ぜんぶ秦恒平文学の話

湖の本 2013年

 

 

* 東大の坂村健教授から、「先生のお仕事のまとめ方を拝見させていただいていると すごさと共に感動をおぼえます」と年賀状。恐れ入ります。同じく東大の長島弘明教授からもお見舞い戴き、『京のわる口』にも挨拶戴いている。国立工藝館館長の金子賢治氏からも。

松本幸四郎丈は例年の繪心で「巳」さんを、怪我から立ち直った市川染五郎丈からも「今年はまたじっくりと舞台に専念致します」と。京都美術文化賞の染織作家渋谷和子さんからはすばらしい織りと染めとのタピスリーに添えて懇篤の年賀と挨拶とを。

今日もたくさんな賀詞を大勢さんから頂戴した。

東工大卒業生では、尼崎から、可愛い脩ちゃんの写真とともに井筒慎治クン、自宅を設計し新築するという吉祥寺の柳博通クン、名古屋市大に地位を得た小川慎太郎クン、「秦先生 お元気でいらして下さいね」と、横浜青葉区の和田芽句さん、から、賀状。平成八年(一九九六)三月に定年退官、以来十七年になる。学生君達、続々社会の中軸を成してきた。

 

* 三が日が過ぎて行く。元旦から、仕事をしていた。二日も三日の今日も。眼が霞んで、機械の字が読めず書けなくなると休んでいた。いろいろと書く気であったが、日記を書く、もう元気がない。年賀状の住所をアドレスに点検し収容できるのはいつのことか。七日には湖の本114が出来てくる。発送の用意がかなり残っていて、追われる。

ま、いいとしよう。成るべく成る。

2013 1・3 136

 

 

* 今は昔、東工大の「総合A」の学生諸君に、「『日本』の説明・理解に資する『一』文字」を書いて見せてほしいと出題したことがある。下記はその集成。数字は答えた学生の人数である。、

 

☆ 「日本」の説明・理解に資する「一」 文字

「和」 79  「島」 23  「金」 22  「義」 16  「内」 11  「神」 10  「勤」 10  「狭」 10  「心」 10  「桜」 8   「小」 8

が、10位を占めた。意のあるところを説明せよとは求めなかった。挙げられた「一字」は、加えてなお191字、合わせて202 字もあって、今の霞み目で全部を挙げるのはおやめにするが、上の11字をそれぞれご自分なりに、読み解いてみられれば、なかなかの自問自答が出来上がるだろう。

じつはこんな質問を投げかけた以前に、私自身、丸善が出している近代日本で最古の雑誌「學鐙」にまる三年間、つまり36文字を選んで読み解き続け、『一文字日本史』として平凡社から出版していたのだった。今は湖の本34 35 『日本を読む』上下巻に成っているが、わたしがごく批評的に選んだ「漢字」は、

「徳」「位」「例」「式」「名」「親」「本」「折」「色」「侍」「茶」「客」「蛇」「筋」「遊」「外」「縁」「楽」「葬」「祝」「職」「私」「土」「金」「家」「手」「身」「治」「天」「死」「人」「暦」「物」「女」「花」「風」

だった。学生君達の「11」字中でダブッているのは「金」一字だけ。むろん、もう三年も連載していたら別の36字が選べていたろう、それはどんな字になり、どのようにその一字一字から「日本が読める」か、惹かれる課題であり、なによりもこんな試みは、何方にも出来る課題でもある。

じっくりと「日本」を読み替えて行く時機へ来ている気がしてならない。やってみるかな。わたしが学生諸君に回答結果を整理して示したペーパーには、上の36字以外に、また学生回答の202 字以外に、こんなのも「考えられよう」と幾つかを挙げている。

「時」「俗」「官」「都」「能」「医」「空」「「清」「会」「衆」「制」「性」「藝」「一」「流」「氏」「派」「隣」「船」「旅」「株」「型」「聖」「今」「老」「墓」「変」「論」「勘」「想」「他」「草」「雪」「虫」「霊」「怪」「月」

書き写しているうちにも、わたしの読み解きが澎湃として迫ってくるから面白い。本気で、またやってみようかな。

2013 1・4 136

 

 

☆ 秦先生 謹賀新年

あけましておめでとうございます。ご健勝で良き初春をお迎えのことと存じます。

旧年中はひさしくお会いする機会もありませんでしたが、先生の動向につきましては数々の著作を通じてなんとかフォローさせていただいています。

とりわけ『京のわる口』は先生の真骨頂ともいうべき作品で、海外で出かけるたび何度も読み直し、エンジョイさせていただきました。

同時に今まで勝手な横浜弁(?)で先生と会話を重ねたことが恥ずかしくなる思いでした。

まあ、距離感も感じることなく、かってなことを言ってきた自分を恥じるとともに 「英語を京都弁や大阪弁で表現できないものか、また世界にそのまま通用させることをやってきたならば 日本は間違いなく真の一流国になっていただろう}などと勝手な推測を重ねています。

ともあれ、今年も先生におかれましてはご健勝のうえ、ますますのご活躍を祈念する次第です。  堀武昭  国際ペンクラブ理事

 

* 嬉しいメール賀状を頂戴した。ペンの理事会仲間で最も心親しく覚えていたお一人で。世界をかけまわって活躍して頂いているお一人でもある。お気をつけて、お元気でと願います。

2013 1・4 136

 

 

* 昨日の午は、恒例の焼餅と菜との雑煮を祝った。 七日の七草粥の朝には、湖の本114が出来てくる。発送用意はまだ十全ではない。なし崩しに進めて行く。

2013 1・5 136

 

 

* 明日、七草粥の朝早くに、湖の本114が出来てくる予定。十一日には、我當が今年一番に「翁」をつとめる初春昼の部の新橋演舞場。十二日には歯医者へ。十四日月曜には俳優座劇場で山田太一さんの芝居。十五日には聖路加眼科へ。その翌日にも地元の佐藤眼科へ。十七日の大相撲十二日目は、まだ決めていなくて、十八日には演舞場の夜の部と、春から楽しみも満杯の大忙し。ぐっと気も体もこらえて乗り切りたい。腫瘍内科の今年初診は、二十四日木曜日。月末には、劇団昴の公演に。これでも昨年の毎月よりはラクかなあ。怪我だけは、無理も、したくない。

2013 1・6 136

 

 

* 明日、七草粥の朝早くに、湖の本114が出来てくる予定。十一日には、我當が今年一番に「翁」をつとめる初春昼の部の新橋演舞場。十二日には歯医者へ。十四日月曜には俳優座劇場で山田太一さんの芝居。十五日には聖路加眼科へ。その翌日にも地元の佐藤眼科へ。十七日の大相撲十二日目は、まだ決めていなくて、十八日には演舞場の夜の部と、春から楽しみも満杯の大忙し。ぐっと気も体もこらえて乗り切りたい。腫瘍内科の今年初診は、二十四日木曜日。月末には、劇団昴の公演に。これでも昨年の毎月よりはラクかなあ。怪我だけは、無理も、したくない。

2013 1・6 136

 

 

* 血圧117-60(58) 血糖値88 体重64.8kg  七草粥を祝う 梅酢湯 朝の服薬  九時、湖の本114届き、すぐ発送にかかる。午、ラーメン、口に合わず。午の服薬 午後も通して発送作業。 六時前、建日子年賀来訪、七草粥をもう一度祝い、晩の服薬。歓談。九時に建日子仕事場へ戻る。発送する本の荷の重いことに、つくづく思い至る。

2013 1・7 136

 

 

* 明日も懸命に発送する。はやく休む。

と、言いながら建日子の戻っていったあと、機械の前で、二時間余、ずっと仕事。もう十一時過ぎている。昨日今日、なんとか字の読み書きが出来て嬉しい。

2013 1・7 136

 

 

* 血圧133-60(56) 血糖値76 体重64.6kg  朝、独り早起きして、ラーメン。不味い。妻は脚痛で近くの病院、整形外科へ。朝の服薬後 湖の本発送作業、だが視野が異様に眩しく視力不安定で、洗眼しても直らない。眼を休めるために午まで寝る。午の服薬後、眼の霞みにほとほと悩みながら階下で二階で仕事。 晩は、中華肉饅ほか三種類ほどよく食べた。苦くなければ口に入る。美味さはめったに感じられない。晩の服薬後、二階で、階下で、また二階で、仕事するが眼は依然じつに不安定。 十時になる。休む。

 

* とにもかくにも仕事をして、病苦は忘れられるのだが、一つだけ、眼の安定が得られなくて、書字、識字に困惑。もらったメールらも容易に返信出来そうになく、困惑。湖の本114の発送は、各界・大学・高校への寄贈本はあらまし送り終えたが、読者分にとりかかっていきなり眼がこうで、停滞。明日に賭ける。

2013 1・9 136

 

 

* もう大学。高校、各界知名の人たちから、湖の本114巻に感想や返礼や挨拶が来ている。まだハ・マ行の読者、多部数の読者に送りきれていないので、紹介は控える。元新調編集長の坂本忠雄さん、金八先生の小山内美枝子さん、国際基督教大学の並木浩一教授、早大の中村明教授、染織作家の渋谷和子さん、歌人で翻訳家の持田鉱一郎さん、同窓の松下圭介君らの葉書・手紙・著書など戴いた。

2013 1・12 136

 

 

* 湖の本114の「読者」への発送も終えた。追加の各界寄贈のための宛名書きなどが、まだこの先に必要。ところがこの一週間は容易ならぬ輻輳状態で、作業のためには頭が痛い。ま、凌いで行くさ。

2013 1・13 136

 

 

☆ 今年もよろしくお願いいたします。

秦恒平さま 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

『湖の本』(114/ペンと政治(一))をいただきました。いつもありがとうございます。

ペンクラブを思い切って退会して以来、ペンの活動についいては、すでにまったく不案内ですが、以前の言論表現委員会の様子や、「私語の刻」の石原発言への言及や 梅原猛さんの夢を見たくだり、有難く拝読いたしました。

お身体はいかがでしょうか?

副作用が少しでも軽減され、すべてが快方に向かうことを祈っております。

私の方は一年経ち、ステロイドの服用量がだんだん減ってまいりました。

世の中、嫌なことばかりで、アベノミクスが悲惨な結果を招くのではと憂鬱な気分になりますが、まずは自らの畑を耕さねばと 今年は気持ちも新たに、出直そうと思っております。

どうぞお身体大切に、そして変わらずに秦さんの確かな言葉を私たちに向かって発信されんことをお願いいたします。

久間十義 三島賞作家

 

* この作家にわたしは不思議に親近感をもってきた、言論表現委員会などで一緒だつた昔から。励まして貰ったと、嬉しい。

2013 1・14 136

 

 

☆ 湖の本お礼

秦先生 ご著書いただきました。

三月には川端伝が出る予定です。

どうぞご養生くださいませ。   作家 小谷野敦

2013 1・14 136

 

 

☆ 頌春 癸巳正月

貴誌114、有り難く拝受仕りました。謹んで御礼申しあげます。

小生 九十八歳に入り、関心いよいよ狭く、歌 すっかり衰えました。

貴台の広さ、羨望に耐えません。   清水房雄  歌人

 

☆ 謹賀新年

「湖の本」114 ありがとうございました。

まさに同感をもって読んでいます。

おそろしい時代になってゆきそうです。

どうぞお大事に。    島津忠夫  国文学者

 

☆ 前略

百十四巻目の「湖の本」を拝受いたしました。

ペン(クラブ)に関わった事があっただけに、身にはねかえってくる痛みを感じながら、秦さんの深く激しい「歎き」を受けとり、ご病身をおしての文章(文学)を通しての闘いの継続に強く衝たれました。

せめてもの応援の気持の、「湖の本」へのささやかなカンパを同封いたします。失礼とは存じますが、ご受納いただきとう存じます。

どうぞお身体、呉々もお大切になさって下さい。  草々   敬  元出版部長

 

* 早速に恐れ入ります。ありがとう存じます。

2013 1・15 136

 

 

* 二日、大雪休暇をもらった塩梅にて、用事のかなりが片づいてきた。発送も明日には大方終えられるだろう。宛名書きをしなくては。それらが済めば、また「仕事」に主に集中出来る。もっとも、仕事の速い凸版さん、次の初校が出て来るだろう。前途は、けっして平坦にならない。平坦ダラケになっても張り合いがない。ま、成るように成ればよしと。

2013 1・15 136

 

 

* 大島渚映画監督八十歳で逝去 読まれるのはご無理と承知で、何と無く御見舞だけでなくわたし自身に励みをもらう気持ちで、創刊以来「湖の本」を献呈し続けてきた。夫人の小山さんにもそのようにお願いしていた。とうとうという痛みを覚える。私的には何のお付き合いもなかったが。結婚された頃、わたしは大学生であったろうか、もう東京に出ていたか、何にしろ大島・小山夫妻は私の実家のあった東山区新門前仲之町の、白川に近い瀟洒な路地奥に住まわれていたのを聴き知っていた。ほほうという気分だった。

剛毅な人で、テレビ出演仲にも気にくわない発言者に怒鳴りつけることなどあり、そのつど、わたしは大島さんの癇癪に同感していたものだ。寂しくなった。

2013 1・16 136

 

 

☆ 前略

「湖の本」114、誠に有難く拝受いたしました。

文士の対極にあるのが政治家と思つてゐますので、作家である政治家への批判を大変おもしろく拝読しました。丸谷才一氏が政治家は嘘をついて身を飾ると書いてゐましたが 私などまで嘘の材料に使はれてえんざりしてゐます。

御病気で大変な中を御活躍されてゐるのに同病者として感服してゐます。どうかお躯に一層お気をつけて下さい。

葉書で甚だ失礼ですが取り急ぎ御礼まで  草々  大久保房男  元・群像編集長

 

☆ 新しい年を迎え

おすこやかにおすごしのことと思います。「湖の本」114をご恵送下さり、ありがとうございます。いつもいつもご芳情のほど、深謝しています。

1998年~2000年までの日記を拝読、これほどまでに社会への関心と鋭さ、ただ敬服するばかりです。残りの年も、大いそぎで読みます。

今年もますますのご健勝でありますよう、祈っています。  伊井春樹 阪大名誉教授 美術館長

 

☆ 寒波御見舞い 並びに

新著力作ありがとうございました。暮に体調をくずし失礼致しました。 伊藤壮  元・朝日新聞社

 

* 伊藤さんの御陰で「湖の本」は二十七年前に、有難くゆったりと船出できた。どうぞ、お大切に。

 

* ほぼ全部の発送用意が出来、明日には送り出せる。疲れたが、これで「仕事」へとちょいと奮い立ったが、明日朝には「湖の本」115のゲラが届く。可能なら、大地震・大津波・原発破壊から満二年、三月十一日に刊行したいと願っているが、ま、その辺で。

十時になった。やすんで、寝床で本を読もう。明日、もう一日家におれる。明後日は演舞場の初春大歌舞伎夜の部を見にゆく。雪の溶けきるのが望まれるが。

2013 1・16 136

 

 

☆ 拝復 秦 恒平様

お健やかに新年をお迎えのことと存じあげます。

日頃はご無沙汰申し上げております。

このたびは、湖の本114 号『ペンと政治(一)新世紀へ、崩壊の蟄音』のご恵与を賜り、厚く御礼申し上げます。民主党の失政に

起因するとはいえ、自民党政権が復活し、声高に憲法改正や原発再稼動など民主化逆行が唱えられている現在、まことに時宜を得たご提言と拝察いたしました。

私は、昨年満九十歳を迎えましたが、何分の高齢者ですので、あちこち故障が多く、目下自宅にて静養を続けております。

そのような次第ですので、ご無沙汰の件もなにとぞご海容のほどお願い申し上げます。

一層のご健勝をお祈りいたします。  敬具    英 青山学院大名誉教授

 

☆ 政治に対して

これだけの直言の出来る人が、もっと増えて欲しいと思いますが、一人でも二人でもと。

閣僚こそが第一に読むべきでしょう。  毅  岡山県

 

☆ 先生のサインに

とても感激しました。ご闘病の日々でいらっしゃるのに、本当にうれしかったです。

今回のエッセイも興味深くて、「私も!」と、そう感じていた当時(=小渕、森、小泉内閣)を思い起こしながら拝読しております。このつづきが楽しみです。(最新版も、早く拝見したいです。)

昨日、関東地方が大雪に見舞われ、静岡も冷雨の中「湖の本」が届きました。厳寒の中ですが、どうぞくれぐれも御自愛くださいませ。   鳥   静岡市

 

☆ このたびは

湖の本114 「ペンと政治(一)」をご恵贈くださり 心より御礼申し上げます。

政治への厳しいまなざしを重く受けとめております。

酷寒のみぎり どうか御自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。  山梨県立文学館

☆ 冠省

湖の本最新刊拝受、ありがとうございます。

PENに関する記事は、全会員、というより、前会長らの、PENの精神、また文学にコミットした人間に必要な志の 二つとも忘れた連中に読ませてやりたいものです。五千万円の大赤字のうち二千万円は、前会長や側近の企画した飲み食いに費消されたもので、調査の結果に、もう、呆れました。

それはともかく、東京地区ではめったにない大雪。このあとの大寒にご用心を…   奥  日本ペンクラブ

 

☆ 寒中お伺い申し上げます。

お障り無くお過ごし下さってるようお念じ致しております。

此の度は、ご本のご恵送を賜りありがとうございました。早速頁を繰らせて頂き、「それでも私は戦争に…」を思い出汁改めてそれをも再拝読、「今浦島」の自分を恥しく思うばかりです。 でもでも秦さんの姿勢に力を貰っています。

どうぞ御自愛賜りまして 日々、お平らに、と念じ居ります。   文  京都同窓

 

☆ こんにちは、京都です。

新しい湖のご本届きました。いつもありがとうございます。

こちらは風の冷たい毎日ですが、観光客が少なく静かな佇まいです。

東京は大雪で大変でしたね。

お口の苦みが少しでも紛れますよう、僅かですがお菓子をお送りしました。19日に届きますのでお受け取り頂きますようお願い致します。

お眼やご体調がお楽になられますよう願っています。

どうぞ奥様共々お大切にお過ごしください。    みち  京都の従妹

 

* 明日から抗癌剤一週間の休薬。

 

* 湖の本115 の跋文のために、辛抱よく仕事していたら、もう十二時。驚いた。

2013 1・17 136

 

 

* 115の「序にかえて」にも書いたが、いわゆる「読者」には「作品だけ派」の人と「作者も派」の人が有る。わたしも少年の頃は、はなから漱石や藤村や潤一郎や直哉の「作品だけ」を愛読し、「作者たる人」には予備知識も関心もなかった、まったく「作品だけ」で満足していた。しかし、追い追いにそれでは済まなくなった。「作者も」その人の作の「読み」を深めるのに、どうしても必要、と言うより、「作者の人」にも魅された、佳い読書のためにも必要だった。詳しい年譜を求めて作の読みのための必須の栄養として大事にした。

今度の『秦恒平のベンと政治』も、「作品だけ派」の人には政治なんてと爪弾きに遭うか知れない、が、幸い「湖の本」読者には、「作者も派」の方々の多いのが事実であるように想われる。この作者にはこの方面への傾斜もあるのだと発見するのは、わたしの体験から言っても嬉しいことだった、へえ、そうなんだ、と。

そういう向かい方は、とくに有能な編集者には必備の姿勢で、初対面の場合は「作品だけ」で評価するとしても、作者が有能であればどうしても「作者も派」として立ち向かうようになる。必要になる。

2013 1・19 136

 

 

☆ 「湖の本」114号 代金振り込みます。

感嘆に「114」と書きましたが、大変な偉業ですね。他に例を見ません。  澄  藤沢市

2013 1・19 136

 

 

* 湖の本115の跋文を入稿。

2013 1・20 136

 

 

☆ 秦 恒平 様

寒中お見舞い申し上げます。

過般よりご加療中と承っておりますが,その後,ご病状のほうはいかがでございますか。日ならずしてご平癒のこととは存じますが,ご家族の皆様にはさぞご心痛のこととお察しいたします。

さて、このたび『湖の本114  ペンと政治(一)』をご恵贈賜り厚くお礼を申しあげます。

本書を拝読し,「ペンを握った手」で病魔と闘いながら,喜寿の祝いをお迎えになられている作家の「義務と覚悟」に、あらためて敬意を表する次第であります。

文字どおり悲憤慷慨して語っておられる「日録」の痛快さに,失礼を顧みず,おもわず膝を叩いていました。「群れたくない」作家の「思いと懼れ」に心から共感するばかりです。

じつは,近年、友人、家族らに、「政治の貧困」や「メディアの権力」の醜悪さを話してみても、大概それは「ただのおまえの愚痴にすぎない」と一蹴されるのがオチで、怒りの矛先は鈍り、「つくづくウンザリ」させられていました。

「思えば現代には,政治をあげつらうだけで『食えて』『食って』いる世間の人の,なんと多いことか。新聞,雑誌,テレビ然り。そこにたかるキャスター,コメンテーター,評論家,記者,みな然り。学者もいる。タレントいる。ー一 昨日言っていたことを今日は別の意見に言い換えていても,本人も周囲も平気,そんなことは気にかけていない。つまり,『役』をこなしている。」(p174)

いまや携帯情報端末機でマインドコントロールされ、互いに考えたり、話し合ったりする時間を放棄しているわれわれは、いったい、どこへ向かっているのでしょうか。

本書は随所に卓見、警句が散りばめられていますが,その言葉は,序文で書いておられますように、「今日只今の政治・時事が、一昔二昔まえにまるで変わりなく悪政の連打」であることへの痛烈なパンチとなっています。

とくに,低劣極まりない品性の森首相,傲慢と姑息なパフォーマンスの小泉首相,政治家としての言語表現を顧みない居丈高な石原都知事への人物評はまったく同感であり,また,特権的立場に立つ文化人らの「人間性」にたいする不快感,不信感をあらわにしておられたが,本質を衝いていて、いうことはありません。

もっとも小気味よかったのは,そうした輩とはべつに,集中砲火浴びせられた外相田中真紀子への期待と擁護でした。真紀子イジメ問題は,昨秋の大学設置認可の件でも,いささかも変わっていません。

本書にみる「ペンと政治」の見識と剛直な批評には、これからも耳を傾けたいと思う。

寒気厳しき折から、くれぐれもご自愛専一にと念じております。 2013年 1月 20 日  明 神戸大学名誉教授

2013 1・22 136

 

 

☆ 秦様へ

この度は御著書「湖の本」114を御恵贈いただきまして、誠にありがとうございました。

崩壊の跫音というサブタイトルに思わずドキリといたしました。心して拝読させていただきます。

格別の寒さでございます、ご自愛のうえ、益々の御健筆をお祈り申し上げます。

とり急ぎ 御礼まで  拝   橋  日本文藝家協会事務局長

 

☆ 秦 先生 ご本ありがとうございました。

お世話になっております。

昨日、「湖の本」最新刊拝受いたしました。お心遣い、大変ありがたく存じます。

収録された文章の大部分が21世紀になる前後のものとのことですが、お書きになっていらっしゃる問題、課題、怒り、悲しみ、いまだにまったく解決などせぬままいまに至っていることに、嗚呼と嘆息せずにはいられません。

そのような歪みの当然の帰結のひとつが、今回の原発事故であったと言わざるをえないように思います。

遅ればせながら、年末に喜寿を迎えられたとの由、まことにおめでとうございます。お会いしてお祝いを申し上げたいところ、まずはメールにて失礼いたします。

近くお会いできる日を楽しみにしつつ、取り急ぎの御礼にて、失礼いたします。  洋 平凡社

 

☆ 湖の本「ペンと政治」を

お送り下さいましてありがとうございました。私こと

今年巳どしは私のとしで、いつのまにか八十四才になりました。

老議院が実現しましたら、是非、立候補したいと思います。

お身体 お大切になさり乍ら ますますの御活躍を。  千枝 千葉県市原市

2013 1・22 136

 

 

☆ 先ずは本が来た事に驚き、

お芝居にも行けたり出来るとは素晴らしい回復ですね。前向きの気力ですね。

約七年前に脳内大出血をした夫は、幸いな事に手足や言語の障害はなかったけれどやはり正常ではなく、足腰も弱り、私は家事100 %にプラス介護の過労です。先の連休の頃から風邪をひき、目やお腹に来て参りました。今は週二回デイサービスを受け、少しは身体がラクにになりましたが…  時々好転は無い先を考えると鬱になります。

お元気でお過ごし下さい。  泉

 

* 一つ下の、同窓。やたら老齢に上乗せがきて長寿でめでたいようだが、このような老老介護に疲労と心労とを溜めて行く寂しい高齢家庭が増えて行くばかり。六十から七十代老人の力をの政治的にな結集すべく、「老議院」という世界にも例のないシステムを構想し実現してしかるべき時代が来ている。誰か見識豊かで健康な人が「核」となり結集し叡智と実力を動態化出来ぬものか。

みなさん、考えて下さい。

 

☆ 「ペンと政治」(一)

一気に、共感と敬意と共に拝読。

まっとうで深い怒りは、人を病いに破れることを許さない。秦さんご夫妻のご長寿を祈るばかりてだす。

(二)、早く読ませてください。  原田奈翁雄

 

☆ 秦恒平様

湖の本拝受。「ペンと政治」という特集にとっても びっくりしましたが、反原発の八策にもびっくり。こんなに政治的発言をなさるとは思いませんでした。  上野千鶴子

 

☆ 新年ますますご健筆のご様子

お慶び申し上げます。このたびはご高著『湖の本』ご恵贈いただきありがとうございました。私 八十才 とみに体力、能力の衰えを痛感する毎日ですが 秦さんがこうして頑張っていらっしゃることに励まされています。

お体おいといの上 ご活躍を。  樋口恵子

 

☆ どうぞ来む春が

先生のご恢復をもたらしてくれる力となりますようにと、心から念じ上げております。

あらたまの君が命をあたたかく包みて起たむ春霞かも  昌  名誉教授

 

* 春霞まちがてにけふも生きてあるわれの狭庭(さには)に梅咲きそめぬ  湖

 

☆ うみの本114

今一番読みたかった本かもしれません。志賀直哉の云う「とび離れて賢い動物であるということが、一番馬鹿な動物だったということになるのではないか」 その通りになりつつあります。原発のこと、こんどの選挙のこと、そして世界の国々でおきていること、コロコロと転がり落ちる音がきこえるようです。

その中でも、ご壮健でおすごし下さい。  小松市  勉・千

 

* 中村勘三郎にも 大島渚にも 死なれてしまった。なにくそと思う、生きて「ペン」を働かせるぞと思う。

2013 1・23 136

 

 

☆ 前略

先日は『湖の本』114 ペンと政治』をお恵贈下さってありがとうございます。早速読みはじめております。

実は私は、いまから15年前まで京都の共産党の責任者をしておりました。「京都民報」の編集長を林信一郎がつとめていた時です。

秦さんの壽岳さんとの「京ことば」や、脇田晴子さんとの対談「利休とその時代」、京料理「竹馬」の西岡さんとの「京の味、京のまち」などの対談は、「京都民報」はおもしろい、中味が濃い、との評判がひろがる大きなきっかけとなりました。

平凡社から出版された『京のわる口』も、タイトル、中味とも刺激的でした。

今後ともよろしくお願いいたします。   市田忠義   (共産党書記局長)

 

☆ 京都の人ではないかと永く想っていた。共産党員らしからぬ笑顔の温厚に柔らかいお人を、好ましく思っていた。こんなご縁があり、関心も持ってもらっていたとは全く知らなかった。感謝します。

前総理の菅直人氏の湖の本受け取りも届いているし、元参議院議長の江田五月さんや社民党の福島瑞穂党首など、書き物を介してご縁が生まれている。また市田さんとも、と思う。元衆議院議長の土井たか子さんは大学の先輩、東芝副社長だった人と、鼎談したことがある。今度の本、ことに続いて出る「ペンと政治」(二上 原発爆発 二下 野田内閣惨敗)は時代の証言と批評として、多くの眼に触れたいと願っている。この人にも読んで欲しいと思われる方は、送り先をお教え下さい。

 

☆ 湖の本「ペンと政治(一)」を賜り

ありがとうございます。

「私語の刻」をいつも最初に開き、気になる奏さんのお声? を聞きます。つらい闘病ですが、強い意志というか作家精神が秦さんを支えている様子を知り、ほっとします。どうぞお体を大切にご活動ください。

なお次回から「湖の本J の購読者としていただきたく。これまでご贈呈頂いたことに感謝します。なお私からの友人等への贈り物は、今までどおり折にふれお願いするつもりです。

この二十一世紀に地球がどうかなりそうです。

まさに「崩壊の跫音」を聞くような気分です。

ご一緒にもう少し見届けましょう。 二〇一三年一月二十五日  茂  詩人 ペンクラブ会員

 

* 嬉しく、心強く。ありがとう存じます。

 

☆ お正月

如何 お過ごしでしたでしょうか。

中々、元の通りとはいかないのかもしれませんが…。私も、相変らず五ー六種の病院をめぐる事が続いて、それだけで忙しいし、曜日、時間をまちがえないように、と神経をつかいます。

今の日本は、本当に心配な事が多いですが、私たち(友人達と、電話で侃々諤々の昨年でした)が、今、何を出来るかなと笑い合っています。自分の身一つで、大変なのですから。

どうぞ、本年が佳い御年でありますよう、お祈り申上げます。 かしこ    島  評論家 元「新潮」編集者

 

☆ お寒さきびしい折から、

過日はご高著『湖の本 ペンと政治』を賜りましてありがとうございました。

十数年の世の目まぐるしい変わりよう、本質的には変わっていないこと。歯に衣着せぬお言葉に胸のすく思いが致しました。ますますのご執筆に力をいただいて居ります。

くれぐれも御自愛下さいますようにと念じております。御禮まで申し上げます。 かしこ   郁  歌人 堺市

2013 1・26 136

 

 

☆ 御闘病に連帯の意を表します。私の家族も闘病中でございます。

病と共に生き抜いて参りましょう。  東村山市 敬  大学教員

 

☆ 今年の厳しい寒さ、東京の積雪にも驚きました。先生お具合如何でございますか。お見舞い申し上げます。先日は湖の本有難うございました。

先生のお言葉一つ一つに日頃のなまけ心にぴしりと鞭を打たれた気持ちで背筋が伸びる思いが致しております。

庭の梅の莟が少しふくらんで参りました。

先生どうぞお体御大切にとお祈り申し上げます。一筆 御礼申し上げます。  山口市  ツヤ  読者

 

☆ 厳しい寒さが続いております。

湖の本 ありがとうございました。すべて読み終えたのではありませんが 今までに戴いた本たちの内容とはうって変って、改めて、引き込まれています。 たとえば「真起子さん」の記事、「ハンセン氏病」の記事などですが。

先生は 七七は始終苦なりと歌われましたが、私は単純に八八64の身で、 この夏には前期高齢者の仲間入りです。 眼鏡のお世話になり 降圧剤の服用も始まり、若かった頃には思いもよらないくらしです。

一方、週末に交わす孫たちとの会話は、また、若い頃にはわからなかった 老いた者の大きな楽しみの一つでもあります。

闘病中とは伺っておりますが、おだやかな日々でありますようお祈り申し上げます。

ご本のお礼を重ねて申し上げます。ありがとうございました。  大阪市  能  読者

2013 1・28 136

 

 

☆ 例年以上に寒さ厳しい年明けですか、

その後お身体如何でしょうか。二数キロお痩せになった由、通院、観劇つづけられる気力に圧倒されます。御恢復を心よりお祈り申上げます。

御礼があとになりましたが『湖の本114』を頂戴し、誠に有難うございました。一九八八年からの記録なのに、現況と余り変らぬ事態に心晴れません。「私語の刻」一層身に沁みます。  元出版部長

2013 1・29 136

 

 

* 湖の本115、表紙、全紙揃えて再校出を求める。

 

☆ 一月もおわろうとしています。京都は毎日寒く冷めたい日が続いています。「湖の本」を御恵送頂きありがとう存じます。御病体であられながら少しも御気持の変っていないところ感心いたします。実は夫は昨年血栓の病気で入院 二月に家に戻りましたが、なかなか元気が戻らずにおります。少し御元気なお気持をわけて頂きたいものです。

どうぞ呉々も御大切にお励み 下さいますよう念じます。  京都今熊野  明  陶藝家

2013 1・30 136

 

 

* 『ペンと政治(二上) 福島原発爆発』から昨年桜桃忌前日までは、この三月十一日に間に合わせる。あまりびっしりと「原発」追及満載なので、息抜きにと、「私語の刻」を拡充して、文学や読書その他の記事をも満たしてみた。わたしは政治的人間ではない。その余の関心の方が遙かに広いと自身を観ている。

『(二下)』も、背信に背信を重ねた野田民主党総理の惨敗・安倍政権の危険な成立などを、まさしく平成の「この時代」の後々に伝える「証言・記録」として、しっかり打ち樹てておく。作家として当然の批評としても。

2013 1・31 136

 

 

☆ 加賀はいつもながらの冬の陽気です。雪が積り、消えて また降り積っています。

「ペンと政治」は、その方面にうとい私にとって、とてもいい刺激ーー特に今の情勢下にあって、物の考え方の方向を導いてくれます。

「お元気」は年並で無事ですが、「お仕事」は彷徨です。万年筆もみんな機能を失って モンブランもシェーファーもパイロットもその他みな、ボトルを置いての漬けペン扱いです。買い替える気も失っています。

「新潮」で黒川創さん(=甥。実兄北澤恒彦の長男)のお作読みました。おもしろいお仕事と拝見しました。黒川さんのお作は何作か拝読しましたが。質的? 秦さんの線上にあるように思いました。

◎ さて「戯号」をうかがいました。徒然なるままにハンコを彫ってみました。私の方も戯刻です。「そうですか」と見て下さればそれで結構です。

先日 高校の同窓会(綜合)新年会に出ました。そこで胃のない先輩後輩なんか何人もいることを知って驚きました。しかもとしも元気でした。一方 胃が1/3も残っているのに、家内の場合はなかなか落ち着かず、グズグズが続いています。じっとがまんして回復を待ち望んでいるこのごろです。大事なのは気力でしょう。秦さんにあやからせたいものです。 いっそうお大切に。

奥様によろしくお伝え下さい。  秦恒平様   加賀  哲

追って。

戯号(=有即斎)の意味するところ、不敏にして解し難く思っています。  推察しますに、「有終」に通じるところがありましょうか。おからだに支障があっても、私は、秦さんに期するところがとても大きいのです。もっともっと「秦恒平の世界」を展開してほしいと思っています。ーー思いすぎでないこと願っています。あくまでも戯れと思っています。

 

* こんな有難いお手紙を年長の文学者から頂戴する冥利に、すこし、ボーっとしている。戴いた印形の美しいことも、嬉しさに頬があつくなる。

「有即斎」  の字面にもわたしは嬉しがっている。「そろそろ終わり」とは思っていない。「いま・ここ」に厳として「有る」なにものとも無心に向き合って、表現したければ表現し、楽しみたければ心から楽しむ日々でけっこう、死も、死後も待たずまた頼まない「いま・ここ」でよしと思っています。そんなの「うそくさい」と思う人はどうぞと。

 

* ホームページ」に写真を入れる手順を見失っていて。すばらしい印形、先日頂戴した「騒談余人」印も、今日頂戴して今も掌にある「有即斎」印も、此処に掲げられないのが残念、残念。湖の本に、美しく表してみたいもの。

有り難うございます。お気持ちに素直に背を押して戴いたまま、へんに気張らないで静かに「書く」日々を重ねてまいります、病気とも静かに向き合いながら。

 

* 甥の黒川のこと、じつは、湖の本を必ず送り続けていても全く「なしのつぶて」で、受けとったという返事もない。著書も送ってこない。書店にまったく出入りしないわたしは、彼の本(デビューの頃は本や雑誌を送ってきたが、)を近年全く見ていない。そういうのも物書きの一分のように、有ることなのだろう。小説家に「お成り」と薦め励ましてきた「叔父さん」は、一心に佳い仕事を重ねて欲しいとだけ願っている。兄は、あの世、でどうながめているだろう。

 

* 十時だが、もう休もう。

2013 2・1 137

 

 

* 俳人の金子兜太さんから、「『湖の本』ありがたいです。」と力強い「賀正」の賀状を戴いた。兜太さんは「二月礼者です」と。俳句の歳時記を重んじられているのだろう。葉書の句に、「蛇穴を出て詩の国の畑径」と。乱暴な読み取りだが、たしかに、「蛇穴を出て」来たという自民党政権に想われるなあ。

2013 2・5 137

 

 

* 湖の本115再校ゲラの、初校との赤字合わせをまるまる一冊分妻が引き受けてくれたのは、眼の疲労・不調の折りにとても有難かった。これから二週間ほどかけ、綿密に読み返して行かねばならない。発送のための用意もすすめておかねば。

2013 2・8 137

 

 

* 湖の本115の再校に専ら。視力を用いざるを得ず、不具合になやみながら努めている。ときに休憩し瞑目して唄を聴いている。

倍賞千恵子の「かあさんの歌」「遠くへ行きたい」は他を圧倒していた。多くの歌手たちは「ことば」を生かすためでなく「曲」に乗じた技巧を出そうとするから、不自然に唄が停滞したり歪んだりして景色が見えてこない。倍賞は一流の演技女優であり「ことば」の読みと感銘とを素直に豊富な美声に寄せて歌ってくれる、それがしみじみと胸に届いて感動する。

ほかに「希望」という知らなかった唄を 岸洋子が物語風にしみじみ歌っていたのと、芹洋子の「四季の歌」が、学生の作詞作曲を懐かしいまで美しく歌った。意外にザ・ピーナッツの唄「心の窓に灯を」も、よく柄にあい綺麗に歌えていた。ポーチェ・アンジェリカの歌う「忘れな草をあなたに」は詞が感傷いっぱい老境にも身に沁みた。夢にもみた。

 

別れても 別れても

心の奥に

いつまでも いつまでも

憶えておいてほしいから

幸せ祈る 言葉に換えて

忘れな草を あなたに あなたに

2013 2・9 137

 

 

* こういう重苦しい注目から、どう気分転換するかも疎かであれないのが、わたしの日常。仕事も病気も生活もある。湖の本115『ペンと政治(二下)』は、すでにいつでも入稿可能なように原稿は整備してある。この三巻は、びっしりと内容を詰めたので、同頁でも従来一巻の1.5倍も隙間亡く収容されている。それだけ、原稿作りも校正作業もたいへんな重労働になった。

だが、気分一新は心身自由のためにもゆるがせに出来ない。眼の不調をかかえているので、読書よりもと、音楽をそのために用いて、休憩に聴いている。てきぎに感傷にも響いて涙を流すのが、眼やにではなく、むしろ眼を洗ってくれるか視野が明るくなるという余禄もある。源氏物語の生徒であり、「泣く」ことに昔から引け目も躊躇いもない。当分は、全十巻のディスクを繰り返して聴こう、楽しみたいと思う。

2013 2・10 137

 

 

* もう夕過ぎ、今日はまだガクリと頸が落ちるほどの不調はない。ただ眼が開いていにくいほど、眼縁が目やにに汚され続ける。それでも湖の本115の再校と責了紙づくりは放っておけない。湖の本三巻構成の秦恒平『ペンと政治』は、ぎっしりした組みで計六百頁、いまどき市販の本でなら優に千頁余の分量になっている。量より質だけれど、その前に綿密な「成稿」「校正」の作業が先行。それが眼の不安を増強しているとは自覚している。なるべく今は休憩するようにと。

2013 2・11 137

 

 

☆ 言葉に尽くせぬほど、

 

感謝の気持でいっぱいです。それはたくさんのご本頂戴しました。これでもみづうみのお仕事の一部にすぎませんが、昨日は53冊の「湖の本」を前にし、涙が溢れました。このこみあげてくる感情をどのように表現したらよいのかわかりません。どの一冊の中にもみづうみが真実「生きている」こと。みづうみの積み重ねていらした作家としての日々の重さ、豊かさ、苦悶、歓喜、さまざまなものが怒濤のように押し寄せてきたのです。

わたくしが少しでもみづうみのお役に立っているとは思いませんが、凡女なりにこれからもみづうみのために何か出来ることを続けたいと願っています。

お元気ですか、みづうみ。ぐっと勝ち抜いて、朗らかに笑っていてくださいますように。  一読者

 

* 数万枚におよぶ秦恒平十数年の「私語」すべてを、何年も掛け、全くの無償で、数十項目に分類し届けて下さった方へ、わたしとして出来る最良かと思う御礼をした。荷造りが大変で、小説・創作に限らねばならなかったが。あらためて心より御礼申し上げます。作業として、きわみなく大変であったに違いない。「濯鱗清流」上下、「文学を読む」上下、「バグワンと私」上下、そして今度の「ペンと政治」一・二上下も、この難作業の結果に頼らねば、ただ膨大な書き放しにたじろいでしまい、決して成らなかったろう。

2013 2・13 137

 

 

* 早めに発送の用意がしたく、もう、とりかかった。湖の本(二上)115本は我ながら猛烈な「政治と時事」の追及で、わたし自身が凄みを覚えた。これでは読者も息が抜けまいと、今回はうしろの「私語の刻」に頁のゆとりをとり、そこに、本編記事とちょうど重なっていた時期の「文学や古典や読書や思想等」の文藝連鎖の感想をもゆったりと気ままに連ねてみた。息苦しくなれば、どうぞ「私語」をもお聴き下さい。本編と私語と、どちらが私か、ではない。どちらも私の「ペン」なのです。

 

* わたしの謂う「ペン」とは普通名詞の売り物のペンではない。文士たるものの精魂がその尖端から迸る、真剣にひとしい。そこで思い違いすると「書き殴る」「書きっ放し」になる。推敲こそが才能なのかも知れぬ文学の「ペン」をひとたびでたらめにすり減らしてしまうと。もう容易には戻れない。ま、この日記で誤記・誤植をその場で読み糺していない(=後日、日付順に直して他の場所に保管の際に直せるだけ直している。)のだから、大きなことは言えないけれども。

2013 2・15 137

 

 

* いまのわたしは、湖の本新刊発送用意の作業などいろいろ有りながら、創作つまり小説もトロイカのように少なくも三作の尻に鞭打って楽しんでいる。眼がすっきり見えればいいのになあと嘆かわしいが、手探りにでも、あれに鞭を入れこれに鞭を入れて駆け抜けてゆくしかない。今も霞んだ眼で、いちばん期待している、いやいやどれも期待しているが、その一つに大きな伏線を二つも敷いていた。

さ、もう寝よう、明日のためにも。

2013 2・20 137

 

 

* 平家物語世界に密に膚接しながら推理の絡んだ現代のファンタジイ、いよいよ動き出して行く。じいっと辛抱してその「世界」に同化しようとして来た甲斐がおいおいに報われるだろう、酬割れて欲しいが。太宰賞から五十年(二一一九年)では遅くなりすぎる。湖の本創刊三十年( 二一一六) までに少なくも追っている二作、三作を追い上げたい。そのためにも気力萎えて病に圧し潰されまい、どんなに、よたよた・よろよろしようとも。

2013 2・23 137

 

 

☆ 秦先生

その後お身体は如何でいらっしゃいますか?

先日、お贈り頂きました湖の本 114、ありがとうございました。実は最近は札幌に行っていることが多く、郵便物のチェックも疎かになっておりまして、失礼致しました。

今日、この御本にお手紙のあったことを発見し、お返事致します。

年賀状の写真の家は、グリルハウスと言いまして、フィンランド製のキットで作られています。センターのストーブを囲んでバーベキューパーティーなどができるお家です。北方フィンランドで、このパーティーを体験し楽しかったので庭に建てました。たしかに、外は寒くても中は暖か!…です。

我家は約750 坪の敷地に、母家、工房、物置、グリルハウスがあります。その他は畑です。近所が畑や空き地や森なので、とても広く感じます。

東北ほどではありませんが、(北海道の)この冬は気温が低く雪が多く大変です。札幌では道路脇の雪山で見通しが悪く、また道路が凍るので危険です。トラックが何台も雪を運んでいるのは虚しい風景です。

地球温暖化ではなく、地球の温度差が激しい時期になっているのでは?

