ぜんぶ秦恒平文学の話

歌舞伎 2013年

 

* 明日、七草粥の朝早くに、湖の本114が出来てくる予定。十一日には、我當が今年一番に「翁」をつとめる初春昼の部の新橋演舞場。十二日には歯医者へ。十四日月曜には俳優座劇場で山田太一さんの芝居。十五日には聖路加眼科へ。その翌日にも地元の佐藤眼科へ。十七日の大相撲十二日目は、まだ決めていなくて、十八日には演舞場の夜の部と、春から楽しみも満杯の大忙し。ぐっと気も体もこらえて乗り切りたい。腫瘍内科の今年初診は、二十四日木曜日。月末には、劇団昴の公演に。これでも昨年の毎月よりはラクかなあ。怪我だけは、無理も、したくない。
2013 1・6 136

* 三月の演舞場で、染五郎と菊之助の「二人碗久」がある。染五郎は一条大蔵卿も。吉右衛門のを観たばかりだが。
2013 1・9 136

* 年賀状のアドレスを記録する作業が、まだ半分。名簿は、だが、「仕事」の支えにも成る。この作業、眼の酷使にもなるけれど。
十時。明日は初春最初の外出、新橋演舞場、昼の部。夜の部は一週間後に。楽しみ。寒そうでもあるが。妻の脚痛の無事であって欲しい。
2013 1・10 136

* 新橋演舞場での初春大歌舞伎は、有難く、面白く、最前列の眞真ん中で、まっさきに「壽式三番叟」 親友・片岡我當の荘重端麗な「翁」に祝われ、きよまはってきた。手の届きそうな間近で目を見合わせているうち、嬉しくて涙が溢れてきた。息子の進之介が付千歳で出て颯爽と舞った。彼の舞台では最良と観たのも気持ちよかったが梅玉・魁春兄弟の衣裳も美しい三番叟・千歳の連舞いは、まこときびきびと面白うて、面色火照るほどめでたく感じ入った。これまで観てきた「壽式」で最良の清冽かつ優美な時空をあらわしていた。感激した。
次の「車引」では、三津五郎の梅王丸、七之助の桜丸が、荒事の所作、女形藝の所作が惚れ惚れとすばらしく釣り合い、歌舞伎の醍醐味とはこれかと美しい活人画の魅力に三嘆した。七之助桜丸の、いささかのおろそかも無い美しい充実ぶりが、父勘三郎の亡き今、彼も虚空で眺めて喜んでいよう、褒めてていようと、しみじみわたしも嬉しかった。こんなにみごとに一つに成りきった梅・桜「車引」の緊迫と高揚とは、初めて観た気がする。橋之助の松王丸も弥十郎の時平も、名題に昇進した巳之助の杉王丸も気張っていて、「車引」をやや軽く観てきたのを見直した。
三番目は、「戻橋」。幸四郎武勇の渡邊綱に、福助の扇折小百合実は愛宕の鬼女が果然挑みかかり、激闘の末、綱が鬼女の片腕を切り落とす。後に「茨木」で腕を取り戻しにくる、あの前場とも謂える面白い所作の芝居。美しいい大道具の景色を背に、幸四郎は剛毅に手堅い貫禄で向き合いながら、小百合の容色にも惹かれる味わいこまやかで、さすが。そして福助の変わり身が、これぞ、もの凄い。こまかに変化する所作を父芝翫亡きいまや名手の域の福助が、リズム豊かに舞いながら、化生の本性を見破られて大化けする迫力。面白さ。堪能した。
大切りは「ども又」こと「傾城反魂香」土佐将監閑居の場。吉右衛門と芝雀の夫婦愛が胸をうち、亡き雀右衛門の藝をつぐ父追善の芝雀がけれんみなく真摯にきっちりと女房おとくを勤めた。何と言っても、吉右衛門の「ども又」藝の切にして確かな至藝、それなしにはこの芝居は面白くならない。これまた、かつて何度も観た「ども又」の、最良の表現、達成であった。ああこんなに佳い芝居なのだと納得した。歌六の将監、東蔵の北の方、友右衛門の雅楽之助がみな手堅く主役の二人をさも鼓舞激励し、ども又神妙の至藝を引き立てた。ども又は切望していた土佐の名のりに光起という美術史にも燦たる名前を許される。嬉しさのあまりのどもまたの踊りも、吉右衛門は飄々かつ無邪気に踊ってみせ、大団円が楽しかった。

* 眼の不安定なわたしを労って、最前列の真ん中の絶好席を用意してくれた松嶋屋の番頭さんに、大感謝。おかげで我當の翁に祝い清められて来れた。ありがとう。

* じつのところ妻もわたしも体調よろしからず、立ち居にも歩きにも不自由し、銀座一丁目辺の鮓の「福助」でも食欲が湧かずに、一路帰宅した。しんどかった、だが歌舞伎は生き生きと楽しんだ。 2013 1・11 136

* 新歌舞伎座、四月、五月、六月柿落し演目・配役各三部制のの正式な綜合案内が送られてきた。わたしたちは、全九部をみな観たいのだが、そうはいかないと思う。全部を観れば観劇費用はたいそうかかるけれど、残生残日の歌舞伎最上の思い出になる。回数が重複しても観たいと、いま、希望の日程調整につとめている。
抗癌剤服用の副作用は侮りがたくじりじりと身に迫って容易でないが、乗り切って、歌舞伎を堪能したいもの、だが。
2013 1・12 136

* ほぼ全部の発送用意が出来、明日には送り出せる。疲れたが、これで「仕事」へとちょいと奮い立ったが、明日朝には「湖の本」115のゲラが届く。可能なら、大地震・大津波・原発破壊から満二年、三月十一日に刊行したいと願っているが、ま、その辺で。
十時になった。やすんで、寝床で本を読もう。明日、もう一日家におれる。明後日は演舞場の初春大歌舞伎夜の部を見にゆく。雪の溶けきるのが望まれるが。
2013 1/16 136

* 午後、地元の銀行から、印刷所や高麗屋事務所へ振り込み送金ののち、都内へ。銀座で、ふとわたしが見つけて、妻はちょいと洒落た新しい上着を買った。泰明小学校の前から新橋演舞場ヘタクシーで。
夜の部最初は、幸四郎、福助、梅玉、錦吾、高麗蔵らの、期待の「逆櫓」で。さすが手に入った役で、幸四郎は悠々威もあり格も高い船頭松右衛門じつは木曽義仲四天王の筆頭樋口次郎兼光を、科・白とも緊迫、美しく毅く演じてあわれ深かった。中央五列めの角席から、オペラグラスで高麗屋の眼を深々と覗きづめ、兼光の視線がまっすぐレンズを通して来るのをキャッチする楽しさは、謂いようもない。わたしたちがその席に来ているとは、わかっているのだろう、いつも主役と対向の恰好の席をもらっている。作行の佳いかちっとした歌舞伎の秀作を先ずは堪能した。福助が花道の出てどきっとするほど横顔美しく、本舞台へ上がってからも濃やかな情愛を芝居の流れに棹さすように涙を隠し隠しよく表現していた。福助のこのところ幸四郎との共演は成績よく、阿吽のつりあい情け深い。

* 弁当場の幕間に座席まで夫人藤間さんがみえ、新年の温かい挨拶にくわえ、野暮なわたしなどの言葉及ばぬ瀟洒で繊細、舶来の長い長い襟巻きを、「暖かになさって下さい」と言葉重ねられて、頂戴した。品はむろん帰宅後にみたのだが、手にした軽さと暖かさとに驚いた。潤一郎の面白い作に、魔術かのように天空にうかぶほど軽い美しい織物が登場するのを、懐かしく思い出した。
新歌舞伎座柿葺落としの予約もこころよく容れてもらった。いつもながら、ご親切、篤く感謝。

* さて二つめ。市川團十郎病気休演で松本幸四郎の由良之助主演となった仮名手本七段目「祇園一力茶屋の場」。図らずも実弟播磨屋中村吉右衛門の寺岡平右衛門役との珍しい「共演」が実現して、それはもう大きな不幸中の幸いとなった。加えて中村雀右衛門一周忌の追善に次男芝雀のお軽が、亡父に手取り足取り教わったというすばらしい芝居ぶり。もともと力ある暦とした立女形ではあるが、今夜のお軽の美しさ濃やかさ愛らしさには手を拍って「めでたい」思いを満喫した。
幸四郎は、何といっても「本役」の威風と洒脱と覚悟を、彼本来の彫刻的演技力で豊かに表現、有難しと敬服した。レンズを通しての眼覗きも手応え、いや眼応えしっかりと楽しめた。吉右衛門のお軽兄平右衛門役は、もったいない程に大きく、軽妙な中に本気の覚悟がよく出た芝居ぶり。さすが。
御陰で、何度も何度も観てきた七段目の光彩、とびぬけて立派な舞台となった。うれしかった。楽しんだ。

* 大切りは三津五郎の醜女が笑わせる松羽目物の「釣女」で。美女の方は、進境いちじるしく美貌にも深みのでてきた七之助。亡き父勘三郎も喜んでいよう。踊りもよくなっている。
太郎冠者役の又五郎は適役で、わたしのよく言う「いい狂言顔」を活かし、軽妙な所作で三津五郎の晴れやかな醜女とのかねあいを無難におもしろく魅せてくれた。大名役の橋之助は美男で柄も大きいいい役者の押し出しなのに、キャンキャン発声の聞き苦しさにはいつもながらヘキエキ。よくテレビで商品を売り込む評判社長のキイキイ声、あれよりも頂けないワル台詞、なんとか自覚して直して欲しいがなあ。

* 芝居は大いに楽しんだ。だが高麗屋の奥さんに「どうですか」と容態を聞かれたとき、「しんどい」と思わず答えたように、体調はけっして宜しくはない一日で。弁当も、ほとんど食べなかった。食べないでいる方がラクなのだ、食べると上腹部が硬くつまり、息苦しくなる。空腹でいるとラクなのだ。だが苦くても灰を含むようでも、食べないといけない、体重が減って行く。
芝居のはねたあと日比谷のホテルの「ザ・クラブルーム」に久々に直行し、シャンパンのサービスで、好きな角切りステーキを頼んだ。置いてあるウヰスキーも直のダヴルで。ステーキだけが久々に「美味」かった。添え物はいけなかった。口直しのアイスクリームも口にあった。
帰り道でも何度か、ヨロケた。十分気をつけている。が、杖はとても手離せない。乗り物では、みかねてか、いつもどこでも席を譲って戴く。
十一時過ぎて帰宅。黒いマゴが喜ぶ。留守中の始末をつけて、やすむ。
2013 1・18 136

* 市川團十郎が急性肺炎で今朝急逝と。嗣子海老蔵が涙を堪えて健気に自宅前で報道陣に経緯を伝えていた。昨日は「元気」だったと。彼も癌を抱いて永く闘病していた。肺炎は怖い。

* それにしても中村富十郎が逝き、中村芝翫が逝き、なんと中村勘三郎が逝ってしまい、いままた市川宗家の團十郎までが逝去と。大きな大きな穴が歌舞伎界に空いてしまい、四月の新歌舞伎座柿葺落としがどんなに寂しくなってしまったことか。
團十郎の舞台は勧進帳の弁慶と富樫とを一日通し観劇の日の、昼の部弁慶、夜の部富樫で覧たのが最期。「だんだんよく鳴る成田の太鼓」といわれ、独特の花の匂うおおらかな舞台を永く楽しませてくれた、が、まだ六十半ば、惜しみて余りに大きい損失である。哀悼、耐え難い。
これで、元気な長老坂田藤十郎を至大の別格に、片岡我當、片岡秀太郎、市川猿翁、尾上菊五郎、松本幸四郎、中村吉右衛門、市川段四郎、坂東玉三郎、片岡仁左衛門、中村梅玉、市川左団次、中村魁春、中村歌六、中村時蔵あたりで、歌舞伎界の核心部を成さねばならない。坂東三津五郎、中村芝雀、中村福助、中村又五郎、中村橋之助、中村翫雀、中村扇雀、市川染五郎、市川猿之助、市川海老蔵、市川右近、片岡孝太郎、中村勘九郎、中村七之助、片岡愛之助らが文字通りの「花形」として熱演して貰わなければならぬ。同時に歌舞伎藝の芯や勘所、口伝などを若手に指南できる斯界の隠れた名人たちを大事に温存せねばならぬ。
病気になりがちなたいへんな重労働を整然と。敢然と果たし続けて藝を磨いている演劇人は歌舞伎役者。どうか摂生して事故にも事件にも病気にもつけ込まれないようにと、願います。
2013 2・4 137

