ぜんぶ秦恒平文学の話

湖の本 2011年

* わたしは出来れば明日か明後日の早めに新刊分の入稿を遂げておきたいと、暮れも元日もなく努めている。もう夕過ぎて行く。戴いた年賀状で、メールの可能な人達には、メールで返礼した。正月気分はとくに無く、このまま自然にやり過ごして行く。今年は、祝い箸の箸紙も建日子にめいめいの名を書かせ、祝い雑煮の発声も建日子に委せた。七十五叟は、もうそんなことも卒業。

 

* 余念無く創作の仕事に向かいたいは山々だが、今の私に余念無くの姿勢は、何事に向かってでも実に難しい。邪念はないが雑念は避けがたく涌いてくる、迫って来る。そんなさい、湖の本の入稿の仕事などは、仕事としても面白く実務上も前へ前へ事がはこばれるので気を入れて出来る。「 mixi」 とは、いまのまま続けているか、日記の体での連載を中断するか、「 mixi」 そのものから退会するかの三つがある。

2011 1・2 112

 

 

* 歳末から奮励してきた新刊のための原稿、予定通り入稿した。心おきなく、次なる要事のために姿勢を定めて行く。

2011 1・3 112

 

 

* 寝床から手を出すだけで書架の本がすいと抜き取れる。大きな地震が来れば、わたしはひとたまりもなく本と本棚に潰される。怖いと思うが、或る意味わたしには理想のさまなんです、好きなだけ本に手が出せる。無意識に子供の頃から願っていた環境です。「一瞬の好機」が手近に在りそうだ。ほんとに一瞬だといいんだが。チェーホフ全集十六巻も、寝た頭の上へ運び入れた。

健康で、怪我や事故に遭いさえしなければ、天変地異がなければ、夫婦二人はいまぶん呑気にして暮らせる。道楽もしないで仕事だけを続けてきた、その報酬を得ているだけのこと。これも子供の頃に或る程度企図し、思い描いていた。人生のある段階からは誰にも使役されないで、好きなように生きたいと。

思えば七十五年のうち、道草の東工大教授四年半は別にすれば、わたしが会社勤めで給料をもらい使われていたのは、十五年に過ぎない。ま、「作家」という商売も、出版社の「非常勤雇い」今で謂う「ハケン」にすぎない過酷な境涯であるが、幸いその境涯からも十五年ほどで脱却し、以来ほぼ思うままの作家生活を自由にして来れた。出版社に百冊以上も市販本を出して貰い、別にもう四半世紀、百冊を越して「湖の本」を思うまま自力で出版し続けている。湖の本の一冊は、市販単行本の一冊にいさかも量的質的に劣らない。ただのディレッタントには及びもつかないプロの仕事だ、量より何より「自由」である。自由は厳しい寒いものだが、嬉しいものである。

2011 1・11 112

 

 

* オッ。湖の本の新刊ゲラが組み上がってきた。量的にも程よい。機嫌良く背を押して貰った。

2011 1・13 112

 

 

* 出たばかりのゲラ校正をどんどん進めている。

2011 1・14 112

 

 

* 久しい知り合いで、元某社のベテラン編集者だった人から、小説を書いたがどこも出してくれない、どこか出版社を紹介して欲しいと手紙をもらった。なんとか出来ることならしてあげたいが、頼み先としてわたしは最悪。出版への反逆者といわれてきた。叛逆とは凄まじいが、湖の本四半世紀は、出版社内のある人達にはそう映じていよう。

2011 1・18 112

 

 

* 快晴の両国。いつもどおり四人枡を妻と二人で。前から四列目の桟敷席でこれまでで最良だった。土俵へ手が届く感じで、双眼鏡が要らない。なーんにも拘らずのーんびり観ていた。十両の半分から中入り後の結びの一番まで。魁皇が巧い相撲で力強く把瑠都に勝ち、案じた白鵬も日馬富士を投げ捨てた。ビール二本、熱燗二合、さかなもつまみも十分あり、ウイスキーは持って帰った。ちゃんこ鍋料理など、相撲茶屋の土産を大きな二た袋もらい、おまけに、わたしは、かねて気の有ったあの音色の佳い拍子「キ」を買って帰った。重い荷物だった。

往き帰りに念を入れて初校ゲラを読んできた。

 

* 湖の本の初校を終えている。ツキモノをつけ、月曜朝には印刷所に届いているように万端用意したい。

2011 1・20 112

 

 

* 山になった書籍の中からはときどき思いがけない掘り出し物が見付かる。『「オンライン読書」の挑戦』という津野海太郎・二木麻里編には、ホームページ「作家秦恒平の文学と生活」が取り上げられていた。本の出版は二○○○年、今から十一年前だ。

 

☆ 「作家秦恒平の文学と生活」 生活者の息づかいが伝わる創作サイト

インターネットを執筆活動の一環とする物書きはもはや少なくない。だが発信者の秦氏は一九三五年生れ。おそらく最年長の世代だろう。絶版や品切れになってしまう自著をみずから再出版してきた活動を背景に、このサイトでも自作の小説やエッセイが発表されている。表紙をスクロールするとそのまま各項目に案内される簡素なデザインで、「掌説の世界」「生活と意見」「中長編小説」などがならぶ。冒頭の「ページの窓」では自己紹介や、各項目の丁寧な解説を読むことができる。未定稿も含め、生活の息づかいが伝わる発信だ。 (二木麻里)

 

* 以来十余年、電子版「湖の本」全百数巻、また「 e-文藝館= 湖(umi)」には幕末から平成まで、数百ものわたしが選んだ秀作や問題作や新人の新作もが、満載されている。

日々書き継がれた日記「宗遠日乗」ファイルは、現在112。五万枚。この全日記が、暴風に遭うように、みな消えることになる。 2011 1・21 112

 

 

* もと、本郷三丁目で「トップ」という昼は昼食店、夜はバアをやっていた三姉妹の店があり、太宰賞をもらう直前から直後の時期ずいぶん応援して貰った。もうむかしに閉店し転居していたが、一人は結婚して関西に。その人には湖の本もながく応援して貰っていたが、この十六日に急に亡くなって密葬も関西で終えてきましたと、のこされた姉妹連名の報せが来た。ご冥福を祈る。

2011 1・23 112

 

 

* 湖の本106「あとがき」を入稿、本紙は要再校で、昨日送った

2011 1・24 112

 

 

☆ 湖の本103『私─随筆で書いた私小説』を昨年末に頂戴し誠にありがとうございます。何とか卒読し「序」に戻ってきました。年輪の根幹をよく追求し、「いま・ここ」をよく顧みた「私小説」でありました。この一冊で表現の鬼となられたことに敬意を表します。読了後、ふうっと息をつきました。少し疲れました。

本日は私用として次の一冊をお送り願います──『東工大「作家」教授の幸福』。江藤淳さんも幸福だったと思うのですが、それを表題とするところに秦さんの真髄があります。本日郵便振替にて二千六百円を送金しました。105巻! 画期的と思いました。ご栄硯をお祈りします。 11.01.24      蔵 ペン会員

2011 1・26 112

 

 

☆ 本が届きました。  幡

思いがけない表紙に圧倒されました。ありがとうございました。

楽しみな本ですのでしっかり読ませていただきます。

「窓」を開けると 読むことが出来ました。

最初は理解できなかったのですが 2度目で解かりました。

 

* お茶の先生からの初メールは珍しかった。『茶を語る』をさしあげた。

どうもわたしの「窓」指定は行き届かないらしい。

2011 1・27 112

 

 

☆ 「古典を味わう」も拝見いたしました。

大学がヘンになっていますね。尊敬すべきものを尊敬できない者が、いったいどのような大学教育をするのでしょうか。常識が常識として通用しない世の中になってしまったかと。

寒さ厳しさを増しております。ご健勝と、ますますのご健筆お祈りいたします。敬具  作家

2011 1・29 112

 

 

☆ ほっと一安心。

このところ「能の平家物語」を読んでいるところでした。

私の生まれて初めて観たお能が、大学に入り、一人の下宿暮らしも、京都の町にも馴れぬ五月、観世能楽堂での「熊野」でした。解りやすい内容でしたし、ただただ、能面の美しさ、優雅さに驚くばかり。「熊野、松風に米の飯」とゼミ(なにもわからぬまま中世文学研究会というのに入って「平家」を読み始めたところでした)の先輩に笑われたのですが、それが私にはよかった。下宿の家主のおばあちゃんから頂いた切符で、上立売にあった能楽堂へ毎週のように通ったこともありました。ゼミでは一年生というので「倶利伽羅落」を読むように言われ、「源氏」を読む、中古文学を選考するのだったと悔やんだことも45年前の懐かしい思い出。

先生の平家を読みながら、様々なことを思い出しています。

また雪が降りそうな気配。くれぐれも御身大切になさってくださいませ。   野宮

2011 1・30 112

 

 

* 湖の本の再校が出そろった。容赦なく追われる。発送の用意に取りかかる。二月も、これがあり、アレもあり、変わりない地獄になる。極楽などありはせぬ。

2011 2・1 113

 

 

* ムリはしたくない。が、胸の内の火山灰は掃きのけ続けないと息も焼けてくるだろう。新燃岳の大噴火。これこそ、凄い。現地の困惑と不安、察して余りある。

 

 

* あれこれとやはり心づくしの一日中、かすかな腹痛はつづいている。校正をテキパキと進めたい。発送の用意は、必要な郵送用の封筒の注文から始めねばならぬ。隣の家から、大学等への寄贈の本をこっちへ運ぶのがキツい。本は石のように重い。二月の法廷も近づいてくる。先がまるで見えない。

2011 2・2 113

 

 

* 家にいては校正が出来ないので、出そろった再校ゲラの一部をかかえて今日は街へ足任せに出歩きながら、仕事に励んできた。昼飯を柳通りの香美屋でし、あとは車で下町へ。さすがに川縁は避けたが幸い厚着が汗ばむほど暖かな天気に恵まれた。デパートの綺麗なトイレに座り込んででもゲラは読める。外へ出ていると気も晴れる。

2011 2・3 113

 

 

* とりとめなくとっちらかった気分で、すこし戸惑ったままいる。発送用意に取りかかる前がいつもこうなる。

2011 2・4 113

 

 

*  一言にして、のんびりと怠けていた気分だが、主に校正していて、うまくすると今夜にも─応終えて了いそうだ。本来は併行してすべき読者への挨拶を書かないで進めた校正だから、やはり半ばは怠けていたことになる。

構わないのだ。体調、よくない。尾てい骨を傷めたのもちっともよくならなくて、椅子に掛けているのが苦痛を伴う。けれど、知らん顔して我慢している。

2011 2・7 113

 

 

* 夕食前に少し「西東京」という地酒を呑んだら、食後、堪えきれず寝入って、十時までも。酒の前に発送の用意に隣棟で予定したより多めに力仕事をしたのが堪えたのかも。重い本の包みを四十包みほども次なる作業への用意で、場所移動。これをやると悲鳴を上げるほど腰に激痛が来る。

わたしの腰の痛み、痛む同じ方へ同じほど負荷をかけてやると治まるのだが、重いものを前屈みの姿勢で運び始めると後ろ腰にきつい痛みが来る。後ろ手でモノは持てないので、ひどいのである。それでも、すべきはすべし。汗と痛みに耐えた。酒は美味かったが、酔いを発した。それで寐た。いまは腰に異状無い。

2011 2・9 113

 

 

* 発送用意にかかり、相当な時間と体力をそれに掛けた。

2011 2・11 113

 

 

☆ 『東工大「作家」教授の幸福』たしかに頂きました。

併せて『青春短歌大学』上下をご恵与下さりありがとう存じます。前出の本の時代と関わるのですね。

学生たちに対して自身のお好きな内容(短歌や谷崎、井上靖など。これがまたいいのです。)を伝え、質問(人生全般に亘わたる)し、受取るという楽しいキャッチボールのなかには、長い人生からすくい上げた貴重品のような時間があったのですね。

秦さんの行動や文章でいつも思うのは、形式にとらわれないこと、発見があること、時分の納得した道だけを行くことなどです。方法がユニークとならざるを得ません。これが得がたいのです。

ご清硯をお祈りします。   蔵 日本ペンクラブ会員

 

* お恥ずかしいことですが。有難う存じます。

2011 2・12 113

 

 

* 濃い深い眠りへ、帰って來ようもなく誘い込まれそうな気がしている。とはいえ目前に新しい「湖の本」の出来と発送とが待っている。発送用意はまだ半ばも出来ていない。いいのだ、急がなくてもいい。

2011 2・12 113

 

 

* 腰に激痛の重労働も含めて、必要な作業の半分近くへもってこれた。あと十日で、さ、用意の終了まで届くか。

余のことは考えておれない。

2011 2・13 113

 

 

* 大学と高校へ「湖の本」寄贈のための予備作業を済ませた。いつもとはちょうど「逆」順に用意している。間に合うかどうか。

 

* ふらりと旅に出たい誘惑を身内に感じているが、とにもかくにも通巻106巻を無事送りだしてしまいたい。裁判はとめどないだろう、我が方の弁護士事務所がどう考えどう対処してくれているのか、わたしたちにはよく分からない。知らない。

2011 2・14 113

 

 

* 妻は聖路加で最新鋭の検査機械でなにやら検査されてきた。目当てにしていたのと、別にもう一つとを受けてきたという。雪の積もった道を保谷駅まで歩いて行ったという。雪と通勤ラッシュとで閉口したらしい、疲れて午后遅くに帰ってきた。検査結果は来週らしい。

わたしは留守の間に発送用意を進めていた。

谷崎の『検閲官』も読んでいた。冷静に、奇態な傾向を帯びないよう帯びないよう運転しながらよく書けている。藝術家も検閲官も熱くなったり冷えたりしながら些かの滑稽も加味されて、丁々発止。力作だ。

2011 2・15 113

 

 

* 無我夢中に立ち向かっていないと、来週水曜には出来てくる新刊「湖の本」の発送に差し支える。ギリギリ一杯でも前夜までに九割半ほどは用意しておきたい、ナントカ成るだろうしナントカしてきたどんなときも。

本を買って下さるなんて、目の玉が☆になるほど有り難い。部数を増やすはおろか、自然減を食い止めるだけの気力も、余力もなくて。葉の一枚一枚落ちるように。

わたしも妻も七十五だもの。続けているのが奇蹟に近い。ありがたい読者のお蔭だ。お蔭で、全国の大学や名前を知った高校に寄贈でき、喜んで頂ける。次は何と、待っていて下さる先もある。

2011 2・18 113

 

 

* 新刊「湖の本」の刷り出しがもうと届いている。来週の後半はまた本の重さとの格闘になる。

 

* 発送用意をよほど追い込んだので、少なくも支障なく必要な先へは送りだせる。今夜も少し頑張って階下仕事を済ませ、機械の前へ次の作業を集めたい。

2011 2・19 113

 

 

* 「湖の本エッセイ」は、大学高校等への大量寄贈でかなり在庫が減って、危うく欠本の出そうな巻も見えてきた。お手持ちで巻の欠けている人は、なるべく早めに註文して下さい。もう二度と増刷することはありませんから。

2011 2・20 113

 

 

* 発送用意に「今日明日」が残ってくれた。今日はこれから出掛ける。明日はなお出来る限りのことに一日が使える。じつに苦しい日程であったが、間に合った。二月中にほぼ今年の第一冊が送りだせる。いつもなら四日掛けてする作業を一日でして、疲労と心労とで奥歯が浮き上がり、モノが噛めなくて、痛くて、閉口した。いまも腹のシクシク痛みはあるが、緊張と心労と、不快によることは分かっており、こういう日々はわたしに余命の在る限りつづくものと覚悟している。余の永かれとは祈らない、ただ気力在れと願う。そして無心に静かに成れるようにと。

娘の家に置いていったバグワンが、いまのわたしを導き癒やしてくれているとは。運命の面白さ、いやおかしさ、だ。呵々

2011 2・21 113

 

 

* 夕食前、風邪か発熱かと思う頭痛あり、しかし熱は無かった。maokatさんに頂いて取って置きの名酒「 杉玉」を温めてぐいと呑み、しばらく熟睡した。頭痛は去り、夕食も終えた。明日からの作業も九分九厘用意できていて、体力だけの問題で。やれやれ。

数日、力仕事にまた「はんなり」励みます。

2011 2・22 113

 

 

* やや早起きして待機していると、九時前には出来本が届いた。用意が出来ていたので、午前午后の効率はすこぶる良好、夕方にはまず好調の発送が始まった。

 

* だが割り込んで不快な用事がとびこみ、その対応に、晩の予定を狂わせられた。

2011 2・23 113

 

 

☆ みづうみ、お元気ですか。

色々おありのことと気に病んで心配しておりますが、お役に立てることなどあるはずもなく、ただお祈りする日々を過ごしています。腹痛、精神的なものばかりではないかもしれませんから、どうか病院にいらしてください。(百回は申し上げましたが)

 

今日はお願いがございます。

 

① わたくしは湖の本全巻を、少なくとも二冊ずつ欲しいと(理想は三冊です)思っています。一冊はもちろん読むために。もう一冊はきちんと保存するため。(そして三冊目は誰かにプレゼントするために)

でも全巻一度に購入するのはちょっと大変なので、何冊ずつか分けて、費用も無理のない分割で購入させていただけないでしょうか。この前も申し上げたのですが憶えていてくださいましたでしょうか。無くなりそうな巻があると伺い、それは困る! と思っています。勝手なお願いですが、もしご迷惑でなく可能なら、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

二月も駆け足で過ぎていきそうですが、発送等くれぐれもご無理なさいませんように。 鶯

* 鈍いアタマでふと思いついた、いまある湖の本の読者が一人で一人ずつ新しい読者を紹介して下さると、発行部数は「倍」になる。なかなかの笑い話である。

 

* とてもとても疲れた。全ては明日にして、やすもう。熟睡したい。

2011 2・23 113

 

 

* 寝起きのあとの気分が悪く閉口した。堪えて、発送を続けた。予定通りまで終えた。我ながらよく頑張る。しかし快適ではない。怪我も事故もないが、心穏やかでも心健やかでもない。生きている事への嫌悪と憎しみとがわたしを焼きたてようとする。

2011 2・24 113

 

 

* ところで、昨日出来てきた新刊の「湖の本」は、ちょっと息も抜いていただけるようにと、「京都」で二百頁。ことに冒頭には、二本の記念公演録に手を入れて、わたしの京都論と京都人論を徹底させてみた。一つは、「明日の京都を励ます」ため、京都市第一回藝術祭典「京」 の記念公演。二つは、京都女子学園創立百年同窓会 の記念公演で、京ことばと京都の人を徹底的に批評した。

京都は、たんなる京都ではない。同様に京ことばはたんなる一方言ではない。日本を考え、日本を読むに際してとても無視も軽視も出来ない根本の所へ触れてくる。

大勢の人が関心を寄せて下さると嬉しい。

2011 2・24 113

 

 

* 音信不通になっていたカナダの田中勉君久々のメールが、大病と大手術からの生還を伝えてきた。ホッとしている。返事を書いている内に、やはり田中君と同じ中学一年の同級生だった高橋成子さんから電話で、新刊の本を受け取ったことなどを含め、京都のいろいろをたっぷり話してくれた。「湖の本」が届き始めたようだ。

お嬢さんの結婚に、『愛と友情の歌』をお祝いに上げた、その人の子息がもう大学を卒業して就職が決まったとも。おめでたい。しかし、まあ光陰の箭のごときことは。

2011 2・26 113

 

 

* 読者である小金井のご老人、一回りも年長の方と、朝、電話口でひとしきり話し合う。「七十五、まだお若い」と言われた。生きて、長生きして、生き続けて行く、行かねばならぬということの厳しさと有り難さとを思った。

 

☆ 今日、届きました。 白川

ありがとうございました。

早速読ませて頂いております。

忘れていた京都のくらし・・・

特に、京言葉。

そう言えばと、思い当たることばかり。

広島弁の主人に聞かせながら、楽しく読み進ませて頂いています。

本当に、ありがとうございました。

 

☆ 昨日、御本届きました。

ありがとうございました。

昨日、今日外出しておりましたので、さきほど、インターネットから入金させて頂きました。(自分では、やれませんが、家から入金できるとは便利ですね。)

そして谷崎潤一郎の『検閲官』今、プリントアウトしました。まだ読んでおりませんが、

昔読んだ随筆に、戦時下、東京と鎌倉の往復の電車の中や灯火管制下で『源氏物語』を読んだと書いてあったのは、谷崎潤一郎だったのか、川端康成だったのか、記憶が曖昧ですが・・・雅にはんなりした作品の多い作家の中の、時局におもねることなく、自分の書きたいことを書く、読みたい物を読む、という、一見当たり前に見えて、命がけのようなものを感じた、そんな昔の記憶が蘇りました。

ご示教ありがとうございます。  野宮            2011 2・27 113

 

 

* どうッと流れ込むように、中西進さん、清水英夫さんら、新刊落手の声が、郵便でメールでたくさん届き始めた。暫くぶりの懐かしい便りも幾つも混じっていた。

 

* 中には数十年の友、萬田務さんの訃報もまじっていた。わたしの『廬山』を最初に紹介し称讃し、その後もいろいろに引き立ててくれた文藝批評家。「 ペン電子文藝館」 を創設し開館したときにも関西の人ではあるが委員に加わって頂き、いろいろと助力を仰ぎ続け、近年も湖の本を介した文通は絶えなかった。

どうか、やすらかに。有難うございました。

 

☆ 雨が土にしみこんでいます。

おはようございます。

いつもお心遣いいただきありがとうございます。

ひさびさにたびたびの雪で、なつかしい風景を何度も味わいました。

お怪我などございませんでしたでしょうか。

花粉の季節となり、それに加えて気温差が大きい毎日です。

おんみくれぐれもおいといのほど。

メールをいただいたとき驚きました。

ほんの3 日前に香具波志神社に詣でていたからです。

加島駅から香具波志神社に参り、そのあと、橋を渡って椋橋神社を目指しましたが、思いの外距離があって断念。駅に戻りました。

あとから、椋橋は倉橋で、白拍子亀菊をまつった天満宮があると知り、くやしかったです。

毛馬や尼崎1 丁目との距離が近いのにはっとしました。

高津の圓珠庵が契沖忌の1 月25日に限り墓所を一般開放してくださるというので、今里の妙法寺とあわせてお墓参りに出かけての加島行きでした。

圓珠庵には下河辺長流のお墓もあるのですね。

 

以前のような長距離ドライウ゛は体力気力ともに主人に負担が強くなりましたので、平日に一羽で“乗り鉄”やレイル&ウォークを楽しんでいます。

運休や運行中止に巻き込まれてはなにもなりませんから、徐行にならない程度の気候に限りますが、悪天候の日は“乗り鉄”。

ケータイマグに熱いお茶をつくり、文庫本を1 冊、それに地図と筆記用具をバッグに入れて、千円札数枚と1000円分の小銭をもって、留守電をセットして戸締まりを確かめたら駅へ。

14日などは、別のどこかにいるような飛鳥を車窓に眺め、雪の吉野山をぼんやり見上げて過ごしました。

レイル&ウォークはたとえば、帯解駅から奈良市八島の崇徳天皇御陵に詣で、御霊神社をいくつかめぐり歩きました。

この冬の特別公開で、光雲寺のなかに初めて入り、山村御殿の初代である沢宮文智女王のことをふたたびみたび思うきっかけが見つかったからです。

レイル&ウォークが気に入って続けている理由は、

①“鉄子”の旅が楽しめる

②車中で読書がはかどる

③ウォーキングで心身ともに軽くなる

④歴史上の人物や史蹟、知らずにいた社寺に出会える

⑤地元の小さなお店で出会いと買いものをたのしむ。

お赤飯やバラ売りの和菓子をちょこっとおみやに買って帰るのが通例に

なっています。    囀雀

 

* これが「湖の本」の「いい読者」のメールである。このまま読まれても意味合いのとりにくい人が多いだろうが、それはそれで宜しく、こういうメールは、この人とわたしとの、個と個とのラヴレターに等しいのだから。たとえばこのメールには、関心を分かち合った「上田秋成」の姿や仕事や人生が影絵のようにまつわっている。書かれている一つ一つのこの人らしい関心のありようには、だれかが「女西行」とでも評していたような行脚のうまみが味を添えている。

 

☆ 「京と、はんなり」有難うございます。

先週の日曜日、日吉ケ丘有志会の一泊旅行でお会いできるかと楽しみに出掛けたのですが、名簿にお名前がなく残念でした。有志会登録94名のうち参加者は36名で関東からは**君夫妻ほか2 名でした。

網膜剥離で片目になって外出の機会が減り、専ら音楽三昧の日々で近頃は主にクラシック音楽を聴いています。

貴兄はジャズもお聴きとか、例えばどんな演奏者、曲目が特にお好みなのでしょうか。

少子化で弥栄中学校もなくなる ? とか、となればOB会が一層意義深いものになりますね。開催が待たれます。

再会の日の早やからんことを、その日までお健やかに。  龍

 

* あなたにこれまで四枚、CDを頂いています。それらを繰り返し聴いています。わたしはラテンもジャズもちがいのよく分かっていない男ですが、クラシックも唱歌も、ジャズもラテンも、聴くのは大好きで、苦しい日々を癒やされ励まされます。

知識は無く、アレとかコレとか指さしては何も謂えませんが。いつのまにか増えている百枚ほどのCDをそのときどきに聴いています。この頃は機械に覚えさせたのを呼び出しています。

お元気で。  秦恒平

 

*  送本は簡単

勉さん 代金のことなど気にしないで下さい。大企業の大将格の西村でも団でも、退職したらもう買えないという時節です。

勉さんとは共有できる京都や日本がたくさん有る。人生の果て近くへ来て、ちいさなこと想い煩うより、よきもの、なつかしいものを分かち持ちたい。こっち (= カナダから日本) へ帰ってきてからなどと。もうわたしたちに、夢のような余命は無いと覚悟して「いま・ここ」を懸命に生きなければ。

 

送り先アドレスのみ、正確に、お知らせ下さい。

 

前便で読んだエッセイは、大勢がいろいろに言及してきた、何度も聴いてきた「ありきたり」の話題なのが残念でした。勉さんならではの、生活と意見の具体感に溢れたエッセイを読ませて下さい。エッセイは、「論」じては窮屈、概念的観念的になり強張って面白みが落ちます。エッセイはその書き手ならではの「描写」「表現」の魅力です。志賀直哉の言うように、場面や声音が目に見え耳に聞こえるように書いて読ませて下さい。論攷や論説には他の書き方があります。

勉さんならではの視野と視線とがとらえた具体的な世界や場面を読ませてほしい。

 

訃報のみあいついで賑かなあの世かな

風ゴトゴトと娑婆を揺る間に   恒平

 

 

二年ほどまえの作です。

2011 2・28 113

 

 

* 弥生とは優しい。

☆ 月はおぼろに

hatak さん

『京と、はんなり』届きました。折り返し振り込みましたのでご確認ください。

「月はおぼろに東山」の中にこういうくだりをみつけ、しばし物思い。

 

私ひとりの今の好みでいえばホテルフジタの五階あたり、むろん二人部屋、東向きの窓べがよい。暖雪紅雲の春は夢見心地に鞍馬、比叡から遠霞む稲荷山まで、「やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明かりて、紫立ちたる、雲の、ほそくたなび」いたさまが、しみじみと、残りなく見渡せる。『枕草子』褒美の「をかし」とは、これか・・・・・・と、息をのむ。

 

茶会だったか学会だったか失念しましたが、一昔前にホテルフジタの五階から、春爛漫の「やうやう白くなりゆく山ぎはすこし明かり」ゆく様子を夢見心地でみたことがあります。

そのホテルフジタも、一月に営業を終えましたね。

夷川通りの家具屋の並びに「賀茂川会館」といいましたか、こぢんまりした省の宿泊施設があって気に入っていたのですが、ここもずっと前に廃止。

哲学の道の「若王子」も大分前に閉店しています。

旅行者の私でさえ、年々寂しさを覚えるのに、生まれ育ったhatak さんの胸中はいかばかりか。

札幌はまだまだ真冬日です。   maokat

* まことに、まことに。

 

☆ 秦先生

この度は「湖の本」106 『京と、はんなりと』をご恵贈くださいまして誠にありがとうございます。

深くお礼申しあげます。

ここ何日か、口に糊するための仕事に追われてお礼が遅れました。お許しください。

昨夜のことですが、DVD で久し振りの傑作に巡り合えました。

マッカーシーの赤狩りでハリウッドを逐われそうになった脚本家が自動車事故で記憶喪失となり、田舎町の老人に「戦死した息子」と間違われて、つぶれた映画館を再建する物語です。

コメディアンのジム・キャリーが押さえた演技を見せ、『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』のダラポン監督があくまでも明るく、美しく、ヒューマニスティックに暗い時代を描ききってました。

DVD のレンタルもしている作品です。もし機会を持たれましたら、是非ともご覧ください。

近頃、私は出版界の先が見えないせいでしょうか、DVD で1970~90年くらいの映画を見続けています。

気候が激しく変わる季節となりましたが、風邪などひかれませんようご自愛ください。

まずはお礼のみにて失礼します。  虔 作家

2011 3・1 114

 

 

☆ 御本「京と、はんなり」ありがたくいただきました。

京満載の御本で、あちこち、楽しみながら読んでいます。一つ一つ面白いですが、(ウカとは)いえません。おびえます。私が秦さんに魅かれるのは、正反対の浅草のうまれのせいかなあ、と京の奥深さを味わっています。御礼まで──。  映画脚本家

 

* わたしが東京に暮らして、いまではいちばん足を向けて親しんでいるのは、浅草と銀座。わたしの育ったのは、或る意味では京の浅草のような場所であったと思っている。自分で造語したほどの京の「女文化」に親しんで来は来たものの、わたしの視線と創作の主題の大きな一つは、主なる意識は、女文化自体も含めてだが「差別」とその世界に注がれてきた。わたしの京都はそうは趣味的ではない。京の奥深さは「貴賤都鄙の雑居」に在るのだ。

 

* 今度の本は「京都」「はんなり=花あり」と題したので、前回の『秦恒平が「文学」を読む』なんどというのと趣かわって随筆世界のようであるが、講演録二つでしつこいほど追究した「ことば」の問題は、とても生易しいモノではない。「ことば」もまたわたしの文学主題の大事に思ってきた一つである。そして「島の思想=身内観」さらには「死なれて・死なせて」。この四本柱でわたしは自分の土俵を囲ってきた。どの一つもありきたりではないと考えている。

 

* めにつくコマーシャルに「そうだ 京都 行こう」というのがある。真ん中の「京都」に目的・方向を示す助詞が省いているのをなんだか洒落ているともヘンだとも思っている人があろう。鉄道の旅の誘いであり、めあては全国の視聴者であるから、助詞はじつは付けられないのであろう。むかしから、「筑紫に、京へ、坂東さ」と言われてきた。いやいや、「京に、筑紫へ、坂東さ」だという説も古くて、どつちが先かと言い争っている人達も昔から有った。さすがに「さ」とはわたしは行ったことがないが、京生まれ京育ちのわたしは、たとえば「パリに行きたい」と言う方だ。「パリへ行きたい」ではないようだ。大阪で生まれた妻は「パリへ」派である。筑紫の人に確かめたことはない。

喋るときだけでなく、方角を示す助詞は文章でも頻々と用いる。自分では「に」を多用・慣用してきたと思い込んでいるが、調べて確かめたことではない。「学校に行こう」「河原町に行こう」「東京に行こう」と口でも言うてきたつもりだが、

「に」でも「へ」でもなく中間の「い」も有りそうな。「川い行こう」「山い行こう」と言うていた気がする。「に」には密接した親和感が感じられて「へ」を少しよそよそしいと思うときもある。「近くに」「遠くへ」という感覚もある。

源氏物語や栄花物語はどうか、あらためて今夜の読書で気をつけてみよう。

2011 3・1 114

 

 

* 浴室で「末摘花」の巻を読みながら気をつけていると、やはり間違いなく「京へ」でなく「京に」と多数の例で読み取れた。「京さ」は無論無い。方向付け、目当ての場所、みな例外なくと言いたいほど「に」という助詞を用いている、と、読めた。「里に帰る」のであり、「花見に行く」のであり「東に行き」「西に行く」。「懐に入れる」のであり、「山に登る」のである。しかし「へ」を用いて間違いと言うことはない。筑紫が「へ」か「に」か知らないが、京はもとももとは「に」であったのだと確信する。

2011 3・1 114

 

 

☆ メールをありがとうございました。

「 e-文藝館= 湖(umi)」の中に やっと「古典を味わう」に たどりつけました。前々より探していたのですが 行けなかったのです。

先日は『京と、はんなり』を送って頂きましてありがとうございました。

今回は他のものの 注文と一緒に お支払いが出来る様に用意をしておりました。明日にでも 振込みをさせていただきます。

注文は 清経入水 慈子 茶ノ道廃ルベシ の3冊です。よろしくお願いいたします。

 

 

30年位前になりますが 青年部(=淡交会のか。) ではじめてのお茶会を持たせていただいた事があるのですが 竹取物語 の中の歌を 短冊に書いていただいたり 自分でもはじめて購入した 黄交趾の竹の絵の水指 幼稚園のお部屋に 竹とたけのこの坪庭を作って 御園棚の立礼席 で致しました。

その時は席主のお勉強や準備なども大体自分でしたのです。

お琴も置いたり 琴の音を流したり 香合は 貝合わせの 翁 おうなでした。

大変さも あるのですが あれこれとお道具相談 楽しめました。

お花も十二単や花かんざしなど 思い入れのものを使いました。

 

 

かぐやひめと言うことばを聴くと思い出されます。

 

 

「古典」の部屋が見つかったので ゆっくり拝見いたします。 ー由ー

 

 

* 出逢いが、こうして、新たに生まれることの有り難さ。ネット社会の嬉しい一面。

* 新刊へ、大久保房男さん、寺田英視さん、河野仁昭さん、小沢正義さんらたくさんの郵便を戴く。払込票にもいい読者の数え切れないお便りが書き込まれてくる。ちょうど四半世紀、わたしはこういう声や言葉に包まれ励まされ続けてきた。感謝あるのみ。

2011 3・2 114

 

 

* 京都は京都で、上平貢さん、島津忠彦さん、小島喜久江さん、 伊吹和子さんら、学者からも文藝編集者からも、読者からも、京都らしい反響が、はんなりとたくさん届く。「小説とちがって、食卓の脇などに置いて、 気の向くままに少し読む。バカ笑いしているテレビも気にならず、また少し先まで読む、というのには絶好の『京と、はんなり』です」(越谷市)などと聞くと、そうそうそういう風に観て読んで下さればと、喜ぶ。

「梅枝が飾られた嵐電で北野の梅見をし、ぶらぶらと小路を南下し、東へ歩き、最後は仏光寺へ出て京都駅まで4時間近く歩いて、名張まで帰ると、ご本がポストに入っていました。 湖雀」とも。

自然と春来たるお便りも多い。

「庭の蕗のとうは、一面に若緑色の花やガクを広げて伸び切り、毎日お使いに通う電車沿いの植木屋さんのしだれ櫻は甘い香りを漂わせて満開です。色鮮やかに春の訪れを告げているかのようです。

建日子さんのTV「スクール」楽しみになっています。」(静岡市)

「雪のために『きんさい市』へのやさいの出荷が少なかったのですか、やっと、ふきのとうなど店にでるようになりました。」(広島庄原市)

など、曇りがちな胸の内をふと明るくして下さる。みな「湖の本」四半世紀の親族のようである。

 

☆ 拝復

このたびの『京と、はんなり』の、講演「京と京ことばの凄み」とくにおもしろく読ませていただきました。和泉書院のホームページに連載している『老のくりごと 八十以後国文学講義』に、読後感を書かせてもらいました。  名誉教授

 

* 既刊の『京のわる口』とともに、「京ことば」について語ろう、考えようとする人の基本文献の一つに成るようにと、講演を拡充して纏めたもの。

 

☆ 秦恒平先生

『湖の本…京と、はんなり』、ありがとうございました。

京都とは相変わらず細い糸で繋がれておりまして、隔月で出張しております。

日本の中で、北海道と京都は対極の文化をなしているように感じ、その落差を多いに楽しんでおります。

京都の文化について書かれている御書、興味深く拝読しております。

また、パラパラと……ですが。

どうぞお元気で、お礼まで。  山

 

* 象嵌工藝家というのだろうか、むかし京都で、象嵌企業の経営に加わっていた親友松下圭介君の紹介で、博物館まえのパークホテルで「対談」したことがある。東京にいた人だが、いまは、北海道にアトリエを。

2011 3・3 114

 

 

* アメリカからも、航空便が届きましたと、電話が来た。二三十分も歓談、ただし日本語で。「ちがうのとちがうやろか」を英語で言うとどうなるのと、双方で絶句。いまや大騒ぎの大学受験ケイタイメールでの援助回答者氏に尋ねようか、それって「ちがうのとちがうやろか」と。

2011 3・3 114

 

 

* 今日もとても寒々と感じた、日射しは明るかったのに。 気持ちを落ち着けるために、HPと向き合っている時間が長かった。

 

☆ 拝復「 湖(うみ)の本」 106ありがとうございます。

「 京都びとと京ことばの凄み」( 京都女子大百年記念講演) おもわず吹き出すほど楽しく拝読いたしました。

「そやろか。違うのと違うのやろか」

いまも日常的に使うことばですね。拙著を書いたときに先生の文章、洞察にたいへんお世話になりました。  大学教授

 

* 京のお人である。

 

☆ 『京と、はんなり』頂戴致しました。恐縮です。

ふと「つきはおぼろに東山」に目を通し、引退するまで毎年二、三度おもむいていた「祇園」を懐かしく想い起こしながら、私は、何とつまらぬ「京通い」をしていたのかと今さらながら口惜しく思いました。死ぬまでにもう一度京を散策するなら、 今度はこの名文とその内容に従い、ゆっくり楽しもうと思いました。 ご健康に。御礼まで。  大学教授

 

* 東京のお人である。

 

☆ 鴉へ

「故山入夢。 京都を歩きたいなあ。カアカアカア」

鴉は京都を歩きたい、と。暖かくなったら京都を歩いてください。トンボ帰りなどではなく、さらに一日二日の旅でもなく、少しの期間だけでもゆったり春のふるさとを楽しんでください。

持ち時間の残りを考えるまでもなく、してみようと思ったことは即実行して今此処を生きたいと、わたしとてそう思うのです。鴉は元気があったら自転車で学生の頃のように京都の街を走り回ってみたいなど思いませんか? 私の学生時代にも思いがけない路地やらに入り込んで楽しかった思い出があります。

メールを戴いてすぐいくらか書き出して・・数日後コンピューターがクラッシュ! ほぼ一週間、業者の操作で回復。バックアップは三ヶ月ほど前にしてあったのですが、それでも画面を開いて安堵しました。

『京と、はんなり』創知社1985年はわたしの大事な一冊ですが、それと微妙に重なり合う今回の「 湖(うみ)の本」 は、それ以後の考察も多く楽しく読みました。

思い立って今年のうちに、詩集を纏めるよう努めています。

今日は霙が降るような寒い日でしたが、もう春です。鴉がさまざまなことに楽しく過ごせますように。 取り急ぎ。  播磨の鳶

2011 3・4 114

 

 

☆ 風、お元気ですか。

『もののけ』は、風がおもしろいとおっしゃるので読んでみたいのですが、少し先になると思います。

今は、風の新刊、『アンナ・カレーニナ』、それから、『フェイスブック 若き天才の野望』を読みはじめました。フェイスブックには興味ないのですが、マーク・ザッカーバーグにはちょっと関心があります。

『京と、はんなり』に、こうありますね。

 

 

> 「京都」の人を分かりにくい、腹が知れないと譏って来た他の「日本」人が、「世界」へ出て行くと、まるで同じことを見事にそっくり言われて帰って来ます。つまり、日本人の発想や態度のなかに、無意識に身につけてきた「京言葉」の久しい「感化」というのが生きているのを、「世界」から、正確に「指摘され」て来るんですね。

私は、それを「是」とも「非」とも言うのではない。「日本の言葉」が、西欧の常識とは「逆の方へ」本来向いていた、その「長と短と」を、正しく生かし鍛えて行くのが、ものを「書く」「書いて表す」者達の勤めだろうかと、ともあれ、思うばかりです。>

 

随分前にこの文章に触れ、共感したのを思い出します。

現在は、「曖昧日本」を痛切に感じます。

花も、それを是とも非とも言いません。

イエスなのかノーなのか、グレーに塗り込める日本が、西欧の常識とは違うのだと思います。

そして、中国、韓国といった隣国のセンスとは、西欧以上にかけ離れていると思います。

互いの違いを客観し掌握し、グローバルな現場で「強み」として、ある意味したたかに発揮できないものだろうかと、この頃、外交ニュースを見たり聞いたりするにつけ、考えます。

それはやはり、ものを「書く」者の勤めでもあるだろうと思います。

ではでは。 花

2011 3・4 114

 

 

☆ 秦先生

「京と、はんなり」、花粉症に難儀しながら、少しずつ頁を繰っています。

フム、フム、ウ~ン、と唸りながら。

ペンの理事は、もう、お辞めになるおつもりなのでしょうか・・・?

