* 高峰秀子主演の大好きな、デコ映画では第一等に好きな『カルメン故郷に帰る』を心底眞実楽しんだ、おもしろかった、脚本も監督も最高によく出来た、背景になる大きな浅間の山野の最高に美しく懐かしい、しみじみと胸に落ちて安らかに快い「一と幕」。繰り替えして観るつど泣けてくる人生と日本の懐かしさ。元日に最高最良の「藝術」作を笑って泣けて嬉しく堪能した。藝術は、斯く在りたい、斯く創りたいが、及ばないのが口惜しい。
2022 1/1 2
* 建日子が来て呉れる前に、大の気に入りの映画、黒澤明脚本、熊井啓監督の『湖は知っている』清水美沙と遠野凪子が熱演の名作を心ゆくまで堪能した。昨日の高峰秀子らの名作『カルメン故郷に帰る』と相並ぶみごとな出来映えだった。心底満足した。
2022 1/2
* 入浴後、撮って置きの映画、小津安二郎脚本監督の『浮草』にほとほと感嘆、息を呑む思いで見通した。旅の一座を率いて安い歌舞伎を打って回る先々代中村鴈治郎の息を呑む芝居に、京マチ子、杉村春子が絶境の火花の競演、加えて若尾文子、川口浩が初々しい極みの美味さで共演、その他大勢の役者達も隅々の端役までみな唸る巧さで競演し、映画を観ているなどと思えず引き込まれて動けなかった。名品に出会えた幸せというもの、昨日の『海は知っている』も一昨日の『カルメン故郷に帰る』もともども名作として映画世界の絶巓に起つ思いがした。最高。
2022 1/3
* 午后、久しぶりに 岸惠子 佐久間良子 吉永小百合 古手川祐子競演の、谷崎松子夫人ことば指導の 映画『細雪』の もののあはれ を堪能・感嘆した。ただ豪華な画面作りなのでは亡い。昭和十三、四年、もう日本の国は間近に迫る太平洋戦争へ、敗戦へと大きな地滑りを予感していた、その時世の崩れゆく家と人と美しさとの避けがたかった「あはれ」に打たれて泣けてしまうのだ。
私は此の映画の制作中から撮影の現場にも立ち会い、俳優、女優そして撮影家たちとも話し合う機会を幾度も持てたし、新潮社からの華麗な写真集に、エッセイ、解説等の原稿も頼まれて書きのこしている。松子夫人もお元気な頃であった。
そして今なお新ためて谷崎先生、ご生涯一の御作は『細雪』と申したい。
『細雪』は私の、敗戦後新制の中学高校のおりに爆発的に名作の誉れを浴びた。かつがつの小遣いでやっと一冊本を手にし、当時 誰よりも大事に、いまでも遠く離れたまま大事に無事健康を祈っている梶川道子と、分け合うようにして読みふけったのだった。後年に、私が谷崎潤一郎論で小説よりもさきに認められ、松子奥さんにお声もかけられ、お亡くなりになるまで家族みなを可愛がっていただけた、その深くて大きな「根」 それが新聞連載で真っ先に驚愕した『少将滋幹の母』であり、さらに胸打たれた『細雪』との出会いであり、岩波文庫の『蘆刈』『春琴抄』であり、後年上京後の『夢の浮橋』であり、それらの自信に満ちた論攷であった。浩瀚な『秦恒平選集』全三三巻のうち、私は谷崎論攷のために第二十巻 第二十一巻を宛てている。その基盤を得たのが懐かしい『細雪』だったと言い切れる。
はしなくも映画をまた観かえって私は思わず「もののあはれ」という古典的な一句に心寄せたのを、それだ、と、懐かしくいま肯っている。
2022 1/9
* 晩、撮って置きの超級映画『暖簾』の「大阪」を、妻と、たっぷり満ち足りて興がった。森繁久弥のサーカスなみの青・壮・初老・永い老境から最期への有為転変、早変わりの藝のおもしろさ。遣るもんだ。幕を開けた鴈治郎・浪花千栄子、本筋をしかと踏みしめて秀逸の山田五十鈴、乙羽信子のイキのいい練達熾烈な競演。大阪と大阪弁と戦前戦中敗戦戦後の変轉を、「大阪ならでは」の多彩で精緻な風俗や祭りを背景に、おみごと「昆布」商いの「暖簾」のど根性と家の風とを、大胆に不自然なく面白く笑わずにおれず観せてくれた。「大阪」の懐へ、わたしは始めて踏み込ませて貰ったと思う、映画は初見では無いのだけれど。
『カルメン故郷へ帰る』『海は知っている』『浮草』『細雪』『雪国』そして『暖簾』へ,映画の真の名品からは、多く多くを嬉しく有り難く受け取れる。
2022 1/18
* 妻と、相次いで一緒にテレビで見続けるのは、もう昔から日本のそれよりも韓国製の歴史・時代劇で、ことに『い、さん』をまたまた、何度目か日々に愛玩している。現王のイ・サン、ヒロインのソンヨン、王妃、前祖父王、王・ソンヨンとともに幼なじみ三人の輪をなしているパク・テスなどに、「身内」のように心寄せながら、奇々怪々に混乱し紛争する王宮内貴族らの陰謀と乱気流。ドラマ尽くが確かで多彩でバラけずに本筋を践んで追い続ける。もう少なくもこの一年がかりの長編を三度は観ているのだから、よほどの贔屓。日本の連続劇では、しかと印象的で繰りかえし観ようというほとんど一作も覚えない、忠臣蔵ものの外には。役者としては、北大路欣也、仲代哲也、藤田まことなど好きな俳優はいるが。
2022 1/19
* 予想の通りに、夜前のテレビは、フェルゼン伯爵との苦心惨憺秘密を防いだ熱愛の恋文紹介が主で。途中で、寝に立った。
ツワイクの『マリー・アントアネット』はまことに肌寒くもみごとに読ませてくれる。この、皇太子妃から王后へ、独りの恋人へ、繰り返された脱走の失敗、夫帝のギロチン死、皇子に依る窮地、苛烈な孤独と被告席へ、そして。
フランス革命には関心を寄せずにおれない世界史的爆発と捻転がある。ツワイクには、この革命のからくりを好きに回していた『フーシェ』を書いた労作も在り、もうナポレオンも差し迫って立ち現れている。イギリスの革命もアメリカの建国も興味深いけれど、フランス革命の事実上ヒロインの「生きもの」としての興味深さには、樂園を逐われたイヴなみに、心惹かれる。
2022 1/21
* 体調は整わず、疲労感は心身をびしょ濡れに。それでも、想いはせて、おそろしい怪談へくぐり込むもうと昼間は藻掻いていた。晩の食事、二口三口とも入らぬまま、思い立って、心底好きな映画の『ロシュフォールの恋人たち』の歌とダンスと恋の、ロマンチック・ミュージカルに没頭、楽しんだ。みじんの邪気も無い懐かしい歌とダンスと街景色の映画で、疲れ果てていた心身の心地よく優しくもほぐれる嬉しさだった。いま書いている小説世界は、さながらの地獄なのだ、すくなくも私の構想において。
2022 1/28
* つとめて視野に容れていたいのは、方々の当否には不安定があるとしても、ワールド・ニューズ。テレビでは、海外事情にこそめを向けている。バベルの塔という辛辣な人間批評を紙のすべとして言い置き書き置いた古人の知恵と胸の痛みをわたしは尊重している。日本と日本語の感性や理知だけで外国と外国人をきめつけては危うい。そう心している、私は。
2022 2/5
* アレクサンダー大王、秦始皇帝、エジプト王、フビライ、カエサル、ナポレオン、を多面的に検討し優劣を順位で決定していた番組、またたボンペイの考古学的発掘の現場報告など、面白く見入っていた。
世界史的視野をより正しく教わって持つのは、現代人にも必須の勉強と私は考え、努めてもきた。フビライが最高に識者らに評価されていたのも、なるほどと面白かった。
私は、日本のモノは古典、他は西欧と中国の史書か人物像を好んで読んでいる。小説を読むにも、海外モノが多く、日本語の文藝作からはかなり遠のいている。人や時代をつかむスケールにおいて日本の作はちいさいのである、私と手例外で無く忸怩たるものがある。
中国と中国人を知るには、漢文を苦にせず『史記列伝』にあふれかえっている「悪意の算術家」たちが絶好のモデル。そして「詩」が抜群に佳い。
西欧を識り味合うにはには、基督教という視野を下地に培っておきながら、個々の人間像やいろんな国情に歴史感覚で向き合うのが良い。
2022 2/6
*「イ・サン」を、これで三度びか、観終えた。冬季五輪は、カーリングは二、三勝負日本の四人を応援しまた楽しんだほかは、スピードスケートだけに目を、出逢えば向けていた。サーカスなみの競技には関心も共感もせず。
2022 2/16
* 早起きして、キッチンを温め、決まりの計測などしながらテレビを見ていると「十人のお坊様」のお説経が聞ける。みな似たり寄たりの「思いつき説法」で、旨いは巧いとしようが、アイデアを自慢しているように聞こえ、「信仰」の深い「苦」味には触れてこない。「坊さん」とはこんな程度かと帰依の思いはむしろ引っ込む。ドラマ「まあねえちゃん」のサザエさんの生きようの方が激励の意気に富んでいる。
2022 2/17
米 今日から再放送の韓国長編時代劇「トンイ」、二度は通じて見てきたのを、また、また観ると。聖王「イ・サン」の二代ほど昔のやはり宮廷劇。惹き込むちからと面白さが有る。
2022 2/17
* 早起きし、いつものように暖房し、ガスで湯と茶を沸かし、その前に体重を量り、そのアトで血糖値と血圧を測る。他へ者の残りを温め、猪口に数杯の清酒で独り朝食する。「マ・ア」の朝食は八時と決まっているので、妻は、それまでは寝かせておく。こんな早朝にはつとめて海外ニューズを聞いておく。西欧もアジアも昏迷に喘いでいる。
2022 2/18
* 二日がかりで、撮って置き映画『ベン・ハー』を、最上最良の感涙にむせんで観終えた。私は基督者ではない、が、こういう作品にはこころより感動できる。うらやましいまで共感でき、参加できる。『聖書』にも、『失楽園』『アベラールとエロイーズ』のような本に何の障りもなく浸って行ける。それでいて、立ち居にも、階段の上り下りにも、口癖は「ナムアミダブ」なのだが。要は、神や仏への親昵の思いが心身に根生えているのである、私は。お寺へも、教会へも、行くわけでないが。
2022 2/19
* 朝はやに起きると火野正平の自転車ふるさと探訪が楽しめる。なによりも日本の風土景色が懐かしくやさしく目に見えて嬉しい限りの番組である.正平の賢さ、京都風、も懐かしい。私は昔から此のチンピラ役者のチンピラぶりに独特な工夫と効果を感じて贔屓にして来た。すばらしく「佳い役」を依頼した放送局も賢い。今朝は宮崎県を走っていたが、諏訪神社の森といい、隠れ念仏の洞窟といい、遠山の美しさといい花や草や樹陰の静かさといい脊世羅愚谷川の精妙といい、有り難かった。最良番組と讃えながら感謝して楽しんでいる。
2022 2/28
* 久々に 手書きの二通を投函した。「湖の本 157」への口絵写真も送った。「頼朝と十三人」撮って置き最近分を見て、二時過ぎまで熟睡。
明日は、六十三年目の結婚記念日、余念無くつとめつとめ歩いて来た。そしてワクチン三度目の接種を受ける、無事に終えたい、無事是好日と。
2022 3/13
* 駅ピアノを楽しみながら朝の番茶を喫。昨今では、最良の時間か。
2022 3/26
* 昨日「撮って置き」で観た北林谷榮のみごとな本読みで劇仕立ての『蕨野行』の素晴らしくも怕かったこと慄然かつ凜然そして凄然、影像と死との名品であった。粛然とした。
