ぜんぶ秦恒平文学の話

歴史を読む 2016年~2017年

 

* 「水滸伝」もう三冊目を読んでいる。もともと講釈に同じい著作であり、そのまま漢学の大家が講釈口調に訳されているのが、読みや易くも奇妙でもあっ て、とんとん進む。豪傑ということばを近年は地を払ったように聞かない。稀に聞いても他人に惘れ嘲り笑って「あいつ、ゴーケツだから」などと謂っている が、わたしの子供の頃は、豪傑という一語が敬愛を帯びて残っていて、塙團右衛門だの後藤又兵衛だの薄田隼人だの加藤清正以下の七本槍だのと具体的であっ た。

いまの世に、映画やドラマや舞台では別にしても、新聞沙汰にまことの豪傑などだれ一人登場しないで、号泣市議や謝罪代議士や麻薬選手や悪政総理だのが もっぱら情けない思いをさせてくれるばかり。腕力・暴力の豪傑は要らない、しかし人間味において豪傑である人には出会いたい。

「水滸伝」は大勢の豪傑が結束して悪しき権勢と対抗する物語であり、「三国志」にも襟を正して向かわせるシンの豪傑が大勢登場して魅力の粋を成している。 あの孫悟空にしても豪傑なのであり、中国人はとびぬけて豪傑を賛美し待望する国民のように思われる。日本史に、真実の豪傑が国政を宜しく左右したといえる 実例がとぼしい。スサノオ、オオクニヌシ、神武天皇、ヤマトタケル、神功皇后、聖徳太子、中大兄・天智天皇、藤原鎌足、天武・持統天皇、藤原不比等、桓武 天皇、坂上田村麻呂、弘法大師、藤原基道、菅原道真、藤原忠平、平将門、藤原道長、源義家、後白河院、平清盛、源為朝、源頼朝、木曽義仲、源義経、北条政 子、北条義時、北条時宗などと思い付くまま人の名を挙げていっても、偉人はいても、豪傑だなあと半ば惘れつつ讃嘆できる豪快なそして大きな人物は少ない、 いない。将門、清盛、北条義時、時宗、そして或いはその上を行ったのはひとり後白河院であったろうか。持統女帝、桓武天皇の位置にも豪なる意義を覚える が。

2016 2/22 171

 

 

* 成心を以てなにかうまいことを狙い願う「だけ」の勉強はモノにならない。面白くて楽しくてその世界へずんずん踏み込めるのでないと勉強の質は上がらない。本は調べるために読まない、嬉しく面白く成れない読書はいかな名著であれ、投げ出される。

与謝野晶子の源氏物語の訳に惹かれなかったら古典へ歩み寄ったろうか。その前に百人一首の和歌との佳い出逢いがあって、だから源氏物語に喜んで入って いったと思う。少なくも平安物語の世界は和歌をたっぷりの栄養に得た世界。平安時代の日記も広くは歌物語に属していて、伊勢も蜻蛉も枕も和泉式部も右京大 夫もみな然り。しかし和歌の全容へ国歌大観なみに近づく必要はない。百人一首と、和泉式部和歌の精選、西行和歌の精選、だけでも和歌の魅力はしたたかに楽 しめる。好きな歌を選んで愛することだ。そして歌謡。わたしの梁塵秘抄と閑吟集でも、ほぼ足りている。

大事なことは、和歌とすぐれた近代短歌との命脈と差異をも直感できること。近代現代短歌は、かずばかり多く派閥感覚も濃くて、むりに近付かない方が良い。わたしの「愛、はるかに照せ」などで表現の妙はつかめる。

和歌短歌については、幸い、よく出来た詞華集もあり、よく選ばれた啓蒙書もある。一冊持っていれば足る。

平安物語では、竹取のあと、意外に面白いのが、源氏以前では落窪物語、以後では夜の寝覚めがすばらしく、和泉式部には物語作家としても私小説作家としても久しく誘惑されている。

ムリして出来もしない原文読みに拘泥せず、面白くなってくると向こうからすり寄ってきてくれる。

どんな読書にも、しかし背景に歴史がある。歴史への好奇心や関心を育てて近付く意欲は手とても大事。

2016 2/27 171

 

 

* 東工大の研究費はわたしには十分に豊かだった。もっぱら書籍、それも事典や辞典を買わせて貰った。「日本古典文学大事典」「日本 史大事典」「文化人類学事典」「日本を知る事典」「小百科事典」「広辞苑」「仏教語大辞典」「日本人物事典」「日本語大辞典」「漢和大辞典」等々。そし て、今もよく使う。「いい読者」である一つの資格は「辞書・事典をつかうのを面倒がらない人」と西欧のある大きな作家、ナボコフだったか、は挙げていた。 その通りだと思っている。

 

* いましも、日本史大事典の重い重い一冊を引き抜いて、「天皇」を調べた。歴代百二十五代をだいたい三分間かけないで特急で云えるけれど、(実は、平成 から溯って神武まででも五分間とかけないで云えるけれど、)途中一箇所だけ「確認」したいところがあった。江戸も中頃から末期へかけて桜町、後桜町、桃 園、後桃園という女の天皇さんらがおられ、この順番だったか、桜町、桃園、後桜町、後桃園の順であったかを正確に覚えておきたかった。この、アトの方で あった。

 

* ま、それは些少の確認に過ぎなかったが、事典でどこを引くかとなると「てんのう 天皇」の項なのは当然として、いざ頁を開いてみると、「てんのう 天 皇」の解説、三段組みの細字で実に二十頁にも亘っていた。「太平洋戦争」で八頁弱。「天皇」の項だけで、優に一冊の本ほどあるのだ、これは通して読まな きゃと、つい、思ってしまった。

字は小さく、本は超重くて大きい。けれど、読んでみたくなった。

どこで読むの。寝床か。ちと、困ったなあ。

2016 4/11 173

 

 

* 「天皇」の事典解説をおもしろく沢山、といっても五頁ほど、読んだ。なるほどなるほどと。事典のありがたみに感謝。

「朝鮮」がどういう国だか、辛うじて上古古代史は読めたが、わが中世以降にあたる時代の政情や民情は全く(いわゆる韓流歴史劇のていどにしか)分からない。ドラマを観ていても時代が読みにくい。

知りたいことが多くて困る。

2016 4/12 173

 

 

* 天皇と天皇制について、平凡社の「日本史大事典」全六巻の第四巻でつぶさに読みかつ教えられている。何人もの専門学者が分担して解説されていて安心感 が増している。明治以前には各時代によって天皇の存在意義や機能がさまざまに推移してくる。そして明治以降の近代・現代には今日の我々も心得ていて良い 「天皇」の問題がつぶさに解説されていて、まこと興味深くまた他人事ではない。

2016 4/14 173

 

 

* 平凡社の「日本史大事典」の「天皇」の項、まことに興味深く、これから昭和の戦時に入る。「事典」は気を入れて読みに掛かるとなまじっかの単行本より もはるかに効率よく核心に触れて行ける。ただ字が小さくて。いまわたしの七八つある眼鏡はどう取っ替えても、よく読ませてくれない。いきおい二度の校正を 三度することになり、ますます疲れる。

はれやかな旅がしたいなあとつくづく思うものの、九州の惨状を見知るにつけて、とてもとてもと諦める。

2016 4/19 173

 

 

* 「蘇我殿幻想」を三校した。エッセイでもある小説と読まれてきた。こういう幻想的ないし推理の利いた歴史への肉薄こそ、わたしの一特色のようだと、今 にして納得している。ちいさい子供の頃から、大人の仕舞い込んでいた通信教育の「国史」を表紙もボロボロにするほど耽読して日本史を脳裏にデッサンしつづ けながら、百人一首の和歌に手を引かれながら物語世界を嬉々としてかき分けていった、その嬉しかった余録のようにわたしの小説の多くが生まれたのだった。

さきに初めて発表した小説「チャイムが鳴って更級日記」と「蘇我殿殿幻想」とは一部でつよく膚接しててながら、前者は菅原孝標女の作家的な素質へ目をむ けて今後の展開をなお希望しており、後者は明らかに大和・奈良朝から平安初期へむかう底昏い歴史を「蘇我殿」追及とともに手づかみにしようとしていた。わ たしを「学匠文人」と名指して下さる研究者がおられた。なるほどわたしの歩みはやはり上田秋成の生涯に歩調をそろえているのか…、そうかなと思う。

2016 4/22 173

 

 

* 大事典の「天皇」と「天皇機関説」とを読み終えた。目から鱗が何枚も剥がれ落ちた。鵜呑みにするのではないが、あまりに知らない思いの届かない分から ないでいたことが多いのだ、莫大に教えられた。「事典」からこんなにしこたま教わったのは、幼少の秦家で飽かず読み耽った「生活大寶典」以来だ、事典を読 むのは悪くないと思いつつも、ま、書架の多くを塞がせたまま時々に一、二を確かめに開くだけで「読み耽った」ことは無い。しかし「天皇」「天皇制」につい てこれまでのどの読書よりも綿密に的確に教えられた気がする。それにしても重い重い大きな一冊の三段組みで二十余頁の小活字組は読みでがあったし、されほ どの日本の「天皇」であったのだとも合点した。

気持ちでは、読み取ったそれらをそれなりに纏め書きしてより適切に認識したいのだが、残念ながらそれだけの時間をいまのわたしの毎日から割くことは難しい。せいぜい「もう一度読む」ことにしたいと。                          2016 4/24 173

 

 

* 江戸小百科『砂払』は、どの頁を開いてもおもしろく「江戸」の人・物・事が手早く端的に知れて、つい読み進んでしまう。

2016 4/30 173

 

 

* ヘレン・ミレン主演映画「エリザベス一世」上篇を見聞きしながら作業を九時まで続けた。あたまのハタラキもストップしたので作業もやめた。

著名な伝記作家によるあの浩瀚な「メアリー」も読み返したくなったが、あの本は建日子の方へ行っているのではないか。上の映画はじつは板に収録しては あったのに、今晩が初見だったと感じたほど新鮮だった。むろん前に観ていた。ただ後編に覚えが無く、むしろジュディ・デンチの「ヴィクトリア女王」をおも しろく観た記憶が濃い。一時期、映画での女王ものが幾つも続いて出たことがあった。脚色された創作ということを加味しても、欧州の近代史理解のためには、 この手の映画は見落とせないと思っている。英国の皇室ものは甚だ陰気で時に陰惨を極めるのだけれど。

2016 6/3 175

 

 

*   韓国古代史を上下二巻で勉強しておいたのが、韓流歴史ドラマを観るのにやはり役に立っている。「輝くか 狂うか」とヘンな題の進行中の高麗ドラマも、どの 時期の高麗かほぼ見当が付けられる。皇帝と執政、皇室と豪族、それに強大な商団、そしていわば対抗する地下組織、さらには「毒」の使用、秘密のシンボル等 々。

一つの半島のなかでいつも高麗、百済、新羅に三分されていたわけでなく、朝鮮時代も、高麗時代も、新羅時代も、李朝とよばれた時期も、これほど混淆し交 替し合い争い続けた半島は世界史的にも珍しい。「流れ」と「変化」とをおよそ理解していないと、ドラマの追い求めて意味するところは掴めない。韓流の現代 物には目を向ける気はさらさら無い、が、歴史がらみのドラマは、選んだ上で、というよりヒロインが気に入ればというのが正直だが、心して観ている。

日本史は、どんなに公家が武家が豪商がハバしようとも、所詮は一系の皇室をとりまく諸勢力にすぎず、あたまの整理は簡単に出来る。源氏物語絵巻をみながら江戸時代のおはなしなどとは、まず、だれも混乱しない。朝鮮半島の歴史異変にくらべて、甚だ淡泊にラクにできている。

2016 6/7 175

 

 

*  韓流の時代物「輝くか、狂うか」というヘンな題のドラマを終幕近くまでけっこう楽しんで見てきた。もう二日で終えるようだ。千年高麗をめざした時期の、中 原、渤海、契丹などの近国との緊張をも背景にした、皇帝、王族、豪族、商団、庶民、奴婢、秘密警察、秘密結社、私兵等々の葛藤が見られた。目的は聖政のな される安寧と繁栄の国づくり。異国のおもしろい動く紙芝居としてみれば、上等であったと思う。

朝鮮半島を歴史的に眺めて、各国のなかで興味有る存在は、高麗。びっしりと他国の脅威にとり囲まれながら、中国にすら再三再四手を焼かせて容易には支配 を受けなかった国だ、一時は半島全域を「高麗」の名で統治した。日本の侵攻をも追い返している。その鞏固な支配意志を、現在の北朝鮮が受け継いで「統一朝 鮮」を願っているのだろう、おなじ願いは新羅・百済併せての現在韓国ももっているから、半島の緊張は果てしなく続くだろう。

海に囲まれた列島日本、せいぜい藩どまりで、相争う「国」を列島内に分かちもたず済んできた日本国と、半島二国との、差異は大きい。

医の「ホジュン」や「馬医」などにも教わるところあったけれど、概してわたしは「皇位」や「政権政治」のありようにまっすぐ触れていた「イ・サン」「ト ンイ」などを面白くくり返し観てきた。主演女優や脇の女優達の美しさにも惹かれてきた。要するに、異国が珍しかったのだ。制度、調度、建築、飲食、祭事等 々。

2016 6/17 175

 

 

* 映画「トラ・トラ・トラ」をもう何度目になるか、克明な画面をのこりなく観た。あの天皇の放送と終戦を描いた「日本のいちばん長い日」には泣いたが、 この真珠湾奇襲は壮大な、しかし空しい映画だった。先制奇襲の錯覚を夢見かねない若い人たちの浮き足立つのを懼れるとともに、奇襲されるオソレの十二分に ある極東環境から目が離せない。「トラトラトラ」の奇襲は失敗に等しい半ばの成功であった上に、真珠湾の壊滅だけに終わった。山本五十六が見抜いていたよ うに「真珠湾の不法奇襲」は米国民を結束させた。

しかし、日本への奇襲は、日本国全土の大混乱と回復不能なほどの放射線危害に押し包まれかねない、絶対にこれを懼れかつ避けねばならず、政治はそれへ集 中した叡智を働かせねばならない。決定的に、日本からの先制奇襲などということは不可能だと心得た上で、国家と国土の危害をさける道を真の政治力と国力と で計らねばならない。

働き盛りの知性達が我れ関せずのひやかし気分で高見の見物へ遁れていれば、確実に日本は今世紀後半をすら無事には迎えられないだろう。安倍総理も新防衛大臣も何を考えているのか、責任ある表明または姿勢をみせるべし、日本の危機は経済だけで保てるのでは、決して無い。

2016 8/6 177

 

 

* 天皇の放送で敗戦と知った丹波でのあの夏休みの日、国民学校四年生のわたしは蜻蛉のように両手をひろげて、農家の広い前庭を駆け回った。広 島、長崎への想像を絶した爆弾投下の報もともあれ知っていた。幼稚園時の海戦このかた、戦争に日本は勝つとも負けるとも想ってなかったが、勝てそうにはな いと少なくも二年生頃には感じていた。教員室の外廊下に貼られた世界地図で赤い小さい日本列島と緑の大きな大きなアメリカをみながら、ふうっと何かを呟い たとたん通りがかりの男先生に壁へ張り飛ばされた。あの時と所と感覚を只今もありありと、まざまざと、色も空気の重さまでも思い出せる。