東京も寒いようですね。

どうぞ御自愛くださいませ。  絢

2013 2・26 137

 

 

* 安倍総理はいまや「安全が確認されれば「原発再稼働」すると施政方針演説で明言した。「安全確認」は規制委の仕事だが、規制委を内から外から恫喝して「安全」の安売りをさせるようなら「国賊」行為、まぎれない「国の犯罪」になる。愚劣な暴挙・暴走に陥ってくれるなと願っておく。

 

* 国連のWHOによる「発癌推計報告」は、明瞭に「福島原発周辺で、やや増加」としている。例によって政府筋は「過大」な観測とケチをつけているが、本筋は、周到なフォロウと対策の強化ではないのか。なぜ、いつも言い訳に終始して問題を放擲してしまうのか。

現に、いまなお、東電は、福島第一作業員のべ二万人以上の「被曝記録」を提出せず政府も督励しているとは見えない。かかる「隠蔽」自体が深刻化する「憂慮問題」の野放し悲劇に繋がりかねない。

除染作業員は危険手当不払いのまま作業を強いられて、国は知らん顔で業者にマルナゲのままらしい、悲鳴のような作業員のうったえが聞こえる。「ずさん極まる安全管理」が悲劇を近未来に拡大させるであろう、必然に。「国の犯罪」は日々夜々に野放図に狎れ切っている。

わたしは、今日入稿した『ペンと政治((二下)』の副題を、「原発危害収束せず 背信野田総理惨敗・迫り来る国民の最大不幸」とした。富裕・利権層の富裕と利権とをいよいよ広げ、最大多数の弱者国民を日ごとに奴隷化にひとしく蹴散らし、暴政・暴走・強行の自民党政治へ、昔からの自民党悪政へ世は逆戻りして行くして行くようだ。「最大不幸」はもう目に見えている。施政方針演説はその傲慢な予告にほかならなかった。「自民党改憲草案」を読まれるがよい。この国にやがて徴兵制が復活し、新華族制度が、襲いかかって来かねない。

2013 3・1 138

 

 

* 見えにくい眼でさぐりさぐりキイを打っている。相当の補充もして、「湖の本116( 二下) 」も慎重に入稿した。三月七日には「ペンと政治(二上)」115巻が出来てくると、痛くもありよろよろもするからだで、脚の痛む妻に手伝って貰いながら発送作業になる。それらの終わる頃には新しい次の「湖の本」初校ゲラが出来て届くだろう。

抗癌剤連用の予定は四月いっぱい。あとまるまる二ヶ月を余している。しっかり立ち向かうだけのこと。

2013 3・1 138

 

 

* 「湖の本115 」の刷りだし、届く。

この『ペンと政治』三巻六百頁は、昨今ふつうの市販本なら千数百頁に余り、一作家わたしの、「批評」における最大著作、或る一面の代表作となるだろう。

「政治」一般でなく焦点は「原発の安全神話」や「原発危害の今後」に絞ってきたが、もとより、わたしは直接の取材探訪を事とする新聞記者でもジャーナリストでもない、ひとりの、しかも今や市隠とすらいえる只一人の作家である。

しかし、創作家とはつねに「批評」の人であらねばならぬ。朝と書き、犬と書き、小さいと書き、甘いと書いても、すべて批評として文章表現に生かされる。他のもので置き換えられない、その適確で深切であるか無いかが、また他者により「批評」される。

今度の本は100 %わたしの「批評」行為であり、同時にあらゆる「批評」「批判」をも「言論の自由」において受けとらねばならない。当然のことであり、論戦があってもむしろ当たり前のこと。そう思っている。

こんな大部の「批評」仕事は、この時節、どんな出版社も引き受けては呉れぬ。四半世紀を超えて「いい読者」に支えられてきた「湖の本」であればこそ可能なので、羨ましいと、腕を撫している作家、批評家が大勢いるに相違ない。

「三号雑誌なみ」に投げ出すとさと創刊時に冷笑した人もいた。「せめて十巻」は続けたいとわたし自身願っていた。

それがとうに百巻を超え、あっというまにもう百十五巻めが出来、次巻も入稿されている。ひとえに「いい読者」のおかげ、印刷所のご協力、そして妻の支え、で、歩み続けて来た、来れた。

と同時に、わたしが真摯に「創作」し、真剣な「批評」に生きてこなかったら、また元編集者としての「技とセンス」を駆使出来ずにいたら、営利を求め蔵の一つも建てたいなどと願っていたら、とてもとても、二十七年も、百何十巻も、の「出版維持」など可能だったわけがない。不可能であった。

わたしは現代の、昨今の、出版指向の桎梏を拒絶した。そのとき、すでに六十種以上の市販単行本を出していたわたしは、「創作と批評の世界」の市民権を得ていた。

それならば自由自在に創作し、批評し、それらを心ゆくまでに編んで、気に入った自装本を自身で出版し続けたかった。

「敵前逃亡」だと非難する編集者もいた。「すぐさま頓挫」とも笑われた。

わたしは文学者としてなにより自由に生きたかった。それを支えてくださったのは、間違いなく「いい読者」の皆さんだった。

わたしは、趣味で出版ごっこしてきたのではない。きちんと採算を得つつ、「百巻」をもズンズン超えてきた。「購読者」なしにとても出来た話でない、本当に読者の支えがありがたかった。

ま、それもこの時節である、読者だけに頼るのは限界を迎えている、つまり微量ながら出血が始まっているのだが、それこそは、わたしとしてまた「新たな脱皮期」なのである。

「湖の本」で蔵を建てる気などもとよりない。それどころか、住む家が屋根と柱と壁とだけに成る日をこそ覚悟していた。それが「自由」へ支払うわたしからの、代価。

そして今やわたしは癌を病んで苦しみ、ほぼ同年齢の妻もわたし以上に久しく医者がかりの身で。二人ともに幸い傘壽を迎えるとしても、もう三年前後の余命なら、気力に恵まれている限り「湖の本」続刊に、少しも問題はない。同業でもあり父親よりはるかに手広く活躍中の息子秦建日子は、親爺の遺産などアテにしていないに違いない。それ幸いと、わたしは各界の知人、有識者、それと全国のかなり多数の大学・高校に向け、現在1000部ちかくを寄贈し、受け入れてもらっている、自然、それもわたしの「文学活動」であって、そういう仕事も、多年「いい読者」の皆さんに支えてきて戴いたのである。幾重に感謝を述べても、千の一にも足りない。

2013 3・2 138

 

 

* 経産省は、三月一日、エネルギー基本計画を検討する「有識者会議メムバー」から「脱原発」意向の五人をはずし、「原発推進」意向の鮮明な福井県知事など五人を新たに加えた。じつに公平公正を欠いた露骨な人事で、数十年来の自民党体質への「あからさまな逆行」が強行されている。「脱原発」意向の鮮明な顔は十四人のうち僅か二人に意図して減らされたのである。今後、こういう「民意に背いた無恥な政策」が平然と重ねられて行くのは、必至。黙視できない、看過してはならない。抗議運動は絶対に弱めてはならない。八月の参議院選挙に、断乎自民党の暴政阻止の意思表示をしたい。最悪の政権を復活させてしまった。

今朝の東京新聞「筆洗」はこう語っている。

 

☆ 東京新聞「筆洗」 3.03.04

東日本大震災から来週で二年を迎える。津波で家を失った被災者の大半はまだ仮設住宅で暮らしている。原発事故の避難者の多くは家に戻れるめども立っていない▼「かつてない大災害だったにもかかわらず、東京で暮らしていると、人々の被災者への思いが『少しずつ風化しているのでは』と感じることがある」と本紙の「東京下町日記」でドナルド・キーンさんは危機感をにじませる▼原発を動かしたい人々には、事故の風化は好都合なのだろう。経済産業省の露骨な人事が発表された。エネルギー基本計画を検討する有識者会議から、脱原発派の委員五人が外れ、推進派の学者や原発立地県の知事らに代わった▼何もなかったかのように、原発回帰に向かう安倍政権の姿勢が鮮明になってきた。地震列島に五十基を超える原発を造ってきたのは自民党政権だ。その自覚のなさに驚くしかない。

* 安倍総理の地元、山口県上原発新設予定地では、反対の旗を立てていた地元漁協ん゛、補償金めあてに一転賛成している。日本の民意とは、かくも脆弱で恥ずかしいものなのか。

 

* 福島第一原発での作業員の放射線被曝線量は、爆発来二年にして、いまもなお通常の四倍と報じられている。安倍政権はこういった国民の受け手いる被差別には振り向こうともしていない。深まる大多数庶民の「最大不幸」に戦慄する。

原発危害即ち放射線による露骨な環境汚染は、私のような後期高齢者には近まる死以上には問題は小さいが、私の子世代、さらに孫・曾孫世代へ深刻な困惑を、真剣に「防備」しない限り、深まり深まって行く。防備の第一は、言うまでもない「脱・廃・反原発」以外にない。分かって欲しい。

 

* 福島第一原発の爆発から二年が目前に。危害の被害感が風化してはならない、譬えは穏当を欠くのを承知で言うなら、阪神大震災の痛みがかりに風化していったにしても、そこから実害は生じないが、福島の原発爆発は日本列島も海洋もを放射能で汚染し続けていて、忘れかけているかもしれぬあなた、あなた、あなた達自身を、より深刻にお子さんやお孫さんの未来を具体的には深刻な病苦に向かわせるイヤな可能性を持っている。ヒロシマ・ナガサキの原爆被害がそうであった、チエルノブイリがそうであった。福島の爆発はそれよりも程度は深刻なのだと「悪政」に毒されていない誠実な科学者・識者は憂慮している。

* 民主党政権を「原発」問題で回顧すれば、野田総理の「変節」の最大のものは、「原発問題は収束・終熄した」という公言であった。まるで「幼稚な幼稚園児」の高言であり認識不足も極まっていた。菅総理には思惑がらみの批判や非難も聞かれるが、彼の「反・脱・原発」の姿勢には、いい意味で「少年の気概」を見せていた。至らぬ点もあったろうが、彼の在任中、なにといっても「原発」問題の核心は過たず持し続けたのは「健闘」というに値した。

安倍自民党総理は、さる国会答弁で明瞭に「原発問題はけっして収束・終熄していません」という公言は、野田民主党前総理の幼稚さを嘲笑う体であったけれど、彼の「原発」認識は菅元総理の健康な気概・認識とは正反対の、「原発温存・推進を通して、近未来の日本核軍備をすら念頭に置いた」途方もないまたも悪政を強行するための単なる地ならしであった。そう聞こえこ、そう見える。現に強引な「原発推進」の手がやつぎばやに出てきている。とんでもない事態が、当然かのようにリアル化してきている。恐ろしいことだ。

 

* あれから二年、癌の手術後も転移の兆候とわたしは闘いながら、体力のどん底にはまりながら、こと「反原発」に意志と覚悟を集中し、本にすれば千数百頁分の手記を書き続けてきた。ほとほと疲れているし、再びの転倒や病臥にも気をつけねば成らず、それでもそれでも作家・批評家として創作の仕事をぜひしたい。何としてもしたいのだ。

三月十一日まではいくらしんどくても「原発と悪政」に対する「ペン」はとり続ける。その後、皹の重点を創作へ引き戻したにしても、わたしの「重大関事・憂慮」がここに在ることは決して変わらないとだけは、書き留めておく。

2013 3・4 138

 

 

* 「湖の本」の注文があり、今後継続して購読したいというメールをもにった。昨日も、続けて購読しますという申し込みを受けていた。有難いこと。そういう読者に支えられてきた。感謝。

2013 3・5 138

 

 

* どこが収束なものか、二年前に爆発した福島第一原発の「核燃プール」は何の防備もなく覆いなど何もなく「むきだし」の写真が報道されている。これでは放射線の拡散は完封出来ているわけがない。近隣・近県での被曝は長期に亘り浸潤し体内に蓄積されて行くだろう。何かあれば「原発事故との関連性は認められない」と東電はいい行政も政権も同じ姿勢で非道政治を強行し続ける。

 

* 山口県知事は上関原発建設を原則容認の上で「免許判断」は、より上質の情報提供が中国電力から出てくるまで、一年程度見送ると。つまりはなし崩しに「原発新設」気運を待つということなら、これまでの同県内の反対運動にさらに強い抗議と監視とを願う。

 

* 核の「非人道性」に焦点を当てた「初の国際会議」がオスロで開かれ日本も含む百二十ヶ国が参加。しかし核と核兵器を持った、米英仏露中国は参加していない。口でいかに平和やヒューマニズムを語ろうとこんな五ヶ国こそが世界と人類を平然と冒涜し蹂躙しつつある。こういう点に眼を逸らしてきた世界の風潮を心底歎かずにおれない。しかも米国などは日本をも唆しつつ徐々に核装備軍国に誘おうとしているのは見え見え、また安倍自民政権がそれに乗って行こうとしているのも見え見え。安倍政権や特権電力や経産省や周辺にまたも蔓延りだした権利と地位にたかる毛虫のような自称識者が、いまや過去の失政・失敗に恥じずまたも新たな「安全神話」へ国民を引きよせようとしていることは、けっして許せない。まさに人間の知性も羞恥心ももたない毒虫たち。志賀直哉や唐木順三先生や、またアインシュタインらの熱誠こめた批評や批判や悔悟を真摯に顧みたい。今度のわたしの「湖の本」はまさにそれを希望すべく成った。明日にはその本が出来てくる。

2013 3・6 138

 

 

* 抗癌剤の服用をこの一週間休んでいたが、しんどさは津波のように嵩を上げていた。文字通りドクターストップで、もう四週間の休薬が勧められた。なんとかこの間に、元気を少しでも取り戻したい、何よりも眼の不安定が好転してほしい。今夜も、キイを拾っていながら、数えきれず間違えては直していた。キイボードから霞の底を覗くように文字を手探りしていた。 もう休もう。

あす朝から「湖の本115」の発送に取り組む。しんどいならしんどいと弱音を吐くもよい。しかしすることは、する「波」のように。

2013 3・6 138

 

 

* 朝から夕方まで、孜々として「湖の本115」発送の作業、力仕事を引き受けて助けてくれた妻に、感謝。これぞと思う政治家達、またジャーナリストにも送った。その間も、午後は、衆議院予算委員会の公明党、民主党の質問をじっと聴き続けていた。

疲れた。眼は暗くなったり眩しくなったり。転倒痛はいっこう緩和されない。やれやれ。いつもは夜にも作業するのだが、今晩はもう休む。とにかくも原発爆発から二年の「三月十一日」日付を発行奥付に書いて間に合ったのは嬉しい。今回本は、あまり息苦しくならないようにと巻末の「私語の刻 跋」にたっぷり紙数をさき、「ペンと政治」と帯同している日々のわたしの別方面をも編成しておいた。この「秦恒平の文学と生活 闇に言い置く私語の刻」は「多彩をきわめていますね」と言われるほどの多面体になっている。訪れてくださる読者も、国内外に、多い。

ま、三月十一日の満二年までは「原発問題に焦点」を結んで日々を送り迎えてきた。また、すこしは病にも負けず、安らかな日々に立ち返りたい。

2013 3・7 138

 

 

* さ、明日も、本の発送、頑張ります。十時過ぎ。もう休みます。

2013 3・7 138

 

 

* 湖の本115巻『ペンと政治(二上) 福島原発爆発』は、昨日と今日とで、初めて千部を超す各界・学校への「寄贈」分を送りだした。

購読者のみなさんが後回しになり、ごめんなさい。明日明後日には、と。お待ち下さい。

2013 3・8 138

 

 

* 念願の「湖の本115 (下一)福島原発大爆発」が満二年の明日直前に予定の発送を悉く終えたのは、よかった。忘れてはならぬ同時代の最大不幸を可能な限り永く伝えたいと願った。もう一冊「湖の本116(下二)満二年原発危害終熄せず」を次の桜桃忌まえに送り出す。現代の作家、事故と同時代の作家として、渾身のこの一仕事はつとめだと思った。

2013 3・10 138

 

 

☆ 「湖の本115  ペンと政治(二上) 福島原発爆発

健闘菅総理・変節野田内閣」を拝受しました。

さて、昨日のNHKのETV特集「何が書かれなかったのか~政府原発事故調査~」は見応えがありました。

政府事故調の技術顧問だった2人の見解が大変示唆に富んでいます。

① 「日本の原発の過酷事故対策が欧米の対策に比べ明らか脆弱だった。日本でも直ぐ対応できたアメリカの例を紹介(非常用電源カート、水密扉)」

② 「事故への備えを先送りしてきた日本の官僚機構の問題が大きい。安全性に係わる重要な意思決定が権限を持つ官僚の能力に左右される行政のあり方には疑問がある。官僚機構は縦割りで、課にある程度権限が与えられていて、課毎に物事を考えていく、そして課長の能力と守備範囲で課のカラーが決まってくる。

原子力の分野で言うと、絶えず国際的な動向を睨みながら、あるいは技術が刻々と変化するので、それを見ながら新しい現実を変えていくということが非常に重要なので、原子力を扱う課長の力量が非常に問われるわけである。その課長がどういう思いでやるのかという、変えようと思ってやっているのか、よくわからないから2年経てば他所の部署にいくから在任中を無難にやり過ごそうとする

のかで大きな違いが出る。」という発言は誠に重大で、要は官僚機構は「課長」が実質的に動かしているということです。この点は、小生も仕事柄、大蔵省・日銀との付き合いの中で実感したところであります。

そして、政府事故調は、「責任を問わない」というところから出発したために(これは責任問題が生じることを恐れて事実を隠蔽することを避けるためであり、欧米の事故調査では当たり前の手法ですが)、組織を動かす実質的な権限者や、組織のあり方についての解明が行われず、どの組織の誰が、何時、どのようにして決断を下したのかと言うことの真相に迫れなかったという結果に終わっています。

つまり、組織と権限のあり方は事故発生時のまま温存されているということになり、おそらく今後同じような事故が発生したとき、同じような対応が取られることになるのではないかという、将来への禍根を残したというべきでしょう。

厳しい抗癌剤の副作用によくぞ堪えて来られました。でも、もうゴール間近ですね。

一日も早いご快癒をお祈りしております。

March  11, 2013  濱 拝

 

* 震災から満二年の今日、いちばんに飛び込んできたメールは有難かった。わたしも是に先ず反応したいと思っていた。わたしも昨晩のこの番組を食い入るように観ていた。「濱」さんの指摘は重要な難点に触れてある。責任ある決済立場に立っていた役職者の固有名詞が全然見えないのは、世間一般でも往々そのような事例にぶつかり疳にに障ることがある。「責任回避機構」が行政から民間企業や団体にまで当たり前になっている。原発のような重大事が、名無しの課長級で運営されていると知ると、怖くなる。

 

* 原発事故の本質解明には、「事故実験」がぜひ必要という委員長の物理学的な見解にも深く頷いた。

 

* 要するに原発の構造と事故の際の対策について、十分、十二分な理解と経験をもった運営者・作業者が現場に一人もいなかった

という事実にも怖気をふるった。どこに「安全」があったというのか、捏造されていた「安全神話」にも惘れるが、捏造よりも根源の機械技術的な面で、ことに大事故に直面した際に、万事を心得て対応できた責任者は一人も福島第一原発の現場にも東電本部にも、安全委にも保安院にもいなかった愕然とする事実がいやも応もなく判明したのである。

安倍総理と政権与党に言っておきたい、「原発の安全」などと安易に言うなと。立地の、構造の、操作の、大事故対応の、絶対安全な汚染物処理・保管の、廃炉への、徹底した科学的にも精確な「安全」を万全に国民に告げて納得される野でなければ、口先の「安全」であっては、国と国民との安寧ははかれないのだと。

 

* NHKは、上の番組に直前にも、「メルトダウン 原子炉冷却失敗の衝撃 事故拡大は防げていたのでは」 の問いに現場400人の証言、スクープ、実録ドラマなどで、われわれの眼の鱗を落とさせるほど重要な映像を送り出していた。驚嘆した。いまさきにも触れたように、「原発」とは、人間が造りながら人間の判断や知識や技術でとうてい「安全」に働かせ得ない「怪物・ロボット」のようなものなのだ。専門家の誰もが「大事故」に対応できるほどの見解も体験も洞察も持てていないことが明瞭になった。

けっしてけっして「原発は安全」などと言うべきでない、その認識は日本の科学者や政治家が持たなかっただけで、世界的には「原発の危険」こそが常識なのである。ましてや日本は有数の地震国ではないか、列島の至る所に活断層があり、またホットスポットといわれる放射線量の高い地域をはじめとして、放射能に汚染された地域はもはや全国規模に及んでいる。

 

* 満二年の「福島県内東日本大震災の被害」を、東京新聞集計により数字で確認しておく。統計のない南相馬地区を含めると死者は1000人ほどを加算しなければならない。

死者       15881人

行方不明者   2668人

震災関連死者  2554人

うち原発関連死 789人

避難者    315196人

県外避難    57000人

「避難」はほぼすべてが「東電の福島第一原発」の管理失敗責任による放射能汚染が原因であり、「原発が無かったら」「放射能がなかったら」という歎きは切実である。注目すべきは「原発事故死ゼロ」を言い立てる東電や政府筋の糊塗と隠蔽は「問題」が大きい。疫学上の意味からもこれは基本的な重大な数字であり、事故の根本解明のためにも、明らかにすべき追及事項である。「隠れた事故被害」ももの凄い件数になっているだろう、こういう原因をつくってきたのは、大方が東電、政府筋、行政の責任であり、許せない。原発関連死の調査にも政府も行政もなかば放置姿勢のままだ。まさにまさに「原発問題は収束にも終熄にもほど遠く」千里万里の遅れが咎められる。

 

* 行き場のない核のゴミをどうするのか、再処理工場の完成は遅れ、「もんじゅ」も何らの役に立たないまま不出来な事故や誤謬をいたずらに重ねている。使用済み燃料はすでに17000トンに達していて、その辺に穴を掘って土をかぶせて済むようなシロモノではない。タンクをやたら並べて溜め込んでいる「汚染水」の比ではない「核のゴミ」 一時貯蔵も限界間近なのに、何の対策もない。海洋への放棄は絶対に許されない。こんな窮地に立ち至ることはそもそもの最初から分かっていて対策を取ろうとしなかった「安全神話」の捏造者達を「戦犯なみ」に告発していいのではないか。

世にも愚劣な前総理は、この有様でありながら、昨年の暮れには「もう原発問題は、収束した」などとヨ 内極まる世迷い言を得意げにならべて、あげくせっかくの民主党を壊滅的な惨敗に追い込んだ。愚の骨頂とはあれであった。

 

* 原発を停止しても電気代は上げずに済む見通しはもう立っている。電気代が上がるという口実にだまされまい。省エネ推進で値上げのカバーは足りる可能性がもう足下に見えている。

企業の電気代負担は、英仏に比べて軽いとも確認されている。製造業が海外に逃避するのは見当違いなのである。

家計への影響も、慎重な試算では。原発ゼロの場合が、「原発15%}「原発25%」稼働の場合よりも低いと確認できている。

原発の作業人員は8万人、これが原発ゼロで失職すると脅されているが、脱原発、再生エネの際の雇用は59万人に達すると、可能性という以上に確実視されている。

「原発ゼロ」が我々国民の生活を圧迫するなどと言うタメにする政府筋・電力筋・御用学者筋の狡猾な「デマゴーグ・新安全神話」に惑わされてはならない。昨日のNHK特別番組は詳細に「原発の安全を確保できる現場技術者」が実に「ゼロ」であったと明証していた。あな危なや。安全が確認されたら再稼働とぶち上げている安倍総理に「安全」とは何事と質問したい。

 

* ほんとうは、あの大事故以来の主なる経過を、掲げておきたいが、もう、わたしはこの「反原発」抗争、体力の限界にある。なんとか「満二年の三月十一日」までは頑張りたかった、湖の本刊行と発送も含めて、それは何とか達成した。もとより気持ちも意志も変わらないし維持して行く。

この機械を用いてのわたしの活動をもしかし、明日からは私自身の「創作・仕事」中心に切り替えます。ご理解下さい。

 

* 今も眼は涙でとざされ、キーボードも画面の文字も霞の下に見え隠れしているような按配。もう、休憩以外にない。

冒頭に掲げた「違憲内閣」を告発する声明に、大勢の方の同調してくださるのを希望している。

2013 3・11 138

 

 

* 寝ていた午後、文藝春秋の寺田さんから湖の本受けとったと電話。わたしはろれつがまわらず心配させてしまった。建日子の文庫新刊に御礼をいうと、発売四日で増刷ですよと。息子さんは流行作家の一人ですと。ま、寺田さんも『殺人初心者』といった読み物好きの人ではなく、ただ役職がら励ましてくださったのだろう。一度、三人で会いましょうとも。感謝。

2013 3・12 138

 

 

* 十一日に、安倍現内閣は「違憲」と司法(東京高裁・札幌高裁)の断定した総選挙で政権を得たのであり、「違憲内閣」にほかならない。居座ろうとしているが、(内閣だけでなく、各党代議士達も「違憲」判決をほぼ無視しようとして、国会でもその発言がない。)断乎許すべきでない。一刻も早く「一人一票の合憲」状態を実現の上、あらためて国民の信を「総選挙」で問わせねばならぬ。

 

☆ (十一日声明の)ご趣旨に賛同します。  青山学院大学名誉教授  清水英夫

 

☆ (十一日声明ご賛同を戴ければ、転送などお願い、)了解いたしました。

以前からつくづく感じておりますけれど、先生は本当にがんばり屋ですね!

『湖の本』もいただきました。巻末の「私語の刻」にでてくる『イルスの竪琴』をぜひ読んでみようと思います。

来月4月14日「西東京市平和の日」( 西東京市空襲記念日) のイベントで「西東京市非核平和都市宣言」や『八月の風船』などを「朗読の会たまゆら」の仲間たちと朗読します。

先生、どうかお大事にお過ごしくださいね。   田無 読者

 

☆ 秦さんへ ご無沙汰しております。

こちらはほぼ「ホームページ湖」の桜の花の秦さんを拝見しているばかりで、ずるいかなと思っております。

『湖の本』115 号! ですね。すごいことです。

 

一息も二息もついて、ご無理が過ぎないようになさってください。

昼間でも疲れると横になります→寝てしまいます→元気が出ます)

(仕事はなんとか頑張って続けております)

せっかくメールを戴けたところを受信出来ず、何とも残念です。『湖の本』115号 を戴き、うれしやと頁を開いてお便りで知りました。

時々送受信共に不能になります。プロバイダー不具合の筈ですが…以下省略

よろしかったら1曲どうぞ。ルイ アームストロングです。(約3分)

http://www.youtube.com/watch?v=EpvoakETAmo

どうかお大切にお大切にしてください。    千葉 勝田拝

 

☆ 御本有り難うございました。

ご無沙汰しております。

本日御本頂戴しました。闘病でお疲れの中、送っていただきありがとうございました。

東工大の同期で官庁勤めの友人は、つい先日まで警戒区域内で住民支援の業務に従事していました。前々から志願しており、新婚の奥さんに猛反対されたと聞いていましたが。どうなることやら。

我が家にはガイガーカウンターがあり、年始に都内の親戚宅に息子と行った際、家の周りを測ったところ、吹き溜まりで若干の数値の大小が見られました。全く問題ないレベルでしたが、測定を迷惑がられました。いわく、どうにもできないんだから付き合っていくしかないと。こっそり息子に、近寄らないように伝えました。

息子の学校では、給食の際に時折、産地がら、ごくわずか(検出限界)に放射能を含んでいる可能性があると説明を受けることがあるそうです。

子ども達が判断します。食べない子は、食べる子よりやや少なく、わが息子は食べないそうです。

眼を向ける人、背ける人いますが、見ないふり、何もしないというのは迷惑。、

でも、見ないふり、何もしないというのは日本人の習い性なのでしょうか。  東工大卒 林

 

☆ 『ペンと政治』頂戴致しました。

秦先生 お世話になっております。

最新のご著書『ペンと政治(二上)』ご恵送ありがとうございました。昨日到着いたしました。

折しも2011年3 月11日の項が含まれる巻ということもあり、3 月11日に到着とは、なんたる偶然であろうかと思いました。

拝読いたしますと、2 年前のことが生々しく思い出され、秦先生のお怒りが、昨日今日のことのように伝わってまいりますとともに、原発の事態が、昨日今日事故が起こったかのようにまったく改善していないことに、驚きと怒りを禁じえません。

私が担当しておりますインターネットの人気者「もんじゅ君」(高速増殖炉もんじゅが擬人化して、原発に反対しているというキャラクターです)が先日菅元総理にインタビューをいたしました。

http://lite.blogos.com/article/57889/

お時間ございますとき、またお身体のお具合よろしいときにご高覧いただければ幸いです。

寒さ緩んでまいりました。

ただ、空気中には、花粉、中国からの黄砂やPM2.5 、また放射性物質など、さまざまなものが飛び交っておるようでございます。

お身体どうぞくれぐれもお大事になさってくださいませ。

取り急ぎの御礼のご連絡にて、失礼いたします。   平凡社 洋

 

☆ ありがとうございました。

政治に向かう姿勢を尊敬しています。

どうぞお身体大切に。  八千代市  竹

 

☆ 春の訪れと共に

秦先生のご健康もと祈って居ります。

『ペンと政治』(二上)は、日常をうかうかと過している私に大きな刺激となりました。  栃木市 館

 

☆ 『湖の本』   京都文化博物館長  島津忠夫

いつもお送りいただきありがとうございます。昨年七月には猿之助観に行かれるまでに回復されているご様子うれしく思います。

菅(元)首相には私もまったく同意見です。浜岡原発(停止命令)の折りは快哉を叫びました。地元が反対したことに根深い(以前からの自民)悪政の連続を感じたことでした。

村上春樹のバルセロナでの講演も転載されていてはじめて読みました。このごろこの人に注目しています。こういう人がどんどん発言して欲しいと思います。

何とも今の民主党にはうんざりしますが、やはり自民党のわがままとめるためには(立ち直って)と思います。

河野太郎さん、どうしているのでしょうね。

嘉田(由紀子滋賀県知事)さんもこんな人とこそ組むべきだったと思います。

一気にむ読んでしまい、今日は名古屋での源氏物語の放談、新幹線で寝過ごさないようと自分に言いきかせています。(湖の本での)「竹河」巻も、いかにもと読みました。

お大事に。

 

☆ 春めいてまいりました。  国際基督教大学名誉教授  並木浩一

病を克服しつつ強い意志をもって日本の政治を憂う、鋭い、適確な批判、訴えの一書『ペンと政治』(二上)を本日忝なく頂戴いたし、満腔の賛意をもって拝見いたしました。

「福島原発爆発」の副題に緊張を覚え、体を机まで運ぶ気持ちのゆとりもなく、何と、立ったまま読み切ってしまいました。

菅(元総理)さんの政治センスと計算のなさには呆然とすることしばしばでしたが、事故の直後に第一原発に飛ぶなど、浜岡原発停止要請を含めて、よくやりました。

野田、海江田の民主党に存在意味はなく、党の支持率7%は当然です。

しかしこの危険な政権(安倍違憲内閣)に60%が支持を与えている。何という愚かな民よ。

引用なさった村上春樹の文章・アッピールには驚きました。これほど芯のある作家であるとは。

体調の全き恢復を心からお祈りいたします。 感謝。

 

☆ 桃始笑(ももはじめてさく)  エッセイスト  重金敦之

の季節では、ございますが、また冬に逆戻りしたような寒気が被っております。

このたびは、「湖の本」第百十五巻をご恵投いただき、有難うございました。

抗癌剤の服用にもかかわらず、鋭く世の中に警鐘を鳴らし続けておられる姿勢に敬服しております。文壇やペンクラブの現状を見るに付け、秦先生の危倶が現実になっていくのを憂うるばかりで、あらためて先見の賢察の明を広く知らL めたいと思っております。

薬の副作用との戦いはなまなかのものではないと推察いたしますが、ご健筆を期待しております。取り急ぎお礼まで。 草マ

平成こ十五年弥生吉日

 

☆ 『湖の本』115   市民活動家   吉川勇一

ありがとうございます。いつも御寄贈下さり恐縮です。

昨年のこ様子を拝見し、何度も入院されたり手術も受けられ、大変なお苦しみだったと知り、その間、東北などの地震、津波、原発などについての、政治へのお怒りを書かれていることに、感動しております。

くれぐれも健康にご留意下さいますよう。

私の最近の状況は、私の個人ソイトの中の何点かのコピーを同封いたします。

健康もあまりよくはなく、デモがかなりつらくなってきていますが……。

とりあえず 御礼まで。乱筆おゆるし下さい。

 

* 四国の木村年孝さんから、貴重な、今の今関心深く飢えてすらいた地誌の大冊を頂戴した。有難く有難く御礼申し上げる。

 

☆ 思いがけず   愛媛県  元図書館長

先生の大切な限定本、二册戴き 驚きと嬉しさで、ただただ恐縮致しております。

特に「慈子」は、私にとって先生の作品に触れた最初の作品です。

昭和47年4月27日に筑摩書房より刊行された「慈子」を書店でみつけ、書名とシンプルな装丁 そして帯の言葉「ーー古典との複眼的公正のうちに意外な展開を見せる魅惑の創造世界。」 にひかれ迷わず購入し、その日のうちに一気に読了したことが懐かしく思い出されました。

先生の作品世界に夢中になる切っ掛けを「慈子」はあたえてくれました。

本当に本当にありがとうございました。

 

『****誌』を入手いたしました。送本致しますので ご利用ください。返却は無用です。お役にたてば嬉しいのですが。

私、数年前まで**市立図書館長をいたしておりました。入り用の資料がありましたら何なりとご用命ください。

なお愛媛の柑橘<デコタンゴール>を別送しました。せめてもの、御礼の気持です。どうかお受け取りください。

最後に 先生のご病気の平癒を心より願っております。ご自愛ください。2013年3月11日

 

* 作者冥利に尽きる嬉しい有りがたいお便り、元気を戴いた。沢山の資料を戴いている。次々目を通して、何枚も目から鱗を落としながら新しい小説のために頑張っているが、これだけ資料豊富であるからは、また新たに別の一書も心がける日が来るかも知れぬ。とにかくも元気にならねば。

2013 3・13 138

 

 

☆ 湖の本版元 秦 様

前略 先日はお世話になりました。早速にお送りくださりありがとうございました。代金につきましては、本日郵便振替にて送金手続きを済ませました。後日ご確認ください。

また、(声明)メールを別途いただきありがとうございました。

司法による違憲判決が出ているのに 早期対応できない政治、国会の姿勢はあきれるばかりです。

ごもっともな主張と考えます。

大震災後2年、まだまだ傷が癒えていない、将来への不安も確実視されているのに 先の選挙で、目先の経済、生活優先で国政を選択した国民にもがっかりしています。(そもそも政治不信が根本原因でしょうが…)

さて、【湖の本】の下記の書籍ですが、過日、新刊ネットで注文したところ、本日、手当てができないということでキャンセルされてしまいました。

つきましては追加でお送りいただきたく お忙しいところ、ご面倒をおかけして恐縮ですが よろしくお取り計らいくださるようお願いいたします。

時節柄どうかご自愛ください。

・書籍名  【湖の本103】 私

【湖の本110】 千載和歌集と平安女文化 上

【湖の本111】 千載和歌集と平安女文化 下

【湖の本113】 センスdeポエム詩歌を体験・他    相模原市  篠

 

* ありがとう存じます。お送りします。

2013 3・13 138

 

 

☆ 拝啓  元文藝誌編集長  房

『湖の本115』誠に有難く拝受致しました。

原発のこと論じられてゐますが、わがふるさとでは中曽根康弘大臣のの原発推進に立ち向ひ、公務執行妨害で漁民が逮捕されましたが、原発は熊野灘に造ることを遂に諦めさせましたので 私の自慢にしてゐます。

終りの方に「三田文学」に書いた拙文にふれておられますが 恥しい次第です。

御病気の回復心よりお祈りしてゐます。葉書で甚だ失礼ながら、取急ぎ御礼迄 草々

 

☆ 拝啓

ようやく春の陽気となりました。いつもご教導たまわり、厚く御礼申し上げます。

このたびは湖の本第百十五巻の御恵贈に与り、有難く厚く御礼申し上げます。

今こそ文学者からの「政治と時事」への厳正な批判が必要であるとかねがね思っておりますが、なかなかそういう現実批判に出会いませんが、今回の先生の御論まことにその通りで、待望の指針に出会えた思いで読ませていただいております。

ご闘病の日、まことにご苦痛のことと拝察申し上げます。先生のご病気快癒、心より祈念させていただきます。そして更なるご活躍を心より念じ上げます。

まず御礼まで。 敬具   日高市  国文学者

 

☆ 貴著「湖の本」115

拝受 ありがとうございました 七科通院受診と抗癌剤服用の闘病の御身にもかかわらず 貴著ご出版のエネルギーは 全く神ワザと敬服いたします。

アベノミクスを選んだ国民性は、今に始まったことではありませんが、やはり英雄好みの結果でしょう。「英雄」「運命」のベートウベンを好む日本の国民性は、あの曲のセンリツが、ヒトラーの演説口調のセンリツに類似していると昔の論者が言っていましたし、自分で判断できない思考力の弱さは まさに「隣りの百姓」伝来の国民性と存じます。

気に入らない奴をイジメルのは子供ばかりでなく、教員の世界も宗教の世界も経団連の世界も政治家の世界も同一です。

菅直人はイジメにあったと解しています。 まずはお礼まで。   国立市 作家

 

☆ またとない貴重な証言をまとめてくださって心より敬意と感謝を捧げます。

何かお見舞いの品をと思いながらためらっています。 お大切にと祈っています。  岡山市  毅

 

☆ 大変なお疲れの中 (湖の本)お送りいただき、ありがとうございます。ちょうど11日の午後に届きました。10日は、被災地ボランティァから帰ったばかりの青年二人による祈祷などを入れた震災を憂える礼拝を持ちました。

寒暖の差も大きく 空気も悪い日々ですが お身体 調えられますように。どうぞお大切に。  下関市  緑

 

☆ ありがとうございました。先生の心が一杯詰まった「ペンと政治」を 私も同じ地平で読み進めています。

日本人の知性を信じたいですが、これ程 劣化していくとは思いませんでした。辛いことですね。

ご自愛下さりご執筆をと願っております。 HPを楽しみに拝見しています。  金沢市  作家

 

☆ 壮絶なる作家魂に感服です。

何卒 お大事に。   東近江市  作家

 

☆ 憂いの尽きない状勢です。こうして湖の本を変わらず手にてきることに感謝しております。

お体大切にして下さい。  八潮市  瀧

 

☆ ご体調の悪いなか、ご執筆・編集・発送 お大変なことと存じます。ありがとうございます。

奥様とともにご上京後「55年目の春」でいらっしゃいますね。少しずつ暖かくなりました。お体ご無理なさらず、日々お大切にお過ごし下さいませ。    渋谷区   宏

 

☆ 2年前に他界しました娘の介護に通っており、抗がん剤 放射線の副作用に苦しむ様子を知っており、先生の状況をお察ししております。より軽くなりますことをねがっております。

(先生の政治に対するお考えとは大きく異なりますが。)   国分寺市  良

 

* 生きてあること、その力を大切にしたい。

花形歌舞伎を観に出かけます。

2013 3・14 138

 

 

☆ 急に春めいて参りました。

お辛いなか「湖の本」をお届け賜り有難う存じました。なつかしい秦さんお手書きの文字を拝見し、勿体ない思いです。

ご自身、かかえ切れぬ程の荷を背負っておいででいらっしゃいますのに、なお、目を政治に向けて下さってる尊さに涙があふれます。至らぬ読者ですが、丁寧に拝読させて頂き度く存じ居ります。

秦さん、それに奥さんにも呉々もご自愛下さいまして春を楽しんで下さるようお念じ致して居ります。  京都市  澤

 

☆ いつもありがとうございます。

どんどん危ない社会になっていくのに、国民もマスコミも黙っている今…お考えを読ませて頂きたい一方で、お体に無理がないようにしてくださいね。   名古屋市  智

 

* 「ペンと政治」を

夢中で読んでいます、 「健闘菅総理」には心から同感。 但し不明ながら野田総理が何者であるか、私は遂につきとめられなかった。なおくり返し、拝読して考えようと思います。 お体お大切に。  大府市  門

 

☆ 私語の刻

身に沁みて拝読。

小生 薬の副作用はよく効く薬のあかしーーと、食欲激減、嗜好変化と付き合っており、昨今は万年筆、軽いカメラが握れるようになりました。 御健筆を祈念申し上げます。  神戸市  蕃

 

☆ 3月の声と共に

春めいて参りました。

先生、お加減は、いかがでいらしゃいますか。待望の「作家とペン」の最新版を早速出版していただき、内容も本当にすばらしいと拝讀しております、感謝を込めて!  静岡市  鳥

 

☆ ご本届きました。

有難うございます。先生のお体の方も大変なことと存じます。

先の新聞にて 息子(秦建日子)さんの名前が大きく出ていました。

どうぞお大事になさって下さいます様に念じております。   北区  岸

 

* 四国の木村年孝さん、愛媛の名産、おいしい柑橘「デコタン」を沢山頂戴した。この前は参与として所属している学会の馬渡憲三郎会長さんから大好きな土佐文旦を沢山いただき、例になく美味しく食べられ、食べきったところへ「デコタン」が元気よく届きました。感謝、感謝。

 

* 馬場あき子さんから「男の恋の歌」「女の恋の歌」二册を頂戴し、黒田杏子さんからも俳句の本を頂戴した。

2013 3・15 138

 

 

* もう暫く前から思案もし決心もしていた新しい「仕事」、気を入れた「自問自答」に取り組み始めた。余人は知らず、わたし自身にはキツイ仕事、だが、わたしとしては或る責任上どうかして果たしておきたい、かなり遺言の気味のある難行になりそう、「湖の本」に入れるときはこれまた二巻を要するのかも知れない。自身につきつけた問は二百問もあろうか、まじめに本気で答え始めればしばしばわたし自身が絶句するかも知れない。「問い」の用意はじつは完全に出来ている。面白づくに書けないことでないが、わたしは、生真面目に立ち向かうのではないか。

今日の日付を覚えておきたい。

2013 3・15 138

 

 

☆ 文字通り三寒四温の日々が続いています。  元参議院議長

お変りございませんか。いつも湖(うみ)の本をお送り下さり、ありがとうございます。

昨日民主党の会議で菅直人さんと隣合せ。御貴著贈呈との貴意をお伝えしたところ、喜んでお受けしたいとのことでした。すかが取り計らいましょうか。議員会館なら確実と思います。 草々

 

☆ 拝復   元内閣総理大臣

ご健勝にての御活躍をお喜び申し上げます。

この度は、「湖(うみ)の本 ペンと政治(二上)」をご恵贈下さいまして、誠にありがとうございました。

日々のご研鑽の結実に深く敬意を表します。

早速に拝読させていただきたく思いますが、取り急ぎお礼申し上げます。 敬具   平成25年3月15日

 

☆ 前略ご免下さい。

今度は「湖の本115」のご恵贈に与り、まことにありがとうございました。

今さらながら、いろいろのご病気を抱えながらの、実にエネルギッシュなご活躍ぶりに、改めて驚異の念を深くいたします。

原発についてのご発言、いろいろ参考になりますが、私は原発問題の根本的解決は、「原子転換」に日本の国家をあげて取組む以外に良い方法はないと存じております。水野忠彦「核変換」(工学社)を是非ともご一読下さい。  草々  国分寺市  歌人、

 

☆ 日ごとに春らしくなって参りました。

この度は『湖の本』ペンと政治を御恵送下さいまして御礼申し上げます。

原発というとてつもない難題、事実が明らかにされていないことなど、教えられ考えさせられました。精力的なこ゜執筆に圧倒されています。

ご加療大変なことと存じますが、呉々もお大事になさって下さいませ、ご快癒 お祈り致して居ります。 かしこ  堺市  歌人 2013 3・16 138

 

 

☆ 次巻「ペンと政治」二下を

楽しみにしております。 お体に気をつけて下さい。   和歌山県知多  則

 

☆ いつも湖の本

有り難うございます。どうぞくれぐれもお身体大切に。

頑張って下さい!   藤沢市  義妹

 

☆ 湖の本115

ありがとうございました。先生直筆のおことばがが、とてもあたたかく感じます。

いつも「私語の刻」から読みはじめます。先生のご容態についての箇所て、「……とは謂えこれしきの『圧』など立ち向かって乗り切れる。」は、心強く勇気が湧いてきました。 頑張ります!!   群馬佐波郡  都

 

☆ どうも

ありがとうございます。どうか お体 お大切になさって下さい。  沖縄豊見城市  嘉

 

☆ いつも

「益々お元気に」と声をかけて下さった響きを そのまま何度もお送りします。  狛江市  秀

 

☆ 御本

大切に、また、読み返しています。

どうか、どうか、お身体大切にお過し下さい。  鎌倉市  橋

 

☆ ご闘病の中、

湖の本を出して下さり、また、直筆のごあいさつをいただき、ありがたく存じます。

お大事羅、おすごし下さいのせ。 次回も お待ちしております。  世田谷赤堤   濱

 

☆ 先生

お加減はいかがでしょうか、いつもご案じ申し上げております。どうぞご無理のないようにご自愛くださいませ。  川崎市  澄

 

☆ 115代

御健筆祈念!  足立区  二松大名誉教授

 

☆ 社会へ、政治への    藝術至上主義文藝学会会長

ご発言、共感致しております。

こうした「ペン」のために、一日も早く、お元気になられますことを祈念しております。

 

☆ 大震災のこと、原発のこと

日々取り上げて下さって感謝いたします。御著書 ありがとうございました。

どうぞどうぞ御身体お大事にお祈り申し上げます。  岡崎市  名

 

* 大勢のみなさんに、日々御見舞頂いています。つくづく不徳なれども孤ではないと胸の内が温かくなる。村上開新堂のエッセイスト山本道子さん、また重ねて、お店最高のクッキーで御見舞い下さった。ご近所の作家井上明子さんには、小笠原の明日葉を頂戴した。

2013 3・16 138

 

 

* 次の「湖の本116」の校正も放り出しては置けない、なんとか遅くも桜桃忌まで、出来れば五月中には、「三月十一日 原発事故より満二年」までの批判や述懐の記事も書き切ったものを出版したいが、それも技術的・量的按配もふくめ、大ごとです。

2013 3・17 138

 

 

☆ 秦恒平様

「湖の本」拝受。

昨年の選挙結果には呆然としがっかりしました。力が脱けたようです。

新刊一冊(=「小笠原先生、ひとりで家で死ねますか?」)お納め下さい。  東大名誉教授  上の

 

☆ 三寒四温の折柄、

益々御清栄のことゝ存じ上げます。

さて本日もまた「湖の本」115(ペンと政治 二上)のご恵送をいたゞき厚く御礼申し上げます。

ご文運のご隆盛を祈り上げます。 取急ぎ御礼まで。 頓首  青山学院大名誉教授   清

 

☆ 「湖の本」115を

拝受し、巨大地震・福島原発爆発に続く日本の日々を、秦さんの眼と文章を通じて再体験しました。

ご体調不良にもかかわらず <文士>としての覚悟・判断、そして日常も揺るぎない。感嘆します。(菅おろしの鉄面皮にはあきれていました。)

どうぞお身体お大切に。そしてこれからもご健闘をお祈り申し上げます。  K社元出版部長 天

 

☆ 前略

『湖の本』115 をご恵贈いただき、ありがとうございます。楽しみに読ませていただきます。

以前にお送りいただいた『京と、はんなり』は、36年間(20才~56才まで)、京都でくらした私にとって大変興味深く、「うんうん」とうなずきながら一気に読みました。

それにしても秦さんの博覧強記ぶりには、ただただ驚くばかりです。こういう方とお近付きになれたことをうれしく思っております。聖路加(病院)のすぐ近く、明石町に5年前まで住んでおりました。  日本共産党  市

 

☆ 塩屋の海の面が

キラキラ輝いて早春の陽が心地よいです。

この度は「湖の本115 」お贈り頂き、重ねてのお心づくし大変心苦しく存じながら、有難くお礼を申し上げます。

ご病気の治療に時間を費やされる日々 執筆活動に立ち向かわれる、ある種の「ちから」に敬服申し上げます。

亡夫の遺した沢山の資料の仲に、刻々記した病歴の仲に、未だ離れ難き思いがあります。

迪子さんの(喜寿の)お誕生日も、すぐですね。おめでとうございます。

ご恢復を祈りつつ。    神戸市  澄

 

☆ 3分の1ほど読みました。拍手。   花巻市  及

 

☆ やっと

春らしい日がやって参りました。

健康作りにも良い時期かもしれません。免疫細胞の7割が腸にあるので腸を活性化する事が大切なんですね。  湖南市  敬

 

☆ (「作品だけ」派でなく、)「作家」も派の人で

ありたく、卒業生の回覧にも供します。くれぐれもお大切に。  神戸大学名誉教授  周

 

☆ 破壊された福島原発の

現状の建屋の耐震性について、誰も専門的な公表をしないのが、不安で不気味です。

御健勝と御健筆を祈ります。  藤沢市  永

 

☆ 抗癌剤の副作用は

なかなか苦しいものと聞いています。お身体のこともお大切に。

文科省の太陽発電に関する福島プロジェクトで今東北にいますが、来年四月は郡山になります。

私もマッキリップの『イルスの竪琴』を最近読み返したところでした。  横須賀市  敏

2013 3・18 138

 

 

☆ 「湖の本」(『ペンと政治・二上』)を

お送り頂きありがとうございます。本日代金二、五〇〇円を振込みました。しばらく遠出をしており、遅くなってすみません。

執筆と闘病が括抗するところにこそ、秦さんのエネルギーの源泉があるのでしょうか。

休養をもう少し増やしては、とはなかなか言えません。書くことは、本を出すことは、世の中とつながることですから。これは生きがい。作家から生きがいを取ってはいけません。それにしてもやはりお体大切にと申し上げます。

ご著書、政治・原発とはいえ何でもありだから面白い。まさに「ペンと政治」です。こちらを開き、あちらを読み目が離せません。

ご平安とご健筆をお祈りして。 二〇一三年三月十八日   我孫子市 詩人

 

☆ 前略

先日は又『湖の本115』をご恵送下さいまして、誠に有難うございました。偶々 先月から今月にかけて。元編集者の私への原稿依頼が積み重なり、昨日まで忙殺されておりまして 御礼が甚しく遅くなりましたことをお詫び申上げます。本日「私語の刻」から拝読を始めましたが、私の無知のため関心の及びがたいところもありましたが、御教示いただきました箇所を列挙致しますと。「御晩入」、「『友人会宿』の御名訳」、「病室での『源氏物語』と『ファウスト』」、「『詩酒不至』の御名訳」、「『ワーニャ伯父さん』への感動」、「般若心経をバグワンに聴く」、「『神楽』は『かみくら』」、「大久保房男さんのことと、編集者論」、「私も訪れたことのありますペテルブルグのブーシキン像」、「読書の楽しさ」、「源三位頼政の秀歌」等々でした。

どうぞ呉々も御体調に留意され、「圧」に立ち向われますよう、心からお祈り申上げます。御礼の遅くなりましたお詫びとともに駄弁を弄してしまいました。お許し下さい。 三月十八日   S社元文藝誌編集長  忠

 

☆ 「湖の本」115

落手。ありがとうございます。

(国会違憲についての)e-メールも受け取り、拝見いたしております。  世田谷豪徳寺  島尾伸三  作家・写真家

 

* 島尾さんの送ってくれた、お父上『島尾敏雄と写真」は貴重な編纂で、「富士正晴文学アルパムと島尾敏雄」「島尾敏雄と少女」「島尾敏雄と『終戦後日記』」「島尾敏雄と妻ミホ」「富士正晴と島尾敏雄」「島尾敏雄と<いなか>」「島尾敏雄と眼疾」「『月の家族』の中の島尾敏雄」「島尾敏雄と奄美」等々その他を纏めてある。わたしは島尾敏雄という作家・詩人にまだ十分に出逢えていないが詩集その他を愛蔵している。

2013 3・19 138

 

 

☆ 拝啓

永年に亘る政官財癒着の構造を変革してくれるだろうと期待した民主党政権がはかなくついえた事には失望を禁じえません。その間の事態を先生がどう見、感じられたか、興味深く拝読させて頂きます。敬具  元岩波「世界」編集者 高

 

☆ (前略)

特に第115巻は、3.11を考えてお送りいただき、あの二年前をもう一度たどりいらだつ思いと、二年でこれほど変わってしまったかという思いを強くしました。

早速自身のブログでも紹介させていただきました。

私自身が取りくんでおります日中韓の徐福伝説についても政治に左右され、くやしい思いがあります。

声にすること、動くことを 先生からは学んでおります。

どうぞお身体大切に引き続いてご教示下さい。   愛知県 ペンクラブ会員  志

 

☆ 拝復 (前略)

「湖の本115 ペンと政治(二上) 福島原発爆発」をご恵贈くださり心より御礼申し上げます。

三月十一日を今年も迎え震災と原発事故を改めて思い起こしながら 秦先生のおことばを受けとめております。

花便りが聞かれる季節になりましたが ご自愛のうえお過ごしくださいませ。かしこ  山梨県立文学館  和

 

☆ 前略

「自民党へ政権を戻すのは自殺行為」と書かれて2年も経ないうちに、その悪夢が現実となりました。お怒りでご病状にさしさわるのではないかと案じております。ご容態のほどいかがでございますか。「七科通院受診」とあり、抗癌剤の副作用に堪えておられる由。いまはただ十分にご加療のうえ、ご療養専一におつとめくださいますよう切に祈っております。

とりあえず御礼まで。   京都市山科区  図書館学教授 俊

 

☆ (前略)

いつも乍ら、ほとんど同意見。続きもきっとそうでしょう。うれしいというよりも、くやしさと、かなしみが湧き起こってくるのも、いつもの通りです。

どうぞこのエネルギーも支えとして、ご快癒をかちとられますよう、心から念じ上げております。

ご令室様にもよろしくご鳳声下さい。   神戸市 歌人  昌

 

☆ 115巻!!

