ぜんぶ秦恒平文学の話

湖の本 2019年

 

* よほど手こずったが「選集」第三十巻が編成をほぼ終えた。確認し入稿できれば、第二十九巻の責了へことを運ぶが、その前か後かに「湖の本」143巻を発送せねば。
2019 1/3 206

* 小説の、難所ではあるがわたしには格別興味深い、ま、穿鑿にうちこみながら、疲れると階下で「湖の本」封筒にハンコを捺していた。このハンコ捺しがま た草臥れる、単調な、しかし力仕事になる。で、疲れると二階へあがりまた小説世界を杖をひきひき探索する。そして疲れる。
入浴して、今度は「選集29」責了への最終校正を、眼を洗い洗いしつつ重ねる。読みかけの、湯気に濡れにくい本も選んでもちこむ。
2019 1/4 206

* アレコレまったく忙しい。十七日には「湖の本」143が出来てくると、即日発送にはいるが、そのための用意もまた大方、躯を主に遣う。できれば、数日 の余裕をもって納品を待ちたいのだが、「選集」29巻を責了へコシを運んでおかないと、追うように「選集」30大冊の初校ゲラがドッサーと飛び込んでく る。
しかし何というても、昨日の「推理」も栄養にして長編小説を、しっかりした健康体で起たせてやらねばならぬ、第一に。或いは第二部まで「仕上げた」のか も知れぬが、それも「第三部(一応は<完>まで書けているのだけれど、まだ明らかに<未完>)」がシカと落ち着いてこそ云えること。まだまだガマンが大 事。
九時前。もう 二階仕事は限度。
2019 1/6 206

* 七草粥の雑煮を二人で祝う。四日の午には焼き餅の澄まし雑煮を二人で祝った。十日過ぎには鏡餅を割り善哉を煮る。十五日には小豆粥の雑煮を祝 う。わが家の正月はその辺まで。今年はその頃に「湖の本」143巻めを送り終えるだろう、そうありたい。二月には「選集」第二十九巻が仕上がってくる。幸 いに恙なければ。いや先のハナシは今はすまい。
2019 1/7 206

* 七草粥も祝い終えて、世の中、平常の空気に、と願いたい。もう印刷所との年初の打ち合わせも終えた。角田光代のため歳末に頼まれていた写真も、何かしらん企画進行の事務所へ送ってある。
十七日から「湖の本」発送の準備も、ま、難儀な七割がたを済ませていて、宛名を封筒に貼り、印刷した挨拶を各個に切り分け、荷置きの隣棟玄関をくつろげておく、そして「補充」の宛名手書きを何十人分かすれば、済む。
それまでに、年初の外出、初春興行の歌舞伎座へ半日、また新年初の歯医者通いが有る。
だが、アタマの中は蜘蛛の巣を這い回るように書きかけの小説のこと。
2019 1/8 206

* 七草粥も祝い終えて、世の中、平常の空気に、と願いたい。もう印刷所との年初の打ち合わせも終えた。角田光代のため歳末に頼まれていた写真も、何かしらん企画進行の事務所へ送ってある。
十七日から「湖の本」発送の準備も、ま、難儀な七割がたを済ませていて、宛名を封筒に貼り、印刷した挨拶を各個に切り分け、荷置きの隣棟玄関をくつろげておく、そして「補充」の宛名手書きを何十人分かすれば、済む。
それまでに、年初の外出、初春興行の歌舞伎座へ半日、また新年初の歯医者通いが有る。
だが、アタマの中は蜘蛛の巣を這い回るように書きかけの小説のこと。
2019 1/8 206

* 宛名貼り、住所宛名の手書き追加分 が まだしっかり「作業」として残っている。まだ気は抜けず、一月十七日朝一の「湖の本」143納品と確認されて いる。前日まで、容易の作業が残りそう。これらの作業にはケッコウ重複という無駄も欠落ちという不足もついて回るのに気を遣わねば。ま、暮れよりも宅配も 遣ってくれるだろう。今日も、もう四時になった。時間ムダに出来ない。
夜分の睡眠では どうしても夢ともつかず物語の難所に絡んで寝ながら四苦八苦している。これにも疲れる。
2019 1/11 206

* 機械を温めながら。寺田英視さんの著『國風』を読み継ぐ。著者の威勢と志操とがかほど明確に颯爽と開陳されて揺るぎない思想書はめったに有るものでな く畏敬の念に打たれる。清潔にして恭謙の、寺田さんは現代のまことに「武士」であり、五指にあまる武道に学んで八段等々の達人の域にあり、しかもその人と なりはまことに温和に優しい。
この私の困惑を見るや即座に「湖の本」のためにかの凸版印刷を紹介して下さったのは、文藝春秋のまだ若い編集者であった寺田英視さんであった。しかも彼 は、かかる英邁の武人であったことなど少しも露わに云いも見せもしない人であった。「文学界」編集長等を経て専務取締役までもいつも物静かに勤められた。 家へもよく来て下さり、また外でよくご馳走にもなった。いつも家まで車で送って下さった。
わたしは、心と思いとのある人に、この『國風』(猶興書院)の心読愛読をおすすめしたい、和漢の思想と表現とに心親しい人には、ひとしお堅剛のよき修身の読書になると思う。行儀に徹底してごまかしのない思索叮嚀の武士ががここに、現存。
2019 1/12 206

* 隣り家を、力仕事で片づけてきた。十七日の「湖の本」143の受けいれ、大丈夫。これで三日間の余裕が出来た。「越乃寒梅」無垢の純米大吟醸酒を戴いている。美味い。
2019 1/13 206

* どう疲れたか、昼過ぎから夕過ぎた六時前まで昏睡していた。
明朝から、「湖の本」第143巻の発送という力仕事になる。いま七時過ぎ、しつこく胸焼けしている。休んだ方がいいかも。創作とも向き合いたいが。
2019 1/16 206

* 七時過ぎ。もう二時間もすると「湖の本」143が出来てくる。左の腰に痛みがあり、本の重量との組み討ちが響きそう、予防のロキソニンなど服して。
2019 1/17 206

* 「湖の本」143到来を待っている。 九時二十分 着。

* 五時ひと休みしている。 午後、作業しながら、テレビ劇の「あにいもうと」をまた観て、聴いているだけでも何度か泪した。いわば家庭劇でこんなにも感 じのいい優れたドラマができるのだ、チャチな殺人・刑事劇など、願わくは各局で本数自粛制限でもしてもらいたい。出来なければ、観ていて唸るほどの秀作を 創って欲しい。

* 八時半 相当な強行軍だった、希望の予定分をこなし得たが。
明日もまた。二人とも、疲れたが、二人だから出来る仕事、それをよしとして来た、三十三年も。感謝あるのみ。

* 九時からの「NCIS」を観て、早めに床に就く。疲労を溜めてはならない。

* 睡い。
2019 1/17 206

* 発送作業を追い込んでいる。

* 疲れた。

* 三日で遂げてきた力仕事なら、五日掛ければよいのだが。
2019 1/18 206

* 少なくも残る三巻の選集の二巻には小説・創作を加えておきたい。何方かが、全書誌をと言って下さってたし、最終巻にはそれも考えていたが、それは或る意味ではわたし自身の仕事ではない気がしている。可能な限り三巻分とも小説のために取っておきたい。
ただ、いま書いている長編のうち一作は、少なくも定価のついた「湖の本」では剣呑に想われる。非売本の「選集」収録が穏当に想われる、が、書き上げるこ とこそ第一。作者当初の意図を踏み越えるように作が勝手に発酵していて、取り押さえられるのか、それが心配。それも楽しみだけれど。
2019 1/18 206

* 日本酒が切れたので、12年モノのオールドパーを飲みほし、12年モノのシーバスリーガルを美味しく戴いている。「湖の本」を送り終え、次には「選集」第 30j巻の初校が出てくるまでに、落ち着いて心して創作を先へ追いたい。いま絶好の集中時になっている。落ち着いて落ち着いて落ち着いてよく読み返し返し 徹底した推敲に集中したい。もう一月も下旬に向かっている。時の滑りの速いこと。
2019 1/19 206

☆ 本、届きました。
知力体力 に感服。
今年(=ご主人の)七回忌の準備で、遠い鶯谷の墓所まで出向いたりと、バタバタ過ごしています。
終われば少しノンビリと過ごしたく。
同居の娘を筆頭に、子供達の手伝いがあり、助かっています。
お元気で      花小金井   泉  中・高校同窓

* お子達に恵まれて、その点、安心の老後と想われる。
用もあり、古いアルバムなど繰っていて、有乗れて間もない娘・朝日子や 息子。建日子たちの小さい頃のあどけない可愛さを観ていると、人生不思議の感に 打たれる。朝日子は六十に近く、建日子は五十を過ぎて行く。ウヘーっと声が出る。「泉」さんも中学高校時代、まことに美しい少女であった、が、逃れようも ない八十二歳のはず。見わけ付くか知らんと、我がことは棚に上げて想っている。
「湖の本」が届き始めたらしい。
2019 1/19 206

☆ 秦 兄
ご本ありがとうございました。お元気にご活躍のご様子で何よりです。
奥さんはもう元の体調に戻られましたか。大事になさってください。
お互いに、というより、兄は奥さん孝行ですが、私は結婚当初から女房に厄介の掛けっぱなしで頭の上がらないままで終わりそうです。
身障者手帳を使えば乗物も二人で一人前の料金でどこへでも行けるのですが 二人で出掛けたことは数えるほどです。癖は悪くないのですが 呑兵衛が嫌いなようです。外でも家でも足が縺れるほど飲みますから。

例の小著ですが 正月の無料キャンペーン中は台風の瞬間風速なみに政治の部は3位、法律4位と瞬時ランクインしたものの 期間終了で立ち消え状態です。12月末に2,300円ほどロイヤリティの振込みがありました。
ロイヤリティは当てにしていないのですが読み手がなく心配してます。
一つ分かったことは 皆 関心がないのではということです。齢のせいか自分のことで精一杯できっと他人事どころではないのでしょう。知り合いのレビュー は西村てるさんだけのようです。今から思うと手持ちのアナログ音源をCD化することだけでパソコンを伝達用具として使う術をマスターしなかったことを今に なって悔やんでいます。
TwitterやFacebookが使いこなせたら拡散できるのですが 残念です。
何しろ右のそれもかなり視力の弱った片目だけの作業のため キーも打ち間違いばかりです。アル中ハイマーのせいかもしれませんね。
しかしFacta alea est  賽は投げられた のです。どこの国の国民も 「2票方式の投票制度」で為政者の淘汰ができる日目指して頑張ります。
今後とも宜しくお力添えを、そして十分ご自愛を。  京・岩倉  森下辰男

* ネット社会の組み立てや仕来りにまったく疎いので 森下君のやっている機械方式の全部が分かっているとは謂えないが、主張されるところは理解している。そうなればいいとも確信している。
しかし、今日の拡大しかつ拡散した世界ないし社会での主張はどうしても希薄化する。「炎上」と謂われる現象も空気化はしても結晶しにくい。
わたしは、労組の昔から、勝ち味の策に欠けた運動は所詮世の中を動かせないとアキラメに近い思いで来た。世の中がこれで動くかとわずかに実感したのはあ の1960年の安保国会取り巻きデモの一度だけ。カタチばかりのデモンストレーション、署名運動も含めてほぼ無力に同じいと感じてきた。
マスコミが大同一致して宣伝戦が出来るか、整然として厖大多数の国民が長期にわたり街頭に溢れうるか。この二つ以外には、いまの日本人の「お上」感覚では何一つ革新の成果は上がらない。
それをよくよく知って懼れた悪しき保守支配は断乎として総評と社会党を壊滅させる長期の陰険な働きに成功を収め、それをまるで気づけなかった単なる「憲 法屋」の社会党は労働する国民の組織的支持を完全に見失い抛擲して、自ら「いつも三分の一」は確保できていたのを「議席ゼロ」ほどの首括りまで無反省に演 じつづけたのだ、大組織への結集と権力への抵抗とを放棄して。バカげていたのではない、マッタクのバカ政党だったのだ社会党は。

* 万葉洞の坂田さん、今朝、お餅も添えて「お餅スライス」のプラスティク器具を送って下さった。感謝。昼食で実験してみよう。
2019 1/21 206

 

☆ 秦恒平様
本日、『湖の本』143 秦テルヲの魔界浄土・美の回廊・他 をいただきました。変わらぬご厚情に痛み入りました。早速に拝見しました。
扱われている美の世界にも、その感覚にも縁遠い身ですから、一つ一つを味読いたしました。
秦テルヲについては生涯の概略と絵の傾向についての大雑把な知識しかありませんでしたので、批評的な言葉の一つ一つを興味深く受け止めました。
「おんなとやきもの」で紹介なさった、女が踏み続ける土との一体感を性的なエクスタシーとして感ずるという、ある陶芸者の”告白”を、そうかも知れな い、との好感を懐いて読みました。女性といえば、幼い秦さんが叔母さんの豊胸に歓声を上げて飛びついたという思い出。よく分かります。
全編、興味深い書き物でした。
ありがとうございました。     IDU名誉教授  浩
2019 1/21 206

☆ 秦様
先日は新年の賀のメールを頂き、ありがとうございました。
今日は心待ちにしていました「湖の本」をご送付いただきありがとうございます。
ご一緒に梱包などいろいろのお手数を煩わして届いたご本がありがたく、愛おしいです。
また香り高く美の世界へと導いてくださる文章に、今、魅せられています。丁寧に読んでまいりたいと思っています。
また、今のところ健康に過ごしていますので、少しでも書かれています作品や、美術館やお寺など機会を作って訪ねたいと願っています。
以前 矢来の能楽堂で遠藤喜久氏の第1回自主公演「鉢木」を観ていただいた事がございます。私の謡の20年来の師匠ですが、今年の初公演で 「翁」を披(ひら)かせていただきました。
観世九皐会では毎年観世喜之師匠のもとで内弟子修行をした方が翁を披かれるそうです。喜之師匠がご自分の健康な間に、弟子たちにとの思いなのでしょうか。
「鉢木」をご覧いただき励ましのメッセージをいただいたことをありがたく思い出しています。
今日が大寒とか、まだまだ寒い日が続くことでしょうが、ともどもにお身体お愛いくださいまして、かわいい猫ちゃんとの楽しい日々をお過ごしくださいますように。  練馬 持田晴美  妻の親友

* 健康に過ごされていること、なにより日々の寶です、羨ましい。
2019 1/21 206

* 元「新潮」編集長坂本忠雄さん、紅書房主人の菊池洋子さん、江戸川区の清沢冽太さん、女性文学研究家の岩淵宏子さん、作家の利根川裕さん、共産党書記 局長こくた恵二さん、ペン会員相原精次さん、そして「三田文学」「神奈川近代文学館」「水田記念婦図書館」などから「湖の本143」へお手紙や挨拶を戴い た。}
2019 1/22 206

☆ 寒中御見舞い
今日は体調如何でしょうか。 胃(=胃袋は全摘に遭っているので、お腹)の状態は気分に直接影響しますから、とても心配しています。
インフルエンザが全国的に流行っているようで、此処(=愛知)はワースト県。姑の暮らす三十人
の老人施設でも六人が罹ったので、姑は急遽家に「避難」して暮らしています。
先週末、「湖の本」が届きました。まだ読んだことのないものもあり、興味深く読み始めました。
なかなか動きがとれませんが、こんな時こそ外への憧れ・衝動がつのります。勿論 家にいてこそ出来るさまざまなことに目を向けるつもりです。
くれぐれもお身体大切に。
寒さに負けず、風邪引かず、栄養あるものをたとい少しでもしっかり摂取されますよう。 尾張の鳶

* 繪が描け 詩の書ける日々を、心身に優しく過ごされるように。

☆ お元気ですか、みづうみ。
お仕事のお疲れがでているのではないかと大変心配しています。お具合のよくない時には病院に早めにいらしてくださると嬉しいです。
みづうみのように命がけのお仕事に日々献身なさる八十三歳は、わたくしの理想の境地です。サラリーマンの多くは現役を引退してしまうと、どんなに有能で 出世したエライ人でも日々の生活のなかで泡の消えたビールのようなうっすらとした悲哀が滲んでしまいます。年齢で、強制的に「終わった人」と最前線から追 い出されてしまうのは理不尽です。
とは言いましても、みづうみは肉体労働的には、ご年齢相応に動かれますように。くれぐれもやり過ぎのないように、お大事になさってください。
わたくしは昨年末の掃除で足の小指をぶつけて、大して痛みはないのですがいつまでも腫れがひかないので病院に行きましたら、なんとヒビが入っていました。「やっちゃいましたね」と先生に言われて、当面テーピングで自然治癒待ちなんです。情けない。
湖の本143巻 ありがとうございました。
「京の遊びの美と美術」を先ず読みました。変な感想かもしれませんが、『細雪』の世界を思い出しました。『細雪』のように、かつて日本に存在した文化で、 もはや日本にない何か、遊びを通したかけがえのない美に捧げられたオマージュだと思いながら ため息とともに読み終えました。それはこの一冊全部にいえる こと、あるいは秦恒平文学に通奏低音のように流れているものかもしれません。

何がイヤ、何に落胆しているかと言うと、「今の日本のすべて」と言ってしまっては身も蓋もないことになりますが、あらゆる分野で ここまで教養ない人間たちに乗っ取られた国が、人類の歴史的大転換期を生き延びることができるとは到底思えないのです。

わたくしに出来ること、あるいは使命といえることは もはや日本にない日本美を描くこのような作品の「読者」として「愚者の楽園」に加わらないことでしょうか。
読書は特段優れた能力を必要としないものですが、それでも「読者」がいなければ古典も優れた現代文学作品も生き存えることはできないでしょう。佳いものを読んでいる時間は何より幸せです。この幸せを大切に絶望せずに生きていきたいと願っています。

 

雲上人のみづうみはご存知ないかもしれませんが、現在下界はインフルエンザ大流行です。人ごみへの外出はしばらくなさらないほうがよろしいかと思います。そして冬を乗り切って 花の春を楽しみに……。 紅  紅梅の紅(こう)の通へる幹ならん  虚子

 

* 有り難いことです。

* 所沢市、島津忠夫先生のご遺族から風雅に選ばれたお茶とお菓子とを、京の陶芸家 松井明子さんから懐かしい「仙太郎」のもなかを 送って下さった。

*  こんどの、「秦テルヲの魔界浄土」(講演)「美の回廊」「陶の誘惑」そして弥栄中学同期の奥谷君、三好君との異色の対談は 相応に変化ある組み合わせに なった。読者によりいろいろに目の向けどころが変わるだろう。松井明子さんは何十年も昔の女流陶芸展を審査に出た折の、文部大臣賞受賞会員だった。あとで 知れたことだが夫君も陶芸家で、かつてわたしとは日吉ヶ丘高校同期の、美術科の生徒であったりした。出題が「ん…?」の永田さんはいまは原田さんと苗字が 変わり、いまも姫路の西夢前台に窯の烟を上げ続けているらしい。

*  毎朝血圧を計るようにしているが、安定した測定値であるのか分からない、ただ脈搏数が概して50台、これは少し少ない。つまは40ほどに下がったとき 即、入院を勧められたことがある。わたしが、日夜家の中でもついヨロッとするのは徐脈の故かと少し気になる。家が狭苦しいのでよろけてもモノに掴まれる が、街路や駅ホームでは危ない。

☆ 肩の寒さに目覚め、
雪かなとカーテンを繰ると、案の定細い雪が降っていました。今日一日、降りもみ降らずみ、細雪やら綿雪、降り積るほどもなく、今はあちこちに雪溜り(?)が見られるほどです。
『湖の本』は、日曜日の午後に届きました。
冒頭の講演「秦テルヲの魔界浄土」つい読みふけってしまいました。秦テルヲについては、その片仮名表記が、生理的に嫌いで、あまり興味を持てない画家で したが、講演の口跡に魅かれ、秦さんのHPの八十三歳時の写真を見ながら読みました。ずっと以前、お逢いしたその時々、こんなふうに私に語りかけてくだ さった、その息遣いまで蘇ってきました。もちろん秦さんの絵解き字解も堪能しました。
「美の回廊」はそのうち読み直します。単行本より「湖の本」の方が活字が大きいので、こちらで読むことにします。
「陶の誘惑」には、当地の九谷焼は語られません。秦さんと女流九谷焼作家の長谷川紀代さんの工房を訪ねたのはいつでしたか。その時、紀代さんが「秦さんは 九谷がお嫌いだから――」といわれたことを思い出しました。後にそのことを秦さんに正したところ、「美しいものは、なんでも好き」とおっしゃいました。紀 代さんは、なんであの時、あんなことをいわれたのか、その真意はわかりませんが、長谷川さんと秦さんの親交の有様を垣間見た気がしました。
ついでながら、秦テルヲの繪も、岡本神草のお作も、『美の回廊』のグラビヤで確認しました。確か『美の回廊』を拝見した時、グラビヤの繪(モノクロ)の色を図書館で確めたことなどを思い出しました。秦さんのお作は、いつでも何かを引き出す切っ掛けになっています。
本年は、秦さんは年男ですね。私の妻も、娘の姑も亥年です。そして本年中に「亥の子」が二つ増える予定です、娘の孫(息子と娘)が生まれるのです。私の 孫たちは、もう生まれくる子供の名前を考えているようで、両方から私に応援を求めてきています。今の流行(はやり)のネーミングは苦手なので、どんな候補 名がもたらされるのか気になっています。
今日は、散歩はお休みです。冷いものが降っているので、無理しません。十二月の末に庭の落葉を掃いていて、庭石につまづき、足の親指を傷めました。娘に 整形外科クリニックへ連行され、レントゲンを撮ったところ、骨にヒビが入っていました。そのため年末年始は、ずっと散歩はお休みでした。松の内があけた頃 から何とか再開できています。
無為な毎日、八十六歳の毎日は、これでいいのかと、自分に問いかけています。大寒にも体が冬に慣れて、ちゃんと耐えています。
お二人には、くれぐれもお大事に。
正月二十一日   井口哲郎  (元・石川近代文学館館長・元・県立小松高校校長)
秦 恒平様  朱印「冬日可愛」

* 志賀直哉を温かくしたこころよさで読ませてもらった。うれしい、いいお手紙。
もう、躓かれませんように。
年賀状で 年男「猪突猛進」を誡められていた。「亥の子」二人とはなんという羨ましさ、溜息が出た。奥様ともどもお怪我無くお元気でいてください。
原稿用紙に貼って下さった「冬日可愛」の朱の字の美しさ。わたしは、歌集「少年」の高校生時代、ことに冬と夏とが好きだった。ヒロインにも愛おしく「冬子」と呼んだ作がある。
いま、念頭に沈んでくるのは「南山」の二字。井口さんお若い昔のお作で戴いている陶淵明の名高い詩句にことに目立って胸に逼る。

* 瀬戸内寂聴さんから 「湖の本」受領の来信あり。

☆ (前略)
「粉河寺の石積み」を読んでいたところで、お書きになっていた緑泥片岩の巨石を思い出しました。これと同じ石が和歌山城の石垣に使われているのにびっくりした経験があります。恐々謹言 巳亥正月廿二日 小和田哲男 (お城研究の権威)

☆(前略)
腰の手術後は全身のしびれに悩まされています。
久しぶりに杖を突いて東博の東洋館にて常磐山文庫蔵の白磁をながめてきました。疲れました。
どうぞご健勝にて。  駒井正敏  平凡社役員

☆(前略)
原付バイクで保谷のお宅へうかがい、お酒をいただいて帰った日のことなど 夢の又夢です。 島尾伸三  (作家 写真家 島尾敏雄子息)

☆(前略)
「華岳と薫と何必館」を拝読し 手元にあった絵葉書(=山口薫 娘二人像 黒)で礼状をお送りいたします。ご容赦ください。時節柄 皆様のご健康をお祈り申し上げます、 あきとし じゅん (詩人)

☆(前略)
最近 狭山茶の専門店で紅茶(ハーブティー)をみつけました。連日のニュースで空気が乾燥してインフルエンザも大流行ととの報道、お茶を飲むことも予防の一つになると聞きました。
奥様と いっしょに 飲みくらべをお楽しみいただきながら 風邪予防にもなれば 幸いに思っております。 藤森佐貴子 (故 島津忠夫先生の娘さん)

* 奈良明日香村の画家烏頭尾精さん、三枚の絵はがきにそれぞれに制作の日々を語られ、また飛鳥京跡に苑池の発掘調査された別紙写真も副え 縷々お便りを戴いた。
秦 恒平先生 懐しいご本のご恵送 そして「美の回廊」へのご配慮に嬉しくなっています。たくさん戴きました「湖の本」手元に揃え眺めております。その濃密な文章に圧倒されています。感謝です」と。明日香村岡から、岡寺の間近からのお便り。

* 早大図書館、法政大文学部、大正大国文学からも受領の来信。
今日からどっと読者の払い込みが始まっている。用紙に 深切な嬉しいお便りの書き込まれたのも数多く、霞みきった視力でもう書き写せないのが惜しい。有難う存じます。 2019 1/23 206

☆ 「湖の本」満三十三年 第143巻到来
ウエブサイトの画像で 秦テルヲの繪を見ました。「煙突」! いいです。瓶原(みかのはら)風景(秋)もあり…、蛇塚も見ることができました。ありがたいです。
大寒 まだまださむいです。お大切にされてください。 千葉市 e-OLD 勝田拝
2019 1/24 206

☆ 「湖の本」を
御創刊なさってから、満三十三年とのこと 本当にすばらしいことですね。先生と奥さまの積み重ねていらした御苦労、 近年は病と闘われてのますますのことに感激です。
どうぞ くれぐれもご自愛なさってくださいませ。  静岡市  鳥井きよみ

☆ 「湖の本」143巻の
「秦テルヲ」という画家、未見ですが、大変興味を覚えています。
ありがとうございました。   相模原市  馬渡憲三郎

☆ ありがとう御座位ます。
昨年は獅子文六ブームが再燃したのか、文庫化した作品を娯しんで読みました。これも新しい書き手がいないことによる再発掘でしょうか。出版事情が増々悪化の一途をたどる中、秦さんをリスペクトします。   狛江市  野路秀樹             2019 1/24 206

☆ (前略)
いつもながらですが、ページを繰るごとに教わることばかりです。
とくに今回は、よく知っているべき知恩院や有田焼についてすらそうなのですから、深謝あるのみでございます。  稲垣真美  日本ペンクラブ会員

* 育った知恩院下 新門前の梅本町に「稲垣さん」と近所でも敬っていた一軒があり、えらい人とだけ聞いていたが。お名前は知っているが東京でおめにかかったことがない。

☆ (前略)
83歳、82歳の先生と奥様が寒い中、お届け下さった「作品」を、後の世代にどう渡し、伝えたらよいか、悩みます。  渋谷笹塚  佐藤宏子

☆ (前略)
秦テルヲのことは名前は聞いていましたが、どんな繪か、まだ見たことありません。秦さんの講演録読んで ぜひ見たいものです。  川崎市  島田正治  墨画家

* みなさんそれぞれに趣味の絵葉書で書いて下さり、楽しませてもらう。

* 昭和女子大、首都大、西東京市図書館 からも受領の来信あり。
2019 1/24 206

☆ 百四十三巻目の
『秦 恒平・湖の本』を拝受、今度もまた得難い贈物をいただきました。
まずは「秦テルヲの魔界浄土」で、恥かしながら初めてこの画家の魅力を教えられたこと、とりあえずネットの図像検索をしたりしましたが、いつか本物と対面したい、そう熱望させる御稿(講演)でした。
さらに三好閏三さんとの対談、これは達人同士の楽しいやりとり、加えてお好み架空のお茶席が最高の御馳走でした。名人の趣向には及びもつかないけれど、母の遺したお茶席の準備や記録のノートを開いてみるかという気持になりました。
ありがとうございました。
インフルエンザ大流行の様子、どうぞ呉々もご用心下さい。
桜桃忌を心待ちにしています。     (講談社役員)  敬

* 感謝申し上げます。ありがとう御座います。

☆ 拝復
「湖の本143」有難く頂戴しました 美術を生活の中に活かしてきた 日本人 就中 京都の人の生活感 生活観を種々考へさせられる御文でした。いつも乍らの御心遣に感謝してをります。
月がかはると もうすぐ立春ですが、その頃 一献いかがでせう 改めて御都合お伺ひします
寒中 切角 御自愛を祈りをります  不備   寺田英視  (前・文藝春秋 専務)

☆ 平成最後の新春を
いかがお迎えでしょうか。東京は好天のようで何よりと存じます。
『湖の本』143拝受いたしました。「正坐」の御論を興味深く拝読いたしました。「正坐」の仏様がおはしたとは驚きです。
二月には岩浪文庫『源氏物語』五が出ます。私の分担はわずかですが、お送り申し上げます。
今西祐一郎   (九大名誉教授 前・国文学研究資料館館長)

☆ 拝復
五月には新しい時代が始まります。
ご高著『湖の本』第一四三巻拝受、本当にありがとうございます。
先生のご本が届くと、普段の読書が即座に中断します。今回も「橋本左内」などいったん停止です。楽しみに読み進めております。
節分会も近付いていますが寒さはまだ厳しい折 ご自愛下さい。草々  作家  杉本利男

☆ 湖の本143
ご恵送賜り有難うございます。ゆっくり拝読致します。
そう言えば秦さんの部下であった頃 「七尾君の七尾は、多分、七尾根の七尾だね」と言われたのを、突然思い出しました。
寒さ厳しき折、ご自愛念じ上げます。  七尾清  医学書院役員

* 名大名誉教授山下宏明さん、また、奈良女子大文学部、立命館大図書館、上智大図書館、作新学院大、京新門前の新古美術わたなべ からも受領の来信あり。
2019 1/25 206

* 折口信夫門下の石内徹さん、「湖の本」へ過分の御喜捨を賜る。もと岩波「世界」の高本邦彦さん、東京大学大学院文学部、日本近代文学館、山梨県立文学館、ノートルダム清心女子大、成蹊大図書館、多摩美大図書館 より「湖の本」143受領の来信。
2019 1/26 206

 

☆ 拝復
快晴続きとはいうものの、さすが大寒、寒さこたえます。お健やかにてお過ごしのことと存じます。
湖の本143 ご恵与たまわりありがとうございます。たゆみないご刊行驚嘆いたしております。
展覧会にて何か一点好きな作品貰って帰れるとしたら云々の美術評価や親愛、確かに要を得た鑑賞の楽しみのご提言と感心しました。
同じく創作と言いながら、文学、音楽などとは異なる美術世界、後代はともかく同時代にあって強力な経済的後援者と相俟って必須と感じ入った次第です。
原発事故、故郷に帰ること出来ない方々の悲憤思うにつけ、電力控える生活をと思いつつ、冷房はがまんできても、暖房には降参、言行一致の難しさ痛感しています。
出水跡残し裏山寒芽ぐむ
お揃いでお大事にと念じております。   神戸  周   神戸大名誉教授

☆ また(転居の=)ご連絡遅れました。
「湖の本」第143巻頂きました。早速ご送金をと思いましたが、ご本を整理していたとき代金未納の二冊を見つけました。(振込票がそのまま残っていたのです)。お恥ずかしい限りですが今回のと含めて三冊分ご入金しますので どうぞお笑い下さってご受納下さい。
今、昔に頂いた『いま、中世を再び』を開いています。
中世! 南北朝のことなど、子供の頃から今でも謎を含んだ時代、混沌とした、乱世というようなイメージから未だに抜けきれないこともありますが、目次に 「雪舟」の名があったこともあります。島崎藤村に 「日本に於ける中世が未だ続いてゐた社会の空気の中にあつて(雪舟は=)近代精神の最も早い先駆を成し た」(『巡礼』)とあることが、ほとんど分かっていませんので、雪舟についても読みたいと最近思っています。
そんなことを考えながらぼんやりと、遅々と過ごしていますが、取りあえず右ご連絡までに。
寒中どうぞお気をつけて下さいますよう。お元気で。奥様も。
まだ WORDだけは 何とか打てます。  横浜  宮下襄  藤村研究家       ヽ

* 桐生市の阿部君江さん 聖教新聞社の原山祐一さんからも ご挨拶があった。
2019 1/29 206

* 「湖の本」143分の印刷所と黒猫ヤマト送料、そして郵袋分の支払いをしたら、「湖の本」分の蓄え預金が、創刊満三十三年を直前についに完全ゼロになった。成り行きはとうから見通していて、ちっとも驚かない。今後は、生活費のための預金から不足分を足して行けば済む。
「選集」分の、まるまる持ち出しは、東工大時代の給与賞与退職金の全部と年金とで、残る五巻分、ほぼ予定通りきっちり支払って、それで通帳はカラにな る。郵送費がバカ高くなり、収録増も必然考慮してきたのでよほど窮屈だが、有り難い喜捨も折々に戴いており、よくよくの事故がないかぎり、無事「選集」は 完結できるだろう、とうてい「全集」ではあり得ないが。ちなみにわたしの勘定ではもし「秦 恒平全集」となると、厖大な生涯の日記や未収録原稿も加わり、もう三十三巻加えても、とても足りないだろう。できるかぎり「秦 恒平・湖の本」は算盤など抛ったまま、続ける。
それより何より、「残年の健康」を大事に考慮し用心していないと、みながハンパに終わる。

* 死なれた多勢が頭を過ぎって、思わず心身のこわ張っているときがある。その疲れがしみじみとある。

* 元・青山学院大学長、元・福田歓一東大法学部長の夫人、現・滋賀県知事の三日月大造さん、大阪の石毛研究室の石毛直道さん、歌人の尾崎左永子さん、京 都の陶芸家松井孝・明子夫妻氏、そして東海学園大名古屋図書館からも 「湖の本」143へ 受領等の叮嚀な謝辞や挨拶があった。

* 天理大からは「選集」二十八巻への礼が来ていた。

* 一箇所を通り抜けた、か。書こうとし思案し歯を噛みしめてしまい、痛くて。それぐらいはショがない。見えない疲労で瞼が塞がってくる。少なくももう数 カ所越えずに済まぬ難所が残っている。そう分かっているだけで助かる。とほうもないバカを遣ってるのかも知れないが、えやないかと半分がた諦めている。
2019 1/30 206

☆ (前略)
昭和五十一年、井上靖先生らと中国へ招かれ 旅を共になさったお話、また、モスクワ、( 当時の=)レニングラードへも。それぞれ興味が尽きませんでした。そういう時代があったことにも感慨をおぼえます。
いつも本当にありがとうございます。
くれぐれも御身、御大切になさって下さいませ  かしこ   吹田市 阪森郁代   歌人

☆ こんばんは、
湖の本143、読ませて頂きました、
秦テルヲ氏の絵も勉強します、
華岳は関谷(=万葉洞主人)も好きですが 今は柳下雄牛図のみしか所蔵しておりません、
甲斐荘の絵、亡き父がずっともっており、よく二人でデカダンの話をしました、兄が大津でもっております、兄は墨光堂を出まして墨珠堂として表具をしております、
美の回廊、 僧形八幡神坐像は知りませんでしたが インターネットで始めてわかりました、
粉河寺石積など初めて見ました 一度行ってみたいとおもいます、
梅の井の御主人との対談、昔の人の目を通ったものは確かですよ、道具が淘汰されてきたんだと、は私も同感しますし 取り合わせなどでわかっておられる方です、うったえる勢いを感じます、
御本ありがとうございます。   万葉洞   坂田

* 今回の「湖の本」 反響広がっていて、思いの外。一枚の写真も入れられなかったので、文章として「読んで貰える」ことを大事に思っていた。文章は、志賀直哉のように書きたいといつも願っているのだが、問屋が卸さない。
2019 1/31 206

* 「金八先生」の小山内美江子さん、札幌市の山本司さん、鳴門教育大からご挨拶があった。
2019 2/1 207

☆ 秦恒平先生 「湖の本143」御礼・漱石「心」のこと。
「湖(うみ)の本」の第143号  「陶の誘惑」を読みました。「やきもの」が好きです。
土器を作るひとは、近年、女性に優れた人が多く、伊賀・信楽を焼く、渡辺愛子さんの片口、ぐい飲みを晩酌の友にしております。
昨年12月8日から、漱石の作品で未読の『彼岸過迄』『道草』『明暗』を読み、既読の小説も、すべて再読しました。動機は、大学時代の恩師に会いに行こ うと同期の親友に誘われたことでした。「先生」は今年、90歳です。「先生」に、38年ぶりに会いに行くとき、恥ずかしくないことをしておこう、という自 尊心から、漱石を読み始めました。
私は、在学時、(=その)「先生」が漱石の研究家ということを知っていましたが、私の卒論のテーマは「小林秀雄と坂口安吾」でした。夏目漱石は、当時の若僧の僕にとって、対象外でした。
『こゝろ』が、私の心に入ってきたのは、加藤剛さんの朗読によるCDでした。ノーカット、延12時間です。これを、57歳になる直前の9月末から10月初旬にかけ聴きました。
自分は、今まで、何をしてきたか、と思いました。
2018年12月初旬から、2019年1月末まで、漱石の長編、短編の小説、随筆を全て読みました。そして、『心(こゝろ』は、漱石の長編小説では、とくに優れていると思いました。

●なぜ、『心(こゝろ)』の澄明なトーンが生まれたのか。
●この小説は、「先生」の自殺で、唐突に終わってよかったのか。それは、破綻のない正解だったのかもしれないが、不満だ。
●「先生」の自殺は、明治という時代への殉死ではないだろう。それは、表面的な一動機に過ぎないのではないか。
以上の点について、秦先生の『戯曲 こゝろ』と、「漱石『心』の問題 -わが文学の心根に-」を拝読すると、悶々としていた臓腑が自然な運動を始めました。

「島」はそれぞれ孤立している。そこから「橋」を渡すことが文学だが、文学は、孤立を自覚することから始まる。
「先生」の死後、「私」と「静」が結ばれるという「A・1」の展開を、誰も考えていなかったと思います。
大正二年、「先生」の一周忌の9月に、「先生の遺書」の謎が、「私」から「静」に明かされるから、二人の恋愛は始まる。
「先生」が明治45年まで生きてきて、その同じ年の秋(大正元年)に死ぬことができたのは、自分の若い分身「私」に、自分の妻「静」を託すことができると確信できたからである。
『戯曲 こゝろ』は、漱石の『心』の本質、そして「謎」の部分を、明解に分析している。

『慈子』(1972)は、筆者の『徒然草』批評と、筆者の「島」の物語が、バッハの「フランス組曲」のように6章を交代しながら独自の世界を構築している優れた小説であった。
『戯曲 こゝろ』(1984)でも同じ特性が見られる。「朱雀光之」は『心』の「先生」であり、「当尾宏」は『心』の「私」である。「先生」が病死したあと、家系の秘密を明かした「利根」さんは自殺する。「慈子」は「私(宏)」の子を流産する。
批評精神と創作精神は、作者の肉体で交錯し、融和し、光を鎮め、闇を放射している。漱石との共通点である。
筆者は『戯曲 こゝろ』で、「A・1」の場面を設定し、漱石の『心』の続きを書いた。そこには、誰も解けなかった謎への解答がある。「先生」の未亡人「静」と、先生の唯一の「弟子」である「私」が、新しい家族を創生することである。

まだ、謎は残る。
秦恒平が、なぜ、『戯曲 こゝろ』を、加藤剛の「K」と「私」の二役として構想したのか。

漱石は、『心』を短篇の有機的集合体による長編として書こうとしていたが、今ある『心』を書き終えると、筆を止めてしまう。これは謎だ。
なぜ、このあと『道草』という小説を書き終え、未完になった『明暗』であの長い不毛な苦労をしなければいけなかったか、それがどうも分からない。

秦恒平先生  長い拙文を失礼いたします。
ご自愛賜りますよう、お願いいたします。   近江大津 澤敏夫

* わたしも酒器は、各地のをいろいろ愛用しているが、伊賀、信楽は抜けていた。
このごろは酒そのものが大手を振って先を歩き、気に入りの湯飲みでぐいぐい楽しんでいる。越前、萩、また志野の湯飲みや瀬戸物も清水焼も。
2019 2/2 207

* 通常の「湖の本」でほぼ四册分ほどに作が延びていて、何処かへ手を加えると内容上関連の箇所へも推敲や添削が必要になるが、九百枚に逼っている作の前 後の関連箇所を機械画面を前後させながら見付け出すダケでも狂いそうに目が回る。この煩瑣に気強く気永く耐えないと長編作は安定してこない。身のそばのプ リンターが故障し働かないのが、実に痛い。グチグチと愚痴るのもせめてのクスリと呑み込んでせいぜい気をとり直しているが。「尾張の鳶」はわたしの作意の 幾つかに乱交叉している幾らかに察しが付くらしく、鳶なりの「京都」で示唆も送ってきてくれる。摂れるものは有り難く摂りたい。
「湖の本」145頃には第一部をという目算は、むしろ放棄した方がいい、まとめて「選集」三十三巻の殿軍を任せるぐらいを考える。秦 恒平の文学世界を最期にむちゃくちゃに打ち崩してしまうかも、それも一興の、まさに「亂聲」か。
いま七時だが、何よりももう眼がしかと見えなくて、斯くも読むもママならない。ブルーライトはきつい。目をつむり腕組みし思案し、そのうちに寝入ってしまう。

* やっさもっさ頑張ったが、身が保たなかった。
2019 2/2 207

* 『日本の出版業界はどうしてこうなってしまったのか』と題し、日本書籍出版協会専務理事の中町英樹氏が「本の未来研究会リポート」として日本文藝家協会会議室での講演録を、文藝家協会が会報に添えて会員である私にも送ってきた。
一読、失礼だが、笑ってしまった。わたしが「秦 恒平・湖の本」を創刊した三十三年もむかしにすでに予見できていたことだ、すでに143巻、今も障りなく「湖の本」は刊行されつづけ、一巻ごとに、書店に 並ぶ単行本と同量ときにそれをも凌ぐ内容を保持し続けているが、出版界の成績の惨憺たること、中町氏の講演が示す各種の数字、なにより講演の表題そのもの が無惨に表している。
わたしは出版業という商業を念頭に置いていない、何よりも「創作と文学・文筆」に深く強く愛着してきた。もしわたしと同じ思いの文筆家らに有効に示唆す るなら、文藝家協会は上記講演の表題よりも、むしろ率直にこの「秦 恒平・湖の本」という稀有の例を以て、会員諸氏の自覚や奮起を促すというのが本筋であろう。
文藝家協会を現に会長として率いておられる出久根達郎さんは、有り難いことに「湖の本」創刊の昔から今も「継続購読」して下さっており、一作家による「作家自身の文業」を「三十数年、百五十巻ちかく」刊行し続け得てきたのを、よく知っておられる。
いまでは、「秦 恒平・湖の本」そのものを手にもし承知もしている文壇・各界の人は実は千、二千に止まらないのが事実なのであり、だが、それを口外し評判するのは「タ ブー」のようですよと笑って告げてくれる人もいる。亡き鶴見俊輔さんはわたしと対談の折も、秦さんの「湖の本」につづく書き手が十人もできるといいんだが と述懐されていたのを、はしなくも中町氏の慨嘆講演録を読み、わたしは痛々しくも思い出した。
但し鶴見さんは明言されていた、「湖の本」に続くには、何より自身文業の質と量とを持ち得ていること、編輯・出版の技術を持っていること、そして家族の協力 が絶対的に必要ですがね、と。
2019 2/3 207