日本映画が第二次大戦を描いてわたしを金縛りにするほど引き込んだのは、敗戦の日の「玉音放送」に至るまで、近衛兵らの反乱などを強烈に描いた題はうろ 覚えだが「日本のいちばん長かった日」で。柳智衆の鈴木総理、三船敏郎の阿南陸相、昭和天皇の声はあきらかに当時の松本幸四郎、若手の大勢がみごとに競演 して緊迫の映像を燃え立たせた。昨日、同題で新版が放映されていたが観るに堪えないほど大半の出演者達がへたクソで、おおかたの科白が生きて届いて来な かった。流石に森繁久弥、森光子は観せてくれたが。

2016 8/15 177

 

 

* バルビュス『砲火』の収束部をながながとスキャンし校正していた。それ以前の、生彩にあふれた凄惨な戦闘場面の連続から、雨と雪と泥と洪水に ひたされたままの、兵士達の懸命の戦争論議が続いた。なんとしても言葉での舌足らずの論議は観念・概念にも空想にも激情にも流されやすいが、兵士達が云お うとしている意味もも意義も、分かる。大事なことは、筆者のバルビュス自身がこれら惨憺たる塹壕兵士の中に「僕」として加わっていて、けっして想像や作り 話はしていないという一点を見落とすまい。

 

『砲火』は、戦争の企画指導者や利益享受の上の階層、国支配の階層からは、甚だしく憎まれ嫌悪され排撃されたけれど、敵味方の別なく圧倒的多数の世界中の 「最前線兵士達」バルビュスのいわく「「戦闘の無数のあわれな労働者たち」の共感と感謝と気勢とを受けて文学としての高い評価と顕彰とに輝いたのだった。 「戦闘労働者」おお、なんという的確な定義であろうか、兵士とはそんな存在に他ならない証拠の文章や映像は、ナポレオンの近代戦争このかた、第一次第二次 大戦ばかりでなく、世界各地でのさまざまの戦闘現地で実証されている。「兵隊さんよありがとう」という戦時戦後の浮ついた唱歌が、わたしは嫌いだった、大 嫌いだった、なんというウソくさいイヤらしさ、と。

けっして恵まれること無い「戦闘労働者」 前線の兵士とはそれに尽きている。戦争を企画し決行し統率する指導層はぜったいと謂えるほど弾幕の中での「戦 闘労働」には従事しない。義経には共感しても頼朝をどうしても好きにならなかったわたしは、戦争で損だけを請け負う戦闘労働者と、戦争で名誉や勲章や得な 利益しか請け負わない指導層・支配層との、けわしい対立を、どのような理が働こうとも、納得はしない。あきらかにわたしの人生の第一章の門柱にはかの白居 易作詩「新豊の折臂翁」が掛かっていた。

2016 8/17 177

 

 

* アンリ・バルビュスの最初に『地獄』を読み、ついでこの作家が果敢に飛びこんだ仏獨塹壕戦の惨憺たる『砲火』を読み、さらにいま『クラルテ(光)』を 多大の共感ももって読み進んでいる。どんな作か、訳者の田辺貞之助さんの解説から要点をかりて此処に書き置きたい。時代の差は否めないが本質においてバル ビュスの到達には大きな説得力がある。

 

☆ バルビュスの『砲火』から『クラルテ』へ

『クラルテ』は一九一八年九月に脱稿、翌年フラマリオン書房から刊行された。

世界平和を確立するには、ドイツの軍国主義を打倒しなければならない。ドイツの軍国主義こそ世界平和を攪乱する元兇であると信じて、四十一歳という年ですすんで出征を志願し、血気盛んの壮丁にまじって惨憺たる塹壕戦をたたかいぬいた作家バルビュス。

しかし、戦場で彼が発見したことは、当の敵が目前に突撃してくるドイツの兵卒ではなく、彼我の前線の背後の宮殿のなかで兵卒を操縦している国家の指導者 であることだった。彼ら指導者、すなわち彼のいう権力と金の国王たちはわが身とわが階級の利益のために民衆を犠牲にして、大ばくちをうっているのだ。それ なのに、民衆は無知と愚鈍から、輝かしいものへ心をひかれ、権力者にこび、みずから墓穴を掘っている。こうした奴隷根性をたたきなおさなければ戦争は決し てなくならない。だから、この世界から戦争をなくすためには、戦争の道具にされている民衆がこぞって「戦争はいやだ]といわなければならない。主脳者だけ では戦争はできないのだから。――これが『砲火』によって彼バルビュスの得た真理だった。そのために、彼はA・R・A・C(旧戦闘員の共和的連盟)をつく りⅠ・A・C(旧戦闘員の国際的連盟)をつくった。

しかし『クラルテ』にいたっては、彼バルビュスはさらに論をすすめ、世界のプロレタリヤートが今までの奴隷的境涯および奴隷根性をかなぐりすて、一致団 結してあらゆる特権および特権のうえにあぐらをかいている搾取階級を打倒し、自由にして平等な、民衆による世界国家を樹立すべきことを説いた。処女作『泣 く女たち』からはじまったバルビュスの真理の探究は行きつくべきところへ行きついた。

『クラルテ』の主人公シモン・ポーランは平々凡々たる会社の事務青年だったが、召集されて前線に戦い、傷つき捨てられて、荒野に呻吟しているあいだに、 「戦争の唯一の原因はおのが肉体を持って戦争をする人々の奴隷根性と黄金の王者たち(すなわち資本家たち)の打算であることに気づいた。

 

* 戦争・戦闘そのものの様態には必然の変化は有るにせよ「戦争」そのものの実相は変わらず、バルビュスがカンパしたとおなじ事を、わたしにしても推察しほぼ確信している。戦争反対の思想も運動も、現象的には戦争で利を得る立場のものらへの闘いでなければならないだろう。

2016 8/28 177

 

 

* 弱者は労られ守られ救済されねばならない。しかしその労り保護救済が個々の国民に預けて事成れりとするのは大きな謬りで、個人の力量には限界 がある。国民の総意において政治・行政が率先それに当たって、国民もそれに協力する・協力できるというのが望ましい。個々人に個々別に弱者救済の労を強い 押しつけるのでは國として過っている。個人の力量にはいろんな意味から限界・限度がある。

日本国民は、弱者は救済すべきでないと判断するバーセンテージが、世界大国水準の三倍から数倍に位置している。おどろくべき事態が進行している。大きな 理由のひとつは「福祉行政・政策」の国家的な貧困にあり、その結果として国民のなかに勝ち組負け組差別を当然視する意識が顕在化して来ているといわざるを 得ない。そんなややこしいことではない、個々の国民としては、弱者救済をわれひとりの力では果たしきれないのだという嘆息の方が自然に拡がっているのだと 思われるが。それにしても勝ち組の負け組への「知ったことか」意識は想像以上に社会に瀰漫しているのかも知れない、ヘイトスピーチの野放しもそれと連携し ているのでは。

 

思い出すことがある。

赤穂浪士らの城明け渡し前の残資金分配について、古参家老の大野は家臣の禄高に比例してと主張し、城代家老の大石内蔵助は家臣人数の頭割り平等分配を決定した。

禄高という名の「勝ち」支配の意識を押さえて、家臣(国民)の平等・平均を決した大石の仕打ちは、やはり見事であった。この場合の取り分が量として同じ、結果として下に厚く上に薄くなるのは、たとえば向後の生活のためにも当然の配分であったはず。

しかし現代日本人の多数が、下の方の弱者は救済に及ばないと考えているかに、意識調査の数字が示している。明らかにこれは、「政治」の無為無策に原因している。福祉は、とかく個々の親切に帰せられやすいが、政治が蔽いとるべき公共施策でなければならない。

禄高・稼ぎ高を主張してより上積みを当然として、禄や稼ぎの低い弱者はきりすてても可とするような國や社会に成りきって、いいのか。いいとは、とても思 われない。しかし、その義務ないし努めを一律に個々に強い求めるのは、甚だしい不幸や事件へつながる「悪政」であると、わたしは言い切っておく。

2016 10/2 179

 

 

* 放送大学を聞くこと有り、高橋和夫のイスラムや中東を語る講義は愛聴している。話が自然でよく分かる。西洋美術史を独り合点でべらべらと喋りまくりながら要点のすこしも纏まらず伝わらない講師もいる。

2016 12/27 181

 

 

 

 

* 「井伊大老」は、しみじみ胸にせまる新歌舞伎の一名作。今年一年で「幸四郎」を卒業する九代目の井伊大老は、さながらに父先代の口跡風貌を甦らせた思 いの深い懐かしい役づくりで、玉三郎のすばらしい愛らしい「しづ」とさしむかいに、彦根城あの「埋木舎」へ帰りたいと相擁する場面では、思わず、わたしは 声をもらし京都や来迎院の恋しさに泣けた。

初世白鸚と六代目歌右衛門の舞台はじつに佳かった、決して忘れない。だが九代目幸四郎と美しい極みの玉三郎しづとの双璧も、このさき幾度も情け深く熱く 光りつづけるだろう。来春には十世幸四郎となる子息染五郎が、長野主膳というむずかしい人物を、たじろぐことなく、きりっと演じた。もう一人正室の人と格 とをこころよく見せていた、芝雀あらため四代目の新雀右衛門にも、うんうんと頷けた。後場の側室「しづ」との対比が品位を保ち得た。

 

* わたしがこの芝居を愛してきた理由のひとつには、井伊直弼と日本との、外向きには開国・外交の決意、内向きには埋木の昔から独自に培ってきた一期一会の茶と愛と、に若くから心惹かれかつわたしなりに物思うこと多かったからである。

井伊直弼の{開国}への覚悟、尊皇はともかく「攘夷の危うさ」にたいする認識に、わたしは反対を唱える気になれなかった。井伊なくて、むやみな攘夷に 走っていたなら、日本はたぶん西欧列強に分け取りに占領されていただろう。列強の対抗を巧みに必死に操りつつ、開国の姿勢を保ったことで、不平等条約には ながく泣かされたものの、日本は西欧の帝国主義をなんとかすり抜け、明治維新と近代とを迎えることが出来たとわたしは信じている。井伊直弼大老たる頑張り は、多く若き幕末の俊英らを死なしめたものの、まこと危うい瀬戸際を通って日本國の壊滅を防いだ。天皇制をすら結果としては護ったと、わたしは、ま、そう 思ってきたのだ。彼井伊直弼を人としても信頼する基盤には、名著『茶湯一会集』があった。「一期一会」の思想としての高さをわたしは井伊直弼から学んだの だ、云うまでもない長編『慈子』はその真実のレポートであった。

2017 1/12 182

 

 

*  韓国民の「慰安婦像」の持ち出し方は、真に「抗議」の意味を籠めているなら、造像にむしろ問題がある。より実況と実像とにちかく表現するなら当然「裸像ま たは半裸像」のようであるのが正確であり、それでこそ抗議や憎悪もこめて生々しい事実・実況に近かろう。「慰安婦」とは、ただ察するばかりではあるけれ ど、現在陳列されている正装かとも思われるようなお堅い衣裳で静座していた婦人達では事実とうていあり得なかったろうあるまじき悲劇を担った女性達と想わ れる。それが否定できないからの国民的こうぎであるのだろう、それならあのように取り澄ました「造像」には事実を直視しないでする欺瞞すら推量される。あ れでは何が抗議で抗議の根拠になった事象や実態の説明がさきざきの世代へいちいち説明しなければならなくなるが、説明すればするほど正装静座の正面像はた だウソクサイものになろう。このいあん場合「婦」としての兵隊「慰安」がいかがなものであったか、必然「性的凌辱」に近かったろうことを私自身は遺憾千 万、疑っていない。抗議の韓国民にも同じ屈辱や憤怒があっての表現行為なのだろうが、それならば、どう慰安婦像を行儀良く装わせてみても、自国他国を問わ ず観る側の認識や想像力には「性的な」姿勢が自然と浮かび立ってしまう。同じ自国の同朋女性の姿を、さような卑猥な想像を誘いだす人形として見せ物にする というのは、それこそモデルである昔の「慰安婦」らへまたも自国民からのリンチや差別に近い侮辱なのではないのだろうか。

わたしは、初めてあの「慰安婦像」を観たとたん、「むごいことをするものだ」と韓国民に対し痛いほど感じた。あれこそ、自分は「そうでなかった」という 自認つきでの、明瞭な少数被害者への「差別」行為に等しいのではないか。その恥ずかしさ、手前勝手を、余の大勢の韓国民はまるで感じていないのだろうか。

日本軍の、「慰安婦」を強要したであろう事実を、遺憾にも私は疑わない。疑えない。むごいこと、非道なことと思い、恥ずかしい。日本政府が国民にかわり謝って賠償したのも当然と思っている。

だが、他方、現在の韓国民が自国の女性をあのように、へたに、「むしろ辱め」るに等しい造像とやたらな展示で自己満足していること、明らかに慰安婦への 差別に等しい「他人事」意識のまま麗々しい「抗議」を粧って、要は自国政権をただ吊し上げの手段に使っているのを、私は、或るドラマの誰だったかの科白を 借りて、「オレのとはチガウなあ!」と半ば嗤っている。冷笑している。

韓国民はあの「像の慰安婦」を、自分の母や姉や叔母や女友達だと、まして自分自身だと、は、ゆめゆめ思っていまいが、そこにこそ、身勝手な偽善や偽悪が隠れている。

あんな「もの」を自国にも他国にも建てまくって、この女は慰安婦でした、「見て」「見て」とばかり、誇らかな正義への主張や悪への抗議たり得ると言い立てているのには、思わず失笑してしまう。

国と国とで国際法を背後にきちんと取り決めた約束事が守れなくて、国民の健全で聡い姿勢はどう保てるのか、そこを考えて欲しい。

2017 1/15 182

 

 

* 白人君臨主義のトランプと領袖また支持者達の勝手な咆吼を聴くにつけ、「白人」というのはもともと残忍な人種であったのだと、沙翁の歴史劇からも理解できて、複雑な迷惑感を覚えてしまう。

日本の百二十五代の天皇で、はっきり「殺された」と云いきれるのは、海歿した安徳幼帝を強いて含めて、他に身内に殺された只一人しかいない。島流しに 遭って死んだのが四人、都を平城や吉野へ離れて死んだ天皇、薬殺されたかと疑われた天皇もいはいるが、皇位を争い何かというと倫敦塔へ投げ込んでは陰惨に 殺していた英国皇室史のような乱暴は、少なくも日本には無い、ないし極めて少ない。臣下として皇位をなみしたような蘇我氏や僧道鏡でも、源平北条足利また 織田豊臣徳川でも、皇室には露わには手をかけなかった。天皇同士で戦をしたのは保元の乱の崇徳・後白河だけで、南北朝の頃でも天皇同士が戦陣で戦闘したの ではなかった。

ま、中国でも朝鮮半島でも革命思想を負うた王位王権の熾烈で凄惨な抗争はあったけれど、白人世界史での王権争奪戦は、神の名においてはるかに欲深く陰険で血なまぐさかった。

トランプは、おそらくヒットラーの支配を暗に継ぎたいのではと猜されるが、それにしては知恵も人格も気品にも欠けた行儀の悪い、完成でも知性でも劣りすぎた大統領をアメリカ人は選択してしまったなと。わがこととしても甚だ憂わしい。

 

* せいぜい、わたしは絵空事の不壊の世界をますます大事にしたい。

2017 1/27 182

 

 

