ぜんぶ秦恒平文学の話

湖の本 2012年

 

 

* 新年から、千載和歌集に打ち込んでいる。読む、読む、読み込む。

2012 1/1 124

 

 

* 克明に千載和歌集を読み進んでいる、「読む」という行為が自身の創意や感性からする創作意義を持ってくる。万葉集このかた多くの時代に多くの撰集が編まれた、詞華集が編まれた、今の世にでもそれはある。わたし自身、歌謡の「梁塵秘抄」「閑吟集」から精選し観照してきたし「愛、はるかに照せ」も「青春短歌大学」も撰集になっている。

私なりにというとおこがましいが、平安八代集を私の思いにかなう秀歌だけで選び取り選び直したいという思いを持ってきた、その第一番に、好きな「千載和歌集」を選んだのである。「選ぶ」という批評行為に徹し、不要なその上のお節介は省きたい。さりとて平安和歌の面白さを読んであっさり受け取れる人はすくない。多少の親切は必要だろう。

暮れから、元日、昨日、今日三が日も休まなかった。打ち込んでいる。

2012 1・3 124

 

 

* 和歌撰の仕事に熱中しながらも、明日の人間ドックのための心用意なども。主治医が一日で充分と言ったので、一日だけ。どんな検査が出来るのか。朝早くに聖路加へ着かねば。明け方五時半にすこしの水で服薬を済ましておかねば。

「撰」は恋歌五巻を終え、雑部に移る。万葉集でもそうだが勅撰和歌集の「雑」部には読みがいある歌がならぶ。

2012 1・4 124

 

 

* 『千載秀歌』を心ゆくまで撰しおえたと思う。嬉しき一仕事に、花を添えたい。

2012 1・6 124

 

 

☆ 賀正

先生の貴重なお時間を拙著にお使いいただき、まことにありがとうございました。

汗をかくほどの自然さで作られる先生や谷崎の歌が持つ 歌よみの歌にはないおもむき、私のあこがれです。 大学教授 京都

 

☆ 迎春

いつもいつも湖の本戴き、感謝にたえません。特に109号『光塵・詩歌断想』は感銘深く読ませていただきました。

ワルシャワ大学の方へも、送らせていただいております。

お体 くれぐれもお大切に!   作家・ペン会員 東京

 

☆ 謹んで念頭の御あいさつを申し上げます

あけましておめでとうと例年の様に云えるのは 実は稀有な幸運にたまたま乗れてのことなのだと 今年はしみじみ身にしみたという気がします

どうぞおすこやかに  元旦    作家・ペン会員 東京

2012 1・6 124

 

 

* 七時に起き、ひとり一服の茶を喫す。菓子は無し。二階の機械の前へ。今日も千載秀歌撰をつづける。

* ロスの池宮さんから電話で、新年の挨拶とお見舞いと。

 

* 千載秀歌撰の一首一首に綿密に最小限度の解を添えている。「雑歌」中の半ばまで。可能なら今夜中に「雑」歌の上中下を終えたい。そうすれば、残るは「釈教」「神祇」巻だけ。いわば古代・古代末の和歌の精粋美味を堪能している。一条朝から十五代高倉天皇の時代までと後白河・藤原俊成は狙いを定めている。いわば、清少納言、紫式部、和泉式部、赤染衛門ら、また藤原公任、具平親王らの王朝盛期と、源俊頼らの金葉集時代に始まり、崇徳院をはじめ西行円位や待賢門院堀川や定家や道因法師や頼政や、 とにかくも撰者俊成の時代の俊英を網羅して、清艶を競わせている。

わたしは古今集以後の和歌のエッセンスは千載和歌集にほぼ極まっていると思い愛してきた。

現在只今のわが心境にも切に触れて感慨に迫られる述懐歌も満載されている。わが「晩年」の初仕事として、創作はさておき、これほど身に沁みるものはない。

 

* 明日のうちに、いいところまで仕事を押し上げておいて、明後日は国立劇場の初春歌舞伎を楽しむ。

2012 1・7 124

 

 

* よく集中した、思ったところまで仕事は到達、明日にはひとしお思案も加えながら。身につまされる歌をそれはたくさん読んだ。読み込んだ。難しくて立ち往生しかけた秀歌もあった。バグワンに聴いていたのに多く多く思い当たったのも有り難く。バグワンに聴いてこなかったなら、思い乱れるところ有ったに違いない。

2012 1・7 124

 

 

* 千載和歌集の全一二八八首から、およそ四百首前後を撰歌し、その大方に適切に寸註を書き加えた。繰り返し繰り返し読んで味解に努めた。予期よりもずっと深入りし、この仕事は自分にとって運命的な物というほど実感を得た。わが七十六年を決算するある種の卒論を試みたほどの実感も得た。それほど千載和歌集は佳い勅撰和歌集であり、古代の花と中世の風とを要約し得た俊成畢生の撰だとも実感した。師走も押し詰まった二十九日に「思い立って」秀歌撰に手を出したと日記に書いているが、撰は、以前に半ば成していた。しかし今回、抜本的に読み直し読み深め、大晦日も元日もなく草稿を決定していった。

はからずも五日の人間ドックの、暫定的ではあれ医師に告げられた「癌病変あり」との診断も、撰の後半の読みに、解に、註に、つよく影響したと思う。

おそらく、いつかこの『千載秀歌・撰註』を読んで下さる方は、これが秦恒平生涯をものがたる必至のいわば創作で、見解( けんげ) で、境涯であったかと、繰り返し味わって下さるだろう。先立った『バグワンと私』上下巻も、それなりに必然であったのだとも。 2012 1・8 124

 

 

* 鏡開きの日であったろうか、明日かな。明日は甘い善哉を煮る日でもあったか。記憶もこころもとなくなってきた。

* 「 湖(うみ)の本」 110巻を、再検査や追加の検査や、場合によれば入院や手術の合間を縫っても恙なく仕上げたい。いま、大きな編成に、ああかこうかと思案を重ねているところ。

2012 1・10 124

 

 

* いま「 詩歌断想(二)」を編もうとすると、2009年末までで「 湖(うみ)の本」 にしてかなり精選しても優に400頁上下二冊ぶんほども有る。昨年末の2011分まで予測すると上中下三巻になる。しかもますます増えて行く。三十何項目もに分類された中の「詩歌」の項目だけでこうなる。わたしの寿命が、秦の母の享年と同じ九十六歳も、しかも元気で与えられれば知らず、体内に爆弾を抱えてしまった以上、所詮はわたしの手に負えない。日を負ってわが影を踏もうと走るに等しいのだから、どうしようもない。こんなとき、身のそばに朝日子がいて手伝ってくれたならと、切に夢をみてしまう。

 

* さきの『光塵』洩れ落ちた作を、日乗を追っていて次から次へ二十あまり、たちどころに見付けた。落としたくなかったなと思う作も。調べていないこのところ二年にもまだまだあるかも知れぬ。

 

掌において身のおとろへの忘らるるマスカットの碧(あを)の房の豊かさ  湖     2006 5・16

 

しらたまのつきになごりの酒くみておもひのたけのかぐやひめこそ  翁   2006 10・29

 

まあだだよ。もういいよとは言はれまじ。もういいよとは、もうおしまひぞ。 湖   2007 6・30

 

満月も待ちかねている花火かな

 

満月を上客にして花火かな   宗遠   2007 7・28

 

肩書のついた名刺を破( や) りすつる   遠   2007 12・31

 

寒ければ寒いと言って 立ち向ふ  湖   2008 2・1

 

これやこの強情我慢 花吹雪    湖   2008 4・1

 

慈雨の季( とき) うれしさまさる生きてこそ  湖      2009 6・5

など。「寒ければ寒いと言って 立ち向ふ」のが、好き。

2012 1・10 124

 

 

* 千載和歌集のいわば「背後」「背景」を展開させている。 一条朝から高倉天皇のころまで。とても追いつかないが。

* とにかくも気の励みと楽しみと。キッパリと心身を持するためにも。

2012 1・11 124

 

 

* なるべく病変のことは考えないようにと思っても、それはムリで、考えたければ考えたら良かろうと思っている。体内に、繊細な針でチリチリひっ掻くような刺戟を感じる。どうしたのかなと思ってきたのも、今は理由づけしやすくて、またかよ…と苦笑したり。

それよりも思考が、なにかしら過去よりに「記憶を清算」でもしようという風に働いて行くのは鬱陶しいから、なるべく「いま・ここ」の仕事つまり行為に、関心や興味のもてるようでありたい。

さいわい、わたしには興味という趣味感がまだ相当欲深く溜まっていて、文学ないし書く仕事の上でであるが、あれがしたい、これがしたいという目当てにほとんど欠乏したことがない。

わたしが病院に掛かる気が疎かったのは、名の付いた病気になどさせられ、机や機械の前から追い立てられたくないからだった。仕事が栄養であり妙薬だと判っているからだ。

こと、ここに至ればジタバタしても始まらない。しかし、出来る仕事はつづけさせて貰いたい。

 

* 良い内容でしっかりした一冊が編めるのなら、「いま・ここ」に徹して躊躇うまいと思うが、編輯・編成に、楽しくはあるが苦慮もしている。それだけ、たゆみなく積んできた仕事がある、仕事がしてあるということ。過去に本になりきれぬ儘置かれた「仕事」、読者に本として読んで戴けなかったわるくない原稿にもわたしの手で日の目を見せておいてやりたい。

こういう風に気持ちの動くのが、晩年の気の急ぎなのだろうか。

老妻に、スキャン仕事が頼めるのが、言葉にならぬほど有り難い。

 

* スキャン校正に没頭しているが、二冊分にもなるのではないかと首をすくめている。今日ぐらいにも入稿し、明日の診察次第では久々に京都へ行きたいとも想っていたけれど、そうはいかない。幸か不幸か待っていた大相撲十二日めの案内が、相撲茶屋の竹蔵君から来ない。来ないままだと、十三日の診察次第では二十七日の大腸内視鏡検査まで、二週間がある。貴重な自由時間であるのかも知れないのだが。ま、校正と編輯とに専念専一に。

ところが本からのスキャン精度が悪い。かなり手が取られる

2012 1・12 124

 

 

* 仕事、捗ってはいるが、輪郭の鮮明な編輯案には至らない。「千載秀歌  千載和歌集の基盤と背景」といった構想だと上下巻が必要かも知れぬ。半端に妥協したくないと願っている。

2012 1・12 124

 

 

* 手術前に、ぜひ新刊の「 湖(うみ)の本」 を入稿して行きたい。その段取りが今あたまを半ば以上占めていて、此処は慌てずに、いいものになるよう無心に手をかけたい。十九日は大相撲と初場所と期待していたが、わたしの容態に配慮してくれたらしく、そこへうまく外科外来受診がきまったわけで。それも大事、だが大事なことはいくつもある。自然体で受け容れたり受けとめたり励んだり。

 

* スキャン原稿の精度わるく、校正停滞。 疲れた。まだ十時前だけれど、休みたい。

2012 1・13 124

 

 

* 今は十世紀から十三世紀日本のある種の藪の中へ潜り込み、進めず出られず、疲労しながらもたついている。

2012 1・14 124

 

 

* 気持ちを打ち込んで、新しい「 湖(うみ)の本」 のためにたくさんたくさん読んでいる。過ぎし日のわが感想や論攷に多く頷いて読み返せるのを幸せに感じる。ついに文学で「蔵」は建たなかったわたしだけれど、敢えて言う、物凄い量を書いていたものだ、どう汲んでも「湖」の水はまだ尽きない。なんとか今、気儘に暮らせているのは、百余冊の印税からではない、一枚一枚に骨身を削った原稿料などのお蔭である。原稿をあんなにも猛烈に依頼し続けてくれた各誌の編集者に遅ればせお礼を言います。

2012 1・15 124

 

 

* 仕事もだいぶ捗らせた。明日には、なにかしら見通しが立つかと期待しているが、根をつめて無用の疲労を負うこともない。自然にゆったりした日々を願っている。今日は十五日の小豆雑煮を祝い、恒例の善哉も味わった。久しぶりにカンビールを一つ呑んだ

2012 1・15 124

 

 

* 終日仕事していたが、捗っているともいないとも。難しい。寒風に逆らい、処方された糖尿の薬を薬局へ受け取りに、駅前まで走った。自転車乗りの感覚などなんら変わっていない。もし三時間走ってこいと云われたら走ってこれるだろう、ただ、転ぶのはイヤ。骨はけっして好くない、悪い方だと脅されてきたので、余計にいや。乗っても乗らなくても、転ばぬこと。

 

2012 1・16 124

 

 

* 仕事を一段落といえそうなところへ持ち込めた。ただし、半分でしかない。のこり半分も、しかし形はほぼ出来ている。やれやれ。

2012 1・17 124

 

 

* 静かなところで好い所でゆっくり出来る所といえば、最適なのは東博の本館と東洋館だろう。美しい、 懐かしい旧知に溢れている。仏画と仏像とにいつも心惹かれる。

* 西武の八階、今日は伊勢定で鰻重の「梅」に「鰻ざく」と「肝焼き」 久保田の「紅壽」と生ビールで、思案の要る「 目次」編成に智慧を使ってきた。電車では、一つは「光塵」一つは「田沼時代」。

2012 1・18 124

 

 

* 帰宅したら、すぐ通算110巻入稿を用意して手渡し、ひきつづき111巻分も送り込めるようにする。第103巻の『私 随筆で書いた私小説』以降、『文学を読む』上下、『京と、はんなり』『バグワンを読む』上下『光塵』と、或る必然の連繋を保って進んできた。まちがいなく続く上下巻は、『光塵』を受け継いで必然著者自身を吐露するだろう。

2012 1・19 124

 

 

* 朝八時半に妻と家をでかけ、 十時には建日子も来てくれて、終日聖路加の中で右往左往し、とっぷり夕過ぎた十八時半に、どこへもたちよらず帰宅。建日子は途中から仕事の打合せへ走った。よく来てくれた。

 

* 今日の消化器外科での医長診察は、わたしのだけで「二時間半」におよび、午後には追加の腹部CTスキャン検査もし、さらに入院・手術に到る以前に必要な諸検査のスケジュールが立ち、逐一看護師の説明が加わり、入院手続きも済ませてきた。胃や腸のカメラはじめ厳しい検査が次々に予定されている。検査で相当バテそうな不安すらある。入院期間は三週間ほど、と。退院は三月中旬になるかも。それも、すべて、うまくいっての話。独りで外出など出来るまでにどれほどかかるのか、今は何も分からない。容態は、けっして楽観的に構えていられる状況になく、癌病変の位置が上寄りで宜しくなく、諸判断のためには、まだ不明の点が幾つもあるということ。とにかくも、克明な医長先生の説明を聴いていると、楽観して好い要素はあまり無く、蓋をあけて分かると謂うことのよう。さしあたり24日、早朝から胃カメラ、引き続いてバリウム検査。

 

* ま、そんな有様で。成るように成るとしか思いよう無く、医師を信頼し任せて状況を受け容れる、わたしはそう決めている。わたしよりも妻や建日子のほうがやきもきと心配であろう、思いも乱れがちであろう、と、可哀想に思っている。

 

* 何月何日に入院し何日に手術予定と言うことは、此処には書かない。お見舞いいただくのは、有り難くも申し訳ないが、拝謝したい。ご勘弁願いたい。

 

* さ、それに「湖の本」との折り合いがどうなるか。どうなろうとも入稿はしておく。去年、秋口の病がほぼ癒えてきたとき、「この道はどこへ行く道」と問い、「知つてゐるゐる 逆らひはせぬ」と歌って詞華集『光塵』を結んだ。つづく展開は。いい形で収まりをつけたい

2012 1・19 124

 

 

* 夕方までかけて、「 湖(うみ)の本」 通算110巻を入稿した。手術日までに初校が読めて戻せるといいなと願っている。

2012 1・20 124

 

 

* すでに増血剤を飲み始めている。ひとつには輸血用に自己血を400CCとるので、そのためである。処方されたその薬を雪雨のなか自転車で薬局へ取りに行った。

その余は、もう一冊分のスキャン原稿の校正に集中、かなりの量をがんばった。

 

* 食欲はあるが、食べると腹部の違和感が鬱陶しい。半分は神経だろうと思っている。何にしても快からず、食べたくても食べるうちにイヤになる。血糖値も成る可く下げて置きたく、血圧の高い気味も降圧剤で抑えねばならない。

目の前の月曜23日には、腹部CTスキャンの結果が分かる。

火曜24日が朝の九時過ぎから、またもや胃カメラ、引き続いてバリウム検査。せめて天気が晴だといいが。からだに負担が残らなければ、午后、独りで東博へ行ってみようか。胃の中をいじり廻されたあとでは食欲も出まいか。

次ぎに三十日午后、検査結果に基づいて、また医師の診察と説明があり、あと、たっぷり採血される。さらに引き続いて看護師による面談と手術のオリエンテーションがあるらしい。

二月に入っても、続々検査が続く。中には大腸の内視鏡検査という難儀で厄介なヤツが待っている。胆嚢も造影検査するらしい。

* 時間をかけて、手術後病室で三週間ほどのあれこれ心用意をしておきたいが、前の校正と後の入稿とは済ませておければと、妻に手伝って貰っている。妻もわたしも、ま、なにやかや手仕事に追われているのは悪いことでないだろう。

2012 1・21 124

 

 

* 午前十一時すぎ。「西行に擬されたもの」という比較的ながいわたしの往年の論攷を校正して、漸く半ば過ぎたか。一九八六年一月号の「短歌」に書いていたのだから、四半世紀以前。ついでながら、恵遠を書いたわたしの芥川賞候補作「廬山」は一九七一年十二月号の「展望」だから、さらに十五年以前、今から四十年余も昔である。そして「いま・ここ」で、わたしは、千載和歌集から秀歌撰を試み、その時代や背景や底流を観て取ろうとしている。いまがいまの思い立ちでなく、わたしの作家生涯を貫く棒のようにそれは在ったし在り続けた。この論攷は、いや述懐は、「わたし」の遺しうる本音というに近い。

2012 1・22 124

 

 

* ほぼ期待したところまで今日の仕事ははかどった。さて湯に入ってから、日付の変わるまで幾つかドラマを楽しむ。映画を観るかも知れないが。

 

* どうやら増血剤を飲み始めた副作用が、胃のもたれや軽いむかつきや肌の痒みなどになって出ているらしい。発熱はしていないが、けだるさに負けて入浴はあきらめ、「トンイ」を見おえてから、また校正を一時間。妻にも手伝って貰っているので明日にもスキャン校正は全部終えてしまえそう。さ、今夜の仕事は、ここまで。  2012 1・22 124

 

 

* 七時前から読書、九時前から機械の前に来ている。スキャン原稿の校正は今日の昼すぎには終える。すぐ引き続いて別途の編輯作業に入る。

2012 1・23 124

 

 

* 捜し捜していたモノは、ごく身のそばの積み重なった原稿類の中で、つい、今、みつけた。昨日から今朝へかなり時間の無駄をしたが、少しは整頓もできたし、いい発見で、今度の仕事にもまた一つ役立ってくれる。下巻は質的内容的に、たぶん、充実する。

2012 1・26 124

 

 

* 妻の手伝いで、残る二本の原稿のスキャン校正も終えた。明日にはもう上巻の初校が出来てくると電話をもらった。同じ明日のうちにも下巻が、かなり重みのある下巻が入稿できそうだ。

2012 1・26 124

 

 

* 早朝に「 湖(うみ)の本」 110巻の初校ゲラが届いた。即座に仕事を開始、晩の七時半まで機械の前へも行かず、 階下の大机で真っ先に「千載秀歌」362首を丹念に校正した。一首に添えた「解」「味解」「読み」などの短文が、どの程度に説得力をもつかに神経を集中、これで佳いと納得できたのは、私のためには祝着であった。この分だけは、すぐにも再校を求めて戻せる。

しかし、つづけて「 千載和歌集の背景」として多数のエッセイ、随筆、感想、小論などを編纂したところの分量が多過ぎ、おおむね40頁ほど減らさねばならない。うまく下巻に回せるように按配する作業が残ったが、幸い下巻分は用意出来ているので、按配は、どこへ上巻からの原稿を挿入するかに尽きている。上巻は、話題として興味のある平易な短めの文章を組み立て、下巻はわたしの「女文化論」の基底をかためておける感想をあつめたつもり。

 

* 平安古代中期から江戸近世前葉までが、わたしのいわば「仕事場」であったことが、何冊もの本で証明できてきた。

 

* 明日には、思い切った編輯技術で上下巻を按配してしまい、下巻原稿も印刷所に委ねたい。

今日は終日、初校ゲラの重いのととっくみ合って過ごした。家にいる限りインフルエンザもあまり心配せずに済む。とはいえ、せめてこの体躯を維持したままのいでたちで、心おきなく街歩きもしてきたいのだ、本当は。人のいない、静かな場所。湿気の適度にある場所。空いた美術館か博物館か、それともやっぱり大きな河のあるところか。寒くて風邪をひくのはイヤだし。

それよりも、まずは仕事。刀や鑿が使えなくても、絵筆や絵の具が使えなくても、いろいろに「書く」言葉で、わたしは「わたし自身」を彫刻できる。そのとき、わたしは生きている。

2012 1・27 124

 

 

* 朝から原稿の配置と量調整にかかっている。仕事の手は、適宜かけるほど、仕上がりに納得が行く。掛けすぎると大きく破綻してしまうこともある。

なにはともあれ、下巻を入稿して置きたい。

2012 1・28 124

 

 

* 入院前の懸案としてきた「 湖(うみ)の本」 110 111上下巻の入稿を遂げた。上下の量的調整もおおよそついたと思う。あとは、しっかり校正したい。一月は、日曜もふくめもう三日間しか残っていない。三十日午后いっぱい、病院で、診察と診断説明や、自己血採血や、入院や手術のオリエンテーションがある予定。せめて月末、外出してみたいが、前日からの流れで疲れずに済むといいけれど。いまはまだ何とも。

2012 1・28 124

 

 

* その後、食後、わたしの校正の仕事は順調に平穏に進んでいる。明日には、上巻の前半「千載秀歌・撰註」と「時代」を説いた二編 だけ、初校を印刷所へ送る。

2012 1・28 124

 

 

* 千載集全一二八八首から三六二首を撰し、必要を感じた作には一行多くても二行たらずの註を付してある。原作の和歌は読んでよみづらいようなものは無い、が、なにといっても千年昔の古語の巧みがある、またそれが詩のおもしろさだが、理解・味解の役に立つように、ちょっとわたしの言葉を、それもいろんな手を用いて添えた。

一昨日校正していたら、原作和歌にさらにわたくしの和歌の添えてあるのが二個所にあった。宗遠註としてあるのだから添えた和歌はわたしの作だった、そんなこと、忘れていた。

2012 1・29 124

 

 

* 上巻前半を要再校で送り返し、上巻後半も校正を進めて、たぶん今日中に終えられるかもしれない。上巻はエッセイふうに読みやすく取り纏め、下巻はずっしりする。

問題は、少なくも上巻は入院中に出来てくるか、入院中に責了に出来るかも知れない。

さっきも妻が手術予後について、病院でドクターから念入りに説明された印刷物を読んでいたが、それによると術後に重いモノを持ったり運んだりは禁物とあると聞いて閉口した。湖の本の堅い封筒の200頁一冊は軽くない。つねの発送時にはそれぐらいの一冊を五十、六十冊もダンボールに詰めて、作業場のキッチンから玄関まで持ち運んでいるのだ。

今度の上下巻については、工夫をこらして別のいい方法を案出しなくてはならない。

それも手術が平穏裡に成功し無事に退院できての話であるが。

とりあえず明日午后いっぱいの、自己血採血と、医師の診断、看護士のオリエンテーションに疲れてしまわないようにするのが、第一。

 

* 大河ドラマの「平清盛」を書いている人は、かなり的確にこの時代をつかんでいる。評判が悪いと聞くが、それは大衆紙芝居を安直に期待する視聴者の方が、水準が数段低いのである。自然主義の私小説つり純文学のようにこの大河は流れ始めたが、それはそうあって自然当然である。武士とはただに「侍」に過ぎなかった。それをそのまま捉えつつ王家の犬には鳴らない秘めた意思を忠盛はよく演じている。あの父ならこの子がそだつだろう。今度の湖の本に入れた「侍」「御繪と侍」などがその辺を裏付けている。

2012 1・29 124

 

 

* 早朝、読書を終えた。右膝下に痛い攣れを感じたまま堪えた。ひところ異様に熱いほどだった足先が、昨日今日は凍えたように冷える。腹の痛みもきのうから今朝へ紛れないのも、冷えのゆえか。

上巻後半の校正が、もう少し残っている。此処上巻から下巻へ送り込む分をはぶくと、上巻の頁はほぼ尋常に落ち着きそう。跋文を入稿して、出来れば校正しておきたい。きつい力仕事にならずにすむ発送用意も、可能なだけは入院前にしておきたい。

2012 1・30 124

 

 

* 上巻の校正を終えた。跋文 アトヅケそして表紙は追いかけて入稿する。上巻から下巻へ移行の三本も校正を終えてあり、今日送り返す。

2012 2・1 125

 

 

* 印刷所から下巻の初校が出て、送ったと。さ、無事に上下巻を、わたしの手で出したいもの。

2012 2・1 125

 

 

* これで、あます検査は、これも胃全摘と共に剔除予定の胆嚢検査が、一つ。そして入院。

いま、お腹の中がククウと低く鳴っている。違和感はすこしもなく。ただ、夜前のほぼ徹夜に近かったのが手伝い、病院からの帰りもグッスリ。今も、睡くて睡くて。

 

* しかし下巻の初校出。明日には上巻の「秀歌撰」の再校が届く予定、ぐんぐん追いかけられる。印刷所と追いつ追われつ、有り難い、それが精神衛生になっている。

2012 2・2 125

 

 

* 上巻前半の「千載秀歌 撰註」「千載和歌集の時代」「藤原俊成の時代」の再校が届いてもう再校を終えた。

 

* 湖の本に、こんな際に重大な事故が起きそうだった。長い間、ワープロで宛名を保存し、読者はご存じご覧の通りの宛名印刷をして、送本封筒にはりつけ用を足してきたが、妻のワープロで、「宛名印刷用の基本の稼働カード」の働きが鈍くなっていた。稼働カードは、「TPSHIBA Rupo 90F Rupo アプリケーションソフト  名簿データバンク JWS2091C」

但し、このカードが傷んでいるのか、ワープロ本体の方が働かないのか、操作上の手落ちがあるのかは、まだ分からない。何にしても、カードのバックアップもとらず、またとうの昔にパソコンに切り替えておかなかったのは、手抜かりであった。

今から「手書きの宛名書き」は容易ならぬ仕儀だが、パソコンに適切なソフトを入れてそれへ宛名を新たに打ち込むのも容易でない。しかもパソコンでなら、どういうソフトの、どういう操作で、どういうラベルをどう使うのかも、一から学習しなくてはならないが、いまのところ、まったく知識も用意もない。

何とかして、今回の湖の本上下巻、たとえ上巻だけでも、恙なく読者の手に届けたいが。

 

* 何とか乗りきれぬものかと惘然としていたが、電源を切っていた機械の寒気による作動の鈍化であろうと、電源を入れ、長時間温めてから試みたところ、辛うじて上巻分の宛名だけが刷り出せた。ま、これで、乗り切るしかない。パソコンへの新たなアブリ入力などはなんとか勉強してから。

2012 2・3 125

 

 

* 今日は上巻のあとがきを書いていた。また発送用のために封筒にハンコを捺し、宛名印刷したラベルをこれから貼って行かねばならない。かなり心気をあつめ根気を用いていたか、首まわりや肩が硬い。とにもかくにも入院までに残された時間と、懸命に取り組んで行く。のんびりも休養も、考えていない。

2012 2・4 125

 

 

* 今暁、去年の秋以降なんども悩まされた腹痛に苦しんだ。六時には床上に座り込んで腹をおさえながら本を何冊も継いで読んだ。『ネシャン・サーガ』上巻を読み終え、三巻『栄花物語』の第二巻を読み終えた。

痛みは治まらず、起床、キッチンで温湯を飲んだりしながら堪えこらえ、録画していた「平清盛」を観てから、二階の機械の前で今回上巻「跋」を書き上げ入稿し終えた。どうやら、ほぼ痛みが退いてくれていた。

外科医の診断ではわたしの腹痛は胆嚢の胆砂のセイであろうよと。それで胆嚢検査もしておいて、手術当日胆嚢もとってしまうということらしい。

とにかく今朝は相当痛かった、永い時間。やれやれ。

* この先は、子供が泣くように術創の痛みに相当苦しむのではないかと思う。そんなときも、必要な「仕事」があって出来るなら紛れるかしらんなどと思っている。

2012 2・5 125

 

 

* 一度治まっていた腹痛がまた起きかけている。仕事を「追って」いるのがプレッシャーになっているのかも知れぬと思う。左右の肩が鋭器でグリグリさすように痛むのは疲れと思われる。しかし、休んでもおれない。わたしなら難なく出来る仕事も、万一息子や妻があとを執って進行するとなると、けっしてそう容易ではないのだから。

とはいえ、安定剤が効いて眠気が近寄っているのなら、暫く寝込んでいたい。

 

* 午后の腹の痛みもしつこかった。どうやら確定的に胆石・胆砂の痛みというのが当たっているようで、妻に背筋の下の方を指圧してもらい、痛みが緩解した。パソコンの検索も役に立ってくれた。

「平清盛」「陽炎の辻」を楽しみながら、下巻本文の校正にも手を付けていた。今夜はゆっくり寝たい。

2012 2・5 125

 

 

*  今日は、上巻発送のための用意を一気に進めた。本が出来てさえ来れば、妻が一人で少しずつでも作業の出来るように、準備すべきはして置いた。いつも手書きでしている発送時の読者宛て挨拶だけは、今回ご容赦願うことにした。また寄贈者、大学高校への送本用意もして置いた。あとは、上巻は再校の出そろった段階で責了紙へまで病室で読み上げること。わたしが出来ない場合は、妻と息子とに依頼する。

下巻分の送本用意も出来るだけ分かりよく道を付けておく。

2012 2・6 125

 

 

* 綱渡りのようであるが、『千載和歌集と平安女文化』上巻と下巻との頁配分ができ、200頁ずつ、都合四百頁の大冊ができることになった。『バグワンと私』は日乗であったが、今度のはすべて批評・評論・論攷で纏まっている。平凡社で『中世と中世人』という大冊を出版したのに優に並ぶ。湖の本には『中世の美術と美学』三巻もある。『いま、中世を再び』もある。『花と風』という古代と中世への美学もある。

明日には上巻の後半が届いてくる。うまくすると、仕事がずんと前へ動くだろう。

 

* さ。夜前の眠りは足らなかった、十一時だが、もう休もう。

2012 2・7 125

 

 

* 上巻後半の再校が出たので、懸命に読み進んでいる。もう「あとがき」だけが残っていて、明日には「表紙」も責了に出来る。上巻から或る程度手が離せたら、こんどは入院中のこと、と、同時に万一に際しての用意もしておかねばならぬ。手術の成功に十分な希望は持っている、が、何が起きるか知れぬという覚悟と用意もしておかねば。とにかく今日は再校に打ち込んでいる。

2012 2・8 125

 

 

☆ 秦先生  ○

お体の具合はいかがでしょうか。

実は、義父が一昨年、胃がんを患い、それも食欲不振と酷い貧血という自覚症状で発見されたものだったので、どうなるのかと家族皆で心配をしていたのですが、結局転移も無かったようで(もちろん手術もしましたし、抗がん剤も飲んでいましたが)、今では本人曰く「誤診だ!」というくらい元気にお酒を毎日飲んで過ごしております。

病気は人それぞれでしょうから、こんな事を申し上げるのも失礼ですが、HPを見させて頂く限り、私は楽観して先生の帰りを待っております。

どうぞゆっくりご静養されてまた元気に戻ってこられて下さい。

さて、今日は、とっても嬉しいことがあって、誰かに報告をしたくてメールをさせて頂きます。

( 以下・中略)

なにか、とっても暖かい気分になったので、誰かに伝えたくて思わずメールを書いてしまいました・・・。

こんな時間ですが、未だ未だ仕事は山積みです。もう少し頑張ろうと思 います。

先生も大変な時なのにこんな話で自分のことばっかり書いて申し訳ありませんでした。  ○  本省 課長補佐 卒業生

 

* 彼の、こう、無邪気に嬉しいことは、さこそと想像できる。ながいあいだ、かすかにでも心の棘のようであったか知れぬ事情の片端までは、むかし秦教授にも話してくれていたと覚えている。棘のきれいに心暖かにすっかり抜け去ったのを、かれはいち早く「秦先生」に報せてきてくれた。なんというわたしにとっても嬉しいことか。

どんなに忙しい最中にも彼は、このようにして自らわたしに話しかけてきてくれる。湖の本一冊の送金にすら自身の手間をかけてくれる。子供たちのふたりにも「秦先生はきみらの、おじいさん」とまで教えていると以前に聴いて、胸を熱くしたものだ。

彼は今、本省の少壮・中堅として心身を削るようにして良き官僚道を一歩一歩前進している。きみの美味さは「栗」だねと褒めつづけてきた。木質の美味と誠実さをますます発揮してくれるにちがいないと、信頼しきっている。おー、良かったなあと声を送っておく。

 

* 時間を惜しんで懸命に「仕事」してきた。いつもなら一週間十日も掛けるところを今日一日で、手を抜かずにし遂げた。これが、「遺す仕事の最後」に成るかも知れぬと本気で思うから。安心も希望も十分持っているけれど、万一には備えておかねばならぬ。さ、時間が足るか知らんと。

 

* 『慈子(あつこ)』 という小説を書いたとき、「慈」の字を、「こころあつい」と読んでいた。「慈」でないと、文学の文章は、人の言葉は、内からふくらまない。「思ひ」という「火」の力が冷えていては、よく伝わらない。

 

* 寒ければ 寒いと言つて立ち向かふ。

だいじなことは、「寒いと言つて」の「言つて」にある。黙っていて、同じ事を思っているのだといくら思っていても、伝わらない。機微である。

 

* 建日子が来て、入院保証人の署名捺印などしてくれた。

わたしは校正の「仕事」しながらであったが、三人で「ダーティ・ママ」の何回目かを一緒にみた。

そのあと、手術等、万一の場合に頼みたいことを頼んだ。湖の本の、少なくも下巻分の校正や校了や発送等の後始末、読者や文壇関係、出版関係、印刷所関係等々へのきっちりした「作家」らしい挨拶などを頼むよと。「湖の本」一冊でも刊行するには容易ならぬ手順・手続きが必要になるが、投げ出されては困るわけで、少なくも下巻は上巻と釣り合うようにきちっと纏めて送りだして貰いたい…と、ちょっとハッパを掛けてしまった。ま、よろしく頼みますよ。

そして建日子はまた都心へ帰っていった。

 

* 明日は上巻の表紙もあとがきも届くので、たぶん「あとがき」再校と「目次」の念校をのこして本紙等は責了可能になった。今日は、眼も頭もくらくらするほど頑張った。一つには今度の上下巻が気に入っている。

2012 2・8 125

 

 

* 新たに今から百五十人ほどの人の封筒宛名書きを、調べ調べ、今日中に仕上げないといけない。まだまだ要事がたくさん残っている。いささか眦を決して集中しないと、それですら悔いが残るかも知れぬ。すでに四時過ぎになっている。

2012 2・9 125

 

 

* 妻に下巻の校正や進行のことを少しずつ口授しつつ、宛名書きの必要な分のおおよそ八割を仕上げた。残りは宛先を調べ出さないといけないし、さらに補充も考えたいところ。何にしても、息もつけなかった。草臥れた。

2012 2・9 125

 

 

* よくよくの天災地災人災が無いかぎり、たとえ癌と雖も手術で命を危うくすることは、まずあり得ない。だからといって、備えなくていいということにはならず、最も必要な備えは「遺言」である。しかるべき役所に出向きたかったがそれは叶わなかったけれど、数次の話し合いも重ねて、私が自筆の「遺言」は明日にも書いておく。一つには、僅かとはいえ私にも遺産となるものが多少ある。二つには多数にのぼる著書・著作関連、湖の本関連、ホームページ関連の全配慮と保存・保管・運営という観点がある。三つには、それなりに個別に言い残しておきたいことも有る。

及ぶ限り正確に妻と建日子とに托しておきたい。またもや、妻や息子が、醜くて不幸・不道の裁判沙汰に見舞われてはならない。   また、妻として家政上知っておきたいこともあろう。万一に際して答えられる限りは用意してやらねばならない。

2012 2・9 125

 

 

* 正午、上巻を責了に漕ぎ着けた。午后便の宅急便で送り出す。下巻は、いまぶん、私の手では追いつかない。妻の最善に任せるとする。十三日入院まで、せいぜい校正など手伝っておく。今度の歴史関連原稿では、何というても「ヨミ」仮名が沢山必要になる。その辺に不足が出るのは読者に前もってお詫びしておく。

2012 2・10 125

 

 

* 「上巻」は校了紙を送り出した。

さて、いまは「遺言書」を自筆している最中の一息。とにかく時間が流れ去る。

2012 2・10 125

 

 

* 「 下巻序に代えて」も書いて、いま、ファイルで入稿した。これが本になるのは、幸いわたし自身の手で発送できるにしても、よほど先、四月かなあ。まったく今の気持ちで書いた一文なので、ちょっと此処に置いてみる気になった。

それにしても、今日もむちゃくちゃ忙しかった。さ、明日も。

 

* 下巻「平安女文化の底流」序に代えて

平成二十四年二月十日、今日、上巻「千載秀歌・撰註」等を全部責了した。聖路加病院へ、十三日に入院する。十五日朝、胃癌による胃全摘と胆嚢切除手術を受ける。今となれば手術そのものを無事に受けたいと願い、焦がれ待ちしていた新橋演舞場での中村勘九郎襲名興行も断念した。一度の昼夜通しは入院中に差し当たって仕方なかったけれど、では入院前にと、もう一度通しで座席を得たものの、手術直前にもしインフルエンザでは話にならぬと、ウーン、また断念した。それが今日のことだ。座席券は大学時代からの友達にあげた。小林桂樹と「黒い画集」を共演した原知佐子だ、喜んでくれた。今頃、もう新勘九郎の「春興鏡獅子」は獅子の座に直り、次で「じいさんばあさん」の幕があくだろう。

まことや、同期の原さんも、われわれ夫婦も文字通りの「じいさんばあさん」を免れない。仲よかった同期の重森ゲーテも大森正一も亡くなった。原さんの夫君も亡くなった。文字通り女文化の歴史物語に相違ない浩瀚な「栄花物語」を読んでいると、まあまあ人の次から次へ死んで行くこと、まるで死者の行列を書くのが「歴史」であり「物語」なんですよと如実に教わるようである。華麗で優美で清艶なわが『平安女文化』の底流には人に死なれ死ぬる歎きの顫動しているのを、しみじみ知らねば済まない。

 

かなしさをかつは思ひもなぐさめよ誰もつひにはとまるべきかは  大貳三位

* 「思ひ」には「火」ほどの哀傷が謂われてある。誰しも死ぬと下句の突き放す諦念が凄い。

 

此の「下巻」、散漫なようで各編から編へ匂い付けに、意表に出てかなりポレミック( 争論風・挑発風) にも書かれてある。上下巻『千載和歌集と平安女文化』は「晩年」の一仕事に成ってくれたと思う

2012 2・10 125

 

 

* 早々に、下巻で気がかりにしていた三編の校正を、自分でし終えた。今日中に気がかりな大凡を「よし」と納得しておいて、明日一日を気分的に余裕で過ごしたい、が。メールの類はいまのところ読むが精一杯で、一切お返事は省かせて貰っている。此の日録で、お察し願う。

2012 2・11 125

 

 

* 発送時の煩雑なしかしぜひ必要な作業を妻に伝えておかねばならない。

微妙に個人情報とかかわる作業なので、他者の助勢を安直には頼めないのである。

 

* 完璧に校正するのは、じつに難しい。現場の校正マンに意が伝わる親切がないと、思った通りに直して貰えない。ちゃらちゃらした現代写生なら常識で按配できるが歴史性の濃い原稿だと、どう直していいのか多様に深い知識がないと判断がつかなくなる。噛んで含めるように妻に教えている。二人ともふうふう言うている。もう八時半、湯を出てから、可能なら下巻の跋を七頁分用意したい。明日には明日必要な用意がある。

下巻跋を書きだして置いた、中途で湯に漬かってくる。

 

* 零時半。下巻のための「跋文」も書いた。さ、休んで、明日もう一日、今度は病院での生活に備える。

2012 2・11 125

 

 

* 朝一番に、千載集方面の研究者に寄贈宛名を。ただし研究者への送り先を確認するのは至難、少ししか見付からない。本が出来ましたとき、この本ならこのセンセイに上げて下さいなどとお教え願えると嬉しい。お願いしておきます。

次いで、校正。いやいや、校正というのは経験の無かったひとには、ま、ムリと謂うに近い。

下巻分は、入院して明日・明後日の内に病室で終えてしまいたい、初校だけは。

2012 2・12 125

 

 

* もう校正に時間を取られていてはどうにもならぬ。

今日二十三時で、この日録も、メールボックスも閉じる。機械は閉じて、退院まで開かない。メールなど全ては、退院を報告した後のことに願います。

2012 2・12 125

 

 

* 入院中に大勢の方のお見舞いを、お手紙やメールで戴いていた。有難う存じます。

まだ階段の上がり降りにふっと気の遠くなりそうな不安があるが、出来る限り留守中のしまつをつけたい、しかも次の月曜、明後日には、病院で責了にした「湖の本」110『千載和歌集と平安女文化』上巻200頁が出来てきて、発送しなければならない。もっぱら妻に頼むしかなく、作業はゆーっくりになる。下巻200頁もすでに病室から全三校が頼んである。この上下巻はきっと楽しんで頂けると自負している。

2012 3・3 126

 

 

* 留守に届いていた手紙や、昨日今日のメールを読んでいた。またドラマの「平清盛」なども楽しんだ。

病院へわたしは源氏物語宇治の「総角」巻、ゲーテの「フアウスト」「ゲド戦記」の第二巻を持ち込み、最良の選択であったが、ほかに自作の幾つかも持ち込んで、ていねいに読んできた。なかの、「絵巻」は、われながら美しいと思えた。ありとある待賢門院を書いた読み物を高く藝術的に超えていると、胸を張って嬉しかった。史実を認識しながら全く想像力を遊ばせてフィクションの美を組み立てている。文字で書いた「絵巻」として完璧であった。そういう思いにもなれた病室暮らしだった。

2012 3・4 126

 

 

* 昨日、わたしの待賢門院璋子と源氏物語絵巻の成立を書いた小説「絵巻」に触れて、思い切った自負の言葉を吐いた。これほどの文学的完成度で、現代、誰がこれを書けるかという気概であった。まさしく創作であり作品を湛えもっていた。

ことのついでに、この際、言わせてもらいたい、わたしは瀧井孝作、永井龍男という「リアリズムの二大家」により芥川賞に推された「廬山」も病室に運んでいて、落ち着いて読み返した。リアリズムどころか幻想や想像力の仕事であったが、これまた完璧の「作品」を得た作と思えた。やはり、これほどの文学的完成度で、現代、誰がこれをこれほど美しく書けるかという気概をもった。永井先生は「美しい作品である」の一語で賞賛して下さった。

もう二作、「畜生塚」「初恋」も持って行き、若き日の想像力、それに作を丁寧に一字一句もゆるがせにせず書いて書ききっていることに、誇らかな興奮を覚えた。いろんな同

時代作家に伍して小説というものをいろいろに書いてきたつもりでいたが、「小説家」として生きていたのを、今こそ誇らしく感じる。むかし筑摩の辰巳さんという編集者に、同時代の私小説ふう他作家とよっぽど調子が違うのを、かすかに嘆いたとき、言下に彼は、「秦さんは、ブリリアントです。迷うことも嘆くことも要らない」と言ってくれた。

「ブリリアント――」

他の人でも簡単に書けるような小説は書くまい。それがわたしの何より深い願いだったと思い出す。「蝶の皿」「清経入水」「慈子」「閨秀」「みごもりの湖」「隠水の」「風の奏で」「冬祭り」「最上徳内」「親指のマリア」「四度の瀧」など。

多作はしなかったが、それでよかったと、改めて若い「小説家」として立っていた往時に自信が持てる。井上靖先生に「まじめな仕事をされていますね」と励まされ、中村光夫先生や臼井吉見先生に「あんたのような人が文学のために大事なんだがなあ」と嘆息させたこともあった。

 

* 肩肘張らず、さ、「晩年」をどんな文学者として生きて行けるか、行くか。

 

* 病室へまず以て「源氏物語」と「フアウスト」を携えて行ったのは大成功だった。いずれも過去に実に繰り返し読んできたのだ、おもしろづくに筋書きを追う読書でなく、名作の妙味をしぼるように吸う読書だった、こんなにふさわしい二冊はないと確信して、源氏はもはや宇治の物語の「総角」巻をじりじり読みすすみ、ゲーテの詩劇は、正しく詩劇として堪能するように読み進んだ。これまで第一部を筋書きとして軽く読み流してきたのが、今回は、舞台の転変と詩の演劇言語を堪能するように読み、その結果、第一部の終幕時には

寒気だつほども感動した。おそろしい藝術に圧倒的に襲われたという実感だった。

「 源氏物語」からも、わたしは身をゆるがすほどの教唆をうけた。

わたしの人間関係における基本の喜びは、幼來、何であったろうか。それは「なつかしい」という思慕や愛情に他ならなかったと、「総角」を読みながら津波に襲われるほどの実感を持った。

どうしてそういう感情がわたしを支配したか。わたしは実の親をしらず、育ての親にもそれほどの思慕や愛情で纏わった子ではない。よく思えば、新制中学の半ばまえに与謝野晶子の源氏物語を繰り返し耽読し、高校からは原文にしたがって、「若紫」「紫上」をこよないなつかしい人と思慕し愛した体験に、じつにふとい根があったのだ。源氏物語の女達を語れと求められた昔、わたしは躊躇無く「宇治の中君」をと選んだ。紫のなつかしさと匹敵して恋しいほどに思えるのは、わたしには、宇治の中君が最深最良なのであることを、いまさらに改めて「総角」そして「早蕨」とつづく宇治の物語の中で、痛切に再確認したのだった、手術の痛みに堪え、体調の甚だしい違和に悩みながらも、まこと貴重しかもフレツシュなな読書体験であった。

 

* 三週間ちかい病室の暮らしでわたしを苦痛から誘い出してくれたのは、「 湖(うみ)の本」 110 111の校正の作業・進行だった。『千載和歌集と平安女文化』の前半上巻200頁は病室で責了にした。後半下巻200頁の全紙揃えての三校を請求したのも病室からだった。妻が、印刷所との仲立ちをしてくれた。この仕事への興味が、どんなに病苦の日夜を紛らわせてくれたか、言い尽くせない。

そして、明日朝に、上巻の出来本が届く。どうして発送ができるのか、ゆーっくり、やるしかない。

2012 3・5 126

 

 

* 十時、『千載和歌集と平安女文化』の上巻が出来て搬入されてきた。余儀なく、妻の手に委ねるしかなく、いつもの十倍二十倍もゆっくり送り出す。

わたしは不調で生彩も元気もない。やれやれ。からだを起こして起きているのがしんどい。病院では病棟を歩いて鍛えていたが、その元気が失せている。弱った。

 

* 便通があったが、吃逆から息詰まり、叫びながら唾液を吐き出す苦痛は相変わらず。

2012 3・6 126

 

 

* 妻の手ひとつでどれほど読者へ発送できたか、あえて聞かずにいる。

2012 3・6 126

 

 

* 印刷所より、下巻の全三校ゲラが届いた。

2012 3・7 126

 

 

* 上巻の発送はじりじりと順不同に続いているようで。下巻三校の赤字合わせを少しずつ進めている。

2012 3・8 126

 

 

* 上巻が、少しずつ読者の手元に届いて行く。妻一人が手の着くところから少しずつ少しずつ送りだしてくれている。

千載和歌集からわたしの撰した秀歌たちが、現代の読者に愛誦していただけるといい、作者たちの実感や情理とともに。添えたエッセイは、それぞれに今始まったばかりの大河ドラマ「平清盛」の恰好の背景になりえているのを、気軽に楽しんで頂きながら、下巻でのさらに立ち入った考察等を迎え入れて下さるよう願っている。下巻はすでに全部責了可能になっている。病室で克明に読み返し返し校正してきた。あまり間がつまるのもいろいろご負担かも知れず、四月上旬の送り出しを考えている。「下巻序にかえて」の一文だけをここに先駆けて送りだしておく。

 

☆ 『千載和歌集と平安女文化』 下巻序に代えて

平成二十四年二月十日、今日、上巻「千載秀歌・撰註」等を全部責了した。聖路加病院へ、十三日に入院する。十五日朝、胃癌による胃全摘と胆嚢切除手術を受ける。今となれば手術そのものを無事に受けたいと願い、焦がれ待ちしていた新橋演舞場での中村勘九郎襲名興行も断念した。一度の昼夜通しは入院中に差し当たって仕方なかったけれど、では入院前にと、もう一度通しで座席を得たものの、手術直前にもしインフルエンザでは話にならぬと、ウーン、また断念した。それが今日のことだ。座席券は大学時代からの友達にあげた。小林桂樹と「黒い画集」を共演した原知佐子だ、喜んでくれた。今頃、もう新勘九郎の「春興鏡獅子」は獅子の座に直り、次で「ぢいさんばあさん」の幕があくだろう。

まことや、同期の原さんも、われわれ夫婦も文字通りの「ぢいさんばあさん」を免れない。仲よかった同期の重森ゲーテも大森正一も亡くなった。原さんの夫君も亡くなった。文字通り女文化の歴史物語に相違ない浩瀚な「栄花物語」を読んでいると、まあまあ人の次から次へ死んで行くこと、まるで死者の行列を書くのが「歴史」であり「物語」なんですよと如実に教わるようである。華麗で優美で清艶なわが『平安女文化』の底流には人に死なれ死ぬる歎きの顫動しているのを、しみじみ知らねば済まない。

 

かなしさをかつは思ひもなぐさめよ誰もつひにはとまるべきかは  大貳三位

* 「思ひ」には「火」ほどの哀傷が謂われてある。「誰しも死ぬ」と下句の突き放す諦念が凄い。

 

此の「下巻」、散漫なようで各編から編へ匂い付けに、意表に出てかなりポレミック( 争論風・挑発風) にも書かれてある。上下巻『千載和歌集と平安女文化』は「晩年」の一仕事に成ってくれたと思う。    秦恒平

2012 3・9 126

 

 

* 今回の湖の本110 111 上下巻は、まかりまちがえば「遺著」ともなる二冊と覚悟して、ともに入院の直前に原稿を仕上げて入稿して置いた。上巻は病室から責了して、いま皆さんの手に届こうとしている。届いてもいる。

下巻の「序に代えて」も跋の「私語の刻」も自分の手で書いて置いた。入院日のほんの前のことで、わたしは、成り行きを慮って「あとがき」末尾にわざと十数行の余白を残して置いた。万一の場合は、妻と息子とに後始末をつけてもらって「遺著」として刊行してくれるようにと。送り先の用意もすべてすでにし終えていた。

 

* 幸いにして手術は終え、わたしは病室で下巻校正をいっそ楽しんだ。苦痛に呻くときに、この仕事は患者に少なからず我を忘れさせてくれた。そして全巻念校に近い三校の取れる時点で、わざと余しておいた跋文の結びの十数行を、機械からでなく、(病院へは機械は持ち込まなかった。)「秦用箋」の四百字用を何十年ぶりか家から取り寄せ、脱水や吃逆に悩みながら、手書きで書いた。

それを記録しておく。

 

* (承前) さ、この辺で、昔風に謂えば、筆を置いておく。少し余した頁の余白に、あらためて自分で自分の言葉を、きっと、書き添えたい。

 

 

胃全摘とや。我に「い」の字の喪はれ色も匂はで散りぬるお莫迦   24.2.21

 

「贈り物」と純白(ピュア)な褥に三々五々真黒き胆石}(いし)を莊(かざ)りて呉るる (代田先生)  24.2.24

 

さて、今日は平成二十四年(二〇一二)二月二十八日。聖路加病院外科病室から、此の下巻「私語の刻」を私自身の手で結ぶ。

今日、主治医先生から聴いた。私の胃癌は、病理検査を経てⅡ期と確認でき、リンパ一ヶ所への転移が認められたと。このさき抗癌剤を用いるかどうかなど私自身で決断しなくてはならない。かくてもはや不確かな残年残日を、一人の文学者としてどう生きるかが第一義の課題となる。ともあれ此の下巻を送り出す頃には、落着いた気持で日常の「書く」生活へ戻っていたい。

抱き柱は抱かない。元気でいたい。

 

雨雲の幾重に色を変へながら明け白みゆく吾が容態のごと   遠

 

* そして四日後、三月三日に、とにもかくにも退院してきた。一週間が過ぎた。

 

☆ 待酒不至   李白

玉壺繋青絲。  酒のつかいの

沽酒來何遅。  あんまり遅い

山花向我笑。  花は咲き初め

正好啣盃時。  今ぞ飲むべし

晩酌東 下。  晩酌の窓べに

流鶯復在 。  嬉し鶯の客來

春風與酔客。  春風ほろ酔い

今日乃相宜。  客も我も萬歳

2012 3・10 126

 

 

☆ 秦先生:    卒業生 ユリイカ  12.03.09

昨日、「湖の本」拝受いたしました。いつもありがとうございます。

以前にお送りいただいた本が読み終わっておらず、拝読するのはもう少し先になりそうです…。

このところ、時間に追われてばかりで、ゆっくり腰を据えて本を読む機会がめっきり減ってしまいました。これではいけないと思いつつ、時間のやりくりがうまく出来ずにおります。