今日は同じ『蕨野行』ながら説明的な影像と物語になるのを市原悦子主演で観たがこれは、焼き直しのぬるさ、音声の聴きにくさで数段の劣りさくに終えた。蕨野に棄てられた姑と里に居てしたう嫁のゆいだけの応答がりんりんと能の舞台のように高鳴って「蕨野行く」という壮烈な「老い棄て」の風習に打ち据えられる心地だった。ある年齢成ると男女とも山中の「蕨野」に棄てられ、日ごと一飯の食をもとめて下山し田畑の手伝いをするが、家へはかえれずにまた山奥の「蕨野」へ帰って行く。死が逼るまでつづく。山の上り下りは老いには嶮しく、命は日々にすり減って行く。謂いようも無く険しい姥捨ての危風。もしその里に暮らしていれば吾々夫婦はとうの昔に「蕨野」に棄てられ、日々に山を下りて村のために働いて一飯にあずからねばならないのだ、またも山中へ帰って行くために。
おそろしい映画しかも胸に迫って鳴り響く名作だった。「蕨野」にある名優北林谷栄の語りの凄い見事さはもとより、嫁の「ゆい」を演じかつ語った若い女優もあれは生涯の好演であったろう。
2022 3/31
* 朝一から、たまたま「藤吉郎とねね」の祝言ドラマなどを観ることになった。若い日の西田敏行と佐久間良子とが、懐かしく。そして妙に身にもつまされた。
そういえば前夜は、何というワケもなく独り遅くまで、ヘンリー・フォンダ、リチャート・ウィドマークらの早撃ち西部劇を観終えてから寝た。床に就いてからも、今枕もとの本をみな読んでいった。「ファウスト」「水滸伝」がひときわ、今、私を惹き込む。
* 京都で生まれ育って、戦時疎開の丹波での二年足らずを含めて上京、就職、結婚までの二十四年間が私の『京都』時代。『東京』時代巣以降六十年にもなる、のに、遙かに遙かに「京都」が私に刻み込んだ感化は何層倍も深く広い。江戸・東京の歴史も自然も、体験として知識として、京都のそれに比すれば遺憾にもごく浅く、薄い。
今朝も、藤吉郎劇を観ながら思ったこと、あんなに京から至近の「浪速・大阪」というおもしろい都市を、もっと親しく深切によく識り学んでおけば良かったという、痛恨に似た残念で。西鶴近松を育て秋成を生み育てた街ではないか。もったいないことをしたなと残り惜しい。
2022 4/3
* 朝、赤飯で祝い、 晩はワインで海老、貝、蟹を食しながら、谷崎先生の名作市川崑監督の『細雪』を岸惠子、佐久間良子、吉永小百合ら豪華版で、松子奥さんもしみじみ懐かしく、なにもかも懐かしく、堪能した。
昭和十三年の頃を描いていて、時代は未曾有の戦時へ傾いて行く寂しさと切なさを見事に描き尽くしていた。同じ大阪ものでも、『暖簾』などとは根から視野が変わっている。吾々にはあまりに縁の遠い豪奢なくらしだが,余計に時節の傾きが胸に迫る。
2022 4/5
* 大河ドラマと銘打った『鎌倉殿の13人』は面白く進んでいるが 鎌倉殿つまり源頼朝ひとりに関われば、平家を滅ぼし義経や平泉をほろぼし、征夷大将軍として守護や地頭の制で全国支配に至るけれど、身は、二度の上洛こそあれ「鎌倉」を出ない生涯だった。その不慮の死にも疑念が絡むが、ようするに頼朝を継ぐ頼家も実朝も、いわば歯は北条政子をも含めて北条氏、要は小四郎義時のはからいに潰され殺されて鎌倉時代はつまり「北条時代」に定まって行く。「鎌倉殿の13人」の義時を覗くほぼ全員が北条に屈し族滅されてしまう、足利と新田とをみのがしたのが、北条氏の末路を用意し、南北朝につぐ足利時代そして群雄割拠時代が開けて行く。まだ私が国民学校の一-三年生の昔、秦の家に通信教育の教科書らしき「日本国史」いっさつがあり、緯編三度の上も裁ち暗誦するほど日本史の推移を覚えた。「鎌倉殿の十三人」とはまことに美味い狙いの的と興深い。昔の教科書に頼朝の女好きなどは書かれてなかったので、政子はじめいろいろへ初見参も愉しい。
2022 4/6
* 朝、テレビ画面を出すのが不快。
地獄は、ウクライナ被害を背後の繪に、プーチンという人でなしが体現している。この世界化した文明の時代にこんな「鬼」があばれている、恐ろしいことだ。
何がここまで世界を引きずり込んだか。明確に明白である。按針保障理事会に大国に限って「拒否権」を与えた、いや自前な勝手でで握りしめた瞬間から、この「地獄」はもう予定されていた。頼みたい、頼むに足る 「神」をおろかな私は知らないのだ。それでも、「神よ」と思っている。ロシアはいずれ方面を替えてくる、そのときにウクライナとは違う口実でロシアは日本の「北」へ逼り、日本海へは北朝鮮を嗾すだろう、もはやだれしも妄想とは言い切れまい。過剰に謂うのでは無い、用心しよく備えててなければ瞬く間に地獄をみることになろう、韓国台湾はもとより、アメリカはおともたてず尻込みして去るだろう。日本はどうみても西欧をアテにできる一員ではありえないのだ。
* 「湖の本 157」の前半再校、後半初校が出てきて午后はそれにもかかっていたが、早めの夕食の儘に撮って置きの映画、今日は『台所太平記』を森繁谷崎先生を囲んだ淡島千景松子奥さんをはじめ懐かしいいろんな女優が演じる女中達の活躍を笑って過ごした。『細雪』とはえらい違いの映画世界だが、わたくしも、かすかにはこんな谷崎家を建日子と二人で訪れたことがあるのだ。
2022 4/7
* 夜に見た「源平」合戦史が興味深く、教えられた。日本史の「花」は何と謂うても「源平」やなあと思う。連続劇『頼朝の十三人』も楽しんでいる。
2022 4/9
* まだ八時なのに、機械の前で、ひたすら眠い。どうかしているのか。無理に起きていても仕方ない。
* 階下で寝支度のつもりで、いつも誘惑されている『忠臣蔵 瑤泉院の謀略』第二話に惹き込まれた。稲森いづみの瑤泉院が抜群に美しく宜しく、北大路欣也の内蔵助がまた好い。これは観入ると魅入られて画面の前で動けない。時節外れの忠臣蔵だがことに此の第二話は超級の魅力作、眠気も吹っ飛んだ。よく考えて創ったものだ、感じ入る。
2022 4/13
* 朝から、ひとり、『忠臣蔵 瑤泉院の謀略』第三部前半の「討入 本懐」をいつもながら感涙に濡れて観た。非常にと強調したいほど善く出来た、創造性の濃い優秀作。稲森いずみ(瑤泉院)と北大路欣也(大石内蔵助)とで為しまた成した熱い忠臣蔵で、義士切腹後にさらに瑤泉院の賢い陰謀の持続と達成が続く。棄てがたい、決して棄てない「撮って置き」ベストテン入りの巻頭作である。
午后、後半も十分満たされて観終えた。百度観ても、百度満足するだろう。
* 幸い「読み・書き・読書」に障りはないが、「憶え・忘れ」の停滞・顕著には困惑する。てれびを観ていて、好きな男優・女優が老若の顔には濃い記憶があり、出ていた映像なども思い出すのに、姓名を忘れがちになり、今夜も映画作品してはこぢんまりとかっちり出来た佳作なのに、女優の「宮澤りえ」は問題なく、ナレーションだけで『岸恵子」と分かるのに、主演で気に入りの男優の名が、妻もわたしも最後まで「真田広之」と思い出せなかった。それでも私は途中「サナダやなかったかね」と口に出てはいた。彼が出演で印象的な『阿部一族』という名作のあったのも憶えている。
2022 4/15
* 朝に、さまざまに愉快でない国際、国内のニューズをテレビで強いられる習慣を捨てられぬモノか。
2022 4/19
* 思いがけず、「撮って置き」で未見の映画『源氏物語』上の巻をさながら「絵巻」に見入る感覚で楽しんだ。かなり機嫌が直ったほど楽しんだ。下巻が楽しみ。
今日は、朝っぱらのトンチンカンで腐ったが、紫式部と光源氏にいたわって貰えた。源氏物語をまた岩波文庫の新版で読み返そうかと思うほど。何度目ほどになるだろう、ごく初期の与謝野晶子現代語訳、中頃の谷崎潤一郎現代語訳を読んだ七八度分を含めれば、二十度をラクに通り過ぎているはず、すみずみまで頭に入っていて、しかもまた新たな感想に浸れるのが再校最良のこの愛読書の親しさであって。ウン。映画源氏絵巻の下巻を愉し死んでから、また原典で読み返そう。
* 上下巻を通してまことに見事に源氏物語が深みの絵物語となっていて満足した。こういうのを観せてくれるとは。有難くも嬉しいことであった。
2022 4/21
* また故障かと疑うほど、外からのメールが無い。いや、朝には一通来ていた。返事も送った。
自転車を楽しみ、湯に浸かり、夕食後に、「頼朝の十三人」を観て、そしてまた寝入っていた。八時半。マコが、機械に向き合う手居る私の腕に抱きつくように伸びあがって来る。
このところ読書で楽しんでいるのは、ル・グゥインの『ゲド戦記』第一巻。浴室へも持ち込んで。もう一冊は『水滸伝』。上等の読み物です。
コロナのあまりに永い逼塞も害になりさまざまな疲れが五体に寄せてくる。寒さがにわかに暑さへも動いて障りになっている。自転車で三十分か小一時間も走れていたのは有難い。脚腰のためにも過剰にならぬ程度に習慣化したい。
と、謂いつつ。眠気が波のように寄せている。
2022 4/25
* 藤原不比等を語りあう、お馴染みの歴史談義が興味ふかく、も前の知識や理会をさらに整備できて宜しかった。いまわたしは、不比等からは「孫世代」の宮廷を想い描きつつある。さ、じりじりと前へ押して行かねば。
2022 4/27
* 夕過ぎから撮って置きの映画を二つも見た。さきに『遺恨あり』と。幕末から明治初期へ跨いでの、両親を惨殺された若い武士の、まあまあな「仇討ち」映画だった。
も一つは小津安二郎監督の名作『麦秋』を原節子、淡島千景、三宅邦子、東山千栄子、杉村春子、柳智衆らが好演した。原節子ものでも名篇というに値いした。
昭和二十六年の映画で、わたしの中学三年のとし。ラジオ屋だった我が家の店には、東芝だか日立だかの宣伝ポスターに原節子の美しい大きな写真があり、日々機嫌良くこの(?_?)かの美女を心底賛美していた。「青い山脈」「東京物語」「山の音」ほかなどなどの原節子映画には魅入られつづけた。
2022 4/29
* 夜分、寅さん映画に先代のの懐かしい片岡仁左衛門が五條坂の陶の名工先生として顔を出して呉れた篇を、しみじみ、例の寅さんの、そしてこんんかいは珍しくも情深くヒロイン自身の寅さんへの失恋という珍しい一作を、古い以前の「記憶」ともともども、楽しんだ。ヒロインの名をつい失念するのが残念な、「いしだあゆみ」だっけ、「丹後」漁家の女の、胸にせまる佳いヒロインだった。
2022 4/30
* 西欧のウ・ロ戦争が暗雲を極東ヘまで遠慮なげに広げてきている。つまりは勝手次第にさせて受け入れているだけの世界事情が、ますます病状を広げるか、快方へ向かうかに、この私の居も指一本も[働いて]」いない。「働け」ないままに「し続け」ている何もかも意味も意義も喪おうとしている。
ドラマ『頼朝の十三人』は、相当に持っている気の知識を裏打ちするように、凄い。日本史上の最悪と謂うに足る死闘の日常を、頼朝の時代、北条の台頭の時代は「血と生首」とで地固めし、「政子、義時」で手に入れ「泰時」で北条鎌胊時代を成り立たせた。蒙古来週に辛うじて間に合った。「義時、泰時」という父子は、日本史上傑出し力量発揮の具体的な政治家父子であった。鎌足・不比等も及ばない。「家康、秀忠」父子は何としても三代家光で仕上げられた。
2022 5/1
* 仕事しましたとは謂いにくい。少しはしたかも知れぬ程度で、夕食後は、撮って置きの映画、デンゼル・ワシントンとジュリア・ロバーツとのドキドキと怖い『ペリカン文書』を楽しんだだけか。なんだか機械での書字や改行等に故障が出ている。文字盤の故障かも知れない、何にしても難儀なことになった、自が簡明に書けてくれないと困る。