* 「高潔の士」と市民に認められていたキャシアス、ブルータスらに刺され、ジュリアス・シーザーは殺された。「自由な市民の國 ローマ」に独裁の「王」 は在ってはならぬという理由だった。ブルータスの演説に市民は歓呼した。代わってマーク・アントニーのシーザーを哀悼の演説を聴くと市民はブルータスや キャシアスを殺せと激昂する。迫力に満ち満ちてよく知られた場面を、夜前床ら就いて読んだ。深々と胸が鳴った。

「市民らの自由な國」「君臨する王」「右顧左眄して謬る市民」「市民を嗾す雄弁」「人の高潔と狡猾」「ローマの蹉跌と変貌」

あまりに多く重くを思わせた。いま民主主義の國アメリカを動かす動力は、君臨しようとしたシーザーか、ひきとめたブルータスやキャシアスか、市民を煽動反転させたアントニーか、右顧左眄しつつ理想を見失いがちな市民か。

2017 2/3 183

 

 

* 少なくもブルータス独りに関わっては、彼がローマ国を愛しローマ市民の自由平等を信じて疑わず、「王」という独裁支配を厭悪し敢えて信愛してきたシー ザーを暗殺にまで及んだ思想的高潔をわたしは懐かしむ。聖王、善王の瑕瑾なき善政が真実徹底した聖代の望ましいとは私も受け入れい好いが、そういう聖善の 王はたとえ奇跡のように現れても必ず絶えて悪政の蔓延ることは絶対に避けられない。それならば、ブルータスが理想とした自由で平等で正義の民政、人権と平 和とを根底から確立してやまない民主政治国家が「より望ましい」とわたしも願う。政権を私する政府は否認拒絶し、国民に奉仕して謙遜な政府だけを容認し政 権を預けたいと思う。その意味では少なくも日本の安倍政権は民主主義の基本を踏みにじっていて、その専横は、悪王暴慢に近い。なおその上位でトランプのキ ングに乱暴に「君臨」などされては堪らない。

2017 2/7 183

 

 

* 此度の安倍外交がひとりトランプを利して、甘い演出でのトランプの口約束は、掌を返すように忽ちに臣従を強いて来よう。悪辣商人の「悪意の算術」は甘いハグや握手で蕩けはしない。

 

* ローマ史のシーザーを思い浮かべるとき、ローマ市の元老院でブルータス、キャシアスらに刺し殺されたジュリアス・シーザーと、彼の哀悼アジ演説のあとブルータスらを討ったマーク・アントニーと、同盟を破棄し闘って討ち勝ったオクタヴィウス・シーザーがいたのを忘れてしまうとややこしくなる。オクタヴィウスはあ のジュリアス・シーザーの息子。アントニーの二人目の妻となるオクタヴィアの弟である。政略でシーザーの義兄になったアントニーは、あのエジプト女王クレ オパトラと熱愛の関係にあった。男はとにかくクレオパトラの愛にはよほど熱い愛と絶望とがあった。福田恆存訳で読む沙翁劇「アントニーとクレオパトラ」 が、興趣に富んで面白い。

それにしてもわたしは「王」や「王位」というのが好かない。

2017 2/13 83

 

 

* しんそこ楽しめるような洋物の映画盤が欲しいが、最近テレビが見せる映画は、かつて観たものか、ヤケに凝って辛気くさいのばかり。

バート・ランカスターらの「オペラ座の怪人」などもう一度見たいが、昔に録画したテープはもう機械が写してくれない。板に直して貰うには一枚千円かかっ てしまう。やれやれ自慢のコレクト二百ほどがムダに場所塞ぎになっている。「オペラ座の怪人」のクライマックスで歌われるグノーのフアウスト絶唱が聴きた いな。「椿姫」の一幕もいいが、アトへ行くと可哀想で。「シェルブールの雨傘」も懐かしい。記憶がうすれボヤケてくると、好きな洋画ベストはとても10で は選べない、漠然とせめて30作位を順不同に挙げるしかない。正確に題も覚えていない、あの俳優の女優の監督のということになってしまう。

イングリット・バーグマン、エリザベス・テーラー、ソフィア・ローレン、キム・ノバク、マリリン・モンロー、オードリー・ヘプバーン、キャサリン・ヘプ バーン、スーザン・ヘイワード、モーリン・オハラ、デボラ・カー、ジャクリーヌ・ビセット、キャンディス・バーゲン、ナタリー・ウッド、ジョーン・フォン テイン、ブリジット・バルドー、ケイト・ウンスレット、アン・アーチャー、アン・バクスター、アニタ・エクバーグ、アリダ・バリ、ジュリー・アンドリュー ス、ジュリア・ロバーツ、ジャネット・リー、ドリス・デイ、ジェーン・フォンダ、ミシェル・モルガン、ジャンヌ・モロー、ピア・アンジェリ、ローレン・バ コール、アンディ・ディキンソン、ミア・フアロー、ミレーヌ・ドモンジョ、リタ・ヘイワース、ジョディ・ヤング、ベティ・デイビス、シモーヌ・シニョレ、 グレタ・ガルボ、ソフィ・マルソー、ナスターシャ・キンスキー、アヌーク・エーメ、マリア・シェル、マレーネ・デイートリヒ、マーガレット・オブライエ ン、マージ・ヘルゲンバーガー、エリザベス・シュー、バーバラ・ストライサンド、ジューン・アリスンーーーー。

以前はこの倍ほどは名を覚えていたが。

とにかくも忘れやすくなった今でこそ、わたしは「数える」ことに気を入れている。ルグスリをさして、50数えるのに、神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝 安、孝霊、孝元、開化、崇神、垂仁、景行、成務、仲哀、応神、仁徳、履中、反正、允恭、安康、雄略、清寧、顕宗、仁賢、武烈、継体、安閑、宣化欽明、敏 達、用明、崇峻、推古、舒明、皇極、孝徳、斉明、天智、弘文、天武、持統、文武、元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳、光仁、桓武天皇まで五十代天皇を数 え挙げることにしている。一から五十を数える単調さより、ともあれ歴史の影を念頭に感知できている興味は捨てがたい。歌うように口に出来るのが面白い。

眠れないときは百人一首の和歌か歌人かを、時には双方揃えて思い出して行き、ま、八十ほどには達して、それで眠れるときと目が冴えてしまうときと、ある。

たった四十七人なのに赤穂義士の姓名は二十人ぐらいしか覚えられない。

ほかには、般若心経。ほぼ辿り読めるが間をおくと忘れる。いま完璧なのは歴代天皇の一二五代で、これは平成から神武まで逆にも正確に辿れる。

 

* あーあ、時間つぶししてしまい、十一時半になってしまった。今日も、猫たちの家の上やそばへへとんできて餌を食べている鵯、目白を何度も何度も見て楽しんでいた。

2017 2/13 183

 

 

* 沙翁劇も数々あるなかで「ハムレット」など「悲劇」と呼ばれるものの最後の作は、いま読んでいる『コリオレイナス』で、ローマ古代に於けるいわば帝政と民主主義との正面衝突を書いていると思われる、まだ半ばにも達していないので明言はしないが。

プラトンの「国家」論このかた、国家の政体にはいろいろあって、優れた哲学と仁智で率いる独裁政が望ましいとしても、とうてい持続し得ないと云っていて、第二義ながら民主主義をみとめている議論が多い。

身近な例で日本をいうなら、私個人はいまの安倍や自民を朱とした保守反動政権より、現平成天皇ないし皇太子の帝政の方が望ましく思われる、けれどその後 ともなれば何ら安定した公義の帝政が期待できるワケでなく、それならばゼッタイに良き民主主義を国民の叡智と決断で維持し続けたいと願わずにおれない。

国民をただ経済のためにのみ国民を戦争へ押しやることも辞さない安倍型独裁教権政治は否認し続けねばならない。そう思う。

2017 3/5 184

 

 

 

*  皇室にこと寄せての明治の「大逆事件」が如何な物であったかを今広く真剣に国民に伝え、「テロ」防遏を口実に国民の基本的自由の権利を狭く厳しく制限制圧 しようとしている「テロ等防止法案」にしっかりと目を向け反対しなければならぬ。いま政府は森友等のドサクサを利して危険極まりない反動法の成立を狙って いる。目を背けていてはならない。

 

* 心身清涼剤がなくては持たないほど政治というよりはっきり悪政の毒が國中に回ってしまっている。わたしは、ここ幸いに『枕草子』を熟読の用をもってい て、ずいぶん気分を直して貰っている、とはいえ、枕草子の時世にもたとえば官位といった「身分」にともなうイヤな感じは、清少納言自身気がついていたり、 まるで気づかないでいたりのまま、いろんなことをハッキリ書いている。

 

碁を打つ人

碁を打つにも、身分の高い人の方は直衣の襟の紐も解いて、ごく気らくな感じに碁石を悠然と盤上に播いているのにくらべ、身分の低い方は坐りようからかし こまった様子で、碁盤よりすこし離れて、及び腰で、袖の下はもう片方の手でおさえなどしてこわごわ打っているのが、おもしろい。 (第一三九段)

 

位というもの

位というのは、やはりたいしたもの、同じ人であっても、大夫の君とか侍従の君とか申し上げている時分はまだ与しやすい感じだけれど、中納言、大納言、大臣などとおなりになってしまうと、万事思い通りでご立派にお見えなさること、まるで別人のようだ。

分相応に言うなら、受領なども皆、そうしたものではないか。多くの国を歴任し、大弐や四位、三位などになってしまうと、上達部なども敬意を払っておいでのようだ。

女となると、やはり映えない。

宮中で、帝の御乳母は内侍のすけや三位などになると重々しいけれど、さりとて不相応な出世でたいしたものだ、というほどのことではない。また誰でもなれ るわけでない。むしろ受領の北の方になって任国にくだるのをこそ、並みの身分の女性には最上の幸せと思ってもてはやしうらやみもするようだ。むろん、並み の娘が上達部の北の方になり、その上達部の姫君が入内して后の位につかれるのこそすばらしいとすべきだろう。

一方、男はなんといっても若い身のうちにしっかり出世するというのが、一等すばらしいにきまっている。

坊さんなどが、なんとかと名乗っては世間へしきりと顔出ししてみても、なんの事はない。お経を尊くよみ、眉目も麗しければまたその分女房にへんに軽く見 られ、何かとうるさく噂される程度で終わりそうだ。それも、僧都、僧正という事になると、み仏の現れ給うかのように、しごく恐れ入り有難がってしまう有様 は、これまたくらべようもない。    (第一七八段)

 

*  こういう「位」感覚で、総理夫人付き秘書は余儀なく動き、財務省の高官はさかしく動き、そうした忖度のもみ消しにも、また出世希望の官僚達はシャアシャア と動いている。自分たちの悪しき願望や思惑や忖度を、けっして賢明とはいえないが懸命に奔走する市井の一私人に押しつけ、証人喚問までして、政府・与党・ 行政・御用評論家・御用マスコミらの全部が、目の色変えて「消し」「潰し」にかかっている。

しかし、何が一等「悪い」というなら、総理という「位」にあぐらをかき、恬として恥無き者にこそ、イカン・遺憾・如何と叩きつけたい。

 

* また云っておく、「権」とは「かりの」「かりもの」「当座のもの」の意味である。主権は国民にあり総理は、行政は国民から一時的に「権」を「かりている」だけの存在なのだ。思い上がってはいけない。

2017 3/26 184

 

 

* 廃仏毀釈から今日の文化財保護政策までの経緯を放送大学で聴講した。日本の國と人とが古来「焼損文化財」を大事に保存してくれた有り難さ、目から鱗が 落ちた。怪我に遭った数々の色々な文化財からもどれほど多くが、材、質、色、技、由緒伝来等々、教えられ学び取れるか知れない。こういうことを大切に、そ れらへの研究・検討・保存・記録に日本人ほど心をいたした文化国家は世界に類がなかったと教わった。涙ぐむほど感動した。

わたしは不幸にして実の親たちとの、しぜんその親族との縁に生まれつき薄く、多くは伝聞で耳にした程度であるが、そんな中で、一等嬉しく、誇らしくすら忘れないできたのは、南山城当尾の里で大庄屋の役だか職だかにあった父方祖父いや曾祖父かも知れないが、庄内にある浄瑠璃寺九体堂九体佛などを身を以て守りぬいたということ、これまでも何度もここに書いてきた。欲得もからんで仏像の金箔を剥がしに来ようとする暴漢を防いだと聞いた。浄 瑠璃寺へも岩船寺へも当尾の石仏へも、わたしは何十年ぶりかで唐突に実父の生家を訪れた際に、家の跡を嗣いだ叔父吉岡守に連れて行って貰った。住持にも引 き合わされたが、それは記憶からとんでいる、しかし九体寺の仏像や堂塔はなつかしく目の奥にいつも沈んでいる。高木冨子さんが送ってくれた繪の写真もいつ もわたしを癒してくれる。

父の生家、叔父の家を、わたしはもう一度「蘇我殿幻想」連載の取材でカメラの島尾伸三さんらと立ち寄っている。そのとき浄瑠璃寺で撮ってもらった写真を、「選集十八巻」の口繪につかった。

 

* 日本の文化財が焼損せず汚損・破損せず、まして破壊されずかつ不当に損失・略奪されないようにと、わたしは、わが身をおもうよりも大切に痛感してい る。人名はもとよりとして、日本の文化財が蹂躙破壊されるのを恐怖する思いがなにより戦争イヤ、という気持ちの底にある。その思いで、わたしは石器土器の 往古來、無数の名品、名作、逸品の名と姿とを折り有るつど思い出し数を数えるように指折り折り思い出している。我が愛国のそれが芯、どんな機械文明よりも 手作りされ手塩に掛けられてきた文化文物こそが、「國と民族」との芯に在る。

2017 4/11 185

 

 

*  北朝鮮は、見よがしの大きな軍事パレードと、一発の実験爆弾とで大きな記念日に格好をつけた。米朝中のにらみ合い、腹のさぐりあい以外のなにものでもな く、由々しい限りの戦闘行為をどっちが先に為し「得る」かが見合いになっていて、危機が回避されたわけではない。云えることは、この事態に日本政府は何の 「決意」も「対応」も持ち得ていないということ。必要なことは戦力によって自立することではあるまい、「政治力」によって虎狼の国際情勢のなかでどう「自 立」出来るのかを思惟かつ行為しなければならない。

アベノミクスのような経済オンリーの国是で動いていれば、國の実質は力無い肥満へのみ向かって真の国力はむしろ弱まるだろう。安倍内閣は強引に安保法を 国会と国民に押しつけたが、米朝軍事緊迫のなかで、いったい何が出来ると謂うのか、北朝鮮からの核爆弾を十数分間のうちに防ぎうる何らの効果的な防備も日 本列島はもてていない。

おそらくアメリカはじめ諸外国の滞日人口は秘かに減らされて行くだろう。海外に縁のもてる恵まれた日本人家庭の海外脱出も本気で増えて行くだろう、危険は増しこそすれ一分も減ってなどいないのだから。

日本國自前の「軍事・軍力」で何かが安全に革まるなど、どう信じられるのか。「核」戦争にまさに巻き込まれかねぬ今、「政治」の力こそが発揮されねばならないのに。

 

* 黒澤明監督、原節子の「わが青春に悔いなし」を観た。反戦の地下活動に生きて官憲の拷問に獄死した京大卒の男に青春を捧げた京大教授の娘。夫の両親に つかえて懸命に農村に生き抜いて敗戦を迎え、戦後日本を率いるエースに育って行く。京大の学長になった娘の父親ははればれと娘の泣き夫闘士の人生を頌えて 志をついて欲しいと学生達を励まし共感の拍手に迎えられる。