* 今度送り出した「湖の本」143の178頁に 「秦さん、こんばんは」と呼びかけて、「秦テルヲ展」を観てくれた長い感想が出ている、「U君」のメー ルとなっているが、このイニシアルで思い当たるのは上尾君であったろう、か。2003年の十一月末のメール、もう十五年余を経ている。上尾君は有り難い継 続購読のひとりだが、多忙の極みに有ろうよと思われ、今回の湖の本のそこへまで眼は届いていまいかと思う。少しの折があらば、だが、自身むかしの感想を読 み返しておかれるといいと思う。上尾君、現在のアドレスが見当たらないので、ここへ告げておきます。

* わたしの見落とし、上尾君のアドレスは手元にむろん有った。

☆ 前略
湖の本143 ご恵贈 ありがとうございました。 高齢のため(一九三○生)、心ならずも購読の継続を断念したものにとって 思いがけない贈りものでした。
母方が秦姓なので、ずっと関心をもっておりましたので「ハダテルヲ…」は興味深く読ませていただきました。
練馬美術館も近いので、わりあいのぞきますが、二○○三年の展示は存じませんでした。
湖の本122册 選集三冊も ハードカバー本数冊と共に愛蔵しています。
いつまでも ご健勝で。 お礼まで  草々  一月 雪もよひの日   杉並区  江藤利雄

* 嬉しい有難いお便り。こういう方々に私の文学・文藝と「湖の本」とは支えられてきた。わたし自身がいまや八十三歳、受賞以来の作家生活満半世紀、しぜ んと読者の大勢もわたし以上に高齢で、亡くなられた方ももう数え切れない、積算されている出版赤字がもう相当なのは当然の成り行きであり、だが、わたしは それも苦にしない。文学活動のために生まれて、五十年も本や原稿で稼いできたものを今こそ「秦 恒平・湖の本」「秦 恒平選集」のためにつぎ込んで遣いきって何が惜しかろう。大事なのは、もうこの上に怪我や大病はせずに、気力を充たしてなおなお「可能性」へ向け生きて努 力することだ。
2019 2/5 207

☆ 早や立春も
過ぎました、お変わりありませんか、「湖の本」に続けて 頑張って居られるのかもと!
昨日 街なかへ行ったついでに、お菓子を仕入れ、抹茶を添えて、先程郵便で送りました、明日に着くようです。
ゆっくり、やすんで下さい。
私はお正月もなく、夫の病院へ。今まで、病院とは無縁だったので、こたえています。大変な状態に、ショックです。疲れました。   京・北日吉   華

* なにか起きていそうと案じていた。やはりそうか、御無事でと心より願う。家人の入院は、自身が入っている以上にと謂えるほど、家で独りの留守や、気を張っての見舞いの方が、とても堪らなく、心身に堪える。病人の御無事も自身の安全も大切にと願います。

☆ 秦恒平先生
近江の生酒を本日発送いたしました。
今、『湖の本 143』の「子規居士弄丹青圖」を読了いたしました。
病床で絵を描く子規(1867~1902)を描いた図は、中村不折(1866~1943)の『鶏頭 子規居士之写生』の墨画を見ておりましたが、浅井忠 (1856~1907)の『子規居士弄丹青圖』は存じませんでした。これは、糸瓜を描く子規を、忠が描いているものと拝察します。今週末、大津市立図書館 へ行って、浅井忠の画集や子規の資料などを探し、ゆっくり見てみたいと思いました。
そして、秦先生の『糸瓜と木魚』を読まねばなりません。
漱石(1867~1902)の『三四郎』(1908連載)には、「深見さんの遺画」のことが書かれています。この「深見さん」のモデルが「浅井忠」だったと思います。
これで、子規・忠・漱石がつながりました。
『京に着ける夕』(1907)は、同年、東京朝日新聞社に入社し、職業作家(江藤淳の証言によれば「小説記者」)となった漱石が、早速1907年4月初 めに下鴨神社の糺(ただす)の森近くの野明敏治宅を訪ねた時の京都旅行記です。その「現在」の印象は、春の寒いこと、黒い家並がひたすら続き、「ぜんざ い」と赤く書いた小田原提灯が灯ること、でした。
この暗い情景に、15年前の1892(明治25)年7月、大学の夏期休業を利用して、松山に帰省する子規と共に、金之助が初めて京都を訪ねた時の鮮やかな記憶が挿入されます。
清水坂の狭い小暗い路地の両側の小さな窓から 白い手が次々「おいで」と誘いかけるのを二人でくぐりぬけ、夏蜜柑を頬張り乍ら、円山公園を上ったことが鮮やかに書かれていました。
漱石を知るためには、子規を知らねばならないと思います。同年生まれですが、天才・子規は、いつも、秀才・漱石の一歩先を歩もうとしていた。子規は意気盛んで演説をすることもできるが、漱石は子規の真似はできない、彼の確かな聞き役になっていた。
子規は漱石の学識を敬愛しつつ、漱石を少しは遊ばせようとして、清水坂へ誘ったのではないか。
漱石は、子規の自分勝手に困りながら、自分にない豪放を愛していたともいえる。
ロンドン留学時代に、漱石が神経衰弱に苦しんでいることを聴いた子規は、漱石をあえて馬鹿にする記事を書く。漱石は怒る。わざと怒らせて、漱石に『倫敦消息』を自分宛の書簡として書かせ、
勝手に『ホトトギス』に載せてしまう。
漱石が帰国したとき、子規は死んでいたが、弟子の虚子の勧めで、『ホトトギス』に漱石は作品を発表しはじめる。
二人の関係は、非常に面白いです。
漱石の最も早期(熊本時代)の弟子・寺田寅彦(1878~1935)は、漱石の長編・短編を解く鍵は、俳句にある、と言っています。(「漱石先生の俳句・漢詩」1934)
これから、漱石の俳句を全て読もうと思っています。併行して、子規の短歌・俳句・論随筆も全て読みます。
また、夢中で拙文を書いてしまいました。

今日の昼過ぎ、大津の加藤酒店に行って、近江の生酒2種、肴菓を2種、選び、発送を願いました。
『みごもりの湖』にある永源寺、に近い東近江市小脇・畑酒造の『大治郎』。
『秘色』の主な舞台・大津市堅田の浮見堂に近い、浪乃音酒造の『浪乃音』。
『浪乃音』は、新酒ですので、少し甘いかもしれません。
本日午後3時集荷、明日2月7日(木)の午後2時~4時、秦先生御宅へ配達指定をいたしました。

先生、奥様、お健やかに。   近江大津  澤
2019 2/6 207

☆ 「湖の本」143のご恵投、
ありがとうございました。
この2週間、鬱が続き、メール一本かくのも億劫という日が続き、失礼した次第です。ご海容のほどを。
対談「京日の遊びの美と美術」、大変愉しく拝読しました。料理や食器、茶器を語ることを通じて京都の美の伝統が伝わってくる気がいたしました。
生粋の職人が一番伝統の担い手という気がします。
最近、地元の碁の会で老植木職人と知り合いましたが、これから庭園のことを聞いてみたいと思っております。
今巻も 刺激的な一冊でした。ありがとうございました。  茨城  持田拝 作家・翻訳家

* 自身にとってまさしく刺激的ないよいよの場面へ、ぎりぎり寄ってきた。今一度、第一部、第二部を慎重に点検して第三部との致命的な齟齬がないかを調 べ、その上で吶喊する。じつはこのところ「湖の本」も「選集」の仕事も、意識してワキへ避けている。此処を乗り切ってしまうしかない。
2019 2/7 207

☆ 一日に十度も
気温差があったり、四月上旬気温の翌日が一月の寒さとか報じられますと、いかに温暖化に向かうとはいえ、少しく落着きません。
さて先日は「湖の本143」を頂戴いたしました。誠に有難うございました。
「秦テルヲの魔界浄土」 啓発され、面白く拝見しました。残念乍ら未だ実作を観ていないので、機會あればと願っています。
「美の回廊」を経めぐりながら、「美の散歩」に移ると、秦さんの「秦テルヲ」への思いが如何に根強いか、実感できました。
それにしても東工大OBの感想は素晴らしいですね。みういう生徒さんに育て上げたのかと感嘆得心。良き学生等にめぐり会え(育て上げ)た、と教育者の本懐の一端を知ることができました。
御礼とともに御自愛を切にお祈りいたします。   講談社役員  徳

* 払い込み票にもたくさんお便り頂くのだが、小さい字には視力が足らず、かつがつ拝見のみ。感謝します。

* 京の「華」さん、いい抹茶たくさんに添えて京のお菓子を数種も送って下さる。摂りすぎない限り、小粒に創られた糖分は仕事の間にもじつに有り難い。ありがとう。

* 近江大津の澤さん、珍しい選り抜きの近江のお酒二種に、見たこともないとても珍しい、美味しい酒肴を二種も添えて送って戴いた。大事に蔵していた名酒「獺祭」の大吟醸二升も飲み干したところで、喜んでいます。感謝。
ま、飲み過ぎないようにように気にかけながら頂戴します。
2019 2/7 207

* 来週は、またまた、力仕事で数日追われるだけでなく、聖路加へも行かねば。
そして早や、弥生三月。結婚して満六十年になる、昼と夜と二日かけて歌舞伎を楽しみ、下旬には、内視鏡検査などを受けねばならない。胃全摘から、まる七年。無事に通過したい。
ま、それまでには今日メドの立った長編小説(選集の大冊一巻分)に、せめて表題を決めてやりたい。ただ何としてもこの作、作家秦 恒平の晩節を真っ向蹴散らして、狼藉を極めている。「湖の本」という売り本には、とても出来まい。
2019 2/17 207

* さ、もう一箇所へ書き込みたい視野がある、それで、一応は「完」と書き込めようか。2009年5月ごろに着想試筆が残っている。まるまる十年に近い。 最初の着想時には夢にも思っていなかった奇想の展開で、むかし伊藤桂一さんにいわれた、「秦さんは一つの小説で三つも四つもの小説を書いている、ボクらは その一つ一つを別に書きますがね」と、まるで、そんなことになってきた。
のちには熱愛してアツアツの愛読者に成ってくれた人が、『風の奏で』の単行本を初めて手にしてなんでこんなにムズカシイかと腹を立て、本を壁に投げつけ たと笑い話を聞いた。やはり、時空を隔てて幾重もの歴史現代小説だった、「尾張の鳶」が読み返してくれても、こんなに難しかったかと思ったとヘキエキして いる。わたしは「秘色」や「みごもりの湖」や「風の奏で」「冬祭り」「秋萩帖」等々みな読者を悩ませてしまう組み立てを好んできた。秦 恒平の作を愛してくれる人は、余程の読み手であるか、失礼だが稀有な人なのかも知れない。稀有な人に、この新作を、穏やかな仕方でどう手渡せるか、これか らはそれが難儀な思案になる。ちなみに、全編でおそらく湖の本の五冊ほどに相当する。150册限定で非売品の「選集」でなら、パンパンに張った大冊一巻に 相当するだろう。しかし150册では「湖の本」の全巻継続読者分にも、当然ながら数が足りない。特別な材料をつかった美装本なので、臨時に数をたくさん増 やすわけに行かない。

* はるか昔、四国からちいさなボクを連れて東京へ転職してきた、創刊以来の愛読者胡子文子さん、みごとに成熟した新鮮そのものの土佐文旦を五キロも送ってきて下さった。胸焼けがきついので、新鮮な柑橘類は嬉しい。ありがとう存じます。
2019 2/18 207

* 元朝日新聞社の伊藤壮さん、「越乃寒梅」の無垢純米大吟醸と特選の二升を送って下さる。有難う存じます。
「秦 恒平・湖の本」創刊の三十三年前、伊藤さんの全的な応援を戴けてなかったら、出だしの苦戦苦闘はたいへんだったろうと思う。おかげで創刊の「清経入水」は三刷りも出来たのだった。その土台に載って三十三年を乗り切ってきた、いまや赤字はとても免れないけれど。
むかしは懸命に読者数を殖やしまた維持すべく、刊行の作業のほかに随分手をかけていたのだが、読者の多くがあまりに高齢化しわたしたちも高齢となり、過分の作業は諦めるようになり、本の質をこそ大事にとこころがけてきた。
伊藤さんは、いまなお、嬉しい御褒美と激励とを続けて下さる。感謝感激に堪えない。
2019 2/21 207

* 創作『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、おそらくこの一両日にも初稿脱稿といえそうになってきた。ということは、この作を今後どう待遇するのか。 「湖の本」だと各厚めの上中下三册本になるが、定価つき売り本の「湖の本」で公開するには過激で過酷で危なく、それは避けたいと思っている。「選集」だ と、短篇「黒谷」と二作で600頁前後の大冊一巻にまとまるだろうが、かりにそうなっても、その巻は、これまでのように気軽に差し上げることは出来ない。 せいぜい50册ていどを従来どおり選ばれた大学や図書館、そして井口哲郎さんのように多大にお世話になってきた数人ないし十人ほどにしか差し上げられな い、と、いまは思っている。いかにも秦 恒平そのものの小説ではあるが、「オイノ・セクスアリス」 過激で過酷で危ないのである。ホントしての仕上がりで謂えば、昔風に『慈子』『三輪山』『墨牡 丹』『四度の瀧』などと同じ、『豪華少数限定本』ということに成る。
2019 3/2 208

☆ 拝啓
「秦 恒平選集」第二十九巻をご恵送くださり、ありがとうございます。御礼のお葉書を、と思いながら、例によってずるずるてと遅くなってしまいました。どうぞお許し下さい。
所収の「少年」、以前文庫本でいただいたとき、あヽ、秦さんはなによりもまず”歌を詠む人”なのだ、と感じたのを憶えておりますが、「亂聲」は、その思 いを増々深くさせる歌集で、どきどきするような「うったえ」に、心を、ぐい、と掴まれる感覚に陥りました。有難うございます。
お身体くれぐれもお大事に願います。 敬具   久間十義  三島由紀夫文学賞作家

* 「亂聲」には、新作長編『オイノ・セクスアリス  或る寓話』のため、作者自身を鼓舞すべく、想像の限りをつくしたモーレツな試作歌がならべてあり、お行儀のいい方々にはとてもお勧めできない、顰蹙を買うだけと警告もしてある。
それもあり、この「老いの・性的生活」を寓話として書き上げた長編新作は、森鴎外先生唯一の発散作「ヰタ・セクスアリス」のあとを慕って発禁などという厄はさけたく、「非売本」の「選集」へ入れてしまうと決めた。
これまでも、自分もふくめ200部(150部限定)しか製本していないが、それだけの「装幀・造本」であるとともあれ自負している。願わくは収録の中味も相応した仕上がりでありたいと、ま、懸命に努めてきました。

* 一方、相次ぐ予定の『清水坂(仮題)』は、或いは早い時機にまず「湖の本」で発表し、「選集」最終巻 になる第三十三巻に、まだしゅ収録されてない小説の何作もと併せ締めくくりたいというのが我が皮算用である。そのためには、何より、健康な気力と想像力 と。癌の胃全摘から、満七年を恵まれた。三日後に、腫瘍内科で、上部消化管の内視鏡や循環系の諸検査を受け、四月三日には内分泌科で心エコー検査も受け る。一つ一つ、また一つ一つ。
2019 3/19 208

* 初期作とかぎらず、かりにも創作をわたしは「絹」のように編んできた気で居るが、後期高齢の今は、触感を分厚に「藁」で手編みした「茣蓙」のように 「書こう」としてきた。感触に手荒いほども差をつけながら、久しく心がけ追いかけてきた「主題」を、露骨なまで露表させ、作家生涯の首尾をつけたいと。
そう行くかどうか、まだ中途で、しかももっと先も考えている。谷崎先生は六十年を、立派に、やすみなく書き続けられた。成ろうなら、わたしももう十年、 小説を書き批評を書き、闇に私語もたくさん言い置きながら、追いつきたい。「パソコン」という機械機能の片端をでも手にし得た大きな恵みに感謝する。そし て「秦 恒平・湖の本」にも類のない道を付けえた自身の意欲に感謝する。願わくは、致命的なまでボケずに済みますように。
2019 3/23 208

* 京都でひとを案内して歩くらしい人から、比叡山の印象的な洛北円通寺の写真が送られてきた。小説『畜生塚』での一等美しかった景色である。懐かしい。

ひとは観てわれは観もえでなつかしむ
比叡の嶺にたつおもひでの樹々

遠地借景の典型例のお庭であり、等間隔に庭さきを明るく区切った小高い樹々が印象的。
帰りたい、訪れたい先が山のように。建日子に委ねてある萩の寺の秦の墓地は草むしているのだろうか。
2019 3/24 208

*  「選集」30の再校がまだ半ばへ行かない、「選集」31の新作長編の初校はこの週明けに届く筈。そして書き下ろしの小説『清水坂(仮題)』にいま苦 戦の最中にいる。「湖の本」144巻の入稿も手がけておきたいし、この十日過ぎからの、新たな循環器科の、また低血糖気味の内分泌科での 新検査データを 踏んだ診察も気が抜けない。
苦しい四月、五月になりそうだ。いちばんは食べて体力を戻すことか。今朝の体重は、術後七年余の最低であった。あんなにウマイものの食べたがりであったのに。これでは、妻を支えてやりにくくなってしまう。
春風や闘志いだきて丘に立つ  虚子
ぐあいに久しく、やってきた積もりなのだが。
六月、三谷幸喜作の歌舞伎座初登場、九月白鸚の「ラ・マンチャの男」の予約もしてある。崩折れないよう、シャンと立たねば。
2019 4/5 209

☆ 謹 啓
後ろ向きだった春がようやく前を向いてくれたような温かい日和になりましたが、不規則な陽気の変化、内外諸事油断なりません。先生には御身体くれぐれもおいといくださいますよう、お祈り申しております。
この度も「秦 恒平選集」第二十九巻ご恵贈賜りました。今回ばかりでなくエッセイ・論攷の各巻もご恵贈いただきながら、御礼も申し上げず、誠に申し訳なく思っております。どうぞ失礼の段お許しくださいますよう、心より御願い申し上げます。
第二十六巻、第二十七巻、第二十八巻、いずれも私には、啓蒙の書でありました。漱石・鷗外などは文学を明らかに啓蒙の一助と意志していたと思います。娯 楽でも懺悔でもなく人間の真実を明らめる探求が啓蒙として目的にあったように思います。高貴な使命感であったと思います。葛西善蔵や太宰治には啓蒙の意志 はあっても方向が違っていたように感じます。
「身内」「抱き柱」「歴史観」 独特なものを感じます。先生の生き方が思想と一つになって文学的な光輝を発しておられる。ただ読む、そして静かに浸透し てくるものを味わう、そういう読み方でよいのではないかと読ませていただきました。感想もまた批評です。読む、味わう、心に残るものを発見する、読書の楽 しみを純粋に味わいました。
自己流の思い込みでありますが先生のご著書を読みながら「作家の眼」というものを感じさせて頂きます。
「ああこれは作家の眼だな」と思った初めは「紫式部日記」であり 源氏の「蓬生」の巻の一文でした。外部を語りながら自然に自己の内面を照らしている。 彰子のお産を語る筆で自ずと内省に向かう眼。明石、須磨の流謫を許されて、本当に久しぶりに末摘花を訪ねる源氏の、殆どあきれ返えるばかりに、荒れに荒れ 果てた屋敷を見る眼。末摘花ばかりか源氏の内面までもが申し分なく象徴的に語られていると感じます。
同じように歌集『少年』から「光かげ」(昭和二十八年 十七歳)と纏められた歌と、その構成にやはり「作家の眼」を感じました。
「偽りて死にゐる轟のつきつめた虚偽が蛍光灯にしらじらしい」
「生きんとてかくて死にゐる蟲をみつつ殺さないから早くうごけと念じ」
と 擬態する虫を詠んだ眼が、返す眼で
「擬死ほども尊きてだて我はもたぬ昨日今日もそれゆゑの虚飾」
「灯の下にいつはり死ねる小虫ほども生きようとしたか少なくも俺は」
と厳しく内省に向かっています。
そして内省する眼は 「うすれゆくかげろふを目に追うてをればうつつなきかも吾が傷心は」と自然に外部と内部の一体化に昇華していました。
十七歳の歌人にして、すでに作家の眼を具えられていたと感じました。訴えるばかりの歌ではなく物語り訴える、歌の内部のストリーとプロットを見据える眼 をお持ちだったと感じました。これが「作家の眼」だと。このような「作家の眼」を感じさせてくれる作品、感動的な作品に出合えたことを感謝
いたします。
『愛と友情の歌』は先生の詩論であり俳論・歌論であると読ませていただきました。『少年』『老蠶』があって『愛と友情の歌』がある。先生の歌を論攷するに必須の完成された一巻になっていると感じさせていただきました。
よいご著書を頂戴いたしました。有難く心より御礼申し上げます。
これからも油断ならない陽気の変化が続くかと思われます。ホームページからいろいろ大変なご様子承ります。どうぞ先生には新作はもとより、選集の完成に向け、御身体大切にご自愛くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。まずは御礼まで。 敬具
平成31年4月6日    八潮   小滝英史  作家
(追伸)
心苦しいのですが、一つお願い申し上げます。
私が家内ともどもお世話になっておりますお寺に「白蓮寺」(草加市)がございます。ここの開山とは大変に昵懇にしていただき、お会いしてすぐにバグヮン の『存在の詩』をいただきました。しばしばバグワンのお話をお伺いしながら 先生の『バグワンと私』と共通な受容を感じ、「湖の本」を開山に差し上げまし たが、開山は全ページをコピーして、本体をお返し下さいました。そして秦さんの「バグワンと私」に触れてからは、就寝前に必ず読んでいると申されておりま した。また『バグワンと私』の一節を参詣される方の読経供養のあとに読み上げることもあります。以前はもっぱらヘッセのエッセイか三浦綾子の詩などを読み 上げておられましたが。
「極限の悲しみ」ということをよくいわれます。真宗の僧侶でありながら一宗教を超えた普遍的な悲しみを見据えられており、理解されている僧侶であり思想家であると思っております。
勝手を申し恐縮ではございますが、もし叶いますならば、「バグワンと私」(上下)「死なれて・死なせて」「死から死へ」「対談集(死なれることと生きること他)」の4点を 恐縮ですが、白蓮寺開山にご寄贈いただきたく、お願い申し上げたく思います。
住所は下記の通りです。
急ぎません、ごついでの折りにご配慮いただけますれば幸甚に存じます。 頓首

* さっそく 贈呈本 雨に降られながら 郵送しました。
2019 4/8 209

* 「選集 31」の初校、出る。苦心惨憺の日がつづくだろうが、楽しみも。二月三月は時間に余裕があり、おかげで『オイノ・セクスアリス  或る寓話』は、ともかくも成った。
さあ、今度は時間に追い立てられるぞ。大きな大きな校正が、二つ。難路の長編小説の匍匐前進。「湖の本」144入稿用意。 そして聖路加病院での、あれもこれも。

☆ 雨の櫻も
佳いもの、でしたね。
誕生日を鎌倉で祝い、週末は薪能「吉野天人 天人揃」を観て参りました。
湖の本を 能を舞う友人、研究なさってる方 に差し上げたく、もし残部に余裕がございましたら、小説36『修羅・七曜』を二冊、エッセイ22『能の平家物語・能』(薪能についてもお書きになってましたね)を三冊、いただけますでしょうか。
お手数をおかけしますが、どうぞよろしくお願いいたします。
花冷えの頃、お風邪など召しませぬよう。お元気でお過ごしください。  蔵

* 「湖の本」全巻購読して下さっている方には、欠巻になったモノやご要望の巻を、在庫に余裕ある限りは 何種何冊でも 「ただ差し上げる」 ことにしている。
昨日も、六册 送った。
今日もご希望があった。
在庫分を埃まみれにするより、どれほど良いか。  ご遠慮無く。
ただ、荷造りして送り出す手間と千円平均送料が掛かるので、即座にとは行かぬこと、御承知を。
2019 4/9 209

* 手元の仕事が 錯綜している。うまく交通整理しないと、大渋滞に落ち込みかねない。
間近には「選集30」を送り出さねば、つまりは再校を終えて責了にしなくては。いま、送り出し挨拶文を用意し終えた。
「湖の本144」を、どう、入稿用意するか、思案中。
2019 4/16 209

 

* 漸く「選集30」を責了できるところへ来た、十連休明けには送り届ける。「選集31」は、辛抱よく重ねた推敲と読みとの御蔭であまり直しが無く、これ も追いかけて一気に責了へ運べるだろうが、その前に「湖の本144」を送るか、「選集31」の後にするか、思案している。
2019 4/24 209

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』一部の半ば過ぎまで読み返し、みなさんのお気持ちは察しにくいが自分としては、書くべく、書きたかったものを書き たいように書いていると、ま、納得できた。まだ「寓話」へまでは来ていないが、おそらくは此の第一部だけでも一編と謂えるに近いまで纏まっているだろうと 思いかけている。それなら、その第一部だけで一冊の「湖の本」144に仕立ててもサマには成るのではないか、と。 2019 4/26 209

* 八時半。終日、京都縄手の「梅の井」で、昔の同級生と話し込んでいた、いや長いハナシを聴いていた。聴きながら書き取る難しさ。歯を噛みしめている痛さ。

* 何が隘路で 何が懸案かと 書き出してみたのが三年も前か。まだ、大半の道が見えていない。「湖の本」の優に一冊ないし一冊半は書けているのに。どこ かで一瀉千里と働いて呉れよと願っている。知る限りこういうややこしい迷路を不思議に美しく書けたのは泉鏡花だけかなあと思う。しかも今しきりに読み返し たいのは潤一郎でさえなくて、漱石とは可笑しいが、分かるなあという気もしている。
2019 5/5 210

* 六月歌舞伎座は部外の劇作家の初歌舞伎書き下ろしと聞いている。作家生活五十年、湖の本創刊三十三年、144巻刊行を祝える。
雨季を経てどんな暑い夏になるのだろう、耐え抜かねばならぬ。
2019 5/14 210

* 九時。
明日から、「選集」「湖の本」のいろいろも加わって。うんと忙しくなる。気も体もよく休ませておきたい。
2019 5/16 210

* 「選集」第三十巻 二十七日に納品と。すぐ追いかけて 「湖の本」144巻も出来る。「選集」第三十一巻も追いかけている。長編『清水坂(仮題)』もどうかして満足に仕上げたい。
この酷暑予想の真夏 きびしいぞ、よほど深長に躯を労らねば。
2019 5/21 210

 

* 明日には「選集」第三十一巻『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の三校が出揃い、これを読み終えれば、いよいよ選集もあと二巻になる。第三十二巻の編 輯を慎重にはじめて、むろん多くが溢れて遺ることになるが、悔いない編輯で美味く結びたい。一巻は小説集になるが、最期の一巻をどうするか。いい智慧が欲 しい。
この二十八日からの『選集』第三十巻送り出し用意はきっちり出来ている。
六月十一日からの『湖の本』第144巻、創刊三十三年記念、作家生活満五十年記念の発送用意も、当日までに、まず余裕をもって仕上がるはず。
十年を掛け、脱稿へしかともち込めた非売本150部特別限定美装本『選集』第三十一巻『オイノ・セクスアリス 或る寓話』(全)は、おそらく、六月末には送り出せるだろうと思う。森鷗外先生の『ヰタ・セクスアリス』と向き合えますかどうか。

* 力を蓄えたく、今夜も、火花のような着想を探り探り睡ければ早めに寝てしまいたい。
2019 5/22 210

* 意味無く、いらいらしつい声が嶮しくなる。なんとも、なさけない。

* なにかウロが来ていて、何をしてイイのやらが分からない。歯を食いしばるので歯が痛む。これもみな「清水坂」症状なのではないか。落ち着いて落ち着いて立ち向かいたい。
先に、とに書くも「選集」30を送りえてしまいたいのが、うまく捗らない。ガマンしてガマンして。

* 幸い脚は痛まないが、今回、腰がきつい。結局三日で可能なことを四日掛けて、というふうに諦める。すぐ引き続いて「湖の本」発送があるだけに、躯を 労っておきたい。早めに横になり、こころよく寝入ること。六時過ぎだが、もう、視野が滲んでいる。力仕事だけに歯を噛みしめがち、歯の根も痛い。
2019 5/29 210

* 郵便局が、無事に難なく荷を持って帰ってくれるか。送り用意はすべて調い、荷は玄関に積まれてある。夫婦して、ヘトヘトまで頑張ったが、局の手に無事に渡すまで気が抜けず、渡せば息がつける。
そしてすぐさま、次の「湖の本」145の発送用意を仕遂げねば。まず宛名印刷を、郵封に貼り込むことになる。入れる挨拶を、個々にカットしなくてはならない。
2019 5/30 210

☆ 御選集30巻 本日頂戴しました いつもながらの御厚意に感謝します 今年はいろいろな意味での記念の年なのですね
御体調の加減で 外食が叶ふなら 一献差し上げたいと思つてをります 御近況お知らせください   寺田生    前・文藝春秋専務

* ご厚意に感謝有るのみ。
このところの疲労感はただごとでなく、食欲もなく、病院以外に外出する元気がわかない。なんとか「十九日桜桃忌=作家生活満五十年」には、歌舞伎座夜の 部を楽しみたいと心用意しているが、この十一日には「湖の本」144巻・ 創刊満三十三年記念の一冊を送り出す手はずを今も妻が頑張ってくれている。
今日も午過ぎて、機械の前でうたた寝しているうち、刃物で刺すほどの、胸、いや喉もとの「焼け」に堪えかねて階下へ駆け下り、水と茶とを一気に沢山(ペットボトルの二本分ちかく)呑んで、やっと落ち着けたというあんばい。
なにしろ、扱うモノが本で、本は時に石のように重い。フタリいる猫の手も借りたいが、そうも行かない。
2019 5/31 210

* 「湖の本」144は。宛名を封筒に貼り、挨拶文を 一通ずつにカットしておけば、あとは発送の力仕事だけで済む、それがいちばんシンドイのだが。
2019 5/31 210

* 六日後には「湖の本」144が届く。また、力仕事になる。「選集」ののこる32、33巻の最終編輯にも智慧を搾らねばならない。不用意に転倒などせぬように、夫婦とも病んで躓かぬように。
2019 6/5 211

* さて、ワケもあり、今度の「湖の本144」は、高校へは送り控えることもあり、製本分のかなりの量が手元に残ることになる。それをともかくもこの狭い 家のどこかに保管しなくては成らず、その場所をどこかに明けねば成らず、つまりそれはえらい力仕事になる。今朝はその苦行に立ち向かうしかない、それが何 とかなれば、アトは納品を待てば済む。腰は、脚も、よほど痛むだろう、息も切れようが、それも、私の仕事。

* 痛み止めロキソニンを噛みながら、西の棟のとにかくも玄関を広げてきた。湖の本の、選集の重い荷包みを、結局は30包みほども狭い曲がり階段を二階へ 運び上げた。かろうじて、十一日の納品の25包みほどは玄関へ仮置きできるだろう。一度、降りる階段を踏み外しかけてギョッとした。危うく踏みとどまっ た。
2019 6/7 211

☆ 白楽天の詩句に聴く   新豊折背翁

戒邊功也 邊功を戒むる也

新豊老翁八十八    新豊の老翁 八十八
頭鬢眉鬚皆似雪    頭鬢(とうびん)眉鬚(びしゅ)皆雪に似たり
玄孫扶向店前行    玄孫扶(ささ)えて店前に行く
左臂憑肩右臂折    左臂(さひ)は肩に憑(よ)り右臂(ゆうひ)は折る
問翁臂折来幾年    翁に問ふ 臂(うで)折れて来(よ)り幾年ぞ
兼問致折何因縁    兼ねて問ふ 折るを致せしは何の因縁ぞ
翁云貫属新豊縣    翁は云ふ 貫(=本籍地)は新豊縣に属し
生逢聖代無征戦    生まれて聖代に逢ひ 征戦無し
慣聴梨園歌管聲    梨園 歌管の声を聴くに慣れ
不識旗槍與弓箭    旗槍と弓箭とを識らず
無何天寶大徴兵    何(いく)ばくも無く 天寶(年間) 大いに兵を徴し
戸有三丁點一丁    戸に三丁(三人の男子)有れば一丁を點ず(徴兵された)
點得駆將何虚去    點じ得て驅り將(も)て何處(いづく)にか去(ゆ)かしむ
五月萬里雲南行    五月 万里 雲南(=中国南西部)に行く
聞道雲南有濾水     聞道(きくならく)  雲南には濾水(=大河 古来戦役の難所)有り
椒花落時瘴煙起    椒花の落つる時 瘴煙(=瘴癘の悪気)起こる
大軍徒渉水如湯    大軍徒渉(かちわた)れば水は湯の如く
未過十人二三死    未だ過ぎずして十人に二三は死すと
村南村北哭聲哀    村南村北 哭聲哀し
児別爺嬢夫別妻    児は爺嬢(やぜう)に別れ 夫は妻に別る
皆云前後征蠻者    皆な云ふ 前後に蠻を征する者
千萬人行無一迥    千萬人行きて一の迥るもの無しと
是時翁年二十四    是の時 翁は年二十四
兵部牒中有名字    兵部の牒中(=徴兵名簿)に名字有り
夜深不敢使人知    夜深くして敢えて人をして知らしめず
偸將大石鎚折背    偸(ひそ)かに大石を将(もつ)て鎚(たた)きて臂(うで)を折る
張弓簸旗倶不堪    弓を張り旗を簸(あ)ぐるに倶に堪えず
従茲始免征雲南    茲れ従(よ)り始めて雲南に征(ゆ)くを免る
骨砕筋傷非不苦    骨砕け筋傷つき苦しからざるに非ざるも
且圖揀退歸郷土    且つ圖(はか)る 揀退(れんたい=不合格)し 郷土に帰るを
臂折來來六十年    臂(うで)折りてより 来来 六十年
一肢雖癈一身全    一肢癈すと雖も一身全(まつた)し
至今風雨陰寒夜    今に至るも風雨陰寒の夜は
直到天明痛不眠    直ちに天明に到るまで痛みて眠れず
痛不眠          痛みて眠れざるも
終不悔          終(つひ)に悔いず
且喜老身今獨在    且つ喜ぶ 老身の今 獨り在るを
不然當時濾水頭    然らざれば当時 濾水(ろすい)の頭(ほとり)
身死魂飛骨不収    身死し魂飛びて骨は収められず
應作雲南望郷鬼    應(まさ)に雲南 望郷の鬼と作(な)り
萬人塚上哭呦呦    萬人塚上(てうぜう) 哭して呦呦(ゆうゆう=戦死者の哭声)たるべし

老人言          老人の言
君聴取          君 聴取せよ
君不聞          君 聞かずや
開元宰相宋開府    開元の宰相 宋開府は
不賞邊功防黷武    邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防ぐと

又不聞          又た聞かずや
天寶宰相楊國忠    天寶の宰相 楊國忠は
欲求恩幸立邊功    恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て
邊功未立生人怨    邊功未だ立たずして人怨を生ず

請問新豊折臂翁    請ふ 問へ 新豊の折臂翁に

* 気の有る人は、白楽天のこの慷慨 深く深く読み取って欲しい。
いま、安倍晋三総理の内閣は、与党自民党は、トランプ米大統領の商売と権勢に阿諛追従、なんと、攻撃性の航空機だけでも世界中に類の無いほど、またまた 百数十機も大量購入し続けているという。それをどんなときに どう使用する気か、国民は一言半句の説明も聞かされず、そもそもアメリカの古物扱いさえして いる飛行機や武器で、日本政府は、安倍総理は、いったい誰を敵と見定めて何をしでかそうというのか。
「恩幸を求めんと欲し 邊功を立(くわだ)て 邊功未だ立たずして 人怨を生ず」 天寶の宰相 楊國忠のザマを、安倍や麻生らは、いったい誰の喜悦・満足のためにしようとしているのか。
「邊功を賞せず 黷武(武器武力の濫用)を防」いだ開元の宰相 宋開府のような見識も外交力も有る総理に、交替して欲しい、ぜひ。

* 何度も触れてきたが、白楽天のこの長い詩を、明治四十三年袖珍版 神田崇文館「選註 白楽天詩集」の280-285頁で頭にも目にも焼きつけたのは、 国民学校三年生そして敗戦後に疎開先から帰京した小学校五、六年生のころで、すでに小説家に成りたかった少年は、書くならば真っ先にこの白楽天の詩に取材 してとはっきり決めていた。そして安保闘争で国会周辺が盛り上がったころに、遂にわたしは「処女作」として『或る折臂翁』と題したいま読み直してもちょっ と怕い、父と子の、夫と妻のいま読み直してもちょっと怕い小 説を書いた。しかも妻のほか誰にも見せないまま一九九四年に、まるで別の長編の埋草めいて「湖の本30」ではじめて活字にした。さらに遅れ遅れて『秦 恒平選集』第七巻に「処女作」として収録した。講談社で文学出版の指揮者もされた天野敬子さんに「震撼しました」と望外の賞讃を受けた感激は忘れられな い。
今も、この詩は、時として気を入れては読み替えしている。反対の考えの人もあろうかも知れないけれど。とにかくも国民学校の生徒時代は、男の子はいつか 徴兵されることを避けがたい運命とまで観念していた。わたしは京都でも疎開した丹波の山なかででも、「兵隊にとられる」であろう運命を忘れられない少年 だった。そういう少年として長詩「新豊折臂翁」にひしと向き合っていたのだった。
2019 6/8 211

* 朝から、明後日の『湖の本144』受け入れのために、サマザマに力仕事をつづけ、腰が潰れそう。
とにかくも片づけねばモノが収まらない。視野不良でよろめく者には廊下も階段もいたるところ不用意にちょっとしたものも置けない、つまづくので。大概は 狭い中でなにかに掴まれるけれど、慣れた階段でも危ない。二階の靖子ロードで蹴躓くのは叶わない。重いアルバムを廿册ほども書架に立てかけられては、書架 の下半分が使い物に成らず、アルバムに蹴躓いて倒れてくると脚頸や脛を痛める。これも、なんとかガンバッて片づけ、靖子ロードを無事に歩きやすくしたが、 なんとアルバムたちの重かったこと、ロキソニンを噛み砕きたくなった。
さ、せめてもう一年か一年半、身も心も保ってて欲しいが。
2019 6/9 211

* 気がかりなまま確認を怠っていた要用を一つ終えた。選集全巻の最終データの手控え分を、無事に三十巻分確認した。あと三巻。仕遂げたい。

* 久しぶりと云うより、何十年ぶりに、ジャック・ライアンものの映画「エージェント」を観た。むかしはそんな海外物の読み物も読んでいた、東工大への往復の電車の中などで。
明日もう一日休息できても明後日には「湖の本」震撼の発送にかかる。今回は、少し謹呈送り先を減らすつもり。
2019 6/9 211

* 雨、降りに降りついでいる。明日からの発送、恙なく終え得たい。
2019 6/10 211

* 九時前、「湖の本」144納品さる。

* 一時半 昼食を終え、午後の作業に掛かる。
2019 6/11 211

* さ、 作業継続。

* 夕刻、各界謹呈また施設大学等へ一便を発送。一息ついている。
2019 6/11 211

☆ 拝復
異常気象はそれとして初夏の風情、かわらぬ創作意欲敬服いたします。
『秦 恒平選集』第三十巻ご恵与たまわりありがとう゜ございます。もったいない思いで拝読、ご論に導かれて絵画はかなわぬまでも文藝再読の楽しみ 試みたく存じます。口絵お写真「方丈」扁額、通いなれた東福寺の「少年」期に戻って学生に接するとの心意気感じたことです。
茂吉の長い独居山形の生活いかばかりか、哀草果門人の多い東北で敬われての日々だったでしょうか。
それにしても出版統制のなか少部数とはいえ出版可能の所以、奥付に託された事実、探索志す方もいるのでしょうね。
古典の政治利用はへきえき、まさか「大君の辺にこそ死なめ」強要でないこと願っています。
節電心がけ(知人の娘さんご一家、福島から自主避難、)網戸で寝てかぜ患い、やせがまんは禁物とさとされています。戦後、配給だけの生活で餓死された判事さんのこと、今でも思い出します。
僅かばかり(稲庭)うどんお届けいたしました。ふるさと大使つとめは年少のいとこ思い出します。年長はもちろん年少のいとこも欠け続け、親族少なくなってしまいました。
梅雨もまたよしでしょうが、お揃いでお大事に。
病薬をしをりに読書しまひけり
草々   周  神戸大学名誉教授

* いつも一句戴くが、お返しもならぬほど 定まっていて、今日の句も、いかにもと頷ける。

☆ 秦先生
いかが お過ごしでいらっしゃいますか?
この度は、「秦 恒平選集」第三十巻をご恵贈いただきまして、ありがとうございました。二日間の「集中読み」で脳も活性化し、沢山のことを教えていただきました。
虚像と実像  より
p23 l-7 ただの現在文学を現代文学と錯覚しないことが より大事であろう。  (以下 略)
練馬区  宮本裕子
* この、むかし、日大外科宮本教授のお嬢さんの読書は、いつも適確で生彩に富んで精細、とても紹介しきれないのが惜しい。感謝感謝。

