するいい味の作品を楽しんだ。千登勢の京ことばがもう少し適切だともっとよかったろう。解説者も語っていたとおり、なにより「時代の品格」に惹かれるのだ、吾々が見失い果てて口惜しい限りのそれこそが人の品格、時代の品格だ行儀だとつくづく思う。言い訳すべくもない、それはわたしたちが捨て去って見喪った文化なのだ。小津安二郎の映像は如実にそれを痛いほど懐かしく正しく思い出させる。
2013 10・14 145
* 台風迫るの報を目にし耳にしながら、雨の中を歯科へ。また雨の中を江古田に戻り、和食の店にあがった。佳い刺身の盛り合わせ、そして秋刀魚を一本ずつ焼いて貰い、妻は赤貝のぬたを、わたしは純米酒「上喜元」を。それからお握りを一つずつ握らせて。そして帰ってきた。保谷駅ではかなりの降りであったけれど、タクシーで家まで。
米倉涼子の撮っておきの『DOCTOR X』を楽しんだ。医学ものには人の嘘偽りない「命の危機」が降りかかる。掲示の殺しものではせいぜい犯人捜ししか出来ないが、優れた医師なら懸命に命を救おうとする。雲泥の差はそこに出てくる。
2013 10・15 145
* 昨日録画しておいた新シリーズ開幕の「DOCTOR X 」を面白く観た。敢然として生きる不撓不屈の女医師。その「失敗しない手術」で人の命が救われて行く、が、反吐の出そうに醜悪な現実の社会の権力闘争。ま、この筋書きだけでもわたしが乗らぬわけがない。今度のシリーズも楽しみに見続けるだろう。女外科医の徹し方にムリよりも道理が読み取れて共感する。キャラクター設定の巧みな勝ち味といえるだろう。
2013 10・18 145
* ひさしぶりに雪平夏見ものの映画版「アンフェア」を観た。篠原涼子、佳い。演じていると見えず、そこに実存の人物が生きて実在してみえる。この女優が「アンフェア」シリーズに登場時の目立った特色である。このことでは「DOCTOR X 」のヒロインに上回る。
2013 10・19 145
* 今朝、アマチュア将棋の名人位決勝戦を観ていた。はなから優位と見えていた人の七八割がた押しまくった一方的な試合でありながら、たった一つの緩手・緩着から大逆転の負けとなった。仰天もし、深く首肯もした。いましも幸田露伴の考証「象戯余談」を読んでいて、ちょうど「奕戯の道、弱者も勝つ有り、強者も敗るるあり、而して後奕戯の道の玄機不測、幻境万変の妙存するなり。もしそれ強者必ず勝ち、弱者必ず敗れなば、奕戯の亡ぶることもまたすでに久しからん」とし、明の楊升庵の諺語「敗棋に勝著有り」を引いて、「甚だ佳、道破す人生一半の理」と。「敗棋の勝著」の裏には必して「勝棋の緩著・敗著」のあることをも示唆している。めざましい実例をわたしは今朝目の当たりにした。
2013 10・20 145
* 建日子が脚本役の「ダンダリン」を初めて一回分通してみた。これまでは半時間ともたず席を立つか、まるで見なかった。「労働基準監督署」の意義も必要なことも問われれば答えられる程度に分かっているが、それが社会人の念頭に浸潤し得ていないあまりに地味な機関であることは、ドラマを観ていてもよく分かる。法律がありそれに副って設置しないわけに行かないから「存在」している機能と、それさえも世間に認知され得ていない。ひっかかりはじめれば、いみじくもヒロインが街をあるくだけでやたらに違反例がみつかる。ということは、役所は働ききれない程度に弱体で、ま、逃げ腰にもならざるをえない。だからこそヒロインのような無謀と見えてしまうほどに頑張らざるを得なくなっている。いわば役所としての閾値をすれすれのところで出入りしている。へえ、そんな役所があるのかあと報せる役には立つが、病院のドクターや、国税庁の査察官や刑事や検事や弁護士のように視聴者におおそれそれとは迎えられない。
それでも頑張ってやっているのだから、それはそれで、いい。