辞めないでいただきたいのですが、ぜひ。

不順な毎日です。どうぞ、お体大切に、奥様も。   詩人 ペン会員

 

* さっきもこんなことを言うてくる人がいた。

 

☆ 秦さんへ 『京と、はんなり』

ホッとしました。ありがとうございます。

「後期高齢者」「いま・ここ」「無心」「用心」・・はい。まだまだ寒いです。お大事にしてください。 e-OLD 千葉

 

☆ 木曜日の朝、甲賀ではわずか数㌢ですが積雪にびっくり。今夜の帰りも、甲賀から鈴鹿は、積雪こそないものの、雪が舞っておりました。さすがに伊賀甲賀は忍者の里、寂しくて、寒いところです。先生の文学世界にひたれます。  野宮

 

☆ 7日に東大寺の修二会に、前日は大阪の四天王寺へ。石の鳥居を触ってこようと。実父を少しは偲べるでしょうか。

夜は京都に泊まります。

今度のご本にでていましたフジタホテルは廃業していました。残念です。

午前中に近くのお寺にお寄りできればと欲張っています。

おかげさまで元気に、あせり半分欲張って過ごしています。

寒暖の差が激しい日々ですが、お元気でお過ごし下さい。 晴

 

* すこし肩の力をぬいて「京都」を編んだのだったが、同じように気がほぐれてか、大勢の方がいろんな声を掛けてきて下さる。

福田恆存先生の奥さんから、いつものように一冊追加のご註文が来ていた。有難う存じます。

2011 3・4 114

 

 

* 中学の恩師、給田みどり先生の歌集『夕明かり』を機械の傍で、ちょっとした合間合間に心して読んでいる。

中学では給田先生、高校では上島史朗先生がわたしの短歌を観て下さった。お二人とも亡くなる日までわたしの文学を応援して下さった。去年に亡くなられた橋田二朗先生も、担任だった西池季昭先生も、亡くなる日まで私を購読というかたちででも支えて下さった。

いま給田先生の歌集をみると、口絵に橋田二朗先生扇面の「富貴草」が艶に描かれて在る。先生方がほんとうに仲良しであられた。そんなことが、今もしみじみと嬉しくて仕方ない。

高校一年の夏だった、ある日、まだ弥栄中学におられた給田緑先生は、わたしを誘われ、南都の薬師寺と唐招提寺へ連れて行って下さった。ああ、これがどんなにわたしにとって深く刻まれた体験になったかは想像してもらえるだろう。先生はほとんど解説めいたなにも仰らなかった、二人での静かな遠足を楽しまれているかと思い起こされるほどだった。わたしはだが薬師寺の佛達にも、唐招提寺の伽藍にも、のけぞる思いで打たれていた。いまも、こころよりこころより御礼申し上げる。

給田先生のおもかげは、太宰賞をうけた『清経入水』のなかに描かれてある。

2011 3・6 114

 

 

☆ 冠省 御本拝受   作家

いつもご配慮頂きありがとうございます。礼状が遅くなりどうかご海容下さい。

大兄の湖シリーズを見ていると、筆力にほとほと感じ入るのみです。

聞き及ぶところ PEN の国際大会の内情( 会計報告作成のために二名がホテルに泊まりこんで一ヶ月、まだ終了しないとか) には言葉もありません。井上靖、梅原猛両氏は立派でした。不一

 

☆ いつも「 湖(うみ)の本」 を贈っていただき恐縮しております。ありがとうございます。

『京と、はんなり』を拝読しつつ、あらためて京都の奥の深さに驚いております。自分は関東の田舎者だなあとつくづく感じ入りました。京言葉、京風、京の風景などなど、一つひとつ考え込まされながら拝読しております。いつか京都論を直接お聞かせ下さい。

ところでPEN は国際大会で五千万円もの赤字を出したとか。どうなっておりますのやら、心配しております。 作家 ペン前理事

 

☆ 前略  元岩波書店

京都とは距離を保っておられる著者の京都論ですから説得力がある、と思いながら拝読いたしております。

* 橋田二朗先生の奥様から「鶴」の繪にふれて、長いお手紙を頂戴した。

 

* また閉校になる京都市立弥栄中学の野里基次校長からも鄭重なご挨拶があった。

思いがけず、わが人生の一面をしめくくる、いわば校長先生からの「卒業証書」のようなお手紙となった。

 

☆ 拝啓 春寒の候.初めてお手紙を書かせていただきます。

「湖の本」 京と,はんなり 送っていただきありがとうございました。

大変興味深く読ませていただきました。特に先生が.京都のご出身であられること。まして.東山.さらに祇園と。もっと驚いたのは.先生の御自筆で書かれた「弥栄中三回生 事実上創立一年生」という文字です。

何と不思議なタイミングでこの本を送って頂いたことか。

明治二年に下京第三十三番組小学校から数えて百四十二年.昭和二十三年に弥栄中学校から数えて六十三年の誉れの伝統と歴史を持つ弥栄中学校が今年.七小中の統合による閉校となります。

私は.今年度 第十五代 弥栄中学校に校長として赴任して参りました。

今,閉校記念お別れ会や.卒業式.閉校式の準備と.引っ越しの準備でバタバタしております。そんな時.一冊の本が届きました。それが先生の「湖の本」京と.はんなりでした。

先生の一言のメッセージに釘付けになり.一気に読ませていただきました。感動いたしました。心が花に包まれるように豊かになりました。

「はんなり=花あり」.目の前がばあッと明るく華やかになりました。私の孫の名前が「百花」(もか)といいます。改めて.息子達は.良い名を付けてくれたものだと思いました。

祇園育ちの中で弥栄中学校の一期生として.生徒会の組織作りや.学校新聞の創刊も沢山のクラブ活動の基礎づくりも全部作っていただいたんですね。大変感動いたしております。その当時の祇園の生徒たちのエピソード等納得しました。当時の写真を持っておられると言うことも素晴らしいなと思っております。

閉校記念のお別れ会は見学会と.写真撮影程度と考えています。差し支えがなければ,私の挨拶の中で是非.先生のことも少し紹介させていただきたいと思います。

三月といえども.寒の戻りのような寒い日が続きます。お身体ご自愛下さいませ。また.京都にお越しになる機会がございましたら是非お立ち寄り下さい。卒業式や.閉校式の後.三月二十五日の離任式が最後の集いとなり.その後.全教職員も新しい勤務校に赴任いたします。弥栄中学校そのものは.管理主事も入り.教育施設として.そのまましばらくの期間は残る予定です。

本当にありがとうございました。  敬具

平成二十三年三月四日

京都市立弥栄中学校

校長  野里基次

弥栄中学校一期生

秦 恒平 様

 

☆ 先日 注文の本が届きました。

有難うございました。

『慈子』は「各」という字が書かれていませんでしたのでお支払い不足になっていました。

今日にでも追加注文と一緒にお支払いいたします。

『宗遠、茶を語る』を友人にお勧めして 買っていただきました。4冊、又お願いいたします。

『茶の道廃ルベシ』は前に図書館でお借りした事がありましたので、少し読み易かった感じでした。

『宗遠、茶を語る』は 読んで見ると 本当に皆様に ご覧頂きたい本ですね。気持ちが 本当に 同じと 思うのです。

ーー宗由ーー

 

 

* 感謝。

2011 3・7 114

 

 

☆ 前略

現代作家のなかで京について最も含蓄のある方のこの本文を何より最初から拝読致したくてなりません。「私語の刻」 同世代者として、様々な御感慨が身に沁み入りました。殊に志賀直哉七十四歳の時の『八手の花』の御引用から「ぜひにと願うまとまった仕事を二つ三つも書き継いでいて、しかも裁判沙汰に寸断されてかけないでいる」という 御心中は拝察してあまりあるものがありました。

どうぞ呉々も御体調には留意され、剛情に御健筆をお祈りいたしてやみません。  元文藝誌編集長

 

* どうか奮い立ち、剛情に立ち向かいたい、創作に。まだまだ、まだまだ裁判沙汰は已むまいと思われるが。

 

☆ 冬の名残がなかなか去らず

今日も真冬のような寒さになりました。咲き始めた春の草花や小鳥たちも、烈しい寒暖の差に戸惑っているようにみえます。

過日は「 湖(うみ)の本」 誠に有難度うございました。京都のいろいろな見方について、大変興味深く読ませて頂くと同時に、もっともっと知りたくなる古都の魅力を感じております。

銀閣寺の改修工事にまつわるエピソードのテレビ番組があり、建立当時は明礬を塗り籠められた壁が、この世のものと思えぬ程に月光を浴びて輝いたと報じておりました。月を愛でるために、池や植木の配置、庇や窓、壁の色などに、いかに様々な工夫をしたかが分かりました。私の知らない京都が沢山あることを知りました。

話はかわりますが、最近、ご子息様の脚本になる「スクール」というドラマを拝見し、日頃から学校のあり方に疑問を持っておりました折、胸のすく思いを致しました。学校だけでなく父兄に対しても、もっとねっと苦言を呈するような作品を書いて下さったらと思いました。

気候不順の折、くれぐれもご自愛下さいますように。 まずは御礼まで申し上げます。  元日経BP編集者

2011 3・9 114

 

 

☆ 過日ご恵贈本のお礼代わりに、   昔のクラスメート

例によって独断と偏見のCDをお届けします。

1 枚は仲間との記念行事のためのものですが、好評だったのでコピーをしたものです。クラシックから歌謡曲までてんでバラバラな好みを1 枚に纏めて面倒をみようと手抜きをすると、毎回このような五目飯的CDになるのですが、変化に富んでいる所が結構受けているようです。

「**さんて顔に似合わずロマンチックな曲を聴かれるのねと女房が言ってたぞ」と書いてくる奴もいますが、「お前の奥方は器用にも音楽を顔でお聴きになるのか。森下はオイドで音楽を聴いてよる、と言っとけ」「関西弁ではオイドは尻、スペイン語では耳をOidoと言うのじや」と切り返しています。

1 は布施明の知られざる名唱、 2 はハンガリー製、 4 はオペレッタ作曲家の秘曲、7 は騒々しいキューバものですが日曜日ごと花束を母の墓前に供えて親不孝を詫びる男のうたで、身につまされる曲、8 はガキの頃の一番印象に残っているなつかしい曲、15は14と違ってこんなファドもありの見本。

クラシックも演歌もすべての音楽は{ムード音楽」が私の持論でその時々の気分で音楽を愉しんでいます。きのうは騒々しいと拒否反応を起こした曲も今日はくつろいで聴けるから不思議です。いつでも聴きたい曲を身近にと若い頃から浅くても広くかき集めてきた音源を、読書の楽しみが失せた今は正に寝食を惜しんで手当たり次第に聴いていますが時間が足りません。

住み辛いご時世ですが、百歳までは音楽と酒を愉しみたいものだと真剣に思っている次第です。そのためにはまず健康が第一。首から上はともかく右肺がないのを除けば所謂生活習慣病とは無縁で内科医には30年近くもご無沙汰していることだけが自慢のタネです。と法螺を吹いていますが、片目で遠近感がとれず僅かの段差に躓いたり転んだりしては周囲の人達をハラハラさせているのが実情です・・・

奈良のお水取りが始まり、26日の比良八荒が終われば春の到来ですが、寒暖差のはげしい昨今、充分ご自愛のうえお元気にお過ごしください。

追伸、 奈良旅行記念盤の16の曲途中に針とび箇所があり、折角のムードを壊しますがお許しのほど。

 

* 残念、この晩は二十曲の十三曲までに針きずあり。ファド二曲からは聴ける。いま松尾和子とフランク永井の「昭和枯れススキ」を聴いているが、イマイチ。あと四曲、いろいろ聴けそうだ。

他に、ちあきなおみの盤が二枚、そしてジャズ盤一枚。ありがとう。

いま、ジャズ十五曲を賑やかに聴きながら機械に向いている。聴いたような曲も混じっているようだ。

 

* 『宗遠、茶を語る』 四冊追加をと註文があり、ありがたく送りだしてきた。感謝。

2011 3・9 114

 

 

☆ 前略( 『京と、はんなり』に) 収録された作品の原著年月をびっくりしながらみてしまいます。20年30年前とは思えない今なお歴史の先端ですね。語り口も内容にも全く古びていません。  世田谷区

 

* こういう読者にいつも畏怖と感謝を覚える。

 

☆ いつもありがとうございます。

連絡はなかなかできませんが、元気にやっております。

毎日、公私ともに自転車操業ですが。

時々、先生とお話をしたくなります。4月過ぎたら 少し落ち着いたら ご連絡させていただくかも知れません。 司  卒業生

 

* この人達が修士を卒業して世に出ていった年にわたしはHPを開いている。あれから十数年、みな今は職場の大事な責任を担ってとびきり忙しい。その中からこうして「 湖(うみ)の本」 に送金して、懐かしい声を聞かせてくれる人達もいる。幸せではないか。

2011 3・10 114

 

 

☆ 湖の本 京と、はんなり  2011年03月11日10:26

マイミク「 秦 恒平氏」から頂いた「湖の本」を今、読んでいます。

秦氏は、小説家 (「清経入水」により1969年第五回太宰治賞)  その他いろんな経歴を持つ中学校の大先輩です。

京都の気質を色々な角度からするどく衝かれた随筆集ですが、とても興味深い本です。

京都で生まれ育った私ですが、なるほど、うんうんとうなづかざるを得ない個所がいっぱい出てきます。

たとえば、「一緒にせんといて」という言い回し、子供の頃から使いなれた言葉ですが、気随な自己中心的と解説されています。そう、気がつかないうちに他人とは別やと隔たりをつけているんですよね。

知らず知らず使っていた京都の日常語から、京都人の気質をバッサバッサと切り込んでおられます。

さすが、京都で生まれ育ち、東京へ出られた氏でないと気がつかれない観点です。

他の県の方が読まれると、京都人の本音が良くわかる本であり、京都の方が読まれると、自分では気がついていない京都人特有の気質が分かる本だと思います。

機会が有れば、ぜひ読んで

 

* お役に立てば何よりです。

2011 3・11 114

 

 

* 夜中、間近い余震もあり、睡眠が分断されていた。

 

* (前略=)目次を拝見すると、色々のところに目が届いています。

まずは平安神宮についてお書きになった「櫻・谷崎・京の春」をなつかしく再読しました。併せて書棚からこのご文が収められた『探訪・日本の庭 京都 一』をひっぱり出し、ご文の間に収められている平安神宮以外の庭、法然院の谷崎の墓所、成就院の石庭などなつかしく眺めました。

( およそ「三十年余り前の思い出」にたくさん触れられて、)

それだけで終れば、御著は、私の京都観光の思い出のよすがなのですが、巻末の私語の刻に到り、(志賀)直哉の、「俺は小説を書くために生れて来たんじやない」という激しい言葉にぶつかり、更に秦さんの志賀直哉に対する強い愛着にふれたとき、私の心に秦さんへの共鳴が起こるのを感じました。

志賀直哉が、昭和10年ごろに夢殿の救世観音の作者がだれであるかわからないが、自分もあのような作品を書きたいといい、そして最晩年に 自分の人生はナイルの水の一滴のようなものだと言った、ここにある無名への執着、これが志賀直哉だと私は考えています。

「只一度の生涯をよく生きる事が第一で、その間に自分が小説を書いたといふ事は第二」という言葉は、そのとおりなので、自分は子供のめんどうをみるために生きてゐねわけではない」と云いながら、子供への執着をあらわに示す、 私もそういう直哉が好きなのです。

一度、小説などはどうでもいい、という悟達したお気持ちで、お書きになったらいかがでしょうか。

私は「無名」ということに激しくこだわっています。

西行には何よりも無名への願いがあった。芭蕉はそれに感応した。その隠者の系譜をたどってゆくと、そこに直哉がいる、島木健作もいるかもしれない。あの小林秀雄の「社会化された私」という、わかりにくい命題も、ここをたどってゆけば、比較的明解に解けるのではないか、と考えています。

乱筆乱文 失礼します。

今後ともご健筆のことお祈り申し上げます。 敬具

三月十四日 大地震の余震の大地震におびえる日に

 

* 『京と、はんなり』を編んでいて、今回は息抜きとぐらい自身にいいわけをしながら送りだした一巻であったが、予想外に反響が集まっている。いろいろではあるが、跋文は、だからそれなりに気を入れて選んだのだった。

直哉への尊敬と共感によせて現下の思いを書きおくことにわたしは、かなり心していた。それらはそのまま毎日書いている「私語の刻」に闇に言い置いたそのままであったけれど、そういう執筆行為そのものが、いわば「私」の私を或る程度は捨てた私の行為に他ならない。何をしているから貴いのだ無意味なのだという評価にたゆたうのでなく、「いま・ここ」を生きているそれに集中する気でわたしは、いる。

2011 3・15 114

 

 

* 封書に毛筆の、お手紙を戴いた。初めての方で、「停年」前の男性。「 湖(うみ)の本」 を献呈している大学の先生である。

 

☆ 拝啓

春とは名のみ 心晴れることのない日々でございます。

しかし

先生におかれましては増々御健筆のことゝお慶び申上げます

さて、この度は 思いがけなく「湖の本」 御恵送賜りましてまことに有難うぞんじます 早速「洛東巷談」から拝読させていただきました

まさに目が吸い寄せられるとはこのこと、一気に拝読いたしました  私たちの日本の文化の根底にあるものがはっきり見えてまいりました   私の目に巨大なうろこがはりついていたことを自覚させられました

思えば、はじめて高等学校の教壇に立った四十年前、明治書院の国語教科書で先生の「いけ花と永生」に出会ったのが最初でした

教材研究に格闘するうちに 花というもの、文化というもの、 生命というもの、そして人間の生き方にまで、一気に、ある高みへと導いていただいた文章でした。  以来、「花と風」は何冊も入手して友人に配り、その奥深さを吹聴して廻ったものです

「秘色」 「閨秀」「月皓く」「罪はわが前に」「神と玩具との間」など当時むさぼり読ませていただいた本が今も書棚に並んでおります

その後、大学に移ってからは  「青春短歌大学」の手法をそっくりまねさせていたゞきもしました

明年停年退職となりますが まず先生の御著作を、もう一度、ゆっくり拝読したいものと考えておりました。 その先生に「湖の本」 を賜りまして感激いたしました

 

大震災で日本のこれからがいやでも問い直されます。教え子たち、孫たちの為にも たしかな語感に裏付けされた言葉で 日本文化のあり方を考えてみたいと思っております。

まずは右、御礼までにて失礼いたします

折柄 ご自愛の程 心より祈り上げます。  敬具

三月十八日       ****

秦恒平 先生

 

* いまの日本で、こういうお手紙を頂戴する身の幸せを、しみじみ思う。冥加とはこうであろう。わたくしこそ、御礼申し上げます。

2011 3・20 114

 

 

* 北澤郁子さんはわたしより一回り年輩、文字通り老境の歌人。『冬のなでしこ』を戴いた。緻密にことばを斡旋して冒しがたい感じに歌い続けてきた人の、老境の自在のほのみえる、やや寛いだ境涯歌集になっている。この人にも久しく「 湖(うみ)の本」 を支えて頂いた。

2011 3・21 114

 

 

☆ このまえは最新刊の「湖の本」106、「京と、はんなり/京味津々(二)」を賜りました。心より御礼申し上げます。

本書を読んだあとでは京都のことは書けないな、と思いました。京都に向かうときの奏さんの呼吸が違うのです。また京都の重たい面も知らされ、まさに 「叶わんもんやなあ」です。

なお「私語の刻」を読み、ちょっと心配です。何があったのでしょう。秦さんらしく快活に、独自な思考でどんどん書いていただきたい。そう願っています。

雑用でまごまごしているうちに大地震発生で、御礼が遅れました。ご容赦ください。

友人三人に「湖の本」を各一冊贈りたいと思います。三冊それぞれに同封の栞を入れていただきたく。  蔵 ペン会員

 

* 有難う存じます。

2011 3・25 114

 

 

* おどろくほど、よく眠った。広大な地溝草原に暮らすマントヒヒの群れの社会生活・家族生活を、BSでたいへん面白く興深く観てから、わたし自身の新刊分を入稿した。受け容れられるかどうか、趣のよほど変わった一冊になる。その気なら二冊にも三冊にも成るだろう。

2011 4・9 115

 

 

* 案じもし期待もしていた印刷所、期待していたとおりに今後も進めてもらえるとわかり、有り難く力づけられている。

2011 4・15 115

 

 

* 仕事をこつこつと続けていた。明日には初校が出てくる。弾みのつくあいだ、脱線せぬよう気をつけながら着々と励んでおきたい。

2011 4・15 115

 

 

* 六時半に早起きしたので、仕事のハカが行っている。九時には新刊分の初校組み上げゲラう届いた。先への仕事も進んでいる。むやみと花粉が舞うらしく、鼻の気分は最低、嚔と洟で、ティシューが減りに減る。

昼前にかなり怖い地震が揺った。揺れ動く機械を手でおさえ、逃げだそうか堪えようかと惑ったほど。

2011 4・16 115

 

 

* 七時半から機械の前に来て、もう一山越して、一仕事を次へ委ねた。これでひとまずうしろを顧みずに新しい本の校正に集中できる。創作の仕事にも心おきなく向き合える。

 

* これで、云いようのないストレスも無意識に迎えてとっているのだろう、気温変動のせわしさもあるのか、腹の冷えてしくしくもともすると訪れ来る。

 

* 多年の仕事の積み上げを整理していると、『私家版と電子本』とでも題せるおもしろい一山も出来ている。ただし、スキャンして電子原稿にしておかないと。

2011 4・18 115

 

 

* 分厚い大きな初校ゲラを鞄に入れて、街へ出た。有楽町線の地下鉄池袋で降りたまま、腰が痛むのでホームのあいたベンチに腰掛け、車内から手に持っていたゲラを一時間余も読み継いだ。ラッシュアワーでもなく、池袋駅でありながらホームは閑散としてベンチを使う人もなく、気楽に読めた。

その気になると、デパートも建物の端に行くと存外に人の利用しないベンチの用意がある。べつにお金を惜しみはしないが呑みたくない珈琲を飲んで微妙な工合の腹を痛めるより、明いたベンチが、独りになれて読む仕事はなかなかはかどる。

食欲は、今日もやはり行き当たりバッタリの蕎麦屋で満たしてそれで宜しく、熱燗一合。

 

* 幸い地震・余震などなにごとも感じずに帰ってきた。保谷駅のパン屋でクリームパンなんぞ買ってきた。

2011 4・18 115

 

 

☆ 播磨の鳶

昨晩メールをいただいていました。ありがとう存じます。

花粉症に苦しまれているご様子、いくらか改善されているでしょうか。

静かに雨が降り始めましたが、桜は今しばらくは散らないだろうと、これは希望的観測です。

東京の日々はいかがでしょうか。まだまだ余震が続き落ち着かないと思います。震災と原発のこと・・さまざまなあまりに膨大な困難に直面しています。その現実に四月初めからの日常の変化など私的な事柄を改めて述べても、それさえ何か白々しいようにも思えます。

詩集のことに関して。何処でもいい、小さなところでも、自費出版のかたちで・・と既に鴉は書かれていますが・・。

一つの具体例を書きますと知人から貰った*社のパンフレットが手元にあり、割引の特典付きで150ページの本300部、あるいは500部でほぼ100万円の費用とあります。神戸の知人の出版では70万円くらい、ただし雑誌などでの広告がなされることはありません。

その某社に一度電話したのですが、電話口の人の応対に何となく距離を感じて臆しています。

知人や詩を通じてのつてを辿って読んでくださいと配るあたりが現実なのですが、何回も出版することなど考えられませんから納得して出版社に委ねられたらと思うのです。

どの出版社に依頼したらよいか、助言いただけたら嬉しいです。

 

4,19

前のメールを書きさしのまま数日、長い時間だった気がします。久方ぶりの歯痛に見舞われ、たいしたことないなと思っていたら耳の奥まで変調をきたして・・週末にかかってしまい医者にも行けず苦しい時間を過ごしました。痛み止めの薬を飲んでからはかなり?眠りました。今はほぼ落ち着いています。

あえて地震に関係ない話を書くことにします。

菊五郎の番組はわたしも見ました。自分の立場、役者としての強い覚悟を感じられ、創意工夫も興味深く楽しく頼もしく感じました。同時に歌舞伎を支える多くの人の気概も緊張も受け取りました。

土曜日、毎朝ラジオのバロック音楽を聴くのが習慣なのですが、皆川達夫さんの解説紹介された曲に驚きました。グレゴリオ聖歌が日本のキリシタンに伝わっており、それが琴の曲、六段の調べにそのままなっているというのです。

六段はあまりに有名、ポピュラーで琴を嗜む人は誰でも知っているもの。二つの演奏が同時に流され、それがほぼ完璧に合っているのがとても不思議に感じられました。

今インターネットで六段の調べについて調べたら、早速そのことに関する記事がありました。二つを送ります。

 

六段発祥の地

「六段の調」(六段調、六段)は近世箏曲の祖といわれる江戸時代初期の演奏家で作曲家の八橋(やつはし)検校(けんぎょう)(1614~85)が作った。諫早市の慶巌(けいがん)寺を訪れて第4代住職の玄恕(げんにょ)上人から琴を学び、諫早での修行時代に親しんだ本明川のせせらぎの音を思い起こしながら京都で作曲したとされている。寺には「六段発祥地」と書いた大きな石碑が立つ。現代でもBGMや学校教育の教材として広く使われている。

 

もう一つの記事

「グレゴリオ聖歌と箏曲“六段との出会い”」音楽の泉でのことです。

なんと、日本の筝曲だと思っていた六段の調べは、400年前のグレゴリオ聖歌と一致するというもので、九州のお琴の先生が発見したとのことです。

・六段(初段)              (2分40秒)

(箏)野坂操壽

・クレド第一番              (1分30秒)

(演奏)中世音楽合唱団

(指揮)皆川達夫

・六段とクレド第一番          (12分19秒)

(箏)野坂操壽

(演奏)中世音楽合唱団

(指揮)皆川達夫

・六段(全段)              (7分18秒)

(箏)野坂操壽

<ビクター VZCG-743>

なんということでしょう。これは覚えていたいので記しました。

400年ぶりに発見したお琴の先生は自分でもびっくりしたのではないでしょうか。

別々に聴くとこれが一致するとは思えないのですが、一緒に演奏されるとぴったりなのはほんとに驚きました。」

 

もし僅かでも歌詞が残っていたらキリシタンの音楽だと即座に排斥弾圧されたでしょう。どのように耐えて伝えたいものを残していくか、それを後世の人間が見出し受け止めていくか、これもまた大切なことと鳶は思いました。

今週末は再び岡崎( 姑の家) 、です。

どうぞ元気にお過ごしください。

 

* まず詩集のことだが、詩歌の本はまず九割がた以上も自費出版ふつうと聞いている。わたしの歌集『少年』は何種類も本になったが幸いに印税を貰っている。短歌新聞社の文庫本の場合は印税分にちかい買い上げを望まれたけれど、持ち出しはしていない。そういうわけには、だが、行かぬ例が一般に多いらしい。

この場合、二つの意思選択がある。まず、いわゆる出版社からの「単行本」らしい体裁を望むかどうか。それとも、とにかく本の形で人様に手にとって読んでもらいやすい形なら、版元の如何を問わないか。

わたしは文学史的には「私家版作家」と総括されるかも知れないほど、作家としての出発点で、四巻の私家版を造っていた。これは一冊も売れるものではなかった。500円をお一人だけから祝って頂いた。

次いでは現役作家のママ後年に、「 秦恒平・湖(うみ)の本」 というシリーズの私家版を、すでに四半世紀106巻まで出しつづけ、いましも第107、108巻刊行の用意も出来ている。これは数多くはないけれど製作費を回収できる程度に読者の皆さんに助けられている。それに、幸い作家として各社から出版した本も、100巻をとうに越している。非常に恵まれた幸運な文士の一人であった。

 

* で、駆け出しというより、それよりまだずいぶん以前の、四巻の私家版には、「星野書店」という版元の名が奥付に入れてあったが、これは正規の出版社ではない、暮らしていた社宅のお隣の貸本屋さんの名前を、ただ体裁として借りたに過ぎない。装幀などみな、わたしと妻との手作りであった。100せいぜい多くて300冊しか造らなかった。それでも送り先が無くて、かなり手元に余ったものだ、今も幾らか残っている。

だが、今としてはそういう私家版だったのが良かったか、珍しかったか、一時古書市場で四冊合わせて50万円もしていたと人に聞いたことがある。素人の手作りが珍しかったのだと思う。

しかし、そういう造り方で自費出版する人をわたしはほとんど知らない。業者に高額を支払っても「単行本」らしい見映えと製作の実務とを委せたいらしい。「鳶」さんもそうらしい。そして詩には詩の、短歌には短歌の、俳句には俳句の自費出版扱が専門の会

社は、いろいろありそうである、よくは知らないが。歌集『少年』を出版してくれたのは不識書院だった。ここは歌集や歌論の出版が専門だろうと思う。

実は、わたしも、そろそろもう一度歌集を作ってもいいなと思いかけている。少年そして結婚より以降、くちずさみのように書き散らしていた短歌や俳句が、「 湖(うみ)の本」 の一冊になりそうなほど書き溜まって在ると気が付いている。それはもう谷崎先生流にいうと日々の汗とも排泄物ともいえるものたちで、いささかも歌史の玉でなく、私史の雑記に過ぎないが、それでも「 湖(うみ)の本」 の読者にはそれも秦恒平のモノと愛して下さる人があるかも知れぬ。すでに『少年』は復刊してあり、たとえば『老境』とか戯れて『不老』または「不良老年」とか、在りうるだろう。それは幸いにわたし自身の営みなのである。が、……

 

* 数年前から、別巻「 湖(うみ)の本」 をもつというのはどうかと、ときどき考えることがある。わたしの「 湖(うみ)の本」 別巻として、同じ装幀だけれどまた別の趣味のいい装画で、誰もが手に取りやすい150頁限度の本を、実費でつくってあげたら、何等か文学への寄与とならないだろうかと。

各ジャンルにプロではないがプロに遜色ない在野の創作者たちのおいでなことを、幸いわたしは知っている。しかしそういう人達も、生涯に只一冊の創作本も遺されない例の多いことも知っている。

むろん問題も多くて実現はじつはなかなか難しい。たちどころに難儀な問題点の七つや八つはすぐ思い浮かぶ。それより、秦恒平の作を一つでも書き残せと、「鳶」さんでも拳固を振り上げるだろう。当然であり、ま、わるくない夢に過ぎない。ただそのようにしてでも手伝って上げたいという気は有るのだ、「鳶」さんの詩作はそれだけの質のよさを十分備えている。

2011 4・19 115

 

 

* 小説を投稿して下さっている方から、門玲子さんの講演を聴いてきたというメールをもらった。

 

* 門さんの「江馬細香」はとびぬけて静かな名品です。伝記とも小説とも批評ともわりきれない、しかし文学・文藝の落ち着きを湛え、佳い音楽を奏でています。

あなたも、伝記とも小説とも批評ともいえる要素を抱き込んで書いていますので、つい比較してしまうと、やはり読み物に妥協している物足りなさが、何より文章に露われます。文章が美しい流れを奏で切れず、ギクシャクと余分な形容を混ぜモノのように孕んで雑音をつくります。たぶん形容だけでなく、表現ならぬ説明が多いのですね。

 

わたしの太宰賞作は、私家版本『清経入水』の巻頭作がそのまま、わたしの知らぬまにどこかを回り回って最終選考にさしこまれ、そのまま授賞したものですが、じつは、雑誌「展望」に掲載直前、校正かたがた、一晩推敲して良いと言われ、すでに授賞の決まっていた原作を、徹夜して徹底的に推敲したのです。その「校異」が、湖の本の創刊第一冊『清経入水』に出ています。宜しければ参考にして下さい。「受賞作」として雑誌に公表されたのはその推敲作でして、選者のみなさんも推敲を「是」と読んで下さったと聞いています。

 

『慈子』も『畜生塚』も、私家版の原作からみますと別作と見えるほど徹底的に解体し推敲し、削除すべきは惜しまず削除して公表したのでした。文藝としての音楽が作者の耳にも聞こえてくるまで、我慢したのです。

 

忘れられぬことですが、受賞以前にわたしに「作」を見せよと、やはり突然に連絡してくれた雑誌「新潮」の編集長は、あるときこう話してくれました、「読んで下さいましたか」とわたしが催促したときです、笑いながら、「ぼくは著者の持ち込んだ作は、いきなり見ないで仕舞っておくんだよ。二三ヶ月もして抽出をあけるとね、プーンといい匂いがすればしめたものさ。匂わなければダメなんだ」と。

何を彼は言おうとし、何が言われていたか。人により答えは違うでしょうが、新人の小説の鍛え方は実にいろいろでした。しかし要するに、懸命に推敲出来ていない作からは、佳い匂いがしない。作が「作品」にならない、ということでしょう。

さらにさらに推敲し、自作から「作品」という品位を匂わせて下さい。  「 e-文藝館= 湖(umi)」編輯者

2011 4・20 115

 

 

* 夫君泰彦氏の電話で、日吉ヶ丘高校いらい永く良き友なりし画家堤 子の訃に接す。「秦恒平・湖(うみ)の本」 を装幀。肺癌で昨年夏入院し一度退院し、再入院して三十日余、四月十九日午後に逝けりと。嗚呼。

 

 

 

 

平成十年 一水会展 堤 子・画

2011 4・22 115

 

 

* 下巻の初校ももう出そろった。上巻発送用意を早め早めにと。着々。

2011 4・22 115

 

 

* 初校ゲラを送り返せるところまで。明日、念入りにもう一度点検して。すぐ下巻の初校にかかる。

2011 4・24 115

 

 

* 湖の本107の初校を印刷所へ送った。

2011 4・25 115

 

 

* 医学書院時代のわたしに、新潮社新鋭書き下ろしシリーズを依頼し『みごもりの湖』を書かせてくれた、大先輩の編集者宮脇修さんが、なんと、亡くなっていたことを夫人の鄭重なお手紙で初めて知った。知らずに「 湖(うみ)の本」 も送り続けていた。感慨ひとしお。ウーンと呻いてしまった。京都の宮脇売扇庵がご実家と聞いていた。

この人に『みごもりの湖』を書かせて貰ったわたしと、書かずに終わっていたわたしとを比較して想えば、これこそは運命の岐路であったろう。どんなに晴れ晴れと筆一本の道へ進んで行けたか。深く深く感謝し、ご冥福を祈る。

2011 4・25 115

 

 

* ゴールデンウイークの実感からは千里も遠のいてきた。むろん昔は嬉しかった。いま、サラリーマンや家族たち、無条件に永い会社の休みが嬉しいのか、有り難いのか。それも分からないほど世離れて過ごしているということか。

 

* わたしはもう生涯車の運転とは縁がない。車にはお金を払って乗ればいいと思っており、運転の楽しみは思い捨ててしまっている、不器用に怪我をしてはツマラヌと。

観劇と読書と、そして仕事。それで足りている。飲食も、なぜか日ごとにホンモノで無くなりつつあり、よほど美味くないかぎり感激は減っている。人に逢うことも無くなっている、むしろ無くしている。「外へ外へ人間」でなく、「内向きに」目の底の闇に沈透いていくのがいい。闇にほおっと光がさし染めますようにと。

それでも五月は四回も芝居が観られる。歌舞伎が三回、息子の公演が一回。それらを縫うように「 湖(うみ)の本」 上下巻の刊行へ着々足を運びたい。

2011 4・27 115

 

 

* 久しぶりに夜中左脚が攣って声をあげた。幸い妻に手を添えてもらいすぐ復元した。左右とも芦野外側、膝下が、太い堅い筋ばかりの手触りになっている。あながち脚が弱っているとも思えず、当日の体調によるにせよ外出時の階段の上がり降りや脚の運びなど、同世代らしい人のそれよりかなりタッタカしていると自覚するときもある。しかし、横臥からの起ち居にはだいぶ苦労しているのも慥かで。寝返りもにがてで全身が硬く不自由になっているのも間違いない。

* だが、また筋肉・全身労働の発送へ用意をすすめているところ。

2011 4・30 115

 

 

* 発送用意、着実に進んでいる。「 湖(うみ)の本」 107 108上下巻で、創刊満25年を通過して行く。市場の雑誌や叢書でも創刊して25年も継続刊行し支持されている例は稀であろう。小さな小さな「湖」であるが、静かに深い。いささかも質的に落としていない、通俗に迎合していない自負を四半世紀変わりなく持してきた。「いい読者」諸賢のおかげである。

2011 5・1 116

 

 

* わたしの生活史に大きな割合を占める一つに、ワープロからパソコンへ、ホームページへという「電子メディアとの付き合い」がある。それにも勝ってより久しいのが「 湖(うみ)の本」 の刊行であり、前者と後者とはいつしれず緊密に互いに関与し合ってきた。そしてその久しい経緯を証言している沢山な新聞や雑誌への寄稿、そして講演記録等があり、積み上げておいて顧みると、人によれば黴くさいほど歴史や古典や古典藝能・民俗等にまみれるように暮らしてきた、いまでも和服で筆で原稿を書かれますかなどととんでもないことを聞く人もあるわたしの、もう一面の、「機械の時代を先取りし、また読んで批評し関与してきた」別の面が現れてくる。伝統の最先頭で沸騰する現代、と、わたしは早くから口にし書いて、自身の視線もそのそこの「いま・ここ」に注いできた。いやいやでもあるが政治にも眼を背けてこなかった。その点では、わたしを誤解してきた批評家も読者もいたのである。

2011 5・2 116

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 107の再校が出そろった。108を三分の一ほど初校最中だが、これはしばらく後回しに、発送の用意を進めねば。

2011 5・3 116

 

 

☆ 秦先生

湖の本を頂戴し、京都人の生態の面白味や凄み、歴史的な背景など、私も東京に来たからこそ強く認識しますし、より京都をいとおしくなります。

先程、メールのチェックをしていましたところ、迷惑メールのカテゴリーに先生からのお便りが届いており、大変驚き、大変嬉しく思うとともにこんなにご連絡が遅れて申し訳ない気持ちでいっぱいです。ご無礼いたしました。

上村松園先生は永遠の憧れですし、竹内浩一先生は大学の恩師。堀泰明先生は日展やNEXT展でご一緒させて頂きましたし、江里先生ご夫妻の工房には見学に寄せていただいたりしました! 何もかもものすごく近く感じます。京都美術文化賞の選をされていたなんて。。。おそれ多いです!