さて、先日は思いも寄らない内容のメールを頂き、本当に驚きました。

無事退院されたとのこと、何よりでございました。

聖路加病院は、義父が人間ドック等で利用しておりますので、私もよく存じております。(実は、義父も胃の摘出手術をしております)

術後しばらくは体調もお辛いでしょうが、無理なさらずお過ごしください。

あまり長文ではお身体に障りますので、今日はこの辺で終えます。

またメール差し上げます。

改めて、ご自愛くださいませ。

#先日のメール、麻紀さんのところに届いていなかったようで、勝手ながら私の方から転送しました。事前に了解を取らず、申し訳ございません。

 

☆ 新刊届きました。

風の退院から間もなく届いたので、びっくりしました。入院前にご準備なさっていたのですね。

和歌がたくさん収められているので、ゆっくり読みます。

熱が出たりするのは、風のお体が闘っているからでしょう。

負けないで。

今日は朝から雨がつづいて、とても寒いです。キーボードを打つ手がかじまみます。

そちらも雨でしょうか。

どうか、温かくしてお過ごしください。 花

 

☆ 「湖の本」110届きました。   晴

秦様が精魂込められた「千載和歌集と平安女文化」上巻が早ばやと今日届きました。

ご入院前からご用意頂き、手術後にまで心配りしていただいたご本。

楽しみに待っていましたが、こんなに早く送付頂き、有り難いやら申訳ないやらと恐縮しています。

お家では迪子様には、お病気の食事作りなどに精魂込めておられる事でしょうから、その上ご本の発送までとご労苦を思って感謝しながら、お疲れが出ないかと案じています。

心のこもったご挨拶のことばまで添えていただき、胸詰まる思いでした。

私などは一番後からで良かったのにと思いつつ、届きましてからはずーと選んで いただきました千載秀歌を読んでいます。

たくさんの恋の歌も魅せられますが、今はやはり哀傷歌に惹かれ復唱したりしながら読ませていただいています。

ご入院中には「絵巻」と「能の平家物語」を読み返させていただいていました。

手術後のお身体の回復の苦しさは一方ならぬご様子ですが、昨日より今日と日増しに少しづつでもご回復なさっておられるようでほっとしております。

三寒四温と期待しながらも冷たい雨がお身体に障りませぬ様に。

迪子様も共にお心もゆっくりとお過ごしいただけますように祈っています。

 

☆ お大事になさって下さい  枝 愛知県

秦 恒平先生

雨ばかりのこの頃に暖かい春を待ち焦がれています。

長時間にわたる手術のご成功も ご子息 建日子さまのブログで嬉しく拝見できました。

ご退院なされたことのメールを頂き ありがとうございました。

毎日のお暮らしの大変なご様子をHPで拝見の度に

《どうぞご無理のないように・・・でも・・・負けないで下さい。》

少しでも快方に向かわれますようにお祈りするばかりです。

先日 当地の研修茶会(お濃茶席・お薄席・立礼席・点心席)があり 400名ほどのお客でしたから おもてなしも大変でした。

その折に 呉須の《十牛図》の数茶碗が出され 真っ先に先生のご著書《中世の美術と美学》が浮かびました。

《十牛図》の解説がとても分かりやすく 親しみやすくお書き頂いていますので とてもありがたく思います。

お稽古のときに若い弟子にも ご本を手に説明させていただきました。

折に触れ いろいろと学ばせていただき感謝いたしております。

(余談を書いてしまいましたが ご容赦ください。)

奥さま共々 どうぞお大事になさってくださいませ。

 

☆ 湖の本有り難うございます

湖様

渾身を込められた一冊、奥様のご協力によって手元に届きました。

有り難うございます。

千載和歌集、平安時代の人の心を今の心と重ね合わせてじっくりと読ませていただきたいと思っております。

お体のほうは少しずつ回復されているようで、

薄皮がはがれるように日一日とよくなられることでしょう。

ゆっくりとご静養くださいますよう、

また、次の湖の本を楽しみにしております。

雨です。

次から次に苦難が訪れますが、私も、頑張ります。 波

 

* とても体調は普通になどと云えない。喉もとへ、この世界にこんなに苦く不快な味があるかという、くるしい溜まりが出来ていて、吐き出すために苦心惨憺、ほとんどが痰だしの感じ。食欲もないに等しい、食べれば口がただただ悪くなり、辛うじて口腔清涼剤でブクブクして逃れる。

2012 3・10 126

 

 

☆ 秦先生、『湖の本』拝受。

この2 ,3 日『絵巻』を読んでいたところでした。うかつにも「閨秀」だけを読んで、「絵巻」を読んでいなかったので、「私語の刻」に「絵巻」に触れていらっしゃったので、あわてて取り出して読んだところです。もっと早く拝読していたらと、e―文庫に載せて頂いた自分の「帝王の絵巻」の骨組みの粗雑さを思い知らされていました。

そうなのですね。待賢門院のあの後宮において『源氏物語絵巻』は企画制作されたに違いないと、でも、かの女院自身が絵筆に長けていたにちがいないとは思いが及びませんでした。

そうですね。その血を引いて、後白河は絵が好きで、絵巻を蒐集したのでしょうね。自身も、絵巻制作に深く携わった。

あれほど歌才優れた侍女たちに囲まれて、なぜ、璋子は歌を残さなかったのかとずっと不思議に思っておりましたが、彼女は、歌でなく、絵筆に思いを託したのでしょうね。

どきどきしながら、「絵巻」読了。そして今日、「千載和歌集と平安女文化」が届きました。

胸時めきながら、ぱらぱらめくり、「あぁ、先生が帰ってきてくださった」と実感しています。

改めて「千載集」はあの平安末期に生きた人々の思いがあっちにもこっちにもあふれています。

テレビの清盛は画面が汚すぎて、少々失望しながら見ていますが、待賢門院を演じているふっくら、はんなりした、美しい女優さんは、璋子姫のイメージと重なっていてほっとしています。

道鏡がらみで悪評高い孝謙天皇、「鶯の凍れる涙」の二条の后藤原高子、待賢門院藤原璋子、気になってしかたのない女人たち。そして後白河も。

下巻楽しみにしています。

今回の湖の本、一入、感謝。  珊

* 孝謙天皇のことは、ぜひ「みごもりの湖」を読んで下さい。

 

☆ 京都、のばらです。

「湖の本」新刊届きました。

いつもありがとうございます。

特に今回は入院、手術前にご準備され、発送など奥様のご尽力での賜物、大切に読ませて頂きます。

ご退院後のご苦痛の尋常でないご様子、お辛いこととお察しすることしかできませず、心痛みます。

毎日少しずつでも、お楽になられますよう、一日も早く回復されますようお祈りしています。 みち 従妹

 

☆ hatak さん

メールをまた差し上げられますこと、何より嬉しく、また、少しずつ改善の兆しにも安堵しました。

全摘、大なる喪失ですが、戻ってこられたことを有り難く、幸いに思います。

まだまだお酒は早いのでは。くれぐれも慎重に、お大切に。  maokat

 

☆ 恒平さんお見舞い申し上げます

朝6 時46分(日本時間14時46分)、真っ暗なバルセロナの浜辺にも、ろうそくを手に人が集まりました。

7 時5 分、地中海の向こうに紅い弦が見え、たと思いきや、太陽は、朝の行水を終えたばかりに勢いよく姿を現しました。

その間、海は穏やかで、それは穏やかで。

恒平さん、迪子さまともども、どうぞお大事にお過ごしください。京子

 

☆ 有り難う存じます    東大教授

秦恒平 様

本日、「湖の本」第110 巻を拝受いたしました。

先般のメールで、大変な手術をなさったと知り、驚きましたが、ひきつづきこのような立派なお仕事の成果を目にし、深く心を打たれるものがございます。

いのちの輝きというものでしょうか。

多くを述べるつもりはありません。ご快復、そしていっそうのご健筆を心から祈念いたしております。  拝

 

☆ 湖の本110巻届きました  松

秦先生へ  こんばんは、寒さもようやく一段落で、春の訪れを感じるようになりました。

湖の本110巻、届きました。体調の悪い中、渾身の力で作品を書かれる先生には敬服します。

初めの方を読みましたが、古文の苦手な私にも解説があるので分かりやすかったです。

特に先週、お世話になった恩師を亡くしたばかりですので、哀傷歌は胸に染み入ります。

私語の刻を読んでも本当に大変なご様子ですので、案じております。

治療が実り、完治されることを心から祈っております。

 

☆ お見舞い  作家

秦先生  湖の本をいただきました。どうぞお元気であられますよう。

今川端康成伝を書いております。何か秘話でもご存じでしたらお漏らしいただければ幸

いです。

 

☆ お水取りの椿  珊

きょう、奈良・もちいどの商店街にある萬々堂より、修二会で使う二月堂の「糊こぼし」を模した椿のお菓子をお送りさせて頂きました。先生はご存知でしょうが、この季節だけの、私の大好きなお菓子です。

その愛らしさを愛でると漸く春、という思いになります。

今年は奈良まで出かけられませんが、先生の体力が一日も早く回復されることを、あの大松明に祈ります。明日は、一番のお松明の夜です。若狭井のお水を汲むのが13日の深夜ですね。

とくに今日は鎮護国家、天下安泰、風雨順次の万民の幸せの祈りが捧げられていることでしょう。

「糊こぼし」のお菓子、召し上がれなくとも、「見菓子」として愉しんで頂けると思い(私は練行衆のこと、孝謙女帝のことを想像しながら眺めるのが愉しいのです)・・・

明日発送してくれるそうですから13日にはお手元に。

先生ご夫妻へ春風がやさしくふきわたるようにお送りさせて頂きます。

 

* 疲労困憊、せめて安眠を願う。

2012 3・11 126

 

 

* 上巻をご覧になった大勢の大勢の方の深切な来状の山をやっと今日拝見し、ありがたさにわたしは「さくりもよよ」と泣かされた。

 

* 「新潮」の名編集長だった坂本忠雄さんの、懇篤のお見舞いとわたしの文藝への称讃の語気に励まされた。島津忠夫名誉教授、高田衛名誉教授からも縷々励まされた。

医学書院の同僚だった中島信也君のお見舞いも、後輩だった向山君のお見舞いも、驚きに満ちていて、たいへんなことをやらかしたのだと頭をさげた。

あまりの多数で此処で個別にお礼も申しかねるのが残念。しかし、まだまだとても、個別に手紙の返事やメールの返辞はムリのようです、かなりへたばっています。

 

☆ 110巻落掌  ジャーナリスト

秦先生

昨日11日は最寄りのバス停まで往復されたとのこと、私語の刻で拝見しました。

この先生の日記の場所がわからなくなっていたのですが、入り方をご教示いただいていた昨年1月のメールを見つけてアクセスできるようになりました。

本日のご気分はいかがでしょうか?

帰宅してメールボックスに配達されていた110巻を見つけ、うれしく拝読。

といっても凡人の哀しさで、「待賢門院璋子」や「西行の意義」などがまず目に止まり、昨日の大河ドラマを反芻するようにして、読ませていただいた次第で、申し訳ないような恥ずかしいような気分です。

昨年3月11日は、

「きょうから1年後に日本はどうなっているのだろう」と何とも言えない気持ちで想像したのをおぼえています。

悲観したほどに日本は悪くなっていませんが、期待したほどには、被災地は復興していません。

東電をめぐっては、官民入り乱れて既得権益にしがみつく醜態がさらけだされており、この国のエリートは盤石なビジネスモデルの上でしか競争力を発揮できないことが明白になりました。

考えてみれば(危険デ恐ロシイコトデスガ…)政治家や民主主義が日本を変えたことなどはなかったと思い知ります。

大正末期に成立した普通選挙法は、政治家のポピュリズムの呼び水となり、結局は軍部の台頭に結びつきました。

戦後は、欧米のキャッチアップをして、勤勉でさえあれば経済成長が果たせた時代状況で、リーダーが本当に賢明でなくても、豊かになれた時代でした。

細かいところを見てみれば、官僚が色々と障壁になりながらも、民間から這い上がってきた企業家たちがオリジナティを発揮して、

成長に磨きをかけて一級のものにしたのでした。

しかし、

「勉強のできる子」から順番に、官僚、士業、独占市場を持つ公的大企業に就職していくなかで、盤石なビジネスモデルを守るために既得権益にしがみつく構図が人生の勝ち組モデルとして定着してしまいました。

政治家は好況のときでさえ、バラマキをやって、そして今の異常な財政状況。

まぁ、こんなことは勉強のできなかった人間の僻みとしか、思われないので、いくら指摘しても無駄ですよね。

僕には子供はいませんが、最近は大学生を仲間にして、彼らが僕らと同じような失敗をしないような、お手伝いをさせていただいています。

会社の上司に嫌われ、「独善的」とまで言われながらも、やってきてきたことが無駄ではなかったと実感しています。(ここのところ感情的で悲愴な感じをお受けになったら、誤解というか、僕の文章力のなさです。トロンボーンの練習もしながら楽しく元気にやっております。)

今の学生のほうが現在の変化は敏感に察知しており、自分を守るのに汲々としている中年以降の大人たちよりは、社会のため、ヒトのためになることを志向していることに感動します。

「現実を見ろ!」と若者を叱責するオヤジより、本当の現実を知っていると感じることも多いです。

そんな具合で、若い方々に感謝しながら、僕も少しでも世の中に貢献して、ましな人間になろうと思っております。別に「危険思想」を流布しているわではありません(笑)。

本当の意味でのビジネス面でのスキルの強化です。

今年9月で50歳になるのですが、あんまり何事も成してきませんでしたし、恥の多い人生で、いつまでも青二才と甘えていたせいか、どうも自分ではそんなに歳を重ねた気分になっていないのです。

「国策」ともいえたエルピーダメモリーの延命でしたが、国が最後のセーフティネットを与えず、デフォルトをさせました。

これは、東電の対処が大きく動く前兆なのかもしれません。

AIJ の問題にしても国が救済する余力はないでしょう。

たぶん賢い官僚が、椅子取りゲームの椅子の数を本格的に減らし始めただけのことでしょうが、亀裂が入った堤防は脆いものです。

退院してすぐの先生にこんな面白くもない物騒なことを書いて申し訳ありません。

長くなってしまいました。

昨年は花見の気分ではなかったので、

今年は桜が楽しみです。

ご養生に専念して「湖」の世界をいつまでも楽しませてください。

 

* わたしの好み楽しむもっとも嬉しいメールの一つ、これは触れてある諸点に示唆も刺戟も警告すらも含まれている。ありがとう。

 

☆ 秦先生

ご無沙汰いたしております。

先日、為我井さん(旧姓石橋)からメールを転送してもらい、その時初めて、先生の御病気のこと、そして手術のことを知りました。

きっと先生のアドレス帳の中に、このアドレスは登録されていないと思いますので、もしよろしければこちらのアドレスを登録してくだされば幸いです。

テレビなどで秦建日子さんの活躍を拝見するたび、先生のことを思い出し、お元気でいらっしゃるだろうかと思っておりましたが、まさか闘病生活を送っておられるとは夢にも思っておりませんでした。

先生の御病気とは比べ物にならないのですが、私も難病を患い、現在は休職して薬を減らす努力をしています。病気とは、本当に

突然やってくるものだと、付き合っていくにはそれ相応の努力と覚悟が必要なのだと実感しているところです。

なので、先生が、「湖の本」を執筆し続けられているとのメールを拝見し、本当に嬉しく感じました。御病気ではあるけど、先生は

お元気なのだと思ったのです。本当に勝手な思いなのですけれど…。

実は、ここ三年ほどですが、私も携帯小説サイトで、お話を書いています。軽い、ライトノベルのような、そんなお話ではありますが、自分自身の気晴らしにもなっており、楽しんでホームページを運営しています。

小さいころから理系科目ばかり好きで、作文が本当に苦手だった私が、小説を書いてみようと思ったのは、秦先生に出会ったからだと思っています。文章を書くことに苦手意識があり、それを人に読ませるだなんて、もってのほか。そう信じていましたが、先生の授業を受けることによって、自分の思いを文章化すること、そしてそれを読んでもらえるそんなことがとても嬉しいことなのだと知ったのは、先生のお蔭です。

しかも、理系とは言え、文章を書くということは仕事をする上でも必然だ、ということは会社に入って知りました。文章に対して恐怖感がないと言うことは、私にとってプラスだったことは言うまでもありません。

私にとっては、自分の世界を広げてくださった恩師とも言うべき先生。いつでも先生のことは心の中にありましたが、ご連絡を無精しておりましたことを、悔いております。本当は、もっと早くにお見舞いを申し上げたかったのですが…。本当に、申し訳ございませんでした。

秦先生の体調のご回復を、私も夫も、心よりお祈り申し上げております。

(私たち夫婦も、今年結婚10年を迎えました。結婚式でご挨拶をしてくださったあの時から、もう10年も経ってしまったのだと驚きます。)

暖かい日も増えてまいりましたが、インフルエンザなども、まだまだ流行っているようです。ゆっくりとお身体を休めて、お元気を回復されてくださいね。

長くなりました。またご連絡します。   麻紀

 

* はなしたいことの、いっぱいいっぱいある人。ありがとう。心のこもったおたよりでした。懐かしく思います。

2012 3・12 126

 

 

* 病院でと同様六時に尿意にもひかれて一度起き、ひとり留守中身辺の片づけなどして、もう一度床に戻った。八時朝食の前にインスリンを注射、食後には数種類の錠剤やカプセル薬を服用、引き続き湖の本の未了の記帳など、テーブルに向かって出来る作業のあと、妻と、よく晴れた春を、郵便局まで、そして少し遠回りして、買い物などもして、一時間ほどで帰ってきた。買い物の荷物も持てた。前回の退院時にはとてもとてもこんなことは出来なかった。おそるべき強度の脱水に加え、全身の感染による高熱の頻発だった。しかもその熱を氷枕とロキソニンでの大発汗とで下げつづけて衰弱の日かずを重ねていた。愚かなことであった。かつがつ三月十五日即座の再入院で文字通り「救われた」のだった。

 

* あの大変だった日々に上巻の「千載秀歌」などが妻独りの手で大勢の方に届けられていたのは有り難いことであったが、過労も強いていた。申し訳ない。

幸いに大河ドラマ「平清盛」がらみに比較的読みやすいエッセイなどを喜んで下さる読者も多ければ、この方面の碩学からも読後感など親切にたくさんお寄せ頂いていたのは、この再退院後の有り難い励みであった。いちいちお礼を申し上げるまで体力・気力のなお戻りかねていることをお詫び申し上げる。送付の宛先違いで、何人かへの本が届きかねていたのも申し訳なく、これまた今暫しご猶予願いたい。

2012 3・27 126

 

 

* 大勢の大勢のかたにご心配をかけ、更にご心配をかけている。かく不徳なれども、かくも「孤」でなく護られてあることを幸せと思わずにいられない。

ようやくメールを在るべき場所に整理し保管した。

ここ当分の大事な用事は、無事の通院(感染症内科、糖尿病内科、泌尿器科、消化器外科)で、要所は、腎機能と前立腺炎であるかに想像される。次いでは下巻発送のための準備あらまし。目下は妻もわたしも力仕事に堪えないので、ゆっくりゆっくり進める。

そして願わくは演舞場で若手の通し狂言「仮名手本忠臣蔵」を昼夜に分けてぜひ観に行きたいし、五月馬琴原作の「椿説弓張月」もぜひ観たい。ホンモノの杖と、楽しみという杖とを両手に、かなりシンドイ仕事も何とか凌いで行きたい。

2012 3・27 126

 

 

* 湖の本111は、三月三日最初の退院前に840病室ですでに責了していた。上巻との間隔を考えて四月五日頃に本が出来てよいかと思案していたが、もう目前に迫ってきた。二日には今回退院後初の通院受診が控えていて、六日にはもしも可能ならば演舞場の昼へ出掛けてみたい。

下巻発送の作業は、妻も腰痛・全身痛を庇っての毎日だし、わたしもまだ力仕事はムリと思っていて当然、ときどきすうっと頭の中が白むような息切れだか貧血気味だかが残っている。水分を多量にとり、食べられるだけはしっかり食べねばならない。五月の節句ぐらいまでは時間かけて、無理無い日々を送り迎えのほかない。

2012 3・28 126

 

 

* 下巻発送のための挨拶文を、三種書いて印刷した。集中力を欠いてか不注意か、一部体裁のわるい印刷になったが、前に進んだ。 2012 3・28 126

 

 

☆ 湖の本 ありがとうございます。

秦さま

「千載和歌集と平安女文化」上巻早くも届きました。

ありがとうございます。

ご看病に加えて発送のご労苦を思いますと、申し訳なさでいっぱいです。

奥さまにも、たいへんありがとうございます。

ここ何年も、「闇」サイトはご病状を気遣う声に満ちていました。

手術を無事終えられ、闘病に踏み出されましたこと、さしあたっては、胸を撫で下ろしています。

満開の桜のもとで微笑んでいらっしゃるお写真しか存じませんので、お痩せになったお姿は想像もつきません。

確かにお心にお決めになったことがおありなのだろうと思います。

美しいものが心底、お好きなのだろうと思います。

誇りとされるたくさんのお仕事を成し遂げられ、羨ましい限りです。

これからも、たくさんの作品を期待しています。

バグワンに耳傾け、子どもの笑いを待っていらっしゃるのでしょうか。それが早くとどきますように。

抱き柱があるなら、なんでもかまわず抱きしめたいと思いながら、見つけることができません。

生れざりし何万年を怖れずしてやがて来るべき死を怖れをり  大阪・まつおより

 

☆ 有難う存じます。 東大教授

秦恒平 様

本日、「湖の本」第110 巻を拝受いたしました。

先般のメールで、大変な手術をなさったと知り、驚きましたが、ひきつづきこのような立派なお仕事の成果を目にし、深く心を打たれるものがございます。

いのちの輝きというものでしょうか。

多くを述べるつもりはありません。ご快復、そしていっそうのご健筆を心から祈念いたしております。拝

 

☆ 有難う御座いました。  宝生流シテ方

秦 様

「湖の本」拝受、ありがとうございました。

大変な状況の中、お察しいたしますとは私ごときにとても言える言葉ではありません。

能を舞い、謡を謡うことを生業としながら、自分が特に好きで口にしている詠が、いかに千載集に多いかということを、あらためて

教えられました。

後編も楽しみにしております。

どうぞお大事に、気持ち健やかに過ごされますことを心からお祈り申し上げます。

 

☆ お見舞い申し上げます。  日本ペンクラブ会員

 

昨年は、脱原発のための大事なMail を頂き、有難うございました。私は貴Mail をすぐ友人たちに転送し、共感仲間のつもりで、お元気のことと思っておりました。

知らず、推察せず、申しわけございませんでした。手術はショックでした。が、冷静でしっかりしたご報告に感嘆いたしました。さらに新刊『千載和歌集都平安女文化』を拝受。何という胆力、意志力! でしょう。手術について専門知識がある、だけではない秦さんの特別な認識世界を感じます。

百冊達成が更に十冊、3桁の業績の道をしっかり進んでいかれますことを信じ、ご快癒を一生懸命お祈りいたします。

私信:私は3.11以後は怒りと反省一念の一年でした。左脚故障を治して6月末から単身東北に行き、泣き、樹木の全くない炎天の被災地ではふらふらになりましたが、再起の努力をなさる人達を励みに私も気力を出し、書き、原発再稼働を止めるための講座など4回開催、秋から作品の遅れを取り戻す努力を。大寒中に姉の急死、3月初旬親友の永眠でまいりましたが、3.11一周年には福島県民大集会(郡山)に参加しました。その原稿2本本日入れ、秦先生の和歌と平安の女文化の御書を手に致しました。落ち着いて拝読したく静かな図書館社会人席に行きます。

お見舞いのひとことが遅くなってご免なさい。 拝

 

☆ 恵贈本拝受    同窓生

秦 兄

お送りいただいた著書拝受しました。有り難うございました。

何よりもその後の容態を案じているのですが、どのような毎日をお過ごしですか。

点滴や投薬もさることながら、医食同源で自然の食物に勝る栄養物はありません。水がのどを通るのなら玄米のおもゆを飲み、すこしづつ

グレードアップして玄米の三分粥、五分粥と進まれるのがよろしいかと思います。体調の回復を真剣に望まれるなら前信でもご紹介しました

桜沢如一の所説をぜひ実践なさることをお薦めします。

但し粥は勿論おもゆでもよく噛んでから飲むように心掛けてください。くどいようですが病との闘いは根気との闘いでもあります。半年患った病は半年で、3 年患った病は3 年がかりで根気よく治す気持ちでご健闘を祈っております。

 

* 手近な僅かながら、有り難いメールを数多く頂戴している。いちいちのお礼やご返事は、どうか、いま暫く、ご容赦ください。  2012 3・29 126

 

 

* 下巻の刷り出しが届いた。

2012 3・31 126

 

 

* 下巻発送のための用意も少しずつ、再退院後、進めている。力仕事はムリと分かっている。ムリするとすぐ背筋や腰に痛みが来る。急がない。ゆっくりゆっくり

2012 4・1 127

 

 

* 昨晩久しぶりわが家で、「平清盛」を観た。着実に侍から武士へ成長して行く清盛像が、むろんフィクションも援用しながら、要所要所でよほどリアルに史実にも即して力強く表現され、従来の大河ドラマが安易に豪華絵巻に絵巻にと飾り立てていたのとちがい、「意欲的な時代と人との表現」にひたと向き合いドラマを進めている。わたしは賛成している。主役の清盛も顔が出来てきたし、鳥羽院、忠盛、それに摂関家の忠実、忠通、頼長の親子三人なども、さもあらんという実感に近くよく造形されていて、このドラマがいまのところ「創作」の本道をむやみな繪にしてしまわず進めているのに賛同している。通俗読み物に堕することなくて、好ましい。

山門大衆の強訴に真っ向矢を射かける表現などに、清盛の言い放つ神輿など「ただの箱」も、忠盛の呟く「迷信」もよく生き、古代の終焉へまっさきに武士が歩を運んでいた事情が見えてきたのも、よい。こういう出でなければ平清盛をとりあげる意味がない。

大河ドラマでは過去に何度か源平がとりあげられてきたと思う。しかしその大方は通俗に甘んじた絵巻志向だった。今回の「平清盛」のこれまでは、文学表現になぞらえても概ね首肯でき支持賛同できる。

『千載和歌集と平安女文化』上巻が、期せずして清盛同時代の背後を証言するように語られているのが、多くの読者を喜ばせているらしい、払い込み票の書き込みから、よく窺える。

2012 4・2 127

 

 

*五日朝に、下巻が出来てわが家に届く。まだ発送の用意は半分もできていないが。

2012 4・2 127

 

 

☆ 鴉に

こうしてメールを書くのが四月とは、信じられないほどの日々が過ぎているのですね。

昨日、湖の本が届きました。宅急便なので一端お宅の方に返送されてしまったのでしょう。改めて送っていただきお手数かけました。

千載和歌集なので以前読んだ時、自分がしるしを付けていた歌と照らしながら、ゆっくり楽しみながら読もうと思っています。

二月十五日は鴉が手術の日、そして奇しくも、前もって予測も予定もできるはずないその日が、わたしの初めての詩集の発行日であったとは・・。

あれから長い時間が過ぎた気がします。

引越しの後、電話が引けてインターネットが使えるまでの三週間の空白、三月半ばの鴉の再入院。さまざまなことを推量するばかりの毎日でした。コンピューターを新しく買い替えて、その立ち上げにもあまりに時間がかかってしまいました。情けない!です。

二月末に、もとの播磨から飛来し、尾張の鳶になりましたが、引っ越しの大変なこと、大変なこと。今回は腱鞘炎らしきものに苦しみました。現在はかなり治ってきて右手の中指薬指に痺れと痛みが残るだけになりました。

今日は春の嵐、東京はまだ雨風強い時間ではないでしょうか。

幸い、桜はこれからです。お体くれぐれも大切に、そしてこの季節を、桜を、どうぞ楽しまれますように。

取り急ぎ   鳶

 

* 尾張とな いなとよこれをはじめとし 年のさかりをいやしけ吉事(よごと)   鴉                    2012 4・3 127

 

 

* バグワンは、いま、『般若心経』を何度目か、読んでいる。最近になって、「バグワンと私」を再認識して再注文してくださる読者もあり、よろこんでいる。「 湖(うみ)の本」 の既刊本にも時折注文が届く。「秋萩帖」上下だとか「茶ノ道廃ルベシ」「宗遠、茶を語る」や「おもしろや焼物」などと。ありがたい。

2012 4・4 127

 

 

* 本を発送のまず最小限度の用意はできた。明朝、玄関に新刊が積まれても少しずつだがどうにか成るまで。慌ても急ぎもしない。

 

* それよりも仕掛けの原稿の仕上げの部分で、わたしなりに一人二役での討論や検討が必要になっている。いま、それへ関心をあつめている。

2012 4・4 127

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 111 『千載和歌集と平安女文化』下巻 着。

年の瀬に着手し、文字通り聖路加病院の病室で上下巻とも仕上げた二冊。異数の著となった。

2012 4・5 127

 

 

* どなたにも一言のご挨拶もよう書かずに「発送」の作業を、夕方まで、少し、した。それでも、口も利けないほど疲れた。今日はもう働かない。

作業しながら、三谷幸喜の「ラジオの時間」と、長野の松本市であるか、桐という所にある、拘置所内、受刑者のための「 中学」に取材の、とてもよく出来たドラマを見聞きしていた。いい作品は、好い。

2012 4・5 127

 

 

☆ 次の

発送準備をはじめておられるようですね。

お元気ですか、風。

今年は花粉がだいぶ楽でして、薬を飲まずに過ごせています。とはいえ、無用の外出は控えています。

先日の嵐で、開きかけた桜がだいぶ散ってしまったのではないかと心配していますが、どうでしょうかね。

北米やヨーロッパに季節外れのヒートウェイブが来て、真夏のような恰好をしている人たちがニュースになっていました。

例年より早く咲いたワシントンの桜を堪能する人々も見られました。

台湾でも花見が人気のようです。

桜は海外でも愛されていますね。桜は花を咲かせ、一斉に散るけれど、来年もまた花を咲かせる。

時が流れて変わるもののある中で、繰り返される自然の営みは、人生のようで。

風にこんなことを言うのは、釈迦に説法ですけれど。

さてさて、返信は気になさらずに。ではでは。花

 

 

* 櫻の春を愛し、散るを惜しみ、さも憂き世のさまかと嘆くのは和歌の時代の文字通り常であった。千載和歌集からもそういう秀歌をわたしは選んだ。櫻花には哀傷の情も色濃くまつわる。

そういったことにも、すこし触れた言葉も聴きたかったが。

2012 4・6 127

 

 

* 午前中、本の発送。手早くとは考えない、一冊一冊一冊と亀の歩みのように。題は覚えないが、サミュエル・ジャクソンとジャック・ニコルスンではなかったか、ともに余命幾ばくもない患者が病院を抜けだしてスカイ・ダイビングなどの冒険をしたり世界をみてまわったりしながら、「身内の愛」をわかちもって、ついには別れる、死に別れる。

じっと画面を見ていたら身につまされて泣かれたり苦しんだりしたか知れないが、発送作業の方へすこしばかり逃げていた。いい映画だった。

2012 4・7 127

 

 

* 午后も発送の作業をして、ほどほどでおさめた。花は咲いているが風はあらく、空気冷えて作業する手が冷たい。

2012 4・7 127

 

 

☆ 湖の本 下巻着

お花見出来る程に体調回復しましたか。一昨日八分咲きの小金井公園を一人で歩いてきました。桜大好き。

今日は満開、快晴を逃さず又一人で行く予定。

子供の頃は近場の円山公園の花見が酔っ払いが多くて大嫌いだったのを想い出します。

京都で一泊、友人宅で有職の雛を愛で、泉山でお墓参りもして町を縦横に車で慌ただしく駆け抜けてきました。

術後の様子は分かりませんがご無理なくお大事にお過ごし下さい。  泉

追伸  小金井公園 いつもの櫻。満足な半日でした。

歩く事は良い事。私はこれで腰痛が治りました。お医者は、多分癒着の予防に「歩くように」と勧めるのでは。

因みに今日は往復をほぼ歩いて一万歩でした。お元気で。

2012 4・8 127

 

 

* 夕食までに今日の作業を終え、あとは、明日の通院受診に備えて休息する。朝昼のあいだ、録画の映画「レッドクリフ」前後編を半ば「聴いて」いた。

2012 4・8 127

 

 

* 久しい湖の本の読者である京都の画家夫妻の夫人が、朏健之助さんの姪だったと知れた。朏さんは、わたしの実母方祖父阿部周吉の生家であったという近江水口宿本陣鵜飼家の親しい血縁で、その辺の事情はわたしにはよく分かっていないのだが、深い感慨を覚える。朏さんは多彩な生涯を送られた中でも、東洋の郷土玩具の蒐集家としても識られ、その厖大なコレクションはそのまま京都府の施設に保管されてある。

そのご縁にも驚いただけでなく、旧姓朏姓の夫人の夫君は日吉ヶ丘高校のたしか後輩で、その画業には三十年余も以前からいつも目をとめ心惹かれてきた。ことに線の生命感に美しく富んだ画蹟は印象に深い。いまその画家と、遙かに遙かといえばそうであるが遠い親戚にあたるのかもと思うと、ふしぎと懐かしい。長生きしていると、こういうことにも出会うのか。

なにも知らず四半世紀を超えて「 湖(うみ)の本」 を応援して貰っていた。感謝に堪えない。

2012 4・9 127

 

 

* さてさて、今正にわたしは癌患者であり、一個所とはいえリンパに転移が認められており、けっして芳しいレベルとは云えないらしい。かなり鬱陶しいといろいろ聞いているけれど、手術の済んで以後の文字通り癌に対する「治療行為」を受け入れねばならない。鬱陶しいけれども立ち向かうことになる。愚痴や泣き言もたらたらに、しかし言いたければさんざ言えば宜しく、しかし立ち向かうことに変わりはない。薬剤の服用ということになるらしい。思い悩んでもラチはあかない。来週も再来週も病院通いが続く。

しかし、さしあたっては、「 湖(うみ)の本」 111下巻の発送を着々終えておきたい。

2012 4・9 127

 

 

* 昼飯前の発送、集中して出来た。しかし昼食はうまくおさまらず、全身に疲労を感じている。

その間にも、さきざきのこと、考えている。

 

* 午后郵便局までの往復に疲れた。のろのろ歩いていた。

が、サトラックスと大正漢方の下剤とで、十分な便通があったのは有り難かった。

発送作業もゆっくりとではあるが、時間をかけ、明日に備えた。 2012 4・10 127

 

 

* 原発関連の報道や情報にほぼ限定し集中して注意を払っている。

なんという狡さか。原発頼関係者達によるデータの改竄や計測方法のごまかしや、つまりはデータの不正ないし隠蔽をはかる組織的な悪辣が目立ち過ぎる。「国土と国民の前途」を目先の利権のために闇から闇へ葬る政治が平然と「政治判断」で強行されている。心ある政治家は大衆運動を組織すべき時機ではないのか。

* 昨夕、梅原猛氏が、心ある連繋の絆だけがあるのでなく、利権の欲などに政治的に渦巻かれてしまった拘束としての絆もあり、いま、日本の原発環境はそういう悪しき絆に平然としている学者や政治家で溢れているのではないかと発言されていた。「絆を断って払いのける」勇気を日本人は持っていないのか。

わたしの「湖(うみ)の本」 も一つの実例だ、出版や文壇という絆を払いのければ何が起きたか。「孤」である。だがわたしは四半世紀の余も堪えてきた。そして今や必ずしも孤ではない。

2012 4・10 127

 

 

* 下巻の発送を、慌てず正確にと進めている。

 

* 一昨日の外科診察時に、抗ガン剤服用開始を二十三日と決めて同意書の即時の提出を指示された。可能な限りセカンド・オピニオンに類する同じ聖路加病院内のオンコロジイ( 腫瘍内科) の専門医の意見や示唆も求めたいと、同意書提出を急がずオンコロジーの予約を外科主治医に求めた。

二十四日二時半に、腫瘍内科医との面談・ 診察が予約できた。その結果を待つ。

それまでに、仕事の面でも気持ちの面でも「次ぎ」を待つ気構えをつくって置きたい。抗ガン剤の服用が決まれば「一年」を要する。その間に諸検査が挟まって行くか。

一年というと、「 湖(うみ)の本」 が一年に四冊刊行で久しくやってきた。刊行をつづけるという「仕事」 モチベーションに励まされていろんな苦痛を堪えて乗り切って行きたいと願っている。

「 湖(うみ)の本」 四冊を背景に、「小説」の仕上げにも熱をあげて行きたい。服薬それ自体によりわたしの命が即脅かされることは無いはずである。ただラクなものではないらしい。堪える工夫が是非にも必要になると言うこと。可能な限り「仕事」自体に応援してもらいたいと願う。わたしには、今もいつも自分自身の文学の「仕事」があり、何十年も、今も、間断なく打ち込めてきた。また打ち込み続けられる。幸せなことである。差し当たってこの一年も渾身の気概で打ち込み続け、予想される苦痛と闘い抜きたい。

どうか読者・知友のみなさんにも見守って頂きたい。

そのためにも、基礎体力を、一日も早く回復出来る限り回復させておかなくては。差し当たっては「下巻」の作業をきれいに終えてしまいたい。

2012 4・11 127

 

 

☆ 「 湖(うみ)の本」 111 御礼

hatak さん

湖の本届きました。「三月再度入退院のまま」送本、奥様共々、身を削るようなご準備であったことでしょう。

いつぞやHPに書かれていた「覚悟」も思いやられ、生老病死愛別離苦怨憎会苦の全てを刻み込まれたHPを見守り続けています。

札幌は雪が溶けかかり寒いような暖かいような中途半端な毎日ですが、やがて植物が動き出し私の仕事も忙しくなります。

花はまだまだ先のことです。   maokat

 

☆ 京都、のばらです

こんばんは。新しい「湖の本」届きました。いつもありがとうございます。

体調の大変な時に、出版の作業や、発送の作業などお疲れが溜まりませんよう願っています。

まだまだ治療が続くようですが、回復を心から願っています。

こちらもやっと桜が満開になりましたが、今日はあいにく雨の一日でした。

どうぞ奥様共々お大切にお過ごしください。  みち 従妹

 

☆ 秦先生、湖の本111 届きました。

花に嵐は欠かせぬもののようで、当地は2 ,3 日前から花吹雪が始まり、昨夜来の雨でかなり散ってしまいました。

きょうは俳句のお仲間と、吟行に、伊賀上野まで行きました。あちらは幾分寒いのでしょうか。上野城では八分咲きや咲き満ちて散るにはまだ早く、雨の中いい風情の花ばかりでした。塒でも近くにあるのか、鶯が、雨の中、降るように、しきりに、しかも正確に鳴いていました。いいお花見でした。

「千載和歌集と平安女文化」下巻 楽しみに読ませていただきます。

御身大切に、お労り下さいませ。   珊

 

☆ お元気ですか、風。

今春は花粉がラクだと周囲の人も言っていて、で、ちょっと油断して表で立ち話を小一時間しましたら、症状が出てしまった花です。

街をお歩きになったとか。風の眼が痒くならなかったのなら幸いです。

そんな中、新刊が早くも届いたので驚きました。ありがとうございました。

どうしても、風のホームページを訪問するのに気後れしてしまいます。厳しい闘病の現状が記されているから。

花形歌舞伎をご覧になりましたか。昨年中止になった巡業が、今年は予定されていて、当地は藤十郎さんらの近松ものだそうで、チケットを買おうと、今から意気込んでいます。  花

 

 

* 花形歌舞伎 明日、通し狂言「仮名手本忠臣蔵」夜の部を観る。幸いに今日も発送を続けられた。

 

☆ 恒平さん のばらです。

こんばんは。

先ほど手違いで前回のメールが送信されてしまいました。

何かお口に合うものと思案しています。こちら( 京都) のもので、お召し上がりになりたいものがございましたら何でもお送りします。

お仕事への気力に頭が下がります。

くれぐれもお大切に。お元気になられて、お会いできますように。  みち 従妹

 

* 所詮、ジャンルの問題ではない、良い作は良いのであり、「作品」を備えている。作品も備わらず良い仕事ともとても思えない仕事は時間つぶし以外のなにものでもない。

2012 4・12 127

 

 

* つぎの「仕事」へ向きを定めている。わたしが「仕事」と言うときは、志賀直哉の明言にならい、私流「文学・文藝・創作・執筆・勉強」の意味である。

むかし、わたしは罫線のある用紙に工夫して、月単位に日々の依頼仕事を、抜けたり忘れたりしないよう書き入れ、毎日の進行を記録していた。何年も何年もの間、原稿依頼や講演や出演が月に十数もあった。目が回るほど原稿を書き、講演で遠くへも出向いていた。若気の至りであったものの、だから今の生活が成ったのは確か。

生活のためでなく、今度は病気との闘いのために、「仕事」を組み立てたい。

気がかりな気がかりな小説の仕事が二つ有る。

「湖の本」は一年に少なくも四冊ずつ四半世紀余も、送り出してきた。三ヶ月に一冊は、少しも気の抜けない間隔であり、打ち込みたい。

超級の面白い長編小説を読み返そうと思う。『源氏物語』はもう少しで夢の浮橋をわたってしまう。『ゲド戦記』四巻も今月中に読み終えてしまう。

『戦争と平和』『南総里見八犬伝』『水滸伝』『指輪物語』『イルスの竪琴』『モンテクリスト伯』『平家物語』『罪と罰』『従妹ベット・従兄ポンス』『夜明け前』そして、自作なら『みごもりの湖』を久々に読んでみたい。これらを順々にかつ併読して行けば一年が経つだろう、そうそう『千夜一夜物語』もまたまた楽しみたい。

旅行は、わが家ではとてもむりだが、月々の観劇は体力しだいで、大きな楽しみになる。楽しみにも力づけられたい。

 

* おおよそ、そのようにわたしは、いま、心がけている。

家族にも、また読者や知友にも、素直な気持ちで、「元気」をもらいたい。

 

* まだ心幼かった頃の娘も息子も、父親が「死」について思惟し述懐するのを嫌い、キザに「死」を弄んでいるとまで非難したのを忘れていない。「死ぬときは死ぬんだよ、何を考える」などと中学生の息子は嘯いた。

その息子が、今は、人の死を真面目な話題に、たくさん読み物や芝居を書いている。「死」は明らかに息子にも重い課題であるらしいし、わが子に死なれた姉娘もしたたかに死についてものを思ったことだろう。

わたしは、ほんとうに小さかった「もらひ子」の昔から、「死ぬ」ことに関して恐怖と厳粛さとで、ものを思いつづけていた。さもなくて『死なれて・死なせて』を書くまでに、たくさんなあんな小説は書かなかった。若い頃は死は歩んで行く道の向こうの方にいると思っていたが、年を取るにつれ若い頃兼好に教えられていたように、いまや死は背後からひたひたと迫ってくると理会している。予感し実感している。

 

この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ   11.10.23

 

昨年十一月末に出した「 湖(うみ)の本」 109の歌集『光塵』はこの歌を結びに置き、わたしは聖路加病院の糖尿病の主治医に人間ドックを紹介してもらった。明けて正月五日のドックの検査は、精査をまつまでもなく明らかなわたしの胃癌を指摘し、掌をさすように予断は確定診断となった。「逆ら」うどころでなかった。いまわたしは明らかに片手に生と片手に死と手をつないで歩んでいる。生と死とが左と右ほどは違わないのだということも感じている。  2012 4・14 127

 

 

* 今日、元朝日新聞社の人であった伊藤壮さんから、病気お見舞いのお電話をもらった。恐縮した。

一九八六年五月、伊藤さんに西銀座の朝日ホールで講演を頼まれた。講演録は「色の日本 日本人の色と色好み」として「 湖(うみ)の本」 エッセイ45に収録してあるが、あれは、ちょうど「 湖(うみ)の本」 を創刊する間際であった。わたしの企図を聴いて親切な伊藤さんは、早速会場でも丁寧に紹介して下さり、さらに朝日学藝部の河合記者を紹介して下さった。翌日、わたしは河合さんのインタビューを受け、その大きな記事は盛んな反響を呼んだ。各新聞が記事を書いてくれ、全国から配本希望のたよりが続々集まった。

わたし自身、当時、十巻はせめて続けたいと願っていたのだ、それが今、あれから二十六年、四半世紀を超えて「百十一巻」めを無事配本したのである。

伊藤さんは八十すぎたと言われる。二十六年である、お互いに老いを重ねてきた。それにしてもなんという有り難いことか、伊藤さんは「 湖(うみ)の本」 を、ずうっと自身購読して下さったのである。

「 湖(うみ)の本」 はそのようにして世に出た。当時は、三冊ともつまいとわらう人もいた。「出版への叛逆」だと非難もされた。

だが、今は、わたし以外の誰にも出来なかった、真似も出来なかった「創作・創造的な仕事」と認めてもらっている。まっさきに伊藤さんの有り難いお蔭であった。

2012 4・15 127

 

 

☆ (前略) ご容態案じておりますが、

「私語の刻」の末尾に「かくてもはや不確かな残年残日を、一人の文学者としてどう生きるかが第一義の課題となる」と記されているのに、言い知れぬ感銘を覚えました。そして頁を繰っているうちに、「西行思慕」を一読致しましたが、内なる「京都」を主調低音とされながら、「風邪になびく」の絶唱まで、稀有の捉われない西行像を描破されているのを堪能致しました。全巻の味読をこれから楽しみに致しておりますが、呉々も御身お大切に過されますようお願い申し上げます。

右、取急いでの御礼まで一筆啓上致しました。不一     文藝誌 元編集長

 

☆ 拝復 「湖の本」 111

『千載和歌集と平安女文化 下』を拝受いたしました。感謝致します。

二月十五日、胃全摘なされ、二十八日には病室で「私語の刻」( 跋) をお書きになった由、感動しました。どうぞ一日も早いご全快を祈りあげます。  都立大名誉教授

 

☆ 狭庭の花桃が

櫻にやゝ遅れて開き始めました。

「湖の本」111 『千載和歌集と平安女文化 下』拝受 御礼申上げます。

和漢朗詠集、後白河院、西行の論、私見の及ばぬところがあって、面白く読みました。

外歩きほとんど出来ませんが 机には向かっています。  松野陽一

 

* 『清経入水』の昔から、ほんものの学者である松野先生や藤平春男先生に励まされてきた。岩波新古典全集『千載和歌集』を纏められ、その本は藤平先生が送ってきて下さった。月報に「俊成の時代」を書かせていただいた時、わたしは東工大に教授室を持っていた。

 

☆ 「湖の本」が

記念すべき一一一巻に達しられたことを心よりおよろこび申し上げます。

この処 ペンの理事会にも御出席されませんので寂しく感じている次第です。 雰囲気も大分変って参りました。小生も理事時代と違って時に休ませていただいておりますが、梅原、早乙女さん時代とはかなり変ってきております。

今にして思うと「湖の本」百十一巻がそのまま全集ということになり、先見の明という思いがいたします。 御礼まで。  ペン幹事

 

☆ きょうになって、

「湖の本」の中のご挨拶に気づきまして、ご入院、手術とあって驚きました。お許し下さいませ。

いつも 本当にありがとうございます。お大事になさって下さい。   相愛大学図書館

 

* 「湖の本」は、全国の国公立・私立大学の大方に刊行ごとに寄附している。また基準が分からないので、「進学」高校と目されているらしい公立私立を問わず全国の高校百数十校にも寄附している。文壇にも、各界の知友にも。私の、そういう「文学・文藝活動」であると納得し、苦にするどころか有り難い気の励みにしている。出版の採算などは、七十六歳、考慮の外。そういう慮外が出来て励みともなる幸せを、胸を張って噛みしめている。数十年の愛読者のみなさんのお力を得ていればこそである。

☆ 「湖(うみ)の本」 111読ませて頂きました。  晴

秦様

千載和歌集と平安女文化 下巻を、ご退院後直ぐにまだお身体の調子が戻られないうちにも送っていただきありがとうございました。

ご回復の様子も伺え、嬉しいやら感激したり、私の方まで早く送っていただき恐縮しています。

ご本が届いた翌日から、京都の洛南方面宇治田原のお寺を訪ねました。往復の新幹線の車中でゆっくりと読ませていただくことが出来ました。ご本を読みながら、ちょうど古の京へと導いていただいたようでした。

木津川辺の南山城地域のお寺は京都市内の喧騒に遠く、ひっそりとたたずみ静かに私たちを迎えてくれました。

藤原家ゆかりの禅定寺・寿宝寺・観音寺で夫々十一面観音やお寺の宝物館のたくさんの仏様たちを拝観致しました。

その中でも観音寺の十一面観音様は天平時代の作だそうですが、気品高く優美なお姿で、艶やかに美しくうっとりと眺め入りました。

またお寺の前の道が桜並木で、その土手したに一面の菜の花が咲いてのどかな春日和を楽しみました。

近くの猿丸神社では猿丸腰掛け石なども見ました。「腫瘍消除に霊験」の信仰で今は癌封じでたくさんの参拝が有るとのこと。勿論秦様の「腫瘍消除」も手を合わせ拝んできました。

一休和尚の寺ー酬恩庵では方丈のお庭が素晴らしく、一休禅師が晩年を過ごされた茶室造りの虎丘庵がまた良いお庭でした。

村田珠光に与えた公案「喫茶去」の軸が床の間に架けられてました。お寺の説明や庭の説明などをしてくださった当代の住職が書かれた物でした。

観世音阿弥様のお墓も参拝しました。いろいろ一休禅師の文化交流なども詳しくお話をしていただき静かな庭で2時間あまりも過ごしました。

夜は京都の市内に戻り鴨川べりでお食事をした後、円山公園のしだれざくらを眺めそぞろ歩きで春の宵を楽しみました。何度か桜の頃に京都へ参りましたが、ちょうど満開のしだれ桜を見ることの出来たのは始めてでした。

京都の春のおすそ分けで下手な写真ですが、添付いたします。

今回のご本は上下ともに、謡の稽古を始めた私にはとても有り難いご本です。

謡が作られた頃の人たちは故事来歴に通じていたことと思います。故事や平安時代の和歌を熟知できて始めて謡の詞章の意味も心情も理解できるのでしょう。いろいろ歌の近辺を読ませていただき、少しは謡の奥も伺い知ることができる気がいたします。ありがとうございます。

幸い私の先生は謡の曲の話を詳しくして稽古をつけてくださいます。ご本を読み返しながら、あれこれ先生と話するのも楽しみです。が、実際稽古で謡ってみると心情と程遠いところにいるのが残念です。

お具合の勝れないところ、長々と恐縮です。どうぞ迪子様ともにゆっくりとご養生しながら体力をつけていただき、次なるご闘病に備えてください。ご気分の勝れる日が多いことを祈っています。

2012 4・16 127

 

 

* 今日で、大方の「下巻」発送を締めくくる。

 

* 瀬戸内寂聴さん、島津忠夫さん、関口忠男さん、津田崇さん、高本邦彦さん、中川美智子さん、下林益夫さんほか諸大学等から「湖の本」へお便りを戴いた。劇作・脚本家「山」さんのお手紙に代表願う。

 

☆ 秦恒平様

「湖の本」110をいただき、お礼が遅くなっている間に111を手にして、二月十五日からでは二ヶ月も経っていて、今更お見舞いも申し上げにくい思いですが、伏してお見舞い申上げます。

大変な手術ですからぎっしり御苦労があり、さぞいろいろな思いをなさったことと拝察します。勝手なフアンとしては、その記録も早く拝読したい思いですが、無論御養生が第一、御回復を遠くより願っております。

こんな折だから申すのではなく、「千載和歌集」のセレクション、とても楽しんでおります。どうこう申す才はありませんが、恋歌をわが身と重ねる年齢をはるかに越して、いくつもいくつもの恋歌が老いの歌と読みちがえてわがものに出来ることに感慨があります。

他の御作は、まだすべてを読んだわけではありませんが「源氏物語」と「平家物語」に、御自分のことがたち現われるあたり、小説家秦さんの自在さを味わいました。「色好み」の解釈も「三つの場面」も楽しみました。つまみ食いのような申しようをお許し下さい。通読してはいけない、勿体ないという、菓子を半分残しておくような敬意です。これから「西行」に近づきます。きっと面白いにちがいありませんから──。

どうか、御身お大事に─。    山拝

 

* ありがとう存じます。

 

* ペンクラブ会員の「 宗」 さんからもお手紙と新刊とを頂戴した。書肆採光に拠って文庫本等の出版活動もされている。

 

☆ 秦 恒平 様

湖の本(千載和歌集と平安女文化)、頂戴いたしました。ありがとうございました。

とりあえず、私語の刻を読んで、プロ中のプロの物書きに対して言う言葉ではありませんが、内容に感動、起承転結の深みに感動。

大学を出るとき、自衛隊幹部候補生にならんかとの思いに、一瞬たりとも奮い立ったことのある身には、陸海軍の話、猿・猛獣の話、深浅にかかわらず、我が身にまた人の身にまつわりつく業を今更ながら、思い浮かびました。

(中略)

大変な手術を受けられたようで、今、ご容態はいかがですか。私は、作家・秦恒平の生きように大きな共感を抱いています。どうぞ、ご自愛あって、「書く」生活が日常になられること、心より祈念しおります。  4 月14日  宗

 

* 感謝申します。

2012 4・17 127

 

 

* むかし「鬼」編集長の大久保房男さん、 八十七の歌人清水房雄さん、親鸞仏教センターの金石励成さんや諸大学から「 湖の本」にいいご挨拶を戴いていた。大久保さんも同病であられたと。ビックリしました。

2012 4・18 127

 

 

* 今日も、たくさんのお便りまた読者のお払い込みを戴いた。有難う存じます。

 

☆ 京の櫻も、はや半ばは散りました。  元国立京都博物館館長

ご高著「千載和歌集と平安女文化」 上下、ありがたく拝受しました。厚くお礼申し上げます。いつもご高配を辱くし、恐縮に存じます。承れば、ご健康を損ねられた由、その後の経過、いかがかと案じています。ご回復の早からんことを、心より念じ上げます。