労働基準監督官が、働き手の味方で有らねばならぬのは法の建前から当然だが、そもそも今日働き手の利益や権益を守って行こうという世の中かどうか、それこそが先立つ問題で、それがきわまりなく投げやりにされて、ただもう尻尾を巻いているのは何故か。それこそが、問題なのだ。
国会で三分の一を堅持していた社会党がいつしか煙のように解党寸前の民党に現になっている。根の病は、保守政権と経済利権構造の総力によって徹底的に労働組合が壊滅されてきた、それこそが働き手の大問題なのに、いわばお為ごかし程度にしか働かない、働きようのない労働基準監督署ていどのめくらましに働き手達の社会は誤魔化されている。
労働組合ときけば蛇蝎のように嫌いその殺戮に躍起になってきた、それに成功してきた見返りが、ノホホンとしたアベノミクスのような吾が仏のみ尊しの今日只今の日本国なのだと気が付かなくては、気がついて「労働基準法」「労働組合法」などの法精神を実体として健全に再構築しなければ、日を追ってますます働き手達は奴隷なみに手かせ足かせの未来へ追い落とされてしまう。なぜそれに気づかぬのか。
2013 10・31 145
* 九時、むりやり「DoctorX」の前へ。すかっとする。つづいて楽天が巨人をねじ伏せて日本一シリーズに大手を掛けた力投を楽しんだ。
さ、もう少し。もう少し。機械のまわりに眼鏡が五つ。どれも役に立たない。
2013 10・31 145
* 韓国のドラマ「トンイ」で、王が初めて飢えた賤民たちの苦境を目に触れて涙し己を怒る場面を観た。王と民とを山なして隔てている悪しき要職や官僚・諸司たち。民のための王なのにと嘆く王。
民のための総理だと、大臣だと、官僚だと、いったい今の日本でだれが思っていよう。彼らは自分のための政治、自分たちの安泰と繁栄のための政権だと思っている。
「聖人の静けさは、静かなのが善だからというわけではなく、彼の心をかき乱すほどのものは何もないから静かなのだ」と荘子の「外篇」天道篇の早々に言ってあるが、とてもわたしは聖人どころではない。かき乱されてばかりいる。恥ずべきか。虚静(自己を虚にした心の静けさ)、恬淡(無欲なこだわりの無さ)、寂寞(ひっそりとした静寂)、無為(人為的な作意のなさ)が、道徳(無為自然の道とその道にもとづくあり方)の極致といい、帝王や聖人はその境地に安らぐのだというが、苛斂誅求の苦難と飢餓になげく民を目前にして帝王や聖人は、どう虚静、恬淡、寂寞、無為で済むのか、とは、問わねばならない。
2013 11・2 145
* ドラマ「ダンダリン」物足りない。
2013 11・6 145
* 連続の「イ・サン」を聴きながら一仕事。発送のための封筒の用意終え、宛名を貼り込んで行く。
2013 11・7 145
* 晩の食事後 撮って置きの映画「ジャイアント」の導入部だけ観て、しばらくあとから懐かしい映画「細雪」に堪能した。岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子という最上の顔合わせ、男優たちも小さい役に至るまで行き届いた神経で配役されていて完璧の作品になっていた。この映画ができるとき、新潮社からの写真集を篠山紀信が撮り、わたしは雅叙園での撮影に終始立ち会い、文章を担当した。これぐらい配役がすみずみまでの表現に利いた映画はめずらしく、監督のちからの入れようはおみごとであった。松子夫人もお元気な頃で、佐久間良子のナカンチャンを気に入ってられた。懐かしく、なにもかも思い出す。
2013 11・10 145
* 塩瀬総本家で和菓子をいろいろ買い求めてから、河近くへ歩をのばしてから聖路加タワーに入る。47階のレストラン「ルーク」で小洒落たコース料理を美味しく、赤ワインで。 テラスヘ出て、百八十度余の明るい展望を楽しんだが、俄かの雨雲が急接近し、新富町の駅へ急いだが驟雨に遭い、途中の店で夫婦とも真っ白い簡便な雨コートを買ってかつがつ駅へかけこんだ。
保谷ではもう真澄の空が戻っていて明るかった。