これは大変な偉業です。

お体、お大切に。  三鷹市  国文学者  唐

 

☆ 「今日からを 晩年とする」

きびしいお言葉拝誦 衿を正しました。

ご回復をおいのりいたします。   八王子市  歌人  郁

 

☆ 癌を抱くと かかる日が来て受け容れて それも忘れて冬の花咲く  遠

涙、滂沱として流る。 どうぞ どうぞ お大事に。  神戸市  章

 

* ありがとう存じます。

2013 3・21 138

 

 

* 起床7:30 血圧122-57(65)  血糖値81  体重63.1kg  涙溢れるが、心もちマシか。 朝 餅三つ 出汁 デコポン柑橘 昆布茶 ドリンク 出汁 ヤクルト チョコレート 朝の服薬 十時 妻の冠動脈ステント検査入院に付き添い保谷厚生病院へ。あまり涙に煩わされず ずうっと空き時間はベッドサイドで「湖の本116」の校正。昼食抜き。飲まず食わず。二時より検査。五時半医師の解説と今後のこと。 選択肢は、何もしないか、風船をいれるか、バイパス手術か。医師の薦めはいまのところ風船を入れてはと。独りで帰宅。 晩 餅二つ 昆布茶 その他ごちゃごちゃ。 晩の服薬 晩の仕事。 排便二度。

 

* 相当な時間を妻のベッドサイドで湖の本の校正に精を出せて、はかどった。十時に病院に入って病院を出たのが五時半になるとは想ってなかった。昼抜き、飲まず食わず。今は、食わないことが、苦にならない。時にはその方が快調に思えるが、体重微減の連続から微増へ転じて63キロ台へ戻したのが、また62キロ台に落ち込みそう。

一昨年と去年と、二度妻の冠動脈にステントを入れた。一昨年の分はほぼ落ち着いているが、去年の分にまた狭窄が見られる。放っておいて様子を見つづける、風船を入れてひろげる、バイパス手術に踏み切るという選択肢が示されて、医師は、風船を入れて様子を見ようという判断のようであった。バイパス手術はこの病院では出来なくて、他院へ送られる。

永く妻が世話になった聖路加の副院長先生(循環)に相談にのってもらい、手術となれば心臓外科をご紹介願えばよい。さし当たっては風船で血管を膨らませてもらうことに、妻も、わたしも諒解している。

2013 3・22 138

 

 

* さすがに疲れた。今夜はテレビをつけたまま、校正などして、ま、寛ごう。妻は明日午前中に退院する。迎えに行く。

 

* 民主党の辻元清美代議士の事務所から、「湖の本115」を受けとったと。

わたしは今、「116 ペンと政治(二下)福島原発事故満二年」巻の、校正と仕上げに手を割いている。渾身の仕事。

2013 3・22 138

 

 

☆ 長く寒い冬だっただけに

このあたたかさ、この光がうれしく解きはなたれた感 至極です。湖の本 おことわりしておき乍ら ありがたく頂戴しております。

度重なる大変な手術であったこと その間 不死身のあなたゆえ <ペンと政治>にみるような、この期に及んでなお、日本の今の政治に怒り なげき ベッドから立ち上らんばかりの激怒ぶり、さすがと 病との戦いだけで疲労コンパイであろうと思いますのに。

いちいち そうや! その通りと相づち打ちながら (一)(二上)読ませて頂きました。 思い考えるだけでなく この湖の本の出版の諸々の大変さ、 本当にこの病の中 あなたらしく どこまでも潔く行こうとなさる姿勢、感嘆しています。

くれぐれも お大事になさいますよう。 「湖の本」代として同封いたします。  京左京  正  同窓 元小学校校長先生

 

* 小学校校長先生の口吻と、同窓の昔とが混交し、微笑みながら読ませて貰った。

 

☆ 前略 ごめん下さいませ。

このたび理事長と同時に私も(京都藝術センターを)退職いたします。

秦先生には京都市中小企業指導所で北澤恒彦さんにご紹介いただき、京都美術館長室におこしいただいた折、お目にかかりました。北澤さんや理事長を通して先生のご本を知り、何冊か読ませていただきました。一言お礼を申し上げます。ありがとうございました。今後理事長には自宅の方へご送本下さいませ。  理事長秘書  廣

 

☆ どのような事態をも受け取って

日々常と変わらぬ暮らしを績いでいらっしゃる ご意志・ご意思に驚嘆しつつ、力づけられております。  世田谷  米

 

☆ 「福島原発爆発」

ありがとうございました。復興の見通しのつかない現実の中で。

やがて残してゆく子や孫の世代への不安と責任が重く心を占めています。

先生の御健筆と御健康のご回復を念じながら。   さいたま市  宮  作家 ペンクラブ会員

 

☆ いつもありがとうございます。

年度末は、公私ともに忙しく、ほとんど毎週末東京に帰っています。4月からは下の子も小学校に上がります。放射線、PM2.5など子を持つ親にとっては気になる事ばかりですが 今、自分が出来る事を頑張るしかないと思いますし 今、自分が出来る事を頑張るしかないと思いますし、それが出来る環境に居られる事に感謝しています。  奈良市  宏  卒業生 国交省より出向

 

* 下のお嬢ちゃんを上のお嬢ちゃんもいっしょに小さい頃抱っこしたことがある。何年も経って下の子が一年生になるとは。賢明に着実に職務と父親とにいそしんで、社会人としての行儀も正しい、しかしもうお父さん、青年でもないんだなあ。

2013 3・23 138

 

 

* 反原発への言及、批判・批評、述懐、怒り・歎きを、とうどう事故以来満二年の此の三月十一日までを、次巻「ペンと政治(二下) 満二年、原発危害終熄せず  背信野田総理の惨敗・安倍「違憲」内閣居座る。襲い来る国民の最大不幸」分として原稿にした。もう数日分を書き足したいが、今夜はもう視野朦朧としている。

2013 3・24 138

 

 

☆  秦 恒平 様

拝啓 春暖の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

このたびは、『湖(うみ)の本』をお送りいただきありがとうございました。

志賀直哉が生きていたら、福島の事故をどう思うのでしょうか。

日本人の心を支え続けてきた自然の仕組みを一挙に壊してしまうのが原発です。

ただ、残念ながら、政治を担う人たちは目の前の経済だけで判断しています。

今後もお考えを深められますこと、ご期待申し上げます。  敬具  平成25年3 月19日

滋賀県知事  嘉田由紀子

 

☆ 拝啓 (前略)

お礼のご挨拶が大変遅れましたが、「湖の本」114 115巻 有り難う大変ございました。一頁、一頁、かみしめながら拝読いたしております。

行間に溢れるご指摘の数々、私も「そう思います」「その通りです」等と、恰も、私自身を見る鏡に接しているかのように感得されるのです。

有り難うございました。ご活躍に心から敬意を表し、お礼のご挨拶といたします。 不一  元保谷市市長 都

 

☆ 秦恒平様

東京は驚くほど早く桜が咲いているようですが、 大阪は梅もまだ楽しめます。

先日は「湖の本」ご恵贈くださいましてありがとうございました。 ご病気と闘っておられる中で、「お元気で!」と書いて下さり感激いたしました。少しずつ すこしずつ読ませていただきました。 気分のすぐれない日々もある中で、政治、原発に対して鋭く切り進んでいかれるご様子に たゞたゞ驚き 尊敬の思いをいっそう強くいたしました。

消化器系のご病気と闘っておられるのに、何か、少しでもお元気になられるものはと、阿池煎餅を思いつきました。 お身体に合わぬものかもしれませんが その折には お許し下さいませ。

どうか ご無理をなさらず、ゆっくり ゆっくりお元気になられますようお祈り致します。  大阪市淀川区  能

 

☆ 湖の本115 ペンと政治(二上)

完讀致しました。P47ー57の村上春樹の受賞スピーチを湖の本の上で「再論」、残して下さったことに感謝しております。先生の「ペンの怒り」に共感させていただいている私は、常日頃から「佐塚がもの言わんでどうする!」叫んでいる世界私民の一人です。「二の下」もしっかり読ませていただきます。

ご結婚 54年! おめでとうございます。   練馬区  裕2013 3・25 138

 

 

* 一時前に「湖の本116」要再校便を凸版印刷所に返送、表紙とあと付け原稿も入稿。

 

☆ 拝復 (前略)

小生生れ故郷が福島でありますので、身に詰まされており、お考えなるほどと拝読した次第。(湖の本115)御恵送に深謝しております。御礼まで、匆々    志木市  功  国文学者

2013 3・26 138

 

 

☆ 秦恒平様

春の暖かい日差しが気持ちのいい季節になりました。

さて、いつも『湖の本』をお送りいただき、ありがとうございます。この度は、百十五巻を迎えられたとのこと、誠におめでとうございます。

ご体調はなはだ心配ですが、くれぐれも御体ご自愛ください。

『湖の本』を今後も楽しみにお待ちしています。 二〇一三年三月十九日  城西大学學頭 水田宗子 ペンクラブ会員

 

☆ (前略)

術後の御様子は「私語の刻」で承知するのですが、容態の一日も早く安からんことを念じています。

今回は「3.11」後であるだけに、一日一日自分の行動思惟と照し合わざるを得ず、思い当ること多々、です。

村上春樹氏のカタルーニャ国際賞受賞スピーチ全文は、初めて読み、情理そなわったものと納得しました。きちんと紹介されること、充分意義があったと思います。

筑摩の辰巳さんの名前、懐かしく憶い出しました。 御自愛を。  元K社出版部長  徳

2013 3・27 138

 

 

* なにかというと、新歌舞伎座のコケラ落としに行ける日を、浮き浮きと想って楽しんでいる。四月の一部、二部、三部とも通しで座席をとってくれた高麗屋に感謝もひとしお。さらに「盛綱陣屋」「勧進帳」の第三部を片岡我當君が送ってきてくれた。「湖の本」で四半世紀もお世話を掛けっぱなしの印刷・製本の担当さん夫妻をぜひご招待したかった。それも叶って、嬉しくてならない。

2013 3・27 138

 

 

* 五月にはもう抗癌剤服用は卒業していると想われる。この月には、明治座で、染五郎、勘九郎、七之助、愛之助の花形歌舞伎もある。上村吉弥も出る。四月の柿葺落しに出演してきた熱気がどう顕れるか、これも楽しみにしている。

ペンと政治との身を揉みしだくような、十年前、そして二年前からの原発危害が終熄せぬまま「違憲の総選挙」を経て「違憲の安倍内閣」がアベノミクスとやらで浮かれるザマを、我が身には癌を抱きながらも、息苦しく批評し批判し慨き哀しみつづけてきた。上下三巻、昨今の単行本にすれば優に千数百頁もを、この上半年内に、「湖の本」114 115 116として刊行して行く、その心身過労と汚れとを新歌舞伎座四月、五月、可能なら是非六月もの「柿葺落し興行」で、めでたく盛況を祝いながら、徹底的に癒したい。

妻も、有りがたいことに、「四月五日には喜壽七十七歳」を迎える、豪華版の歌舞伎が祝ってくれるのだ、二人して新歌舞伎座の無事開幕を、わくわくして待っている。

2013 3・27 138

 

 

☆ 京の町のあちこちで

やっと桜の花が咲き始めました。

(中略)私の娘も東京に住んでおり、大震災の時は非常に心配で毎日電話をしていた事でした。先生がおっしゃる様に 人間 もう一度根本から考えなければと思いました。

東京展(新匠)は去年から上野の美術館での展覧会再開致しました。

ご案内送らせていただきます。お礼まで。  西京  望  漆藝家

 

☆ (前略)  先生も奥様も

どうぞ御大事に過されますよう心からお願い致します。何の御見舞もいたしませんで心苦しいのですが、御本(=湖の本)のとどくのが私の何よりの楽しみです。

今の世状のことはなかなかむづかしいですが、 やはり 清経入水から こころ 絵巻等々と 古いものが心にしみます。

幾度よみ返しても 新しい思いです。

重ねて御自愛のことお祈り致して居ります。   桐生市  君

 

☆ 昔、同窓会で、

文藝部の顧問だった先生から 「慈子」(あつこ)をすすめられたことがあります。

そのとき、私はもう「慈子」を読んでいましたが、 「あっこ…」と口にされたときの、どこか遠くをみるような顧問の表情を、強い共感と共に 今もなつかしくおもいだします。

お身体大切に、どうか、先生も奥様も。   各務原市  都  詩人

 

* わたしの「小説」を、心待ちにしていて下さる方の多いのを、肌身に感じている。ありがたいこと。

さ、どんな作が成って行くか、なんだか、吾ひとりで創作をこのところ楽しんでいます。お待ちあれとお願いまで。

☆ 秦 恒平 様

ご無沙汰しております。『湖の本』115 号、ありがとうございました。このところ何巻かお贈りいただきながら、御礼状を怠けてしまいました。お詫び申します。

ご病気を押しての、政治に関するご発言の数々、頭の下がる思いがします。ご論旨の多くに共鳴を覚えます。特に、原発温存への批判には同感です。

もう随分前になりましたが、たしか、この前差し上げたお手紙では、菅総理引きずり降ろしに反対する貴ご意見に、賛成の気持を書きました。その後、残念ながら、しかし予見された筋書の通りに、菅さんは消え、原発の教訓も影を薄めて来ています。

でも、何十牛、何百年にわたって人類を苦しめるような、そして人類を滅亡の危機に曝すような、明らかな愚行を認めるわけにはいきません。

ついでに少し脱線して言えば、小沢一郎という政治家を、私は好きではありませんが、しかし、ここ数年に行われた「小沢おろし」の動きは不自然で、なにか背後に大掛かりな陰謀が働いているのではないかと感じられてなりません。民主党の当初の政策に忠実な彼の言動は、正論だと考えます。

政治はいつも、人間の悪や奸智と背中合わせですね。今の私には、政治上の発言をする能力も意志もないし、ただ歯がゆい思いで状況を眺めているだけなのですが、秦さんの渾身の異議申し立てに、あらためて拍手を送りたく思います。どうぞ、頑張ってください。

それにしても、ご病気との闘い、どんなにかお苦しいものと拝察します。それを「壮絶」などと言えば、かえってご不快かも知れませんが、そういう中で仕事に集中されているご様子には、「もの書き」の末席に連なるものとして、強い感銘を覚えずにはいられません。今回の「私語の刻」文尾の数行からは、116 号以下へのご熱意のほどがうかがわれ、大いに意を強くしています。

ご回復、完治の日の近いことをお祈りします。

私は、老妻(!)と二人で、相変わらずひっそりと暮らしています。二人とも、病院通いが多くなりましたが、今のところは、なんとか倒れずに済んでいます。

「ひっそり」と言いましたが、私は、数年来取り組んでいる数種類の出版計画に追われ続けて、それなりに多忙の日々を送ってはいる次第です。内訳は研究書が2 種類、文藝書が2 種類ですが、日暮れて道遠く、焦っています。この1 年ほどパソコン教室に通って、ようやく何とか使えるようになりました。「80の手習い」です。

では、どうぞ、ますますのご健筆を。

以上、御礼とご無沙汰のお詫びとを兼ねました。 2013年3 月28日  鎌倉市  粂  作家・明大名誉教授

 

* 心強い励まし、感謝。

孤独は貴重な精神世界だけれど、孤立はせんようになと、昔々の新制中学上級生に諭された。ありがたいことにわたしは今も孤立の儘にひとりよがりの「湖の本」作家に甘んじているのではないこと、それを大勢の親しい人たちに励まされ励まされて老境を日々歩んでいることを誇らしくも嬉しくいつも感謝している。

2013 3・29 138

 

 

☆ 二代猿之助襲名公演終わりの口上に、猿翁・先代段四郎出演、居並んだ弟子達の手にぽたぽた落ちた涙が忘れられません。

「清盛」への(=湖の本「私語の刻」での)評価、大拍手。

どうぞ よき刻 多かれと 切に切にお祈り致しております。  北九州市  谷  俳人

2013 3・30 138

 

 

☆ 「湖の本115 巻を

御恵贈下さいまして、有難う存じました。

政治に関しての日々の御念を率直にお記しで、これは後世に対して、良き指標となることでしょう。もっとも政治家が読んでくれなければ折角の御論も、通じない、という残念があります。(これは多くの人の場合がありますけれど)。私とカンカンやっていた友人も□□をで、私はもう、「国会討論」というと、テレビを消します。隕石飛来で、ホーキング博士の、「あと○○年で地球自滅」という説を思い出し、ゾッとしています。今の、一時一時を大切にする他ありません。

どうぞ、日々お大切に。(乱筆、お許し下さい。この紙は滲みます。)   文藝批評家 元文藝誌編集者  喜

 

* たしかに政治家に伝えたい内容だが、かれらの関心範囲も執務時間も広く永いには相違ない。それと承知で、わたしは送っておこうと思う政治家や評論家やキャスターたちには前回、今回贈っている。もっとも個々の送り先は容易に知れず、政治家の場合は党本部に送っている。数十人。いままでに少なくも返信・返礼のあったのは、江田五月さん、菅直人さん、市田忠義さん、辻元清美さん、滋賀県知事の嘉田由紀子さん。元保谷市長の都丸哲也さん、市民運動家の吉川勇一さん。

ついでだから、「ペンと政治」に限って送ってみた人たちの氏名を明かしておく。この人に送ってみて欲しいとお考えの方は、送り先を添えてご助言下さい。

 

* 「ペンと政治」臨時の寄贈者(敬称略)

<政界>

・ 民主党  江田五月 菅直人 馬淵澄夫 田中真紀子 枝野幸男 岡田克也 安住淳 辻元清美 赤松広隆 原口一博 長妻昭 古川元久 前原誠司 松原仁 蓮舫 桜井充 細野豪志 末松義則  福山哲郎 松尾貴史

・ 自民党   小泉進次郎 河野太郎 林芳正 根本匠

・ 公明党   山口那津男

・ 社民党   福島みずほ

・ 共産党   志位和夫 市田忠義 穀田恵二 紙智子

・ みんなの党   渡辺喜美  江田憲司  川田龍平

・ みどりの風   谷岡郁子 亀井亜紀子 舟山康江

・ 生活の党   青木愛 小宮山泰子 森ゆうこ

・ 東京都知事   猪瀬直樹

・ 滋賀県知事   嘉田由紀子

・ 京都市市長   門川大作

・ 元保谷市長   都丸哲也

・ 元西東京市市会議員   森てるお

 

<報道・キャスターほか>

三反園訓 鳥越俊太郎 田原総一朗 川村晃司 関口宏 岸井成格 野沢信一 吉川勇一 膳場貴子 飯尾歩 佐藤直子 豊田洋一 古舘伊知郎 岩見隆夫 鎌田慧 樺山紘一 姜尚中 北沢洋子 桜井よしこ 篠原文也 田中優子 竹中平蔵 立花隆 服部孝章 半田滋 樋口恵子 山口二郎 山根基世 村上祐子 有田芳生 大谷昭宏 金子恵美 熊倉功夫 国弘正雄 玉川徹 村尾信尚 古賀茂明 国谷祐子 大手各新聞社

 

* この人に送ってみて欲しいとお考えの方は、送り先を添えてご助言下さい。

2013 4・2 139

 

 

☆ 春爛漫

東京の桜は散りはじめたようですが、関西の桜は今が満開、あたりはどこも白い衣装を身にまとい、すばらしいながめを楽しんでおります。

その後、ご体調はいかがでしょうか。先月は「湖(うみ)の本」115巻をご恵送く下さり、ありがとうございます。すっかり読み終えてからお礼状をと思っているうちに、すっかり遅くなってしまいました。しかししっかりと拝読し、感慨を深くしております。

3.11の大地震、その時間を追っての記録。シャカイや政治の動き、ひっしに生きる人々の姿、一つ一つ同感しながら、時には執筆者と心を一つにして立腹し、犠牲者へ涙しました。その後も、日々生命あふれる公正な社会を目ざしての記録や行動に敬服するばかりです。

ありがとうございました。現代に生きる文学者の迫真の声、大切なものだと思います。

どうか、お体にご留意下さいませ。 草々    阪大名誉教授  春  国文学者

2013 4・3 139

 

 

☆ 3.11では帰宅難民になりました。

その後の政治の動きを見るとヤになります。民主党にアキレ果てた後、自民党の本心を隠したオシバイに、どうして拍手を送る人が多いのでしょう。

湖の本115巻、そうだそうだと思いながら読んでいます。

お身体 おいといください。   越谷市  光  エッセイスト

 

☆ ご体調はいかがでいらっしゃいますか。

筍のの季節がきました。後便にて送らせていただこうと思っています。  高松市  洋

 

☆ なにとぞ、

なにとぞ御自愛下さい。   取手市  満

2013 4・4 139

 

 

* 明朝には、いよいよ「ペンと政治」(二下)の再校が出てくる。

(一)からのこの「ペンと政治」三巻は、現代に生きる一老作家の気概、そして批評として編んだ。

この三巻めの副題は「満二年、福島原危害終熄せず」であり、副副題は「野田総理の惨敗・居座る安倍「違憲」内閣・迫る国民の最大不幸」である。虚しい希望は振り捨てて現実を直に具体的に観測し批評してきた。各一巻の分量は、9ポ46字20行の200頁で換算すればすぐ分かる。400字原稿用紙なら460枚に相当する。いまどきの市販本にはこの半分で一冊の単行本を作っている例が少なくない。

量が多いことは質を保証しない。が、わたしはこの三巻を「文学」の道に逸れないようにと心して書いてきた。遺憾にもこれらを刊行すべく原稿作りから校正・責了・装丁作業にかけた半年は、抗癌剤副作用や眼科手術の後遺症で、なかば盲目にちかかったとすら謂えた。それでも、この「満二年、福島原発危害終熄せず」を見つめてきた「同時進行の証言」として、何としても遺したかった。それがわたしの「ペンと政治」そのものであったから。

2013 4・4 139

 

 

* 無事に妻の喜壽が祝えて、安心した。夫婦合わせて百五十四歳になった。二人で幾山河を越えも渡りもしてきた。

わたしは、まだまだ書いている。

息子の秦建日子も懸命に書き続けている。

湖の本は、五月中には、「ペンと政治」三巻最終の第116巻が出来るし、次巻の心づもりもできかけている。

健康を互いに回復し維持し、さしあたり二人して百六十歳の「傘壽」へまた堅実に歩んで行きたい。

2013 4・5 139

 

 

* 湖の本116の後半三分の一ほどに、跋文、あとづけ、表紙添えて 要三校ゲラ送り返す。前半部の再校読みも進捗している。

2013 4・8 139

 

 

☆ 拝復

湖の本 第115 巻を有難く頂戴いたしました。病との戦い、抗癌剤との苦戦の中に、厳しい時評をパソコン相手に叩き込まれる秦さんの勇姿に感服いたします。この気力がきっと病をも撤退させましょう。TVにも目配りされるとは驚嘆するばかりです。

小生も最寄り病院を決め、カルテの山を築きながら、もう一冊、いやもう一本の論文をと思いますが、ともすればくじけそうです。

BSプレミアムでの映画鑑賞が唯一の楽しみです。

御本と秦さんの生き方に感謝しつつ、取り急ぎ御礼を申しあげます。

奥さまたちも御自愛ください。 早々    名大名誉教授  国文学者

 

* 立教大名誉教授の平山城児さんから、「蘆江怪談の原点」と題した論攷を頂戴した。先だっての蘆江論攷も以前に戴き読んでいる。平山さんからはいろいろの論攷でいい刺激を受け続けてきた。若返る。元気を戴くのである。

 

☆ 動物を描いた作品による本展が

朝日新聞で大きく取り上げられたお蔭で、普段よりは少し多いくらいのお客様が来られます。けれどアベノミクスで高揚している輩は画廊には来られません。

先生の「批評精神」山積みの「ペンと政治」、よくも根気よく続けられるものですね。

私たち平民はおよそ文句を口にすることにも疲れ果て、どうせ何もかもダメになるだけやん、と、やけっぱちになるのがオチ。

せめて自分に与えられた仕事だけはきっちりやるだけ、とうそぶいているのみ。

先生に与えられた「仕事」はペン。辛いお仕事ですね。

でもそれがある故、悲憤を糧にして毎日のペースを掴めておられるのでしょうか。

病気回復と変わらぬご健闘を祈願しています。   京 神宮道 星野画廊

 

* 民主党の馬淵澄夫氏から、激励への礼信が届いた。小沢一郎事務所がわたしのツイートをフォローすると通知してきた。

2013 4・11 139

 

 

☆ 近況と御礼

iPadから送信  新らしい湖の本有り難う 御礼が遅くなり申し訳ありません。

貴方の治療も、私とは比べものにならない複雑の様ですねえ 何とか一つでも早くクリヤ出来る事をいのります。

私の方は足に装具をつけての歩行訓練とマッサージを受け、その痛み、一年かけていますが相変わらずです,週二回の訪問リハビリを受けて、月四回のデイケアで安らぎの丘に通い、ショートステイで月三泊4 日を二回うけています、 クスリは漢方になり痛みに対応していますが,一向に効果が出ず困っています。それでも続けねばなりません、

同じ様な境遇の方が多くおられ家庭では、老老介護が別の問題になってきます。

『京のわる口』は、長女と妻が、読ませていただいております。   茅野市  圭  同窓

 

* 中学・高校、ことに祇園の新制中学後半、いつも仲良くいっしょだった。軟式野球で、素顔のまま捕手をつとめるような勇気のある敏捷で優しい少年だった。痛みは、さぞ辛かろう、一日も早く快方にと切に願う。

2013 4・12 139

 

 

* 今日も小説にとりついていた。「Twitter 」にも書いていた。アテもメアテも無く、すでに書けてあるものをザンザンバランと推敲して制限の文字数にする、いわば練習のようなもの。知らない人たちからフォローされつつあるが、そういうことにも関心は、あまり、ない。関わるのは最小時間のいわば一服で済ませたいから。

湖の本116(二下)のゲラが出そろっている。この読みを着実に。

今朝は十時まで熟睡。今夜も、はやめに就寝。

2013 4・14 139

 

 

* 前の総選挙で支持を求めてきた民主党候補に、支持できないと理由をつげて断った。「ペンと政治」を送っておいた。それに対し、「多々深い御洞察や鋭い御指摘がなされており、極めてハイ・レベルの論説であると受けとめさせて頂きました。お礼申し上げます。」と。何の反省も異見もない。これでは落選したのもむりはない。ビビッドな何も表せないのだ。

2013 4・16 139

 

 

☆ パソコンから

長いこと遠ざかっていて、操作がうまくいかないのが原因で、筆無精をしてしまいました。

ごぶさたお許しくださいませ。

「湖の本」で、先生のご闘病のご様子を知り、なんとのんきなことを私は申し上げていたのかと、反省しています。

また奥さまもお倒れになったとか。ご看病のご心労が重なったのでしょうか。お二人とも、どうぞ、お大事になさってくださいますよう。

いつものタケノコ屋に行きましたら、今年は、まだ本格的でないということ。15日を過ぎたらおいしいのが出てくる、と言われました。

それで、先生のスープにお役に立てたらと思いつき、お野菜を求めました。

土筆と蕗は私が摘みました。春の香りがしました。ツクシを七輪の炭火で焼いて食べるというのは初めて知りました。これが春を味わう一番の食べ方ですね。来年、私もしてみます。

15日以後にタケノコ発送してくれることになっています。先生ごらんになるだけで結構です。

春を味わっていただけますよう。   讃岐の春

 

* 感謝。

2013 4・18 139

 

 

* 『ペンと政治』三巻に没頭していたため、小説へもとりついていて、機械の各所で未整理・未進捗が目立ってきた。なかには、どう操作するのかと迷ったり忘れたりもしている。少しずつ取り戻して行く。

2013 4・20 139

 

 

* 小説を前へ前へ押しだそうとしている。何と謂っても小説を書き継いでいる時が、しんどくも、楽しくも、嬉しくもある。余儀なく二つも三つも併行の創作だが、そのぶん辛抱よく楽しんでいる。

太宰賞以前のわたしが、そうであった。投稿しようの応募しようのという気ではなかった。文壇に入りたいなど考えてもいなかった。こつこつ書いて書きためている内に、文芸誌にも太宰賞にも、向こうからお声がかかった。文壇に招じ入れてもらったのだ。その文壇にも拘らなかった。たくさんな本を出版して貰った、いつしれず「秦恒平・湖(うみ)の本」を自身で創刊し、「騒壇余人」とも名乗って四半世紀を超え、自由に書き、自由に本を出し続けている。何の不自由も不足もない。

2013 4・21 139

 

 

* 停頓していることもたくさん在る。最大のものが「e-文藝館・湖(umi )」の進行。さらに困惑しているのは、「闇に言い置く 私語」の保存のための校閲。もっと深刻なのは、「湖の本」既刊ほぞん原稿の機械の中での校正。校正往来でずいぶん手が入る、それが入稿原稿に反映していないのである。刊行本に合わせて修訂しておかねばならないのに。

これらには、弱っている。しかし

2013 5・3 140

 

 

* もう何がなにやら世の中が情けなくて、自分自身も情けなくて、新聞もニュースもイヤになった。ほんとうに荷風晩年のあとを慕おうかと思ってしまう。

☆ 時運 の内   陶淵明

斯の晨(あし)た 斯の夕べ  言(ここ)に其の廬(いほり)に息(いこ)ふ

花薬 分列し  林竹 翳如(えいじょ)たり

清琴 牀に横はり  濁酒 壺に半ばあり

黄唐は逮(およ)ぶ莫(な)し  慨き獨り余(われ)に在り

* 黄唐は古の聖帝  黄帝と唐堯

 

* 陶潜ほど上等には出来ないが、思うまま歌も句も績み紡ぎたい。飛呂志の悠然雄渾の「鯉図」に励まされている。

楽しみはは、惜しみなく作り出す。

歯の治療をはさんで、やがて明治座の花形歌舞伎は、染五郎、勘九郎、七之助、愛之助。「実盛物語」「与話情浮名横櫛」「将軍江戸を去る」「藤娘」「鯉つかみ」と十分楽しめる。すぐ続いて新歌舞伎座の五月興行も、第一、二、三部とも終日盛りだくさんの名狂言をたっぷり楽しむ。そのあとへは、大相撲夏場所の席がとれてある。白鵬、朝青龍の優勝回数25回にぜひ並んで欲しい。そして月末か六月初めには秦建日子作・演出の「タクラマカン」に期待しています。

あ、そうとばかりは行きません。今日責了紙を送った「湖の本」116『ペンと政治( 二下 満二年、原発危害終熄せず) 』が十七日には出来てくる予定。力仕事の発送がある。ややや。

 

* さ、入浴。 その後、また小説を書き継ぐ。

2013 5・4 140

 

 

☆ 連休が終わって

世の中が少し静かに平常に戻りました。どこにも行かず暮らしていました。歌舞伎座についてのテレビ番組を興味深く見ました。

「もう何がなにやら世の中が情けなくて、自分自身も情けなくて、新聞もニュースもイヤになった。」

このところずっと政治的な事柄を書き続けてらした鴉の、これは、まあ本音かとも。そう思われるのも当然ではないでしょうか。毎日毎日これでもか、これでもかという暗いニュースばかりが報道されます。楽しいニュースがあると気抜けしてしまうほど。

それでも世界に目を向けていなければと思い、BSを中心に耳傾けています。

日本の事は無意識に近い姿勢でもかなりが耳に入ってきます。安部内閣の、最近ではロシアや中東の国へエネルギー確保や核産業の売り込みに出かけて三日憲法記念日は勿論不在。現憲法は否定すべきものである彼にとっては改定を急ぐ方向での対象物でしかないのでしょう。

九条、この九条を如何せん!

九条を守ろうという立場で戦い続けた憲法学者の知人を思い出します。十年近く前に溺死していたことを最近知って複雑な思いにとらえられました。それほどに遠い人になっていたのだなあと寂しく感じました。

鴉が、HPで言及される範囲が国内に限られる傾向にあるのを些か不満に思っていましたら、先日は、国外のことに触れていました。何だかつり合いがとれたようでホッとしました。

自分の時間とエネルギーとの格闘の中で、何を優先させていくかと考えさせられます。今思うのは、微力でも何か人と関わり、人の役に立つことをしたいということ・・。

詩( 文学) についての『サチュリコン』からの引用、何回も読み返しています。メールに書きたいけれども・・詩を書くことに関しては、目下立ち止まり、狼狽もしています。  尾張の鳶

 

* わたしの幼来の「人間」分類は、①「自分」 ②「真の身内」 ③「他人(日常に、知っているだけの人・よく知らない人)」 ④「世間(存在するとは分かっていても、目も手も届かない人たち)」だった。二年前の原発による大危害が生じたときから、わたしは、ひたむきにこの大事件をなによりも根幹の国難とも同朋危殆とも考えて、これをこそ見つめかつ告発し続けたい、それを後生へのわたしなりの「証言」にしたいと発願した。

やがて纏まる『ペンと政治』の「二の上下巻」はその丸二年余の懸命の日録で充満している。わたしはそこで自身の体力と精神を尽くせるかぎり尽くして、「他」への「つり合い」などハッキリ無視し脇に置いていた。最悪の体調をわたしは冒して「反原発」に没入していた、他の楽しみをでバランスしながらも、それこそが真に大事と確信していた。。「言及される範囲が国内に限られる傾向にある」のは、「日本人」というより身近で大切な「他人たち」への、わたしなりの真情であり哀情であって、むろん関心は深くとも、さて「世界」という「世間」へも分散して目配りする余力の費消は、意識して避けていた。避けるしか無かった。今度の「湖の本」はそれを表し示していると想っています。

2013 5・7 140

 

 

* 眠り中断され、昨日買ってきた本に目を通し、満足した。 ペトラルカの『わが秘密』 ジョージ・エリオットの『サイラス・マーナー』 マルキ・ド・サドの『ジュスチーヌ または美徳の不幸』 そしてレマルクの『愛する時と死する時』上下巻。レマルクは久しぶり。

抗癌剤の一年服用ぐらい、湖の本を四册出せばと思い五冊出した。大長編小説を何編か読めばとと思い、『八犬伝』も『指輪物語も』も『イタリア紀行』も『猟人日記』も『妻への手紙』も、谷崎も、折口も、和泉式部集も古今著聞集も読み切れぬうちにはや一年経っていた。文庫の一冊本その他、二十点は読み上げていた。

読書の楽しみが、すつかりよみがえっていて、新しい本に向かうつど満悦を覚える。読んで勉強しよう、役立てようという気は無い、ひたすら読む、または読まされてしまうのが嬉しい。ゲーテ、ブーシキン、トルストイ、ツルゲーネフ、フローベール、ロマン・ロラン、チェーホフ、バルザック、ル・グゥイン、トルーキン、マキリップまたマルクス、エンゲルス、プレハーノフ。さらに東洋文庫の四巻、臨済録、そしてバグワン。みな、ただただ面白かった。有難かった。一年間を永いなあと嘆息したことは一度もなかった。

2013 5・8 140

 

 

* 沈復は「浮生六記」の第三章「浪游記快」の冒頭に、こう書いている。

「私は何事にせよ独創の見を立てることを喜び、人の批評に追随することをいさぎよしとしない。たとえば詩画を鑑賞するにしても、人の珍重するものを自分は棄て、人の棄てたものを自分は取るという気持はつねに抱いている」と。

わたしをよく識っている人なら、わたしがわたしについてこう述べているように思われようか。私家版ではじめて向こうから舞い込んだ太宰賞を受けて以後も、執筆や創作の仕事は受注より自発を取り、ついには文壇を棄てて、「秦恒平・湖の本」を四半世紀余、百十数巻も思うままにつづけてきた。東工大の教壇でも「無免許運転」であることを利とも理ともし、出版活動もそれに徹してきた。それが、いいかわるいかなど考えない。そうしたくて、そう出来ると信じたとおりに、なにごとも、してきた。むろん蔵は建たないことも、沈復と同じ境涯である。それでいいのだ。

2013 5・12 140

 

 

* 十七日午後には聖路加で「メガネトライ」の予定が入っていて、その午前には「湖の本」116が出来てくる。数日掛けて発送出来るかどうか。今回ははやめに用意仕掛けながら、停頓している。五月中には妻の検査入院もある。夫婦とも七七の壽なれど「始終苦」に付きまとわれてもいる。それもよしとしつつ、「く」を凌いで「らく」になろう。用事も山積だが、この際、思い切って、今夜から当分、気分休息に切り替える。

2013 5・13 140

 

 

* 高田寛さんの「『親指のマリア』の思い出」と題された一文をメールで頂戴していた。ありがとう存じます。

2013 5・15 140

 

 

* 明後日朝には「湖の本」新刊が出来てくる。発送用意が今羽と明日一日とでどこまで追い切れるか、ま、慌てることはないのだ。 2013 5・15 140

 

 

* なんとか、明日朝に新刊を迎え取れるようになった。発送作業はゆっくりでよい。かなりの重労働もふくめ、よく働いた。視野・視力はめったになく晩に明るい。一つには、機械で書いて読んでという仕事であまりなかったのが、やはり眼の疲労を和らげていたか。

2013 5・16 140

 

 

* 朝九時に、「湖の本」116『ペンと政治(二下) 満二年、福島原発危害終熄せず 野田総理の惨敗・居座る安倍「違憲」内閣・迫る国民の最大不幸』が出来てきた。すぐ、発送しはじめた。終日の重労働であり、したたか疲れたが。

2013 5・17 140

 

 

☆ 寒い春でしたが

御体調は如何でしょうか

「湖の本」(二上)を大きな関心をもって読みました。 大手術の前後に書かれたものをこうして読ませて頂き 感謝申し上げます。

元総理菅直人氏が政府与党の立場に不慣れであったことを惜しく思い、また政局に不狎れであったことを彼の名誉のために喜ばしく思いました。

経団連の会長の愚かしさ、 経済界に他に人はいないのでしょうか。

139頁からの、女性の方の長いお手紙を感動をもって読み了りました。 いちいち肯綮に中る という感じで腑に落ちました。

「湖の本」(二下)をお待ちしています また

秦建日子氏の御活躍をお喜び申し上げます。

同封のもの、前にお目にかけた攷の続編です おなぐさみにごらん下さいませ

不順の候 くれぐれも御自愛下さいませ。    岐阜県  玲

 

* 「からすのえんどう」さんの長文の憂慮と慷慨に共感して下さったことに共感し感謝する。その手紙を受けとったとき、一言「敬服する」と感想を添えておいた。問題点の多くはいまもそのまま、むしろ拡大されている。

2013 5・17 140

 

 

* 明日は歯医者に。上前歯三本のぐらつきをどうにかしてもらいたい、不気味で食事が出来ない。

また、眼鏡も早く新調したいけれど。とにもかくにも、本の発送が先に立つ。そして何よりも創作の筆をそれぞれに進めたい。

2013 5・17 140

 

 

* 歯科へ行った以外は、終日、発送作業。十時半。疲れたので、もう休む。明日からは、読者向けの発送にとりくむ。

2013 5・18 140

 

 

* 今度の本の巻末に、私なりの声明文を掲示し、国会と安倍内閣はすみやかに「違憲」状態を是正の上、衆議院を解散し、さきの二高裁による総選挙違憲・無効判決、圧倒多数高裁の違憲判決、若干高裁の違憲状態判決等に対応すべきとした。最高裁は、すでに早くに「違憲状態」判決により「次回」総選挙までの是正改善を強く求めていたのに、昨年末、衆議院はまったく司法の判断・判決を無視した「違憲」のままの総選挙を強行したのだった。結果、自民党の安倍内閣が出来たのは、文字通り「違憲内閣」「違憲国会」なのであり、存立の根拠をはなから喪っているのは、言うまでもない。

これまで耳にもしなかった、次回、「衆参同時選挙」の声を今夜あたりに突如として聞いた。どこからどう生まれてきた声であるかは知れないが、わたしの新刊『ペンと政治』は、昨日、今日には多くの国会議員や政治ジャーナリストや新聞・マスコミ等に届いている。わたしの「声明」はすぐる三月半ばにはホームページに掲示されていたのを、あらためて新刊にも取り込んだのである。

問題は、「違憲」「違憲状態」を早く適正・厳格に国会が是正しなければならない。衆議院も参議院も総選挙や半数改選が法的に適当となるのは、その以後でなければならない。これを国会や内閣が強行するなら、最高裁は「違憲・無効」判決すべきが法治国の姿勢である。注視を怠ってはならない。

 

* 今日も終日、読者むけの発送作業に打ち込んでいた。疲れている。もう休む。

2013 5・19 140

 

 

* 十時半、今日の予定は終えた。明日へ仕残した分は明朝から午後の前半で片づける。その後に追加の幾らかは残るとしても、概ね平常の「仕事」へ戻れると思う。創作、機械環境の整頓、それに、運動を兼ねた外出も生活のプログラムに組み入れたい。まだまだ体不調はいろいろ残っているが、幾分は「気に掛けないでする」姿勢も必要と思う。強いて謂えば、家にいればどうしても「目をつかう」仕事に終始する。郊外へ空いた電車に乗ってゆくのんびりも欲しくなっている。さしあたり、大相撲の夏場所へでかける予定。横綱白鵬と大関希勢乃里とが土着かずで並んでいる。わが家は、昔からの白鵬贔屓。国籍など気にならない、風格と実力において名横綱の境地へ登りつめて欲しいと声援している。

2013 5・20 140

 

 

* 浦和の伊藤壮さんにお電話いただく。『ペンと政治』(二上)を読んで、(二下)を待ちかねていた、届きましたと。伊藤さんはもと朝日新聞社の方で、「湖の本」創刊を親切に後押しして下さった恩人の大きなお一人である。嬉しく、有難い激励を戴いた。わたしより一回りも年上の方に御見舞いただき、恐れ入ります。

もう「二下」巻、届き始めていて、大学等から礼状が来始めている。この午までに読者へも、予定分送り出した。あとは補充追加がある程度必要になるだろう。

2013 5・21 140

 

 

☆ 『湖の本116 ペンと政治(二下)』を

拝受いたしました。

まさに「ペン」の人、「文」の人の全霊をかけた証言。怠惰な日々を恥じ、せめて自分に出来ることはしなくてはと思っています。

病に負けないとは秦さんのような態度をいうのですね。

これからも<文>を通して、お声を聞かせていただきとう存じます。

ご恵贈に厚くお礼申しあげます。   元ペンクラブ理事 元出版部部長

 

☆ 前略ご免下さい。

『湖の本116 ペンと政治(二下)』、昨日拝受いたしました。

相変らずのご健筆ぶりに、ただただ感嘆しております。また政治への深いご関心にも驚いております。

原発問題、現在、中国が東シナ海沿岸に二基建造中と聞きます。あのメンテナンスのいい加減な国が原発を作れば事故必然、死の灰が大量に日本を襲うでしょう。この問題についてご意見伺いたいと存じております。 草々   翻訳家

 

* おそらく中国は覇権の一環として原発も企図していると思われる。日本の領海海底に潜水艦を送り込んでいるのと同じ性質の政策であると観ている。

2013 5・22 140

 

 

☆ はじめまして。

”記者の筆不精”をお許しください。いつも「湖の本」、ありがとうございます。

原発に羹する記述のみならず、「そうそう」「同感、同感」と口にしながら拝読しております。まさに「福島原発危害終熄せず」。長い闘いです。

今後ともよろしくご指導ください。  新聞社論説室長

 

