* 和漢の古典研究の優れた専門誌「汲古」に、根を詰めた研究を連載の浦野都志子さんの新年の挨拶も在った。「黒川春村」という江戸時代の研究家の業績を丹念に精緻に再検討されている。元、東大綜合図書館の司書をされ,「湖の本」にも親しんでもらってきた。なにごとでもそうだが、「研究」と「評論」との烈しいほどの差異を教えられる。「汲古」は一見小冊子だがモーレツな顔ぶれの「研究委員会」の討議を経て、質の高い研究論文が厳選されていて、凄いほど。なぜか私は、汲古書院から毎冊頂戴し続けているが、一冊に七八篇、浦野さん「ご批正」を請うてられるが、なかなか、らくらく読みこなせる物で無い。近現代の「文学研究」誌にかかる水準のせめて一冊でもあってしかるべきだが、おおかた、研究ならぬ、読者水準からの作文的批評どまりが多いのである。残念。
2022 1/1
* 秦恒平様 メール機能が回復していないかも知れませんね。いつかは回復するでしょうから、そのときを先取りして一筆お礼を記します。
『湖の本』155 哀楽處順 を昨日いだだきました。変わらぬご厚意に感謝を申し上げます。昨日午後から拝見して、本日午前中に及びました。味読させていただきました。『閑吟集』の「うた」を「まながひ」の哀楽の観点から、想像力を駆使しての一貫した読みの姿勢には感服、共感しました。
パウロの伝道生涯の物語から読み始めて書簡を読んでおられる。驚きました。パウロの思考と語り方には徹底性がありますね。しかし彼は人間の弱さをよく知っていますし、それを裁くようなことはしません。終末の確信が人間の問題を相対化しているのでしょう。
加齢による不自由との闘いは秦さんご夫妻もわれわれ夫婦も同じです。よく生き抜き、より多くのよい仕事を残して下さい。新たな年を平安に感謝をもって迎えられますように、お祈りいたします。 並木浩一 国際基督教大学名誉教授
* ここに揚げさせて戴きます頂戴メールは、いずれも私のネット不通の最中にいただいていたメールです。応答に時間差があります。
* 秦 兄 ご本を頂いて兄が日々お元気で活躍していることが確認できて喜んでいます。そして最後のページの思い切った提言に思わず「うーん」と唸っております。この私の唸りが何を意味するか、は拙著の最終ゲラ校正が終わったら改めて説明しようとは思っているのですが。
それにしても、本を一冊書くということが、かくも大変なことだということを痛感している昨今です。と同時に兄の底知れぬエネルギッシュなバイタリティに脱帽しています。
私人の場合、口頭での意思表示は後に残りませんが、活字になって公になると様変わりしますから、余ほど慎重でなければなりません。そんなことを考えながら、改めて兄の跋に代え、を読み返しています。
お互いに、数え年で言えば、年が改まると米寿になるのですが、よく考えると身震いがします。
佳い年末年始をお過ごしください。有り難うございました。 森下辰男 (中高学友)
2022 1/7
* 秦先生 PCの便利さに慣れるに比例して、機械の不調による不便さも比例して増大しますね。最近元プログラマーだった人が独立して出張サービスをしてくれます。一時間3,000円で不調を直してくれるので重宝しています。
体調は芳しからず、またもや入院ということになりました。時期は未定ですが多分来年、4回目ともなると臆病な私もさほど落ち込むことはありません。仏教徒ですが、聖書の「明日のことを思い煩うな。 明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」を思い浮かべています。 篠崎仁
* 受信ししていた知友のメールを開き、時折り、超遅ればせの返信もしている。大量の時間的停滞にはなるが、九ヶ月におよぶ私からのご無沙汰は、やはり気になるので。それにしても、途絶えなく処方から声を掛けて戴いていたありがたさは。、
* 秦先生 123頁、「むそとせの・・・」は、我が家の場合は、「よくぞきたりし」を「よくぞつきあいし」と妻が訂正するのではないかと恐れております。
p.s. 「閇門」の閇の字が角川漢和辞典には見当たらず、『大漢語林』にはありました。ワープロソフト一太郎はしっかり備えていました。 篠崎仁
2022 1/7
* 秦さん ご無沙汰しております。
国立劇場のロビーで、久しぶりに偶然拝眉する機会に恵まれたのが、最後でしょうか。大病された後、というお話でしたね。
その後は、お元気でお暮らしでしょうか。
間も無く、米寿におなりになるのですね。健やかな日々をお暮らしください。
本日、「湖の本」150、151をご恵贈くださり、安着しました。感謝します。
これは、椿事です。
秦さんは、私にとって、ペンクラブの恩師ですが、
そういうご縁は、ご無沙汰のあまり、消えてしまったと思いながら、暮らしてきましたから。
「椿事」の主は、「山縣有朋の『椿山集』を読む」です。
椿事ならぬ「椿山荘」は、今では、山縣有朋の邸宅跡に建てられたホテルとして、知られていますが、椿山荘の根っこに「椿山集」という和歌集が埋もれていたとは、知りませんでした。
「椿山荘」と命名したのは、ご承知のように、明治期の国家構想(国民を忌避警戒する構想の実践は、近代日本の国家像を歪め、1945年の敗戦まで祟った)の根幹に関わった総理大臣・元帥陸軍大将などを歴任した山縣有朋です。
山縣が1878(明治11)年に当時、「つばきやま」と呼ばれた土地を購入した、ということです。西南戦争で西郷隆盛らを破った「功」により、国から年金740円を与えられ、それを資金とし、庭、邸宅をつくり、「椿山荘」と命名した、と言われています。
時系列的には、 「つばきやま」→「椿山荘」→「椿山集」ということなのでしょうか。
「椿山集」は、没年の暮れに発行され、「非売品(つまり、限定版)」として、一周忌の品として限られた人たちに配られたものなのでしょうか。
椿山集を紐解く前に、大兄の「山縣有朋という人」を読みました。私には、山縣狂介なら、関心が湧きそうです。
「有朋」は、「朋有り」でしょうか。「有朋自遠方来、不亦楽乎」。
私も、今期まで、6期12年間、日本ペンクラブの理事を勤めました。
電子文藝館委員会委員長、財務委員会委員長などを担当しました。会長による指名理事、3期、会員による選挙当選理事、3期でした。理事会少数派の良心派理事に徹して勤めてきたつもりです。
大兄の6期12年を超えてはならぬ、という思いをなぜか以前から抱いていました。
連れ合いが体調を崩しました。今後は、彼女の介護を最優先にした生活パターンに変えなければなりませんので、理事はやめようと思っていました。メディアのジャーナリストや編集者たちと共同で出しているメールマガジン「オルタ」(月刊)の連載コラムは、書き続けます。
お世話になりました。いろいろありがとうございました。 大原 雄
* 秦先生。
ご無沙汰しております。この未曽有の混乱期の中で(世界の先進国の中で最も対応ができない日本の政治の貧困さ、低俗さにのみクレームを申し上げているのですが)超然と執筆活動を続けられておられる秦先生に、ただ、ただ脱帽、感嘆の声を上げ、同時に健康であられることを再確認でき、これほど勇気づけられることはありません。これからじっくりと1ページ、1ページをかみしめながら読ませていただきます。有難うございました。
それにしても日本の政治家のテイタラクには絶望どころか、憤りさえ感じる昨今です。
高齢者のワクチン予約受付がはじまりましたが 毎日どれほどの老人が電話、メールに縛り付けられ少なくとも午前中いっぱい予約ができることを願いつつ徒労に終わっています。彼らの限られた時間がどれほど無駄に費やされているのか、むしろ政府は高齢者の命を搾取し続け、絶望に追いやっています。
ウエブサイドの受付を見ていると、自治体はすべて外部に委託、その専門家集団さえ本当に高齢者に適したシステムを開発できているのか、それすら疑心暗鬼になってしまいます。
まあ、次の世代には少なくとも日本は決して一流国ではないことを口酸っぱく訴え、教え続ける必要があるのではないでしょうか。
と、まあ老人の愚痴話に終わってしまいましたが、とにかく自分たちでもこの危機を乗り切り、新しい人材発掘ができるまで頑張りたいものです。
くれぐれもご自愛のほど。 堀武昭 世界ペンクラブ会長
* 堀さんは、日本ペンクラブ時代を僅かに懐かしめる とても大切で大事な知己、ほとんど唯一人の知己であった。世界を駆け巡ってられる、またそう願わずにおれない視野と見識を持ってられる。いつも励まして戴きながら、何かの都度、美味しい洋菓子を選んで、送って下さるのである。興趣増しつつ喜んでいる。
* テレビのコマーシャルに出て、顔としゃべりとを「売って」いる肩書き「作家」を眺めながら、むかしはテレビなど無かったなあと思い、ついでながら、もし明治にも、大正、昭和敗戦までにも、テレビがもうあって、あの方達は、漱石は、藤村は、荷風は、鏡花は、秋声は、直哉は、潤一郎は、康成は、「文学の作家」と名乗りながら「てれび・コマーシャル」に顔を売って世事や世辞で余に知られただろうか、決して、と思う。
貧苦にあえいだ作家たちならば。ああ、いや、それも、むしろそれ故に、決して無かったと私は思う。太宰治ならば、三島由紀夫ならば、いやいや。
例外か、化粧品宣伝をしていた老女作家はおられた。あの亡くなった尼僧作家はどうだったか。なにをしても勝手じゃないか、という声に今の時世なら賢げに嗤われるだろう、か。そうかもな。自恃とは謂うまい。覚悟と謂う。覚悟の欠けた文学も文学者も意味が無い。張りとばされるかな。
* RE: ホームページの更新が止まっているようで心配しております
> Date: Mon, 8 Nov 2021 01:18:25 +0000
秦先生 何はともあれ、メールが回復して良かったです。 体調などもお変わりありませんでしょうか。
こちらは9/2に義父が永眠し、 バタバタと四十九日までを済ませました。 春から重度の糖尿病にて入院しており、治癒の見込みがないということで、 転院したばかりのことでした。
私の父母はコロナにて巣篭り生活を続けておりますが、元気にしております(父84才、母78才)。
またコロナが蔓延した後、友人の大事な友人が自死したとの話もあり、言葉にならない言葉を考えます。
死とは秦先生の言われる「死なれる、死なせる」ことである、と感じます。
先日、練馬へある建築家の方にうかがうために、バスにて保谷駅まで行き、西武池袋線に乗りました。
さて、バスの道中どこかな、と探したのですが、 大学1年の夏に先生に「京都」を教えていただいた食堂は、もうないのですね。
変わっていくものと、変わらぬもの、年を取るというのはこういうことなのだな、と感じます。
パラパラと書いてしまいました。
また、落ち着いたらお顔を見に参ります。 柳
* 柳 博通 <yanagi.hiromichi@takenaka.co.jp>
ホームページの更新が止まっているようで心配しております
* 前略 昨四月このかた 九ヶ月 機械からインターネットが無能化して、ご無礼もあり ご無沙 汰もいたしました。ともあれメール受発信だけは回復のご 挨拶のみ申し上げます。
まだまだ「ホームページ」電送には 私ども 手の施しようもなく、私の「文 藝」活動に欠かせない設備・設定だけに、ほとほと困惑しています。
むろん、「書き置く」仕事は欠かしておりません、新たな創作にも、今も日々 打ち込んでいますので ご休心下さい。
日々のご健勝をこころより願いおります。匆々 十一月五日 秦> 恒平
* ところが、このときも、機械操作で受発信とも,出来なかったのです。
* From: 柳 博通
ホームページの更新が止まっているようで心配しております
Date: Tue, 1 Jun 2021 14:53:37 +0000
秦先生 (関西在住の) 鷲津さんから連絡もらい、先生のホームページもの更新が止まっている、と。
お身体の調子が悪いのでしょうか、 機械の調子が悪いのでしょうか。
助けが必要であれば、参上いたします。 柳
* 柳君は超級に忙しい建築設計家だからなあ。お仕事の障りにはなってはならない。し、
* 秦先生、 残暑見舞い、立秋見舞いなど巡るましいこの一年ですが、今度は立冬。いやはやコロナ禍はわれわれの一斉に肝に満たない人生を ここぞとばかり振り回してくれたものです。ただ、かんせんりょくにもややかげりがみえ、日ごとに感染者数が減っていくことはうれしいことです。願わくはこのまま他のウイルス同様、人類とある程度のバランスを築いてくれることを祈るばかりです。コンピューター、とりわけインターネット機能が回復されたとの由、心からお喜び申し上げます。今まで蓄積された情報、履歴などが一時的であれアクセス不能になったとは他人ごとではすまされず 気にしておりました。何より喜んでいます。
確かにコロナ禍で在宅勤務が急増した時、私のパソコンもほとんどログ・インができない状況が続きイライラ続きでした。
それでもここ直近の状態は大幅に変化、あまり不都合を感じなくなってきたような気がいたします。
いずれにしましてもほぼ完ぺきに復調、ということは先生の「書き置く」作業も一気にはかどられることと存じます。
ますますのご健勝とご健筆を祈念する次第です。 堀 世界ペンクラブ会長
* 嗚呼、まだこの段階では、機械回復の仇夢を観ていたのだった、そして、今。メールの受発信は出来そうなのだが、ホームページは、何のメドも建っていない。嗚呼
* 本(「親指のマリア シドッチ神父と新井白石」)のこと、みづうみにお願いするつもりはなかったのですが、結果的に催促になってしまったようで、厚かましいことになり大変申し訳ございません。深く感謝申し上げます。ありがとうございます。学長に良い手紙の書けるようがんばります。
信仰者内村鑑三や遠藤周作とは別の視座からの、日本とキリスト教の高貴な魂の出逢いを描いた感動の名作『親指のマリア』は日本のカトリック教会関係者にも広く読んでいただきたい作品です。我ながら善いことを思いついたと思っています。
聖書のなかに「天国に宝を積む」という言葉があります。現実世界の損得を考えず、天国に徳の財産を積むようにしなさいという意味に理解していますが、秦恒平文学紹介活動は、天国の文藝に宝を積むことでありましょう。それはわたくしの何より幸せなこと。
感謝をこめて 春はあけぼの
* 機械破損の九ヶ月中に承けていた夥しい数の受信メールを点検しつつ一日が過ぎて、とけいを観ると九時半。右肩が凝り凝り。懲りて投げ出すことは出来ない。
しかし、やすもう。明日には継ぎの「湖の本」初校が出てくると。
2022 1/7
* 秦さん ご無沙汰しております。
国立劇場のロビーで、久しぶりに偶然拝眉する機会に恵まれたのが、最後でしょうか。大病された後、というお話でしたね。
その後は、お元気でお暮らしでしょうか。
間も無く、米寿におなりになるのですね。健やかな日々をお暮らしください。
本日、「湖の本」150、151をご恵贈くださり、安着しました。感謝します。
これは、椿事です。
秦さんは、私にとって、ペンクラブの恩師ですが、
そういうご縁は、ご無沙汰のあまり、消えてしまったと思いながら、暮らしてきましたから。
「椿事」の主は、「山縣有朋の『椿山集』を読む」です。
椿事ならぬ「椿山荘」は、今では、山縣有朋の邸宅跡に建てられたホテルとして、知られていますが、椿山荘の根っこに「椿山集」という和歌集が埋もれていたとは、知りませんでした。
「椿山荘」と命名したのは、ご承知のように、明治期の国家構想(国民を忌避警戒する構想の実践は、近代日本の国家像を歪め、1945年の敗戦まで祟った)の根幹に関わった総理大臣・元帥陸軍大将などを歴任した山縣有朋です。
山縣が1878(明治11)年に当時、「つばきやま」と呼ばれた土地を購入した、ということです。西南戦争で西郷隆盛らを破った「功」により、国から年金740円を与えられ、それを資金とし、庭、邸宅をつくり、「椿山荘」と命名した、と言われています。
時系列的には、 「つばきやま」→「椿山荘」→「椿山集」ということなのでしょうか。
「椿山集」は、没年の暮れに発行され、「非売品(つまり、限定版)」として、一周忌の品として限られた人たちに配られたものなのでしょうか。
椿山集を紐解く前に、大兄の「山縣有朋という人」を読みました。私には、山縣狂介なら、関心が湧きそうです。
「有朋」は、「朋有り」でしょうか。「有朋自遠方来、不亦楽乎」。
私も、今期まで、6期12年間、日本ペンクラブの理事を勤めました。
電子文藝館委員会委員長、財務委員会委員長などを担当しました。会長による指名理事、3期、会員による選挙当選理事、3期でした。理事会少数派の良心派理事に徹して勤めてきたつもりです。
大兄の6期12年を超えてはならぬ、という思いをなぜか以前から抱いていました。
連れ合いが体調を崩しました。今後は、彼女の介護を最優先にした生活パターンに変えなければなりませんので、理事はやめようと思っていました。メディアのジャーナリストや編集者たちと共同で出しているメールマガジン「オルタ」(月刊)の連載コラムは、書き続けます。
お世話になりました。いろいろありがとうございました。 大原 雄
2022 1/7
* 機械破損の九ヶ月中に承けていた夥しい数の受信メールを点検しつつ一日が過ぎて、とけいを観ると九時半。右肩が凝り凝り。懲りて投げ出すことは出来ない。
しかし、やすもう。明日には継ぎの「湖の本」初校が出てくると。
2022 1/7
* 故障機械から辛うじて発掘されたたくさんな受信メールを、やはり感謝しつつ読んで処置しておかねば。と云ううちにも階下へ「湖の本 156」初校が出そろって届いたらしいぞ。
* じつに終日、夥しい数の受信未見メール整理と受納作業に費やして、まだまだ終えていない。文面ばかり収納してるので、昨年四月中旬以降九ヶ月、昨正月六日までの日付でたーなど、およそ読んで察するしかなくなった、が、大事と云うに当たらず、察しは何とでも付く。明日もう一日かかるだろう。「湖の本156」初校へもとりついて、幾らか、数十頁ほどは追加の必要があろう。放って措くことは出来ない。}
2022 1/8
* 秦様
「湖の本151号」の成島柳北を読み終わりました。さすが秦様とまず感嘆したことをお伝えします。読み下し分でも読むのピーヒョロロにかなり難渋する文章をよくぞ読み下してくださったと存じます。「嗚呼、人情ノ翻覆スル、唯,金而己。金也、能ク痴ヲ変ジテ慧トナシ、醜ヲ化シテ美ト為ス。」、「守宮ヨリモット効クノハ佐渡ノ壌」、「学問文章ノ事業ニ於ケル、豈軽易ニ之ヲ成シ得ルト謂ウ可ケンヤ、苟モ勉励刻苦セズシテ其ノ訣ヲ悟ラズ、自ラソノ拙ニ安ンジ、其ノ陋ヲ甘ンジテ得色アルモノ、豈蝶二ニ対シテタン然タルナキヲ得ン也。」・・・何か所にも傍線を引いて再読、三読いたしております。次号も楽しみにしております。ありがとうございました。 持田鋼一郎 拝 作家・歌人
* 秦先生
「湖の本」151号、本日拝受いたしました。山縣有朋に対する歌を通した新視点、大変興味深く存じました。私感を申し上げれば、伊藤博文の漢詩との対比を書いていただければ、さらに興味深くなったと存じます。また、わたくしも明治政府の人間たちが感じていた国家存亡の危機感を現代の政治家がどれほど抱いているか、不安に感じております。イデオロギーの眼鏡をはずし、つねに肉眼で現実を見る御態度はますます貴重になって来ると存じます。尖閣に中国の武装民兵が上陸する可能性が、1%以下であってもそれに備える国民的自覚は必要だと存じます。日清・日露は明らかに自衛の戦争だったと思いますが、一次大戦への参加は漁夫の利を狙ったいささか「あさましい」戦争、第二次大戦は明らかに中国への侵略が契機となった、愚かな戦争だったと考えます。次に日本が巻き込まれる可能性がある戦争といえば米中戦争でしょうが、これをどううまくさばくか、「政治的狡知」(=わたく秦は、外交を「悪意の算術」と理解しています。)に長けた政治家がいないようで不安に存じます。幕末・明治の転換期と現在の対比を今後も是非お続けください。楽しみにいたしております。
成島柳北はこれから拝読します。『柳橋新誌』しか読んでおりませんが、そのときデカダンスの極致を見たような気がしました。柳橋は旧幕臣の遊び場で新橋は薩長の遊び場所だったという歴史を知り、柳橋に一度行ってみようかと思ったことがありました。成島の反骨とデカダンとの関係をどうお書きになっているか、興味深々です。 持田鋼一郎拝
* 秦 兄 労作の『山縣有朋と成島柳北』有難く拝受しました。成島柳北の名は母校早稲田大学を大隈重信が設立したときの関係者の一人として知る程度ですので、緩々読ませて頂きます。
幕末から明治維新の日本は西欧の先進諸国に追いつけ追い越せの気迫に満ちたダイナミックな時代であっただけに若者には覇気があり、政治家も矜持があり、威厳や品位を備えて堂々とした風格がありましたが、近頃のセンセイたちに至っては比べるのも疎ましく、カネのためなら如何なる反社会的なこともする暴力団やチンピラよりもタチの悪い人種です。私の生家の近隣にも往時ヤクザの親分が住んでいましたが、昔の侠客は堅気さんには手を出さない義理人情の厚い任侠の徒でした。
わが家にも市からコロナのワクチン接種の申し込み用紙が届きました。私は60年ほど前に外科医のオペを受けて以来、大量の輸血による肝炎も合成薬品の服用は避けて漢方薬で治したこともあり、今回のコロナ禍もアスコルビン酸(ビタミンC)の大量摂取でガードしていますので、接種後に体調に異変があれば症状によっては3万数千円の見舞金が出るような物騒なワクチンの接種は受けないつもりでいます。
まだ当分は命が惜しいのと、効果も分からないワクチンや注射器具の発注にも甘い汁を求めて群がる政治屋の記事をネットの書き込み情報で見て吐き気を催しているからです。ネット情報はフェイクが多いので信憑性はともかく、センセイたちの眼付や面構えを見ていると満更フェイクと言い切れないものを感じます。
そんなコロナ禍の終息の気配も見えない中での五輪開催の件も、躍起になっているのは利権に絡む者ばかりで、国民の多くは白け切っているのではありませんか。無観客でも強行するに至っては誰のための五輪かと言わざるを得ません。
国営から民営への行政改革の進む一方で、国や東京都が主体になって住民の血税を使っての五輪開催などはナンセンスで、オリンピック競技も今後は発祥の地ギリシャで何年かに一度定期的に開催するようにすればよいのです。ギリシャは経済的に逼迫していますから五輪開催で利権を持つ各国の民間企業がカネを出し合って主催すればよい話です。観光国ギリシャも喜ぶことでしょう。
夢のような話は尽きませんが元気に暮らしています。兄の健康と健筆での活躍を祈っています。 亰・岩倉 森下
* 秦 恒平 様
ご無沙汰しております。「山縣有朋と成島柳北」大変な労作、ありがとうございました。
3名の友人に贈って、ぜひ読ませたいと思っています。が、そちらへの送金先がわかりません。湖の本には00140-8-168853となっていますが…。 至急、送金いたしたく、送金先金融機関名をお知らせください。
小生、諸々の事情で、左眼がほとんどダメ。読めない、書けないで、書くこと読むこと、休止中です。それでも、まずは「私語の刻」はしっかり読みました。「安全弁」としての天皇制、まさに同感。国破れて山河もなくなる一歩手前の危機意識を持っていない政治屋諸君をどこぞで教育してやって欲しいですね。
コロナ騒動、収束のめどが立っていません。くれぐれもご留意ください。 敦 作家
* 秦先生。
ご無沙汰しております。この未曽有の混乱期の中で(世界の先進国の中で最も対応ができない日本の政治の貧困さ、低俗さにのみクレームを申し上げているのですが)超然と執筆活動を続けられておられる秦先生にただ、ただ脱帽、感嘆の声を上げ、同時に健康であられることを再確認でき、これほど勇気づけられることはありません。これからじっくりと1ページ、1ページをかみしめながら読ませていただきます。有難うございました。
それにしても日本の政治家のテイタラクには絶望どころか、憤りさえ感じる昨今です。
高齢者のワクチン予約受付がはじまりましたが毎日どれほどの老人が電話、メールに縛り付けられ少なくとも午前中いっぱい予約ができることを願いつつ徒労に終わっています。彼らの限られた時間がどれほど無駄に費やされているのか、むしろ政府は高齢者の命を搾取し続け、絶望に追いやっています。
ウエブサイドの受付を見ていると、自治体はすべて外部に委託、その専門家集団さえ本当に高齢者に適したシステムを開発できているのか、それすら疑心暗鬼になってしまいます。
まあ、次の世代には少なくとも日本は決して一流国ではないことを口酸っぱく訴え、教え続ける必要があるのではないでしょうか。
と、まあ老人の愚痴話に終わってしまいましたが、とにかく自分たちでもこの危機を乗り切り、新しい人材発掘ができるまで頑張りたいものです。
くれぐれもご自愛のほど。 (世界ペンクラブ会長)
* hatakさん メール開通うれしく拝見しました。
湖の本もお送りいただきありがとうございます。
私も今年定年ですが、そのままつくばの所長で再雇用になりそうです。
さすがに二人目はちょっと、、、というところですが、尚平の絵本好きがどの ようになっていくか興味深く見ています。なにしろトイレの中でも絵本読んで、図書館の人になると言ってますので。。。
作文の方はもっぱら行政文書ばかりで、今日も今週の会議資料を作りに午後から職場に来ています。尚平がもう少しおおきくなったら、物語をかいてあげようかと構想は練っていますよ。
(植物)ウイルス学者としてオミクロン株は興味深く。ひとつはホスト(人間)を殺さず生かさず(弱毒化し)、自身はこれまでにない強い感染力を身に着けた点。これは植物ウイルスの生き残り戦略とよく一致しています。もうひとつは、ブースター接種が大切ということ。私が扱った20頭近いウサギの試験でも、2回接種は抗体は少なく、3回でドカンと跳ね上がりましたので、やはり人間もおんなじだと納得した次第です。
とにかくメールが通じてうれしいです。またお便りします。普通の風邪やインフルエンザもありますので、奥様共々くれぐれもお大事にしてください。 maokatn
* 秦様 「湖の本」152号のご恵投に与り、ありがとうございました。まだすべてを読んでおりませんが、大変面白く、興味深く拝読しております。山縣有朋へのご関心、不思議な気がしますが、彼を内在的に理解されようとなさる姿勢には大いに共感いたします。彼が生きていたら昭和の大戦は起きなかっただろうという気が今でもするときがあります。彼の死後15年にして天皇機関説が葬られた事実は、陸軍の後進たちが山縣の真意を結局は分かっていなかったという気がいたします。昭和に入ってからの陸軍の暴走を山縣も予想していなかったのではないでしょうか。
成島柳北について、『柳橋新誌』を読んだだけですが、わたくしもひそかに関心を抱いており、新たなご論考を期待しております。それにしても秦様がなぜ谷崎賞を受賞しなかったのか不思議でなりません。「文壇七不思議」のひとつではないでしょうか?
またご老体とご病気にめげず、つねに新たな目標に向かって全身全霊で進まれる秦様のお姿を自分の人生の鏡にしております。
今後のますますの御健筆、心からお祈りいたします。 持田拝 (作家・歌人)
* 秦 先生
『湖の本152 綽綽有裕』をご恵贈賜りありがとうございました。毎頁をうなずきながら共感しております。
2020/6/27 「からだ」にとって老いることがいかに厳しい意味を持つか、この頃、しみじみ分かってきた。”
私も実感しております。
3月の入院手術後体調はベストと言い難く、先月から計8回通院による薬投与を受けています。副作用はなんとか許容範囲、家に籠もっている限りは無難に過ごしています。とはいえ、集中力、根気力が続かず怠惰な生活を送っています。
p.s.「ギリシア哲学原典講読」のセミナーが、オンライン授業で再開との連絡を教授から受けました。からだに鞭打って集中力を高めています。
お体おいといくださいますようお祈り申しあげます。 篠崎仁
* hatakさん
湖の本『綽綽有裕』ありがたく頂戴しました。
茨城の黒い瓦の家並みと三十数年ぶりの梅雨の日々を旅人のような気持ちで味わっています。雨音に寄り添うてくるのは茶筅摺りか袱紗の清めか、いろいろな音が古い記憶の底から引き出されてきています。
所長の日々は〆切に追われ、子育ての日々は子供の変化のスピードに親が追いつけないでいます。苦しくも楽しい毎日です。
メールの開通と「私語の刻」の復活をお祈りしております。無理をなさらず に、お大切にお過ごしください。 maokat
* 秦恒平先生
大変ご無沙汰しております。(東工大OBの)新野です。
いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。先般、湖の本151をお送りいただき、お礼を申し上げる間もなく152もお送りいただいてしまいました。申し訳ありません。また重ねて御礼申し上げます。
私は在宅勤務が続くこの状況に自宅で仕事をする利点を覚えつつも、一度ペースを崩した時の切り替えの難しさにどうも慣れず苦戦しておりました。そんな中、いただいた本を拝読しておりますと、先生は文章のところどころでお疲れのご様子を書いておられる一方で「おもしろい着想や好奇心が絶えない」とも書いておられました。この表現に驚くと共に、揺るがない先生の日々の生活に感じ入った次第です。
先生が日々書かれているコロナ禍におけるこの社会の在り方についての考察にも多く刺激を受けています。私は仕事柄、ITを考えることになりますが、ITが社会に浸透しつつもまだITが活用できないのがこの日本という社会です(もちろん日本固有の問題はあれど日本にしかない問題というつもりはありません)。ですが技術が活用できていないとすると、それは技術ではなくこの社会そのものにあることが分かります。この社会状況をどう受け止めるのか、秦先生の文章を縁とし、引き続き考えていきたいと思います。ありがとうございました。
ウィルスは遠からず落ち着くことになるのでしょうか。先生におかれましてはどうかご自愛のほど何卒お願い申し上げます。長くなり失礼致しました。
* 四月もあっけなく終わりましたが、お元気でいらっしゃいますか?
