☆ 湖の本 ありがとうございました。
特に『斎王譜』に触れ得たのは幸いでした。現今の社会(特に政治)の浅ましい価値観の只中に凛として立つ、抵抗する人々にとっての励ましとなる秦文学のことを思う日々です。
御健勝を祈ります。 八王子 水島(夫妻)
2017 1/8 182
* さて次は、「湖の本133」の発送、「選集⑱巻」の送り出しに用意、備えねば。備えておけばおくほど、作業はラクになる。
2017 1/8 182
* 「湖の本133」発送の用意を始めた。用意が出来ていると想像以上に気が明るい。追われると、シンドい。事実以上に気が重く暗くなる。出版や編集は、いわ ば雑用のかたまりであり、雑用といえども一つ欠けても全部停頓する。とかく停頓させる編輯者や製作者はいい仕事、たくさんな仕事は出来ない。徹底的にわた しはそれを医学書院で覚えてきた。月刊誌の定日発行や単行本の刊行や多数の共同執筆本の仕上げ進行で覚えてきた。役に立ってくれた。それで「自由」に立つ をえた。身の不幸とは思っていない。
2017 1/12 182
* 三十日からの「湖の本133」発送の用意を九割がた終えた。夜前よく寝た。朝のうちの作業でよほど疲れた。もう少しガンバッテ終え得たら終えたいが、 ひどく睡い。休憩かたがた好きなバート・ランカスターとオードリー・ヘプバーンの「許されざる者」をなかばウトウトしながら見終えたが、睡い。
同じ疲労でも、作業のハカより、書いて読んで思案して、仕事の進む方が、あたりまえだ、心ゆく。しかし、出版を含むわたしの仕事には作業に類する雑用はおろそかにならない、どう疲れても。
2017 1/21 182
* 「湖の本133」発送用意はほぼ終えた。今週いっぱいはわりと気儘に過ごせる。校正刷りはドンと山になって来ているが、急ぐとむしろ印刷所が気忙しか ろう。書きかけの小説へ、また「湖の本134」の編輯入稿へ取り組みながら、ちょっとでも街へなり郊外へなり出歩きたい。
2017 1/23 182
* 「湖の本133」が刷り上がってきた。
2017 1/25 182
* ハテ、わたしは。情けないが旋頭歌のように繰りかえし謂うなら、
尿が出て便出て食えて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし
根本は「食えて」にある。美味しく、噎せず、詰まらせずに食べたい。見た目の色かたちにも嫌悪感ヵ゛先だってしまい、できれば食べまいとする。しかも、 ラチもなく間食し、繰りかえし呑んで居眠りしている。いわば「食鬱」症か。明後日からの湖の本133発送、二月十五日からの選集18発送を終えた下旬ご ろ、鞄を背負い杖をついて、思い切って短い旅でも出来るといいが
2017 1/28 182
* とにかくも眼がよく見えなくて、やり切れない。十時半だが、もう機械からは離れる。
明日朝から、「湖の本133」発送にかかる。
2017 1/29 182
* 朝九時半、「湖の本133」出来てくる。玄関へ積み重ねてすぐ、発送荷造りにとりかかり、夕飯後なお作業継続。妻、疲労。わたしも、疲労。はやく片づけたい欲求を抑え、ゆっくり休み休みの仕事にしないと共倒れしかねない。
* だが今晩は、機械で目を灼くより、テレビを聞きながら妻は休ませ、わたし一人の発送作業を捗らせよう。
やはり手つだってもらい、かなりのところまで今日の分を取り纏められた。明日明後日と頑張りたい。
2017 1/30 182
* 作業終了へ、見通し立つ。妻に助けられた。うまくすれば二月十五日からの「選集⑱」送り出しまで、二週間ちかく「書く」仕事に打ち込める。校正ゲラを 抱えて小さな旅が出来るかも。久しく「乗る」ために東京駅へ、行ってない。以前は妻と、ふっと駅頭で思い立ち、仙台へ、水戸へ、足利へ、箱根へ、もっと大 昔には成田、佐原から霞ヶ浦をわたって潮来へまでも一泊又は日帰りの旅をしたものだが。
* 仕事したいが、目が霞んでいて。やれやれ。
2017 1/31 182
☆ 秦 先生
湖の本『忘れられぬ画家たち』頂戴しました。
じっくり拝読させて頂きます。
新作長編小説を書き下ろしの由、楽しみに致しております。とはいえ、“体力はゼロに近い”と。呉々もご無理をなさらぬようお祈り申し上げます。
私も今しばらくは“蟄居”を続けます。
一週間前より、取組始めた新約聖書ギリシア語原典を大変面白く読んでいます。
クリスチャンでは無いので、自由な解釈で仏教思想との比較などもしながらゆっくりとゆっくりと読み進めています。 仁
* 新刊の本が届き始めたようだ。
☆ 湖の本 届きました。
有り難う御座います よりも何よりも その元気さに敬服です。
最近 日吉ヶ丘(高校)の東京同期会が上野御徒町でありましたが、ほぼ昨年と変わらないメンバーの出席で、つくづく 「傘寿」が珍しくもない昨今だと確認しました。
とは言え 寝たきりは御免!と願うこの頃です。足は比較的達者ですが、記憶力減退気味のヤレヤレです。
昨年、京都であった傘寿の中学、高校の同期会は気が乗らなくて欠席しました。 花小金井 泉
* 日に日に人の名や堅い名詞が記憶から遠のきがちで、ふっと立ち止まらされる。読んで読めるあいだは好奇心も駆使して盛んに読みたい、その為にも視力と視野 の安定が欲しい、と言いつつ検眼はしたのに眼鏡を作りに行かない。つくる眼鏡つくる眼鏡適確に役に立ってくれないのに懲りているのだ。
☆ 歩かねばいけないと
医者は命じるのに、家での「書いて読んで」の仕事に、つい打ちこんでいます、残年と余命を惜しんでいるのでしょう。
困っているのは「食」の進まないことです、へたな食べようをすると忽ち腸が閉塞ぎみにえづいてしまう。おかげでどの食べ物も美味いと思えなくなって、出来るなら食べないで過ごしたいほどです。しかしそれでは衰弱が進む。
もう一つは、家内とのほか、また病院で医師とのほか、人と会話する機会が全く無くて、これも精神的に不健康なことになっています。書物の中の人物や古人 とは無言ながら盛んに話しますし、このごろは例えば写真の沢口靖子や、死なせた猫たちの墓や、庭へ降りて来る鵯や目白などに盛んに声に出して話しかけてい ます。メールはやはり会話の嬉しさとは懸け離れていますものね。それでも大勢の知己や読者が、ほぼ間断なく手紙やメールで声を掛けてくれて、幸せな作家で す。
ショルダーと杖とで築地まで病院通いしてましたが、背負い鞄(リュック)が好いでしょうと親切な読者が贈ってきて呉れました。まだ使う機会が来てません が、少なくも片手が使える体勢にはなったので、頑張って、京都とまでゆかなくてもどこか近くへでもせめて一泊の旅に出たいなと願っています、いくら願って も果たしたこと、ありませんけれど。
一冊作るのに一万円近くもかかる特装限定の選集も、二十一巻めを進行中で、三十三巻までの予定、それまでは気力を尽くして命大事にと願っています。
今は新作の長編小説を二つの他に、書きかけで置いてあった小説を、次々に仕上げて行く日々を過ごしています。
わたしより年長で存命の先輩、たしかに数少なくありませんが、そういう人たちとも声を掛け合いながら自身を励ましています。息子の暮らしの心配をしなくて済むのも幸せの一つです。
よほど気が向いたら、誘って下さい。
では、お元気で。
☆ 秦恒平様
本日、湖の本133 『忘れられぬ画家たち』をいただきました。いつもながらのご厚情に深謝いたします。
早速に拝見しました。
職業柄、ゆとりのない生活を送ってきましたので、上村松園や村上華岳の名前と代表作ぐらいはテレビで見ておりますが、織田一磨については何も知らず、お恥ずかしい次第でした。
秦さんの哀惜の念のこもった筆に感嘆しました。
織田一磨の石版画については、検索して眺めました。3月末まで町田市の美術館で展覧会が開かれていることも知りました。
「私語の刻」によれば、ご健康の維持には難渋しておられる由。ご夫妻の平安を心からお祈りいたします。
ありがとうございました。 浩 国際基督教大学名誉教授
* 同志社美学の先輩、郡定也名誉教授が旧冬の十五日に亡くなっていた。温和に聡明ないい先輩だった。亡くなるきわまでも「湖の本」を応援して下さった。また寂しくなった。
* ロサンゼルスの池宮さんから、小金井の俳人奥田杏牛さんから、親鸞仏教センターの本多弘之所長から、昭和女子大から、大正大から、それに無中味開新堂主人の山本さんからお手紙があった。山本さんには大小多種類の美味しいクッキーがびっしり詰め合わされた一缶を頂戴した。
有難う存じます。
☆ 秦 兄
ご本拝受しました。有難うございます。昔の職場仲間と美山町のかやぶき集落へ雪景色見物のドライブに行っており、お礼が遅くなり失礼しました。平日で寒い折にもかかわらず、中国からの観光客が交通のさほど便利でもない田舎にまでも大勢押し寄せていたのには驚きました。
どの会も加齢とともに解散を余儀なくされていますが、先週、小・中の同窓会の幹事をしてくれている西村肇君に粟田の同窓生の葬儀の件で電話をしたのですが、電話口での苦しそうな話しぶりに驚きました。肺が弱って喋るのが苦痛とのこと。
「無理してしゃべるな。メールで連絡し合おう」と電話を切りましたが、幹事がそんな状態ゆえ、今後はますます同窓会の開催は困難になってくると思われます。
目に加え、骨折した右手が不自由で捗らず、苛立ちの毎日です。殆ど外出せずに、狭いコックピットに長時間座っているのを案じて引っ張り出してくれたのが、今日の外出です。
世界は変わります。日本も変えなければなりません。本人は大還暦は無理として せめて皇寿位までは生きて、一億二千万分の一の仕事だけはし終えたいと意気込んでいるのですが、果たしてどうなりますか。どうか見守ってお力添えください。
早や立春ですが、寒さはこれからが本番です。
充分ご自愛のうえご活躍ください。 辰 京・北区
* 西村肇君の病状を初めて知った。こころより平安を祈る。京都で暮らしていたら当然のようにわたしの役目だったことを歳久しく肇君が親切に勤めてくれていた。
もう同期の皆で顔を合わす望みは絶えたろうか。
2017 2/3 183
* あと十日、「選集⑱」送り出し用意に取り組みだした。数は「湖の本」より遙かに少ないが、荷造りの手間は掛かる、というだけでなく手指の痺れているわたしには出来そうになく、すべて妻に托さねば済まないのが、難。
それにしても書架にすでに並んだ『秦 恒平選集』十七巻にさらに十六巻を加えて行くというのだ、ビックリしてしまう。この時節、かつて盛行した作家や批評家の個人全集など、ほとんど聞かなく なった。自力で世に問える作品やエッセイをたっぷり持った作家も批評家も容易には見当たらないらしく、寂しい「日本文学」世代と謂うしかない。リッチを 誇っているのは通俗な読み物・売り物の人ばかりらしく、まことに「寂しい極みの現今日本文学」世代と成り果てているらしい。
2017 2/4 183
* 静岡大教授小和田哲男さんや、早稲田大、東海大名古屋、神奈川県立文学館、山梨県立文学館、三田文学編集室などから「湖の本133」へ挨拶あり。
☆ 拝復
(前略) いつものように「私語の刻」から拝読を始めましたが、いきなり 私も大好きな「鐵斎」が出て来て、「京の鐵斎」で『蓬莱仙境図』は絶品」とあ るのに、全く共鳴致しました。私は昔、出光美術館の「歿後90年展」で実物を観て驚嘆したことをたちまち想起しました。
「京の散策」では、新作は京都が舞台になり「相変わらず好き放題に歴史の京都をも翔びめぐっている。それそのような『京都』とのつき合いカタこそ『病を 抱いたわたしのためには『妙薬』になっているのだろう」という御文に接し、感銘致しました。こういう御感慨こそ、シンの作家の証と存じました。
本年も呉々も恩体調に留意され、御健筆のほど同世代として心から御期待致しております。敬具
元「新潮」編集長 忠
* 井口哲郎さん 持田鋼一郎さん、小滝英史さん、近藤晴恵さんらからも深切なお便りを頂いている。
☆ 新しい「湖」のご本届きました。
いつもありがとうございます。大切に読ませて頂きます。
特に「京の散策」は楽しみです。
立春の今日はよく晴れ、穏やかな一日でした。
ご体調がよくなられ、お食事が進まれますようお祈りしています。
暖かくなりましたら、ぜひこちらにおいでになれますよう願っています。 みち 秦母方従妹
2017 2/4 183
* 朝一番に、小田原の津田崇さん、すばらしい湘南の干物をたくさん送って下さった。
追いかけるように、写真家の近藤聡さん、純米吟醸の清酒を下さった。ここ二週間ほど日本酒から離れていたので友に逢った心地。近藤さんは昔々「秘色」や 「みごもりの湖」を読まれたころ、それは美しい現地の大判の写真をたくさん送ってきて下さった。それ以来、交流はなかったが写真に添えられていたお手紙を 読み返す折に会い、さ、お元気かな、同じ住所でいいかなと案じつつ今度の「湖の本133」を送った。宛先不明で戻るだろうなと案じていたのに、いち早く 「御礼」の名酒が届いた。幾重にも嬉しく、健勝らしいのを喜んでいる。
☆ <小説を書くということは
物語を作るということ。
物語を作るというのは自分の部屋を作ることに似ている。
部屋をこしらえてそこに人を呼び、そこがまるで自分だけのために用意された場所であるように、相手に感じさせてしまう。それが優れた正しい物語のあり方だと考えます。>
ーある作家の文章を読んでいて、思いがけず「部屋」という言葉に出逢いました。
<相手がその部屋を気に入り、それを自然に受け入れてくれることで自分も救われることになる。なぜなら僕とその相手とは、部屋という媒介を通して、何かを共有することができたから。
それが僕にとって物語の意味であり、小説を書くことの意味です。
物語という部屋の中で僕はなにものにでもなれるし、それはあなたも同じです。それが物語の 力であり、小説の力です。
どこまでが自分の夢で、どこからがほかの誰かの夢なのか、境目が失われてしまうような小説。そういう小説が、僕にとっての「良き小説」の基準です。>
そんな風に言葉は続いています。
別の文では、彼は<希望や喜びを持たない語り手が、我々を囲む厳しい寒さや飢えに対して、恐怖や絶望に対して、どうやって説得力を持ちうるだろう?>とも記しています。
昨夜、湖の本を受け取りました。
まず読み始めた「京の散策」に、「ものがたり」の「もの」とは鬼・霊にこそ通じて> とあるのに頷きつつ、八一さんの声と重なっていくような先の文章を 思い起こしました。「清経入水」「風の奏で」から「冬祭り」へと連なっていくお作の流れも自然と思い合わせられ、興味深く。
立春大吉。明日は雨模様のようですが、月曜には明るい日差しも戻ってくるでしょう。
新作の成りますこと、とても楽しみですが、日々お大切に。
* わたしが作の中の「部屋」で、自在に古人や非在の知己と会話談笑していることを書いたのは岩波「世界」に『最上徳内』を連載し始めたごく最初での発明で あった。上古中国の趙岐も自ら築いた墓室に出入りしては故人と話していたのは識っている。しかし創作と「部屋」とに関わって、わたしが先の連載に「部屋」 を書いたよりも以前、昭和五十七年(一九八二)「世界」十月号よりも以前、三十五年前よりも先だち「作家」である誰かの、上のような発語が著述されていた のなら、寡聞の不明を驚かずにおれない、が、上の読者のメールは、「ある作家」としか書いていない。教えて欲しい。
☆ お元気ですか、みづうみ
湖の本ありがとうございました。早速読み始めています。
鐵斎についてのご講演は初めて読みます。これだけ長く読者を続けていましてもまだ未読の作品のあることにめまいがしそう……。みづうみは息をするように書いていらしたのでございましょう。頑張ってついていかなくてはいけません。
わたくしの死後には、手元のご著書が散逸しないように、海外にお嫁入り先を見つけたいと願って思案しているところです。
ここ数日、日経や朝日に、安倍総理がアメリカの七十万人の雇用を生み出すインフラ整備のために、日本の年金から51兆円を拠出、いや出さないという記事が出る→安倍総理が訪米で異例の厚遇を受けるという記事が出る→やっぱり属国日本はとんでもないお土産を差し出すのだ→このままいくと年金財政が破綻し日本人の老後の生活が成り立たなくなる→日本人の高齢者は生きていけない→悲惨な状況になる前に早く楽に死にたい→その前に救える日本を早くノアの方舟にのせて救出しなければならない→という負のスパイラルの憂鬱を抱えた精神状態です。
みづうみの、紙の貴重なご本は命ある限り愛しんで読んでまいりますが、それでも、今後の命綱は電子化されたデータしかないと痛感しています。とくにみづう みのような膨大な著作がおありの文学者の仕事は、データで遺す必要性を感じます。何度も申し上げますが、本では全部海外に持ち運べません。また、みづうみ は機械環境文藝のパイオニアとしても重要な世界的作家です。お時間の許すときに、ホームページ含め可能な限りの作品をデータに入れていただけますこと重ね てお願いしておきます。
でも、一番大事なのは、早く新作を読ませてくださることです。
高木冨子さんの絵、青が美しくとても好きです。詩も書かれて才能豊かな方ですね。
発送作業のお疲れのでませんよう。
楽しい日曜日お過ごしくださいませ。 梅 わが胸にすむ人ひとり冬の梅 万太郎
* 書庫上の庭に白梅が枝を盛んに広げて、満開。身の丈はせいぜい五、六十センチ。実を謂うと昔に帝国ホテルの支配人をしていた読者から戴いた鉢植えの梅なのを、書庫の上へ土を上げてつくった庭へそのまま下ろしたのが三十年も毎春になると盛んに咲いてくれる。
☆ 先の文章の書き手は
村上春樹です。
「小説を書くということは~」は2001年8月執筆(タイトルは「遠くまで旅する部屋」。
「どこまでが自分の夢で~」は2005年3月27日発表「温かみを醸し出す小説を」。
「希望や喜びを~」は2009年秋発表「物語の善きサイクル」。
何れも『村上春樹 雑文集』2011年1月収録)、
「物語を語るというのは、心の闇の底に~」は、『職業としての小説家』2015年9月です。
村上春樹の「部屋」は、読み手(聞き手)と共有する場として思い描かれています。 九
* 村上春樹はわたしの十四年後に生まれ、わたしの十年後にデビューしている。ふしぎなほど現世の縁のない作家で、何処の國かでしていた演説にだけ、感服した覚えがある。
世紀を隔てて前後していた小説・創作における「部屋」の弁であると分かった。感謝します。
いましも、わたしはわたしの「部屋」で、奇妙のもの語りの入れ替わり入れ替わりつづくのに、聴き入っている。
2017 2/5 183
* 織田一磨の娘さんから、島尾伸三さんから、京の仕出し「菱岩」主人から、また、法政大、立命館大、城西大水玉年図書館から、「湖の本133」へ挨拶があった。
☆ 昨年から
湖の本の第一巻から初めて再・再の通読を続行中です。現在第四七巻「なよたけのかぐやひめ。目下 日々の最大の日課であり最大の楽しみです。
幸い五体健常 頑張ってます。 高槻市 昇
* 高校同期の友人。嬉しい便り。
2017 2/6 183
* 神戸大名誉教授の信太周さん、写真家で昭和八年「酉年年男」の近藤聡さん、紅書房の菊池洋子さん、画家の出店久夫さん尼ね明治学院大、南山大、広島 大、お茶の水女子大から「湖の本133」へご挨拶を戴いた。「みごもりの湖」このかたの愛読者でもあった近藤聡さん、届かないかなあと案じつつ送本したの へお酒や写真も添えてお便りを貰ったのが嬉しい。
☆ (前略)
秦さんのお人柄の一面の流露した貴重な一冊。松園、華岳は大好きな画家ですが、加えて、鐵斎、一磨の良さをおしえられ、いま幸せな気分です。文字も、繪を現出させてくれますね。まだ途中ですが楽しませていただきます。
寒さは続きそうです。どうぞお大切になさって下さい。 元・講談社出版部長 敬
* 京恋しさが乗り移ってか、「京の散策」三度目、喜寿の歳であった「2005年分」も、幸い反響が好い。日録「私語の刻」の私語を抜き出したに過ぎないが、一年を通じて柔らかに主題を追ってのエッセイに成っていようとは、むしろ心がけてきたこと。
2017 2/7 183
☆ 秦 恒平 様
「湖(うみ)の本 133 忘れられぬ画家たち 京の散策(三)」を拝受しま した。
「湖(うみ)の本」が31年もの歴史を刻んできたこと、読者に届けるための過酷ともいえる発送実務までご夫婦でやり遂げて来られて、これからも続けていかれるのでしょう、まことに驚嘆すべき事業だと思います。
インフルエンザが流行しつつある昨今、くれぐれもご自愛ください。 靖 妻の従弟
* 飛鳥を描く画家烏頭尾精さんから色紙繪を戴いた。
* 「選集⑱」送り出しの用意ほぼ満了、待機のみ。十五日納品までを気持ちのびのびしたい仕事に打ち込める。天候次第だが思い切って出かけてみることも。
2017 2/8 183
☆ 織田一麿は未知の人。
彼の核心に迫っていく「石版畫の詩人」は、この畫家の作品を見たいと思わせる一方で、「非在」の畫家を創造した小説とも読ませる力を感じさせてくれました。それはおそらく、今は亡き藝術家への限りない共感と愛惜が文章の根底にあるからなのでしょう。
他者を語る言葉が、いつしか自分を語っていたのだと不意に気付くことがあります。
<八十代になると痺れる魅力が溢れ出てくる、八十代後半の絵の最高にすばらしいこと。「京都」的跼蹐に背いて世界の広大へやすやすと飛翔して行く鐵斎が生きている。>
ー鐵斎を語った言葉が、著者自身の「これから」を照らす言葉になればと心から願っています。
「京の散策」ではないけれど、<熱心に、また孤独に旅に歩いた>鐵斎や<織田の勉強とは、何より「歩く」こと>という織田でもないけれど、佳いお天気だった月曜、「湖の本」を携えて出掛けてきました。
あんまり海が青かったので、東海道線を湯河原の手前の無人駅で降りて海を眺め、引き返して曽我の梅林へ。山々を背に咲き誇る花々を見上げつつ歩くうちに 汗ばんでくるような陽気で、香る春風も心地よく。小田原では城趾公園から二宮神社を巡り、暮れゆく相模湾を見下ろす清閑亭の座敷で一休み。
次は湯河原から先へ、桜の季節の城下町へと、この先の土地に季節に心誘われる散策でした。
<「現在」は決して立ちどまらず、永遠に確かに歩いて前へ進み行くもの>。
大切に過ごしたいと思っています。 九
* 若い身軽さ 羨ましい。
2017 2/8 183
* 古門前の、おっ師匠(しょ)ハンから、お茶菓子になる四種類「梅の壺」が届いた。ありがとう。手紙も追いかけてくるかな。
* はるかな昔から、ひょこっと帰ってきてくれる人たちがいるものだ、逆に影を消してゆく人たちもいて、人生行旅、なんとはなしツロクしている。これも「湖の本」が在ってくれてのことか。
2017 2/9 183
* 京の詩人あきとし・じゅんさん、何必館の梶川芳友と高校の同級生だったと。びっくり。好きな「華岳」を観に祇園の何必館へ行きたくなりましたと。やは り京の漆藝家で京都美術文化賞を受けて貰った望月重延さん、中京大、ノートルダム清心女子大、日本近代文学館からも「湖の本」へご挨拶があった。
☆ 寒い日が
また、つづくようになりました。紅梅の時季です。
『湖の本133』 誠に有難うございます。「私語の刻」で、奥様ともども体調を推察、一日一日を大切に過ごされる御様子に感じ入っています。
今回は、村上華岳から入りました。私も好きで、あの魔力的な画法に惹かれていますが、「五条橋下苦修三昧二十年」の句は存ぜず、「淘げる人」論もとても勉強になりました。代表作は山種あたりで見られるのでしょうか。(雨に濡れたか。中略)
御身大切に。御礼まで。 講談社役員 元・出版部長 徳
* おっ師匠(しょ)ハン やっぱり手紙も呉れた。
先日送ったわたしの『もらひ子』を読んだらしい。
子供の頃、自分が「もらひ子」であり、じつはあの子も「もらひ子」と初めて知った一人が、此のおっ師匠(しょ)ハン だった。五年生か、六年生よりまえであったろう、突如、キリッとして顔も身なりも綺麗な女の子が隣の組へ転入してきた。敗戦して二年と経ってなかったの で、学校中に戦災や引揚げの転入生は溢れてたのだが、その子は、驚いたことにわたしの叔母、むろん血縁のない叔母といたって仲良しの小母さんの「もらひ 子」だった。叔母と小母さんは幾世代も大昔からのわれらが共通母校の卒業生・同級生同士、まさしく近い親戚のように感じていた家へまるで降って湧いた「も らひ子」であったのだ。
わたしは生まれて初めて、「もらひ子」という身上や心情を分かちあっているらしき美少女を識り、率直に動揺も同情もし、血縁なんか問題にならない一と組 の従兄妹同士の気がした。「もらひ子」には「血縁」とは奪い取られたものと小さいわたしは思っていたから、この「従兄妹同士」には、わたし一人が勝手な想 像で思い込みであれ、ある種「同盟」感覚が通っていた。わたしに小説というモノを、それも「もらひ子」小説を書かせた一つの「動力」かのように此の「おっ師匠(しょ)ハン」はけっこうに「機能して」いたとも謂えようか。「おっ師匠(しょ)ハン」とは、昔から若柳だか藤間だかの舞踊の先生をしていて、今でもそうであるらしい。
とはいえ、この若き日々のおっ師匠(しょ)ハンの先行きは、わたしとまた天地ほど、北と南ほど懸け離れていて、およそわたしが東京へ出てこのかた六十年近く、消息もふっつり絶えていた。
それが、ふうッと、便りがきたのだ、此のわが家へ。ああ、もうはや「小説世界」へ入っているかと惘れるほどであるが、懐かしくもある。向こうもとても懐 かしいらしい。呉れた菓子の「梅の壺」を追っかけてきた比較的長い手紙も、まぎれなく「もらひ子」であった運命に殉じて触れてあり、しかも交々の物思いに 今も悩まされているという風情を籠めている。妻もわたしものけぞったほど不思議な事実も語られていた、「この手紙笑わずに読んで下さい。思ったままに書き ました。」と結んである。だが文面を此処に披露はしないでおく。
2017 2/9 183
☆ こんにちは!
立春が過ぎて少し暖かくなるのでは~と楽しみにしていたのですが~ 昨日からの雪がまだ木の枝に残っています〓 厳しい毎日ですが如何お過ごしでしょうか?
先日の「湖の本」で、昨秋にご体調を崩しておられたとの事、心配しております〓 奥様もお疲れになっておられたのでございましょうね… どうぞお二人ともにお元気でご無事にお過ごし下さいませね〓
湖の本を心の寄り所に楽しみに愛読しております!
133巻の京の散策に、思いがけず日吉の同窓の私達3姉兄の事を覚えて頂いてて、びっくり〓でございました〓有り難うございました〓
次姉は5年前に亡くなって寂しくなりました〓 次兄も昨秋義姉が逝去して独りになってしまいました〓 でも何とか元気に暮らしている様でホッとしています〓
このガラ型の携帯は横一列に8文字しか入らないので順列がネットとかスマホで受信されると 乱れる様ですね〓読み難くてごめんなさいね〓
では くれぐれもお身体お大切に お元気でお過ごし下さいませ〓 奈良 絹
* 高卒いらいだから、この後輩と優に六十余年出会っていないのだが、よそ何も古びても薄れてもいないで、昨日にもさよならと別れていたような気がする。わたしは昔々のこういう人たちとはみな変わりなくこういう気持ちで手が触れそうに思い出せる。
☆ (前略)
上村松園の「天保歌妓」には小生も若い頃なんと気品のある女性像なんだろうと憧れた記憶があります。遠い昔の思い出ですが。でも、松園については何も知らずにいました。秦さんの松園論を拝読し、そうだったのか、とあらためて感激しました。ありがとうございます。
寒い折、お身体にお気を付け下さい。 文藝無家協会理事 詠
* 川柳作家速川和男さん、成蹊大、皇學館大から受領の挨拶があった。
* 四時過ぎ、急に、たそがれてきた。山陰など猛烈な寒さと雪らしく、都内でも雪はちらついた。わたしは疲れて、睡い。
2017 2/10 183
* 明後日からの「選集第十八巻」送り出しに備え、とに書くも受け入れて積み上げるため玄関先を片づけた。西隣棟へも幾らか保管できる場所を用意してき た。腰がきつく痛むが、直前にチオビタを一本飲んでおいたのが、すこしは効いたか。西隣はちいさい家一軒分がほとんどすき間無く物置き(本と資料)に成り 果てている。
わずかなすき間に坐り込んで古い資料を見始めると時間が流れ去る。
断乎見もせず棄ててしまえば畾地(らいち・余地・田畑の空き地)が出来るのだが。
昭和三十四年(一九五九)三月いらいの例えば郵便物が以降少なくも去年までほぼ一通も余さず保管してある。私史年譜資料として惜しい私信や記録もあれば、著名人肉筆の来翰来信もある。六十年分近いそれらをせめて五分の一に処分できても畾地はよほど拡がる。
湖の本三十余年分の記録や書簡や読者カードを躊躇無く捨て去れば広い場所が空いてくれよう、しかし惜しんで思いの残る来信をだけでもと想うと選別はたいへんな労作になり、しかもわたし自身の目や思いを注がねばならない。「湖 の本」は稀有の事業であるだけに、出版史てきに関心を持たれて当たり前なのだが、とかくこの仕事は文壇的・出版業的には、とんでもない例外として「無視し ておこう」ということになっているとも洩れ聞いている。そうではない有り難い声や言葉もたくさん寄ってきている、今も、むろん。
* とにかくも、まともに家の中で「安座」がしたいと、いつも苦笑している。三百坪もの家屋敷で育ってきた妻に、このぶんでは生涯六畳間より広い部屋で暮らさせずじまいに済んでしまう、申し訳ないと思っている。
2017 2/13 183
☆ 「忘れられぬ画家たち」 のご本
松園・華岳と夢中で読みました。
魅入られるように以前見た絵が周りを取り囲んでくれるような気がして、静かな美術館の中で絵に浸っているような気すら致します。
何年か前ですが、舞囃子の序の舞のお稽古をしています時、部屋に松園の「序の舞」の大きな絵を貼って励みにしたことがあります。こんな使われ方をして苦笑されていることでしょうね。
「花筐」や「砧」を舞うことができるときがくればとも。
HPの私語の刻で小旅行などしてみようかなーと書かれていましたが、ご夫妻で是非是非お出かけください。お家を空けることが可能になったのですから。杖とリュックがあれば心丈夫でしょう。
寒暖の差も激しいのですが、蝋梅も咲き、白・紅梅もほころんでいます。暖かい地では桜も。
お大事にしてお出かけください。
私たちも興味の赴くまま小旅行をしたり、新聞の販売店がくれます美術展の招待券などで上野あたりまで出かけています。
次なるご創作のご本をお待ちしています。お二人ともご無理なさいませぬようにお気を付けてお過ごしくださいませ。 練馬 晴 妻の親友
* ほんとうに、妻もふと思い立って一緒に出てくれれば、一泊の旅ぐらいは出来ると思うのだが、妻の健康のことも配慮しなくてはいけない。ま、それでも、気の晴れる気を晴らすことは大切と、しみじみ感じてはいる。
新婚のすぐ二、三ヶ月後には、霞ヶ浦を舟で潮来へ渡ったのが懐かしい。
「冬祭り」で描いた鞍馬の火祭、比良のケーブルも、妻と二人だけの旅だった。
名古屋のボストン美術展や熱田神宮へ行ったのも、水戸の偕楽園や袋田の四度の瀧へも、仙台松嶋へも、足利の藤見へも、みな、ふっと思い立ち二人でふいと電車に乗ったものだ。
旅は、やはり劇場での観劇の楽しみと、また味わいが格別にちがう。
前から、いちど、銚子のトンガッタ岬へ立ってみたかったが時間が掛かりそう、全く不案内だし。大きな都会だとなんとか宿もあるだうが。
小説も書きたくて新潟県の村上へも久しく願を掛けてきたが。
なににしても今時、雪國へ向く手はなかろう。
* 前の文春専務寺田英視さん、吹田市の歌人 さんら、湖の本へ挨拶あり。
2017 2/13 183
* 昨日とにかく初稿の脱稿で、今日はなにということも無くかつ為ず過ごした。テレビで洋画を見始めたが何やらビンともシャンともせず、もう機械を仕舞い に上がってきた。「湖の本134」の入稿はと印刷所に聞いてこられた。歌集にするか、湯気の立っている小説の短編二編にするか。ま、すこし考えたい。「選 集⑱」に次いでもう「選集⑲」も責了になっており、いつでも刊行できる。さらに「選集⑳」は560頁にちかい超大冊になり、「選集二十一巻」ももう初稿が 出揃っている。この校正にも追われはじめるので、つい「湖の本」新刊入稿用意を棚に上げていた。催促された以上は決めねばならない。
2017 2/13 183
☆ お元気ですか。
あっという間にお正月が過ぎ、1月のスケジュールを終えて、ほっとしたとたんに寒くなって風邪を引いてしまいました。まだすっきりしませんが、今日は街なかへ行き、用件を終え、お菓子を色々と送りました、楽しんで下さい。
湖の本-なつかしく楽しんで居ります。
今日は先日の雪の写真を送ります、わが家の近くでは小鳥が元気に歌って居ります、早く温かくなってほしいな!と思いつつ、無理をせずにお元気でと。 京・北日吉 華
2017 2/15 183
☆ 春が
近づいています。今日は、春一番とか。
本日、選集第18巻、確かに受け取りました。心より厚く御礼を申し上げます。
すごく嬉しく思います 心から感謝とともに 河幹夫
* 「湖の本」へもお便りが来る。
2017 2/18 183
* 昨日今日 モーレツに頑張った。「湖の本134」の編成ができたと思うが、十一時半、へとへとで目見えない。疲れた。昨夜個、四時半まで眠れなかった。四時間ほどしか寝ていなかった。ウーム・頑張れました。
2017 2/19 183
* 「湖の本134」を入稿し、休息かたがたビリー・ワイルダー監督「麗しのサブリナ」を堪能、楽しんだ。勤務盛年の昔にはいっそ反感を覚えた作であった が、八一翁で今回は、ボギーことハンフリー・ボガードも麗しのサブリナことオードリー・ヘブバーンも、遊び人の三枚目ハンサム、ウィリヤム・ホーメデンに も何の気兼ねなく魅された。映画って佳いなあと、とても途中で席を起てなかった。
このところ讃歎している「指輪物語」もそうで、何としてもテレビで粗製濫造の一時間ドラマは優れた映画作品の足もとへ遙か寄りにくい。ま、映画にもカス は多いけれど、昔は魅される秀作が多かったなあと、文学も映画も同じだなあと思う、但し演劇は近来作の方に秀作がある。時世の影響をうけて以前ものは腐蝕 して行くのだろう。
2017 2/20 183
☆ 啓
今朝六時半から始まった「八島」を琵琶、能の二人の人間国宝で観て、すぐ『能の平家物語』を持って来て、しおりの入ってゐるところを開けたら「八島」でした。ただただ美しいものをこちら(ロサンゼルス)ででも観ることが出来て嬉しくて今も胸がドキドキしてゐます。
五月にそちらへ行く予定(東京には十日頃)です。その時はぜひお会いしたいし、又 美しいものを沢山みたいです。
日本中 雪で真っ白ですね、ニュースを見ると雪とトランプです。アメリカは一体どーなる事かしらと皆案じて居ります。此処も今は雨のシーズンで外は少し寒いです。
おっと家の初釜も済ませ ボチボチと道具を片づけてゐます。亭主六分ら客四分とか 一人で悦に入って居ります。でも今年はさすがに少し疲れました。年です。来年のお正月は、と考えます。
床は瑞雲 淡々齋にしましたが、蓋置御紋の永楽を使わせて頂きました。
御成婚から御退位迄、私は楽しませて頂きました。 皆さん拝見を所望されます。そして私は”トクトクと” ハハハ…御陰様で。
想い出ずる昔のこと
ばかりです。
お寒い折柄 呉々もお体お大切に。
一昨日御本(湖の本133)頂きました。ありがとうございます。
昨日迪子様より南天のきれいなお便り頂きました。 マゴちゃんが亡くなったとの事御愁傷様です。
私は小猫のカレンダーと ぬいぐるみの犬か猫かわからないけどカワイイ子ちゃんと同居してゐます。 年にしては元気と人様は言って下さいますが さて どーか。
そんな毎日を暮らしてゐます。二月十一日 (昔の紀元節ですね)
お二方様 千代子
* こういうお便りに取り巻かれるように暮らせているのをわたしたちは幸せに感じている。何方ものご健勝を心よりいつも願っている。
2017 2/20 183
* 日本文藝家協会の事務局長からも、「湖の本」へ挨拶が来ていた。
2017 2/21 183
* 「湖の本135」を、小説二篇を主に、ほぼ編輯・編成した。もう、十一時になる。夕食後、寝室で校正し、読書し、暫く眠った。妻は、わたしのいない間に、わたしの苦手な「ポワロ」「コロンボ」らと密会している。そういうときは無視して機械のある二階へあがる。
2017 2/22 183
* 「湖の本135」にすぐにも持ち出せる用意を終えた。書き下ろしの短編小説二篇(仕掛かって煮つめている長編ではない。)と、エッセイとで。「134」の出来を確かめながら、「135」も起動に載せたい。
「選集題十九巻」はすでに責了していて、おそらくいつでももう製本可能にまで用意されていると思う。そのあとの「第二十・二十一巻」は二巻相伴っていて、校正には当分かかる。仕上がるモノは躊躇わず仕上げておき、次との間は空いても、着々と「選集」は仕上げていきたい。
あと十五巻を予定していて、所収内容は溢れるほど確保しており、さらに新作も仕上がって行くだろうが、流石に資金的にはもう十五巻分にキリキリ一杯届くか、一、二巻分は不足してくるかと。
ま、そんなことは気にしない。成るようになる。ただ内容本位に、シッカリ充実した「秦 恒平選集」にしたい。健康でさえあれば、確実に出来る。要は、「質実」相伴って小説もエッセイ・評論も優れて「文学」たり得るかどうかだけ、他にものさしは無い。
* 前の藝術至上主義文藝学会会長馬渡憲三郎さん、村上開新堂主人、名古屋市の画廊主大脇八壽子さん、金沢の作家金田小夜子さん、また、国会図書館、批評家佐高信さんから、「選集⑱」へご挨拶があった。
金田さんからは名菓羽二重餅や瀟洒に美味い洋菓子にくわえ、有り難い御助勢も戴いた。感謝申します。
名古屋の大脇さんからも好いお手紙に添えてみごとな栗菓子を戴いた。大脇さんとは、『墨牡丹』そして華岳の御縁で、所蔵の華岳の観音様を拝見に、瑞穂区 の画廊まで出向いたことがあった。親切に迎えて頂いた。久しく御縁がなかったが、ふとお元気かなと電話したら喜ばれた。『忘れられぬ画家たち』を贈ったの へ、なつかしそうに好いお手紙を戴いた。遠くの人がまた久しぶりに帰ってこられたような気がしている。それだけわたしの晩年が熟してきているということ か。
☆ (前略)
恥ずかしい話ですが、閑吟集と梁塵秘抄をゆっくりと読んだのは、「湖の本」のエッセイシリーズでした。雑駁な知識(知識ともいえない程度のものでした が、)として知っている程度で、ちゃんと読むということはありませんでした。とりわけ閑吟集は難解で、少し読んでは止め、また思い出しては読むようなあり さまでした。
そこで救われたのが、先生のエッセイシリーズの「閑吟集」でした。それぞれの歌を読みとれた御文章を道標にして読みすすみました。歌の深さや思いをすこしずつ楽しむことが出来ました。
そういう意味でも、この第十八巻は 私には格別の巻です。これからまたゆっくりと拝読させていただこうと思っております。
本当にありがとうございました。
春には、いま少しの時間も必要な陽気ですので、どうか、ご自愛下さいますよう念じております。
御礼まで。 敬具 馬渡憲三郎 前、藝術至上主義文藝学会会長
追伸
春の薫りをと思い、代り映えもしませんが 文旦を少しお送りさせていただきました。今月の末頃に発送とのことでした。少しお楽しみいただければと存じております。ご笑納のほどを
2017 2/25 183
* 昨日妻に確かめた、三十三巻と目指している「選集」を、急がずにゆっくりと出していくか、急ぐというでなくても出来ればサッサと出し続けたがいいか、 どう思うかと。妻は、言下に、後者を採った。わたしも同じ思いでいる。残年・余命にもう限りが見えている、夫婦ふたりともに。心ゆくまでの仕事をつづけな がら「選集」を願ったままに完成させて、なおその後が可能な限り「湖の本」で文学を実践すればよい、命の限りと。
こういう気持ちでいる。心ゆく最晩年をわたしは「仕事する」という「無心の禅」境にと願っている。妻も同じとわかり安心した。
2017 2/26 183
☆ 平城
美大へ進み東京で、ひとり暮らしを始めた年の夏、初めて奈良を訪れました。東大寺という名は、聞き知っていましたが… どうしてか、耳に馴染まない言葉でした。寺内へは門を通って入るもの、そう思って『 大華厳寺』と扁額を掲げた南大門の前に立ちました。でも見たことのない新しい門だったので、そこから入るのが躊躇われて… その辺りに住む人に尋ねて見ると「もうひとつ門がある」と教えて下さいました。その『てがい門』という言葉には聞き憶えがあったので、そこから入ることに
しました。
ずいぶん歩いて辿りつくと、そこの地名には『転害』とあり、私の聞き憶えていた『碾鎧』と違っていましたが… 見憶えのある門だったので、安心して入りました。
大佛殿を巡る廻廊に沿って、蓮の花が咲き初めて香る気持ちの良い日でした。でも私は、心が揺れて治まらない。「どうして大佛殿が小さくなってしまったのか? 」また「みかをきらきらし」と誰もが称えた相貌が違って見えるのか?