* 舟橋の胡子文子さん、東村山市の近藤聰さん、県立神奈川近代文学館、受領の来信。
また 中野区の安井恭一さん 大田区の青田吉正さん、ご支援を戴く。感謝。

* 七時過ぎ、もう一踏ん張り台所で作業してくる。ふたりのネコたちがしきりに傍をかけまわるのが、哀らしくて気の紛れ、安めになっている。

* 九時過ぎまで頑張ったが、限界の疲労で、ひとやすみ。珍しく、プライムニュースがかなり真っ当に安倍、麻生政権の、年金不安と老境生活の破壊的惨状を 推察した金融庁(政府)の検討結果と警告を「報告」として「受け取らない」などというバカ露呈のチンドン発言を批評し批判していたのを当然と聴いていた。
安倍と麻生との底抜けのバカさ加減は、近代史にも桁外れに幼稚な不見識露出で、ただただ情けない。一日も早く、この政権には交代を強いてでも実現したい。七月の参議院選挙を国民は聡明に生かしたい。
2019 6/11 211

☆ 白楽天の詩句に聴く  閉關

我心忘世久     我が心 世を忘るること久し
世亦不干我     世も亦 我を干(おか)さず
遂成一無事     遂に一(さつぱり)と事無きを成しえて
因得常掩關     因(おかげ)で常に關(もん)を掩(閉め)てをける

著書已盈帙     著書は已(すて)に帙に盈(み)ち
生子欲能言     生れし子も能くもの言はんとするに
始悟身向老     始(やうや)う身の老いに向(なんなん)を悟り
復悲世多艱     復(ま)た濁世には艱難の多きを悲しむのみ

歳暮竟何得     この歳暮(=晩年) 畢竟(いまさら)何をか得(もと)めむ
不如且安閑     いま且(しばら)くを 坐忘かつは安閑たるに如(し)く無し

* なかなか。
吾が晩年のもとめて事多いを少し慚じ、しかしまあきらめて、今朝からも湖の本144の発送に励んでいる。
2019 6/12 211

☆ ご本 ありがとうございます。
こんばんは。
いつもありがとうございます。
作家生活満五十年、おめでとうございます。
十年の歳月をかけられたお作、大切に読ませていただきます。
こちらは五月も六月に入ってからも、暑かったり寒かったりと落ち着かない気候です。
もう物静かな京都は望めませんが、住み慣れたここがやはり一番です。
ぜひ一度おいでになれますよう願っています。
どうぞ奥様共々くれぐれもお大切にお過ごしください。 みち   秦の母方従妹

* 「湖の本」144 届き始めたか。三部ある第一部だけとはいえ、驚いて眉を顰める人も少なくなかろうと思うが。ま、ここにも瘋癲老人とおもっていただこう。
もう問題は、次の創作が盛り上がってくれること。じつは、そのほかにも、もう書き上げてあるさほど長くはない作もある。書こうとしているものもある。処 女作時期に手書きで書き詰めた原稿のままの長い作もある。清書して徹底的に手を加えている時間の余裕が無いのだ。やれやれ。昔の説話本などを拾い読んでい ると、これこれと意欲の動いて行く世界があちこちに有る。やれやれ。
2019 6/13 211

* 作家の森詠さんから「選集」30へお手紙を戴いた。「湖の本」144も届いたところらしい。

☆  秦様
「湖の本」144号のご恵投、ありがとうございました。早速「オイノ・セクスアリス ある寓話」を拝読しておりますが、感想や批評を拒む、秦様の執念の 叫びが感じられ、しばし、感慨にふけりました。『鍵』、『瘋癲老人日記』や『眠れる美女』に匹敵するような小説作品の完成を期待しております。次号も楽し みです。     持田鋼一郎拝  歌人・翻訳家 元・編集者

* ことにこの第一部は、男女人間の「性」「性愛」「性行為」にかなり多面的に、口調は雑談風だが、よほど突っ込んで踏 み込んでいるので、よほどの読書人でもなかなかまともには向き合えまいと思っている。エロ小説と読むほどの人がむしろ多いかと思い、そこを揺るがしてみた いと考えてきた。

☆ 昨夜帰宅すると、
ポストに「湖の本 144号」が届いておりました。
先日「選集第三十巻」を頂戴したばかりでございましたのに… 重ねて恐縮でございます。 嬉しく、有り難く…手にしたまま、しばらく玄関のあがり框で思案して… すぐに頁を開いて、読みたい気持ちを抑え… 読むのは日付が変わってからと決めました。 それは「選集」を読みかけていたから、というばかりではなく… 六月十五日は、たまたま誕生日にあたり、お休みの日でもあったので… 一日をかけて『先生の新しい作品』を読んでみたいと思ったのです。
誕生日を祝ったり、特別な事をする習慣は無いのですが… 新作を拝読できる機会を頂戴し… この上ない賜り物と感じられました。
今日の一日をかけて、ゆっくり読ませて頂きました。 そして、感じたのは「(白い)光」でした。
太陽の光は、色がないように見えますが、そう目に映っているだけで、実際は無数の色が重なって白に見えているのだと教わりました。
御本を読み進めながら感じた「無数の色」とは…
一つには、先生が生涯をかけて読みついできた、膨大な量の本の数々。もう一つには、先生ご自身がこれまでに書いてこられた小説・エッセイの数々。
その膨大な量の一つ一つが、それぞれに無数の色を放ち、重なり、白い光となって輝いている。 太陽の光が遍く「モノ」を照らしている。
そして、照らされた「モノ」の背後には、影ができている。
そんな風に感じられました。
その重なった量が、どんなに膨大であっても、先生おひとりがなさっていらした事なので違和感なく重なって、光となって届くのです。
また別に、時の流れを感じずにはいられませんでした。
もう、ずいぶん以前 「朱心書肆(しゅしんしょし)」の三宅様より、それは美しい装丁の『四度の滝』をわけて頂き、今も大切にしています。 『オイノ・セクスアリス』を今、読む時… 重なった年月を感じます。
まだ、だいぶん若かったあの頃、気が付けなかった事があったのだと。
「ユニオ・ミスティカ」とは、「性の交わり」をあくまで美しく嬉しく「生きて死をすらわかちもつ」即ち「相死の生」にほかならん  そう、書いていただい て… 白い光にさらされた心地して… ようやく気付くことができました。
また、キリスト教(とりわけカトリック)のきつい「女性蔑視」を、鎌倉新仏教・老子・ギリシア神話・ローマ神話・シシリー地中海沿岸の大地母神信仰・ヒン ズー教・タントラなど、他の宗教や信仰心と比して語って下さった事で、すこしく理解がいきました。 とは言え… 先生がお書きになっている事の深さには、到底たどり着くことなど望めないのですが…
先生の御本を読む悦びは、読みかえす度、前には気付けなかった事を見つけられる。
そして、作品を読み終えた後には、浄い水に漱がれて、清らな心持ちになる。
お陰様で、佳い一日を過ごす事ができました。 ありがとうございました。
梅雨時、体調を崩しやすい頃。 奥様は、この時期より一層お大切にお過ごしになられます様に。 ご健康をお祈り致しております。 京・鷹峯   百  拝

* 二部、三部へむけて 「性愛」と「愛」とは重なり得るのか、延々と読んで下さる方は、かなり惘れもされるだろう。あだ疎かには書かなかったつもりだ が、叱正や叱声も受け容れねば成るまいか。ただ、こんな作は 他に誰も書かない、書けなかったろう。鷗外先生に、衷心、感謝申し上げる。

☆ 秦恒平様
湖の本オイノ・セクスアリス第一部、受け取りました。
いつもありがとうございます。
パラパラとめくり 拾い読みしています。
私は女ですから、何でも男並みにといっても、性のことだけはお互いのわからないところがあり、それは当然だと思っていますし、そういった視点でこのご本は興味深くあるのですが、そこまで読む力が、今は回復していません。

「清水坂」の方がどんな内容かは想像もつかないのですが、 (中略) 三世代、二家族がひしめいているなかでの一人っ子だったせいもあり、中高も今出川 の同志社女子だったせいもあって、いつも”家のあたり”に友達がおらず、子どもの身でありながら、観察者としての”ませた”視線で周囲を見ていた気がしま す。
寒い日があり、暑い日があり、どうかお身お大切に。  2019/06/16   杉並区   藤

* 「生い立ち」などに触れたらしい創作らしき文章『のぎく』をファイルで送ってみえた。京での地理などにも私の「清水坂(仮題)」と内容がもし触れ合っては困るので、自作が仕上がってから読もうと思う。

* 「私は女ですから、何でも男並みにといっても、性のことだけはお互いのわからないところがあり、それは当然だと思っています」と「ぱぱら拾い読み」したとあるのは、ごく尋常の「女」の人の思いだろうナとも思う、「男」もそうかも知れないが。
この作では、「老いの」という視座をおき、「セクスアリス」「ユニオ・ミスティカ」を男女文化としても考えたが、独り合点が過ぎているかも、なあ。

* 「藤」さんと同じ京大卒の「尾張の鳶」さんには、「三部通して読後に」感想が聴きたいと伝えてあり、今日は、懐かしい「高台寺」の写真をたくさん送ってきてくれた。感謝。
高台寺から清水三年坂へは、一本道。『みごもりの湖』では、朝日子も連れて夫婦で散歩の途中、名ばかり丹波の壺を古物の店で買ったり清水焼「鬼の面」に 驚いたりしたのが「書き出し」であったかも。月釜がかかると茶室時雨亭へも通った。「高台寺」は、『雲居寺跡 初恋』の舞台、そして現在でも『初稿・雲居 寺跡』の仕上げがわたしの宿題になっている。
壮絶なほどの大竹藪は 私の愛してやまない、清閑寺陵奥の景色であろうか、『冬祭り』の恋しさを思い出したが。ありがとう。

* 高台寺だけでなく、ナーンと近江の石馬寺へまで脚を伸ばして貰っていた。なんという、懐かしさ。初めて石馬寺を訪れ、庭の見えるお部屋へあげてもらい ご住持のお話を伺ったのは、何十年の前か、むろんわたしは会社員・編集者としての出張を利してあの石段をのぼったのだ、また小学生の建日子を連れてもでか けた。あそこへ行けてなかったら、「名作」までいわれたわたしの代表作「みごもりの湖」は書けてなかったろう。
「尾張の鳶」さん、京の出町菩提寺の「秦家墓」の現状も写真で送ってくれた。墓碑は綺麗だが卒塔婆はみな荒れている。少なくも、わたしの古稀いらい、十 余年は躯が許さず、掃苔すら出来ていない。建日子に寺と墓のことは依託してあるが、彼も目下働き盛りの忙しさ、かなしいことに頼むに足るお嫁さんがいな い。
2019 6/16 211

☆  秦先生、お変わりありませんか?

後期高齢者になったとたん、転倒しました。

早朝の散歩中つまずき、二車線の真ん中付近からたたらを踏んで、反対側の歩道奥のガ-ドレ-ルに顔をぶつけて止まるという、脚力の衰えと全身の痛みを痛感するできごとで、拝領の「選集30」や、「湖の本144」の御礼の遅くなりましたことを、深くおわび申し上げます。

取り急ぎ、家人に頼み、144巻の代価のお振込みをさせていただきます。

老いるとは、なかなかにタイヘンなことでございます。しばらくは落ち着いた読書もままなりません。

とんだ醜態。

お体ご自愛下さいませ。   都

* いつ自分も遣りかねないとと、用心ししている。家人等も気を付けよと言い続け、自分にも言い続けて暮らしている。

* 「湖の本」144へ支払いが入って来つつあり、二、三部はご不要の方はハッキリ仰有って欲しいと挨拶を入れておいたが、今日の送金用紙にはその旨の障りは なかった。有り難いことではあり。しかし次を考えて配本しなくてはならない。売り本にはどうかと遠慮している・随意に喜捨願うことになるか、なにしろ「湖 の本」はいま完全に赤字を承知のママ出版し続けている。難しいところである、思案しつつ「湖の本144」の様子を暫く眺めたい。

* 講談社の天野敬子さん、全巻読みおえてから感想をと、過分のご支援を頂戴しました。恐れ入ります。
2019 6/17 211

 

*「選集31 オイノ・セクスアリス 或る寓話」の納品は、七月二日ときまった。
第一部は「湖の本」144として送り出した。いまのところ忌避はされていないらしく、多くの問題を孕んで展開してゆく第二部を「湖の本145」 第三部を「湖の本146」として、ご希望の方にのみお送りする。ご不要の方はどうぞ事前にご通知下さい。
私自身の気持ちは、今はもう新作苦心の『清水坂(仮題)』へ傾いている。書き始めたのは十年前だが、ウムと、強い不審を抱いた動機は、新制中学の昔までも溯る。書き上げたい、何としても。
2019 6/18 211

☆ 感想私信
リーアン・アイスラーの「聖杯と剣」を読みました。
女性原理社会から男性原理社会への移行による男性支配社会の出現・運営への不満と将来への改善策でした。
私見ではキリスト教団と言うのはイエス死後の相続権争いでできた教団のことでしょうから、男性使徒の女性信徒への嫉妬、恐怖による女性支配がテーゼになるのは当然だったのでしょう。
中世のカタリ派虐殺にしても、法王庁のやっかみと自らの不品行の隠蔽のための八つ当たりでしょうから、地球の歴史を有史以前から鳥瞰的に眺められれば 「一夫一婦制」も違う形態をとったことがあるのでしょうし、これからも、いや今でも制度の意識の中で余裕をもって性生活を満喫している男女はたくさんいる ことでしょう。
荷風さんのように結婚せずとも多くの女性に「一悦」を求めて生き切った散人もいました。
と、老耄のとりとめのない脳内整理はこれまでにして、
「オイノ・セクスアリス」では鴎外、荷風に連なる慷慨作家の系譜を垣間見ました。
全編を読んでいないので感想も上っ面の見当違いになりますが、歌舞伎の十八番を好きな一幕のみ繰り返し味わうように「性愛交歓場面の所作」に我を忘れました。読み終わって部屋の空気が変わっているのが不思議でした。スカッとしました。
「雪」さんは「濹東綺譚」の「お雪さん」や「細雪」の「雪子」を絡ませて私の脳内で動いていたのかもしれません。
元東大学長の「伯爵夫人」の味気なさに比べても、改めて秦さんの文体の美しさが醸し出す悦びを感じました。
「ほんもの」「似せもの」論も、井筒俊彦さんの「形而上体験」の無い「形而上学」は無いを思い出しました。
「ほんもの」を知ってる老人に贅言を費やしてもらって、その一端に触れてみたいのが今の私の愉しみです。「似せもの」に老いの繰り言を積み重ねられても「ほんもの」ができるわけじゃあるまいし。
秦さんのように わざと老耄ぶりを文章化するのではなく、 支離滅裂、独断偏見の本当の耄碌感想をお笑いください。
続篇を愉しみにしております。  野人

* まだまだ先でどう「落っこちる」か知れないので多くは語れないが、どうなりますやら、私自身がどきどきしています。見て見にくいものごとをきびきびし た文章と化して提供して行くのが作家の作品のお役目であると思っている。選集は月明けに出来てくるが「湖の本」ではどう早くてもあと二巻を送り終えられる のは八月中頃かなあ。男性には男性の、女性には女性の厳しい叱声がきかれるだろう。
ちなみに、『オイノ・セクスアリス」という標題を献じて下さったのはこの読者である。「伯爵夫人」とあるのは<私、なにも識らないが、わけもなく妙にドキッとしました。

* 小滝英史さん、銘柄のお酒二種下さる。感謝。

☆ 竹藪は高台寺の
傘亭、時雨亭から下る道に。風強い午後、うねり騒いでいました。
今週はグループの展覧会があり、今日は介護。  尾張の鳶

* 『雲居寺跡 初恋』を書いた昔が懐かしい。坊さんに叱られ叱られ好き勝手に境内を経めぐっていた。「吉野東作」氏、あの傘亭多く向こうに奥さんとの二階の「寝どこ」を造っていた。京都という風土には美味しい御馳走が満ちあふれている。
展覧会への出品も介護も、御苦労さま。

* 八時過ぎ。がっくりと気分わるい。躯の中が棚落ちでもしたよう。痛いでもつらいでもないのだが。
2019 6/18 211

 

* 「湖の本144」 オイノ・セクスアリスの一部へ支払い分が来始めているが、二部三部は不要の方は仰有って欲しいと言って置いた。二割あまりは忌避さ れそうな成り行き、数字は予想通りだが、受け容れて下さる人と忌避される人とには予期をずれたものがある。とても大事なテーマ、主張をふくんだ、とても誰 にもよそ事であり得ないことを扱っているのだが、そうは問屋が卸さないのは致し方ない。二部、三部を楽しんで待つという読者の多いのを、ちからづよく感じ る。おそらく結末への展開を予想し得ている人は、あるまいかと思っている。何にしても、二部も三部を「湖の本145・146」として用意しなくてはならな くなっているが、売り物にはしたくないと。
2019 6/19 211

☆ 梅雨どきの
生け垣を這う蝸牛に風雅の趣あり。 「湖の本」144ありがとうございます。たしかに拝受いたしました。
「紙碑」としての長編三部作を心して、耳を傾けたいとおもいます。
創作、執筆、出版を重ねながらの加療におつとめだけに、その心労いかばかりかと拝察します。くれぐれも御自愛下さい。とりええずお礼まで。 京・山科   俊

☆ いつしか
梅の実も黄ばんでまいりました。「湖の本」第一四四巻 ありがとうございます。
相変わらずのご健筆ぶり、お喜び申し上げます。これから心して読み始めます。
老いとセックスは、実に切実な問題で、多くの人に受け入れられるテーマと思います。
梅雨の真っ直中、くれぐれもご自愛専一に願います。  元・朝日記者 エッセイスト  敦

☆ 透き通る青い空を見ると、
学生時代のある光景を思い出します。
天候不順ですが、お元気ですか。
この度は、『秦恒平選集 第30巻』および『湖の本 第144巻』をお送りいただきありがとうございます。『選集』は、宛名書きを直接書いていただいているのを見ると、いつも申し訳なくありがたく思っています。
小林秀雄の項、納得して読みました。
また川端追悼の「廃器の美」は、<死なれた>と使われた最初ではないか、と思ったりしました。一度調べてみたいと思います。
このように纏めてくださると便利になります。
また『湖の本』では直筆のコメントを添えていただき、距離がずっと近づいた気分になります。刺激になります、ありがとうございました。
先に、「蝶の皿」論を書いて例のところへ送りました。ほんとうなら『冬祭り』に行く予定だったのですが、十分の体力がなく、前回の「或る雲隠れ考」のイメージを引きずったまま「蝶の皿」へ、また妖しく惑わされてしまいました。
先生 どうかお身体大切になさってください。   奈良・五條  榮

* 小林秀雄についての一文は、わたしとしても、やや「会心」の心地でいる。読んで下さったのだろう、まだ勤め先にいたある日、会社の受付へ、「小林秀 雄」名刺に「秦 恒平様」と自署されて当時評判の大著『本居宣長』が、人手を介し届けられてきたときの嬉しさ、忘れられない。一度もお目に掛かったこともない。
同様のことが、井上靖について初めて書いたときにもあり、びっくりした。亡くなるまで永い御縁がはじまった。
『選集30』の七十数編の文章中でも、巻頭の「虚像と実像」のほかにとなると、上の二編にはっきり自信があった。巻は異なるが潤一郎の「夢の浮橋」論、漱石の「こころ」論を大事に思ってきた。
評論は、把握と表現とで興趣深くかつ内容の正しいことが必須とわたくしは思い続けてきた。

☆ 拝復
ご高著「湖の本」通巻第144巻『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第一部を ありがとうございました。少しずつ読み進めておりますが 谷崎潤一郎の晩年の小説にも通じるように受けとめております。今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます。
長雨の季節を迎えておりますが くれぐれもご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申し上げます  かしこ   山梨県立文学館

* 谷崎先生晩年作、たとえば『鍵』は、国会でさえバカげた声が舞った。最晩年には『瘋癲老人日記』があり、すこし早くには『夢の浮橋』もあった。谷崎作 の世界に尻込みし、また悪罵していたフツーの読者の声はよくよく聞いたし、それはそれで谷崎世界とは縁無き衆生であっただけ。しかも谷崎先生の世界は練達 の物語世界であり、論や攷の性格は淡い。
わたしは、昔から小説を用いても論じ究求したいものを平然と作の中へ持ち出してきた。『オイノ・セクスアリス』の吉野東作老人は、老いの精力を誇るべく 物語って出ているのではない、「生まれる」という受け身、「死なれる」という受け身、「もらひ子」という運命への悲と哀を通して愛と性愛との衝突を問うて いる。問い方はあるいは冷酷と謂うに近くもある。
谷崎先生の晩年作が私の念頭に無いはずがなく、しかも、どう、どこへ、そこから離れ得られるか、離れての世界が創れるかを、十年、考えつづけてきた。第一部だけでそれを推してもらうワケにはやはり行かないはず。
読者との久しい「縁」を大切に思ってきた。大切に思っている。

☆ 「オイノ・セクスアリスの生命力に感嘆」と小中陽太郎さん。「一葉について学び」、「長谷川泉先生にふれた二編がことに懐かしく」と 岩淵宏子さん来信。

* 東大大学院、早大図書館、法政大学、大正大学、久留米大学、首都大学より、また元岩波「世界」の高本邦彦さんよりも、受領の来信。

☆ おはようございます。今年も早や梅雨入りして不安定な気候が続いておりますけれど、先生にはお元気で執筆のご様子、何よりでございます。
先日新作をいただきました。そしてページを開いて、まずその文字量に圧倒されました。「命つきるまで書いて書いて書き続けるぞ」という先生の気迫が空から襲い掛かってくるようで、思わず身をすくめそうになりました(笑)
さて いただいた今作、結論から申しますとこれはちょっと私には高度な作 品だったようです。こういった作品を読むたびに、男性と女性の性や恋愛についての考え方には大きなひらきがあるなあと思ってしまいます。もちろん恋愛やそ れに続く性というのは、とりもなおさず「生命力の発露」であり、「生きる希望」なのだと理解はしているつもりです…。でも    ゆめ
* 前の三分の一だけで読み始めて貰ったのは、製作の作業としても経費としても余儀ない事ではあったが、わたしも残念。 感想や批評は全編を終えてから願いますと告げておきたかったが、こういう作は「読みたくない」という方の思いを封殺したくなかった。「湖の本」の購読者が 赤穂なみに「四十七人」になっても、それとても「私の文学生涯」と思うけれど、幸い、そうはならないだろう。感謝に堪えない。

* 作者は、老いた男の性を、男の視線でエゴイスティツクに書こうとしたのではない。むしろ出来るだけ数多くの、意識的な国内外女性たちの著述や言葉をなるべくよく参照しよく聴き取って書いてきたつもりでいる。
「男性と女性の性や恋愛についての考え方には大きなひらきがある」とは、ほんとうのことだろうか、また それが男性にも女性にも老いにも若きにも 「よい・いい」ことなのか という疑義を作者は今も持っている。同時に、愛と性愛との意味の「重なり」や「離 れ」は、男女を問わずきちんと洞見されてきただろうか、何がほんとうに自分には重いのかとも、わたしは問いかけたかった。

☆ 市場で
ドラゴンフルーツを見かける季節となって居りました。沖縄藝大に通っていた頃の仕事です。暑中見舞と手渡した人に ”こんな物自分の処に置いとけ ば”ー”お金を呼ぶ波動があるヨ”と何はとも角。思いついての複製 お送りし様と思い居ります矢先、先生より御恵送 毎々恐縮に存じます。
陳列を目前に今から祇園祭を料理し様と云う私、次は清流展、そして秋迄に二つの個展、かたわら二年半に亘るやけどの始末と昨年来の地震、台風被害の後始末とー 昨今 益々はちゃめちゃ余生です。ほっと一息ついた時 楽しみにはいどくさせていただきます。
予測の出来ない昨今の季候です。何とぞ御自愛ひたすらにー 先生の御健勝祈り上げ 有難うございました  合掌
秦 恒平先生   京・向日町    和   染織作家

* 今、私に大事なのは、次の長い新作を書き切ること。そのためには歩いて食べて健康を維持すること。分かってます、つもり。
2019 6/20 211

☆ 秦 兄
兄の労作に対する感想文は いずれ後にするとして、その第一部に接して、まず思い浮かんだのは 「本能」の二字でした。生きもの全てが先天的に持ってい る本能は各人各様の分類で千差万別ですが、万人が一様に「食本能」と「性本能」を挙げるのは生きもの全てに備わっているからでありましょう。
この二大本能による行為自体はシンプルなもので 人類も他の生きものも大差はありませんが、性本能は、他の生きものには発情期というけじめがあるのに対して 万物の霊長である人類は季節昼夜のけじめがなく意のおもむくままに交わる点でしょう。
これに次ぐ本能として 群生本能を挙げる理由は、食本能を個体の保持、性本能を種の保存のためとするなら群生本能は「おのれ」ひとりだけでは絶対に生存できないという宿命を持つからです。
最低この三つの本能は生きもの全てが持っていますが、万物の霊長に限って言えば 「願望本能」を挙げなければなりません。この本能は量質の違いはあれ哺 乳類にもあり、帰巣を願望と捉えれば願望本能は下等生物にもありますが、願望本能を「文化」を育み、進歩発展させるためと捉えるのは万物の霊長である人類 だけでありましょう。
文字の文化を例に取れば、猿や象やアシカなどが絵筆で図(ず)書(しょ)を描いたとしても 所詮は人間が仕掛けたパフォーマンスにすぎません。

この・・・したいという願望本能こそが人類のあらゆる文明・文化を育み、進歩発展させる基になっているのですが、その願望本能と性本能をコラボさせて生みだされたのが 兄の労作だと解しています。
この本能を文字文化に昇華させて生業とする作家の特権を羨ましく思うと同時に、凡人に才能や勇気の持ち合わせのないことが悔しくてなりませんが、仮にできたとしても稚拙な筆致の代物では、それを銭に替える術もありません。
しかし、この二大本能が人並みにあることは、食い盛りのガキの頃から食本能は大戦中や戦後の食糧難と相俟って全開の極限でしたし、性本能もまた銭湯文化 や近隣の遊里によって大きな刺激と影響を受け感性は培われました。受験期に肺病に罹ったのも、これらと無関係ではないはずです。

市電の知恩院電停前にあった古本屋には、借りるのを憚られる類いの本は店主に背を向けて盗み読みをしたりなど、随分と世話になったものです。
大学受験に予備校ならぬ病床で参考書に古文はクイズ紛いの□□だらけの西鶴や、英文はD.H.ローレンスやヘンリー・ミラーの作品などと読んだスティー ヴンソンの『ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件』の願望本能を 兄の労作にも見るのですが、兄は発表の年齢やジャンルは別にして、文人としての天命である 性本能というテーマを文字文化によって見事精緻多彩に表現し切って創作し、このたび万人に披露されました。
私はジキル博士とハイド氏の二重人格性を多くの為政者に見て、憤怒を『ハイド氏は2票方式で落選させる』と『ハイド氏は赤ん坊が落選させる』という選挙 制度改革案に昇華させて、兄たちのおかげでアマゾンから2冊の電子本にしたのですが、読者を法悦境に誘(いざな)う兄の労作と比べようはありませんし、水 を去ると書く「法」に関する本は まさしく無味乾燥で退屈な代物ですが、強いて共通点を求めれば、次元・程度は別にして 文字化による願望本能の披瀝とで も言わせてもらえるでしょうか。
しかし、いちばん大きな違いは、兄の労作は世に出た瞬間から その存在が万民に認知されるのに対して、当方の代物は成果を実証して世人に認知させなけれ ばならないのですが、残念なのは成果の実証を読者である有権者に100%委ねなければならないところに歯がゆさが残ることです。ただ私は 長い闘病生活で 「想像力は願望に勝る」というエミール・クーエの法則を良しとするオプチミストですから 歯がゆさは感じても悲鳴はあげません。

兄の労作が万人の涸れた心の「オアシス」として存在しつづけるように、私の二つの小冊子は今の世の荒廃し切った為政者の首のすげ替えを万民が自由自在になし得る改革案という点で、万民の主権奪還と言う大義名分だけは備えていると自負しています。
何よりも、気が滅入った時に安らげるツールがあるのは有難いことです。読書や音楽鑑賞は医療ミスや薬害による片目・片耳での楽しみ方ですが、不自由さは今はまだ最悪ではありません。
そんなことで、第一部で感じた一端を記して、畢竟、性本能と言う万物に共通の性(さが)を、続篇でどんなテーマをどのように展開させて完結させるのか(しないかも)と想像を逞しくしつつ楽しみにしております。
ただ、今の兄も 体力より気力が先行の状態でしょうから、奥さま共々くれぐれもご自愛専一を心掛けてください。 2019-6-21  京・岩倉  森下辰男  同窓

* 実に 嬉しいメール。白楽天がしきりに遠く離れた友への詩句をうたいやまない気持ちが分かる。ありがとう。頑張って生きましょう。

* 古門前電停前の「古本屋」とは、まあなんという懐かしいことを聞いたことか。秦の家から早足なら二分とかからなかった、この古本屋サンこそは敗戦後わ たくし少年期の「立ち読み」専門店であった。まああんなに立ち読みしていてもおばさんは黙っていてくれた。敗戦後にどったと出た新刊の雑誌「ロマンス」 「スタイル」などはまだ無難にめを剥く婦人誌だったが他にもやたらめたらに刺激的な変な写真誌が並んでいた。どきどきした。しかし、この本屋さんで
素晴らしい買い物もした、乏しい小遣いで。その超第一等は 斎藤茂吉自選歌集『朝の蛍』だった。こりと出会わなかったらわたしは歌詠みにはなれなかったろう。それから、使い古された英和辞典を買った。家に使いやすい規模の英語辞書など無かったのだ。
それともう一つは何度も何度も書いてきたユーモア小説、「心」という本を帳場の娘へもってゆき、本と題とを指さし指さし恋心を「本・心」「本・心」と訴えた青年の純情。あの作者の名(佐々木邦、か)を、今、ド忘れしているのが悔しい。

* 森下君は昨日、手紙も添えて、例の自編「懐メロ特集」盤も送ってきてくれた。これが、私、手近なラジオの操作手順を忘れてしまい聴けないというのが、 悔しいのである。ラジオ屋の息子で育ちながら、情けない。機械は難しい。建日子の呉れた機能優秀らしい小さいカメラもまだ旨く使えない。超ロートルのこの パソコンも気息奄々のままで、新品に替える勇気がない。なさけない。

☆ 秦兄
過日は労作を有難うございました。
きょうはお気に入りの歌手に出合いましたので、「感動の独り占めは罰のない罪」と常々口癖にしている通り、兄ご夫妻にも強要しますので是非ご一聴ください。歌手の名前は********で検索すれば懐メロがずらりとでてきます。
はじめて聴いたときは、どこかのカミさんが夕餉の支度をしながら歌っているのかなと思うような素人っぽい印象を受けたので、高音部や低音部は上手く出る かなと気を揉みながら聴いていたのですが、音程もたしかで癖のない楚々とした歌い振りに 聴くほどに魅せられて、ついつい20曲ほどつづけて楽しみまし た。
さて、どんな歌手かと検索してぴっくり仰天、なんと年齢27歳で身長158センチの合成音声のイメージ・キャラクターだったのです。八十路を過ぎた爺さんはヴァーチャルの歌姫の歌声に魅せられたという次第です。
例年、東京で開催の早大クラス会に持参していた手製の記念CDも、軒事役が自宅を出たら帰路が分からず迷子になることが屡々なのでご放免ねがいますと奥 さんからの連絡で昨秋かぎりでクラス会は自然消滅となり、CDの選曲作成の手間は省けたものの、ひとつ愉しみがなくなりました。毎秋、押しつけの被害を 被っていた学友たちも半数近くは逝き、生存者も五体満足なのは数名の有様です。
そんな状況下で、兄のバイタリティには脱帽するしかありません。
今度のこの労作は一見して コンビニで週刊誌を立ち読みする部類ではないので 性根をすえて読ませていただきます。
読後感はいずれお伝えするとして、続篇を楽しみにしておりますのでご記憶ください。
またメールいたします。 2019-6-16 森下辰男

* ラジオ 働いてくれんかなあ。

* なんとか機械めをごまかしたようなワケ分からずに音盤が鳴りだしてくれた。なーるほど、なんとも妙味 の女声ナツメロで、しびれる。いま「並木の路」を聴かせてくれている。この辺の音楽はすべて中学時代そして高校の青春に、しかもなお戦時の世情ともかぶっ てくる。「流浪の旅」に変わった。22曲。「誰か故郷を想わざる」は、丹波の山奥の疎開先で歌っていたのだ、半分泣きながら。
階下で、妻と、22全曲を時に感動し時に感嘆しつつ機械女声のいい歌を楽しんだ。ありがとう。

* 「湖の本」145『オイノ。セクスアリス 或る寓話』第二部の「あとがき」を書いた。明日にも、入稿の手順を踏む。やはり今日も疲労したが、森下君のメールなどに有り難く励まされ、相応に働いた。

* ノートルダム清心女子大、文教大、成蹊大から受領の来信。

* 読者のみなさんからも有り難いお便り多かった。二部と三部だけは辞退するという方も二、三。この際に購読もやめたいという方も数人、みなさん高齢であ り、年金問題の喧しい時とて、予期していた。満三十三年も「湖の本」が、相当な出血は負いながらなお毎巻一半の単行本並みの内容で刊行出来ているというの が、おそらく世界にも類が無いかしれない。感謝に堪えない。
2019 6/21 211

* 府中市の図書館長斎藤誠一さんからもお手紙を戴いた。
2019 6/22 211

* 雨。季節の便りと分かっていながら、雨が降るか、などと思っている。
むかし、祇園祭の頃には烈しい夕立を爽快に体験したものだが。
妻の従弟の濱靖夫さんすら、「湖の本」受領のメール。
2019 6/22 211

☆ 二十二日は夏至です。
「ォィノ・セクスアリス」を読み終えました、ふと思い立って(森鷗外作)「ヰタ・セクスアリス」を、70年ぶりに読み返してみました。少年のころ、おそ るおそる読み始めたものの、読後は全く予想外の感動を覚えたことを思い出しています。「オイノ・セクスアリス」の場合は、予想も読後感もほとんど変わらぬ ものでした。H.Pに記されている秦さんの気持ちは、しっかり受け止めています。秦文学の、というとちょっといいすぎになるかもしれませんが、「愛の讃歌 の集大成」と感じました(見当違いだったらお忘れください)。H.Pでいろんな方の反応を読むのが楽しみです。
文中に、「書斎」に「有即斎」の篆額を掲げたということが書かれていました。これは事実でしょうか。私は篆刻を貰っていただきましたが、篆額の方はどなたのお作か気になりまして。    一
実は、もう何年も前のことになりますが、福井に住む若い友人の「書斎」に刻字の扁額を差し上げたことがあります。彼はずっと詩や小説(私小説系の心やさ しい小説です)を書き、同人誌に発表したり、本にまとめたりし、その都度私に送ってくれています。ある時、自分の書斎をテーマに? した作品を載せた同人 誌が送られてきました。定年を機に家をリホームし、書斎を改めるにあたり、それにまつわるいろんな思いをからめた内容でした。そこに家の間取り図や書斎の 見取り図が挿入されていました。書斎は彼の雅号をそのまま名付けてありました。私は、以前、かれの著書のお礼に雅号の落款を彫ってあげたことがありました が、今度は書斎の見取り図から想像して、ここにどうかと、雅号を、手元にあった板に刻して、送ったのです。彼からは、ぴったりだったと受け取りが届きまし た。(ごめんなさい、よけいな話でした。)
閑話休題。 H.Pの六月は、白楽天になりましたね。陶淵明は結構頭に残っている詩句があって、うんうんとうなづきながら拝見していましたが、白楽天の方はあんり広く読んでいないので、興味深く拝読しています。
「萬里 朋侶  三年隔友干」 は、ちょっと胸のいたい詩句ですね。
「人各有癖 我癖在章句」
私は、秦さんの「癖」は嫌いではありません。『選集』の完成と、「オイノ・セクスアリス」の完結を、そしてお二人のご健勝を願っています。
追記 「湖の本」の振替用紙が見当たりませんので、受け取りついでにこんな形ご送金をお許しください。
6月21日    井口哲郎   (前・石川近代文学館館長 元・石川県立小松高校校長先生)

* 嬉しいお便り、ご厚情でした。
私の家は、仔ネコのふたりが加わっただけでてんやわんやの狭い狭い家で、それで「吉野東作」氏ののためには私からは羨ましくて堪らない家を 贈呈してや りました。「有即齋」はなんともいえず意味ありげに好きな私の勝手な三字ですが、頂戴した印は、本にも捺しやすく、また「東作」氏の腹蔵ともいささか、或 いはよほど響きあった三字と、御印を心情深く愛用しています。字形も好きです。

井口さんには 陶淵明の素晴らしい詩句を早くに板に刻されたという御作を戴いていて。これはいつも目に立つ場所に掛け向かい合っています。三行目「南 山」二字が胸にしみ入り、重ねておねだりをしてしまいました。この詩人に「南山」とは、私の若き日に小説に書いた「廬山」にほかならず、また陶淵明には必 ずや奥津城とすら自覚されていた二字、大事に思って、朱印も白印も愛蔵し愛用しています。
「倶會一處」 「帰去来」 「念々死去」 等、みな井口さんの温かい息を吹き込まれた文字と、いつも心して用いています。
私は 数えきれぬほど頑なに重苦しいコンプレックスを抱えて生きてきた男です。井口さんはじめ多くの方に支えて頂いて辛うじて大きく転ばないで済んできました。悠然と南山をみて残りの生を汲みたいと願っています。
御送金忝なく。恐縮です。

☆ 湖の本・秦 恒平 様
「オイノ・セクスアリス」拝領致しました。いつもながらのご厚意、有難うございます。(中略)抜き差しならず、小役人根性の汚濁に満ちた世界を見聞き往来する生活が続いています。そういう折であればこそ、御著の序文に触れ、感銘しました。
続、続々篇とつながるとか。それを楽しみに、この第一巻から第三巻まで、一世代下の無二の親友、私の『琅』を第31号から引き継いでくれている東京学芸 大学名誉教授・松村茂治氏に送付頂きたく、注文致します。本日、ネット送金を試みました。明日には届くと思われますが、送金確認された場合に、下記宛て送 付頂ければ幸甚です。よろしくお願いいたします。
私事ながら、いろいろ不快なことを味わい、ペンクラブを退会致しました。但し、研究・執筆活動は、これからも同様、ブログ欄を含めたホームページ上を中心に、最終コーナーを回るつもりです。よろしくお願い申し上げます。
ご健康とご健筆、心より祈念申し上げます。  宗内敦

* この七月二日には「選集31」として極く少部数非売の一巻本が出来てくるのを、宗内さんからの御呈贈本として松村さんにお送りしましょう。暫時お待ち下さい。
2019 6/23 211

☆ 今年また災害多き年の先触れ、地震地など 死者なきこと幸いなれどこの梅雨の季、被災の方々難儀嘆きつつ過ごしています。
ご大病克服ご執筆ますますお盛んなこと敬服いたします。
新刊『オイノ・セクスアリス』ありがとうございます。性科学のテーマたりうる「相死の生」、新作でのご展開興尽きません。ただ 書き出し南座観劇に始ま り これまで湖の本にてなじんでおりました秦さんの随筆 アタマにしみこんでおり、創作といわれてもとまどうばかり過激な描写が 著者の本意と離れて評判 になることもやと案じております。 一茶の七番*との符合に若き頃興じたこと思い出しました。
お揃いでお大事にと念じております。
万緑のなか一条の出水跡     周   神大名誉教授

* 作者と作中の吉野東作氏との「あはひ」を何となく抱き合いに浮揚させたく、また「オイノ」古稀から語り始めるにも幸便と、南座の顔見世で語りはじめ、 しぜん吉野氏が京都人で京都が世界であることを明示してみました。第一部は全部の三分の一弱の進行になっています。七月二日には「秦 恒平選集 第三十一巻」 作家生活五十年の新作として全編が纏まります。

☆ 拝啓
「湖の本」一四四 拝受いたしました。先般、選集第三十巻の後書にて予告なさいました『オイノ・セクスアリス』、心秘かに楽しみにいたしておりましたが、何と今回の「湖の本」にて第一部を刊行なされ、びっくりいたしました。恐る恐る頁を開いているところです。
拝受の御礼まで一言申し上げます。  九大名誉教授  祐

* 「湖の本 144」として「第一部」を先行させましたのは、「第二・三部」 145・146巻で完結とすることで、湖の本創刊・満三十三年記念の新作 としたかったからです。「湖の本」で大冊一冊は難しく、「選集」は限定百五十部の特装非売本で、私用の例外を含めても二百冊しか作れませんので。

☆ 「湖の本144」
ありがとうございます。  島尾伸三  島尾敏雄息 写真家・作家

* 深澤晴美さん ありがたい美酒を二種 送って下さる。感謝。
2019 6/24 211

* ロサンゼルスの池宮千代子さん、電話で 「湖の本144」第一部を歓迎、続きを待つと。おおらか。
現に自身で小説を書いて送ってくるような人が、十年掛けた「老い」の新作の、三分の一をみただけで以降読まないという二人、三人のあったのには、ビックリした。縁無き衆生。

☆ 夏至すぎて
再びお忙しい日々が控えているかと察しますが、如何お過ごしでしょうか。
慌しい日々が続いて、先週は四日も街中に出かけ・・先日京の写真を送ったままになっています。
湖の本が届き、少しずつ読み進めていますが、皆様の感想も参考に、それでもまだ半ばあたりで難渋しています。誰にとってもテーマは重大で振り返れば人生 の大問題なのに、ましてや文学として真正面から取り組み書くというのは・・・!!! 興味から軽々によまれるのはどうしても避けたい事、と思われます。
鞍馬から貴船への道を歩きました。
午後から雨という予報もありましたが、いっそ暑さを凌げるかと思い立ち、鞍馬神社本殿から奥宮までの木の根道へ。八瀬の辺りから少しずつ窺える昨秋の台風被害での倒木はそのまま放置され、権現杉も無惨に倒れていました。
奥宮から貴船にかけては急坂ながら木立の清冽も楽しみました。
今、何故この場所か、それは昨年亡くなった友人の伴侶の方から手紙を頂いて、その中に療養の合間に訪れたであろう貴船神社の写真があったからでした。彼女は山歩きなど到底不可能だったでしょうが、わたしはどうしても鞍馬から貴船に行きたかったのです、彼女の分までも。
貴船は川床は今や外人観光客で賑わっていました。
奥宮の船形石を上方から撮りたかったのですが・・叶いませんでした。以前見た形を思い出して、いつか描きたいと思います、ひたすら想像して。
石馬寺は帰途に立ち寄りました。低気圧の通り過ぎた後で風が強く、石馬の集落に入るまで身体が吹かれ押されるほどでしたが、繖山の懐に入ると無風になり 静かな時が過ぎていきました。石馬寺への石段はいつもひっそり苔に覆われて、ひたすらひっそり。此処は長い石段が続きますが、その石段の幅も傾き具合も意 外なほど疲れません。(直角になっている新しい石の置き方ではなく、石自体が10度か20度の傾斜で並んでいます。)
本堂の入り口の小野篁作と伝えられる大きな閻魔様の濃い臙脂の顔、その向かい側に控える司命、司録。そして阿弥陀様、十一面観音、役行者などに取り囲まれて至福の時間でした。
勿論 繖(きぬがさ)山や金堂の集落など みな『みごもりの湖』の世界です。
夏至も過ぎて、夏はこれから。申し込んだツアーは催行されないと連絡があり、がっかり、さてどうしよう、個人旅行を楽しもうかと思いつつ、まだ何も決められません。とにかく夏の暑さに弱い鳶です。
くれぐれもお身体大切に、大切に。
東先生との短歌の往来、心に沁みます。
東先生の回復、お二人の安寧を祈ります。   尾張の鳶