 

☆ 拝復 湖の本 第一一一をありがたく拝受いたしました。

御様態、御快方にお向かいのことと存じます。一層の御加療を祈念申しあげます。

前回に引き続き専攻の分野と重なる御論に感謝いたします。特に鵺論はまったく同感で、小生は保元の読みから気づきました。御論に気づかずまことに恥じ入ります。坂倉篤義さんもお気づきだったようです。迦陵頻伽の逆をゆくものと考えました。活字化するさいには、一筆御論にふれます。

とにかく大変な御論を御執筆になって来られました。しばらくお休みください。

御本復の上、一層の御健筆を期待申しあげます。 早々   名古屋大名誉教授

 

☆ 春とはいえ、まだ寒い毎日でございます。

その後は、いかがでいらっしゃいますか。御気分のよくない時にも係わらず、今回もいつもと同じように、御本をお送りいただき有難うございます。

今回は、また、平安期の所で、私にとっては何よりの宝物をいただいた以上に喜んで拝読させていただいております。

どうぞ御無理をなさらずに、一日も早く御全快なさいますことを、お祈り申上げております。御礼と御見舞まで。  東大名誉教授

 

☆ 冠省

術後の、食事が思うにまかせぬ状況の中で、負けじ魂を込めたかのような「湖の本111 千載和歌集と平安女文化」下巻を頂戴いたし、 忝う存じました。 (中略) 少しでも拝見してから御礼を述べたいと思い、「平安女文化の素質」という巻頭の一文を開きました。迫力のある筆致、そのパンチ力に驚きました。結びの言葉はすごい。「千年一日、最敬礼で男が笑う女文化」なのであり、それが「京都」の文化の根の素質なのだ、とはズバリ本質を突いていると思えます。東京も似たようなものでしょう。ありがとうございました。自由に飲食できる日の近いことを祈ります。平安   国際基督教大学名誉教授

 

☆ 「湖の本」111をお送りいただきました。

過日のお便りでお躰の様子があまりよくないふうにうかがっていたので、御案じ申し上げておりました。そのような時、「湖の本」を出されるなど… どうぞ御無理は重ねないでくださいませ。   劇作家

 

☆ おどろくことばかりですが、

その後ご体調はいかがでいらっしゃいましょうか。

あまりにも苛酷で複雑なジグソーパズルに 病いというピースはぴたりとおさまって 完璧におさまって パズル全体が強固にゆるぎない輝きを放ち続けている そんな気持ちになりました。そしてそれは創作者になられた息子さんへの身を賭した贈物…生涯の宝物…   米  世田谷区

 

☆ 櫻も大分散りはじめ

春眞盛りです。お元気にしていらっしゃいましょうか、術後は早くからリハビリが始まるようですから大変でしょうけれど じっとしては居られないですね どうぞ御無理のないよう養生なさって下さい。全摘では食事の事が大変なことでしょう 奥様もどうぞお大事にして下さい  ( 中略)  書きたいとおっしゃる御気持は きっと快復を早めてくれるでしょう。

湖の本 千載和歌集は、はじめてでした。解説つきなので面白く読んで居ります 下巻など目次をみただけで楽しくなります 他所の本は開いてみても読む気になりません 湖の本は 私の宝物で 前の本を よみ返しよみ返し楽しんで居ります。

お見舞にもならないお手紙で申しわけ御座居ません どうぞ奥様 御無理のないようにと願っております。

病は気からと申します  私も幾度も手術をしましたが まだ自分の仕事がありますので 元気に頑張って居ります 中々手紙が書けなくておそくなりました 八十才になると 文などまとめることがますます苦手になります 勝手をお許し下さい。  江  桐生市

 

* 病状について、体験されてきた方たちなどから、沢山なことを教えられている。食後の「ダンピンク症候群」など、まさにまさに今しもわたしは悩まされている最中で、教わってみると掌をさすような。分かってみればまた対処も利いてくるだろう。

「湖の本」のまたべつのお蔭である。

2012 4・19 127

 

 

* 次なる猛烈なお便りの、わたしと湖の本とに関連した個所は、有り難くもこそばゆくもあって恐縮するだけだが。

後半の、長くて熾烈な「警醒・警世」の言の大方にわたしは共感や共鳴を隠さない。「長い」けれども、あえて引かせてもらう。

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

 

あれだけの手術でしたから、薄紙を剥ぐように少しずつ回復なさるしかございませんね。どうかご無理なさらず、ご自分にやさしく、ゆったりお過ごしくださいますように。わたくしにとりまして、再びみづうみのお声の届く日々の嬉しさはたとえようもありません。

蛮勇の歌舞伎鑑賞はご無事で何よりでした。

貧血やダンピング症候群は胃摘出手術のあとによくみられることのようですので、必要な治療をなさりつつ、充分ご注意なさってくださいますように。万が一、気を失って倒れたときに打ち所が悪いと大変です。

 

『千載和歌集と平安文化』上巻、奥さまの発送作業で早くに手元に届きましたこと、そして、この度下巻も頂戴しましたこと厚く御礼申し上げます。みづうみの「お元気ですか」のお言葉、万感胸に迫ってしまいました。

 

まさに珠玉の一冊です。どの部分を読んでもため息のでるほど素晴らしい文藝で、いつも手元において美酒を味わうようにゆっくり少しずつ、そして繰返し読み続けていきたい愛蔵本です。「湖の本」はわたくしの人生の同伴者なのです。

今日は作品の内容というより、このご本を手にして、わたくしの全身に電流が走るように感じたことを書かせてください。

 

『千載和歌集と平安文化』の頁を開いた瞬間、ここにまぎれもなく私の愛する「日本」が在る、そう感じて思わず涙がこぼれました。

みづうみは大袈裟と笑われるかもしれませんが、もし東京を逃げ出すとき、日本を棄てるしかないとき、あるいは日本と命運をともにする時に、この一冊が日本の形見として抱きしめる最後の本になるかもしれないと思いました。

この作品の中に、わたくしの命に代えてもどうしても喪いたくない「日本」があり、そして今それが風前の灯火であることを痛感しています。

子どもや孫の時代に『千載和歌集』が『平家物語』が、そして秦恒平のこの一冊、湖の本が、はたして生き永らえることが可能だろうか。百年先どころか十年先に、日本という国が存在していられるのか。日本の文化、日本人が、今までのように在り続けていられるだろうか。もしかしたら、私たち日本人は、世界を流浪する難民となり、地球上で滅亡していった多くの民族のように、言語も文化も何もかもなくしてしまうかもしれない。身震いするほどの危機感や不安におののいていました。

日本を深く愛していたことに、今までどうしてこんなに無自覚であったのかと思います。あたりまえのように、日本の土地の上で呼吸し、日本の澄んだ水を飲み、米を食していた。春一番に咲く梅に喜び、桜に酔い、新緑に溺れ、錦繍の秋も枯野も夢のように美しかった。お正月には無邪気に百人一首で遊んでいた遠い子ども時代。

日本が滅びることは『源氏物語』が忘れられてゆくこと。伊藤若冲の『動植綵絵』が買いたたかれて散逸していくこと……。

日本という国が数十年後、運良く独立国家として存続出来たとしても、そのときもはや私の愛していた「日本」や「日本人」や文藝としての「日本語」はなくなっているかもしれないと、悩み深い日々です。

 

大震災ではなく、「福島の原発事故」が、私のような無知蒙昧の人間の今まで気づかなかった「すぐそこにある危機」の一端をあらわにしたのだと思います。

私の妄想であってほしい。でも、私の目で見て考えたことは、恐ろしいことです。

日本はすでにずっと以前から、何十年も前から日本人のものでなくなっているのではないか。日本人ではない、何か巨大な力が、陰謀が、日本を動かしているのではないか。そう感じられてならないのです。

日本社会を牛耳るそのグループは、TPPに死物狂いのアメリカか、覇権国家中国か、日本憎悪の半島勢力か、強大ユダヤ資本か、闇組織、ヤクザごろつきか、そのすべての利権複合体か、その正体はわかりません。たしかなのは、日本という国も日本人も金儲けの対象でしかないとみている極悪非道、冷酷無比な連中です。その得体の知れない邪悪なやつらが、原発事故をきっかけに、いよいよ牙を剥きだして、最後の仕上げにかかろうとしているのではないか。私はそんな予感にとらわれています。

わたくしの望むことはごくあたりまえのことです。日本人として、日本で生きて死にたい。日本の子どもを守りたい。そして日本の美しきものすべてを滅ぼしたくない。湖の本を読み続けたい。私の愛するそれらに「いのち永かれ」と今、必死で祈り続けているのです。

 

以下、私の深刻な憂慮を書きますが、長いし、気の晴れる内容ではありません。療養中のみづうみにふさわしい話題でもありません。体調のよろしい時によほど気が向かれたら、読んでください。このままお読みくださらなくてもかまいません。いつものわたくしの被害妄想と、もしみづうみが笑ってくださるなら、それはめでたい話です。

わたくしにとって、みづうみという読み手に向かって書くということが必要なのです。みづうみという稀有の、具眼の士にわたくしの考えをぶつけることは、大きな生きる励ましになるのです。そして、なんとか自分を奮い立たせる道をさぐりたいのです。

フランスの抵抗詩人が言っていました。人間は所詮滅びてしまうものかもしれないが、自分は抵抗しながら滅びたいと。

 

私の重大な懸念は二つあります。

第一に、今政府のしようとしていることは、日本の国土を人の生きられない場所にすることではないか。生存に欠かせない食糧から水まですべてを、積極的に放射性物質で汚染させ、日本人の、とくに日本の子どもの大量殺戮ジェノサイドに向かうことではないか。

第二は、インターネットで個人の発信しているもの以外の、国内大手のマスメディア、新聞テレビ雑誌の大半が、ある集団の利権のために徹して真実を伝えず、その大量虐殺計画に加担しているのではないか。

この二つの懸念から、私の推測することは、今この国に、日本の人口を激減させるべく、恐ろしい「亡国の戦略」が始まっているということです。権力を握る一部の政治家、官僚等が、日本人ではなく他国の人間、あるいは反社会的集団の利益のために動いている。動かされている。そうとしか考えられないのです。わたくしのこの考えは間違っているでしょうか。間違っていてほしいと心底思います。

 

諸悪の根源、原発事故の現状については、みづうみも充分にご存じのことですので、一つだけ強調させてください。

もし新たな地震等で、殆ど対策の取られていない現状の「福島」四号機がひび割れたり倒壊すると、露天臨界となり日本全土に人は住めなくなります。(心配ないという学者もいますが、私には信じられません)一時、冷却装置が停止したというニュースもありましたが、四号機の中のおそるべき量の燃料体(中に1500本超と50メートル先に6000本以上。広島原爆4000発分) からの放射性物質が飛び散るだけで日本は完全に終りです。

日本だけでなく世界の終りになる可能性すらあります。最悪の場合、現場で作業出来る人間が一人もいなくなって(たとえ崇高な使命感で作業しようとしても爆心地は人間が生きていられないレベルですから)一号機から六号機まで全部冷却不能になり、それは、近くにある福島第二原発でも同様で、人類史上空前絶後の十基分の(使用済みまでいれると三十基分以上の)膨大な核燃料が、制御不能となる大暴走、大爆発となります。

福島の現状と見通しについては、長くチェルノブイリの取材をなさってきたジャーナリストの広瀬隆さんの説明がとてもわかりやすいので、そのインタビューを文字に起こしてくれたサイトがありますので、ご参考までにリンクを貼っておきます。

 

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1341.html#more

 

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1342.html

 

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1350.html

 

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1351.html

 

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1352.html

 

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1353.html

 

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-1354.html

 

 

広瀬さんの説明からも、首の皮一枚で決定的壊滅を免れている福島の身の毛もよだつ惨状がよくわかります。福島の事故はもう絶対収束出来ず、石棺のようなものを作って放射性物質の拡散を止めることだけが唯一可能な対策ということ。日本に大地震の再来は必至で、海洋汚染は絶望的であり、食品の汚染も益々深刻を極め、日本全土が放射能にのまれている現状。もはや日本中の原発を止めるしか道のないこと。

 

しかし、原発事故対応は、まったくもって不充分なのです。国は事故の影響を小さく「見せる」ことに全力を傾けていて、事故そのものに立ち向かっているとは到底言えません。事故収束に向けて動いている「ふり」をしているだけと見えます。奇怪です。

国家予算のありたけと、大量の人員と世界のあらゆる頭脳を注ぎ込んで、一刻の猶予もなく実行しなければならないのは、石棺とメルトスルーした燃料からの地下水汚染を防ぐための地下防護壁の設置ですが(とくにすでに傾いている四号機については緊急事態)ふしぎなことにこれが未だに手つかず。東電まかせで計画すら見えていません。国会は消費税増税に明け暮れ、現場はその場しのぎの冷却で、汚染水を大量に垂れ流しているだけに見えます。

原発が津波でなく、最初に地震の一撃で致命的に壊れたことや、原発とはそもそも震度5までしか想定していない建造物であることを徹底的に隠蔽し、世界を滅ぼしかねない四号機の危機を軽視し、ただひたすら原発再稼働に舵を切ろうとしている今の政治は、狂気以外の何ものでもありません。政治家も官僚も放射能で深刻な脳障害を起こしたとしか思えません。(54基全部動かしたら電気がありすぎて日本人はみんな感電死するというブラックジョークがありました。)

 

「百人百話」という福島で被災した人々に訊くインタビューシリーズがあります。その中で郡山市に住むお医者さんが「今政治を動かしている人たちは、いずれ外国に移住するつもりだろう」と語っていたのが印象的でした。

じつは、私もそのように思うことがあるのです。今の特権的地位で稼げるだけ稼いで、日本が汚染で住めなくなったら安全な外国で暮らすつもり、とでも考えないと、この原発事故対応の手ぬるさ、東電への大甘の対応など、理解出来ません。被曝の恐怖はまるで他人事で、彼らは自分たちだけは方舟に乗れると信じています。(実際すでに海外脱出した政治家子弟は多い。)彼ら、当事者ではないのです。

原発事故の収束の道筋すら立たない状態で、今でも毎日放射性物質が一億ベクレル排出されているというのに、二号機は人が6分で死ぬレベルだというのに、政府が熱心に始めていることは、不可能な除染をうたって、警戒区域に福島の人を呼び戻すこと。福島や太平洋等の高濃度に汚染された食糧を全国にどんどん流通させること。福島からの高濃度汚染車両の流通も一切制限なし。とどめは汚染された瓦礫を全国規模で広域処理し、日本全国を福島なみの汚染地帯にする、なりふりかまわぬ放射性物質ばらまき政策の登場です。人類史上類例のない民族自滅計画が進行しています。

すべて人倫にもとるあり得ない政策、結果として、最大限に日本人が死んでゆくという政策。国家による、緩慢な、間接的、自国民大殺戮の幕開けです。

人は動かし、物は動かさないのが原発事故の鉄則ですが、その正反対のことをする理由の一つは間違いなく、被災地をダシにした一部の強欲な人間たちの利権の為でしょう。除染利権、産廃利権でとほうもなく儲かる集団があるわけです。(産廃業者、除染業者、その利権集団が日本人であるとは限りません。)

ある人は、政府の目的が、汚染食材や瓦礫の全国拡散で、日本中を汚染し、日本の一次産業を壊滅させることにあると書いています。安全な食糧がなくなることで、日本がTPPに参加して食糧の大量輸入せざるを得なくなること、また病人が増えることによりアメリカの保険、医療関係に膨大な利益が入ることを、TPP推進派、アメリカの意のままに動く傀儡野田政権が画策していると書いていました。

たしかに、ここまで不自然で強引な政策をとる、とれるのは背後に何か脅迫的な圧力があり、ただ大臣の椅子にしがみつきたいだけの小者政治家では逆らえないのかもしれません。自民党に政権交代したところで、今のこの政策が少しも変わらないことは確信できます。

経済的に追い詰められつつあるアメリカが、日本を食い物にできるうちにどんどんしゃぶりつくし、日本がいよいよ疲弊して使い道がなくなったら、お隣の大国に、こちらはもういいですから、あとは日本を焼くなり煮るなりご自由にどうぞと恩きせがましく差し出すのかもしれません。あるいは二カ国か三カ国かですでに日本をいくつかに分割しようかという計画が出来ているのかもしれないくらいです。

しかし、もっとあからさまな巨悪の陰謀がないと言い切れるでしょうか。私は別の計画を疑ってしまうのです。

このままのペースでいくと、間違いなく日本の国土は北海道から沖縄まで人間の住めない場所になります。三文小説書きとして考えるのは、日本を動かす黒幕たちが、日本の人口を一気に減らすことを目的としている可能性です。

あのナチスでさえ同民族を殺すことはしませんでしたが、今の政府のしていることは、故意に、積極的に放射性物質を日本中に蔓延させ、国民を、とくに日本の未来を支える若い世代をどんどん病気にし、死に至らしめることです。正常に生まれてくる子どもを急速に減らすことです。(それでなくても少子化は深刻ですのに)次世代を不健康にすることです。日本人絶滅へのカウントダウンが始まりつつあるのです。

日本人が減る、子どもが死んでいく、健康な次世代が生まれない、そうやって人口の減ることは国力の落ちることに直結します。そうなれば、日本という国が支配しやすくなる。日本人が多ければ抵抗も烈しくなりますが、放射能の影響で青息吐息の国民なら、たやすいことです。

日本に食指をのばしている国にとってこんな好都合なことがあるでしょうか。日本はアメリカ、ロシア、中国という大国に囲まれていながら、独立を保ってきた唯一の国です。それは今まで幸運であったからにすぎなくて、周辺の国々に虎視眈々と狙われているのです。

 

私の妄想頭では、悪魔の計画でもない限り、日本中に汚染食糧と瓦礫をばらまく真相、世界中から糾弾されている不可思議な政策の理由が思いつかないのです。

財政的にも福島県民を避難させて、国が汚染食材を買い上げ、地元で瓦礫を処理したほうが明らかに安くすむのです。地下水汚染を防ぐ防護壁の設置が大体一千億円程度かかるそうですが、東電がけちっているのか計画もありません。そして、政府は全国に汚染瓦礫を運搬処理させるのになんと一兆七千億円も使うというのです。理解できないことです。(水はすでに深刻に汚染されていると推測されます。福島で浴槽に水を貯めていたら青光りしたというツイッター情報の裏付けはとれていませんが、そうであってもふしぎはありません。国は水道水のストロンチウムもプルトニウムもウランもあえて測定せず放射性物質未検出、安全としています。即死しない限り、あらゆるものを安全とするつもりでしょう。)

政府の優先順位は原発事故の収束や国民の生命にはなく、日本人ではない利権複合体の利益にあります。政府の目的はまさに日本破滅へまっしぐらの、原発再稼働と「痛みの分かち合い」放射性物質の全国大規模拡散、直ちに人の死なない「大量虐殺」にあるとしか思えません。

 

日本が他国に乗っ取られつつあるというのは、マスメディアを見ているとわかりやすいと思います。日本のより良い未来のため、日本人の生命を守るための報道は皆無に近い状況です。

原発事故以来、海外メディアのほうがよほど日本国民のことを考えてくれていると思いました。逃げろと連呼してくれていました。事故の真相と見通しを教えてくれました。今も多くの外国メディアが危険性について警告を続けてくれています。You Tubeでも観られる「フクシマの嘘」というドイツの放送を是非観ていただきたいと思います。

三月十一日、震災当日、最初の爆発前に東京を脱出出来たのは、東電社員の家族と、母国から指示のあったアメリカ人をはじめとする外国人だけです。政治家と御用学者の言葉を垂れ流したテレビを信じた人は(信じなかったけれど逃げる算段のつかなかった私も)逃げそびれました。

日本のマスコミは「亡国の戦略」の重要な手先となっています。

外国の報道のように、真実の事故原因の公表を絶対しない。(世界では地震原因説が確立している)福島の惨状を報告しない。除染の不可能を報道しない。爆発の映像をもう放映しない。作業員の献身と勇気も、そのピンハネされている劣悪な状況も知らせない。日本各地の大規模な脱原発の運動もデモも、経産省前の抗議のテントについても放映しない。官邸前で大飯原発再稼働やめろと叫んでいる人々のことも伝えない。子どものために給食の安全性を求め必死に闘っている母親たちについても、無視している。弁当だけでなく、水筒すらもってきてはいけないという校長の強制に、子どもを学校に行かせないという対応をしている親もいるのに、伝えない。

何より、福島及びその周辺で増え続けている被曝の疑われる多くの死について、悪意の沈黙を続けている。

この十カ月ほどの間の、現職市長六人、副市長一人の急死、二人の市長が心不全で公務離脱など、これがはたして原発事故以前と同じ頻度と言えるのか。

内部被曝も外部被曝もする無防備な職業である藝能人の体調不良が、おそろしい勢いで増えていると聞きます。AKBの少女たち五、六人が倒れているとか、ジャニーズの誰それとか次々と。以前ならテレビで大きく取り上げられていたはずのニュースです。

福島を「食べて応援」していた人、除染作業していた人、若い世代の突然死も子どもの死もどんどん増えています。

あるブログは関東の昨年末から二月までの葬儀が例年の二倍だと書いていました。知人が昨年末亡くなった時に、葬儀が一週間も先であることをふしぎに思っていたら、都内の火葬場が満杯で待たされたと聞きました。昨年の日本の人口の最大幅減少は、すでに放射性物質の影響が出始めているという人もいます。

 

本来ジャーナリズムのもっとも大切な仕事は、権力を監視して真実を報道することでしょう。しかし、震災以来、テレビ新聞週刊誌等、あきれた大本営発表媒体になったものです。

「食べて応援」「風評被害」「痛みを分かちあう」これは、「贅沢は敵だ」とか「欲しがりません勝つまでは」とか「鬼畜米英」なんかと同じ質のスローガン。日本人を間接的に殺害する悪魔のキャンペーンで、政府の共犯者であるマスコミの責任は途方もなく重いものです。

痛みに苦しむ人間は痛みをとってほしいのであって、一緒に痛がってほしいのではありません。マスコミは、愚かな恐ろしい政策を美談仕立てにすりかえて、目くらましで真実の敵の正体を隠します。

風評被害ではなく実害であることを国民に広く伝えるのが、正しいマスコミの仕事でしょう。事故以前の日本の法律、放射性物質の基準値を伝えている日本のテレビはありません。日本の食糧がなぜ外国から輸入禁止措置がとられているのか。世界の基準値と比べてあり得ないほどの基準値の、放射性廃棄物の食品が安全とまかり通っているせいだと、なぜ真相を伝えないのでしょう。

作物が売れる限り、農家は被曝しながら生産を続けなくてはなりません。こんなことをしていたら農家の人は死んでしまいます。もし、食べて応援するなら、それは国民ではなく東電が購入して役員食堂でお使いになるべき。汚染瓦礫は東電の敷地で処理してこそ福島の痛みを分かち合うことになります。

時々真実に近いところを取り上げる報道もありますが、東電を叩いた東洋経済の編集長は痴漢容疑で逮捕です。ネットでは「はめられた」という噂が飛び交いました。脱原発に傾く政治家は、醜聞まみれにされ、言葉狩りにあって辞任に追い込まれます。脱原発の東京新聞系列の中日新聞にだけ税務査察が入るのはなぜ。

大手テレビ新聞週刊誌等は、日本が益々 悪い方向に行くために日夜報道を続けます。真実を隠蔽し嘘を並べる。なぜか。それは日本のマスコミはすでに日本人のものではないからでしょう。

 

それなりの年月生きてきますと、私にも色々なタイプの友人が出来ます。そんな友人の中に、元ラジオの人気DJ(友人①)や、元国連勤務のスーパーエリート(友人②)がいます。(国連に勤務するには大学院を卒業して社会人として働いた経験があり二カ国語が不自由がなく使えるという最低条件があります。)二人ともすこぶる優秀ながら思うところあって仕事を辞め、家庭に入り子どもを育てる道を選んでいます。

この二人の政治信条まったく違うタイプのおばさんたちと話していて、彼女たちも奇妙なほど、頭の悪い私と同じ危機感を抱いていることを発見しました。「日本のマスコミはすでに日本のものではなく、大陸(中国と韓国系)に支配されている」と言い切ります。そして、「日本はこのままいくと将来植民地になる」という懸念も共有しています。私ひとりの妄想ではなく、少なくともおばさん三人の妄想だということは、ぞっとします。世間からみたらどうでもいいおばさん達の井戸端会議ではありますが、そこに一片の真実もないと言い切れるでしょうか。

 

マスコミを他国の傘下にされた、あるいは裏社会勢力に握られてしまったことは、現代日本の痛恨の失敗です。日本のためになる良心的報道がどんどん姿を消しつつあります。 某大手テレビ局の社長や広告代理店のトップが在日出身であることはよく知られていますが、昨今の韓流ブームは一種の洗脳と言えます。日本のテレビなのに、なぜ韓国のものばかりなのか。

それを証明するのに、わかりやすい例でいうと、前回の冬季オリンピックのときの日本の報道のキムヨナへの肩入れ、絶賛ぶりなどが思い出されます。キムヨナは良い選手ですから、その実力を評価するのはかまわないのですが、浅田真央選手ほどのすぐれた日本人選手について、彼女のキムヨナに劣ることを力説するような、日本選手を応援しているとはとても思われない多くの報道は、明らかに偏向していると感じました。日本人に国威発揚されてはかなわないという意図を感じずにはいられませんでした。

あのオリンピックの採点については、たとえばインターネットでキムヨナの名前のあとにunfairと検索すれば世界中から大変な数の採点不正を疑うコメントがありました。日本人のためのマスコミであれば、そこへの言及があって当然でした。オリンピック後の世界大会で、浅田選手に向けたフランスかどこかの会場の熱狂的な声援と拍手の音声を、わざわざ消して放映したテレビ局がありました。

 

さらに顕著なのは皇室報道です。今の報道は明らかに皇太子さまに自発的退位をうながす方向に動いています。週刊誌等の皇太子一家に対するゆえなきバッシング記事、その有形無形の圧力のものすごさには恐怖を感じます。

さる場所から聞いたところによりますと、信じられないことですが、不登校報道のあとも、愛子内親王への暴力的ないじめは執拗に続いています。そのため、雅子さまは付き添いがやめられなかったという事情があります。そもそも、身体的恐怖を感じさせるようないじめが学習院内で見逃されていること事態異様です。内親王さまの身体に危害を及ぼすような行為の放置は、これは何らかの政治的意図のあるものと感じます。 ( 中略)

皇室の求心力の低下は、植民地化の一つの戦略です。中心となる天皇家がなければ抵抗の叛旗も弱くなります。ダライラマのいないチベットを考えればわかります。

そもそも日本で、中国のチベット弾圧についてどれほどの正しい報道がされているでしょうか。チベットの悲惨は日本の未来の姿かもしれないのに、このことへの筋の通った中国への批判報道を見かけません。日本のマスコミは中国の顔色を伺う必要があるのです。尖閣列島とは比較にならぬほどの中国の日本社会への浸食が始まっていることを、たとえば瀬戸内海に出没している中国の潜水艦のことを、それに対処する政治家のいないことを、マスコミは決して伝えません。

泰平の眠りを貪っている間に、日本は大陸の悪意に好き放題されつつあるのです。韓国、中国に日本の土地がどれだけ買われていることか。

友人①はどっぷりマスコミで働いていたわけですが、「マスコミの世界にいるのは人間として最低の人たち」とはっきり言います。酒池肉林、真実を伝えることになど価値をおかない人たちという意味です。NHKや朝日新聞はじめとするマスコミは、原発事故後早々に、拠点をおいていた南相馬から危険を理由に撤退したのに、「安全です」と報道を続けていました。自分たちが逃げるなら、住民にも逃げろと報道すべきでした。それが無理であれば、最低限「安全です」という嘘を報道してはならなかった。万死に値する不誠実、間接殺人の共犯者です。

友人①が高収入の仕事を棄てて悔いのない理由は、しみじみ嫌気が差したからだろうと推測しています。友人①は「もんじゅも原発もアメリカがやめさせてくれないのよ。そんなことニュースになるわけないけど」とも言っていました。(興味がある人は少し調べればわかります。)

 

友人②が「日本は乗っ取られつつある」と感じるのは、在日五年程度の、日本語もまともでない中国人に簡単に日本国籍が与えられている現状にあります。今、日本の大学等に多くの中国人が送り込まれています。そして、たぶん日本国籍をどんどん与えられていると推測されます。日本国籍を取得した中国人が中国の国籍を棄てたかどうかの確認もおそらく行なわれていないだろうと、彼女は危惧しています。

また、国連には日本人職員もたくさんいて、その子弟はアメリカで生まれアメリカの教育を受けています。国籍は日米両方を持っていて、ある時期がきたらどちらかを選択しなければなりません。両親日本人でDNAは完全な日本人ですから、選択の際に大変悩みます。日本は、こういう子弟に日本国籍を棄てさせることに非常に熱心です。総領事館から日本国籍を棄てるようにしつこいほど何度も電話があるそうで、やむを得ず皆さんアメリカ国籍を選ぶそうです。

友人②は、国連職員の子弟はアメリカで育ち、日本語と英語に不自由がなく、あちらのやり方で鍛えられているから、将来世界に向けて日本の立場を代弁しタフに交渉できる、国益のために動ける貴重な人材だ。日本国籍を取ってくれと言うならわかるけれど、なんで日本国籍を棄てろと迫るのかわからないと言います。法務省にはすでに中国の息がかかっているのかしらとも。

楽観的なことを言えば、人間も国も一度どん底に落ちればあとは這い上がるのみ。また盛り返せるわと、私。でもこれから未来を創る若い人が死んでゆくのよ、と友人①。

放射能まみれの国なんて誰も住めないから欲しがらないわよ。それに地震で年中揺れてる国なんて領土としても大した価値ないんじゃない。植民地にならない。ならないはず。ならないかも、と私。あら、核の墓場がなくて世界中困ってるんだから、どうせ汚れている日本を核のごみ捨て場にするっていうこともあるかも、保管代で稼げるんじゃないと友人②。それで植民地日本の中で、運良く生き延びた日本人が核の墓場で働かされたりして。いや、放射性物質の影響を調べる人体実験材料にされるかも。あーこれぞ悪夢ね。もう、こんな話やめようよ、これ以上暗い気持になりたくない、と私。

 

以上が、おばさん達のため息まじりの現状認識なのです。

荒唐無稽の笑い話として、大外れの見解であることを願っています。願っていますが、日本は、歴史上経験したことのない最大の国難、民族存亡の危機に瀕していることは否定できません。

大震災など何百回来ても日本はかならず復興できます。日本人は誕生して以来ずっとそうやって生きてきた民族です。でも、今回の原発事故だけは、放射能だけは、今生きている日本人が全員で命がけで立ち向かわないと、日本という国は、間違いなく近い将来滅びてしまいます。

 

半藤一利さんが第二次大戦前後の日本人の精神構造のひとつに「正面から危機に向き合わない」ことをあげていました。

今の日本人もその通りです。

最悪の事態を想定することは怖いことです。できれば考えたくないことです。しかし、危機を危機と見つめる勇気がなければ、屠殺される羊になるだけです。

私が周囲に原発事故の深刻さを言うと、たいていは「べつに癌になってもいいわ」という返事が返ってきます。私は変人扱いされているようです。

無関心なあなたが癌になってかまわないとしても、あなたの子どもや孫が癌になってもいいのかと、私は猛烈に腹が立ちます。もう憤死しそうです。ある看護婦さんが書いていました。小児白血病は、子どもの身体に黴がはえ、血を噴き出しながら死んでいく病気だ、それでもかまわないのかと。

真実を知ろうとしないで、ただ周りの空気に流されていくだけの日本人のなんと多いことでしょう。なぜ政府を、テレビを、新聞を疑わないのか。暴動一つ起きないのか。

それは自分に都合の悪い真実を知りたくないから。根拠のない楽観的な予測を信じるのは、今の生活を変えたくないから。あるいは、嘘に気づいていても、周りと違う動きをする勇気がないのです。一人になっても闘う気概がないのです。闘うということは、たった一人で負け続けることだから、それが耐えられないのです。そして、目先のわずかばりの利益のために、生命まで脅かされる未来を見ようとしないのです。

伊丹万作が「戦争責任者の問題」の中で「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」と書いていたことを知りました。「批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである」とは、そのまま今の日本人にあてはまります。

 

私は祖国日本を命のように愛していますから、どうしても守りたい。絶望している余裕などありません。一人でも多くの日本人がこの危機に立ち向かってくれるように、家族を守る闘いをしてくれるようにと、訴えずにはいられません。現に、日本の将来のために命がけで闘っているジャーナリストも学者もいるのです。実際に闘って命を落としている人もいます。子どもを守るために福島を飛び出して、夫から離婚される母親もたくさんいるのです。

みづうみが以前カーネギーの言葉を引用していました。「真っ先に最悪の事態を見抜いて、最悪の事態から発想し行為、実践せよ」と。

私は世間に物申したい。あなたはこのまま、売国奴に成り下がった、自民党民主党はじめとする政治家や官僚や御用学者や電力会社や経団連のおエライさんと心中するのですかと。すぐ背後に迫りつつある虐殺を、植民地化を断ち切る道は、もう国民全体の連携、連帯しかありません。これ以上の被害をなんとしても止めなくてはなりません。

どうせ死ぬなら、私は愛するもののために死にたい。被曝の結果殺されてしまうとしても、たとえ蟻の一噛みであっても闘って殺されるほうを選びます。人間、諦めては絶対いけない時があり、今がその時です。知盛のように「明きらめる」のは全身全霊闘い尽くしたあとのことです。もし闘わず死んだら、知盛にそれこそ申しわけない。

小田実さんが『終らない旅』の中で励ましてくれていました。

「……『小さな人間』は決して無力ではありません。決め手になる力をもっています。ほんとうに途方もなく巨大な力です。問題は『小さな人間』の側で、自分をそうした巨大な力をもつ者として考えるのか、それともそんな力をもたない無力な人間ととらえるのか、そこにあると思います。」

「ぼくら力のない人間が長いものに巻かれるのはしょうがない、かんじんなことは、巻かれながら巻き返すことや。」

「小国が自分の意志を貫こうとするとき必要なことは、大国の政治に巻き込まれながら巻き返すことだ」

 

今、国民が連携してすべきことは、生き延びるために闘うこと。放射性物質のこれ以上の拡散を絶対に食い止めることです。

 

第一に、汚染食糧の流通を止め、食糧を事故以前の基準値に戻すように国に強く強く要求すること。汚染食糧を国と東電が買い上げて、農業、漁業関係者に補償しなくては。もんじゅに注いだ無意味な血税を思えばかわいいものです。

大農業県であった福島の米を流通させてしまった結果、全国の米屋の精米機がひどく汚染されました。精米機を通す他地域の米も汚れます。福島の米からつくった米ぬかは肥料となって全国の田んぼにばらまかれ、今後全国で放射性物質入りの米が生産されるようになります。米が汚染されて、日本酒やおせんべいやお餅や糠漬けも危険なものになりました。福島の汚染牛、豚、鶏が全国に移動し、その肉だけでなく骨ガラから作られる肉エキスは、カレールーやインスタントラーメンなどあらゆる加工食品に使われてしまいました。乳製品もだめになりました。口蹄疫の時に殺処分出来たのに、なぜ放射性物質汚染の今回そうしなかったのか。

太平洋側の魚介類は、今生ではもう食べられないものとなるでしょう。その汚染された海でとれた貝殻は肥料となって畑にばらまかれます。肥料をたくさん使う日本の果物等も汚染されます。案外気のつかないところで、たとえば鰻とか焼鳥とかピザとかスモークハムとか、炭を使っているものもダメです。炭の産地は汚染地域が多く、燃やすことで食べ物に汚染が移行します。鰹節も、燻すときの薪が汚染されてだめになっていきます。近い将来日本食を棄てざるを得ない日もくるでしょう。鰹と昆布が決定的にだめになってゆくのです。

国は原子力発電の権益を守るためなら、日本の食が全滅してもかまわないのです。健康被害が出ても、全国的であれば原因不明にして賠償金を節約できます。

 

第二に、全国への放射性瓦礫の拡散には、国民全体が声をあげて絶対阻止しなければなりません。もし瓦礫を広域処理すれば、それは焼却した場所で、福島事故が再現されることになるのです。

そもそも、汚染された瓦礫の拡散は従来の法律に違反するのです。日本は法治国家だから、今までの法律を遵守して当然。どう加工しても放射性物質はなくなりません。「がれき処理特措法」とは、国民の生活空間が原子力施設事業所内より放射能濃度が濃いことを容認するものです。

阪神大震災のときの瓦礫は二千万トンで同地域で処理できました。今回の震災瓦礫は二千三百万トンです。広さを考えれば余裕で現地で処理できる量ですし、たとえば陸前高田の市長さんは地元の雇用のためにも地元に処理施設をつくってほしいと求めていました。しかし、国に却下されています。マスコミはそのことを報道しません。

瓦礫処理にばらまく無駄金を被災地に使えばどんなに役立つか。瓦礫を受け入れる全国自治体の長は、産廃か、土建業関係、あるいは元官僚ばかりです。瓦礫の拡散は、断じて被災地の復興に役立つものではありません。

すべては、邪悪な利権のために動く政治です。信じられない話ですが、瓦礫のストロンチウムもプルトニウムも測定されていません。瓦礫を焼却しても今の焼却施設のバグフィルターではセシウムの除去はできません。メーカーがそう断言しています。もし焼却施設で放射性物質に汚染された瓦礫を処理すれば、その施設は将来解体することもできません。危険だからです。作業員も被曝で深刻な健康被害を受けるでしょう。すでに疑われる死亡例も出ています。

残念ながら東京の土地は汚染瓦礫を受け入れたので、守れませんでした。早晩住める場所ではなくなるでしょう。ただでさえ深刻に汚染されている上に、瓦礫が今も燃やされ、さらに石原都知事は50万tもの汚染瓦礫の焼却を決めています。たとえ一つ一つの瓦礫の線量が低くても大量に燃やせば、恐ろしい汚染になります。八十歳になろうという都知事には五年先、十年先の都民の健康などどうでもよいのでしょうし、これで、スポンサー東電を大儲けさせられます。

しかし、どうか、まだきれいな西日本は国民総力で守ってください。西日本の無事だけが、日本の希望なのです。汚染食糧も瓦礫も流通させてはなりません。遅きに失しても、今ならまだ日本に安全な食糧を供給する道はわずかに残されています。かろうじて間に合います。汚染されていない地域で、これからの日本を支えなくてはならないのです。

繰返し言いますが、政府は即死するもの以外は「安全」とする方向です。彼らは政治責任をとるなどと見えを切っていますが、責任なんてとれるはずがありません。彼らが何百回死刑になっても責任なんてとれません。

 

第三に、逃げられる人は少しでも安全な場所、ましな場所に早く逃げてください。一人でも多くの人間が、とくにこれから子どもを産む若い女性と子どもが健康に生き延びることが、日本の未来を支えます。すでに静かな東京脱出が始まっていることは事実でしょう。

大阪は五万人も人口が増えたそうです。ただし、大阪の橋下知事は反対派に耳をかさず、瓦礫を受け入れるとヒステリックに叫んでいますから、そうなれば大阪のような山に囲まれた街の汚染はとんでもないことになります。

日本のどこに行っても、地震と原発と瓦礫から逃れられる場所がないのは悔しいことです。

可能な人はどんどん海外に出るべきかもしれません。もしかしたら、これは日本人が島国を出て世界に羽ばたく大きなチャンスということなのでしょうか。日本人は世界と交わって貢献するように、という天のはからいなのかもしれません。そうとでも思わないと、なぜ大半の日々懸命にまじめに生きてきた日本人が、こんな理不尽な目にあうのかわからないのです。

最後に、言うまでもないことですが、原発の再稼働はあり得ません。停止していても福島の惨状になるのです。原発は震度5までしか持ちこたえられません。設計ミスや手抜き工事があれば震度5でも潰れます。今度どこかの原発に事故が起きたら、間違いなく、日本さよならです、

 

私たち日本人は、座してこのまま被曝による苦しい死を待つか、それとも闘うのか。好むと好まざるとにかかわらず、そこまで追い詰められているのです。もう、以前の日本ではありません。

しかし、平凡なただの主婦、無能なおばさんでは何をしたらよいのか。何が出来るのか。よくわからないのです。

今までの行動で少しの勝利はありました。母方の父祖の地九州某市で瓦礫の受け入れの検討に入ったというニュースが入った為、市に受け入れ反対の電話をいれました。老母や親戚総動員して電話をかけてもらいました。(こういう時血縁とはふしぎと価値観があうのです。)電話を受取った職員は少なくとも抗議の内容をよく理解してくれていました。その結果とは言えませんが、幸い市では瓦礫を受け入れないということになりました。無駄ではなかったと思いました。

先頃まだ六十歳になったばかりのご主人をサイクリング中に、急な心臓発作で亡くされた人に(私は被曝の影響を疑っていますが)、お悔やみとともに、それとなく東京からの避難を勧めました。本当に珍しいことですが、彼女は理解してくれました。ヘリコプターからの放水を見たときに、こりゃだめだと思ってたの、と。彼女の友人母娘も避難してしまったと。彼女はまだある程度値段のつくうちに都内の自宅を処分して、息子さんのいる海外に出る決心をしたでしょう。

百負けても闘えば一つくらい勝つこともあります。闘わなければ全敗しかありません。

 

みづうみは京都府が瓦礫受け入れに傾いているのをご存じですか。このままいくと、京都はひどい汚染の街となります。細野大臣と野中弘務氏が京都入りして、被災地の復興支援のために瓦礫受け入れをを街頭演説する力のいれようでした。テレビはこの二人が四百人ほど集まった反対派から罵声を浴びていたことは伝えていませんが。

京都の瓦礫受け入れ反対に、私は電話しました。親戚友人にもがんがんかけてもらいました。環境政策局施設整備課075(212)8500です。京都が潰れることは日本人のふるさとがなくなることです。電話の数がカウントされているようですから、多くの方々に電話していただけたらと願っています。私は京都を失いたくありません。だから闘います。

最近反対の電話本数が減ってきているとのことです。たくさんの人に関心をもってほしいことです。市長公室の番号は075(222)3066京都観光協会は075(752)7070です。

札幌市長さんは立派で、瓦礫受け入れを拒否なさいました。安全な食糧を届けることで被災地に貢献したいと。こういう政治家には、是非国民として感謝と応援のメッセージを届けたい。テレビで、数は少なくても、原発に関する勇気ある報道、真実に迫る報道がなされた時には応援や賛同の電話もするようにしています。マスコミの中の雀の涙の良心を守るためです。もちろん、大飯原発の再稼働にも色々な場所に反対の電話をいれるべきです。今東電管内の原発は一基も動いていませんが、東京の電気は足りています。関西でも電気が足りないはずはありません。再稼働抗議の電話先の一つは03(5501)2277です。

最悪の事態を想定して予測の外れた場合の経済的、人的損失と、最悪の事態は起きないとする甘い想定が外れた場合の損失では、その規模は比較になりません。桁が違います。東電が何度倒産しても、何百兆円支払っても福島の損失はもう取り返せない。福島でイヤというほど証明されたことなのに、まだわからない人間たちは、どうしようもないバカです。チェルノブイリと比較にならぬほどの福島の惨状がわからぬバカ、素人のくせに原発の安全性が保証出来るという狂人たちがこの国を動かしている。というより悪魔の操り人形となっている。これほどの悲惨があるでしょうか。

私がニュースを観ては毎日怒っているので、家族から政治家に転身したらどうだとからかわれる始末。私ほど非政治的人間はいないと思っていたのに、子どものことを考えると、もういたたまれない毎日です。そのへんの街を歩いている誰を選んでも、今の売国奴政治家たちよりはましでしょう。一年生議員でも電自連から五千万円(もとは国民の電気代)もらうという国会議員たち、長年この国を動かしてきた腐れ切った政治屋たち、私は国会議員総入れ替えを提案したいです。

 

私を今このようにつき動かしている原点は、二十代の頃御用学者の中で働いた経験によるものだろうと思います。あんな人間たちの動かしているものが安全であるはずがない、と思ってきました。ものものしい肩書の、中味のスカスカよく知っています。(このことについて書いたらまた何十枚にもなるので書きません。)

私は、大きな地震がくれば日本にある原発は全部壊れる、東京にも放射能が降り注ぐと周囲に言い続けてきました。友人から、昔聞いた時にはまさかと思っていたけど、あなたの心配していた通りだったのねと、今頃感心されても、全然嬉しくない。三文小説書きの私は、ある種の坑道のカナリアかもしれません。日本民族の大量虐殺、日本の植民地化の予兆などというこの度の危惧が、どうか妄想に終りますようにと、必死に願っています。妄想に終わらせるためにも、小さな人間は、踏み出して闘わなくてはいけないのだなあ、自分の人生こんなはずじゃなかったのにと、悲しんでいます。

みづうみ、こんな最悪の事態にわたくしはどうしたらよいかわかりません。

 

最後にみづうみにお願いしたいことは、二点。

 

一つは、今のうちに湖の本全巻、秦恒平全集を広く海外に保存出来るようにしていただきたいこと。たとえば南半球の読書の街ブエノスアイレスとか。幸いみづうみは海外にも愛読者をお持ちです。

二つ目は、みづうみのホームページ全体、みづうみの精魂こめたペンクラブの電子文藝館のサイトの管理運営出来る海外の拠点をお作りいただけないかということです。(私見ではバルセロナの「京」さんなんて如何)日本に何かあった時のためです。

日本脱出なんて時には、本は物理的に持ち出せないことがあります。放射能汚染で持ち込みを拒否されるかもしれません。でも、インターネットはこういう時にこそ無敵の発信力があります。万が一のため、適任者に依頼していただけると嬉しいことです。みづうみの作品の中に「日本」「日本語」のもっとも美しい魂が存在しているのですから。湖の本が生き存えることは日本が滅びないことになるのですから。

書いているうちになんだか支離滅裂になってきている気がします。書きすぎて疲れてきました。

 

四号機の冷却がうまくいかなくて温度が上昇してきたとか、福島で青光りしたとか白煙が上がったというニュースや、地震で福島が揺れるたびに、やはり動揺してしまいます。日本を、人類を憐れむなら、神さまにどうか四号機を崩壊させないでください、とお祈りしています。でも、一号機から三号機までだって処置なしなのですよね。

 

みづうみ、お元気ですか。長々よたよた書いて、きっとみづうみを疲れさせてしまいました。ほんとうにごめんなさい。

心乱れ続けている「からすのえんどう」より  東京都    公園で撃たれし蛇の無意味さよ 草田男

 

 

* 率直に言って、わたしは敬服する。過剰と読まれかねない一条一条が「事実」に結びついているらしいと無理なく推定できることばかりが書かれていて、わたしにでも不条理と一蹴できる箇条が殆ど無い。既に早くにわたし自身も言及し推測し危惧していたことが、ほぼそのままかより的確な理由もつけて述べられてある。

わたしは、ここにこのまま紹介するのは場所として不適切と感じた話題、皇室に係わる話題をのぞいて、みな、そのまま転載させてもらう。

的確な反論がもし来れば、わたしが反応しても良く、この主婦であり母親でもある筆者に伝える手間も惜しまない。

2012 4・19 127

 

 

* 気のつかれた方があると思う、今度の「 湖(うみ)の本」 下巻111の奥付上に、私のいわば「仕事」歴を書き添えた。

世間から遠のいて「仕事」をしているので、知っている人は知っていて下さるが、知らぬ人はなにも知らない。こんな雑誌か何かのような出版を、二十五年も六年も独りで続けているこの人って誰なのと、尋ねる人も有ると聞いている。なるほど一種の「不便」が生じているともいえ、また類似の刊行物もまた世間には夥しく、また、ものの譬えにも「作家」という自称・他称はほとんど便宜化している今日であるから、それではと簡明に四行、「第5回太宰治文学賞(一九六九)」「元・東京工業大学教授」「元・日本ペンクラブ理事6期12年」「元・京都美術文化賞選者24年」と入れることにした。文学・創作者としての私の「仕事」はこれら経歴のなかでほぼ悉く為されてきて、今も、「責任」というほどの気持ちは持続している。

一つ加えれば、「秦恒平・湖(うみ)の本」 26年111巻を、継続して行くこと。すべてごく当たり前に自然な、私の足場・立場にすぎない。

2012 4・20 127

 

 

* 印刷所とも、「次の仕事」での打合せを始めている。

2012 4・22 127

 

 

* 梅原猛さんより、謹呈本の受け取りに添え、「いかがお暮しですか 心配しています」と。

 

* 羽生清教授からも、「先生の『平安女文化』について読ませていただき感動した昔の自分が鮮明によみがえってまいりました。どうぞくれぐれもお身体大切に」と。

歌人の坂森郁代さんは、「今回の『私語の刻』は病室でご体調を押してのご執筆、書くことへの情熱が伝わって参りました。御礼申し上げます」と。

2012 4・23 127

 

 

* 「三月日乗」を日付順に、字句の誤選択など訂正した。三日に退院したので以前は記事を欠いている。それのみか、三月十五日に命もきわどく緊急再入院し、二十六日に再退院できたその間の記事も欠いている。

読み返してみて、三月三日から十五日までの体調のひどさに、今にして恐怖を感じた。自身はまだそんなにもと思っていたが、医師も看護師も「危なかった」「際どかった」と。さもあったろうと自分の日記を読み返して怖くなった。

 

* 明日、腫瘍内科の専門医に抗ガン剤等今後の治療に関して参考意見を聴きに行く。いまのところ消化器外科は「ts1」という薬剤の服用を予定しているらしい。

建日子ははやくに、「参考になれば」と機械環境で交わされてある体験談や感想や示唆を厖大に送ってきてくれている。彼自身が問題を投げかけて、大勢が返答してくれている。あまり予断をもち、それが抑圧になってもと、わざと読まずに来たが、いま、半ばまで読んでみた。

むろん何の判断もつかない。楽観もあれば悲観的な声もある。しょせん断案はムリであり、動揺なく明日の話を聴いてわたし自身が決心するよりない。

 

* なによりも「仕事」に励まされて乗り越えて行きたいと願っている。創作、湖の本の刊行、アーカイヴズの整備、魅惑される読書。そして好い観劇。無心の街歩き。じょうずに、意欲的に、よく食べねばならない、癌と闘うため体重を落とさぬように。

次の「 湖(うみ)の本」 も、すでに原稿をていねいに読み返し丹念に校正もし終えて、入稿した。

2012 4・23 127

 

 

* 明日、もう新刊分の校正ゲラが届くと連絡があった。わたしの手元では、先の先への展望をさぐっている。

2012 4・26 127

 

 

* 本が売れないと、まず本屋が泣き言を言った。本を出してくれなくなると、次いで書き手が泣き言を並べた。

泣き言や愚痴をわたしは否認はしない。無意味に強がっても始まらない。が、泣き言のヒマに何か出来ないかと立ち向かうことも大切だ。

わたしは「湖の本」で立ち向かい、二十六年・111巻、続けてきた。躰と気力がもてばまだまだ続く。書き溜めた作も文章も、書きつづけて行く作や文章も、ときに持てあますほど在るし、在りつづける。但し蔵が建つどころか家も切り崩して行かねばなるまい「作家の出版」だ、だが、家には屋根と柱が残ればいい。それより思うさま「仕事」して思うさま志高く「本」が出せて、「いい読者」に恵まれ励まされ、全国の大学・高校また各界の知己・知友に存分にひろびろと寄贈もできる。

「寒ければ 寒いと言つて立ち向かふ」

寒いのに「寒くない」などとやせ我慢はしない。それでも立ち向かふ。言いたいことを言う。裁判があろうが癌になろうが、わたしの晩年、根は静かである。述志の日々。それでいい。

2012 4・27 127

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 第112巻がきれいに組み上ってきた。慌てることも急くこともない。いろいろ考えたり思ったりしながら、初校して行く。

2012 4・27 127

 

 

* 専修大の歴史学科長新井教授からお手紙に添え、「週刊金曜日」が送られてきた。「民権」研究の権威である新井さんが、「民衆憲法の普遍性」を纏めて、千葉卓三郎起草の「五日市憲法」や有名な植木織田盛起草の「東洋大日本國々憲案」や岩手県の久慈で発見された「憲法草稿評林」等々を紹介も解説もしてくださっているのが有り難い。

日本ペンクラブの「 電子文藝館」 二代目の館長を務めていたころ、「主権在民」室を設けて、こうした明治期民衆・ 民間の憲法草案などを収録展示していくに際し、その方面の著名な先生にお願いし、新井さんをご紹介願った、それ以来の久しいお付き合いである。御配慮に感謝します。「 湖(うみ)の本」 にまでお手紙の冒頭に触れて頂き恐れ入ります。

 

* 歌集『四万十の赤き蝦』を頂戴したのは、日比野幸子さん。初の歌集であるが壮絶な癌転移とのこごしき闘いを基底に、ふりしぼる力で「歌われ」ているのが、これぞ感動的に「すごい」。初めて知る「かりん」系の歌人と受け取っていたが、あとがきで驚いた、旧知の詩人で「 湖(うみ)の本」 の久しい読者である日原正彦さんの夫人であったとは。ひとしお、胸に惻々せまりくる歌の数々にたった今もかすかに身の震えを覚えている。ご平安といっそうの創作を願います。

2012 5・2 128

 

 

* 夜来の雨おやみなく時に激しく。出掛けねばならぬ用事無く、何の約束ごともない。雨を聴きながら家で好きにしていられるありがたさは、贅沢である。

 

* 夥しい保存資料が整理用抽出しの百棚ほどに溢れているのを、折ごとに整理し不要ななかみは捨てようとしている、が、捨ててしまえるものは少ない。そうかといっていつか役に立つかというと、アテにならない。愛着や執着の成せる堆積と言わねばならぬ。