三月は、婚家の方の家族の心臓手術で、二週間ほど東大病院へ出入りしておりました。桜が満開から吹雪くまで、あのあたりをうろついていたことになります。
五月一日には、友人の現役の精神科医、87歳のお供兼運転手で、県立近代美術館へ講演を聞きに行きました。
精神科なので、女性の先生の方がいいという人もいて辞めにくいようです。月に一度、私と美術館行になっています。
展示の中に、華岳が一点あり、昔、ご講演をなさったのを聴きに行ったことを懐かしく思いだしました。
私はワクチンは外れてまして、次回の6月15日の二回目の申し込みになってしまいました。
安全な生活をなさっているだろうとは思っておりますが、どうぞお大切に。 司
* 秦先生。
ご無沙汰しております。この未曽有の混乱期の中で(世界の先進国の中で最も対応ができない日本の政治の貧困さ、低俗さにのみクレームを申し上げているのですが)超然と執筆活動を続けられておられる秦先生にただ、ただ脱帽、感嘆の声を上げ、同時に健康であられることを再確認でき、これほど勇気づけられることはありません。これからじっくりと1ページ、1ページをかみしめながら読ませていただきます。有難うございました。
それにしても日本の政治家のテイタラクには絶望どころか、憤りさえ感じる昨今です。
高齢者のワクチン予約受付がはじまりましたが毎日どれほどの老人が電話、メールに縛り付けられ少なくとも午前中いっぱい予約ができることを願いつつ徒労に終わっています。彼らの限られた時間がどれほど無駄に費やされているのか、むしろ政府は高齢者の命を搾取し続け、絶望に追いやっています。
ウエブサイドの受付を見ていると、自治体はすべて外部に委託、その専門家集団さえ本当に高齢者に適したシステムを開発できているのか、それすら疑心暗鬼になってしまいます。まあ、次の世代には少なくとも日本は決して一流国ではないことを口酸っぱく訴え、教え続ける必要があるのではないでしょうか。
と、まあ老人の愚痴話に終わってしまいましたが、とにかく自分たちでもこの危機を乗り切り、新しい人材発掘ができるまで頑張りたいものです。
くれぐれもご自愛のほど。 堀 世界ベンクラブ会長
* 疑問
秦様 湖の本を拝読し、日本の安全保障についての秦様のお考えをもう少し深く伺いたく存じました。日本の安全保障は現在、アメリカの軍事力に大きく依存しておりますが、秦様は日本をアメリカが見捨てる日が来ると予測されております。その際当然、日本が独自の抑止力としての軍事力を持たなければならないとも主張されております。すると当然のことながら、憲法を改正し、戦力の保持を明記し、同時に自衛権の保持を明記すべきと存じますが、この点についてはどうお考えでしょうか。
現行憲法のまま、解釈改憲で行くべきとお考えなのでしょうか。
米軍が撤退すれば、中国が尖閣諸島を奪う可能性は、フィリピンのドゥテルテ大統領が米軍を撤退させたと同時に中国が南沙諸島を奪ったことに鑑み、十分ありうることだと存じます。
一切の武力の保持を否定し、交戦権を放棄した憲法が中国に対してどれだけ抑止力としての機能を果たすのか、私は疑問を抱いております。持田拝
* 世界史的にもあきらかな、「外交」とは「悪意の算術」以外の何でもないと想います。ギリシャ・ローマも、中国全史もそれを明らかに見せつけている。久しかった鎖国日本は、その点で盲目のママ、明治、大正、昭和を過ごし、敗戦後日本の統治息のみ強い捕手政治家は「外交における聡明な悪意の算術」に零点をとり続けています。徹頭徹尾、かつ緊急に「悪意の算術」に日本の政治が刮目覚醒すべきが、先決。
戦争は負けたら惨憺。負けた国民のすべては身にしみている。日本は、昭和の敗戦の勝利国が足並みを乱していたおかげで、マッカーサー支配の緩さに助かったのでした、それでも「負けた国の」無残さは私のように少年だった者もよく覚えている。日本列島が、中・朝・韓、露の戦勝つ支配下に置かれたときの惨状は、かつては勝者国民としてしたい放題をやってきた記憶にさらに報復的に数倍百倍を覚悟せねば済まない。
七すべき備えは、憲法をあらためても必要なのは明瞭、「平和」は夢であるが、敗戦は悪夢ですら無くて、現実に,国土と国民ことに女性の悲惨と文化財の破壊や略奪、日本史の倒産を将来するは必至。寝ぼけていて、きがつけば、生き地獄に堕ちている。そう想うことで備うべく、世界史にも人間悪にも学ぶべきで有る。 私は、そう思うようになっている。
* 秦恒平様
「剣呑」(お使いになっていた言葉です)な時代にお変わりなくお過ごしのご様子で、慶賀に堪えません。
本日、『湖の本』153号をいただきました。変わらぬご厚情に感謝します。早速に「卒読」(私はじっくりと味読することの反対語として、勝手に使っています)申し上げ候。読書や思い浮かぶ事柄、ことに「うた」を自在に引用してみせる実力には、いつもながら感服です。
書き出しの頁の「昔の詩歌に『からだ』という語彙を見出すのは至難で、記憶にもないほど」の一文を読んで、そうでしょう、と思いました。東地中海世界で「からだ」(ソーマ)という語を僅かながら提出したのは、都市の政治的な「連合体」(その意味での「政体」)のような、日常生活を超えたレベルでの概念として出現しました。
新約聖書の、ことにパウロがこの語を「肉」と「霊」とを統合して生きる存在のあり方として用いました。自然的人間の欲望に基づく「肉のからだ」に対立して、「霊のからだ」を装丁して論じています。これは彼が「からだ」を「肉」を蔑視しないが、肉の傾向性に逆らってキリストの霊に従って生きる信徒の生き方に転用した結果です。現代社会でも、「肉」を蔑視せず、理想化もせず、生の具体的なありかたとして「からだ」を重視することは、一つの思想的な行為であると、私は考えています。
藤村の「林檎をわれにあたへしは」の一句はアダムとエバが性の知識、羞恥心を覚えるに至った「木の実」のやり取りを示唆していますね。「木の実」の共食は彼らの知の獲得であり、性的な存在者になったことの換喩です。藤村が深く理解していたとは思いませんが、美しい詩語であると思いました。
ありがとうございました。ご夫妻のご健康をお祈りします。 浩 icu名誉教授
* 見落とし 取りこぼしも多かろう、たくさんなメールを、九ヶ月の機械欠損の閒に戴いていたのを、やっと、取捨調整できたかなと。ハアーッと息を継いでいる。この「私語の刻」へ取り入れたのもそうでなく承け納れたのも、思案のうえでなく、機械操作での成り行きで有った、とても疲れた。この現代での機械通信の欠損、それも九ヶ月にも及べばどんなことになるかと、つくづく降参した。
* さらにまだ、親切を尽くして多年し遂げては送って下さるお一人の読者から、最新一年の「全部の私語」を三十余の部類項目に分け整備し収拾して下さった大量のメールが、届いている。感謝に堪えない。それあってこそ、私は「湖の本」を興趣の題目に分けて編成し出版し続けられる、まだ何十巻でも。
こんな幸せな「現役作家」が日本に、世界に、おいでだろうか。浩瀚美麗の『秦恒平選集』三十三巻、継続刊行中の『秦恒平・湖(うみ)の本』現に進行の「第156巻」その一環はすべて優に単行本一冊の分量を凌いでいる。しかも私はこれらを「売らない」で刊行している。私は「売らない」現役作家として「やそろく翁」の今を生き続けている・世界に例が無いと思っている。マルクス・アウレーリウスのような私は聖帝でも皇帝でもない。敢えて刺激的に謂うておくのである。続く人が有るなら、続けともおもう。そのためには「作」の量も「作品」としての質も、不可欠だと。
2022 1/10
* 「湖の本 156」の校正と補充とで、一日を費やした。まだ明日も同じ作業を続けねばなるまい。両肩、ガチガチに痛い。顔が燃えているよう。疲れた。機械の閉じようも忘れている感じ。追い追いに老いは深まる。シャーナイやないかいナ。九時半か。潰れそうで当たり前か。
2022 1/12
* オミクロンの急激な猖獗におそれをなす。木村氏の来訪願いにも、ためらいがあ。基礎疾患の有る高齢者に感染が増え、重症死亡者も出かけている。
いま、わたくしに必要なのは、永く生きて「読み・書き・読書」の上に作を、文を遺すことでは無いのか。
* 「湖の本 56」要再校の用意ができる。かなり苦心したが、ぜひにも納れたいモノを差し添え得て満足しいる。しかし、疲労は甚だしい。オミクロンの感染拡大は、鼻先で笑っていられない。能力で停頓するなら致し方ないが病気で潰されたくない。
目下、諦めるなら「ホームページ」ということに成る。九ヶ月我慢したのだ、もう三ヶ月様子を見ようと思いかけている。必要な人とは、メールで意思疎通出来る。
もっとも、まだ、メール利用ぐらいナンデモナイという理解では無いが。
2022 1/13
□ 湖の本 156
私語の刻
一巻をくくって「老蠶、繭を作(な)す」と題したのは、旧套、冬至をもって「八十六(やそろく)翁」と化け、なお、文藝・文筆にいそしむ気概とも気恥かしさともいう気分に照れたまでである。隠そうとも胸を張ろうとも思わない、背に、浩瀚の『秦恒平選集』全三十三巻、はや百五十六巻を超えてゆく『秦恒平・湖(うみ)の本』等の所産を負うて、あの菱田春草が描いた、満天の夕焼けをあび小さな小さな樵夫婦のしみじみと山を下りて行く名画『帰樵』を想うばかり。かの樵夫婦、明日もまた山に入って仕事をするにちがいない。いつ、どう躓いても、それはそれでなかろうか。
今巻は、前半を「湖山夢に入(い)る」と題してみた。ともに生涯ついに同じ一つ夢もみぬまま、生まれて死なれた「生みの母」ふくが渾身闘いの生涯を、数奇な出自とともに、いっそ簡素な筆でスケッチしてみた。多くを補い得て、私には感動の母が生涯旅愁の短歌集『我が旅 大和路の歌』を、「つらい時は母の肩によれよ」と「遺書」もを遺された「恒平」が心して「選抄」しておいた。筆名「阿部鏡」の母も私・秦恒平も、生来の「歌人」だったのである。
後半は「故山已(すで)遠し」と題して、昨年、コロナ禍に惑い続けた前半の日々を「私語」で顧み、加えて、懐郷眷恋の「京都」へ、もう十余年も帰って行けないでいる悲しさを預けた。
それにしても、危ない国に日本はなってきた、いやいや、もう、なつている。
アメリカ頼み。これは徒夢である。アメリカは戦勝国当然の驕りで、日本国土と日本の資金をほぼ好き勝手に要求し食い齧っているが、幸い武力支配はしないで呉れた。が、一朝大きな事があれば、波の引くように更に好餌をかかえこんで撤退するだろう、米軍と本気でともに闘う武力も政治力も「外交」という「悪意の算術」もまるで日本は持ち合わせていないから。あくまで日本と協力して極東日本を保全する、もはや利得も無いのは明瞭なのである。
中国、ロシア、北朝鮮、韓国、どの一国とても日本に親身の同盟感覚を持っているワケが、ない。日本は戦勝国気分で好き放題を過去のアジアに演じていて、彼らが今度はわれわれの番よと、勝者顔でなにを日本に徹底仕掛けてきても不思議は無い。空からも、海からも、海底からも、瀬戸内海の至る所からも、原発などの狙い撃ちすれば、日本列島と日本国民とは放射能だけでも腐りはてるのは間違いない。
平和はなにより大事である。平和憲法も誇りである。日本文化と文物は世界史に誇れる高い品質・資質に輝いてきた、が、外国人の目にはミソやクソと異ならないだろう。
「あぶない」なあと思っている。「やそろく老」は、そんな無残を見ずにあの世へ疎開できるだろうが、子や、孫や、曾孫や、さらに孫達はただ「マゴマゴ」して済まない文明奴隷に身を屈して屈辱を嘗めかねない。
日本政府は、まさかと、多寡をくくっているのだろう。多くの若者達も、まさか、と浮かれているのだろう。しかし、世界史は、何度も、繰り替えして支配と屈服の無残な実例を遺してきている。 何としても、当面、先見の明に「悪意の戦術」と謂う「外交力」をしかと蓄え発揮しうる政治家達の政治を、国民こそが育てねばなるまい。」
2022 1/13
* 「春はあけぼの」さんと。ながいメールの交換。こういうことが、久しく出来なかった、のだが、それもよく覚えていないほど。もう、やすみたい。「湖の本 156」の「要再校」作業で心身、ぐったり。しかし、この大仕事で、すこし視野に寛ぎが産まれる。
2022 1/13
* 年に一度の銀行通いで、次年一年の「家計」等の算段をつけてきた。
快晴なれど、ごく寒く、無駄に歩かず往き帰りタクシーを遣った。
「湖の本 156」の「要再校の、初校済みゲラと追加稿も送った。次巻の編集もあるが、さしあたりは仕掛かり仕事を先へ押したい。が、何から手をつけるか。
2022 1/14
* 衆議院の辻元きよみ議員が、ときどき声をかけてくれる。前から,期待し励まし「湖の本」も読んで貰っている。
2022 1/23
* 親友のテルさんから,「外交」は「悪意の算術」という私見に、ドイツのメルケル首相などを挙げながら、「首肯しにくい」とメールをもらった。
○ 湖の本152巻、153巻と長文のメール拝受。ありがとうございました。
恒平さんの最近のお考え、また諸兄姉からのお便りを読んでどういう気持ちであと短い命を生きるか、またあの世に渡るかを考えさせられました。
・秦さんの(外交は)「悪意の算術」論には納得のいかない気持ちがあります。
トランプやプーチン、習近平など自国の利害のみを言い立て他国の人々に配慮することをしない国際社会はまさに悪意に満ちているといえます。しかしこの世界に善意はないのでしょうか。メルケルさんの評伝(「メルケル」カティ・マートン著 文春刊)を読みました。ドイツの首相として16年間ドイツの復興とEUの危機に対峙した外交実績は自国の利害のみを優先したものではありませんでした。なかでも2015年中東からの難民100万人をドイツに受け入れた決断は「世界の良心」を世の中に示したと思います。
次元はちがいますが、私も仕事の関係で外国(アメリカ・中国・ヨーロッパなど)たびたび交渉を行いました。もちろん主張すべきは自企業の利害ですが相手会社の事情をよく聞き共存・共栄をめざすことが重要課題でした。悪意の算術だけでは外交は成り立ちません。
憲法の前文で「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して。我らの安全と生存を保持しようと決意した。」とあります。井上ひさしはこの解説で「二度と武器では戦わない。これは途方もない生き方ではないか。勇気のいるいきかたではないか。日本刀をかざして敵陣に斬りこむより、もっとずっと雄々しい生き方ではないか。度胸もいるし、智恵もいるし、とてもむずかしい生き方ではないか。」と語っています。(「子どもにつたえる日本国憲法」講談社刊)そのとうりと思いますが、日本には中村哲医師のようなひともいる。憲法九条をみんなでもっと大事にしていきたいです。。
・山県有朋の評伝は立派なお仕事だとは思いますが、私には違和感があります。
山県のの遺産とメンタリティーがその後の日本陸軍にどれだけ影響力を残したかは定かではありません。しかし暴力非人道の内部体制・中国への侵略戦・南京大虐殺・日独伊軍事同盟・日米開戦時の策動・玉砕の強要・沖縄戦の展開・敗戦時期の延伸(国体維持のためどれだけの貴重な人命が失われたか)どれをとっても旧陸軍が日本と人類に残した罪科は永久にきえることはありません。「椿山集」に残されたやさしい詩歌と旧陸軍の傲慢な所業の折り合いをつけるのは難しいことです。
山県の覚悟「戦争は安易にシテはならない。だがシカケられたらもっとよくない。負けたらお仕舞い」も当たり前のことで、軍の責任者の誰もが考えていることと思います。
西村明男
* 分かる。私も、妻も、メルケル首相への賛嘆と敬意とは,実に山のように送りづめだった。
井上医師の活躍なども感謝に堪えず心より賞讃する。が、外交は「政治」の概念であって、私的な善行や英雄的努力や奉仕とは混同できない。私は、そういう善意や活躍の話を外れて、国家が政治的に苦心惨憺する「外交」は、よくもあしくも「悪意の算術」になり、ソレへ徹していないと、いたずらな国家的危険や損害がでるということを云っている。そこの混同はこの際の議論の外にあること、まず指摘し断っておく。
問題を、世界の歴史、人間の歴史、の大きな様態にみて、つまり端的に世界史的に眺めて、「概して謂うを要する」とき、「外交」は、やはり「悪意の算術」として、遺憾にも殊に大国において歴々といつも強硬に用意され、訓練され、行使されつづけてきたと云うしかない。
メルケル女史の外交は、遺憾にも「稀な」ほどの少数例、希少例と謂わざるを得ないのではなかったか。ノーベル平和賞にも優に値いしただろう、だが、遺憾にもソレは「それだけ」で、すぐ、人間の歴史は「悪意の算術」へと駈け去って行く。
「悪意の算術」 それが善いと、良いと、是非にも然かあれよと、私は言わない。云いたくないのが本意である。けれど、エジプトであれ、ギリシャ、ローマであれ、中国であれ、印度であれ、近代の帝国主義に奔走した欧米各国であれ、遺憾にも「善意の算術」で礼を尽くし善意に花咲かせつづけた「外交例」は探しようもなく、有っても希少に過ぎるということ。そんな「人類史的事実」に基づいて各国・各国民は、余儀なく政治的に政治として思案し用意し、要心していないと、大変な国家国民の不利や危険を蒙ってしまう。屈辱の苦難が覆い被さって来る。事実わが日本国へも津波のように、蒙古まで遡らずともペリー以後繰りかえしそれは来ていた、あげく不平等条約に四苦八苦してき国よと、私は、言いも想いもせざるを得ないのです。
残念至極、メルケル風の外交配慮は、歴史上の結果として一過性に過ぎ、後継者がそれを嗣いで育てるかどうかは、どんな国のどんな国民の政権も、ほぼ百パーセント近く保証し確約などしてくれない、出来ない、のが遺憾にも「史的現実」に成っている。しかも「悪意の算術」が成功する保証も実は無い。
だから「善意」でか。
だからこそ「悪意の算術」に徹して長けて聡明であるべきなのか。
これは思案のしどころでしょう。
わたしは、「日本」という国と国民と国土とを、他国の支配や陵略には任せたくない、「世界平和」という言葉での幻惑に「日本の未来」を唯々として、易々として、委ねたくないと思っているのです。
* 山縣有朋等、近代日本の「軍」の、近隣諸国等へ為し続けた暴虐無道は、全く弁明の余地無く、「湖の本」に 一冊は山縣の歌集『椿山集』を紹介し、もう一冊では新聞人として山縣内相の悪辣に抵抗した文人成島柳北を採り上げたのでした。
繰りかえし云うていますように、「山縣有朋」を私は少年の昔から忌避し嫌悪していましたし、それでも、また軍人政治家としての「人」とも見、お互い「一人の人」としても見る視点が大切だとは、山縣にと限らず、いつも考えています。
日本の、明治以降昭和の敗戦に至るまでに、一山縣有朋の占めていた栄爵よりも、一日本人としての覚悟と資質と風雅とを、私は今も興味深く眺めます。また昭和天皇が「名将」と評価されていた意味も、やはり日本の「国と国土と国民」との上に重いなと感じています。彼の「主権線、利益線」といった支配と利益の思想はとてもやすやすとは肯定できませんが、しかも重い「示唆」ではあり、日本の明治から昭和を、西欧の帝国主義なみに懸命に山縣は学習していたのだなと感じます、肯定とか否認とかではなくて。
大切な、思考を再確認の刺激を呉れて、ありがとう。とても嬉しかった。
お元気に、感染の猖獗をくぐり抜け抜けお過ごしあれ。 お互いに やそろく翁
2022 1/24
* 「湖の本 156 老蠶作繭」の再校分が届き、即座に校正し始めている。生母を語り継いで、生涯に思いの籠もった一冊となる。
2022 1/25
* 「湖の本 156」の再校分含んで組上げのゲラが届き、かなりの時間を「読み」かけ、傍らと謂うよりも気を入れて仕掛かりの小説も読み返しながら書き継いだ。のりかかった舟ではないかと気張る気にもなった。難しい前途とも覚悟した。妻にも、「湖の本」の前半を読んでもらった。幸い疑問符は付かなかった。
2022 1/26
* 猛然ガンバッて「湖の本156」全冊をとんで校正し、午まえに揃えて、もう一校出してほしと印刷所へ戻した。折角の一冊、怱卒粗相に責了したくなかった。
2022 1/27
* 真夜中に、一昨日印刷所へ送った表紙責了紙に間違いを書き入れてしまったのを思いだし、起きて、訂正便をメールした。よなかのせいか「大機」クンの稼働停頓気味なのに閉口した。寝ぼけた私の朦朧であったのだろう。日に日にボケて行く感じ。やれやれ。
2022 1/30
* 「湖の本 156」の納品日がまだ確かで無いが、遅くも二十日かと。発送用意を、つまり宛先の貼り込み、ないし手書き宛先の書き入れだけを完備しておけば、気は楽。なんとか意気と時間を創作に集めたい。機械クンとの折り合いの平穏を願うばかり。抱え込んでいるコンテンツが機械の負担になっているかと、「小」機へ移転もしている。遺憾にも、私の摩滅気味の視力では「小」機での読み書き仕事は出来そうにない。
2022 2/9
* 亡くなっている縄手「今昔」の龍ちゃん、愛おしかった茶の湯の妹弟子で有済小学校後輩の龍ちゃんが変わらぬ笑顔で夢に現れた。ほんの數瞬であったのだろうが喜ばしい気持ちのまま夜中の夢から覚めた。このところの苦渋に満ちた日々を励ましに来て呉れた、そう思えて嬉しかった。無垢の和と喜と楽にいつも満たされて仲良く親しんだ子。妹。
* 思うまでない今、わたくしは正真正銘の「やそろく爺」で、それとはなく末路の景色も目に観ている、のに、あの敗戦後の新制中学生の年頃に得た「真の身内」と許し合えた梶川三姉妹を今も一日として忘却したことなく「むかし」」のままに思慕もし親愛もして変わりなく「少年」のままに胸に抱いている。「今昔」の龍ちゃんも、また右の三姉妹に同じい愛おしさで日々忘れたことがない。この人達と「結婚したい」などということは、まったく思いも寄らない、次元外のこと、それ故に慕情や愛情の深い真実が光るようにいつも潜在した。
私は、そのような『少年爺』として、奇跡のようにそんな「今」をいつも抱いている。今も「人生の原始期」で燃えた焦点のように彼女たちは私の人生に炎えつづけている。
四人の三人は、もう亡くなった。
今日も存生と想っている妹の一人は、京都での所在こそ知れているが文通一つ無く、六、七十年も顔を見ていない、けれど、『選集』も『湖の本』もみな届いている。電話一つ掛けたことが無い、そんな「必要が無い」のである。姉の亡くなったときは、何必館夫人の義妹を通じて知らせてくれている。臨終の折り、姉は、恒平には必ず「間をおいて」から知らせてと言い置いていった。龍ちゃんも、子息の手紙で知らせてもらえた。「今昔」の弟は、いつも「龍ちゃんの日頃」など、便りしてくれていた。
私は、生まれつきリアリストでは無かったし、そう生きて来れた、来れている、此の人生を、感謝している。双親を識らず「もらひ子」として幸せに成人した私の、それは寂しさを克服する命がけの「フィロソフィー」であった。
2022 2/11
* 「湖の本 156」発送用意出来た。「湖の本 157」の編集、現在創作中の継続に集中する。
2022 2/11
* 今日も、父の資料と向き合う。二十二日に納品される「湖の本 156」発送用意は出来ている。次巻入稿を念頭に仕事している。
2022 2/19
* 体調宜しくなく、明日からの新刊本の発送を考えると休息が大事と思われる。
2022 2/21
* 『湖の本 156』納品。発送作業にかかる。コロナ新感染もの数は減っているが死者数は増えている。けっして油断は成らない
2022 2/22
* 六時半には起きた。今日も「湖の本 156」発送に取り組む。建日子が一夜泊まりに行きたいがと、私等も衷心願っている申し出でを、やはり慎重に制してしまった。悔しい事だ。
* 午后三時 1200冊の発送を終えた。以前は,一冊3000円と頒価を定めて「支払い読者」のみなさんから送金を得ていた。しかしその為の簿記出納操作がもう煩わしくなり、全冊「呈上本」と切り替え、おかげで「封筒」に『謹呈』ないし『贈呈』と押印さえしておけば他に一切挨拶抜きで本をどんどん封筒に入れるだけで発送できることになった。作業の簡素化が徹底し「発送」にかかる労力や心労が激減、ほぼ二日で送り出せるようになった。制作費製本費等はまるまる私の「出費」となったが、幸いにそれが出来る、有り難いことと思う。浩瀚な『選集』三十三巻も、九割余は「贈呈」で済ませた。「売る」作家であるのが煩わしく、それが可能なほど、多年殺到の依頼原稿を書きに書いて暮らしてきた。
私達夫婦は、結婚以来、いわゆる遊興費や飲食費や生活費を過剰に費やす愚を一切為さず、ともに八十六歳にまでなんとか恙が少なく生きて来れたのである。
ただ、今回の発送で、「ダンボール箱に55冊ずつ」詰めて、キッチンから玄関への廊下を抱き抱えて持ち運ぶ「重さ」が、かつて感じたことの無いキツさで「重かった」「腰が砕けそう」だったのは、初体験。次回からは別の工夫が必要になる。
* 世間のいわゆる「作家」を生業とし看板を掛けている人の暮らしは、一つには「依頼原稿」への「稿料」、一つには「著書」の売れ行きへの「印税支払い分」そして「講演」料やテレビ・ラジオ等への「出演」料などで暮らしている、その余は、「副業」として教授や講師や教員としての給料が加わる。団体への「名義貸し」もタマにある。ま、そんなところが精一杯の財源として普通であり、実情から謂うなら、依頼原稿が「降る雨」のように来る作家など滅多にはなく、著作として、低俗な売り物は知らず、まともに文学文芸の著作者として「本」の幾らも出版できて売れる人は稀も稀で、生涯に一冊「本」が出せたよなどと喜ぶ人のほうが多い。まして講演や出演など、名義貸しなど、給料の出る副業など、ふつうは有るワケが無い。
大方の、殆どの文士・作家の「貧乏」は、「出版」という営みが世に現れて以来の当然の常識に類していた。「作家」で飯を食い家族や子女を養ってきた人数は「作家志望者」の万分の一だと識っていた方がいい。
* 幸いに、私は、太宰賞作家として文学の世間に送り込まれて以来、時節時代にも恵まれたのだろうが、上の条件の全部をほぼ思うままに手にしながら生活して来れた。
年譜にすべて詳しいが、出版した著作は共著も含め
百冊にあまり、原稿依頼は矢玉のように飛んできて、書きに書き、書きに書いて原稿料を稼ぎ、それらから又さらに沢山な本の出版が出来た。各地各所での講演だけでも数十度イヤそれ以上も話して来たし、放送での古典や歴史や美術の講座体験も繰返した。働きに働いての「挙句」然として定年までの東工大教授や、20数年ものあいだ京都美術文化賞選者もつとめ「功労賞」までもらった。
私は根から金銭的な吝嗇のない、同時にバカな散在などしない男で、自動車も運転せず、世界旅行もしない。余分な者を勝って狭い家をさらに狭苦しくする愚もなさず、しかも幸いに妻も家庭的で無用に出歩くこともせず、つまるところ、豪勢に著作『選集』を編もうが、35年に余って155巻を越す『湖の本』を売り続けてきたのを、ピタッと無料「呈上本」に切り替えて制作費はきちんと支払いつづけても、大病しなければ、まだ「寄る年波」に脅かされずに済むのである。
いわゆる「ベストセラー作家」さんのことは、縁もなく何も言わないが、私は、多産で豊作の作家として希有にまた素直に生きて来れた、ああよかった生き甲斐だったと文運に感謝している。
威張って言うのではない。「秦家」に育てられ、「京都」に養われ、こころして日本の文化と歴史その他に熱いほど学んできた「御陰」と思っている。深く深く感謝している。
* 夕食に、暫くぶり部厚な中とろ刺身と真っ白い大きな貝柱を、生協配給の酒で楽しんだ。そのまま焚くに俯して寝入り、気がついて寝室へ行き、八時まで熟睡していた。過ぎねば済まぬ関所のような『湖の本』の出版を無事に済ませたのだ、今の私にはた何時歩の前進なのだ、そして懸案のあれこれへ安心してまた打ち込める。なによりとは、これだ。 2022 2/23
○ 「湖の本」156をありがとうございます。
手にした瞬間に「お元気なんだ。」と安心いたします。
「生きたかりしに』も最後まで読めませんでしたが
「わが旅 大和路のうた」も最後のうたは私の双湖に溶け込んで行きました。
母性を尊敬せずにいられません。
どうぞこの先もごゆっくりお過ごし下さい。 野路
○ 「湖の本」156 おめでとうございます。
やそろく様 まだまだお寒いなか 今日は 湖の本をお届け頂き 有り難うございます! 色々発送のお仕事も よく頑張っておられますね。送料もお払いせず 申し訳なく思います。これからお母さまのお話 読ませていただきます。
どうか無理せずに おふたりで お元気でいてくださいね。いもうとより
○ 三月も間近となり、仙台は 風は冷たく寒いですが、陽の光はずいぶん明るく力強くなりました。
たった今「湖の本」拝受致しました。これから、ゆっくり拝読するのが楽しみです。
秦様も奥様も「マ、何とか」お元気そうで何よりと存じます。私の方も何とか元気に暮らしております。
ところで、突然ですが、今度の参院選で全国比例代表に立候補予定の「辻本清美」さんの小さなパンフをお送りしてもよろしいでしょうか? そのパンフをご覧になって、誰に投票するか の参考にしてしていただければ ありがたいです。(彼女に投票することを、無理にお願いするものではありません。)
よろしくご検討ください。 仙台:遠
○ 早速のご返信、ありがとうございます。恐縮致しております。
そうでしたか、秦さまは、ずっと以前から辻本さんを叱咤激励していらしたのですね。
はい、もちろん辻本さんが 何とか国政に復帰できますよう、私も東北で 仲間の皆さんと頑張っております。
いろいろご教示 ありがとうございました。 恵
* 参ってしまわず、日々を、てくてくと行かねば ぼちぼちと。右肩、岩のよう。
2022 2/24
* 昨日、久々に井口哲郎さん(元・石川県大文学館館長・劇作家・県立小松高校等の校長先生)のお便りを頂いた。『湖の本 156』到着とはすれ違いと思われる。石川県往年の作家持澤清造を生涯敬愛し追尋し続けたやはり往年の芥川賞作家西村賢太にかかわる祈念の新聞記事が一緒に入っていた。井口さんは作家へのいわば慈愛の助け手であられた。二人の作家とは私はふれあいがなかった。
○ (前略 コロナでの) 閉じ籠りの糧に『吾輩は猫である』を引張り出して読んでいます巣。それを見たセガレが自分も好きだが娘ーー孫娘の愛読書だというのでちょっと驚きました。セガレは、今、学生時代にアルバイトをして買った「鴎外全集」を読んでいるといい、国語の教科書から、日本の小説が次々と姿を消していく、となげいていました。(セガレも孫娘も国語教師)
「猫」は、角川の日本近代文学大系本なので、松村達雄氏の細い注釈入りですが、私はそれにこだわらず、「ことばあそび」?を楽しんでいます。活字も小さいのであんまり頁は稼げませんが、時間に不足はないので、のんびりと字面を追っているような次第です。
随分長いご無沙汰だったと思いますが、その割に、長さを感じられないのは、机上に『湖の本』があり、本棚に『秦恒平選集』が欄でいるせいかも知れません。
雨水は過ぎても雪は雨に変りません。
世情も荒れ気味、寒さと病害、まだしばらく続きそうです。どうぞお二人には、お体、お心お大事にと願っています。
内容のないお便りです。近況報告まで。
二月二十一日 井口哲郎
秦 恒平様
* 胸に温か、な敦厚の筆致で、いつもながら 拝読 お便り 嬉しくてたまらない。
お大事に、お揃いで、ご養生と共にご老境をお慈しみまたお楽しみいだきますよう。もう、「湖の本」新刊も到着しただろう。
じつは私も漱石のわけても『吾輩は猫である』が一の好きで、読みたい読みたいとこの一年余、思い続けていた。礼の漱石ならではの装幀全集本なので、手に重いのが寝床読みにはしんどいかと、ついためらっていたが、井口先生三世代にならって読み始めましょう。
何とも謂えず 私には夏目漱石が懐かしいのである。受賞時の大きな記者会見で尊敬し好きな先輩は斗質問され間髪入れず「漱石、藤村、潤一郎」と答えて会場がどよめいた瞬間を忘れていない。比較的新しい小説『花方』に宗盛を出していたのも、『猫』の「後架先生」の謡いザマが面白くて好きで印象的だったから。
2022 2/26
○ 秦さんへ
『秦恒平 湖(うみ)の本 156 老蠶作繭 私語の刻』
いつも本当にありがとうございます
新聞で初めて 秦さんのお写真と『猿の遠景』の記事 を拝見してからの事々が 繰り返し思い出されております 猿殿のお陰です 上野まで会いに行き 望遠鏡で見ました(博物館で望遠鏡を売っているのを知りました)