塩瀬の和菓子で「イ・サン」を楽しんだ。三度目で、大筋などみな覚えているのに、日本のやすい時代劇より何倍も面白い。
2013 11・11 145
* 帰ってから「科捜研」沢口靖子のこころ深く澄んで和んだ美貌を、いつものように讃嘆。次いで「ドクターX」の米倉涼子と内田有紀というご贔屓美女ペアの手術ぶりに、スカアッとした。「ダンダリン」の竹内結子も、沢口のようにか、米倉や内田のようにか、すっきりと活かして欲しかった、デビューの頃からほんとの活躍を心待ちにしていたのだ。
2013 11・14 145
* 毎朝八時過ぎに起きているのは、週日八時半から韓国の大河歴史劇「イ.サン」がはじまり土曜にはおなじく「トンイ」が始まるからで。「イ.サン」は朝鮮王朝の英君といわれた人、その祖父もまた立派な王であり、じつは波瀾を経て慧明の王妃となった「トンイ」の皇子であった。この縦軸が見えているので長大な歴史劇の芯の筋が分かりよい。彼の國の本にも文献にもはなはだ通じないわたしたちにはなかなかの読み物であり絵本なのである。この二つの絵巻を通じてわれわれもかなり韓国歴史劇の俳優や女優達をおぼえてきた。現代ものにはまったく手を出さないが、ほかにもけっこう幾つもの歴史劇を見ている。いまも「馬医」「ホジュン」のような医師ものの連続劇もことに妻は熱心に見ている。放送大学のあまり上手でない講義で聴くよりはるかに面白く具象的に勉強できる。
それにしても、中国と比べても、ほんとに何にも知らぬまま過ごしてきた朝鮮半島なんだと我ながら恥ずかしく惘れている。
2013 11・19 145
* 「ダンダリン」で、労働基準法という、共産党も社民党も民主党も生活の党もみーんなが忘れ果てているような法律の名を、守れと叫ばれていた。ただそれだけでも今日希有の叫び声であった。思い出せと言いたい。もう一度労働三法をしかと手中に握り直して政治や行政や企業の故意も甚だしい諸悪に立ち向かえと言いたい。働く人が、われからそれらを抛ち投げ出して泣き言ばかり言うていてどうなるのか。結束しなければ、とてもとても太刀打ちならぬ兵法を敵は悪辣なほどに手に入れている。それに負けていては話にならない。吉田社民党新党首、気を引き締めてかかれ。憲法には選挙権がない。投票し、代議士を増やしてくれるのは、人、でしかあり得ない、それを忘れ果てていたのが社民党壊滅の自己責任であった。忘れるな。
2013 11・20 145
* キッチンで仕事・作業をしながら、沢口靖子の「科捜研の女」 米倉涼子、内田有紀の「ドクターX」を楽しみ、さらに、韓国ドラマの名医もの「ホジュン」も楽しんだ。いずれも緊迫した面白いいいドラマであった。紀伊国屋まで出かけていった甲斐がなかったなあと、また思わせられた。
2013 11・21 145
* 佐藤眼科で貰ってきた『フランク・オコナー短篇集』巻頭の「ぼくのエディプス・コンプレックス」を引きずり込まれて面白く読んだ。次いで訳者阿部安倍公彦さんの「解説」それも作品解説でなく、アイルランド略史がとても興味深かった。オフェイロンの論考『アイルランド』との相乗効果あり、わたしが、なぜこのところ半ば以上は偶然ながら、スコットの『アイヴァンホー』や『湖の麗人』を読み、またオフェイロンやオコナーに手を出したかが、分かる気がしてきた。
わたしはイングランドやノルマンに対立して、アイルランドやスコットランド、ないしケルトの、ヨーロッパにおける特異性に関心を覚えていたのだ。その一つの表れは、いろんな映画でのアイルランド人の描かれようを挙げてもいい。