今日もみていたら、「1953ー4~」とあるB5の古いノートを見付けた。

「茶道」「京都市立 日吉ヶ丘高等学校」「会計」と表紙に有る。

もっと小型帳面で、毛筆で表紙に「昭和廿七年発足 茶道部 日吉ヶ丘高校 金銭出納簿」としたのも挟み込んであり、茶道部の会計帳に、他の備忘や記録や部員名簿などが書き込まれてある。茶道部の出来たのが一九五二年と分かる。その年、わたしは高二であった。

わたし自身の筆蹟は殆ど見当たらないが、懐かしい部員の名前はほぼ残りなく随時に繰り返し記録されていて、稽古日ごとの菓子や茶などの領収書もたくさん挟み込んである。また茶籠など携え嵯峨野に野点にでかけたりした顔ぶれも分かる。

なかに、ノートの一枚を切り取ったのに、わたしのペン字で、茶道部稽古用の刷毛目茶碗と菓子鉢とを五条の京都陶磁会館販売部で買った「日吉ヶ丘高茶道部殿」への領

収書が写し書いてある。「29年9月10日」の日付は、わたしがもう大学一年生であったことを示している。つまりその頃までも高校茶道部の稽古を指導しに母校へ出向いていたのである。

そんなことより、同じノート紙片に「菅原万佐」の名で、まぎれないわたしの高三時短歌が四首書き込んである。後の歌集『少年』にはみな洩れている。文化祭といわず、何かしら学校に来客などあると、茶道部は接待を頼まれた。校長室に立礼の設えもありそこでも茶を点てたりした。学内に指導できる先生がなく、創部のときからわたしが点前作法などを部員に教えていた。裏千家の茶名宗遠は、叔母宗陽のもとでちょうど高校卒業と同時にゆるされていた。家ではしばしば叔母の代稽古もしていた。

 

昭和廿八年文化祭協賛茶席を設けし日に

射し添へる日かげをうすみほのぼのとあかき帛紗の沁みてなつかし

のこり火の火の消えぬがに夕づけばのこせる香を薫きゐたりけり

すさびとは吾が思はぬに目にしみる夕陽のいろを茶室にみをり

山なみは目にあかくしてけふひと日かく生きたりと丘の上に佇つ

 

日吉ヶ丘の高みに建つ母校の、美術コース専用校舎二階には、当時著名な茶室建築家が設計し、やはり著名な哲学者久松真一氏が「雲岫」席と名付けられた、八畳間の佳い茶室が出来ていた。わたしたちの茶道部は、其処を我が物のようにいつも使っていた。襖ひとえの奥には、日本画などの画室にも使われたのだろう畳敷きの大広間が接していた。西向きの小窓からは、京の西山なみが夕方には落日にあかく染まり、東寺五重塔の水煙が目の高さに遠くほのかに見えていた。

男子部員は、わたしが指導していた頃には一人もいなかった。多いとき女子部員は廿人以上もいたか。中にはもう、亡くなった人も何人かあり、いまもメールを呉れ、湖の本を愛読してくれる人が何人もいる。「あかき帛紗の沁みてなつかし」い人もいたに違いないが、覚えていない。

 

* こういうことでは、とてもモノが片づかない、捨てきれない。

☆ やっと元気になってきました。  元保谷市図書館長

喜寿の年齢を越えて、老齢化が急激に進行して本を読むのが苦痛になり、もう購入はやめると、勝手で失礼な連絡をしました。

にもかかわらず、贈呈の「湖の本」に挟みこまれてきた、愛情こもった文章をいただき、感動し、繰りかえして読んでしまいました。

すぐにお礼の返事出して、と思ったのですが、ここがいまの病の特徴らしく、身動き、手が、全然動かず、出来るのは文章の一部のみ ふと気がつけば、ぼんやりとしていて、手にしてるマウスを滑らして先に作った文体を削り消している  ひどいありさまです。

おゆるしください。

 

* 四半世紀ではきかないながいお付き合いだ、体の具合をわるくされたと聴くと、お互いに心細いが「やっと元気になってきました」とは嬉しい。ますますお大事に。

2012 5・3 128

 

 

* 湖112が、補充原稿も跋文もツキモノも表紙も付けて、今日中に本紙初校戻しが、出来る。創刊満二十六年、六月十九日桜桃忌までに悠々出版できるだろう。

2012 5・6 128

 

 

* 連休明け。一連の追加原稿を、組み指定もして、朝一番に印刷所に入稿しておいて、郵便局でも用事を済ませ、築地行きの着替えなどして。

2012 5・7 128

 

 

* 仕事の進行にバラツキが出過ぎないよう、表欄の日程を用意した。「複数の創作」「複数の湖の本」「湖の本発送用意」「宗遠日常等のPC運営」そして「病院等の外出」が生活の組み立てになり、何が起きるか知れない「闘病の砦」になる。自然体で闘うためにも、「気を入れて」日々を「面白く」送り迎えするのがいい。できるだけ、そうしたい。

2012 5・9 128

 

 

* 今朝は早々に「 湖(うみ)の本」 112の全再校ゲラが届いた。わたしの「いま・ここ」に、「仕事」は途絶えなく有るし、来る。

2012 5・12 128

 

 

* 往きの電車でと、外来の待ち時間とで、持参分「 湖(うみ)の本」 112の初校を終えた。

2012 5・14 128

 

 

* 近くの宅急便に送りむものを託した後、校正のゲラを前籠に入れ、電動自転車で新座市野寺の辺の黒目川ぞいに出て、久しぶりに溯行。まさしく草木舒榮の風情で川岸は歌うようにまみどりの植物で揺らいでいた。雨の後で流水も豊か、夏日と伝えていたお天気に子供達が大勢川に入って遊んでいたりした。

人けのないちいさな道ばた公園のベンチで、三十分ほどゲラを読んできた。

坂道は遠慮したく、幸いどの辺に急な坂があるとほぼ心得ていて、大回りや遠回りをいとわず、なるべく電動の電池に頼らないで一時間あまり走ってから、缶ビールの半ダースを買って家に帰った。つとめてつとめて以前のママの普通の毎日かのように過ごそうと努めている。が、食べ物は、まだまだスムースに腹におさまらない。辛抱して、辛抱して。

 

* もう「湖の本112」の発送用意にも手をかけ始めている。  2012 5・16 128

 

 

* 大学生の頃、「認識」ということばを尊重していた。月給取りになってからは、「判断」ということばを大事がった。小説家になってからは、「批評」ということばをしきりに遣った。それらの共通したベースいわば分母には、「知識」という言葉が鎮座していた。湖の本を創めてからは、「自由」ということばに覚悟した。

いまは、どうだろう。知識の軛をのがれ、認識や判断や批評を解きはなってしまいたい。ほんとうの自由がいい。

2012 5・22 128

 

 

* 『ゲド戦記』第五巻を読了。終幕ちかく、二度ほど、ぐっとこみあげるものがあった。この巻はまともに生死を主題に、命あるモノたちの根深い尊厳をみつめている。つねのファンタジイとは、よほどちがう。次回「湖の本」112とも親密に交叉する、あるいは噛み合ってくる。

 

* もう発送用意に本格にとりくむ時期に来ている。

2012 5・23 128

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 112を印刷所に入稿した頃から、113のための原稿を楽しみ楽しみ作っていたのが、つい今し方、大方仕上がった。これは問題なく、楽しんで頂ける佳い一冊になるが、入稿まで二、三ヶ月手元に置く。その間に112を送り出しながら、主に小説の構想と進展を。

もうすぐの五月二十九日朝で四週間つづけた抗癌剤朝夕の連用が、二週間のお休みになる。その後にまた四週間の服用が再開する。

いろんなことに、いろいろに立ち向かう。老の坂をそうして歩み行く。坂をのぼってか、くだってか。はて。

2012 5・24 128

 

 

* 午后、必要な校正をぜんぶ終えてから二時間、寝入っていた。わるくはない。しかし、口にする物が落ち着かない。少しずつ食べるのが億劫になっている。それでは体重が減る。七十キロを切りそうだ。

2012 5・25 128

 

 

* 湖の本112を責了にした。桜桃忌までに本が出来、ゆっくりと送りだせる見込み。

三時から五時まで休んだ。

2012 5・26 128

 

 

* 夕顔のモデルが大顔であったことは、角田文衛博士が早くに書かれ、わたしも短篇小説「夕顔」(湖の本26)に書いている。具平親王は紫式部の父や伯父らが近侍していた親類筋の親王であり、紫式部も娘時代からその邸宅千種殿に親しんでいた。親王は当時のいわば文豪格の人で、式部が憧れの的であった。

2012 5・29 128

 

 

* 発送作業のかたわらで、エディ・マーフィの「ビバリーヒルズ・コップ」を、またハリソン・フォード、アン・アーチャーの「パトリオット・ゲーム」を流し、 観ていた。何度も観てきた。わたしは文藝の上の安直な読み物は全然認めないが、映画での娯楽作を娯楽というそれ故に軽んずることはない。文学と映画とは創作の手法がちがう。映画では純の通俗のという区別はつけられず、俳優の演技も含めて映画技術の優れた物は優れており、いかに高等な意図で企画されていても映画技術が拙くてはお話しにならない。同じ事は文藝のうちの純文藝・文学にも、いわねばならない。意図において通俗でなくても下手な小説や戯曲では、やはりお話しにならないのである。

2012 5・31 128

 

 

* 七日に新しい本が出来てくる。わっさわっさと日が過ぎて行く。

2012 6・5 129

 

 

* 来週火曜日に聖路加眼科の緊急の診察を受ける。

右眼黄斑変性症と診断され、とうとう眼へ来たかと少し参っている。その上、からだが水分も食餌も受け付けず、執拗に吃逆がつづいて、ものが下へ降りず上に戻ってくる。なんとかこれだけは通り過ぎないと、体力が落ちる一方になる。明日から、また新刊を送り始める。力仕事のうちに躰の方も復旧してほしいが。

せいぜい楽しかったことなど想い出し、力にしたい。

2012 6・6 129

 

 

* 四時半過ぎて聖路加病院の救急医療センター(ER)に飛び込み、血液検査、レントゲン検査を受け、なにしろ食餌ゼロ状態のままなので、栄養分の点滴を受けてきた。レントゲンでは恐れていた腸閉塞はなく、血液もすべて異常なく、なぜこうも吃逆が止まらずそのために吐き続けるのか、今日のところではハッキリしなかった。吃逆が吐き気を催していると観られるが、それが何故かは分からず、とにかくも点滴に吃逆を抑える薬物を加え、たしかに吃逆はおさまった。吐き気もおさまった。往路の地下鉄でも、新富町から病院までの間も吐き続けていたのだ。

ほっとして元気に八時過ぎてから病院を出てきたが、人身事故で西武線が不通、地下鉄からも西武線に入れないと分かり、西武百貨店前からタクシーで帰ってきたら、またしても吃逆、そしてどんな水分も食べ物も、ほぼ即座に吐き続けて、もとの木阿弥。相当に激しく量も多く吐き出してから、この機械の前に来た。ここしばらく治まっているが、吐く物が無くなったのか、なにか邪魔していたものが吐き出されておさまっているのか。楽観は出来ない。悪くすると水も食餌もからだに入らない、残らない、ことになる。

 

* 仕方ない。寝よう。何も出来ず、十一時半になっている。明日の朝には、湖の本112が搬入される。発送はあまり慌てない、急がない。

2012 6・6 129

 

 

* さて、もう少しの間に、 新しい「湖の本」が届くはず。発送作業にわたしも取り組めそうで有り難い。

2012 6・7 129

 

 

* 好天のもと歯医者を無事に終え、どこへも寄らず、強い日ざしに疲れながら帰宅。遅い昼食が、食べられこそしたが、腹にもたれて、疲労を加重。しばらく横になり、「八犬伝」を少し読み、『源氏物語』夢の浮橋をとうどう渡り終えた。ほぼ二十度めの読了である。

その以後は、「 湖(うみ)の本」 112の発送作業に。シルベスタ・スタローンの「ロッキー・ザ・ラスト」と、スチーヴン・シュピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」とともに。前者は「ロッキー」シリーズの最良作と思っている。後者は、おそろしい。人間は、傲慢にも造ってはならないものを、時に造り出して人間自身を破滅の恐怖へ誘い込む。原水爆もそうなら、原発もそうだ。「ジュラシック・パーク」には明瞭にその警告がある。

2012 6・8 129

 

 

* 発送の仕事にうちこんで、八割がた送りだせるように頑張った。あとは、時間をかけて、少していねいに送りだす。

今日は、その間に、メリル・ストリープ、デニス・ウェイドらの「激流」、やはりメリル・ストリープの「ソフィの選択」、ユル・ブリンナー、スティーヴ・マックイーン、ジェームズ・コバーン、チャールズ・ブロンソン、ロパート・ボーンらの「荒野の七人」を、半ばは耳で聴いて楽しんだ。まだまだ数えきれぬほどVTR録画がしてあり、それに倍して、板にも録画してある。長時間を要する半ば繰り返しの肉体労作のとき、映画はじつに効果的な音響であり映像である。但し、吹き替えでないと困る。

とにかくも仕事は捗っている。

2012 6・9 129

 

 

* 最近の写真をカメラから機械に移した。百花競い咲く季節で、たくさん花を写している。機械には「木の花」「草の花」「櫻」「庭の花」「家の花」などと分けて、数百、千にも達するほど保存してある。

煙草は吸わない、かわりに撮った写真を眺めて休息する。花の写真は胸の内を明るく優しくしてくれる。『酒が好き・花が好き』という一冊も出版した。その酒がいまはうまく喉を通らないが、眺める花は妍を競ってことに春から新緑へかけひときわ美しい。

2012 6・9 129

 

 

* 発送を続けながら、録画したジョン・ウエイン、ディーン・マーチンの「リオ・ブラヴォー」、マーロン・ブランド、エヴァ・マリー・セイントの「波止場」をすぐそばで聴いていた。

 

* 昼食途中でグッと鳩尾へんでものがつまった気がした。それから、何十回と、真っ白い泡状で粘液のような唾を(唾とは思いにくく、大量に)吐き続けた。脱水しては堪らないので堪えて「おーいお茶」を250ccほど飲み干して、それで吐き気がおさまってくれた。やれ、ありがたや。その間も、仕事の手はとめなかったが、とめどなく手洗いに立っていた。ともあれ治まり、思いほど数量は調わなかったが宅急便に本を預けた。こつこつと続けている。手はもう三日かかるかも。

2012 6・10 129

 

 

* 小雨。隣棟の狭い庭にも、まさしく草木舒榮、何の花か、あれは十薬か、白い小さい花が一面に群れたまま、桃や椿や木蓮や、なにやら知れない木々も雨に濡れて静かだ。

此のわが家から垣根一重の隣棟は、むかしは、サンケイ記者で中国通で知られた故柴田穂さんの家だった。奥さんは歴史学の泰斗黒板博士の娘さんと聞いていた。お二人とも亡くなり、遺族からわたしたちが買い受けた。今はもっぱら「湖の本」の書庫であり、また集めた資料の保存というより放置処になっている。一応二階に一部屋、私の書斎があり、付属して隣室の書架に百数十種もの自著や共著を各復数冊保存してある。が、ほとんど今は使用していない。建日子が来てそこで一仕事して行くこともあったが、それも遠のいている。「世界」連載の『最上徳内』、新聞連載の『冬祭り』などをわたしは此の書斎で書いたが、以来、隣まで出向くのが億劫なのと大方機械で書くようになったためとで、此の東棟の二階機械部屋を書斎にしている。本やものが乱雑に混雑した中に埋められた恰好でキイを打っているが、どうやらそれがある種の親しみや温かみに感じられるようになっている。出来れば命果てるまで此処に蹲っておれればいいがと願っている。

2012 6・11 129

 

 

* 発送の中休みに、機械の前へ。映画は、キアヌ・リーブスとキャリー・アン・モスらの、いっそ思想的に傾倒してきた「マトリックス 1」を。やはり、何かしら深く考えさせられながら。

今は、シルベスタ・スターローンとシャロン・ストーンの「スペシャリスト」を途中まで。画面停止、待機している。

メールも来ていないので、また階下へ。発送をどんどん進めて終わらせたい。

 

* ほぼ今回の「湖の本第112巻」発送を終えた。あとは補充的に。

もう寄贈先には届き始めており、堀上謙さんから電話。まさしく同病相憐れむの長話になった。

実を言うと、わたしの手元では、次の「113」巻原稿がもう整理され出来上がっている。これが、なかなかおもしろい一冊になるだろう。それはさておき、次の用意がもう出来ているとは、このさきそれに手を取られる時間がまるごと浮いたわけで。その時間を利して小説の方へ向かいたい。どれもこれも難しい隘路に悩んでいる、その一つでも突貫したいが。

 

☆ 秦恒平様

梅雨の候、術後のご容態はいかがでしょうか。

このたびは、「湖の本」112 号ご恵与いたさき、厚く御礼申し上げます。

私自身まもなく90歳を迎える身ですので、このタイトル、期待して拝読させていただきます。

取り急ぎ御礼まで申し上げました。   青山学院大学名誉教授 2012 6・11 129

 

 

☆ 近況

湖の本拝受しました ありがとうございます。

あいかわらず病臥の毎日です、私も、死後の事やさらに老いてゆく我が身と家族のことを考える時期になってきましたので、湖の本を難儀な床の上で拾い読みをして居ます、

六人の孫にも恵まれ、夏休に来るのを待ちわびて居ます.次の目標は六人の孫と富士山に登ることです、今年は無理なら来年のゆめにします。

それまではトレーニングです 諏訪湖を一周1時間で歩き、その後は一週に60分を三回歩き体を鍛える予定です。

実現すればまたお便りします。  圭

 

* 夢の実現を願います。iPADから送信されている。軽いからか。

 

☆ お礼

秦恒平 様

「湖の本」112 号、拝受いたしました。若い頃には、分からぬままに、分かったように思い,考えていた老病生死。身につまされるテーマ、今は見聞きするのが怖くなってさえいますが、毎日頭のどこかを行き来します。しっかり読んで、明日に備えようと思います。ありがとうございました。

藤村の「緑陰叢書」、「湖の本」とは、次元も質も比ぶべくもありませんが、「書肆彩光」で文庫本を出し続けています。「作者自身による出版」にあるような、自己出版をなせる条件を全く備えていない私には、はや、底をついていくような感があります。もちろん読者はほとんどが贈呈先だけです。が、唯一最大の狙いであった「カラー・ピラミッド・テスト」に関しては多少とも先行きが見え始めました。後は、畏れ多くも天皇陛下と全く同じ病状とどう折り合いをつけていくかが、終生の課題となっています。

ご闘病生活、心より,お見舞い申し上げます。

苦闘の中から、新しい文藝が生み出されますよう、ご快復を祈りおります。  ペン会員

 

☆ 著書かたじけなく拝受しました。

有り難うございました。

連日病魔と懸命に闘っておられるご様子、さぞや大変なこととお察し致しております。

闘病生活の過酷さは経験した者にしか理解し得ないことでしょうが、どうか気丈な姿勢で闘病され、早期のご快癒をこころから祈念いたしております。   辰  同窓

 

2012 6・11 129

 

 

* 「 湖(うみ)の本」 112を送り出し終えていて、よかった。七月に無事、澤潟屋の三世代襲名興行が観られ、八月に高麗屋の「ラ・マンチャの男」、そして卆寿記念の舞踊などが無事に観られれば、いいが。ル・テアトル公演には、幸四郎、松本紀保、松たか子が共演し、舞踊の松鸚会では、幸四郎、染五郎、紀保、たか子の共演が観られる。この舞踊の会にわたしは二日つづけて出掛ける。

贔屓の松たか子が、菊田一夫演劇賞を受けた「ジェーン・エア」を十月に再演するという。受賞した前回公演も観ているが、日生劇場での此の再演にもぜひ出掛けたい。観られる限り、いろんな芝居が観たい。

 

* それにしてもなあ。眼の手術とはなあ。やれやれ。

2012 6・12 129

 

 

☆ 闘病中とのこと、

お見舞い申し上げます。このたびは、抗癌剤を連用のさなか、『湖の本』(112 巻)をご恵投いただき、有難ぅございました。

「元気に老い、自然に死ぬ」は人間、誰しもが願う理想です。

私も九年前の七月、前立腺癌が見つかり、前立腺の摘出手術を受け、お陰さまで予後も順調に過ごしております。

医学の進歩はめまぐるしいばかりです。転移の見られることなく、ご本復を衷心よりお祈り申し上げております。

今年は例年になく不順な天候が続いております。寒暖の差の激しい時期、風邪には充分お気を付けください。

取り急ぎお礼とお見舞いまで。草々 平成二十四年六月十一日   敦  エッセイスト

 

☆ 秦 恒平様

抗癌剤治療の最中の大変な時期にも拘らず「湖の本」の発刊・発送に努められる、その意欲と気力の強さには誠に頭がさがる思いです。

小生も病気に追いかけられる日々、何かと不自由な生活を余儀なくされています。

一日も早いご快癒をお祈りしております。June 12, 2012    濱

 

* 昨日は同じ市内の堀上さんの電話を受けた。彼も、胃を全部とっている。同じような苦痛を経過してきた、経過中の、人たちがいかに多いか。

2012 6・12 129

 

 

* 昨日の郵便のなかに、大正大学文学部から、「受領のお礼」に添えて「『湖の本』がこれからもずっと続きますよう、お祈り申し上げます」と手書きされていた。嬉しかった。「「 湖(うみ)の本」 は、進学高校もふくめ全国の大学へ約500部を寄贈し、受け容れられている。むろん各界の知友にも。四十数年の文学活動で、各界に知誼・友誼を得てきた人は、わたし自身も驚くほど数多い。謹んで寄贈し受け取って頂いている。そして、言うまでもなく親族のような「いい読者」にわたしは恵まれている。わたしの小世界の核を成してもらっている。

2012 6・13 129

 

 

☆ 本日、湖の本112『対談・元気に老い自然に死ぬ・他』の御恵贈にあずかりました。

山折哲雄氏との対談は、あとがきの中で、「馴れ合いは避けて、お互いに異見・異論もぶつけ合った」と記されている通り、避けられぬ老いと死に対談者それぞれが正直真摯に向かい、日頃考えておられることを腹蔵なく披瀝されています。視野を広げました、まことにありがとうござていました゜。

「どうして宗教家は光る言葉を発しないのか」との問いかけについて。

「宗教家」なる者たちには、私は信を置いていません。真面目に現代の苦悩と取り組んでいる人々は、信仰者であると否とを問わず、取り組みの現場で数々の光る言葉を発しています。しかしその射程が短いのです。個々の現場で(たとえば聖書の言葉に差し向かう礼拝において。あるいは、被害地での人々との交わりにおいて)発せられる言葉が活きているかどうか。それが最も重要でしょう。

順調な御恢復を。平安をお祈りします。  国際基督教大学名誉教授

 

☆ 「湖の本」112

有り難く拝受仕りました。老年についての対談の記事、小生にぴったりのもので、興深く拝読開始致しました。

視野の狭い小生にはやや難しい個処もありますが、何しろ問題が問題なだけに 大いに勉強させて戴き居ります。大謝の至りです。

御清祥、祈念仕ります。(六月十三日)  歌人

 

☆ 湖の本112のご恵投に与り

ありがとうございました。私もこの八月に古稀を迎えます。ロクなことがなかったこの半年でした。しかし、今回、湖の本の老いについてのご対談を読み、私語の刻を読み、元気が出てきました。今秋、翻訳を二冊刊行します。秦様の「元気」に見習いたいと存じております。  歌人・翻訳家

 

☆ 只今湖の本拝領

いつもいつも心苦しく。

その後の御身体のごようすも拝見。御病気の方多く、けれども皆さま、お上手にご病気をなだめている方多く、そういう世のなりゆきかと感じ入っております。くれぐれも御大切に。

先日は千載集で。目下中世にとりつかれております。西行の人間に 俊成に とてもひかれています。もともとは定家が好きでしたが一寸心がひきました。

 

俊成の書もステキです。 目下この時代と女流日記を講じるつもりで準備中です。装束の方面からも面白いので。勉強するより能なしの私です。よろしく    作家

 

 

☆ ご恵贈に与り

厚く御礼申し上げます。人間の実存に深くかかわる内容にて、じっくり拝読させていただきます。

ご病気のご治療に専念され、ご健康を回復されますよう、心から祈念申し上げます。

先生の文学活動は多大の人々に限りない力を与え続けて参りました。今後も更にご活躍のほど、念じ上げます。敬具   国文学者

 

☆ 湖の本112巻

(前略)山折哲雄先生とは京都に移られてから 本当に親しくご厚誼をいただいておりますので「対談」をことのほか興味深く拝読中です。

私も78歳となり、いろいろ考えることも多いのですが、先生方に負けぬよう、この先をせい一杯、有意義に生きて行こうと願っております。

ありがとうございました。  法蔵館会長

 

* 湖の本112、予定分の発送を完了した。もう少し寄贈分を追加したい。

2012 6・13 129

 

 

☆ 秦先生、

『湖の本』届きました。早速、インターネットより入金させて頂きます。(梅雨時に郵便局まで出なくてすむなんて、便利ですね。最も、夫を頼りにやってもらうだけですが) 2,3日「私語の刻」が更新されていなかった時、とても心配で、検索デスク開いて「お気に入り」をクリックするのも、ドキドキでした。

花の写真が出てきたとき、「更新されている! 緊急入院ではなかった」とまずほっとして、そして、美しい花とほれぼれ拝見。

目の手術、大事な目ですから、手術前後もしっかり休養を取って下さいませ。

「元気に老い、自然に死ぬ」先生、お互いそうでありますように、大切になさって下さい。

充実の、佳き人生を締めくくる一歩となるように、(その距離が長かろうと、短かかろうと、受け入れられる自分でありたいと)楽しみに、拝読いたします。  珊

 

☆ 恒平さん

こんばんは。

新しい湖のご本届きました。

いつもありがとうございます。

今回も抗癌剤の治療中の体調お辛い最中での発刊や発送のご作業、並大抵のご苦労ではなかったこととお察しすることしか出来ません。

目次を見せて頂いて、いろいろと身につまされるような思いがしました。

丁寧に読ませて頂きます。

又、眼の手術も控えておられるとか。

どうぞ抗癌剤の副作用も軽く済んで、順調に回復されますよう心から願っています。

奥様のお写真、明るい色のアンサンブルがとても良くお似合いで、おきれいで素敵です。

京都のこちらもあちこちのアジサイが満開です。

修学旅行生達で近辺が賑わっています。

どうぞ、くれぐれもお大切にお過ごしくださいますよう。 みち 従妹

 

☆ 謹啓

抗癌剤での戦いは大変だろうと拝察いたします。

でも信念をもって、しかも最高の医療技術をもって対応されるのですから御回復は確かです。名は伏せますが、近現代を専攻する畏友が、みごと肺癌を克服されました。

遅まきながらお見舞いを申しあげます。

湖の本を頂戴し、しかも小生にとっては身近な課題を拝読し感服いたします。御礼を兼ねさせていただきます。

ささやかなお見舞いの志を御笑納ください。御朗報を鶴首申しあげます。敬具 六月十二日   名大名誉教授

 

* 立派なマスクメロンを頂戴した。恐れ入ります。有難う存じます。

2012 6・13 129

 

 

☆ 「湖の本112」対談

たいへん感深く拝読しました。あなたの初志貫徹なかなか立派です。日中旅行の時のことを思いだしています。

私はあと二ヶ月で95才ですから、この本への意見はいいません。結論はあなたの「闇に言い置く私語の刻」のみごとさですね。

ご健康のことは、折り折りに気にかけていました。私もかなり病気もやったりしました。しのぎしのぎどこまで行くかです。

ご健勝を切にお祈りします。   作家 藝術院会員

 

☆ 拝復

「湖の本112」対談「元気に老い 自然に死ぬ」を拝受しました。一九三◯年生まれの小生は、どっちにしろこれから来る事態}(自分の死)に対して備えなくてはならず、心して拝読するつもりです。それにしても日々抗癌剤を服しつつ、お仕事に精進なさっているとの御事、そのご気力とご決心に心から敬意をはらいます。

今の私はまだやる事が中途半端で、ただ漠然と生きているようなものです。学術本、哲学書など読む姿勢は失われ、エンタメものを漁り始めるしまつです。

ただ家族のことはやはり真剣に考えざるをえませんが、先立つものもなく、手をこまねくばかりです。どこかで心がなげやりになっていて、そうゆう自分を甘やかす――。朝寝と朝酒をやるようになりました。しかしこれは自分のこと。今は秦さんの生き方から学べるものは学びたい。秦さんの「生」を想像しながら書いています。

 

☆ 前略

いつも玉稿をお送り下さり、感謝申し上げます。お便りでご病状を拝見致し、心配しています。

これからは大変な労力をおやめ下さるよう、ご回復なさることのみお祈り致します。お礼まで。  作家 ペン会員

 

☆ ありがとうございます。

ご渾身のご高著拝受。山折先生のお話はいくつかあれこれお聴きし、読ませて頂きました。中でも京の大文字焼きの折、テレビでのご発言が印象的です。

私も七十三歳になりまして、これまでも<老・ 死>の件はそれなりに考えて来ましたが、身内の者が引き続き逝ってようやく我が身を気遣うようになっています。バグワン師のこともご著で知りましたが、十数年前の貴重な対談、しっかり読ませていただきます。ありがとうございました。くれぐれも御自愛下さい。  作家 ペン会員

 

☆ 拝復

このたびはご高著「湖の本112  対談・元気に老い、自然に死ぬ・他」をご恵贈くださり心より御礼申し上げます。

「私語の刻」で、ご自身を見つめられる冷静な筆致を厳粛に受けとめつつ感服いたしております。

ご対談の多彩なお話に興味が尽きず拝読いたしております。

天候不順の折 くれぐれもご自愛のうえお過ごしください゜ますようお祈り申し上げます。かしこ  山梨県立文学館

 

* たくさんお便り戴いていながら、どうやら疲れもあり、お礼のみ申し上げます。

2012 6・14 129

 

 

* 難しい診療に生活時間の多くを掛けている人の少なくないのに、驚きもし、胸も痛む。

 

☆ 風、お元気ですか。

今日は梅雨前線到来前の貴重な晴れだとか。

もう使わないだろうと、毛布を洗濯しました。

気温も随分上がりました。

花は元気ですよ。

風の新刊、届きました。

ERに駆けつけたりした中、お送りくださり、ありがとうございました。明日、歩いて郵便局へ支払いに行こうと考えています。雨かもしれないけれど、涼しい方がいいので。

この頃、静岡市のクリニックまで電車で通っているので、この最寄り駅まで歩くのに慣れてきました。片道十五分強かかりますが、ラクラク歩きます。

風は目の手術も控えていらっしゃるとか。

花も、来週、いよいよです。

今日は、最寄のクリニックに注射を打ってもらいに行きました。土曜にも行きます。

あれやこれやありますが。ではでは。  花

2012 6・14 129

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

わたくしは一昨日から、暑いのか肌寒いのかわからないお天気のように、体調不良ですっきりしません。

まず、眼の手術お決まりになってよろしゅうございました。手術可能ということは視力、視野回復に有望なこととお喜び申し上げます。緑内障の友人たちは若いうちから何度も手術していますので、これが初めての眼の手術であることは、みづうみが今まで眼の健康に恵まれていらしたということでございましょう。初めてのご経験を存分に観察なさっていらしてください。手術のご無事に済みますよう、蔭ながら毎日お祈りしています。

湖の本届いています。『元気に老い、自然に死ぬ』を最初に拝読しましてから、もう十二年も経ってしまったことに驚きます。あの当時の読みと今回の再読の読みが、どのように違ってくるかが楽しみです。

年をとることは残念なことと同じくらい、面白いことも増えるものと感じています。同じ本を読んでも、以前と違う読み方が出来ることがその何よりの証拠です。

以前に分からなかったことが、年を重ねて初めて「分かった」と思う時、人生が少しばかり豊かに深くなった気持になります。志賀直哉の短編も、若い頃は好みではありませんでしたが、今読むと清々しく洗われるようで、惚れ直しているところです。

みづうみは大河ドラマの「平清盛」を褒めていらっしゃいましたが、わたくしも気に入って観ています。友人の間でも評判はいいので、視聴率が低いのがふしぎなくらい。ただ、一般受けより、歴史好きに好まれる作風なのかもしれません。主役の松山ケンイチは、現代劇で観ていた頃から好きな俳優さんでした。たしか小雪という美女が奥さんです。

 

大飯原発はいよいよ再稼働のようです。最初から稼働ありきの政治茶番劇で、世も末という印象です。

福島の原発事故以来、この国の真実がよく見えるようになりました。原子力発電導入の国策には、ことの最初から国民や国土の安全を守るという思想や哲学が決定的に欠落していた、皆無であったと思います。

東洋大学の渡辺満久教授という変動地形学の先生のインタビューを読んで、私はまさに人生でそう何度もない「魂消る」経験をしました。

 

原発稼働が始まってから四十年経っていますが、その間、専門家の目で原発立地の活断層の有無の診断がされてこなかったそうです。活断層の有無は、地震学者には出来ないことで、地理、地形学の専門家しか判断出来ません。しかし、そのプロが原発立地の調査をしたことは、しつこいようですが、四十年の間に一度もなかったのです。国が(有力議員か電力会社か)原発設置場所を決め、官僚や御用学者たちが「安全」だという出来の悪い作文を作って建てられたのが日本のすべての原発という恐るべき実態に、読んでいて思わず「まさか」と呻き声が出ました。

渡辺先生曰く、「よく平気でいるな」というほど日本の原発は「ものすごい」所に建てられているそうです。

地震には、地面が揺れて起きる被害と、土地がずれて起きる被害があります。地表がずれてしまった場合は、建物の耐震性に関係なく(その耐震性だって震度5程度なのに)、上の建物は無傷ではいられません。

大飯原発の敷地内には小さな活断層があるそうで、地震により原子炉直下の土地がずれる可能性があります。つまり地震があれば配管が引きちぎられてメルトダウンまっしぐらということ。

さらに忌まわしい事実として、大飯の他に原子炉すぐ近くにずれる小さな活断層のある原発施設は、美浜、敦賀、東通、もんじゅがあります。あのナトリウムでしか冷却できない「もんじゅ」です。

とどめに渡辺先生の太鼓判。

浜岡と六ヶ所村の再処理施設は「大きな活断層」の上に建っているそうです。浜岡が「地雷源の上でカーニバルをするような」原発であるとは聞いていましたけれど、事故があったら間違いなく世界の終りになる再処理施設まで、「大きな」活断層の上に建ててしまう愚か者とは! 平然としている「原子力ムラ住人たち」の頭の中味は、同じ人類なのかと疑ってしまいます。

今まで日本という地震国が存続してきたこと、日本人がふつうに生活してこられたことはまさに「奇跡」であったことがわかりました。

これからの日本人には、「元気に老い、自然に死ぬ」という夢は、叶わぬものになりつつあります。みづうみとわたくしとは親子といってもよい年齢差ではございますが、死ぬ時は突発的にご一緒に、もしかしたら日本人みんな道連れに命終える可能性があるということでございます。

こんなやけくその予測が悪い冗談ですめばよいのですが、電力会社を潰さないための、利益優先の、なし崩し再稼働をこのまま国民が容認すれば、新たな重大事故を引き起こすのは明白です。

もう一度原発事故が起きたら日本も日本人も完全に終わります。

みづうみの周囲の一人でも多くの方々に、どうかそれぞれのお立場で原発に反対する声をあげていただきたいとお願い申し上げたいです。明日、東京で大きな脱原発のデモがあります。

 

またも、原発のせいで長いメールになって申しわけございません。

どうか発送のお疲れの残りませんように。抗ガン剤の副作用のでませんように、お身体にやさしくお過ごしくださいますように。

緑   萬緑の中や吾子の歯生え初むる  草田男

 

* 原発に触れられた此のメール記事の全部に、わたしは共感し、認識を倶にする。この記事は、どうぞ共感される何方でも、せめてブログやツイートやその他へ掲載して下さると嬉しい。六十年安保のとき、国民の大勢が連日国会を取り巻いて当時の岸内閣を倒せと叫び続けた。今回の原発容認の動きは、安保のときより遙かに悪質で、そのまま国民生活を生命もろとも脅かしている。

なぜ日本の大学生、高校生は起ち上がらないのか。

こういう時に本当に時代を守りかつ動かすのは、世界史的にも、学生たちの若い逞しい精神であったのに。

 

* もう少し、あの、ジャン・クリストフ(ロマン・ロラン)に聴こう。

「人は生きて、創造し、愛して、愛する者たちを喪うにつれて、それだけますます<死>から脱却する。打撃を蒙るごとに、われわれが新しい仕事を打ち鍛えるごとに、われわれは自己から脱出して、自分の創造した作品(=世界)の中へ、自分が愛した人たちの魂の中へ、そしてわれわれを残して逝った人たちの魂の中へ移り住む。」

「藝術家としての精神が、存在全部の上にひろげる、あのまんべんのない愛だけでは足りない。いな、選り好みをする愛も是非必要なのである。自分の愛情が選び取った人々に自分を捧げないでは居られない。このことが、生活の樹の根である。このことを通じて自分の心情の全部の血があらたまる。」

「わたくしはたたかいました。悩みました。迷いました。創造しました。」

そしてロマン・ロランは「ジャン・クリストフへの告別」とともに、こう言い置いた。

「今日の人々よ、若い人々よ、今度は君たちの番が来ている! われわれを踏み越えて行きたまえ。そして前進したまえ。われわれよりもいっそう偉大で、いっそう幸福でありたまえ。」と。

 

☆ 本が届いたときには

驚きました。相当体力が落ちているでしょうに、よう頑張らはると。

私も病院に検査に出向かないだけで、最近は目や耳の異常を感じています。どうぞお大事に。  泉

2012 6・15 129

 

 

☆ 拝啓

落ち着かない状況の中で、時だけがつれなく過ぎていきます。

ご体調いかがでございましょうか。

このたびは『湖の本』112の御恵投にあづかり、また御自筆のお言葉を賜り、ありがとうございました。

今年は国文学研究資料館創立四十周年に当たると同時に、『方丈記』成立八〇〇年ということで、ただ今、(鴨長明とその時代 『方丈記』) という展示を開催しております。例によって文献中心の地味な展示ですが、図録を作成いたしましたのでお送り申し上げます。ご一見いただければ幸甚に存じます。

夏に向かう季節にて、くれぐれもご自愛くださいますよう。敬具  六月十四日

秦恒平先生    今西祐一郎(館長)

 

* 頂戴した図録のいきなりに、鴨長明、飯尾宗祇、藤原俊成、兼好法師、牡丹花肖柏、西行法師ら肖像のいならぶ「先賢図押絵貼屏風」一隻に嘆声。銘々に、長明は方丈記の書き出し、俊成は、「千載集えらび侍けるときふるき人びとのうたをみて 行末はわれをもしのぶ人やあらむ昔をおもふこゝろならひに」などと、述懐の言葉が像の上に書かれてあるのも実に嬉しい。

だが、それ以上に喫驚したのは、次頁に、法界寺蔵、木造の愛らしいまでこぶりな「鴨長明座像」が出ていて、「鴨祐為作」とあること。ついこの間まで、わが家は玄関にこの祐為の花祭り墨画を掛けていた。

上の解説は、こうある。長明にも祐為にもひとしおの親愛を覚える。

今西さん、有難う存じます。

 

☆ 鴨長明座像一躯

江戸時代後期 鴨祐為作 木造

像高一八・〇 厨子高二八・〇

法界寺歳

 

端座した長明の木像。鑿の跡が生々しい素朴なもので、底裏の署名から鴨祐為(元文五年(一七四〇)生まれ、享和元年(一八〇一)没)の作であると知られる。祐為は下賀茂神社祠官鴨祐之の孫で、早吟を得意とする歌人として活躍した。また若くして西川祐信に絵を学び、浮世絵師としての一面も持つ。厨子の背には天保十四年(一人四三)に田村長基が記した由緒書が見られ、それによると長らく日野恵福寺の堂の床下に放置されていたこの座像を、醍醐寺三宝院門跡高演准三后が発見し、家臣の長基に厨子と畳を作らせて、それに収めて法界寺の本堂に安置した経緯がわかる。頭部に恵福寺の時代にこうむったものか、多少の破損が見られる。損壊の跡は痛々しいが、作者の愛情が感じられる小ぶりの愛らしい木像である。  (小林健二)

 

☆ 秦恒平さま

新しい湖の本うれしく受け取らせていただきました。

奥様ともども健康状態が大変な中でのご作業を感謝して居ります。

来月は眼の手術をお受けとのこと、ご無事に成功するようにと祈っています。

「病気になっても病人にはならぬ」とつぎつぎ襲う病と共に生きて、とうとう力尽きた故吉武輝子さんの納骨の日、帰りの電車の中へ携帯電話で京都に住む友人急逝の知らせが届きました。

動脈管剥離が死因ということで、その日の午前中たまたま電話した友人に「ちょっとしんどいし、また今度ゆっくりしゃべろ」といつになく電話を彼女の方から短く切ったのが少し気懸かりだった、というくらい、「予見できませんでした」と循環器内科出のご主人にさえ言わせる急変で、その夜亡くなりました。

「人の死」について否応なく考えさせられ、このところ参っていました。

今回のご本のテーマは、今の私にあまりにぴったりすぎて、かえって読み始めるのが辛くも感じられます。

どうかお大切に。 2012/6/15    藤

 

☆ 冠省 ご本を拝受

ありがとうございます。老も死も、若い頃からの重大なテーマですが、本当に近くなってくると自分の無力さを感じさせられるだけですね。呉清源という碁打ちは二百歳まで生きるといっていますが、百ではなく二百というところに凄みがありますね。とりあえず御礼まで。  作家

 

☆ 拝復 御著書「湖の本」112

ありがとうございます。先生のお身体案じております。

私の母は現在95歳です。米寿のときに乳癌の手術をうけそれ以後一日一日悔いのないよう暮しております。先生はまだ喜寿をお迎えになられるところだとおもいますので、お袋のように、毎日を楽しんで、一読者である小生をお導きください。一日も早いご恢復を祈っています。ご自愛ください。  神戸大名誉教授

 

☆ 拝復

梅雨空のうっとうしい季節になり何かと紫陽花の花が似合うころとなりました。此の度は、『湖の本』第112巻御恵贈賜りまして忝く御礼申しあげます。山折哲雄氏との対談おもしろく拝読仕りました。松永伍一氏とのものも少しく拝読。蘊蓄の深さ種々感じ入っております。

癌での入退院大変なことと存知あげ、お大事になさってください。

右 御礼旁々お見舞申しあげます。拝   国文学者

 

☆ さわやかな季節はわずか、

とうとう梅雨に入ってしまいました。いつも『湖の本』をありがとうございます。

ご闘病中ながら、つぎつぎと発刊され、その勢いに圧倒されております。

梅雨寒のこのごろ、くれぐれもおいたわりくださいませ。   作家

2012 6・15 129

 

 

* 郵便で届く払込票にもお見舞いの言葉がぎっしり。金八先生の作者小山内美江子さんからも。

 

☆ ずいぶん心配しておりました。

前向きな姿勢は免疫力もアップすると思います。果物でも何んでも食べれないと、話にならないと思うので、( 今回の湖の本代より) 少し余分に振り込みますので、食べれる時、食べて下さい。

週末、 奈良の薬師寺へ写経に行きます。祈願してきます。 真知  各務原市

 

☆ 家路へ辿る途中、

緑の木蔭でいっぷく、……そんな歳になりました。

この度ハ「湖の本112」贈っていただき、厚くお礼申し上げます。

自分の一生の始末については、重くもあり、大きな課題です。それに関連する書物は多く出廻っていますが、この度の湖の本の内容は、類似を見ない内容になっているように思い、”部分読み”もゆるされていて、お言葉に甘えて、ついつい何頁も読ませて頂きました。

「老いと死」の問題を考えるとき、今回贈っていただきました湖の本は 私の大きな指針と支えになると思い、有難く、感謝に耐えません。

病気と闘いながら書き続け、仕事と向い合われる先生の姿勢が、亡夫の当時(十三年前)の肺癌と闘う姿にオーバーラップしてきます。

一日も早く快癒されます事をお祈りしております。  澄  神戸市

2012 6・16 129

 

 

☆ お元気ですか、鴉

ベトナムから戻ってきました。

今NHKのBSでロード・オブ・ザ・リングを放映しているのですか、東京では如何?

ご覧になっているかもしれませんが。

先日の何必館の村上華岳展は、ベトナムに発つ前日京都に寄って、観たのです。細かなこと

は改めて。

湖の本112も届いています。  尾張の鳶

2012 6・16 129

 

 

☆ ありがとうございました。

秦先生 その後、お身体は如何でいらっしゃいますか?

湖の本111 と112  ありがとうございました。112 は「老いと死」について。私の得意な「部分読み」のお勧めもありましたので、そのように少し読ませて頂きました。

65歳の私も、自分の人生の結び方についてそれなりに考え、準備のために、いま札幌のある学校に通っています。この町に居るのは土日になりますので、皆様との連絡で失礼してしまうことがあり、お許しください。

もうひとり、癌を患いながら執筆活動を続け、著書を送ってくださる方がおります。***先生という哲学美学の先生です。末期の大腸癌といわれてから2年ほど経ちましょうか。最後に御見舞いに伺ったときには、すっかり痩せられて別人のようでした。でもまた最近に著書が届きました。

死ということを怖いと思った記憶がありません。輪廻転生という体験ができるとき…と考えていたからでした。

しかし母の、臨終まで1年あまりの様子を見ていて、死に方、つまり死に至るプロセスが怖くなってしまいました。

先生の本の中に、怖さを解消してくださることを見つけられるかもしれません。

では、どうぞお大事に! (月並みですが)  絢

2012 6・17 129

 

 

☆ 梅雨の晴れ間

時差二時間、飛行機は五時間弱のベトナムは決して遠いところではありませんでした。が、やはり暑さと旅の疲れでしょうか、日常に戻るには少し時間がいるようです。

出発前日、関空近くのホテルに泊まったので京都に立ち寄り、是非とも何必館の展覧会にと思いました。日曜美術館で紹介された後でもあり、かなりの人が来ていました。最上階の、和室のあるもみじ一本が配されたあの空間でも一人になる時間はありませんでした。

勿論多くの方が観、感じていくこと、それを目の当たりにするのは良いことでした。

華岳はもっともっと生きたかった、描きたかったと思います。痛切に思います。残された時間のあまりの少なさを自覚しつつ、それが前からも背面からも四囲から取り囲むように自分に迫っていたけれど、ただ描きたかったと思います。

現在なら心臓に負担をかけないため喘息のための薬も吸入器もありますのに・・。( 母方の祖母が長い間同じ病で苦しみ、心臓を弱めて亡くなった姿がわたしの幼児の記憶にあります。)

『元気に老い、自然に死ぬ』以前、とうに読んだこの本に再び接し、ドーンと胸に突き刺さるほどの衝撃を受けているのは、十年ほどの歳月がもたらしたものの大きさでした。この対談をされた頃の鴉の年齢にわたしが達していること、家族や知人の状況も範疇に入

っていること、様々な思い、身につまされます。

個人的なレベルで「遍歴や遊行」に気持ちは大いに動き、今も動かされていますが、やはり物見遊山の域に近いし、「生き恥を曝している」感が常にあります。

「抱き柱」や「ピン」はとてもよく理解できます。

わたしにとってまだ理解できていないのは「心」についてです。

「心は頼れない」「諸悪の根源だ」「心を無に帰すよりほかに安心はないぞ」に対する微妙な距離、疑問がわたしにはあります。対談の中で懇切に語られているにも拘わらず、「心」という一文字から受け止めるものが、従来の安直な捉え方から抜けられていないようです。そこまで、心を疑えない、と。

同時に諦めることも学び、多くを求めることにも拘泥することは既に少なくなっているのだからとも、自分を慰めます。仄かではあるけれど確かな春愁も秋愁もそのまま楽しみたい、ああ、いっそそれが冬麗であったらとも思います。

勝手な感想を書きました。的外れなところは旅の後の疲れによる思考の支離滅裂ゆえということで免じてください。

ベトナムのことは次に。

昨晩はかなり雨が降りましたが、今日は暑くなってきました。くれぐれもお体大切に、切に切に大切に。  鳶

 

* こころ嬉しいメール。こういうふうに「関わり合える」「問題を共有できる」幸せを、誰も誰もがその人なりに重く確かに持ち合えるなら、あんな野田総理の無責任な傲慢は生まれないであろうに。

2012 6・17 129

 

 

☆ 帰国いたしました。

秦さん  ご無沙汰しております。お身体の具合はいかがでしょうか。お辛い状況は続いてしまうのかも知れませんが,引き続きのご回復をお祈りしております。

先週の末に,ようやくモロッコから本帰国いたしました。お陰様で家族とも元気でおります。

4,5冊の湖の本も,自宅で待っていてくれました。ご送付ありがとうございます。黄色い封筒を開けていつもの表紙を見ると,日本に帰ってきたのだなという感慨ひとしおでした。

明日から早速の勤務(特許庁内ながら新職場も大変に激務と脅かされています。)となりますが,日本での生活を何とか再スタート出来る程度には身辺も片付いて来ました。

結局3年2ヶ月間の勤務となりました。途上国であり,イスラム国であり,フランス語ないしアラビア語の国でありといった,これまで馴染みのない文化圏での生活であり勤務でした。

じっくり反芻しておきたい経験も多かったので,また考えをまとめておきたいところですが,まずは日本社会へスムーズに再適応出来るのかに,かなりの不安を感じています。

以上,取りあえず簡単ながら帰国のご報告をさせて頂きます。  敬 卒業生

 

* もっとも沈着な日本語に、フルートのような音楽を静かに響かせる学生であり卒業生で、職場での頭角の顕しようも速やかであった。結婚後、イギリスやモロッコでの永い駐在生活も難なく乗り越えてきた。頼もしい若い友がまた身近に帰ってきてくれた安堵感を喜んでいます。また、きっと佳い文章で秦教授への挨拶を送ってきてくれるだうと、楽しみ。

2012 6・18 129

 

 

☆ 紫陽花の季節です。

ご清祥のことと存じます。このたびは御著『対談・元気に老い、自然に死ぬ』を賜りありがとうございます。

私の尊敬する山折哲雄さんとの対談が大半を占め、楽しく読ませていただきました。

秦さんの博識に基づく誘導で、老いと死の対話が広範かつ深みに迫っていたと思います。

本書を同年代の一友人へ私からの贈呈本と致したく、お願いします。

(本日2500円振込済)。御礼とご依頼まで。  詩人 ペン会員

 

☆ 梅雨に入ります。

闘病中の御身にはさぞきつかろうとご案じ申し上げます。

早速ながら今般も亦『湖の本』112集をご恵投被下ありがたく頂戴いたしました。いつものことながらご高配まことにうれしくありがたく心から御禮申しあげます。

このごろ教区の連研でおしゃべりをたのまれること多く、テキストを読むごとくに拝読いたしました。「死ぬ時が来たら死ぬのがよかろう」という良寛のことばを題材に話したばかりでした。

ありがとうございました。くれぐれもお大事になさいませ。 合掌  黄色山光明寺

 

* 払い込み用紙へのメッセージ書き込みが、ひとしお今回数多い。ご老人の読者が多いせいでもあるが、若い方にも無縁でない話題。

2012 6・18 129

 

 

☆ 拝啓

「湖の本」112誠に有難く拝受いたしました。今度の巻は胃の三分の二を切除した九十歳の私には考へさせられることが詰ってゐて、緊張して拝読してをります。「私語の刻」で御病気で大変な御様子がわかり、同じ癌患者として、早い御平癒を祈らずにはおれません。葉書で甚だ失礼ですが、取急ぎ御礼と御見舞を申上げます。 不一   文藝誌元編集長

 

☆ 拝啓

このたびは『湖の本』第百十二巻を賜りましてまことにありがとうございました。御心にかけていただきまして、恐縮に存じます。これからゆっくり拝読させていただきますが、取り急ぎお礼申し上げます。

秦様、一日一日、まことに大きなことを克服していらっしゃるのですね。その中にあって、旺盛に、ご執筆、著作活動をなさり、その精神のお力に、大きさに、深く敬服いたします。

自転車走をなさるほどにご体力が回復していらっしゃいますし、最高の医療機関で治療をお受けになり、しかも元々、人一倍ご壮健でいらっしゃいますから、必ずやご快癒されることと存じます。どうかご快方に向かわれ、これからも長くご活躍されますことを、心より念じ上げております。 敬具   作家

2012 6・19 129

 

 

☆ あじさいの季節となりました。

過日はご高著『元気に老い、自然に死ぬ』を賜りまして御礼申し上げます。これはすべての人に係わるテーマ。ベビーブームと呼ばれる世代はますます切実です。大変ありがたくゆっくり拝見いたします。外来の待ち時間にもプラトンを読まれるとのこと、心意気に圧されてしまいます。くれぐれも御自愛下さいますよう願っております。御礼まで申し上げます。  歌人 大阪府

 

* 梅雨に入りましたが

冷え冷えしたり暑かったり、不順な昨今の気候ですが、その後、如何でいられますでしょうか。お見舞い申し上げます。

「湖の本」有難うございました。主人が、珍しいことに、面白いと、メモなど、とり乍ら、 熱心に読ませて頂いております。

山折先生の著書は何冊か、読ませて頂いておりますので、秦さんとの対談、拝読させて頂く事、楽しみにしております。

同窓 奈良縣

 

☆ 拝啓

曇り空の下、あじさいや山吹の花が目を楽しませてくれます。如何おすごしでしょうか。薬の副作用にお悩みなのではないかと気がかりです。

別便にて、お見舞の冷菓をお贈りさせて頂きました。御笑納頂ければ幸いです。敬具

p.s 「湖の本」の最新巻有難うございました。  元岩波書店  練馬区

 

* 払込票にも無数にお見舞いやお心遣いを戴いている。感謝にたえません。

 