* 自在に飛んでいるような鳶が羨ましくて成らない。いい便りを呉れるから許すけれど。鞍馬、貴船、石馬寺、 ああなんという世界だろう。『冬祭り』  『みごもりの湖』 いまも胸に生き生きと呼吸している世界。京、近江。妻と二人で乗った比良の秋へのケープルカー、前夜の鞍馬の火祭。
さながらにわたしは自作の小説をそののまま呼吸して生きていた。
東さんの容態は分からない。広い講演会場の狭い通路で行き違いながら言葉を交わしただけの歌人だが、歌集を介しての親和親睦は久しい。奈良の、なにか高層のビルの上の方で暮らされていたのではないか、泊まるところがなかったらいつでもお使い下さいと云われても居たが。
胸に沁みる歌を念じ歌いながら元気を取り戻されるように。

☆ 秦 恒平様
ご無沙汰申しております。
昨春に二冊目の拙著『浦島伝説の展開』刊行しました。お送りすることをひかえておりましたが、前著を熟読していただいていることもありましたので 遅くなりましたが、新資料も付して 私としては新展開を試みております。
お忙しい毎日とは存じますが お暇な折いでもお目通し下されば幸甚に存じます。
末筆ながら益々のご健筆とご健康をお祈り申し上げます。  林晃平 苫小牧駒澤大教授

* 林様
前年の大著が二た昔も前に想われます、新刊の実現を祝します。
頂戴して、大冊ながら、目次も後記も参照しつつ概ねどうどこへ到達されたか、まだ先が遠いかなど、あれこれ感じました。

大まかには、前巻を大きく抜いて新展開・発見著しいというのは、容易ならぬ現状と拝察しました、浦島太郎に「限局」しての追究では、やはりむりからぬことかと感じました。

うすぐらい私の推測にしか過ぎませんが、日本列島の河川池沼はともあれ、日本をとり巻く「海」の伝承や説話の蒐集と検討究明が、学会でも十分ではないのかなと感じています。
それらとの関連とともに「浦島太郎」の座標が、よりいろいろに組み替えられはせぬかなどとも、今回、ふと想いました。

ますますの御苦労に期待を寄せたく存じます。 お大切に。  秦 恒平

☆ 拝啓
梅雨の候 いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
先日は、貴重な御本『選集30」を私にまでお贈り下さいまして 誠に有難う御座いました。(中略)
先ず巻頭写真(口絵)の會津八一の額に目を奪われました。素晴らしい作品をお持ちでいらっしゃいますね。昔、若い頃 お習字の先生に教えて頂いて以来、 八一の歌の大ファンです 目次を拝見すれば、もう亡くなった 以前熱心に読んだ作家の方々の名があります。本当に有難う御座いました。 気候不順の折り、 くれぐれもお大事にお過ごしなさいますよう お祈りいたします。 かしこ  川崎市  近藤和枝

* この近藤和枝さんは、三十三年まえ、わが「秦 恒平・湖(うみ)の本」創刊の、第一番目の継続購読申し込みの方、歴史的に有り難い方、である。お元気でいて頂きたい。

* やっと「選集31」送り先の宛名書きを始めた。局指定の何枚重ねもの用紙に書くのは、封筒に走り書きより何倍も手間も力も要る。捗りがわるいだけに、よけいに早めに用意を遂げておかないと、本の納品時に泡を食うことになる。まだ三分の一にも行かずにいて、草臥れる。

* 三分の二に近付いたか。筆圧を掛け、かし郵便番号が正確でないと戻ってきたりするが、こういう大事な数字に限って小さく、右目だけで辛うじて見えた り、拡大鏡でも読み取れなかったり。ま、編輯そして出版、郵送とはむかしから、そんなものだった。編輯・出版の仕事とは「雑用」そのものだとわたしは理解 していた。理解できない人の仕事は雑で、いやいや感がにじみ出る。

* ま、すこし休憩してこよう。
2019 6/25 211

☆ 拝啓 (前略)
「オイノ・セクスアリス」第一部 吉野東作氏の独特の文章に圧倒されました。白行簡の大楽賦、から亂聲を経てユニオ・ミスティカへの展開、簡潔で感覚に あふれたメール文のなどの工夫。まことに言葉の巧者。第二部への展開がどうなりますか。益々の御健筆を祈ります。敬具  祐  新聞記者

* わたしの今度のこの仕事で、ことに第一部でもっとも真率な敬意を持って参照したのは上野千鶴子さんが編著者としての戴き本だった。ところが書名は覚えないままに物の山に埋もれて此処へ書き出せないのは申し訳ない。女の人だけで書かれ編まれていた本であった。
2019 6/26 211

* 作家生活五十年を画する長編『オイノ・セクスアリス』選集31 刷了紙や表紙等が届いた。この週明けには納品される。

* 同じく「湖の本」版第二部の零校ゲラも届いた。目を通し、表紙も吟味して送り返すとともに、同様、第三部もすぐ入稿する。選集本文のいわばそのまま「流用」なので、仕上がりは速い。
選集は極く数少ない限定の非売本であり、建頁の関係で、序の「私語」も、少ししか入れ得なかった。
「湖の本」版第二、三部では、少しく吾からも「もの云う」「私語」をそれぞれに新たに書き加えておく。作業上一巻ずつ送り出すしかないが、「どう」名目 を建ててお届けするか、よく思案したい。いわば「秦 恒平・湖の本」創刊満三十三年を画する「第144<145<146」全三巻が記念の感謝に当たっている。
2019 6/28 211

☆ 秦 兄
憂鬱な季節が早く終わることを念じながら、遅々として進まない作業の手を止めて、兄の日録から「オイノ・セクスアリス」にたいする反響などを興味ぶかく 拝見しています。兄は文人として宿願の一つを達せられました。いまはその最初の一部しか知り得ませんが、その続篇にもまして、最後の ? 大作を大いに期待している一人です。
仮題の「清水坂」から日録の読者諸氏はどんな内容を想像し期待しておられるのでしょう。
京都の観光スポットの上位を占める清水坂ですが、私はこの仮題を最初に兄の日禄で見たとき、反射的に類義語として「奈良坂」が閃めきました。
京都人の兄なら 文人として、平安から鎌倉・室町時代にさかのぼる「賤民」に関心がない筈がないと確信しています。「性」と同様、この大きなテーマにも是非とも取り組んで頂きたい、否、取り組むべきだと私はおもいます。京都人の作家として。
もし、私の勘が外れているなら 酷な言いようですが、この難題に対して病身老躯に鞭打って作家 秦恒平の心血の最後の一滴まで注いで頂きたいとおもいます。
「遊女」「河原者」「乞食」等を快刀乱麻、どのような切り込み方でも結構ですから何としても最後の最後の力作として後世に遺してください。
そのためにも、日々じゅうぶんご自愛のほど。 2019-6-28 京・岩倉   森下辰男  少年期同窓

* 森下君は、わたしの仕事の一部分しか目にされてないので、わたしの多くの仕事の一貫した大きな主題が京都で学んできた「人間差別」へのつよい批判だと 気が付いていないようです。わたしの京都観や京都批評はもとより、小説「風の奏で」「冬祭り」「あやつり春風馬堤曲」「最上徳内 北の時代」「シドッチと 白石」 批評でも 『日本史に学ぶ』や中世論等々、仕事の大方が、人間差別への強い批判や批評の仕事なのです。それに気が付かない人は、秦 恒平は「美と倫理」などと云うてくれるのです。それもケッコウですけれど。
『オイノ・セクスアリス』も例外でなく、仮題『清水坂』は、全然例外であるどころか、作家生涯のカナリに辛辣な批評の物語に成るでしょう。京都生まれそだちだからこその仕事をわたしは最初から意識的に積んできました。出世作となった「清経入水」も当然の出発点でした。

* わたしの小学校は有済校でした。「堪えて忍べば済す有りと」と刻んだ石が校門内の草むらに埋もれていたのを知っています。学区のかなりの範囲が歴史的 な被差別地区であった日常と現実をわたしは少年の昔から体験的によくよく知っていて、だから、批評的な作家になったのです。近隣の粟田小学校区にもそうい う地域の含まれていたのを知っています。いえいえ、京都には実に広範囲に同様の問題があり地域が広がっていました。なんの、京都には限らないのです。忘れ ていてはならないのです。

* 森下君 「最後」ということばを何度も使ってくれていますが、私はまだ「最後」というより、まだ昨日今日明日の課題と心得ています。出来る限り、努めますから元気で観ていて下さい。
2019 6/28 211

「オイノ・セクスアリス」 「湖の本」分の第二部零校ゲラがもう届いている。この二日には本に成って届く『選集』本文そのままの流用なので、たくさんは手がかからない。相次いで第三部の零校も出てくるだろう。「五十年」の、とにかく柱が樹った。
何としてももう一作の長編を追い込みたい。周章てまい、秋にもとも冬至の誕生日にとも、腰は据えて書き上げたい。何度も何度も何度も読み返しながら、じりじりと進んで行く。

* 朝十時前・ やはり早起きの徳で 気がかりの用事をとにかく終え得た。ほぼ三日間の気分のゆとり出来た。大決心して、街へ歩きに出るかな、第二部のゲラを持って
2019 6/29 211

* 第二部 念校している。
云うておきたいいろいろが、ある。が、作が読者の目に触れ読まれてしまうまで、作者はなにも云わない方が良い、言い訳にきこえかねないので。

* 仮題の小説に入れ込んでいて 十一時半になっている。やすまねば。
2019 6/29 211

* 今度の長編でもっとも「効果」をあげたのかも知れぬのは、「雪」「雪繪」と名告る若い人を、徹して「メール」という手段を活かし尽くし人物表現できた ことかナと思っている。なかなか「愉しい創作」であった。二十余年 無慮無数に受け取ってきたさまざまなメールのいろいろの断片がよくヒントを呉れ役をし て呉れた。メールというのは通知や通告であるより、お話やお喋りが本来なのだろう。
2019 6/30 211

* 早くに目覚め、まだすこし睡いが、「選集31」の受け容れ用意に力仕事(邪魔になるあれこれの片づけ・片寄せ)もして、腰の痛み止めも一錠口にした。起きて働いていると{マ・ア」は喜ぶ。寝かせておきたい妻にも、起きてと盛んに催促に行く。ゆれゆれ。

* 昨夜の内に「湖の本145」長編の第二部を読み上げておいた。ホンの二三箇所直しあり。
案じていた表紙繪も印刷所で無事進行しそう。今日からの「選集31長編全」の送り出しを終えれば直ぐ「湖の本」二部も責了、三部の零校も出て来よう。
「選集」は、あと二巻、やり直しは利かない、この編輯には慎重に周到でありたい、いずれ悔いは残ろうとも最少にとどめたい。周章てまい。

* 八時を過ぎている、九時には本が届いてくる。懸命の仕事で、作家満五十年、湖の本満三十三年を遂げ得たこと、「騒壇余人」 思いのほか幸運な足どりであった。
2019 7/2 212

* 第二便を送り出した。もう 一とふんばりし、明日には済むだろう。とろりと草臥れているが、雨季の仕事の先立つ一山を越した。
次は、何としても、次なる長編小説の仕上げ。そして「湖の本145 146」の仕上げと、無事発送。
2019 7/3 212

* 選集三十一巻が長い書架一段の大方を占め、「小説・戯曲」等の創作が十八巻、論攷・批評・エッセイ等が十三巻が並んだ。
言っておかねばならない、『秦 恒平選集』の実現を率先して望んでくれたのは、妻の迪子である。「湖の本」だけでは、作品が可哀想と思ってくれた。「非売本」で、よくこれだけの特装美本 がと、不思議と案じて下さる人もあるが、たねを明かせば、是は東工大教授として招聘されたおかげで、就任から退任までの全給与賞与に一円の手もを着けず、 年金とともに、一口座に放りっぱなしにしておいた。「選集」一巻一巻には予期した以上の高額の支払いまた送料が必要だったが、幸いに、あと二巻、預金はす べて使い果たしても、義妹をはじめ、有り難い読者方おりおりの手厚いご喜捨やご支援も得て、なんとか、かつがつ払底しても赤字は、出てもごく僅かと思って いる。
妻は、昔々貧の極の頃に、乏しい貯金をとりくずして四册もの「私家版本」を造るのも賛成して、表紙の繪まで描いてくれた。この私家版本がなかったら、応 募とか投稿とかをまるで考えていない私に突然『清経入水』への太宰治賞とか、「新潮」からの原稿依頼など、ありえなかった。
選集三十三巻は、この時節に お伽噺のような豪華版になる。今時の出版不況、全集を出してくれる出版社など皆無だろう。
作や原稿を山のように書いて置いたからではあるが、かれらに「晴れの姿を」と。いわば希望し提案してくれた妻に感謝している。
2019 7/4 212

* いい工合に、「湖の本145 長編二部」を読み終えたところへ、「146 三部」零校が届いている。十年掛けて何度も気を入れて読んできた、近年は殊に。
この長い小説は、結句 自分で自分のため、自身を癒し励まし しかとモノを思い直すために書いた作。死なれて、死なせて、身内を分かち合うての倶會一處。何人(なんにん)何人(なんびと)であれ、ネコたちであれ。たとえ「畜生塚」と呼ばれようとも。

* 病臥や加療や老衰を、あまつさえ訃報を伝えられること、月日を追うて多く。自然の趨か。
2019 7/6 212

* 本を読んで、寝よう。 明日には「湖の本 第二部」用の表紙が届くだろう。
2019 7/7 212

 

* 「湖の本145」 第二部の表紙試刷りが美しく届いた。わたしは、城景都さんのこの繪を気に入っていて、これでもう「責了」に出来る。
内容がというより、表現上に用意し、二部三部も読みたいと希望された方には、「非売本」として無料で「呈上」し、ただ、お心持ちのある方に限り「湖の 本」持続へ、まったくご自由意志でのご喜捨を願うことにする。33年、累積して150万を越す赤字は抱えているが、覚悟の上で維持し続けてきた。お気遣い いただくことは無い。

* 手元に溜まった長編第二、三部での完結を手順良く印刷製本へ回送しなくては。それが済むと、此処暫くは選集の新入稿は待機のまま、「湖の本」の発送を 終え、心ゆく創作へ気を入れて行く。次の新作も考えている。郵便が来ていたが、ソレも物の下になってか、見つからない。妻は疲れて寝入っている、「マ・ ア」もいっしょに。雨季から暑季へ、我々の苦手な季節だけに、ただ無事に乗り越したい。
2019 7/9 212

 

* 『オイノ・セクスアリス』に作者は、「雪」ないし「雪繪」と呼ばれる、まだまだ若い女性を、もっとも多くの言葉を費やして創作した。
思い有って、人として女としての印象を、内容は複雑なまま説明は避けて簡明にすべく、他者と関わって双方・双面から直かに描くのを避け、ひたすら独りの 女をただ「一方向き」に描いた。ごく最初の出会い場面以外では文字どおりの客観「対話」場面は無く、ひたすら女の「独り語り」ないしその記録に徹した。こ ういう書き方を、わたしは意図して初めてした。結果、女の印象は一面的にだが徹底した。そのため、あたかも語り手に対して「雪」「雪繪」がこの長編の女主 人公・ヒロインであるとつい読まれるであろう、それも意図に容れつつ、しかしこの長編小説で彼女「雪」「雪繪」は、或る意味、疎外された「独りの他者」の ままに終えて行く。小説の主人公は、決定的に語り手の「吉野東作氏」であり、小説世界は一貫して、彼自身の「生まれ、死なれ、死なせ」て「生きている老 い」が、幸なのか不幸なのかも云わず終始無残なまでに語られる。「オイノ」は、読みようでは「老いの」よりも「俺の」でもありますねと、すでに一読者から 指摘もされている。
早い時期の小説『初恋 雲居寺跡』の「雪子」を「また書いたか」とも指摘されている。この吟味や検討は、「愛」と「性愛」に触れて微妙なより多様の推量を読者に要請するだろう。

* 「湖の本 145 長編二部」を責了便で送ってきた。この発送用意に追われるが。
とり急ぎ 送り出しの挨拶文を印刷し終えた。封筒に住所印など捺し、妻に頼んだ宛名印刷を終えたら貼り込む。そこまで出来たら、いつ本が届いても用が足るが、そこまでが、カナリの手仕事、体力仕事になる。が。
一部を受取り、二部三部不要という人が30人ほどになった。もう少しは増えるだろう、が。
2019 7/10 212

* 「湖の本」にして150頁あまり、ほぼ一巻分ほども書き進み、読み返し、推敲を重ねてきた。まだ書き手には跳ぶに難儀で冒険に類するサキがあり楽観出来ないが、「清水坂」を飛び出る楽しみも有る。
2019 7/11 212

* 「湖の本」145 146 新作長編の二部、三部(完) 月末から来月半 ばに刊行できる。第一部に次ぎ「続けて読む」とご希望の方にのみ お送りする。それぞれの「私語の刻」に、「選集本」には加え得なかったいささか作者の意 図や思いにも触れて置く。過去の創作・小説の展開を意図的に加上しながら嶮しい相対化をも「寓話」として心がけた批評的長編であり、厳しい品隲をお願いし たい。

* 何というても、この、もう五年余になる「秦 恒平選集」の停滞無い刊行は、励み喜びでもあったが心身に重く堪えた。あと二巻を心おきなくどう編むか、どう編みえて予定を完結できるか、怪我無かれと思いを励ましている。
2019 7/12 212

* 自分の小説世界で迷子になりそう。うまく突貫できれば書き脚は速まるだろうが。周章ててし損じ根より「湖の本145 146」を順調に送り出し、両手をラクに軽くするのも賢明か。
2019 7/12 212

 

* 湖の本の久しい読者でもある樂茶碗の樂吉左衛門氏、来信。家督と「吉左衛門」の名乗りを子息に譲られ、樂直入(ちよくにう)の名で創作し続けますと。時代は、動いているが、動かざるものも時代は握りしめている。

* なぜ こう グッタリ するのかな。
2019 7/16 212

* 友禅の模様を、鴨川でも白川でも水洗いしていた光景をよく覚えている。なにとなく繰り返し繰り返し洗いながら好き進めているようないまの長編ではあるが、先に『オイノ・セクスアリス 或る寓話」三部完結分に適切なあとがき「私語の刻」を付けねば。それが済むと、十年掛けた長編と、まずまず一時的にも手が切れる。
2019 7/18 212

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の「湖の本146 第三部完結本」のあとがきを入稿した。週明けには責了本紙等を送り出せる。大きな仕事のアガリ が近付いて、次の長編へ全体重を掛けたいが。145 第二部をこの月末に、完結第三部は八月下旬に発送しなくてはならない。そこで、「選集」「湖の本」と もに暫時立ち止まり休憩としたい。創作が優先。

*  九時半。もう機械からは離れる。
2019 7/19 212

* 「湖の本146」 思いをのせた「私語」を添えて『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第三部完結巻を責了で印刷所へ送った。八月中に送り届けられる。十年がかりの長編はされで完了となる、機を得てさらに推敲はするけれども。
さ、ますます『清水坂(仮題)』へ殺到しなくては。
2019 7/20 212

* 福田恆存先生の奥様から沢山な夏菓子を頂戴した。わたくしからお見舞いもしませんのに、恐れ入ります。「湖の本」に、福田先生もあの永井龍男先生も大勢の 継続読者をご紹介いただいた。わたくしの厚かましいような孤軍奮闘を面白くも御覧いただいたのかと想い、お懐かしい。福田先生にお目に掛かったのは先生演 出の「ハムレット」を三百人劇場へ夫婦で観にいったたったの一度だが、ご挨拶すると「ああ、想ってたようなお人だ」と仰有った。奥様には、いまも「湖の 本」をご購読頂いている。我ながらビックリし感謝申し上げている。
2019 7/21 212

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第二部(「湖の本145」)は、この二十九日から発送できる。第三部完結の第146巻も「責了」になっている。おそくも八月中にお届けできる。

* この長編は作者が八十年身に抱いてきた葛藤のいろいろを、苦心惨憺のなかで自身検討し自身賢明に慰撫している作のように想われる。そんなものを客観的 な叙述の小説になど出来はしない。「吉野東作氏」という「わたくし」の発明で、この、一人で二人に、二人で一人に、いささか無責任に喋って貰うことで、根 の深いコンプレックスや身のふるえるほどの思慕や自愛の欲求を、対象視も諧謔視も誤魔化視もしてもらえたのだ、と想っている。ただりスケベー読み物かのよ うに身を避けられた五十人ほどの読者とのお別れは残り惜しいが仕方ない。
2019 7/22 212

* 「湖の本145 オイノ・セクスアリス 第二部」の表紙。本紙の刷りだしが届いた。第三部完の「私語の刻」等初校も届いた。大きな仕事が「選集」につづき「湖の本」でも煮詰まってきた。七月末から八月は、發送という力仕事で疲れるだろうが、一山を無事に乗り越えたい。
印刷所も 少し長い夏休みがあるらしい。わたしたちもすこし休んでいいと思うが。二十九日からの「湖の本 第二部」発送は済ませねばならない。
今朝 すこし外へ出ただけで、文字どおりの「炎暑」にあきれた。なんとか食の薄いのをガンバッテ食べないとノビてしまう。食べに行きたい先は街にはないわけでないが、出かけるなど、とてもとても。
2019 7/26 212

* 九時半を過ぎた。調べ読みと冷房とで胸苦しくなってきた。明後日には「湖の本145」が出来てくる。
2019 7/27 212

* 明日送り出すのは『オイノ・セクスアリス 或る寓話」の第二部で、それなりの「あとがき」を添えたし、責了にしたばかりの第三部完には、全面を作者な りに締めくくるような長めの「あとがき」を添えた。三部通して読んで下さる方々へ作者呈上の謝意でもある。第三部完は、ほぼ間違いなく八月中にお届けでき るので、全部を通じさらにご叱正いただきたい。

* さてさて『清水坂(仮題)』の一気収束への勇気が欲しいと堪えている。明日からの送本作業中に踏み越える気持ち高まって欲しい。
2019 7/28 212

* 九時に「湖の本145 オイノ・セクスアリス 或る寓話 第二部」 納品され、即、発送作業に今日とりあえず夕刻過ぎまで取り組む。なかなかの表紙絵で、楽しんで眺めて貰えると佳いが。わたしは気に入ってます。
作業のあいだずうっと、録り溜めた「剣客商売」を連続で聴いていた。渡部勤と大路恵美の若いヒンビがなかなかよかったのを再認識した。藤田まこと 小林 綾子、平幹二郎、梶芽以子等々も役にはまっていて小気味いい。このドラマはドラマのほかに川や舟や川原や河岸や農家などがナマでふんだんに見られて楽しめ る。
音楽では疲れる。いろんな人の声(意味のある言葉 科白)だと、耳に落ち着いて届く。現代のドラマの物音や爆音や叫ぶ科白はイヤ、邪魔になる。
発送は単調な繰り返しの手仕事と過重な力仕事との繰り返し。妻が封筒に封をし、册数を数えながらダンボール箱に「決めた数」分を間違いなく荷詰めしてくれる。玄関まで、その重い一箱一箱をはこんでおけば、宅急便が集荷に来て一度に持ち帰ってくれる。

* 夜分は休もうと思う。
2019 7/29 212

* 夕方 作業終える。高校宛て寄贈を遠慮し、「セクスアリス」を遠慮された読者も数十人あり、送る数が少なくなり、その分がラクであった。宅急便、郵便の仕事とも終えて、ホッとしている。あいにく近くの鮨屋が休日、クッキーと美味いワインとで妻と乾杯。
暑さもあるが、さすがにジリジリと力仕事が心身に響いてきている。せめてもう少し、もう少し、頑張りたい。『オイノ・セクスアリス 或る寓話』「湖の本」版「完」の第三部は、八月中に感謝を込め呈上本を送り出せると思う。
さ、それまでに新作長編をなんとしても粘って脱稿したい。「これは、まぎれない秦 恒平だ」といってもらえる長編を、ぜひ二作続けて御覧に入れたい。
2019 7/30 212

 

☆ ご無沙汰お許しください
「湖の本」「選集」をいただきながら お礼も申し上げないまま過ぎてしまいました。
ホームでのくらしにも大分慣れてきました。
折に触れて いるはずのない妻の声が聞こえたりしています。
東京も一転暑くなったようです、どうぞお大切にお過ごしください。  吉備の人

* 深い深い息をつく、泪もにじむ。どうか日々をしかと歩んで下さいませ。美しい桃、みごとなマスカットに見入りながら吉備のかたを想っています。
わたくしの作や文章や拙い日録がすこしでもお役に立ちますように。

☆ 七月尽
昨日 湖の本の発送作業を終えられたとのこと、お疲れが残りませんよう。
今日は夏本番の暑さ、青空が輝いて挑むようです。
先に送った(長編への感想=)ファイルが開けないとのこと、以来読み直し書き直ししています。そのファイルは消去してくださればと思います。
今月半ばに京都に行った折、小説の舞台になった辺り・・久我橋から羽束師橋まで歩きました。夏本番でないのに、曇り空なのに湿度が高いためか、たちまち火照った身体を休めなくてはならず、退散。現実には目にしたことない幻の池・巨椋池のやや底冥い風情を想像しました。
今朝の吉備の方の消息など、身につまされること多いかと思いますが、どうぞお二人 元気に過ごされますよう。
それにしても社会へのどうしようもない大きな大きな慨嘆。日本も、そして生きる最低限の条件さえない、さまざまな国の人たち。嘆きの少し先までは何かができると思うのです。
夏を乗り切って下さい, 熱中症などならぬよう。  尾張の鳶

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』への感想は、題名ないし第一部だけで閉口・退散された方もあり、なかなかご迷惑もかけていそうな気がする。第二部 にすこし「あとがき」を添えたが、第三部完にも倍ほどの「あとがき」を添えた。いまここへ持ちだしてもいいのだが、それでは「湖の本」を愛読して下さる方 には味気ないだろう。

* それよりも次の作へと、喰って掛かりたい。
2019 7/31 212

 

* 「湖の本 146」 第三部完 八月二十一日には納品成ると。おっと、ドッコイ、用意にかからねば。これを送り出すと、その先は選集も湖の本も成すべき原稿を印刷所へ入れていない。暫くの休息となる。それにしても猛暑の八月、一入暑くなりそう。
2019 7/31 212

* 「湖の本146」発送の用意を併行させている。ほぼすでに用意は成っているが。用意さえ出来ていれば小説へ打ち込める。

☆ 秦恒平様
『湖の本145』著者呈上の巻をいただきました。変わらぬご厚情に御礼を申し上げます。
「私語の刻」を拝見して、この巻が「性愛」と「愛」とは重なりうるか、との課題を問い詰める過程の道半ばの書であることを教えられました。第三部を読み 終えた折り、雪繪が吉野に明かしていない問題意識を持ち、それを追及し、破れたのだと感じましたが、彼女の問題意識がこれだったのかと、「私語の刻」を読 んでようやく私なりに気づいた次第です。
この問題意識から本書の全体を振り返ると、もともと無理な状況の中での課題の追及を雪繪がしたものだと感じました。吉野が問題としたのは56頁以下の、 現代における性の自由と自由の限界を探ることでしょう。男と女にはそもそも意識における相違がある。女は性技を尽くしつつも、その底で実は「愛」を追い求 めているのでしょう。見当外れな感想かも知れませんが、一言。
酷暑の折、御身お大事に。   浩   ICU名誉教授

* 感謝。
第三部の「あとがき」を読んで下さるとさらにお考えも動くか知れません。感謝しています。

☆ 酷暑
「新しい仕事(=小説の脱稿へ)は、
もう、まぢかい辺りに終焉の景色が見えそうなのですが、書き手(=秦)がへんに怯えて、佇んで・・」と書かれています。
へんに怯えて という状態は鴉らしくないです。今回の「セクスアリス」で「湖の本」の読者で以後の購読を断った方があったことで、幾らかの喪失感、躊躇などがあるからでしょうか? 我が道を行くしかないのです。どうぞ迷わず創ってください。
性描写に触発されて『チャタレー夫人の恋人』全訳版を読んでいますが 発禁、裁判など 現在では何故 と 逆に質問が出るほどに思われます・・。
「いまだに、絵を技術として教わり習っているそうですが」と 厳しいです!
絵を技術として教わり習っているかと問われれば、部分的にはそうかもしれない・・技術として学ぶ段階ではなく、(技術的なことがこれからも問題になる時 はあっても)自分のテーマは何か、何を描きたいかというのが最大の問題だと思います。描くものを一度自分の中で消化し変形? 再生していく作業が不十分だ と気づきます。

先日の京都の一日のメモから
「竹田からバスに乗って南へ 洛北と異なって広やかに開けた場所、鴨川に沿って歩いて行く。車は入れない土手の道は日曜日とあってサイクリングの若者が多かった。
巨椋池はとうに歴史的な暗がりの彼方に退いている。七月下旬の息苦しい湿気と真夏ではないものの熱気に消耗した。喫茶店に入り取敢えず水とアイスコーヒーで体を冷やす。去年の祇園祭の時に感じた熱中症に罹ったかもという恐れが走ったので、とにかく休憩。
落ち着いてからバスに乗って・・地下鉄の乗り換えなどすべて煩わしかったので京都駅までそのままバスの座席に身を沈めた。前の席の女の汚れた首筋と薄い耳が寂しい。
京都駅でバスを乗り継いで祇園へ。
何必館の 中野弘彦展を見る。これからの日本画・・・答えなど出てこない問いかけだが、それでも問いたい。梶川氏が30年にわたって彼に注目してきたと いう。無常をテーマとしている彼の内面が窺える絵もあり、また画面、特にバックの処理の仕方では考えさせられもした。ただし、彼の作品と自分のそれとは大 いに距離があるのを痛感する。自分の方向を見定めるには時間がかかる。」
梅雨明け、そして連日猛暑。多治見や豊田など隣接する市が37度以上、東海地方は暑いです。今日は夕方烈しい雷雨で停電がありました。
ごめんなさい、思うままに書いてしまいました。熱中症にならないで、よほど必要なこと以外は部屋で、大事に大事になさってください。   尾張の鳶

* まず、「へんに怯えて」の意味は作を読まれたときには、これかと、氷解するでしょう。わたしが書きながら怯えるモノは、ま、きまってますから。
繪のこと。 WHAT?  HOW?
テーマは 双方に関わり、関わらせ方が根の問題になるのでは。
中野弘彦は京都美術文化賞の選者時代の受賞者の一人でしたが、わたしは推さなかったと思います。繪の「つくり」に 概念 のようなものがうすぐらく先行潜勢している感じがして。
繪を描くのに「方向」を見定めますか。概念・観念・私心が先行の危うさ、ありませんか。
暑い暑い 苦しいほどです。家の中ででも熱中しているので熱中症になりかねない。
日々を お大事に。蹴躓かないように。  鴉カアカア

☆  [湖」の本144を
ありがとうございました。

ずいぶん濃厚そうな内容でした。このなかでカトリックの教義を論じられると不思議な宗教のような感じがしました。  東京・新川   草   詩人

* 以前に『選集』をさしあげたときの挨拶が下記のようであったので、仲良しに甘えて、一言、返呈したことがあった。

もっと素直に質実な言葉で語って欲しい。「大変立派な装丁の高質な内容のあふれるほどの『秦恒平選集』をご 恵送いただき、心よりお礼申し上げます。読ませていただきます。」なんてのは、言葉に心籠もらないゾッとしない着飾って着飾り損ねたもの言いです。こんな 言葉で「詩」を書いているのですか。今日いただいたメールも、異な心地がした。セクスアリスとカトリックは取り合わせが「変」ということかな。アダムとイ ヴの昔から根本義で触れ合っていた気がしているが。

☆  秦 兄
すてきな表紙絵の湖の本ありがとうございました。  京・岩倉 森下辰男

* すてきな表紙繪は城景都画伯の美しい傑作の一つ、わたしのお気に入りです。
2019 8/1 213

* 京都の森下兄、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』へ読了長文のメールを呉れた。
ただ、「湖の本」読者のほぼ全員が、完結作として本にした『選集31』は目にされていない、つまり完に到る作の第三部をお届けできるのは八月下旬になる。この第三部「完」の行方に直か触れの評判をここに紹介するのは、多くの「湖の本」読者 に申し訳ない。森下兄の感想は、ここへは「控えます」と一旦書いたものの、批評感想の大方は上の禁忌には触れ「ない」森下兄の直の議論なので、大半に当たるその箇所は、兄からの熱い好意として紹介させてもらう。女性の皆さんからは矢来の直撃も有るか知れないが。
森下兄、ありがたく、感謝します。
わたしは、「湖の本版 第一部」に短い序を副えたが、これは作の発送や成り行く経緯に触れただけ、作そのものへの作者の思いまでは出さなかった。だが 「湖の本版 第二部」後記の「私語の刻」には、やや踏み込んで作者の手法や主人公(吉野東作)の語り口などに意図をもたせておいた。それはそれなりに私・ 秦 恒平の思いに副うているので、森下兄の批評のあとへ添えておく。しかし、やはり「湖の本版 第三部完」にも添えた、やや長文の作者・秦 恒平の「私語」は、八月下旬の版本まで、当然のこと伏せておく。

☆ 冗文ですが
秦 兄  労作「オイノ・セクスアリス・ある寓話」を読み終えて、作者が読者に望み、期待するような読後感かどうかをためらいつつ感想をできるだけ省エネ文体でメール分送しよう。
(中略失礼 秦)
年来の読者の幾人もが本作品に拒否反応を示されたようだが、恐らく一種のカルチャー・ショツクを受けられたのだろう。ひとは願望本能によって常にY路に立たされ二者択一の選択を重ねつつ一つの文化からより高度の文化に向けて脱皮をくり返しながら成長をとげていく。

未知の文化に触れたときの戸惑いや受容の可否は、願望本能の強さと自身の属する文化圏によって異なる。

作者は、作品を一つの寓話に仕立てた。寓話でナポリの美術館にある16世紀中庸のフランドルの早逝画家ピーター・ブリューゲルの「盲人を導く盲人」を思 いだした。寓意は異なるが兄の寓話は生きとし生けるものが持つ二大本能の一つである性本能の赴くところは世間や社会が、誰が何と言おうとおおらかで心地よ く、その極致が「ユニオ・ミスティカ」であるとよむ。

そうであれば、二大本能の食本能を堪能するものはグルメと称し美食家と自慢するのに、なぜ性本能を全うする好色家は助平や漁色家・猟色家と蔑称され、性 を公然と語り、書くことは憚り、忌避し非難されるのか。見方や表現によっては、レストランで女性がソーセージをかじり、ソフトクリームを舐めているポーズ がよほど卑猥に見えたりする。そうならまるで「目くそ、鼻くそを嗤う」ではないか。

食本能を満たす時はさしたる規制や非難はないのに、性本能を満足させようとすれば、なぜに無粋な法や倫理や宗教が直ぐにシャシャリ出てくるのか。

人の理系か文系かの見分け方は「氷が解けたら何になる」の答えが「水」なら理系、「春」なら文系だというが社会科学系、わけても法律をすこし齧ったもの は理屈っぽくて嫌われる。だから私は法律が嫌いだ。法律は必要悪と思っているから少ないほうがよい。無粋な法を振りかざすより、ニワトリの哲学者やネコの 物しり博士に寓話やお伽噺を語らせて処世上の教訓を垂れさせるほうが居心地がよい潤いのある世界ができあがる。そんな世界の構築は物書きの領分であり特権 である。

日本の性の風習・風俗が窮屈になったのは儒学者による「礼記」の「男女七歳にして席を同じうせず」の堅苦しい思想が入ってきたころからではないのか。

混浴や夜這いなど日本の性の風習・風俗は長いあいだ大変おおらかで開放的であった。現に昭和40年代でも社員旅行の温泉旅館が混浴で修学旅行の女子高生 の一団と大浴場で鉢合わせをして若い男性社員たちがのぼせたことを思いだす。裸の娘たちも大勢なら羞恥心より好奇心や挑発心が勝つことを実感した。

願望本能は止まるところを知らず、次から次へと湧き上がってくる。道徳や宗教や法律で抑圧抑制すればするほど大きく膨らんでくる。隠すほど見たくなるのが人情なのだ。

そんな願望本能と性本能の合体から迸りでた「オイノ・セクスアリス」を兄はある寓話という。どんなに恰好をつけても所詮、性は性(さが)である。性行為 は種の保存のための営みであることに間違いはない。生あるものがこの営みを嫌い怠れば種は断絶する。ゆえに、この営みをこの世でいちばん快感のともなう行 為に造物主は指定されたのである。答えてくれるなら、お前たちも絶叫するほど気持ちがいいのかと蝶やアリにきいてみたい。ある寓話は読者に問題を提起し挑 んでいる。

性行為を「繁殖作業」と捉えてしまうと閉経後の性交は無用で無意味な行為に堕してしまうことになる。そこから某元都知事の「閉経後の女が長生きしても無 駄」発言が飛び出してくることになる。この発言に世の女性たちは目尻を大きく吊り上げる。しかし、ある寓話の「いいわ、もっと奥まで」にはニコリともせず 目尻を下げない女性がいるという。これは摩訶不思議である。自家撞着ではないのか。

男尊女卑なる語はここで出てくるべきではない。かつては若衆買いを愉しんだ上臈女房も居たし、いまもホストクラブのイケメンに入れ揚げるマダムやカミさ んも大勢いる。性の快感に男女の違いはないし、五感による行為も男が主で女が従であるはずがない。大方の男性読者は「爺さん、何を食って長時間も精力絶倫 なんや」「五感だけでなく、第六感や想像力で制御しているのか」「男はかくこそあらまほし」と鼻の下をのばし、よだれを垂れているが、兄の女性読者にもこ んなイケメン・ペットを飼いたい願望を持っているひとは大勢居るはずと放言したら集中砲火を浴びるだろうか。桑原くわばら、雷が落ちないうちにひとまず区 切ろう。   2019-8-2   森下辰男  中・高 同窓

* 『オイノ・セクスアリス』 第二部 作者後記 (湖の本145 版)

私語の刻

『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、老人の性交為をおもしろづく書こうとしたものでは全然無い。今度の作で意識の芯に置いていたか知れぬのは、「一夫 一婦」というある種模範的な、ある種無惨な人類史の「一制度」がもたらしているかと思われるきついヒズミを、せめて指摘だけはしてみたい思いであった。夫 には「妻」、妻には「夫」が生涯に占めている、重さ。
すべてが「吉野東作という私人」の走り書き、書きっ放しの体裁ゆえ、表記の混雑など気にしていない。超雑食型の素人の筆者が、思うサマに何をどこまで書 いて喋って、言い得られるか。終始一貫して、文筆を職とはしていない一老人の「雑記」「雑談」のまま。それが、言い淀みも矛盾や記憶違いも自在の狙いで、 また作者の意図でもある。そういう「書き方、話し方」の可能を探ってみたかった。単純な一人称記述ではなく創ってみかった。
二部、三部へむけて 「性愛」と「愛」とは重なり得るのか、それはあだ疎かには書かなかったつもりだが、叱正や叱声も受け容れねば成るまい。ただ、こんな作は 他に誰も書かない、書けなかったろう。鷗外先生もあの「セクスアリス」で、「若い女」は書かれなかった。
まだこの先でどう「落っこちる」か知れないので多くは語れないが、見て見にくい「もの・こと」をきびきびした文章で提供して行くのが「文学作者の作品の役目」とわたくしは思っている。男性には男性の、女性には女性の厳しい叱声がきかれるだろうけれど。
ちなみに、『オイノ・セクスアリス』という表題を「老いの」と謂うた気でいたが、九州人なら「オイノ」は「おれの」とも読みますと馬渡憲三郎先生に教わった。外国語でならもっと奇抜な意味に読まれるのかも。
谷崎(潤一郎)先生晩年作、たとえば『鍵』には、国会でさえバカげた非難の声が舞った。最晩年には『瘋癲老人日記』があり、すこし早くには『夢の浮橋』 もあった。谷崎作の世界に尻込みし、また悪罵していた「フツーの読者」の声はたくさん聞いたし、それはそれで谷崎世界とは縁無き衆生であったというだけ。 一言付け加えれば、谷崎先生の世界は練達の物語世界であり、論や攷の性格は淡い。
わたくしは、昔から、小説を「用いて」も論じたい究求したいものごとを平然作中へ持ち込んできた。『オイノ・セクスアリス』の「吉野東作老人」は、老い の精(性)力を誇るべく物語っているのではない、おそらくは「生まれる」という受け身、「死なれる」という受け身、「もらひ子」という「根の悲しみ」を老 いてなお見つめつつ、且つ「愛と性愛との衝突」を問うている。問い方はあるいは冷酷と謂うに近くもある。谷崎先生の晩年作が私の念頭に無いはずがなく、し かも、どう、どこへ、どこまで、そこから離れ得られるか、離れての世界が創れるかを、十年、考えつづけてきた。「第一部だけ」でそれを即、推側してもらう ワケにはやはり行かないはず。第二部へ入って、第一部からの印象、男の視線や思いでばかり女が語られているという先入主は、意外な方角へ新ためられると 思っている。
何はあれ、読者との久しい「ご縁」を本当に有り難く大切に思ってきた。今もこれからも切にそれを思い願いながら、永くはあるまい残年をしっかり書き続けたい、何の躊躇いもなく。