* 凌いで凌いで、過ごしています。容態を自身を観察し続けていますので、時折からだのためちょっとしたいい発見も、考え違いの発見もあります。
大震災から二年は「原発」に意識をあつめて発言して行きますが、その辺から確かな切り替えが必要です。しかかりの創作三つのどれが起ち上がってくるか、作者は作者なりに息をつめています。
抗癌剤は去年の五月一日から始めました。なぜか「一年」と限られていますので、もう三ヶ月足らずで一応の卒業となり、あとは諸検査を断続するのでは。ま、新しい五月以降に元気をもっと盛り返したい。いまは日に日に体重が減っていき、これを挽回しなくては。
このところ懐かしい唄を聴いて、心を躍らせたり静めたりしています。「文学」という意識をまだまだ持たずにいた幼い日々に、わたしに「ことば」の運用を教えてくれたのは、たくさんな唱歌でした。これに好悪の批評をきつく浴びせながら、「ことばでの表現」を覚えていったという自覚があります。蛍の光で、「いつしか歳もすぎのとを あけてぞ」と歌いながら、「過ぎ」「杉の戸」いう斡旋を感覚出来たのも嬉しかった何かの発見なら、また「時鳥はやも来鳴きて」の、日常会話では口にしない「来鳴く」といった複合動詞のおもしろみに気づいたのも幼いが確かな発見でした。そんな発見のかずかずが後々の文章表現にかぼそいながら流れ込んだのでしょう。
たくさんな唄を聞きながら、ただ過ぎし時代への感傷だけでなく、往年の「わが教科書」を、また繙いている感じでもあります。
日本丸は座礁していると感じます。危険な危険な座礁からどう遁れて無事航海が続くのか、容易ならぬ舵取りが「政治」にも、「わたしを含む国民」にも求められます。
四月、五月、六月、各三部、九回公演のうち、どれだけ座席が手にはいるか、まるで入らないか、じっと期待しています。何人もの十分芯とも花ともなる役者が次々に亡くなったのを寂しいと歎いています。亡くなった小説家の丸谷才一とも安岡章太郎ともまるですれ違っただけですが、雀右衛門、富十郎、芝翫、勘三郎、團十郎は、身肉に食い込んできましたからね。
わたしは何もかもさらけ過ぎでしょうかね。これでも、時折は気にしているのですよ。
この日ごろ、柱や壁や手すりにつかまり、外では杖を頼んでいますが、とかく、よろめいてしまう日々です。余儀ない一人での通院や外出には重々用心しています。
みなさん、日々お大切にお過ごし下さい。
2013 2・9 137

* 昨日の強風と寒気は終日、凄かった。バスを待つ間も、有楽町から日比谷日生劇場までも、難渋した。
しかし、高麗屋松本幸四郎の、子息市川染五郎の大怪我を克服して無事歌舞伎舞台への復帰を告げる「口上」は、観客の大拍手で迎えられ、XC列花道脇の角席という絶好席を貰っていたわれわれも、心より安堵し、今日あるを喜んだ。開演前に、高麗屋夫人、染五郎夫人や番頭さんたちにお祝いを言い、歓迎と御見舞のにこやかな挨拶をうけ、ああやっと高麗屋に平安・安心の日々が復ってきたと実感できた。わたしの方は、妻につき添われ強風の中涙目でよろよろとやっと劇場に入ったのだが。

* 幸四郎「口上」が済むと幕が落ちて、見渡す限り花桜の「吉野山」で。ああ、めでたい、美しいと、日頃よりもなつかしく大舞台が眺められた。成駒屋福助の静御前の出、花道の姿・衣裳の美しさをわたしは至近の席から堪能した。この数年めきめきと充実している福助のいわば確かさと柔軟なゆとりを瞬時にまたも納得させる花道芝居であった。やがて、初音の鼓に惹かれて花道の迫り上がりへ怪我癒えた染五郎の狐忠信が現れ出ると満場安堵と祝福の喝采で。忠信の所作もきびきびと美しく、静御前との優しい情愛も、親狐を偲ばせる鼓への狐忠信恋慕の風情も丁寧に元気に演じられて、心より安堵した。絡みの花四天、率いる逸見藤太は珍しく八幡屋中村亀鶴がおおらかに。小品ながらすみずみまできっちり、しかも美しく面白く創られた春爛漫の舞台であり、この上出来の所作事でめでたい幕を明けたのは成功であった。楽しんだ。なによりも染五郎の美貌が「切られ与三」のように傷つかなくて本当に良かった、良かったと思った。狐六方でひきあげる花道の染め高麗に「良かった、よかった」と思わず声かけていた。

* 次は、河竹黙阿弥没後百二十年を記念した通し狂言「新皿屋舗月雨暈」で、これはもう幸四郎の「魚屋宗五郎」が圧巻の大芝居。ちょうど五年前の正月歌舞伎座でも、その前の時蔵が女房おはまを演じた舞台も幸四郎(宗五郎)らの舞台をおもしろく観ていたが、今回この日は、福助が大名磯部の愛妾お蔦と、宗五郎女房おはまを演じ分ける面白さ、また錦吾(宗五郎・蔦の老父)、高麗蔵(愛妾蔦の侍女)の以前に倍した存在感などもあり、亀鶴の小奴三吉も巧みに場にはまって宗五郎秀逸の活躍を引き立てた。幸四郎は所作・台詞とも例の犀利な刀で彫みあげつつじつに自然体で演じ尽くせる名匠ぶりを遺憾なく発揮して、わたしを心から喜ばせてくれた。染五郎の復帰舞台を引き立ててやる父の気概がみごとだった。染五郎も酒のあやまち、讒言を聞き入れたあやまちから愛妾お蔦を不義の咎で手討ちにしてしまった大名役を神妙に勤め上げた。彼は以前の舞台では三吉役をして軽妙だった。
それにしても、成駒屋中村福助が、吉野山の美しい静御前、艶冶な愛妾お蔦、勝ち気で律儀な宗五郎女房おはまの三役を、とことん面白く演じ分けてくれたのもこの公演の佳い花形であった。

* ロビーで奥さんと若夫人とにお祝いをもう一度告げてから、相変わらずの強風のくぐるようにお向かいの帝国ホテルのクラブに入った。土曜日でひっそり。キール・ロワイヤルで乾杯し、妻は三種の中華料理の小皿を、わたしは前回通り和牛の角切りステーキを頼んだ。次年度の再契約もし、コニャックも欲しくて手頃なヘネシーを置きにしてきた。気を励ましてヘネシーをのみに来たくなるといいのだが。
丸ノ内線と西武線を乗り継いでなんとか無事に帰宅したのが十一時前。なにもせず床につき、今朝は十一時までほぼ安眠した。
2013 2・17 137

* 大嬉しいこと、四月新歌舞伎座柿葺落しの座席券が三部とも揃って送られてきた。バンザイ。感謝。三年待ってきた。嬉しい。
若くして市川團十郎の逝去、中村勘三郎の逝去は悲しんであまりあるが。きっと新劇場中宇で感無量観劇するのだろうなと故人を心底悼む。
それにしても、なんという嬉しさか。

* 一部は「壽祝歌舞伎華彩 鶴壽千歳」で開幕する。最長老の坂田藤十郎に中村魁春と市川染五郎が競演のめでたさ。
二つめは亡き中村勘三郎に捧げて、遺児勘九郎・七助を含め故人と幼なじみの坂東三津五郎ほか賑々しく「お祭り」になる。
切りは、中村吉右衛門の直実で、坂東玉三郎、片岡仁左衛、尾上菊之助、中村歌六、中村又五郎ら、重厚の大歌舞伎。

* 二部は、通し狂言「弁天娘女男白浪」で賑々しい。尾上菊五郎が弁天小僧、日本駄右衛門が中村吉右衛門、ほかに松本幸四郎、市川左団次、中村梅玉、中村時蔵、坂東三津五郎ら数え切れない。昔、東工大の三人娘に頼まれ、前五列の中央席で観たのがこの華やかな狂言だったのを懐かしく想い出す。
切りには、常磐津が味わいの「忍夜恋曲者」の「将門」。これはもう坂東玉三郎です、付き合うのは妻が贔屓の尾上松緑。楽しみ。

* さ、三部は、大歌舞伎「近江源氏先陣館」の「盛綱陣屋」で始まる。盛綱は片岡仁左衛門、北条時政を親友の片岡我當、和田兵衛は中村吉右衛門、篝火は中村時蔵と、ずっしり豪華な顔ぶれ。
で、四月柿葺落し三部の大切りは、言わずと知れた松本幸四郎の「勧進帳」とは嬉しい限り。それになんと富樫は尾上菊五郎が対決する。楽しみ。義経は中村梅玉、真の役どころ。弁慶・富樫は言うに及ばず、楽しみなのは「詰め寄り四天王」のすてきな顔ぶれで、亀井六郎に市川染五郎、片岡八郎に尾上松緑、駿河次郎に中村勘九郎ととびきりの花形を揃えて押さえの常陸坊海尊には市川左團次損という凄いほどの豪華版、絶対に「詰め寄り」の魅力に酔わせて欲しい。こんな顔ぶれは、まさしく柿葺落しならではのご馳走であり、感謝、感謝。体力をつけて、三部通しの観劇にわたしも頑張ります。
2013 3・1 138

* 市川染五郎のブログ記事を妻が転送してくれた。きちっとしたいい挨拶で、力強く安心した。
2013 3・5 138

* 明日は、五十四年目の結婚記念日。夜の部の新橋演舞場、染五郎、松緑、芝雀らの「一條大蔵譚」と、染五郎、菊之助の「二人椀久」を楽しみにしているが、この体調で無事たどり着けるか。帰りは、タクシーで帰宅になろうか。
ま、休薬と決められた期間は、もう三週間余。その間に、劇的に元気回復できるといいが。
2013 3・13 138

* 生きてあること、その力を大切にしたい。
花形歌舞伎を観に出かけます。
2013 3・14 138

* 昨夜の歌舞伎は、予想を大きに上回る染五郎の一條大蔵卿のつくり阿呆と厳しい性根との演じ分け、とても初役と思えぬ公演で、案じていたこの前の叔父吉右衛門の大蔵卿には見劣りしないかとの懸念もみごと払拭され、むしろ美貌といい花形の年齢といい染五郎の精魂込めた勉強ぶりがしっかり胸に届いて頼もしかった。この染め高麗、この近年に数々の大きな初役を演じてきたが、諸先輩に見劣りしたこと無く、懸命の演技にいつも好感と満足を得て帰ってこれた。
昨日のもう一つの初役、名作とうたわれ久しく去年亡くなった富十郎と雀右衛門の所作事「二人椀久」、その椀屋久右衛門を染五郎は尾上菊之助との好コンビで、まことにまったりと深みある舞踊大舞台を見せて呉れ、わたしも半ば舌を巻き、妻は帰り道にも「よかったぁ」と嘆声・嘆賞を繰り返していた、たしかに美しい二枚目と美しく伸び盛りの女形との幻想舞台は、いかなる大先輩の大芝居よりもみどころに艶あり優あり花も満開の魅力に溢れた。玉三郎と菊之助の「二人道成寺」にもかって酔いしれたが、椀久の夢路にあらわれた遊女松山の菊之助はたしか再演、染五郎は初役と組んで水ももらさぬ哀婉無窮。よかった、よかった。ク゜ロッキーなのもふと忘れて劇場の空気を楽しみ歩いたりした。

* だが、「一條大蔵卿」で吉岡鬼二郎、妻お京を演じた尾上松緑、中村壱太郎にはダメを出しておく。台詞なく控えている間も常磐御前も大蔵卿も大切な長ぜりふ語っている。いい役者、巧い役者ほどそんな時をお休みとは考えず精緻に眼やかすかな所作で演技してくれている。ところがこの夫婦役は、その繊細な思い入れ芝居をわたしにも妻にも楽しませてくれなかった。
妻が贔屓の松緑は、所作の切れなど颯爽としてみごとな佳い役者だ、だが、科白の単調はなおらない、控え芝居もしてくれない。残念でならない。 壱太郎など、双眼鏡で眼をのぞくとはっきりにらみ返してきた。高麗屋も播磨屋も音羽屋も、染五郎も、菊之助にもそんなソツは全くないのだから、せめて松緑さん、気を入れて下さい。