☆ 湖の本

ご恵贈にあずかりました。変らぬご好意に感謝申し上げます。

この国の政治家たちに対するお怒りには同感いたします。菅元首相の責任感と行動に対する評価についても、まったく同感いたします。おっしゃるように菅さんはまだ゜若い。原発ゼロの主張でほとんど孤立せざるを得ない民主党を出て新党を作るべきだと思います。海江田党首は正月に伊勢に行く。民主党内には改憲論者を四名(もっとかも知れません)かかえている。彼らに離党勧告も出せない。こんな党はもう存在理由がありません。

しかし自民政権に対する支持率65%とは一体何なんだろう。経済至上主義に服する民衆は、じこまで幻想をふりまくアベノミクスというマジックに酔うのだろう。

ご不安をかかえる日々、最善に心身が保たれますようにお祈りいたします。 平安  国際基督教大学名誉教授

 

☆ 拝啓

梅雨空を想わせる日が続いています。

いつもお心に掛けていただき、ありがとうございます。

このごろの橋下、石原発言など、また右翼の安倍内閣にひきずられ日本はどこへ向かおうとしているのでしょう。

秦さんの作家としての生き方を見せていただき、学ばせていただいております。

どうぞ、ご自愛下さい。  詩人  日本ペンクラブ会員

 

☆ 湖の本新刊拝受

秦 先生 『湖の本』、毎巻ご恵送いただき、まことにありがとうございます。昨日拝受いたしました。

「ペンと政治」3 巻を通して拝見しまして、なにも政治状況が変わっていないどころか、悪くなっていることに、怒りと深い悲しみを禁じえません。

最近、文化人類学者の船曳建夫先生が、ある本で「一生のほとんどを自民党政権下で終えることになるのかと、やや絶望的な気分になります」と書いていらっしゃいましたが、船曳先生の気持ちがよくわかります。

ただ、現在の状況は本当に絶望したくはなりますが絶望せず、秦先生と同様、つねに前向きな怒りを持っていこうと思います。

高速増殖炉もんじゅの再開中止の決定と、敦賀原発2 号機の廃炉への動きは、数少ない希望です。

暑くなってまいりました。

お身体くれぐれもご自愛ください。  編集者

 

* 「もんじゅ」にも「敦賀二号機」にも原電の規制委に向けている抵抗はすさまじくも乱暴であり、電力業界ないしは自民安倍「違憲」内閣の後押しを期待し、また使嗾している気配は濃厚。

さらには自民党内に、発・送電分離の動きを妨害する動きが露骨に起きている。断乎としてかかる悪質な時代逆行を国民はゆるしてはならぬ。ひしひしと迫り来る「国民の最大不幸」を防ぎきるには、国民が聡くあらねばならぬ。さもなければ、自分で自分の首に絞め縄を巻くことになる。

 

☆ 秦 様

「湖(うみ)の本 116 ペンと政治(二下)満二年、福島原発危機終熄せず 背信野田総理の惨敗・居坐る安倍「違憲」内閣・迫る国民の最大不幸」を拝受しました。

先日、図書館で芸術新潮の大特集永久保存版! 小林秀雄-生誕111 年没後30年記念美を見つめ続けた巨人-のページを繰っていたところ、小林秀雄が志賀直哉を終生敬愛していたという記述をみつけました。批評家としての小林秀雄が「小説の神様」である志賀直哉をどう観ていたのか興味が湧いてきました。勿論、野次馬根性的にですが。

味覚を取り戻しつつあるとのこと、歯が整えば美食の道へ現役復帰となりますね!   靖

 

* たまたま志賀直哉に触れていたのでなく、小林秀雄にとって志賀直哉は終生敬愛した輝く存在であった。志賀直哉の文学と人との大いさを日本の読書氏や文壇・学会に知らしめた小林秀雄は第一人者として広く知られてきた。どうぞ気を入れて小林秀雄にも志賀直哉にも深く触れあってくださらば、同じ思いのわたしも嬉しい。

2013 5・23 140

 

 

☆ ご本

ありがとうございました。

あきれるほどの政局、保守化する議会、思うことが多い日常です。

お元気でおすごし下さい。  横浜市 政治ジャーナリスト

 

☆ 貴刊「湖の本」116

有難く拝受仕りました。慎んで御礼申しあげます。

いつも変らぬ雄筆 旺盛の御事 大慶、 羨望の至りに存じます。  歌人 九十五歳

 

☆ 拝復

日本の政治と時事の、あまりに危険な現状を直視され、鋭く批判されておりますことに全く同感です。特に今の安倍政権の目指す方向には、一気に、営々と積み上げてきた、人類の平和への理想の 日本における光輝ある歴史が覆される懸念を抱かざるを得ません。

ご闘病の日々の中にも、日本の将来のためにますます的確な指針をお示し下さいますよう祈念申し上げます。

どうかご自愛・ご療養にご専念下されますよう、ご健勝を念じ上げます。 敬具  埼玉県 国文学研究家

 

☆ きらきらと

塩屋の海の面が大洋の輝きを受けて美しいです。

七科通院の体力維持も大変な中、執筆活動を続けておられる「力」に敬服致しております。

くれぐれもお大切にと祈ります。  神戸市 澄

 

☆ 5.18新宿デモ 野呂美加さん渾身のスピーチ! – YouTube

 

お元気ですか。

湖の本届きました。ありがとうございます。「舌も痺れるほど嘗めた歎きや怒りや悲しみ」をわたくしも最後まで飲み干してまいります。

お送りするのは、チェルノブイリ支援で有名な野呂美加さんの新宿街頭演説です。短いので是非この動画をご覧ください。そして多くの方にれを知っていただきたいと思います。

この街頭演説を聴いて、私は思わず泣きました。そして奮い立ちました。

野呂さんの心底の怒り、悲しみ、子どもたちへの愛、勇気ある闘いに感動しています。 都内  案山子

2013 5・24 140

 

 

☆ 湖の本116拝受

お説いちいちすべて同感。小生も一日本人として生きてきて、全く、やるかたない怒りと悲しみと歎きの日々です。何のためのこの数十年だったのかと。「学習と理解が徹底して欠けている」ことの恥しさ。なぜ、いつもそうなのか。それはわれわれがいつも「和の全体主義」の中で安住し怠け切っているからだと思います。ここから脱出しない限り半永久的に「現状」は続くことでしょう。このような日々と歴史を私は拒絶します。  神戸市 歌人 名誉教授

 

☆ 先生の

全エネルギーの詰まった第116巻 すごいなと思います。

私のエネルギーの基になっています!!  群馬県 都

 

☆ おからだ大切にして下さい。

政治には、又 税金等の使い道等、不まんのやりどころなく。興味深くよましていただいてます。 京祇園 嘉

 

☆ 病院通い

その中で種々頑張っておられるご様子に勇気をもらっています。日本はいくつ砂上楼閣を作れば気がすむのでしょうか。細くても長~く、を祈念いたします。  文京区  典

 

☆ 神保町で

先生の単行本を発見し、心躍りました。作品は全て読みましたが、新ためて単行本で読むと 一冊の意味が力強く浮き上がってきます。単行本も蒐めて見ようかと考えております。  八潮市 瀧

2013 5・25 140

 

 

☆ 秦様

「ペンと政治(二下)」を大変なお身体の不調に加えて、手術後の目のお具合が良くない折に刊行され、発送して頂き心より敬服し感謝しています。

日毎の「私語の刻」は、やり場のない政治への不満に憤慨しながら読ませていただいています。

その上

此処に3冊の「ペンと政治」をまとめて刊行されたことは、「我が証言録」として、大きな遺産として後生の人たちにしっかりと読み継がれていくことでしょう。

是非そうあって欲しいと願います。

私たちの若い孫たちにも、しっかりと読み考えて欲しいと繋いでいきます。

また、ご執筆中の小説の完了・刊行も待ち焦がれています。

手術後の目が少しでもすっきりとされることを強く願いながら、奥様ともども毎日のお身体のご不調が少しでも軽減されることを祈っています。  晴

2013 5・26 140

 

 

* 「湖の本」116へたくさんなお便りをもらっているが、くたびれたので、もう休もう。手のマッサージと、妙に熱い感じのマッサージとそして、鍼。その効果か、腰の痛みがらくになっている。ありがたい。夫婦とも、五回ほど通ってくださいと東久留米の鍼医に言われている。妻も、こころもちラクになっているようす。よかった。

2013 5・27 140

 

 

☆ 拝啓

「湖の本116」誠に有難く拝受、厚く御礼申し上げます。

政治について考へるのは癌の手術をしたわが身体に一番悪いと考へてゐるのですが、新聞を二時間かけて読む習慣から抜けられず相変わらず憤慨してゐます。此度の「湖の本」を拝読して憤慨されてゐる様子に全く同感してしまひました。

私の故郷の熊野灘の漁師が、原発計画推進のために来た中曽根康弘に、乗ってゐた海上保安庁の巡視船に駆け登り海水をかけてびしよ濡れにして、公務執行妨害で二十五名が有罪になりましたが、遂に原発計画を撤回させた日本で唯一の処なのを誇りに私は思つてゐます。

私は間もなく九十二歳になりますので、静かに余生を暮したいと思つてゐるのですが、どうもそれはかなはぬことらしいです。

どうか御身大切に。葉書で略儀ながら御礼まで。 不一   作家 文藝誌元編集長

 

☆ 厳しい体調の中での御発言に

励まされています。 81歳となり大分ヨレヨレになっていますが、もう少しがんばらねばと教えを頂きました。

有難うございました。  大磯町 作家  明

 

☆ 激変する日々を

力強い筆致の御著でもう一度なぞりながら共感新たです。

どうぞお体大切に。   我孫子市 詩人 茂

 

☆ 多摩川原の草木も

いちだんと緑濃く生き生きとしています。毎日眺めおろすのが楽しみです。

只今、『ペンと政治(二下)』拝受、感謝申上げます。――満二年、福島原発危害終熄せず。ペンクラブでの長いご活動の歩みと根を一つにした大きな先生のいわば文学活動と感動しています。いくつもの病いと戦っておられる姿は、拙作を読んで下さった晩年の石和鷹氏のような凄惨な雰囲気が漂っています。何とぞお体をお休め下さい。勿論今はかえって気を鋭く研がれて居られるのだと思います。ペンの会で(亡き)長谷川泉先生(秦の勤務時代の上司。森鴎外記念館長。近代文学研究者)が倚子にかけておられたのを、秦さんを思うつど目にうつります。  府中市  作家

 

☆ 四十雀の

澄んだ声が聞こえる頃になりました。この度は「湖の本」をお届け賜り有難うございました。お辛い日々のなか、すくっと立っておいでの御様子が伝わり御本の重さ熱さにあらためて掌を合わせるばかりです。連日我が身の不調を託つばかりの身には勿体無うございますが前巻に続きゆっくり乍ら拝読させて頂き度く存じ居ります。

亜熱帯になったような此の列島です。何卒お障り無きようお過ごし下さいませ。  京下鴨  文

 

☆ 直筆(での挨拶)は

とてもうれしいですが、決してムリをなさらないように!

誠意は文章からたくさんいただいています。   大阪府池田市 陶藝家

 

☆ どうかお元気で。

次の巻、次の巻を待ちます。  三鷹市  国文学者 篤

 

☆ もの言う人が

尠いと思う折柄、「私語の刻」拝読、共感。

御健筆、御平安を祈念申しあげます。   神戸市  歌人  蕃

 

☆ わたしも

透析中心に療養の日々を過ごしております。とかく、心が折れそうになることに、自分で愕然としてしまうことが増えてきたこの頃ですが、これではいけないと自分にいいきかせ、がんばって生きています。  金沢市 劇作家  輝

 

☆ ゆっくり読ませていただきますが、

ご主張に同感でございます。

お身体くれぐれも大切になさってください。  府中市  図書館長  誠

 

☆ わが年代では

癌病巣の保有は全身病です。

秦氏の哲学的怒責に血肉がシンパできるわが身に、自信が沸き上ります。ありがたく存じます。

この29日に、リンパ節試験摘出のため入院します。  花巻市  医家  照

 

☆ ご自愛の

御清硯  切に切にと。   北九州市  俳人  谷

 

☆ 想像を超えた幾多の

御闘病のさなか書きあげてくださった『ペンと政治』、ひとつひとつ、かみしめながら、納得させていただきながら拝読いたしました。本当にありがとうございます。

どうぞ ますますご自愛くださいませ。  静岡市  編集者 鳥

 

☆ いつになく

太字の多さに、力強いメッセージを感じます。

薬の副作用で視力に影響あるなか、執筆、読書と精力的に活動され まことに敬服の至りです。

くれぐれもご自愛の程 よろしくお願いします。  横須賀市  科学者 敏

 

* 御本

頂戴しました。ご夫婦が日々お体に脅かされても決してくさらず、叫び続ける先生の執念を感じます。(私はお酒でやり過ごす日が増えました…。)

先生、奥様、これからもどうかお元気で。   川崎市 東工大卒業生  丈

 

☆ 五月薫風の時節

もっと続いてほしいと思いながら その思いはむしろ 秦先生の「湖の本」ペンと政治(二下)の大変優れた日録にふれ得て、さらに爽快に気をはらすことができた思いでございます。忝く衷心より御礼申しあげます。

どうぞお元気で御健筆くださいませ。 匆々  志木市  国文学者 功

 

☆ 美しい季節となりました。

ご著書『湖の本 ペンと政治』 ありがとうございました。もう一一六巻にもなるのですね。ご病気をかかえながらの意欲にいつも頭が下がります。

私も、隠れ反原発で、未来のことが心配でなりません。報道を見たり聞いたりするたびに腹を立てております。

奥様が坐骨神経痛でお悩みと知りました。私も同じで、ここ二、三年、外出がままならず、ペンクラブの会にも、なかなか顔を出す

ことができません。

病院以外は引きこもりですが、認知症は社会に関心がなくなるとのこと、政治に腹を立てているあいだは、いちおう大丈夫かと思っ

ております。せいぜい失望・憤怒いたすことにします。

先生も、奥様も、くれぐれもご自愛くださいませ。   江東区 作家 南

 

* 讃岐の岡部さんより、季節の隠元豆を青々とたくさん頂戴した。有り難う存じます。

 

* もと勤務先の部下で、はやくに退社しなにをやるかなと思っていたらいつか陶藝家になっていた橋本成敏クンが、久々に個展をすると知らせてきた。

 

* 参与を仰せつかっている芸術至上主義文芸学会が、六月の例会で、東洋大の神田重幸名誉教授の講演「島崎藤村 批評の精神と文芸の成立」を用意したとしらせてきた。久しぶりに顔が出せたら出していいなあと思う。藤村研究の宮下襄さんを誘えたらいいが。

2013 5・28 140

 

 

☆ お元気な

御様子。 私も老残の身 まだまだやりたいことがたくさんあります。  梅原猛

 

☆ 梅の実が大きくなり、

辣韮が土の中で膨らみを増しています。

病いを押してのご労作『湖の本 ペンと政治(二下)』をご恵投頂き、有難うございました。

ご指摘の通り、福島原発の災害は何一つ復興いたしておりませんし、昨今の政治家の発言の軽いこと、憂慮に堪えません。政治家を偉い人とは夢にも思いませんが、上に立ち責任ある立場の人は、「綸言汗のごとし」という言葉を、今一度理解していただきたいと痛切に感じます。

毎回の鋭い批判と叱正をよ〈噛みしめ、拙稿への鞭とも理解いたしております。くれぐれもご自愛の上、快癒とご健筆をお祈りいたしております。草々 平成こ十五年五月二十八日   エッセイスト 敦

 

☆ 天候不順

ご自愛くださいませ。

いつものことながら、心から御禮申しあげます。

p75「他力本願」 親鸞仏教センター「通信」 花園一実師など全く存じあげませんが、自身の本願・念仏を問いただす機会にいたしとう存じます。

ありがとうございました。  上越市  黄色山光明寺

 

☆ 青葉の季節

ご著書 矢継ぎ早のご刊行に驚いております。「喉元過ぎれば…」で、原発があいまいにされていく怖さーー。

お暑さに向かいます。呉々も御自愛下さいませ。 かしこ   堺市 歌人 郁

 

☆ ご体調大変な中

いつもありがとうございます。当方も老老老介護がさらに過酷に進行中ですが、この日々をありがたく 愛しくも感じています。先生のご奮闘に力づけられながら。   世田谷区  惠

 

☆ 待っていたご著書

ありがとうございました。私も自分の町で色々な取り組みをしていきます。

どうぞくれぐれもご自愛下さいませ。  金沢市  金

 

☆ 「湖の本」が

いつまでもつづくことをねがっております。  千葉県  国文学研究者  徹

 

* 三万円も予納して頂いた。有り難う存じます。

 

☆ お体の不調に

めげない 先生の気迫に心より感服しております。  各務原市  眞

 

* 創刊以来、二十七年、毎回三人の読者を纏めて下さっている。有り難う存じます。

 

☆ 作者も派の

人でもありたく。

ご闘病、ご快癒の早からんことを念じております。  神戸市  国文学名誉教授  信

 

* 読者には、「作だけ派」の人も、「作者も派」の人もある。湖の本読者には有難く嬉しいことに、「作者も派」の方が断然多く、そうでなければこういう出版で二十七年間もつづけられるわけがない。有り難う存じます。

2013 5・29 140

 

 

☆ 拝復(前略)

相も変わらず文壇の頼まれ仕事が多く、慌しく過しております。御礼が甚しく遅くなり、心からお詫び申上げます。

本日「序にかえて」と「私語の刻」を拝読致しました。

「ペン」こそ、今後も厳しく続く『我が闘病』なのであり、『ペンとは、わたしにとり「文学」以外のなにものでもない。そして「気概」。』ついで御述懐には同じ「乙亥」の志というべきものを共有している喜びを覚えました。何れじっくりと拝読させて頂きますが、呉々も御体調に留意され「我が闘病」を貫徹されますよう、心からお祈り申上げます。  敬具  元文藝誌編集長  忠

 

☆ 紫陽花の

美しく咲く候となりました。先生におかれましてはいかがお過しでしょうか、お身体のご様子 心よりご案じ申し上げます。

『ペンと政治』 心を動かされました。激しく激しく感じ いたたまれない思いです。

私の心覚えには 日々無為という語句だけが連らなっています。 永年通っていました吉祥寺にも顔を出さなくなりました たまに行きましても話題が政治や文学は一切無く 人の噂話しばかりで 余りお酒もすすみません。 ならば家内で晩酌をしているのがいちばんとテレビをつけますが、見る番組も殆どなく NHKに救いを求めますが そのNHKも最近は薄っぺらな内容と アナウンサー 気象予報士等 キャスターの言葉のひどさに一々文句を付けて見ているものですから 妻に少し黙って見てくださいとたしなめられいるしまつです。

でも少ない生涯を美味と美酒をと見当違いかも知れませんが 月に2~3度 日本橋や人形町の店に通っています ただ遠路付き合ってくれる友人はいません。 「ペンと政治」を語らう場が有りませんで ただ心の内にしまっておくだけになるのかと残念でなりません。

私事を くだくだと書いてしまいました。失礼いたしました。

末筆になりましたがお身体のご回復を切に願っております。どうぞお大事になさってください。 平成二十五年五月二十九日

追  本日七十八歳になりました。   日野市  陸

 

* わたしより半歳年長の読者。二十七年もお付き合い願っていればこういう方が自然多い。寂しいようでもあるが、わたしには有難い勲章でもある。

 

☆ 同病4年目です。

昭和10年生れ。

マルクスは死んではいません!   丸亀市  繁

 

* この方もわたしと同年。久しいお付き合いになる。 あとがきに触れて書いた「共産党宣言」に反応されている。

 

☆ 誰も、何も

信じられない昨今の情勢にあって、「ペンと政治」は思考、感性の指針です。今さらながら、先生の知性、精神力の強さに敬服いたします。どうぞお体おいといつつ、お仕事にお励みください。*子は大阪大学に通い始めて10年目となりました。観に来ていただいた岸田理生の「糸地獄」の縁から、演劇学の教室で、岸田理生研究を続けています。顔も言動も昔の幼いままのふうちゃんです。恋人もいず若干心配しているこの頃です。  大阪市生野区  祥

 

* 送られてきた日本語と英語との二研究論文も頼もしく読みました。大阪での建日子公演を観て批評してもらえるといいのに。ふうちゃんに初めて会ったのは中学へ進学の時だったなあ。

 

☆ どうか、どうかお大事に。

ペンの力 あらためて感じ入ります。自らにも……。

「湖の本」から本当に多くを学び、勇気づけられています。ありがとうございます。  東近江市 作家 民

 

☆ ペンと政治(二下)

おっしゃること すべてに賛同します。

おからだお大切になさって下さい お祈りしております。  八王子市  歌人  郁

 

☆ 拝読いたしました 午前中一気に。

P85 7-8行の「言葉」「文字」には魔力があり しかも容赦ない「拡大解釈」へひろがることを知っている、ーーとありました。私も感じているひとりです。「知る」とはオコガマシイのでーー。

今日も 先生の渾身のお仕事に平伏、敬服しております。  練馬区  裕

 

☆ リュウキンカで

春の訪れを知り、梅の花、サクランボの花、白い鉄線(大きさは10㎝以上です。)と続き、芍薬と。土も一服。今は雨をまつ紫陽花が出番を待っています。

御身大切に。  京 有栖川  桐

 

* 「ペン」が人の言葉を誘い出し、それら言葉の輪をまたひろげて行く。わたしはそれを続けてきた。

2013 5・30 140

 

 

☆ 三日と空けず

一切のご病状見ています。目が大変ですね。奥様もどうぞ御ムリのない様 お過し下さい。

かろうじて能登ぐるっと行って来ました。

次は泉涌寺のお献茶です。  京 伏見区  貞

 

☆ 能の本番

やっと終わりました。すっかり上がってしまい散々な結果になりました。「一千年の齢を捧げ奉る」はずでございましたが、300年か100年位になりましてございます、お許し下さいませ。

梅雨入りの季節柄 お二人ともお大切にお過ごし下さいますように。 石川県小松市  啓

 

☆ ペンと政治

大いに共感します。

Marxist をマルキストとするのが日本では普及していて、広辞苑にも出ていますが、国際的には通用しないしない呼び方でしょう。

どうか大事におすごし下さい。  府中市  エッセイスト・翻訳家  布

 

☆ では又と

今度ないかも山ごぼう  よしみ

主人が3月17日 亡くなりました。  京白川

 

* この一つ下の姉妹、ふたりともご主人をなくされた。無常。どうぞお大事に。

 

☆ 秦恒平様

前略  私は不勉強で無知な者ですか、秦さんのまっすぐで妥協のない視線に 胸がすく思いで読ませていたゞいています。 大変な闘病の御身とは信じられないエネルギッシュさには敬服するばかりです。きっと病気の方もたじろいでいる事でしょう。

私もいつの間にか 政治家達の平均年齢を超えるようになり、 それまでは立派な人と思っていた人達の多くが、いかにも愚かで 浅はかで 厚かましく横行しているのに驚き憂えてしまいます。 又、 主人共々 ご本を読ませていただきます。 時々 ご出演の「妻」 もちろん迪子お姉さんもお幸せそうで嬉しいです。

なお同封のポストカードは 私の初めての祈念すべき 受賞作品です。 この鳥(嘴広鵲 はしびろこう)をご存知ですか? くちばしの異様に大きく 動かない鳥として有名な変な鳥ですが、 何ともいえない愛嬌と澄んだ目に魅せられて 今も 続編 Ⅳ Ⅴと秋の展覧会に向けてがんばっています。琉美ちゃん(=妻の妹)にも いつも応援していたゞいています。 琉美ちゃんの繪は私には到底描けない素晴らしさです。

乱筆乱文で大変お恥しいですが、ちゅうちょしていると 又 出汁そびれてしまいそうで……まあいいか…と。 お許し下さい。

関東地方も入梅しましたようで、 しばらくうっとうしいお天気が続きますが、 どうかくれぐれもご自愛下さいますように。  草々

P.S. 繪は 都知事賞で 当時の都知事は石原慎太郎氏ですが、この方が選んでくれた訳ではありません。 と思います。私は この方 キライです。    秦野市  画家・妻の従妹  明

 

* りっぱな表現で 動かぬ鳥にむかいたじろがない優しい視線が活躍している。

まだ妻と結婚せぬ前に、妻の兄や妹の家で一度会っていた。妻の父方叔母の葬儀の席で久々に再会した。不勉強で無知どころかたいへん優秀な従妹だと妻はほめる。

妻の妹は詩を書き、また言語に絶したふしぎに美しい繪を描く。妻らの亡き兄保富康午も、若い日に詩を書き、テレビ草分けの頃の「構成マン」また童謡他の「作詞家」として活躍した。

この義兄・義妹また妻らの従妹から「甥」にあたるのが、わが家の秦建日子。彼のNHK連続四回ドラマが明日土曜の夜から始まる。また彼の秦組公演「タクラマカン」も東池袋のアウルスポットで一両日の内に開幕する。打ち上げると直ちに、初めて大阪公演に乗り込むと聞いている。恙なかれと願うのみ。

 

* 小谷野敦氏が浩瀚な『川端康成伝』を贈ってきてくれました。感謝。

2013 5・31 140

 

 

☆ 湖の本116

この一冊のエネルギーは 私の糧です。

ご健勝を!    朝霞市  歌人  英

2013 6・1 141

 

 

☆ 何重もの

ご病苦の中、まことに清冽な政治批判、そして適切なご提言、一つ一つ うなづきつつ拝読しております。  編集者

 

☆ 定まらぬ気候が続きます。

年のせいばかりでないと思います。冷さが足、腰にひびきます。ペンと政治、身にこたえて読んでいます。多くの人、若い人に知らせなくてはの思いです。「湖の本115 116」 お手数でも送って下さい。

くれぐれも御無理なくお大切をお祈り致します。

奥様 どうぞお大事にお過ごし下さい。  桐生市  江

 

☆ いつもご著書を

お送りいただき、ありがとうございます。 秦先生の広く、深い物のとらえ方に感服しています。

夏に向います、お身体お大切に、益々のご活躍を!   港区浜松町  裕

 

☆ 御筆跡に接し

うれしうございました。

一冊ごとに 頂くもの あまたです。 お大切におねがいいたします。  調布市  歌人  幸

 

☆ 勘三郎さんの

「嗚呼なんたる悲報」に涙しました。

「迫る国民の最大不幸」を感じながら、でも、先生と奥さまのお身体の方が気になる私です。

どうぞ、くれぐれもお大事に。   京・高野  藝術学教授  清

2013 6・3 141

 

 

* とはいえ、四月抗癌剤の終了、湖の本のたてつづけの刊行と送本、歌舞伎座柿葺落の感激、加えて視野・視力の不安定と縦波状視という難儀、なんと新旧の眼鏡を八つも使い分けつづけて決定打のない頼りなさ、さらに立て続けの歯抜けと入れ歯、妻の執拗な座骨神経痛など、心身、やや疲労気味で小説にもすこし響いている。いっそ、体力回復と味覚回復を二本の杖にして、ひとり旅で気分転換をなどとも思うのだが。どちらかといえば、からだよりも、きもちが疲れているようだ。

2013 6・3 141

 

 

☆ 拝啓

気象庁の入梅宣言にもかかわらず初夏らしい日々が続いています。お変りなくお過しのことと拝察致します。

このたびは「湖の本116」を御恵投下さいまして寔に有難く感謝申し上げます。

苦しい御闘病中に、民主党から自公政権へと移行する政治状況の中で鋭い批判を吐き続けられた本書は、とても重い意味をもっていると存じます。東電と自民党とが、菅首相降ろしに狂奔した事実は今や明白になってきました。

反原発を貫きましょう。  敬具  元岩波書店編集者

2013 6・4 141

 

 

☆ 梅雨の晴れ間に

 

先生、ご本頂戴しました。

そして、小康を得ていらっしゃるようで、少し安心いたしました。

政治についての先生のご意見には、賛同するところが多々あります!

いまの若い人たちは最初から平和な時代に育っているためか、危機感が薄いですね。

先日も、いこいの森公園で行われていた「環境フェスティバル」をのぞきにいった帰り、私の前を若いカップルが歩いておりました。

女性 「なんか憲法替えるとかいってたね・・」

男性 「うん、でもきっとだいじょうぶだよ。危なくないようにしてくれると思うよ」

??? あぶない、あぶない。何を根拠にそんなのんきなことを・・・

まったく。歴史を勉強してないのか! といいたくなります。

このたび所属の朗読サークルのホームページを作成しました。両親の介護も孫の世話もない、メンバーの中ではどうやら一番ヒマらしい私が

作ることになりました。最初なので、ちょっと緊張してかなり真面目に作りましたが、次回からはもう少し楽しい記事もいれたほうがよいのかな、と思っています。お時間のあるときに、のぞいてやってくださいませ。  ゆめ

朗読の会たまゆら(西東京市) のホームページ

http://blog.livedoor.jp/tamayurant/archives/cat _954921.html

2013 6・5 141

 

 

☆ 湖の本116 ありがとうございました。

東電のOBとして原発事故以来、夫婦ともショックから立ち上がれず 夫は前立腺癌 私は心筋梗塞と 二人とも病床におります。先生のお怒りは全て正しいと身にしみますが、あんなに真剣に誠実に取り組んできた夫とその同僚の方達のことを考えると悲しみ一杯です。  神奈川県  城

 

* 涙をこらえて払込票のお便りを読んだ。

2013 6・5 141

 

 

☆ 拝啓  李恢成

延々二十七年間に亘り、「秦恒平・湖の本」を継続刊行して、通算百十六巻をかぞえるという前人未踏のお仕事に全勢力を傾斜されてきた大兄に、完全に脱帽しています。その志の高さに敬意を表します。

目下、重篤のおん身と知るにつれ、小生も心が引き締ってしまいました。小生無宗教徒ですが、神・仏の御加餐を祈ります。

暑くなりました。どうぞ初志貫徹なさいますように。

粗品お送りしました。何卒、お気になさらずに召し上がって下さい。

小生の体重は ますますです。 早々

 

☆ 拝啓

十日も早い梅雨入りでしたが、五月は半端でない少い降雨量、かと思えば、チェコやドイツ東南部、オーストリアは激しい豪雨で、プラハでは観光客が入れないなど、地球規模の異常気象。福島原発危害への不安と、何やら納得の行かないアベノミクスの大騒ぎ等々、不穏の日々の重なりです。

このたびは『湖の本』116巻「ペンと政治(二下)」を頂戴いたしました。誠に有難うございました。

発刊への並々ならぬ腐心の経緯は、「序にかえて」で充分に納得、それにしても闘病の御様子は、軽々に口に出せぬほどの大変さに 頭が垂れるのみです。

本書でのこの一年は、凄じいまでの「証言録」の連続で、リアルタイムで自分にはねかえってきます。平成二十四年一年の入院・手術の連続で胸ふさがれる思いの中で、沢口靖子の『科捜研の女』への肩入れや、新橋演舞場での「初春大歌舞伎」の最前列真真ん中での観劇の描写では、安堵します。

ホッとしたといえば、昨二日の「毎日新聞」今週の本棚「昨日読んだ文庫」の水島秀己氏の『慈子(あつこ)』には感嘆いたしました。古典文学や茶道などへの奥深い案内書としての魅力、登場人物たちの背景として優しく包みこまれた京都の描写のすばらしさ、と指摘されるところなど、短い文章の見本とでもいえるのではないでしょうか。

お手許におありと存じますが、念のため、このコラムを同封いたします。

一日もはやい御平癒を心から念じ上げて、御礼とさせていただきます。  敬具  元K社出版部長

 

☆ 前略(返不要です)

(反原発の市民集会に多くの人々が参加したとのニュースを聞き乍ら…) 本日毎日新聞で目に致しましたコラムの切り抜きを同封申し上げました。全国紙なので既にご存知、と思いましたが 何だかお伝え致し度くて…

私が手許に置かせて頂いているのはS四十七年筑摩版ですが、なつかしくて…

早い梅雨入りです どうかお体にお障りの無いことをお祈り致し居ります。  京下鴨  文

 

* 京たよりらしく封書に匂い袋がしのばせてあり。

毎日の記事は、同時に徳島さんから送って頂いたのと、同文。水島秀己さんに深く感謝し、ここに紹介させて戴く。

 

☆ 昨日読んだ文庫 『慈子』  水島英己 (詩人)

ずっと昔に読んで忘れていたのに、ふと思い出し、気になる本がある。本棚を探すけど見つからない。本屋さんに行く。ない。ネットで探して古本を買う。呆れるほど安い値段だった。この本の価値がわからないのかと少し憤慨する。

奥付に「昭和五十三年・第一刷」とある。どこか遠くを見るような少女の視線が印象的な日本画風の表紙。

秦恒平の『慈子(あつこ)』 (集英社文庫)を久し振りに思い出したのは、『徒然草』の中のアクロスティック(文字遊び)に関連する段を読んだときだった。

さる高貴な生まれの少女が、お父さんへ次のような歌を贈った。「ふたつもじ 牛の角もじ すぐなもじ ゆがみもじとぞ 君はおぼゆる」と。お父さんのこと「こひしく」患っていますよ、というのが少女の伝えたかったことだったのだ。

このかわいい少女は成人して延政門院と呼ばれる。彼女の周辺の女性たちと兼好の関係を、語り手の「私」は追跡していく。

『徒然草』の兼好さんには秘められた切ない恋の思い出があったのだ。その話題を支流に、「私」と「慈子」の引き寄せられていく経過と理由が小説の本筋として展開していく。

中世と現代という時空を越え、人が人を想う心がつながり、そして受けつがれていく。悲しみや憧れも含めて。その心の不思議さが、世間の価値観では許されない、「私」と「慈子」の愛のいきさつとして鮮やかに具体化される。

どうして人は、ある人に引かれるのだろうか? 「慈子」の父親は次のように語る。「神仏が為すはからいでなく、人間の存在そのものに含まれている未生以前のはからい」によるのだと。

二人の男女の稀有な愛の物語であることには変わりはない。しかし、古典文学や茶道などへの奥深い案内書として読むことも可能だ。『慈子』の魅力は多様だから。

もう一つ、言いたいこと。登場人物たちを、背景として優しく包みこむ京都の描写のすばらしさ。来迎院、野宮、大原、紙屋川の流れなど。また訪ねたくなる。  (毎日新聞 2013年・平成25年6月2日・日曜日)

 

* 「美しいかぎりの小説を書く」と、この言葉通りを明瞭に意識してこの原題「齋王譜」である『慈子』を書いた。男性にも女性にも愛された。わたしの耳に最初にとびこんできた男性読者の名は桂三枝師匠、女性読者の名は吉永小百合さんであった、ふたりとも、それぞれのラジオ番組で語っていたと人づてに聞いたのを懐かしく思い出す。時代をこえて織りなされる絵空事の真実である人と人の身内の愛。わたしの著しい作風は、この長編小説で初めて成った。初稿が成り三冊目の私家版と成ったとき、わたしはまだ遠く作家以前であったが、文壇のことなどなにも知らず、ひたすら初心に知名の作者や批評家に送りとどけていたのが、いつしれ雑誌「新潮」からの、また太宰治文学賞からの「招待」に結ばれていった。

水島さんの手にされたのは、紅梅少女と題された森田曠平画伯の繪を表紙に頂戴した文庫本で、そのころ最も美しい文庫本とよろこばれた。今は絶えて無い。集英社での復刊は難しかろう。この文庫本より以前に筑摩書房が書き下ろし初版として『慈子』さらに箱入り美装本を出してくれており、関西の某社から、橋田二朗画伯のたくさんな挿画入り豪華限定本も出ていた。「慈子」はわが最愛のヒロインであり、その前の処女作『畜生塚』の「町子」ともども、その後のわたしの作品世界に、繰り返し繰り返し、甦ってくれている。

 

☆ 早めの梅雨入りで

庭の草木が一息つきました。

先生日に日に体力を取り戻されお元気にお過ごしのことと存じます。

湖の本116ペンと政治御送り頂き有難うございます。御礼遅くなりましたこと、お詫び申し上げます。

御本拝読し、 私は少し落ち込んでしまったのです、いゝえ とても暗い気持ちになって気分の晴れぬまま日が過ぎていきました。 日本に絶望しかないのかと本当に落ち込んでしまいました。テレビも新聞も見たくない日があります。 今に生きる人達は後の世に責任をもって生きているのかと言えば、 私等、何の役にも立たずとろんと生きています。こんなことでいいのでしょうか。 あれやこれや考へるテーマが多過ぎて頭がこんがらがってしまいます もう、 私の手には負えません。

私個人のことゝ申しますれば ガンの手術の後五年が経ち年一回の検診だけで元気に過ごしております。アトリエの窓から夏椿の蕾がふっくらと大きくふくらんできたのが見えます。 十薬、オカトラノオ、半夏生、梔子等、六月の白い花々が咲き、身近な小さなことに幸を感じています。

近く一泊の旅に広島に住む妹と出掛けます。緑濃くなる自然の中で海を眺めたり美術館へ行ったり、ゆっくりと気分転換したいと思います。

御礼遅くなりました上 支離滅裂なお手紙になってしまいました。心よりお詫び申し上げます。

先生、どうぞお体大切にお過し下さいませ。 かしこ   山口市  横

 

* あまりのなさけなさにこういう気持ちに落ち込んでいる日本人が列島を埋めているだろう、まさしくそれこそが保守特権政治の思うままであり狙い目であるのだろうが。このわたしでも、このメールの老婦人の日々とさして変わりないのではと思い至るのがまた情けない。いやいや諦めまい。つらければつらいと言って、ち立ち向かおうと思う。

 

☆ いつもありがとうございます。

今回の3作については、自分の職務だけでなく、プライベートの事も含め、色々と考えるきっかけになります。改めてご挨拶させて頂きます。  奈良市  宏

2013 6・6 141

 

 

☆ 「ペンと政治」の情熱に

勇気づけられます。ありがとうございます。 1945年夏を体験している者の一人として、ささやかですが平和とそれを保障する憲法のために行動して居ります。  栃木市  舘

 

* 「仕事」の方に時間を掛けていた。気も向いていた。

2013 6・7 141

 

 

☆ 秦恒平様

拝啓 初夏の候、ますますご清祥のこととお喜び申し上げます。

いつも『湖(うみ)の本』をお届けいただきありがとうございました。  特に昨年の衆院選をろぐる動きについてフォローいただき、ありがとうございます。

しばらく臥薪嘗胆、力をため込みたいと思っております。この琵琶湖、滋賀、そして、この国のために。

末筆ではございますが、今後ますますのご活躍をご期待申し上げます。  敬具

平成25年5月31日    滋賀県知事  嘉田由紀子

 

☆ ご病気に打ち克つ

熾烈な精神のお仕事、敬服の至りです。

どうぞいよいよご健筆を。   所沢市 出版社主  奈

2013 6・13 141

 

 

☆ こんばんは。

11日は「タクラマカン」にご招待いただきありがとうございました。

舞台を観に行かせていただいてからあっという間に日が経ち、お礼を申しあげるのが遅くなって失礼いたしました。

大変パワフルな舞台でしたし、東京・大阪間の移動もありましたが、建日子さんはじめ劇団の皆様方のお疲れも、少しはとれた頃でしょうか。

さて、秦組の舞台「タクラマカン」、本当に面白く、手に汗握りながら夢中で観通しました。

うかつにも秦組に関しての予備知識全く無い状態で出かけた私たちでしたが、舞台が始まってすぐ、長い間会いたかったものにやっとまた出会えたような懐かしさ、予感を覚えました。

舞台は、期待通りに広がって行き、ふくらんで行き、大きく立ちあがりました。

物語の世界観にも、役者さんたちのけなげなまでの熱演にも、心から感動しました。

十九年前の建日子さん独立第一作目の作品ということですが、若き日の作品らしいみずみずしい熱気にあふれつつ、かつ今を生きる若者たちの物語にもなり得ていると感じました。

十九年前の建日子さんとほぼ同じ年齢にさしかかっている娘には娘でまた別種の感慨があったようです。

しかし、観終わって夜の道を歩きながら、二人ともなんともいえず充たされた思いでした。

秦建日子さんという作家、秦組という劇団に出会えてよかったなという安堵感かもしれません。

四度のカーテンコールをした大阪の観客たちは皆私たちと同じ思いだと思います。また大阪公演をしてくださるのを待っていますと、建日子さんにどうぞよろしくお伝えください。

ありがとうございました。

おやすみなさい。     大阪市  祥

 

* 今にして思えば、大阪には松尾さんもおられた、観てもらえていたら、あの「タクラマカン」だ、松尾さんならではの批評が戴けたろうに。惜しいことをした。

 

* よく、秦さん、ほんとにお付き合い広いですねと驚いて下さる人がある。そういえばそうでなくもない、ただ「お付き合い」といっても九割がた、お目に掛かったこともないのだが、まさに「濯鱗清流」のありがたみに浴してきた。今も浴している。錚々たる学者・研究者も、作家・批評家も、詩・歌・俳人も、美術家も、演劇家も、政治家も。まさしく淡交、それでいて多年心親しいお付き合いがある。いまなお増えている。もとより「いい読者」との、湖の本二十七年間よりももっと以前からのお付き合いも多い。とても大切に思ってきた。

秦建日子も、手の届く限りの狭い仲間内や業界だけでなく、もう少し各界の方とのお付き合いも心がけてはと、きどき思う。もう、いい歳のいい大人だ、出来て行きつつある「秦建日子の世界」を、驕らず、尻込みもせず、観ていただける機会は機会として生かしたらいいのでは。手伝えることは手伝ってやりたくもある。

2013 6・17 141

 

 

* 今日は、社民党の福島みずほ自筆の葉書が届いた。

 

☆ 遅くなりましたが

毎回御送り頂いている「湖の本」115 116

ありがとうございました。

 

* 拳をあげてにこやかな写真だが、署名も、党の代表たる肩書きも無い。そもそも、「湖の本」の『ペンと政治』二上下への挨拶なら、社民党が国政三分の一の議席を確保し続けていた時代からみて陰々滅々、なんと都議会は一議席というような死に体の政党になぜ陥っているのか、その責任を痛感し挽回への闘志を伝えてきてもらいたい。わたしは社民党に関してこの十数年にどれほど支援の批評や注文をしつづけてきたか、それを知らぬのを直に責めはしないが、ぼやーっとして代表・党首の地位に縛り付けられている図は、かなり見苦しいという自覚はないのか。

滋賀県知事の嘉田さんの手紙には「臥床薪炭」再度の奮起を誓う言葉があった。福島みずほ個人には親愛感を喪っていないが、党の代表としての自覚をああいう著述への反応として片言隻句伝えてこれないのでは、あまりに軽々しくて、ま、惘れたのである。

 

* うってかわって、大きな会社での編輯の仕事を定年で退かれて以降、ひさしい素志の島崎藤村研究に打ち込んでこられた宮下襄さんからお手紙があった。文学に志をすてない人のなんという清い境涯か。

 

☆ 秦様

今年も初めてお手紙を差し上げます。

ちょうど四月いっぱいで原稿を編集に届けました。いつものように疲れ果てて終りましたが、昨年の折々に暁星学園や上智大学の図書館を尋ねていた『エトランゼエ』に出てくる宮代青年と小柴錦侍という絵描きさんのことです。雑誌が出るのは九月ですし、校正もいつになるかわからぬという暢気な話です。

宮代青年の住居が横浜市の日出町でしたので、横浜の町を何度もさまよいました。といっても、百年を越える昔のことで、その上、この町は、震災、空襲と二度も焦土と化している処ですので、偲ぶものがあるわけではありません。この辺だったのかと思う裏通りも、どこかわびしく廃れた感じですが、其処比処と、住んでいた人があると思うだけでも心を潤すこともありました。

野毛山の周辺を歩いておりますと、知らぬうちに道を間違えます。狭い路地が入り組んで、小さな坂や石段の道も多く、軒の迫った細い路地を右、左と折れ曲がって、南にいくところを北に向かつていたというような事を繰り返して、戸部とか老松とか伊勢町など昔からの町の名のところをさまよいました。

横浜といえば藤村が青年時代に手伝いにいった「まからずや」という店がありました。藤村は「まからずや」としていますが、これは「まからぬや」というのが正しいようです。図書館に行くたびに古い横浜の写真集を見ていましたが、当時の伊勢佐木町通りの二丁目角の写真に「満からぬや」と読める看板の店があり、若かりし日の藤村が手伝いにいっていた店であるとの説明も必ず付されていましたので、間違いはないのでしょう。いつから「まからずや」になったのか、多分、藤村が昭和十六年のノートに「伊勢崎町まからず屋雑貨店」と書いたのを、その後繰返していくのだろうと思いました。それはそれでよろしいのですが、古い明治に注釈を付けてみるのも

楽しいことだと思います。

幾分肩の荷も下りたのでお手紙をと思って、ここまでは前に書いていたことです。ぼんやり過ごしておりますうちに、もう六月も半ばを過ぎました。

ご本もお送り下さってから時間もたち、また「湖の本」も送ってくださってお礼をと思いながら、何やかやとあって、何日か、《ペンと政治》の三冊を目の前に呆然、「三月十一日までは」とあったにしても、ただひたすらご闘病に障らぬようにと願うばかりです。

私のほうは「頭痛肩こり樋口一葉」という感じがぴったりの日々です。視力もだいぶ衰えました。振り返って見ますと、(振り返るまでもなく)、父は数えの四十二歳で亡くなりましたので、私はその二倍近くを生きたことになります。表面はともかく、静かに老いるとか美しく老いるなどはやはり無縁で、知盛のように「見るべき程の事は見つ」などと毅然と誇らかにいうすべもなく、昨今の様々な事柄、眠らしていた*****幻想というようなことも、最近は絶えずというほど私を悩ませます。私の叔父は二・ニ六の首謀者の一人でした。

東日本大震災が起こったとき、その復興の困難を考えながら私がまず思ったのは、そのための復興税というようなものが必要になるなら、私のような者でも、生を終えるまで応分の負担をすることになるだろうということでした。それが私のできるただ一つのことだろうとも。消費増税などと名を変えても、それが同じ目的のためにあるのなら、私には反対する理由などは何一つありませんでしたが、それもこれも、当然のように裏切られていくぼかりでした。事こまかにいう気持はありませんが、この年齢になって、粗暴な**が何でこんなに襲うのか。何処から来てどこにそれは向かおうとしているのか。こんな事を書くのもどうかと思いますが、「あいつを**、こいつを**、……わからぬかといっては**、嘘付けと逆上し、そいつも**、あれも**……最後は気に食わぬと自分を**、そして誰もいなくなった」などと、愚かしくも書き付けていた日をひたすら思い起すことにもなりました。

テレビでオリバー・ストーンという人の「アメリカ史」を観ていました。アメリカの人のアメリカ批判としてまじろぎもせず見続けましたが、9 ・11というようなおぞましい出来事も、その国が積み上げてきた欺瞞の不幸な代償のように思えました。心晴れる日はなくとも、たじろいではいけないと思いました。

