ぜんぶ秦恒平文学の話

歌舞伎 2003年

 

* 成駒屋中村扇雀丈の厚意で、五月近松座の座席が入手できると、いま、メールをもらい判明。鴈治郎の「関八州繋馬」と「連獅子」。近松生誕三百五十年。上村吉弥も出る。楽しみ。三月の歌舞伎座は松嶋屋に頼めてある。こっちには幸四郎の弁慶、玉三郎の浮舟がある。元気が出る。
2003 2・18 17

今朝は七時に起きた。歌舞伎座の昼が予約してある。染五郎の「操り三番叟」、そして仁左衛門、玉三郎らの大作「浮舟」とは、懐かしい。結びに、夫婦して大好きな「勧進帳」が松本幸四郎と中村富十郎。義経は誰であったか。
2003 3・14 18

* いきなりカップ酒「大関」を客席に持ち込み、「松壽操り三番叟」の後見高麗蔵が、市川染五郎演ずる操り人形を、シャンと舞台に立たせたところで、染五郎人形と眼を見合わせるように、乾杯した。前から四列目中央、役者の息づかいも聞こえそう。
染五郎には、まだ器用に人形を演じる流れるリズムも、幅もない。もしこれが坂東三津五郎ならと、ちと想像するだけで、落差は分かる。が、若い力でしっかりやるから好もしい。鈴を振り出して、どんどん盛り上げていった。二十分間の演目だが、清まはって目出度い。初手に三番叟と分かっていたから、それも、「松壽」は秦の父戒名の院号であるのもこころよく、今日、我々の結婚四十四年目を祝うよすがにと、松嶋屋に席を頼んだ。

* その松嶋屋片岡仁左衛門がそれは美しい薫大納言を演じ、匂宮に中村屋の中村勘九郎、浮舟は大和屋坂東玉三郎。これはもう当代右に出るモノのない配役で、ピシャリ。北条秀司の脚色は現代語の科白で、それがかえって古くさく感じさせる難はあるのだが、随所に確かな原典解釈が見え、わるくないどころか、新作としては見応えがある。
随一適役の勘九郎が、珠を磨いた美しい若い匂宮で、天真いや天性爛漫の色好みをシャンシャン楽しんでやるのだから、つられて、しんねりむっつりの薫も、揺らぐ女の浮舟も、みごと際立ってくる。むしろ帝劇むきの芝居なのだが、適役の千両役者が揃い踏みすると、舞台がかくもがっちりと表現力を得るから、たいしたものである。松嶋屋の秀太郎が浮舟生母の中将を演じた、これがまた適役というより妙演で、多情で浮薄な女親のフィロソフィーをねっちりと如才なく見せてくれる。この中将の血が浮舟に流れ込んでいるというのは当然として、わたしは原作を何度も読んでいて、中将を、そこまでとは悪く読んでこなかった。そのくせ、宇治八宮がかつてこの女房に手を付けて浮舟を孕ませてしまったとき、そのまま宇治の邸から強いて外へ押し出した、その非情さをやや冷たく感じていたのだが、脚色者北条秀司のこのような解釈があると、少なくも宇治八宮に中将に対するある種の悔いと厭悪があって無理がない。また浮舟が、お馬に乗って馳せることすら喜んだ田舎育ち、おきゃんで純真な少女であった境涯から、匂宮本妻である異母姉の中君を頼って都へ上ってきた成り行きや、性格の理解にも、お、という面白みが感じられる。わたしは、いわばそんなおきゃんな浮舟像は、ついぞもっていなかったのである。
そもそも今日の歌舞伎座を五幕して飾った「浮舟」という芝居は、煮つめていえば、こうだと脚色は謂う。女は心を込めて愛してやれば、からだの結びつきなど二の次でよいという薫大納言の「考え」と、女は一度からだで結ばれれば、いかなる心よりもそれが身に深く刻まれてしまうものだという浮舟母の中将の「考え」との対立。中将の「考え」は、つまりまた、匂宮の、なりふり構わず女のからだに手をつけてこそ男の真情は発露できるという「考え」にひたっと重なっている。こういう薫と匂との女浮舟をはさんだ心か体かの対決に、悩んだ浮舟はうつし心をうしない宇治川に身をなげる。それほど悩み悲しむのである。心から愛し愛されている薫は、浮舟のからだに容易に手もを触れぬうちに、匂宮は生母の手引きをえて一気に女を犯し、女のからだを魅了してしまう。
どちらが愛か、どちらが女の胸をとらえるか、舞台は浮舟入水をほのめかしつつ幕を閉じていた。
源氏物語では、なおこの後に「夢の浮橋」にいたる後日の物語がつづく。浮舟は生きながらえて小野の里に潜んでいる。それと察知して薫大将に耳打ちしてやるのは、匂宮の母明石中宮であり、この宮と薫とは、戸籍上は光源氏の長女と次男に当たっている。薫はすぐさま確かめに人を小野へやり、しかし浮舟は、ともかくも薫の元へ戻るとは言わないのである。
仁左衛門の卓越した役者としての魅力を、今日のにえきらない悲しみの薫役はよくあらわして、秀逸であった。その点、源氏物語の本筋としてはきわめて大切な結び目に位置する匂の妻の宇治中君を演じた中村魁春に、生彩がなかったのは残念だった。これは脚色者にそれほどの認識がなかったためだと思う。

* 幕間に「吉兆」で、春爛漫のうまい和食。冷酒が身にしみた。わずか三十分の幕間に食べてしまうのはあわただしくも勿体ないが、それがひとしおの味を添えるのかも知れない。吉兆店は壁に掛けた絵も清方はじめ大方よろしく、上品な食堂で、歌舞伎座というと、此処での幕間も楽しみにきっと加えたくなる。

* 何と云っても、予想と期待通りに、第一等の劇的感銘は、ご贔屓高麗屋松本幸四郎の「勧進帳」だった。富樫は天王寺屋中村富十郎、当代では最高の富樫であり、言うまでもない弁慶は高麗屋の看板藝である。「ラマンチャの男」や「アマデウス」や「王様と私」など外の舞台での活躍が目立つ幸四郎ではあるが、やはり弁慶は少なくも当代極上の実のある大きな弁慶で、しっとり泣かせた。義経は、今月出ずっぱりの息子染五郎が、ま、無難に勤めたし、大谷友右衛門や松本錦吾ら四天王の型と緊迫度がすこぶる美しくきまって見事であったのも、嬉しかった。勧進帳の成否は、四天王役の充実如何で往々左右されてしまう。団十郎、吉右衛門、松緑らの弁慶を近年つづけて見ているが、幸四郎のそれは「大人」の弁慶であった、ウーンと満足させた。飛び六方で幕へ消えて行く弁慶の後ろ姿を追うようにして歌舞伎座の外へ出たのが、四時すぎ。
2003 3・14 18

* 歌舞伎座の幕が開く。今月は近松根源の大芝居「国姓爺合戦」を猿之助の一統が通しで演じ、夜には我當も働く「大石最期の一日」などがある。通しで席が取れている。楽しもう。
今日、扇雀丈のはからいで、五月近松座の願ってもない佳い席が取れてきた。感謝。
鴈治郎の大変化「関八州繋馬」が国立小劇場という濃密な舞台でとことん楽しめる。もう身の幸などということは、こんなことでしか購えないほど、なんだか混然としている、世の中が。一筋の清冽なものが、つつっと心根の深くへ奔ってくるのを祈願している、そのためには、わたしも動かないと。
2003 3・31 18

* 終日妻の誕生日をダシにして、歌舞伎座にいた。保谷駅までは雨傘の歩きだが、あとは歌舞伎座の真ん前まで、電車で済む。

* 昼の部は、先ず近松門左衛門生誕三百五十年記念の「国姓爺合戦」三幕六場。吉右衛門の和藤内、母渚は田之助、父老一官は左団次、そして錦祥女に雀右衛門、甘輝は仁左衛門病気休演で代役富十郎。近松の名を初めて高く上げた歴史的な作品で、一度は観ておきたかった。
実のある作行きで、獅子ヶ城楼門の場も甘輝館の場も、雀・田之助の佳い芝居で、また急の代役ながら、流石富十郎の芝居が深切実意にあふれてみごとであったため、見応えがした。どっちみち、もう近代の好尚にかなう芝居ではないけれど、そこが大歌舞伎で、巨大な虎の現れて和藤内に組み伏せられる千里ヶ竹の場などが、虎も和藤内も大いに活躍して面白い。虎も巨大なら和藤内の刀のそれはそれは長くて半月に反って凄いこと、誇張強調もああいうふうにケタはずれにやると、ばかばかしくはなく面白く成り代わる。まさに機微か、歌舞伎の妙味は多くそこにもある。この芝居では吉右衛門よりも富十郎のしんみり芝居と、田之助の老母渚、錦祥女の雀右衛門に、功績有り。

* この幕の間に例の「吉兆」は、八寸よりも焚合の筍、蕗、豆などが殊にうまく、桜鯛と烏賊のツクリも満足した。幕間三十分が、食事の時はせめてもう五分欲しいと思う、いつも。

* 今日の逸品は、鴈治郎演ずる七変化の「慣(みなろうて)ちょっと七化」の所作で、成り駒屋の魅力と美しさとが満開の楽しい極み、「傾城」「座頭」「業平」「相模の海女」それに富十郎の弁慶をあしらう河原辻君女の「牛若お玉」そして「越後獅子」「朱鍾馗」七役相勤めまして惚れ惚れと観た。六十分、じつに瑞々しくも美しい。
もともと関西の者はこの成駒屋にはきつい贔屓があるが、いまの鴈治郎は正真正銘若き扇雀の昔から鶴之助の富十郎とならぶ名優であり、役者の魅力のこぼれているような人だから、少々のことはゆるしてしまうが、この役者にはミスがめったになく、いつも舞台はしっとりと照り輝くから堪らない。妻は大喜び。忘れられない舞台になった。

