* 年賀状やお手紙を今日もたくさん戴いた。「湖の本」の昔本を注文して下さる方も有った。
2018 1/3 194
* 階段脇、壁際三分の一には近刊の「湖の本包み」が幾重にも積まれ、上がりきって二階窓際廊下にも文庫本新書本だけでなく雑多に単行本も置かれてある。 目につくところに『マゾヒストMの遺言』と題した沼正三の一冊があり、手にとってきた。沼正三の名も人の記憶に遠くなったか知れないが『家畜人ヤプー』の 作者だった。わたしは作家になってまだまだ駆け出しの頃に、世に鳴り響いたこの謂わば「神話」のごときマゾヒズムの名作の全書版を、著者が「会心」と喜ん でくれた「書評」を書いている。なまじいに昨夜作者に阿るような書評をわたしは書かない、書いたことがない。よく読み込んで、いいものはいい、つまらぬも のはつまらないのである。
手に取った上記本の表見返しには「秦 恒平様 沼正三」と自筆され、さらに便箋一枚に大きく書かれた手紙が挟まっていた。ちなみにこの『マゾヒストMの遺書』は2003年夏に筑摩書房から出 ていて、はや「遺言」とあるように晩年の著、あの『家畜人ヤプー』が初めて出た頃から半世紀近くも経っていた。幸いにわたしも、なお作家生活が出来てい た。見る人によっては貴重、というのも、伝説に彩られ忍者のようにながく正体を秘し隠し、人も探索に走ったほどの「沼正三」自筆の手紙である、掲げてお く。
☆ 秦 恒平様
冠省 いつもながら御高著御送付頂き 遅ればせ乍ら御礼申し上げます。なかなかの労作で敬服致しております。
ただ 何故 御高名な秦様が、私如き怪しき物書きに、かほどまでご興味をお持ちなのか解しかねます。
さて返信代りに、私の自伝兼あの頃の時代史をかねた拙著上・下二巻本 お送りします。御笑覧あらば幸甚に存じます 敬白
* 即ち 沼さんのこの手紙は上記「遺書」本にでなく、「天野哲夫」名儀で書かれた大著『禁じられた青春』上下に添って届いたものだった。「天野哲夫」と いう氏名は新潮社の編集者としての本名?で、久しく作家「沼正三」の「代理人」と称し称されていたが、上の「遺書」本にも証すように同一人格なのであり、 此の『禁じられた青春』は、(誤解されては困る。一の「表現」と受け取って欲しいが、)さながら自爆テロリストが躰に巻いた爆薬のように熾烈な筆致・筆触 で実に多くが書かれてあり、「驚倒」という実感は、あの『家畜人ヤプー』でのそれと同質だった。
* たしかに沼(天野)さんが怪訝に思われたほど、この人(たち)とわたし・秦 恒平とに共通点も所縁も無かった。ある対談の中で天野さんと対談者とが、二人してわたしの名前と小説「蝶の皿」とを挙げながら、「この人(=秦)は真正マ ゾヒストですよ」と言い合っているのを見つけ、大笑いしたことがある。わたしは、マゾヒストでもサディストでもない、ただの平凡人である。ただ、マゾヒス トだサディストだと決め付けて人を謗らず、「表現」が良ければ良いと認承できる、する、だけのこと。あの沼正三『家畜人ヤプー』を大きく「創成神話」とと らえて愛読を重ねてきたのも、「過激な逸脱者の目」と謂われた天野哲夫の「青春」から目を逸らさなかったのも、それであり、それに尽きている。
* 毎日日の階段の上り降りが書かせた一文として、記録しておく。
* 郵便局へ仕事のものを送りに。わたしはもう少なくも二十年来、年賀状という慣わしは失礼すると決めている。暮れの内に賀状書きに追われ、正月中賀状の 返礼に追われるのは余分な苦痛だと思い切ったのだ、多いときは三百近くも年賀状が山と積まれた。今年でも百通になる。湖の本や選集、それがわたしからの、 わたしならではのご挨拶と思っている。
2018 1/4 194
* 機械の前でむ、スーっと寝入ってしまう。時間的には十分寝たのに。幸い、今は仕事に追っかけられていない。風邪をこじらさず、無事に歌舞伎座が楽しめ れば、ゆっくり選集二十四巻の納品を待ち待ち「湖の本」138発送の用意をする。仕掛かりの少なくも二つの小説、一つを仕上げたい。
いけない。寝入ってしまう。機械を離れる。
2018 1/7 194
* 昨日は文壇の古老高田芳夫さんから新年を祝した立派な色紙を、今日はの染織家渋谷和子さんの美しいお作を頂戴した。
年賀状、今日も、まだ数通届いていた。
さ、いよいよ、選集第二十四巻の納品を待って、送り出す。希望の方も増えて。厳しく限った部数から、やはり幾らかは残しても置きたく、しかし喜んで下さる方、また研究施設や図書館へも入れたい。
相次いで湖の本138巻も月末か二月初めには出来てくる。いよいよ「今年」が忙しく始動する。
2018 1/9 194
* 「選集第二十四巻」の送り出し用意を完了。
昨日、「湖の本138」のあとがき念校が届いていた。責了で送り返せば二月一日には本が出来る。
今朝は「選集第二十六巻」の零校が大冊で出揃って来た。「選集第二十五巻」は、もう一両日で初校が戻せる。
平成三十年が確実に始動して行く。何としても目も弱く疲れやすく知らぬ間につっ伏して寝入っていたりするが、それもよし、やすみやすみ息長く仕事を楽しみつづけたい。
もうよほど前、わたしたち夫婦が元気な内に染五郎(先代、新幸四郎)クンの「弁慶」が観たいものと、お母さん=幸四郎の奥さん(新白鸚夫人)と9Hロ ビーで立ち話を楽しんだが、その願いは幸いもうとうに叶っている。今度もまた新染五郎クンの「弁慶、観たいですね」と昨日も笑い合ったが、そのためには少 なくも卆壽いや白壽まで頑張らねば叶うまい。
ま、春長、気長に、気を付けてくらすこと。気を病めば清新を喪う。清新を喪えば世界はうす暗くなる。たださえくらい世の中、自身内心の世界は快活でありたい。
2018 1/12 194
* めったになく嬉しい夢をみていた。初めて通勤した医学書院の建物で、金原一郎社長のなにかしらとてもおめでたいお祝いがあり、地下鉄の本郷三 丁目から赤門前五丁目の社へ駆けつけるのだった。ただ「それだけ」の夢なのにわたしは霧中に嬉しかった。おめでたいのが嬉しかった。社長の顔が見られるか ら嬉しかった。何とも浮き浮きと気分は溶け合うていて、ただ嬉しいのだった。
あの自称「どくまむし」のこわかった金原社長を、こんなにも慕った社員があの会社にいただろうかと想う。
仕事上の適切で有効な理由があって強い怖い上司なら、わたしは怖がらなかった。
仕事をまともにちゃんとすればいい、その上に工夫もくわえ、仕事に追われず仕事の尻をいつも追えるようであればいい。十五年間、担当雑誌の発行では一度 も定日発行を遅らせなかった(たとえ、スト中でも)。書籍企劃・刊行の仕事では、年間予定を大幅に上まわっても、予定に届かないことは一度もなかった。年 間週一度の書籍企劃会議に、企劃書を出さない只一週も無かった年度も有った。企劃編集職を勤めた人ならわかるだろう、ただの思いつきでない刊行書籍の企劃 書作りが容易でないことを。わたしは、そんな仕事を本気で楽しんだ。たくさんは売れない医学研究書や看護学書を、たくさん本にして送り出した。ドクターや ナースのお付き合いは格別多くかつ全国に廣かった。
わたしの作家生活への胎動は、その酔うな日々の中で烈しく昂揚した。わたしは勤務時間を浮かして、つまりサボッて、都内の到るところへ潜んで小説を書い た。ゼッタイに外せない以外の残業などしなかった。夜間半年間ものシナリオセンター通いもして課題二作のシナリオも提出した。松竹の当時副社長か専務だっ た人は、「小説をお書きなさい」と批評してくれた。
その小説で太宰治賞を受けた授賞式の会場へ、あんなに嬉しそうににこにこと出席してくれた金原社長をわたしは「親」のように嬉しく見たのを忘れない。就 職試験での最終面接の折り、金原社長はわたしのフクザツな戸籍謄本を手にしたままわたしを見て、「きみは、気にしているかも知れないが、わたしは、全然気 にしていないよ」と、それだけであった、わたしは医学書院に採用された。
金原社長は、大春闘で揺れた一九七四年八月末、相談役に引退された。同じ日に、わたしも退社し、作家生活への道に行方を賭けた。十五年余の編集者生活だったが、その基本の力がわたしを「湖の本」三十余年へ、また「秦 恒平選集」三十三巻へ歩みを支えてくれたのだ。
* 佳い写真が撮れたよ、と、ある日、金原社長は突然わたしのデスクまで来られ、「秦 恒平君へ」と署名入りの、なるほど佳い顔写真一枚をひょいと手渡して行かれた。社長は「葬式無用論者」であった。その写真は大事にして今も身近にある。夢 で逢うた社長は、写真よりもまだ佳い笑顔だった。
2018 1/13 194
* 今朝寝坊したし、居眠りにも落ちていたが、比較的、よく集中して仕事していた。二月一日に湖の本本納品と聞いているので、これからはたいへん気ぜわしい繁忙期に入る。 2018 1/13 194
* 機械が順調に温まってくれないと、容易に操作できない。やれやれ。辛抱辛抱。発送作業の用意が順調に行けば行くほど、気も体もラクになる。
三種の挨拶を書いて人数分を印刷し、独りずつらカットして置かねばならない。今、印刷を終えた。この作業と、カッターで切り分ける作業がしんどい。
ついで郵袋を註文し、届いたらすぐ、各種のハンコを捺して置かねばならず、数があって相当な労力を要する。
その間に宛名印刷の可能な先を印刷しておき、郵袋に慎重に貼っておかねばならない。
数量があり、総じては嵩も張り、それねいろいろに分類しておかねばならず、芯が疲れる。
以前はすべて手書きの挨拶をしていたが、今は手も痺れて字が書けず、失礼している。
十九日には選集第二十四巻が出来てきて送り出し、追いかけて、二月一日予定の湖の本138発送開始へ用意を遂げておかねば成らず、むろんその間にも、進行中の校正往来や原稿用意は欠かせない。
常は無いことに今回は二月半ばへの二十枚原稿の依頼を受けてしまっていて、この依頼がかなり重たい。
こういう全部を、二月半ばの歌舞伎座、高麗屋襲名興行二月の芝居までにみな仕遂げておかねばならない。 終えれば、すぐさまに「選集第二十五巻」の納品が迫ってくるだろう。
2018 1/14 194
* 選集第二十五巻 「要再校」で送り返す。
* 湖の本138発送の用意、明日にも註文の郵袋が必要分届けば、一気に進む。他の仕事もはかどる。穏和な春長を迎えたい。今年に入って 二回 妻のニトロ(緊急心臓薬)をもらう痛みを感じてきた。姿勢が悪いのか、血管がステント補強を要求し始めているのか。
2018 1/15 194
* 年賀状が多いと、住所氏名やメールアドレスの確認などに相当な時間が要る。放っておくと、始末がつかないし不確かなデータが残ってしまう。今夜はそれ に少し時間を掛ける余裕があった。しかし明日からは、もう余裕がない。郵袋がどっさり届き、「湖の本版元」などのハンコを全部に捺しておかねばならない。 宛名印刷は、妻が全部してくれた。払い込み用紙へのハンコ捺しもしてくれた。
これで落ち着いて、先行する「選集」の受けいれも送り出しも出来るし、下旬中の「湖の本」発送用意も確実に出来る。本来の「仕事」に気分良く取り組めるだろう。
すでに「選集」第二十七巻の「入稿」用意も九割がた調っている。
読むも書くも、想うことも思うことも、出来る。もし出来れば少しは人の顔も見、声も聴きたいが。寒くなり天候は荒れてくるだろう二月へ向けて。
2018 1/15 194
* 選集第二十七巻を、表紙、口絵、總扉、奥付を除いて全部入稿した。
わたしの、小説を含めて自発的と心している仕事は、「死なれて死なせて」「身内 島の思想」「花と風」「平安女文化」「中世論」「谷崎論」「藝能 茶の 湯・能」「古典と和歌」「ことば、京言葉、からだ言葉 こころ言葉」「差別批判」そして「京都論」という風になる。もうかなりの範囲を選定し収録した。予 定ではあと六巻。大量の文章がとり残されるだろうが、創作、詩歌・美術、講演・対談等、各般随筆選、年譜年表などまで、ハテ、手がうまく廻るか。執筆年表 がとてもわたしの手で纏まりそうにないが、記録は、九分半まで出来ている。
わたしの後半生の文学活動が一貫して電子メディアの利用によって捗ってきたことも忘れがたい。
健康と体力への不安がいつも忍び寄ってくる。今生を楽しみたい希望も失せ果ててはいないが、時間が足りそうにない。選集のためにはあとどうしても二年は 取り組まねば。湖の本の材料は、まだ二十巻分はラクに編めるが、からだとアタマとが追いつくか。脳のほころびはじりじり拡がっていると実感している。
* 機械の前で、疲れてか、いい酒に酔うてか、とろとろと寝ていた。
* 「湖の本138」の納品が二月九日となった。これで、二月上旬のからだは、よほどラクになる。ありがたい。
2018 1/17 194
* 次の「湖の本138」の出来が二月九日になったので、ほぼ二十日の余裕が出来たのが有り難い。発送用意はこの一月の内に調えられる。無理のない日々をと 思う。二月初めには京都府文化功労者の新授賞式を含む会合へ招かれているが、またペンクラブ二月例会の誘いも有るが、失礼する。可能ならば山川の見える温 泉へ一泊でも佳い行きたいが、雪にあって動けなくなるのは叶わない。都内で美味い物を喰い、家で源氏物語などを読み継ぐのが、やはり、いちばん、か。
2018 1/20 194
* 湖の本発送への宛名貼りを始めた。これを月内に終えておくと、二月八日までいっぱいわたしの身動きはラクになる。天候次第で出かけられもする。晴れた日に、冠雪の大富士が観たいなあなどと思うが、白根山が噴火と報じている。
2018 1/23 194
* 選集第二十五巻の再校ゲラが届いた。第二十六巻の初校が半ばまで進んでいる。湖の本の進行をセーヴしていたが、139巻の編輯と入稿を、もう早めに考えねばならない。 2018 1/31 194
* 少しく休養の気分でいるらしい、九日には暫くぶりに湖の本138「美の深窓・美の散歩」が出来てきて、力仕事になる。用意は、めったになく、すでにもう 調っていて、やや休養気分になれている、実は休養どころでなく仕事は混んでいるのだが。ま、いい。なるように成って行くだろう、怪我も病気もしたくない。
2018 2/2 195
* 湖の本138発送まで、もう四日間しかなく、それももうまるまる明いてはいない。もう腹をそっちへ括って怪我無く無事に送り出したい。
2018 2/4 195
* さ、何ヶ月ぶりかで湖の本138『美の深窓・美の散歩』を明後日から発送する。疲れきらぬようにしたいが。妻は引き続いて歯科医での入れ歯づくりや地元病 院でのまたまた検査が待っていて、月半ばに、高麗屋三代襲名の二月興行。一月につづき昼夜の遠し。この楽しみのあとは、月末まで聖路加通いが二度あるだ け、手元の「仕事」に打ち込めるし、陽気があらたまれば街へも少し遠くへも出かけられそう。
むかし熱海駅を出た目の前の魚屋食堂で、豪快な刺身とともに、大きな伊勢海老一尾をまるまる喰った美味さを思い出す。
東京では、銀座「はちまき岡田」で或る年真冬の鮟鱇鍋が最高だった。
東京駅構内での沼津から店出しの「寿司」も懐かしい。
いまは、たくさん食べられないのがつまらないが。春よ来い。早く来い。
* 夕食を終えて二階へきたが、脈がひどく早い。少しからだを横たえてきた方が良いかも。
2018 2/7 195
* 「湖の本」138の刷りだしも今朝届いた。いよいよ、明朝から発送し始める。急ぎ慌てまい。
予定の原稿20枚は書けている。読み直して電送すれば良い。今夜は気分を柔らかに過ごしたいが、気合いとしては 「選集」25巻の責了へも、歩をきっち り運ばねば。「選集」26巻の要再校戻しも進めねば。二つとも併行して順調にそれぞれ中ほどをもう超えている。そのうちに、「選集」27巻の初校が印刷所 から届きそう。とてもとても、ウカウカし病気になどなれないです。
2018 2/8 195
* 九時前に「湖の本」138 出来てきた。朝食もそこそこに発送作業に入る。全国の大学・高校への寄贈本には印刷した決まりの挨拶を添えるだけで荷造り ができる。文化界各般への謹呈も、大方はそのまま送り出せるので、先へ先へそれらから荷造りを済ませて行く。かなりの量になる。
* 荷造り出来分を二度、宅配に託して、日が暮れた。今晩のうちに、もう少し作業を続ける。
2018 2/9 195
* 本の荷造りしながら、八時、テレビ劇を見始めたが、画面もセリフも進行もあまりに粗雑で低調で、離れてきた。
昼間、江口章介(?だったか)と松島菜々子との「救急救命」なんとかというのを見ていたが、時間の感覚も劇的進展も簡潔適確に無駄なく、けっこう楽しんだ。
監督のセンスのわるさか、脚本の粗雑さか、晩のドラマには失望した。連続ドラマなのに、何故、作・脚本の名前が変わるのか、解せない。作り自体が不自然。
これも、昼間観た小林稔侍の「税務調査」ものドラマは、作りは毎度のワンパタンだけれど、冗長な場面はすくなく、相応に面白く最後まで観る目をひっばった。
* 冬季オリンピック開会式の様子を、耳に聴きながら、予定し期待しただけの作業を終えた。疲れました。戴いていた美味い酒を、すこし飲んで。
今夜は、もう本を読んで、休む。
* なんと、明日から三連休と。よく有るなあ、連休が。わたしには無縁だが。
2018 2/9 195
* 夕方五時。へとへと。午前中に出来ると思っていた分量のかなりが残って、作業、まるで予定に達しない、こういうことは初めて。ぐたっと疲れた。昨夜のヘボな長将棋の疲れか。もう、すべて明日、明日以降にまわす。今日はもう休息する。
2018 2/10 195
* 午前中に、発送を終えた。そのあと、昼食後もとろとろしていた。うしろ頸筋疲れたくから両肩が痛んでいる。ぼろぼろの歯を、つい噛みしめて暮 らしているので、歯の根はいつも痛い。おデコあたりがうずうずとせり出しそうに疼いているが、みなみな勝手にせいと、放っておく。
何がしたいか、と云えば…寝入りたい。去年の今頃 こう歌っていた。
尿が出て便出て喰へて目が見えて
読み書きできて睡れればよし 疲れたくなし
余念なく眠ってをればよいものを
なぜ起きてくる 死にたくないのか
2018 2/11 195
* 一部の郵便局から送り出し分をまぞいて、発送作業を終えた。今回は、なぜともなく疲れた。隠れインフルエンザ気味が抜けないのか。
2018 2/11 195
☆ 湖の本届きました
なんとお元気なと感心しています。
この週末には81歳
ご近所に八十七歳の元気なお友達がいますので いつも鑑としています。
気力のある間に京都へ行きたいよ。 花小金井 泉
* 81とは、まだ若い若い。
蹴躓くなかれ。気は若く若くあれ。
誰に遠慮もいらないでしょう、気力振り起こして 短い旅を 楽しまれよ。
何がしたい どうしたい こうしたい というのを思い描くこと 大事です。
思い出を喋りまくれる健康というのも、老いぼれを防ぐ妙薬です。
お喋りを楽しまれよ。
☆ 本日、『湖の本』138
「美の深窓・美の散歩」 をいただきました。早速に拝見しました。
秦さんの恐るべき審美眼に感服しました。私の知らない領域がかくも豊かにあるものかと、感銘を受けました。ありがとうございました。
「私語の刻」で昨秋、奥さまが大変危険な状況を体験して、生還なさったことを知りました。よかったですね。与えられ直した命だと思います。
ご夫妻のお幸せが長く続きますようにお祈りいたします。 並木浩一 ICU名誉教授
☆ 秦恒平様
本日、「湖の本」138巻、拝受いたしました。
早速、芹沢銈介を拝読いたしました。唐木順三先生が「近代は型を喪失した」と書かれているのを大昔に読みましたが、ご文章を拝読しながら、その意味を改めて考えた次第です。
今度引っ越しましたつくばみらい市の絹の台は、バブル末期に突如畑と林の中に出現した碁盤状の道路に整然と住宅が並ぶ街で、インフラは整備され、公園や 大型店舗が徒歩圏に散在し、緑も豊かでなかなか住みよい街ですが、歴史が浅いだけになんとなく町の香りとか味と言ったものにやや欠けるといった気がいたし ます。
ただ、我がマンションは桜の公園の真ん中にあるので、桜の季節が楽しみです。
つくばエキスプレスが都心へのアクセスの手段ですが、そのスピードの速さに驚いています。毎日の生活はいままでと変わりませんが、散歩の道がいろいろあるのが楽しみです。
今後、鬼怒川、小絹川に沿って散策してみようと思っております。
最後になりますが、ご令閨様のご快復心からお祈りいたしております。 翻訳家 持田鋼一郎
2018 2/12 195
* 「湖の本」189の入稿こそ急がれるが、概して、ここのところわたしはラクに呼吸出来る。だらけないで、しかし疲れずにゆっくり過ごしたい。
2018 2/13 195
* 墨画伯の島田正治さん、都留文大名誉教授の宗内敦さんから「湖の本」138へ丁寧なお手紙を戴いた。
2018 2/13 195
☆ 『湖の本138 美の深窓・美の散歩』を拝受し
「私語の刻」を読んで、奥様のご不調が、真に”大患”であったことを知り、そんな中に選集をお進めになりお送りいただいていたのかと、身が竦みました。ご快癒のご様子に安堵いたしております。
母が茶道・華道を教えていたので環境には恵まれていた筈なのに、一向に諸事身につかず、今になって秦さんの文章にいろいろと感じ学んでいます。
ご恵贈ありがとうございました。 元。講談社出版部長 敬
* 故・東大法学部長福田歓一氏夫人から、故・阪大名誉教授島津忠夫さんのお嬢さん藤森佐貴子さんから、「湖の本」へお手紙いただき、藤森さんからはめずらかなチョコレート二箱も頂戴した。
妻からもバレンタイン・デーとかで佳いチョコレートをもらった。近藤聡さんにいただいていた美味い澱酒の肴にチョコが合うのに驚いたが、酔ってもしまった。
2018 2/14 195
☆ 湖の本 第138巻おめでとうございます!
寒い中、またお二人で頑張って出され、本当におめでとう!
本当によくぞ頑張れますね。
私は、日々、今日は何をしたかなあ? と日記をつける時に思わず考え込むような日々を送っています。
でも今日は、水彩の絵を描きました。
青い色だけの絵を描いてみようと。
まだ自分の中からは抽象的な形を描くことは難しく、でもいつかは自分の抽象画を描いてみたいのです。
静かな風の通っていくような絵が描けたらなあと願っています。
どうかいつまでもお元気でいて下さいね。
無理しないようにしてね。 琉 妻の妹
* ありがとう。
2018 2/14 195
* 「湖の本138」受け取りの礼状など 十数通届いていた。払い込みも届き始めていた。
2018 2/15 195
☆ 朝、
起きがけに玄関先から前の通りまで、3メートル足らずの間の雪かきをした(雪国での常識)のに、その後も降り積もって、『湖の本』の配達者は、深い足跡を残していきました。
「雪、大変のようで」とお見舞いをいただきました。下保谷でも先だっては「大変だった」ようですが、こちらは大変どころではありませんでした。今年の雪 の特徴は、風を伴わなかったということです。ですからどんどん積もりました。庭の灯籠はコックさんの高い帽子をかぶったようでした。窓から見回しますと、 枝の混んだ庭木の枝折れもあちこちに見受けられますが、雪が深くて近付く気がしません。
『湖の本』の届いた昨日は、月に一度の通院の日でしたので、誌代の送金だけにして、今日受け取りの筆を執った次第です。
昨日の通院は、なんとか車で行けました。途中対向車があると徐行しながらです。田舎の生活は、車なしではやってゆけません。先月、大降雪前に、高齢者運 転講習会に行き、第1次テストに無事パスしました。76点以上がAランクのところ、90点でした。もう一度、第2次テストに受からないと、免許の更新は貰 えないということです。
「138 ; 美の深窓・美の散歩」は、私の好きなテーマです。 すでに『顔と首』(サイン本をいただいています。)で内容の重なる部分は読んでいますものの、「美の散歩」が楽しみです。
『選集』24巻、24巻にして、初めて一気に通読しました。『湖の本』で「枕草子」を読んだばかりでもありましたが、いわゆる古典がなつかしくよみがえりました。
ただ、一つ気になったことがあります。『古典愛読』を読んだときからそうだったんですが、それは、「歓喜咲楽」のなかで芭蕉の「加賀中山での三吟」につ いて書かれた、その「加賀中山」という地名です。「中山」という地名にこころあたりがないので、原典にあたって確認しようと思っています。
昨年、特にその後半は、秦家にとって「大変」な日々でした。
今年は、どうぞ安穏にとお祈りしています。
『湖の本』138の受け取りまで。 お大事に
雪がふるふる雪みてをれば 山頭火
(胸のそこにも薄こおり 有即斎)
2月14日 午後5時
井口哲郎 (元・石川県立小松高校校長 石川近代文学館館長)
* 秦家の北向き塀のまえにだけ、まだ雪が長々と積んで凍って残っています。日の当たる道路の大半は平常に戻っていますが、わたしの振るうスコップは、て んで歯が立ちません。中宮と少納言のようにいつ消えてくれるか胸の内でひとり占ってますが、三月中は消えまいナアと弱っています。幸いひと様の妨げになら ぬ程度に塀へ張り付いています。
☆ 二月半ば
12日関西からの帰り、北東の空は濃い灰色の雲。米原辺りは雪だろうかと思って電車に乗りました。近江八幡辺りで白いものが降り始めたかと思いましたが、能登川、彦根、空は徐々に明るくなり、斑の残り雪はまだ溶けないものの福井や能登、金沢の雪が思いやられました。
時間が許せば能登川に降りて・・など思うばかり、車窓には早くも暮れ方の気配が広がって。
13日朝、宅急便で湖の本が届きました。『赤絵の魅力』など雑誌や新聞に掲載されたものは初めて読むことができて嬉しい限りです。
HP日録冒頭の写真、下の二行、「スペイン ブルゴス東南 サン・ドミンゴ・シロス修道院の回廊 この廊の奥の 深い闇の向こうへ いづれ帰って行くような気が」とあり、胸衝かれる思いです。
生き急がないで下さい。選集も33巻まで急がないで下さい。一読者の思い、友人としての思い、さまざまな思いのままに訴えます。抗がん剤の副作用による 歯の劣化、大事な視力の問題、当人でなければうかがい知ることもできないさまざまな困難、ただただ良き方向にと願います。
元気に長生きは誰しも願うことでしょうが、わたし自身も時に意気消沈、何やら心配することもあります。
久し振りに図書館から本を借りて或る小説を読んでいたら、来迎院が出てきました。宋から来日し建長寺を開山した臨済宗僧侶蘭渓道隆や日蓮(蓮長)ゆかり の来迎院・・と、迂闊にもこれまで知りませんでした。勿論現在の静かな佇まいを存分に味わうことに変わりありません。そして泉涌寺や月の輪陵も戒光寺も。
少しずつ春を予感します。
どうぞ元気に過ごされますように。クタビレ、早く回復なさってください。 尾張の鳶
* 雪の中でも鳶の飛翔力は底知れず。鴉は、雪の枝に身を固くして寒々ととまっているだけ、蕪村の繪では。
ますますお元気で、怪我の無いように。心ゆく詩作・画作、そして深い思索をも。
☆ 略啓
(前略) 御文中 上村松篁なきあとの花鳥画の行末を案じる御文章がありました
小生も 佐多芳郎なきあとの武者繪の後継なき事を案じました。
改めて拝眉の上にて 不備 寺田英視 前・文藝春秋専務
☆ 拝啓
このたびは「湖の本」138巻を頂戴しまして 誠に有難うございました。 奥様大病のご様子を「私語の刻」で知り、選集発送 本当に大変な作業をと、お 見舞い申し上げたのですが、それほど奥様が苦しまれたとは存じ上げませんでした。とにかく御無事で退院、暮には八十二歳のお誕生日を二人で迎えられました こと、心よりお祝い申し上げます。
やっと数日前に御『選集』24の「古典愛読」を読了したところでした。
「読書子各人の素質と語感と人生体験にそって」自分のものになって行く姿が 『古事記』から『小野お通』へ辿る道行や、「鯛」と「桜」の『細雪』まで飛翔する様 『源氏』の「色」と通底する底の深さ 『平家』清経への凝視が、太宰賞の『清経入水』に結晶される姿、『梁塵秘抄』の後白河院の深い思いが、「御口伝」 を産み、源資時という実技での高弟を得た歓び、「死なれた」悲哀より「死なせた」痛みや悔いの考察、蕪村の『春風馬堤曲』での少女と老人のかかわり等々 挙げつづけられませんが、細部から本質へ迫ろうとする著者の姿勢が、秦さんご自身の小説へいたるのだと 大納得、興深く拝読しました。
「湖の本」138での尋常ならざる古典やグループ展、能や歌舞伎まで、東奔西走とはこのことと圧倒されました。
春間近。お二方のご健勝を祈るのみです。 講談社役員 徳
* 恐縮し、心より感謝申し上げます。
* 神戸の歌人教授岡田昌也さんには、とびきりの粒雲丹60グラム詰めを頂戴した。俳人奥田杏牛さんからもお手紙と洋菓子を、四国の大成繁さんには讃岐うどんをたくさん頂戴した。
* 山梨県立文学館の中野和子さん日本文藝家協会の高橋靖典さん、静岡大教授の小和田哲男さん、練馬区の道田晴美さん、伊集院静さん、作家の杉本利男さ ん、俳人の清沢冽太さん、渋谷の佐藤宏子さん、水田記念図書館、東海学園大名古屋キャンパス図書館、三田文学編集部、作新学院大、早大図書館、上智大図書 館、明治学院大図書館から、「湖の本138」受領のあいさつがあった。
* 作家の出久根達郎さんから、「湖の本」へ四册分の送金があった。感謝。
2018 2/16 195
* もう前世紀のことになるが「東京新聞夕刊」でことによく読まれてきた匿名「大波小波」欄に、前後十年の余も寄稿し続けていた。いわば私の「批評」を磨く砥石のような絶好欄であった。
最初に、「秦さん書きませんか」と依頼されただけ、で、そのあとは筆と思いにまかせ寄稿するだけ、採用するしないは編集局の裁量だったが、驚くほどよく採ってくれた。時には連日採ってくれたこともあり、寄稿内容が別の場で話題にされることも、まま、有った。
ま、そういつまでもする仕事でないと思い、新世紀に入って数年で自然と遠のいたが、「湖の本」の二巻分も溜まっているのではないか。ま、「前世紀の遺物」という言い訳で、この際まとめておければ、秦 恒平・一筆呈上「批評」のサンプル集ともなるだろうか。
2018 2/17 195
* 金澤の劇作家松田章一さんから「続左葉子通信」お手紙と金澤名菓の「金つば」一箱を頂戴した。金澤の菓子は京都とならんで味も姿も美味しい。松田サン トはほぼ同世代、金沢大附属高校で講演させてもらったり、街をご案内いただいて、その時、桶谷秀昭さんと出会ったりした。遠い昔語りだが、通信ではお元気 そうな。何よりです。
* 茨木の批評家石毛直道さん、前の淡交社編集局長服部友彦さん、妻の従弟の濱靖夫さん、立命館大平井記念図書館、久留米大御井図書館からも「選集」「湖の本」などへの挨拶があった。
2018 2/17 195
* 「選集」26巻の初校を終えた。兄恒彦との往復書簡を収め得て、感慨深い。元気でいてくれたら、もっともっと多く話したかった。「京都」を語りあうのに此の兄ほと゜屈強の話し相手はなかったろう。死なれたことの最も重いものを兄はわたしに遺していった。
「湖の本」139巻を入稿もした。
2018 2/17 195
八時になる、晩飯への食欲もないが、食べないわけに行くまい。
☆ みづうみ、お元気ですか。
私語の更新がないと、ご体調の心配、ご家族の心配、パソコンの故障など色々な想像で気を揉んでしまいます。歌舞伎のお楽しみで、ああ良かったと安心いたしました。
湖の本無事に頂戴しております。ありがとうございました。もし湖の本の読者でなかったら、自分がどんなに狭く浅い思索の中に生きていたことだろうと恐ろ しくなるほどです。湖の本は、毎回、新しいものの見方を教えてくれます。今回の巻頭の「顔と首」も、自分が無意識で無自覚であった日本における「顔」の表 現に新しい視点を与えてくれるものでした。
能面はたんに部位でも記号、機能でもない。たんに表情でもない。人を表わしながらそのままの人の顔ではない。が、神をも表わしながらひたすらに超越的な神や仏の顔でもない。有でも無でもなく、まさしき、その「間=中程」の顔をしている。
しかも日本的表現の秀れた特質を悉く文字どおりの「顔」に印象的かつ絵画的に集中させていて、断じて西欧流の「首」でない。
能面ほど美しさに於て、美しさを支える民族的個性に於て、際立った特色ある発明と創造は他にない。
文字どおり「神」と「人」との「間」に日本人の哲学も人生も美も生まれてきた特別な歴史を、我々は能面に魅入られながら、想ってみることができる。
以前から能面に惹かれるのはなぜだろうと考え続けていましたが、秦恒平の「言葉」を媒介として、能面の魅力が初めて自分の中に落ち着く場所をもったようで す。自分が言葉に出来なかった何かを見つける歓びは読書の幸福です。この一冊からもたくさんのこのようなしあわせを頂戴することでしょう。
御礼まで、ひと筆。 韮 畑とも庭ともつかず韮ふゆる 豊子
2018 2/18 195
* 「選集」第二十六巻の初校済みを送り返した。第二十五巻の責了へ歩を進めるが、近いうちに第二十七巻の初校ゲラが届くと通知が来ている。「湖の本」139巻の初校出も早いことと想われる。
* たまたま重なった依頼原稿の一本は一応送ってあり、もう一本はムズカシイ原稿だが枚数は少ない、その少ないところがムズカシイとも。好き勝手な随感随 想なら、いくらでも書ける。この日録のあちこちから拾って纏まるだろうモノも数知れず、その気で文章は書いている。ミスタッチの誤記など気にしていない。 気づけば正確にすぐ直せるのだし、読んで下さる人も察して下さるものと甘えている。
2018 2/19 195
* 岩手の渡部芳紀教授、神奈川近代文学館、広島大大学院から、「湖の本」受領の挨拶あり。
2018 2/19 195
☆ 謹啓
“春は名のみの風の寒さよ’,という唱歌のとおり、余寒なお厳しく冴え返る日々がつづいております。ご一同様、いかがお過ごしのことかとご案じ申しあげております。
このたびは、創刊32年のご高著『湖(うみ)の本』(138号)を賜わり、有り難く厚くお礼申し上げます。いつもご高配にあずかり、深く感謝しております。返信が遅れましたことをお詫びいたします。
さて、この巻は、先生の「多年親炙また傾倒」の「美の深窓・美の散歩」という美との出会いの「永遠の一瞬」を意識しながら拝読いたしました。
若き日、中井正一の「人々は価値のあるものとして、真実であること、善良であること、美しくきれいであることの三つを好み、尊敬し、愛するのではないだ ろうか」(『美学入門』)というシンプルな言葉に魅せられて、美術館めぐりをしたものですが、残念ながら干からびた感性なのか、いまだに「親炙・傾倒」す る「永遠の一瞬」の出会いがかないません。
本書にはr村上華岳一内なる不安の凝視Jとありますが、この冬(1月中旬)、久しぶりに、何必館の「華岳、山口薫、魯山人」展に足を運んでみました。
しかし、先生のように「両の掌で顔を蔽って泣きたくなる」こともなければ、梶川芳友館長のような「身震いするほどの感動Jに立ち尽すこともありません。おそらく小生には芸術を愛する審美眼をもちあわせていなかったということでしょうか。
それにしても、「美の散歩」を眼で追っていると、2001年秋、「梶川館長の原点、何必館創立の原点作家」の三人展に訪れておられるのを知り、この冬、 小生が何必館の三人展をあらためて鑑賞できたことを喜びとしたい。少し前の133号の「京の散策」では、先生と梶川館長が幼友達でおられたことに一驚した 記憶があります。
梶川芳友館長は憶えていなかったのですが、小生は高校2年のとき休学し、遅れて3年に入った組に彼がいました。失意のどん底の小生に声をかけてくれた数少ない親友でした。
ますますのご多幸とご自愛のほど心より祈っております。
まずはお礼とご報告まで 謹白 詩人 あきとし じゅん
<追伸>同封の(何必館その他の)ポストカード 目の保養になれば幸甚です。
* 洛東高校での同級生らしい。あきとしさんは、図書館学の大学教授だった人で、ペンの理事時代にご縁ができていた。
2018 2/19 195
* 昨日 東大を名誉教授になって退かれた長島弘明さんの校注、岩波文庫新版の『雨月物語』を戴いた。これも好機、久々に秋成の名品に、巻頭「白峯」から立ち向かう。
作家になってまだ早いつまり若い時代に東大五月祭の講演講師にわたしを誘いに学生代表で見えたのが長島さんだった。それ以来の絶えざる久しい親交で、「湖の本」創刊以来の購読者でもある。有り難いことです。
2018 2/19 195
☆ 秦 恒平様
御本をいただきながら 失礼をかさねています。
一生をかけて、 なんと豊かな御作かとほとほと感嘆する思いです。 すさまじい執念をも感じます。
「湖の本」138を読んでいて、「私語の刻」にびっくりいたしました。
いつも御一緒の奥様の手術 生還まで 知らないこととは言え この頁に驚愕いたしました。
じつにさらりと書いていらっしゃいますが どれだけご心痛であったか。 ご生還のよろこびがよく伝わってまいります。
八十二歳になられるお誕生日を おふたりでむかえられ、 なによりと 改めてお見舞を申上げます。
全三十三巻の刊行は容易ならない事業ですが それを充分にみたす仕事をしてこられたことが驚きです。
わたくしは、美術にはほとんど縁がなく、また 京都の町は外地の引揚げの過去があとをひいて ほとんど知らない土地です。
ある日、気ままに歩いていて 誰かに誘われるように入り、 爾来、京都の印象とひとつになったのが 何必館でした。
日本、というとき、何必館の存在が大きいと思っています。
編集SUREとの おつきあいもあって 作家の黒川創さんを存じあげていますが、 本名が北沢恒さんで甥御さんとはじめて知りました。
世の中のこと 幾つまで生きても 知らないことが いっぱいあります。
おふたりお揃いにて、よき春をおむかえくださいますように―― 澤地久枝 作家
* しみじみと 嬉しいお手紙で。感謝。
2018 2/21 195
* 京都美術文化賞を受けてもにった漆藝家望月重延さんからも 「湖の本」へご挨拶を戴いている。
2018 2/21 195
☆ 拝復
奥様ご療養とはうかがっておりましたが 手術ご大病だった由、早いご回復何よりでした。
美術館等の展観 いつもご一緒の由、 奥様の審美眼、秦さんに伍してさぞかしと、ともども、よき作家を励まし世に出すきっかけ果たされていらっしゃること敬服いたします。
卒業生と会うことも少なくなりましたが、湖の本シリーズ話題にした頃 なつかしんでおります。
寒暖日替りで 外出もままなりません くれぐれもお大事に。
湖にちなみ、テレビ映像によりまして、
氷きしむ暗夜神々湖渡る 草々 周 神戸大名誉教授
* 遠き世の恋なりひびくお神渡り 遠
☆ 『秦恒平選集』第24巻、
誠に有難うございました。竹取・枕・源氏、平安文学の王道の価値を再認識すべく読んでいます。先日も『源氏物語』を採り上げた修士論文口頭試問の副査を担当したのですが、あまりに細分化された研究につまらない思いをしました。
『湖の本139 美の深窓・美の散歩』、「鏑木清方と上村松固」で鏡花に言及されているのも嬉しかったですし、「天保歌妓」を認めた晴方の慧眼に着目されたのもさすがです。
今冬の京都は、積雪は少ないのですが、ともかく寒いです。 草々 田中励儀 同志社大教授
* 脚本家小山内美江子さん、聖教新聞社原山祐一氏、京都の澤田文子さん、葛飾の岩淵宏子さんから 「湖の本」へ挨拶があった。
☆ 「湖の本」は
「美の散歩」から読み始めたところ。「星」という名の修道院回廊の写真とあるのは、今月のホームページに掲げていらっしゃるものかしらと改めて見ています。
「行き止まりの無い佳い匂いのようなファシネーション」に満ちた仕事 できればと思います。難しいことだけれども。 九
2018 2/21 195
* 「選集」第二十七巻の零校ゲラが、ドッサーンと届いた。いま「選集」三巻分、「湖の本」一巻分が同時進行していることになる。こんなに出版活動で現に忙しい作家、日本中にいない筈である、別段ホメた話でも何でもないけれど。
2018 2/22 195
☆ いつしかと
春のけしきにひきかへて 「人日」に白馬のひきいだされる頃、定家の時代にも「小松ひき」や
「若菜つみ」は、北野や船岡山でなされていたと聞きました。
