* 寒気がしてくしゃみも出る。明後日の初春歌舞伎座に障ってはいけない。
2017 1/10 182
* 明日は初春の歌舞伎座へ。幸四郎と玉三郎の「井伊大老」は、あの高麗屋八代目が六代目歌右衛門との生涯最後の舞台だった、しんしんと清寂そのものが大舞台に降り積もる井伊最期の妻との別れであった。忘れられない。
何度も、高麗屋の夫人にあの舞台の感動を告げてきた、当代九代目でも観たいと願っていた。玉三郎とは願ってもない顔合わせ、心底楽しみにしている。玉三郎は「傾城」をも踊ってくれる。そして大切りに染五郎、左団次で「松浦の太鼓」が目出度い。
特筆は、亡き所作の名手五世中村富十郎が老いて儲けた一子鷹之資が一人舞台で父七回忌追善の「越後獅子」を踊る。大成して欲しいと気に掛けつづけてきた。頑張れよ。
風邪をこじらせないよう温かにして行きたい。
2017 1/11 182
* 初春の高麗屋父子そして大和屋坂東玉三郎に逢いに行く。寒気襲うと聞くが、劇場内は寒くない。ゆったりしてきたい。
* さきに茜屋珈琲店へ入る。マスター、とびきりマイセンのカップへたっぷり珈琲を点ててくれた上、染五郎のアメリカ公演劇を板に入れた希少な一枚をお年玉に呉れた。茜屋へは高麗屋の夫人たちもよくみえ、わたしたちのことも話題になったりするらしい。
* 劇場ではその高麗屋の奥さんらと、まっさき、初春立ち話の歓談、幸四郎・染五郎の両方から「お年賀」の品や、正月興行の筋書きを貰った。
四列中央の角席、云うまでもない九代目井伊大老でも若高麗の松浦公でも、まおも・まぢかに視線の合ってくる絶好席。いつもながらの好意と配慮とに感謝。
* 「井伊大老」は、しみじみ胸にせまる新歌舞伎の一名作。今年一年で「幸四郎」を卒業する九代目の井伊大老は、さながらに父先代の口跡風貌を甦らせた思 いの深い懐かしい役づくりで、玉三郎のすばらしい愛らしい「しづ」とさしむかいに、彦根城あの「埋木舎」へ帰りたいと相擁する場面では、思わず、わたしは 声をもらし京都や来迎院の恋しさに泣けた。
初世白鸚と六代目歌右衛門の舞台はじつに佳かった、決して忘れない。だが九代目幸四郎と美しい極みの玉三郎しづとの双璧も、このさき幾度も情け深く熱く 光りつづけるだろう。来春には十世幸四郎となる子息染五郎が、長野主膳というむずかしい人物を、たじろぐことなく、きりっと演じた。もう一人正室の人と格 とをこころよく見せていた、芝雀あらため四代目の新雀右衛門にも、うんうんと頷けた。後場の側室「しづ」との対比が品位を保ち得た。
* わたしがこの芝居を愛してきた理由のひとつには、井伊直弼と日本との、外向きには開国・外交の決意、内向きには埋木の昔から独自に培ってきた一期一会の茶と愛と、に若くから心惹かれかつわたしなりに物思うこと多かったからである。
井伊直弼の{開国}への覚悟、尊皇はともかく「攘夷の危うさ」にたいする認識に、わたしは反対を唱える気になれなかった。井伊なくて、むやみな攘夷に 走っていたなら、日本はたぶん西欧列強に分け取りに占領されていただろう。列強の対抗を巧みに必死に操りつつ、開国の姿勢を保ったことで、不平等条約には ながく泣かされたものの、日本は西欧の帝国主義をなんとかすり抜け、明治維新と近代とを迎えることが出来たとわたしは信じている。井伊直弼大老たる頑張り は、多く若き幕末の俊英らを死なしめたものの、まこと危うい瀬戸際を通って日本國の壊滅を防いだ。天皇制をすら結果としては護ったと、わたしは、ま、そう 思ってきたのだ。彼井伊直弼を人としても信頼する基盤には、名著『茶湯一会集』があった。「一期一会」の思想としての高さをわたしは井伊直弼から学んだの だ、云うまでもない長編『慈子』はその真実のレポートであった。
* さて、中幕は、踊りの名手亡き中村富十郎七回忌追善をうたって、嗣子鷹之資が「越後獅子」一人舞台を清々しくも懸命に踊って見せた。この少年をわたし はずうっと案じていたどうか先達の庇護と指導もうけて父で名優であった富十郎の名跡へ逼って欲しいと。踊れるか。それが何より気がかりだった、が、よく 踊った。少なくも身体的な面からの踊りは美しいと謂えるまで安定していた。懸命なぶん表情などにゆとりと芝居気は出なかったが、それは追い追いのこと。所 作の手が腕がときに下がらぬように格を守ってくれれば踊りに不安どころかさすがに富十郎の子という資質に惚れることもできた。安堵した。
その少年を華やかにもり立ててくれるように、艶麗で豪奢な玉三郎「傾城」の踊りがみごとな大舞台を堪能させてくれた。妻は、玉三郎のかわらぬ美しい極み、自在の妙の踊りに感激しきっていた。わたしも、初春の楽しみは大和屋と目がけてきたのだ、満足した。
* 大切りは染五郎の松浦侯、そして老大左団次の俳人其角できもちよく盛り上がる「松浦の太鼓」で、どんどんと良くなる芝居。若高麗の勉強ただならぬ松浦 侯のお人のよさ「表現」が生き生きと楽しめた。愛之助の大高源吾、笹売りの場でも討ち入り後の登場でも、科・白に、つまり身ごなしにももの言いにも柔らか なふくらみが欲しいところ。玄関外の後場は、いますこし簡潔にきりっと仕上げた方が芝居が強く纏まったろう。左団次老、見るたびに佳い渋みが嬉しく。