2022 5/2
* 和佳奈の寿司、そして妻と、オードリイ・ヘプバーン、ヘンリイ・フォンダの映画「戦争と平和」を、じっくり楽しんだ。
2022 5/8
* 韓どら『トン・イ』最期の大きな山を越えて、明日で終える。結局、三度目を観終えたことになる。
2022 5/10
* 韓国ドラマの『トン・イ』を観終えた。『イ・サン』とならび、日本勢のどれよりも感銘ゆたかに賞讃を惜しまない。さて今今の『頼朝の13人』対抗できるか。歴史の主役は謂うまでも無い頼朝でも義経でも無かった、姉の北条政子と緊密に組んだ弟の北条小四郎義時であり、次の泰時だった。承久の変で後鳥羽らを辺境へ流し遷して北条の執権幕府を主宰のママあの蒙古襲来に立ち向かう。かかる国難に真っ向闘い抜いたのは明治の近代まで、ひとり「北条」であった、秀吉の無謀な負け戦の明・朝鮮征伐以外には。
* 頼朝の何人であろうが、北条小四郎は、梶原景時も和田義盛も 残り無く関東武者の大方を滅ぼしてしまう。源氏の将軍三代頼朝も頼家も実朝も、北条との暗闘に敗れ去ったと読み取れる。日本の古代「平安」を中世「鎌倉」へ表札を替えたのが、北条政子と弟義時・その子泰時の恐るべき賢さであった。「信じる」という大度に欠けた源頼朝も、ただ戦上手な源義経も、脆弱の源家将軍頼家、実朝も、京の朝廷と公家に立ち向かう鎌倉武士の時代を膂力でかき寄せ得た「初期の北条」にはとても太刀打ち成らなかったのだ。
2022 5/11
* 夕方 撮って置きの映画、鏡花原作第一等の名作『歌行燈』を、美しくも懐かしい花柳章太郎と山田五十鈴とで、感動した。鏡花世界の確かさに泪がこぼれた。久し振り底知れぬ鏡花世界に身を浸し心奪われた。嬉しく、うれし泣きした。謡曲の、仕舞の、美しさに身震い。作の舞台の桑名の宿も懐かしかった、まさしくあの宿で招待を受けたことがあるのだ。
学研の選集『明治の古典』で、「泉鏡花」の巻は私が編選し、「歌行燈」と「高野聖」を選び、「龍潭譚}の口語訳も加えた。『古典選集』の方では「枕草子」口語訳を担当した。働き盛りであった。
* つづいて川端康成原作の映画『山の音』は、原節子と山村聰でありながら物足りなく、世界も展開も総じて、鏡花の堅固な絶景に比し、浅く薄く、私も妻も途中で投げた。
川端康成には、ことに晩年、昭和も果てるまでに、堅固な文学の部厚さ独特な世界観が浅く流れ、文藝の深い怖さがうすく、概して尋常な身の回りの「おはなし」に甘んじている。処女評論集『花と風』のなかで「川端康成」を「廃器の美」と極めているのを今も然りと信じる。
2022 5/13
* 昨夜はやや早めに機械を離れ、階下で、これも「撮って置き」愛板で映画『紙屋悦子の青春』を、妻と、深々と静かな感動を新たに、しみじみ、あの「戦時日本」が堪えた悲しみを、「戦時生活者」の静かさ優しさや気の励みを、追体験したことであった。
幾度も観てきた、そして感銘新たに、いささかも古びない。「劇的に烈しい」場面など一度も無く、しかも胸を衝く優しさ静かさを、悲しみと愛とが浸す。繰り返し時季を隔てては「出逢い」を重ねてきた。繰り返して云う、いささかの古びも馴れも無い。
午に、鏡花『歌行燈』の美しさ見事さに惹き込まれ、夕に『紙屋悦子の青春』に胸打たれ、これぞ「幸せ」というモノ。
その余の時間を大事に用い、書き継いでいる新しい創作を慎重に読み返し、前途を意図していた。
2022 5/14
* 晩、これも撮って置きの映画、すてきに優秀作『息子』を、妻と、しみじみ観入った。昨夜の名品『紙屋悦子の青春』と好一対の胸にしみいる立派な藝術だった。
2022 5/14
* 「頼朝の13人」の行く末は、ほぼあまさず承知している。三谷幸喜、よく描いている。西田敏行の後白河法皇が佳い。平家がほろび 義経がほろび 奥州がほろび、頼朝がほろび、源氏がほろび、新田と足利を漏らして関東武者達の多くがほろび、後鳥羽院がほろんで、北条氏の鎌倉時代になり、元寇を迎える。南北朝で北条がほろび、難聴もほろんで、足利路街時代が来る。痛いほどの必然が軸をなしている。
* わたしは、いま、それよりも遙かな昔を眺めている。書いて、描いている。
* 好きなヘンリー・フォンダ、リチャード・ウィドマークらの、やや異色の西部劇映画「ワーロック」を観た。もう独りの印象的な男の名が思い出せない。ヘンリー・フォンダとは先頃、ヘップバーンとの「戦争と平和」で逢った。ロック・ハドソンとジェニファ・ジョーンズの「武器よさらば」は途中で見捨てた。
2022 5/15
* 録画しておいた映画、マイケル・ダグラス、高倉健、松田優作らの実にシビアな秀作「ブラック・レイン」を、妻も惹き込まれ、わたしは三度目ほどの見参ながら、すこぶる刺激的に面白く見直した。此の手の作は二人とも好きではないのに、マイケル、高倉の緊迫の追跡、松田の不気味に凄みの手配犯人、最期の最後まで気を呑む仕上がりに満足した。映画で秀作と認めうる作は、どんなに描かれる大将が異なろうとも胸に突き刺さるように印象みごとである。優に文学の名作に拮抗して存在感豊かに面白い
2022 5/16
* 昨日妻と観た やはり撮って置きの映画「小石川の家」が素晴らしい名品だった。幸田露伴の蝸牛庵。露伴に森繁久弥、娘に田中裕子、孫娘に田畑智子。これはもう絶品の演技でみせる完璧の映像と会話。むろん何度目かを観たのだが、そのみごとな科(身動き)白(言葉)の美しさたしかさ、よくも名優の名演技をを選んで魅了して呉れた。演技派としては現代第一と躊躇いなく目している田中裕子の美しいたたずまいに心底から惚れ惚れした。森繁は謂うまでもない。二人になにもかも教えられての祇園の子田畑智子ちゃん懸命の初々しさにも惚れ惚れした。
* 当節の日本の文壇(在るのか無いのか)で、明治の露伴、鴎外、紅葉、逍遥、また藤村や漱石ほとにいったい誰が居られるかと、マルの外野から私はわらっている。自分がそうと謂うているのではありません、残念と思うけれど。
2022 5/19
* 永井荷風原作の映画『踊子』に舌を巻いた。不思議なほど、葛藤に満ちていながら胸の温まってくる勝れた文藝映画、同じ荷風原作を山本富士子らが演じた大作『濹東綺譚』を軽みで凌ぐ優秀作で、荷風が大事に持っていた「塩辛い情味」がいかにも切に面白い。 2022 5/21
* 『頼朝の13人』は、奥州での九郎義経覚悟の敗死に「もののあはれ」を極めた。いかに理由づけようと頼朝の源氏の命運もきわまったのであり、すでに北条義時の聡明と武断とが姉政子と意思通じ合い「鎌倉時代」を手に入れて行く。大河ドラマの主人公は小四朗義時なのだ。小説「雲居寺跡」はその流れに沿うて承久の変を迎える。
2022 5/22
*「頼朝の13人」 九郎義経の最期があわれであった。頼朝、義時という超級の策士の前で、戦上手なだけの義経はもろい好人物、判官贔屓という物言いが伝わって当然だった。吉野や安宅などの九郎判官場面をもう少し観たかった。
2022 5/23
* 「湖の本 157」発送作業 松たか子が力演、渋谷コクーンで演じた「ひばり」ジャンヌダークに聴き耳をたてながら、一旦の大方を終えた。き」少しく追加の作業をさきへ残しただけ。それはゆっくり。それよりも、もう「158」の初校が届いている、ということは相次いで次の発送用意をしなければならない。真夏仕事になりそう。
2022 5/25
* 昼過ぎか、独りでテレビをつけると、なんと久々に映画『おれたちに明日はない』の始まるところ。ボニーとクライド。凄惨な映画だが、もじどおりの「身内」に徹した運命の出会いと最期、わたしは、深く強く久しく心惹かれ続けていた。
観て、胸打たれた。出逢いに眞実があった。イヤにもキライにもトテモ成れない。また、観られてよかった。
2022 5/26
* 疲労困憊のママ、あの不幸な戦争へ『開戦まで』の内閣総理、陸海軍 天皇 そして米国側の 緊迫と迷走と開戦へ押し流された趨勢を映像で見ていて、ほとほと疲労を増した。またまた原爆へ、そして八月十五日、「日本の最も長かった」敗戦の一日を懺悔のように顧みねば済まなくなる。
戦争に負けて良かったとは思はねど
勝たなくて良かったとも思ふわびしさ 恒平
2022 6/1
* 午後、たまたま九段初老の男性白番と、若いと謂える女流碁聖黒番の囲碁を、本当に久々にじっと観戦した。打ち手が能く納得できて面白く、途中で立てなかった。懐かしかった。
* 囲碁は父が店先で客と、またご近所の小父さん等と隣の抜け路地で打つのを始終よく見ているうち父に手ほどきされた、中学時代。井目四風鈴からはじめて、果て果てはその父に四目置かせるほど上達した。勤めの頃、筑地産院の竹内院長のよくお相手をして、負けたり勝ったり均衡していた。その後は、相手もなく、書く方も忙しくなり、ふっつり遠のいて半世紀にもなるか。まだ勝負勘はのこってるようだと、烏鷺を争う男女の勝負に引き入れられていた。盤面が右往し左往する将棋は、テンでダメなのである。
2022 6/5
* テレビの「頼朝の13人」は興味と理解とを持ち楽しんでいる。おそらくは北条小四郎義時と政子北条氏により、源氏三代が滅び板東武者の殆どがほろんで、後鳥羽院が隠岐に流され六波羅探題が京都の公家方を抑え込むまで、展開するはず。平安から鎌倉時代へ、平れ゛んじから北条の執権の時代へ絶好の「歴史変」が描かれる、佳い観点だ。小四郎、政子が佳い。よくやっている。
2022 6/5
* 韓国ドラマで犬蠱とう呪いを見せていた。犬か…。
2022 6/10
* 『頼朝の13人』 その「鎌倉殿」頼朝が心身ともに、もう死に果てた。死ぬのは万々承知でいて、本格のドラマは、この先に成る。冷静無比の小四郎義時と政子北条氏弟妹のししたたかな時世との共闘が始まる。後鳥羽院が完敗して、北条は次々に関東武者たち制圧の時代を仕上げて行くだろう。
大泉の「頼朝」は強烈に判りよく出来ていた、大の好演だったと頌えて善い。
2022 6/26
* 『神曲』は、まだまだ手強い。ダンテの昔の、当時に実在した著名な死者達に触れた知識をほとんど持っていない。ま、どんな本も、ミルトンもゲーテも、もとは手強かったが、胸を開いて繰り返し近づくことで作世界へ馴染んでこれたのだ。
しかし創作ではないシュヴァイツァーの学究『イエスの生涯』となると、基督者で無く、聖書をうわべの知識としてしか読めていない私には、「理解」の手がかりが余りに少ない。私には「時期尚早」と断念しかけている。
その点では史書としての『史記列伝』講釈本としての『水滸伝』夢想の『遊仙窟』など中国古典は、私自身の背に、世界に冠たる「詩」と「漢字」世界への敬愛・傾倒を負うて読んでいるので、大いに親しめる。ただし、私自身の不埒ゆえか、老子、莊子、論語とうとう道學の方面へは手を引っ込めたままでいる。