(定家に
いつしかと春のけしきにひきかへて雲井の庭にいづる白馬(あをうま) が、ある。
「人日(じんじつ)」とは正月七日を謂う。 遠)
旧暦をめくると、昨日が一月七日。『礼記月令』に「東風凍を解き…~ … 獺魚を祭り… 」とあります。
窓からの陽射しは明るさをましていて、あけ放つと、降りそそぐ光も吹く風も心地よく感じられ、家で過ごすのがもったいない陽気でした。お休みの一日を、 送っていただいた『湖の本138号』を読んで過ごそうと決めていたのですが、家にとじこもっていずに、川辺で風に吹かれながら読むことにしました。
こんな気持ちの良い日に、出かけたくなるのは出町柳のあたりです。
加茂大橋に立って見はるかすと、稲荷山から阿弥陀ヶ峰、華頂山、如意嶽、比叡山に至るまで視界が広がっていて、日頃の憂さが晴れてゆきます。川の上流には、なだらかに美しい曲線の神山に幾重にも重なった山々。その形と色あいの妙に、見飽きるということがありません。
川辺におりて、静かな場所を選んで『湖の本』を読む贅沢な時間を過ごしました。
先生の書かれたお作が、御自身の手によって編まれ、製本なった後に梱包から送り出しまで、お手ずからなさって届けて下さる御本。頁をめくるたび、本屋で 購めるものとは違う「純粋」を感じます。直接に話しかけられているようにまで感じられます。先生のお書きになられたものを読む時、漂う氣をギュッと握りし めてできた「ひと雫」を口にする。その雫を味わうことで、漱がれる。そんな風に思えます。
陽がかたむくまで、時を忘れて読んでいました。
飛び石沿いに、高野川と賀茂川が合流するところを渡って階段を上がると、すぐにバス停がありました。そこに佇み、何気なくお向かいに建つ御寺を見ていると、白泥で『常林寺』と読めました。
もしかしたら、先生の縁の御寺やも… と思い、そばまで行くと普段拝観できない所まで「京の冬の旅」という企画で、特別公開なさっておられました。御本堂に上がらせていただき、阿弥陀三尊像を拝して参りました。
伺えば、墓所は御本堂の右手にあるとの事。勝手ながら、御堂内から手を合わさせていただいて参りました。
2016年 6月に、 3年かけた修復をおえて、落慶法要なさった御堂内は、まばゆく煌びやかなご様子でした。そのご様子を先生にお伝えしたいと思ったのですが… 写真は、外観のみしか許可されておりませんでしたので(お持ちになっておられるかもしれませんが)御堂内を写したものを、転送させていただきました。
同送に、お邪魔かもしれませんが、美術館のパンフレットなども入れてございます。
もうひとつは、時期を逃して売りきれなかったものでございます。その様なもので失礼とは存じますが… 残りものに福がありますように。お酒のお供にでも… お口に合いましたら、嬉しく存じます。
末筆ではございますが、建日子様のご退院、おめでとうございます。何よりもお早いご快復をお祈り致しております。もう何十年も前のこと『比翼の鳥』を観劇に両国にまいりました折、お目にかかったのを懐かしく思い出しながら…
先生のお体調、H P を拝見し、心配でなりません。どうぞ、お大事になさって下さいませ。お元気を祈っております。 京・鷹峯 百 拝
* 京歩きマップその他「京都」の、秦家菩提寺「萩の寺常林寺」の。「京都の寺々」の、「京博」の、「祇園」の、わたしの父方「南山城」の、三浦景生や楽の、他にも「定窯」発掘成果等の、ないしは「なら仏像館」珠玉の仏たちの、なら「法華堂」の、奈良博「正倉院展」などの、写真や関係資料等をどっさり仕分けして、それに添えて京・和久傳の美味い「柚チョコ」を送ってきて戴いた。ありがたく。嬉しく。
☆ 謹啓
各地を揺るがした豪雪の猛威も漸く緩んでまいった様子、
いかがお過ごしでございましょうか お伺い申し上げます。
平素より何かと御芳情賜り、また御著書お送り戴き有り難うございます。
それにしても大変な著述のエネルギー、つくづく感服致します。
恥ずかしながら,光悦について拙論お送り致します。
二〇一五年から一年余り京都新聞に連載致しました『光悦逍遙』を、此の程漸く淡交社から新たに『光悦考』と題して出版致しました。
新聞掲載から3年、再読すれば誠に稚拙な文章にて結局再度書き直し、文章も倍以上に膨れ上がりました。 光悦は私にとりまして作陶を導く心の友のような存在です。
いま人生の終盤にかかり光悦について我が思いの丈を誌しておきたい思いが以前からございました。 京都新聞からの連載依頼はよき機会でございました。
ただそれは、光悦研究の論考と言うには程遠い「私の光悦」と言うべき心象エッセイ、誠お恥ずかしい限りではございます。
ご笑覧戴ければ幸いに存じます。
厳しい寒さも峠を越した様に思いますが 春に向かい寒暖定まらぬ季節かと存じます。どうぞご自愛下さいますよう、ご健勝をお祈り致します。
如月 謹白 樂吉左衛門 拝
.秦 恒平 様
* 広範囲へのご挨拶状と思ったら、わざわざに此の私へのご挨拶であった。恐れ入ります。気の入った堅固に美しい造本そして写真も入り、私の最も尊崇する藝術家光悦のしかも作陶に吶喊された感想と思われ、頂戴、歓喜に堪えない。
当代の樂さんは、わたしが創設された京都美術文化賞選者の一人に務めはじめて、すぐに強く推薦し受賞してもらっている。さらに四半世紀ちかく務めた選者 を退いたあとを、樂さんが引き受けて下さったと聞いている。当初から「湖の本」も購読して下さり、催しごとに招いて下さり、立派な樂歴代の写真集などもい ろいろと頂戴してきた。
しかし『光悦考』こそは此の樂当代には喫緊かつ必然の目標であったに相違なく。一書の初めて成ったのは、むしろ第二第三、四へ吶喊の初発かと想われる。期待して、ともあれ最初の力作を読ませて戴くのが楽しみである。
2018 2/23 195
* おそろしい数のテープ録画映画が、機械で観られなくなり、場所塞ぎなので捨てると決めた。断腸の思いの名画も、思い出の魅力作も多いのに残念だが。観 られる板録画の数はさらに多いので、所詮その全部を見直す機会はもう得られまい。よほどのテープは、一作千円で電器屋が板に入れ替えてくれるとか。惜しく て二、三十は残して置いた。
わたし自身の「日曜美術館」その他テレビ出演テープも相当数残っているが、もう見直すことは有るまい。
テレビ出演の最初は、NHK「梁塵秘抄」の座談会だった。NHKラジオでも「枕草子」を語り「中世」を語り、何度も何度も個室へ閉じこめられて、よく話した。それらは大方もう「湖の本」に収まっている。
講演、対談・鼎談、座談会も主なものはみな「湖の本」に残してある。
☆ 『湖の本 138巻』「村上華岳」p.65に
記されている、道元禅師『正法眼蔵』「山水経」の引用に我が意を得ました。pp.64~65に描かれている華岳さんの山に対峙する姿は、おっしゃるとおり「山は超古超今より大聖の…」とは似て非なるものであると思います。
道元禅師は「山水経」冒頭に「而今の山水は古仏の道現成なり」と述べられているように、山水は無辺際なる大自然の命の実相としていまここに現成している、としています。さらにはわが身心そのものの本来相であるとしています。
私は、中学校の山岳部時代から60年余り山登りを楽しんで来ていますが、「なぜ山に登るか?」と問われれば、「楽しいから登る」に尽きると思います。敢えて言えば、山に親しむ、山と一体となる(なりたい)、ということでしょうか。
「山水経」に「おほよそ、山は国界に属せりといへども、山を愛する人に属するなり。」とあり、また『永平広録』に「我山を愛するとき山主を愛す」と有るのを都合良く解釈して、山は私を愛してくれているのだとして悦に入ったりしています。
道元禅師に叱られるでしょう。 篠崎仁
* 残念ながら、歩いて登った山はたかだか七百メートルほどの比叡山しかない。比良へも美ヶ原へも中禅寺湖へも箱根へも、みな乗り物で行った。
山が好きと思いつつ、登山の縁も用意もなく、強いても求めなかった。百メートル走なら高校で12秒前半で走れたが、二百となると苦しかった。マラソンな どとんでもなく、戦時疎開先の丹波で通学にしっかり一山越えて往復せねばならなかったのはキツかった。教科書と薄い帳面の風呂敷包みが
重たくて村の子に持ってもらったりした。ひ弱い子だった。
2018 2/24 195
☆ 寒いながらも、
日射しは明るくなって来ました。春の訪れが待たれます。
秦 恒平選集24巻 湖の本138巻 ありがとうございます。
日本の古典は、源氏も含めて、ほとんど読んでいるので、拝読するの楽しみです。
佐藤忠良さんの「帽子」ほか、忠良さんのモデルをした和井田京子さんは家内の親類で、我が家にも遊びに来たことがあります。ヨーロッパで活躍しています。
先生も増々お元気にお過ごし下さい。 岩手 渡部芳紀 教授・ペン会員
2018 2/25 195
☆ お元気ですか、みづうみ。
雨が降りそうですが、ほんのり暖かくて春の雨という言葉が似合います。
本日は一つ質問させてください。
昨日の私語で、羽生清(きよ)さんの『楕円の意匠』について「語の正しい意味でのみごとな『エッセイ』である」と書いていらっしゃいます。『「研究」の名に悪酔いした程度の自称研究者では こういう独創の所産・創出、なかなかあり得ない』とも。
広辞苑の説明によるとエッセイは「①随筆。自由な形式で書かれた思索的色彩の濃い散文、②試論、小論」です。また同じく随筆については「見聞・経験・感想などを気の向くままに記した文章。漫筆。随想。エッセー」とあります。
昨今の書店にエッセイとして並ぶのは、後者の随筆をさすものが多く、作者が肩肘張らずに書いた身辺雑記であったり、作家や芸能人の余技として書かれた感想文のようなものがあふれていて、エッセイは小説や詩より気軽な読み物扱いされる傾向があることは否めません。
しかしながら、秦恒平のエッセイはそのような仕事ではなく最高の文藝です。
選集第二十二巻(女文化の終焉・十二世紀の美術・趣向と自然・中世の美術・中世の画人たち・光悦と宗達)のあとがきで、みづうみはエッセイについて、こう書いていらっしゃいます。
「エッセイ」とは最も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智である。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって「言葉の藝術」になる。
みづうみの文学活動における「語の正しい意味でのエッセイ」とは何か、なぜあえてエッセイを書きつづけていらしたか、頭の悪いわたくしに、もう少し詳しく教えていただけましたら幸いです。
これからお昼ご飯です。昨夜作って一晩寝かせた野菜のカレーはおいしいのですよ。
雀 雀隠れに餌を撒き夫婦信じ合ふ 相模ひろし
* いつもの句名乗りの「雀隠れ」が季節感を招く。草木の芽が、春になりようやく伸びて、雀がとまったとき、からだが隠れて見えぬほど茂ったことを謂う「雀隠れ」きいわゆる季語なのである。作者を知らないが、おもしろい句だ。
* さて「エッセイ」だが。わたしは世間で軽く謂う随筆・漫筆・雑文の類とは異なって、自身に対し躾けているエッセイへの思いは、上に引用されてあるように、最 も微妙な狂気でしかも最も微妙な叡智の散文表現、それを「エッセイ」であると。旺盛で平静な観察・洞察と理解ないし会得・直観によって本質志向する「言葉 の藝術」それが「エッセイ」であると。成し得ているとはとても言いがたいが、湖の本を「創作」と「エッセイ」とに分けたときから、わたしはそう自覚してき た。「エッセンス」という意味で「言葉の本質の精華」をこそ「エッセイ」は表すのだと。表したいと。
2018 3/5 196
* 紅書房の依頼原稿も、雑誌「MYB」の依頼原稿も校了した。「選集26」の再校ゲラが届くそうだ。こりゃ、堪らん。返す返すの津浪に遭っているようだが、仕事が前進全開しているということ。踏み堪えて処置して行く。
明日には「選集25」を全紙責了で送り返す。追いかけて「湖の本139」の初校を戻し「湖の本140」の入稿を射程に入れる。
2018 3/6 196
* 「湖の本」139巻を要再校用意した。「選集」25巻校了へ漕ぎ着けた。「選集」26巻は再校進捗、「選集」27巻は 初校進捗、「湖の本」140、 141巻も入稿の用意が進んでいる。湖の本創刊三十二年の頃には、仕掛かりの小説、せめて一作にしっかりメドをつけたい。もう少し、もう少しのところで濃 い深い闇の底を這い回っている。
2018 3/11 196
* 「湖の本」139 初校を返し、表紙や跋など、入稿。
* 「選集」第二十五巻、全校了。 すこし休憩して、今日から送り出し用意にかかる。
2018 3/12 196
* アベノリスクの最たる醜態が財務省を中心にもろバレしてきた。佐川前理財局長の国会答弁など片端も信じていなかっただけに、当然の成り行きになってきたが、本丸は安倍総理夫妻の国民への引責謝罪であろう。
しかしこれだけではない、何よりもあの大震災・大津浪そして原発の大爆発の責任を政府と東電とは被災者と国民に押し被せたままでは許されない。原発廃炉への一貫した国策を実行させたい。
* 「湖の本」114は「ペンと政治」と題し2012・12・8 に「序にかえて」を書いて、あえて一文士の私が「政治」に触れると述べ、本の表題には はっきりと「新世紀へ、崩壊の跫音」と挙げた。続いて「湖の本」115でも「ペンと政治 二上」として「福島原発爆発」そして「変節野田内閣」をはげしく 責め、「湖の本」116では「ペンと政治 二下」として、「野田総理の惨敗・安倍<違憲>内閣・迫る国民の大不幸」と国と国民の前途を憂えた。さらに「湖 の本」122では「九年前の安倍政権と私」と題し、好む内閣の悪政により国民に迫ると予言した「大不幸」が歴々の事実と化して国と国民の上にのしかかって くる怖ろしさに言及し筆誅した。さらに時を重ねて今日只今の、一例がモリトモ・カケイのていたらく、さらに大きくは極東での書くの脅威と緊張に対するとて ものことケッコウとは申しかねる拙な外交等々、もう、エエカゲンにしてんかと歎かずにおれない。
ある雑誌は、わたしに「平成は穏やかであったか」と聴きにきたが、わたしは、これは「平成」の両陛下にこそ真率にお伺いしたいと願ってしまうほど、真正 直なところ、憲法の尊重、平和の希求、国土と生活との安全、主権在民と基本的人権、福祉等々、あらゆる面に置いて新世紀の日本の政治、ことに第一次以来の 安倍政権のウソクササにはほとほと怒りの余りに泣けてくるのである。
昨日今日に思い至ったのではない、わたしは「崩壊の跫音」を新世紀の早くからきっちり予言していて、予言は不幸にも外れてくれなかった。
* 安倍晋三総理の速やかな総理および国会議員の「辞職」を、と、望む。
聡明で国と国民とを護る勇気に富んだ「新総理」を期待する。
2018 3/12 196
* 「湖の本」140編輯の方向を決めて入稿用意に取りかかった。眼の状態はひどいが仕事していると時の経つを忘れている。もう機械からは離れよう。由ありげに怪しげな不良メールが「さ、開け」というふうに数々流れ込むが、一切、即、消す。
2018 3/13 196
* 「湖の本」140の編成をほぼ確認した。調整しての入稿はもう遠くない。141の心づもりも出来ている。
「選集」はここ当分、校正していれば済む。第二十五巻送り出しまであと二週間あり、楽に進むだろう。
それにしても、このひどい霞み眼はどうだ。なにもかも手探りでしている。大きなテレビ画面ですら近寄らないと観てられない。
けれど、本は読みたい。
2018 3/14 196
* 「湖の本」140を編輯し終えて電送入稿した。
2018 3/15 196
* 午前に寝、午後も寝て、大儀に目ざめたら四時だった。心身がそれを望んでいるのなら、暫くは付き合ってやろうと思う。
もう「湖の本」139巻の再校が出て来た。「選集25」送り出しまで一週間、用意は間違いなく間に合う。四月中ないし連休前か中には上記「湖の本」を、さらに桜桃忌までには「対」の次、第140巻も送り出したく、それももう心用意して行かねば。出来なくはあるまい。
* 昨日、江古田二丁目バス停ならびの大櫻たち、咲きはじめたのも、一斉に蕾の紅らんだのもあった。それでいて今日も明日も真冬並みの寒さと。国会もお天気も、狂うておはそうず。
* ここ暫く手の出ないでいた長い創作を今日は読み返していた。わるくはない。
本もいろいろ読んだ。読書の前後に寝入ってたりした。本を発送の用意も九分九厘まで手を掛けた。
2018 3/20 196
☆ 雪櫻で
東京は大変寒いとか、お変わりございませんか、私は最近の寒さで足が痛んでます。
今日はひさしぶりにシニアの集いで外出しましたら 鴨川の堤も 桜が咲き始めてました、タクシーからの眺めですが。お花も、これから楽しめます。
京都の南部 以前の住まいから西は、ハイウェイの南インター辺りで 何もない昔の農家でした。羽束師あたりは手続きで度々マイカーで走りました。
東山渋谷へ越してから20年になります、市内 今では観光客で様変りです。
今日も 東大路は馬町から五条までバスが5台も数珠繋ぎです。こんな毎日です。
昨晩は「湖の本」の美の散歩をゆっくりと楽しんでました。
その内、美味しいもの 探してきますね! 華
* 京都駅から北だけが京都のように思っている人が多いが、とんでもない。長岡、向日、鳥羽、久我、羽束師、伏見。京都の下から沸き上がるエネルギーは八条、九条の南に渦巻いた。見えない目で今も東京から眺めている。
☆ 木精
何年たっても、何十年がたっても、ふいと耳に蘇ってくる文章があります。
まだ東京でスタイリングの仕事をしていたころ、週の何日かはテレビ局で過ごしていました。
ある日、隣のスタジオの収録モニターに目がとまり、惹きつけられて眺めていると、泉鏡花の親族の方が 空に人差し指で何か字を書いて 「おじは、文字を書いたあと、言霊がのこってはいけないと言って、きっと消していました。」
そうおっしゃると、四本の指をそろえて丁寧に、目にみえない字を消しておられました。夜会巻きのように髪を結ったご婦人のその華奢な指先の映像に
「ぼんやりしてると木精がさらうぜ。ひる間だって容赦はねぇよ。」という音声がかぶって聞こえました。
鏡花の本を開くと、行間はルビの居場所なので、落ち着いて読むことができません。書かれてあることも、読んでしまうと心がなみだって、此の世にかえって くるのが嫌になる。読んでいるうちに、身体の一部が水のように透けてきてしまう。読みすすむうちに、言葉が葛となって身体を這い、巻きつかれて息ぐるしく なってしまう。 そんな風に感じられる本なので、あまり開かないようにしてきました。
それなのに、読まないようにしてきたのに、耳にしみついた文章が聞こえてくる。私の中に、魅されるところと、うけ入れがたいところがあるのかな、と思います。
谺は、木にやどる精霊のしわざと、どなたかが言っておられましたが…
「こたま」で忘れられない思い出があります。
役小角(=えんのこづぬ)をたずね、吉野山・櫻本坊から溪を見おろしていたときのこと。丸木に括り付けられた拡声器から、町内放送がながれだしました。それは、ご高齢で亡くなられた方の告別式の場所が変更になったと知らせる内容でした。
まずひとつに、十年前とはいえ、伝達手段が拡声器であったこと。
もうひとつに、谺で聞きとりにくくなるために、言葉をくぎって話し、しばらくしてからまた次の言葉にうつる。ひとつの言葉が山上から、谺しながら溪そこにまで降りてゆく。降りつく前に、次の言葉が発
せられるので、輪唱のように聞こえてくる。
不思議な体験でした。音で聴いているのに、谺して音が動くのが目に見えるような気になる。
また、(不謹慎ながら)かさねて 歌垣が聞こえたように感じられてしまいました。
吉野山の宿坊で過ごした二晩に 『春蚓秋蛇』を読みました。山中の霊氣にあたりながら、先生の御作を読むのは格別です。黝い色がより濃くなるような、幽かな痛みをより深いところで感じるような心地になりました。
先生、以前のメールに書いて下さったお誘いに、甘えさせていただきたく… お伝え申します。
「湖の本」創作シリーズ 47 . なよたけのかぐやひめ
エッセイシリーズ 43 . 酒が好き・花が好き
45 . 色の日本・蛇の世界
通算・100巻 以降 20 . 櫻の時代
28 . 資時出家
以上の五冊を恐縮ではございますが… お願い申し上げます。
上野の櫻が、今日はや五分咲きとなりましたとか。
東博の庭の茶室のあたりも さぞやと懐かしいかぎりです。
先生のお目のお具合の、良い状態がなるべく長続きなさいますように。
祈っております。 京・鷹峯 百 拝
—追伸—
別に、『高野山』の写真をおくらせて頂きます。
高野霊峰楊柳山を源に流れくる玉川の卒塔婆は 『流水灌頂』を目に見せてくれます。もう三年も前に撮った写真ですが 添付いたします。
旅する人の渇きをいやし、生けるもの凡ての魂鎮めをなす川。
『高野聖』の川は、天生山を流れていたのでしたでしょうか?
奥ふかい山は、川は、いつでも浄めと畏れの游び場です。 拝
2018 3/24 196
* 選集や湖の本の刊行へ 多大のご支援をいただくこと少なからず、こころより御礼申し上げます。
2018 3/26 196
* 「湖の本」140の初校ゲラも届いた。139の要再校戻しはほぼ目前のこと、141入稿の用意もほぼ出来てある。「選集」は第二十七巻まで目下自動的 に流れ進行中。その次をどう編むかは、まだ決めていないが急ぐことは無い。明後日からの第二十五巻を送り出してからは、書き下ろしの創作へ集中できるだろ う、ぜひそうしたいと願っている。
2018 3/27 196
* 今日は妻もわたしも疲れた。お互いにかなりの力仕事になる。あと八巻を予定し、二年ないしその上を予期していて、「湖の本」も重なってくる。時間を引 き延ばすということも年齢や体力との相談があり、短期間に「選集」だけでも済ませてしまうという手にも体力負担は蔽うべくもない。つまりは、やれるだけを やれるようにやって行くしかない。妻も同感だろうと思っている。元気を、日々いろいろに汲み出すしかない。頼みになる助け手などありはしない当然である以 上は、知恵をつかって日々何とかして楽しむということだ、何であれ。
* さ、明日もガンバリます。
2018 3/29 196
* 文藝春秋の専務を退かれた寺田英視さん、選集來着そして食事へお誘いの電話をもらった。お誘いの方は、ご迷惑を懸けてはいけないので辞退した。寺田さんはお元気そうであった、何よりのこと。
私の「湖の本」は最初の数巻まで、紹介されて、都内の某印刷所に印刷製本を依頼していたが、あまりの乱暴粗雑な製本に泣かされ、編集者の寺田さんに泣き言をもらしたら、即座に凸版印刷の古城進工さんを紹介して下さった。以来、三十余年。有り難い極みのご親切であった。
「湖の本」の旗揚げには出版への「敵性作家」とも叩く人もあったが、寺田さんはナニ躊躇いもなく即座に凸版へ声を掛けて下さり、古城さんも以来三十年、「選集」という仕事も加わって、今でも濃やかに心配りをして下さっている。
我一人で生きているのでは、ない。しみじみ、いつもそう思う。
作家、評論・批評家、各界の人たち、また何人もの各社編集者や新聞記者に励まされ続けてきた。永井龍男先生、福田恆存先生は、それぞれ十指にあまる購読者をさえ紹介して下さり、福田先生の奥さんはいま以て「湖の本」代をお支払い下さっている。なんという、幸せか。
2018 4/1 197
* 「湖の本」139巻を責了可能なまで漕ぎ着けた。丁寧に再校ゲラを点検し「責了紙」として今週中にも印刷所へ戻したい。同時に、この発送用意にも井手落ちなく掛かりたい。相当にビックリして頂ける一巻と思ってはいて、叩かれカネないけれども…。
2018 4/2 197
* 書庫の冷えが春ながになりゆすらぎ、時間を忘れてしまう。どれを手にしても、読んでおきたいしと処分ならない。
そんな中で、しかと梱包された一箱を見つけた、驚喜した、A4版用紙500枚包みが五つ、しっかり傷みもしていない。ほとんど手元で欠損して、文具屋へ 註文しなけあ、高くつくなあと歎いていたのが無傷で2500まい見つかったんだもの、湖の本や選集を送り出す挨拶の印刷、何年分もが確保できたのだ、書庫 籠もりでこんなラッキーに出逢うなど思いも寄らなかった。感謝、感謝。
* 「湖の本」139責了用意成り、明日印刷所へ送る。
2018 /3 197
* 「湖の本」139を責了に。月末ないし月初に送り出せるだろう。
2018 4/4 197
* 湯に漬かって、雨月物語への長島弘明さんの懇切な解説を半ば読んだ。
「青春短歌大学」も面白くまた懐かしく読んでいた。ああ、あの、あの、あのと、東工大学生諸君の記憶が生き生き甦ってきて。佳い記憶ばかりがたくさんあ る。今日も、「湖の本」新刊分へ、はるばる送金かたがた、「先生、お元気にされていますか」と見舞ってくれる男子君の便りを読んだ。
* 今日は冷える。湯冷めせぬまにからだをやすめたい。
2018 4/9 197
* 風が強い。「湖の本」149納品、ほぼ一ヶ月後と。用意にもゆっくり出来、進めたい仕事のためにも有り難い。気忙しいのがいちばん意馬心猿の害になるので。それでも、ウカウカしているとトンダことになる。
2018 4/11 197
* 十時。何としても、次の「湖の本」139の納品、五月十一日発送までに、『ユニオ・ミスティカ 或る寓話』集結へ向かう最後の難所・関所を踏み破りたいが。
2018 4/12 197
* 「湖の本」創刊32年 通算第140巻を「要再校」で送った。六月十九日の創刊日、桜桃忌に間に合わせ送り出したい。139 140巻 ちょっと皆さんを驚かせそう。 2018 4/14 197
* 封筒に、わたしの住所印などを発送予定の数に満ちるだけは事前に捺しておかねばならない、これは根気仕事でかなりシンドイが、ま、やがての「湖の本」 139分は捺し終えた。宛名印刷して封筒に貼らねばならない。足りない分は宛先と住所を手書きせねばならない。出来本の送り出しこそ一等の注意力、腕力を 要する労働なのである。
云うまでもなく、収支はつくなわない、当然の赤字っているが、幸いそれは気にしていない。選集も湖の本も建日子さんの支援が有るのでしょうと云う人が、ときどきいるが、両方とも、ビタ一文の支援も手助けもしてもらっていない。
稼いだだけは使い果たして死にたいと昔から考えてきた。だんだん近い気がしている。せめて、もう三年、待ってくれるといいが。妻の、母親の面倒は息子がみるだろう。
* この「私語」も、追い追い、老い老い、もじどおり「闇に言い置く」感じになって行く。育ての親たちに手をつき頭を深くさげて京都を離れてきた日々をこのごろよく思い出す。秦の父がひとりで京都駅へ見送ってくれた。
来年春にはあれから六十年になる。ウソのように驚かれる。ウソではなかったのだ。それどころか秦の父も母も叔母も東京へ引き取って、みな「平成」に入っ て見送った。三人とも九十歳を越す長命で、一番からだの弱かった母が、九十六歳まで生き抜いてアトを追った。耳も目も歯も弱っていたがボケていなかった。 今でいう誤嚥で逝ってしまった。
* ほんとうに可能なら、三十三巻で「選集」を結びとめ、ほどをみて「湖の本」を終刊にしてなお正気と体力とが残っていれば、京都へ一部屋でも借りて帰り たいという願い、無くはない。だが、それは以下にも気弱。「湖の本」の種はまだまだまだ尽きないかぎり奮迅すべきかとも。からだや気が保てればいいが。食 べられない、食べたくないというのが、なにより今、心もとない。
2018 4/15 197
* 選集第二十七巻の初校をようやく終えた。なんと600頁に辛うじて抑えた。重い本になるが、読みやすさや面白さではうまく纏まったと思える。ほっとし ている。次は、第二十六巻を慎重に責了にし、作家生活満四十九年の桜桃忌までに刊行しく、合わせて第二十八巻の編輯を進めねば。予定では、あますところ六 巻分。とても満ち足るワケに行くまいから、少しでも残念・未練を減らすべくよく工夫して編成しなくては。ムリに強行すれば作家生活満五十年の日までに仕上 げられなくはないが、もはや何を急ぐ必要もない、「湖の本」百五十巻も「選集」三十三巻も、ただただ健康との相談を大事にゆっくり楽しめば良い。
* 「湖の本」はこの六月十九日までに百四十巻になる。平均すれば、これらの一巻一巻は量的に市販単行本のほぼ一冊分に相当している。つまり三十二年かけ てそれだけの本を出版してきた、送り出してきたわけで、これは「湖(うみ)の本」というかつて例のない類のない発明がさせた仕業である。三十二年前にわた しはすでに人も驚く数の市販単行本をすでに持っていたし、持てていたことが「湖の本」を可能にしてくれた。この可能が、わたしの「読んで・書いて」の跡絶 えない日々の結果を「出版」というかたちに実現してくれた。三十二年前のわたしにコレがなかったら、幸い依頼原稿は跡絶えずに原稿料は稼いでいたろうが、 秦 恒平著という「単行本」は容易にうまれてはくれなかったろう、それが「良い本」よりも「売れる本」へ狂奔していた当時いらいの出版状況で、今日はさらに悪 く煮詰まっていると、とても本など出して貰えないと文学作家達は歎いている。開店休業を強いられるか、安直読み物へ筆を枉げるしかないという。
* 或る社の或る編集者は、叛逆の敵前逃亡と嗤い、到底十册も出せまいと断言したが、わたしは、ま、本ものの「編集者」で、そのうえ有り難い「いい読者」をもつ「作者」であった。
そのわたしの背中を、ただ黙って押して、「湖の本」のためいっとう肝腎で一等有り難い印刷会社を一言半句なく即座に紹介して下さったのが、文藝春秋の寺田英視さんだった。
むかし、亡くなった鶴見俊輔さんのインタビューを受けたとき、鶴見さんは、多くの作家がどんなに秦さんの「湖の本」に習いたいと願ってるか知れません よ、ただ残念ながら条件が調わない。第一に継続可能な作品の量と質と産出力、第二に熱い「いい読者」、第三に編集・製本の技術、第四に家族の協力、第五に 疲労を超えて行く事務能力 が、大概の作家たちにはとうてい望めないからねと云われた。
* 「選集二十七巻」600頁を一気に「要再校」請求の手を入れて、宅急便に託してきた、
* 上の作業しながら吉永小百合の映画「伊豆の踊子」を聴いていた。高橋正樹の高等学校の「書生さん」役は、彼生涯の出来役で、その後は無用に気張るばっ かりでほぼ観るに堪えないが、この映画ではさっぱりと初々しい。最近のイケメンたちよりよほどいい。「伊豆の踊子」の書生さんでは、ヒロインと結婚し ちゃった彼が好き。ひはり主演「伊豆の踊子」の「書生さん」はややイカツイ青年だった。
この映画観るつど、川端康成が「感動」源をむ抱いたまままっすぐ人々の胸へ撃ち込んだ名作は、やはり「伊豆の踊子」「雪国」「山の音」に尽きていて、その後は 作がだらしなくなるが希薄になるか奇に走っている。わたしの偏見かな。
2018 4/19 197
* なんとなく、フワッと朝の五時に起きてしまい、凸版へ「湖の本」140要再校分に追加稿を急遽送ったり、昨夜来の作業をふり返り確かめたりして、午前七時半になっている。
2018 4/23 197
* もう二つ。
邨田海石書で、見失っていた『真行草 三軆千字文 地』篇を見つけて持ってきた。「天」篇は座右にある。この「千字」を尽く音読みできる自信、無い。し かし、ATOKの文字皿を利用しながら、やってみたい。つまりは「千字」を此の機械へ拾い出してみようと。想像をこえて難儀であるにちがいない。例えば、 上の表題の「三軆」だが、「身」ヘンのほかに「骨」ヘンの漢字もある。そういう細部にも徹して行くのはまさしく「探訪」になる。楽しそうでもあるのだが。
幸い「地」篇末に、二百五十句、全千字文の「訓點」が附してある。機械で「点」は出るが「點」は探さねばならず、まして此処に用いられた同字には下にテンテンが四つの「れっか」を要している。そんな字は、わたしの今のパソコンで探し出せない。漢字と機械との同和はまだまだまだほど遠いのです。
次の持ち出してきた一冊は、本格の茶家のお茶人でもあり、平家物語研究、「湖の本」の有り難い購読者でもある生形貴重教授の監修『マンガ 平家物語』の 初册「清盛篇」を見つけた。次册「鎮魂篇」は見つけ出してあった。画は阿部高明という人が描いている。生形さんが関わってられる以上、たんなる物語の羅列 でなく、独自の「読み」が反映しているらしいとは、頂戴し通読して察知していたのを、もう一度読み返したくなったというワケである。
2018 4/24 197
* 「湖の本」140の再校が出そろった。139は、五月十一日の納品、発送開始となる。
「選集」26、口絵写真追加分も出揃ったので、つきものも揃えて、全紙「責了」にした。
* 仕事仕事、休憩 を繰り返しつつ 十二時を過ぎてしまっている。
2018 4/25 197
* 「湖の本」141巻本文を入稿した。「選集」第二七巻をどう編輯するか、思案を重ねている。
2018 4/26 197
☆ 28日(土)NHKぶらたもりで
京の東山を取り上げました。面白かった。
この番組は文学には触れないけど、地質地形が中心。比叡山と如意岳の間が窪んでいる。この窪みが京都文化を作った。地質変動により、比叡山と大文字山が残り、その間が窪み、花崗岩の部分が露出、脆い花崗岩は真砂となって白川に。白川の川底は白くてきらきら光っている。
残念! 私は「光秀首塚」を探すのに気を取られ、川底を見ませんでした。銀閣寺の銀砂灘、向月台、その他多くの枯山水は、白川の真砂を使っている。明治になって疏水が出来ると、大金持ちの別荘が南禅寺付近に建ち お庭にほんとの水で池や滝を造った。
ああ残念! もう一度京都へ行きたい!
よろよろ行って他人さまに迷惑かけたら大変、うちでじっとしていましょう。
骨折(横濱駅で女の人にぶつかられた)、突発性難聴、暮れからお正月にかけて角膜移植をしました。未だに通院しています。まだ全て抜糸していませんし、保護の為にコンタクトレンズを入れています。
よく聞き取れない、よく見えない、私の見聞はアバウトです。
早く消えたいと思っています。 横須賀市 静
* 「風の奏で」のころからの読者、もっと早かったかも。なんでこんなに難しいと、「風の奏で」壁にぶつけたそうだが、 その後に熱い愛読書になったと。この人の顕著な愛読者精神は、「湖の本」刊行への厳しい反対を徹されたこと。それも一つの心深い姿勢であったとわたしは篤 く感謝している。
講演にゆけばどの会場へも見えていて、恐縮したものだ。わたしより心もちお歳。どうやら現在も似た体調らしいが筆致は若々しく、元気。慌てて「消える」ことはないですよ。機会が有れば、横須賀に近いという鏡花の作にゆかりの海辺など案内して貰いたかった。
久々、ほんとに久々にメールのお便りに安心もした、嬉しくも。
* また十一時になってしまい、明日へ繋ぐと。
あと十日の余裕で、「湖の本」149。これはもう、「ビックリ・ポン」ですよ。しかしまた 秦 恒平だからこそ、という「仕事」でーす。
2018 4/30 197
* おやおや十一時半にも。今度は寝床に脚をつっこんで「湖の本」140責了待ちのゲラを読み、寝入るまで源氏物語「朝顔」巻や、生形教授監修のマンガ「平家物語」鎮魂の巻や「敗戦後日本現代史」や、新井教授ちょ「五日市憲法」などを読み進めながら、いつか寝入ることに。
2018 5/2 198
* 眼から疲労困憊している。もう今夜は機械とはつきあえないか、などと云いつつずるずると仕事を続けてしまうのが宜しくない、宜しいのかも。ほとほと。
隣の棟で 次の湖の本受け入れの儡地を作ってきた。序でに、「千夜一夜物語」一・二巻とミルトンの「失楽園」上巻を枕元へ持ち来たった。多彩に世界の文学も読みたい。 2018 5/3 198
* さ、あすは朝から「湖の本」139巻、懸命に発送作業。気をひきしめ、怪我無く済ませたい。ひきつづいて六月には{選集}第26巻、「湖の本」140巻で創刊32年をしっかり迎えたい。
書き下ろし長編二つとも苦闘を重ねて行く。
2018 5/10 198
* 九時。もう「湖の本」139納品の受け入れを終えている。
2018 5/11 198
* 懸命に頑張り、初日分の発送と翌日分用意とを。ほぼ希望どおり終えた。「母の日」とやら、でクロネコやまとは送り荷物殺到と。
2018 5/11 198
* 終日、発送作業に。途中、妻が玄関外の低い石段で前向き俯せに転倒し辛うじて右手のひらで庇って幸い大過なきは得たが、大事になりかねなかった。肝を冷やした。
作業は、永く永く掛かったが、目はともかく耳はアケて置けるので、終日、取り置きの映画を幾つも見聞きしていた。「野菊の墓」「幸せな日曜日」「お嬢さ んに乾杯」「おはよう」「お茶漬けの味」等々もう二つほども、懐かしく楽しんでいた。黒澤明、木下恵介、小津安二郎らの監督映画。原節子、中北千枝子、高 峰秀子、木暮実千代、淡島千景、津島恵子、三宅邦子ら、懐かしい顔を沢山見た。
* 往年の映画からは時代のうつり変わりとともに、昔の女性たちの言葉遣いがしみじみ懐かしまれる。
* アリャラ 一時半になっている。明日も新刊の「一筆呈上」送り出す。
2018 5/12 198
* 週明け郵便局出をのぞくほぼ九分がた、「湖の本」139を送り終えた。ほっ と一息。
次は六月八日に「選集」第二十六巻を送り出す。その用意も始める。「用意」こそ「仕事」。
「創刊三十二年」記念の「湖の本」第140巻は、桜桃忌アケ六月二十二日から発送する。
それまでに、いろいろ、仕遂げて行きたい「仕事」の溜まりを減らして行く。
2018 5/13 198
☆ 秦 兄
ご本『一筆呈上』拝受しました。
いつも気にかけていただき有難うございます。その後体調はいかがですか。加齢とともに時計の針の回りが早すぎて、やりたいことが追い付かず慌てています。目下やりたいことはただ一つ自説の選挙制度改革案を世に問うことですが。そんないらだちには関係なく政治はますますカオス状態で、TVで安倍や麻生など首脳陣の顔を見るのも疎ましく焦燥感は募るばかりです。近況報告にこんなことしか書けない自分が恥ずかしいかぎりですがご勘弁ください。
段々と気温も上がってきました。どうか充分ご自愛のうえご活躍ください。
有難うございました。 京・洛北 森下辰男 同窓
* 「湖の本」届き始めたらしい。 梅原猛さん、水田記念図書館より受領の来信。
☆ 拝啓
(前略)早速随所拝読。 往時、花田清輝氏書かれし頃の「大波小波」のことも思い起こしつつ、痛快の感のご筆致に、今日は最早諸事書くに堪えぬまで到っ ておるななど慨嘆を新たに致しました。これでは不可ぬと自戒にも活用させて頂きます。御礼までに 敬具 豊島区 稲垣眞美 評論家
☆ 『湖の本』139を本日拝承。
仕事を中断し、早速に読み始め、只今読み切りました。四半世紀前の日本と現在は変わっていないという感想と、あの頃は「まだよかったのだ」という深刻な思いが重なっています。
現在は、政権の「腐臭」を「問題ない」と首相が言えば、それで終わりになりかねません。本当に終わりになるかどうかは分かりませんが、とにかく官邸は 「問題なし」で押し通そうとする。腐臭には有毒ガスも含まれているが、政権から遠い周縁で毒性を発揮するらしい。権力の中枢にいる連中には、この有毒ガス は彼らの良心を麻痺させるという、都合のよい効果を持っているらしい。とにかく周縁に住むわれわれは恐ろしい芝居を見せつけられています。
「一筆啓上」で取り上げている批評はそれぞれ興味深いものでした。私の知らない文士、芸術家に対する考察はなるほどと思いました。政治の世界など、私の 知っている事柄についての批判、感覚には大体私のスタンスと重なっていますが、私の受け止め方が甘かったな、と思うことも幾らかはありました。舛添要一と いう人には、私はまったく無関心でしたが、批評子はその俗物性を見抜いておられた。さすがです。
批評子のその時のペンネームの付け方がうまいですね。「巷談者」には笑いました。真似の出来ない芸当です。この一本をお届け下さり、ありがとうございました。
ご健康が維持されることをお祈りいたします。 並木浩一 ICU名誉教授
☆ こんにちは!