『勝田さん 会いましょう!』と元気をいただき 頑張っております
『日々散々の体で不自由しています』 はい 私もです
『面白半分にでも!』 そうですね 頑張ります
コロナまだまだのようです 「当面 身を守れるのはマスクしかない」ようです
秦さん くれぐれもお大切にされてください 勝田 拝
* 会いたいなあと思う人 人 人。幼稚園でも、国民学校・小学校でも友達が無かった、のに、今は、親しい,懐かしい、会いたい、逢いたい人たちが いっぱい。嬉しいことだ。
○ お知らせいたします。
携帯電話番号を変更しました。お手数をおかけいたしますが、ご訂正くださいますようお願いいたします。
昨夜、パソコンを乗っ取られ、詐欺被害に会い、携帯の番号も取られましたので、やむなく変更いたしました。現在パソコンは、すべて修理安全になりました。
お変わりなくお元気なことお祈りいたします。
詐欺に合うとは思ってもいませんでした。
一人は心細いものです。 司
*「一人」に成られた方が、年々に増える胸の痛さ。ひとしお「お大事に」といたわるのが堪える。それでも。「お大事に」
○ 「閑吟集」310、311番の解釈はそのまま「オイノセクスアリス」に繋がり、拡がっていきました。 野路
花籠に月を入れて 漏らさじこれを 曇らさじと もつが大事な 三一○
籠がな 籠がな 浮名もらさぬ籠がななう 三一一 閑吟集
* とても嬉しいお便りでした、「やそろく老」の身にも。
2022 2/27
○ hatakさん 湖の本お送りいただきありがとうございました。
・パッと開いたところが「結婚とは、なんでしょう。」
かつて生物の有性生殖、ペアリングというシステムに一人反旗を翻してやると 意気込み、学究に生涯を捧げると誓った私が、今や三歳児の父です。摩訶不思議。
・プーチンのウクライナ侵攻、コロナで延期していた日露学術交流がまたできな くなってしまいました。
以前hatakさんは、将来日本の南半分は中国に、北半分はロシアに占領されるかも、と書いておられましたが、こうなると現実味を帯びてきそうで怖いです。ウクライナと同じ論法でいけば、国後択捉のロシア系住民の保護のため平和維持軍を北海道に派兵するのでは、と余市出身の家内。ロシアがやるなら中国も、といって、台湾に侵攻するのでは、というのが私の懸念です。
・三歳児の尚平(なおひら)は一歳ごろから絵を描くことがありました。初期の作品?は只クレヨンの往復運動だったものが、そのうち色を使うことを憶え、一時水彩で堂本印象風のなにやらもわもわしたものを早描きする様になり、今はまた原始に戻って、洞窟壁画よりさらにシンプルな拙い線描きをしています。成長に伴い変化があって面白いです。絵本と音楽好きは相変わらずで、「音楽何が好き?」と尋ねると「バッハとラデツキー(行進曲)」と答えます。
私は来月で定年を迎えますが、そのまま所長続投、当分はつくばに住まいしそうです。筑波山と富士山の両方を臨める職場も悪くないと、このごろは思っています。
hatakさん、そろそろ花粉も来ていますね。どうぞ奥様共々お元気で。HP再開できますことを心待ちにしております。 maokat
国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構)
植物防疫研究部門 所長 技術士 植物医師
○ お元気ですか。
孫の世話で 先週から京都に来ています。
今、東福寺に来ました。風もさわやか、ひんやり。鴉にも分けたいです。尾張の鳶
* 通天橋を遠望の写真もついていた。羨ましい。
2022 2/28
○ お母様の歌 久しぶりに また よみました。
「大和」の歌が何首もあつて、もう二度とは行けない大和路の風向を思い出しております。「油坂」などという地名もいまとなつてはなつかしいものです。
祇園祭も一度は見たので、今も光景をしのぶことができます。ありがとうございます。
今も、買ったばかりで書庫に眠っていた部厚い本をとり出して読んでいます。野口武彦『江戸人の歴史意識』すばらしい内容でした。鈴木範久『内村鑑三の人と思想』勝れた本でした。辻邦生『トーマス・マン』泉谷康夫『興福寺』水原国博『川端康成と伊藤初代 初恋の眞実を追って』等々、キリがりませんので、ここらで止めます。
今も自転車に乗って買物に行ってます。大食漢です。 城児 文学家
○ 春も柔らかな気配、二月も逝きました。城南宮のしだれ梅も咲き初めました。近づく春。コルナ禍ももうしばらくの辛抱かと願います。
どうぞお身体 おいとい下さい。 京・河原町四条 ひさご寿司し
○ 『湖の本 156』
早速に共感しつつ拝見、いまなお古今のめいさくを繙き読書なさる姿勢に感銘をおぼえます。私は昨年難書『ヨブ記』の注解を刊行しましたが、改訂の機会に備えて勉強しています、加えて依頼された「旧約聖書における病いといやし」の講演にそなえ、文献読みに時間を費やしています。
体調を維持しつつ、書き続け、出版をつづける御姿勢に感服し、励まされます。永くご健筆を振るわれますように、ご夫妻の平安をお祈りいたします。
只今、ロシアのウクライナ侵攻を知りました。深く怒りつつ。 草々 並木
○ 温かな春が待たれます。
コロナ・オミクロン禍のなか、又、パソコンの不調の中、大変な情熱を以て、『湖の本』お贈りくださいますこと、感謝です。
どうぞ、ご無理なくお大切にお過ごし下さいませ!! 神戸市 澄 妻の親友
* 妻が 眼球を痛めている。新聞を、遊びの頁までいつも克明に見ているのは負担になろうと案じつつ傍観していた。私はもう久しく新聞は一切読まない。ニュースはテレビでおおよそは解る。目は、老耄、ますます大切にしないと。
* 村上開新堂さん の 何度頂いても見事に美しく豊富に詰め合わされた上等のクッキーを大きな一缶で頂戴した。まるで美術品。感謝感謝
2022 3/1
*.順不同に、昨日お便りの有った方々、感謝。大阪松原市の岸田準二さん 茅ヶ崎市の吉川幹男さん、鎌倉市の橋本静一・美代子さん、京都同志社大の励儀さん、都二松学舎大の長島さん、静岡大学の小和田哲男さん、大阪茨木市の石毛直道さん、京都山科のあきとし 都の東村山の近藤聰さん、山梨県立文学館の中野和子さん、愛媛今治市の木村年孝さん、都の練馬区の持田晴美さん、神奈川近代文学館さん、東海学園大名古屋キャンパス図書館さん、埼玉所沢市の田島泰彦さん、千葉県松戸市の内藤昭一さん、作家の加賀乙彦さん 等々、有り難い激励などいろいろ頂く。佳い、綺麗な絵葉書のあるのも嬉しく。
* 作家で写真家の島尾伸三さん、マドレーヌ・スラビックさんのエッセイと共著の『ゴールデン(英字)』という金彩に溢れためずらかに綺麗な写真集を頂く。
* 沢山な有り難い感想に触れ、お礼の返事も差し上げたいが、いまぶん、「実の父」と組み合い続けていて、とても時間が足りない。
2022 3/2
○ 「湖の本 156」を拝受しました。しょぼつく眼で、「湖山夢に入る」に入ると 読み止すあたわず、平成一九年師走の日々の秦さんの探索の後を、よぼよぼながら必至に随いていきました。『生きたかりしに』と響きあって 深く感銘を受けました。
「創作」ではないとお書きですが、超一等の「文学」です。
近江の阿部周吉資料は、いまひとつの「阿部一族」譚のよう、阿部ふくさんを理解するには欠かせません ね。
後半もあわせて「老蚕作繭」に感嘆しています。老耄と向き合うべきと思いつつ漫然と日をすごしている当方は ただ。
秦さん、どうぞ御身お大切に、存分にお心のままに
書き続けてください、
と願うばかりです。
ご恵贈ありがとうございました。
二○二二年二月二十七日 敬 講談社役員
秦 恒平様
* ありがとう存じます。努めます。
○ 畜生塚 清経入水 以来 湖の本にずいぶんと教えられてまいりました 有難いことでした 厚くお礼を申し上げます
ご自愛の程 お祈り申し上げます 姫路市 志垣圭一
○ 本日 突然 何年振りか いや何十年振りに「湖の本」届きました。有難うございました。もう感謝通り越して驚き驚きです。
貴方に向けて文を書くなんて おこがましくも恥ずかしい限りですが あまりの懐かしさに負けました。
どうか いつまでも お元気で。
楽しみに拝読させていただきます。心からの御礼 迄。 半田拝 都・世田谷
○ 湖の本『老蚕作繭』ありがとうございました
大切な御本の中に名前をのせていただきました とてもとても うれしかったです ありがとうございました
暖かな春の日も多くなりましたが 天候不順の折 どうぞ
お身体 お大切に ありがとうございました 群馬前橋市 宮崎弘子
○ 拝読中 柳生家との血縁云々との御文あり 列堂和尚の事は 柳生宗家の書中で読みました際 確か目が不自由だつたとの記述を覚えてをります 「子連れ狼」は この烈堂を烈堂として生かし 裏柳生といふ架空の組織を小説として描いたのでせう
まだ寒い日が續きます 御自愛御専一に 不備 寺田英視 前・文藝春秋専務
○ こんなにも頑張って生きておられるお姿を思い、 体を壊されるのではないかと心配しております。 私、(新居に)入居して一ヶ月 周りの風景も春夏秋冬と移り 体は日に日に弱って来てますが、成るべく自律しようと努め 又 日々の生活は修行と自分に言いきかせております。今でも天気のよい日はこの周りの散歩道をショッピングカー(四輪ついている)を杖がわりにして一周します。(十五分程) 時には二周することもあります。
まだまだコロナ収束しておりません どうか お体くれぐれもご大切になさって下さいませ。 滋賀県大津市 水谷葉子 戦後新制市立弥栄中学 理科の先生
○ 「三田文学編集部」 城西大学水田記念図書館 からも受領の来信。
○ 奈良県五條市の文学批評家永栄敬伸さんからも長文を有り難く頂いているが、、コピー機が巧く使えなくて。残念。
2022 3/2
* 信太周先生 障子透かす陽射しは春の茶会かな
坂村建先生
宗内敦さん 渡部芳紀さん 山中以都子さん 竹澤由美さん 持田鋼一郎さん
原山祐一さん 島野雅子さん
出田興生さん(一万円)戴く
立命館大学 山梨県立文学館 ノートルダム清心女子大学
三宅邦生さん 電話
2022 3/7
* 「湖の本」全巻で「生みの母」を私の内に決定づけ、従来むしろ打ち捨てたような「実の父」を今回、有り余る父自筆の材料等を選別しながら、批評的にも情意としてもかなり突き詰めて書き置いた。「父・吉岡恒」ととうとう不孝の息子は出逢い、そして最期を「お父さん さようなら」と結んだ。善し悪しの評価は自分で出来ない、通り抜けるしかない道を通り抜けた、ほっとしたと謂うこと。
* 暑さから一転、背などうすら寒い。冷えてきたか。
2022 3/12
* 久々に 手書きの二通を投函した。「湖の本 157」への口絵写真も送った。「頼朝と十三人」撮って置き最近分を見て、二時過ぎまで熟睡。
明日は、六十三年目の結婚記念日、余念無くつとめつとめ歩いて来た。そしてワクチン三度目の接種を受ける、無事に終えたい、無事是好日と。
2022 3/13
○ やそろく様
ご結婚記念日 おめでとうございます! 仲良くお元気で今年も迎えられて 本当に良かったですね。お仕事も順調に続けておられて 何よりのお幸せだと思います。
お母様の短歌は 並々ならぬ才能と感じました。私は短歌には疎い人間ながら胸打たれました。この短歌集がひとつの小説のようにも感じられます。さすが親子だと思いました。
遺書のお歌は 今もあにうえ様の創作の源だと感じます。
今日はワクチンも済ませて
楽しいお祝いの1日となりますようにと願っています。 いもうとより
2022 3/14
高○ 拝啓 何かと落ち着かない日々ですが
先生にはいかがお過ごしでしょうか 先日の「老蚕作繭」も含め、毎回、ご恵送賜り ありがとうございます
以前戴きました、青春の歌集「少年前」は とても中高生の詠歌とは思えませんでした 「象徴とは無形の余情」であるという一句 なるほどと思った次第です
<355 ゆらゆらと雪解(ゆきげ)のけぶりぼる見えて光線(ひすじ)ななめに軒をかすめぬ> などは十代の少年の歌とは思えぬほど適確な叙景の中に何かを感じさせる一首でした
どうもありがとうございました 敬具 京・鷹峯 三谷憲正
* 「少年前」「少年」の昔の なにか懸命に生きていた歌を読んでいただけるのが、私は嬉しい。
2022 3/15
* 戦後六三制中学に、粟田小学校からの女生徒に「三節」と評判の「節子」が三人いた。中村、渡辺、安藤。その渡辺節子から「湖の本」へ礼状と極上の煎茶が届いた。おすましで、講堂のグランドピアノが弾けて、そういうのは当時人気悪く、男子も女子も遠巻きに意地悪だった。小学校の異ったわたしには縁もゆかりもない子だった、三年間に、高校も同じだったから六年間に口を利いたような覚えがないが中学では学級委員和していたから委員会議に顔を出していた。一年の頃、渡辺節子と同じ一組で、やはり学級委員だった中村時子という優等生がいて、短編ながら永井龍男先生にいたく賞められわたしの出世作になった『祇園の子』のヒロインを演じてくれた。評判の子だったが、当時祇園の此のならわしめいて、学業途中から先斗町へ舞子で退学していった。渡辺節子はいいトコのお嬢めいて済ましていたので皆が敬遠気味にいじめていたようだ、私は、よその組でもあ、結局中高六年無援の儘だった。当時の名簿住所録がみつかったので「湖の本」を二度三度ほど最近贈ってみたら、礼状が届いて恐縮したが、苗字が變ってないのにも何となく頷いていた。私のことは憶えているだろうと思った、なにしろわんまん生徒会長などつとめてヤカマシイ男だったのだから。中学で大きなピアノの弾ける女子は、渡辺と石塚公子のふたりだけ。石塚は、私の家の斜め向かいの子で、幼稚園へも園のバスで一緒に通ったが、強烈個性の子で、やはり短編に書き入れている。
わたしは物覚えが良く、この調子で目星を付ければハナシの種に成ってくれる友達は、男女とも何人も何人も覚えがある。おまけに、地理の上でも、祇園に甲部と乙部という嶮しい差別が在り、私の有済校も近隣の粟田校もかなりの範囲に被差別地区を抱えていた。けわしい人間劇はちいさいころから見知りも聞き知りもしていた。私を育てた「ハタラジオ店」は祇園町と被差別地区にはさまれた「総本山知恩院の門前通り古新二筋のうち、祇園町と細い抜け路地一本で背中を合わせの新門前通り中之町に在った。この新門前通りには、東大路に接した東寄り梅本町に京都美術クラブが在り、西の縄手(大和大路)に接した西之町には能の「京観世本家と京舞井上流家元」の屋敷が在り、真ん中の中之町は温和な住宅町だった。総じて外国人相手の美術骨董商の店が数多く、それぞれのウスンドウは幼かった少年以来青年までの私の「美術館」になっていた。ガラス窓に鼻の脂をつけると叱られるほど飽かず狩野派の繪や焼き物や仏像に魅入られ歩いた。
この調子で思い出を書けば幾夜も夜通し出来るだろう。
さきの「三節」の渡辺節子は蹴上の都ホテルから山科向きに日ノ岡へんから祇園石段下の弥栄中学まで、さらには九条東福寺や泉涌寺山寄りの日吉ヶ丘高校まで通っていた。中村節子の家は粟田山麓で三条大通りに面していた。安藤節子は知恩院下白川沿い様々に小売りの店々が並んだ古川町に間近く暮らしていた。三人とも「出来る」女生徒だった。
* 「湖の本」呈上本を送るのも、必ずしも読む人と見極めているのではない,昔の住所録が見つかれば、やれ懐かしと知った名前を選別したりしている。びっくりされるのも面白く,幸いに私が作家稼業を半世紀以上も続けてるのは、ま、少なくも小・中の同窓なら大概知られている、学年が幾らか逸れていても知られている。ワンマンを振り回してた「生徒会長」役は、なかなか今日にも有用に生きてて呉れる。
2022 3/15
* 「父」を語った「湖の本 157」を初校した。案じていたより、簡潔ながら触れるべきにはしかと触れていて、ほっとした。前巻の「母」と。併せて 生涯背負ってきた実の両親との「お別れ」を遂げた。あとは、カーサンと、歩いて行けるだけを歩いて行く。 2022 3/23
* 終日、懸命に「湖の本 157」後半原稿作りに没頭、番の八時。まだ足りないが、疲労は蓄積が過ぎている。明日のためにも、もう休息しないと潰れてしまう。
2022 3/25
* 「湖の 157」追加稿づくりに存外な難儀を重ねている、これにも機械の故障が絡んでくる。疲労困憊、せめて仕事がスムーズに行くと助かるが。肩の痛み、視力の脆弱、言語道断。
2022 3/26
* 寒くはなくなり、寝起きてすぐ二階へ、そして懸命の作業が一段落と思ったところで作業分が、消失。茫然。自失して諦めるわけにも行かぬではないか。また、やる、其れしか無い。
2022 3/27
* 要再校を戻し、追加の入稿分を送って、この数日の悪戦苦闘を抜け出た。妻は定期の受診に近くの病院へ、わたしは 帰りにセイムスへ寄り、廉い洋酒を買って帰り、妻の帰宅後にしたたかに独り寝入って、午后三時。よほど気重いのが安まったか。さて手を休めていた、それも余儀ないことだった創作の方へ立ち帰る。
2022 3/28
* 「湖の本 157」の前半再校、後半初校が出てきて午后はそれにもかかっていたが、早めの夕食の儘に撮って置きの映画、今日は『台所太平記』を森繁谷崎先生を囲んだ淡島千景松子奥さんをはじめ懐かしいいろんな女優が演じる女中達の活躍を笑って過ごした。『細雪』とはえらい違いの映画世界だが、わたくしも、かすかにはこんな谷崎家を建日子と二人で訪れたことがあるのだ。
2022 4/7
* 朝から、ドサッと疲れている。生きてあることの鬱陶しいような「世界の朝」 胸に家に近隣に、新鮮を注ぎ入れねば。どうやって。
あまりじかくしないがよいかと思うけれど、アタマの働き、記憶、日々に目減りして行くのが分かる。少なくも「機械づきあい」の先行きは平穏でも安泰でもないと覚悟して好い。十分間かけて理解してた事に三十分かかるのは覚悟の内と粘り抜く。
* さしあたり「湖の本 157」が何とか責了へ持ち込みたいが、実は用意でないと分かってきて、午后から、もう十一時までの大方を、その対策に宛てていた。
2022 4/8
* すなり今日は頑張って、「湖の本 157」の形を整え進めた。
2022 4/9
* この一両日、いや数日の仕事上の悪戦苦闘からホッと抜け出た心地の晴れやかな日曜日の朝。のんびりという緩みにはなれないが、少しく息をついている朝です。
それでも昨夜も、読んで置きたい再校ゲラを半冊分も通読して、その余に『水滸伝』『参考源平盛衰記』を楽しみ、灯を消したのが深夜二時だをまわってた。
睡眠時間が短くても、昔のように朝寝しない。かわりに、昼間であれ疲れればすぐ一時間、二時間、三時間ですら横にもならず、キチンででも機械前でも椅子のまま突っ伏して寝入っている。
「爺くさい」「爺むさい」と「京のわる口」は遣いも聴きもしてきたが、いまは私が暮らしざまがそう成ってしまってる。それも健康法という気に成ってしまっている。
2022 4/10
*「湖の本 157」前半はこのままで責了に出来る。後半は大きく手を加え新原稿も追加入稿したので、ツキモノも含め建頁が未だ決まらない、明日後半の部要再校分を送り返すことになる。あとがきのためにどれだけの頁余裕があるか、今暫く判然しない。ま、じわっと進展している。
2022 4/10
* 「湖の本 157」進行のための要初校・要再校等の郵便物を送り、能美市の井口哲郎さんへもお便りした。投函の序でに近くのローソンでちっちゃな洋酒、いろんな握り飯、三個、卵サンドイッチ、丼どん兵衛、乾電池、妻へのリポビタン等々、買って帰った.庶民感覚の気任せの買い物を気まぐれで楽しんだか。校正往来をひとまず遂げた気軽さで。
2022 4/11
* 今世紀も極くの初めから、私は警告し続けてきた、日本はロシア、北朝鮮、中国からの包囲的な軍事圧に必ず遭遇し、最悪の防衛ないし応戦を強いられて敗北、被占領、国土の分け取りに遭うおそれは明白至極ぞと警告しつづけてきた。「湖の本」で山縣有朋や成島柳北を相次いで取り上げたのも、彼等が実体験を通して確信に達していた「闘わざる限り、決して負けては成らない、それは国土と国民の壊滅的不幸を意味するという懸念をしかと思い起こして置きたかったからだ。
もとより平和は願われる最上のものであるが、「悪意の算術」で仕掛けられる軍事侵攻を甘んじて受けるとは国家民族の自滅をまねくにすぎず、日米安保の保証といえど脆弱、絶対に過信ならないと心得てなければならない。
ウクライナへ攻撃したロシアは、北方の占拠諸島にすでに軍を増派し軍事訓練とともに日本の漁業を圧迫している。さらには日本海で砲撃用の爆弾実験を為し、北朝鮮は再々に日本海へのミサイル実験とみせつつ空爆等の脅威を突きつけ続けている。
ロシアや北朝鮮の意図ないし意志は那辺にか、問うまでも無く、明らかなのは日本の政治外交防衛のあんかんにちかい無防備にある。非戦を誓う平和憲法を尊重してくれるロシアの侵略意欲かどうか、ウクライナの悲劇は猛火と婿の国民の惨死の山と共に明白に過ぎている。観念のきれい事では國土と国民は決して守れない、何よりも「悪意の算術」にほかならぬ必至の外交努力が日々に満たされていなければならないのに、政府・与党も、野党の叡智もそれへ向けてはまるで働いていないも同然の暢気さ。ウクライナ国土などと異なり日本列島はただ細長く湖に囲まれ、海辺防備、成島少年がつとに著し説いて求めた「海警」の実は、あまりに今日頼りない。敵性の潜水艦は、大阪、東京のすぐ足下へも自在に入ってこれるのではないか、海外の諸島嶼など、あっというまに選挙されてしまうだろ繪う、其処に本土攻撃のミサイル拠点がなれば、殆ど一週間と日本国土は打ち砕かれかねない。然し日本の政治外交防衛対策は安閑とも見えて脆弱に過ぎている。
* 過剰に不安を言い過ぎなのかどうか、その点検よりも、より手早い防衛のチカラと備えとの備えへ國も国民も安閑の痴呆をしかし顧慮し革新せねば危ないぞ。危ないぞ。
2022 4/16
* 寝ていても「新創作」へあれこれの想いが輻輳して目が覚めてしまい、思い切って真夜中三時半に起きて二階へ来た。さて、どうなることか、…
* 朝七時。「有済」を思惟していた。
* 晩八時。入浴をはさみ、終日「異様」に寝入っていた。「生・活」が毀れかけている。「尋常」を回復すべし。異様な早起きは心身の負担になった、当たり前だ。と
明日には「湖の本 157」三校が出てくる。「責了」への作業になり、「発送」用意にも掛かる。
2022 4/20
* 昨日届いた「湖の本 157」再・初校分は昨日のうちに点検を終えて、跋文もメールで入稿しておいた。ツキモノや表紙等の始末をきちんと付ければ「責了」への道はしかと見える。
いろいろに手を付けている、創作や創作準備の要へも手が出やすくなって行くだろう。
* 15:38 夏の暑さ、閉口。草臥れる。じりじりと仕事は押し続けているが。冷房しないともたない感じ。
2022 4/23
* 私は 買ってもらった「携帯電話」の遣いようも未だに覚えられず、脚もとに投げ出したまま。「スマホ」とか謂う類いの機械の何一つも持たず、興味も関心も無く、その手の世間に氾濫しているという文や写真や繪の類いを見たことも見たくも無い。
辛うじて只今出来るのは、この故障がちな機械(パソコン)で創作し此の雑記に同じい「私語の刻」を仕事の合間に書き散らしているだけ。他人様のホームページその他の記事も全然目に触れない、そもそも技術的に観方も知らない。ああ逢いたいなと想う人がいても、病院通い以外、外出して人と会うこともこの数年まるで無く、人と電話で話すのも苦手で、掛けもしないし掛かっても来ない。「秦恒平・湖の本」刊行で触れ合うた心親しい読者の皆さんからお手紙を戴いたり御厚意を頂戴したりはあるが、お返事やお礼すらおおかた失礼している。
文字とおり「外」世界との「出入り」も「見聞き」も無し、まるまる「門を閉じた」生活をしている。どんな「噂」を秦恒平としてされているか、賞められようが悪聲を浴びていようが関知も関与もしない、まして愚痴な「噂ばなしのお相手」など持たない欲しくも無い。親しい友人、ああそれは幸せに、人さまよりあるいは大勢もてていて、孤りぽっちで暮らしてはいない。
2022 4/28
今、朝の八時半。『湖の本 157』最終のツキモノ校正が届くだろう、「責了」できるだろう、すると、「発送」という力仕事が待ち受ける。「作家」と世に出て53年、それ以前四冊の私家版刊行から数えれば「単行書」100冊を超え、「選集」33巻、「湖の本」157巻を出版し、送り出し、健康でさえ在ればまだ創作も執筆も途絶えることは無い。それが「私」だ。何が可能にしたか。「勉強」に他ならない。
* 「湖の本 157」校了紙を全部印刷所へ送った。
2022 4/29
* 医学書院の頃は「一部抜き」と謂った、「刷りだし」とも。製本前の「刷了」分を抜き取って頁通り折って畳んで、表紙はつけずに一冊分の印刷分に誤りが無いか点検できる。その段階では「刷り直し」が効く。凸版印刷は、この「一部抜き・刷りだし」を手折状態で三部呉れる。点検は「パス」して既に「表紙製本済み」の本がが注文部数、届いている。「刷り直し」が必要だったことは「無い」というておく。
私は此の『刷りだし』『一部抜き』を便宜にクリップで掴んでおき、読みたければ「是れ」で「読む」。気に入ったなら、随時に「愛読」して感慨を得る。
この数日は、たまたま 『湖の本』の第149巻『流雲吐月(三)歴史に問い・今日を傷む』「2020 令和2年3月14日(結婚記念日)」の一部抜きに手が出て、これが縷々、歴史や時節に向かい辛口で適切、なかなかに筆者としても新ため「共感」でき、面白く「拾い読め」ている。この手の「編修・編成」巻はきままに「拾い読める」「日録の私語」に成っていて読み煩うこと無く、敢えての「通読」は要しない。
このシリーズは、第118巻『流雲吐月(一)歴史・人・日常』第119巻『流雲吐月(二)堪え・起ち・生きる』として「2013 平成25年12月5日」「2014 平成26年3月14日(結婚記念日)」に送り出されている。
謂うまでもない私の「私語の刻」はいわゆる「日記・日録」でない気ままな四通発達の批評的な随感随想。それも延々とは論じない、まさに「只今」の認識・感想・批評批判を簡潔に書き置いている。順序は求めず、日々の流れにたまたま棹さしているだけ。求めてるのは理解と謂うより読者の共感か批評。これが幸いに「独自な文藝」として受け入れられている、らしい。嬉しい。
* 「湖の本 158」本紙全文の入稿用意を、繰り替え繰り替えし為遂げた。われながらよう辛抱して頑張った。十一時を過ぎてい
2022 5/7
* 「湖の本 158」小説と私語 usb入稿。
2022 5/8
* 「入稿」仕事から「創作」仕事へ動く。四つ手がけているどれを選ぶのか、選ばずに随時に気の向く方へ手を出すか、決めるのは私でなく「作」の方かと。
* 「湖の本 157」納品は 23日と通知在り。予定よりよほど遅れた。10連休とかが響いていよう。すこしこっちの心身も休ませてやりたい。
2022 5/9
◎ 前略 今日 突然 「湖の本 御中」「代表者 秦 恒平様」宛名で
『ぜひ全国同人雑誌協会にご参加下さい』とのお誘いがありました。なにか「お間違え」でないかと 喫驚しました。「代表理事」の五十嵐さん名義の来翰でもあり余計ビックリしたのですが、本は毎々お送りしていてご承知のように 私が、36年前の「一九八六年桜桃忌に創刊」以来、旬日の内に「第158巻」を刊行の『秦 恒平・湖(うみ)の本』は、「編集者」があり、複数のいろんな筆者が参加されての所謂「雑誌」では全然なく、私「秦恒平」が独立、事実上の「単行著作本」として刊行し続けてきました。そのことは、五十数年来お付き合いのある加賀さん、三田さんも また勝又さん、川村さん、富岡さんらも、そして五十嵐さんも、「三田文学」編集室でも、実の『湖の本』を手にも目にもして下さりご承知と思います。私はこの「刊行」の「代表者」でなく「実の本人」で、奥付の「発行者 秦 宏一」は、私自身幼少時の実名なのです。小説も戯曲も論攷もエッセイも詩歌集も、序も、後記も、すべて私の「創作」と「執筆」で例外はありません。つまり謂われますところの『雑誌』では全然なく、一切「私版」の実質『単行・単著』なのです。
べつに、そんなことにコダワリもガンバリも持ちませんが、思い違いをされてのお誘いなのであろうと思われましたので、申し上げたまでのことです、ご諒恕下さい。
ほんとうは、一現役作家としての念願は、この『湖の本』と軌を一にして多勢の力在る作者達が、自身の著作を自身の意志と美意識とで出版し続けられたなら、日本の文学界もよほど容貌を一新するだろうと思うのですが、亡くなった鶴見俊輔さんとの対談で、氏も、それを熱望し期待するけれども、それには編集術、出版知識、何よりも一定以上の愛読者が確保でき、何より「質的に値い」する自身の創作・著作を「うんと持ち、かつ書けなければ、更には家族の熱い協力がなければ」とても「為しも成しも得ないでしょう」と笑い合うた事でした。本の発送がどんな力仕事かは本屋さんとしても、よくご存じでしょう。
私は、妻も、いま八十六歳ですが、もう旬日には二人して「第158巻」めを「発送」するのです。創刊以来、夫婦二人で刊行し続けてきたのです。亡き鶴見さん半ば泣き笑いの慨嘆を懐かしく思い出します。
私は「雑誌」を編集して出版するという気は、微塵も持ちませんでした。上京結婚以来十五年半の「出版社勤め」で卒業していたのです。太宰賞作家として歩き出す以前でにも、貧しい中で、私は自身の「小説」私家版本を四冊作り、その四冊めの表題作『清経入水』が、回り廻って小林秀雄や円地文子らの推薦、怖い六選者(石川淳、井伏鱒二、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎、中村光夫)の満票で、太宰治文学賞賞に当選していたのでした、私は自作が選考に持ち込まれていた経緯一切を知らなかったのです、仰天しました。
ま、そんな経歴から、いつか『秦恒平・湖の本』が誕生したのでして、「雑誌」でなく分量的にも内容的にも現在158巻の全冊が、まったくの「単行本」作品集なのです。
お誘い戴いたのが何故か知れませんが、もし「雑誌」として誤認なさっていては却ってご迷惑になるので、率直にお返事のみ申上げました。 時節柄 日々どうぞお大事に。
五月九日 夕
* 妙なことも、あるものである。
妙なことに惑わず、次の巻の出来てくるまで、せいぜい「創作仕事」を先へ押したい。 2022 5/9
* usb で、郵便局指定の昨日入稿した原稿が凸版に届いていないという。日曜日午后の投函だったから、ポストからの集納が月曜朝に成っていたにしても、もう火曜日なのに。
なんとなく、このところ凸版との折衝がチグハグの気配、困るなあ。
2022 5/10
* 郵便局で推奨販売している「特製郵袋の青い最小」を用いて連休最後の八日に投函しておいた「入稿原稿の全部」が、まだ到着確認されていないとは。腹が炎えそうにイライラする。かつて無かったことだが。
2022 5/11
* いま此の私の機械からは、メールの機能以外に 広い世間へ電送公開の何も無い。在来お付き合いの親しい読者や同業系の諸兄姉には「湖の本」の創作と私語とで次期こそ遅れるが大凡はお届けできている。広い世間と用意無く電送公開でかかわりくる妨害行為に出遭わないで済む方が安心と思っている。「ホームページ」の強いての復旧は望むまいと。
2022 5/11
* 入稿郵送原稿、先方着確認され、安堵。
2022 5/11
▼ 先生 いつもお世話になっております。**です。
USBが届きました。データを確認してから作業を進行いたします。
何卒よろしくお願いいたします。 20:33
▼ 秦先生 関根さま
いつもお世話になっております。**です。
大変申し訳ございません。
セキュリティーの管理上、USBでのデータの入稿が禁止となっておりまして、こちらでテキストデータの取り出しができません。
一度、USBを関根さまのほうに返却をいたしますので、秦先生か関根様の方で、新たな媒体(DVD CDR スムースファイルなど)、送り直していただくように、何卒よろしくお願いいたします。
ご対応が不可能な場合、今後のこともございますので、
一度、秦先生のご自宅に自分が伺って、先生のパソコンから送信をしたいのですが、
今週末(土曜日 日曜日のどちらか)など伺っても大丈夫でしょうか?