* 寒いかと懼れていた歌舞伎座を出ても杖もつ手に手袋が要らなかった。
日比谷のクラブへ走り、ゆっくり、すっかり定番にしてしまっているエスカルゴそして角切りステーキ、たっぷりのアイスクリームで初春の憩いを堪能。ス コッチと和製ウイスキーとを交々ストレートで。もう十数年になるか、このクラブは贅沢なほど静かで、和やかで、酒も食べ物もよろしく、歌舞伎のあと席には 殊にありがたい。
さほど疲れもせず、しかし家に帰ってほどなく日付がもう変わっていた。
2017 1/12 182
* 「ユニオ・ミスティカ」にかかり切っていた。面白かった。機械向きの目が疲れると階下におり、昨日茜屋のマスターに貰ってきた、染五郎が座頭、ラスベガ スのホテルで公演してきた歌舞伎尽くし「獅子王」の録画を観た。佳い外交である、演者達も楽しみ観客も大いに楽しんでくれていた。
* 三月には幸四郎らの「引窓」があり、むずかしい母親役を右之助は期待を籠めたい。
大喜利に海老蔵らの「助六」だという。雀右衛門が揚巻だという。白酒売りが菊五郎、髭の意休は当然に左団次、くわんぺら門兵衛が歌六というのだ、これは観もの。
さっそく日を決めて座席を予約した。
中幕で御大坂田藤十郎、そして片岡仁左衛門で、「けいせい浜真砂」女五右衛門。楽しみに待たれる。
もう昼夜通しはよほどないとシンドイかと、このところ無理は避けている。
2017 1/13 182
* 『臨場』劇場版という二時間余に付き合ってしまったが不出来で低調だった。
こんなのと比べれば昨日の夜遅く観た「松たか子」をゲストに迎えていたトーク番組は、圧倒的に旺盛で聡明な松たか子の美しい存在感にまさに魅了されてい た。茜屋珈琲店やマスターもおマケに顔を出してくれてとても親しい気分を反芻できた。あの喫茶店は高麗屋に紹介されて行き始めたという店ではないのだが、 われわれ夫婦しもとにかくマスターと気が合い、いつもカウンターで歌舞伎ばなしに花が咲く。高麗屋の奥さんも「あのマスター、そーら何でもよく識っている でしょう」と笑っていたが、まことにその通りで。
松たか子のみじかな話のいろいろからも、彼女がほとんど超一流の女優として強くて高い意識で生活をコントロールしているのがよく判り、短いがとても良い番組であった。ペンの仕事もよく出来る
し音楽も。豊かな存在感に強靱な生気がみなぎっている。
2017 1/15 182
* 四月歌舞伎座に「伊勢音頭恋寝刃」、染五郎が貢をやると。この芝居を初めて見たのは学生自分の南座で、守田勘弥が印象的な勘弥をみせてくれた。勘弥は いまの玉三郎のまた水谷八重子のお父さんに当たっていて、あの頃の年齢は分からないが、四十後半とはまだ行くまい市川染五郎が勉強熱心さらに伸び上がって 行くだろう好い役どころ、いっそうの自信を付けて欲しい。
父幸四郎の「熊谷陣屋」はすっかりお馴染み、ここでも染五郎が源義経とある、初役でも有るまいがわたしは初めて観る、これも楽しみ。左団次石屋の弥陀六も馴染んでいるがひときわの見せ場を期待したい。
* 松本紀保の「玄関を開ければいつも」は築地の「鳥や」二階和室でのおもしろい科白芝居。たった三日の公演だが、座敷に倚子で間近に楽しめるのが嬉しく、予約した。
2017 2/8 183
* 松嶋屋の片岡我當君、リバビリに励んでいる中で、代筆の方を介して「選集⑱」を祝いかつ助勢してくれた。忝ない。リハビリの甲斐あって舞台に復帰の日を心より期待し応援したい。
☆ 春が
近づいています。今日は、春一番とか。
本日、選集第18巻、確かに受け取りました。心より厚く御礼を申し上げます。
すごく嬉しく思います 心から感謝とともに 河幹夫
* 「湖の本」へもお便りが来る。
☆ いわゆる
「終活」が一向に進まなくて弱っています。物を捨てることは仕方ないけれど 先祖の物語や自分自身の思い出を捨てることは耐えがたく思えます。 府中市 石川布美 翻訳家・エッセイスト
* 深く頷く。中学以来の同年。たくさんなモノも思いも蓄えて仕舞っているのだ、勤勉に生真面目に生きてきた者には。
☆ 御礼
選集第十八巻お送りいただきありがとうございました。
お食事が進まないのは難儀なことですね。傍らで迪子さんもお辛いのではとお察しいたします。
一口でも多く召し上がれますように。
昨日の陽気で豊後も咲き始め、白加賀は満開です。
まだ変わりやすいお天気ですが、どうぞお大事になさってください。 下関 碧 2017 2/18 183
* 強い地震もまた福島沖で。かくて、二月は逃げて行く。「選集第二十巻」の初校を終えた。この巻は、第十三巻と同頁数、最も分厚い一巻になる。まだ再校 が必要。そして「選集第二十一巻」も前巻を引き継いでもう初校が組み上がっていて、手が着いていない上に、「湖の本134」の初校も今日届いている。