 

* ああしかしながら、今日は如何。

学長の演説に真実拍手し共感を誓った青年達は、確実に戦後の保守権力とその手先の執拗な排撃をうけて潰されていった。あらおる労組と社会党との壊滅はそ の象徴であった 。その今日只今の目で黒澤と原節子の「わが青春に悔いなし」という革新的な意気に燃えた映画をみると、泣きたくなるほど時代錯誤劇に見えてしまう。

かろうじて「戦場のメリー・クリスマス」を撮った最後の全学連監督ぐらいまでは、戦後の革新民主感覚も生きていたろうが、テレビ画面に朝から晩まで交替 でのさばり、コトあるつど保守政権の先手組となって革新感覚を叩きに叩き続けてきた似而非卑屈保身知識人らの横行の結果・成果として、今日の安倍自民政権 はのさばり返っている。この「現実」の苦々しさをしみじみと思い知らせたような黒澤・原節子映画の再映であった。情けない思いを苦々しく味わい返した。流 石の黒澤も、時代という魔物のあくどい変貌の速やかさは捉え切れてなかった。

 

* 働く人こそが民主主義の健康な担い手でなければ、國と時代とは少数独裁強権の支配により好き勝手にされて行く。

2017 4/17 185

 

 

* メーデー。十五年間の勤務のむかしにも、参加したのは三度と無かった、ごく私的に、群集するというのが苦手だっただけで、組合活動にはアクティヴによく発言し献策していた。

今日の日本がかくも極右に近く反動的支配的な悪政に苦しめられるようになってきたのは、労働者に団結の意欲が失せ、組合活動が地を払って無きに等しく弱 体化し変質した事実に帰因している。一つには渾身の意図と支配力で政治と大企業とが組合活動ないし社会党を徹底制圧した事実、裏返せば、働く人たちや、強 力に働く人たちと提携すべき社会党が、意識も道もまんまと謬ってきたことに大きな原因がある。

2017 5/1 186

 

 

* 憲法記念日 発布の直後に当時の文部省が学童生徒を対象に懇切に「憲法」の本旨と国民挙げての総意・念願を解説していたのは、極めて貴重な文献となっ ている。此処へ足場をしかと戻さねばならぬ。少なくも全文の精神と不戦を誓い合っての平和三原則とは誠実に守りたい。その余の箇所で改訂を要する物は慎重 に協議して改めればよい。

 

 

「e-文藝館=湖(umi)」 論説・解説

 

掲載史料は、日本國憲法が、昭和二十二年(1947)五月三日に施行された同年八月二日付け、著作兼発行者「文部省」名義で公にした、日本國政府による公 式の「新憲法」認識ないし解説であって、学校生徒児童を主対象に広く配布されている。奥付には同日付け「文部省検査済」と極めが打ってある。(この本は浅 井清その他の人々の尽力でできました。)と奥付に付記してあるが、新憲法発布にともなう「憲法尊重」のもっとも純真な理解を、明瞭に確認した、公式の文部 省刊行物であることに相違はない。

以来六十年近く、いかにその後の日本國政府政権が、恣に「憲法」解釈変義や拡大解釈を重ねてきたかを疑い、また多くの機会に不当に軽視・無視・蹂躙を重ねて「遵守義務」に公然背いてきたかをも疑い、あらためて此所に「憲法」条文の総てを併載して、深く思い致したい。

この機会に此の史料、並びに「憲法」そのものが読み直されることを切望する。 (秦 恒平)

 

 

 

 

 

あたらしい憲法のはなし

 

附・日本國憲法

 

文 部 省  著作兼発行   昭和二十二年(1947)八月二日

 

 

目 次

 

一  憲 法

二  民主主義とは

三  國際平和主義

四  主権在民主義

五  天皇陛下

六  戦争の放棄

七  基本的人権

八  國 会

九  政 党

十  内 閣

十一 司 法

十二 財 政

十三 地方自治

十四 改 正

十五 最高法規

 

 

 

一 憲 法

 

みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい 憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身 にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。

國の仕事は、一日も休むことはできません。また、國を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。

國をどういうふうに治め、國の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。もしみなさんの家の柱が なくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま國を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなけれ ば、國の中におゝぜいの人がいても、どうして國を治めてゆくかということがわかりません。それでどこの國でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをた いせつに守ってゆくのです。國でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを國の「最高法規」というのです。

ところがこの憲法には、いまおはなししたように、國の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは國民の権利のことです。こ の権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、こゝではたゞ、なぜそれが、國の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだ けをおはなししておきましょう。

みなさんは日本國民のうちのひとりです。國民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、國民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。國の 力のもとは、ひとりひとりの國民にあります。そこで國は、この國民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、國 民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この國民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の 中に書いてあるのです。

そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、 その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権 利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとで おはなしするように、これからは戦争をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。

これまであった憲法は、明治二十二年(=1889)にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、國民にあたえられたものです。しかし、こんどの あたらしい憲法は、日本國民がじぶんでつくったもので、日本國民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この國民ぜんたいの意見を知るため に、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい國民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、國民ぜ んたいでつくったということになるのです。

みなさんも日本國民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。 こんどの憲法は、みなさんをふくめた國民ぜんたいのつくったものであり、國でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、國民のひとりとして、 しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。

みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。國の規則もそれと同じで、 一つ一つ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何條、第何條というように順々に記します。こんどの憲法は、第一條から第百三條までありま す。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。

この前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。この前文というも のは、二つのはたらきをするのです。その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、 この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。もう一つのはたらきは、これか らさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」で す。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、も ののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。

 

二 民主主義とは

 

こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうで きいたでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知って おかなければなりません。

みなさんがおゝぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、も んだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおゝぜいの意見できめます か。どれがよいでしょう。ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おゝぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことが もっと多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おゝぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないとい うことになります。そうして、あとの人は、このおゝぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおゝぜいの人の意見で、物事を きめてゆくことが、民主主義のやりかたです。

國を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で國を治めてゆくのは、よくないのです。國民ぜんたいの意見で、國を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり國民ぜんたいが、國を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。

しかし國は、みなさんの学級とはちがいます。國民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの意見をきいてまわ ることもできません。そこで、みんなの代わりになって、國の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが國会です。國民が、國会の議員を選挙 するのは、じぶんの代わりになって、國を治めてゆく者をえらぶのです。だから國会では、なんでも、國民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめま す。そうしてほかの議員は、これにしたがいます。これが國民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。これが民主主義です。ですから、民主主義と は、國民ぜんたいで、國を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で國を治めてゆけ ば、みなさんは幸福になり、また國もさかえてゆくでしょう。

國は大きいので、このように國の仕事を國会の議員にまかせてきめてゆきますから、國会は國民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを 「代表」といいます。まえに申しましたように、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことですが、國会が國民ぜんたいを代表して、國のことをきめてゆ きますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。

しかしいちばん大事なことは、國会にまかせておかないで、國民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえると きは、國会だけできめないで、國民ひとりひとりが、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、國民が直接に國のことをきめますから、 これを「直接民主主義」のやりかたといいます。あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで國を治めてゆくことにしていますが、 代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だ いたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。

みなさんは日本國民のひとりです。しかしまだこどもです。國のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。國会の議員を えらぶのも、國のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方 もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな気がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、國を治 めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、國のことを、じぶんできめてゆくこ とができるのです。みなさんの考えとはたらきで國が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの國のことをやってゆくくらい、たのしいこと はありません。これが民主主義というものです。

 

三 國際平和主義

 

國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おゝぜいのほ うの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやっ てゆくのでなけれは、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。

これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國 の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません。世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義とい います。だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほ かの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えてい たので、とうとう戦争をはじてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いこ とばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくの であります。

 

四 主権在民主義

 

みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。

國では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし國の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりま せん。もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし國民ぜんたいの考えできまるならば、國民ぜんたいが、い ちばんえらいのです。こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、國民ぜんたいの考えで國を治めてゆきます。そうすると、國民ぜんたいがいちばん、えらいと いわなければなりません。

國を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が國民ぜんたいにあれば、これを「主権は國民にある」といいます。こんどの憲法は、いま申しまし たように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本國民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一條にも、「主権が國民に 存する」とはっきりかいてあるのです。主権が國民にあることを、「主権在民」といいます。あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権 在民主義の憲法であるということになるのです。

みなさんは、日本國民のひとりです。主権をもっている日本國民のひとりです。しかし、主権は日本國民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつに もっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは 民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本國民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりま せん。よいこどもであるとともに、よい國民でなければなりません。

 

五 天皇陛下

 

こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして國の仕事をした人々は、國民ぜんたいがえら んだものでなかったので、國民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。そこで、これからさき國を治めてゆくについて、二度とこのようなことのな いように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことに なりました。

憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の國旗を見れば、 日本の國をおもいだすでしょう。國旗が國の代わりになって、國をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。 記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわす ときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一條は、天皇陛下を「日本國の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日 本の國をあらわされるお方ということであります。

また憲法第一條は、天皇陛下を「日本國民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり 天皇陛下は、一つにまとまった日本國民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それ で天皇陛下は、日本國民ぜんたいをあらわされるのです。

このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本國民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、國を治めてゆく仕事は、みな國民がじぶんでやってゆ かなければなりません。天皇陛下は、けっして神様ではありません。國民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町の すみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、國を治めてゆくについてごくろうのないようにしなけれ ばなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。

 

六 戦争の放棄

 

みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおか えりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろし い、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしい ことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた國に は、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの國々ではいろいろ考えましたが、また こんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をす るためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは「す ててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中 に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその國と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたので す。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになる からです。また、戦争とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうし てよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。

みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。

 

七 基本的人権

 

くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけたゞれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強 く生きてゆくのです。ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中 に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。しかし人間は、草木とちがって、たゞ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなけれ ばなりません。この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。

人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆける ことなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、國の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を 加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。

またわれわれは、人間である以上はみな同じです。人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありませ ん。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はない のです。差別のないことを「平等」といいます。そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。

國の規則の上で、何かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利」といいます。自由と平等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとする ならば、この自由と平等とは、みなさんの権利です。これを「自由権」というのです。しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。このいちばん大事な人間の 権利のことを「基本的人権」といいます。あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に与えられた権利として記しているのです。これを基 本的人権を「保障する」というのです。

しかし基本的人権は、こゝにいった自由権だけではありません。まだほかに二つあります。自由権だけで、人間の國の中での生活がすむものではありません。 たとえばみなさんは、勉強をしてよい國民にならなければなりません。國はみなさんに勉強をさせるようにしなければなりません。そこでみなさんは、教育を受 ける権利を憲法で与えられているのです。この場合はみなさんのほうから、國にたいして、教育をしてもらうことを請求できるのです。これも大事な基本的人権 ですが、これを「請求権」というのです。争いごとのおこったとき、國の裁判所で、公平にさばいてもらうのも、裁判を請求する権利といって、基本的人権です が、これも請求権であります。

それからまた、國民が、國を治めることにいろいろ関係できるのも、大事な基本的人権ですが、これを「参政権」といいます。國会の議員や知事や市町村長な どを選挙したり、じぶんがそういうものになったり、國や地方の大事なことについて投票したりすることは、みな参政権です。

みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を与えられました。この権利は、三つに分かれます。第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参政権です。

こんなりっぱな権利を与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、 むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、わすれてはなりません。國ぜんた いの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

 

八 國 会

 

民主主義は、國民が、みんなでみんなのために國を治めてゆくことです。しかし、國民の数はたいへん多いのですから、だれかが、國民ぜんたいに代わって國 の仕事をするよりほかはありません。この國民に代わるものが「國会」です。まえにも申しましたように、國民は國を治めてゆく力、すなわち主権をもっている のです。この主権をもっている國民に代わるものが國会ですから、國会は國でいちばん高い位にあるもので、これを「最高機関」といいます。「機関」というの は、ちょうど人間に手足があるように、國の仕事をいろいろ分けてする役目のあるものという意味です。國には、いろいろなはたらきをする機関があります。あ とでのべる内閣も、裁判所も、みな國の機関です。しかし國会は、その中でいちばん高い位にあるのです。それは國民ぜんたいを代表しているからです。

國の仕事はたいへん多いのですが、これを分けてみると、だいたい三つに分かれるのです。その第一は、國のいろいろの規則をこしらえる仕事で、これを「立 法」というのです。第二は、争いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめる仕事で、これを「司法」というのです。ふつうに裁判といっているのはこれで す。第三は、この「立法」と「司法」とをのぞいたいろいろの仕事で、これをひとまとめにして「行政」といいます。國会は、この三つのうち、どれをするかと いえば、立法をうけもっている機関であります。司法は、裁判所がうけもっています。行政は、内閣と、その下にある、たくさんの役所がうけもっています。

國会は、立法という仕事をうけもっていますから、國の規則はみな國会がこしらえるのです。國会のこしらえる國の規則を「法律」といいます。みなさんは、 法律ということばをよくきくことがあるでしよう。しかし、國会で法律をこしらえるのには、いろいろ手つづきがいりますから、あまりこまごました規則までこ しらえることはできません。そこで憲法は、ある場合には、國会でないほかの機関、たとえば内閣が、國の規則をこしらえることをゆるしています。これを「命 令」といいます。

しかし、國の規則は、なるべく國会でこしらえるのがよいのです。なぜならば、國会は、國民がえらんだ議員のあつまりで、國民の意見がいちばんよくわかっ ているからです。そこで、あたらしい憲法は、國の規則は、ただ國会だけがこしらえるということにしました。これを、國会は「唯一の立法機関である」という のです。「唯一」とは、ただ一つで、ほかにはないということです。立法機関とは、國の規則をこしらえる役目のある機関ということです。そうして、國会以外 のほかの機関が、國の規則をこしらえてもよい場合は、憲法で、一つ一つきめているのです。また、國会のこしらえた國の規則、すなわち法律の中で、これこれ のことは命令できめてもよろしいとゆるすこともあります。國民のえらんだ代表者が、國会で國民を治める規則をこしらえる、これが民主主義のたてまえであり ます。

しかし國会には、國の規則をこしらえることのほかに、もう一つ大事な役目があります。それは、内閣や、その下にある、國のいろいろな役所の仕事のやりか たを、監督することです。これらの役所の仕事は、まえに申しました「行政」というはたらきですから、國会は、行政を監督して、まちがいのないようにする役 目をしているのです。これで、國民の代表者が國の仕事を見はっていることになるのです。これも民主主義の國の治めかたであります。

日本の國会は「衆議院」と「参議院」との二つからできています。その一つ一つを「議院」といいます。このように、國会が二つの議院からできているものを 「二院制度」というのです。國によっては、一つの議院しかないものもあり、これを「一院制度」というのです。しかし、多くの國の國会は、二つの議院からで きています。國の仕事はこの二つの議院がいっしょにきめるのです。

なぜ二つの議院がいるのでしょう。みなさんは、野球や、そのほかのスポーツでいう「バック・アップ」ということをごぞんじですか。一人の選手が球を取り あつかっているとき、もう一人の選手が、うしろにまわって、まちがいのないように守ることを「バック・アップ」といいます。國会は、國の大事な仕事をする のですから、衆議院だけでは、まちがいが起るといけないから、参議院が「バック・アップ」するはたらきをするのです。たゞし、スポーツのほうでは、選手が おたがいに「バック・アップ」しますけれども、國会では、おもなはたらきをするのは衆議院であって、参議院は、たゞ衆議院を「バック・アップ」するだけの はたらきをするのです。したがって、衆議院のほうが、参議院よりも、強い力を与えられているのです。この強い力をもった衆議院を「第一院」といい、参議院 を「第二院」といいます。なぜ衆議院のほうに強い力があるのでしょう。そのわけは次のとおりです。