いつもありがとうございます。
ご体調はいかがですか。 ご無理されませんよう願っています。
今日の京都は、葵祭。
日差しが強く、気温も30度近くなって、行列はさぞかし暑かったろうと思います。
こちらは今、外国の観光客と、修学旅行のシーズンが重なってどこもごった返しています。
又 折を見てお出でになれますよう願っています。
奥様共々どうぞお大事にお過ごしになれますようお祈りしています。 みち 秦母方従妹
2018 5/15 198
* 妻が髪結いさんへ出ている留守番に、「選集26」発送用意をしながら、好きなミッシェル・ファイファーにジェフ・ブリッジス、ボー・ブリッジスの映画 「恋のゆくえ」のピアノ合奏と唄とを堪能していた。地味なしかし音楽すばらしい、落ち着いて大人の恋というより愛の物語だった。三人のコミュニーケーショ ンが美しいまでに心優しく、満ちたりた。
発送の用意(十字架と呼んでいる郵袋への三種類のハンコ捺し)も進んだ。この用意がはやくに済んでいると納品(六月八日)までに、心おきなく他の重い仕 事へ取り組みやすくなる。六月二十二日には次の湖の本140、創刊三十二年記念になる巻が出来てくるので、その用意もうち重ねて行く必要がある、が、油断 しなければラクに進むだろう。大事なのは、創作の方。
2018 5/16 198
* 故中村光夫先生夫人、元「石川近代文学館」館長井口哲郎氏、元「新潮」編集長坂本忠雄氏、作家・元筑摩書房編集者持田鋼一郎氏、墨畫家島田正治氏、紅 書房主菊池洋子さん、ご近所の大野さん、同窓の遠藤千恵子さん、三田文学、早大図書館、法政大文学部、昭和女子大日本文学科等々より「湖の本」第139巻 へお便りを頂いた。またはやばやと「払い込み通知」も届き始めた。
2018 5/16 198
☆ 「湖の本」一三九
楽しく拝見しています。変らぬ秦さんの眼と機を確認し、自分の迂闊さを思い知っています。
今日は月に一度のぜんそくの検診日、主治医と「お話」する程度です。
昨日は久々に小松(市)での美術展(誘われ)をみてきました。作品も作家も改まっているように感じました。 お大事に。 井口哲郎
☆ (前略)
いつものように「私語の刻」から拝読し始めましたが、「前世紀の古証文」を何れも「批評する」生きものとして「曝涼」されていること、同世代の一人とし て大いに感服致しました。殊に「新聞にも、テレビの報道にも、汚物浴びるような厭悪の情をおさえられない」の御感慨は全く同感です。報道人は文章というも のが書けなくなったのでしょうか。
又、「腰」についてのいろいろな御考察も非常に目を開かれるものがありました。
拝読の機を与えていただき 心から深謝申上げます。 草々不一 坂本忠雄
☆ (前略)
頁を開き、「大波小波」を集められましたものと知り、当時のニュースなど思い出しながら拝読致しております。「前世紀の古証文」などとはとんでもないご 謙遜でありまして、現に。憂慮されている事が、平成の現在、現実としてまかり通っておりまして、ここに多くの先見の明を発見しております。有難うございま す。ご健勝のほどお祈り申し上げます。かしこ 紅書房主人
☆ 1990-1994年
そのころはメキシコにいたので秦さんのこの文章知らなかった。ナカナカの辛口であります。これには感心しました。
こころしてものいふべしとわれを叱り
われはかなしむうそくさい世を 有即斎
日本国中、美術館や記念館で埋まりそうだが、秦さんは警告している。消えてなくなる美術館がいっぱい。 島田正治
☆ (前略)
早速拝読いたしておりますが、よくこれだけ当時の文壇の権威たちに、葉に衣着せぬもの言いをされたと、感服いたしました。秦様の求道者的一面を改めて知 ることが出来ました。匿名とはいえ、作者の名は知れて了う文壇の中でずい分損をされたことと拝察すると同時に、秦様の面目躍如という思いもいたしました。
ますますのご健筆を。 敬具 持田鋼一郎
* 文藝出版社の編集者だった人。わたしの「大波小波」寄稿をみて、「匿名とはいえ、作者の名は知れて了う文壇の中でずい分損をされたことと拝察」は、すこぶる率直で、その世界の在りようがかなり露骨に察しられて面白い。
わたしがいろんな「損」らしきを背負い込んでいたらしいとは、何人もの同業ないし編集者らワケ知りのの口から聞いていたし、わたしは、いつも「どうぞお構いなく」と思っていた。
なによりも、考え得るあらゆる「損の合算」ほどの「得」をわたしは「ことの最初に」何の理解もなく承けていた。投稿も応募もせず、向こうから、選者満票の太宰治賞当選付きで「作家」として文壇に登録された。
これは、他に比類無い珍しい事例であり、その辺の事情は、津村節子さんにじつに率直で的確な述懐がある。
津村さんは同人誌に属したまま数回も直木賞候補に挙げられて授賞されず、ついに芥川賞受賞で津村さんのいわゆる「同人誌作家」から「晴れて作家」になら れた。「候補では意味がない」またもとの「同人誌作家」に戻るだけ。津村さんは切実にそれを云われている。夫君の吉村昭さんは芥川賞候補にやはり数度挙げ られながら授賞成らずに、第二回太宰治賞で奥さんの津村さんより一足早く同人誌作家から「作家」になられた。津村さんの上の述懐には、夫妻しての多年のく やしさ、なさけなさがしみ通っていていて、胸を打たれた。わたしは、そのような感懐の片端をすら察した、味わった体験無しに、まるで当たり前のようにある 日突然「作家」として文壇に迎え入れられ、仕事は跡絶えたことがなかった。みるみる著書を山と積んでいった。わたしはいかにも無神経に、実は文壇事情のな にも知らないまま、ただ当たり前に書きに書きまくっていたのだが、それが「いろんな損」に結びついていたか知れぬとは、それさえ察していなかった。ときど き人に囁かれて、そんなことって有るのかなあと思っていた。
2018 5/16 198
* ピンポンとチャイムが鳴った気がして急いで寝床から玄関へ出たが、誰もいず。そのまま二階機会の前へ来た。機械が作動するのに信じがたいほど時間が掛かる。じっと辛抱して待つのも、修業のようなもの。待つ間に本を見ている。
わたしの新刊「一筆呈上」 いまのところ見当はずれは見つけていない、概して今も共感、つよく共感できる。「大波小波」欄へ本一冊になるほども書いた人、どれほど居ただろうか。「匿名とはいえ、筆者の名は知れて了う文壇」と、元・筑摩書房の編集者はためらいなく証言!してくれていて、世間知らずのわたしなど今頃に「やっぱりそうか」とむしろ感心してしまう、そういう世界であった、今もあるのだろうか「文壇」とは。「騒壇餘人」への道はついていたのだと、分かり良くなった。
☆ 「大波小波」を
お書きになっていたのは、びっくりしました。40年来の東京新聞読者ですので、すべて拝読していたはずです。 江東 藤原龍一郎 歌人
☆ 「一筆呈上」
うれしく拝掌致しました。
田植えもすんで茶緑色がうれしいです。
一筆一筆…励みになります。
「武玉川」 いいですね。
どうかお大切にされてください。お元気で。 千葉 e-OLD 「か」
☆ 大雨の后
晴天に恵まれ、糺の森は輝やくばかりです。葵祭の行列は、今頃は下鴨神社に到着していることでしょう。
世の出来事の理不尽に溜め息しかない日々、「一筆呈上」に救われる思いです、感謝の念で居ります。
何卒ぞ穏やかにお過しの程を。 京・下鴨 澤田あや子 同窓
* 元・岩波「世界」の高本邦彦さん、山梨県立文学館、天理大学、作新学院大学、またエッセイスト高田欣一氏からも近況とともに、ご挨拶があった。
☆ 先生のエッセイ
実に興味深いです。
今回もその時代をふり返って思い出せる楽しみがあります。 静岡 鳥井きよみ 2018 5/17 198
☆ 『湖の本 139 一筆呈上』
お送りいただき、ありがとうございます。
重い言葉が並んだ御本。
文字を辿ってゆくのは、できないわけではないけれど…
先生がお書きになっておられることの、いったいどれほどを分かっているだろうか? と自問してみると、ため息がでます。
ため息しながらも… 至らないなり、分からないなり、の今の自分でしかないのだから… 読ませていただいたことで、次の一歩が踏み出せる。ほんの少しであっても、前へ進んで行ける。そう思いながら、読みついでいます。
ありがとうございました。
H P を拝読し、奥様が転倒なされたと知り、肝を冷やしましたが…大事にいたらず、何よりでございました。安心いたしました。
これから、過ごしにくい暑さや、じめつく季節がやってまいります。
どうぞ、お大切になさって下さいませ。 百 拝
☆ 湖の本139巻おめでとうございます!
お元気ですか?
湖の本ご出版、おめでとうございます!
本は一昨日に着きました。
私は随分足も腰も良くなってきました。
毎日のウォーキング、ストレッチ体操(一日何回も)、夜お風呂で温める、を、私としては今までになく頑張りました。
迪っちゃんは体調が良いとのことで安心していますが、大丈夫?
秦さんも、いつも書いて下さる字を見て、お元気かなあと思っています。
いつも言うことですが、無理だけはしないで頑張って下さいね! 琉 義妹
2018 5/17 198
☆ リラの咲くころ
hatakさん
湖の本『一筆呈上』届きました。
切り口鋭く気力と体力の漲りを感じました。少し怖いぐらい。
五島美術館の受付嬢の話、良かったです。
あそこは庭のこぶしの老木が見事ですね。収蔵品に負けていない風格があります。
札幌はまもなくライラックの花が咲きます。奥様共々お大事にして下さい。 maokat
* 五島美術館 いっしょに行きたいですね。maokatn あなた方もお大事に。 hatak
☆ (前略)
編集者時代「大波小波」は必読のコラムだったこともあって懐しく、一気に読了いたしました。
秦さんが筆者のお一人だったことは全く存じませんでしたが、匿名を有効利用しながら決して品位をおとされぬ業で、あの時代の文藝界・世相に真っ当な異議申し立てをなさっているのを楽しみました。異色の蔵出しですね。お礼申し上げます。
暑さに向かいます。どうぞご自愛下さいませ。 元「群像」編集長 敬
☆ (前略)
マルチ作家秦 恒平氏の一つの優れたエッセイ・評論・批評部門の一部、幾百の名文を読むのが楽しみです。ほぼ同年代を居って生を得て来た者として嬉しい作品です。
本当にありがとうございます。 都・府中 杉本利男 作家
* 上越市の国文学者黄色瑞華さん、都・小金井市の奥田杏牛さん、江戸川区の俳人清沢冽太さん、親鸞佛教センター所長の本多弘之さん、またノートルダム清心女子大、神奈川県立文学館、上智大学、大正大学等々の受領挨拶も戴いた。
清沢さんからはご支援まで頂戴しました。
2018 5/18 198
☆ お元気ですか、みづうみ。
帰国してからまたひどい風邪になり青息吐息で過ごしております。やっと高熱から解放されましたが、咳き込むので安眠はできません。大きな病気をしないというだけで、自分の身体能力の劣弱に心底失望します。
それでも頂戴した湖の本139巻『一筆呈上』、すでに三分の二ほど読んでしまいました。集中が続かない今の病床にふさわしい細切れ読書にぴったりです。以前から読みたいと願っていたものが本になっている嬉しさ。
見出しの題名から最後の名乗りまで、みづうみの筆の切れ味を楽しみつつ、書かれている内容の先見性も深刻さも、より無惨なかたちで現世相に証明されていると感じています。
埴谷雄嵩の遺言、
「私の独語、それが同時に人類の独語になることを目指すのが、『文学』であり、しからざるものは、ただの文字の連なりである」「『文学』を志すものは聴け、埴谷雄嵩の独語を」と 生霊2さんに檄を飛ばしていただき、早く日常生活に復帰したいと願っています。
滴 滴りの五つ六つの水輪かな 高野素十
☆ 『湖の本 139 一筆呈上』
匿名で新聞に執筆なさった文章を纏めて下さったのは大変有難く、読み終えたところです。
折に触れ訴えられてきた言論・表現の自由侵害への危機感にはおおいに共鳴、78-79も心して読みました。
「うすら寒い国文学雑誌」 お世話になった岩波の「文学」もとうとう廃刊、
「使える年譜にして欲しい」 今月末に昭和5年までの補遺を出しますが、その補遺の補遺がはや必要で、あり得べき<理想>の年譜を目指して加筆修正を心がけねばと思います。
「『代作』ノーベル文学賞?」の板坂の直観的感想が部分的に面白かろうと、代作でないことは同年刊行の三島との往復書簡や(川端康成)担当編集者の通信記録を持ち出すまでもなく、沢野らにそんな力量なぞないのでは。
新しく買ったスマホの操作不慣れな上、昨夜からパソコンがなぜかネットに接続できなくなってしまい、困っています。
なんとか復旧するといいのだけれど。手におえず、家族の帰りを待ってます。 川端年譜筆者
* 「一筆呈上」はすべて前世紀の古証文、当時の世情や風聞や思念によって「批評」として書いた者。今日からすれば当たらぬ事もあるし、しかし、今日なおまったくこの「批評」に堪え得ていない遺憾な現実も夥しいというところで、共有ないし再批評して欲しいと願っている。
2018 5/18 198
☆ (前略)
東京新聞の「大波小波」は京都にいる時も、まして福岡では目にすること叶わず、わずかな上京時にのたのしみでしたが、それをまとめて、しかも「秦 恒平」のを読めるとは、まことにありがたいことです。御礼まで。敬具 九大名誉教授 今西祐一郎
☆ (前略)
先生による「筆誅」の一部が一巻となりましたね。
「うそくさい世」が続く限り、この腸の煮えくり返るようなくやしさがおさまることなどはないでしょう。同感、同感、同感です。 神戸市 岡田昌也
* 茨木市の石毛直道さん、東海学園大学、立命館大学からも「湖の本」139受領の挨拶があった。払い込みも順調に。
2018 5/19 198
☆ 湖の本
梅花卯木がこのところの風で散ってしまいました。
秦先生、『湖の本139』拝受。有り難うございます。16日に入金させて頂きました。
「一筆呈上」、東京新聞の「大波小波」にも執筆されていたのですね。当地では「中日新聞」の夕刊でいつも楽しく読んでいました。「なるほど」と、その優れた洞察力や批評精神に感心するしきり。中身に沿った筆名も面白く、味わっておりました。
短文なので、再読も、ちょっとした隙間のような時間でも楽しめます。時事なのに古びた感じがありません。有り難うございます。 珊
* 「異色の蔵出し」といわれ、ま、思い通りに受けいれて貰えているようで、有り難し。
ときに敢えて試みる脱線も含むにせよ、要は、観測と批評。そして時代というのは悪しい面ほど容易に変わってくれないままかえってひどくなるのが、ありあり見えてくる。そこを的確に見つめながら対応しないと。
むかし朝日子が、時としてわたしの口を叫ぶように封じたことがある、「パパが言うと、当たっちゃうんだから」と。
2018 5/21 198
* 前の文春専務寺田英視さん、脚本家の小山内美江子さん、詩人で図書館学の馬場俊明教授、歴史学の小和田哲男教授、歌人の阪森郁代さん、国文学島津忠夫 先生のご遺族、喜多流シテ方香川靖嗣さん、大学同窓の安川美沙さん、市川澄子さん、さらにまた広島大学、 群馬の都澤しづ子さん、愛知知多の久米則夫さ ん、京・有栖川の桐山恵美子さん、金澤の金田小夜子さん、京・山科の長村美樹子さん、大阪・高槻の井土厚子さんら、「一筆呈上」熱く受けいれて下さり、ホッとしている。
とても一つ一つ此処に列挙させていただくには数も量も多くて。 感謝申します。
☆ 略啓
「一筆呈上」有難く頂戴しました。
最近の新聞も雑誌もコラムの楽しみが消え失せました。
筆人を刺すとも血を見ない縦横の切味と慎みを久々に味はひました。 不備 寺田英視
☆ (前略)
二十数年前の新聞のコラムとはおもえない いまの世を映しだされていて、先生のこの国や社会を「一言堂」にしたくないお気持をお察しいたします。 馬場俊明(あきとし・じゅん)
2018 5/21 198
☆ 一筆呈上
晴れやかな空、庭の花々は咲き誇っていますが、今から暑さに参りそうな・・。この季節は苦手と書かれていますが、今日は如何でしょうか。
『一筆呈上』については既に多くの方が感想意見を述べていらっしゃいます。三十年近く年月が過ぎても同じ問題が厳然としてあり、書かれたものが古びてなどいないということです。
家に戻ってから二日、漸く半ば近くまで読み進みました。東京新聞は読んでいませんし、初めて読むものです。
最初の井上靖『孔子』について、ずっと以前に感想を聞かれたことがあり、孔子、儒教が分かって書いているのだろうか、など僭越な感想を返した記憶があります。
その他、実に多くのことを感じ考えさせられています。
が、特に述べ指摘したいのは、鴉のネーミングのセンス抜群!!!という点です。
常の名乗りの「有即齋」は勿論のこと、「一筆呈上」のそれぞれの文の終りの書き手の名前、例として始めの辺りだけを書き出しても、「政治屋、不信、へんくつ、天使の詩人、御用絵師、反右翼詩人、偽善者、理想の文士、下足番・・・!!」
書き出したらキリがありません。本当に面白い、全部面白い。
天皇制に触れているところは以前から一度お聞きしたいなと思っている問題でした。京都御所の中を歩くと、いつも東京に遷都する以前、この辺りはどんな様子だったろうと思い描きます。近現代の日本の姿を思います。
日常は変わりなく、いくらかの腰痛を抱えて、遠く旅に出たいなあと嘆いている鳶です。
今回の京都行きは時間の余裕もなく、肌寒かった天候にも左右され、歩き回れなかったのが少々残念でした。
が、仏光寺御幸町下がるの京都市学校博物館に初めて行きました。「日本画開拓の時代」という催しがあったので。
竹内栖鳳や富岡鉄斎を除いては森寛斎や鈴木百年、幸野楳嶺あたりでも殆ど知る人はいないでしょう。京都市では明治になって工芸振興を図るために初等、中等教育の場で日本画を重視して
いたとか。その影響でしょう、市立学校が所蔵する工芸品もかなりあると。
知らない事の多さに驚き嘆きます。
烏丸二条の放光堂さんで絵の具を少し買って帰りました。
くれぐれも大切に、大切に。 尾張の鳶
2018 5/22 198
* 火曜日はふつう郵便が来ないが、東村山の写真家近藤聰さん、選り抜きの地酒一升を下さって、「秦さんの『天声人語』と称して文章中の喜怒哀楽を噛みしめております」と。
山梨県立文学館の中野和子さん、埼玉県の文教大学、西東京市図書館からも礼状届く。
2018 5/22 198
☆ (前略)
「私語の刻」に大いに共感し賛同する一人です。「社会を『一言堂』になど決してしたくない」に同感です。反骨の批判精神を読ませて頂きます。 札幌市 山本司
☆ 湖の本
もっとももっともと心強いご意見の数々、するどく読ませていただいています。ありがとうございます。 練馬区 晴
* 宮下襄さんの転居通知、また大東文化大学、鳴門教育大学の受領挨拶が来ていた。 2018 5/26 198
☆ 季節のご挨拶
秦先生、 ご無沙汰しております。いつの間にか五月になりました。本来ですとまさに天下の五月
晴れを期待するところですが、なんとなく気分が高揚いたしません。自然現象より国内外の政治環境の方が影響大なる気がいたします。
先生におかれましてはますますのご健筆、まことに嬉しく「選集・湖の本」の毎回を楽しみにしております。
私の方はようやくペン(世界ペン、日本ペン)の煩雑な仕事から解放され、10数年ぶりに今までの経験を纏めようと思うのですが、いつの間にか出版を巡る 社会も変わり、容易にはままなりません。それでも今まで経験してきたペンクラブの活動を基礎に、最近は文学の現代的意義を何とか見直し、その意味で2つの 活動に重点を置き始めています。
ひとつは日本文学における詩、とりわけ俳句の力を見直し、いうなれば俳句の地球化運動ともいうべき啓発、ついで前の世界大戦で多くにシビリアンが巻き込 まれた沖縄・長崎への原爆投下、そして沖縄に焦点を当て、文学からいかなる平和構築への道を築くことができるか、その2つの命題に取り組んでいます。
先月は広島・長崎原爆記念館、ならびに国際交流基金のご支援を経て スロベニアの8つの大学でワークシップを開催してきました。この地域の日本に対する関心度は予想以上に強く、若い学生の反応は目を見張るものでした。
この10月にはハンガリー、セルビアを訪問、同じようなプロジェクトを実施する予定です。
文藝の分野における私自身の無能さを棚に上げるつもりはないのですが、今までの経験を何とか文学の分野に反映できれば、との願いでもあります。
いろいろ、余計なことをご報告してしまいましたが、今後のますますのご健勝を祈念しながら季節のご挨拶をさせてください。 堀武昭 世界ペンクラブ専務理事 日本ペンクラブ理事
* また新たなお立場から大いにご活躍下さるよう期待しています。
* 京・有栖川の桐山美恵子さん、観るから大きく美しい賀茂茄子を三つと、翠艶やかにみごとな大唐辛子、つくね芋、用意された糠や味噌や味付けも添えてお送り下さった。妻が大喜び。わたしは目を楽しませて戴いた。京野菜の精選、有難く。
* 東京大学大学院 から、選集・湖の本本へ受領の来信。
2018 5/27 198
* 明日の午後おそめ、久しぶりの聖路加で二科の診察を受けてくる。降らねばいいが、降って涼しいのもいい。
六月が逼ってきた。選集26と湖の本140の発送を挟んで、作家生活49年、湖の本創刊32年の桜桃忌が来る。暑い真夏も来る。心身健やかに慎重に乗り切りたい。
2018 5/27 198
* 横になっても、脚の攣縮痛と肩や頸の痛みは退かず。サロンパスを貼りに貼る。
外出続きであったとはいえ、こんなテイタラクでは衰弱してしまう。なにより、どんな旅も難しくなる。
五月はあと三日。「選集26」を六月八日に送り出しの用意は、この月内に出来る。すぐ引き続いて二十二日の「湖の本140」発送用意に掛からねば。六月はよほど忙しくなる。
しかも何よりは、長編創作の、鍛錬。渦を巻いてきている。
2018 5/28 198
☆ (前略)
「東京新聞」匿名の連載「大波小波」の見事な斬れ味を実感しつつ、「うそくさい世」の出版界を思いました。それにしても「通俗な文学と作家を歯牙にもか けない貧乏文士」とは。谷崎終平氏の死、森銑三先生、木下順二訳「薔薇戦争」、埴谷雄高の独語 改めて噛みしめております。襟を正す思いで読み返します。 御礼 敬具 原山祐一 新聞記者
* 神戸松蔭女子学院大学よりも受領の挨拶しあり。
* モリ、カケ、アベのウソクサイどころかウソそのものの悪政に日大アメフトのウソ・ハラ騒ぎ、吐き気がする。
2018 5/29 198
* 元・平凡社の遠藤勁さん、映画の広告を無数にあつめた刷った冊子を送ってくれた。この人、敗戦後の引き揚げ京育ちで高校時代まで過ごしたらしい。
☆ (前略)
今回の『一筆呈上』全ておっしゃる通りで無念すく思いです。当時「大波小波」い゛拝読し、筆者は誰だろうかと色々想像したものです。
さて同封の映画ポスター集、その後も改訂を日々行っています。
小学生の頃、親父に連れられて行った館で記憶に濃いのは「八坂会館」です。「ターザン」もの、「スエズ」「スタンレー探検記」もここで観ました。河原町や新京極の大きな小屋より、西部劇、戦場ものが多く掛った烏丸映劇(?烏丸四条、京極では「八千代館」がひいきでした。 遠藤勁 拝
* わたし、映画の思い出を喋り出したら際限がない。若尾文子の愛らしい「若紫」に痺れ、ジェニファ・ジョーンズの「野狐」に戦慄し、妻と出会ってから二 人で観ておぼえているのは、ミレーヌ・ドモンジョのもの、そしてカーク・ダグラスの北欧の海賊映画だった。感銘を受けて立ち見のなかで泣いたのは黒澤映画 の「生きる」だった。
2018 5/29 198
☆ (前略)
「東京新聞」の「大波小波」の執筆御常連(=2001年まで。以降は無縁)とは吃驚、怖れいりました。小生、昔のクセ直らず、いまでも毎夕、夕刊のみ配 達して貰っています。(近年=)幅が広がった分、興味が薄くなり、匿名の良さを生かした文章になかなかお目に掛れぬのは、さみしい限りです。
『一筆呈上』では、その辛口が、文壇に、歌舞伎に、ペンクラブに、政治に、直球やカーブ、さまざまな投法で、こんなにうまく書かれていたとは、感服。「東京新聞」記者の眼利きにも。
大久保房男さんの苦言へのご感想も、自称弟子としては嬉しいご発言ではありました。
御自愛を。 御礼のみ。 徳島高義 講談社役員
* わたしたちは一九五九年の上京結婚以来(最初は新聞など購読できなかったが)なにより安いのと薄いのとで「東京新聞」で通してきた。他は必要に応じ一 部買いしていた。初めのうちは気恥ずかしい広告も載る新聞でよく呻いていたが、東京新聞のことに今世紀以降の政治を観る眼には終始共鳴し、一昨年には朝日 新聞の「朝日賞」に「東京新聞」のことに政治経済社会面の編輯ぶりを候補として推薦した程である。
ただ、「大波小波」欄は、我から退き離れて以降はめったに目もむけてこなかった、むしろ妻のほうが読み続けていて、ことに近年は「味が薄い」というか、 書籍のただの評判が多いなどと聞いている。「批評」は思想の表現であり、匿名批評は匿名なればこそ公正であらねば暴言妄言に終わってた了うと思っていた し、今も(匿名批評はしていないが。)そう思っている。辛口甘口などというモノサシは気に掛けたこともない。署名で書いてきた意見や思想と背理していると も思っていない。匿名批評にはもう一つは短文の技術とセンスが必要になる。それの無い書き手は匿名批評になど手を出すべきでない。
もともとのベテラン編集者・記者から今回の『一筆呈上』の書きように賛同が得られているのには、ほっとしている。
2018 5/30 198
* わたしの好きな映画シリーズに「釣りバカ日誌」がある。昔昔に第一話を観た日から「スーさん」の幸福感をわたしのもののように受けいれた。これは明ら かにわたしの唱え表し続けてきた「身内」映画である。そしてまたハマちゃんの奥さんミチコさんを演じる「石田えり」が、これ以上の理想的な女・妻を日本の 映画は生んできただろうかと思うほど、好き。
で、録画を観かつ聴きながら、はや、六月二十二日出来の「湖の本」第140巻発送の用意に、封筒へのハンコ捺しをコツコツコツと始めた。妻が退院の日までにハンコ捺しを終えておくと、ずいぶんラクになる。宛名カードは妻に刷って貰っている。
六月八日の「選集」第二十七巻送り出しの用意は、もう全て仕遂げてある。その日までに、せめて退院していてくれると気が晴れるのだが。
2018 6/1 199
☆ 拝復
日替り気温の高低差のはなはだしさに悩まされましたがはや梅雨の兆し、思うにまかせぬ日々です。東京はいかがかと案じております。
『一筆呈上』ご恵与たまわりありがとうございます。年月経ても色あせぬ小気味よき痛烈な批評に感服。毎章筆名異なるので、同一筆者と気づく方いたのかな など。唐突な「秦 恒平」登場など遊び心もあり、(この度=)お名前明らかにして いっそうの迫力ありと存じます。「スパッと辞める覚悟」まさによ今日の課題でもあります。
先年 むのたけじさんの「たいまつ十六年」を読み返し昭和20年代の北方領土、原水爆禁止運動などのご発言 現代に至るも何の解決つかぬまま歎かわしいことです。
卒業生がなくなり残された母上の嘆きいかばかりかと 逆縁いかんともしがたく、回覧すべき方が少なくなり、私止りになること申し訳ありません。
初めて拝見することとて読書時間たちお礼言上遅くなり失礼しました。
お揃いでお大事に
樟若葉とよもし小兵勝名乗り
亡くなった卒業生と、古語を使用するに短詩ふさわしいこと語り合ったこと思い出しております。草々 信太 神戸大名誉教授
* 漱石は、さびしい意味で「寒しい」と表記する人であったのを思い出す。寒暑をとわず、さびしいことが小波なしてせまってくる。
* 久留米大学からも、昨日、『一筆呈上』受領の挨拶があった。
2018 6/3 199
* 「湖の本140」発送用意の七割ガタまで進めておいた。安心というもので、安心に乗じ、躊躇っている小説の難所へ吶喊したいもの。
もう十時半になっている。機械から離れる。
2018 6/5 199
* 三十二年も「湖の本」制作を御世話になっている古城さんからは、三鷹市美術ギャラリーでの、歿後70年太宰治展への招待が届いている。六月十九日には 禅林寺で墓参していた時季もあったが、久しいことになった。太宰治賞を受けたのがちょうど49年以前であった。太宰の死から21年めであったのか。選者の 石川淳 井伏鱒二 臼井吉見 唐木順三 河上徹太郎 中村光夫各先生も筑摩書房社主ほか関係の方々も、みな亡くなられている。受賞先輩の吉村昭さん(二 回) 一色次郎さん(三回)も亡くなり、遅れての宮尾登美子(七回)さんらも亡くなっている。なんだか、わたし、古物か骨董品のようになって生き残ってい るようだが、まだ若いつもりでもいる。
2018 6/6 199
☆ 『一筆呈上』
ピリリと辛い 読んでいると、声まで聞こえてくるような お顔まで見えるような……
痛快 痛快…… 鎌倉 橋本美代子
* わたしの「大波小波」寄稿には 匿名に隠れて邪まに人や事や物を貶めようと謂う気は無かった。人気のコラヌを利してわたの「批評」を文と藝とでおもしろくもヒリリと辛くも表現したかっただけ。
2018 6/10 199
☆ 拝啓
梅雨の候ですが、野山の変化に驚く季節となりました。
突然のお手紙にて失礼いたします。
『湖の本』を(創刊の=)初めからいただいて(=購読して)いるものです。高齢で文字が流れてお読みにくくなりまして、原稿用紙を使用いたしました。
過日お送りいただきました『湖の本』(一三九)を読んでおりましたところ、二十五頁に一九九〇年にお書きになりました 「*唐木順三のあとか出ない」の項を読みました。
過日 評伝作家といわれる澤村修治さんの『唐木順三』(ミネルヴァ書房刊)を読んでおりました。
先生の『湖の本』の該当頁をコピーしてお送りしましたところ、次のようなご返信をいただきました。勝手ですがお知らせいたします。
「秦 恒平さんの気概あふれる文章、まったく同感です。唐木逝去後、時代はめまぐるしく変わりましたが、失われたものの重大さに気づかされ、茫然としてきまし た。とはいえ、かつて唐木がおり、その文章が残っているのは、救いに思われます。増田さんのご教示を受け、唐木の書いたものに襟を正して向きあう必要を再 確認した次第です。…」
勝手なことをしてしまったかと思いましたが、ご容赦ください。おつかれのことと思いましたが、あまりに偶然という感じでお知らせいたしました。 敬具 国分寺市 増田良吉
澤村さんは一九六〇年生れ、たしか中央公論社の編集者だった方です。
2018 6/14 199
もう今晩は打ち上げと、床について、それでも「湖の本」141巻初校を、気を入れ、し終えておいて、寝た。
2018 6/16 199
* 選集二十七巻は念校依頼分が届いたら、全紙「責了」に入念に手を掛ける。「湖の本」141巻は内容充実、少しいつもより分厚い一巻にもなるが、纏め得 てよかったと思っている、跋文、ツキモノなど添え、表紙もともに、140巻の出来てくる二十二日よりさきに「要再校」で送り返せる。
2018 6/17 199
* 「湖の本」141 表紙、あとがき、奥付添えて 全要再校で送り返した。「選集127」の要念校ゲラが届いたので、急ぎはしないが、「湖の本140」 発送など間にも「全責了紙の点検」を進めて月内には責了にする。じつは「選集28巻」の編輯に苦慮している。原稿が足りないのではない、予定で残り六巻分 には有り余っていて、どうきりぎりいっぱい入稿しどう残り惜しく剰すかに頭を悩ましている。ま、生きている間書き続けるのだろうから選集に収録できない作 や文が居残るのは当然の話。ま、思い切るしかない。
それよりも書きかけの長編二つをスッパリと仕上げることだ。
2018 6/18 199
* また気ぜわしくなってきたが、明日「四十九年」めの桜桃忌午後には、妻の入院で延期していた歯医者へ夕方には出掛け、あと、その脚で街へ出ようかと話 している。明後日には聖路加の内分泌診察があり、金曜にはもう「湖の本」第140巻発送が始まる。三十二年ものあいだ140回も本を「発送」という力仕事 を重ねてきたわけだ、なんという珍な作家で珍な夫婦だろうか。そして七月早々にはまた聖路加へ通う。どんな暑い真夏を迎えるのだろう、関西の大地震の被害 たいへんと聞くが、あの人この人らみな無事を願わずにおれない、天災地災も、政災もまこと叶わない。
* 小説を前へ前へ押し進めたいと、せめてそればかりを願っている。バテて潰れないように気を付けたい。
2018 6/18 199
* 朝一番、もう何十年来、桜桃忌を期して頂戴してきた山形県「あらき蕎麦」又三さんからの色美しく熟れた桜桃がたくさん届いた。湖の本購読者としての 「あらき蕎麦」とのご縁をつくって下さったのは生前の福田恆存先生である。一度に十数人もの購読者をご紹介いただいたのだ、全く同様に永井龍男先生も十数 人もの湖の本読者をご紹介下さった。福田先生の奥様はいまも毎回本代を送ってきて下さる。有難いことである。
2018 6/19 199
* ギリギリ一杯、発送用意に半日の余裕を残して、明日の「湖の本140」納品を待つ。
2018 6/21 199
* 九時前、作家生活満49年 「湖の本」創刊32年第140巻、出来てきた。
思えば久しい、弛みない足どりであった。みなさまのご支持、妻の献身の協力が有ってこそで、感謝に堪えない。
* 発送作業に入る。
2018 6/22 199
* 発送作業、懸命にがんばった。今晩も、明日も、つづけて頑張る。今、夕食前、ほっとして酒に身を預けていた。
* 夕食後も、映画「歌行燈」に感動しながら作業を続け、妻はさきに休ませて、いま、十一時半まで独りで発送のための作業を続けていた。また、明日、同じ作業を続ける。 2018 6/22 199
* 懸命作業、夕刻ほぼ見通し立つ。
☆ 謹啓
梅雨も半ば。今年は明けも早く、暑さ厳しくなりそうとの予報、奥様ともども健康をご案じ申上げます。
さてこのたびも御「選集第二十六巻」を頂戴いたしまして誠に有難うございました。
今集は、秦さんの過去、現在、未来にかかわる「京都」とあって、中身も厚さも尋常ならざるものと感じます。
まずは、北澤恒彦さんとの「兄弟往復書簡」を拝読、改めて実兄恒彦様との心の交流が実生活同様、束の間といってもよいような短い時間であったと知るにつ れ、このような形で「京都」を語り合ったこと、本当に貴重で示唆深い交歓のときだったと思います。甥の黒川創さんにもご兄弟の血が色濃く流れていてご活躍 になっているのでしょうね。
御身大切に。御礼まで。 徳島高義 講談社役員
* 思い立と、よく往復書簡を実現しておけた。よかった。書簡やメールの往来こそあれ、やはりこうしたたとえ「湖の本」であれ表立ったかたちで言い交わし 語り交わしていないまま死なれていたらどんなにか寂しかったろう。「湖の本エッセイ28」の『死から死へ』は江藤淳の自死から兄北澤恒彦自死までの半年を 日記でつないだものだが、重いきつい辛い二つの死であった。わたしには死ぬなと教えていったような二人であった、一九九九年の後半年だった、歳月の歩みの 険しくも速いことよ。
2018 6/23 199
* ここ暫くは重労働を要する仕事へはすこし間が開いて、そして「選集27」と「湖の本141」が出来てくる。八月九月のこととしたい、むしろその次の編輯が先行する。それより先に、しかかりの小説のガッチリした進行と補強が大切で、頭から離れない。
* 一つ階段を踏んだ。
2018 6/23 199
* 「湖の本」140巻の発送を終えた。もう先行分は届き始めているだろう、か。
2018 6/24 199
☆ 湖の本 140 をいただきました
秦恒平様 今年も厳しい夏になるな、と思わせる一日でした。体調を維持されているようで何よりです。
本日、『湖の本』140号をいただきました。ハイスピードのご出版に驚いております。早速に御本を拝見しました。芸能への造詣の深さに感じ入ります。見るべきほどのものは遠慮なく見る、ですね。評言を興味深く拝見しました。
「文藝家協会を率いる江藤淳『南州随想』その他の「後ろ向きなパセチックな危うさ」とはよく見抜いておられましたね。
巻末、「穏やかではおれなかった『平成』」の基調には頷くしかありません。
来年行われる「皇位継承の儀式」では三権の長が新天皇を仰ぎ見て、「天皇陛下万歳」を三唱するでしょう。これが宗教儀式でなくてなんでありましょう。日本がアメリカの「醜(しこ)の御盾(みたて)」であることを、その瞬間だけは忘れていられるということでしょうかね。
ありがとうございました。ご夫妻の平安を祈り上げます。 浩 ICU名誉教授
* 「湖の本140」も届き始めたらしい。
2018 6/25 199
☆ 有楽
先生のHPを読むことができず… もう、だいぶん長い日が経ちました。
開いて読むことは、できないのですが… かろうじて撮った写真は送れそうです。 もしかしたら届かないかもしれないけれど、送らせて頂きます。
先生からの御本『湖の本 140 有楽帖(二)ほか』を手にして、嬉しい気持ちでいっぱいです。言葉にふれる喜びを与えていただいて、樂しむ時間を過ごせると思うと、嬉しくてなり ません。 有り難うございました。
今日(=昨日)、京都は今年一番の暑さで、34℃になりました。これから、一段と過ごしにくい日がやってまいります。どうぞ、くれぐれもお身体おいとい下さいませ。 先生も奥様も、お元気であられますように、祈っております。 取り急ぎ、御礼申し上げます。 鷹峯 百 拝
* 南嶺か。どこで採取できたのだろう。
* わたしの此のホームページはかつて悪辣な妨害を受け全滅したことがある。なんでそんなことがしたいかと惘れるだけだが、ま、どうにでも成って行くものだ。
* 新刊が刊行になると印刷所は決まって一部抜きという刷り出しを二部届けてくれる。「湖の本」も選集も本紙だけを天地とツマミとをきれいにカットしてく れるので、表紙製本分を手にするよりまことに気軽にバッチンで留めて、気軽に持ち歩けるし読み返せる。書き込みも遠慮要らない。気軽に扱い好い。創刊以来 みな揃っている(はず)なので、その気になれば「読み返し」ながら「誤植訂正」もしておける。
今は忙しいが、気づいた限り、てぢかな巻から実行できると好いなと思いついた。
2018 6/26 199
☆ ご本 届きました。
昨日今日と もう夏? それとも梅雨の中休み? すっかり暑くなってまいりましたね。
先生もおげんきそうでなによりでございます。
ほんとに たまにはお茶でもしたいですね! 美味しいお店をご存じならば教えてくださいませ。
日曜日にお気に入りのピアニストのコンサートで、鎌倉、鴎林洞という素敵なカフェにいってきました。鶴岡八幡宮のお池の蓮の花もみごとでした! ジューンブライドなのか 結婚式二組も目に。外国人は喜んで写真をとっていました。 ゆめ
☆ 秦先生
大阪の岡崎です。
「『湖の本』140 有樂帖(二) 一筆呈上(続)他」落掌。ありがとうございます。毎回、いただくたびに拝受のご連絡を…と思いながら拝読してから…となってタイミングが遅れるとお送りしにくくなり…という悪循環で 失礼しております。
「おだやかでなかった『平成』」を読ませていただき、今年5月以降から来年末までの恒例行事は「平成最後の」という“枕詞”がつく現在について考えております。
その前から、いろいろと思うところもあり、今年のゴールデンウィークは久しぶりに沖縄本島にも行き、宜野湾や嘉手納の基地、戦時中に前線基地や野戦病院などとしてつかわれたガマ(洞窟)などを見てきました。
8月6日には(仕事に絡んで)広島に平和祈念公園に行く予定です。
17歳のときに
昭和37(1962)年生まれの私は「はっ!」としたことがありました。
自分が生まれたのが敗戦から17年後、
「17年」が自分のまだまだ短い人生に収まる歳月だと思ったら「戦争」がそれまでになく生々しく立ち上がってそれまでとは少し違った感触のようなものを覚えたのです。
そして平成30年。
昭和60年から平成の27年9月末まで 「新聞記者」として生きてまいりましたが、どこの社に所属していたかは関係なく「新聞記者」だからこそ、見えてなかったこと…死角のようなものですね…のさまざまに愕然とすることがあります。
世の中の「事件」は 新聞記者ならではの「物語」の鋳型にはめ込まないと、発信できないというシステムがあるような気がします。
否定する関係者も多いでしょうが、強く否定する人物ほど、自分が落ち込んでいる定型的な「物語」の鋳型の存在に気づいていない、という思いは新聞社を離れ別業界に移って約2年半、確信となっています。
しかし
一方で文字で「事件」を伝達するテクニックとしては それを凌駕するシステムがまだ出現していない気もしています。
それは 「受け手」の側も長年の癖で鋳型にはまったものしか咀嚼しにくいからかもしれません。
ここまで書いて
自分は、いったい何が書きたいのだろう、というバカ丸出しの状態になっておりますが、まぁ「死角」には気をつけたい、ということで。
いつも、とりとめのないことで、すみません。
ちなみに
18日の地震は 大阪・北千里は けっこう揺れました。北千里のある吹田は「震度5強」で阪神大震災のときと同じだったのですが、震源地に近いせいか、より大きく感じましたし、家のなかの荒れ具合も今回の方が大きかったです。
その日は 最寄りの阪急、北大阪急行・御堂筋線、JR、大阪モノレールのすべてが動かず、仕事場にも行けませんでしたが、無事でした。
今年は梅雨明けが例年より早く暑さも厳しいという予報。
お体 何卒ご大切に。
☆ 御礼
「湖の本」140 有楽帖(二)一筆呈上(続)・他 のご恵投に与り、ありがとうございました。
今回も歯切れのよい現代世相批判を堪能いたしました。
それにしても沢口靖子からジャック・レモンまで、イチローから小錦までといった芸能・スポーツの世界にいたるまでの秦様のご関心の広さに 改めて感服いたしました。優れた作家の条件の一つが幅広い好奇心であることを 改めて認識した次第です。
私のほうは次作「西行」のためにいろいろ文献を読んでおりますが、『義経記』のようなエンターテインメントといってもいい作品が室町時代に既に存在していたことにいささか驚いています。『保元』『平治』に比べ、はるかに読みやすく親しみが持てました。
私も 西行が「小夜の中山」を超えた年齢を超え、己の人生を真剣に振り返らなければならないと思っております。今後もよろしくご指導ください。 持田 拝
2018 6/26 199
☆ 秦 恒平様
いつもいつも『湖の本』を御恵投賜り、厚く御礼申し上げます。拙い句集(『銀』しろがね)を同封致しますので御目汚し頂ければ幸いに存じます。 暑さへ向かう中、御健やかな日々でありますようお祈り申し上げます。不一 明治大学(教授) 西山春文
* 句集は概してにがてなのだが、頂戴した『銀』からは胸へ届いている佳句が次々に見つかり、嬉しがっている。西山さんは昭和三十四年生まれの明大教授、 わたしたちの上京結婚した年の誕生というから、若いなあというより先に自分の歳のとりように驚いてしまう。西山さんの先生は、大岡信さんだったというから お若いわけだ。大岡さんとは井上靖さんに連れて頂き一緒に四人組追放直後の北京入りした仲だ、亡くなるまで、亡くなってからもご子息の手で何度も遺著を 頂戴している。
☆ 『湖の本140』いただきました。
「一筆呈上」のつづき、楽しく読ませていただきます。
中に、中村真一郎さんの記事が目に留まりました。秦さんを知る前には、私が興味を寄せていた作家は、中村さんでした。ずっと前、日本近代文学館で全国の 文学館協議会なるものがあって、当時委員をなさっていた中村さんに何度かお会いしました。休憩時にパイプをふかしていらっしゃった(記憶に誤りがなけれ ば)中村さんと言葉を交わしたことがありました。「オンデイーヌ」のことなど話題にしたような覚えがあります。
この方のお作も気楽に読めないこと、秦さんに通じる(意味が違いますが)ものがありました。お二人に通じる私の印象は、あえていうなら「好奇心旺盛」ということのように思います。お二人とも私を未知の世界に導いてくださいました。