実は個展は今月15日( 日) まで、成城で開催しております。もし会期中お時間許されましたらお運び戴けるとこれ以上の喜びはございません。

またお仕事でも以外でも、京都の事について等お話できる機会が持てれば幸いです!  由

 

* このごろでは珍しく、ふたつもメールが来ていた。竹内君、堀君とも高校の後輩。俊秀竹内君には早くに美術賞を受けてもらい、幼なじみの堀君には新聞小説『冬祭り』の挿絵を描いて貰った。江里夫妻もやはり高校の後輩で、截金の人間国宝佐代子さんは惜しくも亡くなったが、夫君とは先日も銀座の和光展で話してきた。「由」さんは、さらにずうっと若い後輩。

先日癌でうしなった堤 子さんも同じ高校の後輩だった。

わたしは日吉ヶ丘の普通コースだったが、彼らはみんな美術コースにいた。いまは京都市立銅駝美術高校になっている。昔の美校の後身。

2011 5・4 116

 

 

* どうかなと少し気に掛けながら進めた新刊だが、校正を重ねていて、これはわたしに、無くてはならぬ新刊だと確信できる。

2011 5・5 116

 

 

* さて、着々明日からまた仕事を先へ先へ押し出して行く。今日も往復の車中では、ずっと校正していた。

いま、ジャズのピアノをきかせたトリオの曲を聴き続けている。 2011 5・9 116

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 107、責了用意がほぼでき、念を入れて点検している。一両日で送り返せれば、月内の発送が可能になる。 2011 5・10 116

 

 

* 念入りにゲラをもう一度、責了直前に読み直している。労作として面倒どころか、おかしいほど、読み直していて、気が入る。

2011 5・11 116

 

 

* 180頁本文を午前、午後前半で三分の一ずつ読んでさらに推敲しつづけ、もう三分の一を終えたら宅急便を呼ぼうと。読めば読むほどきちっと書いて置きたくなる。過ぎてもいけないが、推敲の仕残しが多くては恥ずかしい。「魯魚の過」ちはこの老眼、いくらか致し方ないと思っているが、杜撰な文章は遺したくない。そう思いつつ恥じ入るのである、いつも。

2011 5・11 116

 

みてほしい一冊です。  和

 

 

* 奮励、夕過ぎて宅急便に湖107責了紙を託した、明日届けて欲しいと。一つ肩の荷を下ろした。上巻発送用意の仕上げと、下巻の初校とへ移行する。木曜、金曜。校正ゲラを持ってまた出掛けようか。勝田兄との出会いも、雨の日は気の毒で。うまい日があるかどうか分からない。

2011 5・11 116

 

 

* 数えてみると、「 湖(うみ)の本」 108巻に成ろうといううち、既刊の単行本から単に復刊したのと、新刊・新編集とを分けると、後者でもう優に半ばを占めている。全くの新刊が三分の一を占めようとしている。「 湖(うみ)の本」 はわたしの文学・創作活動としてとぎれなく続いてきた。過去原稿の寄せ集め編集はむしろ少なく、新編や書き下ろしが相当量在る。

このシリーズを計画したむかしには予想も出来なかった。この六月桜桃忌で創刊から満二十五年になる。渋滞なく挫折の危機もなく毎年四冊余平均刊行してきた。たんに趣味などでなく、かなり高価に頒価も定めての二十五年無事に維持されている「出版」など、在りそうで容易には無いのを知っている。

2011 5・12 116

 

 

* 下巻の初校を印刷所に戻した、序も、アトヅケも、表紙も入稿し、あとがきだけをこれから用意する。六月桜桃忌をメドにしている。

2011 5・13 116

 

 

* じりりとまた歩を前へ運んだ。今晩も。あまり休んでいられない。

2011 5・14 116

 

 

* おおかた発送の用意が出来た。補充の作業はまだだいぶ有るにしても。但し、上巻。

今回は、引き続いて下巻発送の用意も急がねば。六月はきつい日々になる。

2011 5・15 116

 

 

* さ、次は、二十五日頃に「 湖(うみ)の本」 の新刊が届き、発送になる。この一週間の余裕を、上手にあれこれに活かしたい。

2011 5・17 116

 

 

☆ こんばんは。

先程郵便受けにお届きものを見つけました。奥さまから、先生のお作品『湖の本』の「墨牡丹」「閨秀」、『文豪てのひら怪談』の「蝶」をお勧め戴き、お贈り下さいました。私の憧れの画家先生に関する作や、私の画作から私の興味を鑑みて選定して下さいました。お心遣い、有り難うございます!

ちょうどAmazonで「京都上げたりさげたり」「死なれて死なせて」を無作為にとりあえず注文してみたところです。  沢山のお作品がございますが、とにかく手に入るものから少しずつ先生のお世界を垣間見てみたいと思います。

個展も終了し、少し落ち着いたところです。こころ静かに読書する時間を作り、お作品をゆっくり拝読したいと思います。最初に頂戴した『湖の本』に「いい読者」に言及されている処がありました。読み返し、反芻して内容や言葉を味わってからこそ作品を「読んだ」事になるとありました。

教養ない私ですが、少しずつ味わい、繰り返し味わってお作品を通して先生のお心に触れたいと思います。

それでは先生、これから菖蒲や杜若も美しい季節。奥さまと散策を楽しまれて下さい。相変わらずメールにて失礼いたします。奥さまに宜しくお伝え下さい。  侑

 

* 個展には行ってあげられなかった。

2011 5・18 116

 

 

* 目の疲れへ睡魔がつけ込んでくる。やすめる今は休んでおかねば。やがて下巻の再校が出そろってきたりすれば、かなりアタフタする。

2011 5・19 116

 

 

* 下巻の「あとがき」を今、入稿した。気を入れて書いた。

上巻の発送用意、もう少し少し補充するが、いつ出来本が届いても上巻は大丈夫。

明日午前には下巻再校が出そろってくると通知があった。ゲラをもって涼しい何処かへ出掛けたい。

2011 5・20 116

 

 

* 身の回りがとっ散らかっていて、落ち着きが悪い。この一ヶ月が、大きな山になる。第107 108巻が無事かたがたの手に落ちて欲しい。被災者、避難者の皆さんに少しでも心清しいよう、菅内閣の諸君、奮励されよ。

今日の国会委員会を聴いていると、歯痒いほど菅総理、言語的感性が鈍い。一言で済む答弁は一言で済ませたが良い。多く話すのが質問人への親切だなどと誤解しないで欲しい。ときどきは、こっちから逆に問い返すぐらい余裕をもって手短に話すと良い。

2011 5・20 116

 

 

* 跋をのぞく、下巻の再校ゲラが出そろった。上巻発送まで今日を含めた四日のうちに、下巻再校をできるだけ進めておけば、桜桃忌、つまり創刊満二十五年の日までに、すでに下巻以降入金して下さっている読者に、また寄贈さきへも発送できる。通常の購読者には、あまり接近し相次いでの刊行はお気の毒なので、随時適切にお送りすることに。

あと三年で太宰賞受賞から四十五年を迎える。心ゆく創作を幾つか積んでおきたい、気力をふるって。

2011 5・21 116

 

 

* 順調に下巻の再校を進めている。もっとも下巻の発送用意は殆ど出来ていない。上巻を兎に角も無事に送り出したい。

2011 5・22 116

 

 

* さて、ゲラを読みに、少し足任せに出てこよう。

 

* 松屋で京懐石を食べたが、これはハズレ。値段だけ高かった。これなら隣の「つな八」にすればよかった。食い物が外れると気が萎える。校正の目づかれもあり、行く先もアテなく早く帰ってきた。保谷の馴染みで鮨をと思ったら駅前で雨。急いで目の前のタクシーに乗り帰宅。

2011 5・23 116

 

 

* 朝九時に上巻の出来本、] 到着、下巻の跋文初校も届いた。跋文を要再校で戻しておいて、上巻の発送に取り組む。順調。夕方になる。夕食後はちょっと゜故障にてスピード上がらず予定分を少し明日へ持ち越した。

2011 5・25 116

 

 

* 朝一番に、昨晩半端で終えていた分の発送残りを、キリよく用意できた。まだ半分に達していないが、明日以降の作業。

 

* 今日は、吉祥寺の前進座劇場へ建日子の秦組公演「らん」の再演を観に出かける。この劇場は、むかし、朝日子が盲腸炎で「二度」も手術を受けた病院のすぐ近所。あの時は暑い真夏、毎日のように自転車で保谷から見舞いに行ってやった。何人もの大きな病室の隅で、わたしは急ぎの書き仕事ももって行き、ベッドサイドや、また近所の昼飯を兼ねての喫茶店などでせっせと原稿を書いていた。編集者が病院まで来てくれたこともあった。自転車で疾走しても保谷からは遠かった。今となっては、ほろ苦い苦い思い出だ。   建日子が自動車にはねられたときも、関町二丁目の病院へわたしは自転車で日参した。朝日子の時は病院の手術ミスで腸捻転再手術となり、建日子の時は、高熱に外科病院では処置しきれず、日大小児科から救出に来てくれて転院し、事なきを得られた。あれも苦い思い出だ。

姉は高校生だったろうか。弟は小学校。遠いはるかな思い出だ。

 

* その弟が、「秦組」を率いて公演活動をもう十数年続けている。「らん」は小説本にもなっている。親達はすっかり年をとったが、苦心の「 湖(うみ)の本」 第107巻が、早ければ今日にも読者の手もとへ届き始めるだろう。

2011 5・26 116

 

 

* 快速、うまく発送は推移して、肩の荷が軽くなっている。もう先発分は読者の手元に届き始めている。わたしは、すでに下巻の仕上げの方へ踏み出している。「 湖(うみ)の本」 の創刊二十五年は異色ながら心ゆく、思ったままの本で飾れた。

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 107

秦先生、今朝『湖の本107 』拝受。ありがとうございます。誌代は先ほど、インターネットより入金いたしました。ご確認お願いいたします。

バグワンですね。「私語の刻」で拝読しておりますが、私にとって、紙の本になってとても有り難いです。やはり、良い内容のものはパソコンの画面では満足できません。私の脳の隅々にまで染み入ってこないのです。

今週、来週はわりに時間がとれるので、『いま、中世を再び』から読んで、次にバグワンをと考えています。

ゆっくり楽しみます。

佐々木導誉はくだんの「大原野の花見」や最上の唐物で書院を飾って、敵方に屋敷を明け渡したこと、立花、能楽等々の並々ならぬ素養の婆娑羅だったことぐらいしか知りません。山名宗全にいたってはNHK大河の「花の乱」で中村金之助が演じたのだったか、ぐらいのお粗末な知識です。(中途半端なつまらないドラマだったという印象でしたが)。

楽しみに、楽しみにいたして、本を拡げます。まずはお礼まで。  野宮

 

* この人とは、先日来佐々木道誉らをめぐって何度かメールの往来があった。

 

☆ 京都ののばらです。

ご無沙汰しています。

新しい湖のご本届きました。

いつもありがとうございます。

気候不順のせいか、5月は風邪を長引かせたままで過ごしてしまいました。

気持ちばかり焦っても体調は良くなりません。

「バクワンと私」心が静まりますよう読ませて頂きます。

こちらでの美術文化賞の選者も退任され、京都へお出でなる機会も減りますね。

お忙しい毎日、くれぐれもお身体お大切にお過ごしくださいますよう。   みち 従妹

 

☆ バグワンと私

先生 ご本をお送りくださいまして ありがとうございました。

私も 読者の一人として 選ばれていること大変光栄に存じます。

先生の推薦されていますバグワンについても 手にとって見る機会も無く、何処に惹かれていらっしゃるのか興味津々で日々のお気持ちを汲み取っています。

この上下2冊を読むと解かるでしょうか?

又何冊か選んで 次回にお送り頂ければと思って送金をいたします。

先生がお元気で 日々の思いをお聞かせ願えれば嬉しく思います。 --宗由ーー

 

* 法然や親鸞を論じたり語ったりするのと、今度のわたしの『バグワンと私』とは、まるでちがう。率直に云えば、凡で鈍なわたしが、わたし自身を語っている。それについてバグワンという一人の覚者( ブッダ) が、どんな風に十四年ものあいだ、そして機能も今日もまた明日ねわたしに向き合っていてくれたか、くれるだろうかの信頼と期待とを告白している。むろん、迫り来る死の影を意識しているし忘れておれない。弱い、情けない自身とも真向かっていて、しかも静かな心でどうかして、いたい、のである。

2011 5・27 116

 

 

バグワンと私  上巻序  (「 湖(うみ)の本」 107 新刊)

 

この手記は、どこへどう到達するとも、到達すべしとも、筆者自身に分かっていない。ただ「途上の独白」というのがふさわしいか。何処への? 答えられない。静かな心への。死への。あるいは何かに「間に合いたい」と──毎日毎日、死ぬ日まで独白しつづけるだろう。

筆者は、偶然にバグワン・シュリ・ラジニーシの「本」に出逢っただけ、その生涯や実像にほとんど知識を持たないし、持ちたいとも想わず今日まで来た。その意味では、バグワンが語りまたひとに答えたとされているおよそ七、八種のいわば「講話」集だけにわたしは頼んでいるのだから、その編訳者たちへの真摯な信頼を措いてわたしは何一つバグワンに関して言えない。これほど不確かな、いいかげんなことは無いかも知れない。だが、言うまでもなくあらゆる聖典やバイブルに向かう今日の信仰者や帰依者も、実は同じであることをわたしは知っている。仏陀もイエスも自ら書いた何一つも残したわけでない。

わたしはわたしの思い一つで何人かの有り難い編訳者の誠実に信倚し、そうして聴いてきたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉を耳にし胸におさめ、そして能うかぎりわたしはわたしの「いわば世界史的な信頼」をバグワンに預けてきたのである。それだけを、まず、ここ冒頭にお断りしておきます。

平成二十三年四月                   秦恒平

 

 

バグワンと私  下巻序  (「 湖(うみ)の本」 108 近刊)

 

初めてバグワンの本を読み始めたのは、平成九年であった。平成十年三月下旬になるまで、まだ、わたしはコンピュータにホームページを持っていなかった。この上下巻の手記は、その平成十年の四月一日から十八年末まで、ホームページ中の日録「宗遠日乗」より抄録したものである。日乗は、平成二十三年の今日もなお欠かさず書き継がれて、原稿用紙にして総量五万枚に余るだろう。「バグワンと私」ふうの独白は、そのうちほぼ二千枚に及んでいるだろうか。

言うまでもないが、こういう述懐とも対話とも謂えるものに一足飛びは在りえない。日を追い思いを追い、順々に、妙な物謂いをするが「順熟」して行くしかない。上巻の五年間と下巻の二年間とでは、バグワンへの接し方もかなり変わっている。

理解の及ばぬ事は沢山ある、だが、いずれは、いずれはと希望をもって踏みしめるように歩んできた。この十数年、病んだ老境をむしろ旺盛に生きてきたわたしの「希望」とは、そういうものだったし、まだまだ、いつもいつまでもタドタドしい独白は続く。

なにごとにせよ拒絶は容易いが、拒絶して得られるものは稀薄である。受け容れて受け容れて自問し自答し、未熟な咀嚼を繰り返し繰り返すうちに、なにかしら「変容」が起きている、そういう実感を、気恥ずかしく顔赧らめながら、有り難いと、嬉しいとも、思ってきた。まだ何の気配すら感じられていないけれど、静かに、わたしは「待って」いる。

平成二十三年 桜桃忌を待ちながら                      秦恒平

 

☆ 湖様 「バグワンと私」有難うございました。   さざなみ

梅雨入り、台風接近、雨の週末です。湖の本「バグワンと私 上」お送りいただきましてありがとうございました。

バグワンが無性に懐かしくなりました。久しぶりに「TAO 」を開いてみると、「私には三つの宝がある」という言葉が飛び込んできました。

私には三つの宝がある。

それらを守り、大切にしまっておくがよい。

第一は、愛。

第二は、けっして過ぎないこと。

第三は、けっして世の先頭に立たないこと・・・・・

先頭に立とうとするまさにその野望は、あなたが生をのがしたことを表している。・・・野望というのは狂気だ。野望というのは、あなたが自分自身にくつろいでいないこと、あなたが安らいでいないことを表している。

野望というのは、あなたが今度こそほかの人たちに、自分が実に大したものだということを思い知らせたがっている、ということを表している。それはただ、あなたのちっぽけさを隠すためにすぎない。あなたは全世界に、「自分こそ世界一の大人物だ」ということを知ってほしい。

・・・野望を燃やすのは、劣等感を持ったマインドだけだ・・・。

「バグワンと私」「TAO 」静かに読み進めてまいりたいと思います。本当にありがとうございました。

 

放射能汚染、雨・・・ 憂鬱な日々が続きますが、どうぞお体に気を付けて、お過ごしくださいますように。

 

* 熱心にバグワンを読んでいたお一人だ。「さざ波」という名乗りにもそれが表れている。

事業も講義も元気に進められているだろうか。

 

* 夜前も三時近くまで念入りに校正していた。眼精疲労はかなりのものだ。

2011 5・28 116

 

 

☆ 湖の本はまだ届いておりませんが楽しみです。

以前から、バグワンについては、みづうみが、どうしても書かずにはいられないものと思っていました。

2011 5・28 116

 

 

* 下巻を責了前に三校した。

 

* 颱風は温帯低気圧に既に変わったが、明日へかけ、かなりの雨が東京にも予告されている。

2011 5・29 116

 

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 の発送   泉

お疲れ様でした。知力体力まだまだ健在の様子で何よりです。

雨の中人気の少ないグリーンロードを歩き、ジーパンが絞れる程濡れましたが、これで昼食のカロリーは消費したぞとニヤニヤ。

京都方からの情報は特にありません。皆さん元気な様です。

私は五十( 七十五なのに) 肩の症状が長引いていますが、元気です。

はやばやと入梅、今夏もまた異常に暑いのかしらね。

 

☆ 佐々木道誉

秦先生、 「佐々木道誉」拝読。大変面白く、すっきりいたしました。

だいぶ以前に吉川弘文館の人物叢書を読みましたが、ここまですーと入ってきませんでした。

為政者がどこまで文化、文藝の創造者たりえるか、せめて庇護者たりえるか。まだまだ、読み切れていないので、先生の道誉をもう一度、いえ、何回でも読み返します。

道誉はあまりに面白いエピソードというか極彩色の伝承に彩られた人物なので、その婆娑羅的な派手な行動しかしりませんでした。ありがとうございます。

戦乱の時代を生きた道誉が、何をどう考えて行動したのか、何回でも読んでその思考や行動に足を踏み入れてみたいと思います。

あの混沌とした中世という時代への認識がますます、大きく変わるような気がします。

混沌と破壊、下克上の乱世という先入観が私の中にありました。

「我」と「我々」に対する視点も「なるほど」と指摘されて改めて感心しました。

「中世」の面白さ、「中世」を見つめ直すことの大切さを教えられました。 ありがとうございました。

ほんとに、日本的なといわれる文化、茶道、華道、香道、絵画、庭園、建築の多くが中世に確立されたのですね。和歌という大木の枝葉のように。和歌だって、連歌の世界が拓けたのですものね。

とても示唆多きエッセイでした。        野宮

 

* 中世は、再び三度立ち返って多くを考えさせられ教われる時代。上のメールでもう一押し目を向けて欲しいのはいかにも上澄みの文化文化した文化遺産だけでなく、中世ならではの職人たちに担われた職能や芸能のこと。ぜひそれへ視野を深めて欲しい。

 

* いろんな人がいるものです。それが世の中。

2011 5・29 116

 

 

☆ おはようございます。 鞆

秦先生  前日、先生の新作を頂戴いたしました!

只今『死なれて死なせて』拝読中です。楽しみが増えて最近日々が潤っております☆

いつか直接お会いして、先生のいっそうの世界観をお訊きしたいものです。

ご多忙と伺っておりますすし、中途半端な気候。くれぐれもご自愛くださいね。

取り急ぎ、御礼まで。

 

 

* 新刊に払い込みの通知が届き始めた。『みごもりの湖』三巻を読みたいのでと註文が入っていた。

実を言うとわたしは、新潮社新鋭書き下ろしシリーズのこの旧作を読み返したことがない、代表作とも名作とも謳って下さるのはみな批評家やいい読者であった。「 湖(うみ)の本」 にした上中下三冊のなかに、ちょっと気に入らない校正ミスが三個所あり、はっきり勘違いの間違いといえる(西北とあるへきを東北と書いてしまっている)一個所のあるのに気が付いている。この機会に読み直してみようか。

 

☆ 秦恒平先生

御無沙汰しております。本日、「湖の本107  バグワンと私─死の間近で─」を拝受しました。いつも有難うございます。

最初の文章でオウム真理教の名に言及がありましたが、私は個人的にオウムに非常な迷惑を蒙っております。

と言いますのも、当局がオウム関係者の家宅捜索をしたところ、幹部から平信者まで、何処にでも私の伝奇オカルト小説があったため、シンパではないかとか、ブレーンではないかと、疑われたからです。

版元に警察が探りを入れてきたり、私の仕事場に公安と名乗る男が訪れたり、一時は電話が明らかに盗聴されている様子で、ガリガリという回線異常に見舞われ、大変な目に遭いました。私がオカルト小説から離れたり、オカルト物を好む読者から遠ざかったのは、そのような理由からでした。

もともと大学で空海の言語哲学を学び、密教に興味を持ち、神秘的なことが好きで、海外の本を渉猟していたのですが、そうした熱と興味が一気に失せてしまいました。

三月十一日の地震の時は、先生はお怪我はありませんでしたか?

私は新宿で版元と打ち合わせしておりまして、すぐに編集と別れて、二女の職場に迎えに行き、無事を確認して一緒に新宿から池袋まで歩いて帰りました。

地震の後も余震が続き、「地震酔い」になりました。また、津波や原発事故の報道に暗澹とした気持に襲われて二ヶ月ほど何も書けない状態でした。そのため家計が大変なことになり、目下、少しずつ仕事復帰して、落ち込んだ部分を取り戻そうとしています。

今日会った雑誌の編集長によりますと、ミステリ作家が大変な影響を受け、特に殺人事件をゲームやパズルとして捉え、かつ描いていた作家ほどPTSDのような状態だそうです。

今回、多くの若手作家が人間の生死というものを鼻先に突きつけられた訳で、不謹慎な考えですが、今後五年以内に、かつてない哲学や、真の意味での文学が生まれてくるのかもしれませんね。

御本のお礼を、と思って、いつの間にか、とりとめのない文章になってしまいました。お詫びします。

今後とも宜しくお願いします。  拝  小説家

 

* オームは、まこと、むちゃくちゃであった。サリン事件など思い出してもムカムカする。愛なき、狂妄の徒輩であった。

 

* その一方で、近来天日に曝され続ける検察や警察の横道・無道は何ごとであるのか。

2011 5・30 116

 

 

☆ 『バグワンと私』を読みたいです。

初めまして、***といいます。

秦様の書かれた『バグワンと私』を読みたいのです。もしよろしければ、大丈夫かどうか返信してください。

これは自費出版なのでしょうか? もしそうなら、次メッセージを送る時、住所をお伝えします。お値段も教えてください。

* Re: 御返事ありがとうございました。  晃

それでは、『湖の本107 &108 』の『バグワンと私』を私に送って下るよう、お願いします。本が届きましたら、代金を振り込みます。

送り宛先をここに記します。(略)

それから、お返事の中に、この本はバグワンの研究でも伝記でも解説でも入門でもないとの事でした。しかし、私はむしろ、そのような文章こそが読みたいのです。彼を文献学的に、思想論的に、史的に分析した本ではなく、バクワンと触れ合った生の感情が描かれた文章を。ですから、その点は全く問題ありません。

 

* 有り難し。

 

☆ 秦 恒平様    靖

「湖の本 バグワンと私ー死の間近でー」を拝受しました。

バグワンは読んだことがありません。

バグワンの講話はヒンディ語や英語で行われ録音や録画もあるということですが。

今回の御本は、後世の文学史研究家に作家「秦恒平」に迫る一級の資料を自ら予め提供しておくということになるのでしょうね。

失礼な物言いでしたらご容赦ください。  5/31/2011   拝

 

☆ メールありがとうございます。  播磨の鳶

台風の被害こそありませんでしたが通過後も今日は一日中強風が吹いて、暗くなる頃漸く収まりました。

原発のその後の経緯、G8から戻った菅首相に不信任案提出や実にさまざまな動きがありますが、目離さず関心をもっています。それにしても政治不信を拭えません。

湖の本は一昨日届きました。バグワンの本はわたしも何冊か買い求めて読んでいますが、敢えてメールに考えを書いたことはありませんでした。今回の本の記述はとても読みやすく素直に滲み込んでくる感じがします。

本の半ば過ぎてからわたしの書いたメールが引用されていて驚きました。もう何年も前のことでうっすらとしたものが不意に飛び出してきたような戸惑いと懐かしさ、おかしさ・・でした。今も尚、わたしは大上段に構えて同じようなことを書くでしょうね。

「(各国への= )<旅>を忘れたような、鳶そのものを表現した清冽で物凄い」「私詩」を書きなさいと、実に厳しいことを鴉は言われます。「(旅の重視に=)偏って狭いものにしていないか、一度だけでも考えてみてください」とも。偏って狭い、それは実際のわたしの在り様だとも気づきます。

「逃亡」の一手段、一形態としての旅でないなどと弁解はしません。旅をテーマにしたものでないものもあるのですが、現段階ではまだまだ納得できていないのです。これまでのものを再検討したいと思います。「妄言」ありがたく受け止めます。

琵琶湖、お母様の、そしてあなた御自身がお母様の胎内に命を授かった土地の、根源の湖です。ゆったりゆっくり湖の畔に羽休め遊ばれることは深い計らいではないでしょうか。

多忙の日々、しょうがないと嘆かれ、同時に潔く闘われる鴉にエールを送ります。くれぐれもお体大事になさってください。

 

* 読者でマイミクのお一人が、山梨の文学館に転勤されている。まだ日は浅いが、どのような仕事でどのような今でまた今後か、知らせてきて下さった。山梨文学館とはご縁があり、交信も本のやりとりもある。講演に出向いたこともあり、よくしてもらった。いい職場での健闘と充実を祈ります。

 

* 下巻責了にした。六月十七日に出来てくる予定。間隔がつまっていて読者にはお気の毒なので、すでに今回第108巻ないしその先まで払い込まれている方、そして寄贈先をまず発送し、他の購読の方は、上巻送金頂いた方から、それでもしばらく間をあけて送本しようかなと思っている。

2011 5・31 116

 

 

 

☆ 究極の旅(十牛図) 川崎 e- OLD

 

 

 

不惑を過ぎて7年の晩秋に転勤で、金沢に住む。単身赴任であった。

文化、雪、百万石の城下町、室生犀星、「歌の分かれ」の中野重治、加賀宝生の能、当時の金沢駅の前に『杜若』を舞う像があった。

この頃に初めてバグワンという名前を本で知った。

ある新聞の小さなコラムで『存在の詩』を、どこかの大学の教授が紹介していた。

金沢から東京へ出張する社員へ、帰りに「八重洲ブックセンター」に寄り、「これこれの本があれば買って来て欲しい」と頼んで買ってもらた本が、『究極の旅』であった。

本の小さな副題は「禅の十牛図を語る」とありました。

これが バグワン・シュリ・ラジニーシという哲学者、宗教家との出会いでありました。

バグワンのあるご縁で、この「mixi」を紹介されて、十年ほどの時が流れ、今年五月、バグワンについてのマイミク「湖」さんの著書が送られてきた。

哲学は遊びがあるが、宗教は遊びを越えてあるものを幻想する。

バグワンは自分一人で読めない。「湖」さんはバグワンをどう読むかの先達であります。師のように思う。

バグワンはひとりでは読めない。多面体の光があってそのダイヤがわかる、バグワンはそんな宝ではないか。色んな先達の見た光を語り、凡人は少しづつバグワンの文章の一行を読めるようになる。そんな気がする。

 

 

* 死生を念頭に老境を、また壮年・中年を生き悩んでいる人は少ないだろうと思う。わたしもその一人であり、過去形ではとうてい言えない「いま・ここ」での寒さ・寂しさに真っ向突き当たっている。

2011 5・31 116

 

 

* 金八先生の小山内美江子さん、歴史学の小和田哲男さん、文藝評論の高田芳夫さん、作家で写真家の島尾伸三さんらから、『バグワンと私』にありがたいお便りがあった。また、元文藝誌編集長からも。

 

☆ 前略 御鄭重に「 湖(うみ)の本」 107を御恵送下さいまして誠に有難うございました。私は恥しいことながら、バグワンなる人物を全く存じませんでしたが、「私語の刻」を拝読致しまして、永年にわたる御親炙ぶりを感得致しましたので、腰を据えてじっくりと味読させていただきたく存じております。御文中「退蔵」の願いを叶えられたことを存じ上げましたが、実は私も八年間つとめましたNPO 法人の会長を先日辞任致し、ほっとしているところです。同世代者の想いしきりですが、「何事も『しない静か』など思っていない……何事も『して静か』で在りたい」との御言葉には銘たれました。どうぞ呉々も御体調に留意され、さらなる健筆も御祈り致しております。

右、取急ぎの御礼まで申述べました。 草々不一

 

☆ お世話になっております。この度は、「湖の本」をお送りくださいましてありがとうございました。

久しくお目にかりませんが、今回も重量感のあるご本を手にして、先生はお元気でいらっしゃるんだと安心しました。

今年は社会環境も不安なことが多く先行き心配ですが、どうぞお健やかな日々でありますように。

日本ペンクラブ 事務局

 

 

☆ わたくしへのある主婦の方からのメッセージにとても慰められました。お送りくださった方に感謝申し上げます。ありがとうございました。

少し励まされて、原発関連の雑感を書かせてください。みづうみはお読みにならなくてもよいのです。わたくしの静かな心のために書きます。

 

先日、参議院では脱原発を主張する先生方の発言が色々とありました。

武田邦彦先生は「国策が大災害をもたらす」と言い切っていましたし、五月二十三日には、小出裕章氏、後藤政志氏、石橋克彦氏、孫正義氏の四人のメンバーが登場しました。これまで原発推進しかなかった国会では考えられない画期的な人選で、ネットでは中継され、聞きごたえのあるものでした。

石橋克彦先生は「地球上の全地震の約十パーセントが日本で起きる。日本は原発建設に適さない場所。浜岡原発は地雷源でカーニバルをするようなもの」原発集中立地する「若狭湾があぶない」と。

こういう意見が、どうして実況で全国テレビ放映がなかったのか、ニュースにも大きくとり上げられなかったのか不思議です。NHKを含めてメディアは電力会社とその利権に群がる勢力のものになっているのでしょう。

また、このような先生方の意見が少しでも政策に反映されればよいのですが、意見聞いたという形だけで終りみたいな状況は情けないことです。

たぶん、今福島の惨禍のこの時期しか、脱原発を押し進めることは出来ません。このままではまたぞろ原子力村が息を吹き返します。この大災害から学ばなければ、この不幸を千載一遇の好機と掴まなければ、日本は危ない破滅への道に入ってしまいます。今ならやり直すことができます。

遠方の友人が週刊誌を読んで「地下原発を作ろうという動きが再燃しているみたい」と電話してきました。このままいくと、日本の原発はなくなることになるから、そして地上に新規の原発設立は困難だから、原発を地下に作る。地下なら安全だと。推進派に自民党系のいろんな名を友人は伝えていましたが、記事を読んでいないので真偽のほどはわかりません。さらに彼女曰く、地下原発でまた新しい利権があるみたいよと続いたので、もう嗤うしかありません国民の多くが、どこの政党でもとにかく原発やめてほしいと願っていることが、政治に反映されないのが歯がゆいです。

それにしてもこの火山国に地下原発とは! 御用学者が安全と保証してくれても信用しろというのは無理。素人は、マグマが原発を巻き込んで爆発、噴出したらどうなるか、あるいは地下水汚染で日本中の水が飲めなくなったら生きていけないと思います。福島でこんな痛い目にあってもなお、原発で稼ごうという餓鬼集団があるとしたら、この世で地獄をみるとはこのことです。これは週刊誌の無責任な煽り、悪い冗談ですよね、きっと。お願い冗談であってね。頼むからやめてくれ、です。

 

今日WHOが携帯電話に発癌のリスクがあると初めて発表しました。これは長い闘いの末の、小さいけれど価値ある一歩です。電磁波の健康被害については、放射能被害とよく似たところがあります。巨大な利益の絡む、目に見えない人体への害悪なのです。

日本で反原発の立場の学者がどれだけ不当な待遇を受け排斥されひどい目にあっているかは、最近漸く明らかになってきましたが、電磁波の危険について訴えている学者も世界中で同じように誹謗中傷を受け、叩かれ続けています。携帯電話会社には巨大な力がありメディアから御用学者、政治まで動かせるのです。それでもなお個人個人の学者の良心で警鐘をならし続けた結果が、やっと一つの形となったことに感動します。

今の野放図な電磁波の氾濫は、ほんとうの危険性もまだわからないほど危惧されていることなのです。電磁波は、将来かならず深刻な問題となるでしょう。

原発にしろ携帯電話にしろ、人間の飽くなき欲望の果てに獲得した文明の利器ですが、その代償はとほうもなく重いものです。

人間の単純な欲望が、人間存在の脅威になるなんて本末転倒です。それほどに人間の欲望は度し難いものなのでしょうか。冨も権力もない私のような人間からすれば、利権とは理解不能なもので、不思議でなりません。「抱き柱」にも値しないものに思えてしまいます。

バグワンの言葉を聴いていますと、この世のそんな人間共の悪あがきが、私の愚かしく騒がしい心が、コップの中の小さな嵐に過ぎないように思われてきます。飲むなら、バグワンの真清水をこそ飲み続けていたいものです。

新しいご本は、ふつうの読書のように最初から順番に読むというのではなく、思いついたところを少しずつ読んでいます。これはそういう読み方をしてよいご本のように感じられます。

お元気ですか、みづうみ。 春蜜柑

2011 6・1 117

 

 

* もうよほど次の発送用意も出来てきている。かなりいらいらもしながらこの一週間ほどすごしてきた。いちど、外の空気を吸ってきたい。

2011 6・1 117

 

 

* 「バグワンと私」上は、何一つの下地もないままバグワンの境地に惹かれ寄っていったわたしの歳月が、その余のいろいろなわたし自身の下地とミックスされアマルガム化していく七年弱もの経緯が、歳月を追って書かれている。

下巻はつづく二年を書いていて、上下巻の頁数は同じ。いかに「順熟」して近づきもし深まりもして来たかが如実に。それだけでなく、今回はそこまで本に出来なかったもう五年間がなお後続していて、それは昨日、 今日から明日にも明後日にも続くのである。わたしの人生で既にそういう存在にバグワンが成っている、ということ。

 

☆ 『バグワンと私 死の間近で 上』が届き、意表をつかれました。立ち位置のぶれない信念の人秦さんが、「安心」を求める修羅の心を持っていらっしゃることに想像が及ばなかった不明のせいでしょうか。30年も前、同僚にアシュラムにも行ったラジニーシ師の信奉者がおり、よく話を聞かされたのですが、理解が届きませんでした。