今、知りたいのは、朝鮮半島の詳細な「全史」が日本語で読めるなら、とびついて勉強したい。ナニ、殊勝なはなしではない、わが家では日本勢のチャチなドラマに飽き飽きしていて、韓国製と思われる大作「い・さん」「とん・い」 いま、とりわけてペク・カンヒョンの「馬醫」などを、それぞれ少なくも二度以上も愛して見ていて、自然とこの國と国土の歴史が識りたいなと願うのである。幸いに「古代史」のよく出来た大綱ほんは持っている。中近世の深切な教科書が手に入らんかなあと。
2022 7/1
* 何故とも無く、けれ゛観たいとははっきり数の中からえらんで、先に、リチャード・バートンと若いクリント・イーストウッドとの『荒鷲の要塞』を観た。ま、記憶のママだった。ついで『エディット・ピアフ 愛の賛歌』を零時までかけて二人で見入り、聴き入った。胸がはずんだ。
録画の板は惘れるほど数あるが、なかにはもう現在使用の器械で再生できないと云われるのもでてきた。「観たい」のを選び出すのも数の内から探すのでややこしく、手当たり次第に掴んだなかから選ぶかない。今回は配役に惹かれて『荒鷲の要塞』そしてなにりも『ピアフ』の歌に再会したのだった。
2022 7/1
* 夕飯の前後に、トム・クルーズがベナム参戦で脚を喪っての帰国兵を演じた映画『七月四日に生まれて』を、最大最高級の賛意と感動とで、息をのみ言葉も喪い見入った。完璧の映像による「戰争否定」の主張だった。ただし此の映画ではアメリカの若い兵士が、あまり理由の無い海外での戦線で傷ついていた事実を見落としてはならない。もし彼が、自国の国土と国民とを盛るために戦っていたなら、別の視野と視線をもたざるをえまい、現在のウクライナのように。
2022 7/4
* 二本の手へ十本の手が握手を求めてくる感じ、気の動いて仕掛けもついてある「書き仕事」が幾つも「お手を拝借」と誘ってくる。どれも払いのけるワケに行かなくて目が舞う。映画など観ているなと𠮟られても、これまた観るべきは観て栄養を摂るのだし。 2022 7/4
* 映画『リトル・ダンサー』 素晴らしいラストシーンへ向けて一路しみじみとした感動作であった。
2022 7/5
* 早めの夕飯後、今度は『ウエストサイド物語』マリアとトニーのダンスホールの出逢いまで見惚れていた、が、二時間ほど寝入っていた。寝入るのが名人技になっている。
* 妻も寝入っていて、わたしは二階から降りると、独りキッチンに入り、長谷川一夫以下、先々代中村鴈治郎や鶴田浩二、京マチ子、若尾文子ら懐かしい大物等が総出演の『忠臣蔵』後編を夜更けまでたのしんだ。
、むろん名品に限るが佳い映画に心から魅入られ得ることをわたしは、ま、心身の健康の証とよろこんでいる。感動することを大事な「仕事」なみに観ている。
2022 7/5
* 昨日、半ば観ておいたノーカット映画『ウエストサイド物語』後半を、泪を払うようにしてシーンの一つ一つに賛嘆また感動しながら観終えた。ダンスの面白さ、歌う美しさをわたしは此の名作映画に教えられた、今回でほぼまちがいなく五、六度めを、新鮮無比に賞讃しながら観終えた。感性が、まだ、全身に拍動する嬉しさも味わった。選び抜いてある謂い映画を繰り返し観るのは、私には嬉しい「仕事」の一つなのだ。
映画藝術の「魔」のような魅力を、日本人で最初に受け容れ理会してご自身も製作に関わろうとされた谷崎先生の、まちがいなく私は門生である。
* 佳い「創作」にはためらいも紛れもなく、真率受け容れて感銘し驚喜できる「感動」と謂う才能の生きてあるかぎり、数で数える年齢は表札に過ぎない。
2022 7/6
* 夕刻から晩へかけ、また一つ、クリント・イーストウッド監督描く感動の映画『インビクタス 負けざる者たち』に共感し、胸熱く緊迫の内に愉しんだ。
祖国「南アフリカ連邦」を傷め続けてきた久しい白人の黒人差別、アパルトヘイトの中で「三十年もの監獄生活」を強いられて来たあと、ネルソン・マンデラが敢然、初の黒人大統領に占拠で選ばれ、新しい健康な祖国を創造すべく誠心誠意の人間力で、国民的なスポーツ、ラグビーの代表チームを後押しし、大きな国際競技会で激闘の「優勝」へ盛り上げ押し上げた実話だ、名優モーガン・フリーマン演じる「大統領マンデラ」の率先で、まこと立派に「感動」そのものが描かれていた。豊かに美味な名作映画で、また一つ、心身の栄養が得られた。感謝。感謝。
2022 7/6
* 昨夜、就寝前にまた素晴らしい映画を嘆賞した。谷崎潤一郎の、五百年に一度のと賞讃された『春琴抄』の映画化で、春琴に山口百恵 佐助に三浦友和。その、のけぞるほどな「初々しく美しい、恰好の名演」に「最良の好感」を得た、演技にも構成にも映像にもかなり口五月蠅い私が息を呑み続けた。これ以外の春琴も佐助も無いと、しみじみ降参し感嘆した。原作も完璧、以外や映画化にも立派に成功していた。
トウの大昔に録画はしてあったのだが、春琴と佐助を誰が至妙に演じられるものかと端から見放していたので、この「板」で演じている主役達の名も知らぬまま、もう何十年も放ってあったのだ、百恵といい友和といいなんといううら若さ。『伊豆の踊子』でも好感を得ていた最愛のコンビではあったが、春琴、佐助が演じられようかと予想だにしていなかった。私の負け、降参した。谷崎先生はご覧になっていないが松子奥様は満足されたので歯無かろうか。
嬉しい、有難い、最良の出逢いであった、なにもかも、と。
2022 7/7
* 夕過ぎてから、半ば勉強のような関心で、リチャード・バートン演じる長編映画『アレクサンダー大王』を観終えた。マケドニアからギリシヤ、ペルシャさらにき印度までの長征の人生、これは参考までに視野にしかと認めておきたかった。
2022 7/7
* 宵の口、観たくなって、映画『ジャンヌ・ダルク』のランスでフランス王戴冠式までを観た。そのあとは不快なので、観棄ててきた。わたしが本格のジャンヌ・ダーク映画を観た最初は、敗戦後の新制中学三年のとき、全校の映画鑑賞が発の総天然色映画に見参のイングリット・バーグマン主役で、痛く刺激をうけた。以降、二、三作も観て来たろう、松たか子の舞台『ひばり』も観てきた。
ただ、わたしは「ジャンヌ・ダーク」の「神」へも、英国による火炙り裁判の教会や坊主たちにも憎しみに近い疑問を持ち続けてきたので、戴冠式以降まで観つづけるのもイヤなのである。ジャンヌに関する限り、神などどこにいるかと、公教会にも英國の國教会にも不快を今も感じている。
* そんな映画『ジャンヌ・ダーク』よりも、午前に独りで愉しんだダンスと唄のすてきに愉しい『ロシュフォールの恋人たち』また『ファビュラス・ベーカーズ』の連弾ピアノに加えて大好きな女優ミシェル・ファイファーの「うた」 の巧さの方が、何層倍も快く満足した。
* 食もノドを通らない、あたももたげられないほど疲れていながら、映画だけは愉しんでいる。幾らでも、すてきな、撮って置き佳い映画の板がある、和・洋ともに。映画館へ行ったことも殆ど無いに同じ、行きたい思わないが、家出映画を観るのは「読書」同然に好きである。好きなものが在ると、どう疲れ切っていても、集中できる。『元史日本伝』なんてシナの本でも、私は面白いし読んでいると疲れ忘れている。
2022 7/12
* 無茶に右肩が凝って痛む。なんで、と、思い当たった。夜前の寝入りばなに、ふと、目に付いた重い全集本のうちの『保元物語・平治物語・承久記』を寝床へ運んで、重い本を上へ、右へ、左へと持ち換え持ち替えながら『承久記』を読んで仕舞ったのだ、私の小説『資時出家』や『雲居寺跡』の背後にあった事変であり、史書である。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が、もう小四郎義時と後鳥羽院と承久の衝突へと立ち至っている。
私は昔から和歌の詠めない後白河院には惚れ、歌は巧いが後鳥羽院は嫌ってきた。軽蔑すらしていた。いまドラマの主役北条小四郎義時は、なかなかの、なかなかな、男なのだ、ドラマよく「表現」している。
承久の変は、初めて関東が京都をブッとばした政変であり、後鳥羽院は隠岐へ押し流される。天皇の配流は崇徳院に讃岐への前例があるが、隠岐の島へとはもの凄い。賢い義時はそれを敢行し、聡い泰時との二代の「執権」政治で「鎌倉・北条時代」を生んだ。時頼を経てあとへつづく北条時宗は、元寇、蒙古襲来を凌いでくれた。
が、此の本、興深く面白くても、寝て、手に捧げ持って読むには、重過ぎた、あまりに。
* 鎌倉殿「二代」頼家の問注所めく取巻きが、三、四人から、我も我も彼もと勢力睨みで「十三人」にも及んでゆく馬鹿らしさだか、京の後鳥羽院が輪を掛けた早とちりのお馬鹿で、一気に京と鎌倉との「ばか比べ」になるが、小四郎義時と御台所政子とが賢くリードし、武力の喧嘩にははるかに秀でた鎌倉方が、腕ぢからも無い京都側を もうまぢか、圧倒して行く。
* 永く愉しんできた韓国ドラマ『馬醫』が、目出度く終了した。何と言っても「医療」「診断」「手術」の劇には、身に迫る期待や共感が体験からも、ある。群れを嫌い権威を嫌い束縛を嫌う外科手術の名手『大門未知子』の早い復活を期待している。
* こんなのに比較し、教団に斃れたは無惨ながら、延々とウソ八百金ピカに威張っていた元総理の「国葬」とやら、厭悪の唾を吐く。「吉田茂」にケチはつけなかったが、夫妻して国政を歪め汚してウソぶいた「安部晋三」ごときに「國」の名を冠したくない。
2022 8/20
* 親分を失った「御家人達」が大騒動の「安部跡目の13人」を演じていると報道されている。嗤えて、笑えない。いっそ外のか内のか、ナントヤラ協会から「カマクラ殿」を招聘しさらに奉仕するのでは。抜群にじつは賢こかったあの北条小四郎義時は、自身は「執権」職に身を退いたまま、体のいい人質なみに京都から公家や皇子を「将軍」にと請け出してくるよ。
2022 7/22
* 床に就くまでを尾野真千子が秀逸に演じる「夏目漱石の妻」鏡子の「悪妻」どころか懐かしい人と爲りと執り成し、漱石の奇態なほどの荒れた存在感と黒い猫の貢献とに、われわれ夫婦して、笑いも泣きもして魅された。
2022 7/22
* 夜前 尾野真千子秀逸の『鏡 漱石の妻』についで、宮沢りえが祇園大友の女将を演じた『漱石悶悶』を妻と楽しんだあと、ふと脚の浮腫みを感じたので、妻の処方されていて先日も顕著に(過ぎたほど)効果のあった錠剤の、一錠を半分に割ってもらい服しておいた。平生、夜分にと処方されている私自身の利尿剤も一錠服しておいた。二,三度も手洗いに起きたか排尿量の多かったこと、そして明けがた右脚の痙攣で跳ね起きた。幸いにいつも枕元に用意の茶をガブ呑みしてですぐ収まり、手洗いの後に測った朝の体重は「おう」と声の出た軽い数字。
脚も、ほっそりしていた。
* 何を何していたとも覚えぬほど、ま、休息したまま、大相撲の千秋楽、応援していた「逸の城」初優勝のインタビューまでを愉しんでいた。「照の富士」にも「隆景勝」にも勝たせたかったけれど、平幕で、とかくその茫洋の風情が安く見られているのも気の毒で、初めて土俵姿を見た以前から「負けずに頑張れよ」と眺めてきた。前にも一度優勝しかけた場所があり、可能性は優に持った「大きな力士」と認めて、茫洋の風情佳いではないかと贔屓の一人にわれから任じてきた。拍手を惜しまない。
* それにしてもコロナ禍に塗れた今場所だった。