ご確認のほど、よろしくお願いいたします。 23:19
* 村上様 仰天しています。 これまで出来ていた事なのにと。次回からはともあれ、今回はこのまま原稿を広げてもらえませんか。あるいはゅょ(凸版印刷株式会社の)関根さん、伊藤さんのお手元で、どうにか願えませんか。
「セキュリティーの管理上、USBでのデータの入稿が禁止となっておりまして、こちらでテキストデータの取り出しができません。」というようなことが、在来、無かったのに突如のことで、何がなにやら。
また、コロナ禍のこの三年来、感染を恐れて、昼夜となくマスクを外さない老夫婦の宅へは、息子でさえ、遠慮して貰っています、来客は迎え入れないで感染予防しています。関根さんと、何らか対策対処して下さい。三十数年、「選集」33巻も「湖の本」157巻も無事に続け、支払いでご迷惑かけたこともなく、凸版社長室へも、全冊寄贈し続けてきた希有の仕事です。
少なくも、今回は、伊藤さん関根さんと調整され、原稿をひらいて貰って下さい。「セキュリティの管理」に問題を生じるなかみは、「USBでのデータ」になっていません。原稿だけが入っているのです。 秦 0:15
▼ 秦先生
夜分のご連絡にて大変申し訳ございません。
USBの件、承知いたしました。
先走りした発言をいたしまして、申し訳ございませんでした。
明日、営業の関根とご確認をいたしましてご対応いたします。
ご不便ご面倒をお掛けしまして大変申し訳ございません。
何卒よろしくお願いいたします。 村上 0 27
* 関根さん 仰天しています。伊藤さんともお話し下さい。 秦恒平
* 「村上さん 仰天しています。 これまで出来ていた事なのにと。次回からはともあれ、今回はこのまま原稿を広げてもらえませんか。あるいは関根さん、伊藤さんのお手元で、どうにか願えませんか。
「セキュリティーの管理上、USBでのデータの入稿が禁止となっておりまして、こちらでテキストデータの取り出しができません。」というようなことが、在来、無かったのに、突如のことで、何がなにやら。久しく「営業」担当の何方からも聴いたことも無い故障申し出でで、納得行きません。
また、コロナ禍のこの三年来、感染を恐れて、昼夜となくマスクを外さない老夫婦の宅へは、息子でさえ、遠慮して貰っています、来客は迎え入れないで感染予防しています。
「営業」担当の関根さんと、何らか対策対処して下さい。
ここれほどのことは、「製作の方」からでなく、「営業」担当の方が、「社是」かのように「とうの昔に」私に伝えてられているはずです。突然に過ぎる。
三十数年、「選集」33巻も「湖の本」157巻も無事に続け、支払いでも一度もご迷惑かけたこともなく、凸版社長室へも、全冊寄贈し続けてきた希有の仕事です。
少なくも、今回は、伊藤さん関根さんと調整され、原稿をひらいて貰って下さい。「セキュリティの管理」に問題を生じるなかみは、今回此の「USBでのデータ」になっていません。入稿原稿だけが入っているのです。 秦」 0:35
▼ 秦先生
おはようございます。村上です。
USBの件につきまして、ダウンロードできるように手配をしております。
大変申し訳ございませんでした。
取り急ぎご連絡となります。
何卒よろしくお願いいたします。 今朝十二日の 九時
▼ 秦先生
お世話になります。
普段社員が使っているパソコンは社内ネットワークウイルス感染予防の為、USBは使用禁止になっております。
しかしながら製版工場ではネットワークに繋げていないパソコンがありそこでUSBからのデータの取り込みを行っています。その為、USBからデータを取り出す事が出来ます。
村上が勘違いをしたようです。
今後、このような事が無いようにいたします。
お騒がせし申し訳ございませんでした。
お詫びいたします。 (営業) 関根憲一
* 昨深来の「突発メール」に惘れた。幸い私は未だ機械前に居たので即座に対応できたが、今朝になってだと、全体に、仕事が遅れ遅れに停滞してしまったろう。
久しく久しい此の仕事で、こういうコトはかつて無かった。
異様なことが突として起きる、そんなとき、ガッと堪えて対応するもせぬも腹をくくって向き合うしか無い。
* 暫くぶりにガルッピのピアノを聴いている。心静かに呼吸して。逆上は何のタメにもならない。
2022 5/12
* 今回はいろいろに遅れてやっと「湖の本 157」の刷りだし、一部抜き、表紙口絵など届いた。口絵の実父の顔や姿が呆れるほど私に肖ている。とうとうコンナものを書いたかと感慨に迫られる。すこしドキドキして読み返す。
* 彬彬として楽しむと謂う。そういう想いで回顧の日々へ誘われている、らしい。そんな自身を赦そうという心地にもなっている。嗚呼とも感じない。すでに夢か。十時過ぎ。
2022 5/20
* 本の姿になった本は手にして傷めるに及ばず、各巻に一部抜きをキレイに断裁し整えて閉じてくれたのが毎度三部届いている。読み返しは気ままに、それでする。特に手洗いの便座で、用を足すよりも「湖の本」一部抜きを気ままに捲る。今朝は『オイノ・セクスアリス』上巻を持ち込んでしばらく、気ままに、読み返していた。
この三冊に成る長編が、私ひそかにも気に入っている。語り口、展開、深く迫ってくる新字の懐かしさが仮構されていて。すこうし読者の皆さんに「遠慮」もした遠慮の無い表現や描写や歌が満載もされている。部分的に「露骨」と読む人の有って防ぎようもないので、ま、自分勝手に気に入ってきた、が、あるときに旧友の「テルさん、西村明男君」が、「ハタくんの代表作は、『オイノ・セクスアリス』と冷やかしでもなくキッパリ告げてきて呉れた。中学以来敬愛してきたもと日立の重役君で、わるい冗談を言う人でない、じつに我が意をえて嬉しかった。体験の記憶があってでは全然無いフィクションに徹して書き通しただけに「世界」が身にしみ懐かしいのである。
今朝早くも、気ままに開いたほんの数頁を静かに独り読み返していた。妙な作者と笑われるか。
* 今朝には湖の本157『虚幻焚身 父の敗戦』が出来て玄関へ積まれる。三日ほどは発送に追われるが、済めば「次」へ元気に進んで行ける。午前に妻は定期的な診察を受けに近くの病院へ。どうぞ無事でと願っている。
* このところ、まんざらにサボッテいるのではなく、1984年(昭和五十九年)から翌年への克明な「(私語でない)手書きの日記」を「読み」返している。目的あって、ではなかったが、前年の内容は凄まじ迄の私の文筆・作家活動なのだ、次の年へ移ると、我が家のある意味容易ならざりし、愉快とは言いかねる疾風怒濤に襲われている。その破壊的に不快な余波余風は、世紀をまたいで四十年近く今も「秦家」を曇らせている。部厚い大学ノートにペンの細字で半ばを埋めている。決して愉快でも懐かしくもない。
* 父の吉岡恒は、もの凄い嵩のさまざまな書置きを遺して逝った。その「父の敗戦 虚幻焚身」の生涯を、私も結句は続演し焚身してきたのか。
* 今回の発送では モノの重いことをかつて無く痛感し、疲労を増した。理由はあったので。ダンボール箱一箱にこれまで55冊入れて運んだのを60冊にしていた。それだけのことだが疲労して、作業量は、すくなくも私独りで始めた今日は、抑えた。
2022 5/23
* 二日目の発送を、三時半頃に一休みとし明日もう一日で終える。「やそろく」夫婦とも疲労を溜めると先々へ障る、ゆっくり遣ろうと申し合わせている。第157巻を送っている。大勢でいろいろの「雑」誌ではない。「157巻」各巻を通して、「単行本」並みの分量と「秦恒平」独りの創作や著述で編み続け、創刊依頼36年間、途切れたことがない。読者は各界の各地に幸い散開していて、有難い。「創る」「書く」「出版刊行する、三つとも出来ねば「続く」ワケがない。真似したい人はたくさんいると漏れ聞いているが出来ている独りもしらない。
それも、もう何年続くか。本の中身に不自由しないが、夫婦して八十七歳へ歩んでいて、もう体力が限界へ来ており、手伝ってくれる同居の若い家族がない。今は破損して稼働していないが、あの東工大田中孝介君が目の前でまこと手早に仕上げてくれた魔法出来のようなホームページ『秦恒平の文学と生活』のようなのが「新建築」できたら「それで」ともと思うことはあるが、やはり電子文字で読む文章と、本の体裁も美しく備えた活字編集は「チガウ」なあと妻と苦笑し合うことではある。
* と言うてるところへ、もう、次の『湖の本 158』初校が届いた。微細なまでをかけて創った創作を巻頭に、部厚い初校ゲラ。このお置き路のパソコンのデスクトップには日々の日録のほかに、創り始めて書きかけの小説や記録が五つも轡を並べている。我ながら難という忙しいお爺さんか。『閑事』と二字、茶の家元の軸をさしあげた石川の懐かしい井口哲郎さんにわらわれているだろう。
2022 5/24
* 「湖の本 157」発送作業 松たか子が力演、渋谷コクーンで演じた「ひばり」ジャンヌダークに聴き耳をたてながら、一旦の大方を終えた。き」少しく追加の作業をさきへ残しただけ。それはゆっくり。それよりも、もう「158」の初校が届いている、ということは相次いで次の発送用意をしなければならない。真夏仕事になりそう。
* 食べないでの三日に及んだ力仕事で、疲労は極、体重は2キロも減った。腹は頼りなく、目は疲れ切っている。こんな日々を続ければ自滅しそう
2022 5/25
* すべて予定分は送り終えた。最期の最後のエアメール分は自転車で郵便局に運んだが、坂道を降りたところで転倒し右の肩と腕を痛めた。帰校の小学生クン達に介け起こされた。
* 疲れ切ってか、正気でいると思われない。が、ボヤッとはしてられない。
* と言いながら、疲れ果てて床に就き、しばらく「湖の本」次の初校もしているうち寝潰れていた。右肩に、すこし打ち身の痛み。
* 勝田貞夫さん、本到着の第一便。一緒に六義園の夕暮れを散策したなど想い出す。せめてもう一度会えるかなあ。
2022 5/25
* 義妹の琉美子、妻へメール、本が届いた、と。その歳で、夫婦して「ようやる」わねえと。褒められていると思うことに。
*京都古門前の、同い歳、幼なじみの踊りの「お師匠はん」からは朗らかな電話があった、十分ほども朗らかなおしゃべりを楽しんだ。欲しいモン 送る送ると言う。何が欲しいとも思いつかないほど、私に元気生気が無い。
* 或る一、二年配の男歌人さん、本の礼の手紙をくれ、付け加えて自分はもう歳で衰えたと。「あなたももう先は短いでしょう、日々お大事に」と。恐れ入りました。しかし、そういう気分になっているのも事実で。
* 新刊の『父の敗戦』を読み返していた、もう何の遠慮も為しに書き抜いている。生涯の縁薄き両親、生母を先に書き、実父を今度書き、「最後ッ屁」ではないが、書き置いたぞと言うている筆触・筆致ではあるなあ。もう先は短い、のだろう。
2022 5/26
○ 「湖の本 157」いただきました。 浩 ciu
秦恒平様 加齢と付き合いつつのご苦労をなさりながら、読書も、書き物もしっかりなさる。同年の私は秦さんの気力に圧倒されます。どうやらパソコンが調子を戻したようで、何よりです。『湖の本』を62包をも、一冊一冊ラベル張りして宅配に渡す。大変なご努力ですね。頭が下がります。本日、1235部のうちの一冊の『湖の本』157 「父の敗戦 水流不競」 をいただきました。いつもながらのご厚意に御礼を申し上げます。ご苦労に謝しつつ、直ちに拝見しました。私にはそれしか能がありません。
ご実父に墓標をお建てになった。人生の大事なお仕事をすませましたね。お疲れ様でした。真面目に世界と政治を受け止めた。そして真面目な考察のレベルに閉じ込められた。そんな気がいたしました。同情に堪えません。人生はそれぞれに重い。
秦さんはご両親のよい面の素質を引き継がれたものです。今号を拝見しても、つくづくそう思います。賜物は最後まで生かすのみですね。体を労りつつ、最後まで作家魂を貫徹なさって下さい。
私は 私には荷が重すぎる仕事を幾つも背負わされてしまい、日々机に向かい苦労しています。しかしウクライナ情勢が気になり、勉強を止めてパソコンの前に座り、速報性の高い、主として英語でのニュース動画を幾つも見て時間を使い、くたびれてしまいます。愚かなり。
奥さまと共によい日々をお過ごし下さい。
* 心より感謝。 書き置いて、よかった。ゆるされたか、と。
2022 5/26
■ 「湖の本 157」 有難うございます。
口絵の お父様、本当によく似ていらっしゃいますね。
ようやく、お父様の事、お書きになれたのですね。
心して読ませていただきます。 深澤
■「湖の本」御送付有り難うございました。嬉しく頂戴致しました。又楽しみに拝読させて頂きます。 創刊以来の御継続 、敬服。時間の過ぎるのは何と速いこと、2桁号など今読み返し乍らさまざま懐かしく思い返しています。いえいえ、秦さんは 決してちゃらんぽらんなんかじゃありません。
158号以降も続けて読ませて頂きたく、ぜひとも宜しくお願いいたします。
心からの御礼まで。 半田 久 拝 (昭和32年同志社美学卒)
■ 秦 兄 「湖の本157号」ありがとうございます。 辰
災難は忘れた頃にやってくる諺通り半月ほど前の雨あがりに朝刊を取りに玄関に出て階段で滑って転倒し右側頭部や右肘の外傷のほか腰や臀部などを強打しましたが骨折はないようなので医者嫌いの私は野生動物並みに2階の自室でひたすら安静にしていますが外傷のカサブタは取れるまでに治ったものの打ち身による筋肉痛は一向に良くならず軽い咳ををしても胴回りの激痛で息が止まる思いをしています。
20代の右肺手術の後遺症で背骨がS字に変形して少し歩行すると左わき腹や腰が痛くなる持病はあるのですが今回はベッドで寝ると起き上がるのが億劫ゆえリクライニングの椅子で寝起きをして半月もの間おなじ姿勢のため寝たきりと同様で階下のトイレに行くときなど体を動かすと節々が痛みますが 湯船に浸かると痛みは随分と和らぎます。
お互いに齢相応の身体の衰えは避けようがなくても 一寸した不注意による災厄には十分に気を配りましょう。2022-5-27 洛北岩倉
* 怪我は翁媼には最たる禁物。
■ 秦 恒平 様
まぁ!、早速の御返信、驚愕通り越して感動でした。有り難うございます。 本当に嬉しい。 やあ、未だ信じられない気分です。
御著作や「湖の本」、ホームページなどを通して、ずっとずっと読み続け、愛読者の一人と勝手に思って来たのにとこんな交信が出来るなんて〜。 長生きはするものですね。
ほんと、ゲーテ(=秦にも親友 重森ゲーテ)を見送って、田原知佐子さん(=秦にも親友 映画女優原知佐子)にも先を越され、最近も後輩たち、歳下の面々の訃報ばかり耳にして落ち込む日々、久し振りに明るい気分を頂きました。
園頼三先生(=恩師 主任教授)の論文や、金田民夫先生の「美学者の旅日記」などなど、勿論私も一番身近で大切に置いてます。
園先生は一番早くに日本に「カンディンスキー」を紹介されたと教わっていたのでニューヨークに行った時は先ずMOMA美術館を訪ね、写真で見ていた絵とのサイズ、迫力のあまりの落差に驚き乍らそれを亡き先生に報告したものです。
金田先生は御上京の度ごと連絡を、我が家にも足をお運びいただきました。夏には宣教師の為に建てた母校の別荘に呼んでくださり、奥様ともよくご一緒させて頂いた事思い出してます。
「書き起こす気力」のお強さ。さもありなん、と敬服しつつ読ませて頂いてます。読後感などはおこがましくてとても言えませんが、「白くさえあれば
掌より小さな紙一枚の(裏)でも(愛おしむほど大事に)使い込む」。脱帽しかありません。
「湖の本」は、「一切呈上」と。お言葉に甘えさせて頂きます。なんて幸せな事。
有り難うございます。 ずっと、お元気で。 久拝
■ 湖の本157 贈呈いただきありがとうございます。
お父様の書き物の多さ、勤直さに感心しながらも、それを読まれている秦様のお気持ちを思いますと、なかなか前にも進まず、また離す事もならずで、お礼が遅くなりました。
「私語の刻」も、過ぎた日を思い出しながら、秦様の確固たるお考えに教えられ、納得したりしています。その時、時に、読ませて頂きたかったと贅沢に思ったりしています。
今日は午後から、所沢にできた角川武蔵野ミュージアムに顕が案内してくれるとのことで 「本の街」を見物してきます。マスクは2枚かけて。
迪子さんとも、お会いできる日が来ることをひたすら願っています。
御本発送のお疲れが早く癒えますように。ご健康を心よりお祈りしています。 晴美
2022 5/28
「湖の本 158」初校もよほど進んでいる。体調を建て直して「体力時間」を拡充、新作の続稿へてを掛けたい、なにとしても心身の健康が先と。
* 佐々木葉子先生 宇治極上の煎茶の缶を送ってきて下さった。ありがとうございます。
2022 5/28
■ 秦恒平先生 『湖の本』157号をご恵贈賜りありがとうございました。
「父の敗戦」を背筋を伸ばし襟を正して拝読いたしました。
『ニコマコス倫理学』の原典講読に取り組んでいます。
4度目の再発、入院手術ということになりやや気が重い状態です。
お体おいといくださいますようお祈り申しあげます。 篠崎仁
* お勉強の日々が より永く おからだの快復が より確かに速やかでありますことをご縁の深さを感謝に感謝しつつ 衷心祈りおります。
■ 秦さんへ 自転車「卒業」大賛成です 転倒は困ります くれぐれもお気をつけください(これ口癖です 本当に困りますので)
お父上のお写真 仰る通りです 六義園 思い出しております
e-old よろしくお願いします
疲れていても頑張るしかありません
昔から洋服もよれよれの方が好きでした 頑張ります 勝田貞夫拝
■ 秦 恒平様
「湖(うみ)の本 156 老□作繭 私語の刻」
「湖(うみ)の本 157 父の敗戦 水流不競」
をそれぞれ拝受しました。
HPの回復が待たれます。
メールは着信するだろうと勝手に推測して送信します。
天下世情ただならぬ情勢、くれぐれもご自愛ください。
令和4年5月28日 濵 靖夫拝 (妻の従兄)
2022 5/29
* 村上開新堂さん 宮中へ納められていると聞くクッキー満杯の一缶を下さる。
同志社美学先輩の半田久さん、これは美味い柔らかいと驚嘆の粽菓子を下さる。
2022 5/29
* 「湖の本 158」 あとがき ツキモノ 副えて 本文「要再校」で送る。
2022 5/30
* なぜか手近へこぼれ出ていたようなも大昔の雑誌「思想の科学」を手にし、亡兄北澤恒彦のかなりな力編と謂えようか「革命」を語った長い論攷と、この兄が、私恒平の昔の作『畜生塚』のヒロイン「町子」の名を、生まれてきた娘に貰ったよと手紙で告げてきていた北澤「街子」が連載途中のエッセイを、朝飯前にさらっと眺めていた。この「思想の科学」は今は亡い鶴見俊輔さんを中芯に結集した人等の大きな拠点であったようで、兄恒彦はその中核の一人、老いの黒川創もその「編集」等に参与していた、、ま、一種の京都論派の要であるらしかった。京都で盛んにウーマン・リヴを率いて後に東大教授としても活躍した上野千鶴子さんも仲間のようであった。姪の街子はオーストラリアの学校へ遊学していたのを下地のような、長い連載エッセイを書いていた、らしい、健筆のちからを見せている。創や街子の従兄弟にあたる私の息子秦建日子も、いささか八面六臂に杉目ほどの小説作家・演劇映像作家として多忙に過ごしている。
近年にウイーンで「悼ましい死」をとげてしまったと聞く下の甥北澤「猛」が文藝・文章を書き遺していたかどうかは知らない。聞いていない。彼かあとを慕って追った人はよほどの年長であったと聞くから、我々の実父母、彼には実祖父母に当たる間柄に似ていたということか。
私たちの娘で建日子の娘である押村朝日子も、謙虚に謙遜に続ければ、また夫の理解があれば、けっこう達者な物書きへの道へ入ってたろうに、早くに潰えた。心柄と謂うしかないのだが。
とはいえ、こうしてみると「私たち兄と弟」を奇しくも此の世に産み落としていった亡き実の両親は、文藝の子らを、少なくも二た世代は遺して行ったことになる。
「北澤」という家を皆目というほど私は知らないで来た。今も知らない。
私方では、妻の父は句を、母は歌を嗜み、息子は「保富康午」の名で詩集を遺し、テレビの草創期から関わって放送界で創作的に働いていたし、妻の妹は『薔薇の旅人』という自身の詩集を持ち、画境独自の繪も描く。妻迪子も、実はしたたかに巧い絵が描ける。
* たまたま、とも謂うまい、意図して私は「湖の本」新刊の二巻に、恒彦・恒平兄弟実父母の、いわば「根」と「人としての表情」を、ならび紹介し得た。出逢って忽ちに天涯に別れて生きた男女、恒彦と恒平とを世に送りだすためにだけ出逢って忽ち別れた母と父とのため、私の思いのまま、それぞれの墓標を建てたのである。
2022 5/31
■ 「湖の本 157」りがとうございます。
生涯に二度しか会わなかった父親と息子のものがたり、を 優しい気持ちで読めました。存在した男がくっきりと生きています。同じように ものがたる息子も。「水流不競(私語の刻)」はまだ読めていません。 六割をめやすに何事も を心がけられず、くたびれています。
ピアノはボケ防止に、と息子が…。よく見えないのだけれど。 同志社美学 美沙
■ 「湖の本 157」りがとうございます。
(京の)東山も日毎に若葉が多く色付きに変りました。秦さんは変らずお元気でうれしく思って居ります。
早々にパラパラと拝読したりして なつかしく お会いしていわ!
やっとやっとの一人暮らし(=夫君逝去)をして居ります 頑張って居ります。先程 中出貴佐ちゃんよりtel有り(=秦から無事だろうかと様子を聞いていた。)お話をしていました。いつ迄もお元気でおすごしの事を念じて居ります。
色々と ありがとうございました。 京 今熊野 華
高校一年の頃 茶道部で、私からはじめて茶の湯の作法を教わっていた 久しい友だち。
■ 今日は いつもありがとうございます。
早速頁をあけ 「父の敗戦」読み終わりまして 就寝前のひと時 筆を執りました
お父様の御写真 思わず 秦先生ご自身かと思ってしまいました。
出生いらい生活を共にしたことが無いにも拘わらず お父様と先生の考え方がそっくりなことにびっくりしています もちろんお兄様の北澤さんも一緒ですね
(母にふれて書いた=)「湖山夢に入る」以後 次はお父様のことかな との予感がありました。
お母様はもちろんのことお父様もきっと先生のことを誇らしく思っていらっしゃったことでしょう 今となってはお話出来なくて残念で仕方ありませんが ご両親の良い面を受け継がれうらやましいです 私は 秦先生の自筆が大好きです・ そして奥様に戴きます文面にうっとりしています
まもなく梅雨の季節に入ります
お互 体調に気を配り つつがなく毎日を過ごせますよう願っております
令和四年五月二十五日 桐生 八十四歳姥
* 京都府知事西脇隆俊氏からは、「再選」されアタに「就任」したとアイサツがあった。 お頑張りやす。
* 午後もおそく、たくさんなお便りをいろいろ頂戴した。感謝。とても此処へ書き置けないほど。
■ 『湖の本』拝受
心身共に大変な折のお仕事(刊行の手間)だったのではないでしょうか。しかし「私語の刻」(巻末)で「恒平健在」を確認した思いです。
巻頭の写真は、正に「恒平」です。「父の敗戦」を拾い読みしたかぎり、そのうちなるものも、「恒平」につながること多し、の感を深くしました。知は父に、情は母に受けていらっしゃるように思います。「父の敗戦」は、のちにじっくり拝読します。
「水流不競」。ここでは割と新しい秦さんのニュースを知ることができました。言、文、何の衰えるところのないのに感動しています。その間のご健在を確認して、ほっとしています。ここにも私の軽い便りをとりあげてくださって恐縮です。また田中励儀さんのお名前も発見、変らぬお付合いと推察いたしております。
先日、西村賢太さんが亡くなりました。以前にお話したことがあったと思いますが、当地出身の藤澤清造がらみで知り合い、地元の新聞社の文芸誌に寄稿を介したり、文学館での講演を依頼したことがありました。謙虚で礼儀正しい青年でした。
西村さんの死を受けて、北国新聞や『本の雑誌』からコメントを求められましたが、寄稿を辞退申し上げました。 持っていた著書、書簡、雑誌など、西村さんに関するモノ一切、文学館に納めてしまっていました。 手がかりになる資料を全く持たずにコメントはムリでした。しかし、西村さんは、私にとってなつかしい作家のお一人ではありました。
家内 市役所に申し出たところ「支援2」と判定されました。 そういう状態になったかという思いを深くしています。五月八日九十歳になりました。妻の介護は問題ありません。
受取りを兼ねて。お二人、お大事にと願っています。
久々の雨で、少し気温は下りました。ここ数日来の高温も、わが家は寒いくらい(古い建物なので)でした。
五月二十八日 井口哲郎 (老哲=朱印) (前 石川近代文学館館長)
秦 恒平様 (さしあげてある「秦恒平200字用箋」で)
■ 「湖の本 157」りがとうございます。
「水流不競」をまず一気に拝読いたしました。福島みずほや共産党へのご批評まったく同感です。ただ共産党の政策には大なる疑問があります。
天皇の存在意義についてのご意見も代賛成。政治を超えた国民統合の象徴の存在は、独裁者の出現への最大のブレーキと存じます、そうあってこそ、と。
ご文章を拝読しつつ 文字通り「満身創痍」のお体でありながら、読處を通じ 眞・善・美への参入に没頭されるお姿に わが人生の手本を見出しております。草々
令和四年五月二十七日 筑波 鋼 (文人・歌人・編集者)
■ 「湖の本 157」りがとうございます。
「父の敗戦」拝読 たいへんなお父さんでしたね。しばし言葉がありませんでした。読みながら 小生の父親の「敗戦」を思いました。小生の父は売れない絵描きとして「戦争」にも行かずなんとか生きのびましたが、連れ合いの父、私の義父は満州国軍の軍人としてソ連軍にとらえられ、シベリアに抑留され、最期まで天皇の赤子を貫いた軍人でした。帰国後は、ほぼ廃人のように扱われ、苦労して亡くなりました。二人の父を思うと、辛いものがあります。
日本人にとって、あの戦争は何だったのか、いまさらながらに考えこんでしまいます。
とりわけウクライナ戦争に見るロシアの暴力性は、あれがソビエトのななれの果てと呆れかえってしまいます。人間は過去を振り返らないものなのでしょうか。ニュース見るだけでうんざりします。
いずれ私も二人の父について書くつもりです 不一 葉山
* どうか、心込めて、ぜひ、お書きに成りますよう。
2022 5/31
■ 「湖の本 157」ありがとうございます。夏の気配が濃くなてきました。
今、『生きたかりしに(下)』をもう少しで読み終わるところです。続いて『父の敗戦』を読みます。
一九四八以来、日吉ヶ丘高校に付属していた美術コースは、一九八○年に中京区銅駝中学校跡地に移り、銅駝美工として四十二年間が過ぎました。が、来年二○二三年四月には、下京区旧崇仁小学校跡地に移転して、市立美術工芸高校としてスタートすることになりました。これは戦前の美工の卒業生の悲願でした。橋田二朗せんせいがご健在だったら大変嬉ばれたことと思います。
これからは暑さに向かいます。一層ご自愛下さい。大阪池田市 江口滉
* こんな嬉しい喜ばしいお知らせに接しうるとは。のに、書き写しながら失神しそうに。
* 京・山科の詩人 あきとし じゅんさん 季節の色をお便りに添えながら さすがとおもう京の和菓子くず餅をくださる。ハガキの裏は木田泰彦軽妙の童画で六月「夏越の祓い」が愉しい。書き添えて「下鴨神社の御手洗祭もいいてすが 蚕の社の三柱鳥居を拝しての足つけ神事も趣きがありますね」も、サァスガァと手を拍った。嬉しく。
■ 「湖の本 157」りがとうございます。散歩の道すがら紫陽花の花の色にいささかの感慨をもよおす老いのこのごろです。
小生の3才のとき、父は戦死しました。父の存在を知らず育ってきましたが このとしになって。何かと堪(こた)えてきました。別便でこころばかりの京の和菓子をお贈りしましたので、ご賞味ください。時節柄 ご自愛ください。 あきとし じゅん
* 折口信夫の跡を確かにしてくださる石内徹さん、いつものようにご支援を戴く。畏れ入ります。
■ 前略 御免下さいませ、
いつも貴重な本をお送り頂き 有難うございます。とても嬉しく 読ませて頂いて
居ります。
京都の伝統的な祇園祭の鉾巡行がが 従来通り 一日も早く 到来する事を、心より念じて
居ります。 てる子 (弥栄中学で一年後輩の優等生)
* 「居ります」は畏まった物言い、それをきちんと改行して下げて甲斐あり書いてあり、これは教えられた心地。
2022 6/1
■ 五月二十六日に京都から移りました。
鴉の本が届いていました。写真のお父様は確かにあなたと間違えそうなほど似ています
が・・本を読み進めるにつれ監禁され身動きならぬ状況に追いやられた衝撃屈折と無念
の翳を思わずにはいられませんでした。家父長制と言っても今の若い人たちは分からな
いでしょうが、家というものの重さ、苦さはのしかかるように存在していました。世間
様とか恥の感覚とか、さまざまに縛られていました。わたしでさえ感じていました。
「実父ひさし・恒」と一緒に、しばらく泣いた。闘い抜き「生きたかりしに」と病床に
果てた「生母ふく」とは、私、泣かなかった、むしろ励まされた。
75ページのこの文章が鴉の思いが痛く痛く沁みます。
娘が同居することになり長久手に戻ってきたのです。昨日、娘は今度の会社に初出勤。孫も昨日から保育所に。暫くの間、慣らし保育で朝九時から十一時まで。迎えに行き午後を孫と過ごすのが目下の仕事です。一人になる時間は殆ど無い状態で、夜はもう疲れ
てしまいますが、孫の成長を見るのはかけがえない楽しみでもありますから・・。
京都の古本屋で『日本書学体系』という全集を見つけて、思わず買い求めてしまいまし
た。これからどれだけ掬い取れるものがあるかわかりませんが、楽しみです。
さすがに年齢相応に足腰の痛みやら関節の痛みも感じるようになりましたが 鳶は元気です。元気にしています。
2022 6/3
■ 前略 『湖の本 157』を拝受
いつかは、どんな形でか正対して表現なさるだろうと意亡していた作品を、今回「父の敗戦 虚幻焚身」としてはいどくでき嬉しゅうございました。
難儀な時代に難儀な家に長子として、シャイで まっすぐな 心 と 理を持って生まれた「実父・吉岡恒」氏は、ご起筆以降の年月に「おやじ殿」となり、いまやご実子の八十五翁に、ともに泣いてもらっています。 私も涙が滲み、同時に「吉岡恒」氏が、作家他恒平さんの実の父君であられることにこころがほっこりする思いも湧いてまいりました。希有なお父上(そしてお母上)です。
コロナもさることながら、現実の年月も身体に負荷をかけてきます。「水流不競」を読みながら、時にご案じ申しあげたりしています。どうぞ御身お大切に。
いつもながらのご厚誼に感謝申し上げます。
二○二二歳五月三十一日 敬 講談社役員
* 有難う存じます。 書いてよかったなと思わせて下さいました。實父も生母も感謝申し上げておりましょう。
* 所澤の藤森佐貴子さん 佳い和菓子を副えて、 秋田市の 志立正知さん、中野区の安井恭一さん、大阪府茨木市の石毛直道さん も お手紙を下さる。
山陽小野田市の歌人高崎淳子さん「今年の新茶は美味なのでお送りいたします」と 山口の「防長茶」を贈って下さる。
2022 6/3
* ことに漢字・漢語を覚えそのおもしろみに馴染むのが、和語・やまとことばの其れより覚えやすく分かりよくことに幼少時には「得意」であった。いま「湖の本」のなかみにまま漢語を用いているのは、なにもその由来に知識が行き渡ってのことでなく、字面に於いてオモシロイなと自ままに流用している程度である。
そういうところから、老荘の孔孟のは恐れ多くも、ことに漢詩の五絶、七絶また律詩にははやくに惹かれ、祖父鶴吉の蔵書のなかでも唐詩選、ことに白楽天詩集は、むろん解説や語釈つきであるが、まことに早くから親しんだ。ことに「新豊折臂翁」など感動し、感化され、将来小説を書くならこれに就いて書きたいと殆ど決意して、その通りに「或る折説臂翁」を処女作に持った。一九六○年の頃であった。自然(返り点がついてだが)漢文には親しみやすく、高校国語でも「漢文」を選択し、教科書などみなすらすら読めて岩城先生に驚いてもらったりした。同じ教室で返り点の漢文でも苦もなく読める一人もいなかったのを思い出す。但し現中共中国のあんな新体字はだめ。読めない。
* なにより漢字漢語には「熟語」があり、これが親しんで教えられ面白い魅惑の手がかりとなった。祖父は、いわゆる小説の類は蔵してなかったけれど、老子莊子韓非子また四書五経の類、歴史書、詩集に加えて漢字漢語の大冊の事典・辞典を何種も遺してくれていた。今も史記列伝を愛読最中で、四書講義や十八史略もありがたく、書架に場所を塞ぐけれどもな大事にまもって時に教えて貰う。辞典・事典の好きな祖父であったのは実に実に有難かった。
それでいて、いま「湖の本」の書題に借用している四字熟語などもべつに原意や由来にそくしてなどいないで、字面を好き勝手に愛用している程度。
老蚕朔繭 水流不競 哀樂處順、優游卒歳 流雲吐月 濯鱗清流 一筆呈上 虚幻焚身 等々、なにも難しくは考えていず文字面に感興を覚えている程度。和語ではこうは締まらない。
* 早朝に目覚めてはこんな「私語」に時を遣っていてはもったいと思いつつ、しかし私の此の『私語の刻』という「文藝」の自覚と集積ははとても大切な大きい発明で実践と思っていますと、文壇作家達には恐かった「大編集者」が云うて下さっている。読者の中にも秦恒平最大の文学かと受け容れて下さる方もある。嬉しいことである、かまけてはおれないけれど。
2022 6/4
* 「湖の本 158」本文、ツキモノの校正出そろい、今にも責了可能なほど。発送に伴う用意をすぐにも進めておかねばならない。気ぜわしくなってきた、また。
2022 6/8
■ 湖の本拝受、ありがとうございます。「父の敗戦」はすぐれた私小説作品として興味深く読ませていただきました。
「水流不競」(=ではなく、あとがき=私語の刻)の末尾「危ないぞ 危ないぞ」はいたずらに日本人の敵愾心をあおり、逆に一部の人たちを喜ばすだけではないでしょうか、心配です。
7月に久しぶりに京都へ行く予定です。秋には(=氏名あり読み取れず)のドキュメンタリーの上映を企画しています。 敬具 (テルさん=中高同窓)
* 「日本人」や「一部の人」の「心配」を遠眼鏡でただ推測しているよりも、此処は、「テルさん自身」の「危ない」のか「危なくなど無い」のかの「意見・考え・気構え」を明かして欲しいところ。インテリほど高みの見物で、自身の考えや意見は伏せている。私は、私の思いを可能な限り言いあらわし、それに、つとめて責任を持ちたい。テルさん、如何。
* 仕事に追われる。逃げようが無い。用意を積み、備えるしか無い。
2022 6/10
* 思い切ってさっさと責了にし、発送用意に転じてしまおうか、と。
2022 6/10
* 「湖の本 158」責了。
2022 6/11
* 次巻「湖の本 159」後半にあたる原稿作りを開始。前半へは、新しい小説を起きたいと願っている、が。
2022 6/16
* 「湖の本 158」発送への所要体勢に成る時。今晩は心身をやすめるうちに、もう翌零時四五分。もう少し
2022 6/20
○ 秦恒平先生 梅雨の候になり季節の移りに驚いています。「湖の本 157」のご恵送恐縮しております。
お仕事振り!!
その表現力!!