これを機に読んでみようかと思い始めています。5月31日  元文藝誌編集長

 

* 期せずして、錚々たる元編集長から感想を頂いたのには、一つには作家である私の内面へまた別の角度から視線を射し込んで下さったのだと思われる。この刊行をあえて「 湖(うみ)の本」 創刊満二十五年の記念にと試みたわたしにも、「作家の告白」であり或る面では「作家の私小説」である意図があった。わたしの文学や美術や歴史やその他もろもろの分野に向けている視線や視野のいわば一つの根の深い光源をわれから「明かす」ことになる自覚があった。

なにを早合点したか、ある若い編集者は、自分は、秦さんの文学作品や文学論や美術観や歴史観等に「興味」があるので、「こういうもの」には関心がない、下巻は戴かなくてけっこうですと言ってきた。ちと、驚いた。

「興味」のいわば「根の秘密」が明かされて行くかも知れないのに。なにか特定宗教の宣伝物のように勘違いしたのか。その程度の粗末な眼力や関心から「編輯」「出版」に当たっているのでは、薄いなあ、という気がするが。

 

☆ 『湖の本』が無事届きました。

『湖の本107 &108 』を頼んだ***です。『湖の本 107 ―バグワンと私』が無事届きました。代金の2500円は、先ほど振り込んできました。ご確認ください。

面白い本で、今日の内に、ほとんど読んでしまいました。

年が進むごとに、御自身が変化していく様子を、読み進めるごとに感じました。バグワンの本を何度も読むことによる新たな発見、捉え方の変化。

バグワンとの付き合い方は本当に人それぞれで、それをこうやって覗いてみるのは興味深いものでもあり、また、もどかしさを感じてしまうものでもあります。小説の主人公の行動や心情描写を見ている時に起こるような。

でも、それは私のバグワンとの付き合い方を、他の人から見ても感じるものなのかもしれません。「湖」様も、この本のどこかでお話していた、個と個の向き合いの故に。     若い一読者

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 感謝  小森健太朗

このたびは、「湖の本107 バグワンと私」をご恵贈いただきまして、まことにありがとうございます。かつて『存在の詩』や『究極の旅』に胸を踊らせながら読んだ日々が、また生き生きとよみがえってくるような、心にしみわたる内容でした。続巻にも期待します。

また、拙訳『人の子イエス』( みすず書房) についても、好意的なご感想どうもありがとうございます。

ジブラーンは、20世紀の屈指の美文・名文の書き手だと思うのですが、あの流麗な名文を日本語に移植するのは、なかなか手に負えるものではないと思いつつも、少しでもジブラーンの原著のもつみずみずしい宗教性のようなものが、日本の読者に届けられれば訳者としてこの上ない喜びです。( この文面は、ウェブページで引用してくださってもかまいません)

 

* 小森さんの存在自体が、わたしに、日録でのバグワン語りを保証して下さっているような勝手な思いのまま永く書きつづけ聴き続けて倦まなかったのであり、こういうかたちでお届けできたのを、こころより嬉しく感じている。

2011 6・2 117

 

 

☆ PCでの近況もうかがい知ることが出来ず、心配しておりました。お元気そうで何よりです。

私の手元に「「 湖(うみ)の本」 事始めと題した新聞記事があります。日付は昭和61年(1986)6月9日の中日新聞の夕刊。今回は107。先生の強い、なにごとにも屈しない精神力。大きな大きな湖になりましたね。応援してます。 岐阜県 眞

 

* 以来ずうっと三冊ずつ継続購読して応援頂いている。ただ、頭をたれて感謝申し上げ、さよう「しないで静か」でなく元気に「して静か」な今後を歩みつづける。

 

☆ 拝復 このたびは「「 湖(うみ)の本」 107 バグワンと私 死の間近で 上」の御高著を御恵贈くださり心より御礼申し上げます。バグワンから広がる様々な人物や思想をたいへん興味深く学んでおります。また「私語の刻にございました福島原発の事故へのおことばに続く土岐善麿の歌など 非常に重く受けとめております。

当館で開催中の企画展の図録同封いたします。御笑覧いただけましたら幸いに存じます。

早々の梅雨入りになりましたが 御健康とますますの御健筆をお祈り申し上げます。 かしこ  五月三十一日 **県立文学館

 

☆ 拝啓

六月というのに寒さが募る心地です。「湖(うみ)の本 バグワンと私」 をお送り下されありがとうございます。

「死の間近で」の言葉、 私達同人の合い言葉にもなっています。私達の「季節風」も107号を済ませ、これから108号の予定です。

いつものことですが、本当にありがとうございます。敬具   同人誌「季節風」

2011 6・3 117

 

 

☆ 秦先生

いつもありがとうございます。先生のお書きになられたものを拝見させていただいておりますと、何かご無沙汰いたしてるような気持ではなく、申し訳ない事でございます。

メールを拝見しました。私も全く同じ意見と希望をもってますので、友人へ添付させていただきます。  亡き文豪のご遺族

 

☆ 秦先生 あいかわらず新聞社に記者生活しております**です。

「湖の本」(107)ありがとうございます。毎回、新刊を拝受するたび、せめてmailだけでも思いながら、それも途切れ途切れ。誠に申し訳ございません。多忙を理由にするほどの重責にもないのに、時間の使い方が下手で、最低限の礼儀もわきまえられないでおり、

お恥ずかしい限りです。

 

ここ数年、少子高齢化やグローバリズムの進展のなかで、「日本というビジネスモデル」の崩壊を実感しておりました。

そこへ「3・11」。

変化しなくては生き残れない条件はさらにそろったのに、さまざまな「既得権益」を守る力が抵抗となって、なかなか変わらない日本に呆然としています。その原因が、自分も含めて責任が社会のさまざまな層に分散してしまっている日本の実情も痛感しています。

まとまりのない話で誠に申し訳ありません。

 

今回の「湖の本」の冒頭に、「何かに『間に合いたい』」という言葉をみつけ、40代も後半になってきた自分の気分と重なり、とにかく先生にmailをしたい気分でPCに向かっております。

もちろん「何かに『間に合いたい』」という先生の思いと、僕の気持ちのレベルを並べるのは噴飯もの。僭越の極みではありますので、少しでも近づけるよう精進いたします。

 

同書中に、

哲学の研究者からの手紙を紹介してらっしゃいましたが、僕も「ああ、やはり」と思いました。

最近、学生時代に買った、いわゆる古典の哲学を読み返すことが多いのですが、この歳になって、哲学が実用的であるべしと確信しております。本来、実用的なものがその対極のもののように扱われ、「学問業者」の「既得権益」を守ってきたような気がしています。

まとまりのない文章で誠にすみません。

短く御礼を書き、ご「提言」への自分の考えも含めて、御本の感想を後でじっくりというつもりでしたのに、中途半端なものになってしまいました。また mail いたします。

 

本日、中小企業を経営する方々と、千里の万博公園でバーベキューです。この層の方々の「自立」が日本を支えているなぁ、と感じ入っております。

あっ、それから、新島襄への「大学」への熱意がこんな時代のために、あったということがあらためてわかってきたような気がしています。「同志社」という環境の中で身につけた感覚が役立ってきました。

 

* 多角的にいろんなお声の届いてくるのを、喜んでいる。

2011 6・4 117

 

 

☆ 秦さま  お心遣いのメールいただき、ありがとうございました。

今回のご本「バグワンと私」には、 あ、湖の本には、まだこんな切り口があったのだと新鮮な驚きでした。

『私語の刻』を通してしか、バグワンを知りませんが、バグワンのことばに救われる思いがすることがあります。

大切に読ませていただきます。(あんなメールお送りしていたのかと・・・すっかり忘れていました。)

バグワンの言葉にも、古典の味わいにもゆっくり浸りたいと思いながら、ドタバタと、また、ジタバタとしているうちに日が過ぎていきます。

次々と「湖の本」を送り出されるエネルギッシュな創作活動に見習いたいものと願っています。

六月の歌に、つぎの2首はいかがでしょうか。

 

 

つれづれと空ぞ見らるる思ふ人あまくだりこむものならなくに

 

 

庭のままゆるゆる生ふる夏草を分けてばかりに来む人もがな

 

* こういう知己に包まれて生きて来れたと、大げさでなく、喜んでいる。

添えられた二つの歌、むかし人になぞらえ恋の歌と読み、もらっておく。

2011 6・5 117

 

 

*  今夜のうちに、下巻発送の第一次の用意は終えられる。あとは、払い込んで戴いた方から、あまり間隔をつめずに送り出して行くので、余儀なくだらだらと作業が続くけれど、負担には成るまいと思う。

継続購読読者の避けがたい高年齢化と事情、またあまりに厖大に巻数を重ねたために、新規の継続読者はもう増えてこない事情、つまりは自然減の加速化は所詮已むを得ないと予測し覚悟してきた通りに成ってきている。

自然、いまは寄贈先を増やすことに気も力も入れている。

製作費の回収だけで維持し刊行し続けてきたが、そういう時代ももう過ぎて行く。そんなことを心細いと思ってなどいない。体力さえ許すならもう何十巻でも送りだせる。

購読者が自然減しても「 湖(うみ)の本」 の湖水が涸れて行くのではない。創刊の昔と変わりなく、「 湖(うみ)の本」 という湖は豊かに真水を湛えている。

2011 6・5 117

 

 

☆ 恒平さん   バルセロナ

湖の本、いつもいつもありがとうございます。お便りを差し上げよう、差し上げようと思いながら、月日の経つままに任せてしまっていました。ごめんなさい。

昔 (東工大教授の頃の= )恒平さん、インタビューに来た記者か編集者が、ちょっと調べれば分かることを、碌に準備もせずに質問してくる、という話を何かに書かれていましたよね。ホームページを読めば、恒平さんの大よその状況は分かるところを、それをしないままお便りするのは、その記者と同じことをしている気がして、書こうとする度、先にホームページを読まなければ、と思い、家でコンピューターをほとんど立ちあげることのなくなった今、それもなかなか難しく、歳月が経てば経つほどまたお便りもしにくくなり、という悪循環に陥っていました。

 

お便りを、と言っても、特に目新しい話はなく、毎日、変わらず幸せに生活しています。一昔前は、恒平さんに書くとなると、何かいいことを書きたい、褒めてもらいたい、という気持ちがどうしても拭えなかったものですが、今では、「私はこんなことに気がついた」「やっとこんなことが分かった」といったことを誰かに話したい、聞いてもらいたい、という願望、いや憑き物ですか、が落ちたようで、そうなると今度は、はて何を書こうかしら、と途方に暮れないわけでもありません。いえ、肩の力をヌケばまた、いくらでも別に書くことはあるのですが。「自分はこんなことに気がついた!」と、誰かに聞いてもらいたい欲求は、結局、こんなことに気付いた自分を、その人に認めてもらいたい願望に繋がっていたのだろうと思います。

 

今一番の関心事は、クラシックギターです。2 年ほど前から習い始めたのですが、始めた動機も、瓢箪から駒のように気まぐれで、でも始めたら楽しくて仕方ありません。地元の音楽学校に申し込んだのに、先生は偶然日本人。それが、とてもよい先生で、こんなに楽しいのは、その先生が大いに寄与するところあり、なのですが、ひとつ問題があります。私の内面の問題です。いい音は出せるようになりたいけれど、プロになりたい訳でもなく、賞を取りたい訳でもなく、ただ楽しみたい、それだけなのですが、家で練習している時は楽しいのに、いざレッスンになると、昔の優等生の後遺症が出てくるのです。私は、先生が日本人であることが大いに影響していると思うのですが、突然「うまく弾かなければ」という意識に体が支配され、カチコチになるのです。こちらに来てから、そういった「優等生の耐えがたき退屈さ」(と私は名付けています)を随分削ぎ落としてきたつもりでしたが、今、日本人の先生を前に、その症状が再発、常に、「叶ふはよし、叶ひたがるは悪しし」が頭にあるものの、身に沁みついたものを落とすのは、なかなか難しいものです。

 

スペイン語のレッスンも、続けています。職場仕事で、スペイン語のやり取りが多いのも、役立っています。嫌な電話のやり取りも、どうしたら相手に切られないで聞いてもらえるか(こちらが外国人と分かると、それだけで相手はナーバスになり、アテンドしたくないと思われた時点で、相手に勝手に電話を切られたりします)、どうしたら分かりやすく説明できるか、のよい練習と思ってやっていたら、苦ではなくなりました。息の入れ加減、相手を遮るタイミング、ようやく肩を張らずにできるようになりました。言葉は、言葉を発していない瞬間の「間」を習得して、ようやくスムーズに会話が成り立つようです。面白いものです。(逆に、日本での日本語の会話がぎごちなくなりましたが。)

 

私の昔からの趣味、洋服をデザインして作ること、も続けています。今回は、日本から買ってきた浴衣生地を使っているので、出来上がりがさらに楽しみです。

昔から、実生活に役立つもの、何かを工夫してシンプル化すること、立体のものを平面に直すこと、平面にデザインされたものが立体になること、に堪えがたい喜びを感じてきたので(なりたいものの一つは建築家でした)、今思えば、工業デザイナーの道を選ばなかったことは残念なのですが、まっ、そういったものを選ばなかった(実際選んだ分野で成功しなかった)からこそ、自分は今スペインにいるのだと思うと、それはそれでよかったんです。

 

映画も、欠かせません! 毎週末が、私たちの映画の日です。最近見た中では、2010年の”Incendies ”(カナダ)、”In a better world “( デンマーク、Susanne Bier監督) 、がとてもよい映画でした。

 

この春、14年ぶりの桜を満喫しました。夫の還暦祝いに、是非桜を見せたくて、日本は震災後の大変な時期でしたが、帰国しました。夫にとっては恐らく最初で最後、私にとっても、もしや最後の桜になるやも知れません。京都鴨川の枝垂れ桜沿いを歩いたのが、一番良かった。本当に良い春、よい帰国になりました。

 

バグアンは、何度か買って読んでみよう、という気になったものの、買う段階で抵抗を感じ、まだきちんと読んだためしがありません。でも、恒平さんのホームページで知った話はいつも面白く、そのうち、などと思ったりしています。下巻も楽しみにしています。

 

恒平さん、どうぞお元気で。  京

 

*  メールには、メールでなくても消息を知ったり伝えたりには、必ずやこういう途切れは来るものであり、互いに親愛の根のあるかぎり、信頼のあるかぎり、気にすることではない。

同じ東工大の卒業生でも、一時は七十人を超すほども日々に交信があったけれど、そんなことも続くものでなく、それでもこの「京」のように「 湖(うみ)の本」 で繋がってきた、今も繋がっている卒業生さえ、有り難いことに十数人。「 mixi」 のマイミクも何人か。結婚式に招かれたのも十人ほど。すばらしいではないか。

そして、このような、懐かしい便りがはるばる届いてくる。

 

* 今度の本にも書いていたが、バグワンに教えられていちばん身に沁みたのは、「鏡のように」という譬えであった。鏡はみずから迎えに出てモノを写すのでなく、みずから追って行ってモノを写すのでもない。無垢の鏡は、来れば惜しみなくくま無く写し、去る影をけっして追って行って写そうなどしない。往来は世の常のこと。自然にまかせていれば、去来は無常のようでまた常を喪いはしない。

「京」が幸せに元気にしていて、すこしも変わらず「恒平さん」と呼びかけてくれるのをわたしは嬉しく嬉しく思う。いい日ではないか。最後かもなどと言わず、懐かしい日本に、東京や京都の花を観に何度でもご主人と訪れてくれるといい。

2011 6・5 117

 

 

* 梅原猛さんから『バグワンと私』上の受領に添えて、「お体はいかがですか。私は(激甚災害や原発被災からの=)復興会議で苦労しています」と便りがあった。ご老躯お労りくださり、ぜひよろしくお願い申します。

2011 6・6 117

 

 

☆ 「巻を擱く能はず」、一気に拝読いたしました。バグワンと私、 上巻。ありがとうございました。  元文藝誌編集長

 

☆ 日本中、何やかやと大変なことになっています。そうした中、命がけの「 湖(うみ)の本」 107『バグワンと私 死の間近で 上』拝受。ありがとうございます。十年程も前の作品(=日記文藝) ですが、今にもあてはまる瑞々しい輝きの思いが籠められていて、いつもながら感心しています。梅雨上がりの頃には晴々した天地がひらけますよう祈り居ります。御自愛下さい。

いつもありがとうございます。考えさせられる作品群です。不一   作家 日本ペンクラブ

 

☆ 『バグワンと私 上』受け取りました。「ご批判下さい」とありますので、感想を少し述べます。

私はバグワン氏には全く無知です。読んだこともありません。46ページぐらいまで読んで、感じたこと。バグワン氏は「上座部仏教徒」のように思われます。十牛図や般若心経を持出すところ、禅の方のように思われます。

先生の求道は、知識が色々あり過ぎて、「雑行雑修」に傾いているところがあります。「私の心」は幻像ではないでしょうか。無心になることなど、私にできるはずがありません。「こころの時代」を叫ぶ仏者の滑稽さ、おっしゃる通りと思います。まだ感想はありますが…。  (払い込み用紙に細字で)   新潟県 歴史学者

 

* 下巻を早くお届けしたくなった。

アメリカからも電話と追加の注文があった。有り難い。

2011 6・6 117

 

 

*九割九分九厘の用意ができ、下巻の出来を待つのみ。手にした余裕を活かしたい。

2011 6・9 117

 

 

* 「既成の宗教の枠を超えた智慧を汲み取りたい」と、『バグワンと私』上に、岩波書店のベテランの編集者からハガキを戴いた。「3月11日以降季節の推移を感受する余裕を失っている日々を送っています」とも。

まこと、日本中の人が自然のリズムの糸を裁ち落とされた心地でいるようだ。

藤村と周辺の研究に定年後の老境をささげている親しい元編集者からも親密なお便りをもらっている。

 

☆ すべもなき末の世も見つ冬のなゐ(= 地震)

連日言葉もなく暮らしています。

最近はさらに鬱陶しく、狐狸の往来のようなまつりごとの世界を見せられていますと、今まで抑えていた「テロリストのかなしみ」などの言葉も甦ります。思いつめてみると、今はそうであってもおかしくない時代であろうと考えますし、あの議事堂が、炸裂する爆弾の下で崩れることもあろうなど、想念は疾走します。そうして、心がそんな無明をさまようばかりであることにも、いつか自分が、被災した人と共に苦しむことから遠くなることをも恥じています。東北のことがどこかローカルなニュースのようになっていくのも悲しいことです。

バグワンの名は(タオの言葉も)ご本で何度か見ていましたが、これまでほとんど学ぶ機会を持ちませんでした。でもぼんやりとながら理解していたことから、私にもそのような努力があれば、「畏怖にも満ちた深い平安」もあり得るだろうかとは思ってきました。そし

て、その境地のこの上なさを知識としては知りつつ、おそらくそうはなり得ないだろうと思い、その上に、「心」 こそ「諸悪の根源」であれば、今の愚劣の一つ一つをこの上なく理解できるような気もしました。

 

《自戒をこめて友に宛てた古い昔の歌》

 

時限爆弾は

火に焼けた 大きな鉄の玉となり

都会のなかに落下し

屋根屋根を揺れ動く漣(なみ)にする

その炸裂は

窓のひとつひとつに 鳳仙花の灯を点す

毀れた空をのがれ

鳥は失墜して魚となり

怪獣に追われた魚は

星座となって

その墓標を華麗に飾る  (林富士馬「落日」)

 

2

先生がなくなって六ヶ月ですね

ここではテロルは

ミロかシャガールのような幻花になって

切り紙細工のように空を飾る

心優しい詩人には

爆裂弾も花火になって

幻影のように闇に消える

 

3

ひそかにテロリズムにあこがれつづけ

しかしながらオウムの事件で

「これは封印しなくちや」と思ってしばらく

又ぞろテロルの夢を年老いた知人としやべります

お互いに「これ以上は言っちやいけません」と

唇に指をあててたしなめ合いながら

そのうちに又

某国の大統領府やペンタゴンに爆弾をしかける夢想にふけるのです

アフガンの土に降った鉄屑に比べりゃ

たいした量でもないと……

そうして私はまた

ただ障害者のためだけに生きている人達の

話を聞きに行く

 

4

年古りしテロリスト二人爆弾を運ばんとしてまろびころげつ

坂上の館をめざし突貫と走ればよろけ烏笑いぬ

 

 

それは別にしまして、ふとしたことから若松賎子を読んでいます。昨年の秋から半年以上も過ぎましたが、いまだに続いていて、先月、先々月は横浜のフェリスの資料室にもお世話になりました。今は元町中華街という終点(「みなとみらい線」 の終点) から、いくつも構内のエスカレーターを乗り継ぎして、「港の見える丘公園」とか 「外人基地」 の方から整理された道をたどれますが、根岸線の石川町から行きますと、元町商店街の外れから、急な丘の上のその場所へは、いくつもに折れた長く古い石段を登っていくのです。それがいかにも山手にあるフェリスらしく、私には、瀟洒で明るく開けた前者より、その古い石段をたどるのが楽しいことでした。ほかに、重い腰を上げて近代文学館や明治文庫、『女学雑誌』は麻布にある東京都の中央図書館に足を運んでいます。一言だけでいえば「文学者の名のもとに、これまでいわば放置されてきた思想的側面をすくい上げる」 (鈴木美南子「若松賎子の思想とミッション・スクールの教育」) ことを学びましたが、『忘れ形見』や『ひろひ児』などと、実りの多い読書でした。明治の優れた女性でした。

私の場合は、あの頃の藤村の周辺を探る事がそもそもの始まりでした。立ち去っていく若者たちと、その若者の背を見つめていた眼と、特に後者の眼が今の私の心を捉えていますが、それをどう語れるか、何ほどの言葉もみつけてはいません。ほかにも、巌本(= 善治。賎子の夫)の 「小説」にも眼を通してみたいし、それは、巌本とシェイクスピアとか、濃尾大地震当時の『女学雑誌』を読んだ時と同じように楽しいことであろうと思っています。当てはありませんが、「宮代青年」を訪ねる旅も、もう一歩踏み出してみたく、できるならいま少しの時間が欲しい今日この頃です。小さなデーターの整理など、思いのほか用は沢山あるものでした。山川菊栄女史の『武家の女性』も感深きものがありました。

 

いつもよきご本を有難うございます。

どうぞお大切になさってください。

私は遇一回ほど地区のスポーツセンターまでストレッチに通っています。現在四百回を越えて「大関」という称号をもらいました。ミズキの花も今盛りです。刈り込んだ並木も緑濃い日々になりました。盛りを過ぎたバラの花を見ると「おお、汝、薔薇は病めり」などと、ふと口をつく言葉もあります。今日もむし暑い日になりそうです。

秦恒平様    六月十日    大関

* しみじみ、身に沁みて懐かしい気がする。

「大関」の称号にも感嘆する。わたしの五体は、昨日も散髪屋の青年が渾身の力をかけても凹まない、掴めないほども鐵のように強張っていて、痛みも伴い、どうにもならない。いまにボキッと背骨が折れるのではないか。

2011 6・13 117

 

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 107の製作費支払いも終えた。「能楽ジャーナル」の校正も済ませた。

2011 6・14 117

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 108『バグワンと私』下巻の刷り出しが届き、「あとがき」を読んでみた。一つの作としても成り立っている相当の長文だが、いまのわたしの思いをあまさず語り明かしている。創刊二十五年を記念する一文として大勢の方の胸に届いて欲しい。

2011 6・15 117

 

 

* 幸四郎丈自筆の薔薇花が描かれて、高麗屋の女房さんの代筆、湖の本への鄭重なご挨拶を貰った。珍重。

2011 6・15 117

 

 

* いま一つ、北陸に住まわれる真宗に身を寄せた人の、長文の『バグワンと私』への感想文を頂戴したが、残念ながら180頁ある上巻の80頁まで読んだだけの感想なので、しかもバグワンについては何一つご存じないまま、アテズッポウに、バグワンの本は誰かの代作ではないか、バグワンは小乗に賊する仏教徒でしょうなど、かなり見当ちがいに断定的な言葉が並ぶので、残念ながら、どうしようもない。

批評してくださるなら、これは日を追い年を追い変容して行く内体験の日記であるだけに、せめて上巻をおしまいまで、ないし下巻を全部通読の上で批評して頂きたい。

 

* 明日一日、雨に降り籠められて休養。心配なのは明後日の新館の搬入が雨に濡れないかと。

2011 6・15 117

 

 

* 七時すぎ、血糖値106。小雨。

さ、何時に本が届くか。その時、 降っていても小降りであるといいが。

2011 6・17 117

 

 

* さ、八時半。前回は九時過ぎに本が届いている。機械を閉じる。

 

* 終日、荷造り発送の力仕事で、 晩の九時に一服。また明日のことに。

下巻も上巻と同じ、180頁。下巻では上巻にくらべ、直にバグワンの言葉を沢山、沢山聴いている。

バグワンがどんな人か、読者の九割以上もご存じない。わたしの十四五年以前と同じ地点におられる。それだけにわたしの言葉ばかりでは物足りなくなる筈だ、バグワンその人がどう「おまえ」に話しかけているのかを知りたい、聴いてみたいと。

しかしわたしは、ただの紹介目的ではバグワンの言葉を引いていない、徹して、わたしが強く惹かれて聴いたことを、もっと聴きたいことを、わがために書き留めている。それでこそ「バグワンと私」なのであるから。

2011 6・17 117

 

 

* そして七時半過ぎて、しばらくぶりに強烈な左脹ら脛の痙攣に悲鳴をあげた。妻に助けられ、そのまま朝になった。痛みは幸いあとを遺していない。

さて、発送の仕事を再開する。いちばんにこんなメールをもらっていた。

2011 6・18 117

 

 

* 発送は、大山を越えた。

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 108届きました。

 

バグワンと私 下巻を送付いただきました。

ありがとうございました。

上巻をいただきました時にも、印刷された書物に、これでゆっくりとバグワン様を聞かせていただけるとありがたく思いました。PCのメールで読みますと何か追われるようにサッと読み飛ばしてしまいがちでしたので。

枕元に置いて、朝に夜にほんの少しづつですが、読んでいます。あるときは何度も同じところを読んでもいますが、少しは秦さんがおっしゃっていることが理解できる部分もあったりします。

昨日久し振りに新宿の紀伊国屋にまいりました。

孫の本を探しに行ったのですが、紀伊国屋の1階の通路の壁のガラス面に大きくご子息の建日子さんの「推理小説」の広告が出ていました。横には岩波新書の本などの広告がありました。

推理小説は何版目になったのでしょう。

ドッキリとそして嬉しかったです。

次々と新しく出版されている期待の売れっ子作家ですね。

メルボルンに行っておりますときに、娘のPCからでは「私語の刻」が開けませんでしたので、ミクシーで私のホームに入り、ミクシーの秦様のところへお邪魔しましたら、娘のネームになったようでした。失礼もうしあげました。

娘の家族のメルボルンでの生活も何とか軌道にのりはじめたようです。娘にもお励ましをいただいたようでありがとうございました。  晴

 

* 感謝。順々に読者の手元へから届いて行くだろう、創刊二十五年、明日の桜桃忌に間に合わせたかった。

2011 6・18 117

 

 

* わたしの二度目の誕生日、太宰治賞から満四十二年。グレン・グールドで、ベートーベンのピアノ曲を聴きながら。

朝一番、山形の読者から毎年のすばらしい桜桃をたくさん頂戴し、美しさ豊かさに歓声、さっそく妻と賞味。うまい。甘い。季節を眼でも味わいでも満喫した。感謝、感謝。同時に、高麗屋さんから特製の蕎麦をたっぷり頂戴した。午にはこれを戴こうと妻としばし眺めていた。

昨日の夜は、創刊二十五年、第108巻になる新刊「 湖(うみ)の本」 も事無に送り出したし、前夜祭ふうに、鮨と大盛りの刺身を取り寄せ、萬歳楽の清酒で祝った。読者への本はおおかた今日中には配本されるだろう。

☆ 秦 恒平様

「湖の本 バグワンと私ー死の間近でー下」を拝受しました。

創刊満25年、誠におめでとうございます。

とは言え未だ通過点、遥かな到達点に向けて更に巻を重ねられることでしょう。6/19/2011   濱 拝

2011 6・19 117

 

 

☆ 『バグワンと私』上下を頂きました。有難う存じます。

珍しい名前の人に出逢わせて頂ける珍しい御本、たのしみに拝読させて頂きます。  日本には、昔から、東洋と西洋の智慧が入って来ていますのに、なかなか、それらについて、学んでいけない またいこうとしない事から、一部のひとの間にしか読まれていないものが多くあるでしょう。

こういう本は、粗忽にあわてて読んではいけない、ひまをかけて 深々とと思っています。 文藝誌編集者

 

☆ 新刊のご本着きました。

秦恒平さま  湖の本拝受いたしました。25年続いたこと、素晴らしいです!

その25年間お互いに元気でこうしてお便り交わせたことも感謝です!

上巻とつづいてバグワンのお話、パソコン上でこれまで沢山聴かせていただき、わからぬままに、ふむ、ふむ、と考え込んでいました。バグワンの名前も、経歴も初耳で、こういう人がいるのかと驚きでした。

あらためて、落ち着いて、読ませていただきます。

相変わらずの日々を送っています。

一昨日、92才で亡くなった夫がお仕えした元社長の告別式がありました。

そこでご遺族からうかがったのには、地震と原発事故以後ずっと事態に心を痛め

「何か自分に出来ることはないか」

と考え続けて居られたそうです。

原子力にかかわってきた者は全員同じ思い、あの世の方もそうでありましょう。

いたずらに恐怖せず、賢明にことが収まることを祈る毎日です。   2011/6/20     藤

 

☆ 父の日  お変わりありませんか?   建日子

今、ちょっとバタバタしていますが、来週か再来週くらいには、一度また、保谷に顔出します。

 

☆ 原発ご提言に

全く私の思いと同じです。代弁して下さった様です。知合い何人かに転送しました。

私も何か行動したい、でもなにも出来ない…原水禁の脱原発の署名集めをしています。ごまめの歯ぎしりかもしれませんが…なにもしないでTV観て怒っていても始まりません。横須賀で核燃料棒作っていたなんて全く知らされていませんでした。

私事ですが最近眼が悪くなり新聞半分読んだだけで霞んでしまうのです。集中して活字見ると尚更。眼科へ行っても要領得なくて。

悪くなる前に堀田( 善衛) さんの「ゴヤ」全四巻悪戦苦闘したけれど読了しておいて良かったと思っています。

読書が出来ないのでピアノ楽しんでいます。子供の時の経験思い出しながら好きな曲だけ弾いています。楽譜も霞んで見えないので見えている時じっくり見て暗譜です。ハンガリア舞曲No.5、今はG線上のアリアと格闘していますo(^- ^)o

これだけ打つのに何度も休んで薬点眼しながらです。  横須賀 林

 

☆ 『湖の本』108 巻、昨日届きました。

先ほど、入金いたしました。ご確認下さい。

満25年おめでとうございます。桜桃忌にちゃんと届きました。ありがとうございます。そして「4 半世紀」です。素晴らしい。ふと、25年前の自分を振り返ってみました。

二人の子どもの教育のことで、頭がいっぱいで、家計の遣り繰りに追われていたこと。趣味で結ばれた、世代の様々な仲間と遊んでいたこと。今より、ずっと読書をしていた(今は眼精疲労で、すぐに疲れてしまいます)。まだ30代でした。あの頃は立原正秋、中里恒子、杉本苑子、瀬戸内晴美などの作品を読んでいました。

60を過ぎて、「秦恒平」の作品群にであったのが、遅すぎたと残念な気もしますが、その分、長生きすればいいかとも思います。

趣味もいくつかありますが、読書の楽しみは、最期まで持っていたいもの。晩年になって、出逢えるのも一興と。

ところで、バグワンは私には、少々読みづらいかな、と思っていましたが、昨日届いた下巻をめくっていて、すんなり、入れそう。下巻から読むことに致します。  野宮

 

☆ 京ののばらです。

「湖の本」第108巻 ちょうど雨も止んでいて濡れないでよかったです。

創刊満25年をお迎えとのこと、誠におめでとうございます。

これからもお身体にお気をつけて、ますますのご活躍を願っています。

時節柄ご自愛くださいますよう。

ありがとうございました。   従妹

2011 6・20 117

 

 

* 田島征彦さん、新作絵本の『りゅうぐうのそうべえ』を贈ってくれた。想も画も天衣無縫というべし。

昨日、金八先生の小山内美江子さんからもお手紙貰っていた。

 

☆ 前略 湖108を拝受。

いつものご配慮を感謝、と同時に25年の偉業に驚嘆です。わが國の文藝史上に例のない壮挙です。誰にも真似できないことでしょう。 後略   元日本ペンクラブ専務理事

 

☆ 前略

「私語の刻」をまず拝読致しました。「ホームページ」で五万枚を整理していらっしゃる方の存在にまず驚きました。バグワンのことは、御言葉を私なりに現在受けとめる他ありません。トルストイの創作を含めての最晩年の世界は、先日ふと再読する機会があり、実に久しぶりに感銘を新たに致しました。時局論にも傾聴すべきところがありました。本文に手を延ばそうと存じおります。

呉々も御健康、御健筆を心からお祈り申し上げます。   元文藝誌編集長

 

* 瀬戸内寂聴さん、ほか大勢の方の「創刊25年」を祝ってくださるお便りを頂戴している。

 

☆ 107巻を読み終わり次回配本を心待ちにしておりましたのでとても嬉しくさっそく頁をめくっております。

26年に向って今後ともよろしくお願い申し上げます。 桐生市 江

 

☆ 25年おめでとうございます。読者としてはあっという間の四半世紀でした。

今後とも一層のご活躍を期待しております。 東村山市 竹

 

☆ バグワンの『存在と詩』をネットで入手しました。これを読み乍ら、先生の「バグワンと私」を読もうか、読んでしまってからにしようかと、迷いつつ。  石川県  千

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

『バグワンと私』の下巻が届きました。(先日上下二巻分の振込を済ませておきました。)

創刊二十五周年、おめでとうございます。四半世紀もの偉業と申し上げるほかございません。みづうみ以外には誰にも成し得ないことでましょう。

また、わたくしのような平凡な人間が、読者として湖の本の一端を支えることが出来、一冊として期待を裏切られず作品を読み続けながら、共に同時代を歩んでこられたことにも深い感慨をおぼえます。

素晴らしい、ほんとうに素晴らしい(こんな月並みな表現しかできなくてすみません!)二十五年です。

巻末には、大したことなどしていませんのに過分なお言葉を頂戴し、分不相応で穴があったら入りたいと思いました。

このバグワンの二巻の中には、わたくしのメールが何通もあり、私という人間がこの程度、こんなものであることがじつによくわかってひたすら恥ずかしくなります。質問したり稚拙な意見を述べているという、そういう役割と思えば、少しは許されましょうか。到底近づけないバグワン、という想いは未だに強く、あれ以来一歩も進んでいない自分が不甲斐なく情けなくなります。

それでも、他の多くの読者の方々とご一緒にみづうみの作品の中に、自分の言葉を存在させることの出来ました幸福はかけがえのないものです。ありがとうございました。

バグワンを語るみづうみのお言葉は今までにも何度も読んできましたが、ゆっくり、もう一度読み進めています。わたくしも静かな心がほしくてなりませんが、そんなことを考えているうちは、金輪際得ることは出来ないわけでございます。

 

今わたくしの心を騒がしくしている大きな要因は、やはり日本の国土を覆う放射能汚染と、子どもたちの将来、日本の行く末への憂慮。目に見えないものとの長い戦争が始まり、おそらく自分の生きている間に終結することがないということ。

誰もほんとうのことがわからない福島原発の無気味な深刻さはもちろんのこと、二十三日に、落とした機材の危険な引き上げ作業をする「もんじゅ」や、地震で冷却系の配管が損傷しているのではないか、水素爆発をすでに起こしているとさえ囁かれる浜岡原発も心配でなりません。至急、「脱原発の舵」を取らないかぎり、今後第二第三の「福島」が起きることは避けられないでしょう。日本の国を、人々を、文化を、決して滅ぼしたくありません。何もできない上に、心を静かにもしていられないわたくしです。

自分がネットの流言蜚語にふりまわされていると言い切れるなら、どんなによいでしょう。誰が総理になろうと隠蔽され続けるだろう真相に、わたくしは恐怖していますし、暗澹たる思いがいたします。

外国のニュース映像をみていると、「フクシマ」は史上最悪の原発事故、チェルノブイリより悪いとみられていますし、「死にゆく作業員たち」として防護服姿の映像が流されると、胸がかきむしられます。

そんな中で、わたくしはどのように常の一日を淡々と、懸命に生きていけるのか。バグワンはおろか、正岡子規曰くの「平然と生きる」悟りにも、ほど遠く。

 

最後に、蛇足ですが、国会議員で脱原発とわかるのは前の総務大臣原口氏と自民党の河野太郎氏くらいで、メディアがこの二人を容易に総理候補にあげたがらないわけを思い知らされます。

 

 

それはそうと、みづうみの時々飲んでいらっしゃる「獺祭」って、おいしいですね。

日増しに暑くなり、   小手かざす日ざしとなりぬ朴の花  高崎恵久子   茂野

 

☆ 菅内閣の続行を支持した宣言を感動をもって読みました。あの政権交替の日の感動を忘れてはいけません。歴史の歯車は確実にまわっているのです。   市川市  進

 

 

☆ 秦様

このたびは,ご著書をお送り下さいまして,まことに有難うございました。

バグワンは,秦様の御文に触発されて一時読みかけましたが,理解が及ばず断念しました。

上・下とそろった,「バグワン解説」,早速熟読させていただきます。その上でなら,多少は理解が進むかもしれません。

改めて御礼申し上げます。

ところで,先週末,道北の天売・焼尻島に,ツアー引率で行ってきました。海鳥・野鳥観察や海岸清掃など,もう10年近く通っています。圧倒的な自然に接することができるのも,豊富な海の幸を味わえるのも,楽しみです。

些少ですが,島のお土産を送らせていただきました。明日には御許に届くことと存じます。美食の秦様のお口に合いますかどうか。しかしながら,体にいいものなのは確かです。ご笑納下さい。