治められない心地で、風に吹かれながら立ちすくんでいる時、蓮の花が異様なのに気付きました。風に揺れる蓮の花が、みな同じ方角を向いて咲いているのです。これまで見てきた花達は、思
い思いの方へそれぞれ向かって咲いていました。でも此処に咲く花達は、供花を手向けるかのように一斉に、東を向いて咲いているのです。捧げるかのように向いた方向は、若草山の麓『法華堂』を指していました。ああ、彼処へ行けば良いのだと、安堵して歩き始めました。
「奈良へ帰りたい」と思ってしまう理由は、他にも幾つかありますが… すんなりと身を置ける場所は、国内では「京都」と「奈良」の二ヶ所だけ。あと、もう一つ「近江」は、帰りたいとはまた違うのですが… 身よこたえる場所と感じます。
東大寺は、ただ「おほてら」と呼んでいたような気がします。 鎌倉時代の南大門を、なぜ新しいと感じたのか? 「てがい」を何故「唐臼」と聞き知っていたのか? 殿舎の大きさや相貌に何故疑問を持ったのか?
今ならば、落ち着いて説明できますが…
ずっと隠すというか、知らない振りをして生きて参りましたので、整理をつけられずにおりました。特に歴史の授業は苦手で… 昔のことはその場に行って感じるもの、其処で思い出すもので、覚えるものではないと混乱するばかりでした。
何と申し上げれば良いのでしょうか。子供の頃から、同年代の方々と、何か違ったところがあると気付いてはおりましたが… 還暦を迎えた今になって漸く、歪みは歪みとして受け入れて、此の世に身を置いて、生きて行けば良いのだと、思えるようになってきました。
「試別火」について、お伝え申す前に、あまり長くなってしまいましたので、また後ほどにさせていただきます。 失礼致します。 百 拝
* 難しそうないろんな問題をはらんだと想われるお便りである。わたしにも相応の推量が利くが、検討を失しているかも知れない。
「別火」という語にはわたしなりの読みを試みたことがあるが、「百」さんが写真でみせてくれた「別火房」とある三字が或る施設ないし坊舎の名か僧の名乗りか、写真でだけでは分からない。
「おべっかをつかう」という言葉があり、また特殊な事態や行事に「別火」を以てすることは、民俗にも宗教者の世間にもあった。「おべっか」の語がそれへ果 たして関連しているかどうか、「試別火」とは用いる「火」を異にしてなにごとかを為すまたは成す意味に繋がるか、わたしは知りたい。
* 三十年ちかい昔にわずかな期間の「湖の本」読者であった当時東京在住のこの人が美大生であったなど察しも出来ていなかった、ほとんど何も識っていなかったことがよく分かる。物語に耳を傾けたい心地である。
2017 2/26 183
* 「選集⑲」の納品は四月七日と決まった。三月は印刷所は大忙しい筈。おかげで、三月がすこし寛ぐ。とはいえ、その三月前に早や「湖の本134」の初校が出て来た。「選集⑳」初校はもうすぐ終えられる。
2017 2/28 183
* 強い地震もまた福島沖で。かくて、二月は逃げて行く。「選集第二十巻」の初校を終えた。この巻は、第十三巻と同頁数、最も分厚い一巻になる。まだ再校 が必要。そして「選集第二十一巻」も前巻を引き継いでもう初校が組み上がっていて、手が着いていない上に、「湖の本134」の初校も今日届いている。
三月は、いろいろある。肺炎の予防接種二度目を受けるし、歌舞伎も、楽茶碗展も友枝昭世の能「三輪」にも招かれている。聖路加へも二度通う予定。春陽気で心身盛り上がると好いが、寝入っているのが安楽という昨今、反省も要る。
2017 2/28 183
* 「選集⑳」初校をツキモノ添えて「要再校」で早く戻したいと、集中している。「湖の本134」の初校も追いかけている。
☆ 三千歳になる桃の花。
「桃」の節句の今日、ちょうど「梁塵秘抄」第五章でこの歌に再会しました。
春の初めの歌枕 霞鴬帰る雁
子の日青柳梅櫻 三千歳になる桃の花 (四三二)
「心凄きもの」も気になる歌ですが。
心凄きもの 夜道船道旅の空 旅の宿
木闇き山寺の経の声
想ふや仲らひの飽かで退(の)く (四二 九)
* 恰好の、「How are you?」で、「I love you.」であるのだろう、か。
朝から晩までテレビから、「スゴーイ」「スッゴーイ」ばっかり聞かされているが、「凄い」とは昔の人たちが身に沁みて覚えていた、「夜道船道旅の空 旅の宿 木闇き山寺の経の声」や、墓場の鬼火だの蛆わきととろいだ死骸だのお岩さんの崩れ顔をこそ、「スゴーイ」「スッゴーイ」と肌に粟していたのである。
日本の批評語はすぎらしく多彩に表現力を発揮して数限りないのに、「スゴーイ」「スッゴーイ」しか使えないとは情けない。
小倉百人一首に皇位にあった名は、天智 持統 陽成 光孝 三条 崇徳 後鳥羽 順徳天皇がある。大臣だったのは、副総理格の河原左大臣源融 同じく菅 家右大臣道真 三条右大臣藤原定方 関白太政大臣貞信公藤原忠平 摂政太政大臣謙徳公藤原伊尹 法性寺入道前関白太政大臣藤原忠通 後徳大寺左大臣藤原実 定 後京極摂政前太政大臣藤原良経 鎌倉右大臣源実朝 入道前太政大臣藤原公経 と、総理、副総理格が選りすぐり百人のなかにずらっと揃っていて、みな素 晴らしい和歌の詠手であった、つまり詩人であった。学問の神様もいたし征夷大将軍もいた。
想い比べれば、今日の宰相、大臣級はみなそういう面からは、モノ知らずコトバ足らずのいかにも恥ずかしいほど「スゴーイ」「スッゴーイ」無 教養人ばかりで時に赤恥をかいている。なにも歌人に馴れ詩人になれ学者になれとは言わない、が「ことば」は大切にして欲しい。「ことば」は文明文化の基本 の鍵ではないか。柳田国男が、りっぱに選挙制度が成功する鍵はりっぱな「国語」を身につけることと言っている。いまは政治家が率先して「ことば」を通して 文化を培う「文系」学をバカにしてかかり大学から追いだそうとすらしている。これをこそ「スゴーイ」「スッゴーイ」バカさ加減だと歎くしかない。
* 「刑事フォイル」の感銘篇を耳に聞きながら、「選集⑳」の初校ゲラ550頁の整備を終えた。のこるは奥付等の後ヅケ原稿を末尾に添え、そして口絵写真選定、函表紙組指定、さらに長編原稿の中扉六章分に添える写真選び。それでこの大作一巻要再校で印刷所へ戻せる。
「湖の本134」の初校も存外早く終えて戻せるだろう。
この校正仕事を向こうへ投げ返したら、三月は創作仕事へ熱を入れることが出来る。 2017 3/4 184
* 大冊の「選集⑳」初校とツキモノ入稿用意とをすべて果たして送り出した。ついで「湖の本134」の初校を終え、表紙、あとがき、ツキモノの凡てを添えて、明日には「要再校」全面を送り返せる用意を終えた。
2017 3/8 184
* ともあれ目の前で大きく固まっていた仕事の山の大半を、慎重に片づけた。明日からは、吹っ切った気持ちで「創作」や、「選集」21巻の初校や、「湖の本135の編輯、「選集」22巻の編輯に取り組んで行く。春が来る。
今日「湖の本134のために書いた「私語の刻・跋文」は、老境の心事を画する一文になったと思う、そういう覚悟で書いた。吹っ切ったということだ。
2017 3/8 184
* 「湖の本134」要再校で送った。「選集⑲」の納品が三月二十九日に早まった。三週間のうちに手早く送り出しの用意がしたい。朝、「湖の本」の内容にわたしの早とちりの不都合が見つかり、幸い無事に修正できた。
2017 3/9 184
* 今日は市の保谷庁舎まで税の申告に。手続きは何十年来みな妻がしてくれていて、わたしは散歩についていったまで。申告といっても、かつかつ数万円しか 収入はない。湖の本は慢性的に出血しているのだし、新規の原稿依頼は受けないのだから。それでも申告はしないといけないのである。
2017 3/10 184
* 高知から少年をつれて転勤上京した読者が、この三月末で定年退職と。美味しい大きい土佐文旦を故郷からたくさん送って下さった。息子さんももう立派な 社会人のはず。ああ人生、と思う。その人生に伴走して「湖の本」はまだ走り続けている。三十の人が三十年読んで下さっても六十余歳。まして創刊の頃もう四 十、五十、六十台であった読者は…と思うとうたた感慨なきを得ない。十人に八人九人は過ぎ去ってゆかれた。多年のご愛読感謝に堪えず、また、そのおかげで 今や収支の均衡は大きく負に傾いていても、気持ち悠々と刊行を続けられるのである。ありがたい晩年をわたしたちに下さったのは、間違いなく読者の皆さんで ある。
* いま、永く書き続けている小説のほかに、「黒谷」「女坂」と題した新作二つがほぼ出来上がっていて、次の次の「湖の本」へ送り込める。出来ればもう一 作短編を加えて三作一巻にしたくはあるのだが。これと同じ頃には、新しい長編(ほぼ選集一巻分に相当)「或る寓話(仮題)」も送り出せそう、だが「湖の 本」では三巻分にもなろう、これを二巻分に強硬に縮めるべきか思案している。
もう一つの「清水坂(仮題)」は、気は乗っているのだが題材からも何とかして瀬戸内海を見に行きたい、しまなみの大橋が渡りたいと苦慮している。車が使 えればと願うが、タクシーでは気儘が利くまいし。むかし丹波篠山へやきものの取材に行き、「冬祭り」にも活かすことのできた丹波や室津探訪は、姫路の陶芸 家が自身で親切に案内してくれた。あの時に篠山で買ってきた丹波の重い重い大壺、いまも玄関外を護ってくれている。
ま、慌てずに機を待ちたい、健康を気づかいたい。
* 「女坂」を仕上げた。
* べつのもう一つの小説を着想した。あすからもう書き出し始められるか、想を胸にし発行の期間をみるか。これは作柄による、間違えると元も子もなくなる。さ、キムタクの「A Life」録画分を観に降りる。
2017 3/12 184
* 昨夜から、沙翁劇最期の作といわれる『あらし』 西鶴唯一の真作とされる『一代男』を就寝前の読書に加え、今一作『サイティーン』という宇宙ステーション世界の未来図を長大に語るらしい第一巻も、昨日の散髪待ち時間から読みはじめた。
この『サイティーン』はいつかどこかで面白そうとこの第一巻だけの古本を買っておいたのだが、何年も何年も読みかけてははね返されて最初の十頁ほどの序 章が容易に頭に入らなくて業を煮やしていた。今回は何とか序章をこえて本編に入ったモノの、超級のサイエンス未来フィクションなので、叙述の速度もとても 速いので、よほど難渋するかも知れないし、この文庫本一巻を読み終えたらどこかで続く巻、巻を見つけて買ってこなくてはならない。ブックオフにでも無けれ ばお手上げかも。ま、頭の体操のように読み進めたい。なにしろ地球人類に由来の超高速船が宇宙を蜘蛛の巣のようにステーションへと駆けめぐっているような ことで、しかも戦争も起きているらしいから、わたしの単純なアタマで事態を呑み込むのはタイヘン。しかしおもしろそうという予覚は失せていないので、アタ マの体操と思って読んで行く。
読み進めつつある源氏物語は「若菜下」巻をゆっくり進んでいて、もう一冊の中世の「石清水物語」そして森銑三先生の「西鶴と西鶴本」という論攷も併行し て読んで行く。「読める」アタマをだいじにしてやりたい。わたしの読書には、常に、日本の古典がごく当たり前に加わってくる。これは容易にできることで は、ない。好きでなければ、そして読めなければできない意味では外国語を読むのとおなじ事。
寝入る前には、これら読書に先立って、いつも、わたし自身の原稿を「校正」することにしている。いまは「選集」の21巻と「湖の本」134巻を読んでいる。
2017 3/13 184
* 夫婦して、朝、赤飯で祝った。五十八年前、新宿区役所へ結婚届けした。よく歩いてきた。山も川も谷も峯もあった。ほぼ渋滞なく、打ちこんで創作と執筆の仕 事をしてきた。五十八年のそこここで区切りをつけたように、私家版製作、太宰治文学賞、湖の本、東工大教授、日本ペンクラブ表彰会員・理事、京都美術文化 賞選者、京都府文化功労賞、秦 恒平選集といった標柱も起ててきた。徹して騒壇餘人、初・中・後三つの自発出版のほかは、みな、求めずして向こうからわたしを訪れてきた。
2017 3/14 184
* 元朝日新聞社におられた、「秦 恒平・湖の本」創刊にはこのうえない恩人の伊藤壮さんから、名酒「越乃寒梅」二升を送ってきて下さった。生ける甲斐ありと、頬がゆるむ。少しずつ少しずつ だよと我が身に誡めながら嬉しがっています。いまは各務原の山中以都子さん、お志の名酒「三千盛」純米の生酒を戴いている。四日か。五日もつかな。少しず つ少しずつだよと我が身を抓っています。
2017 3/15 184
* 来週からは聖路加、能、歯医者、聖路加と相次いで二十九日にはからは第十九巻送り出しになる。その用意は大方出来ているが、数人、宛名住所を手書きしなければならない。四月一日の午後には香川靖嗣の能「隅田川」に招かれている。送り作業は少々残るかな。青陽の春四月後半には湖の本134巻が出来るだろう、五月下旬には選集第二十巻が出来るだろう。
2017 3/15 184
* 「湖の本」135入稿した。「黒谷」「女坂」の新しい小説二篇に、「女の噂」(一)を加えて。
2017 3/16 184
* 昨日の大阪場所千秋楽、大怪我らしい新横綱と角番ながら横綱に一勝先んじている大関との相撲、百人が百人横綱に分がないと予想しているようだったが、 わたしは本割りの取り組み前から、これは横綱が勝つと予告し、事実勝ち、決勝戦もまちがいなく横綱が勝つと予告して、その通りだった。わたしは此の横綱贔 屓ではないので、気持ちでは大関に本割りで勝って優勝して欲しかったのだが、二人を見ていて、とても大関に勝ち味が見えないと確信した。まったくその通り だった。
むかし、娘の朝日子がなにかのおりにわたしが口を利きかけるのをほとんどヒステリックに「言わないで! パパがそう言うとそうなってしまうんだから」叫 んだのを思い出した。何のちからもちでも無いけれど、まま、そういうことはあったので、むしろ自分で自分に用心もしている。
二〇一一年一〇月二三日にわたしは前歌集「光塵」を締めくくる歌を詠み、ほぼ一月後に本になっている。その歌は、こうであった。
この道はどこへ行く道 ああさうだよ知つてゐるゐる 逆らひはせぬ
年明ける前にわたしは自発的に人間ドックを予約し、年明け早々の正月五日には、動かし難い胃癌二期を見つけられた。
死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ
と、その日に述懐している。
二〇一二年二月十五日、八時間の胃全摘手術を受けた。術後の一部に、癌転移を残していたという。
あれから、五年過ぎた。この五年、老いの華やぎは我ながらめざましかった。
「湖の本」は一三四巻に達し、『秦 恒平選集』は、明後日、なんと第十九巻が、早や出来てくる。小説の新しい未発表作もいくつも送り出して行く。不安が、無いではない、が、ただただ一日一日を生きて行くだけ。誰にも真似をさせない。
2017 3/27 184
* 京室町、帯の源兵衛さんのメールで、おおよそのお人と関心とが知れて、向きあいやすくなった。ひとことで日本の「中世」につよい関心のある人のようで、わ たしの久しい仕事の大方とかなり濃厚に触れ合っている。しょせんは会って話して尽くせる程度ではないので、湖の本を読み取ってほしいと思う。
2017 4/3 185
* 「湖の本 134」責了 「選集 21」要再校 送る。
2017 4/4 185
☆ お元気ですか、みづうみ。
京都の帯屋さんとはやはり誉田源兵衛さんでしたか。素晴らしく個性的な、着物好き垂涎の的の帯をお作りになる方です。時々メディアで取材を受けているの でお顔も知っています。強烈で面白い、「婆娑羅」という言葉の似合う方という印象。みづうみに会いたいと仰るような情熱的な帯屋さんは、誉田屋さんではな いかと想像していたところです。
わたくしは誉田屋さんではないかというお譲りものの帯一本を持っていますが、自腹ではとてもとても買えるものではありません。欲しいのですけれどね。
ほんものの仕事をなさる方なので、みづうみのほんものの仕事に感銘を受けられたのでしょう。
『枕草子』の現代語訳の完成待っていました。是非読ませてください。現在の日本文学者の中でみづうみ以上の訳者はいらっしゃらないと思います。湖の本になりましょうか? 楽しみにしています。
桜は明日か明後日には満開になりそう。
灰色の世相の中で 少しでもみづうみのお気持ちの晴れやかになりますように。
春風や闘志いだきて丘に立つ 虚子
* 目の前が開けました、ありがとう。虚子の句に励まされます。「枕草子」はとても全訳とは行きませんが、現代のいい日本語に出来ていると観じています。 「湖の本136」に予定します。4は歌集「亂聲(らんじやう)」 5は小説「黒谷・女坂」。
2017 4/4 185
* 春風や闘志いだきて丘に立つ という虚子の句にひしと背を打たれる。
* 風雅とはおおきな言葉老の春 という同じ高濱虚子の句も胸に抱く。
* 遠山に日の当りたる枯野かな というやはり虚子の句を忘れたことがない。
* 虚子とは何の縁もない。子規の弟子で俳誌「ホトトギス」を興して近代俳句を領導した巨匠で漱石に名のない猫の物語を書かせたひとといった史的事実しか知らないが、その句の大きくも堅牢で風雅な味わいにいつも魅了される。
虚子の句を噛むほど読んで力とす
と、八年前の一月に述懐したのが『光塵』に容れてある。
2017 4/6 185
* 四月二十八日午前中に「湖の本134」納品になる。連休に接して少しく忙しい日々になる。
2017 4/6 185
* 京室町の源兵衛さんから、「一歩 踏み出したい」と、自家、自身の来歴等を前置きに語ってこられた。
☆ 一歩 踏み出したい
母方は彦根井伊家の御用商 特に大麻布を扱う(徳川幕府より井伊家のみ大麻布専売を許認可)戦後 没落 父方はおそらく丹波出身一族 江戸初期より織物を扱う
母方の祖父は能三昧 母は女学校より98歳までシェークスピア研究 叔父はロートレアモンに一生を捧げる
父方の祖母は 富商ながら室町の乞食と蔑称される程 粗衣粗食に甘んじるも 片や茶室を作り茶に没頭
父方母方共に没落と云う環境下 借金を抱え商売に勤しみ今日を迎えるも 遅まき乍ら中世文化に興を覚え 濫読する中 先生の御著書「茶の道 廃るべし」に出会い 何か救われたと実感した次第です 「湖の本」も有り難いです なにより先生が同時代におられることを有り難く思います
本当に何も知らない分からない者ですが もしご迷惑でなければご教示賜りますれば幸いです
なにより先生の御回復 京都にお出かけ出来る御快癒を祈念致します 源兵衛
* 私からは、とかく申し上げるナニモノもなく、ただ創作と著述とがあるだけ。どうお役に立つ何を自分が持っているのか判らないが、メールの対話ででも、もし何かが見えてくるなら、お互いに有り難いとしよう。
秦の母方のことよくは知らないままになったが、福田という元は豪儀な富商で合ったらしいが、母の父か祖父かの代から零落甚だしく、母は優等生だったけれ ど女学校へあげて貰えなかったのを死ぬまぎわまで泣いて悔しがっていた。母の兄は室町で仕事をしていたと漏れ聞いているが、よくは判らないののになった。 この伯父さん、いかにもおっとりとした好い人だった、懐かしいキワミのような京ことばを聴かせてくれた。上の娘、ほぼ同年の従妹とはいまも文通があるの で、今のうちに福田という大きな家の話を聴いておきたくなった。弥栄中学から中信の美術賞まで永くお付き合い頂いた画家の橋田二朗先生も母の出の福田と縁 戚であったらしいのに、それも何も聴かずじまいに終わっていた。
* 実の父方吉岡家は学術・教育の、実の母方阿部家は実業の、ともによほど大きな一家一門で今もありまた曾てあったけれど、わたし自身は、ほぼ生まれなが らに小さなラジオ電器屋の秦家へ貰われ、何もかも「根」に類することは極くの噂程度にしか知らぬまま、一作家の秦 恒平に成った。まして娘朝日子や息子建日子ともなれば、わたしと妻との家庭以外に、それ以前の根の知見など何一つも持っていない。思いようでは、これほど 気儘に自在自由な足場は無い。自身の目と心とで健康に心ゆく一生を生きてくれるように。
私と妻との血筋は、あまりにもかすかに頼りなく、娘朝日子の次女みゆ希独りを通してしか生き続けられない。そのたった一人きりの孫である「押村みゆ希」 の現在も、わたしたちには露ほども判らない知れないでいる。思いようでは「血縁」とは、いかにもイヤなものだ。だからこそ血縁ならぬ「真の身内」という思 想は重いのだ。わたしは幸せに生きている。
2017 4/7 185
☆ 術後五年 御快癒おめでとう御座います
京都はいよいよ桜開花 明日から観光地付近には近寄れません
先生の「中世と中世人」唐木先生の「千利休」を読ませて頂いております
能には親戚もおり何度も招待されるのですが 足が向きません 室町期の「能」はどうだったのか? と考え 専門故か 衣装もどうしても腑に落ちません そして明かりが駄目です そんな風に感じて観ていても本当につまらないのです
茶会も参加しません
呉服業界の付き合いも有りません
先生と唐木先生の御著書は本当に有り難いのです
のんびり御来洛の節は 是非 運転手させて下さい 食べ物の制限が有るかも知れませんが
案内させて下さい 御回復祈念致します 京・室町 源兵衛
* さもあらんと思います。懐かしい唐木先生の名前も出て来た。可愛がって頂いた。「いい文章でときどき怖い毛ずねを出すなあ、きみは」と笑われ たのを思 い出す。筑摩の全集では月報に一文も頂戴した。亡くなられてから先生の故郷の方々から呼ばれて話しにも行った。選者の臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中 村光夫の四先生にはことにいつも親しい励ましや評価のことばを頂けた。幸せ者であった。
2017 4/7 185
* 「選集 第二十二巻」の編成を決めた。
原稿の一部が機械の中で発見できず、延々と検索。発見できて好かった。入稿の用意にかかるのだが、慌てることはない。近いうち、四月二十八日に「湖の本 134」が出来てくるので、先に発送用意を早い中からゆっくり手がけたい。懶けていて間際に急かれると、わたしも妻も気づかれしてしまう。作業仕事にはむ しろ永い時間かけても、ゆっくり進めるようにしている。
2017 4/7 185
* 来週から、湖の本134の発送用意に手を付けて行く。
2017 4/8 185
☆ さ、神座
櫻の美しいころは、木々の芽吹きにも心うばわれるころです。
毎朝通うバスの窓から、糺の杜の大きな木々を見て過ごしますが… 寒空を刺すような冬木立のかたい枝の線が、このところ柔らかみを帯びてきました。徐々 に象を変え、色を変えていく生命のいとなみが目に見えてきました。芽吹き始めたばかりの色みは、深みのある濃い赤というのか、奥ゆきのある紫色の影のよう にも見えます。車窓越しの遠く、その色は見えているだけなのに、穏やかならぬ心地になるのは、きっと中に数えきれないほどの青や緑の色を秘めているから と、そんな気がしてきます。
下賀茂神社を過ぎて葵橋を渡る時、霞たつ川べりは華やかな櫻色と柳の淡い緑に彩られて、春おぼろの景色です。遠くに連なる山並は「墨に五彩あり」のとおり、濃く深い「青黛」のような、また淡く
にじんだ「鈍色」のような、えもいはれぬ重なりを見せて続いています。
先生、『湖の本』をありがとうございました。
賜わった御本の背表紙が、時の流れに染まって薄茶色となっているのを拝見し、胸を衝かれる思いでした。
御作を御自身で刊行なさり、御配本(御発送)までして下さる。そうして下さればこそ手にすることができ、読ませていただくことができる。それを三十年間 続けておいでになった。頭では、解っておりましたが… この度、奥付に「1987月1月1日」と記された『秘色・三輪山』の御本に触れた時、三十年の月日 を(会社の倉庫ではない)御自宅で保管なさっておられるということの、どれほど大変なことであるのかが目に見えて伝わってまいりました。先生がなさってお られることの尊さ、それを続けておられる大変さに、胸を衝かれる思いがいたしました。
また、そのことは先日、大事にいたらずに本当に何よりでございましたが、転倒なさった時の先生のお書きようからも伝わってまいりました。
今頃に気付きまして、お恥ずかしいことではございますが、読者に届けたい、と思って下さる尊いお気持ちを胸に、心して読ませていただきます。
早くに御礼をと思いながら、ご返信が遅れましたのは、先生の母校であられる大学の『啓明舘』と『アーモスト舘』それから相国寺の『法堂』の櫻の写真を添えさせていただこうとの思いからでござい
ました。見上げて撮った歪んだ写真になってしまいましたが… 先生のお心のうちに、何かが灯りましたなら幸甚に存じます。
それでは「大切なお時間」をより長くお過ごしになられますように、何とぞ御身お大事になさって下さいませ。 京・鷹峯 百 拝
* 表題にある「さ、神座」とは即ち「さくら」。日本人のことに愛してきた「櫻」はかく讃仰拝跪の思いで心中に祀られてきた。
美しいメールである。ありがとう。「さくら」のように美しい佳い仕事がしたい。
* 相国寺は大学と地続きのお隣さんであった。というより、ひょっとして元は相国寺さんの境内を同志社が分けて頂いたのかもしれないが。懐かしい。大樹が生き生きと空さしている。感謝
2017 4/10 185
* 選集二十二巻を入稿。二十三巻の編成も出来ている。残す十巻に心残りのすくない編成をよくよく思案したい。
選集二十一巻の初校ゲラが明日届く。選集二十巻は、責了のための再校をつづけている。
湖の本134巻発送の用意を進める。
135 136巻は入稿してあり、初校出を待っている。
2017 4/13 185
* クロネコやまとが一斉に理扱い料の値上げを決めたという。今では余儀なく恒常的に赤字出血を重ねている「湖の本」には、あるいは致命的な痛手になるか もしれない。「選集」は郵送していてもともと非売で進めているので覚悟の上だが「湖の本」は読者のみなさんに助けられている。「湖の本」の仕事内容は、現 状の136巻が150でも180でも維持続行できるが、体力よりも資力の手当が利くかどうか。もう永くて十年の命だろう、体力はとにかくも、「湖の本」活 動は続けられるだろう。夫婦揃っての気力と健康こそが、何より。
2017 4/15 185
* 湖の本134発送用意のなかで封筒に住所院など捺す作業に力が掛かる。今日一日でほぼ八割余を仕遂げ、これを終えると、宛名を貼り付けて行く。宛名の 出来ていない人には手書きで宛名しなければならない。あと数日、発送用意に手がかかるが、創作と取り組める時日も十分あり、或る大事な判断を下さねばなら ない。書き下ろしている長編を、少なくも、先に「選集」一巻として仕上げて、状況判断の上で「湖の本」で異例の造版をするか、だ。決心はついていない。わ たしの瘋癲老人日記は、まだ先途の確認が着かない。
2017 4/15 185
* 安倍内閣の粗製お友達・濫造大臣、出るわ出るわ、防衛、文科、法務、復興、地方創成等々、昔の内閣なら、総辞職ないし解散が当然だった。厚顔無恥内閣と謂うべし。
* ま、厚顔無恥は、此のわたくしでもあろうけれど。
* この前の「光塵」と、こんどの「亂聲(らんじゃう)」と、どうかしらんと思い思いいたが、今朝新集を読み返し、なるほど、こういう老境を歩いてきたか と、想像や創作を我からおもしろく、納得した。納得できた。大嗤いされよう、罵倒さえされようか、だが、厚顔無恥でござると知らぬ顔でまかり通る。
2017 4/18 185
* 夕方、一月ぶりに歯医者へ、二人で。帰りに、江古田の「中華家族」で、わたしはマオタイを。帰りの電車混んでいて、立って帰った。疲れた。一週間後に は「湖の本134」が出来てくる。数量が多いだけ、この発送はひときわ二人とも疲れる。ゆっくり、急がずに送り出すしかない。
2017 4/21 185
* そして、こつこつと、落ち着いて今日は「ユニオ・ミスティカ」を書き継いでいた。それで、いい。
* 「選集」の二十巻をもう百頁も読めば責了に出来る。二十一巻も再校が、二十二巻も零校がやがて出てくるだろう。二十三巻入稿の用意も着々進んでいる。
「湖の本」134巻は来週末に出来てくる、135巻は初校が届いており、追いかけて136巻の初校も届くはず。
書き下ろしている小説は風をはらむように着実に成熟しつつある、丁寧な仕事をしたい。心がけている短編中編小説への気も機も動いている。死ぬまでは生きている、少なくも。
2017 4/22 185
* 突如のきつい胸苦しさに脈も微弱に呻いたまま気が遠くなりそうになったのを、妻が所持のニトロを口に含み、辛うじてもとに復した。激しく動いたワケで はない。さきの校正ゲラをあわや故紙回収へという大失錯に驚倒したも事実だが、飲みと食いとのバランスが宜しくないという自覚もある。ま、階段をよろよろ と上がって機械の前に腰かけ、仕掛けの小説に向きあうと、もうそんなことも忘れて打ちこんでいた、が、疲労はやはり濃い。眼も霞んでしまっている。床に就 いてからの読書が昔と変わらず二時近くに及んでいるこのところも、健康にはコクなのかも。まるで誰かとカケッコを競っているみたい。知らず知らず歯を噛み しめて仕事していて、歯も歯茎も痛い。
* ゆっくり湯につかって、いつも三十頁ほど校正する。電車に乗るか、湯に漬かるか。病院外来の待ち時間か。校正の能率はこの辺で挙げている。もうすぐ「選集第二十巻」を責了紙に仕上げられるだろう。「湖の本134」発送までの二日間をうまく生かしたい。、
* 風があちこちで物音を立てている。十時前だが、機械はもうとめよう。今宮の楓をまた観てから。
2017 4/25 185
* あす、湯気の立っているような中編の二作が「湖の本135」の初校として届く。これはわたしも気になる。校正するのにドキドキしそうだ。
あさってから「湖の本134 亂聲(らんじやう)」を送り出す。世間にいわゆるナミの短歌集ではない。散文集でないだけで、好き放題まるで雑纂されてあ り、中に、思い切って放埒な、顰蹙を買うであろう「つくりうた」も並んでいて、長編小説「ある寓話 ユニオ・ミスティカ」の「為の」モーレツな試作も混 じってある。送り出すのにいくらか気が重いけれど、ま、終幕へと舞い遊ぶまえのまさしく「亂聲(らんじやう)」と、幾分は居直っている。それよりもやはり仕上がろうとしている「ある寓話 ユニオ・ミスティカ」で長編構造の一廓として読まれる方が無気味に効果的かもしれない、が。
2017 4/26 185
* 「選集⑳」全紙責了で送った。「選集二十一巻」はこれから再校にかかる。「選集二十二巻」もやがて校正が出てくるだろう。「選集二十三巻」の入稿用意も進んでいる。
「湖の本135小説・ 黒谷 女坂 女の噂(一)」の初校が今朝届いた。「湖の本136 現代語訳・枕草子選抄」の初校は一足先に届いていた。
信じがたいほどの作業量。加えて、創作が、一列、二列、三列と歩を揃えている。資本は健康なからだしか無い。
2017 4/27 185
* 今日届いた「湖の本135」の初校は、半分以上も読み進んだ。巻頭一編の小説は、ま、読みようにもよろうが、わたしの作世界に少し変わった一郭を加え た、または添え得たかも知れない。愛着はしながら、しかも五分の一へも進まぬママ棚上げになっていたのを、一気に書き上げた。
もう一作は、「一作」とも謂いがたく、いずれつづく長編『ある寓話 ユニオ・ミスティカ』を導くための前哨とも前蹤ともいうべき「試作」、または「露払い」というに近い。なんら長編の下絵ですらない、とはいえ、よほど頭も手も想像も用いて、すこし異様な、発火への「導線」のような役を永い時間かけて押しつけた。感銘とは異質の読み物になっている。
2017 4/27 185
* 真夜中に、なお発送用意の足りていないのに気づいた。ま、カバー出来はするが。がんばります。
2017 4/28 185
* 九時過ぎ、「湖の本134 亂聲(らんじやう)」届く。
荷造り進行中。
* 夜九時、一日の作業を切り上げてきた。疲れた。クロネコのケース一つに、荷造りした本が60册入る、のを幾つも幾つも幾つも持ち上げて、朝から晩まで、キッチンから玄関へ運びつづける。