帰りがけ染五郎の番頭さんから妻は箱入りのプレゼントを貰っていた。クラブで出して観ると函装の上に「市川染五郎」の名札があり、妻は惜しんであけるのをためらっていた。
クラブでは結婚記念日をシャンパンで祝ってくれた。妻は「なだ万」の弁当を、わたしは「伊勢長」のさいころステーキと「北京」の北京ダックをとり、口開けのブランデーを味わった。これがクラブへ来た目的であった。静かで、店のだれかれとも和やかに、落ち着いた。いい半日が過ごせた。前日らいの強風を避け、帰路は日比谷のホテルからタクシーを使った。
さすがに疲れていた。そのまま、休んだ。
2013 3・15 138

* 久しい友の島尾伸三さんが、優れた詩人でも作家でもあった父上島尾敏雄特集の雑誌「脈」を贈ってきてくれた。
もう一冊詩人の詩集を戴いたが、いま、その人の名前がどうしても思い出せない。この頃は日に何度もこういう失念をばらまいている。昨日は京都の西を流れる「桂川」がどうしても出て来なかった。もう何日も前から亡魂平知盛が義経や弁慶の船を襲う歌舞伎の外題がまだ何としても想い出せない、。大好きな演目なのに。ま、しょがないなあと半ばは諦めかけている。
2013 3・16 138

* なにかというと、新歌舞伎座のコケラ落としに行ける日を、浮き浮きと想って楽しんでいる。四月の一部、二部、三部とも通しで座席をとってくれた高麗屋に感謝もひとしお。さらに「盛綱陣屋」「勧進帳」の第三部を片岡我當君が送ってきてくれた。「湖の本」で四半世紀もお世話を掛けっぱなしの印刷・製本の担当さん夫妻をぜひご招待したかった。それも叶って、嬉しくてならない。

* 追いかけて、柿葺落し五月興行の一部、二部、三部通しの座席券が送られてきた。
一部に幸四郎・三津五郎・福助・魁春の眼に見える情味豊かな決定版「寺子屋」があり、
二部には、藤十郎の乳人政岡、幸四郎の仁木弾正、吉右衛門の荒獅子男之助という壮絶な「伽羅先代萩」があり、さらには絶対見逃せない大好きな好きな「吉田屋」を、仁左衛門、玉三郎が見せて呉れる。痺れる。
三部は吉右衛門の大柄で悠然の「梶原平三誉石切」に続いて、なんとなんと、絶品であった玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」が道行より鐘入りまで再演される。
なんという豪華さよ。嬉しい。

* 五月にはもう抗癌剤服用は卒業していると想われる。この月には、明治座で、染五郎、勘九郎、七之助、愛之助の花形歌舞伎もある。上村吉弥も出る。四月の柿葺落しに出演してきた熱気がどう顕れるか、これも楽しみにしている。
ペンと政治との身を揉みしだくような、十年前、そして二年前からの原発危害が終熄せぬまま「違憲の総選挙」を経て「違憲の安倍内閣」がアベノミクスとやらで浮かれるザマを、我が身には癌を抱きながらも、息苦しく批評し批判し慨き哀しみつづけてきた。上下三巻、昨今の単行本にすれば優に千数百頁もを、この上半年内に、「湖の本」114 115 116として刊行して行く、その心身過労と汚れとを新歌舞伎座四月、五月、可能なら是非六月もの「柿葺落し興行」で、めでたく盛況を祝いながら、徹底的に癒したい。
妻も、有りがたいことに、「四月五日には喜壽七十七歳」を迎える、豪華版の歌舞伎が祝ってくれるのだ、二人して新歌舞伎座の無事開幕を、わくわくして待っている。
2013 3・27 138

* さ、明日は妻の七十七歳「喜壽」の誕生日。喉の風邪で数日悩んでいたが、病院で治療も受けてきた。
とくべつ明日にはなにも予定していないが、もう十日のうちには新歌舞伎座四月の柿葺おろし興行を、終日、一、二、三部とも観る楽しみが用意してある。五月にも同様に用意してある。いま、夫婦して楽しむのにこれに越す嬉しい祝儀はない。
2013 4・4 139

* 毎日、玄関にならべ掛けた飛呂史の「鯉」、宇太郎の「猫・椿」の軸繪を満喫している。どちらも豊かに大きい。妻は椿下に凛とみひらいた猫を愛し、わたしは、堂々の鯉に日々賛嘆。
さて、新歌舞伎座の柿葺落し四月の観劇が待ち遠しい。
第一部「壽祝歌舞伎華彩 鶴壽千歳」「勘三郎に捧ぐ お祭り」「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」
第二部「弁天娘女男白浪」「忍夜恋曲者 将門」
第三部「近江源氏先陣館 盛綱陣屋」「歌舞伎十八番の内 勧進帳」
こう書き写してみるだけで、わくわくする。夢にも見てしまう。 2013 4・5 139

* なんとなくそわそわ、なんとなくのびのび過ごした。明日は、待ちに待った新歌舞伎座柿葺落し興行へ。
2013 4・14 139

* 開幕の「壽祝歌舞伎華彩 鶴壽千歳」 染五郎が新歌舞伎座柿葺落しの舞台を真っ先に踏んで登場。長老坂田藤十郎が若く美しい鶴として舞遊び、染五郎、魁春その他の若手が花やいで舞った。
次いで、亡き勘三郎に捧げる「お祭り」 嗣子勘九郎、七之助が立派に成長、いまや押しも押されもせぬ花形になっている。鳶頭の三津五郎の体重を消し去った綺麗な踊りがみごと。福助、橋之助以下若い大勢がはなはなと元気よく。いかにもお祭り。
弁当は、三年ぶりに「吉兆」で。一品一品おいしく、全部を食べた、なんと久しぶりのことか、さすがに吉兆。
第一部の仕上げは吉右衛門の熊谷、ひさびさ玉三郎の妻相模、菊之助の藤の方、力演歌六の弥陀六、それに美しい仁左衛門の義経と、堂々の布陣。吉の熊谷はさきごろも眼近に観て泣かされたが。

* 第二部は、「弁天娘女男白浪」を菊五郎の弁天小僧と左団次の南郷力丸が無難に浜松屋の幕を開けた。吉右衛門の日本駄右衛門、時蔵の赤星十三郎、三津五郎の忠信利平。稲瀬川土手のつらねはさすがであった。極楽寺の大屋根で割腹の菊五郎、なかなかの貫禄、さらに山門の吉右衛門も大きく、むかえうつ梅玉の青砥藤綱が、友右衛門と團蔵の赤星十三郎を従えての見栄も見映えした。彦三郎の浜松屋幸兵衛も落ち着いて、彼、近年重みを加えている。
「檜」の奥で、たっぷりと珈琲。
次いで、待ってました玉様 坂東玉三郎凄艶の瀧夜叉姫に、このお役はきっと嵌ると期待していたとおりの尾上松緑 大宅太郎光圀で「忍夜恋曲者 将門」はたいへん立派に凄みの一幕となった。玉三郎の美しさ、年輪を加えて圧倒的。彼女 いや彼はこういう凄みの役でひときわ輝く。

* 第三部の開場で、高麗屋夫人の手をとっての御見舞いを受け、しばし歓談。
我當君の番頭さんとも。おかげでお世話を掛けているお人の招待もできた。

* さてこそお待ちかね、先ずは「盛綱陣屋」は沈着盛綱に片岡仁左衛門はぴたりはまり役。豪壮和田兵衛に赤つらの吉右衛門がでかく大きく、そして北条時政に片岡我當が堂々の座頭役で音吐朗々郎の貫禄。満足した。高綱妻の篝火は時蔵、盛綱妻の早瀬は京屋の芝雀がなかなか立派だった。

* 弁当の幕間に、久しぶりに茜屋珈琲へ。なつかしくマスターと歓談、おいしい珈琲をたっぷり。妻は好みの白のグレープジュース。またこれからはこの店へ何度も来れるだろう。

だが何というてもこの感動豊かな大歌舞伎舞台を占領した役者は幼い幼い松本金太郎の小四郎だった、美しい声で科白の緩急もじつに確か、愛らしくも凛々しく、割腹しての最期まで満場の賞賛には何の掛け値もなかった。
この芝居は花道の出が数多く、高麗屋はわれわれのために花道ぎわの二列を用意してくれていて、満腹するほど楽しんだ。が、極めつけは、これあるゆえに観たくて来たくてわくわく待ちかねた幸四郎の大弁慶、菊五郎秀逸の富樫左衛門の鳴り響くような対峙・対決と和合の機微。義経にはいまや極まった梅玉を配して、四天王はなんと染五郎、松緑、勘九郎という花形の中の花形に老練の左次。弁慶以下これら面々が花道でわたしの目の前に立ち並んでくれたのだ、そして最後の最後弁慶の飛び六方の確かな気合いを手も触れんばかりに満喫させてもらった。泣かぬ弁慶が泣き、手をさしのべる義経。豪快な四天王の詰め寄り、弁慶の磊落にして寸時の油断もない舞踏のおもしろさ。食い入るようにこの大先達の演技を見つめていた染五郎、松緑、勘九郎。いつの日か彼らは弁慶をつとめて奮励するであろう、その彼らの舞台をも観てみたい。

* 待ちに待った、わくわくして待った柿葺落しに無事出逢えた。よかった。

* もっとも、新歌舞伎座へ向かう地下鉄で、あやうく隣席のお客の膝へよろけたりもしたのだが。
2013 4・15 139

* 新歌舞伎座六月柿葺落しの第二部、壽曽我対面と土蜘、第三部、御存鈴ヶ森と助六由縁江戸桜。座席券が届いた。第一部は申し込まなかった。難しいかと案じていたが、四月、五月、六月と、予約した計八部の全切符が入手できた。楽しみに楽しみにしてきた、感謝感謝。ぐっと立ち直って、元気を着々回復して行きたい。
2013 4・19 139

* 近時 毎朝夕に元気づけてくれるのが、玄関を護って偉容悠然の久保飛呂史画『鯉』の大幅。気宇浩然、こころよい限り。名作であることを疑わない。
今一つ、読み進んで日々に心嬉しいのは、高田衛さんに新たに頂戴した名著『完本・上田秋成年譜考説』で、論攷として真実優れているのはもとより、語弊をあえて顧みず謂えば、さながらの「物語」、信ずるに足るまさに『上田秋成の生涯』を成して在ること。すばらしいご馳走を一箸一箸さながら食する嬉しさで大冊を箱から出しまた箱におさめて愛読している。
もう一つ、心親しく手にして読み進んできたのが、市川染五郎君の贈ってくれた新著『超訳的歌舞伎』で。妙な題ではあるが、なかは楽しい歌舞伎案内ないしは歌舞伎役者である著者覚悟のいかにも健康で率直な披瀝本。巻末の、新猿之助との対談もふくめて快い読み物であった。文章も表現も溌剌として花形の雰囲気に溢れていた。
2013 4・20 139

* 晩 高麗屋一家のテレビ番組観る。白鸚が染五郎だった頃からの高麗屋贔屓で、はからずもというか、いつしれずご縁が出来ている。いまの幸四郎、染五郎、金太郎三代、それに松本紀保、松たか子の芝居はほぼ欠かさず観てきた。贔屓、親愛ということが生きの命の妙薬になることを心嬉しく感じている。
高麗屋さん どうかお大切に。みなさん、お元気に、怪我も事故もなく、ご活躍あれと。
2013 4・21 139

☆  陽春の候
皆様には御健勝にお過ごしのこととお慶び申し上げます。
此度、歌舞伎座新開場柿葺落四月大歌舞伎が開幕致し、染五郎、金太郎共々親子孫三代で舞台を勤めることが出来、本日盛況裡の内に千穐楽を迎えられました事、誠に有り難く、これも偏に日頃より御後援下さいます皆様方のお陰と心より感謝申し上げる次第でございます。
この後共歌舞伎をご愛顧下さいますようお願い致しまして、誠に略儀乍ら謹んで御礼のご挨拶とさせて戴きます。

ありがとうございました。
平成二十五年四月二十八日   松本幸四郎
2013 4・30 139

* もう何がなにやら世の中が情けなくて、自分自身も情けなくて、新聞もニュースもイヤになった。ほんとうに荷風晩年のあとを慕おうかと思ってしまう。
☆ 時運 の内   陶淵明
斯の晨(あし)た 斯の夕べ  言(ここ)に其の廬(いほり)に息(いこ)ふ
花薬 分列し  林竹 翳如(えいじょ)たり
清琴 牀に横はり  濁酒 壺に半ばあり
黄唐は逮(およ)ぶ莫(な)し  慨き獨り余(われ)に在り
* 黄唐は古の聖帝  黄帝と唐堯