先日旧知の松本徹さん(前三島由紀夫文学館館長)から『西行 わが心の行方』という著書が送られてきました。西行の後追いで京都が書かれています。秦さ んのお作と取り上げ方は違いますが、これはこれで興味深く、『選集』の記事と重なってこのところ「京都浸け」が続きました。「読める本」が重なることは、 嬉しい限りです。
H・Pで拝見しますと、秦家もこのところ「安泰」のようでなによりです。当家もようやくおだやかな日がかえってきています。
さて、ちょっと近況を付け加えておきます。
第100回全国高等学校野球選手権大会 記念映画として「ああ栄冠は君に輝く」が企画されました。(余計なお世話かも知れませんがチラシを同封しまし た)。大会歌の作詞者加賀大介のお話しで、それが能美市の方だったので、監督がロケ地を求めて来県、それを案内して私の知人が拙宅に釆ました。「加賀大介 宅」の撮影に適した家はないか、相談に乗ってほしいと言うのです。とりあえず入って貰い、お茶など飲みながら話すうち、この家を借りられないか、というこ とになりました。そしてそういうことになりました。
家具も文具も提供、隣接する件の家も控えとして開放し、近所の人が、一体何事が起こったのかと驚くような三日間でした。
いま、老人クラブの余技展に出品する刻字「坐忘」を制作中です。
以上、『湖の本』の受け取りついでに近況報告まで。お大事に
6月25日 井口哲郎
秦 恒平様 (奥様、おはがき 恐縮でした)
* いいお手紙で 嬉しくなる。 「坐忘」とは! 『荘子』のなかでも 身に沁みて慕はしく厳しく会ひがたき一語。
* 小松市の八代啓子さんからも、お便りあり、能の舞ひの御修業もお楽しみも着実に。「選集」へ有難いご支援も戴く。
* 笠間書院の重光徹さんから、京大名誉教授川端善明さんの新刊『影と花 説話の徑を』を送ってきて戴いた。広い視野から選び取られた優れた説話の懇切な紹 介で、大いに楽しめること、目下再読しつつある中国の『聊斎志異』に似てまた幾味もことなった読み物と思われ、早速毎晩読書の書目に加わってもらう。
2018 6/27 199
* 京・下鴨の澤田文子さん、お香を。山口の平野芳信さん、とらやの菓子を、紅書房主の菊池洋子さん、お手紙に添えて鶴屋八幡の和菓子を下さる。
* 共産党のこくた恵二さん、脚本家の小山内美江子さん、作家の島尾伸三さん、詩人のあきとし・じゅんさん、墨画家の島田正治さん、お手紙を下さる。
諸大学・諸施設、「湖の本」140受領の挨拶届く。
2018 6/28 199
* 京都の、秦の従妹より「湖の本」140を受け取って、「一筆呈上」の続きを読んでいます、と。
2018 6/28 199
* 「湖の本」141巻の再校が届いた。「選集」27巻の責了用意のゲラと並んできた。スケジュールをよく勘案しつつ丁寧に両方の「責了」へ運びたい。
* 今日は小説へもしっかり手を掛けた。
2018 6/29 199
☆ (前略)
とくに今号には 「おだやかではおれなかった『平成』」のなかに、まさしく痛論激語を見出し、深い共感を覚えました。
近ごろのジャーナリズムの腰抜け、平和ボケに 激しく怒っておられるくだりに、深く共感致します。さの「激語」 一々腑に落ちました。
「なにが不沈空母なものか 原発を三基もねらい撃てば 日本列島は地獄ぞ」
「今にして屈辱的な、この米国を守る最前線の『醜の御盾』以外のナニモノでもない。 ここでハシゴを外されたら 安倍総理の喚いている北朝鮮への最強の圧力など…… 国土を焦土化し、国民を奴隷にすることが目近に見えてきている。
何という恥知らず ”I am not ABE” と大声で云わざるを得ないのが、今の現実なのである。
日ごろは静かな 国文学者 作家の秦 恒平さんが、こうした激語を述べられている感慨に、深い敬意と賛意とを示さずにおれません。 今の体制化した日本のジャーナリズムもマスコミも 叱責せざ るを得ません。 敬具 色川大吉 東京経済大学名誉教授 思想家 歴史学
* ペンの理事のころ、「ペン電子文藝館」へご寄稿を懇願してこの方、お付き合い願い続けている。心酔して愛読中岩波新書の『五日市憲法』著者新井教授は 色川先生のご指導で五日市憲法の発見と研究へ一切を捧げてこられたと聞いている。色川先生は「自分史」という新境地の発想者でもあられた。93歳になられ ると思う。
☆ 前略
すぐに読み始めました。面白いですね。 島尾伸三 作家・写真家
☆ (前略)
秦さんを育くんだ京によせる重いの詰まった一巻、「洛中巷談」は目を剥くような面白さです。北海道ウマレノ山がつには、ただただ羨ましいばかりです。ありがとうございました。
お身体御大切に!! 敬具 久間十義 三島由紀夫賞作家
☆ (前略)
秦さんの京都へのこだわり、ひしひしと伝わってきます。「京言葉と女文化」「京のわる口」「京と京ことばの凄み」 面白く拝読しました。そうだったのか という思いの連続で、いまさらながらに自分の不勉強を悔いております。とりあえず御礼まで。不一 詠 作家 文藝家協会理事
☆ (前略)
”歯に衣を着せず” の論評に時が経つのを忘れ、睡眠不足です。
ありがとうございました。 京・山科 あきとし じゅん 詩人
* 京との懐かしいえ葉書を選んで送って下さる。目に沁みます。
☆ (前略)
吹くからにアベノミクスのうそくさい屁よりも軽き自画自賛かな
ほんとうに ほんとうに そのとおり。
総理には文化藝術のひとことでも言ってもらいたい。 墨畫家 島田正治 86歳
* 元・岩波書店の高本さん、陶彫家可部美智子さん、首都大学、立命館大学らからも、ご挨拶があった。
* 十時半。もう、やすむ。
2018 6/29 199
☆ 「湖の本」通算第百四十巻の刊行をお喜び申しあげます。満三十二年もの間、よくぞお続けになられたと、ただただ頭が下ります。
今回の「有楽帖(二)」「一筆呈上(続)」も早速、楽しんで拝読いたしました。文化・芸能の具眼のエピキュリアンにして(だからこそ)憂国の士でもある秦さんの本領がぜいたくにこぼれおちています。匿名文中の<秦 恒平>の登場も愉快でした。
長い長い間のご厚誼に御礼申しあげます。せめても祝意と感謝を示したく、失礼とは存じながら微意を同封いたしました。御送料の一助にでもして下さると幸甚です。
本格的暑さ到来のようです。どうぞご自愛の上、更なる「湖の本」の歴史を重ねて下さいますように。 二〇一八年六月二十八日 天野敬子 元「群像」編集長 講談社役員
* ありがとう存じます。嬉しくお手紙頂戴致しました。
* 京の画家池田良則さん 名代「村上重」の京漬物をいろいろ下さる。
所沢の藤森佐貴子さん(故・島津忠夫先生ご遺族) 珍しいご馳走をお手紙に添えて、いろいろ選んで、下さる。
中野完二さんに戴いた名酒「やまと櫻」の肴に頂戴・賞味する。
東村山の近藤聰さん佳い地酒を二種、お手紙に添えて送って下さる。
* 九大名誉教授今西祐一郎さん、漆藝家望月重信さん お手紙を下さる。
* 沖縄の名嘉みゆきさん、選集へ過分のご支援下さる。
☆ 満32年 通算140巻
楽しい時間を 一杯いただきました。
「穏やかではおれなかった『平成』」 は、まったく同感です。
おからだお気をつけ下さい。 愛知・知多 久米則夫
☆ 32年 140巻
ありがとう! 宝です! 「選集」も。 奥様共々お元気で。 丸亀市 大成繁
☆ 「湖の本」創刊されて 32年
深い感銘を覚えます。先生と奥さまの積み重ねていらした歴史が、140巻もの作品を世に送り出してくださっているのですね。
ご無理も重ねられて体調を崩されたのかもしれません。どうぞくれぐれもご自愛なさって一日も早くご恢復なさいますようにお祈りいたします。 静岡市 鳥井きよみ
* 昭和女子大、成蹊大から湖の本受領の挨拶があり。
京・神宮道の星野画廊、祇園囃子にさそわれて「夏の風物詩」展をしていますと。いずれ図録をおくって呉れるかな、楽しみに。京都へ、帰りたいなあ。
2018 6/30 199
* 名古屋の「珊」さんから、選集も湖の本も届いている、また「和久傳」の涼菓など送りましたと朝一のメールあり、お心入れを頂戴。感謝。
また大阪市の河野能子さん、亀屋良永の「御池煎餅」下さる。感謝。
* 昨日は疲れて、ここにご紹介できなかったが、神奈川・中郡の高城由美子さんの長い佳いお便りをはじめ、元東北の短大学長で仙台にお住まいの遠藤恵子さ ん、府中市の作家杉本利男さん、京・伏見の元・淡交社出版局長服部友彦さん、聖教新聞社記者の原山祐一さん、また、福島県立図書館から、いろいろに濃やか にお便りを戴いていた。「湖の本」140への払い込み通知ももう大方が届いている。感謝。
* 筑摩書房の社長山野浩一氏が退任の通知、「長い間、御世話になりました」と手書きが添っていた。長い間「たしかに湖の本」はきちんと送っていたが、長 い間、年度年度の「太宰治賞」の通知一つ来なかった。「母港」へ船を寄せることすら出来ない無縁の三十年だった、よほど「湖の本」など嫌われたらしい。
☆ 前文、ごめん下さいませ。
梅雨も明け、猛烈な暑さですが、先生、お障りなくお過ごしでいらつしやいますか、お伺い申し上げます。
先日は、『湖の本 140 有楽帖(二) 一筆呈上(続)』 をご恵与くださいまして、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
(中略)
同封の 『【新編】 日本女性文学全集 (=岩淵宏子・長谷川啓監修)』 は、当初刊行していた菁柿堂が閉社され、新しく六花出版から刊行を再開するこ とになりました。第五巻は、私の担当巻ですので、献本させていただきます。お暇な折に、ご笑覧いただければ幸いでございます。
まずは拝受の御礼まで申し上げました。
今夏は、とりわけ暑さが厳しいようですので、くれぐれもご自愛くださいますよう、お祈り申し上げます。どうぞお元気で。 かしこ 岩淵宏子 日本女子大名誉教授
* 戴いた全集第五巻は 野上弥生子 長谷川時雨 宮本百合子のほかに吉屋信子 鷹野つぎ 野溝七生子を揃えて、代表作の長編も惜しげなく収録の佳いもの で、有難い。全十二巻の五巻までが出来ていて、しっかりした編輯である。あ、あの作家が抜けていると思うのも稀に在りはするが、ま、わたしの頭にある女性 作家の名は ほぼ大方網羅されているようだ、重量感に満ちている。「真知子」や「風知草」など、また読んでみたくなった。
(中略)のところで岩淵さん、御苦労の様子など書かれていて、気に掛けている。この前は「フゥミニズム文学論集」を戴いている。
2018 7/3 200
* 横浜の小泉浩一郎さん、著書へ、鄭重なお便りを頂戴した。上智大学からも。
2018 7/3 200
* 集英社版の四巻特大の『大歳時記』は持つも重い重い網羅的な大冊で、第四巻「句歌花実」の広範囲なエッセイ篇にわたしも六七編の執筆依頼を受け寄稿し ていた。あまりに本が大きく重いので書いた文をコピし保存しておくのも難儀、ながらく放ってあったが、本自体が場所塞ぎになってきたので今朝から苦辛して 機械でコピーを取り始めたが、やっと三編だけ。「極楽」「地獄」「身体」に関連して書いたもの、気張って書いているのに、少し照れる。
初出の書籍から依頼執筆分をとにかくコピーしておかねばならないのが、まだ身のそばに、押し入れに、二階にも階下にも「凄い」量が残っていて、いちいち 機械に入れて保存するのにひどい手間と時間が掛かる。いくら掛かろうと放っておくワケに行かない。健康さえゆるしてくれるなら、「湖の本」の200巻な ど、何でもない。よう書いていたものだ。本は「むずかしく」てたくさん売れなくても、原稿には原稿料が必ず支払われていた。おかげで「選集」が豪華な非売 限定本でも、「湖の本」が赤字を出していても構わずやって行ける。地道に暮らしても行けている。次から次へと、もう依頼原稿は書きませんのでと断るまで、 たくさんたくさん書かせてくれたたくさんな版元を、今も、有り難いと思っている。
* 十時半を過ぎた、もう視野が不安定に滲んでいる。機械から離れる刻限。幸いと、明日も出かけねばならぬ何用もない、落ち着いて仕事が出来る。床についても少し早く電灯を消した方が良い、昨日も二時過ぎまで裸眼で本を、すこしずつ、読み耽っていた。
2018 7/3 200
☆ 梅雨があけ
暑くなってきているようでございますが 如何 おすごしでございましょうか。
秦 恒平選集第二十五巻ありがとうございました。
読み終えますと、「千載秀歌」と「能の平家物語」とが合わせ鏡のように見えてまいりました。
それぞれ固有な世界を形づくっていたように想えた和歌も どのような人が どのような時に詠んだものかを知りますと また違った味わいが生まれてまいりました。
誰も死なないけれど 命絶えるより残酷な生きながらの死が描かれた能「俊寛」の、その後に、
思ひきや志賀の浦波立ちかへりまたあふみともならむ物とは
という平康頼の歌があったと思うと 少しほっといたします。
後白河法皇と式子内親王の御歌には、父と娘の対照的な生き方が凝縮されているような気がいたしました。
思ひきや年の積るは忘られて恋に命の絶えむものとは
ながむれば思ひやるべきかたぞなき春のかぎりのゆふぐれの空
あくまで積極的な父に対して、どこまでも沈潜してゆく娘。孫後鳥羽院の御製には 祖父と伯母の血をつないでいるようなものを感じます。
思ひ出づる折たく柴の夕煙むせぶもうれし忘れがたみに
多くに「死なれ」「死なせた」建礼門院について書いてみたいと思いましたが うまく進みません。
先生の小説構成の見事さには、奥さまとおふたり人生の道行が見え隠れしているようです。
ひとりき気楽 最高などと思ってまいりましたが、深い対話なしには、小説世界は動いてゆかないものなのかと、今ごろ気づいたりしております。
『楕円の意匠』(=羽生さんの名著)をテキストにした大学院講義 受講生十六名のうち十四名が留学生という現実を前にして どのようにしたら、三時間を意 味あるものにできるのかと悩んでおりました折、先生の御言葉が力になりました。「一会の茶の湯には避くべからざる勢いとして、一種の演戯性が働く、はやい 話が『芝居気』である、台本のない演劇とでも謂える」
知識はネットですぐに手に入る時代、中国、台湾、韓国、インドネシア、日本の院生が 今・此処にいる一座建立を大切にして、学びあえる場をどう演出した らよいか、沢山観てきたお芝居に助けてもらいたい気分です。思えば 京都工芸繊維大学の「あぶく座」で大根役者(夫の方は名優、名演出家だったのですが) をやっていたことがありました。
講義は いながらにしていろいろな國の話が聞ける良い機会と前向きに頑張らなくてはと思っています。
いよいよ本格的な夏でございます。
先生、奥さま、 どうぞ、くれぐれも お身体 大切におすごしくださいますように。 羽生清
* すこし遅れたが来信の山に埋まっていてはと、書き写します、ゆるされよ。
☆ きのうは六月中というのに、
早くも 梅雨が開け
今朝は 初秋の高原のような さわやかな風が吹き通っています。 先週は蓼科高原の霧ヶ峰に行き レンゲツツジとコバイケイ草とみどりの草原を楽しんでまいりました。 毎年同じ時期に訪れるおなじみの場所で 私の少女時代から大好きな高原です。
日光キスゲも咲き始め ノビタキが営巣する草原は カメラマンの大きな望遠レンズの砲列も毎年同じなのですが 一年に一度は霧ヶ峰に行かないと気持ちが落付きませんが これもいつまで続けられるか心配になるこのごろです。
さて、湖の本と選集をありがとうございました。 気になる所から ワガママに拝読させていただいております。
何号か前に 芹沢銈介先生のひらがなをデザインした作品のお話がありましたので 芹沢先生のことを書きたいと思います。
昭和三十二年 私は女子美大の工芸科に入学しました。 この時 先生は名誉教授でいらっしゃいました。入学して二ヶ月程した時 芹沢先生のアトリエを見 学するという授業がありました。先生の染場は大田区蒲田の町工場の間に割って入ったような 元は農家だったと思われるお家でした。町工場の側の道の端には 工場の廃水を流した一間程のドブ川があり 板の橋を渡って入りました。 お庭は昔の農家の作業庭なのか 土を突き固めた堅い地面で草一本無く 庭の中央に 目通り30センチを超える椿の大木が黒々と葉を繁らせて立っていました。六月の事で今にも降り出しそうな雲の色が 今年出た新しい色を残している葉に反 射して銀色に光っているのが印象的でした。 私たち学生は先生をとり囲んで 先生の手元を見つめていました。すると先生は 型紙の上に張った下図など全く 無視して 全々違う図柄を彫り抜いて行かれます。その小刀の動きの確信に満ちた 迷いの無い、それ以上無い完璧な速さに目をみはりました。この刀の勢いが染め上った作品の勢を造っていくことを 実感しました。
冴えざえした、完成した型紙はそれだけで芸術作品でした。この時提出したレポートが返却された時 この部分に赤鉛筆で傍線が引かれ 欄外に一言「よく観た」と書いて下さっていてうれしく思いました。
芹沢先生は一学期に一回づつ学生の作品の講評をして下さいました。それは大変きびしく、「こんな色でこんな模様を付けたのでは 染める前の白い布の方が よっぽど ましだ。 こんな下手に染めるのは白い布に申しわけ無い」「柄と地とがバラバラだ」「こんなミミッチイものを染めるな」等、何となく手仕事にあ こがれて入学して来た新入生は ここで 「この布は楽しい」「この布をインテリアに使いたい」「これを着たい」と思える布の制作をめざすようになりました。
芹沢先生から直接技術的な事を教えていただく奇怪はりませんでしたが 布というものに対する姿勢を教えていただいたと思っております。
先生はこの講評会でめったにほめて下さいませんでしたが 沖縄の嫁入りに使う紅型の大風呂敷を実習した時、(150cm巾の正方形の厚地木綿に筒書きで 松竹梅の大きな丸を描き 中央に鶴亀が向合った小さな型紙の丸を染めて全体を藍で地染めします。)この中央の鶴亀の型染部分を熱心にご覧にめなり「これは 誰の作だ」と問われました。「私です」と申し上げるとしげしげと私の顔を見つめられ、「この型はとても良く出来ている この型は大切にしなさい」と言って 下さいました。私はうれしいより ある後悔が心にあふれて泣きたいような おかしな顔をしたと思います 先生は私の反応にあきれたように もう一度私の顔 をのぞき込むと 次の作品に移っていかれました。それは この時点で私はこの型紙を紛失していたからです。 これを染めた三ヶ月前の日 私は 今の夫との デートの約束に気を取られ 染場に型紙を忘れて帰り その後 どうしても見つからなかったのです。 自分の粗忽さをこの時ほど身にしみて感じたことはあり ません、 六十年前の今はもうはるかに消えて行きそうで でも消えない(消せない) 型紙は消えても これも やはり 芹沢先生の大切な想い出です。
はやばやと梅雨があけ 永の夏が始まるのでしょうか。
どうぞ先生 奥様 共々お大事にお過し下さいませ。 神奈川・二宮町 高城由美子
* わたしたちにホンの少し若い方、われわれはずうっとお若い方と想っていた方の 筆のやわらかに滞らないこと、嬉しくなるほどの一編のエッセイを詠ませて戴いた。
☆ 拝復
災害の報かけめぐるなか、福井ひかえておりますだけに原発はだいじょうぶかの不安つのります。
「穏やかでおれなかった『平成』」身にしみます。
「湖の本」140 ご恵与たまわりありがとうありがとうございます。回覧していた卒業生、先年逝去の方に続いて、この四月亡くなり、本が私どまりになり残念でなりません。
あの鋭い論法にして正論の猪瀬直樹でも金銭誘惑にひっかかるのか不思議でなりません、こと政治家、全幅の信頼など無理なことでしょうか。
友の家に出征旗はや山法師
この時期 友のさびしさ想いやることもなく過して 少国民の頃を反省しています。
二十年経っても色あせぬ(「一筆呈上」等の)批評の数々敬服いたします。
お揃いでお大事に 遅くなりましたが お礼言上まで 草々 神戸市 周 神戸大名誉教授
* 広島大、ノートルダム清心女子大、作新学院大から、「湖の本」140受領の来信。
* 印刷所から、選集26 湖の本140 へ、ドッカーンと請求書。
* 感謝、そして感激。
☆ 連日 暑い日が続いております。
いつも湖の本 ありがとうございます。
御節介かと思いますが 地方紙の「歌壇」に 元 みすずや書店主 竹内正様の短歌が載っておりました。
お送りいたします。
今後ともよろしく御指導の程お願い申し上げます。 群馬・桐生市 住吉一江
☆ 『桐生タイムス』 六月二十七日号 「歌壇」に
時流には乗らず読みたる秦さんの
「みごもりの湖(うみ)」今も心に 竹内 正
* 竹内さんも ご病気まで 熱心な「湖の本」を愛して下さった購読者だった。一度、保谷のわが家まで尋ねて見えたことさえあって、覚えている。それにし ても「湖の本」創刊から三十二年で、新潮社から新鋭書き下ろし長編小説として『みごもりの湖』が世に出たのはわたしが上京・結婚このかた十五年半勤めた医 学書院を退職の翌日、昭和四十九年(一九七四)九月一日だった。四十四年もの大昔になる。そして「湖の本」でも上中下の三巻で復刊している。竹内さんは本 屋さんであって本の入手も読まれたのも早かったろうと想われる。
なんという、懐かしい、嬉しいことだろう。
群馬県、ことに桐生市の読書会はよく呼んで下さった。群馬県内には住吉さんや竹内さんのように久しい親しい読者が多かったし、今も。冥利を覚える。
2018 7/4 200
* 「選集 第二十八巻」の編輯作業を、腹を決めて、始めた。「読む」という眼の仕事、「選集 第二十七巻」の責了も 「湖の本 141巻」の初校も 眼の仕事。
創作と編輯と私語などは機械での眼の仕事、校正はたいてい横になってからだ安めながらの眼の仕事。そしてたくさんな読書がまったく眼でのどれもみな甲乙のない、まったく眼での楽しみ。
いま嬉しくてならないのは『ゲド戦記』世界へ帰ってきたこと。『千夜一夜物語』も『聊斎志異』これに類してまことに面白く、『失楽園』は崇高な詩的世 界。一字一句ものがさず読み耽る。いましも楽園にしのびこんだ堕地獄のサタンがあらわれてイヴを誘惑しつつある。そして『浮生六記』のなんという雅にして 美しい生活感覚。
『家畜人ヤプー』は、これらのみごとな優秀作の前では奇怪に過ぎている。
筑摩の大系では、真継伸彦さんの代表作長編『鮫』を、再読中。
新井教授の『五日市憲法』にはホトホト感銘、この起草者「千葉卓三郎」の生涯を優れた映像ででも観たいと願う。この本を読んでいると、現政権への厭悪と嫌忌の思いがますます激しく募る。
前世紀の六十年代から、わたしは、東京で、敗戦後現代における米国帝国主義の軍事と経済での悪辣と、米国の言いなりに日本の保守政権が国民の「脱政治 化」をさまざまに画策しつづけて成功してきた道筋を実地に体感してきた。そのことを歴研の「敗戦後現代史」は悔しいほど鮮やかに実証して見せてくれる。読 まずにおれない。
ジェンダー、フェミニズムに関わる文献も何冊かの本を引き寄せて批評的にではあるが興味も感じつつ読んでいる。
「源氏物語」岩波文庫新版の四巻が届くのを待ち望んでいる。それまでは川端善明さんに「説話の径を」案内して戴く。これらの本を、おおかた全部、一日の 内に、なんどかに分けて、読みたいだけ読んでいる。好きに本の読める日々。少年の昔にしんから憧れた日々。あの頃は、ひとに借りるかよその家へ上がり込ん で読ませてもらうしか読書は出来なかった。ただ、ありがたいことに、読書を「極道」と叱った秦の父の父親は難しい本の蔵書家であった。なかでも沢山な種類 の漢詩集や漢籍を溜めて遺していってくれたのは、途方もない恩恵だった。感謝に堪えない。
2018 7/5 200
* 夕食前に、今日届いた「三田文学」で、坂本忠雄(元・新潮編集長)さんが石原慎太郎氏への聞き役を勤められた長い対談を読んだ。次号にも続くらしい。
石原氏の例の両手足をふりまわして一人舞台のような言いたい放題は、ほとんどわたしには縁がないなりに、二人での話題に登場の、小林秀雄、永井龍男、大 久保房男等々多数の今は亡き文壇人の名前には、私なりの懐かしい交渉や接点があって、そんな思い出にも手伝われてついつい読んでいった。
小林秀雄という人があつて私の「清経入水」選者満票の招待受賞はあり得た。わたしは私家版を小林さんにおそるおそる謹呈はしていたらしいが、筑摩書房の 「展望」も「太宰治文学賞」の存在も全く知らなかった、それほど「遠い外」にいて一気に文壇へ招いて貰った。あの大冊「本居宣長」を人を介して当時の勤め 先へ贈り届けても下さった。中村光夫さんから、「あんたのような人がもっといなくてはいけないんだが」と文壇へ慨嘆の言を聴き、また吉田健一さんに小説 「閨秀」を朝日時評の全紙を用いて絶賛されたときにも、わたしは小林秀雄という人の存在を見えない電波のように感じていた。
ただ、わたしは、石原氏がまさしく文壇での賑やかな先輩同輩後輩との付き合いようを謳歌されているのとは逆に、めったなことで人に文壇人には顔を合わさ なかった。本のやりとりに限ろうとして、会わなかった。それでも、作品『廬山』を芥川賞に推して下さった瀧井孝作さんにはお宅へ何度も呼ばれ、また同じく 永井龍男さんのお宅へも、一度だけ「帯」を戴いた単行本『廬山』を持参し鎌倉まで出向いた。瀧井さんにも「本」の帯を戴いたことがあるが、本の題を「糸瓜 と木魚」にしたかつたのに版元のきつい註文で「月皓く」に換えられていたのを瀧井先生は無視され、帯では「糸瓜と木魚」を大きく取り上げて下さつて、とて も嬉しかったのを忘れない。
永井龍男さんはコワイひとだったと対談の二人とも話されてたが、わたしにはいつも親切に優しい方であった。わたしが甚だ反文壇的な「湖 の本」を始めると、永井先生はすぐさま、十数人もの購読者を紹介して下さり、実に有難く励まされた。おなじ事は福田恆存さんも、あッという間に御親切にご 配慮下さった。嬉しかった上に、ビックリした。劇場で、初めてご挨拶したとき、「アア、想ってたような人ですね」と、それは優しい笑顔だったのにもビック リした。
井上靖さんに中国まで連れて行って戴いたのも、ある日突然に御電話で誘って下さったのであり、むろん同行した他の作家・詩人らとも、その折が初対面だった。
「群像」の鬼といわれた編集長大久保房男さんとの接触がいつであったか、俳人の上村占魚さんが紹介して下さったのだろう、「群像」との作のヤリトリは一 度も無かったのに、亡くなるまでそれは親しくして戴いた。その余恵のように、今も、「鬼」の弟子と自称の徳島高義さんや天野敬子さんのご親切を毎度得られ ている。しかし、このお二人とたとえ道ですれちがっても、わたしは見わけられまい、さほどまでわたしは、概して文壇の人たちと は「淡交」に徹しながら作家生活を六十年近くも続けてこれたのだ。
* ただ、淡交の親交者は、文壇を遠くはみ出て、文化界のひろくに、我ながら驚くほど知己を得てきた。わたしは孤立して生きてきたのでは、全く無い、ただ残念なことに多くはもう先だって逝ってしまわれているのだが。
2018 7/7 200
☆ アネア動物病院の横町です
秦さま こんばんは。
先日は湖の本をありがとうございます。すぐにお礼をしようと思っていたのに、先に秦さまからご連絡頂き恐縮しております。仕事、家事、育児など日々の生活を過ごすだけでいっぱいいっぱい、お盆に1週間ほど娘を金沢の実家に預ける予定なので、その時にゆっくり読ませていただきます。
マーゴちゃんが亡くなってもう2年になるのですね。
病気で 家での補液が必要になる猫ちゃんが来院される度に スタッフみんなでマーゴちゃんの話をしています。
ちょうど本を頂いた2日前に、私が病院の外を見ていた時に 秦さんが自転車で輸液剤を取りに来られていた以前の状景が目に浮かび、スタッフに 「秦さん元気かな?」と話していたんですよ。
虫の知らせだったのかもしれませんね。
奥 様のお体がとても心配です。メールを読みながら心臓がバクバクしてしまいました。看病もきっと大変でしたね。いつもニコニコされてた奥様の笑顔が、これか らも永く続くことを願います。これからもご夫婦仲良くお元気に過ごすことができますようお祈りしています。今年の夏はとても暑くて、気圧の変化も大きく、 体調管理がとても難しいので あまり無理なさらず、お身体ご自愛ください。
またお会いできるのを楽しみにしております。メール とてもうれしかったです!
2018 7/8 200
* 「湖の本」141 責了全紙を印刷所へ送る。
2018 7/9 200
☆ 謹啓
ヤケに涼しい今日ですが 二、三日後は猛暑に戻るとか。ご体調、慎重に気づかわれながらお過ごしと存じます。このたびは『湖の本140』を頂戴致しまして誠に有難うございました。
2001中心の「有楽帖」 活溌な行動力と好奇心で歌舞伎やテレビ等、鑑賞される姿に圧倒されました。いつもながら沢口靖子へのご贔屓もホホえましく。
また「大波小波(一筆呈上)は、元編集者としても現場意識働き、「純文学の鬼」大久保房雄師匠へのご指摘も誠に意を得、末尾のペン名前(?)も愉しみな がら付けられた曲球、直球面白く。結構やってたのですね。何といっても圧巻は、「穏やかでおれなかった<平成>」です。「吹くからにアベノミスクのうそく さい屁よりも軽き自画自賛かな」賛成。「大波小波」が20年近い前の発言とは思えぬリアリティに打たれます。
御共々に弥栄に。 徳島高義 講談社役員
☆ 満32年
おめでとうございます。
凄すぎます! 尊敬の念しきりです!
どうぞ、いつまでもお元気で! 日比幸一 元。筑摩書房編集部
2018 7/9 200
☆ お暑さも本番となりました。
ご高著『湖の本』を賜りまして御礼申し上げます。
<穏やかではおれなかった「平成」>は、いろいろな示唆をいただきました。アベノミクスで見えていなかったことを気づかせていただけました。いつも本当にありがとうございます。
御身お大切にお過ごし下さいませ。 大阪・吹田市 阪森郁代 歌人
2018 7/9 200
☆ 秦 恒平様
このたびは過分な御著書をいただき身に余る思いであります。
桐生タイムス歌壇につたない文を出して須田利一郎選者の門をたたきました、その一首が六月の歌壇に入選いたしました。
時流には乗らず読みたる秦さんの「みごもりの湖」今も心に 竹内正
これも「みごもりの湖」が心の底にもぐっていたからです。ありがとうございました。
「生きたかりしに」 貴重な著書 拝読させていただきます。 群馬・桐生市
* 東大大学院文学部、選集26 湖の本140 受領の挨拶があった。
2018 7/10 200
☆ 暑中お見舞い申し上げます。
自分の生活の凡なるにつけ、西の方の人たちのことを思いやって心をいためているこのごろです。
さて、『湖の本』を拝読していますにつけどうしても一気に読みきることは無理で、栞が必要になっきます。誌中にさしこまれている添書を使ったり、てぢかな紙切れをはさんだりしています。
ふと思いついて、年賀状に使った版木を利用し、手元にあった和紙に刷ってみました。予想には、すてきな栞になるはずでしたが、刷りあげてみますと、何とも不粋な仕上りになってしまいました。
木と石という材料は異なるものの、木山氏や大西氏(=湖の本奥付の印の刻者)に申し訳ないような模刻になってしまいました。
当初は、読者の皆さんに『湖の本』にさしはさんでもらって、なんかと思っていたのですか、これではさしあげるるといえたものではないですね。
取り敢えず何枚か刷ってみましたのでお送りします。ダメモト覚悟ですので、捨てるお手数をおかけします。
墨は、古梅園の「お花墨」を刷って使いました。スタンプやコピーでないので、紙ー頁を汚すことはありません。
以上暑さ凌ぎのお遊びでごめんなさい。
お二人の平安をお祈りしています。 井口哲郎 元・石川近代文学館館長・小松高校長
* なんと心温かな嬉しいお便りかと、ほろりと心励まされ力づけて頂いた。なんともこころよく清潔な栞で、まっさきに私が「湖の本」のまた「選集」の栞として頂戴する。妻もしっかり手を出している。
濫読(とは自身は思っていないのだが)に近い読書家のわたしにいつも栞は不足し払底して、手近な紙切れを千切ってくるほどにして間に合わせている。今西祐一郎さんか館長さん時代にはよく研究資料館特製の栞を贈ってきて下さったが、それでも足りなかった。
井口さんお心入れを忝なく戴いた上で、もし可能なら送本に添え、久しいお馴染みの読者に貰って頂けたらいいなと思う。皆さんに行き渡るようにというので は、刷って頂くお手間が大変になる。が、うんと引き絞っても五百か。費用をお支払いしますと謂うて受け取って下さる井口さんとは思われず、ウーンと夫婦し て唸っている。刷るには墨も紙も、何より労力と時間とが、ぜひ必要になる。いかん、いかん。ダメです。
2018 7/12 200
* 井口さんへ 「湖の本」の栞を刷って戴けるかなあと。この場から打診のようなお願いをしたのを引き受け手下さると。恐れ入ります、この熱暑のおりで す、すこしもお急ぎなく、お気の向くままゆるゆると刷って下さいまし。「紙は、むかし版画に凝っていたころに求めた買置はいくらもあります、使えば紙への 功徳? にもやと思います」と。お気遣いのことも、そのように致します。感謝感謝。
2018 7/14 200
* 編輯の仕事、グイと進む。九時半、まだ頑張れるけれど今朝は早起きだった。適宜休息も。あすはもう一日世間も休日とか。暑さの真下へ出掛けて行く必要もない。八月十日の「湖の本」141発送の用意だけは着々進めている。
2018 7/15 200
* 勤め先で「庶務課」の責任をもつことになり、(夜前の夢です。)社に来客があれば茶をたてて供することにして以来、社内で立礼の茶法を習いたい者が何 人も出現、専務や編集長の奨励もあって稽古をはじめた。希代な、ありうべくない夢ではあったが、医学書院で十五年半の編集者務めのあいだに、わたしたちの 結婚して二年暮らした市ヶ谷河田町でのアパート一室へも、うんと遠くなった当時保谷町の社宅へまでも茶の稽古に通ってきた人らが何人かいたのは事実。
同じ社宅の独身寮にいた人らにも稽古を頼まれ、建日子誕生の数ヶ月前まで教えていた。その同じ社宅住まいだった後輩編集者の一人が、のちに、東北学院大 教授から米沢短大の学長さんまで勤め上げた仙台市住まいの遠藤さん。いまも久しい「湖の本」の読者、よく仙台名産の美しい蒲鉾など送って来て下さる。
社宅のお弟子には、もう一人遠藤さんの仲良しのお連れがあり、その二人に何かのおり戴いた白玉(しらたま)の小ぶりの湯飲みたちが実にいい姿と上品な色 で、何十年にもなるが、お正月にはかならず福茶の用に愛し続けている。ふしぎでもないが、多年愛用しつづけているとわれわれ夫婦とも、下さったその人をた ちをそれは心親しくよく想い出せて、何十年も再会していないなど、思われない。
2018 7/16 200
☆ 暑中お見舞い申し上げます
いつも「湖の本」をご恵投いただき有難うございます。
かつての「大波小波」には記憶に残っている内容があり、歳月の重みをかみしめました。
今夏は異常な暑さが続いています。
くれぐれもご自愛専一に願い、ますますのご健勝をお祈りしております。
三〇年盛夏閻魔詣りの日 重金敦之 エッセイスト 元・朝日新聞記者
* 大正大学の野呂芳信さんからも「湖の本」一筆呈上への謝辞が届いていた。
2018 7/18 200
* いよいよ「選集第二十七巻」のかつてない大冊を「責了」で戻すところへ辿り着いた。今回は結局再校ゲラを二度再校したことになる。なお、よくよくゲラ を点検して両三日のうちに印刷所へ渡したい。今度は「湖の本」142を編輯して入稿の用意に掛からねば、八月十日には「湖の本」141が出来てくる。暑い 真っ盛りの発送、ネコの手も借りたいが、幸いマコとアコがいてくれる、と云っておく。かなり,ネコの手は割り込んで来そうです。
* ありがたい多大のご支援があり、ただただ、感謝。
* 栃木に、いいエッセイを書かれる渡辺良枝さんがおられ、ペンの会員に推薦した。もう高齢でずいぶん以前に亡くなられたが、ご子息がいまでもご丁寧な季節の挨拶を送って下さる。ご縁である。
2018 7/20 200
* 伊藤壮さん、長田渚左さん、神戸松蔭女子学院大、西東京市図書館から、それぞれ寄贈本への謝意、来信。
* 四国の榛原六郎さん、同人誌「滴」を「謹呈の辞にかえて」 「薔薇の夢」と題したお祖父さんをしのぶ小品が送られてきたのを、今、読み終えた。五月に は六十九歳になったとある。老文学青年の筆致には骨が通っていて、しっかりもし骨ばる気味もあるが、志賀直哉に深く学んだ人のまだ成熟して行く筆つきで頼 もしい。まだまだ、書けると思う。
* それより更に驚いて、いわば「奇遇」を賛嘆したくなったのが、彼榛原氏の「滴」巻頭「短歌八首」と題したこれも思い出の小品。
短歌八首がまず並んでいて、高校生のときの宿題作だとある。ま、その出来ばえには触れない、驚いたのは宿題を出した先生というのが玉井清弘さんだとい う。おおーっと声が出た。玉井さんは、わたしが朝日新聞だったかの短い短歌時評を四度ほど連載した一度にとりあげて称賛した歌人であった。そして玉井さん は今もわたしの「湖(うみ)の本」の久しい購読者でいて下さる。いい先生に習ってたんだ、榛原クンは。
驚きは、まだ有る。「歌人の東淳子さん」がこれまた埴原六郎高校一年時代の「国語の担当教師」だとあるのだ、びっくりポンである。東さんは、初めて歌集 を戴いて以降多年にわたりもっとも優れた歌人の一人として、早く亡くなった河野裕子らとよく一緒に名前を出し、戴く歌集もつぎつぎ愛読してきたひとなので ある、東さんも創刊当初來、今も「湖の本」を購読して下さり、「選集」の刊行をさえ手厚く支援して戴いている。
玉井さんは四国にお住まいでなるほどと思うが、東淳子さんは知り合った頃から奈良に住まわれているので、ひょっとして同姓同名のとも危ぶむが、わたしの 識るかぎり気稟の清質に満ちた歌人の東淳子さんは、一人だけ。榛原産の父君は「コスモス」同人だったとこのエッセイに出ていて、「ジュン子さん」はお父さ んらの歌仲間で「アイドル的な存在だった」とか。びっくりポン、である。
* 「滴」には読者であり、「選集」をしっかと支援して下さっている星合美弥子さんが「丸帯」という短篇を掲載されていて、今、読み終え、ほーおっと息をついている。
豪華を極めた丸帯はお母さんのお嫁入りに締められた品だった。この目くるめくように美しい生地の厚い帯を、お母さんは鋏で切り刻んで、四歳の星合さんの ためのリュックサックにつくりかえ、そのようにして占領ソ連兵らに追われるように無蓋車で旧満州から苦労に耐えて耐えて日本の九州へ帰り着いたとある。
胸のつまる、しかしデッサンの利いた短篇といえば謂える作になっていた。このままでは惜しいがナアという気持ちは榛原さんの「短歌八首」以上にあった。彼はそれと自覚されつつ「薔薇の夢」を書き足し送ってくれたのかも。よく書けていた。
* 同人雑誌は降るように来るが、今度の「滴」のように、作を「読ませる」ものは稀有。おおかたは創作「ゴッコ」に近く、文学の文章文体とはあまりに程遠い。
2018 7/20 200
☆ 秦恒平様
西日本各地で豪雨の被害が出ております。またその後一転して酷暑の日が続いております。お身体の調子はいかがでしょうか。
長い間ごぶさたいたしまして申し訳ありません。ここ数カ月体調をくずしまして、再検査や経過観察のような日々をすごしております。
その間、「湖の本」139,140冊をお送りいただき、また秦文学の根幹にかかわる『選集二十六巻』も頂戴いたしました。ありがとうございました。
先生が「大波小波」の執筆者であったことは驚きでした。多岐にわたる分野への鋭い言及は、「湖の本」の読者であればなるほどと納得できることでした。日々痛快に読ませていただいています。
「罪はわが前に」論、先月、初校をすませました。また「或る雲隠れ考」も、8月になったら送ろうと思っています。
これから体力、気力の回復につとめ、また頑張っていこうと思っています。
祇園祭りだそうです。あの賑わいも雑踏も50年前の出来事になりました。
暑くなります。先生もくれぐれもご自愛くださいますように。 奈良・御條市 永栄啓伸
2018 7/21 200
* 妻は平気な冷房が今晩はイヤにからだに堪え、左脚の攣れがしつこく困惑。書斎のも階下のも冷房がからだの左からあたるための違和かとも思うが、しんどい。
幸い「湖の本」141発送用意は順調に進んでいるので、今夜はまだ十時前だが安眠を求めてはやく床に就こう。
読みたい本、読み継いでいる本を枕元に十册ほど積んでいるが、「ゲド戦記」第二部を、英語と日本語訳とを併行でたのしみ始めている。「鮫」や「家畜人ヤ プー」など陰気なのはしばらく敬遠している。ミルトン「失楽園」、「千夜一夜物語」それに丸山真男の「日本の思想」歴研の「日本の現代史」は手放せない。 読書はどんな時もいくらかわたしにはお薬のような効用がある。
2018 7/21 200
* 東工大の「文学」で一緒だった井口時男さん(現在は東工大を出、独立の文藝批評家で、俳人とも)と最近連絡がとれていて、昨日も「鹿首」という一風あ る雑誌に、「いつも『湖の本』をいただきありがとうございます。ことに古典詩歌論から学ばせていただいています。ひょんなことから俳句を始め、けっこう楽 しくのめりこんでいます。 この酷暑、どうぞお元気で。2018.7.26」と書き添えて送ってもらった。句集『をどり手』も先頃戴いて教わるモノがあり 感じ入っていた。もうはや堅固な俳境を歩まれている。凡百の同人俳誌に見られない強硬な表現が読み取れる。
* 「鹿首」という、同人誌らしき雑誌の題に驚いたが、「詩・歌・句・美」という提唱らしい。諏訪市の研生英午(みがき・えいご)氏が「編集人」と奥付に 出ている。内部参加人(同人か)と外部参加人(寄稿者か)のかなりの人数で、短歌俳句川柳詩評論美術作がいろいろに詰まっている。なるほど…と思いながら 頁を繰った。
「同人商売」といった感の、しかも綴り方なみ小説同人誌の氾濫ぎみにヘキエキしていたが、「鹿首」はそんな域は跳び越えているよう。ま、特集題の「イメージの血層」などは、鈍なわたしの理解を超えているが、若くて元気と謂うことか。
2018 7/28 200
* 颱風が近づいているらしい。異例の東海から関西、中国への進路が予測されているが、先頃大きな怪我のあった方面ゆえ、事なきをただ願う。
☆ 異常気候らしく
思いがけない進路をとっている台風12号、東京の今の空模様はいかがでしょうか。
こちらは曇りですが まだ明るい空です。数日前までかなり暑い日が続いたので、昨日の34度でいっそホッとしたくらいでした。
昨日本を送りました。北沢恒彦氏の本を読んだことがないと書かれているのを読んだことがあります。偶然北沢氏の『隠された地図』見つけたので、思わず買い求めました。
本の後ろの黒川氏(=創 実兄故恒彦の長男)が書かれた年譜だけを読んだのですが、胸が詰まりました。鴉ご自身と重なる多くの事柄が映されています。
ちょうど昨日のHPに丸山真男氏の『日本の思想』からの感想が述べられており、『隠された地図』の中の丸山理論に関しての著述に、鴉の関心が重なるかと思いました。
もしこの本が既にお手元にあるとしたら・・差し出がましい事とも思いますがご容赦ください。
今日は午後あたりから台風の影響が強まりますでしょうか、くれぐれも大切に、用心して過ごされますように。 尾張の鳶
* 尾張の鳶の好意、配慮、まことに有り難く。有難う。
むろん、甥に当たる黒川創(北澤恒)が亡父北澤恒彦の年譜を詳細末尾ににあげているこの一冊、その署名はオロカ存在をすらわたしは今日まで知らなかった、知らされても送られてもいなかった。
兄の「自死」したのは、江藤淳が七月二十二日に「自死」 を報じられたと同じ一九九九年(平成十一年)の十一月二十二日であった、らしい。二十三日朝六時半頃、恒彦次男の北澤猛の電話で告げられた。やがては「二 た昔もまえ」のことになる。わたしは京都での葬儀にも、思い出の会といった催しにも出掛けなかった。兄の年譜に尽くされていると思う謂わば「北澤恒彦の公 生涯、表生涯」に実弟のわたしは徹底して無縁によそで育って指一本も触れる折がなかった。生まれ落ちて以後に初めて再会したのが、もはやお互い壮年時で、 その後もわたしは「兄の表世間」とはまったく触れなかった。兄とのことで、鶴見俊輔はよく心得ていたらしいが、わざとは触れて話すことが無く、兄について わたしに片言でも話しかけてくれた人は、筑摩の編集長だった原田奈翁雄や作家の真継伸彦、井上ひさし、小田実らだった、われわれの間柄にまったく気がつい てなかったと云い、井上さんは「失礼しました」と、真継さんは「えらい男だよ」と囁いてくれたし、小田さんとは亡くなるまで親しく、「敬愛の気持を込め て」とまで献辞を添え『随論 日本人の精神』を贈ってくれたりした。