発送の合間に中休みに二階で創作の手入れもし、昨日届いた「湖の本135」の初校も昨晩以来もう三分の二進めた。残る三分の一も今夜のうちに読み終え、それなりに納得したい。
発送の作業は明日も終日。なんとか明後日には終えたい。
そのあとは暫く、第四週まで、予定的にはらくになる。四週には病院・医院通いが固まっている。そしてそのあとはまた、何かと仕事が固まって追いかけてくる。「湖の本」創刊三十一年の桜桃忌前後には、さらにまた新しい小説を一作、また一作と心がけている。
2017 4/28 185
* 口もきけないほど疲れた。頑張れば今晩に終わるだろうかと願った作業、明日に延ばした。
* クロネコやまとの事情で、「湖の本」もついに終えねばならなくなりそう。一つには、値上げ。もう一つには、荷にシールを貼る作業を我が家で引き受け手欲しいと。今の作業量でも身いっぱいなのに手作業が増えるのは躯がつらい。
どこかでは終止符やむをえないと覚悟してきたが、大きな心残りにはなる。思案のしどころで、疲れが重い。
* 十一時半 やっぱり、がんばった。明日、昼前には発送作業を終えられる。仕事に打ち込める。大きな連休らしい。旅の出来る人も多かろう。羨ましくもあるが、このままも、いい。書庫に買っておいていつか読もうととって置いた『説経』の本を急に読みたくなってきた。
新聞やも雑誌の類はもう字が見えない、うす色のコピーや会報のたぐいまったく見えない。字の大きな本は本体も大きくて重たいのが難だが。わたしの選集、重いかなあ。
あ、日付がやがて変わる。寝床でもう少し校正してから本を何冊か読むのが、このごろの常。灯を消すのは二時。朝は、気儘に。
2017 4/29 185
☆ 何のお手伝いもできず…
心苦しいばかりではございますが…
何ができるかといって、ただ読ませていただくこと。
読んで感じたり、考えたりを繰り返してゆくことで、何かに気付き、何かが見えてくる。
そうすることで、此の世の生き難さの中でも暮らしてゆけるのだと思っています。その機会を与えて下さることに、重ねて感謝いたします。 百 拝
* 受け取りようは人さまざまと思うので、わたしはただ頭を低うして忝なく感謝するのみ。
* 一仕事終えての今の願いは、美味いなあと思えるモノが食べたい。想いも寄れないのである、なさけない。
* 真作の小説「黒谷」を読み終えた。走り書きほどに筆を運んであるが組み立ては出来ていて、読み味さらさらと、気に入った。短編か中編か、新たな一つ を、ともあれ創作歴に加えたかな、と。「女坂」の方は文字どおり思いつきの走り書きで、想像力はこまごまと使ってあるが、次へ新たに展開する長編構造物の 試作ふうな地固めのな作業。
* かりに「湖の本」が終熄しても、みう二三年は「選集」がある。そしてわたしの手には、前世紀らいの「秦 恒平の文学と生活」という大きなホームページがあり、六百作にあまる各ジャンルの文藝作品を収録した「e-文庫・湖(umi)」がある。此の発表機関をわ たしは手中に主宰し得ているので、いざとなろうとも此処で死ぬる日まで「創作」し「執筆」して行ける。もっと公開しやすい設定上の工夫を人手に委ねて改訂 してもらうことも可能だろう。
2017 4/30 185
☆ 秦恒平様
手術より「五年経過」のご息災を心からお慶び申し上げます。
本日、『湖の本』134 亂聲・詩歌断想㈡のご恵贈にあずかり、忝う存じました。仕事の手を休めて読みふけりました。
秦さんの詩才と人間性の遺憾なき横溢ですね。その恵まれた才能プラスご努力、感覚に心からの敬意を表します。楽しく拝見しました。
現今の日本の危機への怒りには共感と連帯を表明します。
アベノミックスをアベノコミックスにしてしまえ。民衆よ。「共謀罪」の成立、許すまじ。
なおも強靱な意志で心身を維持なさり、文筆の道を走りきって下さいますよう。ご夫妻の平安をお祈り申し上げます。感謝をもって。 国際基督教大学名誉教授 浩
☆ 湖の本 有難うございます。
何よりも ご健在の様子にお慶び申し上げます。
私も二月に八十台となり、佐藤愛子さんの言葉をマネて、八十歳何がめでたいなんて、ホザイテます。
取り敢えずは 体調に特に異常無しで、今日も娘と亀戸天神の藤を観に行き、その足で 東京駅の商店街を歩き回り、家に帰ればなんと三万歩ほど歩いていました。
オツムの後退は歳なりなので せめて脚力だけでも留めたいと想うこの頃です。
兎に角あなたの その精力に賛美の声を送ります。
又… 花小金井 泉 中・高同窓
* 三万歩! フエー。情けないが、負けました。
☆ ご本 ありがとうございます。
こんばんは。いつもありがとうございます。
体調のお悪いなかでのお仕事、ご無理されませんように。
連休に入って京都は人や車で賑わっています。
お天気にも恵まれて、新緑がきれいです。
どうぞお大切にお過ごしくださいますように。 みち 秦の母方従妹
2017 5/3 186
☆ ご本 拝受
お元気ですか。いつもお心にかけていただいてありがとうございます。
安倍総理は2020年までには憲法を変えると意気込んでいますが、私はそんな人物の首をすげ替えたい。真の「主権在民」実現をめざして余生を費やすつもりです。与えられた時間は多くありませんが。今後ともどうかよろしく。
ありがとうございました。十分ご自愛のうえご活躍ください。 京 岩倉 辰
* 「干支のままの辰男の友のあらたまの年祝(ほ)ぎ呉るるメールの春よ」と歌ったのが五年前の元日でも五日の人間ドックで、
癌の疑ひ十分と医師は数枚の写真に指さした。分つてゐた。
死んで行く「いま・ここ」の我れが生きて行く 老いも病ひも華やいであれ
と歌っていた。
この友に、昨日ここへ掲載した発布当初の「日本国憲法のはなし」、送ってあげよう。
* 鷹峯の「百」さんがこの前送ってくれていた、上に出した「祈る」絵、墨の描線の豊かに力強く生きた魅力、目が離せない。不退の行法に励む善財童子で あったろうか、それは誰でもいい。この祈る姿に見事に健康な「いのち」が感じられて嬉しいのだ。「いのち」の溌剌こそ幸福というもの。
☆ 第一三四巻拝受
秦先生、『乱聲』拝受。インターネットバンキングより送金させて頂きましたので、ご確認下さいませ。
名古屋の連休は晴天に恵まれています。昨日は孫達を迎えて、騒がしくくたびれ果てましたが、きょうは幸いぽっかり空いた一日。ご本をめくって、楽しんでおります。
月に一回遊俳の会で遊んで30年余り、月一回その日しか詠まないので全く上達はしませんが、達人の俳句を読むのも楽しみ。
で、まずは先生の俳句からと拾い読みしておりましたが、やはり歌も気になります。家持の最後の歌?や百人一首の本歌取りもあるわ、と、この連休は楽しませて頂きます。どうぞ御身大切に、奥様とおそろいで、私どもに、豊饒の刻を運んで下さいませ。 名古屋 珊
2017 5/4 186
* 「湖の本135」のために、必要な「覚書き」と「跋」とを書いた。校正も終えてあるが連休明けまでは返送しても仕方がない。「選集二一巻」の再校、 「湖の本136」の初校を連休中にせいぜい済ませておきたい。うかうかしていると「選集二二巻」の初校もでてきてしまう。「選集二三巻」の原稿読みがなか なかタイヘン。入稿には桜桃忌過ぎにまでかかるかも。
* 長編『或る寓話 ユニオ・ミスティカ』は少なくも分冊にしての第一册分は仕上がっていて、此処だけで場面はしっかり三変する。そのあとは変化なげにし かもきつい変化へ転覆しそう。第一册分三変の「中一変」分は途方もなく頼りない妄想・空想・幻想で埋められながら前を後ろへ橋渡し役をする。それがうまく 行くか、だが。ま、成り行くだろう。
いずれにしても、この作は公刊できるのか、作者にも分からない。
* 『清水坂(仮題)』は楽しめる、作者自身には。長々しい作にしないで、語り味を楽しんでいる。慌てまい。
今一つ「信じられない話だが」これまた後白河院絡みの蜘蛛の巣のような現代の物語が書き始めてある。成ればいいが。今いまの思いつきでなく、落想はやき り四半世紀も遡れるが、これも願わくは取材確認の旅へ出たくなる。ああ、その気になれば、ほかにも抱きしめている怖いモノ語りが在るよなあ。唐突だが必要 条件はしっかり栄養を食することだが、色や形や匂い、それに堅さだけで食い気が失せてしまうのではハナシにならない。佳い焼酎に蜂蜜を少量まぜながら、 750mlを二日半で飲み干した。谷崎先生は焼酎三分の一ほど酒をまぜ砂糖を加味して氷で呑むと暑気払いにいいなどと人に手紙を書かれていたが。
食の細ってしまう原因はやはり胃袋の失せたこと、腸がいきなり食道へ繋がれているので、胃で溜めて消化することが出来ず、細い麺類や茸類や堅めのものは常住腸閉塞の危険をともなうので、怖くてついつい美味しい上等食でも咀嚼しにくくてはつい敬遠する。
新茶を戴く季節になった。お茶は嬉しい。和三盆のような口当たりの優しい甘味も好き。酒も甘味も好きなので助かっている。
2017 5/4 186
* 小田原の津田崇さん、花蒲鉾を下さる。福田歓一夫人、静岡の鳥井きよみさん 新茶を送って下さる。
* 朝いちばんに京都のお師匠はんが電話で、湖の本の礼を。叔母がわたしのお嫁さんにとひそかに画策し養女にしたかったらしいとは、このまえ、本人が電話で笑い話にしていた。これは知らなかった、が、叔母にすればしそうな思案であった、かも。
いま、京都はどこへいっても中国人と韓国人ばっかりで住み着いている人らもいると聞かされると、なんだか邪魔くさくなる。
☆ おはようございます。
待ちに待ちましたご本届きました。
ヤマト運輸の会社の事情と連休で、お手元を離れてから、数日がたってしまいました。
発送されてもご心配だったのではと思い、兎に角お礼とお知らせを申し上げます。
我が家に届く大和のメール便は何時も夜遅くか早朝にポストに入りますが。
最初に、細雪 松之段 から香しく始まり嬉しく。
先日訪れたばかりの円山公園の残りの枝垂れ桜。西行庵のたたずまいに身を置く気持ちです。
ゆく春が惜しまれる思いで読ませていただいています。
部屋の窓から眺める緑に満足している連休の日々。ご本に、詩歌に没入できる事歓びです。
ありがとうございました。
湖の本の発送の困難なことがHPに書かれていましたが、宛名シール貼りとか、シール作成ならお手伝いさせていただけるかと思っています。
ずーとお世話になる一方の読者としてお役に立つことが有れば嬉しいのですが。
何なりとお申し付けください。
迪子さま共にお身体お大切にお過ごしください。 練馬 晴 妻の親友
☆ お仕事にも読書にも
励んでらっしゃるのはわかっています。でも、やはり籠もりっきりはよくないですね。半日も観劇なされるのだから、熱海でも箱根でも、ゆったり時程を組まれれば京都やしまなみ海道だって可能と思います。
横浜は中華街の喧噪よりも、三渓園や港の見える丘公園の方が佳いかと。
新宿も御苑は広々してますよ。
体を動かして気分も変われば、食欲も少し出てくるのではと思います。
「乱聲・詩歌断想(二)」、 「小倉ざれ和歌」は前回のものに歌を増補なさってましたね。「詩歌断想」は面白く、「(三)」のご用意が後にあるとしても、2007年以降のものも併載して頂きたかったなあと思います。
「少年」時代からの歌、選集の一巻分にやがて編まれるのでしょう。新作と共に、楽しみにしています。
お体、どうぞ大切になさって下さい。 九
2017 5/5 186
☆ うぐいす、神楽を舞う。
昨日、勤め先の大徳寺店に風趣ある花がいけてありました。心ひかれ、お出入りの花屋さんに名前を尋ねてみると、
「ほら、すーっと伸びた小枝のさきにチョン。すーっと伸びてチョン。白い小さな花が付いていて、鶯があちこちで神楽を舞うてるみたいでしよ。」
とおっしゃった。
今日私は、いつもの堺町店に勤務でしたから、こちらのお出入り『花*』さんに「ウグイスカグラをいけて欲しい」とお願いしてみると、
「鶯の鳴き始める頃に咲く花やし、もう名残りもなんもありひん」と。
五月五日、今日洛中のあちらこちらはお祭で、笛の調べや鉦・太鼓の音、そして神輿をかつぐ人達のさんざめく声が、遠くに近くにずっと聞こえていました。
子供のころ、小学校と中学校を新潟県の鄙で過ごしました。「(略)」という地名が示すように、大きな川沿いにある集落でした。その荒ぶる川は古より氾濫 を繰り返し、小学五年生の夏におきた豪雨災害では、百名に余る方々が命をおとされました。また自宅も半壊し、建て直さざるをえず… その年のことは思いだしたくない出来事です。
何年か経ったある日、父が隣村に建てられた碑まで連れて行ってくれました。その碑には、災害時に水防と救助に尽力され殉職なさった八名の消防団員の方々 の名前が刻まれていました。父と二人、静かに手を合わせながら、『神林村』というのは「一柱と数える神様達が、何人も林のように立ち並んでいる所なのか な?」と感じたのを、今でも覚えています。
地元の人達は皆「カンバヤシムラ」と呼んでいましたが… 本来は「カミハヤシムラ」という表記であったと聞きました。そのことを踏まえても、「神」を「囃す」の意味であるのだと、今ならばよく解ります。
神まつる時。「神楽」は、「楽」を奏し「舞」をまう。
『亂聲』きこえてまいりました。
龍笛・高麗笛・鉦・太鼓。警蹕までも入り交じり… 『亂聲』ひびいてまいりました。
そう言えば『振鉾』左方・右方それぞれの舞人が二人、祗園祭の籤とらず『長刀鉾』の破風のあたりを美しく荘厳しておられたように思います。
たしか舞人は、となえごとをなさっておられた気がするのですが…
「天長地久の祈祷たり」ととなえておられた気がするのですが…
神泉苑に鉾を起て「祈る」ことから『祗園御霊會』は始まったのだと、以前に伺いました。
「鉾」なくして、生命のかがやきはうまれず。
「鉾」なくば、繰り返すことも叶はず。
『亂聲』を拝読し、様々に考えます。
楽しませていただいております。ありがとうございました。 相馬 拝
———– 追伸 ———–
先生、ごめんなさい。
とりとめなく長くなり、まとめられなくなる悪い癖で…
ご関心の大事のことのことをお伝えしようと思っていたのに、今回そこまでいたりませんでした。
また日を改めて、お伝え申します。 京・鷹峯 百
* 目を閉じ、じっと聴いている。感謝。
久しい関心事、なんとか近寄りたかった秘境へ、手引きしてもらえる予感がある。
☆ 「湖の本」134巻 拝受しました。
メールを試みましたが、またまた失敗です。
途中でいろんな記号が出てきて対応できません。(秦さんのメールも入っていません。一度だれかにパソコンの具合をみてもらいます。)
本巻は、一気に(走り読みですが)読みました。感想を書くに、ことばが見つかりません。「今慈円」のたとえをお借りしておきます。硬軟とりまぜて秦さんの思いは、自然と「うた」になってしまうようです。
『選集』第十九巻を読み返して、秦さんはやはりおそろしいお方だと、再々認識しています。以前も申し上げたと思います が、私にとって顔回のいわゆる孔子のお姿です。そのうえお作群は、まさに『百科宝典』です。「私語の刻」を読んでいますと、そういう秦さんのすばらしい読 者の多いこと、そしてそれらは個性的な見識を備え待った人たちであることが嬉しくなります(独り合点です)。とりわけその受取り礼状の書き方が随分勉強に なります。社交的辞令を越え、なにかポイントを押さえた文言に感心させられます。
とりわけ田中励儀先生(=泉鏡花学の今や一人者・同志社大教授の文章が印象に残りました。
あれはフードピアのときのエピソードのことだと思います(その翌日秦さんとお会いしたことでした)が、こちらのことをご存じである先生ならではのご感想でしょう。が、そんな小さいところまで読み通して、さりげなく付け加えていらっしゃるのが田中さんらしい。
さて、拙文(=「二つの死」)を取上げてくださってありがとうございました。自分の書くものが人様からあんなふうに褒められたことがほとんどないものですから、名誉なことです。
尚、前にもお話ししましたように、去年から親しくしていた知人・友人が何人もなくなり、「死なれる」ことをしみじみと感じました。そしてふと思いついたのがあの文章でした。秦さんに読んでいただいて本当によかったと思います。
それにつきましても秦さんが、こんな凡々たる私にやさしく親しくしてくださること、ありかたく大事にしています。そしてそれに近く、親しく接してくださった方を思い出しています。それは松本克平さんです。
もう二十年ほど前になりますが、松本さんの追悼文集に、私も請われて一文を寄せました。コピーを同封しましたので「文章」としてではなく、「内容」をお読みいただければ幸いです。
五月八日で八十五歳になります。先日、県の退職校長協会から連絡がありまして、本年度より会費が免除になりました。も うそんな仲間からも棚上げにされたような感じです。据えておかれるようなら、ごやっかいをかけぬように、退会を申し出ようかと考えているところです。新聞 の「おくやみ欄」を見ましても、八十五歳ならここに掲載されてもなんら違和感がないように思えます。「死なれる」ことより「死ぬ」ことを、時に思うように なっています。そんなときは、いつも「私語の刻」を開いて見ます。秦さんの生き方・おことばが元気を与えてくれるからです。そして「読者」の皆さんのすて きなこと一一。自らを恥じながら励まされています。
お目にさわることを気にしながら受領を兼ねまして。
ただ今連休中なので、送金が遅れることをお許しください。
奥様ともどもお大事に。 井口哲郎 前・石川近代文学館長
☆ 疎にして近 井口哲郎
昭和六十三年十月、石川県小松市立図書館で「北村喜八回顧展」が開かれた。そのパンフレッ
トに寄せられた松本克平さんの文章は、次のように書き出されている。
お互いに疎遠に見えていて、同じ築地小劇場系統であり、どこかでつながりがあり、恩恵を受けている、というのが私と北村 喜八、村瀬幸子御夫妻の場合です。昭和四年夏、私は築地でも別派の左翼劇場の研究生になったトタンに、北村喜八さんの劇団築地小劇場の本郷座公演「吼えろ 支那」の応援に派遣され、英国海軍の水兵の役でエキストラとして初舞台を踏み、今日に到っています。村瀬さんも一緒でした。その演出は北村喜八・青山杉作 の共同演出でした。つまり私の初舞台の演出は北村喜八さんだったのです。(中略)
北村さんは、小山内薫直系の芸術派で、私はプロレタリア演劇だったので、その後疎遠になったまま戦争になりました。(中略)戦後はお互いに杉並区の永福町で、同じ町内に住むようになりました。
題名は「疎にして近」。中味はかなり違うが、松本さんと私(=井口さん)の間柄も「疎にして近」なるものであったように思う。
私は、昭和四十六年六月に、石川近代文学館で開催された「北村喜八特別展」をお手伝いした
のを機に、村瀬さんから北村喜八の資料をお預りすることになった。そして、それをもとに、北村喜八の足跡を追い続けてい る。その間、石川近代文学全集の「近代戯曲」の編集にも携わった。これらの仕事を通して、その背景となる新劇史に関して、私はずいぶん松本さんのお世話に なった。
「あ、そのことなら、克平ちゃんに聞いたらいいわ、資料も持ってるはずだから」と、松本さんを紹介してくれたのは、村瀬さんである。「疎にして近」の中に、(=松本さんの)こんな記述もある。
北村さんの没後、物置きに山積している埃だらけの古い新劇のビラやチラシの整理に困った村瀬さんが「手のつけようがな いので屑屋にやってしまおうかと思っているの」と洩らすのを聞いて、私はビックリ仰天、恐る恐る「捨てるんでしたら私に下さい」とお願いして貰い受けまし た。私には昔から新劇資料収集の癖があるのです。そしてこれらを引っくり返して眺めているうちに、これで一つ何かを書いてみようと思いつき、出来上ったの が「日本新劇史-新劇貧乏物語―」で、驚いたことにこれが読売文学賞を受賞しました。北村さんの埃にまみれた紙屑の山は、こうして私の新劇史執筆を助けて くれたのです。
松本さんは、私(=井口さん)にとって、新劇史の先生である。電話や手紙で、幾度教えを請うたことか。いつの場合でも、お答えは懇切丁寧であった。部厚 い手紙を何度もいただいた。参考書や資料のコピーが、ドサリと送られてもきた。それらは、私の求めの先々を見越しての対応であった。
こうして、いつの間にか、松本さんは私の身近な人となっていた。しかし、直接お会いしたのは、三回きりである。
最初は「八月に乾杯!」小松公演の時であった。この公演は、「喜八の故郷で芝居がしたい」という村瀬さんの思いを、何とかかなえてあげたいと、小松市教育委員会へ働きかけて実現したものであった。
公演(夜一回)の日、「北村喜八回顧展」のオープンセレモニーがあり、松本さんは、村瀬さんとともに、テープを切って下 さった。そして、なつかしげに展示物の一つ一つを見てまわられた。「吼えろ支那」の舞台写真の前では、「おお、これだよこれ、これが私の初舞台なんだよ」 と大きな声をあげられた。「一番上の、浮輪の下にいるのが私、乾杯するだけで、セリフは一言もなかったけどね」と、いかにも感慨深げであった。
二度目は平成元年十一月二十六日、「有福詩人」公演の俳優座の楽屋で、そして三度目が平成
五年十月十一日、村瀬さんの葬儀の日であった。
「とうとう死んじゃったよ、さみしいなあ」という松本さんの声が、今も私の耳の底に残っている。その時、私はその年の七 月にいただいた手紙の中に「この九日に、村瀬さんは『とりあえずの死』という芝居で地方公演に出発するそうです。羨ましい限りです。(中略)来年は俳優座 創立五十周年ですが私はとても舞台はダメだと思っています。小指を揉みながら手紙を書いてみました」とあったのを思い出していた。
平成七年四月、「卒寿を祝う会」の御案内をいただいたが、私は仕事の都合で出席できなかっ
た。おわびの手紙に返事があって、「右足の膝が悪くて外出するのが厄介なので凡て車椅子で娘
に押して貰うのでヨソの芝居も見られません。不便なものです」と書き添えてあった。これが松本克平さんからの最後のお便りとなった。
「安曇野 松本克平追悼文集」一九九八年二月二十八日・朝日書林刊 より
* 筆頭に「克平さんと臼井吉見先生」という阿部廣次さんの懐かしいお名前の出た一文があり、大勢の筆者の二番目に井口哲郎さんの「疎にして近」が続いて いる。息づかいの柔らかに温かな行文が嬉しくなる。松本さんの名も村瀬さんの名も、俳優座の舞台を半世紀近くも観せて貰ってきた私にも、触れあいこそな かったけれど、懐かしい。
* 井口さん、メールが通うと有り難いのだが。手紙を手書きして郵便局へということが、なかなか出来なくて。メールだと即座に書けるが、届いていないというのでは。この「私語」を見ていて下さるというのが有り難い。
* 長い連休があったので郵便がどさっと固まった。都立大名誉教授の高田衛先生、神戸の信太周先生、元「新潮」編集長の坂本忠雄さん、新潟大名誉教授の黄色瑞華先生、厚労省から神奈川県立保健福祉大へ移られていた河幹夫さん、静 岡大の小和田哲男さん、元筑摩の持田鋼一郎さん、墨画家の島田正治さん、俳人の清沢冽太さん、それに、東海学園大名古屋、明治学院大、城西大の各図書館、 また文教大国語研等々、さらに払い込み読者のみなさんからもお便りを戴いたが、疲労も深く、とてもご紹介がならない、心より御礼申し上げます。また、折り を見て。
2017 5/6 186
☆ 湖の本134 ありがとうございました。
『亂聲』 歌はその折りそのおりの感情がよく出ていて、一気に読みました。秦さんも僕も京都出、三つか四つ違いです。ふんいきはよく理解できます。
歌は 俳句は短いが伝わるものがあります。
貘も三年ほど前 胆嚢を摘出。 まだ人生たんのうしてないのに胆嚢が失くなるとは残念 はおもしろかった。
お会いできぬが湖の本で秦さんに会っている。
(はがき一面に墨でおおきく=) 85歳 老いては妻に従うよ 墨画人 島田正治
☆ いつもながら
厚いお心づかいで「湖の本」頂戴 有り難くお礼申し上げます 「詩歌断想」(ニ) まず拝読いたしました 『亂聲』 楽しみです
以前 米原の小さな寺に行き 村内の掲示板で 蓮華寺がこの村にあることを知りました 多分茂吉の歌碑があるかも と思い寄り道をしました 昔の表忠碑ほどの大きさの医師に歌はありましたが どのような歌であったのか忘れました
大正十三年五月 和尚再度の発病で倒れ 十四年五月窿応を茂吉は見舞っています 蓮華寺へは茂吉は度々行っているので そのいづれかの時の歌かなと想像されます。
いらんこと書きましたが これも 『亂聲』 期待の故とご寛容お願いいたします。
季節の変り目 今年は一段と厳しいようです。
くれぐれもご自愛下さいますように 俳人 清沢冽太
☆ 境内に
折知り顔の鴬が来ています。例年この寺の鴬は盆過ぎまで滞在します。
早速ながら今般も亦「湖の本」をご恵投被下、ありがたく頂戴いたしました、ご体調のことを思いますと敬服のほかありません。
私の前立腺ガンは薬のおかげで落着いています 時折、メマイ タチクラミに閉口しています。
ありがとうございました。称名念仏 上越 光明寺 黄色瑞華 新潟大名誉教授 俳諧研究
☆ ご高著 ありがとうございました。
「小倉ざれ和歌百首」に興味ひかれました。恐々謹言 静岡大 城郭研究 小和田哲男
☆ 拝復
「生ける老境の不敵に語らぬ素顔」としての湖の本 『亂聲』 、しかと拝受しました。今後 愛誦する歌をこれから探索いたします。 近世文学研究 高田衛
☆ 前略ご免下さい
「少年」を拝読して以来 秦様が短歌に深い関心をお持ちになっておられることは承知いたしておりましたが、今回の「湖の本」を拝読、改めて秦様の短歌という詩型に寄せる愛情と情熱の深さとに驚かされました。
集中、「小倉ざれ和歌百首」にもっとも心ひかれました。秦様の古典的教養と抒情精神が融け合い、時にユーモラスに、時に深刻に、秦様ならではの世界が築かれていると存じました。
またさらには秦様のこれまで秘めて来られものが、三十一文字の詩型の魔力によって爆発したと思われるお歌 これはもう批評とか是非の問題とは別の世界へ秦様が踏み込まれた、というのが私の率直な感想です。
私の方は、何十年ぶりから万葉集の通読をしております。若い頃にはまったく気が付かなかった万葉の魅力に気付かされます。
かつて出版社に在籍した人間が言うのもおかしなものですか゜、近来益々出版社や編集者との交渉がほとほと嫌になってきました。秦様のように悠々と自費出版を続けられる姿勢に、共感と敬意を抱いております。
最後になりますが ご健康とご健筆、心からお祈り申し上げます。
近什一首
コーヒーを飲む老夫婦目に入れば逝きし吾妹と吾を重ねつ 元筑摩書房編集者 歌人 鋼
☆ 拝復
花にまさる新緑美しき候、御大病克服とうかがい大慶に存じます。ご執筆出版ご多忙のことがよき療養になることと感服しました。
湖の本134 ご恵与たまわりありがとうございます。いただくことに慣れてしまい恐縮です。短歌俳句自在の世界遊ばせていたきながら 「牛飼が読む」ではありませんが、芸術の定義てんやわんやです。
回覧に興ずべき唯一の友も亡くし 御著私の許で留りますこともったいなく、
厳重な食事制限申し渡され歎いていた折
カツ丼の蓋の上なるたくあんのようなお方と言われてみたい
などとからかってくれる歌人でした。
悼句
野分あとオカリナの音の澄み透る
奥さまともどもくれぐれもお大事に
月並みを恥じつつ
病むと聞くに友いちはやく花便り
とりあえずお礼まで 草々 神戸大名誉教授 周 平家物語研究
* 京の、踊りのお師匠はん、電話からすぐさまに縄手「かね正」のお茶漬け鰻一と舟送ってきてくれた。同じ学区内、わたしの育ったあの近在で、「上等」という敬意と憚りとで縁の遠かった老舗「かね正」の名前も忘れていた。おおきに。ご馳走さん。
* 目疲れをおして読み書き絶やさないので、肩こり頸こりがし歯が痛むのだろう。大連休も今日で終わるとか、心静かにますます仕事へ立ち向かいたい。
☆ 前略
先日には御鄭重にも「湖の本」134を御恵送下さいまして誠に有難うごぞいました。いつものように「私語の刻」から拝読をはじめましたが、 『亂聲』 を巻頭の序で初めて知り、「春愁に似て非なるものは老愁であり」の御感銘には同世代者として共感を覚えました。又、「私の日々には、すくなくとも和歌、短歌との相愛が生きているということ」は、永年のお付き合いで、十分に納得できる御述懐と存じます。
「述語五年」を無事経過された由、嬉しく存じますが、呉々も御体調には留意され、奥さま御一緒に御自愛のほど心からお祈り申し上げます。
本日は取敢えずの御礼まで一筆啓上致しました。不一 元「新潮」編集長 忠
2017 5/7 186
* 「湖の本135」の要再校ゲラを送った。
「選集第二十巻」の納品は六月五日ときまった。
☆ ゴールデンウイークも逝きました。
今春、厚生(労働)省退官後10年勤務した神奈川県立保健福祉大学の教授職を定年(65歳)退職しました。
今般の湖の本、ほぼこの10年の歌が掲載され、またご健康を取り戻されつつあるご様子、感謝です。ご押筆もありがとうございました。少し うきうきしています。 国分寺 河
2017 5/8 186
☆ 「湖の本134 亂聲」拝誦致しました。
拝読しておりますと 難病に苦しまれたことが歌われており 胸打たれました。 小生も昨冬以来「がん」に悩まされ入院手術して ようやく日常をとり戻したところだったからです。
数々の歌、身に沁みます。 敬具 色川大吉 歴史学者・思想家
☆ 『湖の本134 亂聲 詩歌断想(ニ)』を
嬉しくありがたく拝受、拝読いたしました。
「述懐 」の<いつも身のうちに在る>歌のほとばしりに圧倒されました。
かつて『少年』にも圧倒されたのでしたが、病身傘寿をこえてなお”みずみずしく”、同時に円熟悟達のうちにエロスも匂い出す自在境、すこしうしろをとぼとぼと歩いている身には、まぶしい背中です。
咲き残る木瓜(ぼけ)の紅(くれなゐ)しづかなりいましばしつよく生きてありたし
次掲歌
花やや匂ひしづかに木も草もうるほふ慈雨の季(とき)薫るなり
とともに 強く響きました。
「詩歌断想(二)」も含めて、豊かな時間をいただきました。お礼申し上げます。
どうぞ御身お大切になさって下さい。 元「群像」編集長・講談社出版部長 天
☆ 拝復
多彩な詩歌の中でも「小倉ざれ和歌百首」の絶妙な切り口に心を奪われております。また「詩歌断想」の幅広いテーマからもたくさんのことを学んでおります。
爽やかな新緑の季節を迎えておりますが、ご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます。草々 右御礼迄 山梨県立文学館
☆ 前略 ワードにて失礼いたします。
「湖の本」をお送り頂き、有難うございました。
近年、小さな字が読みづらくなり新聞も拾い読みする程度ですが、今回の「亂聲」は活字が大きく、久しぶりに読書の楽しみを味わわせていただきました。
食通の先生が胃を全摘金満されたのは、大変なことだったと拝察いたしますが、そのぶんかなりスマートになられたのではないでしょうか?
近頃の京都の変貌は恐ろしいばかりで、もう老人がゆっくりくつろげる場所も店もありません。
先日、岡崎の泉屋博古館に行った帰りに祇園でバスを降り、小学校同窓生のやす子おばあさんが座っている「柿善」で、海苔とにしん昆布巻きとおぼろ昆布を 買って、外に出るとまるで祇園条の宵山のような人波に巻き込まれ、流されながらなんとか権兵衛の通りで北に抜け出すと「いづう」の前にもひとだかり、たつ み橋の方を見ると橋の上からあふれんばかりの人、人、人で、フェイク舞子も二、三人。
小学生の頃、あのあたりはネギやトウモロコシの畑で、今の「かにかく碑」の辺には小さな土蔵があって、中に消火用の手押しポンプが入っていた、などと言っても誰も信じないでしょうが、ほんとうに夢のようです。
末吉町の「するが屋下里」で大つつを買いましたが、ここは表の商標を描いた大きなガラス戸が不透明になっていて、店の中が見えないからか観光客はほとんどおらず、京都の老舗の落ち着いた雰囲気が残っていて好きな店の一つです。
ここから縄手通りを下がって人通りの多い四条の手前で抜けロージを通って川端通りに出て、鴨川を渡って木屋町で地下の阪急に乗るというのが、大体いつものコースです。
(頭の中で歩いてもらえましたか?)
