* 昨日は手術後、真夜中まで、病室のベッドで、裸眼、200頁近く再校ゲラを読んだため、さすがに今日は視力が宙に濡れて浮かんでいる。九時まえだが、今夜はもう休息しよう。
すでに湖の本128送本用意に掛かっている。二十二日朝に出来てくる。
この週明けは、月曜午後、腫瘍内科のCT検査、泌尿器科の利尿処方に、またも聖路加へ。水曜午後にも、今度は聖路加眼科へ。そのあと、楽吉左衛門から招 待の三越本店「萩・楽」展のレセプションに顔を出してみるつもり。さらに次週の火曜午後にも、腫瘍内科と循環器内科の診察。疲れないように要領よく湖の本 発送用意をしておかないと。二十二日の晩は、初春歌舞伎座、幸四郎の二条城の清正、久し振り玉三郎の吉田屋夕霧。待ち遠しい。 2016 1/9 170
* 二月は歌舞伎でなく、松たか子の舞台を観る。三月の歌舞伎は夜の部に、五代目中村雀右衛門を芝雀が襲名の口上があり、五代目「金閣寺」の雪姫に幸四郎 が松永大膳を仁左衛門が此下東吉、山城屋が慶壽院尼、梅玉が狩野之介という大歌舞伎で、歌六と錦之助も。大喜利の所作に、鴈治郎、松緑、勘九郎の「関三 奴」、幕開きには橋之助、菊之助の「相撲場」。
五十八年目の結婚記念日に観たい。大学の頃、専攻の仲間らと南座へ歌右衛門の「娘道成寺」を観に行った日、後見にまだ大谷友右衛門だった後の四代目雀右衛門が出ていて、食い入るように歌の踊りを観ていたのを、昨日のように思い出す。新五代目のこの三年がほどの進境は目覚ましく、この襲名、まことにおめでたい。月をあらためて是非立派な道成寺を観せて欲しい。
2016 1/12 170
* 湖の本128の出来までに余す五日。うち、火曜十九日は聖路加で心電図をとり、循環内科の診察と、CT検査結果を見ての腫瘍内科の診察と。発送用意がかつがつ間に合うかどうか。からだをやすめやすめ、働きたい。金曜は今年初の歌舞伎座。
2016 1/16 170
* 封筒への宛名貼り込みを終えた。明日は、腫瘍内科の診察と、心電図付き循環器内科の診察。みっちり時間が掛かるだろう。残っている作業 は、追加分の宛名書きと、出来本の受入用意。うまくすれば二十日中に用意出来、木曜二十一日は、束の間の休息可能かも。二十二日に湖の本128納品、しかし晩は初春歌 舞伎。湖の本発送は土曜日からになる。
2016 1/18 170
* さ、午後からは、二た月ぶりに歌舞伎座へ。しんから楽しんできたい。妻が疲れていないと佳いが。
* 開幕まえに茜屋珈琲で休息。四時を十分ほど押しての入場。
幕開きは所作事のめでたげな「猩々」を松緑が仕切って、猩々は、梅玉と橋之助。梅玉が老境を感じさせず温雅に美しい踊りを楽しませてくれた。橋の方は、 体は大きいのに小さくこせついた踊りでめでたい豊かさとまで行かない。しかし、連れての舞踊じたいはおもしろくて、しっかり楽しめた。ききりとした松緑の 彼なりの風格の清さも嬉しかった。松緑は年齢を加えれば加えるほど貫目もまして大きな役者になると思う、亡き父辰之助や祖父松緑のように。藤間の宗家、踊 れてあたりまえの上に「役」の把握がつよくなって行き、つれて表現も美しくなるだろう。
* 二幕目が期待も期待の祖父幸四郎の加藤清正と孫金太郎の豊臣秀頼で演じぬく「情」の熱と愛との名舞台、二条城の家康の招待に応じ大阪城から秀頼・清正 は推参する。関東方では事を巧んででもこの際に秀頼を討ち取りたいほどの腹がある。それを、秀頼清正は凛然と退けて退出して行く。その間の空気もびりびり 弾けるほどの緊迫のなかで左団次の家康と、少年秀頼、老境清正とがまことに立派に語りつ振舞いつ、微塵もつけいらせずにいわば「場面」をつくりそして事終 えて立ち去る。いわば、「安宅」の関の義経を守り抜く弁慶の芝居にもひたっと重なる。千度を越す勧進帳弁慶を演じてきた幸四郎にこれほどうってつけの役は あるまい、じつに立派に情けある清正の大きさ正しさで感動させた。わたしは一幕の二条城でも二幕の御座船でも、したたか泣いた。幸四郎の清正だけが立派に 大きかったのではない、なんと今年十歳の若き高麗屋金太郎の秀頼が祖父の清正をいっそ引き立てるほどのみごとな所作であり言葉であり、美しい一幅の絵に見 入るほどのすばらしさだった。これでは祖父幸四郎清正は感動いや増さずにおれまい、どんなにか頼もしく嬉しかろうと想えば想うだにわたしは感情移入して、 清正秀頼のためにも幸四郎金太郎のためにも泣かされた。わたしも嬉しかったし感動した。期待に違わぬ佳い舞台が完成されていて、もう言うことはない。
* 幸四郎夫人にも金太郎のお母さん(市川染五郎夫人)にも、ほとんど泣き笑いで、佳い舞台の観られた礼を言うた。三列目中央の角席で、最高の見映えがきく席をもらっていた。
* 三幕目は、わたしの大大好きな「吉田屋」で、現代歌舞伎の至宝、大和屋坂東玉三郎が美しい極みの花魁「夕霧」に、四代目を襲名して小一年、逞しいほど 実力を埋蔵した成駒家中村鴈治郎の伊左衛門がうじゃじやけての相思相愛劇。相思相愛ならではの殉情とすらいいたい二人なればこそ勘当され紙衣きての伊左衛 門のうじゃじゃけがいっそあいらしいくで笑えるのであり、成駒家のお家の藝が「勘当許りて」のめでたい正月場面に大きく転じるのがわがことのように嬉し い、だからこの芝居が大好きなのである。不愉快が微塵もない。四代目鴈治郎、むろん襲名の時にもたしか父藤十郎の夕霧で競演してくれたが、玉三郎の絶頂の美しさにひきたてられて、前回よりぐいっとしっかり「科・白」に生彩の伊左衛門、楽しませてくれました。