札幌も最近蒸し暑い日が続いていますが,東京に比べれば笑止なものでしょう。

ご自愛下さい。  箭

 

* この方の「バグワン解説」という一句は、まったくの誤解。「解説」などしない。手引きでも紹介でもない。まして評論でも研究でもない。御覧になれば分かるように少なくも上下巻で前後九年足らずの「日記」であり、日々の「私」の暮らしの中で「バグワン」に「聴いてきた」信頼そのままを告白しながら、死に間近に一日一日歩んでいる述懐の上下巻にほかならない。

そもそもわたしはバグワンの実像、いつ生まれていつ亡くなったのかすら不要として知らないままに、彼に「聴いて」いる。それだけである。もし此の上下巻で「バグワン」が「解説」されていて教条的に何かが知れると思われた方は、わたしの表題が不味くて早合点させたのである。申し訳ないが、解説ではないし、誰かが言われていたわたしの「信仰告白」ですらもない。

老いの坂を、生と死とに手をとられて、終末へとぼとぼと自信もなく歩んでいる私の、ま、日々の愚痴や歎きのようなもの。

* もっと驚いたことに、わたしを親鸞への「宗敵」かのように憎んで罵倒し侮蔑してきた真宗研究者があらわれ、これには迷惑した。こんなものが読めるかと、まるまる読まないままの罵詈雑言。承っておき、応答はしないことに。

先にも言うように、わたしは「宗論」や「評論・解説」ないし「提灯持ち」のために『バグワンと私』を刊行したのではない。法然や親鸞への少年らいの深い敬愛はいまもちっとも変わりがない。イエスにも聴き老子にも達磨にも一休にも聴きソクラテスにも聴いてきたし今も聴いている。ただ「抱き柱」として抱きついていないだけのこと。

わたしの関心は宗教・宗派には無い。理論にも教学にも無い。

落ち着いて終焉を迎えられるだろうか、迎えたいなというただそれだけ、現世の夢から、無明長夜の夢から忽念と覚めたいと願っているだけ。

2011 6・22 117

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 創刊二十五年を祝ってくださるお便りが、いっぱい。

「どうぞお元気で続刊され、30年40年にもなりますことを祈念しております。  県教育長」

「満25年、おめでとうございます。 この出逢いと、これまでのお導きに深く感謝申し上げます。どうぞお二人ともお身体大切に、よい日々でありますように。  山口県  翠」

「上巻を読んでいたら いつの間にかこころが静かになるきがしました。どの一部分でもいいのですが、次々読んでいます。  鎌倉  橋」

「いつもありがとうございます。世の中に色々な情報が飛びかって、一体何が何だか分からなくなってしまいそうですが、毎日の忙しさにかこつけて、今日、明日と…日がどんどん過ぎ去っていく様な気がします。そんな時には「 湖(うみ)の本」 のペイジを少しずつめくるようにしています。ありがとうございます。   国家公務員 卒業生」

「創刊二十五年『秦恒平・湖(うみ)の本』通巻一◯八巻 心より御祝い申上げます。酒好きの私は独りで祝杯をあげました。先生には甘味を少しばかりお届け申し上げます。本当におめでとうございます。そしてありがとうございます。草々  作家 ペン会員」

「創刊二十五年の重みを受けとめております。『私語の刻』にございます東日本大震災以降の政治に対する鋭いご指摘にまず惹きつけられております。向暑のみぎりご健康とますますのご健筆をお祈り申し上げます。  県立文学館

 

* 中には、最近註文された方から、「御作『みごもりの湖』読み進んでおります。文学に触れている との実感が身体を満たしてくれます。 都内  歌人」という有り難いお便りにも接している。

 

☆ 秦さま

湖の本108 拝受。けっしてIT弱者ではないのに、これだけのペースで紙媒体の刊行物を出しておられることに敬服します。

わたしはなれないweb 事業にのりだし、ツイッターもブログも始めましたがあっぷあっぷしております。

ツイッターで秦さんの「ご提言」(菅内閣に協力せよとの)を紹介しましたら反応は上々でした。   東大教授

 

☆ 秦先生

湖の本、創刊25年、本当におめでとうございます。

25年前…私は、中学生でした。湖の本の「重み」を感じています。

また、いよいよ本格的な夏が近づいてきました。今年は節電に取り組む夏となりそうですが、先生、奥様は、くれぐれもお体を優先して、この夏をお過ごしください。

担当した番組「脱北者たち」が、関東地区で放送される日時が決まりました。

2011年6月28日(火)26時45分~27時40分です。(つまり、今月29日(水)午前2時45分~午前3時40分です。)

放送局は、フジテレビです。

大変深い時間帯ではございますので、もし宜しければ、録画にてご視聴頂ければ、幸甚に存じます。何卒よろしくお願い申し上げます。

お陰さまで、妻も元気に過ごしております。

妻のお腹は、日に日に大きくなっていて、私のお腹の大きさに迫ってきました。私はこの夏、妻よりもお腹を小さくできるように努力いたします。

また、ご連絡させて頂きます。ひとまず失礼いたします。    大阪市 謙  卒業生

 

☆ 今春修士課程を無事修了し、現在は研究生として東京藝大最後の一年を過ごしています。

悲しく、影響の大きいことがありました。

指導教官とその助手が3 月末日、突然のことですが、琵琶湖でのボートの事故で亡くなりました。

父のように思っていた先生であり、親しくしていた助手さんでしたのでショックが大きく呆然とし、また、何のために研究生に残ったのかと問い続ける日々が続きました。

その後、様々な残務処理、アトリエの片付けの手伝い、お別れの会の主催、などなど研究生の身に余ることがらが多く疲れ切りました。

しかし、現在は制作へと向かっています。

気分の病気は山坂ありますが今はまあ大丈夫です。

先生はお元気でお過ごしでしょうか。    叡   東工大院卒生

 

* 拾い出しているのはホンの一部分、一冊刊行のつど、沢山な声を聴かせてもらえる。

 

* 二十五年間、変わりなく気持ちの通い合ってお付き合いの持続・継続している相手を「百人」もっている人は、多くないようにわたしは感じている、「 湖(うみ)の本」 での読者・作者のお付き合いは、年賀状の交換程度とはちがっている。「魂の色」の似通いに他ならない。「 湖(うみ)の本」 でのお付き合いはむろん百人どころでなく、列島全域、海外にも広がっている。誠心誠意、一巻また一巻と送りだしてきた。「一期一会」の意味で「一巻一会」の気持ちでいる。

2011 6・23 117

 

 

☆ 拝復 昨日、「 湖(うみ)の本」 107 108『バグワンと私 死の間近で』上下の御恵贈に浴しました。まことに忝う存じました。早速に拝読、真摯な求道にふれ、心打たれました。気軽にも秦さんと呼ばせていただくことをお赦し下さい。秦さんがいとしい孫娘をほとんど突然に失われ、白秋を自覚する日々の中で、ご自分の死の問題に差し向かいつつお書きになった思索の軌跡、それが本書であると受けとめました。副題の意味が伝わってまいります。秦さんが少年時代から親しまれた仏像たちへの思慕と回帰をバグワンは無意味化しかねない。両者の間に横たわるクレバスを毎日のぞきこまれる。バグワンはいわば思索のトレーナーですね。秦さんは廻り道を強いられていますが、やがて生い立ったところに帰って行かれるでしょう。  秦さんがしきりに疑問符を打つ 日本人における「心」、その問題性についてまコメントには共感します。日本人には「心」は 天皇制と同じく、一種のブラックホールです。

菅下ろし策謀の醜態批判にも同感。ご健勝をお祈りいたします。 平安   基督教大学名誉教授

2011 6・24 117

 

 

* 今日もたくさんのお便りに恵まれた。

「満25周年おめでとうございます。一巻の清経入水からもう25年も立ったとは。本棚に並べた108巻の本をながめ乍ら感動と先生のご苦労を思っております。(亡き、 中学時代の)給田みどり先生もきっとお喜びの事と存じます。これからも頑張って下さい  亀岡市  明」

「はっきりしない空模様、世の中の情勢もはっきりとならないこの頃、『バグワンと私』は、私に共感と安心 やすらぎを与えてくれます。少しずつしか読めなくなりましたが 心の励みと 落着きを得られて、うれしく読んでいます。どうぞ御体に気をつけられて。お願い致します。『清経入水』から、むづかしく思いながらも読み返しております。  桐生市 吾」

「バグワンは初めて知った、ありがとうございます。

──いずれは いずれはと希望をもって踏みしめるように歩んできた──と。  山形県  又」

「25年おめでとうと、ご苦労さんと。創刊以来全巻愛読し、保存し、再読、三読の巻も多数。作品中に東山や泉涌寺の文字をみる度に日吉ヶ丘時代が思い出されます。貴兄の感化で「源氏物語」を20数回通読し、今も続けています。ご自愛の上今後ともご活躍を。   高槻市  昇」

「『下』の次も続くといいと思っています。くれぐれもお大切にされてください。 千葉市 貞」

 

* 塚本澄子さんの遺著となった『万葉挽歌の成立』を笠間書院を介して戴いた。すぐ思い出した、作新短大の助教授・教授を務めてられた頃、「 湖(うみ)の本」 の継続読者であった。原善クンが同じ助教授かなにかで机をならべていて、出来る女性が側にいて頭が上がらないとボヤイていたのを可笑しく思い出す。ま、成るべく成って塚本さんは教授に、さらに四年生の教授に進まれた。原は別のどこかへ、総武とかいう大学へ転じたのではなかったか。

 

* 笠間の重光さんの添書によれば、塚本さん大著の最終部分に「秦先生の作品に触れながら論攷を結ばれているのは印象深い」とあり、なるほど小説『秘色』で十市皇女を書いていたわたしの皇女観に、また皇女を悼んだ吹 刀自の挽歌に落ち着いた筆が運ばれていた。よほどこの小説を気に入って読んで下さっていたようで、懐かしくまた感謝に堪えない。

ご遺族の意向で遺著が成ったらしい。お許しを願い、その『吹 刀自の歌─十市皇女の人間像』とある一節を、「 e-文藝館= 湖(umi)」の「論攷」室・招待席に展示させて戴く。

2011 6・24 117

 

 

* そして、バグワン。

 

☆ 天候不順御自愛くださいませ。早速ながら今般も亦ご新著『バグワンと私』をご恵投被下、ありがたく頂戴いちしました。不勉強でバグワンという名を知りませんでした。御著を拝読して、私自身が求めていた世界だと気付かせていただきました。 教区の連続研修で、生と死のテーマが設けられ、三回ほど、先人に学ぶという副題で問題提起をすることになっています。そのためにもくりかえし精読させていただきます。ありがとうございました。御礼言上までにございます。合掌   浄土真宗寺ご住職 大学教授

 

* 宗敵を呪うほどに罵倒してきた同じ教学の人もいた。ひとはいろいろだが、わたしはいささかも宗論などしていない、教学に何の関心も好奇心もなく、ひたすら老いの日々を心静かに歩んで行きたい、どうしようととばかり思ってバグワンという人に聴いていた。それも本がいくらか手元にあるだけで、バグワンの実像など知らないし知ろうとも全然努めてこなかった。求道と言われては照れるしかない、精神衛生というぐらいが当たっていて、ただ言えるのはいささかも思いつきのでたらめでなく、十数年、 これから先もひたすらに本気なだけである。

わたしと同じようにある種の不安をもち安心を求めている人は多いのではないかと思っていたが、その辺は、どうも分からない。題をみただけで、なにかわたしに宣教姿勢でもあると感じた人もあるのかも知れない。「死の間近で」という副題を主題にすれば良かったかな。

 

☆ 秦 恒平 様  お元気にお過ごしのことと拝察します。

『湖の本』、引き続き御恵与いただきながら、このところまた御礼状を滞らせてしまいました。お詫び申します。

創刊満二十五年、長いご精進に敬意を表します。

バグワンという名前は、ここ数年、私の頑の隅にずっと横たわっていました。より正確に言うと、その名前も不確かなまま「アメリカ人だかインド人だかで、なかなかの思想家・宗教家が一人居るようだ。今は自分に時間がないが、いずれは、死ぬまでに一度向き合

って見ないといけない人物らしい」という印象で、自分の頭に残っていたのです。その人物が、果して御著の「バグワン」と一致するかどうかは、わかりませんが、どうもそのように思われるのです。

申し訳ないのですが、貴著「バグワン」の(上)もまだ拝読していません。勝手ながら、今無理に自分を集中させている、ある仕事があって、ちょっとそこから手が放せない段階に来ているものですから。それが一段落ついたところで、(上)(下)両方を通読させていただき、さらに出来れば「バグワン」も読んでみたい、と思っています。

今、たまたま開いた、108 集177  ページ「私語の刻」に、菅内閣支持のご意見を発見しました。まさに仰せの通り、「わが意を得たり」とはこのことです。周囲が何と言おうと、菅さんには、この先二年でも三年でも頑張り抜いてほしい。続ける理由はあっても辞めるべき理由など、どこにもないからです。

数年前のテレビ画面で、菅さんが事業現場の下っば役人を捕まえて居丈高に怒鳴りつけるのを見たことがありました。その時「あ、この男は所詮小物だ」と思い、以来その印象は私の中で拭えないものになりました。しかし、小物だとしても、今の時点では与党も野

党も協力して菅さんを盛り立て、災害からの復興を図るという以外に選択の余地はないのだと思います。自民党も、もし今、過去の原子力政策を反省し、小異を捨てて菅さんを支えれば、どんなにか党の支持者を増加できるであろうのに、そんなことさえ見えていない

、自民党、特に党首や幹事長はバカです。私は、菅さんが、ここで粘りに粘って復興への道筋をつけてくれるならば、その時はじめて彼は真の政治家として評価されていいのだと思っています。「小物」という私の印象もその時は消すことができるに違いありません。

私はこのように考えながらも、それを表明する手段を持たず、現状にただ嘆きと不満を募らせるばかりでした。

秦さんは、こうしてご意見を世に問う力を持っておられる。ぜひこの正論を広げてください。応援しています。

つい、政治談義になりました。今夜は、近くに残る田んぼと森で、蛍が舞うのを眺めました。 梅雨もそろそろ終わりでしょうか。 どうぞいい夏をお迎えください。  2011年6 月23日   明治大学名誉教授

 

* 心ゆき心励まされるお二人のお手紙、有り難し。

2011 6・25 117

 

 

* うまくは言い表せないが、へんな物言いになるが、わたしは、すこしずつどうかしてきているのではなかろうか。

 

☆ 創刊25年おめでとうございます。

気候の定まらない毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?

「湖の本」ありがとうございました。

創刊25周年 四半世紀を迎えられたこと、心よりお祝い申し上げます。

「バグワンと私」ゆっくりかみしめています。

マインドの塊に戻ってしまいそうな私を、少しずつ溶かしていきたいと思います。

どうぞ、お元気で 日々心静かにお過ごしくださいますようお祈りいたします。 さざなみ

* この久しい友である人もそうだが、同じように「バグワンと私」という述懐の可能な体験者であり、そういうめで観ると、ほかにも何人もがわたしと同じように書き表す資格をもっていると思う。ただ、残念というか仕方がないというか、わたしのように多年に亘り継続してバグワンに「聴きつづけ」た人たちではない。

とはいえそれもそれなりに「バグワンと私」体験はされてきた、わたしのはただ持続してきただけのこと。そしてその人たちの先のことは分からない。旺盛にバグワンと対話される人も出てこようか知れぬ。

つまり、わたしは、「バグワンを」書いたのではない、「私」の惑いや迷いや不安や喜びを、体験として書いたのである。なんらバグワン論でも解説でもなく、宗教論でも信仰告白でもなく、読者を誘導する目的など微塵もない。いわば正不正関係なしの「ひとり合点直前」の思いを、日記に書き留めただけである。所詮は「秦恒平が秦恒平を」書いたのである。

 

 

* 上の例でわかるように、戴くメールの書体設定なのか何か特殊な設定なのか分からないが、転記しても書体もサイズもこっちの機械に馴染んでくれないことが多くなっている。パソコンという機械のややこしさには、なかなか馴染まない。

2011 6・26 117

 

 

* 『バグワンと私』を読んで下さったなかに、著しい一つの{読み過ぎ}がある。

わたしが、孫・やす香の酷い死に耐えかねてバグワンに縋った、少なくも向きあったと察している人たち。

ご親切ではあるが、これは全然違っている。

バグワンの境地に心惹かれて継続的に接し始めたのは、はっきり書いているように一九九七年、平成九年であり、その当時はまだやす香とわれわれ祖父母とは親交を取り戻せていなかった。全く没交渉のなかにあったし、やす香の両親と祖父母や叔父たちとの間には、不幸な没交渉という以外のなにごともまだ起きていなかった。

そしてその翌年三月下旬からわたしは、初めて機械環境の中に、ホームページ『作家・秦恒平の文学と生活』を起こし、その中で「作家・秦恒平の生活と意見」と題した「日乗」も書き起こした。ごく間もなく日付も確実、四月一日には、早くも「バグワンと私」の第一声を書き込んでいる。

やす香が大勢の声に危ぶまれた末にやっと入院し、当初白血病という診断違いが悪性の肉腫と改まったのが、二◯◯六年、平成十八年七夕の日であり、あつという間の同じ七月二十七日、逝去。

しかし、そういう歎きとは事実上無関係に「バグワンと私」の日々の思いは、遙かに早い時点からたどたどしくとも年々絶え間なく進んでいた。

今度の上下巻が、やす香の死と、またその後の醜い親族間の葛藤の起きた年の末で一応結ばれてあるのは、なによりも、上巻180頁、下巻も180頁でおさめたい編輯上の必然を践んだまでのこと。

やす香のための切なる「挽歌」なら、「孫娘の死を書いて実の娘に訴えられた太宰賞作家」という売りで週刊新潮が囃し立てた、『かくのごどき、死』(「 湖(うみ)の本エッセイ39」 )に尽きていて、それならばどなたでも、いつでも自由に読んで頂ける。

『バグワンと私』上下巻は、単純にいえば、秦恒平が秦恒平を書いたのである。ウソは少しも書いていない私小説ふうの、やはり「日記」に他ならない。「日記」と称して、後年に記憶を辿ってざっと造られた作は古典にも幾つもあるが、わたしのこの日記は、「日乗」本来の手順で、日一日を追って十数年來継続して書かれている。今も機械の中に保存され紛れもない事実である。

やす香の死に絡めてこれを読もうとされた人達は、年々日々の「日記」を小説かのように善意から読み替えられたということである。読者の自由であるが、事実を逸れている意味は小さくない。

 

* 上は、「日記」という現実に即した謂わば著者からの一言に終わっているが、もう一つ、この方は作のモチーフに直に触れつつ、かなりハッキリ予測していたこと。つまり、わたしのようにひ弱い者でなく、じつに精神の「強い」人が幾らも、とはいわないが何人もおられるということ。そういう人からすればこの『バグワンと私』はさながら泣き言にちかいのだろうなあと苦笑して予期していた、その通りの反響が、たぶんこの人からはと予想通りに届けられていて、実に刺激的であった。

何度も言うが、「バグワン」という人が分からないし、同じて行けない、思いが重ならないという人、そういう人にはわたしはお気の毒を強いている。バグワンに対しても義理はわるい。わたしはバグワンや彼の言説を読者に伝えようというより、ただ自身で翫味しようするにのみ急なのだから、或る意味で「バグワン」のためには半端な筆述に終わっている。わたし自身がまだまだ「途上の独白」中で、それが現実なのだから致し方がない。

 

* そんなとは違って、生きるの死ぬのなどに自分はいっこう顧慮がない、その意味では秦さんの苦しみも惑いも求めてるらしいことにも「関心がない」と言い切れる人達。わたしはそういう人達を、羨ましく感じるし、そして、ほんとうなの、とも驚かされる。

おそらく、この私の本が読んで下さる方に持ちかけている芯の問題とは、この辺に在るのだと思っていた。

その際に、わたしがビックリさせられるのは、そういう強い人が、「神」のことに触れられることである。

わたしは、このかなりの大冊の中で殆ど一度として「神」への望みや縋りを書いていないことを、言い切っておく。わたしは無神論者でも有神論者でもない。不思議とか神秘とかを否認したことはないだけで、「抱き柱は抱かない」と繰り返し言い切っていることは、たとえそれがどこまで実行できているかどうかの批評は別にすれば、わたしは、実は神も仏も求めていない、ただ「静かな心」じつはそんなものは存在するわけがなくて、言い替えれば「無心」という「安心」の域に自分がたどり着けるのだろうか、そのために無明の夢から覚める日を待っているだけだと言いたい。

それを「死へのおそれ」と言い替えられるだろうか。否定もしないが肯定もしない。ちょっと違うという感じがある。

またわたしが無宗教の逆の存在かと思われるのも、もし信仰という組織性との関わりを感じて言われているなら、見当が違っている。宗教性は幼來備えているとじかくしているが、いま、わたしは神仏にすこしも拘泥していないし信仰していない。むろんバグワンも祖師かのように信仰などしていない。

 

* それにしてもわたしの願っているのとあまり違わないらしい境地をすでに自分は得ている、ないし、そんなものは必要がないと言い切れるほどの人が、やはり存在するらしいのは、或る意味凄いことだ。

2011 6・27 117

 

 

☆ 前略「 湖(うみ)の本」 107巻の御礼を申し上げずにゐるうちに108巻を頂戴し誠に申しわけありません。

無宗教で、遠藤周作君からよく、あんたのやうに、神について考へて神を信じなくなる無神論者でなく、神などどうでもいいといふ無神論者ほど度し難いものはないと言はれてゐました。

私は御高著「バグワンと私」を拝読しても、なかなか没入出来なく、われながら困ったものだと思つてゐます。今年九十歳になりましたので、歳のせいかと考へて気を楽にしてゐます。

創刊二十五年を心から祝福申し上げます。 不一    元文藝誌編集長

 

* まことに胸に届いてくるお葉書で、わたしは嬉しい。大きく教わった気がする。

もともと「神について考へて神を信じなくなる無神論者」をわたしはあまり信用してこなかった、この方が本当は「度し難い」のではないかと思い、いっそ「神などどうでもいいといふ無神論者」が自然で毅いのではないかと思っていた。新井白石と出会ってそう感じたし最上徳内にもそう感じた。遠藤さんのことは知らない。正宗白鳥が臨終前に信仰の告白をしたと聞いたとき、言葉にならない感想を抱いたまま瞑目したのを思い出す。

 

* もう一通、やはり有り難い長文のお手紙も、おゆるし頂いて此処に書きおかせて戴きたい。

 

☆ 拝啓 秦恒平様 机下

「 湖(うみ)の本」 107 108 『バグワンと私 死の間近で』上下

ご恵送下さり、まことに有難う存じました。私はこの人物のことを知りませんでした。インターネットのウィキペディアでこの人の紹介文を読み、二十年も前に亡くなった人なのに、すごい影響を後世に与え、今も生きつづけていると感心しました。これから、折りにふれて御著をひらき、読んでみたいと思います。

今、感じていること、下巻で紹介されている「愛」と「結婚」は違うというところ、「結婚」は抱き柱ではないかということ、 漱石の「三四郎」を読んでいて廣田先生が結婚しないということ、「結婚」という制度を彼はみとめないのだなと思いました。

いま仲間と古今和歌集からはじめて王朝和歌を少しずつ読み、そのかたわら昨年から漱石も読み出しましたが、秦さんが何度も言及されている「こゝろ」に比べて、「三四郎」について、触れられる方が少ないのは、とても残念ですが、ここのところを読んで「三四郎」は青春文学と一言で片づけるわけにはいかないなと思いました。

秦さんは迫り来る「死」にについて 若いお孫さんの「死」の実体験から強迫に近いものをお感じになり、それによるこわばりをほぐそうと懸命に努力されていますが、私はたった一才しか違わず、私も来年で後期高齢者になるのですが、鈍感なせいか、それほど強い強迫を受けません。死ねば「無」、それでいいと思っています。同封の文でもふれましたが、今年になっての「母の死に、母の無になった 私も近い内無になると思って、それがたのしみでもあります。

和泉式部の歌

数ふれば歳の残りもなかりけり 老いぬるばかり悲しきはなし

も、昔は老年の悲しみの述懐の歌として読んでいましたが、最近は上の句と下の句のあいだに一拍置く、歳末になるとゆることが多くなって困るなあと思い、そして何気なく口に出した「歳の残り」が自分の齢の残りでもあることに気づく、そして彼女は文机の上に顔を伏せて過ぎ去った絢爛たる日々を思い描くという風に読んでいます。

今がいちばんいい、やがて無になる前の光がいちばん美しい。

夕日はゆっくり見たいと思っています。

 

勿論、死んだら終りということでやっていますが、小さな石でも積んでゆけばケルンになるかも知れないと考えています。

「 湖(うみ)の本」 百八回 おめでとうございます。

ますますの御健筆をおいのり申し上げます。  六月二十五日  拝   欣    文藝批評家

 

* わたしに『罪はわが前に』と表題した書き下ろしの旧作がある。この表題は、聖書からというより、漱石の『三四郎』から得ていたことは作中に書いている。またわたしの『こゝろ』論は、『三四郎』という背景、根底をもって書かれている。三四郎君は、『こころ』の「私」になって「先生」や「静 奥さん」の前へ再登場しているとすらわたしは読み取ってきた。

2011 6・27 117

 

 

☆ 秦 恒平 様

ご無沙汰しております。ココです。

急に暑くなったり、涼しくなったり 今年は、日々気温の差が激しい年のようです。

お変わりございませんか。

梅雨の季節、少し気持ちがホッとするのは 鉢植えの紫陽花が、例年よりきれいに咲いてくれたことです。

確か、紫陽花には裏年と表年があると聞いた気がします。

「バグワンと私」 上巻 を 昨夜一気に読みました。

特に ここ2年ほど、「心」に翻弄され続けていた自分が自覚できました。

吐き出すことの出来ない憎しみや哀しみ、沸々と沸いてくる怒り

どうすれば 執着せずに穏やかにいられるのか

「瀞笑生逝(しずかに笑って生き逝きたい)」と願っているのに

いつも荒々しい自分を少々持て余していました。

 

昨夜 漠然と「この本に何か」を感じました。

(頁を開くまで「バグワン」が何か一切わかりませんでした。)

そして、読みながら、今までの自分を少し冷静に省みることができました。

今の素直な気持ちを言いたくてメールしました。

取りとめも無いことで すみません。

これからが夏本番 、水分補給を忘れず くれぐれもご自愛ください。

ありがとうございました。   千葉  ココ

 

* ああこういう読者がいてくれると、少し硬くなった肩の荷がかるくなる。こういう人がたくさんこの世間にはいると想っていた、まして今日只今の此処・日本には。

 

* 懸命に「小説」のための作業に打ち込んでいた。その間は、よろこばしく気が晴れているのに何度も気付いていた。そうしてて過ごそう、この六月を、七月を。「瀞笑生逝(しずかに笑って生き逝きたい)」という言葉、知らなかった。

2011 6・27 117

 

 

* 『バグワンと私』が読者のもとへ届き始めて十日、創刊二十五年というのも加わって、たくさん声が届いてくる。感謝。

「この不思議な本をよくぞ『紹介』して下さった、という思いで、折々にも読ませて頂きます。鬱陶しい日々、どうぞお元気に、とお祈り申し上げます。   文藝誌編集者」

「25年初期の頃から拝読させて頂き年を重ねて来ました。ありがとう御座いました。  豊島区」

「創刊時の想いを持ち続けられて、ずっと書き続けてこられたこと、本当にすばらしいことです。先生のこのエネルギー、ものすごいですね。御自愛くださいませ。  静岡市」

「うーんと思って拝読中、まだ上巻です! あっというまに 年金を頂く歳とはなりました……  京都市」

「湖(うみ)の本 満25年 まことにおめでとうございます。途方もない営為と存じます。そして、「 湖(うみ)の本」 と先生に出会った幸いを、ありがたきことと感謝申し上げております。今後とも このまま遙か彼方まで歩んでゆかれますように。  神戸市」

 

☆ hatak さん  酒少々

昨日上海から戻りました。

魯迅公園、ここはかつて日本人租界があったところらしいのですが、広い公園を見渡す芸術館の茶室で、五十名の方々に濃茶を練ってきました。茶室は、おそらく日本の大工さんが建てたものと思われ、中で茶を点てている間、ここがどこかをすっかり忘れていました。四席が終わり、道具を片付けはじめて、中国で茶会をしていたのだと思い出しました。

中国の人は抹茶は飲みませんが、ウーロン茶、緑茶はよく飲みます。ここ数年は、コーヒーの消費も激増していて、喫茶の風習は日本同様定着しています。予想通り濃茶という飲み物に対しても、全く抵抗はないようでした。これまで、世界中のいろいろなところでお茶を振る舞ってきましたが、こんなに抵抗なく濃茶を飲んでもらった国は、濃いマテ茶を飲む習慣のあるアルゼンチンだけでした。

次は炉の時期に、できれば口切りを、などという話がもう来ています。

紹興酒1本だけですが、買うことができました。乗り継ぎに降りたセントレアでお送りしましたので、少しですがご賞味ください。トランクの中で割れることを防ぐために、一度箱を開け詰め物をしてきましたので、箱が開いていますが、ご容赦ください。

お送り頂いた『バグワンと私』お礼も差し上げず、失礼しております。バグワンという人を全く知らずに、闇に言い置く秦さんの引用と述懐を長らく読んでおりましたので、私にとってはバグワンの言葉というより秦さんの言葉として聞いてきております。すんなりと耳に入ります。

今週末からは、ベルギーです。体が保ってくれるよう無理はせず、とは思うのですが、国際学会の前は、寝る時間が無くなります。前回イタリア・ドイツのように、旅先で寝込まないよう、注意して行ってきます。

「すこしずつどうかしてきているのではなかろうか。」を大いに案じております。加えて今年の猛暑。くれぐれもお大切に。 maokat

 

* 古越龍山 20年 そしてお茶のお便り、感謝し、愉快に拝見。どんなお茶碗で濃茶をねったのだろう。一碗十二人ほどでのみまわしたのか。かなり力わざ。

上海では魯迅や孫文のゆかりを井上靖ら一行と訪れた記憶がまだ濃く残っている。北京や西安や杭州、蘇州とちがい、とにかくも都市としての上海は、二度訪れたが印象がキワだって他と「べつもの」だった。

2011 6・29 117

 

 

* 雷が鳴っている。

 

☆ 創刊二十五年を迎えられたとのこと、おめでとうございます。活溌な執筆活動を一◯八巻にもわたってまとめておられ、たいへん興味深く拝見しております。暑さに向かう折から、お身体にはお気をつけ下さいませ。   大学学長

 

☆ 「満二十五年」 おめでとうございます。心から祝福しています。すばらしいことです。  作家

 

☆ 25年 おめでとうございます。全ては皆様が秦様を芯にたゆまぬ努力をなさいましたその美しく、優しいみのりと、心からお喜び申し上げます。 鴻巣市

 

☆ 25年の快挙 おめでとうございます。更に、更に、更に…。   三鷹市

2011 6・30 117

 

 

☆ 鳶はまた尾張に。

先程こちらの郵便局から「 湖(うみ)の本」 送金しました。遅れて済みませんでした。なかなかメールを書くゆとりがないまま時間が過ぎていきます。心を萎縮させている,というのが本当の理由でしょうが。

梅雨どころか酷暑に今から身体が悲鳴をあげそうです。今日は携帯からの短いメールです。くれぐれも大切に。

 

* 老々介護は、大勢の人が過ぎて行かねばならないが。日々を安かれと願います。

2011 7・1 118

 

 

* 湖の本でも永らく支援頂いた元阪大教授、亡くなられた中村生雄さんの遺著を、行き届いたご挨拶を添えて、奥さんから頂戴した。『わが人生の「最終章」』とある。第一部 「死」と向き合う 第二部 「いのち」の日記抄。厳粛である。

 

☆ 盛夏の候、皆さまにはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 

中村生雄が亡くなりまして、早いもので一年になります。

皆さまには生前大変お世話になり、お礼の言葉もありません。本当にありがとうございました。

さる五月十四日には「葬送の自由をすすめる会」 のご協力を得て、夫の希望通り駿河袴で散骨をい

たしました。

当日は夫が好きだった富士山が見えたものの波が高く、とても静かなお別れとはいきませんでした

が、笑いの絶えなかったわが家らしいお別れだったかなと思っています。

 

さてこの度、春秋社のご厚意で中村生雄の絶筆とでもいうべきものができました。

最後の最後まで執筆していた遺稿と、プログの記事をまとめたものです。お納めいただければ幸い

です。

 

暑さの折からくれぐれもご自愛くださいませ。

二〇一一年七月             中村家家族一同

 

* 中村さんは、わたしが作家になりまだ本郷の医学書院編集者だった頃、間近い湯島で、春秋社の編集者であった。編集者の研修会が箱根だかどこかであったときに初めて知り合った。かれもわたしも大きく転進していった。彼はたしか静岡大から大阪大へ教授として歩を運んで行き、晩年にはわたしの孫のやす香の急死にも、著書の中で深切に触れてくれていた。早くに死なれるとは思わなかった。今度の『バグワンと私』などを尤も見て欲しかった読者であったのに。

2011 7・2 118

 

 

* こんなメールも届いていて、これにはとりあえず返事も書いた。

 

☆ 拝啓 東北大地震のあと、例年になく早い梅雨入り、と天変地異の様相を呈しています。

先日は湖の本『バグワンと私』下を御恵投下さり寔に有り難く感謝申し上げます。先生は「心」を全面否定されているようですが、私は、「心=知・情・ 意=精神活動」と捉えていますので、ひていすべきものとは考えられません。   編集者

 

* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きを否認していませんし、私も。

只、「心」一字の中のマインド(分別・思考)サイコ(心理)偏重が、人間の魂(ハート)や身体を如何に損ない、ミスリードしているのかへの体験的な反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いているのは、明瞭に認められる人間にだけある混迷です。刻々に分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、そんな心の「全肯定」にこそ問題があるのでは、と。さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、無心や静寂を自身に願ってきたのではないでしょうか。不一   秦恒平

 

☆ 御無沙汰しました。 吉備ひと

政治の現状批判・脱原発推進について、私達普通の人間が感じていることを的確に代弁していただき、感謝します。

影響力をもつ人たちが脱原発・反原発の大運動を起こしてくださることを強く願っています。

湖の本『バグワンと私ー死の間近でー』にはほかのどこを探しても得られない中身が一杯詰まっています。

私事ですが左眼白内障手術を受け経過良好で、眼鏡合わせも間近です(右眼は10数年まえに終わっています)。

近く「晴れの国岡山」の清酒を少しお届けしますのでご笑味ください。

 

* 有難う存じます。

昨日は、いま會津で大学の学長さんを務めている、元医学書院勤務のの女性後輩が、「湖の本二十五年」を祝って、大粒の宝玉をぎっしり詰めたほどの桜桃一箱に熨斗をかけ、贈ってきて下さった。今年の桜桃のひときわ美味しいことは! 感謝しきれない。ありがとう。

2011 7ー2 118

 

 

☆ 秦 恒平 様

拝啓 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

また、日頃より大変お世話になりまして誠にありがとうございます。

ご著書「湖の本」をお送りくださり誠にありがとうございます。毎回、拝読し、秦先生の広く深いご教養、鋭い洞察眼、そして心地よい文面などに触れることが叶い、豊饒な時間を過ごさせていただいております。誠にありがとうございます。心より御礼申し上げます。

今後ともご指導、ご鞭捷を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 敬具    大学総合キャリア学部長  壽

 

* ではでは。

2011 7・2 118

 

 

* 午前に、詩人と編集者とへ、必要な返信を二つ書いた。昨日もハガキで何通か返信・返礼を書いたが、怱卒なもので失礼した。ハガキは手書きだが、長めの手紙は機械で書かせて貰っている。手紙もハガキも久しくめったに書いてこなかった。メールの効く方はメールで赦して貰っている。

しかし、手紙やハガキをすこし復活させてはどうか知らんと、おそろしく筆まめな志賀直哉の書簡集にすこし惘れ気味に感心していた。さ、どうなることか。

 

* やはり当面、「心」に触れて下さった方には、お返事したくなる。今朝は、あらためて一通書き直した。

 

* (前略) 心を「全否定」などしては、人間、社会生活も思索生活も出来ず、 死なねばなりません。バグワンも仏陀も老子もダルマも、心の働きそのものを否認していませんし、私も。

只、「心」一字の中の、マインド(分別・思考)サイコ(心理)への偏重が、いわば過剰な追従が、人間の魂(ハート)や身体を如何にしばしば、如何に多く損ない、生活や行動をミスリードしているのかへの体験的な深い厳しい反省を欠いては、人間も社会も、学問や政治をも、不幸な偏りや脱線や不都合へ導くのは、現に導いている事実・ 現実は、明瞭に認められますし、また不幸にして人間にだけある、混迷の有様です。

いかに多く、私をも含め「心定まらない」「心定め得ない」人や例に、この世間、溢れていますことか。刻々に、分別にも心理的にも安定を欠き動揺を重ねていながら、なんとか心静かにと己が舵取りに心労を重ねています。そんな頼るに頼りがたい「心」という「分別・思考」「心理」への、謙遜な反省を欠いた「全肯定」にこそ、人生の巨大な問題があるのでは、と。

さればこそ、よく生きたいと願う人ほど、「無心や静寂」を自身や他者の上に切に願ってきたのではないでしょうか。

不備ながら、怱卒ながら、当座のご返事だけとさせて下さい。なにしろ此の歳になって尚私も不束な「途上の独白」に右往左往している最中です。恥ずかしながら。

今後とも、どうぞご示教を得られますように。お元気で。取り急ぎ。 不一

平成二十三年七月六日        秦恒平

 

☆ 梅雨明けがとうに済んでしまうような猛暑の日がつづきます。

過日は、『湖(うみ)の本』107-8 『バグワンと私』上下を御恵贈賜り、厚く御礼申し上げます。

バグワン・シュリ・ラジニーシ」 の名は大分前に聞いたことがありますが、素通りしていった憶えがあります。

「心の問題と心言葉」で、いかに「こころ」の言葉が多く、安易に使われているか、得心。また、腰の悪い小生が正座ができず、元禄の頃から(正座というモノが)日常的になったという御指摘に、今更乍ら安心しています。