圧倒されています。
ご父君の写真拝見 先生の事を想い出しています。
京都教育大美術科で、学生と日曜美術館での広田多津に出演されていたビデオでの事を懐かしく記憶して居ります。ありがとうございました。私の近況(絵葉書)同封致しました。 烏頭尾 精 画家 京教大名誉教授 京都日本画家協会顧問
* 恐れ入ります。
○ 拝復 『湖の本157 父の敗戦 水流不競』をご恵送いただき誠に有難うございました。生涯で三回だけ会われたという実父吉岡恒氏が書き残された大量の文書に、正面から向き合われた真摯な一篇から、変な言い方になりますが、爽やかさを感じました。「教育監督の上長の家が、「精神病院」までを利用し嗣子のはずの長男を「監禁」していた」事実は衝撃的です。しかし、そんな中で記された恒氏の文書の数々からは、敗戦後日本を生きた意識の高い社会人の心情が読み取れ、引きつけられて読みました。もちろん秦様が付された文章に導かれての理解です。ものを書くことへの意欲は父子で共通するものなのですね。
今年は,祇園祭が開催されるそうです。
江戸期以来の鷹山復活が話題となってます。 草々 田中励儀 同志社大学教授
* 閑雅に洒落た鉾の絵葉書で意を尽くして頂き、感謝、感謝。
○ 拝啓 (前略) 私の母が手術をしてその介護で慌ただしい状況が続いておりました。今回の『湖の本』で親への思
いを新たにしております。私も父に似てきており、なんとも言えない気持ちでおります。 本当にありがとうございました。敬具 府中 誠一 教育家
○ 梅雨の候お変りなきことをおよろこび申し上げます。
このたびは「湖の本 157父の敗戦」をお送り頂き厚く御礼申し上げます。
一日とてご一緒にお暮らしにならなかったお父上のご書簡がお手元にあり、それをご披露して下さるということ、驚くばかりです。秦先生のお父上はやはりふつうのお方ではなかったということをひしと感じております。お父上の生涯を綴る中に
父恋い」の匂いを嗅ぐことが出来ると申し上げましたら、ご否定されるかもしれませんが、何よりのご供養になっていると存じます。
貴重な一篇、有難うございました。くれぐれもご自愛下さいませ。お礼が遅くなり失礼申し上げました。かしこ 六月二十一日 紅書房 主
* 縁うすかりし実父への墓標、よき供養とおっしゃって下さる方々有り、ああそうかなあと、頭を下げています。
2022 6/23
○ 湖の本ありがとうございました。丁度その頃「秘色」を再読し始めた時でした。そしてその頃TVで太宰治の娘さんが出て居て話をしてゐました。何か御縁があるのですね。何か手紙の話もして居て川端康成の事など話をしてゐました。そしてTVで「corekiyoTo」番組で京都の庭の話もあり 美しい苔寺の庭を写してゐました。こんな風にこちらに居てもTVのおかげで美しいものをよく見られ そんなときは胸がドキドキする位いです。
桜の咲く頃京都を歩いてみたいと思ってプランをたてたのですが、お友達がコロナの事があるからまだ無理だと言われて中止しました。京都の河原町通り四条通りを歩きたくて夢にも見ますよ。何もかもがコロナをつけて来てちょっと不便です。
でも私の生活は割と楽しい毎日なんですよ。
今矢張りお茶の稽古は中止ですが その時の生徒さんが家にお手伝いに来て呉れてゐます。とてもよく気の付く人で助かってゐます。この人も京都生まれの韓国人「朴さん」と言ひます。うちでお茶のおけい古に来てゐた人でその上美人です。もう一人来て下さってゐます。週に一回づつです。͡此の人は、埼玉県の人で話好きで明るい人です。二人とも60歳台です。こうして私は一人暮らしですが毎日を退屈しないで楽しく暮らしてゐます。
梅雨のジメジメがあまり好きでないので、こちらは年中暑からず寒からずのよい天気なので気に入ってます。家もベッドルームが四つあったのですが二つをお茶室八畳に、そして水屋もあります。時々小人数でお茶を楽しんでゐます。
そうそう野球の「大谷君」も近くに住んでゐるらしく、一回マーケットで見かけましたが、かわいい人ですね。近くの日本のレストランにも来たらしく写真が一杯かざってあります。此の頃はおいしいおすし屋さんも出来たし 私は此方の気候が気に入ってます。
便箋が足りなくなりました。これみんな日本京都で買って来たものです。
今家の中の整理をしてゐます。よくまあこんなに物を買ったものだとアキレてゐます。友達が「これみんなお金よ」と言って二人で大笑いしました。そりゃ本当ですね。お蔭様で今もなを何とか生活してますので エデイにカンシャカンシャです。
ほんと お伊勢さんへ行きましたね。あの人は車の運転が好きだったのですが、こちらでもニューヨークやらずっと廻りました。アメリカ横断も二回しました。インデアナに居た頃です。
インデアナ500も見て来ましたよ。事故があって車が火を吹いて飛び上がるのですよ。モノスゴカッタです。次の年も行ったのですが無事故だったので皆今年はツマラナカッタと言ってました。びっくりしました、人間ってね、、、、
ま、こんな風の毎日です。体が丈夫なのかあまりお医者さんのお世話にもならず、お友達が皆アキレてゐます。
まあ多分秋頃にはお会い出来る事と思ってゐます。
どうぞよろしく
コーヘイちゃん
みち子さんへ
6月13日 ハッピーバースデーです。 チョコちゃんより
91歳の池宮千代子さん。河原町三条、朝日會舘脇 高瀬川沿いに住まいがあり、私がまだ大学生の頃、同居していたお姉さんの大谷良子さんが叔母のもとへお茶、お花を習いに通っていて、私と仲良しだった。それで池宮さん夫妻とも親しみ、池宮氏の運転で、私も誘われ四人で、伊勢志摩までもドライヴの旅をしたこともあった。自動車などまったく縁の無い私の日常だったので、まして仲良くドライブなど、とても珍しく、愉しかった。年齢で言えば私は、ま、半世代若い弟分、一方ではすでに宗遠と裏千家での茶名ももった厳格な茶の湯の師範でもあった。妻との出逢いや、上京就職して結婚というきもちなども早くこの姉妹には告げていた。
2022 6/24
* キイを叩く腕二本のなんと細いことか。指先は鳴って痛いほど痺れている。したい仕事もしたいが、せねば済まぬ市見事も捗らせたく、新たな発送本の納品も迫ってくる。 2022 6/24
○ 秦先生
“私のこの頃です” 、じっくりと拝読いたしました。
マルクス・アウレリウス『自省録』は私も愛読書です。ただし、日本語で読みました。東洋思想に共通するところが多々ありますね。
私の「ギリシア哲学原典講読」の指導教授、荻野弘之先生が、
『マルクス・アウレリウス 「自省録』-精神の城塞』(岩波書店、2009)
を上梓しています。『自省録』をさらに深く読み込むための名ガイトブックと言えます。
p.s.映画「グラディエーター」にマルクス・アウレリウスが登場します。
リチャード・ハリスが好演です。 篠崎 仁
○ 篠崎さん ご無事の快癒をと願い、祈ります。気強くまた一と山をお越え下さい。
マルクス・アウレリウス『自省録』は それはあるまいかと思いつつも 日本へ渡った最期の伝道師シドッチのはるかな旅立ちに,師として友としてと親が授け持たせたと新聞小説『親指のマリア シドッチ神父と新井白石』に書き入れました。そういう「本」と思って来ましたよ。
また いろいろ お話を 聴きたく 致したく。心より。 秦恒平
* 吉岡の父 実の父を「湖の本157」に書き下ろして、漸く、いいことをしたなと胸を撫でている。私の小説『廬山』掲載を新聞広告で知りその雑誌「展望」を、親族に監禁されていた「精神病院」で小遣いを割いて買い、しかも『廬山』ではなく、たまたま同時掲載されていた「なだ いなだ」氏の『小さい大人と大きな子供と』を読み、「この内容は私が六十才の今日まで心の奥深くしまいつづけて来た所信の半分ほど代弁してくれているので意を強くしました。私がいえばまたしても病院に押し込められる危険が多分にありますが、この人(なだいなだ氏)は精神科の医師らしいので共感を表明しても強制拘束の心配が無いので安心です」とノートに書き付けていたのを読みかえし、思わず、初めて私恒平は、此の父のため声を放って泣いてしまった、生みの母のためにも泣いた。大勢の読者が両親のためにいい墓標を建てられたと云って下さることばに、ようやく、独り頷けるように成った。群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌って自立してきた「湖の本」なればこそ出来たこと、私自身のためにも墓標であるな、と、しみじみ頷く。今回の口絵の父「吉岡恒」像は、どう見ても誰が見られても「恒平」そのままと。
* 明後日には新刊発送。用意は出来ている気でいる。暑さに負けないように、急かずに進めたい。
2022 6/26
◎ 明治二十六年刊 『明治歴史』上巻 抄 坪谷善四郎著
◎ 文久三年(一八六三)五月十日以後長州藩は攘夷を實行するが爲に下の關通行の英佛米蘭四ヶ國の船艦に砲撃しければ四國は之を詰りて談判を開きたるも 空しく一年を過ぎ今元治元年の夏に至るも其効を見ず當時の形勢幕府は既に天下縦まヽにすること能はざるの狀を呈したれバ四國は意を決し自ら軍艦を下ノ關に進めて長州の罪を問はんとす幕府は陽に之を止めたるも陰には却て悦び長州征伐の爲に一大應援を得たるを祝し四國が横濱を出征根據地と爲し英艦九艘佛艦三艘蘭艦三艘米艦一艘を以て艦隊を組織し七月下旬舳艪相喞み長州に向ふたるも幕府は手を拱して之を傍觀せり故に四國艦隊八月五日進んで下ノ關に迫り激しく砲撃したり此時長藩には去月十九日精兵既に京師に敗れて瘡未だ癒えず幕府は遠からず大軍を發して來り征せんとするに當り今亦外國軍艦の精を盡して來り襲ふに逢ひ百難一時に集り之を防ぐに堪へず故に下ノ關砲撃の軍に對しては能く敵愾の氣を鼓舞して防戦するも勞を以て逸に對し器械の鈍を以て鋭に當る勢ほひ抗すること能はず戰闘四日にして勢ほひ屈し九日和を請ひ遂に下ノ關海峡の通航を諾し償金三百万弗を渡すことを諾したり
此の一戰長藩は甚だしき敗を受けたりと雖ども之により外国兵鋒の強を知り攘夷の容易に行ふ可らず舊來り兵制は迂拙にして彼に抗する能はざるを知り急に兵制を銃隊に改め盛んに武を練りたれば後來其兵の強き幕府が天下の兵を集めて征するも勝つ克はざるの勢力を養ふに至りたり故に當時長藩は戰ひに負けたるも實際は勝ちたり之に反し幕府は外國軍して長藩を征せしめ自ら戰はずして征長の實を行ふたるの觀ありしと雖ども此一事を以て其の實権は全國を制すること能はず長防二州は自己の政權統治の外に在ることを示し以て外に對して其威權の微なるを表白し遂に後來外國をして幕府は眞の日本政府に非ることを思はしむるに至れり加之當時長藩は三百万弗の償金を約したるも終に之を幕府の手より支出するに至りたれば幕府は最も不利の地位に立ちたり故に外國軍の下ノ關砲撃は其敗長州にあらずして實は幕府之敗と爲れるものなり
* 外国艦の砲撃に傷ついて山縣有朋がめざめ、また終末期の幕閣に参じた成島柳北が愛想を尽かして江戸の市井に一身を捨てて隠れた経緯を見事に上の一文は説得してくれる。
云うまでもな、いましも日本列島は、幕末、四國列強の軍艦猛烈の砲撃にあえなく屈した下関、長州藩の為すなき惨状を他所のほかとは云い切れない世界事情下に置かれてある。そのじじつを無視したままの「平和」の要望ではあまりにたわいない。
この『明治歴史』抄記は、しかし、あすからは「湖の本」発送等に時間と体力を要するので、「四國連合軍艦の砲撃」と程もよく読み終えたので、少なくも一旦休止する。
『山縣有朋の「椿山集」』『山縣有朋と成島柳北』を「湖の本」にしかと加え得たのを喜びとする。
生母の生涯を抄して『湖山夢に入る』を、實父のそれを『父の敗戦 虚幻焚身』に竟に書き置けたことも、また、老境の大きな一歩であったよ。
2022 6/27
* あさ、早々に、高麗屋 松本白鸚さんから、季節の「朝顔」の籠を頂戴した。うれしく。今日からの送り作業前に「気合いをいれて」頂いた。感謝。もう、そろそろまた歌舞伎座へ行きたくなっていたところ。ご健勝をお祈りします。
* 九時半より『湖の本 158 よに逢坂(女坂 二)』ほかの発送作業、夕過ぎまで。明後日までは掛かりそう、一つには終日とりくむのは避け、ゆっくりやろうと。なにも、急ぐ必要があるので無く、早く済ませたいと、次ぎの用へと気を急かすだけのこと。ゆっくりと、躰を痛めず過ごせばいのだ。
2022 6/28
* 二日目の発送にかかる。読者、謹呈者には昨日送り出しているので気は軽い。今日明日は、大学と高校、施設。数は多い。
2022 6/29
* 四時には、『湖の本 158 よに逢坂(女坂・二) 彬彬而樂』の発送を終えた。192頁の本を、各冊堅い郵封に容れて50冊ずつ、二日に亘りダンボールでキチンから玄関へ20数回 腕力で運びつづけた。ヤルもんだ。
しかし、夕飯後は八時まで寝入っていた。
2022 6/29
* さて。なんぎな力仕事も一応終えたこと、視野を確認して、利金で疲れすぎない程度には当面の新しい「仕事」に向き合う。疲れるのは当たり前のこと、意気地なくへたばらないように。
2022 6/29
* 朝いちばんに、平成十八年ヘまで遡っての「汲古」第50号 浦野都志子さん(元・東大綜合図書館司書)の、「『遊仙窟』と黒河春村」に始まり、第73号、黒河春村『自著目録』と筆頭著録の『万葉集墨水鈔』について」を弱い目を皿にして読んだ。感服し、いろいろに興をそそられた。77号には「黒河春村著『節用集考』を巡って 附説『類字墨水鈔』と『碩鼠漫筆』」が、79号には「黒河春村編『古物語類字鈔』について」が、81号には「黒河春村の『尾張国解文』研究について」か相次いで発表されていて、その精緻に周到簡潔な言及論攷、そぞれにた痛くそそられる。さらに別紙を副えて、『遊仙窟』の読解鑑賞に必需の関連資料、春村の『遊仙窟類標』の「例言」を、コピーして送っていただいた。「因みに幸田露伴の『遊仙窟』は春村「例言」の換骨奪胎と推測しています
ともお手紙の中に添えてあった。痺れる有り難さよ。深謝感謝。「湖の本」で私が『遊仙窟』に好奇心ありと見て取られての、打って返すほどのご厚意であった。ベンキョウします。
2022 6/30
* 午後仮眠中に、気分がいろいろ、さまざま悪くなり、低血糖ではと妻にいわれ即座に測ると、なんたるや、47。危険な、過ぎた低さに、仰天。白砂糖で即刻持ち堪え、気分も落ち着いた。何故の低血糖か。酷暑からか、食が細すぎてか、酒か。何にしても危険きわまりない値いに驚いた。
とにかくも、送るべき本は送った、一仕事済ませたのだ、体力の養生を考うべく、休息。
2022 6/30
* ご近所数軒のポストへ「湖の本」を入れてきたが、燃えさかる暑さに仰天。
来る参議院選挙の投票が気になる。京都は暑い寒いが一つの看板だったが、少年の昔の記憶で、真夏最高の暑さで33度が上野限度だったとしっかり記憶している。
いま、この下保谷にして40度を冒している。
2022 7/1
* ようやく昨夕あたりで都内へも「湖の本」が届いているようで。土日には手紙もとどかない。メールの使える方にはメールを頂戴したい。私、掌も指先も痺れて使いづらく、自筆の手紙も差し上げられないのです。
○ 本日、『湖の本』158 「よに逢坂 彬彬而楽」 をいただきました。このお歳でのご無事のご出版を慶祝いたします。大したものです。早速に拝見しました。後半で、「体」の言語化のことについて私が差し上げたメールが載っていて驚きました。私のメールにミスタッチがあったことも。よくやるんです。失礼しました。
ウクライナ侵略の暴挙を予見していたようなプーチンに対する辛い評価を数ヶ月も前になさっていた。脱帽です。実は私も彼の登場以来、将来なにかやらかすと警戒していました。
ウクライナ侵略の問題は一言で言えば、「法」の無視です。個々の人間を超える「法」の権威が成り立っていない。法の感覚もない。突き詰めれば、人間の感覚がない。だから、これほどまでに非人道的にロシアの権力は振舞える。人間の感覚を喪失する恐ろしさをあれだけ執拗に告発したドストエフスキーの国から、悪霊が現実の姿を取って現れた。日本も過去にはかなり人間の感覚を失っていたし、これからの日本が国家主義の悪霊にいつ全面的に捕らわれるか分からない。緊張して暮らしております。
お身体が維持されますように。ありがとうございました。 浩 icu名誉教授
◎ ぐったり バテてます。コロナもまた舞い戻りつつあるようで、動きもとれず。感染はぜひ避けたく。朝露を踏んでの散策どころか、もう久しくバスにも電車にも乗っていません。
楽しめるのは、読書だけ。読書慾は、旺盛。
もとは支那の本ですが 支那では完全に見失われて、日本でだけ、奈良、平安の昔から、風流な天皇さんにも愛読された『遊仙窟』というのを、今も読んでいました。濃厚な性愛を風雅な詩の応酬で仙境へ盛り上げて行く名品です。
「漢字」というのは一字一語が奥深く美しい。西洋語は めったに読みません。漢語・漢文には日々親しんでます。史記列傳 水滸伝 が面白く。
せいぜい 食べて 衰えきらぬようにしていますが。食欲が無い。ほっそりほっそりしています。 湖
2022 7/2
* 梅若万三郎家 ありがたい漬物を下さる。この時節、念入りの漬け物は極く貴重で、飯にも酒にも まことに嬉しい。
筑摩書房とのご縁いらい極親しい元編集者、新鮮な香気にはち切れそうに立派な桃を大きな箱に六顆も戴いた。桃、梨、枇杷、桜桃、西瓜、トマト 子供の頃を想い出しても懐かしい夏の美味。感謝。
紅書房主の菊池洋子さん、いつもながら、選りすぐりの洋菓子を下さる。食の進まない私には、ありがい佳い糖分になります。感謝。
2022 7/5
* 静岡大の小和田哲男教授、写真家・作家の島尾伸三さん、大阪高槻の旧姓八木(三好)一子さん、本の礼状。星野画廊の「大阪風景展」の一枚刷り作品集。頂戴。
八木さんもそう、八十過ぎて夫君を見送った夫人が、胸痛むほど多いのに驚く。
今もまた、久しぶりにメールくれた人も。
2022 7/5
○ 今日、湖の本 (158)受け取りました、有り難う、御座いました、ご無沙汰して居ります、長い間、機械を使わずに居りましたので、使い方を忘れてました。やっとです。時候柄、お大事に! 渋谷 華
○ メール有り難う、御座いました。変わらずお忙しそうで!
私は体力減退で ふらっとしてます。
湖の本、有り難う、御座いました。楽しんで読ませて頂いてます。
そろそろお祭り(=祇園会)で賑います。
私は一向に体力減退です。 渋谷 華
* 夫君を喪い寂しいですと嘆いてきていた。「やっとです」に泪が滲んで見える。同じ嘆きを何人に聞いてきたか。
この「華」は、高校生の顔しか 想い浮かばない。茶を点てて、柄杓の構えや扱いのきれいな一年生だった。わたしは三年生。茶道部を指揮して点前作法も諸道具のこともみな教えていた。校舎の一画に「雲岫」と呼ばれた佳い茶席を、校長室から「鍵」も預かって、気ままに、いつも、授業をサボってでも遣っていた。部員は増え、私の青春に男子の影はほとんど無かった。「女文化」ととなえ「身内」と説く「もらひ子」の心根は、京都東山に育って、遙かに遙かに、深い。国民学校で『百人一首』に親しんで短歌を創りはじめ、敗戦後に秦の祖父が旧蔵の小型な『選註 白楽天詩集 全』から七言古詩「新豊折臂翁」を識って愛読し、新制中学一年で与謝野晶子に教わって『源氏物語』を識りはじめ、三年生で、始めてお年玉で岩波文庫の先ず『徒然草』を、すぐ次いで『平家物語』を手に入れ、耽読した。『祇園の子』が短編の処女作となり、白楽天からは妻の励ましで『或る折臂翁』が、徒然草からは「菅原万佐」の名で長編『慈子 (齋王譜)』が、平家物語からは本名で受賞作『清経入水』が成った。ためらいの無い「一本道」だった、どの蔭にも「女子」の影が添っていた。男の影は、祖父(の蔵書)独り。メールを呉れた華さんも懐かしい「影」の一つ、云うまでない。
2022 7/6
* 羽生淸さん、京、鶴屋の夏菓子に添えてお手紙を戴く。
○ 『湖の本 156 157』 ありがとうございました。
「父の敗戦」の<鳩山首相に對する提言>は、今日の日本 そして明日の世界に向けて書かれているようでした。
「資本主義といヽ共産主義というも共に夫々人間が考え出したものであり、時代の変遷とヽもに絶対のものでありますまい、 双方ともに歴史の悠遠な流れから見れば短期間に生じた現像にすぎないと想います」
何故、いま、あたかも資本主義や自由主義に普遍性があるかのような物言いで争いを続けなければならないのか、夫や息子たちの命が奪われなけばならないのか 分かりません。
理りお父様 に対して
情のお母様
くろがねも巌も溶けて流れなむ
涙は火なり熱きものぞも 鏡
おふたりの愛の結晶
「あなたって 生きた小説ね」という
奥様の言葉がすべてを物語っているように感じました。
奥様という読者のために書かれた小説を 私も読ませていただける幸運に感謝しております。
「複雑多岐な人間関係のうち 一番複雑で且つ困難なのは結婚らしい、………ここには 人間の幸福と人間の束縛の両極が伏在している」
一番複雑で且つ困難な事業に成功された
おふたりにあやかりたいと思いましても……私は…
先生
の御長寿を心よりお祈り申しあげます。
奥様
羽生 清 (大学教授・美学)
秦 恒平先生
* 妻にくださった勲章と感謝して お手紙は 先日に戴いていた仙台の遠藤恵子学長のお便りと揃え 妻に手渡した。
○ 「湖の本 158」をありがとうございます。
万華鏡のような變化に油断無く緊張して読みました。わたくしのピアノは困ったことに昔より譜読みが出来るような… ホントかな。繪は、人にはただのキャンバスと絵具ですよね。
どうぞ お元気に。 沙 専攻の同窓 妻と同期
* 下関の大庭碧さん、涼しげな菓子を送って下さる。感謝。
2022 7/6
* 井口哲郎さん 持田鋼一郎さん あきとしじゆんさん 芝田道さん 吉岡幹男さんそして 松本白鸚さん さらに早稲田大学 上智大学 大東文化大学 皇學館大学 山梨県立文学館とうとうから「湖の本 158」受領の来信あり。
文面などぜひ記録しておきたいのだが、量も豊かで、視野はもう暗く疲れ切っているので、今日は見送っておく。いずれも様に感謝。
2022 7/7
○ ひさびさのくもりぞらですが、自室は30.5cで、当地(=石川能美市)特有のむし暑い日です。
『湖の本』いただきました。157をまだ十分読み切っていない所の158です。パソコン代りとはいえ、月刊雑誌並みの刊行は、そのお手数も大変だと、秦さんの『意』を強く感じとっています。
「父の敗戦」に続く「よに逢坂」、変らぬ熱筆?をじっくりとよませていただきます。
それにても「私語の刻」にとりあげている諸氏の手紙の内容が濃いものの蔽いことにほとほと感銘しています。これが私信か、と思われるものもあって、秦さんの厚い交友ぶりに深く思いいっています。ちょっと表現が足りませんが、高次元でのご交際を仰ぎ見ているような思いです。それで、読みごたえがあります。私には諸氏のように応じることは残念ながら叶いませんが、重く、ありがたま受止めることはできます。
地震のこと、お気にかけていただきありがとうございます。同じ石川県でも能登と加賀
地勢(ちょっと言葉の使い方が違うか)が違っていまして、テレビの報道でそれと確認するような状況です。ただ先日の地震の時は、テレビとスマホから大音が発せられて驚きました。当地は震度2でしたが。
頭も筆もモタモタです。みっともない文面でお許し下さい。お二人、おやすらかにと願っています。 七月三日 井口哲郎 (前の、石川近代文学館館長)
秦 恒平 様
(お望みで差し上げた 200字「秦恒平用箋」で。封緘の朱印は7/7「暑川」と。)
○ 拝啓
猛暑がようやく一段落いたしましたが、まだまだ暑い日がつづいております。
扨て、「湖の本一五八」昨日拝受、早速「彬彬而樂」に読み耽りました。
ルソー、ミルトン、マルクス、アウレリウス、聖書、ドストエフスキー、ホメロス、ソクラテス、 それに、源氏物語、平家物語をはじめとする日本文学の古典に毎日読み耽るお姿に、オルナガ・イ・ガセットの言う「精神の貴族」を思い起こします。八十六歳になってなお未踏の精神のさいこうほうを目指して歩み続けられるお姿は「お見事」という他ありません。それに加えて三日で一升の酒量、超人的です。
さらに、一四四頁の終りから一四五頁の半ばにかけての十一行、羨しいかぎりです。志だけでは無く、それを実現する資力まで、着々と準備されて来た秦様の人生は、「選ばれた者のじんせい」としか思えません。
私はこのところ 今年の年末に刊行予定の 翻訳の 校正に追われております。 この歳になっても読書 歌作 翻訳仕事をつづけることが出来るのが、孤独な生活の救いとなっております。秦様の「湖の本」が届くたびに、いろいろの方が居られるのだ、まったくの無償の行為に全精力をを賭けて生きておられる秦様の精神に過去史でも学べ、と自分を励ましております。今後も文字通り、ご指導の程、お願い申し上げます。
最後になりましたが、秦様の今後のますますのご健筆、ご健康、心からお祈りしております。また次巻を愉しみにしております。 敬具
七月五日 鋼 (作家、歌人、翻訳家)
* 読売新聞朝刊に長谷川櫂の選で採られた短歌二首の「囲み記事」が添えられていた。
* 「高齢者」神戸の芝田道さん 「この四月より社会人入学で神戸市外国語大学に通っています」と。社会学者の加藤秀俊さんの「九十才のラブレター」の中の「にんちゴッコ」を読んで、そういう年頃と思うと気が「落」になりました、「どうかお元気で!」とあって、同感した。「かつて通った喫茶ホワイト。74年間の営業の末に2年前にへいてんしました」と書き添えられた喫茶店窓際の写真ハガキでのお便りであった。
○ 半夏生で梅雨が明けると言われますが、ことしは宣言とは裏腹に戻り梅雨が気がかりです。折からの暑さ、いっそうのご自愛を念じております。本日 心ばかりの品を贈らせていただきました お口に合いましたらと幸です。
京・山科 あきとしじゅん (詩人)
* あきとしさんのお便りにはいつもうれしい「おまけ」の京と季節の郵便絵葉書が入っていて、今回も「コンコンチキチン コンチキチン コンコン」と木田安彦令の軽妙な祇園祭り鉾の版画はしめ、杉本吉二郎描く懐かしい祇園「ろーじの風」の写真など数枚。この二枚をてもとに、残りを手を受けている妻にあげた。茅ヶ崎の吉川幹男さんからも、猛暑の見舞いに瀬戸内因島八景を描いた青木廣光の絵葉書を戴いた。感謝感謝。
2022 7/8
○ 暑いさなか ご本の発送の大変さを思うだに、嬉しさもさることながら、お体を案じています。ありがとうございました。お二人ともにお疲れはとれましたでしょうか?
御本のお礼と共に お見舞い申し上げます。
「メール」の文体は読み易く、珍しく一気に読ませていただきました。
私語の刻の「彬彬至樂」の意味が分からず、辞書で、 まさにまさにと。嬉しくなりました。 (秦 「彬」は、ふつう「文質彬彬」など、ならび揃ってあきらかに うつくしくあれと励ましている。「彬彬至樂」は心境「彬彬として」楽しむ意味になろうか。)れる)
選挙間近く。一票期日前投票します。女子高生の頃 政治をよく話し合った事思い出しました。
昨日、今日は少し過ごしやすいですが、また猛暑が戻ってくるようで、どうぞどうぞお二人共にお身体お大事にお過ごしくださいますように。 晴美 妻の久しい親友
● y君 自身を「写真」で表現するのは 毎年の年賀状に見るとおりに東工大生、卒業生の「共通した」ような甘い特徴で、少年の青年の昔から何十年、ええオッサンになっても変わらないね。ツイッターやフェィスブックの「存在」表現も「写真、写真」で、失語症のように 現代の日本語で、しかと伝えてくる「生命感」が、以前にも一度伝えたが、受け取れない。残念というより、頼りなく、心許なく、寂しいです。
この難しい日本と世界の現実や日々の生活から生まれた喜怒哀楽が、生きた「言葉」で訴えられてなない、訴えてこない。変わらないねえ。よほど現状に満ち足りて幸せなんだなと、よろこんでもいますけれど。 今もみな、そんなんかなあ。 秦サン
○ 秦先生 御本をいただいておきながら「ご挨拶」なく申し訳ありません。
湖の本、ありがとうございました。
先日、新座の方へ行く途中、先生のご自宅近くの大通りを抜けました。顔を見せようかとも思いましたが、既に夕刻であったため、またの機会にと、辞めてしまいました。まだコロナも納まりきっておりませんから、お顔を見に行くとしても、お外で少し話をする程度かもしれませんが、お顔を拝見するだけでも、良いかと思っております。
さて、
写真での自己報告に甘えているというご指摘は、耳が痛いばかりです。
80年代に始まったデジタル化というのは文章、画像、動画などすべてを単一の記録方法に置き換えた、という点で、画期的な技術で、それがCDやDVDといった簡易なメディア、ひいてはケータイ電話やスマホといった通信機器へ置き換わっていく流れを作り出しました。それは東工大生だけの共通した傾向ではなく、全世界的な情報発信の流れ、と言っても過言ではありません。
そうやって、逆に言葉に自信が持てなくなっている、ということでしょうか。
先生は東工大時代から、映像は確実な情報伝達手段ではなく、そこから伝えられるもの、伝わってくるものを言葉にし、自分の感じたこと、考えたことを明確にしなさい、と言われておりました。
その危惧が現実のものになっているということでしょう。
現代はあたかも写真が全てを語っているかのように錯覚してしまうようになっています。トランプ大統領の時代を「ポスト・トゥルースの時代」と呼んでいましたが、映像は真実ではありえないので、事実を装って、いくらでもうそをつくことができます。私達が言葉より写真を好んでしまうのも、あたかもそれが真実かのように装ってくれるからかもしれません。自分の思いを、事実で隠してしまいたい、と。
そういった意味でも、先生の言われるような生命感が発せられない、無意識的に抑圧されている、ということかもしれません。
現状に満ち足りて幸せだんだな、と また、厳しい言葉ですね。
息子を見ていまして、やはり同じように思います。今の状況に満足しているのか、と。
ただ、この「完成されたように見える世界」に生れ落ちてきた彼らに、反抗し、変革せよと言っても、それもなかなかに難しいのかな、と思います。
そういう私が、自分自身の仕事で手一杯になってしまっており、自分の感覚で生きている、という意識が薄らいでいますから。
正直、どうしたらいいのかわからないという感触です。
自分は必死に生きている、でも、世の中はよくならない。
まずは自分の周りだけでも楽しくしたい、そう思って、毎日頑張っていはいるんですが。
やはり、どこか甘えているんでしょうか。
からめとられてしまっていますか。
週末、もしかすると先生宅へピンポンするかもしれません。また、厳しいコメントをもらいにいきます。 新潟出張への新幹線にて 柳 (建築家)
2022 7/8
* 愛媛今治市の元図書館長、木村年孝さん、京都市の染色家、玉村咏さん、東京大学大学院国文學研究室、三田文学編集部、神戸松蔭女子学院大学からも「湖の本 158」受領の来信。
2022 7/9
* たくさん、「湖の本 158」へ受領のおたよりを戴いている。それも記録したのに、消え失せている。
○ 「湖の本」一五八号とは驚きました。尾張ページの總覧を拝見して よくここまで 続けてこられたと つい はがきを書きたくなりました。
第五回太宰治文学賞は意識しているのですが…。 津村節子(=芥川賞作家 亡き夫君の吉村昭さんは台に貸す太宰賞作家)
* 元岩波「世界」高本邦彦さん 浦安市の島野雅子さん 草加市の白蓮寺開山石川恵念さん 都。中野区の安井恭一さん 神戸市の市川澄子さん 京・山科の今井てる子さん 所沢市の藤原正樹さん 鳴門教育大学 松山大学 文教大学 お茶の水女子大学 神奈川近代文学館 「湖の本 158」受領の来信あり。
* 上野千鶴子さん,故・色川大吉さんの追悼紙誌集を送らる。
2022 7/11
○ 『湖の本 158』嬉しく拝受、拝読たしました。こころからあつく御礼を申し上げます。
昨日午後から テレビは同じニュースばかり。今朝(七月九日)の新聞のあれほど大きな見出しは久しぶりのことでした。
これ迄なら真っ先に,先生のホームページを拝見し、おかんがえを聴きに伺うところですが、残念です。
むし暑い毎日です。どうぞお大切に奥様も。 岐阜 都
○ 先日は『湖の本 158』をお贈りいただき有難うございました。
先生の絶えない好奇心と衰えを見せぬ読書力、創作力には本当に驚きます。 今後とも無理をなさらないで(そういう訳にはいかないでしょうが)ご執筆をお続けくださいますように。
「黒谷」について20枚ほど書きました。先の論攷『基軸』に追加しようと考えてております。 『選集』33巻に達し、『湖の本』160巻に手が届く創作をもつ作家の全体像など、まだまだずっと先のことですが、少しずつでも書き増し書き継いでいきたいと思います。
ころな感染の再増加、猛暑(熱中症)へのご注意、階段の昇降など、どうか万全の軽快でお過ごしくださいますように。 奈良縣 永栄啓伸 (文學研究家)
○ 長い長い猛暑灯の連続にバテ気味のところに『湖の本 158』をいただきました。
「よに逢坂」は”女ごころの機微をメール文体を駆使して、この時代相の中に描き出されていて、<ほとほと参って>いらっしゃるどころか、創作を存分に愉しみそして読者を愉しませて下さっているのに感嘆いたしました。
「彬彬而樂 私語の刻」は、パソコンの不調や加齢からか<店じまい>の気配を時に漂わせながらも、日々を十全にお過ごしのご様子に、当方の先に迎えてしまった呆けや老いへの励ましをも勝手に感じとっています。
ありがとうございました。
これからが夏本番です。どうぞ御身お大切になさって下さい。
二○二二年七月八日 敬 講談社役員
秦 恒平 様
追伸 安部元首相の銃撃による死亡を先刻知りました。どうしてこのような國になってしまったのか。また「私語の刻」に読みとりたいと思います。
* 天理大学 立命館大学 の受領来信あり。
* 九州大学名誉教授で新版岩波文庫『源氏物語』の校訂者のお一人、今西祐一郎先生から、上田秋成による源氏言辞続編の一つ「手枕」での「疑問の表現」一カ所の提起を戴いた。なんとなく健闘もつきそうだけれど、私も一思案してみたい。
2022 7/12
* 23時過ぎて、今西祐一郎さんへ一先ずの返信をした。凄いほどの雨の音。
「アコ」の体調やや良くないか、吐き気味。
2022 7/12
○ 『よに逢坂 (女坂二)』 『アベラールとエロイーズ』の往復書簡を連想しながら読み 興味を覚えました。脱帽です。「やそろく老」の山坂、発展をお祈りします。御礼にて。 都・新宿区 祐
○ 今年になり体調を崩し入院したりしておりました。「湖の本」ありがとうございます。ジュース 送ってみました。ご笑納下さい。
季節柄 ご自愛下さいませ。 熊本県菊池郡 昌憲
2022 7/16
* 「湖の本 159」の編成、渋滞していたので無く、工夫を重ねていた。もう一両日ではんなり纏まるやろ。
感染者数、驚くほど急速、かつて無い多数を日々更新している。風邪やインフルエンザと同じと、英国は之を無視している。日本人の私は、まだ十分に慎重でありたい。
おう。もう十一時を過ぎている。
今日、希代のエロスに匂い立つ唐代の張文成作『遊仙窟』を、感嘆、読み終えた。『フアウスト』と『参考源平盛衰記』とが、抜群に、目下、おもしろい。
2022 7/21
* 「湖の本 159」を 凸版印刷株式会社に『入稿』について、心神耗弱どの疲労と失望を襲続け、まだ解決を見ない。従來可能だったことが俄に不可能になると、機械にそもそも何の予備知識ももてていない私は途方に暮れるばかり。
2022 8/1
* そんな中でかんかんの日照りの夏を妻と定期の内科受診に厚生病院へ。往き帰り、タクシーをつかった。幸いに診察に大きな故障は無く、私などは、先生に気の毒なほどまあまあの健康体とのこと。それは有難いことで有り、ひびの仕事に紀元の善し悪しはついて回ってもとにかくそれをしつづけてられるという事実は感謝しなくては成らない。
しかし、私の仕事には、自身で処置可能のものも、人手を借りて前へ進めねばならぬ事もあり、後者は決して容易ではない。いちどひっかかると、解決がつくのに先方の理解や納得を得なくては成らない、それがお凡て機械的なメール往来でされるので、けっして綺麗に割り切れない。ま、いまのわたしは酷暑にも負けてふらふらの事態なのです。
* 私は前世紀末に東工大教授の研究費で、ともかくも先ずパソコンを買った。使い方など1ミリも識ら無かった。大教室で、盛京のパソコンと、「一太郎」を買ったよと謂うと、笑いが風のように教室に舞った。笑いの意味は識りようもなかったが、どうも機械本体で無く「一太郎」にありけに聞こえたのを記憶している。しかし以來依頼二十数年、私は今も「一太郎 承」とかいう板をインストールしている。何の信不審もない、成り行きに任せてきただけ。
「一太郎」になにか大きな故障の原因があるのだろうか。判らない。
* 「もういいかい」という呼び声が頻りに高い所から聞こえる。
「まあだだよ」と小声で答えているが。
2022 8/1
* 夜中 手洗いに起った以外何も覚えず 六時半頃「アコ」に顔を刷りよせて起こされた。
昨日の連絡ではやっと「湖の本 159」の原稿を確認してくれたよう。出校を俟ちながら「湖の本 160」も一気に入稿し、手前を寛げひろげたい。第一目標は仕掛かり進行している創作の到達。
2022 8/3