* 大切りは、染五郎(幸四郎の息、金太郎の父)が、頽廃の「直侍」片岡直次郎の凄惨な内面を、くっきりとむしろ美しいまでの諦め(明らめ)にまでしんみり と造形し、この役者の才能が盛んに増殖しつつある頼もしさを見せてくれた。「雪暮夜入谷畦道」というこの芝居の「直侍」でしられたこの幕は、嫋々と泣き嘆 くような新内にちかい清元が入って、江戸という都会に沈んだ深い沼のような頽廃を降る雪の寒さの底で味わわせてくれる。一場の一六蕎麦屋の味わいも芝居の 醍醐味なら、二場の花魁三千歳(中村芝雀)との逢瀬と別れも、せつない。わたしは京育ちなのに、こういう江戸のどん底のようなどん詰まりのような世界がむ しろ好きなたちであり、延壽太夫の清元にも聴き惚れた。芝雀は、この三千歳の大役を最後に三月には父中村雀右衛門のあとを襲って襲名興行に入る。この二三 年の芝雀のめざましい進境からして当然のおめでたい襲名である。むろん、観に行きます。
* どこへも立ち寄らず、銀座一丁目から地下鉄で一路帰宅。
2016 1/22 170
* 四月歌舞伎座 妻の傘寿を、持ち役染五郎の「松壽操り三番叟」で祝ってやりたい。後見役が難しいのを、人気の花形松也が引き受けているのも、みもの。
2016 2/18 171
* 「選集第十二巻」刷了。三月十日の出来は確実になった。三月にはいると病院通いもあるが、松本紀保が夭折作家久坂葉子を、俳優座の岩崎加根子の助演を得て主演する舞台、それに歌舞伎座の春歌舞伎もある。はんなりと好い春の訪れを待ちたい。
しかし、あまり間もあかずに「湖の本創刊三十年」記念の第129巻が出来てくる。またまた体を働かせた力仕事になる。本は、重いですねえ。
この記念の巻には、さらに桜桃忌を期した三十年記念の巻にも、すこしく頬の綻ぶ期待がある。
2016 2/24 171
* 帰国中のロスの池宮さんと辛うじて電話が通じた。こちらふたりとも間の悪い風邪気味で申し訳なかった。このところ電話まで不調であったが、すこしの間話せて良かった。送って戴いた「オールドパー」を独りでしみじみ堪能した。妻は風邪の不調で床にいる。
わたしも、明日一日の休養を頼みに、明後日の結婚五十七年を楽しむ歌舞伎座雀右衛門襲名興行に備えて休養したい。
* だめ。また機械の前で寝入っていた。ゆっくり休みたい。
2016 3/12 172
* 本送りで風邪をこじらせたか、妻の体調よろしくない。明日の歌舞伎座へも行けそうにないと。ムリを強いたかと気が重い。
* わたしも夕刻まで、心身崩れて休んでいた。
* 歌舞伎座、断念。ご近所にお頼みして、代わりに行っていただくことに。
雀右衛門襲名の口上、聴きたかった。我當も出るというのに。残念なことになった。 2016 3/13 172
* 結婚五十七年、 妻が風邪をこじらせ、歌舞伎座の雀右衛門襲名口上を断念、前二列中央の二席分をご近所の芝居好きな奥さんに差し上げた。雨、しとど。ま、こういうこともあるということ。わたし独りで出かけても意味のないことと断念した。
四月の、妻傘寿での歌舞伎座を楽しむとしよう。
* 朝ぬき昼の食事に、赤飯と豆腐汁と美味い酒とで、妻と祝う。
* 松本幸四郎丈ご夫妻、たくさんな花でお祝い下さる。夫人からも事務所からもお見舞いのメールをもらっていた。ありがとう存じます。
2016 3/14 172
* 気落ちのした記念日であったが、心のこもった高麗屋さんの豪奢な盛花に祝われ、有り難かった。
目が見えなくて困っている。十時半。もうやすもう。
2016 3/14 172
* 好天。少し暖かくなるか。
* 昨日の雀右衛門襲名歌舞伎座、前二列め中央角席券、アナをあけずにお友達と喜んで行ってくださったご近所さん、今朝、ポストにお礼状が届いていた。相 撲場の橋之助、国崩しの幸四郎、すっきり小顔の松緑、口上での菊五郎の名に触れてあって、主人公の芝雀改め四代目中村雀右衛門の名も評判も無いのには、ち と京屋に気の毒だった。
2016 3/15 172
☆ 御二人の
御祝日 心より お祝い申し上げます
為
秦 様
奥 様 16. 3. 14 九代 (松本)幸四郎 (高麗屋)
* 先の三月十四日 わたしたちの五十七年の結婚記念日のために、玄関まで到来の豪奢な盛花のほかにも、五代目中村雀右衛門襲名興行の歌舞伎座に観劇を待 ち受けご用意頂いていたものと思われる、華やかな「三月大歌舞伎」筋書き本の第一頁和紙に、松本幸四郎丈の墨書自筆でお祝い戴いていた。
それのみでない、冒頭のはんなり写真集の中の「祇園祭礼信仰記」金閣寺の場で勤められた松永大膳役の写真にも「九代幸四郎」と署名が乗り、同じく「花競 木挽賑」欄の写真にも、「今月の出演俳優」欄の写真にも、ともに「幸四郎」の自署が乗っている。特・特の祝意と心嬉しく、御礼申します。
夫人のお口添えもあったにちがいないと感謝申し上げます、
歌舞伎座の封筒で叮嚀に送り届けて下さった番頭さんにも、感謝。
あの日は、心底観に行きたくて、時間ぎりぎりまで堪えていたが、妻の風邪と咳とがおさまらず、記念の日にわたしひとり出かける気にはなれなかった。ご近所の奥さんに券二枚を差し上げた。
