* 湖の本新刊の「あとがき」を、今回は少したっぷり書いてみる。
2005 1・26 40
* 湖の本にやや長めに「あとがき」を書いて入稿、初校も送り返した。
2005 1・27 40
* カナダの友の便り。昭和二十三年(1948)四月、開校したばかりの弥栄新制中学一年二組の教室で、はじめて相識った、やがては六十年に手の届く久しい友である。ただの友ではない、熱い友である。
* 恒平さん 「湖の本」は京都(=の家)を経てこちらへ送られてきます。ご存知のように毎年冬季を老母と過ごす妻からの転送を待たなければなりません。そんなわけで最新刊を手にしたのは4,5日前です。「なんじゃい、今ごろ・・・」になってしまい、お赦しを。18年、80巻に及ぶ粘り強い「湖の本」シリーズの労作に心から敬意を表します。
作品『お父さん、絵を描いてください』は、一度目を通しただけで感想を書き送れるほどの軽いものではありません。再読、熟読を促される力作だと思います。特に美術方面にかなりの造詣なくしては深く正しく読み切ることは難しいでしょう。私もその一人ですが、しかし、作品を貫く一本の太いテーマは間違いなく読者に伝わってきます。これまでに読後感を寄せられた皆さんのいずれもが、それなりに正鵠を射た読み方をされていることは、まさしく作者の狙いが外れていないことを物語っています。
「これ、ホンマのこと?」と恒平さんの昔を知る京都の読者はついそんな愚問を発してしまうでしょうし、少年時代のある時期に恒平さんにかなり近いところに居た(と思う)私自身も知らず知らずのうちにそんな読み方をしているのに苦笑してしまうのです。代表作『慈子』はじめ、虚実をないまぜにしながら縦糸と横糸を丹念に紡いで物語を構築してゆく作風は、この作家の特徴の一つなのを知っていながら・・・。
作中の「山名武史」にモデルがあり、その半生に触発されたことが執筆のモチーフになっていることは明らかでしょう。この主人公は他の秦作品にも名前を変えて何度か登場しています。「早春」に出てくる「木島篤司」君(もちろん、これも実名ではなく)はそのまま山名武史に重ね合わさりますし、本作品の終局に近く出てくる「幸田康之」の肖像画のいきさつについても、数年前(平成13年5月)にホームページ「私語の刻」の中で現実のエピソードとして記述されていることに注意深い読者は気付くことでしょう。「そんなん、どうでもええ、作品の評がほしい」 と作者の声が聞こえてきます。
山名の書簡や、それに対する幸田の思考・考察はそれ自体独立して説得力を持つ立派な美術評論をなすものだと思います。が、それだけに門外の読者の生半可な知識ではかなり歯の立たないものですし、その議論の迫力が逆に小説としてストーリーの展開を追う読者を、戸惑わせはしないかと危ぶむ個所もあるのですが、一方で、先へ先へと読み進めさせないではおかない、小説としての魅力をこの作品は持っています。
物語構成の上でも作者はかなり工夫をこらしています。阿波野千絵をめぐる山名と幸田の関わりはその一つですし、その伏線も注意深く引かれています。妻とその周囲をめぐる悲劇的な確執と波乱を通り抜けたところで、衝撃的な、しかし必然的な山名の自死のエピローグで小説は終結します。言うまでもなく山名の天賦の才能を正しく評価していたのは妻啓子です。だからこそ、描かない、描けない夫への一言、「お父さん、絵を描いてください」が悲痛な叫びとして耳奥に響くのです。
純文学作家の一つ一つの作品には、その作家を読み解くカギが潜んでいるものですが、この作品は仰せのようにまさしく「作者の自画像」ですし、その意味においても「湖の本」80巻目の区切りにふさわしいひとつの大きなモニュメントをなすものだと思うのです。
思ったまま、しかし皮相的な感想に終わってしまった、これは(東工大授業の)“挨拶”だとお笑いください。 T
* ありがとう。
* この作品からも、もうずいぶんの距離を歩き離れてきた。次。それだけが頭にある。しかし少しも急がない。
2005 1・28 40
* 湖の本の再校と発送用意とに集中したいのだが、まだ意識散漫。それでも隣の棟から郵袋の箱を必要な分、えいえいと運んだ。はんこを押さねばならない。アイサツを書く用意は幸いできているが、自筆で書き込んでゆくのが、今回、とほうもなくシンドイ。これが出来なくなったら刊行そのものを見直さねばならない。
2005 2・10 41
*「アメリー」という映画を四五回に分けて見おえた。フランス映画ほど「フランスとは」の問や不審にフランス風に応えてくれるモノはない。少し皮肉のつもり。この映画、ああそうですかとかなり納得して面白がっていたけれど、見おえてとくべつ何ものこらず、「アメリー」の顔だけがくっきりと記憶された。あれは一つの典型だ、いや天恵かな。「純」映画だな。
「オーシャンと十一人」は、このジュリア・ロバーツのどこがいいんだろう思いはしたが、男どもは、ワキに廻っていたブラッド・ピットもパット・デーモンもその他もよろしく、そこそこの娯楽作。
「恋するシェイクスピア」は録画。わたしは発送の用意をついついサボリ気味に、雪山や雪崩をものともせず滑りに滑る、コマーシャル撮影の若者達の冒険映画を眺めていた。この先は当分、映画のお世話になりながら「発送用意」に奮励して風邪をかわさねばならないが、お約束のように、わたしの風邪はすでに妻にうつっているようで、これにも気をくばらねばならぬ。
2005 2・10 41
* クリント・イーストウッドとソンドラ・ロックの小気味よい「ガントレット」に助けられながら、やっと「あ」行読者へのアイサツを書いた。先途を思うと気が遠くなる。まだからだが恢復していない、気力も持続力もよわい。思い切って盛り場へ出、美味い肴で強い酒を楽しむなんてどうかなあと、考えることが当たり前すぎる。
この映画では、めったになくクリント・イーストウッドが「甘ちゃん」になるところが魅力といえば魅力。こんなイーストウッド、見たことない。
夜分は、「氷の微笑」をちらちら観ながら、作業。シャロン・ストーンにマイケル・ダグラスの翻弄されるのが面白い、が、ちらちら見ているのは、そんなところじゃないけど。
この映画の眼目はシャロンの綺麗なお色気、そしてはげしいファック・シーン。
2005 2・12 41
* 寒気も熱気もほぼぬけて今日は咳き込みもほとんど消え、まずまず順調に風邪の手から逃れて行けそう。風邪ともインフルエンザとも分からない。ともあれ、元気が戻ってきて終日いろんな用事を順繰りに捗らせていた。
仕事をしながら、ずうっと考えていることもある。頭の中でいつもモノがもやもやと発酵している。慌てても急いでもいけない、タイムリーにその中から糸をすうっと抜きだしてきて…。
幸い今月は、十五日の理事会例会がすめば、三月上旬にかけて、所定の会合予定など何もない。新しい湖の本の発送用意も発送も、ちょうどこの間に済むだろう。うまくすると二月第四週の後半にはエアポケットの息抜きが可能かも知れない。ダメかも知れないが。もう少し集中しておかないと。
2005 2・13 41
* 七日から今夜まで、幸い何の外出予定もなくて、たすかった。ほぼ六日以来の風邪気味はじっと家にいたおかげで軽快し、またいろんな用事もずいぶん捗った。明日の理事会にも例会にも無事に出られそうだ。帰りにはクラブへもちょっと寄ってこれるだろう。「湖の本」を責了へ急いでいい用意は出来た。本が出来てくるまでに少し余裕がつくれるのではないか。まだ花粉の穏やかな出来れば二月中に、多少足を延ばしてでも電車の遠乗りなど出来ないかなあ。
2005 2・14 41
* 例会は失礼。というのも印刷所から「校了」待ちの督促を受けていたし、食事しながらゲラを読みたかった。ひさしぶりにクラブの、自前の酒も飲みたかった。新しい年会費も払い込んでおきたかった。
おかげで、明日中には責了できそうな按排。暖かい日でたすかった。街にも電車にも風邪気味の人の多いのにおどろく。
2005 2・15 41
* 冷たい雨のなか、湖の本の通算八十二巻の責了紙を印刷所に送った。その足で、妻と、注文しておいた宛名シール補充分を受け取りに行き、食べ物や薬品などを買い込み、保谷駅からタクシーで帰った。発送用意は着々進んでいる。週明けごろには先ず一段階のメドが立っているだろう、そのあとへまだまだ手順は残るけれど。二月末か三月早々に送り出せそうな按排である。
2005 2・16 41
* 着々作業は捗った。明日、中休みに、なにか食べに出ようかと想っていたが、仕事をちょっと睨んでそれも断念し、一気に明日で大きなメドを付けてしまいたい。責了にした新刊本が明日か明後日には刷了になれば、早ければ金曜土曜、遅くても月曜頃には出来てくるだろう。
2005 2・21 41
* 雨が来ていて、やがて霙か雪になるという。ほどよく切り上げて、温かく湯にでもつかって、……おっと、そこまで。あとは映画「JFK」でもゆっくり観て寝よう。あす出掛けるのはムリなようだ。本の搬入は、よくて土曜、来週の頭になりそうだ。
2005 2・24 41
* 月末、月曜に新刊が出来てくる。来週は発送。そして七日には、久々の言論表現委員会と電子メディア委員会とが、同じ午後に、引き続く。その週末には病院と電子文藝館の委員会。その週を跨ぐと、いよいよ勘三郎襲名の芝居だ、昼夜の楽しみ。たしか昼か夜かどちらかは、二階席最前列、真ん中。楽しみ。
2005 2・25 41
* 今回は発送用意も十分出来た。記念碑的な仕事を纏められ、満足している。いつもより多方面に寄贈したい。
2005 2・27 41
* 午後二時を過ぎてから新刊が届いた。すぐ作業を始め、夕食をはさんだだけで、ぶっつづけ十一時過ぎまで作業。かなり捗らせた。その間、そばのテレビがいろんな映画の音声と映像を流していてくれた。
昼間に見た無声映画の「第七天国」は、第一次世界戦争の純愛劇で、女優のJ.ゲイナーがすてきに愛らしかった。無声映画としては上々の部類ではないか、珍しくて、可憐純情、楽しめた。
晩には、リチャード・ギアとなんとデブラ・ウインガーとのこれも純愛もの、「愛と青春との出発」という邦題はちといただけないが、この品のいい美しい女優はだれだろうと思っていたら、さいごにデブラ・ウィンガーと出て仰天した。この女優、名優アンソニー・ホプキンス教授との恋と結婚と死とで、しみじみとわたしを泣かせた、丈高い、上品な夫人役を演じたことがある。同じ人とは想われないほど役柄はちがったけれど、まぎれもない品の良さは共通していて、途中で妻と、「綺麗な人だねえ」と感心しあっていた。
「ER」も見た。ずいぶん様変わりがしてきた。
2005 2・28 41
* よほど作業は捗った。三食をのぞいて、朝九時半頃から、夜十時まで。
作業の間に、昼間は「三匹の侍」という不出来な日本の時代劇映画を途中から。
気分直しには、美の極致というべき坂東玉三郎の舞踊をDVDで堪能した。「鐘が岬」「黒髪」「稲舟」「山姥」そして歌舞伎座での「鷺娘」。清元有り地唄あり荻江あり長唄あり。音曲だけでも痺れそうに美しいのに、舞い手は玉三郎。こっちの魂が宙に浮かびそう。
夕方にはお気に入りアネット・ベニングとマイケル・ダグラスの「アメリカン・プレジデント」を楽しんだ。そして、夜は。
2005 3・1 42
* もう新刊の届いた先もある。結局日付の変わる頃まで作業していた。今回は学会方面への寄贈を多くした。
2005 3・1 42
* 五時半に寒さでめざめ、部屋のガスストーブをつけて、また寝入った。もう春眠というか、暁も曙もなく、いぎたなく。すぐ作業に掛かり、もう一山で終盤。
2005 3・2 42
* さ、もう一踏ん張り。
* 今回は用意も良かったが、能率良く無事に発送を終えた。また一息つける。
* 御高著『湖の本 エッセイ33』をいただき、ありがとうございます。
谷崎潤一郎といえば「細雪」「痴人の愛」程度しか知りませんでしたが、世の批評家とは違う視点で、面白く拝読しました。
批評とは何か、も考えさせられ、怖いものだとも思います。
その批評家まで批評する評論を30年も前にお書きになっていたとは、改めて作家・批評家の秦さんのお力を思い知らされました。
書かれていないことを読む、谷崎作品読みの真髄ですね。
歌人お二人の谷崎和歌評も面白く拝読しました。
谷崎研究をするということはそういうことなのだと思った次第です。詩らしきものを書いている私も、肝に銘じなければいけませんね。短詩系文学の陥りやすいところかなと思いました。
谷崎記念館は芦屋に出来た由、研究会はどうなっているのでしょうか? 本格的な谷崎研究が本当に始まるといいですね。
今回も勉強させていただきました。ありがとうございました。 詩人
2005 3・2 42
* 湖の本エッセイ33『谷崎潤一郎の文学』を手にして考えてます。やはり”スキャン読書”かなぁと。
秦さんにはとうに不要と分かっているのですが、「湖の本」になると、この方法が、いいんですよね。わたしのスキャナやソフトは古いままですがまだ動いていますので、又ゆっくり楽しみます。ありがとうございます。
今或る経験をしています。自分の筆記体のフォントを作るハメになりまして、「教育漢字~第二水準漢字」までのセットを申し込んだら、1センチ升に手本を見て書けと、約8000字分の用紙がどさっと送られて来ました。練習用紙とペンとインク消し迄付いて。しまった! と思ったのですが仕方がないので、一字一字書いています。只今約5000字目辺りを進行中です。
第二水準漢字になると、おじさんには付き合いのない字が殆どですが、これが結構面白いのです。昔の日本人は偉いと思います。
梅は咲いても寒いです。早く暖かくなるといいですね。くれぐれもお大事にしてください。 chiba e-old
* 谷崎潤一郎論の金字塔です。文学史に残る素晴らしいお仕事です。以前より感銘を受け傾倒していました。心ゆくまで繰り返し読みたいと思います。
後記に、「発表のあてもなく汗だくで書下ろしていた頃には、認知はおろか活字にすらなり得ようと想えなかった。だが、自分自身を表現する為には、私は、小説を書くだけでは足りず、何としても谷崎潤一郎への思いを書かずにはいられなかった」とありました。
優れた創作とはかならずこのようにして生まれるものでありましょう。こういう強く純粋な動機がなければならないのです。自分を深く反省しました。
とても嬉しく思ったのはご本の最後の一行でした。
>> 今、私は、ただ静かに小説が書きたい。谷崎を愛読し、泉鏡花を貪り読みたい。
新しい小説が待ち望まれます。 春
2005 3・2 42
* 菱餅 枯木立に、雪が餅花のように残っています。ようやく雪は小止みになり、空が明るくなりました。ときどき雪しずりの音がします。
経理畑を勤め上げた父でしたから、何か考えや都合や付き合いもあったのでしょう。母がまったく知らされずにいた預貯金口座があちこちにあることが判りましたの。保険や介護保険の申請だけでなく、その整理にも追われ、さらに、通販など、(いま入院している)父の注文していた品があれこれ届き、看病以外にも、父に振り回されていたのですが、時間とともにひとつひとつ片付いて、母も、落ち着いてまいりました。
「ふたりで食べるとおいしい」と、雪の下になった畑から、大根や葱を抜き、病院の帰りに買い物をして、あれこれ料理をし初め、腰の調子がよくなってきた雀は、いつのものか分からない冷凍庫の食材や、半端に残っている乾物を整理して、三食が、しっかりしたものになってきました。
小豆があったので、お汁粉にしようかともちかけましたら、母が、さまざまな小片の餅の入っている袋を買ってきました。火が通りやすいので使い勝手よく、量の調整ができて食べやすいと使いつけの、のし餅の切り落とし、です。
それが、時節ですわねぇ、菱餅のそれでしたの。桃の節句の「前夜祭」に、おいしィいちらし寿司を奢って食べました。
お江戸に雪だるまマークがつづきます。どうかお大切に。 雀
* 書かれてあるなかみは、読む人により親しかったり疎遠だったりするだろう、が、こういう手紙の書き方は、まずメッタに誰にも出来ない。余分なアイサツも観念語もはしょったアバウトな投げ書きもなにもない。目に見え、ものの音や色や匂いまでが流れてくる具体への自然な接触。それが読み手の気持ちまで優しくする。わたしの此のとかくとげとげしくなりがちな「私語」世界の闇に、こういうメールが静かな灯をともしてくれる。「春燈勝花」と、今度の新刊のアイサツにも書いていた。「悠々逢春」とも。
2005 3・3 42
* 『湖の本 エッセイ三十三』受け取りました。代金は別送しました。
『藤沢清造全集』を一人で出すといっている人が、その方はもう何年も遅れているのですが、「けがれなき酒のへど」(『文学界』16年12月号所載)という小説を書いて、昨年下半期の同人雑誌優秀作に選ばれました。作者西村賢太さんとは、全集発刊案内に一文を書いての知り合いです。「なつかしい私小説」流です。
秋声記念館(仮称)。4月に竣工予定です。
小松市との最後のつながりは、『小松市史 文芸篇』です。近現代の散文部門を担当しています。陣出達朗(小松市出身)や山岡荘八(夫人が小松の人)などの資料が少なく、まとめるのに苦労しています。
建日子さんの『推理小説』を北国新聞の書評欄で見て、早速拝見しました。「かえるの子はかえる」のたとえにも似て、一味どこか違った読み味でした。テレビドラマも時々お名前を見ます。たまたま見たドラマのタイトルでそれと知るばかりですが。テレビやラジオでは、作者は全くの裏方ですから作者でチャンネルを選ぶことは困難です。新聞のテレビ案内にもはとんど出ません。(昭和30年前半、ラジオドラマを書きまくった? ころをなつかしく思い出したりしています。)
さて、ご要望の「メール」ですが、実は、昨年の暮れから設定してあるのです。ところがなかなかじっくりとパソコンの前に座っておれず、使い方にてこずっているのです。せっかくメールをいただいてもスムーズに読み取れず、また返信に手間取る(文字のインプット未熟のため)こと必定ですから、通信者をいらだたせ申さぬようにと、まだひかえているのです。3月の半ばを過ぎると、孫娘の高校入学試験(公立)が終わりますので、彼女にリードしてもらって、対応したいと思っています。
今年の冬は、ずっと家にいることが多いので、光熱費がかさみます。2月になってから寒い日が続いています。ただ体調だけはよいようで、軽いゼンソクで、月に1度通院していますが、ほとんど自覚症状はありません。
2月1日より町村合併で、住所表示が下記に変わりました。 以上 近況報告をかねてご案内まで。 石川県
* ワープロ打ちの手紙は初めて戴いた。これだけ打てるなら、もう機械は手に入っているのも同じ。習うより慣れろとはこの機械のこと。久しい北国の友が、 E-OLDの仲間入り、確実になった。嬉しい。この丹念な文学研究者には日増しに此の機械が役だって行くに違いない。
* 湖 今日届いていました。ペン字を眼に、打つこの動悸、聴こえますか。歳老いても、うれしく うれしい。
歳を経て、今日観てきた映画「アレキサンダー」では、少々屈折した性格の母親役が、眼に凄みがあり、はまり役でした。
四、五年前のトルコ旅行の折、イスタンブールのトプカプ宮殿で、フリータイムに、ハーレム見物へと賑わう人を尻目に、すぐ傍にある国立博物館へ、旅行中に知り合った同好の人についてきました。
最奥の、人気のない静寂な部屋に安置された、前3世紀以上昔のアレキサンダー大王のお棺(側近の高官のものとも)を観た時、血の気が退く程、金縛りにあう程の感動を覚えました。
こんな経験は度々あるものではなく。
真っ白な大理石の四方の側盤には、緻密で上品に美しい彫刻が施され、当然大王の凛々しい姿もあり、ツアーのつかの間の自由時間の事、名残惜しく立ち去ったものです。あのお棺が、アレキサンダーが、脳裡にあって、観たい映画でした。
マケドニアの王(フンフン、マケドニアって、何処にあるのやろか、から始まり)アレキサンダーはインドまで東征して、制覇したその国々の文化、宗教までもを略奪しなかったは周知の事で、成功した所以の一つであると。
それは、家庭教師であったアリストテレス(ウーン、アリストテレスと同時代なのか)の教えが大であるとか、只の権力者でない人を感じさせます。
まあ、昔々の実在の人を神格化した伝説、挿話も多々あるでしょう、が、大スクリーンで観るのが最適の、アメリカ、大スペクタル映画でもあり、楽しかった。
雛祭り、七段飾りのお雛様を出すのは、もう永年、重労働でカットですが、せめてちらし寿司でも、と昨日の内に具を沢山煮て用意しておいたので、夕刻、急いで合わせて、母の味、半分は娘の家に届けました。
伊豆お花見ツアーで取ってきた、菜の花が、金糸卵に映えて、鮮やかな春の彩になりました。
なのに、今夜は大雪なんて。 泉
* 今日は九時半に出かけ、三時過ぎに帰宅しました。それから片付けごとをして、五時すぎてやっと少し落ち着いたところです。あとちょっと片付けたら、今日の分が終わります。
しばらく一人でのんびり(長期出張の留守番を)していたから、今は慌ただしく感じるのかもしれません。そのうちペースができるでしょう。
「湖の本」新刊届きました。ありがとうございました。じっくり読ませていただきます。 花
* 桃の節句、湖の本が届きました。
「悲哀の仕事をしなさい」、とても優しく、とても厳しい。まだ(母を死なせた)悲しみは、どうしようもありませんが。
感謝。 鳶
2005 3・3 42
* 泉鏡花、教えてくださいましてありがとうございました。やったあ。
今まで、『高野聖』や『外科室』などの短篇集を読んだくらいでした。何しろ作品の数が多く、次はどうすりゃいいのと迷い、いつかと先送りしながら、とうとう読まずにきてしまいました。すっとは読みにくく、入りにくいけれど、一種の媚薬のような文体の印象を持ち続けていました。いつまでも粘りつくような作品でした。たぶん読めば読むほど好き、大好きになるでしょう。
「蛇くひ」は見つけられませんでしたが、「貧民倶楽部」のほうは手に入りそうです。早速注文します。
「あせっては、だめです。時間を掛けてもうこれで死んでも好いというところまで直し得ていたら、人の目も受け付けてくれるものですが、ただ活字にしたい認められたいを焦ってしまうと、せっかくの素材が毀れた半端なまま人目にふれてしまい、成るものが成らなくオソレが出ます。」
充分わかっていましたが、自分があまり認めていなかったような知人がデビューしたりすると、妙に心騒いで焦ります。
こんな質問をしたら叱られるでしょうが、それでも教えてください。魅力ある文体とはどのようなものであるとお考えになりますか。そしてまた、どうすれば、魅力的な文体を創造できるとお考えですか。 おお、厚かましくもスゴイ質問をいたしました。お許しください。 春
* 気軽にほいほいと飛びつく体勢では、鏡花の「毒」はのめませんよ。媚薬なんかではなく、魔薬です。その魅力を読み取るには、全身を明け渡すほど陶酔し同化して行かねば、所詮うわべの付き合いで終わる文学です。読んでいて、感嘆が自然に声になり言葉になってくるほどでないと。つまり文学とのオルガスムスで五体が波打ってくるぐらいでないと。知的に迫っても鏡花はだめです、理窟を言ってもダメなんです。
「文体」とは、文章に刻まれた美しい (価値ある・魅力ある) 指紋のことです。指紋は自分自身のモノで、他人と共有しません。書いて見つけ、自身を深く率直に涵養して見つけるしかないのです。文体をもつまでは本当の物書きではない。文章が綺麗なおベベを纏っているうちは、文体なんて見つかりません。誰でもない自分自身の輝く裸身、飾らなくても匂い出る美肌、それが文体です。裸になれない人には無理な捜し物なのです。
鏡花の本質は、虚飾と権勢と富裕に対する烈しい憤怒です。同じ藝や藝者や藝人をみても、その被差別世界への真実の涙と共感を書いているのです。ブルジョア世間や軍や政治家への、血を吐きそうな厭悪を書いているのです。その毒の炎を、何ともいえない絢爛たる文体の音楽で彫琢して行くのです。
戯曲・お芝居を、佳い舞台で観てみることを勧めます。
坂東玉三郎が、鏡花劇を深く愛して演じ演出しているのは、華麗だからではない。鏡花の根の怒りや悲しみを藝人として共有しているからです。鏡花の母方は能役者の家筋でした。父は名人肌のかざり職人でした。奥さんは藝者でした。奥さんの名前は、鏡花生母の名前と同じお鈴さんでした。