兄とは、亡くなる暫く前間で、頻繁に交信したり、時に会って食事したり一緒に人と会ったり忙しく立ち話で別れたり、「往復書簡」をもちかけて京都の話をしたりはしつづけながら、それでも、わたしは
兄の表世間へも兄の知友らの間へも一切意識して顔を出さなかった、唯一の例外は茶房「ほんやら洞」主人の甲斐扶佐義氏ひとりであろう、彼とはわたしの編輯 していた「美術京都」で対談もし写真家として京都美術文化賞を受けてもらってもいる。しかしひの甲斐氏からも兄の遺著のことは何一つ聞き出す機械すら無 かった。
* 兄のことを死以来忘れていたときは無い。つい先頃の「選集」第二十一巻には往復書簡を容れて反響があった。しかし北澤家からはなにも聞けなかった。そういう二人の生まれつきなのだと思うことにしてきた。
* 黒川創のあんだ北澤恒彦年譜にも、わたくしの名前が出てかすかに実親らと戸籍上の関係だけは記録されてある、わたしは恒彦の表社会とは全く無縁に等し かった以上、それが自然なのであろう、記憶の限り、一度だけ兄らの何かの会合で「作品」として「秦 恒平への手紙」というのを読んで発表したと有りびっくりした。その年次をいま覚えていないが、或いは兄弟往復書簡「京・あす・あさって」の実現した昭和五 十四年(一九七九)九月-十月より後日のことであったろう、推量に過ぎない。
* 兄がわたしを「弟」とみた上で手紙を寄越したのは、実は大昔のことで、東京で暮らし始めてからも何度か来信が、時に電話もあって「会わないか」とあっ たが、わたしはその全てを受けいれなかった。芥川賞候補になり瀧井孝作、永井龍男両先生に推された「廬山」を筑摩の「展望」に出したときにも、その作にも 触れながら兄が「家の別れ」というエッセイを「思想の科学」に出して送ってきてくれた。それは読んでいる。が、それでもわたしから兄の京都の勤め先を顔を 出し、ものの十分足らずも立ち話の初対面を実現したのは、ずーうっと後年であった。
わたしはそれを悔いているだろうか。悔いていない。そして出会って以降もわたしは兄と弟とだけの「付き合い」に終始して満足していた。その結果として、 兄はもう死んでいて、わたしの全く知らない兄の知友らの顔を見、声を聴くだけの葬儀にも思い出会にも、とても堪え得なかった。行かなかった。行かなくても 兄恒彦は弟わたくしの内にいつでも入ってくる。今もそう信頼している。
* 兄は筆まめでもあり親切でもありいろんなモノを、仕事の上の書類やレポートなどもたくさん送ってきた。メールになる以前の私信も、長年月に相当量届い ていて、復刻とまでいかなくても書き写して電子化データにはしておけるだろう、もうそんな残年がわたしに許されていそうにないのも慥からしいが。
* 年譜のことにばかり触れていたが、まだ『隠された地図』本文は、一行もまだ読んでいない。北澤恒彦の著書のうち五条坂の陶芸にふれたような一冊が記憶にある。『家の別れ』と総題した一冊がうちにあるのかどうか確認できていない。
ま、兄のそのような本や雑誌へのもの言いは、それこそ北澤恒彦の世界・世間のモノと思っている。「深田(阿部)ふく」と「吉岡恒」との仲にいしくも生ま れ落ちた兄と弟との世界・世間は、「北澤」とも「秦」とも縁の切れた別の「身内」なのである。それがわたしの向こうまで持って行く覚悟である。
* 「湖の本 エッセイ20 死から死へ 闇に言い置く」の末尾で、兄の死を思い新たに悼んだ。
* 兄の『隠された地図』本文の三編は、いずれも私の理解や関心の外にあった。もののみごとに私たちの知的理解や関心の範囲はズレていて、接点は、やはり、往復書簡で交叉し語り合えた「京都」であった。
2018 7/28 200
* 「湖の本 141」発送の用意は九分九厘出来た。「選集 27」が九月十日に出来る予定、その送り出し用意も早めにし遂げておいて、創作の日々に向きあい たい。辛抱に辛抱してモノのしかと煮えてくるのを誘い誘い待っている。欲の深い仕事で、それゆえにコトが破産する懼れはあるが、恐れまいと堪えている。
2018 7/29 200
* ずいぶんな日数をかけて「湖の本」141発送の用意をしてきた。今日、気づく限りの九分九厘まで出来て、西棟の玄関に一部受け入れの儡地をだけ空けておかねばならず、これが力仕事で、腰へ来る。しかしそのままにはしておけない。ウーム。
ちょうど一ヶ月後、九月十日には「選集」27巻が出来てくる。600頁の大冊。数少ないとはいえ送り出す荷造りは、数多い「湖の本」なみ、ないし以上にシンドい。
にしても、明日と明後日の二日は手放しにくつろげる、ただし以降の力仕事に備えてのこと。いま、妻もわたしも二日と続けての外出はすまいと心している。発送を終えると久々に夏歌舞伎が楽しめる。わるく草臥れないように用心している。
2018 8/7 201
* 明日「湖の本」141納品、発送作業に入る。暑苦しい時期。いつもの倍の時間を掛けても疲労困憊は避けたい。
2018 8/9 201
* 「湖の本」141が出来て来て、直ちに発送作業に入り、いま、夕刻五時過ぎ、今日の荷造り分を送り出し終えた。
* 当地は台風のさしたる影響なく、有り難いことに本の搬入にも発送にも迷惑はなかった、が、被害に遭われた地方また方達の上には、心痛む。
* 選集28巻の初校も出た。大冊に驚いている。
2018 8/10 201
* 晩の九時。かろうじて今日の送り作業を終えたが、明日にもつづく。
2018 8/11 201
* 作業を続行。
2018 8/12 201
* ようやく発送作業を終えた。かつてなく、気のしんどい三日間だった。 2018 8/12 201
* 九月から、宅急便の大幅値上げに次いで、郵便局のユーメールも目をみはるほどの値上げを決めてきた。出版の仕事を始めたときから、潰されるとしたら送 料値上げだなあと思っていたが、値上げ攻勢容赦ない。けれど、「潰れ」はしません、われわれが健康でさえあれば、まだ何年でも。そのためにも、わたしは杜 門の暮らしを改め、歩きに出なければ。病院かよいも減り、歌舞伎座への脚も、この上半期は余儀なく遠のいていた。思い切って、独りで(仔猫がフタリもい て、まだ留守番は出来ず。)新幹線に久々に乗ってみるか。というワリには、じつにマッタクいろいろと忙しくもあるのです。
2018 8/13 201
☆ 酷暑の日々です。
耐えて折られることでしょう。
本日、『湖の本141 語り合う日本の古典風景』をいただきました。変わらないご厚情に感謝を申し上げます。
早速に諸氏を交えての秦さんのご意見を拝見しました。
私には遠い世界ですから、自分の国に対する無知を恥じつつ、面白く皆さんの自由なご意見を拝見しました。
「洛中洛外図」はドローンのない時代にドローン的な視点から描いた人々の生態だと受け止めています。日本人の好奇心驚くべしと。
涼しくなる日を待望しつつ。私は幸い私の仕事に追われて暮らしております。
ご夫妻の平安をお祈りいたします。 並木浩一 ICU名誉教授
* 届き始めたらしい。もう払い込んで下さった読者もあり、早いのに驚きました。
2018 8/13 201
☆ 本日「湖の本」頂戴いたしました。
眼が悪くなってからあまり本は読まないのですが、今回の「洛中洛外屏風をめぐって」は面白く読ませていただきました。
岡見正雄さんは裏寺にある私の檀那寺、称名寺の「おっさん」でした。
家に来られたときに、今度は八坂神社について書くんや、と言っておられましたが、突然亡くなってしまわれて、お聴きしたいことがいろいろあったのに、残念でした。
脇田晴子さんは『私は瓦鍾馗』のなかの、「牛頭天王」のところで、『中世京都と祇園祭』を引用させていただきました。
京都は暑く、東京は大雨、日本ばかりか世界中がおかしなことになっておりますね。
毎日、ニュースを見て腹を立てたり、がっかりしたりしているので、体調もよくありません。
先生もどうかご自愛ください。
有難うございました。 京・桂 服部正実 瓦鍾馗研究家
2018 8/14 201
☆ 僕は
京都中京区生まれ、育ち。
秦さんと杉本(秀太郎)さんの対談読んでp102に杉本さんの紋かき屋さんの話が出てきて。まさに僕の父は紋かき屋でした。表に面した4畳半が仕事部屋でした。そとから光を取るので、街頭を往く人たちもちょっと窓越に見ていく人もありました。
洛中洛外のことは難しいです。東山あたりは僕らは東と呼んで遊かくばかりある地域と思っていました。
ちなみに僕の実家は小川通二条下る、です。 島田正治 墨畫家
* わたしより年輩の島田さんは現在川崎市に住まわれている。葉書に千枚の墨画を心がけられていて、今日戴いた三枚目の繪「太陽の顔」が気魄にみち、なかなか佳い。
2018 8/14 201
☆ 残暑お見舞い申し上げます 森下辰男
秦 兄
ご本有難うございました。連日の猛暑ですが、その後、体調はいかがですか。
当方(=の新事業)は やっと、産気づいたかなという段階で、生みの苦しさを味わっています。産声を聞くのは何時のことでしょう。
去年まで不要だった扇風機が、今年は連夜、二階の寝室で明け方まで廻っています。京の岩倉も今年の夏はさすがに暑い 。
五山の送り火は、台風の影響で雨かもしれません。九月歌舞伎座秀山祭の座席がきまった。
時節柄、十分ご自愛ください。有難うございました。
* 久々の夏歌舞伎を楽しんでくる。九月歌舞伎座 秀山祭の座席もきまったと。十月昼の部ももう頼んだ。十一月は、京の南座でと。ウーン。
☆ 秦様
『湖の本』141「語り合う日本の古典風景」のご恵投に与り、ありがとうございました。現在、西行を集中的に読んでおりますので、「今様の世界」に強く 惹かれました。12世紀という時代の意味を実に的確に摘出されていると存じました。イタリアの歴史家クローチェに「すべての歴史は現代史である」という言 葉がありますが、いみじくもその名言を思い出した次第です。分け入っても分け入っても果ての見えない古典の世界の道案内として、秦様のご著書をいつも楽し みに拝読しております。
私の雑誌「此岸」は 原稿はすでにそろっているのですが、製作費調達がままならず、滞っております。秦様の創作・読書・制作費の調達の三拍子を見事に実 現して来られた道程に、敬意の念を新たにするとともに、遅まきながらなんとか見習おうと存じております。今後もご指導のほどよろしくお願いいたします。 茨城 持田拝
2018 8/15 201
☆ 秦先生、
湖の本をお送り下さり有り難うございました。先日お伝えしました住所に無事に届きました。
「私語の刻」はいつも読ませて頂いております。
最近、猫をお飼いになったとのこと、良かったです。「私語の刻」に明るい光が差したような印象を受けております。生命の力というのは本当に大きいと思います。
私の方は色々とお話したいこともあるのですが、まだ纏まらない事も多く、ここに書くには至らないことばかりです。もう少し時間が必要なようです。
今年の夏の暑さは例年にも増して酷いですね。
うちの4歳の息子も 「今日は一日家に居る」と毎朝宣言して、引きこもっています。幼稚園に入るまでは無類の鉄道ファンで、休日というとどこかへ連れて 行かされていたのですが、どこへも行かないと言われてしまうと 途方に暮れます。1年前までは、ベビーカーを引いて雨の日も風の日も踏切などに出かけた り、遠出して電車に揺られ、ベビーカーの中で息子が寝るのを待ったりしたのですが、そんな日々も既に遠い過去のように思われます。そのベビーカーも、もう 不要ということで、欲しいという方に先日お譲りしました。
できなかったことが少しずつできるようになる。必要だったものが不要になる。これからは、ずっとこの繰り返しになるのでしょうね。頼もしくもあり、寂しくも感じます。
一方、今までできていたことができなくなる、不要だったものが必要になる、というのがこれからの私達の世代かもしれません。先日、東工大のサークルの同 期と久しぶりに飲みました。中には数年会っていなかったような者もいましたが、話題といえば老眼の話や健康の話など。大学時代からは考えられないことで す。
私もここ最近、老眼が進んできているなという印象を受けていましたが、同期の中には用途に分けて眼鏡を3つも用意している者もいて、まだ彼よりは大丈夫だな、などと思ったりしました。いずれ避けては通れない道ですので、そんな差は誤差の範疇なのでしょうが。
職場では同年代の人と接することはそれほど多くなく、ジェネレーションギャップに苦しむことも増えてきているのですが、こうして久しぶりに会ってたわいもない話で盛り上がる同期が居るということは幸せなことだな、と感じた次第です。
酷暑の折、どうぞお身体にお気をつけ下さい。
奥様にも宜しくお伝え下さい。
秋になった頃、またご連絡させて頂ければと思います。 英
* こういう、生活感・日常感に滲ませてやわらかな述懐の聞こえてくるメールが嬉しい。もうわたしの東工大も最後の最期のころに狭苦しい地下の止まり木で 食事したように覚えているのだが。家まで来てくれたこともあったが。アメリカでの研究生活も永かったが、そのなかでも、静かに「私語の刻」を紡ぐことの出 来る卒業生だった。そういう男子学生の少なくない大学だった。
ご家族とも仲よく、ますます元気でやって下さい。
* 昨日、出掛ける少し前に、京・古門前通りの「おっしょ(師匠)はん」から、「本、届いたえ。おおきに」と娘時代のママのような元気な挨拶があった。言 うてはワルイか、わたしと同い歳だもの。声は年取らないのだな。ますます元気で踊って下さい。新門前通り、もとのわが家からは西之町には、京舞の井上八千 代さんがいる。この人はわたしらよりも若い。京観世の優れたシテ方だったお兄さんが、わたしの大学の先輩だった。この人の貸してくれた、というよりそのま ま呉れた日本の中世史一冊を繰り返し翻読したのが、のちのちの、「日本」を観て行くわたしの姿勢になった。
☆ 暑中お見舞い申し上げます。
今夏の京都の暑さは並大抵ではありません。
先日の大阪北部地震で震源に近かった拙宅では、書棚が倒れて書籍が散乱状態にありますが、あまりの暑さに未だ手を付けられていません。
『湖の本137泉鏡花』、まだ在庫がございましたら、あと2部、お頒ちいただけませんか? 書籍代・送料をお教えください。
まもなく大文字。 研究室の窓から眺めます。(絵葉書は 池田遥郁 大文字の送り火)
同志社大教授 励
* 地震と書架とは相性が悪い。心身御無事でよかった。
いま機械に向きあっている私の五十糎前には重い全集が四段にぎっしりの書架。五十糎の背中にもあやふやな勝手棚に「湖の本」全巻ほかが、びっしり。すぐ身近な右にも左にも、倒れ込んでくる重い、軽い書籍が沢山。遁れようがない。防禦の手もなく遁れる櫑地も無い。
☆ 雷鳴とどろくなか、本日、ずっしりと重い湖の本141巻が届きました。ありがとうございます。炎暑のなかでの細やかな送付作業、本当にお疲れになったことでしょう。
お二人のご労著に感謝しつつ、じっくり読ませていただきます。
日々、御身お大切に。お礼まで。8月13日 笹塚 さとう
* うちの、アコに似た猫のふたりが、洋水仙の大鉢のそばで機嫌良く昼寝の絵葉書、小さい方のがうちの弟黒いマゴに似ている。心遣いして送って下さる絵葉書、嬉しくて、佳いものだ。
☆ 残暑お見舞い申し上げます。
今夏の暑さは格別ですが、先生にはお障りございませんか、お伺い申し上げます。
本日はまた、『湖(うみ)の本 141 語り合う日本の古典風景』をご恵与賜りまして、厚く御礼申し上げます。まことにありがとうございました。勉強させていただきたく存じます。
何度かお礼状にも書かせていただいておりますが、城西大学前理事長の水田宗子先生が、元文科省事務次官により失脚させられ、水田先生の支援をした私は、 今年度から雇い止めになりました。水田先生支援のためもあり、連合系東京ユニオンの下部組織の組合をつくり、現大学側と団交を通して雇い止め撤回運動を 行っております。
このたび、『週刊金曜日』 がこの間題を取り上げて、上・中・下の三回にわたり連載してくれるそうで、先日、上が発売されました。
先生には、ご迷惑かとも存じましたが、是非ご一読いただければ幸いでございます。何卒よろしくお願い申し上げます。
まずは、御礼まで申し上げました。まだまだ暑い日が続くようでございますので、くれぐれも御身ご自愛のほどお祈り申し上げます。 敬具 宏 近代文学・女性学研究家
* 「週刊金曜日」は、ペンの理事や委員時代に創刊され、わたしとしては珍しく、ま、気持ち応援していた週刊誌。送ってもらった八月十日号で、問題の城西大学乗っ取り事件のやや詳細な経緯の一部を知った。
水田宗子さんとは、よほど昔になるが井上靖会長時代の環太平洋ペンの大会での演説原稿を英訳して下さり、演説の時の司会もして戴いたことがある。この演 説はすでに『湖の本』にも加え、また近く選集にも収めることになる。城西大のことは何も知らない、創始者の水田氏が著名な政治家であったことだけ覚えてい る。図書館もたしか水田記念図書館といった名である。
週刊金曜の今回記事に見る限り、また上の便による文学研究者の何度もの手紙によっても、これはかなりアクドい「乗っ取り」事件としてイヤな容貌が見えてきそうに思われる。成り行きを観ていたい。
* もう一人、沖縄から、翁長知事をうしなった「沖縄」の悲しみと不安や怒りにかかわる長文の手紙を受け取っているので、ぜひ、紹介したい。
☆ 秦 恒平様へ 沖縄の声を届けします。
いつもご著書やホームページの「私語の刻」に励まされています。
「私語の刻」に翁長沖縄県知事に触れていたのを拝見し、どうしても沖縄の現状をお伝えしたくて、お手紙を書かせていただきました。
翁長知事が辺野古埋め立て承認撤回を表明したにも関わらず、日本政府は8月17日の辺野古沖への土砂投入を強行しようとするでしょう。それは、絶対に阻止しなければなりません。
「はいさい、ぐすーよー、ちゅう、うがなびら。」
「うちなーんちゅ、うしぇーてーないびらんどー。」
「うちなーんちゅ、まきてぃーないびらんどー。」
過去、2回参加した県民大会での翁長節が今でも耳に残っています。8月11日の大会では、それを聞くことは できませんでした。この日のために知事が準備し病床に置いていたという辺野古のイメージカラーの青の帽子を、知事の思いをどうしても伝えたいと出棺を前 に、駆けつけ登壇したご子息によって、知事が座るはずだった席に置かれました。ご子息は「父、翁長雄志は最期の最期まで、どうやったら基地建設を止められ るか、あらゆる方法を探るために病室のベッドで資料を読みあさっていました。ウチナーンチュが、心を一つにして闘う時、おまえが想像するよりもはるかに大 きな力になると何度も何度も言っていました。」と語っていました。台風14号が近づき、決して小雨とはいえない雨の中、那覇市の奥武山陸上競技場に参集し た7万人の人たちはその場を離れませんでした。傘をさし、カッパを着て雨をしのいではいましたが、誰一人動かず、皆、真剣な顔で壇上の人の話を聴きなが ら、「そうだ、そうだ」「あきらめないよー」「ウチナーンチュの島なのに」など声をあげていました。
前知事の辺野古新基地建設承認の報道を受けた時の衝撃。未来を絶たれたような衝撃。新基地を建設してしまっ ては、もう永久に米軍基地が沖縄からなくなる希望は絶たれてしまう。戦後、県民の意思とは関係なく造られてしまった米軍基地。基地があるゆえの、かぞえき れない沖縄県民への人権を無視した米軍の横暴が永久に続いてしまう。私たちの子や孫へ永久にこの悔しさ、怒りを引き継いでしまう。あの時の絶望感、震憾は 今でも忘れません。
翁長知事の県民への呼びかけは、あの絶望感に希望を与えてくれました。これ以上基地を「絶対に造らせない。」という意思を強固にしてくれました。 ト
沖縄にいると日本が真の民主主義国ではないということがよくわかります。それは基地周辺や辺野古では顕著で す。基地建設反対の市民への警備隊の暴行。建設反対の市民が警備隊の暴行で骨折をしたなどという新聞記事は珍しくありません。実際に座り込みをした私の友 人は、警備隊は、わざと市民が警備隊へ手を出すよう、怒りを煽るように、互いに腕を組み座り込む市民の腕を強くつかんだり、暴言をあびせていたと話してい ました。これが、民主主義国で起こっていることです。実際に、私が辺野古へ行った時、集まった人たちは、少し拍子抜けするほど穏やかな雰囲気で、警備隊に 煽られることのないように注意を呼び掛けていました。
前知事が基地建設の承認をする際の条件として、沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会。大会で は、その元副委員長で琉球大学名誉教授の東氏からのメッセージも読み上げられました。「埋め立て区域も含めて、ウミガメの産卵場所、海藻分布と密度、ジュ ゴンが何頭いるか、どれくらいの頻度できているかなどの調査を何度依頼しても、防衛局は毎回何も調べていなかった。委員会で藻場の話をしても議事録には載 らず。防衛局は、自分たちに都合の悪いことは一切書かず、一方的な記述となっていた」と。同氏は、2015年に意味のない委員会に辞任を申し出たが、正式 に辞任を認められたのは2018年だったそうです。同局からは「辞任の件で取材があれば、事務局に聞いてくれと答えなさい」と言われていたそうです。東氏 は、「辺野古大浦湾の環境は非常に優れている。それを埋め立てるのはもっての外」という思いから大会主催者からのメッセージの依頼に快諾したそうです。
他県出身の大学の教授との会話のに中で、「辺野古で反対しているのは、ほとんど県外の人なんで しよ。県外の過激な人達が建設反対って騒いでいるんでしよ。」という言葉を聞いた時には、耳を疑いました。少なくとも豊かな知識があるとみられている大学 の教授が、沖縄に住んでいながら、いったいこの人は何を見ているんだろう? 地元の新聞やテレビ、ラジオのニュースで辺野古の現状を報道されない日はあり ません。地元の現状を見ずに、本土の一部の報道を真に受けた言葉。怒りで声が震えるのを必死に抑えながら 「辺野古で反対しているのは沖縄の人がほとんど です。沖縄の人は本当に怒っているんです」という私の言葉に、はっとした様子で 「ただ反対、反対って言っていても‥。もっと別の方法を沖縄の人は考えた ほうがいいと思うけど」。別の方からは「反対って、じゃあ普天間基地はそのままになってしまうよ」。
なぜでしょう。なぜこの人たちは、気づかないのでしょう。沖縄にあるのが前提、他県に移設するのは無理という前提で基地問題を語るその感覚がどれだけ傲慢で無神経なのものなのか。
日米安保条約で周辺国からの脅威から守られている、しかし、「基地問題は沖縄の問題」という当 事者意識のない、想像性のない日本国民の言葉を聞くことは、悲しいことに珍しくありません。翁長知事たちが東京でオスプレイ配備反対の横断幕を持って抗議 の行進をした際に、周囲の歩行者からあびせられたという暴言からも、その人たちにとって「基地問題は沖縄の問題」「沖縄は黙って受け入れるのが当然」とい う心情がわかります。もちろん、そういう人たちばかりではなく、県外からわざわざ日帰りで辺野古へ駆けつけ、県民と一緒になって反対運動をしている県外出 身者もいます。
他が受け入れないから、辺野古。なぜでしょうか。軟弱地盤も指摘されている辺野古。なぜでしょうか。沖縄県 民も他の県と同じように、いやそれ以上に反対しています。基地があるゆえの苦しみ、日米地位協定に対するやり場のない怒りを戦後ずっと味わってきた沖縄の 県民は、同じ苦しみを他県の人たち、他の地の人たちに味わわせてしまうことは決して望んでいません。凶悪な事件を繰り返す、大学構内、保育園、住宅街に上 空から物を落下させる、有害物質を埋めた土地をそれと知らさず平気で返還する米国の基地を、他県に押しつけることは決して望んでいません。しかし、もうこ れ以上沖縄だけに負担を強いるのはやめて欲しい。国民全体で議論して欲しい。
国はあらゆる手を尽くして、県民をあきらめさせようと必死になっています。防衛局職員が夜襲の ように、事前の連絡もせず、人気のない真夜中の県庁への資料搬入や、夜間、基地建設反対の人たちがいなくなった辺野古への資材の搬入など、まるで建設反対 の県民を恐れているかのような政府の行動が焦りに見えます。
8月17日金曜日に辺野古沖へ土砂投入が開始すると防衛局は予定しているそうです。土砂を投入してしまっては、破壊された自然は取り戻せません。
自分たちの安全を守るために他の犠牲を強いることを黙認していて本当にいいのですか。
辺野古の埋め立て、土砂投入を阻止しなければという思いから、長々とまとまりなく書きました。多くの国民が辺野古に注目することを希望します。
毎日が、少しでも体調の良い日であることをお祈り申し上げます。
沖縄・豊見城 宇智きよ海
* 沖縄を、あまりに過酷な依然とした占領下状況へ、当然のように孤立させたまま、「戦後米国の世界支配をす羅願う新安保政策」への、卑屈なまでの屈従姿勢を日本国民に多年平然保守政権が強い続けてこれた、それには明歴々の「理由」がある。
それを、正確に掘起啓蒙すべき役割の野党がほとんど死に体にちかいという不幸が、昨日今日明日はもとより未来にわたる「日本崩壊の不幸」を動かぬものにしている。
少なくも国民は、ことに若い国民は、早くそこへ気づいて「少なくも日米の戦後史」に学び、また自主自立日本へ意識を結集しなくてはならぬはず。
* 疲れた。十一時。床に就いて、ゲラを読み、そして寝に就く。うまく熟睡したいが、夜中二度はマコとアコが甘えに来る。
2018 8/16 201
☆ 「湖(うみ)の本 141 語り合う日本の古典風景」を拝受しました。
対談・鼎談は読みやすいけれども、内容は深く いろいろ考えさせられます。行きつ戻りつしながら読んでいます。
酷暑も少し峠を越した感がありますが、まだまだ油断大敵。ご自愛ください。
2018/08/17 練馬区 靖夫拝 妻の従弟
* 食欲が薄く、量も入らない。
* 能美市の井口さん、冷蔵された、一升瓶、とびきりの名酒を送って下さった。有り難いこと。有難う存じます。
同志社の鏡花学者の田中教授あて、「泉鏡花」を数册、謹呈でお送りした。研究や学習のお役に立つのは本望です。
☆ 酷暑 御見舞申します。
『湖の本』141「語り合う日本の古典風景」 有り難く拝受致しました。
同じ京育ちながら、小学校は地域に関わりない附属育ちで近所の子供達と遊んだことがなく。子供部屋の書棚には、親父の部屋に入り切れない。カトリックの エンサイクロペディアや、ドイツ語のゼーマンの画集、オクスフォード版? のシェクスピア全集、サンガー女史の本等 洋書が並んでいました。そして旧中学 五年の夏休み 帝国文庫の『南総里見八犬伝』の毒婦舟虫の章に到って、モーパッサンの『女の一生』のある箇所を読んだとき以上に驚き――といった古典入門 の私には、ご尊台や杉本さんの京育ちが羨ましい限りです。 東京・目白 稲垣眞美
* 恐縮です。
2018 8/17 201
☆ 残暑御見舞い申し上げます
今年は格別に暑い日々が続いておりますけれど、先生お元気そう! いつもエネルギッシュだなあと感心しきりです。ご本いただきました。
まあいつもそうなのですけれど、先生のご本はそうそうすらすら読めません(笑) NHKbooks「梁塵秘抄」「閑吟集」を引っ張りだしたり、年表をみ たり、あれこれ考えながらすすむので、かなり時間が必要になります。まあ頭を錆びないようにするのに大変よいことになっております。
朗読は日々つづけておりまして、年三回の図書館朗読もずっと参加しています。アンケートをとると圧倒的に人気あるのが「時代もの」。10月は藤澤周平「果たし合い」を読みます。
9月に入ってこの暑さも少し和らいだころ、久々、ほんと久々におあいできれば嬉しゅうございます。 西東京・田無 ゆ
2018 8/17 201
* 「湖の本」払い込みが一気に届き始めている。
今回は「先ず読者の皆様分」に(後々への枚数を考慮して)、井口哲郎さんに「刻と刷」のお手数を戴いた「栞」を挟んでお送りしたが、大勢の方から喜んで 下さる声が集まっていて、ておいた嬉しい。まだ枚数に余裕を残しておいたので、次の機会には、知友への便にも、はんなりと差し挟ませて頂ける。有難うござ いました。
その上に、よく冷やしとても珍しい無濾過生原酒を戴いた。恐縮しつつ、嬉しくて、もうはや三合ほども戴いてしまいました。
☆ 『湖の本』いただきました。
エヤコン嫌いがエヤコン漬けの毎日、それが涼風をもたらしてくれました。
「いま、古典をどう読むか」は、、とても興味深く、教えられることも多かったことを思い出し、『国語教室』をとり出し、並べてみたりしています。若い感動でした。
若いといえば、おことば(「私語の刻」)通り、本誌には「若かりし」秦 恒平を思い出す語り口が読みとれ、それがまた嬉しい一巻です。
いつかも同じような感想を申しあげたことことがあったようですが、数回お会いして お話ししただけなのに、秦さんのお話ぶりの印象は耳の底にしっかり残っていて、文章を拝見していると、それがよみがえってきます。
H・PにI奥さまのご体調のこと、ちょっと書かれていましたが、どうぞお大事にと祈っています。
「湖の本」141は、机上に置いて、じっくり秦さんの若い声を聴くことにします。
「湖の本」は(八月)十五日のおひるごろに届きました。あの日中学(旧制)一年生の私は夏休みで、天皇の放送を父と聞きました。テレビのニュースを見ていたら 受取の筆がすすまなくなってしまいました。
十六日になりました。誌代をお送りしたついでにこの町で一軒のみの酒屋さんで、秦さんへの暑中見舞を送ってもらうことにしました。萬歳楽ではありません が。当地で有名な農口という杜氏の手になるもので。セガレが酒好きの友人にプレゼントしたところ、たいそう喜ばれたというので、それにしました。おためし ください。
酒屋を出たとたん大雨です。ほぼ一ヶ月ぶりの雨です。パソコンのレーダーで見ましたら80ミリくらい。大雨警報が出ています。
ただ、樋を越す雨足も一時間ほどで弱まりました。レーダーは、黄から緑にかわっています。
この暑さの中で、外に出るのも憚られて、家の中でうろうろし、ふと自分の年齢を確認したりしています。さしたる不便もない体、無為な日々を、年齢のせい と、自分にいいわけをして、それがまた腑甲斐ない思いにかられるのです。 秦さんに初めてお目にかかってから、もう四十年ほど経っています。この間のご交 誼は、私の人生の中に強く彩られています。
雨がまた強くなるやも知れません。なにかとりとめもない受取りの文になってしまいましたが、ここで打切り郵便局へ行きます。
お二人のご健勝 心から祈っています。
八月十六日十二時三十分
石川・能美市 哲 前・石川近代文学館館長 元・県立小松高校校長
* ふかふかと心温まって無用のいらだちや懸念などを忘れさせて戴くお手紙、いつもながら嬉しいこと。ペンの字が震えて書けなくなってしまい殺風景な機械での「私語」ばかり読んで戴いて。御免なさい。
☆ 秦恒平様
この度は「湖の本」を贈呈賜り、心から感謝申し上げます。もう27年も前になる脇田晴子さんとの対
談と対面できるとは、まったく思いがけないことでした。この対談の記憶は非常に鮮明で、会場は先生ぉ気に入りのホテルフジタ、レストランに奥様とご一緒に入ってこられました。冬の午前の日が差し込んでいました。
実は対談のお相手として考えていたのは、文化勲章受章者の脇田さんには大変恐れ多いことですが、御粽司の川端道喜さんだったのです。読み返しても、道喜 さんならここはどう言っただろうという思いになります。ところが川端さんが重い病気にかかっていることが分かり、脇田さんにお願いしたのでした。脇田さん は快諾されましたが、のちに「秦さんは手ごわいと聞いた」と緊張されていました。
こちらも川端さんとの対談で描いたイメージとはずいぶん違うし、お二人には利休像にずいぶん違いがあるのでハラハラして見守っていました。
実際火花も散ったし、読み返して後半の緊張感はかなりのものがあると感じます。編集上、お二人の分量はほぼ同じにしましたが、全体として秦先生が押して いて(はっきり言えば圧倒)P159の「黄金色の暗転期」の部分は、実際にはこれに続いて「利休の黒茶碗」をどう考えるかがあり、秦先生の問題提起に脇田 さんが立ち往生してしまいました。編集上は大変悩んだところでしたが、今にして思えば、このくだりを文字にしていないのは、大変失礼なことでした。
そんなことで編集者としては全く自信がな〈、読み返す気にもなりませんでした。そもそも組み合わせが失敗ではなかったかとか、お二人には不快感を与えた のではないかとか、原稿には目を背けられたのではないかとか、感想をお聞きするのも憚られるなどなど、そういう思いをずーっと持ち続けておりました。
27年ぶりに対面する機会を得て、対談者には笑われ、叱られるかもしれませんが、編集としてもそんなに悪〈ないな、と勝手に思っている次第です。私も古 稀になったので自分を慰めるすべを知ったのかもしれませんが、先生から贈っていただかなければ、そんな思いにならなかった訳で、本当にありがたいことで す。
それでも、終わり方はもう少しまLなまとめ方があるだろうに、お二人から引き出しようがあるのにと、冷や汗が噴き出してまいります。編集者はとうにやめてしまっているのに。
杉本秀太郎さんとの対談、楽しいですね。杉本先生のお宅でされたのですか。私も先生が「平家物語」を上梓されたとき、お宅でインタビューさせていただき ました。鼻に抜けるソフトな声が耳に残っています。「しかるを平家一平家物語は語勢がいい」と言われたことを覚えています。
永井路子さんとの対談も読ませていただきました。
脇田さんにも道喜さんにもお伝え出来なくなった私の思いを勝手に書かせていただき、申し訳ありません。お盆の中日、この27年の間に鬼籍にいられ、お世話になった方々への思いもよみがえりました。本当にありがとうございます。
炎暑下、暑苦しい手紙をお許し〈ださい。先生のご健康をお祈りいたします。
2018年8月15日
京・西ノ京 林信一郎 元・京都新報記者
* 編集記者と著者とのこういう出会いや良い意味のストラッグルを数限りなく繰り返しながら、わたしは心ゆく仕事をたくさんたくさんさせて貰えた。今の「湖の本」も「撰集」もまさはくその余慶として可能になっている。ありがとう、と思わずアタマが下がる。
☆ 拝復
残暑厳しき折、皆さまお変わりなくお過ごしのことと存じます。
先般、「湖(うみ)の本」 たしかに拝受いたしました。厚くお礼を申しあげます。
さて、「日本の古典」 を読むのが苦手の小生は、本書の冒頭の鼎談で、先生が危倶された「悪い意味の教養主義へと外れて」「いささか不幸な人生」を送っ てきたので、余生はゆっくり鑑賞したいとおもいます。 お礼方々 平成三十年八月十五日 京・山科 あきとし じゅん拝 詩人
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* 今回は、松園描く「紫式部」の色美しい絵葉書でお便り下さる。
* 篠崎仁さんお心入れの「梨」がドッカーンと重々しく届いた。もう熟して、美味豊かに、弱い歯にも優しい。
☆ 残暑お見舞い申し上げます。
お障り無くお過しでいらっしゃいますか。
いつも”有難いお心”を賜り有難うございます
ことしの京都は例年にも増して暑さ厳しく、一寸凹んでしまいました。
本日久し振りに外出叶いましたので、粗品、お送り申し上げました。失礼お許し下さいませ。
感謝の思いにて 京・下鴨 あや 妻と同期 大学の後輩
* よく選んでくださった二種のお酒、あやさん、嬉しく乾杯します。
* 東村山の写真家近藤さん、いつもながら、選りに選り抜いていただいた地元の純米酒を戴いた、感謝感謝。
中学・高校の同級生濱田美範くん、京の小粋な軽菓を送ってきてくれた。感謝。
また、都内杉並の柏木さん、中村屋の「カレー」セットを下さる。明日の楽しみに。 感謝。
☆ 湖の本141拝受
昨日今日とやっと凌ぎ易くなりましたが、猛暑の最中にご本発送のお仕事をしていただき 手元に届きました。ありがとうございました。
迪子様共々の重い大きなお仕事のご労苦は お身体に大変な事だったと申し訳ない気持ちです。
井口哲郎様御作の栞も嬉しく、貴重な作品をありがとうございました。
初めの「今古典をどう読むか」での対談者、歌人の尾崎左永子様のお話興味深く読ませていただきました。
ちょうど私たちも「源氏物語」を読む会で、70台から80台の人が多いのですが(70人ぐらいのグループ)講師が選ばれた尾崎様の訳で読んでいます。宇治の方は瀬戸内さんです。
先日も中学3年生の孫の諒太がどうして今、歴史や古典を読んでいるのと聞いてきたばかりです。
本人も姉の高校1年生も学校では苦労しているのでしょう。
また、馬場あき子様、永井路子様方も日ごろご本を読ませていただいていて親しんでいましたので秦様とのご意見交換も興味深く読ませていただくことができました。
夏の初めには「湖の本」35の「あやつり春風馬堤曲」を読み返していました。いただいた20年前とはまた違って読めるのが嬉しいです。
秦様も迪子様も 子ネコちゃん2匹と元気にこの夏を乗り切ってくださいますように。
* 妻から転送されてきた。何方か知らん、恐れ入ります。
* 十一時に。
2018 8/18 201
☆ 野路です
「オイノセクスアリス」完成間近の前書きとして 「日本の古典とエロティシズム」を楽しく読ませていただきました。の前書きとして 「日本の古典とエロティシズム」を楽しく読ませていただきました。
* 「出任せ」に題のように書いてみたのだったが、読者の側から容認されたかのようで、ちょっと胸が前へ出た。
☆ 湖の本
お元気ですか みづうみ
お盆休みで東京を離れておりましてご連絡遅れました。ポストに「湖の本141巻」が無事に届いておりました。嬉しいです。ありがとうございます。
秦恒平の文学について何か書きたいと願う人間には必読の、宝の山の一冊にちがいありません。羽生清さんのインタビュウをまず拝読いたしました。
僕は、もの書きのする「批評」とは、文章を書くだけではないと思う。とくに作家や批評家が一種の社会的な存在になってきたかぎりは、書いてする批評と同時に、「してする批評」というのもあると思いますね。
みづうみが現在毎日更新なさっているこの「私語の刻」も「湖の本」と両輪の「してする批評」であると思わず膝を打ちました。
歴史を知らないと、どうしてもデッサンのゆるい現在と未来を書く。
昨夜溜まっていた新聞を片付けていて読んだ八月十四日付の、鴻上尚史さんと村田沙耶香さんの新聞対談で1979年生まれの村田さんが鴻上さんの『不死身の 特攻兵』を読んだ感想として「特攻は命中率が低く、効果的ではなかったのにやらされていたことを初めて知り、ショックでした」と語っていたので、みづうみ のこの言葉が痛烈に響きました。
村田沙 耶香さんは作品が絶賛されて芥川賞を受賞しているくらいですから、ふつうの人間より読書量もあるはずだと思うのですが、村田さんのこの発言に 私は椅子か ら転げ落ちそうになりました。村田さんは、鴻上さんのこの本を読むまで特攻隊の歴史を読んでいなかったのかと愕然としました。特別に勉強しようと思わなく ても、ふつうに先の大戦を描いた小説や映画に接すればわかるものと思っていました。鴻上さんと同世代の人間くらいまでは特攻隊が効果のない作戦であったこ とは常識だと思うのですが、村田さんの世代では その常識のないことに 現在の日本の病根 があるわけです。
「えっ、アメリカと日本は戦争したの? それでどっちが勝ったの」という世界は、芥川賞をとるほどの小説家でも現実なんですね。本当にびっくりしました。
先月も二十万部も売れたという政治小説を面白いと勧められて読まされたのですが、憲法九条を非現実的と断じて笑いものにしているので驚きました。「デッサンのゆるい現在と未来」の筋にあんまり驚いて最後まで読みました。
憲法九条をお題目のようにしている土井たか子や福島みずほの教条主義はいくら批判してもかまいませんが、九条そのものに関係ありません。九条を否定する のは自由ですが、論じる場合は 九条がどのようにして成立したかを歴史として正確に学んだ土台あって初めて可能なことでしょう。
書かれた内容から推察すると、この作家はそもそも日本国憲法をきちんと読んでいるとは信じられず、立憲主義も民主主義も理解せず、小田実や鶴見俊輔の文章なども読んだことすらないと思われます。
誠実な勉強なしのノリで批判するのは、物書きとして恥ずかしい。そして昨今恥ずかしい物書きが増えていくのは、何より「読者の責任」です。エセ京都弁を 駆使して面白可笑しく書いたものが二十万部も売れて、作家として生計が立てられる時代になったことに、もうオバサンの出る幕はないと諦めてはいけないので しょうが、長生きしたくないと ため息ついてしまいました。
「湖の本」の詩と真実に出逢えたことは、私の人生の喜びで読者冥利に尽きます。
萍 萍に大粒の雨到りけり 星野立子
* いろいろ有るということでしょうか。
☆ ものを知らないわたし、
対談に、編集があるとは。録音を、そのまま、起こしているものと思っていました。隔靴掻痒(これパソコンでないと書けない)の訳がわかりました。
あらためて、湖さんの ものごとにたいしての、真摯なとりくみを感じました。久しぶりに本を読みました。
毎日、決断の連続で、くたびれていますが、わたし、しぶといみたいです。 柚
* 新聞のように字数制限のきつい媒体では記者やデスクが編集しています。隔靴掻痒感は生じやすいですね。
文藝雑誌等の場合は、速記録を各自確認修正してそのまま活字になるのが普通です。かなり激しくなってもそのまま活字化されています、わたしの経験では。
2018 8/19 201
☆ きびしい残暑の日々
お変りなく御健勝の御様子、大慶に存じます。
「湖の本」141では、かつての鼎談をお拾いいただき汗顔の思いです。
「洛中洛外屏風」の座談会を二十数年ぶりに再読いたしました。「正座」のお説、すっかり忘れていましたが、すばらしい御着眼だと感服いたしました。脇田さんとの対談とあわせて、勉強させていただきました。 今西祐一郎 九大名誉教授 前・国文学研究資料館館長
☆ 略啓
「湖の本141」有難く頂戴致しました 御文中それぞれの座談に 読んでゐるお前はこれらの問題についてどう考へるのかとの問かけえが肺腑にこちへました。ゆっくりお話をおうかがひしたいと思ひな乍ら 酷暑にとまどふ日々です。
改めて拝眉の機を 不備 前・文藝春秋専務取締役 英
☆ 残暑お見舞申上げます。
『湖の本141 語り合う日本の古典風景』を拝受、暑さにへたりこんでいる脳に「興深い」刺激を与えてくれる有り難い一冊でした。とりわけ洛中洛外屏風について学んだ後、 杉本さんと洛中洛外「対決」を読むと緊張感とともに京の奥深さが伝わってきてワクワクしました。
「よい読者」にはなかなかなれませんが、編集の妙も存分に楽しませていただきました。お礼申しあげます。
異常気象が続きます。どうぞお身体お大切に。 講談社役員 元・出版局長
* 錬磨の読み達者のお目に触れるのが、とてもとても有り難く嬉しく、励まされる。
☆ (前略)
この暑さ 都心へ出るのも嫌なのに、サハラ砂漠のタッシリ・ナジエールへ壁画を見に行きたいなど妄想を画いております。おそらくドクターストップがかかるでしょう。
遅れてしまった「みごもりの湖」読み始めました。猛暑、なんの障りもありません。
別便でお酒送らせていただきました。 写真家 近藤聡
☆ (前略)
まさに 『いま古典をどう読むか』の心境なのですが 高校時代の古典の授業は 二人の 父(故・島津忠夫先生)の教え子先生がいて 出来の悪い私にとっては、苦痛で苦手な時間でした。
最近 ようやく 父の本や、先生の御本に接する機会に恵まれて 古典への苦手な気もち 少しずつ克服しているように感じております。
茶そばは お好きでしょうか?