すばらしいお祝いの盛り花といい、この、めずらかなご厚意といい、
高麗屋さんに、心より御礼申し上げます。 秦 恒平・迪子
2016 3/28 172
* 明日は、妻八十歳の誕生日。
無事に、楽しく過ごしてきたい、歌舞伎座では高麗屋父子が芯、三月に、無念、行けなかった埋め合わせもしてきたい。開幕の染五郎・松也の操三番叟、はんなりとほくほくしたい。疲れ切らないように帰ってきたい。黒いマゴが留守を守ってくれる。
2016 4/4 173
* 染五郎と松也の松壽操三番叟、楽しむ。若高麗屋の存在感が、三番叟でも、次の生首の次郎でもぐうっと大きくなって、所作も悠々、自信に満ちて美しい。松也にもがんばって欲しいが、次の玉太郎役はすこし萎んでいた。
大切りの、身替座禅では、流石の仁左衛門もすこし印象が乾いてきたかと。むしろ山の神の左団次がすこぶるの実在感で圧倒的に舞台を厚くも面白くもしてくれた。又五郎の太郎冠者はあんなもの、器用にやっつけてくれる。侍女千枝の米吉の愛らしさ、いつもながら胸が痛いほど。
さて昼の部の大半は二番目の不知火検校の通し。幸四郎が悠々とやる。染五郎が生首次郎を付き合い、魁春、友右衛門、弥十郎、秀調、秀太郎、孝太郎、錦之 助らが多彩に付き合う。が…、所詮は通俗的な鮮度の薄い二流の作劇であり、しんから乗って行けないのは幸四郎はじめ誰にも彼にも気の毒であった。宇野信夫 作の芝居で胸に迫って身に沁みたという舞台には、ま、めったには出逢えない。とはいえ、幕切れの花道で不知火ならぬ松本幸四郎が吠えた捨てぜりふには凄み が出た、あそこで上演が生きた。
その点、三番叟も身替座禅も、ある種の颯爽とした魅力を発散する。
* やっぱり歌舞伎座の時間は、なんのかんのとゴタクを並べようが、つまりは楽しい。今日もむろん楽しかった。幸四郎夫人とも染五郎夫人とも、番頭さんとも、たのしく話し合うてきた。
* 昼の部がはねてから、ぶらぶら銀座をさすらい歩き、四丁目の靴の「よしのや」で妻が希望の真っ黒いシンプルな靴を買い、帝国ホテル五時開店の「なだ 万」へ入って懐石の「花」と、貼特吟醸純米の「鶴齢」を。酒も最良、料理も繊細かつ上品な献立ですこぶる美味く、満足した。写真も撮ってくれ、お祝いの一 品もサービスされた。靴の「よしのや」でも写真を撮ってくれてお祝いの小土産を呉れた。
「なだ万」のあと五階のクラブへ上がり、メンバーを更改し、ここでもシャンパンで妻を祝ってくれた。
* ゆっくりゆっくり、電車と車で、帰宅。留守番の「黒いマゴ」にも、なだ万の美味い肴の切り身を土産に。
2016 4/5 173
* 昨夜は眠れなくて、夜中、市川染五郎著の「歌舞伎案内」や「水滸伝」や、わたしの「マウドガリヤーヤナの旅」三校を読んだり。それでも眠気がこないので、起きていって越前の杯に二杯うまい酒を飲んだりした。
若い高麗屋の小中学生へ「案内」の写真もたっぷりの美しい一冊はなかなか気のきいた手引きで、観劇歴は六十余年のわたしとてただもうノホホンと楽しんで きただけに、知らずにきたこと、覚えていないこと、気も付かなかったこと、いっぱい。そのへんを、きちっと沢山補ってもらえて、何よりでした。
「水滸伝」は全十冊岩波文庫の八冊めに入っていて、もう梁山泊には、天罡星三十六員、地煞星七十二員の「豪傑」たちが揃っている。この先へゆくと彼らは一 致して皇帝の「招安」に馳せ参じて、ついには全員が戦死を遂げてしまう。その辺へ来ると勇猛果敢よりももののあはれがまさってきて、かなりつらい思いがす る。そもそも彼らが梁山泊に結拠して剛勇を誇りつつ朝廷に歯向かってきたのは皇帝をとりまく廷臣たちの悪政を憎む余りであった、本音は皇帝を補弼して国の 安寧に寄与したかった。結局は皇帝の「招安」 従来の罪過を水に流し、朝廷に仕えて忠節を励んでくれという要請に応じるのだが。
問題は、その皇帝というのが宋の徽宗というめぐり合わせ。この皇帝は、史上稀な美のセンスに恵まれた藝術家ではあったが、外寇に屈して囚われ悲惨な最期 をむかえる人、宋国は北の半ばを喪失して南宋を保つにとどまるハメになる。いわば梁山泊百八人の豪傑達はこの皇帝に殉じてしまう。初めて読んだとき、わた しはその辺のもののあはれに堪え得なかった記憶がある。
それにしても、豪傑達のおもしろさ。いまは、黒旋風とあだ名されている李逵(りき)のめちゃくちゃな脱線や剛勇がおもしろい。総指揮の宋江はじめ、参謀 の呉用、癇癪持ちの秦明、弓の名手花栄、また花和尚の魯智深、大虎も絞め殺す行者の武松等々、魅力の豪傑らがさまざまに活躍し暴れ回る。盗賊とも義士とも 武勇とも残虐とも賢いともトンマとも、みんな一筋縄ではくくれない要するに「豪傑」集団で、結束の義は金より堅く蘭より香しい。
日本の今日の政情をひびに情けなく見せつけられていると、この破天荒な集団の行状が清涼剤のように思えるのが、ま、もの悲しくもある。
2016 4/13 173
* 同窓であった松嶋屋片岡我當くんから「お大事に」と過分のお見舞いを戴いた。いやいや、彼の方をこそ見舞ってあげなくてはいけないのだ。三月、雀右衛 門襲名の口上にも彼、律儀に体の大儀を押して一と月休まず祝辞を述べに出ていたと聞いている。せっかくのそれを、三月十四日、具合を損じて観に聴きに出か けられなかった。申し訳ない。 2016 4/25 173