* 笠間書院の重光さんから、故佐伯梅友、故村上治、そして小松登美さん共著『和泉式部集全釈・正集篇』1000頁19000円が贈られてきた。嬉しい。有り難い。かねてわたしは好きな歌人として、男なら西行、女なら和泉式部と言い切ってきた。「千載和歌集秀歌撰」に次いで、山家集か和泉式部集の秀歌撰を試みようかとも想っていた目の前に、この大著を頂戴した。

 

☆ 『湖の本112 対談・元気に老い、 自然に死ぬ・他』

ありがとうございます。

同封の書籍『和泉式部集全釈』は数十年かけて刊行なった、小生としても思い入れの深いものです。千頁近くあり、ご闘病中の先生にご高覧をお願いするのもかえってご迷惑かと存じましたが、劇薬副作用緩和の一助になればと、あえて献呈申し上げる次第です。

笠間書院 重光徹

2012 6・20 129

 

 

☆ 「 湖の本112対談」を読ませて頂きました。

「自分の生活をタイムスタディする p91」 ーー98歳の母との生活( 父の死後28年になります) は今や一日単位の設定の中に有りますがーー日々陽気にやりたいと思っております。

先生の「お仕事」はいつも私の頭の中の霧をはらって下さいます。

「静慮」を胸に頭に。  ご快復を心よりお祈りして!  裕  練馬区

 

☆ 一日も早く

病を克服されて、今まで同様すばらしいご本を送って下さるよう祈っています。 貞  愛知県

 

☆ 「能の平家物語」エッセイ22を

面白く読んでいますが、もっと能についての本を、たとえば観能記などと思っていましたが、今回の112をよんでおりますと、能に触れるようなところがあり、もっと読んでいけばよいのだとわかりました。能のお稽古をするようになって、やっと求めるところが絞られてきたように思います。

お辛いことと思いますが、まだまだ吾々のために踏ん張っていただきたく、一冊でも多く届きますこと、待っております。 啓  石川県

 

* わたし自身も、刊行後ゆっくりと今回の湖の本を読み返している。せかせかと校正に励んでいたときよりも、山折さんのお話しも自身の話も目に耳に入りやすいのを喜んでいる。

2012 6・21 129

 

 

☆ 前略

先日は御鄭重にも「湖の本112」を御恵送下さいまして、誠に有難うございました。大変遅くなりましたが、まず「私語の刻」を拝読致しまして、「再入院」に「立ち向かふ」御決意のほどが、「好きな仕事」への没頭、熱中に基づかれていることに深い感銘を覚えました。

「元気に老い、自然に死ぬ」では、老と死をめぐる実に様々な角度からの異見、異論のぶっつかり合いに、私自身のこれから拠って立つべき思念を得る上で、誠に貴重な示唆を得ましたことを心から厚く御礼申上げます。(同年齢の自分としては「抱き柱はいらない」にも得難い御教示を得ました。)

「なぜ『遺書』を書くか」は日本人の遺書の特徴や諸々相に迫られるお二人の思索の流れが興趣に富み、やはり大いに啓発されました。私もかねて印象深く思っておりましたドストエフスキーの死の間際の夫人への言葉にも、改めて感動いたしました。

両対談は今後何度も繙かせていただきたく存じております。

どうぞ呉々も御体調に留意され、立ち向っていただきますよう衷心よりお祈り申上げます。草々不一  六月二十日

秦恒平様      文藝誌元編集長

2012 6・22 129

 

 

* 『対談・元気に老い、自然に死ぬ』を読み返していて気が付いた。

たしかに多彩に話題を繰り広げていたが、一つ大きな問題が落ち零れていた。「医療と死」という、このところイヤでも考えざるを得ないでいる大問題が、意図したように、すぽりと抜けていて、山折さんも私も、ほとんど一言も、介護には触れても、「医療」に関して議論がなかった。

あの当時、まだわたしはプラトンの『国家』にアタックしていなかった。していたら必ず「医療と死期」とに関連した論議に飛び込んでいたと思う。わたしは医学書院に十五、六年も、「物凄い」といわれるまで多数の医書・研究書を企画し出版した。そんな編集者経験をもちながら、医者に掛からないで済んでいるのを内心自慢にしていたし、退職して小説家一筋になってからもまず医者には掛からなかった、あの対談の当時も。

で、ケロリと医療と死期とに関して議論するのを忘却というより、念頭に置いてなかったらしい。いま、小さく身を竦めている。

2012 6・23 129

 

 

☆ 鬱陶しい梅雨の候

その後。ご様子いかがでしょうか。「湖の本」の「私語の刻」で、五月から抗癌剤服用と知り、それでも極力躰を鍛えているとのことで、安易なお見舞を申上げられませんが、同世代として、生きる指針を御著から仰いでいます。くれぐれも御身大切に。

御礼が後になりましたが、「対談・元気に老い、自然に死ぬ」「なぜ『遺書』を書くか」を頂戴して、誠に有難うございました。我身に照しながら拝読しました。先達の生き方が一々、自分の死生観を深めてくれるよう願っています。大久保房男さんの新著『戦前の文士と戦後の文士』が91歳で上梓、良き文壇への思いが詰った「元気に老い」た仕事の見本でしょうか。  元出版部長

 

☆ 秦恒平様

湖の本112 拝受。

山折さんとの対談、長時間にわたるものですね。

お二人の教養が全開、圧倒されました。   東大名誉教授

2012 6・23 129

 

 

☆ 桜桃の季節となりました。

ご体調はいかがでいらっしゃいましょうか。

桜桃は秦様にとって特別なお品ということでお見舞い旁々、すこしばかりお送り申し上げます。(太宰より秦様の作品の方が内容も文章も深く上質と思えますが。)

私の**での任期も2期目に入り、あと2年だけとなりました。こんな雑用は早く辞めて まともな勉強をしたいと思っております。

御奥様共々 お身体お大切にお過し下さいますよう。  大学学長

 

* 甘みの感触がすばらしい赤い桜桃を頂戴した。医学書院の編集者から、 転進して大学の学長にまで研究生活を推し進めていった後輩で、会社時代は同じ社宅にいて、私達の部屋で、茶の湯の手ほどきなどした。わたしが先に退社し、以来顔の合う機会に恵まれぬママ遠く離れているが、「 湖の本」には篤い応援を戴きつづけてきた。わたしにも妻にも、懐かしい人である。

有難う存じます。

 

* 花の匂ふ狭庭におりて

どの花が匂ふのかとしゃがむ われが楽しも  湖

2012 6・28 129

 

 

* 今夜の「平清盛」は平治の乱。保元の乱はあっという間の勝負で、血なまぐさい死刑などもあったが、要するに勝った負けたの結着は判りよく割り切れていた。平治の乱はくだらない動機で始まって終わったものの、及ぼしたあとあとへの影響は深刻だった。信頼などの愚かな公家の末路はお話しにならないが、源氏の義朝の浅慮はそのまま時代を、信西入道が計らおうとしていた方向とは違う方へ奔流させた。清盛とて、信西の野心を正しく読んでいたか心許ない。信西は間違っても武士の世を考えてなどいない、明らかに後白河上皇を頂いた公家政治を、摂関家の割り込みを排して実現すべく、清盛と平家の武力をそこそこに厚遇しつつ背後に備えようとしていた。義朝の野心は信西の眼にはちいさく田舎臭く映じていたろう。

清盛は、その信西を義朝らに殺されてしまうと、行く先々の展望を切り替えるしかない。義朝の源氏と並び立っていては公家の犬のままになる。源氏を倒して、こんどは直に後白河院との間で前途を画策するよりない。摂関家も近臣公家ら公家社会は清盛の味方にはならない。

来週のドラマがどう動くか、差し当たっては平氏が源氏を都から追い出す。捕らわれた頼朝の命乞いも始まるだろう。牛若など幼児をかかえた義朝寵愛の常盤は清盛に縋ることになろう。清盛はもう頼む信西を喪って前途を独りで考えるしかない。後白河院との親昵や競合や確執の時代へ動きながら、妻時子の妹滋子を後白河に提供する。史上もっとも幸せな皇后といわれた建春門院をあの好色な院は、他をすべて顧みないほど愛したのである。娘徳子、のちの建礼門院を、その滋子の生んだ高倉天皇妃にして外戚の権を得たというだけの清盛ではなかった。

『猿の遠景』という著がわたしに在る。一点の名画を介し、清盛と後白河院との時代や折衝がおもしろく読み取れるはず。

2012 7・1 130

 

 

☆ 「湖の本」112j巻を頂きました。有難うございます。

五日ほど、神戸、京都を所用で廻っておりまして、御礼がおくれました。帰ると、思わぬ方の訃報やら、すでに「相済ませました」という御報告やらで、これまた天てこまいです。

折りから遺書の数々の例を沢山挙げて下さってあり、大変有意義です。

日々、御快方にと思いますが、どうぞお大切に…。  元文藝誌編集者 文藝批評家

2012 7・2 130

 

 

☆ 湖の本112 元気に老い、自然に死ぬ 受け取りました。

ありがとうございます。先週から、前に頂いた御本を取り出して再読致して居りました。元気のまゝ自然に死にたいものと思って居ります。

そちらはお暑くなってゐる様ですね。

毎日の闘病がんばってられますね。応援して居ります。

紫陽花の前での(妻の=)お写真いゝですね 赤いセーターが良くお似合いです うちの方(ロサンゼルス=)は あじさいは白 ブルー ピンク。むくげはピンク、紅、白 宗旦が今満開です。他に 水引 なでしこ 桔梗など 毎朝花を見て廻るのが楽しみです。そうそう、昨日までサボテンの真っ赤な花 こんな美しい花がどーしてあのトゲトゲの中から生れて来るのかしらと 毎年乍ら感心して居ります。

もうすぐ真白の月下美人(月見草ですか) つぼみがのびて来ました、楽しみです。

此方はそんなに暑くならないので 来月 お客様をしようと思ってゐます。

どうぞ呉々もお体お大事に。

(送られてきたテンカフン=)の後 ポンポンと使って下さい。

スミマセン (葉書に描かれた安田靫彦の繪が、わたしの苦手な=)おなすでした。   千  ロサンゼルス

 

* 茄子の煮たのは見るもイヤだが、そのままの茄子は美しいと思うし、掌に包み持つのも眺めるのも好き。茄子の花も大好き。むろん繪も。染色九十五翁の三浦景生さんに戴いた毛筆書簡に描きこまれた茄子の紫もあまりに美しく、表具に出し、茶の間に架けている。そんな次第で、茄子の漬け物もむしろ好きな方で。

ただ、煮たのはゼッタイだめ。紫からのあの穢い変色は堪えがたい。

 

* 「自然に死ぬ」には、葬式もしぜん関わってくる。

荘子のまさに死なんとしたとき、弟子達は手厚い葬式を考えていたが、 荘子はこう言ったと『荘子』の列禦寇篇にある。弟子達は粗末に葬ると先生が鴉や鳶に食べられてしまうと心配していた。荘子は、地下に入ってもどうせ螻蛄や蟻の餌食になるのさと構わなかった。

 

☆ 天地を棺桶とし、日月を対の璧とし、星辰を珠飾りとし、万物を齋物(お餞別)だと考えれば、わしの葬式道具に何ひとつ欠けるものはありゃせんじゃないか。この上いったい何をつけ加えようというのだ。

 

不公平な標準で物を公平にしようとすれば、その平は真の平ではない。また無心の感応によらず、さかしらの人為を弄して物に応じようとすれば、その応は真の応ではない。とかく明知を誇る人は、 自分の知(=マインド・分別)を働かすので、かえって物に働かされるが、神知の人は無心で物に感応随順していく。

愚かな人間どもはじぶんの知識見解をたのんで人為におちこむから、その功業はは外に馳せて内なる精神には何の益もない。かなしいことではないか。    荘子

 

* 「功業は外に馳せて内なる精神には何の益もない。」実例は世に蔓延こっている。

 

* 敬愛する画家村上華岳は名を震一といったが、父は彼をいつも「シンチ」と呼んでいた。華岳はこれを「神知」と受けとめて雅号の一つに用いていた。「神知の人は無心で物に感応随順していく。」村上華岳の仏や牡丹花や山の繪にわたしが打たれるのは、それだ。

2012 7・5 130

 

 

☆ 御本

『元気に老い、自然に死ぬ』いただきながら御礼がおくれて相すみません。しかし、私にもまさにその時期を生きている思い、さまざまにあり、「平気で生きていくこと」、長寿の日本人としての第三林住期のこと、老愁のなかの春愁のこと、ガンかボケか、などあれこれ、ゆさぶっていただきました。ありがとうございました。  劇作・脚本家

 

* じいっと眼を閉じていると気持ちがいい。眼をひらくと躰がゆらゆらする。追加にもう五十数冊、本を送り出す。適量の在庫はぜひ必要としても、家に過分に保存しておいても意味がない。

 

* もうとうに亡くなったが知求会の吉田修三さんに戴いた「牡丹」の繪を居間にかけ、棚わきに長尺の義政「海上蛍」歌短冊をもってきた。

「湖の本」五十六人の追加発送を終えて、散らかっていた居間がようやく片付いた。次をまた送りだそうかと思っている。入稿の用意は出来ている。

2012 7・7 130

 

 

* ごちゃごちゃと夢は観るが、それでも眠っている夜は本当の安静期で。もしわたしが何かの勤務者として出掛けねばならないならと想うと、今の境涯を幸せに思う。わたしは、いま、何一つ義務に追われていない。元気に生きていることだけが義務といえは義務。

ありがたい。

 

* 今朝の上の血圧、105。からだに生気を保たせるには、あまりに低い。葡萄、桜桃、西瓜。果物が主食のようになり、炭水化物も脂肪も蛋白質もほとんど摂れていない。口が容易に受け付けない。喉を通すと鳩尾で苦しく固まってしまう。無事に腸へ落としていくのに時間がかかり、へたをすると激しい咳になり、吐き出そうとする。奈良の丸山君が送ってくれた大好物の葛菓子のいろいろが、口当たり涼しく冷たく糖分にも恵まれて、とても美味しい。

こんな状態でも、自転車で走れる。摂食には拒絶的な躰が、サドルに全身を坐って預けて、両脚でペダルを踏みつづけるのは許してくれる。低血圧で危険という用心はしている、が、近い範囲の武蔵野を走る開放感は身体の苦痛や不快を忘れさせてくれる。苦痛や不快な体違和をいろんな工夫で跳ね返す、それが現下の闘病ということだろう。

2012 7・8 130

 

 

* 『元気に老い、自然に死ぬ』を、わたし自身も毎日少しずつ読み返している。

老いの死のということは、もっと先の先のことと先々へ追いやって生きていた時代が当然あった。じつは、この正月早々に胃癌と診断されるまで、老いも死もじつのところまだ先のことと思っていたのだろう、わたしは。したがって十二年も昔の山折さんとの対談は、たぶん山折さんも、むろんわたしも、まだ先々を遠望しながらの老いと死との予行演習に過ぎなかった。またそれだけに、問題や視野をひろげて総ざらえに論じ合っていたと思う。抜けた大きな問題にも気づいているのだが、ともあれかなり論点は網羅的に並べ立てていた。老いにも死にも、無関心ではこれだけさらけ出すことはやはりムリだったろう。

いまもう一度対談すれば、すくなくもわたしは、死にふれて深刻に話さざるをえまいが、そんなわたしの背を支えてバグワンの言葉が力になっているに相違ない。

 

☆ 元気に老い、自然に死ぬ

秦さま  湖の本112 お届けいただき、ありがとうございます。

目次を開いただけで、「老い」と「死」の文字が溢れ、ちょっとたじろいでしまいましたが、読み始めるとおもしろく引き込まれて読了しました。

幼い頃から、死が恐ろしくてなりませんでした。自分が無くなってしまうという考えに怯え、かといって、死ぬのが恐いとは誰にも言えず、お腹が苦しい、気持ちが悪いと母に訴えて、お腹をさすってもらいました。その手が体に触れているあいだだけ、少し苦しさが和らぐ気がして、もう少し、もう少しとせがんだことを思い出します。

人肌との接触が、死の恐怖のいちばんの妙薬かもしれないと思います。

山折さんのおっしゃる、若い異性の看取りは死の恐怖に対しては効果があるでしょうが、確かに若い命の側にとっては、嫌悪を起こさせるものでしかないでしょうね。空想社会主義者のフーリエがそれを好もしいものに感じさせる社会制度を創設しようと知恵を絞ったのでしたが、やっぱり無理がありますね。

わたしは現在63歳になります。子どもの頃には、自分がそんな年まで生きていようとは思いもかけなかった年齢になりました。こんなに長く生きてきたのに、少しも賢くならず、子どもの頃と同じで、何も知らず、何の覚悟もできていないことに驚き、でも容赦なく死が近づいていることに怖れ慄いています。

子どもの頃の居ても立ってもいられない苦しさを遠ざけておくことは少しできるようになりましたが、死が現実的になってくるにつれ、現実的な心配が加わってきました。

病院で死にたいとは思いません。一人暮らしの私は、結局死後何日もたって発見されることになるでしょう。

それはいいのです。でも、私の飼っている猫はどうなるでしょう。

前の猫が死んだときに、いつまで世話できるかしれないのに、もう生き物は飼うまいと決心したのですが、昨年1月末、寒さで死にかかっていた子猫を家へ連れ帰ってきてしまいました。

他人に馴れない猫なので、この猫より先には死ねないと思ったりします。

窓を通して聞こえてくるバグワンの言葉に耳を傾けます。

 

探求をやめてごらん。何もせず、静かに座っていると、春が来て草はひとりでに萌え出ている。

 

ほんとうにそうだといいと、かすかな希望をいただいています。

苦しい服薬に加えて、眼の手術もなさるのですね。

お大事にと祈るばかりです。  大阪・まつおより

 

* こういう人が、心の友になる。そしてしばらく老いを忘れ、死に親しむ。この人にはわたしは智慧も借り約束もした負債がある。小説を書きますと。その小説がじつに難しく隘路に迷い続けていて。迷うことをどうやらわたしは楽しんでいる、苦しんでもいるが。 2012 7・9 130

 

 

* 八月からの仕事に、決然、「湖の本113」を入稿した。

 

☆ 拝啓

例年にも増して不順な昨今でございます 御体の御様子は如何でいらっしゃいますか  「湖の本」毎回 御恵み頂き 有り難く拝読しながら またその都度にお礼を申上げ度いと存じつつ  御いたつきのことをお案じ申し上げる余りに筆をとりかねて 失礼ばかり重ねております  行き届いてのお手当、御加療のことは、尽しておいでのこととは存じつゝ またそのための煩わしさなど、いろいろと他からも聞き及んでおりますので 遠くからお案じ申上げるのみで過ごしております     私の方も去年の早春までは年のことも考えず 骨折した足や弱った心臓のことなど気もせずに居りましたが、あの原発事故ののち 気持がなえて、老いをつくづく考えるようになりました  小さい源氏物語のための集まりのために京都へ通うのがせいいっぱいになっておりました中で ちょっと雑文をお頼まれしまして、すさび書きしましたものをお目にかけたくなりました  御加養の御日々の御たいくつしのぎにも お笑草に遊ばして下さいませ

この梅雨から酷暑 京都を思い出しつゝ 今年は少しでもやさしくあってほしいと希っております

ありきたりの御見舞申上げるのも ためらわれて、駄文一筆いたしました

萬々失礼お許し下さいませ   かしこ

七月九日         伊吹和子

秦恒平 様   御読み捨て下さいます様に

 

* お手紙も嬉しいが、こういう天然の素養が育てたやわらかな日本語に、わたしはしみじみする。流石に谷崎先生晩年の文学作品を口授筆記されていた練達の編集者であり京のお人である。雑誌「ぎをん」今年の陽春号に投じられた一文も、ぜひ読ませてもらう。

2012 7・10 130

 

 

* 嬉しく心はずむ来信に励まされる。

 

☆ 『湖の本112』をいただき、

鉄人と思いこんでいた秦さんのご闘病のことを知りました。そして「老いと死と遺書」を語る対談、これは今現在当方の直面している問題でもあり、ひきこまれるように拝読いたしました。世によくあるハウツー本とは違い、身に染みこんだ知と思索がぶつかりあう流れに心が洗われたような気がしました。短詩型の力にも気づかされました。<それでも立ち向かふ>秦さんに励まされ、退嬰的になっている自分をのぞきこむことにもなりました。お礼申しあげます。

闘い勝利のお知らせをお待ちしています。 七月十二日   講談社 元出版部長

 

昨十二日 聖路加病院の食堂で

 

 

* 昨日、腫瘍内科の先生、秦建日子脚本の「サマーレスキュー 天空の診療所」第一回、ご夫婦で観て下さっていた。わたしの新刊にも、こういう気持ちと姿勢で生きていらっしゃるんだなあと。感染症の部長先生も読んで下さっていた。文学好きで、歌集『少年』も喜んで下さっていた。

また、二十年ちかくも妻の主治医でいてくださった前の副院長先生とも、偶然院内で出会い、上機嫌で、こんどの『元気に老い、自然に死ぬ』はぼくらの必読書です、とてもよかった、いろいろ考えましたよと。

仕事を通して思いの繋がる励みと喜び。これこそが、力。

 

☆ (音楽家ジャン・クリストフは言う=)ほんの少数の、良い人々から愛され理解されることの方が、無数の白痴に作品を聴いてもらって、あら探しをされたりお世辞を言われたりしているよりも遙かに良く、遙かに楽しいではないか? ……栄誉を求め名声を誇る悪い根性には僕はもうつかまれない。

音楽の領域と文学の領域とは互いに無縁な、そして密かに敵意を持ち合っている二つの「国家」であるらしいが、僕には、シェイクスピアは、ベートーヴェンと同じく無尽蔵の生の源泉だ。

僕は、藝術上の離れ業を嫌う、自然を歪めるすべてを憎む。女は女であり、男は男であるのを僕は好む。

 

* 文学は音楽を根にし、絵画の花を咲かせる。

2012 7・13 130

 

 

* 朝一番に小松の八代啓子さんから利尻昆布など昆布のいろいろを沢山頂戴した。ありがとう存じます。

 

☆ 御病気 御見舞い申し上げます。

抗癌剤の副作用の辛さは大変なものだろうと心から心配しております。私の妻の苦しむ様子を見ていて、私が代ってあげられればと思ったこともありました。妻はがんばり、いまでは普通に暮らすことができるようになりましたが、いつ再発するか、という恐怖から逃げることはむつかしいようです。ともあれ、一日一日を大事に生きていければ それが幸せという心境のようです。

御著書第112巻、「老いと死と遺書」を拝受いたしました。ありがとうございます。早速に拝読しております。一日一日をどうぞ大切になさいますようお祈りします。   作家・日本文藝家協会理事

 

* ペンの理事会ではよく隣席していた心親しい同僚・ 同業だった。懐かしい気がする。

言われるとおり「一日一日」である。「いま・ここ」を生き続けるまでである。感謝。

 

☆ 過日は

湖の本112の対談集を御恵送たまわり深く感謝いたします。早稲田の定年退職から七年目に入り、ようやく山梨英和大学の特任も解かれるところまでこぎつけました。「翁さぶ」つもりで「老いの繰り言」を若い人たちにしゃべってきたようで、横町の隠居もこのへんで廃業いたします。御病状の一日も早い御恢復を祈りあげます。右 取急ぎ御礼まで。  文藝言語学者

 

* この方からは関わられた辞典・辞書を幾つも頂いてきたが、なかでも自編された『日本語 語感の辞典』がユニークで珍重し読んで愛用している。名文とは、などという問題意識からの著書も多い。

 

* 各界の知己知友の数多いことはわたしの有り難い福分である。大学高校を別にしても、五百人ほど、それ以上か、に「湖の本」を贈呈している。しかしわたしはその殆どの方と面識を持たない。上の作家理事氏とはペンの同僚理事で親しかったが、早大に居られた中村明さんとはお目に掛かったことがない。殆どすべてが創作と著述とを介してのみの知人なのである。それが我が「淡交」というものであり。

2012 7・14 130

 

 

☆ 秦 恒平 様

暑中お見舞い申し上げます。

いつも湖の本お送り頂きまして本当にありがとうございます。

ところで其の後お体の具合は如何でしょうか。

病魔との闘いは私には想像できませんが、事故で死にかけたことは何度かありました。チンチン電車に轢かれそうになった事。荒れた海で2 回。川で1 回。山で滑落1 回。

病では、椎間板ヘルニアと判明する前の徐々に痛さと痺れで歩けなくなっていった時の恐怖。

今にして思えば、全て避けて通れる事と病名が分かった時点で対処可能であったと言う事。死とは背中合わせであったとは言えどうしようもない状況ではありませんでした。

秦さんの今の病において、京都山科のガン治療の話聞かれた事ありますでしょうか。そこは今以上に転移し難く治療を施されていると聞き及んでおります。日本ではそこでしか施療していないとのことです。知り合いの友人から聞いたのですが、彼も関東から月1 回通院に来ているそうです。

元気いっぱいの秦さんしかイメージできません。昔と違って治癒できる可能性もあると思われますので色々な情報と実績に基いてお調べになればと思います。

ともかく秦さんは、元気に老い、自然に死ぬ、年齢ではありません。

素晴らしい秦さんであり続けて欲しかったのですが、途中ちょっと本当の秦さんの事わからなくなってしまった時期があります。

しかし先日退院されてからの秦さんは、昔の私の描いていた秦さんを、さらに大きくされたような感じを受けました。

秦さん。これからが秦さんの、権威や権力にとらわれない京都人、自由人として益々愛され魅力ある人生を全うされて行かれるものと思っております。

一緒にお酒でも飲みたかったのですが、先ずは病気治る方向にて変な御無理なさらないよう頑張って下さい。

少しですが北海道の食べ物送りました。食べて頂けたら幸いです。

お会いできます日を楽しみに致しております。

July 16, 2012     京都宇治  信

 

* 古い古い昔からの読者。一度お目に掛かったことがある。東京におさらばして、京都へ帰ってきてはと、熱心に奨めてくれた人。この人は、そうして脱サラし京都へ居を移して、美術関係のお仕事に向かわれた。

北海道の食べ物、いろいろに沢山頂戴。最初に、粒貝であろうか歯触りの確かな甘煮貝を戴いた。「美味しい」という感触を久々に少し実感できたのは幸せであった。有難う存じます。

2012 7・16 130

 

 

☆ このたびは『湖の本112』御恵与いただき、

ありがたく御礼申し上げます。梅雨の晴れ間の一昨日拝受。御闘病中の精力的な御執筆、敬服するばかりです。

この十年ほどの間に、私は年齢(昭和九年四月生まれ)相応の病気が増え、通院ばかりの日々ですが、御著書から刺激をいたゞき、せめて、生きてゐるうちに、一つは、自分自身で納得できる論を書かねばと思ふこと切です。

気候不順の昨今、何よりもお体をおいとひ下さいませ。 かしこ 七月十一日  登美  中世文学研究者

 

* わたしより一つ年嵩の、たいへん勝れた在野の研究者、思い返せば優に四半世紀を超えたご厚誼を戴いてきた。なおなお良いお仕事の成りますように、お元気で。

 

* 此の二十二日日曜日から、入院のためまた暫くは日記が書けない、送りだせない。七月二十一日までの分は、日付順に、誤記など直して、「宗遠日乗」130として記録し保管しておく。

 

* 自分の関わった対談『元気に老い、自然に死ぬ』を、時間をかけて読み返し読み終えた。お元気な山折哲雄さんへも、亡くなった松永伍一さんへも、敬意を新たにしたことが、よかった。

2012 7・17 130

 

 

* 「湖の本113」のゲラが明日家に届く。病室へ持ち込んで、片目で校正するつもり。

2012 7・17 130

 

 

☆ お体がすぐれない由、伺い、お見舞い申しあげます。

このたび、お贈りいただいた「湖の本・元気に老い、自然に死ぬ」はたいへんおもしろく、かつ豊かな、深い内容に感激いたしました。わけても秦さんのお考えに共感するところが多く、出色の作品と存じました。

どうか、お体をおやすめになり、できる限り、長生きをして下さいますよう、はるかに願っております。

いつかまた、お目にかかって、お話を伺いたい、とせつに願っております。 (葉書の表に)

御本をいつもいただいて、ありがたいことです。今度の本はとくにすばらしいとそ存じました。 神戸市 名誉教授 哲学者

2012 7・21 130

 

 

* 午后三時、九日ぶりに聖路加眼科病棟を退院して家に帰ってきた。右眼の黄斑前膜および白内障の手術は無事成功し、診察するどの医師達も「キレイになっています」と。命ほど大事な眼であり、ほっとした。ずうっと病室では眼帯をつけ、日に六度の点眼も実行しながら、左の片目で新しい湖の本の一冊分を初校しおえ、トールキン「指輪物語」の第二巻一冊を読了、マキリップ「イルスの竪琴」 第二巻を読了、東洋文庫の「中國古代寓話集」を三分の二も読み進んだ、病室へ此の三冊を選んでいったのは大成功で、トールキンとマキリップのファンタジーは繰り返し読んでも滴る魅力にひきこまれ続け、一字一句も逃さず楽しんで楽しんで読んできた。寓話集は荘子、列子、戦国策、韓非子そして呂子春秋からの精選されたおはなしをたっぷり楽しんで胸に畳んできた。

2012 7・30 130

 

 

* 入院中の記事も調えた。あとまわしになった平凡社の仕事や湖の本113の進行などへ目を向けて行かねば。

食べられなかった麺類「ほうとう」が食べられ、炒り卵も。

明日からまた抗癌剤を飲み始める。

右の眼にこまかに網状に穴の空いた金属の眼帯をしている、寝ているときも。いまは下にガーゼ無く、曲がりなりに両眼が使えている。

 

* 七月尽。ひとつの危機至り、幸いに免れるを得た。

 

身を観ずれば岸の額に根を離(か)れたる草

命を論ずれば江の頭(ほとり)に繋がざる舟    羅維

2012 7・31 130

 

 

☆ 秦恒平様

久しうございます

お見忘れもなく「湖の本」お送りくださり

ありがたいことです

 

もはや序破急の急々之段なれば

身に染みて拝読

 

大病なさり なお果敢な戦いとか

老生も大腸癌を切り

前立腺は放射線の棒を80も打ち込まれています

抗癌剤はたいへん お大事に

 

なお私も12月21日生まれです

早生まれにするとかで戸籍は1月3日になっておりますが

 

とりあえずお礼まで

不順な地球ゆえご自愛のほどを   増  能楽研究家

2012 8・1 131

 

 

☆ 暑中お見舞い申しあげます。

この猛暑、ご体調如何でいらっしゃいますか。呉々もお大切になさって下さいますよう。

過日は又「湖の本」ご恵送賜り、ほんとうに有難うございました。一一二巻は殊に。身に沁みて拝読いたしました。

山折哲雄氏とのご対話、いろいろ考えさせられ、共感し、もうそんなに遠くはない自分のおわりについても考えさせられます。前登志夫師の最期も見事でございました。口述筆記など少しお手伝い出来ましたが、病が重くなっても、旺盛な創作活動をされていました。

秦先生は、更に多方面の文学活動をされ、それがクスリと、きっとなることとぞんじ上げます。

呉々も、ご自愛の上、益々のご清筆をお祈り申し上げます。

(失礼でございますが、ほんの心ばかりの お礼のしるし 同封させていただきます。)

二○一二年 盛夏     鷹  歌人 奈良県

秦恒平様

 

* ありがとう存じます。

前登志夫さん、懐かしい人であった。

 

☆ 秦恒平様

「湖の本」ありがとうございます。

手に入いりにくいことが、くわしく よみやすいように書いてあって、すぐに全部はよめない時が多いのですけれど、つい、手にとってよんでいます。「つまみ食い百人一首」などおもしろくよみました。

暑い日がつづいております。お元気でいらっしゃって下さい。ありがとうございます。  植  詩人 新潟県

2012 8・6 131

 

 

* 湖の本新刊の再校が明日には届くと知らせあり。

2012 8・8 131

 

 

* 機械に向かうと眩しい限り。画面の明度を調整出来ると思うのだが、どうすれば出来るか、わからない。使っている機械はNEC のLaVie です。

湖の本113再校のためのかなり難しい頁の調整も終え、再校を読み始める。

抗癌の闘病へ、仕事も読書も観劇も最良の味方。抗癌剤も妙薬に成ってくれると信じて服している。

2012 8・11 131

 

 

☆ 御免下さい

蝉の合唱が、酷暑の拍車をかける連日、夏はこれ程暑かったか? と苦闘する昨今です。

先生御不調の折しも、さぞやと拝察致し居りますがーー、

新刊書 御恵送いただき乍、御礼も申し得ず、又々御無礼の日が過ぎました。

引き続いたグループ展等々に追い廻すされ一日は三時間かと思う程に、はかどらぬ己にいら立っています。四年目にかかる 手首の骨折の後遺症とは申せ、気づいて見たら夏も盛りを過ぎ様としていました。

今更乍 あわてて筆を持っています。

お盆明け頃にはゆっくり拝読させていただけ様かと楽しみ居ります。

有難うございました。

先生 何とぞ御無理のなき様 御自愛下さいます様 お願い申し上げます。

甚だ間の抜けたお礼を兼ね お笑い草同封させていただきます。  合掌

八月七日   渋谷和子

秦恒平先生            京・向日市 染色家

 

* 「暑中御見舞申し上げます」と付箋をつけて頂戴したのは、夏の気配に涼しげを、描きおろしの草や虫たちに一枚一枚寄せた葉書大、七枚の繪。

嬉しく頂戴しました。お仕事が次々に立派に成りますように。

2012 8・14 131

 

 

* 朝の、血圧97-57 (69)  血糖値 95   九時前まで寝過ごす。夢見はあるが、まあよく寝ての寝覚めは、心身が軽く明るい。朝食し服薬するとズーンと重苦しくなる。冷桃、冷グレープフルーツ、卵スクランブル少し、パンとミルクお印ほど。服薬。二階の機械の前へ。スキャナーを故障機からこの機械へ繋ぎ変えたがまだ使っていない。印刷とスキャンとにはどうか働いて欲しいのだが。

湖の本113の再校もすすめている。すこしゆっくりでもいいほどの気持ちで。

明日はオンコロジー(腫瘍内科)と泌尿器科へ独りで出かける。明後日は帝劇での「ラ・マンチャの男」です、何度も観ているのにどう演出が変わるかと、楽しみ。

2012 8・15 131

 

 

* 朝寝の床の中でうとうとと、「ゆるやかな着地」という言葉に取り巻かれていた。人生の、こと多くで、結局もなにもなく殆どは「ゆるやかな着地」に始終していた気がする。はっきりと、決然決断し行為したのは、京都と大学をすてて上京し結婚したこと、私家版をつくったこと、井上靖先生に電話で中国訪問を誘われ即座に受けたこと、そして湖の本創刊。それほどしか思い出せない。

他の全部に近くが「ゆるやかな着地」に終始していたと思う。さほど劇的な人生ではなかったか。

2012 8・22 131

 

 

* 湖の本113 の跋文を入稿した。再校の出来ているのを、明日にも要三校で返送する。

今回の湖の本113 に就いては、本文が、余さず、意図も意義も面白さも伝えている。そう信じている。読者もよく考えて「試みて」欲しい。

2012 8・22 131

 

 

* 新刊の「湖の本」113の発送用意に取りかかる。

2012 8・25 131

 

 

* 「湖の本113」の用意を進め、また八月日録の保管保存の用意も進めた。眼が乾いている。やすまねば。

2012 8・26 131

 

 

* 我が家にも一つ心配事が起きている、妻の機械(古いワープロ)の不調で、湖の本新刊分の宛名印刷が出来そうにないのだ、これは大変大変で。名簿と宛名印刷の働きを、新鋭のパソコンに移動すべきだと随分注意していたのだが。さ、どう解決してすり抜けられるのか。ワープロじたいのキャパシティが落ちているのではと、長時間の充電を勧めている。

2012 8・28 131

 

 

* 昼食後昼寝それから仕事 湖の本113の跋文を補足して要再校の用意終えた。明日、歯医者に行くときに郵送する。本文の三校も終えて、可能ならもう一度通読したい。

今日建日子が脚本を書いた連ドラ「ドラゴン桜」の途中を観て楽しんだ。

建日子のテレビドラマで、出来も良くて好きなのはと聞かれたら「ドラゴン桜」と答えるかも知れぬ。主役の阿部寛がこのドラマで溌剌としている。出演の他の生徒も補助の女先生長谷川京子もすてきである。なにより東大受験必勝を演じながら、かなり適確に東大などの在る社会を諷してかなり激しいのが、わたしの好み。

いま、新機に一太郎最新ソフトをテンストールしている。新機のデイスプレーは左右50センチほどか。かなり迫力。慣れればこっちで仕事が出来るだろう。

2012 8・30 131

 

 

* 『丹後の宮津』という案内本を読み継いでいる。要領の良い親切な本で、少しずつ丹念に読んでいる。曽遊の地である懐かしさもあるが、与謝蕪村への関心がのいていない。加悦に古跡を尋ね、宮津の見性寺や実性寺など訪ね歩いた。天橋立よりそっちが主眼のふらり独り旅だった、まだ会社勤めのころだ。蕪村のことは『あやつり春風馬堤曲』という奇妙な小説を「湖の本35」として書き下ろし出版している。そのままの続編に山椒大夫を書き、第三部で浦島太郎を書くと「予告」しておきながら、とりまぎれている。忘れたことはない。書けるだろうか。わからない。「丹後」という地へのふしぎな夢がある。

『なよたけのかぐやひめ』(湖の本47)も「丹後」に触れあう一つ。

たとえ書けなくてもそういう夢のような世界は、わたしの内側で光るように生き続けている。冥利というべし。

 

* 夕食後、疲れた妻を寝かせて、わたしは古い録画からシュワルツネッガーの「トルーライズ」という破天荒で家庭的な活劇スパイものを見聞きしながら、辛うじて刷り出せた謹呈者の宛名シールを封筒に貼り込んだ。しかしその他の、大学高校への寄贈シールも、肝心の読者の宛名シールも古い古いワープロがもはや働いてくれなくて、刷り出せない。妻は、それら一つ一つを新たにパソコンに打ち直している。たいへんなことだ。

わたしは、謹呈追加分を、手書きで宛名書きする。今回はこれがきっと多数になる。

2012 9・3 132

 

 

* 和歌をわたしはもう昔から、倭歌という以上に「和する歌」と受けとって理会してきた。そういう意見はあまり聞かない、今日では。しかし『古今著聞集』の「和歌」巻第五は多くの「和する歌」で編まれていて、その神妙・玄妙に拍手なされている。古今集に継いで編まれた「後撰和歌集」 を今日も二階廊下の窓に凭りかかり拾い読みしていたが、特徴的に和する歌を主に編まれてあると従来の感想を改めて新たにした。さきごろ千載和歌集を撰歌して読者に届けたが、前々から気に懸けてきた今度は後撰和歌集を撰歌し鑑賞してみたくなってきた。

後撰集世界は小説『秋萩帖』(湖の本25 26 )に書いている。生やさしい作でないが、平安博物館の館長であられた生前の角田文衛先生が、京都からわざわざ電話をくださり「よく調べられましたね」と褒めてくださった。後撰和歌集に、伊勢についで多く歌を採られていた或る女人、大輔の誤り伝えられてきた出自を、小野道風との恋とともに追いかけた「現代」恋愛小説だった。そのときから後撰集はおもしろいなと思っていた。「著聞集」を毎日読み継いでいてむかしの興味をふと蘇らせた。

2012 9・4 132

 

 

* 病院でも電車でも、平凡社から届いていた文庫本のゲラを読んでいた。得意の話題、若かりし日の筆力、推察力、批評力の面白い産物に、筆者のわたしが、驚いた。これなら、来る「喜寿」の恰好の記念になる。平凡社に感謝。

「湖の本」をはじめて、十巻も続くものかと陰口を叩かれたのが、今度の新刊で、継続二十六年を超え、百十三巻である。だが、そうなればなるで出版社は、母港である筑摩書房ですら、もうわたしに見向きもしなくなった。そんな状況で、今回平凡社が自社でこの本をと選んで文庫本を出してくれると提案してくれたのには、嬉しいよりも、さきに、吃驚した。ふっと胸が明るくなった。眼科病棟へ三度目の入院直前のことだった。

2012 9・6 132

 

 

* 先の旧親機の故障で、大勢の方のメールアドレスも住所氏名も消失した。親しい人にもメールも手紙も出せなくなっている。この新親機に残存していた方もむろん多いが、不運にしてデータを消失させた方からは、メールなり住所なりを新たに頂戴しないと連絡の糸は切れる。余儀ない機械の故障であった。このことだけを申し上げておく。

 

* きわどく湖の本113最後の一部念校がファックスで届いて、読みにくいファックス文字を追っていた。明日責了便を送り返せる。

まだ平凡社ゲラの読みが半ば残っているのも、先方さんのためにも急ぎたい。これで、けっこう忙しい。

宛名シール印刷不能の問題も、妻が読者、大学高校贈呈分の全部をパソコン用に打ち直し、夕方わたしが買ってきた宛名シールに試行的に印刷を始めるところまで漕ぎ着けた。妻はたいへんな労力をかけた。感謝。ご苦労さん。

2012 9・7 132

 

 

* 湖の本113 全責了。

2012 9・8 132

 

 

* 十八日に湖の本113が出来てくるが、今回は、あれこれ混雑して発送用意が順調で無かった。ゆっくりと落ち着いて発送して行きたい。ゆっくりとお待ち下さい。それでも用意の力仕事をして、暑い暑い、つねはめったに入らない隣棟で、ふらふらになった。

2012 9・14 132

 

 

* 明日午前中に、「湖の本113」が出来てくる。午後にはまた聖路加の眼科へ。雨でもいい。涼しくあれ。

明後日は午まえに歯科、夕刻後に保谷の市庁ホールで坂東三津五郎の、なにを演るのか、独演会。妻が入場券を予約していた。

本の発送は、二十日から手がける。今日も発送用意に余念無く。 2012 9・17 132

 

 

* 午前十時前、「湖の本113」出来てくる。玄関に積み上げる。これも力仕事。いつまで出来るか。本はとても綺麗に仕上がっていた。

2012 9・18 132

 

 

* 明日から、ゆっくり、体に障らぬように、湖の本113を送り始める。

2012 9・19 132

 

 

* 体重65.9kg 血圧105-58(67) 血糖値 95   朝、体重65.9kg  朝、桃ひとつ 振り掛け飯半膳 服薬例の如く八種  午前、仕事 昼は梨とラーメン麺だけ半分 午後も仕事 途中処方された点眼薬ヒアレイン十本を受け取りに薬局へ自転車で 日盛りと蒸し暑さに参る その後も夕食まで仕事 ぼた餅二つ 卵のスープ多めに 服薬 午後に排便すこし 小刻みの頻尿 ミルマグに加えてサトラックスも飲む  ときどき、ハアハアと息を吐くほどしんどくなるが 堪えられる  ステイーヴン・セガールの映画観ながら晩も発送の仕事

かなり疲れ全身に力なし 服用の薬種が多すぎると云うこともあるのだろうか。 一つには視力がまだ定まらぬままどの合わない眼鏡で生活しているので、危険なほど視野が安定せぬ上に、ドライアイがひどく、それでますます心身の疲労が増している。新しい眼鏡がつくれるのにもう一月かかる。それまで、わたしはよれよれの日々を堪えねばならぬ。むろん堪えられる。

2012 9・20 132

 

 

* さてさて、湖の本113の送り出しにかかり、各界寄贈分の半ば四百部ほど送り出す。寄贈は各界残りと、全国の大学(研究室や図書館)そして高校を加えて、まだ相当数を送り出さねば、そして継続購読の読者、有難い「いい読者」にも。

体を、ある程度の力も遣わねばならないが、妻の応援も得て、もう数日。月曜二十四日には、聖路加の糖尿病と感染症との二科診察に行かねばならず、二十六日には夕刻から妻と藤間會初日に出かける。発送はその先まで延びそう。

2012 9・20 132

 

 

* 午前午後と、発送作業に邁進、キッチンのテレビは野田総理の代表戦圧勝を伝えていた。離党者がぜひ増えて、衆議院の過半数割れにおいこみ、内閣不信任案を通すほどの代議士が民主党にまだいるかどうか。わたしには鳩山や菅が、なぜ「新・民主党」の旗を起てないのか、そこまで野田に去勢されているのかと情けない。

発送作業に容易の不足が出て、機械の前に戻ってきた。

2012 9・21 132

 

 

* 今日は全国規模で大学・高校への寄贈分を送り出した。

2012 9・21 132

 

 

☆ 秦恒平様

いつも「湖の本」をご恵送くださいましてありがとうございます。

お礼を申し上げなくて申し訳なく思っております。

本日も113を落掌したしました。

ご病気の体をおして発行されている、その強靭な信念に敬意を表すものです。

たまたま数号前の「女の文化」が描かれたものを拝読していて、西行へのなみなみならぬ愛を感じていたところです。

個人的には、私は式子や定家が、自分の詩のミューズと思えて好きなのですが。

私事ですみませんが、実は私の甥でピアニストの****というものがおります。その奥さんが****というフルーティストなのですが、1年半程前にガンを発病し、闘病生活でした。しかしこの10月に復活のコンサートを行うことになり、喜んでいたところ、肺と肝臓への転移がみつかったとのこと。それでも予定通りコンサートはやるといるのです。

「息」が勝負のフルーティストが肺を犯されてもやるというその根性に、涙しているところなのです。

怒られるかもしれませんが、そんなところが、秦さんの「湖の本」への愛情と似ているなあと感じている次第です。

却って心を乱すようなことを言ってしまったら、お詫びします。一日も早い回復を願っております。

取り急ぎネールでのお礼のみにて。   詩人

 

* 寄贈本には四文字で「不待来世」と書き添えていた。一箇所といえども「リンパへの転移」があったと言われている以上、何事が起きるか知れぬとは思っている。抗癌剤がいかに辛くとも、強い味方と信頼している。

 

☆ 「湖の本 113」を拝受しました。

秦 恒平 様  眼の手術成功は何よりのこと。経緯を伺えばまさに「眼鏡屋さん」の齎した僥倖かと。

抗癌剤による不例は転移を防ぐ戦いの過程と拝察します。勝利あるのみですね。

あ、宛名が手書きから宛名シールになりましたね!  2012/09/22  拝  妻の従兄

 

 

* もう早いところは届いている様子。読者へは今日明日集中しても、もう少し先までかかる。月曜には、糖尿と感染の二つの内科へ受診に行かねばならぬ。一日仕事になるだろう。少し涼しくなってきているのが有難い。

2012 9・22 132

 

 

☆ 秦恒平様

ようやく秋らしくなってきましたが、ご無事でお過ごしのことと存じます。

このたびは、「湖の本」113 巻のご恵送をいただき、厚く御礼申し上げます。毎巻いただき恐縮に存じております。

私は、頭部の腫瘍切除のため、約1か月入院いたしましたが、退院後は順調に回復しております。

しかし、90歳という高齢ですので、専ら在宅生活を送っております。

ご健勝を祈っております。   青山学院大学名誉教授

 

☆ 秦先生 お礼

湖の本、落掌しました。お体はいかがですか。

建日子さんのブログなど見て様子を案じています。  文藝批評家

2012 9・23 132

 

 

☆ 「湖の本」113を戴きました。ありがとうございます

秦恒平さま  ご無沙汰をいたしております。

「湖の本」をご恵送くださり、ありがとうございます。

三度の入院、六科通院受診、抗がん剤服用……、という御文を目にして、ひたすら驚き、恥じ入っております。「私語の刻」にご病状を認められた「湖の本」を何冊も戴いておりながら、罰当たりにもそれらを紐解かず、何も知らずにうかうかと暮らしておりました。申し訳ありません。どうぞ、くれぐれもお大切にお過ごしください。

実は私も今年は、思ってもみない病気に襲われました。

昨年末、疲労甚だしく、なんとか年を越したものの、どうにも動けなくなり、一月五日に**病院を受診したところ、ネフローゼ症候群との診断。***の**病院に即日入院し、結局、一月~二月と六月と二度、あわせて五十日以上病院のベッドで過ごす憂き目にあいました。

ネフローゼは寺山修司が患ったことで有名ですが、いつの間にか私も都の難病認定患者の一人になってしまいました。

現在は症状が一応おさまり、ステロイド剤を服用しつつ自宅で身体を養っております。なかなか気力が回復せず、仕事はおろか、本も読む気がおきず、ぶらりひょうたんの半病人気分でこの間を過ごしておりました。

しかし遅ればせながら、胃の全摘、胆嚢切除をされた秦さんが、またその後に術後感染や黄斑前膜擢除、白内障手術といったご闘病を続けられたと知って、自分の怠惰な日常が恥ずかしくなりました。

大変なご病気にたおれられたのにもかかわらず、確かな筆をふるわれる秦さんに敬服いたしております。私もこれではいけない、と怠け心に鞭打とうと思っております。

取り急ぎ、「湖の本」のお礼を申し上げます。いつも、ありがとうございます。  小説家

2012 9・23 132

 

 

* 聖路加病院へ出かける。発送の残り分に手をつけるのは明日以降になる。

夏の間は空いていた病院に戻ってきた人たちが一杯。十時半に入って生理検査を受け、糖尿病内科の診察が終わったのが一時半、感染症内科の診察を終えたのが三時半。料金の支払いにも時間かかり、完全に昼抜き。薬だけ、なしくずしに飲んだ。

糖尿病は著しく改善が進んでいた。インシュリン注射の単位量を少し減らされた。感染症でももはや前立腺等の感染は終えたと思う、尿も血液もとてもきれいに良い値になっていて、貧血傾向だけが見える、と。

とにかく今日はタチクラミ、ヨロメキが多く、危なかった。何か食べねば家へも帰れぬと思い思い結局池袋で地下鉄を降り、西武デバートの地下売り場を通り抜けていった。すずやの九粒入り栗菓子を買った。千円冊を出したらもう千円が必要だった。また亀戸船橋屋のくず餅を買った。支払いしたあとで賞味期限は明日といわれた。やれやれ。

半ばやけくそ気味にエレベーターで八階に上がり、結局「伊勢定」で蒲焼きの上と、肝吸い、赤出汁と、久保田の純米酒を注文した。どれもこれも口苦くて美味いとは謂えず、途中でチューインガムを噛み口内のざらつきを抑えながら、鰻を食い汁を吸い酒を飲んだ。酒がのこったので胆焼を一串頼んでむりやり飲んで食べた。五時前だったが、晩の抗癌剤ものんだ。

西武線では準急の練馬まで座れなかった。つり革にぶらさがり殆ど目を閉じ、息づかいを殺していた。保谷駅で座席から起ったときのたちくらみで目の前が真暗くなった。そのまま下車、タクシーが駅前に一台いてくれて助かった。

2012 9・24 132

 

 

☆ 「湖の本」113巻 有難く拝受仕りました。

いつもいつも恐れ入ります。 今回は詩歌関係なので 楽しく拝読させて戴きます。

御身、何卒御大切に。( 九月二十日)     清  歌人

 

* 尊敬する九十八歳大老のお葉書で恐れ入る。

 

☆ 拝啓

通算百十三巻 おめでとう存じます。御本を御送り頂き感謝にたえません。

一度だけしかお会いしておりませんが、現在、大変な御病気の様子、三度の御入院までたいへんでございました。よく病いと戦いつつづけておられると感動の極みです。

小生も八十八歳、足腰がひどく弱り、ステロイドの力を借りてなんとか生活していますが、もう世の中には出る力尽きてしまいました。でも、九十歳までには、なんとか、生きてきた証しとなるような書をと思っています。年を経し苦しみはなんとも致し方のないことですが、どうか心の底力で病気を伏せ、一日でも長くがんばられますよう、心よりお祈り申しあげます。

気持だけ、御見舞同封申しあげます。 敬具   芳  文藝批評家

 

* どうかお大事に良いお仕事の成りますように。大先輩の過分のお見舞いにあずかり恐縮の極みです。

2012 9・24 132

 

 

* 体重65.2kg 血圧127-57(68) 血糖値 89   目覚め後の体調快適 排便  朝、巨峰四つ くず餅 高野豆腐と椎茸の煮付け 朝の服薬 午前、仕事 昼は飯を半膳程度茶漬けで喉へ押し流した。 継続読者への発送を全部終え、さらに寄贈者に、見失った宛名を書かねばならぬ。今週中かかるか。午後も仕事。 夕方、処方された薬を薬局で受けとる。 夕食は、船橋屋のくず餅だけをしっかり食べた。 入浴後、晩も仕事。 自転車で郵便局や薬局に通ったあとは、げっそり疲れるが、やがて夜十時、仕事しているとつい体は忘れている。浴後の体重は、 65.7kg 数冊の読書をしながらの入浴、また良薬 心身軽快。今夜もはやめに休む。

機械から起ち離れるときよろめいて倒れる 物沢山なごく狭い所で物の上に尻餅をついた恰好 踵を強打 立ち上がるのに一苦労したが大過なく。

2012 9・25 132

 

 

* さ、停頓せず残る発送に頑張りたい、が、多くのアドレスを喪っているのがネックになりそう、捜し回れば見つかるのだろうけれど。

2012 9・25 132

 

 

☆ 前略

『湖の本』113巻有難く拝受 大変な御病気で、今年の夏の暑さには 八年前に胃の三分の二を剔出した私も随分こたへましたから、乗り切ることが大変だつたことと拝察致します。

歌や句の空白に漢字を埋めるむこの巻の問題に 早速当つてみましたが、ほとんど外れてしまつて 瀧井孝作さんの釣り好きなことを知つてゐましたのでそれが当つたのが唯一の正解いつたていたらくでした。

葉書で大変失礼ですが取急ぎ御礼まで。

どうか御からだ お大切に。    元文藝誌編集長

 

* 原作者のとおりの「正解」よりも、解答者ならではの「明解」こそが望まれる。

 

☆ 拝復

先日は「湖の本113」を御恵送下さいまして。誠に有難うございました。御近況をお伝えいただき、末尾の御言葉に言い知れぬ感銘を覚えました。「私語の刻」にて眼の手術が成功されました由、何よりに存じ上げました。

『センスdeポエム 詩歌を体験』を繙いておりましたところ 瀧井孝作先生の「かなかなや川原に一人(釣)りのこる」が目に止まり、大変懐しく存じました。私は『俳人仲間』の御完成まで十年位担当致しましたので、先生から『全句集』もいただいており、それにもこの句が八月五日に作られたことを改めて知り、先生が点景人物となられた風景が 私なりに目に浮かんで参りました。

どうぞ呉々も御体調に留意されまして、マイペース での御仕事をお祈り致しております。

右、遅くなりましたが、御礼まで申述べます。 敬具   元文藝誌編集長

 

* 瀧井孝作先生はわたくしの『廬山』を永井龍男先生と連名で、芥川賞に推して下さった。お電話で、来ないかねと誘われて何度も八王子の先生の書斎にはせ参じたこともあり、御本もたくさん頂戴した。目の前で署名して下さったり、御器を拝見したり、黒尉の面をみせて戴いたりした。ご一緒に物持ちの家へ骨董を観にでかけたり、花見に行ったり。わたしの目の前で、急ぎの原稿を書かれていたこともある。『無限抱擁』『結婚まで』など、その他の私小説もまさしく滋味に富んだ傑作が多々あった。今度の本から、大久保さんも坂本さんも「瀧井耕作の句」に目をとめられたのが、とても嬉しい。

 

☆ 『センスdeポエム』を頂きまして ありがとうございました。全く珍しいタイトルですが 拝見してから意味が分るでしょう。

大変長くお目にかかりませんが お元気ですか。 九月二十四日    ドナルド・キーン

* 谷崎文学等を介して親しくして戴いた。二十巻近い『日本文学の歴史』など数多く戴いた本が書庫の一画を占めている。梅原猛さん、鶴見俊輔さんらとともに、ときどき逢いたいなと想うお人である。

 

☆ 拝復

一昨日、御著書「湖の本」113『センスdeポエム 詩歌を体験 他』の御恵贈にあずかり、忝うございました。いつもはすぐに拝見する私ですが、今回の書物は各項目をじっくり考えつつ読まなければならないし、その価値が大有り、とすぐに分かりました。目下の私の状態では、直ちには実行できませんので、読了はだいぶ先になりそうです。申し訳けありません。変らぬ御友情に心から感謝を申し上げます。

手術後はいろいろと御不便を忍びつつの御仕事と感じます。ご自身が多くの魂のために心を注いだ、詩心を磨くためのお仕事を書物としてまとめられたことを慶祝します。幸せなことです。

平安を心からお祈りします。感謝。    国際基督教大学名誉教授

 

* 著者冥利にあまるお葉書に心より感謝。

 

☆ 略啓

御体調御恢復の御様子 何よりです。

「湖の本113」有難う存じます。

「登龍」へ御出ましの折には 是非お立寄下さい。お待ちしてをります。 不備   文藝春秋役員

 

* 明日の夕刻から国立大劇場の「藤間會」初日に妻と出かけ、帰りには、間に合えばまた麹町の中華料理店で北京ダックとスッポンのスープをと願っている。寺田さんを呼び出すには、ちょっと時間が遅い。 お気持ち、感謝。

 

☆ 御高著拝受

いつも有難うございます。今(113)巻では俳句をお採り上げいただき感謝いたします。「永病み」の対象は実は叔母で、作者と叔母とは全く結縁関係にありませんが 私のために尽してくれたのでその看取りを感謝した次第です。結縁関係からいえば私が看取らねばならないところを 妻が請負ってくれたものです。経済的な面でなく 現実に看護してくれたのが妻だったので 感謝の思いを俳句にしたものです わかりにくい句を発表してしまって申し訳ありません。

最近はペンクラブでの理事会でお目にかかれなくて残念です。

どうぞ お大切になさって下さい。 御礼まで。  俳人

 

☆ 拝啓

猛暑の残暑もむようやく秋の気配を感ずるころとなりました。

このたびは湖の本113 『センスdeポエム 詩歌を体験 他』のご恵贈により、厚く御礼申し上げます。永年のご教導を感謝申し上げつつ、拝読させていただきます。

ご闘病の日々の中に、今回のご高著を刊行なされましたこと、感服いたしております。どうかご治療に専念なされ、御健康を回復され、文学の力で、混迷の現代人に灯をかかげて下さいますよう 心から祈念申し上げます。

ご全快を念じ上げます。  敬具   日本文学研究家

 

☆ 漸く秋らしい感じになって参りました。

その間、精力的なお仕事ぶりは いつもお送りくださる 湖の本をいただく度に ご尊敬申しあげておりますが どうぞ御自愛くださいませ 先ずはお礼まで。   脚本家

☆ 継続刊行

頭が下がります。ありがとうございます。  大正大学文学部 人文学科国文学研究室

 

☆ こんにちは 京都です。

新しい湖のご本届きました。

いつもありがとうございます。

今回もご入院中や闘病の中でのご製本で、いつもにも増して重みを感じます。

頭の中で漢字が飛び交うようで、楽しみに読ませていただきます。

どうぞ、お大切にお過ごしくださいますよう。      従妹

 

☆ 湖の本

ご送本頂きありがとうございます。

本の中に母の事が書かれた部分があるとの事。

まずは亡き母に報告させて頂き、父と私が拝読させて頂きたいと思います。

急に秋の気配が濃くなりました。やや肌寒い事もありますので、どうぞお身体を大切にお過ごしください。

山口県  (高島久詠さんの)娘

 

* 高島さんはご夫婦で解答をよせておられ、今も印象に残っているいわば「常連」の読者だった。本の中にも何度も何度も正解・明解者としてお名前があがっている。当時既にお年がお年であったから、あるいはと想いながらも、他界されていても喜んで下さると想っていた。ご霊前にご報告して戴けるのを喜んでいる。お父上のご健勝もお祈りしている。

 

* ことに今日はたくさんなご挨拶を戴き、とてもみんなは書き写せなかった。有難う存じます。

 

☆ 湖の本 有り難うございました。

秦恒平さま 湖の本うれしく、本当にうれしく受け取りました。

ご無沙汰してしまったお詫びには、私のパソコントラブルの顛末からお話ししなければなりません。

スティーブジョブズが最初に発売したブルーのスケルトンPCを私はずっと愛用していました。機能が貧しく不便を感じながらも、使い続けていました。

生みの親を喪いもはや骨董化して、一層見限れなくなっていました。でも、この夏の猛暑と共に老体は調子を崩し、おかしくなりました。アップルのサービスセンターからは、「15年以上経ったパソコンはもう修理サービスはありません。長年のご愛用ありがとうございました。」と丁寧に冷たく断られました。

もともとの所有者であった長男(東工大電気卒)に連絡したら、とにかく新しいのを買って動かして、それから善後策は考えましょうと、「今度はウインドウズにしましょう」と彼の勤務先の東芝製を見立てくれて、お盆休みを利用してセットアップしてくれました。

新しいパソコンのまあ早くて美しくて便利なこと! 秦さんのHPもさっと、するすると読めます(アドレスはお名前から検索出来ますから) 貯まっていたデジカメ写真も取り込めたし、とにかく画期的!

