* 六月歌舞伎座の案内が高麗屋から届いていて、役者の世代交代が、コロナ禍に阻まれ歌舞伎を観になど行けなかった数年の内にめざましい。
六代目中村時蔵の襲名興行だが、「梅枝改め」とある、その梅枝からして私の知っている梅枝より新しいのだ、むかしから「時蔵」は美し懐かしい佳い役者だった、梅枝も。今回襲名の梅枝改め六代目時像も、大むかし中村歌右衛門を懐かしく思いおこさせる美貌だ、『妹背山婦女庭訓』の「三笠山御殿」を演じるとある。南都観なんとも過ぎ越し時代時代が身に沁み懐かしい。
「時藏」を六代目に譲った美しかった先代時蔵は「初代萬壽」を名乗ると謂う。彼が「時藏」の前名は「梅枝」、それはみーもう懐かしい名跡で、此処橙の「梅枝」を私は観てきた。
歌舞伎座へ、せめてもう一度妻と出向きたいがなあ。
2024 4/29
* 馬琴も読み進んだが、総じて、グタッと寝入っていた一日。「健常を持して元気」とは謂えぬまま、晩も、今まで寝入っていた。
テレビは、新幸四郎クンの新『鬼平犯科帳』が始まり、紫式部の『光る君へ』が順調に伸びている。
高麗屋の舞台は、今度の新幸四郎クンまで三代、かならずというほど観てきたが、コロナ禍に禍され、歌舞伎座へもほぼ四年出かけていない。新染五郎君の元気な豚テモ観たいし、久々幸四郎夫人の御顔も観たい。健康でありたい。
2024 5/11
* 相撲に、「大須蒙」という雄々しい大らかさが失せて.「横綱」は事実上欠けて不在も同じく、「大関」達もさながらの「小」関取並み、贔屓としても励まないこと夥しい。
前人未踏どころか、今後もほぼ絶して現れまい「本場所四十五度」も幕内優勝の「白鵬(宮城野)」を、大相撲の誇りとも目標としても「樹てて」アトを追い慕うどころか、協会から「虐め出し」の悪手に陥っている見苦しさ。
「人」の居ない、貧寒な小相撲ぶりには、惘れるばかり。
* 幸いに野球には大谷ショウ平という、まこと希有かつ好感の「大スター」がいい顔を見せてくれる。
今「各界」に大谷君浪の「大存在」は在るか。歌舞伎・演劇・映画・歌謡」。
かつての「菊・吉」「團・左」「幸・仁・鴈」が見えてない。五十鈴も八重子も現れない。ひばり、ちえみも迹絶えている。
恥ずかしながら文壇にも「豪」と識られる成績の作家も、歌人・俳人・詩人も識らない、小林秀雄や中村光夫や唐木順三級の批評で唸らせる「読み手」も聞こえてこない。
2024 5/16
* ピタッとメール受信の途絶えているのが寂しい。皆さん、熱暑にウダッてられるのだろうよ。
○ お元気ですか、みづうみ。
やさしい夢のお話ありがとうございました。みづうみからの早朝メールにどれほど慰められたことでしょう。
あけぼのは病気してただいま絶不調です。幸い喘息の診断ではないものの、咳は体力を著しく消耗します。疲労困憊。よく休んで少しずつ復帰したいと思います。みづうみのメールに、弱った心と身体がほっこり幸せな色に染まりました。
* お大事に。冷房と仕事との相性に、思いのほか気遣いして過ごしている。子供の頃は「夏」大好きだったが。老いては、堪える。少し、少し、少しずつの酒で食と仕事とを「調節」しているつもり。
* 高麗屋の白鸚さんから九月秀山祭へ直々にお誘いが来ている。久しぶり妻との歌舞伎座へ、心動く。もういいだろう、コロナは。思えば数年、都心へ出ていない。脚。脚は、ま、二人とも大丈夫。帝国ホテルのクラブへも、復帰してみるか。
真夏を どう凌いで越せるか、だな。
2024 7/9
* 左脚が、まるまる失せたかと謂う感触に愕いて、目覚めた。頚の、背がわが痛む。老残の苦味か。一つには、久しいコロナ蟄居にからだが生気を喪い気味なのだろう。病苦ではなく「体験」なのだと思っている。
二ヶ月後の「秀山祭」歌舞伎が、観られるか、歌舞伎座まで出掛けられるか、老耄、一つの別れ道に出会うだろう。お誘いの、白鸚さん、幸四郎クンに、座席は頼んで置きたい気でいますが。両夫人にも久々に会いたく、松たか子ちゃんの笑顔とも出会えるか知れない。
2024 7/10