* それにしても「湖の本145 第二部」の表紙繪、それはそれは美しい女性裸像ですよ。
2019 8/2 213

☆ 月様
湖の本145の配本を終えられたとのことで、届くのを楽しみにお待ちいたしておりましたがまだ届いておりません。家を留守にすることが多くなり、連絡させていただきました。
暑さことのほか厳しいおりにお手数をお掛け致しますが 配本のこと、よろしくお願い申し上げます。 徳島市   花籠拝

* 発送ミスかも知れず、炎暑を浴びながら自転車で走って、すぐ送った。連絡も。「花籠に月を入れて」という閑吟集の小歌いらい徳島在住の久しい読者。

☆ 有難うございます。
思えば閑吟集が縁となり湖の本を拝読させていただくようになりまして四半世紀近くになるのかと、思いを深く致しております。
昨夏に自宅(五階) の階段を下りる途中、膝を痛めてしまい、腫れた膝から水を抜くこと数度、痛み止と湿布での治療。レントゲンとMRIで骨に異常がなくて手術にはならなかっ たのですが、いまだに痛みが残り、だましだまし仲良くしていくしかないかなと思っています。松茂の空き家にしている家の補修(ブロック塀をフェンスに取り 替え工事)、敷地や横の沼あげ地の除草、孫たちの子守りに通っています。バスの便、回数が激減していて不便この上なく、目の前にあるバス停に止まる下車の できない高速バスを羨ましく眺めています。
新聞の「ちょっとええ話」への投稿も二年前から休んでいて、代わりというわけではないのですが、とくしま文学書道館の「初歩から学ぶ川柳講座 」を受講。二年目の昨年、初投句した二句が最優秀賞と優秀賞を頂き、ビックリです。
私事を書き連ねてしまいました。ご免なさい。
今日も厳しい暑さとのこと、奥様ともども お疲れを癒やされましてお過ごしくださいませ。花籠拝

☆ 「湖の本」
創刊三十三年とは! びっくりです。   静岡大名誉教授 小和田哲男
2019 8/3 213

 

☆ 此の暑さの中、
湖の本 145 届きました、有り難う御座いました。しばらくHP(=秦の私語の刻)ともご無沙汰です。
暑さの中お二人の体調 心配しています。
七日から京は六道まいり、続けてお盆、大文字と。
日々お大事にお過ごし下さいませ。
私は気を付けながら(ご主人の介護に=)頑張ってます。
取り合えず。   京・北日吉   華

* 金縛りに遭っているように、ボーゼンと腕組みして機械を睨んでいる。
遠雷か、花火を打ち上げているのか。

* 色川大吉さん、黄色瑞華さん、杉本利男さん、濱靖夫さん、深澤晴美さん、早大図書館、大正大、昭和女子大、神奈川近代文学館、文教大、親鸞佛教センターから、お手紙また「湖の本」受領の来信。
2019 8/3 213

 

☆ 湖の本を
頂戴いたしておりましたのに… ご連絡が遅くなってしまい…  恐縮でございます。
もともと、体調がすぐれなかったところへ、連日の猛暑で、家にはクーラーがついていないこともあり… すっかり、調子を崩してしまいました。
また今年は、北国の叔父と父との新盆でもあり、そのうえまだ納骨もすんでおらず…  身体も、気持ちも、とても落ち着かず…  どうかおゆるし下さい。
先生がお元気であられますよう、祈っております。 お元気で、この夏をお過ごしになられますよう、祈っております。 京・鷹峯 村上

* わたくしの本など気にかけず。京の凄みの夏に負けぬよう 心静かに一足一足日々確かに生きて欲しい。

☆ お礼
秦様  酷暑が続いておりますが、お変わりなくお過ごしのことと拝察しております。
さて、「湖の本」145のご恵投に与り、まことにありがとうございます。
恋の道具に書簡ならぬメールが登場、やはり新しい感覚と存じました。
また秦様が、食物のみならず、文学・藝術、街、風景、それに女性に関しても大変な「グルメ」でいらっしゃることを改めて感じた次第です。
毎日スーパーの総菜と即席みそ汁の食事をしている私としては、食に関するところが一番面白く、感興深く拝読いたしました。また、「玉門深くから女の蜜はとろうっと白く濃く溢れて甘かった。」というところでは思わず目を見張りました。
とにかく秦様の奔放な想像力に驚きと羨望を感じております。
ますますのご健筆お祈りいたします。
わたくしはこの夏は『イスラエルを救ったエジプト人スパイ・天使』なる本の翻訳で終わってしまいます。
日本古典が読みたくてたまりません。荻生徂徠、林羅山、中江藤樹あたりをどこか涼しいところでじっくり読むのが夢です。   茨城   鋼

* 一休和尚の詩を読んでいれば、「目を見張る」ようなことは無いのですが。
わたしが何に向かっても「グルメ」なのは、京育ち、しかも胸を開いてものごとへ向かう体質からしてむしろ当然なのです。「奔放」でも何でもなく、真向かって観ているというだけのことです。部分的に意識し勉強し調べて書いていても、それはホンの肉付けなのです。

* まだ第三部完を観て戴いてない方は、第三部を読まれれば第一二部に伏線がいくつも敷かれていたことを気づかれるだろう。荷風訳のボオドレエルの詩など も、ただ無意味な面白づくで置かれているのではないのだが、わたしの置きようが下手なのかも知れぬが、「雪繪」の莫大なメールもごみをかき集めるように置 いてあるのではない。劇はそこでも意図され進行している。
2019 8/4 213

 

☆ 「暑い!」で
すべてですね! 涼風は、「湖」から。145受取りました。
自分ながら恥ずかしいくらい何もしませんしできません。
セガレの勤める高校の甲子園
を待っています。
どうぞお二人とも お大事に。  井口哲郎  前・石川近代文学館館長 元・県立小松高校長

☆ いつも乍ら
有難うございます。
『オイノ・セクスアリス 或る寓話』  書くことへの新たなあくことなきご挑戦、深く敬意を表したく存じ上げます。  京・伏見区 服部友彦  前・淡交社編集局長

* 瀬戸内寂聴さん、 漆藝家・望月重延氏、墨画家・島田正治氏、東海学園大、天理大、オフィス伊集院、「湖の本」145受領来信
2019 8/5 213

☆ 青空に猛々しく立ち現われた雲の峰がひときわ暑さを加えます。
暑中お見舞い申し上げます。
「湖の本145」拝受いたしました、篤くお礼を申し上げます。着想から十年の「寓話」に読者として巡り会えました幸せを噛みしめております。 京・山科  あきとし・じゅん  詩人

☆ こんなに暑い時
オリンピックなんて信じられないなあ  わたくしの思ひであります。
何も出来なくて、ただ生きている、最近ダメな女です。
21歳の時の映画、一応、**にはしてありますけれどね。 昔の映画は、心安くて とは私の長唄の先生の言葉です。
カーブスに身体 楽しませるため出かけます。
あ、御本、ありがとうございました。     原知佐子  女優  大学同窓

☆ 御礼
秦 先生 猛暑が続きます。いかがお過ごしでしょうか。
『湖の本 オイノ・セクスアリス』をご恵贈賜りありがとうございました。
『秦恒平選集 第31巻』と両方が本棚に並んでいます。『湖の本』を友人に進呈しようかと思いましたが、145巻並んだ書棚に空白ができるのも残念なの でどちらも蔵させていただきます。夏休みに入りましたので、これから拝読させていただきます。読み進むにつれ、さらに暑い夏になりそうですが…。
鎌ケ谷名産の梨を少々ご送付申しあげました。日照りにめげず今年も出来はよいとの由。農家が頃合いをみて収穫するので10日余りかかるかも知れません。ご笑味いただけましたらさいわいです。
とにかく猛暑です。くれぐれもお体おいといくださいますようお祈り申しあげます。 篠崎仁

* 九大名誉教授 今西祐一郎さん 日本女子大名誉教授 岩淵宏子さんからも 「湖の本」145受領の鄭重の来信。
2019 8/6 213

* 深く深く 肯く。

☆ 秦 恒平様   野路です
「選集31」をいただきました。ありがとうございます。

☆ 秦恒平様    野路です。

「湖の本145」を頂戴いたしました。ありがとうございます。
選集で一気に読んだ時とは違った感興を得ました。
『黒谷』の「お気に入り」から『オイノ・セクスアリス』の「とくべつ」へ が妙でした。
上田秋成の本名「東作」からの命名よりも 『北の時代』の平秩(へづつ)東作からの方が私にはしっくりきます。
本名の立松懐之が狂言回しになりますものね。

* この有り難い感想の妙味を汲んでいただける読者が多いとどんなに嬉しいか。
しかしまた次の『湖の本146」を独立のていに読み通して頂けると、またちがった視野が在ろうかと期待しています。
今日、秋成研究では断然の第一人者、氏の東大生時代からお付き合いの永い長島弘明さん(東大名誉教授)にあ或るお願いの「質問」メールを送った。お願い のなかみは今明かせないが、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』に、ひょっとするとまた「秋成・上田東作」と絡み合った「吉野東作」 本名 秦 恒平の一の別世間が創作可能になるかもしれません。私自身が、長島さんからの有り難い示教を、いま、切望しているのです。
2019 8/6 213

* 島尾伸三さん 藤森佐貴子さん 原山祐一さん 山梨県立文学館 から受領と感想の好意あるお便りが届いている。
2019 8/7 213

 

☆ お元気ですか、みづうみ。
ご連絡遅くなりましたが、湖の本第145巻 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第二部、無事に受け取っております。ありがとうございました。
振込用紙を入れていただきたかったのに、ちょっと困っています。第三部の配本の際には是非わたくしには振込用紙を同封なさってくださいますように。
みづうみが今回の本をわざわざ「呈上寄贈」としてご遠慮なさる必要はどこにもないと個人的には思っています。性愛が大きなテーマになっている作品に性描写があるのは当たり前ですし、性愛を通して人間の真実に迫る試みであればなおさら避けられないこと。
今時は 新聞小説でさえ過激な性描写が堂々と描かれて社会的に許容されています。思い 出しても、渡辺淳一、林真理子、高樹のぶ子の連載等々、昭和のはじめであったら発禁ものでありましたが、時代はどんどん変わっています。ジェイムス・ジョ イスやD・H ロレンスが破廉恥と集中砲火をあびたのが嘘のよう。
そもそも、わたくしはまだ中学生くらいの時に家にある本の山から 『ファニー・ヒル』も取り出して読んでいた記憶があります。当時は内容がよくわからなかったし、面白いと思いませんでしたが…。けしからん文学少女でした。
こんなふうに書くと 生来スケベ心のある読者なだけと笑われるかもしれませんが、性的妄想さえ恥じる品行方正を信条とする人間なら、そもそもあらゆる「小説」の「読者」にはならないでしょう。「品行」と「品性」は別ものです。
現在ダンボールに埋もれて、色々なものが行方不明になっているので落ち着いて感想を書 かせていただく環境にないのですが、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は 「男」の真実を知るための一冊、そして「男」について「女」について考え続け てきたわたくしには山ほどの問題提起をしてくれる本当に面白い作品だと、まずお伝えしておきます。
手厳しい意見があるとすれば 性描写についてではなく (これは見事なもの) むしろフェミニズムの観点からありそうで 大いに論客の皆様で議論を戦わせてほしいと思います。ただしこの作品はかなりの難物で 私に読みこなせる力量があるかどうか、まったく自信がありません。
「吉野東作」という主人公の名前で すぐに「上田秋成」のことを思い出したのは、わた くしがみづうみの長年の読者であるからにすぎなくて、作者の真の意図にはまだ思い至れません。もう少し作者からのヒントをいただけたら、などと虫がいいお 願いをするわけにはいかないでしょうねえ。
今回はあとがきについて簡単な感想を書いておきます。

>『オイノ・セクスアリス 或る寓話』は、老人の性交為をおもしろづく書こうとしたものでは全然無い。今度の作で意識の芯に置いていたか知れぬのは、「一夫 一婦」というある種模範的な、ある種無惨な人類史の「一制度」がもたらしているかと思われるきついヒズミを、せめて指摘だけはしてみたい思いであった。夫には「妻」、妻には「夫」が生涯に占めている、重さ。

「一夫一婦制」を批判するのは女より圧倒 的に男が多いと思いますが、この制度は男が自分の財産や地位を自分の血を分けた子にだけ継がせたいというところから始まったという説を読んだことがありま す。男の女への強権支配の一つでありました。それ以前は日本にも「夜這い」の時代があり、母親の産んだ子の父親は正確には誰かわからなくて、集落全体で育 てたような時代があったとか。
一夫一婦制が確立してから現代にいたるまで、まじめな「男」ほど、皮肉にもこの制度に手枷足枷のように縛られる不自然に苦しんで? きたのかもしれませ ん。「一夫一婦制」がもたらしているかと思われる「きついヒズミ」は男の側により大きい。男の性はどこまでいっても一夫多妻志向だからです。「一夫一婦 制」は男側のモラルがより多く問われるものです。
わたくしの素朴な疑問は「一夫一婦制」を批判する「男」は、はたして自分の妻が他の男と性交渉をもつことを許容するのかということです。妻が他の男と寝 ることに平気でいられるのか、育てているのが自分の子かどうかわからない状態に耐えられるのか。そんな男が一般的になる日がくるとはとても信じられませ ん。吉野東作さんは、自分と同じように妻が若く性的に旺盛な男と不貞行為をすることを歓迎できるでしょうか。妻を愛していればそんな地獄に耐えられるはず がないと思うのです。『暗夜行路』の時任謙作はただ一度の妻のあやまちでさえ苦悩深かったのですから。
「一夫一婦制」のヒズミをいう場合、多くの男は自分が裏切られることは想定外で「一夫一婦制」を批判しているのではないでしょうか。もちろん、現実には 妻側の婚外交渉も少なくないのは承知ですが、夫側の裏切りほど公然とはされてこなかった。むしろ妻の人生の一部には必ずといっても過言ではないほど、夫に 裏切られる悲哀と苦悩が存在してきたのではないかと思います。どんな誠実な夫であっても、この点に関しては浮気性で遊び人の男と似たり寄ったりと思ってい ます。これは女が怒ってもどうにもならないことで、しかたないとしか言いようがないのでしょう。

>「愛と性愛との衝突」を問うている

 

これは男と女ではまったく違う様相をして いる指摘だと思います。極論をいえば加害者と被害者のようなコインの裏表の問題です。男の場合は愛と性愛が必ずしも重ならないのに比べ、女には愛と性愛は 分けられない。分けられたとしても少なくともこの二つが衝突まではしない。吉野東作との性愛を極めて「愛」に届かない雪繪の絶望はそこにあったのではない かと悲しみます。結末のむごさはショッキングです。結局吉野東作は自身の日常生活を変えることなく生き続ける「男」という加害者であり、雪繪は「女」とい う被害者として終わってしまった。
しかしながら、吉野東作はひどい男ではまったくないわけですから、益々始末がおえません。男が誠実に男であろうとした結果、あるいは男の自然に従った結 果、かくなる惨状が露呈した。吉野東作の罪深さは、男というものの定めであり業であるのかと、女である私は慄いていました。男というのは結局そういう性的 存在であり、それにつきあわなければならない女もその程度のものであるということになるのかもしれません。

演説メールになっていないことを願いま す。この『オイノ・セクスアリス 或る寓話』本文についてわたくしが思うことは、じつはもっと強烈なのですが、それはまたじっくり考えて書いてみます。 「湖の本」のお蔭で、わたくしは一生考えることには困りません。あと何十回生まれなおしても足りないくらい。

今日も猛暑日だそうです。外出などなさらずクーラーの効いた部屋でゆっくりお休みいただきたいと思います。
右眼も大切になさってください。受診も早めになさいますように。
わたくしは午後から外出しなければならないので戦々恐々。
闇   金亀子(こがねむし)擲つ闇の深さかな  虚子

* まことに幸せな作者だと感謝する。
その一方、まだまだスレ違っている要所があるなあとも感じている。
「一夫一婦」制は 歴史的に観て男からの要請、女への強請であったろうか。女性こそが歴史的に久しく切に願望し要請し形成してきた制度かとわたくしには見えている。
明治から(ごく控えめに)敗戦までの(と遠慮しておくが)日本の支配的男社会は上層部や富裕層ほど 「一夫一婦」制など奉じている気も必要も認めていなかったろう。わたしは子供の頃から妾宅へ出入りの男大人の例を幾らも見知っていた。わたしはイヤだと思っていた。
わたしが「一夫一婦」を今度の作で問い直したのは、本来は女性側の願望として起ち上がりながら、西欧的なフリー・セックスやウーマン・リブ、フェミニズ ム等々の思想的洗礼を受け容れ、むしろ性的に解放されてくればくるほど、「一夫一婦」制は、むしろそれゆえの嶮しい制約かのようにも見始めていないか、 と、問うたのである。信頼に足るという広範囲な社会学調査の数字もそれを裏書きしている。解放された今日の女性の好色(コケット)からすると妙に制度的に 「超えがたい制約」に変わってきているのではと。そこでわたしは「性愛」と「愛」の差異を、少なくも認知しかけたか、とは謂えるのかも。
もっともこの作に籠もった主題は、しかし、性では、制度では、無いと自覚している。「吉野東作」の根が、あの平秩東作よりも「上田東作」に生えているか という自覚もそこにあるが、残念ながら長島教授にもわたしの「ひっかかり」を解く文献も研究も「ありませんねえ」とのことであった。

* わたくしの内なる「闇」へまた迷い込む手がかりにも、「第三部」の「あとがき」を読者へお届け前ながら打ち明けておこう、か

私語の刻   湖の本146 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部完の後記

むかし まだ子供の頃にも、「親子か夫婦か」という選択にわたしは終始一貫 夫婦 と口にし、内心にも思っていた。「肉親」という存在への徹底的な失望 感 喪失感を持ち続けていたのだと思う。「世間」で出会った「他人」の中から「真の身内」、独りしか立てない小さい島に何人ででも立ち合える、そういう 「身内」をと切望し続けた。生みの親たちや、得た娘や孫を思うとき、冷え切った血縁にひたひたと胸を浸される悲しみに身もよろめく。わたしの内なる愛は (息子建日子と孫やす香と実兄北澤恒彦の他)悉く血縁の外へ外へ漏れ零れていった。新作の長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』では無謀なまでかすかに それを取り戻そうと喘いだらしい。「真の身内 島の思想」は逃れがたいわたしの運命であり発見と願望であった。
今度の長編ではまず「性愛」を問い、「愛」との差異を問うて行く経過となった。しばしば作中に、性愛を「相死の生」と謂い、肯定しつつもそれがとかく 「所有」の思いに帰着し固着するのを惟(おも)い、しかし「愛」とは「共生の生」を謂うのであると思い寄っていた。「性愛」に執(しう)すればむしろ「真 の愛」に背くか遠ざかるのではと。
『オイノ・セクスアリス』に、作者は、「雪」ないし「雪繪」と呼ばれる、まだまだ若い女性を、もっとも多く言葉を費やして創作した。が、思い有って、人と して女としての印象を、内容は複雑なまま説明は一切抜きにすべく、語り手から「相手・他者」として関わり描くのを敢えて避けた。ひたすら「独り」の女をた だ「一方向き」に描いた。ごく最初の出会い場面以外では文字どおりの「対話」場面は無く、ひたすら女の「独り語り」ないしその記録に徹した。こういう書き 方を、わたしは意図して、初めて試みた。しぜん長編の「創作」として、かなり効果をあげたか知れないのは、「雪」「雪繪」と名告る若い女性を、徹して 「メール」という手段でのみ人物表現できたことかと思っている。ちょっと愉しい「ラヴレター」の創作であった。作家として、過去無慮無数に受け取ってきた メールの断片が女性の造形に「ヒント」を呉れいい「役」をして呉れた。「メール」は、通知や交渉や陳述であるより、自然と「恋文」になりやすい表現手段で あろうと、機械(パソコン)を使い始めた二十数年前から予感していた。
結果、女の印象は一面的にだが、徹底した。そのため、あたかも「雪」「雪繪」がこの長編の「女主人公・ヒロイン」であるかとつい読まれるであろう、それ も作者は意図に容れつつ、しかしこの長編小説で彼女「雪」「雪繪」は或る意味、疎外された「独りの他者」のままに終えて行く。この小説の主人公は、決定的 に語り手の「吉野東作氏」その人であり、小説世界は一貫して、彼自身の「生まれ、死なれ、死なせ」て「生きている老い」が、幸とも不幸とも云わず終始無残 なまでに語られる。「オイノ・セクスアリス」の「オイノ」は、読みようでは「老いの」よりも「俺の」でもありますねと、すでに一読者から指摘されている。 早い時期の小説『初恋 雲居寺跡(うんごぢあと)』の「雪子」を「また書いたか」とも指摘されている。この吟味や検討は、「愛」と「性愛」に触れて微妙な より多様の推量を読者に要請するだろう。性愛は「相死の愛」と。愛は「共生の愛」と。その思いを覆す理解に今の作者わたしは思い当たらない。
それにしても、昨今、死なれてしまった人たちのことが、しげしげと思い出される。此の十年掛かりの長編小説も、割り切って謂えば、『死なれて 死なせて』というわたしの主著の一冊をあだかも物語化したとすらいえようか 倶會一處(くえいっしょ)。ま、所詮「罪は、わが前に」いつもあってそんな五 十年を歩み続けた「記念」の作になったのかと。自身 書くべきを、思い切り書いただけ、書かなかったら悔いたであろう。
余儀ない次第で、第一部から、歴史ある正統基督教への「不承の言」を多く吐いている。横道へ逸れたとは思わない。かねてミルトン『失楽園』を繰り返し愛読しながら、今日の解放神学やジェンダーの著の何冊にも目を配ってきた。
性行為の容儀などは、所詮は当事者間のいわば勝手で、ハタが喧しく批評できることでもすべきことでもない、ただそこに犯罪意志や行為がまじってはならな いだけ。しかし性の交わりに、罪、原罪などと持ち込んだ古代・中世基督教の宗教感覚は、普遍かつ不変とは到底思いにくかった。アウグスチヌスの言うように いえば、人類は絶えて仕舞ってこそ神意にかなうのかと反問せざるを得なかった、かえって今日現代世界の性的紊乱と暴走の頑固で滑稽なほどの根は、カトリッ クにこそあると思わざるを得なかった。
作者が踏み込んで書いた分、読まれる方は何かとシンドイことでしょうと思う。それでも作家生活満五十年、少なくも、必然、これは書かねば済まなかった作 と思え、さらに先があるとして、それゆえにかなり多くの、久しい、ことに女性の読者を喪うかもしれなくても、作者としてそれは一つの納得である。納得はま だまだ幾重もの先を擁しているはず、さらに先を先を「書く」ことで彫り起こす以外にない。
「吉野東作氏」を本質動かしていたのは、「生まれた」という根の哀しみと、死者への思慕とで、「オイノ・セクスアリス(老境の性)」は、有ってよし、無くても仕方なく、「相死の生」はどう数を重ねても所詮不毛と見ていたのではないでしょうか、と自分に問うている。。
ソクラテスの『饗宴』を読み返し、此の「寓話」を書きながら、「性愛」を論じていた気鋭の或る学究の本に只一度も「美」に触れて語られていないのに、語り手の「吉野東作氏」が不満を漏らしていた箇所を思い出した。
ソクラテスに「愛」を教える聖なる智者の巫女ディオテマは、「要するに、愛とは善きものの永久の所有へ向けられる」と云いきり、それは、「肉体の上でも 心霊のうえでも美しいものの中に<生産>することです」と言い切っている。「生産は ただ 美しい者の中でだけ出来る」とも。従って「産出に際して運命の 女神や産の神の役を勤める者は<美の女神(カロネー)>なのです」と。
「ソクラテスよ。本当のところ愛の目指すものは、貴方の考えるように、必ずしも美しい者とは限りません、」「美しい者の中に生殖し生産することなので す。」「では、なぜ生殖を目指すのでしょうか。」「愛の目指すところ善きものの永久の所有であるとすれば、必然に出てくる結論は、愛の目的が不死というこ とに在るということになります」とディオテマはソクラテスに教える。あの、アダムとイヴの生殖の愛を決定的に女の躯の死すべきほどの「悪」と否定した 正 統基督教の教父や教皇らの姿勢や理解とは、まったくかけ離れている。ギリシャの性愛にも日本の性愛にも「神」的に美しいちからの臨在が云われ、基督教では 神が見放した女ゆえの悪かのように断罪され、その行き過ぎの是正が性的放埒へ濁流となって流れている、嗚呼。
2019 8/7 213

☆ メール、うれしく、
厚く御礼申し上げます。恐縮です。

じつは、本棚の秦さんの本を並べかえたりしていまして、「六義園」に逢えました。

それで、 『廬山』 を読みました。 長い年月を待って、間に合った祖父母に、恵遠になった劉が、

「此の世のことはみな、夢まぼろしと思せよ」の一言 を、また聞けました。

恵遠が、秦さんの日本語で言ってくれてよかったです。
ありがとうございます。 励みます。 励みます。   千葉市  e-OLD 勝田

* 『廬山』かァ。懐かしい。
目の上の書架に、550頁平均のわたしの「小説」選集が18巻分並んでいて、芥川賞候補作となり、瀧井孝作先生、永井龍男先生に推された『廬山』は、そ の第四巻目に、「蝶の皿」「青井戸」「「閨秀」「墨牡丹」「華厳」とともに並んでいる。不十分で恥じ入る作は一つもない。今も読んでいて下さる方の有る有 り難さ。冥利である。

* もう書き進むしかないまで読み替えした。書く、しかない。

「湖の本146 第三部完」の納品へ、きっちり十日。発送の用意はもう出来ていて、半日の歌舞伎を楽しむほか仕事は書きかけの長編を書き進めるだけ。ただ書けばいいわけでない、覚悟して十分にしかと書かないと、惨事に落ちる。勝田さんのメールが、今夜はことに嬉しかった。
2019 8/11 213

☆ 残暑 お見舞い申し上げます
書簡範判に則りつつのご挨拶、それにしてもこの酷暑、家の造りは夏をむねとすべしとの言、納得する日々です。郊外とはいえ、東京の暑さただならぬものと存じます、
お揃いでお大事に
盛んな執筆意欲に驚嘆、「湖の本」145 ご恵与ありがとうございます、
公序良俗は別として、人悲しませる恋をしてのむごさ、身辺に見聞きしてきたことです。人 それぞれに生きがたい思い重ねていること痛感いたします。

たまさかの帰省寺僧も老いにけり

父がお世話になった住職の孫の世代、寺の会計報告により、本山納付金が(総会計の)三分の一を超えていることを知り、なんだかやくざ社会にも似た構造です。  草々  周 (神大名誉教授)

☆ (前略)
「オイノ・セクスアリス」は 肩の力を少しだけ抜いて読ませていただけるのがうれしいです。知的な会話の中に、時代の空気感があり、又、書物なども紹介されていて 私にはいろいてろ教えられること多く、ためになります。
一四五巻とのこと、圧倒されるばかりでございます。どうかくれぐれも御自愛ン下さいますよう。
御礼まで 申し上げます。  大坂・吹田市  郁  歌人

* 北海道の山本司さんお葉書下さる、鳴門教育大、広島大、二松学舎大からも 受領の来信。
2019 8/13 213

* 今日はきまりの妻の検査と診察。パスしてくれたらしい、明後日は朝涼しい内に出て、歌舞伎座真夏の第一部だけを楽しむ。二十一日には、「湖の本146}『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部の完結編を呈上する。これで本当に十四年の仕事を手放せる。
「第一部」だけで以下不要と断られた人数は、妻の調べで、ほぼ三十人ほどと。思いの外数寡なかった。どっちみち、決して書かずには済まなかった「作」であった。体力も気力も我慢も要った。
次作も「いい脱稿」に成功すれば、奇妙意欲の長編を送り出せる。すくなくも、私だから書ける、書いた物語になる、「湖の本」の二巻分ほどのちょっと怕い長編に纏まるだろう。

* 連作を心がけていた『女坂』の二は、もう書けていて、次いで三を三として書くか、別に自立の一編にするか思案している。
「信じられな話だが」久しい宿題で抱き込んでいる上越を舞台の作もあるが、現地の海と川と山を見なければ。もうそれはムリか。
上田東作(秋成)若い日々の思慕の物語が書けるかもしれない、ただ残念にもわたしは秋成の昔と限らず大坂を識らないので困っている。九割九部参考文献の「無い」ところへ首を突っ込むので無謀とも、便利ともいえるが。
そしてもう一つ、わたしの書ける材料が(具体的には何も知らないので、思い切った架空の組み立てになるが、)兄恒彦が亡くなって以降念頭を去らない舞台が見えている。
この調子では、まだ潰れて死ぬわけに行かんなあ。さっささっさとやらないととても時間が足りない。
とにかくも『選集』33巻を仕遂げること。
出せば出すほど赤字を山と積む現行の「湖の本」は、続けてという読者の有り難い声が強い。妻にかける体力的負担をどうかして庇いたいのだが、アルバイトを頼むしかないか。本に出来る材料は跡絶えはしないので。ヘタな戦争に國が引き摺り込まれないよう願う。
2019 8/13 213

* 篠崎仁さん、梨をたくさん下さる。歯をいたわり、ジュースにして美味しく頂ける。有難う存じます。

☆ 秦 恒平様
まことに矢継早なお仕事に圧倒されつづけて、とてもついてゆくことができず、本が届いても、開くことさえ出来ずにいました。
こちらは九十二歳、もはや気息えんえん、やっと息をしているばかりなので、秦さんのご気力は、小生にとって毒気でさえあったのです。
生の根元に挑まれている模様、途端にノックアウト、完敗です。
同封のお金は、その完敗記念、幸福の印です。まっこと、すごい御気力です。
奥様も、そんな旗産をお支えになって、がんばっておられる。
ほんとうに世の中の、尊い気力の代表選手のおふたりです。
いよいよのご精励を。   原田奈翁雄  元・筑摩書房「展望」編集長 出版局長

☆ 残暑お見舞い申し上げます。
京都は38℃に及ぶ猛暑で、どうにもなりません。
このたびは『湖の本145オイノ・セクスアリス第二部』を頂戴し、誠に有難うございました。今号はご恵与にあずかれるとのこと、厚くお礼申し上げます。
『秦恒平撰集』との同時刊行、今夏、重いめの喘息でダウンしていた私には、「性愛」と「愛」とは重なり得るのかというテーマがまぶしく見えます。
久慈芳江が二役で演じたという、ちょっとこわい映画『九ッ谺』、ぜひ見てみたい。誰か実現してくれないでしょうか。作中の オリンピックの時代、丸物は 近鉄だったはずですが、それも「記憶違いも自在の狙い」「作者の意図」なのですね。いろいろ懐かしい京都の店がでてくるのも、楽しみです。
前便でお送りした『泉鏡花研究会会報』には、『湖の本137 泉鏡花』書評を掲載しました。若い研究者に書いてもらったのですが、「私語の刻」にも触れてほしかった。それでも、秦様の鏡花研究の先見性は理解されたと思います。
現任、金沢の泉鏡花記念館図録の改訂作業中です、「主要参考文献」リストに『湖の本』も増補収録します。 2019 08 12 田中励儀   (同志社大教授)

* 梅花女子大より受領の来信。
2019 8/14 213

☆ 残暑お見舞い申し上げます。
台10号が上陸と、連日落ち着かぬ気候、お躰案じています。
先日来、御選集三十一巻と『湖の本145』を頂戴し、お礼が遅くなり失礼いたしました。
平山周吉さんの『江藤淳は甦える』800頁の力作を読み終り、二男の車で久々に帰省(銚子)、墓参も済ませ(済みません 以上、言訳です)、連日深夜、 十年がかりの大作『オイノ・セクスアリス 或る寓話』を拝読いたしておりました。『湖の本144』で第一部拝読、御選集で第二部から第三部に入ったところ で『湖の本145 第二部』を頂戴いたしました。経緯はともあれ「オイノ・セクスアリス」のヒロイン、雪繪(湖の本の表紙繪は雪繪の裸身そのもので、絶頂 期の表情まで描出、と感嘆しました。)
我等がヒーロー吉野東作はほぼ小生の年齢と同じ、それ故に、余計「ユニオ・ミスティカ」の意味がこたえ(三字傍点)てきます。
何はともあれ、主要部の二人の逢引を説明抜きでこれだけ描写するのは、相当にエネルギーを要したことと拝察。姉芳江や妻道子と東作の関わりの深さはこれから先々考えたいと思い、加納世津子の投身自殺の効果思案を巡らしたく。末尾の五行は納得します。
ともかくご自愛を。御礼迄。     講談社役員   徳

* 「雪」「雪繪」をヒロインと読むか読まないか、そう書いているか書いていないか。そこが作世界の大きな読みまた批評の割れ目になる。

☆ 拝啓
ご無沙汰致しておりますが先生にはお変りなくお過しと存じます。
御作「オイノ・セクスアリス 或る寓話」を拝読して、数日が過ぎました。どういう言葉で申し上げて良いのか、なかなか気持ちに添う言葉がみつからずにおります。
実に難解な御作と存じました。いわゆる小説というものとは違う力がありました 表現の形式も、手紙というより メールのようでもあり、「某年 春 某 日」式のところはにっきのようでもありました くりひろげられていく話、人物、書物等々、時代や空間をこえて洪水のようでした 死生観から文学論まで、ど こを拝読しても、それはそれとし一つの世界があるように思いました  ふと思いましたのは、生きている、生きてきた過去をふり返ってみると、万華鏡を覗く ようなものかもしれないと、
遅くなりましたが、「湖の本」145 ありがとうございました 御礼申し上げます 「私語の刻」を参考にしても、「オイノ・セクスアリス」は難解でした。
「私語の刻」でお書き下さった「オイ」が「自分」という一人称については、『ふるさとの歴史散歩 武雄』という本の巻末にある「知っておきたい武雄の方 言」に書かれています。高校までは武雄市内で育ちましたので、いまでも郷里の人と電話する時は、方言です 御国訛は関所の手形そのものです つまらないこ とを書きました ご海容下さい
まだまだ暑い日が続きそうです どうかくれぐれもご自愛をと願っております。
御礼まで   敬具   相模原市   馬渡憲三郎   前・藝術至上主義文藝学會 會長

* 徳島さんに「最後の五行」に「納得」したと言われたのが、作者として感慨深い。この五行に「怒った」読者も有った。
2019 8/16 213

* ジリジリと「清水坂」で苦行しつつ、気慰みに、「選集 第三十二巻」に収録小説集を検討、目次を立てていた。いわゆる版元からの単行本出版にはしな かった、みな「湖の本」版。さきざきでまだ新作が出来ると思っているが、この巻では最新作長編「清水坂(仮題)」で締めくくれるようでありたい。最終巻に は、「私」ものの思索・感想・記録・年譜等々を取り纏めたいが、未公表・未収録分を含む詳細な作品年譜までは手が届かない。私自身まだ生きているのだか ら。

* そこへ京都から、写真。 嗚呼!

尾張の鳶・寫  今宵 京の大文字
2019 8/16 213

* 心身両面で、ヘバッている。湯に漬かっても疲れただけ、何の知恵も涌かない、突き出てくる衝動が何もない。ショパンにだけ慰められている。コンソメの スープ一杯と柔らかな目玉焼き一つ。それ以上の食欲がない。二十一日からの第三部完の「湖の本146」を送り出せば、十日でも二週間でも旅のできるほど気 は楽になるのだが、この暑さとこの体力では危険なだけ。
小説はほぼ申し分なく進んで、最期を迎えようとしているのだが。アタマのなかで平凡な常識が働いては困るのであって、そいつを蹴飛ばす勢いで真っ暗闇へ跳び込みたいのだが。今月は27日に聖路加へ出かけるが、雨が降って少しでも涼しいといいが。
2019 8/18 213

☆ 大文字も過ぎ、
週末より、猛暑が続きそうです。
突然のお便り、貴重な湖の本、秦 恒平選集を頂戴しながら、御礼も申さず時は過ぎ、重ね重ねの非礼、誠に申訳ございません。
日々妙に追いつめられたような気持ちで、気があせるほど、事は成せずというお恥ずかしい状態のなか、時折、御作品に触れることが、楽しみでもあります。
このような時に、ずっと気になっていたこと、一言 お聞きいただきたく筆をとりました、
選集廿録巻にて、兄弟往復書簡を拝読、今となっては、わからぬこと乍ら、恐らく、私が廿代後半から三十代まで、はや三十年以上前のことですが、私の拙い 舞の會のお客様で、北澤恒彦様という方がおられました。自宅での澪の會にもお越しいただき、府立文化藝術会館での催しにもおいでいただいたように思いま す。
秦様の兄上様であられたか、当時の私は勿論、知る由もないことでしたが、御自筆での御署名が、頭に浮かんでまいります。
送り火を見た翌日、北澤様のことが気になり、勝手乍ら、秦先生のお兄様と決め付けて、今更乍ら、無言で背中を押して下さった方々のおひとりと思うことにいたしました。
こんなきっかけがないと、御礼もお詫びも申し上げられないこと、どうかどうかお許し下さいませ。
大きなことは何もできませんが、選集が、続きますように、細々乍ら 私で続けられるカンパをさせていただきたく存じます。
無礼を承知で、同封させていただきます。
どうか、のこる暑さ、くれぐれもき おいとい下さいませ。
八月十七日     井上八千代   (京舞 井上流家元)
秦先生
追って、  先日、久方ぶりに中信の平林様におめにかかり、先生のことをお話させていただきました。

* 亡き兄に触れられてあり、懇篤深切の毛筆のお手紙に感動した。この八千代さんは、京で育ったわが家から一つ西町にお宅と稽古場とがあり、下の御兄上片 山慶次郎さんは大学の専攻で三、四年の先輩、なにかとお世話になった。これを上げると戴いた日本中世の専門書はわたしのその後の視野をほぼ決定した貴重な 發條となった。谷崎先生ご夫妻も、大学の恩師里井六郎先生も片山九郎右衛門家(井上八千代家)へ^よく出入りされていた。いまの八千代さんは小学校では私 の後輩になり、たまに東京歌舞伎座でパタと出会って声をかわしたこともある。
兄恒彦が、井上八千代の舞いにつよく心惹かれていたことは、兄からじかに聴いたこともあり、ホホウとびっくりした記憶がある。
なんという心篤いお手紙であることか、わたしは、茫然とした。泪も出た。「心ばかり」と驚きの「カンパ」まで戴いた。いましもわが家へと夕焼けを浴びて山をおりてゆく私達夫婦への、もう少しガンバレよとの励まし、有り難くお受けした。感銘した。

☆ 残暑お見舞申しあげます。
長梅雨のあと、細々ながら本を読む気力が戻ってきたところに、『湖の本145 オイノ・セクスアリス第二部』をいただき、背中を押されるように『選集第 三十一巻』を繙きました。結果、老来堪性がなくなっている私にとっては、第三部までひとつながりで読めたことは幸せでした。
各部それぞれの主題・楽しさ(京の風物や食べ物、歌舞伎や文学作品の話柄、そして某年某月の記…、吉野東作氏、いえ作者は人生のエピキュリアンですね) を味わいながら、心にひっかかること(雪・雪繪=世津子の<根>)や解けない謎を残されていたのが、第一部、第二部、第三部と読み進むうちに変転し、重層 化し、司会が拡がってゆく、そして結果、魅力ある寓話として結晶する。
話者に、「過剰なほどの雑食系の読書家」と自認する印刷所社長にして「作家秦 恒平」とも近しい吉野東作(!)を据えられたこと、それが作品世界に自在に「性」も「愛」も「知」も「老い」も「死」呼び込み、さらに「根の悲しみ」を彫みこみえた淵源でしょうか。
ここには、書きつづけて八十代を迎えられ、かつ気力溢れる秦さんにしか書きえない美しさ、哀しさ、そして楽しさがあります。
古典に明るいとはいえない身には理解の届かないところ見逃している小判の多いことは自覚しつつも、自分なりにボールを受けて考え、また存分に楽しみました。
厚く御礼申しあげます。

台風一過後の酷暑来襲、どうぞ御身呉々もおたいせつになさって下さい。
二○一九年八月一六日        天野敬子   講談社 元・出版局長 (群像)編集長

* 有り難い、この上ないねぎらいと励ましとを頂けた。書いて、書けて良かった、まだまだ足りぬにせよ。いい落想から「十年」が よく生きて働いてくれた。
さ、次があるぞ。

☆ 残暑きびしき中、
おかわりなきご健筆をおよろこび申し上げます。
このたびは「湖の本」第145巻をお送り頂き、暑さでボーッとしているところに少なからぬ刺激をお与え下さり、厚く御礼申し上げます。
メールの文言を中心に、他は読者の想像にまかせ紡がれていくストーリーに、独特のテンポ感を感じることが出来ました。「オイノ」に「アンチ」が付いてもおかしくないのでは…。失言おゆるし下さい。季節柄ご自愛下さい。 かしこ    紅書房主人

* 全巻を通して読まれたのと、第二部まででの読みでは、むりからぬ大差がある。やがて『第三部完』をお送りしますのでご再読くださらば幸い。

☆ (前略 第二部御礼)
第一部から 谷崎潤一郎の雰囲気を感じつつ 現代的なところもあり おもしろく拝読しております。   山梨県立文学館  中野和子
2019 8/19 213

* 明日、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』第三部完の「湖の本146」が出来てくる。一部抜き(刷りだし)も届いた。
もし、第一、二、三部三册を揃えて読んでみたい、また自分はもう読んでいるが、友人、知人に、あげたい、読んでみてほしいと思われる方には、残部の限り、三册「揃えて呈上」します。送り先だけをメールでなりお知らせ下さい、但し、「荷造り・送料(1000円)」だけはご負担願えると助かります。
2019 8/20 213

* もう今夜は時間切れ、明日の労力作業のためにも、まだ八時半でしかないが、さっぱりともうアキラメて、休息しておこう。今度の小説は、この直前の「セ クスアリス」とは大違い、ひたすらの物語であり、だからラクとはとても行かない「クソ」とつきそうな「hatac」に旋回したお話なのですが、書き手が目 をまわしててはならず、「セクスアリス」の方は疲れという不安なく書き終えられたが、今度のは。じつに辛抱を要している。やれやれ。
2019 8/20 213

* さ、「湖の本」146 長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』完結編の発送作業を始める。無事にこのヤマを越えたい。本の重さをイヤほど分からせら れる重労働。このところの腰の痛みはかなりのもの。ロキソニンのお世話になるしかなく。他のことは、暫く忘れて、集中。九時。納品間近い。