衆議院の選挙は、四年ごとに行われます。衆議院の議員は、四年間つとめるわけです。しかし、衆議院の考えが國民の考えを正しくあらわしていないと内閣が 考えたときなどには、内閣は、國民の意見を知るために、いつでも天皇陛下に申しあげて、衆議院の選挙のやりなおしをしていただくことができます。これを衆 議院の「解散」というのです。そうして、この解散のあとの選挙で、國民がどういう人をじぶんの代表にえらぶかということによって、國民のあたらしい意見 が、あたらしい衆議院にあらわれてくるのです。

参議院のほうは、議員が六年間つとめることになっており、三年ごとに半分ずつ選挙をして交代しますけれども、衆議院のように解散ということがありませ ん。そうしてみると、衆議院のほうが、参議院よりも、その時、その時の國民の意見を、よくうつしているといわなければなりません。そこで衆議院のほうに、 参議院よりも強い力が与えられているのです。どういうふうに衆議院の方が強い力をもっているかということは、憲法できめられていますが、ひと口でいうと、 衆議院と参議院との意見がちがったときには、衆議院のほうの意見がとおるようになっているということです。

しかし衆議院も参議院も、ともに國民ぜんたいの代表者ですから、その議員は、みな國民が國民の中からえらぶのです。衆議院のほうは、議員が四百六十六 人、参議院のほうは二百五十人あります。この議員をえらぶために、國を「選挙区」というものに分けて、この選挙区に人口にしたがって議員の数をわりあてま す。したがって選挙は、この選挙区ごとに、わりあてられた数だけの議員をえらんで出すことになります。

議員を選挙するには、選挙の日に投票所へ行き、投票用紙を受け取り、じぶんのよいと思う人の名前を書きます。それから、その紙を折り、かぎのかゝった投 票箱へ入れるのです。この投票は、ひじょうに大事な権利です。選挙する人は、みなじぶんの考えでだれに投票するかをきめなければなりません。けっして、品 物や利益になる約束で説き伏せられてはなりません。この投票は、秘密投票といって、だれをえらんだかをいう義務もなく、ある人をえらんだ理由を問われても 答える必要はありません。

さて日本國民は、二十歳以上の人は、だれでも國会議員や知事市長などを選挙することができます。これを「選挙権」というのです。わが國では、ながいあい だ、男だけがこの選挙権をもっていました。また、財産をもっていて税金をおさめる人だけが、選挙権をもっていたこともありました。いまは、民主主義のやり かたで國を治めてゆくのですから、二十歳以上の人は、男も女もみんな選挙権をもっています。このように、國民がみな選挙権をもつことを、「普通選挙」とい います。こんどの憲法は、この普通選挙を、國民の大事な基本的人権としてみとめているのです。しかし、いくら普通選挙といっても、こどもや気がくるった人 まで選挙権をもつというわけではありませんが、とにかく男女人種の区別もなく、宗教や財産の上の区別もなく、みんながひとしく選挙権をもっているのです。

また日本國民は、だれでも國会の議員などになることができます。男も女もみな議員になれるのです。これを「被選挙権」といいます。しかし、年齢が、選挙 権のときと少しちがいます。衆議院議員になるには、二十五歳以上、参議院議員になるには三十歳以上でなければなりません。この被選挙権の場合も、選挙権と 同じように、だれが考えてもいけないと思われる者には、被選挙権がありません。國会議員になろうとする人は、じぶんでとどけでて、「候補者」というものに なるのです。また、じぶんがよいと思うほかの人を、「候補者」としてとゞけでることもあります。これを候補者を「推薦する」といいます。

この候補者をとゞけでるのは、選挙の日のまえにしめきってしまいます。投票をする人は、この候補者の中から、じぶんのよいと思う人をえらばなければなり ません。ほかの人の名前を書いてはいけません。そうして、投票の数の多い候補者から、議員になれるのです。それを「当選する」といいます。

みなさん、民主主義は、國民ぜんたいで國を治めてゆくことです。そうして國会は、國民ぜんたいの代表者です。それで、國会議員を選挙することは、國民の 大事な権利で、また大事なつとめです。國民はぜひ選挙にでてゆかなければなりません。選挙にゆかないのは、この大事な権利をすててしまうことであり、また 大事なつとめをおこたることです。選挙にゆかないことを、ふつう「棄権」といいます。これは、権利をすてるという意味です。國民は棄権してはなりません。 みなさんも、いまにこの権利をもつことになりますから、選挙のことは、とくにくわしく書いておいたのです。

國会は、このようにして、國民がえらんだ議員があつまって、國のことをきめるところですが、ほかの役所とちがって、國会で、議員が、國の仕事をしている ありさまを、國民が知ることができるのです。國民はいつでも、國会へ行って、これを見たりきいたりすることができるのです。また、新聞やラジオにも國会の ことがでます。

つまり、國会での仕事は、國民の目の前で行われるのです。憲法は、國会はいつでも、國民に知れるようにして、仕事をしなければならないときめているので す。これはたいへん大事なことです。もし、まれな場合ですが秘密に会議を開こうとするときは、むずかしい手つゞきがいります。

これで、どういうふうに國が治められてゆくのか、どんなことが國でおこっているのか、國民のえらんだ議員が、どんな意見を國会でのべているかというようなことが、みんな國民にわかるのです。

國の仕事の正しい明かるいやりかたは、こゝからうまれてくるのです。國会がなくなれば、國の中がくらくなるのです。民主主義は明かるいやりかたです。國会は、民主主義にはなくてはならないものです。

日本の國会は、年中開かれているものではありません。しかし、毎年一回はかならず開くことになっています。これを「常会」といいます。常会は百五十日間 ときまっています。これを國会の「会期」といいます。このほかに、必要のあるときは、臨時に國会を開きます。これを「臨時会」といいます。また、衆議院が 解散されたときは、解散の日から四十日以内に、選挙を行い、その選挙の日から三十日以内に、あたらしい國会が開かれます。これを「特別会」といいます。臨 時会と特別会の会期は、國会がじぶんできめます。また國会の会期は、必要のあるときは、延ばすことができます。それも國会がじぶんできめるのです。國会を 開くには、國会議員をよび集めなければなりません。これを、國会を「召集する」といって、天皇陛下がなさるのです。召集された國会は、じぶんで開いて仕事 をはじめ、会期がおわれば、じぶんで國会を閉じて、國会は一時休むことになります。

みなさん、國会の議事堂をごぞんじですか。あの白いうつくしい建物に、日の光りがさしているのをごらんなさい。あれは日本國民の力をあらわすところです。主権をもっている日本國民が國を治めてゆくところです。

 

九 政 党

 

「政党」というのは、國を治めてゆくことについて、同じ意見をもっている人があつまってこしらえた団体のことです。みなさんは、社会党、民主党、自由党、 國民協同党、共産党などという名前を、きいているでしょう。これらはみな政党です。政党は、國会の議員だけでこしらえているものではありません。政党から でている議員は、政党をこしらえている人の一部だけです。ですから、一つの政党があるということは、國の中に、それと同じ意見をもった人が、そうとうおゝ ぜいいるということになるのです。

政党には、國を治めてゆくについてのきまった意見があって、これを國民に知らせています。國民の意見は、人によってずいぶんちがいますが、大きく分けて みると、この政党の意見のどれかになるのです。つまり政党は、國民ぜんたいが、國を治めてゆくについてもっている意見を、大きく色分けにしたものといって もよいのです。民主主義で國を治めてゆくには、國民ぜんたいが、みんな意見をはなしあって、きめてゆかなければなりません。政党がおたがいに國のことを議 論しあうのはこのためです。

日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。それは、政党というものは、なんだか、國の中で、じぶんの意見をいいはっているい けないものだというような見方です。これはたいへんなまちがいです。民主主義のやりかたは、國の仕事について、國民が、おゝいに意見をはなしあってきめな ければならないのですから、政党が争うのは、けっしてけんかではありません。民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。また、政党がいる のです。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だけ、國民の意見が、大きく分かれていると思えばよいのです。ドイツやイタリアでは政党をむりに一つに まとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。國民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利が ふみにじられ、とうとうおそろしい戦争をはじめるようになったではありませんか。

國会の選挙のあるごとに、政党は、じぶんの団体から議員の候補者を出し、またじぶんの意見を國民に知らせて、國会でなるべくたくさんの議員をえようとし ます。衆議院は、参議院よりも大きな力をもっていますから、衆議院でいちばん多く議員を、じぶんの政党から出すことが必要です。それで衆議院の選挙は、政 党にとっていちばん大事なことです。國民は、この政党の意見をよくしらべて、じぶんのよいと思う政党の候補者に投票すれは、じぶんの意見が、政党をとおし て國会にとどくことになります。

どの政党にもはいっていない人が、候補者になっていることもあります。國民は、このような候補者に投票することも、もちろん自由です。しかし政党には、 きまった意見があり、それは國民に知らせてありますから、政党の候補者に投票をしておけば、その人が國会に出たときに、どういう意見をのべ、どういうふう にはたらくかということが、はっきりきまっています。もし政党の候補者でない人に投票したときは、その人が國会に出たとき、どういうようにはたらいてくれ るかが、はっきりわからないふべんがあるのです。このようにして、選挙ごとに、衆議院に多くの議員をとった政党の意見で、國の仕事をやってゆくことになり ます。これは、いいかえれば、國民ぜんたいの中で、多いほうの意見で、國を治めてゆくことでもあります。

みなさん、國民は、政党のことをよく知らなけれはなりません。じぶんのすきな政党にはいり、またじぶんたちですきな政党をつくるのは、國民の自由で、憲法は、これを「基本的人権」としてみとめています。だれもこれをさまたげることはできません。

 

十 内 閣

 

「内閣」は、國の行政をうけもっている機関であります。行政ということは、まえに申しましたように、「立法」すなわち國の規則をこしらえることと、「司 法」すなわち裁判をすることをのぞいたあとの、國の仕事をまとめていうのです。國会は、國民の代表になって、國を治めてゆく機関ですが、たくさんの議員で できているし、また一年中開いているわけにもゆきませんから、日常の仕事やこまごました仕事は、別に役所をこしらえて、こゝでとりあつかってゆきます。そ の役所のいちばん上にあるのが内閣です。

内閣は、内閣総理大臣と國務大臣とからできています。「内閣総理大臣」は内閣の長で、内閣ぜんたいをまとめてゆく、大事な役目をするのです。それで、内 閣総理大臣にだれがなるかということは、たいへん大事なことですが、こんどの憲法は、内閣総理大臣は、國会の議員の中から、國会がきめて、天皇陛下に申し あげ、天皇陛下が.これをお命じになることになっています。國会できめるとき、衆議院と参議院の意見が分かれたときは、けっきょく衆議院の意見どおりにき めることになります。内閣総理大臣を國会できめるということは、衆議院でたくさんの議員をもっている政党の意見で、きまることになりますから、内閣総理大 臣は、政党からでることになります。

また、ほかの國務大臣は、内閣総理大臣が、自分でえらんで國務大臣にします。しかし、國務大臣の数の半分以上は、國会の議員からえらばなければなりませ ん。國務大臣は國の行政をうけもつ役目がありますが、この國務大臣の中から、大蔵省、文部省、厚生省、商工省などの國の役所の長になって、その役所の仕事 を分けてうけもつ人がきまります。これを「各省大臣」といいます。つまり國務大臣の中には、この各省大臣になる人と、たゞ國の仕事ぜんたいをみてゆく國務 大臣とがあるわけです。内閣総理大臣が政党からでる以上、國務大臣もじぶんと同じ政党の人からとることが、國の仕事をやってゆく上にべんりでありますか ら、國務大臣の大部分が、同じ政党からでることになります。

また、一つの政党だけでは、國会に自分の意見をとおすことができないと思ったときは、意見のちがうほかの政党と組んで内閣をつくります。このときは、そ れらの政党から、みな國務大臣がでて、いっしょに、國の仕事をすることになります。また政党の人でなくとも、國の仕事に明かるい人を、國務大臣に入れるこ ともあります。しかし、民主主義のやりかたでは、けっきょく政党が内閣をつくることになり、政党から内閣総理大臣と國務大臣のおゝぜいがでることになるの で、これを「政党内閣」というのです。

内閣は、國の行政をうけもち、また、天皇陛下が國の仕事をなさるときには、これに意見を申しあげ、また、御同意を申します。そうしてじぶんのやったこと について、國民を代表する國会にたいして、責任を負うのです。これは、内閣総理大臣も、ほかの國務大臣も、みないっしょになって、責任を負うのです。ひと りひとりべつべつに責任を負うのではありません。これを「連帯して責任を負う」といいます。

また國会のほうでも、内閣がわるいと思えば、いつでも「もう内閣を信用しない」ときめることができます。たゞこれは、衆議院だけができることで、参議院 はできません。なぜならば、國民のその時々の意見がうつっているのは、衆議院であり、また、選挙のやり直しをして、内閣が、國民に、どっちがよいかをきめ てもらうことができるのは、衆議院だけだからです。衆議院が内閣にたいして、「もう内閣を信用しない」ときめることを、「不信任決議」といいます。この不 信任決議がきまったときは、内閣は天皇陛下に申しあげ、十日以内に衆議院を解散していただき、選挙のやり直しをして、國民にうったえてきめてもらうか、ま たは辞職するかどちらかになります。また「内閣を信用する」ということ(これを「信任決議」といいます)が、衆議院で反対されて、だめになったときも同じ ことです。

このようにこんどの憲法では、内閣は國会とむすびついて、國会の直接の力で動かされることになっており、國会の政党の勢力の変化で、かわってゆくので す。つまり内閣は、國会の支配の下にあることになりますから、これを「議院内閣制度」とよんでいます。民主主義と、政党内閣と、議院内閣とは、ふかい関係 があるのです。

 

十一 司 法

 

「司法」とは、争いごとをさばいたり、罪があるかないかをきめることです。「裁判」というのも同じはたらきをさすのです。だれでも、じぶんの生命、自由、 財産などを守るために、公平な裁判をしてもらうことができます。この司法という國の仕事は、國民にとってはたいへん大事なことで、何よりもまず、公平にさ ばいたり、きめたりすることがたいせつであります。そこで國には、「裁判所」というものがあって、この司法という仕事をうけもっているのです。

裁判所は、その仕事をやってゆくについて、ただ憲法と國会のつくった法律とにしたがって、公平に裁判をしてゆくものであることを、憲法できめておりま す。ほかからは、いっさい口出しをすることはできないのです。また、裁判をする役目をもっている人、すなわち「裁判官」は、みだりに役目を取りあげられな いことになっているのです。これを「司法権の独立」といいます。また、裁判を公平にさせるために、裁判は、だれでも見たりきいたりすることができるので す。これは、國会と同じように、裁判所の仕事が國民の目の前で行われるということです。これも憲法ではっきりときめてあります。

こんどの憲法で、ひじょうにかわったことを、一つ申しておきます。それは、裁判所は、國会でつくった法律が、憲法に合っているかどうかをしらべることが できるようになったことです。もし法律が、憲法にきめてあることにちがっていると考えたときは、その法律にしたがわないことができるのです。だから裁判所 は、たいへんおもい役目をすることになりました。

みなさん、私たち國民は、國会を、じぶんの代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません。

 

十二 財 政

 