* 高麗屋から六月通し狂言『義経千本桜』三部制興行の座席券が届いた。「湖の本」創刊三十年・通算百三十巻刊行の、夫婦での自祝に、まことに嬉しい恰好 の楽しみ、わくわくする。第一部は染五郎、猿之助らの「渡海屋・大物浦」に加えて所作事「時鳥花有里」を梅玉、染五郎、東蔵、魁春で楽しめる。第二部は御 大松本幸四郎の「いがみの権太」に、染・猿もとより、秀太郎、彦三郎、右之助らが盛り上げる。そして第三部、待ってました、猿之助「狐忠信」に染五郎が静 御前で付き合い、大切りでは「市川猿之助宙乗り狐六法相勤め申し候」とある。
元気が出るぞ。
2016 5/17 174
* 三月歌舞伎座、五代目中村雀右衛門襲名の「口上」を録画で観た。藤十郎にはじまり幸四郎に及び、当の新・雀右衛門の口上を再度藤十郎が引き締めた佳い 「口上」であった。我當が病をおして懸命にこの場に加わってくれていて涙が出た。先代は大谷友右衛門から中村雀右衛門になった。女形であったから自然な成 り行きだった。新しい五代目雀右衛門は芝雀から名のりあげた。近年の充実した進境からして決して名負けしない佳い襲名であり、兄大谷友右衛門にもか活躍し てもらいたい。
三姫の一つ雪姫を可憐に演じる「金閣寺」も録画した。幸四郎の大膳、仁左衛門の木下東吉にかためられて絢爛の花吹雪で新五代目が花ひらく。
2016 5/30 174
* さ、当面は、つつがなく十九日の桜桃忌(作家47年、湖の本30年)を迎え、そして歌舞伎座三部制の『義経千本桜』を楽しみ、その週末には、「秦 恒平選集」第十四巻を出迎える。
2016 6/5 175
*海老蔵夫妻が気の毒で可哀想で涙なしにおれない。抗癌剤のキツさ、わかる。二人とも堪えて何としても回復を信じがんばって欲しい。世のすべての病者と家族のために祈る。 2016 6/13 175
☆ ご無沙汰しております。
秦サン (東工大院卒。女性)川口です。
先日、湖の本、届きました。ありがとうございました。
階段教室で毎回唸りながら「挨拶」に向き合っていた日々を懐かしく思い出しています。
近況を簡単に報告します。
子連れ単身赴任は、2年ほど前に解消し、東京に戻ってきました。私が転職する形で実現しました。
今までの経験を活かせるものの、新たに学ばなければならない専門知識と経験を求められ、見習いとして奮闘中です。落ち着きましたら改めてご報告します。
息子はただいま小学3年生になりました。ラグビーをやっていて立派な体格に生っています。(スクラムを組むポジションのようです。)
先日、息子が「歌舞伎というのを観てみたい」と言い出しましたので、国立劇場の歌舞伎鑑賞教室に連れていくことにしました。どんな反応をするのかを、楽しみにしています。
それでは、また。
* 東工大院へ飛び級で進学し東大の先生をしてから転任し、また古巣へ帰投されたらしい。
子育て中も慈愛と軽妙の育児日記を書き続け、わたしの編輯している「電子文藝館・湖(umi)」に寄稿してもらっていた。三年生のスクラム・ラガーだって!! いいなあ。しかも「歌舞伎が観たい」とは、佳いなあ!!
川口さんとは歌舞伎の思い出がある。いつかも書いたことがあるが。東工大で秦教授(はたサン)の授業が済んだばかりの教壇へ、女子学生が二人三人で寄っ てきて、「歌舞伎を観せてください」と、率直。はいはいと二つ返事で歌舞伎座前三、四列中央の席を用意し、わたしも一緒に、たしか四人で「弁天小僧」や 「稲瀬川勢揃い」などの通し狂言を、盛んに楽しんだ。それだけ。それだけで十分楽しかった。いいことをしたなと嬉しかった。なんと、あの女子学生の子の少 年が、歌舞伎へと! 嬉しいねえ。
2016 6/13 175
* すこし気持ちにゆとりかすきまかが出来、一息ついている。何れ直ぐまた追い立てられるだろうが、とにかくも六月十九日の桜桃忌、つまり湖の本の三十年と作家生活満四十七年とを、くつろいだ気持ちで迎えたい。翌日には歌舞伎を楽しむ。
2016 6/15 175
* なにごともなく、今日を送る。体調は、いくらか重苦しいが、酒量もおさえ、多くは何も食べず、仕事もせず。浴室で、バルビュスの「砲火」とデュマの「モンテクリスト伯」を一時間、楽しんだ。
七時。のんびりしよう。
明日は三部制で「義経千本櫻」を楽しむ。屈指の名作、染五郎の知盛、幸四郎のいがみのごん太、猿之助の狐忠信。猿之助は典侍の局も、染五郎は静御前も、 と、若手は女形でも競演してくれる。酔うほどに楽しんできたい。席は、三列目、四列目、五列目と、いつもながら三部「それぞれの絶好」席を用意して貰って いる。
眼のかすみが、なんとかおさまってて欲しい、が。
2016 6/19 175
* 歌舞伎座三部制の三部とも、それぞれに大いに楽しんだ。
座頭の幸四郎が二部「いがみの権太」を理に落ちない藝のちからで大きく軽妙に芝居へ惹き込んでくれた。彦三郎の梶原に歌舞伎の滋味と美味。からだ、大切にして欲しい。
今月は、染五郎と猿之助との奮闘公演、一部では、染が渡海屋銀平実は平知盛を剛強果敢に演じれば猿は典侍の局で安徳幼帝を真摯に守護した。松也の義経役は嵌っていたが立ち姿の腰下が凡庸で位が落ちた。