三月は、いろいろある。肺炎の予防接種二度目を受けるし、歌舞伎も、楽茶碗展も友枝昭世の能「三輪」にも招かれている。聖路加へも二度通う予定。春陽気で心身盛り上がると好いが、寝入っているのが安楽という昨今、反省も要る。
2017 2/28 183
☆ 「秦 恒平選集第十七巻」ありがとうございました。
昨年は歿後百年 今年は生誕百五十年 個人の自由を尊重し 軍国主義を嫌った夏目漱石は 今日の世の中をどう思うだろうとかんがえます。
漱石の作品は なんだか男の側の言い分のような気がして『草枕』以外は苦手だったのですが、
先生の『心』についての解釈から、漱石に対する印象が突然変わりました。あのときから 読み方の全体、更には人の見方まで違ってきたような気がいたします。
「言はで思ふぞ」「書かで言ふぞ」の世界が私の中に少し入ってきたようでした。
名作とは 読み手それぞれの理解に応じて読書の喜びを与えるもの、そして、優れた読みが作品を更なる名作に変えてゆくもの……
今回、戯曲『こころ』に 読む戯曲の面白さを発見したような気分がいたしました。
舞台に生者と死者とが共に立ち、私たちに語りかけてくる構成は 能楽…
闇が二人をかき消し 物狂おしい旋律音が低く響き出す… とシンボルボードにすさまじい血しぶきが飛び……の降嫁は歌舞伎…「東海道四谷怪談」
一人二役 人は役者 東西の演劇が重なり、私の頭の中で登場人物たちが動いていました。
「心」はなんでも容れることができる一方、いつでも「虚」にもなり 八方にヘホ働きながら「壱」つのことに集中もでき… その中心に「静」かな一点をしっかり抱いている… という言葉に勘三郎さんのお芝居を想いだしました。
二月は勘太郎 長三郎の初舞台を最前列の真ん中で観てきました。
歌舞伎座に勘三郎さんも居るようでした。
これからも想像力のみならず 創造的センスを働かせて 読者を楽しませて頂きます
記憶力の方はおとろえてきたような気もいたしますが 想像力と藝術的センスは豊かになっているように感じます。
暖かだったり 冷めたかったりの毎日でございます。 先生、 奥さま どうぞ くれぐれもお身体 大切におすごし下さいますように。 京都 清 美大教授
* 末冨の美味しい京菓子を添えてのお手紙感謝申します。勘三郎の名におうと声が出た。妻もわたしも勘三郎の大の大のフアンだった、もぎとられるように死なれてしまって無念の涙をのみ、いまも忘れがたく惜しんでいる。
歌舞伎座へみえていたのなら、お目にかかりたかった。
2017 3/1 184
* すこしく雨、バタバタしないで、ほどよく出かけて、今夜は幸四郎の「引窓」 藤十郎・仁左衛門の「女五右衛門」 さして海老蔵の「助六」に菊五郎、雀 右衛門、秀太郎、左団次、歌六を楽しんでくる。からだに余裕が有れば一つ展覧会に脚を向けたくはあるのだが、ムリはしない。
* 日比谷のクラブからの帰宅が十一時半になり、以下の記事は翌日に書いている。
* 昼過ぎに松屋裏のフレンチ「ボン・シャン」へ。アスパラガス、赤と白とのワイン、とろけるような黒毛和牛モモ肉が美味かった。デザートとわたしはエスプレッソ。恰好の午食の店と親しくなって便利重宝。
食後すぐ銀座から竹橋の国立近代美術館へはしり、楽家代々の茶碗展、今日開幕。
何と云っても、初代長次郎と本阿弥光悦が天然・自然に美しい極みの安定した造形で、しかも茶の湯の茶にひたと適当している。茶碗などそんな気で見たこと など無かった妻が、わたしもビックリしたほどそんな初代と光悦との茶碗を立ちつしゃがみつ可能なら四方から、熱心を極めて観ていた。佳いことだった、明ら かに美しい魂にふれていたのであり、たいへん価値ある宝を取り込んでいたのだ。「茶碗」という造形には、他のいかなる工藝に増して不可思議に底知れぬ魅力 が籠もって在る。茶碗は単なる飾り物ではなく「用」を抱えて手近にある。用のママに「用そのもの」が美しい魅力を湛えて底光りがしてくる。「目」の対象で あるばかりかななにより「手・掌」との感触の親和がモノを云う手来るし、そう無くては茶碗が茶碗にならない。茶碗であるかぎりは茶碗の「用」を成し得ずに 歪曲の造形に走ることは出来ない、その点では長次郎や光悦やのんこうの茶碗も楽家歴代々茶碗も、基本形は変えたくても変えられない。しかし、何かしら歴代 々なり独特の楽茶碗を生み出さねばならない。先へ先へ時代がゆくほどもの凄いとまでいえる造形への負荷がかかってくる。当代吉左衛門の茶碗を観てわたしは それを痛感し、痛感に応えての十五台目のいわば闘技に惚れて、躊躇無く第二回の京都美術文化賞に強く推したことであった。妻の当代の茶碗を観ながらのつぶ やきに「オブジェ」の一語もまじったのをわたしは聴いていた。「佳い展覧会を観たわ」とも。それが今日のことであるのをわたしも喜んだ。
すこし落ち着いたら、所蔵の楽茶碗をとりだし手にとって愛しむように観てみたい。
* 竹橋から歌舞伎座へ走り、茜屋珈琲で、忙しい千葉マスターともあれこれ歓談、わたしの「選集」⑱も届いていて、話題はいつも豊富で楽しく。
劇場へ入って、高麗屋夫人とも暫し歓談、筋書きももらって、二列目中央の角席を貰っていて、おかげで舞台もよく見え、目薬で四苦八苦しなくて済んだ。時折、役者の顔が二つに見えたりするのには閉口したが。