全国でも都でも日々新感染者の人数は怖いほど激増していて、それは放置に近いまま、「経済」本位政策とやらの、要は「対策放置の暢気なお手上げ」のまま。万事「対応の適切」を擲つことにおいて自民政権は厚顔無恥である。
2022 7/24
* 夜前、床に就くまで妻と観ていた日本映画『まあだだよ』は、少なくも三度は観ていて、いつもアハアハと笑い面白がっていたのに、今度はそうはいかなかった、激しい違和感に悩まされ続けた。内田百間「先生」らしき底抜けの「お人」とそれを上回る青壮年の「学生たち」との超善意に溢れた浮世離れの幸福な「作話」世界が、昨夜ばかりは疎ましいまでに重苦しかった。画面から逃げ出したかった。
「まあただよ」が「もういいよ」へ近寄ってくるのを懼れてか、そこまでは踏み込まなかったが、縦横無尽に底の抜けた善意と哄笑との画面が、時に肌に粟立てた。ほとんど逃げるような気分で床に就いた、床へ遁げた。
2022 7/25
* あっとうまに、正午まで寝入っていた。一時から、韓国連続ドラマの『花郎(ファラン)』を観ていた。蒙昔と謂えるが買い置いた『韓国古代史』上下巻のなかで「花郎」を説き語っているのを印象的に覚えていた。貴族社会でも見栄えのいい青年達を「花郎」と名づけ國力として組織していた。面白い発想だと思った。日本では出来まい。
2022 7/26
* 『剣客商売』の秋山小兵衛。藤田まことが、さきの大戦での「戦犯 被告」元陸軍中将を演じた『明日への遺言』に、しばし慟哭した。敗戦の日が近づくと私は「勤め」のようにこの類いの「戰争・敗戦」証言映像に心身を晒すのを「心がけ」としている。
目を覆う名古屋絨毯爆撃の米空軍兵が一部討たれて着地「捕虜」となり、日本軍に斬首されていた。その方面軍司令の岡本陸軍中將を裁いたのであり、国際法廷は緊迫に満ちてしかも被告の平静沈着な答弁は、見事な節度と決意とに充ち満ちていた。岡本は死刑を甘んじて受け容れたが、同じく部下数十名の死刑を救い、凡てが減刑された。深く頭を垂れて、熱く泣いた。
2022 7/27
* 一日のお終いに、ルトガー・バウワーと好きなミシェル・ファイファーとの大好きな映画を観ていた。何度も何度も観て来たのに、新鮮な感動と嘆美のおもいで観終えた。 2022 8/2
* 英国製 空爆変態飛行の映画を 手に汗して妻と観た。
2022 8/3
* コロナ用心、酷暑、夏休み と重なって、印刷所での仕事は捗らない。ガマンして、待つ、待つ、待つ。読書があり、撮って置きの映画が在る。創作の前進を一に努めたい。浩然と努めれば良い。昨日から今日へ観た『ウォーター・ワールド』ケビン・コスナーとデニス・ホッパーがしたたかな女子役と競演して、なかなかに「懐かしい」海洋の映像だった。ノアの方舟も連想させながら現代映画として工夫と技とが利いていた。広大無辺と見える海洋の大いさの果てに「土」の島が見える歓喜は判るよという心地だった。
2022 8/9
* 晩に観た映画『ヒトラー 最期の12日間』は再見でありながら、強烈に度肝を抜かれ掴んで投げられるほどの驚愕とある種切実な深い感動に圧倒され続けた。観たのは二度目などというぬるさは微塵もなしに、圧倒され続けた。佳いもの、価値ある映像で強烈な人類史の数頁と出逢う簡明に痺れた。ヒトラー相当を演じたのは、ブルーノ・ガンツか。そんなことは問題にならない。奇蹟ほどの秀作と謂いきって躊躇わない。
2022 8/10
* 夜前 根掛けに妻と観た映画『ひまわり』は、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストラヤンニが美しく辛く哀しく競演した戰争悲惨映画の一極点で、名品であった。ソフィア・ローレンの個性的に厳しい美貌が戰争そして気象という残酷な惨事の本性をえぐり、しかも画面は終始一貫して悲壮に美しかった、美しすぎて哀しくむごかった。
* 日本国が敗戦したお盆が来る。この日へは、あたかも「義務」かのように私は國の運命を左右した劇的最期への歴史映像を,強いても目に胸に焼き付けて忘れまいと心身を格す。もう多年そのようにこの日を迎えてきた。
と、云いながら、午から観たのは、歌舞伎「川庄」一場、坂田藤十郎 中村時蔵 片岡我當の、実に実に華マル五樹マルのみごとな名場面。懐かしさにも、泣けて泣けてしかも浪花芝居軽妙のにわかにも笑えた笑えた、最高級の近松歌舞伎を芯から心底堪能し、嘆賞し、賞美してじつに幸せであった。
「川庄」ではもはや上を望めまい最優秀に完成され尽くした舞台。弥栄中・同志社をも共にした片岡我當クンの最高の芝居を観た。おお懐かしい。ああ何というあの藤十郎の完成され尽くした巧さか。
素晴らしい舞台を、ほんとうに、よく録画しておいた。最上の宝と思える。
2022 8/14
* 韓国の時代劇『花郎』は『い・さん』『とん・い』『馬醫』にくらべると散漫としている。その点、珍しいまで『鎌倉殿の13人』の運びは、予備知識があるだけに、なかなかに魅せて呉れている。小栗旬演じる小四郎北条義時の成長傳とトも見られる事の運び。迫力が出てきている。すでに、往年の義経はじめ梶原や比企がもう討たれている。これからますます彼は鎌倉「北条」時代の確保のために同じ御家人、仲間であった板東武者らを死なせて行くだろう。
この時代には、『中世と中世人』このかた関わり続けてきた。「歴史」の湧く時代へ進んで行く。
もう一方では私自身が書き進めている妖しく怪しい「歴史」ともしかと付き合わねば。
* 山田五十鈴が十七歳でデビした映画『祇園の姉妹』の舌を巻く熱演。祇園には、言葉も習もいも、育ちが祇園の真隣りで幼来何とは無く通じているが、五十鈴の桁はずれな好演にはただ驚く。祇園の女も女だが、入れ込む男どもも、なんともやりきれない男どもである。
2022 8/17
* 少年の昔に聴いたことが有り、いいことだと寒心した。フランスでは、国語の美しい正しさを「放送局」の放送が努めて守っているのだと。佳いこと、そうあって欲しいものと思ったのを今もそう願いつつ忘れないが。近年の日本のテレヒ「放送・放映」関係者らの「日本語」を、率先して汚し乱してくれるのには情けなさを禁じ得ない。「日本語」を「日本文化」としてまもり育てる責任感など、率先して放送局が放置放擲している。
天皇さんの「お言葉」なる習慣を是非する気は無い、が、「お言葉」集はかちある「日本語」の模範としてもっと意識されると佳い。
* 「湖の本 159」初校が、やっと出た。取り組んで、気を励ましている。いきおい、続く「160」へも鞭を入れて行く。
* もう、幸か不幸か国内外の政治動向に、関心はあっても、それへ「もの申す」前に残年をはかりながら、して置きたい、し残している、ことに「思い」を向けたい。所詮人とももう会いも出逢いもしまい。私自身へ帰って行く道のりを推し測りなが、出来ることをしておきたい。話しかけてくれる人とは機嫌良く話し、しかし、もう私から話しかけることは無くなって行くと思う。
今度の「湖の本」巻頭には「花筺」を置いた。気散じに摘み置いたあえかな花、草花たちを筺に入れたまで、そんなは無数にりそう。もうおしゃべりの元気は遺っていない、ひとりごとのように「花筺」に、たとえ花びらに過ぎずとも拾い摘って上げようと思う。
* 日々十数種の本を読んでいて、しかもそれをさの灯しめくくれるのが、結局『源氏物語』だというには、驚く。「末摘花」まきのようにワキの巻を読んでいてさえ、そうなのである。
2022 8/19
* すこし躰をやすめ気味に、午前は少し寝入り、午後は韓国ドラマ『花郎(ファラン)』最終回を観、そのまま映画『フィラデルフィア』を観終えた。映画はトム・ハンクスがゲイの性関係からエイズにかかり、弁護士事務所を解雇されたのに抵抗の裁判劇で、デンゼル・ワシントンが弁護にあたっていた。あまり気味のいいものとは云いにくかった。差別被差別の問題以前に私はこころよくは受け容れにくかった。同性で親友、仲良しの友愛は世間一般の望ましい当然であるが、同性の「性行為」分かち合うしまでは、共賛はしない。神も自然もそれは自然にあらずとみているのでは。
* 若返れるとしたら、私は白行簡の説く『大樂賦』のようでこそ、ありたいもの。
2022 8/23
* 今晩の映画なみのどらま『天地明察』は例の呟き科白の聴き取れ無さをがまんしても、天文の安井算哲夫妻和描いて秀逸であった。少しく機嫌を直した。、
2022 8/24
* シルベスタ・スタローン版で、別に、スティーヴ・マクイーンも別に主演したことのある映画『大脱走』が愉快だった。ドイツ軍と捕虜の連合軍とでサッカー試合の結末に「大脱走」が成功する。
そんなことが事実あったのだろうか。ともかく血沸き肉躍る類いの一種の名画であった。
2022 8/25
* 前夜、寝がけに独りであれも西部劇というのか、ベテランのスペンサー・トレーシー主演『折れた槍』を観た。主役は「馬」と想うほど馬上の超絶疾走シーンが爽快で目を瞠った。ま、それだけとも謂えるが先住民族との結婚やその子の体験する葛藤にもののあわれも滲み、佳作と謂えた。
2022 8/27
* 『船を下りたら彼女の島』という瀬戸内「しまなみ」へ東京から帰省の娘の一週間を描いたしみじみと静かに、情感を美しく湛えて大好きな映画を、午前に、またまた観た。『紙屋恭子の青春』とならんで最良の仕上がり、気持を優しく沈めたいときは最上等の藝術作。帰省の娘もいいが、二年ぶりに迎えた両親の心優しい静けさに胸を打つ情愛がにじみ、それが「しまなみ」の静かに広やかな景観と討つ串間馴染み合うていた。大杉縺と大谷直子であった。
2022 8/27
* 前夜は、宵に、荷風原作『踊子』を、気に入っている若い顔ぶれでしんみり妻と嘆賞し、もののあはれの舞い立つような美しいラストシーンまで、楽しんだ。舞台は浅草、若い楽士、姉妹の踊子、筋書きとしては察しも早いが陳腐に堕ちず、妹の小を姉が貰いうけ、夫にした気立ての柔らかい楽士と育て上げる。どこをどう流れわたってか、ひょっこり、田舎住まいの姉の家族をおとずれ、わが子とわかる子の頬に手を添え、ふたりで歌歌っておどりながら妹はまた独りで立ち去って行く。胸にしみるあかるい絶景、もののあはれ。産人の存在感に実意が生きる。あねは、カタセ・リナと謂うたか、デビューの昔から今も贔屓の達者な女優。「一存在」として場を占めている。妙に愛らしく幼けない妹踊り子の名を覚えられなかった。荷風先生を、また読みたくなった。荷風映画としては山本富士子の『墨東綺譚』より、此の『踊子』もののあはれの眞実感を買う。
* 夜には、スリルに満ちた戦中活劇を、こういうのは初めてという妻と深夜まで見入った。私は少なくも二、三度目だが、何度見ても新鮮なド迫力、妻も感心したらしい。情けないことに、題も、主役の名も、わずかにまだ若かりし脇のクリント・イーストウッドしか思い出せない、いや、題は『荒鷲の要塞』だったか。主役は、顔ははっきりしているのに、名前が思い出せない。(リチャード・バートン) なかみは、よく覚えていたし、忘れないだろう。あれもまた観たいと思うスリルとサスペンスの同類作が幾つかある。