二部の「すし屋」では染はもちろん弥助じつは三位中将惟盛、辛抱役だがさすがに美しくしんぼうした。猿は権太の妹お里を愛らしくも健気に演じた。
先だっての「木の実」「小金吾討死」でも松屋が、それなりに健闘、大歌舞伎でそれなりの場をつかみかけている青年役者のうぶな味があった。
三部はもう、まことにまことに澤瀉屋市川猿之助がひさしぶり歌舞伎座へ登場の晴れ姿を、贔屓筋の大勢がよろこび迎えた二た場で、「道行初音旅」で市川染 五郎が美しい静御前で、猿之助の狐忠信との懐かしやかな道行き、それへ猿弥の逸見藤太がたいへん面白う上手に絡んでくれて、終始夢見るようであった。染は 踊りに執心の一流の家元、猿は初めてみた亀治郎時代に猿翁と共演した舞台でよく踊れるなとそれへ眼をつけたのが贔屓のきっかけ、女踊り、男踊りの対照がた いへんけっこうでした。
大喜利の「川連法眼館」は猿之助が「源九郎狐」を宙乗りで天ざかるまでを大熱演、すこし熱演すぎて、初めてこの場を彼猿之助で観たときほどの「もののあはれ」は薄く、いささか芝居も客もウルサかった。それに義経の門之助よろしくなく、笑也の静御前はまったくの落第もの。
なにより今日一日をつうじてウンザリしたのは、客の拍手があまりにお安いこと、役者の見栄と軽業には習慣的に拍手喝采で、五月蠅いこと、かぎりなし。幕のアキにも役者の出にも入りにも拍手が義務かのようにやかましく、参った。
もうひとつの特筆モノは、一部の「碇知盛」に続けて所作事「時鳥花有里」一場の添えられたこと、これが美味上等の向付とも吸物とも謂いたいうま味で、 おっとりと梅玉の義経、魁春の龍田の神女、それへ傀儡師実は龍田の明神染五郎がでて小気味よくおもしろい身替わりの踊りをしみじみ楽しませてくれた。
さらにはこの所作事になんと東蔵が義経従者として飄々至妙の当節珍しい踊りを見せてくれたのだ、心嬉しいめでたい儲けものであった。妻も東蔵のさりげなくてしたたかな軽妙に舌を巻いていた。わたしは、染五郎の傀儡師踊りも断然楽しんだ。
* と、わたくしごとの祝い日を、終日、たっぷりと楽しめて、満足した。
* 九時すぎにハネて、まっすぐ帝国ホテルのクラブへ直行、ウイスキーのダブルをオンザロックにして二杯、妻は小さなグラスにビールで、エスカルゴを肴 に、ひとやすみ。クラブの人とも歓談、雨にも降られず、わたしも妻もヘバリもしないで十一時過ぎて帰宅した。黒いマゴがよく留守番してくれていた。
2016 6/20 175
* 幸いに各科診察の間隔がながめに推移していて、休める日々が多くなった。だからもっと出歩けば良いのだが、この夏場はそんな気になりにくい。家にいれ ば仕事ははかどって前へ前へ進むしてをひろげて新しいことも出来る。ただラクはしても、体力は落ちて行く。黒いマゴの様子しだいではあるけれど、せめて芝 居だけは観に行きたい。
八月には染五郎、猿之助の弥次喜多を笑いに行く。宙乗りもある。芝翫になるという橋之助を軸に勘九郎、七之助そして扇雀の「紅かん」もある。
九月には吉右衛門、染五郎、菊之助そして玉三郎の「吉野川」という大ご馳走があり、中幕で染五郎が「らくだ」だという。大いに笑いたい。大切りは玉三郎の「元禄花見踊り」で華やいで。
十月から十二月まで「仮名手本忠臣蔵」の完全通し興行と案内が来ている。おかるの身売りや勘平の腹切りの十一月は失敬して、松たか子の芝居を楽しみに待ちかねている。十、十二月には幸四郎の由良之助、同じく加古川本蔵を楽しみにしている。
* いつもお世話になっております。
9月歌舞伎座のご注文ありがとうございます。
今月は巡業公演でして、本日は福井県での公演のためバスでただいま移動しているところです。
温かいお言葉、染五郎に伝えます。ありがとうございます。
お身体をどうかご自愛くださいませ。 そめいろ
2016 7/22 176
* 都知事選終え、次のお祭りはリオ・オリンピック。
そんな時に偉大な小兵横綱千代の富士、61歳逝去の報。こころから、引退まで応援していた。栃錦、北の湖、千代の富士、そして白鵬を応援してきた。また一時代が流れ去った。白鵬の敢闘を願うのみ。
昨日も若くしてあの世へもぎ取られた中村勘三郎の回顧番組をみながら感極まった。惜しかった。口惜しかった、あまりに酷い早い死が。
勘三郎にせよ千代の富士にせよ、何が彼らを「死なせた」か。人間の力不足か、自然の力が圧倒的に険しいのか。
2016 8/1 177
* 楽しみは、となると、結局は歌舞伎などの演劇へ。今月八月は三部制のまんなかだけ、染と猿との弥次喜多で笑いを期待。
九月の秀山祭、夜の部は、吉右衛門、染五郎、菊之助、玉三郎、松緑、東蔵。歌六、亀寿と名を並べるだけで腰が浮く。演目にも変わり映えがある。
十月は国立劇場での幸四郎、梅玉らの仮名手本大序から、そして十二月にも同じく八段目から討ち入りまで。
十一月のおかる勘平の愁嘆場などは失礼して、この月は先ず姉の松本紀保評判の舞台「治天の君」を観、ついで妹松たか子の翻訳劇、これが楽しみ。 みな、ちゃんと妻と二人の座席が恃んである。
思えば、仕事と芝居の他に楽しみらしい予定が、ゼロ。これも宜しくない。
選集はうまくすると十五、六、七巻まで年内に出来るだろうし、十八巻、十九巻の入稿も用意が進んでいる。
湖の本は、131、132巻までは確実に出来て、もう一、二巻分が先へ進行しているだろう。
「間に合うか」な。何に?