* 陶潜ほど上等には出来ないが、思うまま歌も句も績み紡ぎたい。飛呂志の悠然雄渾の「鯉図」に励まされている。
楽しみはは、惜しみなく作り出す。
歯の治療をはさんで、やがて明治座の花形歌舞伎は、染五郎、勘九郎、七之助、愛之助。「実盛物語」「与話情浮名横櫛」「将軍江戸を去る」「藤娘」「鯉つかみ」と十分楽しめる。すぐ続いて新歌舞伎座の五月興行も、第一、二、三部とも終日盛りだくさんの名狂言をたっぷり楽しむ。そのあとへは、大相撲夏場所の席がとれてある。白鵬、朝青龍の優勝回数25回にぜひ並んで欲しい。そして月末か六月初めには秦建日子作・演出の「タクラマカン」に期待しています。
あ、そうとばかりは行きません。今日責了紙を送った「湖の本」116『ペンと政治( 二下 満二年、原発危害終熄せず) 』が十七日には出来てくる予定。力仕事の発送がある。ややや。

* さ、入浴。 その後、また小説を書き継ぐ。
2013 5・4 140

* 父團十郎を喪った嗣子市川海老蔵が、八月に第一回旗揚げのコクーン歌舞伎「はなさかじいさん」にうちこむと知らされ、すぐ予約した。どんなに悲しく不安であったか知れない、が、海老蔵は立派な男らしい笑顔を見せていた。新歌舞伎座柿葺落し三ヶ月の大切りを海老蔵は亡き父に見守られ「助六」を演じてくれる。そして松本幸四郎の「口上」で大きな大きな打ち上げになる。さ、わたしたちも成田屋の「助六」を観て高麗屋の「口上」が聴けるか、まだ吉左右は得ていないが、その助六の気概がコクーンに鳴り響くようにと期待している。「海神別荘」でも相性の良かった上村吉弥も参加している。楽しみだ。
2013 5・7 140

* ま、明日は憂悶を忘れ、花形歌舞伎を楽しんでこよう。今夜は早くやすもう。
2013 5・9 140

* 明治座 染五郎 勘九郎 七之助 愛之助の花形歌舞伎。昼の部の「実盛物語」はこころよく纏めた歌舞伎で、勘九郎実盛が亡き父勘三郎の口跡に似通いさっぱりと演じた。松島屋亀蔵の瀬尾が豪儀に演じていた。悪人の出ない、しかも実盛という清潔な武士一代をうまく要約してみせる気味のいい舞台。高麗蔵、吉弥、錦吾らがわきを堅め、七之助が小万の辛抱役。純熟には程遠い勘九郎の演習作だが、彼らしくすっきりと侠気さわやかな武士歌舞伎だった。今日の一の舞台と謂っておく。
午の切りは、お富・与三郎の玄冶店へ筋をはこぶ序幕見初め2場、中幕赤間別荘の2場。染五郎与三と七之助お富の見初めは、ま、お似合い。二人とも繪に描いたように、綺麗。さて玄冶店だが、何と云っても小型に纏めた印象で。染の与三が、すっきり若くて綺麗だがせいぜい二十歳過ぎのやくざと見えて凄み淡く、亀鶴の蝙蝠安は科・白の双方とも不出来で盛り上がらず、愛之助の和泉屋多左衛門にも貫目の不足は歴然。お富だけが気概と哀情をおおまかに美しく演じていたが、ぜんたいに小さい舞台になり、となると結末の甘さが目立って落ち着きの弱い幕となった。一種の運命劇なのだが、その凄みが消散気味であった。
夜の部開幕は「将軍江戸を去る」。染が将軍慶喜、勘九郎が山岡徹太郎、愛之助が高橋伊勢守。青果歌舞伎では好きな舞台の一つだが、これもまた演習的な纏まりの舞台になり、大時代のとじめとはじめとを無限の感動で結ぶちからにはやや及ばなかった。ま、勘の山岡の人だけは敢然としていたが。肝腎の中幕上野大慈院の場では不覚にすこしうたたねした。何といっても私の眼裏には亡くなった團十郎の将軍慶喜の像がしっかり残っていて、いまだに感動を誘っているのだった。染五郎には少し気の毒だった。
ついで七之助の「藤娘」は季節とも似合い美しい舞台、美しい娘役で、ま、申し分ないはんなりを満喫させてくれた。踊りもかなり巧くなっていたが、まだまだ振り付けだけをやや小さめに追い求め、湧き出る幻想美には届かない、同じ美しさでもそれは七之助の美しさで藤娘の美しさではないと見えていた。ま、ま、それは仕方がない、七之助は出逢うつど急成長を遂げようとしている。勉強している。あの玄冶店のお富さんにも、玉三郎や福助ら先輩の感化が微笑ましく観てとれ聴き取れていた。それでいいのだと思う。
大切りは愛之助大暴れ、本水を前三列真中央席のわたしたちにもしたたかふっかけてきた「鯉つかみ」で。ご愛嬌と謂っておく。

* 思いの外、はやく帰った。実際の乗車時間などはそうでないが、気分的に明治座はやや遠い。
2013 5・10 140

* 明日、歌舞伎座。三部通して。楽しんでくる。明後日午前に聖路加眼科。このところ、かなり強行軍。体調を大事に。
2013 5・13 140

* じつに充実の顔ぶれでの三部興行。

* 第一部 開幕は、能仕立ての祝儀物「鶴亀」は、梅玉の皇帝、翫雀の鶴、橋之助の亀に松江が従者。なかなかめでたく清められた。次が、幸四郎松王丸、魁春千代、三津五郎武部源蔵、戸浪福助、春藤玄蕃彦三郎、藤の前東蔵での「寺子屋」。やはり泣かされる。 一部の切りは「三人吉左 大川端庚申塚の場」を、幸四郎の和尚吉三、仁左衛門のお坊吉三、菊五郎のお嬢吉三という、寸劇とはいえ豪華版。当代これ以上は望めない。
第二部 開幕は「伽羅先代萩 御殿と床下」 「御殿の場」の政岡は坂田藤十郎、八汐は梅玉、沖の井時蔵、栄御前秀太郎、松島扇雀。実は眼の調子とてもわるく眼が開いてられなくて寝てしまった。「床下の場」の荒獅子男之助は豪快な吉右衛門、花道へ化けて出る仁木弾正は悽愴無限の幸四郎。むろんこれは大いに刮目して観た。
二部の切りは、待ってました仁左衛門の藤屋伊左衛門に玉三郎の扇屋夕霧でかもしだす優艶、そして勘当がゆり、千両箱をつみあげての身請け、おめでた尽くし。当代極めつけご両人にたっぷりあてられて、それが大の満足、待ちかねていた。
三部の開幕は、「梶原平三誉石切」は吉右衛門の梶原、菊五郎の大庭三郎景親、又五郎の俣野五郎景久、そして歌六が六郎大夫、芝雀が梢という堅実で大きな顔ぶれの面白くも気分良くも充実した歌舞伎。まとまりとしては、三部制この日の最右翼か。
弟、播磨屋吉右衛門は台詞を音楽にうたいあげ、兄、高麗屋幸四郎は科白を精微に美しく彫琢する。
さて、この日の大喜利は、待ってましたを十度も叫びたい期待も期待、焦がれて待った「京鹿子娘二人道成寺」の道行より鐘入りまで。所作は坂東玉三郎と尾上菊之助の息のあった自在で精妙な手ごとの連綿体。満場拍手と嘆賞と歓声とがやまず、美しい極みであった。妻もわたしも同じ二人の二度目の舞台を楽しんだのだが、いまさら、なにも云うまい。

* 柿葺落し六月興行の希望座席ももう確保されてある。
2013 5・14 140

* 推薦しておいた市川染五郎のペンクラブ入会が、滞りなく決まった。出久根理事を煩わせた。いま、染五郎自身の報せのメールを受けとった。へんに気を遣いすぎず、さらさらと、毅然と付き合ってほしい。いまや興行クラブといえる日本ペンクラブだ、軽薄な客寄せパンダに悪用されないで、舞台第一はむろんのこと、その上で自身の「ペン」そのものを磨いて欲しい、それがわたしからの願いである。「書く」ことにも彼はやみがたい意欲をもち少しずつ実践しているのを知っている。
2013 5・30 140

* とはいえ、四月抗癌剤の終了、湖の本のたてつづけの刊行と送本、歌舞伎座柿葺落の感激、加えて視野・視力の不安定と縦波状視という難儀、なんと新旧の眼鏡を八つも使い分けつづけて決定打のない頼りなさ、さらに立て続けの歯抜けと入れ歯、妻の執拗な座骨神経痛など、心身、やや疲労気味で小説にもすこし響いている。いっそ、体力回復と味覚回復を二本の杖にして、ひとり旅で気分転換をなどとも思うのだが。どちらかといえば、からだよりも、きもちが疲れているようだ。
2013 6・3 141

* 朝いちばんに、芥川賞作家李恢成氏より来信に重ねて、みごとなメロンと葡萄とで見舞って戴いた。忝なし。
昨日には市川染五郎氏が、銀座千疋屋から輝く黄金色の、初めて目にしたみごとに大きな枇杷を十二顆戴いた。過熟をおそれ、昨日から遠慮無くご馳走になっている。
2013 6・6 141

☆ (前略) 市川染五郎
秦恒平様
読む、書く、こととご縁のあることに、なるべくしてなった運命を感じ、不思議、思いがけず を楽しんで参りたいと思っております。
誠に誠に 有難く存じております。
2013 6・6 141

* 三年越し 満願成就の新歌舞伎座柿葺落し 四月、五月についで六月を大いに満足して観終えてきた。茜屋珈琲でやすんでから帰ってきた。十一時だった。
すべては、明日に。
2013 6・11 141

* 昨日の歌舞伎座、大盛況。期待通り、どの演目もすばらしい充実で満足した。わけて亡き父團十郎の遺志を負うた若い海老蔵がみせた「対面」の五郎時致、そして「助六」ともに魅力横溢の力演で、柿葺落を立派に仕上げてくれた。「助六」での幸四郎「口上」の音吐朗々の風格、「御存鈴ヶ森」幡随院長兵衛江戸前の貫禄も立派なら、「土蜘蛛」を演じてさすが雄大な菊五郎、いたつき頼光の吉右衛門、一人武者保昌をきびきびと演じた三津五郎、また「対面」の座頭工藤祐経を美しく大きく見せた仁左衛門ら、みな、これぞという好演でどの舞台も引き締まり盛り上がった。「対面」「助六」での菊之助が風姿よろしく、「助六」通人の三津五郎が軽妙に大笑いさせたのも役どころ。左団次髭の意休といい揚巻の福助といい満江の東蔵といい、持ち役を堅固に美しく演じてくれた。女形では「対面」「助六」で七之助が儲け役の女形を清楚に美しく楽しませ、「対面」「土蜘蛛」の芝雀も女形ぶりをひとしお豊かに見せた。米吉の新造がふっくらと上品に綺麗であった。三津五郎といういまや中堅の先頭をゆく役者の所作のみごとさを昨日はつくづく味わった。踊れるということの歌舞伎での大切さを目にやきつけた。
おかげで、まさしく三年越し、ぜひ観たいと願いつづけてきた新歌舞伎座開場の四、五、六月の舞台を満喫させてもらった。高麗屋の高配があってこそで、ロビーで声をかけられた幸四郎夫人と歓談のあいだにも礼を言った。これからも、歌舞伎を楽しみ続ける。ま、晩年へかけて、幸い妻といつもいっしょに楽しめる「歌舞伎」のあることを喜びたい。これだけは籤とらずに妻もよろこんで腰をあげる。外出はよわりぎみの夫婦にはかっこうの運動なのである。

* その妻が、劇場へ出向く途中、保谷駅でバスからおりるとき転倒したのには仰天した。幸い、大事にまで至らず終日芝居を楽しんだものの、肝をひやした。ほんとうに大事なくてよかった。
このところわたしは全身がちがちに強ばっていたのが、芝居と劇場とを楽しんでいる間にかなりほぐれて呉れた。根をつめた仕事が数日隙間なくつづいていて躰を芯まで固くしていた。また指圧と鍼とに出掛けたいが。
2013 6・12 141