開幕は「引窓」 これは情に篤い佳い狂言で、右之助が持ちの難役老母を演じて、そのなさぬ仲の息子南方を幸四郎、はやくに手放していた実の子で力士の濡 髪長五郎を弥十郎、南方の妻に魁春、この四人だけが一つ舞台でしっかり充実して取り組み合う。長い芝居の一幕なのだがここ「引窓」だけで十分芝居が味わえ る。妻は、途中からハンカチでしきりに目をおさえていた。
老女の難役を右之助、つらいながらに懸命に演じて嬉しそうですらあった。妓籍を抜けてきた魁春の女房役はさすがに落ち着いて佳い味わいに優しく。びっく りしたほど弥十郎の濡髪が相撲取りらしく堂々と大きいのが意外な収穫で、主役然と場をしめた。幸四郎の善意の息子役は、ニンにあっていて舞台に大きな落ち 着きを与えていた。
中幕は超短章、女五右衛門(御大・坂田藤十郎)と羽柴筑前(片岡仁左衛門)とが絶景をほこる南禅寺三門の上と下での華麗な見得の達引きだけ。二人がかおを合わせるのは八分間。それでも、けっこうな台の人気役者のお出ましで客は嬉しい。
そして、右団次「口上」付き宗家市川海老蔵が「助六」での大一番。揚巻は襲名した雀右衛門、髯の意休はお定まり貫禄を増して美しくさえなってきた左団 次、白酒売りは菊五郎、かんぺら門兵衛に歌六、五郎十郎母親にはゆったり安定の秀太郎。梅枝の白玉が美しく大きくなってきた。
海老蔵の助六はいかにも元気いっぱいのやんちゃで、「歌舞伎」からさえハミだしそう。
ま、「助六由縁江戸桜」という芝居は、同じ吉原モノでも「籠釣瓶」などの本物超豪奢な歌舞伎劇にくらべると大まかで遊び半分にも傾いた見せ場芝居。ああいう大雑把な海老蔵芝居が結句似合っているのかも。
* はねたあとは帝国ホテルの静かなクラブへ落ち着いて、シャンパンで祝ってもらい、妻の希望で「なだ万」の弁当をとり、わたしは佳いウイスキーを二種類、ダブル・ストレートで。
上がりは此処で贔屓のバニラと抹茶のアイスクリーム。
会員新年度の手続きも終えて、ゆっくりと銀座から地下鉄、池袋から西武で、「タダイマ」と黒いマゴたちに声かけて帰宅。
2017 3/14 184
* 五月はやすむ気で、六月の歌舞伎座、桜桃忌の日の夜の部を、高麗屋に予約。
鎌倉三代紀 御所五郎蔵 一本刀土俵入り。
役者は、幸四郎 仁左衛門 左団次 雀右衛門 歌六 猿之助、松緑、松也ら。
* 次の日曜には、松本紀保らの芝居を、以前に見たのをもう一度見に行く。そのあと建日子と出会い源氏物語のわかりいい本を手渡してやる予定。
週末には歌舞伎座を昼の部だけ。骨休めというと芝居になる。よく見えないからときどき居眠りしているのかも。いつも舞台の役と真向きになれる絶好席を貰えているので、居眠りなどすると高麗屋に逆に見られてしまうのです。
2017 4/7 185
* 明日は歌舞伎座の昼を観る。染五郎の伊勢音頭・貢、幸四郎の熊谷陣屋を楽しむ。他に、仁左衛門も。今夜ははやめに休んでおく。
2017 4/13 185
* この春は花見らしきをして来れなかった。今日、歌舞伎のはねたあと、日も長くなっていることだし、木挽町からどこかへ足を伸ばしてみたい気分も、湖の本発送前に疲れを溜めたくはないけれど。芝居を楽しんでこよう。
2017 4/14 185
* 幕があいての「醍醐の花見」は、ま、景気の花。鴈治郎の秀吉、扇雀の北政所、壱太郎り淀殿ら上方の成駒家(東京の成駒屋とは別)を中心に、沢潟屋の右団次、笑也、笑三郎らで、ま、劇ともいえない所作事の見せ場物。
「伊勢音頭恋寝刃」は、二十数年ぶりとか、「籠釣瓶花街酔醒」の上方版だが、いかにも「歌舞伎」で面白い芝居。貢に染五郎、万野に猿之助という新鮮な顔 合わせ、昔に観た壽海、勘弥の名演にはまだ遠く及ばないが、この二人の持ち役として充実するだろう。梅芝のお紺が立女形へ踏み出して行く粘りの芝居をみせ た。芝居としてはまだまだ熟して行かねば足りないが、久々に貢も万野も楽しめた。秀太郎が丁寧に手伝っていたのも、嬉しかった。
「熊谷陣屋」幸四郎の熊谷は何度も何度も観てきた。一度ずつかれは気を入れて細かに彫刻刀をつかって役を刻んでいる。そういう役者なのだ。猿之助の熊谷 妻がめずらしくしかも彼らしく堅固な振る舞いで舞台に厚みをつくった。染五郎の義経ははじめて観たか。やはり梅玉の大きな落ち着きへはもう一歩二歩も重み と晴れとの充実が必要か。
左団次の弥陀六は一段の渋みで、長科白も無事に楽しませてくれた。
* 高麗屋夫人、若夫人ともロビーでしばし歓談、いつものように中央二列の角席を貰えていて、目薬はさしさし、しみじみと舞台を楽しませてもらい、感謝。
2017 4/14 185
* しばらくぶり桜桃忌の夜の部、歌舞伎座が近づいた。開幕の「鎌倉三代記・絹川村閑居の場」、大切りの「一本刀土俵入」を高麗屋が演じ、中幕は「御所五 郎蔵」を仁左衛門が勤める。秀太郎、左団次、雀右衛門、歌六、猿之助、松緑らに逢える。米吉も「傾城逢州」とは伸び上がってきた。