小生の住む桂も阪急の桂駅と東向日駅の間に「洛西口」駅ができ、JRも桂川駅をつくったので大きなイオンもやってきて、あたりにマンションがぞくぞくと建っています。
便利にはなりましたが、楽しんでいた「桂の里のわび住い」という風情はなくなってしまいました。
終戦近くに生まれた小生の世代は、いまおもえば良き時代を生きてきたものだとおもいます。
あと少し何事もなく過ごせれば安らかに逝けるとおもうのですが、何やら近頃キナ臭くなってきたようですね。
最後のご奉公に玄武隊に召集されるのでは、と不安です。
末筆ですが、先生のご健康とご活躍をお祈り申し上げます。草々
西京・梅園 服部正実 写真家
* わたしより心持ち若く近所で育った人であり、この店々も辻々もありありと目にも胸にも覚えがあって懐かしいどころでない、が、よほど京都の街通りは変貌しているらしい。わたしは下駄履きで本を読みながら四條も河原町も歩いていた。
☆ 柿若葉が風にゆれ
朝日にかがやいています。春の陽射しはあんがいきつく、ガラス戸にレースのカーテンを引くとそこは影絵の世界に、そこへスズメが一羽、チチーと鳴いてくれたらそれは最高!!朝の食もすすみます。今年も春の訪れがおそく、不順な天気が続いています。
どうかお大切になさって下さいませ。 京・有栖川 桐山恵美子
2017 5/8 186
* こんなざれ和歌が、どこかに混じっていた。
あらざらむこひのうき身を游(あそ)ばせて
世をしら波に流されて来し みづうみ
☆ 浮き世ではありますが
遊び心をもって 賑々しく過ごしたいものです。御健勝をお祈りしつつ。 敏 妻の従弟
☆ 毎回
すばらしい内容で楽しみにしております。
ご健康にご留意され ますます御活躍ください。 愛知新城 古
☆ 夢の歌など
得難きものと拝見しています。 朝霞市 恩 歌人
* 神奈川県立文学館からも。
2017 5/8 186
☆ この度は
「湖の本」ありがとうございます。
先頃頂戴した選集台十九巻の「花」をよんだところです。日本文化論の入り口に佇み呆然としています。
さて憲法記念日に安倍首相は二〇二〇年に改憲を打ち出しています。大勢の方々と野望を打ち砕いて行きたいと存じます。 こくた恵二 拝 日本共産党書記局長
2017 5/8 186
☆ いやはかなにも
夏のはじまりの緑蔭は、ふりそそぐ陽やわたる風、そよぐ緑の色までもやはらかです。
京で勤め先の建て物は、裕福な呉服商主人の住まいだった町屋を 庭や主だった部屋はそのままに、靴を脱がず歩けるように改装したものです。今、坪庭の「いろは楓」が新緑のもと紅い小さな花を揺らし綺麗です。
毎日ながめる西の庭は「ひかりの坪庭」で明るく、奥の料亭部カウンター席越しに見える東の庭は「かげりの坪庭」で、 陰をめでるかのように植栽なども工夫されています。日がな目にする楓の花も、間もなく苔の上に散りしいて姿と色を変えてゆくことでしょう。
御作の「花と風」そして「小倉百首」のうち 小野小町に添うた一首を拝読させていただき、思うたこ
とがございます。
ながめせしまに「古りゆくもの」は、花のいろ、花の散りたるという、花のことばかりではなく、過ぎてゆく時間のことも含まれているのではないかと…
また、その「古りゆくもの・流れてゆく時間」こそが「風」ではないのかと…
突風や嵐がきて何もかも吹き払ってしまうばかりでなく、ただ日々を過ごし、褻(け)の日常を繰り返していても風は吹いいているのだと、そんなふうに思ったりしてみたことでございます。
天災が起こったり、意識的に人為の大きな力が加えられたり、また意に反して人為の代償のような事故がおきたりして、物事や世の中が変わってゆく。大風が 吹きあれ立ち向かわなければならない時とともに、普段にも そよとも気づかず吹く風のあるを忘れずに日を暮らすのが大事と教えていただいた気がします。
「花、吹きはらう風」のあることを以前『湖の本』の読者であった頃も目にしながら、その時は今よりよほど若かったので 思いの至らぬことも多うございました。またこうして再読の機会を得、そのうえ
新しい御作も読めますことがありがたく、深く感謝いたしております。
今日、「お花屋さん」のことを書くつもりでしたのに… 鈍なことでございます。また改めて、書かせていただきます。 百 拝
* 「風」とはそのような働きであり命でありましょう。それもまた生ける「花」を、ファシネートな「花」を真実身に帯びて知れること、とも。紙の花はイヤです。
* いかにも京も中京の家居は風情豊かで奥ゆかしく、空気に触れるように懐かしい。
どんな御縁があったのか、こういう大店に生まれ、わたしより一つ年かさなお嬢さんが叔母の稽古場へ、お茶にお花にと毎週通って見えていた。茶の湯の方は よく叔母に代わってわたしが稽古を見、いつしかに熱心に、みるみるうち、佳い「茶の湯」の風趣を身に添えていった人だった。不幸にも若くして亡くなった。
☆ みづうみ、お元気ですか。
機中から雲の上に浮かぶ富士山に見惚れながら帰ってきました。
富士山は形の美しさは言うまでもありませんが、雲海の上にあるのが富士山だけという孤高に、いつも色々なことを感じます。
湖の本は留守中に無事に届いておりまして、ありがとうございます。「亂聲(らんじゃう)」こんな面白い歌集は久しぶりです。読みたてほやほやの感想です。 ふつうの小説で描けない何かが立ち上がってくるようで それは作者の言葉に内在する特異な生命力ではないかと、今のところ考えています。歌に歌を重ね重ね て「生」を描いていく方法、新鮮さを感じました。ここからいずれ古典的歌物語とは違う、現代の物語が誕生するのではないかと期待します。歌を活かして畳み かける連続の波動によって主題へ迫ろうとする手法は、「短歌」や「小説」という様式の可能性を広げるのではないかと、私、興奮をおぼえています。歌人とし ても優れた歌の詠める強み、歌集『少年』のあとがきにありましたように歌が秦恒平の小説の根になっているからでしょう。散文にもまさる短歌という一つの力 強い手法があることを教えられたと思いました。新しい長編小説、楽しみになります。書くたびに実験のある新しいお仕事は一読者として読みたいと願わずにいられません。
連休中も「疲れた」というお言葉が多くご体調、心配です。働き過ぎとしか言いようがありませんが、働くことがみづうみの「生きている」ことなのですから、休んでくださいとも申し上げられません。せめて、もう少しゆっくり働いてくださいとお願いするばかりです。
鮎 月のいろして鮎に斑(まだら)のひとところ 占魚
* 有り難い激励と、頂戴しておきます。
☆ お元気でおすごしでしょうか
いつも本を送って下さって ありがとうございます。
瀬戸内の春の味です 御笑納下さい 姫路夢前窯 原田隆子
* いかなごであろうか「くぎ煮」を頂きました。感謝。
2017 5/9 186
* 東大法学部長を勤められた故福田歓一さんの夫人、京都の詩人あきとし・じゅんさん、漆芸家の望月重延さんや神奈川文学館や大学等から「亂聲(らんじゃう)」へご挨拶があった。
読者からの払い込みも今日多かったが、体調を損じたり損じかけたりしている人もあり、案じられる。
2017 5/10 186
* 思い立ち昨日来「湖の本」の一巻にやや剰るかというほどの「物語らしき」を試みて、ともあれ一段落させたが、今は、このままそおっと「棚上げ」にし、作そ のものにさらに何倍もつづくであろう「夢」を見させたい。これは仕上がろうとしている長編『ある寓話 ユニオ・ミスティカ」とも「清水坂(仮題)」とも、 別もの。
* もう選集二十巻送り出しの用意にとりかかった。六月五日まで、もう、二十五日と無い。用意を間際へ持って行くと気の重さが何倍にも成る。用意が出来て いると気軽に納品日が待てる。気軽に日々を待つのが老境の妙薬。周辺の仕事もハカが行く。 選集二十一巻ももう十日とかからず手を放して責了に成るだろ う。湖の本136の「枕草子」の初校も進むだろう。「枕草子」は気分爽快に嬉しく読めるが、ものの名に相当量の注意深い読み仮名が必要になる。
* いま、「ちくま少年図書館」でサンケイの賞をとった『日本史との出会い』を読み返している。本の出たとき、安田武さという名うての読み上手が「小さい 頃にこういう日本史が習いたかったなあ」と嘆息しながら喜んで呉れたのを想い出す。こういうのを新書版などにして呉れればいいのだがな。
* 来週水曜、その次週の月・火曜、暫くぶりに聖路加へ通う。金曜には歯医者へ。そういう予定もかしこく念頭におきながら六月を丁寧に待ちたい、選集を追 いかけて「湖の本135 黒谷・女坂」も送り出さねばならないだろう、十九日 桜桃忌が過ぎたあたりに発送したい、が。桜桃忌には、歌舞伎座が予約してあ る。
2017 5/11 186
* 「湖の本135」の再校が出た。「選集二十一巻」の再校、終盤へ来ている。「選集二十二巻」の入稿前再読、辛抱強く続けている。「湖の本136}の初 校も届いている。選集の一巻はだいたい湖の本四巻ないし五巻分に相当している。平均して常時少なくも「湖の本規模の十巻分」に作業の手を触れ生活してお り、さらに先行して、新作の創作数種と多種多様の読書生活がある。
読書はその場その場、窓辺に立ったままでも庭へ出ても書庫でも書架の前でも。
今朝は二階の廊下で立ったまま、「大乗非佛説論」にかかわっての仏教史に読み耽った。『出定後語』を著していた十八世紀富永仲基の、辛辣でかつ正確な 「異部加上」説に基づく議論・追求のすばらしさ、息を呑んだ。書庫にあるだろう『出定後語』原典にもぜひ向きあってみたい。
基督教は聖書一冊で足りかつ足らせているが、仏説は、小乗・大乗の大蔵経夥しくて、釈迦自身の言葉は不確実にかつ極めて乏しい。『仏のことば』とまとめ られた本を一、二読んでみたが、他方で阿弥陀三経や法華経や般若心経や木蓮経等々の大乗経を読んでも、謂わばさしわたしの長さ広さは途方もない。法然遺言 の「一枚起請文」でいいじゃないかと、途方もない結論を持ちたくなってしまう。ないし不立言語の禅へと気持ちは向かう。
で、やはり現代の和尚バグワン・シュリ・ラジニーシに聴きたくなるのだ。
2017 5/13 186
☆ 大型連休も終り
初夏を越え 一息飛びに真夏日かと思うと 翌日は四月下旬のと気候不穏、おからだに障らぬかと心配します。お元気を願ったております。
このたびは「湖の本134」 を有難うございました。和歌短歌は門外漢ですが『亂聲』 圧倒されました。漱石・鴎外・鏡花などの終わりに由紀夫、宏、靖など同時代作家への関心の作に及 び「こんなことしてゐたら寝られやせぬわい」と結ばれたユーモアに思わず共感の笑いが浮かびました。「詩歌断想(ニ )」の幅広くこま世界への目配りにも感嘆いたしました。一層の御自愛を祈り上げます。
御礼迄。 講談社役員 徳
* 秦 恒平先生
この度は「湖の本134」を送って下さりありがとうございました。
なかなかどうして胃の全摘手術をした後とはとても思えない世界に自由奔放に生きておられてまぶしいかぎりです。
この本の短歌をみるかぎり、近頃失われていた萬葉集以来の伝統短歌が脈々と生きており大変に私の励みとなりました。
常念岳の見える部屋の炬燵の上に置き座右の銘としたいと思います。本当にうれしく思っております。
上様
ほんの気持ちばかりですがご査収下さい。 安曇野市 柳 歌人
☆ 初夏の陽気となって参りました。
この度も『湖の本134』を 有難うございました。いつも本当に刊行のスピードに圧倒されています。 今回は 余裕の遊びがあり楽しみながら読ませて頂 きました。今の短歌を見直すきっかけもいただけたように思います。「歌ッて、何」といつも問いつづけていたいと思います。どうぞ御身お大切になさって下さいませ。御礼まで。 吹田市 郁 歌人
* 物語「いはでしのぶ」 なかなかフクザツにおもしろそうで、少し胸とどろく。
☆ 整理・処分をお考えになっている由、初出本や、国会図書館に欠けている虞のありそうな初出誌等纏めて戴けたらと思います。
つい先日、桑原武夫の遺族が京都市に寄贈した1万余りの蔵書が無断で廃棄されていたというニュースが流れましたが、散逸するのも、大学・公共図書館の閉架書庫や個人宅で死蔵されるのも、惜しく、悔しく。
より広く、深く読み継がれますことを希望しています。
微かになってきた雨音を聞いています。 神奈川 研究者
* 京都市の一件には胸が冷えた。広く、深く、そして永く読み継がれたいものと。「京都」がなあ。図書館長は中西進さんだと思っていたが。そう思って選集も送っていたのだが。「京都市」という意味は。とても気になっている。
2017 5/13 186
☆ 長い間
ご無沙汰して相済みません。選集と湖の本134のお礼も申し上げず失礼しています。
『花と風』は40年近く前岡山市内の細瑾社という書店で見つけたのが、秦さんの単行本との初めての出会いで、特に思い入れの深い作品です。
日記に食が進まないとあり,また奥様がご不調だともあり心配しています。
天満屋デパートにニューピオーネの初入荷がありましたのでお届けします。 吉備の人
* 恐れ入ります。有難うございます。
『花と風』はわたしのいろいろな思いや行いの原点に位置する述懐であって、いつも、そこへ帰って行く、行ける思いがある。今一つを挙げるならわたしの根 の思いと気概とをみせて滞りない一冊は「ちくま少年図書館」にいれてもらった『日本史との出会い』をわたしは思う。私の思想や言動の起点はよくいわれる平 安王朝古代にではなく、間違いなく「中世」への思いに根ざしている。この少年達に向いて「後白河院と乙前」「法然と親鸞」「足利義満と世阿弥」「豊臣秀吉 と千利休」をとりあげて「日本」を問い続け語り続けた気概は、今もわたし自身の力になっている。亡き安田武が、「こういう本で歴史を知りたかった、学びた かったなあ」と大きく嘆息してくれた昔をありありと思い出す。
いま、中世が忘れられ、昭和の大政翼賛体制、国家総動員体制への強引な政治の誘導に日本は立ち枯れようとしている。もう何年も前に「いま、中世を再び」と湖の本を一冊編んだ。その思い、今なお切に切であるが。
2017 5/15 186
☆ 藤、桐、花菖蒲など
紫いろの花の多い季節となりました。
「湖の本」有難うございます。
十年前の拙歌集についてお書き下さってることな気づきました。大変有難いお言葉… 少し甘いおほめの… 地の塩の味わいで「日本語を磨いて…」で うれしくなりました。ほんとうに有難うございます。
『亂聲』の短歌や俳句などのお作品は、感動したり、共感したり、クスッと笑ったり…して拝読いたしました。
「詩歌断想」の現代短歌に対するご批評 ご批判 同感いたします点が多く、十年経ちました今も、ほとんど同じような短歌ムラの状況だと、自分のことは棚上げにして痛感いたしております。いろいろお教えいただきありがとうございます。
季節のかわり目 くれぐれもご自愛下さいませ かしこ
京の新茶 ほんの少々でございますがご笑味下さいますよう 小誌「鱧と水仙」 ご多忙と存じますが ぱらぱとでもごらん下されば有難く存じます。 大和郡山 隆 歌人
2017 5/15 186
* 重苦しい疲労の底で、湖の本のために小説「黒谷」また「女坂」に次いで小説ではない「女の噂(一)」の校正が楽しいし、枕草子の読みも楽しい。助かる。
2017 5/18 186
* 今朝だったか、NHKでなんと田原総一朗が「高齢者の性衝動」を主題に話していてあれあれと思った。田原氏へも「湖の本」を送っている。
おやおや、ほぼ仕上がっているわたしの長編「ある寓話 ユニオ・ミスティカ} 何処かへ売り込んでやろうかな、時節に当たっているなあと、ニヤッとした。
☆ 御著
「湖の本」第百三十巻を拝受いたしました。いつもいつもありがとうございます。
秦さんの精力的な創作、文明批評、文藝批評り数々には圧倒されます。
長編『慈子』は申し訳ありませんが拝読しておりません。その私家版原作『斎王譜』とのこと、それも昭和四十一年五月に脱稿されたものなのですね。その 頃、小生は週刊読書人にアルバイト学生として入って働いていた頃です。存じ上げず不勉強を恥ずかしく思っています。ぜひ読ませていただきます。不一 葉山 詠 作家 文藝家協会理事
2017 5/19 186
* 目が開けてにれないほど睡いが、そうは甘えている気にならない。昨日届いた「選集二十二巻」の初校もはじめている。「選集二十一巻」は責了にして送り 返したく、「湖の本136」巻の初校も終えておきたい。腰を据えて真作の長編を少なくも手放して可な所までは持っていっておきたい。
* 下でも二階でも花に水やりを励行している。テラスへ米を撒いておいてやると、確実に鳩(だろう)が来て食べて行っている。きれいに無くなっているがこのところ姿を見ない。
* ボワーンとアタマが曇っている。校正していても、漢字の間違いには気がつくが、ただしい漢字がときに書けなくなっているのに驚く。ま、そんなものか。
きょうはもう二階仕事をうちあげて、階下でハンコ捺しだの、責了紙仕立てだのを。
テレビもろくすっぽ観ていない。
今日も三度病室へ行って仕事していた、が、病室の暑いこと。室内熱中症も大いに警戒しなくては。
2017 5/20 186
* 「選集」第二十二巻全責了紙に目を通した。宅急便で送る。次いで「湖の本136」枕草子の初校戻しをと。
2017 5/22 186
* 台所の流し場もほぼ、綺麗に、とはゆかぬが片づけた。
建日子が生まれる前の妻が絶対安静を言い渡されていた間も、むろん勤めには出ていたが、五時には社を飛び出し、池袋で食べ物を仕入れ、帰ってなんとか食 事を作って朝日子と食べていた。顔が揃い言葉がかわせる、それだけで安心であった。年の瀬へ迫っていたので、なんとか正月やすみを無事にすごし、医師達が 病院に揃っているときに出産させたかった。神、仏に願った。建日子誕生は一月八日の晩であった。
のぼるのかくだるのかわれらの老の坂
ドンマイ(do not mind)花も嵐もある道
と、去年の桜桃忌にうたった。その桜桃忌がまた近い。胸はって相次いで 第20 21巻 自信の「選集」が送り出せるだろう。「湖の本」新作の中編小説「黒谷」「女坂」二作、もう責了にできるのだが、発送さきの数多い作業に は、なにか工夫をしないと妻をつかれさせてはならないし、しばらく待機のままで。
2017 5/24 186
* 私の第二歌集『光塵』に添えた「詩歌断想(一)」を見返していてふとこんなところへ目をとめた。
今の時節に、まんざら遠くない発言なので、ここへ再録しておきたくなった。2001年の2月2日の述懐である。15年も以前であるが。
☆ 何の番組だか、昼ごろ、歌壇の将官や佐官級が一般の短歌を品評し顕彰している番組があった。推薦して、「じつに」とか「きわめて」とか強い言葉で褒めてい るいる短歌作品を読んでも、いっこうに感心できないことに驚いた。説明的な歌、ガサガサした歌、舌をかみそうな歌、観念的な理屈の歌、要するに感動のまっ すぐ伝わってこないへたな歌が、次から次に推され、褒められ、それでは作者より「玄人」を自認しているらしい推薦者・選者の鑑賞眼の方を疑うしかなかっ た。
たとえば俵万智の褒めあげた作には、「コンビニが」「コンビニが」と二度出てくる。二度出るのは必要なら少しも構わない。しかし、「が」という助詞の用い 方に歌人として何故疑問をもたないか。「が」は、格助詞の「の」にくらべて、いやしい、きたない、という語感を国語の伝統ではもってきた。そしてその短歌 では、「コンビニの」でむしろ正しい表現であった。事実、直ぐ次に登場して馬場あき子の推した短歌では、同様の第一句にちゃんと「の」を用いていた。散文 を書いていても、「が」と書いて、すぐ「の」の方がここではいいなと、書き直す例が多い。「が」は濁音の響きも感じわるく、必要なら必要だが、一音一音に 心を入れるはずの歌人詩人にして、俵万智のような無神経なことでは、なるまいに。国語の先生ではなかったのか。いや、国語審議会か何かの委員ではなかった のか。
☆ ソ連崩壊に関して、こんな歌が或る歌集にあった。気持ちは分かる、が、あるいは「短歌」での表現の限界をも感じさせる。こんなに簡単にいわれては受け取れない、もっとややこしい感想が胸にあるだろう、一頃の大人なら誰にでも。
搾取して富まむ所業を罪悪と断ぜし思想はいさぎよかりき
人の理想かなへし国と言ひあひて恃みたりしが無力にほろぶ
しかし「戦陣回顧」しての次の作など、とても秀歌とは言えないけれど、届いてくる毅い何かはある、はっきりと。
直立し吸ひし煙草は恩賜とか味は格別のものにあらざりき
菊の紋の煙草恩賜と渡しやる人死なしむるなんぞたやすき
人間を神とまつるはなじまずと靖国神社参拝を問はれ答ふる 畔上知時
さきの番組のような場合、わたしなら、この三首にも少し立ちどまりはしても、推さない。だが、ものは感じさせてくれる。そういう作品に出逢いたいと思うが、ただの概念ではいやだ。この場合など、これは実感だなとよく分かる。
楯などにされてたまるかその上に醜(しこ)はひどいとひそひそ言ひき
天皇は神にあらずと口ごもり部隊長に答へき二等兵われは
慰安所とは何かと問ひし少年兵帰隊し笑ふここちよかりきと
たはやすく鎮魂といふなたましひの鎮まるべきや蛆わかせ死して
侵略と言ひ敢へしばし黙したり戦ひ死にし友があはれに
営庭に集められ学生服に固まりぬかく兵とさるる思ひ惨めに
慰安婦にふれず戦地より還りしと言へば不具かと呆れられたり
毛一筋残さず爆死せしありき笑ひて戦争體験語るを憎む
こういう記憶に久しく堪えながら同じ作者に以下の短歌が出来てくると、読むわたしも、ほっと息を吐く。
とりし掌の温みは知れり年長くたづさひしもの妻の掌ぞこれ
家建てて移り住みきし九世帯それぞれに喪のことありて三十年
門過ぐる我にかならず吠えし犬この頃吠えずただよこたはる
畔上さんはかつてわたしの上司であった。上司としてよりも歌人としての畔上さんをわたしは敬愛していた、今も。お元気でと心より祈る。
歌集『時を知る故に』はお名前にからめた好題で、ほかにも印象的な歌、胸に残る歌がいくつも有った。いずれも「私史の玉」であり、上に挙げたどれ一つも わたしは先の番組のような場面で安易には称揚しないだろう。「歌史の玉」とまではいい得ないのだ。 2001 2・2
* 何も付け加えずにおく。こうした感想は、感想として単独に書き下ろしてきた原稿ではない、このホームページの「私語の刻」と題してある日々の日記であ り、二十年近い間に原稿用紙にすれば十万枚できかない感想を日々に書き置いてきた。そのままでは読み返すのも大変を極めるが、一人の親切な暑い愛読者が、 これら全日記を三十種類ほどに主題別に分類してくださったので、望めば直ちに「詩歌断想」だの「京の散策」だの「ペンと政治」だのとして独立編纂が利くの である。感謝して余りある恩恵であった。すでに何冊も何冊もの「湖の本」として編纂されている。
2017 5/25 186
* 選集第二十三巻 入稿した。のこる十巻で思いを尽くすのはなかなか難しく、何を断念して剰すかを慎重に考えねばならない。優にあと二年半で予定へ到達 するだろう、願わくはその余は「湖の本」が生かせればいいのだが、これは作品や資金以上に、わたしたちの体力が働いてくれるか、妻は休ませて、わたし一人 の力で「発送」できるかどうかだ。作品の編輯や校正はわたしには何でもない。体力は発送にだけかかる。急げば疲労に負ける。従来五日かかったのなら、二週 間かければよい、少しずつ送ればいい。老齢読者のご健勝をと何より願う。赤字はもう余儀ないと諦めている。
* それにしてもよく働いているなあと、我ながら、思う。ひと様には呆れられているが、わたくしには、励み楽しみなのである。
2017 5/26 186
* 新しい小説二篇に「女の噂」を添えた「湖の本」135巻を、全紙「責了」で送った。「選集」第二十一巻も「責了」になっていて、これらがあまり相次いで出来てくると発送作業の重みで潰されかねない、せめて二週間以上は間隔をアケて製本して下さいと頼んでいる。
明日には「選集」第二十巻 谷崎潤一郎の名作を徹底読み直す重い大冊が出来てくる。これらが書きたい目にわたしは本気で「作家」に成りたかった。小説家 として認められれば批評やエッセイを書いたり本にしたりの機会に恵まれようと期していた。時代も良くて、まさしく願いは完璧なほど的中した。「秦 恒平選集」予定の三十三巻が勢揃いしたとき、わたしが異色の、「異端の正統」とさえ言われた小説家であることが、新たに成るだろう。続々重々しい論攷本・ エッセイ本が居並ぶ。
2017 6/6 187
* 大冊の「選集二十巻」 妻が荷づくり用意してくれていた分を、一々宛先確認しながら予定の三分の一ほど、荷にした。
大きな荷物で「選集二十三巻」の初校も、ドッカーンと届いていた。「二十二巻」の初校を終えるのにもう数日かかるだろう。「湖の本136」の初校がまだ半ば。
何より新しい創作分の的確な収束にちからを尽くしたい。うのい肴でいい酒に堪能してきて、すこしは機嫌も元気もいい感じ。
2017 6/8 187
☆ 「誠願游崑華」
「湖の本」を手にする時、いつも裏表紙の「帰去来」の印をしばらく眺めて、それから頁を繰って読み始めます。
時には、陶淵明の仰ぎ見た『南山』へ、先生の御作を読み始める前に行ってしまうことがあります。
その刻まれた「帰去来」の文字を眺め過ぎてしまうと… 『廬山(南山)』へ連れて行かれてしまいます。行って游んでしまいます。
帰るところは、何処なのか? 私は、麓の田園地帯ではなく山中へ。
小学生の低学年だった頃のこと 「大きくなったら、何になりたいですか?」と聞かれて 「雨や霧」と答えて、叱られたことがありました。同級の皆が積極的に希望をもって、なりたい職業を答えているのを見ながら…同調できず、また心にもないことは言えなかったので…
「水辺の御地蔵様」
と仕方なく答えた記憶があります。今、そのことを思い出して、仕方なく答えた理由が「なりたい」ではなく、「戻りたい」であったからだと気付きました。子供の頃からずっと、「今いるところは、違うので、早く帰りたい」と感じながら、毎日を過ごしていました。
帰るところは、何処なのか?
『廬山』の他にも『巫山』『嵩山』『泰山』へ。
それら山々の「雲や霧、雨となって降りそそぎ、漂っていた『気』」であったので、そこへ戻りたいと思うのです。
そんな思いを抱きながら、長じて美大の図書室で「文選」を繰っている時に 『巫山の夢』が目に留まり「あしたには雲となり、ゆふべには雨となって戻ってまいりましょう」と書かれてあるのを読んだ時、此の世にも私が帰る場所があるのだと安堵したのを覚えています。
「雲や霧、雨(風)」が 「幽玄」となって「お能」の世界にたち現れると知れて、能楽堂の見所に座れば連れて行ってもらえると知れて、ずいぶんと楽になりました。
お能を見つづけるうち、最初に「帰るところ」は京都だろう、と思い至りました。「帰りたいところ」はたくさんにあるけれど… 先ず、京都に帰らなければ、何も始まらない。始められない、と思って、京都にまいりました。
先生、お忙しくおられる時に、このような思いつくばかりのことを綴り、恐れ入ります。また日をあらためて書かせていただきます。 百 拝
☆ 陶潜
言はんと欲するもわれに和するもの無く、
杯を揮つて孤影に勧む。
日月は人を擲てて去り、
志有るも騁するを獲ず。
此れを念ひて悲悽を懐き、
暁を終ふるまで静まる能はず。
2017 6/8 187
* 高校以来の久しい友、遺伝学者であった天野悦夫君の訃を、夫人が深切に伝えてこられた。
言葉を喪い、しんしんと寂しい。
昭和二十九年(一九五四)の文化の日、もう大学生だった二人で、北山金閣寺、仁和寺、大覚寺から嵯峨野の野宮をすぎて天龍寺までも歩いた。天野の撮って くれた学生服の写真が、名刺大で二枚、手札で三枚、いまもアルバムに残っていて残念にも彼の写ったのが無い。おおらかに優しい青年であった。ずうっと湖の 本を送り続けていた。寂しさを超えて悲しくなってきた。
☆ 湖の本134 ありがとうございました。
「亂聲」 歌はその折りそのおりの感情がよく出ていて、一気に読みました。秦さんも僕も京都出。三つか四つ違いです。京都のふんいきはよく理解できます。
歌は 俳句は 短かいが伝わるものがあります。僕も三年ほど前 胆のうを摘出、まだ人生たんのうしてないのに胆のうが失くなるとは残念 はおもしろかった。
胆嚢も切除。ナニ堪能もせぬうちにあはれ別れの痛みのこれる 恒平
お会いできぬが湖の本で秦さんにいつも会っている。 墨画家 正治
* ハガキ一面に 威勢い良い墨で、「85歳 老いては妻に従うよ」と揮毫、闊達。励まされる。
2017 6/10 187
* 選集二十二巻の初校を終えた。諸確認を終え、ツキモノも添えて二三日うちには印刷所へ戻せるだろう、追いかけて「湖の本136 枕草子」初校を戻したい。選集二十三巻初校ゲラも、モウ届いている。
2017 6/11 187
*「選集22」の要再校全紙に函表紙 口絵原稿 總扉 アトヅケなど一括して送った、次いでは「湖の本136」の初校を戻し、「選集23」初校にも、「選集25」入稿用意にもかかりたい。
2017 6/13 187
* 東近江五個荘の乾徳寺さんから、「湖の本」134『忘れられぬ画家達』への礼と感想とを頂いた。
2017 6/13 187
* 湖の本を読んで下さっている新座の詩人田中真由子さん、埼玉の銘菓「にいくら」を下さる。
2017 6/17 187
* ゆっくり湯の中で枕草子を嘆賞した。枕草子を通読した日本人はたぶん源氏物語を気張って読み通した人よりも数少ないのではないか、随筆としてもかなり の量がある。岩波文庫の徒然草と枕草子を比べても分かる、倍以上も枕草子の文庫本は分厚い。正確にわたしがどれ程の量を精選したかは覚えないが、優に湖の 本一巻分にはなっている。おおかた取るべく選ぶべきは選んだという実感がある。もう初校を終えるが、校正にかなりの時間を要したのは、普通のほんとちが い、無数にルビをふらないと、古典世界に馴染まない人ほど生活具や衣裳や官職や人名など読みにくいであろうから。また和文脈を念頭に現代語訳しているか ら、モノ・コト・ヒトの名ばかりでなく、言葉遣いにもなるべく柔らかに静かにとこころがけた。漢字熟語の音読みにはしらず、和語で読みを振っている。原著 者の日本語ではあれ、現代のわたくしの日本語としても静かに柔らかに書き進めたかった。それで、かなりの時間が校正にかかった。もうすこし、で、要再校に まわせるが、現場には手間を掛けてもらうことになる。
* わたしは詩歌の現代語訳にははっきり反対で、大意を紹介しても訳さないようにしている。詩歌はあくまで原作のままの「うったえ」に応じるべしと。散文 でも、古典ないし文語の作を成るべく現代の散文に訳したくはない。上の学研版「枕草子」の選訳のほかには同じく学研版「明治の古典」シリーズ中の泉鏡花篇 を担当し、なかの一短編「龍潭譚」だけを今日語に訳した。主部にあたる現代語の名作「高野聖」「歌行燈」には、チエを絞って深く読みかつ慎重に、すくなか らぬ脚注を附した。その脚注にわたしは自信をもっている。煎薬
「龍潭譚」は佳い短編で、訳して行きながら、これにも丁寧に脚注を補った。その一部で大先輩の批評家とちょっとした論戦が生じかけたりしたが、訂正はしていない。これもいずれいいかたちで「湖の本」で取り上げたい。
2017 6/17 187
* いくらか今日は怠けていた。が、「湖の本136」枕草子は要再校で明日には送り返す用意をした。
2017 6/20 187
* 「湖の本」を送っている作家の牧南恭子さん、美味い「りんごジュース」二ダース下さる。
* 雨はげしく「湖の本136」の要再校原稿を宅急便に託せなかった。明日は晴れるらしい。気分を換えに、渋谷松濤で昔わたしの課に配属されていた橋本成 敏君の陶芸個展をのぞいてみようか。五島美術館にも誘われていて、興味深い展観なのだが、大学の頃はとにかく、かなり遠い。移動線の長い外出はいまは苦 手。近間で、気分よく校正など出来るといいのだが。
2017 6/21 187
* けさのテレビで あの志ん生の娘夫妻(七十・六十台)が「終活(死に支度)」を語っていたのはいちいち胸に落ちて教えられた。夫婦の気がまだ慥かであ るうちにこそ、「二人にのみ大事なモノ」を今のうちに「処分」できる。思い出はだいじだが、思い出の「モノ・シナ」は場所を塞ぐだけでなくアトの者が迷惑 するだけ。
「モノを捨てない」歳月をわたしは過ごしてきた。むろんそれが役立ってきた、創作や執筆の生活には。しかし、もう処分をためらうまい。
* そんなことを言いながら、次の「湖の本137」の編輯をと、とにかくも原稿類の大量にストックさけた大袋のなかのたくさんな小袋を点検し始めたら、まだ出番を待っている作物が我ながら呆れるほど溜まって在る。戸惑ってしまい、どう手を着けていいのやら。
2017 6/22 187
* 湖の本135の納品が七月七日と、選集第二十一巻は七月末日の納品と決まった。
気も体も落ち着けて、発送等の用意に取り組める。今日すでに妻にも手伝ってもらい、湖の本発送用意を進め得た。
2017 6/23 187
* 発送用意もしながら、書きかけの長編二つの進行や仕上げに心身を励ましたい。
2017 6/23 187
* 発送用意も着々進んでいる。とはいえ、すべては機械が温和しく注文に応じてくれないと。もっとも、このわたしが機械を丁重に使っていないと、わたしの 咎で機械が停まってしまう。腹をたててもよく調べるとわたしがミスしたり見落としたりしている。今朝も諸挨拶を印刷しながら、一つインクをムダニしかねな い見落としをしていながらプンプンしていた。それでも、自分のミスに気はついた、よかった。機械の老朽もあるが人間の老耄もまちがいなくある。
2017 6/24 187
* 長い小説の推敲や補強に昨日今日手をかけてきた。「湖の本136 枕草子」への「私語の刻 あとがき」も書いた。いま大量二巻分の初校と再校も抱えているが、慌てる必要なく、ていねいに読み進めたい。
2017 6/25 187
* 出がけに難儀な労作の必要が置き、また力仕事し、痛み止め服し、小雨の中を病院へ出掛けた。十二時には生理検査だけ済ませ、予約時間まで銀座へ出て食 事としてこようとアテにしていたのだが、結局外来で校正をはじめ、人も少なかったためか、一時半には呼び込まれて無事に診察を受けてきた。新しいドクター だったが、几帳面にキチンとした若い人で、安心できた。
腫瘍内科をちょっと覗いてから外の薬局で処方薬を買い取り、車で有楽町駅へ、そして出光美術館まであるいた。「雪舟・等伯、水墨画の流れ」展はまことに けっこうであったが、照明を抑えたほの暗い会場での水墨画はわたしの視力では鑑賞がならず、第一番、玉澗の破墨山水のみごとさだけで満足し、ざあっと会場 を歩んだだけで終えた。とても墨の濃淡の美しさすら見得ないのだった。
その脚で帝劇モールへ降り、一昨日食べられなかった「きく川」で鰻を食べてきた。酒は菊正の正一合を二本目も頼んだが、なんと半分呑み余してきた。呑むのは呑めるが帰路にこたえてはイヤだと自制した。酒を飲み余してきたのはひさしい酒飲み人生で、初めて。
ひところより、あれほど一に好きだった天麩羅へ気が行かず、鰻もイマイチの感じ。一昨日の鉄板焼き黒毛和牛もむしろ貝柱や魚の方が口に合っていた。ほんとうは、今日は、せんだって満足した「左京ひがしやま」で焼いた鱧や「おとし」を注文したかったのだが。結局きまたまた京風味の和食へ落ち着くのかな。妻も、黄疸以降、脂けを禁じられている。脂けが欲しければ先に胆嚢を切れと云われている。
* 幸い西武線へ直通の地下鉄I乗れたので、校正しながら保谷まで帰った。酒が過剰に利いていたのだろう、手指が自儘に動きにくいほど拗くれるように攣っていた。無視して仕事をつづけた。
駅でタクシーが待っていてくれ、助かった。
* これで七夕に湖の本135納品まで、出掛けねばならぬ用事はない。だから好きに出掛けても、発送用意にさして影響しない。おっとり過ごしたい。
2017 6/28 187
* 七日からの送本用意は、ほぼ終え得た。が、梅雨さなかでは、なあ。
2017 6/30 187
* 老いの自覚では、わたしの場合、脚力の衰え、手先の痺れ、視力の喪失、記憶力の低下、食欲の減退が挙げられる。もう一ついえば、いい意味でも、宜しくない のかも知れないが「無雑作に」慣れるないし流れること。こまごまと執着せずに「やっちゃって」いる例が増え、広い意味で行儀がわるくなっている。つまり 「構わなく」なっている、衣食住や物言いに。よろしくもないが、よくない一辺倒とも思っていない。しぜん「文学・文藝」にもそれはよかれあしかれ表れてい るだろう、往時『少年』の短歌と近年・昨今の『光塵』『亂聲』の述懐をみくらべても歴然としていて、それが衰えの表れとばかりは云えない。
この七日に出来てくる「湖の本135」の小説二作「黒谷」「女坂」も無雑作なほど短い時間で或る意味書き流している。若い日々の入念に入念を積んだ創作とはあっさり書き置いている。
この二作をいっそ気軽に合間に書いて、現にうんうん云いながら書き継ぎ書き直し続けている長編にしても、姿勢も方法も念の入れ所もやはり若い日々のもの とはちがう。違って当然と思いながら根気よくやっている。この根気よく気を入れてまだ書けていること、を、生き延びている老いぢからと思っている。
いい感じに無雑作な作も創り続けたい。
* 「湖の本135」発送が明後日までに迫った。根気のいる力仕事が暫く続く。終えれば、次は「選集第二一巻」が月末に出来てくる。誰へ送るか、この思案もなかなか難しい。
今朝にも「湖の本136」の再校出と連絡を受けている。「選集第二二巻」の再校ゲラはもう届いていて、今は精出して「選集二三巻」の初校をしている最中。つまりはこのところわたしの方が印刷所の攻勢に圧倒的に押され気味ということ。暑い夏を克服して行かねば。
2017 7/5 188
* 「湖の本136 枕草子・撰訳」のあとがきを入稿した。
2017 7/6 188
* いよいよ、また、第百三十六巻、創刊三十一年の「湖の本」を明日から、送り出す。今日はやすみやすみ力を温存しておく。
2017 7/6 188
* 順調に「湖の本135 黒谷・女坂他」 送り出し、始めている。暑い。
* 作業しながら映画「ホビット」のみごとな映像美に魅されてもいた。「ロード オヴ ザ リング゙」のいわば前史であるが、両作とも「映像」の美しさ大きさ、「物語」の面白さ、抜群。
2017 7/7 188
* よく頑張った。明日いっぱいやり抜けば、先が見えてくる。疲れた。今晩は、もう休む。
2017 7/7 188
* 暑さに参る。仕事にミスも出ているかと案じられる。気分を遊ばせてやらないと、千切れる。
* よほど疲れた。
* かなり以前から右手の指が五本ビンとまっすぐ延ばせない。握りもならない。ことに中指は骨が途中でナマって曲げても伸ばしてもペキッと音がしそうに痛む。
昨日今日たてつづけに湖の本を封筒に入れ封をする手作業の途中から掌ぜんたいが攣縮し拗くれてくるのに参った。激痛ではないが、掌も指も攣れて捩れてくるのは気味が悪い。左手はさほどの不便はなく、やはり右手の使い過ぎなのだろう。
2017 7/8 188
* 明日もまた送り出す作業。明日中には終えたいなと願うが。
疲れて、目が霞んで、書いている字がしかと見えない。やすみます。からだを横にして裸眼で、たまった校正をすこしずつでも終えて行かねば。
2017 7/8 188
* 二時半 「湖の本135 黒谷・女坂」全部発送 了。
2017 7/9 188
* 郵便局送りも終えた。自転車で運んでゆく頭が熱射に焦げそうだった。往きの下り坂はラクだが、帰りはウンウン。ちょっとやそっと、この夏は出歩けない、出るなら雨の日か。
白楽天に詩がある。
人々避暑走如狂 人々暑を避け走りて狂するが如し
獨有禅師不出房 独り禅師の房を出でざるあり
可是禅房無熱到 禅房に熱の到ること無かるべけんや
但能心静即身涼 ただ能く心静かなれば即ち身も涼し
参りました。
2017 7/10 188
* 今度の「湖の本135」には新作の小説二篇に、「女の噂」と、ちと露骨な題で感想が付け加えてある。「こっちの方」が先に読まれてしまうかなあ。
2017 7/10 188
* 発送を終えたので恒例の「和可菜」の寿司をとることにしたが、妻は「脂ッ気」を禁じられて、好きなトロの類が食べられないのは可哀想。わたしは一頃よりも刺身の味が分かりにくくなっているが、美味い太巻きが好き。
なにしろ食べ損じると腸閉塞が襲ってくる。なにより怖いのがツイ呑み込んでしまいがちな麺類。太い讃岐うどんなどは咀嚼しやすいが、大好きだった素麺などはアブナい。胃袋という中継の咀嚼きのうが無いのだから、何を食べるにも細い腸との相談になる。胆嚢も無くなっているので、中トロも大トロもいくらも雲丹も食べられる。
2017 7/10 188
☆ 秦恒平様
本日、「黒谷・女坂・女の噂⑴」のご恵贈にあずかりました。いつもながら忝う存じます。
私は仕事を中断中でしたが、ちょうど他の義務を済ませたところで、これでようやく仕事に戻れると思っていた矢先にご本をいただきました。いただいた以上は、すぐに読むのが贈り主に対するお礼だと思っておりますので、早速に拝見しました。楽しみました。理想の女を求めてのちょっと気楽な旅が始まりましたね。私が人間はどこまでもエロース的な存在だとの思いを噛みしめるようになったのは、還暦を超えてからでした。そういう人が多いのではないかと密かに思っています。
暑くなりました。ご自愛下さい。そしてよいお仕事を。
ありがとうございました。 浩 ICU名誉教授
2017 7/11 188
☆ メールを頂戴した、お礼が遅くなり…申し訳ないことでございます。
先生から頂戴したメールを拝読し… 戸惑っております。
私はただ思い付くばかりを書き連ねたばかりで… 先生の奥深く見据えておられる眼差しの先とは、比べようもないものと思っております。面映ゆいなどとは申し上げもならず… 。
その上で、頂戴したメールをもう一度読み返し、思いついたと申しますか… あつかましいことではございますが… もし、お許し願えますのなら… 以前(ひと月ほど前)先生のおっしゃったお言葉に、甘えても宜しゅうございましょうか。「欲しい本のあらば、言うて下さい」と書いて下さった、その言葉を鵜呑みにさせて頂いても宜しゅうございましょうか。
メールに掲げて下さった御作を、読むことができましたなら、何かしら気付くことが出来るのではないかと… 思ったのでございます。有り難く存じ… 伏してお願い申し上げます。 身勝手なことで… 恐縮でございます。 百 拝
* 読んで下さる方があっての創作者です。ありがたいことです。
2017 7/11 188
☆ 湖の本、最新刊を落掌いたしました。
梅雨明けと思い誤るほどの猛暑です。
相変わらず旺盛なご活躍、うれしく感じ入っております。
断片的な「メール言語」を駆使した実験的かつ意欲的な試みの「女坂」、興味深く拝読いたしました。新しいジャンルとLて確立する予感がいたします。
当方は「徐脈」症状で難儀いたしましたが、静穏に過ごし小康を保っておりますのでご休心ください。
向後長い夏の到来ですが、異常気象は政界にも及んでいます。
ご自愛尊一に願います。草々 元・朝日新聞記者 エッセイスト 敦
☆ 秦恒平先生
いつもご著書を頂戴いたし申し訳なく存じております。
御礼のおたよりもマゴマゴ致しております内に、時が過ぎていってしまいます。失礼をお許しいただきたく存じます。
さて、お元気になられましたことは、ご著書を拝見いたしながら、嬉しくそして、先生はじめご家族様の先生の作品への情熱に心から感銘致しております。ありがとうございます。
この蒸し暑い季節のお見舞いにと、ささやかでございますが、昨日果物をお送りさせていただきました。お召上がり下さいましたら幸いです。
以前先生がお話になっておられた父と林芙美子さんの展示を添えさせて戴きますチラシのように、沼津市芹沢光治良記念館で致しております。仮に20年前でございましたら、先生をご案内させていただけますのにと 月日の流れ残念に思えます。これからもご健康に沢山ご注意いただけますようにお願い申し上げます。 7月11日 岡玲子 芹沢先生ご遺族
☆ 本日は
「湖の本」135 お送りいただき有難うございました。
「女の噂(一)」から読んでいます。沢口靖子さんのくだりに注目。
私はNHKの大河ドラマ「秀吉」の(考証等の)とき、沢口さんとはご一緒したことがあり、なつかしく思い出しました。恐々謹言 小和田哲男 静岡大学教授
☆ ご本ありがとうございました。
先生のご本は通算百三十五巻(創刊満三十一年)とのこと、敬服いたします。
「湖の本」 いいですね、ほんとに。 ありがとうございました。 青木生子 ペン会員
☆ こんにちは
湖の本届きました。いつもありがとうございます。
うだるように暑い毎日です。
祇園祭の巡行ももうすぐ、夏まっ盛り、仕方ないですね。
どこへ出かけるのも、暑さと人の多いのに二の足を踏んで、出不精になってしまいます。
どうぞ、奥様共々 お身体お大切にお過ごしくださいますよう。
ありがとうございました。 みち 秦方の従妹
* 沖縄の名嘉みゆきさん、選集19 20へ有り難いご支援を戴いた。感謝。
* 杉並の柏木洋子さん 美味しいオレンジ・ピールを頂戴した。
2017 7/12 188
* 小学校六年生の一年だけ同窓だった、京都古門前の大益貞子さん、美味しいスープを送ったよと、電話。三宅邦子の若い頃よりも美少女だった。八十二の人をどう想い浮かべてみても、無理。逢わないできた幸せというコトがあるのだ、まことに。
* 国際ペン専務理事の堀武昭さん、ホテル・オークラのみごとな涼菓を下さる。恐れ入ります。
* 夕刻、自転車を郵便局へ走らせたが、ま、日ざしの熱かったこと。いっそ爽快に感じた方がいいぞと思い思い、最短距離を行ってまた帰ってきた。
☆ 寒暖計が
古いのかも知れません・自室はただ今40度です。西日がさしこみはじめています。しかし「湖の本」を手にしていますと、暑さは消えます。これから読みます。楽しみです、久々の小説で。
ご様子は 「私語の刻」で拝見しています。ハラハラしながら。お大事に。右、受取りまで。
「誌代」を振り込むにつけて、『選集』のせめて送料の と、心ばかりお送りしました。不躾をお許しください。 能美市 井口哲郎 前・石川近代文学館館長
* お心遣い嬉しく有難く、心より感謝申し上げます。いつもいつも御好意に甘えてばかりいます。身の幸と思います。
☆ 酷暑のお見舞い申し上げます。ヒドイ! この暑さは、高齢になると耐えがたいものがあります。
ご書籍、いつも拝受の連続です。谷崎へのご傾倒、黒谷への思いなど拝見しています。
お礼を申し上げます。 高田衛 都立大名誉教授
* お大事になさって下さい。
* 紅書房主人菊池洋子さん、写真家近藤聡さん、墨画家島田正治さん、翻訳家持田鋼一郎さん、妻の親友市川澄子さん、からいいお便りを戴いている。また、お茶の水女子大、山梨県立文学館、三田文学編集室、多摩美大からも「湖の本」受領の挨拶があった。
2017 7/13 188
☆ 秦恒平様
「湖の本135」を拝受いたしました。
今回はなんと新作2篇!