* 父母を倶にした実兄「北澤恒彦」でありながら、一つ屋根の下で暮らした只半日一日の記憶も私には欠けている。同様に一つ屋根の下で暮らした只半日一日の記憶も欠けている「母」を書き「父」を書いたので、「兄」のこともと思うが、なまじいに同じ世代を似た世間へ名も顔も文章も出して「生き」てきただけに、しかも兄の生涯にたった二度三度しか逢って言葉を交わしたことが無い。兄の著書は尾張の鳶さんの好意と配慮とで、甥の「恒」の編著二冊をふくめて、やっと四種四冊手に入っているが、内容で、「兄弟の触れ合う記載」のありそうな箇所は希有というしかない。ただ、初めて顔を合わす以前にも数通手紙を貰った記憶があり、出逢って以降「兄の自死」までの短期間には、書簡そしてメール往来の記録が、やはり数多く歯無いが幸い残っている。「書く」程のほどの何があり得ようか、識っているのはいわば接点の無い「風聞」なのである。兄の自死後の「想い出を語り合う」らしき会への呼びかけにも私は応じなかった。「なあんにも識らないで」離ればなれに生きてきた兄の、大勢の「他者」の口から聴かされる「想い出」にはとても私は耐え得ると思わなかった。「識らなかった」ことを人の口からでも識りたいか、「ノー」であった。そんなわたくしを「水くさい人」と謗る「甥・姪」を含めて大勢のあったらしいが、「私」の悲痛には無縁のものの心ない軽率の罵声にすぎない。
で、どうするか。私が手持ちの、抑も戸籍謄本にはじまる「内容ある」資料を手もとへ揃えること。すでに妻は兄の晩年の書簡を「清書」朱修してくれているが、兄恒彦の自認の「悪筆」は、これはもう、もの凄いのであるよ。兄が、パソコンに触りはじめ、初牛久メールを暮れ始めたのは、あれは自死以前の半年餘もあったろうか。あの年の六月に江藤淳が衝撃の自死を遂げ、半年後にきた澤恒彦もまた自死して逝った。「湖の本 20 死から死へ」はその慟哭の時機を記録している。「一九九九 平成十一年 七月二十二日」闇に言い置く・私語の刻は、「江藤淳氏自殺の報で夜が明けた」と書き起こしている。そして十一月二十三日 早朝 兄のこと として「兄北澤恒彦が死んだという」と書き起こしている。二十四年の昔ばなしと成っている。
さ。書けるかなあ、そんな「兄」を。毀誉にも褒貶にもモノがない、私の手に。
2022 8/3
* コロナ用心、酷暑、夏休み と重なって、印刷所での仕事は捗らない。ガマンして、待つ、待つ、待つ。読書があり、撮って置きの映画が在る。創作の前進を一に努めたい。浩然と努めれば良い。昨日から今日へ観た『ウォーター・ワールド』ケビン・コスナーとデニス・ホッパーがしたたかな女子役と競演して、なかなかに「懐かしい」海洋の映像だった。ノアの方舟も連想させながら現代映画として工夫と技とが利いていた。広大無辺と見える海洋の大いさの果てに「土」の島が見える歓喜は判るよという心地だった。
2022 8/9
* 気を入れて読み返していった新創作の半ばまで,展開も表現にも、ほぼ納得できた。
2022 8/10
* 午後、寝入ったまま、左鼻孔からかなりな量の、食べ物もかすかに混じった水分を吐いた。全身、骨と皮になって肉付きが無い。体力は払底して、よろめいている。それでもどこへか出かけて、なにかしら肉けのものが食べたい、が、その元気がない。生命力が霞んでいるか。
* それでも、『明治歴史』も『史記列伝』も読めて興を惹かれる。明日には、「湖の本 169」初校が出ると連絡があり。何かに打ち込めれば意気はあがろうか。「読む
という働きはよほど性に合っているか苦痛や不快を忘れて、何冊にでも手が出る。一冊集中という読みを私は近年むしろ避けている。十無いし十数冊を少しずつ読む。一書の絶対化よりも世界と感性の多様に馴染み馴染めるのを喜んでいる。十八史略 史記列伝 水滸伝 大樂賦 ルソーの告白 人間不平等起源論 高橋貞樹の被差別部落一千年史 坪田の明治歴史 参考源平盛衰記 源氏物語 ドストエーフスキーの悪霊 カラマゾフの兄弟 ジイドのドストエーフスキー論 ジンメルの斷想 トールキンのホビットの冒険 等々が苦もない程度の分量、つぎからつぎへ読んでいって惑うよりも、世界の広さ豊かさが嬉しくなる。躰を横にしているので、疲れよりも多様の面白さが流れ寄ってくる。そういう時間を灯に二回ずつぐらい重ねて、これからする疲労は感じない。
2022 8/18
* 「湖の本 159」初校が、やっと出た。取り組んで、気を励ましている。いきおい、続く「160」へも鞭を入れて行く。
* もう、幸か不幸か国内外の政治動向に、関心はあっても、それへ「もの申す」前に残年をはかりながら、して置きたい、し残している、ことに「思い」を向けたい。所詮人とももう会いも出逢いもしまい。私自身へ帰って行く道のりを推し測りなが、出来ることをしておきたい。話しかけてくれる人とは機嫌良く話し、しかし、もう私から話しかけることは無くなって行くと思う。
今度の「湖の本」巻頭には「花筺」を置いた。気散じに摘み置いたあえかな花、草花たちを筺に入れたまで、そんなは無数にりそう。もうおしゃべりの元気は遺っていない、ひとりごとのように「花筺」に、たとえ花びらに過ぎずとも拾い摘って上げようと思う。
2022 8/19
* 一巻分の「初校」という用事が加わったので、今日は寝入りもせず、仕事を右に左に、少しでもカタをつけていた。右顧も左眄もならない、すべきをし続けるだけ。テレビも見ていない。
* 記憶を徐々に喪失して行くらしい気配を覚える、今日は。用意在るべし。
2022 8/20
* せいぜい米の飯だけでもと梅で細く海苔巻きにして貰ったりし、心持ち体重かリバウンドしているか。仕事の状況は、ザワザワといろんなものが轡をならべている。こういう状態は落ち着かないもの、うまく抑え静めながらなることから始末を付けて行くしか無い。焦れてはいけない。
* 「湖の本 159」の初校を終え、表紙他のツキモノ入稿用意も出来た。見開き分の「あとがき」が書けたら送り返せる。
2022 8/21
〇 鴉、最悪の疲労困憊と。鳶は泣きます。
食べてください。痩せないで。栄養剤、点滴も考えて。
わたしは孫の発熱にこの一週間余安らいでいませんが、頑張っています。
どうぞ元気を出して。
* 少しずつ少しずつと。
幸いに「湖の本159」要再校ゲラも明日朝には郵送できるまで用意し、暫く避けていた酒も解禁。ま、避けていた方がよいのだろうが。
一つには上下に歯がない。食には大きな障り、だが安易には電車とバスとで歯科へ通えない。コロナは、なんら下火ではないのだから。
へとへとの「へと」という実感が初めてもてたよ、幸か不幸か。
2022 8/21
〇 平家物語 三巻(新潮社刊)等 頂戴致しました。
ならびに「湖の本 能の平家物語」も ありがとうございます。
早速ご本選定から荷造り郵送手続きと、迪子様にも、ご厄介をおかけしました。
感謝申し上げます。
秦様のご厚意にこたえるように最速の配達でした。
楽しませていただきます。先ずは「大原御幸」からと。
どうぞお疲れが出ませぬように。お体のご回復を祈っています。 持田 晴美
* まっさきに おしまいの「大原御幸から」がおもしろい。謡曲のお稽古がそれへ懸かっているのだろう。八十六歳のお勉強に期待しよう。
2022 8/22
* 夕食後 十九歳高橋貞樹の力編『被差別部落一千年史』岩波文庫を読み、『参考源平盛衰記』で嫡子重盛が父清盛をコンコン諫めることばに聴き入り、暑気の加わるのを感じて冷房を増しておいて寝入った。これが日々の疲労を凌ぐのに一等愉しくもラクな方途と思う。
創作の頁を充たせば「湖の本 160」入稿出来る。
2022 8/27
* 午前中に届くと連絡のあった「湖 159」再校出分が午後二時過ぎても届かない。前例の無いことで案じている。
2022 9/2
* 「湖 159」 再校ゲラ届く。責了、刊行そして発送。入稿のもう済んでいる「湖 160」の初校出も追ってくる。忙しい秋になる。体力、気力。暮れの冬至には、「やそろく」爺が「やそしち」翁に成る。やれやれ、油断成るまいぞ。
2022 9/2
* 日々「私語の刻」の外への電送を断念、というより自身に対しても中止した、ということは、もう私からは強いて外界への折衝や伝達・電送はやめたということ。『湖の本』刊行が続くあいだは、時期がすこし遅れてずれるけれども、きちんと手の入った「私語」「日録」は読者には従來のままお届けできる。メールというのも、戴いた方には有難く喜んでお返事するが、私から不断に送り届けることも、ま、控え控え過ごすように成って行くだろう。「やそろく」「やそしち」「やそはち」 まあそんなにも行くまいよ思っている。からださえ動くなら、お金を使ってでもこれまで慎しんできた娯しみ楽しみが味わえるといいのだか、こうよろよろとしててはお笑い草も生えまいよ。
2022 9/2
〇 出版社から、「修正箇所が全体的、かつ多くあり、六校を出して確認する必要があると考えます。」と連絡がありました。
九月下旬からの後期が始まる前に帰省が出来ればとも思っておりましたが、もう一頑張りいたします。
今日は、少し涼しかったですね。
やそろく様、例年になく厳しかった夏の疲れが出ませんように。 澤
* 有難う。
この短文に「が」という濁音が六ヶ所も。
文章の印象を「雑に汚く」するのは、こういう「濁音」の「無神経な多用」 すこし心すれば避けうること。
川端先生の研究家なら、たとえメールにしても、自身の文も清明に美しくと常に心していて欲しいナ。
一流の批評・研究者は一流の文章を読ませましたよ。 やそろく翁
* 私自身及ばぬことながら、この「私語の刻」では「推敲」を考慮していると、いつか書いている。推敲もまこと勉強のうち、此処に書き放した雑文も「湖の本」へ移すときは気を入れて手直しているつもり。
2022 9/3
* 辛うじて、「湖 159」再校分 前半の末尾に25行の短文を組み入れてと、メールした。メールが届くのかも、なにやら危なしく手、不安です。が、ともあれ、昨日来の苦心の結果。届いて欲しい。
* 疲れました、ほとほと。しか前進したので、いよいよ次の発送という力仕事の用意にも取り組まねば、そして創作の二、三も、じりじりと。今日は早起きだった、午前を永く使って、とても早じまいとは行かぬが、午睡時間が取れるようにと気遣っている。「読書」は楽しみでり、且つアタマの体操の意味合いも。せいぜい映画も観るように。佳いこと好いこと、楽しむことは「クスリ」と。
2022 9/4
* 一日中 雨音の間断する天気だが。仕事は、あれこれと捗っていて、明日にも一゜いじぶんの追加初校分が届けば、「湖の本 159」の責了は目前、へ、そして刊行・発送へ進む見通し。「160」の入稿へも、今分大きな支障は見当たってない、巻頭への創作原稿を「ハキと用意」出来れば、即、進む。その先へは急ぐこと無く、創作へしかと落ち着いて振り向きたい。
* あす、一頁分追加の校正刷りが届いて、問題なければ、「湖の本 159」責了に出来る。
疲れ果てているが、たゆみ無く今日も仕事を進め続けてきた。七時半をまわったところ。もう今晩は本を読んで寝てしまおうか。なにか、テレビにいい映画があるか。ねめに越したことは無いか.読むならば『悪霊』が呼んでいる。なに躊躇いなく惹かれて行く。「源氏物語」はことに惹かれる若紫がめでたい『紅葉賀』の巻に色好みの老典侍が登場する。小説「ある雲隠れ考」を書いた昔が懐かしい。『参考源平盛衰記』は哀れ鹿ヶ谷の謀議で清盛に憎まれた大納言成親が死出の旅路とも気づかず配所へ追いやられて行く。
2022 9/7
* 「湖の本 159 花筺 魚潜在淵」 午前に、責了。
2022 9/8
* 吉永小百合と電車の座席で隣合うた夢を観た、か。吉永さんとは、俳優座のパーティや、映画『細雪』撮影の現場で 話している。もっと以前、小説『慈子』や『蝶の皿』を発表した頃、彼女がラジオて触れて話していたと人に聞いたことも有った。
2022 9/9
* 逼ってくる「湖の本」新刊発送の、封筒に贈呈印と住所印とを捺し続けている、これが存外の力仕事。次は、謹呈・贈呈さきの宛名を貼り付けねば。其処まで為遂げておかねば発送作業がモタモタする。が、ハテ。もう何回この先繰り返せるだろう。少なくも、ホームページを堅固に作り立てて、そこから「作」「私語」が発進出来る手立てをしておかないと、ただの「私用・私語」に留まってしまう。以前の、消え失せているホームページの回復が成らないモノか、とても私の手に負えないが。
2022 9/10
* 仲秋の名月の今日(=昨日)一年ぶりに帰省いたしました。
曇り空で満月の見えないのは残念ですけれど。
秋の虫が鳴きしきってます。
再来週から、後期の授業。
(博士単著の=)念々校は来週初め こちらに届く予定、来月の刊行を目指します。
もうしばらく、お待ちくださいませ。夏のお疲れも早く取れますように。 澤
* 仲秋の名月の今日(=昨日)一年ぶりに帰省いたしました。
曇り空で満月の見えないのは残念ですけれど。
秋の虫が鳴きしきってます。
再来週から、後期の授業。
(博士単著の=)念々校は来週初め こちらに届く予定、来月の刊行を目指します。
もうしばらく、お待ちくださいませ。夏のお疲れも早く取れますように。 澤
* 初の著書。「念々校」という気の入れ方、わかる。よく、わかる。
私は、堅い出版社で、十五年半も永く編集製作者として 医学研究書を、人も驚くほど数多く仕上げてきた。本を創る手順も技術も十分持っていたから、出版社と付き合うより以前から、自身の著作を私家版本に創るのに、何の躊躇いもなかった、お金はかかったけれど。新進の一作家として筑摩書房からの初の小説集、初の評論集を相次いで出すまでに、私、私家版本を少なくも四冊創っていた、その一冊『齋王譜』が円地文子らにより新潮社へもたらされ、次の『清経入水』表題作が小林秀雄や中村光夫の推薦で筑摩書房の第五回太宰治文学賞に推されていて、受賞の知らせが突として一九六九桜桃忌の晩にわが家へ電報でもたらされた。留守居の妻は驚いた。私は会社の労使紛争で、一管理職として社に居残っていた。賞に応募していたたわけで無く、そんな賞の存在すら私は知らなかった。
そして、やがて筑摩書房から初の小説集『秘色』、初の評論集『花と風』が出版された、一気に大勢の先輩諸氏とのお付き合いが出来た。瀧井孝作、永井龍男は小説『廬山』をいち早く芥川賞候補に推して下さった。
太宰賞から半世紀の余も過ぎてきた。私は浩瀚の『撰集三十三巻』を創り、「秦恒平・湖の本」刊行は百六十巻を目前にしている。
* 瀧井孝作先生も、荻原井泉水先生も、「起一生二」と私のために書いて下さった。 一、起こせば、二、生まれる、と。
「澤」さん、入念の「起一」を祝し「生二」を期待する。
2022 9/11
* 脚痛 ゆるんで欲しい。痛みを堪えて素直な言葉を生むのは容易でない。終始、眠気が兆している。寝れるなら今のうちに眠りたいが。もうやがて、「湖の本 160」初校が来るか、「湖の本 159」がで基本で納品されよう、すると送本という力仕事になる。乗り切るのは相当苦痛になろう。わが働き盛りは今も私の背を押しているが。
2022 9/20
〇 温泉なら、
10月中でしたら、ぼくが車で送迎して、ご案内できますよ。
秩父でも、箱根でも、一番近くだと深大寺にも温泉がありますね。
草津も、関越自動車道に乗ればそんなに遠くないですよ。
10/31から舞台の稽古なので、それまでなら日程の調整できるかも。
本当に行くのでしたらご相談ください。猫も 一泊二日程度なら余裕で留守番できますし。 建日子
* 不調のまま、ほとんど寝入っていて。
建日子に感謝。「湖の本 161」の納品と、発送とがまだいつと決まらない、多分よほど遅くも十月早々と待機しているが、事前連絡、未だ受けていない。それが、せめて済んで欲しい、が、重い本包みを「荷づくり」して「かためて」持ち運べるか、脚腰の回復をぜひにと待つ。右脚の痛みこしは和らいだようでも執拗に時に衝き刺すように膝上のふとももで痛み続け、横になるしかなく。
* 寝て治りを待つばかり。
2022 9/21
* 右脚は、すこし冷えるだけで痛みがきつい。28度にも暖房している。が、寝に行く。出来本の納品がなるべく遅いといいがと、滅多にない事を願ったりする。
2022 9/21
* さらに「老耄」の証し、昨日出てきた「湖の本 160」初校ゲラの主要部と全く同じ内容を現に次の「湖の本 161」入稿する気で、原稿読みと整理とを続けていたことが判明、曾て無い信じがたい「錯誤」。途中ながら、発見できて好かった。ヒヤッとする。「年貢のおさめ時」なのかなあ。
2022 9/22
* 五時、四十五分。仕事は、創作、校正、刊行、発送用意等、まさに山積。疲労は疲労、乗り切って行くしか無く、ここ数十年、そう暮らしてきた。
「マ・ア」ズの微かな寝息がしている背後のソファで。
2022 9/24
* 映画『ダ・ビンチコード』を見・聴きながら、残っていた発送ようの宛名カードを封筒に凡て貼り込んだ。これで、「湖の本 159」納品されても待ち構えて送り出せる。
2022 9/24
* 近年最悪の体調、容易に健やかに晴れそうに無い。気も滅入っている。それでも横になりーったまま、「湖の本 160」初校したり、『悪霊』や「源氏物語」や『ホビットの冒険』や『水滸伝』をよみついで、その間は息苦しい体調からやや遁れられている。 2022 9/26
* 不快な痛みが広がらないようにと願っている。なんとか、近所を歩いてみたい。寝たきりになるのは困る。
* 当面の用意は。
① 「湖の本 160」の あとがき 表紙 後付け の 入稿と全紙「要再校」の戻し ② 「湖の本 161」 入稿手順の認識と用意と ③ 継続那珂の「創作」各種の前進
2022 9/27
* 十月四日に次の「湖の本 160」納品と知らせがあった。それまでに済ませておく手順と用意とを 明日にも確認し片付けておきたい。
2022 9/29
* 体違和、異様に負担。器具に問題が測ってみた血糖値が「286」「260」とかつてない数値、おそらくは器具の電池きれであつたろ、が、右脚、右腕の発疹痛みは増していて、しかも空腹感。
仕方なく昼前には、巻物の寿司飯を注文し少し食してみた。頭痛とか動悸とか腹痛等の違和はなく、ただ疲労感のまま、卓越の戰争映画、グレゴリー・ペック、アンソニイ・クイン、レスリー・シャロンらの『ナバロンの要塞』、一分一厘のたるみ・ゆるみもない映像の緊迫を楽しんで、あと寝入っていたかが、四肢ことに右半身の不快にめざめたが、血糖値は「107」と危険区域は脱していた。推量までのことだが、わたしは、右脚、右腕を中原の帯状疱疹も疑っている、が、通例見聞のそれに比べては「痛い」感はすくなく「痒い」感が局部的に強い。医師の診断をもとめに病院へ通う体力も気力もなくて堪えて居。堪えながらこんな記録も出来ている。これよりの悪化の進まないのをねがうばかり。きょうで、長月尽、十月四日からは「発送」になる、そのまえに『湖 159』の「要再校」戻し 「表紙・あとづけ、あとがき」入稿を 終えておきたいが。すると気はすこし軽くなるが。体違和が異様に悪化しないことを願うのみ。集中の気力が衰えてしまいませんように。
* 湖の本 160「表紙」「あとづけ」入稿分用意した。今回は「あとがき」一頁分だけ。今夜うちにも書いてしまう気。
思い切って晩の食事前後に入浴してみるか。いま、六時。
* 風邪こそ引かなかったが、入浴でまた疲れた。十一時も過ぎた。寝入ろう。
「あとがき」は 明朝の仕事。
2022 9/30
あとがき
きつい残暑だった。疲労と病いに沈み、心励ますなにも得られずまた月が革まった。
神無しといはでめざめて為すすべも忘るるままに腹すかしをり
誰がうへと想ひもなくにけふの日のやすくといはふ神無月かや
撮ったという色んな写真を、若い友らが盛んに送ってくれる。遊楽、団欒、佳景。
わたくしは、若い彼れらが、この「今」に迸る「明日」への「ことば・言葉・発言」を聴きたい。老いの野暮か。そう思い、ふと口噤めよと自身を𠮟ってしまう。「人にも理を見ようと思わなくなる時は、もう自身にも理はない」とラ・ロシュフコーは嗤うが。
止まるを知って定まるあり 定まって而るのち能く静まり、静まってのち能く安けく、安けくしてこそ能く慮り、能く慮ってこそ、能く「得る」ぞ。 大学(孔子)
斯く「現代」もありうるか。、ただ「古代」の異習に過ぎぬのか。
* 「湖の本」160 「あとがき」原稿電送入稿し、「要再校・本紙」「表紙・あとづけ」入稿原稿を宅急便で全部送り終えた。「159」刷りだし分届き、本体納品は十月四日と。ほぼ三日分をやや休憩気味に、発送心用意が出来る。これは助かる。しんどかったが、九月、めイッパイ頑張った。疲れた。
* アタマのボケ進行し、ことに数字での順番を間違える。「再校出」をまつのは「湖の本 160」 入稿の用意すべきは「161」。
よく覚えていないと原稿の行方が混乱する。
2022 10/1
* 今朝のうちに「湖の本 159」納品になる、直ちに発送の作業。夫婦の体力に鑑み、作業を急ぐことは避ける。
2022 10/4
* 『湖の本 159 花筺はなかたみ 魚潜在淵』 納品され、すぐに発送にかかる、が、二人の疲労を考え七、八分がた作業で今日は終えた。また、明日。明後日にも延びるか。本の仕上がり、気に入っている。が。疲れた。
「アストリットとラファエル」とかいう連続ドラマの録画を「見・聞き」しながら送り作業していた。おもしろく良くつくられたドラマで感心していた。
2022 10/4
* さ.今日も出来るだけの力仕事で新刊の『花筺 はなかたみ 魚潜在淵』を送り出し続けよう。総題の美しいせいか、なにとなく愛着の一冊。
2022 10/5
〇”九月の”メールをいただき 本当に有難うございます ”三日間の小憩”をどうされたのか考えてみましたがわかりません ちばのそれとは大違いだと気づき なさけない頭をボカボカしております
漢文は高校で少しだけ付き合ったのをおぼえています
「大学」: 詩云、緡蛮黄鳥、止于丘隅。子曰、於止、知其所止。可以人而不如鳥乎
意味を解説されても実践ならずお恥ずかしい限りです
『渚にて』見てみたいです
人間はなぜこんなになってしまったのでしょうか
視力低下 テレビ画面がぼやけてきました
パソコンの機械も通信もアウト寸前です(コロナからいまだに対応できていません)
コロナまだまだくれぐれもお気をつけください
どうかお大切にしてください 千葉 勝田e-old 拝
* お互いe-old で出遭って、久しく仲良くして戴いている。「友」という感覚での交際の少ない少年だった。口にはしないが好きかどうかで人と出会いまた離れてきた。しあわせなことに、『湖の本』や仕事のお蔭で作家として歩み始めて以降、「友」に多く恵まれ親しみ続けている。これは頑なな私の進歩と謂うもので在ったろう.勝田さん然り。懐かしいといつも思う友、またe-old が、男性女性とも人に、近年は羨まれるほど多くなった。しみじみそれを有難いと思う。
* 午後三時、な、なんという能率 老夫婦協力し、「湖の本 159 花筺・魚潜在淵」の「全発送」を終えたよ。これ、スゴイよ。感謝感謝。
すこし休憩できる。
2022 10/5
* 此の四日、五日のうちに発送した呈上本の、到着を告げるメールが、まだ、ゼロというのが不審、どうやら宅急便からの発送が遅滞していたらしいと。
思うように事は運ばない、と謂うこと。やれやれ。
〇 秦先生 「湖の本」159 嬉しく拝受いたしました。
ありがとうございました。
端正な宛書の文字にしばしみとれました。
先生の勢いのあるお手とは また異なる味わいの美しさですね。
急な寒さ、どうかくれぐれもお体ご自愛くださいませ、先生も奥様も。
キュ-バ危機以来、とのバイデン大統領の言葉に、いよいよ「渚にて」が近くに、と・・・。 岐阜縣 以都 詩人
* おう。新刊到着のお知らせ、第一着。ありがとう。ペンクラブで仲良く、そして二人ともペンクラブから離れてきた。お元気に、また美しい詩をいろいろ読ませて下さい。
〇秦恒平様 本日、『湖の本』159 花筐 魚潜在淵 を いただきました。いつもながらのご厚情に感謝を申し上げます。熱心に拝見しました。
今年の世界の情況、日本、ご自身の情況考察を交えたご文章に引き込まれ、共感しつつ、忙しいにもかかわらず、ゆっくりと読んでしまいました。
ご自身の葬儀に関するご希望は理解できます。私もそうありたいとは願いますが、他方、キリスト者である私には、礼拝による生者と死者の交わりの時ととしての葬儀を避けることができません。躓きつつ、傷つきつつも、罪の赦しを祈りつつ歩んできた人生が人々に提示されるでしょう。このような人間を生かして下さった主への感謝が人々に伝達されることを願います。キリスト者には死はもっとも私的な事柄であるとともに、公的な意味を持っています。
『花筐』の中の「かなしきものを」が妙に心に残りました。
「ジィドには毒の昏い味がする」。そう思います。毒のない小説は物足りない。「カソリック」は「カトリック」とお書き下さいますよう。
今後も、「体調を維持しつつ、書き続け」て下さいますよう。
聖路加国際病院に出かけなくてよくなったようですね。今後は通院の気疲れが大分違うでしょう。私は幸か不幸か、武蔵野日赤の循環器科の主治医によって体調の変化を見張られています。有り難いことだと思いますが、心電図を取る日には何事もないことを願って、未だに緊張します。先月は無事にパスしました。ちょうど1年前には心臓にステントを入れて、窮地を脱しました。
ご夫妻のご健康をお祈りします。ありがとうございました。 浩 icu名誉教授
* いつもながら、お励まし下さる。ありがとう存じます。
2022 10/7
〇秋冷の候、という挨拶がぴったりくる季節になりました。仙台はきょうも一日中冷たい雨です。
「湖の本」159号、ありがとうございます。秋の夜長、ご本をゆっくり拝読します。
岸田政権は、国葬強行や統一教会問題を抱えながら いつまで持ちこたえられるのでしょう。(居座る気なら、党内に激震級の騒動が起きぬ限り平然と続くでしょうね。 秦)
野党がだらしない上、連合の姿勢もあやふやで、岸田政権がずるずる続くのでしょうか。
(ちっちゃな野党が幾つあっても政権批判や刺激の何の役にも立たず、同士討ちの滑稽劇を演じ続けるだけが「日本国の野党」。もし今、野党「協力」が成るなら、一致して叫ぶべき合言葉は「即時の国会解散…選挙」要求の筈。ケチにシミッタレては仲間割れに嵌まるのが彼等毎度の愚行、自民党はラクラクとタカを括って居れます。バカみたい。 秦)
別件ですが、私たち「共学教育の充実を求める会」では、過日 県教委に「県立高校すべての教職員にジェンダー平等研修を受けさせてほしい」旨の要望書を提出し、併せて宮城県文教警察委員会宛に同趣旨の陳情書を提出しました。要望書の方については、既に県教職員課長や高校教育課長と面談の上、「了解しました。適切に対処します」といういかにもお役所的・官僚答弁をもらいました。
それでは、本当に実施するかどうか怪しいので、県議会でも取り上げてもらうために文教警察委員会にも陳情書を提出した次第です。
文教警察委員会はまだこれからですので、今後の県の動向を注視しているところです。
また、女川原発再稼働阻止の活動や、「改めて国葬問題を検討する」活動などにも参加しています。
私の近況は以上の通りです。 (今日の人間社会には、気がつけば為し成すべき要望や要求は数え切れないほど、有って普通。 それだけに聡明に取捨して幾焦点かに引き絞らねば、要望や要求の段階で「事足れり」のような半端な自己満足を引き摺り、何も達成実現してないと謂ったところへ嵌まり込み兼ねない。市民活動という名目の散漫化しかねない盲点では。 秦 )
秦さまも迪子さまも、いかがお過ごしでしょうか。「湖の本」の荷造り・発送等々でお疲れのことでしょう。寒暖の差が激しい昨今、どうぞお身体をお大切にお過ごし下さい。
仙台: 惠
〇 「湖の本」159をいただきました。ありがとうございます。
秦さんの「体が衰えても意気軒昂」の姿が目に浮かびました。読み終わって中扉を眺めて紅葉狩りの気分のまま、果ては裏茶屋の落ち葉敷く飛石の上を歩く自分がいました。「花筐」のそれぞれの命が色のタペストリーのように甦って息づいていました。外出困難の折から眼福を堪能させていだきました。
「逢ふみのうみ」では、越前から擁されてきた男大迹王(おおど)の音が神世七代の中第五代の「意富斗能地神」(おほとのぢ)を思い出させ、越前出身の野路(のぢ)と結びつく幻想に誘われました。
全編は「まるでフーガの技法で配列」されたかのような高揚と余韻の連続で 今までにない不思議な読後感でした。
秦さんのご勉強、ご努力が私の励みにもなっています。どうぞ更なるご健筆を楽しみにいたしております。 野路
* 今回「湖の本 159 花筺 魚潜在淵」の前半は、よほど凝って創っていて、ダイジョブかな、通るかなと気に懸けていた。並木さんや野路さんほどの読み手に、ま、認めて貰えたらしく、ほっと息をついた。女の気持ちで女の言葉を、話し言葉や書き言葉を「創る」のは、むくつけき老耄の悪趣味かとも思うけれど、易しくはないのです。
* 到頭 間に合わず、一日先に井口さんのお手紙を戴いた。きっとこの夏場、お互いにしんどいことだろう、お手紙差し上げたいと思いつつ、新刊の本が先に届けばとガンバッた、が、一日違いで先にお手紙が届いた。やはり、よほど日々のご苦労が増しているようで胸が痛んだ。思えば、私の今夏も散々の疲弊・困憊であった、当分はまだ治まるまいと疲労感の重さを、これ一身で手に受けている。
* いまも保ちきれぬまま正午を挟んで二時前まで寝入っていた。妻の従弟の濱敏夫さんから届いた葉書が、名にしおう大観の富士、もう蒙の白雲から突と顕れた黒い霊峰富士の頂容、素晴らしいのに見入って、俯きがちな思いを励ましている。佳いものは佳いなあとと嬉しい。
* それにしても、なんと苦痛にけだるく力無いのだろう、夕食のすきやきも一片として食せなかった。青い紙に▼に包んだチース片を一つだけ食した。甘酒を少量呈されたが、吐き気がした。いま、七時過ぎ。せめて、ぐっすり寝入りたい。横になり、せめての「読書」だけがクスリめいて効く、か。
井口さんに返信したいが原稿用紙に手書きの根気がない。
「ホンヤラ堂」が写真集を。小さい頃の「恒」「猛」そして「北澤の兄の顔」も出ていたが。兄も、甥の猛までもすでに「自死して」此の世にいない。「そっちから、呼ばないで呉れよ もーいいかい などと」「まあだだよ」「まあだだよ」 だが、なんという疲労困憊の「グタグタ」か。
2022 10/8
〇 十三夜
秦さま 昨夜は、夜空も晴れ渡ってとっても綺麗な十三夜の月を見ることができました。
芋名月とも豆名月ともいうようですが、わが家ではいつも栗のお菓子をいただいています。
早速のご親切なコメント・ご助言、ありがとうございます。
特に「要望や要求の段階で「事足れり」のような半端な自己満足を引き摺り、何も達成実現してないと謂ったところへ嵌まり込み兼ねない。市民活動という名目の散漫化しかねない盲点では。」とのご指摘、いつも私たちが気にかけていることで、身に沁みます。これからも半端な自己満足に陥らないよう、一層頑張らなければ・・・と思います。
継続は力なり、を信じて粘り強く根気よく、しっかり結果・成果が得られるまで。
「野党と市民の共闘」については、私たち市民はガッカリさせられることばかりです。最終的な目標は同じハズですのに、共産党と一緒には共闘できないとか、何とか小異にこだわってなかなかうまくいきません。「安保法制廃止」の時に「市民と野党の共闘」体制を作った頃は、それでも一応上手くいっていたのですが。
その後、野党同士がギクシャクして、私たち市民はいらいらしているところです。そんなこんなで「市民と野党の共闘」は、もう崩れかけています。小異を捨てて大同につく、というのがこんなにも難しいものなのですね。
愚痴ばかりのメールで申し訳ありません。
私は、今から「湖の本」を楽しんで心安らかに就寝します。
夜はやはりすっかり寒くなりました。暖房がほしい季節ですね。
秦さま、迪子さまも お風邪など召しませんようお大切に。 仙台 恵子
* 人間がせいぜい強い弱い程度の分別で固まっていた太古はともかく、今は、バベルの塔が崩壊のまま、万人いれば「万」の別種の欲に駆られた自己主張で人間が混在している。 まず、どうしようも、ない。神はためらわれず「方舟」の世を心聡い少数のために爲し與えたまえ。
〇 みづうみ、お元気ですか。
昨日、159巻を無事に頂戴いたしました。ありがとうございます。毎回頂戴するばかりで、本当によろしいのでしょうか。申しわけない気持ちです。『花筐』読みたかったのです。繰り返し読むことで少しでもご恩返しになるとよいのですが。
たまたま、みづうみの「九月の私語」のなかで、ご自宅の大量の荷物等をどうするかという話題を拝読。
家財処分で全部廃棄などは絶対おやめくださいますように。
これは身勝手な読者わたくしの提案ですが、将来、建日子さんに、ご自宅を「秦恒平」文学館・文学資料館として保存、活用していただきたいと思います。
書斎もそのまま、蔵書も、可能なかぎりそのままです。本に埋もれてつぶれそうなお部屋があるとしたら、本好きはアドレナリン全開で胸がキュンとします。
谷崎松子夫人の見事な巻紙のお手紙なども是非展示していただきたいと思いますし(管理が大変と思われましたら、近代文学館に寄贈なさるという方法も。文学史的価値ある資料でございましょう)。
もし「湖の本」にまだ在庫などございましたら、来館者にも販売する場所にしていただけると嬉しいです。
大真面目に実現を願っていますので、どうかお笑いになりませんように。
急に肌寒くなりましたが、身体がまだ暑さの記憶を残していますので変な調子です。お風邪など召されませんように。 秋は ゆふぐれ
* わが家は、家屋にして「二軒」が左右に繋がっていて、隣家を買い取った西の家の階下は「湖の本」在庫で埋もれている。二階は使用しないでいる。是を取り毀し、現状をほぼ遺したままの東の家に西の家を繋ぐように簡素で堅固な洋風の建物が建たないかと、夢は観ていた。上記メールでの提案にほぼ一致している、但し建日子に任せられるかどうか。ありたけの蓄えをはたいても、これは私生涯の仕上げと思ってきたが、この今にも千切れそうな生命力・不健康ではと、残念至極。設計なら、東工大建築出の現役バリバリが力を貸してくれるだろうに、時機、既に遅いか。
〇 一昨日、御本が届きました。
今日は、娘の用事で京都に来ています。
東福寺北側から泉涌寺の方に歩き、来迎院で豊かな時を過ごしました。
昼過ぎから静かな雨です。お身体大切に大切に 尾張の鳶
* うらやましいを超えて、ヒガムほど。東福寺、そして泉涌寺の「来迎院」とは、強烈無比の刺激。『慈子』や「先生」「お利根さん」と過ごした昔が、山なす潮のように私を覆い尽くす。写真が何枚か添うてあるが、こと来迎院や泉涌寺・東福寺と鳴門、踏む足もとの砂利や地面の音やぬくみまで蘇ってくる。「尾張の鳶」はまだまだ元気に京都を飛び回りに行けるのだ、眞実、羨ましい。 想い出させてくれて、有難うよ。
〇 秦 兄 湖の本第159号ありがとう。同年生としてこころから敬意と感謝を表します。何事にもキリがあるので、半端な数字でなく200号を「必達」目標とまでは言いませんが、せめて努力目標にして健筆ねがいます。
同年生が何人、その「達成記念号」の読者として生き残っているか分かりませんが、その一人として精進・節制したいとおもいます。
趣味の音楽も他事にかまけて愉しむ時間がなく、「戦後流行歌史」の作成も数枚のCDで中断のままですが、BGMとしては聴いています。
当時の歌は、名の通り、引揚げ兵の「かえり船」にはじまり、菊池章子の絶唱「星の流れに」など世相を映し人を歌ったものを聴きながら当時をあれこれ思い出しています。
多感な敗戦後新制中学生の頃、ほんとうになつかしい。
(筆者が当時思いを寄せていた)石塚公子のピアノを聴いてみたいが、どこかで元気でいるだろうか。兄の今回の号に石塚をモデルにした短編とあるが、ぜひ読んでみたいものだ。
その石塚から最初にもらった本が シュトルムの短編「みずうみ」だった。いまから思えば石塚が結婚した「コンニャク」こと理科の伊藤先生からのプレゼントだったのでは、と思われてほろ苦い気持ちだが、その時は舞い上がって、この短編を原語のドイツ語で読もうと丸善で買った「対訳本」はボロボロながら未練がましく手もとに残っている。
この齢になって、世直しのために背中が丸くなるまでパソコンの前に四六時中すわっているので家人に嗤われているが、これも一種の呆け予防と心得ています。
お互いに体を労わり人生を全うしましょう。いつもありがとう。 森下辰男
* 佳いメールですねえ、しみじみと「旧友」という温かい熱い実感に包まれている。そして、なんと面白いことも読ませて貰ったなあ、あの「石塚公子」に「貰った本」の目の前最初が、シュトルムの『みづうみ』とは、こりゃどうじゃ。
同じ馬町の京都幼稚園へ毎日バスで通い合った石塚公子とは、吾が「ハタラジオ店」の目の前、幅七メートルも無かった道路のお向かい、長屋を二軒西へ、奥の深い屋根路地門の西真脇の家に育っていた。私からいえばずぶずぶの同い歳、恰好の幼な馴染みだった。対抗心のつよい女の子で、罵詈雑言でケンカもしたし、大声で覚えてる限りの歌など唱い合うて飽きない仲良しでもあった。ただ、あの家にピアノは無かった、のに、同じ弥栄中學に進んでの、他に人のいない大講堂で、独りグランドピアノを、ただ鳴らすのでなく、確かに曲らしく弾いていたのにはビックリ仰天した。