* うちで、板で観る映画は尽く「撮って置き」。優に250枚異常がえり抜いて録画してある。映画館で支払って観てたら破産してしまう。
映画/・映像、ほんとうに好き。これなしで、読書だけで凌ぐにはコロナ禍逼塞の三年、永すぎる。まだ、明るい展望は見えない。
2022 8/28
* 「鎌倉殿の13人」が陰惨になってきたのは史実を違えていない。願わくは、独り合点の「呟き科白」はやめてほしい、聴き取れなくてはハナシに成らぬではないか。
2022 8/28
* 夕方、ローレンス・オリビエの悲惨を極めた映画『黄昏』に、グッタリした。
2022 9/2
* 妻も「疲れ寝」のあいだ、独り、映画、メグ・ライアンとデンゼル・ワシントンの『戦火の勇気』を観ていた。、二、三度めか。やや無理のある作だが、胸に刺さってくる最前線の戦火と兵士らの葛藤の苦さ、険しさに惹き込まれる。苛酷な戰闘と名誉や勲章とのとても割り切れない統御や隠蔽や虚偽の凄みに胸を押された、観ていて。
2022 9/2
* 疲れました、ほとほと。しか前進したので、いよいよ次の発送という力仕事の用意にも取り組まねば、そして創作の二、三も、じりじりと。今日は早起きだった、午前を永く使って、とても早じまいとは行かぬが、午睡時間が取れるようにと気遣っている。「読書」は楽しみでり、且つアタマの体操の意味合いも。せいぜい映画も観るように。佳いこと好いこと、楽しむことは「クスリ」と。
2022 9/4
* 何とはなく休み休みし、映画『戦場に架ける橋』を久々に楽しんだ。アレック・ギネス、ウイリアム・ホールデン、早川雪州。一つの名作たるを喪わない。
2022 9/9
* 九時半まで眠っていた。十時過ぎ。スターリングラードでの激越な独ソ狙撃戦を見かけていたが、火傷したように両上腕赤く痛く。十一時には映画途中で切り上げ、寝入る。
2022 9/10
* ソ連とドイツとの狙撃手が凄まじい死闘の映画『スターリングラード』を観終えてきた。胸に灼ききついて到底忘れられぬ作、エド・ハリスがドイツ軍少佐としてソ連の狙撃手と熾烈に撃ち合う。「戰争」の凄み、それももう前の戰争までの死闘というモノだろう、これからの大戦争ではもっとマスの死線が一気に展開するのだろう、とはいえ、こういう市街戦も有るに違いない。空しい限りの殺し合いに「美学」をなど看取してはならない、無惨な人間同士の只の殺し合いに過ぎぬ。戰争に「美学」を持ち込んで感嘆など決してしては成らない。
2022 9/11
* 「鎌倉殿の13人」がいよいよ「イヤ味」に煮えてきて、怪しげな内輪もめめく「陰謀ヒマなし」ということになる。鎌倉と京都。このややこしい楕円の二つの芯がもみあえば、刀を抜かぬ限りは都の陰険が揺さぶり上手に毒を使い、血の雨が、西に東にもう今にも降り出す。この時期の陰湿を目立たせるのは蔭の女達。板東武者が概してアタマのわるさで、女達のワル智恵にしてやられるだろう。めったに無い、宮澤りえのと時政妻が陰険振りの臭みをまき散らす、だろう。
2022 9/11
* 「マリリン・モンロー」らの怖い、しかし瀧の凄い映画『ナイアガラ』に釘付けにされた。その間にも寒けや嚔で震えた。
2022 9/13
* 夫婦も体調宜しく無く、休息と謂うより、終日ダウンのまま、食べるものも食べないで過ごした。妻は寝込み、わたしはせめて巻き寿司でも注文しようかと思ったが電話番号が分からず、食べないまま映画『地獄の黙示録』をひとり観ていた。初めて見たときから気になる作手、マーロン・ブランドの登場が底知れず凄いのだが、りかいしたともまた言い切れぬまま独りで観終えた。
2022 9/22
* テレビでは、韓国ドラマ「緑豆の花」が、我が明治期朝鮮支配への抵抗の歴史を苛酷に描いて見せている。比較して、報道は、バカゲてつまらない。旧統一協会の霊感商法に乗せられつつ選挙支援を頼み続けていたあの安部晋三系自民議員らのていたららくを報じるばかり、その先へは進まない。経済も外交も興産も豊富な教育環境も、みな、犬のクソのよう。なさけなくてアホラシイばかり。
2022 9/23
* いまさき、シンドさを躱したく、テレビで撮って置き『ダ・ビンチコード』を見かけたが、実に手厚く凄みの画面なので、体調が耐えるとき見なおしたいと、消して、この機械前へ上がってきた。
昨日、妻の寝んでいるあいだに、独り、これぞ凄い映画『地獄の黙示録』に、二、三度目か、惹き込まれた。
* 私は、重量感に富んだ凄みと厚みの映像ないしは創作を心から愛する。文學と映像との「重み」は墓って比べられるものでない、が、いまも読んでいるドストエフスキー『悪霊』や紫式部『源氏物語』 また西鶴、近松、鴎外、露伴や藤村『夜明け前』や直哉『暗夜行路』や潤一郎『細雪』や康成の『雪国』や三島の最期作等々、映像とそのまま比較は出来ないが魅力の「重み」を湛えていた。佳い物は佳いし、佳い創造が願わしい。残年の乏しさを思うと、むねが痛くなる。
2022 9/23
* 映画『ダ・ビンチコード』を見・聴きながら、残っていた発送ようの宛名カードを封筒に凡て貼り込んだ。これで、「湖の本 159」納品されても待ち構えて送り出せる。
2022 9/24
* 映画『渚にて』に、心底、戦慄。グゴゴリー・ペック、エバ・カードナー、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンスら、。
遂に各国からの競い合う必至の「核弾頭」「核施設・原発」の攻撃・爆発、攻撃・爆発、攻撃・爆発。死の放射能に被われた北半球は、米英露中、もとより日本列島も壊滅・死絶・消滅のまま空を覆うた放射能は中将を赤道越えに南下、やがてオーストラリアに逼って市民の「死害」は既にはじまり、市民には賞にまで例外なく苦痛カルキ瞬時の死薬も配布されている。北米ではすでに、一例ながらサン・フランシスコが「絶滅死・死の静寂の大都会」と化しているを、辛うじてオーストラリア潜水艦が潜望鏡で遠望し得ている。逼る放射能に怯え、潜水艦の他に、それも僅かにしかもう生きのびる場が無い。むろん「生・活」も無く、もう愛も結実しない。
* こういう「時危」が「来る」のだ、プーチンのようなバカが、世界を我物視せんと権勢と核兵器を誇示し果ては乱用の限り、もう、やがてにも。
凄い、こわい。言葉失せたような静寂でリアル感に凍った映像。膚も冷える優れた映画映像だ。
ありえない空想と、誰が言えるか。言えないことをこそ、心ある誰もが察し悟っている。
* 日本列島、まずは萬危を警戒忌避し、新原発の増築はおろか、現原発の何とかしての撤廃を真剣無比に政策し実行すべく、もう早や遅きにすら失した気さえする。。
なにが不沈空母なものか原発を三基ねらい撃てば日本列島は地獄ぞ
と、私が呻いたのは、2011年8月1日(歌集・光塵)、優に11年も以前。
11年経て大丈夫ではないかとうそぶく人もあろう、愚かな。
日本海には、いや太平洋へも、敢えて云えば東京湾や瀬戸内、大阪湾にも、日本列島に食指の他国ミサイル潜水艦は近寄れなくない、現に日本海へ近寄り、みさいる発射の砲撃訓練ないし威嚇も為されている。
2022 9/25
* しんどくて、起きているのもよくよく、嚔も連発し洟水も垂れお話にならないが、生きのびるしか無いではないか。『鎌倉殿の13人』を観て、本気で床に就いた方がいいだろう、脚の痛みが下火にいて欲しい、が。気分としては昼に観た映画『渚にて』に刺激された怯みに負けているよう。
* もう一度、妻と、映画『渚にて』を観た。当然のこと、やはり衝き動かされた。フィクションなのは当たり前、しかもこの自分ともろとも大地のめり込むような深刻な懼れと怖さで藻掻くような心地を、ハッキリ二度とも味わった。誰にも残りなく観て欲しいと思う。
2022 9/25
* 映画『渚にて』 日本中の 高校・大学生・青年諸君らに先にも早くにも観て歩モノを思って欲しいと痛感した。妻も同感だった。アンソニー・パキンス演じる若き潜水艦大尉を見送って美しい妻と赤ちゃんとが死の別れの薬物を夫から受け容れる、悲しさ。
たいていの映画は映画だと承知し自分とは距離が置けているが、『渚にて』は、そんな気休めが私にも妻にも許されていないほどの切迫、怖いと思った、今まだ怖い。一月後には、日本も、東京・京都も、この下保谷もこうか、とまで想えてしまう「現世界」の壊れかけた日々。プーチンはまたまた新ため、ウクライナないし西欧への核兵器使用「ハッタリではないぞ」と脅している、今朝も。世のなる果てまで見届けて死んでも、私も妻も、ほぼ生くべく永く生きのびてきたが、若い人には、健全にハツラツと不安なく長生きさせてあげたい、この地球もいたわり愛して皆が銘々に生き続けて欲しい。
2022 9/26
* かつて無いほど嬉しい美しいほどの夢を観て、そのまま目覚め、床を起ち、キチンで茶を入れ、白粥を温め、ヘプバーンと、ヘンリー・フォンダらの「安定したリアリティー」を確保した映画『戰争と平和』の始めの方を観て心落ち着いていた。そして七時、二階へ来た。
2022 9/28
* 卒倒しそうな体違和の不快感のまま、映画『インビクタス』の感動に没頭していた。マンデラ大統領と南アフリカ・サカーチームとの信頼、それはまた大統領・國と国民との燃え上がるような信頼へ深まり廣がる感動の大いさであった。先日観た『渚にて』の、世界と生物との絶滅へ傾斜して行く深刻で怖ろしい迫力とはまだ別質、現実の可能性へむかう人間信頼の実現への「誠実な意欲と敢闘」のドラマであった。
2022 9/29
* 体違和、異様に負担。器具に問題が測ってみた血糖値が「286」「260」とかつてない数値、おそらくは器具の電池きれであつたろ、が、右脚、右腕の発疹痛みは増していて、しかも空腹感。
仕方なく昼前には、巻物の寿司飯を注文し少し食してみた。頭痛とか動悸とか腹痛等の違和はなく、ただ疲労感のまま、卓越の戰争映画、グレゴリー・ペック、アンソニイ・クイン、レスリー・シャロンらの『ナバロンの要塞』、一分一厘のたるみ・ゆるみもない映像の緊迫を楽しんで、あと寝入っていたかが、四肢ことに右半身の不快にめざめたが、血糖値は「107」と危険区域は脱していた。推量までのことだが、わたしは、右脚、右腕を中原の帯状疱疹も疑っている、が、通例見聞のそれに比べては「痛い」感はすくなく「痒い」感が局部的に強い。医師の診断をもとめに病院へ通う体力も気力もなくて堪えて居。堪えながらこんな記録も出来ている。これよりの悪化の進まないのをねがうばかり。きょうで、長月尽、十月四日からは「発送」になる、そのまえに『湖 159』の「要再校」戻し 「表紙・あとづけ、あとがき」入稿を 終えておきたいが。すると気はすこし軽くなるが。体違和が異様に悪化しないことを願うのみ。集中の気力が衰えてしまいませんように。
2022 9/30
*『アストリッドとラファエル』という意気のいい連続刑事ドラマが終えた。アストリッドは天才的な力を持つ精神薄弱女性でらふぁえるは心優しい敏腕の女警視。いいコンビだった。続きは来年の五月からと。気の長いことだが、楽しみに待つとしよう。