* 九時きっかりから作業をはじめ、六時前に第一便を宅急便に託した。わたしよりも妻が疲労した。果汁やビタミンや強壮薬をのませ、水分をたくさん摂らせ て、やっと凌いだ。シャリ少なめの特上寿司の出前を頼んだ。妻はよく食べられたが、わたしは美味いと思いつつ残した。どうも満腹は気分に添わない。
作業中、ひさしぶりにアネット・ベニングの絶品、マイケル・ダグラスの「アメリカン・プレジデント」わ心底楽しんでいた。ついで、なんと「ターザン」を 観聴きし、さらに次いで気に入り山本耕史らの「薄櫻記や「剣客商売」を見聞きしていた。幸いに事前の用意が万全に出来ていると、発送の作業中はそういう主 に耳のまた目の楽しみようがある。
明日、さらに発送作業を続ける。ダンボール函に荷造りした湖の本を60册の重さを、繰り返し返しキッチンから玄関へ持ち運ぶ。腕力はあるなあと納得しな がら腰の痛みに気配りし続ける。もうこの仕事も永くはなかろうなあという気分が、渚へよせる小波のように寄ってくる。「選集」は何としてもあと二巻で予定 の目標に達する。「湖の本」は具体的に創作・執筆活動の舞台であるだけに、極力続けたいが、出血の増はがまんするとして、老夫婦の体力がどこまでもつか。
2019 8/21 213

 

* さ、今日の作業にかかる。

* 『セクスアリス』 さすがに高校へは遠慮したぶん、作業は午後三時で、とにかくも一段落、ほっとした。が追加の用事をかなりに意図していて、もう一日二日、かかずらうことになる。
2019 8/22 213

* 「書く」ことをのぞいて、いま所用は次の火曜に聖路加へ通うだけ、とは、うそのよう。ま、そう極端でもないのだが。とにかくも『オイノ・セクスアリス 或 る寓話  湖の本144-6』の仕事は終えた。『選集題三十一巻』としても収まりがついている。この解放には、心底、ほっとている。とっておきのワイン二 本の二本とも栓を抜いてしまった。
さ、次が待っている。次の次も待っている。
残暑はまだ過酷だろうが、今日は小雨。機械の不調など成るようになると気を取り直して、前へ踏み出そう。
どうもわたしは、気持ちよく見た目もよく「枯れてみせる」ことなど出来ない男。なまなましいほどまだ「こども・新制中学生」少年のシツコサが遺ってい る。それも、よしとしよう。欲しいのは、少しは動ける「体力」なのだが。せめて、少し遠くまで電車に乗りたい。よく晴れた富士山を新幹線からでよい、近く で観あげたい。

* 「最上のものの悪用は最悪となる」としョーペンハウエルは書いている。「純粋な僧侶は最高の栄誉に価いする存在である。けれども殆ど大抵の場合僧衣は 単なる仮装なのであり、この仮装の影に本当の僧侶がひそんでいることは恰も仮装舞踏会の場合におけると同じように稀なのである。」と。ま、そんなことなの だろう、わたしは今それへ深入りの気もない。
子供の時、松原の珍皇寺に六道参りにつれて行かれ、そこでも怖く、家に帰っても床についても怖く泣き叫んだのを覚えている。小説家になって『此の世』 『廬山』を書き『マウドガリヤーヤナの旅』を書いた。けれど今は、わたしは死後の世界を信じていない。かすかにも畏怖の思いが湧くなら、それはもう法然の 「一枚起請文」に全面依託してなにも恐れない。ただもう現世の愛と親しみとから永遠に離れるのを惜しむ気持ちだけ。 2019 8/23 213

* 送り作業のアトは、どうしても腰へ痛みが来て残る。季節的に例年皮膚の一等弱り出す時機にもなって、残暑を耐え抜くのはなかなかの難儀。気をちらすに は結句読書がいい。本当は散歩しないといけないのだが。「マ・ア」を家に閉じこめているのも心苦しい、が、好きに外歩きさせるのは厳禁されている。
2019 8/23 213

☆ 秦先生
「湖の本」 オイノ・セクスアリス3部作を頂戴いたし、まことに有難うございました。
小生、かなり以前から小さな字を読むのが苦痛になり、読書からも遠ざかっておりましたが、今回の先生の3部作を一読驚嘆、興味津々、勇気凛凛となり、読了いたしました。
京都も最近はどこの国の街かわからなくなり、出歩くのもためらわれます。

まだまだ残暑は続くようですので、くれぐれもご自愛くださいますように。

かさねて御礼申し上げます。  京・桂    服

* ま、からかわれているのだろう。
女性の読者の方が、受容にせよ拒絶にせよ 切実に読んで下さっている。性のこととなると男の心根はとかく軽くて細い。
2019 8/24 213

☆ 秦恒平様
『オイノ・セクスアリス』第三部をいただきました。ご厚意に感謝します。
「私語の刻」で記しておられることですが、女性の側からの一方的なメールを動力にして、二人の関係を始め、そして終わりに至る手法を、私も面白い試みと 感じていました。その手法が真の対話なき人間関係の不毛を象徴していると受け止めました。三回に亘る「私語の刻」は重要なので、選集に収録されることを期 待します。
前々便で記しましたが、現代のプロテスタント教会はキリスト教が長く陥ってきた性の抑圧からかなり解放されていますが、現代に出現したプライヴァシーの 時間・空間における個人の自由な行動と、神の前で誓約した夫婦の関係をどのように調整するかは、キリスト者に課せられた課題です。キリスト教は血縁的な家 族ではなく、人格的な信頼関係に基づく「ホーム」を重視していますから、ホームの信頼関係を壊さない範囲での個々人の自由は、神学者バルトの例に見られる ように、ある制約を課して認められる余地があるでしょう。しかしキリスト教は「対話性」を重視しており、同性愛を含めてセックスは対話の特別なかたち(第 三者を排除した関係)として考えているので、このような関係を夫婦以外に築くのは、通常のキリスト者にはちょっと負いきれない重荷です。
酷暑の峠をようやく越えたと実感できるようになりました。
ご夫妻のご健康をお祈りします。  ICU名誉教授   浩

* 得難いご示唆を頂戴したと感じ、内心に深く感謝申し上げている。

* {女性の側からの一方的なメールを動力にして、二人の関係を始め、そして終わりに至る手法」とは間違 いでないが、この「吉野爺さん」からもメールはそのつどに出ていたはずだが、それを敢えて交換メールにせず、女性からのメール一筋で状況をさせたことで、 重かれ軽かれ女の存在感と言葉の味が出せたのだと思っている。若い女と爺さんのメールがえんえん交換剃れて表へ出ていたなら、堪らない通俗に陥る。雪絵の メール一本槍にすることで紛れもないこれぞ今日の恋文としか謂えぬ効果をあげ「人」も表せた。ばかげた対話をえんえん読まされてはだれでも往生する。爺さ んのよくもあしくも「根性」は、自然と「某年・某月・某日」に尽くせたと思う。
2019 8/25 213

* 明日午後の診察(いつもご簡単)に築地へ出るが、幸いに校正のゲラが無い。めったにない期間なので、書きかけの「清水坂(仮題)」原稿をプリントし、 読めるかぎり外の空気なり場所なりで読んできたと用意した。かなり煮詰まっているので、「長編」と謂うほどには成らないのかも知れぬが、しっかり書き込み たい、なにしろわたしの作である、とろとろと坂道を水の垂れ流れるような簡単ななロモノではない。わたしの作を読み慣れ愛好してきてくださった方々には 「清経入水」や「秘色」の昔と読みあわせてくださるだろう、そういう最新作にしたいと願っている、難渋してはいるのですが。
2019 8/25 213

* 途中までの最新作をまたまたアタマから読み直している。二十度ではきくまい、読み返すのが一等の推敲になり添削になり先へ展開への推力になってくれる。これをイヤがらない。前作でも繰り返し繰り返し読み返して行く間に作に血が流れ肉がついた。

* 依頼を受けW書き始めたという作は、わたしにはむしろ少なく、自身書き下ろして親しい編集者に読んでもらうことが、後々ほど多かった。
正式に依頼されて書き始めたのは、新潮新鋭書き下ろしシリーズへの『みごもりの湖』そして新聞連載小説の『冬祭り『親指のマリア』 また岩波の雑誌「世 界」に連載の『最上徳内 北の時代』や「太陽」などへの書き下ろしがあったが、だんだん、自分の書きたい作をだけ主に書くという生活へ引き搾っていった。 「湖の本」創刊という事業が決定的にわたしを「騒壇余人」へと自覚させていった。
創作者としての五十年、わたしはお休みしていた時期を一度も持っていない。
2019 8/25 213

* 墨画家島田正治さん、写真家近藤聰さん、歴史家小和田哲男さん、飜訳家持田鋼一郎さん「湖の本」受領の来信、 栃木の寺沼輝幸さん、ご支援を戴く。
2019 8/26 213

☆ 瀧井孝作さんは「事実、あったことしか書かない」と。これを水上勉さんに話したら、僕はちがう。作り話も多い」と。
『オイノ・セクスアリス』を読んで、どこまでが事実でどこまでが創り話か、そう思って読みました。
けっこうデートするのに食べたり、タクシーに乗ったりお金のいること、僕にはそのまねはできません。こういう話もあるかと思って読んでいます。
つまり寓話ということでしょうか。 納得。2019 8 25  神奈川・川崎  島田正治 墨画家

* 島田さんはわたしより四、五歳年長のお人。「つまり寓話ということでしょうか。」で、けっこうです。

☆ 秦様
湖の本146号のご恵投、ありがとうございました。内容については前回同様の感想を抱きました。177ページ、式子内親王の歌の解釈のところで、井上宗 雄の名前を発見大変懐かしく存じました。この先生は、私の早稲田高等学院時代の国語の恩師で、源氏の須磨の巻を教えていただきました。いまでも「波はよる よる」のよるが夜と寄るの意味を重ねているとおっしゃたことをよく覚えています。
神は細部に宿る、秦様の作品の細部の面白さを今回も堪能いたしました。
ますますのご健筆お祈りします。    茨城  鋼

* 「波はよるよる」とは微笑ましい。わたしより若くても十もあるない文筆家だが。やはり高校の古文教室で初めて習い識ったのかなあ。こういう縁語や掛詞のあやのある文語唱歌は子供の頃から幾つも唄っていたろうに。
「いつしか年も、すぎのとを、あけてぞ けさは」とか、「かたみにおもふ ちよろずの こころのはしを ひとことに さきくとばかり」とか。蛍の光の一 番二番など 幼稚園の卒園式いらい延々とうたってきたから、「過ぎ=杉の戸をあけて」 とか、「互み=形見におもふ」「千萬ずのこころの橋=端を」「ひと ことな 「幸く=先久」と「ばかり=だけ」など  一度も先生方は説明しなかったけれど、自然に日本語の面白さとして覚えていった。和歌はこういう日本語 の美しい結晶なのである。せめて歌人 詩人 俳人には よくよく心得ていて欲しい。
2019 8/27 213

* なんとも心身怠く、ともすれば寝入ってしまうが。処暑のバテで、わたとしては多年夏バテは九月も中頃にヒドかったのが、一月早い。凄いほどな暑さの中 で、わたしとすれば二篇多年の創作で四苦八苦したのが堪えていて、のこる一編行き詰まりの苦境に喘いでいる。先の一編への読者からの反応反響もさすがによ 今回は重い重い、今日も例になく多くのお手紙をいただいたが、よくも重くもハラに堪えた。「湖の本146」は『オイノ・セクスアリス 或る寓話』三部の完 結編で、結末は、読者の百に九十九人はひろいんと目されていただろう若い人妻の投身自殺というむごい悲劇で終えていて、結語の一行は(作者自身ではない、 が)「物語」終始一貫の語り手のことばで、「分かっていた。むごいと知りつつも。」と 全編の「完」を告げ終えている。いますこしこの一言に先立てての、 彼「吉野東作」老人の見解は恁うである、

ユニオ・ミスティカ=性一致の恍惚境は、まちがいなく在る。叶う。
だが、男女の愛、大きな愛には「その先」が、まだ有る。人と人の愛に、どんなに良い「性」があっても万能の通行手形ではない。
吉野に、此のわたくし吉野東作に謂えたのは、それだけだ。
分っていた。むごいと知りつつも。                 ──完──

* 小説の「結び」はじつに難しくて気を遣うが、こんなに過酷な結びを書いたのは初めてだろう。
これへいたる、ほぼ千枚余の長編小説は、時を経るに従い多くを、ことに若い未婚・既婚の男女にも、家庭の、また老境の夫婦にも問いかけ続けるだろう、性と愛とを。

* それにしても、多くコレまでに戴いた反響に、動かぬヒロインと目されているらしい若い人妻へのに批評がマッタクと言っていいほど無いにも作者は驚いている。

* たくさん頂いたお手紙お便りの紹介は体調を憚り、せいぜい気概も体力も新作のほうへまわしておきたい。

☆ 『湖の本146』が届き、
「私語の刻」を、思い深く拝読、<さらに先を先を「書く」ことで彫り起こす>ご覚悟に感銘いたしました。本作を全身全霊こめて産み出されたことによって、さらに湧き出した泉水を汲み出して下さい。そのためにも、どうぞ呉々もお身体お大切に。   講談社役員   敬

☆ 拝啓
朝夕少しずつ秋めいてまいりましたね。日昼の日差しはそれでもまだ強く、セミの声もかしましい程ですが、確かな足取りで秋はもうそこまで来ているようです。
この度は「湖の本「第百四十五、六巻を併せ賜わり有難うございます。想いもよらぬ贈本(=呈上本)に感激すると共に恐縮もしております。
早いものでもう創刊三十三年にもなるのですね。私もいつの間にか七十歳になってしまいました。
初めて『秘色』(=筑摩書房からの第一册)に出会い、以来秦様の作品を追い続けた日々がまるで昨日のように憶い出されます。と同時に、それにも増して「湖の本」の刊行、及び「秦 恒平選集」の刊行、ただただ頭の下がる思いです。
追いかけ始めた以上、最後まで追い続けようと決意したのは、やはり第百巻(=創作・エッセイ総合して、『濯鱗清流 秦 恒平の文学作法』下巻)でした。年令と共に眼もおもうにまかせなくなり、昔のように読書が楽しめなくなったことも要因です。しかし、好きな作家の好きな作 品に囲まれた生活をしたいと言うのが若い頃からの夢で、今はほぼその夢が実現しそうなところまで来ています。
贈本頂いた時、すぐにも御礼をと思いながら、ペンを執るのが難しくなり、この書面も原稿用紙に顔をすりつけるようにして書いています。近視の上に遠視までもが重なり、マス目さえもが見にくくなってしまいました。誤字はむろんのこと、読みづらい点はお許し下さい。

それにいたしましても秦様の情熱、と言うよりも執念のすさまじさ、お教えられること実に多大で、私もまた「いよいよこれからだ」との想いで生きて行きたく存じます。
「湖の本」「選集」最後までおつき合い、お伴させて頂きたく思っております。どうぞよろしくお願い致します。

秋はそこまで、と申しましても夏の疲れが表われるのはこの時期。くれぐれもお体ご自愛下さい。
何にか子供の字のようで恥かしいのですが、お礼だけは自筆でと思いました。
現在、私もパソコンを利用しています。パソコンの良いところは二○○パーセント、三○○パーセントに拡大できるところです。
おかげで二○○パーセントモードで使用しています。
いろいろとお話しをしたいことなどあるのですが、なんらかの形でメールなりホームページなりにアクセスさせて頂きます。
この度の重ねての贈本、心より御礼申し上げます。有難うございました。 敬白
八月二十七日
秦 恒平様            和歌山・御坊市   井領祥夫

* なんという私は幸せ者であるか。日々の御平穏を感謝とともに心より願いおります。お力を頂き奮励したい。

☆ (前略)ありがとうございます。
秦さんもいよいよ谷崎先生、森鷗外先生の心境に入ったということですか。
私自身、老境に入っており、いろいろ考えさせられます。ひきつづき秦さんの思いを読ませていただきます。よろしく。 不一    森詠   作家

☆ (前略)
先日 京都の父(今は亡き島津忠夫先生)の知人の方から本(島津忠夫著作集 残篇)の返礼に 上品で美味しいお菓子が届きました、(「ときわ木」「野 菊」)  先生も多分お好きな味ではと思い、夫に店のホームページを調べてもらって、ネットショップで買うことができましたのでおくらせていただきまし た。
奥様と いっしょに 京都の味をお楽しみいただければ 幸いです。   埼玉・所沢 藤森佐貴子

☆ 拝復
処暑ともなれば夜風にそぞろ秋の気配が漂ってまいります。(中略)
同封の折鶴は、数日前耽読で富士山頂へ登頂した折、「鶴は千年、冨士は万年、折り鶴ができて数百年」のキャッチコピーとオリジナルデザインの色紙に魅せ られ(富士山頂上 浅間大社で=)購入したもので、先生ご夫妻の健康長寿を祈って妻が折ったものです。稚拙な折り方ですが秋のひと夜<鶴の背に冨士>楽し んでてただければ幸いです。
『清水坂(仮題)』の完成を祈っています。   京・山科   あきとし・じゅん  詩人

* 瀬戸内寂聴、井口哲郎、信太周、稲垣真美、斎藤誠一、杉本利男、持田晴美各氏、御状頂戴、多謝。さらに大正大学、徳島文理大学、城西大学水田記念図書館、親鸞佛教センターなど受領の来信。

* ちょっと時間を無駄遣いしてしまったが。ま、明日へ。
2019 8/27 213

奈川・二宮の高城由美子さんからお心入れのお手紙に添って、大きな、香りよく素晴らしい梨をたくさん頂戴した。有難う存じます。

☆ (前略)
先日にお礼を申し上げましたが、満作家生活五十年に、本作(『オイノ・セクスアリス 或る寓話』)を書く必然に同世代として大いに鼓舞され、「イイ加減ニ生キルンジャナイゾ」と、中味の濃さもあって刺戟されっ放しです。
稔りの秋を胸中に受け取られますように。
御自愛を切にお祈りいたします。     講談社 役員   徳

* 大阪・天王寺 和泉書院社長広橋研三さん、 京・大枝 漆藝作家望月重延さん、また、昭和女子大学からも受領の来信。
2019 8/28 213

* 朝いちばんに、さいたま市の吉田宗由(茶人)さん、ブルーベリーのジャム三瓶を下さる。視力への労りと想われて有り難く。

☆ 日々のご平安を祈りながら

お世話になっております

暑い日がまだ続きますね。

九州は大雨が大変そうですが、体調は大丈夫ですか?

まだまだ「書きたい作品」が頭に浮かぶとは、秦さんの創作意欲には、ただただ敬服致します。

無理なさらずに、まだまだお元気に願います。

* 新作の脱稿まで、暫時真入稿は待機してもらっている
2019 8/29 213

* 元「新潮」編集長坂本忠雄さん、京・鳴瀧の作家川浪春香さん、千葉・鎌ヶ谷の篠崎仁さん、ご挨拶のお葉書やメール有り難く頂くも、夕刻にしてもう目が見えず、葉書の細字がまるで読み取れない。立命館大学、山梨県立文学館からも「湖の本146」受領の来信。
2019 8/30 213

* 午前十時すぎ。読みに読み、贅肉を殺ぎにそいで「湖の本」の一巻で収まるほどにと願っているが、多彩のあやは締め殺さずはんなり生かしたい。ときど き、作者の方で目が回りそう。物語のそれも特徴かと想っている。「かたり」ということに、強い興味共感も恐怖もある。「いづれのおほんときにか」とか「我 輩は猫である。」という「カタリ」には自在な可能性が働いていて生き生きした興趣が光り出す。すぐれた小説ほど、「かたり」の自在と工夫とが産み出す「不 思議」を生かす生きた「声」が聞こえる。

* もとNHK出版で、わたしの『梁塵秘抄』『閑吟集』刊行を手がけてくれた安田鏡子さん、新作へ激励の花束を贈ってきてくださった。感謝。しっかり駆け抜き、書き抜こう。 午になった。

* 奈良県の歌人喜多隆子さん、詞華集『愛はるかに照せ 愛と友情の歌』に共感され、地の珍しいお茶にお心持ちを添えて送って下さった。感謝。

* 成蹊大学、日本近代文学館、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』全 受領の来信。

* ポストまで自転車で。やや下り坂道を利して矩形に走ってくると、らく。
2019 8/31 213

* 神奈川・川崎の近藤和枝さんから、りっぱな梨をたくさん頂戴した。感謝。この近藤さんは、「秦 恒平・湖(うみ)の本」の本、創刊一等最初の「継続契約読者」であった。あの感謝、忘れない。

☆ 或る寓話 拝受しました  (波)
湖様    「湖の本」を長い間ご恵送いただいているにも関わらず  何のご挨拶も申し上げない失礼を心からお詫び申し上げます。
この度は「或る寓話」を拝受いたしました。 まだ一読しかしておりませんので浅い感想しかお伝え出来ませんが 女性の性愛と愛の身勝手さ、を感じております。

持病はいくつかあるものの 何とか元気にしております。
一昨年伯母と母を相次いで看取りました。

 

蒸し暑い日々、どうぞお体に十分気を付けて 執筆活動を続けられますよう、遠くから応援させていただきます。   波

*  懐かしい。「恵送」どころか多分に永く叮嚀にご支援頂いてきた。経営者であり大学の講師もしながら、高齢のお年寄りを身近に日々介護されていると分かっ ていて、つい伺うことも遠慮していたが。やはり寂しいことであったと。私の此の歳では、赤ちゃんが生まれた喜びよりも、身寄りまた自身の年の弱りを聞くこ とがもっぱら。
「何とか元気に」の一言にふと安堵する。
心嬉しい久々のお便りであった。感謝。
短い当座の感想のようでありながら、男性の、ではなくて「女性の性愛と愛の身勝手さ」という指摘・批判は、これまで接した大勢さんの感想に、無かった。なぜかなあと思っていたのである。ただし斯く謂われている「女性」が「誰」を指さしているのかは明瞭でない。

☆ 「オイノセクスアリス・ある寓話」の感想文のつづき  (辰)
秦 兄  8月2日に「オイノ・セクスアリス・ある寓話」の読後感をつぎの出だしで送信した続きを少々。

「『合 は離の始め、楽は憂の伏すところ』で、これ以外の結末はないだろうと予想していたので最終章は一応納得できた。一応と書いたのは読み終えた読者諸氏がウー ンと唸るとすれば、それは最後の雪の消え方と原因に戸惑い、様々な反応があろうという意味。この大作を完結させようとすれば、松と雪の関係をこれ以上つづ けるには無理があり、秦恒平と吉野東作がジキル博士とハイド氏であれば松は死ぬところだが、秦=松ではそれはならず、となれば雪が溶けて消える以外の結末はない。
遺書でもないかぎり、自死の原因について第三者の無責任な詮索は死者を冒涜することになるのだが、それでも多くの読者の感想や批評を兄以上に日録によむのを楽しみにしている私は野次馬である。」

と書いて兄の労作に対する読者諸氏の感想や批評を楽しみにしている一人だが、秦文学の愛読者は性を主題にしたこの作品にはいささか戸惑っておられるようだ。

そんななか、或る女史の7月15日の掲載文には大いに頭を掻くところが多々あった。
作者はこの作品で多くの問題提起をしているが、その一つ「一夫一妻制度」について語り手の吉野東作氏は明言していない。病身の妻を慮って性生活から遠ざかっているときに雪繪が現れた。

しかし、一触即発の欲情も最初の性行為にいたるまで数年を要しているところが心憎い。雪繪と性関係を持つことで妻に対する後ろめたさを他の気配りで補填しているところなど、秦恒平と吉野東作は私の好きな「ジキル博士とハイド氏」さながらで興味ぶかい。

読 者もまた二重人格的性質を多分に持っていよう。しかし、日録に送信することは実名・ハンドルネームを問わず、その人の思いが反映される。話題が当たり障り のないものなら気楽だが「性」に関わると送信者の実像に直結するから簡単ではない。読者諸氏が口を閉ざす所以であろう。

東作は妻の性生活の途絶えに対する思いの記述を避けている。一夫一妻制に触れる以上、この辺の描写も多少要求される。妻は東作の情事を知ってか知らずかも含めて。

作者「私語の刻」のことばを借りれば、「すべてが『吉野東作という私人』の走り書き、書きっ放しの体裁で・・・」と、するりと躱されるのだが、私はここに秦文学の一大特徴をみる。他の作家は延々たる「私語の刻」を持たない。いまでこそHP活用の作家はいるが、「私語の刻」を嚆矢とする。作者からの一方通行でなく読者との双方向性はマスコミ(アナログ)とSNS(デジタル)の相違とおなじである。

作品はいったん作者の手を離れた瞬間から全ては読者の読みに委ねられるのだが秦文学はちがう。30年以上にわたり「日録」をつづけている偉大な業績はこの作品に至って一段と光彩を放っている。

秦夫妻が並々ならぬ老躯の労苦を厭わず私家版に拘る所以は実にここにあるのだとおもう。私は秦文学を一言で表すならこの点を挙げる。「私語の刻」を持つことの意義は計り知れない。

案ずることはただひとつ。視力にはじまる身体の衰えである。私もキーボード上で隣接のキーを叩くこと屡々である。あるのは意欲と気力のみ。あらゆるサプリメントを用いてつぎの大作の完成をねがう。独断と偏見による私の音楽サプリが兄に役立つことを念じて。

一夫一妻制度や宗教との関わりについてはまた別の機会に。 2019-9-1  京・岩倉  辰
2019 9/1 214

* 和歌山・紀の川の三宅貞雄さん、群馬・前橋の宮崎弘子さん、神奈川・茅ヶ崎の吉川幹男さん、「湖の本」へお便り下さる。
御茶ノ水女子大、早稲田大、久留米大からも受領の来信。

* 五島美術館より秋の「筆墨の躍動」展へ、俳優座劇場より十一月の稽古場公演に、招待される。

* 京の森下兄より、数枚もの音盤届く。感謝。

* 『オイノ・セクスアリス 或る寓話』へ かなり長文の感想が届いたが、大きな読み落としも見受けたのと、余の読者の方の読みに障るかも知れないので、僅かな書き始めの方へだけ、私なりの感想を直にメル返しておいた。
2019 9/2 214

* ロス在住の年輩の茶人池宮千代子さんから、お手紙と、「湖の本」へのご支援を戴いた。なつかしい。五ないし六十年以前の仲良しで、姉上の大谷良子さん が叔母の元へお茶を習いに見えていた。大谷さん夫妻も、池宮さんのご主人もアメリカで亡くなり、もう久しい。「こんなの」も書くのかと驚かせたらしい。

* 妻の、濱家の従弟からもたより。二松学舎大、皇学院大からも受領の来信。
2019 9/4 214

* 元 文藝春秋の明野潔さんからお手紙に添えて、過分のご支援を頂戴した。ありがとうございます。

☆ 残暑 御見舞 申し上げます
いつも 湖の本 また典雅な御選集を お送りいただき 有難うございます 素晴しい沢山の御文章に接するたび 感嘆しております
いつぞや水上勉さんのことを書いていらっしゃいましたが 私も 御原稿をいただきに百万遍のお住いや 上田の別荘に何度かうかがったことがございます
撮影のため 京都の街を御一緒したときは お住いの下にある 至文閣美術館の女性はもちろん 街行く若い女性に 気軽に話しかけられるのに 一寸びっくりいたしました
手土産に鍵善のくず切りを持参したときは 御自身がくず切りの推薦文を書いていらっしゃるのを あとで知り 赤面したものでした
そんな昔のことばかり 思い出しているこの頃です
どうぞ お元気で     明野潔
2019 9/5 214

* 岡山のノートルダム清心女子大から湖の本受領の来信。

* 亡き近藤富枝さんの文学碑が軽井沢に出来たとご遺族より通知。
私の紙碑は、作品。「秦 恒平選集」33巻と「秦 恒平・湖の本」おそらく150巻以上と、HPの厖大量の「闇に言い置く 私語」と心得ている。何も、加えてくれなくてよい。
2019 9/5 214

☆ 『湖の本・146巻』お送り頂きまして、
有り難うございます。
先日来、父の納骨で新潟へ参っておりまして… 御礼申し上げるのも遅れてしまい… 失礼なことでございました。
その後、手付かずになっていた、住まいの片付けがこれから始まります。その様に慌ただしい日々なもので…御礼と、ご返事が遅れましたお詫びを申し上げます。
新潟に戻りました時に、稲田を撮った写真をタブレットから送信させて頂きます。
まだ暑い日が続き、過ごしにくいこの頃です。  どうぞくれぐれも、お元気であられます様。お祈り致しております。 百 拝
2019 9/7 214

* 昼下がり、市の小さいバスで保谷駅へ出、銀行から「ラ・マンチャの男」への支払い送金し、またすでに大きく欠損の出ている「湖の本」入出金郵便通帳へ当面の補充分を用意した。
地下鉄で銀座松屋へ、弱り気味老夫婦の鰻での昼食をホンの少し。わたしは蒲焼きでお酒少々。
2019 9/12 214

☆ 感想
「湖の本」146(長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』完結編)をいただきました。ありがとうございます。
何度読んでも本当の父と娘の濃密な関係イメージが頭から離れません。
『生きたかりしに』が再生の書でしたら、こちらは救いの書でした。     東京・狛江  方外野人

* これは意外に意表に初めて出た感想で、ビックリした。同様の感想を持った方もあったうか。『生きたかりしに』は、私生母との、母死後久しくての邂逅の旅の ような私小説長編だった。
今回の長編は、あくまで作中吉野東作氏の終始自語りで、作者の私からは虚構の「寓話」のつもり 、今も改めていないが、小説は読者にどう読まれても当然な構えで書かれてあるもの。
「救いの書」の意義如何、私も知りたい。

☆ 「湖の本」146 落手
ありがとうございます。
奄美へ行って来ました。
子供の頃の夏の空気が残っていて 気持良かったです。 作家・写真家 島尾伸三

* 日本近代文学館 京都府立京都学歴彩館からも受領の来信。
2019 9/14 214

* 「湖の本」や「選集」を実際に組み版したり校正したりして呉れている担当の人の残暑見舞いにも前回の『オイノ・セクスアリス 或る寓話』には「私ども 制作スタッフも内容を読みまして、少々驚いておりました」と感想が添えられていた。小説の「内容(物語・寓話)」への驚きであったか、「性交為」の相次い で数多な連続と描写・表現とに驚かれたのかは即断出来ないが、大方の読者は後者のようであったと想われる、それは何故かに文学上の問題があろう、か。私 も、他人様の書かれた同類の描写や表現に顰蹙し厭悪した経験は少なくなくて、こんな風にしか欠けないのか描けないのかと物書きとしての筆ぢからにこそ眉を 顰めた。人間といえども清浄の人であればあるほど避けて通れる行為でなく避けた方が良い行為でもなく、貴賎都鄙の日常自然な通過行為である。文学表現の部 分的な題目・課題になり得て自然な行為である。のに、しかしまあ何と汚らしく拙劣な、書き手その人にすでに汚穢行為という先入主があると思えて、それにこ そ顰蹙してきた。
性の行為場面を私は初期作以来、なんら避けず、一つの高揚ないし純愛の場面として何度も何度も触れて書いていた、ぜんたいにそう露わでにではなかったが。
しかし今回の東作老と若い雪絵との度重ねた出会いは「性交為」をこそ大事に繰り返されていた以上、隠微にもので蔽い隠したような表現では書き手の手控えまたは力不足ということになる。私は、汚穢感に傷つかない筆遣いにことに注意して真っ向に書きかつ描いたつもり。
読者の誰か一人の方が、それも女の方が、その用意を認めて「是」のメールを下さっていたのは有り難かった。
「驚かせた」ではあろうが、要は性行為の一部無いし一種ないし一場面で、それが作の行方のためにも必然であるなら、作者は自然当然必然をきちっと為したまでと思っている。
いい機会とみて、明言しておく。
2019 9/17 214

 

* 『作・作品・批評  濯鱗清流』(四) の心用意を。いい一巻二巻が出来そう。

* 神戸清心女子学院大、京都ノートルダム女子大 から「湖の本」受領の来信。府中の斎藤誠一さんからも。
二時。なんという疲労感。
2019 9/21 214

* 視力をたすけて15級の字で『清水坂(仮題)』は書き進めてきた。書き上げた今、本にする際の10級にあらためてみると、推敲・添削のせいもあり思っ たより本分量は縮まり、ま、いつもの「湖の本」一巻分で纏まっていると知れた。それはそれで問題はない。三稿めを作りながら読み進んでいる。
お午になっている。
2019 9/28 214

* 一ヶ月、プラトン最大最重要な著書『国家』の文庫二冊本の「上巻」から聴いてきた。
この大著の全編を、わたしは二度読み終えたところ。胃癌全摘の手術を受けに聖路加へ入院した日から読み始めたのだ、もう七年半の歳月が過ぎた。正直なところソクラテスの曰くに、全面賛成していない自身も自覚している、女性観などは。
この七年の間に、顧みて「湖の本」を36巻分、平均600頁に逼る『秦 恒平選集』を第31巻まですでに刊行してきた、書き下ろしの長、短篇も刊行し、また現に脱稿しつつもある。
目は暗く歯は大方無く体重は術後より現に7キロ近く減っている。往時からすれば 27キロも減っている。歩行に杖は欠かせず、荷物は、戴いた背負い袋で負うている。食は進まない、昔と変わらないのは、「酒飲み」だけ。幸い血糖値も血圧も尋常で助かる。
生きてきた と、しみじみ想う。感謝している。創作にも読書にもなお意欲あり、好奇心も知識欲すらまだまだある。
こうして「自身の既往」を敢えて反芻しいしい、自身を励ましている。妻にも建日子にも助けられ、ふたりの「マコとアコ」猫とも、それは仲良しである。みなみな、怪我すまいよと願う。

* もう九時になる。懸命に、読んで読んで、添削、推敲、満足したわけでなく、明日にも視線をさらに深くして。へとへと。だが、間違いなく一両日で入稿で きると思う。やはり待って頂いている「湖の本」の読者へ先にお届けしたい。『選集』は、第32巻の巻頭へ、余の長短幾つもの作と一緒に収録したいと思って いる。これきもう、あの『オイノ・セクスアリス 或る寓話』とはまったく相異なる物語になっている。.

* ほぼ九割九分がたカタを付けてきたと思う。明日、さらにきちんと目を通したい。疲れた。十一時過ぎた。
2019 9/30 214

* 少し、感じの出たみじかい一節を適所に追加で挿めた。納得がいった。
視力のために大きな字で書き続けてきたので、さて入稿の10級にもどすと、少なくも25頁分ほどは減っていた。「湖の本」の、平均ほぼ一巻分にはなっている。1000枚の長編『オイノ・セクスアリス 或る寓話』に次いで、また長編といえる<最新作>を続けざま送りだせるのは小説作家としての身の幸と思う。感謝する。
2019 10/1 215

* 徳島文理大、武庫川女子大、「湖の本」144<145<146 受領の来信。
2019 10/1 215

* 新刊の「湖の本」147 うしろへ、長めの「私語」になるが補充したいと、九月ひと月の「私語」を読みかえし、根気よく用意した。量的にいま少し検討して 入稿するが、これは急がない。それにしても、わたしの「私語」表記にすさまじい乱れや誤記の多いことに気づいて、ガクッ。一つには、視力の無さ、視野の暗 さで、文字盤が見えていない。アテズッポウでキイを押している。ま、仕方もないと。
ともあれ、ほおっと呼吸(いき)をしている、今は。階下へおり、いいお茶で好きな松露を口に含もうよ。
2019 10/2 215

* 誰の何のなど考えない、しみじみ美しいフルートの曲を繰り返し今朝から聴き続けている。東工大の頃の上尾敬彦君のプレゼント、彼ならではの選曲の優しさも嬉しく。
で、私はいま何をしているか。濯鱗清流。もっぱら入稿原稿づくり。
「選集第三十二巻」の小説原稿がもう順序に配列されている。入稿の前に、処女作から最新作まで。とはいえ、手書き原稿から器械へ写せるなら、もう何作か が埋もれているのだが。間にも合うまいし、本にそれらを含む収容力もない。やはりそれは何れ「湖の本」で初出刊行を考えた方がよい。 「選集第三十三完結 巻」の編輯は難しい。書誌、年譜、随筆等々、自身に関わり深い資料的原稿をつくりながら新作の短篇等を拾い採るか。
慌てまいと思う、ただそりためには体調と健康とは維持していないとし損じる。「選集」を早くアガッてラクになりたいという気分もある、にはあるが。
2019 10/7 215

* 今日も寝てしまわぬよう、体調をよく塩梅しないと。
目に見えず、いや目に見えても、前へ運ばねばならぬ仕事は交錯している。手を抜くと混雑し膠着してしまう。明朝には、「湖の本」147最新作の初校出と通知が有り、日常作業がしばらくぶりに校正を軸に回り出す。どんな風にゲラが出てくるか、楽しみも心配も。
2019 10/9 215

* 「清水坂」 ま、順調に読めている。この器械でも、つきの「湖の本」のための原稿づくりをもう初めて、進んでいる。「清水坂」の最高が出たら「秦 恒平選集」第三十二巻入稿も可能になる。体調を乗り越え仕事は先へ先へ進む。新しい創作のことも、いま「選択」中。
2019 10/11 215

* 「湖の本」148の原稿を半ば以上整理し用意し終えた。よく働いたのではなかろうか。今夜は、もう休もう。
建日子の呉れたガッチリ重い「CANON」カメラが自在に使えるように成るには。使い続けてみることか。いいカメラだなと羨望の機械。
わたしが初めて自分のカメラを手にしたのは大学生のころ。河原町の「桜井」のウインドウに出ていたライカマウントのニッカが欲しくて欲しくて、毎日のよ うに眺めに行っていた。叔母の茶の湯の代稽古をするという約束で叔母が「五万円」という当時では目を剥く大金を出してくれて手に入れた。じつにいいカメラ だった。今想うと、昭和三十年にもならぬ時期の五万円のカメラとは途方もなかったのだ。今も持っているが、もはやフイルムも手に入れにくい。骨董品であ る。たれかカメラ・マニアがいれば上げてもいいか。
それにしても、いい機械ほどややこしい。わたしが2004年に有楽町で買った愛用のカメラはワイシャツの胸ポケットに入った。すごいほどたくさん撮って みごとに撮れるいい機械だったが、もう充電が利かなくなってきた。電池も充電器も、もうこんな機械は「有りませんよ」とビックカメラで引導を渡された。 15年を愛用し続けた。嵩の低さも軽さも有り難かった。今度のキャノンはとてもとても、持ち歩きもたいへん。どう慣れるか。背負い袋にうまく入るかな。頸 に掛けては、頸が曲がりそうに重い。これも人生か。建日子 アリガトさん。
2019 10/14 215

* 初校を返送した。
2019 10/15 215

* 「湖の本148」の原稿が出来た。「湖の本149」の原稿も追いかける。
2019 10/16 215

* 「湖の本」の入稿原稿づくりに邁進している。
2019 10/18 215

* 「湖の本」148 入稿できるまで用意できた。
ショパンのノクターン同じ曲を いろんな楽器でさまざまに演奏しての20曲を聴きながらも、あすに備えて 今夜は すこし早めにやすみたい。
2019 10/22 215

* 二時までたっぷり外来で待った。
「オイノ・セクスアリス」の湖の本一を、90頁まで読んだ。ここまでだけで、一編の私の論攷になっていて、読めない人にはともかくも、私としては、腑に落ちて、変化も主張もある演説ふう読み物になっていると満足した。
ここがしかと読めない人に、此の長編小説は、猫に小判だろうと思う。五十年の作家生活の一つの「達成」のようにすら書き切れていると思えた。五十年前では決して書けなかった。
これよりアトの、「湖の本」でいう、二へ、三への展開、ことに若い「雪絵」という女性との性の没頭などは真実味に満ちたお愛想のようなもの、長編創作の核心は、別にある。大方の読者は、赤裸々な性の表現で喜んだり惘れたりされたらしい、それも作者の仕掛けであった。
2019 10/23 215

* 選集も そろそろ終幕を迎えるが、なにしろ極く数少ない製本なので、「本」の形ではもう私の手もとにも余分がない。まるで無しにするワケにも行かない。
大学、図書館、研究施設へは、よく選んで、漏れなく送ってきたつもり。幸い「湖の本」版本文と「選集」版本文とに有意の差はなく、違うのは「装幀」「製本」だけ。「可能な限り」の欠巻補充は、申し訳ないが、上記施設等と縁の遠い方に限るしかないと、手元を調べて再確認せざるを得なかった。。
2019 10/23 215

* 「湖の本」148を入稿した。明日には「湖の本」最新作小説の再校ゲラが出来てくると。
2019 10/24 215

* 「湖の本」147の再校出、直しほとんど無く、早めに校了出来そう。
2019 10/25 215

* 「母」については、「湖の本 母の敗戦」にも「選集 生きたかりしに」にも書いたが、「父」については断片的にしか書いたことがない、触れまいとして きた感さえある。が、もうそろそろそうも成るまいと、かねがね少しずつ書き置いたものなどを構造化してみたいと思うようになったが、実に気の重い仕事で、 身内からグウーっと、草臥れる。ま、やりかけたなら、やり次ぐべきか。
2019 10/28 215

* 念に念を入れたく、発行の遅れよりも佳い本文をと、湖の本147の新作小説の三校を頼んだ。
きもちよく新作を送り出したい。
2019 10/30 215

* 「湖の本」147の最新作小説をできれば遅くも師走の頭には送り出したいと願っている。そしてその新作を巻頭に置いた小説集の「選集」第三十二巻を用意している。巻頭作が「湖の本」で仕上がれば一気に纏まる。用意は出来ている。
2019 11/5 216

* 摂政兼実の『玉葉』を調べながら、「儲貳」という二字が出た。幸い理解していたし、そこに関心の核心があった。念の為に近年の大きな辞書を調べたが、出てなかった。
平凡社がウーンと昔に何十巻と揃えた辞典を、一気に大きな大きな重い重いただ「二册」に縮刷したのを見ると、ちゃんと出ていた。
あれは小雪のちらつきそうな日だった、松園を書いて「閨秀」を発表の直後だった、未知の平凡社編集者の出田興生さんが、この重い重いデッカい二册の「大 辞典」をお土産に背中に背負うて、本郷の勤め先医学書院へ私を初めて訪ねてみえたのを、今もなつかしく嬉しく想い出す。四十余年も昔のことになる、
出田さんは、いまも「湖の本」を購読し、選集を次々呈すると、きっとそのつど支援のお祝いを送ってくださる。人生のいい物語、嬉しい物語もまた、しずかに編まれつづけて行く。
出田さんの長女はわたしのことに可愛がった子であった。早稲田で、在学中から活躍していた。いつぞや本場所の桟敷へ誘い、妻と三人でほくほく大相撲を楽しんだ。
出田さんとも阿生とも、また逢いたいなあ。
2019 11/5 216