* すぐに相次いで夜の部。いきなりに「大石最後の一日」は、以前に幸四郎と我當と時蔵・染五郎、それに若き辰之助で観ていたが、今日は当たり役片岡我當の堀内伝右衛門だけがそのまま、大石は吉右衛門、これがうってつけの好演で、おみのは芝雀が美しく、以前の時蔵に数段優った。磯貝十郎左衛門役は前の染五郎が初々しく、今日の歌昇は地味だが、実意の表現に一日の長があった。扇雀に演らせてもいいように思う。
真山青果のこの清潔な傑作は、みごとな仕回しと科白でたださえしたたかに泣かしてくれるが、わたしたちの感想では、舞台全体も前回より随分優っていた。我當の熱演もよろしく、吉右衛門が堂々と演劇を盛り上げまた大きく支えた。妻が鴈治郎の「七化」所作を一と推すのはわたしも賛成の上で、演劇的な感動という点では、素直に「大石最後の一日」の青果に敬意を表したい。
ただ一つ、細川家御曹司内記の演じ方では、若い美形の松也の芝居は、感傷過多で賛成しない。これだけは以前の辰之助、いまの若き松緑が疾風のように現れて凛々とした大声で義士達を見舞った演じ方のすばらしさを忘れ得ない。あのとき、わたしは初めて辰之助=松緑という役者の立派さに触れたと思う。
新派の波野久里子がすぐそばで観ていた。言うまでもない勘三郎の娘、勘九郎の姉。吉右衛門の出に、場内の誰よりも早くに拍手を送っていた。

* 夜の二つ目は「二人夕霧」の藤屋伊左衛門が仁の急遽代役で梅玉。うってつけだが、代わるにはなかなか難しい。上方の藝だから、関東役者の梅玉には、仁左衛門のとろけるような伊左は気の毒だ。そのわりには、とにかくこなしていたのは、二代目夕霧に弟の魁春はともかくとして、初代夕霧にこれまたしっとりと色気も品もいい鴈治郎が舞台を引き締め、加えて極めつけともいえる秀太郎が吉田屋おきさできちんと付き合うから、ソツは出ない。いっそ二代目の夕霧を扇雀の親子夕霧というサービスもあったろう。
何にしても夕霧伊左衛門という芝居はもう遊蕩の極致を行く、ま、ふざけたとも、たまらんとも、心嬉しいとも、優雅ともいえるもので、理屈は禁物なのである。

* 夜の部のとじめには、河竹黙阿弥の散切りもの、それもイギリスのリットン原作翻案の「人間万事金世中」で。富十郎演ずる胴欲至極な辺見勢左衛門のうまさ、これに尽きて、いや参った。ふうん黙阿弥にこんな芝居があるのかと、この時代のプロの勉強にも感じ入った。笑った笑った。扇雀のこれぞ文明開化とからかわれていた辺見の娘おしなの破天荒なあっけらかんの胴欲ぶりにも笑った。歌舞伎座では珍しい見物だった。

* はねてなお、雨。タクシーで帝国ホテルまで走り、クラブで、少し腹にものを入れ、妻の誕生日はクラブからカシス入りシャンペンとケーキで祝って貰い、お返しにボトルの「インペリアル」を新しく替えて、ほうっと体を温めてから一路帰宅。十一時を回っていた。黒いマゴが待ちかねていた。

* あす、大岡山へ行けるかどうかは、体調と天気と仕事しだいとしよう。
2003 4・5 19

* 二時間ほど前、東京から帰って来ました。隅田川沿いの高架道を走るバスの窓から満開の櫻を見ながら。
川のこちら岸は、下から街灯のひかりを受けた梢の花が闇に浮かぶのを見おろす、という、ふしぎなお花見、ちょっと、異様で、ぞくぞくいたします。
川面には、赤いちょうちんを掛けつらねた花見舟が幾艘もただよい、向こう岸の櫻並木は、大勢の人が行き交うていますのに、何のぞめきも、バスの中にはとどいて来ない――。
家のそばの山櫻はかあいそうに、前の日の春の嵐に、かなり、太い枝を折られてしまってしました。暗い土の上に、うつくしい振袖が乱雑に脱ぎ捨てられているようで、いたましくて。
十日に歌舞伎座、昼の部だけですが、切符がとってあります。観劇記を拝見しましたら、夜も観たい――。

* そう。夜も佳い、なかなか。
歌舞伎は役者の層も幅も厚く広く藝は鍛えられてあり、むずかしい理屈をこねて高望みしない限り、現代最も楽しい時空間をいつでも用意してくれる。雀右衛門、芝翫、鴈治郎、富十郎、我當、秀太郎、仁左衛門、幸四郎、猿之助、吉右衛門、玉三郎、勘九郎、団十郎、菊五郎、三津五郎、左団次、梅玉、魁春、福助、と、これだけの名前が並んでいれば「夢」は幾らでも観られる。佳い夢で役者だけが魅せるのではない、自分の好きと器量が夢を濃くも熱くも楽しくもする。そういうことは、今ではもう能狂言でも容易でなく、新劇でも大衆演劇でも難しい。人形浄瑠璃がまだしも魅力を枯渇していないだろうと思う。
2003 4・7 19

* 中村扇雀丈から、「六月の渋谷コクーン」はいかがとメールのお奨めがあり、演目も知らず日も分からないが、折り返し、お願いした。すぐに承知と返事が来た。コクーンはやけに広く感じる劇場で、以前に一度出掛けたのは妻の好きな澤田研二の芝居だったが、あまり遠くてつまらぬ思いをした。芝居はいい席でみるのが何と云っても嬉しく、必要な心用意でもある。観劇のツテや、縁は大事に大事に、芝居一つでも気持ちよく楽しみたいものと、大げさだが、そう思っている。今度のコクーン、福袋を手にした心地で、何が観られるかなあとそわそわする。
2003 4・9 19

* 芸能花舞台であったか、たまたま、初代市川猿翁の勧進帳(富樫が先代鴈治郎、義経はいまの水谷八重子の父守田勘弥)を見ることが出来た。解説役に孫の市川猿之助また河竹登志夫氏という、安心感溢れる好企画であったし、サービス満点、富樫の「待て」から飛び六方まで、中断ないカメラワークでたっぷり見せてくれた。
わたしは猿之助時代から猿翁襲名、逝去まで、「黒塚」や「太十」はじめ何度か観てきた。懐かしいのはまた富樫の鴈治郎、義経の勘弥で、二人とも大の大の贔屓であった。いやもう勧進帳後半、迫力と実意と美しさに大満足した。完成していて、しかも役者の魅力できらきらと変貌する芝居。ファシネーション。
この祖父の手元で、今の澤潟屋猿之助は育てられた。父は家で芝居の話になるのをうるさがる人だったが、祖父は芝居の話ばっかり、そこへ各界のエライ人も来て談論風発、それが孫には嬉しくて面白くて堪えられなかったという。この祖父にしてこの孫あり。
祖父猿翁は、大きく分けて、孫に二つ教えてくれたと。
古人の跡(=したまま)を求めず、古人の求めた心(=姿勢や覚悟)を慕うように。
また、優れた人によく接し教わり、優れたものをよく観て教わり、優れた自然や書物に教わるように、と。それなしに大成することはないと。
平凡。とんでもない、これぞものを創る者の金科玉条である。安直にその日暮らしをしていると、底荷のない軽薄な舟になり、転覆する。聴いていて、ビビビとからだが引き締まった。
2003 4・26 19

* 中村扇雀丈の「番頭」さんというのかどうか、親切な女性から、六月コクーン公演の座席を二つとりましたと。有り難い。五月が過ぎ六月へもまた楽しみが繋がって行く。
2003 4・28 19

* さ。近松座の鴈治郎はんたちに逢いに行く。席をとってくれた子息扇雀丈に感謝。
2003 5・3 20

* 上方成駒屋による「近松座」は、国立小劇場。あれで南座や松竹座と似た密度空間ではなかろうか。「と」の花道際、最高の席で、花道芝居を吸い込むほど堪能した。小さい舞台には、大舞台にない劇的密度が楽しめる。舞台と観客がかなり一つになれる。
天気良く、永田町駅から、最高裁わきの青葉道を濠端へ大回りしながら、ゆっくり歩いていって、会場の三分前。ぴたりの入場、いい席で、思わずにこり。演し物は、二つ。

* 一つ目、近松門左衛門古稀過ぎての最後の力作と知られた「関八州繋馬」という、珍しい狂言。平将門の遺児、良門と小蝶の兄妹が天下転覆を企み、源氏の頼光や頼信・頼平に絡んで行く。小蝶は土蜘蛛と化し、兄ともども頼光四天王に討たれて終わる。
翫雀・扇雀がその兄妹を演じ、小蝶の霊となり土蜘蛛となってからを父鴈治郎が演じた。
源氏の御大は、頼光も頼信も登場せず、剛勇の保昌や四天王、またその妻女四天王などが活躍。保昌の坂東吉弥、頼信奥方伊予の前の上村吉弥が、一方は塩辛い役者ぶり、一方は品格の藝をみせてくれた。
鴈治郎の美しいのは言うまでもない。近松評判の出世作「国姓爺合戦」をこの前に観て、最終作品を今日観て、やはり近松の戯曲の本領は、心中物だなあと納得する。人間理解の深切が世話物にはあらわれやすく、時代物になると、ものにもよるが、歌舞伎歌舞伎する。
成駒屋のいわば一家公演であり、主役たち以外がどうしても少し手薄くなるのもやむをえないが、歌舞伎は、本当に端役の隅々までがきりっと大きく立ってくれるのが望ましい。今日の舞台でそこまで高望み出来ないのは余儀ないことであるが。
花道のわきにいたので、せり上がりも間近、だれもみな気の入った芝居をしていて気持ちよかった。

* 二つ目の、「連獅子」が楽しくてかつ感動した。鴈治郎が父獅子なのはむろん、以前に、子獅子がもう大人大人した長男翫雀のを大阪で観てきたが、今日はその息子、つまり鴈治郎の孫壱太郎(かずたろう)十二歳が演じたので、ひとしお作意がよく生きた。祖父は孫とこれがやりたくてやりたくて、実現したらしい。幼い孫はすでに父親翫雀と連獅子を演じたことがあり、堂々毛振りもこなして満場の喝采を浴びた体験を経ている。しかし、祖父は真剣無比に孫の踊りや仕草を親獅子の演技の中で見詰めていた。子獅子を谷に追い落として這い上がってくるのを親獅子ははらはらと待つ芝居だ、作意においてその通りに重なってくるから、祖父と孫の対決と共演が二重三重に感動を誘い、涙が湧いてきて仕方がない。思わず思わず拍手も飛び出す。
壱太郎は曾祖父の先代鴈治郎や、吾妻徳穂系の顔立ちをしている。この八月で十三歳の少年があれほどの烈しい踊りを祖父にあわせてしっかりしっかり演じるのだ、もうクオリティーの問題でなく、演出の勝ちになる。ようやりよると拍手の出し惜しみななんか出来なくて、大キリへ来ると、前の幕の「繋馬」の方を忘れてしまいそうに、興奮していた。
扇千景がおかみさんで顔を出し、客に愛想良く挨拶していた。お祖母ちゃんとしても壱太郎の健闘は嬉しいことだろうと、少し眺めていた。