鏡花は、ふよぶよした世間者には、仮借ないリトマス試験紙になる。ほんとうに鏡花に憑かれれば、より深く遠く民俗学を学びたくなるかも知れません。
凄いほどの鏡花小説は、いい加減な読者は蹴飛ばしてしまいます。この半端者め、叩きのめしてくれんと。あまい常識で鏡花にちかづくと、きれいにソデにされますよ。 湖
2005 3・3 42
* 海外への送本を終えて、今回一応完了。「谷崎潤一郎の文学」「谷崎潤一郎を読む ―夢の浮橋・蘆刈・春琴抄―」「神と玩具との間―昭和初年の谷崎潤一郎と三人の妻達」の此の三つで、久しいわたしの「谷崎愛」は、ほぼ、完結としておく。すでに短編での評論やエッセイも以上の中に十数編加えてあるし、湖の本に未刊の谷崎論がまだ幾らか残ってはいるけれど、いずれ『作家の批評』などとして纏めるときがあろう。
2005 3・4 42
* 悠々春に逢ひ 欣々花を探る。江戸は勘三郎の春芝居、京は春燈に揺れる夜桜。新刊の谷崎論、好評。
2005 3・5 42
* 『谷崎潤一郎の文学』湖の本・エッセイ33を御恵贈くださりありがとうございます。
早速、拝読しております。
こちらは愛知万博を前に、次々と観光スポットが作られております。
私が非常勤で勤めております愛知県立大学は昨日からリニアモーターカーの「万博会場」駅で降りることになりました。
駅を挟んで会場と大学。思いの外、両者を分ける道が太く見えます。ほんの数十歩なのですが。この視点から見えてくる万博を、楽しんでみようかと思っています。
季節の変わり目です。御身体ご自愛くださいませ。ありがとうございました。ペン会員
2005 3・7 42
* 秦先生 湖の本、ありがとうございました。
このところ気ぶっせいに慌ただしく暮らしており(と言うほど忙しくもないのですが)、頂いておりながら、まだ読み始めたばかりです。
谷崎は、どことなく隠微でありながら活力溢れたあの雰囲気がどうにも馴染みにくかったのですが、この御本をきっかけに少し前向きに対そうかな、と考え始めております。
このところ、古墳壁画関係の仕事にどっぷりと浸かっており、月に何度も出張しています。
もともと紙本や絹本のものの方が好きで、じっとりと湿った地面の中にある壁画には絵としては「すばらしい!」という感動は持つものの、そこまで強い愛情はなかったのですが、この一年ほど深く携わったことで、少し前に転機が訪れました。
年が明ける頃、現場に行く道すがら、居ならぶ小さな丘を見て、「もしかしたら、まだまだ眠っている絵があるのかも」と痛切に思った時です。
この感情をどう表現したらよいのか…難しいですね。
昔、長野の高原で、夜中に車を走らせていた時に、突然カモシカが現れたことがあります。
その翌日、帰途につく際に後ろを振り返り、山々は無言でいるけれど、その懐の中で、秘やかにたくさんの命たちが抱かれていると思った、その思いによく似ています。丘たちは、何も言わずに何百年も瑞々しい絵をその懐に抱え込んでいるのだ、と。その時代の人たちが、ふと、まるで顔なじみのように身近に感じられ始めたのです。
仕事をしている上で、どう考えても説明のしようがないような事象にあたったのもその頃です。誰もいなかったはずの時間をはさんで現場に行ってみると、そこにあったものが変化していたり。
昔の人たちは「本当にここにいたんだ」と、しみじみと実感しつつあります。古代史の本をひっくり返し始めたりもしています。
しづもれる丘は無言で並び居て永久(とわ)の眠りを穏(おだ)しく抱けり
先日、勘三郎襲名のテレビ特集を見ました。娘が生まれてからすっかり行かれなくなってしまいましたが、久しぶりに勘九郎の「高坏」を目にしてご機嫌。
8年か9年前のお正月、文七元結は4回見に行きました。ああいう三枚目をやらせたら、今の役者で勘九郎の右に出る者はいないですね。
スポーツ選手にしろ役者にしろ政治家にしろ、時として「この人と同じ時代に生きてよかった」と思わせる人物がいますが、今の歌舞伎で私にとってこういう人物は、(中村)勘三郎と(坂東)玉三郎です。勘三郎と同じ時代に生きている幸せを噛みしめています。
同じ番組の中で、七之助が付き人として襲名興行を迎えたことも知りました。
聞いた途端に、「見事な落としどころだなぁ」と。
昔、日本舞踊を齧っていた身として、舞台の袖や楽屋で同じ空気を吸うことで、どれだけ多く深くを学ぶことができるか、よくわかります。もしかしたら、別の楽屋でドウランを塗って衣装を着替えて同じ舞台に上るより、もっとたくさんのことを吸収できるかもしれない。
だから、私は先生のように七之助を「気の毒な」とは思わないのですよ、だって勘三郎はそこまでの計算をできない人ではなし、その計算をもとに絶妙なポジションを彼に用意してくれた、その愛情だけでも、私だったら涙が出るほど嬉しいと思うのです。
もちろん、息子として父の口上で横に並べないのは哀しいことではありましょうけど。(それ以前に、彼の行動は確かに軽率ではありましたが。)
またしても長くなってしまいました。
娘と先日五回目のお節句を迎えました。ちらし寿司の手伝いをしてくれた娘に、歳月の流れを感じます。
今日はあたたかですが、まだまだ寒さも続くようです。どうぞご自愛下さいませ。 卒業生
* 同感。わたしは、後見に出るというのを知らなかった。「重謹慎」かと思っていた。せめてものこと。心掛け次第ではこの人の言うように大きな体験になる。よかったし、よそながら有りがたい。
湖の本を送るつど、こうして便りをもらうのが楽しみ、そしてたしかな「歳月の流れ」を感じる。谷崎の真価にも触れていってもらえるとなお嬉しい。「蘆刈」と「細雪」と「少将滋幹の母」と「陰翳礼讃」とをすすめたい。
2005 3・7 42
* 拝復 通算第八十二巻の「谷崎潤一郎の文学」(湖の本エッセイ)を拝受、有難うございました。たんたんと積み重なってゆく、この丹誠のかたちを見ながら励まされもし、また秦さんの偉大さをも思います。私は一九三○年の生まれで、西暦は自分の齢を数えやすいのですが、気がついてみると七五歳になっています。物忘れもふえましたし、脚力も弱くなりました。
ただ昔読んでもピンと来なかったことが、今になってなるほどこういう事かと肯けることも増えてきました。老いは一面ではたしかに年の功を与えてくれます。そういう点でまだやれることかん゛残っているのが、不思議な気もします。秦さんの言う「読み解き」がそれです。 名誉教授
* 学会誌に、それこそ「藝の魅惑と本質」をつかみあぐねて投稿できませんでしたこともあって、「谷崎潤一郎の文学」巻頭から魅き込まれました。陶然とさせていただきました。感謝申し上げます。 国文学者
* 昔年の研究の達成、敬服いたします。改めて学恩にあずかりたく思っております。「花咲くものの根の世界」「百千億無際涯の変化を直観する。」「書かず表す」世界のなんであるかを、私なりに考えてみたいものと念じております。 国文学者
* 秦さんの谷崎愛に触れ、また自分の理解の浅さを痛感しております。なんと浅薄な読み方をして来たか! あらためて谷崎文学を読み返そうと思いはじめています。 作家
* こういうメールやお手紙を連日数多く頂いている。有難いこと。
2005 3・7 42
* 谷崎は大好きですので楽しく拝読、ことに和歌についての御論は大変得るところ多く存じました。鎌倉末の新風京極派和歌を研究対象としている者と致しまして、これに対抗した平凡、月並とも目される二条派和歌の本質の追究が必須であり、しかも困難である事を痛感して下ります折から、はるかにこれに通ずる谷崎の和歌を分析評価して下さいました事を非情に有益に存じております。厚く御礼申上げます。春めいてまいりましたがなおくれぐれも御大切に かしこ 名誉教授
* やはり和歌学の島津忠夫京都文化博物館館長からも、「特に『谷崎の歌』は私にとってありがたいものでした」と。
国文学の研究者や学会員に多数送ったので、関聨の本が読みたいなど、各地からの嬉しい反応が多い。また著書・研究などを送ってきて下さる人も次々に増えている。佐藤悦郎氏の懐かしい中河与一研究の何冊もなどことに嬉しいし、井上二葉さんの堀辰雄らを論じた視角のするどい研究書も、読ませて貰うのが楽しみだ。
「また谷崎かあと思いつつ、谷崎の味読の面白そうな小説をまた読みはじめたい」などと反響があると、ほんとうに嬉しい。わたしのワキで、谷崎先生の、河内山宗俊めく睨み顔も、少し温和に見えている。
2005 3・10 42
* お疲れさまでした。 秦恒平先生 たいへんご無沙汰いたしております。
このたびは、また「湖の本:谷崎潤一郎の文学」をご恵投たまわり、まことにありがとうございました。拝読いたしましたが、実に大変な力作で、感服しております。わたくしは個人的に、谷崎こそ日本が世界に出して恥ずかしくない力量の作家だとひそかに考えているのですが、ご高論でますますそういう気がして参りました。わたくしのように西洋の科学に日常接している人間はかえって、いかにそれを乗り越えるか、という課題と対決せざるをえないのですが、やはりそれは日本の伝統によるほかはないのかもしれません。
それにしても、先日、ユリイカの谷崎特集が史上最低に近い売り上げだったという噂を聞きました。もし本当だとすれば情けないことであります。ろくに文学を知らない若者の本がベストセラーになっても、出版社が利益をえるだけで、日本の文学は駄目になってしまうのでは、と懸念されます。
さて、申し遅れましたが、電子メディア委員長をへて電子文藝館館長という激職、ほんとうにお疲れさまでございました。わたしくなどはまったくお役にたてず、恐縮し平身低頭するほかはないのですが、ただ先生はじめ委員の方々への敬意だけは持っているつもりでおります。とりわけ、電子文藝館を創設された先生のご業績は後世に残るものと確信いたします。
お目の具合はいかがでございましょうか。どうかこれからも正統な日本文学のためにご尽力いただき、後輩をご指導いただきたく、心からお願いを申し上げます。
以上、御礼ならびにお願いまで申し述べます。 ペン会員・東大教授
* 今年はペン総会が五月二十三日で、それまで新執行部も新理事もきまりません。選挙された理事はもう決まっていますが。ペンにはまだまだ私の発言しなくてはならぬ場面が幾度もありそうなので、理事は引き受けようと思っています。
委員会の方、新会長がどう考えるかまだ分かりません。しかし、こういうことは間際の意思表示は誰にも迷惑なので、早めに申し出ました。
いまもなお、残り少ない任期の間に、一本でも多く好い樹木をうえて去りたいと、起稿したり校正したり校正往来したりしています。ほとほと疲れましたけれど、イヤイヤ、シブシブやっていたわけではありません。文学に触れていられる仕事からは、いつも多くを養われます。
谷崎の仕事に眼を止めて頂けましたこと、無上の喜びです。無欲無心にしていた仕事ほどながく愛着があるものですね。これからは、論じるより愛読することでまた谷崎先生と仲良くしたいと楽しみにしています、視力がゆるしてくれるのを願いながら。
ますますのご活躍を期待し、ご健勝を祈ります。ながらく、ほんとうに力づけて下さりありがとう御座いました。
2005 3・12 42
* 湖の本『谷崎潤一郎の文学』 いつもながらの御厚情感謝のほかありません。戦時下『細雪』の発表が中止になった記憶をもつものとして興味深く読ませて頂きます。東京人でありながら震災後阪神間に住んだ谷崎と、京都で人となられた貴兄が主題としてお仕事を進められていることに、神戸そだちのわたくしが感心するのは、我ながら面白く感じます。春寒料峭なお暫くは殊に御自愛下さい。 東大名誉教授 政治学
*「谷崎潤一郎論」を大へん嬉しく拝読、殊に源氏物語との関係の所、御教示にあずかります所多大で、有り難う存じました。御礼申し上げます。 東大名誉教授 国文学
*『湖の本 – 谷崎潤一郎の文学』 御授恵に与り深く感謝します。谷崎潤一郎のものはこれにて完結した由、拝読感銘いたしましたが、さらに驚いたことには、十八年余に亘って、すでに八十三巻を継続慣行しつづけられたということです。しかも種々の雑誌へのご執筆もなさっていること、ただ感服するばかりです。市販のエッセイなどもかくも多数とは……と呆然とするばかりです。ご活躍のことは存じておりましたが、改めて教えて頂きまして深く敬意を表します。小生もパンフレット形式の月刊誌をやっておりますが、啓蒙的なものに過ぎず、ただ恥ずかしいばかりです。谷崎潤一郎について関心はありましたが、断片的なばかりでした。此度の御著作感銘仕りました。それにしても継続的に谷崎文学について考究されていたこと、これにも改めて敬意を表します。小説家とばかり思っていたものでしたので、驚きも一入です。
小生の無知をお詫びします。御礼まで。 短大名誉教授 作家
* 『谷崎潤一郎の文学』ありがとう御座いました。拝読して久しぶりに格調と品位のある日本語に触れる事が出来た喜びを感じております。
私は以前、三島由紀夫氏の作品に関心を持っておりましたので、巻頭の「谷崎潤一郎論」の「谷崎と三島」の章から、一気に読み進めました。全体の中でも、この御論文に教えて頂いた事が多かったです。特に谷崎文学に於ける「繰り返す」という営みが、日本の芸道、芸術の根本理念にある事、それが「物狂い」に昇華され、「同ずる」事を求める美と価値の体系に帰着する論旨に感銘致しました。正に目の覚める思いでした。
そして谷崎氏は、その伝統と、他のものとの併存を希求されていた事に、こうした偉大な美意識を体現された先人を持つ日本人である事に、嬉しさを感じました。
本当に素晴らしい御著書を有り難うございました。今後とも、御指導の程よろしくお願い致します。 大学教員
* 今度の湖の本は、論文の「質」にわたっての反響多く、近代・現代の若い学究からずいぶん多くお手紙をもらって、刊行への支援もことに目立つ一冊となった。打てば響いたという嬉しい実感に満たされ、感謝している。 2005 3・25 42
* 過日は湖の本『谷崎潤一郎の文学』を御恵贈 さて、拝読致しまして、タイヘン感動いたしました。特に、「谷崎の妻 神と玩具との間に」は、、非常に面白く、またて学ばせて頂きました。実は、私も、大学三年のゼミで谷崎をとり上げ、講じた経験がありまして、十年も前のことですので、今となっては遅いのですが、もっと早く先生の御論文にに接することが出来ていたらの思いが、しきりでございました。実際、今にして思えば谷崎研究の資料が、たしかに限られていたようでしたし、ワタクシノライフワークである川端康成に比しても少なかったという記憶がございます。谷崎研究では、岡本の旧居や、お墓にもまいりましたが、もっと文献そのものに身も心も注ぎ込まなければ、ということを、先生の御論考を拝見して強く感じ、多くの学恩をいただきました。ありがとうございました。暫く遠ざかっていた全集を、再び、これから少しずつ読み返していきたい意欲も湧いてまいりました。
何れ先生の『谷崎潤一郎の文学』研究は、一本に纏められることと存じますが、かつてない研究資料として多くの研究者に喜ばれることと存じます。もちろん私も御刊行を待ち望んでおります。
今後ともよろしく御教授のほどお願い申し上げます。 国文学名誉教授
* この手紙には少し愕くところがあった。
わたしは一介の小説家、世間のだれも文学の研究者・専門家だとは思っていない。一方この手紙の方はれっきとした専門家である。研究者である。わたしの方が学恩をいただいて普通なのである。現にわたしは研究視野の仕事を、人なみなみでなく多く読んできている。
ところが湖の本でああいう形で出してみると、専門家が「学恩」を頂いたと言ってきてくださる。こういう反転現象に、この世界でのわたしの、変にねじれたレーゾンデートルが出来ている。自慢ではない、少なからぬ困惑である。
十年前の谷崎講義に、この手紙の方は、わたしの谷崎論を、全然ご存じなかったらしい。だが、わたしの谷崎論で世評を獲た、とにかくも「谷崎愛」作家の仕事として学界にも認められていた(と思ってきた)文章は、十年前なら、ほぼ残りなく単行本として出ていた。筑摩叢書のように著名な叢書にも加えられてきた。湖の本は、それの、手に取りやすい形での復刻・再編なのである。むろん新しい一般の読者には初お目見えするでもあろうが、谷崎を大学で講じるほどの先生には目に触れていて欲しかった。だが、なかなか、現実はそう甘いものではない。
そもそも専門家・研究者は、しろうとの門外漢の、研究分野への発言を本能的に疎んじ嫌うヘキがある。さしのべても簡単には触れてきてくれない憾がある。我が事としてよりも、もっと広い学問分野で、そういう残念な例をしばしば見聞する。わたしなどの横目で眺める限り、外野の篤学の仕事の方が抜群に優れている事例は、現に、また厳に多く実在するのである。
だが、専門家ほど、それらを読んでいないか、読もうともしていない。研究家の本能であろう「博捜」という網の目からも意識して洩らしているのが「門外漢の仕事」なのである。ムリもない、が、少し情けないと思うことが、これまでにも多かった。
* 今度の谷崎論は、或る現代文学専門の学会員に、ほぼ一律に呈送してみた。同学同好の人達のこと、せめてわが谷崎論を知ってくれる人達、まして読んでくれる人達が、一人でも二人でもと願い、ムダも覚悟して多数を趣旨送本してみた。
なんと有りがたいことか、予期し期待していた数倍もの、それ以上もの新しい読者に、この新刊は支援されたのである。読んで裨益された刺激を受けたという感想がざあっと流れ込んできた。大方が若い学会員なのであろう、むろん大方が初見参の仕事であった。遠い昔の本を手にする、目に触れる機会も無かったのだと思われる。出逢いが得られたのは嬉しい限り。
* 谷崎松子夫人が、生前に、どんなに谷崎文学記念館の実現に奔走されていたかを、わたしは、ご本人の口からも何度もうかがい、また激励もさせて貰ったが、奥さんの、また私の希望も、本当は東京の中央区日本橋界隈に、つまり谷崎の生まれ故郷の地に出来て欲しかった。谷崎と芦屋ないし関西の縁はあまりに深いし、松子夫人ももとより関西の方であるから、現在芦屋にある記念館はよき所を得ているには相違ないにしても、これを「谷崎文学」「谷崎研究」という観点から見ると、ぜひ、東京の地の利とともに、単なる資料展示を超えた文学研究の拠点としての活動が願われたのである。奥さんはよく分かってられた。だが、残念にも機運がうまく動かなかった。
* 長谷川泉のような巨人がいたので森鴎外や川端康成研究は、豊かな実績を積み上げてきた。それは泉鏡花研究における村松定孝氏にもあてはまる。また相次ぐ新保千代子・井口哲郎館長の尽力よろしきを得た石川近代文学館の、重厚なほどの文学研究の実績にも同じことが言える。
そういう例からすると、谷崎潤一郎記念館から発信されるものは、まだまだいかにも薄いし軽い。大学院生レベルの同好会を、質量でも意欲でも、出ない程度のちいさな「囲い込み」状況に陥っている。全国の学究を蔽って学会にまで、せめて研究会にまで立ち上げていける、そういう大物の「谷崎学者」が各地から出揃ってきて欲しいものである。そうでなければ、いつまで経っても完璧な谷崎全集は出来ないだろう。早稲田の千葉俊二君など、学生の頃から再々我が家へ顔を見せに来た谷崎専攻生で、師匠の紅野敏郎さんにも頼まれ、ことごとに声援を送り続け期待してきたのだが、教授になってしまうと世渡り煩雑なのでも有ろう、看板の「谷崎学」実質はむしろ薄まっていないか。
2005 4・4 43
* 謹啓 今年も美しい花の季節が巡ってってまいりました。
先頃は、御高著『湖の本 谷崎潤一郎の文学』を頂戴いたしまして、誠に有り難う存じました。すぐにも御礼申し上げるべきところ、自らの怠惰でさゆえ、こんなにも遅くなってしまいました。失礼いたしました。
今年見ました経の桜を想いながら、御高著を拝読させて頂きました。かねてより、三島由紀夫の「近代能楽集」について考えておりますこともあり、「美の極致を一定不変なものとして、いつの時代にも繰り返し繰り返しそこへ戻って行く文学」への谷崎の志向について、たいへん興味深く、教えられるところ、多々ございました。
これまでわたくしは、こうした作家の精神・創作のあり方について、古き佳きものを学び、まねぶといった、方法意識の観点でのみ理解しておりました。そして、そこから生み出される”新しさ”が何であるのか、どう作家が”前進”しえたのか、そのことばかり見出そうとしていたように思います。このたび先生の御高著を拝読いたしまして、”繰り返し”そのものの意味について、自らがいかに考えていなかったか、思いいたりました。
考えてみれば、「卒塔婆小町」にしましても、「豊饒の海」四部作にしましても、生の繰り返しの中で、登場人物たちの生が昂揚する瞬間や、其処での希いが、描かれていたように思います。登場人物の生が昂揚する一瞬は、しかし訪れない、ただ、それゆえに登場人物達は、生が、或る出来事が繰り返されることを祈る。繰り返しは、三島文学においても重要な一つのモチーフだったように思いますが、三島の場合、繰り返しの中にすでに含まれている美しい瞬間、至福の時間を読者に示し得ているのかどうか……。(個人的に)そんな事などを、先生の御本に触発されて、思いを巡らしたりいたしました。
末筆ではございますが、秦先生のますますのご健勝をお祈り申し上げます。女性研究者
* 春の香気の匂うような嬉しい初便りであった。
2005 4・20 43
* 新しい次の「湖の本」の、満足な編集ができたと思う。
2005 4・26 43
* 一気に仕事を前へ送り進めた、が、まだまだ。
2005 4・27 43
* 今日、「花と風」「手さぐり日本」「茶ノ道廃ルベシ」そして「糸瓜と木魚」「蝶の皿」を注文して下さる方の入金もあった。そしてまとめて今後十冊分の前納も。こういう読者にありがたく支えられ、支えられている。
もっとも、何冊分も送金がなく当惑する例もある。心知った仲と思い合う人に、つい、それがある。
2005 4・30 43
* 黒いマゴに、朝ばや、足の爪先を咬んで起こされ、そのまま起きた。校正刷りをもってどこか喫茶店に入ってこよう。歯医者どまり、しばらく街へ出ていない。
2005 5・2 44
* 長い跋文を書いて入稿した。大勢には所詮「念仏」のようにしか伝わらないかも知れないが、この辺で書いておいてもうイイと思った。
今日もどこへも行かず、散髪してさっぱりした。今週水曜には午前の眼科、午後一番の糖尿病の診察があり、引き続き、十八代目新題勘三郎の襲名興行もある。
2005 5・8 44
* 鬱は上手に宥めるしかないけれど、厄介なものです。どうぞ明日診察の後は大いに気分転換されますように。ただし、大食漢はいけません。老婆心、しつこい老婆心で申し上げます。お体本当に大切に。
友人と外にいました。家に戻ったのは五時過ぎでしたろうか、勝尾青龍洞さんをインターネットで見ながらついつい時間をつぶしてしまいました。外はまだ明るく、子供たちの遊ぶ声がしきりにします。
椿も桜も山吹も藤もみな咲き終わって、今は薔薇とラベンダー。
日曜日に園芸店でスノー・ボールという、花は大手毬に、葉はアジサイ? のような花木を買いました。ボストンの家々によく植えられていて楽しんだ花ですので、懐かしくて、思わず買い求めてしまったのです。とうもろこしやオクラ、ズッキーニも順調に育って、あまり広くもない庭はもう満員御礼の状態です。それでも何かしら買ってきてしまう・・。 鳶
PS 大事なことを書き忘れていました。
五月九日の「春」さんの指摘 「今回印象を強くしたのは、秦恒平の谷崎論は、谷崎を語りながら秦恒平自身を何より表現しているということでした。これは秦恒平自身による秦恒平論でもあるのです。」に対して、「これは、射抜かれたように精確な批評である。そのつもりで書いていたのだから、みな。」と書かれています。
そのことは源氏物語に関するさまざまな論についても、言い得ることでしょう・・そして他の小説や論考にあっても勿論言えるのです。
鏡花世界・・「もういかなる論議や批評も関係なし、美だの倫理だの伝統だのも関係がない。」・・そう言い切る、その鏡花の世界と近接しているであろう、秦恒平自身の世界を書くこと。(なんと下手なわたしの表現か)そのことだけが秦文学の終に遂に目指すもの・・なのでしょうか?