2016 8/2 177
* 髪を洗って気持ちいい。明日は三部制の二部だけを歌舞伎座で楽しんでくる。染五郎と猿之助の弥次喜多だというから、あははと笑ってきたい。黒いマゴに留守をさせるのが気がかりだが、頑張ってくれると信じている。
2016 8/17 177
* 九時半、すこし眠い。歌舞伎座で寝てはいけないぞ。
* 染五郎、猿之助らの思い切りおふざけ歌舞伎の「弥次喜多道中」、笑い転げて喜んでいる客がある以上は、連れ添って観ているしかない。
次幕の、成駒屋、成駒家一統の所作事をそこそこ楽しんで帰ってきた。
黒いマゴ、留守番していてくれた。食べて飲んでも、まずまずで、安堵した。
2016 8/18 177
* 癌で入院中の海老蔵夫人のブログ開設の意志と言葉とは感動を与えた。わたしも感心した。
わたしの感心のなかみは、少しズレているかも知れないが、若い母親である夫人が、借り物のことばでなく自身の言葉を取り戻して語りかけている、それに感動し、賛同した。
人は、といってもただのミーハーではないひとかどの知識人意識のある大人のおおくが、じつは自身の言葉を見失うか抛つかして、要するに新聞雑誌テレビ等々に氾濫しているいわゆる情報や解説のこまぎれだけを喋りまくりがち。日々の生活語が忘れ去られたのかと、心寂しい。
庭にこんな花が咲いた、とか、誰さんの孫ちゃん可愛いの、とか、やっぱりセザンヌよりゴッホが佳いな、とか、誰々さん元気にしてるかしら、この新聞小 説、ダメねとか、そういう表白のなかで自身の知情意を波動させるのが望ましい。たとえ片々と貧しくとも「自分自身の言葉」を見失って暮らすのでは生彩(イ ンテリジェンス)がない。
* 蝉鳴かず なぜ鳴かないか鳴かないか
蝉は鳴いている、やかましいほど。だが、人は自身本当の鳴き声を安易に見うしない、あの敗戦から最悪の独裁施政に、だらしなく引き摺られている。
2016 9/2 178
* 昨日は雨にも降られず、銀座一丁目まで。大通りへあがったその場で、妻の着てきた藍染めのブラウスに羽織って恰好とみえる上着を見つけ、妻も気乗り し、試着して、そのまま着込んで歌舞伎座へ歩いた。茜屋珈琲店でマスターとしばらく歓談、歌舞伎座稲荷に頭をさげて、四時十五分ごろ劇場に入った。染五郎 の番頭さんに筋書きをもらい、今日は花道わきの四列という絶好席。大芝居の「吉野川」では玉三郎定高と吉右衛門大判事の、両花道、大川を遙かまたいだ遠声 のやりとりが絶対の聴きもの。ごく間近に美しい玉三郎の朗々の大科白を堪能のうえに、さらに私らの席の手も届きそうな真ん前で、若く美しい菊之助雛鶴姫と 母定高との命懸けの大芝居になる。吉野川に隔てられ、上手には染五郎久我之助の館が、こなた下手には雛鶴姫の館があり、二人は両家の事情にさえられて逢う もならない相思相愛。その久我之助は川のあなたからまっすぐわたしと妻との席へ向いて懊悩と愛の科白を云う。高麗屋は、大芝居「吉野川」を観るにこの上な い佳い席を用意してくれていた。しかし黒いマゴになお命脈があらばわたしたちはこの九月秀山祭を断念して誰かに券を譲気だった。黒いマゴの情愛で観るをえ たこの日の観劇にわたしは妻が描いた彼の最期の繪像を持参し、花道にまぢかな最高の玉三郎を観せてやった。大和屋を驚かせたかも知れないが。
* 「妹背山婦女庭訓」はとびきりの歌舞伎。「吉野川」の幕の背景は、大化改新前夜。それへ、ロミオとジュリエットなみの相愛劇が愛を貫いて本当の悲劇に なって行く。母定高は愛ゆえに覚悟の愛娘雛鶴の、父大判事は愛ゆえに覚悟の愛息久我之助の頸を、自ら斬って二人の「祝言」とする。その背後には、恣まに国 崩しの巨悪「蘇我入鹿」への反抗という政治姿勢が働いている。
* 雛飾りの華やぎの前で玉三郎と菊之助という最高・最良のコンビネーションを、梅枝、万太郎、芝のぶら最小の人数でもりあげる覚悟と悲哀の極。
今一方は父吉右衛門と息染五郎と二人だけの決意の最期劇。
佳い芝居、まこと大歌舞伎の美しさ悲しさを、よく盛り上げてくれた。
黒いマゴもビックリし感嘆していただ。
* 中幕はお笑いの「らくだ」 これをまことすっきり仕立ての好台本で、染五郎の紙屑や、松緑の半テキ、なんと亀寿のらくだで大笑いのかんかん能を踊る。家主夫婦に歌六と東蔵という贅沢な顔がそろい、わたし贔屓の米吉がいいおてんばを見せてくれた。
この芝居、延々と焼き場まではこんだ冗長劇をむかし見せられ興褪めしたが、今夜の舞台はまことに親切で簡潔ないい笑劇に成功。らくだに抱きつかれた紙屑や染五郎に、みごとに笑わせられた。松緑のカッコいい流暢なべらんめえだが、聴き取りにくいのは、難。
* 大喜利は、美しいかぎりの大和屋坂東玉三郎を女王然とはなやかに取り囲んで元禄の男・女大勢が蝶のように舞い遊んでみせる所作の花舞台、踊りの好きなわたしは大満足。黒いマゴにも観せてやった。マゴに見せてもらった今夜(昨日)の歌舞伎座秀山祭でした。
2016 9/15 178