* 明るく気持ちよく晴れた三宅坂を歩いて下り、お濠や大内山の緑に胸の底まで洗われる心地のまま、写真も撮り、そして歩き疲れた妻のためにタクシーを拾って、日比谷「福助」で、板さんに任せて美味い鮨を食い、みぞれの酒を二合ほど飲んだ。肴の珍しいのと旨いのを、切ったり握ったりしてくれたので、気持ちよく食事を満喫した。祝日でホテルのクラブはあいていない。日比谷から地下鉄有楽町駅へそぞろ歩いて、そのまま帰宅。
2003 5・3 20

* 一気に作業をすすめたので、「湖の本」新刊は、いつ届いても必要な限りはみな送り出せるようになった。気がらくになった。明日は勘九郎の「夏祭浪花鑑」を楽しんでくる。演出に工夫があると聴いている。渋谷文化村のコクーン劇場、どんな席が取れているか、それも宝くじを買ったような楽しみだ。成駒屋(扇雀丈)がどんな役をするかも知らないでいる。
2003 6・2 21

* お天気上乗。すこし蒸し暑いが、涼風も。
渋谷「松川」の鰻で昼食し、すぐ文化村の「コクーン劇場」へ入った。
「コクーン歌舞伎」は、中村勘九郎、中村扇雀、中村橋之助、坂東弥十郎、中村獅童、中村七之助それに、「淡路屋」の屋号つき新劇の笹野高史らによる、「夏祭浪花鑑」を、串田和美演出で。
筵掛けの芝居小屋に仕立て、舞台間際は平場の桟敷につくり、舞台も、花道も、客席なみにぐっと低く作ってある、その、前から三列目、本花道にぴたっとくっついた二席を浪花の成駒屋が用意してくれていた。その位置は、ぴたり、どの役者も役者も花道芝居に立ち止まって所作を演じるのだから、したたる汗も息づかいも熱気も、白粉の香も、身に触れ合うほどの、興ある見もの聞きもの。芝居をする歌舞伎役者の顔をあんなにまぢかに見るなどは、もうそうそうは有るまいと思う。
かつての平成中村座でも、勘九郎は宙吊りのままわれわれの目の前に降りてきて、妻に声を掛けてペットボトルのお茶を飲んでいったものだが、今日は、気の入った大芝居を、間近というよりまさに身近で、烈々、切々と演じて見せてくれた。こんな舞台をみて興奮しない誰が有ろうか。
大舞台でこの芝居「夏祭」をみると、どこか大味でとくに感心したことはない。大昔の勘三郎のは忘れているが、近年では翫雀の団七九郎兵衛を見たように思う、が、通しでなく、カッと燃えた爽やかな印象のほかは何ほどとも感じなかった。
だが、あの法界坊を怪演した当代一の人気者で実力ある中村屋の勘九郎だ。しかも商業演劇のよさを生かした「コクーン歌舞伎」なら、彼が思いのたけは、作品に、血気も熱気も工夫も加えて生彩を放つに違いないと期待していた。信頼していた。われわれ夫婦は、それぐらい勘九郎がめちゃめちゃ贔屓なのだから。
期待は一つも裏切られなかった、どころか、予想した何倍も何十倍も面白くて、拍手喝采、興奮をおさえることなどとても出来なかった。
演出の展開が殊にみごとだった。おかげで芝居は弾みに弾んで崩れなく停滞なく、役者の一人一人が、なんとしても芝居を面白くしようと一致団結のていも心地良い。手を抜かないのは当然として、出演の隅々までが楽しんでいる。あれはもう本人が嬉しくて嬉しくて楽しんでいるに違いないよと思えてくると、こっちも輪を掛けて嬉しくなってしまうのである。
長町裏の場で、勘九郎団七が因業を極めたキタナイ舅爺を殺してしまう場では、古来の演出、泥はね(じつは、あれは肥だめであろう。)がすさまじく、前の方の観客は、むろんわれわれも、予め与えられていたポンチョを着込んで、壮烈な泥合戦をやあやあ騒いで楽しんだものだ。、この因業な舅役に笹野高史が起用されていて、勘九郎とのからみは、そりゃもう文句のつけようのない絶品であった。最大級にその壮絶と悲惨とを美しく楽しませた。笹野の役者としての感激が劇場の隅々までを熱くした。
また大舞台では退屈しかねない終幕の、九郎兵衛内、屋根の場大立ち回りには、一々書いてもいられないすばらしい工夫が尽くされていて、観客の興奮は絶頂に達したのだもの、演出はえらい。なんと、舞台の大奥がぽかりと向こうへ明くと、向こうは舞台裏ならぬ渋谷松濤へ向いた戸外そのもの、そして捕り方を一度は蹴散らした団七九郎兵衛と橋之助演じる一寸徳兵衛は、あれあれ、その戸外から例の警報を鳴らして追跡してくる渋谷警察のパトカーに追われ追われて、舞台真ん中へ逃走・疾走の、躍動するストップモーション、で終幕、となるのだから、これには驚かされた。総立ちであった。
理屈も観念もカンケイない、ただもうカブキにカブイて客を総立ちにさせてしまったのである。事実、最後はわれわれも立ってしまって拍手を送った。いったい三時間半の間に何十度拍手を惜しまなかっただろう。中村屋とも成駒屋とも声も掛けた。総立ちのカーテンコールは、二度。
楽しんで楽しんだあまりに、頭の中から何にも無くなっていた。あんな観劇は本当に珍しい。例があまり無い。無かったと思う。カンクロちゃんと呼んでいた頃から贔屓の中村屋、じつに、歳々年々豊かにすばらしい。

* 扇雀丈の女房お梶も好演・熱演であった。後半の九郎兵衛内の場が、花道に掛かるまで終始良かった。とても楽しそうにも演じていた、愁嘆場ですらも。橋之助はますます立派な役者ぶりで、弁慶役を見たいと思う大柄なうまさには、感じ入る。大成が十分期待できる。長生きして観たいなあと思わせてくれる一人になっている。七之助の美しくなったのにも、しんから驚き感激した。弥十郎は至極の便利役を巧みに大きく演じた。
そして笹野高史の名演技には、喝采という勲章をいくらあげてもあげてもあげ足りない。

* 興奮さめやらず、渋谷の坂道で冷たいコーヒーを飲んでゆっくり息を入れ、渋谷から地下鉄で日比谷へ動いた。クラブには、また新しいすてきに可愛い人が入っていて、酒や食べ物の接待をしてくれた。妻はインペリアルをすこしストレートで口に含み、わたしも山崎と交代に、ダブルで四杯を堪能した。例のサイコロステーキと、エスカルゴ。チーズの盛り合わせ。フルーツ、コーヒー。パンも付いていたので、佳い夕食になった。劇場で買ってきた綺麗な冊子をひろげ観ながら、芝居の味わいをこっくりと反芻するように話し合い、いい潮時に立って、丸ノ内線で池袋経由、帰宅したのが、八時ごろ。
云うことなしの佳い一日であった。
2003 6・3 21

* コクーン歌舞伎の大判の冊子も深夜に見直していた。いずれにしても法界坊は江戸の、夏祭浪花鑑は上方の、制外を生きた男だ、その世界だ。途拍子もない、侠客でもない、今の時代で云えばパトカーに追い立てられる暴走族のようなあぶれた暴れ者たちであった。もっとも団七も徳兵衛も、あの法界坊ほどの悪ではない、清々しい性根をもったあはれを生きていた。此の舞台では、そうだ。
中村勘九郎が、次ぎにコクーンであばれ芝居をみせるときは、もう「中村勘三郎」を立派に襲名していることだろう。この数年のうちに、扇雀丈の父君も「坂田藤十郎」という歌舞伎劇創生期の大名跡を嗣ぐ予定であり、大きな襲名が次々に期待できる。わくわくする。

* で、あまり長くは眠らなかった。
2003 6・4 21

* 昨深夜、八月歌舞伎座納涼公演の案内メールが届いた。有り難い。三部公演だが、一日涼みに、三部とも「通し」て見せて貰おうと、予約注文。先日のコクーン歌舞伎のメンバーに、中村福助、坂東三津五郎も参加して、第三部は野田秀樹新作だと云うから、楽しみ楽しみ。
2003 6・21 21

八月の納涼歌舞伎は一日に三部、その一部一部に「踊り」が入りますと報されている。歌舞伎役者の踊りは、たとえ何を所作しているのやら知れなくても、ワクワクさせられる。三津五郎も福助も参加し、大方はこの間のコクーン歌舞伎の面々と聞いている。ならば勘九郎も扇雀も橋之助も踊って見せてくれるかも知れない。
2003 6・24 21

* 浅井奈穂子さんの秋のピアノリサイタルに、また、夫婦で来るようにと父君よりお招きがあった。サントリーホール。ドビュッシーやシューベルト、そしてベートーベンも演目に。モスクワで活躍をつづけてきたベテランのピアニストで、この人ほどピアノを「鳴らせる」人はそうそうはいない。聴いていて全身が音楽に化けてしまう。
2003 7・14 22

* 襲名した文楽の桐竹勘十郎がテレビで人形を解説してくれていた。人形が見たい観たいと思いつつツテがなくキッカケがなく。若い頃、京都で機会があると観た。能が一、人形が二、三番目が歌舞伎、と。ちょっと強がっていた。今は素直に歌舞伎が、一。
2003 7・19 22

* 納涼歌舞伎、三部通しの日程が中村扇雀事務所から報されてきた。梅若万三郎の八月「三井寺」を観にこないかと招待が来ている。
2003 7・19 22

* すしや  鴈治郎さん、我當さん、仁左と見てきて、次は、翫雀さんで権太を。雀は胸をふくらませています。
それぞれ工夫をこらすので、いっときも目が離せない上方式。きりりと型美しく、一緒に台詞を言って流れに乗る快感の、江戸前。
「つら上げンかぃ」も好いけれど、菊五郎さんの「つら上げろぃ」を見たくなりました。 囀雀

* ピリッとして、忽ちに舞台が眼の底で動いてくる。上方の「いがみ」で、江戸では音羽屋も成田屋も少しちがった気風で「鮨や」を演じる。どんどんよく鳴る太鼓の成田屋、団十郎の権太が、意外に大味にあわれで良かった記憶がある。菊五郎だと鋭くなる。勘九郎が面白く演りそうなものだが、観たことがない。
2003 7・24 22

* また家の妻と、白いワインを抜き、買ってきたチーズを堪能した。もうそれで夕飯の代わりにしてしまう。扇雀丈の後援会から、歌舞伎座朝昼晩三部通しの「とちり」席が届いていた。
妻は少し体調がゆるんでいるので、明日の花火は失礼するわと言う。あの人波溢れた浅草からの帰りを想うと、無理はさせられない。わたし一人なら、言問通りを、駈けてでも鶯谷まで帰れる。心配は、雨。
2003 7・25 22