* 午后へかけ「選集」第32巻のため少し根をつめ、頸周り固くなり、疲れで目もふさがってきた。今夕は歯医者の予約。すこし根気を和らげてから出かけたい。
明日には「湖の本」137三校が届き、「湖の本」138の初校も届くという。歳末へかけて目一杯の忙しさになる。
これは楽しみの方だが、今月には池袋芸術劇場での松たか子公演、また歌舞伎座では幸四郎・染五郎父子の「連獅子」がある。聖路加で前立腺の診察もある。うまく乗り切って行かねば。私が保っても妻が疲れ切ってはハナシにならない。二人分気を配らねば。
季節はずれに新芽が立つようにあれをこれをしたいという創作の欲も。浮つかぬように。
2019 11/6 216

* 政治や時世への口調も激越な主張と批判をふくむ論文がこの「私語の刻」へ時に送られてくる、私自身も似たことは書いているので貰ったそれを読むのは苦 にしないが、あくまで此処は、「作家・秦 恒平の生活と意見」「私語と交際」の欄として、読んで下さる方々は「秦が、また云うておるナ」と、笑って読まれもすれば辟易して読みトバされもする。あく まで「秦 恒平の私語の刻」であって、誰しもの開かれた「論壇」としては運営していない。分かって頂きたい。ご自身の「ホームページ」を設営され、そこで論陣を張ら れるようお奨めする。または、文量に制限がなく想えていた(私はそこからは完全撤退しているのだが、)「フェイスブック」を活用されてはどうか。
わたしの「生活と意見」には、 万般、私自身生来の「好み」が下地になっている。古典も和歌も美術も京都も歴史も信仰も文学も観劇も趣味も、飲食も旅も。
「湖の本」購読者と限らず、広い範囲で何十年来の、また最近の読者が読まれているらしく、その雰囲気は維持して行きたい。ご理解下さい。
2019 11/7 216

* 「湖の本」147最新作小説三校が届いた。読み直して行きつつ、やはり三校をとってよかったと思い思い、懸命に読んで早めに師走上旬中にも責了にした い。歳末を「発送」で追われるのは厳しい。しんどい。「湖の本」148の初校も届いていてる。これは、落ち着いて進める。
「湖の本」 ついに通算して150巻が、もう遠からぬ先に見えてきた。はるばると歩んできた。落ち着いて、佳い一結びを工夫したい。「秦 恒平選集」第33巻完結と重なってくるだろう。

* 「清水坂(仮題)」半分読めた。今夜にもう一章読んで、結びの一章を明日備前に読み終えたい。ごく少しとはいえ誤植があり、ルビ補充も少し有った。半分までは、好調に運べていたと思う、私なりに、であるが。
2019 11/7 216

* しばらくぶりの「湖の本」発送になるので、手落ちなく用意したく。急がないということも大事。
2019 11/9 216

* 「湖の本」発送のための、肩の凝る、しかし不可欠の用事の一つも終えた。一つ一つ、用事は遂げて行く。それが一等の確かな早道。
2019 11/9 216

* 「秦 恒平・湖の本」を送り出す封筒に、大学・研究所、高校、作家・批評家他へ、宛名を貼らねばならない。そして購読者の皆さんへも。そういう作業を、創刊以来 150回ちかく、34年ちかくも重ねてきた。私はいいが、手伝ってきた妻はよほと゜草臥れたろう。ともあれ「秦 恒平選集」(とても「全集」というにはほど遠いが)予定の33巻を敢行し終えたい。お終いの2巻分は編輯が難しい。新年の前半は掛かることだろう。 2019 11/10 216

 

* 自前で本を買う。そんなことは敗戦後、新制中学に進んでからのこと、それ以前は小遣い銭を持たなかった。ひたすら東山線、菊屋橋畔の古本屋で立ち読み していた。中学生になると夕方から夜分へかけ下駄履きで河原町を四条から三条を往復しては本屋で立ち読みした。買えるとすれば☆一つ15円の岩波文庫の いっとう薄いのを願うしかなく、いっとう最初に思いきって買ったのが、シュトルム作「みづうみ」だった。むろん☆一つ。物語はすっかり忘れ去っているの に、「みづうみ」はいまも、私のひそやかな通称にも「湖の本」の名にもなっている。
岩波文庫で次に買えたのは☆一つの「徒然草」、そして思い切ってお年玉をはたいての「平家物語」上下二巻だった。前者からは、『斎王譜(=慈子)』がう まれ、後者からは『清経入水』が生まれた。その両者より早くに、秦の祖父鶴吉の蔵書中の白楽天詩集愛読の結果として『或る説臂翁』が処女作になっていた。
中学二年を終えた時、卒業して行く人から春陽堂文庫、漱石の『こころ』を形見のように大事に贈られた。何十度も読み耽った。後年の俳優座公演加藤剛主演の『心 わが愛』脚本の成る原点であった。
いわゆる単行本へも「買う」という手を出していった一等先は、与謝野晶子の現代語訳『源氏物語』であった。その次が岩波文庫☆一つの谷崎潤一郎『蘆刈 春琴抄』そして一冊本の『細雪』をまさに清水の舞台から飛びおりる気持ちで手に入れ、愛読した。
2019 11/11 216

* 二階から降りると妻は「発送用意」などに疲れて寝入っていた。「マ・ア」も妻のそばへ遣り、一人台所で休息し、また機械へ戻って奇怪な物語を古い古い文献などから掘り起こしていた、が、もう疲れた。床に就くには心もち早いが、やすもうと思う。
2019 11/11 216

* 「湖の本」148の初校を80頁ほど励んだ。晩飯を食わず、スコッチ「バレンチン」を生のママ呑んでいる。も少し美味いのを買うべきだったと思いつつ、もうボトルの、四分の三も呑んでいる。愉快酒とは云えぬ。不快酒。ま、愉快なことなど、もう、そうは有るものでない。
2019 11/12 216

* 書きかけていた北越や山陰を舞台の小説、手近に在るはずの文献を見失い、立ち往生している。いったん見捨てざるを得ないか。

* こころ重いが、これが老いの日常というものか。せめてやすやすと寝入りたい。本の発送をひかえると、出来て届くまで胸を圧されるよう。生涯、用意万端に気配りしては疲れてきた。トクな性分でない。バグワンに叱られッぱなしなワケ。
2019 11/15 216

 

* 最新作の物語「湖の本147」の発送までに、十日を切った。心して用意を詰めておかないと気が騒ぐ。その間にも、幸四郎・染五郎父子の「連獅子」を観 に行く。体調、かならずしも自信に満ちていないので、用心しいしい過ごす。発送は、想像をこえた重量との格闘になるので。
2019 11/16 216

* 仕事を前へ進めて、十時前、もう、やすもうと思う。床で、本が読みたい。明日は日曜。あと、八日の余裕、九日目に「湖の本147」納品され、発送作業 に。月末までに五日。五日掛けてもいいと思って過剰に疲れないようにしたい。師走を穏やかに、無事に冬至の誕生日を迎えたい。
2019 11/16 216

* 今朝のうちに「湖の本」148を要再校で送っておいた。
ちかぢかに、『秦 恒平選集』題三十二巻が入稿できる。そうなったら、のこる一巻分をどう編輯しておさめるか、知恵を絞らねばならぬ。
時は、着々流れて行く。私は岸に立ち 流れを眺めているのではない。私もまた流れている。
2019 11/18 216

* 発送前の大方の用は終えた。あとは謹呈分の追加若干の封筒宛名を書けばよい。残る四日半、本業へかかれる。
手に入れた「携帯電話」の学習も。だが、これはとても苦手。いつになったら使えるか分からないが、外出時の緊急に、家と、妻と、建日子「とに」、乃至「から」通じさえすればよいのだから。
2019 11/20 216

* 発送前は、本が納品されるまでヘンに緊張し気疲れする。本が届くと、空気が抜けたように平常(ふだん)に戻れる。
2019 11/22 216

* もう二日、休養する。三日目には「湖の本」最新刊が出来てくるが、その当日も翌日も病院通い、きっと疲れてしまう。ま、なんとしても慌てず急がず、十 一月中に「発送」という力仕事を終え得れば、祝い日の重なる師走も、なんとかお祭り月に出来ようか、討入り前の十日には、久々の国立劇場、「近江源氏先陣 館」 盛綱通しの座席がもう届いている。
2019 11/22 216

 

* 「湖の本137 花方」 届いた。  では、築地(聖路加病院)へ向かう用意を。

* 早めに解放されたので、三笠会館に入って食事した。ステーキ肉を150グラム、しっかり食べたが、以前に二度来た時のように、美味いという実感にはならなかった。
「花方」は気持ちよく「一」を読みきった、が、この程度でも、「難しい」と謂われるのだろうか。
「語る」「もの語る」という「方法」にわたしは「好奇心」というほどの好みを、いまも持っていて、前作でも、今度の作でも「語る」楽しみでハナシを運んでいる。そういう「作」がこれまでにも多かったろうか、そうでもないと思うが。
2019 11/25 216

* 十時近くまで荷造り仕事を。まだまだ些少。明日へ譲る。「オクニョ」「ホ・ジュン」などを言葉だけ聴きながらの手仕事。疲れた。
2019 11/25 216

* 朝一番から三時まで フル回転で発送作業をつづけ、歯医者へ。どういう次第やら実に簡単に今日はここまでと解放されたのが四時すこし過ぎ。帰っても食 い物はなし、どの見せも五時開店で、閉口。街へも出る気なく、保谷へ帰っても何もないので、江古田駅の界隈を仕方なくブラブラしていて、小さなタコ焼きの 店で、生まれて初めてタコ焼きなるモノをビールで。六つの二つをのこして、ようやく五時になったので、気に入り「魚功」のカウンターで、生牡蛎を八つ、一 合の酒で豪勢なほど多彩な刺身盛り合わせ、満腹し満足した。初めて家へ携帯電話した。ちっちゃい文字が見にくくて困る。
いまの西武線江古田駅は電車の便がよくなく、混んだ各駅停車であちこちで通過待ちしたり追い越されたり、ま、七時過ぎには帰宅し、すぐ発送作業を二時間余、継続。機械の前が冷え冷え。まだ明日一日では送り切れまい。温かく、寝入りたい。
2019 11/26 216

 

* 二時半。文化界、そして大学・高校へ、すこし単純作業なので先へ送り出して、まだ終えていないが、一等大事な読者へは、いま用意し、ひと休みに、機械 の前へきた。機械の電源だけは朝早くに入れておいた。さもないと、寒さへ向かう日々、容易なことで私の機械は作動してくれない。ナントカして、明日のうち にも、発送了へ見通しを得たい。
2019 11/27 216

 

* ガクッと疲れて、夕方で、作業の手が止まってしまった。この分では明日いっぱい掛けてしまいそう。紙の本といえども嵩になると石のように重いが、前回 発送までは重さを味わうほどの心地であったが、今回は、荷にした55册分の一箱を持ち上げるのに「重いナ」と感じ、これまでは玄関まで廊下を持ち運ぶのこ とも出来たが、今回は腕車に載せて運んだ。幸い、腰へはまだ来ていないが、歩行、前屈みになりがち。
昨日は、ケイタイの記録によると3000歩ほども歩いていたそうだ。歩くのがいいのだろう、まだ自転車が使える。ご近所の観察では、私、「サッソウ」と自転車で走っているそうだ。曾ては、膝や腰や肩の痛い時期があったのに、今は階段の上がり降りなど、苦にしていない。

* 晩の七時になる。もう少し、階下で、ガンバレルだけ作業してみる。

* と、云いながら、今晩、少しも事がすすまなかった。気が萎え、ガッカリしていたのだ。夕方までに何函に何百といった纏まった数字分の荷造りが出来てい て、それを集荷に任せた時、じつは、加えて、やや半端ながら40册ほども読者分の荷造りが出来ていた、その分を送らぬまま済ませた。
「湖の本」という私の仕事は、一日半日でも早く、一人でも多く、間を明けず読者のみなさんに「作」物を、本を、送り届けたい、観て、読んで頂きたく気を 励ませて出版し、一心に本造り・荷造りをしている。せっかく何百册かの上へ40余人分も用意が出来ていた分を、ついキリのいい数や函にこだわり送りそびれ て、大げさなようだが、グタッと気が萎えた。待って頂いている読者に申し訳ないような気がした。
そこで、気が萎えるのが私の弱さ、気疲れのヘコミだとも思う。明日、また頑張ると今は思っている。

* 少し早いが休息しよう。
2019 11/27 216

* 発送作業を、ほぼ終え得た。師走を少し心安く過ごせるか、そうだといいが。
2019 11/28 216

☆ 『湖の本』147『花方』をいただきました。
直ちにページをくくり、ただ今読了しました。いつもながらのご厚情に感謝いたします。
確かに、「現代の怪奇小説」の新たなヴァージョンですね。愛の開花までの美しいポエジーを切れ切れに散りばめつつ、平家の時代から現代までの人間の執念 を、ときになまめかしく絡ませています。日常を突如浸食する異空間・異時間の怪しい情念と美しさを言語の力によって、一瞬読者の脳裏に像を結ばせる。その 筆力にはいつもながら感嘆しております。
ガンの心配から解放されているご様子で何よりです。
ありがとうございました。お二人の平安をお祈りします。  IDU名誉教授  浩

* 怪奇は人の心を「白」くする。「怕」いの本義であろうか。
今回作『花方 異本平家』は、怪奇に重きを置くよりも「愛」の奇妙を楽しんで「語り」たかった、結果として何かしら美妙に「騙り」えていればいいと、文 章や語りにも思うまま遊びを拒まなかった。それぞれに色徴の異なっている「宗盛」 「花方」 「颫由子」 三枚の色よい花びらを一つの「花」へと組み合わ せ、その花が風車のように文学として舞い舞ってくれるといいが、と、楽しんだ。太宰治賞の「清経入水」へ河上徹太郎先生の下さった批評、野呂芳男さんの期 待と予言をもう年久しく胸に置いていた。
2019 11/28 216

 

☆ 湖の本147号、
今日拝受いたしました。ありがとうございました。
早速、私語の刻を拝読、今回もまた秦様の旺盛な創作意欲と文学・演劇・音楽に関する飽くなきご関心に感嘆いたしました。
ご病身で目もお悪くしていらっしゃるにもかかわらず、このエネルギーはどこから生まれてくるのだろうかと、ただただ感嘆するのみです。佐藤一斎の『言志四録』の「老いて学べばすなわち死しても朽ちず」を座右の銘にしている私を大いに鞭打ち励ましてくれる御文章です。
このところドナルド・キーンの『日本文学史』全18巻の内16巻まで読み終わりましたが、キーン氏の「凄さ」と秦様の「凄さ」に共通するものを感じている次第です。
小説「花方」はこれからじっくり拝読いたします。まずは御礼まで。  茨城  鋼  翻訳家
2019 11/29 216

 

* 「湖の本 148」の、早や再校が出そろった。師走半ばには責了にできなくないが、一月早々の発送はつらい。、きまりの数字になる「秦 恒平・湖(うみ)の本」第150巻の心用意をしたいもの。いまから最新作の長編小説は、ちと難しいだろうナ。
それよりも、残る二巻の『秦 恒平選集』をしっかり仕上げて、久しきに亘る重い肩の荷を、しずかに心ゆくかたちでおろしたいもの。作家生活の五十年が過ぎて行く。疲れましたなどと音を上げてはならない。私は私自身の「いま・ここ」を心豊かに養わねば。
2019 11/30 216

☆ お元気ですか、みづうみ。
湖の本の発送をご無事に終えられましたこと おめでとうございます。本は 読者に届けられてこそのものと、みづうみほど自覚的に動いていらっしゃる文学者は少ない気がいたします。
来週早々の引越しを控え、仮住まいで荷造りに追われておりまして。湖の本新刊を読む日を とても楽しみにしております。
リフォーム後の壁面いっぱいの書棚に 湖の本全巻と選集全巻を並べる日が待ち遠しいのですが、ダンボールの山を見上げると気が遠くなりそうです。
蔵書などせずとも電子書籍があるではないかと言うひともいますが、わたくしは紙の本でないと読んだ気がしません。紙の本でないと「読書」という実体験にならないと信じるのは、決して時代遅れとは思わないのですが。
みづうみ お疲れがでていると思います。風邪も流行中です。どうか暖かくなさってよくおやすみください。眠るのはよいことです。落ち着きましたらまたゆっくりメールさせていただきます。  葉   静かさに耐へずして降る落葉かな   虚子

* 感謝。無事のよきお引っ越しを。

* 「ペン電子文藝館」を懸命に育てていた 頃は、致し方なく 近代多数の力作や問題作を機械の上で「校正」という仕方でそれはそれは沢山読んだけれど、そのほかでは私も機械の中から往時の作家達の 優れた作品を読むなどは、一切しない。そんな読み取り機械も持たなくて出来もしないのだが、出来ても決してしない。メールで、読んで欲しいと送られてくる 作家以前の方も、大方はきちんとプリントして届けてみえる。
目がひどくなって来て、ちっちゃな古くもなった印刷字はつらいけれど、「文庫本」という大きさ軽さはまことに有り難い、手軽に持って出られる。岩波文庫 を断然筆頭に、新潮、角川の文庫にも中学高校このかた山ほどお世話になってきた。中学二年生の昔、卒業して行く上級生から「春陽堂文庫」の漱石作『ここ ろ』を、手渡された。嬉しさが身に沁みたのを忘れない。その人にも、いつとなくなく死なれてしまっていた。人から伝え聴いた。

* 『花方  異本平家』四章の三まで読み返した。余計だったかも知れない長めの「私語の刻」も読んでおいた。入れない方が良かったかも知れない。

☆ 「花方」は目出度しさなり石蕗の花   奥田杏牛
最新作早々頂き感激です。
ご養生の躬・踏ん張っての創作 低頭です。
御令閨 伴の御身大切に、御活躍祈っております 匆々   東京・小金井市

☆ 「湖の本147」落手
ありがとうございます。
先日、長野の湯田中という温泉に行きました。雪も無く サルも見ませんでしたが、湯の温度42度は熱いでした。   東京・世田谷  島尾伸三  作家・写真家

☆ 『湖の本』147巻目を
お送りいただき、ありがとうございます。
年をとられても ご健筆をふるわれておいでですね。 大阪・茨木  石毛直道研究室

☆ 「湖の本」147(「花方 異本平家)拝受
読ませて頂きます。本当にありがとうございます。
過日の「オイノ・セクスアリス」は先生の「選集」31巻でも読み了えました。
只今 かつて読んだことのある鴎外の「ヰタ・セクスアリス」を取り出して読み始めています。一寸面白い比較ができるかもと思います。
先生の「オイノ」の荘大なケウな血の流れなどみごとに創造想像そして実在実存をみごとに描き処理されていると思いました。
ただ、(これが先生の個性、固有でしょうが)セクスアリスが具体的過ぎ、文芸(アートとかクンストですが)を越え出ている風にも思え、私としては 放言お許し下さい 一寸惜しい気がしています。草々   東京・府中  杉本利男  作家

* 感謝。 後半のご指摘 放言どころか たぶん大方の読者 辛抱して下さった方も 投げ出された方も つまりはここへ感想が寄っていたことと思われ、常識ないしは良識からも ま、それが普通かと思います。
ただ、こうも思っています、この千枚もの長編で、稀有なまでの老人と若い人との関わりが多年に亘り続いた「性の出逢い」も 女性からのごく自然で実情実 感の籠もった多年連続厖大な数の「ラヴコール」 この二つは、「作の構造」そのものの構築上の要請で、これを おシルシ程度に省いては、建造物としてのこ の一作はかえつて薄味に、作の主要な主題や意図や語りをただのおはなしに貶めてしまいかねない、その勘定にこそ作者は意を用いました、そのためにも第一部 をことさらに「東作」氏の述懐や見解や論述や短歌等でバランスしたのでした。この作での「老い」と「若き」との「性」は幸せにも三回でも三十五十回でも等 質の燃焼を得ています、だから三回分書けばいいではないかというのでは、潤一郎先生の云われていた文学の構築的美感、構造的真実に背きかねないと懸念しま して、読者数を喪う危険もあえて「このままの作物」として本にしたのでした。
さらに、ご批判下さい。

☆ 法政大学文学部 山梨県立文学館 城西大水田記念図書館 親鸞佛教センター からも受領の来信あり。
2019 11/30 216

☆ こんばんは
秦 兄  お礼がおそくなりましたが 昨夕「湖の本」147号を拝受しました。ありがとうございました。
何日か徹夜続きで寝不足のせいか、めずらしく風邪で寝込んしまい、ようやく起きだしてメール箱を開いています。
40年近く内科医とは無縁の男ですが 鬼の霍乱というやつでしょうか。それでも魚の干物や梅干し等で熱燗を飲んでは寝ているだけの至極シンプルな民間療法で どうやら完治です。
「戦後日本流行歌史」も昭和25年の「東京キッド」で中断のままですが、弥栄中の3年の頃の流行り歌など またぞろ20数曲ピックアップし始めましょうか。ただ なつかしいというだけの歌ですが、それを称して「懐メロ」という、理屈抜きで歌はそれでいいのです。
弥栄中の3年生の頃か、鰻の「梅乃井」の(三好)閠三君や、(西村)てるさんらと 図書室で修学旅行用の案内パンフをガリ版刷りしていた階下の音楽室では (石塚)公子さんと渡辺(節子)さんがピアノを弾いていたりして、
第5集は そんな頃を思い出しながらの作業を愉しむことにしましょうか。
師走とは、師も走るほど せわしないのか、師へお礼参りに忙しいのか。サンデー毎日の身でも何とは なしに気ぜわしく落ちつかん月です。
兄もマイペースで誕生日や年末・年始をお迎えください。  京・岩倉  森下辰男

* 中学時代の、懐かしい思い出の断片が幾つも混じったメールで、ウホッと思っている。修学旅行用の独自の「案内パンフ」というのを 三年生の五つの組が 互いに競争心を燃やして創り合った、よく覚えている。森下君は四組であったのか。私は五組であった。日立で活躍したテルさんとは今も付き合いがある。「梅 乃井」の三好君とは「美術京都」で洒落た趣向の対談を楽しんだのに、その後羅に急逝された。
も一つ、ピアノを弾く(弾ける)二人の女生徒の名が出てくる。間違いなく昭和二十五年頃の弥栄中学でピアノの弾けたのはこの二人キリだった。二人とも、 容貌も挙措もよく記憶している。森下君は石塚公子をひそかにか好いていたと以前に聞いて「へえっ」とビックリした。この「公子さん」 わが家の真向かいの 子で、一年間 一緒に専用のバスで馬町上の京都幼稚園まで通った。わたしなどは、「公子(きみこ)」でなく 「ハム子」と呼んでいた。「渡辺節子」の方は 当時敗戦後の弥栄中学の雰囲気をいちじるしく逸れた、(生徒会長を続けた私も、運動靴はぼろぼろ、時に跣足で登校したし、帽子の庇もヒンめくれていた し、)しいて謂えば「令嬢ふう」であった。二人とも、ま、一般に冷然とシカトされていたと見えていた。
私はというと、学年の違う三姉妹を心底愛し親しんで 気持ちは今日只今も少しも変わらない、が、姉と、下の妹にはもう「死なれて」いる。中の妹が、いま京 の町なかで、どのように暮らしているのか、中学を卒業以来、何も知らない。住所と聞く先へ「湖の本」は送り続けているけれど。ただただ無事に、元気でいて 欲しい。
中学生って、ふしぎだなあと思う。 往時渺茫、けれど懐かしい。
2019 12/1 217

☆ 湖の本着きました!  琉   義妹

* 妻の妹、手術が無事に終えてよかった。ウーンと長生きしてもらいたい。
2019 12/1 217

* 久しぶりに倍賞千恵子の絶唱「「かあさんの歌」に涙ぐんでいる。
見たことも感じたこともなかった「かあさん」は、少年「もらひ子」の私の胸の、どう強がろうとどす黒いまで、うずめようを知らぬ大きな「欠損」であった。『オイノ・セクスアリス』にせよ今度の『花方』にせよ、他のことはどうでもいい、ほとんど懸命にその欠損を埋めようとしていたのである。八十四歳を目前に なお わたしは未熟な少年のまま底知れぬ感傷を捨てえないでいる。バカみたい。
2019 12/1 217

* 『花方 異本平家』へ どんな感想が届くか、まだ分からない。感想には、読んでの感想と、読まないでの感想がある。「平家物語に親炙」の人の感想が期待されるのだが、怒られるかも知れない。嗤われるのかも知れない。
ひょっとして(円地文子さんのほかにも)「花方 波方」に着目の論文なり創作があったか、それも知りたいし読んでみたいが。

* 九時。まったくの霞み目で、機械の字がもう拾えない。休まないと。
2019 12/1 217

☆ 湖の本147、無事届きました。
いつもありがとうございます!
雨の日も多く、発送は本当にお疲れ様でしたね。
私は以前、保谷の方に行った時、案外楽に行けましたよ。迪っちゃんが逗子の展覧会に来てくれたのは、迪っちゃんが80歳の時だったと思いますが、あの時は大変でしたか?
年上のみんなが、「80代は大変だからね」と口を揃えて言います。
私の受けた手術、無事にうまくいき、本当に良かったと思っています。
お二人からも色々応援してもらって、本当にありがとう!
迪っちゃんもあまり頑張りすぎないで、日々お体を労わって下さいね。   琉   妹

* 無事の成功 ほんとに善かったね。

☆ 「花方  異本平家」 湖の本 147巻
ありがとうございました。
『平家』を 違った角度で読み直すいい機会になります。   静岡大教授  小和田哲男

* ルオーのキリスト像からの墨畫に添えて 島田正治さんから、また 神奈川近代文学館からも、『花方 異本平家』 受領の挨拶があった。

☆ 湖の本、花方、
お送りいただき有難うございます。
早速読みたい、と思う一方で、軽々と読むのは勿体ない。
ぱらぱらと見ましたら、私のメールが引用されていてーーー
私はどんなお役にたったのだろうと思うと、ますます  これはじっくり読まなくてはーーーと思っています。
とりあへず、受け取りと御礼まで。  2019/12/02     藤

* 創作された小説にも、いろいろな動機や刺戟や勧誘が働いている。すこしずつでも作へ立ち入った感想や批評が欲しいなと期待している。「読んでから」と思ってられる方が多かろうと、心待ちにしているが。
2019 12/2 217

* 10:25 軽微ながら地震。

☆ 「湖の本」147を受け取りました。ありがとうございます。
秦さんの作品は難しいという噂とか。
本は難しいくらいでないと読むに値しないのではありませんかね。
司馬遼太郎さんの紀行文に、贈呈された本を読みきるのに一年かかっていた在日韓国人の話がありました。途中引用されている原典に全部当たって、その都度読み終えてから先を読み進められたのだそうです。
私も見習いたいものだと思いました。
と言う訳で 今作品を読み切るにはしばらくかかりそうです。怪しい仕掛けがたっぷりありそうですので。
秦恒平さま     秀

☆ ご高著をご恵与下さり
ありがとうございました。
拝読するとしばしば感じるのは、過去と現在が一つの土地・空間で交錯する不思議な感覚です。その土地が、自分が過去に訪れた場所であると、後継が思い出されて、一層強い思いに囚われます。
ご厚情に深く感謝申し上げます。  敬具   秋田大学教授  正

* 瀬戸内のしまなみを実見に行きたかったが、とても体調が許さず、苦心惨憺、出向かず実見せずに『花方』終幕を思い切って書いた。わたしの実感では、行 けなくて、実景などみられなくて、そのまま猛烈な飛行(ひぎょう)が書けたのは、幸いにその方が良かったのだと思えている。浅々しい実景を見分して書いて いたらとても思い切った創作はできなかったろう。今日、おちついて終章終幕を読み替えして納得した。あれで善い。

☆ 早速のメール
ありがとうございました。私の拙い感想は『オイノ…』読了後すぐに拝読した『黒谷』が、より私には心地よい作品でしたので、トクにあのような表現だった のだと思います。「黒谷」は湖の本135にのったらしいのですが、私が病気で入院していた折で、135号のみ欠いていました。幸い選集も頂き、『オイ ノ…』と合本されていて拝読しました。『オイノ…』が稀有の意欲大作傑作であることは間違い有りません。今度鴎外作『ヰタ・セクスアリス』を読み返してそ のように感じました。
これから「花方」に対します。多謝!!
全ゆるツールを駆使してトクに自己の出版形式を確立して、全身で奥様、ご子息らと共に文学できたすばらしい人生に、カンパイ!!    東京・府中  利   作家

☆ 大東文化大日本文学会からも、受領そて今後とも刊行の際には引き続き送ってきて欲しい旨の来信有り、感謝。
妻の従弟 濱靖夫さんからも。

* 恩師、故・橋田二朗先生のお嬢さんから、京都の軽妙にさまざまな野菜を頂戴した。また中学高校の同窓、懐かしい横井千恵子さんからも京都の漬け物いろいろをタップリと頂戴した。
有難う存じます。
凸版印刷から、例年の、大きな繪で美しいカレンダーが届いた。感謝。
ご近所の大山さん、枝なりに蜜柑のたくさんついた二枝を戴く。一枝を、幸便に、玄関の飾りに板壁に掛けた。見映えしている。
2019 12/3 217

☆ 今日は
風がやや強く、時々雨もまじっています。ただこの季にしては暖かく、ただ今自室は15.7度、20度近くまで上がると予報は伝えています。
『湖の本』147巻が届きました。秦文学の原点(私が惹かれた)にかえってのお作と想い、楽しみに読ませていただきます。
朱が深まるのを楽しんだ満天星も落葉が進み、毎日、庭ちり取りこ一、二杯の落ち葉かきです。満天星の落ち葉は愛らしいですが、臘梅、紅梅、山茱萸のは持 て余し気味です。私の庭仕事はそれくらいで、剪定はシルバーさんに願い(味気無い仕上がりですが)、雪吊りは取りやめにしました。
私の日常も味気無く、無為な毎日ですが、先月それを潤してくれたのは、年に一度の「萬狂言 金沢公演」でした。野村萬卒寿記念とて、演じられた萬さんの 「鍋八撥」を堪能しました。ほかの演目は、子の万蔵の「髭櫓」(体調不良とて代演でした)、孫の万之丞の「舟ふな」で、それぞれそれなりに楽しめました。 こうして金沢に出ることも少なくなっています。
家内は、実家の旦那寺の報恩講とて、寺参りに行っています。私は寺参りには行きませんが、内報恩講とて、お坊さんが檀家回りをしてくれますので、それに応じています。加賀では、今、そんな時季なのです。
H.Pに、「恒和元年」とありましたが、故意か、偶然か。故意ならそこに秦さんの思い入れがあらわれたでしょうか。

年月のつもるにまかすしぐれかな  万太郎

『湖の本』の受け取り以外にお報らせするようなことのない、無為な毎日でお恥ずかしい次第です。どうぞお達者で、目的達成なさるようお祈りしています。
令和元年12月2日 (やがてお昼です)
石川・能美   井口哲郎   前・石川文学館館長   元・県立小松高校校長

* 妻の方へも、いろいろと人様に書くだろう役に立ててといい感じの絵葉書を沢山、切手まで添えて下さった。しみじみと嬉しい有難いお便りで。心より御夫妻の御健勝を願いおります。

☆ 秦さん
十一月二十三日、浄瑠璃寺を訪問した際、紅葉が綺麗でしたのでカメラに納めたものをお送りします。 また 薬壺型のご朱印も珍しかったので ご長寿を願い 合わせて同封します。
以前に問い合わせ頂いた太秦在住の作家について調べましたが、書名が判読できず分かりませんでした。もう少し情報を頂ければ調べきれますが どうされますか? 気になっておりました。
それでは 良いお年を    京・太秦  シグナレス  山中太郎

* 感謝。薬壺の浄瑠璃寺御朱印 美しく。
シグナレスの人には『オイノ・セクスアリス 或る寓話』の仕上げの頃にご助力頂いた。ここでの書物は、例の身辺から埋没で見つからずアイマイなことになりご迷惑掛けた。『京都「魔界」巡礼』という本の丘眞奈美さんという著者に、いくらか念のため教わりたいことがあったので。ま、駆け抜けたもので、そのままになっていた。御免。

* 亡き島津忠夫先生ご遺族より、各種の「甘納豆」を頂戴した。兵庫の市川澄子さん、ハムの御馳走を送って下さる。感謝。

☆ 三田文学 早稲田大図書館 立命館大図書館 東海学園大名古屋 東京都立大 作新学院大 からも受領の来信。 購読のみなさんからの有り難い入金が 来始めた。性の描写で抵抗があったにかかわらず第2第3巻も「読もう」と云って下さった方には、すべて「呈上」していたので「湖の本」今回は、申し訳ない がいささか高価に請求させて頂いたにも拘わらず。ま、この際にまた少しく読者を減らすかも知れないが。ま、討ち入りの赤穂四十七士よりはよほどマシなの で、頑張り続けます。

* どうも 読者より、作者が楽しんだ作で「花方 異本平家」はあったのかも知れぬ。私なら喜ぶという話材で私なら楽しむという書き方が過ぎたのかも。副題も、尻込みさせる障りになったかも。ウーン。
2019 12/4 217

☆ お手数をおかけいたしましたが、
2日に「花方」 大学の方へ届きました。拝読しましてからお便りをと思っていました。
ご心配のメールを頂いた昨朝は、乗換駅の御茶ノ水で押されてホームに転倒、左側頭部を柱で打ち、病院へ参りました。
幸い大事には至りませんでしたが、最初の24時間の観察が重要とのことで、夜も長いアイスノンで頭を巻いて冷やしておりましたが、ひどい頭痛や吐気はなく、今日もう一日の安静を心がけます。
はや今年も師走ですね。
ご健康ご健筆を心より祈っています。   千葉

* 転倒の怪我は怖い。お大事に。
2019 12/5 217

☆ 瀬戸内寂聴さん、元・岩波の高本邦彦さん、「花方」へ来信、大正大学日本文学科からも。
京都の同窓 森下辰男兄からも、「戦後日本流行歌史」第五集音盤を戴く。
2019 12/5 217

☆ 師走
12月6日 金曜日  冬の青空です。東京の空は如何、寒くなり、雪かとも天気予報は伝えています。
湖の本が届いたのは 11月30日の土曜日でした。その日の午後、早速読み始め50ページ程 読み進めました。が、いかにも作者の世界そのものを、『風 の奏で』や『冬祭り』の世界と深くつながる世界を感じつつ、同時にやはり難解でもありました。古典を単に読むだけでなく、そこに疑問を呈することができる ほどの蓄積が自分にはないのを痛感、これも例の如くです。その日の日記を書き出してみます。
11月30日 土曜日  本、届く。50ページあたりまで読む。『清水坂』と仮の題をつけていた作品はテーマそのものから 『花方』と命名されている。まだ終わりまでは到底見えるはずもない。
テーマそのもの、平家物語の時代と世界だ。それは作者少年の日から直感と、長年蓄えられた膨大な知識と心底からの熱い思いに支えられている。結果としてわたしも含めて多くの読み手は、漢字の難しさどころではない、史書文書の類から何を読み取るのか、
人間模様の複雑、歴史的事実の煩雑に・・圧倒され困惑し 絶句さえしてしまう。
が、作者の語り口は昔の作品とはやや趣を異にする。先の『オイノ・セクスアリス』にも見られる軽妙洒脱に近く、優しさをも含んで 明るいとさえ言い得る、こなれた語り口なのだ。
清水界隈の通りからやや奥まった家に住む母子の図も 以前の作の中にあった。
ふゆこ、の「ふ(颫)」の字は ワードの画面の単漢字を調べても出てこない・・「嵐」の意味と。
が、ふゆこは冬子、『冬祭り』のヒロインであり、その墓所は作中に清水寺南に位置する清閑寺とされている。此処は高倉天皇、六条天皇の陵があり平家との因縁は言うまでもない。阿弥陀ヶ峰も視界の内にある。

そして用事もあり、なかなか読み進められなかったのです。
花方についての作者の疑問、探求が書かれて、ずっと以前から瀬戸内海方面に旅したいと言ってらした、その理由を納得しました。その土地に実際に行ったから書けるとも限らず、作者の想像力・創造力の豊かさに支えられれば、それで十分と納得もしました。
そして、敗者の系譜、或い?は穢れを浄める人々、流浪遍歴の人々・・先の『オイノ・セクスアリス』ではあまり書かれなかった・・中世以来の事柄も胸に沁みました。
再度読みましたが、まだ理解できたとは言えません。
わたしなりに(京都人にはなり得ない・・)改めて清水界隈、建仁寺界隈の空気を思い切り吸ってみたいと思っています。馬町や今熊野も懐かしく、但しここは若い日の一番つらかった時期に暮らしたところですが・・。

アフガニスタンで中村哲氏が殺されたこと、ウイグル民族のこと、香港のこと、さまざま思いが渦巻いています。
嘆きつつ、せめて友人から貰った矢車草の種が発芽生長しているのを、遅まきながら今日は植え替えしようと思っています。
くれぐれも寒さ対策なさって風邪ひかぬよう、御身体大切に、大切に。  尾張の鳶

* 尾張の鳶にして難渋の様子、『花方 異本平家』は、すくなくも「読みづらく」「難しい」小説に「なってもた」らしいナ。

☆ 「オハナシ、オハナシ」と
おとなを、追いかけていたころを、おもいだしました。
自分で、少し読めるようになっても、覚えてしまった本でも、読んでほしくて、終わるのが惜しくて、「・・・とさ。」となるところを 「・・・と。」で  止めていました。変な子です。
「花方」もそう。何度も読み返された息使いをかんじます。とてもやさしい。
錯綜する内容は、これからかんがえます。 柚

* こういう風に読んでもらえて、それで感じて考えて楽しんで頂けるなら、じつに嬉しい。

* じつは、かなり立ち入った作者の発想・構想を細かに書いて、ブチ撒けようかとも思っていたが、ま、まだその時期であるまいし、愛媛県今治市からは、本を、かなりまとめてご希望らしい電話もわたしの留守中(散髪)に頂いていたらしい。
ま、まだ作者のわたしが突っ込んでモノ云うのは早いと思う。それよりも、

* 今日も払い込みを戴き続けている中に、さきの『オイノ・セクスアリス ある寓話』へのきついお叱りで「購読をやめる」という一通があった。「湖の本」最初期から三十数年の、それよりももっと古くからの愛読者のお一人であった。恐縮した。

☆ 今回で
「湖の本」の配本をやめさせていただきます。
「オイノ・セクスアリス」 文章も内容も全くついていけませんでした 秦先生が一体何故このような方向にいかれたか全くわかりません。それ故 今回を最後とさせていただきます。
長い間 どうもありがとうございました。  東京・世田谷  定

* よくお気持ちは分かるし、こういう思いから立ち去られる方の出るのを、明瞭に念頭に置きつつ、あえてあの長編は「書かれて自然当然」と作者は考えてい た。作者も、成長し変貌を遂げつつ処女作以来の思想や感性や文藝を弱いマナリズムから守り勝ち抜き徹さねばならない。たんに作者の年齢・体力の問題だけで ない、人間理解の久しい宿題に新しい「解」を表現し続けるということである。
奇驕を狙うのではない、少なくも男女をとわず「人間の在る」意味を、生活感とともに問い続けねばならない、作家は。なかでも「性」は、そんな男にも女にも老いにも若きにも、無視し見捨てて済む課題ではない。
あの「オイノ・セクスアリス」では、しかも「性」「性行為」の行き着く限界を見つめながら、「真の身内」の思いや悲しみにもたとえまだ微かにでも、真相 をまさぐり掴みたかった。作者が老いればこその視野もあろうと思い、真剣にまさぐっていた。今だからやっと思い切って書ける課題を選んだ八十の老境。愚劣 でへたくそなエロ小説を書いたのではない。
若い女性と老人との性的な情事は、ごく顕著に頻発してくる「人間喜劇の主題」であると、フランスのラ・ロシュフコー公爵はその「箴言集」で二百年も昔に 喝破していた。わたしは、それにも頷く。誰かの真似をしたのでなく、私だから書けた人間劇を語る騙りで「物語って」見せただけりこと。

* 「花方」を、ノートルダム清心女子大、文教大。上智大、天理大からも受領の来信あり。
2019 12/6 217

☆ オフレコかな?
早速のメール、嬉しく。
清水坂が本舞台でないことは、小説の半ば以後の展開から容易に理解できました。最後にかかるあたりでは再び微妙に感じるものがありました。
昨晩の 読者の方の「湖の本断り」のメール。『オイノ・・』に関連して予測でき、また実際に断る人々があったのは承知していても、やはり複雑な思いでした・・。
性を語るのは既にタブーでなく、世の中にはもっと露骨で暴力的な記事や小説が氾濫しているのに、そして現実のいとも日常的な行為としてあるのに。拒絶のメールとは、つらい。・・鴉は、勁いなあと思います。
あの作品に関して余分な感想ですが、吉野氏が世津子(雪・ 雪繪)との行為を重ねながら、不可侵の領域に妻を置いています、一瞬の迷いもなく。世津子との事はあくまでも世間で言う「浮気」「不倫」であり、糾弾され る行為です。吉野氏に世津子を痛切に恋し求めるものがあれば、それもまた人の心の様相として読者はまだ許せたのかもしれません。
とても常識的なことを書いてしまいました、ごめんなさい。  尾張の鳶

* あやまらないで。云いたくて「黙って」たことを 云った、云ってくれたということでしょう、ありがとう。 さて、清水坂でないなら、何処と見ましたか。
ところで、予想の範囲内ですから、向き直って作者から云えること、チャンとあるつもりですが、暫く措いて、他の方々の感想も誘えればと想います。
と云いつつ、やはり一つは云うておきます、「不可侵の領域」に措かれているのは、少なくも「真に身内を分かちもつる」妻をふくめ姉と妹の三人があり、東作氏を含むかれらはその世界を現実とも夢とも緊密に「身内」として分かち持ち、他界へすら飛翔できること。
それとは異質に、若い「雪」からの「誘い」を平然受け容れた現世の「東作」老には、浮気とか不倫とかとは擦れ違う「何か」冷酷なほどの確信があり、「雪 繪」を受け容れたのではない。「雪繪」にも、他の男との同棲、入籍、結婚式、出産願望といった、吉野東作老とは切り離れた別方角に「実生活」期待が膨れて います、不幸にして容易に酬われないけれど。結局そういう「老いと若いと」の出会いが実質実経験したのは、只一つ、どう悦ばしく嬉しく満たされようともか らだで営む「性・性行為」どまりで、「その先」は、どう「むごく」とも当然「無い」ということ。
それが、あの作の見分けた作者の「思想」というものでしょうか。長大作の敢えて大半を尽くすことで意識して言わしめたのは、「性行為の満足」で人生・生涯の構築は、成らない、ということ。