* 昨日は雨にも降られず、銀座一丁目まで。大通りへあがったその場で、妻の着てきた藍染めのブラウスに羽織って恰好とみえる上着を見つけ、妻も気乗り し、試着して、そのまま着込んで歌舞伎座へ歩いた。茜屋珈琲店でマスターとしばらく歓談、歌舞伎座稲荷に頭をさげて、四時十五分ごろ劇場に入った。染五郎 の番頭さんに筋書きをもらい、今日は花道わきの四列という絶好席。大芝居の「吉野川」では玉三郎定高と吉右衛門大判事の、両花道、大川を遙かまたいだ遠声 のやりとりが絶対の聴きもの。ごく間近に美しい玉三郎の朗々の大科白を堪能のうえに、さらに私らの席の手も届きそうな真ん前で、若く美しい菊之助雛鶴姫と 母定高との命懸けの大芝居になる。吉野川に隔てられ、上手には染五郎久我之助の館が、こなた下手には雛鶴姫の館があり、二人は両家の事情にさえられて逢う もならない相思相愛。その久我之助は川のあなたからまっすぐわたしと妻との席へ向いて懊悩と愛の科白を云う。高麗屋は、大芝居「吉野川」を観るにこの上な い佳い席を用意してくれていた。しかし黒いマゴになお命脈があらばわたしたちはこの九月秀山祭を断念して誰かに券を譲気だった。黒いマゴの情愛で観るをえ たこの日の観劇にわたしは妻が描いた彼の最期の繪像を持参し、花道にまぢかな最高の玉三郎を観せてやった。大和屋を驚かせたかも知れないが。
* 「妹背山婦女庭訓」はとびきりの歌舞伎。「吉野川」の幕の背景は、大化改新前夜。それへ、ロミオとジュリエットなみの相愛劇が愛を貫いて本当の悲劇に なって行く。母定高は愛ゆえに覚悟の愛娘雛鶴の、父大判事は愛ゆえに覚悟の愛息久我之助の頸を、自ら斬って二人の「祝言」とする。その背後には、恣まに国 崩しの巨悪「蘇我入鹿」への反抗という政治姿勢が働いている。
* 雛飾りの華やぎの前で玉三郎と菊之助という最高・最良のコンビネーションを、梅枝、万太郎、芝のぶら最小の人数でもりあげる覚悟と悲哀の極。
今一方は父吉右衛門と息染五郎と二人だけの決意の最期劇。
佳い芝居、まこと大歌舞伎の美しさ悲しさを、よく盛り上げてくれた。
黒いマゴもビックリし感嘆していただ。
* 中幕はお笑いの「らくだ」 これをまことすっきり仕立ての好台本で、染五郎の紙屑や、松緑の半テキ、なんと亀寿のらくだで大笑いのかんかん能を踊る。家主夫婦に歌六と東蔵という贅沢な顔がそろい、わたし贔屓の米吉がいいおてんばを見せてくれた。
この芝居、延々と焼き場まではこんだ冗長劇をむかし見せられ興褪めしたが、今夜の舞台はまことに親切で簡潔ないい笑劇に成功。らくだに抱きつかれた紙屑や染五郎に、みごとに笑わせられた。松緑のカッコいい流暢なべらんめえだが、聴き取りにくいのは、難。
* 大喜利は、美しいかぎりの大和屋坂東玉三郎を女王然とはなやかに取り囲んで元禄の男・女大勢が蝶のように舞い遊んでみせる所作の花舞台、踊りの好きなわたしは大満足。黒いマゴにも観せてやった。マゴに見せてもらった今夜(昨日)の歌舞伎座秀山祭でした。
* はねて八時半。日比谷へ走って、久し振りにクラブ入り。シーバスリーガルをダブルで三杯、暫くぶり、いや久し振りのウイスキーが美味かった。妻はちいさいビール。おきまり、エスカルゴ、そしてサイコロステーキ、これが美味かった。満足して、帰路に。帰宅して、十一時。
やっぱり玄関から家の中へ、「タダイマぁ。帰ったよう、マーゴ」と呼んだ。
2016 9/16 178
* 十一月、喜多流友枝昭世の能「野宮」国立能楽堂招待、俳優座の早野ゆかり「常陸防海尊」稽古場公演招待 があった。
十一月は歌舞伎座顔見世月で芝翫一家襲名の舞台だが割愛し、松本記保の「治天の君」 松たか子のコクーン公演を予約してある、聖路加も二科診察予約があり、たぶん加えて「湖の本132」も「選集第十七巻」の発送も賑やかに逼ってくるだろう。
日本ペンクラブも、二十六日のペンの日に、何だか表彰するのどうのと言ってきている。これは、ま、従前の名誉会員にしてくれる意味であろう、永年会費を払い続けた会員であったと、それだけのことと思っている。
2016 10/12 179
* あすは、暫くぶりに歌舞伎を観に行く。
2016 10/15 179
* 国立劇場で、十、十一、十二月に「仮名手本忠臣蔵」を全部通しで演る。今日は其の大序から四段目大石城明け渡しまでを観てきた。左団次が、高師直と石 堂とを演じて出色。梅玉が塩冶判官、秀太郎が顔世御前、言うまでもなく幸四郎が大星由良之助。加古川本蔵を團蔵が渋く演じた。
席の真ん前に壁のように背高な女性客にならばれて堪えた。
* 保谷へ帰って、妻と、「和可菜」で寿司の肴を。
2016 10/16 179
* 終日、2005年の京都を省みていた。暮れの喜寿誕生日を妻と京都へでかけ南座の顔見世を楽しんでいた。坂田藤十郎の襲名興行であった。黒いマゴに留守番を頼んでいったのだ、ありがとうよ。
2016 10/18 179
* 橋之助あらため中村芝翫の襲名、熊谷陣屋の熊谷をテレビで観たが、赤ツラはともかく、予想通りまだサマになっていない。せっかく吉右衛門の義経、魁春の女房でも、、熊谷がギクシャクしていては。四天王も、いかにも退屈げな顔つき、あれでは舞台が凛としまらない。
さすがに何度も何度も観てきた気合い大きくもののあわれに満ちて説得してくる高麗屋の熊谷が、懐かしくなった。そんなものだろうと十月十一月の芝翫の舞台はお休みにした。
2016 10/29 179
* 初春歌舞伎の案内が来た。通しは体力的に慎重でありたく、夜の部を予約した。幸四郎と玉三郎の「井伊大老」ではじまり染五郎の「松浦の太鼓」で大切 り。中幕に所作事が二た場。前に富十郎嗣子の鷹之資が父の七回忌追善に「越後獅子」を踊り、次いで玉三郎が「傾城」を。しっかり玉三郎は目に焼きつけてお きたい。
2016 11/2 180