みなさんの家に、それぞれくらしの立てかたがあるように、國にもくらしの立てかたがあります。これが國の「財政」です。國を治めてゆくのに、どれほど費 用がかゝるか、その費用をどうしてとゝのえるか、とゝのえた費用をどういうふうにつかってゆくかというようなことは、みな國の財政です。國の費用は、國民 が出さなければなりませんし、また、國の財政がうまくゆくかゆかないかは、たいへん大事なことですから、國民は、はっきりこれを知り、またよく監督してゆ かなければなりません。

そこで憲法では、國会が、國民に代わって、この監督の役目をすることにしています。この監督の方法はいろいろありますが、そのおもなものをいいますと、 内閣は、毎年いくらお金がはいって、それをどういうふうにつかうかという見つもりを、國会に出して、きめてもらわなければなりません。それを「予算」とい います。また、つかった費用は、あとで計算して、また國会に出して、しらべてもらわなければなりません。これを「決算」といいます。國民から税金をとるに は、國会に出して、きめてもらわなければなりません。内閣は、國会と國民にたいして、少なくとも毎年一回、國の財政が、どうなっているかを、知らさなけれ ばなりません。このような方法で、國の財政が、國民と國会とで監督されてゆくのです。

また「会計検査院」という役所があって、國の決算を検査しています。

 

十三 地方自治

 

戦争中は、なんでも「國のため」といって、國民のひとりひとりのことが、かるく考えられていました。しかし、國は國民のあつまりで、國民のひとりひとり がよくならなければ、國はよくなりません。それと同じように、日本の國は、たくさんの地方に分かれていますが、その地方が、それぞれさかえてゆかなけれ ば、國はさかえてゆきません。そのためには、地方が、それぞれじぶんでじぶんのことを治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜならば、地方には、その地 方のいろいろな事情があり、その地方に住んでいる人が、いちばんよくこれを知っているからです。じぶんでじぶんのことを自由にやってゆくことを「自治」と いいます。それで國の地方ごとに、自治でやらせてゆくことを、「地方自治」というのです。

こんどの憲法では、この地方自治ということをおもくみて、これをはっきりきめています。地方ごとに一つの団体になって、じぶんでじぶんの仕事をやってゆくのです。東京都、北海道、府県、市町村など、みなこの団体です。これを「地方公共団体」といいます。

もし國の仕事のやりかたが、民主主義なら、地方公共団体の仕事のやりかたも、民主主義でなければなりません。地方公共団体は、國のひながたといってもよ いでしょう。國に國会があるように、地方公共団体にも、その地方に住む人を代表する「議会」がなければなりません。また、地方公共団体の仕事をする知事 や、その他のおもな役目の人も、地方公共団体の議会の議員も、みなその地方に住む人が、じぶんで選挙することになりました。

このように地方自治が、はっきり憲法でみとめられましたので、ある一つの地方公共団体だけのことをきめた法律を、國の國会でつくるには、その地方に住む人の意見をきくために、投票をして、その投票の半分以上の賛成がなければできないことになりました。

みなさん、國を愛し國につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、じぶんの地方のためにつくしましょう。地方のさかえは、國のさかえと思ってください。

 

十四 改 正

 

「改正」とは、憲法をかえることです。憲法は、まえにも申しましたように、國の規則の中でいちばん大事なものですから、これをかえる手つづきは、げんじゅうにしておかなければなりません。

そこでこんどの憲法では、憲法を改正するときは、國会だけできめずに、國民が、賛成か反対かを投票してきめることにしました。

まず、國会の一つの議院で、ぜんたいの議員の三分の二以上の賛成で、憲法をかえることにきめます。これを、憲法改正の「発議」というのです。それからこ れを國民に示して、賛成か反対かを投票してもらいます。そうしてぜんぶの投票の半分以上が賛成したとき、はじめて憲法の改正を、國民が承知したことになり ます。これを國民の「承認」といいます。國民の承認した改正は、天皇陛下が國民の名で、これを國に発表されます。これを改正の「公布」といいます。あたら しい憲法は、國民がつくったもので、國民のものですから、これをかえたときも、國民の名義で発表するのです。

 

十五 最高法規

 

このおはなしのいちばんはじめに申しましたように、「最高法規」とは、國でいちばん高い位にある規則で、つまり憲法のことです。この最高法規としての憲 法には、國の仕事のやりかたをきめた規則と、國民の基本的人権をきめた規則と、二つあることもおはなししました。この中で、國民の基本的人権は、これまで かるく考えられていましたので、憲法第九十七條は、おごそかなことばで、この基本的人権は、人間がながいあいだ力をつくしてえたものであり、これまでいろ いろのことにであってきたえあげられたものであるから、これからもけっして侵すことのできない永久の権利であると記しております。

憲法は、國の最高法規ですから、この憲法できめられてあることにあわないものは、法律でも、命令でも、なんでも、いっさい規則としての力がありません。これも憲法がはっきりきめています。

このように大事な憲法は、天皇陛下もこれをお守りになりますし、國務大臣も、國会の議員も、裁判官も、みなこれを守ってゆく義務があるのです。また、日 本の國がほかの國ととりきめた約束(これを「條約」といいます)も、國と國とが交際してゆくについてできた規則(これを「國際法規」といいます)も、日本 の國は、まごころから守ってゆくということを、憲法できめました。

みなさん、あたらしい憲法は、日本國民がつくった、日本國民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の國がさかえるようにしてゆこうではありませんか。

おわり   (昭和22年8月2日発行)

 

 

 

日本國憲法

 

昭和二十一年(1946)十一月三日公布

昭和二十二年(1947) 五月三日施行

 

 

 

日本國憲法

 

日本國民は、正当に選挙された國会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸國民との協和による成果と、わが國全土にわたって自由 のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が國民に存することを宣言し、この憲法を 確定する。そもそも國政は、國民の厳粛な信託によるものであって、その権威は國民に由来し、その権力は國民の代表者がこれを行使し、その福利は國民がこれ を享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本國民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの 安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる國際社会において、名誉ある 地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の國民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの國家も、自國のことのみに専念して他國を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自國の主権を維持し、他國と対等関係に立たうとする各國の責務であると信ずる。

日本國民は、國家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

 

第一章 天 皇

 

第一条  天皇は、日本國の象徴であり日本國民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本國民の総意に基く。

第二条  皇位は、世襲のものであって、國会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

第三条  天皇の國事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。

第四条  天皇は、この憲法の定める國事に関する行為のみを行ひ、國政に関する権能を有しない。天皇は、法律の定めるところにより、その國事に関する行為を委任することができる。

第五条  皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその國事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。

第六条  天皇は、國会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

天皇は内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、國民のために、左の國事に関する行為を行ふ。

一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。

二 國会を召集すること。

三 衆議院を解散すること。

四 國会議員の総選挙の施行を公示すること。

五 國務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。

六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。

七 栄典を授与すること。

八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。

九 外國の大使及び公使を接受すること。

十 儀式を行ふこと。

第八条  皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、國会の議決に基かなければならない。

 

 

第二章 戦争の放棄

 

第九条  日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠実に希求し、國権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。國の交戦権は、これを認めない。

 

 

第三章 國民の権利及び義務

 

第十条  日本國民たる要件は、法律でこれを定める。

第十一条  國民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が國民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の國民に与へられる。

第十二条  この憲法が國民に保障する自由及び権利は、國民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第十三条  すべて國民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する國民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。

第十四条  すべて國民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。

第十五条  公務員を選定し、及びこれを罷免することは、國民固有の権利である。

すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を間はれない。

第十六条  何人(なんぴと)も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない。

第十七条  何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、國又は公共団体に、その賠償を求めることができる。

第十八条  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

第十九条  思想及び良心の自由は、これを侵してならない。

第二十条  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、國から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。

何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。

國及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。

第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

第二十二条  何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。何人も、外國に移住し、又は國籍を離脱する自由を侵されない。

第二十三条  学問の自由は、これを保障する。

第二十四条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

第二十五条  すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

國は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

第二十六条  すべて國民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

第二十七条  すべて國民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

児童は、これを酷使してはならない。

第二十八条  勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。

第二十九条  財産権は、これを侵してはならない。

財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。

私有財産は、正当な補障の下に、これを公共のために用ひることができる。

第三十条  國民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

第三十一条  何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

第三十二条  何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。

第三十三条  何人も、現行犯として逮捕される場合を除いては、権限を有する司法官憲が発し、且つ理由となつている犯罪を明示する令状によらなければ、逮捕されない。

第三十四条  何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与へられなければ、抑留又は拘禁されない。又、何人も、正当な理由が なければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は、直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない。

第三十五条  何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押収を受けることのない権利は、第三十三条の場合を除いては、正当な理由に基いて発せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。

捜索又は押収は、権限を有する司法官憲が発する各別の令状により、これを行ふ。

第三十六条  公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

第三十七条  すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する。

刑事被告人は、すべての証人に対して審問する機会を充分に与へられ、又、公費で自己のために強制的手続により証人を求める権利を有する。

刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができないときは、國でこれを附する。

第三十八条  何人も、自己に不利益な供述を強要されない。強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。

何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。

第三十九条  何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。

第四十条  何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、國にその補償を求めることができる。

 

 

第四章 國 会

 

第四十一条  國会は、國権の最高機関であって、國の唯一の立法機関である。

第四十二条  國会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する。

第四十三条  両議院は、全國民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

両議院の議員の定数は、法律でこれを定める。

第四十四条  両議院の議院及びその選挙の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない。

第四十五条  衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

第四十六条  参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。

第四十七条  選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める。

第四十八条  何人(なんぴと)も、同時に両議院の議員たることはできない。

第四十九条  両議院の議員は、法律の定めるところにより、國庫から相当額の歳費を受ける。

第五十条  両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、國会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれぱ、会期中これを釈放しなければならない。

第五十一条  両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を間はれない。

第五十二条  國会の常会は、毎年一回これを召集する。

第五十三条  内閣は、國会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない。

第五十四条  衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、國会を召集しなければならない。

衆議院が解散されたときは、参議院は、同時に閉会となる。但し、内閣は、國に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる。

前項但書の緊急集会において採られた措置は、臨時のものであって、次の國会開会の後十日以内に、衆議院の同意がない場合には、その効力を失ふ。

第五十五条  両議院は、各々その講員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十六条  両議院は、各々その総議員の三分の一以上の出席がなければ、議事を開き議決することができない。

両議院の議事は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。

第五十七条  両議院の会議は、公開とする。但し、出席議員の三分の二以上の多数で議決したときは、秘密会を開くことができる。

両議院は、各々その会議の記録を保存し、秘密会の記録の中で特に秘密を要すると認められるもの以外は、これを公表し、且つ一般に頒布しなければならない。

出席議員の五分の一以上の要求があれば、各議員の表決は、これを会議録に記載しなければならない。

第五十八条  両議院は、各々その議長その他の役員を選任する。

両議院は、各々その会議その他の手続及び内部の規律に関する規則を定め、又、院内の秩序をみだした議員を懲罰することができる。但し、議員を除名するには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

第五十九条 法律案は、この憲法に特別の定のある場合を除いては、両議院で可決したとき法律となる。

衆議院で可決し、参議院でこれと異なった議決をした法律案は、衆議院で出席議員の三分の二以上の多致で再び可決したときは、法律となる。

前項の規定は、法律の定めるところにより、衆議院が両議院の協議会を開くことを求めることを妨げない。

参議院が、衆議院の可決した法律案を受け取った後、國会休会中の期間を除いて六十日以内に、議決しないときは、衆議院は、参議院がその法律案を否決したものとみなすことができる。

第六十条  予算は、さきに衆議院に提出しなければならない。

予算について、参議院で衆議院と異なった議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は参議院が、 衆議院の可決した予算を受け取った後、國会休会中の期間を除いて三十日以内に、議決しないときは、衆議院の議決を國会の議決とする。

第六十一条  条約の締結に必要な國会の承認については、前条第二項の規定を準用する。

第六十二条  両議院は、各々國政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。

第六十三条  内閣総理大臣その他の國務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないことにかかはらず何時でも議案について発言するため議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない。

第六十四条 國会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。

弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

 

 

第五章 内 閣

 

第六十五条  行政権は、内閣に属する。

第六十六条  内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の國務大臣でこれを組織する。

内閣総理大臣その他の國務大臣は、文民でなければならない。

内閣は、行政権の行使について、國会に対し連帯して責任を負ふ。

第六十七条  内閣総理大臣は、國会議員の中から國会の議決で、これを指名する。この指名は、他のすべての案件に先だって、これを行ふ。

衆議院と参議院とが異なった指名の議決をした場合に、法律の定めるところにより、両議院の協議会を開いても意見が一致しないとき、又は衆議院が指名の議 決をした後、國会休会中の期間を除いて十日以内に、参議院が、指名の議決をしないときは、衆議院の議決を國会の議決とする。

第六十八条  内閣総理大臣は、國務大臣を任命する。但し、その過半数は、國会議員の中から選ばれなければならない。

内閣総理大臣は、任意に國務大臣を罷免することができる。

第六十九条  内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職しなければならない。

第七十条  内閣総理大臣が欠けたとき、又は衆議院議員総選挙の後に初めて國会の召集があったときは、内閣は、総辞職をしなければならない。

第七十一条  前二条の場合には、内閣は、あらたに内閣総理大臣が任命されるまで引き続きその職務を行ふ。

第七十二条  内閣総理大臣は、内閣を代表して議案を國会に提出し、一般國務及び外交関係について國会に報告し、並びに行政各部を指揮監督する。

第七十三条  内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。

一 法律を誠実に執行し、國務を総理すること。

二 外交関係を処理すること。

三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によっては事後に、國会の承認を経ることを必要とする。

四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。

五 予算を作成して國会に提出すること。

六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。

七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。

第七十四条  法律及び政令には、すべて主任の國務大臣が署名し、内閣総理大臣が連署することを必要とする。

第七十五条  國務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。

 

 

第六章 司 法

 

第七十六条  すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。

すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。

第七十七条  最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。

検察官は、最高裁判所の定める規則に従はなければならない。

最高裁判所は、下級裁判所に関する規則を定める権限を、下級裁判所に委任することができる。

第七十八条  裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふことはできない。

第七十九条  最高裁判所は、その長たる裁判官及び法律の定める員数のその他の裁判官でこれを構成し、その長たる裁判官以外の裁判官は、内閣でこれを任命する。

最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際國民の審査に付し、その後十年を経過した後初めて行はれる衆議院議員総選挙の際更に審査し、その後も同様とする。

前項の場合において、投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される。

審査に関する事項は、法律でこれを定める。

最高裁判所の裁判官は、法律の定める年齢に達した時に退官する。

最高裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十条  下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、これを任命する。その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。

下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。

第八十一条  最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

第八十二条  裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。

裁判所が裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯 罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する國民の権利が問題となってゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

 

 

第七章 財 政

 

第八十三条  國の財政を処理する権限は、國会の議決に基いて、これを行使しなければならない。

第八十四条  あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。

第八十五条  國費を支出し、又は國が債務を負担するには、國会の議決に基くことを必要とする。

第八十六条  内閣は、毎会計年度の予算を作成し、國会に提出して、その審議を受け議決を経なければならない。

第八十七条  予見し難い予算の不足に充てるため、國会の議決に基いて予備費を設け、内閣の責任でこれを支出することができる。

すべて予備費の支出については、内閣は事後に國会の承諾を得なければならない。

第八十八条  すべて皇室財産は、國に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して國会の議決を経なければならない。