* 九月の歌舞伎座に久々に我當が、吉右衛門の「河内山宗俊」に付き合って、高木小左右衛門で出演する。芝翫と福助、富十郎と雀右衛門という佳いコンビの舞踊が入る。すぐ注文した。
明治座の三田佳子、桂三枝、中村扇雀という見世芝居もそれなりに楽しみたい。この前の明治座は風間杜夫らのドタバタ「居残り佐平次」が手ひどくつまらなかった、ぜひ名誉挽回して貰いたい。
十月には、またお待ちかねの平成中村座、たぶん今日製作発表の筈と、夜前のメールで「扇の会」の予告を貰っている。むろん中村勘九郎が太い柱、ぜひ観たい。
2003 8・7 23

* さて明日は楽しみ、木挽町での納涼歌舞伎。三部を通しは、欲張っているが欲張ってでも楽しみたい。とちり真ん中の佳い席が手に入っている。この気候、妻も元気に楽しんでくれると佳い。勘九郎と野田秀樹の組んだ「鼠小僧」が第三部。これが一のお目当て。 2003 8・12 23

* さ、歌舞伎座へ。かんかん照りではないようで、ありがたい。今日は、わたしたち夫婦の夏休みである。
2003 8・13 23

* 納涼歌舞伎。木挽町。受付で、扇の会から、九月明治座の券を先ず受けとり、支払い。感謝。
今日は三部制の第一部が、先ず、成駒屋橋之助の先生義賢(せんじょうよしかた=義仲の父)、萬屋歌昇の折平実は多田蔵人行綱、市川高麗蔵の葵御前、中村七之助の待宵姫、片岡孝太郎の小万という顔ぶれの、「義賢最期」。ま、普通の出来。
背丈のある橋之助が、仁左衛門かとみまがう大きな出で期待させた、が、前面は大きいが、背中をみせると意外に貧相にひ弱く、この期待できる役者の今後の課題になろうか。口跡も磨きをかけて音吐朗々が望ましいのに、立役者なのに、今日は声が嗄れていて、総じてよろしからぬ橋之助であった。
第二部「牡丹燈籠」二幕で、橋之助演じる蒲鉾小屋におちぶれた悪の宮野辺源次郎が、いっこう窶れてみえずに、散髪したてのような綺麗な顔つきでは困る。
第三部「どんつく」でも、橋之助なればこそもっと甲(かん)冴えて颯爽、気っ風のいい江戸っ子棟梁であって欲しかった。「鼠小僧」の悪役でも、もっと骨格太く演じて物語に輪郭を出してくれないと。やや手ぬるくて、性根が掴みづらかった。
橋之助はだいじに見てきているし、期待して、いつもほぼ期待に応えてくれるのに、今日は三部を通じて低調だった。ただ「義賢最期」の最期の場面は、そこが見せ場の演出がやはり大胆で、戸板崩しや突っ伏しの最期など、ああっと愕かせるところを二つ三つ畳み込んで、盛り上がった。
芝居としては、だが前半がことに煮えなかった。橋と歌昇と二人で歌舞伎座の大舞台をひっくくるのはまだ無理なのかなあと、元気だけでは済まない舞台のこわさを感じさせた。
七之助が凄艶、すこぶるの美貌に成長していて、待宵姫は顔を見ているだけで満足した。あの分だと、この子はたいへん融通の利いた大きな役者になってゆくだろう。その期待は「鼠小僧」での大はじけた芝居ぶりによく見えて、いやもう、大笑いに笑わせてくれたが、それはただドタバタやったから笑ったのでなく、大わらわな所作の総てがスタイル=様式美として効果的だったからで、身をすててする芝居の勘定が、きっちりついていた。魅力あるドタバタにできるのは、さすが歌舞伎役者と、拍手を惜しまない。むろん野田秀樹の演出に乗って誠実に身を捨てた効果であろうが。
孝太郎の演じた小万は、あとに出る「近江のお兼」なみに、木曽の身内にはつきものの強力女侍であらねばならないが、その辺の大きな魅力がこの地味な女形では出せなかった。この人は情のある世話女房タイプ。しかし、第三部の「鼠小僧」では大岡越前の妻女役で、極度の悋気を、おお孝太郎も此処までやるんだと嬉しくなる芝居をみせ、お白州場面でも遠く離れた高桟敷のなかでこまめに芝居をしていて、おもしろかった。

* 「義賢最期」のあと、昼食はやはり「吉兆」で。真夏の献立やいかにと楽しみにしていたが、期待違わず、みごとな食べごろ。
八寸の、地どり肝生姜焚、いくら鱈子いか和え、鰻山椒焚、えび甘煮、新れんこん、標語蒲鉾などが、冷酒「吉兆」の肴にぴたり。向は、鯛、雷干し、うど。ことに焼物の、地どり照焼き、半熟卵、もろこし揚げ、ししとうの取り合わせ上乗。焚合せは、高野豆腐、長ひじき、カボチャ、ほうれん草。お椀は、はも、にゅう麺に椎茸、三つ葉、柚子。飯は、枝豆いい蒸し。そしてデザート。あっさりして、豊富な味わいが嬉しく、幕間の三十分で食べてしまうのは、いつもながら惜しかった。

* 第一部では、二番目の所作三題がまことに見栄えして、期待していたとおりの、大満足。
まず福助が「浅妻船」で、一段と余裕の踊り。ひれがついて、美貌に冴えと豊かさが加わり、上り坂の頃の菊五郎に迫っている。ただもう、嬉しくなる。「歌右衛門」襲名が、いまから、ぶるぶると待たれる。場面は朝妻、名高い琵琶湖東。船女郎。
次は三津五郎の「山帰強桔梗(やまがえりまけぬききょう)」の大吉を、例の軽妙至極に踊りきる楽しさ。この役者は、実の体重の半分に軽くなって踊るのではないかと想うほど、足さばきも腰の切れも精緻で確実。中堅では流石に一二の踊り手。所作事の好きなわたしは、ただもう悦に入って見ている。
そしてお目当て座頭中村屋勘九郎の「近江のお兼」は、暴れ馬の手綱を一足に踏んで鎮める大力美貌の女。花道から舞台まで、大向こうを惹きつけてやまない愛嬌と巧妙、そして本舞台では、からむ男二人をかろがろと手玉に取る、楽しさ。なんでこうもこの中村屋は人を悦ばせること、いつも新鮮に深いか。天性もあるが姿勢にもある。化粧のうまいこと、女の美しいこと。ファシネーションということを藝術の一の要素としてわたしはいつも云うが、勘九郎歌舞伎は、この一語の具現として、ありあまる魅力に富んでいる。この人ほど、過去に見た幾つも幾つもの役をいつまでもありあり思い起こさせて記憶の失せない役者はすくない、坂東玉三郎らとともに。
なにしろ福助、三津五郎、勘九郎と、つづけざま気を入れて競うように踊ってくれるのだもの、いやもう降参降参。大満足でとろけた。

* 一部がはねたあとの浮き時間は、木挽町の、これもお定まり茜屋に入って、マスターが気を入れてくれるうまいコーヒーを、ゆっくり。
妻は、この店では、なんだかいつも不思議なのみものを注文する。店内の絵もやきものも、きちっと調和良く、よくすみずみまで吟味してあり、静かな大人の店である。コーヒーのお値段は安くないが旨いし、手洗いの生け花まで心憎いほど用意がいい。棚には古い佳い本を、姿よくたくさんならべ、これが似合っている。江戸と古い東京とを感じさせる効果、快い。
懐かしい林伸太郎の遺著『筆洗歳時記』も置いてあり、わたしの『愛と友情の歌』にふれたエッセイが二三編載っていた。この人が、新聞三社をとりまとめて、わたしに新聞小説『冬祭り』を連載させてくれたのだ。初対面は中日名古屋であったが、のちに東京新聞社へ出てきて、その「筆洗」原稿はすばらしいものだった。たいした評判だった。「大波小波」を書くようにと手回ししてくれたのも林さんであったが、死なれてしまい久しい。その新聞連載を三社編集長であった高畠二郎さんが担当してくれた。今は電子メディア委員会から「ペン電子文藝館」の同僚委員。助けられている。

* 納涼歌舞伎第二部の「牡丹燈籠」は、じつのところ、以前に別口の通し狂言で失望していたので、期待していなかった。ところが今回の大西信行脚本はあざやかな成功作で、怪談であるのに、小気味よく面白く、笑わせても貰いながら愉快に長丁場をすっかり見終えた。
果然、福助のはじけ切った芝居っぷりが、三津五郎との掛け合いで、べらぼうによかった。本日の芝居の敢闘賞は、座頭勘九郎は別格として、第一に中村福助、そして「鼠小僧」での中村扇雀、中村七之助ではなかろうかと妻と感想が揃ったほど、福助の女房お峰は、第三部、野田版「鼠小僧」の後家役とともに、爆発的にすばらしかった。こんな風に大はじけする役者とは、児太郎の昔から久しく見てもいなかったのに、この一年二年前から福助の芝居は見るたびに大きくなり活気が出て、いまやわたしたちは完全に大の贔屓である。位も高く品も姿もいい。玉三郎をどんどん追ってゆくだろう。
今一人幽霊「お露」役の勘太郎が、美貌ではないのに不思議な色気をただよわせて、ことに「牡丹燈籠」のつぎに弟七之助と連れて踊った「団子売」が、それはあでやかに品良く、お見事であった。女踊りをものやわらかに美しい手ごとで踊ってくれて、奇妙なほどにわたしは勘太郎の女形にうっとりした。祖父芝翫に見守られながら「道行旅路の花嫁」を懸命可憐に踊ってくれた頃からの進境めざましく、「山科閑居」でも立派な若女形であったが、今日の「団子売」お福の色気は、さりげない中に上乗の優しみ、大いに惚れた。天神橋、天満の書割も大柄にすっきりと、「団子売」は出色の舞台となって、楽しいこと抜群の若き中村屋兄弟の所作であった。感謝。
なにしろ今日は、三部を通じて、それは満ち足りた軽妙な踊り演目が「五つ」も用意されていて、余の人はしらず、わたしはそれだけでとろけてしまう嬉しさであった。
「牡丹燈籠」は、最期に、お峰の幽霊が源次郎を淵瀬に引きこむ凄惨な場面に至るまで、本水で土砂降りの場面もあり、十二分満足させた。以前のあの失望とは、まるでサマ変わり別脚色のおもしろい怪談、納涼歌舞伎であった。勘九郎は三遊亭圓朝を幕外や花道での噺上手で見せ、また聴かせた。