早速拝読、猛暑を忘れる面白さでした。
「黒谷」は、秦作品中、異彩をはなちつつも秦さんならではの世界、その自在な語り口、そして底冷えする怖さを堪能しました。
「女坂」の「メール」言語による文学的表現効果には驚き、そして楽しみました。真打はあとに控えているとのことなので、これ以上は触れませんが、併催の「女の噂(一)」といい、秦さんの女性観、「女文化」観には、谷崎、源氏を後景に、京生まれ京育ち+αの底深い何かがありますね。
「女坂」に敬意を表して、はじめてメールでのお礼を申しあげます。(当方いまだにメール言語は使いこなせませんが。) 元・講談社出版局長 敬
* まっさきに「女の噂」をとばかり聞いて、いささかクサッていたが、「黒谷」へ思い描き願っていたとおりの批評を戴けて、欣喜雀躍、そしてさすがにと嬉しくかつ敬服した。これで今回の一冊、送り出したかいがあった。
* 元・新潮編集長の坂本忠雄さん、元・岩波「世界」の高本邦彦さん、岩手大教授渡部芳紀さんからも「湖の本135」へ懇篤のお手紙を戴いた、また東大大学院、立命館大学、文教大、大阪芸大からも。
* 九月秀山祭、夜に吉右衛門らの「逆櫓」、それに松貫四(吉右衛門)作・監修の新作を染五郎が演じる。昼夜はもう避けて、ゆっくり楽しみたく、さっそく予約。
☆ 秦 恒平様
湖(うみ)の本 135 黒谷・女坂・女の噂(一)」を拝受しま した。
まず「女の噂(一)から読み始めました。沢口靖子、私も好きな女優の一人です。NHK朝のテレビ小説「澪つくし」は見ていませんが、その後の主演作「科捜研の女シリーズ」「鉄道捜査官シリーズ」「検事・霞夕子シリーズ」は欠かさず見ています。最近は鼻下のほくろが消えて一段と美しくなったように思えますね。
ところで、「世界も日本も、まことに道危うい只今かと」のお説のように、今、中東カタールを渦中にして欧米列強がこれまでの石油争奪戦争から天然ガス争奪戦争へとの大転換が起ころうとしています。カタールは我が国の天然ガス(LNG)輸入の安定的かつ最大の供給元ですのでその争奪戦争の帰趨がとても気になります。
熱中症予防に欠かせないのは水分の補給と良き睡眠だそうです。
くれぐれもご自愛ください。 靖 妻の従弟
☆ 猛暑の中、
日々のご製作、送付とお身体の事案じながらありがたく頂戴いたしました。
いつもとは違う感じの作品「黒谷」「女坂」を読ませていただきました。
「女坂」は次の作品の試みとか。次作を楽しみにしています。
女坂の寄稿者の熱心さは、作とはいえ、異様さも感じられました。
それに比して「私語」の秦様のご意見もさることながら、「祇園会」の御神事の様子・雅な「白鷺の舞」が舞われている境内の様子などを知らせてくださっているメールや地方の様子など知らせてくださっている文などは、何時も感心しながら楽しんでいます。
136巻は清少納言の「枕草子」の現代語訳とのこと。これもまた待ち遠しく楽しみです。以前のNHKの放送のテープを聞きなおしたい気持ちでいます。まだまだ暑さは続くことでしょうが、お二人ともくれぐれもお身体お大切にお過ごしください。 練馬 晴
2017 7/14 188
☆ ひさしぶりに
湖の本を読みたいままに通読しました。
「黒谷」 こわいんだから、もう。はじめから不穏がただよっていました。
「女坂」女の噂(1) たまたま女を描けばこういうことで、他の何かへも、アンテナがはりめぐされている、感じがします。それが稀有の作家だから、と思いました。
あとで、男坂、男の噂を私が書いてみたら、と可笑しかったです。
夜中に起きていることが多くて、自分の、バランスの悪さに、気がつく時、(このホームページの=)「私語の刻」を読みます。
不思議に、何かが静かになります。ありがとう。 柚 大学の同窓
* ありがとう。
☆ メール嬉しく。
ご心配いただいた雨は、心配なかったようです。ようですと言うのも、数日来わたしは京都に来て居るからです。祇園祭を楽しみます。但し日曜日は絵の教室です。
メールにあった桂川鴨川のこと、鴉の現在の関心が向かっている辺りですね。京阪電車に乗って行くと観月橋や競馬場、淀、岩清水八幡などが近い。川が合流して広々とした景色に出会えます。
暑さに負けて体調はすぐれず、今回は街歩きもあまりしていません。
取り急ぎ。
帰宅したら湖の本が待っていてくれます。
暑さ厳しい折、くれぐれもお気をつけて。大切に大切に。 尾張の鳶
* 上では省いてあるが、耳寄りな、これまで気づかないでいた意味深い大事な示唆が、京都からのメールに含まれていた。感謝。
☆ 早々に
送って下さった『湖の本』は、昨日のうちに届いておりましたのですが… 家の小さな郵便受けには入りきらず… もち戻りになってしまいました。郵便局に引き取りにゆける8時から20時の間には、繁忙のこの時期仕事の都合で間に合わず… まだもう少しの間、手にすることができず、残念でなりません。
せっかくに、先生が送って下さった大事な御本を、まだ受け取れず、もどかしく… 満足な御礼も申し上げられず…… 京・鷹峯 百 拝
2017 7/15 188
☆ 秦先生、『湖の本』拝受。
有り難うございました。インターネットより誌代、送金させて頂きました。
この数年、どの本も、時間の隙間(地下鉄の中とか病院の待合室等々)、隙間でしか読まず、ぷちんぷちんと切れた読書でしたが、昨日は夕食後、久しぶりに、封を切るとそのまま「黒谷」を読み始め、途中止める事が出来ず、深夜2時過ぎに「女の噂」の途中で、もう寝なきゃと、食器洗いをした次第。
やはり私の読書は一気読みに限るようです。隙間読書なんかしていたので、文学から遠ざかっていた様です。
面白かったです。
今朝は6時に目が覚めて、少しも眠くありません。体調が直ったようです。有り難うございました。 名古屋 珊
* 石神井の、元・岩波「世界」の高本邦彦さん、夕張の、西瓜の小玉ほど立派なメロン二顆下さる。抗癌剤でぼろほろになった歯は、堅いものを噛むちからを喪っているので、ことに炎暑下の果物は貴重な食べ物になっている。有難う存じます。
金沢の金田小夜子さん、香ばしいお漬け物を選んで頂いた。感謝します。
* 江戸川区の清沢冽太さん、金沢の金田小夜子さん、小石川の安藤典子さん、「湖の本」のお便り頂く。神奈川県立文学館、広島大大学院、川村学園大、水田記念図書館からも「湖の本」受領のあいさつ有り。
2017 7/15 188
☆ 『伊勢』は
山下道代さんのご本でしょうか。あの本を読んで、伊勢のこと、ますます好きになりました。
眼は、せめて傷だけでも治さなければと、仕事以外のパソコンは開かぬよう、湖の本も少しずつ、と思ってましたが、新作二篇は、読み始めたらやめられず…で困りました。
迷わず「女坂」から読みましたが、「物語の上等なヒロインにはならない」と三村秀樹自身が放り出し、「力萎えて終えた」と作者も述べる作、前へ前へと読ませていく推進力は感じました。
書簡体小説は、難しいですね。まして、封書と異なり、幾重にもベールで覆わざるをえないメールの向こう側に、魅力あるヒロインを顕ちあげていくのは、至難の技でしょうね。
「もし彼の子供を身ごもっていたとしたら」との万紀子の「告白」に、「誘惑」末尾(「「町子」はぼくの子どもも産んでくれてますよ」)等思いましたが、秀樹(世之介の一回り上ですが、それが障りという訳ではなく)とまり子や紀美子らと間にはそのような展開は考えられそうにないですね。
素知らぬ顔で夫婦生活を続けていたと言えば、「黒谷」の郁恵もですが、続いて読んだこの作品では、祖母と母の二代の女の実在感や息子の方が印象に残りました。
滅んでいく旧家の血と、絶えたかに見えて皮肉にも「庶子」から「庶子」(厭な言い方です。まだ何も知らぬ「命」は、この先どう生い立っていくのでしょう)へと繋がれていく血と、それら全てを見透かして毒を帯びた雛と。まさに「怖い夢」ですね。
暑さをうまく凌いで元気にお励み下さい。
追伸: 送信前に、今日のホームページを拝見しました。私も、母も娘も、低血圧で何度か倒れました。少し落ち着いてから測ってもらって、上が60という時も。特に夏は、要注意です。
どうぞ、お大事になさって下さい。 九
* 「黒谷」の読み、そんなに難しいかなあ。
2017 7/16 188
☆ 秦 兄
湖の本135号拝受しました。有難うございます。お礼が遅くなり失礼しました。女房の次兄が11日に亡くなり海外在住の近親者会葬の都合で通夜告別式が15.16日になり 八王子から昨晩遅く帰洛しました。紫野高・同志社大ではフェンシングをしており、24才で東京五輪にも出場した元気印ですが病魔には勝てなかったようです。
そんなことで学生時代に友人たちと高尾山に登って以来の西東京でしたが、丘陵地も全てに住宅が立ち並び当時の風景とのちがいにおどろきました。
京都に着けばこちらは祇園祭の宵山、地下鉄烏丸線も大混雑でひとしきり汗をかきました。
今年の鉾巡行もKBSのTVで観ながらキーを叩いています。
地球温暖化と加齢の相乗効果でしょうか、年々京都の夏が息苦しく感じられるようになりました。御地の夏は如何でしようか。精々ご自愛のうえご活躍ください。 森下辰男 京・同窓
☆ 「黒谷」の読み
予断によって、すっかり目を眩まされてました。降参です。 九
* 作者が過去に日記などで喋ったり書いてたりを足がかり手がかりにする小説の「読み」は、しばしば作者にだまされバカされる結果になる。谷崎読みで徹底的にわたしは覚えた。
作の全ては現に書かれ只今読んだ「現作の表現」に尽きていて、それを眼光紙背に徹して如何なる行間からも読み取らねば、ただ賢そうな「知ったかぶりの読み違いや読み落とし」に陥る。
過去の古証文にばかりとりついて、眼前の本文から心眼を逸らした「研究と称する軽い読み」が、とかく、はやりがち。作者たちはたいがいそう思っているだろう、作者が万能で神の如き者とは決して言わない、とても言えない、けれど。
2017 7/17 188
* 「湖の本135」へ大勢の払い込みがあり、なかには選集へ支援のお志もまじり、また、何人もの方からお便りも戴いている。
ただ「黒谷」へ手が出ないで、「女の噂」から読んだというひとが多いのに苦笑。「黒谷」は、そんなに難しい作だったろうか。かなりの読み手であって可笑しくない人も、読みが届いてなくて、ひとこと示唆を送ったら、「予断によって、すっかり目を眩まされてました。降参です」とあやまって来られた。
谷崎先生と同じにみるのはオコガマシイが、「蘆刈」「春琴抄」「夢の浮橋」などあたら名作を何十年も正しく読み解かれぬまま亡くなったのは、残念を越してさぞ可笑しかったろうと想う。
* それにしても書きかけの「或る寓話 ユニオミスティカ(仮題)」に期待が寄せられ、有り難いが困惑もしている。これは、とてもこのままは本にしかねるほど性の秘儀に嵌って行く。どうしよう。これよりも早く『清水坂(仮題)』を進展させたいのだが。これと絡み合うようにいましも「賽の河原」へ関心が向いている。「信じられない話だが」と前置きの連作にも心惹かれている。こんな浮わ気ではいかんなあと手綱をしぼるのだがこの年になって「意馬心猿」のあばれようにヘキエキしている。
* 順不同 漆藝家望月重延さん、国文学者信太周さん、前文春専務寺田英視さん、脚本家小山内美江子さん、故福田歓一夫人、山梨県立文学館中野和子さん、陶芸家松井明子夫妻、國學院大學図書館からお手紙戴いている。
寺田さん、すこしは涼しくなったころ、秦さんと「女の噂」をしてみたいので誘いますと。ウーム。
☆ 拝復
「黒谷」 ずいぶん以前の落想の趣、谷崎愛の一環と拝読。秦文学を電話で話すことのあった年下の友人も逝き、他に回覧供する者とてなくなり、もったいないかぎりです。
「黒谷」巻頭第一行を読み落し 「ものの順」にて合点がゆくあり様、 近親相姦など性愛の業のおどろおどろしさにおののきながら、料理尽くし、花尽くしに女文化を味読いたしたところです。
何だか順繰りに災害が襲うようで、せめて原発地域だけは無事でと願うばかりです。それにしても被害地の無惨なニュースを被害なき地でてれび見物など罪深さ感じられてなりません。
くれぐれもお揃いでお大事にと念じております。
裏表紙印に応じまして
帰去来はかなはぬ夢か梅仕事 周 神戸大名誉教授
* 帰りなんいざ闇の世を闇の世へ 遠
☆ 読みました
黒谷。
結構手強く難しかったので、もう一度読んでみます。 建日子
2017 7/18 188
* 湖の本の久しい読者でもある表千家茶人で金蘭千里大名誉教授の生形貴重さんから、「利休」研究のずっしり重い本を頂戴した。秀吉と利休を介してわたしの「中世」を読み直したばかり、有り難い。生形さんには茶の湯に関わる本を何冊ももらってきた。変わり種では、研究成果を踏まえられた「平家物語」のマンガ本ももらっている。
と、追いかけて裏千家茶人、淡交社社長まで勤められた昔なじみの服部友彦さんから、入魂の句集『華胥枕』を戴いた。
「華胥・かしょ」とは、シナ太古の黄帝が、昼寝して夢に見た華胥氏の住む理想郷のこと。転じて「昼寝」のことにもなっている。いい「枕」である。
わたしの昼寝にはそんな佳い夢、あらわれない。雑念や妄念があたまに蔓延っているのだ。
2017 7/21 188
* 血圧低くてか、視野も曇ってか、歩行はなはだ頼りなく、家の内で下と上との上がり降りにも途中当惑する。
今日もまた、いつでもからだを横にできる場所に居坐って、せめて、溜まった校正を片づけて行く。現代語「枕草子」撰抄、また大冊の、「いま、中世を再び」。
少なくも「湖の本」は、十月から送料「従来の倍額」に値上げと業者に言い渡されており、さしあたって九月前半に『枕草子』だけは発送したい。以後のことは以後に考える。
2017 7/23 188
* 創刊三十二年へ向かっている「湖の本」 よく続けられていると我ながら驚いているが、読者のおかげである。残念ながら経費的には累算赤字はもう何年も前から赤々と積み重なってはいるが、高齢読者からよぎなく人数が減って行く以上当然のことで、この程度の赤字でよく保てていると、それも感謝に満ちた驚きである。廉価どころかかなり高い一冊値段でお願いしているが、送料を加算し送金して下さる方も多く、値上げしてもいいよとまで言われたり、加えて特別のご支援を下さることもある。読者にまもられていると、しみじみ思う。ますます慎み、頑張りたいと思う。
2017 7/26 188
☆ 秦恒平様
梅雨が去って猛暑の中に突入しました。 しかし僅かな涼味は生活の隙間に見出されるはずです。
七月中旬は、室蘭市港の文学館での講演会をはさんで六日間の北海道旅行をやり遂げて羽田に降り立ちました。当日の十五日は、敗戦一ケ月前 幌別沖からの米軍の艦砲射撃に曝された日でした。
そんな書き出しで数通の礼状をしたためているうちに、 急にこんな次第になりました。どうぞあとはお見捨て下さい。
『女坂』に「涛の本の事」とある「湖(うみ)の本」は「黒谷・女坂・女の噂(一)」 つくずく享受堪能さ せていただきました。作者による自作享受解題としても。 個人的にはメール友湯川まり子の家庭小説の来歴に 「千葉大学の文科を出たあと、車で木更津市に、あと、職場に出勤している」 とある共通に驚いたりしました。
医学書院の長谷川泉を師と仰ぎ、谷崎潤一郎研究に携わったこともある私には 何時の日かど こかで「秦恒平文学」を論じる夢をいだいております。
同封のあれこれは、目にしていただければ幸いです。
津軽海峡を越えた北国育ちの東京、京都の文学憧憬、 お礼と報告までです。無論ご放念ください。
お身体ご自愛第一に。 草々 竹内清巳 千葉大学教授
* お元気なようで安心したが、すこし汲み取れないところも。
2017 7/27 188
* ごく僅かな朝食のあと、ガマン成らず睡く、潰れたように二時間ほど寝ていた。それでも夢は見る。それも突然に父方とおぼしいしかも若々しい何人かが、この我が家の居間の窓まで連れて来て「恒平ちゃん」と呼んだ。窓を開けると、若々しい元気な女性の一人が、(いちばん年若かった叔母かと想われたが、)窓の内へ手を伸ばし、笑い声とともに洋酒とも中国酒ともみえる瓶を一つ手渡してくれ、そして、水が流れ去るようにみな消え去っていった。「だるま」と呼び慣れているウイスキーの瓶に重さも似ていた。わたし自身もせいぜい二十代の若さで、まぢかに妻もいっしょだった。身を揉むように目ざめた。十時半。
玄関へ荷が届いた。
「湖の本」創刊の一の恩人である元朝日新聞社の伊藤壮さんの頂戴もので、大好きな、素晴らしい山梨の桃、 たくさん。やや柔らいでから、よっく冷やして食するようにと。嬉しい。
2017 7/28 188
☆ 波布里曽能 「居籠祭」
昨夜、疲れていたのか… 「冬祭り」を読もうとして手に持ったまま眠ってしまいました。まだ明けぬ夜に目覚め、窓辺から月を探してみましたが見つかりません。またたく星を眺めているうちに、河原に立っているような気がしてきて… 定家の歌が思いだされました。
いづみ河かは波きよくさす棹の
うたかた夏をおのれ消ちつつ
巨椋池にそそいで、やがて淀川に合流する木津川は、紀には輪韓川と云って、東に『和伎座天乃夫伎賣神社』 対岸には『羽振苑社』のまします所。祝部が、罪や穢れを放り浄めます所があると知りました。
先生のお書きになられた御本から教わったと、そんな風に感じています。
先生の御作を読ませて頂いているうちに、導かれて辿り着いたと、そう感じています。
そう言えば、茅葺屋根に天道花を立てた唱聞師の家が描かれた屛風を見た時、陰陽師といへども、鴨川で「七瀬祓」をする宮仕えの者達とは凡そ違って活き活きとしていたのを、思い出しました。
もう、何十年も前に見た絵を思い出してみて、今どちらの境遇でありたいかと尋ねられたなら、どちらであってもかまわないと、答えます。どちらが良いとか悪いとか、思ったり選んだりすることが、おかしなことであると思えるのです。若かった頃には、そうは思えなかったかもしれないけれど… また、もう一つ踏み込んで考えてみると、どちらもして来た気がするのです。
生を受けて、与えられた命を活かす。そうできたなら、此の世に居るのも悪くはないと、この頃は思えるようになって来ました。
思いつくままに、取り留めの無いことで… すみません。
『女坂』のお二方、万紀子さん・紀美子さんと同類の、 百 拝
—–追伸—–
日付けが変わってしまったので、昨日のことになりますが、28日は「神輿洗式」でした。
いよいよ祇園會も、大きな行事は、29日の「神事済奉告祭」と31日の「疫神社夏越祭」のみとなり、逝くモノを惜しむ気配となります。
この間まで御旅所に鎮座の三座神輿が金色に輝く姿を目にした時、八瀬童子を思い出しました。
「大喪の禮・葱華輦」の出来事は、幾重にも配慮に欠けていたと、思われてなりません。様々に考えさせられる出来事でした。
時は移り、コトは変わって行きます。なかなか良い方には変わって行かず… 私が京都にうつり住んでからのたった七年の間にも、残念な変貌に、鬱屈してしまうことしきりです。
添付の写真は、10日「おむかえ」の日の「宮川町・神用水清祓所」です。
この間送付しそびれ… 今頃になって恐れ入ります。あまりはっきりしない写真ですが、川辺を懐かしんで頂けましたなら…
2017 7/29 188
* さ、あすには選集第二十一巻が出来てくる。第二十四巻の編成、ほぼ出来ていて、読み返しを進めている。
つぎの「湖の本137」編成のメド、建ってきた。今年も、とうに半ばを過ぎた。
新作の長編をどう仕上げ、どう発表するか。仕掛かりに中断している作をどう仕上げるか。選集はもう九巻と予定しているので、どう収録分の折り合いを付けるか、とてもムズカシイ判断を強いられそうになってきた。
* ま、出来ることを出来るあいだは無欲に仕遂げて行くだけのこと。わたしも妻も、なんの酬いも望んでいない。ただ歩んで行く。
2017 7/30 188
* 秦 恒平選集第二十一巻 出来。ついに本棚の一棚を越境した。敬愛やまぬ谷崎潤一郎夫妻に献じた、いわばわたしの、卒論。いいあとがきも書けた。真実、ほっとし、そして嬉しい。
あわてず、荷造り丁寧にゆっくり送り出す。
あますはもう僅か十二巻。いい智慧をしぼって、うまく編輯できますように。それとて「此の世」という「あのよからあのよへ帰るひとやすみ」での、これはわたしたちにしか出来ない、心はずむ遊び。それで良い。
* 「湖の本136 枕草子」現代語・選訳 全紙を今日責了で送った。
2017 7/31 188
* 送り作業に終始。明日には送り終えたい。十時。今夜はもう休む。
2017 7/31 188
* 涼しいとさえ感じていたのが夜分になり、蒸し暑い。じわと汗を感じながら、小説を書き、選集の初校と再校をすすめ、「湖の本」のために鏡花に関わる昔 の色あせた座談会ゲラを苦心して読み読み電子化原稿に書き直している。「騒壇餘人」の「閑事」である。さればこそ出来る仕事。
八時半、だが、もう眼が見えない。
音楽を聴きながら、猫たちを写真で懐かしもうか。
2017 8/4 189
* ひとしお眼にきつくて難儀を極めた一仕事を、やっと終えた。一時間で読めてしまう大昔の座談会録を全面新たに書き写したが、極く薄の細字を読みとるのに、四日間、しんから草臥れた。しかし、相次いで「湖の本137」佳い一巻に纏まりそうだ。
2017 8/6 189
☆ 暑い日が続いておりますが
如何お過ごしでしょうか。わたしは無理を申しあげて、先生から定本・清経入水をお譲りいただいた者です。
おかげさまで、原稿と定本の二册の「清経入水」を並べて、先生がどのように手直しされたのかつぶさに勉強することができました。
その結果、ムダを削ることがいかに大切であるかが実感としてわかりました。
今後とも自分の文体を創るべく努力をしてゆく所存です。
今回はほんとうにありがとうございました。 草々 千葉いすみ市 田邊一廣
☆ 立秋
hatakさん 東京は暑いことでしょう。お見舞い申し上げます。
湖の本135巻をお送り頂いた際、前回分から振込が滞っていたことに気がつきまして、郵便局を通りかかったら振り込もうと思い、振込用紙を鞄に入れたま ま、7月を過ごしてしまいました。振込用紙は私と共に、北大、岩見沢、道庁、ハワイ、東大、小田原、網走と旅をして、ようやく北大近くの郵便局から振り込 まれていきました。
7月は研究所に在席していたのは僅か4日。閑事とはほど遠い一月でした。今日立秋を迎えた札幌は、日が短くなり、朝夕涼しくなりました。一足先に夏が暮れていきます。
暑さ想像もつきませんが、無理をせずくれぐれもお大切に。 maokat
* 朱明の炎暑に、はや白蔵の秋が近寄っていると。天を仰ぐ。maokatn お元気で。 2017 8/7 189
* 「湖の本」137 の編成を終えた。興味深くよろこんでもらえる一巻にまとまるだろう。ただ未だ核になる一作の細かにややこしい組指定で、もう少なく も二三日は悩むことになる。わたしには夏休みは無い。が、もう数日後には野田秀樹版の染五郎と勘九郎・七之助らのカブキが観にゆける。願わくは雨降りすぎ ず暑すぎない晩景であって欲ものしい。
2017 8/9 189
☆ 暑中 お見舞い
台風五号が去って、昨日の関東は体温酷暑だったようですね。如何お過ごしでしょうか? 病院などの必要な用事以外はひたすら居心地よく楽をして暑さをやり過ごして下さい。
幸い、そして家の中でのお仕事が鴉に実りをもたらすのですから!!
今年の夏、広島長崎の原爆投下の日が過ぎました。
今日は娘が暫くぶりに帰ってきます。
さまざまな雑用や人間関係にともすれば挫けますが、挫けるほどの苦しみではないと思っています。姑を身近に見ていると百歳近くまで生きるのは、或る意 味、気の毒に「罰」を受けているのではないかとさえ思えてきます。身体の自由がきかなくなり、一歩一歩に脚も肺も苦しい・・それでも人はやはり命ある限り 生きたいという本能に突き動かされて生きています。わたしもそう。同時に違う方向へも考えが思い及びます。
先日テレビの「百年住宅」という番組で谷崎潤一郎の京都での住まい『潺湲亭』が紹介されていました。引っ越し好きで、生涯で**回も転居したと。(わた しもかなり引っ越しした方ですが及びません)それにしても下賀茂神社横のあの潺湲亭の中には入ったことなく、ただただ想像するしかありませんでしたか ら・・。勿論熱海に移転の時に谷崎から買い取ったニッシン電気という会社に対し、住まいの現状維持を条件とし、会社も亦それに努めてきたそうです。管理、 維持するだけでも大変なことです。今になって思うのは、そのような暮らしは自分のものでないという、至極当たり前な感想で、静かに充実できる些かの空間が 確保できれば、十分、ということでしょうか。
下賀茂神社もずい分変わりました。世界遺産になり観光客は増え、糺の森もいくらか埃っぽくなった感があります。ロープが張られ、泉川に手を差し伸べることも出来ませんし・・。
「湖の本」の感想、改めて書きます。と言ってもわたしなど浅い理解で・・書きますなど言うだけで冷や汗が出ます。真如堂界隈の独特な雰囲気、紅葉の頃の 真如堂に向かうなだらかな階段を、宗忠神社から吉田への道を、黒谷の少し怖い静けさを思い浮かべつつ、敢えて想定外の? 読み方も出来るのかしらな ど・・。
「女坂の万紀子さん、紀美子さんと同類」と自分のことを書かれていた「百」さん、(ももさんとお呼びするのがいいでしょうか)の一行に驚きました。その ように自分を規定し断言できてしまう、それは自負、誇りでしょうか? 同時に作者は手厳しい批評もされているのです・・。彼女のメールの独特の雰囲気に留 意しつつ、ああ、それはわたしには足りないものだと痛感しています。
どうぞ暑さに負けず、夏をしのいでください。大切に大切に。 尾張の鳶
* 尾張の鳶は色々話してくれてそれが自身の生きにとどまらず此のわたしの思いとも輻輳して響き合うに書いてくれる。その深切さが鳶の便りをつい心待ちにさせる。うえに言う「百」さんの生きようと鳶の体験に裏打ちされた関心とはかなり膚接している。
京大生だった「尾張の鳶」は、あの吉田山をまぢかにまたいでわたしの書いた「黒谷」世界はよほど日常的に熟知のはず。どんな「想定外」の読みが聴けるか、楽しみ。
2017 8/10 189
* むかし朝日新聞社におられ「湖の本」創刊を絶大にたすけて戴いた伊藤壮さん、山梨の名菓「白桃」をたくさん下さった。真夏絶好の冷菓。有難う存じます。
平家学者で神戸大名誉教授の信太周さん、「稲庭饂飩」を大きな一箱で下さった。おそれ入ります。
2017 8/10 189
☆ 選集第21巻
ありがとうございました。
新作の小説「黒谷」「女坂」は、どうしても拝読致したく 家内の応援を得ながら読ませていただきました。新しい形の小説と存じました。
選集では「谷崎の歌」をゆっくり読んでいます。潤一郎家集ご刊行のころが懐かしく思い出されます。
台風5号 ノロノロと我が家の上空を通り抜けて行きまして、また暑い日が続きそうです。くれぐれもお大切にお過ごしください。 和歌山・貴志川 朱心書肆主人
些少、同封致しました。お納めください。
2017 8/10 189
* 湖の本137「泉鏡花」案内・他 入稿した。 湖の本136「枕草子」の発送用意に入る。九月早めには送り出せる。十月から「くろねこヤマト」の送料 が従来の倍額に値上げされる。アタマが痛い。カサに掛かって郵便局の「選集」分も大幅値上げになる。内実や読者からでなく、まさしく送料で「仕事」を潰さ れそう。
2017 8/11 189
* 原稿料や印税といった収入と縁を切って、つまり依頼原稿等々を一切お断りして、もう歳久しくなる。全くといえるほどの無収入と「湖の本」の赤字、非売 の「選集」では出銭の暮らしを続けている。若い日々、年々に頑張っておいたおかげで、老いの日々をかつがつ、もう数年は生き延びられるだろう。子供達に遺 す必要も気もない。慈善といった余裕もない。風が吹き抜けて行くようなわたしたちの暮らしである。
そんな暮らしなので、大勢の皆さんからいろいろに頂戴するのは真実こころも花やいで、賑わってただ嬉しいのである。それは稼ぎではない、まさに頂戴している。心よりお礼申し上げます。
2017 8/12 189
* 「湖の本137」に次いで、「選集」二十四巻の編成に掛かっている。二十三巻の初校がもうすぐ済み、二十二巻責了への読みにも集中しなくては。そのうちに「湖の本136」が出来てくるので、もう発送の用に掛かっている。
2017 8/12 189
* 次なる「湖の本136」発送の用意を余程進めた。「選集」第二十四巻の入稿用意もずんずん進んでいる。
* 十一時過ぎた。今夜は眠らないと。 2017 8/15 189
* 終日、「選集」二十二巻の再校進行、二十三巻の初校了、二十四巻入稿の仕事を、あとの二つは九分五厘がた仕上げ、丁寧にさらに点検して送り出せる。
九月初めの「湖の本」136発送の用意で、いちばん手力がいり時間も掛かるのが封筒にハンコを捺しておく仕事、これもほぼ終えた。余裕を持ってやれそう。新しい小説にも打ちこんで手をかけられる。
2017 8/16 189
* 今日はひときわ視力の衰えがきつく、昼間、あかるい電灯の真下でキイの字がとても見にくかった。疲れたが、しいて仕事をつづけた。夕方、三十分ばかり横になって「源氏」「絵巻」そして「海部直」の系図をしらべているうち眠気にまけて一時間あまり寝た。
「湖の本」136発送の挨拶や謹呈挨拶を全部印刷し終え、封筒へのはんこ捺しも全部し終えた。
2017 8/17 189
☆ 秦先生
この度は「選集 第二十一巻」をご恵贈賜りまして 恐縮と感激の思いで いっぱいでございます。
読了致し(8/18)ましたので、大好きな処 納得(感) レポート(報告)させていただきたいと思います。 練馬豊玉 宮本裕子
(以下、横細罫便箋三枚に 小さい字でビッシリ。眼をこらし心して、よく、ありがたく拝見し終えたが、此処へ転写するにはあまりに眼が見えないので、心よりお礼を申すにとどめます。有難う存じました。秦生)
* 宮本さんは、わたしが医学書院の若い編集者時代に『肺気腫』という一冊を書き下ろして頂いた日大医学部外科の教授であられた宮本先生のお嬢さんにあた る方。後年に「ミラクル会」といううまいものを喰う会を同じ日大小児科の大国真彦教授が主催されていて、そこで初対面、宮本先生のと相識った。以来「湖の 本」をいつも上のように大事に読んでくださる有り難い「いい読者」のお一人である。
☆ 拝復
湖の本ありがとうございます。「女の噂」を楽しく読みました。いろんなTV番組を観ておられることに驚きましたが、お好きな女優らもわかり、「へえー」と思うことしきりでした。
さて 私どもの「政権への意欲」のご指摘ありました。
ご承知の通り、野党連合政権構想を打ち出し、「市民と野党の共闘」で政治を変えようと考えております。
国政の私物化と憲法九条の改悪の企図が鮮明になる中で、安倍政権への批判が高まっています。
東京都議選、仙台市長選での自民党の敗北は、その国民の意志の現われです。安倍内閣打倒を明確にして、国民的運動を起こす所存です。今後ともご教示の程お願いします。
小生この度、日本共産党国会対策委員長二○年を機に「議会制民主主義の発展をめざすつどい」を開催しました。その際に発行した小冊子『市民と野党の共闘が拓く新たな時代』をお届けします。 ご笑納ください。 こくた恵二 拝
2017 8/18 189
* 湖の本136「現代語選訳・枕草子」の発送用意も八分がた出来ている。ちょっと傘さして、街歩きにでも出たい気分だが。
2017 8/19 189
☆ 残暑お見舞い申し上げます。
といっても、連日の曇天では夏らしい気分になれません。
御礼が遅くなりましたが、『御選集第二十一巻』を頂戴しまして、誠に有難うございました。三つ上の兄が亡くなり、先週までその整理に忙殺され、なかなか 潤一郎の世界に入れなかったのが実情です。長谷川泉・橋本芳一郎氏との座談会や、日大藝術学部での講演を拝見して、一層「谷崎の妻 紙と玩具との間」に正 対せねばと覚悟しました。それにしても二巻になるとは凄いものですね。
話は変りますが。「ソ連出版文化通信」81年8月号に、岩波・新潮社の編集者と。ソ連作家同盟の招待で、トビリシ・キエフ・エレブァンまで足を伸ばした 旅行報告記を偶然見付け出し。小生の文中に「秦 恒平氏の最新長編『冬祭り』にエレーナさんが登場し、ソビエトの風物がロマネスクな世界にたくみに生かされて」と記されているのを発見、呆然としていま す。 講談社役員 徳
* これは「湖の本135」の『黒谷・女坂・女の噂(一)』への或る大学の現代文学研究者の礼審であったが、「『女坂』 の試みには感銘を受けました次第 です。また『女の噂(一)』には学ぶところの多いことを感じております」とあるのには、『黒谷』には触れられてないのにも、ビックリした。「女坂」など は、ま、通俗な遊び書きだし、「女の噂」もホームページの日記から抜粋した女優やいわゆる「女」への感想に過ぎない。
それよりも『黒谷』、どうも大勢さんがこれはトバして前記の二編に感銘してくださるのは、解せない。現代物雨月物語の一篇と作者は気を入れたが、なにか、失敗していたのかな。
* 十時。終日、よく努めた。
2017 8/21 189
* 今日も終日、よくつとめた。「枕草子」の発送用意も、もう二日ほどでし終える。
2017 8/22 189
* 関根正雄訳『出エジプト記』に引きずり込まれてもいる。実の父が遺してくれた『新約・旧約聖書』全一冊で長期間かけて全部を通読したときより、さすが に岩波文庫一冊でしかも平易な現代語になっているので、すくなくも前半は神話というより物語を読む感じ。加えてチャールトン・ヘストンがモーセを演じた映 画『十戒』の記憶がありありとある。それが、いくらかは邪魔でもあり助けにもなっている。
『創世記』も同じ岩波文庫に成っていて、『ヨブ記』とともに買ってある。
岩波文庫の新版『源氏物語』をアタマから読み進んでいて、小学館版の全集本で「宇治十帖」をゆっくり夢の浮橋」へ近づいている。「絵巻」月報は全三十六册ほどのちょうど半分を楽しんで、当分続く。
いま「湖の本」の校正からは手が離れているが、「選集」第二十三巻の最終稿を毎日読んでまだ四分の一ほど。新しい巻の編成で、入稿前原稿を仔細に検討もしていて、根気が要り、芯が疲れる。
食べて楽しもうという欲が失せ、自然 酒を生なりで飲んでいる、いろんな酒を。最近では岡山の「喜平」が近江の「鮒鮓」を肴に数日堪能した。いま、貴重品の「粒雲丹」を戴いているので、生協から酒の配給を待っている。
ほんとうは、京都へ行きたい。宿が取れないなら、晴れた日に富士山を眺めに行くか、温泉へ行きたい。
2017 8/22 189
* 湖の本136の納品が九月九日と通知されてきた。予期したより遅く、その分、他事に気と時間とが使える。
2017 8/23 189
* 思ったより『湖の本136』納品が遅くなったので、発送用意がほぼ出来ているおかげで、九月九日まで、気分のびのびしそう。仕事、前へ前へ進むだろう、熱暑という条件のワルサには参るが。いいこと、ないものか。
2017 8/23 189
☆ 黒谷
如何お過ごしでしょうか。
東京は、太平洋側の東日本は八月に入ってからの日照時間少なく、野菜やコメの生育が打撃を受けていると。
こちら(=尾張)も幾分ヘンな夏です。
火曜日午後に小牧のメナード美術館に出かけて、日本画家・田淵俊夫の作品を見ての帰りに少し雨に遭いました。その夕方から夜にかけて、絶えまない雷雨と強烈な雨でした。スーパーセル謂われる巨大な雷雲、トルネードが、名古屋の西、清州で起きたとか。
早や八月も終わろうとしています。暑さを乗り切って無理せずお過ごしください。
『黒谷』より『女坂』や『女の噂』について大勢さんが感銘され書いてくださるのを解せない・・と21日のHPにありました。感銘されるかどうか以前に、読みやすいと言えば読みやすい、分かると言えば分かりやすいのでしょうか。
『黒谷』 現代物雨月物語は、鴉ご自身にとって極めて近く親しい愛しい物語世界。そしてかなり多くの読者がそれを「前提」として読み進むでしょう。「黒谷」「両親を亡くしている」信子さん、出町の萩の寺「常林寺」等々、想像できる馴染みの設定があり、そしてそれらを存分に操るように書き進めていらっしゃる。
小説の最後に棚から大皿が幼い紘子の頭上に落下する瞬間を述べて、物語が終わります。
どなたでしたか、だいぶ以前、七月でしたが、『黒谷』について述べてらして、大皿が紘子の頭部顔面を無残に害することを予測した人は、紘子を不憫と思いつつ、同時にそれが因果応報とも霊となった正美の怨念とも読み取ったように思いました。
わたしも一読した時はその解釈でそのまま納得しました。
後で読み返していくと本当にそれだけでいいのかなと疑問も湧きました。確たるものではないけれど、もしかしたら・・というほどの微かな・・。
内裏雛の顔、びっしり生えた黴の壮絶な「群落」はまさに告発すべきものの証でもあります。
お雛様を飾るという行為が、この小説の中で「象徴的な」意味をもっているのも感じます。
八朔という言葉が出てきましたので「八朔雛」という言葉も思い起こします。(わたしが以前
住んでいた地方に、中世から? 瀬戸内海で重要な港だった室津があります。その室津では八朔雛を飾ります。黒田官兵衛の妹が浦上氏との婚礼の日に龍野城主赤松政秀の急襲に遭い死んだのを悼んで、八月一日、八朔の雛祭りを行ったとか。)八朔雛には健やかな成長を願うよりも哀しさの方が感じられました。
物語を読み返していきますと、さまざまな箇所で「祖母」のひそかな目論見、願望として正美と信子(三歳年上の姉さん女房であっても成立したかもしれない)、その延長線上の異なる展開を小説世界は内包し隠しもっているように思われます。隠しているというより、正美と信子の間には十分な感情の往来があることが窺えます。寧ろ二人のささやかな好意、次第に迸りでそうになる感情は随所に語られています。黒谷の二階の、まさに北岡と郁恵の行為が行われた、あの場所での、結婚生活に失望した信子と正美の行為もまた仄見えてきます。取り落としてしまった過去の時間をどのように手にするのか、そのような時間は、正美には十分に残されてはいませんでしたが。
そして北岡との関係と同時進行かは不明ながら、正美郁恵夫婦の間には新婚以来それなりの性関係がありました。少なくとも白い結婚ではなかった。
郁恵と北岡の関係がいつ始まったか、これは重要な問題です。郁恵は妊娠が分かった時、自分の子宮に宿った子が誰の子かと断言できたのでしょうか。生まれてきた紘子に正美の面影は乏しいとしても、正美・郁恵夫婦の子供である可能性もまた否定しきれないのです。
この場合、紘子に向かって落下していく大きな重い皿の意味するところは、曖昧なままに終わるだろう紘子誕生の秘密に終局を引き寄せたいということか。正美自身の血脈への、紘子という存在を拒否峻拒し、血脈の切断を自ら図ったという、これもまた重く重い行為になります。
書き足りないことはありますが、今日はここまでにします。『黒谷』に関してページの引用など抜かして大雑把なところでストップしています。
18日の記載
ロシュフコーの箴言「一つの問題に幾つもの打開策を見つけるのは、創意工夫に富むからというより、むしろ明知を欠くために、頭に思い浮かぶことのすべてにこだわって、即座に最善の策を見きわめることができないためである。」の後に、鴉自身の「しかり而して、小説に行き詰まると幾つもの打開策ばかりが跳梁する。やれやれ。」と。これは書き手としての率直な思い。
読者としてのわたしは「最善の解釈」など出来るはずなく、幾つもの妥協ともいえる誤読・・「可能性ある解釈?」を述べるしかありません。
黒谷の墓地、真如堂、宗忠神社、吉田神社、(京都大学の学生のころ=)どれほど多くの時を過ごしたことか。本を読み耽った独りの時間がありました。休講になると必ず吉田山に出かけました。(蛇足ながら、黒谷の塔の下で露出狂の男性に出遭ったこともあります。石段を一目散聖護院の方に走り降りましたよ!)