視力に恵まれたいものだ、中央角席の五列目を貰っている。
* 三部制の八月、夜に、野田秀樹の作を、中村屋の勘九郎、高麗屋の染五郎らで演じると知らせてきたのを、観たい。熱暑の昼間は遠慮したい。
九月になるとサリエリ幸四郎の「アマデウス」が待ち構えている。モーツァルトはジャニーズWESTの桐山照史、コンスタンツェは大和田美帆とか。知らない顔、なのも楽しみのうち。
幸四郎丈、この公演でサリエリ上演450回になるという。そして来年は、大きな期待の高麗屋三世代大襲名披露となる。わたしたちも是非とも健康で待ち望みたい。
2017 6/15 187
* 選集を送り終え、病院も医院も今月は一段落し、静かに心寛いでいる、にくむべき権道に図に乗っている政権への嫌悪の他は。
明日は、わたしにとって四十八年目の桜桃忌、歌舞伎座の幸四郎や仁左衛門を楽しんでくる。可愛い限りの米吉も「御所五郎蔵」でいい役をする。実はこの芝居、いまも書きかけの小説「清水坂」で役に立ってくれる、はず。
わたし久しぶりに散髪した、妻も髪を綺麗にしてきた。
雨だろうが、慈雨の季の風情とうけいれ、傘も持って出よう。
2017 6/18 187
* 歌舞伎座、まずは「鎌倉三代記」で開幕。雀右衛門襲名以来の時姫で売り出し松也の三浦之助義村が懸命の晴舞台。座頭の貫禄、大きくまとめて幸 四郎が佐々木高綱の怪役。この芝居の真相を知解するのは、よほど、北条政権がせり上がって来る歴史、豪族佐々木の崩れゆく経緯、はては鎌倉の武力、北条義 時強硬の知謀の前に京の後鳥羽院が屈した承久の変にいたるまでを鳥瞰していないと難しい。三浦と佐々木との暗い連携の経緯など、わたしの『初稿・雲居寺 跡』は、四十八年前の桜桃忌太宰治賞よりまだ以前に、五里霧中をさまよっていた。
雀右衛門の舞台は久しぶり、しかも襲名舞台を見損じていたので「時姫」の出来映えはまぶしくも嬉しくもあった。美貌の松也はこの勢いで、遠からず、染五郎、猿之助、菊之助、松緑、勘九郎らの一画へ加わってきそうと、期待できる。
* 二つめは、お馴染み「御所五郎蔵」を、仁左衛門が美しくも勇ましく演じ、愛らしいほどの雀右衛門の皐月は襲名前にも観ていて進境を感じていたら、即の 襲名披露だった。いい立女形に成ってきた。かたきやく左団次の土右衛門、いやみを殺して佳い貫禄で演じていた。ただの悪敵になってしまうと舞台が白黒に割 れてしまう。松嶋屋の粋にスッキリした力演と佳い対になるには左団次のまともな存在感が生きてこなくては。その点、嬉しいほど二人の明暗、美しく出た。抜 擢の贔屓の米吉、謬って殺される傾城逢州を懸命に力んで演じていた。次の機会にはもうすこしやわらかに大きく演じて欲しい。
* 大喜利は幸四郎と猿之助との「一本刀土俵入り」で、ともに好演、ふたりともに向いた芝居。幸四郎は歌舞伎の型を超えて情と理の彫琢に気のある役者、猿 之助は役を読み込める逸材、駒形茂兵衛と安孫子屋お蔦にはうったつけ。観客の喝采をいかにも浴びやすい。人情劇の佳い舞台になった。滅多に観られない澤村 由次郎の船大工役が、そのまま一服の繪にも詩にもなりそうな名演であった。こういう端役の丹精からも歌舞伎は命脈を肥やしている。
* めったになく妻が最後まで元気に帰宅できて良かった。幕間に「吉兆」の食事をお銚子一本そえて楽しんだが、いかんせん三十分間の気せわしさ。あれは勿 体ない。満腹してしまい、日比谷のクラブでまた飲んで食べては身にこたえると、賢く断念して銀座一丁目からまっすぐ帰った。いつねクラブへ寄ってくるのよ り一時間早く帰宅できた。
戴いた桜桃を食べながら、「NCIS」を観てから、郵便物、機械を点検し、床につき読書して、寝た。
2017 6/19 187
* 市川海老蔵の若い夫人、闘病もあえなく逝去の報、可哀想、哀悼に堪えない。海老蔵七月には歌舞伎座昼夜に出勤と聞いている。あまりに気の毒だが、亡き夫人やまだ幼いお子たちを励ますためにも健闘されたい。
2017 6/23 187
* 他のどんな番組より、断然として底ぢからある女優、音羽屋の娘の述懐を聴いて、宜なるかなと感動した。涙が溢れた。この人でも、高麗屋の松たか子で も、夢にでも歌舞伎座舞台での熱演、観たかった、やりたかったろうなと、いつも思う。ありあまるほどのファシネーション、身にそなえた花を咲かせている女 優だと思う。どんな訳をしてもフレッシュに溌剌としている、二人とも。
2017 7/4 188
* 八月十四日、歌舞伎座の夜芝居、染五郎、勘九郎、七之助らの野田版「櫻の森の満開の下」座席を確保。たいへんな人気と聞いている。
2017 7/13 188
* 「湖の本」137 の編成を終えた。興味深くよろこんでもらえる一巻にまとまるだろう。ただ未だ核になる一作の細かにややこしい組指定で、もう少なく も二三日は悩むことになる。わたしには夏休みは無い。が、もう数日後には野田秀樹版の染五郎と勘九郎・七之助らのカブキが観にゆける。願わくは雨降りすぎ ず暑すぎない晩景であって欲ものしい。
2017 8/9 189