* 七月の歌舞伎座、昼夜の座席券が届いた。前四列、花道へも近くて舞台へ視野のひらけた通路角という絶好席を選んでもらった。真ん中の最前列なんかだと「お岩」も「再(ごにちの)岩藤」も怖くて顔を上げられんぞと危ぶんでいた、有難くほっとしている。染五郎の伊右衛門、菊之助のお岩、松緑の岩藤。怖いぞぅ。
八月は渋谷でのコクーン海老蔵奮励の夏芝居、九月は歌舞伎座で染五郎の「陰陽師 瀧夜叉姫」 演舞場で幸四郎悪の華の「不知火検校」 さらに十月は国立劇場で高麗屋父子の「一谷嫩軍記」「春興鏡獅子」 と続く。また松嶋屋の我當も出るだろう。数ある診療通院のほかは、いまぶん観劇のほかはどうしてもからだが動こう、出て行こうとしない。
あさってだったか、松濤で万三郎の舞う「遊行柳」にも招待されているのを観たいが、渋谷駅から能楽堂への坂道を想うと二の足が踏まれる。こまったものだ。一つには能楽堂での招待席からでは舞台が遠い。今のわたしの目玉では夢としか見えないだろう、ま、それもいいいのだけれど。
2013 6・20 141

* 今日、市川染五郎とメールを交換した。梅原猛さんの『世阿弥の恋』は『超訳的歌舞伎』の著者には遙かに遙かに上等の佳い参考書になる気がしていて、そんなことをちょっと書き、彼は彼であのような「ヤマトタケル」の作者への思いも、それを演じて行く好きライバル猿之助のことにも触れながら、気持ちの良い返事を呉れた。高く高く伸び上がろうと励む真摯で謙虚な才能をわたしは愛でたい。がんばるという言葉はあまり嬉しくないが、やはりがんばって欲しいと期待する。
2013 6・25 141

* 明日は歯医者で、仕上がった入れ歯や差し歯が入るかも知れない、四六時中違和感に悩まされている。
そして来週には、歌舞伎座、染五郎、菊之助、松緑らの怪談の通し狂言、昼には骨寄せとも謂う「再岩藤( ごにちのいわふじ) 」と、夜は伊右衛門・お岩の名作「四谷怪談」。花道にもちかく視野ひろびろの絶好席で、しこたま怖ぁい思いを楽しむわけである。

* それでも日々の焦点は、小説を書き進むこと。
2013 7・4 142

* 「骨寄せの岩藤」尾上松緑が岩藤と鳥井又助を好演、よく嵌っていた。役どころを次々見定めて、安定そして突出、身に付いてきた。この黙阿弥作が軽快なほど分かりよく巧んで面白い。染五郎の多賀大領、安田帯刀の二役、菊之助の二代目尾上、お柳の方二役もそれぞれ大柄に大舞台での存在感を示し、みな初役ではないか。楽しめた。松也の花房求女がすこぶる美男。
「お岩と伊右衛門」では染五郎の初役伊右衛門に期待し、期待通り齢相応の大悪を力演してみせた。菊之助のお岩はたぶん武家の娘の気概と怨念とがきびきびと出るだろうと予測した通り。哀れさよりも凄みを前に出していたので、以前の中村屋のお岩のようには泪をさそうタイプではなかった。市蔵の按摩宅悦、團蔵の伊藤喜兵衛、萬次郎の後家お弓らが舞台をひきしめ、松緑が小悪の直助権兵衛をきりきりと。
批評家席に知った顔が並んでたが、みな爺さんになり面変わりがしていておかしかったが、だれより変わっているのがわたしであったろう、不審顔でそれとなくじじろ見られた。知らん顔で済ました。
染五郎夫人とロビーでしばし談笑。
吉兆は三階にあり、弁当場といえどもわたしも妻も上がり降りがしんどい。番頭に、値段はいっしょでいいから、予約すれば座席へ弁当を届けて呉れると人気上がるよと提案。むかし谷崎松子夫人と歌舞伎座二階正面にならんだとき、弁当場をみはからい茶屋から美しい弁当がちゃんと二人分届いたのを思い出した。
まだ新歌舞伎座、慣れない。売店は以前の方が風情があった。塩瀬の饅頭、生八つ橋、鯖寿司を買った。喫茶室の「檜」にいつも入る。

* 日比谷へ寄る気でいたが、雨になっていたので、帰った。さすがに、すこし疲れていた。怪談疲れ。
2013 7・8 142

* 「観世」から原稿依頼が来たが、辞退した。
松嶋屋から、海老蔵がきっとガンバルにちがいない八月コクーン歌舞伎の券が届いた。渋谷駅から炎天下を文化村まで坂をのぼるのは容易であるまいが、勘三郎のコクーン歌舞伎を引き継ぎ、海老蔵がまた大いに盛り上げてくれますよう願っている。楽しみ。歌舞伎は九月も十月ももう予約できている。
2013 87・18 142

* 明けの五時半に起きて仕事を続けた。午前中がしっかり永く使える。昼食してから三時間ちかく昼寝した。夜に目が冴えるならこういう一日にして行くのも道か。二十余枚、湖の本117のための跋も今日書いた。初校は終えてある。明日には印刷所に戻す。さ、これでまた「湖の本」発送用意へ入って行かねばならない。七月中にもう一度歯科医に通わねばならず、八月になると暫くぶりに聖路加へ、しかも一日になんと三科診察を受けに行かねばならない。一度で三回分通院が済むのなら、ありがたい。
そのあとへ海老蔵旗揚げのコクーン歌舞伎が待っている。楽しませてくださいよ。

* もう目がもたない。
2013 7・24 142

* 疲れました。眼鏡屋へ寄ってきたので、日曜までしばらく休息できる。湖の本117責了へ、また発送のための用意をして行ける。
月曜には、海老蔵奮闘のコクーン歌舞伎。
2013 8・7 143

* 本郷の医学書院に務めていた大昔の同僚が、突如、便りをくれた。六月の歌舞伎座で、杖をついて歩いている幕間のわたしを見つけたとあり、病気のことをべつの昔の同僚から聞き知って、「病気にはなっても、病人にはなるな」という言い伝えがある、「病人になっていない」秦さんを確信していますと励ましてきてくれた。有り難う。この人、かすかな記憶ではあるがわたしの部下であった時期もあり、まだまだ無名時代のわたしの創作の、ごく早い時期の読者の一人で励まして貰ったこともある、気がする。五十年近くも昔話である。

☆ 残暑お見舞い申し上げます。
突然のお手紙をお許し下さい。医学書院でお世話になりました****です。
6月11日(火)、歌舞伎座の第2部の幕間にお見かけしました。
杖をついておられましたが、お元気そうで、背筋を伸ばし、ゆっくりと真っ直前をみて歩いておられました。声をかけようかなと思ったのですが、一寸 ためらってしまいました。それから ずっと気になって……。
ひょんなことから向山**さんに連絡をとりましたところ住所を教えていただきました。
思いもかけない場所で、もし間違いでなければ偶然てすごいです、興奮です。
年をとりますと(71歳)、昔のことはただただ懐しいです。 1人暮らし( 10年前に夫に先立たれました) をしておりますと ネェネェ…と言う相手が(ツウカーでなくては)いないことが手紙などを書きたくなる理由でしょうか? …
お変わりなくお過ごしのことと…と常套句を書くところですが、大病をなさったと伺いました。「病気になるのは仕方がないが、病人になるな」という言葉があります。秦さんの日常が病人でないと確信しています。
お見かけしたことによる興奮を伝えたく、とりとめなく書きました。 ご寛恕の程。
この頃の気候は身にこたえる変化をしてくれます。くれぐれもご自愛下さいますように。2013.8.7 美

* お久しく。
お手紙ありがとう。お元気なご様子、喜ばしく、懐かしい。年久しくなりましたね。
歌舞伎座で、というのも心嬉しく。
わたくしは、もう久しく歌舞伎はほぼ欠かさず観ています。22キロも痩せて、貧血でひょろひょろしていても歌舞伎だけは、たいてい昼夜通しで観に行ってました、これからも行きます。
医学書院には、退社後は一度か二度、大昔に行ったかなという程度ですが、金原一郎昔の社長や長谷川編集長とは、亡くなられるまで良いお付き合いがありました。
向山は、退社後が寂しかろうと思いペンクラブに推薦して入会させ、わたしの理事仕事や委員長仕事の手伝いをしてもらっていました。入会できて彼は喜んでいると思います。
大病の前には、隅田川にかかった大橋を、全部、歩いて渡ろうときめ、ほぼ完遂しました。のんきなものでしょう。
そういえば歌舞伎の他に、大相撲の本場所桟敷席を、家内と二人だけで、昼間から時間かけてゆっくり楽しんでいます。
仕事は、まったく、わたし流に休むことなくつづけています。
「秦恒平・湖の本」はすでに二十七年へ向けて、117巻めの出版を九月に予定しています。
では。 お元気で。 七十七爺
2013 8・9 143

* 九月新橋演舞場の座席券が昼・松嶋屋、夜・高麗屋から届いた。
幸四郎を筆頭に、我當、左団次、秀太郎、魁春、東蔵、三津五郎、翫雀、橋之助、孝太郎という顔ぶれ。加えて、友右衛門、弥十郎、秀調、高麗蔵、さらに錦吾、由次郎、桂三、そして亀鶴、宗之助け以下の若者達。
昼の部は 我當出勤の「元禄忠臣蔵 御浜御殿綱豊卿」そして「男女道成寺」大切りに高麗屋の「河内山」。
夜の部は、松本幸四郎悪の華相勤め申し候「不知火検校」が極悪に徹する。そして三津五郎、翫雀の「馬盗人」。

* 今月三部制の歌舞伎座は避けて、渋谷文化村での市川海老蔵コクーン歌舞伎は、第一回の旗揚げ公演で予測が付かない、が、楽しみにして熱中症をおそれおそれ出掛ける。
2013 8・9 143

* 炎暑の中、副都心線で渋谷へ。「松川」で鰻重、独活の味噌和えで、酒一合。文化村コクーンで市川海老蔵の旗揚げ公演。松嶋屋のはからいで絶好席をもらっていたが、開幕「蛇柳」が、復活の意欲は買うとしても熟さず、終始体温の低い芝居で退屈もした。ここは海老蔵の性根に入ったかちっとした歌舞伎を観せて欲しかった。もう一つは外題も覚えられない巫山戯た題の「花咲爺」。宮沢彰夫明夫のチャチな脚本を宮本亜門が騒々しく演出した、わるいが、駄作。それでも海老蔵も、吉弥や市蔵もさすがに「役者」で、おめずおくせず力演してなんとか健気に盛り上げて行く。微塵も芝居を投げてなどいない、おかげで最後の最期には一滴ほろっとさせる。一にも二にも「役者」の手柄であり、宮本亜門の演出は不味くはないのにガサツでガッカリさせた。

* 芝居がはねてから立ち寄ったお隣り東急本店地下の食品売場は気に入った。観て楽しみ買って楽しんできた。
妻がもう副都心線渋谷駅までは脚がもちそうになかったので、東急前でタクシーを拾い地下鉄の原宿駅へ、そこから一直線に保谷へ帰ってきた。駅前できつい雷鳴とぱらつく雨にあったが辛うじてタクシーに乗れた。
2013 8・12 143

* 先日、歌舞伎座で見かけましたのでと突然便りをくれた元医学書院勤務の後輩、なんと「助六」河東節十寸会御連中に名を連ねていた。そうなっている事情は全然分からないが、あの無粋な医学書院の職場の印象を塗り替えるような話で吃驚仰天。御簾の奥に隠れている人たちゆえこっちからは見えないし、たとえ見えてもこの人らしき昔の同僚の顔もしかと覚えていない。おもしろい、不思議なことがこの世間にはあるもんだ。『ペンと政治』三巻を送ったが、「市井の片隅でいい加減に生きている私にとって身のすくむ思いがする内容です。襟を正さねば……」と。「又、どこかでの偶然の出会いを期待しています。今度は声をかけます。お元気でいて下さい」とも。はいはい。
2013 8・13 143