例えば台は或いは憶え間違えているか知れないが「パトリオット」とか謂った、ハリソン・フォードが演じるアメリカの軍人夫妻が子連れでイギリスに旅していて、たまたまバッキンガム宮殿の真ん前でテロリストに襲われた英皇族を救うという出だしをもっていた。夫妻は「サー」「レディ」の称号をもらい栄誉に浴するが、襲撃に失敗しことにハリソンに撃ち殺された弟をもつ一人は徹底的に上の夫妻と子供の家庭を襲い続けることになる。スリリングな話の展開で、むろん夫妻家族の危険をおそれる映画作りの足場からすれば、復讐に命懸けのアイルランドテロリストは完全な「悪」になっている。そこにわたしは何度その映画を観ても立ち止まっていた。なぜ彼らはという動機を知りたかった。アイルランド女王アンとイングランド女王エリザベスの死闘を識っている。そこには英国プロテスタント国教とアイルランドのカトリックとの死闘も絡んでいる。そして身をもがくようにしてアイルランドは有名な「イースター蜂起」を機に独立を得ていったが、それでも両国に溶けないしこりは堅く硬く残っていた。
2013 11・25 145
* 映画好きのわたしが好きな映画として挙げるのは、昨日もふれたバグワンふうに謂えば「叛逆」する作が多い。利害感による反抗とはちがう、容認しがたい悪や悪習への謂わば当然の「叛逆」をわたしは支持してきた。「マトリックス」がそうだ、人間が完全に機械に支配され、奴隷ないし飼料と化している虚偽世界からの脱出と闘争、人間の回復世界へ。その手の映画はSFでもファンタジイでも、でもリアリズム映画でも幾らもある。
テレビ映画「阿部一族」など、強烈に記憶にある。息子秦建日子の芝居では「らん」「タクラマカン」が印象深く、映画「ブレーブハート」の刺戟もつよかった。
こういう精神がおしなべて昨今の日本人に衰弱仕切っている。教師達がダメな以上に学生達が颯爽の叛逆精神を投げ出している。
2013 11・27 145
* 「ダンダリン」で、醜悪柄本が綺麗な竹内結子に迫る場面は鬼気せまる見せ場であったが、その後その他の場面は納得のいかない、ただ最終回へ引っ張る引き延ばしに感じられた。ダンダリンに納得できないというより、作劇のテンポ落ちに不満が残った。それにしても、この連続ドラマの現今登場の意義は浸透してきたと思うし、いいこと、大事なプロパガンダに相違ない。
2013 12・4 146
* 池内淳子がマドンナの「寅さん」を観ていて切なくなり、うたた寝した。疲れきったか、眠くてならない。何か書こうという気もでない。
2013 12・7 146
* 晩は、鬼平ものの小味な丁寧に創った時代劇を二本観ながら、補充発送の用事をしていた。吉右衛門、梶芽衣子、また柄本明といった役者にめをとめながら。明日には、ほぼ発送の用を終えられそう。肉体労働にも集中すれば出来ると分かっても、しっかり疲労もした。かぜ気味に悩んでいる妻にも重いしごとを手伝わせ、気の毒だった。感謝。
2013 12・8 146
* 息子秦建日子脚本の「ダンダリン」が今夜終わった。労働基準監督官という当節本当に必要でしかも忘れ去られているような行政官活動に光をあてたユニークな仕事になった。竹内結子というナイスなキャラクターがどこまで十分に活かせていたのかは別にしても、こういう着眼からの連続ドラマは殺しや刑事番組に食傷した視線には有り難いものだった。椎名麟三の『美しい女』といういまや古色蒼然の戦中戦後共産党ドラマには驚き入るが、今日読んだところにあった、「たしかに権力というものは、自由に誤解するすることが出来るという自由さのなかに真の姿をあらわすもの」という指摘は手厳しくも暗然とさせた。こういう権力の時代が露骨にこれから、いいやもう今まさに戦中戦後以来化けて出てきている。
2013 12・11 146
* 「ドクター X」を今回も面白く観た。狂言の廻し方にも納得した。米倉涼子のキャラクターを使いこなしている作柄に好意をもつ。それにあの、ハマちゃんならぬ、比留間外科統括部長のうまさ。医学書院で十五年余も編集者生活をし、著名医学部にも著名病院の医局にも著名教授・院長の教授室・院長室にひっきりなしに取材活動していた見聞からも、ドラマに描かれているドクターぶりはさほども誇張されていない。似たようなことがいつも行われていて、その頃の大先生や大教授は天皇なみだった。そして医学部闘争が全国的に起きて、偉い先生方が学会で若手に吊し上げられる場面もわたしは観てきた。闘争にどんな効果があったやら論評は差し控えるが。何としても手術という場面は患者の命にとってせっぱつまった局面であり、手術を廻ってのさまざま真剣な、また見苦しい、また情けなくも怒りたくもなるドラマは確かに有った。そしてあの、教授戦や主任教授選。