奥様と御賞味いただければ幸いです。 埼玉・所沢市 佐貴
☆ 今朝の涼しさは
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」
平安時代の歌ならずとも おどろいています。
湖の本141 ありがとうございました 読書の秋、拝読させていただきます。
(ロスの=)池宮さんは元気になられて今秋来日なさるそうで楽しみにしています。
別便にて心ばかりの中村屋のカレーお送りしました。
お忙しい時は手抜してお試し下さい。御礼まで。 杉並区 柏木洋子
2018 8/20 201
☆ 拝啓
残暑厳しき候ですが 先生には ご無事の日々をお過しのこととお喜び申し上げます。
日頃 御世話様になり感謝申し上げます。このたびは「湖の本141 語り合う日本の古典風景」のご刊行、おめでとうございます。錚々たる方々に交じり、ひと際 存在感のある先生のご発言を興味深く読ませていただいておりま す。『梁塵秘抄』における後白河院だったり、洛中洛外屏風の鴨川だったり、利休の正座だったり、上村松園の「天保歌妓」だったり、その重みを味わう思いで おります。
益々のご発展を祈念いたしております。 右、御礼にて。 敬具 原山祐一 新聞記者
☆ (前略)
今回は座談会・対談特集で。多彩な諸先生かたとのお話に興味がわきます。
冒頭の司会長尾高明先生は、小社より『庶民の歌 川柳と歌謡』をお出しになられたこともあり、またもうお一人が尾崎左永子先生ということで、このお顔合せにびっくり致しました。
拝読致しまして、常に古典文学を身近に思っていらっしゃる先生方のお考えがとても自由であるということに新鮮な印象を抱いております。
先生が末尾の締めに語っていらっしゃいますお言葉、「現代を深く広くより正しく見なければいけない。そのためにも遠き古の伝統を、よくよく見なければい けない。そしてその伝統の中の、悪しき伝統と闘うことをしなければいけない」という文言、しかと心に受け止めさせて頂きます。
続く「今様の世界」、「現代に生きる『平家物語』」、「洛中洛外図屏風」など、興味津々です。これから楽しみに拝読させて頂きます。
猛暑の中 数日外に出かけましたが疲れが尾を引いておりまして少々バテております。体力温存に努めたく存じております。
先生も くれぐれもご無理なきようにとお祈り申上げます。
とりあえず拝受の御礼申し上げます。 敬具 豊島区 紅書房主人
☆ 御本が届き、
読みました。
メール嬉しく。
今年は大文字の京都には行けず、介護に過ごしています。
改めてメールします。
お元気で、夏の疲れ残されぬよう。 尾張の鳶
* 老老介護、さぞやと思う。ご平穏を願う。
2018 8/21 201
* 晩、建日子たちがマコ、アコに逢いに来ていた。雑談に終わる時間は惜しく、わたしは二階で仕事していた。いつの間にか、帰ったらしい。
なにかのテレビ情報によれば、わたしと建日子とに残された日数は、正味にして「数日」しか残っていないと。顔を合わせるなら、懐かしく意味も実もある時間にしたいと願う。
* 「湖の本142」の編成が成って行きそう。
2018 8/21 201
* 此処で 一つ 私どもとしては 「思い切って重大な提示・広告」を致します。「ご遠慮無くご利用」下さい。
今日現在も 「秦 恒平・湖(うみ)の本」の「全巻継続購読者」(ほぼ全員が 創刊以来の全巻購読者)の皆さんに「限らせて頂きます」が、三十余年にわたる「湖の本既刊本」(現在141巻 今後も継続)の、「小説・エッセイを問わず、どの巻であれ、何册であれ、在庫の限り」を、ご希望次第で、例外なく「無料で呈上」します。
「文学」の作として、お仲間なり、ご子弟・ご知友なりと、宜しいように自由にご利用くだされば、作者・著者として幸いです。
ただ、「巻」によっては、すでに在庫のもう払底、ないし払底しかけているのもあります。しかし斟酌なく、むしろ秦を助けると思って、「何巻を何冊」と、ご遠慮なくご要望下されば、可能な限り、すべて無料で、荷造りして送り出します、何の御斟酌にも及びません、喜んで差し上げます。
私ども夫婦の「残年寡き」を思えば、「一つの潮時」と、たった今、ハッキリ思い立ちました。発送にいささか年寄りのモタモタのありがちなのは、ご容赦下さい。
一つには、没後に在庫を残しても、事実上私の本意を践んで残部を活用できる者は無く、故紙同然に廃棄されるのは必至だからです。いっそ秦を援けてやると思われ、ご遠慮なくお申し越し下さい。
* 今日も予定した仕事はきっちり済ませた。「選集27」の出来に慌てることは無く、体力を大事に温存していたい。もっぱら創作へ心を用いつつ、「選集28」の初校は遅滞なく進めてある。
「湖の本142」を興味をもって貰えるように、工夫しながらほぼ腹案に沿って半ば以上組み立ってきている。
十時半をまわってきた。就寝前の読書を楽しみに階下へ下りる。「失楽園」らうちこんでモノを思い続けている。昔々の新潮社版世界文学全集の古本を三冊、 飛びつく思いで買ったのはまだ新制中学の頃、二冊は『モンテクリスト伯」上下で、もう一冊は「ボヴァリー夫人・女の一生」だったのが今も西の棟の振るい書 架に残っていた。無性にまた、『モンテクリスト伯』を此の古い上下巻本で読みたくなった。まだ読まれていない佳い本が数えきれず書庫にも、二棟の幾つもの 書架にもあり、死ぬ前に読んでおきたいなあとつくづく思う。みれんがのこるとかると、面白い佳い本を読みあましたまま逝くことかなあと思う。
2018 8/22 201
☆ 拝復
朝夕の涼風が救い、残暑きびしきことですが、お揃いでお大事にと念じております。
湖の本141 ご恵与たまわりありがとうございます。行きつ戻りつ座談の妙、思わず再読の機に恵まれましたことお礼申し上げます。
岡見(正雄)先生の博学なることは驚異で、授業でもうんちく傾けていらしたことと思っておりましたところ、古典朗読一点張りの授業とうかがい意外、僧職 できたえられた朗読と合点もいくところです、ただ、教育の難しいところ、古典のリズム感捨てがたいところとはいうものの、クラスの何人が秦さんのような感 銘もって以後の古典愛読のきっかけと過ごされたか 課題と存じます。
韻文鑑賞もいかにあるべきか、自らの選歌眼確かめるためにも 教科書に採りあげられる歌句と異なるものに接することが肝要と思っておりました。現代、古語を自らの語としてあやつることができるのも 歌句なればこそと学生達と話したこと思い出します。
(湖の本など)回覧供していた卒業生も亡くなりさびしいかぎりです。
門口に誰そ朝採りの胡瓜など
お礼言上遅くなり失礼のだんお許し下さい 草々 信太 神戸大名誉教授
* いつも句のお作を添えて下さる。門口に 佳句ではあるまいか。
岡見先生の高校での授業は、先生のじつは世に卓越の大先生と生徒達がしらず、ボロい袴すがたにボロい革靴すがたの「坊主」をわらってばかり、騒がしかっ た。で、みごとな朗読に つい なった。少なくも受験対策の授業ではなかったが、わたしは、ただただ懐かしい。先生がただけの校内短歌会に生徒のわたしが 一人招き入れてもらえたのも、岡見先生、上島先生ら国語の先生がたのお声がかりだった。歌集「少年」の作はそこへ持ち出され、批評されていた。
☆ 残暑お見舞い申し上げます。
いつもいつもご高著をご恵送頂きまして心から感謝いたします。
いつまでもご自身の著作を愛されているご様子、自分の履歴書やアルバムさえ自宅のどこかに終い忘れている私としては反省しきりです。
8月13日に満90歳になりまして、いよいよガタがきました。しかし今の政府を崩壊させるまでは死なないつもりですが。毎日夜中の3時すぎまで起きてい るせいで視野狭窄症になり、おまけに数日前からはひどい腰痛(右)で整骨院に罹っている始末です。病院の診察券が増えるのと「寄る年波」という言い習わし は嫌いです。未だ朝日カルチャーの講義(2講座}を続けておりますし(もう40年以上)。
前からのご本の感想も書けずにいるのですが、今回の「有楽帖Ⅱ」を途中まで拝読しての連想を少しずつメモしてみます。(右手の指の第一関節が前から半ば死に体) - 数字はページ数。
※
* 「中村冨十郎」 30台のころ、家族が大阪にいましたので、学期ごとの休みなどには、後に千日デパートになった(そこも大火)旧歌舞伎座で歌舞 伎、中座で歌舞伎や新喜劇(寛美のフアン)を見まくったものです。鶴之助(のちに中村富十郎}と大谷友右衛門(のちに中村雀右衛門)が贔屓で、市川壽海は 森田勘弥や市川中車と共にそのセリフ回しに惚れていました。壽海(元。壽美蔵)の後継の壽美蔵の子供2人と姪が教え子なので、大阪の我が家と堺の彼の家と を親類同様に行き来したものです。壽海は先の姪の結婚式で隣り合って歓談する機会を持ちました。壽美蔵さんは律儀で、息子の中学校英語劇(脚本と演出は 私。区で健勝、都で健勝、劇は本になりました・泰文堂)の際には在京していたので、わざわざ『ベニスの商人・法廷の場』の出演生徒に化粧をしてくれまし た。その出演者は今でも何かあると集まります(82。 前の横浜国大副学長もその一人)。アントニオ役をした壽美蔵さんの長男(毎日放送。退職後、中西進 さんの万葉の仕事の手伝いとか) その彼が高校時代に一緒に『双蝶々曲輪日記』の一部を演じたのが当時の延二郎(仁左衛門 =後の延若か)の兄でした(今 の芸名は?)。 6
* 「喜撰」 - 三代前の舞踊の名手・三津五郎の芸を歌舞伎座で見ましたが、まるで「空気」のようでした。フグで死んだ簑助(先々代三津五郎)は好きで、宝塚劇場でも観ま したが、その息子の三津五郎(惜しくも数年前に死亡)が、私の中学時代の恩師の後藤亮先生(私も編集委員をしていた同人誌『詩と散文』に連載した正宗白鳥 の評論で読売文学賞受賞)と親しく、毎週私と青山学院大の講師室で歓談していた先生のところへ話しに来て、可愛かったですね 一 惜しい。
後藤さんには銀座のスナック(?)葡萄屋などに連れて行ってもらいましたが、丁度来合わせた井上靖に挨拶をしていました。彼の内緒話によると、「新潮」だったと思うのですが、大岡昇平の女性関係について触れたとかで怒らせてしまったということでした。 16
* 「玉三郎」 私の妻も後援会の会員で、家中(トイレまで)彼のカレンダー類が貼られています。私が神奈川後援会の会長をしていた当時、よく会った河 原崎国太郎が玉三郎との関係をしばしば話していました(主として舞踊の指導)。国太郎は中学生の時に邦楽座で見た溝口健二の『元禄忠臣蔵』でのことが忘れ られませんでした。
守田勘弥(=坂東玉三郎の父)は早世でした。空襲で焼け出される前は四谷見付(数軒隣に桜隊の丸山定夫夫妻の家) にいましたので近所の弁慶橋辺を通り 水谷八重子の家が見えると彼のことを思い出しました。 - 7
* 「じゃじゃ馬ならし」 – ストラットフォード・オン・エイブンで観劇。ヒロインが美人で見とれた覚えがあります。 118
* 「細雪」 戦後すぐ(未だ学生)に出たひどい造本(2冊)が未だあるほずです。4姉妹の名前を『四人の姉妹』(『若草物語』)と共にすらすらと言えたのですが、今年はあやふやです。 特に「Bたらん」は印象的でした。
沢口靖子は『みおつくし』(?)以来の贔屓ですが、努力家ですね。
佐久間良子と有馬稲子も好きですが、佐久間には因縁があります。私が親しかった荒牧鉄雄さんの自宅の庭続きの隣家が彼女の家で、子供の頃始終遊びに来て 縁側で子供同士芝居ごっこをしていたそうです。荒牧さんの子息は東大教授(地震専攻)になった人でしょう。学会の発表中でも良子のエピソードを喋るのが滑 稽でした。拙宅の茶庭に置いてある小さな石地蔵は、彼が京都の大徳寺から運んだ100体からもらつたものです。行倒れた旅人などが素人ながら彫って置いて いったものだそうです。荒牧さんのベストセラー英語参考書(三部作・三省堂)は秦さんもお使いになったかもし
れません。依頼されて我が家に持ってきた彼の蔵書(参考書類)が500冊位あり、今やワイフに嫌われています。- 8・9
* もう眼が霞んできました。また暇を見てくだらないことを感想に代えて書いてお送りします。あきれながらお読み捨て下さい。
ちょっと涼しいようですが、長続きはしないでしょうから、くれぐれもご自愛ください。有難うございました。 8月20日
秦 恒平様 世田谷 速川和男拝 川柳作家でも
* 卆壽のご老人にこんな微笑ましい佳い思い出を書いて貰えたのは 望外の余録であった。せっかく御健勝を心より願う。
速川さんのお手紙には、ときどき、今日のにも、美術展等催しの招待券が添えられてくる。今回の、九月半ばから十一月末まで三井記念美術館での「仏像の姿(かたち)」展へは、心惹かれている。感謝。
* 京都には、二○二一年に文化庁が移転する。
はや「国際的会議の開催を期待」の声も届いているが、わたしの希望は、とかく空疎に終えやすく実りの薄い、文化人らの文化祭めく国際会議よりも、京の自 然・市街、かけがえ無い文化・文物、未来へ花咲く人材への、実(じつ)のある保全、保護、育成の府政・市政こそ願わしい。
* 滋賀県の三日月大造知事、冨士谷あつ子さんらからも、お手紙を戴いている。
2018 8/23 201
* 「選集28」を校正しながら、内容には満足出来ている。量的な圧縮には苦心。
「湖の本142」の大要は、原稿も揃って問題ないのだが、配列に苦心の最中。
2018 8/24 201
* この数日 苦心の「湖の本142」編輯をほぼ完了した。多彩でかつ論争的に成る。
* いまも作品論をおくってきて下さる何人もの論述は、おおかたその作の、ないし作と作との関連中で語られている例が多い。わたしの「批評と述懐」からも汲まれかつ密に関わりつつ論攷されている例が少ない。もの凄い量なので手に余りがちなのかと案じられる。
* 朝から晩まで、ぶっ続けに「選集28」大冊の校正、「湖の本」の難しい編輯つまりは原稿読みに掛かっていて、視力は限りなく薄れている。
食は我ながら細く、食パンだとせいぜい半枚しか入らない。出汁の利いたつゆ麺だとそこそこ食べられるが、結句は果物と各種の液体で熱量を攝っている。い わゆる腹ポン気味のいやな感じがあり、つい閉塞気味を警戒している。脱水はしていない、わたしの水分摂取は、胃全摘後に一度強度の脱水で死にかけた恐怖が あり、精励している。腹の張るのはソレかも知れないのだが。まるで餓鬼腹のようだと痩せの中で苦笑している。
2018 8/25 201
☆ 秦先生
暑い日が続いてますが、いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか(今日も暑いですね)。
この度は「湖の本」お送りいただきありがとうございました。
昔から対談が好きなこともあり 楽しく読ませていただいております。
時代がそうなのか、それとも古典の語り方自体がそういうものなのか分かりませんが、話の繊細さ、時間の進むスピードの遅さ、情報の濃さを感じながら 少しずつ読み進めているところです。
これまであまり考えたこともなかった、古典に親しむことの魅力、意味を教えていただいております。
また先日は楽しい時間をいただき、貴重なお酒を、勧めて頂くままにいただいてしまいました。ありがとうございました。
文明と文化といったようなスケールの大きな話題でお話ができ、記憶に強く残る時間を過ごさせていただきました。
仕事柄、ITを 日本社会(企業)にどのようにローカライズさせるかに興味関心を持っておりますが、文明と文化という図式によって一段理解が深まったようにも思います。重ね重ねありがとうございました。
引き続き、何卒宜しくお願い申し上げます。 聡 東工大院卆
* さきごろ柳君、松林(降旗)君といっしょに、クラブで歓談を尽くせて楽しかった。あのあと丸山君とも、心ゆくまで保谷の飲み屋で議論と談笑・食事が楽 しんめた。大勢が、いいお父さん、お母さんに成っていて、年賀状はみな申し合わせたように親子家族の写真が届くのに、笑える。
ま、年齢的にも、みな今や企業や官庁の中軸の位置に定まっていて、そうそう容易には出会えないのだが、会えば二〇余年以前の学生諸君と秦さんの時間にすぐ煮立ってくれる。
卒業後も、よく会いよく飲み食いしたような二十人余もの男女卒業生の名が思い浮かぶ、笑顔や声音や話柄のいろいろも思い浮かぶ。ああ、だれか、只今東工 大に在学の後輩のなかから、わたしの古物のような機械や、使いこなせないでいる新しいコンビュータに手を貸してくれるような人、紹介してくれないかなあ と、情けなーいことも思ってたりする。
2018 8/25 201
☆ 残暑お見舞い
24日 台風20号が足早に四国近畿を通り抜け、大雨暴風の幾らかを夜の数時間感じました。台風一過の青空ではありませんが、東北北海道などが被害少なく穏やかに終わることを願っています。
かなりの時間、携帯で、HPの記載を慌ただしく読んでいたので今日は改めてゆっくり器械の画面で読んでいます。
二十三日 木曜日の 速川和男氏の
「満90歳になりまして、いよいよガタがきました。しかし今の政府を崩壊させるまでは死なないつもりですが。毎日夜中の3時すぎまで起きてい るせいで視野狭窄症になり・・」と書かれている。90歳の気概と言うのでしょうか! (わたしは夜中の3時まで起きていませんが、緑内障の視野狭窄もあり、その他ガタガタしているのは 気概が足りません。)
「佐久間良子と有馬稲子も好きですが・・」とあり、大昔に時代劇のエキストラのアルバイトに行った時に見た佐久間良子は、本当に美人、綺麗でした。世の中不公平だとお馬鹿な女子大生は思ったものです。有馬稲子も筋が通っていて好きです。
羽生 清氏の
「自然なお点前」を最高のほめ言葉と喜んでおりましたら、要するに 「洗練されていない」「粗野な」ということであったと判明し、目の前では悪く響かない言葉を的確に選択する京女の知性に感激いたしました。
京の「あて(=わたし)」は 貴 (=詠みが、アテ)
「うちら」は 京の仲間うち
差異がはっきりしているだけ、私は 生きやすいように感じました。京の 位取り文化を観客席から楽しんでいる性格の悪さを自分の中に発見しながら……
半ば身につまされながら、そうだろうと推測し、だから京都は嫌やとも思ってしまう・・。楽しめるほどの強さがわたしにはないのでしょう。
北澤恒彦氏は「婦人にはイデオロギーがあるのだ、 われわれの方はどうか、 率直にいって、この面の旗色は悪い。 プロセスに楽しみがあ り、やりとりに増殖感をともなうグループ形成は至難の業である」 と書いておられます。 婦人にはイデオロギーがあるのだ、という点に関しては肯けません。同性を評価したいけれど、わたしも女だけれど、イデオロギーがあるとは・・・、女バカと言われる方がまだ納得できそう・・。
沖縄の翁長知事をうしなった「沖縄」の悲しみと不安や怒り。彼のような人が、癌に、それも予後生存率の厳しい膵臓癌に(以前より治療方法は進んできたと言っても)、そして早くに亡くなって行かなければならないのか・・。
宇智きよ海さんのにじみ出る文章が多くを訴えています。
日本国内の報道よりも丁寧な報道が外国で為されていたというのも 些かと言うより深刻な現実でした。
「はいさい、ぐすーよー、ちゅう、うがなびら。」
「うちなーんちゅ、うしぇーてーないびらんどー。」
「うちなーんちゅ、まきてぃーないびらんどー。」
哀しいことに内地の人間であるわたしは言葉の意味が分かりません・・嗚呼!!!
沖縄の苦しみの上にのほほんと日常を過ごしていることを恥じます。
科学技術が進み、新たな軍需産業は自分たちがつくり出したものを必然として「実験・試用」し「消費・使用」しなければならないのです。広島長崎への原爆投下もそのような要請あってのことでした。
国家の国民と領土を防衛するのが国家の責務であり、国家が存在する意味であり、軍隊は不可欠と。平和を求めると言いながら 国家は戦争を常に正当化するのです。
堂々巡りの悪循環、単純に軍備にかける資金を福祉や辺獄を漂う人々・難民にまわせたら新しい展開があり多くを解決できると思います、たとい単純幼稚と批判されても。
ここまで書いて十分長くなってしまいました。
湖の本の対談は初めて読むものばかりで、興味深く読みました。感想は改めて書こうと思います。
残暑厳しく、野分の後の清々しさ、寂しさとは程遠い日が続きそうです。
元気に過ごされますよう、エアコンもコンピューターも良い状態でありますよう。
繰り返し、御身体大切に、大切に。 尾張の鳶
* ありがとう。ほぼおなじことを ほぼ同じに感じ考えて呉れている人の声を聴くのは、生き甲斐を励まされます。
しかし、いかがな生き甲斐もこころ・からだの均衡・健康が無くてはつらい。だいじにされますよう。
* ところで、このところ、クソまじめなほどに思い耽っているのは、ミルトンの『失楽園』を耽読のなかで頭を擡げてきた世界史の、とまでは謂いたくない が、キリスト教世界が根の根から抱え込んでいる「イヴ 女」の問題、そこから、旧約・新約・ローマ教会を経、決定的に、悪辣なまでに構築されてきた苛烈な 「女性蔑視」の問題。今日も、革新的なキリスト教神学書の「女性蔑視」の章を熟読していた。
上野千鶴子に「女嫌い(ミソジニー)」の一冊がある。貰って、読んで、特には立ち止まらずに、自分の小説世界を考えていた。
わたしは「女文化」という文化史の発見提唱者であり、ま、信者であって、「男はきらい、女ばか」とは思いながら、「ミソジニー(女嫌い)」とは感じていない、が、「要検討」なのか。
イブは、とても「女ばか」だけでは済まされていない、が、……
旧約の「創世記」ではまだ掴みにくい「堕罪のイブ」が、『失楽園」では過酷なまでに、アダムや神や天使たちと対立した気味に把握されていて、この問題 は、このままにしておけんなあと、また改めて(じつは、おなじ事は過去にも何度も感じながら、イヴではなく、マリアの方へ視線を送り続けていたのだが) キリスト教の世界と歴史とがウンザリとアタマにのしかかってきた。重い。
* これ、セカセカとはとても扱えない。尾張の鳶には、たくさん教わりたいことが有る。
☆ 地蔵盆の前に
(東京へ=)戻ってきました。留守の間に届いていた湖の本、さっそく通勤電車で楽しく読みました。
古典風景を語ることは、(秦さんの場合は特に)京都を語ることに繋がっていくのですね。
ちょうど帰りの新幹線で井上章 一『京都ぎらい』を読んでたのですが、その第一章「洛外を生きる」は、京大建築学科在籍中に杉本家を調査で訪れた井上さんが、「どこの子や」と尋ねられて 「嵯峨」と答えたところ、杉本秀太郎氏は「なつかしい」と言い、「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥(こえ)をくみにきてくれたんや」と告げたと、「いけずを言われた」エピソードから始まってました。
「洛中洛外・歴史の風景」は、その杉本氏との伯仲する話の中で互いに厳しい位取りをなさっているなあと感じつつ、「鴨川」についても(「畜生塚」の主たちのことなど想い浮かべながら)改めて考えさせられました。
御土居の話題も出てましたが、この夏のヨーロッパ旅行、モンサンミッシェルやローテンブルグは住民と宿泊客以外の車 は入れない塀の中のホテルに泊まり、夕食後(夜九時過ぎにようやく日が暮れ始めます)や朝食前の散策も楽しみましたが、中世都市の「城壁の中の住民」(洛 中の人)を指して「ブルジョワジー」と呼んだのだそうですね。
ブルジョワジーたちが富と力を蓄えていったことで、貴族や聖職者が主体であった体制を覆すブルジョワ(市民)革命も可能になったのでしょう。
(「墓の山」と呼ばれていたモンサンミッシェルが聖地とも要塞ともなり、一時は監獄ともなった歴史については別の興味がわきます。)
「日本の古典とエロティシズム」では、「ぐっとくる」かどうかが一つの価値規準になってましたが、座談会に女性が加わっていれば少し話の流れも変わったかなとも想像してみました。
「文学表現の世界でしか性の醍醐味のようなものは書けない」「藝術創造の原点には性的な欲望がある」との思いは、今も変わりはないですか。
まだ暫くは異例の暑さが続くようです。こう暑くては外出もできないかと思いますが、気持ちだけは元気でいますか。
「できるかぎり正しくて、しかし面白い」論文を書きたいと思い、日々励んでいます。 澤
* 井上章一さんの話、さもありなんと、笑えた。
* どう暑くても、明日午後には聖路加の診察を受けに行かねば。呻くなあ。
☆ 秦先生
今日も暑かったですね。
ご返信いただき、ありがとうございます。
はい、頑張ります。次お会いする機会があった時、胸を張って自分が取り組んでいることを話せるように。
『対談・選』ですか。嬉しいです。
まだしばらく暑い日が続くようですが、何卒ご自愛ください。 聰
* 600頁を越す大冊、年内にと、用意しています。楽しみに待ってて下さい。
2018 8/26 201
* すこし遅れたが、編輯に苦心した「湖の本142」も、ま、無事に入稿できた。単行本でも雑誌でも此のほぼ未公開の「新巻」は、ややポレミークの気味もあり、楽しんで頂けようか。
校正中の「選集28」は多く知名の作家・学者・藝術家らとの彩どり賑やかな対談・鼎談・座談会の「選」と、各方面へ出向いてのいかにも秦 恒平らしき講演の「選」とで、最多頁の大冊に成ろうとしている。選集全巻の中でも、特異で平易な追究を見せている面白い「選集27」は、九月上旬には送り 出せる。準備はもう出来ている。悪しき「夏バテ」に陥らぬよう用心しなくては。
2018 8/27 201
☆ 拝復
湖の本137『泉鏡花』8冊、拝受しました。追加購入を申し込みましたところ、思いも掛けず多数冊を
ご恵贈賜り、恐縮至極に存じます。
泉鏡花研究会会員のうち、私も上から4番目の年長者になってしまい、若い研究者に、先行する研究書を紹介する立場になりました。今回、申し込みましたのも、若い方のリクエストに応える必要からでした。他の会員にも渡させていただきます。有難うございました。
京都は地蔵盆。
子供の減少で寂しくなりましたが、六斎念仏の子供の太鼓は やはり可愛いものです。草々
励 同志社大教授
* 全巻を継続購入して下さっている方には、既刊ならどんな巻でも、可能な限り、何冊でも、無料で差し上げる と思い決めている。言ってきてさえくだされば、可及的速やかにお送りする。
* 田中さんの写真ハガキ昔むかしの「京都市電」で路線交換しているのだが、ハテ、何処だろうと考えている。四条河原町かなあ。
☆ 「湖の本」
まことにありがとうございました。
お言葉に甘えて、古典に対する先生の深い洞察を仲間との学びの助けとさせていただきます
彼岸過迄、私もエネルギー消費を最小限に生きてゆきたいと思っております
どうぞ御無理をなさいませんよう お身体 最優先におすごし下さいますように 羽生清
2018 8/27 201
* 降られなかったが、暑いーッ。せいぜい出歩けとは医師にも言われるのだが、出歩くのは、この酷暑の夏、シンから疲れる。幸いに九月十日からの「選集 27」送り用意は、万全。体力の慎重な温存のみ。その数日前に木挽町「秀山祭」昼の部だけ予約してあり、今日送金も済ませた。
十日までの余力を、せいぜい小説へ注ぎたい。
とはいえ、「湖の本142」の初校もやがて届く予定。
とにかくも、やれることが何であれ、躊躇いなく取り組むのが健康法でもある。だらけると、ひとしお疲労する。
2018 8/28 201
☆ お見舞い
昨日は関東方面大雨とか? 異常有りませんでしたか? 何が起こるか分からない毎日です。
用事があって、今日は暑い中、思いきって街に出かけました。
甘いものを送りました、最近滋賀県から、評判が良くて来店しました。ご正味下さい。
先程は地震があり びっくりしました、又 雨がふりだしました。すんなり秋は来ない様です?