* 「九代幸四郎」と署名入り新著『松本幸四郎の履歴書』をもらった。その「はじめに」の一文が、高麗屋一代を代表する名文になっている。こうはなかなか書けるものでないと感じ入った。そのまま此処に紹介したくて堪らないほどだが、まだ店頭にならんでいないかも知れない。
九代目幸四郎、十二月歌舞伎座の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」では言うまでもない大星由良之助を勤める。新歌舞伎座開場の一年を締めくくる大切り公演であり、私にすれば「七七始終苦」の一年を卒業して「あした待たるる」七十八歳になる、また婚約して五十六年めにもなる、此の「師走」である。
玉三郎の道行と茶屋のおかる、染五郎の若狭之助と腹切り勘平、海老蔵が道行の勘平と七段目の寺岡平右衛門、菊之助の塩冶判官、七之助の顔世御前と六段目の女房おかる、獅童の斧定九郎など。そして誰が高師直をみせてくれるのか。
宝船をまつように楽しみに待つ。
2013 8・30 143

* 明後日は、演舞場で、我當の新井勘解由、幸四郎の「悪の華相勤め申し候」不知火検校などの歌舞伎を楽しむ。気がかりは病気降板した三津五郎。大事ないとよいが。綱豊卿など三役を誰が代わるのだろう。綱豊卿、友右衛門にやらせてみたくもあるが。梅玉か。
来週からが忙しい。火曜に歯医者、水曜夜に歌舞伎座、金曜には新しい湖の本の発送開始となる。第三週は緊張の連続になる。
2013 9・4 144

* さ、新橋演舞場へ。二週間後には妻の循環系数度目の検査手技を控えている。無事を願いながら、歌舞伎を楽しんでこよう。

* 新橋演舞場。まず、松嶋屋の番頭さんと歓談、清月堂のおみやげもらう。我當の舞台、お互いに寄る年波、元気な内に一つでも多く舞台を観ておきたい。
今日の座席は、期せずして昼も夜も同じ、四列目中央角席の絶好席。感謝。

* 病に倒れた坂東三津五郎に配されていた三役のも綱豊卿は橋之助に、橋之助の持ち役だった富森助右衛門は翫雀に、不知火検校の寺社奉行は左団次に、馬盗人の悪太は翫雀に。それぞれ適役で、翫雀にも橋之助にもいい勉強であった。さすがに何と言おうと片岡我當の新井勘解由の静かに毅然とした述懐の藝、立派でした。
もっとも「御浜御殿」の綱豊は一本調子に叫ぶ一方で、とうていあの真摯で温厚な後の将軍家宣の前身とはかけ離れすぎた。翫雀は出来る役者で安心していた。秀調の老女は見せたが、壱太郎のおきよは貧弱、魁春の江島は相変わらずの根深節。喋らないときは佳い女形なのだが。
橋と孝太郎の男女道成寺は観たこともないほど珍なもので、二人がじつ勝手勝手に踊りまくってアンサンブルの妙は皆目無く、孝太郎はなんだかむしゃくしゃの体で、鐘入り前から後まで一人で凄んで凄んでいたのが、めったに観られぬ見ものだった。宗之助を先導の聞いたか坊主らも安直。この舞台半ばで、長唄鳥羽屋初代の大名跡「三右衛門」を名人里長の長男文五郎が襲名披露されたは目出度かった。橋之助、孝太郎連名の投げ印手拭い、ひょいと妻が受けとめたのも一興。
幸四郎の河内山はもうご案内の通り。翫雀の松江侯は嵌り役でけっこう。左団次、高麗蔵がすずしく演じていた。最初の場で東蔵の
和泉屋清兵衛は勿体ないほどの品格で、秀太郎の後家おまきもこまやかな手ごとひとつで風情も胸を表し見せる。さすが。

* 高麗屋の奥さんと、夜の部のはじめに談笑。筋書き、もらう。

* 夜は久しぶりの新作もの大狂言不知火検校こと「沖津浪闇不知火」を、松本幸四郎が「悪の華相勤め申し」た。人情話に陥りやすい宇野信夫の作としては、悪に徹した男の生涯を律儀なほど勘定を付けて追い求めていて、それを幸四郎が「彫刻的」な刀の冴えで築き上げ、悪の極みの不愉快舞台をそれなりの「作品」にきっぱり創って観せた。立派な仕事ぶりであった。魁春、高麗蔵、亀鶴、桂三らに印象が有った。舞台の運びを二幕ものなりに手際に運んでくれたのもダレなくて成功していた。高麗屋、さすがに毅い。
馬盗人が面白かった。「馬」の活躍に大きな拍手。成駒屋の翫雀が、大和家三津五郎の家の藝を誠実に元気に達者に代役をつとめたのは勲章もの。この一幕があって、不知火検校のあくどい悪の華の火照りをきれいに洗い流してもらえた。三津五郎の健康で早い復帰を切に切に願う。

* 日比谷へ走り、クラブでこころよくヘネシーと山崎を味わいながら、角切りのステーキを。コーヒーを。妻は機嫌良くたっぷりのアイスクリームを。つつがなく、十一時には帰宅。黒いマゴがよく留守居を勤めてくれました。
2013 9・6 144

* 今日の歌舞伎座夜の部は、さして気が進んでいない。新作は、余程でないと、練れていない。勘三郎の平成中村座では出来た歌舞伎を新演出して存分に楽しませてくれたが、なかなかああは行かない。今夜の夢枕貘の新作「陰陽師 瀧夜叉姫」がどんなものか、かなり危ぶんでいる。昼の部の「新薄雪物語」を選ぶべきだったと思ったりしている。ま、明後日からはまた発送という肉体労働になり、来週には妻の検査入院がある。今夜は、染五郎、松緑、菊之助、勘九郎、七之助ら花形芝居を無心に楽しんできたい。

* 外出まえの体調あまりよろしからず、重苦しい。そして眠い。
* 夜の部「陰陽師 瀧夜叉姫」 どうかと危ぶんで待つ思いであったが、幸いにも大柄な歴史を背景に花形役者を適材適所に配して面白くみせてくれた。安倍晴明の染五郎が芯を品よくハメも外さず支えて座頭の面目を保ち、松緑の俵藤太も海老蔵の将門も所を得柄にもはまってしっかり面白く演じた。勘九郎の博雅三位は純良の人と藝とかるみとで舞台を静かに和ませていた。瀧夜叉姫の菊之助にはもっと華々しい活躍の荒事でもあるかと期待していたが意外と温和しくしどころ少なめで気の毒に感じた。七之助の桔梗は今夜に限ってすこし滅入って見えた。国崩しの愛之助興世王の役としての使いどころは面白かったが、なんだか彼はこのところこんなえげつない役ばかりしている感じ。ワキのなかでは團蔵の小野好古が存在感をみせ、市蔵、亀蔵、亀三郎、亀寿らも楽しんでそれぞれの役に舌鼓をうっている感じ。総じて、荒唐無稽の空疎さにならずかっちりと波瀾の舞台を楽しませてくれた。大道具の展開がなかなか気が利いて大きく、上出来と褒めておく。新作としては及第点、ひとえに花形の若手が懸命のアンサンブルで成功への意欲を結集した成果と謂えた。よく出来ました。
舞台半ば、安倍晴明の染五郎が客席うしろから登場し、前五列め角席のわたしの真横で、はれやかに科白をいい笑みをこぼれていた。大サービス。

* 高麗屋の若夫人とも開幕前に談笑、妻は番頭さんに筋書きをもらっていた。

* はねてから、茜屋珈琲のカウンターで休息、マスターとたくさん談笑。かれからは梨園のいろんな話が聴ける。
手洗いに、今夜はひときわ愛らしく雅に花が生けられ、おもわず写真に撮った。
生け花といえば、いま幸田露伴の考証「一瓶の中」を読んでいる。露伴は生け花の歴史に通じまた生ける技にも驚くほど長けていた文豪。花に限らず、万般暮らしの技にくわしく優れて長けていたのは、彼の家系のもともと幕府のお茶坊主だったことが与っていた。なんでもかでもじつによく心得て子女も薫育し至らぬところが無かったのは、幸田文、玉青らの書いた物が雄弁に証言している。
わたしは、比較的多くこの日録にも庭咲きの花や葉やまた生け花への愛好を隠さないでいる。一つには秦の叔母つる、玉月が御幸遠州流家元直門の教授だったこと、裏千家の茶の湯よりも年永くはやくから稽古場をひらいていて、わたしはその場の空気に小さい頃から感化されていたのだ。わたし自身は手づから花を生けるというのではないが、妻のそれにいつもちょっと手を添えたり口を出したりしている。身におびた嬉しいありがたい財産のようなものと感謝している。
2013 9・11 144

* 十月の歌舞伎座、「義経千本桜」昼夜の座席、松嶋屋から着到。国立劇場は高麗屋の当番、「一谷嫩軍記」と「春興鏡獅子」で。 2013 9・13 144

* 夜、歌舞伎座で安倍晴明を演じている市川染五郎に密着取材の番組を、興深く観た。
2013 9・18 144

* 目覚めたまま、夜中に文庫本をたくさん読み、さらに、贈られていた『松本幸四郎 私の履歴書』をずんずんとたくさん読んで敬意を覚えた。ペン会員に推薦した人ではあり、かねて、書簡の往来や書物の贈答はあるが、その九代目幸四郎と、舞台の外で会ったことは一度もない。だいたいそういうことがわたしは苦手なのである。舞台だけは、歌舞伎と限らず、十年来機会ごとにほぼ全部観てきて親愛している。その親愛を、この「履歴書」はきちっと裏打ちしてくれて、表白・表現が簡潔に読んでおもしろいのである。みなさんにもお奨めしたい。
2013 9・27 144

* 今日はもう文庫本を十数册読んでしまっているが、これからの日々はますます眼に過酷になる。思い切って「交響する読書」は、当分小説を主に「クインテット」に縮小する。①小説を書く ② ホームページに私語する。 ③ 湖の本新刊を続ける。 ④ 「選集」構成のための校正作業。 ⑤ きまりの五冊読書を楽しむ。この最低五つの「仕事」でわたしの日々はハチ切れる。 楽しみは、歌舞伎など。
今日、喜多流の名手友枝昭世の十一月文化の日友枝会の招待券が届いた。昭世の演じるのは「烏頭」。凄艶の舞と謡を期待している。十月には国立劇場の歌舞伎、そして歌舞伎座の昼夜通しが待っている。

* 茨城県の北部で、夜、つよい地震。 そして、九月尽。
2013 9・30 144

* 今日も決めた「仕事」はそれぞれに漏れなく打ち込んで出来た。眼はもやもやと霞んでいるが、もう十一時半。やすもう。書きかけの小説ともじっくり付き合った。『みごもりの湖』とも、しみじみ付き合った。maokatさんからの名酒「白菊」も楽しみ、開新堂さんのクッも戴いた。今週には、国立劇場の歌舞伎がある。久しぶりに染五郎「春興鏡獅子」、弥生も獅子も、それに金太郎クン團子クンの蝶の舞いも楽しめる、そして幸四郎の熊谷直実。
幸四郎は連載した履歴書を、テレビで率直に真摯に語り直していたのがとても善かった。共感した。
2013 10・6 145

* さ、今週は国立劇場で、「一谷嫩軍記」と「春興鏡獅子」。
2013 10・9 145

* 十二時に『一谷嫩軍記』の「陣門」「浜辺組討」の場の開演になる国立劇場へ、永田町から車で駆け込んだ。高麗屋の番頭さんたちに声をかけておいて、中央の角席、前から三列目の絶好席に妻と入った。『嫩軍記』は二幕目に「生田森熊谷陣屋」がつづく。熊谷直実はむろん九代目松本幸四郎、一子小次郎直家と、無官大夫敦盛とを市川染五郎。幸四郎の熊谷は、千回の上を演じている『勧進帳』の弁慶についで、『寺子屋』松王丸などとならぶ完璧にお手の物。今日は、剛毅に古風に、哀れも深く、陣門、組打、陣屋を通して説得力豊かに演じてくれた。ときに発する大音声の力量が圧倒の魅力だった。左団次の弥陀六が質実に演じ、友右衛門の義経役がめずらしかった。もう何度か演じさせたい。
国立劇場の染五郎をみるのは久しぶり。
もう以前、舞台でさかんに踊る彼は、手の届きそうなわたしの目の前で、奈落へ落ちる大怪我をした。忘れもしない、わたしは座席にいて心うつろに茫然とした。幸い奇跡的に彼はりっぱに回復し、新歌舞伎座の柿葺落しには、誰よりも先、いの一番にめでたい舞台を踏んで颯爽と登場した。以来、梨園の花形筆頭に立つ彼の大活躍は誰の目にもめざましい。
今日の舞台では、『嫩軍記』につづく『春興鏡獅子』の美しい弥生と勇壮無比の獅子とで満場を魅了した。おみごと。胡蝶の精に、幸四郎の孫、染五郎長男の金太郎クンと、市川猿翁の孫、市川中車(香川照之)の長男團子ちゃんとが無双の熱い競演で喝采を浴びた。たいしたものだった。
熊谷直実の大歌舞伎と、艶麗そして豪快な鏡獅子の舞。高麗屋三代が大活躍の舞台の佳さ、確かさ、美しさに魅されて、気も浮き浮きと劇場をあとにした。幸四郎夫人とも染五郎夫人とも、こころよく話し合ってきた。