鏡花の凄み・・についても大いに考えさせられます。
「節操など、破れるだけ破ります」と言い切る女には、深く明確な道筋がある。そういう強さ、凄さに目を見開かれる思いがします。 鳶
* 遂に目指すもの――。たぶん、そうではなかろうと想っている。はためには、なんだ巫山戯てと叱られるような。次回「湖の本」の跋文で、すこし、わたしは答えている。まるで別のことを答えたのかも知れないが。
2005 5・10 44
* 四月をのんびり遊んだためというのではないが、五月六月は(楽しみも実は満載だが)火花の散りそうに忙しくなる。ドカーンと仕事がつぎつぎ積まれてきた。さ、奮闘しなくては。この年になり、よく遊び・よく勤め、をやる、七月上旬まで息が抜けない。
* でも、今夜は寝よう、早く。朝が早かった。明日は校正をかかえて外出するか、家でもうはや通算八十三巻の発送準備にとり組む。
2005 5・11 44
* 発送前の作業に入る。校正も幾つも輻輳してくる。それなりに気構えはしているが、さて、何でもない。明日は木挽町でとことん楽しんで。明後日は五回目の歯医者。朝早やに「湖の本」再校が届いてくれると好都合なのだが。
2005 5・12 44
* 十八日までに校了にして欲しいと印刷所から。さ、これは大ごとで。ただもう読みに読んで、責了紙に仕上げなくては。かなり厳しい、が。
* 終日集注して校正、校正。かなり濃厚な行文ゆえ、内容にわたってしっかり読んで行くには、自分の書いたモノでありながら力が要り、目の玉がギンギンしている。
2005 5・14 44
* あさってには、期待の楽しい来客がある。また眼科検診があり、昭世の能があり、バルセロナの若い友人とも会う。二十三日は、例年より一月おそくなったペンの総会の日。前理事会を開き、総会で新会長以下の承認を得て、新理事会を開き、そして晩は懇親会。それまでに、「湖の本」新刊上巻の責了、ひきついで発送用意と下巻の初校などが輻輳する。六月には上巻発送、京都での三連続の仕事、その他あれこれ既に予定されており、桜桃忌過ぎから月末までには、下巻責了、発送用意、発送とてんてこ舞いが続く。その間には、新委員会にも呼び出されるだろう。なんとか無事「ペン電子文藝館」の委員長職を新しい人に譲り渡せるように切望している。
2005 5・15 44
* 頑張って、湖の本新刊責了のための再校を一応終えた。さらに念を入れて目をくばり、目次とあとがきの再校出を待って戻すつもり。
2005 5・15 44
* さ、今晩は、圓生の「髪結新三」を聴きながら、階下で手仕事をはかどらせたい。
2005 5・15 44
* 湖の本のツキモノと本紙とを責了で送った。あとは目次とあとがきの再校を待っている。下巻が相次いで後続するので気忙しい。読者への挨拶書きも責了先行で後れており、どこかの鉄道会社とはちがうけれど、わたしの馬力で追走し後れを回復しなければならない。上巻本の出来予定まできっちり二週間。今週も来週も外出の予定が輻輳しているので、予断をゆるさないが、かなり厳しい。
2005 5・16 44
* うらうらと晴れて明るく、気持ちがいい。仕事、追いついてきた。今日はこれから来客。明日は眼科診察を受けに行く。
* 昨日来、久しぶりに三遊亭圓生の「髪結新三」「中村仲蔵」「淀五郎」「猫忠」「豊竹屋」をテープでつぎつぎ聴いて、たっぷり堪能した。
2005 5・17 44
* 出がけ間際に目次と跋文の再校が届き、大急ぎで速達郵送の封筒の用意をし、糊づけの糊ももって、家を出た。新富町まで地下鉄の中で十分読み、責了にして封入、聖路加病院のポストへ投函。
眼科は、眼圧検査、散瞳薬で眼底撮影、視力検査、そして診察。十時半予約に十時過ぎに外来に入り、終えて、しっかり二時間はかかっていた。ま、横ばい。なんとやらヘモグロビン値がもう少ししっかり下がると眼の方へも好影響が望まれるんですがねえと。
池袋へ戻り、六月の京都行きの切符を買い、東武地下食品売り場にあ寿司岩のカウンターで、飯は少なめに特上、ビール小瓶。鯛と烏賊一貫ずつ追加して満腹、帰宅。駅から家まで早足で歩く。まだ散瞳のあとひきで視野が白っぽい。
2005 5・18 44
* 妻が聖路加への留守に、用事をこつこつと済ませていた。もう帰宅する頃、入れ替わりにわたしは千駄ヶ谷の能楽堂へ友枝昭世の招いてくれている能「安宅」を楽しみに出かける。
発送の用意も、上巻分はともあれ間に合うところまで、しかし直ぐさま追いかけて下巻の校正を急がねば。
明夕、バルセロナと、二年ぶりか知らん。その前にも、校正刷りを持って早くに街へと思っていたが、これはやめにして、昼過ぎまで、家での作業にあてる。
2005 5・19 44
* 月様 読むこと、書く(投稿)ことへの気が削がれて、あっという間に半年近くになってしまいましたが、一週間前から「清経入水」を再読し始めました。
校異も重ね読みながら、ゆっくり、じっくり、言葉を味わいながら、読み終わればまた始めへ戻り、と。
田舎の山育ちゆえ、丹波と地域は多少異なっても山中の情景は想像できますし、宮島(厳島神社)も、岩国在住の折に幼い子供たちとオリエンテーリングで島内を巡った懐かしい思い出を重ねていました。
みーさん(蛇)のこと。こちらの方言では「やどいし」ともいいます。どんな語源からくるものか確とはわかりませんが、「宿る意思」が訛って「やどいし」になったのなら…。
アダムとイブの楽園にも出現し、古代から毒を有するゆえ悪邪にされたり、龍に変化する水神と崇められていたりするけれど、化身として扱われ始めたのはいつごろからなの? なぜ、みーさんだったの? 古代からの生き物で、脱皮する様(抜け殻)を見たから? スルスルと何処へでも入り込んでいくから? 生き物を丸呑みするから?
でも、「執念深いから」というのは何を拠りどころとしているのかしら? 鬼も…、考え始めると???
そんなことどもを想いながら、今はまだ、そのあたりをウロウロしていますが、親子の情愛へも身を添わせていきたいと。なかなか清経さんから抜け出せそうにありません(笑)。
まだまだ肌寒い朝夕もあり、昼間との温度の差が大きい昨今です。どうぞ、御身ご自愛くださいますように。
御本、楽しみに致しております。 花籠
* なんで「清経入水」を書いたのだろうと、書くにいたる必然は十分自覚していながら、ときおり、楽しむように穿鑿していることがある。
あんなものは書かなければ良かったという作品を、わたしは、幸せにもほとんど持っていない。しかも小説を書く、書き続けるとは、怠惰なマンネリズムに陥らなくてそうなら、一種「狂」を発しているのである。尋常な神経で狂言綺語を書き続けられるわけがなく、恩寵のもたらす狂気としかいいようがない。そういう狂気の作品ならどこか輝いているが、凡庸に普通の、たとえば功名心やただの好奇心でだけで書かれる創作に、力は漲らない。物狂い、ぜひ必要になる。
2005 5・23 44
* 気温と服装とお天気・元気が合っていたのか、街は一日快適だった。仕上げは「福助」の佳い寿司と酒とでさっぱりし、コーヒーは、線路下のスタンド「ベッカー」で、チョコ・クロワッサンを一つ、ほの甘くてよろしかった。有楽町、銀座、日比谷辺が、いまぶんいちばん気持ちが落ち着く。そして持参の校正も、往来の車中ふくめて、ほぼ予定通りはかどらせた。
2005 5・25 44
* 上巻の一部抜き(刷りだし)が届き、下巻の初校を返送した。
* ごく内輪の酒飲み仲間の読書会で『冬祭り』を読みますという報せがあった。何人かと聞くと、六人と。それならテキストは寄付しましょうと、上中下都合十五冊を送った。
* 読書会「出水」について。 わが読書会は、結成して今年で20年になりました。会員は、地元の者ばかりで6名です。各会員の家を不定期に回っています。当番になった会員がそのときの課題図書を決めます。約一カ月前には決定し、合評会までに読んでおく事になっています。しかし、殆どはお酒を飲む会です。始めて飲んだ純米酒・賀茂泉(広島)が水の如しであったことから、泉から出水(いづみ)と会を命名しました。そのため、第一回の親睦旅行は、熊本の、鶴が飛来する出水市に行ってきました。
太宰治の斜陽館や中原中也記念館、北原白秋記念館等々を4度にわたり旅行しました。来年度は、北アルプス・安曇野辺りを親睦旅行したいと考えています。
五年後に退職となり、その暁には小さな(仮称)日本現代文学館を設立したいと考えています。江戸時代の文化的サロン的なものにしたいと考えています。
蠣崎、木村、菅茶山が営んだような地域住民が集えるようなものを考えています。夢の夢ですが・・・。
ありがとうございます。かえってあつかましい事になった気持ちでいます。 先生の暖かなお気持ちを遠慮なく戴くことにしました。本当にありがとうございます。次回は年長の会員が当番で、この会員は、ジャンルが広く読書量が大変多い者です。課題図書として『湖の本』が直接会員に渡せ、読んでもらえることになれば、大喜びしてくれるでしょう。 三重県
2005 5・26 44
* 本の発送は月曜から。発送の用意はまだ完全には出来上がっていない。あと二日半。なんとかなる。上巻の発送は比較的簡単に終えるだろう、上下巻一緒に送りたい人が多いので。下巻発送の用意にきっと長く掛かり、量も容易でない。
2005 5・27 44
* さ、発送用意は出来た。明日は午前にまた歯医者へ行く。
2005 5・27 44
* ジーン・ハックマンらの「エネミー・ライン」という戦闘映画を見ながら、寄贈大学と寄贈者への宛名貼り込みをしていた。この配本は、講読してくださる方々への送付だけでなく、一つの文学活動として広範囲への寄贈も大きな意味を持っている。誰に寄贈するか、試験的に送本するか、それを決めて行くのに、痛くなるほど毎回アタマを使うのである。今回上下巻を送り終えると、通算して八十四巻に達するが、これがどんなに大変なことか、積み重ねた在庫の嵩を想うだけで、当のわたしでさえため息が出る。機械の中にアーカイブするのととは物理的にまるでちがうのである。
おそらく、「百巻」はその息の根をとめる限界であろう、そこまでも達しうるかどうか。来年には創刊して満二十年になる。今のうちに全国の力ある高校図書室へも寄贈して狭まる一方の家の中を寛げられないものか、思案している。高校を選ぶのは出来るだろうが、荷造りが容易でない。本はあまりにも重い。
2005 5・29 44
* 静かな、線香花火の散るような雨が来ている。もうすぐ、昼少し過ぎには新刊の湖の本が届く。発送で、てんてこ舞いする。今回は上巻。二冊分のすでに入金されている方々にはかえって申し訳ないが、下巻と一緒に送らせてもらい、乏しい送料(一冊百円。むろん足りない。)を少しだけ節約させて頂く。そのために作業は下巻の時がかなり輻輳する。初読の方には、きっと再読の方にも、今回の「日本を読む」「わが無明抄」は面白く読んでもらえるだろうと想っている、そして単なる読み物ではない、深く進まれればかなり手応えの厳しい内容になっている。ご期待ねがう。
2005 5・30 44
* さ、本が届いた。
* 正午過ぎから、ひたすら作業をつづけて、夜十一時半まで。初日に能率を上げてしまうのが、こういう肉体労働では結果がいい。しかし頭痛がするほど、疲れた。
夜前から、今夜へ、だが思いもかけない息吹にふれはじめている、気が触れてきたのだろうか、不思議な気分。ワケが分からない。
2005 5・30 44
* さ、今日の作業に。今朝はすこしく肌が冷や冷やしている。
2005 5・31 44
* 今回主要部分の発送をともあれ終えた、あとはしばらく辛抱仕事。天気もすっかりよくなった。「ペン電子文藝館」の入稿をわたしの義務化のように奮励してきたのが、一応義務でなくなり、肩の荷はかるくなった。そして眠い、今日は。湯につかって、今晩はからだをやすめよう。
2005 5・31 44
* 六月になった。こんなに多忙の予想される六月は珍しい、カレンダーの第二、三、四週は、「朱い日」がびっしり居並んでいる。楽しみの舞台が六つ(帝劇ラ・マンチャ、コクーン歌舞伎、秦建日子の公演、歌舞伎座昼夜、俳優座稽古場、三百人劇場)入っている。京都もある。余儀なく午後(授賞式)、晩(理事会・宴会)、午前(対談)の三連戦を仕遂げて、とんぼ返しに新幹線で帰ってこなければならない。学会も、理事会も、授賞式も、パーティもある。桜桃忌もある。新委員会の予定が更にこれに加わってくる。それどころか、はや下巻発送(上下巻同時発送を含めて)の用意が津波のように迫っており、上巻だけの今回の、倍の労力を要する。六月を、しっかり無事に越えなくては。
2005 6・1 45
* 区政懇談会の受付に駆り出されて、今ちょっと落ち着いた所。いま、『あやつり春風馬堤曲』を読み進めていますが、これ、いろいろな意味で、すごく面白いです。
一番印象に残ったのは、やはり、「箱を出るかほわすれめや雛二対」という句。この「わすれめや」になみなみならぬ思いが漂いますもの。
それに「先生」もまた、ある意味では(蕪村老人の)分身に違いないでしょ? (^-^) 夢
* こういう小説を「面白い」と読んでくれる読者は有難い。湖の本の読者は現在きわめて安定していて、要するにこういう作品が読める人達なのである。つまり世間一般で云うと極く少数の「いい読者」にわたしは恵まれている。
2005 6・1 45
* お疲れでないでしょうか。発送は終えられたでしょうか? こちらには、昨日午後に新しい湖の本が届きました。私語の刻、HPの文章からさらに述べられていて、ゆっくり読みました。
『一文字日本史』を書かれたのが「五十代前半」とあり、一瞬ホーと嘆声をあげてしまいました。そのときからおよそ二十年。時の歩みは誰にも同じですが・・それでもそれでも複雑ですね。
「詩」 昨日も総点検しながら・・全く新しい試みをしたい衝動に駆られたりしました。が、ここまでの自分の、ある時は非情な、あまりに非生産的な「足掻き」も含めて・・、「今現在の形」を認めようではないかと自分に納得させています。一度「手離す」以外ないと感じています。
わたし一人だったら怠け者ですから、決して今回のような作業はしなかったでしょう、出来なかったでしょう。
ありがとうございます。
要請に応えられない部分は、ひたすらわたしの非力、です。
本名でいいです。それは一つの覚悟でもありますから。
ファイル三つ、送ります。・・「旅」という点で一つのまとまりにすることも考えましたが。 鳶
* 昨日ご本拝受。お忙しい中、(直江津へ向け)お手をわずらわせ申し訳ございません。お疲れを残されませんよう、どうかお大切に。
自分の障害を認め、あきらめ、受け入れ始めて、癇癪を起こさなくなった父。今までの遠慮から解放され、あふれかえっていたモノ、伸ばしっ放しの庭木を処分し、生き生きとしている母。雀はまったくへたっていて、眠りが足らない日が続き、しかも今回、体調低下の時期と帰省が重なって、この二日よく眠れず、アタマが働きません。
ご本は、ずっと待っていたもの。しっかり向き合って読みたいので、「櫻桃」「人間失格」を読んで、今日は母の睡眠薬をもらって「斜陽」を読みながら眠ります。
今度の用が終わったら、雨の熊野に旅するつもり。 雀
2005 6・2 45
* あすの晩に逢いませんか。若い人にそう誘われ、しばらくぶりに美味い酒を外で飲みたかったけれど、結局、もう少し先でということにした。今のうちにしておけばアトが楽になり、放っておくとたちまち困却の渕に沈みそうな作業が溜まっている。この五日までの白いカレンダーの毎日は、なかなかどうして、お宝のように貴重なのだ。ひとつだけ、友人が入選している上野の水彩画展に行ってきたい。それを明日にするか明後日にするか。
2005 6・2 45
* 下巻の再校が出揃ってきた。京都へ往復の車中が仕事場になる。
2005 6・3 45
* じりじりと、辛抱仕事のように、上巻分の後始末とも、すでに下巻の用意ともいえる作業をつづけながら、他の仕事にも。放心したようなとろりとした疲労と安息。宵すぎてしばらくソファで寝入っていた。
2005 6・4 45
*「ペン電子文藝館」の開館と充実に打ち込む以前、ごく売れない物書きのわたしも、大きい会社の部長級かそれ以上を稼いでいた。それが、この三年、年間の収入を百万円台(上が抜けているのではない!)に落として、落ち続けている。もはや「自然収入」という程度に等しく、つまり「稼いで」はいないのである。
零落したのではない、たいがいな仕事は手を振って断ってきた。よほど新しい内容ならともかく、似たような中身で売文するより、電子文藝館やその他で、わたし自身の人生をゆっくり味わおうと思ってきた。息子はもう独り立ちして頑張っているし、老夫婦ふたりと黒いマゴとが地味に暮らせればよろしく、二人とも医者から長寿の保証は得られていない。
湖の本がわたしの「考え方」を体現している。もともと「売る」のが主眼でなく、仕事が、作品が、人の目により広く触れること届くことが望ましく、これは経済活動ではない、文学活動なのである。
むろん、使っただけの原資が回収できて次の一冊の役に立ってくれないと、維持出来ない。幸いそれが満十九年、八十数巻までも持続しているのは、その程度に資金回収が出来てきたわけである。さもなくて続く道理がないし、わたしの性格では、それで足りている。儲け仕事でないからだ。この事業も、いま流行の経営コンサルタントを煩わしてでもいれば、今少しべつの展開が有ったろうけれど、どだい、そういう気働きは、わたしの趣味にも主張にも、ない。ほんとうに有難い「いい読者」に応援され支持されて、毎回の配本を心待ちにしてもらえる、それで足りている、それが有難いのである。
大勢の中には、むろん、誤解も行き違いもたまに起きないではないが、わたしからの挨拶には、必ず「ご不用のおりも、送り返してもらう必要はありません、適宜にご処分ください」としてある。売れることより、「いい読者」の目に触れて、読んでもらえれば第一義は酬われるという態度に終始してきた。「武士の商法」かなあ、「浪人の傘張り」みたいと自分で笑いながら、これにはこれの喜びがある。
深い社会の機構においては知らず、すくなくも日々の暮らしの上で、わたしは「奴隷」のようには暮らしていない。「自由な現代人」として好きなことを我勝手に好きにさせてもらっている。さ、このまま無事に死んで行けるか、先のことは分からない。「今・此処」の連続が「何処」へ行き着くかなど、「妄想」に類している。
2005 6・5 45
* 昨夜も七種類の読書を終えてから、「湖」下巻に入れている「わが無名抄 思惟すてかねつ」を赤字合わせし、半分ほど再読した。しばらく忘れ果てていた古証文だが、いい時機に、思い切りよく書いておいたと思う。わたし自身の自問自答の今なお続いている多くが、飾り気なく明かされている。反逆的な告白か、支離滅裂の述懐か。わたしの読者がどう批判して下さるかも楽しみ。
2005 6・5 45
* 遠敷のナガ旅 我が袖はしほひ見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし
海を、ひさしぶりにぼんやりと眺めました。列車は、各駅に停まりながら、二時間かけて富山に着きます。特急に乗りかえ、敦賀駅に降り立ったのは正午過ぎ。
クルマをたのんで、三方五湖の眺めを楽しんだあと、漁村の家並みを縫う旧く細い道をたどって、小浜をめざしました。羽賀寺の十一面観音と、お水送りゆかりの遠敷の古社寺、鵜の瀬を訪ねる願いもかない、北川、遠敷川、安曇川、鴨川と穏やかな瀬をたどり、京都駅に着いたのは、8時を少し回った頃。
大陸、半島、諸島々から若狭へ、そして近江、京、飛鳥、吉野、那智、熊野、補陀落渡海で太平洋の彼方まで…龍のちからで、十一面観音見仏から始まった雀の興味と旅が、ひろがりと、かたまりの両方をもち始めたことを感じ、海の民を、そして山の民を思う、水の旅でした。ぼちぼち旅のあれこれを囀ってゆきます。
今回のご本、向かいあうのに、とてもエネルギーが要りますわ!
ごはんをしっかり食べて、正しい座り方をして、深く息を吸ってという精神状態でかからないと、押し返され取り残され、暗闇に失踪しそう―。 雀
* こんどの本は、わたしからの「挑発」でもある。
2005 6・8 45
* えんやらやっと、つっかえつっかえ読み進む、もどってもどって読み進む。自分へのはがゆさ、もどかしい思いと同時に、山の斜面に、角のこぼちかかった石段が上へまっすぐ延びているのを、一段一段確かめながら登っていくような、わくわく胸おどる気持ちをもって、今回のご本を読んでおります。
どんな巨木が、どんなカミサマお社が待っているのかしら、境内は、眺めは…? そんな欲は最初だけ。ひたすら目の前の段を、ふぇえ、しんどぉ、もぅ… う、しゃあないなぁ! と、笑ってこぼしながら、ひたすら登り、着いたときの感動は、それぁいろいろ複雑に湧きますのよ。しばらくは、ただたたずむだけ。
そして、今度は降りる。降りながら、考え‥いいえ、それも、途中からはまったく無心。そして、降りて、何日もぼんやりとして、なにかが残り火のように、心のひだの、隠れたところに灯るのです…お作毎に。ずっと、ずっと、消えない燈が。
五十代のお作は、肉にも血にも肌にも、どーんとちからがおありになって、質量と密度が大きくて、しかもセクシィで、向かいあうのにはタイヘンな体力を必要とするのですよ。ほら、神をまつり切れずにぼろぼろになってしまった女のお話がございましょう、あんな感じですのよ。 雀
* こういう読者のこういう読書に励まされてきたのだった。あまりの難しさに本を壁に投げつけましたと、むかし「告白」した人がいたが、けっきょく、そういう人がいちばん熱い読者になって下さるのだった。亡くなった評論家、鶴見俊輔さんの盟友であつた安田武さんに、言われたことがある、ぼくは秦さんの文体になかなか合わなかったんだ、が、今ではそれがアヘンになってしまいました、と。亡くなるまで、有難い本当に熱い読者であり続けて下さった。
2005 6・9 45
* 湖の本のきまりの作業をたんたんと前へ運んでいた。下巻のあとがきも表紙も入稿した。その間にも、ヴィットリオ・デ・シーカ監督、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演の三話オムニバスの「昨日・今日・明日」を見たり、秦建日子作の連続テレビドラマ「天体観測」のオリジナルかと想われるほどよく似た、ロブ・ロウやデビ・ムーアら七人の同窓生たちの青春映画をおもしろく見た。
2005 6・12 45
* おそく寝て、はやく起きた。雨ではない。今日も暑くなりそう。
京の「ほんやら洞」の甲斐氏から大冊の「ほんやら洞通信」が届いていて読んだ。メールで礼を言う。
今日歌舞伎座。明日は新刊分の本文責了。明後日には城塚新委員長との引継の面談、そして理事会。晩は今年の太宰賞授賞式とパーティ。週内にインタビューのため京都から人が見える予定。来週は、月曜日以外すべてあれこれの予定が入っている。そして二十七日に「ペン電子文藝館」の新・初委員会。月末には新刊 (下巻)が届くだろう万端用意しておかねば。六月は沸騰、七月梅雨の上旬に及ぶ。
健康なのか、そうではないのか、自分でもよく分からないが、特別の違和感は無い。
2005 6・13 45
* 今日、下巻の大方を責了にする。あとがきと少しのツキモノを残して。
「閑事」と二字の大書の表千家六閑斎の軸を好んでいるが、わたしの閑事は、忙殺されそうなあれこれの用事を団扇でふいふいと前へ吹き送って行くこと。あれこれは、ホンマにあれこれなのである。ちちん、ふいふい。
2005 6・14 45
* 小田実さんからもらった新聞エッセイ二本を、「ペン電子文藝館」にもらうことにした。そういうつもりで送ってもらったものと思う。二本とも大事のところに触れていて、「ぜひ言いたい二つ」とでも総題をつけたい。
印刷所での湖の本の進行がはやく、わたしも煽られている。仕事は、こういうふうでありたい。
2005 6・16 45
* 湖の本エッセイ「日本を読む下・わが無明抄」下巻を責了にした。上巻のペースより二日早いから、月内には本が出来てくる。月末は二十七日に電子文藝館の委員会二時半から、三十日に言論表現委員会四時から。七月二日は梅若万三郎の橘香会。こういうのを合間に置いての今度の発送は長丁場の力戦になる。じたばたしまい。
2005 6・16 45
* 日照り 水不足逼近の梅雨のはしりです。そちらはいかがですか。梅雨寒や外の冷房に体調を崩されたりなさいませんよう、日々ご自愛のほど。
ケータイの i モードで、紀伊國屋書店サイトの宣伝を見つけました。駅前の本屋がなくなって半年。郊外道路沿いにある大きな本屋はもとより、京、大阪の書店でも、歩き回って疲れた挙句、お取り寄せと言われるだろうし、検索もしてみたく、接続してみました。
「優る花なき」 「顔と首」 「牛は牛づれ」 「閑吟集」 「京と、はんなり」 「書蹟」「色をみる、色をつくる」「京都感覚」。ほかも、スクロールしてもスクロールしても、入手不可、絶版‥。取り寄せ可能なご著書を何冊か注文いたしましたが、打ちのめされています。
まだまだすくわなければ息もたえだえの文がおありになるのでしょう。おからだどうかお大事に、お書きになったいのちを、「湖の本」で伸びをさせて、息をさせてあげてください。胸がせきます。 雀
* ふつうに本屋から刊行した書籍が百種類を超えている。その大方はなかなか手に入るまい。「湖の本」で新たに編成されてかなり読めるようにしてあるが、まだ全部とは行かない上に、単行本にしていない作品が各ジャンルにまこと、どっさりと手元に積んである。湖の本が単なる再刊でなく、かなり熱心な愛読者でもとても目に触れていなかろう文章や連載がいろいろと有る。湖の本がわたしの文学活動にどんなに役だってくれているか、それにこのホームページも。そういう時代へ時代が大きくさしかかっている。
東工大の教授室へコンピュータを置けた役得が、どんなに今のわたしに大きく関わったかを、思うのである。わたしの勘が、わたしを救い、わたしを自由にしラクにしてきた。
2005 6・17 45
* 目標にした準備作業の最初の大きな関所をくぐり抜けた。気のしんどい用事がまだ大分残っている。六月はあと十二日。そのうち七日、外出することになっている。本の届くのは二十八か九か。作業に使える日時は少ない。七月八日午後の聖路加診察日まで今度は煽られそうである。気をゆっくり、なにも慌てることはないと思い思い、やんわりやり過ごしたい。
2005 6・18 45
* そして若い友人の、待っていた朗報!
* 就職が決まりました!