どうぞお大事になさってください。

あと僅か、また新しいテーマを見つけようと思っています。藤村学会の例会で何度か勉強の発表をしました。それらをまとめるだけでも意味があるかもしれません。書き散らした詩文もいくらかあります。『東方の門』を書いておきたいとも思います。それらに一片の理があれば、きっと書き残しておく意味があるだろうと思います。後々の方たちへのいくばくかのお役にも立つだろうと。またそうであってほしいと思っています。

二、三年来、街中では燕の数がめつきり少なくなりました。聞こえてくるのは大きな鼠の出没です。雨も少なく、とはいえまた豪雨の被害がでるのかもしれません。それでも昨日今日とわずかに梅雨時らしい日々でした。暗い空から一瞬明るい日差しがもれたりしています。

こんな詩文がありました。ご笑覧ください。

 

今日も雨が降っている

重く暗く

時折明るんではまた閉ざされ

音なく小止みなく降っている

恋に悩む青年が

窓の外に

降り続く雨を眺めながら

何とエステティッシュな季節だろうと

友人に書き送った手紙を読んだことがある

昨日も雨、今日も雨……と

パリの貧しい画学生が

冷たい石のアパルトで

孤独に書き綴る手記を読んだこともある

だが今日は

聡明な若者たちの

孤独な魂の劇とは別に

書いておきたいこともある

暗い空の隅々から

森や田や草や木に

家々の屋根に

天地にすまうもろもろの神が降りてきて

黙々と大地を潤していると

灼ける太陽がくる前に

滋味深い古代の神は

みずらに結った

見慣れぬ古人の装いで

地にもぐり水を清め

土地を癒して

福々しい顔をなごませながら

しづかにどこかに帰って行くと

 

慈雨という言葉も忘れてしまった

暗く深く

雨が降る

ヤマボウシの白い花をぬらし

満目の草木をぬらし

葉末からしたたる滴も静か

出水の恐れも今日はあるまい

空の気配をうかがいながら

ものたちは皆

音なくまどろみ

よみがえる時を待っている

 

六月十五日   港北

 

* 胸も静かに、やすむことが出来る。感謝します、宮下さん。一緒に、泉鏡花の本を創ったむかしも懐かしい。

2013 6・18 141

 

 

この度は『湖の本 ペンと政治』を頂戴しまして、ありがとうございました。御心遣いに与り、恐縮しております。

とりわけ昨年は、ご入院、再入院、それに御目の手術とすこぶる大きなことを次々に克服されましたね。どれほどか大変だったことと拝察いたしますが、その中にあって、ご執筆、読書、観劇と旺盛にご活動され、その精神の力に敬服いたします。

ご快癒されまして、ますます、ご活躍されますことを心より念じ上げます。 敬具   たい子賞作家  阿

2013 6・25 141

 

 

* わたしの至上の命題は、仕掛かりの創作(フィクション)少なくも二つの、進捗。一つは「性」を語った『ある寓話 ないし猥褻という無意味( 仮題) 』。も一つは、題は明かせない、ま、「清経入水」のような「能の平家物語」のような「初恋」のような。書き上げたいが慌ててはいない。「湖の本」の掉尾を飾ってくれればいいが。

 

* 昭和十七年は大戦の真っ最中だった、小林秀雄はそんなさなかの「新指導」七月号に『歴史の魂』と題して講演録を載せていた。ヒンデンブルクのあとでドイツの参謀総長に任じたゼークトの「思想」に触れながら、「歴史」というものの堅固かつ不動に「解釈」ごときを受け付けない本質を、即ち「美しい」と小林は見極めていた。

わたしはこの全集にも載らなかった講演録を、生誕百年の記念特集で、初めて読んだ。そして、すぐ座右の棚から湖の本「秦恒平が『文学』を読む」下巻を抜き取り、わたしとしてはたった一度だけ小林秀雄を語った「『歴史』は『美しい』」という一文を読み直してみた。あざやかな高揚感を覚えた。的の芯を射ていたんだという実感を得た。掲載紙「ユリイカ」が出るとほぼ即座に「秦さんのがいちばん良かったよ」とわざわざ批評家が電話してきてくれた気持ちもつかめた気がした。小林先生から名刺に「秦恒平様」と自書され『本居宣長』を頂戴したワケも初めてシカと分かる気がした。よほど嬉しかったことで何度もこれには触れて書いてきたが、講演録「歴史の魂」に推参できたことも大きい、重い。十数年も本棚に棚上げのママにした「小林秀雄 百年のヒント」にやっと手を伸ばして、今、しみじみしている。この気持ちを分かってもらうには、やはり小林秀雄の「無常といふこと」を指さしながら書いたあの「『歴史』は『美しい』」を読んで貰うのが早い。

 

* 小説を書いていると、と云うよりしがみついていると、たいがいイヤなことは忘れていられる。わたしのやはり「抱き柱」なのか。

ときどきでなく、しばしば、こんな「私語」を弄しているとき自分がティーンの少年のように生臭い幼稚な生き物にもどっている気がしてしまう。ウーンと呻いているときもある。

2013 6・29 141

 

 

☆ 鬱陶しい梅雨の毎日ですが

お加減はいかがでいらっしゃいましょうか

いつも御著書をご恵送いただきながら 御礼も申し上げぬ不埒を致し居り申し訳もございません

また此の度の『湖の本』(ペンと政治)には特に心打たれ共感いたしました。 ぜひとも皆様にも知っていただきたく存じましたので お断りもせずご紹介いたしましたこと御詫び申し上げます 「九条を守る歌人の会」の方々にも「藝術と自由」誌を御送りして居りますので広く知っていただければとの思いです。

世の中の不条理にストレスをため込む一方です。

良い御著書を拝読出来ましたこと心より御礼申し上げます  どうぞくれぐれもご養生を第一にあそばしまして お大事にお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。  「藝術と自由」 発行人 梓志乃

 

☆ エッセイ  秦 恒平著『湖(うみ)の本』 ペンと政治

- 満二年、福島原発危害終熄せず - によせて   梓 志乃

まだ5 月だというのに夏日があるかと思えば、4 月初めの陽気の日もあるなど、自然の摂理さえ狂い始めているとしか思えない日々

が続く。東北大地震からすでに二年を越えたというのにいまも、地域によっては遅々として復興は進んでいないと言われている。事実

いまも仮設住宅に不便な生活を強いられている高齢者も多い。それなのに国の指導者たる内閣は、すでに震災の危機を忘れたかのように原発再稼働・改憲に必死である。弱者の切り捨てに等しいのではないか。復興資金が行き場を失って宙に浮いているともいい、

以前に義捐金が日本赤十字に止まったままというニュースが流れたことがあったが、その後これがどうなったのかの報道も耳にした覚えはない。単に私が聞き漏らしただけのことだろうか。原発は汚染水の漏れを起こした。構造上の不備かとも言われているが、詳しいことは分かっていない。それらの情報は国民の耳には入り難い。メディアの責任かはたまた東電の秘密保持なのか。私たち国民は何を信じたらいいのだろうか不信感は募る一方である。経済成長とやらも雇用促進も総理大臣が声高にかたっても、大多数の国民は政府も大企業をも信じられないでいるのではなかろうか。アベノミクスが確実に景気を回復しつつあると総理は言うが、中小企業・零細または個人業者にはかかわりが感じられないのが現状である。この矛盾した社会観がいつか人間不信につながって行き兼ねないと危惧していた矢先、作家・秦恒平氏から湖(うみ)の本116 巻が先日届いた。湖(うみ)の本は創作・古典研究・エッセイ・評論・詩集・歌

集と広く藝術一般にと、その知識の広く深い理解のもとに執筆された秦恒平氏の生涯をかけての著作で、折に触れ頂戴している。

秦恒平氏は元・東京工業大学教授で日本ペンクラブ理事を6 期12年つとめられ、京都美術文化賞の選者も24年つとめられた。作家としての活躍では第5 回太宰治文学賞(1969年) を『清経入水』 で受賞されている。

今回頂戴した湖(うみ)の本は 『ペンと政治』 として<一・新世紀へ 崩壊の跫音>を始めとし<二上><二下>の三巻で、このたびのは<二下>で<満二年、福島原発危害終熄せず 野田総理の惨敗・居座る安倍「違憲」内閣・迫る国民最大不幸>の副題のもと刊行された。その巻頭「序にかえて」には次のように記されている。一部を紹介しよう。

 

この稿は、作家・秦恒平の 「ペン」に相違ないが、論攷でもエッセイでもない。歳月を追うて、政治・時事へのとめどない不安・不

信、噴き出す嘆きの批評・要望、その堪えがたい失望・憤怒がさせてきた文字通りの 「日録・日記」に他ならない。この『ペンと政治』

の特に 「二の上下」巻は平成二十三牛 (二〇一一)三月十一日、あの東北大地震・大津波、加えて悪意の 「安全神話」に帰因したまさに人災の「原発大爆発」という未曾有の国難を、作家である一私民 (市民というやや偏った言葉を私は使わない。)の眼と思いで見定め続けた、市販本なら千頁を越す、後代への「我が証言録」 に他ならない。 もとより「政治・時事」への向き方や考え方にさまざまな異りのあるのを十分承知し、しかも、いや、だからこそ私は、忌憚ない自身の「ペン」に我とわが性根を傾けた。ご異見は、聴きましょう。

 

とある。ご自身は癌による胃全摘・胆嚢切除、抗癌剤の副作用、黄斑変性、白内障手術など多くの病との戦いのなかで、くじけることのない「ペン」による反原発・改憲反対を訴え続けて来られた秦氏の作家魂といえるのだろう。「ペンと政治」には見過ごすことのできない政治・時事の問題の数々が、作家の眼を通して分かりやすく解説され、批評精神が確固として存在している。私たち国民がもっとも心すべき問題も提起されているのである。この 「ペンと政治・二下」 の最終ページに近く次の言葉がある。この言葉に力を得て、著作権侵害にならぬかの恐れをあえて無視して、著者への前もっての許しも請わず、ここに紹介しようと考えたのである。全文をここに掲げるのは頁数の関係で無理があるので、大要のみを紹介することにする。

 

「どうか次頁に掲げる、居座る安倍「違憲」内閣を告発する声明に、大勢の方の同調してくださるのを希望しています。 13・03・11

作家、秦 恒平は下記を声明します。賛同者には転送をお願いします。

 

・ 複数の高裁で、明瞭に前回衆議院選挙は「違憲」であると判決された。即ち安倍内閣は「違憲内閣」に他ならない。

・ 「安倍達意内閣」は、近く予定の「参議院選挙」を「違憲」のまま強行しかねない。「憲法改悪」「憲法無視・蹂躙」を許してはならない。

・  広島高裁は先の総選挙での広島一、二区の選挙を猶予期間をおいて、「無効」と判決 した。

・  広島高裁岡山支部は「違憲」と断定のうえ岡山二区に対し「猶予無し、選挙結果無効」と判決した。無効とする混乱よりも、「法」のまえに 「平等な選挙権こそ当然」とする明確な判断である。当然の帰結と、私はこれら判決を支持し歓迎する。

・  立法府、行政府の「怠慢であり、司法の判断に対する甚だしい軽視というほかない」という各高裁の共通した指弾も当然。

・  国会と安倍「違憲」内閣とが、誠意を持って「合憲」へ対処・対応しなければ、「法治国家日本」の「立法府」は実質崩壊する。これは「国会全体の責任」である。

私は声明する。

断固、国民はその帰趨を監視し、「投票権1 ‥1 絶対平等」の合憲実現を迫り、最高裁訴訟で先延ばしを計っている安倍「違憲」内閣の居座りを、指弾しつづけよう。

真に憲法下の国民主権・民主主義を樹立しよう。13・03・26  秦 恒平

 

以上が秦氏の声明の主な部分を抄出したものである。ここには秦氏の怒りと嘆きとともに強い意思が感じられる。抄出した部分だけ

では理解に至らない部分があるかも知れないが、被災地の現状はいまも改善されず、中小企業の復興には、こころざしの前向きな頑張りだけではどうにもならないという声が日々聞こえるが、耳を傾ける人々がどれほど居るのか。メディアは一部で報道はするものの積極的な政治批判も政策への危惧にも言及のない有様である。この国も二極分化、貧富の差のよりひどくなる国家に成り下がったのかと嘆くしかないのだろうか。ペンの力、言論の力がどこまで届くかは不明だが、私たちも言葉・ペンにかかわるものとしての批判は常に心掛けなければならないだろう。文学が政治の世界に介入するということではなく、あくまでも文学としての衿持を持ちながら、社会批評の精神を失わずに己の文学と向き合っていきたいものである。

秦氏の「私語の刻」として次の一文がある。

 

この三巻、現代を生きる一老作家の黙しがたい「批評」として編んだ。現実を、直に、具体的に、観測し批評した。

-中略-

ただこの三巻、是非にも「文学」の道に逸れぬよう心して書いた。「ペン」とは、わたしにとり「文学」以外のなにものでもない。そして「気概」。この三巻のばあい、気概は、ともすれば嘆きや怒りゆえに揺れ動いた。だが眼は逸らさなかった。

-中略-

字生たちは意識を失い、労働者は臆病をきわめ、共にひたすら利己的に隘路をすりぬけよう、すりぬけられると儚い夢を見ている。

解雇を拒めず非正規身分で働く大多数国民のための政党は、今や解党寸前、瀕死のていたらく。

しかもあの 「東電」を見よ、あの経済団体を見よ、なにが「アベノミクス」 か。電力等の特権独占ブルジョア階級に、保守政治がひ

たすら奉仕している図にほかならない。

目覚めて、いま、決然起たねばならぬのは誰であるか。知れた話ではないか、と、今回わたしの「批評」の、これが「結語」である。

 

真の文学者としての秦氏の想いが痛いほど伝わってくるとともに、私たちが常に苛立ちと不安とに攻められている現状を、もう一度

検証し深く考えなければならないと示唆されていると感じるのである。何よりも大震災の復興である。復興以前、復旧さえままならな

いのにと言った被災地の声も聞く。老いた人々にとっては復興という言葉以前に復旧と言うのが真実であるだろうと痛ましい。にも関

わらず活断層も汚水漏れもそっちのけの状態で原発再稼働、新設の声が囂しいのはなぜなのか。廃炉にするのでさえ四十年を要するというのに…。改憲にしてもそうでこのまま強引に改憲が成されれば、行く行くはあの苦い戦争中に、先輩たちが味わった苦悩、言論の自由の束縛に発展しないとは言い切れまい。「ごまめの歯ぎしり」「蟷螂の斧」に過ぎなくても私たちは声を上げるしかないのだ。

先頃、現代歌人協会編『東日本大震災歌集』が刊行された。歌人たちの切実な声である。幾つかを紹介しておこう。

 

・ 蜃気楼のやうに映りてわが国の原発建屋消えてはくれぬ       足立 敏彦

・ ヒロシマの廃虚と重ね東北の原発事故のぬけがらの街        石橋 妙子

・ 放射能汚染の水を幾百年溜めおく地下の闇に怯ゆる         荻本 清子

・ 原爆は許すまじ 原発は許し来し わが闘争史恥ず          金子 貞雄

・  刈られざる麦の畑にざんざんと雨降り誰も勝たない戦         久々湊盈子

・ 万葉の世はつい昨日プルトニウムの半減期二万四千年先      下村すみよ

・ 大震災復興予算流用のたんかんおりら恥じないやから         田村 広志

・ みづからが招きしもあれこの今の傷だらけなる日本を愛す       橋本 喜典

・ 想定外・単純が生んだ放射能漏れ・人間の遺伝子が晒さるる世紀  平山 良明

・ 町ぐるみ立ち入り禁止のままの秋 泡立草のみ風にそよぐ田     水野 昌雄

* ありがとうございました。 秦

 

☆ 「湖の本」第116巻を拝受。

御気概に、脱帽致します。

しかし「眼」の御不自由は、残念ですね。 私も眼が悪く、その為、「パソコン」も「メール」も「やらない主義」です。時勢から逸れてみると、少しく気分も気持ちも変り、念頭から遠のいていた”旧”日本の良さがしみじみ思い出されます。時に、そういう、同じ思いの友人もいて、”カンカンガクガク”ではない会話に心を和ませています。

御身お大切におられましたか。 御礼のみにて。   元・文藝誌編集者 文藝批評家

 

* ”旧”日本 とは、いつ頃だろうなあ。昭和初年? 明治大正? もっと昔?

2013 7・4 142

 

 

* ちょうど五ヶ月前、二月十一日づけの「私語」が、取り分けて記録されていた。福島第一爆発満二年に間近な時点であり、何の手違いか、「湖の本」116に洩れている。まざまざと当時を思い起こさせる内容なので、急遽ここに採録しておく。参議院選挙を目前にした今、読者のひとりでも多くの目に入って欲しい。

 

* (以下・採録)

* サウジアラビアに日本が原発を輸出しようかという協議を始めるとか。こういうことはしないと凍結されていたのを自民政権は解除する。害毒だと日本国民の大半が思って憂慮している毒物を他国へは売りつけるという非道、悪徳という以外にない。そのサウジでその原発が攻撃され爆発した場合を人道的に想い見よ。その可能性の濃厚な中東ではないか。

 

* 福島第一原発を千五百米以上の空から観察し撮影すると、所狭しと隙間すらなくならんだ満々の汚染水タンクが見えていると。1-3号機では今も水を循環させて冷却を続けており汚染水は日増しに増えている。4号機周辺は瓦礫や破損鉄骨が散乱したまま放置されている。危うい。五百メートル程度の上空では、原発から三キロ程度の距離でも、毎時約2.5マイシークロベルトの放射線量が測定されている。海も空も陸地も、いっこう放射線量の被曝を免れていない。

 

* 離島奪還目的の日米軍事演習とか。

尖閣諸島やその領海内で、例の危なっかしいオスプレイ機の発着練習を米国にさせてみたい。沖縄でも以外でもさんざ無道を恣にし不平等な協定を日本に強いているアメリカに、じわっと迫ってみては如何。

 

* 東北震災の後遺症である莫大な「瓦礫」その他の広域処理が来月末でほぼ終了と言うが、当初予測のたった六分一しかできなかった。結局莫大な税金の無駄遣いで、むらがる利権業者のハイエナぶりが目立った。「広域処理」など瓦礫の移送にも無用の費用をかけ、移送先では反対にも遭い、すべては「移送広域処理」に「反対」していた地元や識者の予想通りのていたらくと終わる。地元での雇用も大事に見越して、地元ならではの工夫を生かした「処理」が可能で有益とは実際例も数あり、国の政治は全然といえるほど機能していなかった。

 

* 東京新聞社説が、二つの重要な提案・意見を明らかにしている。一つは「電力制度改革」が旧来利権独占の「業界寄り」と言われるような無道に陥るなと。もう一つは「どうする核のゴミ」問題に関して、読者の声をとらえながら、だれもだれも「ともに考えたい」と。

前者は絶対に阻止したい重大事。

後者も重大事だが、具体的にはわたしなどの手に終えることでない。環視し希望をもつことが大切だが。「政治」と「科学」との懸命の協力・協議にまつしかない。「速やかに。やれ」とハッパをかけ続けないと、超難題ゆえに百年河清をまっても出来ない。これは前者と共に、それに百倍する難業と、しかと心得て督促を続けねばならぬ。  以上採録

 

* ハッキリしていることがある。

核廃棄物の最終処理、即ち原発の「便所」「屎尿処理」について問われれば、いかなる自民党アベノミクス論者も政客も、黙ってしまうか、大急ぎで話題を逸らしている。

われわれは徹底して、他事を擱くわけには行かぬにせよ、真っ先に、繰り返しを決して厭わずに、「で、原発のおトイレはどちらですか」「どこに、どう、いつ、出来るのですか」と、逃げ道を塞いで「質問」し続けよう。原発推進者の厚顔かつ無責任な最弱点はコレだ。黙ろうが逸らそうが、追究し続けることだ。

 

* 福島原発海際での高線量放射能汚染が海に、海水に、漁業に、世界に深刻に及びつつあることは、ほぼ絶対的に否定ならないであろう。いまや「東電の犯罪」というにひとしい糊塗弁明を許してはならず、ひいてはそれを「国の犯罪」にさせてはならない。

こういうごまかしが瀰漫するのであれば、東京オリンピックにふりかかる放射能汚染のおそれや、なお頻発し警告しきりの大地震のおそれに「口を噤みつづけていいか」という声に繋がる。

猪瀬都知事に促したい、オリンピックに熱中するなら、原発・電力問題の危険や憂慮にも「都政」の名においてもっと懸命に聡明に働いて貰いたいと。

2013 7・11 142

 

 

* わたしは先の「湖の本」116の副題のむすびを、「迫る、国民の最大不幸」と書いた。安倍自民党の「違憲」政権が国民のわれわれを、引き摺ってでも追い込み追い落として強権支配しようと目論んでいるのが、間違いなく上に言われている「非人道」と重なり合っていること、それを聡く悟って参議院選挙に立ち向かわねばならぬ。

『愛する時と死する時』のもう少し先で、こんな文章がある。兵士は結婚の記念に花屋で黄水仙を一束買い、店の女は新聞紙にくるんで呉れた。歩くうちに新聞紙の記事が、写真が目についた。「人民裁判の議長の写真だった。」彼はその記事を読んだ。

「四人の人間が、もはやドイツの勝利を信じないというので、死刑に処せられたのである。彼らの首は、斧で切りおとされた。ギロチンは、とっくの昔に廃棄されていた。ギロチンでは、あんまり慈悲深すぎるのだ。グレーバーは新聞紙をもみくちゃにして、なげすてた。」

国民主権、戦争放棄、基本的人権の憲法を、なぜ自民「違憲」政権は強引にねじ曲げてでも破壊し放棄したいのか。レマルクの文学は、はっきりわれわれ日本人にも警告している。

2013 7・12 142

 

 

☆ 七月も半ばとなりました。

毎日毎日 お暑い日がつづいておりますが、先生には いかがお過ごしでしょうか。

癌による胃全摘やその後の体調不良、眼の病気というたいへんな中で、「ペン」こそ「我が闘病」と 書き続けていらっしゃる精神の高さにこころから励まされ感動いたしております。

私も憲法九条は絶対に守っていきたいと思います。 また、原発を再稼働させようとする今の政治に怒りを感じております。結句 選挙でみんなが、その意志を表明しなければ、この国の政治はどうなっていくのでしょう。

「湖の本」の『ペンと政治』で勉強させて頂き、ありがとうございました。

先生、どうぞ御体を大切になさって下さいませ。御自愛なさり、酷暑をのりきられて下さいませ。

心ばかりの御礼を同封させて頂きます。御笑納下さいませ。 かしこ

私の長兄 (故)芦部信喜は、憲法学者(東大名誉教授・元日本憲法学会会長)でしたが、憲法九条を守るために努力いたしました。   歌人 玲  西東京

 

* みな、手を繋いで 根気よく諦めず 立ち向かって行きたい。五年半前にこう書き留めている。

* 寒ければ寒いと言つて 立ち向ふ  湖   2008 2・1

同じ年の師走最終句として俳優小沢昭一さん、こんな句を句集に置いていた。

☆ 凩へ一徹の老い立ち向かふ   変哲

「今でしょ!」 何より大事なのは、ふかく白詩夜前の真意も酌んで、「立ち向かう」ことでしょう。

 

☆ 白楽天「友を招く」

久雨初晴天気新    久雨初めて晴れて天気新たなり

風煙草樹尽欣欣    風煙草樹ことごとく欣欣たり

雖當冷落衰残日    冷落衰残の日に當るといへども

還有陽和暖活身    なほ陽和み暖活くる身あり

池水溶溶藍染水    池水は溶溶として藍は水を染め

花光焔焔火焼春    花光焔焔たり火は春を焼く

商山老伴相収拾    商山の老伴たちよ相ひつどへよ

不用随他年少人    あへて年少の人をわずらはせじ      2013 7・17 142

 

 

* ペンクラブ会員のつかだ・みちこさん、ポーランド文学研究者で詩人、また小説も書かれる。お手紙を戴いた。諏訪部夏木の名で新作新刊の小説本『ヴィルニュスまで』五つの物語と、ポーランド土産のお酒とチョコレート、京の宇治の茶菓子も頂戴した。恐縮です。「いつもすばらしい湖の本いただきながら、特にペンクラブのことや、政治問題に対する先生のご意見には大きな共感いただき乍ら、お返事を差し上げず、」また 「ポーランドもすっかりきれいになり、生活も改善されているサカナののですが、まだ失業者15% 肥満者が多いのに驚かされて、帰ってきました。」と。知己のお一人である。

2013 7・20 142

 

 

* 吉備の有元さんより、「バグワンと私」上下巻をお知りびとに送ってほしいと注文があった。湖の本のすこしでも永い維持のためにも有難いこと。お礼申します。x早速にお送りします。

2013 7・20 142

 

 

☆ 御著(「ペンと政治」)

同感同感と思いつゝ読みました。あまりにのんきな為政者に惘れる毎日 21日の選挙もこれという党も人物も無くがっかりでございます。 益々の御活躍を念じ上げつつ かしこ  滋賀県 八十五歳

2013 87・21 142

 

 

* 一作家として『ペンと政治』三巻(千二百枚 湖の本)を提出した私・秦恒平なりに、昨日の参議院選挙を「総括」しておく。

① 東京で山本太郎を勝たせたこと、共産党も勝たせたこと。最低限の歯止めは打ったのをせめてものことと。 ② 安倍政権は明らかな「違憲」政権である。自民党には危険の日々に迫っている原発の何より「安全なトイレ」は、どこに、いつまでに、だれが、どうするのかを、一切に優先し誰もが執拗に徹底的に問いつめねばならない。また放射線による病害・生命不安が東北と限らず列島に蓄積されて行く疫学的事実とその秘やかな増長傾向への不断の検査と対応を厳しく要求しつづけたい。アベノミクスごときは、かならず墜落する。経済に不動の右肩上がりのあるわけはない。安倍「違憲」政権による国民の最大不幸は確実に迫っている。 ③ 海江田・細野執行部をかついだ民主党の惨敗はあまりに当然。執行部の居座りを許さず、すみやかに馬淵澄夫らの覚悟きわめた蹶起なくては「解党」に到るよりない。逃げる前原では覚束ない。田中真紀子に比例での復活をさせなかったのも失敗の大きな一つ。筋を通して大河原候補を応援した菅直人の政治家たる気概こそが、党再生には必要不可欠。むしろ無策に連合頼みの民主党は解党して出直すべき時機にあるのでは。 ④ 「労働者」を見棄てたまま「憲法」しか叫ばない福島社民党の「票と議席」に結びつかない無反省な無力は蔽いようがなかった。惨敗は当たり前。「野党」の意義を壊滅へ導き続けた責任の自覚を欠いている。ものが見えていない。かりにも山本太郎を党首に迎えるほどの英断しか延命の道は無い。 ⑤ 政権を担うことを目標としない共産党の政治政党姿勢は、まことに物足りない。つねに「政権の遠い外野」に甘んじ、ただ声をあげているだけでは、到底国民の幸福をゆだねられない。 ⑥ みんなの党のある種の頑なさが、野党の大同団結を成させぬ大きな障りになっている。小さな独善に陥っていないか、渡辺党首の器量の小ささか。 ⑦ 大阪維新の会は、すみやかに我意増長慢の石原慎太郎と訣別し、初心に戻るとともに、黴の生えた党名を清新に一新し、小さくても強烈な政治姿勢の再生・再建をはかるべし。 ⑧ 生活の党は臥床薪炭を覚悟し、政治の火種を列島のすみずみに地道に植え続けよ。またの日がある。 ⑨ 公明党には、ただただ憲法改悪への無用な手出しを自民党にさせない強い防波堤たるを期待する。 ⑩ みどりの党は甘い観念にはしらず、明確に、伸び上がる現実女性の権利政党をめざすべし。 ⑪ 六十五歳から八十歳までの老人たちによる政治勢力の結党または参議院にかわる「老議院」の実現へ歴史的な舵をきる時機ではないか。 ⑫ 口を開けば「参議院のねじれ解消選挙」などと一斉に叫んでいた日本のマスコミの、非見識なのか政権への阿諛迎合であったのか、情けない姿勢に失望を倍々増した選挙だった。日本のマスコミ報道の無責任な偏向には呆れ果てる。

2013 7・23 142

 

 

* 明けの五時半に起きて仕事を続けた。午前中がしっかり永く使える。昼食してから三時間ちかく昼寝した。夜に目が冴えるならこういう一日にして行くのも道か。二十余枚、湖の本117のための跋も今日書いた。初校は終えてある。明日には印刷所に戻す。さ、これでまた「湖の本」発送用意へ入って行かねばならない。七月中にもう一度歯科医に通わねばならず、八月になると暫くぶりに聖路加へ、しかも一日になんと三科診察を受けに行かねばならない。一度で三回分通院が済むのなら、ありがたい。

そのあとへ海老蔵旗揚げのコクーン歌舞伎が待っている。楽しませてくださいよ。

 

* もう目がもたない。

2013 7・24 142

 

 

* 湖の本117、表紙、あとがき、アトヅケを添えて本文、要再校で戻し終えた。

 

* 凸版印刷との電話で、(まだ精しくはいえないが)わたしとしては相当大事な「相談」に初めて乗ってもらった。「湖の本」終刊といったことでは全く無い、全然べつの仕事である。記録しておく。

2013 7・25 142

 

 

* 亡き実兄・北沢恒彦が、或る陶藝家をインタビューして成った「五条坂陶工物語」という晶文社の一冊を、京都の廣瀬さんから送って戴いた。感謝します。そんなことがあったらしいとは兄のメールで聞いていた気もする。いまぶんは、五条坂の陶工物語よりも、北沢が、どう清水焼の世界へ切り込んでいたかを、幸い直接話法の肉声で聴き取りたい。彼の生涯にあって、わたしたちバラバラに他家で育てられた兄弟は、記憶の限りわずか数度ないし十度足らずしか顔を合わせていないのだ、腰掛けて話し合えたのは、さ、二度有ったろうか。そして兄は育ててくれた老父も妻子もおいて自ら先立って逝った。

 

永きにわたり手紙はたくさん貰っていたし、最晩年はようやくメールでの交信が、ま、頻繁に可能だった。だが、兄の市民活動家としてのユニークな仕事や交際や死にいたる孤独な思索など、ほとんど全部をわたしは知らぬまま死別したのだった。兄に愛されていたという思いだけが遺された。

わたしは不思議な離ればなれの生涯をかすかに交錯させただけの兄への思いを、純に抱いていたいと、葬儀にも、大勢での偲ぶ会にもあえて加わらなかった。悼みかつ送るのは独りで足りる。それが、わたしの思想なのだ。「(江藤淳の)死から(兄・北澤恒彦の)死へ」と題した「湖の本エッセイ20」は心して建てた我が「紙の墓碑」であった。

それでも、せめて兄の著作には今少し触れてみたかった。兄の著書を、わたしは書庫に三册と持たないのである。廣瀬さんはそうと知ってこの本を送ってきて下さった。ありがとう存じます。

甥や姪たちが父・恒彦をどう書いたり語ったりしてきたか、まったくそれは伝わっても来ず、わたしは何も知らない。いずれわたしはわたしの「兄のこと」を書き置くであろう、いや、もうそのヒマは無いかもしれぬ。

 

* 大島史洋氏は歌人、わたしや東工大で接した多くの学生諸君にとっては忘れがたい一首、「生きているだから逃げては卑怯とぞ幸福を追わぬも卑怯のひとつ」といういわば「教室の主題歌」の作者である。私的にはまったくご縁のなかった人だったが、わたしは上の歌をシンボルのように、旗のように樹てて教授生活していたのだった。むろんわたしの「湖の本」はお送りしてきた。九歳ちかく若い人で、近年になり著書も貰っている。今日も、現代短歌社から新刊の『近藤芳美論』を頂戴したし、機械から後ろを向いて手の届くところには『アララギの人々』が、清水房雄さんや橋本喜典さんらの歌集と並んでいる。感謝。

亡き近藤芳美さんは、土屋文明などのあとを受けて著名な短歌会の大物歌人だった。一度パーティの席で握手を求められ、「どうぞ短歌のためにお力を貸して下さい」と挨拶されてビックリしたことがある。素直なわたしは、そのままその近藤さんの言葉を聴いて記憶している。わたしの『青春短歌大学』では、近藤さんからは、「手を垂れてキスを待ち居し( )情の幼きを恋ひ別れ来たりぬ」の一首をかりて学生諸君に一字を埋めさせた。

近藤さんが亡くなる少し前の歌を一首あげておきたい。

君にしばし留まる心を無心とし空にかすみて残る夕映  近藤芳美

2013 7・31 142

 

 

* 湖の本117の再校が出そろってきた。

2011 8・2 143

 

 

* 疲れました。眼鏡屋へ寄ってきたので、日曜までしばらく休息できる。湖の本117責了へ、また発送のための用意をして行ける。

月曜には、海老蔵奮闘のコクーン歌舞伎。

2013 8・7 143

 

 

* お久しく。

お手紙ありがとう。お元気なご様子、喜ばしく、懐かしい。年久しくなりましたね。

歌舞伎座で、というのも心嬉しく。

わたくしは、もう久しく歌舞伎はほぼ欠かさず観ています。22キロも痩せて、貧血でひょろひょろしていても歌舞伎だけは、たいてい昼夜通しで観に行ってました、これからも行きます。

医学書院には、退社後は一度か二度、大昔に行ったかなという程度ですが、金原一郎昔の社長や長谷川編集長とは、亡くなられるまで良いお付き合いがありました。

向山は、退社後が寂しかろうと思いペンクラブに推薦して入会させ、わたしの理事仕事や委員長仕事の手伝いをしてもらっていました。入会できて彼は喜んでいると思います。

大病の前には、隅田川にかかった大橋を、全部、歩いて渡ろうときめ、ほぼ完遂しました。のんきなものでしょう。

そういえば歌舞伎の他に、大相撲の本場所桟敷席を、家内と二人だけで、昼間から時間かけてゆっくり楽しんでいます。

仕事は、まったく、わたし流に休むことなくつづけています。

「秦恒平・湖の本」はすでに二十七年へ向けて、117巻めの出版を九月に予定しています。

では。 お元気で。 七十七爺

2013 8・9 143

 

 

* また一つの仕切りを跳び超えて、晩年の「仕事」へ踏み込むことを決意した。老妻とも話し合って決めた。こんどの「湖の本117」の「あとがき」最後に、以下の四行を書き添えた。

 

「秦恒平・湖( うみ) の本」も、いま仕掛かり幾つかの「小説」脱稿を念頭に、いつか収束を考えねばなりません。その前に、過去に分冊で刊行してきた代表的な長編小説の「一冊特装保存本」や、作柄を同じくする小説の「合冊特装保存本」を、各「少部数」造っておこうと用意しています。もし購入をご希望の方は、計画の進行につれご報告しますので、あらかじめ、どうぞご一報下さい。 秦恒平

 

幸いにわたしたちは遺産をむりに遺す必要がない。われらなりに有意義に費い果たせればよい。しかし老残のわたしたちに楽しんで費消できる範囲はたかが知れている。自動車も要らない、海外旅行もしない、国内ですら自在な旅はできない、しかも埴生の宿で足りている。便利・好都合という欲も度外れては持たない。寄付・寄進というほどのタカは持たない。なら、夫婦して半世紀の余もこつこつ成してきた文学生活の記念碑をほんのいささかでも、相応のすがた・かたちで遺しておこう、さしあたって健康の許す内にと思い立ったのである。それにも親しい人たちのお知恵を借りねばならないだろう、どうぞお知恵を貸して下さい。

2013 8・10 143

 

 

* 先日、歌舞伎座で見かけましたのでと突然便りをくれた元医学書院勤務の後輩、なんと「助六」河東節十寸会御連中に名を連ねていた。そうなっている事情は全然分からないが、あの無粋な医学書院の職場の印象を塗り替えるような話で吃驚仰天。御簾の奥に隠れている人たちゆえこっちからは見えないし、たとえ見えてもこの人らしき昔の同僚の顔もしかと覚えていない。おもしろい、不思議なことがこの世間にはあるもんだ。『ペンと政治』三巻を送ったが、「市井の片隅でいい加減に生きている私にとって身のすくむ思いがする内容です。襟を正さねば……」と。「又、どこかでの偶然の出会いを期待しています。今度は声をかけます。お元気でいて下さい」とも。はいはい。

2013 8・13 143

 

 

* もう新刊の責了も可能なのだが、発送の用意はまるで進んでいない。この分では本が出来ても山積みのママになってしまう。ま、いいか。暑さや懈さにむりに歯向かっても仕方がない。心身にも楽しませてやりたい。

2013 8・24 143

 

 

* 湖の本117を責了で送り出した。九月十日過ぎには出来てくるが、発送用意は出来ていない。「暑ければ暑いといって立ち向かう」どころか、「暑いので暑いと云つてだれてゐた」。目前に九月、奮発しましょう。

2013 8・28 143

 

 

* 中断していた「湖の本」発送用意の作業も再開。

2013 8・29 143

 

 

* じりじりと発送用意も進めている。

2013 8・30 143

 

 

* 本の形で市販された自著が、百册余在る。そのほかに「初出」のまま本にまだなっていない原稿が、また講演録、対談・座談会原稿が、プリントやゲラや電子化のかたちで驚くほど沢山残っている。湖の本でも、「京都もの」のほかには、『私 随筆で書いた私小説』以外にはこれまで所謂「随筆集」を編んでこなかった。随筆だからと手軽に書いてきたのではない、それどころか、念頭には文学の奔流は随筆にあるとしてきた中国での思想、それに賛同していた谷崎潤一郎の随筆の魅力をわたしはしみじみ知っている。今朝も谷崎先生の『旅のいろいろ』を読んでいて、えもいわれぬ作品の妙に惚れ惚れしていた。

おいおいによく選んで佳い随筆集もこの先に編み進めてみたい。 2013 8・31 143

 

 

* 責了紙に問題あったらしく、しかし送ってきたファイル開けず要領を得ず。ゲラでの「念校」を要請。急がばまわれと。

2013 9・2 144

 

 

* 発送用意など、何が何やら分からないほど混雑。よほどアタマもわるくなっている。

2013 9・3 144

 

 

* 明後日は、演舞場で、我當の新井勘解由、幸四郎の「悪の華相勤め申し候」不知火検校などの歌舞伎を楽しむ。気がかりは病気降板した三津五郎。大事ないとよいが。綱豊卿など三役を誰が代わるのだろう。綱豊卿、友右衛門にやらせてみたくもあるが。梅玉か。

来週からが忙しい。火曜に歯医者、水曜夜に歌舞伎座、金曜には新しい湖の本の発送開始となる。第三週は緊張の連続になる。

2013 9・4 144

 

 

* 新刊の出来までに残日わずか、発送の用意も頑張っている。なんとか大過ないところまでこぎ着けておきたい。二十日には妻の冠動脈検査入院がまた有る。気持ちの焦点はここへ置いている。わるく緊張しないで、まあるく消化して行きたい。

2013 9・7 144

 

 

* 発送用意は、着々進んで、明日十日と十一日午前と十二日とがあれば、まず間違いなく出来る。用意が有れば発送も捗るだろう。もう一息。

2013 9・9 144

 

 

* 発送用意ほぼ了。これから歯医者へ。

2013 9・10 144

 

 

* 「湖の本」117巻『作・作品・批評 濯鱗清流3 』の刷り出しが届いた。今日一日休息し、明日午前中から送り出し始める。

2013 9・12 144

 

 

* 夜は創作中の小説世界へ戻って、たくさんな夢をみた。新刊の発送を終えたら、まっしぐらに此処へ戻れる。

2013 9・12 144

 

 

* 九時、新刊117搬入、すぐ発送作業開始。終日。映画「指輪物語」二と三とに聴き耳を立てながら。

2013 9・13 144

 

 

* 効率よく発送、夕刻には見通しつける。作業中、映画「指輪物語」の一を耳に聴いていた。申し分なく、佳いファンタジー、佳い映画。夕食にワイン。

 

* 作業とワインとで疲れた。しばらく寝入った。他の何をする気にならず。湯に漬かり、「後拾遺和歌集」の三撰めをすすめ、モーパッサン「生の誘惑=イヴェット」スコット「湖の麗人」を少しずつ読んだ。疲れは簡単にはとれない、このまま今夜は本を読みながら寐てしまおう。

2013 9・14 144

 

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

今日はタイミング良く湖の本の新刊『作、作品、批評』が届きました。何よりの誕生日プレゼント、と嬉しく頂戴いたしました。ありがとうございます。   萩  低く垂れその上に垂れ萩の花   素十

 

☆ お元気ですか、みづうみ。

今日はタイミング良く湖の本の新刊『作、作品、批評』が届きました。何よりの誕生日プレゼント、と嬉しく頂戴いたしました。ありがとうございます。   萩  低く垂れその上に垂れ萩の花   素十

 

☆ こんにちは 京都です

新しい湖のご本届きました。

ありがとうございます。

こちらは早朝の暴風雨が嘘のようによく晴れています。

今頃はそちらが風雨激しいのでは。

被害がありませんように。

いつもホームページを拝見して、歌舞伎を楽しまれたり、お仕事に励んでおられるご様子に安堵しています。

一方、ご体調のお悪そうな時や、お眼の不調もお辛いことだろうなと心が痛む思いでいます。

又、東京へ行く折にはご連絡させて頂きます。お目にかかれる機会がありますよう願っています。

どうぞ奥様共々お大切にお過ごしください。      みち  母方従妹

 

* 発送した本が雨で濡れてないといいのだが。中国四国九州が気にかかっている。

2013 9・16 144

 

 

☆ お礼

ご無沙汰しています。

大雨があがったら突然肌寒くなりましたが、ご健勝のこととお慶び申し上げます。

さて。

「湖の本」117 号、拝受いたしました。

いつも有難うございます。

深くお礼申しあげます。

参院選後の日本の空気がまことに怪しくなってまいりましたね。

奇しくも同じ頃、私は、ヴィゴ・モーテンゼン主演の映画『善き人』を見ました。

これは大学でプルーストを講義する教授が趣味で書いた安楽死をテーマにした小説をヒトラーが読み、「ナチスの掲げる恩寵としての安楽死の思想そのものだ」と気に入って、大学教授を親衛隊の大尉・ナチス党の御用学者に取り立てる、という物語でして、

「前向きに反対しなければそれは賛成したのと同じ」

というテーマが重くのしかかって来ます。

今の日本の風潮が、実に、この当時のものそのままと感じられて、私は暗澹たる思いにとらわれております。

エンターティンメントはいよいよ売れず、文学はもっと売れず、版元も相当に大変そうですね。

目下はなるようにしかならぬと覚悟を決めて日々書き続けております。

今後とも宜しくお願いします。

取り急ぎお礼のみにて失礼します。 拝   松  作家

2013 9・17 144

 

 

☆ 雪の嵐山、雪の渡月橋、私の心から一日も消えた事ありませんのに、昨日の嵐の様子はショックでした。

(怪我から=)一年半過ぎて杖無し生活ですが、老残の日々を送っております。  津

 

* わたしの小説があんまり読みづらく腹が立って本を壁に叩きつけたほど元気だった読者が「老残」とはうら悲しい。せめて「老境」を、もちまえの元気をちからに朗らかに生きていただきたい。

この人、壁に叩きつけた本に、惹き込まれ惹きこまれ、最も熱い読者のひとりに変貌してくださった。元気でいて欲しい。みんなみんな八十周辺(アラ・エイティ)とはいえ。

妙なもので、現実にはもうすぐ七十八になるわたし自身が、いまだに「少年」の心地にさまよっているためか、同年輩知友の男性も女性もみんな堅固に妙齢のままに想えている。これって、滑稽だけれども妙に嬉しく有難いことでもある。

 

☆  新刊

秦先生、『作、作品、批評』届きました。ありがとうございます。ゆっくりと味わいます。

昨日まで博多へ出かけていて、留守中の郵便物が心配でしたが、名古屋は颱風も大過なくすぎてくれたようで、先生のご本も郵便受けで無事でした。

博多から初めて太宰府へ行き、天神様にお詣り。博物館も覗く事が出来ました。先生が書いていらっしゃる日記、天神様は菊もお好きとのこと。

香道では、今の季節によく「菊合香」という香りの相違の当てっこをいたします。主題は道真公の「秋風の吹上に立てる白菊は花かあらぬか波の寄せるか」というお歌です。前もって、「秋風」という香りを憶えておいて、「秋風」三つに覚えのない「白菊」三つを加え、打ち交ぜ、四つの中で、「秋風」「白菊」それぞれを当てるものです。このお歌は古今集に載っており、寛平の后宮(宇多天皇の母班子女王)主催の歌合の折、同時に菊合(最古の菊合)が行われたとき、和歌浦を写した洲浜に立てた菊を詠んだものとか。天徳内裏歌合ではありませんが趣向をこらした歌合だったのでしょうね。

時代考証のきちっとした歌合の場面のあるドラマを見てみたいものです。 夜琴

 

* 「歌合」については幸田露伴が嚆矢となった「在民部卿家歌合」をはじめとして詳細かつ臨場感も豊かに考証している。岩波文庫に『露伴随筆集』上巻「考証篇」があります。

2013 9・17 144

 

 

☆ 「湖の本」117

有り難く 拝受仕りました いつもいつも恐れ入ります。

今回の117 読書領域の広さに 驚き入りました。 (御目 御大切に願います。)

小生も九十八歳という齢となり、恐らくはこれが最後かと思う十七冊目の歌集編みました。

出来上りましたら 御笑覧願うつもりで居ります。(九月十五日)  清水房雄  歌人

 

☆ 拝啓

このたびは湖の本『作・作品・批評 濯鱗清流(三)』のご恵贈に与り、厚く御礼申し上げます。

品格の問題、先生のご意見に賛同いたします。

気候の漸く過ごし易くなった時節、ご高著を楽しく拝読させていただきます。いつもの厚恩に感謝いたします。

ご闘病の日々の中にも明日への光明をかかげられる先生のご活躍に感動しております。

時節柄ご自愛の上お元気にお過ごしなされますよう記念申し上げます。敬具  国文学者

2013 9・18 144

 

 

☆ 帰国

昨日帰国しました。湖の本が届いていました。

家人が入院したために予定より早く帰国しましたが、フライトが一日早かったら台風上陸の当日になって、さてどうなっていたことかと思いました。

京都の桂川や鴨川の増水、あんな光景は初めて見ました。

疲れ残っています・・夜のフライトは眠れなくて・・家事が降り積もっています。

短い「夏休暇」のあと、宥め宥め大切に過ごされますように。   鳶

2013 9・18 144

 

 

* どうっと新刊『作・作品・批評』へ手紙など届き始め、とても此処へ採録している余裕がない。

2013 9・18 144

 

 

☆ 『湖の本117』をご恵送賜り

恐縮いたしました。

読み取ること、<創作が湛えた「品」をみてとる>ことを日常とし、肉体化なさっているこの記録を拝讀していると、自分の汚れた鱗を秦さんの清流で濯われているような気がいたします。

新世紀を迎えても(その後も)ぶれない精神の奇跡をまぶしくみつめています。ありがとうございました。

難関にもめげることなき方とは存じますが、どうぞお身体はお大切になさってください。9月18日  元文藝出版部長

 