こうして私のパソコン新時代が始まったのですが―――

でも、もとのパソコンがら情報が引き出せない。

息子に言わせれば「出来ないことはないが、簡単ではない」と、「やってあげても良いけど――――」と気が進まぬ様子。

「そうねえ、たいしたもの入っていないし、津波で流されたと思ってあきらめるか」

確かに大きな支障はないのですが、メールアドレスがわからなくなってしまいました。来たメールに返事して、だんだん充実してはきたのですが、メールの来ない人とはご無沙汰になってしまったのです。

でも、湖の本の奥付きを良く見たら、あらうれしや、ぼんやり記憶にある秦さんのアドレスが書いてあるではありませんか!

ご体調がまだまだ整わず、本当に大変ですね――とお案じするしかありません。

現代の医学は「とりあえず命が助かったのだから、少々の(本人にとっては大変な)不具合は我慢して下さい」と冷淡だと常々思うのですが、これはお医者さまに悪気があるのではなく、人間の能力がまだこんなものと思うしかありませんね。

どうかご辛抱なさって、大事なお仕事を継続して下さいませ。

私たち夫婦も金婚式は何もせず淡々と過ぎ、喜寿もまた淡々と過ぎました。

ちっとも変わらない日常ですが、それこそが幸せと感謝しています。

テレビのコマーシャル見ながら、歯も髪も自前が生えている私たちはすごいよね、

夫婦の自慢といったらそれくらい。

しかし今夏はシンドかったです。ヘトヘトでした。

ご無沙汰のお詫びなど。   藤

 

* ああ、気持ち、なにもかも、よく分かる気がする。

この夫人のご亭主は、わたしの中学・高校の同窓生。

2012 9・25 132

 

 

* 湖の本のまさに旗揚げの時、朝日ホールで「色」について講演した会場で、緒に就いたばかりの「湖の本」創刊を会場で知らせて下さったのが、朝日新聞の伊藤壮さんだった。その伊藤さんから御見舞金を頂戴した。恐縮の極み。ありがとう存じます。

 

☆ 長期に亘った今年の酷暑も、ようやく終りが来た様でございます。

ご闘病の秦先生が猛暑に耐えて『湖の本』の刊行を続けておられること、誠に頭がさかります。御恵贈ありがとうございました。

九月二十五日   伊藤壮

 

☆ 「湖の本113」

お送り下さり、ありがとうございました。寺尾俊平さんの名を見て、びっくりしました。同姓同名でなければ、岡山の方(故人)で、ご尊父の岡麻吉(故人)と私の父が、一匹のメザシを分け合って酒をのみあった仲でした。

ご自愛専一に。草々    元参議院議長

 

* 寺尾さんの出題句は 「淋しい日一人の( )を仮想する」である。江田さんの御尊父はりっぱな闘志をもった社会党党首であられた。

 

☆ 冠省

はがきで失礼いたします 湖の本毎巻頂戴しいつも啓発されながらお礼も申しあげず失礼お詫び申します

お病気のこと伺って手紙を書きかけたのですが、長くなりすぎて あらためて、と思っているうちに時がどんどんたって行きます

このたびの詩歌を体験、詩歌断想、私語の刻、いずれもおもしろくまた刺激的で おこたえしたいこと お伝えしたいこと 次から次へとあって、これまた収拾がつきません 現代短歌の衰弱現象として私が憂えていることを もっともっと的確に鋭くご指摘されていて共鳴かぎりないといったところです。 あらためてまた書きます。**のこともお話しいたしたく存じますが またあらためてのことにいたします 取り急ぎ お礼とおわびまで  匆々    歌人

2012 9・26 132

 

 

☆ 冠省

湖の最新巻を拝受、いつもご配慮頂きありがたくかつ恐縮しております。

それにしても三度の入院、その間の病魔に対する大兄のしなやかで強靱な成心の在り様に、小生、いたく感銘を受けました。小生自身、記者になって三年目と六年目に胸をやられ、二度目のときは喀血がとまらず、どうやらあと一、二年であの世に行くらしいと思ったのですが、母親が近くの目黒不動尊に毎朝お百度詣りをしているのを知り、結核菌と闘うことにしたのです。そう力まずに大兄のように病魔を撫でてやる気持ちでいれば、もっと早く治っていたはずだ、と今になって思っております。それを悟らせて頂き本当にありがとうございます、とはいえ養生は大切です。大兄の健康取り戻しを祈念致します。

話は変りますが、**氏によるペン大会のデタラメさには呆れました。大兄の多額の寄付金が、それを含めてペンの基金が五千万円も無駄に費消されたのです。大兄のように、事態を見て直言する人を排除し、いうなりになる***系列の人を理事にして、好きなように運営したのです。私心をすてて会長をつとめた井上靖さんの築いたペンは、小人たちによってつぶされました。

それはともかく、どうか無理なさらずに、健康保持につとめて頂きたいと存じます。 不備  9/25   作家

 

* 今度の本の寄贈挨拶の頭に「不待来世」と書き出しておいたのは、わたし自身、どういう気持ちであったかと思い返している。単純に言えば「死ぬる」ことなど考えない、今生の「いま・ここ」があるだけで足りているという心地であった。この四文字にもしかるべき原拠はあるにちがいないが、そういうことは知らない。わたしは間違いなくいつかの死に向かい歩んでいるのだが、それは自然現象であり、「いま・ここ」に在るわたしは一人の人間である。

 

☆ 御病状

いかがかとご案じ申しあげます。ご自愛くださいませ。

今般も亦「湖の本」113を御恵投被下ありがたく頂戴いたしました。いつものことながら私ごときに賜ります御慈悲まことにうれしくありがたく幾重にも御禮申しあげます。

俳文学研究に参加して半世紀、御本を拝読し、「詩」について、初心にかえって考えることが必要だと強く思いました。ありがとうございました。御禮言上までにございます。 合掌   上越 ご住職

 

☆ 過日は

「湖の本113 センスdeボエム 詩歌を体験・他」をお送りいただきありがとうございました。巻末の「私語の刻」執筆のエネルギーには驚かされますし、その姿勢 学ばねばと思っております。 恐々謹言 壬辰九月廿四日   大学教授歴史学

 

☆ 拝復 このたびは

「湖の本」113をご恵贈くださり心より御禮申し上げます。短歌・俳句の虫食い箇所を考える詩歌体験を楽しみながら拝読しております。 また「私語の刻」の原発問題など重くうけとめております。 一雨ごとに秋が深まってまいりますが、ご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。 草々かしこ  山梨県立文学館

 

☆ 「ミマン」大好きでした。センスdeポエム ありがとうございました。 南巨摩郡 読者

 

☆ お見舞も申し上げず久しく失礼いたしました。心身虚脱状況がつづいています。今巻通読、日本人の詩精神の鋭さ、そして秦さんご自身の変らぬ広さ鋭さに大変感銘をいただきました。  出版社社長

 

☆ 「湖の本」113

拝掌致しました。ありがとうございました。 「センスdeボエム 詩歌を体験」楽しく体験しております。  大学名誉教授

 

☆ 拝啓

ようやく涼しくなって参りました。虫の音も草花もあきらしく移りました。

『湖の本』拝受、いつもありがとうございます。「センスdeポエム」表題からしてユーモアがあり、ユニークですね。いろいろなジャンルでのご活躍、ご執筆に感心のしどおしですが、今回のはまたいっそう変わった深味のありそうな分野ですね。ゆっくり秋の夜長に読ませていただきます。大阪に越された森光洋子さんの句が目につきました。『宴』でご一緒させて頂きました。

まことに ありがとうございました。ご自愛下さい。 草々  ペン会員 作家

 

☆ 前略

此の度は「湖の本」113巻をお送り頂きまして有難うございました。端書乍ら、心より御礼を申し上げます。何よりご闘病の仲での編集出版には並々ならぬご苦労があるものと、只々頭が下がる思いが致します。何かと日々の所用に追われておりますが、「湖の本」第一巻からの改めての拝読の日を楽しみに致しています。先生におかれましては一日も早いご本復を祈念申し上げる次第でございます。   ペン会員 編集者

2012 9・27 132

 

 

☆ ようやく涼風がたって

過ごしやすくなってきました。春、秋が短くなって酷暑と厳寒ばかり長くなっているのは、やはり言われているように地球温暖化の影響なのでしょうね?

新しい「湖の本」いただきました。以前雑誌「ミマン」で時々拝見していましたけれど、あの穴埋めはなかなか高度でした。また楽しみつつ挑戦してみたいと思っています。

お加減いかがですか? どこまでも闘い抜く先生、と信頼しておりますので、薄情なようですけれどもあまり心配してはいないのです。つらい経験でも、きっと先生ならそれを文章に昇華して生かしてくださるものと思います。

この11月の「朗読フェスティバル」も今年3回目となり、いわば正念場です。「継続は力」だけでなく質的にも向上してゆきたいものです。

東電のやり方はあまり腹立たしいため、電気契約を40Aから30Aに下げました。火力発電は高くつくとかいってますけど、原油価格と連動ような契約になっているため、世界標準よりはるかに高い値段で買い入れているようですね。(しかも関係小会社が請け負っている)電気炊飯器をやめて、ガス(土鍋)でご飯を炊くと短時間で出来、また直火なのでとてもおいしくて一石二鳥。電気ポットもやめて魔法瓶に替えたりなど少しの努力で電気使用量は昨年の約2割減を達成しました!

またお便りします。  田無  ゆ

 

* こういう地道な実践の積み上げも「反原発」「原発ゼロ」への原動力になる。

 

☆ なつかしいご本を

復刻して下さりお送り下さり誠に有難うございました。心より深く御礼を申します。大切に読み返させていただきます。昔の日にこのような楽しい機会がありましたことうれしく楽しかったことを忘れることはありません。

先生のご健康をお祈りいたします。ありがとうございました。  浜松市 「みまん」解答者

 

☆ 歌や句のご本を

お送り頂きましたが 順子は去る5月15日 癌に勝てなくてあの世に旅立ちました。

出版費の一部に当てて下さるよう送金します。  札幌市 「みまん」解答者 代人 博

 

* 偶然に相違なく六十数人の「解答者」解答が手元に残されていたので、お送りしはしたものの、十余年もまえの連載だったし、解答者の平均年齢は六十代の方々で、お亡くなりの方も多かろうと案じてはいたが、記念にもして頂きたいと解答紙も添えて敢えて手元に残されていた皆の人に送った。霊前に供えて下されば故人も懐かしく破顔一笑されるだろうと。

ご丁寧にお返事いただき、有難う存じます。

 

☆ 何卒何卒ご快癒の程を

心より念じ上げております。御眼の件、よかったですね。全く、眼は宝ですから、ホッとしております。122頁の6行目「兵庫県玉野市」は「岡山県玉野市」です。   神戸市 大学教授 歌人

 

☆ 一冊一冊を重く拝讀しております。病に立ち向かわれる姿勢に学んでおります。  札幌 植物病理学者

 

☆ 美麗本をいつも

有難うございます。HP「闇に言い置く」毎日拝読いたしております。時代相の反照とともに闘病文学になっているとも感じつつ。ご快癒をお祈り致しております。  八潮市 瀧

 

☆ HP拝見しております。

そのなかでの、「湖の本」続刊、頭が下がります。   藤沢市 読者

2012 9・28 132

 

* 橋本喜典さんの新歌集『な、忘れそ』は、一読、とても佳い歌を揃えられてあり、これからの再読が楽しみ。そしてまた清水房雄さんからも重ねて新歌集を頂戴したばかり。

すぐれた短歌に出会うのは、むかしからのわたしの貴重な喜びなのである。わたしを「外野」扱いしないで下さる歌人がたくさんいて下さるのが心強い。

 

音信の絶えて無きひと想像をこゆる悩みにすごしてゐるか  橋本喜典

 

この歌が佳いとは思わないが、そういう音信の絶えている人がわたしにも在る。数えれば何人もある。「想像をこゆる悩み」など無かれと願っている。

 

* じつはわたしは、本音をいえば講談社刊の浩瀚な、浩瀚に過ぎた『昭和萬葉集』の、いま一段の秀歌撰がしてみたい。一冊では無理。しかし三巻でおさめられれば大勢の愛読がえられるだろう。現在のあの何十さつもの『昭和萬葉集』では、せっかくだが「貴重な記録」でこそあれ、手にとって読む人は少なかろうと思う。

 

* 住所録もメールアドレスも 過去の保存により大方は見て取れるとはいえ、住所は転居もあり欠けているのも少なくない。メールアドレスも、変更や中止もあろうし、欠けているのも多い。

2012 9・28 132

 

 

* 今日の読者からの支払い票の一枚が、e-OLD の親友として千葉の勝田さん等と浅草や百花園などに遊んだ玉井研一さんの、奥さんからの訃報であった。「さびしいです」とも書き込まれていて強い衝撃と驚愕とで一瞬狼狽えた。たしかに難しそうな手術や入院を繰り返されていたのは覚えているが、亡くなるとは夢にもおもわれぬメールなど頂いて逆に励まされていた。悲しみて余りある。狼狽はいまも已まない。

 

☆ 拝復

ご加療中の由、ご家族のみなさまにはご心痛のこととお察しいたします。

「湖の本113」拝受いたしました。厚くお礼を申し上げます。『センスdeポエム 詩歌を体験』は、短詩の奥深さを痛感いたしました。浅学菲才の身、遠くおよびません。楽しいひとときありがとうございました。

「私語の刻」(原発と国政への=)怒りと歎きに心震えました。

ご療養専一に念じております。  京都市山科 詩人

 

☆ 湖の本

(かつての連載を=)まとめて拝見出来る御本をわざわざお送り下さり有難うございました。

お身体はその後いかゞですか、どうぞあまり御無理なさいませんように。

御本はこれからゆっくり拝見させて頂きますがとりあえず御礼まで。  市原市 みまん読者

 

* ほぼ新刊分の発送を終えられそう。一息ついている。が、仕事は次々に津波のように来る。仕事してるときは元気が蘇り、食事のあとは、青菜に塩のよう。はあはあと息をつく。困りましたねえ。

 

☆ 秦 恒平 様

先日は、「湖の本113 」をお送りいただきまして、大変ありがとうございました。

9月の韓国の慶州でおこなわれた国際ペン大会には、はじめて参加いたしました。

ル・クレジオの講演の最後に芭蕉が出てきました。

「e-文藝館・湖」に詩をお送りさせていただきますので、よろしくお願い致します。

また、別便にて、書類をお送りさせていただきます。   ペン会員 岡 詩人

2012 9・29 132

 

 

☆ ご健康祈っています。

虫食いを埋めながら 己れの詩才の乏しさを痛感してしています。 石川県 元文学館長

 

☆ 「私語の刻」

しみじみと読んでます。小生(79歳)、パソコンと縁なく現代的通信不可ですが、じっくりと(湖の本の跋文=)読ませていただきます。

二年前に心不全を患い今は煙草を止め、酒も教え子たち(主に60代)と会合時に飲むようにしています。

加齢と共に種々の病どもが現れ、これもまた友とせねばと思ってます。

先生、どうぞ御自愛の上、今のお仕事、ずーっと続けて下さる事を願っています。  取手市 読者

 

☆ すっかり稔った稲穂が

黄金色に輝いて風になびいて周りは急に秋色に染まってまいりました。

「湖の本」が届いて、本当にとっても、うれしかったです。ホッとしております。根気の要るご通院の日々、くれぐれもお大事になさってくださいませ。

(今回虫食い埋めは、日頃の不勉強がたたって、非常に難解です。)  静岡市駿河区  読者

2012 9・30 132

 

 

☆ 湖の本

お元気ですか、みづうみ。

 

体調不良でご連絡遅くなりましたが、新刊無事届いています。今回も二冊分相当のぶ厚いご本です。ご療養中のみづうみには重労働でいらしたことと心配しつつ、嬉しく読みはじめています。

みづうみのお得意の虫食いシリーズで、ある意味新鮮な驚きというのはないのですが、このシリーズはみづうみしか書けない独創的な文藝ジャンルです。他人が真似たとしても、おそらく試験問題かクイズにしかならなくて、到底文藝作品にはならないでしょう。

まず膨大な中からの選歌、選句という厳しい創作があり、正統派の文藝評論の仕事があり、批評するみづうみの文章自体が批評される詩歌以上の詩であり、音楽性があります。どれ一つとして、文藝の巨人にしかできない仕事です。

天才と書くと照れる方ですから、文藝の巨人にしておきますが、古来から文藝の巨人の特徴として、早世した以外はおそろしく多作である、仕事量が多いということがあると思います。バルザックでもシェークスピアでも、谷崎潤一郎でも、とにかく作品が多い。藝術家の場合、仕事量は質と比例するのです。あれだけの数のご本を刊行なさりながら、まだまだ出てくるお仕事の多いことには感嘆し、みづうみの来し方と今此処、そしてこれからもの、刻苦勉励の日々に驚嘆しています。

 

大間の原発新規建設のニュースに、この国はほんとうに滅びるべくして滅びる方向にあると思って、沈鬱です。日本国は日本人のものではなく、外国の植民地なのだということでしょう。

放射能の惨禍の拡大する中で、娘を無事に生き延びさせることが、命がけのことになると感じています。「母親」の責任を全うするだけの余命があることを願っているのですが。

 

 

みづうみがもしわたくしを心底励ましてくださる方法があるとしたら、それは新しい小説を読ませてくださること以外にありません。それも、出来るだけ早くです。小説こそ、みづうみから日本へ、日本人へ成し得る最高のプレゼント、一番の励ましです。

さらにわたくしの好みを申し上げれば、日本の文学には少ない本格的恋愛小説が読みたいと思うのです。わたくしの生意気な読者の感想を申し上げれば、みづうみの恋愛小説は『初恋』であり、それ以外『畜生塚』でも『慈子』でも『みごもりの湖』でも藝術家小説と読んでいます。

日本を滅亡の道から救えるとしたら、文化の力以外にないでしょう。政治や経済が壊滅しても、文化はそれがほんものであれば必ず命永らえるものですから。

 

「文明は勝つモノの卑しさを見せつけてきた。文化は敗れたモノの真実を遺してゆくのだ」

 

昨年8月23日のみづうみの私語の、身に沁みる言葉です。

いすか鳴き雲ただならずわれ包む  香取柏葉

 

☆ 湖の本が届き

病後であの酷暑の中で、と想うとその気力と体力に驚くばかりです。(上村淳之展の=)チケットも有り難うございます。久々に日本橋に出向く事が出来ました。

連日何かと所用i追われてなかなかのんびりとは過ごせません。やっと気温が下がり身体をラクに動かせるようになりましたが年々の酷暑に堪えられるか不安を感じています。

(病む夫君に=)昼食を用意して夕刻迄なら留守番が出来ますが、それ以上の留守はムリなので最近は旅行もご無沙汰です。

私は歳なりの元気で過ごしています。  泉  同窓

 

* 「歳なりの元気」 深く深く頷く。

2012 9・30 132

 

 

☆ 御礼

 

ごぶさたいたしております。その後、お尋ねもいたしませず、失礼いたしております。

この度は、喜寿のお祝いに「京のわる口」ご上梓、誠におめでとうございます。

景観の移ろいとともに、京都の生活文化も風前の灯ですが、久しぶりに先生の京都生活文化の深いご考察を拝読し、スカッとした気持ちになっております。

還暦をもう数年も経つ年齢になり、若い人との時代ギャップを痛感いたしておりますが、人生すべての着地のために、準備段階に入る年齢にさしかかっております。

先生、くれぐれもお身体をおいといされ、今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申しあげます。

ありがとうございました。  京都 美術財団理事 幸 読者

 

☆ 京のわる口

 

秦恒平さま

文庫本になった「京のわる口」お贈りいただきありがとうございます。

思えば初版本を頂いた頃はもちろんメールなんぞはなく、筆無精の夫に代わって少し緊張してお礼状を書いたように思います。

そして、「そうや、そうや、このとおりや」とむさぼり読みました。

今日はご本をもろたお礼に、ここから京都弁モードで。

うちのなかでは、夫婦で今もそらなんでも京都弁です。

いつぞや夫が海外からショールをこうてきてくれましてん。

よろこばないかんと思うんやけど、ちょっと気にいらんかって、

ええ返事がすぐにでえへんかったら

「なんで気にいらへんのや?」

「そやかて、これちょっとこうとやし」

夫は相変わらずなんやいそがしいて帰りが遅いんです。

おなかすかしていらいらして待ってるところへ

「いやあ~悪かったなあ、おそなってしもて」と夫、

「へえ、毎度のことで――京都やったらこういうところや」とわたし。

でもやっぱし京都弁が下手になったきいがして、さみしです。 同窓 杉並 藤 読者

2012 10・20 133

 

 

* 沢山な手紙・葉書での『京のわる口』へのご挨拶を戴いていて、とても此処へ保存させて頂くのは難しい。

順不同、元新潮編集長の坂本忠雄さん、市民活動の吉川勇一さん、金八先生の作者小山内美江子さん、相模原女子大名誉教授の馬渡憲三郎さん、神戸市の歌人木山蕃さん、元中央公論社で中公新書『古典愛読』を作ってくれた青田吉正さん、米沢女子短大の馬場重行さん、『京と、上げたり下げたり』を作ってくれた編集者の佐藤宏子さん、同窓の川口昇君、京の「ひさご寿し」宇治田さん、等々、まだみな読み切れず、差し支えも有りみなさんのお名をあげて御礼申し上げることもならない、が、著者冥利、有難いこと。

 

* さすがに、疲れはてている。

2012 10 20 133

 

 

☆ ありがとうございました。

秦恒平先生

大変ご無沙汰をいたしております。

過日はご高著『湖の本113センスdeポエム』をご恵贈いただき、誠にありがとうございました。

まさに自らのセンスを問われる内容にいささかの恐れを感じながら、しかし大変楽しく拝読いたしております。

ご体調が優れない中、こうして一冊一冊を丁寧に刊行し続けていらっしゃる作家としての姿勢にただただ感服するばかりです。

御礼が遅くなり大変失礼をいたしました。

寒暖差の激しい日が続いております。どうかくれぐれもご自愛ください。 文藝出版社社長

 

☆ 花便り 五

遠様

日々秋らしくなりました。お変わり有りませんか?

頑張っての「湖の本」無事に届きました、体調悪い中ひやひやしてます。

このまま快復に向かう事を念じています。

秋の花を、梨の木神社、白沙村荘へ行って撮って来ました、萩はすこし早かったか上手く撮れません。

白沙村荘は消失したお茶室が再建されました、ので、お茶の友と見て来ました、送ります。

前回のキスゲはケイタイから送りましたが届いてない様ですね、機械の事良く解らなくてごめんなさい。今回は無事に届くか?

時節がらお大事に   京都  華

 

* きれいな花も茶室も観ました。ありがとう。白沙村荘とは、懐かしいなあ。全快のきすげもちゃんと届いてましたよ。せっかくの写真を、新しいこの機械では、どう扱ってホームページへ入れていいのか見当もつかぬという、わたしも完全に機械音痴なのです。

 

☆ 「産みしより

一時間ののち対面せるわが子はもすでに一人の( )人」に 遠い昔に感じた思いに再会した気分がいたしました。

どうぞお大事に、ご平安をお祈りいたします。  京都  大学教授

 

☆ 秦先生

湖の本 第113巻のお代をお送りします。

科学者への信頼が地に堕ちていること、だからこそ本来の、まっとうな科学が重要なこと、しかしそのアピール手法の限界に悩んでおります。

どうぞお元気にお過ごし下さい。   東工大 卒業生 大学教員

 

☆ 秦先生

なつかしい「センスdeポエム」感謝します。

先生は喜寿を迎えられるとのこと、先生より2歳下の夫も今、同じ病いでがんばってくれています。私は72歳になりました。

この本 寶物にします。   春日部市 みまん読者

2012 10・1 133

 

 

☆ 拝復

残暑の厳しかった今年の不順な気候でございます。その厳しい夏を三度の入院生活大変なことであったろうと察し御健在御健筆のほど祈念申しあげます。

「秦恒平・湖の本」百十三巻御上梓のほど大慶に存じあげます。「センスdeポエム 詩歌を体験」 大変興味深く、拝読するのに苦労とともにさわやかな読後感をもちましたし、その解説に読みごたえのあるものを感じました。詩歌はやはりセンスによるものとつくづく感じいりました。秦先生の目くばりのきいた評に種々教わりました。

「詩歌断想」「私語の刻」も感心して拝読仕りました。大変貴重な御本を頂き、感謝感激。

右 御礼申しあげます。  拝 匆々 九月三十日   名誉教授 国文学

 

☆ 叔母様のご逝去お悔やみ申し上げます

度々お見舞いなさっておられた叔母様がご逝去なさった由、心よりお悔やみ申し上げます。

また今日は生憎の台風が、ちょうどお出かけの時間帯と重なっているようで、交通の便がどうかと心配しています。五反田は遠いですね。ニュースから眼が離せません。どうぞお悲しみの上に難儀の少ないようにと。

お礼が遅くなってしまいましたが、「湖の本}113巻送っていただきありがとうございました。センスの皆無の私には難業苦行。

あれこれ言葉を重ねながらも楽しんでいます。

作者と同じ言葉より、名解とされるキーワードが多いようで、ニタリニタリとしつつ読み進んでいます。

どうぞ秦様によろしくお礼をお伝え下さい。

日記を読みながら、毎日の服薬のご様子や、お身体のご不快さを案じています。

1年間のご闘病は長いことでしょうが、次の著作のためにもがんばってください。読者のためにも。

迪子さんもご主人につられないで美味しいものをたくさん食べて、ゆっくりと過ごしてくださいね。 妻の親友 晴

 

* 山口市の、かつての「みまん」愛読者横山ツヤ子さんから、山口名物の外郎菓子をたっぶり頂戴した。

外郎は、羊羹よりも口に素直に触れてくれ、美味しく戴いている。

2012 10・2 133

 

 

* 今日、平凡社ライブラリー『京のわる口』がきれいに仕上がって送られてきた。「喜壽の自祝」としよう。

一般の大手出版社からは久しぶり。市販著書百巻を超えた。そしてべつに、湖の本が百十三巻。一心に歩んできた。

 

☆ 『センスdeポエム 詩歌を体験・他』を

ご恵贈賜り痛み入りました。身辺整理を自分なりに真剣に考えていますが、秦さんの<命のいまを根かぎり鳴け>の証しの前では、それもいろあせてしまいます。詩歌を味わい楽しみ、現状に怒り踏み出す心を持てとの励ましをいただきました。お礼申しあげます。

地球の現状を怒っているような気候が続いています。どうぞくれぐれもお大切に。   文藝出版社 元出版部長

 

☆ 詩歌寸評の

新しい湖の本をいただき楽しんでいます。女子高生の「傘と傘」 目に見えるようです。それにしても「障子」が「( )子」となるのは意表をついていて参りました。

小生 左脚のリンパ浮腫で近く三度目の手術のため入院します。執筆をたのしみたく。

右 御礼まで。   早大名誉教授

 

☆ 湖の本113

ありがとうございました。

前巻『元気に老い 自然に死ぬ』は深く 読みごたえがありました。

切に御自愛を念じております。   画家

 

☆ 湖の本113

ありがとうございました。

一番おもしろく読ませられるのは「私語の刻」です。

秦さんの病気のこと気がかりです。僕も80歳、繪は描けますが、外出が苦痛になります。しかし医者はできるだけ歩いてください、転倒しないようにと言われています。気力が乏しくなります。これもしぜんだそうです。

来年、水上勉さんの一滴文庫で個展します。   画家

 

☆ 虫食い部分を

埋めるのは、想像以上の楽しさで 時間を忘れ、ムキになって取り組んでいる自分がいました。

時節柄、一層のご自愛を、心よりお祈り申し上げております。  高槻市 ジャーナリスト 読者

 

☆ 先生を支える人々が

沢山いて パワーを送っています。

先生の強靱な魂が読者を奮い立たせます。   群馬  読者

 

☆ 「湖の本」113を

愉しくよませていただきました。私も、「淋しい日には敵を仮想し、少しおくれて入る涼しき人」を理想の生き方として、70代を生きたいと思っております。

同居の母も白寿を迎えましたが、これからも ひと夏、ひと冬を無事に越すことを目標に、私憤ではなく公憤に生きて、母をサポートしたいと思います。先生の(反原発の)「私語の刻」を強く支えます。  練馬区  読者

 

☆ 秦恒平先生 裏庭の樫の木に

橙々色の小さな丸い烏瓜を見つけた日に、郵便受に見覚えのある黄色い封筒が届きました。

先生、お久しゅうございます、「湖の本 センスdeポエム」お送り頂き有難うございます、先生ご病気をなされ、お薬の日々との由、どうぞお大切にお大切にとお祈り御見舞申し上げます。

ミマンのセンスdeポエムから十年以上も経っていることに驚きます。烏瓜は種を植えて十年以上、一度白い花を見たことはありますが実がなったことははじめてです、待っているといゝことがありますね、感激の一日となりました。

ミマンでは正解であってもなくても私の拙い文章をとりあげて下さり 調子にのって恋文でも書いているような気分で楽しく投稿いたしました。終るのがとても淋しく思いました。

あの時 アケビのことを書きましたが 今では毎年春に紫の小花の房がいくつもぶら下がります。

それにしても投稿のはがき 先生のお手元にあることにびっくり致しました。数珠玉を水彩に描いていますネ あの頃は我アトリエにて水彩画を教えておりました。

ちょうど七十歳の誕生日をすぎて すぐ癌の手術を致しました、四年半が経ちました。毎年一回の検診の外、薬ものんでおりませんが今のところ日常生活は普通に過ごしています。そして手術から一年経て七十一歳の四月から 以前から習いたいと思っていました俳句をNHKの通信講座で始めました。毎月三句添削、半年に一度一句のコンクールです 秀句に選ばれたこともございますが なかなか進歩致しません、楽しく続けています。

夫か逝って 二十八年が経ち 多くの人に励まされて生きてきました。中でもセンスdeポエムは 心踊る楽しい日々でありました 感謝しております。

息子の家族が近くに住んでおります。 兄妹達と国内外の旅行、オペラや美術展等あちこちに出かけております。季節の移ろいを感じながら まだまだ生きて行くような気がします。

私事 長々と書いてしまいました、どうぞお許し下さいませ。

季節も寒さへと向かいます どうぞ充分にお体お大切にお元気になられます様にお祈り申し上げます。

別便にて山口名物「外郎」をお送りさせて頂きます ご笑納頂ければ幸に存じます。

湖の本 お送り頂き 誠に有難うございました。  かしこ

十月一日   山口市  ミマン読者

 

* 「支える人々が沢山いて パワーを送っています」と言われる嬉しさ。感謝に堪えない。これが「湖の本」の冥利というもの。全国にある意味の温かい親族がいるようである。そう在りたいと願ったのが「湖の本」創刊の動機の一つであった。

 

* 冒頭に掲げた声明を知友に電送した。賛同して頂ける方には適宜転送もお願いしたい。

2012 10・3 133

 

 

☆ 私は

「湖の本」を送っていただきました****(千葉県市原市)の姉の*****です。

当時 婦人誌「ミマン」の愛読者で 特に秦先生の「センスdeポエム」をたのしみにしていました 一冊の御本にまとめられ、大変なつかしく 今、改めて読みかえしています。

私の名も所々に出ており 虫食い箇所を埋める漢字一字を一緒に考えてくれた主人は三年前に他界し 今、その当時をなつかしく偲んでいます ありがとうございました。

どうぞお身体 お大切に

秦恒平先生    市原市  嶋

 

* 「ミマン」の読者で連載に解答してもらった人は当然にも数えきれぬほどおられ、わたしはその全部の解答ハガキを持ってなどいない。執筆用に編集部から送られては来たがみな済めば返送するのが例であった。たまたま、何故だかほんの極く一部が手元に残っていて、たった六十人あまりだった。その人達にはその解答はがきのコピーを添えて「湖の本」を送ってあげた。「嶋」さんのお手紙によれば妹さんのハガキは手元に在り、お姉さんのは無かったわけだ。もっと沢山の方に送って喜んで貰いたかった。

 

☆ 先生の

お体を案じ、次巻が届くのをいくらかの不安の中で心待ちにしております。

書き続けられる情熱には頭が下がるばかりです。ありがとうございました。  相模原市 壽  読者

 

☆ センスdeポエム

やってみましたら惨めな結果。老化現象とばかりではなさそう。自戒、自戒。

どうぞご自愛下さい。  石川県小松市  勉・千  読者

 

☆ 萩も散りはてゝ

今朝刈ってしまいました。暑い毎日がやっと散ってしまった様です。

色々と御病気が重なって大変の毎日でしょうに 八月にも『湖』を出されて又も頂きました。

泉山の道も間もなく紅葉狩の人々で賑わうことでしょう。東福寺も年々大変な人出です。

どうぞ呉々も御大切に念じております。   京都今熊野  孝・明

 

☆ 今日の神戸は、

青空が広がり 庭のコスモスが、ピンクや白の花を風が通り抜け、やさしく咲いています。

今夏のあの暑さから、季節は移って、凌ぎよくなって参りました。

このたびは「湖の本113」を、贈っていただきまして、前巻に引き続き、本当に感謝に耐えません。有難く、厚くお礼を申し上げます。

「センスdeポエム 詩歌を体験」 なんて楽しい編輯だろうと、楽しんで虫食い箇所を補ってから、本文を読ませていただくことにしております。

今年は殊の外、暑さとの闘いでしたが、ご病身の先生にとりましてはどんなにか耐えがたい日々をお過しであったかと、心よりお見舞い申し上げます。

抗癌剤の効用は如何でございますか、亡夫は、病気そのものを、なかなか受け入れることが出来ず、長い間、二人して悩んだことを思い出します。

どうぞ、一日も早く、少しでも体がらくになり、ライフワークを続けていただくことが出来ますよう、心より祈念いたしております。

有馬温泉へときどき行きます。独りぐらしのメリット? です。有馬山椒の香りだけでも どうぞ!

平成二十四年十月    川  妻の親友

2012 10・4 133

 

 

☆ やっと

秋らしい気配を感じる様な日々になって参りました。御著書御恵贈頂き有難うございます。

京都の秋を感じて頂ければと、本、同封させて頂きました。この(本の=)原画展、二月に大丸東京店で開催予定です。日展も始りますのでよろしければ。  池田良則 10/ 03

 

* 畠中光享氏からも、中島千波、中野嘉之、畠中光享の三人が主宰するアーチスト・グループ「風」による第一回公募展を都美術館で開くので、来てくれと案内があった。入場無料とある。

 

* 京都の杉田博明さんから「花政」の美しい寄せ花籠が贈られてきた。恐れ入ります。

杉田さんは京都新聞朝刊に連載『親指のマリア』を書かせてくれた当時の担当記者さん。感謝。

地元の陸川孝志さんからもお見舞いを戴いた。有難く。

2012 10・7 133

 

 

☆ 転居しました

お大事に   真継伸彦  作家

 

☆ センスでポエム

時間がかかります 考えてもわからぬ(浮かばぬ)時はたくさんありますね。一問め、「肉」しか浮かばず その後を読んでうれしくなってしまい 以降に読み進むことが出来なくなりました。しばらくじっくりといきます。  京都山科  樹 読者

 

☆ 一つ一つ

のりこえていらっしゃる強さと平常心のバランス、平常のご生活、

本当に本当にホッとしながら驚嘆しております。  世田谷  米  読者

 

☆ お願いです

お元気でいて下さい。  浦安  島  読者

 

☆ ご病気の

一日も早いご恢復を祈っています。

センスdeポエム  食卓の脇に置き 毎日少しずつたのしんでおります。  越谷  光  読者

 

☆ 病気との

つき合いも長くなると薬の副作用に悩まされ、困ったことです。

でも、ガンの苦しみによりはましかもしれないと、自分を慰めています。

どうかお大事におすごし下さい。   府中  布  同窓

 

☆ (湖の本)ありがとうございました。

(みまん連載の復刻)ほんとうに嬉しかったです。(当時解答の)ハガキを入れてくださっていたのを見て、もう11年も前のことを…と、改めて驚きました。

先生もどうぞお身体をおいとい下さいませ。  大阪淀川区  能  みまん解答者

 

☆ 秦恒平様

涼しくなってきましたが、もう少しですね。お身体の方、いかがですか。私はオリンピックを兼ねてロンドン・パリ旅行をしたのはいいのですが、ロンドンでは転んで 顔面から倒れたり、散々でした。でも、一息、一仕事できそうです。

このたび、ブリジストン美術館にて、ドビュッシー展を観てきました。その折おせわになった方に「湖の本」を一冊(詩歌を体験)贈りたいと思います。御礼としてなかなかの贈りものと考えました。

よろしくお願い申し上げます。   大学名誉教授

 

* みなさん。ありがとう存じます。

2012 10・9 133

 

 

☆ 「湖の本」113巻

有難う存じます。面白いことをおやりになっていらしたのに、びっくりです。 なお<びっくり>は簡単と思っていた胃の手術のみでなく、さまざまな症状に襲われていらした事です。 あちこちが一度に悪い状態になるのは、加齢と共に仕方のないこと、と実は私も、諦めていた事なのですが、それにしても大層な御負担でいらしたのですね。 いつも御本を頂き乍ら、お見いも申上げずに、失礼致しておりました。 何が宜しいのか解らぬまま、ごくささやかな無難そうなものをほんの少々、別送させて頂きます。

お大切になさいませ。   文藝評論家

 

☆ 本を

送って下さって ありがとうございます。

大変な病魔と戦いながら作家活動を続ける意欲にますます圧倒されます。

今後 病魔に打ち勝って創作を発表される様  お祈り申上げます。 十月七日  京都 画家

 

* この画家、 交叉路をわたる雑踏にわが子居り少年期過ぎし( )しきその顔  と歌われていた「子」その人である。

 

☆ 眼の手術もあり

体調維持が大変だったことでしょう。心からお見舞い申し上げます。

先には御著書『センスdeポエム 詩歌を体験』を賜り誠にありがとうございます。秦さんの得意分野の一つでもあり、楽しく親しませていただきました。

御礼が遅れました。暑さで少し体調を崩しただけですが、手紙ひとつ書けず我ながら情けないことでした。ご容赦ください。

ところで「湖の本」から次の一冊を、私からの贈り物として左記へ届けていただきたくお願いします。( 2500円 本日局振込済)

第112巻『山折哲雄氏と対談 元気に老い、自然に死ぬ』    我孫子市 詩人

 

☆ 思いがけず

楽しいご本が届きました。 最初の出題の( )が まだ埋まっていませんので 先へ進めませんが パラパラとめくるだけで 何だかワクワクと楽しみになります。 知識も感性も乏しいのでカッコがなかなか難しいのですが、がんばってみようと思います。

恒平さんは今はご闘病がほんとうに大変そうですが、どうか お元気になられますよう、がんばって下さい。一日に15冊も本を読まれるとか、素晴しい気力をお持ちだから 病気も克服されるにちがいありません。 又、元気でお会い出来る時を楽しみにしています。

迪ちゃんもくれぐれもご自愛下さいますように。

この度は 素適なご本をお送り下さいまして ほんとうにありがとうございました。 まずは御礼まで。  秦野市 明 妻の従妹 2012 10・10 133

 

 

☆ くれぐれも

お大事になさって下さい。  千代田区 道 読者

 

* 半蔵門から麹町駅への中途にすてきに実験的な洋食店を開いている女シェフさんで、「湖の本」創刊以来応援して下さっている。

 

☆ 遅くなりましたが、

第113巻のお代です。

これからゆっくりと読もう! という季節になり、他の、<積ん讀>本も消化できそうです。

またお手紙します。    世田谷 東工大卒業生

 

* 優秀な人で、最も早くにいい大学で教職の地位をえた。心優しく感性ゆたか。真実健康な女性であった。

2012 10・11 133

 

 

☆ 「湖の本」18 19に魅せられて

秦様

毎日の日記を読ませていただきながら、お身体の様子に一喜一憂しています。

食べ物が少しづつでも治まってこられる様子や、眼のまぶしさにどんなにかご不自由だろうかと案じたり。

ご病気が分かった頃から、1から読み出した「湖の本」は18・19のー風の奏でーまできました。

文藝春秋社から発刊されたのは30年も前になるのですね。そのときにも「湖の本」で出版されたときにも読ませていただきましたのに、しかと覚えておらず、今新鮮に読み返しています。副題はー寂光平家ーだったのですね。

特に今年は平家の年で、NHKの清盛も興味深く見ています。加えて時間がたっぷりある老いた今はじっくりと読めるのですが、活字の上を何度も行きつ戻りつ読んでいます。楽しんでいます。

また、今謡曲の稽古は「江口」を習っています。

春に大阪へ参りました折、江口の君堂の寂光寺を訪ねました。

君塚と西行塚が同じ石に彫られて祀られていました。

ご本を読んで、西行と江口の妙とは江口の里で会う以前からの旧知の間柄との推量。そして源清経の存在。西行の祖父だったとか。

おかげで興味が深まり読み進んでいます。

 

建日子さんの「サマーレスキュー」のドラマが山岳診療所を開設するようにと知事の発言にまで至ったとのこと。ドラマが社会的動きにまで発展できたご立派さに喜んでいます。

 

抗がん剤ご服用が少しでも身体へのご負担が少ないことを祈っています

気候の良い日々に迪子さまも共に少しでもお身体回復されますように。  晴 妻の親友

* 『風の奏で 寂光平家』とは懐かしい。

この長編を「難しすぎる」と壁に投げつけたと告白した読者がいた。やがて阿片のようにとりつかれ愛読してやまなかったと。私の小説作は、繰り返し読んで、そのつどいろいろ発見して下さるのが、特色かも知れぬ。本を「一度しか読まない」読者を「いい読者」とは云わない。

 

☆ 今、宅急便で本が届きました! 驚き、感謝。ありがとう、ありがとう。  尾張の鳶

 

* 「詩集」をついに本にした久しい友に、書庫から、いろんな方々に頂戴してきた佳い詩集を、ダンボールに一杯、お祝いに贈呈した。出版については具体的な何一つ手伝わなかった。独りでやりぬくようにと。やりぬいたワケだ。わたしのどんな酷評にもメゲることの無い詩人だった。

まだまだ取って置きの佳い詩集が山積みの書庫に隠れている。掘り出すのがたいへん。

「小説」や「批評」でもがんばって欲しい人がいるのだが。

 

☆ 「センスdeポエム 詩歌を体験」

実に楽しく拝読、再読いたしております。六科通院にはかないませんが、私も炎暑にへこたれ、お礼がおくれました。

百十三巻になさったこと、感動いたしております。幸福を追わぬも卑怯のひとつ。命のいまを根かぎりのお姿に学ぶべきこと多々あり、と励まされております。ありがとうございました。どうか御身お大切に。  著名脚本家

 

☆ ずっしりと厚い「湖の本」

センスdeポエム  ご恵送賜りまして誠にありがとうございます。 例歌・例句のポエジーに刺激を受けて、ご文章にも納得させられています。

その上 昔の拙歌にも出会えて、鈍化している感覚に一撃を与えてもらえました。

季節のかわり目、くれぐれもご自愛下さいますよう。 かしこ   額田部 喜 歌人

 

☆ 『湖の本』113巻

ありがとうございました。いつにもまして楽しみました。

お身体を大切に。ご恢復をお祈りします。 鳥取市 図書館長 読者

 

☆ 拝読いたしました。

所々に母の名前が登場し、生前の母の顔が思い出され、なんだか、ドキドキしました。心ときめく、良い読書の秋をもてました。ありがとうございました。   周南市 「みまん」解答者の娘

 

☆ 長く、暑い夏が終わりました。

姿よりも、香りで秋を感じさせてくれる金木犀にホッとする季節となりました。

どうぞお身体、大切になさって下さい。  葛飾 東横短大卒業生

 

* 作家になり五年、勤めていた医学書院の編集者を退職したとき、若い作家の独り立ちは大変でしょうと当時テレビでもてもてだったお医者さんが、東横短大の臨時講師の席へ推薦して下さった。一九七四年のこと。その短大の卒業生が今も二人、読者として応援してくれている。わたしは、せっかくであったけれど一年で退任した。作家への道が順調だったから。昔話のようで、いまにも、佳い糸が繋がれている。感謝。

2012 10・12 133

 

 

☆ 秦恒平様

おかげんはいかがですか。「湖の本」の一冊、一冊が以前にもまして、大切なことと思われます。

七月には朝日新聞等に、川端康成の未発表小説を確認と私の名も報道されました。また、紀要に書きましたものは『こころ』に言及しています。ご笑覧下さいませ。

お体、どうぞ大切に、大切になさって下さい。 澤  現代文学研究者 読者

 

☆ 萩も見られる秋の

景色となりました。

この度は「湖の本」113を賜りまして御礼申し上げます。その後、御体調いかがと気になって居りましたが、ご入院を重ねておられました由、呉々もお大事になさって下さいませ。

ご高著、( )に入れる問題はなかなかむずかしく、一語のことで歌が重くも軽くもなることを教わります。歌友とも一緒に挑戦してみようと思います。ありがとうございました。

御自愛のほどお祈り申し上げます。 かしこ   堺市 歌人

* 不徳なれども孤ではないと、しみじみ有難い。

2012 10・12 133

 

 

☆ 御自愛 切に切にーー、    北九州市  俳人・俳誌主宰  読者

 

☆ 闘病の日々を

すごしておられるとのこと お察し致しますとともに、ご快癒・祈りあげます。  山形市 歌人 読者

 

☆ NO113 代 お納めいたします。

この上ともお大事になさって下さいませ。  千葉市 読者

 

☆ 「湖の本」ありがとうございます。

お体の方、くれぐれもご自愛下さい。  府中市  図書館長 読者

 

☆ 「湖の本」

二冊分の代金ですが、内一冊は113巻ぶんです。もう一冊 お願いします。   板橋区 歌人・歌誌主宰 読者

 

* 有難い、嬉しい境涯ではあるまいか。

2012 10・13 133

 

 

☆ こんにちは

「京のわる口」届きました。

思いがけない贈り物を頂いて、嬉しくてわくわくしています。本当にありがとうございます。

ご本のご出版と、もうすぐ喜壽をお迎えのこと、おめでとうございます。

「京のわる口」と言えば父を彷彿とさせますが、ぱらぱらとページを繰ってみても、耳慣れた言葉が並んでいて、読むのがとても楽しみです。

こちらは昨日、今日と日差しの暑いくらいの秋晴れでした。金木犀の樹の下はオレンジ色の絨毯です。

少しでもご気分よくお過ごしになれますよう願っています。どうぞ、お大切にお過ごしくださいますよう。

ありがとうございました。    みち 母方従妹

 