ごぶさたしています。メールはもう半年ぶりです、あまりのごぶさたにびっくりしています。題のとおり、先日内定をもらい、就職活動をほぼ終えました。
来週末、**県庁を受験しに帰ります。両親はどちらかというと県庁に入ってくれたほうがいいと思っているようです。ところが僕は内定先の企業に入社しようと決めています。話し合う必要がありそうです。
内定先は、東京に本社のある、いわゆる部品メーカーです。自動車用部品と、携帯電話やデジタルカメラなどの回路基盤などが収益の柱です。資材を調達する仕事にたずさわりたいと考えています。
サークル活動の一環で、生協の教科書販売事業を手伝いました。買い手=学生と、売り手=生協の双方の立場を経験したことで、いわゆる企業間取引を志すようになりました。売り手と買い手が利害関係を持つ中で、双方の利益をいかに達成するか、というビジネスに取り組んでみようと考えています。
就職活動は、かなりの苦戦でした。理由は簡単で、いわゆる大企業しか見ていなかったのです。たとえば自動車にかかわる仕事をしたいと思ったら、トヨタやホンダなどの完成車メーカーは受けても、それらと取引する部品メーカーには目を向けていませんでした(バイクに乗っていたこともあり、ホンダが第一志望でした)。
しかし、完成車メーカーは誰でも名前を知っており、業績は年々最高益を更新しています。今、ほとんどの学生が受験する超人気企業です。わかっていて、「なんとかなるさ」と。見通しが甘いとはまさにこれでした。いいところまでいったつもりで、いきなり壁が現れる。そんな感じでした。
ゴールデンウィーク明けて、出直しました。五月中は面接がまだはじまらず、書類をつくりながら、規模の大きさにこだわらず企業を探しました。この五月は、動きたくても選考がなく、我慢くらべでした。次の波は六月だけど、六月には公務員試験がある。いいわけをつくって逃げるのは簡単でした。そこを粘りました。あきらめたらおしまいだと思いました。
部品メーカーに業種をしぼって、事業内容とその成長性を調べ、ここはよしと思ったらすぐ申し込みました。もう採用を終えている企業も多く、そもそも文系の採用数は少ないですから、不安はありました。しかし、部品メーカーなら企業間取引を思いきりやらせてもらえる、自分の強みを活かせると信じました。
結果、縁のある企業に出会えました。ほっとしたというより、正直に嬉しいです。やむをえず内定を受け入れたのでなく、ここなら大丈夫と確信した企業に内定をもらうことができたからです。
同期の友達、また先輩や後輩が、「おめでとう」と一言、そして判を押したように握手してくれました。握手ってこんなに嬉しいものなんだと思いました。みんなが見守っていてくれた、励ましてくれた。バイクで誰もいない道を走りながら、俺は幸せ者だあ! と、おもいきり叫びました。
そして今、秦さんにこうやって報告できている。本当に幸せです。
就職の話ばかりになってしまいました。今日は取り急ぎ報告ということで、枝葉はつけず送ります。
湖の本、受け取りました。実家に上巻が届いていないそうです、下巻とあわせて送ってくださるのでしょうか。
「一文字日本史」とは、もう秦さん以外に誰が書くんだというテーマですね。エッセイでは「手の思索」など大好きです、コンパクトで読みやすい、でも切れ味はとことん鋭いというのが、秦さん流エッセイの真骨頂と勝手に思っています。
まだまだ眠っている秦さんの作品、これからも読ませてください。でもその前に、迪子さんともども、かわらずお元気でいてください。本社に勤めることになれば、お会いできる日は遠くないでしょう。東京に就職する理由の、大きなひとつです。 それでは、また! 九大法学部 理
* この友達がはじめて手紙をくれたのは、まさか小学校ではなかったろうが、間違いなくまだ中学生であったと思う。なみの大人よりきびきびと正確な日本語を「駆使」出来ているおどろきと倶に、まっすぐわたしの胸に飛び込んできた。途絶えることなく文通があり、電子メールにかわり、もう大学卒業をひかえて、この生きにくい世間で望み通りの「就職」がきまったという、わがことのように安堵し、わがことのように緊張もする。
過去は記憶に過ぎない、未来は夢にすぎない。いずれも幻影といえば幻影なのであり、「今・此処」の積み上げだけがある。そうはいえ、七十の爺と二十歳過ぎた青年とが同じ人生観でいいとは思わない。夢と幻影とを承知して挑んで行く希望も、四十五歳までは大切だ。悪しきハムレットにならず、良きドンキホーテである意欲と誠実とが、当面、このガッツのある若い若い友人を、より大きく確かにしてゆくだろう。
幸いわたしの息子は、もう羽ばたいて行って、かなり自在にいずくへか飛翔しつづけている。この青年のまた趣(面向き)のことなった飛翔を楽しみに、長生きしようよと願う心地でいる。心からのお祝いである、安上がりなお祝いですねえ秦さんとこの青年は言うまい。きみの決意を、どうあれ、頼もしいと思います。
われながら信じられないが、われわれ、一度もまだ顔を見合ったことがない。
2005 6・19 45
* 日付はとうに変わっている。終日作業を進めて見通しが立ってきた。機械の前でホッコリしている。もう階下におりよう。
日本書紀はイザナキ・イザナミ二神の国生みの、「一書(あるふみ)に曰く」を延々と並べている。すべて音読しているが、苦にならず、面白い。
旧約聖書は創世記で、ヤコブの生涯を語り継いでいる。語り口はちがうけれど、千夜一夜物語と世界を重ね合わせているので、ちょっとしたことに、双方への通路を見つけた気がするときがある。
世界史は、いま、アテネのペリクレスに触れている。
戦争と平和は、婚約者アンドレイ公爵の帰国を待ちわびながら、父親と二人でボルコンスキイ公爵家へ出向いたナターシャが、老公爵と令嬢マリアの前で屈辱を覚えながら帰って行くあたりを読み進んでいる。確かな叙述、確かな伏線。おもしろい。
ファウスト博士は、いましも悪魔メフィストフェレスの手助けをかりながら、無垢の処女マルガレーテを誘惑しつつある。
そして鏡花。バグワン。
黒いマゴが、もう寝ましょうよと鈴を鳴らして階下から呼びに来た。
2005 6・19 45
* 作業進行し、あとは流れに応じてで済む。二十九日の午までに本が出来てくる。三十日に言論表現委員会があり、二日には梅若能の橘香会。とまれ、七月八日の聖路加通院までに九分九厘送り出しが済んで欲しい。
2005 6・20 45
* ゆうべは「フアウスト」のあと、「旧約聖書」の途中で寝てしまった。七時間ほどの睡眠。今日をやすむと三日間の余裕が出来て、月曜に委員会、水曜に本が出来てきて、木曜にも委員会。土曜は国立能楽堂で万三郎の古式「葵上」。成るようにみな成ってゆく。
2005 6・24 45
* 下巻刷了の一部抜きが届いた。四日後には製本された本が届く。
漢字一字を読み解くように「日本と日本人」の歴史をまさぐるという類似の試みは、わたしのこの「学鐙」連載以前に観た記憶がない。虫食い詩歌と同じに、いずれもわたしの本が出たアト、雨後の筍のように似た試みがあらわれていた。
漢字一字でモノをいうとなると、あの連載では「歌仙」を巻くという、当時の北川編集長の嗾しがあり、三年で三十六字を選んだ。後半に昭和天皇の薨去があり、昭和の平成に遷るにしたがい、関連の「死」「天」「暦」などを加えたが、それもみな大事な日本の一字であった。
望ましくは、百字ほども挙げてみたいところだ、東工大の教室でそういう一字を書き出させてみたら、なるほどと思う大切な一字がたくさん書き出されてきた。「学鐙」ほど贅沢に頁はくれないにせよ、新聞雑誌のコラム程度で一年二年週一度書き続けるのなら、たぶん何でもないだろう。そういうことも、面倒がってしようとはしなくなった。鉋屑は削らないのである。
* 下巻のなかに「身」一字を入れている。平凡な唯の一字としか思わない人が多いだろうが、これは日本人の意識に働きかけている興味津々の一字である。なにしろこれは「心」と切り離せない対の一字だから。
心と対なのは体だろうと今の人は思うだろうが、なかなか。ことに詩歌のことばとして「からだ」は用いられない、滅多に。「から」は屍骸にむすびついて、文字通りに極めて具体的。今少し抽象され象徴化した「からだ」認識の結晶として「身」が用いられた。「身」はまさに自身・自称であり、むしろ「人」とは他人・他称をあらわしていた。
ま、そんなことはわたしの本を読んでもらえばいいが、その「身」の項で、わたしは最も美しい言葉の一つに、意識してか無意識にか、触れなかったと思う。それは「身を任せる」という、優しくなまめかしい一語であった。日本史というより、この語は男女の「世の仲」に触れて、機微悉く至る物言いであるからだ。
「身をまかせる」とは、あらわにいえば、女が、男に裸身をゆだね、一切を忘れて没入できている状態を云う。わたしは今、「出来ている=able to」とわざと言ったが、当今の「世の仲」にあっては、これの出来ない(can not)な女性がずいぶん多いのでは無かろうか。「身を任せる」なんて屈辱だと思うのではなかろうか。
何の映画であったか、世にすれたアメリカのマスコミ渦中に働く女性が、口を歪め、「あの顔でベッドを仕切る女よ」と友人の噂をしているのを聞いたことがある。なるほど、「ベッドを仕切る」ことにも女世界の拡張と主張があるんやなあと思い、「身をまかせる」などという「稀有の時空」は、今の女性達の多くから雲散霧消しているのではあるまいかと感じた。
ハッキリ言ってわたしはその時、「お気の毒に」と感じていた。
この、男であるわたしの感じ方は、女性の大方を憤激させ失笑させるであろう。にもかかわらず、おそらくは希望も大いに持って言い切っておく、「身をまかせる」豊かな美と昂奮と歓喜を覚えている幸せな女人たちの存在を、わたしは、むろん確信している、それがいかに少数かは知れないけれど、その女人も、また愛し合う男も、いかなる財宝にも勝って幸福を得ているであろうと。
神代の女イザナミは、最初のベッドを「いち早く仕切った」ために、あのベランダから我が子を投げ捨てる女のように、最初の子を、産み損じ育て損じたと「古事記」も「日本書紀」も口を揃えている。神代の女神すら男に「身を任せ」得なかった失敗を、高天原の「みおや」の神々はイザナキ・イザナミに対し指摘し、ふたりは、「やり直し」た。
「ベッドを仕切る女」と「身を任せる女」と。女の人はすべて前者を願い、男だけが後者を願う、などというのは大きな誤解であろう。するとすぐさま、中を取るように、「ベッドは協力するものよ」という俗論が、したり顔をするのだろうが、そんな男も女も、さぞ味気ないことだろう。マインドという心偏重時代のわらえる薄さである。「身をまかせる」女のハートの優しさに男も全身全霊で応えてゆくから、二つの炎は一つに溶けあい、匂いあう。「身をまかせる」という巨大な能力を徹して喪失しかけている「女時代」が来ているのではないか。それはまた男が男を徹して喪失仕掛けている証左にもなる。
どうだろう、最近の男達の性的魅力のなさは。韓流男に日本の女がキャアキャア言うのは、「身をまかせたく」ても任されようすら知らない日本の男ばかりだからではないかなあ。だから焦れて暴力男がはびこる。
2005 6・25 45
* 明日、下巻が出来てくる筈。いつもながら、少し緊張。今日は安息に。
2005 6・28 45
* 朝、小雨。ふくらはぎ、特に右の膝下にきつい筋肉痛が二三日前から。今日からの肉体労働で振り切れるかどうか。
2005 6・29 45
* 正午前から正味九時間半、夕食をはさんで、ぶっつづけ、腰骨も曲がりそうに本を荷造りしては運び続けた。体験的に疲労がどう襲ってくるか知っている。疲労を出し抜いて一気呵成に作業をつづける、さもないと疲労に追いつかれてしまう。疲労に追いつかれては、とても気分的に凌ぎきれない。だから万全に日数をかけて用意もしておくのだ、それが利く。それほど、わたしは性のわるいナマケモノなのである。
わたしは「政治家」ではない。如才ない要領の良さは中学を卒業した頃から棄てていた。要領よくトクをするより、ソンをしても自由でいたい。作家生活をしていよいよそう思った。団体や組織で仕事をするようになり、ますますそう思った。ますます嫌われイヤがられるけれど、仕方がない。わたしは、政治家であるより、不徳であっても自由でいたい。不徳であっても、かならずしも孤ではない。「徳、孤ナラズ」とうそぶく世間での、そんなのはエラソーなマヤカシに他ならぬ実情を、見聞すればするほど、そう感じている。
2005 6・29 45
* 午後一時。午前のうちに六時間働いた勘定、今日の作業はここでうちどめにし、言論表現委員会へ出かける用意をする。
2005 6・30 45
* また、明日一日、頑張って本を送り出す。今夜は、適当にやすまないと、朝は早かったし睡眠も足りていない。
2005 6・30 45
* 奮励、なんとか九割がた発送できた。汗みずくだが、すこしホッとする。右の腰から、大腿部、膝下への強い筋肉痛が、しつこく、退かない。ダンボールに詰めた重い荷を持ち運びするつど、渾身の力。運動にはなるがとくに下半身に堪える。上巻を送って一ヶ月。まだ送金してこない人がわずかだが数十人のこっていて、間隔をつめてで気の毒でもあり、その人等の下巻発送は、待機している。
2005 7・1 46
* 秦さん。湖の本、安着しました。
署名、今度、お会いするときにお願いします。
秦さんの本は、市場向けに、刊行された本は、南アルプスの麓の小屋の書庫に全部運びました。湖の本は、全て、市川の家にあります。両方で、いつでも読めるようになりました。
「ゆっくり食事」は、是非とも、やりましょう。秦さんの慰労をしなければなりません。そう言えば、私が、東京に戻ってきてからは、ゆっくりやっていませんでしたね。ご都合の良さそうなとき、お声をかけてください。 千葉
* まあ、はじめて我が家へ客人として迎えた昔からかぞえ、二昔ではきくまい。ほぼ間断なくつきあってきたけれど、忙しい放送人のこと、なかなかゆっくりもしてこれなかった。
というより、委員会の委員長をしていた間、小人数の委員と二次会に、といったことは極端に避けていた。率先それをやると必ず参加できない人もあるし、習慣化して委員会が「社交クラブ」に化けてゆきかねない。ペンの委員会のなかには、いつ知れず社交クラブ化して働きが悪くなりすぎ、結局改組された実例もあったのである。ケジメということも大事にしないと、あとの飲み食いばかりに熱心な委員が必ず出来てくる。仲良く和やかにはありたいが、本末転倒するのはチェアマンとして慎みたかった。
委員長を降り、委員会実務は任せて「館」の質的側面にだけ注意していれば済むことになり、「ゆっくり」やりやすくなって、嬉しい。ま、今期の委員もみな一人残らずわたしが頼んだり、または委員にぜひしてくれと頼まれた人達ばかり。タガがはずれ、気楽になった。
2005 7・1 46
* 昨日湖の本2冊届きました。ありがとうございました。代金が足らなくなっていて失礼いたしました。来週早速振り込みますのでしばしお待ち下さいませ。
毎回の発送作業をお二人でなさるのは本当に大変だと思います。私も「親の会」などで会報等の発送作業の経験がありますので、お察しして、いつも一人一人にメッセージまで添えていただき、有り難いことだと、「しおり」を感謝して眺めております。
いかにも梅雨、というこの数日ですね。
私は暑いのがアカンのです。今の季節、梅雨があけても次は猛暑と思うだけで前途に希望がないようで、余計元気が出ませんが、そうも言っておれず相変わらず家の近辺でうろうろ忙しくしています。
HPでみなさまの旅の便りを拝見すると、うらやましいなあ—富山の華岳展にも行きたいなあ—-せめてもと富山在住の友人に、
「是非見に行かれるように」とメールしました。
奥様ともども、お身お大切にお過ごし下さいませ。 2005/7/2 杉並区
* どうやら本が届き始めたようだ。
2005 7・1 46
* 岡山にも恵みの雨がありました。
庭の草木が久しぶりの雨に洗われて甦りました。いつか奥様が、岡山のマスカットを美味しいと言ってくださったのを思い出して,ほんの少しですが西崎ぶどう園に、上旬に届くように発送を依頼しています。昨日「湖の本エッセイ35」ありがたく落手しました。 岡山
* 季節の恵み。ありがたい。中元の時期にかぶって、少し湖の本の届きが遅れめであるようだが、おいおいに届くと思う。都内から届かないと叫ぶようなメールがきていたが、たしかに発送初回分に入っていた覚えのある読者であったので、心配はする、が、時間の問題だろう。
* ありがとうございます。 あわただしい一泊の大阪出張からもどりました。京都に立ち寄るわけでもなく、研修の前後に外部理事をお願いしている大阪の大学の先生と少し業界の話をしたくらいでした。二日とも雨。
家のポストに、上下2冊の「湖の本」が待っていて、心躍る思いでした。昨夜はともかく眠くて、もう荷物を整理する間もなく、ご本のページを開いたまま眠りに引き込まれました。
ところが、しばらくすると老母や老伯母の声が聞こえ、亡くなった伯父の声も聞こえてくるのです。彼らは階段を上ったり下りたりにぎやかに話していて、私もそちらに行きたいと思って声を出すのですが声になりません。ふとんをさわる手を感じたり、ぎゅっと押される感覚を確かに感じたりして、起き上がろうとするのですが金縛りにあって身動きが取れません。「霊」を信じる人に言わせれば「霊」が来たのだというのではないかと思います。人の存在には肉体としての存在のほかに心理的な存在「霊」があるとは思いますが、「霊」の実態については不可解です。
これから母たちの家に行き、高齢者住宅へのリフォームの相談(悪徳業者ではないのでご安心ください。こんな事件の多発している時期だけにとても良心的です。介護保険などを利用しての改築です。)をします。伯父は2つ目の家を改築して2ヶ月で亡くなりました。
合計164歳の高齢者住宅、改築は高齢者に心身の負担を与えます。ひそかな不安を抱きながらの改築が、真夏にかけて始まります。
「私語の刻」をまず拝見しました。「一文字日本史」 ひとつずつ味わって読ませていただきます。 波
2005 7・3 46
* 先日の電子文藝館委員会ではお世話になりました。御本『湖の本』エッセイ34をいただきながら、お礼も申さず失礼いたしました。
遅くなりましたが本日、読了しました。
一文字から日本史を見るという、文字も日本史にも造詣の深い秦さんならではのお仕事と、一気に拝読しました。秦思想・秦文学に通底するものがあって、それぞれに納得して、思わずこちらも力が湧いてくるようでした。
特に「色」「侍」「筋」「外」など、巧いこと書くなぁ、と感心しきりです。下巻も楽しみにしています。
例によって拙HPで勝手なことを書かせていただきました。なお、今号から史料としての価値を高めるべく、目次も転載させていただいております。合せてご了承ください。 神奈川県
2005 7・3 46
* 四国、の****です。
本日、御著「湖の本」エッセイ35(日本を読むの下・わが無明抄)を拝受いたしました。ありがとうございます。
さて、本代と同時に送金いたしますので、下記の友人までエッセイ16「死なれて・死なせて」を1冊ご送付お願いできますか。私からの贈呈と明記おねがいします。では、よろしく。明日、4000円送金致します。 香川
2005 7・3 46
* 早速のお返事感謝致します。
私も今年の8月で古希を迎えますが、還暦から70歳前後の方々には、親族を含めて友人、先輩などを思わぬかたちで喪うケースが増えています。自分自身の健康を含めて、嫌でも「生と死」を直視せざるをえない年代なのですね。
この度の方は、「同窓会」を楽しく過ごした5時間後に仲間を事故で失われ、大変落ち込んでいます。三次会の帰途の自転車による転落死でした。
私などから表面的な慰めの言葉をかけても、何の役にも立たないもどかしさを感じつつ、秦さんのご本(『死なれて死なせて』)を推薦するのが一番との思いで、お願いしました。彼も物書きで爽やかなメルマガを定期的に発行していたのですが、現在ストップしています。
一日も早い快復と健筆復活を念じつつ贈呈したいのです。どうぞよろしく。
> やや空梅雨に推移していますが、水不足など起きませぬように
6月11日の梅雨入り以来、20日間真夏日でしたが、1日から一転豪雨がつづき、先刻小康状態となったところです。
讃岐は空海が満濃池を改修するなど、溜池が多く水不足は日常なのですが、昨年の水害の裏返しのような今年の天候に困っていたところです。でも、少し雨がつづくと洪水の心配です。
日本一狭い県ですので、山から海までの水流が急で短いのが、すべての原因です。吉野川からの導水である「香川用水」も、肝心の早明浦ダムの貯水量が30%をきり、取水制限で夜間断水地区が増えています。県内に雨が降っても、吉野川の上流に降らなければ意味がない。
早まって昔からのため池を沢山潰し宅地や公園にしたのが間違いです。田植えさえ不可能だったところもあるのは、明らかに行政の怠慢でしょうね。
グチばかりになり申し訳ありません。では、おやすみなさい。 香川県
2005 7・4 46
* 稲垣都さんとしばらく電話で話す。稲垣足穂著作の「ペン電子文藝館」掲載許可をお願いしたついでに。喜んでくださりこちらも嬉しい。電話で著作権者にお願いして、この二年というもの断られたことなく、みなさん快く承知して下さるのが嬉しい。
* しかし発送でドジなこともしている。同じ苗字の一人一冊の読者に、四冊送ってしまった。四人分まとめて送らねばいけない同姓の読者とまちがえて宛名を書いたらしい。下巻だけで変ではあるが、返送の必要はなく、身近な誰かにあげて下さいと連絡。その人にメールが使えてよかった。こういう間違いをまだしでかしているかも知れない。
* 佐伯彰一さんから眼はよくないが、「関心つよいので、じっくり読ませて頂く」と。
白川正芳さんからも封書の手紙で「アタマが下ります。感動さえおぼえます。創刊十九年、八十五巻というのはすごいことです。…こうした刊行の方法は、大変な労力を要しますが、手本にしたい形態ですね」と。埴谷雄高研究で知られる作家。
理事だった天野敬子さんからも、「身の内の蓄積から汲み出された秦さんらしい自在の著ですね、楽しんでいます」と。電子文藝館のこと、「前線を若者に托されたとはいえ、ペンクラブ理事の職もご重責、呉々もご自愛下さいませ」とも。感謝。
大久保房男さんからは「大変おもしろい御発想」、小野寺優さんからも、「ひとつの文字から縦横無尽に歴史を横断し、日本人の本質に迫ろうとなさる、その試みに感嘆すると共に、その背景にあるご教養の深さに圧倒される思いが致しました」と、恰好の解説的讃辞を頂戴。有難し。
その他島尾伸三さん、鈴木栄先生、本多弘之氏、田所保さん等々のハガキを頂いている。
ある方は、「仕事柄、入試問題に使えそうだという読み方をしてしまいました」などとも。今年も、受験問題にわたしの著作を使ったというアト報せが幾つも来ていた。
2005 7・4 46
* 文藝春秋の寺田英視さんの電話をいただく。去年か一昨年から、総務を大きく束ねる役におられ、いまは出版・編集から離れて。「湖の本」成立のいちばんの恩人の一人が、この人。最初に紹介された業者の仕事がヒドくて、泣かされ、はやばやイヤ気もさしていたのを、見かねた寺田さんが、申し分なく誠実で有難い印刷製本との仲立ちをして下さった。創刊十九年のうち十八年を付き合い続け、親切によくしてくれる凸版印刷には、感謝で頭があがらない。
湖の本は、さように、わたし一人の力でやれてきたのではない。なにより読者だ、また妻だ、が、それ以前にも、朝日新聞や北海道新聞や日経新聞やいろんなマスコミが声援してくれただけでなく、実務面での不動の態勢づくりに寺田さんやもと筑摩の日比幸一さんらの援護や助言や紹介にどんなに助けられてきたか。鶴見俊輔さんはじめ何人もに陰に日向に応援して戴いた。
* 本は、全国の大学の研究室・図書館等二百数十に寄贈している。同じほどを各界に寄贈している。いま、わたしが「湖の本」を十九年余も、八十五巻も刊行し続けていることは、だから、広く知られている。
しかし、また、幾つもの出版社からは面と向かって一作家の「反逆行為」だと謂われてきた。わたしがキレイに干されて多くの仕事を喪ってきたのは明瞭で、「秦さんのものは、どうも」と馴染んだ版元からも、ハッキリ言われてきた。文庫本の話もみな砕け散ってきた。自分の仕事を鎌倉幕府や六波羅の両探題をにらんだ赤坂籠城だとわたし自身が明言している以上、「反逆」は、その通りなのだろう。
ふしぎなもので、つづくものかと謂われた「湖の本」が軌道に乗り、しかも亡くなった江藤淳さんのあとを襲い東工大教授に就職がきまると、わたしの眼の前に、工学部研究費と称する資金と、パソコンと、優秀な学生達とが揃って現れた。わたしの文筆・著述は、紙媒体から一気に電子メディアでの誰の拘束も受けない「広場」を得た。金の稼ぎには少しも結びつかない世界であるが、わたしは、ムリに稼がなくてもいい程度には紙の作家生活で稼いできた。贅沢をしない普通の勤勉さで足りていた。「湖の本」をはじめた頃までに出した本の種類は、信じられないほど多く、原稿依頼も、書いた原稿量も、やはり信じられないほど多かった。赤坂籠城は、その意味で背水の陣ですらなかった。わたしは干されなかったのである。より豊かになれたと思う。
* しかし、赤坂城を明け渡して千早城に退くときが近づいている。今回の作業でわたしは杖が欲しいほど右脚を全く傷めてしまった、筋肉の強い炎症かと思われる。
もうあまり身体的なムリはしないほうがいい。この一年、半年、日に日に「なにもしない」ことに、どうかしてわたしは慣れて行こうとしている。わたしのような「はたらきど」にこれは容易でないことだが、わたし自身の身内にひそんだ「なまけもの」が、ゆっくりとそこへ導いてくれるだろう。
このサイト「作家・秦恒平の文学と生活」をある日、コトッとキイの音させて「削除」あるいは「不更新」してしまう日の到来を、いくらかは恐れ、いくらかは楽しみにしている。わたしの死んだアトに機械が「どんな創作や文章」を保存し記録しているか、どっちにしても、わたしにはもう関係がない。
2005 7・5 46
* 八十の色川大吉さんから、「白石の乾いた思考などに触れられた御文など、まさに古典から現代まで縦横無尽であり、啓発されております」と。福田歓一さんからは「日頃余り知らない世界について教えられることをまことに楽しみに」と。高田衛さんは、「湖の本のお仕事は、過去にない歴史的なお仕事だとかねがね尊敬していますが、こうして絶えることなき御刊行を見て、どんなにか御苦心のことであろうと拝察すると、あだやおろそかに読めない、粛然とした気持になります」と励まして下さる。馬場一雄先生は「何かピカピカしたものが見える気が」と。療養中の大島渚監督からも奥さんから代筆の礼状があり、「本を読むのが楽しみのようで、きっとゆっくり楽しませて頂くと存じます」と、わざわざ。
前の新潮編集長坂本さんの手紙には、『戦争と平和』のアンドレイの「空」の叙述に久しぶりに再会し、「大変懐しく」とあり、「在るは常に『今・此処』、に至るまで大いに共感をもって読了しましたが、そこに同世代人としての共感も混入してくるのを自認致しました」と書かれている。坂本さんとはせいぜい一つちがいぐらいか。
ほかにも葉山修平氏や重金敦之氏らたくさん手紙を頂戴した。
2005 7・5 46
* 天女の風
hatakさん 『日本を読む』上下届きました。目次を見て、適当に三つ選んで読んでみようと考えました。
上巻の取り合わせとして私が選んだのは、「茶縁楽」。今の心境です。
下巻なら「天女花」とも思いましたが「天女風」でいきます。さて内容は繋がりがあるでしょうか、頁を開いてみるところです。 maokat
* maokatさん 聯想が連鎖するように書いていますので、予想以上に貫いて行く紐帯というか芯棒があるようです。その読みの方が「秦恒平の思想」を繋げて引っ張り出しやすいかも知れません。しかし、みなさんはお好きに拾われるのがよかろうかと思います。
お元気にされていますか。戦争と平和は、うんと進みましたか。 hatak
* 結局深夜まで起きていた。さ、もう限界。あすは、朝から建日子の顔が見られるとか。
2005 7・5 46
* 少し風邪ぎみで、おまけに腰痛がちょっと出て、この2、3日早めに休んでいます。腰痛は以前の手術の後遺症らしく、筋肉を鍛えるしか解決しないと言われて、毎日一万歩をノルマにしてからは、かなり好転したのですが。でもちょっと調子の悪い時には、たちまち出てきます。
新しいご本いただきましたので、例によって勤務の昼休みに少しずつ読み始めました。「女」とか、興味をひかれる項目から読んでいます。
でもやはり一番胸をつかれるのは、「愛染無明」という言葉。
先生の深夜読書、存じてましたけど、そういった「意味」だったのですね。最近私も先生の影響か、いまの作品より古典文学を読みたくなりました。旧約聖書、また読みかえしてみようかな、あれとても面白いですものね。 ゆめ
* 年齢とは、病症状の配達者。大勢が、ハンコ(自覚)をおして受領している。
2005 7・6 46
* 今日もたくさん手紙やハガキをもらった。
『家畜人ヤプー』の沼正三さんから、湖の本への謝辞を添えて、署名入の著書『マゾヒストMの遺言』を戴き、ビックリ。しかもこの本、谷崎も三島も、康夫と慎太郎も登場、マゾヒストだけでない、異様な碩学の沼さんだから、ワクワクする。今夜から早速の楽しみに。
南山大の細谷博さんには評伝『小林秀雄』を戴いた。小林のことは余りに無知な私は、これまた楽しみに一気に読んでしまいたい。添えられた手紙にはわたしの今度の本に、「その奥行きの深さ、かつ語り口の闊達さ、鋭い批評性等に圧倒される思いが致しました、『折』の章など大変興味深く、次々とたどられる思考・連想の動きから、実にさまざまな事を考えさせて頂きました」とある。感謝。
立命館大学総長をされていた谷岡武雄さんも、「まことに息の長い御本で、常人の及ばない筆力にただただ驚嘆のほかありません。感謝しつつそのエスプリにあかりたいもの」と。国文学資料館館長の伊井春樹さんからは「珠玉のような文章」「ご造詣の深さに感じ入ります」と。
淡交社の臼井史朗さんは毛筆の手紙で、「筆致誠にさわやかにて敬服、何よりも時代を視る眼の鋭さに示唆される事多く」などと跋文にも触れてご老人の死生観もいろいろ述べられているのは「わが無明抄」の照り返しであろう。
世界的な絵本作家田島征彦さんからは、『日本を読む』をいまから読むのを、「すっごく楽しみにしています」としながら、前巻の『谷崎潤一郎の文学』に関して、「あんまり谷崎に知らなかった自分が損をしていた気分になって、『刺青』から読み始め『蓼喰ふ蟲』『痴人の愛』『卍』『春琴抄』と読みました。『痴人の愛』と『春琴抄』は既に読んでいたのに、すっかり読み違っていたように感じました。これから『鍵』『瘋癲老人日記』を文庫本を買って読むつもりです。湖の本で開かれる世界が楽しいです。ありがとうございます。ぼくも新しい本を創る材料が手元に集まっているのと、大きな個展の新しい大作で、闘っている毎日です」と、胸の轟く手紙を貰っている。八月二日から始まる京都の八幡市松花堂美術館の『田島征彦 絵本と型繪染展』予告パンフに載っている四枚の繪の美しいことにわたしは眼を見開いている。
京都の法蔵館社長からも。また高校での同期森下達夫君からも、このところ古稀の友の訃報がふえて「さみしい思いをしていたそんな折ご活躍の証に触れ、俺達は朱夏は過ぎたかも知れないがまだまだ白秋期にどっぷりではないぞの気分になれ、よろこんでおります」と手紙が来ている。これはすばらしい、人生二学期に入ったところというワケだ。わたしは彼にくらべるともう正月休みも過ぎ三学期入りに感じていたのだから、相当に早く老い過ぎている。参りました。
2005 7・6 46
* いろんな八冊をまとめて注文してもらったり、「慈子」上下の注文があったり。有難い。本が一冊ずつでも出て行ってくれると、金銭的により以上に、場所的にほっとする。もう実は在庫を置ける家屋の余裕がほとんど無くなってきた。続刊を阻む最大の圧迫材料である。これも「潮時」か。
2005 7・14 46
* 湖の本ありがとうございました。 バルセロナ
恒平さん 「親指のマリア」を読み終えた翌朝、新しい湖の本の上下二冊が届きました。
あさって発つ自転車旅行の、荷物の間へするっと納めるつもり。
こちらに住みにこられた珍しく気持ちの触れ合う年配の方を、先日家に招いたところ、すっと本を手にとって、「うみの本、(日本にいた頃の)読書会でよく話題になったわ。」と。
* 京 なつかしいこと。
自転車で、事故は禁物、イヤイヤ。 楽しんできて下さい。本がお供に…本が羨ましいこと。
わたしは本の発送で右脚筋肉を傷めたのが、何が何だか、なかなか軽快せず、脹ら脛をもてあましています、呵々。
京の「日本」をてさぐりして、京なりに「読んで」ください。そして、テロにもくれぐれも巻き込まれぬよう気をつけてくださいよ。 湖
2005 7・16 46
* 湖の本 ただ今届きました。8冊ものややこしい注文に、大変申し訳御座いません。また、ご丁寧な小包に、ご自分の本を、大切になさるお気持ちがこめられいて、大切に拝読させていただきたく、厚く御礼申し上げます。いただきました、しおりのお言葉が、大切な宝物ですので、すこしずつ、ふえてゆくのがたのしみです。先生のあの素晴らしい、深く、透明な、美しい、たおやかな日本の心にふれ、学ばせていただく幸せを思います。 杉並
* 一人ずつ一人ずつ新しい読者が出来て行く。ありがたい。
2005 7・16 46
* ご本が届きました♪
梅雨明け宣言。言葉に出来ないほど暑い日が続いています。
いつもHPを拝見させていただいております。感謝!