* 有り難う存じます。

 

☆ 啓上

やっと涼しくなりました。御清祥のうちにお過しのことと拝察します。

『湖の本117』拝受しました 御好意有難く御禮申上げます。御本いただくばかりで、仕事の面では御禮もできず申わけなく存じております。し

昭和三十五年十月に発足した和歌史研究会のお蔭で古典和歌の研究に関しては大学の壁が壊れて風通しがよくなったのを享受したのでしたが、その運動をリードした藤平春男、井上宗雄のお二人も故人になってしまいました。秦さんをお迎えしてお話をうかがったのは藤平さんの企画だったと記憶しますが、あの時初めてお眼にかかって以来、清径入水、秘色、慈子、畜生塚といった作品群に魅せられてきました。

中世文学についての色々な御発言も大きな指針となってきましたが、私自身の関心は資料書誌学に傾きがちでとてもお目にかけられる代物ではありませんでした。

特に昭和末年以降の人文系大学研究期間の改変に際しては、全うな文献資料の学的な保持のために没頭せざるを得ぬ立場に立たされましたので研究もほとんどできぬ状態になってしまいました。

やっと公務から離れ、さあ、という時になった折も折、 (中略)

どうも弁解に終始しているようですが、やっと昨年頃から研究の方にも頭が向くようになりましたが、 はや老境、机に向かうこともできなくなりました。

昨年、旧稿を整理して本に纏めるということを重ねました。

そのうち「千載集」の方を笠間書院から送らせます。

お収めいただければ幸甚に存じます。 不尽 九月十八日  松野陽一 拝 元国文学資料館館長

 

* 東京神田の生まれ、わたしと同年齢の碩学。早稲田の文学部長また建日子が進学した早稲田中高校の校長だった藤平先生に呼び出され、早稲田での、錚々たる顔ぶれの和歌史研究会へ顔を出したのは太宰賞受賞後まもない頃であった、懐かしい。まだ建日子は数歳ともいえなかった。

松野先生のお手紙を追いかけるようにして笠間書院から大著『千載集前後』が送られてきた。有り難う存じます。去年湖の本で纏めた『千載和歌集と平安女文化』上下巻が、門外漢なりの謂わば「千載集前後」だったのを思いだして下さったのである。論考九篇にさらに「書影覚書」が加えられ、「研究」とはこうだという勝れたお手本になっている。有り難く頂戴しました、今日から、すぐ読ませて頂きます。

 

* 懇意の笠間書院編集長の橋本孝さんは、『千載集前後』と一包みの荷で、なんと、田能村竹田の画論『山中人饒舌』を「訳解」された竹谷長二郎著も贈ってきて下さった。まだあった、新刊早々の「コレクション日本歌人選」の一冊も、「リポート笠間」の最新の二冊も送られてきた。恥ずかしいが笠間書院で本を買ったことはめったにないのに、中世物語全集などたくさんの本を貰っている。わたしの申し訳としては、貰ってみんな「読みましたよ」と言えることだけ。感謝に堪えない。

そういえばわが家の玄関には、ほかに場がなくて、小学館から全て戴いた日本古典文学全集の百十何巻がならんでいて玄関に入る来客をなかば威嚇しているが、これをほとんど全巻に近いまで「読みましたよ」といえる読者は、日本中に十人とは居ないだろうと思う。古典は、わたしのこよない精神安定の糧になっている。

 

☆ 拝啓

その後御病状案じておりますが、少し健康回復の由、安心致しました。

「湖の本」二十七年百十七巻とは大変なことだったと思います。

私も長い間御世話になりました日本ペンクラブを脱会いたしました。八十九歳になり歩行も困難のうえ、すべての力を失って、ただ読書にいそしむのみです。 僧侶という宿命で小さいながら寺をもっておりますので、必要とされる折のみ、息子の車で田舎の寺まで行っております。

芹沢(光治良)、井上(靖)、大岡(信)さんと同じ沼津の中学校出身ですが、(略)

これからじっくりと先生の御著を読ませて頂き、最後の人生の総まとめをしたいと念じております。

どうかくれぐれも御身体大切にされ、御仕事も完成されますよう心から念じております。

湖の本の御礼、心より申しあげます。 敬具   文藝批評家

 

☆ 前略ご免下さい。

「湖の本117」のご恵投に与り、まことにありがとうございました。今巻もまた秦様の文学に対する凄まじいエネルギー、情熱に圧倒されつつ拝読しております。G.ギッシングの『ヘンリイ・ライクロフトの手記』を座右の書にしている私にとっては、半ば共感、半ば反発しつつ引き込まれて行くアンビヴァレントな世界、毎巻、愉しみにしております。

今回はまだ読み切っておりませんが、一○○ページの四福音書について触れた部分に惹かれました。この辺のご考察のさらなる展開を大いに期待しております。

また歯に衣着せぬ「秦節」といってもいいご文章に敬服いたしております。(後略)  草々

近什一首

人生を捨てた酔ひどれ電柱に凭れて眠る祈るごとくに    翻訳家・歌人

 

☆ いつもお言葉を

ありがとうございます。元気にしています。

HPでご紹介の本を読んでいくのも楽しみの一つです。残念ですのは品切れの多いこと。近くのブックオフに岩波文庫扱いは少なく、『猟人日記』も家にあった全集版の抄訳でがまんしています。

『薄暮の京』10年前に挙げられていたのですね。最近読みました。

字が小さくなってごめんなさい。どうぞお大事に。迪子さんもお大切に。  下関  碧

 

☆ 117册目ありがとうございました。

秦さんのおかげで ツルゲーネフの『猟人日記』を識りました。一篇一篇楽しみに読みすすめています。

どうぞ目を酷使されずに、また、時を忘れる書物を教えて下さい。  狛江  秀

 

☆ 湖の本116 ペンと政治(二下)

秦先生らしい考え方に一つ一つ頷きながら 楽しく厳しくページを繰りました。

今後ともよろしくお願い申し上げます。  桐生  繪

 

☆ 濯鱗清流

(四)もお待ちしております。  八潮  瀧

 

☆ 抗癌剤の服用

予定一年を終わったということで、とても嬉しく思います。私ごとですが、アメリカのホストファミリイの孫は四歳で白血病にかかりましたが、つい最近「finished!」という嬉しいメールが届きました。七歳の男の子です。皆、いっしょうけんめいに闘病している姿に感動しています。「秦恒平文学選集」予約をお願いします。  群馬県  都

 

☆ 闇に言い置く

私語の刻を毎日拝見しております。元気そうで何よりです。

「秦恒平文学選集」の計画 お知らせいただければ幸いです。  愛知県  則

 

* 今回117巻「あとがき」の最後を、こんな一文で締めくくっておいた。

 

「秦恒平・湖( うみ) の本」も、いま仕掛かり幾つかの「小説」脱稿を念頭に、いつか収束を考えねばなりません。その前に、分冊で刊行してきた代表的な長編小説の「一冊特装保存本」や、作柄を同じくする小説の「合冊特装保存本」を、各「少部数」造っておこうと用意しています。『秦恒平文学選集』とご記憶ください。もしご希望の方は、計画の進行につれご報告しますので、あらかじめ、どうぞご一報下さい。  秦恒平

 

希望者が有ろうと無かろうと、体力と気力のあるかぎり、私家版としてごく少数ずつ創って置きたいとは、妻の願いでもあって、無計画的計画で成るところから楽しみ楽しみ手をかけ費用もかけて行こうと、思うだけは思っている。

今日の払い込み用紙をみていると、「希望する」と書き添えてきて下さった方が何人もあって、嬉しくもあり、ビックリもしました。一冊規模がどれほどかも朧ろに想っている現状だが、例えば「秘色・三輪山・みごもりの湖」で一巻にすれば、けっこうどっしりした一巻になるかも。「蝶の皿・閨秀・墨牡丹・糸瓜と木魚」「清経入水・絵巻・風の奏で」に今仕掛かり新作をというのも思案できる。なんにも決めていないが、乱作は厳しく避けながらけっこう沢山書いてきたといっそ戸惑うばかり。

2013 9・19 144

 

 

☆ 奥様ともども

お身体 どうぞ大切になさって下さい。

お仕事がいつまでも続きますように。

御本が郵便受に届く日はいつも夫婦揃って歓声をあげます……  鎌倉  橋

 

☆ ありがとうございました。

「文品」「文位」という言葉、強く印象に残りました。

ご自愛下さい。   名誉教授 学会長

 

☆ よい方について

よい方にぐんぐんといきますように。

蕎麦は花盛りです 一面真っ白です。

穏やかな四季のうつりを願っています。

 

☆ お会いしたいという思い、

お会いして何をお話できるかという思いが、こもごもです。現実には(精神的に)あんまり出歩けません。

本当にお大切に。精神力 あやかりたいと思います。  能美  井

 

* 今日も数人の方から「選集」希望のおたよりがあった。うかうか出来なくなってきました。

 

☆  先生の生きた業績

117巻めの湖の本、拝受しました。

私など 小説本を二十冊ほど出して息たえだえですが、先生は一年に二千枚ほどの原稿を活きた字、活字にしてみぎから左へ……文章の神か鬼、いや双方に魅入られたのだと思います。これは天然ものの文章家、文学研究者です。速成・即製が時の流れの中、悠々と突進しておられる。まねられない偉業、まことに恐れ入ります。

少しでも体の痛みが和みますよう祈り居ります。多謝。  府中市  作家

 

☆ 颱風18号は大丈夫でしたか。

すっかり秋の気配となりました。苦しい闘病の日々を過ごしていらっしゃることに本当に頭が下がります。

参院選後のお話も。なるほどと共感させていただいております。

「秦恒平文学選集』の購入をお願いしたいと存じます、よろしくお願い致します。

ますますご自愛くださいませ。  静岡市  鳥

2013 9 20 144

 

 

☆ 曾野綾子さんからいま評判のベストセラー『人間にとって成熟とは何か』が贈られてきた。扉に、

「秦恒平様  お元気でいいお仕事をお続け下さいますよう  曾野綾子」と、書かれてある。有り難く、恐縮している。

 

☆ 颱風一過

朝夕急に冷え込んで参りました。

「湖の本」御恵贈頂き有難うございます。

頁をめくるといきなり「作・作品 全く別もの」

そのまま絵画にも当てはまりドキッと致しました。処々 拾い読みさせて頂いております。

どうぞ呉々も御自愛の程を。先づは御礼迄。  画家  池田良則

 

* 池田遙邨画伯の孫にあたる画家。京都新聞朝刊に連載の『親指のマリア』挿絵を担当してもらった。

今回の本では「作と作品」は全く別ものというところに批評軸を置いていたので、こういう感想がいっとう有り難い。

 

☆ 今回の配本で

「品」ということを考えさせられました。

また秦さんの読書量のぼう大さ、文学への真剣な想いに感心尽きません。

次回本を期待しています。御身体お大切に。  横須賀市  敏

 

☆ 朝夕は

秋口らしい涼気を感ずるようになりました。

変らぬ御好意に浴し、深く御礼申し上げます。 (中略)さきほどようやくご本を読了いたしました。二〇〇一年の一年間の読書、所感を数々の幅と奥行きに、感服するばかりでした。たくさんのことを教えられたことを感謝いたします。表記で一つだけ気になるのは「カトリック」を「カソリック」とお書きのことでした。

179頁、谷村玲子『井伊直弼 修養としての茶の湯』の博士論文には副査として参加しておりましたので、彼女の感覚と才能、気力はよく知っております。そう言えば彼女から「湖の本の会(=正しくは「秦恒平文学研究会」主宰は竹内整一東大名誉教授)」のことを聞いた覚えがあります。

平安をお祈りいたします。  国際基督教大学名誉教授

 

☆ 拝復

ご恵贈賜わりありがとうございます。

本日別便にて心ばかりのお礼と御見舞をかねて京菓子をお贈りいたしました。ご笑納いただければ幸甚です。

くれぐれもご自愛を。

ケータイもスマホも拒み頑なに

生きてこの世の空の青さよ  俊 神戸大学名誉教授

 

* みごとに大粒のまさに栗そのものの名菓を嬉しく戴いた。栗が大好き。

 

* 「秦さんの本ならなにでも買います」と言ってくださっていた多年の「有り難い読者」東宝の後藤和己さんが亡くなったと、娘さんからお知らせがあった。帝劇の芝居にたくさん招いてくださり、とくに忘れがたいのは大好きな沢口靖子の『細雪』上演のおりは特別席に招かれ、さらに楽屋へまで連れて行ってくださったこと。ご冥福を祈ります。

選者の頃、京都美術文化賞に推し受賞してもらった漆藝家望月重延さんから、秋の新匠工藝展への招待が届いた。二十四年もの選者体験の中で、毎回三人の授賞者中、五十人近くはわたしが、あるいはわたしも、推して受賞してもらってきた。あの人、この人と思い出せばみな懐かしい。早くに強く推した楽吉左衛門さんには、わたしの退いたあとの選者を引き受けて貰っている。まだまだ若かった截金の江里佐代子さんは惜しくも亡くなられた。選者同士で仲よくして頂いた清水九兵衛( 六兵衛) さんも亡くなられた。わたしを選者に、財団理事にと推された橋田二朗画伯も亡くなられた。選考会を主宰されてきた梅原猛さんが幸いお元気なのが喜ばしい。

 

☆ いくつものご病気

克服しつつたくさんのお仕事 敬服いたしております。くれぐれもお大事に。

拙歌集にあたたかいお言葉ありがとうございます。   歌人  郁

 

☆ 私の母は

94歳の今も元気で 自分の足で歩き 自分の口でおいしく食事しています。元気な姿をみると 娘としては本当にうれしい!

生きていれば楽しい事がいっぱい。

長生きしましょうね、先生!   各務原市  真

 

* 京都の陶藝家である松井孝・明子夫妻から手紙と小品とをもらった。手紙は奥さんの筆であろう。

 

☆ きびしい暑さのこの夏も、

御病中ながら一日としてお休みのない毎日をお過しの御様子 なかなか出来ることではございません。いつも御本をありがとう存じます。はげまされて毎日を二人ですごしております。

心ばかりの(やきものの=)紙風船お手許にと思い送らせて頂きました。どうぞ御大切に、益々お励み下さい。

昨夜は満月、そちらの月は如何でしたでしょうか。

今朝五時すぎの西空に やはり満月がありました。 九月二十日  松井 孝

明子

 

* 孝君は日吉ヶ丘高校での同窓同年で美術コースにいた。明子さんは、わたしが早い時期の女流陶藝展で河北倫明さんとともに選者をつとめた会場で、備前の川井明子さんとならんで大きな賞を獲たときが初対面であった。何年か経て、あの清少納言が仕えた定子皇后の御陵をたずねていったときに、松井夫妻の工房にはじめて立ち寄ったことがある。そのときにも数点の小品を貰ったが、その中にもソフボール大の美しい紙風船があり、もう歳久しくわが家でいつもどこか目につく場所を占めている。今日貰った紙風船は両掌につつんで愛翫に堪える色彩と触感に溢れている。感謝。

いまいう女流陶藝展との一度だけの授賞選者としてのお付き合いから、いまでも、川井、松井二人の明子さんだけでなく、姫路夢前窯の原田隆子さん、また西東京田無に窯をもち人形作家として著名な可部美智子さんとの交際が続いている。川井さんのみごとな大壺は今日もわがやの玄関を飾ってくれている。わたしから頼み、原田さんが丹精して贈ってくれた金銀彩のうつくしい「骨壺」と松井さんの可憐に異彩をはなっている紙風船は、居間の棚に座を占め、上に淡々齋筆「語是心苗」の懐紙軸が掛かり妻が父から伝えもつ十二面の鐵観音像とならんでいる。

2013 9・21 144

 

 

* 小説らしきものを書いてみた初めは中学の二年生頃であった。題も覚えている。「襲撃」。

何事が有ってとは一生徒のわたしには知れなかったが、職員室と、学区域内の青壮とのあいだに悶着が起き、運動場への塀を乗り越え乗り越えて職員室へ襲いかかるのをわたしは二階教室の窓から見た。その様子を見たままに書いた。あとで国語の先生にみせたら、目の前で破られてしまった。

そのころのわたしの表現欲は、短歌・俳句と詩と散文に分かれていて、それぞれの帳面をいつも鞄に入れていた。俳句は国民学校の二年生ほどのころに拙い作が記録されてあり、短歌は小学校四年生から六年生まだに二、三首が記録されてある。小説よりはやく短歌・俳句への興味の動いていたきっかけは、一には叔母が、添い寝の語りぐさに和歌は五七五七七、俳句は五七五とそれだけを教えてくれたこと、また家の蔵書に『百人一首一夕話』が、また百人一首のかるたも手近に在ったことが決定的だった。

もう七十年ちかくがあれから経っていて、わたしは今も和歌、短歌、俳句に心を惹かれ、ときどきは汗をかくのと同じように成るがままに拙い作をものに書き付けている。自身で書いた小説や評論を読み返すことは少ないが、大学の頃に編んだ処女歌集『少年』や近年、胃全摘以前の短歌や俳句らしき口遊みを編んでみた『光塵』は、なにかというと沈静剤かのように手にとっている。いつか棺の中へも持って行きたいと願うのは、『少年』であり『光塵』である。

生みの母は短歌をつくる人だった。亡くなる前に遺書かのように歌集を編んで行った。実の兄の北沢恒彦は、弟のわたしが歌などつくる者であったことを「よかった」と思うと早くに言い寄越していた。母と兄と弟とは、ほとんど一緒に暮らしたことが無かったのである。母の歌は、わるくない。

源氏物語がもし和歌の一首も入らない純然の散文小説であったらわたしはかくも愛読し続けなかったろう。

いい歌や句や詩を選んで味わうということを、わたしは何度も繰り返してきた。『愛、はるかに照せ』や『青春短歌大学』や『好き嫌い百人一首』や『千載秀歌』などの本になっている。今もわたしは勅撰和歌集の一冊を三度も四度も読み返しながら好きな和歌を選抜しようとしている。好きなのである、詩歌が。

2013 9・24 144

 

 

☆ 作の批評を

拝読し感服いたしました。一層の御活躍を祈念申し上げます。  名大名誉教授

 

☆ 秦さんの

「交響する読書」に引き込まれています。

どうぞ一層お体大切にお過ごしください。   詩人

 

☆ 前略

先生の御批評の明晰さ、鋭さに感服しながら興味深く拝読致しております。

どうか御自愛下さい。  編集者

 

☆ 秦恒平様

いつも沢山のことを教えていただける湖の本をありがとうございます。(中略)なんだか毎日全力疾走をしているようで、くたくたです。そういうねんれいなのかと思います。

人生の極意を教えていただきたく、湖の本をみつめています。お礼まで。  ジャーナリスト

 

☆ 私語の刻を

まず拝読。わが意を得たりの感がしています。  国語学者

 

☆ 拝啓

今夜は十五夜 満月の仲秋名月です。

「湖の本」ありがとうございました。

既刊本がたくさんあって、どれを読ませて頂こうかと楽しみが増えました。

中身の濃い、装丁の軽いご本は何よりうれしく存じます。

「秦恒平が『文学』を読む」上下巻

「バグワンと私」上下巻   を、お送り下さい。

お眼を御大切にと念じおります。 かしこ    高松市  作家

 

☆ 秦先生

先日は湖の本をありがとうございました。

「椿説弓張月」に「ちんぜい」とルビが振ってありましたが、あれは「ちんせつ」です。 小谷野敦

 

* 小谷野さんに質問

椿説弓張月の椿説が「ちんせつ」と読まれてきたことはよくよく承知していますが、馬琴自身が「ちんせつ」と「読まねばいけない」とした「本説」があるかどうかをわたしは知らないので、教えてください。

あの話の主人公は、「強弓」の、通称「鎮西= ちんぜい」八郎為朝です。馬琴がそれを無視してあえて「椿説ちんせつ」としたかどうか、馬琴自身のたしかな言及があれば、ぜひ教えてください。

「椿説 ちんせつ」の読みも語義も十分承知の上、でわたしはあえて鎮西八郎為朝に即して「ちんぜい」の読みを推測しています。椿説を「ちんぜい」と読めることは、遊説を「ゆうぜい」と今日でも普通に読んでいることで明らかです。

だれもが「ちんせつ」と読んできたらしいのを否認する気はありませんが、「馬琴本人の思い・意図」が知りたいとわたしは思う。馬琴に何の明言もない以上は、わたしはわたしの持説として「鎮西ちんぜい」なみに「椿説ちんぜい」の読みを唱えるだけのはなしなんです。

重ねて願います、馬琴自身が「ちんせつ」と読まねばいけないとした本説があるかどうか、明確に教えて頂ければ潔く承伏します。教えてください。  秦恒平

2013 9・24 144

 

 

☆ 先日はご高著

『湖(うみ)の本』百十七巻をご恵贈賜りまして本当にありがとうございました。夫(=元東大法学部長・名誉教授)が逝きましてからはや七年の月日が流れ ご無沙汰のうちに過ごしてしまいました ちっとも存じませんでしたが

先生もいろいろと病いにお苦しみになり、今なお右眼がご不自由とのこと心からお見舞い申し上げます 文筆のお仕事だけにどんなに大変かと拝察いたします。

私が元気でいるかとご親切におたずね下さり恐縮でございます。 私も八十代の半ばに達し、(略)杖をつきながら歩いております。

今の世の中の動きに怒りや不安を感じることが多くなり、戦争で死ななければならなかった方々にくらべて、ここまで生きてこられたのは全く恵まれたことですのに長生きしすぎてしまったとつい考えてしまいます。

奥様はお変わりございませんか どうぞよろしくお伝え下さいませ

季節の変わり目でございます どうかおからだをくれぐれもご自愛なさいますよう  かしこ

九月二十二日 夕  良

 

* 亡くなられた福田先生は、お届けする「湖の本」の各巻にかならず読んでのお手紙を戴いた。励まされた。一度もじつはお目に掛かったことがない。「展望」での受賞作『清経入水』を楽しみましたよとお手紙を戴いたことも。奥様にもなにかとお心づかい戴いた。

 

☆ 急に

秋が深まった気配です。ただ今、『湖の本117 作・作品・批評』を毎晩数十ページずつ拝読しております。

左記の「湖の本」購入いたしたく、お送りください。

6 7 8 神と玩具との間 昭和初年の谷崎潤一郎(上・中・下)

15 谷崎潤一郎を読む  夢の浮橋 蘆刈 春琴抄

28 猿の遠景・母の松園ほか

以上、5册、よろしくお願い致します。  江東区   歌人

 

* ご注文戴いて嬉しい本ばかり。励まされる。

 

* 「秦恒平文学選集」(限定特装本)刊行の粗案を書いてみた。建日子ともよく相談したい。凸版印刷とは十月に入って、具体的な進行を相談することにしている。「晩年」の大きな仕事になる。気力と体力さえあれば、可能。気力は有る。立ち向かうまでである。

☆ 秦先生

(=馬琴の) 版本にそのようにルビが振ってあるのです。説をぜいと読むのは、遊説、勧説、説苑など、人に説いて従わせる時に使う読みで、椿説は「奇妙な話」という意味で、「小説」「巷説」などと同じなので「ちんぜい」とは読めないのです。むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できませんが、正式な題名自体がご覧のとおり「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月」です。  小谷野敦

 

* 小谷野さんにもう一度だけ

>  版本にそのようにルビが振ってあるのです。

それは承知の上です。稗史に類する流行本のことで、ルビ自体馬琴その人の内意・真意に即応したはからいであるかどうか、不明です。註釈大好きな馬琴その人が、きちんとした言葉で「椿説はちんせつと読んでくれないと困る」と明言していますか、それを御存じなら教えてとお願いしたのです。なぜなら「椿説」はあきらかに「鎮西」と倶に「ちんぜい」と読み得るからです。馬琴の真意まで酌んで、

> むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できませんが、

とあなたも強い物言いで承認されているとおりなのです。

それに、「椿説」の語義もよくわたしは承知しています。その上で謂うのですが、「椿説」もまた

> 遊説、勧説、説苑など、人に説いて従わせる意向を明らかに持っています。小説」「巷説」「本説」などもみな同じ

なことは、「演説」しかり。椿であれ、珍であれ、奇妙であれ、おおかた「説」示行為は、当然 「人に伝え同意や共感を求める」のが普通です。小説家でもあるあなたが知らぬわけがない。

「椿説」が「ちんぜい」とは「読めない」などと聞いたら、馬琴はさぞ驚くでしょう。かれの稗史小説中での、無数の「ふりがな自在」を容認しているわれわれ読者は、「人に説いて従わせる」目的が、演説、勧説には在り、椿説・珍説・小説には無いなどという決めつけは馬琴に向かっては通じない。漢字熟語を自由自在なまで「宛て読み」させることの達人馬琴が、「椿説」に「鎮西」を重ねていたのは、あなたも認めざるを得ないように、「むろん」「否定できない」姿勢なのです。

> 椿説は「奇妙な話」という意味で、「ちんぜい」とは読めないのです。

というあなたの断定は、寸の短い早合点ではないですか。読めると実は思ってられればこそ、「むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できません」のでしょう。

『八犬伝』をいま仔細に再読していますが、馬琴の漢字や熟語へのあまりに縦横自在な使用・利用・活用は、いまさらわたしの言うことでない。

だからこそ、あなたが最後に決然と掲げている

> 正式な題名自体がご覧のとおり「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月」です。

と言われる「それその事」自体が、馬琴の真意を明かしている。即ち、強弓を謳われた「鎮西八郎」の「椿説弓張月」であるぞよと、あなたも「否定できない」ように、作者馬琴は強烈に示唆しているのではありませんか。

「読み取れる者だけでいい読み取って興がってくれよ」の謂いを体した「題名」であると、わたしは、平凡な「ちんせつ」より、何倍も興ふかくこの題名を読んで楽しむのです。そういうことを許す、いや求めているかも知れないのが、「馬琴の文藝」であり「稗史小説の面白さ、味わい方」でしょう。

わたしはそう思い、これ以上あなたのお手数を取らぬ為にも、これでこのメール往来は打ち切ります。

応えていただき感謝しています。 お元気で。  秦恒平

 

* わたしの「読み」に触れて触れておける好機会を小谷野さんがメールで提供してくれた。有り難かった。二往復で十分であり、鉋屑を削り続けても仕方がない。この件ではわたしは「私語の刻」のなかで以前にも一度ならず思いを漏らしている。「ふりがな」がふってある程度のことでは、少なくも、いや誰でもない「馬琴」の話題は放っておけないのだった。「むろん馬琴が鎮西をかけたのは否定できません」ことを問題にしているのである、わたしは。

2013 9・25 144

 

 

☆ 彼岸が過ぎ、急に秋めきました。

27年もの結晶の最新刊、新世紀2001年一年間の「文品」求めての作業、日付を追って拝読しました。

それにしても、連日の読書=「交響する読書」の仕方に、圧倒されました。12年前、66歳。古典から最新の寄贈される書物にまで、一々「率直、忌憚のない」姿勢は、本統の文学を求めるお気持が溢れていて、説得ある一本になっているのだろうと思います。谷崎「小野篁妹に恋する事」 上司「鱧の皮」 秋声「或売笑婦の話」川端「山の音」など、再読、初読せねばと痛感します。

猪瀬直樹氏への御指摘は、都知事での生き方に活かされねば……。

右眼の不自由な中での読書、くれぐれも御自愛をされんことを 切に祈り上げます。御礼のみ。  元出版部長  徳

 

☆ 「湖の本」

一一七と数字を拝見しただけでただ仰天。

私もこの二、三年ほとんど横になり、入院を繰り返したりしていましたので、ここはひとつ、最後の屁とやらをちゃんと考えねばとオダをあげています。  宇治市  作家

 

☆ お彼岸に入ってもこの暑さ、

夜も、きこえていた虫の音もこことだえています。

本日は、湖の本 ありがとうございました。今も読ませていただき小休止に入ったところです。相変わらずの語り口、小気味よく…。

それにしてもお目お悪いとか、酷使しないで まだ先あるのですから。

くれぐれも お大切に まずは御礼まで   京都市  元中学校長

 

☆ 今回の『湖の本』も

面白く刺戟をうけて読んでいます。

82歳になりましたが、長生して、もっともっと読みたいと欲ばっています。お大切に。  岐阜県 作家・文学史家

 

☆ 闘病生活お見舞申上げます。頑張って下さい。

拙僧、88歳、只今、総本山知恩院執事長にて、月、3、4回、京都へ往復しています。只今、御影堂(大殿)工事中です。

一昨年、法然上人800年大遠忌の仕事の責任を果たしました。   鳥越  長寿院主

 

☆ とかく

「賢く」なってしまおうとする自分を我から「おちょくる」ためにも付き合う価値のある弥次喜多のお話、勉強になりました。

どうぞ 皆さまお身体大切に。  京都  大学教授  清

 

☆ 大兄の

爆発的エネルギーには、毎回、脱帽。

とくに119-120頁、思わず「本物」の発する言葉。  花巻市  医師

 

☆ さわやかな時候となりました。

御執筆なさりながら、さらに厖大な読書をなさり、只只おどろかされます。 気持のよい御批評に感じ入って居ります。私自身の怠惰をつくづく思います。   堺市  歌人

 

☆ 「秦恒平文学選集」

ぜひ手にとりたいと思っています。どうか無理はなさらず、少しずつ、ご準備進めていただければと存じます。

奈良で元気に暮らしています。新しい生活が始まろうとしています。

迪子さんともども。お体 ご自愛ください。  奈良市  理

 

* 昨日 竹西寛子さんより 大徳寺の胡麻豆腐を頂戴した。お元気か知らんとつねづね気に掛かっていたおりだけに二重に嬉しく頂戴した。

また妻の友だちから洒落た味噌汁を頂戴し、今日も美学の同窓が祇園松葉屋の鰊蕎麦をたっぷり送ってきてくれた。早速お昼に頂戴した。南座にくっついた松葉屋の「鰊」の美味、さすがに京の逸品で。

2013 9・26 144

 

 

「暫」 清長画

 

* 今晩、妻と建日子とわたしとは、思いを話し合って、われらにとり記念すべき一つの取り決めをした。わたしの熱い希望を建日子が聴き入れ受け容れてくれたのである。ありがとう。

 

☆ 「秦恒平文学選集」の「構成案」

 

第一巻  みごもりの湖 秘色 三輪山 蘇我殿幻想 消えたかタケル

 

第二巻  清経入水 風の奏で 雲居寺跡= 初恋

 

第三巻  慈子 畜生塚 或る雲隠れ考 月皓く 隠水の 誘惑

 

第四巻  廬山 華厳 マウドガリヤーヤナの旅  あやつり春風馬堤曲

 

第五巻  閨秀 墨牡丹 糸瓜と木魚 蝶の皿 青井戸 隠沼 鷺

 

第六巻  鯛 修羅 七曜 無明 孫次郎 於菊 露の世 少女 祇園の子 喪心

或る折臂翁

 

第七巻  秋萩帖 加賀少納言 夕顔 絵巻 月の定家 四度の瀧

 

第八巻  冬祭り

 

第九巻  最上徳内= 北の時代

 

第十巻  親指のマリア

 

第十一巻 ディアコノス=寒いテラス 亀裂 凍結 迷走

 

第十二巻 罪はわが前に 私-随筆で書いた私小説 けい子 ひばり

 

第十三巻 丹波 もらひ子 早春 余霞楼 底冷え 此の世

 

第十四巻 心 なよたけのかぐやひめ 懸想猿・続懸想猿

 

第十五巻 お父さん、繪を描いてください

 

第十六巻 逆らひてこそ、父 華燭 かくのごとき、死 凶器

 

第十七巻  少年 光塵 亂聲 愛、はるかに照せ

 

☆ 製作素案

 

構成  未定 上の案は凡その見当を示したもの。他の再構成をはかることも有る。

 

製本  未定 上製(布装) 函

 

建頁    未定 各巻 およそ既刊「湖の本」の四册または三册量か。

 

部数  未定 極少部数  番号付き美麗限定本

 

非売  国会図書館その他施設等への寄贈・献納を主とする。全巻をご希望の読者にも「いわゆる定価販売」はしない。

 

版型・装丁・印刷・製本  未定  刊本への工夫もともども印刷所等と入念に打ち合わせる。已に会合を予定している。

 

版元  湖の本版元  著者 秦恒平  刊行者 秦建日子

 

刊行  出来次第随時 秦恒平が存命の間及ぶ限り継続刊行し、没後の継続は発行者秦建日子の取捨に委ねる。

 

刊行順序  上の構成順に拘泥せず出来るものから、停滞無く仕上げて行く。新作の小説等も加わる予定。

 

望蜀  著作者が幸いに長命すれば、さらに「谷崎論攷」「文学論攷」「文化論攷」「古典鑑賞」「日本語・京ことば論攷」「美術論攷」「日本史論攷」「対談集」「講演集」「随筆集」等々を編成することも、十分可能。

 

(「湖の本」は、従来と変わりなく刊行して行く。)

2013 9・26 144

 

 

☆ 地域の「九条の会」に入っています。

ミニミニ通信に 秦恒平の「八策」として八箇条の声明を載せさせていただきました。最近「ひろしま 関川監督」「ひめゆりの塔 今井正監督」の作品を観ました。この悲劇を又おこしてはならないと。  京都市  桐

 

☆ 毎日の日記の

更新だけでも そのエネルギーにおどろきますが、その一方で創作はもちろん、テレビもかなりご覧になり、読書も複数並行…さりげなく淡々とそれらをすすめていらっしゃる日常に驚嘆です。 お大切に。  世田谷区  米

 

☆ 「生活できるって

楽しいことじゃない」(=私語の刻に引いたレマルク「愛する時と死する時」のなかで。)

どきっとする言葉ですね。

「湖の本」117を二册追加で送っていただけたら幸いです。  沖縄県  名嘉

2013 9・27 144

 

 

* 札幌のmaokatさん、高梁(たかはし)の箱入りの大吟醸「白菊」を下さる。不可思議なことに、食欲はあれどまだ食味のよろしさは品により十分味わえない、のに、かなり早くから酒類は、ストレートのウイスキーを少しずつ、そして日本酒が追いかけて美味くなり、ワインもOKだった。お酒で食事をしていたことが日記の記事でもよく分かる。ありがとう、MAOKATさん。高梁のお酒とは何となし、懐かしい。出雲へ、はじめて一人旅したときは山陰線からだったが、旅行雑誌からの取材の旅では、岡山県からまっすぐ北上するすてきに良い線を利用した。高梁の名にも感慨を抱いて窓外の景色をしみじみ見て行ったと覚えている、とんでもない記憶違いでなければ。津山の方へもテレビの仕事や講演で出かけた。あのときも同じ線に乗らなかったろうか。久しく旅をしていないなあと思う。

是真描く白菊の葉書に、

惚(ほう)けたる老いそれなりに花やいで   と、MAOKATさんに、お礼を言う。

 

☆ hatak さん  岡山にて

湖の本お送り頂きありがとう存じます。どこを開いて読み始めても秦さんの声が聞こえてきます。

新世紀2001年は、猪瀬現東京都知事はまだ作家で、秦さんは東京と京都の間を慌ただしく移動していたのですね。私は、札幌に移った2 年目で、前の年とこの年に相次いで上司に先立たれ、同僚とどうしていいかわからず途方に暮れていた年でした。

先週末に岡山大学で学会があったので、それにあわせ遅い夏休みをとって小旅行をしてきました。鳥取空港から海づたいに西に進み、因幡の白兎の伝承の残る白兎神社や、羽衣伝説のある倉吉という街、二十世紀梨の栽培地帯を通り、山深い三朝温泉で温泉三昧の三日間を過ごしました。

ちょうど稲刈りの時期で、北海道や関東ではもう見られなくなった、稲束を田圃で干す天日干しの風景を目にしました。収穫後の稲は今はほとんどライスセンターというところで機械乾燥するのですが、天日干しは、天日でゆっくり乾かすため、お米が美味しくなるともいわれています。ちなみにこのあたりで作られている品種はこしひかりで、旅館で新米を頂きましたが、北陸産のものに較べ、粘りが少なくあっさりとした味がしました。

幹事をしている学会も無事終わり、岡山から帰る前に、高梁の蔵元の大吟醸を一本お送りしました。こうしてまたお酒をお送りできることをとても嬉しく思います。

武蔵野も朝晩は涼しくかえって体調を崩す人も多いようです。どうかお体に気をつけられ、奥様共々お元気にお過ごし下さいませ。

休みも終わり、私はまた明日から、ハンコと会議の毎日です。  maokat

2013 9・29 144

 

 

* 電話での一度の打ち合わせを経て「選集」のこと、少し具体像も見えてきた。

 

① 「湖の本」全巻は私のパソコンに保管されている。HP上で校正を完了した巻も未了の巻もあるが、「定本」出版を考えている上は、全編の綿密な再校正が当然の手続きと考えている。かりに校了した電子化データで印刷所等に渡せれば、一頁行数、ノンブル問題その他もクリア出来るのではないか。取り急ぎ第一回刊行期待分の「校正」を完了しておくのが先決かと思っている。

② 昭和六十年一月一日刊、五十歳の賀を祝い、和歌山の三宅貞雄さんが、『四度の瀧』と、年譜・初出一切とを記念出版して下さった。題字は谷崎潤一郎夫人、口絵は森田曠平画伯 装丁・装画は出岡実画伯、印刷は精工舎、箱は堀製函だった。端正に美しい本としてとても読者に喜ばれた。ああいう贅沢はできないにしても、手抜きのない清潔に美しい本をと願っている。単に在庫本なら「湖の本」は揃っており、また各出版社で気を遣って出してくれた当時の単行本も、とりどりに備えて在るのだから。

③  とりあえず第一回に予定の作の入念な校正を急いでおきたい。造本も大切、しかし誤植のない定本を造りあげるのでなければ形だけの自己満足になる。ゲラ段階でも丁寧に校正したい。編輯や校正に経験を積まれた読者もおいでである。手を貸して頂ければ嬉しくも頼もしいが。

2013 9・30 144

 

 

* 今日はもう文庫本を十数册読んでしまっているが、これからの日々はますます眼に過酷になる。思い切って「交響する読書」は、当分小説を主に「クインテット」に縮小する。①小説を書く ② ホームページに私語する。 ③ 湖の本新刊を続ける。 ④ 「選集」構成のための校正作業。 ⑤ きまりの五冊読書を楽しむ。この最低五つの「仕事」でわたしの日々はハチ切れる。 楽しみは、歌舞伎など。

今日、喜多流の名手友枝昭世の十一月文化の日友枝会の招待券が届いた。昭世の演じるのは「烏頭」。凄艶の舞と謡を期待している。十月には国立劇場の歌舞伎、そして歌舞伎座の昼夜通しが待っている。

 

* 茨城県の北部で、夜、つよい地震。 そして、九月尽。

2013 9・30 144

 

 

☆ 冠省

「湖の本117」を拝受、いつも、本当にありがとうございます。

葉書に礼状を書いたのですが、読み返して、いいたいことの半分も申し上げていないことに気がつき、乱筆で申訳ないと承知で、手紙に致しました。

前から思っていたことですが、文学評論は、いわゆる文藝評論家と称する人たちには書くことはできません。それが可能であるのは作家なのだ、と私は断言したい気持です。(中略)

日本という国家の陰の支配者たちは国家による統制を批判する文筆家を、何らかの手段で取りこむようです。大岡昇平さんは、文化功労者も文化勲章(いずれも三百五十万円つき)も蹴りました。それを思うと*****が功労者に喜んでなったときに私は大落胆で、彼から貰っていた本は全て処分しました。***はデビュウしたころは警職法反対の声明にサインしたこともあったが、アメリカ留学から帰ると、コロリと右になりました。彼には、「核状況下の文学」に同調した連中は、ソ連や中国の回し者だというわけでした。

大兄のいう「文品」に賛成です。体制側からうまみのある仕事(例えば一時間の講演に100万円)を月に一回も貰えば、その品性の下劣さを世間に知られずに評論家の看板で世間を渡れるわけです。(中略)

ともかく、本当の文学批評や評論は、一行書くのにも、場合によっては30分も考えこむ作家によってのみ可能な仕事でしょう。大兄の文章を読んでいて、つくづくそれを感得いたしました。敬服致します。もともと西のジョン・ガンサーの向うを張る東のガンサーになるのが志望だった人間で、文学論はできないのですが、「文品」のある書き手か否かはわかります。出版社の編集卒業生らがしきりに作家論と称する裏話を書いていますが、どうも悪しき風潮です。

勝手なことばかり書きました、さらには乱筆できっと読みにくかったろうと思いますが、どうかご海容下さい。

末筆ながら向寒の季節となりました。どうか御身お大切にお過し下さい。 (略)   敬白   作家

 

* 評論家にもいろいろ、作家にもいろいろということです。

わたしのように自身の意志でまっすぐ「騒壇余人」になりきった作家は、いっそ幸せであった。「騒壇」と、は文・創作筆をこととする人たちの世間、ま、文壇・詩歌壇を意味するが、わたしは、一仕事二仕事を遂げておいて、よりその先を願う思いからそんな壇をさっさと降りて離れた。

2013 10・1 145

 

 

☆ 冠省

「湖の本117」を拝受、いつも、本当にありがとうございます。

葉書に礼状を書いたのですが、読み返して、いいたいことの半分も申し上げていないことに気がつき、乱筆で申訳ないと承知で、手紙に致しました。

前から思っていたことですが、文学評論は、いわゆる文藝評論家と称する人たちには書くことはできません。それが可能であるのは作家なのだ、と私は断言したい気持です。(中略)

日本という国家の陰の支配者たちは国家による統制を批判する文筆家を、何らかの手段で取りこむようです。大岡昇平さんは、文化功労者も文化勲章(いずれも三百五十万円つき)も蹴りました。それを思うと*****が功労者に喜んでなったときに私は大落胆で、彼から貰っていた本は全て処分しました。***はデビュウしたころは警職法反対の声明にサインしたこともあったが、アメリカ留学から帰ると、コロリと右になりました。彼には、「核状況下の文学」に同調した連中は、ソ連や中国の回し者だというわけでした。

大兄のいう「文品」に賛成です。体制側からうまみのある仕事(例えば一時間の講演に100万円)を月に一回も貰えば、その品性の下劣さを世間に知られずに評論家の看板で世間を渡れるわけです。(中略)

ともかく、本当の文学批評や評論は、一行書くのにも、場合によっては30分も考えこむ作家によってのみ可能な仕事でしょう。大兄の文章を読んでいて、つくづくそれを感得いたしました。敬服致します。もともと西のジョン・ガンサーの向うを張る東のガンサーになるのが志望だった人間で、文学論はできないのですが、「文品」のある書き手か否かはわかります。出版社の編集卒業生らがしきりに作家論と称する裏話を書いていますが、どうも悪しき風潮です。

勝手なことばかり書きました、さらには乱筆できっと読みにくかったろうと思いますが、どうかご海容下さい。

末筆ながら向寒の季節となりました。どうか御身お大切にお過し下さい。 (略)   敬白   作家

 

* 評論家にもいろいろ、作家にもいろいろということです。

わたしのように自身の意志でまっすぐ「騒壇余人」になりきった作家は、いっそ幸せであった。「騒壇」と、は文・創作筆をこととする人たちの世間、ま、文壇・詩歌壇を意味するが、わたしは、一仕事二仕事を遂げておいて、よりその先を願う思いからそんな壇をさっさと降りて離れた。

2013 10・1 145

 

 

* 長編小説『みごもりの湖』の手元稿を「湖の本」版により校正し始めた。久しくわたしの胸の内で読み返したい読み返したいという願いが凝っていた。なんといっても、太宰賞の受賞作以降、新潮社の新鋭書き下ろし小説として依頼され、この作の成るか成らぬかは作家としての先途を得るか喪うかの関所だった。しかも、わたしの作風は、古典と歴史とに親和していながらも現代の怪奇小説だとすら受賞作で評されていたほど、当時文壇を席捲していた私小説や身辺小説のそれとはまるで異なっていた。折り合いがつくのかしらんとわたしの懸念は懸念として、だからといってこの関所は踏み越えて行くしかなかった。その思いの火が書き出しの「此の世 一」からめらめらと燃えていたのが、校正し始めてすぐわたしをぞくぞくさせた。おそらく担当編輯者にも新潮社の出版部にも、「こんな小説アリか」と惘れられていたと思う。容易には容認してもらえなかった。だが、わたしは自分の世界を愛して信じるしかなかった。わたしはかなり当時から頑固でもあった。そして思うままに書き継いでいった。

それを読み直してみたいみたいと思いながら、怖くもあった。幸い、わたしの作の中で代表作と認め、時には名作といってくれる批評家も読者にも恵まれた。それでも、なお、当時の現代小説としては、「こんなのアリか」というほど稀な作風には違いなかった、怪奇小説とは自身すこしも思ってなかったけれど。書けるなら、こんなふうに書いてみろとも思っていた。

校正が、楽しみだ。

2013 10・1 145

 

 

* 国文学研究資料館の今西館長より、資料館編の『古典籍研究ガイダンス 王朝文学を読むために』と題した大冊を頂戴した。「わからないからこそ、きっと研究は面白い。自分の力でどう調べどう考えればいいか」と表紙や帯にある。研究者達の内懐を覗かせてもらう面白さ、わたしのような外野が無心に楽しめそう。感謝します。

 

☆ 拝復 やっと涼しくなってまいりました。

この夏の酷さには、私もかなり弱りましたが、ご療養中の先生におかれてはいかばかりかと、ひそかにご案じ申し上げておりました。しかるに先日は、「湖の本」117 を賜り、強烈な 「私語の刻」に接して、驚愕するとともに安堵した次第です。

本日はまた、ご所蔵の明治版『湖月抄』をわざわざお送りいただき、恐縮の極みでございます。

まだ近代国文学の樹立もおぼつかない時期に、この種の活版印刷本が多種、版を重ねていたことには、かねて驚異の思いを抱いておりました。猪熊夏樹増註の『湖月抄』は昭和に至るまで形を変えて出版され続け、『源氏物語』に対する国民の関心の深さを雄弁に示しています。この本は。国文学研究資料館でもすでに所蔵しておりますが、明治時代の酸性紙で、 館蔵のものも痛みが激し

いと思いますので、帙入りの完本として、当館で所蔵させていただきたく存じます。

同封の書物は、国文学研究資料館の共同研究の成果として出版した、古典研究の入門書のようなもので、雑多な寄せ集めの感を否めませんが、私も求められて一文を草しましたので、恥ずかしながらお送り申し上げます。

過ごしやすくなりましたが、くれぐれもご自愛のほどお祈り申し上げます。 敬具

十月一日

秦恒平 先生      今西祐一郎自署

 

☆ ご本のご恵送に恐縮しております。

「湖の本」コーナーを作り楽しみに読んでいます。大変なパワーを感じて居ります。

秋到来の候 炎暑の夏でしたのでホッと一息です。ご無理なき様にと存じます。  奈良明日香  画家

 

☆ 略啓

御健勝大慶に存じます 「湖の本」117有り難く頂戴しました。

御文中 五味康祐拝読 実に納得致しました。

改めておめもじの機会を。 不備   出版社役員

 