* この籠居逼塞の三年に、「読み・書き・読書」は私の暮らしでは必然として、もし他にテレビが無かったならどんなに鬱屈したであろう。ニユーズにはさして気は動かない私だが、「撮って置き」の、また新放映の「映画」や佳い「ドラマ」にどれほど心慰んだか、数え切れない。誰方にとは分かりませんが、アタマをさげ、感謝しておく。
京の新門前通り「ハタラジオ店」に、初めて「テレビジョン」が「商品」として入り、店頭で放映して見せたときの、文字通りに「山のような」人だかりの凄かったこと、怖いほどだったのを、昨晩のことのように覚えている。投手で監督若林、三塁藤村、外野に金田らがいた関西で大人気の「阪神タイガース」と、川上、青田、千葉ら強打者の居並んだ「巨人ジャイアンツ」とのナイトゲーム、また、空手チョツプ力道山のプロレス、大相撲など「放映」と知られて、店外へ向けて「見せる」と、店ヤウインドウが毀れやせぬかと、道路は人山で塞がれ、狭い店内にまで老若男女が犇めき充満したものだった。「時代が変わる」とあのとき、ありありと実感した。
2022 10/3
* 『湖の本 159 花筺はなかたみ 魚潜在淵』 納品され、すぐに発送にかかる、が、二人の疲労を考え七、八分がた作業で今日は終えた。また、明日。明後日にも延びるか。本の仕上がり、気に入っている。が。疲れた。
「アストリットとラファエル」とかいう連続ドラマの録画を「見・聞き」しながら送り作業していた。おもしろく良くつくられたドラマで感心していた。
2022 10/4
* ドクター「大門未知子」がテレビに帰ってきた、が、第一、二回とも「下品な二番煎じ」で、ガッカリ。これにくらべ、フランス版か、あらたな連続医師ものの「ベク」が、みごとな感動のスタート、胸を衝かれ、期待十分の楽しみになる。
日本のテレビドラマ作者たちは、先日の『鎌倉殿の13人』途中での「出演者らのおしゃべり回」など、視聴者をナメてかかっている、大方「へたくそ」なくせに。
さすがに映画への力の入れ方はちがう。旧作だけれど、森雅之と京マチ子に好きな久我美子が加わっての映画『あにいもうと』など、あたまの15分程でも、しみじみと魅して呉れる。
2022 10/12
* 昨夜 就寝まえに妻と、室生犀星作『あにいもうと』を成瀬巳喜男監督、森雅之と京マチ子、それに久我美子、また浦辺粂子らが添うてのしみじみと心懐かしい佳い映画を観た。好きな日本映画の十の指には入れたい逸品。雅之も京マチ子も文字通りに心懐かしかった、この二人黒澤明監督の世界作となった『羅生門』が初の競演でなかったか、成瀬監督は黒澤の門下では無かったか。いとも心惹かれてきたホンモノの「お姫さん」久我美子も、しっとりと美しく演じていた。「情け深い」とはこういう小説・映画を謂うのだ。 2022 10/13
* 一昨日來、二階隣室の「天井」養生に職人が入って作業、やはり落ち着かない。午を挟んで、妻と戰闘映画のめいひん、四時間近くもの映画『ライアン』を観た。まず三度目ほどであろう、歩兵の戰闘映像としては抜群の迫力と哀しみに面満ちた静かな感動感銘、共感すらも。
2022 10/13
* 午前に妻と映画『ニュールンベルク裁判』劇の迫真壮絶な緊迫にぶちかまされていた。スベンサー・トレーシが裁判長、米国側検事にリチャード・ウィドマーク、ナチス側重要被告の一人ヤニングにバート・ランカスター、被告側弁護人にマクシミリアン・シェル、ある証人に女優マレーネ・ディートリッヒ男優モンゴメリ・クリフトらが立ち。ヴラウン管が爆発しかねない緊迫、息もつけず三時間の余。立派な映像業績として完遂されているのに感嘆した。もう一度観たいほど、胸を鳴らした。繰り返し見返しモノを思うに相違ない。
2022 10/14
* 映画『ニュールンベルク裁判』を、晩にもまた観た。心底、震撼、身じろぎもならぬほど、感銘を受けた。日本人としても考え感じて気づかねばすまぬ厳しい提示がある。逃げ腰になれない。また繰り替えして観て、考え直したい問い掛けが有る筈。
* へとへと。いっさいは明日へ見送って、寝る。
2022 10/14
* 今はもう晩の八時過ぎ。「マ・ア」ズの晩ご飯も済んだ。わたは、今日は、ひたすら寝入っていた。やや風邪引き気味でけだるく膚寒く、床に就くと、すこしの本読みで寝入ってしまう。なにをしたか。「撮って置き」大事の板で、『ターミネーター 2』に深々と満足した。このシリーズ為すの傑作編、ターミネーターと闘う母子をしゅわるつねっがー扮するターミネーターが援け、最期は溶鉱炉へ自ら沈んで去りゆく。みらいげきではうるが、今日只今で身手の近未来地球の核による滅亡トテモリアルに説得力有る映像と展開で見せるので、はじめて観た頃よりもさらに面白く惹かれる。初めてこの作を観たのはよほど緯線で在り映像世界は近未来とはいえ「かなりの未来」噺だった。だが2022,年の今日でいうと、地球は核戦争で既に数年前によほど毀れ、コナーズ母子が目前の運命に奔命する今は2022年現在をすでに超えて、世界の悲惨なクライマクスが予期されているのは2029年、いまわれわれの手のもう届くとき。映画制作者が相当な近未来とみて描いていた世界破壊の時期は、今の私たちには、現実にもう六七年で現に到来するのだから、想定外の迫力が生まれている。ろしあとウクライナとの西欧戰争は既に起きていて,世界的に拡大しないという名何の保証もない現実なのだ。ただ、ターミネーターは。まだ現に登場してきてはいないが。
2022 10/15
* 『鎌倉殿の13人』が険悪化しつつ在り、小四郎義時北条氏の辛辣な支配意志が板東武者ばらを震撼し動揺反撥させて行く。鎌倉殿実朝は性的異様をそれとなく親愛気味の泰時に漏らしている。豪傑の和田義盛・巴夫妻、またいつも言を左右にしつつ小四郎の傍に居た三浦にも気分の差し引きが見えてきた。女たちは、揺れ動きながらだれがどう悩乱し始めるか。鎌倉の自壊が動くかその先に京都との大衝突になるか。
2022 10/16
* 戰闘映画の名大作『バルジ大作戦』を胆嚢、夜が更けた。
2022 10/18
* 『バルジ大作戦』は、大作にして疎漏のない力作であった。三重丸に☆をつけた。 2022 10/19
* トラス英首相の辞任など。トピックニュースの一端を、ツイッターからの映像で、つまむ程度には見ている。新聞は(視力弱くて)まったく手も触れないし、テレビでも巷間の噂等は見聞きしていないが。
2022 10/21
* 新しい「医師もの」の、大門未知子よりシビアな外国製連続ものを見聞きしながら封筒へ「はんこ捺し」を大方終えた。体痛み、疲れました。
2022 10/21
* 映画『パリは燃えているか』 日本人は故郷や国土を占領されて、幸いにもドイツがパリと市民とを拘略したようなメにほぼ遭わずに済んだが、一つには闘う日本人の強さや怖さを穏便な支配のために考慮したから。日本人はたしかに闘って強い国民であった。が、敗戦して八十年近い歳月にみたされた日本人にそんな「歴史的な」強さが消え失せているとしたらそうは遠からぬ将来に苦痛の被支配、被占領の事態が、無いとはとてもいい切れないことを案じる。
やっとこさ、最近になって「防衛」を口ににするように政府も国民も強いられはじめている。防衛の一の力は「武器武装」ではない「悪意の算術」に徹した「外交力」だ、が、じつにじつに心許ない。国民はしかと気づいてその空気を總がかりでつかみ強化しておかねば。其処へ気づいている議員や大臣を選びたい。
2022 10/27
* 何度目かの映画『ベン・ハー』の出だしに、胸倉を掴まれている。今夜にも、觀おえようかな。曲がりなりに「161」入稿すると、「湖の本 160」三校が届くまで、ポカっと余暇が出来た、嬉しい嬉しい。映画『パリは燃えているか』も善い大作だった。
* 『ベン・ハー』のシーンごとの緊密と華麗な悲劇色に魅され魅され妻と零時前まで観て、「インター・ミッション』明日にしてと 寝て、疲れを取る方に。
2022 10/28
* 映画『ペン・ハー』完璧と謂える大作の感動の深さに、真率感嘆の間々泣いた。全映画作の一二を争える「名作」と賞讃を惜しまない。
2022 10/29
* 露骨な疲弊感に負け午前の二時間ほど寝ていた。十一時前。
* 午後も晩も不調、何も為らず。チャップリンの『殺人狂時代』の批評に身震いしていた。
風邪か。身震いし寒けが在る。
2022 10/30
* 身をもてあますほど気怠かった、が昼、過ぎから観た映画、ロバート・デ・ニーロ、デビ・ムーアらの『俺たちは天使じゃない』は感銘の秀作、心洗われ励まされ、気怠さも遁れていた。感謝。いい映画は、宝だ。
* 「鎌倉殿の13人」 和田義盛の哀れな最期で、北条小四郎義時の強硬な悪役が「京鎌倉」の時代をもうすぐらく転がして行く。人のいい剛勇和田も巴の行く末ももの哀れであった。
2022 10/31
* 晩、「撮って置き」の映画『ドクトル・ジバゴ』の凄然出来映えに膚寒くなった。感想はいろいろに険しいが、間を開けたい。
2022 11/3
* 昨日見た映画『ドクトル・ジバゴ』は文字通りに凄い境涯で、震え上がる心地がした。ツアー(皇帝)を銃殺したいわゆるソ連国家への「革命」を濃厚に下に敷いてジバゴの、家庭や家族や親族や恋人たちが悲惨を極めて刻寒のロシア大地を彷徨し逃亡し隠れ住んでなお虐げられる。國の警察力もレジスタンスの革命意識も 普通の家庭や人を安堵させない。そして流浪そして病や死やシベリヤへの放逐。
私は映像に竦みながらそれを「ドクトル・ジバゴたち」の物語とは見ていなかった、もしも、萬一とも最早謂えないもしも日本の国土と国民とが異国・異民族のつと支配とに屈服を強いられた「年々日々」を十二分に懼れて然るべき確たる危惧に、その方に、戦いていた。幸いにも、と思うが私たち老夫妻の生きてあるウチぐらいは保ってくれよう、が、朝日子や建日子らの、孫みゆ希らの時代に、日本国が、少なくもロシア、朝鮮、中国とどんな破壊的危機を迎えて「いる、いない」は薄紙一枚の表裏に過ぎまい。敗戦後に破れた日本兵は、シベリアや満州等々の「異国の丘」に強制労働の日々を過ごして、實に實に大勢が死んでいる。私は当時「ソ連」の作家同盟が招いてくれた折に、ハバロフスク近辺のものすごいほど宏大な「日本人兵士らの「墓地」と謂われる場所へも連れて行かれた。想うだに「凄惨」の感に想い屈した。
* いまの日本人は大方が忘れたか識らないでいるだけで、遠からぬ過去に、異国の民族民衆にあだかも君臨し、横暴をほしいままにしてきた形跡は、ましてその記憶を憎んでいる他国の人らが、歴然と処方に遺されいま生きてもいる。同じ「メ」に、日本が負けて屈して陥りかねぬ近未来を、国家国土国民国史文化財の確保・安寧のために「政治」はいま、どんな叡智や配慮・対策を為し得ているか、慄然とする。
* 現下の日本人は政治家たちを一に、国民もまさかに自分達が「ドクトル・ジバゴ」の境涯なんぞとは徹底無縁と感じている、と見える。
が。
脅すのでは無い、本気で私は思っている、危ないぞ。危ないぞ。ものすごく危ないぞ。
2022 11/4
〇 お元気ですか。紅葉が進み 秋が深まっています。風邪ひかぬよう。お大事に。
花筐のこと、最初に上村松園の絵と能の花筐を思いました。寒くなります。 尾張の鳶