洛東巷談等 あじわい懐かしく拝読。
どうぞ体調にお気をつけて。 京・北日吉 華
* ありがとう。
地震、いやですね。 こちら、昨日の雷雨は凄みがありました。 日々お大事に。 2018 8/28 201
☆ 恒平さん
湖の本、ありがとうございます。井口さんの栞も 嬉しく頂きました。そして何より、お支払いが滞ることになってしまい、申し訳ありません。この春から、 母に次の送金を頼もう頼もうと思ってきたのですが、(母の)兄の危篤、(母の)不調、病院、夏の猛暑と続いたため、その都度、少し離れた郵便局まで行って くれるよう頼むのが憚られ、恒平さんへ失礼を通し続けることになってしまいました。10月末に一時帰国しますので、どうかそれまでお支払いの方お待ちいた だけるでしょうか。
湖の本ですが、「止しましょうか」という恒平さんのお言葉を読んだ瞬間、「とんでもない」と思ったのですが、その後色々考えた末、これをもって止めさせ ていただこうと思います。恒平さんとの繋がりが切れてしまいそうな錯覚に、一瞬胸が痛んだのですが、落ち着いて考えれば、それで切れるようなものではあり ません。
この8月には義母を亡くし、夫の家族では夫が最長老になりました。昔、「閊えがあるうちがよいのよ。それが無くなると、次は自分だから。」と言われたことがあります。
最近、友人知人と会うと、親や自分自身の「老い」が必ず話題に上ります 。そういう年齢になったのだと思います。そして、それが「今」を楽しむ原動力にもなっています。
どうぞ恒平さんも、迪子さま共々 お大事にお過ごしください。 バルセロナ 京
* バルセロナから「湖の本」への支払いを求めることが、もともと無理があり、毎度「謹呈」すればお互いに手間の省けることと「提案」しておいた。それだけのことゆえ、「京」も、なにも思い煩うことは無いのです。
東工大卒で「秦さん」と呼んでくれる元学生は少なくないが、「恒平さん」と直に呼んでくれるのは、いまや、日本中でも三人とはいない。「京」はなかで一 番若いが、それでも「老い」を謂うほどの歳月が流れてきた。元気に旺盛に穏やかにバルセロナの生活を、しっかり培って下さい。
* この人のように消息の知れてある人は、どんなに日本から遠く暮らしていても何の不安もないが、東工大卒で、つよく心に残っている学生でありながら、以 来消息の知れなくなっている人もある。健康に、元気に、心ゆく日々を過ごしてくれているといいがと、時にとても懐かしく思い出すことがある。
2018 8/29 201
☆ 今年は
例年に無いお暑さでございますが
お障りなくお過ごしでいらっしゃいましょうか。
此の度は 御高著 湖の本「語り合う日本の古典風景」を賜りまして真に有難うございました
古典に疎い 私にはとても貴重な一冊でございます。
尚、尾崎左永子様とは昔、紀伊国屋洋書部で御一緒だった事もあり、馬場さんにもとてもお世話になりましたので 古典の勉強と共に懐かしく拝読させて頂き ました。 この夏は歳の故か、夏バテ気味ですべてが遅れ勝ちになり御礼も大変遅くなり申訳ございません お許し下さいますように。
台風の季節となりました 何卒くれぐれも御身大切になさって下さいませ
本当に有難うございました
乱れ書きにて かしこ 栄
2018 8/30 201
☆ 「湖の本141」を
頂きまして ありがとうございました。
「語り合う日本の古典風景」は、私たちが古典とどう向き合うべきなのかについて、本当に示唆に豊んだ内容だと思います。私など「悪しき教養主義」に陥っているので、姿勢を正すべきだなあと痛感しています。
暑い日が続いています。御自愛のほどを。不一 詠 作家・文藝家協会理事
2018 8/30 201
☆ 秦恒平先生(初めて手紙差し上げます。大津市: 敏)
秦 恒平 先生
拝啓 滋賀県大津市から初めて手紙を差し上げます。**敏*と申します。
私は京都市の教材出版会社で37年働き、10月31日で定年退職をいたします。
同志社大学の国文学科を1981年3月に卒業し、中学校の国語の副教材の編集をしてまいりました。
今、国語便覧の「平家物語」のページに取り組んでおります。会社員としては、最後の仕事です。
昔、友人から譲られた『清経入水』(角川文庫 昭和51年12月30日 初版発行)を、昨日、読了いたしました。
その友人は早熟な男で、高校時代から谷崎潤一郎、マルキ・ド・サド、この後で失礼ですが「秦恒平」の大ファンで、、
「君は同志社なんだから、この本はぜひ読んでおけよ。」と僕に渡してくれましたが、40年も経って、やっと読むことができました。
今読んでも難しいですが、自分で朗読し、音楽として体験しています。
一昨年(2016年)5月、若王子の同志社の墓所に、同窓の友人と一緒に登り、河野仁昭先生の共葬墓(分骨)にお参りをしました。
河野先生は、在学中から、詩の指導をいただいた恩師です。
秦恒平先生の「隠水の」で 「私と妻の結婚式は」「京都の若王子山頂の校祖墓前に並んで頭を下げた」という言葉を読んだとき、あの登りの道のりと途中の瀧の清さを思いました。
「清経入水」の「比叡山の頭が寒々と光っているのを遠眼に確かめながら僕は大学の門まで市電に乗ってきた。キリストという馴染まない異国の使徒に神の息 を吹きこまれた大学、その表門の簡素なかたち、それを蔽って巨きな樹木がゆさゆさ揺れていた。」 という情景は、19歳になる年の二月の私の心象に近しう ございます。
「蝶の皿」の若王子の麓の「道路から右手へ一段低いがけ下に人家の屋根が沈むこんでみるみる暗くなります。」 という場所の近くに、妻の縁者が住んでいたと思われます。
「閨秀」は、切手の図案になっている「母子」「序の舞」以外は、インターネットで確かめながら、楽しんで、勉強しながら、鑑読しました。
今日から、『湖(うみ)の本』で、「みごもりの湖」を読み始めております。難しい言葉、私にはすぐ朗読できない言葉が多く、調べながら読んでいきます。
急に、勝手に、長い手紙を差し上げましたこと、お恕しくださいませ。
残暑厳しい折、お体を大切にしていただきますよう、ご高作の創造が進みますよう、祈り上げます。
誠に僭越ながら。湖国より。 敬具
2018年9月1日 澤 敏夫
* 作者の 最良最高のよろこびは 斯く、未知の知己の心に溢れる親しいお便りに触れたときである、比類無いものが身内に涌いてくる。ありがとう存じます。
☆ 炎暑お見舞い申し上げます。
殊の他、異常な暑さに音を上げながら、毎日を過ごしています。
先日は『湖の本141』を頂戴いたしまして誠に有難うございました。
總タイトルの「語り合う日本の古典風景」は、日頃、ご著作で馴染み仲となったテーマで、それぞれの分野で活躍されている学者先生などの活達な発言も面白 く、身になりました。「日本の古典とエロテシズム」「今様の世界」「洛中洛外屏風をめぐって」がそれですが、小生にとって、最も手応えのあったのは、杉本 秀太郎氏との対談「洛中洛外・歴史の風景」で、ご両所、京都で生れ、育ち、文学を目指した者ならではのやりとりが言外に滲み出て、良かったですねえ。秦さ んの杉本氏評、「洛中生息の井伏鱒二の山椒魚」には思わず、大笑いしました。
大暑をやり過ごした時のお躰、応えると案じます。
ご自愛専一に。 講談社役員 元・出版局長 徳
* 「対談」は、一種独特の創作行為で、ぶつかりあって咲く火花に妙趣がある。この一冊、幸いに受けてくれて嬉しく、お相手の皆様にもどうかご容赦いただきたい。
☆ お元気ですか。
蒸し焼きになりそうな通院は さぞお疲れになりましたでしょう。お怪我ありませんように。
今日は お願い、です。
永く購読してきました「湖の本」ですが、色々プレゼントしたりしまして、現在、相当に歯抜け状態になっています。厚かましいお願いですが、もし在庫冊数に余裕がおありでしたら、「湖の本全冊」頂戴できますでしょうか。
お送りいただける場合は、力仕事ですので、何度かに分けていただければと存じます。くれぐれもご無理のないかたちでお願いいたします。当然のことですが、送料着払いになさってください。よろしくお願い申し上げます。
九月に入りました。台風も来るそうです。
どうぞお大事にお過ごしください。 読者
* わたしからの「私語」の上での申し入れ・要望に副ってご希望頂いたと思う。本が、実質的にわたしの手もと以外で生きてくれるのは、なにより本望。何方に も無制限にというわけにも行かず、一応、創刊以来「全巻ご購読下さっている方々」を念頭に、いわば「湖の本」活用・利用のご協力を願っている。本が、お役 に立ちますように。
送本、手早くとは行きませんが、間違いなく全巻を揃えましょう、先ずは荷造りの函から物色しますので。暫時お待ち下さい。
なお残部が、他巻に比し僅少になっている巻も出来てきています。ご希望の方はいっそお早めにお申し越し下さい。
☆ 秦 恒平 先生
ありがとうございます。こんなに速くご返信を頂戴でき、感激しております。
ご創刊・第一巻「みごもりの湖」「秘色」「三輪山」をぜひ、購入させていただきたく存じます。
また、「こヽろ」(戯曲・漱石原作)、「初恋」も拝読したいと思います。その巻すべて購入いたします。
お支払いの作法、銀行振り込み、定額小為替、現金書留などを、ご教示たまわりますようお願いいたします。
メールをお送りしたあと、29日(水)録画した「甲陽軍鑑」についてのNHKの番組を、小生も見ておりました。
信玄公は偉人ですが、単語、その関係、構文の研究で「偽書ではない」ということ証明した酒井憲二という国語学者の仕事は尊いと思いました。
能登川には知人がおりました。大きな、黒い木の水車が「伊庭内湖」(いばないこ)にございます。彼はそこで廻っているように思います。そろそろ回転から解放してあげたいと思い、挽歌を書いています。
近江は、大阪、京都へのJRの便よく、ベッドタウン(カントリー)になって、人口もトラブルも、増えてておりますが、琵琶湖は変わりません。
すべてを包んでくれる深さをもってくれているようです。
此の路やかのみちなりし草笛を吹きて仔犬とたはむれし路 阿部 鏡(あべ きょう)
来週、大きな台風が列島を横断する気配、どうか、お気をつけていただきますよう、お願いいたします。 近江大津 澤
* 能登川の、生母阿部鏡の歌碑もご存知でいて下さり、懐かしく。
2018 9/1 202
* 今日午後には「選集28巻」の初校が戻せる。「湖の本142」の初校が今し方到着。仕事はほぼ停滞なく進んでいる。有り難し。
* 「オイノ・セクスアリス」など、アタマになかった。都内の読者が期待して待っているとメールを寄越されて、これは、「ヰた・セクスアリス」よりはるかに今の作者に嵌っていると喜んだ。「非売品」の「選集三十三巻」を無事これで大尾とできるだろうか。
* 「湖の本142」は、快調に初校進みそう。
2018 9/3 202
☆ 酷暑の夏も
ようやく終りそうな変りやすいお天気のきょうこの頃でございますが ご夫妻にはご無事にお過ごしでしたか 異常ともいえるこのお暑さの中にもお仕事にご精励なさる先生のご気力に敬服いたします。
このたびも 『湖の本141 語り合う日本の古典風景』をご恵贈賜りこころから御礼申し上げます。
女学校時代に勤労奉仕に時間をとられ日本の古典や漢文など学ぶ機会のなかった私のような者にも本当にありがたいご本で とても嬉しく感謝しております。私は
この数ヶ月の気候に老齢の身が適応できず 視力の方も後発 白内障になったりしてお礼申し上げるのもすっかり遅れましたことお詫び申し上げます。 私も今 や全人口の二割たらずになったさきの戦争体験者の一人としてひどいいやな世の中になってきたと悲しく残念に思うばかりでごさいます。
ご夫妻お揃いでご無事に日々を過ごされますよう願っております かしこ
故・福田歓一東大法学部長 夫人
☆ 秦 恒平 先生
本日、御著書を確かに拝受いたしました。ありがとうございます。
今朝8時、台風21号は高知県の沖にあり、朝の近江大津は空青く日が射しておりました。本日は、関西のJR・私鉄は午前に運休となり、会社の判断で自宅待機となりました。
「湖の本」の表紙の美しさに魅かれました。
141号の「現代に生きる『平家物語』」(永井路子先生との対談)を拝読いたしました。『平家物語』は、語りを取材する「ミニ編集局」とそれを統合する 時代の動きの中で今の形になってきたということを今は理解できます。語り部の「祇王」「有王」は納得できますが、那須与一もそうであったのかと驚きまし た。もっと、勉強をしなければいけないといけないと思います。
午前10時45分、空が暗くなり、風が巻き始めました。山が鳴っております。朝から雨は全く降っておりません。
御礼まで。 近江大津 澤
2018 9/4 202
* 「湖の本」既刊全巻欲しいと聴いて、まず創刊後五十二巻の小説を一冊ずつ書庫から抜いてきた。 ついで、エッセイ四十八巻を、さらに百一巻以降の四十一冊を抜き出して来る。よう書き、よう本にし続けたなあと、よう読者の皆さんに支えて戴いたなあと感に堪えない。
2018 9/5 202
* 全巻所望の方へ、とりあえず創作1-52巻を送った。残りは十日からの選集27送り出し終えてから、また二度に分けて送ります。
2018 9/5 202
* 「湖の本」142の初校をし終えた。ここ暫く余力を持てる。目の疲れはひどいが、この一巻も、いかにも「わたくしの批評と述懐」らしき二十編に編輯できたと思う。
十日の「選集」27出来待ちへ、明日、明後日の二日間。夏バテに備えたい。
十月中旬まで気の張る外出もなく、散髪はサボって真っ白い蓬髪もよしとしよう。白い鬚を蓄える趣味はない。
九時半だが、睡い。やすめということだ。やすむといっても、床に就けば十册もの読み継いでいる本がまくらもとに積まれてある。昔も昔の新潮社世界文学全 集版の「モンテクリスト伯」は全編を上下二巻に収めてあり、古本屋で買いそれは愛読したモノ。今回は文庫版でなくその懐かしい重い本で読み始めている。読 み物としては、世界一の傑作と思っている。現代史、解放神学、筑摩の大系本、直哉全集等々、けれど、つとめて寝てしまうようにしている。寝て休むのがいろ いろに最良と思えるので。ゆーっくりの入浴も。
2018 9/7 202
☆ 「闇に言い置く 私語の刻」を毎日拝読しております。
「黒いマゴ」と「ありがとう」を見交わしたことをお書きになっています。
今、ご高作「畜生塚」を読了いたしました。
『湖の本』第11巻の49~52ページで、「私」が「町子」に「伝えた夢想」が書かれています。
「死後の世界、いいえ、本来の世界では、私という存在はただ一つではありません。私のことを身内と考え愛してくれた人たちの数だけ、その人たちのそれぞれの家で私はその人たちの家族として生きるのです。」
「あの世では、一つの蓮(はちす)の花の上に生まれかわりたいと昔の人は願い、愛を契る言葉として実にしばしば用いていますが、それは私のいうこの本来 の家と家族との意味を教えているように思います。(原著:改行)笑う前に考えて下さい。これは私の理想です。これが信念になるとき、私は死を怖れず望むよ うになりましょう。」
この詞を読んで、私は「泣くまい」「生きよう」と思いました。
「町子」への「夢想」(手紙)は、「黒き猫」が導いたのだと思いました。
先生のご健勝を祈念いたします。 近江大津 澤 敏夫
* 「湖の本」142 要再校ゲラに表紙等ツキモノ添えて送った。
2018 9/8 202
☆ 狛江の野路です。
夏バテは運動不足の血行不良が原因になる場合が多いので、なるべく身体を軽擦するようにしています。
「湖の本」の既刊在庫分を(創刊以来全巻購読の方に限り=)無料でお分け下さるとのこと。
エッセイシリーズの37,38が残っておりましたらいただけますか。
95歳になる母に読んでもらいたいと思っています。
* 早速 送る用意をしますよ。感謝。
☆ 秦先生へ
『湖の本』を、お届け頂いておりましたのに… 御礼が今頃になってしまい、申し訳ないことでございます。 体調を崩してしまい、ご連絡が遅れましたこと、深くお詫び申し上げます。 「電気的なモノ」「機械的なモノ」に触れられない日が続き… ようやく回復してきた今、メールさせて頂いております。
仕事に取り組めず休んでいた間、ずっと先生の御本を読ませて頂いておりました。先生の言葉と文章に触れることで救われて、回復できたのだと思っていま す。 重ねて御礼を申しあげます。 どうぞ、先生も奥様もお元気であられますよう、願ってやみません。
— 追伸 — タブレットの調子は、悪いままで… 進展させる余裕と申しますか、直せる余地が無い状態です。 先生のHPを読むことも出来ず、タブレットに届いたメールも読めないことは、とても
残念なことですが…今は、仕方がないと諦めて、いつか直せる様にしたいと思っています。 携帯電話のメールからで失礼しておりますが…取り急ぎ、お伝え申します。 京・鷹峯 百 拝
* 連絡が付いてよかった、案じていた。機械は機械。それよりも 健康を一に。
☆ 重陽
神奈川近代文学館のある港の見える丘公園は、海の青もまばゆく、夏の名残の蝉時雨でした。九
2018 9/9 202
☆ 秦先生
メールをありがとうございます。
『湖の本』を読みながら、思っていました。
以前、東京で暮らしていた頃には、想像で補わなければならなかったことが、京都に暮らすようになって八年経った今では、すっと身に沁むように解るようになってきました。 洛中洛外の道や場所、建物、鴨川に架かる橋。京言葉の声音と位取り、花の彩りを揺らす風。
京都に越してきたのは、先生の書かれたものの本質を知りたい、触れたい、という気持ちがあったのだと、気づきました。 もちろん、生まれ育った訳ではないので、理解は浅いものに過ぎませんけれど… 何と言ったら良いのか、まだ濁ってはいるけれど、前よりはずっと清んできた様な、そんな気持ちがしています。
「そこ」に居る、「その場」に立てる仕合わせ。 旅先ではないから、慌てて帰らなくても時間に余裕がある。
先生の書かれた京都と向き合う時、京都を感じる時に必要な「落ち着き=普段の生活」が今、あるので、有り難いと思いながら、暮らしています。
とりとめも無いことですが、お伝え申します。 鷹峯 百 拝
* 心身 健康であれば生きのびる甲斐がある。
* 思い立ち、京都の井上章一さんに選集の「京都」篇、湖の本本の「一筆呈上」「古典対談」を謹呈した。たぶん京都を語ってサイクルが近いかなと。
狛江の野路さんへ、ご希望の湖の本に、今度の選集がちょうど足並みを揃えているので、揃えて送った。「閑吟集」などを希望してきた方へも送った。
2018 9/10 202
* 郵便代のモーレツ値上がりで、一キロを楽に越す「選集」一冊の送料は、九月以前に比べ、倍以 上(千円以上)になり、仰天。国民の一等利用せざるを得ないような所ほど搾り取る政治であるなと惘れる。使いも使えもしないアメリカのお古兵器など、日本 政府、ヘコヘコと買うな。その金を福祉や国民へのサービスに回せ。
☆ 秦恒平先生
8月22日の日記のお言葉に甘えて、下記「湖の本」をご送付賜りたくよろしくお願い申しあげます。私の友人のフランス文学者は、仏文学の古典には造詣が深い(当然ですね)のですが、余り日本古典を読んでいません。少々啓発してあげようと考えています。
NO.9,10 『慈子、月皓く、底冷え』
NO.41 『閑吟集』
NO.42 『梁塵秘抄』 鎌ヶ谷 仁
* 有り難いことです。すぐ揃えて送り届けます。送料着払いを希望した経験が無く、「湖の本」通常装本の際にでも、適宜になさって下さい。必要なら、またまた追加の書目をご通知下さい。
☆ このところ
西日本大災害や北海道の大震災、その上 安倍政権による改憲案が国会で発議されそうになってくる等々 災難続きですが、いかがお過ごしでしょうか。
仙台のかまぼこの方は「里の秋」の季節となりましたので。、ほんの少しばかりお送り申し上げます。
天候、国政、国際情勢、不順の折り、くれぐれもお二人ともお大切にお過ごし下さい。
仙台市 遠藤恵子 (前・米沢短大学長 元・医学書院同僚)
2018 9/10 202
☆ 甘えてお願いしました「湖の本」を
只今落手いたしました。思いがけないプレゼントも頂き恐縮しております。ありがとうございます。
一昨年父を見送ってから 母は寂しさを紛らわすように 読書三昧の日々を送ってまいりました。
知らなかった言葉の思いがけない真義に触れられることが無上の喜びなのだと息子には見えます。
私は勝手に陶淵明~一休~バグワン~秦恒平の流れを「オイノセクスアリス」と感じます。
一休の「狂雲集」207にあるように
紅菊を愛する淵明の像
赤心片々として、秋風を約す、
西晋の風流、議未だ空しからず。
応に是れ淵明が皮下の血なるべし、
東籬の衰色、晩花紅なり。
柳田聖山氏の口語訳ですと
陶淵明のあかい菊
まごころひとすじ、秋を歌うた、
西晋文学、ほこりもたかい。
陶淵明の、血しおのなごり、
東の垣根の、紅い菊。
柳田さんが夢閨の章の副題につけた「孤児の色歌」というネーミングにも惹かれました。
引用は「一休 狂雲集 夢閨のうた」(「禅の古典」6 )(講談社)です。
見当違いな返答を述べてしまいました。
改めて新作の完成を待望いたします。 狛江の 野路
2018 9/11 202
* マコとアコと三人でカーサンの無事退院を待つ。
* このところシンドイがときどき有り、ことにメマイを訴えていた。昨夜も早めに床に就いていたが、夜中、しきりにわたしに不安高じ、明日の妻の診察は、難儀に、またもや入院沙汰にならないかと眠れぬほど案じた。今朝も妻はメマイを云い十時までやすみたいと。
起きてきたのを、わたしは叱るようにニトロを、またワインとミルクとを少量、強壮剤も飲ませ、顔色も表情も回復し、このまま保ってほしいがと願いつつ、 タクシーで病院へ出し、わたしは自転車で病院へ追った。緊急の事あれば家へ帰って必要な物を運ばねばと、なにかしらわたしはもう入院が遁れがたい気がして いた。そのとおりになった。自転車での家との往来はとても助かる。熱暑の日々を過ぎているのもむしろ幸運か。
ペースメーカーを からだに入れて、健康が維持できますことを、真実、祈り願っている。
* アコもマコも事情を敏感に察して、シーンと温和しく、抱いてやると懐くように静かに抱かれている。病室で教わったとおりに、ふたりに晩の餌をいま与えた。飲み水もキレイにしてやった。
* 仕事は、抑制するしかなく、湖の本142の発送も、選集二十八巻の再校や責了も、意図的に時期を先延ばしにし、その間に書きかけの小説を充実させたいと、今、思っている。
2018 9/18 202
* 「湖の本」142を「責了」した。十日頃に刊行予定でいたが、諸般、考慮して二週間ほど遅らせた。 「選集」大二十八巻も、送料高騰の上に送り出しに夥しい手数がかかることになり、命あってのモノダネと一冊一冊ゆうっくり、気長に送りだすことに決めた。 第二十九巻の編輯もまだしていない。残るたった五巻、誰に約束があるでなく、楽しみ楽しみ仕遂げようと思っている。そう思うだけで心身もラクになる。
2018 10/2 203
* 「湖の本」次回の発送用意は、面倒のそれでも半ば以上はしてある。
2018 10/2 203
* 「湖の本」142の発送用意は、妻の入院や力仕事の模様替えなどで途中停滞していたが、八割半ほどは出来ている。もう再校中次の「選集」28の送り用 意を視野に入れねば。これが郵便局の規則替えで信じられないほど手間がかかることになり、ほとほと参る。宛名印刷の宛名を貼り付けるだけで済まず、みな手 書きで宛名しなくてはならない。数少ないとはいえ大変な手数増になった。送るのをやめたくなるほど。ガマンガマン。もえ六巻六回のガマン。
2018 10/8 203
* 起きてすぐ「湖の本」143の編成に取り組んでいた。
2018 10/9 203
* 「湖の本」143 編成に時間も体力も費やし苦労したが、入稿した。
2018 10/9 203
☆ 「青春短歌大学」につきまして
「日記」拝読しております。お元気です。
猛暑、水害、台風、地震。悪政あるところ、災禍あり。
幣のごとく、秋来ります。
「青春短歌大学」の十一首、自分で( )を考えましたが、難しく、楽しく。
【1】死ぬまへに( 雲 )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる 小池 光
【2】起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の( 愛 )を流せよ 齋藤 史
【3】病む母の( 聖 )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿(ゆまり)し給ふ 綴 敏子
【4】父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く( 歌 )をおもへる 若山 牧水
【5】草まくら( 旅 )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り 土田 耕平
【6】平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを( 妻 )もまた言ふ 池田 勝亮
【7】独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ( 人 )であること 岡井 隆
【8】父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の( 吾 )子とうつれよ 佐佐木幸綱
【9】思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( 痛 )き苦しみといふ語ありにき 清水 房雄
【10】亡き父をこの夜はおもふ( 黙 )すほどのことなけれど酒など共にのみたし 井上 正一
【11】子を連れて来し夜店にて愕然とわれを( 放 )せし父と思えり 甲山 幸雄
以上が、私の答えで、妻は、「先にとられた、損やわ」と言いつつ、あえて別の漢字を、
【1】死ぬまへに( 小 )雀を食はむと言ひ出でし大雪の夜の父を怖るる 小池 光
【2】起き出でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の( 朝 )を流せよ 齋藤 史
【3】病む母の( 赤 )きの証ときさらぎの夜半をかそかに尿(ゆまり)し給ふ 綴 敏子
【4】父の髪母の髪みな白み来ぬ子はまた遠く( 雪 )をおもへる 若山 牧水
【5】草まくら( 父 )にしあれば母の日を火鉢ながらに香たきて居り 土田 耕平
【6】平凡に長生きせよと亡き母が我に願ひしを( 鹿 )もまた言ふ 池田 勝亮
【7】独楽は今軸傾けてまはりをり逆らひてこそ( 一人 )であること 岡井 隆
【8】父として幼き者は見上げ居りねがはくは金色の( 天 )子とうつれよ 佐佐木幸綱
【9】思ふさま生きしと思ふ父の遺書に( 苦 )き苦しみといふ語ありにき 清水 房雄
【10】亡き父をこの夜はおもふ( 暮 )すほどのことなけれど酒など共にのみたし 井上 正一
【11】子を連れて来し夜店にて愕然とわれを( 愛 )せし父と思えり 甲山 幸雄
と、考え、毎日、夫婦の会話の種子になっています。
正解を探さず、一つに求めないので、対話で思考できるのではないかと思います。
答えはいっそ出ないほうがよいのでしょう。
詠んだ歌人は、その歌を通過して、次の歌に向かっているのです。
すぐ、スマホで答えを求めたがるのは、老いも若きも、時代の習性で、それは損ということを、この「虫食い漢字テスト」で学びます。
先生の東京工業大学のご講義は、どんなに楽しかったことでしょうか……。
●「秦 恒平選集 第二十七巻」……「青春短歌大学」所収
●「湖の本エッセイ 27」……「東工大「作家」教授の幸福」
購読いたしたく、ご恵送を、お願いいたします。(ご送料・着払い可能でございましたら、是非。)
九月に「慈子」を再読しました。
「みごもりの湖」をいつも枕頭にしております。 近江・大津 澤敏夫
* 澤さんは作者の表現を二首で共有され、奥さんは一首で共有されている。それぞれに思案のあとがうかがえます。
* 「秦 恒平選集」は、限定非売本で、著者用を若干加えて手元に残しているだけ、第二十七巻の印刷製本請求額は、203万円余。それでも「ぜひに」とご希望の若干の方には、申し訳ないが製作実費分だけをご寄付願っている。
選集と湖の本とでは、断然「本」としての造りも映えも収録の量もちがうけれど、内容は同じです。ただ、選集はだいたい湖の本原本の五、六册分を収録しています。
2018 10/11 203
* 米倉涼子の新しいドラマを観るつもりが、疲労のまま、寝入ってしまい十一時を過ぎている。両脚へのきつい攣縮が兆して目が覚め、水分の不足を自覚、ま た夜分の薬用やインシュリン注射もいま事終えてきた。頸筋のうしろに強い凝り痛みがある。四の五のなく、今夜はこれで寝入れるように用心するが賢いよう だ。
現在、ことに仕事の上の遅れは無い。創作の進展と推敲のほかは、二十五日からの新しい湖の本の発送、厄介な難儀は「選集28」責了後の「郵送」のための 宛名手書き。六百頁を越す大冊ではあり、今年最期の越えるに骨折れる大きな山場になる。多くは妻に頼らず自身で片づける。
2018 10/11 203
* 長い小説の推敲と添削をえんえんと続けてきたが、全体に、湖の本の三、四册分ほどに絞って、もっと絞ったり書き加えたりしたいと思っているが、全体の 四分の一ほどで第一部はほぼ纏まろうかとしている。それだけでも「湖の本」で発表しておこうか先を待つかと思案しはじめた、が。
2018 10/12 203
* 六十一年前になるか、まだ大学生の昔の今日、秋晴れの大文字山へ一つ下の妻と登った。山頂を、すこし東側へ隠れた草の斜面から、大きな大きな 比叡山を仰向きに並んで寝ころんだまま眺めていた。それだけで、また山を下りた。紅葉の十一月二十六日には二人で鞍馬山へのぼり貴船へ降りた。求婚したの はその歳の師走十日だった。妻はまだ三年生だった。翌春わたしは院へ進み、けれど妻の学部卒業と合わせて院をやめ、京をはなれ東京に職を得て二月末に上 京、即、結婚して市谷河田町に暮らし、東大赤門まえの医学書院で働きはじめた。六畳一間の家賃が五千円、初任給は一万二千円(肇の三ヶ月は八割支給)、わ たしの財布はいつもカラだった。(妻には両親からの遺産が残っていたし、わたしは院の奨学金と京での蔵書を処分してきた蓄えはあったが、会社のボーナスも 含めて、将来のためにと手を付けなかった。)社の食堂では十五円で丼飯とみそ汁が買えた。みそ汁を飯にかけての昼飯でほぼ二年間過ごした。二年目の七月二 十七日に朝日子が生まれ、郊外の保谷社宅に入れた三年目の七月末から、突如、小説(短篇「少女」と長篇「或る折臂翁」)を書き始め、以降一日も、元日も病 気でも途切らせず、決然、貯金を使って私家版本を四冊つくった。上京結婚から十年め、書き始めて七年目、思いもよらなかった太宰治賞受賞の日を迎えた。昭 和四十四年(一九六九)の桜桃忌であった。八十三歳の来年は「作家生活五十年」になる。「秦 恒平選集」は三十三巻完結に近づき、「秦 恒平・湖の本」は百四十五巻には達しよう、加えて五十年を記念の新作長編(願わくは、中編も)が成って呉れるか、心して日々を元気にと願う、なによりも妻 が無事の健康を心より祈る思いで、願う。
2018 10/16 203
☆ 一昨日の晩、
世界遺産という古くからある番組で、ジョージア(=グルジア)の北方、5000メートルの山が連なるコーカサス山脈のチャジャシ村を紹介していました。 鴉も観てらしたのですね。現在37人のスヴァン人が住み自給自足の暮らしを続けている村。此処に9-13世紀に建てられた石の塔が注目され世界遺産に。割 ると薄い石片になる結晶片岩を積み重ねて、外敵から一族を守るための塔を造った。石は近くの川に尽きることなくあると。
そうか、薄く割れた小さな石片を、わたしも他の地域だったが拾ってきました。あの石は結晶片岩と言うのか・・と再認識しました。
食欲不振ではなく食欲がない、という鴉の日常。わたしもここ一ヶ月近く食欲がありません。空腹感がないのです。旅の終わりから体調ははかばかしくなく、漸く回復。まだ空腹感は戻りませんが味覚はあり、胃の調子も普通で、食べる量や栄養を考えて暮らしています。
思い切り好きなもの、美味しいものを鴉に召しあがっていただきたいと、迪子さんも心砕かれる日々でしょう。鳶も遠くから思うのです・・。
そして、書くお仕事が順調に進むこと。イヴやマリア、女性という存在、愛欲・・HPで読むつど難渋されている状況を感じます。作者の基本姿勢が問われているからでしょうか。或いは行き泥む状態を楽しまれていらっしゃる・・?
先月半ばのHPにアウグスティヌスに触れた箇所がありました。
信仰・宗教と愛欲はいつも敵対するものとして並べられます。彼が古代の思想・プラトン派の哲学やマニ教から離れキリスト教に回心していったのは、彼の心 の葛藤、情欲、性欲から離れ真理探究・貞潔な暮らしを求めていったから。そしてその回心は彼個人の回心にとどまらず、(おそらく従来の古代的な世界観をと り込んだまま)、中世のキリスト教の世界観・倫理観への道を明らかにしていった、そこに意味があったと人は評価します。その陰に、回心以前のアウグスティ ヌスの若き日に日々、カルタゴで共に暮らした女性も子もいたのです。その女性を題材にとった小説などもありますが。
現在のお仕事とのつながり、21世紀の日本に生きるわたしにはなかなか理解しがたいのですが。
勝手なお願いですが、湖の本の『みごもりの湖』『親指のマリア』を戴きたいのです。
先に友人に送って読んでもらいましたが、彼女の友人に読ませたいと。その人は北海道に暮らし、癌で闘病中とか。
佳い季節を楽しまれますように、美味しいものをたとい少しでも楽しまれますように。
風邪など引かないで、無事に過ごされますように。 尾張の鳶
* 湖の本 すぐ送ります。単行本もありますが、湖の本の方が軽く持てますね。在庫のあるかぎり何でも云うて下されば、喜んで差し上げます。北海道の方なら めずらしく北海道を書いている「最上徳内 北の時代」もあります。ま、役に立つなら何でも遠慮なく云うて下さい。
全巻購読の方、遠慮無くお手元で欠巻になってたり、お友達にあげて読んで欲しいという巻あれば仰有ってください。
* 関心を分かち合えて双方から踏み込んで、ものを思い、また言い合えるメールは、心励まされてことに嬉しい。いろんなことを訊ねたり聞いたり意見を求め たりでき、すぐ応じて貰えたりすると、励みがついて生き生きする。ずいぶんきわどい質問もあえてしているが、適切に返事がもらえて、もう何十年、とても助 けられてきた。
2018 10/16 203
☆ 本日10月16日、
「秦恒平選集 第27巻」「湖の本 エッセイ27」を拝受しました。ありがとうございました。
17日(火)に、ご同封いただいた振替用紙にて、13000円を送金させていただく予定です。
『湖の本』を含めての、ゆうパックご送料830円が、どうも13000円(=選集27巻の一冊当たり製作実費を含む。)に含まれていないようですが、今回は御厚意に甘えます。
また、近江の酒をお送りさせたいただきます。
「浅茅生」(大津市中央:三井寺、逢坂山近し)、「月の里」(大津市石山寺)、「萩乃露」(高島市勝野)、「一博(かずひろ)」(東近江市五個荘)、「七本槍」(長浜市木之本)、「神開(しんかい)」(甲賀市)……近江は、米、水、酒蔵、杜氏すべて恵まれております。
当地には、鮒ずし、湖魚(稚鮎、若鮎、もろこ、ひうお、ゴリ など)の佃煮もございます。えび豆もございます。
「秦恒平選集 第27巻」「湖の本 エッセイ27」をゆっくり拝読させていただきます。
読了後、「湖の本」を友人、とくに若い友人に購読を勧めてみようと思っています。
小説は、「みごもりの湖」 → 「秘色」 → 「冬祭り」の順で読んでいきます。先生の本で、近江を学習します。
秦恒平先生の日々ご健康と、ご創作・ご推敲・ご出版が、天馬のごとくありますよう祈り上げます。
近江・大津 澤敏夫
* 「逢ふ見」の意も想わせる近江はわたしの、母国。能登川に育った生母と姉(二十歳過ぎぐらいな若い母が幼い姉を抱いている)の写真が、すぐ身近にある。それにしても酒といい肴といい、きのう、今日と酒を止めてきたので、ぐっとくる。小説「秘色」堅田の当来寺近くの宿で出た食事が懐かしく甦る、あれも創作の内だったが。
* 尾張の鳶さんへも、早速湖の本「みごもりの湖」「親指のマリア」各上中下の六册を郵送贈呈した。
* 夕食後もずっと小説「ある寓話 オイノセクスアリス(仮題)」を推敲していた。「湖の本」の上巻または第一册としてなら、もう手を放せそう、だが。
* 作家の安西篤子さんから、湖の本141対談篇への礼状を戴いていた。
2018 10/16 203
☆ 「堅田鮒の包み焼」と滋賀の酒のこと
「十月十六日 火」の「日記」を拝読しております。
六十一年前の京都の大学生時代、東京の医学書院のご初任時代。
保谷で『突如、小説(短篇「少女」と長篇「或る折臂翁」)を書き始め、以降一日も、元日も病気でも途切らせず、決然、貯金を使って私家版本を四冊つくった。』という劇的な展開。そして「清経入水」へ。
「決然」というお言葉に、「はっ」といたしました。
私は、今月10月22日(月)に還暦を迎えますが、これまでの人生で「突如」「決然」としたことがあったろうか、と考え込みました。
『湖の本 エッセイ27 東工大「作家」教授の幸福』を昨晩、54頁まで拝読しました。
理系の学生さんたちは、私の35~38年前の国文学専攻時代のほの暗い甘え、斜めに構えて実は誰かに寄りかかっている態度ではなく、先生の課題に真摯に真っ直ぐ取り組んでおられるように思いました。
ゲーム感覚と、日本語表現について自然に考えさせる授業の面白さ深さ、教授と一人一人の学生との対話があるからこそ、先生の教室は満員になったのでしょう。
さて、「秘色」では、堅田の「当来寺」の「幻化庵」(げんげあん)の真鴨すきの場面で、語り部「私」は、
いにしへはいともかしこし堅田鮒つつみ焼なる中のたまづさ (藤原家良)
を踏まえ、「堅田鮒の包み焼」を所望します。夢幻の世界です。「中のたまづさ」(手紙)が重要で……。
今、この料理を無茶に再現するといたしますと、鮒ずし(ニゴロ鮒の子持ち)のスライス一切れずつを、ライスペーパーで一つ一つ丁寧に包んで、オリーブオイル少々でフライパンでソテーするといったことが、思い浮かびます。
本日17日、大津市膳所周辺でもっとも滋賀の酒が揃っている酒店に、会社の帰りに寄って、老女店主の説明を聴きながら、滋賀の生酒を2種、肴少々を2種、選びました。
「節酒」をされていた先生に、いま、誠に不謹慎でございますが、お送りいたします。
「火入れ」していない生酒ですので冷蔵庫に置いていただきまして、ご創作の一休符、睡眠前の夢見の「薬」として、お役立ていただきましたら幸いでございます。
クロネコヤマトのクール宅急便で、大津から18日(木)発送、先生の御宅には19日(金)配達指定をいたしました。
お電話番号を存じ上げませんので、「希望時間帯」は「指定無し」にしております。
ご都合の良い時間帯を本日17日中にメールでご連絡いただきましたら、酒店に電話して、変更してもらいます。
猛暑から秋冷に変わりました。
お体を大切にしていただきますよう、お願いいたします。 近江・大津 澤敏夫
* 恐れ入ります。有難う存じます。
2018 10/17 203
* 暫くぶりの外出で、ホッコリと疲れた。もう一週間もすると「湖の本」142j巻が出来てくる。それまでに「選集28巻」600頁を越す大冊を責了で渡 してしまいたい。前後して「湖の本」143巻が組み上がってくるだろう。「選集29巻」の編成にも本腰を入れねばならない。それら全部にさきがけて、新し い創作が着実に成って行かねばならず、気が抜けない。
2018 10/17 203
* 来週木曜に納品の「湖の本142」発送用意は、全部出来ている。「湖の本143」の初校が出そろった。強いて年内に出さなくても構わない。
来月の「選集28」送り出しのための用意に取りかかっている。624頁。大きな重い本になる。荷造りと宛名とが、今回から殊に難儀に手間要りになる。やれやれ。
「選集29」の編成は、これから。刊行は来春でよく、慌てることは何もない。鬼にわらわれる。大事なのは健康に無事生き延びて在るだけ。
なにより長編の第一部だけでも「湖の本」へ発表したい気がしている、のだが。
2018 10/19 203
* 昨日届いていた 岩手・一関の読者千葉万美子さんの郵便の中に随筆集第5号として「万華鏡」と表題のA4版小冊子が含まれていた。今朝早起きの第一番に収 録七編の随筆「根雪」「一畳台の宇宙」「さらばよ留まる」「邯鄲の宿」「夢の国 夢の時間」「蘇える者 蘇えらぬ者」「降る雪に」を、みな読んだ。しっか りした達意の文章で一編一編に云いたい思い行いが書き切れてあり、まず、めったにはなく感じ入った。
同封されていたお手紙も此処へ添えさせてもらう。
☆ 秦 恒平先生 2018.10.20
一筆申し上げます。秋色の候、お元気でいらっしゃいますでしょうか。
先月9月30日、昨年から準備を進めて参りました「喜多流能楽祭」が無事終わりました。その中で私自身も二度目の演能、今回は「龍田」を半能で勤めさせていただきましたが、そちらもまずは舞い切った感があり、今は充足感でいっぱいになっております。
今回はチラシやポスター、番組の作成、祝賀会の準備まで先頭に立って行う立場になっての能楽祭でした。それだけに全体がイメージ通りに仕上がったのは嬉しいことでした。
遠方でご案内はいたしませんでしたが、頑張ってやっています、とお伝ぇしたく、番組(プログラム)と個人随筆集をお送りさせていただきました。
当日は、台風の影響で祝賀会を早めに閉じることとなり、会場では私の感謝の挨拶を割愛してしまいました。その際に出席の皆様にお話ししようと思っていたことを、代わりに手紙でお話しさせていただいております。
昨年の1月か2月、たまたまテレビを見ていたら、私と同じ年頃、出身地も新潟と近い女性の冒険家が、今は早稲田の留学生センターの先生となって出ていま した。その人は大学生の煩から、留学や、アラスカの山、凍った北極海などの冒険など、誘われると二つ返事で挑戦してきた人でした。では、私はどうして冒険 をしなかったかな、と思いました。それは常に私の支えを必要とする家族がいたからだ、と答えに思い当たりましたが、すぐに、いや、違う、違う、私の冒険は 謡と仕舞だった、と思い直しました。当初は他の皆と同様に舞囃子という面も装束も付けない形式で参加するつもりでおりましたが、それが私の冒険ならば、能 楽祭では高い山に登ろうと、能をさせていただこうと志願したのでした。
今回龍田川を渡りました。今後も山があれば登り、川があれば渡るつもりです。
次は10年後100周年記念の能楽祭です。自分の内側に根拠のある曲を舞いたいと思っております。
能楽の方が一段落いたしまして、いよいよ、書くことに力を注いでいかなければ、と思っているところです。
最後になりましたが、先生の一層のご自愛をお祈り申し上げます。
失礼いたします。 千葉万美子
* 千葉さんとの出会いは、小説「畜生塚」 そのなかで触れていた謡曲「羽衣」への共感であったと思う。今度の冊子表紙にも「邯鄲」の写真が大きく掲げて あるように、この人は喜多流を汲んで自身も舞台でシテを勤めるほどの能世界の住人なのであるが、初めてご縁のできた頃は小説を書いて送って見えた。ちょっ と佳い感じの藝道ものだったように思う、激励の感想など返事していたが、いつしかに小説よりは能樂のほうへ大きな力がかかり、わたしは時折り、「文章」も 書かれるといいと奨めていた。こういうことを奨めるのは稀なことで、それだけ推敲の効いた文才を、そして見え隠れの自信自負をも惜しむ気持ちがあった。そ のまま「湖の本」の欠かさぬ読者として三十余年をわたしの方が励ましてもらってきた。
「万華鏡」五号とあるが、創刊からの分も送って欲しいと思う。
随筆というのは何を書いてもいいようで、なまじ小説のまねごとより遙かに難しいのである、文章の斡旋にゆるみが出れば雑文ないし記録に過ぎなくなる。
わたしは能謡曲の実演には縁遠い部外の者だが、中学高校から親しんできた。東京へ出てからは縁あり馬場あき子さんの手引きで喜多流、亡くなられた喜多 実、後藤得三、喜多長世、喜多節世さんらとも物静かなお付き合いが出来ていたし、今でも喜多流を一身に支える友枝昭世の能は心して見続けている。十一月四 日には、国立能楽堂での「卒塔婆小町」に招かれている。この人も「湖の本」をつづけて手にしてくれている。
まさしく千葉さんとは喜多流を介してもご縁があったわけで、ほっと胸あたたまる。折角、随筆集も永くこころよく書き続けて頂きたい。もう娘さん達も成人されているようだ、目黒の喜多能楽堂まで新幹線でこられることもあるとか。佳い日々をと願います。
2018 10/23 203
* さ、明日朝に「湖の本」133が届くと、大方は玄関に積んで発送して行き、ごく一部を在庫として隣棟に入れるのだが、その隣屋がもう脚の踏み場もな く、どこへ置くか、場を塞いでいる前からの本をどこかへずらして新しいのを受けいれる櫑地をなんとか作らねば。これが重労働、痛み止めを囓って掛からねば ならぬ。
2018 10/24 203
* 明日「湖の本」新刊を受け入れの用意、出来た。「選集29」入稿に伴う必要な資料も郵送した。
2018 10/24 203
* さ、明日がある、はやめに機械をはなれ、からだの力を抜いておきたい。思えば創刊このかた134巻めの、つまり134回めの発送だ、おなじ事を134回もしてきた例、そうは無い。辛抱の良さに感心する、妻もわたしも。
2018 10/24 203
* 「湖の本」142、納品。すぐ発送作業に掛かる。六時、夕食前に作業を一段落と同時に血の気が引くように一気に疲れが出た。貧血か低血糖か、要するに過労 の疲労。それでも、夕食を攝ったあと、また仕事を再開。九時からの「リーガルV」が終わるまで、作業を続けたい。
機械の前で居眠りに落ちていた。階下でしばらく横になってからまた作業を続ける。ラジオがピアノ曲を聴かせる。階下での作業しなからのテレビはなんとツ マラナイばっかりか。ピアノの音色はなんて佳いんだろう。もう八時前。作業はあきらめて明日へ持ち越そうか。両掌が音たてるように痺れている。
* 十時過ぎ、今日の作業を終えた。
2018 10/25 203
* 明日の作業に備え、もうやすむ。
2018 10/25 203
☆ 祇園お練り
三年をかけて、耐震補強工事をしていた南座が、十一月初日の『顔見世』興行で新開場なさるとの事で… 歌舞伎俳優七十名の方々が、南座正面から八坂神社西楼門まで練り歩かれて、広く皆様にお知らせなさいました。
『高麗屋三代』の皆様方もおられると伺い、写真でなりとも先生にお伝えできれば良かったのですが… たまたまお休みの日にあたっていたにも拘わらず… 祗園まで出掛ける身体の余裕も、気持ちの余裕も無く、お伝えできませんで…残念なことでした。
「京都」の何もお伝えできぬまま、時を過ごしてしまっているのを申し訳なく思いながら… 家でぼんやりしていると、郵便局の方が『湖の本』を届けて下さったので、急に元気になり、早速読み始めました。
先生の御本を読むと気力が湧いてきます。
何故か、嬉しくなり、浮き立つ心地になるのです。 いつもお送り頂き、本当にありがとうございます!! ただ感謝するばかりで… 何もできず恥ずかしいことですが…
読ませて頂きながら、考えたり自分に問うたりして、ゆっくりとじっくりと読み進めて行きたいと思っています。取り急ぎ、御礼申し上げます。 ありがとうございました。 京・鷹峯 百 拝
☆ 秦恒平様
本日、湖の本142「わたくしの批評と述懐」をいただきました。御礼を申し上げます。
早速にページをくくり、味読しました。
あらためて、秦さんの少年時代の鋭い文学的感性の働きと表現力に接しました。脱帽です。お嬢さんにかつてつけられたお名前には、若き日の詩人の憧れが込められていたということを発見しました。
秦さんが人間性への洞察、情感、文学的な表現能力を磨いておられる頃の私は、家業の小さな化粧品と雑貨の問屋の仕事に巻き込まれており、人間の尊厳と自 由、社会の矛盾、そしてキリスト教の関わりの問題が頭を占めておりました。大卒後、一年に満たない時期に、家業を継ぐという父の期待に沿うことを止め、家 との「別れ」を経験しました。東京教育大学大学院の倫理学専攻に入学しましたが、以後は、外から次々に与えられる課題に巻き込まれました。未熟な答案ばか りを書いてきた私は、その後始末は学問的な苦闘でしか果たせないことを知っておりますので、その義務を果たすための苦闘を続けて今日に及んでいます。
私は他の研究者たちよりも視野が広い積りですが、秦さんのご本を拝見すれば、私には想像もつかない日本の芸術的世界とそれに対する批評とが眼前に広がります。新鮮な気持ちで拝見しました。
「安心して死ねるといいな」。本当ですね。共感します。
「わたしは安らかに伏し、また眠ります。
主よ、わたしを安らかにおらせてくださるのは、ただあなただけです。」(詩編4:8、口語訳ーー新共同訳では4:9)。
これは私の愛唱聖句の一つです。
「黙」には 「雄弁を超えた純真の大黙もあり」との表現にハッとしました。思わず、ヨブが神の弁論に対して示した寡黙な応答に思いを馳せました。
「身」と「心」が対の関係を築くまでに象徴化されたというご指摘は興味深いものでした。「心」は肉体的なものから区別されるが、超越との関わりに離脱し て、「精神」にはつながらない。不安をもたらす精神と関わらなくてもよい道を提供する。それが日本なのだな、と思いました。
ありがとうございました。ご夫妻のご健康をお祈りします。 ICU名誉教授 浩
* ま、小冊子ではあるけれど今度の「湖の本」142『わたくしの批評と述懐』は、比較的ストレートにわたしの言葉がまっすぐ出ているだろうと思っています。いろんな話題を通してものを云うてみた。
2018 10/27 203
* 手洗いに立ったあと、寝そびれる思いがしたので枕元の「湖の本」対談ゲラを読み、そのまま床をはなれてきた。ラジオは宝生流の謡曲を聴かせている、ワキか たを謡っているのは東川光夫さん、久しい「湖の本」の読者である。この早朝に謡曲は懐かしい。聴きながら後鳥羽院の「時代不同歌合」の一番一番をわたしの 思いで判じている。百五十番のやっと二十五番まで。
「持=勝ち負け無し」としたのは、
四番 あすからは若菜摘まむと占めし野に
きのふもけふも雪は降りつつ 山部赤人
ささなみや國の御神のうらさびて
古き都に月独りすむ 法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)
六番 和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ
葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る 山部赤人
わたの原漕ぎ出でて見れば久方の
雲居にまがふ沖つ白波 藤原忠通
十五番 嵯峨の山みゆき絶えにし芹川の
千代の古道跡はありけり 中納言行平
世の中よ道こそなけれ思ひ入る
山の奥にも鹿ぞ鳴くなる 皇太后宮大夫俊成
二十番 色見えで移ろふものは世の中の
人の心の花にぞありける 小野小町
松の戸を押し明け方の山風に
雲も懸からぬ月を見るかな 正三位家隆
* 謡曲「通盛」がちょうど終えた。通盛に死なれた小宰相の悲しみ。静かに静かに清々として楽屋の囃子が聞こえている。 七時になる。
☆ おやさしいメールを、
ありがとうございます。 お気遣いいただき、恐縮でございます。
心身すこやかでありたいものと願いながら、なかなか整わないこの頃ですが… 少しずつ良くなってまいりました。
今年、京都の夏はあまりにも暑く、また地震が揺って、大風や大雨にもみまわれたので… その影響から、抜け出せないでいるのかもしれません。
ものごとは、日々変わり、刻々と移ろって行くものと知りながら… そのことに、ついて行けないでいるのかもしれません。此の世に身を置いているのだから、しっかり生きなければと、自身を励まして暮らしています。
日々を過ごす中で、先生の御本を読む、豊かな時間をもてるのが、嬉しく有り難いことです。 どうぞ、先生も奥様も、お元気でお過ごし下さいます様に。
お祈り致しております。 京・鷹峯 百 拝
2018 10/28 203
☆ 本を有難う!