☆ 呉々もお大事に

格別な読書家でいらっしゃる秦さんの(=眼の不調)ご心痛を拝察するばかりです。 早大名誉教授

2013 10・2 145

 

 

* これからの日々はますます眼に過酷になる。思い切って「交響する読書」は、当分、小説を主に「五重奏」程度に縮小する。

① 小説を書く。

② ホームページに「私語」する。

③ 湖の本新刊を続ける。

④ 「選集」構成のための校正作業。

⑤ 少なくも五冊読書を楽しむ。

この最低五つの「仕事」でわたしの日々はハチ切れる。(九月三十日の私語)

2013 10・2 145

 

 

☆ お元気でいて下さい。  浦安市  雅

 

* 上のこの読者と出会ったのは、たしか地下鉄銀座線だった、つり革を手にわたしは立っていた。ふと、前にすわって本を読んでいる人の本が、新刊のわたしの著書なのに気がづいた。そういう巡り合わせは、わたしのような地味な作者には希有に珍しいことだ。電車を降りがけに、たまたま別の新刊本を鞄に持っていたので、礼を言い差し上げてきた。もう三十年にはなるだろう、嬉しいことに「湖の本」の最初からの購読読者になってもらえた。

2013 10・3 145

 

☆ 病いに

これほどにまで打勝ってのお仕事、敬服を重ねるばかりです。  出版社主

 

* 自分の病に安心しているのではない。明らかに胃全摘と胆嚢切除八時間の手術をうけて癌がのこりなく排除されたのではなかった。一箇所と雖も転移は否定できなかった。一年間の抗癌剤が奏功したかどうかわたしにも医師にも分かっていない。どんな変転があるか。無ければ有り難く有っても仕方がない。

術後も、その後二度の入院後も、「仕事」は続けてきた。それ以前よりも強い気持ちで続けてきた。そのおかげでわたしの意気はしゃんとしている。「仕事」の出来る、したい「仕事」が途絶えなく有る、その幸せを思う。

2013 10・3 145

 

 

☆ 湖の本117 「作・作品・批評」を

一気に読みました。採り上げてある作品で未読のものがたくさんありますが、なかには本棚で待っているものもあるので先ずそれから読んでみます。

秦さんの「撰集」楽しみにしています。

お体お大切になさってください。    吉備の人

 

* 第一巻は、奈良時代の長編『みごもりの湖(うみ)』 近江朝・藤原京時代の長編『秘色(ひそく)』 雄略天皇時代の短篇『三輪山』 歴史に深く踏み入りながら、それぞれに「現代」の愛の小説を書いている。時・空をはるかに超えて行くのが、初期のわたしの特色の作風で。

そして神代の昔を語るエッセイの処女作、さらには大化の改新より昭和までを通した長編『蘇我殿幻想』。

どの一編も、未読の方々には珍らかな世界と文藝をお見せできますけれど、今回特装の『選集』は極く少部数を製本の限定一応非売品であり、もし頒価を定めたりすれば、相応に美しくかちっと製本するつもりではあるが、かなり高価につくのは避けられない。

まったくの同じ作を、もし、読んで下さるだけのであれば、創刊以来二十七年を継続出版中の「秦恒平・湖(うみ)の本」版をご希望下されば、ごく安価に、すぐにもお手元へお送りできます。お申し入れ下さればすぐ対応させていただきます。

2013 10・6 145

 

 

* 湖の本118を入稿の用意ができた。

仕掛かりの小説をここでは(A)(B)と読んでおくが、(A)が進捗している。(B)は量的にはもっと前へ出ているが、(A)(B)とももっともっと手を掛けたい。

『選集』①の原稿づくりのためのための校正、ずんずん進めている。

2013 10・6 145

 

 

* 夕方、歯科へ。新たに折れた奥右下の差し歯にとりあえず仮り歯を入れて貰った。

帰路、久しぶりにフレンチの「リオン」に。サービスのシャンペン。赤のワイン。夜のコース、前菜、スープ、魚、肉、デザートとも、佳いメニュで美味しかった。コーヒーまでで、しっかり満腹。それ以上の寄り道せず、まっすぐ帰宅。

黒いマゴにほぼ毎日十五分ほどかけて輸液しているが、今夜は失敗した。「ドクターX」の大門未知子医師は「失敗しない」のに。やれやれ。

2013 10・6 145

 

 

* 「湖の本118」の入稿を終え、湖の本版『みごもりの湖』上巻の校正を終え、中巻に入った。

2013 10・8 145

 

 

☆ 拝復

秋たけなわの候、御清祥にて御過ごしの御事大慶に存じ上げます。いつもいつも御学恩にあずかり忝けなく存じております。此の度も『湖の本』を頂戴仕り衷心より厚く御礼申しあげます。

『ペンと政治』も読みごたえがあり、大いに参考になりました。

今回の『作・作品・批評』も平成十三年の徒然日記書簡、楽しく骨太のものとして拝読仕りました。秦先生の鋭い観察眼、ただ感心いたしました。

どうぞ御自愛専一にと願いあげます。 匆々    志木市  大学教授 日本思想史

 

☆ 爽やかな季節になってまいりました。

いつも「湖の本」に直筆のお言葉嬉しく拝見させていただいております。

御本にて 大変なご病気のことしり、おたよりをとも思いつつ 遠慮申しおりました。

くれぐれも御身お大切に ご養生くださいますよう願いおります。

さて、このたび 私の歌集上梓のはこびとなり、 もし御身体におさわりなく お時間をおさきくださるなら ありがたく存じ 同封させていただきました。

また先日着きました「湖の本117」に 『秦恒平選集』なる企画のある由。ご出版のおりには 是非購入させていただきたく、 よろしくお願い申しあげます。

それでは くれぐれも御身お大切にお過ごし下さいませ。    奈良市  歌人

2013 10・9 145

 

 

* 湖の本118 もう初校ゲラが届いた。「仕事」との追いつ追われつの日々はすこしも変わらない。

2013 10・11 145

 

 

☆ 拝啓 清秋の候、

ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

いつも『湖の本』を送付いただきまして、ありがとうございます。

文学者としてのするどい視点を日常の出来事の中で研ぎ澄まし、発信しておられることに感動しております。

中勘助さんの名前を見て、銀の匙の論から県立博物館の展示のストーリーをつくったことを思い出しました。

山折哲雄さんとの対談『元気に老い、自然に死ぬ』、山折ファンとしては、興味があります。ぜひ機会があれば読ませていただきたいと思います。

「みどりの党は甘い観念に陥っていた。明確に、伸び上がる現実女性の権利政党をめざすべし。」「参議院のねじれ解消選挙などと一斉に叫んでいた日本のマスコミの、見識の無い違憲政権への阿諛迎合、情けない姿勢に失望した」「糺すべきを正さぬ日本大方のマスコミ報道の無責任と偏向には惘れ果てる。」など私も共感させていただく点が多いです。上野千鶴子さんの『女ぎらい』も、女嫌いが多い政治の世界で、私自身も同じように思っております。

いただきました書、また時間をみつけてゆっくり読ませていただきます。

秦様の今後ますますのご活躍をお祈りいたします。

時節柄、くれぐれもご自愛下さい。  敬具

平成25年10月9日      県知事

 

☆ 「湖の本117」

「私語の刻」に大いに共感しております。

くれぐれもお大事になさって下さい。   奈良県 大学教授

2013 10・12 145

 

 

* 小説を書きすすみ、選集のために「秘色」を校正し、湖の本の要再校原稿を用意し、たくさんな本を楽しんで読み、そしてこの「私語」を欠かさない。少なくもこの五つを欠かさない毎日を送り迎えしている。そのあいだに、いろんな感想や、ときには空想も妄想も湧く。それもわたしはしっかり食べる。

2013 10・22 145

 

 

* 要再校作業が手元混雑して、半日の仕事をロス、明日廻しに成ってしまった。こういうこともある。朦朧とした視野の中での仕事、予期してきた以上に険しい。疲れたら眠る、または目を閉じてやすむ、しかない。眼鏡がみな役に立たない。

2013 10・23 145

 

 

* 湖の本118 初校ゲラと追加分原稿と跋文と表紙とツキモノと。送った。さ、また発送への臨戦体制になる。

2013 10・24 145

 

 

☆ 秦先生

ご無沙汰しております。

お体の具合はいかがでしょうか?

先日は湖の本をお送りいただき、ありがとうございました。いつも楽しみに拝読しております。

お礼状をお送りしたいと思いつつ、ずいぶんと日が経ってしまい

大変失礼いたしました。

私は9 月2 日に無事次男、大翔(ひろと)を出産いたしました。

1 時間半というスピード出産で、母子ともに健康に産後も過ごせております。

今は毎日、ミルクや抱っこに追われておりますが、それもまた楽しく、子育てを満喫しております。

寒くなってまいりました。お体に応えるのではないかと心配しております。

くれぐれもお大事になさってくださいませ。

またお会いできる日を楽しみにしております。   東工大院卒  麻紀

 

* おめでとう。健康の不安を克服しつつたくましくお母さんになって行く。凛々しく弓を引く人であった。中村吉右衛門が好きですとも。研究している主題を教授室へきてにこにこと懇切に教えてくれる人でもあった。とても楽しい、はれやかな結婚披露宴だった。 2013 10・25 145

 

 

* 経産省から理不尽な退職を迫られ、ついに蹴って出た、当代出色の「良吏」古賀茂明さん、ご自宅から、新刊の『利権の復活 「国民のため」という詐術』( PHP新書) を頂戴した。

 

☆ 秦恒平様

「湖の本」お送り頂きありがとうございました。

御礼が遅れて申し訳ありません。

私も新刊を出しましたので、お送りいたします。ご笑覧いただければ幸いです。  古賀茂明

2013 10・28 145

 

 

☆ 秦先生

書籍安着のご連絡、まことにありがとうございます。

少しでも先生のご故郷の香りを思い出していただければと思い、本をお送りいたしました。京都は、本当にすてきな喫茶店が「普通に」あるところがとてもすばらしいと思っています。

『濯鱗清流(三)』も頂戴いたしております。ご挨拶が遅くなりましてまことに失礼をいたしました。

いまの折、あえて2001年の文学論・藝術論をおまとめになった秦先生のご気概、感じ入った次第です。

いろいろ印象的な文がございましたが、ご子息の建日子さんに言及された

「公開する文章は、よほどの覚悟できっちり書くべきだ、自身の誠実と蓄積の全容を賭して」の一節に、改めて襟を正す思いになりました。

ちなみに、ちょうどお送りした『京都の喫茶店』(木村衣有子著)の前身にあたります本『京都カフェ案内』も奇遇にも2001年の刊行でした。

眼のご不調が続いていらっしゃるとのことですが、お酒は楽しまれているとの由、安堵いたしております。

お誘いのお言葉、本当にうれしく、またありがたく存じます。ぜひご一緒できる機会がございましたらと思っております。歌舞伎でこちらへいらっしゃる折など、ご連絡いただければ幸いです。

急に寒くなってまいりました。

引き続きお身体どうぞご自愛くださいませ。  平凡社  洋

 

* イノダの本店や、ソワレ、フランソア、六曜社など、京都に暮らしていた頃から馴染みの喫茶店だった。大学の教室にいるより、やがての妻と京都中を歩き回って、文字どおり「京味津々」の寺社や茶席や、山や野や川や、御陵や墓地や、飲み食いの街を楽しんでいた。金のかかることは東京へ出て以降の帰省時だったけれど。しにかく歩きに歩いていた。喫茶店ぐらいならナントカなった。

2013 10・28 145

 

 

庄司さんは先年亡くなりました。晩年まで、はがきにびっしり書かれた拙文の感想をいただいておりました。ここに書いた拙文はたしか鈴木貫太郎のことで、坂本忠雄さんがこれを読まれて、お手紙を下さったことから、氏との十年を超すお付き合いが始まりました。あれやこれやで、とても懐かしく思いました。

また84ページに川端康成の 「山の音」 のご感想があり、私の思うとおりのことを、お書きになられており、これも喜んで拝見しました。じつは、昨年 2012 年に、急に「山の音」が読みたくなり、あるところに同封のような文を載せていただきました。さらに「千羽鶴」 「雪国」「古都」などを続けて読み、「千羽鶴」にも同じような感想を持ちました。最近はなぜか、初期の 「浅草紅団」などの作品を、いくつもの瑕瑾を見つけながら、とても懐かしく愛読しております。昭和の、ことに私の知らない昭和初期の空気を感じます。「雪国」もそうです。

「エッセイ通信」はその名前はよしましたが、いろいろ書いているものを皆様にお読みいただいているうちに、2011年から「三田文学」にご縁をいただき、評論やら随筆やら書評まで、短い間に4 回ほど書かせていただきました。西行・芭蕉中心ですが、これに満足せず、もっと高い所をめざしたいと思っております。

現在は、「『驢馬』の人びと」と題して、佐多稲子・堀辰雄・中野重治などのことを書きかけており、藤原定家の歌の評釈もはじめています。十年、和歌のことを勉強しているうちに、西行より定家が好きになりました。

最後になりましたが、おからだはいかがでございますか。          私は

2008年の一月に、ステージ3 の初期と診断された大腸がんの手術を受け、今年の初めに満五年経過ということで、やっと定期検診から解放されました。大腸の三分の一を切除し、リンパもとり、転移があれば諦めなさいという意味のことも言われていたので、ややホッとしている状態です。

ご本には、谷崎戯曲を読まれた感想もお書きになられており、私も幸い谷崎全集を持っており、奏さんの読みにしたがって、ひとつずつ読んで行きたいと思っております。

前にも書いたかもしれませんが、高校生のとき演劇をやっており、谷崎の「お国と五平」を上演しようとして止められ、とんでもない不良学生ということになり、その後、学校の謙堂が焼けた際は、恨みで私が放火したのではないかと疑われました。     高田欣一

 

* この高田さんとも久しい。久しい間に、この人もわたしも癌に見舞われていた。書かれた物もよく送ってくださりみな読んでいる。「e-文藝館・湖(umi )」に戴いたのもある。掛け値なし、いつまでも若々しい文学青年の香を筆致に籠められている。ときどき「三田文学」で名前を見るようになり、発表の場としていい舞台を踏まれたなと喜んでいた。

川端さんの「山の音」に触れてもらっている。『作・作品・批評』でそこのところ読み返した。谷口さんのことも出ていてとても懐かしかった。お茶の水へ華やかに栄転された。どんな講義をされているかしらん。

高田さん、どこかに書かれた「『山の音』を読む」のコピーも下さっていて読み終えた。

2013 10・30 145

 

 

* やはり久しいお付き合いの歌人恩田英明さんから文庫本歌集『白銀乞食』を戴いた。第1歌集文庫とある。歌人の第1歌集を寄せ集める企画本なのだろう。恩田さん三三歳の初版だという。宮柊二さん、玉城徹さんに師事されてきた。宮さんも玉城さんも亡くなった。わたしにもお付き合い懐かしい名前である。

思えば、わたしは文壇をさらっと我から降りて「騒壇余人」を名乗って三十年近くを好き勝手に「文学」してきた、これた幸い人であるが、それの曲がりなりにも出来た大きな支えの一つは、数えきれぬほど各界広範囲な達人・大人方との「お付き合い」が有ればこそで。しかもその殆どの方と一度もお目に掛かっていない。つまり、お互いの「仕事」が繋いでくれている久しいご縁ばかりであった。わたしから差し出せるものは、ただもう刊行本の作や文章、発表紙誌の仕事、湖の本、講演・対談等々を介し通してだけの交流・交歓・昵懇であった。徹底して「淡交」であり、淡交ゆえに敬愛の実味が持続していると思っている。

2013 10・30 145

 

 

* 老境を感じながら家に病む人がいて手が掛かればどんなにシンドイか、わたしが入退院を繰り返し通院を余儀なくされていたときの妻の苦痛を察しれば、よくよくよく分かる。どうかその上に怪我をしないで、事故に遭わないで、健康をわるく損ねないでと祈るばかり。叱咤激励も鼓舞もむしろ負担になる。そう、休暇でいい。とはいえ、やむにやまれず、したいことが衝き上げてくるそれを少し少し楽しむようにすること。

わたしは、今、 ①創作 ②私語の刻 ③自作の校閲・選集への用意 ④湖の本刊行の全方位作業 ⑤最低五冊の交響する読書  の五項目を立て、日々励行している。それが出来るほど回復しているのが有り難く、それが出来るほど妻に幸い助けられている。わたしの方から何を助けているかと思うと申し訳ないが。本は、たいがい十册以上楽しんでいる。眼のためにこれを抑えるべしとは思いつつ、ついいろんな本の世界他界に遊びたくなる。

鳶は、いま、そんな風に頑張らないことがむしろ薬であり必要であるのだろう。ただ「立ち向かう」気概だけは大切に。泣き言もよくベソをかくのも少しも構うことはない。

2013 10・30 145

 

 

* 梅原猛さんから、湖の本受領の挨拶があった。わざわざ、恐れ入ります。

2013 10・31 145

 

 

* 湖の本118 本文再校が出そろった。

2013 11・2 145

 

 

* なんのかんのといううちに湖の本118は快調に責了へ近づいて行く。発送用意をうまく連動させないと。

「選集」第一巻の原稿入稿はもういつでも出来る、が、事の肇めの第一巻だけは簡単じゃない。あとあとまでもよく考慮して、造本・装幀の真剣で慎重な打ち合わせ無しには進めようがない。

2013 11・3 145

 

 

* 能「烏帽子折」も観て行こうかと思ったが、やはり限界で。失礼してきた。

万三郎新夫人を小林保治さんに紹介され、歓談。湖の本をよく読んでもらっていた。結婚式に参列した紀長君の夫人ともロビーで立ち話してきた。昨日と同じ国立能楽堂。さすがに着物のよく似合う人たちが多い。みな、しづしづと歩いている。

 

* 能楽堂から千駄ヶ谷駅まで雨に降られた。どこへも寄らず、朝から飲まず食わずのまま帰ってきた。

2013 11・4 145

 

 

* 湖の本118責了への作業をどんどんすすめる。

2013 11・6 145

 

 

* 連続の「イ・サン」を聴きながら一仕事。発送のための封筒の用意終え、宛名を貼り込んで行く。

 

* 「選集」の刊行は、「湖(うみ)の本版元」の仕事に徹したく、発行者・秦建日子 装幀等・秦迪子 作者・秦恒平の家族が一致協力の仕事としたい。不幸な行きがかりはあったが、この際何かしらの事務と「秦朝日子」の旧名とで町田市に住む娘も参加してくれるなら嬉しいが。

さらにもし「読者・友人」として協賛がえられれば、「スペシャル・サンクス」でお名前を本に遺すことも、一案として考慮している。すべては考慮中であるが。

2013 11・7 145

 

 

* 高松市の糸川君から、「湖の本」継続しての購読料11万円が追加送金されてきた。創刊以来ずうっと読んでもらっている。ありがとう。奥さんもお子さんもお元気だろうか。

2013 11・13 145

 

 

* さ、いよいよ師走上旬での湖の本118発送へ、忙しさが増してくる。う十日ほどのうちに責了にしてと頼まれている。選集のことも堪えず頭にあり用意怠りなく。

手が痺れて震えて書字に難渋している。連絡等はメールで済まさせてもらっている。小松の井口さんへの昨日のメール、機械を明けて観て頂けますように。

2013 11・14 145

 

 

* また「かぐやひめ」のマンガか劇画か映画が話題らしい、それも「かぐやひめ」が何故この世界へ放逐れてきたのか月世界で犯していた罪をかたるのだとか。彼女が「罪」をえて竹取の翁・媼のもとへきたことは竹取物語にも書かれてあるが、どんな罪とは分からない。

1995年というと、18年もむかしになる、わたしは次のような短い短い小説を書いて置いた。面白半分に、ちょっと此処へ書き写しておく。湖の本47『なよたけのかぐやひめ』にも収録してある。このラジオドラマに類する上の作は、今福将雄が「翁」 大塚道子が「媼」 地の文のナレーターは鈴木瑞穂という配役で、朗唱・朗読用の台本としてラボ教育センターのために書き下ろした。今でも売れているらしい。だが、下記は、いわば私の謂う「掌説」です。

 

☆ 遠い遠いあなた  秦恒平・作

 

逢ったことのないあなたが、どこにいたのか気がついたとき、わたしは、飛ぶ車をもたない自分にも気がつきました。なんと遠い…。あんまりにも、遠い遠い、あなた。逢いたくて、逢いたくて。銀河鉄道の切符を買おうとしたのですが、あなたの所へは停車しないそうで、がっかりしました。

あれから、もう千年経っているんですね。

昼過ぎての雨が夕暮れてやみ、宵の独り酒に、心はしおれていました。下駄をつっかけ、わびしい散歩に、近くの大竹藪をくぐるようにして表通りへ、いま抜けようという時でした。東の空たかくに、白濁して歪んだ月がふかい霞の奥に、とろりと沈んで見えたのです。月が泣いている…。そう思いました。そして、はっとした。泣いていたのは、かぐやひめ、あなたでした。天の使いの飛ぶ車で、月の世界へ羽衣を着て去ったあなた、あなただ…と分かった。

わたしは、あなたを、血の涙で泣いて見送った竹取の翁と姥との血縁を、地上に千年伝えて、いましも絶え行く、ただ一人の子孫です。もうもう、だれも、いない。妻も、また、子も、ない。

いま虚空に光るのは、三日の月。あぁ…待っていて、かぐやひめ。今宵わたしは高い塔の上に立っています、手に縄をもって。この縄を飛ばし、遥かあなたの月に絡めてみせましょう。力いっぱい塔を蹴り、広い広い中空に私は浮かんで、縄を伝ってあなたに、今こそあなたに、逢いに行きます。縄を伝い、あなたもわたしを迎えに来る。ふたりで抱き合って、一筋の縄に結ばれ、あぁ堅く結ばれて、天と地の間を、大きく大きく揺れましょう、かぐやひめ.:。

 

また男がひとり死んだ。千年のあいだに、数え切れない男がわたくしの名を呼んで虚空に身を投げ、大地の餌食となって落ちた。やめて…。わたくしは地球の男に来てもらいたくない。だれも知らないのだ、わたくしが月の世界に帰ると、もうその瞬間から風車のまわるより早く老いて、見るかげなく罪され、牢に繋がれてあることを。「かぐやひめ」という名が、どんなに無残な嘲笑の的となって牢の外に掲げられてあるかを。

牢には窓がひとつ、はるかな青い地球だけが見える。わたくしが月を放逐(おわ)れたのは、月の男を数かぎりなく誘惑して飽きなかったからだ。地球におろされても、わたくしの病気はなおらなかった。何人もが命をおとし、何人もが恥じしめられ、わたくしは傲慢にかがやいて生きた。人の愛を貪り、しかも酬いなかった。天子をさえ翻弄した。竹取りの夫婦の得た富も、地位も、むなしく壊( く)えて残らぬと、わたくしは、みな知っていたのだ。あまり気の毒さに、夫婦のためにもう一人の子の生まれ来るだけを、わたくしは、わたくしを迎えにきた月の典獄に懇願して地球をあとにした。

だがその子孫のだれもかも、男と生まれた男のだれもかもが、なぜか、わたくしへの恋慕を天上へ愬えつづけて、そして命を落としつづけた。一人死ぬるごとにわたくしの罪は加わり、老いのおいめは重くのしかかって死ぬることは許されない。あぁ、ばかな、あなた…およしなさい、この月へ、縄を飛ばして上って来るなんて。迎えになど行けないのだから。あぁ…、でも、ほんとうに来てくれれば、かぐやひめは救われる。来て。来て…。                 (RIHGA ROYAL NEWS)1995 年6 月号

 

* こういう短い(原稿用紙4 枚前後)掌説をわたしは、数十年のうちに六、七十作も書きおいてきた。作家としての私の「索引」ほどの役をしてくれているかも知れない。今度の選集で、そういう「短篇小説選集」を出せるまでわたしの命がもつかどうか、分からない。

2013 11・16 145

 

 

* 『みごもりの湖』のルビ打ちを始めた。作柄からやむを得ないが時間をとられる。「湖の本」118責了へも着々進んでいる。どの読書にも心惹かれ、五冊でとめようと思ってながら、十册も十五冊も読んでしまう。馬琴の『八犬伝』も高田衛さんの『八犬伝の世界』も面白いがもツルゲーネフ『貴族の巣』も面白くこんぐらかって来た。レマルクの苦境を這う人らの隣人愛の温かさと哀しさとにも時に思わず顔を手でおおう。

2013 11・17 145

 

 

* 山口市の横山さんから、『センスdeポエム』贈呈用の注文に添えて、初めて見るそれは美味い純白巻物の蒲鉾を五本戴いた。酒に、すばらしく合い、夕飯を楽しんだ。感謝感謝。

札幌maokatさんに戴いたりっぱな百合根も、甘煮にしたり、美味しく食しています。ありがとう。

2013 11・17 145

 

 

☆ 秋はどこへと思うほどの冷え込みで

山口盆地でも十四日の朝 最低気温四・四度となりました。

先生、お具合如何でございますかお見舞い申し上げます お食事がおいしく召し上がれるようにおなりですとか 本当によろしゅうびざいました。 でも視力に少しご不自由がおありですとか、ご案じ申し上げております。

過日は「湖の本117」 まことに有難うございました。大好きな文藝批評で、本の読み方を学び、又、読み返したい本もございます。 大切に拝読させて頂いております。

私は 今年の猛暑、残暑の厳しさ等で、少し体調をくずしました。先日、漸く毎年一回のがん手術後の検査を済ませました。今、五年半が過ぎました、結果はすべて異状なし、全治ということで一安心しているところでございます。手術一年後に始めたハイクの勉強も四年半経ち、毎月の三句提出ですこしはよい評価の句ができる様になりました。「センスdeポエム」の当時、俳句の勉強をしていたらと今さらながら赤面しております。

庭の手入れ、旅行、読書、コンサートや美術鑑賞等気儘に暮しております。パフィオペデラムが一鉢に四本のつぼみを伸ばしております。蘭の世話も疲れ、いつのまにか鉢の数も少なくなって参りました。 山茶花が八重、ピンク、白と何種類かが次々と咲き続き散った花びらはそのまゝにして眺めています。

今年の寒さはいかがなりましょうか。

先生、奥様 お揃いでお体大切にお元気でお過ごし下さいます様お祈り申し上げます。

先生、山口の蒲鉾お送り致します。 お気に召して頂ければよろしいのですが どうぞご笑納下さいませ。

一筆 御礼申し上げます。 かしこ   山口市  艶

 

☆ 秦先生

私の本 お読み下さったとのこと大変うれしく存じます。

いま 歌集「少年」読ませていただいています。

私に大変むづかしい本ですが この冬にかけて湖の本を読みたいと思っています。

私には他に送るものがありませんので 私の作っているセロリーを近々送ります。 十三日 安曇野市 秀

 

* 妻が声をあげて驚嘆し讃嘆したほどの瑞々しいそして巨きな大きな美味しそうなセロリ二株を今日戴いた。わたしと歳も変わらない方が手づから栽培し養育されている特級のセロリー。恐れ入りました。有り難く戴きます。

2013 11・18 145

 

 

* 「みごもりの湖」のルビふり、なかなか難儀、みるみる眼、視力が、乾上がってしまう。それでもやるべきは、やらねば。「湖の本118」の責了作業も発送用意も渋滞無く進めている。

2013 11・18 145

 

 

* 湖の本118 責了紙を送り出した。月替わりの五日頃に出来てくる。今度の「歴史・人・日常烏』は、前回の文学ものに並んで、いやあれ以上に興味をもって喜ばれそうな気がする。そして史実や時代や人らへの理解や意見の相違から愉快な議論もたくさん生じるだろう。

2013 11・20 145

 

 

* 新宿紀伊国屋ホールで俳優座の「気骨の判決」を観てきた。実話を構成したドラマである。

昭和十七年、いわゆる「翼賛選挙」での国を挙げての不正選挙にかかわり、不正を訴えた鹿児島県の原告申し出を、三年もかけ綿密に調べ尽くした上で、時の大審院第三民事部は、さきの選挙は「違憲」であり「選挙無効」であるとの「判決」をくだしたのである。第三部部長判事であった吉田久の、まさしく「気骨」の判決、法の立場からすれば、「当然な」判決であった。

だが、世は、あの東条英機総理や軍の独裁的暴政の時機であった。いかに至難かつ身に危険な判決であったかは、平成の今日とはまるで環境がちがう。遁れがたくも「非国民」としての信じがたい「判決」であった。

慎重に慎重に、そして遂に吉田らがその判決を下したのは、昭和二十年、あの米空軍による絨毯爆撃に東京市の全域が壊滅した直後だった。

いかに大本営が必勝を叫び、破廉恥な偽の勝利情報に自ら酔いまた国民を誑かそうとしても、すでに日米彼我の戦力差は歴然としていた。

こんなこともあった、東京大空襲の少し前には、こんどのわたしの『歴史・人・日常』にも書いているが、あの戦中に日本の海軍は、日米海戦での「大勝利」という「真っ赤な偽」報告により、天皇をも欺き、陸軍には対抗的な功名心を煽りたてていた。だが事実は、米海軍の被害はごく軽微、日本海軍の惨敗は目を覆わせるほどだった。しかも米海軍の敗亡という偽の事実を信頼した日本の陸軍は、軽率かつ果敢にフィリピンでの日米決戦に踏み切ってた。結果は、殲滅というに近い惨憺たる敗け戦だった。それらの敬意は今日では詳細に知られている。だが、当時の大本営は日本の勝勢を過大に報じつづけ、国民は信じて日本の必勝を信じていた。信じさせられていた。

だが昭和二十年の東京大空襲は、果然、戦況の著しい劣勢を無残に国民の眼の前に曝した。例の違憲選挙の不正裁判に話を戻せば、それまでは吉田部長判事の「選挙無効」判決に当然のように抵抗し続けた民事部の他判事たちも、事ここにいたって軍と内閣の虚勢を見抜き、「大政翼賛という非政・悪政」への警鐘としても、「選挙を無効」とする判決にきっちり一致したのだった。ヒロシマ、ナガサキの原爆が、もう目の前に迫っていた。

2013 11・21 145

 

 

* キッチンで仕事・作業をしながら、沢口靖子の「科捜研の女」 米倉涼子、内田有紀の「ドクターX」を楽しみ、さらに、韓国ドラマの名医もの「ホジュン」も楽しんだ。いずれも緊迫した面白いいいドラマであった。紀伊国屋まで出かけていった甲斐がなかったなあと、また思わせられた。

2013 11・21 145

 

 

* 湖の本118発送K用意は進んでおり、『みごもりの湖』のルビ打ちも進んでいる。

あすは、夕刻、また歯医者に行く。月が変わると聖路加へ一日三科診察という一日掛かりの日がある。一日で済むとあとがらくになる。十二月の上旬は忙しくなるが、そのあとは、落ち着いて仕事に向かえるだろう。今は気を緩めること出来ない。

2013 11・24 145

 

 

* 機械の画面が眩しくなってきた。

新しい湖の本が出来てくるまでに、めったにないことに一週間ほど余裕が出来、狭い上に狭苦しくものに、つまりは概ね書籍に溢れているのを少し片づけて、せめて東の住まいから西の物置きへ移動させたい。ただしこれがみな重い仕事になり、腰や脚を痛めることになる。ま、仕方がない。

2013 11・25 145

 

 

* 私より年輩の尊敬する或る名誉教授からお葉書を戴いた。ご趣旨ありがたく、当該箇所も確かめた。

 

☆ 御本(=湖の本117)をありがとうございました。

「私語の刻」の187頁188頁のご発言に「全面的に」同感する者です。私も何かの会合があれば、同じ事を発言しようと思うのですが(うまく言葉が出ないのです、秦さんのように)口の先まで出かかって止まってしまうのです。

この御文を力にして、私なりに発言してゆくつもりです。ありがとうございました。 衛

 

* 当該箇所には、「私語の刻」部分として、もう旧聞には属するけれど、今にも余響を帯びて、こうある。

 

* さて、此の(平成二十五年2013)七月二十一日、参議院の「違憲」選挙が強行された。一作家として『ペンと政治』三巻(千二百枚 湖(うみ)の本114 115 116 begin _of_the _skype _highlighting 114 115 116無料  end _of_the _skype _highlighting)を出版した私なりに、即日「総括」しておく。

① 東京で、反原発の山本太郎を勝たせたこと、共産党も勝たせたこと、最低限の歯止めは打った。

② 安倍政権は明らかな「違憲」政権である。内閣および自民党には、危険の日々に迫る原発の「トイレ」はどこに、いつまでに、だれが、どう建設するのかを、一切に優先し誰もが執拗に徹底的に問いつめねばならない。また放射線による病害・生命不安が、東北と限らず列島中にひそやかに増長蓄積されて行く疫学的事実への不断の検査と対策・対応を厳しく要求しつづけたい。アベノミクスごときは、かならず墜落する。経済に不動の右肩上がりのあるわけはない。ムリと傲りはかならず綻びる。安倍「違憲」政権による「国民の最大不幸」は確実に迫っている。特権の独占を意味する「国益」の謳歌でなく、広範囲に明確な「民益」のために政治せよと求めつづけたい。

③ 海江田・細野執行部をかついだ民主党の惨敗はあまりに当然。海江田執行部の無力な居座りを許さず、すみやかに馬淵澄夫、古川元久、辻元清美らの覚悟きわめた蹶起なくては、「解党」に到るよりない。看板になりうる田中真紀子に比例での復活をさせなかったのも失敗の大きな一つ。筋を通して大河原まさこ候補を応援した菅直人元総理の政治家たる気概こそが、党再生には必要不可欠だ。この際、無策に「連合」頼みの民主党は一旦解党して出直すべき時機にあるのでは。

④ 「労働者」を見棄てたまま「憲法」しか叫ばない福島みずほ社民党の、とうてい「票と議席」に結びつかない無反省な無力は、蔽いようがなかった。惨敗当然。「野党の意義」を率先壊滅へ導き続けた「責任」の自覚を欠いている。ものが見えていない。山本太郎を党首に迎えるほどの英断しか此の党に延命の道は無い。

⑤ 「政権を担う」ことを一度も目標としない共産党の政治姿勢は物足りない。つねに「政権から遠い外野」に甘んじ、ただ大声をあげているだけでは、到底国民の幸福をゆだねられない。

⑥ みんなの党のある種の頑なさが野党の大同団結を妨げる大きな障りになっている。小さな独善に陥っていないか、渡辺党首の器量の小ささか。

⑦ 大阪維新の会は、すみやかに石原慎太郎と訣別し、初心に戻るとともに黴の生えた党名を清新に一新し、小さくても強烈な政治姿勢の再生・再建をはかるべし。

⑧ 生活の党は臥薪嘗胆を覚悟し、善き政治の火種を列島のすみずみに地道に植え続けよ。またの日がある。

⑨ 公明党には、ただただ自民党に対し、憲法改悪・海外参戦への無用な手出しをさせない強い防波堤たるを期待する。

⑩ みどりの風は甘い観念に陥っていた。明確に、伸び上がる現実女性の権利政党をめざすべし。

⑪ 六十五歳から八十歳までの「老人たちによる政治勢力の結党」または参議院にかわる「老議院の実現」へ歴史的な舵をきる時機ではないか。

⑫ 口を開けば「参議院のねじれ解消選挙」などと一斉に叫んでいた日本のマスコミの、見識の無い「違憲」政権への阿諛迎合、情けない姿勢に失望を倍々増した。糺すべきを正さぬ日本大方のマスコミ報道の無責任と偏向には呆れ果てる。 (以上)

 

* 関連して今日只今の思いを語っておく。

① 山本太郎の「お手紙」事件は一つの「発想」として、余人には出来なかったプラスマイナス付き「珍」プレーだった。人々は無意識へし沈めきってはいるが、日増しに募る安倍自民「違憲・強権」政権への不満、「迫る国民の最大不幸」への不安を、考えられなかった・考えてはならない筈の「天皇への直訴」、「天皇の非道政権に対するある種の拒否行為」等を期待しかけている動きと山本の「珍」プレーは連動していたのかも知れない。あくまでも限定して謂うことだが、現在の天皇ご夫妻への国民の尊敬や信頼はすぐれて人格的・人間的な優秀への感謝に裏打ちされている。主権在民の大原則は絶対に守らねばならぬ時、その主権在民を先頭に立って蹂躙しこくみんを奴隷化して行こうと憚らない「悪・違憲」政権への「拒否行為」を天皇さんにお願いしたいという動きは、これから先に膨らんでくるだろう。政権は、国会は、司法は「その前に」謙虚な善政へ立ち戻るべし。

② 民主党に曙光はみえない。菅直人に、もっと元総理としての気概と責任感から積極的・刺激的な「発言」と同志の「結集」を図ってもらいたい。鳩山・野田二人の元総理は、どうにもならない落第総理として忘却してよく、誠実な政治家魂をもった若い気概の人を盛り上げねば何一つなし得ないまま、理の当然として、ジリ貧が進むであろう。

③ 共産党が、「政権党」への前進を委員長の言葉で公言に到ったことを、高く評価したい。わたし自身が共産党を無条件で支持するという表明で決してないことも断っておく。

④ 公明党への祈るほど悪政への防波堤希望は高まっている。どうか、悪く折れて迎合も阿諛もなく自民党と対峙・対決して欲しい。

⑤ 政治をひたすら「我私(われわたくし)」する政権は許さない。政権の「権」の字義は、国民から謂えば、時期を限って政権に対し「国民主権を分割して貸し預けただけ」の意味であり、政権として謂えば、国民から「託された、大事な仮り・借りもの」に他ならない。それをよく国民は記憶していたい。それを政治家・行政官はよく記憶し、誠実に理解して勤務するのが義務である。

⑥ 小泉元総理は、かつて自身が持っていた「原発推進」説を真反対の「原発即時ゼロ」説へ切り替えた。過ちを改めるのを憚らなかっただけではない、確信をもってその危険と損害を認識し力説している。その論拠の真っ先に大きな一つは、私が、さきの参院選集約の中で言っていた、即ち、「内閣および自民党には、危険の日々に迫る原発の「トイレ」はどこに、いつまでに、だれが、どう建設するのかを、一切に優先し誰もが執拗に徹底的に問いつめねばならない。また放射線による病害・生命不安が、東北と限らず列島中にひそやかに増長蓄積されて行く疫学的事実への不断の検査と対策・対応を厳しく要求しつづけたい」という言葉に、事実上、呼応したものである。その回心に敬意を惜しまない。

 

* 岡山の高裁が、上に触れた今年七月の参議院議員選挙を「違憲・無効選挙」と判決した。つづく各地の高裁の判決に期待したい。文字どおりに「気骨の判決」「憲法に誠実な司法」を心底期待したい。

 

* 無利子・無担保・無期限の5000万円を個人的に借りたという都知事の言い訳も、貸した側の思惑も、ただの紙切れ同然、何一つの「対関連」「対思考」を言葉で示していない借用書。猪瀬都知事はいまや無思慮・軽率・ご迷惑をひたすら「謝罪」して、追及

から遁れようと藻掻いている。弁明の余地がないと観念したのである。

この際、詫びるだけでは話にならぬ。「都知事」として、①脱原発・廃炉 ②東電徹底改組 ③放射能物質の最終処理案 ④都内の放射能情況 ⑤放射能病害検査と対策 ⑥河川湖沼および海の放射能汚染、食料への放射能汚染に関する明確で誠実な精査と対策 ⑦特定秘密保護法および関連法への、政治家・作家・一市民としての見解 等々を、公開の文書によって広く明確にすべきである。

2013 11・30 145

 

 

* 今度の「選集」のこと。わたしには、「選集」の出版権、編集権、オンデマンド等の複製権を、「湖の本版元」以外の特定他社に、預けたり与えたりする気は全く無いということ。

私の希望は、「湖の本」シリーズと全く同じ、久しいお馴染みの、気心もよくよく知れた凸版印刷さんの配慮下で、印刷し、製本し、納品して欲しいのである。

それが「可能」と思われたので、話を進めてきたつもりである。 2013 12・2 146

 

 

* 湖の本118は六日に出来てくる。そのあとへ歌舞伎座昼の部、また夜の部を楽しんで七十八歳になる。

2013 12・3 146

 

 

* 明日の診察は、たっぷり時間がかかるだろう、しばらく築地へ間が開いていた。なんとか三時半ぐらいには解放されたいが。銀座か。思い切って上野の天庄か、浅草の米久か。それとも根岸の香美屋か。  食べるよりも、美術館か。身がもつかどうかだ。出先で降られないといいがな。

六日にはもう発送の力仕事になる。

2013 12・3 146

 

 

* 妻もわたしもかぜ気味か。明日早くからの発送作業をぶじに務めたいが。こんなとき手助けをたのむアテのないことが、いっそわれわれ水入らずの幸せなのであろうよと思っている。

2013 12・5 146

 

 

* もう一時間もすると湖の本118が届くだろう。発送に集中。 2013 12・6 146

 

 

* 夕過ぎまで作業、懸命に。疲労あるが、食後もう少し続けてみよう。国会や周辺のニュースなどただもう苦々しい極み。目を背けるとはこれ。た゜が背けたままでいいとも思われず。

ふんばって九時まで作業。その間に、オーストラリアとのサッカー戦を聴いていた。劇的な追いつきで日本はワールドカップ出場を決めた。熱狂また熱狂。あの若いエネルギーが「私の私」を死守する政治的なエネルギーに転換できないのがもどかしい。次に、強権が秘密裏に用意するのは、徴兵制と、内務省復活と、たぶん新華族制度であろうよ。

 

* 南アフリカ連邦のマンデラもと大統領の死が伝えられ、安倍晋三「違憲」総理も弔意を表していたが、彼が今しも躍起になってしていることは、マンデラ氏を何十年も牢にとじこめ、国民を奴隷並みに酷使していたあの国の元の白人政府とおなじ事なのだと、顔を見ているのも恥ずかしかった。

 

* さ、もう休んで、また明日。

2013 12・6 146

 

 

* 今日も奮励努力。晩食まで、ほとんど休まず。かなり、へとへと。作業していても手元が霞んでよけいに疲れた。今夜も早めに休みたい。

2013 12・7 146

 

 

* 晩は、鬼平ものの小味な丁寧に創った時代劇を二本観ながら、補充発送の用事をしていた。吉右衛門、梶芽衣子、また柄本明といった役者にめをとめながら。明日には、ほぼ発送の用を終えられそう。肉体労働にも集中すれば出来ると分かっても、しっかり疲労もした。かぜ気味に悩んでいる妻にも重いしごとを手伝わせ、気の毒だった。感謝。

2013 12・8 146

 

 

* 補充送本の作業も終え、今回の発送をまず終了できた。明日はお天気はよくないらしいが、そんなことに構わず楽しく休息の一日をすごしたい。

2013 12・9 146

 

 

☆ 拝復

本日は御鄭重にも「湖の本118 」を御恵送下さいまして実に有難うございました。すでに二十七年間の「継続刊行」とは驚異的ですが、「序にかえて」の 「歴史を書くこと」「歴史を読むこと」で「自分自身を問うことを忘れていては本末顛倒になる」の御述懐はまさに「歴史」の本質を衝いておられ、感慨深く拝読致しました。又、「私語の刻」の「『私民・万民』の言葉と文字で記述し吟味しあう『日本人の歴史』こそ持ちたい気持ち」がおありのことは、紫式部にも直結していて、真正の文学者の言と感銘致しました。 又末尾の「幸い、少しずつ元気を取り戻しています」を拝読して御恢復を心から嬉しく存じ上げました。異常気象はおさまらぬようですが、呉々も御体調には留意され、佳き新年をお迎えになりますようお祈り申し上げます。

右、取急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。九日 敬具   元「新潮」編集長

 

☆ 拝啓

いよいよ年の瀬も近づいて参りました。ひととき病のことで案じておりましたが、「湖の本」の執筆も続けられ、次々と出版される御様子に安心致しました。

とくに今回「流雲吐月(一) 歴史・人・日常」は興味深く読ませて頂いております。私自身九十歳を目の前にして脚の不自由に苦しんでおりますが、あと何年生きられるかと思いつつ自分自身をなんとでもして問わなくてはならぬと思いつつおります。

湖の本も随分私の本棚をうめて参りました。たえざる御努力敬服にたえません。私もペンクラブを引き、その他すべての会合に出席する脚力もなく、毎日家にこもって書を読み、何かを書き続けております。このことが一番心の安定につながり平穏に生きる道だと思い、俳句や短歌など、更に詩などを作り続けております。先生の御著書もこれからゆっくり読み続けるつもりですが、小さな漢字にはだんだん弱くなって参りました。読み残した書のみ多く、でも最後まで文学の道に精進したいと思っております。

失礼かとは存じますが、何か御送りする気持ちで同封致しました。御受納下さい。

御執筆の日々を心よりお祈り申し上げます。  新宿  文学研究者

 

☆ 厳しい闘病のなかでの

政治(現代社会)への批判、感激の楽しみ、日々の記述は、平成版「断腸亭」として拝見しています。

日本社会は、明らかに幼稚化しています。  藤沢市  澄

 

☆ お元気ですか

姉の*子は姉弟の中でも一番元気ですよ。いつも会う度に 恒平ちゃんの話をしています。

小さい頃がなつかしい……    京・縄手  凱

 

* 心より懐かしい。

 

☆ ご無沙汰いたしております。

「ココ」でございます。

「湖の本」に いつもメッセージをいただき、うれしく 有難く、お便りしなければと思いつつ、日々の暮らしに流されてしまって 申し訳ございません。

少しずつお元気になられているとのこと ほっといたしました。

私のほうは 定年まであと3 年 早くもカウントダウン体制で 仕事に行っております。

息子は 今年3 月に転勤になり 岩手で元気にしております。

おかげさまで 今年90歳の母と80歳の父も 何とか二人で、それなりに元気でいてくれています。

年末始は、息子と二人で帰省いたします。両親とも いつどうなるか分からない年齢ですので

「あの時帰っていれば・・・」という後悔はしたくないので帰省するのも 子の務めと思っています。

創刊される「定本・秦恒平選集」 是非拝読させていただきたく 申込みいたします。

私が先生のお書きになったもので、一番最初に手にしたのは 「みごもりの湖」でした。

よろしくお願いいたします。

私ごとばかり書き連ねてしまい すみません。

寒さもこれから厳しくなって参ります。くれぐれもご自愛くださいますよう。。。

それでは 失礼いたします。 品川  胡

 

* 久しい以前に幼い男の子と、決然高知から東京への転勤を求めて出て見えた、女性の読者。いつしかに少年は大学を出て、とうに社会人に。時空にかかわる人の世の営みの、いと堅実な精神例に敬服する。三世代のご平安を切に願う。

2013 12・11 146

 

 

* 菅直人元総理や写真家の島尾伸三さんらの手紙をもらった。

 

☆ 安倍首相は

(前略) 権力行使に酔っているような愚かな政治をしています。

良い新年をお迎え下さい。 敬具   岩波書店編集者

 

☆ 「歴史を読む」ことの

重みを受けとめつつ拝読しております。

秦先生のご健康とますますのご健筆をおいのり申し上げています。 山梨県立文学館

 

☆ 先生の

精力的なご執筆を見るにつけ励みになります。

良い年をお迎え下さい。  横浜港南  作家

 

☆ 遺すもの

有る人ありてうらやまし 己が手箱をまさぐる冬の日  哲

 

☆ いつも

はらはらしながらHPを拝見させて頂いております。

いよいよ人の心だけが救いの暗闇の時代になってきました。

秦さんのお声がもっともっと広くいき渡ることを願っています。  瀧

 

☆ 機密保護法に抗して

金沢でも座り込みを続けました。今後も諦めずに頑張ります。  戸

 

☆ 『みごもりの湖』楽しみに

待っています。どうか佳いお年をお迎えください。

秦恒平さんという作家は もしかしたらマンデラさんのような心の持主ではないかとふと思ったりしています。  近江 民

 

☆ もうすぐ

秦先生の78歳のお誕生日ですね、おめでとうございます 益々のご活躍を祈っております。創作物はもちろんのことですが、テレビに関する先生の見方が正直で、とても共感する部分が多くて楽しいし、うれしいです。 桐生 一

 

☆ 湖の本118『歴史・人・日常 流雲吐月(一)』

ありがとうございました。視力のご不安と闘いながらの精力的なお仕事に心から敬服しております。私も関心のある歴史へのご言及、特に興味深く存じます。(中略)

私どもの世代は江戸時代までで学校の歴史の授業はストップ、後はイデオロギー的な文書としか呼べないような歴史書を随分読みました。というより読まざるをえない状況でした。(中略)

また秦様がご指摘なさっている、また実践されてきた「紫式部も後白河院も新井白石も最上徳内も、わたしと同時代人」というお考えに接し、イタリアの歴史家クローチェの「すべての歴史は現代史である」という一節を思い出し、深い共感を覚えております。

今後も「湖の本」を通じ、いろいろとご指導いただくことをありがたく、かつ嬉しく存じております。

最後になりましたが、お体をお大事にされつつのますますのご健筆を心からお祈りしております。 草々  元筑摩書房編集者

 

☆ 湖の本118 拝受しました。

秦 恒平様

2000年の記述「國は守らねばならず、極東の近未来は危険に満ちている。( 略)近隣近国との間に生じる軍事的緊張のさほど遠からぬ事態には、備えねば、やはり、どうにもなるまいとは怖れている。」という卓見が遂に生かされぬままに来てしまったのではないかと。

そして、2004年の記述「米沢藩改革で、先ず真っ先に手をつけた一つは、人口激減からの徹底した回復策であった。」にあるとおり、迂遠ではあるがこれこそが未来への確かな保証であり、既に遅きに失したかもしれないが、必死で取り組むべき課題でしょうね。次世代に我々が生きてこられた幸運を受け継いでいくためにも。  濱

2013 12・12 146

 

 

* 清水房雄さん、寺田英視さん、三好徹さん、小和田哲男さん、烏頭尾精さんら、また多くの大学研究室や図書館から、「湖の本」新刊へのお手紙やご挨拶を戴いた。

 

☆ ありがとうございました。

幅広い視野と、ものすごい読書量に圧倒されています。  歴史学者

 

☆ (前略)北朝鮮の核について

小生は今でも北にそんな工業力も実力もないと考えています。実験もミサイルも中国の製品の払い下げでしょう。あるいは中国が材料を与え、実験させているのです。不備   日本ペンクラブ役員

 

☆ アトリエに

ご本のコーナーを定めておりますが、そのぶ厚さに敬服致しおります。  画家

 

☆ 今年もあとわずか

一年があっという間です。

一番絞りのお酒が出来ました。近いうちにお送りします。

ありがとうございます。      湖南  敬

 

☆ 物騒な世の中になってきました。

巻頭の談話「憲法は抱き柱か」 共感します。  鎌ケ谷  仁

 

☆ 秦さんの

息災が 私の無事に響きます。

いつまでも若々しく 記録更新をお願いします。  狛江  秀

 

☆ 湖の本118

有難う存じました。

もうあまり遠出も出来ませず、読書だけが楽しみとなりました。

御平安を祈り上げます。 福田恆存先生奥様

 

☆ ありがとうございました。

先生と、お目にかかっている夢を見ました。お元気なご様子、うれしく存じました。  紀の川市 貞

 

☆ すばらしいご回復力、

精神のお力に勇気づけられております。

当方 相変わらず 老・老・老介護中ですが それができることはありがたいことと思っております。そして自分自身、前向きにではありますが、身辺を身軽に、片づけものをしたいなあと思う毎日です。

それによって精神ももう少し軽やかに…と。  上北沢  恵

 

☆ 秦先生

湖の本118 お送りくださいまして,ありがとうございました.