* 来新春、正月、二月の、歌舞伎座百三十年 高麗屋勢揃い父子孫三代襲名興行の案内が届いた。
正月昼には 新松本幸四郎(市川染五郎)の「車引」 二代目松本白鸚(幸四郎)の「寺子屋」 夜には父の新幸四郎が慶、子の新市川染五郎(松本金太郎)義経で「勧進帳」
二月には 昼に、新幸四郎の「一条大蔵譚」を奥庭まで、夜は新幸四郎の「熊谷陣屋」 祖父新白鸚の由良之助と孫の新染五郎が大星力弥で 「忠臣蔵」祇園一力茶屋の場 と。
大歳を跨いで行く大きな楽しみが出来た。
2017 8/12 189
* 今日、歌舞伎座の第三部は六時半開演という。まっすぐなら四時半に出れば悠々だが。はねてからクラブで食事のオーダーには遅すぎる。中の弁当場で慌ただしくよりは、先にどこかで落ち着いて夕食してから入るのがいいなら、出掛ける心づもり、はじめた方が良い。
野田秀樹の現代カブキ。盛大に楽しませて欲しい。
* 今日の外出と観劇は、いまいち落ち着き悪くすぎて、雨の中を、時間を考えてクラブにもよらず帰ってきた。何よりの衝撃は、懇意に馴染みを深め てきた 「茜屋珈琲店」の店主千葉好信さんが急逝されたよし店に貼り紙の出ていたこと、声も言葉もなく夫婦して表に立ちつくした。残念でならない。心より冥福を祈 ります。
野田版の「今日カブキ」も、わたしにはいまいちに思われた。なによりも、カブキ言葉だとあれほど明晰に発語できる歌舞伎役者の殆どの出演者が、ただの早口、 それも言語は不明晰でへたくそなのに惘れた。なにを言いなにを演っているのか、面白く耳に届かない。これなら俳優座や劇団昴の俳優達の方が詞をよく伝えて くれる。詞がハキとせぬまま騒ぎに騒ぐのだから、演劇というより「にわか」のようなもの、主役の勘九郎が時に亡き父勘三郎に似て見える分、父のまあるい溢 美柔軟な魅力にはまだほど遠く、四角く硬い。七之助はよくやっていた。が、染五郎は役不足で影が薄く気の毒だった。おもな役者の何人かは楽しそうに芝居はし ていたが、肝心の野田脚色はとても完璧の魅力とは遠く、混雑の賑わいだけでかけずり回っていた。演出には部分的に惹かれる場面もむろん何度も遭遇できた が、総じて客を存分に満足させているとはとても見えず、笑いも拍手も低調。カーテンコールは一度だけつき合い、失敬してきた。
時間と雨とを見合いに、クラブも断念して帰ってきた、保谷でタクシーを待つ間もしとどの雨だった。
2017 8/14 189
* 高麗屋三代襲名の披露宴へ、松本幸四郎さんから夫妻へ招待状を戴いた。慶祝。
2017 9/2 190
☆ ご無沙汰しています
アマデウスの稽古も佳境に入り、連日、幸四郎さん頑張っています。
演出と主演で しかも新しいキャストなので大変なようですが 皆さん熱心で いい雰囲気の様子です。
私は 襲名が滞りなく無事に いい襲名興行になりますよう 頑張っております。
茜屋さん千葉さんは 本当にびっくりしましたし、残念でした。いつも行くと秦先生のお話をしてられました。
美味しいホットチョコレート、紅茶、 そしてなによりコーヒーが飲めず。
お店の あの雰囲気は代え難いものでした。残念ですね。 高麗屋の女房
* 「アマデウス」 とても楽しみ。
* 今夜は、はからずも京都の田村由美子さんが、よほど昔に書いて寄越していた未完成長編の原稿へふと手が出て、なんと長時間をいとわず読み終えた、しっ かり読まされた。とくに前半の運びと仕上げには感心させられた。惜しいことにかなり欲張ってしまい、何もかも、書ける限りは書いてしまおうという後半の盛 り込みになり、質的な未完成は免れていないし推敲も雑になっていた。
しかし、話題も時代も青春も変転の人生も、人間も、薄くはなく踏み込んで把握されていて、ああ、このままでもし放り出したのなら惜しかったと思った。
思いがけぬ夜更かしになった。しかし、よさそうな可能性に触れ合うのはわるくない楽しさだった。
ほっとしてメールを開いたら幸四郎夫人のたよりが届いて、にっこり。
2017 9/3 190
* 午後、宅急便で、「湖の本137 泉鏡花」表紙、あとがき、あとヅケもみな添えて要再校本紙を送り返した。これは、うまくして十月半ばの発送になる
「湖の本136 枕草子 現代語訳」の届くまで、あと二日の余裕をどう使おうか。十一日に歌舞伎座が待っている。その楽しみもふくめて、発送は落ち着いて、ゆっくり果たす。
「選集第二十二巻」の責了を催促されている。早くてもう四、五日はかかるか。湖の本発送までには間に合わなかった。慎重に、沈着に仕上げたい。「選集二十 三巻」の初校出も津浪のように押しよせている。手が着いていない。圧倒すさまじいが、なるように何もかも成って行く。それより世界が平穏であって欲しい。
2017 9/6 190
* 十一月顔見世興行の案内が届いて、こちらは夜の部「大石最後の一日」は極めつけの舞台「九代目 松本幸四郎」としておそらく最終の名演技が期待でき る、しかも加えて磯貝役の子息市川染五郎も細川内記役の孫松本金太郎もそれぞれこの名乗りでのおそらく最後の舞台と成る。明けて新年から、幸四郎は二代目 松本白鸚に、染五郎は十代目松本幸四郎に、金太郎は八代目市川染五郎に「大化け」の襲名披露興行となる。