* 明け方から、雪。 冬、早やも。
* 高麗屋より、日比谷花壇からのポインセチアの大鉢、戴く。まばゆいほど、美しい赤。
2016 11/24 180
* 明日は生理検査の必要がないので、十二時前の診察予約に、十時にも家を出ればゆっくり間に合う。ただし処方薬の出を院外薬局がいつも待たせる。
先週は「ボンシャン」で昼食したが。明日はどんな風が吹くか。福音の寿司か、宮川本廛の鰻か、更科蕎麦でしゃも鍋などもいいが、かんじんの食欲というモノが無い。銀座木村屋でちっちゃいパンをいろいろ買って帰るのが、ラクかな。明後日夕方にも、歯医者通いがあるし。
日比谷のクラブで来年のダイアリーを貰いたいが、これは、師走討入り歌舞伎を観たあと立ち寄ればいい。
午後にかけ、あめが降らねばよいが。
2016 11/27 180
* 高麗屋三代襲名への運びが公表された。待っていた。めでたい。再来年という。新春に実現なら、一年間待てばよい。元気でいよう。染五郎も金太郎も好きである。父が、十代目幸四郎に、息子が染五郎になる。この少年、タダ者でない。
祖父二代目、白鸚。なによりも健康で怪我無くと願う。
新幸四郎にも新染五郎にも願う。折角、精進あれ。
明日は、私たちの祝い日。国立劇場へ、高麗屋の仮名手本忠臣蔵、嫁入の道行や山科閑居、そして討入までを観に行く。
2016 12/9 181
* 三ヶ月続きの通し狂言『仮名手本忠臣蔵』の歳末大切りを妻と観にゆく。楽しみ。
怪我の無いように、願って、出かける。
2016 12/10 181
* 国立劇場。本懐をとげて、となかくも「めでたい」「めてたい」と左団次の桃井若狭介に花水橋で見送られる大星由良之助以下の面々、ま、よしよし、「め でたい」と満足。幕間に高麗屋夫人に追ってみられて七八分も二階で歓談。三代襲名の話題に祝辞も添えてきた。思えば「高麗屋の女房」さんともまことに久し い。雑誌「ミマン」であったかに、頁を前後してずうっと一緒に連載していた。その後劇場で会い、高麗屋とともに日本ペンクラブに入会して貰った。以来、ず うっと親しくしてきた。
2016 12/10 181
* 昨日の歌舞伎だが、「道行旅路の嫁入」の魁春と若い児太郎の踊りが、しっくりせず、物足りなかった。もう何年になるか、亡くなった芝翫の母となせに七之助 が小浪の道行が、絶品だった。その記憶が濃くて、今回児太郎が少し可哀想であった。父福助に手取足取り習いたかったろう。誰かに教わったとか聞いたが、よけい可 哀想になった。
「山科閑居」は踊りではないので、ま、児太郎、愛らしくウブに演じていた。錦之助の力哉はトウが立ちすぎていて気味が悪かった。梅玉の由良之助は、妙におっ とり商家の旦那じみて深みが足りない。なにより気になったのは笑也の大星妻お石が、妙にガチンコに堅苦しかったこと。玉三郎のとなせに、お石を魁春が演じた「閑 居の」緊迫、よかった。大星は誰であったか。加古川本蔵は当然に幸四郎で見せた。昨日も幸四郎が本蔵、しかし、他の五人がいまいちピンとしなくて気の毒なほど。
「天川や義平宅」の場は歌六義平の貫禄だけが目立ち過ぎるほど、梅玉の大星がただのお旦那然と変におっとりしていて、覚悟を秘めた討ち入り前の義士棟梁とはとても見えなかった。
討入りは、あんなものか。贔屓の米吉がとてもとても愛らしい大星力哉だったのと、松緑が小林平八郎をサービスしてくれたのと、最後の花水橋での左団次若狭之介が立派だったことを書き留めておく。
2016 12/11 181
* 高麗屋三代襲名発表のお知らせ
十二月八日会見にて発表致しましたように、平成三十年一月、ニ月とニヶ月に亘り歌舞伎座にて高麗屋三代襲名興行をさせて戴くことになりました。
ニ代目松本白鸚、十代目松本幸四郎、八代目市川染五郎として、先代より二代に亘り三代襲名が出束ますことは、大変有り難い事と存じます。
九代目幸四郎としましては來年が最後の一年となり、
壽初春興行では、父が三代襲名で演じょした「井伊大老」を勤めます。
今後とも更なる御後援の程、お願い申し上げます。 高麗屋 松本幸四郎
* 予期して待っていた。去る十日、国立劇場で、奥さんにもお祝い申してきた。
何としても、再来年の壽初春の高麗屋三代襲名を歌舞伎座で祝いたい。
明けてこの初春の「井伊大老」は、先代白鸚が歌右衛門とともに最期に演じた絶世の舞台であった、深い感銘のまま観入ったのを昨日のように覚えていて、そのことは何度も高麗屋ご夫婦にも告げてきた。
九代目の、あの玉三郎と共演、折角の名舞台をと心より楽しみに待っている。
玉三郎は「傾城」の所作事もあり、いよいよ再来年には晴れて十代目幸四郎になる染五郎が「松浦の太鼓」を打ち上げる。左団次の宝井其角にも、期待。
2016 12/16 181
* 市川染五郎が来年のカレンダーを呉れた。染五郎の名では最後のカレンダーで、再来年は晴れて十代目幸四郎を襲名する。頼むから、怪我をしないで欲し い。わたしの眼の真ん前で忽然と奈落へ落っこちたあの舞踊舞台の大怪我を忘れていない。奇跡の生還だった、あんな粗忽は二度と繰り返さないで欲しい。超逸 材の金太郎君をしっかり新染五郎に育てて欲しい。
すてきな夫人とも二人三脚、次代の幸四郎高麗屋、父君二代白鸚丈を追って、いっそう大きく成られるように。
わたしたちも永生きして、高麗屋三代の舞台を楽しみ続けたい。
2016 12/22 181