そして吉田山で命を絶ったクラスメートを思い出します。
真如堂に下宿していた友人、男子も女子も思い出します。
今は、フランスの修道院の絵を描きあぐねています。
京都の絵も描きたいです。
日本画の紙やパネルはやはり油絵より値段が高いです。絵の具も種類によりますが高いものもあ
ります。来月の教室では金箔銀箔を使って切り箔や砂子を学びます。
白牡丹の絵に砂子を散らそうと思っています。
京都に行きたいと書かれています。ホテルは心配しなくても予約できると思いますよ。暑さを避けて、もう暫く待って、ぜひぜひ行かれますよう。
必ず必ず京都を歩かれますよう。作品のために。鴉ご自身のために。 尾張の鳶
* ありがとう。この「鳶」さんは、たしか、わたしより十ほど若い、敗戦直後の生まれではなかったか。世界中を「トビ」まわって、旺盛な知性と意欲とを磨いている「詩・画」人。たくさんなことを教わってきた。
鳶と鴉とは、一対の世界史的な嫌われ者なんだけれど、わたし自身は敬愛して已まないあの与謝蕪村描く、雪中の鳶と鴉の繪が好きである。
* 順不同、祇園の子 蝶の皿 絵巻 三輪山 青井戸 隠沼 加賀少納言 鷺 夕顔 於菊 余霞楼 孫次郎 露の世等々 その他連載した短篇集、掌説集などこつこつ書き置いてきたが、 今度の黒谷 も、この中へ加えてよしと思っている。先行作のどれに通うかと指さすことで、作の性根の読み取りも変わってくるか。
2017 8/26 189
* 十一時過ぎた。もう、機械は離れる。瞼が重く塞いでくる。
明後日で八月が逝く。十一時前には聖路加へ行かねばならない、熱暑にすこし遠慮を願いたいが。「湖の本136」発送までになお八日間の余裕がある。九月には、歌舞伎座へ。月末近く、歯医者も、幸四郎の「アマデウス」も、聖路加の診察もあって「選集二十二巻」の送り出しが迫ってくる。九月はがいして気忙しくなる。いまのうち寛いでいたいが、疲れ切っていては仕方がない。
2017 8/29 189
* あすには「湖の本137」の零校が出来てくる。
2017 8/30 189
* 「湖の本137」再校出についで「選集第二十三巻」の要再校ゲラも出て来た。いま「選集第二十二巻」の責了へと再校に励んでいるが、どおっと津浪のよ うに要校正ゲラが押しよせてきた、しかも九月は中旬に「湖の本136」を発送しなくてはならない。全部のボールがこっちへ帰ってきて、この分では「選集第 二十四巻」の初校まででてきかねない。ウヘッ。どうしよう。仕事の浪というのはこんな具合に差し引きするのだ、分かり切ったハナシだ。
幸い「枕草子」発送の用意は出来上がっているし、「選集」送り出しの用意にももう取り組んでいる。この用意さえ出来ていれば、気苦労はせずに済む。忙し くなると分かっていれば早めから用意。どんなに忙しかったときでも会社で編集者の時代、その要領で、みな無難に凌ぎきった。生産計画を百パーセント欠いた ことなど一度もなかった。編集管理職の多忙のまま新米作家の身で書き下ろしの連載の放送のテレビのと追いまくられた。だが、対処為すべきは「用意」に尽き ていた。
2017 9/1 190
* 「ユニオ。ミスティカ ある寓話」 三分の一ほどを第一部として「湖の本」版にするかを考慮している。今日も、作を堅めの仕事に励んだ。
* まだ九時半だが、もう「機械目」は使用不能。階下で、裸眼の校正と、読書と。そして寝る。寝られるときに寝る。
2017 9/1 190
* うかうかしていると、今にも「選集二十五巻」の初校まで出てきそうな勢いである。大きな重い校正ゲラの山、山を抱え込むことになる。潰れてしまわないよう、気を確かに保たなくては。来週の今日には「枕草子」が出来てくる。それまでに、奮迅獅子のように頑張らねば。
2017 9/2 190
* 泉鏡花にかかわって過ぎ越し日々の感懐をしみじみと確かめている。鏡花を語る感懐は潤一郎を語ってきたそれらより、はるかにわたし自身の根に絡んでい る。わたしの鏡花観は、わたしの谷崎愛よりもなおなおわたし自身を露わにしているといえようか。谷崎を直に思わせるわたしの小説は一点も無いだろうが、鏡 花へ響きあう小説は、わたし自身ビックリするほど数多い。そこを抑えてわたしを論じてくれた論攷も、残念だが少ない。
* 泉鏡花の一冊を大半、一気に校正した。あと一編を丁寧に読んで、初校を戻したいが、もう二、三日か。
問題は大冊の選集が二巻分、再校と初校を待っている。加えてもう一巻の初校も出て来かけねない。これも再校分の校正を奮発して数日で、可能な限り八日までに終えたいが。
* 書き下ろし長編小説の、三分の上册を「湖の本」に入れるのは、もういつでも可能になっている。もう二册分をどうするか、これもほぼ仕上がっているが、 内容上、全册を公刊する「遠慮なさ」が持ちきれない。自信が持てないのではない。わたしの創作としては、未だ嘗てなく踏み込んだ「新」作になっているけれ ど、公開するには、踏み込み過ぎているか、とも。
ま、いい。わたしとしては「書き上げた」と思っている。
もう一作の「清水坂(仮題)」へ打ちこみたい、これは我ながら難路を築き上げている、だから面白いし書き上げたいのだが。少なくも京都に、なか三日も居 坐って「歩いて」「空気を吸って」「見定めて」きたい。人を頼んで写真にして送ってもらうのでは、協力してくれる人はいると思うが、足りない、達しない。 活字で調べても、それでは生きてこない。
* 八十二になろうとして小説の創作でこうも生き生きと悩むようなことが出来るなど、予想もしなかった。幸せなことだ。時間が惜しい。わたしの時間、いま、パンパン、はち切れそう。
朝日子がそばにいれば、なにかしら手伝って呉れたろうか。
謙虚に、そして大胆に沈潜して書き継いでいたなら、まちがいなく一風ある作者として世に起てていた。まだ、六十前。遅過ぎはしない。
2017 9/3 190
* 「龍潭譚」の現代語訳を、丁寧に丁寧に校正し、懐かしく楽しんでいる。本当は、「高野聖」「歌行燈」に附した脚注をも生かしてみたかったが、これは別に故紙を据えた作品論で生かすしかない。
泉鏡花で湖の本一冊が立つとは思ってなかったが。おそらくわたしの鏡花論は、わたしの谷崎論が「画期的な業績」と云われていると同じほどの特異な「開発」になっていることを疑わない。次の「湖の本」はその意味でも仕甲斐のある一冊になった。
2017 9/4 190
☆ お元気ですか、みづうみ。
お元気ですか。
九月に入りまして、少ししのぎやすいようでございます。わたくしは帰国後もまだ風邪が治りきらず、情けないかぎりです。人並み外れて体力のないことは、自分が未だ何者にもなれていない一因でしょう。それでも、まともな「読者」くらいにはなりたいものです。
『黒谷』『女坂』 面白く拝読いたしました。
『黒谷』は「鳶さん」も書いていらしたように、みづうみの『雨月物語』系列の中の一篇と読みました。作家秦恒平の底流に蠢いている「モノ」を描いている作 品です。雛人形はじつは怖いものと、知っていますし感じてもきましたが、こういう使い方はやっぱりコワイ。泉鏡花文学の血脈も感じます。変な言い方かもし れませんが、怖がりながら大いに楽しみました。あえて深読みせず(出来ず)に秦恒平の世界に浸ったともいえます。
『女坂』のほうは、わたくしが簡単に感想を言いにくいものですが、秦恒平の今までの作品に登場しなかったタイプの「女」が次々に登場するところに新鮮さを感じています。
「女の噂」の中で、
「現実の女」など妻一人で足りている。……
わたしのたとえ自己中心の好みであろうが無かろうが、孤立して此の世に生まれたわたしは、それゆえの強い依怙地な好き嫌いをもっているし、好きになれない ものは好きになれない。だから「好きなヒロイン」だけを書いた。それがわたしの「宇宙」への甘えであり、それが個性であろう。我執と謂われてもかまわな い。
……所詮「現実の女」から好かれる男ではない、わたしは。好かれたくもない。不壊(ふえ)の値いの「絵空事になれる女」なら、たとえ悪女でも、玲瓏珠のようでなくても、化性の女であっても、いい。
と書いていらっしゃいますが、登場する三人の女は、みづうみの「好きなヒロイン」像ではない気がしますし、この後に続く作品でその女たちがどのようになる のか想像できません。「絵空事になれる女」になりそこなった、みづうみが好きになれない「女」たちがどう描かれるのか、それともやはり「絵空事」になって しまうのか、興味深いことです。
以前に無惨な結末と予告してらしたことを思い、たぶん「絵空事になれない」愚かしい女の姿が描かれるのでしょう。それは秦恒平文学の新境地の予感がします。
みづうみは、ご自身の嫌いなタイプの女を描いても素晴らしいです。
たとえば『お父さん、繪を描いて下さい』の山名の妻啓子のような女のリアリティは、文学的に見事な表現で私は大好きです。
『逆らひてこそ、父』の夏生もとても魅力あるヒロインです。
『生きたかりしに』のお母上ももちろん。親子関係のきれいごとでない葛藤が真に迫っています。
好きではないタイプの女だからこそ、天才の筆力で容赦なく描かれて、そこに読者は人間味や生彩を感じます。好悪を超えて、身近にこんな「困ったちゃん」はいるいると共感して、面白く感じるのだと思っています。
昭和の頃なら、谷崎潤一郎と松子夫人や渡辺千萬子のように、作家と手紙のやりとりしていた女性が、二十一世紀の機械環境の中でメールのやりとりに変わった とき、そこにどのような人間関係の変質が見えてくるのか、それとも本質は何も変わらないのかという視点でも、今まで描かれていない男女の本音が表われるよ うで、「続き」を読ませていただきたいと願っています。 菌 爛々と昼の星見え菌(きのこ)生え 虚子
* 「黒谷」は、最初の一行、最期の一行、の二行で書けている。意外に気付もしなかった人多いらしく、笑えた。
「女坂」は書かなくてもよかった手すさび手ならしに過ぎない。ただ、長編「ユニオ・ミスティカ ある寓話」のための柔軟体操にはなった。あんなのなら「女坂」いくらでも書けようが、「作品」を得るのが難しい。
2017 9/4 190
* 午後、宅急便で、「湖の本137 泉鏡花」表紙、あとがき、あとヅケもみな添えて要再校本紙を送り返した。これは、うまくして十月半ばの発送になる
「湖の本136 枕草子 現代語訳」の届くまで、あと二日の余裕をどう使おうか。十一日に歌舞伎座が待っている。その楽しみもふくめて、発送は落ち着いて、ゆっくり果たす。
「選集第二十二巻」の責了を催促されている。早くてもう四、五日はかかるか。湖の本発送までには間に合わなかった。慎重に、沈着に仕上げたい。「選集二十 三巻」の初校出も津浪のように押しよせている。手が着いていない。圧倒すさまじいが、なるように何もかも成って行く。それより世界が平穏であって欲しい。
2017 9/6 190
* 「選集第二十二巻」を全紙責了で送った。
入れ替わりに「選集第二十四巻」の零校五百頁余が届いた。「選集第二十三巻」の全再校分のゲラが夙に届いている。「湖の本136 枕草子」は明日納品さ れ、慌てずに送り出す。「湖の本137 泉鏡花ほか」の再校も追いかけて出てくるだろう。この分では、師走に入るまですさまじく追い立てられる。ゆっく り、ゆっくりと。
2017 9/8 190
* 今日責了紙を印刷所へ送った次の選集「第二十二巻」は、全編「中世の美術と芸能」にかかわり「日本文化」を批評的に語った「エッセイ=私の思想」にな る。幸い読者にも知友・知己にも、美術そして歴史方面の人が多く、数少ない中で、今回はそういう方々に主にお送りしたいと用意している。第二十三巻も真っ 向「中世」を論じた「エッセイ」として纏まっており、前巻同様に、その方面に向かわれている読者・知友知己に主に贈りたいと心用意している。
第二十四巻は、源氏物語を中軸に平安時代文学を縷々語ったエッセイ篇で、大册に纏まっている。もう初校が届いている。
* 明日・明後日の発送という肉体労働に備えて、今晩はすこしのんびり、戴いた美味い酒で寛ごう。九時以降は飲まないと決めて守っている。九時になった ら、また機械が抱え込んでいる「小説」の前へ戻ってくる。七時半がまわった。妻は毎日の日課で七時から一時間隣室でピアノを「鳴らし」ている。ご近さんに 叱られない限りは、良いことだと思ってい「音」を聴いている。
2017 9/8 190
* 九時前から懸命に力仕事を続け、いま、夕食前にと機械を見に来た。
作業前に、毎朝のように20錠ちかい薬をのむとき、強いアリナミンをいつもの倍量の2錠、痛み止めを1錠、予防的にのんでおいた。どっちもみこどに効い てくれ、石ほど重い本の包みを、一気に50册ずつ10数回も持ち上げてはキッチンから玄関へ運んで、潰れていない。痛みもない。
今晩も、十時までは、まだ頑張る。
腕力、まだシッカリある。こんな仕事はだらだらやってては疲れる。妻もよく手伝ってくれて、その間にもいろんな対話ができる。思い出話も子供達の話も「三人!」のネコたちの話も。
四時前から、録画してある松坂恵子の「蒲田行進曲」を半ばまで感じ入りながら耳で、ときどき目で楽しんでいた。よく出来た傑作映画というに憚らない。後半は夕食後に、また。松坂恵子、大好き。
若尾文子、岩下志麻、松坂恵子。はるかな初対面から何十年、わたしを裏切らなかった。
* 九時。今日の作業を終えた。疲れた。ねむくなった。
宇治十帖のながい「総角」巻を読み終えよう。姉の大君は薫を拒み抜いたまま火の消えるように亡くなった。妹中君は匂宮と情を交わしたが、都と宇治とに隔てられ宮の夜がれが続いている。
もう一冊の岩波文庫「源氏物語」では光源氏が藤壺の姪、まだいわけない少女の若紫をら情の自邸にひきとりたいと願っているが、まだまだ機は熟していない。
『出エジプト記』は読み終えた。
ああ、疲れた。仰向きにからだを、腰をのばしてきたい。
20179/9 190
* 発送、よく頑張った。
☆ 黒谷
お忙しいことと察します。作業はかなり捗りましたか? 無理なさらずお身体大切に。
(ワードの画面から 送り忘れていた部分があったので送ります。)
『黒谷』をよく読んで・・と言われれば赤面、恥じ入るのみ。
作者としてもう少しヒントを与えて下さればと思っていたところでした。先日のHPには最初の一行と最後の一行に物語は書きつくされていると述べられています。
最初の一行では 母が肩越しに死者である正美の存在を意識しています。
最後の一行では 幼な子の上に落下していく大皿に、父であるはずの霊になった正美が載って落ちていくことを明確に認識しています。
母は霊になった息子正美の存在を感じ、無意識であるにせよ恐らく彼女が棚の上に置いた皿の行方を、起こるべき事態と顛末をどこかで願っていたのかもしれ ません。既に疑いをもっていたとも言える・・ その潜在的な疑いと失望と、いえそれ以上に強い嫌悪感や、正当な血筋が保たれない事
への強い怒りが、彼女を家中を奇妙な洋風に変えていく突飛な行為に走らせたのかもしれません。
端的に述べれば、母と正美の共同犯によって事件は惹き起こされていると。
黒谷や浄土寺、吉田山などの、時間を取りこぼしたかのような界隈の雰囲気が小説に大いに書か
れていたら、それも興味あることでした。或る意味、恐ろしいような・・・。
元気に秋を迎えられますように。 尾張の鳶
* これで、ま、「黒谷」は読み尽くされた、か。感謝。
この作、はじめから「蒼い雛」の題で書き進められていたが、成り行きを憶測ないし推測されてしまうかと、しかるべき改題をずっと思案しながら書き終え、 書き終えてから他に佳い題も思い浮かばぬまま、この小説世界が「黒谷」という真如堂や大墓地地域の不吉な「でき物」みたいと想っていたのでいっそ「黒谷」 が佳い、文字づらも音もすこぶるいいと即決した。問題の家庭・家屋の外へ空気を極力拡散させたくなかったので、必要最小限度しか黒谷や吉田山界隈は描写し なかった。
* ごく初期に「於菊」という怪談を、秋成の吉備津の釜を借りて書いている。いつか秋成を書く気でいたが、結局、書ききれずに、書ききれなかった絡みのま ま生母の「生きたかりしに」で強引に秋成を置きざりにした。秋成学の最先鋒長島東大名誉教授からも「秋成八景」が「序の景」だけではいけませんと謂われて いるのだが。どうも上田秋成には身につまされるところが濃くて。「黒谷」でもいくらか秋成投げだしの申し訳の気分があった。もう幾つか、怪談いや恠談を書 いておけるといいのだが。ちなみにこの怪談や恠談の「かい」の音の漢字には無気味な意味の字がたくさん有る。「恠」は「あやしい、あやしむ」の意味であ る。
2017 9/10 190
* 湖の本136 発送を、まず、終えた。
かなり暑いが、寛いだ気分で歌舞伎座へ出掛けたい。
2017 9/11 190
* サテ先に責了ゲラへの凸版からの疑問符に順に答えねばならぬが。
☆ 湖の本拝受
やっと人心地のつく季節となりました。 お元気で何より
この度**ちゃん(=高校時代の下級生で、わたしから茶の湯を習っていた何人かの一人)が旅立ちました。
体力的に(=関西まで)日帰りは無理、かと言って一人で知らない宿での泊りの自信が無く、最後の対面を断念しました。
人柄の良い彼女
沢山の弔問客に見送られたそうです。
人生 儚い! 花小金井 泉
* まことや。哀悼。
☆ 秦恒平様
本日、『湖の本』136 をいただきました。いつもながらのご厚意に深謝いたします。『枕草子』は有名な箇所のみを大昔に「国語」の教科書で読んだのみで、現代語訳ですら手に取っ たことがありません。興味深く拝見しました。平安の女性たちの感覚、人間観察、文章力、恐るべしですね。とにかく楽しみました。ありがとうございました。 ICU 浩
☆ 御著 深謝
益々お元気にご活動、嬉しく存じます。「枕草子 現代語・選訳」頂戴しました。ありがとうございました。早速、「私語の刻」を拝見、きっぱり、そして じっくりと感銘致しました。私事ですが、不届ききわまる争事にこの2年間苦しみ、余生きわまるこの貴重なときに、書くこと読むことほとんどやめて同人誌も 若き友人に任せて訴訟を起こし、このほどやっと終えましたけれど(でも疲れ果てて)、目下、失った時間、向後の人生を空しく考えているところでした。が、 回顧の情をさらりと昇華してつややかに過ごす秦恒平の〝息づかいまで感じ取れる〟「エッセイ」を読んで、思わず、再出発への気持ちが一層強く湧いてきまし た。ありがとうございました。
有難き御著を下記三人へ配送お願い致します。
まれに見る天候不順も終わり、あっという間に秋来るの感がありますが、くれぐれも御身お大切になさって下さい。 敦
* いよいよこの機械も変調を露呈し始めたか。どうも、うまくない。気温が日々に下がり行くに連れ起動にも時間が掛かる。冬至、わた しの誕生日頃には少なくも三十分ほど機械を温めないと起動しないかも。それまでにクラッシュしてしまうかも。アタマ働かず、神頼みで、手を束ねている。
* 凸版印刷からの疑問点問い合わせに、逐一答え終わった。フウーっ。昔の少年も老耄に日々近づいていて、恥じ入ることしばしば。過剰に気に掛けないことにしているが。
今朝、妙によろよろしている。血圧は、ま、尋常。血糖値は正常。体重も、維持したいと思っている65キロ台を維持している。問題は、食後二十錠近い服薬の相互作用の中に「よろよろ」を惹起の剤質が加わっているだろうかと。
2017 9/12 190
☆ 季節のご挨拶
秦先生、 ようやく酷暑も収まり秋の気配となりました。御健勝にてご活躍のことと存じます。
この度の湖の本、枕草子現代語-選訳版をお贈りくださり心からお礼をもうあげます。先生のおっしゃる通り、私にとりましてもまさに「抜群の至宝」で秋の 夜長にふさわしく一気に読ませていただきました。もともと古典には素養のない私ですので現代語訳で改めて古典文学「枕草子」の偉大さを再確認するほどでし た。心からお礼申し上げます。
その後、ヨーロッパで開催された、いくつかの人権・言論会議に出席し先週戻りました。
ヨーロッパでの会議の中心は中国で初めてノーベル平和賞をもらった劉暁波の死去、西欧では獄中死という扱いかたをしているのですが、それに対する中国の 人権、言論弾圧に対する抗議運動を如何にしたらもっと効果的に実施できるか、また残された彼の奥さんをどうやって中国から救出させるかという西欧らしい戦 略的な会議でした。
同時にこの件と併せ、中国が周辺国家、あるいは辺境民族への弾圧を徹底して続けることに対して、西欧が如何にして従来より効果のある抗議運動を発展でき るか、そして世界のメディアに対して有効な活動を強化する方策などが議論されました。勿論、日本の感覚とは少々違うこともあり、日本人としての参加は小生 一人でした。痛感したのは日本国ではこうした少数民族への苛斂誅求・迫害についてほとんど語られない、それゆえ関心すら持たないという「蚊帳の外」意識を 強烈に持たされたことでした。
それにしても北欧が一致して強い関心を持ち続けることには感心するばかりでした。
疲れも取れないうちにまたウクライナ、ハンガリー、そしてクロアチアに出かける予定が入っていま
すが、まあ働くのも年内のうち、来年はもう少し自由に動こうと考えています。
ますますのご健勝を祈っております。 国際ペン専務理事 堀 武昭
* 活躍していただけるのを心底信頼し感謝している。ペンの理事生活を十余年体験して堀さんと出会えたのが大きな感謝であった。堀さんのご家庭に慶事のあったのもメールで知られ、私も慶んでいます。ますますのお幸せとご安心とがありますよう祈り居ります。
☆ (前略)
いつもように「私語の刻」から拝読を始めましたが、『枕草子』現代語訳を出版された事情がよく分かりました。酒井編集長、円地文子さん等々、懐しい名前が出て来て、過ぎた歳月がしのばれましたが、太宰賞作「清経入水」や問え千の経緯も精しく知ることが出来ました。
私もまた「枕草子」を通読した数少ない読者には入っておりませんので、この「選抄」を拝読致したく、御芳情のほど心から厚く御礼申し上げます。
「湖の本」も通算百三十六巻を迎えられましたこと、何人も成し遂げられぬ御偉業と併せてお慶び申し上げます。
本日は取り急ぎの御礼まで一筆啓上致しました。草々不一 元「新潮」編集長
☆ (前略)
「枕草子」現代語訳 早速拝読致しております。冒頭から啓蒙され、あらためてたら秦様の日本古典についての御造詣の深さに感嘆致しました。「枕草子」が一条皇后定子の後宮サロンの産物であることを先学にして全く知りませんでした。
このところ、秦様の日本古典文学の世界へのお誘いにすっかり中毒してしまいました。英語やドイツ語でいくら翻訳書のために原典を読んでも、隔靴掻痒の感 は免れませんが、日本の古典の場合は、正確に意味が把握出来ない場合でも何となく理解できたような気になります。枕詞などその最たるものと存じます。ぬば たま、みすずかる、たらちねといった言葉の美しい響きは日本人にしか味わうことの出来ないものと存じます。
このごろしきりに秦様の日本文学史を読んでみたいという気がします。ドナルド・キーンの日本文学史を越える傑作が期待できるのではないかと創造する次第です。
最後になりましたが ますますの御健筆、お祈り申し上げます。敬具 鋼 歌人・翻訳家
* 京都の宇治にお住まいの水谷(旧姓佐々木)葉子先生から湖の本「枕草子」着の御電話を戴いた。お元気なお声で、なによりに思った。
☆ 新しいご本届きました。
こんばんは。いつもありがとうございます。
厳しかった残暑もようやく落ち着いてきました。
「枕草子」はお恥ずかしいですが、ほんの少しかじったほどしか読んでいません。
秋の夜長にゆっくりと読ませていただきます。
どうぞお仕事のお疲れなど出ませんよう願っています。
ありがとうございました。 道 秦の母方従妹
* 名だけなら知らぬ日本人はいないほどの「枕草子」だが、源氏物語よりもなお読んだ人は少ないだろうと書いたとおりで。そんな人たちに、少しは今度の「湖の本」 役に立ってくれるだろう。
* 十一時半。もう、機械仕事はやすもう。
2017 9/12 190
* はやばや「湖の本137 泉鏡花」一巻の再校が出そろってきた。選集二十三の再校ゲラ、選集二十四の初校ゲラがもう届いていて、湖の本も。息を呑むほ どの仕事量の上に、選集・湖の本ともに新しい次々の巻の編輯と入稿も必要になってくる。そして小説も要注意の微妙な仕上げにまさに今取り組んでいる。
病気も怪我も、とても、していられない。幸いどの仕事にもわたしは興がって打ち込める。残念だが京都へ帰っては行けそうにない。あれが食べたい食べたい などと云う欲もない。酒量だけが、気を付けないと日に二合がこなからの二合半に上がりかけていて、べつにワインと缶ビールに手を出していることもある。熱 量は摂れるが、蛋白質がつい不足しがち。
* 選集第二十二巻「日本の中世論攷」の前篇、九月三十日に納品と連絡あり。追いかけて、十月中にも「湖の本137 泉鏡花」篇もほぼ間違いなく発送となるだろう。まだ腕力はあるが重量の持ち運びで足腰を痛めないようには気を付けねば。先は長いのだ。
* 「お城」の教授小和田哲男さんから、枕草子本文と戦国武将の手紙との「句読点」に触れて、「恐々謹言」のお便りがあった。「三田文学」「早大図書館」「山梨県立文学館」からも、受領挨拶あり。
京都の森下辰男君からも。
* 「ある寓話」に読み耽っている。どうしようかと思案の首をあっちへこっちへ投げながら。売り物にしてはならないか、しかし湖の本の読者にはお目に掛け たい。二册では入り切るまい、三册とも無料の非売献呈もたださえ出血しており、キツい。ま、きっちり仕上げたい、まずは仕上げて納得したい。
2017 9/13 190
☆ みづうみ、お元気ですか。
本日「湖の本」頂戴しました。とても読みたかったもので、早速読み始めています。まさに「きらめく感覚の饗宴」で、皇后定子のサロンの藝術的香気に酔いしれそうです。
みづうみに教えていただかなかったら、清少納言を書記者と読む視点を欠いて、『枕草子』の読み方を大きく間違えていたでしょう。みづうみの読者である幸福の一つです。ありがとうございました。
読んで書いて考える、この時節、この幸せの時間を守るためには、みづうみの作品を読むのが一番かもしれません。現実生活の汚れを浄めなければ病気になりそうです。
お疲れがおありのようですが、これほど働いている八十一歳は見たことがありません。時々は何もしない休養日を作っていただけたらと願うのですが、それがで きるくらいならこのようなお仕事の山ができるはずもございません。どうかご無理なさいませんようにと蔭ながらお祈りするばかりです。 旱 大海のうしほはあれど旱かな 虚子
* つぎの「泉鏡花」篇も、大勢のいわゆる鏡花読者をあらたな視野でギョッとさせるだろうと、わたし自身、楽しみにしている。
2017 9/13 190
* 地震があった。
☆ 美しい御本をいただいたので…
美しい言葉のならぶ、声に出して読むと綺麗に音のながれる、それは美しいモノを届けていただいたので…
何をお伝えできるか? わからないけれど… 「祇園」へ。
へたな写真と拙い文を、送り付けてしまっては、ご迷惑なだけかもしれないけれど…
「今日の祇園」
➀ 雲間から、ときおり陽の覗く空と、舞殿。
➁ 神馬舎わきに植えらた木槿の花。「祇園護」と名のついた半八重咲きの純白は「浄衣」の色と見えます。花期の長い花で、梅雨入りの前には咲き始め、後の月「十三夜」のころまでも咲いているので「無窮花」と韓国では呼ばれていると聞きました。
➂ 円山公園七代治平の庭に、今日は疎水が流れてい、種々の秋草が花を咲かせ、実を風に揺らしていました。
『枕草子』を大切に読み続けてまいります。
此の世ならぬ人やモノとの付き合いかた、難しいですね。それでも、此の世で生かされているのだから「くすむ人」であってはならないと思っています。
どうすれば「気が澄む」のか、気を澄ませて、やることが、あると思っています。 鷹峯 百 拝
* 祇園守とも書き、茶花にも使われる。
☆ (前略)
今度の巻は「枕草子」の現代語訳という試みで、興味津々、拝読させていただいております。
げんだいの小説家が 古代の古典「枕草子」をどう読むか どう現代語に訳すかは 私の知りたいところでした。 それもすべてではなく、選ばれており、 尚 「折に触れて」で後段に移すなど 自由自在で。 たのしい経験をさせて戴きました。
御礼申し上げます。不一 東京経済大名誉教授 歴史家 色川大吉
☆ (前略)
学研版の『現代語訳 日本の古典』は大判で著者はぜいたく ビジュアルを生かし、従来の古典全集とは違う画期的なものだった記憶が鮮明です。
早速拝読して読み込みの深さ(これは源氏親炙の実績から当然でしょうか)、選訳にあたっての大胆な構成に圧倒されました。枕草子の魅力を再発見し、同時に、気力充溢した四十代の秦さんの姿がみえるようです。
円地(文子)さんのことも懐かしく思い出しています。
いつもご配慮ありがとうございます。どうぞご自愛を。 元講談社出版部長 天
☆ (前略)
いつも私語の刻 最初に読みます。
秦さんは若いころからほんとうに勉強家、努力家だったと思われます。そして病気をかかえてのお仕事 えらいもんです。
おっしゃる通り、枕草子 どれほど読んだでしょう、ほとんど知りません。秦さんの文でいろいろ勉強いたします。
僕は目下 ミニミニ墨画1000点の政策中です。その一点をお送りします。 墨画家 島田正治
* 「生椎茸」雷魚画 おみごと。「僕85歳」と添えてある。
☆ (前略)
七十数年前 拾い読みしたことなど なつかしく思い出しております。余年わずかの今 どのように読みとれるのか
作者の感性のさわやかさと 御著の訳の優しさは わずかに頁を開いただけでも 心にずんと入ってくるのでした。 楽しくよませて頂きます。
今年の夏の気候の変り方は異常でした この秋はおだやかに無事であってほしい と願っております そして なによりお身体を大切にご活躍のこと 切に祈っております。 俳人 清沢冽太
☆ 水曜日
また暑さが戻ってきました。
「湖の本136 枕草子 現代語選訳」拝受致しました。まだ拾い読みなのですが、結局、自分は「枕草子」に関して、何も知らなかったのだと思い知っております。
精読させていただきます。 歌人 藤原龍一郎
☆ (前略)
本日 ご恵投賜りました「枕草子」 読み了りました。秦様のみごとな訳文にひき込まれ、気がついたら読み了っていたという次第です。(中略)
私は英語から日本語への飜訳を何冊か刊行し、飜訳について年来関心を抱いてまいりました。またいろいろ考えてまいりました。 結論として、「原文が読み たくなるような飜訳」が最上の飜訳 と考えるようになりました。若い頃、上田敏の『海潮音』を読み、カール・ブッセの「山のあなた…」の詩のドイツ語を諳 誦したことなど、なつかしく思い出します。秦様の訳文は「枕草子」をもう一度原文でじっくり味わってみようという気にさせます。名訳と考える由縁です。
また、ところどころに短い解説が付されておりますが。これが何ともすばらしいと存じました。第八一段の解説に、「『枕草子』世界に厳存する階級社会の最 底辺をまざまざ見せている。」の一行にショックを受けました。こういう指摘をされたのは、秦様がはじめてではないでしょうか。秦様の「枕草子」論を是非拝 読したいという思いしきりです。国文学者がまず考えつかない視点からの「枕草子」論が生まれるのではないでしょうか。
「湖の本」はいつも有り難く拝受拝読いたしておりますが、今回もまた 多くの感銘と刺戟とを与えられた次第です。
最後になりましたが、ますますのご健筆お祈りします。草々 歌人・翻訳家・編集者 鋼
* ご指摘の八一段に関しては、芸能論や古典論で他の事例とともに繰り返し語ってきた。「秦 恒平選集」やがての第二十四巻で竹取物語 枕草子 源氏物語など平安の古典論攷を取り纏めている。
☆ 九月も半ばとなり 「アマデウス」初日が近づいてきました。11月顔見世公演も発表となっていますので、襲名が、日一日と近づいてきています! 期待と興奮とが入り混じっていますが、うまくサポートできるように頑張りたいと思います。
「湖の本 枕草子」 ありがとうございました。
美しいもの、楽しいものを目にすると元気になります!