ご本《慈子:上下》が届きました。ありがとうございます。
何度か読ませていただいていて いつかは《慈子》の道を歩いてみたい。お茶会なども行ってみたいと思います。
私にとって初の日本脱出。
二週間ばかり、CAに滞在中の息子夫婦の所へ、一人旅。”旅の友”に《慈子》もカバンの中へ。もう一度読んでから。。。旅先で会う茶友に置いて来ようと。
もう二十年近くアメリカに滞在しながらもお茶をしっかり楽しんでいる友も、《慈子》を手にしてとても喜んでくれました。私たちは三時間という短い時間の中で、”無我夢中”、お茶のことなどをおしゃべりしていました。私とは親子ほど年が違うのに、何の違和感も無くお話できる不思議さ。お互いのご縁に感謝していました。趣味が同じというよりも姿勢・視点が似ているのです。
そして帰国後、再度《慈子》のご本をお願いしたということなのです。”大切にしたいご本”だから。。。
これからもどんどん暑くなりそうです。どうぞご自愛下さいますように。 愛知 梅
*「茶ノ道廃ルベシ」あたりがご縁でメールを戴いた。有難い佳い読者のお一人で、ときどき下さるメールも懐かしい。「慈子の道」というエッセイを何であったかに書いたことがある。一緒に歩きましょうかと募集したらずいぶん大勢が参加されそうな気配である。大石内蔵助ゆかりの来迎院含翠庭を、今は「慈子の庭」と読んでいる人も少なくないと聞いている。あの縁側に腰掛けて、……あそこには永遠という一瞬一瞬があった。
2005 7・18 46
* このたびは、最新刊のご著書『日本を読む・わが無名抄』上下を、まことにありがとうございます。
平素は、作家として、日本ペンクラブ理事として、公立図書館に対しご理解とご協力を賜り厚くお礼申しあげます。
さて、本書『日本を読む 上下 湖の本』を拝読させていただきましたが、しっかりした骨組みのうえに、新しい感覚と切り口による一文字日本史のドラマに、大いに感心させられました。
出版社に勤める友人によれば、最近の出版物は、文章表現において「漢字よりひらがなJが主流となっているということですが、本書を拝読し、あらためて表意文字としての漢字の語義的、思想的意味の変遷を認識するにいたりました。
本書では、随所に、京生まれの京育ちという体験的考察が語られていましたが、生まれてこの方、京の地を離れられない私には、京のしきたりやならわしとかかわる一文字の濃さに頷くことばかりでした。たとえば、「外Jでは、京の「よそものJに対する排他性を思い浮かべてしまい、また、「暦」の、「よっちえんぼ」とか「一年ボ去(い)んで来い」などの幼い頃のわらべ歌の懐かしさに、おもわず目が光りました。
「本」のなかで、「京で育てたみやびな日本文化とは「文」で化かす、そういう素質のものであった」と書かれていましたが、これまで多くの京都本を刊行しておられるだけに、さすがに魅力豊かな一文字連想の日本史になっていたかとおもいます。
数年前に他で刊行された『一語の辞典』のような学術的な概念規定にとどまるのではなく、作者の「一字から一字へ連想の働き」と想いが、読者に心地よく伝わってきます。楽しく読ませていただきました。ありがとうございました。
お礼を申しあげます。
いよいよ本格的な夏に向かいますが、くれぐれもご自愛くださいますようお祈り申しあげます。 図書館学者
*「湖の本」 お仕事の広さと深さにあらためて感じ入っております。人間存在そのものと、文化に深く根ざした批評精神が切に求められている中で、先生のお仕事はよりいっそう大きな意味をもつものと思われます。 現代文学研究者 札幌
*「湖の本」 ご高名な先生が、こうした地道なお仕事までなさらなければならない今の出版界、読書界、何か変だと思いつつ、この変な事態がますます加速しているようです。 出版社社長 東京
2005 7・19 46
* こんにちは、**です。本日、お送りいただいていた本の振込みをしました。
通信欄にも書かせて頂いたのですが、湖の本の『青春短歌大学』上下巻をお送り頂けないでしょうか。秦先生を知らない大学の後輩に読んでもらいたいな、と思っています。お金は合わせて振り込んでおきました。宜しくお願いします。
先日の日曜日には恵比寿の東京都写真美術館に行ってきました。
報道写真展2005という展示が見たかったので行きましたが、ここ1年は、インドネシアの津波やイラク戦争の悲惨な写真を初めとして、アフリカなどで続く内乱の犠牲者など痛ましい写真が多かったです。
他にも、近代化の陰で危険な環境で働いている中国の労働者やパラリンピックの写真など時事問題にも気を配った展示になっています。
おそらく自分ならシャッターさえ押せないような場面が沢山ありましたが、写真家はどんな気持ちで写真を撮ったのかと考えてしまいました。
おそらく世界に悲惨な現実を伝えたいという、使命感だと思いますし、できればこの世の平和を願ってだと思います。
東京都写真美術館はかなり良い写真展を開いていますし、また映画なども良いものが上映されています。ご参考までにホームページのアドレスを載せておきます。 http://www.syabi.com/
* 本を注文してくれたから言うのではない、が、この卒業生との久しい親昵をベースにして想うと、この人はメールをくれるごとに生活の視野を新たにし、関心を広げて行くのが分かり、心嬉しくなる。まだ見たり想ったりが、自身の向こう側で対象化されている程度ではあるが、実感が深まり自分の意見が湧き身もその方へ働かして思想化して行くと、ビックリするほどの大きな変身があるだろう。
* 沖縄の朱虹さんも二冊分の本代を、声の聞こえそうな元気なあいさつとともに送ってきてくれた。
心配なのは、あのクラブで歓送会をした上尾敬彦君夫妻。あの晩から何の連絡もメールすらなく、もう向こうへ行っているのか、事情でまだ日本を発っていないのか、ロンドンがあんなであっただけに、気がかり。送った湖の本もどこかで宙に浮かんでいるかも知れない。
2005 7・20 46
* インターネットの泥汚から蓮華のように清い印象のヌードを二十ほども奇蹟のように拾い採って眺めていたが、すっかり見なくなった。季節季節の花の写真の方がはるかに優しく憩える。
「e-文庫・湖(umi)」表紙絵に「湖」の佳い写真が撮れていないか探そうとしたけれど、莫大なアルバムを繰り広げるだけで大変。デジカメから機械に入れてあるいっそ花の写真をイメージして、「e-文庫・湖(umi)」の名に溶けあわせてみたいと思う。やはり一面をおおうのは暖雪紅雲の、桜花か。花吹雪は撮れていない。
2005 7・21 46
* 木村尚三郎氏、讀賣文学賞の望月洋子さん、太宰賞の三神真彦氏から新刊の湖の本に懇切な手紙を頂戴した。「お仕事を拝見していると、文学とは休みのない運動であること痛感します。最近の世の中、まっとうな意見をまっとうな言葉で読み聴くことが激減したように思います。その意味でも大兄の『私語の刻』など傾聴に価する文章と敬服しております」とも。「長年のご努力にアタマがさがります。出版界の変化を見通されてのことと改めて敬服いたします」とも。有難し。
2005 7・21 46
* 笠間書院が中世物語の『松陰中納言』を贈ってきてくれたのが嬉しい一方、挟み込みの月報に、今井源衛さんが一年も前に亡くなられていたと初めてしらされ、仰天した。悲しい。永く九州大学におられ、定年退官されていた。物語文学の研究者としてすこぶる剴切な論説で旺盛に読者を刺激して下さったし、わたしは「湖の本」を介してかげにひなたにずいぶんのお力添えを戴き続けたのである。
ああ、こういうふうにお別れしていたのか、わたしは知らずに本を贈りつづけていたのだ。ご遺族も黙って受け取っていて下された。頭を垂れる。
わたしには、学会でも大勢の知己がある。なかでもお名前に「衛」とつく角田文衛、目崎徳衛、今井源衛三先生には、それぞれに異なったしかし温かいご教導と親愛とを賜り続けたが、目崎先生が先に、ついで今井先生があとを追われ逝かれた。
長谷川泉さんのことも思い出す。今井さんと長谷川さんとはかつて清泉女子大学で同僚であられた。
しかたないことだが、大勢の恩人に死なれて死なれて死なれてきた。なるほど「点鬼簿」とか「掃苔録」とか、ある時期が来ると書きたくなるわけだ。どのような人に力を添えてもらいながら生きてきたか、息子や娘や孫達に遺しておく必要を、にわかに感じ始めている。
2005 7・24 46
* 署名ありがとうございました。お目の具合は、如何ですか。無理に、きょう、署名を戴かなくても良かったのにと、反省しています。
「わが無明抄」は、初めてお目にかかる作品なので、興味深く拝見しています。しかし、秦さんのご発言は、根が深いというか、重層的ですね。いずれも、何年も考えた末に、今日、発言されていること、「わが無明抄」を読んでいて、改めて、再確認致しました。
また、頼みごとです。ご教示戴きたいことがあります。お閑なときで、結構ですので、教えてくださいませんか。
歌舞伎を観ていて、子役が、よく「かか様、いのう」、あるいは、「とと様、いのう」という科白を言う場面がありますが、多くは、親が行き詰まったような場面で、助け舟のように、子どもが親に言い出します。
あの、「いのう」は、「いの(う)」で、呼び掛けや感嘆の意を表わす終助詞なのか、つまり、「さあ、かか様」などという意味なのか、あるいは、「去(い)ぬ」の「いなう」、つまり、「往く、去る、帰る」などの行動を働きかける意なのか、という疑問です。場面としては、後者の感じがするのですが、文法的には、前者なのかとも思えます。 光
* 母さまいなう の 「い」 は、単純に 「や(い)」 「よ」 など、呼びかけの助詞の転ですね。
七月は菊五郎劇団の「十二夜」みました。八月は納涼歌舞伎三部とも観ます。九月も通しで観ます。歌舞伎漬けという感じです。それだけのことがあるから良いです。
次の藤十郎襲名を待っています。歌右衛門も福助できまるでしょう。菊五郎に梅幸、菊之助に菊五郎をと期待しています。
いつか歌舞伎座でひょこっと出会うかも知れません、それも楽しみ。
なんでもかんでも表面一所懸命やりながら、根の所では、どうでもいいんです。流れに乗って流れて行くだけです。そういう年齢になってきました。呵々
また会いましょう。お声はいつでも掛けて下さい。 湖
2005 7・25 46
* この間、秦さんを観ていると「文学とは絶え間ない活動のことか」と思うと、褒めたか冷やかしたか分からないメールが同業の作家から届いていて、思わず笑えた、そんな風に観ている人ばかりだろうなあと。もしそんなことなら、わたしはとうの昔に心に狂を発してぶっ倒れていただろう。こんなに日々を楽しんで生きてはいまい。
2005 7・26 46
* 少し前から思っているのだが、湖の本の、十年以前までの既刊本を、信頼できるネット上の本屋さんで、いい工夫をしてくれる店かあれば委託してみようかなどと思っているのだが。まだ何の見当も付かないでいる。
2005 7・31 46
* お礼が遅くなりましたが「湖の本」上下、ありがとうございました。
いつもながら絢爛たる学識とレトリック、そして鋭い諷刺に圧倒される思いです。教えられるところ、刺激されるところ、同感するところ、多々ありました。
一文字とは面白い発想だと思いました。一文字だと、聯想が自由に展開してのびのび書けますね。また、ものごとを結ぶ、見えない糸も見えてきますしね。なるほどと、何度も感じました。そしてはるかに多くの内容をかえって盛ることができます。最初からもう「中国」まで取り込んでいるわけですから。取捨する項目の選定や、解説の視点の置き方に、ご高著からいくつものヒントを戴けたように思いました。
学恩に感謝します。 明治大学教授
2005 7・31 46
* 日照りの暑さにめげず、鶯谷駅から日かげの博物館裏を、都文研まえを通って、都美術館へ。
「古代エジプト展」内覧、延々のセレモニーはロビーの椅子席でやり過ごし、入場するとすぐ、入り口にかたまった群集を奧へ突っ切って、まだ人ずくなな展示室からゆっくり見始め、先へ先へ進み、最後の展覧室まで行くと、くるりと元へ元へ戻って行きながら、いつものように二度陳列を見て行った。いつもだと、もう一巡出口までまた見て行くのだが、今日は行って戻って、入り口から外へ出た。いわば紀元前何千年も前からの考古学的な展示が殆どであり、いわゆる「美術」展ではない。個別の品や時代に特別の興味・関心のあるものはべつだが、さもなければ、佳い意味の一瞥を利かせて感受し、理解して行くことが出来る。今日の内覧の客は、詳細な「図録」がもらえるし、解説は後刻にそれを読めばいい。入場の際、めったに無い、解説用の機械とイヤホンを手渡されていたが、使わなかった。
レセプションのレストランで、赤と白とのワインをグラスに二つと一つ、食べ物はかすかに食べて、さっと外へ出た。もうよそへまわる気はなく、池袋へ戻り、保谷へ帰った。
朝に届いていた「京都文学全集」に収録される『丹波』のゲラを往き帰りに読んできた。この作品を「小説」と強弁する気はない、これはわたしがわたしの為に書いた相当正確な記録であるが、自分では、その文体・筆致が気に入っている、と思ってきた。こういう晴れがましいかたちで世に広く出るとは思いもよらなかった「湖の本」の一冊であるが、読み直して行って、思っていた以上にきちっと叙述できていて、まるで誰か他人の作に惹きこまれるように読んで行けた。このゲラを持っていたので、どこへ立ち回る気もせず、さっさと帰って行った。
* 家に、ウイスキーの買ってあるのを見つけていた、それを気持ちよく少し、いやダブルで数杯一気に呑んで、夕食後に少し横になった。眼が醒めたら十時。今日はこういう日であった。
2005 8・1 47
* 昭和二十年八月、敗戦の十五日を、秀樹は、京都でなく「丹波」の山の中で迎えた。ポツダム宣言を受諾の、天皇裕仁自らのあの玉音放送も、丹波の「田布施」で聴いた。祖父と母と三人で「隠居」を借りていた長山吉之助家の前庭に、あの日は、淡い記憶だが他にも何用かがたしか有って、人が寄っていた。玄関の式台に、ラヂオが持ち出されていた。学校は夏休みだった。
放送は、ほとんど聞き取れなかった。戦争に負けた。戦争は終わった。それだけが分かった。点ほどの終末感覚と、かるい明るい安堵感とが、揺れるように胸のうちで交叉した。興奮はすこしずつ増してゆき、ながい夕焼けの茜いろに染まりながら、終日ピョンピョンはねて走りまわって、わけの分からない声を秀樹はあげていた。国民学校の四年生だった。田布施へ疎開して来て、半年と経っていなかった。 (湖の本42『丹波』より)
* いま「客愁」三部作「丹波」「もらひ子」「早春」を自分で読み返して、これが多くの世間にオモシロク迎えられるとは少しも考えないが、よく書いておいたと、(今ふうの変な物言いをすれば)自分的にはよろこばしい。ことに「丹波」は書いておかずにおれない執心があった。此処から歩み始めていたのだと繰り返し思ってきた。文章は淡々と、しかし(ビールみたいだが)淡麗に、清明に、ほぼウソをまじえずムダなく書けている。ウソは丹波の地名そして人名にあえてしたのが少しだけである。私小説でもない。小説にするような書き方はかなり厳格に避けて通った。自伝とすら考えなかった。記録をと思った。
2005 8・14 47
* 四時間半も寝たか、そとから帰った黒いマゴの「ただいま」の柔和な一声に眼が覚めて起きた。六時半。
そのまま機械の前へ来て、ようやく「美術京都」の対談「京薩摩はどうなる」のゲラに手を入れ終えて、京都へ電送した。問題点の検討と展望とは付け得たか。一つ済んだ。
次は、初稿の書けている特集の総論「流通する文学」の仕上げをする。仕事が溜まり気味だが、夏休みという気分を自身に許している。成り行きに流れ流れて、ま、帳尻は合うだろうと。
湖の本、次にという二、三案に決着を。そしてスキャンして起稿。
2005 8・15 47
* 残暑お見舞い申し上げます。 いつも「湖の本」をお送り頂き、ありがとうございます。そのつど御礼を申し上げるべきところ、懈怠を致しております。ご容赦下さい。
本日15日、「エッセイ」35の「私語の刻」を再読いたし、靖国問題の核心を改めて認識させて頂きました。
この夏も何度か上京しましたが、福岡以上の暑さに驚きかつ閉口致しました。なお残暑厳しき折から、くれぐれもご自愛のほど、お祈り申し上げます。 敬具
8月15日 九州大学教授
2005 8・15 47
* むかしむかしの読者の名を添えて、その友人にみせてもらいました、「慈子」上下巻をぜひ送ってという注文が初めての人から来た。
2005 8・17 47
* 朝晩は幾分涼しくなって… ゆめ
ここ西原では、すっかり虫の音も高くなりました。少し御無沙汰していますけれど、お変わりないですか?