* 麹町までをゆるゆると歩き、五時半の開店を待って馴染んだ「登龍」に入った。スッポンのスープ、北京ダック、海老の入っていた特製の粥料理、そして白菜と貝柱などとのとろとろの煮物。わたしは、マオタイと紹興酒の加飯。ひさしぶりに心のどかな嬉しい美味い食事ができた。
麹町から有楽町線で一路保谷へ帰った。
2013 10・10 145

* 先日来、何度となく高麗屋のテレビ談話を聴く機があった。今夜は讀賣テレビのインタビューだった。聴き手が三人も並んでながら、なんとなくモノの聴きようが上滑りしたが、幸四郎はしんぼうよく静かに率直に話していた。彼からは、もうそろそろ能の名人達がのこしたような「藝談」の聴ける、もう決して早すぎない時機だと願っている。
2013 10・11 145

* 歌舞伎座 通し狂言『義経千本桜』昼夜を楽しむ。片岡我當も梶原平三景時役で出勤。
序幕「鳥居前」は菊之助の義経、亀三郎の弁慶、亀寿の笹目忠太、梅枝の静御前など、若い若いの勉強ぶり。そういうことの殊に大事な折、大名題クラスにからだの故障が続こうとしている。三津五郎が休み、仁左衛門にも来月は代役が立つとか。富十郎、雀右衛門、芝翫、勘三郎、團十郎をつづけざま喪ってきた。若い役者がしっかり藝の幅も深みも確かさも掴まなくては。幅も深みも確かさも容易でない。時間というものすごいブレーキがかかるのを根気よく辛抱して乗り切らねばならない。菊之助や孝太郎のレベルで一人前に見て仕舞っては大きく過ってしまう。序幕では松緑の源九郎狐だけが及第。
二つめの「渡海屋・大物浦」はさすがに吉右衛門、梅玉、芝雀、歌六と出揃い、又五郎、錦之助も助けて、大きな舞台になった。吉右衛門のうまさは言うまでもないけれど、凄絶の境涯にうまみが出過ぎると胸に迫るものが割り引かれる。こういうところは幸四郎の凄絶が立ち勝るのではないか。芝雀が、このところ観るたびに充実、立女形の力量が確かさを増している。子役安徳天皇の口をついて出た辞世の和歌にほろっとした。子役はけっしてバカにしてはならない。そして、さすが梅玉。序幕での菊之助の義経とは天地の差。おみごと。
「道行初音旅」の藤十郎の上方舞の底知れぬ柔らかみと確かさ美しさ、さすがの絶品。力を節約しているのではない、時空の肌と戯れているのだ。菊五郎の忠信、おみごと。吉野山は所作事の名品とはいえ、さすがに藤十郎とならんでの菊五郎の本格が舞にも顔にも思いにも美しく溢れた。このところ菊五郎好調。自愛されよ。そしてわたしの贔屓の團蔵逸見藤太の飄逸、序幕での亀寿との大ちがいを納得させての見ものであった。佳い役者だ。
弁当場には「吉兆」を予約しておいた。この店では何と言ってもいつも「鯛」の造り。
昼の部のはねたところで「茜屋珈琲」へ。すっかりこの店のカウンターでの店主との交歓が身に付いている。わたしは珈琲、妻は特製のジュースと、おきまり。梨園のいろんな話が聴ける。
夜の部、開幕前に地下売店で、黒いマゴに新しい鈴を買う。

* 歌舞伎座夜は、「木の実・小金吾討死」から。ここはあとへ繋いで話の通りをよくするには在っていい幕だが、筋を掴んでいる者には、ま、寝ていても済む。東蔵の若葉の内侍はちと気の毒。梅枝の主馬小金吾は序幕の静とともに抜擢の活躍だが、歌舞伎の醍醐味にはまだまだ。秀太郎の小せんは圧倒的な人気の持ち役で、他の役者のを観たことがないほど。仁左衛門がいがみの権太で出演してくれたのは今月の感謝、休演代役かと危ぶんでいた。ここは市蔵、歌六と顔も揃って、放っておいても芝居が前に向かう。
「すし屋」は充実する。何といっても仁左衛門のいがみの権太、秀太郎の女房小せん、それに長兄我當の梶原で、松嶋屋三兄弟の競演、こういう機会がおいおいに難しくなるかと思うのは寂しい心細いかぎりだが、昼夜とも絶好席を用意して貰って、幸せな十月公演になった。三位維盛に時蔵、お里に孝太郎、母お米に竹三郎、鮓屋弥左衛門に歌六、東蔵の若葉の内侍とがっちり顔を揃えて、品格風姿の我當の梶原が座を鎮めたなかでのいがみの権太の悲しい最期になる。仁左衛門にあわれにじみ、その分、「いがみ」の権幕はひき沈んだ。仁左衛門は心優しいのである、せっかく療養自愛せよ。
「檜」の、珈琲、紅茶で休んだ。
大切りは「川連法眼館」での源九郎狐忠信。菊五郎懸命の力演。この役は狐のそぶりみぶりの「はやさ」を魅力にしつつ哀れを醸して行くので、老体には厳しいが。音羽屋総帥菊五郎の蓄えた芯の確かさで演じぬいた。この場の狐忠信にこそ子息菊之助を宛ててもよかったろう、先に出るほんものの四郎忠信の稟烈の武士を父菊五郎の最良の威風と行儀とで満場を魅了しておいて、狐忠信に颯爽とした子息菊之助を出してみるという配役もまた至妙ならずや。ここでも梅玉の義経、時蔵の静御前、そして團蔵の駿河次郎が大舞台を立派に盛り立てた。権十郎の亀井六郎、彦三郎の川連法眼、秀調の飛鳥もしっかりと舞台を底支えしてくれた。菊五郎狐が、初音の鼓へ、「ととさま、はわさま」と呼びかけたときからわたしはずっと泣いていた。

* 歌舞伎座前から、車を拾い帝国ホテルへ。クラブでゆっくり、チーズを肴に、わたしはブランデーとウイスキー。妻は赤のワインをグラすで。「さいころステーキ」と呼んでいる旨い肉を分け合い、こころよく休息できた。銀座から地下鉄で、そして西武線で難なく帰宅。黒いマゴに「吉兆」の焼物「鰆」「蒲鉾」などをお裾分け。
夜更かしをしてから床についた。いい一日だった。

* たしかに元気回復ともいえるけれど、つまも言うが顔もからだも、まだまだ「細くてひ弱い」。杖をついていて、まだよろける。昨日は、玄関で少し低い倚子に腰を下ろし損ねて土間に横転して落ち、ドアで頭をガツーンと打ってしまった。一つには、運動不足のせいとも言えようか。
2013 10・17 145

* 先日、国立劇場で『熊谷陣屋』を観てきた。幸四郎だけでも何度も観ている。吉右衛門でも観ている。仁左衛門でも観ている。ほんとうに何度も観ている。感想もいろいろ有るとして、あの芝居で誰しも忘れがたい場面に弥陀六こと実は弥平兵衛宗清と義経との応酬がある。とても大切な場面の故に、その際は主役の熊谷がごく自然に舞台から退いている。源平二人の応酬はよく事情を尽くしていて、ほぼ付け加える何もない。だから、筋書きの解説などでも舞台での科白のやりとりを押し超えた宗清という人物の説明も特段の解説もしていないのが普通である。
舞台では亡き平重盛の遺志を践んで地下に隠れ住み、今は石屋だと名乗っているが、平家物語は、弥平宗清を重盛弟の頼盛譜代筆頭の忠臣だと「三日平氏」に書いている。浩瀚な物語で宗清の名が二度書きかつ語られているのはこの「三日平氏」以外になく、しかも歴然として「理想化」さえされている希有な平家武士なのである。その「理想化」を知ってみると、陣屋の弥陀六の造形に温かい佳い血潮が流れ込む。彼の名とそのような理想化の根の物語は、平家物語でなく「平治物語」のなかで知れる。知れはするが、実情のほどは「熊谷陣屋」での義経と弥陀六とでおおかた語り尽くしてもいるのである。

* もう十一時半。なによりも眼をやすめねば。
2013 10・22 145

☆ 創画展
今日観てきました。有り難うございました。何年ぶりかの創画展でしたが、以前に比べて華を感じる作品に出会えなかったのは残念です。
その足で博物館の常設展も覗きました。
上野公園がリニューアルされてから行きましたか?
噴水が無くなり池は花壇に囲まれ、全体に小綺麗に整理されました。休日などは動物園へ行く子供連れも多く、花見時の様な混雑振りです。浮浪者はボイコットされたのか見かけなくなり、私などは歩き易くなりました。
お元気でお仕事にお励み下さい。  泉

* 気も晴れようかと、新匠工藝会展も一緒に招待券を送っておいた。
上野公園などもう久しく見ていない。噴水が無くなったか。あの辺は小寒くなるころからは少し淋しすぎた。
わたしもこの展覧会へは行ってみたいと思っているけれど、妙に腰が重い。せいぜい出かけた方がいいのだ従前のように。久しぶりに根岸柳町、香美屋の洋食が懐かしい。
そうこうしているうちに十一月になる。早々に、友枝会、橘香会に能のお誘いがあり、紀伊国屋での俳優座公演にも招かれている。国立劇場での山城屋、成駒屋を芯の「伊賀越道中双六」通し狂言は、妻がさっさと松嶋屋の番頭さんに頼んでいた。息子の翫雀が老け、老体の藤十郎が美しく若く演じるのが楽しみなんですと。

* なんとしても矛盾と撞着の暮らしようではあるなあ。
2013 10・24 145

* 国立能楽堂の友枝会へ。 友枝昭世の「烏頭」と友枝雄人の「夕顔」を観て、体力限界で失礼してきた。馬場あき子さんと歓談。堀上謙さんと隣同士、開会前に小林保治さんと歓談。展示室でいい能面をたくさん観てきた。
昭世のシテはさすが、深々とした世界へ凄絶に誘い込まれ、しかも印象は静か。謡もすばらしかった。仕舞いも、雄人の謡もよろしからず、しかし「夕顔」のシテ小柄に美しく、源氏の世界もなつかしく、堪能した。
久しぶりの能村萬で狂言「酢薑」も観たかったが、足腰が痺れて痛みだしたので、よろよろと退散してきた。よろよろと池袋へもどり、帰ろうかと思っていたが、つい地下の寿司政、八海山で、中とろ、牡丹海老、小肌、海胆、穴子、鯖、ねぎとろ、鮑、そして玉でアガリ。シャリは極端に小さくしてもらってネタを楽しんだ。帰りの西武線で、湖の本118の再校を。能の前は眼をやすめ、能の最中ははじめ双眼鏡を使っていたが諦め、ただもう舞台を遠望していた。謡があり地謡があり三役の鳴り物があって、舞がある。強いて観ようとしないで、渾然とした美しさに身を任せていた。

* あすも同じ国立能楽堂での梅若橘香会。
万佐晴が三老女の大曲「姥捨」を舞い、棟梁の万三郎は舞囃子「木賊」。「姥捨」はしんどいので失敬し、期待の舞囃子と、狂言と、子役の頑張る賑やかな能「烏帽子折」まで観て帰ろうか、さて、身が保つかどうか。わたしの目のために、最前列の中央席をもらっていて、穴をあけては気の毒やし。
ちかぢか紀尾井町小ホールでは望月太左衛さんの会「鼓楽」もある。招待券を二枚もらっている。鳴り物ですかっとしたいが、行けるかな。
相次いで国立劇場では坂田藤十郎、中村翫雀らの通し狂言。これは必見。俳優座意欲の批評芝居も見逃せない。
相当な運動には成る、楽しみながら。
2013 11・3 145