お身体 お大切に。 松本幸四郎事務所 博
* 神奈川県立文学館、城西大水田記念図書館、親鸞仏教センター、作新学院大からも「枕草子」受領の挨拶が来ている。
2017 9/14 190
☆ 啓
昨日(12日)『枕草子』を受取りました。「学研版」は、教員時代に授業で活用させて頂く機会はありませんでした。ただ図書館で借りて、気楽に読んだ記憶があります。私も「定 子」は気になる存在です。何となく孤独感を感じさせるお人に思えます。清少納言は、それを感じとりながら、そしらぬ顔で、一生懸命にお伽ぎをしている。そ れが読む私にも伝わってくるような気がするのです。「秦恒平訳」からは、特にそんな気分が強く感じられたように思います。「商売気」(授業という)を離れ て読んだせいかもしれません。──もう一度ゆっくり読ませていただきます。秦さんの「枕草子」のカセットテープを久々にとり出してみたのですが、テープが 劣化していて明瞭さに欠けていました。しかしアノ京都風な語り口だけはなつかしく響いてきました。
昨日は、出かける矢先に『湖の本』が届きました。それで「受取」が後になりました。(お払い込みを慥かに頂戴致しました。秦)
実は、鶴賀若狭掾の新内を聞きに行ったのです。私の脚色した「註文帳」を演ってもらってから、二十年来のお付合いになります。数年前、若 狭掾さんが、白山市松任学習センターコンサートホールの名誉館長になられて以来、毎年一、二回の演奏会が開催されています。昨晩の浄瑠璃は、ご自身の脚本 の「酔月冗語」(「花井お梅」のパロディ)でした。藤山新太郎さんの「手づま」の併演がありました。(私はじっくりしたおとろえのない新内だけを聞きたい のですが、 中略)
「おとろえ」といえば、お出かけも、夜(の運転=)はパスしてくれと家の者がいいます。本数の少いダイヤを何とか選んで、バスを使いました。それはそれ なりの気分は味わいましたが少し情ない思いです。ほとんど毎日の散歩も、五千歩前後が、苦になることもあります。年が年だからあたりまえだと、自分で自分 を慰めている次第です。ただ毎日の生活にはそれなりに対応できるだけでも「いいのかな」と思っています。
秦さんのおことばにひかれて、『古文真宝(前集)』を引っばり出してあちこち拾い読みしています。
どうぞお二人には、お大事に、お大事に。 九月十三日 井口哲郎 前・石川近代文学館館長
* 日に「五千歩」とはのけぞって尊敬します。わたしなど出かけもしないので、家の中はともかく、半月、二十日にも戸外杖衝いて五千歩なんて歩けていませんねえ。タマに自転車でポストまで走りますが三、四分で往復できる近さ。腕力はあるけれど、脚力は危機にちかいです。
* 井口さんの自動車に夫婦して乗せて頂いたことがあり、此の自動車は国産のいかなる乗用車とぶつかっても壊れませんと聞いてビックリしたのを忘れない。
井口さんのお手紙は私信という以上にいい随筆を読むようにいつも楽しむ。封緘の「白露」の印も美しい。「朱明(夏)白蔵(秋)」の印を彫って頂いてい る。まぢかにお若い頃の作と伺った陶淵明のなつかしい詩句を彫られた大作も頂戴している。「選集」の謹呈印はおおかた井口さんに甘えて戴いた作である。此 の月末にはまた選集新刊に印を捺す。
『古文真宝』前集へいま手を伸ばした。五言古風短篇をひらけばすぐ陶淵明の「四時」や、好きな賈島の「訪道者不遇」に出会えて、しばし瞑目。
四時 陶濳
春水満四澤 夏雲多奇峰 秋月擧明輝 冬嶺秀孤松
訪道者不遇 賈島
松下問童子 言師採薬去 只在此山中 雲深不知處
☆ ご高著「枕草子」拝受致しました
六十年以上遠ざかっている書物に、先生のお蔭で接することができます。本当にありがとうございます。日頃のご精進に感心いたしております。なかなか見習えないものです。
くれぐれもご自愛下さいますようお願い申し上げます。 府中市 杉 作家
* 東京大学大学院人文社会系研究家・文学部 また 日本近代文学館 より湖の本受領の挨拶あり。
書籍は、保管に書架・書庫という場所を要するので、寄贈先をえらぶのが難しい。大学。研究施設。知名の図書館はよろこんで受け取ってもらえるが、高校となると難しい。 2017 9/15 190
* 京・山科の詩人あきとし・じゅんさんから奥飛騨のご馳走をいろいろ有り難く頂戴した。
みなさん、いろいろ佳い旅をされてるなあと羨望に堪えない。
* 山形村山市あらきそばの芦野又三さん、妻の従弟の濱靖夫さん、濱敏夫さん、昭和女子大日本文学科、川村学園女子大図書館、多摩美大図書館からも「湖の本」受領の挨拶が来ていた。
* 弥栄中学時代の佐々木(水谷)葉子先生、御電話に次いでお手紙とお住まい宇治の銘茶を下さった。
☆ 懐かしいお声に触れ
嬉しいでした。 常々ご精進なさっておられるお姿には、感服しております。(「枕草子」)ありがとうございました。 私、
おかげ様で九月二十日に九十歳を迎えます。勿論五箇所のお医者さんにかゝりながら、現在も、一応、家事をはじめ、庭の草抜き、木の剪定、花づくりのと、楽しみながら生きております。
貴方もどうかお体くれぐれもお大事になさって下さいませ。
奥様をお大事に。
お茶 一服 どうぞ。 かしこ 宇治市
2017 9/16 190
* 亡き島津忠夫さんの『老のくりごと 八十以後国文学談儀』から、「秦 恒平氏の『京都びとと京ことばの凄み』を読む」の一文を転載させていただく。
秦恒平氏は「湖の本」という創作とエッセイのシリーズを私家版でつぎつぎと刊行している。最近(平成二十三年二月)「京と、はんなり 京昧津々(二)」 が送られて来た。「私語の刻」と題する後記の冒頭には、「雲中白鶴」と題して、二首の和歌を読み、「七十五叟 宗遠」と記した平成二十三年の年賀状をおい て、賀状の返礼に替えるといったいきな計らいのあとに、正月前半の「闇に言い置く私語の刻」を摘録して跋とする。この私語もおもしろく、考えさせられるこ とが多いのだが、今回、収められている「京都びとと京ことばの凄み」という長文から、いろいろのことを考えさせられた。これは、平成二十二年の京都女子学 園創立百年同窓会での記念講演とある。
京都を離れ、東京にもう五十年以上も暮らしているが、若き日を京都で過ごした思い出が、氏に終生付きまとっていることは、今まで何度も書かれ、読んで来 た。「京都に五十年、六十年暮らしている方の京都より、また幾味かちがった、歴史的な視野と批評とに培われた「京都」が見えている」という立場、これは私 も重要だと思う。
京ことばを散りばめられながら、話されて行く中に、平安朝文学を研究する上にも多くの重要なヒントを与えられる点がある。
では京の「美学」つて、何でしょうね。
春は、あけぼの。
これが「京の美学」です。これだけで、モノの分かった人になら「十分」なのです。
という。「春は、あけぼの」といえば、当然『枕草子』(雑纂本)の冒頭が思い出される。もとより、そうなのだが、氏は、「佳いものをいくつも選び出す。それぞれに、順序を付ける。つまり「番付け」をする」ことだと。
ある日、皇后さんは女房たちに、問題を出しました。
春夏秋冬、季節により、もっとも風情豊かな美しい「時間帯」はいつやろね…と。
女房たち、質問に身構えます。
まず「春は……」と聞かれて、おそらく、いくつもの答えがブレイン・ストーミングよろしく口々に出たことでしょう。しかし皇后さんは、そのなかから、 「あけぼの」という趣味判断の力に、最良の価値を認めました。そして、書記者として優れた才能を認めていた清少納言に、「春は、あけぼの」と記録を命じた のでありましょう。これぞコロンブスの卵と同じでした。かくもみごとな選択の出来たことで、定子皇后のサロンと、記録『枕草子』とは、歴史的な名誉と評価 とを得たのでした。
研究者による論文ではないから、考証はしていない。しかし、『枕草子』の性格と定子サロンの一面を生き生きと映し出しているではないか。
「京ことば」は、まさに千年の政治都市の培った「位取り」の厳しい日常の暮らしを、その現場感覚を、反映しています。夥しい敬語の微妙な「敬」度差は、それが世渡りの武器として駆使されてきた実態を、まざまざと、反映してあまりある。
という敬語の問題、それを、「祗園まぢかに生まれて七十五年、京都を一歩も出なかった」叔母を、にわかに氏の東京の家に引き取っての話、
お医者さんがこう「お言やした」、御用聞きがこう「言うとった」、御近所の奥さんがこう「言うたはった」、それを直接話法のまま全部京都弁に翻訳して叔母は喋ります。(中略)
それにしても叔母の翻訳の見逃せない点は、例えば、「慣れたかな」が「お慣れやしとすか」とか、多分「風邪をひかんようにね」と言われたのが、「お風邪 おひきやしたらあきまへんえ」とか、相手の普通の物言いを、自分に対する「敬語」に置き換えていることです。私でさえ聴き過ごすほどですから、京都慣れし ていない妻や子や、よその人の耳には、ただもうもの柔らかな物言いとしか響かないということです。
という、氏に取って卑近な日常の実例を取り上げて、
暮らしの現場で、コンピューターなみに「人の顔色」を読みながら繰り出される、その場その場での「物言い」の微妙さこそが、「京ことば」の、ひいては「日本語」の、タンゲイすべからざる、怖さ畏ろしさなんです。
という結論に導いてゆく。『源氏物語』に見る敬語はまさしくこうした見方を肌で感じながら読んでゆかねばならないのだと思うのである。私は三十年以上も名 古屋の「源氏の会」で『源氏物語』を読み、放談を繰り返している。いま「玉鬘十帖」を読んでいて、源氏方と内大臣方への微妙な敬語の違いを、注釈を頼りに 説明しているのであるが、これは、当時の女房社会では、それこそコンピューターなみに使われていて、作者はそれをいきいきと描き、当時の読者はそれを直ち に感じ取っていたことだろうと思う。
* 日ごろ思いかつ語ってきたわたしの要点を、平安文学・中世文学の泰斗であられた島津さんにきちんと読み取って貰えていたのだ、嬉しいことだ。折しも「枕草子 現代語選訳」を湖の本で出したばかり、わたしの思い切った現場感覚のかつて例のなかった読み込みを、「『枕草子』の性格と定子サロンの一面を生き生きと映し出している」と受け容れて戴けたのは、まことに嬉しいことだ。「敬語の使い分け」という京都びと日ごろ微妙の物言いを源氏物語の読みで裏付けして戴けたのも嬉しいことだ。
2017 9/17 190
☆ 黒谷さん
「黒谷」実に面白かったです。
面白い、と言っては不謹慎かもしれませんが、面白くて、面白くて、初めは少し捲るだけのつもりが、一気に読み切ってしまいました。昔から、超自然現象の現れる話には入り込めないことが多いのですが、「黒谷」は違いました。読み始めからぐいぐい引かれ、読み進めば進むほど緊張感が漲り、、息を飲んで迎えた最後は・・・二重の奇襲、おうっと声が出そうになりました。
面白くて、面白くて、読み返さずにはおれませんでした。
こんな話がもっと読めたら、と思います。
幼い頃、祖父母の家に帰る度、家の裏にある方広寺の幅広い欄干を滑り台にして遊んだことは、お話ししましたよね。
記憶には全くないのですが、大仏様が焼けるのを、家の二階から怖いほど近くに見たそうですし、当時は国家安康の鐘も、通りすがりに好きに衝けましたし、夕暮れ時、閉まったばかりの門が煌びやかに光る一刻を狙って、豊国神社まで兄と駆けっこもしました。あれが秀吉の耳塚だ、と指され、たくさんのひからびた耳耳を想像したこともあります。
そんなご近所さんに、唯一 「一人では、決して行きなさんな」と言われていた場所がありました。豊国廟です。
効き目は覿面でした。人数少ない小路や一角を好んで歩いた私が(恒平さんにお会いする前から、清閑寺にも泉涌寺にも足を延ばしました) 東山七条のバス停から延びるあの道には近づこうともしなかったのですから。いつも女子学生の流れを見ていながら、私には、あの道は存在しませんでした。
二年前、突然そのことに思い至り、居ても立っても居られなくなり、見てきました。
オープン間際の高級ホテルを横目に(叔母はここの専売病院で出産しています)、まずは新日吉神宮に寄り、京都女子大のことは聞いていたものの、付属の学校がこんなにも広く、大学がこんな奥まったところにあるとは知りませんでした・・・そして豊国廟の聳える階段。
階段の脇に、入場料を払う小屋があり、上って下りてくるまでどれくらいかかるか聞いたところ、ワンピース姿の私を見て30分かな、と。時計の針は11:10。五条の「半兵衛」さんで友人と11:30に約束をしていたのですが、私たちの足なら急げばきっと間に合うだろう、と走りました。
それにしても長かった。長いだけでなく、階段の上りにくいこと!高い段、低い段、高い段、低い段、と段差が交互に変わるのです。リズムがとりにくく、思いのほか大変でした。それにしてもあの階段、見上げても見降ろしても圧倒されます。京都に行ったら、また辺りを散歩したいと思っていますが、観光客のあまりの増加に(私たちもそのうちの一人ですが)、しばらく京都はおあずけです。
豊国廟の感慨、すぐ恒平さんにお伝えしようと思っていたのに、二年も経つと、やはり忘れてしまってダメですね。残念。
ちなみに、吉田山にも、その時初めて訪れました。昔、京大の衛生学教室でバイトをしていた母の話に時々現れ、これも気になっていた場所の一つでしたから。おかげで「黒谷」さん、ちょっとだけ町を知った気分で読みました。 バルセロナ住 京 東工大卒
* 京 ありがとう。
ハズバンドとときおり日本へ、京都へ帰っているとは聞いていた。
豊国廟!! 想うだに、あの石段の登りの凄さには脚がすくむ。京に親しんだわたしでも、生涯にたった一度しか登りつめていない。懐かしいけれど、夢の夢で。
しかし東山七条の市電駅から東向きに、豊国廟石段下までのいわゆる太閤坦(たいこだいら)は佳い環境だった。新日吉神宮のすぐそばに中学で理科を習った 佐々木葉子先生のお宅があったし、佳い月釜の掛かる名席「桐蔭」もある。清水寺まで見晴らせた、界隈に果物畑などもあり、印象はひろやかな山の麓、昔の小 説にも書き入れているし学生の昔、妻ともそぞろ歩いた。
「黒谷」を、喜んでくれて、アリガトさん。
この「京」には、ときおり人の書いてよこした小説を読ませ、感想をことさらに聴いたりした。
バルセロナで今も暮らしている京おんなの「京」にも国際的な小説を書かせてみたいものだが。
お元気で、幸せに過ごされよ。
2017 9/17 190
☆ 秦 恒平様
いつも「湖の本」をお送り下さりありがとうございます。
酒井順子さん訳「枕草子」の解説を書いたことがありますので興味深く拝読。
座の中の「書記」とは。 枕草子の文章が多声で持ち上がってきて 目からウロコが落ちました。
新刊 『また 身の下相談にお答えします』一冊 お納め下さい。 <上の> 東大名誉教授
* そのうち、そう遠くもなく「身の下」上野さんに、また、目のウロコはどうなるか知らないが、驚いてもらうことになる。上野さんを仮想の標的にしファイトを燃やして「性の寓話」を書いてきたとも謂えるので。
☆ 秦 先生
「湖の本 枕草子」拝受。
多くの日本の古典の中で、特に私の好きなのが枕草子です。
13頁、読み方の提案に深い共感を覚えました。有益な示唆を頂戴しました。原文を横に置いて読んでおります。
“山登りの人生”を送ってきた私がもう2年間出かけておりません。山を想い山に憧れていますが、まだ一歩が踏み出せません。
大きな辞書を開いて、プラトンの原典をコツコツと読んでいる毎日です。 篠崎仁
* わたしはもう七年ほども故郷京都へ出かけられないでいる。仕事以外に、何の躊躇もなく手当たり次第に古典や史書に読み耽り、古人に出会いつづけ。街へもロクに出ず人とも出会っていない。精神的にも不健康すぎるが。
2017 9/18 190
* 月末三十日からの「選集第二十二巻」送り出し宛先用意などに取りかからねば。用意は少なくも六割方出来てはいるが。
「湖の本137」も、もうはや責了可能の直前へ来ている、と、十月発送「用意」の段取りにもう逼られている。選集より数が断然多いだけ、シンドイけれど、だから時間をかけ、ゆっくり用意にかかりたい。
* 浴室で三種類のゲラを読み、薫中納言は帝の二宮降嫁を受け容れ、匂宮は二条院に妊娠の宇治中君をいたわれ愛しつつも夕霧の六君との結婚を拒むことが出来ない、そんな「宿木」巻を読み進んだ。岩波文庫版の第二巻が送られてくるのをもう待望している。
* おおけないことだが、わたしに、いまから「宇治十帖」現代語訳の仕事は出来ないものだろうか。大学へ入り、その年に創刊された「同志社美学」創刊号に、新入生の分際で寄稿し掲載されたのが「宇治十帖」にかかわる幼稚な感想文であった。
わたしの源氏物語読みの「命脈」は、「桐壺更衣と宇治中君」とをストレートに結ぶもの。桐壺、藤壺、紫上そして宇治中君。その裏とも表とも、桐壺帝、光源氏、冷泉帝、明石中宮、匂兵部卿宮。他はこの世界を洩れ零れている。
2017 9/19 190
* 都澤さんから葡萄を たくさん戴いた。
京都の澤田文子さんには、菩提寺常林寺の資料や月見趣向の和三盆を頂いた。
☆ 略啓
御健勝の事と存じます。「湖の本 枕草子」有難く頂戴しました。御説興味深く拝読。「枕」は読者の教養や美観の深浅によって味が異つてくるのが面白いのでせう。
近々 御聯絡申上げます 不備 前・文藝春秋専務 寺田英視
☆ 「湖の本136 枕草子」
有難うございます。
現代の作家の新訳などと比べるまでもなく、ここには平安「定子」文化圏への深切な理解と愛情が満ち溢れています。
日本の古典のエッセンスの把握(漱石「こころ」も含めて)を先生の御著書から学んだ者として湖の本シリーズの持続と先生の御健勝を心から祈ってやみませ ん。ナショナリズムの鼓吹者たちの「日本」なるものが、どれだけ「美」から隔絶したものかが、先生の存在自体によって明証されるのですから。 御礼まで 不一 八王子市 水島英己
* 東洋大野呂芳信さん、歌人堀江玲子さん、成蹊大、二松学舎大からも挨拶を戴いた。
* 「湖の本 137 泉鏡花」を全責了で送り返した。十月十六日ころの納品になるだろう、発送用意に取り組んでおかねば。
2017 9/20 190
* 明治学院大、広島大大学院、湖の本受領の挨拶あり。
* 中学と大学の同窓、松嶋屋の惣領片岡我當君、療養中にかかわらず二万円も湖の本へ送ってきて呉れた。ありがとう。
とにもかくにもお互い、シッカリと生ききりましょう。
2017 9/21 190
* 創作も含め校正の仕事や発送、送り出しなどの予定も輻輳してくるので、ともするとフアンに浮き足立ちかねない。おちついて、病気に落ちこまないよう気配りもして努めないと。
明日は歯医者へ行く。月末には幸四郎劇の「アマデウス」サリエリを見に行って、すぐさま{選集第二十二巻}の送り出しを終えねばならず、待ったなしで次 十月半ば過ぎの「湖の本137」発送の用意をせねばならぬ。十一月下旬か師走初めには「選集第二十三巻」が出来てきて、それが今年内出版の最後になろう。 余すは、もう十巻。さ、二年で出来るか三年目にかかるか。編成に苦心を要するだろう、所詮は何かが残ってしまうだろうが、慌てまい。 願わくは新しい小説の巻を三巻ほども入れられるといいが。
2017 9/21 190
☆ 日ごとに秋らしくなって参りました。
錚々たるメンバーの現代語訳の中の一冊、大変ありがたく存じます。枕草子は、京都の人の心持ちをよく御理解の先生の訳、味わいも一入だと思います。(雨月・春雨の=)訳者後藤明生先生は晩年近畿大学でご一緒の時期がございました。時の流れを感じます。
季節の変わり目、くれぐれもご自愛下さいませ。かしこ 阪森郁代 歌人
☆ 拝啓 (前略)
「春は、あけぼの」「きらめく感覚の饗宴」「折に触れて」に分けられ定子皇后のサロンの様子を、そして「誇らかに、宮仕えの日々」で平安の「女文化」のあり様を生き生きと描かれたことに感心いたしました。「句読点を省いて、適宜分かち書き」も生きていると思います。
ますますのご活躍をお祈り申し上げます。 敬具 原山裕一 新聞記者
* 常磐大学から受領の挨拶あり。
☆ 枕草子は
授業で教える度に、学研版の美しいご本を繰り返し参照してきました。
筆記者清少納言の、お説にも促されて、「春はあけぼの」や「うつくしきもの」など、句点で交替するリレー読みやグループ読みをさせてみますと、少女達の声は幾分あどけないですが、生き生きとした定子のサロンの様も想像され、興深く思われます。
湖の本は、「まえがき」「私語の刻」から始めて少しずつ。まだ「類想的(類聚的)章段」(趣向を凝らした編集ですね)を過ぎたところです。 九 女学校教諭 2017 9/22 190
* 今日の歯医者についで、明けて月曜も水曜も聖路加へ通い、金曜には「アマデウス」を楽しみ、土曜にはもう「選集22」送りが始まる。送りまでに一週間 fあると思っていたが、ほとんど余裕が無いとは。送り終えれば即座に次の「湖の本」発送(十六日予定)用意に掛からないと、息を喘ぎそうになる。ま、これ だから健康も保てて行けるのかと思うことにしている。しかし本は、重い。このところの発送作業で左肩をかなり痛めているのが寝起きのつど分かる。老いの腕 力を過信していると危ない。
* 今夜は創作「清水坂(仮題)」にもぐり込んでいた。
2017 9/22 190
* 十時過ぎた。「湖の本137」発送の一と段階挨拶文の印刷を終えた。あとは封筒へのハンコ捺しがシンドイが、「選集二十二巻」を送り出してからでも間に合う。用意の作業は、早め早めに余裕を持ってしておく。疲れと怪我とがないように。
もう目が見えない、ほとんど。
2017 9/24 190
☆ 十月が目の前
21日
月半ばには関西に行ったのですが、台風18号の日本縦断がとてもゆっくりで、絵の教室は休みになってしまいました。京都市内の風雨は短時間で終わりました。
23日の選歌より
ありしこそ限なりけれあふ事のなどのちのよと契らざりけむ 源兼長
立チのぼるけぶりにつけておもふ哉いつ又我を人のかく見ん いづみしきぶ
式部の歌にいつも引き寄せられます。哀傷の痛切、これは若い時には理解しようにも理解できないことと、今は痛感します。
「わたしはなかぞらに浮游の気味で頼りない」と。その浮遊感覚と作家活動。とにかくお身体大切にと繰り返し述べるばかりです。
「音頭口説」、わたしにはほぼ未知の世界ですが、高校生の時に郷土研究会に属して県下の民話などを採集したり、養蚕農家の二階に行って蚕の生 命力に驚いたりしたことがありました。京都という都と、地方・鄙という図式は簡単ですが、一歩進んで考え始めると途轍もない、出来れば大きな問題提起がな されるでしょう。
音頭口説、埋もれつつあるもの失われつつあるものに、若い人たちが関心を寄せて欲しいと思います、しかもそれは緊急の課題です。
「もう四半世紀早くに読んでいたらわたしは不思議な小説を何編か書けていた気がして、もったいないロスをしたとやや 悔いている。わたしの身内にひそんだ「根の哀しみ」にかならず何かが触れて来るに相違ない。」
そう述べられる、その一端であれ、どうぞ書いて下さい!!「日本の文学文藝の理解から取り外してはなるまい。」のですから。
枕草子のテープのことが書かれていましたね。懐かしいテープ!!!
音声にやや劣化が認められるとも。わたしも確かめてみなければなりません。
テープからディスクに移して、希望する人に・・というのは著作権などに触れて違法でしょうか? 多くの人に聞いてもらえればと思うのですが。
早々と季節が移り、我が庭にはいつしか殖えてしまった彼岸花が咲いています。
どうぞくれぐれもお身体大切に、大切に。
「三日も余裕が有れば、京都へ帰りたいと願うが。思い切り、であろうか。」
そうです、思い切り、ですよ。奥さんとお二人で、京都を堪能なさってください。お二人でなら安心、そして降り積もる多くのものを分かち合える筈です。尾張の鳶は、心底そう思います。
* ありがとう。
☆ 拝啓
ようやく秋らしい気候になってまいりました。お変りなくお過ごしのことと拝察致します。
この度は「枕草子」を、寔に有り難く感謝申し上げます。
枕草子は有名な割にはあまり読まれていない作品だと思います。小生もその同類です。文庫の原典と較べながら拝読したいと存じます。敬具 元・岩波「世界」 邦
☆ 枕草子のなつかしさ。
それを、日本と日本語へのハタ先生の思い入れが、さらに増幅して……。いつもながら、たまりません。
カボス 少しだけ。どうぞ。 神戸 昌
☆ 定子のサロンに
集うた女人たちの文化的な香りを、秦先生のお書きになった文章から感じ取りたい、と思って不読ませていただいております。
それにしても、秦教授の授業を受けたかった! 学生として。(お元気で!) 笹塚 宏
* 久留米大、鳴門教育大、東海大名古屋、神戸樟蔭女子学院大から「枕草子」受領の挨拶あり。
2017 9/25 190
* 妻の定期の診察、幸いに大過なく帰ってきた。
わたしは、二階へ上がるにも階下へ降りてきても、つい寝室にねころんでしまい次々に裸眼で本を読み、疲れるとうたた寝に落ちる。
明日は朝が早いなと思いながら、病院のあと、薬局のあと、サテどうしたいどこへ行きたいという夢が見えない。散髪してきた心地よさはあるが、金曜には 「アマデウス」を観て、土曜には「選集」(中世美術論)が出来てくる。送りの力仕事に三日がほどかけ、すぐまた「湖の本」(泉鏡花論)の出来を月半ば過ぎ に待ち待ち、発送用意。
たぶん、十一月中にも「選集」をもう一冊(中世論)送り、それで今年は締めくくる。
* 「NCIS」を楽しんだ。 今夜はもう寝る。
2017 9/26 190
* 順不同、相模原の松村茂治さん、京・伏見の服部友彦さん、八潮市の小滝英史さん、脚本家の小山内美江子さん、仙台の遠藤恵子さん、それに専修大学の山口政幸さんから、お手紙、お便りを戴いていた。
2017 9/29 190
☆ (前略)
学研版でこんな素晴らしい古典の現代語版の編成を改めて知り、本巻を通読して、「枕草子」の奥行の深さと面白さをタンノウさせていただきました。
昔、受験用や教科書でごくごく一部をつまんで、知ったフリをしていた自分を恥じ入る次第です。
「きらめく感覚の世界」が馴染み易く、自然の交歓が、だんだん平安中期の「宮仕え」の実態を「書記」少納言の言葉で知るにつれ、最終編の「誇らかに宮仕えの日々」の人事の有様や、男女の関わり、教養の深さ等々、身近になりました。
時間があれば、原典も、と今更ながらトシふる自分を歯がゆく思います。深い謝意を申し上げます。 講談社役員 徳
☆ 湖の本 毎巻 感動の連続です。
お体の不調はある程度仕方ないと 私自身は不調とも仲良くつき合いつつ、加齢のせいと一種あきらめムードです。
偉大な敬愛する大先輩から教わることばかりです。お元気で!! 愛知・新城市 古市貞雄
* 平凡社役員駒井正敏さんからも湖の本へご挨拶があった。
2017 10/2 191
* 湖の本138、選集二十五巻 の編輯に秋冷えのなかで汗をかいている。湖の本137が、奥付通りの出来なら十月十六日に納品になる。発送用意怠りなく手を付けている。 2017 10/5 191
* 愚痴っているより、送って戴いたのを今晩は読もう。幸い妻にも手伝って貰い、「湖の本137」発送の用意はもう七、八割がたできている。『ユニオ・ミスティカ』最期の仕上げも近づいている、手を掛ければ際限ないけれど。
* ナニの勢いでだか、美術の世界にひたひた浸りながら機械に向かいづめの一晩であった、十一時、もえ目玉が灼けている。
2017 10/6 191
* 「湖の本138」を編輯している、「選集第二十五巻」の編輯、量が多く目を白黒させている。
2017 10/7 191
☆ 湖の本136 枕草子 現代語選訳
ありがとうございました。
よのなかの動きがわけが分からなくなった中で、「春は あけぼの ようよう白うなりゆく山ぎわ すこしあかりて…」てを読み、高校時代を思い起こして、少しホッとしています。
秋の好季節ですが ご自愛をお忘れなく。 草々 元・参議院議長 江田五月 2017 10/10 191
* 湖の本137 十八日納品と決した。発送中途に聖路加の診察日が入る。週明けて、月曜・火曜も通院。十一月へかけ、気ぜわしくなるが。ま、落ち着いて、やる。
2017 10/11 191
☆ 「枕草子」は 訳者・編者によって、また、時代。読む年齢によって大きく変わり、いつも新鮮であることに驚きました。
このたび、通読させていただけたことを仕合わせに思いました。
先生 奥様 どうぞお身体大切に。 京・高野 羽生清
☆ 自宅で、
友人たちと「枕草子」の読書会を行っております。
「源氏物語」とは違う平安人の姿が、若かりし日に読んだものと違って、又”イイネ”と皆で言い合っております。 横浜 稲垣みゆき 元・中央公論社編集者
* 稲垣さんには中央公論社刊の単行本『閨秀』を美しく立派に創って頂いた。もう何十年になるか。久しい有り難いお付き合いである。
* さらにもっと久しい、弥栄中学時代の一学年下、後に東大へ進んで、飜訳やエッセイストとして活躍してきた石川( 平田)布美さんが「入院」と、夫君平田卓さんの代筆で「湖の本」へ払い込み旁々お知らせがあった。胸、締め付けられる。
2017 10/12 191
* 137巻まで来て、さて必要があって原稿を見直したいと思っても、なかなか手早くは探し出せない嵩になっている。巻ごとにフォルダを起こし、それへ関 連のファイルをともあれ投げ込んでおけるようにした。たいへんな作業だったが、おおよそやっつけた、但し百一巻以降だけ。それ以前は創作とエッセイに分か れていて、まあまあ整頓できてあるつもりでいるが、なかなかどうして、いざ小さな原稿を掘り出してくるのに手間が掛かる。アタマがワルイのだ。やれやれ。
湖の本138の編成に一日中苦労していた。
2017 10/12 191
* 福田恆存先生奥様、文藝家協会理事の森詠さん、大東文化大、国文学研究資料館 から選集や湖の本に挨拶があった。
* 「湖の本137」発送の用意を完了した。次は「撰集 二十三巻」送り出しの用意にも取り組む。
2017 10/13 191
* 「湖の本138」編輯に夜分集中していた。十一時を回った。もう一息、いや二た息かな。
いったい、あと、どれほど「湖の本」は出来るのか。市販本になった創作やエッセイはさすがに大方収録されたが、雑誌や新聞等に初出のまま待機の原稿がま だまだ在り、書き続けている創作や予定しているものを加えれば、先行きは計り知れない、何より健康でいなければならない。
2017 10/13 191
* 「湖の本138」を電送入稿した。
2017 10/15 191
* 膚寒くなってきた。ますます外出しない勝ちになりそうで、いけない。但し火曜には歯医者、金曜正午の腫瘍内科検査を挟んで水曜日からは「湖の本 137」の発送、来週月曜正午前にも感染症内科診察、お医者と伴走している気味であるが、木曜日には、久々に文春の寺田英視さんと会食予定。妻も一緒。こ の前は、もう久しいが建日子も一緒だった。
* いろんな仕事を前へ進め得た。疲れたが、肩の荷は少し軽くなった。
2017 10/15 191
* 奇妙な夢ばかりを連日見る。夢で疲れる。昨日は なんとなくイヤな一日だった。歯医者帰りの夕食があまりに不味かった。つまらぬことをした。
幸い、選集の校正はハカが行った。{選集123」をやがて責了出来る。「選集124」初校了にはもう暫くかかる。そのあとへ何んな一巻を入稿するか、思案している。
長編「ユニオ・ミスティカ ある寓話」は、最期の仕上げにこまかな手入れを重ねながら随所にモチーフの補強も試みている。いきなり選集へ入れてしまおう かとも。すると湖の本の読者に待ちボケをさせてしまう。しかし「湖の本」読者全部の方がこの作を受け容れて下さるか、どうか。
* さ、そろそろ、新しい「湖の本137」が出来て届くか。今回も前回と同じに気が入っていて、わたしも楽しみにしている。次回「138」も入稿を済ませた。
* 懸命に作業して、半分かた発送した。もう、一と踏ん張り、二た踏ん張り。
2017 10/18 191
* 今日一日、妻もよく手伝ってくれて、精いっぱい、作業できた。明日、もう一日。十一時。もう床に就く。
腹がぐるぐる鳴っている。右脚、膝より20糎ほど上の内側に、一点、細い灼け火箸で刺される痛みがちょいちょいと起きる。こういう痛みは初体験ではないが。肉の奥の方で小さく神経が響くように鋭く痛む。
2017 10/18 191
* 聖路加病院へ。
* 十時半には血液検査を終えていたが、診察は午後二時前まで待たされた。検査結果や診察上状態は文句もなく上乗で不安無しと。それはけっこうであった が。たいして用もない安定剤のために薬局でまち、空腹の充たしようを思案しつつぶらぶらと銀座まで歩いて思案付かず有楽町でも思案付かず、有楽町線で池袋 下車、西武の京都名店展へ上がったが雑踏に辟易、結局八階の伊勢長で鰻にした。
*家へ帰ってみると、妻は救急車で地元病院へ緊急入院していた。胆石の痛みに耐えかねてお向かいを煩わせて救急車を呼んで貰ったと。
石がうまく降りてくれるといいが。
携帯電話をわたしが持ってないのが、こういう際の障りになる。幸い、いまは痛みは落ち着いて(資料で抑えているのだろうが、)いて病室への電話は繋がっ た。建日子には連絡したようだが、まだ病院へは来れていないと。こういうときに、気働きのきくお嫁さんが居てくれたらとしみじみ思うが。
* ま、様子をみつつ、気強く乗り切っていかねばならない。あいにく、あすから週明けへの天気が大荒れだという、月曜の診察も日が一週間延びた。終日大あ れの颱風と予告されている。雨降って地固まって欲しいもの。「湖の本」発送が終わっていて良かったが、発送作業が妻に障ったのかと思うと胸が冷える。
2017 10/20 191
* 京都宇治の佐々木葉子先生、湖の本137着に御電話下さる。病院へ出向くところだったので、失礼あり、御免なさい。
☆ 湖の本137をいただきました
秦恒平様
先日は選集22巻を頂戴し、痛み入りました。「ヨブ記のダブル・ヴィジョン」と題した講演を終了し、出席者とのメールでのやりとりを終了した先週中頃に一気に拝見しました。
女文化として見る日本芸術史(文学がメーンでも、芸術意識と受け止めます)を教えられつつ、興味深く読了しました。鎌倉文化については点が辛いのだと分かりました。
私は政治文化史的な観点から北条泰時が主宰した13人衆による『関東御成敗式目』の作成を画期的な作業であり、法制史的な意味を持つと評価しております。
本日は『湖の本137 泉鏡花』のご恵贈にあずかりました。いつもながらのご好意を感謝します。早速に拝見しました。泉鏡花については教科書的な知識し かありませんでしたから、現代語訳『龍潭譚』に引き込まれました。「座談会 鏡花文学をめぐって」には関心を引かれ、丹念に言葉を追いました。
ありがとうございました。台風が接近しております。日本各地の被害が最小限でありますように。明日の選挙が日本の宝を守りうる結果をもたらしまっすように。 並木浩一 ICU名誉教授
* 鎌倉時代を真に創りあげたのは北条義時、泰時父子で、傑出していたと思う。
☆ ご本を拝受しました 森下辰男
秦 兄
いつもいつもご本をほんとうに有難うございます。偶々、数日前からベッドサイドに国書刊行会の
日本幻想文学集成の泉鏡花を置いて、寝付くまえのひととき読んでいます。
(総選挙投票前日なので 中略)
大型台風が接近中です。これも悪しき政治の産物の一つです。地球温暖化対策にトランプは背を向けています。ぼやき出すときりがありません。ありがとうございました。ご自愛のうえご活躍ください。
昨日、(早稲田の)クラス会で銀座に行ってきました。一応今回で発展的解散ということで・・・
2017 10/21 191
☆ 今日、
137巻「泉鏡花・濯鱗清流(四)」いただきました。
ありがとうございます。
ゆっくりと、じっくりと、読ませていただきます。
そして。
奥様のご容態の回復をお祈り申し上げます。
先生のお怪我の大事にいたりまぬように、お祈り申し上げます。
どうか、お大切に日々をお過ごしになられますように。
祈ることしかきませんが… 祈らずにはおれません。 京・鷹峰 百
2017 10/22 191
☆ お元気ですか、みづうみ。
奥様のご入院に驚いています。大変ご心配のことでございましょう。現在の医学の至れり尽くせりを信じ、奥様の胆石の一日も早くご快復なさいますことお祈 りしています。こういう時だからこそみづうみも一層お大事になさってください。きちんと食事しなければだめです。それに大雨の中の自転車もいけません。若 いひとでもあんな大雨の中の自転車は転倒の危険があります。大怪我にならなかったのは幸いでしたけれど、救急車のお世話になる可能性のほうが高かったので す。肝を冷やしました。弱り目に祟り目になりませんよう、本当に気をつけてください。
以前にもみづうみに書きましたが、今気落ちしている自分を励ます意味でもまた書かせてください。
「希望の喪失はすでに敗北の先取りである。人間にできることがなお残されている限り、希望を失うことは許されない。」 カール・ヤスパース
ウィキペディアからの引用