『慈子』は、いまようやく「上」を読み終わりました。
この作品、実に雅ですね。幻覚のような美しさに圧倒され放し。嵐山の船下りや湯殿のシーンの美しさには、ちょっと言葉が出ない。我が身の日常を振返ると、全く気後れを覚えます。『徒然草』も久々に併読しましたけれど、こんなに素敵な作品だったのだなと思わされました。
「蛍籠とうから夢とけじめなく」徳女 の句が、象徴していますね。
*『慈子』が書き下ろしで本になる前、秦さんには女性読者がつきますよと編集者に予言されてどうやらそんな成り行きかと思っていたのが、ダアッと水の漏れてしまうように女性読者に見放された感じがあった。最初からこの作品、圧倒的に男性が愛してくれた。
だが歳月を経て、差し引きするとどうやら女性読者のじつに多くは、やはり『慈子』が好きなのである。泉涌寺の来迎院を訪れる読者の大半は女性であるらしい。
もっともわたしが慈子について話すと機嫌を損じる人もいないわけではなかった。ま、それも好きの裏返しであるのだろう。
2005 8・30 47
* 九月七日十一時に、二ヶ月ぶりの聖路加糖尿の診察。正午には済んでいるだろう。うまい昼飯、そして午後いっぱい胸のひろがる嬉しい時間がもてるといいが。
その次週には定例理事会と、歌舞伎の通し。二十五日には宝生のシテ方東川さんが「半蔀」のシテを初めて勤めるのでと誘われている。水道橋能楽堂。二十九日には俳優座招待がある。もうだいぶ涼しいであろう。そのまえ月火水のどこかで、電子文藝館委員会の予定。この隙間へ、何としてもモロー展、根津美術館、泉屋博古館、五島美術館などを挟みたい。メガネの新調にも出かけないと。
* それどころではない、湖の本の次の入稿を急がないと。いや、その前に連載の新聞エッセイにいい見通しを立て、二十日頃までには一つ二つ三つぐらい書いておかないと。ま、案ずることは何もない。
2005 9・1 48
* 一文字日本史 あす、風は吹くのでしょうか。たとえ、どんな風でも、吹いたほうがいい、新しい花が咲きそうにないことは残念ですが。一吹きしたら、違う方向から吹き返しが来ないとは限りませんもの。
と思いながらも、私自身はカチンカチンの化石のような旧態依然たる政党に投票しようと決心しています。
一文字日本史のなかで、いちばん身にしみて応えたのが「位」でした。この年になるまで、自分の好きなことを好きなように書けたら、いつかは読んでもらえるだろうと、それ以外のことはあまり考えず来ました。明石という辺境に生育して、哀しいかな、位取りの機微に通じません。つまり、ずーっと負け続けているんでしょう。縦横に織り成された位取りの網目に参加しないことは、結局、人間社会に参加しないことになるのではないかと、おかげさまで気付くようになりました。さりとて、さりとて、如何せん。 明石の松
* いい読者達に恵まれていると感謝する。
残念なのは、九州大学に在学の最も若い一人をのぞいて、東工大で大教室をともにした元学生たちの誰一人からも、こういう声の届かなかったこと。選挙権が出来たら、他の何をおいても投票には行ってくれとと、何度も何度も何度も教室でも教授室でも言った。どうか棄権しないでください。
2005 9・10 48
* 月の光 hatakさん
家に帰って電灯をつける前に、窓からさす月の光に気づきました。部屋が青く染まって、窓からは十字の光背を放って強く輝く十二夜の月が。陶然としたのもつかの間、富山の「月世界」を思い出し、お腹が鳴って下界に戻りました。
八月から読み次いでいた『日本を読む-一文字日本史-上下』昨夜読了しました。
「一文字日本史」
客: 茶の中での主客の対等を見つめなおすいいきっかけをもらった。
筋: 語源が種子とは面白い。作物学的にはどう探求できるのだろうか? いつか挑戦しよう。
縁: 京都「錦」の店と仕入れもとの他国とを繋ぐ地図。社会学でも栄養学でも歴史学でも農業経済学でもいけそう。どなたか、卒論のテーマにいかがですか?
祝: 源氏物語の「千尋」。女色いろいろの源氏君だがここだけは清廉な印象をもってよく憶えている。
私: 全く違和感なく「公」職と考えていた私。最近になって公(権力者)がしろという仕事と、「私」が「公」としてしなければならないと感じる仕事が、異なってきた。こういう名もない公務員の矜持が大切。「私民」、宿題としよう。
身: 「「からだ」という根幹との関わり如何が、色や匂い、形もさまざまな言の葉を繁らせ、心の花を咲かせた。」
からだと心を植物の構造にたとえている。このような「生物ことば」は、『戦争と平和』などにも。
暦: 医学書院で「週に一度の企画会議に一度も欠かさず、毎回一本ないし数本の企画を一年中提出して企画を通し続けた」記録。その間、秒単位の時間を使って『懸想猿』や『或る折臂翁』や『畜生塚』や『蝶の皿』や『清経入水』を書いていたことになる。こういう人の前で「私は忙しい」など口が裂けてもいえない。
さらに「「平成」の新天皇が、第一声に「みなさん」と共に「日本国憲法を守る」」と国民の前に誓ったことを、まさに
憲法改正の委員会が国会に設置されようとしている今、もう一度思い出したい。
女: 「天照大神はもともとは男神であったという古伝もある」。えぇー! ホンマデスカ。
風: 物理的な風は嫌い。圃場で病徴写真を撮りづらいから。冷たい一吹きで風邪を引くから。よって「「風」は深い畏れなしに親しめない。」に同意。
「「花」は愛し易い。」そうかなぁ、花もあんまり。私が好きなのは、きっと物質ではなくて、それを浮き上がらせる光、そして影。物質をはなれて漂う香り、かな。といいつつ、旅が好きなのは、やはり「風」を求めてのことか。
「わが無明抄ー思惟すてかねつー」
なまなましい述懐。
「静かな心」、ないない。
まだ闘争的体力が充分だった二十代のころ、禅寺に四五年通ったことがある。暁天も臘八も皆勤したが、ついぞ一度たりとも「静かな心」になり得たことはなかった。「門」の前からすごすごの口だ。
東工大の学生は核心を突いている。「死後は、無い。在るように思って生きることが大切です」。「死後を在るように思って生きる」は、「一人しか立てない島に二人立てると思って生きる」に通じるか。
「美しい仏」、美しい仏。気づかせてくれたこと、ありがたい。
「所詮「安心」は得られまいかと、心細かった。」と結ばれた「わが無明抄」、闇の深さに悲しくなる。冷たくとも明るく照らす月が恋しい。 maokat
* 珍しく零時ごろ電気を消したが、二時に一度起きてから寝付けなかった。妻が電気をつけ、何字と聞くと「六時」だというからそんなに寝たかとピンと眼が覚めた。機械の前へ来て機械をあけてみると、四時ではないか。しかし、もう眠れない。
そんなとき、maokat さんの、こういう深切なメールに触れると、眼も洗われて、真実嬉しい。有難い。
2005 9・16 48
* 湖の本の校正ゲラが出揃ってきた。入念に用意したとおりをそのままゲラにしてくれていたら、あとの作業はラクラクであったのに、みんなベタ組みにしてこられ、全然やり直しになる。ファイル電送だけでコトが済むと思ったのがわたしの手抜かりであった。一頁でもプリントして「見本」に見せてやるべきだった。急がばまわれ、省いたのだからわたしがわるい。やれやれ。
2005 9・23 48
* 新しい「湖の本」の初校を、丁寧に急ぎたい。
2005 9・23 48
*「湖の本」の校正もだいぶん進めた、一気に。明日の会議外出にも持って出て、さらに進めてたい。
2005 9・25 48
* 「ペン電子文藝館」委員会。八人。三時から五時。終えて、ひとり銀座に戻り、「福助」で寿司を食べながら、学会から送ってきた「流通する文学」の初校ゲラ、二度目を読む。ビールと酒二合。クラブへ寄ろうかと思っていたが酒の過ぎるのを嫌い、帰る。往復の車中で「湖の本」の校正。
2005 9・26 48
* 往くものは往き、来るものは来るであろう。永く延びる線のような永遠はない。「今・此処」が永遠。来るものは来る。往くものは往く。なにもしないで「今・此処」で待つだけである、その時を。待ちながら忘れている。
日付が変わる。明日は、俳優座。いい新劇が見たい。それが済むと十月の十日まで、目下なにも無し。湖の本が進行する。
2005 9・28 48
* 七時前に起きて、校正していた。うまくすると、午前中に初校を揃えて戻せるかも知れない。そう出来るといい。アタマも気もからだも使う仕事を始めてしまうと、ことに午前中は血糖値がツツツッと上がってしまう。からだがそう働くからだ。朝の血糖値は仕事を始める前に計らないと。
2005 9・29 48
* 湖の本の初校を終えたので、宅急便に託しておいて、出かける。
運動する人もあれば、舞の稽古に通う人もいる。人、いろいろ。
来週木曜六日に、電子メディア委員会。昼飯を食べながら二時半まで兜町で会議。十日は劇団昴公演。十一日、「ペン電子文藝館」委員会。十三日は日生劇場、高麗屋父子の「夢の仲蔵」。十五日、上智大で言論表現委員会・電子メディア委員会主催のシンポジウム。十七日、ペン理事会。十八日二時東京會は日中文化交流協会の歓迎パーティ。 十九日歌舞伎座昼夜。二十一日夕刻から谷崎賞の授賞パーティ。二十二日、原知佐子らの「劇」公演。二十九日第一生命ホールでコンサート。失礼も可能なのをまぜて、かなり混んでいることが分かった。
晴れやかに元気な秋でありますように。
2005 9・29 48
* 来迎院(慈子の庭)は二度目でした。一度目はもうずっと前、ご著書にみちびかれてでした。
そのときと同じやうにあのお縁側に腰掛けて、お庭を拝見する、のではなく、お庭の中にゐました。でも、何かがちがふ。
初めて来迎院にまゐりましたときも、最初はどこか落ち着きわるく、きょろきょろいたしましたが、すぐ、朱雀先生があらはれ、慈子が、宏が、お利根さんがあらはれてくれました。
けれど、今度はちがひました。をりよい秋のむら雨に樹々のしづくがひかり、葉がかすかにさわめきましたのに。障子の半ば開けられたお茶室のほの暗さのなかにも、慈子のけはひはなくて……。何かが変つたやうな。わたくしの心の在りやうかもしれません。
わたくしの「湖」の棚から、『慈子』を引き出してきました。「湖」シリーズのほか、濃い紫に金で「慈子」とある筑摩書房の新装版(遅れて来た読者は古書店でこのご本、手にいれました)、きりっとした眼差しの少女のゑがかれている文庫版。今日は染まりそうな濃紫をひらくことにいたしませう。 香
*「慈子」は、これまでに五種類の本がある。最初のは、作家以前「菅原万佐」という筆名で、妻の装幀で出した四六版私家版『斎王譜』と題したのが、それ。現行本よりだいぶ長い。他に「蝶の皿」「鯛(掌説集)」「祇園の子」が入っていた。この私家版が、小林秀雄筋から新潮社、「新潮」編集室へまわされていたらしく、いきなり酒井編集長の呼び出しが来た。「男なんだ」とおどろかれ、ぜひ本名で書くようにと勧められた。「菅原万佐」名義の私家版は都合三種あり、四冊目の『清経入水』を本名「秦恒平」で出版してこれが受賞した。
『慈子』として出た最初は、太宰賞受賞後に、『斎王譜』を徹底的に推敲、筑摩書房から「書き下ろし」本に成ったとき。さらに三度目、箱入りの美しい装幀に一新されて筑摩から出た。「香」さんのいう「紫」本であり、光悦・宗達の繪が配されたような、著者も大好きな本。しかし次ぎに出た集英社文庫も、親しくしていた森田曠平画伯がみずから選ばれた「紅梅少女」のカバーがみごとで、気稟の清質まことに尊ぶべき美しい装幀で、わくわくと嬉しかった。
そして五度めに「湖の本」版上下巻が出来、このとき、ほんの少しだが書き添えた描写がある。
2005 10・10 49
* いやおうなく、新しい「湖の本」の大幅に遅れている発送用意に、やっと、とりかかる。
もう日付が変わる。明日も午後から晩まで二つ予定がある。前半を失礼するとからだもやすまるのだが。
2005 10・14 49
* 演技派でからだのすばらしくよく働くアンジェリーナ・ジョリーの「トゥーム・レーダー」を観ながら・聴きながら、だいぶ作業をはかどらせた。もう一息で、校了出来る。作業の時の映画は、ふきかえでないと、または日本映画でないと困る。
もう一仕事しに階下へおりよう。
明日は、理事会に出かける。明後日は日中文化交流協会の歓迎会がある。そして今月の歌舞伎座はどう楽しめるだろう。金曜日は中央公論社のバーティ。土曜は原知佐子の芝居。もう一週間、フル回転する。月末の一週間はラクになっているが、湖の本が出来てくればたちまち重労働になる。なるべく、のんびりやりたい、腰の痛みを庇いながら。
2005 10・16 49
* 湖の本の責了作業を追い上げて、明日、本文を送り返せるように用意した。すこしツキモノの処理が残っているが、うまくすれば来月の初めに送り出せるかも知れない。
2005 10・17 49
* 今日「湖の本エッセイ36」を揃えて(表紙以外)責了にした。創作と通算85巻になる。十一月前半の日程があまりに混んでいて、本は出来ても、発送は少しだらだらと延びてしまいそう。ま、いいか。
今日は、一つ日中の会合があるが、早めに出かけ、うまく脚を延ばして、見落としたくない美術とも出会って来ようと思っている。雨はどうだろうか。
2005 10・18 49
* 松本たかしの俳句を読む。
さてこれから来月の文化の日まで、息がつける。四日から十四日までは予定でびっしり。湖の本の発送が、その間に可能か、十五日からになるかは、凸版の印刷と製本の進行次第である。ま、おちついて、日一日を着々迎え、送るまでのこと。
2005 10・22 49
* 本がいつ出来てくるか、まだ分からない。それで大きな予定が立てにくいけれど、いずれにしても十一月の前半はびっしり他のことで埋まっている。発送の用意は着々進んでいる。
2005 10・27 49
* 月末に新しい本が出来てくると、報せあり。月初めの週は、大わらわ。いや十四日まで、あれがありこれがありそれもある。躰を痛めぬように、力をぬいて乗り切りたい。俄然気ぜわしくなった。発送の用意が間に合うか、どうか。創画展(三十一日会期切れ)だけは、行っておきたかったが。
2005 10・28 49
* さ。いつもの臨戦態勢に入って行く。機械へ近寄る回数が減るだろう。
* いま日付が変わる。からだがガチガチになるほど終日の作業、やっと週明けの納本へ、前半段階の用意はできた。明日にも後半分の用意を大方進めたいが、創画展へも、散髪にも行っておきたい。行けるかどうか、分からない。いまは頭も働かない。もう少し明日のこころづもりして、やすもう。
2005 10・28 49
* 「差別に関わる身の処し方、重い重いテーマで、私なりに所作進退が洗われる思いで、繰り返し頁をめくっています」という山形県の読者の心嬉しい手紙も添って、『北の時代 最上徳内』上中下三巻をお友達に「贈り物」にしたいと注文が届いた。この「現代・歴史」小説は、アイヌへの、また韓国朝鮮への歴史的なわれわれの「差別」に対する批判と反省を主題にしている。敬愛する日本人はと問われれば、限りないけれど、江戸時代では、潜入神父シドッチと誠実に対峙した至誠の詩人政治家新井白石と、アイヌ文化に親愛を惜しまなかった科学的冒険家最上徳内を書き、また近代に先駆けた与謝蕪村を書き、そして同じく上田秋成を、ついに書きそびれているのである。
2005 10・29 49
* 納本を待ちながら、夏冬ものの衣類の入れ替えなどした。十月尽の更衣では少し遅れているが、実情ではまずまずか。
2005 10・31 49
* 新しい本が無事、午後の早いうちに出来てきた。すぐ今日の分の作業をはじめて六時過ぎに送り出し、夕食を終えた。これから日付の替わる頃まで、ガンバル。明日も、明後日も。
2005 10・31 49
* いましも日付が動き、十一月に入った。いままで、アラン・ドゥロンとジェーン・フォンダの「危険がいっぱい」を横目に観ながら、荷造りをしていた。よく頑張った。
2005 10・31 49
* 午前からいま宵の六時まで、作業。京都の寿司「ひさご」から、沢山な松茸の籠が贈られてきたのを、汁にし、また牛肉ともあわせて、晩餐。体重増をあんじて大好きな松茸飯を控えている。西村五雲の「秋香」と題したついた土の香もする松茸の繪軸をしまい込んでいるのを思い出した。
2005 11・1 50
* (大和)箸墓近くで「上ツ道跡」が発掘されたとか。大友軍と大海人軍が戦った道だそうですね。きれいな十字路。
東海道などの街道を基準に想っていたら、だめですね。今のコンクリと重機の道より、はるかに、上古の官道は、しみったれた現代人の肝をつぶさせます。
そんなニュースのあと、寝しなに、ケータイが震え、メールを受信いたしました。
かえってお手をわずらわせることになりまして、身が縮みます。
さきほど、伊賀の新酒を買って帰ったところに、新しいご本が届きました。
おからだなにより第一に。そしてお仕事も、できるかぎりお続けくださいますように。雀が憧れ大好きな方の、吹きガラス初作品の盃で、ご本に献杯。 雀
* 先程、ご本が届きました。ありがとうございます。
ざあっと読んでしまいました。これからゆっくり、じっくり、読ませていただきます。
ゆうべは、富岡多恵子の『中勘助の恋』というのを読んでいました。
いいお天気が続いていますね。昼夜寒暖の差が激しいので、何を着ようかなとまよったりします。お元気で。 花
* うまい夕飯をたのしみ、十時頃の入浴も挟みながら、結局十一時半頃まで、発送の作業。予定したとおりにことは運んで、これで一息つける。明日は散髪できるかな。
二階の機械の前へきたら、京都の「ほんやら洞」主人の甲斐扶佐義さんから、死んだ兄に触れて心嬉しいメールが届いていた。他にも。
* 北国の「昴」さんのメール・・・うれしく拝見しました。 ゆめ
あの日あの時刻、輪島・光浦で、もし私と並んであの場所にいたなら、昴さんもきっと北の海が不思議に光るのを目撃されたことでしょう!
太古の昔、生物は海の水から発生してきたとか・・・。私にとって能登の海は私が生まれてきたところ、そして還っていくところです。海辺の水際は此岸と彼岸の境目といいますけれども、海は「生命」も「死」も「再生」も、たくさんのものを内包しているのだと思います。
一昨年、母の喉仏のお骨を郷里の北陸の海に散骨しました。(他のお骨は墓地に埋葬、この小さなお骨だけはなぜか30年も持ち続けていたのです。)
朝晩、立山連峰をのぞむ海にいて、母もきっと喜んでいると思います。
末筆になってしまいましたけれど、ご本(湖の本の新刊)届きました。明日から通勤バッグにいれて・・・。
2005 11・1 50
* よく晴れている。これから郵便局へ走り、それで第一次の発送は軽く一段落する。あとは、小刻みに進める。
「解釈と鑑賞」の原稿依頼があったのを、モノの下積みに見落としていて、編集の渡部芳紀さんらに失礼した。多い郵便物の収拾がつかなくて困る。要するに片づかない、いや片づけないからである。かといって人に頼むと余計分からなくなる。
今日オープンの、久しい読者の小さな個展が、銀座で。早めに行っておかないと、来週から十日ほどはいろいろ忙しい。いま、気になる散髪もしてきた。
2005 11・2 50
* 発送作業が一段落と伺い、ほっといたしました。
昨日『花鳥風月・好き嫌い百人一首』いただきました。ありがとうございます。
どのようなご本であるのかと楽しみにしていました。そして、封筒の中から現れたこのご本を見て、わたくしは胸がつまって涙ぐみました。理由は申し上げられませんが、ある強い想い、予感にとらわれたのかもしれません。冷静になれなくて、昨夜はメールを書くこともなく、ただご本を色々読んで心乱れていました。
今朝気をとりなおして、また最初から読み始めました。百人一首で、恋をする前から恋を学んでいた少年でいらしたのですね。同じ年頃のわたくしはもっと幼かった。恋の歌はよそごとでした。
わたくしが小学生の時のお気に入りは、「朝ぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里に降れる白雪」で、誰にも札を取らせなかった。なぜ好きなのか理由はわかりませんでしたが、湖の解説「音楽としてまず惹かれた」を読んで、そうであったかと思い至りました。
以前から、百人一首の「解説本」の味気なさにうんざりしていました。六百字の制限の中の「好き嫌い」の鑑賞に、湖の息づかいが濃厚に感じられて震えます。本当に和歌を愛してきた人だけが語ることのできる、日本の美、百人一首の魅惑でした。
ご本を読みながら、湖その人のお歌も思い出しています。ひとり訪れた日の来迎院の襖の百人一首も思い出しています。忘れられません。きっといつもいつまでも思い出して、このご本を繰り返し読むのでしょう。特別なご本でした。わたくしのために出してくださったご本とさえ思ってしまいました。嬉しいご本でした。
十八日ごろから白金の庭園美術館でマイセン展が開かれます。ご存じと想います。隣の自然教育園の中を歩いたことはありませんが、一度入ってみたいと思っています。
ドイツに住んでいた時、街の骨董店でアンティークマイセンをよく見て歩きました。お値段は言わずもがなですが、素晴らしいのです。ドイツの冬は陰惨なほど暗く重く長いので、日本の茶碗のようなわびさびの世界では耐えられない。どうしても室内で華やかに美しい陶磁器を使うことが、精神的に必要だったのだと思いました。陶磁器が彼らの花鳥風月であったのかもしれません。ドイツのコーヒーはたぶん世界で一番おいしいでしょう。
またの診察までご節制のことと思います。寒くなってきて、エロティックと表現していらした牡蛎のシーズンになってきましたね。診察結果が晴れてダイエット解禁となれば、生牡蠣でもグラタンでもおいしいお酒と一緒に楽しまれてはいかが?