千葉在住の弥 レ(=弥栄中学卆<レディ>の自称らしい。)の親友が墓参りで娘さんと二人で帰京し、あちらの弥レと合流して歓談してきたとの☎を受けました。
あなたは京都へはよく行きますか。
私は、足場が無くなり、宿泊がネックで、テレビのコマーシャルを観て満足してますワ。
京都の紅葉はよろしいな
話変わってウォーキングが過ぎたのか 膝関節痛で医者通いです。まあ何とか歩いてますが…
近々御茶ノ水で日吉(=日吉ヶ丘高校)の同期会があるので 最後かなと 出席します。守美ちゃん(=旧姓芦田 現姓野村)にも会えるかも。
お元気でネ 又… 花小金井 遠藤千恵子 一年後輩
* 一年下の「弥レ」で健康を案じ消息を確かめたい一人があるが、分からず、案じている。
メールに紅葉の写真でも入っているらしいが、開く技、もたない。
* 機械が使えなくて、わたしの現況は見えていない。「京都へよく行くか」の段ではないのだが。
この人、七十半ばまでバドミントンをやり、日に万歩歩くのを努めて励行していたような人だが、「膝」へ来ているらしい。
わたしは、これで、現在比較的足腰穏便にかなりの力仕事が出来ている。湖の本の発送も、多いときはダンボール函に荷に作った70册を持ち上げ、キッチンから玄関へ運んでいる。腰に痛みを覚えても痛み止めの一錠を予防的に服する程度でおさまっている。
2018 10/28 203
☆ ご本拝受の御礼
秦 兄 いつも有難うございます。
巻末私語の刻「2007.8.19」分の 「らしい」だけの存在が、きらいだ。 を見て同感と叫びました。 私自身はと言えば大学生時代は学生らし くない、社会人になったら社会人らしくない、と言われっぱなしのはみ出し野郎だったので、いまだに年寄りらしくもないなどと言われていますが、それでいい のだと言い聞かせてきました。
20日は 日吉ヶ丘(高校)の互福会があり 30名の参加で 東京からの箕中夫妻と久し振りに歓談しました。
「ハイド氏は・・」の方は 紙本と違って人目にもつかず、やはり口コミやSNSを駆使しないとダメなようで、目下Facebookを検討中です。それでも Amazonのプライム会員は \0 の設定なので 何人かは見てくれてはいるようです。
いろいろと有難うございました。今後ともよろしくお願いします。 京・岩倉 森下辰男
* もう11年余も昔の「私語・述懐」だが。「世の中の秩序や安全のためには<らしい>方がややこしくなくていいのであろうが、ウンザリだ」と書いてい た。「みな、<自身>をやすやすと見喪って時代や社会の鋳型どおりの<枠>内に安住している」と、例の美空ひばりに共感していたようだ。
わたしの「闇に言い置く 私語の刻」は1998年にホームページが出来て以来、莫大な、ほぼ間違いなく10万字分も 上の 此のたぐいのわたしの思い・ 考え・批評・述懐に満ち満ちている、筈。わたしを作家として論じようというほどの人が此処を通過していては論旨の根を堅められまい。
☆ 湖の御本
こんばんは。
いつもありがとうございます。
発送作業やお仕事にお疲れがでませんよう願っています。
今日もよいお天気でしたが、朝夕は寒くなってきました。
あっという間に猛暑からもうすぐ紅葉の季節、相変わらずの暮らしですが月日の経つのが矢のようです。
どうぞ奥様共々お大切にお過ごしくださいますよう。
平安をお祈りしています。 みち 秦母方の従妹
2018 10/28 203
* 世界ペンクラブの副会長堀武昭さんから『二刀流英語の使い方』というとてもわたしの手に合いそうにない新刊を頂戴した。わたしの日頃の「強烈な刺激」を受けて成ったなどと云われ、アタマを掻いてしまう。
先の、裏千家淡交社社長の服部友彦さん、墨画家の島田武治さんからも今度の新刊『わたくしの批評と述懐』に有り難いお手紙を戴いた。
2018 10/29 203
☆ お元気ですか、みづうみ。
何度かみづうみにメールを書きかけたのですが、何とも気の滅入りそうな内容になったので、みづうみに鬱気分の伝染はいけないとそのままでご無沙汰してしまいました。メールいただいてとても嬉しく思いました。
今のわたくしの楽しみは、 ゲーテのいうように「詩人を理解せんと欲するものは詩人の国に行かざるべからず」で 将来京都に一年くらい住んでみたいなあ、 みづうみを育てた舞台を見たいなあ、住むとしたらどこがよいだろうなどと妄想することでしょうか。読んで書いて考える、それだけをしている毎日ですが そ の時間は幸せです。
湖の本無事に届きました。ありがとうございます。毎回、この一冊はわたくしのための本だと思ってしまいます。これは私の本だと…。病膏肓の読者です。選集も楽しみにしています。「湖」の新作もどんなに待ち焦がれていますことか。
ただし、みづうみはご無理がすぎます。無理が効くことは素晴らしいことですが、箪笥を動かしたり、痛み止めを飲んで本を移動なさったりと、ハラハラドキドキすることばかりです。みづうみはお幾つでしたっけ?
みづうみにお怪我やお病気がありませんように、奥さまお元気でいらっしゃいますように、パソコンが壊れませんようにと、毎日私語を祈るように読んでいます。
もうじき十一月です。
今年もあっという間に終わりそうな気配です。寒くなりますのでどうかお風邪などお気を付けられ、ほんとうにご無理なさいませんように。
紅葉 猫そこにゐて耳動く草紅葉 虚子
* 京都に住む、か。一年…。想うだに羨ましいこと。耳に届くいろんな噂ではもうとても京都では宿もとれぬとか。「おッ師匠(しょ)はん」はうちで泊めたげると言うて呉れるが。
☆「湖の本」142を
有り難うございました。
「わが「島」の思想」も懐かしく。
『わたくしの批評と述懐』も、大切に読ませていただきます。 九
* 八時半 これから朝食。
*この数日苦しいほどであった腹部の快通あり、少しく気分を持ち直した。
☆ (前略)
今回の「私語の刻」は多様な自在さがあり、大変面白く拝読致しました。私が非常に親しく担当していた。河上(徹太郎)・吉田(健一)両先生の一言は、ま さに両先生の日常を懐しく蘇らせましたし、美空ひばりの「天才」の御指摘、「文学はほんらい『音楽』です」の御感慨、こころから共感致しました。同年齢の 私から致しますと、加齢相応の自在さが色々とにじみ出ているのにも深く感動致しました。
呉々も御自愛の上、さらなる御健筆をお祈り致して止みません。 草々不一 元「新潮」編集長 忠
☆ 『湖の本142
わたくしの批評と述懐 二十篇』を拝受いたしました。
冒頭から出版業への本質的な視座を与えられ、杉山平助という存在を名のみしか知らなかった不明を恥じました。
それぞれに決して長くはない文章の中に、エッセンス(秦さんのまっすぐな批評と述懐)が惜し気もなく入っている、大冊ではないけれど、「(幸)(福)」とは何かを、私なりに考えるための大切な一冊です。ありがとうございました。
気候は相変らず不安定です。奥様ともども どうぞお大切になさって下さい。 講談社役員 敬
☆ 冠省
先生にはますます御清祥の段お慶び申し上げます。
『湖の本』142お送りいただき有難うございました。「流通する文学」「作家自身による出版」感銘深く拝読するとともに頭の下がる思いで読ませていただ きました。また「風の流れ」を読みまして、今年自分で風について拙い文章を書きましたが 考え方、感じ方の浅さ甘さを痛感しました。今後ともご指導ご鞭撻 賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。敬具 岩波書店 元「世界」編集者 克
* 石毛直道さんから、故「中央公論」編集長粕谷一希さんの夫人から、紅書房の菊池さんから、評論家平山城児さんから、作家の杉本利男さんから、等々、懇切なお手紙を戴いた。
2018 10/30 203
☆ 御礼
秦様 「湖の本」142号、ありがとうございました。
「流通する文学」、「作家自身による出版」、自分が出版社に在籍したことがあり、著述や翻訳を業としてきただけに、身につまされつつ拝読しました。
パソコンの操作に弱いと同時に、紙の本に対する愛着が強い私は今でも取り残され、細々とものを書いておりますが、今後ますます絶望的になってゆくだろうという予感がします。
藤村が妻をめくらにしたり、子供を死なせたりしながらも小説を書き続け、自費出版した態度に、書くということの業を負った作家のど根性といったものを改めて感じた次第です。
もはや今の出版界は長期低落どころか短期陥落の時期に差し掛かっているのではないかとさえ感じます。編集者が「感動」より「売れる」を優先して本を出す時代に対する貴重なご発言、共感いたします。
短歌の試問にはまた落第のようです。
現在、西行を集中的に読んでおり、次は西行を書こうとしておりますが、出してくれる本屋はまずないだろうと考え、何となく悲観的になりますが、そんな時、秦様の存在は大変な力になっております。
ますますのご健筆、お祈り申し上げます。 持田 拝 元・筑摩書房編集者
* 妻の診察、今日の結果は珍しく上乗で、嬉しくなった。その妻が、外来の待ち時間に読んで、今度の「湖の本」巻頭の「流通する文学」が面白かった良く書けていたと、珍しく褒めてくれたのに照れた。
講談社の天野さんのお手紙にも、つよく触れられていた。
わたしも躊躇なく巻頭に置いた。
持田さんも言われるように、おそらく文学・文藝との実のある関わりでいえば、今日、「書籍出版」はもはや壊滅に同じいのであろう。時代をリードする文 学・文藝作品の噂など、かき消えたように無いが現実である。「文豪」がいないのである、鴎外(阿部一族 渋江抽齊)、漱石(それから こころ 明暗)、藤 村(家 新生 夜明け前)、秋声(黴 あらくれ)、鏡花(高野聖 歌行燈)、荷風(濹東綺譚)、直哉(暗夜行路)、潤一郎(痴人の愛 芦刈 春琴抄 細雪 夢の浮橋)、川端(伊豆の踊子 雪国 山の音)、三島由紀夫にならぶような、江湖の喝采を得たらしい「名作」の噂を聞かない。これでは文藝復興は、事 実、じつに覚束ない。その一つの表れは、日本の「文藝家」や「ペン」を「世界」へむけ「代表」しているのは「誰なのか」と観れば、すぐわかる。
いま一つを云うなら、今日日本の文学・文藝の世界に、真に畏敬され重きを成している批評家の仕事もまた、事実、観も聴きもならないという現実、これが情 けない。小林秀雄 河上徹太郎 中村光夫 福田恆存 山本健吉 唐木順三 臼井吉見 平野謙 伊藤整 等々の仕事を超えて行く今日的な文学批評の、噂さえ 聞こえてこない。じつに心細い。
2018 10/30 203
☆ 秦先生
御多忙の折、貴重なお時間を煩わせるようなことはしたくなかったのですが、この本(=『「二刀流英語」のすすめ 情報力・英語力を使いこなす』 論創社)を書くにあたって特にペンでお世話、ご指導を預かったおふたりの先輩の お言葉を念頭に書いたもので、何としてもご報告申し上げたくて送らせていただきました。これが一般大衆向けに書いたものでないことは一目瞭然ですが、長い ペンとの出会いの中で忘れえない貴重な教訓と刺激を私に与えてくださったのが遠因ですのでお許しください。
思い出すのは2つの出会いでした。
一つは越智道雄氏と話をした時の光景です。「ペンは文学者の集団で我々は文学者になろうと思ったときもあるが、その才はなく、結局は大学の先生で終わっ てしまうのだ、でも少なくとも物書きの末席を座ることくらいはできるのではないか」などと半ば冗談を言いながら国際ペンの活動に関わってきました。
もう一つは秦先生の純文学者としての矜持を毎回拝見しながら、少しでも勉強しようと思い、これまでペンのなかで活動を続けることができました。数ある秦 先生のご発言、あるいは著作を毎回勉強しながら、書くための糧としてまいりましたが、その中で頭の中にこびりついた言葉がありました。
「闇に言い置く」という姿勢でした。
その言葉から 以来、ペンの活動の中でなんとか自分の体験をベースとしつつ、ある特定の人物につねに自分の心の思いを託したいと思い書いたものが 今回の本の動機でもありました。
ということで極端に言えば 各章ごとに特定の人物を念頭に書いてきた気がします。
本来なら、もっと過激にアナーキーに書いてみたかったのですが、それはまた、若しくは余命があればということになりそうです。
無能な小生ごときが「ペン(クラブ)」を知ったおかげで予想以上の経験を重なることができました。心からお礼を申し上げます。
余計なものですが、ペンに関連する件についてはほとんどが海外での発言、発表になってしまいますが、時に別添のような雑文を書き、気を紛らわせています。ご笑読いただければ望外の幸せです。
異常気象の中での猛暑もようやくすぎ、気が付けば晩秋。風邪などめされぬよう くれぐれもご自愛の上、ご活躍ください。 国際ペンクラブ 副会長 堀武昭
* 恐れ入ります。ますますのご健筆をと願いおります。
2018 10/31 203
☆ 秦 恒平 先生 グレン・グールドを聴きながら。
「湖(うみ)の本 142 わたくしの批評と述懐」を拝受しました。ありがとうございました。
「流通する文学」[「芸術至上主義文芸」平成十七年(二〇〇五)十一月二十七日刊 ]を読了いたしました。
出版業界から「フェイマス」が絶えず排除され、今は「リッチ」も存続できない状況が続き、作家、出版社、読者にとって不幸なことである、と読みました。
(執筆以来=)十一年後、その通り になっているのではないかと、思います。
最後のノンブル「18」の
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しかし、わたしの思うところ、本当は「編集の鑑賞力」を売るのが一番なのではなかろうか。
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これは、秦恒平先生だけのご卓見です。
先生は、作家であり、編集者であり、版元であり、取次(仲卸)を置かない直接の販売者であり、読者の感想の直接の受け手であるからです。
それを「日乗」で書いてくださり、創作の日常が、読者に直截に分かるからです。
この完璧な円環の藝術の形を長く実行されているのは、私見では、秦先生しか、いらしゃいません。
私の勤めてきた出版社は、教材出版社で、文芸書出版社ではありません。けれども、間接的に、どういう本が売れているか、その本が、単行本から文庫本になり、品切れ、絶版になる悲しき速度を、少しは把握しておりました。
十数年前、児童書専門の出版社の大先輩・編集者が、講演で語りました。以下、その主題による変奏ですが……。
「デジタルの時代が来ても、紙の本はなくなりません。子どもが指でページをめくるでしょ。
紙の縁は刀のように鋭い。だから紙は厚く、断裁したあと、さらに丸く仕上げなさい。
その子が読み疲れたとき、開いたページに頬を伏せてずっと眠れるよう、上質なインクを使いなさい。
子供の舌で舐められる本、いいえ、子供が食べられる本を創りなさい。
その子が大人になって、コーヒーをこぼして浸みを作ったり、余白にたくさんの書き込みができるように。」
グレン・グールドを聴きながら。「編集の鑑賞力」が「批評と物語の交感」へ展開した『慈子』について申し上げたいのですが、長々となりますので、次へ改めます。
秦恒平先生、奥様のご健勝をお祈りいるたします。
奥様、美しいお葉書をありがとうございます。 近江・大津 澤敏夫
* 秋冷えが加わってきた。十月の内にこうも肌寒くなったろうか。
寒ければ寒いと云つて立ち向かふ
自愛の句で。 「つらい」でも「悲しい」でも「口惜しい」でも「憎い」でもいい、泣き言を言うてもいい、ただ、立ち向かえ。
2018 10/31 203
* 寂聴さん、三田文学、山梨県立文学館、大正大学等々、受取りの手紙戴く。
☆ 湖の本拝受
ありがとうございます、厚くお礼を申しあげます。
『人の話しことばを「耳」によく聴いて分ってあげること。その習熟が、「本」の行間や紙背を読みこむ五巻の豊かさになり、文章・文体を読み解く力を培い助ける』『本ものの読書とは、「再読」から始まる』
勉強させていただいてます。
悪意なき夜来の雨のひとしずく
味読の秋に栞を挟む (俊)
日増しに寒気もつのってまいります。
ご健康にはくれぐれもご自愛くださいますよう。 京・山科 あきとし じゅん
☆ 拝復
各地地震の報しきり、大震災の前ぶれでないこと願っています。東京はいかがでしょうか。
「湖の本」142 ご恵与たまわりありがとうございます。老々介護の日々、加えて離れ住む妹が倒れるなどあわただしく 拝読終えぬままのお礼言上、失礼のだんお許しください。
茫々 卒業生と会う機もなくなり、文通含めて秦文学話題にした友もなくなるなど残念です。
この時期、 あなたのことではありませんとことわりつつ、百閒「つわぶきの花」をおもかげに
偏屈も一興なれや石蕗の花
と使いまわしております。冬の季語のようですが、ひっそり咲いております。
くれぐれもお大事に 草々 神戸・須磨 信太 神戸大名誉教授
* 今は亡き粕谷イッキさんの奥様、八十八歳長文のお手紙もしみじみするものだった。
☆ 秦先生
「湖の本」お送りいただきありがとうございます。
このようなペースで刊行されていることを知らず そのことにも驚きました。
法然(上人)のお話が出てきますね。
私は浄土宗の学校(中学高校)を出ており、一枚起請文だ! とまでは思ったものの、それ以上の展開がなく、懐かしいで終わってしまいました。読ませてい ただきます。 夜になると寒さを感じる季節になって来ましたが どうかご自愛ください。 新野聡一郎 東工大卒業生
☆ 拝復
(略) ぱらっと開いた頁に 高校時代 毎日智積院境内を通って通学されましたよし、あの(等伯父子による=)櫻楓図の見事な襖絵を身近にしていらした ことを羨ましく存じております。また、京の風と東京の荒っぽい風のちがいなど、これから和歌を鑑賞しますのにも役立ちそうで、大変有難いご示唆と感じてお ります。
ご自愛を念じております かしこ 紅書房主人
2018 10/31 203
☆ 時雨から
霜、霰、霙と、気忙しく変る十一月は、加賀では一番気になる(私には)陽気です。
昨年の十月二十五日の日記に、「秦さんの奥さん大変なみたい」と書いています。「われを孤りにするな」と詠まれたのは、その十一日(H・P)でした。お 互い年齢(とし)になるとこうした気遣いは避けられないようです。私どもは、いま落着いています。お二人のご養生をお祈りしています。
『湖の本』142、届きました。秦さんの博い世界を知ることになります。それは切がないようです。なんとかついていきたいものです。体はともかく、頭の 方はどうだか。お作はそれだけ読めばすむのではなく、文中の人や、古今東西の書物を引っぱり出して(到底手持のものでは追いつけません)、なるほどと納得 する、その作業?が私に刺激を与えてくれます。
一方で、『湖の本』や『選集』をだされるその間のご苦労は、想像を越えています。どうぞ、十分に心して、と祈ります。
最近の散歩は、コースを変えて、農道を行くことにしました。農道といっても、車が交差できるくらいの舗装道路です。稲刈りの終ったこの頃は、車もほとんど通りません。
南の方は、白山を中心に裾に流れる山々で、視界の一八○度を占めています。北側は、以前には手取川の堤防が、地平線のように、反対側の南の山々に対して いたのですが、それは、四角い建物で、限られてしまいました。工場がずっと建っています。そのむこうに新幹線の橋桁が切れ切れに続いています。今建設中? です。金澤から敦賀までーーとおれるようになっても、それまでは生きてないでしょう。その思いは、ちょっと老を感じさせます。無駄なおしゃべりになりまし た。『湖の本』の受取りついでです。
どうぞお二人ともお大事に。
十月三十一日 井口哲郎 前・石川近代文学館館長 元・県立小松高校校長先生
* 「降霜」の朱印の美しい封書のお手紙は、手ざわりの温かな宝もののように想われる。お元気でと心より願っています。
☆ 冠省
『湖の本』142 拝受致しました。
今回のご本には、ペン電子文藝館に有縁の芹澤光治良氏、梅原猛さん、それから横浜事件と現在の日本事情に到るまで、いずれも自分自身親しく関わった人 々、自身憂慮してきた自称が親身に記されて、これまで以上に身に沁みて読みました。法然さんに到っては、同じ京都生れの時空を越えています。
東京七十年、京都二十年(一九四○年代まで)の私ですが、妙に『ヴァイキング』の山田稔が好きで、近く彼を誘い込んで、鳩居堂の娘や、織田作の姪と一発( )、京都でやらかそうか、など企らんでおります 匆々 稲垣眞実 詩人・評論家
* 早大、上智大、大東文化大、首都大、親鸞佛教センター当からも受領の来信あり。
☆ 秦 恒平 様
「湖(うみ)の本 142 わたくしの批評と述懐 二十篇」を拝受しました。
「読書」ではなく「本を読む」と言った。わたしの小さかったころは。
そして「声に出して読む」ことが文章・文体を読み解く力を培い助けるのである。」
・・・というご意見に首肯します。
余談ですが、「黙読していても頭の中では音読しているので読むスピードが遅い。ページを丸ごと画像として読み取る速読のほうが利点が多い」という意見があります。
こういう意見の背景には「難関校の入試に臨む児童は、試験時間内には読みきれない膨大な量の問題文を読みこなす必要に迫られる、そのためには、遅くとも 小学校4年生の段階で、頭の中で文字を音にする習慣をやめさせて、文字を映像のまま、ひとかたまりの情報として処理する技術に慣れて行く必要がある」とい う事情があるようです。
小生は今でも頭の中で音読しているし、画像処理なんてとてもとてもという感じですが。
2018/11/01 濵 靖夫 拝 妻の従弟
* すくなくも 文学・文藝の本質も美質も「音楽」に類している。古典や近代の名作の文体の美を、紙面映像と観てとってどう胸をうたれるだろう、雑文ではあるまいし。
2018 11/1 204
☆ 略啓
その後如何お過しですか 「湖の本142」有難く頂戴しました。
142巻とは よくもこれだけ幅広くお書きになられたと心より敬服しました。
集中「風の流れ」は興を同じくするので感深いものであります。 不備 英 前・文藝春秋専務
☆ ようやく
澄んだ青空を眺められるさわやかな秋となりましたが、長く続いた酷暑の時期にもこのご本の出版のためのお仕事に精励なさったご気力に敬服いたします。ご体調はいかがでいらっしゃいますか お案じしております。 私は
今や二割たらずとなったさきの戦争時代の生き残りの一人として 八月はどうしてもテレビにかじりつく日が多くなります 改めてノモンハン、インパールの 白骨街道、レイテ島等々 とても言いつくせない様々な場所での悲惨な戦争の結末を思い出しては胸が痛み悲しくなります。われわれはどうしてもっとしっかり 歴史に学ばないのだろう、今も続く指導層の無責任体制を改められないのだろうなど ついついおしゃべりがすぎてお許し下さい。 悪政と原発 いま横浜 事件に思う 陸軍と海軍 などから読み進ませて頂いております。
貴重なご本を頂き 重ねて厚く御礼申し上げます。
御奥様にどうぞよろしく申し上げて下さいませ
お二人のご平安心からお祈り申し上げます かしこ 故・東大法学部長福田先生夫人
☆ 『湖の本』142
お送りいただきありがとうございました。
「作者自身による出版」に書かれていることに一つひとつ納得しながら読ませていただいております。 小和田哲男 静岡大教授
☆ 酷暑と検査に萎えた夏も
あっという間にいってしまいました。
先生、お元気ですか。
『湖の本』141冊、142冊、『秦恒平選集第二十七巻』とお贈りいただきありがとうございました。
お茶の作法で、利休も正座していなかったという視点にハツとさせられました。
また『湖の本』の動機と意義についてもよくわかりました。私は、『湖の本』の存在は、先生の「身内」論の社会的実践ととらえていました。
また、「からだ言葉」や「青春短歌大学」もつねにそばに置いて拝読、勉強させていただいております。
なによりありがたいのは、活字の大きさです。最近、夕方から夜には小さい活字が読めなくなってきました。
極端な気候変化で、寒い冬も予想されます。どうかお身体に気をつけられますようお願い申し上げます。 永栄啓伸 文学研究者
☆ 前略ごめん下さいませ。
いつも「湖の本」をお送り下さいまして、まことにありがとうございます。「私語の刻」など毎回楽しく読ませていただいております。今号の「流通する文学」は身の引き締まる思いがしました。
送っていただいているお礼というにはあまりに粗末な者ですが、弊社(=筑摩書房)で作っておりますカレンダーをお送りいたします。時代としての江戸、エ リアとしての江戸の食文化に特化したカレンダーなので、お楽しみいただけるか悩んだのですが、ご笑覧いただけましたら幸いでございます。
『湖の本』は本来あるべき出版の姿だと思います。
これからも楽しみにいたしております。
秦 恒平先生
* 以前、著者代送で筑摩書房本を送ってくれた編集者、それ以降「湖の本」を送っていた。
* 島津忠夫先生ご遺族からお便りと「秋の味覚 栗甘納豆」を頂戴した。立命館大、文教大等からも受領の来信。
2018 11/3 204
* ぜひ必要な、これは選集に必要な一冊と目している「湖の本」の記録フォルダの中身がゼロと。どういう手違いか分からない。
2018 11/5 204
☆ 秦先生より
貴重な『湖の本』をたびたび頂戴しながら、畏れ多く、御礼も申し上げずまことに失礼致しました。 私は 齢七十五を超えて尚、世の中に対する怒りの ようなものにまかせて雑文を書いておりますが、狭い範囲ながら読者対象となる友人知人からの反響も急速に乏しくなり、相互映発の喜びをわかち合うことも難 しくなつてきました。肉体的精神的理由から、「読めない」、「よくわからない」という無感動に接するばかりで、表現活動のむなしさを感じているところです が、
秦先生の、現代社会に対する批評精神には、まさに胸のすく思いが致しまして、後塵を拝する思いで、まだ書き続けております。
「今・此処」の思考によって、日々実存を確認し、晩期の小器横溢を願って生きる勇気をいただいております。
< だからわたしは文学も歴史も美術・演劇も、床屋政談も、飲食も好色も、家庭生活も楽しんでいる。「夢」 のような 「影」 に戯れていると思っている。希望しないし絶望もしていない。>
このようなお言葉に救われます。信仰についての章もございますが、
煩悩即菩提
娑婆即寂光
に行きつく思いが致します。「今・此処」現世、現生が極楽浄土であり、いかなる煩悩もまた味わい深いものである・・・そのような「明らめ」でよろしいでしょうか。
「煩悩」も「娑婆」も、無為のままで結果が出るわけではなく、格闘の対象であり、その格闘の手段が文藝である、というような理解です。
これまで拙い同人誌を出してきましたが、36号をもって終刊とすることに決めました。まことにお恥ずかしい作物ですが、破れかぶれで書いたものとご理解いただきたく、ご笑覧のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
まずは御礼方々
ご家族みなさまのますますのご健勝をお祈り申し上げます。 敬具 上野重光 葛飾
(次号より 「湖の本」再購読致したく よろしくお願い申し上げます。)
☆ 霜降の候 (前略)
杉山平助さんや、 「読みたくても本が無くて読めない、読まれない」読者への私家版「湖の本」発刊の思いを、実感。「ペン電子文藝館」のこと、更に、 「今、この時代に…私の絶望と希望」「わたしの信、念仏、法然」「わが無明抄」で肉声をうかがっている気持ちを深めております。ますますの御活躍をお祈り します。 敬具 聖教新聞社 原山祐一
* 参議院議員福島みずほさん、歴史学の相原精次さん、札幌の山本司さん、作家の森詠さん、鳴門教育大、ノートルダム清心女子大、神戸松蔭女子学院大、昭和女子大、作新学院大等々からも受領の来信があった。
* 印象的なこんなお便りも。
☆ アベニモマケズ
雨ニモマケズ/風ニモマケズ/雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ/丈夫ナ心身(カラダ)ヲモチ/付度ハナク/決シテ怯マズ/イツモシヅカニイカツテヰル/
一日ニ憲法ノ前文ト/九条卜少シノ条文ヲ読ミ/崇高ナル理念ヲ/ジブンカッテニカイシャクセズニ/ヨクギロンシ迷ワズ/ソシテ改憲許サズ/ (略)
ヒトリノトキハナミダヲナガシ/デモノキセツハオロオロアルキ/ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモセズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ (ひとり市民運動 京・山科 G)
2018 11/6 204
☆ 冠省
いつもご高著の恵賜を辱くし、厚くお礼申し上げます。お返しといえるほどのものではありませんが、お納め下さいますよう。 二○一八・十一月 興膳宏 拝 京大名誉教授 元京都博物館館長
* 嬉しく 有り難く 愛読させて戴く。
☆ 湖の本142
湖北の旅から戻り拝受いたしました。
作者自身による出版を読んで ご家族とのチームワークのみごとさに驚嘆いたしました。外野からエールを送るばかりの私は せめてはとお酒おくらせていただきました。
お体大切に御活躍下さいますよう祈念いたしております。 東村山 近藤聰 写真家
* 岩波の「世界」に「最上徳内 北の時代」連載させてくれた編集の高本邦彦さん、東海学園大名古屋から「湖の本」142受領の来信有り。
2018 11/7 204
* 神奈川近代文学館、田畑の矢部登さん 奈良の画家田島周吾君ら 「湖の本」受領の来信。
2018 11/8 204
* 「金八先生」の小山内美江子さん、大阪・吹田の歌人阪森郁代さん、埼玉・草加の姉妹関本佳・雅さん、山梨県立文学館の中野和子さん、山形・村山のあらきそばさんらの湖の本受領のお手紙をもらっている。
2018 11/12 204
* 郵便代金が地方別で別価格になり、その分別がややこしくてイヤになる。ま、選集あと六巻の辛抱と思っている。湖の本を創刊以来、いわゆる郵送(宅送)にイヤというほど悩まされ続けてきた。「出版」の沈滞にたぶんこれが大いに響いているであろう。
* 一つ、気づいたことを書き留めておく。
ひとに感謝の気持ちを告げるのに、もう久しく、簡明に「ありがとう」と云うている自分に気づいている。妻のそれを耳にしていても、ごく普通に「ありがと う」と云うているようだと気づいている。つまりは、それで済む高齢になり、謝意を伝える相手がおおかた若い、うんと若い人になってしまったと云うことだ。
しかし、今でも、たとえば石川県の井口哲郎さんにむかい、「ありがとう」などと決して云わない、云うなら「有難うございます」「有難う存じます」と云 う。咄嗟の場合はともかく、敬意を抱きかつは年長の人へむかい、ふだん、軽々に「ありがとう」など云うてきた覚えは一度もない。堅苦しいとは思わない、年 長の先達へのそれはあたりまえの礼と弁えている。
* 横浜の小泉浩一郎さんから送本への謝状を戴いている。
2018 11/13 204
* 夜十時前。校正疲れか。昏睡に近く機械前で寝ていた。「湖の本」143の再校ゲラが明日には届く。「選集」28の納品日がじりじりと近づいて。かなり手厳しい歳末になって行く。疲れを溜めまいよ。
2018 11/14 204
* 「湖の本」143 の再校出を受け取る。「選集」29の初校も半ばまで進めている、が、歳末を慌てないで、体力も気力も勘案しつつ新年を見越しながら進めたい。小説二作の進行こそが一でないといけない。
2018 11/15 204
* 雑誌『文芸思潮』編輯長の五十嵐氏より、「湖の本」142巻頭の「流通する文学」を新刊に転載の希望があった。この論攷はよく読まれ、ほかにも佳い反響があった。どうぞご自由にと、承諾。
山梨県立文学館の中野和子さんは「「わが無明抄」「心が気になる」を、歌人の阪森郁代さんは「佳い日本語を創る」をあげてこられた。阪森さんは、「推敲 する力と根気」「文学は音楽です」ということに、また「゛安心への道」「人間なんだもの」という一文にも魅かれました、と。
2018 11/15 204
* 作家の森詠さん、「湖の本」142へ感想を戴く。ペンの理事会で、ながく同席していた。
2018 11/21 204
* 「選集29」の初校了への道がようやく見えてきた。「湖の本143」の初校は停頓している。
* 慌てることは何もない。世の中とは付き合わねばならず、付き合う限りは穏当でありたい。
2018 11/29 204
* 「選集29」あとがきが書けた。これで、初校済みゲラを返し、函表紙、口絵、総扉、あとがき等の後ツケ原稿の入稿も出来る。この再校は、そう簡単には出て来まいと思う。ご苦労をかけるだろう。
* 残るは「湖の本143」の責了だが、これは慌てない。急がない。
むしろ「選集30」と「湖の本144」の構想・編輯に本腰を入れねば。
2018 12/3 205
* 凸版印刷からのカレンダー戴く。来年度の画家は何方かな、楽しみ。
永く新日鉄から、動物たちのカレンダーが来ていたが、縁が切れて。いつの年かの三にん(?)の仔ライオン兄弟の写真は、いまも大事に身近に置いて、太郎、次郎、小次郎と名付けていつも話しかけている。向こうからもちゃんと笑顔で同感を示してくれる。
大相撲のカレンダーは、横綱日馬富士が抜け、見かけ倒しの横綱入りで、ちと目出度くないが、今年も相撲茶屋の「竹蔵」くん、送ってきて呉れた。
「湖の本」はもはや当然に毎回かなりの出血出版だし、「選集」は 豪勢に非売本だし、依頼原稿はほぼ一切今は受けていないのだし、稼ぎとは全く無縁に暮らしているが、たくさんな方々との有り難い交流に恵まれているのは、 私語している通りで、まことに心温かに賑わい感謝に堪えない。八十三のこんな歳までこまように心賑わって日々有り難く暮らせるなどと、素寒貧で就職、上 京、結婚したころ夢にも想い描けなかった。六十年が経つ。
ま、こういう賑わいも、孰れ遠からず消え失せて行くわけだが、万一夫婦二人して辛うじて健康に恵まれていれば、よろよろとでも、小刻みな旅を楽しみたいなと実は期待している。可愛らしい夢を見ているが、さ、あと何年ゆるされているか。
2018 12/11 205
* 機械に向けてボヤクからだが、やや失調気味のからだのこと、不調の機械のことで、いろいろ叱られたり教わったりのメールを戴いて、恐縮この上ない。
とにもかくにも、ガンバッテみるつもり、どうガンバルのかも、しかとは、よく分かっていないのだが。
何より、『ある寓話』の第一部をともあれ仕上げたと思うので、つぎは第二部を徹底させて行きつつ、今一つの『清水坂(仮題 題は決まっているが、ナイショにしておきたい)』を、能う限りおもしろく取り纏め仕立てたい。
明日には、やはり大冊になる『選集』第二十九巻の再校が出そろう。大事の記念碑の一つとして、美しく仕遂げたい。
『選集』第三十巻の編輯と本文の研覈は、毎日の仕事として、少なくも三分一量はもう進展している。新春の月半ばには無事入稿できるようにする。
「湖の本」143の「責了」は、年内、もういつなりと出来るところへ来ている。ただ「湖の本}144の編輯には手を付けていない。「145」も含めてすこし先をみながら、ゆっくりめに進めたい。
2018 12/17 205
☆ 油断しておりましたら
急に本格的な冬がやって来ました。
湖の本142 大変読み甲斐がありました。
良くも悪くも今年も終ろうとしています。元気が何よりの亥年でありますように ご多幸を祈り上げます。
北海道の”白い恋人”のメーカーで出しましたチョコレート同封しました。
ほんの気持ばかりです。 杉並区 柏木洋子
2018 12/19 205
☆ 秦 恒平様
選集をいただき、湖の本をお送りいただきながら、御礼を申すこともなく打ち過ぎて申し訳ありませんでした。
実は私、先の夏の終わりに 軽い脳梗塞を起こしました。
それが変な症状で、メールが書けなくなったのです。
あとで、文章を書くのも少し遅く、漢字も間違ったり飛んだりすることもわかってくるのですが、一番最初に気づいたのがメールでした。
そこで早速脳神経外科の診察を受け、CTを取ったら、あら小さな梗塞が、でもハッキリと起っているではありませんか!
それからは常法通り二週間の入院生活を送って(別の病院で)、「あとは今まで通りの生活がリハビリですから、普通にしていればよろしい。再発には気を付けて」と最初の医院(井荻にあります)に戻されて来ました。
ここの先生も良い方で、ニコニコ笑って、とにかく何事も”落ち着いてゆっくりやれば出来るから”って。
確かにメールも”時間さえかければ”こうやって書けます。
でも、やはりあちこち”変”なところがありますね。
脳梗塞というのは起こってしまったところはもうそのママ、(もはや壊死してクチャクチャになっているらしい)周囲から少しずつ補って行くのを待つだけなんですね。
幸い後の機能は概ね被害を受けていないようです。
しかし考えて見ればこのくらいで済んだ事を感謝すべきで、運? 次第ではどうなったかーーー
とにかくこんな事があってもちっともおかしくない年だと思い知りました。
お陰様で藤江(=ご主人。秦と中高同期学友)は元気にしています。
この間 ”もう最後かも知れぬから”と粟田小の同級会に行き、森下辰男さんに親しくお目にかかったようです。
同級会は有志の元気な人達で、まだまだ続くらしいです。
秦様は 沢山の病を抱えて、それでもお仕事を続けて居られます。
私もめげず、でも無茶せず、やって行きます。
とりあえずご無沙汰のお詫びまで。2018年12月20日 藤江もと子
* 案じていました。半分余、ほっとしています。
2018 12/20 205
* 今日もたくさん仕事のための原稿を読んだ。霞んでゆく眼をなだめなだめ、時には睡魔と決闘しながらである。ついつい一つ仕事に気も時間も使ってしまう が、少なくも大別して創作と「選集」と「湖の本」との仕事がそれぞれに複数あるのだから、時間と気力・体力の必要な配分を、つい大方は無視して一つ仕事へ 没頭仕勝ちになる。それはそれでいいのだが、必要な休息へのがれると疲労感がのしかかってくる。見づらい眼でガンバッているときは奇妙に元気でいる。
* 九時。しかしもう休まないと。
2018 12/23 205
* 来年の十月、松本白鸚(と謂うよりも、前「幸四郎」というのが親しめる)が、1969年の日本初演以来半世紀を演じ続けてきた「ラ・マンチャの男」を、帝劇で公演と知らせてきた。わたしたち夫婦は、何度も繰り返し観てきたし 今度も 元気なからだで 揃って観に行きたい。
思えば、1969年は、わたしが受賞して「作家」生活に入った年、来年六月の桜桃忌で「満五十年」になる。三十三歳であった。
以来、喜怒哀楽のすべてを超えて、半世紀、わかりよくいえば「選集」三十三巻の結晶があり、「湖の本」145巻の刊行があって、なお、新しい先へと歩むだろう、歩みたい。
天皇・皇后さんのご成婚は、1954年四月十日だった。三十日足らず先だち、わたしたちは京都を去り東京の新宿区河田町で、三月十四日、六畳一間の新婚生活をはじめた。
勤め先は本郷東大赤門前、研究医書専門の出版社、醫学書院だった。
自称も他称も「まむし」といわれた怖い社長の金原一郎は、十五年半の在職中、退職の日まで、終始わたしには仁慈の人であった。心より感謝し、選集28の口絵に、生前手づから贈って下さった(告別用)喜寿の写真を収めた。
編集長は、森鴎外記念館の館長でもあった碩学・長谷川泉だった、ためらいなくわたしを「作家」生活へ送り出し、亡くなるまで親切を尽くして公私に応援してくれた。
わたしは、ともすると『癇癖談(くせものがたり)』を書いた上田秋成に似たかという苦い自意識を抱いてきたが、また、これまでに何度か、人からも吾からも「ドン・キホーテ」と笑われ、笑ってきた。
「ラ・マンチャの男」こそ、わたしの理念・理想であったかもなあと、今にして、仄かに思う。つよく思う。来年十月を楽しみに待とう。
新篇 日々に成る
是れ声名を愛するにあらず
旧句 時時に改む
無妨( はなは)だ性情を悦ばしむる
祇(た)だ擬(はか)る 江湖の上(ほとり)
吟哦して一生を過ごさんと と、白楽天に倣って。
2018 12/24 205
☆ ありがとう御座いました。
今日、午前中に到着しました。
あまりにも立派で、びっくり。
早速に 我が家の床へ。半間で小さいのですが、掛かりました、なんとカンロク! です。お濃茶を頂きたい気持ち。遠慮なく 頂戴します。
荷造りも上手だったので 破損無く届きました、奥様に感謝です。
この後、女性は大変な仕事を!頑張ります。
暮れから寒くなるようです。
ともども、お大事にお過ごし下さい。 京・今熊野 宗華
* 無事着 よかった。
函の外に 毛筆で
若宗匠 玉 と 寿 横物
御箱書御願申上ます
林 弥男
箱の蓋裏に 鵬雲斎若宗匠時代の自筆箱書
自筆 寿 玉 横物 鵬雲
何歳頃の若書きか分かりませんが。
この宗匠は あまり達筆のひとではありません、昔から。
「林弥男」 は 知恩院古門前通りで古美術商の大家 「林」「本家」の婿で、総番頭だった人。
「林」は 京の道具屋としてはとびきり大きい一統の「本家」でした、今は商い絶えたそうですが、「千家」家元筋へも、宗匠らの方から辞を低くするほど、大きな存在、商家でした。
「弥男(みつお)」は、わたしの小説『或る雲隠れ考』(「湖の本 17」「選集 17」所収)で、本家の娘「千代」の婿に入る「弥一」に相当、 ヒロイン「阿以子」の父親です。
もっとも小説の骨格はリアルですが、物語がフィクションなのは、いつも通りです。
今の裏千家大宗匠の「若宗匠」時代の「若書き」ながら 大きな「祝儀物」として重宝でき、わたしたちも、連年、正月の居間に掛けてきました、が、大暴れする幼いネコの「ふたり」が、絶対に引っ掻き落とすと分かっているので、お正月前に、心籠めて 呈上します。
一切、遠慮も斟酌も返礼も無用です。私の「思い」です、喜んで酌んで下さい。返礼も遠慮も、ゼッタイに無用です。
今の内なら、うまく頼まれれば 鵬雲斎自身 或いは当代宗匠の「箱書」がもらえるでしょう、今となっては珍しい 使い勝手のめでたい 大物の軸ですから。
ま、道具屋の「扱い」ですから マッカなニセモノということも無きにしもあらずですが、間違いないと観てきました。
おめでたいお正月用の一軸なのは 相違有りません。 宗遠
* 読者で、はっきり裏千家系のお茶人と知れている人は、海外に一人、京に一人、関東で一人しか識らない。関東のお一人とは面識がない。持ち腐れになる茶 道具を道具屋に扱わせて金に換えるのは、実、気が進まない。気心知れて真実心親しく思っている読者筋へ、できれば差し上げたいというのが本音である。趣味 も関心も知識もない、しかも心通わない先へ投げ込むのではモノが可哀想すぎる。仕方なく、銀座で一軒の道具屋と繋ぎだけはつけてあるが。ほかに三軒ほど電 話で見せよと頼んでくる道具屋があるが、信頼に到らない。
かりにも美術館つとめをし、植物としての「茶」や、漆器に関心を深めかけていた娘の秦朝日子なら、ものの値打ちを少しは分かって大事にしてくれるだろうに、と、これも情けない。
2018 12/24 205
* 「湖の本」143の表紙を「責了」、発送用の封筒も歳末を構わず、註文。
「選集」29の後記も「要再校」、速達で送る。
2018 12/25 205
* この一週間ほど、「選集」大三十巻の編成と原稿としての読み返しにかなり没頭、三分の二ほどは終えている。
新年には、「湖の本」143の発送という肉体労働も来る、あっというまに来るだろう。創刊満三十三年は、なによりも、からだに、重い。「選集」予定の完 結にあと五巻、これと「湖の本」が重なってくる心身への重さは相当なものだが、ひるまず乗り越えて行く、行くしかない。妻の負担だけは何とかすこしでも軽 くしてやりたいのだが。
最初から、徹して、夫婦ふたりのふうふう仕事でやってきた、子供達に手伝ってもらったことは無い。そういう結晶なのである、もう少し、もう少し、もう何年か、なんとかわたしの労力腕力体力を絞り出し、頑張ってみる。
和風の甘味が身にしみ、精製のお酒が佳い熱を恵んくくれる。からだを破壊しない程度に美味い物は美味く味良く楽しみたい。
さいわい、いまぶん、諸検査で、肝臓も腎臓もきれいと医師は言ってくれる。
問題は、アタマやなあ。人の名前が出てこないよ。本は、まだ読める。字も書ける。有り難い。
2018 12/30 205
* 八時前。 今晩ぐらいは もう何もせず 寝入ってもいいだろう。夢でしかもう逢えない人の数が毎年点鬼簿に増えて行く。大晦日にはそれを思う。重く重く思う。
そう思いつつ、十時まで、どうしても「湖の本」「選集」次の発送に必要な「挨拶」を書き終えた。はて印刷機の故障が決定的かどうか、が、春一番の難題となる。早々から妻の機械へ助力を願わざるを得まいか。今年最終の、無事の祈りであるが。
* では、平成最後の三十年よ。来年の今日はどういう元号で無事に迎えられるのか、平安なれ。
2018 12/31 205