シュトルムの『みつうみ』にも、ま、仰天した、何故かなら私が自分のお金を財布から出し、本を、「岩波文庫」という本を河原町の大きな書店で、二、三度も通い何時間も掛けて「選んで」買ったのが、シュトルム作『みづうみ』であったから。一つにはあの当時「岩波文庫」に独特、背表紙に ☆ が入ってて ☆一つ の本は即ち、当時「十円」を意味していたのである、同じ年の内であっかも知れず間もなくに「十五円」に値上げされたのもよく覚えている、つまり、私・秦恒平は、金「十円也」の岩波文庫一冊を「生まれて初めて」中学生で、自分のお金で、買いました。、「書物を買う」という、生涯初の「ド大変な経験」をしたのだ、忘れもしない、しかもその『みづうみ』の縹渺としたロマンチックにも嬉しく心惹かれた、大いに満足したのだ。むろん記念に値する ☆ ひとつ「十円也」の昔々の岩波文庫『みづうみ』は、現在「やそろく」歳の私の文庫専用書架に保存されて在る。そして、無論とと云うていい、此の『みづうみ』なる、外国人『シュトルム』の筆で書かれた「岩波文庫」という「小説本」を、お向かい同い歳の石塚公子に吹聴し見せびらかしたのも当たり前であった。
その同じシュトルム作『みづうみ』を、京都在の友森下君は石塚公子に「貰っ」て、いまも懐かしく所蔵していると今日のメールに明記されある、何時にとも、状況も知れないけれど、これは「佳いハナシだよ」と驚嘆、「おもしろい」とも感じ入った。「書ける」なと、大いに頷けた、ま、「書きはしない」だろうが。
石塚公子を私が「小説に書いている」とも森下君は触れていた、覚えはあった、が、ハテとすぐは大もなかみも思い出せなかった、が、私の『選集』第十一巻に入ってた『羲(よ)っ子ちゃん』がそれで、これはもう現実の石塚公子とはかけ離れ、放埒なほどのフィクション作であった、ちょっと気をよくしたほど面白くは書けてましたけど。
石塚公子は、森下君のメールにある、当時「(糸)こんにゃく」とあだ名の、若い男先生同士でも生徒にもあまり買われてなかった理科の伊藤先生と「結婚」してたとは、よほど後々に漏れ聞いた、あり得そうな仲じゃわいと思い、それも忘れていた。伊藤先生はのちにどこかの「税関」とやらにお務めともかすかに聞いた、が,何も知らない。
2022 10/9
* 明後日の午前には「湖の本160」再校がが届くと。
2022 10/11
* 「湖の本 159」へ、石川県能美の井口哲郎さん、金澤の松田章一さん、埼玉県川越市の平山城児さん、懇篤の佳いお手紙下さる、有難うございます。明日にも繰り替えして拝読したい。
* まこと、滑稽も滑稽な私の粗忽で、妙齢の作家さんと勘違いして、西国の某縣勤めのエライらしきお方に「湖の本」を送り続けていたのが、お礼のお手紙を初めて戴き判明した。やるんだなあ、こういうトンマを、私は。御免なさい。
* 高麗屋の幸四郎が、師走の歌舞伎座へ誘ってきてくれましたが、いまのコロナのようすと私の体調では。残念、乗れないなあ。なにより歌舞伎座まで通えるだろうか、往復路をタクシーを使うしかないか。
もう一度、街を,銀座、浅草、上野そして博物館など、歩きたいがなあ。
〇 秦様
「湖の本」159号のご恵投、ありがとうございました。早速拝読しております。秦さまの日本古典文学に関するご造詣の深さに改めて敬意をいだき、感心しております。とにかく『源氏物語』を十回の余もお読みになっていることだけでも大変なことと存じます。またお若いころからたゆまず勉強を続けこられたことにも敬意を抱きます。私は筑摩書房時代、酒場通いの悪癖を身につけ、貴重な時間を無駄にしてしまったのを大いにいま悔いております。
マルクス・アウレリアスの『自省録』をお読みになっておられますが、わが愛読書ギッシングの『ヘンリー・ライクロフトの私記』にも登場、いつか読まなければと思っておりましたが、いい機会と思っております。
「ヨブ記」は『旧約聖書』の中で『コへレトの言葉』と並んで私の好きな章で、いまも時どき開きます。私はカトリック教徒ですが、ヨブの持つ信仰の強さはとても持てません。踏み絵をすぐ踏んでしまう人間です。
このほか秦様の御文章を読みながらいろいろのことを教えられ、また楽しんでおります。今後もよろしくご指導のほどを。
ナチの世のタンゴ切なくわが胸に響きてやまぬ深夜の酒亭
喜びも哀しみも淡くただ虚無の拡がる胸よ「薔薇のタンゴ」よ
失ひしもののみ多く人生(ひとよ)朽ち古きタンゴに胸を灼かるる
夜の酒肆に「小雨降る径」鳴りてゐつ湧きては消ゆる一人の記憶
茨城四街道 鋼 生
2022 10/11
* 昨日までのお手紙を読む。
〇 十月六日 能美 井口哲郎さん 前石川近代文学館館長 元小松高校校長先生より
いかがお過ごしでしょうか。お変りないことを願っています。
この所、全く無為な毎日を送っています。ただそれが当り前みたいになっていることに気づいた時,いささか怖い気持になります。
前にもお伝えしたと思いますが、家内の身の不自由さから、家事の負担が毎日の仕事です。この頃、思うことは、毎食の献立の、何と大変なことか、ということです。わけても二人の好みが異なるので、それをどう扱うか苦労します。
隣りに長男夫婦が住んでいますが、いざとなれば,何でも手伝ってくれるものの、長年の別生活で,毎日の「生活」にかかれることは、なかなか無理です。
まだハンドルは執れますので,買物にはことかきませんし、その運転をあやぶんで、娘(車で20 分ほど離れているが)が周一くらいに入浴の補助、日用品の買物,月一度の通院を助けてくれています。娘は、二人の子も巣立って、週に三、四回の仕事に出ている夫と二人暮し。夫の理解もあってうるさいくらい?手伝ってくれています。
九十歳になって、家事まもれになり、それが普通になってしまっているようでも、ふとそんな自分を省ることもあります。
最近の「作家」はあまり知らぬ人ばかり、その文章を読んでも、なんでこんな日本文を書くのだろうと、時宜に遅れている己れを忘れて,思ったりすることがあります。
本棚の目についた「草枕」を読み始めています。少年時に「『おい』と聲を掛けたが返事がないない。」いうところが好きで妙に気に入り漱石のものの中では好きな作品です。何ともとらえどころのない(私には)ところが、きを引きます。
秦さんのお作は、すべて机の横にありますので、それは十分に淋しさをまぎらわせてくれます。しかし、何を読んでも、何か気遅れをしてしまいます。事に向う姿勢の質が違うからだと卑下しています。
ご無沙汰のお詫びと思って筆をとりましたが,内容のない手紙になってしまいました。お二人のご無事を祈っています。
老いぬれば事ぞともなき秋晴れの
日の暮れゆくもをしまれにけり 潤一郎
十月四日 井口哲郎
秦 恒平様
* 泪のこぼれて拭えないお便りであった、親しみ合うてきた何十年もの虚空を想いがはせめぐって、そしてどうかご無事でと心底祈った。ご無沙汰を気にし気にしながら残暑に負けて疲弊の日々にも,もう少し少しでせめて「湖の本」が送れると励んでいた発送の前日か当日かに此のお手紙はいただいた。遅かりしと呻いた。
井口さんのお身近には息子さんや娘さんの温かな目や手が働いている。
私たちはどうなるのだろうと寒けがする。建日子には大事な同居人はいても、私たち両親には頼りに思い願える「嫁」はいない。押村高家の朝日子は数十年音信無い。
もうもう本気で「ケア」の頼めるという人との接触交渉が緊急の必要に成っている。
〇 何もかもむかしの秋のふかきかな 万太郎 (はがき表、住所印の脇へ)
「二月二十一日…秦さんへの手紙投函、二十六日、『湖の本』着」と日記にメモがありました。今回は、手紙は十月六日、『湖の本』は翌七日でした。「私語の刻」の濃い内容に比べて、私の手紙のなんと浅薄なことと毎日の生き方のちがい,頭に溜めたものの質の「ちがい」からくるものでしょう。
娘がいいました。「父は母の世話があるから元気なのだ」と。
秋です。いろんな展覧会が,各所で開かれています。当地ではいずれも観るに価するものばかりです。しかし、本年は出かける気持のうすらいでいるような現状です。お大切に。
(はがき表下に)昨日、今日と寒くエヤコンの「暖房」を押しました。私の日記はこの所ずっとメモばかり。食事(=の爲の)の記事が目立ちます、(本の=)受取まで
(朱印で) 寒露 石川県能美市 井口哲郎
* 井口さんとは「メール」は無い。自筆、それも「秦恒平 用箋」とある原稿用紙を所望され、近年のお手紙はそれで戴き、私もそれで。最も自身手書の指先がジンジン痺れて、うまく書けないのが、苦。私にはなくて成らない心温かな先人である。
〇 「湖の本」159巻を頂きました。ありがとうございます。
九十にしてまだ口にする雛あられ
というのを作りました。なぜかまだ元気で、天気のよい日は自転車をこいで買物にも行っております。
バンクシー楽書をしてもほめられて
女より車の好きなオニイさん
エンジンうならせどこへ行くやら
神主が手順あやまる夏祭
お粗末でした。 令和四年十月七日 平山城児 文藝批評家 元・立教大教授
* やや先輩、怕いほどな批評家だったが。
* 九七歳の文藝批評家 高田芳夫さん九月十五日にご逝去の報。
〇 拝呈 いつも『湖の本』穏恵贈頂き、ありがとうございます。
さてもっと早く気付くべきなのに全く失念していたことがあります。
実は私も月刊紙を作って身辺の友人に発送していました。近々のものをお送りすると倶に、、これからも送らせて頂こうと存じます。 お受け取り頂ければ 誠に幸甚に存じます。 敬具 十月七日 金沢市 松田章一 元・金沢大教授
* いつ頃の「発刊」であったか 12乃至20頁ほどに紙を畳まれた冊子「續左葉子(しょくさようし)通信」を出し始められ,その節すでに数冊戴いた。もう110号にもなっている。一種の文藝日誌である。松田さんとは同歳であったと思う。お元気でと願う。
〇 秦恒平 先生 湖の本159号、「花筐」をご恵贈賜りありがとうございました。
御礼が遅くなりましたことをお詫び申しあげます。
ガン治療薬の副作用で発熱を繰り返しパソコンもあまり触りませんでした。
湖の本158号110頁記載の『薔薇の行方』は、多分ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』と推察しております。この本はぜひご一読をお薦めしたく その理由等々情報提供をと準備していたのですが、上記のような事情で遅れております。追ってご送付いたします。
p.s. 添付写真は、この秋今までになく美しく咲いてくれた キツネノカミソリです。
キツネノカミソリはヒガンバナと同じヒガンバナ属(Lycoris)、早春に葉が伸び出し夏には枯れます。
この葉のかたちををカミソリにたとえたといいますが 余り似ているとは思えません。
秋になると茎だけが突然地上に現れつぼみをつける、この段階では ヒガンバナと見紛う姿です。開花して初めて見分けがつきます。 篠崎仁
* なにからつけ篠崎さんには教わってきた。きれいな風が吹きいるようで心地よく嬉しく。お大事になさって下さい。
2022 10/12
* 四時過ぎに三度目の手洗いに起ち、そのあと、床の内で夢うつつ無く「一つの発想」を揉み揉みし続けていた。創作ではない、いわば方面と時期を限った史料の記録蒐集、出来はするが、大変な労力精力と時間を要するのは知れている。しかし、私なりにもし成れば大事なモノにも成るだろうと。しかし今の私にそんな体力や精力や尽きぬ根気が残っているか、心細い。暫く苦吟、首を捻るか。
* 「湖 160再校」出。 体調宜しからず、苦痛に耐え、凌ぐしかない。目が重い。校正にも、原稿作りにも、手は止めない。十一時。
2022 10/13
〇 『湖の本 159 花筺 魚潜在淵()私語の刻』を拝受いたしました。
必ずし体調万全でいらっしゃらない
秦さんが送り出して下さった花々の種子、発芽をまつもの,既に発芽したもの、蕾のもの、咲きかかったもの! おぼろな視力で期ままにつまみ食い(読み)をさせていただいたい縷と、ていちょうな当方にも元気がでてきます。。
いつもありがとうございます。
コロナの終焉とその末をみたいものです。
どうぞお大切になさって下さい。 二〇二二年十月十日 講談社役員 敬
* 「花筺」へのの私の思いを適確に捕らえて戴けた。感謝。{}
〇 いつもいつも本当にありがとうございます。毎巻 楽しみにしております。「私語の刻」読み終えるのを惜しみつつ、拝読しています。教えられること多々です。
今治(いまばり 愛媛)ではコロナ感染者数がやっと下降に転じてきたようです。早く普通の日常生活にと,思います。不自由な生活、くれぐれもお体 大切に。早々
今治氏波方 木村年考 もと 市立図書館長
〇 常々精進なさってる あなたのこと お元気なこととお喜び申します。そして今回もまた、ご本ありがとうございました。
日課にしている散歩、ここ琵琶湖畔は樹木も秋色に包まれてきて、散策、らくに楽しめるようになりましたよ。年齢相応に躰は弱って来ましたし、右手指が動かしつらく、お箸もペンも使いつらくなり、時には自分に喝を容れている時もありますが。
奥様もお元気でしょうね お二人くれぐれも お体を大事なさって下さいね。
ありがとうございました。 大津市雄琴 水谷葉子 弥栄中学の頃の理科の先生
〇 三日前の暑さが信じられない寒さです。今度は冷え切っています。
場所をかえ 眼鏡を換え 姿勢をかえて 一息に読ませていただきました。青から赤への變化、冬は暖色?
気をつけても切手がまっすぐに貼れなくて、ゴメンナサイ 美沙 美学同窓
〇 寒さのいささか荒っぽい訪れに戸惑っておりますが、今日は娘の手を借り堀ごたつを仕立てるつもりでおります。
秋の夜長をゆっくりと「花筺」を楽しませていただきましょう。豊かな刻をお贈りくださり心よりお礼孟子あげます。かしこ 十日 さいたま市 由紀子
〇 発想のご苦労を思い ただただ痛み入ります。
この五日に 信州大学図書館に恃まれて恥じての講演をしてきました。草稿をつくって行ったのですが長くなり、圧縮に四苦八苦してひたすら棒読みするだけになってしまいました。折角用意した図版も生かせませんでした。
秦さんは講演のときどのように構えていらっしゃるのか、聞いてから準備すべきだったと反省しています。早々 大田区 吉正 評論家
* おもわず笑ってしまった。講演は、話せる要点を個条にちっちゃくメモするだけ、聴衆の顔つきを見るほどの気分で、すこし散漫ぎみに、しかし脱線で時間を食われず話した方がいいのです。
〇 ともあれ、コロナはかからぬのが最良の策、ぜひくれぐれも穏用心下さい。
日本ペンクラブもようやく舊來の姿を取り戻しはじめた様子です。まずは安心できるかと。 御礼まで 不一 詠
* 後段 意味不明、わからない。ペンも協会も とうに無縁の気でいる。回避も払っていない。除名になって、少しも構わない。も
* 東大大学院国文学 早大戸山図書館 三田文学編集部 大東文化大がく日本文学會 皇學館大国文学 等々 『湖の本』受領の来信。
* も少しと思っていたが、疲れきって根気が枯れている。今晩は階下へ降り、おりをみて早く寝てしまいたい。
とりあえず当面の課題は、①「湖の本161」の前半「メイン」に何を樹てるか。『160』が「責了」となる前に発送の前のココロヅモリや注文、そして容易に着手。むろん一に、「創作」の続行。
2022 10/13
〇 秋も少しずつ深まってゆく今頃ですが、如何お須越でしょうか。本日 湖の本159が届きました。いつもながらの精神力に敬服してます。
お会いしたいと、端末を調べましたが,今年六月十四日が最終受診日で,今後の予定がありませんでした。事情はわかりませんが、くれぐれも、どうぞ、御自愛下さい。
中央区明石町 聖路加病院 副院長 憲
* 恐縮です。 院内チャペルの美しい写真ハガキで。
糖尿美容の方は「完治」と解放され、泌尿器科へ啻利尿剤の処方箋を貰うだけの築地までの通院は、心身の負担も大きく、途中コロナ感染被害のおそれもあり、もう行かないときめてしまった。利尿剤は薬局でもお金を払えば買えるので。
しかし林田先生とは逢いたい。妻もお世話になった。わたくしももう何十年ものお付き合いである。
* 文春の元専務さん寺田さんの電話を『悪霊』読みの途中で受けて、数分、ひとりで喋っていた。顔の見えない電話は気を遣ってせいぜい喋ろうと務めてしまう。
* 餅岩波「世界」の高本邦彦さん、神戸市のE-OLD芝田道さん、大阪池田市の陶芸家江口滉さん、国立市の安井恭一さん、妻の従弟濱敏夫さん、二松学舎大図書館、文教大国語研究室、山梨県立文学館館長三枝昂之さん、城西大水田記念図書館とう、のらいしんまた受領来信あり。
2022 10/14
* 今日、思いがけず京山科日岡の渡辺節子さんから「手編み」という翠色毛糸のジャケットが贈られてきた。びっくり、恐縮。弥栄中学の同年、組は三年間とも違って何の接触もない女生徒だったが、たしか別の組で学級委員だったと思うし、わたしは二年生から生徒会を率いていたので「委員会」等では顔は合うていたはず、つづく日吉ヶ丘高校の三年間ではまったく接点も片言を躱した記憶も無くて、今日まで70年、消息だに識らなかった。なにかで往年「同期生の名簿」が送られてきてたのに便乗し、この夏、初めて「湖の本」を送ってみたのへ返信が来た。読んで貰えるのは何よりと、続けて送った、それへのごアイサツであるか、有難う。
前略 湖の本 私にまでお贈り頂き有難う御座居ます。 毎回なつかしい先生や友の名に昔を想い出しています。何故か あの頃の記憶ははっきりとしています。(いまはよく忘れますが
朝晩 冷え込んで参りました。
よい毛糸を見つけましたので 秦さんの御健康を念じながら 編みました。
ひとりで早起き 寒い朝に着て頂けたら嬉しいです。(お気にに召さない折は。ア・マ の寝床に強いて上げて下さい)御笑納下さい。
どうぞ御自愛下さいまして お元気でお過ごし下さいませ。 渡辺
* 弥栄中学の同じ学年で、講堂の大きなピアノの弾けた{二人だけ}の女生徒の一人であったと思う。
* 読者の方々、いろいろに頂戴物を送って下さり、なんのご挨拶も私自身ではしていないが、感謝市いたく恐縮もしている。
それでも「作家」に成り立ての頃、当時名高かった「蝦蟇センセイ」のたってのお薦めで東横女子短大の「おしゃべり」講師としてたか一年間だけ務めた時の女學生、卒業後暫くして故郷広島県の山手へ帰ってった、懐かしい吉原知子さん、土地の名産、色美しく皮まで甘いすばらしい大粒なマスカット幾房もを贈ってきて呉れたのは、ひとしお嬉しかった。まことに愛らしいいい気立ての女学生だった、忘れない。あれから50数年になるが、お互い歳のことは思うまいよ。
* 放送局のディレクターで、何度もお世話になり家族ぐるみ親しかった、今は亡い松井さんの奥さん、瀟洒な画家でもある由紀子夫人から、私の極端な「食足らず」を案じたように、、おうと聲も出たほど精撰された「葛湯」をたくさん頂戴した。感謝感謝。
大阪の久しい読者、河野能子さんからも、選りぬきの、いつも、美味軽妙京の名菓「穏池煎餅」を、嬉しくこの程も頂戴している。 ありがとうございます。
2022 10/15
* それでも、仕事は仕事、読書は読書。ただ、容易に「食べ」られない。赤間の雲丹と、尾張の鳶が京都から送ってくれた「鰊蕎麦」だけを、長い日かずかけ、ありがたく細々と食べ継いできた。俄然、次の「湖の本」の発送と入稿とが近寄ってきている。「湖の本」創刊以来じつに160巻を越えて行く。「湖の本」一巻の「質・量」ともども優に一冊一冊の「単行本」に同じい。つまり、もう目前の「八十七・やそしち」歳に手を掛けながら、昨日も、今日も、明日も秦恒平、「本」を書き続け出版し続けている、ということ。出版社からは、単著・共著あわせ、筑摩書房、新潮社、講談社、文藝春秋、平凡社、中央公論社、放送出版協会、春秋社、淡交社等々から、とうに100冊に余っている。書き殴った一冊も無い。昨今、そんな作家が、いたか。いるか。東京へ駆け出てきて就職した医学書院での編集者体験が、多彩に実を結んでくれた。
2022 10/20
* 本の発送前には、1200枚の封筒にどうしても私の住所印と「謹呈」か「贈呈」印を捺しておかねばならず、これがかなりな力仕事。それも一気に終えて置いた。これに、宛先宛名印刷したシールを貼らねばならず、更にはシールの無い人の住所氏名は手書きしなくては成らない、そこまで用意しておけば、あとはダンボール箱に決めた數ずつ容れ、宅配に「発送」依頼が出来る。そこまでの力仕事は老夫婦にはとても「お手軽」でない。36年前の{創刊}販売の頃にはときに3000部も送り出したことも有り、以來今回が160巻め、「出版」とは「力仕事なり」と感じ入った。ついには「売り買い」の手仕事の煩瑣に嫌気し、いつ頃からか、一切「呈上(贈呈・謹呈)」に替えた。いまさら「お金儲け」しても意味も仕方も無いと。
* 新しい「医師もの」の、大門未知子よりシビアな外国製連続ものを見聞きしながら封筒へ「はんこ捺し」を大方終えた。体痛み、疲れました。
2022 10/21
* 「湖の本 160」責了紙 宅配で送った。装本郵封への住所印・贈呈印も凡て用意出来た。受け先「宛名」の印刷と貼込みも用意して居る。
2022 10/22
〇 今日は ご無沙汰しております
あっと云う間に暗くなってしまう季節になり淋しい気がしております
十月七日 湖の本 159 頂戴いたしました
いつもありがとうございます ご連絡が遅くなり申し訳ございません
花筺 魚潜在淵 読み終りました
いつもぶれない切り口に拍手しております
朝早く起き ご自分でお茶を入れる姿を想像し とてもすごいことだと思い見習いたいです
迪子奥様をだいじになさる先生のやさしさが うらやましいです
体調が万全ではいとおっしゃりながら頑張れるなんてーーー
テレビも新聞も暗い報道が多く気が滅入ります 最近はユーチューブの動画にはまっております
和歌山のパンダ、尾瀬の歩荷さん、三才と七十六才の孫と祖父の会話 九十六才と三十一才の祖父と孫の食事の風景などに元気を頂いてます
まだまだ外出もまヽならず家族以外の方との会話も余り出来ません
車には乗れますが家族に心配掛けたくないので 遠出は出来ません。七十代までは関東のの道の駅巡りを楽しんでおりましたれど 今は近所の買物だけです
二女夫婦と男女の孫が仕事に出掛けると一人です
日増しに寒くなり年を重ねた身体には日常生活も大変ですね
秦先生 奥様におかれましても 呉れぐれも無理をなさらず 自壊の配本を心待ちにしている読者に勇気を与えてください
これからもよろしくお願い申し上げます
令和四年十月十八日 住吉一江 拝 群馬 桐生市
最近郵便物の配達が即手困ります 働き方威嚇も結構ですが どんどん
利用者が少なくなりますね
* 「しみじみ」としたお便りです。感謝
〇 (京都 同志社校内クラーク記念館の色絵葉書に) 拝復 『湖の本159 花筺 魚潜在淵』をご恵送いただき、誠に有難うございました。 私も 里井陸郎先生(『謡曲百選』の著者)に感化されて、謡曲を卒論にとりあげる気でいたのですが、途中から泉鏡花に変更したのです。秦様と似た経緯があって、おもしろく思いました。「筒城宮」跡の碑は、同志社大学京田辺校地の敷地内にありますね。一般の歴史フアンは、受付で申し出なければならない。 戦後京都の写真集、楽しんでいただけたようでうれしく思いました。 まもなく時代祭です。 草々 田中励儀 同志社大名誉教授 国文学
* 懐かしいなあ、同志社。京都。帰りたいなあ、もう一度でいい、帰りたい。
* よく秦さん、なんで京大でなく同志社へ、と聞かれたものだ。あの当時の京都の高校でそこそこの生徒なら、皆が皆、「京大」受験に文字通り血道を上げ、教室の授業よりも「受験勉強」にカンカンだった、だが私は「受験勉強」というバカげたことに大事な青春を費消するのは断然イヤで、むしろ京都の歴史や自然や文化の堪能に時間を割き、茶の湯や短歌や和洋の読書を心底楽しんで過ごした。熱中した。当時「ハタ」が受験して京大を「すべる」と思う友達は一人も無かったろう、中学でも全校試験で首位をゆずったことはなかったし、高校生になって「三年共通試験」をされても、国語や社会科など一年生のころから三年生より上位の成績を取っていた。それでも私は茶道部のために茶室で助勢とたちに点前作法を教えたり、先生方お楽しみの短歌会に生徒の身で呼び込まれていたり、教室に居るより、間近い泉涌寺や東福寺に埋もれているか、市内や郊外の寺社や博物館にいる方が心底好きで気楽だった。のちのちの歌集『少年』や小説『秘色』『みごもりの湖』太宰賞の『清經入水』などはみな此の高校時代そして続く同志社時代に育んでいた。同志社へは「あたりまえ」に推薦され無試験入学したのであり、京都大学二敗って国立感覚に嵌まるのはハナから好まなかった、むろん受験もしなかった。実兄の北澤恒彦は三度筐体受験にすべっていたとか、彼の養家には京大生が下宿していたりして、かぶれて高校生で火炎瓶を投げたりし、有罪判決まで受けていた。「京大」にはその気が有りそうともわたしは横を向いていたのだった。むろん、受ければ良かった、入れば良かったなど後悔などしたことが無い。同じ大學の同じ専攻から妻までも私は得てきたのだ。
* 国文科の田中励儀教授から、時折り戴く「同志社」の写真はがきや、正門から真ん前、広やかな京都御苑淸寂の想い出など、飽かず懐かしい。私、西棟の書斎には、母校正門内の真の正面に立つ校祖新島襄先生の美しくも丈高い碑の言葉を、軸にして掛けてある。
一度は、書き置こうと思っていた「述懐」に時間をかけた。一仕事終えた程の気がする。
2022 10/22
* マゴマゴと奮励、いささかアヤシゲながら「湖の本 161」を入稿、usbで郵送した。なんとか、なってくれよ。
2022 10/28
* 何度目かの映画『ベン・ハー』の出だしに、胸倉を掴まれている。今夜にも、觀おえようかな。曲がりなりに「161」入稿すると、「湖の本 160」三校が届くまで、ポカっと余暇が出来た、嬉しい嬉しい。映画『パリは燃えているか』も善い大作だった。
* 『ベン・ハー』のシーンごとの緊密と華麗な悲劇色に魅され魅され妻と零時前まで観て、「インター・ミッション』明日にしてと 寝て、疲れを取る方に。
2022 10/28
〇 「私語の刻」にございますさまざまな作の一節と秦先生の日常とをつづれ織りされたご文章「花筺」世界に惹き込まれております。そして一向に治まる気配のないウクライナの戦渦へのお言葉をかみしめております。 甲府市 和子拝
〇 先生の作品をゆっくり読ませていただくことを楽しみにしております。本当にありがとうございます。 府中市 誠
2022 10/31
* 「湖の本 160」 三校を、責了 本紙・表紙 全部 午後 宅急便で送った。
納品までに余裕は十分。その間に「読み・書き・読書」の外の「創作」に手が尽くせるだろう、すこし長めの作に集中している。
責了紙を自転車で運べなかった、脚が上がらず向こうのペダルへ脚が届かず ムリすれば転倒したろう。自転車、諦めるか。歩くしかなくなったか。
「湖の本 161」初校出を待つことになる。
それにしても、一九八六年の創刊から、160巻を超えたとは。創刊を支援して戴き凸版印刷株式会社の古城さんを紹介して下さった、のちに文藝春秋専務に成られた寺田英視さんに感謝しきれない。他社の編集者らからは、半ダースと出せまい、作家の敵前逃亡などと面罵も同然に冷笑されたものだ。それからもう36年が経ち、嗤った編集者らはみな消え失せたが、「秦恒平・湖の本」は160巻にも達し、私が健康でさえ在れば、どう老境に達しようと作品や原稿や資金の果てることは無い。常にその「用意」はしてある。
2022 11/2
〇 拝復「湖の本」159 花筺 魚潜財淵」拝受いたしました、厚く御礼申上げます。
このたびも、お送り頂きましてから 机の脇に置き、いつでも時間のあります時に読み進めるようにしております。居間は、先生が「清經入水」ご執筆のきっかけになりました清經の平家物語の中での記述部分を知ることが出来ました。秘められたものへのご興味,そして淋しく命を落とした貴人へのお優しさがくみとれます。
これから(紅書房主として引き受けた)自費出版の寄贈発送の作業をいたしますが、先生の毎回(呈上発送=)毎回の量を知りびっくりです。
ご自愛下さい。ありがとうございました。 紅書房 菊池洋子
* 前半の感想、今にして、かとビッくリした。『清經入水』私家版の「初版」から謂うと半世紀以上になれり、繰り返し版も替えている。
版元に注文依頼しての自費出版希望者の製本は、よほど多くても二、三百。わたくしの「湖の本」呈上本は、少なくも現在1100。一冊と謂えど「売っていない」。
もう「本を売る」など飽きてしまい、ごく初期の「私家版本」時代へ戻っているが、あの頃でも「見かけ」の「定価・頒価」を付けていたが、今は一切なし、間然「無料」の「呈上」である。出納の手間暇掛からなくて済む。そういうことが出来るほど「よく書いて売ってきた」のだ、「よく働いた」と謂うこと。
新婚の日々、何の蓄えも用意も無く、月給、最初三ヶ月11000円の八掛けから生活しはじめた。生活していた。もともと資産があったのでは、全然、無い。ただ働いた、働いた、働いた、のである、ようかるに「読み・書き・読書」を基本に「執筆と創作」とで達してきた。アルバイトも肉体労働も経験が無い。
2022 11/6
* 「三日」程のうちに「湖の本 161」初校出がとどき、「十八日」には「湖の本 160」出来本が納品されて発送仕事になる。忙しくなる。此の後は、一巻ごとに「やめるか」「続けるか」という問答のせめぎ合いになるのだろう、か。
* 一時半。睡く、疲れ果てている。
2022 11/10
〇 『湖の本 一五九』ありがとうございました。
京都の朝夕も冷たくなり これから一等寒い「二月」に向って行くのかと思うと 身が ひきしまってまいります。
今年も残り二ヶ月を切ってしまいました。
大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」もいよいよ大詰を迎えます。
「自在にも 大胆にも 積極的に古典は所有されていいと思うのである」という 先生のお言葉を励みに、古典や歴史を 私なりにいろいろ考えてまいりました。
中国に倣った律令制とは違う 現実に合わせた武家の法制度を作った北条泰時や 朝廷への反旗を促した政子北条氏の居た時代は 私にとっても興味深いものでした。
しかし 殺伐としていて、 そのうえ形を変えながら 今も似たような争いが繰りかえされている、この時代が好きになれません。
「平家物語」では、「それよりしてこそ 平家の子孫は永く絶えにけり」とありますが、貴人に嫁した女性たちが、 その後の有力者を産んでおり、今日の感覚では 子孫断絶とは言えなくなっているようにも思います
暦の上では はや冬となつてしまいました
先生
奥様 どうぞ くれぐれも お身体 大切に
おすごしくださいますように 羽生 淸 京都
秦 恒平 先生
* 京都にかかわって思案することの多い昨今、羽生さんのお便り、深く胸に落ちて懐かしい。
2022 11/10
* やや遅れ、明日には「湖の本161」初校が届く。18日には「160」が納品される。夫婦ともよほど体調をととのえ待機しないと。
2022 11/14
* 「湖の本 161」初校出。すぐ読み始めている。
2022 11/15
* 明日からは新刊「湖の本 160」発送になる。作業を急ぐまいと心する.急げば、二人とも疲れる。「161」初校が順調で、校正自体は興にも終ええなくもない。ただ建頁数を読んで、必要な後書きなど「後付け」原稿は作らねばならない、表紙も入稿せねば。これらは何も急ぐことは無い。新年の刊行で構わないのだから。
* それにしても自身おどろく。この歳になり、どう此の「仕事」が産まれ、育って行くのか。こう「実務付き」で、創作や執筆に日々忙しい八十七歳作家、おられないだろうナ、と。浅ましいのかナ。
2022 1/17
* 疲れは、退かないが。日々の「和歌」読みを、「身に強いて」など、だらけないように気遣っている。だらけてしまえば、もう、とめどなくなろう。とは言え、明日からの「新刊発送」よほど草臥れそう。気を急かすとからだに障る。ゆっくり、と、身を戒める。
2022 11/17
* 新刊「湖の本 160」納品を待って、千数十冊は送り出す、急がず、三日ほども掛けて身の負担にならぬようにと。
* 三時。三分の一近くは発送用意出来ている。休息。明日、明後日で送れれば良し。
* 大相撲、役力士に行かぬ知に寝入り、目覚めて九時半。よく寝たもの、というより、それほど発送に頑張った、疲れたのだろう。
ためらわす、また明日に備えて今夜は「読み」ながら寝入ろうと思う。
2022 11/18
* 「湖の本 160」発送を終えた。手際よく、早く終えた。さすがに、カクッと疲れている。やすみたい。これで、だが年内の力仕事はカタづいた。しんどい仕事を手早く素早く片付け得た。よかった。やすみたい。横になりたい。
2022 11/19
* 昨晩九時過ぎには床に就いて寝入っていた、但しまたしても失敗「利尿薬」と「浮腫どめ」とを寝際に併用してしまい、30分ごとに七八海も手洗いに起きていた。寸断の眠りの間々それでもそも収まって、しかし、五時半には独り起きてしまい、キチンで茶を沸かし、「湖の本 161」の初校をすすめたり、あれをしたり、是をしたりしながら、独り朝食した。
*「私語」を読み返していると、ぽつりぽつりと「うた」が書き込まれていて、それなりの境涯歌、述懐歌になっているのをおもろく自覚した。散逸させないでお香と思った。
* 「海の本 161」初校を終えた、「後書き」「あとづけ」「表紙」を用意し入稿すれば、再校出を「待つ」だけに。
2022 11/20
* 石川の井口哲郎さん、豪快な「山の芋」を六つも送って下さる。摺り下ろして,私、喜んで戴く、感謝。『湖の本 160』届いたろうか。
〇 お元気ですか、みづうみ。
湖の本百六十巻頂戴しました。ありがとうございます。とうとう百六十巻達成、本当におめでとうございます。
昨日は何十年ぶりかの高熱で朦朧とした一日でした。
まさかのコロナです。夫がどこかで感染し、濃厚接触者の私は、ちょうど二日目に症状がでました。二人ともワクチンはきちんと接種していましたが、ワクチンは万能ではないので 何度も罹患するひともいるとか。
今日は微熱に下がっていますが、まだ回復しそうになく疲労感の中を泳ぐように過ごしています。もう恐れるに足らない感染症のようにいわれていますが、とてもしんどい状態になりますので、みづうみは益々お気をつけてお過ごしください。早く元気になって記念の一冊を読ませていただきたいと願っています。
取り急ぎ御礼申し上げます。 秋は、ゆふぐれ
* 用心に用心しつつ用心す
2022 11/22
* 「湖の本 161」にながい「あとがき」を書いた。作家は他の作家をどれほど見知っているだろう。自身の視野をやや別角度から覗き観た。
〇 「湖の本160」をありがとうございます。
あとがきにあった「大学」の理より「静かという美しさ」の煌きの方が 私にはしっくりきました。 都下 野路
* 感謝。
〇 秦先生 湖の本#160 拝受しました。
頁をめくり、日々の活動を根気よく記録されているご様子に触れて、お前も負けずにやらねばと鼓舞されているようです。有難うございました。
ご案内を差し上げました今回の企画展「懐かしく、美しい明治の水彩」展の準備中、18、19の金曜日と土曜でそれまでの画廊展示作品を全て片付けて、代わりに水彩画60点ほどを陳列したのですが、若い頃と同じように全て一人でやり通したことが身体に跳ね返りました。土曜の夜から腰が痛くなり、日曜からは痛みが左足首の方へと移動。夜には寝られない痛みに苛まれました。
そういえば10月に作品の展示替えをした時にも同じようなことを経験していました。
騙しだまして、火曜日の展覧会オープンを迎えましたが、昨日の夜も痛みであまり寝られませんでした。家人からは筋トレをしていないからと諭され、これからは筋肉を鍛えなければと反省しています。
ほとんど客の来ない画廊でパソコンに向ってする仕事はこれまで通りに出来ます。来春発行予定の「星野画廊創業50年史」の原稿もボチボチ準備しています。
そろそろそちらにも今回の展覧会図録が届く頃かと存じます。ご笑覧ください。
奥様にもよろしくお伝えください。 平安神宮前 星野画廊
〇 湖の本 160 花筺はなかたみ2 臨谿而魚 ご恵送賜り誠に有難うございます 160号!おめでとうございます
パソコンで秦さんにお逢い出来て 20号くらいから本棚に並べて喜んでいたのを思い出します。
臨谿而漁 たににのぞんですなどる
中身はそれだけではない筈でむづかしいです
それだけさ と言われそうですがたのしいです
ゆっくり遊んでいたいです
遊んでください
コロナにもインフルエンザにも負けず 元気を出して頑張ります
くれぐれもお大切にされてください 千葉 e-old 勝田拝
* 感謝。
〇 秦恒平様 お元気のご様子で何よりと存じます。昨日、『湖の本160』をいただきました。変わらぬご厚意に感謝します。本日、仕事の前に拝見しました。
多くの方々との交わりの中で、充実したご生活を送っておられることをお慶びします。 秦さんの生活感慨、読者の方々の感想と生活報告ーーコ・サミョン夫人などーーを貴重な報知と受け止めて、感謝しております。
私は毎月、違ったテーマの講演を種々の団体から要求され、講演の原稿化などに追われて、忙しく生活しております。ありがとうございました。平安をお祈りします。
国際キリスト巨大学名誉教授 浩
〇 秦 兄 湖の本・第160巻おめでとう。そしてありがとう。
当方 元気にしています。 近況詳細は改めて後便で。 京・岩倉 辰
〇 秦 恒平 様 「湖(うみ)の本 160 花筐 はなかたみ 2 臨谿而漁」を拝受しました。
コロナ第8波で感染者が増えています。感染力は強いが重症化率は低いと言いますが、高齢者にとっては矢張り脅威です。くれぐれもご自愛のほどを!