☆ 御礼

秦先生、きょうは思いがけず『京のわる口』を頂戴いたしました。有り難うございます。驚き、感激しております。

先生の日記だけは時折目を通させて頂き、食欲のご様子に一喜一憂しておりました。

早く目の調子が回復され、食欲も戻りますように、そればかり願っています。

長年認知症を患っておりました姑(87歳)が9月半ばに亡くなり、なにやかやと心落ち着かぬ日々でした。『湖の本』が届いたお礼も、振込済みのご連絡も差し上げず申し訳なく思っておりました。そんなところに、驚きの贈り物を頂き、大感激です。

ご本を拝読しながら、常々思っているのは、どうしてこんなに京言葉を上手く文字で表現できるのかと、先生の作品は、読みながら、目で文字を追っているのに、まるで耳元で京言葉を囁かれている、声が聞こえるのです。これがまた何よりの味わいです。楽しませて頂きます。   名古屋 珊

 

☆ ありがとうございます。

この度は、文庫本をご贈呈戴き、ありがとうございました。懐かしいご本です。

寒くなってきましたが、お酒は美味しくなりますね。

ご体調はよろしいことと、信じておりますが、風邪にご注意なさってください。

お上りさんで、東京駅とリヒテンシュタイン展をみてきました。仕事でしたがそのほうはそこそこにして、遊びにせいをだしてきました。

お礼のみにて。   水戸 司

 

☆ 色々

お元気ですか、みづうみ。

毎日の私語を拝見しては身の細るほどに心配しております。みづうみが、少しでも心地よい一日一日を積み重ねていかれますことを一心にお祈りするばかりでございます。

本日は思いがけず『京のわる口』お送りいただきありがとうございました。京都という古都に選ばれた文学者であるみづうみにしか成し得なかった、この優れた京都文化論が平凡社ライブラリーとして広く読まれることは、とても喜ばしいことです。じつは、ご本の売り上げにささやかな貢献しようとアマゾンに注文していました。(相変わらずいい読者でしょ)頂戴したご本を手元において、一冊は友人にプレゼントします。

良いニュースとまでは言えませんが、少しましなニュースです。(その後ご報告していませんでしたが、みづうみは既にご存じかもしれません。)メキシコはACTAを否決しました。良識ある国家なら当然のことです。アメリカ国内にも異論があり、この条約が成立するかどうか微妙な情勢のようです。引き続き注意深く見守り、なんとかこの恐ろしい条約を発効させないようにしたいと願っています。

また、被曝は、免疫力が低下する全身衰弱病だそうです。広島で被曝なさった有名な肥田医師もミトコンドリアがダメになるから持病ある人は、それが悪化する。悪い所が更に悪くなる…というような事をおっしゃっていたそうで、不調がジワジワやってくるのです。

最近見つけた俵万智さんの歌です。

子を連れて西へ西へ逃げてゆく愚かな母と言うならば言え

たしか小学生くらいの息子さんです。息子を恋もしないまま死なせるわけにはいかないと、沖縄に避難なさっています。俵さんがどれだけ経済的、仕事上の損失を覚悟したかは、言うまでもないことです。

みづうみには、もう少し色香のあるメールをお届けしたいものですが、緩慢な核戦争に突入しつつある日々では……。お許しくださいませ。    柿  大きくて七つの柿の籠に余る  素十

 

☆ 有難うございます。

『京のわる口』(平凡社文庫)御贈呈有り難うございます。文庫版では単行本とはまたひと味ちがった雰囲気が楽しめます。

妻が先に読みたいといってさっそく自分の部屋へ持って行きました。  吉備  元

 

☆ 有難うございます。

ご無沙汰いたしております。

私語の刻、毎日拝見しています。食欲がお進みでないご様子、眼もすっきりされないご不自由など、どれほどお辛いことかとお察しし、一日も早いご回復をお祈り申し上げます。

新刊、御作「京のわる口」ご恵贈いただき有難うございました。少しずつ読ませていただきます。テレビ映画の字幕が読めず半ば諦めていたのですが、治療の効果で春ごろからどうにか読めるようになって参りました。この状態が持続してくれることを願っています。

創画展の案内をいただきましたので京都まで行って見ようと楽しみにしています。

喜寿、おめでとうございます。ご快癒、切にご祈念申し上げます。   和歌山  宅

 

☆ 『京のわる口』

昨日午後、『京のわる口』が届きました。ありがとうございます。最初のハードカバーとも、「湖の本」とも異なり、手元にすっと沿う文庫本の形もいいものだなと思いました。

たくさん売れるといいなとは単純至極なわたしですが、もっと多くの人にも読んで欲しい、読んでもらいたいと思い、やはり書店で平積みになっていると記事を読むにつけ、嬉しいです。京都は「わる口」もあり、さまざまにあっても、わたしは今現在も京都に暮らした

いと願っています。京都を離れて既に三十年余り、まだ叶えられない望みです・・。

HPに目が眩しいこと、消化器官に違和感があることなどが書かれてあり・・・心配しています。本が読めないのも鴉にはとてもつらく味気ないことと思います。

数日前、ブックオフのことを書いてらして、なるほどと納得しつつ読みました。

半年ほど前の引越しの際は家に取りに来てもらっていくらか売りました。いくらかは友人の古本屋さんにそのまま置いてきました。昔は京都の古本屋さんは大体定価の半額ほどで買ってくれました。岡崎の古本屋さんも顔見知りになっていましたから「勉強」して引き

取ってくれました。が、ブックオフはある意味単に機械的、本の価値云々とは別の方式ですから、安く買って一度読んだらそのまま買い取ってもらうものに限って売れば納得。そう思わないと時に本が可哀想になります。

久しぶりに雨が降り始めました。庭に思いがけなく一本咲いた彼岸花も終わり、秋祭りの時期、長かった夏が漸く遠のきつつあります。

お体大切に くれぐれも大切に。   尾張の鳶

 

☆ ご本「京のわる口」ありがとうございます。

秦様 平凡社ライブラリーの良い本を贈っていただきありがとうございます。

まさに名著待望の再刊でした。

早速家事の手を止めてあちらこちらと読みながら、単行本の発刊のときに読ませていただいたときの新鮮な驚きを思い出しています。京都の隣とはいえ、大阪育ちには難しさにうなる気持ちでした。

父親は東京生まれ東京育ちでしたので、最後まで大阪言葉が理解できませんでしたが、京言葉にはどう応えたか聞いてみたい気がします。

長年、東京で暮らしていますと、その難しさはもっとでしょうが、納得のいくこともいろいろあったりします。また楽しみながら、畏れ入りながら読んでまいります。ありがとうございます。

重ねて喜寿のお祝いを早々に申し上げます。

お誕生日の後には抗癌剤の治療の一段落が待っていますように。 練馬 晴

2012 10・17 133

 

 

☆ 「京のわる口」ご恵与頂き

有難くお礼申し上げます。熟読し 京都をもう一度 思い返します。

ちょうど九鬼周造の「偶然性の問題」を思い 彼の墓塔を思い 西田幾多郎のゲーテの訳詩の刻まれた碑字を思っていたところでした。 もちろん谷崎の墓塔にも頭を下げたのでした。

 

桂離宮の門を夕方に出て 右の方 桂川の上に虹を見ました こんなに大きいのもあるのか と その壮大さにびっくりしたこともあります

三尾の戻り 京見峠に出て 西日が殆ど水平に町全体に射しているのに出会い、そろそろ京都ともお別れだな と 五十余年を振り返ったのも 大分前のことになりました。

京都は小生の心の中では 口はばったい 恐れを向うにやっての云い方をすれば 華厳世界として生きています。その世界を御著はまた輝やかせてくれること と うれしく頁を開いているところです。有難うございました。

 

多くの大病を引受けられ 十全に生を生き切っておられる先生の ますますのおちからの 尚十全でありますよう祈念いたし お礼にかえさせて頂きます。 十月十七日  江戸川  冽  俳人

 

☆ 周辺の樹木に

紅葉の気配を感じるようになりました。

本日「京のわる口」拝受致しました。私にまでお気遣いをいただき、ありがとうございます。

先生のご闘病のご様子を伺い、私も同じ質の病気をしていますので とても心が痛みます。

どんな言葉でお見舞を申し上げても空しさがつのるだけと、勝手に思いこんで 失礼しております。

「京のわる口」は私たちの家族では今も日常使用です。 土浦の田舎人からは浮いています それが又 ある種の快感に通じるものがあります。「京都の女はほんまにどうしょうもありまへん」 急ぎ御礼まで  かしこ   土浦市 庸 作家

 

☆ 今年の夏は

越へられるかどうか、そんな気分でした。やっと秋っぽくなって来て、ほっとです。

南国生まれのくせに、寒さの方が強いようです。

お変りありませんか?

あなたは、これからの方が、もっと強くなりますよ。

あ、「京のわる口」多謝です。   映画女優 知  土佐びと

 

☆ 秦恒平様

湖の本113 拝受

大病の数々を経験なさり闘病生活を送っておられるご様子。それをみじんも感じさせない遊び心溢れたポエムの特集でした。洒脱な心意気と感じ入りました。 御自愛下さい。  東大名誉教授 鶴

 

☆ 平凡ライブラリー版

『京のわる口』御恵贈いただき有難うございます。

喜壽をむかえられるのですね お祝いを申し上げますとともに御本復お祈り申し上げます。  元文藝春秋編集者 明

2012 10・18 133

 

 

* 夕食後、横になって読書の最中、昔も昔、新制中学や高校で一年下だった、それでも何人かで高校の頃わたしに茶の湯を習いに来ていた人たちの一人から電話があった。『京のわる口』がよほど懐かしかったと。久しく今は鎌倉に住んでいて、よけい懐かしかったとみえ、年も忘れて、昔の懐かしい記憶を探りあって数十分も話したか。わたしとしては、そんな長電話は生涯にも何度となかったこと。元気で元気で何一つ病気の兆候も無いと聞いて、よそながらそれは良かったと祝ってあげた。

湖の本を応援してくれてからでも四半世紀になるのに電話をもらったこと、一度も無かった。メールもなかった。穏やかな声音で、わたしより一つ下とは思われぬ若々しさ、羨ましくもあった。励まされた。

2012 10・18 133

 

 

☆ ありがとうございます。

秦先生 おはようございます。「京のわる口」頂戴しました。ありがとうございました。突然の配達に心当たりなく、開封して驚きました。宛名シールから察するに、先生のお宅から贈っていただいたものでしょうか。日々闘われている中のご配慮感謝します。

また、「センスdeポエム」もありがとうございます。虫食いを埋めるのは大学の時からまったく不得手で、歳を重ねて出来るようになるものでもありませんでしたが(いくつかの問題の答えは覚えていました)、ひとつひとつの詩が推敲される面白さは、学生時代よりも感じました。

日々のご様子をホームページで読みました。パソコンにまだまだ気になることがあるようですね。お力になりたいものの、すぐに、とはなかなかいきません。

画面がまぶしい件を調べてみました。

キーボード上に、”Fn”と書いてあるキーは、ないでしょうか? (大抵は、左下隅のほうです。)

もしあれば、これを押しながら、何回か”↓”を押してみてください。段階的に明るさが変わっていかないでしょうか?(ひょっとすると、”↓”に、明かり

を小さくするイラストが書いてあるかもしれません。)

もしうまくいけば、逆に”Fn”を押しながら、”↑”を押すと、明るくなるはずです。

(DELL社のホームページを色々みてみたところ、先生のパソコンと似た形のものが、これで画面の明るさを調節できるようでした。生憎、キーボードの絵がみつからず、Fnキーがどこにあるかまでは、分かりませんが、。)

一気に寒くなってきました。スリムになると、寒さはいっそうこたえると思います。

たっぷりと着てお出かけください。  東工大卒業生 丈  読者

 

* ありがとう。早速探し出して試みます。元気に頑張って下さい。

 

☆ ありがとうございました。

遠様  - 京のわる口- 戴き有難うございました。楽しんで読まして頂きます、大学の図書館にいた頃読んだ様に思います。

ちょっと早いですが- 喜寿- あらためておめでとうございます、こんな年頃迄お便りが出来て嬉しいです。若い頃、年とってもお便り出来るかな? と思った頃を思い出します。

処で体調は如何ですか、hpはしばらくごぶさたですが、仕事の様子ですといかにも元気いっぱい!の様子です、そうであって欲しいです。

すっかり秋になりました、お寺の山門脇に群集で咲きました野菊の様です、写真を送ります、清閑寺へ行った頃も咲いてた様に思い出します、こんな頃でしたか? 無理をされない様にくれぐれもお身体を大切に。  同窓  華 読者

 

* ゆうべ いわば幼なじみに同じい人の懐かしい電話の呼び声にも感じたが、わたしにすれば自分だけ年を取って来た気でも、それだけは違っていて、わたしが一つ年取れば、いかなる他の人も同じく年取っている、と、そう実感すると不思議に胸が暖かになる。何十年も顔も見ないでいるのだから想像が付かず、昨日の人も今日の人も昔の儘の若々しさでしか想い寄らない、寄れない、それが胸を暖かにするらしい。

それにしても-「湖の本」をせず、出版社だけで本を作っていたなら、こういう懐かしいそして継続した再会はありえなかった。ウーンそうだなあと想っているところへ、今も、京都の宝蔵館社長の西村さんから『京のわる口』をありがとうございましたと電話が来て、ひとしきり「京ことば」で歓談、久闊を叙した。ありがたい。こういうこともわたしには文学活動に類しているのだ。

 

☆ お礼。感謝!

この度は先生の喜寿という事で おめでとうございます。

私までにも ご本を頂戴いたしまして まことに有難うございました。

先生も一番大変な時期と お察しいたしております。

元気がとりえの私は病気の事は不得手でしたが 先生の日常を拝見して治療の様子で少し知る事が出来ています。友人にも まさに治療中の方もあり 思いを馳せることが出来る様になりました。

想像以上に 大変な事の中 先生の喜寿をお迎えになられる年齢と それに立ち向かう強い気持ちが無ければ 打ち勝つ事は出来ないように思います。

113巻は寝る前に 少しずつ読んでいますが さすが先生のご講評が面白くてうなずいております。

先生の益々の ご活躍と ご健勝を祈っております。

お大事になさってください。  埼玉  由  読者

 

☆ 「京のわる口」 拝受しました。

秦 恒平様 「京のわる口」をご恵贈賜り有難うございました。思いがけないことにていささか吃驚しております。

まだ、目次を眺めただけですが、面白そうだけれども、中味はなかなか一筋縄ではいかぬ曲者ではないかと楽しみにしています。

先日は(妻の叔母の葬儀で=)実に久し振りにお会いできましたが、場所柄もあり、私もいささか足元不如意にて行動に制約あり

失礼致しました。

抗癌剤の服用が終わり、常の体調を取り戻される日が早からんことをお祈りしています。 妻の従兄 靖

 

☆ ひと雨ごとに

秋が深くなってまいりました。

本日は思いがけなく、ご高著「京のわる口」をご恵贈たまわりまして、まことにありがとうごつざいました。名著の再刊に、ファンの一人として大喜びしております。

私事ながら、両親の介護に 京都と北海道を往復する日々でございます。その折必ずバックに湖の本を数冊忍ばせております。京のわる口も何度拝見したか知れません。何度拝読いたしましても、そのたびにああそうなのかという新しい発見がございます。名著の所以はこれでございましょう。

どうぞご無理をなさいませんよう、ご養生ご専一になさって下さいませ。益々のご活躍をお祈り申し上げます。 かしこ

ご返事はご放念下さいませ。  京都府 作家 浪 ペン会員 読者

 

* 封書のなかに、香袋を三つ封じた香のたよりがあり、お見舞いお祝いも頂戴した。恐れ入ります。この人の年賀状は毎年ひときわ美しい版画で届く。一度だけ京都でのペン大会で、妻も一緒にお目にかかっている。小説を「ペン電子文藝館」にも寄せて貰っている。

 

☆ 『京のわる口』いただきました。

喜壽の祝いとはタイムリーで、しかもテーマは故郷、ご同慶の至りです。秦さんの前向きな生き方の力添えにもなったことと思います。

唯今、王維の「竹里館」を篆書体で、小さな板に(A4くらい)彫っています。荒彫を終えたところです。

さて(後は蛇足です。お疲れでしたらお読みにならなくて結構です)、この所京都は私にとって近いものになっています。

実は孫娘が、この程京都府の教員採用試験に合格したのです。

孫は、小、中、高とこちら石川県の学校に通い、同志社女子大の国文科に入りました。卒業リポートは谷崎の「芦刈」を選びました。秦さんのお作を見る限り参考にせよと与えました。その後、大阪教育大で、障害教育を一年学び現在に至ったのです。そんな体験からそういう学校の先生になりたいいう希いを持つようになり、念願がかないそうになりました。

この間、同志社女子大と京都女子大(外孫)の入学式を経験しました。子供の時にはそんな気も時間もなかったのですが、同女の卒業式にまで参列しました。妻との京都観光も兼ねてのことでしたが。

これから何年京都住いになるかわかりませんが、孫を訪ねるのをダシにして京都に行くことができそうです。秦さんの京都にかかわるお作を読みなおすことになりそうです。実感をもって。

もう お見舞のことばはありません。とにかく「苦あれば樂」をお祈りしています。

お礼を兼ねて 十月十八日    元石川文学館長  読者

 

* いつもながら暖かいお気持ちの籠もったお手紙で、感嘆し、有難い。京都を介してまたひときわ懐かしいお人となった。

 

☆ 秋風が

身にしみる今日此の頃となりました。十月十六日 クロネコメール便にて

秦先生の「京のわる口」 平凡社より御送付戴きました。ありがとうございます。

先生におかれましては今年は年明けから色々なことを体験なされた一年でしたね 心優しい奥様がいらっしゃるので心強いと思います。くれぐれも無理をなさいませんよう願っております。

我が家も夫が五月に七十七歳の誕生日を迎えました。生身ゆえ様々なことが起ります 努めて明るく振る舞うよう心掛けておりますが年齢相応の出来事が押し寄せてきます。現実を受け止め 前向きに生きるしかありません。会社をやめたら自分の好きなことに時間を使えると思っていましたが どっこいそうは問屋がおろさない毎日です

今年も二ヶ月余りとなりました 秦先生が両目でしっかり本が読める日が早く来ますようお祈りしています

平凡社ニイブラりーの新刊頂戴のお礼とさせて頂きます。

今後ともよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。  桐生  住

 

☆ 本日ただいま

御新著『京のわる口』が届きました。お心づかい嬉しく厚く御礼申しあげます。単行本を所持していますが、文庫本にはいくつか増補されているとのこと、楽しみにしています。

「位取り」という考え方、なるほどと腑におちました。外山滋比古さんの本に京都の老婆が東京人の名刺の住所にある「東京都」を「ひがし京都」と読む笑話が出ていますが、誤読というより気概でしょう。大学院の私のゼミの修了生が京の四条に住んでいますが、彼女は「上京」を避け「東京入り」と言います。   早大名誉教授

 

* 京都の人は当然にも「西京」とは言わない。少年の昔藤村の作に「西京」と読んだとき、違和感を覚えた。「東京都」を「ひがし京都」という感触は京都ではまだまだ無くなっていないかも知れぬ。東京へ「上京」とはとんでもない、京都へ「上洛」だとこのゼミの彼女さんがガンバッているのなら、ホホウと思う。

 

☆ 『京のわる口』 拝掌致しました。

以前『湖の本』で: 京都から保谷へ来られた叔母上と近所の医師とのやりとりの話もきっと載ってる! 先ず捜しました。あらためて「みやこのしとはちがうなあ」とその「すごさ」を思い直しました。

七七四九八八六四何がどうであろうと 一天地六投華得仏日々の暮しを頑張り味わう元気を頂きました。本当に有難うございます。

露霜呉々もお大切にされてください。敬白    千葉市 e-OLD   医師 読者

 

* 七七は始終苦なりとそれも良し 苦あれば樂のよろこびが松

と挨拶の狂歌に今日は二人触れて下さった。わたしはいま「よろこび」の中にいます。

つい今し方、小松市の八代啓子さんから名産の「棒茶」を頂戴した。謡や能に熱心な人。そうそうわたしは、明日国立能楽堂での梅若万三郎「鉢木」に招待して貰っている。目のために前の方の席をと配慮して貰っている。能舞台は久しぶり。先代万三郎晩年の直面(ひためん 素顔)の「鉢木」が今も眼に在る。「鉢木」については茶の湯を語ったときに深く触れて書いている。

 

☆ 冠省

このたびは『京のわる口』(平凡社ライブラリー)を御恵贈くださいまして まことにありがとうございます 私は文化果つる地ともいうべき蝦夷に育ち 古典に遊んでいるものですから 京都にふれる秦さんの御著書にはつねに教えられるものがあります 御厚情に厚く御礼申し上げます          不尽

追而 右に類似の文章を「日誌」に書かせていただきました。なにとぞ御海容下さい。  東洋大学教授

 

☆ 昨今、

急速に秋も深まってきましたが、いかがお過ごしですか。折々、「湖の本」のご恵贈にあずかりながら、お礼状を怠りがちで、まことに申し訳ありません。心に染み入って来るお言葉のはしばしに学ばせて頂いております。

巻末の「私語の刻」によりますと、ご体調に深刻な問題を抱えていらっしゃるよし、案じております。実は私も先年、大腸がんを患い、外科手術によって当面の危機は避けられたかに見えつつ、違和感を覚える機会も再三です。周囲にも似たような仲間が多く、最近の医学はかなり頼りになるというような意見交換をしては、互いに多少は元気回復を繰り返しております。相変わらずの大学暮らしで、健康管理はままなりません。

本年は方丈記の八百年紀に当たるので、いくつか仕事をいたしました。先日、ささやかなものではありますが、お送りいたしました。何かの機会にご笑覧頂ければ幸いです。

ともあれ、くれぐれもお身体お大事に。ご回復を祈念いたします。草々  お茶の水女子大名誉教授

 

☆ 秋冷のみぎり、

この度は御著「京のわる口」を御恵送いただきまして誠にありがとうございました。

年内に喜壽をお迎えになるご様子 心よりお祝申し上げます。

その後御体調の方は如何でしょうか。

呉々も御自愛下さい。取急ぎ御礼申上げます。 敬白   京都市 画家 読者

 

☆ 秦先生に

爽秋の候 その後如何お須越でしょうか。

昨日、嬉しい著書いただきました。喜壽の記念とのことですが、おめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます。この上は体調にお気をつけられて一日も早いご快癒を祈念しております。  金沢市 作家 読者

2012 10・19 133

 

 

☆ 拝復

先日は御鄭重にも平凡社ライブラリーを御恵送下さいまして、誠に有難うございました。

私はすでに四月に喜壽になりましたが、このような「自祝」は歌えず、作家と編集者の歴然たる差異を目にした想いが致しました。

此度の御上梓の感謝の御言葉のなかに、日常の「耳」が覚える省察は「批評」という行為や心術の核心に届くと仰言っているのは 至言と深く感服致しました。机上の傍に置いて、ゆっくりと未読させていただきたく存じます。御芳情のほど心から厚く御礼申し上げます。

併せて御退院の由、何よりに存じ上げますが、呉々も御体調に留意されますようお祈り申上げます。敬具  元文藝誌編集長

 

☆ 「京のわる口」新刊を

お送りいただきました。

私ごとですが四人兄妹の末の弟が一人だけ横浜をはなれ、京都は宇治におります。所用があってこの十五日に会いましたが、義妹に当る者がほんとに綺麗な京ことばですが、その娘は四十代半ば、全然ちがう京都弁で話しております。そこへ文庫本を頂きまして おおきに。 先ずはお礼まで    劇作・脚本家

 

☆ 前略

このたびは『京のわる口』をご恵贈いただきまことにありがとうございました。

京言葉、ひいては日本文化の奥深いところを軽やかに見せてくれる名著が復活したこと本当にうれしく思いました。

眼の手術はうまくいったようで少しはほっとしております。それにしても大変なご状況の中、まったく変わらぬお仕事のペースに感服するばかりですが、くれぐれもお大事に。 草々   編集者 吉 読者

 

☆ 謹呈  秦先生

過日は、ご高著『京のわる口』 のご出版、おめでとうございます。また、小生にまでご恵投下しまして、誠にありがとうございました。

『湖の本』でも拝読しましたが、手軽な文庫になって旅の友とできますことが嬉しいです。

お礼代わりにもなりませんが、先に出した拙稿所収の本(=『ことばの杜へ』)を同封しますので、ご笑納頂ければ幸いです。

医学書院でご同僚だった本学の遠藤恵子学長も、いよいよあと一年の任期を残すまでとなりました。米沢は遠いですが、おいしい食べ物と豊かな自然、そして湯治向けの温泉がたくさんあります。お体のお具合がよろしければ、是非お出で下さいますように。

御身くれぐれもご自愛のうえ、益々のご健筆を祈ります。  大学助教授 重  読者

 

☆ 拝啓  秦恒平先生 玉案下

ご無沙汰致しております このところ朝夕はすっかり冷えてくるようになりましたが、お変りなくお過しでございましょうか

只今平凡社から御高著「京のわる口」が届きました。ご恵送賜りましたこと心より御礼申し上げます 挿んでございました御手紙には、今年の暮には喜壽をお迎えのことになるとの由、御祝申し上げます。

御高著の巻末で、胃の全摘、三度目の入院、右眼の黄斑変性症、白内障手術と、大変な日々をお過しの由が述べられておりますが、ご案じ申し上げております。

御高著、携帯して、どこてでも拝読できますことが、嬉しいことです。題名の「わる口」というところにも、不快心が置かれているようで、それも楽しみです。京のことばは本当に難しいです つくづく歴史はことばのなかで生きていると思うことしきりです

これからゆっくりと拝読させていただきます

段々と寒くなってまいりますので どうか一層のご自愛を心より願っております

御高著拝掌の御礼まで  敬具   学会会長  詩人  憲  読者

 

☆ 秦恒平先生

たいへんご無沙汰いたしております。湖の本を拝読して、先生がご体調を崩されたこと、手術をなさったことを知りながらお見舞いも申し上げず失礼しておりました。にもかかわらず、此度は平凡社刊「京のわるくち」ご恵贈にあずかり、恐縮の極みでございます。湖の本の一読者の私にまで お心づかいいただきまして、まことにありがとうございます。

平成七年発行の先生のご著書『京都、上げたり下げたり』の編集作業をさせていただいてから、早いもので、もう十七年経ちました。当時五十代半ばであった私も、とうに古稀を過ぎました。還暦を迎える頃から、同居している夫の良心の介護生活が始まり、それまで毎月お手伝いしていた月刊誌の仕事もご辞退することが多くなりました。

七七は始終苦なりとそれも良し

句れば樂のよろこびが松

なんと、秋空に突き抜けるようなお歌でございますね! このお歌に励まされる思いがいたします。

これからの日々、どうぞご自愛くださいますように、と 祈りつつ、お礼申し上げます。  かしこ  編集者 宏 読者

 

☆ 秦恒平さま   (「市民の意見30の会・東京」近刊二冊を添えて)

『京のわる口』を拝受しました。 とても興味会内容のご労作で、ぜひ ゆっくりと拝見させていただきます。

ありがとうございます。

いつも拝受ばかりで恐縮しております。  市民活動家  勇

 

☆ 喜壽、「京のわる口」御出版おめでとうございます。 (喜壽 御出版 慶祝を添えて)

秦様らしい喜壽のお迎えに感嘆いたしますとともに、有難く拝掌いたしました。

小生 今に思えば、老人性の発作だったか、二年ばかり朦朧感の中に喜壽を迎え、送りました。その折、闘病と文業を並立される秦様のお姿に元気を頂戴いたしました。昨年末病名が定まり、薬効で発作が止まるとともに朦朧感もやや薄れて来、老呆けは老呆けなりに作品を、「傘」を目処にまとめたいなど意欲も戻ったところです。

秦様の御活躍は、小生への励ましでございます。どうか身心御大切に喜壽の後を歩まれますよう、祈念申しあげます。

一筆御礼言上申しあげます。 拝   兵庫県  蕃  歌人・篆刻家 読者

 

* 「湖の本」奥付の「湖の本」とある楕円の刻は、この方の作。裏表紙の「念々死去」の刻は小松市の井口さんの作。奥付「秦」の刻を戴いた大西羽岳さんは亡くなられた。

 

☆ 喜壽自祝の贈り物

「京のわる口」有難く拝受しました。日吉ヶ丘同年同組の小生も、この月末で同じく喜壽を迎えます。

さりなかせも大病大手術、その後の体調如何ですか。同年代として他人事ならず案じています。

私も四十七年に及んだサラリーマン生活を終え、目下読書三昧の静かな日々を送っています。お互いに残された人生を大切に生きましょう。ますますのご活躍をいのっています。  高槻市 同窓 昇 読者

 

☆ 秦恒平 様

京都も諸処紅葉の便りが聞かれる季節となってきました。

この度ば、喜寿の自祝として、単行本「京のわるロ」をご贈呈頂き、誠に有難うございました。

百十三巻を達成された「湖の本」をはじめ、どの作品にも、ご自身が生まれ育った京都への深い愛情が随所に感じられ、京都を離れた事のない私などには、本当に嬉しい思いでございます。

貴兄には、今年になって胃の全摘手術をはじめ、様々なご病気での入退院の繰り返しとか、日常のお暮らしも大変なこととお察し申し上げますと共に、心からお見舞い申し上げます。

私も数阜前に大腸がんの手術をし、病魔との闘いの日々でしたが、この1・2年は少しは体調も回復し、近頃は散歩や山登り(上醍醐寺)、また水泳などで健康の維持に努めております。

今は全く公職を離れ、暇を持て余している身体ですが、最近何か嫌なことがあったり、,心配事などがあると、自然に足が子供の頃に過ごした方に向いてしまいます。随分様変わりしましたが、古門前から狸橋~新門前から有済橋あたりを散策することが多くなりました。これも人生の終盤を迎えた歳の所為でしょうか。

貴兄には、今後ともお身体を大切に療養に専念され、日本の文壇を代表される作家として、益々ご活躍されますよう心から祈念いたしております。 拝

追伸

同送のものは、散策の折買ったものです。ご笑納下さい。

別紙は、日吉ヶ丘高校卒業の有志でつくっているゴルフの親睦合(招福会・昭和29年卒)です。

小橋亮三氏が中心になって活動していますが、9 月に喜壽記念大会を行いました。

同窓の懐かしい名前(石井義高氏・吉田慶志氏)もあると思いますので、暇な折にお目通し下さい。 元京都市区長  賢  同窓

 

* 国民学校から中・高・大学まで同窓の、カッコいい畏友のこの便りは嬉しい。永く「湖の本」も応援して貰った。祇園北郎の珍味「お豆の旅」も添え、別紙旧友達の様子まで教えて貰った。たしかに覚えの誰彼の名前も八、九人名簿にみつけた。フーン、そんな風に楽しんではるのか、よろしいなと、すこしボーっと想い描いていた。有難う。

それにしても既往に大病をしていたり今まさに大病中という人の多いのに驚かされる。

2012 10・21 133

 

 

☆ 京みやげ少々

秦先生、きょうは堀川寺ノ内の宝鏡寺で爽やかな古都の秋を満喫いたしました。

京言葉も堪能し、先生の『京のわる口』の味わいも一入です。

いろいろ「わる口」を探したくなるほど、やはり京は、言葉も、女性の挙措もはんなりして、いいですね。

帰りに、伊勢丹で、生湯葉少々お送りさせて頂きました。

お漬け物をとも思いましたが、胃腸の負担にならず、胃の腸へ喉越しの良い物をと、生湯葉にいたしました。お口に合うと嬉しいのですが。

食欲が少しでも回復なさいますように。

佳い季節です。日付薬で、お元気になられますように。   名古屋  珊

2012 10・22 133

 

 

☆ 七十七のお喜びを申し上げます。

記念にいただいた『京のわる口』を楽しく拝読しながら、剛直ともみえる姿勢の根っこにある繊細微妙で深い味わいの秘密を覗かせていただいているような気がします。

京ことばの含蓄を知ることは、日本語、そして日本人を知ること、この主題を書きうる人を他に知りません。気楽に読めそうでいて、なかなかに手ごわい実のある本でした。お礼申しあげます。

急に冷え込んでまいりました。呉々もご自愛下さいますように。   元文藝出版部長

☆ 拝啓

今年の秋は短かくて朝夕の冷え込みが大分強くなって来ましたがお元気にお過ごしのことゝ存じます。 先日のバーティーでお久しぶりにお目にかゝり 幸いでした。 亦この度「京のわる口」というとても楽しい文に溢れた御本頂き有難うございます。

ご健筆本当に驚くばかりの精力的なお仕事で敬服致しております。 湖の本での次々と書いておられるエッセイ、今度の御本のように京都の方でないと分らぬ微妙な言葉の意味、本当に私など目からウロコという感じがしております。

楽しい御本を有難うございました。

之から間もなく寒い季節に入ります 呉々も御身体御大切に。 右、御礼まで  敬具   藝術院会員 画家

 

☆ 厳しい内外情勢と共に

猛暑の日々でしたが、昔からのことわざの通り秋のお彼岸と共に一転涼しくなりました。

その後御闘病の日々いかがと案じながらお見舞いも申しあげず申し訳なく思っております。

この度平凡社ライブラリー「京のわる口」をご恵送頂きました。以前単行本の時に面白く拝読した覚えがありますが、久しぶりに又新鮮に面白く読ませて頂こうと思います。私共にまで有難うございました。

「湖の本」の奥様のコメントを拝見して三度の入院ということに溜息をついておりましたが、胃ばかりでなくお眼の治療ともうかがってびっくりしております それにしてもそのような中で 少しも衰えておられない作家魂を目のあたりにして私共感動しています。

八十代に入って夫婦共にヨレヨレの感じで それでもこんな世の中ですから 死ぬまでがんばらねばと思っておりますので大きいお励ましを頂いた感じです。 お辛い日々と思いますがどうぞ読者のためにのり切って下さいますよう。

奥様もお疲れと存じます。くれぐれもお大事にと念じあげております。御礼まで。  大磯 作家ご夫妻 読者

 

☆ 前略

御高著「文庫本 京のわる口」有難く拝受、厚く御礼申し上げます。

喜壽になられるさうでおめでとうございます。

平成十七年に私は癌の手術をして胃の三分の二を切除しましたが、体力を失いましたものの、ひとの世話にならず生きてゐます。今年九十一歳になりましたが、老人になると 今まで知らなかったことがいろいろ見えて来ました。

お互ひに長生きして、世の移り変わりを見て行きたいものです。葉書で失礼しました。  元文藝誌編集長

 

☆ 喜壽を迎えられるとのこと、お慶び申しあげます。

記念の御著をいただき、ありがとうございました。

『京のわる口』は『洛東巷談・京とあした』とともに京都人の小生には大変コワイ作品です。(笑)

このたび文庫本としてお目見えですが、時をこえて支持されてきたことの証であり、さらにひろく読み継がれることを祈念しております。

時節柄、ご自愛のほどくれぐれも。とり急ぎ御礼まで。  所沢市 作家

 

☆ 謹啓

ご無沙汰致しております。日々先生の「闇に言い置く」を拝読しながら、凄味とさへ言える先生の作家魂にほとほと頭の下がる思いです。こめ度はまた、秦恒平様ならではの 「京のわる口」をご恵送たまわりありがとうございます。私ごときにまでお気づかいいただき恐縮いたしております。

それにしても大変な日々、どうか一日も早くお健やかになられますようお祈りするばかりでございます。

私の方は元気にはしていますが、あんな旧い家を抱え込んでいる関係上、未だ会社勤めを不承ながら続けていますが、そろそろ潮時かと、それを考えると何となく浮き浮きとした気分になるから不思議です。先生とまでいかずとも、勉強だけはと帰社後は机に向かつています。それにしても、私の家のような村の旧い家が次々と崩壊していくのを目の当たりにしながら、身につまされる思いでございます。言い置きたきこと多々、先生のようにはまいりませぬが何とか元気を出してと心しております。

どうかご無理をなさらずお過ごしくださいませ。取り急ぎ御礼まで。 拝 秦恒平先生机下   滋賀県  作家

 

☆ 日増しに秋も深まりゆく今日この頃でございます。

ご尊家ご一同様にはお変わり無くあ過ごしの御事と拝察申し上げます。

この度は、あ心尽<しの結構なあ品をご恵贈頂き、誠に有難うございました。ご芳情のほどを心より厚<御礼申し上げます。

私共工房一同

お蔭様で元気に日々制作に励ませて頂いてゐりますので、他事ながらご放念下さいませ。

これからも変わらぬご指導のほどを賜りますよう、ようしくお願い申し上げます。

時節柄、ご導体あ大切にと念じ上げてあります。 合掌

平成二十四年 神無月

平安仏所   江里 康慧

 

今秋の予定

九月十五日~十一月四日(会期中無休)神戸市御影の香雪美術館にて

『人間国宝・江里佐代子の載金 康慧とともに伝える荘厳の美』 開催予定を致してあります。ようし<ゐ願いいたします。

 

秦恒平先生

日頃のご無沙汰をお詫び申し上げます。

この度は「京のわる口」なるご高著を恵贈賜りまして誠に有難うございました。興味ある題名に 秋の夜の楽しみとさせて頂きます。先生はその後お身体の方は如何でございますか。呉々もお大事にしていただきますように。 江里康慧

 

☆ 御著書

ありがたく落掌いたしております。お心尽くしもったいないです 厚くお礼申上げます

朝夕冷たい風が吹くようになりました どうか御自愛のほどお願い申し上げます

お陰様で私達は忙しくしております 新そばも間もなく打ちます

ご令閨さま皆様に久礼ぐれも宜しく申上げて下さい  匆筆のまゝ   山形県村山市 あらきそば  読者

 

☆ 長く暑かった夏、

ようやく去り朝夕の風に秋冷を覚えます。ごぶさたの内、たび重なる手術の経過もよく、その上、今日は、私の方にまで喜壽のお祝のご本まで頂きました。ありがとう存じます。本当におめでとうございました。

あなたの、いつもの難しいお作でなく、何かおもしろそう、楽しそう、あなたの語り口を思い出しながらよませていただきます。

季節の変わり目くれぐれもお体お大切に、おたいらに。 まずは御礼まで。  同窓  正  元中学校長、

 

☆ 喜壽 おめでとうございます。

喜壽におなりと びっくりしております。 私も この春「古希」を祝っていただきました、

すばらしい先生のお作の数々 私のような凡人には ついていけない純文学ばかり 思っておりましたが この度お送りいただきました「京のわる口」は、何か ほっとする親しみをもって拝読させていただいております。ありがとうございました。

旧友にもさしあげたく 五冊申しこみをさせていただこうかと思いますが、書店、あるいは平凡社に…? ととまどっております。お忙しい中恐縮でございますが、お教え下さいませ。   中学同窓 祇園  東

 

☆ 拝復

ライブラリー版『京のわる口』ごご恵存いただきありがとうございました。

朝日新聞の三段八ツ割で見、「おおっ!」と思っていたところです。酒井解説といい、御土産物ふうのカバーといい、よく出来ていて、しかも偶々山中教授の受賞と重ったのですから愉快至極。そう言えば早稲田の先輩がライブラリーの担当だったこともありーー現在は東洋文庫に移られた筈ーー、私もこの版の割付を六点させていただいたことがあります。出るべきところから出たというのはまさに今回のような場合に言うのでしょう。  (中略)

ご夫妻には何卒お元気でいただかないと……。御身お大切にお過ごし下さいませ。敬具    樹  妻の従姉の子息

 

☆  秋日和の心地よさを感じる季蔀となりました。

不在にしておりまして、夜遅く帰りましたらポストの中に 先生の美しい字の宛名の郵便物。何だろうと思い、わくわくしながら開封いたしましたら、思いもかけないプレゼントにびっくりいたしました。

 

書寿のお祝いを申し上げます。おめでとうございます。

 

病気と共存しながらの日々にも拘わりませず、私にまで 初版第一刷早々の 「京のわる口」をお送り頂き、お礼の言葉もございません。厚くお礼を申し上げます。有難うございました。

私は京都での生活は大学時代の四年間に過ぎませんが、今でも同窓の方々にお会いすると、京都の友だちは京都言葉で話して

いい感じです。今月始めも同志社のバザーのお手伝いで、一日京都で過ごしました。

迪子さんにもずっと長くお会いする機会も無く、月日が流れていますが、いつか、きっとお会いできることを締めておりません。楽しみに、待っています。

孫も大きくなって上京することも少なくなってきましたが、でも、年に二~三回は行っています。

来年には二人目の曾孫が誕生します。

夫がいたら今年は五十三回目の結婚記念日が昨日でした。丁度そんな日に、喜壽のお祝いの出版物を頂き、感無量でした。楽しんで読ませていただきたく思っています。

その後は、お友達にも廻し読みしたいと思っています。

どうぞ、くれぐれもお体おいとい下さって、この秋の好き時節をお過ごし下さる様、お祈りしています。

有難うございました。 平成二十四年十月十九日

秦恒平様

迪子様     神戸市  澄  妻の同窓

 

☆ やっと

すごし易い季節になりました。思いもかけずご本を戴き恐縮しつつ有難く思っております。以前いただいたお礼も申さないままになっていて いつも気にしておりました。まだらぼけで忘れることが多くお無礼心よりお詫び申し上げます。

お変わりございませんか、私も75をすぎると急に足が弱ってきました。

「京のわる口」は楽しみながら読ませていただきます。

同じ関西とはいえざっくばらんな吉本的な大阪と、誇り高い古都とは気風が違いますね。表面はやわらかでも京都の人はプライドが高く、東京も大阪も勿論その他の地方も田舎モンとみておられるような気がします。近所におられますので……。

21世紀は20世紀の戦争の反省のもとに平和な時代になるのかと思っていましたが、よく考えていないと、ずるい自分勝手なリーダーにひどい目にあいそうですね。私は「憲法九条は世界の宝です」というワッペンを郵便箱に貼っています。原発も反対です。まだ必要だという人の気がしれません。何を基準にしてものを考えているのでしょうね。新聞を読んでもテレビをみても おこっています。お二人が反原発のデモに参加されたとは、驚きと感動をいただきました。

年を取ることはよいことで、いらないものを捨てていくことで強くなっていくと書いてあるのを読みました。以前**先生が年賀状に書いていただいた

「何しかもわれにいつわりなしとせん

傷いさゝかは持つとも舞え鳥」  という歌が好きです。

くれぐれも御自愛ください

ご主人もお身体お大切になさってください。 かしこ   岐阜市  苗  妻の同窓

 

☆ ごぶさたしております。

「湖の本」そして「京のわる口」、お贈りいただき、ありがとうございました。両親も、よろしくお伝えくださいとのことでした。

私は元気に、何の暮らしを楽しんでいます。先日、当麻寺を訪れました。二上山に沈む夕日は美しいです。

日記、いつも拝読しています。迪子さんともども、お体どうぞご自愛ください。

来年の春、新しい家庭を築きたいと思っています。準備で少し忙しくなりそうです。  生駒 理 読者

 

* おめでたい予告がわたしたちを喜ばせる。中学時代からの聡明な読者で、心豊かに大きく育ってきたなあと嬉しい。

当麻境内の土俵でまだ小学生の建日子と相撲を取り、二上山を見ながら峠を越え、蘇我山田石川麻呂の美しい豪快な棺墓に詣ってきた昔も懐かしく思い出させてもらった。

 

☆ ご本

送って頂き有難うございます。

又、先生のご病気も気になるこの頃です。私も先生と同年、余り元気ではございません。どうぞお大事になさって下さいませ。

先の二冊分送金致します。よろしくお願い申し上げます。   東京北区 岸  読者

 

☆ お礼

湖の本につづいて「京のわる口」ありがとうございました.この本は初版を買って読みました。. でもデイケアに持参し待ち時間に再度読んでいます。きょうは妻が持参して病院で読んでいます、デイケアで今からリハを受けますが、二足歩行はマダ、ムリデス。来年の富士登山が実現しなくてはと頑張っています。  茅野市  圭  同窓

 

* 国民学校から高校までの親友。いまは病気の療養に励んでいる。「iPadから送信}とある書字が乱れているのを、心痛めながら直した。恢復の早かれと祈る。

 

* もう一人、朝に紫陽花の繪を贈ってきてくれた杉原画伯の懇切な便りが届いているが、今日は、措く。吉井画廊主の吉井長三著『銀座画廊物語』も添えてあった。後輩杉原は吉井画廊での個展を念願しているのだ、早くから。いま富山にいる同窓同級の細川弘司君もそうだった。

2012 10・22 133

 

 

* 歌人で大学の先生である神戸の岡田昌也さんから美味しい熟柿を一つ一つ手づから紙包みして頂戴した。甘く美味く口に入った。詩人の山中以都子さんからは栗菓子をお見舞いいただいた。作家の水谷三左子さんからは京都の生湯葉をお見舞い頂いた。ありがとう存じます。

 

* 作家の竹西寛子さん、梅原稜子さん、詩人の倉田茂さん、神戸大学名誉教授の馬場俊明さん、名古屋市大助教授の谷口幸代さん、元早大教授の小林保治さん、練馬区の宮本裕子さん、元平凡社編集者出田興生さんから丁寧なご挨拶を頂いている。が、この眼の見え無さでは、此処に保存も出来ないまま頂戴しています。感謝します。

 

☆ 和歌山の「領」です。

このたびは「京のわる口」をご送付いただき、有難うございます。お手紙にて御礼を書いておきながら、ポストへの投函が遅くなってしまいましたが、うれしく、大変ありがたく拝受いたしました。私などのような一介の読者に過ぎないものにまで、お心配りを頂き、恐縮してもいます。

どうぞ、更なるお体のご自愛に努めるとともに、生涯現役の作家としてご健筆を振るわれますよう、心からお祈り申し上げます。

私も片目です。もうひとつのほうも0 ・3 しか視力が出ません。加えて老眼も入ってきました。会社には内緒にしていますが。

肺も左の前半分を削除しました。

でも、まだ本は顔を引っ付けるようにすれば読めますので、毎日を楽しく送っています。ips 細胞が実用化すればだめになった右目の網膜も再生できるかもしれないと微かな望みを抱いています。

いつの間にか60歳を過ぎてしまいました。第三の人生が始まったと心しています。

簡単ですが、重ねて御礼を申し上げます。

追伸

我が家は、そして私はずっと公明党の党員をしています(笑い)。貴重なご批判、伝えておきます。でも、一言。

「落穂」を拾ってくれる政党は公明党だけでした。ドクターヘリにしても、その昔の児童手当にしても、いろいろと。

ばら撒きという人は、生活の困窮というものを知らないからでしょう。

共産党は社会の底辺にいる人間を利用しますが、公明党の議員がもしそんなことをすれば議員のいすから引きずりおろします(笑い)。

「湖の本」楽しみにしています。秦様の呟きも。

2012 10・23 133

 

 

* 歌人で大学の先生、読者でもある岡田昌也さんに頂戴した熟柿=干し柿は、ことのほか美味しく口に合っている。そえられたお手紙も心温かい有難いものであった。

 

☆ 『京のわる口』

先生ならではの素適なご本、うれしく拝受。まことにありがとうございました。 先生は、ほんま、にくいお人です。

狭庭の西条柿、もう四十年以上前に、はるばる京のタキイさんからお嫁入り願ったのに、古女房と一緒くた。いつのまにやらほったらかし。この二、三年は、むくれて実もつけてくれませんでしたが、今年は、やれやれ一寸だけ成りました。早速、いつもの通り干柿に。ほんの少しだけ生乾きをお届けさせて頂きます。 お口に合えば幸いに存じます。

右、取り急ぎ。 十月二十一日

秦恒平先生 玉案下

陽に干せば

甘柿よりも甘くなる

渋柿なれど 君は

好むや       東彦

 

 

☆ 秋冷の朝夕になりました。

いつもご高配に接し乍らその都度のお礼も怠っていますのに、この度も又文庫の「京のわる口」お届けいただき、恐れ入りました。

「湖の本」の発行ご継続は容易に例をみないご大業とお見上げいたしております。

私は術後未だに本復には遠く日常がすっかり変ってしまいました。せめて残りの時間を粗末にせぬようつとめるつもりです。

くれぐれもお疲れをおいといくださいませ。ご平安を心より願いまして。十月二十二日  藝術院会員

 

 

☆ 前略

ご上梓早々の平凡社ライブラリー『京のわry口』を賜り誠にありがとうございます。

その後ご体調如何かと気がかりでしたが、丁度ご本の栞に喜寿を迎えられるに当っての一首があり、そこには順調な闘病を思わせるしなやかな意志もほの見え安堵した次第です。

ご本は今読み始めております。かねてきく京ことばの難しさは予想を超えたものと実感しつつ。

なお、日ごろ私の友人たちへの『湖の本』ご送付ではお手数をかけますが、年内あと数冊考えていますので、先般の高槻の外村文象、宮崎の本多寿両氏が「興味の尽きない一冊でした。秦さんによろしくお伝え下さい」と申しておりました。

日々これ好日でありますよう。匆々  我孫子  詩人 ペン会員

 

☆ 拝啓

さわやかな秋晴れの日が続いております。先だっては『湖の本』を頂戴しまして、まことにありがとうございました。またこの度は『京のわる口』を頂戴し、恐縮しております。平凡社ライブラリー版のご出版をお慶び申し上げます。

御目の手術が成功されまして、本当によろしゅうございましたね。それにしても、次々に、すこぶる大きなことを克服されまして、その精神力に敬服いたします。

『京のわる口』は、軽妙にして辛辣、そして自在な筆致で、楽しく拝読いたしました。

京言葉は「位取り」を中心にした、複雑、精妙な表現であり、それは長い歴史の中を生きた京都の人が叩きこまれた処世の術でもあった、という卓見に、京言葉の、ひいては京文化の奥行きの深さを教えられました。

『湖の本』の「私語の刻」にも、共感いたします。

ますますご健勝にてのご活躍を祈念申し上げます。 敬具   横浜  作家

 

 

☆ 前略

このたびは文庫版「京のわる口」ご恵贈賜りたいへん恐縮しております。厚くお礼を申しあげます。

本書は私が『たかが京都されど京都~京都「よそゆき」文化論考』の執筆にあたって知的刺激を受けた忘れがたい書であります。待望の文庫化おめでとうございます。

先生はこの半年入退院の生活の由、その後ご病状のほうはいかがでございますか。

寒さに向いますが、一日早いご恢復を祈念しております。

とりあえずお礼まで  京山科 神戸大学名誉教授

 

 

☆ 謹啓

このたびはご高著『京のわる口』をご恵与下さいまして誠にありがとうございます。大変恐縮しております。

ちょうど今週末 国際日本文化研究センターの研究会で京都に参ります。ご本を再読して京ことばの奥深さを改めて教えていただいた上で出かけるのは少しこわいような気がしております。そこで先に解決を拝見しました。著者は京都人らしくないとあり 先生はこの指摘をどう思われたのか伺いたくなりました。

朝晩は急に冷えるようになりました。くれぐれも御身お大切になさって下さい。  敬具

平成二十四年十月二十一日  名古屋市大教授  読者

 

 

☆ 長い炎暑の夏でした。

九月の中旬に北海道へ行ったところ30℃~31℃の暑さで閉口致しました。

この度は『京のわる口』が平凡社ライブラリーに加えられましたことお慶び申し上げます。早速にお贈りいただき、ありがとう存じます。

「はんなり」は「花あり」ではないかとのご指摘に目からうろこの一冊でした。多くの読者の手に届くことを念じます。

十一月に3日間京都へ出向きます。

この本を携えて行き、向うの友人にも奨めたいと思っています。 不二  早大名誉教授  読者

 

☆ 秦恒平先生

前略御免下さい。

先生、お体の具合は、如何ですか。

陰ながら、先生のお身体心配申して居ります。

本日は、お見舞いとして、小生の稚拙な絵ですが水彩画「生きる」をお贈り申しました。ご笑納下されば嬉しく存じます。

例の「牡丹」の後描いたものです。小生の気に入っている作品の一ツです。紫陽花の頃飾って下されば幸いです。

(中略)

末筆ですが奥様に宜しくお伝え下さい。

先生のご健勝をお祈り申して居ります。  草々 2012年10月21日記  伊勢崎 画家 杉  読者

 

☆ 秦さま

 

『センスdeポエム』は、秋の深まるこの季節にとてもぴったりの1冊だと感じました。

至らぬところのない深切なご評言に、優しい気持ちにさせていただきました。

そのお礼も申し上げないうちに『京のわる口』が届きました。

ほんとうにありがとうございます。

闘病の日録の体重の増減、召し上がったものの記録をながめては胸のつまる思いをしています。

一日も早く軽快なさって、抗がん剤服用の苦行から解放されますようにと願っています。

七七を超えて八八までも九九までも、およろこびを重ねていただきたく存じ上げます。

大阪でも、反原発抗議行動を毎週金曜日、関電本社前でやっています。私は月1~2回程度の参加です。

10月5日には公務執行妨害で逮捕者が出ました。先週は、参加者の人数が減っているなと感じました。ざっと見て300人くらい。夏頃は参加者2000人と言っていました。放射能がれき受け入れ反対やオスプレイ・沖縄基地反対や、橋下の政策反対やらで、抗議行動が分散しているのかもしれません。その半面、子ども連れや、退職後老夫婦や貧困若者や、幅広い層の人たちが参加していることを心強く感じました。

どぜうの面に水の観はありますが、忍耐強く意思表示は続けていきたいものと思っています。  大阪 まつお 読者

 

 

☆ 前文ご免下さい。

『京のわる口』ご恵与頂きありがとうございます。この本の生まれたころのことが思い出されます

先生にはお身体のご不調のこと、湖の本で承知ながらお見舞もせず、忸怩の思いに駆られています。

お礼のみ失礼いたしますが、ご健康祈念しております。 草々  元平凡社編集者  読者

 

 

☆ 秦先生

喜寿をおむかえになられたことを、心からお祝い申し上げます。その上、この度は『京のわる口』を賜りまして、有難うございました。

新刊の件は存じておりましたが、酒井順子氏の解説はーー違うのと違うやろか・・・・・。

「京ことばと京根性」の母上、叔母上様の会話のやりとりは、何回読ませていただいても面白く、私も口には出さずとも、気持のスイッチは切り換えているナ、と思わず笑ってしまいました。

「アズマことばとアズマ根性」で生きて行かねばならない私は、英語を少しカジッタことで、音訳者としてのバランスを取っているような気がします。「京ことば」と勝負する勇気は無いのですが、京都(左右へ矢印)金沢への憧れは若い頃から変りませんので、訪れる機会が来ることを楽しみにしています。”月が似合う街”というキーワードで!