◎ 花筺 すこし長めの創作が進行中なのですよ。
疲労困憊という感覚と体調は抜け去ってくれません、無視して、すべき・したいをしています。すっかりお婆ちゃんと化しているかと想像しています。
コロナの感染者数が減るどころか増え続けてます。出歩けない間に脚が萎えてしまいそう。
宿を取らねばならない京都というのは、「ウソ」のようで。新幹線に乗れば済むというワケでなく、遠くなったなあと。
円通寺の縁側に腰掛け 比叡山がみたいなと想う。仏様の御顔と あちこちで再会したいなあと思う。保津川に雪の季節が来るなあとも。戦時疎開した旧南桑田郡樫田村字杉生(すぎおう)(いまは大阪府高槻市内とか。)の蛍と蛙の声に溢れた夏の夜、懐かしいかぎり。
坪谷善四郎という著者の千頁を越す『明治歴史』とドストエフスキー『悪霊』熱愛中。四書のうちの『中庸』そして『史記列伝』『水滸伝』も。「金瓶梅」読みたいと心がけています。
処方されている利尿剤のせいか、よろよろします。自転車には乗れなくなり、家の中で数回転倒転落、幸い異常は無いです。
「撮って置き」の映画を頻頻と観ています。昨日の『ドクトル・ジバゴ』が凄かった。ドラマでは『ドック』そしてやはり『鎌倉殿の13人』に注目しています。
文化勲章の松本白鸚に、幕末の秋石畫、見事に丈高い松の秀にちいさく鶴が降りて、空高く高くに小さな旭日という長軸を謹呈しました。京都の「ハタラジオ店」の昔に出逢っているのです。お父さん(初代白鸚)と一緒に「電池」などを買ってくれました。彼は少年でした。
ロダンの地獄の門を遠目に、上野の美術館前庭に ゆっくり腰掛けたいなとねがうのですが。 お元気で。 鴉 勘三郎
2022 11/4
*實に久しぶりにジョン・ウエインの西部劇を見た。『レッド・リバー』 厖大な数の牛をスウセンキロも運んで行く。ご苦労様。
わたしは、アリカの男優ではナゼカジョン・ウエインを一等臣有して来た、日本でなら長谷川一夫を迎える感じで。別格官幣大社という感じか。
2022 11/6
* ブーニンのピアノに魅されていた。ピアノの音色の純潔な美しさには感動してしまう。不器用な私にピアノに触れるの縁も無いが19歳でショパンコンクールに優勝したブーニンのその後のピアノ生活・ピアノ人生・ピアノ家庭に賞嘆の思い禁じ得ない。
2022 11/6
* 『鎌倉殿の13人』が、京都の後鳥羽院の遠隔操作でガタついている。実朝はいわば生らの歌人と謂うにちかく、後鳥羽院にも藤原定家にも「京都」そのものにもむしろ心酔の体で、北条小四郎義時とは,断乎、かけ離れた個性。混乱を極めて行くが、実朝の命数はもはや永くない。亡き二代頼家の子公暁がどうコマとして北条に使われるか、承久の変、後鳥羽院の隠岐流しまで描く気なら、かなり此の先はバタバタしてしまうだろう。
2022 11/6
* ジュリア・ロバーツとデンゼル・ワシントンの映画『ペリカン文書』は<もう何度繰り返し観てきたか、それでも新鮮に怕い秀作だった。繰り返し観るに耐える「つくり」の巧さ。是に比べると、ケリー・グラントと、すこぶる個性的容貌の女優での『北北西に進路をとれ』は、監督ヒチコックの軽みが露わで、ちっとも怖くない。
2022 11/8
* 黒澤明が脚本監督の映画『デルス・ウザーラ』前後編を初見、純朴に徹して生きてある命と自然への深い共感に感銘、粛然とした。
2022 11/11
* 大相撲初日の後半をみたあと、『鎌倉殿の13人』 鎌倉と虚の香関係が緊迫しつつも鎌倉内部に鎌倉殿実朝を火種に悶着が起きてくる。思惑が錯綜してくる。あまり気分は良くないのだが歴史が「劇」である意味は分かってくる。希望としては、後鳥羽院の流され、承久の變結末まで遣って欲しいが、実朝の討たれを末尾に、終えてしまうかも知れない。いま、気づいたのだが、今日の皇室を憚る気が関係者にあり得る。さ、どうか。小四郎吉敷と政子とが「主役」なら、京都を圧倒してこその歴史劇なのだが。
2022 11/13
* 昨晩遅くに独り『鎌倉殿の13人』を見直し、今朝も見直した。鎌倉に鎌倉殿志望の頼家子の僧公暁があらわれ、実朝は後鳥羽院の皇子を鎌倉殿に迎えて自身は大御所たらんと目算、義時は警戒し政子は実朝の安寧に心を置いている。京は鎌倉の糸を引いて操ろう都市、義時は警戒深く身構え、周辺にはややこしい者らが、男も女も野心づく蠢く。不思議なことに京都者の私はこの承久前夜では、京より鎌倉の動きに心寄せている。この時代陰険でない者の生きがたいとは承知で、どちらかという後鳥羽上皇や京の公家らの陰険を私は嫌ってきた。のちのち後鳥羽院ははるか隠岐へ流されるが、それをしも私は黙認してきた。むしろ北条義時の京都と闘う決断に、圧倒の意志に目を見開いてきた。政子の存在も小さくなかった。右大臣に浮かれた実朝の優弱はとても将軍家とは見えず、鶴ヶ岡の大銀杏に隠れた何者か、公暁なのか、義時の手の者か、に惨殺される成行に意外ななにも無かった。この師走には閉幕の気ならドラマはそこで終えるだろう、義時が見せるその後の強硬には理があり、武力で鎌倉の板東武者に勝てるなどとみた後鳥羽上皇の迂愚は、「京都」なる重みの爲には最悪の失敗だった。「アホ」かと思った。
2022 11/14
* 機嫌のいい寝起きでは無かった、夢は観ていなかったのに。この一両日にたまたま観た映画「ミザリー」の不快深刻な恐怖を引き摺っててか。じつにイヤな映画だった。「怖いモノ見たさ」がこの歳にも残っているとはネ。煩悩やねえ。
2022 11/17
* 夕食前に映画『戦場のピアニスト』を深い感動と感嘆とで観た、すばらしいピアノを聴いた。なんと美しいピアノの音色よ。
2022 11/19
* 昨日の『鎌倉殿の13人』みごとに緊迫の寄せ・押しで感服し興奮できた。ます、異論無く組み上げて「要所」へ肉薄していた。次回が今日にもと待たれる。三谷幸喜、にほんしのなかでもっとも劇的にだいじな一点を良く衝いている。凡百のドラマ史に遺しうる力作と褒めておく。
2022 11/21
* 目覚めて。起きて、キチンで独り、黒澤明の『夢』に、驚嘆し深々と胸打たれた,名品、それも凄いほどの批評をはらんだ、謂わば地球と人間を含む生物の壊滅を示唆する美しい映像での「悪夢」の連累であった。身動きも成らぬ懼れと同意・共感に吸い込まれていた。あるいは黒澤監督作品として最高傑作の「批評」「意志の映像」であろうと。
* 昨夜には、一昨夜の『秋日和』についで、同じ監督作品・原節子主演『麦秋』に親和の思いを快く持ったが、今朝の黒澤明監督映像の『夢』の批評には、まるで心身凝固してしまうほどの痛切に 聲なく呻いていた。黒澤の最高作かとまで惹き込まれた、つづけて二度観たのである。
2022 11/23
* もう霞みきった視野では何とも成らないが。『鎌倉殿の13人』と『ドック』とは見たい。昼間には「クリント・イーストウッド」らの宇宙飛行ものと、ゲリー・クーパー」の西部モノを観た。前者は素晴らしく、あとのは駄作であった。
*『鎌倉殿の13人』 実朝の討たれを観た。義時はさらに剛強に悪相を帯びてくるだろう,後鳥羽院は泡を食うだろう。もう四回ほどで、承久の変へまで行けるか。
2022 11/27
* 昨夜の『ドック』をもう一度観た。しっかり描いている。
2022 11/28
* その前後、昭和二十一年敗戦直後、私が満十歳自分に黒澤明が撮っていた原節子主演、兄弟事件に取材の『わが青春に悔いなし』を久々に観た。原節子が賢明の力演、良心的かつ批評・思想作というふさわしい秀作。絶世美貌女優として少年の私も心酔しつ愛した原節子のもっとも若い時季の「力闘」だ、は背景はじつに「イヤな戦時中」だ。「足摺岬」などの先駆作と謂えよう。
2022 12/4
* やや酒量も過ぎてか「鎌倉殿の13人」途中から寝入ってしまい、目覚めて十時半。ま、今日は午前午後、よほど集中して疲れ仕事を続けていた。
2022 12/4
* 「鎌倉殿の13人」は残り散開で終えるという、年内にとならソレしかないと予期していた、が、鎌倉と京都との「承久の激突」をどう描けるか、技術的にも興味津々。
2022 12/5
* 師走なれば「あした待たるるその寶ぶね」忠臣蔵は定番のみもの。今年は真っ先に北大路欣也の内蔵助で、妖艶の「瑤泉院の陰謀」をもう観て楽しんだ。史実を核に籠めてのさまざまな見せ場を連繋させる。作者・関係者には堪らない誘惑で在ろうよ。
2022 12/7
* 真珠湾開戦や八月敗戦塔の日には、私、つとめて関連の映画を観て思いを新たにする。今日は、アメリカで製作しアカデミー賞の映画『トラ・トラ・トラ』を心して観た。
敗戦の日には『日本のいちばん長い日』で敗戦終戦を反芻・自覚する。ヒロシマ原爆の日には「黒い雨」を観る。沖縄と日本海軍の壊滅にも用意の映像がある。私は「歴史」を忘れたくない。
2022 12/8
* 役所広司らが演じた『最後の忠臣蔵」が、内蔵助とおかるとの意地を守り育てて立派に嫁がせておいて、十七年にして追い腹を切った。あわれに、佳い画面を呈してくれた、ただ、運者のせりふの聴き取りにくいのは、この作に限らず、日本のドラマに総じて謂える致命的な拙さとつよく訴えておく。
2022 12/9
* 妻と『ニュールンベルグ裁判』を、裁判長スペンサー・トレーシー、検察リチャード・ウィドマーク、弁護人マクシミリヤン・シェル、被告の重要な一人ヤニングをバート・ランカスタ、 そしてマレーネ・デートリッヒも登場の、、「完璧」とはこれを謂うかという感銘と迫力と志操にも富んだ藝術作を、夫婦して息を呑んで見入り、感動の淵にはまって深い深い息を吐いた。
裁判長の理解と見識と信念と人間愛に、篤い敬意を。
2022 12/15
* 映画『招かざる客』㋾久しぶりに見直した。スペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘプバーンが、熱愛のしかも健全な良識を真摯に持し結婚を決意している娘が、優秀な知性と能力の黒人の恋人と連れて帰宅、恐慌をきたす愛篤き両親を美しく「人間」的に演じて見せる。秀作。
2022 12/16
* 大昔から女優で一に好きなイングリット・バーグマンの冴え冴えと健闘する『誰がために鐘は鳴る』を、あとの楽しみに、すこし途中まで観て、二階へ。四時。バーグマンに比べてしまうと、ゲリー・クーパーがもう一つ冴えないが、先で化けて呉れよ。
* 凄いほどの低血糖で、失神しかけた。自身で低血糖と気づかず、妻が気づいてくれ、直ぐ測った。50台の低さ。仰天。一、二時間も寝入ったか。食欲無し。何が有ったか、爲たかなど、自身、茫然。四時起きシテの仕事連続は無理強いであった。
ツアラトゥストラを読んでいた。
早く寝てしまうことに。いま八時半を過ぎている。階下へ。バーグマンノ続きを。
2022 12.23
* 大作映画『戦争と平和』を、妻と、通して十分に観終えた。よく描けていて、ヘプバーンのナターシャに、ヘンリーフォンダのピエールにも、満足。ロシアの將軍クツドフにも感じ入った。原作を読み返したくもなったが、大長編なので、多くの時間を取られそう、遠慮のほかなく。
2022 12/29