令和4年11月23日 勤労感謝の日に 靖夫 拝 (妻の従兄)
〇 メール嬉しく
雨の朝 セントレア空港まで迎えに行って来ました。これから5週間、家族が増え 多忙の日々です。
元気です。安心あれ。鴉こそ、大事に、元気ですごしますように。
改めて書きます。 尾張の鳶
2022 11/23
〇 秦様 お身体の調子がお悪い中の力作、嬉しく拝読させていただいています。
また先日、頂戴いたしました平家物語のご本も少しづつですが、毎日読ませていただいています。注釈の丁寧な本をご選択、ご配慮いただきましたおかげで、身近く読ませていただいています。
謡本にも、気付かされることや、独吟の楽しみも増えました。嬉しく感謝申し上げます。
また先日は新たに、「湖の本」『能の平家物語』を賜りありがとうございました。お稽古仲間の方が、丁寧に読んでくれているようです。
寒暖の差が激しい昨日今日ですが、迪子さま共にお体お大事にお過ごしくださいますように。 持田晴美 妻の親友
* 花筺ご持参で玄関まで見えるというので、私が近所まで出て、路上失礼して帰って戴いた。
◎ コロナが「空気感染」へ大きく移行し、用心をと、報道も知人も知らせているときなので 対話と接触を辞退しました。読者たちの家庭でも、あっという間に家族が全員感染という例が重なってきています。
迪子も私も基礎病変があり、このところ疲労困憊していますので、あえて失礼致しました、お察し下さり、お許し願います。建日子の帰宅も 断っています。
来春までは用心に用心と、警戒しています。
お花筺を有難う御座いました。
くれぐれも慎重を極め日々ご用心下さいますよう。わたくしは「読み・書き・読書」に徹しています。ことに、今こそ「読書の秋」と。
2022 11/24
〇 秦様 お身体の調子がお悪い中の力作、嬉しく拝読させていただいています。
また先日、頂戴いたしました平家物語のご本も少しづつですが、毎日読ませていただいています。注釈の丁寧な本をご選択、ご配慮いただきましたおかげで、身近く読ませていただいています。
謡本にも、気付かされることや、独吟の楽しみも増えました。嬉しく感謝申し上げます。
また先日は新たに、「湖の本」『能の平家物語』を賜りありがとうございました。お稽古仲間の方が、丁寧に読んでくれているようです。
寒暖の差が激しい昨日今日ですが、迪子さま共にお体お大事にお過ごしくださいますように。 持田晴美 妻の親友
* 花筺ご持参で玄関まで見えるというので、私が近所まで出て、路上失礼して帰って戴いた。
◎ コロナが「空気感染」へ大きく移行し、用心をと、報道も知人も知らせているときなので 対話と接触を辞退しました。読者たちの家庭でも、あっという間に家族が全員感染という例が重なってきています。
迪子も私も基礎病変があり、このところ疲労困憊していますので、あえて失礼致しました、お察し下さり、お許し願います。建日子の帰宅も 断っています。
来春までは用心に用心と、警戒しています。
お花筺を有難う御座いました。
くれぐれも慎重を極め日々ご用心下さいますよう。わたくしは「読み・書き・読書」に徹しています。ことに、今こそ「読書の秋」と。
2022 11/24
〇 拝復『湖の本』160 お送り賜り、まことありがとうございました。ずっと頂戴しておりながら、御礼も申し上げず、まことに怠惰の至り、おわび申し上げます。
巻頭近くの秋成にふれた御文章とてもなつかしく拝読し、また私の名も出して頂いているこしに、改めて感謝申し上げます。
思えば、秦さんや高田衛さん等の、熱狂的な秋成贔屓に導かれて、私は秋成研究を進めてきたのでした。感謝あるのみです。
コロナ再燃、どうぞご自愛専一に。 敬具 長島弘明 東京大学名誉教授
〇 拝復『湖の本』160拝受、恐縮に有難うございます。
親父が智恩院に縁が深く(元 仏教大学学長)、私は玉木里千代、里春姉妹健在のころは、いつも如月小路の「玉木」に泊っていました。また京都一中時代の友人が、白川界隈に住んでいた縁もあり、膳所裏にも知った飲み屋がありました。そんなことで,あの辺の地名だけでも懐しく をひろううに拝読しております。
来月一日久々(三ヶ月振り)に京都に参ります。
鳩居堂の娘の一人、元『毎日』今「淡交社」の山男の孫、元京都新聞の文化部長の忘年会で会って帰ります。
一九二六年生まれなので迷惑だけはかけないよう帰りの新幹線に乗るといつもホッとします。ひして小田原で降り、湯本で一服して、東京へ。
古典に親しまれる尊台にに敬服しております。 目白 稲垣 真美 作家
* せいぜい佳い老境をお怪我なくお楽しみありますように。
* 「九十を過ぎましたが、まだまだ元気で、自転車を走らせて買物にもいっております」と評論家の平山城児さん(元・立教大学教授)。お怪我有りませんよう。
〇 早大図書館、水田記念図書館、文教大国語研究室からも「受領」の来信。
2022 11/24
〇 ご無沙汰しております。
昨日「湖の本」受け取りました。ありがとうございます。
ウニ届いててよかった、安心しました。
迪子さんはお元気ですか? お疲れでしょうか。
メイルは通じるのだと気づいて打っています。
先週土曜日に岩田孝一さんより吉岡家主屋の文化財登録のお知らせがありました。こういうとき、おめでとうございます、になるのでしょうか? 嬉しいお知らせですが、維持していかれるのは大変だろうなぁとも思います。
ちょうどその日、ずっと以前に印刷しておいた「生活と意見」を最初からじっくり読み始めたところでした。自分がちっとも勉強していない、何もわかってない、とあらためて感じます。
この夏にようやく「魅せられたる魂」を読んで友人たちにも薦め、いままたゆっくり再読しています。
他には「日本の歴史」第6巻 「能の平家物語」など。並行して読むのは苦手ですが、ときどき試してます。昨日は「風にそよぐ葦」 伊藤野枝集を買いました。
今回のご本、非常なお疲れのご様子ばかり、心配になります。いまは、少しは、快復なさってるでしょうか? 夏に向かうときに食欲のなかったのは相当にお身体にこたえたこととおもいます。
どうぞどうぞ、お薬と思って〜それも辛いでしょうけれど〜お口に入りそうなものは何でも召し上がってみてください。
くれぐれもお大切になさってください。お願いいたします。
迪子さんもどうぞお大事に。
来週から急に寒くなるそうです、お身体に障りませんように。 下関 大庭緑
* 真夜中と信じて寝入っていた。宵の八時だった。私の体感時計は狂っている。ほかにもあれこれ狂っているのだろう。老いを生きるある意味良薬を服しているのかも。
* 十時。もう、やすもう。
2022 11/25
* 「懐かしい先生方」十五人の思い出を書き上げた。こういう手土産を持参して「もういいかい」と天上から誘ってくる人らのもとへ帰って行く気だ。「まあだだよ」
2022 11/26
* このところ 頂戴モノ數有り、恐縮し感謝している。
なにともなく心賑はひためらはで文りがたく品もうれしく
かく老いてやそしち爺と婆の日々を人のおもひに励まされ生くよ
井口哲郎さん・みごとに丸い山芋 水谷葉子先生・とらやの羊羹 持田晴美さん・美しい手籠の盛り花 山本道子さん・帝も召すと聞くクッキー 富士も佐貴子さん・超珍味の鰻生姜 ロス暮らしの池宮千代子さん・京都出来の最中 鳥井きよみさん・静岡の蜜柑八キロも 井上八千代さん・超愛づらかな酒肴「ほたるこ」 大庭緑さん・赤間の雲丹と外郎と
卑しくて謂うのでない、「湖の本」にも「私語の刻」にも共感して下さり私たち老耄の日々懸命を激励してくださるお手紙であり頂き物なのであって、「市井の作家」として今も生き続け得ている「幸せな老い」よと、ただ嬉しいのである。
* 昨日もお便り・お手紙、たくさん、感謝。順序も無く。
大正大名誉教授岩淵宏子さん、大冊の新刊『(パンデミック)とフェミニズム』に副えて。 大學いらいの久しい心友・安川美沙さん、 「湖の本」 「今や、1冊の本以上の存在です。お元気にいらして下さい。(秋)をおとどけ」と、豊かに奥深い諏訪大社本宮の黄葉の写真に。 和歌山御坊市から久しいお一人・井領祥夫さん、ご不自由な手とパソコン300%でよんでいというしりょくとで、大きい原稿用紙に、「老いてますますお元気な文筆活動に励まされていることを一言申し上げ、お礼の言葉とさせて」と。哭く。
大阪池田市の陶芸家江口滉さん、「秦さんに触発されて、中公文庫日本歴史全26巻(古書)をまとめ買いして、本年六月から読みはじめ、今、七冊目鎌倉時代まできました。ほぼ毎月一冊のペースです。まるで小説を読むようにテンポ良く愉快です」と。にこッとなる.。 都下国立市の久しい安井恭一さん、「いくつなっても智の探究をお続けなさっているお姿には、本を頂く度に、かんぷくしております。私もあやかりたいと思っておりますが生来の怠け者、慚愧に堪えません」と。まあ、お気楽に。 奈良明日香の画人烏頭尾精さん、小作の写真葉書何葉も副えられ、「満九〇歳を迎え、残される時の少なさに日々切々の、感です」と。こころして創作する者には共通の感懐と。大和のまほろば殊に明日香の野や星穹を独特のを朦朧体で印象濃く描かれる。松園、松篁、淳之の「松伯美術館」から、また高麗屋松本幸四郎一党の公演案内も。神戸松蔭女子学院大学から受領の来信も。
さびしいことだが、「湖の本」創刊から36年余、久しい身内同然の方の訃報にも接しねば成らない。
2022 11/29
* 十二月 師走 冬至、日の、一年中で一等短い日には、八十七歳 やそしち爺となります。呵々
〇 「湖の本 160」有難うございました。
仙台(「仙台」が、私、好きなのですよ。」とありましたね。)に所用があり、足を伸ばして気仙沼まで出かけていて、お礼申し上げるのが遅くなりました。
復興の港町では、津波がこの高さまで来たといった文字がそこここに刻まれていました。
震災時に孤立した大島との間に橋が掛けられ、景観に配慮された防波堤も作られ、ぽっかりと空き地のまま残された場所もありましたが、歴史的価値のある古い建物が復元される一方で、斬新でお洒落なお店や会社・個人宅も建てられていました。
平日だからなのか、静かな町の青空がとても眩しく思えました。
明日から、はや師走。大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」もいよいよ大詰めですね。
コロナの第八波も心配ですが、どうぞお元気でお誕生日をお迎えください。 晴れ
〇 Re: 秦さん お変わりなく お元気でと願いながら。
メール拝受 尊敬する秦さんから「テルさん、如何」(湖の本160巻 P96)と問われたので、以下なるべく短く拙論を記します。
・ 侵略戦争は引き合わなくなった!!
他国を武力で攻め、領土を拡げ、人民を従わせて莫大な利益を得る、1次代前はこれが帝国主義国の常套手段でした。ところがある時期からこのパラダイムは変化しました。
変化の時期は第2次世界大戦後、平均的な世界の人々の意識が向上した事が大きいと思います。例えばアメリカのベトナム戦争・イラク戦争、アメリカ・ソ連のアフガン戦争、プーチンのウクライナ戦争いずれをとっても自国の兵・被侵略国の兵・人民を殺戮し、国土破壊の限りを尽くしても侵略した国に何の利益ももたらしていない事は明白です。
・ それでも戦争は起こる!!
割に合わない戦争ですが、時代遅れの指導者、行き過ぎたナショナリズム、大儲けを企む軍需産業など好戦勢力にに事欠かない国が戦いを仕掛ける現実を否定することはできません。秦さんの「危ないぞ 危ないぞ」は残念ながらもっともと思います。
仮に侵略戦争を仕掛けられたら当然国を挙げて戦うほかありません。また占領されたら不服従(ゼネラルストライキ・税金不払い・街頭アピールデモなど)が有効な抵抗になると思います。
・ 抑止力について
いま日本はプーチン的侵略に備えて、集団的自衛権・軍事予算の大幅増(5兆円→10兆円)・核兵器の共有化・敵基地攻撃能力の強化などに向かっているようです。
私はこの方向を助長する人たちに対して大変な不安感を抱いています。ずれも日本をまちがった方向に向かわせるものです。
・ 「核兵器禁止条約」について
湖の本160巻 P96の5行目(=氏名あり読み取れず)の氏名は「サーロー節子さん」です。添付「核兵器禁止条約とサーロー節子」をお読みいただければありがたいです。
核保有国とそれに迎合している国以外の大多数の国と国民は核兵器根絶を望んでいます。また国家がある限り存在する紛争(例えば領土問題)の解決手段を戦争に頼らない事を求めています。日本国憲法9条を「表札」や「抱き柱」にしたくありません。人類が存続するための必要な指標だと考えています。
・ 高みの見物ではない
秦兄が「自分の思いを可能な限り言い表し、それに責任持っておられること」はすばらしい事です。「防衛は戦力だけはでない」事も同感です。「この国を守る」人材と総合力・覚悟を日本人が持ち続けることがもっとも大切と思います。
今回秦さんのおかげで自分の考えをまとめられ大変よかったです。
ありがとうございます。お元気で!!
2022・11・30 西村明男 (中・高 親友 前・日立取締役)
* サイコーに嬉しい テルさんの行き届いての表明。胸を鳴らして読み且つ聴いた。
2022 12/1
* 住所録への転写記載も大仕事。亡くなった方も●を付して削除しないので、これはどなただっけという氏名もガンコに保存してあり補充して行き、凄まじい人数。幻のように「人生」が浮かび立つ、人様々の氏名と倶に。
* 私家版本四冊の各まえがき・あとがき を取りそろえ点検。私が、今書いてもおかしくない思惟と表明とがほぼ六十年前に則ち多剤省を受けて「作家」として世に出たより五年前にかなり正格かつ精確に既に書けている。 四冊の私家版本は實にこの五年の内に成っていた。いわば疾走の助走期だったと正確にに判る。とりまとめ老いて意味在りと信じる。
〇 謹啓
冬将軍の足音が近づいて参りました。
『海の本』160号を拝受致しました。毎号壱に有難うございます
表面的で浅い言説の流布する中で、身体感覚の或る深き一語一語に感銘しつつ拝読しております。
私の師導教授だった大岡信先生が 秦様の適確な御批評の言葉をさんびされていたことを思い出しています。
明日の日本海側は吹雪くとか。向寒のみぎり、御健やかな日々でありますよう切にお祈り申し上げます。
日頃の御礼の気持ちを同封致します。送料にも足りないかと思いますが御笑納頂けば幸いです。
また送付先の「新館153号」を削除頂きたくお願い申し上げます。謹白
十一月三十日 明治大学 西山春文 八千代市
* 懐かしい極みの大岡信さんの名まで添うて、有難い極みのお便りを頂戴。感謝。
2022 12/2
* 私家版本」時代四つの「あとがき」を「わが作家人生のまえがき」と字句原文のまま整えた。二十八歳から三十三歳内の四冊ぶんだが、文章文体そして文学への覚悟、きっちり書き置いていてもじどおりに「わが作家人生のまえがき」そのものに書けている。「作家に成っていった人生」でなかった、「作家という自覚ではじめた人生」だった。ちょっと、我ながら喫驚した。編集しはじめた新しい「湖の本 162」巻頭に置いて、「わが作家人生のあとがき」とし用意したい。
2022 12/5
〇 秦 恒平 様
この度、又々嬉しく、「湖の本」160号拝受致しました。
有り難うございます。
ずっと長く書き続けられるその御気力と御筆力には感動、敬服しかありません。
楽しみに 拝読させて頂きます。
取り急ぎ、心からの御礼まで。 半田 久拝 (専攻の先輩)
* 秦さんへ
〇 臨谿而漁 やっと ここまでたどり着きました
醉翁亭記 歐陽修
環滁皆山也。其西南諸峰、林壑尤美。望之蔚然而深秀者、琅琊也。山行六七里、漸聞水聲潺潺、而瀉出於兩峰之間者、釀泉也。峰回路轉、有亭翼然臨於泉上者、醉翁亭也。醉翁亭也。山之僧智仙也。名之者誰。太守自謂也。太守與客來飲於此、飲少輒醉、而年又最高、故自號曰醉翁也。醉翁之意不在酒、在乎山水之間也。山水之樂、得之心而寓之酒也。 若夫日出而林霏開、雲歸而巖穴暝、晦明變化者、山間之朝暮也。野芳發而幽香、佳木秀而繁陰、風霜高潔、水落而石出者、山間之四時也。朝而往、暮而歸、四時之景不同、而樂亦無窮也。 至於負者歌於途、行者休於樹、前者呼、後者應、傴僂提攜、往來而不絕者、滁人遊也。臨谿而漁、谿深而魚肥、釀泉為酒、泉香而酒洌、山肴野蔌、雜然而前陳者、太守宴也。宴酣之樂、非絲非竹、射者中、弈者勝、觥籌交錯、起坐而諠譁者、眾賓歡也、蒼顔白髮、頹然乎其間者、太守醉也。 已而夕陽在山、人影散亂、太守歸而賓客從也。樹林陰翳、鳴聲上下、遊人去而禽鳥樂也。然而禽鳥知山林之樂、而不知人之樂、人知從太守遊而樂、而不知太守之樂其樂也。醉能同其樂、醒能述以文者、太守也。太守謂誰。廬陵歐陽修也。
(私のパソコンのOSはMACマッキントッシュなので秦さんのWINDOUSにうまく伝わるかどうか心配です)(先ずはカナを振ろうと思っているのですがなかなかです)
有亭翼然臨於泉上者、醉翁亭也。写真を見つけました お送りしてみます(どうもパソコン不具合で心配です)
千葉も寒くなりました
コロナ・インフルエンザくれぐれもお気をつけください
転倒(特に”尻もち”)にもご注意ください
少しですが歩行練習をしています 歩ける」というのは大変なことですね 敬白
千葉e-old 勝田拝
* 素晴らしい。感服しました。
2022 12/5
〇 師走に入り、急に寒くなっています。
お元気ですか、みづうみ。咳はのこり、体重は戻らず、なかなか本調子にはなりませんが、しばらくの間の免疫が出来たことを良かったと思うことにします。
コロナで弱っている最中に湖の本第百六十巻をお送りいただき、肌が粟立つような、文学者の物凄い気迫を感じました。とくに最近の「私語の刻」には、みづうみの疲労感、ご体調不良が色濃く流れています。そんななかで本を刊行なさるとは、どれほどの精神力のなせる業でしょう。粛然としました。わたくしは、「読む」ことでほんの少しでもみづうみにお応えできればと、祈るような気持ちでいます。
美味しいものを見つけて、暖かくして、みづうみ八十七歳のお誕生月を楽しんでお過ごしくださいますように。コロナには絶対にNOといいましょう。 冬は、つとめて
〇 拝復『湖の本160花筺2 臨谿而魚』をご恵送いただき、有難うございました。八坂神社石段下の地理をとりあげられた「上田秋成の袋町」がとりわけ興味深く、鏡花「祇園物語」に「膳所裏」の表記があったことを思い出しました。今回その由来を教えていただけ、嬉しく存じます。 草々 田中励儀 (同志社大名誉教授・泉鏡花研究の泰斗)
* 宇治「塔の島の夜明け』の写真ハガキが美しく。
* 各大學からも受領の来信続く。
2022 12/7
〇 秦 先生。
いつもご本をお送りくださり、有難うございます。少しずつですが、読ませていただいております。
また、159号の「魚潜在淵」に弥栄中学美術部の西村先生のことをお書きになっておられたので、その当時のパンのことを想い出して、懐かしい思いで一杯になりました。
私は新門前通りにあった先生のお宅は知りませんが、何故か青いペンキを塗った窓の中に、「マツダランプ」と書かれたものがある光景が記憶に残っております。
それが先生のお宅だったかどうかは不明ですが、その横に細い「ぬけろーじ」があり、新橋通に出ると私の弥栄中学美術部の一年先輩だった堀 泰明氏の家がありました。
先日、堀氏と電話でお話した時に、先生のことを申し上げると、なんでも、先生の小説の挿絵を描いたことがある、とのことで驚きました。
来年は八十路に踏み入ることになるので、コロナの事もありなるべく外出を控えておりますが、中学生の昔にタイムトリップさせていただきました。
なんやかんやとおっしゃりながら、文章を書き、読書もたくさんなさっておられるので、このまま何時までもお元気で、と願っております。 京都 桂 服部正実
* いま、その「抜けろーじ」のことなど書いています。ご近所に「服部さん」という紙函・紙箱など商ってられる服部さん、お餅屋の服部さんがあったように記憶しているのだが。
2022 12/8
〇 アコ、マコ君たちは元保護猫から秦家の「こどもたち」に大出世をしました! 幸せな猫ちゃんズだこと。
大人だけで生活していると、微笑んでやさしい言葉をかけるという機会はなかなかありませんが、猫にかぎらず小さいひとたちがいると、毎日自分が「機嫌のよい人」になれます。幸せとはこういうことかもしれません。
失礼かとも思いましたが、湖の本、目立つ校正ミスと思われるものを忘れないうちにお伝えしておきます。
これまでの湖の本には見られなかった類のミスは、一にも二にもみづうみのご視力の問題かと思います。校正についてはみづうみ以外の方の確認が望ましいと思いますが、難しいでしょうか。
※160巻P7ですが「毎日新紛」夕刊 という記載がございます。調べてみたのですが新紛という媒体はなさそうで毎日新聞のことかと思うのですが、ご確認お願いいたします。
※159巻P145~146 2022 4/21記載、 P147 2022 4/24記載に、まったく同じ文章が重複しています。
再版のときのご参考まで。
お手製の毛布マントは暖かそうですね。くれぐれも足をひっかけて転倒なさいませんように。ところで要介護認定の手続きはなさいましたでしょうか。どうか一日も早く行政の支援をお使いくださいますように。おせっかい丸出しで申しわけありません。
お元気ですか、みづうみ。今日も猫ちゃんズと一緒に楽しい一日をお過ごしくださいますように。 冬は、つとめて
* ホームページを送り出しているとミカを警戒してよく読み返すが、それが不可となっているので、゛れににも即はよまれなないと、さながら「書きとめ」のメモ感覚になっているのですね、「湖の本」へ組み替え編成の折に直せるからと。よろしくない態度ですが。校閲は時には書き起こす以上に神経と時間を要するのを、自身へ勝手な言い訳にしています。
その一方では、「文章』としての精確さも美しさも気にかけ書いてはいるのですが。重複は、困るが、機械と延々組み討ちしているときに、あれこれ露呈するようです。
2022 12/10
* 森詠さん、中川肇さん、神奈川県知事、中野和子さん、梅花女子大図書館、無味側女子大図書館等、「湖の本 160」受領の来信。
中川さんの容態を切に憂慮、平安を切に切に願い祈る。う。
「斎藤茂吉短歌文学賞」事務局より、受賞者「推薦」の依頼あり。
* 「湖の本 162」編成で、ここ数日、たいそうに「時間」組み合っている。
幸いワクチン出の故障は無かった、微かに左肩が凝るか。
2022 12/12
* 凸版印刷株式会社が得手で自信の例年大カレンダーが、「湖の本 161」の再校出と一緒に届いた。年内に責了、新年初の「湖の本」新巻館となろう、そして「湖の本 162の新編成と入稿用意も着々進行してる。仕事と私語の刻とが老境を強いられた私の恰好のクスリになって呉れる。
2022 12/13
〇 「湖の本 160}拝読しました。
厳しさと優しさの共存、目まぐるしいい程 様々な知識満載です。
「自省抄」 美学で学びながらこんなに深く読みもしなかった。
「真っ直ぐに歩む事で神に従う」 ほう ! 、深い言葉。
「辛抱のいい」読書。成る程 。
「風流の愉しめる性と才とを、生み・育ての親に感謝」 大納得です。
「奉安殿」 これも何十年ぶりに聞く言葉、この字を当てるのですか?。毎月8日にはあの扉が開いていて、御真影をこの眼で見てはばちが当たると 極度の緊張で頭を垂れた覚えです。同志社で(幼稚園から大學まで)下から学んだ同級生は「そんなもん 知らんわ」と。
勝手な事を書いてしまいました。
こんなに胸躍る程の感慨を頂いて、本当に心から感謝、有り難う御座い ます。
どうかくれぐれもお元気で。
ずっと書き続けて下さいね。 半田 久 拝 (大學の先輩)
* 感謝します。
2022 12/17
* あきとじゅんさん、井口哲郎さん、濱敏夫さん、白蓮寺さん、常林寺さん。来信。
* 高城由美子さん干し柿など、戴き物がいいろに。な、「湖の本」と「作家/秦」とへ親しんで下さってのこと。有難いことです。
2022 12/19
* 朝七時半 「湖の本 162」を「責了紙」に仕上げた。
八十七歳誕生日の業績となった。
ピレシュのピアノでモーツアルトを静かに聴いている。
2022 12/21
* めったになく、一人で、郵便局ポストへ「湖の本 161」を入れに、杖も忘れてポクポク歩いた。ローソンへも脚をはこんで、握り飯やサンドイッチを気まぐれに買って帰った。美味いものは何もないのだが。「買う」というめったにない事をしてみたまで。 2022 12/21
* 「162」入稿用意を懸命に進め、夕刻、一定の到達を得たが、もう20頁分追加が必要と分かっている。、要検索、検討と承知。
* 宵寝して二時間ほどか。もう休んで良い。メールの交信も無い。
2022 12/24
* 予約の診察を受けに行く。「湖の本 162」入稿便、投函。
2022 12/26
* 書き継ぐべく読み返している小説の新作は、期待と自負とを動員して謂うなら、或いは晩年を光らせる力作になるかもと気が入っている。とはいえ、胸の内の勘定ではやっと半途かとも、とすると、アト道はよほどに険しい。よろけずに踏み分けて行かねば。幸いに正月になる。「湖の本」の作業も今分は印刷所に預けてある、その間を活かさねば。ここへ集中し、シカと想い、シカと書き継ぎたい。
2022 12/30