* ついに第三部は、まず幹部総出のはれやかな所作「どんつく=神楽諷雲井曲毬」が、サービス満点。
白酒売りの勘九郎のかがやく美しい愛らしい花道での踊りではじまり、三津五郎に、歌昇、勘太郎の絡んだ曲毬ようの所作踊りを芯に、全員が、つぎつぎに踊りを披露してくれる。佳い席の切符をぜんぶ手配してくれた扇雀丈も、孝太郎と連れて珍しくさらりとした踊りを見せてくれた。歌昇が懸命に三津五郎につきあい、この好感豊かな律儀な役者の佳い感じを披露していたのも好もしく。
さてさて、何といっても、本日最高の盛り上がりは、野田秀樹脚本演出の「野田版鼠小僧」で、二時間余の客席は、大揺れの爆笑と歓声にわき返り、幕が下りても拍手鳴りやまず、ついに閉じた定式幕は再び開かれて、客席総立ちの拍手喝采のなか、客席から野田秀樹も舞台に上がった。この芝居のことは、今夜はこれ以上を語るには興奮が残りすぎている。一言言えば、めったやたらに面白かったし、つまりは人間の肉体が群集して奔走するスピードや烈しさの魅惑であって、劇性は、肉体の躍動する魅力に大きく大きく依存しながら、しかもかろがろと運ばれる思い切った演出が、よく効いた。いろんなチューブから多彩に絞り出される絵具のように、各場面が、ことに出だしの三十分ばかりが爆発する魅惑。扇雀丈や七之助もそこで活躍した。おおおお、やるやるとこっちも連れてからだが動いたものだ。
捕り方勘太郎の如きはその長身をしなわせてすさまじく舞台や花道を奔走し続けていた。なかみはすべてノンセンスに似て、しかも現代を苦々しく、しかしシカツメらしくはなく鋭く批評していた。三津五郎の大岡越前の厚顔悪辣な名奉行ぶりがよく舞台をしめくくり、そこのところで苦々しくも現代にむかい観客を直面させた。
勘九郎はほんとうにご苦労様でした。終幕は、かならずしも歯切れよくはなかつたとわたしは思っている。
スタンディングにすばやくわたしは踏み出したものの、それはこの芝居に気持ちよく「参加した自分達」をより高潮・高揚させてやりたかったからで、それ以上のモノではなかった。ただただ楽しかった。

* 九時半をまわっていたが、車を、やはり日比谷に走らせ、クラブで、シーフードサラダを肴に、うまい酒を飲んだ。いつにもましてウイスキーの生のままが旨かった。客はもう我々二人だけで、美しい可愛い人達がみなで食べ物や飲み物の世話をしてくれた。歌舞伎座や国立劇場や帝劇で芝居をみると、どうしてもそのあと此処へ来て、くつろいで、芝居を反芻してから家に帰る。夫婦して、此処は真実落ち着ける。
終始妻も元気を失することなく、インペリアルをツーフィンガーも生のまま飲んで、家までちゃんと帰ったのはえらい。
2003 8・13 23

* 妻もわたしも、いささか雨後の蒸し暑さに疲れながら、木挽町へ。
松島屋我當の番頭さんと入り口で暫く話す。わたしからの話題は子息進之介のこと。人の倅の心配をしてもはじまらないが、我當のためにも、進之介にもっと本気で頑張って欲しいのが、わたしの願い。
我當は「河内山宗俊」で松江の家老職高木小左衛門を、律儀に、すこし悲壮感を漂わせ力演していた。茫洋としてゆっくり大きく演じる仕方もあろう。初役。父先代仁左衛門に倣っていたらしい。
梅玉の松江侯はそこそこに格を守って、無体な殿様なのだが下品にしなかったのは流石といっておく、正解だろう。片岡芦燕の重役北村大膳はどこかで実悪の河内山と張り合わなくてはいけないのに、とんと吉右衛門に位負けして、おたおたと、憎さげもないのには失望した。あれでは花道から吉右衛門風の大喝「ばかめ」が勿体ないぐらい。
歌昇の近習頭はこの人らしいおちついて律儀な好演。物語の芯にいる芝雀のおそのが、終始俯かされて美貌を見せないのはわたしなどには物足りない。あたら女形ではないか、男の顔ばかりあれこれと動いても、そこは女形が活躍してこそ。序幕で吉之丞のとびきり品の良い老女が見られたとはいえ、このところ脂ののった芝雀の美形をもっともっと堪能したかった。
さて初代中村吉右衛門の年回忌公演ということで、二代目(孫)吉右衛門が昼は河内山、夜は俊寛を演じる。俊寛はきついので今度は昼だけにしての河内山宗俊は、手に入っているのでゆうゆうと、少し悠々過ぎるほどに、演っていた。このところ吉右衛門の藝には、悠々がときどき軽みに過ぎてかすれる時もある。うまいものだが、テレビの捕物帖では貫禄になるところが、舞台で薄れやかすれにならないように願いたい。宗俊が緋の衣の偽使僧になっているとき、耳にも朱を刷いているのに驚いた。妻は、宗俊が酒飲みで酒焼けしているのではないか、それも偽使僧である表現ではないかと云う。なるほど。
ともあれ、よくよく知られているほどにはこの狂言、大味なもので感動はしない。悪が強きを挫いて弱きを助けたように見える痛快さに拍手するのだが、その実はそれもこれも山吹色の小判に欲心、悪はあくまで悪なのであり、前金が百両、成功報酬が百両の金が出なければ河内山宗俊、指一本も動かさず、三文の値打ちの木刀で五十両の金を貸せとゆする男である。そういう裏表の、法界坊ならぬお数寄屋坊主の河内山である、どううまく演じたにしても胸はふるえない。

* では今日のお目当ては。これはもう、富十郎の僧に雀右衛門の祇園のお梶がからむ舞踊「喜撰」と、父芝翫の業平が子の福助扮する小野小町にいどむ舞踊「業平」で、当代の踊り手としては、まあまあ、よう揃えたもの、組み合わせたもの、サービス満点。
ことに富十郎の喜撰法師は、襲名公演でみせた坂東三津五郎のそれより、十倍も二十倍もうまかった。あのときはすこし落胆した「喜撰」が、今日は、胸の芯までとろけそうにおもしろい所作を見せた。魅せた。さもあろう、雀右衛門がみごとに付き合っての名人富十郎悠々の踊りなのである、ため息が出るほどうまく、陶然と、楽しんだ。
芝翫と福助は宮廷内の踊りである。初役だという芝翫業平の一人舞いを、小町の福助が目も放たずに見ていたのが心嬉しく、福助はまた一段大きく思われた。いちばん佳い頃の尾上梅幸のように美しかった。
この踊り二つが、中幕。

* 一番目は「毛谷村」で、梅玉と時蔵。加賀屋歌江が姑の役。終始出語りの浄瑠璃風で、気の良い、人情敦い六助を、梅玉が好感豊かにみせた。かつての冷徹一途の二枚目梅玉では、ありえなかったような柔らかに力のよく抜けた好漢六助ぶりで、感心した。大顔の時蔵が大力美貌の女房を気を入れて演じ、執拗にからみにくる左十次郎抜擢の忍びを、やすやすと手玉にとる風情はたいへんけっこうであった。おっとりとした浄瑠璃劇である。

* 十月の藝術祭参加公演も松島屋に「通し」で頼んでおき、日差し厳しい銀座から結局地下鉄に逃れて池袋西武に移動、「たん熊北店」で、名も懐かしい弁当「祇園」の夕食後に、妻にちょっと洒落たティシャツ一枚を見つけて買い、そのまま帰宅した。蒸し暑さに、一日、かるい気疲れがしていたので、クラブへは寄らず帰った。
2003 9・4 24

* 浅草寺境内、平成中村座公演の昼夜通しの座席も、昨夜中村扇雀丈の厚意で無事にとれた。勘九郎がすごい力の入れようらしい、楽しみ楽しみ。重陽の佳日には、明治座で三田佳子、平幹二朗、桂三枝に中村扇雀が加わってのエンタテイメント劇がある。また劇団昴はテネシー・ウィリアムスの芝居を、俳優座の稽古場ではチェーホフの「ワーニャ伯父さん」をやる。浅井奈穂子のピアノリサイタルも、大学の友の女優原知佐子が平家物語を読む会もある。十月藝術祭参加歌舞伎座も昼夜ともに楽しみ。九月十月は、寸暇ないほど楽しみがつづく。ひょっとすると京都でのペンクラブの大会にも往くか行けるかするかも知れない。
そんな中に指し挟まっているNHKでの出演は、任ではないととはっきり分かつて居るので、やや苦にしている。
2003 9・5 24

* 先日、TVで、神田伯龍さんの「河内山」を聞いて、木挽町の配役を思っておりました。又五郎さん、お元気かしら。舞台姿拝見したいわ。
文楽の切符が手に入りましたので、思いきってお江戸へ。
お仕事がはかどり、こころ充るお時間を過ごされますよう。くれぐれも、ご自愛をお願いいたします。

* 歌舞伎座での又五郎は、ちいさく品の良いおじいさんになり、口跡もちいさく痩せていたが、それでも佳い役所で「河内山」序幕おさえの老人はわるくなかった。なにしろ初代吉右衛門に仕えていた梨園の生き字引のような役者。舞台に出てくるだけで味になる。この人と、何かのパーティのおりにしばらく立ち話したことがある。役者とのそういう際の立ち話は、お人がまた別様に美しくにじみ出て興有るもの。歌舞伎の又五郎、狂言の萬(万蔵の頃)、新劇の仲代達也、浜畑賢吉、映画の田村高廣、能の友枝昭世など。また女優では吉永小百合、沢口靖子、香野百合子など。
2003 9・8 24