わたくしは今晩にも牡蛎フライを食べることにします。 白い秋
* 鈴本のあとに入った上野の「天寿々」で、一品「烏賊ですか、牡蠣ですか」と板さんに聞かれた。妻は烏賊、わたしはむろん牡蠣を頼んだ、今秋の初物だったが、美味かった美味かった。しかし牡蠣は慎重に食べた方がイイ。お奨めにしたがい、あさっての糖尿診察のあと、銀座日動画廊のちかくで個展を一つ観て、そしてどこかビヤホールで、わたしも生牡蠣や牡蠣フライを盛大に食べながら「少年」の校正をしてこようか。
2005 11・2 50
* おはようございます、風。
今朝は曇っています。週末の天気は悪いとか。寒くなってきたので、からだを冷やさないよう、あたたかいココアを飲んだりしています。
風は、発送作業でお体を痛めたりなさっていませんか。くれぐれも、お大事になさってください。 花
* 幸い足腰今回は、数度の危険信号が去来した程度で、大事ない。前回は上下巻を一気に扱ったのがキツかった。外は曇っているが、気持ちは晴れやかである。と言ううちにも晴れ晴れと外が明るくなってきた。
2005 11・3 50
* こんにちは。新刊のご本(『花鳥風月・好き嫌い百人一首』)届きました、ありがとうございました。思いがけず読みたく思っていた恒平さんの百人一首、嬉しくてわくわくしています。
先日送って頂いた『慈子』読み終わりました。生きていくことの哀しみのようなものが、胸にしみわたりました。
ネットで読めるのも魅力がありますが、やはり「本」で読ませて頂いてよかったと思っています。
娘達の家から帰った後、左膝を痛めてしまい、しばらく外が歩けませんでした。無理がきかなくなっていて、なんとも情けない気分でした。
やっと痛みも治まり、今日は岡崎の勧業館まで出かけます。紅葉にはまだ少し間がありそうです。
くれぐれもお大切にお過ごしください。 のばら
* 従妹の送ってくれた金閣寺の写真をときどき懐かしく眺めている。
* ご本の御礼。 多摩 e-0LD
秦さま、湖の本『花鳥風月・好き嫌い百人一首』早々届きました。有難うございます。
引越しであらかた書冊を処分し――とうにカルタとも縁遠くなっていたのですが――木札の百人一首と、子供のころ両親、家族と楽しんだ定番の(九重)小倉百人一首もなくなり、、年の瀬を迎えようとするいま、何やら寂しい思いをしておりましたので、とてもうれしく懐かしく、読み始めています。
まず、和歌文化の流れをおさらいする上で、イマ(同時代)に生きる「花鳥風月」から。おさらい以上のものが詰まっているようです。
先日、『令義解』の抜書き写本を読んでいて、往時の農政(田畑)の背景について少し分からぬことがありました、一、二を読んで、合点がいきました。
振り仮名も有難く――紋切り調の文献資料とは違い、読み物はよく理解できます。肥大しすぎた「定家」山脈を縦切り、横切り、輪切りすることも大事でしょぅか。ただ、数千点を超えるかもしれない中世末~幕末までの「往来モノ」を束ねても負かすほどはありますね、定家・小倉百人一首の近世~近代庶民の読み・書き・歌作りに与えた実績は……。
昨日、不整脈、高血圧気味が気になり超音波で心の臓を診てもらい、意外と皮下脂肪がついてますね、と言われました。冬に備えた「馬肥ゆる」と切り返したかったのですが……。寒さに向かいます、どうぞお大事に。御代は明日送金します。やや寒、こ寒、秋あわせ。
* メールの途中、やや少し判読できない化け文章で跡切れていた。お互い様、お大事に。 2005 11・3 50
* > 「百人一首」では、作者の名前も歌のうちと私は楽しんだ。 考えたこともありませんでしたから驚き、また、新鮮な視点を与えてくださいましたことに感動しました。そう読むと、なるほど、名前も歌の世界です。今まで何を読んでいたのでしょう。心魂に徹した文藝愛にふれ、ぞくっとしました。 一読者
2005 11・3 50
* 弁護士でペンの委員会で知り合った五十嵐二葉さんから百人一首の「勝手な解釈」面白いと、メール。また歌人で評論家であった故米田利昭氏の奥さんからも、百人一首に寄せて昔々の思い出などを縷々語るお手紙が来ている。丸善の「学鐙」に『一文字日本史』を三年間連載、その外にもしばしば書かせて貰った北川和男編集長の訃を奥さんから伝えられたのも、今日のショックな一事件。
たかをくくってはいけません、絶対死なないで下さいと、夫君に重い糖尿病で死なれて間もない松井由紀子さんに、面をおかして注意されてきた。タカをくくっているのではない、が、それに同じいことをわたしは、確かに現にしている。そのあるがままを、わたしは、あまり、歪んでいるとも感じていないのである。
2005 11・4 50
* 湖の本、拝受
ご高著『湖の本』をご恵投たまわり、感謝にたえません。
ページをめくっておりますと、ふと高校時代のことを思い出します。古文の勉強に百人一首を鑑賞暗記したものでした。大学に進んでからは理系の勉強にいそがしく、また、外国文学や現代文学ばかりに目が行っておりました。
先生の文学はこういう世界の上に構築されているのだなと、感じ入った次第です。今後ともよろしくお願い申し上げます。御礼のみにて。 東大教授
* 秦さんの「好き嫌い百人一首」がめっぽう面白く、昨日今日移動の車中でよみふけりました。
すると、今日、古書店の反古書冊群の中から、大江匡房の名の入った和歌懐紙を二紙発掘してしまいました、店主は価値に気付かずのようでした、赤ちょうちん安酒一杯ていどの代価。僥倖、秦さまのお導き。
シンクロニシティ=共時性は、ときどき思いがけず現れます。失くすものあり、拾うものあり。
前のコレクションもほぼ失い、古筆とはだいぶ離れ気味でしたが、こんなこともあるんですね。
研究鑑定資料も散逸し、飯島春敬、春名好重両先生の事典ほかが少し残る程度です。小松先生の会もなくなり、京都の時雨亭文庫も脱会してだいぶ寂しくなっていました。
一紙は、墨流しの料紙、承暦二年内裏歌合の祝に詠む……..前中納言匡房。一首「君が代は……」。
もう一紙は、金箔をあしらった元はかなり豪華であろう料紙。匡房朝臣の詞、赤染衛門の和歌一首。ともに、平安後期の大ぶりのサイズの厚手鳥の子の料紙、時代を感じさせる書きぶり、二紙は異筆のようで、調べはこれからです。大江匡房の確たる書は残っていないようで、ひょっとすると……。
一紙はあきらかに表装からのマクリ。ヤブレ、イタミ、ヨレ、シワなどなどあって、美術品としての価値は低くても、修復に手間がかかるにしても、お宝鑑定の夢みはふくらみます。赤染衛門が書いたものではなくても、清少納言、和泉式部と交流があっただけでワクワクします。ま、専門鑑定で、少し時代は降るかもしれませんが。ちらし書きの仮名もけっこう難しいし………。
今夜は控えていたビールを少しやって、「さ夜更けて」の音律を夢にみましょう。お導き有難うございます。 樹
* それはそれは。夢が膨らみます。
2005 11・5 50
* 「エッセイ36号」一昨日午後拝受致し、もう、「花鳥風月」読ませていただきました。「百人一首」は日に3-5編づつ、繰り返し玩味させていただく所存です。
また本日メールにて、拙作にお目通しいただけたそうで、貴重な時間をわずらわせ、ありがたく、深く感謝いたします。返信、たいへん遅れました。珍しく来客がありましたので・・。
水上瀧太郎・中勘助、は昔読んで深い感銘をうけました。新しいものでは崎村裕のものに大きな共感を持っております。十和田操「判任官の子」はまだ読んでおりませんが、すぐ、読もうと思います。ただ、あまりいろいろ読むと気は起こるものの、一方で己れの拙さに絶望し、二の足踏むこともあります。「盲目、蛇に怖じず」ぐらいが身の丈に合っているのかもしれません。こんなこと言うと叱られそうですが・・。
文中に「瑕瑾」とありました。お送りいたしましたあと、推敲を重ね、11-3日付けでわたしなりの完果を果たしたつもりでおります。それが先生のご指摘くだされた「瑕瑾」にあたるかどうか分かりません。お目通しのうえ了とされれば「E-文庫・湖」の方へ投稿させていただきたく存じ上げます。
ご多忙中、まことにまことに、ありがとうございました。
完稿、送らせていただきます。ただ題名の「ぶん回しの紐」はどうでしょうか・・
玉川上水の写真を撮りたいと思っておりますが、気に入った風景が、西から東に向けた角度になってしまいます。すると夕景ということになり、撮り終わって帰る時刻に寒くなります。
天気晴朗にして寒暖の差はげし、どうぞ充分にご用心のほどを・・。 甲子
* パソコンが完全に壊れ、たくさんなデータを失ってしまいました。強制終了が原因らしいのですが完全ダウンは初めてです。バックアップの必要性を痛いほど感じています。しょげかえって 帰宅しましたら、「湖の本」が 届いていました。好き嫌い百人一首。おもしろそう、わくわくしています! ありがとうございました。 波
2005 11・5 50
* 空気が冷たくなってきましたね。
『旧約聖書』『千一夜物語』の縦糸に、先日いただいた『花鳥風月・好き嫌い百人一首』の横糸をさしいれ、読み始めました。
いつも初めのページからと思うものの、やはり好きな歌から入ってしまいます。
一に好きなのは、「みかの原わきて流るるいづみ川・・」、二番目は「立ち別れいなばの山の峰に生ふる・・・」で、これは高校生の時からまったく変わりません。高校一年の冬休み、国語の宿題に「百人一首を覚えてくること。年明けに歌留多とり大会をします」と言われ、ぶつぶつ言いながら覚えましたけれど、思えばこれは大変素晴らしい宿題でした。それまでは古文、特にあの文法というのが大の苦手で「係り結び」などちんぷんかんぷん。百人一首を音読・暗唱することで、文の流れが自然に理解できるようになったのですから不思議なものです。
そうなんですね、先生もおっしゃるように「和歌」「短歌」は歌、つまり音楽なのですね! さきにあげた2首も歌の意味ももちろんですけれども、最初はその美しいしらべに魅されたように思います。平凡社刊『秦恒平の百人一首』はそういう意味でも他とはひと味もふた味も違いました。そして短い解説の中に、その作者の人となりや、その時代の空気にまでも触れている・・。
NHKブックス『梁塵秘抄』、『閑吟集』も同様で、歌の解説もユニークながら、その作者と時代にあくなき関心を寄せていらっしゃる秦先生の目を感じて、とても新鮮でした。
「海幸、山幸」について、少々。私、子ども時代に読みまして、かろうじて知っていますけれど、戦後生まれは知らない人、多いのではないかと思います。
明治時代から続いた何回かの戦争の中で、古事記神話は「天皇は神」、いわゆる「皇国史観」というのでしょうか、ずいぶん戦争と深い関係にありました。そのため戦後教科書からは意識的に取り除かれてきたと聞いています。
(現在また、扶桑社の『新しい歴史教科書』問題ありますけれど。)
私にとって出雲は第二の故郷なので、その神話というもの、かならずしも荒唐無稽なものでなく、出雲の自然や生産と深い関係にあることを実感しているため、大変残念に思うこと、少なくありません。
来年の1月末は、北の海へ流氷を見にいこうと計画しています。1回目は10代の終わり、まだ学生でお金はないものの(これはいまもたいして変わりませんけど)時間はたくさんあったので、フリーパスを使って3週間ほど冬の北海道へ。2回目は、まだ小学生だった息子が流氷の上にアザラシがのっているのをテレビでみて、是非にと母子二人の旅。そして、今回は3回目となります。 ゆめ
* うまくするとオホーツクの昴に出逢われるかも知れない。「ゆめ」は「昴」のメールを読んだでしょうか。
* ゆめ 追伸 HPに出ていた「藤原鎌足」さんて何ですか? 何か食べ物のこと? それともあの「安見子」と関係あります?
* 大織冠、藤原鎌足。すなわち「大食漢」を諷されていたのです。
2005 11・6 50
* 「好き嫌い百人一首」読み終えたところです。私にとりまして最良の解説書になりました。本文は一頁にキチンとおさまり、最後の行には、作者の年代、批評も。これ以上の素晴らしい鑑賞の本はないと思います。一気に読ませていただきました。有難うございました。 作家夫人
* 「好き嫌い百人一首」わくわくしながら拝読いたしております。私は百人一首が大好きでございます。そしてなつかしいなつかしい思い出がございます。
中学一年の期末試験が終った後でした(二学期末)、国語の中年の女の先生が、私の方を向いて(私は真面目に勉強しておりましたから、この先生に気に入られておりました。通知表は十点をいただいております。)「お正月にはかるたをいたしましょう。いろはかるたではありませんよ。百人一首です。上の句を読んで下句のふだを取るのです。クラス対抗でね」とおっしゃいました。
家へ帰り、祖母に「おばあちゃん、百人一首って知ってる?」と聞きますと、「知ってるわよ。天智天皇 秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露にぬれつつ」とふしをつけて言うのにびっくりぎょうてんした私。「今度クラス対抗でとり合うのだから百人一首買って」と言うと、早速祖母は買って来てくれました。
冬休み夢中で五十首は覚えたでしょうか、三学期、私は二学期に平均点九 .二とってクラスで一番になっておりましたので級長でした。「三十枚以上覚えた人」の先生の声に勿論私は手を上げました。四人手を上げた人がおり「ではその人達がクラス代表」と先生はおっしゃいました。
ABCDと四クラス。私はC組。A組にすごく上手い人がいたのでC組は二番でした。でも良かった。うれしくてたまりませんでした。
それからはもうやみつき、二学期の期末試験が終れば、(机の中に百人一首は入れてありました。)(お作法の先生におことわりして)二十畳のお作法室をおかりしてやりました。若い男の先生を呼びにいくのは私の役目、「あなたの声で呼べば先生はいらっしゃる」などとおだてられて……。数学、社会、生物、『青い山脈』の時代でしたから、先生と生徒はとても仲が良かったのです。(以下略)
そんなわけでこの「湖の本」36 夢中で拝読いたしております。ありがとうございました。かしこ 評論家夫人
* 亡くなったご主人が、このあと「先生」の一人として登場し、この手紙の主を認識されたらしいことなどが書かれている。『青い山脈』の時代であるから、わたしとほぼ同じなのである。ふんわりと懐かしく拝見した。
* 霜月一日「湖の本」賜りました。
私の大好きな百人一首のご本、わくわくしています。
百人一首――、そらんじているはずなのに、忘れていて、私はよく、車を運転しながら声に出してみます。
でも完ぺきに言えるのは今では三○パーセントぐらいでしょうか、人に、初句を言ってもらったりするともうすこし高いかと思います。時々ふっと思いつき、言えないとかなりイライラします。老化の現れと思います。
先生、手元に、木札のかるたがあります。全部手書きでおそろしく判じ難いものですが、厚さ一㎝足らずの、桐(らしい)材です。古物商でみつけたもの、遊ぶ人員も揃わないので時々ひとりて見入っています。
「難波潟――」は私のいちばん好きなうたです。
子供達がまだ小さかったころ、うたうように、音楽のように、かるたとりをして遊びました。末娘は「大江山――」の札を他の子にとられると「ワタシノ ――」と、泣いてくやしがったものでした。
(中略)
先生「わが身のまわりに、なあんにもない状態……」って、どううけとればいいのでしょう、胸さわぎを覚えます。
遠山に日のあたりたる枯野かな の世界とは――
院展のフロアを歩む偶然に逢へたら今日の僥倖として さち
どうぞお元気で、そしてペンの会ででもお目もじ叶いますように念じております。 岩手県
2005 11・6 50
* 秦先生 お元気でお過ごしでしょうか。
一年前の11月6日には、私どもの結婚式にご出席いただきまして有難うございました。
早いものであれから一年が経ってしまいました。
実は、ご報告が遅くなりましたが、長男が生まれました。
私の大好きなスペインの画家ディエゴ=ベラスケスのディエゴをもじって、「大悟(ダイゴ)」と名付けました。
私自身もあきれておりますが、先日神田の古本祭りに行ってきまして、その際に、ベラスケスの画集などを2冊買ってしまいました。
古本街に行く度に今まで見たことの無い画集があるような気がしています。(今回はベラスケスに影響を与えた画家の一人ルーベンスの画集も併せて購入しました。)
今回の「好き嫌い百人一首(湖の本36)も、楽しく拝読させていただいております。いままで、「百人一首」には正月以外にあまり触れる機会なく過ごして参りました。
歌の意味だけならまだしも、その背景や詠み人について考えたこともほとんど無い中で、とても興味深く、一首ずつ楽しみながら読んでおります。
絵画についても、時代背景はもとより、画家の人生や人となりを知ることで絵画そのものについてもまた違った見方になることがあるのと同様、和歌においてもかくの如しかと、改めて思った次第です。
日々勉強、頑張って参ります。
霜月に入り朝晩は寒さが少々厳しくなって参りました。お身体には充分お気をつけ下さい。 河
* 大いにそだち ゆたかに悟り ちちははのめぐみ うれしく受けよ おめでとう。一年。おめでとう。
父になり母になることのいかに幸せで大切であるかを、一般に、忘れかけているようです。親たちの愛を全身に戴いた子たちで、この世が成れば、どんなにかいいのに、と想います。
* 秋、一日一日深まり行く。
2005 11・7 50
* 初雪 hatakさん
一ヶ月の間に、東京、横浜、和歌山、京都、金沢、直江津、新潟、秋田と出張して、今週は札幌市内で毎日会議。
私が右往左往しているうちに、かさこそと紅葉散り、今日は初雪が
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こんな様子に降りました。
御本を開いて、「四季」に感じ入っています。 maokat
* 冬祭りがちかい。みなさんのご健勝を祈る。
2005 11・10 50
* 久し振りにHPを開いて、先週届いた湖の本への皆様の感想やご自身の日々のさまざまを読みました。確かに急激にダイエットなどいけません。余力というか、余裕というか、いくらか太っている方が抵抗力があるかもしれません。昨今のダイエット・ブームの基準は勿論、お医者様の言われる理想体重までも痩せるのは大変なことで、それを考えるだけでもイヤになります、わたしは意志薄弱でなかなか痩せません。
くれぐれもお体大切にされますように。
湖の本は「百人一首」で、なんとも懐かしく・・意味など全く分からない幼稚園の頃から遊んで覚えました。そしてその後此処に編まれた歌より凄い歌は世に数多あることも知りましたが、日本人の中に根付いているものの一つはやはりこの「百人一首」だと思います。
「家にじっとしていられない鳶」と、もうこれは定着したイメージかもしれませんが、日常は決してそんなことはありません。車をもたないことには不便な環境、ただし近所まで買い物にでかけるのが目的で自分の車をもつのはわたしにはあまり意味がないこと。ほとんどの時間を部屋で一人で過ごしています。バスに乗って出掛けるのは週一度あるかないかです。この日常はある意味ではとても寂しいものです。このように生きたいと願っていたものとは違います。いつも葛藤している弱い存在です。
手の怪我は親指の先で、傷口はもういいのですが、傷が深かったのでしょう、一ヶ月たっても一日のうちに何回もビクッと違和感があってまだ親指を使えません、不便なことです。それでも親指を使わないで工夫して絵筆も持っています。デリケートな線は描けませんが、並行して描いています。
この秋は院展に行っただけで・・これから紅葉の時期、浮かれ心? 騒ぎます。
十月半ば、近所の稗田神社から斑鳩寺への神輿渡禦に出合って感動しました。田舎の祭礼で、提灯をもった百人あまりの人がただ暗い田んぼ道を神輿と渡っていくだけ。折りしも雨模様が懸念され、男たちは背広にゴム長靴履いて長傘と御幣を手に・・。派手さこそないけれど、このように伝わっていくものがあると感じました。わたしもその行列について行きました。日ごろは夜には入れない寺、三重塔の下にぼっと提灯が湧き上がり、白装束の若者たちの姿が浮かんだのも幻想的でした。
先日は火星接近、通常の二倍近く明るくなった星を楽しみました。
京都南座の坂田藤十郎襲名公演にいらっしゃいますか?
詩、のこと。
「鷲のように」・・ 此処の「あなた」がここでは人間と限らず、「大きな存在、そして死も含んでいる」ために「掴まれる」の動詞自体が意味を把握しにくい? 「鷲のように」が必要になると考えられたのですね。読んだ最初にやや違和感があったのですが・・その唐突さを寧ろ、敢えて、採るのがいいのだろうと思いました。本当にお手数をかけました。感謝します。わたし一人では絶対粘らないでしょう、たったこれだけに・・苦しんで苦しんで・・それでもこれだけ。奇妙な空虚感と充実感と。
繰り返し、重ねて、ありがとう、ありがとうございます。 鳶
* ドナルド・キーンさん、瀬戸内寂聴さん、今西祐一郎九大教授、、大久保さん、坂本忠雄さん、天野敬子さん、寺田英視さんらもと新潮、群像、文学界等の編集長、倉林羊村さん等々その他にも多くのみなさんから新刊の「百人一首」にありがたい返礼の便りをいただいているが、感謝申し上げて、さ、病院へ出かける。
2005 11・10 50
* 秦恒平様 京への旅、お疲れさまでした。
今朝は早速に秦様のHPを開き、弥栄中同窓会の様子を拝読、参加出来なかった夫に「盛会だったようよ」と伝えました。
参加したいと直前まで努力していたようでしたが、何分にも平日の日中とあっては仕事の都合が如何ともし難く、幹事さんに電話してお詫びしていました。
私はHPの中で秦様と共に楽しく京を旅させていただきました。それにしても、いつも私の旅はかようにあわただしいのかと悲しくなりました。
「好き嫌い百人一首」 楽しく読ませていただいています。
私が小学生の時最初に憶えた札は、「大江山いく野のみちの—-」です。当時疎開して暮らしていた丹波園部の母の実家も酒造業で、戦争が始まるまで「大江山」というお酒を造っていました。家のそこここに「大江山」の盃、徳利、前掛け、レッテルなどがありました。その上、「天橋立」も当時大人達の日常会話に良く出てくる地名でしたし。
私の好きな句は「あさぼらけ宇治の川霧たえだえに—」
理由は単に、宇治川が好きだから、です。
通っていた小学校が桃山にあったので戦争中からずっと、幾度も観月橋や宇治へは行きました。
大学時代も一年間毎日宇治川を横に見て通いました。
幸いなことに最近でも京都大学のクラス会で何年か毎に川辺の旅館に泊まるので、早朝、変わらず蕩々と流れる宇治川を眺めています。
その他、私の旧姓が「菅*」といったもので(別に道真公の子孫というわけでもなさそうですが、一応家紋も梅鉢)
「このたびはぬさもとりあえず—-」の札は他人にとられぬよう気をつけていました。
京浜電車で逢坂山を通れば蝉丸が浮かび、嵐山にあそべば小倉山の句が。
百人一首は歌留多として遊んだお陰で、生活の中にしっかりと根を下ろしていることに気付かされます。
昨日大泉学園ですこし時間があったので、牧野記念庭園に立ち寄りました。
いつ来ても、生涯学び続けた牧野富太郎の気迫に打たれます。
花在れバこそ吾もあり (牧野富太郎)
奥様が亡くなってから詠まれた句
家守りし妻の恵みや我が学び
世の中のあらむかぎりやすえ子笹 (牧野富太郎)
奥様存命中にそう言ってあげてほしかった—-(でも、いわずともわかっていたでしょうね。)
さざんかとお茶の花が咲いていました。
2005/11/10 藤
2005 11・10 50
* 今日、(E-文庫・湖)に拙作「ぶん回しの紐」が掲載されているのを見ました。
ご繁忙のなか、またお疲れのなか、お手数を煩わせ、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。これを励みに次なる作にかかりたいと存じます。
「百人一首」毎日少しづつ、繰り返し読み進めております。私の従来観とは違った趣があり、自身の読みの浅さを痛感、ひとり赤面しております。
同時に「古歌」は、メタファーの充満した優れた世界でもあるなあ、と感じ入っている次第です。この感覚を是非とも創作の場に生かさねば、などと企んでもおります。どこまでも貪欲、因業な老いぼれ、ご憫笑下さい。
いちだんと冷え込み、厳しくなってまいりました。ご自愛を。 甲子
* 電子の杖と創作の眼鏡。たしかな足取り。
* 航空便でと頼まれてチェッコのプラハへ送った湖の本が、はるばるとまた空を越えて返送されてきた。すばらしい遠い旅をしてきたんだと想うと、その荷物がなんだかエライもののように見えるからおかしい。問い合わせのメールはまた数分のうちに往来できるから、これまた驚嘆。で、宛先が尋ねられなかったのは、書いた宛先は正確であったが、そのアパートだかマンションだか宿舎だかに「表札」に類するものをまだ出してなかったからだ、と。
なるほど、簡単で明瞭な理由である。本は片道運賃で往復空の旅が出来て、わたしは羨ましい。
2005 11・11 50
* 新しい湖の本を頂きましてありがとうございます。
「好き嫌い百人一首」をあちこち読んで大変面白く思いました。又、歌を上、下にはっきり分けることに賛成します。
もう一度、初めから終りまで拝見します。 ドナルド・キーン
* 『花鳥風月・好き嫌い百人一首』が届きました。天智天皇の項を読み始めただけで中味の濃い御作と実感、昔日のかるた取りの記憶とも重ねながら、じっくりと味わいたいと存じます。古稀後のニュー秦さんはどんな世界をご覧になりお書きになるのでしょう。 元大手出版部長
* 非常に永い歳月にわたられる短歌への御親炙が「好き嫌い百人一首――秦恒平百首私判」の根底におありのことがよく分りました。『フアウスト』は大学時代言語で学びましたので、懐しく再読の意欲をかきたてられました。「沈透くほどの喜怒哀楽だけが純粋な『意識』として生存してほしい」との御希望御述懐は身に沁みました。
向寒の砌、呉々も御体調に留意され、一層の御健筆をお祈り致して止みません。不一 元文藝誌編集長
* サラリーマンは何十年経験しても何も残せません、(定年退職した)今、痛切に感じています。秦様の業績積み重ねが素晴しいと感嘆しています。 元大手企業役員
2005 11・12 50
* 昨日ペン会員の俳人が「四人」という同人雑誌を送ってくれた。「文学散歩旅行私記(その六京都・洛外コース)」を高杉勲という方が書いてられ、「京都生まれ、京都育ちの作家」「秦恒平の小説『慈子(あつこ)』相当な量の深切な筆を用いておられるのに、驚き、感謝した。
2005 11・13 50
* 俳優の田村高廣さん、国文学研究資料館の伊井館長から「好き嫌い百人一首」に鄭重で有りがたい手紙をもらった。みなさん、遠くなっていた幼い昔の思い出をさぐるよすがを得たのを喜ばれているのが、今回本への特徴的な反響。そしてみな銘々のオハコがある。
2005 11・15 50
* 妻は聖路加へ、わたしは留守番して、気になる連載「本の少々」随筆を二本、送った。また「高麗屋の女房」さんと、エッセイの不審個所でメールを往来。一等気にしていた初代吉右衛門の句が、わたしの希望どおり正しくは「冬ざれや四條をわたる楽屋入」であったと確認され、ああ、それで佳い句が佳い句になったと安堵した。
奥さんの出稿作品も『高麗屋の女房』から中ほどの一章分を全部もらうことにし、『私のきもの生活』から「付」を少し出してもらうことに決めた。
幸四郎丈が前回湖の本の『日本を読む』を「座右の書」にしていると聞いてよろこんでいる。わたしの書くモノはかなり伝統藝能や庶民の歴史と交叉している。どこかしら交響しあうものがあるだろうと望んでいる。
2005 1・17 50
* 茶寿 側杖事故に遭ってから一月も経ちますのに、すっきりせず、外にも出てゆかず、鬱々していますところに、**さんの作品に早速のお手配、そしてご感想を承り、うれしくなりました。電話で知らせていっしょに喜ぼうとおもいます。
何もする気になれず、ぼんやり、ベランダのほほけ芒を見たり、こぼれた萩の花をひろったりしています。
萩の花くれぐれまでもありつるに月出でて見るになきがはかなき 実朝