精神医学から哲学に転じたヤスパースは1921年から1937年まで同大学哲学教授を務める。この時代にハンナ・アーレントも彼の教えを受けた。ナチス台頭後、妻のゲルトルートがユダヤ人であったことやナチスに対する反抗で大学を追われたものの、妻の強制収容所送致については自宅に2人で立て籠もり、阻止し通す。大戦も末期の頃、ヤスパース夫妻の収容所移送が決定されもはや自殺する以外に打つ手がなくなるところまで追い詰められたが、その移送予定日も残すところ数十日程度に迫った、1945年3月30日にアメリカ軍(アメリカ陸軍第7軍第3歩兵師団)が、ヤスパースの住むハイデルベルクを占領したため、移送を免れた。後年自ら「自国の政府により殺される寸前、敵国の軍隊により命を救われた」と述懐しており、この戦争体験はヤスパースの哲学に対して見逃すことのできない強い影響を与えたと言われている。
追いつめられて早々に自殺していたらヤスパースの戦後の仕事はなかったのですから、希望を棄てたら負けなのです。何事もあきらめたらそこで本当に終わって しまいます。一日一日自分の仕事を大切にしながら、一庶民としてできることが残されている限り、希望をもってなんとか楽しんで、死ぬまで生きていきたいも のと思います。
湖の本ありがとうございました。
『龍潭譚』は以前大判の学研の本をだいぶ探して見つけたときは嬉しかったことを憶えています。
泉鏡花は魔物のように魅力的ですが、じつは読解力不足のため何度読んでも筋がよくわからない作品がたくさんあります。情けないことですが筋のわからない ものは、もうストーリーではなく泉鏡花の絢爛な日本語表現を味わうことにしています。秦恒平という翻訳者が訳した『龍潭譚』は、これ以上ないほど原作の美 を引き出しつつ、輪郭をくっきりさせてくれてとてもありがたく読ませていただきました。今回は注の部分もじっくり考えながら読むつもりです。
こういうものを拝読すると、みづうみが宇治十帖の翻訳がしたいと書いていらしたことを思いだし、読みたい、読めたらと願ってしまいます。秦恒平であれば宇治十帖を見事に現代に甦らせてくれるでしょう。わがままな読者ですね。
「泉鏡花世界を満たしているのは明白に水であり……」
全くご指摘の通りであることをあらためて感じています。
昨日の台風の烈しい雨音を聴きながら、『由縁の女』の水の描写の凄まじかったこと思いだしました。この作品も筋は結局曖昧模糊のままでしたが、水の描写にうなされるほどでした。
読みこなす力はなくても、泉鏡花の日本語を百年先にも守りたいと切に願うのです。
みづうみも奥様もどうぞお大事に、お大事に乗り切ってくださいますように。
粟 粟畑をつつ切る道の天気かな 松本たかし
2017 10/23 191
☆ 前略
此度は「湖の本137」を御恵送下さいまして洵に有り難うございました。
泉鏡花は昔から興味はありながら、腰を据えての読み通しはしていませんので、この鏡花文学論かにまず入ってみたくろ、その機会を与えられましたことを深謝申し上げます。
「濯鱗清流 文学を語る」で、インタビューに答えての私の体験談を縷々と言及されていましたのには恐縮致しました。果褒のお言葉、心から厚く御礼申し上げます。
それにしても贈られてくる最近の文藝雑誌の作品は志の極めて低いものが掲載されていますのには唖然とさせられます。
本日は御礼まで 一筆啓上致しましたが、気候不順の秋、呉々も恩自愛のほど併せお祈り致します。 不一 元「新潮」編集長 坂本忠雄
* 漆藝作家望月重延さんからも手紙を貰っているが、今日はそのまま頂いておく。
階下に用事が溜まっている。
老朽核家族のつらさは予期できていた、覚悟の上。妻と一緒に堪えているのだから、いっそ幸せといえる。
2017 10/23 191
☆ まず、
奥様のご病状いかがでしょうか、お見舞い申し上げます。先日(消印-18日)お葉書をいただいたばかりですので驚いています。私の娘婿が同じ病で苦しんだことを知っていますので、さぞかしと思い、いち速いお治りを祈っています。
「濯鱗清流(四)」が届きました。「龍潭譚」は、『明治の古典』が手元になく、前巻の「枕草子」同様、図書館で読んだ記憶があります。その上、石川近代文学館にいただいた「生原稿」でも読むというなんとも贅沢な体験もさせていただきました。
「座談会」で、鏡花の作品は気軽に読まれないから、新たに作品の刊行もむつかしいというようなお話があったようです。秋声の方は、その記念館で毎年一冊 ずつ文庫本が出され、もう十冊にもなっています。平成27年出版の『爛』は、私の大好きな木村荘八の挿絵入りです。これらにしてもどう読まれているか知り ませんが、鏡花の万一一記念館ではそんな動きもないようです。
さて、「講演」、とてもなつかしく拝読しました。講演が終ったあとでのお話会で、私が的外れな発言をして同座の顰蹙をかったことを恥ずかしく思い出して います。ただ、参集の人たちは、ひとかどの鏡花通ばかりだったので、皆さんがとても感銘されていたことも記憶に新しいことです。
改めて目を通してみますと(冒頭に私へのお呼びかけを発見、恐縮です。私の方こそこのご縁は、生涯の大事です。)
講演のあちこちに秦さんの学識がちりばめられていることに気づきました。以前の「聞き」「読み」はなんだったのだろうかと、その浅さを恥じています。このことは、秦さんの作品を、読み重ねる度毎に思うことです。
それにつけても、ホームページに寄せられている読後感のすばらしさに敬服しています。前にも申し上げましたが、秦さんは、すごい知人、友人、読者をお持ちなのだとその都度感心しています。
(ここで筆がゆるんでしまいました。実は、長さが10間あまりある手作りの板塀の一部が隣家〈今は取り壊されていますが〉の屋根雪や雨のとばっちりを受 けて破損していました。幅1間ほど、板なら10枚足らず。それを手直ししていたのですが、台風襲来ということで仕上げを急いだのです。そのため疲れて-- やはり年ですね一中断しました。)
22日、総選挙の投票から帰り、簾を巻くなど台風の備えなどを終えました。お便りの続きです。台風情報によりますと、こちらよりも関東地方の方がが風雨が強そうなので、入院中の奥様のこととともに気にしています。いずれもいずれもできるだけ穏やかにと念じています。
近ごろは、手紙を書くことも少なくなっています。秦さんにはメールをお送りできればすむことなのかも知れませんが、相変わらず思うようにあやつれず、駄文を弄する結果になってしまいました。煩わしさお許しください。
お大事に 井口哲郎 前・石川近代文学館館長
* 病室の妻は、この井口さんのお手紙を拝読して、それから数時間後、集中治療室へ移された。感謝申します。そして妻の無事を願う、心底から。
集中治療室へうつるとも知らぬ前に、病室で、わたしは、選集第二十四巻のための「あとがき」を妻に読んで聴かせていた。もしわたしに何かの折りは、子供達にこの「あとがき」の気持ちをよく伝えて欲しいなどというて間もなかった。
* 神戸大名誉教授信太周さん、写真家近藤聡さん、喜多流シテ方香川靖嗣さん、法政大文学部、昭和女子大等等、お便り頂いているが、疲労困憊しているので、このまま、頂戴しておく。
* 台所のとっちらかりを少しでも片づけて。
2017 10/24 191
* 「湖の本138」の初校が出そろってきた。どうかどうか、無事に、また妻と二人で発送できますように、そばにいてくれるだけで良いから。
2017 10/25 191
* 「選集第二十四巻」の初校済み要再校ゲラを送り戻した、月末への諸支払いにも気を付けている。「湖の本138」の初校は出ているが、さまで急ぐ用はなく、ごく普通にさっさと廻転可能と思っている。木を落ち着け静かにして「創作」分の充実に気を入れたい。
2017 10/26 191
* 元の総理大臣菅直人から「泉鏡花」への礼状が来ていた。わたしは菅直人に生来のイラ菅ぶりを復活しつつ枝野を補佐して立憲民主の旗をより高くして欲し いのだ。菅や枝野なら、福山や辻元や加わるであろう山尾しおりも、共産党の志位や市田や穀田や小池ともゆるやかに連携できると見ている。機会あるつど、わ たしは懇意な穀田や市田や、文化委員会へ、意嚮を伝え続けてきた。
菅の奮発に期待する。
2017 10/26 191
* 今日の郵便もたくさん。今夜は、もう休ませて貰う。とにかくも妻の平安・平穏を願いつつ、一週間ぶりに熟睡させてもらいたい。一夜の、予後平和を願う。
* 講談社役員の高島高義さん、同じく天野敬子さん、神戸の名誉教授信太周さん(二度目)、三島賞作家の久間十義さん、金沢の作家金田小夜子さん、思想家 清沢冽太さん、さらには明治学院大、上智大、立命館大、神戸松蔭女子学院大等々からも、ご挨拶があった。幸いに「湖の本」には有り難い読者からの払い込み に添えたいろんなお声が聞ける。
2017 10/27 191
* 前の淡交社編集局長服部友彦さん、文教大国語学、ノートルダム清心女子大から「湖の本137」へご挨拶在り。大勢さん払い込み在り、沖縄の名嘉みゆき さん、選集への有り難い御助勢にくわえ、いろいろと、また練馬の宮本裕子さん、大阪の岡田祥子そんこまごまとお便り。視力をつくして拝見。
2017 10/28 191
☆ (前略)『清経入水』
再読しておりました折りだけに、蛇談、蛇の視線欠いて文化史成り立つかとのご提言、また草田男句から趣向と自然語り出すご工夫の程 感服しました。公園をして人工との解、草田男の自注自解にどうあるのか、「誠に作者その心を知らざりけり」かと感じました。
母方本家の蔵に蛇を住みつかせ畏怖していたこと、原体験です。
夢幻の鏡花世界なじめず、あいにく原典に親しんだことなく「龍潭譚」秦訳の真骨頂感ずること果たせず申し訳ありません。
この時期、百閒にちなんで
偏屈も一興なれや石蕗の花
に、これはあなたではありませんと書き添えて使いまわしております。
お揃いでお大事に、読了まで時間かかるふがいなさ、とりあえずお礼まで 草々
信太 神大名誉教授
☆ 颱風21号去って、
秋晴れと思いきや、又、22号接近の報せ。こんな不穏な時期が当り前になったのでしょうか。衆議院総選挙では、<国民の「私」を尊重しない「公」などを容認しない(2002.4.30)>結果に、暗然としています。
御礼が後になりましたが、「湖の本」137を御恵贈賜りまして、誠に有り難うございます。先日、御「選集22」巻を頂戴、「女文化の終焉 十二世紀の美術」を読み終える処でしたので、御礼言上も出来ぬうちの拝来物で、恐縮至極に存じます。
十二世紀美術が、その前の王朝公家文化の”手”わざを如何に継承し、否定し、深めて、平家三十年の栄華を収斂する平家納経に至るかが、いかにも、藝術家 秦恒平の全身で抱えられて、一章々々躰に浸み込ませながら拝読しました。強調される「男が女に誂え、為さしめ。また成さしめた「女文化」の素晴らしさが ”今様”の中でどう盛流となりどう衰退していったか、漢字の多い緊迫した文章翫味させていただいた次第です。
「鏡花文学をめぐって」の座談会でも、秦さんのお考えは理解しましたが、「濯鱗清流 文学を語る」の坂本忠雄さんやのインタビュー紹介は美味でした。純文学と編集者の見識は、先輩では大久保房男さん、同時代では坂本さんが揺るぎなく傑出していると手思います。御礼迄。
講談社役員 徳島高義
* 『湖の本』を拝受いたしました。
泉鏡花の良い読者ではないのですが、世界文学の中に位置づけ、<蛇>を最大主題とする視点に蒙をひらかれました。座談会を入口に、絶好の鏡花入門書ともなっています。
老いてなお、新しい学びを得られるのは嬉しいものですね。ありがとうございました。
寒くなりましたぬ。どうぞ呉々もお大切に。 講談社・元出版部長 敬
2017 10/28 191
* いましがたロスの池宮さんの電話があったが、妻の容態や経過などを説明的に話すのは余りに辛く、電話をうちどめて貰った。
ただもう、「選集25」のための原稿づくりをし続けていた。妹のメールにもあったように、妻は、ひたすらにわたしの「選集」が予期のまま完成するのを祈 るように期待してくれてきた。もう少し、もう少し、二人で仕上げたい、無事に快方へ向かい、元気に家へ帰ってきて欲しい。
妻はわたしを励まして呉れるのだ、ドーンと胸を張って生きてねと。分かっている。
* 目先の仕事にも大きな難関がある。「選集23」が十一月末に出来てくるのに、送り先への宛名印刷がわたしには出来ない、妻の機械は手に負えない。送り 出し用意に、手書きで宛て名することになる。選集は、送り数は多くはないので何とかするが、進行中の「湖の本138」の宛名を全部書くのは手に余るだろ う。いまはそれへアタマが働かないが、何とかして道を見つけておきたい。人工呼吸の妻が、目を覚まし、目と目とでも聞けば応えてくれますように。
2017 10/30 191
* 心を弛めてはならないと思っている。
瓶・缶は出した。ヤクルト、生協が来るはず、洗濯屋に預け物が有るらしく受け取りに行く。黒猫ヤマトが送料の集金に来る。郵便局に暁会への送金に行く。あれこれの送金や支払いの仕方よく分からず、戸惑うが。ま、やります。
三時には面会に行く。どうか晴れやかに安定していてくれますよう。
とにかく、煩をいとわず、たとえ一メートル往復の用事でも即座に立ち働いて脚を使うようにしている。いまは面倒がっていられない。生ゴミでもなにでも手に掴んで処分している。
ティシュペーパーが払底してしまったようで、甚だ不便。セイムスで売っているだろうか。どこかに蔵われてあるとも思うのだが、探し出せない。
四時以降は、仕事かる。
どうしても食事は、二の次三の次の、有る物の立ち食いのようなことになる。口に合わないと食べたい気が全然しないのが困る。夜の寝ぎわに菓子など、蜜柑など食うと、朝の血糖値が高い。久しぶりに、けさ、正常値を上へ跨いだ。
* ダスキン交換の所在知れず、今回受け取れず。 「湖の本137」の送料、支払った。待てど暮らせど来ないヤクルトと生協にいらいらしていたが、今日は 約束の水曜日でなく、火曜日だった。洗濯屋へ箸って出来ていた洗濯物は受け取ってきた。喉が乾くので、水分は絶やさぬようにしている。
郵便局へ走って来なければ。また階下からの忘れ物。受話器と妻のケイタイだけは持っているが。届いてた郵便物とりに行く。また無くしたと慌ててた腕時計は、ちゃんと左腕に。
* 鏡花研究会の母校教授田中励儀さん、「泉鏡花」を追加で送ってと。
元東大法学部長福田歓一さんの良子奥様から「湖の本」へ謝状。
山梨県立文学館、神奈川県立文学館、首都大学(元・都立大国文学)からも「湖の本」へ礼状。
宇治の佐々木(水谷葉子)先生からお見舞い状。
ロスの池宮千代子さんからまだ事情分からぬ日の、消息。池宮さんの友人で茶人、杉並区の柏木洋子さんからも礼状と洋菓子を戴く。以上、取り敢えず記録。
* 一時。気がかりのいろんなことが輻輳。二時にもなって、 高麗屋暁会払い込みに、そして田中励儀教授からの「泉鏡花」要望に応じて送本のために郵便局へ。いつもは妻が書いている頂き物への礼状もわたしが走り書き でご容赦願って投函してきた。また、払底の髭剃り刃やティシュペーパーを手に入れに近くのセイムスへ。みな自転車で走る、転ぶまいと気を付けて。
雑用ばかりのようで、みな放っては置けない。編集と家事とは似ている。
午前中にも あれこれ気に掛け気に掛けながら、こころよいわたし自身の一仕事も出来ていた。
2017 10/31 191
☆ 拝復
『秦恒平選集』第22巻、誠に有難うございました。
現在、人気が高い雪村・友松・蘆雪らに早くから着目されていたことに驚かされました。
巻末に記された エッセイと研究の区別、「最も微妙な狂気」「最も微妙な叡智」にも考えさせられました。
湖の本137「泉鏡花」は、待望の一冊。泉鏡花研究の仲間にも知らせたく思います。定期購読者用以外にも増刷されているのでしょうか? 可能なら4册お送りください。可能な場合、本代が同じ2500円で良いのかどうかも併せてお教えください。 草々 田中励儀
* 京都大学の「花山天文台全景」の絵葉書に、郷愁しきり。感謝。
☆ 秦 恒平先生 (前略)
ご指摘していらっしゃるように 私も鏡花はとても日本的な明治の作家という先入観を持ち興味を持たず今まで彼の作品を一冊も読んだことがありませんでした。
ご教示によって古典文学に目を開かせて頂きつゝあることを感謝いたします
ご体調にどうぞお気をつけ下さいませ。
御奥様によろしく申し上げて下さいませ。 故福田歓一先生夫人
2017 10/31 191
* 集中治療室から一般病室へ移っていた。面会時間も三時から七時とひろがり、わたしは七時きっかりまで四時間、そばで、校正したり、話しかけたり、小声 を聴き取ったり、背をさすったり、姿勢を替えてやったりして過ごしてきた。途中リハビリもあり、なんと夕方の食事も出ていた。妻は気力と自覚とで折角食し ようと頑張っていた。治ろうという意志が見え、メモ用紙に必要なことが、あらまし書けた。歌めく感想すら書いてみせたのは上等だった。来週いっぱいはリハ ビリ、後半には少し歩けるようにも、と聞いた。よかった。ありがたいことだ。長びいても退院へ漕ぎ着けたいが、わたしの体力と、伴う注意散漫の怪我には気 を付けないと。
なにごともない平常時なら、自分の食事ぐらい何とでもできるのだが、病人を励ましてやりながらの毎日なので、生活意識もさまざま分散して危うい、気を付けないと。
建日子も三時過ぎに独りで来てくれ、リハビリの始まる前に帰っていった。
わたしは、湖の本のゲラをしっかり持参していたので、時間いっぱい手持ちぶさたなどと云うことなく、そういうわたしの姿は妻には一等当たり前のこととて、ウトウトしたり目ざめて対話したり姿勢替えを註文したり、退屈も不具合の苦痛も無さそうで良かった。
徐々にまた家から必要な品など運び込むことになり、それも快方への兆しであった。
2017 11/2 192
* 三時から七時まで四時間、ベッドサイドで「湖の本138」校正のかたわら、背をさすったり、上体を起こして遣ったり、かすれた小声でのわずかな対話や また筆談。そばにいてやるというだけの支援だが、妻は安心し嬉しそうに頼っている。むろんわたしの疲労を心配している。ま、おかげでというか、幸いに状態 は看護師の目にも予期以上に力有る快方へと見えているらしい。有り難い。
緊急入院してすぐ土日、いままた三連休。幸い退院と決まるには来週いっぱいを超過して長びくだろう、妻にいらだちが来ないといい、が、問題はわたしだ。 午後七時に病院を退出して真っ暗道を自転車で帰る途中、また家に帰りついての持ちきれぬほど重い濃い疲労は、ソラ恐ろしいまで危険になってきた。
いま、わたしがコケて取り返しつかぬ怪我をしたら。想像もつかない。
気力の問題ではない、生理的な体力の摩耗がなにより危ない。こう書いている間にも寝入りそうだが、みな投げ出して寝てしまえる事態ではない。食べようにも、疲れ切って手も出ないでただお茶ばかり呑んで脱水を恐れている。
2017 11/3 192
* 十一時半。「湖の本138」を要再校で明日送り返せるよう初校ゲラに念を入れていた。気を励ますべく、観てはいられなかったが、ホワイトハウスを舞台 とする政治陰謀とテロリズムの喧しい映画を付けっぱなしにしていたが、邪魔にはならず。一仕事の一段落はしっかりつけた。今度の此の「湖の本138」の編 成もわたし自身は気に入っている。
2017 11/5 192
* 「湖の本138」初校済みを宅急便に託した。前巻の支払い請求書が来ている。郵便局でどう支払うのか、自分でしたことがない、来れも覚えねば。
「選集25」の編成にメドが立ってきた。
2017 11/6 192
*「湖の本」138の跋「私語の刻」を書かねば。さほど急ぐ必要はないのだが。むしろ小説の進行仕上げを。
2017 11/7 192
☆ 何度も「湖の本」をいただきながら
お返事も出さずお詫びします。
前回の『枕草子』、今回の『龍潭譚』と、ご一緒だった仕事の日々が胸にせまりました。そして、
「短編にしても『化鳥』(明30)その他読んで欲しいと思う作品が結局みな選から洩れて行く。スポンサーは安全率ということもあって、やはり『高野聖』『歌行燈』……。」
座談会のこの個所で当時の苦い記憶も蘇りました。これはきっとあのときのことです。我々の当初の現代語訳案にも『化鳥』(だったと思います)があったはずでした。そして最後にお願いして『化鳥』を外し『歌行燈』を入れました。
でも、「この三編成で一の「鏡花論」をすらわたしは遂げたかった」とも、また「「龍潭譚」「高野聖」「歌行燈」……この三作だけでもし「泉鏡花」を全て 語れと注文があれば、不可能でないとすら想っていた」の文を読んで、思わず安堵の息というのか、感謝の気持というのか、そんな気持がわき上がりました。
以前「湖の本」をいただいた時、「黒谷」という題に惹かれ、このお作を読みました。京都など何も知らないのになぜか京都が出てくるお作が好きです。「斎 王譜」も「畜生塚」もしっかり読んでいるわけでもないのに、古い町の名や寺院、門前の名が出てくるだけで京都という知らない都が思い浮かびます。狭い町屋 でも、角を曲がると暗い森があり、細いふみ道をたどっていくと、昔、世を去った人の隠れた住いがあるような……こんな光景も浮かんできます。その上「黒 谷」では亡くなった人まで生きているままに語っている。
坂をのぼると塔があった
我々を見下ろす高い塔があった
見渡すと
深い谷を越え
その先にまた塔があった
暗い森に埋まり
若い頃のこんなメモを発見……。取材の度にあちこち彷徨いました。
残された時間で、私も未整理の原稿整理をしますが、先はなかなか見えません。東京の例会で発表した三つの小さな論や、『テーヌ管見』の最後に置くはずだった「一つのアプローチ、『巡礼』の頃へ」というのをもう一度読み返して残しておきたいと思っています。
「……ゲーテの世界文学という「夢想的理想」や、世界の近代思想
の流れが「人類の解放へと向かつてゐること」を疑いなく信じなが
ら、国家の文化意思を懸命に跡付けようとする藤村の文を読みなが
ら、私は我々の父祖が生きて来た時代のいくつもの苦しみや悲しみ
を読むのである。」
いくつもの戦争や「聖戦」という戦いの頃をも生きた人を、こんな文で終えたいと思っています。
急に寒くなってきました。
いつも大変な毎日のお仕事。どうぞご無理はなさいませんように。
奥様のご入院も始めて知りましたが、「妻の快方を幸いに」という文も読みました。一日も早いご快癒を念じています。私もいつまでたっても終わらぬ医者通 いにうんざりですが、立ち枯れた野薊やうず高い落葉の道をせめてもの楽しみに通います。風に揺れる蜘蛛の巣を見つけるのも楽しみですが、今年はなぜか黒揚 羽が目立ちました。これも例年と違う不思議なことでしたが、風に乗って、小さな妖精のように舞っていました。
十一月七日 宮下 襄 (詩人 島崎藤村研究家)
秦 先生
* 吹きかよう晩秋の白風を覚えるお便りで、懐かしく。学研におられた宮下さんに現代語訳日本の古典「枕草子」や明治の古典「泉鏡花」の編集を担当してもらった。いい仕事をさせてもらえた。 何年、いや何十年になることか。
2017 11/8 192
☆ 秦 恒平様
前略
いつも「湖の本」をいただき恐縮しています。
毎回九割がた読んだら少し感想を記してお礼をと思い続け何年もたってしまいました。毎度六七割読んではバイト嬢や姉に廻して感想を聴いたりもしています。『亂聲』には感嘆の声をあげています。
一冊一冊、姉に読ませたいのですが、手離せば戻って来ないのでは、と思いなかなか送れません。店の手近な場所と、家の、ベッドから手が届くところに置いてます。
お前は今 何をしているかと問われれば、少し返事に窮します。
何もかも中途半端のままです。
(長い 中略 どうしてどうして旺盛な活動と想えるが。)
愚痴ばかりでご免なさい。
個展も 約束のカザフスタン バタペストも 来年後半には実現できたらと思ってます。
来年はパリ・京都姉妹都市六○周年(今年?)で 個展の話が持ち上がったり消えたりしてますが、
来年五月には北白川伊織町のロンドクレアントという梅マヤオさんのギャラリー 三十五点位の個展を予定しています。これは秦さんらもDMを送らせていただきます。
(優秀な二人の科学者の息子さん達について 中略)
くだくだしく自分の事を書き連ねましたが、
秦さんの驚異的なエネルギーに感服ばかりしていないで、爪の垢でも煎じて飲んで、来年から頑張ろうと思っています。 敬具
甲斐扶佐義 写真家・エッセイスト 京・木屋町 八文字屋主人
* 焼けた、元の「ほんやら洞」の主人、亡き兄北澤恒彦の年来の同行者だったと。深くは識らないが、京都の市井を優れた写真で確保して行く藝術家で、京都美術文化賞にも選考し、「美術京都」へ招いて巻頭対談したことも佳い写真集がたくさん有る。
久しく会わないが、兄恒彦に繋がる故旧として、わたしには唯一というに近い知友である。
甲斐さん、長い手書き手紙とともに、来年の「甲斐扶佐義カレンダー」を三册も送ってきて呉れた。これが有り難い。来年からは新日鉄のカレンダーが来なく なる、多年塩漬けだった株を手放したから。美術系の美しいカレンダーを呉れていた松下圭介君も亡くなった。来年は佳いカレンダーに不足かなと案じていたが 甲斐三の写真を家のあちこちで楽しめる。なんだか希望がふくらむ。
☆ 拝復 湖の本137『泉鏡花』4冊、拝受しました。早速、ご送付くださいまして、誠に有難うございました。奥様が手術入院されたとのこと、心身共に お忙しい時に申し訳ありません。心よりお見舞い申し上げます。恐縮ながら、書籍代として計1万円を送金させていただきました。ご査収ください。
先日の台風で、帰宅時に乗ったJRが暴風で停まり車内に閉じ込められたことから、風邪をひきました。10月下旬に台風とは気候がおかしくなってきていますが、京都も紅葉が美しくなってきました。 草々 田中励儀 同志社大教授
*「京都」の声が聞こえてくる。ほんとうに、そろそろ京都へも帰れるかしれない、少なくもこの三週間、わたしは杖を手にしていない。歩行はしっかりし、自 転車にも二十日の日の病院へ駆けつけのとき転倒したけれど、以降は危なげなく乗り繋いできた。「尾張の鳶」に頂いた収納力のある安定した背負い鞄がどんな に役立っているか、御蔭でわたしは両手を開放できていつでも使える。病院へモノを運ぶにも実に有効に助けられている。
2017 11/10 192
☆ 「湖の本」第百三十七巻を拝受いたしました。
ありがとうございます。
泉鏡花は小生も好きな作家の一人です。いま住んでいる葉山付近を舞台にした「草迷宮」を思い出しました。いまも泉鏡花の世界を思わせる古い館が深い森の中にある風景が残っています。
寒い季節がめぐってきます。くれぐれも御自愛のほどを。 森 拝 作家
☆ 久しぶり
東福寺の通天橋を渡って来ました。まだ色づき始めた頃で観光客も少なくゆっくり参拝できました。三門も拝観できました。娘が父親のことを心配して鹿児島 から顔を出してくれましたので親子三人でぶらぶらとひと時を過ごしました。 (払込用紙に) 京・有栖川 桐山恵美子
* 豊玉の宮本裕子さん、選集第二十二巻485頁本文を 綿密に読んで胸に響いて届いたという文章を 細字で便箋何枚にも指摘して頂き、心より有り難く。お送りし甲斐があった。感謝。
* 鳴門教育大から、「湖の本」137へ受領の挨拶があった。
* 苫小牧の林晃平さん、「選集」へと、多大のご支援があった。恐れ入ります。有り難く。
2017 11/10 192
* 妻は集中治療室から一般病室へ「生還」以後の日々に、半ばは必要からもたくさんな「メモ」を書いてきた。わたしに家の中のあれこれを教えたり、持って きて欲しい物の頼みであったりしたが、その余に妻なりの状況観察や自省や記憶の確認等々が(断片的とはいえ)あり、さらに加えて短歌にまで成らない短歌的 な表現、俳句にもならない俳句的な表現をも多々試みていたのは顕著な特徴で、妻なりの「生還」へのガンバリだったろう。
一方わたしの方はこの三週間の余、歌の一つも成さなかった。自転車で通い、妻のそばで少なくも三時から七時限界まで付き添い、黙々と「選集」や「湖の 本」の校正に打ちこんでいた。わたしのそんな「生活」を妻にただ感じさせていたかった。生きまた活きる大切さを無言に伝え続けていたかった。
2017 11/12 192
* やすみやすみ大事に仕事している。やすみやすみ。それでよい。わたしの仕事はもはや「量」ではない、「質」でしかない。ていねいに、ていねいにと思う。
* 太宰賞を受けた翌年の桜桃忌だった、第二回受賞の先輩吉村昭さんに教えられた、仕事を欲しがって焦らないこと。きたない仕事に目が眩んで焦ってしまう と、たちまちに低俗な雑誌から「うまそうな」話が来ます、それに乗ったら、ただ「売り物の読み物屋」に落ちてしまい、足が抜けなくなります、秦さん、じっ とガマンして、いい仕事をすべきですよと。
痛いほど身に沁み、よく分かった。
そういう誘惑は受けずじまいで済んだが、巧言に乗せられ低調な読み物作家になろうなどとは毛筋ほども思わなかった、只の一度も。おかげで(物的贅沢な) お蔵は建たなかったが、「湖の本」の150巻もまだまだ不可能でなく、人も驚く内容ある美しい本の「文学選集」も、誰のご厄介にもならず自力で世に送り出 し続けている。大事なのは此の「自力」で出来ているという結果にある。
売り本で手元にあつめる売り金の多寡など、何の意味もなく、物質的な贅沢を奢るに過ぎない。
ひとたび文藝に携わった者に求められるのは、優れた「作品」を遺すこと、それだけ。
そのために真実願わしいのは、志し揺るがぬ良き妻と、七つ道具で追い回し牛若(作家)をサンザンに鍛えてくれる弁慶のような「本物の編集者」だ。わたし はひういう編集者達に恵まれた。「売れるものを書いて下さい」と。やわい志の書き手をおだてに掛かる編集者は、身を滅ぼす「猛毒」だと思えばよい。
2017 11/15 192
* 元・朝日新聞社、「湖の本」刊行の恩人、伊藤壮さん、お見舞いの電話を下さる。妻は電話口で声が出ず、わたしも痩せて入れ歯が浮いてうまく話せぬままで、失礼した。お見舞い、有り難いこと。
2017 11/19 192
* 「選集」第二十三巻刷了の一部抜きが最終データも添って届いた。「選集」第二十五巻の初校も組み上がってきた。「選集」第二十四巻は師走の早々にも責 了可能なところへ来ている。「湖の本」138巻は、もう初校出になる頃か、ひょっとしてもう初校ゲラは届いているのかも。数も多く宛名のことが気になって 「湖の本」進行は抑えていたが、妻の退院生還で先は明るくなった。
仕事には、追われるより追って行くのが何より。
2017 11/23 192
* 夫婦とも、昨日今日、送り作業に根を詰め、よく頑張った。ほっこりし、佳い煎茶が美味かった。
まずは、長編『ユニオ・ミスティカ ある寓話』を仕上げて、「選集」に一挙に収めたい。久しい「湖の本」読者、いわば赤穂の四十七士のように結束して戴 いた有り難い「いい読者」にすら、あるいは忌避される怖れもあるが、作者である以上、良い形で、やはり、多年の読者には謹んで呈すべきが道だろうと思って いる。
2017 11/28 192
☆ 先生、
ご無沙汰しておりますがお元気ですか。
時に暖かい陽ざしが感じられる日があってほっとします。
遅くなりましたが、奥様のご病気のご快癒、ほんとうに安堵いたしました。
先生も今後あまり無理をなさらず創作活動、出版活動をお続けくださいますようお願い申し上げます。
先には『選集22巻』に続き、「湖の本137巻」をお送りいただきありがとございました。泉鏡花はあのように現代語訳や注をつけていただけると、やっと読めたという実感がいたしました。対談、講演録も興味深く拝読させていだきました。ありがとうございました。
今年3月に書きました「畜生塚をめぐって」、やっと出ましたので抜き刷り同封させていただきます。間口を広げすぎてまとまりのないものになりました。的外れな、失礼な物言いもあるかと存じます。
いま『罪はわが前に』に取り組んでいます。ワープロは壊れ、パソコンもうまく使えず、先行文献の情報も入らずで、またも勝手に、勝手なことを書いています。
ますます寒くなります。くれぐれもご注意くださいますように。 奈良・五條市 永栄啓伸
2017 11/29 192
* 「湖の本」128の再校ゲラが出揃ってきた。 さ、 師走です。
これやこの生きのいのちの年の瀬ぞ
にげかくれする炭部屋はもたぬ
2017 12/1 193
☆ 筑摩現代文学大系 最終巻の巻頭作、竹西寛子さんの「儀式」を読み終えた。最終部分に間近い文章を読み返したい。
☆ わたしは「、あの日を葬らずに生きたい。わが祖先はエジプトの奴隷であった……過越の祭に、自由を求めるイスラエルの民が、醒めて、暗い記録を読 みつづけるように。彼らはその時、恐らくこう思っているだろう。さりげなく、自分の歴史を葬ってしまうものは、やがてひきつがれる歴史の、すぐれた主人公 にはなりえないと。
美しかったあの土地が、紛れもないわたしのあの土地であるなら、何物かによって変貌させられてしまったあの土地も、同じょうにわたしのあの土地だと言うべ きであろう。どちらが本当かという問いに、正しく答えられる自信は、今はない。仮相と言うならばどちらもそうであり、どちらかが実相だと誰か言えば、い や、どちらもそうだと言いたい気持もある。しかし恐らく、変らないものというのは、かえるべき根源というのは、それらの相のいずれかではなく、いずれをも 斥けず、しかもいずれをも超えるところの、より豊かなものであるにちがいない。さまざまの相として現われながら、なお乱れることのない秩序に、しかと支え られているものであるにちがいない。わたしはこれからもあの土地へ行くだろう。けれど、わたしはかえるのではない。視野から失われてしまった物の、羽毛の ような頼りな
さが、そしてまた、日々目の前に在るはずの物の不確かさが、わたしにそう思わせる。残念なことに、その秩序は、ま だ、自分の予感の世界にしか思うことができない。わたしはそれを知りたい。ひらめきのようにでもよい、それを知らされれば、その時わたしはもう、身を締め 上げるような静かさに立ち竦みはしないだろう。光を遮られた空間にひき込まれ、一気に落ちてゆくような不安に怯えることもなくなるだろう。わたしは知りた い。
徐々に白い物が流し込まれ、静かに溶けてゆくような空の下で、樹木が、建物が、ようやくその形を目立たせはじめている。 (擱筆までにもう少し続く)
* この作には、「あの日」「あの土地」とはあっても、作中ただの一箇所で「原爆」とも「広島」とも書かれていない、が、そこにも作者の、また語り手の深い真意と歎きとが籠もっていて、読者はそれに躓きはしない。
明らかに「文学」の文章、「作品」のちからを感受できる、少なくもわたしには。
* 今日戴いた本に、大阪の、「巨匠」と謳われてそれに相違ない練達の眉村卓さん最新刊双葉文庫の短篇集『夕焼けのかなた」が、手元の此処にある。
巻頭作「喨々たるらっぱ」は、こう書き出されている。
☆ すぐに息が切れるのであった。大きな手術を受けてから二週間。三日前に退院したばかりなのである。入院中にリハビリテーションで歩く訓練を受け、日 常生活は大丈夫だろうと言われたが、こうして外出して地下鉄に乗り、買い物などすると、やはりきついのであった。そういうことなのであろう。八〇歳を超え た体が、そうやすやすと回復するわけもない。というより、回復ということ自体、期待すべきではないのかもしれぬ。
地下鉄の改札口を抜けていくつかの店の前を過ぎた朝岡は、上りの階段に来た。階段を登るとバスの乗り場なのである。バスの乗り場へは、エスカレーターに乗るコースもあるけれども、そちらは大回りになるのであった。こちらの階段を登るぐらいはできるだろうと判断したのだ。
階段にさしかかった。
慣れたコースなので、段数も覚えている。一七段の後踊り場になって、また一七段。 (以下略)
* 竹西さんの表現と、眉村さんの表現。本に、面白くて判りいい筋や物語を求める読者なら、恐らくは十中の九分九厘が「喨々たるらっぱ」を手に取るのでは ないか。また、文学の作品と表現、生きて行く切実な問題に触れたい読者ならば、さきと同率で、「儀式」の方へ立ち向かうのではないか。ただ「率」は同じと しても読者の「実数」では、「儀式」は、「夕焼けのかなた」に遙かにはるかに及ぶまい(残念ながらと敢えて言い添えておくが。)と思う。ここに文学・文藝 の難しさがある。わたしが「騒壇餘人」として生きよう、文学に「作品」の表現をこそと「湖の本」を思い立った気持ちは、此処にある。
* 次は同じ巻の高橋たか子さんを読む。竹西さんはわたしが『みごもりの湖』を出したときに対談して下さり、以降、久しく親しくおつきあい出来てきた方。 高橋さんとは新聞小説『冬祭り』に書いたソ連への旅に誘われ、終始ご一緒した。亡くなられた。作品は多分一作も読んでいない。何が読めるかな。
2017 12/8 193
* 選集第二十六巻の構図が立った。久しぶりに亡き実兄恒彦の書簡を懐かしく読んだ。いま、だれよりもなどとは限定しないまでも、生きていて欲しかったと堪らない一人は此の兄北沢恒彦だ。
さてさて「湖の本139巻」の編輯にも掛からねば。すこし楽しみたい、ま、急ぐまい、
なにより心神のためにも。
食べ物を美味しく食べられるよう努めたい。先日「ボンシャン」で註文した前菜の大きな「生牡蛎」三つが忘れがたい、が、ああいうのは毎日は無いかも。師 走は忘年会で賑わう店だ、日比谷のクラブへ行きたいが、夜の場所だから、あまり寒い晩はヘキエキ。「なだ万」で誕生日を祝ったことが二度有る。忘れられな いのが「鉢巻おかだ」の鮟鱇鍋、美味かったなあ。癌になる以前だったが。
2017 12/12 193