* 明日からの一週間、次の日曜日まで、せめて気候的に少し涼しくあってほしい。木曜の他は出ずっぱりになる、体力が欲しい。
私の顔をみると、だれも元気そうだと言ってくれるが、四肢は痛く痺れているし、違和を感じている箇所は全身にいっぱい。睡眠も足りていない。
それでいて、一つ一つの仕事や用事をしていると、つい、時のたつのも忘れている。出ずっぱりといっても、気に染まぬことは何も無いのである。しかし疲労は容赦なく蓄積してゆく。
そんな中でもやはり芝居が楽しみだ。今月の梅玉・時蔵の毛谷村も、あの富十郎・雀右衛門の喜撰も芝翫・福助の業平も、反芻するように瞼に嬉しく浮かんでくる。明治座の「日本橋物語」ですら平幹の馬の脚が思い出され、けっこう懐かしい。まだこれから劇団昴の洋ものがある。「花粉熱」これは期待できる。三十か一日には原知佐子から招待の「平家物語」の読劇がある。この頃此の「読む」芝居企画が多い。俳優座の稽古場でやった井上ひさし原作の「不忠臣蔵」もそうだった。同じ稽古場で、今度は「ワーニャ伯父さん」をやる。チェーホフの芝居で一番劇的に面白いのではなかろうか。今度のは妻は辞退したので一人で見にゆく。そして十月は、歌舞伎座が藝術祭参加の昼夜興行、出し物もけっこうであり、松嶋屋からもう座席取りそろえて送ってきた。我當は、夜の金閣寺に勇ましい役で出演する。堂々と見せて欲しい。そしてお目当ては、浅草寺境内の平成中村座が昼夜。「骨寄せ岩藤」などを勘九郎がどんなにめざましく魅せてくれるか、翫雀ら若手の同じ興行を南座で見たのがまだ頭にある。楽しみなことだ。
いつまでも、からだはもつまい。いまのうちに楽しめることは楽しんでおきたいと俗欲も出ている。
2003 9・14 24

* 朝からひどいスキャン校正に悩まされていた。そこへ、三越劇場から電話で、十月二十八日火曜昼十二時半から、「三越名人会」が、荻江節の「細雪松の段」を上演すると。そういえば先日NHKの駒井氏から電話で依頼がきて、妻が聞いていた。花柳春の一人舞らしい、佳い試みだ。この間、春と西川瑞扇とのせっかくの「松の段」を、会議とぶつかり見損ねている。久しぶり。今度は招待の機を逸すまい。
十一月木挽町の顔見世は、夜の部に「近江源氏先陣館」が出る。播磨屋吉右衛門が、家の藝の佐々木盛綱。京屋雀右衛門、松嶋屋我當らが共演。昼は演目上割愛して、こちら、は是非観たい。音羽屋菊五郎の所作がある。大切りに浪速の成駒屋が時蔵の小春を相手役に「心中天網島」河庄を観せてくれる。行かざらめやも。
2003 9・25 24

* 歌舞伎座は芸術祭十月大歌舞伎。昼夜とも演目が二つずつで、珍しい。
昼の部は、「盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)」三幕六場と、「連獅子」とで、夜の部が、「祇園祭礼信仰記」から「金閣寺」一幕と、「於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)」の「新版お染七役」とで、坂東玉三郎が「七役相勤め申し候」ての三幕七場。
この演しものだけで、特別楽しみにしていた。期待裏切られず、昼夜通して楽しんできた。妻も、今日は、ほとんどメゲることなく最後のさいごまで拍手していた。

* 「盟三五大切」は鶴屋南北らしい趣向の勝った芝居で、一見終始陰々滅々めいていながら、写楽大首の役者絵を観ているような、様式美も濃厚、それを松本幸四郎の薩摩源五兵衛実は赤穂浪人不破数右衛門、中村時蔵の芸者小万、尾上菊五郎の佐野屋三五郎らが、丁寧に練り上げて行く。初めのうちは体温が上がらない感じにしずしず進んで行きながら、なかほどから俄然劇的に切なく凄まじく盛り上げて行く。
なにしろ忠臣蔵義士外伝の体裁のなかで、四谷怪談もが絡んでいる。いわば趣向の不自然こそは南北得意の展開、それに乗せられついて行くと、異様にぎらりと美しい人模様が真実みを光らせる。義士の仲間入りのために百両の金をぜひ必要としている源五兵衛のために、その金を陰で作ろうと、それとも知らず当の源五兵衛の手に入れていた百両を、三五郎と小万夫婦とは色仕掛けでだまし取ってしまう。そして、廻りまわって源五兵衛の手にその百両の届いたときには、うらみに燃えた源五兵衛はそれとも知らず小万の首を切って落としており、三五郎も源五兵衛の前で自害する。こういう「転がし」ようは南北のお手の物である。
さすがに幸四郎、沈着に、かつ、やぶれかぶれに狂いながら、もの凄い世界へ舞台を塗り上げて行く。時蔵の小万が適役で、菊五郎にはもうすこし打ち込んで働いて欲しかった。若い愛之助がいい役をもらって熱心にやっていた。

* 幕間に、吉例の「吉兆」で昼食、銚子一本。あしらいのついた、もみじ鯛の造りが抜群。胡麻豆腐の赤出汁うまく、盛りだくさんに八寸、焼き物、焚き合わせ、和え物、酢の物、それに飯と果物。三十五分で食べてしまうのが、毎度のこと、惜しい程。

*「連獅子」は、松緑の子獅子が抜群の健闘で、わたしは嬉しくて胸が熱くなった。団十郎の父獅子に谷底へ蹴落とされて、しばしがほどは木陰に息を整えていた子獅子が、ようやく谷から這い上がり、父と子とは歓喜する。連獅子はそこが眼目で、わたしはいつも胸を熱くするが、珍しい団十郎と松緑という組み合わせが新鮮に成功し、大らかに豊かな成田屋にむかい颯爽と気迫烈しい若い音羽屋が真っ向対峙して、雄壮に赤毛を振りに振り立てたクライマックスは、興奮の渦であった。松六は検討して団十郎を庇っていたのである、視線を集めるようにして。団十郎の大きなゆとりは申し分なく、松緑の緊迫と敢闘とはおみごとであった。嬉しくて、わたしは涙をじんじん瞼で煮ていた。家橘と右之助とが法華と念仏の僧で間狂言。
所作事の面白さは、歌舞伎には無くてかなわない、「連獅子」などことにわたしは好きである。また良い記憶の作も多い。はじけるほどの美しい興奮で昼の部がはねた。

* 入れ替え一時間を利して妻と銀座へ散策し、ちょっと風変わりな「らーめん屋」に入ってみた。久しぶりに食べた。

* 夜の部の先ずは「金閣寺」は、三姫の一人雪姫に御大の京屋中村雀右衛門。松永大膳に松本幸四郎、此下東吉実は羽柴筑前守に尾上菊五郎、そして佐藤正清に片岡我當。これは最も歌舞伎らしい大柄な舞台で、感覚的にも美しい限りだが、役者の芝居の質をえらんで、よく見せてくれた。
幸四郎の大膳が大きく冴えかえり、菊五郎のことに此下東吉で出て碁をうち大膳を負かす辺りは、おみごとな大いさだった。我當は健闘好演、下半身はややひ弱いが上半身と口跡の張りのよさとは逸品。満足した。嬉しかった。
雀右衛門の雪姫はしっかりしたものだった、席が前から四列目の真真ん中であったから息づかいまで聞こえそうにリアルに演技が楽しめた。

* 玉三郎のお染七役には、ほとほと恐れ入った。油屋お染、丁稚久松、久松の許嫁お光、久松の姉奧女中竹川、芸者小糸、土手のお六、後家貞昌の七役を、変わる変わるまた変わる、目まぐるしさが輝くように美しくて、危なげなくて、もうもう玉サマ魅力のオンパレードであった。
土手のお六の気っぷの良さは抜群で、締めくくり花四天とのはなやかな立ち回りのままに「本日はこれぎり」と玉三郎の口上で一日の芝居を終えた爽やかさ。劇場は興奮の渦に巻かれて、心地よいはね出しとなる。
「歌舞伎はやっぱり満足させてくれるわあ」と、妻の満ち足りた声が耳へ。その通り。

* 松嶋屋からの土産を手に、妻の元気なうちに帰りたくて、今夜はクラブに寄らず、銀座一丁目まで心地よくそぞろ歩いて、有楽町線の地下鉄に乗った。「日本の歴史」で毛利元就を読むうち保谷に着いた。われわれの顔をみた黒いマゴが、嬉しくて興奮して家中を上へ下へ疾風のように駆けていた。
2003 10・7 25

* 或るペンの会員、わたしもよく知っていて親しくもある会員から、実は筆名でだれにも知られず小説を書いてきたと電話で告げてこられ、ビックリした。夢にも思わなかった。昨日人権委員会だったか、の、催しがあった。来なかったねといわれ、歌舞伎座にいたと返事すると「優雅だね」を十遍ほど云われた。優雅とは思っていないが、楽しめるに越したことはない。大江健三郎と誰とかの公開対談があったようだ、気は少しもそっちへは動かなかった。歌舞伎がなくても行かなかったと思う。「心」とかかげて、ただマインドの言説にはハートは動かない。少なくも歌舞伎は、美しい。父子の獅子たちがタンと床を踏む音までが美しいのだ、揺るぎなく。
2003 10・8 25

* 十一月歌舞伎座の券がきた。花道芝居が手に取れる、まえから五列目、有り難い。我當は白髪の北条時政で「盛綱陣屋」に。吉右衛門、雀右衛門。鴈治郎の「河庄」も。菊五郎の踊りも。
今月末にどうぞと、浜畑賢吉氏のシアターXへの招待もあった。長谷川平蔵役だという、殺陣がみられそう。建日子が初めての作・演出でデビューした劇場だ。帰りに妻とチャンコの「巴潟」に二度立ち寄っている。好成績で千秋楽を終えた大関といっしょになり、妻は大関と握手してご機嫌であった。
2003 10・17 25

* 鶯谷から、言問通りを浅草寺裏、ゴロゴロ会館の前でタクシーを降りた。浅草寺本堂の真裏に、仮設の平成中村座が出来ている。

* 昼の部は、前から三列め、花道に近い通路脇、花道へも舞台へも二、三メートルという絶好席。
入るといきなり花道にも舞台にも無数の馬の屍骨が累々。そこへ忠義のお初に打たれた岩藤の死骸は抛たれて、その怨霊が出るという。「加賀見山再岩藤(かがみやま・ごにちのいわふじ)」は、むろん中村屋の骨寄せ岩藤。さらに奥方、望月弾正、忠僕又助など幾役も勘九郎ので健闘はめざましく、最期の最後には、岩藤の恨みをふくんだもの凄い幽霊姿が、舞台の奧の奧をぶちぬきに、日光燦々の浅草寺境内から舞台をかけぬけ客席へまっしぐらの宙乗りで、なんと、手も届き幽霊のこぼす熱演の汗も滴する高さで、妻とわたしとの真上にとまり、満場を騒がせてのヒュードロドロ。
みっちりの通し狂言で、中村福助が忠節の二代目尾上と毒婦お柳の方を美しく演じ分けた。扇雀丈は忠臣花房求女役を、いざり姿もまじえて、颯爽と演じたし、七之助の女形ぶりも水際だち美しさを増していた。坂東弥十郎が便利を活かして多賀大領と安田帯刀を。
この狂言は以前に電光効果をばんばん用いた演出の舞台を、あれはたしか南座で観た。大阪の成駒屋兄弟と中村橋之助、市川染五郎の四人組だったと思う。かなり商業演劇風に、あれもまたおどろおどろした舞台効果であった。今日の平成中村座は、本水をたっぷり用いて、どちらかというと江戸前にすっきり面白くリアルに仕上げていた。
何と云っても勘九郎の役者ぶりに、満場がとにかく興奮してしまう。興奮が舞台をますます活気付かせる。小芝居の妙味と佳い役者の藝振舞いがあるから、堪らない味わいになる。演劇の本来の感激なのか、歌舞伎興行の景気なのか。どっちにしても客は遠慮なく楽しんで笑い、楽しんで手を拍き続ける。
特製の中村屋弁当がうまかった、カップ酒の大関も、むろん。