毎晩、就寝前にバグワンを音読しつづけている事にも感嘆しています。

「下」の「私語の刻」の東日本激甚災害への「菅内閣の支持」は、自民党の過去の罪却に憤激しつつ、それにしても今の内閣の有様にいいようのないモドカシサを感じています。

五万枚を整理した読者の御努力にも感激しました。      大手出版部長

 

* よく読んで下さり、有り難し。

この最後の一行「五万枚を整理した読者の御努力にも感激しました。」に、頭を下げる。この読者のして下さったことは、口先の「ごあいさつ」で出来ることではない、数万枚を書いた私自身でもとても出来なかった。身の幸、思うべし。わたしからは、ほんとうに何のお返しも御礼もできない、街で道で出会っても顔も覚えているかどうか、あっさり行き過ぎてしまうだろう。

2011 7・6 118

 

 

* 所用を気に掛けながら、二日間見遁していた北大路欣哉の「子連れ狼」を今朝は観た。国家での仰山で純真を欠いた、私心まるだしの喚きから離れ、この連続ドラマはわたしの魂に触れて粛然とさせる。作がうまいのへたのという問題ではない、拝一刀の「冥府魔道」という道行に最も心惹かれて、わたしは剣とも刺客ともなんら関わりないけれど、彼の無心と静寂とに叶う限り同行したいと願うのである。或る意味、私の歩んできた七十余年歩みそのものも「冥府魔道」の道行であった。それを暗くも威くも解釈していない。道徳だの正義だのといったラチもない俗信を離れて離れて慌てず歩いて行くということ。

今回下巻の六十二頁から六十九頁までのバグワンの言葉は、厳しい。「人格の第一の層」「形式や社交の層」つまりは心の籠もらない「ごあいさつ」で世渡りしている者たち。そして第二の「役割ケ゜ーム」に奔命するだけの人たち。

だが、バグワンは、わたしもと言っておくが、「ごあいさつ」という働きの効用や、「役割を分担」する働きや効用をなんら全否定などしていない。それにはそれの潤滑油としての、また義務や責任という働きが有る。

ただ、それだけで、「あいさつ」だけで、「役割」や「肩書」だけでしか生活していない人間の薄さや軽さや至らなさは覆いがたいとバグワンは見遁さないのである。

2011 7・6 118

 

 

* さ、働こう。それがわたしの禅のようだ。そうだ、美しい無数の音楽にも聴きながら。

 

* いま、「光塵」ということばがわたしの中に生まれている。多くの中で、つぎの「仕事」の題になるだろう。

2011 7・6 118

 

 

☆ 『バグワンと私』下巻をありがとうございました。上巻を読み終え、またせ私の仲で整理はできませんけれど、ー死の間近でー思うことの多い内容でした。下巻ともども、何度も読み返させていただくと存じます。  ペン会員 作家

 

* 嬉しいです。

2011 7・7 118

 

 

 

* 妻と、遅い晩飯を近所のフランス田舎料理の旨い店でした。赤いワインで。今日は妻の手までたくさん借りた。

帰ってからまた根をつめた。もう十一時、限界だ。ずうっとJazピアノを背中で聴いていた。励まされるように。

2011 7・7 118

 

 

☆ ご丁寧なおたよりをいただき恐縮致しております。いつも御本といっしょに、お心のこもったひとことをいただきながら 御礼のご返事もさし上げずにいて心苦しく存じておりました。

仙台市内は表面上は平常に戻ったように見えますが 少し海岸沿の方に出ますとまだまだ復興には時間がかかりそうです。

原発は、たとえ事故がなくとも最終廃棄物の処分がほぼ不可能である以上、決して運用すべきでないと思っていおります。

季節柄、どうか御身お大切に。   大学学長

2011 7・11 118

 

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 二十五年間のご継続、おめでとうございます。

今日の状況で、継続ということ、発言し続けるということの 貴重さを実感しております。

益々のご健筆をお祈り申し上げます。   中央公論社編集者

 

* 有難う存じます。

2011 7・13 118

 

 

* 下巻の『バグワンと私』を読み返していて、真実、バグワンという人の深さと端的な透徹に敬意を覚えずにいられなかった。下巻ではじかにバグワンが多く語っているのが、読者にうまく伝わるか知らんと案じていたが、妻など、下巻が圧倒的に佳いと言う。読み返していて納得した。続きを、つまり2007年からの『バグワンと私』もと言ってもらえると、嬉しくなる。それはまた、いつかのこと。

2011 7・20 118

 

 

☆ メールありがとうございます。+お願い

秦恒平先生  突然のメールに、お返事を戴くことができ、とてもうれしいです。

また、先生がお元気そうで安堵しております。

まずはお返事に御礼申し上げます。

 

先生の力強い励ましのお言葉に、元気を戴きました。

(駅のホームでお手紙を拝見しながら、不覚にも涙を流してしまいました…)

これから先、先生の力をお借りすることがあるかも知れませんが、どうかお許し願いたいと存じます。

先生のお書きになった、「東工大「作家」教授の幸福」「青春短歌大学」というご本を、ぜひ読ませて戴きたいです。ご厚意に思い切り甘えるようで心苦しいのですが、お送りいただけると幸甚です。

連絡先は以下になります。

 

誕生日に友人からいただいた紅茶葉をつかって、今日はアイスティを淹れてみました。

こういう余裕をしばし忘れていた気がします。

毎日が日曜日なら、すこしは世間も丸くなるのかな、と考えたりします。

それでは、何卒よろしくお願い申し上げます。お体にはお気をつけくださいね。  彰

2011 7・24 118

 

 

* 四日間かけて書きましたというお手紙を、地元の、元図書館長さんから頂戴した。病気をされ怪我をされ、日々のご不自由などもあわせ、この数年、十数年の過ぎ越しを淡々と書いて下さっている。年の程は、わたしとほぼ変わらぬ方である。どうぞお大切にと切に願う、またわたし自身も要心あらねばなりません。

 

* わたしの場合、外での職掌を、強引というよりいささか非礼なほど強引に退かせてもらって、ほんとうによかった。続けたらよいととも耳にしていたが、バグワンの奨めにしたがい、無用のことは「落とし」て行きたかった。団体や組織とのご縁は落としていいうちの先立つもの。何の負担もないが日中文化交流協会の会員も、いまの中国を観ていると、落とす潮時だろう。

それよりも、家での、機械での仕事(「仕事」という時は、家事・用事ではない。)からも、相当多くを「落として」いい、「落とさねば」と思うあれこれが多い。デスクトップに犇めいているものから、情け容赦なく落としてイイ全部を整理したいといつも願いながら、これが一番難しい。創作、湖の本、日乗、「 e – 文藝館= 湖(umi)」そして読書。……Oh 躊躇無く遠慮無く、湖の本の刊行作業と「 e-文藝館= 湖(umi)」の充実とが任せられる力あるセンスもある人材がそばにいたらなあ…。

 

* 永い間、両手両脚を大車輪にふりまわすようにやって来た。我ながら見苦しいほどだった。さだめというもの。そう感じていたし悔いてなどいない。

ただ一つ。これが、わたしの自然な「行為」であったか、無用の「行動」であったのか、たえずバグワンのまえでわたしは問いまた問われてきた。バグワンは「行為」せよ、「行動」するなと、厳しく言う。じつは不勉強なわたしはバグワンの「行為」と「行動」とがどんな原語から翻訳されているのかも、知りたい気がありながら、知らないのである。それでいて、わたしは「行為」してきたか、「行動」に過ぎなくて大混乱していたのか、日増しに身に痛く問わねば済まぬところへ追われ来ている。

 

* この自問に触れてわたしは、ながらく自身の仕事を、妙な物言いながら「作業禅」と謂い、かつ言い逃れていたと自覚している。この日乗にアクセスして下さる方には、禅の方もそうでないがお坊さんも基督教の方もおいでなのを知っている。そういう方たちが、どう、わたしの曰くを聴いておられたかも気に掛けてきた。だが、人様の思わくでなく、わたし自身がもういちどバグワンにもよく聴きながら問い返さねば済まない。

2011 7・29 118

 

 

* 源氏物語は「常夏」巻を経過していて、栄花物語は道長の出家と仏門へのはなやかな寄与が華麗に書かれている。

その一方で近藤富枝さんの『紫式部の恋』をもう読み上げようとしていて、これは快筆の快冊、縦横無尽に、書くべきはみんな書いてあり、自信に溢れた筆致である。どうやら、これほど周到に紫式部と源氏物語とを語り抜いていながら、意図してであろうか、紫式部集の大尾をしめくくる「加賀少納言」の存在には触れずじまいに事終えてあるようだ。

家集の末尾を飾る歌は、自身かあるいはことに著明な人の歌で終わるのが普通だが、「紫式部集」に限って加賀少納言という、今もって誰と確定も推定もされ得ていない女房らしき人の歌で締めくくられている。わたしはその不思議を『加賀少納言』という小説に書いていて、近藤さんは読まれている。読まれたあと、小さな個所での、人物の衣裳での助言をもらっている。

近藤さん、「加賀少納言」にどう触れられるかと思っていた。触れておられないようだ。

ちなみにこのわたしの小説、ロシア語に翻訳されている。    2011 7・29 118

 

 

* 公式ホームページに対し、重大な侵害がまたしても為されてきたことを記録し、厳重に抗議する。

 

今朝、秦建日子を通じて、サーバー から次のように連絡が来た。

 

このサーバーとは、裁判中も十二分の協力関係を保ち、むりな註文もよく聴いてきた。しかも、サーバーは、係争中であるので「判決」を待ち、それに従いますという約束であった。弁護士からもそう聴いていた。

 

ところが、何の話し合いも熟慮期間もなしに、いきなり、下記のように通知してきた。

 

★ From: <no-reply@l

日付: 2011年7 月29日15:35

件名: 【】運営しているウェブサイトについて

 

秦様

 

平素はレンタルサーバーをご利用いただき誠にありがとうございます。

 

さて、今回連絡させていただいたのは【http://umi-no-hon.officeblue.jp/】の

アドレスで公開されているウェブサイトについてです。

 

独自ドメイン【officeblue.jp 】でご利用いただいているサーバ上のウェブサイトにおいて、権利を侵害する内容があるとして、

侵害情報の削除依頼がございました。

 

弊社において内容を確認したところ、利用規約に違反する内容が確認できたため、利用規約第9条に基づき、該当情報がある

以下のファイルについて表示することができないように措置を行いました。

 

① ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/emag/data/hata-kouhei17.html

② ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/e_umi _essay39.htm

③ ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/yamana10.htm

④ ● http://umi-no-hon.officeblue.jp/koppe0-1.html

 

 

上記のファイルは現在お客様にて操作することができないようにいたしております。

 

そのため、お客様にて編集や削除を行う場合は、お手数ですがご対応内容をご記載の上、以下のお問い合わせフォームよりご連絡をお願いいたします。

 

尚、利用規約違反につきましては、サービスの利用停止ならびに契約解除事由となります。

 

今後のご利用につきましては、利用規約に沿ったご利用を行っていただきますようお願い申しあげます。

 

 

* 改善要望も熟慮期間も具体的指摘も何一つなく、いきなり「消した」という通告であり 挙げられているのは、

 

② は、電子版湖の本エッセイ39「かくのごとき、死」で、

①は、「 e-文藝館= 湖(umi)」に掲載の秦恒平作・愛孫挽歌の「かくのごとき、死」で、

③は、創作欄 長篇としての「かくのごとき、死」であり、

④にいたっては、奥野秀樹作『私小説』として発表されており、その内容も、裁判の判決とは明らかに局外、原告の押村夫妻とは無縁の「奥野秀樹」による私小説仕立てのフィクションである。

 

六月末地裁判決主文は、作品「かくのごとき、死」について、、『4 被告は,別紙目録4 記載の書籍のうち,別紙名誉毀損関係一覧表4 -1 ,4 -2 及び4 -3 の「表現」欄記載の各記述部分,別紙名誉感情関係一覧表4 - 1,4 -2 及び4 -3 の「表現」欄記載の各記述部分並びに別紙著作権(複製権)関係一覧表2 -1 ,2 -2 及び2 -3 の「かくのごとき,死(甲4 )」欄記載の各記述部分を削除しない限り,同書籍を出版又は頒布してはならない。』と書かれている。

 

この判決文は、この前項の「聖家族」について判決されたのと明白に異なり、「インターネット上のウェブページへの掲載などの方法により、公開又は閲覧に供すること」を、当判決主文は、全く「否定・否認していない」のである。わたしは此の判決に従い、「記述部分の削除はせず」、その代わり、当判決より以降、本文そのままで「同書籍を出版又は頒布」することはしないと応えている。いわゆる「紙の本」として再版・出版はしない、しかし、「2」項の『聖家族」判決文とは判決内容が明白に異っていることを、確認している。判決文は、書かれている以上にも以下にも読まずに受け入れることと担当の牧野弁護士からも教えられている。

 

* いずれにせよ、サーバーは、通知一片でこれらを待ったなしに一挙にホームページから消し去る暴挙を敢えてしているのは無道と言わねばならない。裁判の判決に従うと言いながら、著作権を斯くもやすやす侵害する権利をサーバーは許されているのか。

2011 7・30 118

 

 

* 捜し物は見付からず、それなのに我ながら面白いと思う書き置きの古証文がどっさどっさ現れる。紙屑になる寸前だが、みなまともに書いている原稿の類で、何処かへ活かしたか、放り出されていたのか記憶は容易に辿れない。割り切って謂えば荀子が曰く、解くべき「蔽」の類と思い捨てたがいい。

 

* なんだか割り切れない気分があり、すこし遊んでみよう、ただし自分で遊びきれないのが口惜しいけれど。

 

さて此処に、 大円に三角形が一つ内接している。その三角形にも小円(乙)が一つ内接している。また中(甲)小(丙)の二つの円が、同じ三角形の外・大円の内に接している。

そして甲乙丙三つの円の直径が、それぞれ甲は四十九寸、乙は二十八寸、丙が十七寸と判っていて、さて外大円の直径は「幾何(いくばく)ぞ。」

算題はこのように問うている。易しそうに思える。敬愛する最上徳内自身は「帰除術」で解いたというのだが、これが如何な術か、算盤を使った割算かとも辞書では引いてみたが、結局解法は見当もつかない。徳内さんの伝記著者も歯が立たなかったようだが、何に拠ったか、正解は「***寸」と挙げ、参考に、現代風の算法に直して、「読者・この算式に数値を代置し計算して御覧ぜよ」と興に入っていた。

 

 

 

私にもそれ位は出来る。で、試みたが、とんでもない答になる。幾度計算してもいけなかった。仕方なく、数学は現役の高校生にも負けない気の妻にからかい気味に手渡してみると、原題からは証明できなかったが、掲げられた参考の算式のミス、おそらく誤植はあっさり見つけてくれた。B式の一マイナス記号を、そうではなく、値の大の側から小の側をマイナスすべき(~)記号に替えれはよい。ピタリ正解へ導ける。

「えらいッ」と褒めあげたが、女房殿も最上徳内が解いている原題に算段はどうしても立たない。取りつく島がない。

「これ、どういうことなの」と妻は呆れ、私も笑い出した。  小説『北の時代』より

 

* 十数年前の東工大大教室で、毎年、この算題を出して、数学得意の学生諸君を挑発した。四年間で正解をもたらした学生は十人に満たなかった。その解式も二人と同じものがなく、長い解の学生はレポート用紙を何枚も使っていたが、いちばん短いのは美しいほど短かった。中国か台湾からの留学生だったと思う。

最上徳内は都内に今もある神社にこの算題を奉納し、当時の好き者たちを挑発した。そういうことが流行っていて、数学は当時のかなり上等の趣味であった。

 

* さて、何ほどのことや有ると思われる方、解いてみませんか。わたしは正解だけは知っている。

2011 8・6 119

 

 

☆ 7月に、ノウコウソクで倒れ 救急入院して1ヶ月が経過しましたが 左半身不随のまま リハビリを受けています 元気だけがとりえの小生でしたが 今は弱っています。「 湖の本」  次回からお断りしますと先日郵便振替にかきましたが、長い間ありがとうございました。益々御活躍とご自愛の程を。   茅野市 圭

 

* 小学校五年から今日まで、最も永い親交の友の、いたいたしく乱れたハガキの書字に泣かされた。どちらかというとわたしの方が大きいか知れないのに、彼は野球をするときは決まって捕手だった。勇気も元気もあった。中学ではことに仲よしだった。高校もいっしょだった。結婚後にもずうっと交際がつづき、太宰賞を貰ったときは、お祝いに、彼が結婚したさきの大きな商いである「金銀象嵌」のカフスやネクタイピンを贈って呉れたりした。湖の本を始めてからも、ずうっと欠かさぬ有り難い読者でありつづけてくれた。奥さんと二人で京都を離れ、蓼科にプチホテルを営み、わたしたちも一度二度訪れたときも、それは親切に歓待してくれた。

彼自身も言うとおり元気のシンボルのような少年から老年であった彼が、病魔に弱るとは、なんという不運だろう。

 

* ほぼ同年の病気になったり亡くなったりをこの一両年何度も聞かねばならなかった。重森  、大森正一、堤 子に死なれ、重く病んでいる、入院していたなどという報せが過酷につづく。平安なれと、こころより願う。

2011 8・9 119

 

 

* 名大に永くおられた山下宏明先生の能と平家物語のご論攷を「 e-文藝館= 湖(umi)」の招待席に頂戴した。「御論文より學恩に浴しました」などとご挨拶頂いて恐縮。単行本にも「 湖(うみ)の本」 にもした『能の平家物語』を仰って頂いているなら、いっそう恐縮です。むかし一度、平家物語をめぐってラジオで対談させて頂いたことがあり、「 湖(うみ)の本」 の有り難い継続の読者でもあった。

「 e-文藝館= 湖(umi)」の「古典」の部屋、広範囲に、論攷・鑑賞ともに時代を追って「楽しさ」を豊かに拡充したい。大勢の研究者との久しいお付き合いが生きてくるのを記念としても喜びたい。

2011 8・9 119

 

 

* ふと寝そびれ、四時半に二階へ上がった。仕掛かりの仕事は、幾口もあり、少し急ぎのメールの用もあった。夜中に届いていたメールもあった。

 

☆ 「青春短歌大学」読みました。  卒業生

秦恒平先生  こんにちは。

就職活動と勉強との合間を縫って、氷枕の上に横になりながら、美味しいお酒を戴くように、すこしずつ「青春短歌大学」の上下巻を読み終えたところです。

38歳の今より、20歳のかつての自分のほうが、正解数は多分多かったような気がします…。

なんとなく、自分の感性も鈍ってしまったのか、それとも雑然とした物事をいろいろと憶えすぎてしまったのか…。原因はそのあたりだろうと思いますが。

読んでいくうちに、いつの間にか手許にあった付箋を貼り付けていた場所が、3 カ所ありました。

 

雲は夏あつけらかんとして空に浮いて悔いなく君を愛してしまへり    柏木 茂

 

ばさばさに乾いていく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな

しなやかさを失ったのはどちらなのか 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ    茨木 のり子

 

あとのもうひとつは、伊藤整さんの『病む父』です。

 

(中略)

 

取り敢えず、種々の暑苦しさに負けないで、生きることを頑張る日々です。

現在は「東工大「作家」教授の幸福」を読んでおります。

先生に戴いた「追う」ということばの意味を探しながら、また少しずつ、味わせて戴いております。

夏休みは溜まった本を読みつつ過ごそうと思います。

もし先生がご負担でなければ、感想をお送りいたしたいと思っております。

酷暑が続きますね。どうかお体にお気をつけください。

 

* 悪戦苦闘している人たちの多さ。ひとごとではないのだけれど。

2011 8・11 119

 

 

☆ 残暑お見舞い申し上げます。  日本文藝家協会理事・作家

いつも御著をお送りいただきありがとうございます。御礼も申し上げず、たいへん失礼いたしております。申し訳ありません。

それにしても原発事故と放射能禍はひどいですね。もう脱原発しかないと思います。

日本ペンもひどいと思いますが! 秦さんは理事を辞められたのですね。残念です。残っていただければよかたのに。不一

 

* 元はペンの理事会で席を並べていた方だが、阿刀田会長に代わると、出て見えなくなった。わたしも阿刀田氏の二期めに入ると断然理事会に出ないと決め、そのまま押し切るように辞めた。時代と体制へ、烈々の批判、文学者団体としての反骨をなんだか骨抜きされてゆくペンクラブに、もう用はなかった。「 ペン電子文藝館」 を創設し、ペンのホームページを立ち上げ、電子メディア委員会を創設した。六期十二年の理事生活で果たしたわたしの仕事は今も生きている。足りている。言論表現委員会に、入会以来連続して二十年余も委員として無欠席だったことも思い出に残る。猪瀬直樹との久しかったコンビが今は懐かしい。そして、雫ほどの未練もなく身軽になれて嬉しい。

2011 8・13 119

 

 

* 「人間」ととかく謂うけれど、一応は女と男とで。男の女も、女の男も、性の無いのすらも、一応は承知しているが、わたしは人類学者ではない、男と女とで足りていて、それどころか有り余っている。興味は尽きない。

わたしは道徳家でありたいと願ったことのない一人である。

それより、本当に良き叛逆者でありたい、時代や社会や国や制度の枠組にしつように指令を擦り込まれ飼い慣らされた存在では、極力、いたくない。

それだから、孤独を懼れてはいられない。孤立をすら強いられても根限り堪えようと思っている。力尽きたら自らおさらばする元気だけを保存しておきたい。どうころんでも、この悪しき政治経済社会とても、男と女の社会に違いないし、創作者にはたとえ乏しくても想像力が生きている。男でも女でも創り出せる。恋愛も性愛も迸るほどに描ける。出版社会はもう叛逆者のわたしを受け入れてくれまいが、幸い「書く」ことは出来る。それで「書いて」いる。さあどうか、「 湖(うみ)の本」 で刊行できるだろうか。「 e-文藝館= 湖(umi)」に公表できるだろうか。できる・できないは、問題外。

書き上げておくことだ。わたしにはもう夏休みも冬休みもない。 2011 8・25 119

 

 

* さ、「 湖(うみ)の本」 の新刊編輯に取り組んで行く。量が溢れているので、紙の本としての刊行と並行して電子版「 湖(うみ)の本」 の積み上げにもちからを入れて行く。むろん新たな創作が二三並行して進んでいる。スキャナーでの援軍がかなり期待できるので、「 e-文藝館= 湖(umi)」充実に、「秦恒平・参考文献集纂」も。

 

* その為にも、やはり健康の回復は願わしいのだが。

2011 9・14 120

 

 

* 「作家・秦恒平の文学と生活」=「公式ホームページ」のURL を、向後、

http://hanaha-hannari.jp/

とする。「総目次」もこの際、より分かりよく整備して行く。

従来の、

http://umi-no-hon.officebllue.jp/

には悪意の被害があらわれ、今後も危ぶまれるので、現状を維持しつつ、より無難な「活用」をこころがける。

 

* ホームページは、私の文学・文藝活動の有力な基盤として創設十五年来多彩に働いている。妨害に臆することなくバックアップ対策も慎重に重ね重ね講じながら、いっそう充実を図って行く。

 

「作家・秦恒平の新作」

「宗遠日乗  闇に言い置く私語の刻」 平成十年三月以降日々、本日まで数万枚。ジャンルに応じ次々編輯刊行されている。

「電子版・湖(うみ)の本」  創作・エッセイ 「清経入水」「蘇我殿幻想」以降、現在第百八巻「バグワンと私」まで。以降も継続。

「作家・秦恒平 全創作・著作・発言集成 年譜その他」

「作家・秦恒平 参考文献集纂」

「作家・秦恒平責任編輯 e-文藝館= 湖(umi)」 古典・幕末以来平成まで作家・詩人・批評家等、文豪より新人まですでに五百人・六百作に及ぶ大読書館。日々充実を加えている。

2011 9・20 120

 

 

* さて湖の本のおそおそに遅れている入稿を急がねば成らず、また人様の知恵を借りに用件を抱えて歩かねばならない。ねばならないことの幾つもあるのは恥ずかしいことだが、放っておきも成らない。体調を健康に元へ戻すことも用件の大きな一つであるが。

2011 9・21 120

 

 

☆ 秦先生、名古屋は台風一過の青空とはならず、午後ようやく晴れてきました。

でも、爽やかになり、ほっとしているところです。

けさ、『湖の本』が届きました。芸術新聞社刊行の『秋萩帖』、拝受。ありがとうございます。

『湖の本』の「秋萩帖」と読み比べるのも楽しいと、わくわくしています。

今月は時間に追われる慌ただしい毎日を過ごしていますので(なにしろ仕事を捌くのが遅いので)、落ち着いてゆっくり読む日を楽しみにしています。(少しずつ楽しむことができず、読み出したら止められないのです。)午後、誌代(5000円)入金いたしましたのでご確認下さい。

秋は白。色無き風。まさに体感できました。

秋風と共に、先生の体調が整ってくること確信いたしております。でも、病院嫌いと、ご無理、なんとかならないものでしょうか。 珊

2011 9・22 120

 

 

* 明日、思い切って「湖(うみ)の本」新刊分通算第109巻を、ぶっつけに入稿する。

2011 9・24 120

 

 

* 昼過ぎ、鎮痛剤一錠のんだ。痛みがなければ、もう普通に近い。全身に活気が帰ってきてはいないという程度。「湖(うみ)の本」の通算109巻を入稿した。ゲラの段階で、組み付けに少し、いやかなり、工夫を要するか。

2011 9・25 120

 

 

* 「湖(うみ)の本」通算109巻の棒組初校が出てきた。ちょっと手を掛けて「組み付け」ねば成らないが、手はもう付けている。根気よく、少し大胆にするしかない。

2011 9・30 120

 

 

* いましも妻は懸命に「秦恒平参考文献・輯」に連日連夜取り組んでくれている。「論攷」「書評」「批評」「世評・アナウンス」に分類して、保存してきた限りを電子化してくれているところだが、その総量の多いこと多いこと、出てくるわくるわの何というか「頼もしさ」に、妻はスキャンし、校正して読み、或る意味で楽しんでさえいてくれるようだ。まだ、百の一つにも当たらないほどで、「湖(うみ)の本」創刊以前の、以後も含めて、どんなふうに秦恒平の創作・著作・人間が批評され観察されていたかがこわいほど覿面に読み取れてくる。有り難いことだ。

今日はたまたま見つけた「古典遺産」№33という1982.10月の雑誌巻頭で、「座談会・秦恒平著『風の奏で』を読む」という長篇を手渡しておいたら、興がわいたか直ぐさまスキャンし、一通りの校正までしてくれた。平家物語研究者として知られた今はない梶原正昭教授をはじめ加美宏、小林保治教授三人で、わたしの小説を専門の研究者・学者の立場から大量に読み合わせてもらっている。

おそらくわたしの熱心な読者でもこんな文献には目も触れたことないだろう。表題などのデータだけでなく、出来る限り本文内容も読んで貰えるように用意しているが、なにより総量の多さにわたし自身が仰天している。嬉しい悲鳴である。

 

* なにをどう疲れたのか、夕食後の六時半過ぎから真夜中の日付の変わる間際まで熟睡していた。枕で抑えるためもあるが、少し左に頭痛が出ているが、堪えられぬ程ではない。起きあがって、ふっと手を触れた資料棚の一皿に、ちょうど手をかけはじめた「湖(うみ)の本」新刊分の支えになる、昔の歌帖数冊がもののしたから出てきたのも心強い。

2011 9・30 120

 

 

* 「座談会・秦恒平著『風の奏で』を読む」を、「 e-文藝館= 湖(umi)」の「論攷」室に入れようと校正し始めたが、ずいぶん昔の作なのに、作者のわたし自身がワクワクしてしまい、校正しづらいほどアガッテしまう。

その一方で今度の「 湖(うみ)の本」 は、校正というより思い切った組み付けを試みているが、さ、これがどうなるやら、再校の出を予想して初校を戻さぬ今から、ドキドキはらはらしている。もう、後半部へ移って、後半の校正は容易く進んでいるけれど。

もういつしかに聖路加予約の次の診察日が来る。人間ドックにと妻は強硬で、診察について行くと謂うが、そんなモノやコトに「逮捕」されてしまうのは全く本意でない。どうにかして仕事を前へ前へ運びたいのです。やれやれ。

 

* 腹痛は避けたい、人サマにも心配をかけてしまう。今夜ももう休むことを考えよう。

2011 10・2 121

 

 

* 在野と謂うのは語弊もあるが、いわゆる文壇的な場でないところで着実に佳い仕事をのこされていた、また私的にお付き合いがあって敬意も親愛も覚えていた今は亡き小説家として、順不同に、三原誠さん、門脇照男さん、倉持正夫さんの三人を忘れたことがない。その中の、門脇さんに戴いている『狐火』という短編小説集を読み返しているが、えもいわれず「読まされる」嬉しさをここ毎日重ねている。四国でながく教員をつとめられた。

便りが途切れたなと淋しかったら、人づてに亡くなっていたと知った。「 e-文藝館= 湖(umi)」にも「 ペン電子文藝館」 にもことに愛した作を二つ三つ「招待」してあるが、この一冊からも、もう二、三ぜひ遺し伝えたい作があると喜んでいる。

東京で学ばれ四国に帰られたようだ、ただ一度だけ池袋の天麩羅の店で食事しながら話した。ときたま神田あたりへ本を買い出しに上京しますと聞いたが、文学への熱い願いや意欲を終生抱きしめておられたと想像できる。上林暁ないしは徳田秋声につながる風味の私小説の、そう、「名手」であったと思う。おそらく亡くなるときまで、わたしの「 湖(うみ)の本」 の熱い支持者でもあった。共感や声援を送って頂いた。わたしより幾らか年長であったと思う。いま、『狐火』の十作余に心より親しんでいる。砂子屋書房の本でこれが三乃至四冊めの最期の出版であったろうか、自費出版であったろうと想われる。

三原誠さん、倉持正夫さんの、やはり生涯を在野の「文学者」として過ごされた著書も読み返したい。この二人は関東また東京に住まわれていたのに、会うということは一度も無くて死なれてしまった。

2011 10・4 121

 

 

* ほぼ三十年にもなるだろう、「平家物語の成立」そのものを「まるで主人公」のように書いた長編小説『風の奏で』 (「歴史と文学」に二分載、文藝春秋刊、「 湖(うみ)の本」 ⑱⑲) を、軍記研究の当時錚々たる専門家三人が研究雑誌「 古典遺産」の巻頭座談会のかたちで、精微にといえるほど批評して下さっていた文献を、いまごろ有り難く読み進んでいて、ちょっと息苦しくなるほど有り難く、また昂奮させて貰っている。

一作家の想像のままに、平家滅亡後の時代と昭和の現代とを大胆に跨いだフィクションであった。

いまでもよく憶えているがとにもかくにもわたしの小説は「難しい」と読者を歎かせがちで、当時ある読者はあんまり腹が立って文春版の単行本を壁に叩き付けましたとわたしに言ったこともあった、だが、幸いにもその読者はそのまま「熱狂的」と自身でも言い振る舞うほどの愛読者の一人になってくれた。

わたしの悪癖かもしれない、中村光夫先生のことばを思い出せば「病気」とでも思ってらしたと想われるが、小説を書いて何かを「論証ないし構想」したがるタチの小説家であった。一つの小説に、二つも三つもの物語を、とほうもなく時代を隔てて一つに創って行きたがった。永年の読者でいて下さる人ならたちどころに、あれもこれもそれもどれもと題を挙げられるだろう。人殺しなどの推理小説は書かないが、歴史の時空を透きに飛翔して推理小説を楽しむようになにかしらを構想したり論証したりするのが「作風」と謂えるほど「好き」なたちであった。

だが、今にして想うとあれは物凄いほど根気と集中力の必要な粘り仕事で、気を抜く余地が無かった。抜くとガタガタに成りかねない。

じつを謂うと、時代もまさしく平家物語の時代を追いかけながら、わたしはもう五六年前からまたそういう小説を書こうとして書き継いできた、が、むろんわたし自身の衰えが蔽いようもないのだけれど、なにしろまるまる五年の余も、どう避けようもなく仕掛けられた不幸な孫の死や「裁判」沙汰に日常生活をずたずたに寸断され、その方に掛けざるを得なかった紙筆や対応の労は途方もなかった。その小説世界や材料にどんなに興味を覚えていても、手も付けられず、遅々、遅々とわずかな隙間のような時間を求めては書き足し読み返しまた書き足しながら、「いい読者」たちをこころよく挑発し続けるほどの工夫や筆致に、「コト欠き」続けてきた。

いま、ようやっと、少しずつどうにか前へと切望しながら、それさえも裁判そのものは結審し判決も出、すべての必要を全部満たし終えてなお帯状疱疹に一月、一月半も痛みをこらえ、半ばは寝て暮らすような今のありさまである。

しかし、それは要するに書き手としては愚痴にすぎぬ。とにかくも裁判は終えたではないかと、わたしは自分で自分に言い聞かせて、ようやく集中できる時機を迎えたのだからと我が身を励ましている。

そんなとき、三十年も昔の、梶原正昭さん、加美宏さん、小林保治さん三人の座談会「秦恒平著『風の奏で』を読む」にわたしは鞭打たれ励まされている。梶原さんは亡くなられたが、また作中にも登場して頂いたT博士もM教授もとうに亡くなって仕舞われたけれど、細くなった弱くなった気力と体力とを振り絞りたいと願っている。「題」は謂えない、分かる人には題材のロマンの何かが分かってしまい、それでは面白くない。願わくはせめて二三年の寿命が欲しい。

座談会記事の方は、もう数日の内にも、「 e-文藝館= 湖(umi)」の「論攷」室に展示させてもらえる。

2011 10・10 121

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 の前半分の再校ゲラが届いていた。メールは、なし。さ、あすから、心機一転の「仕事」に。

2011 10・14 121

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 の前半再校出にもとづき、大幅の組み替えを検討した。活字時代ならたいへんな暴挙だ。いまなら謝っていくらかゆるしてもらえる。作業は、わきめもふらずやっても、かなり質的にもシンドイ。頭の中になんとか清い自然な風か吹いていてくれないと、質的な検討や路線変更はシンドい。

明日もう一日がんばってみて、週明けには頭の風を入れ替えに行きたいぐらい。やすみやすみでないと、まだ疲労を溜め込みそう。仲秋にしてまだ夏バテを引きずっていてはサマにならない。

「 湖(うみ)の本」 は遅くも来月中に出したい。『バグワンと私』下巻を桜桃忌に出したのだから、こんなに間の空いたことはない。ただし桜桃忌までに今年の前半に三冊出したという、それも無かったこと。年の後半は、ゆっくりと一冊出せばいいとはハナからの計画だった。狼狽えることは無い。

 

* 八時だが、やや疲れを覚えるので、機械の前から離れる。今日は、機械まわりの窮屈なかぎりの場所で大きなゲラをめくり続けていて、それも堪えた。 数日前に栓を抜いた白いワインがうまかった。すぐ無くなったが、同じのが冷蔵庫にあればいいが。

2011 10・15 121

 

 

* また「仕事」に戻って、前へ進んだ。明日の日曜、日のあるうちにメドを得たい。

2011 10・15 121

 

 

* さてさて、今日はむしむしと暑い日であった。元気であったとは言い難い、仕事に追い込まれていた。「 湖(うみ)の本」 ではかつてなく苦労している。それでも、およそ目当てまで漕ぎ着けた。

 

* ほかに何をする余力もない、休息する。

2011 10・16 121

 

 

* 朝一番に、印刷所へ、気がかりだった追加原稿を叮嚀に確認、ファイルで送り終えた。一つ肩の荷がおりた。さてわたくしの頁勘定が間違っていませんように。

2011 10・18 121

 

 

* とにもかくにも疲れを一掃したい。また本の発送に取り組まねば。

「一日 再び晨(あした)なり難し。時に及びて当に勉励すべし、歳月 人を待たず。」

2011 10・18 121

 

 

☆ 酒を飲む 二十首  陶淵明

 

余閑居して歓び寡く、兼ねて秋の夜

巳に長し、偶々名酒有り、夕べごと

に飲まざるは無し。影を顧みて獨り

尽し、忽焉として復た酔ふ。既に酔

ふの後、輒ち数句を題して自ら娯し

む。紙墨遂に多くして辞に詮次無し。

聊か故人に命じて之を書せしめて以

て歓笑と為すのみ。

 

其五                其の五

 

結廬在人境         廬を結んで人境に在り、

而無車馬喧         而も車馬の喧しき無し。

問君何能爾         君に問ふ何ぞ能く爾(しか)る、

心遠地自偏         心遠ければ地自(おのづか)ら偏たり。

採菊東離下         菊を東籬の下に採り、

悠然見南山         悠然として南山を見る。

山気日夕佳         山気 日夕佳なり、

飛鳥相與還         飛鳥 相與(あひとも)に還る。

此中有眞意         此の中に眞意有り、

欲辯已忘言         辯ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。

 

 

詩意 わが廬(いほり)は、深山の奥でもなく、矢張、人間の境に在るが、しかし喧しき車馬の声も聞こえない。そは、何故かといふに、我が心、世を厭離したから、たとび、喧境に居ても、偏僻の地も同様に思ふからで、何事も心の持ち様次第である。かくて秋の日東の籬の下に咲き匂ふ菊を折り、ふと首を挙ぐれば、ゆくりなくも、南山が目の前に見えた。その南山の山気は、朝夕翠にして、景色えもいはず、鳥は暮になれば自ら飛び還るので、あらゆる物は、その天性を得て、毫も係累なく、身、亦た其中に在れば、さながら、宇宙枢機の一端に接触したるが如く、かくて我、試み個中の眞意を述べむと欲するも、吾自ら眞意に入り、その言を忘却して、復た言ふことが出來ぬ。

余論  採菊の二句は、この詩の生命で、東坡は、之を解して「採菊の次、偶然山を見る、はじめより意を用ひずして、景、意と會す」といつた。即ち期せずして、天我契合の聖境に到達したので、田園詩人たる陶淵明の本領は、まさしく、此辺に在る。

 

 