* もう新春の歌舞伎座のしらせが松嶋屋から届いた。
片岡我當、新年早々の開幕に当たり役で知られる『時平の七笑』をみごとに聴かせて呉れるだろう、心嬉しいめでたい春の出だしである、道真は歌六。すぐ此の「昼の部」予約した。他に高麗屋が「誉れの石切」 播磨屋が「松浦の太鼓」と堂々の当たり藝。そして來年のうちには七代目歌右衛門襲名に立ち向かう中村福助が、市川染五郎と、「鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこひのむつごと)」でお熱いところを仲よく見せてくれる。
夜の部は、兄高麗屋の加古川本蔵と弟播磨屋の競演、御大坂田藤十郎の戸無瀬、中村魁春のお石の対決、さらに梅玉の力弥、福助の小浪という豪勢でかつ気の利いた趣向の、わたしが大好きな「山科閑居」で、果然、大歌舞伎の幕が明く。中幕は、梅玉、又五郎、福助、翫雀らの「乗合船」が賑やかに。そして大切り、井上ひさし原作の新作歌舞伎を染五郎、翫雀、孝太郎、それを我當の弟、仁左衛門兄の秀太郎が粋に引き締める。お正月はやばやの楽しみ、夜は高麗屋のお世話になる。

* 少し早いがやすむとしようか。
2013 11・8 145

* 初春の歌舞伎座夜の部を予約した。それにしても松竹、遠慮無く入場料を値上げする。若い客層を大切に迎えないと先で蹴躓くのが案じられる。
2013 11・9 145

* 国立劇場の通し狂言「伊賀越道中双六」は人気の三幕目「駿州沼津棒鼻の場、平作住居の場、千本松原の場」を、文化勲章の藤十郎と翫雀、扇雀の父子を芯に見せた。われわれ夫婦になによりのご馳走は、八十すぎている山城屋の矍鑠として綺麗に若々しい「呉服屋十兵衛」と、せいぜい五十過ぎ翫雀が八十歳という「老け」に挑戦の「雲助平作」の大熱演、しかも三列中央角という絶好席をもらっていた妻とわたしの触れあうほどの真横で、それはけっこうに、和やかな老若掛合いの藝でたくさん笑わせてくれたこと。えらいプレミアムのついたご機嫌で、終始浮き浮き、気楽に過ごしてきた。
もともと、この三幕目だけで観られる芝居であり、序幕、二幕目、また最後の伊賀上野での仇討ち場面などはどうでもよく、橋之助の唐木政右衛門には剣の秘儀や極意を極めた達人の品格も人間味も匂わず、ただただ大声の磊落ぶりが目立ち、興ざめ。むしろ脇を固めた彦三郎の風格、市蔵・亀蔵の存在感に感謝した。扇雀の平作娘も孝太郎の唐木妻も平凡。やはり三幕目だけで足りていた。藤十郎洒脱の存在感、翫雀の懸命の力演、それを真横で感じられ、幸いこの上なし。とはいえ老「平作」の一心に成ろう仕ようという演技の力みは致し方ないか、いますこし成るがままにまかせた自然の老いが観たかった。

* 送りバスで新橋駅まで行き、歩いて歩いてけっきょく有楽町、帝劇モールのなじみの「きく川」で鰻を食べてきた。キャベツの塩もみに塩からや骨焼きも添えて、酒は菊正二合。ひさしぶりの「きく川」にしみじみした。
2013 11・14 145

* 湖の本118は六日に出来てくる。そのあとへ歌舞伎座昼の部、また夜の部を楽しんで七十八歳になる。
2013 12・3 146

* 弥栄中学いらいの友人、日立の役員まで務めた西村明男くんから「両口屋」の銘菓をいろいろに頂戴した。やはり中学での友だち横井千恵子さんからは千枚漬をたくさん頂戴した。しきりに昔の同窓生たちや京都が懐かしい。新幹線に苦もなく乗れるようにはやくと願うのだが。尾張の鳶さんからは「気落ちしないように。元気で元気で」と活をいれてもらっている。気が沈むのは、何と言っても、世情の先行き。
明後日の、また誕生日の、歌舞伎座を楽しみに待とう。歳末、松本紀保の芝居もある。
2013 12・8 146

* プロポーズして56年め。昭和三十二年(1957)だった。黒谷はまだ紅葉に燃えていた。一枝を狩った。叔母の稽古場に持ちかえると紅葉を水盤にひたして畳に置き、一亭一客の茶をたてた。
56年の一年一年をまこといろいろに過ごして来れた。来れたことに感謝している。

* 歌舞伎座では仮名手本忠臣蔵、例の幕外へ人形が出ての「トザイ・トーザイ、エッヘン」の口上で贔屓役者達の名に拍手を送って、さて「大序 鶴ヶ岡社頭兜改めの馬」から。一の見どころは急遽療養の三津五郎に代った若い海老蔵のなんと高師直初役。天下の成田屋が師直役をやるなど当人も夢にも思わなかったろう、それが客には絶好の刺激的ご馳走で。そしてまた海老蔵が彼なりの工夫をおめず臆せずやり通して、この大序でも三段目「松の間刃傷の場」でも、この青年、人気や容姿だけでなくさすが毅い力、才能を確かに持っているなあとしっかり見直した。大序から三段目そして四段目「扇ガ谷塩冶判官切腹の場」への菊之助の判官がまた立派だった、以前に一度彼の判官を観たときはごわごわと堅苦しかったのに、今回のふっくらとおおどかな中から迸りでた刃傷の血気勘気が自然で美しかった。いい役者になって行くなあとますます嬉しかった。ずうっと以前に玉三郎と「二人道成寺」をみごとに舞ってくれた舞台と、今回の塩冶判官と。わたしは忘れまいと思う。染五郎は颯爽とした桃井若狭之助と情け深き上使石堂右馬之丞とをとてもすっきりと付き合って佳い舞台を支えていた。彼は、よく芝居の性根をいつも掴んでいる。
四段目「同 表門城明渡しの場」の大星由良之助を御大幸四郎はたっぷり大柄にしかも情け深く切なく、微塵の息抜きも乱れもなく演じて見せ、ああ忠臣蔵やなあと思わせてくれた。感謝。
昼の部の切りは浄瑠璃「道行旅路の花聟」清元連中もつきあい、美しい美しい玉三郎おかるのリードに、慎ましいまで真面目に踊る海老蔵勘平がただただ愛らしい「ご両人」を演じ、権十郎が軽快で妙味も余裕もみせた鷺坂伴内で満場を明るく楽しませた。

* 弁当場は「吉兆」の名にあやかった。

* 開幕前に高麗屋番頭さんに筋書きをもらい、四段目のはじまる前には奥さんが席までいつもの懐かしい笑顔で挨拶に見えた。常日頃は構わない格好で芝居にも行くのだが、今日は久しぶり背広の上下にネクタイもしていた。妻も、お気に入りのネットのスーツで。劇場への出がけ、ひどい雨にも降られずに済んでいた。
昼の部がはねてから茜屋珈琲でゆっくりやすんでマスターとも歓談、妻はこの店の看板でもあるらしい瓶づめジャムを進物によそへ贈っていた。

* 車で帝国ホテルに五時につき、五時開店の「なだ万」で、今日二度目の「和食」を堪能した。うまい酒の二本目をお店のねえさん二人が祝ってくれたり。ゆっくりと、子供達のことなど話し合った。
五階のクラブに上がり、わたしはヘネシーを、あとでコーヒーを。妻は抹茶のアイスクリームを。アルバイトに来ている顔なじみの画家とも久しぶりに繪の話をしたりして。

*  流石にこのところの疲れもどっと来て、用心に越したことはないと、日比谷から家までタクシーを使った。
血圧の上が、50を割り込むような数字も出て驚いた。仕事などみな休んで床に就き、荘子、ギリシア神話、アイルランド、オコナーの短篇、椎名麟三、八犬伝、ヒルテイなどを読んでから寝入った。
2013 12・10 146

* 読書の楽しみは少年の昔から、ほぼ生来のもの。もう一つの楽しみ、能・歌舞伎・演劇などり舞台好きは、いわば人生の所産。ことに、いつ頃からであるか、妻が、ほとんど見向きもしなかった歌舞伎にぐんぐんと身を乗り出してきてからで、観劇は一人でよりも隣席に連れのある方がなにかと喜ばしいのである。海外へも出ず国内の旅さえ控えがちにしてきた我々が連れ立って楽しめる歌舞伎や新劇は格好のばになった。
太宰治賞を受賞し作家生活に入ると程もなく、わたしは、本間久雄さんという読者とのご縁から、俳優座劇団の公演を観に行くようになり、いつしか劇団から毎回の公演に招待されるという嬉しい慣いが今日にまで続いている。それどころか加藤剛主演での漱石原作「心 わが愛」の脚本まで書かせてもらった。たいそう興味深い体験だった。後には、つかこうへいの弟子としてデビューした息子秦建日子が自作・演出する小劇場超満員の芝居も応援と批評かたがた楽しんで観に行くようにもなった。
俳優座との縁よりなお少し早く、歌人で喜多流の馬場あき子さんの手厚い手引きで、まず喜多流から、東京での能・狂言を楽しむ生活も始まった。喜多(実・得三、節世、昭世ら)、観世(榮夫)、梅若(万三郎)らの能をそれは沢山楽しませてもらってきた。
歌舞伎は作家生活に入ってからときおりには観ていたが、妻が一緒に歌舞伎座や国立劇場に着いてくるようになって、一気に爆発的に歌舞伎づけになった。歌舞伎を観ないつきなど無いほどよく歌舞伎座へ、国立劇場へ、演舞場や明治座まで、さらには大阪・京都・名古屋へまで脚をのばすこともあった。
わたしは、いわゆる通ではまったくない。能でも歌舞伎でも新劇でも、何の蓄えもなくただ好きで観るだけのど素人の分際で、好き勝手に褒めたりくさしたりの好き勝手をさせて貰っている。最低限、妻と二人で面白かったりつまらなかったりするそれだけで楽しんでいる。多年、がんばってきた自分たちへのボーナスだと思っている。幸い高麗屋さんとも松嶋屋さんとも親しみのご縁が出来て、なにかと有り難いお世話になっている。お世話になるのをさえ喜んでいるような次第。
大病の前は、もう一つ、飲んで食うというたのしみを大事にしていたが、これが、まだまだ情けないほど回復していない。案外にそれが善いことかも知れないし、よくないのかも知れない。
ともあれ、十九日には松本紀保らの「治天の君」という芝居を楽しみ、誕生日には歌舞伎座へ。
もう一月歌舞伎座の通しの座席券も届いている。二月には染五郎らの昼夜二つの通し狂言が待っている。中村福助の七代目歌右衛門襲名は実現するのだろうか、からだをしっかり直して溌剌とした出世襲名を期待する。三津五郎にも仁左衛門にも早くよくなって復帰して欲しい。
2013 12・15 146

* 明日七十八歳の誕生日は、歌舞伎座の夜の部へ入る。
2013 12・20 146

* 瀧津瀬の奔るように大勢さんからお祝いやご挨拶を頂いた。岡山の有元毅さん、名酒「八海山」で祝って下さり、嬉しく妻と一献。今井清一先生からは『浜口雄幸伝」二巻、ゆりはじめさんからは谷崎論ほか数冊もの著書と心嬉しい手紙を頂戴した。宮下襄さんには見事な「枯露柿」を沢山とお手紙、沢田文子さん、田村由美子さんには正月へのご祝儀ものと賀詞を戴き、大久保房男さん、徳島高義さん、金田小夜子さん、野沢利江さんらから誕生日に佳いご挨拶を頂戴した。新刊への払い込み通知も。青田吉正さん、高木冨子さんにはメールで祝って戴いた。心よりお礼申し上げます。
いまから歌舞伎座へ出かけるので、帰宅後にとっくりいろいろ拝見する。

* 歳末の歌舞伎、無事討ち入り本懐まで。染五郎勘平の腹切り、幸四郎の由良に玉三郎おかる、海老蔵平右衛門の祇園の茶屋。玉三郎のおかる、感嘆ものの好演で、いじらしくも愛らしかった。海老蔵が篤実真摯におかる兄の寺岡平右衛門を演じて感心した。この優は底知れぬものを内蔵している。染五郎はまさに役どころ、幸四郎は大きく気分良く演じて大年を締めくくってくれた。

* ただ妻の体調に乱れ有り、終演後はためらわずタクシーで一気に保谷へ帰ってきた。
有元さんに戴いた「八海山」を少したしなみ、紅茶とケーキで祝い治めた。
妻の回復を祈るのみ。余のことは、明日に。二十二日零時半。
2013 12・21 146

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