* 昼の部がはねてから、一時間ほど浅草寺境内を妻と散策。江戸のむかしの奥山風情を再現して、たくさんな店が出ていた。

* 夜の部は、同じ列で三つうしろへ席をずらし、花道芝居の真正面に。これはたいへんなご馳走で。「弁天小僧女男白浪」浜松屋へくりこむ七之助の弁天女形ぶり、片岡市蔵の南郷力丸から、ちかぢかと芝居が楽しめた。弁天小僧は音羽屋の尾上菊五郎や菊之助の舞台で記憶に濃い、が、七之助は、成駒屋風の口跡あざやかに、また一風のあでやかに鋭い弁天小僧菊之助を見せた。この若い役者は、見る度にぞくぞくさせるほど成長している。
稲瀬川勢揃え花道のつらねが目の真ん前で気分大いに宜しく、ことにわたし達のすぐ前で忠信利平を、中村勘九郎が大変な気合いで演じてくれた。いわば付き合い役でありながら座頭の責任をきちっと果たしいたのに感激した。扇雀丈は、赤星十三郎。

* ついで中村福助が、「本朝廿四孝」の奥庭、八重垣姫を、あでやかに、しおらしく、しかもすっきりと人形ぶりで。堪能した。
いつも言うが、この役者に、歌舞伎界次代を背負う立女形の貫禄と美しさが、一芝居ごとに増してゆくのは、嬉しい。ひと頃とうって変わり芝居に気を入れているのが、眼を深く覗きこんで、分かる。役者の魂は「眼」に入っている。小狐役の子役が可愛らしかった。

* おしまいは「人情噺文七元結」で、むろん勘九郎の左官長兵衛とあれば、演じる前からもう顔も姿も身のこなしまで目に見えてきて、その段階から、贔屓のわれわれは既に喜んで楽しんでいる。私も妻もこの噺は名人三遊亭圓生のテープを少なくも十度も聴いて、すみずみまで頭に入れているから、舞台の進行も科白までも前もって分かっているようなもの。扇雀丈があらけなくも思いきった女房お兼。すってんてんの亭主勘九郎との掛け合いで爆笑をさそいながら、もともとの台本がよくて、ほろりとさせる。笑いながら泣いている客がやたら多かった、わたしの隣でも。
小気味よかったのは、福助演じる角海老の女将で、舞台に、安心感と清潔な品格とでもいいたい空気を漲らせ、勘九郎との競演をきちんと見せてくれた。圓生描く人物に最も近く、ほぼ完成されていた。いつまでも眼に残る。
大河端での長兵衛と手代半七とのやりとりは、あんなもの。七之助が律儀に気のはしった若者を好演し、分かり切った場面に緊張感を失わせなかったのはお手柄。
めでたい大詰めで、わたしも二つ目のカップ酒大関を高々とあげて乾杯した。昼の部にも大騒ぎしたカーテンコールに、夜の部も応じて勘九郎も扇雀も七之助もいい笑顔であったうえ、もう化粧を落とした福助が、ちらりと児太郎の昔の素顔を舞台の袖に覗かせてくれたのもサービスであった。大満足の打ち出しで。

* どこへも寄らず、またごろころ会館の向かいからタクシーで鴬谷までもどり、山手線に。九時過ぎには家に着いた。黒いマゴが嬉しそうに出迎えて甘えていた。
2003 10・20 25

* 明日は電子文藝館の委員会。そのあと卒業生二人と会う。あさっても卒業生二人と会う。
来週は月曜から木曜まで街へ出ている。三越名人会で久しぶりに荻江節「細雪 松の段」の舞を観る。浜畑賢吉が火付盗賊改・長谷川平蔵を演じる舞台「光る島」もある。テネシー・ウィリアムズの芝居もある。招待が続いている。その間に、ロサンゼルスからの旧友夫妻を迎える。前の機会にはわたしがひどい風邪で逢えなかった。
それら全部に先立って糖尿の診察がある。先でよかった、アトでは気が縮む。
月が替わるとすぐ、人気も実力も今抜群の友枝昭世が、能「野宮」に招んでくれている。名曲である。月半ばには観世栄夫の能「清経」にも招かれている。名曲の中の名曲。能は佳い能だけを、狂言も佳い狂言だけを観れば十分。昭世の会では名人萬の「富士松」が、栄夫の会では気鋭萬齋の「清水」が出る。珍しい。
さらには俳優座が、稽古場での「三人姉妹」に、本公演の「冬物語」と「マクベス」とに、相次いで招待してくれる。その中間で歌舞伎座の「近江源氏先陣館」や「河庄」などがある。豪華に藝能堪能の秋。悠々楽しみたい。

* いつか、出たくてもからだがもたなくなるだろう、それがいつのことか、なるべく二人揃ってゆっくりでありたいと願っている。用心もしている。機会の「数」をへらしても、より佳い機会を楽しみたい。そのために、久しく地道な蟻になって懸命に働いてきたのだ、力をあわせて。いい苦労をしておいたと感謝している。
2003 10・23 25

* 浪速の成駒屋から、師走の歌舞伎座公演の案内をもらった。芝翫、鴈治郎、されに団十郎、勘九郎、福助、左団次、扇雀らの一座で、お馴染みもいいところ、芝翫と福助で「道行旅路の嫁入」とは、いまやむしろ異色の、大名題親子の嬉しい顔合わせ。「実盛物語」もあり「西郷と豚姫」があり、「太功記十段目」が美しい顔ぶれ。橋之助、扇雀、左団次らの若い「素襖落」も思わずにやにやしてしまうし、ことに勘九郎、新之助、弥十郎、福助の「江戸みやげ狐狸狐狸ばなし」はさぞ賑やかに楽しい大切りになるだろう。以前、芝翫富十郎という名人二人のを観たが、これは働き盛りの爆笑ものが期待できる。
ともあれ、すぐ、昼夜通しで予約した。明日からの十一月は、江戸歌舞伎は顔見世であり、師走は、少し息の抜ける楽しい出し物が組んである。
十一月は、早々に友枝昭世の「野宮」という美しいかぎりの大曲がある。観世栄夫の「清経」もある。歌舞伎顔見世は豪華版の夜の部を予約してあり、さらに俳優座招待の力こぶの入った名作三舞台も月末に続く。嬉しいこと。十一月には「ペンの日」もある。
2003 10・31 25

* 今、劇団「昴」を率いている福田逸さん(故福田恆存先生ご子息)のメールを頂戴した。此の「闇に言い置く 私語」を読んでくださっているとは、仰天した。先日の「花粉熱」への感想がお目にとまった。劇団員の何人かへもコピーして転送した下さったらしい。恐縮する。
歌舞伎への感想にも触れられて、当代の「立ち方」では吉右衛門がすぐれていると。この前、「河内山」を観たが、晩の「俊寛」は敬遠してしまったが、優れていたともある。吉右衛門の「俊寛」は、以前に一度観ている。先代以来の、全く「吉右衛門」の播磨屋芝居だ、わるかろうわけはない。よくて辛くて、泣いてしまうのである。
平家物語にとっていわば俊寛系の(平曲風に謂えば)「句」は、高山のようにそびえて裾野も広い。長い。その経緯がすべて清盛の「悪行」という裏打ちになる。そして、かなり読んでシンドイ登りづらい高山に属する。カタルシスがないのである。気の弱いわたしは、ニゲタのだった。だが、舞台は目に見えている。残っている、とても強く。
2003 11・8 26

* 雨に降られたが、歌舞伎座の夜の部がとてもよかった。だしものの関係で昼の部は割愛した。

* 十一月は顔見世興行。家の藝が出揃った。吉右衛門の盛綱、菊五郎の所作で女伊達・浮かれ坊主、鴈治郎の河庄、紙屋治兵衛。わるかろうわけがない。

* ことに吉右衛門の盛綱は性根の濃い凛然とした藝風で、実もあり綺麗に盛り上がって、終盤、したたか泣かされた。今まで観た吉右衛門芝居の中でも一二の上出来に属するが、この舞台では、どんな場合でも大人達の芝居をさらってしまうのが、幼いながら大役、囚われ小四郎。歌昇の息子の種之助が抜群の好演で、じつはこっちに泣かされた。ま、のちのち名優になる人の持ち役のようなもので、大人にまさる芝居を長ぜりふでえんえんとやらねばならず、それも一筋縄でない腹の藝も要求され、覚悟の上で咄嗟の切腹もしなくてはならない。この子役がうまければうまいほど舞台は求心力を高めるので、ひとつ間違うと名優がわきを支えていても崩れてしまう。
盛綱の老母微妙に芝翫、敵方の弟高綱の妻、盛綱方にとらわれの息子小四郎の母篝火に雀右衛門、盛綱の妻に秀太郎と、申し分ない豪勢な配役だが、種之助演じる子役の活躍で、吉右衛門以下がとてもきもちよく芝居が出来ていた。父親の歌昇も颯爽と若々しい勇ましさで注進侍を演じていた。
複雑に仕組んだ芝居だが、分かりにくくはない。いわば佐々木の盛綱・高綱兄弟は、家康方と大坂方とに分かれたあの真田幸村たち兄弟に当たり、わが友片岡我当が座頭役で演じた堂々とした白髯白髪の北条時政役が、いわば徳川家康に相当すると見ていれば、筋は通りやすい。今日の我当は威風あたりを払い舞台中央上段をしめて睥睨するあたり、喝采ものであった。ひときわ今日は上出来の時政で、嬉しかった。左団次の和田義盛(後藤又兵衛あたりに相当か)も気持ちよく演じていた。大舞台であった。