* 詩は岩波文庫『陶淵明集』で幸田露伴・漆山又四郎に随い、詩意以下は『古文真寶新釈』前集で久保天髄に聴いた。

この詩を高校に入って漢文の教科書で読みまた習ったときの新鮮な感銘を、昨日のように忘れない。云うまでもない、「菊を東籬の下に採り、悠然として南山を見る。」「此の中に眞意有り、辯ぜんと欲して已(すで)に言を忘る。」に、肺腑を、こよない憧れと共に衝かれた。

以降数十年、思い屈する時にも日にもこの詩句に還ろうともがいてきた。

ティロパの歌う、バグワンのかたる「マハムドラー」を、陶詩はうたっていた。「期せずして、天我契合の聖境に到達し」ていたのだ。読者はわたしの「 湖(うみ)の本」 の裏表紙に、井口哲郎さんに刻して戴いて、「帰去来」三字の印してあるのをみられるであろう。

2011 10・21 121

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 新刊の、初校、再校、三校分が入り交じりに出そろってきた。思わず一息ついて、三校し再校しやがて初校分に目が届く。変則な組み付けだが、建て頁も思い通り行っていて、あとがきはこれからの仕事だが、うまくすると十一月末には送りだせるかも知れない。

わたしの根気と体力がいつまでもつか分からないが、一創作者として「くらき」に帰っていい心用意は、或る意味、今度のこの巻で小さな形を得るだろう。あとは、心残りなく成ろうかぎり小説へ立ち返りたいと願うが、どうしようもない心の邪魔が道の前に固まっている。所詮わがことでもわがためでもない。蹴飛ばしてしまいたい。

2011 10・26 121

 

 

* 校正はズンズン進んで、今晩のうちにひととおりは読み通せるだろう。となると、存外にトントンと運びそう。発送用意を手際よく急いでおくこと。

2011 10・26 121

 

 

* 明日は、「 湖(うみ)の本」 新刊のためのあとがきを書いて、表紙や後付と一緒に入稿の用意をしなくては。出掛けてみたいと思う先も有るのだが。寒くなってきたと、きつく咳込みながら感じる。帯状疱疹は退散したのではないようだ、そしてこのところ深夜の低血糖にも見舞われる。

だが、わたしはまだまだ「一瞬の好機」を願うことすら許されていない。しておかねばならぬことが、ある。

2011 10・27 121

 

 

* 気に掛けた仕事を終え、入稿。すこし心落ちつく。

2011 10・29 121

 

 

* 降ると聞いていたが、朝、晴れやか。

 

* 湖109の最終校正のためにゲラを持って街へ出た。坐れさえすれば、山手線を一周するだけでもはかどる。大きな駅だと改札を出なくても机の仕える飲み物・食べ物の店はある。一々改札の外へ出ない。そしてまた乗る。すこし勘定高くてズルイのだが、責了前の校正なら読むのが主だから、電車と喫茶室とでハカが行く。気を換えたければ街へ出て、 少し歩く。

東京駅で、ふかひれを使った麺の店を覚えていたので紹興酒と一緒に食べ、思い立って日比谷のクラブへ久しぶりに行ってみたくなった。相客がほとんどいなくて静か、ここではよく食べる蝸牛と、チーズの盛り合わせで、ブラントンを飲みながらさらに校正ゲラを読み進んだ。数寄屋橋センターの一階で二三買い物してから帰った。杖ついて、よほど老耄してみえるらしく、電車では何度でも席を譲って貰えた。有り難い。

しかし婦人物の売り場など通り抜けたりすると、若い女店員達におもわず嗤われていたりする。鏡に映るのを観てみると、嗤われて当たり前の妙な爺で、 少しメゲた。しかし、校正を読み始めると、なかなか高邁なことも書いているわいと独り慰めていたり。バカみたい。

2011 10・31 121

 

 

* すこしだがゆらり疲れている。本紙分の校正は終えたと思う。あとがきやつきもの・表紙が残っている。発送のための用意は、まだほとんど出来ていない。

2011 11・1 122

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 109の本紙部分を責了にした。あとがき、表紙、ツキモノだけが未校正。発送用意が進んでいない。なんとなく手が出ないでいる。

2011 11・2 122

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 はもう一度校正出来ることになった。とくに前半は、誤植の一つも無いようにしたい。かなり読者をおどろかせ、いや呆れさせるような一冊になりそうで、期待と心配とで歳末を迎えることになる。

2011 11・4 122

 

 

* 三校、まず朱字合わせした。あとは、もう一度徹底して読む。     2011 11・8 122

 

 

* 気が付くと、明け方の四時過ぎ。朝刊を配るバイクの音がしていた。夜前に、あのデビッド・リーンの名作映画「戦場に架ける橋」 に見入っていた。アレック・ギネス畢生の代表作だろうか、早川雪州もウイリフム・ホールデンもいい仕事で、弛みない劇的な劇映画、画面に「説明」がまじらず全てが繪として表現されていた。もう四度も五度も観てきたのに、面白かった。懐かしくもあった。

それから床に就いて本を読み始めた。十五冊。どれも面白い。案の定、角田博士の平安時代の「女」論攷が読ませる。

光源氏は、若い柏木を、ほとんど睨み殺してしまった。

おしまいにファンタジーを四種類、次々に。最後はトールキンの『指輪物語』、数百頁の大冊のもう頁は残り惜しくなっているのに読みやめられない。大冊がもう五冊つづくらしいが、その五冊は、明日明後日にもどこか街の書店へ買いに行かねばならない、あるいは図書館に借りに行かねば。

 

* なんとか指輪五十頁ほど残して読みやめたあと、「 湖(うみ)の本」 新刊の三校ゲラを読んだが、これもなかなかやめられず、四時過ぎと分かり、渋々電氣を消した。

明日、あとがきの再校が届く。全体の責了は間近い。ただし発送用意はまだ用事が残っている。二十五日金曜から送りだせる予定。 2011 11・9 122

 

 

* 本紙は、責了可能のところまで読んだ。夕方へかけ三時間ほども寝込んだ。寝ていると、みんな忘れている。夢を見なくてすめば極楽だが。

妻の描いた葉書大のノコの肖像をまぢかに置いている。母ネコの子( ノコ) 。十九年、わたしたちと居てくれた。妻の筆はノコの眼と瞳とを生けるごとく写していて、わたしは、その目と、三十数センチの間近で見合う。母ネコの産んだ五、六の仔たちのなかで、ただ独り母のそばに残され、母と子とでわが家に生きて、死んでいった。二人とも庭のまぢかに葬った。いまは、さ、血が繋がっているかどうか、真っ黒いマゴがわたしたちの鍾愛を一身にうけている。三世代の愛猫たちは、朝日子や建日子たちよりも無心にわたしたちの同行者、好伴侶であったし、マゴはいまもすぐそばに元気で。

ネコもノコも、確実にわたしたちとの再会を待っている。ノコ画の生き生きとした目がそう語りかける。

2011 11・9 122

 

 

* 「あとがき」を再校した。追い込まれてきた。

2011 11・10 122

 

 

* 通算109巻『光塵』を責了した。月内には送り届けられそうに思う。

2011 11・10 122

 

 

* 三鷹市の藝術センターまで、招待された声楽の会へ出掛けてきた。雨に負け、往きも帰りもタクシーになった。腰も痛くて。韓国から招かれた二人の男性、一人の女性の声楽。けっこうでした。

主催は、ピアノ伴奏の浅井奈穂子さん、湖の本の長老格読者の、お嬢さん。若くない。世界的な演奏家でありモスクワ音楽大学の博士号取得者です。

2011 11・11 122

 

 

* 要事にかなり追われていながら、手足が働いていない。

そうでもないか。昼前、妻に手伝ってもらい、新刊受け入れのために隣棟玄関で片づけの力仕事をした。

2011 11・12 122

 

 

* わたしの「 湖(うみ)の本」 通算百九巻『光塵』は、この二十五日に出来てくれば、即日送り始める。用意は、ほぼ間に合うはず。

2011 11・17 122

 

 

* 大きく一またぎに発送用意進んだ、が、本の出来るまで残る五日間、まだ力仕事など、ある。

2011 11・19 122

 

 

* いいところまで発送の用意が進み、あと三日間で、今回の巻に限った特別の寄贈先をよく選んで、宛名書きしておく用事が残った。

2011 11・20 122

 

 

* 今日ぐらい、探秋の外出をと願っていたが、すこし残りの仕事に手づまりが感じられ、可能なら、本の出来て届く前一日二日の余裕が欲しくて、外出を断念。

昨今、日曜の晩というと、手作業半分テレビを観ていることが多い。六時の大河ドラマ「江」にはじまり、韓国の時代劇「トンイ」それに山田監督選の日本映画(昨日は「シャル・ウィ・ダンス」)や、やはり韓国時代劇「イ、サン」など。

「シャル・ウィ・ダンス」は二度目を観てなお深く惹かれた。とても割り切れない澱のような後味の残るのが、作の、品にも力にもなっていた。

政治向きでは今は「原発・放射能危害と日本の今日・未来」にのみ専ら視線を集中している。

2011 11・21 122

 

 

* 二十五日には、「 湖(うみ)の本」 通算109巻が出来て届くだろう。体力を労り労り師走のごく初め位までは発送の力仕事をする。 師走には、誕生日など例年の決まった私の祝い日が二日ある。医者にも通わねばならないし、正月早々の人間ドック入り用意も出来てくる。家庭内でのぜひにもと思う要事もあって、あっというまに今年は過ぎてしまうのではないか。そして、鬼が笑うが、来年の今頃は七十七、喜寿を目前に、さ、何を思い、何をしているだろう。そこまで寿命があるかどうかも分からない。頭の中に願いの筋が無いではないが、あさはかに書きおくことはすまい。

2011 11・22 122

 

 

* さてさて。

 

* 古稀を迎えたとき、喜寿までも元気に過ごしたいと妻と話し合ったのを覚えている。ずいぶん向こうだと想っていた。ところが此処へ来て、来月の今日には「七十六歳」を迎え、喜寿までに一年と気がついて軽い衝撃さえ感じた。まっさきに、幸い元気でおれたなら何事を成し得て記念できるかと思った。

古稀の歳には「 湖(うみ)の本」 通算八十五巻を十一月に、文庫本歌集『少年』を誕生日までに大勢の方に自祝の品として送りだせた。今年は、もう数日で「 湖(うみ)の本」 通算百九巻が送りだせる。が、さて来年の今頃は。

すこし胸の鳴ることだが、ま、鬼にわらわれまい。

 

* 「佞武多」一升、飲み干した、美味いお酒であった。送り主のいうことを聴いて、一気飲みはせず少しずつ深く味わった。美味かった。「今我れ樂みを為さずんば、來歳の有りや否やを知らんや。」

 

* もう第百九巻『光塵』の刷り出しが届いた。まったくの新刊である。毀誉あらんや、褒貶あるべし。わらって受け取ろう。

2011 11・23 122

 

 

* 一日の余裕無く、明日出来の今日いっぱい、送本用意にかかった。寄贈送本の範囲をすこし広げてみたためである。

発送が済めば、本命の「仕事」とともに、ゆるがせにして置けない家の「要事」にも取り組まねばならない。もう放っておけない。 2011 11・24 122

 

 

* いま、就寝前に十四冊の本を読んでいる中で、重い本なのに手に取るとなかなか置けないのが、角田文衛先生の「平安時代の女たち」を精微に論攷された記念の論文集。きのうまで、歴代皇妃のうち最も華麗に多幸であったといわれる「建春門院滋子平氏」の生涯を読んでいた。後白河院は、頽廃には陥ることのないしかし好色の帝王であったが、上西門院に仕えていた滋子平氏を知って以降、他に人なきがごとく滋子を鍾愛され、熊野詣でにも、はては厳島詣でにも、さらには有馬温泉への湯治にまでも同行、女院の亡くなるまで行幸また御幸をともにされたこと数限りなかった。よほど美しく、それ以上に聡明で気概にも恵まれたすばらしい国母であった。高倉天皇の母女院への孝行もうるわしかった。定家卿の姉・建寿御前= 建春門院中納言の日記『たまきはる』はさながら女院滋子の讃美歌かと思われるほど、ありありと、生き生きと、この高倉母后の輝く魅力を後生に語り伝えて光っている。『建礼門院右京大夫集』の死なれた哀しみに満ちあふれているのと大違いである。

建礼門院は高倉天皇の中宮であり、母后からは姪に当たっている。この悲運の女院の姿は、小説『風の奏で』に、かなり生き生きと書けたとわたしは自負している。

わたしが、もともと後白河院に深い深い関心や親愛感を持っていたことは、「仕事」が証明している、『女文化の終焉』『初恋・雲居寺跡』『風の奏で』『冬祭り』『梁塵秘抄』そして『千載集』そしてまた「中世の源流」論など。この、 鎌倉の頼朝には稀代の大天狗とみえた後白河法皇は、いまの三十三間堂の一帯を広大に占めた法住寺御所にかなり多く起居され、まぢかに、信仰の余り迎えられた新日吉社も今熊野社も今なお在る。平家といえば六波羅だが、法皇や女院の生活された御所や神社と六波羅とは、ごく親密な地縁にあった。

言うまでもなく、そうした地域の一帯全体がまたわたくしの育った京の東山の中心地区であった。国史好きに育ったわたしの後白河や平氏に関心の深まるのは、はなから約束されていたようなものだった。

 

* まさしく同じその東山一帯の空気をもう一度現代の目で書き取ってみたいのが、さしあたり今わたしの重い課題になっている。果たせるかどうか、ぜひ果たしたい。

2011 11・24 122

 

 

* はやめに起き、「 湖(うみ)の本」 の通算第百九巻『光塵』が出来て届くのを待った。怪我のないよう送り出したい。

 

* もう五時前、第一便は送り出した。余のことは考えない。疲れを溜めまい。ふと、いまも十五分ほど機械の前の此処でねむっていた。相撲を見て、しばらくやすもう。

 

* 白鵬の琴欧州を仰向けに空に投げ捨てた勝相撲を見た。なんという強さ、あまりの強さを讃嘆の意味で、すごかった。

 

* 十時まえから二十一時前まで、よく頑張った。ちょっと変わった一冊が出来ていると思う。では。明日に備えてやすもう。

2011 11・25 122

 

 

* 本の発送、快調。作業は、快調なほど疲れも軽く済む。いま、四時前。機械の前へ来ると、しかし濃い眠気に負けてしまう。また階下へおりる。はやいところは、今日にも本が届き始めよう。

2011 11・26 122

 

 

* 発送の山は越えた。一息付ける。。

 

☆ こんにちは。

新しい湖のご本「光塵」届きました。

いつもありがとうございます。

ご体調のお悪い時も弛み無く頑張っておられるお姿に心配していましたが、素晴らしいご本が完成、手元に頂きましたこと、とても嬉しく思っています。

楽しみに読ませていただきます。

こちらは、猛暑も収まってやれやれの10月初日に、10歳の孫娘が虫垂炎から腹膜炎の手術で1ヶ月入院していました。

毎日毎日付き添いに病院通いで、キンモクセイの花盛りでしたが、香りを愛でるゆとりもなかったです。

おかげさまでやっと通学できるようになり、ほっとしているところです。

今年は東京へも行けずじまいになりそうです。

京都の紅葉も今年は天候不順のせいか遅れているようです。

製本や発送のお疲れなどでませんよう。

どうぞどうぞお大切にお過ごしくださいますようお願いいたします。     母方従妹

2011 11・27 122

 

 

☆ ご無沙汰しております。  作家

気がつけば今年も余すところひと月となりました。

わたしは三月の大震災以降、まったく書けず、そのため全く本が出なくて、難儀しております。

さて。

この度は、

「湖の本109 光塵・詩歌断想(一)」をお送り下さいまして有難うございます。

震災以降、静かに本を読む機会もなく、ただぼんやり暮らすことが多くなっておりましただけに、非常に嬉しく思います。

心して読ませて頂きます。

天候は不順で、世間には暗い雲が湧きたちつつありますが、どうぞお身体にお気をつけになられまして、いつまでも我々後輩の行くべき道を照らしてくれる光であって頂きたく思います。

今後とも宜しくお願いします。拝

2011 11・28 122

 

 

* 新刊の『光塵』は収容された数字こそ多くないが、単なる気儘な雑纂の一冊ではなく、わたしの文学と作家数十年の一つの分母になっている。思い切って良く纏めたと、吹っ切れている。

 

☆ 「光塵」感謝    晴

湖の本109届きました。

『光塵』発刊おめでとうございます。ご健康が勝れない日が続いておられましたのに、ご立派な著作になり、読ませていただけ嬉しいです。

和歌に詩にと読み進んでまいりますと、不思議に気持ちが落ち着いて静かな気分になってきます。URLに掲載されている「保谷野秋色」の写真のようです。

凛とした中にも華やいだ紅葉の彩り。重ねて味わいながら読み進んでいます。

時代を共に過ごせていることへの喜びを感じながら、哀しみも思います。

小学館に掲載されていた「秀忠の時代」をURLで紹介してくださいましたので、縦書きに変換してプリントアウトして読ませていただきました。ありがとうございました。

「江」の家康、秀忠の描き方にも納得いくものがありました。

もう師走になります。どうぞお身体を休め休みしながらお過ごしくださいますように。

そして良いお誕生日をお迎えくださいますように。

 

* 哀しみを新たにさせたのは孫やす香を悼む歌の幾つかであったろうと思う。

2011 11・28 122

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

湖の本新刊『光塵』頂戴いたしました。ありがとうございます。

詩歌集のほうを拝見しました。

婚約、結婚、お二人のお子の誕生、やす香さんへの挽歌と続くさまざまなお歌の並べ方をみて、みづうみのもう一つの私小説のような作品、とも思っています。

この一冊を編まれた文学者みづうみでなく、人間みづうみの真意、見える日が来るのでしょうか。

小春日や信号無視の鳩歩く 小口幸子   小春

 

☆ 『光塵』

届きました。ありがとうございます。ゆっくり楽しませていただきます。

今の私にとって、まさに「塵裡に閑を偸む」時間になることでしょう。    珊

2011 11・29 122

 

 

* 電灯を消したのは一時半だった、二度手洗いに立ち、二度目はまだほの暗い六時過ぎだった、八時半には朝が来るなと思い、もう一度床に入ってからながい夢を見ていて、あまり息苦しくて起きたとき、午まえになっていた。

いくらでも寝られる、それはいいが夢は見ないで寝たい。大勢での、乗り物に乗ったり歩いたり遠足感覚の夢で、なにの不快な出来事もないのに不安感が波立っていた。もがくように目を明いた。

今日明日までかかると想っていた本の発送がこころもち早く済み、それだけ疲労は濃いか。

柏叟の二字「閑事」の軸をかけていらい、これを公案のように見つめているが、はるかにまだ霞んでしか読めない。胸奥にこの境涯が沈んでいないのだ。まだまだむしろ「 多事」や「他事」がとぐろを巻いているということ。黯然とする。

* 堂本印象描く一軸、寂寞として朱い「木守り」の柿一つを観ている。題には「澄秋」とあるが師走へかけて十日頃までは佳いだろう。寂しいが花なりの命が虚空に澄んでいる。

2011 11・30 122

 

 

☆ 貴著拝受   辰

 

日々お健やかにご活躍のご様子何よりです。近著をお送り頂きまして有難うございました。左眼網膜剥離の術後以来読書の愉しみに替えて相変わらず音楽三昧に耽っております。

先月、小学校の有志会で田中勉君の訃報を聞きました。年末が近付くにつれ喪中葉書を今年もまた何枚も受取ると思うと心さみしくなります。

と同時に愉しみは減ったものの今の処は生活習慣病とは無縁で、休肝日なく心ゆくまで晩酌ができる身をよろこんでおります。

喜寿を迎える来年は中学の同窓会もあるようですから、元気に再会ができる日を楽しみにしております。

どうか充分ご自愛のうえ益々のご活躍をお祈りしております。

2011 11・30 122

 

 

* こんどの『光塵』を一種の「私小説」かと感想を伝えられた読者があった。わたしは処女作以来、ずうっと私小説を書いていた。『清経入水』も『慈子』もその他の多数もみな「私小説」であったと思う。言い替えればわたしには「私小説」こそが「絵空事 フィクション」として書かれるべきなのであった。『加賀少納言』や『親指のマリア』などのほかは、みな「私小説」を装った「絵空事」である。不壊の値を帯びた私小説をわたしは書きたかった。『光塵』も例外ではない。私自身が絵空事であるではないか。

 

☆ 光塵   花

富士山が雲の傘をかぶっています。明日は予報どおり雨なのでしょう。

師走になるというのに、ぽかぽか陽気です。この調子では、またうちの紅葉はきれいに色づかないでしょう。ではでは。

 

* 前回配本から五ヶ月余も間をあけたので、「とても待ち遠しかったです やはり体調をくずしていらしたのですね 群馬も日増しに寒くなって参りました 車の免許の書き替えが来年四月で 高齢者講習の通知が来まして ショックです」と、お便り。お大切に。

 

☆ 心珠自現  秀

からだの中から珠が現れるというより 心の珠の中にからだも含まれているのですね。

 

* 配本時の挨拶にこの四字を用いていた。

 

☆ 拝復   大学教授

ご著書拝受いたしました。

いつも「 湖(うみ)の本」 を拝読しておりますと、同時代のなかで先生が辛口に批評されているコトゴトが心にストーンと落ちてきます。 大阪の橋下旋風 どのようにお感じですか。向寒の折 ご自愛下さい。

 

* 人事は雲の往来に同じ、太虚は清明無窮の天。 湖

2011 11・30 122

 

 

☆ 『光塵』拝受    靖

秦 恒平様  なんと多くの述懐を漏らされたものか。

新世紀 2001年元旦に

「大いなるものしづしづと揺れうごきはたと静まりなにごとも無し」と詠まれた21世紀は、此処に来て欧州危機を孕んでまさに天下大動乱の兆し。

如何に観じられましょうや。December 1, 2011

 

* 人事は雲の往来に同じ、太虚は涯なき清明の青天、と。

 

☆ 「 湖(うみ)の本」109光塵    県立文学館

ご恵贈心より御礼申し上げます。ジャンルを超えられた述懐の御作を味わいつつ また時代や場所を越えた作品への目配りに敬服しつつ 多くのことを学んでおります。今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます。

 

☆ 永年「 湖(うみ)の本」 に親しませていただき、心豊かにさせて頂き、折々に元気を与えて頂き、深く感謝いたしております。今回の御本は、 格別な内容にて、じっくり味読させて戴き居ります。  国文学者

 

☆ 私も先生と同い年の75歳、年が明ければ76歳でございます。過去の足どりこそ全くちがいましても、ご本を読んでいますと同感することが多々あります。どうぞお元気でいらして下さいますよう念じております。  東京都北区

 

☆ 「私語の刻」で、今夏はご体調がよろしくなかつた由、知りました。もうよろしいのでしょうか゜。くれぐれも御自愛を念じます。今回の「 湖(うみ)の本」 は、是非、拝読させていただきたかった内容です。  名誉教授 詩人

 

☆ 「詩歌断想」楽しく拝読いたしております。   歌人

 

☆ 「詩歌断想」しみじみと目を通しています。  歌人

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 109  秦さまらしいー本、ゆるり拝読させて戴きます。  歌人

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 109 新年に向け 良きかな、佳きかな。全国の多くの方々が、そう思っていることでしょう。おすこやかにご越年の程 念じあげます。   大学教授  歌人

 

☆ 先生の書かれる本は私の日常生活の清涼剤でございます。どうか、呉々もお体ご大切に、「 湖(うみ)の本」 がこれからも ずーっと続きますように!! ご子息のご活躍も吾がことのように嬉しいです。  玉野市 読者

2011 12・1 123

 

 

* 「暫く御本頂かず お加減でも…と案じて居りました 呉々も御大切に 奥様も、」と福田恆存先生の奥様より。妻も大切にせよと仰って頂いたかと拝読。

「頻りにお体のことを考えておりました。やはりお工合が良くなかったのですね。お大切になさってくださいませ、迪子さんも。『光塵』涙して拝読。」と友より。これも同じに読ませてもらう。

「常に御文学を楽しく待っております。P69「あかきは椿しろきも椿」わかる気します。」と或る歌人。

 

☆ 第109巻『光塵・詩歌断想』を賜り、拝読し、これぞ「 湖の本」 の真髄、自在気儘のようでいて品格あり、秦さんがつまっている、このような形でこそ読者にまっすぐに届くものと感得いたしました。そうして同時になぜご恵贈いただいたかも。

秦さんは作家にして、骨の髄まで<うたびと>ですね。実作を(一応は)離れられても歌を愛すること深く、評価は知人などという関わりへの浅慮などまったくなくまっすぐに作品そのものに向かういさぎよさ。<不屈の物書き>魂が湧き出しています。『少年』を拝読した折の感慨を思い出します。

ご配慮にお礼申しあげます。今年もまた寒さに向かいます。ご病後の御身、どうぞおいとい下さいますように。 K社元出版部長

* 有り難し。

詩歌の読者は、眞の読者は、多いようで実は少ない。自前で短歌をつくります、俳句を作っていますというだけでは、読者としてどの程度かは分かりにくい。今度の本を出すにも読者本位でいうとためらいがあった。自在気儘だけが観られてしまうかもと。それでも、あえて編んで出した。まぎれもない作者の「地」が出ていると苦笑もされるが、筆は枉げていない。詩歌も文も、感応のもの。

2011 12・2 123

 

 

* 今回発送を、ほぼ九分九厘終えた。

 

☆ 性  福田恆存   『語録  日本人への遺言』より

よく身上相談などで、「彼は一個の精神的人格として、私を求めてゐたのではなく、ただ私を通じて女を求めてゐるだけだ」などといふ憤懣が語られます。が、ロレンスにいはせると、「それなら、まことに結構」といふことになる。

男は女のなかから花子を選びだしてはならぬ、花子のなかから女を引きだせ、さう、ロレンスはいひます。もし男が他の女ではない花子を選ぶとすれば、その花子が相手の男にとつて最も女をひきだしやすい女であるといふ理由をおいてはない。さういふ恋愛と結婚とのみが、眞の永続性をかちえる。精神だの人格だのいってゐるからいけない。といふより、誰も彼も自分の性欲を、精神的人格といふ言葉のかげに、押しやつてしまふ。人々は性に触れたがらない。いや、直接に触れたがらない。精神的愛といふ靴の革を通して、霜焼けを掻くやうに性欲をくすぐつてゐるだけだ。さうロレンスはいつてをります。  (愛の混乱・Ⅲ・三一六)

 

* ややこしいが全くそのとおりである。但しこの場合、男と女との逆もいえることを忘れていていいわけがない。その場合、男といい女というのも、イコール性の魅力に尽きるのではない。やはり男は男、女は女という人間であるに相違ない。

 

* 今度の『光塵』に、

 

伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしかひとはかほどのまことをしらず

 

と歌っているが、「付き合う」以外に「恋」をしない・できない現代の若者が念頭にあった。だが和歌読みに馴染んでいないひとは、意味がとれない。「逢はでこの世」に百人一首の歌が思い出せれば、伊勢一首の歌意が共感して汲める人なら、わかってくれるだろう。「うつくし」は、美しくもあるにせよ、より深く愛おしく共感する意味である。「ひとは」とはこの場合、情けないいいかげんな人はと責めている。

 

難波潟みぢかき蘆のふしのまも

逢はでこの世をすごしてよとや   伊勢

 

もとより逢ふばかりが能ではないという姿勢もある。たしかに有る。しかしこんな歌もある。

 

あらざらむこの世のほかの思ひ出に

いまとたびの逢ふこともがな  和泉式部

 

老境には胸に沁みる感懐と言わねばなるまい。

2011 12・2 123

 

 

☆ 前略失礼します。

昔、戦地に赴く時、師の釈迢空先生より歌の指導を受け、提出した歌を、河童が池から首を出して目を向いてゐるやうな歌と評されてより、その才なきを覚り、歌詠みを畏敬するゆうになりました。畏敬の念をもってゆっくり鑑賞致しました。葉書にて乍略儀取急ぎ御礼迄 不一    元文藝誌編集長

 

* 『光塵』をいただき恐縮しています。今度の御本は、もともと『青春短歌大学』で秦さんを知った人間で、こういうのは大好きで「お声」を含めていろいろ教えられもいたしました。楽しんでいます。ありがとうございました。   劇作・脚本家

 

☆ 歴史に残る厄災の年も残りわずかとなりました。ご無沙汰いたしておりますが、ご健勝のこととお喜び申し上げます。

このたびは、御者『光塵・詩歌断想』をご恵投いただき、有難うございました。「湖の本」も一〇九帙を数えるのですね。改めてご自身でおっしゃる古稀を過ぎての「根気と集中カの必要な粘り仕事」に感服、敬服いたしました。これからも末永く「湖の本」が継続、刊行されますことを衷心よりお析り申し上げます。

暖冬とはいえ、これからは寒暖の差が激しくなる季節、くれぐれもご自愛専一に願っております。ヒリ急ぎお礼まで。草々

二〇一一師走吉日   エッセイスト

 

☆ 今年は色付きが遅いと思っておりましたのに、ここ四五日の間に燃えるような彩となりました。毎年の事ながらこの庭隅の一樹をこよないものとして秋を送るのが慣いとなっておりますが、常照皇寺の枝垂の古木や、車返しの桜なども一入の色になっている事でございましょう。

いつも「 湖の本」 をお贈りいただきまして感謝しつつ拝読させて頂いております。お門も広うございましょうに私にまで御恵与賜り、申しわけなく心からの御礼を申し上げます。息子がいつかささやかな緑陰文庫を作りたいとの事でございますので その折には貴重な御本として並べさせていただく事になるかと存じます。本当にありがとうございました。

毎日四辺を細やかに書きとどめられていますのに感嘆しつつ拝読し、こうした日々の御精進にあやかりたいと存じますものの、雑事に紛れ怠けてばかり居りますのを恥かしく思っています。

御礼の言葉のみをどうかお汲みとりくださいませ。

月が変りましていよいよ気忙しい日々となりました。風邪も流行しておりますとか、友人も二、三人声が出なくなったと申し居りました。時節柄どうか御身御大切に遊します様 とり急ぎ御礼のみを申し上げました  かしこ

師走朔日     歌人

 

☆ 十二月になりました。    播磨の鳶

12.2  冬寒の東京ですね。寒暖の差が激しくお体に障らないようにと願います。こちらはまだ少しだけ緩やかな感じで、庭の柿の実を干し柿にと吊るしていましたのに黴が生じている始末。果実は成り年と成らぬ年( こんな単語あったかしらん?) があり、今年はレモンの実が素晴らしく結実しました。まったく無農薬、自然のままのレモンを楽しんでいます。

もう師走になってしまいました。相変わらず落ち着かない日々を過ごしています。

『光塵』では、『少年』に収められていないために初めて読む歌の数々に、そして俳句に、さまざまな思いをもちました。毎月巻頭に掲載される俳句の面白さに微苦笑し、深刻さに頷きながら、鴉の別の本領をも垣間見てきましたから、このような形で纏められた

ことを快く受け取りました。

先日、美空ひばりのことに触れていらっしゃいましたね。あの番組を娘は偶然見ていて、何より彼女の歌唱力の確かさ凄さに驚き感心していました。歌詞をしきりに記憶していました。「人生って不思議なものですね、悲しいものですね・・」とか、川の流れのようにとか・・普段歌謡曲にはおよそ興味を示さない彼女に美空ひばりは新鮮強烈だったようです。

徳川秀忠に関する記述も大いに納得しました。

ダヌンツィオの名前が出てきました。やや意外かと驚きましたが、日本文学との関連と考えれば、納得も。彼の文学は現在日本でどれほど読まれているのか、まったく疑問ですが、森鴎外の訳に始まって彼の文学を受容してきた日本文学の系譜も、殊に三島由紀夫

に関連して無視できない重さをもっていますね。イタリア・ファシズムの先駆としての彼の奇異なる生涯を思うと、その華麗さ、挫折、文学的力量にかかわらず、「敬遠」してしまいます。

三島由紀夫が生田長江訳の『死の勝利』をもとに『岬にての物語』を書いたこと、三島の唯一の翻訳出版はダンヌンツィオ『聖セバスチァンの殉教』であったこと。

そして楯の会の行動にダンヌンツィオの影響が強くみえること、市ヶ谷駐屯地の本部バルコニーから、三島がおこなった最後の演説がフィウーメを占拠した時のダンヌンツィオの演説に似ていること。改めて確認しつつ「あの日」を思い起こします。大学の構内で友人たちとニュースを知った時の衝撃・・今は昔の感さえある「あの日」が亡霊のように思えます。

ダヌンツィオが若い日に、パリでドビュッシーと出会ったのは一つの「救い」「宝石」のようにも思います。このところドビュッシーの「月の光」をしばしば聴いています。ベートーベンの「月光」とは異なる魅力、時代背景の変遷も感じます。

12.3   昨日の

伊勢うつくし逢はでこの世と歎きしかひとはかほどのまことをしらず

さらに百人一首の親しんできた歌

難波潟みぢかき蘆のふしのまも 逢はでこの世をすごしてよとや   伊勢

あらざらむこの世のほかの思ひ出に いまとたびの逢ふこともがな  和泉式部

いずれもいずれも人の哀憐の愛恋の真実であると、そして「老境には胸に沁みる感懐」に至るまで、既に既にあまりに存分に過分に胸に沁みこみ侵食された感懐でもありましょう。

「うつくし」は、美しくもあるにせよ、より深く愛おしく共感する意味であると書かれています。そのようにありたいと誰しも、そしてわたしもそのようにありたいと焦がれてきました。月日の容赦ない経過は、わたしたち生き物の無残をくっきりと姿を浮かび上がらせてきます。それにしても和泉式部のようにまっすぐに愚直なまでに純粋に生きられなかった自分なのに、彼女のように生きたかったなどと、およそあり得ないことも暫し思うのです。

一人器械に向かえる時間が極端に少なくなり、メールを書けませんが、鴉の無事息災を遠くから祈っています。冬の寒さに負けず、暖かく「優柔不断」に楽しんで過ごされますように。

 

* このように書いたり書いてもらえるなら、メールという伝達捨てたものでない。「書く」だけの行為は容易だが、豊かに「よく書く」には容易ならぬ人格を要する。

ダヌンツィオのことなど、無関心でなにも知らなかった。

「優柔不断」に「無事息災」で、か。なるほど。

 

☆ 『光塵』

いつもなら、「 湖の本」 をいただくと、まず「私語の刻」を読み、秦さんの「いま」をうかがい知ろうとする、のに、今回の配本に限って本文を つい「拾い読み」してしまいました。

俳句がおもしろかったからです。俳味があって、いわゆる文人俳句の趣がうれしく、久保田万太郎の俳風をおもわせました(受取方が違っていたらお許し下さい。)

その中で、

月照つて心まづしき師走なり

に、いまの私の境遇を 私なりにあてはめております。

さて、「私語の刻」に目を移しますと、そこに自分の名前を発見しおどろきました。送金の通信欄を書いたとき、未読だったので「拾い読みしています」とのみ書いたのです。

国語の教師でありながら、秦さんほどの深読みはできないものの、陶淵明は、私の好きな「詩人」の一人です。その「守拙」は座右の銘にも、と思っているくらいです。

教師時代の友人で書家(本業は英語教師)に、それを色紙に書いてもらっています。戯れに、板に してさしあげたところ、それを主宰者がおもしろがって、なんと社中展に出させたということです。

同封の刻字は旧作です。家内は自分の字を彫れといいますが、私はやはりこんな型にはまった字になってしまいます。ーーと書きかけたのですが、やはり思い止まりました。

一方的に送りつけようと思ったのですが、この手のものは貰っても、「ありがためいわく」の場合がしばしばです。したがって、「同封」は写真にしました。タテ370Xヨコ305X暑さ15(ミリ)です。落款は「元亮」「哲」です。(もし受取可ならお送りします。モノマネの秀作ですからさしあげるとは申せません。)

(中略)

お二人のお体の塩梅を気にしています。もうお会いしなくなってずいぶんになりますが、私にとって秦さんは近い存在(ご迷惑かも知れませんが)です。 奥様にもくれぐれもよろしく お大切にとお伝え下さい。

(変らぬ乱筆お許し下さい)  十二月一日     前石川県立近代文学館長

 

* 自分を、果報の人と思える嬉しさである。

採菊東籬下 悠然見南山  の刻板。ありがたく頂戴したい。

2011 12・3 123

 

 

* ようやく、寛いでいるのだと思う。わたしも妻も、かつてなく、昏々と眠る。一日の大半を眠っている。

孫やす香の名で「白血病」が「 mixi」 に突如公開され、まもなく「肉腫」という決定的な悪病まで公開されてこのかた、丸五年= 六十ヶ月嘗め続けた苦渋は、われわれ祖父母夫婦の寿命をすりつぶして出来た毒の味であった。

愛孫の「かくのごとき、死」が、なにゆえに祖父( 母) を被告席に置くに値したのか、しかも実の娘や婿の手で。わたしたちは今もって理解しがたい、不徳ゆえと譏られても仕方ないのだが。

しかし、ようやく今年六月末、結審した。余震はなお二ヶ月ほど不愉快に続いた、いまはやっと静かになっているが。

そして、めったになく一ヶ月の余もわたしは病臥の日々を送った。ようやく往年の歌集『少年』を引き結ぶていに、老後の述懐『光塵』を送りだすことが出来た。わたしも妻も、かつてなく、昏々と眠る。一日の大半を眠っている。ようやく、寛いでいるのだと思っているが、まだこの先は分からない。

幸いにとは謂えまい、不幸にしてと謂うべきか、この間にわたしはやす香病状に同時に追い縋るように、結果は「挽歌」と帰した日記『かくのごとき、死』(「 湖(うみ)の本エッセイ」39 )を書き、長篇フィクション『逆らひてこそ、父』上下巻(「 湖(うみ)の本」50 51)そして『凶器』(「 湖(うみ)の本」 通算101)を書き下ろし、また思いをこめて詩歌鑑賞の『愛、はるかに照せ』(「 湖(うみ)の本エッセイ」 40)を出版してきた。失神しそうな苦悶や憤怒のなかでこれらを懸命に「書く」「書きつぐ」「本にする」ことが、わたしを強く起たせていた。残念ながらほかの方面の創作へこころを遣る余裕は無かった。そしてバグワンに助けられ、ありがたい大勢の知己のちからに支えて貰った。