実朝は土の上の花は見なかったのかしら。
卒寿でははんぱでございましょう。茶寿、百八歳。字もきれいですし。 香
* 久しい読者でもある人へ、「湖の本」ももうほとほと落城が近づいている、いま八十五巻、これをどうにか九十巻の卒寿へまで持ち込めるでしょうかねえと、めったに言わない泣き言をもらしたのへ、激励の「茶寿」まではと。
二十年も倦まずたゆまず、きちんと規則的に出版しつづけていると、受け取る側にも何と無くやすやすと出来ているらしいと思う、慣染みと思い込みとが出来ている。工夫をこらして目先を変えながら編輯していても、だんだんめずらしげなく映るのでもあろう、支払い抜けがふえ、寄贈の比率があがってきた。わたしと妻との体力も落ちてきた。手持ちの作では、百八でも百十でも問題ないけれど、喜寿までの仕事になる。つづけたい気持ちと、ウーンと唸る気持ちとが、正直、半々。
2005 11・20 50
* 映画「春の雪」を観、『閑吟集』を読んで
hatakさん ようやく体調快復し、読み書きをする元気が出てきました。
一昨日ロードショーで『春の雪』(行定勲監督、妻夫木聡、竹内結子出演)を見ました。映像の美しい映画でした。冒頭の孔雀の屏風を映すシーンなど、映像的に秀逸でセンスを感じました。
続く清顕がボートに乗って下から橋上のヒロインと出会うシーンも良い。
竹内結子は、例えば伊東美咲や仲間由紀恵などに比べ目に力の感じられない女優なので、目に膜がかかったような朧な表情がかえって運命に翻弄されていく聡子の役柄に合っていたように思えます。及川光博扮する皇子との縁組が破談になり剃髪して寺に入る時だけは、打って変わって凛とした目、良い顔をしていました。この辺りが表情をクローズアップできる映画の醍醐味ですね。
聡子は剃髪後一度も画面に姿を現さず、襖越しの声だけの演技になりましたが、この演出がとてもよかったです。私はスクリーンに向かって「お願いだから出てこないで!」と祈っていました。
最後に、東京国立博物館のエントランスが舞踏会場面に使われていて、重厚な画面作りに成功していましたが、国立から独立行政法人になった国営事業の影響をこんなところでも感じてしまいました。
三島作品は敬遠して読んできませんでしたが、原作を読んでみようかと思います。
『閑吟集』も再読しましたので、あらためて感想を書き写してみます。
――気がつけば会議続きで、このところ全く読書をしていなかった。映画を見てばかり。
先日の会議でストレスが遂に胃に来て、ホメオスタシスを全体に崩す。体も心も、冷えかじけてしまった。
仕事を休み、布団の中から手を伸ばしたのがこの一冊。性と生をケレン味なく歌い上げた数々を読み進むうち、体に血の巡りが戻ってきた。
今回再読して気づいた点の、一つ目。
中世室町時代へのイメージを再構築できたこと。茶の湯流行前の16世紀初頭についてや、一休を精神的背景にした宗祇(正字は示偏)、珠光、雪舟についてはあまり考えたことがなかった。
茶の湯以前の時代についていろいろ想像を働かせてみたことから、利休以降の茶の湯が得たものと失ったものを整理できた。肩書を取り払った個(孤)の客が寄り合って、一座を建立できるか、現代の茶事(茶会ではない)でもう一度考えてみたい。
二つ目。閑吟集の編纂様式と編者への興味が湧いたこと。
四季の巡りにならった配列の後に、恋の歌をもう一度並べる。これはどうしてか。「侠客」「桑門(よすてびと)」への興味が俄然増してきた。
なぜ彼は、この歌謡集を編纂したのか、なぜ冒頭に面影の歌を置き、挙句に籠の歌を据えたのか。
どういう想いに衝き動かされて、彼がこの歌集を孤独のうちに編んでいったのか、繰り返し考えてみるうちに人物像が浮かんでくればいいのだが。
三点目は非常に重要。
この本は、表面閑吟集の解説とはいいながら、実は、著者秦恒平の歴史、人生、人間、文学に対する真摯な意見表明、文学的宣言に他ならない。初読時には、閑吟集の歌自体に注意が逸れて、このことに気づかなかった。秦文学の「女」「この世」「身内」観が、歌々にことよせて語られていた。繰り返し読むということの、大切さを実感した。
札幌はまた雪です。どうぞお元気で。 maokat
* 物書きの醍醐味は、こうして、永い期間の間に、少しずつ少しずつ、佳い有難い理解者・読者と出逢えること。
maokatさんのこの宗祇へのつよい興味と不審とは、ちょうどわたしが兼好と徒然草の成立とに惹き寄せられながら「慈子」に出逢っていったのと、近似している。この「書き手」には、いつかそういう物語も期待していい。すばらしいヒロインと出逢われるように。
2005 11・20 50
* ご近所の病院の二階外来ホールで、ウイーンフィルの第一ヴアイオリン奏者をリーダーとする弦楽四重奏団のホスピタルコンサートというのを聴きに往きました。
院長か誰かのコネクションということですが、学校、病院での演奏はすべて無償で、他の場所はハットチップ制という全くのボランテイアで、只々日本中の音楽好きな人々に聴いてもらいたい気持ちでハードスケジュールをこなしていると聴きました。
即席ホールで演奏の手元は見難い席でしたが、アンコールの曲を入れて小一時間、柔らかい音色に、眼を閉じて聴き入りました。 泉
2005 11・20 50
* 石人も石獣も冬紅葉中 (年尾)
安積親王陵墓を訪ねてまいりました。
笠置から和束を通り宇治田原へたどる予定が、道路工事の通行止めで果たせず、童仙房の、現・高麗寺に立ち寄り、信楽の多羅尾をまわり和束へと戻り、恭仁大橋から、浄瑠璃寺、岩船寺と石仏道をめぐり、奈良へ出て、円照寺前から正暦寺へむかいました。
紅葉と南天、万両の境内。それに加えて白鳳時代の、めずらしい割蓮台の倚像、薬師如来金銅仏が開帳中でしたの。
岩屋町で磨崖仏を見つけ、龍王山の裾を長谷寺の奥へ出まして、寺前から川へ下り、大和富士額井岳の裾をめぐって、また川へ下り、室生、赤目と、紅葉見をして帰りました。
石仏、金銅仏、磨崖仏、笠置の実忠、お水取り、そして、色鮮やかな高麗寺に、やってきた神々という感じがひしひしといたしました。
ペルシャ、インドなど西域から、ベトナムなど東南アジアから、南洋から、中国から、朝鮮から、王族、貴人、僧、学者、技術者、商人、楽人、芸人。男も女も、大人もむすめも。
インターナショナルに血が混ざり、はっとするような美男美女もなかにいたことでしょうね。
二の酉のとっとと昏れてきし人出 (兜木総一)
あたたかくしておでかけを。
こちらは青空に寒風。録っておいた昨日の「日曜美術館」を見て、小説「絵巻」を読むつもりです。 雀
* 懐かしい名前がいっぱい。浄瑠璃寺や岩船寺のある当尾こそ、わたしの実の父方の在所。父方の母方には柳生の血が流れてきていると聞いたことがある。
* 寝床をはなれるのが辛い季節になりました。晴れていても、空気が冷たいですね。寒いのは苦手です。
きのうは、愛知厚生年金会館で、勘太郎と七之助の舞踊公演を見てきました。久々に、歌舞伎の雰囲気を堪能してきました。
帰りは、念願の名古屋フード、「矢場とん」で、ロースかつ定食を食べました。みそかつは、店によって、胃にウッとくるタレがありますが、行列のできる店「矢場とん」のは、マイルドで、もう一度食べたくなりました。銀座店(歌舞伎座の近く)もあるそうですよ。
手に入れた『太宰治賞2004』というのを読み終えました。
受賞作一編と、候補作二編が収録されていました。
「指の音楽」という題の受賞作は、大学生たちの、一見希薄な人間関係を描いていました。
主人公の青年は、「らいな」という学生とは、恋になるようでならず、「かおり」という学生とは、性的関係に、なりそうでならない。
若い男女の、このようなつかずはなれずの状態は、ある意味とてもリアルだと感じました。主人公の誠実さが作品を支配していて、好感を持ちました。透明感のある作品でした。
候補作二編は、「鹿ヶ谷」と「残骸の夜」という題でした。
「鹿ヶ谷」の方は、筆力はあると思いましたが、物語の肝腎なところで、筆が素通りしてしまっていました。
新興宗教団体に入信していた若い女性、新興宗教団体の起こした事件を契機に破綻する両親の間柄、若い女性を預かった寺の住職。それぞれが問題を抱えていて、話題はてんこ盛りでしたが、いずれも中途半端に持ち出されていました。
一つ一つの話題に焦点をあてれば、どれもが興味深いテーマになるはずで、どれか一つに絞って掘り下げていたら、もっとおもしろくなったかなあ、と思います。
「残骸の夜」の方は、おおげさな文章で、白けました。不幸な死に方をした人の遺品ばかり出るオークションがあり、主人公はそこで亡くなった妹の夫を競り落とします。奇抜な設定ですが、生かし切れていませんでした。
三編並べてみると、受賞作と候補作には、差がありました。
いろんなものを読むのは、おもしろい体験です。ほんとうに、読書って、楽しい。
さて、これから、ちょっと、ビザをつまみ食いしようと思います。 花
* 同世代の作品なのであろう、いいもわるいも掴みやすいのかも知れない。ブレのなさそうなリアルな批評で、ああそうなのかと、わたしは読んでもいなくて感じる。
* 機械の前が冷える。
2005 11・21 50
* 思いがけず会議が流れ、チグハグな気分から、出かけなかった。
だがいい気分のことが、ないでもない。フィギュア・スケート、スピード・スケート、女子ゴルフ、それに女子マラソンの高橋尚子の優勝など。若い人達のスカッとする活躍。気持ちが佳い。
イヤな気分の一等ひどいのは、郵便払い込みの手数料が、たとえば「湖の本」の購買「払い込み手数料」が、いま一冊について七十円。それが来年四月から百円になる。いまでもわたしはこの手数料を読者に求めていない。だから二千円いただいても受け取るのは一九三○円である。それが一九○○円になり、強制的な値下げで、維持はますます難しくなる。卒寿・白寿・茶寿はおろか、米寿の八十八巻ぐらいで撤収終刊しなければならないかも知れない。郵政民営化の最初の影響が来た感じで、憮然。
そして、ごまかし設計でニョキニョキと危なっかしいマンションやホテルが建てられていた杜撰な行政。ふざけた迷惑な話だ、住人はどうなるのか。
2005 11・22 50
* 昴 北から吹く風が身を切るように冷たくなって、冬が来たことを実感しています。
現在、電子版「北の時代=最上徳内」を読んでいます。ちょっと前まで、冒頭部分の「私」が、「私語の刻」の秦先生なのか、「小説」の秦先生なのか、それとも別の秦先生なのか、どう読めばいいのか不安になりながら読んでいます。今は最上徳内が「部屋」に来始めた部分です。
読んでいる内に書籍で読みたくなり、送金しようと郵便局に行っているのですが、閉まっていたり、振り込み用紙が置いていなかったりで、送金できずにいます。今週の土曜日に、隣の市まで行って振り込もうと考えているのですが、湖の本の「発送」はあらかた終わってしまったでしょうから、気が引けています。この次の新刊発行まで待とうと思います。
秦先生の歴史小説の展開がどのようになっていくか、楽しみです。
* 昴さん感謝。 「発送」は、新刊の『花鳥風月・好き嫌い百人一首』だけのことで、既刊分はそういう作業とは無関係に、註文が有れば送っています。電子版の「北の時代 最上徳内」は本からスキャンしただけで、スキャンミスの校正が出来てなかったと思います。
東京も冷えてきました。マウスを握る手が冷たいです。尾岱沼といったかな、その辺の民宿「牧場の宿」に泊まりました。六月でしたが夕方から夜への寒かったこと。食堂でもどんどん火を焚いていました。翌朝馬に乗ったり山に入ったりしました。船に乗って海へも。長い砂嘴に降りて、日光をあびながら雲雀の声を聴きました。
またいつでも遠慮なくメールして下さい。わたしの本との最初の出逢いが『北の時代』というのは、珍しい例です。もっぱら京都や近江を書いてきましたからね。
いい出逢いになりますように。 お元気で。 湖
2005 11・24 50
* こんばんは。 昴
今日、本のお金2,000円(本代+送料)をお送りしました。早く読みたいですが、急ぎませんので、外出の際にお送り下さい。
注文したのは
『北の時代=最上徳内』上巻(1部) です。
まとめて読む時間がとれないと思うので、中・下巻は後日注文します。
小さい頃、尾岱沼(おだいとう)に行く途中に、川の中州で野生の馬が走っているのをよく見ました。野生の馬は今はもう走っていませんが、「牧場の宿」はまだやっていると思います。5月でも吹雪く時があるので、6月はまだまだ寒かったでしょう。6月の初旬であったならば、華やかではありませんが、千島桜が咲いていたかもしれませんね。
秦先生はおいしい料理がお好きなようですので、しっかり食べて、体を壊さないようにして下さい。
* あの「牧場の宿」や尾岱沼のわかる人と知り合えたなんて、徳内さんやキム・ヤンジァがどんなに嬉しがるだろう。人にはわからないだろうが、それはそれは懐かしい。
北海道では何泊もの旅であったけれど、何といっても尾岱沼の一夜、そして翌朝が懐かしい。その「最上徳内」に目をとめて貰えるとは、嬉しい限り。
2005 11・26 50
* 「湖の本」届きました ~昴
路面がブラックアイスバーンで、運転していても、私の意志とは関係なく車が勝手に動いていくような状態になっています。怖い季節になりました。
今日、『北の時代=最上徳内』『花鳥風月・好き嫌い百人一首』届きました。
百人一首は学生時代に百首暗記するというテストがあり、百首覚えました。テストでは「もみぢ」を「もみじ」と書き、また、「瀧」という字の線が一本足りなくて、98点を取った思い出があります。全然勉強していなかったための減点です。機会があれば勉強し直したいと思っていたので、少しずつでも読んでいきたいと思います。
『北の時代』は、キム・ヤンジャという名が、たぶん朝鮮人なのでしょう、気になり、読みはじめました。これからどのように展開するかわかりませんが、民族に関することが出てくるのでしょうか。
今日の北海道新聞に戦時徴用朝鮮人出身者の遺骨についての調査が行われたということが書いてありました。北海道は朝鮮と、他の地域よりも深くつながっているようですね。
これから、仕事が忙しくなっていくのですぐに、読了しました、ということにはならないと思いますが、枕の脇に置いてじっくり読んでいきたいと思います。
狭心症の検査があり、緊急の事態ではなかったようですが、無理をなさらないようにして下さい。
『湖の本』、本当にありがとうございます。
2005 11・30 50
*『北の時代=最上徳内』を初めて手にした時、とてもやわらかい感じがし、おどろきました。本全体の作りも綺麗で、やはり「本」はいいと思いました。
この感動を、先に送ったメールに書こうと思っていたのに忘れていました。感動を忘れるなんて…。悲しい。昴
* こういう交感は、市販のふつうの本では得難い。有難いことである。
* 先日は『花鳥風月・好き嫌い百人一首』をお送りいただきながら御送金がおくれまして申し訳ございませんでした。
今年は身辺が落ち着かぬまま、本もやや遅読気味でしたが、でも先生のお作にはかずかず親しませていただきました。エッセイでは納得させていただくことが多く、とりわけ『日本を読む・わが無名抄』では、一字がもっている意味の深さや観点のひろがりを興味ぶかく読ませていただきました。「思惟すてかねつ」では、自らの内面と向き合っているようでございました。
『秋萩帖』『墨牡丹』も、よく知る書道家、画家を扱われて、関心をひかれはしましたが、小説として心惹かれるのはやはり『冬祭り』の世界だったと存じます。「時間を、輪(環)として結んでみたかった」と「作品の後に」で書かれてありましたが、読み進んでいる間中、その輪の中に取り込まれているような気持ちでございました。現実には存在しなくなったひとが、いまの時間の中で何の違和感もなく共に在ることに独特の調和さえ感じました。幼い頃から私は、賑やかな街の中に、澄んだ空気の流れている見えない筒状の道が通っていて、この世にはない人びとが自在に行き来している幻想を抱いておりました。死によってむしろより深いつながりができるという想い、時空を超えた出会いに心惹かれるのはそのつづきなのかも知れません。
『冬祭り』のなかで、異次元をつないでいるのが蛇、ロシアの公園での冬子との関わりは、私には白い蛇と一体になっている感覚があり、印象的なその場面は、くり返し作品の中でたち表われてまいりました。『みごもりの湖』『風の奏で』と共にとても好きな内容で読ませていただけたことを幸いに思っております。
振替えにてお送り申し上げましたが、次は『親指のマリア』をたのしみに致しております。よろしくお願い申し上げます。
お寒さきびしくなります折柄、お風邪など召されませんようお大事におすごし下さいませ。かしこ 智
* こうして、創作の意図を適切にとらえて読んで下さる読者、まさに「魂の色の似た」人たちであり、読者をこそ大切に思ってきた根の思いが此処にあらわれる。
2005 12・3 51
* すっかり寒くなりましたね。今日、ガスストーブを出しました。
今年4回目の議会もそろそろ終わりに近づき、後は年末仕事と、9日の一時金です。
『北の時代』を読みたいと思い、昨日図書館のネットサービスで予約しておきましたら、もう今日届いた、とのこと。夕方早速行って受け取ってきました。
2月初めの北海道行きも予約し、楽しみです。 ゆめ
* かなりの大作で、筑摩の単行本は頁二十行ほどに詰めて組んだため、少し「読み窮屈」かもしれない。湖の本にするとき、細部まできれいにさらに添削した。北海道の現地まで身を働かせて書いた、わたしには珍しい体験の作であった。
* 和歌山県に住まわれる男性年輩の読者からお便りを戴いている。「湖の本」が続く限り「継続読者」ですので配本して欲しい、さしあたり「百巻」をたのしみにしていますと。
この方は今回のお便りで、今日の仏寺・僧侶ないし佛教に対する期待と不信感とを吐露されている。同様の不審ないし批判の声は、他からも耳にしないではない。文面を紹介するまえにおよそを察している人も少なくないであろう、が、残念ながら仏教者ないし聖職者からの真摯な反応は、聴きたくともめったに聞こえてこない。前回の「わが無明抄」を読まれ触発されたメールであろうが、わたしに、なにか「返辞」が欲しいとも。
文面はすこし語気けわしいところもあるが、先ず紹介しておく。
2005 12・4 51
* 新しい湖の本を入稿した。年内にゲラが出てくれるかも知れない。
2005 12・5 51
* こんばんは。
今日、「北の時代-最上徳内」中下巻(各一部)の本代+将来買うであろう分の本代(一万円)を振り込みました。外出する時、また、足の痛みがない時に「北の時代」の送本、お願いします。
「北の時代」を読んで、学生時代に船を使いながら高野山から北海道まで帰って来た時のことを思い出しました。青函トンネルも飛行機もあるのに、ふと、片道は船を使ってみたいなぁと思って使いました。
高野山奥の院や山間の家々、当麻の町の小さな神社を見て、「自分日本人じゃないなぁ」と思った、一人旅でした。しばらく、忘れていました。
東京も寒いと思います。体を冷やさないようお気を付け下さい。 昴
* あのオホーツクの見える世界から光って富んできたメールだと思うと、とても嬉しい。そして有難い。
当麻の神社には土俵があった。わたしは小さかった建日子と二人で旅しながら、あの土俵で相撲をとった。当麻蹴速の故地である。あそこから歩いて竹内峠を越えた。
高野山から船で北海道へ、と。
わたしは釧路から東京まで船に乗った。懐かしい。
2005 12・10 51
* 本格的に寒くなってきました。 ゆめ
先生お変わりなくお過ごしでしょうか?
私の師走の日々は、「何ぞ燭をとって遊ばざる・・・」というわけで、仕事に、読書に、映画にと忙しく過ごしております。
『北の時代』読み始めました。一度さっと最後まで読んで、話の流れをつかんでから、今度は丁寧にまた最初から読み始めました。何しろ先生のご本は辞書を引いて読みや意味を調べたり、たくさん登場する人物のことなど、2,3ページ戻って再確認したり・・と、決してすらすら読めないので、うれしく悪戦苦闘している最中です。
この徳内さん、とてもユニークな人物ですね。この「徳内」という名前の意味や、冒険家となって北へ旅立つ以前の青春時代のことなど、とても興味深く読みすすんでいます。
あの、円の中に三角と小さい円三つの数学の問題、その大きい方の円周を求めるのには考えこみました! 映画ですと、ロードムービーとなりますけれど、これはロードノベルなのですね。激寒の冬、尾岱沼でみた白鳥の群れのこと、硫黄山のふもとの川湯の森の奥に咲きあふれていた「のりうつぎ」(アイヌ語で「サビタ」というそうですね)の白い花のこと、釧路からの船旅のこと、釧路の市民憲章のすばらしさに感動したこと・・・・、あれこれなつかしく思い出しながら読んでいます。
そうそう、学生時代の夏に旅行した時、友人が前夜から歯がいたくなり、急遽私の保険証で稚内(ワッカナイ)の歯科医院へ。そのため、予定のバスに乗り遅れて、サロマ湖まで行けず、寂しい海辺の町に一泊、というハプニングもありました。
北海道関係の本もかつてたくさん読みました。更科源蔵作品や、この作品にも登場する前川康男氏の『魔神の海』なども。来年の二月の旅が待ち遠しい想いです。
先日「カーテンコール」という映画をみました。昭和三〇年代の映画全盛のころ、下関の古い映画館に、映画の幕間にギターで主題歌を歌ったり、ちょっとおもしろいことをいったりして楽しませる芸人があったらしいのですけれど、映画の斜陽とともに消滅していったらしい。その家族の崩壊と再生の物語。在日問題なども伏線としてあり、なかなかレトロな秀作でした。その「みなと座」にその日かかっていた映画が、「あの子をさがして」。映画館主が「この映画、とってもいい映画なんだけど・・・(客がはいらなくてね)」と、つぶやくのが印象的でした。先生はとてもほめてくださいましたね。
またお便りします。 読書と映画と、映画館を愛する 「ゆめ」
* 行間に元気が湯気をあげている感じ、羨ましい。寒さに逼塞し、機械の前でまるくなっていては、イカンなあ。この人のメール、書かれることのみな具体的なのも、惹きつける力がある。文章がだあッと走っている。
今日サロマの人に「北の時代」中・下巻を郵送した。むかし、六月の尾岱沼で、寒さに震え上がった。とても二月のオホーツク行きは今のわたしには発想できない。
「この子をさがして」は素晴らしい映画で、今年見た五指のうちに数えたいぐらい。「恋人のきた道」「黄土地」そして「この子をさがして」などと、中国映画にはときどきドキドキする秀作が現れる。
2005 12・12 51
* 日光をさえぎった機械部屋に入っていると、いつもいつも外は、曇天か雨天のように感じられる。時に雨戸をあけると黄金色の日光に溢れているのに気付き、慚愧の思いに駆られる。出かける予定がないと、天恵かのように部屋に籠もっている。十五日はことし最後の理事会。
歌集が届いたら、古稀記念に多年お世話になった先へ発送する。そして二十日、妻と京都に。誕生日の二十一日、昼の南座を観たら、その足で帰ってくる。二十四日には榮夫さんの能「定家」を観て。
「湖の本」新刊の本文初稿も出揃ってきた。ゆったりと「川」は流れている。
2005 12・13 51
* 車中でもう次の「湖の本」の校正をはじめ、また八犬伝の運びの巧みさに魅されて、退屈がない。坐っていれば脚も痛まない。
しかし、京都行きは大丈夫かな、荷物をもてば痛みは増すだろう…、成るように成る。
2005 12・15 51
* 熟睡。
*「いしばじ」を知っている人は少ない。「石馬寺」の写真を「藝術新潮」でみたとき、『みごもりの湖』発想に基盤の一つが出来た。会社から関西出張のついでに尋ねても行った。滋賀県五個荘にある古刹。隣町の能登川に、見も知らずに死なせた生母の実家があった。それだけを知っていた。
石馬寺へ、また尋ねていった日は、そばに、飛鳥・当麻・竹内越え・太子町・京都を経て一緒に旅していた、小さい頃の建日子がいた。石馬寺で、建日子と、二つぐらい年下の石馬住職のお嬢さんと一緒に写真を撮ったのがのこっている。このお寺にはものすごい大威徳天像があった。『みごもりの湖』の大事な本舞台の一つ。懐かしい。
2005 12・18 52
* 大阪産経に二本エッセイ原稿を送り、これで新年の正月下旬まで足りている。年内にもう二本ぐらい書けるだろう。
とにかくも、ラクになった。湖の本の校正をはかどらせておこう。そして、うまい酒を飲もう。金沢から粕漬け、糠漬けの酒肴・海の幸が送られてきた。河豚も鯖もあれもこれもしっかり漬けて、食べやすくスライスしてある。赤ちゃんの拳ほどの苺も、栃木から、また頂戴した。映画を観て、やすもう。
2005 12・27 51
* 八犬伝は、岩波文庫の第四冊めに入った。アラビアンナイトも今は、ロマンチックな面白い王子と王女の恋物語を楽しんでいる。鏡花は「註文帳」を読んでいる。この物語の凄みがうまく伝わってくると嬉しいが。日本書紀はいま大王といわれた欽明天皇紀。いよいよ佛教公伝の目前。英国史は、征服王ウイリヤムにより、サクソン・デーンの島国にノルマンの王朝が幕をあけて、中世的な折り合いをつけている。
世界史は、いま大同石窟を創り出した北魏が、洛陽へ遷都していったあたりを面白く読んでいる。大同は、紹興とならんで、最初の訪中国時の大きな嬉しい目玉であった。大同へも紹興へも、戦後日本人として初めてその地を踏んだといわれた。まさにそれに相違ない五体の痺れ震えるような歓迎、熱烈に凍り付いたような歓迎、であった。大同の駅を出た瞬間、吾々の一行が自覚したのは、自分達が大きな擂り鉢の底に立ち、周囲にはびっしりと幾重にも取り巻く現地中国人の視線そして沈黙があったということ。
しかし大同の旅泊は、寂しくもまた興奮に満ちていた。そして市街の巨大な九龍門、そして上華厳寺、下華厳寺の豪壮・華麗。底知れずひろがる炭鉱。その上に、二キロに及ぶ奇蹟の大同石窟五門に充満した大小の石仏達の偉容・異彩。
わたしの感動は、帰国後に「華厳」一作に結晶した。あの小説は、わたしの心の震えを刻印して、完璧であった。
そしてバグワンに聴く日々はつづく。つづく。
2005 12・29 51
* 湖の上の波も凍りつくような寒さですね。北海道の湖をふと思い出しました。冬の阿寒湖では湖面の氷の上を重い雪上車が走っていて、子供たちは大喜びでスケートをしたものです。
今年もあわただしく過ぎていきます。今年の新しいことといえば短大の非常勤講師(在宅保育論)になったことです。女子学生ばかりで、注意をしないと私語をしたりお化粧したりという様子に戸惑いましたが、参加させる形の授業にすることで何とか興味をひきつける努力をしています。来年は講師が二つになるので、さらに役割が重くなります。話しべたの私がこの年になって教壇に立つのはちょっぴり苦痛でもありますが・・・・。
会社も移転して広くなり、スタッフも増えてぐっと若返りました。
昨日は娘の1歳半になる孫息子の一日託児所代わり。ちょっぴり自我が芽生えてきた幼児との交流を楽しみました。かわいいです。今日は老母とお墓参りにいき、夕食を楽しんでまいります。
ついに直接お会いすることはかないませんでした。PCも人の手に頼らず完全復旧。来年はメールがつながらなくなることはないと思います。
さて、「湖の本」で私が持っていないものは、エッセイ 4「茶ノ道廃ルベシ」 9・10「洛東巷談」 12・13・14「中世の美術と美学」 重ねていただきたいものは 11「歌って何!」 16「死なれて・死なせて」です(人に手渡しで差し上げたいと思います)。これで、創作・エッセイすべてそろいます。
来る年も、お体に十分お気をつけて、ご活躍くださいますように。よいお年をお迎えくださいますよう。 波
2005 12・30 51
* 湖様 湖の本 届きました。あまりにも早くて驚いています。でも、2005年のうちに全巻揃いました。ありがとうございます。これで既刊分がすべて。これからも増えてゆくのを楽しみにしています。
大晦日。日々片付けられないものを片付け始めたら、部屋中がごみの山のようになってしまいました。きりがありませんね。
早くどこかで一段落して、読書の時間も作りたいと思っています。 波
2005 12・31 51