それでも、少々人間の出来はあくどくても手術の上手な先生をやはり頼りたいとは、つねに思っていた。お人はいい先生でも、見立てや手術が得意でない人よりも、それらに卓越した先生を無視は出来なかった。クセの強い先生でも頼れる先生に出会いたかった。
* 失敗しません と言いきってその通りのスキルと術例数を積んだ「大門未知子」先生は、肩書きがどうあれ、真実命の親である。 2013 12・12 146
* 午前から午後へ、もう六時までずうっと仕事していた。晩も仕事していた。
九時と知らされ、階下で「ドクター X」最終回を多大の関心と緊張のママ見終えた。せめてテレビドラマは、この水準で創りだして欲しい。犯罪として殺される・殺す人の命なんかでなく、生きたい人の生きたい命のぎりぎりを芯にすえ、そこを主題に、禅の追究ほど人間の真実真相に迫って欲しい。
2013 12・19 146
* 今日はこれから夕方にかけ今年最期の歯医者通い。歯がまた欠け落ちているのも放ってあった。いささかヤケクソのように、どうなとなれよやいなどと吾と我が身を嗤ってしまう。いや笑ってしまう。
* もう何本も抜け落ちそうな歯がありますと。来年も歯医者、眼医者通いが欠かせない。
帰りに妻もいっしょに江古田の「ボルボ」に。わたしは先日と同じにウオツカを二杯のみ、妻はなんだかべつのカクテルを頼んでいた。保谷へ戻ってからも、久しぶりに寿司の「和可菜」へ。いい肴を二三度も切ってもらい、酒。兜煮も煮物も出た。ほんとに久しぶり、いつもこの店には近年出前を頼んでいる。開店の頃から、もう何十年の付き合いだろう。いい気持ちで家まで歩いた。
毎晩のように、黒いマゴに、二人がかりで輸液してやる。
藤田まことが亡くなって北大路欣也に代わった「剣客商売」を観た。なんだかまだぎごちない。それよりも舟の出る江戸郊外、隅田川のなつかしい景色に魅された。
二三日前だったか、思いつきで、録画してあった「氷壁の女」という、フレッド・ジンネマン監督、ショーン・コネリーら主演の映画を観た。世界はあまりに違っていて共通の何も無い今夜の「剣客商売」だったが、何かしらフッと感じ合っているものが有った。
* 生きること。死ぬること。微妙に火花を散らしてわたしをここのところ揺すり立てている。
2013 12・27 146
* 原爆投下の歴史的な考察と反省との映像と解説を観かつ聴いた。以前にも一度同じ映像を観ている。トルーマンという当時の米大統領の、政治家と人間との無残に引き裂かれた鬼道を痛恨する。
2013 12・29 146
* 有元さんに頂戴した「八海山」を九日で、しかと頂戴した。美味かった。
今日、小田さんに頂戴の「近江の美酒」の封を切った。美味い。ひょっとすると今日飲み干してしまいそう。気分良く酔って、いまはキイを押しながら半分余はまなこを閉じている。
いま隣の大画面では映画「ディープブルー」を映し続けている。好きな、しかし半ばは深い畏れをさそうあまりに美しい海の映像である。よくも撮ったと思う。
今真向かっている機械「NEC LaVie」と、映画を映している大画面の「DELL」(子機)と、ソニーの小さい精鋭機(別機)とを、いちおう「併用」しているが使いこなせているのではない。子機も別機もさしたる役には立てられずせいぜいバックアップにしか使えていない。いつまで機械を使い続けるのか、なにもかも一切手放してまったく別の最老後を迎えるのか。
* 機械の前でいつしか居眠りしていた。
2013 12・31 146