* また成駒屋の河庄のおもしろさ、さすが近松の人間把握の確かさもあり、浪花の遊冶郎ぶりが家の藝で磨き抜かれてまた自在に、絶品のおいしさであった。一つには、相役の孫右衛門に予定されていた中村富十郎が急の休演、代役に坂東吉弥が急遽出てきたが、この孫右衛門がそれはもうおみごとな熱演で、吉弥の力量と誠意とが全面によく出た。富十郎とは味わいの違ったおそろしく愉快に深切な孫右衛門が出来上がった。そのために、鴈治郎の治兵衛にも突風のようにべつの味わいが添って出た気がする。つまり客の私も妻も、だれかれも、とっても儲けもの、拾いものをしたような気もちだ。
加えて小春が中村時蔵の、初役。初役なのにしんみりと匂うように美しく切なく、ひたむきに治兵衛に惚れぬいた佳い小春になっていた。なんだか芯の三人がみな初役のように思えるほど舞台の意気が新鮮に盛り上がった。東蔵の仇役江戸屋太兵衛もすっきりと好演、終始気持のいい舞台で、せつないのに笑いも自然。吉弥の義兄と鴈治郎の義弟のからみには、上方のにわかや漫才ふうのよさもただよい、わたしはあれも一つの行き方、良いと思う。
もともと五貫屋善六という端役をあてがわれていた坂東吉弥が緊急の代役なのに、根がしたたかに力の出る役者である、大役孫右衛門をあんなにみごとにやってのけたのだ、歌舞伎役者の懐の深さ、根の生え方に、感嘆する。玉三郎の父親の守田勘弥が代役名人であったのも思い出す。

* 中幕の尾上菊五郎が踊った「女伊達」はおおらかに男っぽくもありまた艶麗。からみ役に付き合った松助と秀調の二人が、さもさも気持よげにうまく踊った。そのあとへ友右衛門の大尽を囲んで芸者や幇間、番頭等が連れて踊るのが気軽に楽しめた。芸者の萬次郎があんなに軽快に美しく踊れる役者とは、初めて気付いた。小顔で可愛らしいほどだった。
その後へ、菊五郎ががらりサマを変えて家の藝の「うかれ坊主」は願人坊主で、ちょぼくれを踊る。六代目や前の松緑が得意だったが、今の菊五郎にはむしろ珍しい感じがする。ニンにあっているかどうか、俄に言い難い。女伊達の方が美しい。だが所作としてはこの願人坊主の踊りは面白いのである。

* 盛綱陣屋の後で、例の吉兆、晩秋霜月の小懐石が美味かった。「八寸」割山椒 いくらおろし 細巻玉子 かに蓮根巻 銀杏しめじ松葉打ち 牛肉生姜焚金包 「造り」もみじ鯛 たこ 「焼物」えび養老揚 なます まなかつお柚庵焼 「焚合」筑前焚 白天 青ト 「御椀」鶏豆腐 焼もち 「ご飯」白ご飯 香物 「果物」ゼリー寄せ そして例により銚子一本。三十分たらずで、能率良く賞味。鯛、吸い物、牛肉がとびきり美味かった。

* はねての歌舞伎座前は、雨脚はげしく。それでもタクシーで日比谷へ走り、九時半過ぎてクラブに舞い込み、勧められるまま今日が解禁と聞いていたボジョレー・ヌーボーの赤をグラスで呑んだが、めったにない上出来と聞いた通りに、濃厚に甘いほどのうまさ、去年や一昨年のはうそのようなほど、完成品の味わいに、惚れ惚れした。妻はそこまで。顔色をあかく染めていた。わたしは置き酒のレミ・マルタンを一口、そしてインペリアルをそのままツーフィンガー。身にしみる美酒で仕上げて、帰途についた。雨など、何でもなかった。
だが帰宅すると即座に、今日の予定の残り仕事にかかって済ませた。そうも余った時間はないのである、今は。
楽しい半日であった。歌舞伎ならではのよろこびが身内を浸す。
明日は歯医者で、痛いめを見る。
2003 11・20 26

* さ、今日の木挽町の芝居はどうであろうか。お天気、良好。
2003 12・9 27

* 木挽町の十二月大歌舞伎は、楽しいだしもので溢れた。大歌舞伎というほどではないのだが、得難い顔ぶれの快い演目が、昼の部に四つ、夜の部に三つ。
福助の「舞妓の花宴」(しらびょうしのはなのえん)、新之助の実盛、左団次の瀬尾、扇雀の小万、亀次郎の葵御前、そして我當が座頭格の時政で、「実盛物語」、なんと芝翫・福助の「道行旅路の嫁入」次いで勘九郎・団十郎に福助が付き合った「西郷と豚姫」で昼の部。しみじみ楽しく快く、それぞれにほろりとした。
昼食は例の「吉兆」で。そして入れ替え待ちには「茜屋」で珈琲。妻はなんだか不思議な飲み物。気分ゆっくり。
さて夜の部は、団十郎の武智光秀、勘九郎の武智十次郎、福助の初菊、芝翫の操、東蔵の皐月、そして新之助の佐藤正清、橋之助の真柴久吉という、太十「尼ヶ崎閑居の場」。つづいて橋之助熱演の太郎冠者、亀次郎の次郎冠者、大名に左団次、姫御前に扇雀という「素襖落」のあと、大笑いの大喜利「狐狸狐狸ばなし」は、言うまでもない中村屋勘九郎の伊之助に、おきわでめちゃくちゃハジケる成駒屋福助、そしてスケベにもてるもてる悪僧重善が、巌流島から歌舞伎へ帰還の、成田屋新之助。馬鹿馬鹿しくも満場は大笑いに笑い崩れて、楽しく楽しくハネ出しとなった。
夕食は売店仕入れの鯖寿司、そしてカップ大関。
はねてからは、躊躇いなくくるまで日比谷へ。エスカルゴでブランデーそしてウイスキー。うちあげに、二人だけで初冬の釜を掛けて茶を点て合って以来、四十六年の無事を祝し、また「湖の本」通算七十七巻をも祝して、ささやかにケーキでコーヒーを飲んでから、帰宅。
妻は、かねて欲しかったサントリーの「響」21年ものを一本、クラブに置いてくれた。感謝。

* じつは朝、時間の思い違いで、福助の幕開き白拍子に、五分遅れた。二人ともコートを着たまま恐縮で座席にもぐりこんだ。前から四列めの中央。一つ前に丸谷才一氏が見えていて目礼をかわした。
今日はしいていえば「福助デー」の観あり、なんと七演目に五役である、驚いた。嫁入りはさすがにしんどかったろうと思う、もう母戸無瀬で踊ってこそいいのに、初々しい押しかけ花嫁の小浪とは。勘太郎や七之助の小浪が眼にあり、彼等は福助からすれば甥である。叔父さん、大いに若返ってはいたが、もう二度と父芝翫と息子福助との「嫁入」など観られまいかと思う。それだけに、記憶に残る逸品といっておく。此処での橋之助の奴は、踊りがおおまかであった。それにしても成駒屋と中村屋との全盛である。
福助は、太功記の初菊も江戸みやげのとんだおきわも、「西郷と豚姫」の酔っぱらい芸妓岸野も、それぞれに楽しそうに吹っ切れて演じていたが、一番の収穫は、幕開きの「舞妓(しらびょうし)」ではなかったか。男踊りの出だしから、さまざまに自在に変化の舞い尽くしが位確かに立派で、美しく感じた。「歌右衛門」修業が着々進んでいると声援を送る。

* 新之助が実盛、正清、重善と演じ分けて、たいへん新鮮だった。こう並べた順に印象に残る出来で、科白廻しには難も魅力も混在したが、肉体的な圧倒感に正直魅惑された。実盛など、伸び盛りの頃の仁左衛門を思わせる美しさと大きさとで、一日も早く「海老蔵」になっての弁慶や暫や助六が観たくなる。まだ足りないのは、うまみ。コク。佐藤正清のような元気な赤面なら何でもないが、重善のような役になると勘九郎の法界坊などに遠く及ばず、仕草も科白も歌舞伎にならない。武蔵でつけたテレビ芝居の薄さ軽さがいつうまみを添えて歌舞伎へ充実して行くか、鼻を高くしないで、襲名までに上手に成って欲しい。十年後の歌舞伎の世界を支えるにちがいない、だがまだ荒削りな逸材である。

* 左団次の瀬尾十郎は立派で、今までの左団次で随一の秀逸であった。しかし松羽目の大名は珍しい見ものという以上に出来なかった。東蔵の前幕大久保市助(利通)から、太十で我が子光秀の竹槍に死に落ちる老母皐月への変身鮮やか、いつもながら、見やすく、よくやる人だ。亀次郎の葵御前は位取り正しく、次郎冠者では神妙の踊りで、存在を印象づけた。橋之助の太郎冠者は、おおまかだが熱演で、この人の踊りには素質の光る大きさがあり、父芝翫をよく学んでいるが、もっともっと貪欲に藝を喰って欲しい。その芝翫は悠揚せまらず、戸無瀬ではいずれ歌右衛門襲名の長男福助小浪の踊りを食い入るように見詰めていたのが嬉しかった。幸せな人である。

* 団十郎の西郷は、柄。勘九郎の純な豚姫の巧みな演技を大きく受け止めた。中村屋は、このさりげない新歌舞伎の名品を、美しく感銘をこめて胸の内へ送り込んでくれた。感謝した。幕切れのうまさ、これが例えば「末摘花」などにも活きたの、当代の持ち役といえる。
団十郎の光秀は、「夕顔棚の彼方より」わりとすたすたと舞台前面へ歩みでたのが物足りない他は、まずまずの実悪といえる。苦悩と勇気の演技の眼を、じっと眼鏡でのぞきこむと炯々と眼光が射返してきて、芝居見の醍醐味に身がそよいだ。勘九郎の十次郎は、適役、はまり役の、冴え渡って哀しい若武者ぶりで魅せた。あの感じのままで時には野崎村のお光や妹背山の二枚目でも娘役でもやってのける。

* さて扇雀丈は、実盛物語の小万と、素襖落の姫御前。小万は芝居の筋の芯に位置する難しい役で、いきなり死骸として戸板で運び出され、実盛の機転で、彼の切り落とした腕をもとの位置に押しつけると、はっと蘇る瞬時の機転がかんどころ、流石に巧みに息吹き返して、父に母に、いとしい我が子に声掛け合うて、また、ことりと落ちて行く。これが実は左団次演じる瀬尾十郎の娘、後の木曽義仲の乳兄弟として大活躍する手塚太郎の母である。この子役がうまかった。母の仇実盛が後年の「討たれ」を約束してやりながら、この小万の息子を馬の前輪に同乗させ闊歩する辺りは、楽しく懐かしく、新之助の情感がきもちよく流れ出ていた。
成駒屋の狂言、姫御前は、位を重んじて凛然と。ま、あんなところか。狂言の言い回しがもっと朗々と豊かに出ると、堂々の座頭格だが、左団次の大名とともに、今一段の勉強もの。

* 楽しかった。
2003 12・9 27

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