先生の幅広く深い「私語」が現在時点に追いつくのも大変な道のりと拝察しました.

それにしても,拝読していますと,時が解決してくれる問題,というのは意外に少ないのかと思います.

僕は先日,誕生日が来まして 43 歳になりました.

昨年自分の研究室を開始して,さらに京都大学の研究者を兼任するようになり,これまでは (理論屋のためほぼ) 一人で勝手に研究できて楽だったのだと実感しました.

同時に,一人ではとても達成できない研究ができるようになり,幸福です.

 

話が変わりますが,大河ドラマを見ていたら,山本覚馬の妻時枝が若い書生と不倫をして放逐された,とのことで.ふと思い出したのが,シェーンベルクの妻マチルデ・ツィムリンスキー( 旧姓) が若いゲルステルという画家と不倫をした話です.シェーンベルクの場合は,若造を自殺に追い込んで一件落着したわけです.

秦先生の読みによる漱石の「こころ」では,先生は若造に妻を託すという,別の展開であったと記憶しています.

この話をネットに書いたところ,知人の中年男性から、「あなたも実体験してみては?」と言われ,咄嗟に,「僕は体験するならもう \” 先生\”側しか想像できないので辛い」とお答えしました.

同じ年の幼なじみの女性からは,「つまり年上の女性好みではないの? 」と言われ,一瞬何のことか判らなかったのですが,いえいえ,そうではなくて,誰かに師事する自分というものを想像できなくなった,とお答えしました.

43歳とは,いかにも中途半端で特色がない年齢ですが,誰かに師事しない,ということは驚くべきことではないかと思うのです.

そこで,そもそも師とは何かと思うのですが,文学の師,音楽の師,科学の師という感じに分野限定で手ほどきをしてくださる方,もっと突き詰めると人生の方向性を変えるきっかけとなる方,という大まかに二つの意味があろうかと思います.

そのどちらの意味の師にも,20代までに出会い終わっている感じがします.

あとは自分で突き詰めなければならない,そうでなく次々と師を増やしていくのは,どうも節操がない気がします.

そこで秦先生の 12 月 2日の、「わたしに弟子など一人もいない」というお言葉を拝見したとき,なるほどと思いました.「その人、人なりに誠実に文学への素志とお人柄とを愛しみ磨いて貰いたい」の、前半は分野限定,後半は人生の方向性ということかと思います.あとは,磨くことを続けようと思います.

ますます寒い日が続きますが,先生におかれましては,ご自愛のほど,お祈り申し上げます.

追伸: 先日,妻が振り込んでくれましたが,名義が妻の名のままだったそうです.宜しくご査収ください. 尾張旭市 仁

 

* 停滞を心地よくすこしも感じさせない人、東工大の卒業生。教授室で初めて話した頃の面影も話し方も忘れない。目黒駅の地下でいっしょに天麩羅を食べたこともあったなあ。

 

* わたしには「弟子入り」を願った「先生」もいない。深く尊敬し推服した方ならそれは大勢さんが記憶にある。それがわたしの幸福であり力となった。「濯鱗清流」をただ願うのみであった、むろん今も。わたしは行儀も悪いし世間的な礼儀にもおうおう随わないが、敬愛したお一人お一人への思いはいつも深い。いまも目の真ん前に谷崎潤一郎先生の一等善いお顔写真がある。鏡花全集があり森銑三著作集があり、会津八一先生の「学規」も井泉水先生の「風・花」二字額もある。階下の居間には志賀直哉全集があり、書庫の正面には島崎藤村全集や谷崎全集や柳田国男全集、折口信夫全集が在る。ただ飾りのように在るのではない。いつでも読むためにある。

☆ 湖の本118

秦 恒平さま  寒くなってまいりました。

第118巻、ありがとうございました。

病院通いしながらの出版、おめでとうございます。ありがたく思っております。

ちょうど同じころ、先生のことを思いだし、高島屋から心ばかりの物を送らせていただきました。いつもお手紙をつけられず、悪しからずご了承くださいませ。

病院とリハビリにあけくれ、書くという動作もしんどい日々で、今回やっとメールアドレスを見つけることができました。

向寒の折りから、くれぐれもお気をつけて、新年をお迎えくださいませ。  江東  恭

2013 12・13 146

 

 

* こんどの『歴史・人・日常』わたし自身にも面白くて読み返し始めるとついついいつまでも読んでいる。文学も歴史も本当に好きで好きで今日まで来た。

残念なことに、いま、味覚があまりに弱い。これは淋しい。「坐忘」に遠く未だし。

2013 12・13 146

 

 

* 梅原猛さん、高田衛さん、関口忠男さんらからお手紙を頂戴した。

 

☆ 拝復

『湖の本』118巻(お手紙付を)拝受しました。いつも感銘を受けています。

「憲法は抱き柱か」は警世のの言です。私は旧制中学二年の時、学徒動員の工場の中で、終戦の日を迎えました。それ以来の、長い年月のなかで、今というアベノミクスという右翼の日を迎えています。アベの呪詛をこれから始めます。 都立大名誉教授

 

☆ 拝啓

今年も師走を迎えました。

「湖の本」118 歴史を読むことの重要性が、たしかなものとして理解されました。

結局、自分自身が問われるというところをはずしては成り立たないことを教えられました。現今の社会情勢がいかなる歴史をつくり上げるのか、予断を許しません。「文学」の力の必要性を痛感しております。

ご自愛の上、良いお年を迎えられますよう念じ上げます。   日高市 国文学研究家

 

☆ いつも秦さんの日録に

啓発されています。

黒いマゴも含めて皆さまお元気で新年をお迎えください。  吉備  毅

 

☆ その後お加減は

「湖の本」を静かに読む時間を確保しようと思います。

一日も早い全快をお祈り申し上げます。 東工大卒業生  横浜国立大准教授

 

☆ いつも有り難うございます。

嫌な 息苦しい世の中になりましたが、沈黙せず、否は否と、また希望に生きよと発信する教会に通っています。

どうぞ お大切に。よい年をお迎え下さい。  下関  碧

 

☆ 『歴史・人・日常』拝受

あらためて肝銘。

小生、生意気にも、小五の頃から、人類史の近代をコロンブス(の新大陸発見1492)から一貫して「インティアンの味方」を標榜して眺めております。そうすると、思想や立場の一貫性が保てます。「歴史を治療」しなければ、近代が依然として抱えている問題は、何ひとつ、根本的には解決しないでしょう。たぶん先生と同じ立場に立っていると思っております。 神戸市 大学名誉教授

 

☆ お元気の由

何よりと存じます。湖の本新刊冒頭の「談話・憲法は抱き柱か」に共感。「私語の刻」以上に秦さんの謦咳に接した思いです。

よき新年をお迎えください。  我孫子市 詩人

 

☆ (秦建日子脚本の)『ダンダリン』

歴史に残るドラマだったと思います。毎回楽しみにしていました。(11/20 の朝日の記事に納得しています。)視聴率は関係ないです。いいものは、何たっていいんです。

私も「歴史を読む能力」を身につけられるように自分の五感を磨く努力をしたいと思います。また真に尊敬するに値する若い国の指導者の出現を待ち望んでいます。多くの人がそうであるように!

秦先生 どうぞますますご自愛下さいますように お祈りいたします。  静岡市  鳥

 

☆ 12月21日は

私も誕生日で還暦を迎えます。(秦さんと誕生日が同じ事は私のひそかな自慢です。)

母の介護のかたわら、御作を少しずつゆっくり読み返しています。

どうか御体を大切にお過ごし下さい。 鎌倉市  美代

 

☆ この半年、

「黒いピン」が抜けなくて悩んでいます。     神戸市 章

 

☆ 今回の

秘密法案も 原発も、決して忘れることなく、継続して批判してゆきたいものです。

それにしても、はがゆいです。 広島県  知

2013 12/14 146

 

 

* ペンクラブで同僚理事であった俳人倉橋羊村さんの、本阿弥書店刊『選集』三巻が贈られてきた。第一巻が「俳句」次いで第二・第三巻が「評伝」。立派な仕上がりだ。心よりお慶びお祝い申します。

わたしの手がけようとしている『選集』は、もし望むまま成るなら、小説だけでも500頁平均で現在17巻を必要としている。、論攷や随筆を含めれば500頁平均しても50巻で足りない。たとえ売れっ子の秦建日子が支援して呉れたにしても、私ひとりの残年ではまるで完結は覚束ない。一巻のままでも、五巻も出せただけでも、わたしはちっとも構わない。一つには既成の出版社の担当編集者をもともと頼んでなどいないから。営利事業では全く無い、あくまで「湖の本版元」の刊行と決めているのだから。つまり、わたくしの資金と健康と気力とが及ぶかぎり刊行し続けるという、真っ向「私家版作家」の姿勢を生涯貫きたいのである。したがって原則、「非売品」をわたしは造ろうとしている。欲しい、買いたいと言ってくださる方は既に想像したより多くいて下さるが、ごく少部数を製本するにとどまるので、原価を部数で単純割りするだけでも、つまり利潤など到底加算出来なくても、高価格が予想される。ま、そんなことにわたしは頭を悩ましたくない。

幸い「湖の本」版の在庫分で全てとすらいえる「作家・秦恒平の仕事」は網羅・入手できる。一冊一冊は、さほど高価ではない。先行していた小説・創作など、ウソのように廉い。

今回の『選集』は、研究施設として保存の期待できる先、そして秦恒平のため文学上の御恩を下さった方たちへの感謝の寄贈を考えている。施設はともあれ、そういう恩人知己がすでに多く他界されているので、心寂しい極みではあるが。願うのは、健康の維持、気力の維持。生きて仕事が出来さえすれば、わたしは死ぬ前日までもそれを遣るだろう。妄執と嗤われるかも知れない、そうかなと自身想わぬではないけれど、いや、これがわたし秦恒平の「坐忘」であるやも知れないと気楽にも考えている。

2013 12・15 146

 

 

* 週明けで、たくさんなお便りを戴いた。

 

☆ ことしも残るところ半月ほどとなりました。

このたびはまた『湖の本118 歴史・人・日常』と題するご高著を私にも賜り本当に嬉しくありがたくこころからお禮申し上げます。

まだ「憲法は『抱き柱』か 談話」を読ませて頂いただけですが、読み書きにご不自由な先生がまさに博覧強記の方でいらっしゃるのに敬服いたしました 一気に読ませて頂き、

「若者こそが声を上げ……」

この先生のご意見には全く同感なのですが、読後、なにかす重い気持が残りました 気持というか ずっと抱いていた疑問と云った方がよいかもしれません 何故、そして何時から、若者-学生たちのデモがなくなったのでしょう 今度の特定秘密保護法案反対のデモでも 中高年が(もちろん若者も入っていると思いますが)リードしているように私には思われ、学生デモは久しく日本では見られなくなったのではないでしょうか。  私など犬の遠吠えのようで虚しさ悲しさを感じることの多い政治や社会のありように若者たちが目を向けて(=立ち働いて)ほしいと切に願います。 「平成十一年(一九九九)八月-十二月」から先を興味を持って読ませて頂きます。

貴重なご本を私のような者にまでご恵投下さいましたこと 重ねてお禮申し上げます 厳しい冷え込みが続いておりますどうぞおからだご自愛なさいましてご活躍下さいますようこころからお祈りいたします  かしこ  良

 

* 元東大法学部長福田歓一先生の奥様。福田先生も生前はいつもこのようにお手紙を下さった。「若者」のこと、心底嘆息にたえない。一九六○年代は「若者の時代であった」と東経大名誉教授色川先生はいい御本を出され、わたしも頂戴して感銘深く読んだのがもう数年前だ。五九年に上京、就職結婚し、六○年には国会を取り巻き、また朝日子の父ともなった。六九年には太宰治賞に招かれ、小説『清経入水』や『蝶の皿』で作家生活に入った。以来四十四年が過ぎ、来年の桜桃忌には作家生活四五年になる。わたしはまだ「若い気持ち」で生きている。

金八先生の脚本家 小山内美江子さんからは、「JHP・学校をつくる会」の児童画絵はがきに添えて、ご挨拶があった。

 

☆ ありがとうございました。

ご不自由をおしての継続刊行に頭が下がります。

冒頭の「憲法は『抱き柱』か」に感銘を受けました。秘密保護法案も呆気なく通過させた現在、その抱き柱すら風前の灯です。それでも若い人々の間からの声が聞こえてきたのに一縷の望みを託しています。

寒くなりました。どうぞお身体お大切に、いい年をお迎え下さいますように。  講談社元出版部長

 

☆ 同封のスリップによりますと

視野と視力の動揺が収まらない由。私も加齢により、原稿提出日が迫るなど焦りを覚えると、本の活字が見えなくなり、一層あせりをつのらせるという情けない体験を重ねております。こころから同情を申し上げます。

そのような状況の中から、負けじとばかりまたも『湖の本』の刊行を積み重ねる。その気力に脱帽です。

また巻頭の一文、「憲法は『抱き柱』か」は、はっきりとした憲法をこの日本の宝と見る立場です。永田町でコピーを配りたい。未読いたしました。感謝まで。  国際基督教大学名誉教授  浩

 

☆ ごぶさたしております。

大兄の多読多筆に頭が下がります。

小生、今年前半に入院、今は元気になりつつあります。二、三の雑誌に小文を書くのがやっとで、大兄の恩文章にはとても及びません。なんとか生きてゆけたらと思うばかりです。来年はもう少し書けるかと思っておりますが、よき刺激をお与えいただいて、ありがとうございます。

不文乱筆で失礼いたします。よいお年を。  哲学名誉教授  神戸市 芳

 

☆ 投票する側の

責任痛感。

お揃いでお大事にと念じています。 神戸大名誉教授  周

 

☆ 「視野・視力の動揺おさまらず

不自由な読み書き」にもかかわらず 通算118巻の執筆上梓 敬意脱帽です。

さらに多種精読のお仕事ぶりは 凡人の私には及びもつかない奇才秀逸の筆術には 学ぶべき事多々あります。分けても「歴史・人・日常」の観察力は総合事典ともなります。ありがとうございました。  国立市 作家 益

 

☆ (前略) 憲法九条の話は、

同志社の住谷会(故住谷教授の教え子の会)でよく出てきます。心して読ませて頂きます。少しずつ元気も取り戻しておられる由、これ以上嬉しいことはございません。ありがとうございました。もっともっと無元気な新年を!!  神戸市 澄

 

☆ いつまでも

現役でいらっしゃいますように お祈りします。  岡崎 山

 

☆ 私も77歳

先生のご健筆に刺激を受けて居ます。

奥様共々益々ご自愛下さい。  豊島区  可津

 

☆ 充実した日々を

お過ごしの様子 安心し、嬉しく思います。

この度は、息子に、温いお気持を寄せていただきました。ありがとうございます。親の手を離れ、地に足をつけて、歩いてほしいと願っております。御自愛下さいませ。  新潟市  鶴

 

☆ 近隣諸国との緊張がたえないこの頃、政治のたしかさを望むことは可能なのかと考えています。

ご健勝にすごされますよう お祈りいたします。

 

* 政治の確かさをそんな今だからこそ心より願わねばならぬと思います。秦

 

☆ 先生は

まだまだしっかりとメッセージを送って下さいます、うれしい限りです。

どうぞお元気で 新年をおむかへ下さい。

いつもスマイルを忘れず、がんばります。  群馬県  都

☆ シンフォニックな

流れに浸りながら、一気に読了しました。  花巻市 医師 照 2013 12・16 146

 

 

* 『ペンと政治』三巻を送っておいた著名な市民活動家から、新刊の『歴史・人・日常』へ的確な反応の手紙が来た。例の三巻を出し終えたちょうどその頃から、わたしの「私語の刻」に相当するブログ活動を始められていた。甲斐があったと喜んでいた。妻は熱心にそのブログを毎日読んで、いろいろ聞かせてくれる。

ホームページやブログでの発言は、浮薄でも柔弱でただの自己宣伝でもいけない、真摯に自身の言葉・物言いに誠意を注ぎ込まねば。ピラヒャラと浮かれているばかりでは、ことに創作者や文藝の徒として恥ずかしい。

 

☆ 御著『湖の本』を

いつもありがとうございます。

警世の言葉を書き続けておられる営為に励まされます。

「正座」と「論理」(p95-96)に衝撃を受けました。   清瀬市  慧

 

☆ お礼と依頼

秦恒平様  このたびは「湖の本118 」をありがとうございました。おとろえぬご活動、驚きです。

私も、昨年末からの翻訳作業ですっかり目をやられ、加齢とはこのようなことかと,またしても実感させられています。

それでも、大きな国家的犯罪の糾弾は「湖の本」にゆだね、思念は小さくとも、私誌「琅」を支えに、さまざまな「公私」の小悪を指弾し続ける作業は、身体の続く限り続けたいと思いおります。

知人に此の第118 巻を贈りたいと思います。ネット送金しておきました。よろしくお願いいたします。

お元気な年末・年始でありますように。  批評家  宗

2013 12・17 146

 

 

☆ 政治屋どもが

いつか来た道を突ッ走ろうとしています。

マスコミの声も小さくなってきたように思えます。

日本はこれからどうなるのでしょうか。  越谷市  教育者 光

2013 12・18 146

 

 

* 湖の本の小説を10巻纏めての注文などあり、遅れ気味の払い込み送金も着々届いている。

 

☆ 拝啓

初冬の候、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。

このたびは『湖の本 118』をお送りいただきまして、ありがとうございます。

今、特定秘密保護法の成立というおぞましい世の動きがありますが、この本を読ませていただき、まさに今の社会のことを書いていただいているのかと思いました。歴史的にすみきった考察ありがとうございました。

『憲法は「抱き柱」か 談話』が、2008年であることをも、今の安倍政権の出現を予知していたのでしょうか。

ゆっくり読ませていただきます。

時節柄どうぞご自愛くださいませ。  滋賀県知事  嘉田由紀子

 

* 一冊の本には「適量」という制約がある。わたしのホームページ「私語の刻」は一九九八年三月から書き始められていて、まるまる十五年経っている。テーマを限って絞っても、せいぜい新世紀の初め頃までで一冊量に満杯になる。

それでも、面白いほどに今から十何年も昔に書いていた当時が、ほぼそのまま今日只今を批評ている感じに読んで下さる方が多い。私の先見性という以上に、時代がいっこうに変化し改善されないで相変わらずな情けなさを示しているようだ、いやいや相変わらずどころか着々と悪く危なく滑り落ちて行く。地滑りの方向だけが変わらないので、要するに昔に嘆いていたのと同じ歎きをいままた繰り返しているというワケ。情けない。

 

* しかし、よくよく思い起こしておきたい、少なくもこの十数年の間に、国民は確実に参議院で、衆議院で、自民党の横暴政権を引き摺り下ろしてきたのだ、すぐまた奪い返されたけれども。諦めてはいけない。

 

☆ 本年も残り少なくなりました。

「湖の本118」 本当に中味の詰ったご著書で、今回は『源氏物語』について示唆を頂きました。公家世界以外についてはほぼ描かれていないこと。同時代の男性の漢文日記に源氏物語のことが記載されて「無い」ことなどです。ありがたく読ませ立て頂いて居ります。

お寒さきびしい折り、くれぐれも御身お大切におすごし下さいませ。  堺市 歌人 郁

2013 12・20 146

 

 

☆ 秦 恒平様

相変わらず仕事に追われる生活から抜け出せず、時たまホームページを拝見するのが精いっぱいなのですが、先生がまだまだ体調が思わしくない中で、肉体的にも精神的にも驚異的な活動をなさっていることに、ただただ頭が下がるばかりです。

先日は「湖の本」118 号とともに、飛び上がるほどうれしいお言葉をいただき、まことに忝いことと思いました。さっそくお電話をと思いながらも、敷居の高さに思い煩っているうちに、年末進行でまったく身動きできない状態となってしまいました。

本当に、本当に申し訳ないことながら、年明け早々にお電話させていただいて、お目にかからせていただければと思っております。

小生は今、ちょうど体重も血圧も先生と同じですが、元気にやっております。(略)

ちょうど七十八歳のお誕生日とのこと、まことにおめでとうございます。

お風邪をひかれたようですので気を付けていただきたいと思います。

来月元気なお顔を拝見できることを楽しみにしております。

それではよろしくお願いいたします。   元中央公論社 編集者

2013 12・21 146

 

 

☆ 秦 恒平様

寒さも本格的になりました。お元気でおすごしの事を喜びます。

また、この度は「湖の本」118 号をご恵送いただき恐縮です。

ご活躍の秦さんがこういう形でこの社会に発信を続けておられるとは知りませんでした。

御本拝見して、憲法の問題をはじめとして様々触発されることが多くありました。

1 秦氏のことは、特別の関心です。両親の生れた町が神奈川県の西部秦野町(現秦野市)で、そこへ疎開したわけです。実朝の首塚などが近くにあり静かなところでしたが、最近はまた急激に変化しております。

2 桶谷秀昭の虚妄を素早く見抜かれた事はまことにお見事です。戦後政治の根幹に触れることを、江藤も桶谷も安易に流してしか見られない愚をおかしているようです。

3 岩瀬忠震のことを評価されておられますが、横浜人の多くは彼の正当な価値を知っております。かつて私の通った小学校の近くには井伊直弼の銅像があり横浜港を見下ろしていました。

4 私も谷崎の事跡をたずねて秦さんの本拠地の長浜や湖北の風物に触れたくて、潤一郎が関西に行ってすぐのころ夫人とともに訪れた宿を当たりをつけて訪れたり、「吉野葛」のなかにある南朝の最後のといわれる川上村三の公谷まで行ったりしたものです。

5 谷崎の若い日に焦点をあてて書いたものがあり謹呈します。谷崎家末弟の藤平さんとは知己をえておりました。映画に熱中していたころには谷崎潤一郎は山手の大正括映撮影所などで横浜と非常に関係が深かったといえるでしょう。

谷崎好きの美意識の権化のように思っていた秦さんからのご厚意にせめてのお返しに手元の拙著を遅らせてください。お暇なおりにでもお目通しくだされば幸いです。

寒さに向います。社会にもおかしな風が吹いております。

どうか健康第一で、日々生越くださるよう。    西伊豆   作家

2013 12・21 146

 

 

☆ 湖へ

お誕生日おめでとうございます。

どうぞお元気で、これからも、日々をお大切にすごされますように。

お目にかかれずとも、いつも想っております。先日お送りくださった「湖の本」は、この慌ただしい師走の先の楽しみに、傍らに置いて過ごしています。いつもいつも本当にありがとうございます。

どうかお大事にと、祈っています。  珠

追伸 歳の暮れになりますが、わずかな品を送らせて戴きました。お口に福を。

 

☆ 天候にも恵まれなかった此の一年を

通り過ぎて下さいましたこと、唯々嬉しく有難く存じ上げて居ります。如何に励まして頂きましたことか…。

お祝いと共に心より御礼申し上げます。

余りにささやかな品をお届け致しますこと どうぞお許しの上、ご笑納下さいませ。良いお年を…  下鴨 文

 

☆ 秦先生 奥様

いつも御本をありがとうございます。

私はなんとかやっております。

北野天満宮で梅を買いましたので、わずかですが送らせていただきます。  嵯峨大覚寺 由美

 

☆ 寒さも厳しくなり案じておりますが、

お風邪一日も早い回復を祈念しております。食欲が戻られると良いのですが、手頃にこちらの酒肴少々お送りしますので又ご賞味くださいませ。

選集を刊行されます由 電子化も進んでいますので、時宜をえたお仕事、どうぞ順調に進まれますように。

私、所属しております会でいろんな勉強をしておりますが、この国の行く末がどうなるのか注視して 時に皆で活動していきたいと思っています。

どうぞよいお年をお迎えください。   金沢市 戸

2013 12・21 146

 

 

☆ 前略

「湖の本118」有難く拝受いたしました。島津氏も長曽我部氏も秦氏といふところまで拝見してゐた時に入院することになり、御礼が随分おくれて失礼いたしました。今日退院して参りましたがどうも元気が出ず、そろりそろりとたのしませていただきます。

いつも葉書で甚だ失礼でございますが御礼まで。

よいお年をお迎へ下さい。   元「群像」編集長

 

☆ 一気に本格的な冬の到来です。

このたびは「湖の本118」 いつもながら深謝申し上げます。

巻頭の「憲法は『抱き柱』か」が,本巻の基本的な姿勢と思いつつ拝読しました。

猪瀬直樹氏の『黒船の世紀』の面白さを徹夜で読み読み返した条りは、何たる皮肉、今日の都知事辞職と裏腹でした。

それにしても、中公文庫『日本の歴史』を連日読解しながら、日々に十種を越す読書には脱帽するのみでした。

敗戦前後も、自分の在り方に照して考えたりもしました。

少しでも良き年をお迎え下さるよう祈るのみです。御礼までに。 元講談社出版部長

 

☆ 甲州の小さな山や、

笛吹川を溯って教科書にもあった田部重治の文のように、奥秩父の峰をこえて佐久の方に出たりしました。

町でもおそい秋になると、恵林時から一歩奥に入ったような道ぞいの農家の軒先は、軒ごとに干した柿で埋り、夕陽に紅くそまって見事なものでした。 その向うの 遠い山々……

 

健康な歯にめぐまれた家人は大きなままで、 そうはいかない私は小さくさいて (枯露柿を)いたゞいています。

お茶請けのように薄く切っていただいたという方もいました。

お好みかどうかわかりませんが、甲州から送ってもらいました。どうぞ召し上ってみて下さい。

もう十二月 寒くなりました。お大切にと念じます。

最後に、 御本を有難うございました。 十二月十九日   藤村研究家 元学研編集者

 

* ご厚意も嬉しく、大きな枯露柿もそれは美味しく、それよりもなおお手紙の筆致筆韻を有難しと思う。お元気で。

 

☆ ワイマアル憲法のもとに

生まれたバウハウスを思い、先生の言葉が 今、いっそう切実に感じられました。

どうぞお身体 大切に。皆さま よいお年を。  京都  美学教授

 

* ゆりはじめさんから、「小田原事件 谷崎潤一郎と佐藤春夫」「疎開の思想」「あしたの雪」「戦後文学の解明と自分史」「太宰治の生と死」を一度に頂戴した。この、わたしより三つ年上の、作家にして詩人でも俳人でもある批評家ゆりさんの文学上の「仕事」に接するのは、じつは今回が最初で、これまではお名前しか知らなかった、そのお名前を或る私小説的ななつかしさで記憶していて、それはわたしの秘密の一つになっている。湖の本もこれまでは送っていなかったのだろう、ただゆりさんなりに私の名や仕事は見知っていて下さった。興味も好奇心ももってこれから著作を拝見する。少なくも小田原事件、太宰治、そして疎開というわたしとして見過ごせないキイが揃ってもいる。

2013 12・22 146

 

 

☆ 秦恒平様

文学から政治、時代状況まで熱く語っておられる姿をいつも目に浮かべています。

視力・視野の不安よくわかります。

わが母親 右眼は光を失い左眼(視力0.3)だけで拡大鏡片手に新聞を読み日々暮らしています。白壽へ余年わずかとなりますが

…。  同封のお守りは母が信じている地蔵尊であります。   京山科  神戸大名誉教授

 

* 京都祇園町「目疾地蔵 仲源寺」のお守りを頂戴した。育ったわが家からものの数分、四条縄手、南座の東寄りにある名高い「めやみ地蔵」さんとは。懐かしい限り。幼稚園から国民学校にかけて二年ほどもこの仲源寺へ「お習字」の稽古にわたしは通った。「略縁起」の一文も添うてある。聞き覚えのところでは、「雨やみ」を祈った地蔵尊とも。「雨奇晴好」の扁額が桃山期と目される唐門に掲げてある。お守り大切に身につけます。ありがとう存じます。

 

☆ 寒いですね。

体調のせいか、今年はとりわけ寒暖がひびきます。

「湖の本118」ありがとうございました。繰り返しになりますが、文章のお力、本当にものすごいですね。いまあらためて実感します。放念と明恵とを対比して考えてみたいと願っています。 京都宇治 作家 百

2013 12・24 146

 

 

☆ 残り少ない日々になりました。

お元気にお過しの御様子、なによりうれしくてなりません。どうぞ御無理なさらずに新しい年を迎えて下さい。

新しい本が届くたびに古い本を持ち出してよみ返すようです。楽しみです。

新しい年、御誕生日と重ねておめでとうございます。くれぐれもお大切に。  桐生市 君

2013 12・24 146

 

 

* 染織作家渋谷和子さん作のテーブルセンターとお手紙を戴く。

☆ 度重なる御芳情拝受し乍ら

御無礼のまま今年も余日一週間ばかりとなりました。

御不快の中での次々意欲的なお仕事ぶり、いただく新刊書を私の気つけ薬として拝読させていただき乍ら、 余りに不甲斐なく過ぎる己と闘う日々の私です。お赦し下さい。

何とぞ 何とぞ御自愛ひたすらに 良き春をお迎え下さいます様、来る年が地球上に平穏をもたらします様、祈りつつ、有難うございました。

間の抜けた御礼迄  合掌

秦恒平先生    渋谷和子

 

* 渋谷さんにはむかし、新潮社新鋭書き下ろし作品としての『みごもりの湖』の装幀をしてもらった。ずっと後年、梅原猛、石本正、清水九兵衛さんらといっしょにわたしも選者の一員だった「京都美術文化賞」を受けてもらっている。久しいお付き合いになる。

2013 12・27 146

 

 

* ヨーロッパの旅から帰国まもないピアニストの中村紘子さんからも手紙を貰っていた。

 

☆ そして帰ってきた日本は

明るい夕暮れの雲海に富士山が美しいシルエッを見せていました。暗く冷たい北ヨーロッパから戻って、ああ、日本てなんていい国だろうと日本人に生まれた幸せをかみしめているところです。

では、どうぞよき年末年始をお送りくださいませ。

庄司(=薫氏)からもくれぐれもおよろしく と申しております。 中村紘子

 

* お元気で、なにより。

☆ 湖の本小説の①から⑩

お手数をおかけ致しました。

初春にひらくつもりが、一巻(「清経入水」)は読み出して とまりませんでした。

御大切になさって佳いお年をお迎え下さいませ。  高松市 星  作家

 

* 送られてきた同人誌のなかで、あ、これは佳いと読めた未知の人。こうしてわたしの創作にも目を向けてもらえるようになった。

 

☆ 現在

「憲法は『抱き柱』か」「私語の刻」のみを読み終えたところで申し訳ないのですが、全文もキッチリ拝読致しますので、お許し下さい。

天皇の傘寿のご発言に感銘を受け、両陛下(この国の最高のリベラリスト?)のご心痛に気づかぬ”バカドモ”に喝を入れたい心境です。  練馬区豊玉  裕

 

* まことに。こういう感懐をもらす人たちがますます増えるだろう。長い目でみれば絶対に軽率には言えない、言ってならないことだが、あんな安倍「違憲・凶暴」内閣に支配されるぐらいなら、せめて今上ご夫妻の今なら、天皇の政治発言をどうかお願いしたいと思いたくなる。それほどに日本の今は危ない。安倍靖国参拝のあのでたらめなパフォーマンスや弁明には怒りを禁じ得ない。十余年前の小泉内閣の時はわたしはペンの理事として、詩人の木島つとむさんらとも協力して、靖国ではない、千鳥ヶ淵へという運動をした。天皇は靖国へは決して行かれなかった、いつも千鳥ヶ淵の国民的な礼拝所で慰霊の祈祷をささげられた。この事実のまえに立ちたい。

せめて民主党政府にはこの一つだけでも片づけていって欲しかった。

 

* 阪大名誉教授・国文学の島津忠夫さんからもいいお手紙が届いた。わたしの此処のところの「湖の本」は、この島津さんのような読みようで読まれることが、わたくしの、何よりの願いでした。感謝します。

 

☆ 拝啓  秦恒平様

本年もあと数日を残すのみになってしまいました。その後お身体の方はいかがですか。いつも 『湖の本』お送りいただきありがとうございます。

今回の「歴史・人・日常」ようやく最後まで読み切り、感銘を受けました。私もワープロに日常を残しておりますが、ほんの記録と男ひとりの食事のメモだけで、もっと感想を書くべきだと思いました。

いくつか思いつくままに。

能村登四郎の句 「明日への信いくらかありて種子を蒔く」。私もわが身に則して感心しました。

力士のしこ名同感です。昔ならほかに綾錦、鯱の里など、今なら隠岐の海ぐらいでしょうか。「演劇界」の澤村田之助の記事、「武蔵山の引退で男女の川が横綱になった」とありますが、私の初めて大相撲の中継を聞いた時は、武蔵山は休場していて、すでに東の玉錦に対し、男女の川は横綱で、清水川がひとり大関だったと思うのですが、記憶違いだったのでしょうか。双葉山は関脇で全勝優勝して、とんとんと横綱まで駆け上がったのでした。武蔵山の全盛は知りませんが、再登場して弱い横綱で痛々しいばかりでした。引退したのはその後まもなくだったと思います。

本居宣長と上田秋成、宣長は文法学者に徹すべきだったと思います。歌人としてはとうてい真淵に及びません。秋成は稀に見るセ ンスのある人です。私はその秋成が高く評価した西山宗因をもっと世に知らせたいと思って、その全集完成に努力しています。

「わたしは、やはり若い元気な猪瀬直樹君らが「公」に向いてもしっかり発言していって欲しい」、私もそう思っていました。今のような姿を見るとは思いませんでした。それでも私は、彼は犠牲者だと思っています。

「日本は渤海との国交にかなり意を用いて使節の往来もやや頻繁であった」。昔、歴史でちょっぴり習って、渤海ってどういう国だったのだろう、と思ったことがありました。四、五年前に、卜純という連歌師が松前まで渡っていることを調べようとして、北方の歴史に ついて、あれこれ調べてみたことがあり、その時、はじめて気づいたのですが、渤海の使節が来たころは、日本海を内海と感じるほどの北朝鮮、樺太、北海道の海の道が開けていたことを知り驚いた次第でした。これはあとの方にも 「シベリアやオホーツクからの、またダッタンからの北要素が、雨に降られたように日本列島に広く認められる」 と書かれている通りだと思います。

角田文衛氏が明子、静子らの読みについで言われていることには私もその通りだと思っていました。ただ、はっきり決められないので、便宜的に音読していたに過ぎません。高等学校の文学史のテキストを作った時に、「彰子」「定子」に「しょうし」「ていし」とルビを振るようにという要請には抵抗し、教師用書にその理由を書くに止めたことを思い出しています。日本史の方はそういうことには普通は無関心で、「国人」などを「こくじん」ということで通用していますが、これは 「くにうど」 と読むべきなのです。

『源氏物語』は、四十年来、名古屋の「源氏の会」で読み、放談を繰り返していますが、私も高齢ゆえ、できたらその放談を一冊にまとめておきたいと思うようになりました。部分部分読んだのではこの物語の面白さはわかりません。私も講読で音読する機会を持ったことをありがたく思っています。

「源氏物語には、村上の治世の大きな特色であった放火も火災も一切書かれていない」 と。言われて見ればその通りですね。源氏と藤氏の政治的な葛藤はちらちらと見えていますが、どこまでも公家の世界での話ですね。「同時代の男達が書いた数多い漢文日記に、只の一度として記載また証言されたことが 「無い」」というのもそうですね。

受領層についての土田直鎮氏の見解もいかにもと思い読みました。土田氏の部分読み返してみたいと思います。

「歴史年譜をひらたく文章に書き起こしただけで本にしたような本を人にもらうこともある。そういう本が、存外に売れたりしている。おどろく、ツマラン」。 同感。歴史に限らずそう感じることが多いのです。

当たり前のことが書かれて売れてゐる 『親と上司は選べない』 とさ   忠夫

「「室町ごころの明るさ」とともに希望にも火のついていた時代と読み続けている。」

「室町ごころ」は、京大の旧制大学院の頃、研究会で岡見正雄先生から初めて聞いたことをなつかしく思い出しています。

「御用学者や悪政の徒らがどう言い繕おうと原発核爆発の恐れやサイバーテロのおそれに戦く今の我々よりは、核爆発や宇宙開発など夢にも知らなかった時代の人の方が不幸だった後れていたとばかりは、あながち、いやいや、けっして、言いにくい。言えない」。

まさにその通りだと思います。

「N H K 、政治討論会を聴き終わってから、機械の前へ来た。民主党の岡田克也氏を篤実で精悍な論客であると感じ、小泉総理は、相変わらずその場限りの詭弁を弄している、それがかすかな表情の揺れに透け透けに見える」。

これは私も見ました。その通りに感じました。結果は、まっとうに論じた岡田が大敗し、小泉のはったりが大勝しました。この時ほど、日本人の一般大衆を情けなく思ったことはありませんでした。その小泉が、いま原発ゼロを叫んでいます。これはもっともっと叫んで欲しいと思います。

「日本の歴史」をずっと読みながら感想を綴られているのを私もあれこれ思い出しながら、たのしく読みました。

最後に、「米沢藩主上杉鷹山 嗣子へ 三箇条の教訓」に、括弧内の安倍内閣への指摘、同感です。ついに悪法が通ってしまいました。こんなことも書けない世の中が来ることを憂えています。

「 マグマ」 平成二十五年七月号に珍しく時事詠を纏めて発表した拙詠、コピーをしに行くのが遠いので、原稿を打ち出し添えておきます。お笑いぐさまでに。 平成二十五年十二月二十六日  島津忠夫

 

奢れるもの久しからず   兵庫 島 津 忠 夫

声高に国益叫び突き進む為政者の危険幾たり見しや

デフレよりインフレの方が恐ろしい戦後経済を今に思へば

奢れる者久しからずと呟きぬ傲慢首相の答弁聞けば

突つ走る首相の首に鈴付くる人なきやかつての後藤田氏のごと

虎視耽々首相の答弁聞いてゐる隣に座るこれも策士が

いまに財閥やがて軍閥も出で来べしアベノミクスの最果ての世は

脱原発どこ吹く風と沈黙す参議院選挙にただ勝つまでは

活断層もし動けばの放映に原発の被害抜けゐる不思議

いま思へば拙劣なれど脱原発真剣に考へしは菅首相のみ

フクシマの収束目処も立たぬまま首相は原発売りに外遊

自民党にも首相にしたき人がゐる河野太郎氏公選なれば

 

* 泓々と湧き上がる力を戴いた。

 

* ふんばって、なんとか元日に息子等が雑煮を祝いに来て畳に座れるようにと、姑息きわまる片づけをした。草臥れた。このごろ、腹部不穏に無力・脱力感を覚えることが多い、水分を飲んだり、食ったり、服薬したりしているうち、腹が鳴り出したり力なくなったりする。気にしないことにしたいが、気にならぬとは言えない。

 

☆ 鴉、メールありがとうございました。

今日は初雪が降りました。午後ひとしきり吹雪いた雪の中を来客あり。暮れの大掃除もかねてと、いつになく( !!) 丁寧に日常性が消えるほど整理して客を迎えました。今しがた帰られたところでホッとした途端に、用事を放棄して返信を書いています!

明日は「歳末の寒空を」関西に用事で出かけますが、悠々飛翔とはならず、三十日、大晦日は正月迎えに大わらわになるでしょう。できることなら新年を迎える準備も何もせず過ごしたいものです、怠け主婦の叶わぬ思いです。

それにしても一年があっという間に過ぎていきます。

鴉の風邪が治まりつつあるとのこと、本当に良かった。寒さが続いていますから、意気盛んになど動かず室内で養生なさってくださるよう、そして少しずつ書き継いでくださるよう、願っています。

「政治も世間も世界もオカシすぎ」と鴉は嘆かれます。昨日一日のニュースを箇条書きするだけでもあまりに多すぎる、それが毎日ですもの、怒って泣いて狂っても足りないほどおかしなこと、不条理に、満ち満ちています。具体的に述べ始めたら、おそらくわたしは過激なほどに書いてしまうと思います。そして同時に無力も痛感するでしょう。ただ無力感の先であっても、「見ざる、聞かざる、言わざる」はわたしにとってはあり得ないことです。

「みごもりの湖」の舞台には二回出かけたことがあります。また関西への往復に何度も近くを通り過ぎることがあり、思いを馳せます。今日はきっと白い風景の中です。

「みごもりの湖・秘色・三輪山」そして先日テレビで見た、西本願寺の能舞台で演じられた『清経』に触発されて、『清経入水』を読み返したいです。

新しい年、淡々と静かに迎えましょう。   鴉、鳶を見守っていてください、いつも、いつも。

お体、大事に大事に大切に大切に。    尾張の鳶

 

* みんなみんな たれもたれも お体、大事に大事に大切に大切に 佳い春を迎えてください。

2013 12・28 146

 

 

* じつを云うと、「湖の本119」にして良い原稿づくりが、今し方、たっぷりの量と質とで出来上がった。いつでも入稿していいほど内容も吟味してある。なにも急ぐことはなく、また別のプランも創ってゆこうと思う。昔は、誕生日以降は仕事はおやすみにしようと。昔は「仕事」といえば原稿料や印税の「稼ぎ仕事」だった。今は一切原稿料も印税も「一切稼がない」のを「自分の仕事」にしている。そういうナミの作家・文筆家たちにすれば魔法のようなことが、今のわたしには出来る。大いに楽しんで出来ている。若い日々の懸命の稼ぎ仕事がそれを今わたしに許可してくれている。奇跡のようだが奇跡でも何でもない。ただわたしは勤勉だったに過ぎない。むろん蔵など建ちはしなかった。蔵などかかえて死ぬわけに行かない。蓄えはきれいに使い果たして逝く気だ。                      傘の壽へとぼとぼと歩みよるわれら 日一日の景色ながめて  遠

2013 12・28 146

 

 

☆ 押し詰まってまいりました。

すっかり御本復の御様子に安堵いたしました。「湖の本118」を御恵贈にあずかり有難く御礼申し上げます。 当方、

家内ともども高齢にはあらがえず難儀します。

やっとのことで『平家物の能狂言を読む』の最終チェックに着手しております。

どうぞ良いお年をお迎えください。  名大名誉教授  山下宏明

 

☆ 二○一三年もいよいよ押しつまりました。

色んなことがあった年でしたが、最期の最後に靖国と辺野古とは…。今年を象徴するできごとだったかも知れません。

ご本ありがとうございました。お礼が遅くなりすみません。帰宅したら見覚えのある文字で、サテと思って手に取ったら久しぶりに先生のお名前が…。市田忠義さん(共産党書記局長)から先生とのやりとりをお聞きし、驚いたり喜んだり。

ペンの理事をひかれたので、どうされていたかと案じておりました。

秘密保護法強行--。憲法抱き柱ではすまなくなりました。一方で若い人たちの頑張りは希望です。

お元気で新年を!!   京都民報主筆  林信一郎

2013 12・29 146

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