終日はさけ、夜の部、仁左衛門、染五郎らの「仮名手本忠臣蔵 五・六段目」 御大藤十郎と扇雀の「新口村」 そして高麗屋三代が顔を揃える、わたしが気に入りの「大石最後の一日」を、しみじみ楽しませてもらう。
十一月顔見世興行が大きく終えての月内には「三代襲名披露宴」が予定されていて、わたしたちも参席させてもらう。まことに慶ばしい。
2017 9/8 190
* 顔見世の夜の部、予約が出来た。
2017 9/8 190
* ゆっくり、湯につかりいろいろ読みたい。
明日は、歌舞伎座。楽しんでくる。久しぶりクラブへも寄れるか。
2017 9/10 190
* 亀治郎時代の猿之助を圧倒的にテレビで紹介した昔の映像を、感じ入って妻と観た。数々の舞台で鞏固に優れた印象を蓄えてきた役者。初めてこれが「亀治 郎」と観たのは、伯父猿之助と共演し、浴室の「なめくぢ」役を演じたときで、「こりゃ出来るよ」と妻とおおいに感じ入ったのを今も忘れない。歌舞伎の世界 を、外野の守備から強烈なストライクでホームでタッチアウトの取れる役者だ。
* 湖の本136 発送を、まず、終えた。
かなり暑いが、寛いだ気分で歌舞伎座へ出掛けたい。
* 千葉さんがやっていた茜屋珈琲店の無いのがとても情けなく寂しい。
* 歌舞伎は九時すぎにはね、急いで日比谷のクラブへかけつけ、妻はなだ万の弁当を、わたしはウイスキー、ブランデーをストレートで、そしてクラブならではのアイスクリームを。ほぼ時間いっぱい寛いで、保谷駅へついたら雨。タクシーを待って零時に帰宅。
* 芝居のことなどは、みな、明日にする。ゆっくり休む。
2017 9/11 190
* さて昨夜の歌舞伎は秀山祭すなわち初世播磨屋中村吉右衛門を「記念」の例年の九月興行で、当然、現二代目吉右衛門が座頭。夜の部開幕は 彼の船頭松右衛門実は木曽の遺臣樋口次郎へ義経方が逼る「逆櫓」。歌六は嵌り役でしっかりしている。その娘松右衛門女房を東蔵とは、好きないい役者である がとても歌六の「娘」とは観にくく、女房かと思ってしまう。しかし吉右衛門の松右衛門とならぶと夫婦らしい、しかし、まだ頑是無い男の子の生み母とはやは り観にくくて、この配役には首をかしげた。
なにより吉右衛門の下半身に露わなほど弱りが感じられ、起ち居や踏み出しや力脚に力がない。これはとてもとても心配した。いますこし豊かな口跡に明晰さ も欲しい、科白をねじっている。これは兄高麗屋にもまま感じられる。しかしやはり演劇では科(しな・動き)も当然だが白(せりふ・はなし)が客にきちっと 届いてほしい。畠山重忠役の左団次がきりりと美しく大舞台を締めくくってくれてホッとした。又五郎・錦之助・松江を三人侍に贅沢に使っててくれて、あれは けっこうだった。
ま「逆櫓」は前半が世話めく喋り場に作られていてややいつも退屈し、後半のたちまわりも大場面と謂うには「碇知盛」や「俊寛」の最後よりよほど弱いのが題負けの気味。
* さて次が、吉右衛門こと松貫四の新作歌舞伎で吉右衛門が筋書きに「作者口上」まで書いている。数々の「櫻姫」「清玄」ものを新しい狂言につくりかえ、 甥の市川染五郎に大いに働かせているのだ、が、わたしの点は、辛い。歌舞伎のいろんな手法を継ぎ接ぎしつつなんだか歌舞伎識りの「お遊戯」じみた。新作に はもっと今日からの批評や新鮮さがほしい。不出来な通俗に終始して、最終場面では席を蹴るように帰って行くお客も見かけたのは、誰にも彼にもお気の毒で あった。松貫四、いますこし現代を「かぶく」べし。
染五郎はまことに御苦労であったが、抜群の新たな嵌り役を手にしたとも、結局見えなかった。「アテルイ」や「決闘高田馬場」などの方に納得させる意気と威力があった。これは染五郎の咎ではない。台本が俗にすぎた。
新雀右衛門が二つの舞台で、まずまず。むしろわたしが嬉しかったのは、あと幕でもはや長老格の立女形魁春が渋く滋味にしかも美しくきりりとワキを固めていたこと。
前四列、花道に近い角席という、花道芝居の多い舞台に絶好席を貰えていて高麗屋に感謝。
* クラブでは、久々にウイスキー、ブランデーをそのまま堪能してきた。脂味を禁じられている妻のなだ万から、頗る美味い牛肉だけを巻き上げたのが酒ともあいケッコウであった。
電車ではみな、席も譲られて、らくに往復、車中の校正もハカが行ったのは有り難かった。保谷駅でつよい雨になり、タクシーに七八人並んで待ったのもわりと早くに来てくれた。家では、ネコやノコや黒いマゴたちが賢く留守番してくれていた。
疲れもあり、リーゼを服して床に就いた。
2017 9/12 190
☆ 九月も半ばとなり 「アマデウス」初日が近づいてきました。11月顔見世公演も発表となっていますので、襲名が、日一日と近づいてきています! 期待と興奮とが入り混じっていますが、うまくサポートできるように頑張りたいと思います。
「湖の本 枕草子」 ありがとうございました。
美しいもの、楽しいものを目にすると元気になります!