第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。

第九十条  國の収入支出の決算は、すべて毎年会計検査院がこれを検査し、内閣は、次の年度に、その検査報告とともに、これを國会に提出しなければならない。

会計検査院の組織及び権限は、法律でこれを定める。

第九十一条  内閣は、國会及び國民に対し、定期に、少くとも毎年一回、國の財政状況について報告しなければならない。

 

 

第八章 地方自治

 

第九十二条  地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。

第九十三条  地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。

地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。

第九十四条  地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することができる。

第九十五条  一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、國会は、これを制定することができない。

 

 

第九章 改 正

 

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、國会が、これを発議し、國民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の國民投票又は國会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、國民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 

 

第十章 最高法規

 

第九十七条  この憲法が日本國民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の國民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

第九十八条  この憲法は、國の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び國務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

日本國が締結した条約及び確立された國際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条  天皇又は摂政及び國務大臣、國会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

 

第十一章 補 則

 

第百条  この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する。

この憲法を施行するために必要な法律の制定、参議院議員の選挙及び國会召集の手続並びにこの憲法を施行するために必要な準備手続は、前項の期日よりも前に、これを行ふことができる。

第百一条  この憲法施行の際、参議院がまだ成立してゐないときは、その成立するまでの間、衆議院は國会としての権限を行ふ。

第百二条  この憲法による第一期の参議院議員のうち、その半数の者の任期は、これを三年とする。その議員は、法律の定めるところにより、これを定める。

第百三条  この憲法施行の際現に在職する國務大臣、衆議院議員及び裁判官並びにその他の公務員で、その地位に相応する地位がこの憲法で認められている 者は、法律で特別の定をした場合を除いては、この憲法施行のため、当然にはその地位を失ふことはない。但し、この憲法によって、後任者が選挙又は任命され たときは、当然その地位を失ふ。

 

 

 

* 掲載した上の文献を どうかコピーして広く友人知己へもおひろめ願いたい。 秦 恒平

2017 5/3 186

 

 

* 共謀罪法案に関知し批評したいなら、なによりも図書館の大事典で「大逆事件」の経緯をよく知ることだと思う。

 

* このホームペイジに入れてある電子文藝館「e-文庫・湖(umi)」六、七百作のなかにも、「大逆事件」がいかに国家による犯罪行為でありいかに国民 が震撼したかを証言した必読の詩や小説や論説が掲載されてある。安倍内閣が与党と共謀して為そうとしている「国民支配の悪謀」は、まさしく「明治の大逆事 件」の真相に露呈していることをよくよく知って欲しい。

作家である息子の秦建日子に、「まず、読んでみて欲しい」と送った、電子文藝館「e-文庫・湖(umi)」所収、歌人与謝野鉄幹の詩を、ここへも挙げてみる。

 

招待席

よさの てっかん  詩人 1873.2.26 – 1935.3.26 京都府に生まれる。 詩歌集「烏と雨」大正四年(1915)刊に収録の掲載作は、明治四十四年(1911)の大逆事件に絞首刑された医師大石誠之助を素材の諷刺詩で、作者の妻与謝野晶子に「君死にたまふことなかれ」の有ったのを想起させる。

 

大 逆事件は、ゆるされてならない大きな「国の犯罪」(フレームアップ でっち上げ)を暗部に、日本の近代・現代を大きく自壊と崩落へ導いた。「e-文藝館= 湖(umi)」に掲載している石川啄木の『時代閉塞の現状』 平出修の小説『逆徒』 徳富蘆花の講演『謀叛論」などは、同時期における優れて勇気ある聡明 な言説・証言となった。併せて必読願いたい。

鉄幹のこの屈折を装った批評の詩も「日本」を嘆く不気味な発語であった。 (秦 恒平)

 

誠之助の死   与謝野 鐵幹

 

 

 

 

大石誠之助は死にました、

 

いい気味な、

 

機械に挟まれて死にました。

 

人の名前に誠之助は沢山ある、

 

然し、然し、

 

わたしの友達の誠之助は唯一人。

 

わたしはもうその誠之助に逢はれない、

 

なんの、構ふもんか、

 

機械に挟まれて死ぬやうな、

 

馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。

 

 

 

それでも誠之助は死にました、

 

おお、死にました。

 

 

 

日本人で無かつた誠之助、

 

立派な気ちがひの誠之助、

 

有ることか、無いことか、

 

神様を最初に無視した誠之助、

 

大逆無道の誠之助。

 

 

 

ほんにまあ、皆さん、いい気味な、

 

その誠之助は死にました。

 

 

 

誠之助と誠之助の一味が死んだので、

 

忠良な日本人は之から気楽に寝られます。

 

おめでたう。

 

* そのいかに大勢な無実の「一般人」が「テロ等共謀」の名において巻き込まれ、数千というひとが逮捕され、秘密裁判であっというまに百に及ぶ人に死刑ないし極刑が言い渡され、あっという間に天皇の特赦にも洩れた十二人が死刑執行されていた。大石誠之助もその一人であった。

「一般人」を巻き込んで弾圧し支配できる、それが「共謀罪」の秘めた目標になりかねず、どんな結果をもたらすかの実例を、今の人は「歴史」にもよく学んで対峙しなければいけない。

2017 6/2 187

 

 

* きのう、明治の「大逆事件」を顧みつつ今回安倍政権らによる「テロ等共謀罪法案」への怖ろしい懸念をわたしは此処へ書いた。そのとき、相並べて言い置きたかった「横浜事件」にふれて、以前に東京新聞に発表していた一文をあえて再掲載しておきたい。

 

横浜事件 1942年、雑誌「改造」に掲載された論文「世界史の動向と日本」をもとに、「共産主義を宣伝した」とする治安維持法違反容疑で、同雑誌などの 編集者や新聞記者多数が神奈川県特高課(当時)に逮捕、投獄された、戦時下最大の「共謀」をでっち上げた言論弾圧事件。

 

*   再掲載

横浜事件再審決定に思う     秦 恒平   東京新聞2005(平十七)四月十二日(火)夕刊

 

反・主権在民国家  終わりなき「権力のテロリズム」

 

「国(公)の犯罪」は、まちがいなく有り得る。「私」の犯す罪より罪深く、歴史的に、事実、幾度も有ったのである。開戦や敗戦をいうのではない。例えば 国権を笠にきた弾圧やフレームアップ(でっちあげ)のテロリズムがあり、最たる一つに明治の「大逆事件」が思い出され、また昭和敗戦前の「横浜事件」が思 い出される。

横浜事件のほうは、粘りづよい運動と法の手続きにより、戦後六十年、最近、やっと再審査の細い明かりが見えた。だが、往時の被告たちは、もう、一人もこの世にいない。

大逆事件も横浜事件も、官憲の事件捏造と不当裁判の経緯はあまりに錯雑、詳細はしかるべき歴史事典などをお調べ願いたいが、ともに大規模な「弾圧」事件であり、「国権による犯罪」という暗部を多分に持っていた。

ことに横浜事件では、神奈川県特高により、「中央公論」その他の筆者・編集者たちが、何の根拠も証拠もなく約五十名も検挙され、凄い拷問と白白の強要 で、力ずく「事件」に作り上げられていった。表向きは共産主義思想の猛烈な禁圧とみせて、実は、「戦争政権」背後の勢力争いに陰険に利された、著作と編集 への「テロ」の疑いも持たれてきたのである。

この数年関わってきた日本ペンクラブ『電子文藝館』に、故池島信平の「狩りたてられた編集者」という一文を掲載しておいた。大意、こんなふうに書き出されている。

<昭和二十年三月十日の空襲は壊滅的で、私は雑司ガ谷の菊池寛氏の家に転げ込み、居候した。或る日、本郷の焼跡を通りかかると、当時、『日本評論』編集 部員の渡辺潔君と出遇った。「いま『文藝春秋』をやっているんだ。君等に会ったら、聞こうと思っていたんだが、やたらにこの頃、編集者が横浜の警察へ引っ ぱられているが、いったい、なにがあったんだい」と聞くと、渡辺君は、「実はぼくにもよくわからないんだが、うちでも美作太郎、松本正雄、彦坂武男の三人 が引っぱられた。こんどは僕のような気がするんだが、なにが当局の忌諱に触れたのか、わからないんだよ」と、深刻な顔をしている。これが世にいう「横浜事 件」で、前年あたりから、『中央公論』『改造』『日本評論』の記者諸君が続々検束されていた。身に覚えのないことで引っぱられるという恐怖は相当なもので あった。>

私は、これが「過去完了の事件」とは言いきれないのを、今、懼れている。昨今の政権与党の政治手法や法の制定は、個人の「保護」とか人権の「擁護」とか 美しい文字をことさら用いながら、その実は、言論表現や報道取材の自由を、また私民の基本的人権を、またもや専制と監視下に抑圧する意図を、ポケットに隠 した銃口のように、国民の方へ突きつけている。

権勢保持の「公の犯罪」をそのようにして法の名の下に「國」として犯しかねないのを、私は強く懼れる。「反・主権在民」政治の、津波にも似た不意の来襲を、心から懼れるのである。

いましも用意されている国民投票法案のごとき、明治八年の讒謗律や新聞紙条令などジャーナリズムの徹底監禁政策をホーフツさせる信じられない条文に溢れている。

だが、それ以上に私の気にかけ懼れているのは、物書きはもとより、新聞・雑誌の記者・編集者、出版人に、あのような「横浜事件」の悪夢再来を阻もうとする、自覚や意思や方策が、声を揃え手を携えて立ち向かう気概が、有るのだろうか、という一点。

罪無き言論人や編集者を無惨に巻き込んだ「横浜事件」は、決して過ぎ去った過去完了の弾圧事件ではない。うかと油断すれば、即座に、また新たな基本的人 権の苦難時代、主権在民のなし崩しに圧殺されて行く時代の、一序曲として位置づけられかねない、コワイ事件なのであった。

忘れてはなるまい。横浜事件は、私民の平和を侵す「公の犯罪」、主権在民を阻む「國のテロリズム」なのであった。「國」という権力機構は、国民に禍する「罪」を、じつに容易に犯し得るのである。公と称して国を「私する」からだ。

監視さるべきは、国民が公僕として傭っている、「政権」「政治」の方なのである。 2017 6/3 187

 

 

* ジンネマン監督でトーマス・モアを描いた『わが命つきるとも』を森閑とした気持ち、かすかに戦慄すら覚えながら観終えた。英国宮廷物の歴史映画はのが さず観るようにしてきた。兄の妻を強引に皇妃としながらアン・ブーリンに惚れ込み、皇妃との離婚、ブーリンとの結婚を信仰上のタブーを犯しても強行したい 国王の、その国王に阿るクロンウエルはじめ聖職や廷臣たちのむり強いに、ガンとして同意を拒み抜いた孤高高潔のもと大法官トーマス・モアは、悪辣な弾劾な どのもと、反逆罪として断頭台に果てる。無道の結婚と離婚、そして再婚を英国教会の首長としてローマ法王庁へも楯突いて強行したい王に、国をあげて従い、 ひとりトマス・モアは神への、そして自身への誠実を貫いた。

クロンウエルも後に断頭台に立ち、モアの友でありながら反逆罪をつきつけた大法官ものちに火刑に遭う。問題の王は梅毒で死んだ。この嘔吐の間でアン・ブーリンの産んだ娘があのエリザベス一世ではなかったか、これは確かめねばならぬが。

なんとも英国宮廷の映画は、いつもシンドい。エリザベス女帝でもヴイクトリア女王でも、しんどかった。だが、わたしは、イギリスもフランスも、西欧のどぎつい宮廷史からはあえて目を背けないようにしている。彼らの悪しき帝国主義を憎んできたし、いま中東世界の悲惨な混乱を招いたのもそれだったはず。

2017 6/11 187

 

 

* このところ、というより、もう久しくわたしのために一等身近に欲しい読み物は、じつは一冊一冊が重い重い何巻もの「日本史大事典」だと思い当たり、同志社の田中研究室へ送り届ける春陽堂版『鏡花全集』十五巻を目の前の書架から抜いたあとへ平凡社版六巻を移し入れた。吉川弘文館のこれより何倍もある「日本歴史大事典」はとても入り切らず階下の小書斎に架蔵している。古典そして歴史、その面白さが身に沁みているので「現代」への強い関心も生まれる。そう信じてきた。

とにかくも他の本はともかく、事典・辞典は少なくも大小五十種以上、大切にしている。

 

* ちくま少年図書館におさめた少年らに語りかける『日本史との出会い 中世に学ぼう』をまた初校し終えた。生涯の一代表作ともなれと熱と愛をこめ語りかけたもの、「ちくま少年図書館」はたしかサンケイ出版文化賞を受け、わたしへも記念品が贈られてきたのを覚えている。本読みでは名うてのうるさ方だった安田武が、わざわざわたしを掴まえに来て「こういう教科書で日本史を習いたかったよ」と大まじめだったのを懐かしく思い出す。『選集第二十三巻』では他の何よりもこの一作を今の大人の人たちにも読まれたい、今のような情けない日本なればこそ、と願っている。今年中には刊行できるはず。

2017 7/15 188

 

 

* 夜前就寝前に、独り観たNHKテレビ。先の戦争でヒロシマナガサキに原爆が落とされて敗戦に至るまでに、米空軍の冷酷を極めた全日本絨毯爆撃焦土化作 戦の発案と強行の凄まじさに骨も凍る恐怖と怒りとを覚えた。人肉の腐臭で飛行士も耐えかねたという地上には灼き尽くされ老若日本同朋の死骸の山がひろびろ と野を成していた。大都会だけでなく、日本中の中小都市が人口と場所とを予定表に列挙されていて、なに容赦もなしに何より無辜の市民をこそ殺傷するのが戦争 に早く勝つ捷径と確信の上のナチスを事実遙かに上まわる米空軍による大虐殺空爆が事実着々と冷酷に進んでいたのだ。さすがにアメリカの軍部にも民間にも見 かねる批判が起きて、結果として、原爆投下の方が敗戦をはやく逼れると判断し、ヒロシマナガサキに原爆を投下、事実、日本は敗戦したのだったと。

なににしても米空軍の空軍独立と戦勲を狙った無惨な鬼道は、憎んで余りある。

いま、おなじ事を金正恩北朝鮮とトランプ米国は狙っており、犠牲はまっさきに日本列島に起きる懼れがある。

戦争回避の体験は歴史的にも例がある。しかし 恐るべきは米朝指導者がなかば狂ってみえ、おろかや日本の総理はトランプの腰に抱きついて正しい政治の視野を見失っている現実。

2017 8/14 189

 

 

* 現代昨今の伝えられてくるスペインでの「カタロニア独立」問題には、よほど混乱しているなと謂う感想を抱いてきた。経緯と現況とをこう報されてそえなのか、やはり…ウーンという実感である。

日本では戦国の群雄割拠やのちの幕藩という封建分国状況こそあったものの、九州が、四国が、北海道が「独立国に」ということは、大まかに見て皆無だっ た。維新のとき北海道函館に立て籠もった一派にわずかにそんな気概があったかも知れないが、さて、いま、長州閥の安倍一強の横暴はゆるせないと薩州閥が九 州独立を言い立てる現実感はやはり乏しく、成立基盤はみえてこない。「国家」とは何かと、何を以て独立国家といえるかとなると、現代ではとまれ基本合意法 としての「憲法」への誠意を謂うしかないのでは。

世界を翔び繞ってきた「尾張の鳶」さんなど、カタロニアにかぎらぬ各国での差別や独立の痛みに意見があるのではなかろうか。

2017 10/6 191

 