* ご批判も得たく、作の上の議論としての。。

☆ その後
如何お過ごしですか
「花方」有難く頂戴しました
一読して 小説作法が一段と奔放自在になられたと感じました
「私語の刻」では 外出も折々にされていらつしやる由拝見し お誘ひしようとも思ふのですが 寒風厳しい様子で なかなか踏み切れません
年が明けて寒気にも慣れたころに 改めてお誘ひします
少々早いですが よいお年をお迎へ下さい  前・文藝春秋専務   寺田生

* しきりに寺田さんへ、せめてメールででも話したいと何度も想っていた。俳句に季が向いていると伺っていたので、俳句交歓のメールもいいなあ、ただしわたしに俳句は難しいなあなどと。
「小説作法が一段と奔放自在」は、さすがの嬉しいご指摘で、「オイノ・セクスアリス」でもそれは強く意識していたけれど、今回の「花方」では、序詞のア トの前説の運びなども、三枚三色の花びらをくるくると風車のように好きに舞わしながら、しずかに悲しみの赤身へ筆と想とを運んでいった。風車がうまく舞い 舞ってくれれば「花方・波方」も「颫由子」も心静かに「圭介」を見まもって呉れようかと。

* 京・山科の馬場俊明さん、京老舗「永楽屋」の御馳走や名菓を下さる。感謝申します。

☆ 拝復
何かとあわただしい年の瀬が巡って参りました。先日は湖(うみ)の本147「花方」を拝受し、ご心労いかばかりかとお察しいたします、ありがとうございました。厚くお礼申し上げます。
遅ればせながら別便にて心ばかりの品を送らせていただきましたので、ご笑納くだされば荒神に存じます。
遠ざかる夜汽車の谺
在りし日の切なさに似て人の恋しき (俊)

* 「花方」は 「花方」も お歌の思いが「喪った往時」への要所を為しています。感謝

☆ 木枯らしの候
先生にはお元気にてお過ごしのこととお喜び申しあげます。
「湖の本」147「花方 異本平家」のご刊行を心よりお祝いします。
清水三年坂を舞台に、「花方颫由子」の話。後白河、ハカタ……圧倒されております。
お身体御自愛ください。 敬具    東京・信濃町  祐一

* 「読んでいただく」ことの難しさを しみじみ、つくづく 想うことです。

* 廣島大、神戸松蔭女子大、成蹊大からも受領の来信あり。

☆ ご返信頂き、ありがとうございます。
新しい携帯電話に変えて、使い方に不慣れで… このメールの前のメールは、空のまま送信してしまいました。あいすみません。
新しい機械と接するのは、骨がおれます。
『冬』は 『殖ゆ』で あるとも、先生から教えて頂きました。『一陽来復』 どんな時でも陽は射していると感じています。 先生から頂いたメールのお言葉を胸に刻み、過ごしてまいります。ありがとうございました。  京・鷹峯  百 拝

* 今回、なぜか極く少数の方、それも宛名のかしら字が「カ」行の方から、「花方」書代として皆さんにお願いした(ホンの奥付にも明記の)金額 3500円に、桁違いの高額を送って下さる方があり、何かしら私どもにも分かりかねる「お間違え」または私方の「間違え」があったのかと案じて問い合わせ ている。書代は本の「奥付」に掲げるのが普通で、お人によっては振替手数料もご負担加算して下さるけれど、桁違いの高額請求など、どう考えてもあり得ませ ん。ご理解願えれば幸いです。なにか原因在るかさらに調べはしますが。

* 私の、不可解なシクジリが見つかった。私の衰えなのであろう。事務能力が落ちたのだ。明白に とっぴな金額を書き入れた刷り物が届いていたことを、千葉の勝田さんに教わった。アタマ抱えている。
金額を入れた送金依頼の紙片はA4用紙に同文五つを刷り、一片ずつにカットする。そのうちの一片だけが、あろうことか 一冊「3500円」と有るべきに、「35200円」ご送金お願い申し上げます。となっていた。「2」の一字が混入したのだ、嗚呼。かなりの人数にそんな法外なお願いが届いていたわけで、しかも何方かという特定が不可能なのである。総数の五分の一人にはそんな間違いが行ってしまった ああ参った。御免なさい。
2019 12/7 217

☆ 『バグワンと私  途上の独白』 (湖の本107摘録) 聴きつ・思い直しつ

38 * 2003 06・06   今日もいろんなことをしました。あんまりいろいろで、忘れてしまいそうなほど。忘れてしまっても、ちっとも構わないのです。覚えていなければいけないような、何ほどのことが有るでしょうか。
道元は、日本の仏教に愛想を尽かし、禅の本道を学ぼうと宋に赴いたといいます。そして、天童山に入ったある日も、一心に古人の「語録=本」を読んでいま したとか。ある坊さんが、何のタメにそんなものを読むかと尋ね、道元は、古人が修行のあとを知って学びたいからだと答えたそうです。坊さんは「何のタメ に」と、また聞きました。郷里に帰って衆生を教化したいからだと道元はまた答え、さらにまた「何のタメに」と聞かれて、道元は衆生のために役に立ちたいと 答えたといいます。そこで「僧のいわく、畢竟してなにの用ぞ」と。道元はついに窮して答え得なかったのです。
禅を「言葉」に学ぼうとしていたからです。それは「行」ではなかった。そして彼道元はついに「只管打坐(しかんたざ)」へと極まって行ったといいます。
親鸞にも似た話があります。彼は念仏の多念一念論議でも、徹して「一念」がよしとした人です。「南無阿弥陀仏」のただ一念で足ると人に教えてきました。 ところが、ある時に、衆生救済の奮発として浄土三部経を千度読もうと発起したというのです。すぐ、恥じてやめたそうです。南無阿弥陀仏の一念でよいと信じ ていながら、なぜに経典の読誦にこだわったろうと恥じたのですと。親鸞は生涯にこういう「惑いに、二度襲われた」と反省しています。
* バグワンは、経典や聖典に頼ってそれを「読む」行為に「甘え」てしまうのを、著しい「エゴ」の行為として、いつも戒めます。わたしは、つくづくそれ を嬉しく有り難く聴きます。何かの功徳を得ようと読む聖典などは、ただの「抱き柱」に過ぎない。それあるうちは打開などあり得ないと思うからです。バグワ ンは、聖典や経典はすでに真に打開し「得た」人にとってのみ意味のあるもの、納得できるもので、そうでない者にとって真実の導きには決してならぬどころ か、そこで「わかった」という「エゴ」があらわれ、躓きを繰り返すに過ぎないと言います。全くその通りだろうとわたしも思う。
それでいて、バグワンを繰り返し「読み」つづけ、大部の源氏物語を毎日「音読」しつづけ、夥しい量になる「日本の歴史」を欠かさず「読み」続けたりして いるのは、迷妄・執着のかぎりのように思う人もあるか知れませんが、ちがうのです。わたしは源氏を読んで心から楽しんでいるだけで、「畢竟してなにの 用」とも関係がない。それは「日本の歴史」についても同じであり、ましてバグワンはただもう「読む嬉しさ」で読んでいるのであり、一時の道元のように、バ グワンの教えを「学ぼう」「識ろう」としてでは無いんです。学んでみても始まらないことをわたしは知っていますし、覚悟しています。わたしは、ただ「待って いる」だけです。何を待つとも、待っていて「間に合うとも間に合わないとも」わたしには何も分かりませんが、それは仕方ないこと。バグワンの声が耳に届くの が嬉しくて楽しいから読みやめないのであり、他の本もおなじこと。何も求めていないから楽しいし、何もいまさら覚える気もない。自然にゆったりと、無心に 、したいことをして楽しめればよく、まだまだそんなところへわたしは達していないけれど、達しようとして達しられることでもなく、恥じてみても始まりませ ん。

* 十六年余も以前の述懐ですが、いまも、「読み・書き・読書」どれも「ただ楽しく」てしているだけ。

* その「楽しみ」にも不覚の失敗で狼狽し慨嘆を余儀なくされる日もある。昨日発見した私自身の不用意なミステークは、明瞭に「五人に一人」の方に迷惑を かけていて、しかもそれらがどなたであるかを把握のすべが無い。願わくは「送付挨拶」から目を「奥付の表示」へ転じて、粗忽な挨拶では数字の誤記があった とご判断頂けると有り難い。
三十四年もおなじ事を続けていて、こんなミステークは初めて、アタマを掻いて恒平は閉口しています。
2019 12/8 217

☆ メールは苦になりませんので
いつでもお送りください
芭蕉と蕪村はいづれも全句集を読んではゐます 他の俳人にしてもまあ好きな句の拾ひ読みです 近代では橋本多佳子の句集は持つてゐますが ……
御目にかかれる日を楽しみにしてゐます  寺田生

* 寺田さん
読むのも佳いですが、俳句や短歌は 自作してみたい相手です。創り合って楽しむ道はいかがですか。
迂闊にも最近に出会った 石田波郷の後輩で、永井龍男先生のお弟 子筋の石川桂郎の俳句は、めざましい出会いでした。夫人の手塚美佐さんの編んで註した脚注名句シリーズ(俳人協会)に入っていました。自身俳誌「琅玕」を 主宰した手塚美佐さんは、永井先生が、「湖の本」のために大勢ご紹介下さった購読者の一人でした。

手もとに、内藤鳴雪という 子規年長の門下人の著した『鳴雪俳話』という明治の古本がありまして、小さい頃に感じ入って読んでいた思い出があります。読みやすい本でした。

そうそう、書庫に、明治も早期の文士成島柳北の全集一冊本がありました。「柳橋新誌」なんてのも入っていますよ。

さらにそうそう、明治の元勲、あの椿山荘の山縣有朋公爵が自編自作の非売本、和歌と文との美しい和装『椿山集』があります。珍しいものと想います、なんで秦の祖父が手に入れていたか分かりませんが。

話題は いろいろありますねえ。 「剣客商売」なんていう連続テレビ劇もありますね、ご覧になったことありますか。

と、際限ないので、此処までで。日々お大切に。  秦 恒平

* 寺田さんは、真剣も遣われる現代本格の剣士と伺っている。
2019 12/8 217

☆ 前略
待望の新作『花方 異本平家』の御上梓をお喜び申しあげます。「湖の本147」を拝受して 圧倒され堪能して拝読いたしました。
秦さんのこれまでのお作品のさまざまな流れが合流した大河(海)を、無碍自在な語り(カタリ)の櫂に導かれるままに、上流へ、下流へ、また上流へ、海へ と運ばれる快感ーーこれぞ小説の醍醐味でしょうか。老練にして若々しい艶のある文章に感嘆します。「もらひ子」の越智圭介と「花方颫由子」を、そして平家 物語と清水坂下の「花方」を結んでいるものを求める旅を終えていま、圭介にとって「花方颫由子」とは小説(文学)の化身そのもののようにも感じられます。
錆びついた頭では味わいきれなかった無念はさて措いて 豊饒な世界へのご招待を感謝申し上げます。

本格的寒さとなりました。郷里では「干し柿」づくり本番、疲労回復の一助にもと、出来上りを待って少々お届けいたします。どうぞ御身お大切に いい年をお迎え下さい。  草々
二○一九年十二月六日   敬  講談社 元「群像」編集長 出版局長

* 嬉しくて。書いてよかったと、しみじみ思う。若い若い頃の、「みごもりの湖」や「慈子」とは全く違う話法や文体をすこし放胆気味に探ってきた、老いの 遊び心も読み取っていただけ、嬉しい。昔とくらべて昔と違うと責められることが作者には有りがちだが、同じでは、只に似ていては、生涯勉強の意味が無い。

☆ このたびは「湖の本147 花方 異本平家」を心より御礼申し上げます
最新の御作を少しずつ読み進めつつ、脱稿までの一ヶ月を綴られた長い「私語の刻」では 執筆の現場に立ち会わせていただいているかのように 記録を貴重なものとして受けとめております。
どうか今後ともご指導くださいますようお願い申し上げます。
今朝は霜柱が見られ 改めて冬になったことを実感いたしました くれぐれもご自愛のうえお過ごしくださいますようお祈り申します。  山梨県立文学館  中野和子 拝

☆ 前の国文学研究資料館長 今西祐一郎さん 「源氏ばかりにかかわっていますと(=岩波文庫新版の校訂者であられる。)平家、太平記のような帰伏著しき物語に心惹かれます。」と。
写真家の近藤聰さんは近江の撮影に勤しんで帰ってこられたところ。お酒「東村山」感謝。
鳴門教育大学から、受領の来信。
今日も大勢さん払い込みして下さった。3500円を 35200円と誤記した方、さぞ憤慨されていようかと。奥付の価額を見て下さるといいのだが。その ままの高額を送って下さった方には個々に返金しつつある。どれだけの何方へそんな請求が行ったかをどうしても今は確認できなくて、恐縮しつつ御連絡を待っ ている。

☆ 石川・能美の井口哲郎さん、お正月のめでたい大福茶と名産の棒茶とを送って下さった。有難う存じます。
元・岩波書店「世界」の高本邦彦さん立派なお蜜柑を一箱送って下さった。有難う存じます。
弥栄中学時代の万年元雄先生、小倉山の名を冠した優しい吹き寄せのかき餅を大きな一缶送って下さる。お元気でしょうか。ありがとう存じます。
109 1/9 17

* 暖房していても 倚子の下半身が冷たく寒い。想えば長年かけてきた小説・物語の仕事が二つ終えたのだから、関連の参考資料を適宜片づけ処分も出来る。 次の小説に手がかりの作が三つほど閉口して動き始めていて、度の一つないし二つにてをかけてゆくかを決め、関連の資料を手近へ集めねばならない。「信じら れない話だが」と書き始めている今度は山と川の物語へ気を入れようかナと思っている。ま、この師走はすこし英気元気を養って過ごしたい、とはいえ、新年早 々にはもう「湖の本」148の発送用意と、「秦 恒平選集」第三二巻めの校正作業が始まる。輻輳しての製作と出版刊行とは、鐵のように重い。
2019 12/9 217

* {湖の本」払い込みを私の凡ミスから、桁違いに多額に送金して下さった方へ、可能に限り電話でお詫びしてから返金返送を始めている。お恥ずかしい。中には、そのまま次回以降の積み立てにと仰有って下さる方もあり、有り難いことです。
2019 12/11 217

☆ 「花方  異本平家」
有難うござ座いました。ただただ感謝です。このお作品 良い所 良い人に手渡して参りたいと考えています。
「波方」の歴史、地誌等の知識 驚き入りつつ読み進めています。長い歳月、お疲れでした。
寒さが厳しきおり お風邪などお召しに鳴りませぬように。
愛媛・今治・波方  木村年孝  元・今治市図書館長

* 京都の「シグナレス」同人の森野公之さん、「俵屋吉富」軽妙の干菓子と銘酒「奥丹波」を下さる。懐かしい美味いお菓子、懐かしい美味いお酒です。

☆ 最近は
心を暗くさせられるようなニュースが多いですが、 あまり悲観も楽観もせずやっていければと思います。 寒い日が続き増すので くれぐれもご自愛下さい。 京  「シグナレス」 森野公之
2019 12/11 217

☆ 紅書房の菊池さん、大阪・吹田の歌人阪森郁代さん、「花方」へのご挨拶あり。

* 長い「私語の刻」を入れたので、作「花方」よりそっちへの挨拶が来る。私の編輯ミスであった。せめてもう二、三人の方の「花方」批評ないし批判が聞き たく、その上で私の構想、作を構築の狙いなど纏めておきたいが。天野さんのような感想があったのだから、読み手の方には失敗作とは思わないが、分かり佳い 読み佳い小説を書いた、前作よりもと思っていたが、前作の方が流のママに大筋が掴みやすかったかも。いくらかガッカリしている。せめて四章をただ一、二、 と数えず、「序詞」「一 宗盛」「二 花方」「三 波方」「四、颫由子」とでもしておけばよかったか。物語そのものがなにのことやらと掴めないままの方も 多そうに思われて、申し訳ない。
2019 12/12 217

☆ 拝復
はじめてお便りをさしあげる失礼をお許し下さい。私は早稲田大学の教員で、近代文学を専攻しております。
このたびは、ご高著『花方 異本平家』を戴き 誠にありがとうございました。『清経入水』以来の美的な先生の小説に憧れ、また『神と玩具との間』をはじめとする谷崎論、近代文学研究に示唆を受けながら私もまた勉強を続けて参りました。
このたびの『花方 異本平家』はそうした先生の創作とご研究、私小説と虚構、現代と古典との自在な往還から醸し出され虚実皮膜の美的世界を、まさしく堪 能させていただきした。平成十二年起筆、平成三十一年脱稿という、その日付に、小説を書くという営みの荘厳に触れた思いで、「胸の内からほろほろと「おも ひ」という「火」のもえた言葉がただ溢れ出てほしい」という一行に感銘を受けました。
まずは拝受のご報告と御礼まで申し上げますと共に、先生のますますのご健筆とご自愛のほどを不覚お祈り申し上げる次第で御座います。 草々
十二月十一日   和

* ありがたいお手紙であった。「胸の内からほろほろと「おもひ」という「火」のもえた言葉がただ溢れ出てほしい」とは、私の日ごろは秘めた鍵言葉、真っ向拾って頂いたこと、喜びと感謝に耐えない。

☆ 「花方 異本平家」のご本をありがとうございました。
毎日の「私語の刻」を読みながら完成を楽しみに。そしてお二人の発送のご苦労を思いやりながら
指折るように上梓を待っていました。、
それなのに、手元に届けていただくとホッとして、お礼を申し上げないまま日を過ごしてしまいました。申し訳ございません。
ご本を読み進んでいきますにつれ、今までは平家物語を平板に読んでわかったつもりでいて 何と無知だったかと思い知らされています。色いろ解釈することもせず、文字を追っていただけなのですね。
謡曲で平家が主題のものを習っていても、いろいろ想いをめぐらすこともないまま。
此の度のご本は 読み仮名もふっていただき、読みやすい文体に気を使っていただいていますので、じっくりと読み返し読み返したいと思っています。

シクラメンの栽培農家の方は私より4.5歳上だとか。一年に一度の売り出しにだけ顔をだされるとか。がんばっておられる姿に励まされます。
そのお元気も添えて一鉢届けます。猫ちゃんたちには迷惑かな?
先週。孫娘群馬大学の医学部に推薦入学の許可をいただきました。我が家で 生後すぐに迪子さんに抱っこして祝福していただいたのがつい最近のようです。
天候が不順で過ごしにくい季節ですが、お二人ともお身体お大切にお過ごし下さい。
東都・練馬    晴美  妻の親友

☆ みづうみ、お元気ですか。
お蔭さまで引越しは無事に済みました。ただ、後が大変で……荷物の山と格闘しても格闘しても全然片付きません。『花方』の早く読める日がきますよう願い つつ、動き回っています。要介護4の母の世話でも体力気力を使い、ふと気づくと椅子に座ったまま寝てしまっている日々です。
そういうわけでお振込みが未だに出来ず大 変申しわけございません。わたくしのほうにも間違ったのが届いておりました。いつもと桁違いの大枚を振り込まれた読者がいらしたのは、さすが「湖の本」に は ものの価値のわかる目利きの読者が多いと、嬉しく思いました。みづうみには痛恨のミスだったかもしれませんが、思いがけず「湖の本」を支えてられる読 者の素顔が垣間見えるご経験でいらしたとも言えましょう。

お誕生日が近づいてまいりました。
お風邪などお召しにならず、佳いお祝いをなさってくださいますようお祈りしています。
菜  通ひ路のほそぼそのびて冬菜畑 汀女
2019 12/13 217

☆ 12月14日
赤穂浪士討ち入りの日。昨日、漸く振込みしました。郵便局までもなかなか出かけない日々、いささか情けないです。遠くに一人で行くのは出来るのに、日常の暮らしでは買い物一つも車で、一人の行動ではないのです。
15日 夜 HPの記載が金曜日以来二日ストップしているのを気に懸けていました、そして漸く読めました。活発な時間を過ごして、新しい書き物が 「信 じられない話だが・・ もう筆はするする動いている」と。 驚きます、創作にかける執念、精神の活発。わたしはその反対で 「抜け出してしまった」かの虚 脱に近い日常を暮らしている・・。
16日 朝、メールに気づきました。
正月に向けて賑わい多忙でしょうと書かれていました・・が、賑やかならぬ静かな正月になりそうです。孫が早や小学校に入学で、シンガポールでは入学式が1月2日。
思えばこの50年、欠かさず嫁らしく? 暮れ正月の支度をし続けてきました。もうそろそろ「卒業」したいけれど、まだ簡単には実行できません。
携帯電話のこと、常に「初心者」のわたしが言うことではないと思うのですが。必要な、そしてあったら良いなと思う機能だけは使える方がいいです。
例えば電話のフェイスタイム・・テレビ電話です。サファリ、携帯で容易にインターネットに繋がります。メールも送れます。WhatsApp や LINE も便利です。
カメラで写真も、解像度も、保存容量も佳いです。
どうぞ周囲のどなたかに聞いてみてください。携帯電話の会社の方に操作の手順を教えてもらうか、操作を頼んでみてください。
画面が小さく、文字も読みにくく、扱いにくいだろうと察しますが、どうぞいくらかでも慣れるように。差出がましい老婆心です。
ps
選集口絵へ、南座の写真、どうぞお使いください。
お身体くれぐれも大切に。体重増のこと、嬉しいです。そして食べ物が美味しくいただけますように。   尾張の鳶

* 携帯電話のこと、これだけ聞くだけで、バンザイ、つまりお手上げ。成るべく携帯電話は遣わずに済むようにと、そっち へアタマの取られぬようにと願っています。緊急時の連絡。それだけは余儀ない必要かと。なにしろ鳴るように指先が痺れていて、とてもちっちゃな多様にやや こしいボタン操作は、みな断念している。

* 正月の餅を生協まで買いに行き、帰りに道に迷い往生した。へとへと。

* 尾張の鳶が、機械のなかでどう混乱したか、受信欄に従来古くからの「鳶」メールばかりが何十と並んで、いましも届いていた凸版印刷から問い合わせ等の メールなど消え失せてしまった。返信も出来ない。なにがどう障ったのか、回復しないのか、全然分からない。なんだか、アキラメの心境。

* この「私語の刻」は送り出せたように思う。
メールだけの事故なら、それはそれ、仕方ない。はずみで また直ってくれるかも知れない。

☆ 大阪市大 武庫川女子大 から「選集」「湖の本」受領の来信。
2019 12/16 217

* どんな樹木も「根」がなくては育たない、伸びない。
私ひとりの「根」を、年譜的に観るなら、親から生まれての「三十三年半」、どんなに幼稚でたわいなくて頼りなくても、太宰治賞をもらい受けて文壇的に 「作家」として歩き出した以前に限られ、「その後」今日までの五十年余は、いわば「付け足し」の幹で枝で花で実であった。こんど「選集32」に{自筆年 譜}を入れるが、受賞以後の「作家」人生は取り上げない、『選集』と「湖の本」とで(未収録も多いけれども)「作家・秦 恒平の仕事」は提示出来ている。「書誌」等は「湖の本52」に大凡挙げてあり(湖の本があり、それで判然するが)、「年譜」は不要と考えている。ホームページ20数年の「私語の刻」がほぼ隈無く語り尽くしている。
2019 12/17 217

* 受信欄の大異状がなんとかなったか、ならないのか、まだ分からない。

☆ 北越光明寺の黄色瑞華さん、とてもめずらかな杓付き「甕覗」の名酒を甕なり送って下さる。甕と杓と酒と。更級日記冒頭の説話がなつかしく思い出される。嬉しく頂戴する。感謝。

☆ 京・北日吉の華さん、私二十一日八十四歳の誕生日を、京・佐々木とびきりの名酒「京生粋」一升で祝って下さる。ありがとう 感謝。いい誕生日にしなくちゃ。食より呑むほうがはるかに多いかなあ。

☆ 四国・丸亀の大成繁さん、美味しい白い讃岐うどんを下さる。なんと佳い舌触り・のどごし。美味かった。感謝。

☆ 今日は
昼前から冷い雨が降り出し、寒いのでえやこんをつけ、炬燵にもぐっていましたら、あたたかい贈物が届きました。
「エッ!」(中学時代にはやった喜びのことば)とおもわず口にしました。
文房具は好きですが、お金をかけて(そんな余裕もありませんので)あつめるほどではありません。
ただ筆は「寫巻」、硯は「端硯」(安物です)、紙はいろいろーーレターペーパーでは、この丹波黒谷の紙が好きです。高価なので、使い分けていますがーー・
墨はというと、使うのはいわゆる中國製より奈良黒が好みです。
今度いただいた徽墨は、蝉や剣をかたどったものなど二つ三つありますが、こんなすごいのははじめて手にしました、ありがとうございました。
当分、机の上に置いて楽しませていただきます。観賞用の文房具をつくる中国の人の気持を いいなァと思いやっています。

「花方」は、再読の要がありそうです。「清経入水」や「冬祭り」のように、すいすいと頭に入ってこないのです。もう一度気楽に読みなおしてみます。
「湖の本」は巻を重ねています。『選集』の完結はゆっくりでいいです。「未完」には期待と希望があります、それがつづきますように。
寒さは深まります。お二方にはお大事に。
十二月十四日 雪はまだです。
よいお年を ! 石川・能美   井口哲郎 (前・石川文学館館長  前・県立小松高校長)

☆ 拝復
『湖の本』147 ご恵与たまわりありがとうございます。
全てと言わぬまでも『平家』挿話を事実談とすることができるかは課題ですが、『平家』唐突な登場の「花方」を狂言廻しとしての物語、「もらひ子」を底流 に清水坂ならではの魔界を舞台に、古典、現代の交錯する秦文学定番幻想世界、読みなれた筈の身にして誠に難解な展開とは云うものの、しばし読書の妙に浸ら せていただきました。現代の怪奇小説との評、『花方』にも当てはまることと言い得て妙と感心致しました。
寺町二条の古書店店先との書き出し、竹苞楼のたたずまい思い出して引き込まれ、「桐君集』など、思わず國書総目録検索しかけました。女でありげな「花 方」に発する、浪方を波方に、更に「元の名乗りは波方・伯方」等の異本化、秦文学の本旨ではありませんが考証としては付会の感、なまじ『平家』や実在の人 物が登場するだけに、創作物語としての読みに没頭できませんこと残念です。
(中略)
寒くなりましたが、お揃いでお大事に。
この時期、今年もですかと笑われながら使いまわしております。
在釜と張り出す門や京師走
12月 15日      周  神戸大名誉教授

☆ 徳島文理大から「湖の本  花方」受領来信

* では、いよいよ最新作の物語『花方』への私の立ち位置と展望を、ほどほどにも開かしてみよう。

* 『花方』では、序詞の「電話」が示唆しているように、語り手「越智圭介」の「幼なじみ颫由子(颫うちゃん)」との「喪った愛」を、双方から追っている、そこに一つの軸線または主幹が立っている。謂わば「怪奇系の恋物語」が意図されたのを「序詞」は前置きしている。
そんな「颫由子」が、初めて、幼少「圭介」の寝ている枕がみに現れると読める怖い箇所に気づけていれば察しられ読み取れるように、「颫由子」は、舟玉の ツツ神であり、海の女神と読み取られて行くのを作者は期しているが、にそれをハナからあらわに示唆はせぬよう用意した。しかし、繰り返されている 「持っ てるか」「持ってる」という確かめの対話での「何」か「紐」様のモノを察しうれば、この物語世界の基調はすでに試薬に明かされてある。蛇の別名は、より広 く「くちなわ」「くくり」「ツツ」などであり、『花方』の世界は、瀬戸内・海=海底・海神達の世界、海没した「平家」とも必然脈絡を持ってくる。「颫由 子」のそのような世界と交響して、「異本平家の世界」を、一方では八島大臣「平宗盛」の異様が語り、もう一面では八島へ赴き平家に面体を焼かれて帰った院 宣の正使「花方 波方」の異様が語る。
小説『花方』は、平家学者達がこそっとも見捨てて障らなかったママの「花方・波方」の「出」の不審を語り手なりに解決して行く段取りとともに、平家を代 表した「宗盛」という存在の異様さを数多い「異本平家」の証言を利しつつ見開いて行く。いわば色彩のちがう「颫由子」「宗盛」「花方・波方」という三枚三 色の花びらを持った物語に創ってみたのである。その色違いな三枚が、ぐるぐるとメリーゴウランドのように回りながら、越智圭介の深い「悔い」とも「物哀 れ」ともいえる「述懐の物語」を為しかつ成して行く。
「清水坂」を便宜に「仮題」にして書いていたが、「作世界の真の本拠」は「(瀬戸内)海」なのであり、それも「海の底」であり、「海神達(ウワツツオ・ ナカツツオ。ソコツツオの蛇神たち)」なのである。「花方・颫由子」は瀬戸内の海底を「おのが世界」として抱いた女神ようの存在であり、それへ悪しく立ち 向かった平家(宗盛・時忠)の無残がけわしく「対置」されている。
小説『花方』は、喪った愛の残響を抱いた老人作家越智圭介の「悔い文」という結構を書き置いたもの。「颫」は「あらし」と示唆しておいた。海を支配しているのは「異本平家の世界」でも「龍蛇」なのであり、さればこそ「颫由子」は『冬祭り』の冬子の再来なのである。
断っておくが、この物語『花方』は、およそタダの一箇所も事実そのままを利した場面も展開も無い・完全な作者の創り語りである。さてこそ、これまた「異本 平家」一つの「追加」というほどの笑いを孕んでいる。山ほどの異本平家にさらに付け加えた「異本」と読まれてよく、事実・史実を穿鑿されるのはきっと微妙に面 白いはずだが、なによりもこの物語を私に書かせたのは、どんな『平家物語』本にも登場の、しかも人別不明なままの院使「花方」を放り出したままの学者先生らへの「注文」でも「抗議」でもあった。その一言は付け加えておく。
ま、こんな作者の解説が必要では失敗作だが、私としては書き置きたかった「怪奇小説」「冬子復帰」を意図し、かつ深く「楽しんだ」作、「自愛」作ということになろう。
ほんとは、まだ此処で云いたくなかったのだが、鏡花学者なら理解して下さろうが、この『花方』は秦 恒平なりの、一の『海神別荘』でもあるのです。

* メールの受発信、なんとか回復したか、と期待している。
2019 12/17 217

* 京都の羽生さんへ、例の、35200円というのが行っていた。なんとも、申し訳なく恐縮。とにかくも五人にお一人へはこう間違えた額の請求が行っているワケで。観も心も縮む。
羽生さん、「花方」を堪能して下さったと。それが嬉しい。
2019 12/20 217

* 昨日、豪奢な筺入り「越乃寒梅」を下さった、久しく久しい有り難い「吉備の人」からも。

☆  お誕生日おめでとうございます。
私語の刻を通じて 秦さんの日常を身近に感じています。
私は戦時短縮で旧制中学を昭和21年4年生で卒業したため 20歳で高校教員になりました。
(名高い=)閑谷学校が最後を迎えようとしていた頃 昭和10年生まれの生徒33人との交流が懐かしく思い出されます。秦さんが同年配と思うと感慨深いものがあります(当時県による閉校の方針に対抗して和気高校在学の生徒から少数の希望者を収容していました)。
湖の本『花方』は、夢見心地で一気に読みました。
秦さんの日記の記述を参考に もう一度ゆっくり読み直したいと思っています。
ご健勝をお祈りしています–。  有元 毅

* そんな頃の生徒さんたちと同年の私も昭和十年(一九三五)生まれてした。

* 有元さんは「吉備の人」 わたしは「古事記(現代語訳)」を国民学校の先生に戴いた二年生早々の昔から、なぜか、神武東遷の神代の昔から、大和入りま での途中、吉備におもいのほか長期滞在していたらしい史実(?)に心惹かれ、吉備の神話に親しむ思いが濃かった。はじめてお手紙をいただき、その後数え切 れないご厚意を戴きっ放しのなかで、有元さんを「吉備の人」と思い沁みながら過ごしてきた。いつか出雲とのかねごとで書いてみたいと懐にモノを隠したまま でいます。
お元気でいて下さい、私の「私語」など、お笑いつづけ下さいますよう。
2019 12/21 217

* 「群れ 権威 束縛」を嫌い、「フリーランス」の医師として、「失敗しないオペ」の山を築いて行くドラマの「大門未知子」を私が愛するのは「当たり 前」すぎるほどで、私自身も、へたな「失敗」を重ねながらだが、「湖の本(やがて150巻に)」「秦 恒平選集(600頁平均で、やがて33巻完結に)」と、厖大な「ホームページ(私語の刻)」の継続を励みに、「いわゆる出版世間や文壇世間」の 「群れ 権威 束縛」から全く身を避け、完全に「フリーランスの作家」としてここ三十数年、弛まず仕事を積んできた。いわゆる「文学」世間での寵辱・褒貶からは完全に無縁に生きてきたのである、ただもう、心親しい「いい読者」の皆さんの励ましに感謝しつづけながら。
こういう私後半生の生涯と執筆生活を、「実績」もなく自己満足の我れ褒めでやって来たかと嗤う人もあろう。それに対しては、「フリーランス」の日々へ向 かうより以前に既に、私は大小の各出版社の「評価」「依頼」のもと、小説・評論・研究・随筆等の「単行本」を、優に「100册」も積んでいた経歴を言い添 えておこう。私は、「不遇」の作家どころか、驚くほど篤く遇されていたわけで、心より感謝もしている。
2019 12/21 217

* 医学書院の原稿用紙に200枚ほども書いて、猛烈に改作し推敲した大昔も昔の小説習作が現れ出てきた。ほかに、大判のレポート用紙か便箋様のまる一冊 以上にびっしり書き込んだ小説らしきモノも現れ出てきた。前者を妻に機械の一太郎に入れてもらっているが、半年はかかりそう。
よっぽど本気で小説家になりたかったのだ。
「黒谷」のように、いまいまの読者からも「好き」といってもらえた旧作も生き返っている。まったく新しい作も、いま、仕掛かりが三作あり、書き進めている。
この歳になって、『オイノ・セクスアリス 或る寓話』『花方 異本平家』とつづけて長編を読者の手もとへ送り出せた今年は、まず、有り難い一年だった。 有元さん、羽生さんら、わくわくして読み 堪能して読みして下さる方が『花方』にも有ったのが、嬉しい。来年も、思いの、乗り載った新作を期したい。
2019 12/21 217

☆ 拝復
早稲田大学の  と申します このたびは、貴重な「湖の本」創刊分「湖の本エッセイ」創刊分 ならびに『秦 恒平選集』第三十巻をお恵みいただき、誠にありがとうございました。重ねてのご高配に深く御礼を申し上げます。
「湖の本エッセイ」第一册あとがきの「私語の刻」に記された、「エッセイがそっくりフィクションとなりそのまま小説世界を創ってしまう」という一行に、秦文学の創造の秘密の一端を垣間見たように思いました。
文学作品の出版が増々厳しさを増してゆくなか このようなスタ地でお作を読ませていただけますこと、研究者・読者にとりましても何よりの喜びでございます。
末ながらご自愛賜りますとともに、どうぞ良い新年をお過ごし下さいますようお祈り申し上げます。草々      宗   早稲田大学文学学術院 教授

* 本望の喜びです。

* ペン 協会 理事で作家の森詠さんからも、受領の来信あり。

* 原善君、わたしには読めない中国語に訳の本を送ってきた。ネコになんとやらの類い。
しかし近々にも江古田で出会えそう、か。

* 「花方」は、結果的にみれば、鏡花の「海神別荘」のようなと自身記録したのが十七日の「私語」だった。「同感」しての払い込み票記事と今日二十三日にはじめて出会った。もっと早くこの感想がまっさらで届いてたら、手を打って歓んだろう。
2019 12/23 217

* 今宵はもう二時間余も 二階で、六畳一間になにもかも積んで重ね並べたゴチャゴチャのまん中で、建日子の呉れたジャズ・バラードに心身をあずけ、ナー ンにもせずただやすんでいる。こんな時間は絶えて無かったこと。このわたし自身の体温で温めたような狭い部屋が好きなんだと、しんみり、納得。
階下へ降りると、キッチンには『選集32』一冊分600頁もの初校ゲラが手つかずで積まれ、「湖の本148」一冊の再校ゲラが、早く早くと待っている。いいんだ、この暮れはゆっくりしたい、と。
しかし、新しい創作の方が、チクチクと針で尻を突くように催促してくる。これは放っておけんのです。
やすむ。今晩は何が何でもやすみます。
2019 12/23 217

* 「湖の本」148『濯鱗清流 読み・書き・読書』本紙の再校了。末尾に、私が提案し、担当理事・委員長として創設開館し、日夜獅子奮迅のガンバリで充 実させた「ペン電子文藝館」「満二年」の「成果」および館長として樹てた経営方針を、「創立時記録」として副えた。わたしが「仕事をする」と謂えば「この ようにする」一例として詳細に記録してある。
2019 12/24 217

* 『選集32』の函表紙 総扉の初校も届く。
『湖の本148』責了本紙送り出す。大歳のしめくくり。新年は早々に 諸校正も「湖の本」発送用意もと、重なって来る。
2019 12/25 217

☆ 秦先生
先日はご丁重にご高著をありがとうございました。
瀬戸内の遊行女婦の姿が海の香とともに 先生のたおやかなご文章からうかびあがり、タイムマシンにのせていただいたようでございました。
しばらく単著がなく、エッセイの雑誌で巻がそろわぬまま大変恐縮でございますが、まだ単著まで少し時間がかかりそうでございまいので、不十分なもので失礼でございますが(「究」既刊分)お届け申し上げます。
おすこやかに よいお年をお迎え下さいますようお祈り申し上げます。
佐伯順子  同志社大学社会学部長

* 銘菓もそえて頂戴した。感謝します。良い単著のご上梓を待望します。「花方」にいたるまでに多くを学ばせて頂きました。
2019 12/26 217

☆ 石川・小松の八代啓子さん、お正月用にと例年の立派な昆布を頂戴した。めでたくも、ありがたいこと。感謝。

☆ 作家で元長野県知事の田中康夫氏から、愛犬を写した十二つきカレンダーと、政治活動の報告や披瀝が届く。

☆ 東大名誉教授上野千鶴子さん、文庫になった『おひとりさまの最期」に手紙添えて、恵投。
「秦 恒平様 次々にお出しになるご本のスピードに、お礼状が追いつきません。 どうぞよいお年を」と。

☆ 羽生清さん、徳島高義さんからも来信。

☆ 染色作家渋谷和子さん、美しい作品 額物や手拭いに添えて心親しく懇篤のお手紙、頂戴。

* なにごとのおとづれもなき年の瀬を
売る笹も持たずつくばうてをり    いま源五
2019 12/28 217

* 目の前にウワッと山なして仕事・作業が溜まっているのを眺めながら、腹を括って元旦・新年をむかえることになる。直ぐにも、「湖の本 148」発送の 用意に、郵袋の注文から始めねばならぬ。「選集 32」の初校はその量と内容からして容易でない。「湖の本 150」の企画も心して工夫しないと。
今年は余すもう二日、ヒマを弄ぶ余裕はないが、なるべく安息していたい。幸か不幸かいまの私には人がらみの気シンドというものが無い。ただもう、多く読者や知友の無事と安命を祈るのみ。
2019 12/29 217

☆ 拝復
この度は 湖の本147をお届け頂き、まことにありがとうございました。
益々のご健筆ぶりに敬服致すばかりです。言葉への透視力の豊かさが見事に活かされている『花方』に、これが作者の力量というものかと舌を巻きました。
「颫由子慕情」とでも呼びたい一編、当方も幼い初恋を呼び覚され胸が熱くなりました。秘恋のはかなさに涙を誘われました。    早稲田大学名誉教授  保

* 事の事実と創作との差異をいわぬかぎり、頂戴したこのお言葉は身に沁み我が意を得て、適確に作の意図や願いを核心を指さすように仰有って戴いた。嬉しい、とても。この機械の間近にいる絵葉書の「颫うちゃん」の絵葉書も嬉しそうに首肯いている。感謝。 2019 12/30 217

☆ 秦 恒平様
本年もあとわずかとなりました。
貴重な選集を次々お送り下さいまして そのお礼も十分申し上げないまま 年が暮れます。
お正月にお召し上がりいただきたいと存じ いつものクッキーを送らせていただきます。
どうぞ御身 御大切に。
佳い年をお迎え下さいませ。   山本道子  (村上開新堂社主)

☆ 秦先生 「花方」 入金いたしました。
秦先生   柳です。

ご無沙汰しており申し訳ありません。
花方、12月初旬に受領しておきながら、冬休みに入るまで、心落ち着くことができず、開封できずにおりました。
心の落ち着かなさの原因は(建築の=)昇格試験で、私も来年度から自分のグループを率いることが出来そうです。
グループはまだわかりませんが、昇格はできそうです。
入金、先ほど完了し、私のところにも 35200円とありましたが、事前に「私語の刻」を確認させていただき、3500円 入金させていただきました。
35200円でも入金したのですが、ケチな性分が災いして、失礼ながらも事前確認させていただきました。
年が明けましたら、また、秦先生と東工大の皆とでお話しできる機会を作りたいと思いますので、
心の準備をお願いします。

写真は熊谷へ家族で行った時のものです。
ps.ヤフーメールからメールしましたが、迷惑メールに入っている恐れがあるので、再度会社メールから送信します。  柳

* メールが、嬉しく。変わらずハツラツの柳君なのも嬉しく。大学の内外で仲よくしてた昔からもう二十年越している。働き盛りで、みな元気いっぱいだろうな、そうあって欲しいといつも願っています。
私自身がなによりよたよたしないで、出会いたいものです、機会あらばお馴染みのみんなにもよろしく伝えて頂戴。
大きな写真でうまく全容が掴めないが、みんな佳い顔に写ってる。何よりです。
お仕事のますますの優秀と盛大を天才君のために祈ります。私の日々はホームページ「私語の刻」どおりです。
2019 12/31 217

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