お身体 お大切に。 松本幸四郎事務所 博
2017 9/14 190
* 高麗屋三代襲名の立派な記念品を頂戴し、真実、恐縮している。
2017 9/27 190
☆ 秦恒平様
今日からまたしばらく雨の模様ですね。
「秋晴れ」の空がみたいです。
ご連絡どうもありがとうございました。
奥様の緊急入院、心配です。
一日も早いご快復を心からお祈りします!
お代金のことはお気になさらずにいらしてください。
現金書留もご面倒でしょうから、当日劇場ででも大丈夫です。
どちらにしましても、落ち着かれたところで全く構いません。
秦様におかれましても、くれぐれもお身体にお気を付け下さい。
こちらは九州公演が本日千穐楽を迎えます。
東京に戻ったら、11月の稽古が始まります… 松本幸四郎事務所
* 二階書斎窓外の戸袋へ 小鳥がまた帰ってきたようだ。
2017 10/25 191
* 十一月顔見世の佳い席の券二枚は建日子に預けた。建日子にこそ観て貰いたい、わたしたちの代わりに。記念の、高麗屋現状最後の舞台が、幸四郎の「大石最後の日」で締めくくられる。観たかった。
2017 10/28 191
☆ 秦恒平様
平素より御世話になっております。
松本幸四郎事務所です。
お忙しく、お心も落ち着かない中 ご連絡いただきまして誠にありがとうございました。
11月公演、襲名披露会につきまして、承知致しました。
お二人でお越し戴きたかったので残念ですが、まずは一日も早い御快復を!
1,2月と 新たな高麗屋をぜひ観にいらしてください。心よりお待ち申しております!!
秦様もくれぐれもご自愛ください。 2017/10/30
* さきざきにまだ機会は有ると思いたい。
2017 10/30 191
* 本当なら今夜は、高麗屋三世代、幸四郎、染五郎、金太郎の名乗り最後の舞台を、いい席でみせて貰うはずだった。
2017 11/9 192
☆ よかったです!
ご無事の退院とうかがい ホッとしております。
本当によかったです!
日毎のご快復をお祈りしております!
秦様におかれましても、どうぞご無理をなさらないように。
明けて新年の舞台でお待ちしております!! 高麗屋事務所
2017 11/15 192
* 松本幸四郎ご夫妻から、妻の退院を祝って頂き、豪華な花瓶が届いた。家が、華やかになりました。感謝、感謝。
2017 11/16 192
* 選集二十三巻送り出しの作業は終えた。
これで、師走・年内の発送作業は予定無く、心おきなく毎日の仕事に打ち込める。
歌舞伎見物も、この師走は予約しなかった。
およそ此の三十年来、顧みて例にないひっそりと静かな十二月になり、わたしは、冬至二十一日で満八十二歳になる。
同じこの十二月には、今を去る一九五七年、大学生の妻に求婚以来、満六十年めも迎える。よく二人して生き延びて来れた。それだけで、祝祭に足る。
2017 11/28 192
* 高麗屋さん、毎年の年越し蕎麦を、青やかに新鮮な本山葵も添えて、下さる。
ご一門の耀く新年初春の三代襲名と相成りますよう、心より心より祈ります。
2017 12/3 193
* いやなこと、ばっかりの中で、高麗屋三代襲名は二度目の盛儀、こころより祝してお祝いを贈った、十一月顔見世を観られなかったのは惜しかったが、ぜひ、体調を整えて一月、二月の襲名興行をこころよく祝い、かつ楽しみたい。
2017 12/5 193
* 心身とも、何となく草臥れ、ヘバっている。腹への食べ物の収まりがうまくないのか、食べると気も身も重苦しく不快になる。困る。「 蕎麦湯呑みけふの昼餉はつつがなし夕餉はなにが喉とほるらむ」という戯れ歌は胃全摘そして三月退院の年の十一月の作、さらに四年余の今年正月末には、
尿が出て便出て食へて目が見えて読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし」と詠い、同日、「余念なく眠ってをばよいものをなぜ起きてくる 死にたく ないのか」とも自問している。体調としては、しかし、いのよりマシだったのかも知れない、いまは心身とも堪え性が薄れている。めざましい嬉しさや楽しみに 欠けているのかも、例年だと十一月の顔見世、師走の観劇、この十数年欠かしていなかった。
2017 12/12 193
* 帝国ホテルのクラブ、例年便宜している来年度のダイアリー手帖を送ってきて呉れた。なんとなく、ほっとしている。
今日は、來新春に十代目松本幸四郎を襲名する現・市川染五郎君も例年自家製の新年写真カレンダーを送ってきてくれた。
2017 12/16 193
* 正月の楽しみ、高麗屋三代襲名興行、歌舞伎座の昼夜。絶好の席をもう用意して貰えている。九月この方、余儀なく間が開いていた。心底、楽しみ。松本幸 四郎改め二代白鸚、市川染五郎改め十代松本幸四郎、松本金太郎改め八代市川染五郎の「口上」を聴く。昼には新幸四郎の車引松王丸、新白鸚の寺子屋松王丸、夜には「口上」に次いで新幸四郎の弁慶、新染五郎の義経に吉右衛門が富樫で向きあってくれる。
二月もさらに顔ぶれ華やかを増して、待ち遠しい。いやいや、健康でなくては、怪我などしてはならない。
2017 12/22 193