* 九月の歌舞伎座、昼 夜とも、高麗屋さん、座席夫婦分引受けてくれました。かありがたし。コロナよ、散って去ってくれ給え
2024 7/17
* いま午後三時半にちかい。朝から,何をしていたという自覚がナニも無い.寝ていたも同然であったのだろう、機械の不調、乱調に屈して、なににもかも投げ捨てていたか,ソレすら茫然と、記憶に無い。
明日はナニをするか。散髪らしい、が、、シカと覚えてない、明後日は歌舞伎座の「夜の部」か、と。茫然。シカと覚えてない。これはもう、末期症状か。
メールの受け渡しも,頼りなく記憶に洩れ墜ちている。
どうやら、今、此の記事が、今分九月三日午後㈣時半現在の「最新」意識下のモノらしい。やれやれ。
2024 9/3
* サテ。今日は、午まえに、散髪に。
明日の 妻と歌舞伎座夜の部、松本白鸚、幸四郎、染五郎らの舞台に。夫人らにも逢い、ひょっとすると 松本紀保、松たか子とも、久々出逢うか知れない。疲れず、無事帰宅できますよう。
2024 9/4
* 四時開場、夜の部歌舞伎座へ。会場前に、脇の文明堂喫茶室へ。久々に,まこと久々に美味いコーヒーを喜んだ。
歌舞伎座、三階「花籠」の夕食を予約。客席は上手前二列目角席二席、絶好。
一番目 玉三郞,松綠,染五郎ら『妹背山婦女庭訓』 二番目幸四郎の弁慶で、『勧進帳』、なにしろ往年に数を重ね堂々の花形大物役者で繰り返し観てきているので、総じて舞台がちいさく觀えたのは致し方ない。
帰りのタクシーに、あざとい乗り回しされ、常は一万円で釣りのある距離を、一万三千円。 不快。 どうも、文明堂の美味かったコーヒーのほかは、晴れやかに気の晴れない歌舞伎座九月夜の部とはなった。
次の「昼の部」は、幸四郎好みのスペクタルに「カブイた舞台」となろう。楽しませて欲しい。
2024 9/5
* 疲労困憊りていで、おおかた寝入っていた。視力・体力、衰えに衰えて行く。
いま、夕過ぎた六時半、一日何をしていたか記憶にも無い。こうも疲れるかと、呆然。昨日の歌舞伎座も充分には楽しまなかった。単に疲労か、なにかよからぬ病状の兆しか。前者とは感じているが。妻がそばに居て呉れて、安心でき、有難し。
老境に、疲労は病状に同じく感じる。
2024 9/6
* 明日は歌舞伎座の昼の部を先日と同じ前二列で観る。はねて後、少しは醒めた目とここちとで街歩きして帰れようか。
* 心身に違和が進んでいるのかと気になる。夏バテと謂った疲労か。そういえば昔から早秋に弱かった、かも。老耄のまま、人付き合いが事実上、メール交信もともども、薄れ絶えてきているのも生きた心地を弱めているか。むしろそれをアクティヴに受け容れて老境を確かにした方が良いか。
2024 9/11
* この疲労、まさに夏バテ。昔から初秋の残暑によく負けていた。
* 明日は,十一時開演、歌舞伎座九月昼の部、幸四郎好みの、新作スペクタル風の新作。先日の夜の部と同じ、前二列やや上手通路際二席。愉しめるでしょう。
* 今夜は早く休む。
2024 9/11
* 残暑を押して、妻と、歌舞伎座九月昼の部公演に。空海の名をかかげての、当代幸四郎好みと想われる新作スペクタクル、か。このところ,日々の疲労が,濃い。ふたりとも,躰に堪えずに楽しんでこれるといいが。
2024 9/12
* 歌舞伎座九月 昼
『摂州合邦辻』合邦庵室の場 菊之助の「玉手御前」に、めったにないこと、私は歌舞伎の藝を、観て、聴いて、聲を呑んで泣いた。歌六の合邦道心も立派、米吉の浅香姫も綺麗。いまどきこんな芝居に泣かされるとは、いいとこ在るよ,私も。九月歌舞伎座に華と実を献じたよ。
『沙門空海唐の國にて鬼と宴す』 は,案じた通り、演じた三代高麗屋さん「ご苦労」だけの、「愚」作。「カブキ」に胸打つ「芯」がない。原作、脚本、演出の落第なり。
* 跳ねたあとの食い気をたのしみにしていたが、妻が疲れ、わたしも疲れを覚え、まっすぐ保谷へ帰宅。それが正解だったと想う。「病む」でなく「疲れる」のが同じ八八歳夫妻の,足弱と謂うもの。ムリはしない。ムリはしない。
2024 9/12