 

☆ 湖の本137をいただきました

秦恒平様

先日は選集22巻を頂戴し、痛み入りました。「ヨブ記のダブル・ヴィジョン」と題した講演を終了し、出席者とのメールでのやりとりを終了した先週中頃に一気に拝見しました。

女文化として見る日本芸術史(文学がメーンでも、芸術意識と受け止めます)を教えられつつ、興味深く読了しました。鎌倉文化については点が辛いのだと分かりました。

私は政治文化史的な観点から北条泰時が主宰した13人衆による『関東御成敗式目』の作成を画期的な作業であり、法制史的な意味を持つと評価しております。

本日は『湖の本137 泉鏡花』のご恵贈にあずかりました。いつもながらのご好意を感謝します。早速に拝見しました。泉鏡花については教科書的な知識し かありませんでしたから、現代語訳『龍潭譚』に引き込まれました。「座談会 鏡花文学をめぐって」には関心を引かれ、丹念に言葉を追いました。

ありがとうございました。台風が接近しております。日本各地の被害が最小限でありますように。明日の選挙が日本の宝を守りうる結果をもたらしまっすように。 並木浩一 ICU名誉教授

 

* 鎌倉時代を真に創りあげたのは北条義時、泰時父子で、傑出していたと思う。

2017 10/21 191

 

 

* 赤穂浪士の四十七士の全姓名を書き上げた。役儀および扶持石高も一々書き留める気でいる。随分久しく、これを書き取りたかった。赤穂五万石と聞いてき た。名門浅野とはいえ分家筋の小藩であり筆頭家老大石内蔵助良雄が千五百石、討ち入った他の四十六士で一等多い石高は「用人」片岡源五右衛門の三百五十 石、次いで足軽頭(鉄砲頭)原惣右衛門の三百石、馬廻近松勘六の二百五十石、他はすべてそれ以下で、石高知行の無い十両、八両、五両扶持だった者も少なか らず、主君在世中には無禄だった者も何人もいる。いかに貧しさの厳しい隠忍の浪人暮らしであったかがありあり分かる。

脱落した元藩士らを含めて家来何人ほどの家中だったかいまわたしには分からない、少なくも三分の二ほどは脱落していたものと思われるが、内匠頭がよほどいい藩主であったとは理解できる。「公儀」の無道にあこぎなことは、元禄の昔も今も変わらない。

2017 11/24 192

 

 

* ところで、さてさて。

今朝の寝起きに、寝床脇の抽斗を手当たりに一つ抜いて、点検し始めた。いきなり「歴史調査研究所」からの封筒、私宛で、「<全国秦氏>家系共同調査案内書」と封筒に刷ってある。A4紙表裏に文面のA4紙四枚があるのをスキャンしてみた。

 

☆ く素姓〉のあらまし (1)

【概要】.

「秦(はた) はだ。古大姓、渡来族。応神帝のとき弓月君、百二十七県の百姓を伴って帰化したという。子孫はふえ広まったがとくに、朝廷の財政制度を確立するのに貢献した」(『日本姓氏大辞典』解説編)

「秦 ハタ ハダ 天下の大姓にして、其の氏人の多き事、殆んど他に比なく、その分支の氏族も亦甚少からず。而して上代より今に至る迄、各時代共、恒に 相当の勢力を有する事も、他に類例なかるペし。猶ほ後述の如く此の氏は韓土より渡来の氏と伝へらるゝも、後世皇別、神別の波及、八多等の氏が、反って秦氏 と称するも、此の氏の偉大なるを語る-資料たるペし。

(以下20頁・127項目にわたって詳述)」(『姓氏家系大辞典』)

【種 類】

・秦・奏・泰・畑・畠・羽田・八田など48種

・秦~姓 秦井・秦川・秦野・秦勝・秦許・素人など44種

~秦姓 太秦・上秦・津秦・豊秦など9種

【実 数】

・秦(はた・しん)全国641位・約3万人(「佐久間ランキング」)

・全国で6,988世帯・約25,000人(歴史調査研究所調)

【分 布】

①福岡 ②大阪 ④東京 ④兵庫 ㊥神奈川 ㊥愛媛 ⑦島根 ⑧広島 ⑨埼玉 ⑩北海道

(多い順ベストテン・歴史調査研究所調)

【地 名】

秦(寝屋川市・総社市・高知市)、秦山町(高知県土佐山田町)、秦庄(奈良県田原本町)、秦荘町(滋賀県愛知郡)、秦梨町(愛知県岡崎市)、秦野市(神奈川県)、秦泉寺(高知市)、太秦(京都市・寝屋川市)など42か所 (消滅した歴史地名も含む。)

【史 料】

秦氏系図(土佐)、秦氏本系帳、秦文書(若狭・兵庫・島根・岡山)、秦氏の研究(平野邦雄)、秦氏とその遺跡・伝承(今井啓一)、平安時代の秦氏の研究 (井上満郎)、瀬戸内海地域の秦氏に関する一考察(金子邦秀)、依知と案氏(細川光成)、古代の秦氏(秦公義)、伊予の豪族秦氏の命運(堀井順次)、秦氏 の秦之亡人説(井上秀雄)、秦氏とその神(半田康夫)、秦氏私考(田中勝蔵)、秦・秦野・波多野氏について(葉貫磨哉)、秦史談(松本紀郎)、秦氏の研究 (大和岩雄)など多数

(裏面に続く)

 

く素姓〉のあらまし (2)

 

【人 物】(順不同・敬称略)

 

秦 酒公(5世紀後半の渡来氏族)

案 河勝(聖徳太子の近侍者)

秦 朝元(奈良時代の医師)

秦 田麻呂(万葉歌人)

秦 武元(平安時代の高僧)

秦 致貞(平安時代の絵師)

秦 奥実(江戸初期の弓術家)

秦 宗巴(江戸初期の医師、京都人)

秦 徳隣(医師、宗巴の養嗣子)

秦 相看(秦家創建京都松尾神主)

秦 山我眉(江戸中期の儒者、美濃の人)

秦 滄浪(山我眉の子、明倫堂教授)

秦 星池(江戸の書家)

秦 友房(木彫師・塗師、作州津山人)

秦 親友(秦家創建、伏見稲荷神主)

秦 新村(三河田原藩儒官、就将館創設)

秦 竹探(大阪の書家)

秦 将蔵(幕末の志士、天誅組に参加戦死)

秦 魯斎(勝山藩医、成器堂開設)

秦 瀬兵衛(幕末期の社会事業家、出雲の人)

秦 蔵六(鋳金家。御璽・国璽を鋳造)

秦 猪之助(時計商、三重県人)

秦 敏之(シンガーミシン裁縫女学院設立)

秦 豊助(衆議院議員・政友会幹事長、東京人)

秦 佐八郎(細菌学者、島根県石見の人)

秦 銀兵衛(日本燐寸同業組合副組長、兵庫)

秦 りん子(敏之妻 洋裁教育家)

秦 勉造(保全病院長、福井県人)

秦 真次(陸軍軍人、仙台第2師団長、福岡県人)

秦 逸三(実業家・人絹技術者、広島県人)

秦 資彰(日立鉱山病院長、福島県人)

秦 常造(理研真空工業社長、島根県人)

秦 兵三郎(鍛工業・多額納税者、福岡県人)

秦 正次郎(日昭電線伸銅専務、広島県人)

秦 亀太郎(大東金属工業社長、広島県人)

秦孝治郎(大日本硝子社長、滋賀県人)

秦 彦三郎(陸軍軍人、関東軍総参謀長、三重県人)

秦 与兵衛(太子山奇応丸本家、京都人)

秦 米造(日本コロンビア社長、福岡県人)

秦 豊吉(演出・文葦家、筆名丸木砂士、東京出身)

秦  守(桜護謨取締役、徳島県人)

秦 理四郎(函館船渠東京出張所長、北海道出身)

秦 慧玉(曹洞宗僧侶・永平寺貫首、兵庫県出身)

秦 藤樹(日本微生物学協会長、長野県出身)

秦 清三郎(医博・京城帝大医学部教授)

秦 正流 (朝日新聞社専務・文筆家、滋賀県出身)

秦 順治(田辺製薬東京出張所長、広島出身)

秦 不二雄(名古屋高裁判事・弁護士、秋田県出身)

秦 計機雄(紅屋商事社長、大阪出身)

秦 豊(政治家・元参議院議員、愛媛県出身)

秦 次雄(上信電鉄社長、群馬県出身)

秦 郁彦(現代史学者、山口県出身)

秦 邦男(十条製紙研究開発本部長、北海道出身)

秦 佳朗(中国現代史・中国語研究者)

秦 和宣(日立機械エンジニアリンク社長、大阪出身)

秦 従道(チェスコム仙台社長、宮城県出身)

秦 剛平(ユダヤ古代史研究者、東京出身)

秦 恒平(小説家・文藝評論家、東京工業大学教授、京都市出身)

秦 博(大阪市立東高校校長、愛知県出身)

 

<中国>

 

秦 開(戦国時代の燕の将軍)

秦 瓊(隋末・初唐の武人)

秦 観(北宋の文学者)

秦 良玉(少数民族の女性指導者)

秦 力山(清末廟の革命家)

秦 兆陽(作家・批評家、長篇『両世代』など)

秦 川(元・人民日報社長)

秦 孝儀(故宮博物院院長)

秦 大河(雪氷学者、南極大陸横断国際隊員)

秦 輪生(気功法指導者)

 

* ア、もう、中断。しかし、「渡来系3姓<秦 はた 梯 かけはし 台 うてな>氏全国都道府県別分布一覧表」というのは面白い。秦氏は全国に6988 家が確認されてあり、福岡県(735)東京都(627)大阪府(664)兵庫県(415)神奈川県(373)愛媛県(367)島根県(312)広島県(282)埼玉県(267)北海道(250)などで多く、京都(167)と意外に少ない。最少は秋田県と沖縄県の各(6)とある。

いろいろにモノが読めてくる可能性がこの表覧に見てとれるが、わたしは表をスキャン出来ない。

ほかに「掛橋 桟 梯 雲梯 など「かけはし」という姓についても興味ふかい説明がいろいろあるが、もう、バンザイ、手に負えない。

 

* たった一通の封筒から、こういうのが出てきて、棄てがたいと保管されていたのだが、こう視線をあてようとすると、こんな程度でない無数無量の興味津々 の「ごみ」のような保管物が家中に百万も隠れているはず。人様にはお笑いだが、就職して初の給料支給書もあれば、初の私家版の印刷所請求書も出てくる。組 合の新聞に新入社員として初めて原稿を書いた刷り物も出てくる。兄からの古い古い大昔の手紙も物にまぎれて出てくる。

結局は棄てねばならないと思っている。なによりも、お、これは使えるじゃないかと小説の書き出しを迫ってくるモノやカミがぞろぞろ出てくると、胸が熱くなってくる。白楽天も、たいてい風雅に風流に安息しているようでも「詩」への思いにだけは心身が灼けると言っている。

 

 

 

 

 

掛橋、(かけはし) l;の世界を結ぷ姓

本州と四国を結ぶいくつかの連絡橋ができた。多くの人は、居眠りしたまま四国に渡れ

 

あわ              ヽヽ

昔は阿波国(徳島県) へ行くためのかけ席が淡路島で、アワジというのはそこからきてい

 

現在もこの工事は進み、「本州四国連絡橋公団」が、日夜仕事をいそいでいる。

そのPR誌にrかけ橋Jという雑誌がある。わたしは、そこに二年ごしで「掛橋さんと夢

さんの対談」というのを連載している。

掛橋や夢野という苗字は珍しい。その掛橋姓について原稿を書いていると、歴史家の牧野

さんからrかけはし氏の歴史」という本を贈られた。

ページをめくると、

うキて

かゃはし漉すセわち梯・横-(棲)・掛橋・薯横姓について総合的に書壌

療叩

〝れた本であることがわかった。なかなかの大著である。

さて、このカケハシという姓の由来は二つに考えられる。

一つは地名、一つは職業だ。

地名は全国にある。一つずつあげれば

掛橋(福島県いわき市)

桟(壊)(長野県上松町)

梯(兵庫県山崎町)

専横(奈良県境原市)

総じて地名は九州、東北、四国さらに山間僻地に多く、苗字ももとはここを発祥としてい

;」とがわかる。

カケハシの文字の違いはあるが、内容にはそれほどのひらきはない。漢字を当てたまで

化。しかし桟や梯になると、よむことも書←ナ」ともできない人もいる。だが掛橋の文字には

、の懸念はない。ただカケハシ姓のなかでは梯姓が一番多いのは事実だ。それでも全体を総

別しても五千人には至らない。

発祥地、歴史はさまざま

ところで、同じカケハシでも地域や発祥が別だから、ルーツもー様ではない。みな同族と

げるのはまちがいである。いま一例をあげると(前記、牧野畳氏著r大陸との架橋」)

(こ福岡県八女郡広川町梯の梯戌には真宗

小心      ・掛野

の開店寺住職でもと中野姓の氏があるd..

し{叶ヱ

九Vつかん

仇住職梯隆慶氏は十五代目。家紋大桑紋。

おえ                こうえい

(二)徳島県麻植郡山川町林氏流梯氏は川島城代林道感の後育。家紋は丸に五三桐。

  • †はち

(三)■高知県高岡郡梼原町の掛橋氏は三島神社の神職。延書十三年(九;コ津野経高入国

仰来三十五代。家紋三房扁。

わたちい

(四) 三重県度会郡小俣町懸橋(掛橋)発祥の掛橋氏は伊勢神宮の社家。

カケハシの表記にはいろいろあるが、もとの意味は〝橋をかける″ことには変わりはな

「。もっとも古代は席をかけることは大変な工事で、小さな川はつり橋、大きな川は船橋に

′る以外はなかった。だからかけ橋の多くは山国ではつり橋のことだ。

カケハシの姓は地名に由来するものが多いが、なかには実際にこの工事を施行指揮した人

いる。職業からきているわけだ。だが、さらにもう一つ加えることがある。それは「この

とあの世」(仏教系)、「神と人」(神道系)とを結ぷ仕事がある。僧侶や神官に多いところを

ると、カケハシは、・その役目を果たす人のことでもある。

PHP文庫 あっと驚く苗字の不思議

あなたの意外なルーツを探る

2017 12/18 193

 

 

* 大忠臣蔵 ついに吉良上野邸の表門、裏門から討ち入った。やはり、泣けてきた。わたしは忠臣蔵に弱い。ただ仇討ちではなく、吉良の首は「公儀(お上) への一戦」という、それだけで、わたしは彼ら義士たちの(たとえ架空の外伝だくさんであろうとも、)身を粉にした總力・盡力の精華を全肯定したくなる。い わば日本の庶民の応援したくなる懸命の行動であったのだが、その「応援」は実は情けなくもめったに政治面で実らない。あいかわらず「公儀・お上」サマサ マ、ただ追随し、ついには疑念さえ持たない・持てない国民性と下落している、情けない。

2017 12/27 193

 

 

* 「大忠臣蔵」 ついに吉良上野を討ち果たし、公儀の片手落ちに堂々の抗議を唱えた。わたしはひれで良かったと思っている。四家預けの真意は分からない が、切腹は、それ以外に無かったかと。テロリズムと非難する向きもあろうけれど、史実として、もっとも健康に。もっとも感銘深く長生きした反体制事件とわ たしは受け取る。

2017 12/28 183

 

 

 

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