末筆ながら、お美しい奥様と先生のお健やかな日々をお祈りして。  2012,10,17  練馬区 宮  読者

 

☆ ありがとうございました。

秦恒平先生

☆ 喜寿をお迎えなされましたこと おめでとうございます ☆

私語の刻でご様子を拝見させて頂きながら ホッとしたり 心配になったりの毎日です。どうぞどうぞ お大事になさって下さい。

先日は ご著書《京のわる口》をお送りいただき ありがとうございました。

初めは覚えのない郵便に・・・? 開封してビックリ・・・そして嬉しくなりました。  楽しみながらゆっくり読ませていただきます。

この二日間 当地岡崎で全国大会がありました。お濃茶席・お薄席・立礼席など一日500名ずつのお客さまのおもてなしも大変なことですが お客様に喜んでいただければ 疲れも吹き飛びます。

明日から 函館で開催の全国大会(同門会)へ。

今度はお客さまですから ゆっくり楽しんでまいります。 岡崎市 山  読者

2012 10・24 133

 

 

* 今日も、梅原猛さんや高田衛さんら相当多数の『京のわる口』への、またお見舞いの手紙を頂戴している。妻に頼んで電子化してもらうことにした。わたしは殆ど目をあいてられない在り様。

小松市の畏友井口哲郎さんからは、「騒壇余人」という、もう久しく用いてきたわたしの名のりを、美しい篆刻印にして頂戴した。「騒壇」とは文壇とか歌壇とか学会とかを総じてさす諷喩語であり、「余人」は別人、他人、無関心な人の意。井口さんにはいろいろの印を幾つも頂戴している。印材まで頂いたことがある。いずれも愛用している

2012 10・24 133

 

 

* 今日も、多くのお便りをいただいている。

 

☆ (『京のわる口』のなかで=) 「梅原氏」のよび方、

大へん面白かった。京言葉、私は京都生れではないので、教えられました。 10/22  文化勲章 梅原猛

 

 

☆ 拝啓

この度は古希自祝の御著お送り届け下さいまして、洵に有難うございます。

早速読ませて頂いておりますが京言葉の柔かな言い廻しにこめられた微妙なバランス感覚に深く感じ入りました。

爽やかな好季節と成りましたが、是非ご自愛専一に衷心より念じ上げます。 敬白    元青山学院大学学長

 

 

☆ 秋たけなわの時節となりました。

「センスdeポエム」に続き、「京のわる口」を賜り、ご厚意に深謝申し上げます。

お尋ねの尊命の漢籍での用例、あれこれと検索してみましたが、それらしいものが見出せません。ただ、清の康煕年間の宮廷雅楽に、「恒平」の曲の存したことが、「清史稿」に見えます。

恒久平和の意と思われます。 10/22  元恩賜京都博物館館長

 

 

☆ 秦さんには、いつまでもお元気でいてほしい。

文壇の、いや藝術界のアウトローーーもう御意見番としての存在が貴重のように思います。

今更ながらですが、秦さんの造詣の深さ、発想の卓越さに深く敬意を感じています。

私は「卒寿」(五月八日)を迎え何だか疲れています。秦さんの書き物を拝見しては、気を震いたたせています。

そんな気持ちで、久々に石(騒壇餘人)を彫ってみました。全く他意はありません。その気持だけお汲み取りください。

奥様にもよろしくお伝えのほどを。

お大切に   十月二十日  元石川文学館館長

 

 

☆ 前略

平凡社より『京のわる口』を拝受いたしました。先月のご本といい いつも有難いことです。ここしばらく夫婦ともに老病でわずらっておりまして、ご返事ができず失礼のみ重ねておりますが、ご容赦下さい。

しかし、私よりは二、三歳は若い筈の秦さんが、いろいろと重病をのりこえ、のりこえ、日々の仕事にいそしまれているご様子は、ひたすら立派と言わざるを得ません。小生の同窓生も在京の連中が十四五人おりますが、年二回の食事会には元気な者は結構やってくるんですね。私はその中では虚弱な方ですが、それでもできるだけ顔を出すようにしています。老いとはこれほどに個人差の大きいものかと毎回感ずることですが。

とにかく、御自愛、御療養におつとめ下さい。

少しでも長く生き、少しでも書きつづけることを目標にして下さい。

それを祈っております。   敬具  二0一二年一0月一八日  都立大学名誉教授

 

 

☆ 御健勝大慶に存じます

御著「京のわる口」頂戴致しました  有難うございます

かういふ形で復刊されるのが名著のあかしでせう

御壮健を祈ります  不備  文藝春秋役員

 

 

☆ 長かった猛暑もやっと終りましたら

すでに秋深しの季節となりました。このたび平凡社の方から『京のわる口』を頂戴いたしました。

先生からの御配慮ありがたく うれしく 感激いたしました。心よりお礼を申しあげます。

十冊余の単行本と「湖の本」全巻 重複してあるものも 全部 本箱に収まってあります  先生の独特の文体 むつかしい心動きも すらりと伝えてくれる的確なことば選び やっぱりどこかに京ことばの 匂やかなイントネーションのようなものが 私好きなのですね もうすっかり 馴れてしまったようです ときに 短歌の表現にいただいても居るかと 気付いてもおります

おからだのこと 案じておりました 校正は人様にお任せなさったとは お心残りもございましたでしょうが まずは おからだが第一 一つうれしかったのは この暑いさ中の八月に 御自身のあとがきがございましたこと

もう悪い部分は切り捨ててしまわれたのでしょう 静かに静かにおからだをいたわって下さいませ そしてまたペンをとられて 先生のおいしい文体を お見せくださいませ

心より願っております  お祈りしております  十月二十二日  歌人 幸  読者

 

 

☆ 「熱いお茶がおいしい季節になってまいりました」

と思い 加賀棒茶をお送りしましたが、戴いた単行本の「感謝して」を拝見し、「胃の全摘」とありましたので、「失礼をしてしまったのかもしれない」と心配しておりましたが、少量ずつでも飲んでいただけるのですね。

単行本を頂戴し、 お礼状を出さぬうちにお葉書をいただき恐縮しております。(バーン・ジョーンズ神戸まで行かずじまいになってしまったので嬉しく拝見しています)

原電の影響で茶葉を手に入れるのが難しくなったようで、赤印も以前の葉と違うそうで、味わいも変化しています。来年まで待てばおいしい棒茶が出来るといっていますので、どうぞ楽しみにしていて下さいませ。

さて「京のわる口」を読みすすめるうちに「加賀のわる口」が浮かんできました。

先輩や仲間をさしおいて何かいいますと、「あの人はエラさんやから」と敬遠されます。これは高校生も使いますし、我が社中でもきかれる言葉です。秦先生の言葉「位取り」は競うどころか、はっきり決まっていて、「位」を超えますと、中味に関係なく「エラさん」になってしまいます。(結局私の社中での体験〔グチ〕を語ることになっていて、すみません。)皆さんとても謙った物言いをなさいますが、それは同時に相手にも求めることで、これにはずれたら「そりゃエライこと」になってしまいます。

裏表のない、かけ引きなしの家(無器用な、世間に疎いといいますか)で育ち、大学の友人たちは遠慮なく物言い合う神戸・大阪出身ときた私が、異文化圏(=この土地柄・そして伝統芸能の世界)に迷い込んでとまどうことが多くありました。

しかし、お手紙を書いているうちに、今自分がどのようなところにいるのかが わかってきました。先輩・後輩の「位」が絶対的な中でいかに自分を存在させることができるかという方向で考えていけば道が開けてくるように思います。まだまだ初心者で、みなさんの足元にも及ばないのですが、共に研鑽できる仲間ができれば願っているのですが・・・・。

ともあれ、何があろうと「能」そのものはいろんな面でどこまでいっても深く、興味が尽きることはありません。これが現在の私を支えていると思っています。

ヒントを与えて下さったことにとても感謝いたしております。

奥様のお葉書の文面がとても素敵でいらして、こちらの稚拙な表現が恥しい限りで、長々と書きましたことを、お許し下さいますように。

遅ればせながら喜寿のお祝いを申し上げます。増々私どもに示唆を賜りますようにお元気でいて下さいますように。

平成二十四年十月二十二日

奥様にもよろしくお伝え下さいませ。  石川県 啓  読者

 

 

☆ ご健康のすぐれずお過ごしのところ

『京のわる口』を御恵送いただきありがとうございました。

開新堂の初代が京都より明治初期に供奉上京いたしており 初代の次男(三代目)はかなり江戸っ子気質であったように記憶しております そこのところが「湖の本」でも書かれておられた京都人(と呼んでよいのでしょうか)の在りようと対比され興味の尽きない思いでした。浅はかなことばで申し訳ありません。『京のわる口』出張に携えます。

甘いものは召しあがれないと思いますが

お好きにお使いいただき度く送らせていただきます。 エッセイスト 道  読者

 

 

☆ 御著書、有難く頂戴しました。

喜寿、おめでとうございます!

私も、その歳まであと十一年、妻とともに過ごせたら有難いなと思っております。

彼女が倒れて来年ご5月で十年ですから、その後の十年もあっという間でしょうね。

どうぞお元気で  2012年10月23日   元筑摩書房編集者  幸 読者

 

 

☆ 拝啓

秋の夜長を楽しむ季節となってまいりました。先生におかれましては、その後いかがお過ごしでしょうか。お伺い申し上げます。

さて、過日、ご高著『京のわる口』を拝受いたしました。私にまでお恵みいただき、甚だ恐縮に存じております。この度は、ご上梓、誠におめでとうございます。また、本当にありがとうございました。

まだ総て読み終えてはおりませんが、先生の「京を思う時、日本を思う」というお言葉が心に残りました。誰しもが、懐かしい故郷と國の行く末を結びつけるわけではないかも知れませんが、安保闘争という苦い青春時代を過ごした先生、あるいはその世代の方々のことまで考えさせられた一文でした。これから、先生の達文に導かれ、京ことばを学ばせていただきます。何卒今後とも、変わらぬご指導を賜りますよう、この機会にあらためてお願い申し上げます。

秋冷日増しの侯、どうぞお健やかにお過ごしくださいませ。

まずは、略儀ながら書面にてお礼まで申し上げます。   敬具  十月二十二日  国文学者 真  読者

 

 

☆ ご高著拝受いたしました。

『京のわる口』は《湖の本》のシリーズ中でも印象に残っているものの一つでした。先日、朝日新聞の広告で新版のことを知り、「やっぱり」と納得した次第です。ご恵送いただき、望外の幸せというほかありません。有り難うございました。

私の難病とのつき合いも十数年になりました。薬の効いている時間、つまりパソコンが操作できる時間を利用して、「心に浮かぶよしなしごと」を書き綴ったものが、いつの間にかかなりの分量になっていました。

人生で《見聞》したことや、《日本語》について日頃感じていることなどを、世間に発表する才覚も意欲もなく、ただ、いつか子どもや孫たちが読んでくれればと思って書いてきました。まさに「闇に言いおく」心境です。

そうは言っても読者が一人でも多ければ嬉しいことなので、お礼状を差し上げる機会を利用させていただいて、拙文をお送りすることにしました。ご闘病の妨げになってはいけないので、無理をなさらないようにご笑覧いただければ幸いです。  2012年10月23日   同窓 エッセイスト 布  読者

 

 

☆ 朝夕と急に冷くなりました。

療養中の先生は如何してお暮しかと案じて居りましたが「京のわる口」お送りいただき お仕事をなさっておられる様子と少し安心致しました。

御本有難うございます。 御礼がおそくなりまして申しわけ御座いません。「エッセイ5」をもち出して2冊並べてよみ返してます。

何かといえば”京都に行き度い”と思って居りますが中々留守に出来ません。

主人も肺ガンⅢBといわれたのですが 抗ガン剤が良く効いたらしくもう三年になりますが元気にしております。

それぞれ治療は違いますが、主人は光線療法というのが良いと信じて、毎日二時間近く家で治療をして居ります。

どうぞ御無理のないようにとお願い致します。

奥様にはどうぞお大事にお過ごし下さいませ。

お見舞いにもならない勝手を申し、申しわけございません。  十月二十一日  桐生 君  読者

 

 

☆ きれいな秋です

高く青い空 きんもくせいが香り藤袴も咲いています。 予後如何お過ごしかとお案じ致して居りましたが この度御本をお贈り下さり嬉しいやら有難いやら 度々のご配慮に感謝の念で一杯です ありがとうございます。難儀をのり超えられ 喜寿をお迎え、心よりお祝い申し上げます

どうぞご自愛下さいまして佳い日々をお送りの程をお念じ申し上げて居ります お礼まで  (明日は時代祭 そして夜は火祭り お作『冬祭り』を思い出して)  十月二十一日よる  京 同窓 文

 

 

☆ 平凡社からご本が届きまして驚きました。

喜寿のお祝い おめでとうございます。

私語の刻を読ませていたゞきながら昭和三十四年代の(河田町みすず荘という=)生活空間は、思い出深い幸福な時間でした。一生誇に思って居ります。そして喜びです。

増ます御発展をお祈り申し上げます。お礼にかえさせてくださいませ。 10/20  高槻市 梓  読者

 

☆ お花

遠様  少しの間にすっかり秋になりました。

日々頑張っておられる様子、力が入ります。

今年は不順で、お花も気温に合わせて咲いているようです、

昨日の雨で今日一度に貴船菊が咲きました、送ります、秋の花は忙しです。

季節柄無理をされないように、お大事に   華

 

* かなり疲れている、やはり。米倉涼子の外科医ドラマを楽しんで、そして休もう。

2012 10・25 133

 

 

* 中国文学者であられた興膳宏さに、送本のついでに失礼ながら、私の「恒平」名二字になにか典拠が有りましょうかとお尋ねした。二度ばかり読書の中でそれらしい何かに行き当たりながら書き留めなかったので忘れ果てていた。興膳さんは、特に見当たらないが、「ただ、清の康煕年間の宮廷雅楽に、「恒平」の曲の存したことが、「清史稿」に見えます。恒久平和の意と思われます」と。これは興膳さんからの謂わば「喜壽」を違和つて下さったものと思い慶んでいる。

なかなか恒久平和とは生きてこれなかった。憤ろしいことも悲しいこともあった。だが嬉しい、晴れやかな、励まされることも多かった、その方が多かった、と顧みて思えるのが有難い。

振り向くな、過去を顧みるなとバグワンに叱られてばかりいるが、心弱るとついそういう気味に陥る。

2012 10・26 133

 

 

☆ 秋も日毎に深まってまいります。

御不沙汰いたしておりますがお障りなくお過ごしでいらっしゃいましょうか。

先日は今月の新刊エッセイ・京都の「京のわる口」を御恵送にあずかりましてありがとう存じました。ぱらぱらと拝見いたしますと、思わず「そうそう」と肯いたり何やら恥かしい気分になったりいたしております。

それでも私は京都の旧市中の育ちではございませんので、位取りというような心の行き交いにどこか理解の及ばない所があるやもしれません。育ちました所は賀茂川の発する所 かつて

わが家郷洛北愛宕(おたぎ)雲ケ畑山の五月に子を会わしめぬ

とうたった所でございまして 小学校を卒業する迄、旧い家に、父母と過しましたが後は学業の為に京都の学校の寮に入りました。当時は只今のような車社会でもなく、バス通学が出来るような所でもございませんでしたので、上の姉から順次そのようにして狭い見聞の中で成人したのかと思い返しております。

御本の御礼を申し上げようと筆をとりながら埒もないことを申しておりますが、この八月に長い間、「湖の本」を二冊頂戴いたしておりました分の一冊の読者でありました姉(長姉)が他界いたしまして それに関りますあれこれからこの頃やっとゆとりを取り戻しましたので、一度その旨を御報告申し上げ、この後の御本の送付を一冊にとお願い申し上げ度存じておりました。大変勝手なことを申しまして恐縮でございますが よろしく御諒承下さいませ

姉故秦一子は子供がおりませんので過去帳をしらべる限りでは四百年続いているとの事であります家に生まれましたものといたしましては先々荷の重いことでございまして、八十われは如何なすべき という気分でございます。

何彼と言わでもの事を記してしまいまして申しわけございません、乱筆御判読くださいませ

猶 お寒さに向かいます折から御身御大切にと祈り上げます かしこ   十月二十三日  歌人

 

☆ 拝啓

昨日 「京のわる口」大変嬉しく拝受致しました。喜寿の祈念とのこと、誠におめでとうございます。

闘病生活につきましては、湖の本等で存知あげ心を痛めておりますが、どうぞ生きて生きて、生きぬいて、書いて書いて、書きぬいて頂きたいと心から願っております。

私もまた、十年近く昔に右目の黄斑をダメにしてしまい、左目ももう少しで黄斑を死なせてしまうところでした。いずれも眼底出血で血が引かず、当時は引くのを待つより他なかったのでその部分が壊死してしまったのですが、左目だけは黄斑を一八0度ひっくり返すことで位置を変え、かろうじて視力は保てました。

しかし、右目が見えない上、左目も左に十五度ほど傾いて見えるため、字を書くとどうしても曲ってきてしまい、くわえて視力が0,三しかありませんのでかなり苦労をしています。

しかし、幸い本は左目だけでも十分読めますので、少しばかり不自由をがまんすればすみます。

ただ、そんな状況ですのであまり外出はしないようにしており、もっぱら休日は家で過ごしています。肺の方も左側に上半分を切りましたし、あまり過激な運動はもう無理なようです。

考えてみますと、いつの間にか還暦も過ぎ、そろそろ年金生活に入るという年令になってしまいました。私も十二月生まれで、十一日には六十三歳になります。『慈子』を探し廻っていた頃から何十年もいつの間にか過ぎてしまいました。おかげで今は旧版二冊、新版二冊を大切に持たせて頂けるまでになりましたが、二十年や三十年という年月はふり返えるとあっという間だったなあと思います。

「好きな作家の好きな作品に囲まれて暮らす日々」が一つの夢でもありましたが、おかげさまでなんとかそんな日々を送れるまでになりました。

とくに百冊を超える「湖の本」は何よりの財として本棚に並んでいます。おそらくこの先も手に取ってはこれまでの日々を、更にはこれからの日々に想いをはせることでしょう。

お送り下さいました「京のわる口」も、大切にわが財として手許に措きたいと思っています。本当に有難うございました。

「一病息災」という言葉を聞きました。なら、「二病」でも「三病」でも元気であればやっていける、そう思っています。

どうぞ病気などに負けることなく、秦恒平の世界を今後もつむいで頂けますよう、心からお祈り致します。

一介の「湖の本」の読者に過ぎない私のような者に著書を「謹呈」して下さる、これ以上の喜びはありません。 敬具

平成二十四年十月十八日

追伸

手紙を書きおえて、ふとこんな大きさの文字で読んでいただけるかと気にかかりました。私自身、方眼をたよりに、原稿用紙に顔をひっつけるようにして書いているものですから。

近視の上に老眼まで入って来てしまい、眼鏡を外せばどんな小さな字でも読めるのですが、十五~二十センチの距離。ま、本が読めるから(ルビでも)良いか、と思っています。

ポストに投函するのが遅くなってしまいました。仕事用のファイルに入れたまま、持ち歩いていました。

十月二十三日 自宅にて   御坊市  祥  読者

 

* 冥利を覚える。感謝しかない。

2012 10・26 133

 

 

* 機械破損の前、かなり当てずっぽうに原稿類を分類し統括したが、機械が駄目になったとき、帯同して、在るべき筈の原稿をこの新親機で捜しても見つからない。子機に集中的に破損旧機から林君に救済して貰った中から、当面欲しかった原稿を見つけ出した。

どうやら、もう一度整理をし直さねば必要な物が即座に取り出せない。

 

 

☆ 平凡社ライブラリー

「京のわる口」をお贈り下さりありがとうございます。

おからだの具合を心配しております。どうぞ御自愛下さるよう。

小生も76歳、腰と膝、眼と歯と耳も衰えました。

「スゴーイ」は何とも腹立たしく、テレビの旅番組やタレントの出る番組は、そのために観ません。 元平凡社役員

 

☆ 先生 その後

如何お過ごしでいらっしゃいますか。

「京のわる口」お送りいたゞきまして有難うございました。

母の話し言葉には半分京言葉が入っていて、「そうそう」と納得しながら拝読いたしました。

お召しあがりになれるといゝのですが、  少々お送り申しあげます

ご回復をお祈りいたしております。  十月二十七日  神戸 文  読者

2012 10・27 133

 

 

* 「少年拾遺」「光塵拾遺」「晩年予稿」満たされつつある。

2012 10・28 133

 

 

☆ 御著書賜り

ありがたく 御礼申し上げます。

京都生まれ、育ちの主人が

「なつかしいナ」と先に拝読致しております。

当方、学ぶこと多々。

御自愛切に切にとお祈り申しております。

月光裡 言葉降れ降れ なお堆(つ)もれ   谷子   北九州市  俳人  読者

 

☆ 拝啓

間もなく十一月を迎えようとしているのに温い日が続いています。

この度は文庫版『京のわる口』を御恵投下さいまして寔に有難うございました。

以前「湖の本」で拝読した覚えがあります。切り口がユニークで、京都人の思惟と伝統を見事に解明した好著と思いました。

また手頃な文庫版で読み直したいと存じます。御身体お大事になさって下さい。 敬具   元岩波書店編集者

 

☆ 「京のわる口」を

有難うございます。

さっきお手紙を出しましたように 今、イギリスにおり、ロンドン展の他に 中世の雰囲気が残っているチューダー様式の古い家並みが軒を連ねているストラトフォード、アポン、エイヴォンや蜂蜜色の美しい石造りの家並みが魅力的なコッツウォルズの村など旅しています。合い間に頂いた本を面白く拝見しております。10/21  京都北白川  画家

 

☆ ご連絡有難うございました。

秦 先生 お世話になっております。

「闇に言い置く 私語の刻」のこと、ご連絡を頂戴いたしましてまことにありがとうございました。

さっそく拝読いたしました。

こころあたたまるお手紙ばかりで、ささやかながら再刊にご協力できましたこと、とてもうれしく思っております。

弊社の元社員からのお手紙も、何通かあるようですね。

こちらにも御礼状が届いておりますので、随時転送させていただきます。

お身体のこと、なかなかままならぬ日々が続いていらっしゃることを拝察いたします。

気候もよくなってまいりました。快方に向かわれますこと、切にお祈りいたしております。

体調が落ち着かれましたら、お目にかかれますこと、日々楽しみにしております。

取り急ぎのご連絡にて恐縮ですが、引き続き何卒よろしくお願いいたします。    平凡社担当編集者

 

* 神戸の歌人、口に合ったのならと庭のつるし柿をまた送ってきて下さった。感謝。夕飯時に早速一つ頂いた。

2012 10・29 133

 

 

☆ 『京のわる口』有難うございました。

秦先生  この度は「京のわる口」をお送り頂きありがとうございました。

先週末、東京の自宅に帰った際に郵便物が届いていてびっくり致しました。

ちょうどこの週末にでも奈良の本屋に買いに行こうと思っていたところです(東京に帰る時はやることが沢山あるので・・・)。

この4月から奈良に暮らし、奈良の人たちと会話をしてきたので、色々な会話の中で「??」ということは結構あったはずですが、今振り返って見てもどんな言葉に「??」と感じたのかよく思い出せません。恥ずかしい限りです。

今、奈良は正倉院展の開催中で一年の内でも一番観光客が多い期間です(と聞いています)。ただ、正倉院の中身より先に、先日、正倉院の建物そのものは見る機会を頂きました。

1300年の時を経て常にそこにあり続ける建物の存在感だけでなく、柱などの部材一つ一つの存在感にさえ圧倒されます。

一方で継手や仕口の精緻さと逆にそこに感じる大らかさがあり、だからこそ、長年にわたり木と木を繋ぐことができているのではとの感覚がします。

奈良の建物には京都のような繊細さは余り感じませんが、豪快さや大胆さを感じることができる、正倉院はその最たるものの様な気がします。

東京と奈良を行ったり来たりで、家族には迷惑をかけていますが、少しでも奈良を感じて勉強できればと思っています。

これからは奈良の言葉も意識してみようと思います。

ありがとうございました。   東工大卒・建築  栗  国交省

 

* 「栗」ちゃんの篤実なメールの文章に、今回、感じ入った。文章と内容との配合が、じつにしっくりしている。管理職として本省から出向し、持ち前の「栗の実」のうまさ確かさで働きながら、正倉院や奈良に真向かっているのが嬉しい。勉強の仕甲斐のある奈良での暮らしを慌てず騒がず働いている精神の健康さ。些事にも几帳面な好漢。大事にお過ごしあれ。

 

☆ 秋深み、独り言に

老いぬればなどかく悲し

人間に非ざるものにならんとすらん  大阪 美

 

* 老いは老い どう おい懸けても老いは老い

悲しくば泣け 来世を待つな      遠

 

☆ 拝啓 秋冷の候

先日は叔母の葬儀で久し振りにお会いでき慶んでいます。

この度は喜壽を迎えられる由 新刊『京のわる口』をご恵贈賜りありがとうございました。大病で入退院をくり返される中 ご著書を次々発刊される凄さに、敬服するばかりです。

どうぞご体調管理にご留意されますことを願っています。先ずはお礼まで。 敬具  竹原市 所  妻の従弟

 

☆ ご本を

お送りいただきながら、御礼が大変遅くなりまして 申し訳けございません。実は私、不運にも バス事故で、左手首と左足を骨折してしまい、御本が届いた日は、病院におりました。

母を診て下さっている福祉協会の方が、我が家のポストから御本をとり、私の所に届けてくれました。

10/19 に手首の中に金属を入れる手術をし、一週間後に退院しました。

今では松葉杖で歩けるようにもなり、ホッとしております。

入院中は先生の御本を読むことだけを支えに、つぶれそうになる心を何とか保ってやり過ごすことができました。

(それより先、東京から京都へ帰り手術した=)胸の傷の治療もほぼ終了し、2週間後に来ればいいよ、と医師から言われ、塗り薬をもらって、バスに乗って、京大正門前にある某所にかかっていたドキュメンタリ映画を観て帰ろうとバス停降りた時、そこにバス停からはずれた巾10センチほどの縁石の上で、私はかかとをその上にひっかけ転倒してしまいました。(中略)ただただショックで、母共々、あさぎ込んでおります。

こんな時にいただいた「京のわる口」は、まるで希望の光のように私を励ましてくださいました。

もちろん先生や奥様にそんなお積もりはなかった訳けで、(笑)

読ませていただいた『京のわる口』、あ、秦先生の文体だ、と感じた時はとってもうれしかったです。 (中略)

先生は反原発のデモに参加されるほどお元気になられたご様子で、心から喜んでおります。

では、いつか又 お会いできますことを心から願い、失礼致します。本当にありがとうございました。

奥様のおやさしい文にはいつも涙します。ありがとうございます。 10/29 乱筆乱文にて  京都 田

 

* 日録に「胃癌に」と胃全摘手術の余儀ないことを書いたとき、ある晩、我が家を探し探し玄関まで訪ねてみえた唯一の人で、病室用の上等のパジャマを下さった。我が家が上も下も無い散らかりようで、玄関立ちのまま泣き出してのお見舞いの言葉を受け、まこと心ならずもお帰り願ったが、この人自身がすでに大病にかかっていて、ほどなく故郷京都へ病身の母上と二人で帰り、大きな手術を受けたあとでの、このバス災難であった。バス会社も京都市交通課もけんもほろろに自己責任ということで突っぱねたという。嗚呼。

何にしても退院していると知り、わずかに、夫婦して安堵の息をついた。

わたしの妻は、いましも定例の病院診察を受けに出かけています。

2012 10・30 133

 

 

* 上野千鶴子さんから『みんな「おひとりさま」』と題した本を貰った。

 

☆ 秦恒平様

「京のわる口」拝受。パタリと開いた頁に、「ほっちっち 構(かも)てなや…」の童唄が。その昔祇園祭で聞いていらい忘れがたい、子供にしてはこましゃくれた都らしい唄です。京都にご縁が深くなり、改めて京のQOL の高さを実感しています。

新刊一冊お納め下さい。 10/21   東大名誉教授 上野千鶴子

 

* もう東京で作家生活に入っていた頃か、京都の平安女学院であったか上野千鶴子という若い女先生が「えらい勢いで暴れたはる」という噂を聞いた。京都のような街で「暴れたはる女学者」は頼もしいと思っていた。

上野さんが東大へ出てきてからの新刊を、十冊できかないほど貰って、けっこう熱心に読んできた。

 

☆ 拝復

ひと雨ごとに秋の深まりを感じます、それにしても暑い夏でした。

年初來ご入院、ご加療とうかがい案じつつも、矢継ぎばやの湖の本ご刊行、充実して日々お過ごしのたご様子に安堵しておりました。9月ご刊行のセンスdeポエム、東工大での試みと併せて、短詩型文藝ならではの鑑賞、それが創作にあい匹敵する作業と感嘆しつつ、どうして解に当らないのかと嘆じつつ楽しませていただきました。雑誌はともかく千人にも及ぶ学生を魅惑したこと、よく理解できます。 俳諧、動く、動かぬの論もありますが、誠に作者その心を知らざりけりの境も実感できました。

この度は『京のわる口』ご恵与たまわりありがとうございました。湖の本で未読、軽妙な行文に直かにお話うかがっているような気分になったこと思い出します。

教理が秋田県で、うどん少々お届けします。 お口にあえば幸い。

くれぐれもお揃いでお大事に。

清水湧くふるさとあるを誇りけり      草々

10月28日      信   神戸大学名誉教授  読者

 

* 平家物語の研究者で。これまでもいろいろご教示頂いた。神戸あたりでは手作りもされる「釘煮」なども頂戴している。有難いことです。

 

☆ 急に寒さがやってきました

その後 お元気でおすごしでしうか。

先頃は喜壽御祝いのエッセイ『京のわる口』をお贈り下さってありがとうございました。

「位取り」という言葉、「湖の本」で知って以来、頭に残り、友人たちをじっと観察したりしたものです。

どうぞくれぐれもお大切になさって、また、よいお仕事をなさって下さいませ。

お礼がおくれましてまことにすみませんでした。

寒さが加わります。くれぐれもお大切に。

先ずは御礼まで  草々   大府市 江戸文学研究者  玲  読者

2012 10・31 133

 

 

☆ 謹啓 秋冷の候、

秦恒平先生におかれましては、ますます御清祥のこととお喜び申し上げます。

過日は、ご著書『京のわる口』を御恵贈いただき、誠にありがとうございます。京都ご出身で、京都を知悉され、京都をこよなく愛される秦先生のお心が伝わって参ります。

時節柄、くれぐれもご自愛いただき、秦先生のますますの御活躍と御健勝をお祈り申し上げます。 敬具

平成二十四年十月二十二日   京都市長  門川大作

 

☆ ご清祥の御事と

お慶び申し上げます。

この度は『京のわる口』を御恵贈賜わり、心より御礼申し上げます。

愉しみに拝読させていただきます。

益々の御自愛、ご健筆をお祈り申し上げます。

先はとりあえず御礼まで。  瀬戸内寂聴

 

☆ 御賀のこと

お祝い申し上げます。

いよいよ御健筆にて 御活躍下さいませ

京のわる口 身内ならではの御文章です。わたくしなどは書けませず 書いたら京の方に叱られましょう。

冬は老の大敵 くれぐれも御大切に。

御本の御礼まで   杉並区  作家

 

☆ ご送付のお礼

秦先生  2 枚つづりのカレンダーも今年最後の1枚となり、急にひんやりしてきました。

夏日から一転、あいだの季節がないような移り変わりです。

お体いかがでいらっしゃいますか。

ご病気のあとも、少し落ち着かれるともういつもと変わらぬ日常を紡いでいらっしゃるお気持ちのありよう、いつも驚嘆しています。

先日はご本ありがとうございました。

新聞で広告を見て、本屋さんに行ってみようと思っていた矢先、郵便受けに届きました。申し訳ありません。

当方、老老介護がますます加速し、制度や仕組みの不備や矛盾が直接身に降りかかっています。

まあその中でなんとか日々を流したり泳いだりしています。

どうぞくれぐれもお大切に。  杉並区  米  読者

2012 11・2 134

 

 

☆ ご本をお送り下さり

ありがとうございました。その上御礼が遅くなり申し訳ありません。

主人が珍しくめくってみて面白いと言って読んでいます。

東京に居る姪( 兄の子) が京都弁のまま毎日ブログを書き込んでいるので 主人が読めば送ってやろうと思います。彼女はミュジシャンです。

以前から同じ本を私は手元に持っていますので。

3 日と空けずに私語の刻を見て一喜一憂しています。

どうぞご無理なさらないようにお過ごし下さい。

遅ればせながら御礼まで   京都同窓  貞  読者

2012 11・3 134

 

 

* 午後おそめに友枝昭世の能「海女」を観に千駄ヶ谷まで出向くつもり。後ろの席から舞台と演能とがちゃんと見えるかと心配はあるが招待に愉しみに応じたい。

二時半に能楽堂に入った。最後列の一つ前の席で、舞台は眼にぼやけていたが謡を聴き、囃子を愉しみ、ときどきは片目右眼を掌でふさいで左眼ひとつで昭世の美しくたしかな舞いを喜んで見つめていた。「海女」は子方がかなり謡う。これは難と言えば難であるが、前シテは珠取りの劇を強く深く演じて感動豊か。後シテは龍女としてちからづよくしかし静かに舞う。いい能であった、

能を終えたところで馬場あき子と出逢ったが、馬場さん一瞬二瞬わたしが識別できなかった。言葉をどうかけていいのかという顔つきで、湖の本が「こーんなに書架に増えたわ」と両手をひろげて話した。先日の「鉢木」のとき小林保治がやはりそうだった。二十数キロも痩せたのだ、顔にも生彩がなかったろう、掌の無数の深い皺などわたしが観ても愕く。

一路帰宅。二つの電車で二度とも親切に席を譲ってくれる人がいた。有難かった。

2012 11・4 134

 

 

☆ 秦 恒平様 2012年10月31日

秋も一段と深まった感じのするこの頃ですが、お変わりなくお過ごしのことと存じます。お目を患いながらの平凡社ライブラリーへのまとめ、御苦労が多々あったことと存じます。

京都のご出身だけに、数多くのご著書で故郷について書かれていますが、このたびご恵与していただいた『京のわる口』は、京ことばの深淵な意味、それに対する奏さんの心からの愛情のほどがうかがえるすばらしいエッセーと思います。

それとことばの持つひびき、そこからつむぎ出される意味の広がり、京ことばへの「わる口」のポーズをとりながらも、心から自らをさらけ出し、表現できることばとの愛情ある思いまで伝わってくるようです。

日ごろお送りいただく「湖の本」とともに、<秦文学の世界>を、ことばによって、またその口から出る息吹によって構築しているようでもあります。「湖の本」も読みごたえがあり、いつも感動していますうちに<とき>がたち、御礼をさしあげるのも間延びがするありさまで、申し訳なく思っております。

私のほう、大阪大学から国文学研究資料館長を経て、現在では阪急文化財団逸翁美術館館長を務めております。そこでも何か新しいものを作り出そうと、まずは「阪急文化」という雑誌を昨年創刊し、お送りするのは3 号目です。今回は、源氏物語の展示をいたしますのにあわせ、雑誌はその特集をしてみました。ご笑覧いただければと思います。

ますますご健勝を祈るとともに、執筆活動により、私どもにさまざまな教えをいただければと心から願っております。

ありがとうございます。      伊井 春樹    阪急文化財団逸翁美術館館長

2012 11・5 134

 

 

☆ お礼、大変遅くなりました。

まずは「京のわる口」の上梓おめでとうございます!当節の書店は、雑誌、参考書、ハウツー本に文庫本しか置いていないですね。文庫本はやはり手に取りやすいですから、新しい読者を開拓できるかも、と期待してしまいます。

以前、劇団協議会勤務時代、直接の上司は京西陣の織屋さんの息子さんだったため、京都の方の言葉には随分驚きました!

普段はとても思いやりもあって優しいかたなのに、こちらがすっかり忘れたころ、何気なくキツ―イひとこと。

びっくりして「鳩が豆鉄砲くらったような」顔を何度したことか…。

本当に地域性および地域言葉は歴史と連動しているものなのですね。

秋もすっかり深まりました。どうぞお変わりなくお過ごしくださいませ。  田無  岸

2012 11・5 134

 

 

☆ 秦恒平様

『京のわる口』ありがとうございました。

最初 読ませていただいたおりはよくわからなかったのですが、2度目は少しわかるようになりました。 3度目でようやくわかるようになりました。

どうぞお大事になさっていただけますように。   大学教授 京都 羽  読者

 

* この心親しい人から、京ならではの名菓が贈られてきた。有り難う存じます。

2012 11・6 134

 

 

☆ 前略

重ね重ねの野暮、何卒 田舎者に免じてご海容下さい。

御奥様からのおはがきによれば、手製干柿、再び おめしあ上り下さった由、何よりの幸いでございました。うれしいです。

以前にも(失礼ながら『湖の本』の振替用紙通信欄で)申し上げた記憶がございますが、「秦恒平の前に秦恒平無し(とは、あえて言わずとも)秦恒平のあとに秦恒平無し」です。昨今、その感、実に一層深く、そのことは、ご当人の先生ご自身が最も深く、強く感じておられることでしょう。

何卒ご快癒の祝をと、心から念じております。

取り急ぎ一筆のみ、失礼申し上げました。  不尽

末筆乍ら、ご令室様によろしくご鳳声下さいますよう。

十一月三日     神戸 大學名誉教授 歌人  昌  読者

たはぶれまでに

よろこびが松としきかば めぐりこむ喜壽の齢ぞめでたかりける  東彦

 

* かへし

松ヶ枝に喜となく鳥のことぶきに齢なかばと知るが嬉しも  遠

 

* 懸命に書いた原稿の大半を、保存しておかなくて消失させた。こういう体験はパソコンとつきあい始めてから、数限りなく重ねてきて、やっぱり諦めにくい。ウーン、今夜にもう繰り返すのはよしておこう。抗癌剤の今期服薬は明日一日で、金曜から一週間休薬の予定。今期は、かなりキツかった気分。明日通院、土曜は国立大劇場で幸四郎らの通し狂言が楽しめる。あけて月曜には感染症内科へ。そのあとは、俳優座公演や歌舞伎の顔見世や、久々福田恆存劇「明暗」を嗣子逸さんの演出で楽しめる。楽しみ尽くして病苦に克ちたい。

そのうちに、新しい「湖の本」114が入稿できるだろう。

2012 11・7 134

 

 

* 涙目と手先の痺れとで、キイをうつ手作業がままならない。しかし、昨晩、し損じた原稿はちゃんと書き直した。

昨日今日は疲れた、やはり二週間朝晩の抗癌剤服用のせいか。しかし、意欲面は減衰していない。こんど正月早々には送り出せるだろう新しい「湖の本」は読者を驚かせるだろう。

それにしても、かなり癌患者としては過密な日程で家の外へ出歩いている。健康な老人でもこうはなかなか動けまいと思う。明日は貴重な一日休。明後日から三日間は、歌舞伎、眼鏡調製、聖路加感染症内科とつづけざま外出する。どれもこれも今のわたしを鮮やかに代弁してくれている。そういえば今日病院へ出かける間際の下痢はナイアガラのように凄かった。

2012 11・8 134

 

 

* 打って変わって寂しく、国民学校から高校までの同窓、ときに俳句の便りもくれていた今村豊君の訃報が子息より、また読者でもあり高校の茶道部で手ほどきした人の姉上、やはり「湖の本」を応援して下さっていた方の訃報も。合掌。

2012 11・10 134

 

 

☆ 秦恒平先生

漸う落ちついた秋の深まりを感じるようになりました。 この暫く あまりの気候の荒々しさにもてあそばれるように過して、 ましてや御いたつきの御身をどうお過ごしでいらっしゃることかとお案じは申上げながら 湖の本113を頂き、その御礼も申し上げませんうちに 「京のわる口」の平凡社版、御恵贈下さいましたものを拝受いたしました。 有難う存じます。

喜壽を御祝い遊ばします由、まことにおめでとうございます と、平凡に申上げるのが 何やらもの足りず、毎日ページを繰り直して、時には ほんまやなあ、と感心し、時には、もっと云うてほし、と思ったりして、今日に到りました。 大変な御闘病の中を、それでもこうしてなお およろこびの辞を申上げられますことが うれしゅうございます。 よい日をお迎え、お過しになります様 お慶び申上げております。

私、少し先をあるいて今年八十一歳で年末を迎えます 何とか日を送っておりますが し残した仕事をどうぞしてと思いつつ 自分自身のしんきくささにじれたりして、一日一日が過ぎてゆきます 足が不自由になり 心臓も母ゆずりに病んで病院通いの日常ながら、なお いこじに一人くらし、 今日になっても 東と京とは違うことを 毎日のように思いしらされております。 たとえばこの間も 「虹」のことを、度々話していましたのに もひとつ納得した顔をしていなかった東京生れの人が、「あゝ、ニ「ジ」でございましたの? 「ニ」ジっておっしゃるのが分りませんでしたの、」と言いました (古い国分尼寺趾の地名が にじ(尼寺)がおか と云われるうちに 虹ヶ丘になった という話です)  笑いながら このすかたん と思いました。

蛇足になりました。

くれぐれも御大切に、よき御日々をお過しをとお祈り申上げます  かしこ

十一月十日       和  エッセイスト

 

* 「すかたん」は見当外れに自説に固執して場をかきみだす相手に蔭でなげつける「批評語・わる口」で、男も云うが、とりわけ女性の口から吐き出されることが多いと感じている。次の、在米京育ちのお茶人の口からも時折聴き取って、にやりとしたことがある。京おんなはもの優しいが芯は堅い。

 

☆ 恒平様

そちらは早やさむくなってゐるようですね。

先日は湖の本113と続いて京のわる口 お贈り頂きましてありがとうございました。

私も「ミマン」の読者で最后迄拝見して居りました。何時も次頁に幸四郎夫人の美しい和服姿も楽しみにしてゐました。

京のわる口は半分程読んだ頃友達が持って帰りましたので私は初版を読み直して居ります。

楽しいですね。でも 中々通じない人ばかりでつまらないです、田舎の人が多いので。

こちらも少し寒くなり もう椿が咲き始めました。

細水指と秋の野のお薄器 使わせて頂いてます。表さんの友達がうらやましがってゐます。

見る程に美しいおなつめで 嬉しい嬉しい思をさせて頂いてます。 ありがとうございます。

どうぞお体お大切にお過し下さいませ。ありがとうございました。  ロス 千 茶人 読者

 

* 差し上げた茶の道具が実地に使われているのは、ことに嬉しい。ハズバンドさんの御健勝が切に願われます。

2012 11・12 134

 

 

* もう明日早朝には「湖の本」114の初校ゲラが届くと、連絡あり。

2012 11・14 134

 

 

* 「湖の本」114の初校ゲラが届いた。原稿づくりに慎重を期したので、眼の状態さえよければ早く進む。眼の方は、十八日の眼鏡の出来で少しく決まってくる、今後の動揺も覚悟しているが。

2012 11・15 134

 

 

* 仕掛かりの幾つもがあるのに、突如新しい「寓話」が書きたくなって、書き出してみた。躁ではない、だがわたしは鬱でも全くない。こんなに仕事も楽しみもあるのに、海とも山とも分からない病状に「気」で負けていられない。「湖の本」114の校正も進めているが、115の構想も出来つつある。

いま、メールをわたしは殆ど自分から使わない。使い始めれば途方も無く必要な時間が殺がれる。手紙や葉書も、ましてそうで、わるいし申し訳も無いが、妻に、ほぼ全部の必要を助けてもらっている。

したいこと、せねば済まぬ衝動がはてしなく在る。機械の前へ一度坐れば、身をもぎ離すほどでないと「仕事」が止められない。あるいは「生き急いで」いるのかも知れないが、目下はそんな気分に無い。「創作」と「私語の日録」と「機械の整備・整頓」と、それだけでたいへん。しかもそれが「要すれば好き」なのだから仕方が無い。有難い。

2012 11・17 134

 

 

☆ 拝啓

急に寒くなってきました。おからだの方はその後いかがでしょうか。お大事にして下さい。

『京のわる口』拝読しました。私は大阪生まれなので、読んでいて同じ関西弁でもこれだけのちがいがあるのかということがよくわかります。

引用の文章がニュアンスともども聞えてくるようでたのしいでした。自ら話すことができなくても 聞けば理解できる範囲のちがいだな、と 言葉というもののおもしろさを改めて知りました。   川西市  国文学者 名誉教授

2012 11・19 134

 

 

☆ 秋冷の候

その後おからだ如何でしょうか。『湖の本』113 やペンクラブ会報などで、今年はいくつもの手術入退院を繰り返し、御闘病の由存じておりますが、一日も早い御快復を心より念じ上げます。

また、喜壽の御祝いにと御著『京のわる口』を頂戴いたしまして有難うございました。私ごとながら、本日、小生は喜壽プラス壱歳となりました。

御両書の御礼を申上げようと思いながら、先日一杯まで、私事で手つかずになってしまいましたこと、お許し下さい。

唯一の、掛け値無しの褒め言葉が「はんなり」で、「花あり」の意、とある『京のわる口』は、関東銚子生れの身にとって、具体的な一語一語が説得力を持って迫って来、愉しみました。歴史の違いを、殊更、痛感しました。

「私語の刻」で、終始「悪政」を批判されていましたが、今回の「無責任解散」を意味あらしめる選挙にしたいのですが。

2012.11.18      元出版部長  高

2012 11・20 134

 

 

☆ 拝啓

今年も押し詰ってまいりました。しわ刷り総選挙で騒がしい昨今です。戦後の日本の歩みを否定するような勇ましい叫号も聞えてきます。歴史の転回を前にしたエアーポケットの中にいるような感がしないでもないです。

本年は「湖の本」や平凡社文庫など数多くの御著書をお贈り下さいまして有難うございました。別便にてささやかな品を御礼のしるしに送らせて頂きました。御健勝を祈り上げます。敬具    元岩波書店編集者

 

☆ いつも湖の本

ありがとうございます。造詣の深さに感心しています。(喪中挨拶に添えて)  大阪市 ペン会員

 

☆ 湖の本

お送りいただけましたとのこと、楽しみにしています。ご体調の万全ではない中で、ありがとうございました。

もう十二月に入ってしまいました。この一年を振り返ると、ひとり相撲の妄想と煩悶以外の何もしてこなかったような気がいたします。みづうみの二回の手術と三回のご入院はもちろん最大の心配でしたし、放射能汚染という目に見えない恐怖、将来の過酷な被害を調べて認めていく過程は、ほんとうにしんどいことでした。

福島はもうどうにもならない、東京の経済的クラッシュを防ぐために、徹底的に汚染と健康被害を隠蔽するのが国策である以上、すべてが露見した時には手遅れである以上、残された人生の目的は、子どもの未来を守るために死に物狂いになることしかないと、そんなふうに過ごした一年でした。

来年はもう少し自分の人生を、美しいものも追いかけたいけれど、既に日本の半分を失ってしまった嘆きと、残された半分も失いそうな悲しみは益々深まりそうです。

みづうみのように一瞬で他界にワープする能力は、孤独な幼少期を過ごした人に与えられる天からの贈り物かもしれません。

寒くなりました。

お風邪などお召しになりませんよう、お元気にお誕生日をお迎えください。 鴨  鴨の中の一つの鴨を見てゐたり  虚子

 

* 十一時を過ぎている。今日もしたい「仕事」をして過ごした。 2012 12・3 135

 

 

* 「花」さんとは久しいメルトモだったことは、多くの人が知っている。その人が、最後にとてもご機嫌な気持ちよいいつものままのメールをくれていて、もう五ヶ月ちかくフツと便りがない。湖の本の支払いなども至って律儀に本が届くとほとんど折り返し送金してくる人であった、それが二冊分届かない。メールを二、三度送ったが返事がない。

静岡まで出てクリニックの診療を受けているとは前にメールで聞いていた。こどもが欲しくて、不妊の診療を受けていた。採卵から着床、受精、そして妊娠まで、成功までが難しいと聞いている。不慮の事故で亡くなったのかもしれないとすら心配している。ご主人からも何の通信もない。

人の命のはかなさを、年ごとに痛いように身近に感じている。「花」さん、無事だといいがと祈っている。

2012 12・5 135

 

 

* 湖の本114の再校ゲラが出そろった。跋文だけが入稿出来ていないのは選挙結果を待っている気分なのだが、それは末尾に数行残しておけば用が足りると、今日明日にも跋を書いてしまいたい。 2012 12・8 135

 

 

* 湖の本114の表紙、本紙、あとづけを責了。残すは跋だが、これは総選挙の結末を見届けて末尾に付け足したい。

2012 12・12 135

 

 

☆ 秦恒平様

『京のわる口』、ありがとうございました。とても面白く、拝読しています。

お体、どうぞお大事に。   雑誌「ひとりから」経営編輯者 元筑摩書房

2012 12・15 135

 

 

* 午後にも晩にも、わくわくしながら書きさしの小説を書き進んでいた。なにかしら取り戻しつつあるが……ではでは、さて、この小説、湖の本ででもほんとうに発表できるのだろうか。罵詈に包まれるのではないか。ま、それはいいとしておく、今は。初校が成らねば話にもならないのだから。

2012 12・15 135

 

 

* 今度の湖の本114の「あとがき」の頭の方で書いたことだから、此処に重ねるのもどうかとは思うが、野田前総理に顕著であった「権」の大誤解に触れて、こんな歴史的な事実・真実をもう一度も二度も、人に、わけて政治家に、分かって欲しい。そのまま書き写す。

 

☆ 「権」の意味

*明けの夢で「権」一字を吟味していた。権力、権利、権勢、権門、それに権現(ごんげん)というのも。権(ごん)中納言藤原定家という「権」もある。権妻(ごんさい)というのもある。政権、覇権、選挙権、権柄(けんぺい)などもある。

「権」は、本当の本来ではなく仮に表された、仮に現れた意義を持っている。定員は二人とか三人とか限定されているのに、追加されたので定家卿と限らず大納言や中納言でなく権(ごんの)大納言・中納言たちが存在した。

「権」は、わかりよくいえば神のようなものの「代わり」「代理」「準(なぞら)えたもの」「授けられ与えられたもの」の意義を体しているに過ぎない。帯しているに過ぎない。「ほんものではない」のだ。

それを「ほんもの」の気で、生得の持ち物のように、権力、政権、権勢をふりまわす、それが人間の偽物づくしの歴史だ。仮に預かっているものに過ぎないのに、権柄をふりまわしたがる。権現様と祭られていても「仮に現れた神・佛」で、本地は他に超越的におわすという理解なのである。

「権」は振り回すものでなく、謙遜に預かっているだけ。政治家や会長・社長の類がいちばんモノを心得ていないけれど、いずれ代わりが出来てくる。「権」という制度は、心得ていれば人間の智慧でうまれたとも謂える。  2011.01.13

 

* あの野田が、口を開けば「わたしは総理大臣、わたしが決める、判断する」と、「民意」を蹴飛ばし続けて政治を大きく誤ったのは、「権」とは預かりモノという謙虚を微塵も持たず、大きな顔で栄達の限りとばかり心得、無反省に上から与え遣わすかのように暴政・悪政を連発し、今回天罰を蒙った。「責任をとるとは、自分の場合、議員辞職すること」と言っていたのも、平然と反古にし、「党代表」を自認しただけとは、さりとも情けない男である。

 

* 湖の本114の発送用意にかかった。本は正月七日に出来て来る。

 

暑かった夏から、秋を抜いていきなり真冬になったような昨今ですが、ご体調はいかがでございましょうか。都心にくらべて、立川は一段と寒さ厳しく、先日は九州では見られない十センチを超える霜柱を見ました。

さて、先般は、「湖の本」113 並びに平凡社ライブラリー版『京のわる口』を賜りまして、ありがとうございました。御礼がすっかり遅くなり、失礼いたしました。

同封のファイルと栞は、このたび(国文学研究資料)館のグッズとして製作したものです。お使いいただければ幸いです。

良き新年をお迎えになられるよう、ご健康を心からお祈り申し上げます。 敬具 十二月十四日

秦恒平先生       館長 九大名誉教授

 

* 数を戴いた美しいファイルも栞もすぐに役立つもので。一時に読む本の数多さから、栞はいつも探し回る必需品だし、セルロイドの軽便ファイルも、なにしろ病院・医院関連の刷り物の取り纏めや保管にいつも苦心しているもので、とても有難い。

ありがとう存じます。

2012 12・18 135

 

 

* 新年の七日には新刊本が出来る。発送用意は年内にと。

2012 12・19 135

 

 

☆ 京のわる口、ありがとうございました

恒平さん  七十七歳、おめでとうございます。始終苦であってもなお、恒平さんに楽の喜びの待つことを、願っています。

こちら ( スペイン バルセロナ)  財政難の街、表面上はまだまだ平然さを保っています。クリスマスの賑わいもあります。これから、ぐんと犯罪が増えてゆくだろうな、と感じてはいますが。

街に饐えた臭いが蔓延るのも、労働者の権利や社会保障・教育システムが、あれよあれよとなし崩しにされているように、思いの外早いのではないかと思います。

過去・現在・未来合わせて、私たちは最もよき時代、最も恵まれた社会に生まれ育った人間だろう、と夫とこれまでもよく話してきましたが、どうやらどうやら、……そうかどうか。私たちは、元気に幸せに生活しています。  京  東工大卒業生

2012 12・22 135

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