* 喪っていた時と力とをどう取り戻せるか。旬日ののちには七十六歳になるが、ありがたいことに、今日その数字は致命的な「老」には幾ばくかの余裕をはらんで見える。正月早々の人間ドックがなにをわたしに告げるのかは分からぬが。

思いに凝って、 身に代えても取り返したいとただ願うのは、ただやす香である。『光塵』 66  70   72  75   76   78   84   90頁に書き残した孫やす香を悼み想う祖父の歌のすべてが、この五年の地獄苦を清めてくれている。

2011 12・4 123

 

 

* お手紙嬉しく頂戴しました。    秦恒平

 

☆☆さん   ありがとうございます。また、おかわりない御様子で、なにより安堵致しました。

奥様のご平安、すこしでも着実なご回復を心底願い居ります、ご夫君のお心遣いはなによりの妙薬でありましょう。お疲れのないようにとねがいながら、どうぞご健闘をとも祈ります。

新刊はなかなか読者の深奥には届きかねる気儘なものと遠慮がちに本にしましたが、☆☆さんに俳味を汲んで頂けたのは本望でした。和歌短歌に身を隠すようにして俳句のようなものをそろりと提出したのでしたが、お目をとめて下さり嬉しゅう御座いました。前日にK社練達の読み手の方から、これでこそ「湖の本」と汲み取って貰えたのも有り難く、本にしてよかったと。病中病後にふと思い立ってあっというまの出版になりました。『少年』以来の小さな結び目と、仕事の間に思いも固まり、一冊が出来てしまいました。ほかの誰でもない☆☆さんには届いてくれるだろうと心頼みにしていました。

お手紙にたとえなくても☆☆さんが陶潛をお好きであろうとは察しがついていました。岩波の古い文庫本を手にし、好きに頁をくって読みつぐにつれ、☆☆さんを思い出していることが少なくありません。

採菊東籬下 悠然見南山  刻板、賜れるなら嬉しく頂戴したく。

つい数日前の日乗にも、

 

☆ 陶淵明 雑詩其七

 

日月不肯遅    日月あへて遅れず、

四時相催迫    四時 相ひ催迫す。

寒風払枯條    寒風 枯條を払ひ、  枯れ枝

落葉掩長陌    落葉 長陌を掩ふ。  長き市街

弱質與運頽    弱質 運とともに頽れ、

玄鬢早己白    玄鬢 早やすでに白し。  黒髪は

素標挿人頭    素標 人頭にさしはさみ、  老の標の白髪

前途漸就窄    前途漸く窄(せま)きになんなんとす。

家為逆旅舎    家は逆旅(げきりょ)の舎たり、  旅中の泊舎

我如當去客    我はまさに去るべきの客たり。

去去欲何之    去り去りていづくにゆくをおもふぞ、

南山有旧宅    われには 南山に旧宅のあるなり。

 

* 淵明に「南山」は、事実の故郷であったが、現実を飛躍した理想の他界でもあった。わたしから観れば、帰去来(帰りなんいざ)たる、「本来本然の家」にほかならぬ。この「家」のことは小説「 畜生塚」に夙くに書いた。

 

 

などと書いていたばかりでした。

いろいろに声のかかるお仕事、めんどうがらず踏み込んでお受けなさいますように。活気の素となりましょう。三つの学期に学ぶ現役の生徒と、卒業式もすませてきた卒業生とには、おのづと異なる、譬えればもっと俳味にも富んだ「把握と表現」が有るのではないでしょうか。わたくしも来年の今頃には喜寿を迎えようとしています、その辺がわたくしには三学期末の卒業式かと想えています。それからがまだ有ると言うてみたいところです、呵々。

奥様が、自身の言葉を彫るように刻むようにと仰るのは、金言ですよ。わたしは、毎年の☆☆さんの年賀状を、作品としてもたいへん珍重し敬愛していますよ。そういう作品で展覧会をなさるほどにと正直期待しています。

例年師走にはもうすぐわたくし事の祝い日が二度やってきます。今年はその二度の昼と晩とに、贔屓の染五郎、海老蔵、松緑の歌舞伎を、真実花形歌舞伎を楽しもうと待っています。昼に、「碁盤忠信」と「茨木」 晩に、「錣引」「口上」そして「勧進帳」。

この人達の時代が来ています。寂しいとは思いません、よろこんで励ましたい。

遠く離れていますが、いつも私達には身近な☆☆さんたちです。そちらの読者たちも変わらず応援して下さる方々多く嬉しい励みです。

お大切にお過ごし下さい、くれぐれも。

相変わらず機械書きの不調法はお許し下さいますよう。 師走四日晩に   秦生

 

* 十二月になったね。   鴉

鳶  お元気ですか。佳いメールをありがとう。

お嬢さんが、ひばりに開眼(耳?)してくれたというのが、殊に、嬉しい。

ダヌンツィオと日本の近代文学のことなど、なにも知らなかったなあ。上田敏 鴎外 花袋 郡虎彦 森田草平、白秋・萬造寺斉・木下杢太郎 有島生馬 島田謹二 三島由紀夫 筒井康隆 の名が目次に出ています。なるほどとも思い当たらぬほど この西欧作家とは無縁に過ごしてきました。腎臓病で死んでたかも知れないと脅された小学生の病牀では、「死の勝利」とか「ああ無情」という本の題は歓迎しかねたのだと思いますね。遅ればせに近づいてみたいとも、鳶の感想を信用するわたしは、思いませんが、平山城児さんの新刊には、論文集に倍する「年表編」が付されていて、この労作は優に表彰に値していると感じます。こんな歳末の出版とは気の毒です。本屋から本を出すときは一年の若い時期に出し、「去年の本」になるのの早いのを防ぎますように。それにしても、こういう労作は本そのものを外見で見ていても気持ちいいです。

ドビュッシーの「月の光」 街へ出たらさがしてみます。いいことを教わりました。

「秀忠」のこと、「大いに納得」してくれて、嬉しく。書いて置いた甲斐がありました。

『少年』のはるか後塵をあびる老境の『光塵』は、とても誰にも彼にもとは行かない性質の述懐ながら、よく見てくれる人には、おこがましいが、雨月のあとの春雨のように受け容れてもらえるものと思っていました。K社のベテラン出版部長さんや金澤の元文学館長さんの手紙をもらい、ああこれでいい、嬉しいと喜んでいます。思い切ってなんでもやってみるものです。志を、堪えてもちつづけること、それに尽きます。生活と歳月のなかで志を風化させ劣化させている例のなんと多いことか。おやおや、わたしだってそのように見られているかも知れんナアと首をすくめますが。

若いときはついセッカチです。老境ほどゆっくり歩めと思います。

伊勢うつくし  自分の和歌でひとつをと問われればこれでこたえる、カナ。

むろん、『光塵』でそろりと瀬踏みしたのは、俳句です。

現代俳句にはつよい批判をもってきましたが、では自分はとも心していました。心友である石川県の文学館長さんが、「俳」味をみとめて文人俳句の列に加えてくれたのは望外の喜びでした。

もうすぐ、七世幸四郎の曾孫たち染五郎・海老蔵・松緑の歌舞伎を、昼夜に分けて二日楽しみます。楽しみ、楽しみ。

鳶にも、たくさんな楽しみがありますように。  鴉

 

* 手紙など書いているあいだにも、思うことがある、思いつくこともある。あ、そういうの有りうるな、そうかその道行ってみようなどと。瞬時ふうっと身内が熱くなる。なにかが憑ってくるというか。

2011 12・4 123

 

 

☆ 『光塵・詩歌断想(一)』拝受、感謝しております。病魔とのはげしい闘いの中、何してこのような創作活動が続けられるのか、おそれいります。魔の方でほとほと先生の勢いに逃げ腰を見せているようです。ご回復を祈ります。  作家

 

☆ 『少年』は不識書院版で読ませて頂きました。その拾遺とその後のお作品、拝読いたしました。「詩歌断想」を厳しい気持ちで読ませていただこうと思っております。ご清栄をお祈り申し上げます。   歌人

 

☆ 湖の本109 一首、一句、大切に拝読しております。  俳人

 

☆ くれぐれもご自愛下さい。歌のほとんどわからない私ですが、じっくりじっくり読んでいます。やす香さんへの愛情に涙がにじみました。   京都市山科区

 

☆ 「現代百人一首」( 岡井隆撰 朝日新聞社) でお名前を拝見し、うれしく思った事がございます。 学生時代つまらない授業の時に百人一首を書きつけたりしたことなども思い出しました。

先生も奥様も、体調はいまひとつのごようす、くれぐれもお大事になさいますよう。 時代小説家

* なんでそうなるのか、読み違いをしてくる人も無いではない、「<私家版『少年』に始り文庫版『少年』で一結びになるかもしれない>という思い、良く解ります。その人にとっての最もなつかしい時代と言うのでしょうか。人間誰にもある振り返るときの想いの普遍性がこれなのではないでしょうか。……と考えつつ読ませて頂きました。」という水戸市の歌人の感想、何を以てこういう読みになるのか解りかねる。今回老境の述懐『光塵』で引き結びたかった、わたしは。

2011 12・5 123

 

 

☆ 昔の詩歌を愛情を以て拾い、編まれ、その情熱に感服致します。また「詩歌断想」も面白うございます。まことに、花鳥風月を以て、得も言われぬ情趣を湛えた古今集時代の歌はなつかしいです。有る時代の月と、今の月とでは、何と、開きがあることでしょう。当然のこ事ながら。御礼のみにて。  文藝S誌編集者

 

☆ 「詩歌断想」おもしろく、話題満載、日本語の用い方の指摘、社会批評、興味は尽きなく、読み耽ってしまいました。ありがとうございます。ご健勝を祈ります。  阪大名誉教授 国文学

 

☆ とくに、ここ十年間ほどに詠まれました短歌に感銘をいただきました。調べの高さはもとより、歳月の光を内包した、澄明な境地に惹かれます。同時に、それとは反対の、うつつと夢幻を自在に行き来する美しい境も味わわせていただきました。やす香様への思いの深さ、悲傷の深さにも胸を打たれます。

向寒の折柄、おたいせつになさって下さいませ。敬具   平林たい子賞作家

 

☆ 雨が止み  花

茜色の空が雲のあいだに覗いています。富士山麓は雪にはなりませんが、関東では雪になっているのではないかと空を見上げました。

風、お元気ですか。

今度の湖の本に、井上靖の詩がありましたね。花は「愛する人に」を、こよなく愛しています。この詩のように、人目につかぬ滴りのように、清らかに、自ら耀き、梅のように、香ぐわしく、きびしく、まなこ見張り、寒夜、なおひらき、壮大な天の曲、神の声はよし聞けなくとも、野をわたり、村を二つに割るものの音に、耳を傾け、白きおもてのように醒めてありたい、と、いつも思っています。

家庭も時事も大事ですが、花にとって文藝創作は自らの内面世界そのものであると、改めて確認する日々です。どうしたらいいのかわからなくなることがありますが、「愛する人に」のように、やるべきことに向き合っていたいです。 ではでは。

 

* 上に挙げられた靖のあの詩は、いまでは、少し甘くて観念・概念的な気がしている。詩は難しく、読み取りには、どうしても観念的でいいからとっつき易い概念詩にひかれるものだが。

西欧詩には言語から来る韻律が生き、日本語に翻訳してしまうとそれが味わえない、少なくも味わいにくい。翻訳詩で西欧詩をまねた、まなんだ日本の近代詩人の詩、現代語の詩には、概して韻律という詩の本来がほとんどはたらかず、観念や概念を弄んでしまうか、はちゃめちゃに語彙を玩弄して「うた」である境地をごまかしている。

わたしが和歌や短歌や蕉風俳諧に惹かれるのは、それらがいわゆる現代詩の雑駁を、たぶん「うた」として免れているからだと思う。

2011 12・6 123

 

 

* 『濯鱗清流 秦恒平の文学作法』上下巻エッセイ47 48   『バグワンと私』上下巻通算107 108   『詩歌断想』通算109  と、五冊、ホームページの「宗遠日乗」から抄録し編纂した。かならず先ず跋である「私語の刻」から読み始めるという人多く、それにも最近の「日乗」を取り込んでいる。この日々に欠かしたことのない日録である「生活と意見 闇に言い置く私語」が、秦恒平の文藝として、創作として受け容れられているのを示している。心して書いており、この厖大で自在に遠慮なく書き積んできた「宗遠日乗」は、わたくしの最大の作物として死後へ遺せると思ってきた。

ただし「宗遠日乗」として集積してある分は、文字通りの雑纂、つまり書きっぱなし。

それを文学とかバグワンとか詩歌とかに集約するから「 湖(うみ)の本」 の一冊一冊として体を成す。それが出来るようになったのは、真実有り難い読者の精魂を込められた分類作業があったからだ。

全部が全部「 湖(うみ)の本」 にはしていられない、それだけで更に百巻を要するだろう。わたしは、いずれ、さきの読者の手で分類された形を斟酌し、『分類・宗遠日乗』をもこのホームページ中に立たせて置きたい。

2011 12・7 123

 

 

☆ 本年は心ざわつく年でした。そんな中で湖の本を拝読し身の内が鎮まっていく思いがしました。慌しい日々ではありますが、「ゆつくりと師走を春へ歩みたし」と呟いている自分がいます。ご自愛の上、佳い年をお迎え下さいませ。   大阪府高槻市

 

☆ ご自身の悲喜の歩みをも、一つの作に編み上げる先生の執念に驚かされます。 続けていく為にも今以上ご健康を守って下さい。   東工大卒業生

 

* ときどきの塵に相違ないが光る塵と思っている。

2011 12・8 123

 

 

* 一日を半日で過ごしているほど、よく眠る。もったいない。それで良いとも思うけれど。

☆ 「老濫無頼の不良老年」なるお言葉は、奔放かつ深長な教養に裏打ちされて生み出された歌句かと拝察。年を経るごとにユーモアが滲みでている気がします。たとえば、「生きてゐるが死んでゐるのかもしれぬので………」 「夜のやみにしづみて妻の……」。若くして逝ったお孫さんのやす香さんへのつきせぬ思いや、「なにが不沈空母なものか原発を……」の激しい憤りに共感する「七十たび七つを加へて冬至かな」の老生です。

紅書房主・菊池洋子さんの師上村占魚秀句二百撰の話も気持良かったです。   K社元出版部長

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 109を読ませていただきました。中でもP43の「良夜かな子生まれ親も生まれける」 季語「良夜」をこのように詠まれた先生の一句に出会えたことは喜びでした。 P63の「柿の木に柿の実が生りそれでよし」も大好きです。  東京都練馬区

 

* 短歌にふれまた俳句にふれてそれぞれに挙げて下さる作の、一つ一つに思いが凝っている。忘れていない。読みとって下さり、感謝します。

『少年』の歌はみな「歌をつくっている」気持ちで創っていた。『光塵』はちがう。あきらかに「述懐」している、一つ一つ。わたしのなかみがほとんどナマに吐露されている。心境的には、それが生きた体温になっている。

 

* 今回本でなく前回の『バグワンと私』にふれて。

 

☆ 音読っていいですね、自分の声が語りかけてくれるようで。「バグワンと私」 手にした時むつかしい本だろう…ただ声を出して読んでみよう 理解出来ないところ多々、 そこはスート読みぬけ 興味が出れば又読めば、と思っています。  京都市西京区  2011 12・9 123

 

 

☆ 栢森、入谷、芋峠、千股、妹山、吉野川   雀

わが行きは久にはあらじ夢のわだ瀬にはならずて淵にあらぬかも

世の中はなにか常なるあすか河昨日の淵ぞ今日は瀬になる

世の中…この物言いにもっと注目が集まっていいと思います。夢や癒し、絆に元気。それらを、貰った、与える、くださいということばと比べて。

和田萃さんの講演会場が廃校になった小学校のそれも図書室とあって、雀は、学校、図書室、黒板、白墨、和田さんと、ぴったりはまった組み合わせを称賛しました。

ホワイトボードはつまらない。電子黒板などおはなしにもなりません。

白墨のもろさ。

書くときのかすかな音。

さらさら落ち、かすかな風に舞う白い粉。

コール天の黒板消しではかなく消える文字…それが、佳いのですよ。

いまは寂れて想像がつかないかも知れませんが、吉野口駅東口にある広場はかつては人力車が溢れる吉野への出発点でした。六田駅にどうして特急が停まるかというと、六田駅はもともと吉野駅で、と、昭和5 年のお話から始まりました。吉野はいろいろなジャンルで昭和5 年がキィになります。

それから、記紀それぞれの吉野宮の初出はいつ? 斉明天皇以前に吉野へ行幸した天皇は?と投げ掛けられました。

斉明天皇の吉野宮の模型が資料館にあるんですが、ご覧になりましたか? 池のほとりに木が植わってたでしょ、あれはユズリハの木なんです、弓絃葉の御井はあれのこと、と言われて、数時間前に教わったばかりの、弓削皇子が額田王に贈った歌

  •  古に恋ふる鳥かも弓絃葉の御井の上より鳴き渡り行く

これが切々と迫ってきました。

額田王の孫である葛野王に怒鳴られた若き皇子でしょう、弓削皇子って。ぼくは長くないよ、そんな気がするんだという歌も詠んでいて、その通りに早世していますね。

兄さんは大人し過ぎるよと長皇子をなじったりしたかも…などと勝手な想像をして―。

前登志夫さんに師事した歌人でもある和田さんは史料に基づいて考える立場と歌人としての立場とをもってらっしゃるので、自分でも飛躍し過ぎかなと思いつつ、それをたのしんでいらっしゃるとのこと。

『万葉集』 始めてみようかなぁ。

そう思って帰宅したら、ポストでご本が、「おかえりなさい」と待っていました。

2011 12・10 123

 

 

☆ 私は 源氏物語は まずはじめに歌が出来て( かぎりとて の歌です) その詞書の様に文章が書かれたのではないかと空想することがございます。 御著にいろいろと御教示頂くこと多く忝うございます。

今年は福島の事件に打ちのめされて いっとき源氏物語さえ読めなくなり、何しに生きて来たかと落ちこんでおりましたが ようやく もう少し余命を生かしてみようかと思い直す昨今でございます。

どうぞ穏やかな新年をお迎え遊ばしますように 一筆おくればせながら 御礼まで  かしこ  源氏物語研究者

 

☆ 秦恒平様が 辛口の読み巧者であること、 つとに存じ上げておりましたが、このたびの ブログ 御文章 にやりとしつつ拝読させて頂きました。

同封のものは、最終号となります。おひまの折にでも、御笑覧下されば幸いです。

向寒の折 御大切にお過ごし下さい。   歌人

2011 12・13 123

 

 

* 震災から一年にほど近くなり、東電・電力と御用学者たちがどれほどのウソを言ったり必要な情報を誤魔化したり出し渋ったりしてきたかは、更に更に益々表立って来ようが、東京新聞の報道がかなりの多くを伝えてくれていたように実感している。

地震では原発は壊れなかったのだ、「想定外の大津波さえ無かったら無事だった」とは、東電の大きな大きな誤魔化しの一つだったことを、東京新聞は今朝も、これまでも、一面で論証的に報じている。

今度のわたしの『光塵』で、

なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ   と、この八月に歌った歌に、あららと思うほど何人もの人が同感し共鳴し懼れていた。日本の地理事情からして、この決定的な弱みはいかなる発明でも繁栄によってでもぬぐい去れないことに、もっと要心深くありたい。日本近海は、他国の潜水艦の遊弋する狙い場にますます成って行く。冗談ではないのだ、原発はみな剥き出しに海辺に点在ないし群集している。

 

☆ 『湖(うみ)の本・光塵』を賜り真にありがとうございます。それから体調を崩された由心よりお見舞い申し上げます。

「述懐」 も「詩歌」も必要だったのです、今の秦さんには。

この一巻には生き生きした精神が走っているではありませんか。二冊発注します、一冊は私に、もう一冊は送り先下記に。  詩人

 

☆ ずいぶんご無沙汰いたし、失礼いたしておりましたのに、『湖の本・光塵…』をご恵送賜わりまして、うれしく有難く御礼申し上げます。御作品。短歌・俳句・方陣詩他 さすが知・ 情共に とびきりのプロでいらっしゃると、存じました。故・師の全歌集などの校正他エンの下の仕事にうもれていますので、短歌以外のお作品にかえって多く魅かれます。

手にうくるなになけれども日の光

はな籠の花に水やる月夜かな

柿の木に柿の実が生りそれでよし

一筋の道などあらず寒の星

我は我はと言ふことやめよ 奴凧

避雷針を貫いて鴉寒に立つ

こころにもあらで浮世や鱧の皮

続いて短歌も味読させていただきたく、たのしみに致しております。ありがとうございます。

祝・湖の本百九巻

除夜の鐘に一つを加へ響き冴ゆ こと多かりし年の『光塵』     隆子  歌人

☆ 御体如何でしょうか 年と共に寒さが身に沁みてきますね。

一冊がとどくとそれ丈ですまず、前の本を又読み返すようになってきます。どうぞお大切にお過ごし下さいませ。  群馬桐生市

2011 12・15 123

 

 

☆ ( 今回の『光塵』に表現された=) さまざまな型式のもの、おもしろく拝読しました。

新しい年が心やすらかな毎日でありますよう、ねがわずにはいられません。   埼玉越谷市

 

☆ 拝啓

いよいよ本年も残り少なくなりました。老いの現実を見据え、これと共存、老いの進行と競うようにして刊行された『光塵・詩歌断想』を先日いただきました。私にまで御恵贈下さり忝う存じました。**ならば斜め読みにして読み捨てまい、とのお考えで下さったのであれば大当たりです。一気に読むだけの時間にゆとりがあろうはずはなく、他の仕事の隙間を強引にこじあけて、私としてはめずらしく何日もかけて味読いたしました。表現者の迫力に圧倒された思いです。

「光塵」。感じの妙なる組み合わせ。われわれは、地球は、いつかは宇宙の塵となって飛散するにちがいない。光を浴びる塵。

旧約聖書では「塵」は両義的で、被造物たる人間のはかなさを象徴するとともに、「塵灰」の身であるアブラハムやヨブに神は真剣に応答する。

第一歌集『少年』への読後感集の一つ一つに納得、共感。

108頁、岩田正氏に関連しての、表現の名に値する條件には、心打たれました。

「こころ沈透(しず)く」。ことばの力に感動します。  ありがとうございました。 平安。   基督教大学名誉教授

2011 12・16 123

 

 

☆ 奥さま

今年の梅干しと初しぼり( 近江の美酒) をお送りします。行事のようで楽しんでいます。

今年初孫が生まれ忙しさの中で生姜を漬けられず 梅酢が多少残りましたので ほんの少しですが入れました。5cc位を2~3f倍の水に薄めて飲むと 疲れた時とか気分の悪い時によく効きます、おためし下さい。

良いお年をお迎え下さいませ。   敬美  湖東

 

* 愛読者であったご主人の亡くなられたのは、湖の本を出し始めて二、三年と経っていなかった。夫人は、だが、その後もずうっと今なお毎年、このようにご主人と二人して丹精された実に美味しい梅干しや生姜を贈ってくださり、湖の本も読み続けて下さっている。一度もお目にかからないが、親族とも変わりない久しいお人である。「初孫」と。亡き人もよろこんでおられよう、嬉しいお便りである。

2011 12・17 123

 

 

* 就寝前の読書は、すべて枕もとに本がある。

この機械のそばにも、合間合間に読む本がたくさん置いてある。古文真寶、陶淵明詩集、唐詩選、白楽天詩集、古今詩選それに老子など漢字ものが在る。福田恆存さんの『日本への遺言』や、清水房雄さんの最近の歌集にも手を出している。原色茶道大辞典もたくさんな写真を拠点にして、「愛読」しやすい。

そして、さしあたり「小説」という「仕事」のための文献がかなりの数積んである。多すぎるとも謂える。また「湖の本」の、ことにエッセイ編は全巻漏れなく身のそばに置いて、いつ何時でも直ちに関連の個所が引き出せる。ぜんぶ記憶にある。

こういう全てを放棄し心身から脱落させてしまいたい気もあるが、なかなか出来ない。

昨日は、実兄、今は亡い北澤恒彦との「往復書簡=京都私情」をエッセイ10で読み返していて、感無量だった。1979年、兄は四十五歳、わたしは四十三歳だった、いまは息子の秦建日子が四十三歳。

湖の本の出せるうちに、建日子との「往復書簡」一冊が出来ればどんなだろう。兄とはいわば「京、あす、あさって」を書きかわした。建日子とは、「創るということ」など、「書き合い」「考え合う」話題にならないだろうか。

2011 12・18 123

 

 

* 35項目に分類し送って頂いた2009年のわたしの全日乗を、無事に保存・保管した。1998年以来、各年別に宗遠日乗の記事内容が「分類」できている項目は、順不同に以下の通り。

バグワン  心  ペンクラブ  映画・テレビ  演劇・舞台  家族血縁  歌舞伎・能・狂言  茶の湯  京都  女  健康  湖の本  「 e-文藝館= 湖(umi)」・「 ペン電子文藝館」   仕事  政治  時事問題  雑  東工大卒業生  読者  友人知己  人物批評  電子メディア  パソコン  文字コード  美術  音楽  スポーツ  文学  作家論  読書禄  詩歌断想  思想  述懐  旅  外出  飲食  歴史  名言集  補遺・問題  追加   総量およそ五万枚と把握している。現行ホームページの「宗遠日乗」には、分類以前の日録のままを全部保管してあるが、いずれは、分類したかたちでも保管・掲示する。

「 湖(うみ)の本エッセイ」の20『死から死へ』 47 48 『濯鱗清流 秦恒平の文学作法 上下巻』 同じく、通算 107 108『バグワンと私 上下巻』 109 『光塵・詩歌断想( 一) 』は、上記分類から生まれている。

2011 12・19 123

 

 

☆ だいぶ寒くなりました。   作家

お元気そうで羨しい限りです。

こちらは体調いよいよ悪化。字に書けなくなりつつあります。

『光塵』ありがとうございます。私も若い頃はもっぱら詩に親しんでいましたので、いく分かは詩藻の豊かさ わかるつもりです。

 

* ハガキのペン字がつらそうであるが、字粒は大きく力あり、どうか気づよく病勢を払って下さい。

2011 12・20 123

 

 

☆ 拝啓   大学教授

やわらかな冬の陽に包まれてみかんが一段と色あざやかです。

此度は「湖の本一◯九 光塵・詩歌断想(一)」御恵送賜りまして まことにありがとう存じます 早速拝読させていただきました 目がくらくらいたしました。

あけぐれのほのかにひかり生(あ)るるときいのちましぶききみにみごもれ

たまゆらのゆめなりしかなこのうでにだきてきみ在るはるのあけぼの

などがまず心にしみてまいりました。

またゆっくりゆっくり拝読させていただきます まずは御礼迄にて失礼いたします。

 

* 今度の『光塵』一冊は、総じていえば期待以上に受け容れてもらえたように思われる。妻の感想でも、そのようであるらしい。

ただ一つ二つ特徴的な点が認められる。

ひとつは、歌人俳人としてその世間で作を発表されているような方からの口が重かった。そしてこれは予期していた。このうるさい男にうかとしたことを言うのは止しておこうという反響であるのだろう。まして当人が、苦心の作物というよりも、ときどきの述懐、謂わば日頃物書きとしての発汗や排泄のようなものと称しているのだから、そのとおりに見送っておけばいい、と。それもわたしの願いに近かった。

ところで、もう一つ。

さ、これらがどういう工合に受け取られるだろうと暗に思い期待さえして編み入れた一群の作、上の大学の先生が取り上げてくださっている「恋和歌」ふうの作に関しては、ひたと何方からも言及がこれまで、 無かった。それが作者として失望というよりも実に面白かった。

言及するに足らざる駄作のゆえに通過されたのか、うかとした感想が洩らされぬと無難に通過されたのか、おいおいおい秦さん、大丈夫なのと剣呑がられたのか。

わたしは、わたしとしては当たり前だが、近代短歌と同等か以上に和歌に敬愛してきた。和歌的な自在にたいする興味と表現にいつも身をまかせていた。少年いらいのことで、まして後々に谷崎先生の「国風」としての短歌観にも賛同していたのだから、あたまのなかにいつも和歌から得た詩藻が小声を発していた。しかも和歌好みの芯には源氏物語や百人一首から呼吸し続けてきた「恋」「相聞」への愛着がつよい。

たとえば、わたしは、「これやこの」「あはれとも」「朝ぼらけ」など古人の歌の第一句に騎乗して和歌風の吟詠を遊んでみたい趣味のあることは、「光塵」に幾例も露骨なほど見えている。

上の先生が挙げてくださったような詩藻としての念頭の「恋」の発露はわたしにはいっそスポーツのような昂揚なのである。うまく乗ると、口を衝いていくらでも出来てくる。昔の名だたる歌人達が歌合わせに出るために用意した歌あるいは席に在って咄嗟に詠み上げた題詠の作など、と、似た気分になるとべつだんのことなくふわりふわりと出来る。だからといって真情とかけ離れた軽率でも巫山戯でも決してない。

『光塵』はこういう歌や句をいい塩梅に含んでいる点が、一つの遊びでも主張でも特色でもあるのだが、不良老年秦恒平のあたかも脛の傷や生傷に触れてやりたくないと思われた読者もあっただろう。そのご心配やご配慮はご無用である。みな、「口から出任せ」であり、しかも秦の本性にも深い位置できっちり結ばれて在る。

もうお一人奈良県在住の女歌人が、漱石山房の用箋に 秦恒平『光塵』と題するように三首を書きだして送ってて下さったのを書き写してみる。

よのふけのひとのことばはうつくしくふるへてゐるといふがかなしさ

とこしへのおもひのそこのみづうみよやへここのへにこのこひまもれ

さびしさのはてはひろののかぜにまひとほきやまべのつゆもわすれじ

こういう歌は、現代歌人は歌わない。歌えない。ふるくさい、時代後れだから、ではない。魂もことばも、現代の毒気で乾燥しきっているからかも知れない。わたしにもこんな和歌たちは楽しい余戯である。今日只今の本音を表現すれば、

なにが不沈空母なものか原発を三基もねらい撃てば日本列島は地獄ぞ

死神に答へて

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ

2011 12。24 123

 

 

* 喪中につき新年の挨拶を遠慮する旨を印刷したハガキが何通も届いてくる。胸がシンとする。

そんななかに、東工大卒業生、といってももう十数年、結婚して何人かのお母さんの手蹟で、ハガキの下の方に小さく小さく、「お元気でいて下さいね」と書き添えてあるのを、あわや見落とすところだった。ありがとう。教室で三年顔を合わせていた。以来、会っていないが「 湖(うみ)の本」 はずうっと買ってくれている。この人では、思い出がある。校門にまぢかい構内であった、うしろから駆け寄ってぶつかるように笑顔で声をかけてくれたことがある。「あ、秦先生の匂いがすると思って追っかけてきました」と。心嬉しくもあったけれど、わるく臭うのではないか知らんと、あとでちと気になった。なつっこい人だった。

 

* もう今年、残る五日になった。

2011 12・26 123

 

 

☆ 御無沙汰を重ねておりますうちに、例年どおりの寒い師走となりました。先生にはお変りなくご多忙におすごしのことと存じます。私も変りなく務めております間に二度までもお葉書を戴きまして恐縮の他ありません。丁度その頃遠くに居ります倅が帰宅しましたので、文藝館での私の俳句の事を話しますと、直ぐにごそごそしておりましたが、私の作50句などが面前に映りましたのにはいささか照れくさい思いがしましたが、その思いはすぐ消えて、私などの作句がインターネットに映るなんて勿体ないと思いました。その光栄に対して「もっと頑張って作句に精進ーー」と云う気持となりそれを誓いました。地方居住は「勝つ」ことより「負けない」努力と思っております。次ぎのお葉書では、お届けさしていただきました清酒のこと。僅かな品でどうもすみません。

また「「 湖(うみ)の本」 はいつも精読させていただいてをります。本当に勉強になりますので有難いです。亡き占魚師には「自己の俳句に栄養をーー」と教えていただきました。「湖の本」はその大きな栄養素であります。

年末となりました先生の御健勝を念じあげます。   下関市 俳人

 

☆ こんにちは。

いよいよ新年の準備一色になって参りましたね。

先日はクラブルームにお運び下さり、有り難うございました!奥さまもお元気でいらして、ご挨拶出来て幸いでした。

「湖の本」( 『お父さん、絵を描いてください』) の上下巻、昨日頂戴いたしました。お正月に実家でゆっくり拝読したいと思います。絵を描いてる身として、興味あるテーマのど真ん中でもありますから、いつも本当に一気に読んでしまいます!

今年は公私共に考えさせられる事が多く、制作に専念出来ない自分がおりました。不完全燃焼の感が拭えません。

「せっかく東京に出てきたのに!」。

その分来年は…!と期待しております。

展覧会も多くございますし、是非案内させてくださいね。

奥さま、ご家族さまと素敵な年末&年越しを! またお元気なお顔を拝見できる日を楽しみにしております。

時節柄、くれぐれもご自愛下さい。   画家

2011 12・27 123

 

 

* さてさて、この機械部屋など、結局片づけることすらなく越年しそうである。

玄関には、亡き出岡実画伯の「持幡童子」をわきに、正面に秋石画「蓬莱山」の長軸を用意している。古典文学全集の上へ、干支開運の龍を小さく置き、その背後に雲鶴文象嵌青磁の皿を立ててある。

居間には柏叟の「閑事」二字に年を越してもらい、その前に、唐物漆器の存星、赤漆地に鎗彩、錦華のように繊細に金で文様を描いた四方盆に、やはり唐物の青磁手付茶器を莊っている。

どうしてもこうしても狭い上にモノばっかりの家だ、これ以上掃除のし甲斐がない、それでよい、よい。四十余年もこの家に馴染んできた。垣根一重のとなりに、両親が買って京都から移り住んだ一棟のあるのが今は物置としてどんなに有り難いか、それなしに「 湖(うみ)の本」 を四半世紀余も出版し続けることは出来なかった。松壽院さん、心窓さん、香月さんのお蔭である。

2011 12・28 123

 

 

* ほぼ終日、思い立って『千載和歌集』に関わっていた。千載和歌集の時代というまとまった原稿も書き下ろした。「書いて」いると時間がはやく過ぎる。早めの朝に書き始めると早起きの徳も納得できる。

なぜ千載集が好きなのだろうと問うのは、自分自身を問うのとほぼ同じい思いがする。

片方で東北の人たちの辛苦艱苦に泣く思いすらもち、東電のエゴイズムや原発の成り立ちひいては御用学者への怒り、野田政権へのもう引き返しようのない不信感などを抱きかかえていると、額の真上まで黒雲が被さってくる。立ち向かう姿勢は捨ててはならないが、愉快でない。愉快でなくてもやはり立ち向かわねばと思うに連れて、わたしなりの「理世撫民」をわたし自身に対し計らねば済まない。千載和歌集がかっと目の前に立ってくる、そういうところが、わたしである。

「理世撫民」は、千載集勅撰を意図した後白河院の表向きの建前であった。院が、あの建礼門院右京大夫の恋人であった平資盛を院使に、藤原俊成に勅撰和歌集を命じて院宣をくだした寿永二年二月。その二ヶ月後には早や挙兵した木曽義仲軍により、越中礪波山で平家方は大敗し、七月には都落ちしているのである。歌人忠度が馬を返して俊成の門を敲いて自歌巻を托して去ったのがその時だ。  2011 12・29 123

 

 

☆ 拝啓いよいよ押し詰って参りました。  名大名誉教授

益々 御健勝のことと賀し上げます。

「 湖(うみ)の本」 一◯九を御恵投にあずかりました。御礼を申し上げます。数々の思いをこめての御詠草に胸打たれます。老いの御心境もわが身の上です。

どうぞよいお年をお迎え下さい 敬具

 

☆ 秦先生    日野市 読者

真っ白に冠雪した富士の頂を窓越しに望みながら日々の寒さを実感しているこのごろです。秦先生にはますますご精励のご様子 なによりとお喜び申し上げます。

御著 湖の本「光塵 詩歌断想」拝受 まことにありがとうございました。

『みごもりの湖』を機縁に先生の御作に親しんでまいりました。以来 京都に触発されまして いくたびとなく足を運んでおります。京都市の友人からは こちらに住居を移したらと声をかけられるほどです。

こまたび109巻を頂戴しまして 嬉しさも一入なのです。感性豊かな御作に触れられることの喜びをあらためて感じております。

向寒の砌 ご健康にご留意なされまして 佳き新年を迎えられますよう心よりお祈り申し上げます。 拝

2011 12・29 123

 

 

☆ 『湖(うみ)の本 109』

お礼状遅くなりました。ご著書いろいろ、就中『梁塵秘抄』をよくひらいています。

◯ 来る春をすこし信じてあきらめてことなく「おめでたう」と我は言ふべし

こんな心境で新しい年を迎えたく思いました。

◯ 我は我と言ふことやめよ 奴凧

◯ 元日やタケルもグーも一つ家に

建日子君は早中でしたね。

「詩歌断想」たのしく読んでいます。    歌人・元早稲田中学教頭

2011 12・30 123

 

 

* 千載和歌集を反復読み、更に読み、そして、に就いてこつこつ書いていた。

 

* 目が疲れてきた。

2011 12・30 123

 

 

* 千載集をさらに精読している。

2011 12・31 123

 

 

☆ 秦恒平先生  御礼

本年もご指導賜りまことに有難うございました。生きる指針として御著をブログを拝読しています。

テレビ朝日のトーク番組で、コメンテーターの川村氏が、今年最も注目したひととして菅前総理をあげていたことについて、秦先生が高く評価されていましたが、私もその時たいへん感動しました。川村氏の興奮冷めやらぬ表情がまた印象的でした。菅さんは「脱原発宰相」として今後評価されてゆくものと思っています。

東電が、放射能被害者に対して「無主物」という概念を持ち出したことや、電気代値上げを「権利」と言ったことについても許し難いことだと思います。

原発事故後一年経過する頃には、政府の無策、東電の無責任な姿勢に対して、不満が爆発するのではないかと心配しています。そんなことのないように、早期の補償や明るい展望を示してもらいたいものだと思っているのですが。

ますますのご健勝をお祈り申上げます。よいお年をお迎えください。葛飾区 光

 

* 除夜の鐘を聴いて。

2011 12・31 123

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