* こんな、「自作を云う」古い記事が有った、「2021 1/1」とあれば、一昨年「元日」の日記の内にあたる。
『 〇 八時半。ごく フツーの元日を過ごした。「湖(うみ)の本」151書き下ろしの仕上げへ、腰を入れる。 囿 亹 赧 蠹 閔 戄 礮 礟 囮 纔 靚 等々の、ちょっと視線を走らせただけで、こんな、あんまり見ない漢字を機械の底から探し当てては、その読みも振りかなしなくてはならない。秦の道楽だとただ 叱られるかも知れぬ。」
2023 1/2
* 正月三ケ日が過ぎようとして、はや疲労の極にある。なにをしたでもない、小説を読み返して先を窺い、また、年賀状から住所録へと。後者は目疲れがひどいが,必要な仕事。一般教育の教授を退任して、はや四半世紀に逼り、それでも親しい年賀状をくれる卒業生が十人に余るとは。わたしを覚えてて懐かしくも親しくも想っててくれるのだ、かつての私自身にそんな大教室・一般教育の先生は(専攻の三先生のほかに)無かった、年賀状を差し上げ続けもしなかった。「先生」と呼んで今も恋しいほどな方々は、やはり中高校の頃の先生方になる。決して忘れない。
* なぜ、こう疲弊するか。三ケ日が過ぎて行く。過剰なほど、やがて忙しくなって行く。「161」が納品されれば,力仕事の発送。「162」初校出も重なってくる。校正紙ごとは、普通に優先される。「163」の編集も。底荷をしかと罪ながら新鮮な上積みも。創作の進行と脱稿を。しかし、からだを潰せば、みな潰れる。性急に走らぬ事ぞとは思うけれども。
2023 1/3
* 清潔に,置いたモノの寡い書斎がよく褒められていたのを、子供心に覚えていたがる。が、まや私の六疊一間、壁には作り付け元朝名書架は造りつけてあるが、それにしてもナンという華麗とみまがう混雑の賑わいよ。障子も襖も戸袋も原形無くなく張ったり貼ったり継いだりネコにやぶられたり、凄まじい。美しいカレンダーの繪や写真も、お相撲のカレンダーも、気に入りの大ポスターも 必要な翁地図も、いただきものの絵画系美術品も、写真の気に入った郵便葉書も、何デモかでも貼ったり置いたり飾ったりしてあり、それでも、井泉水「花 風」の二大字額も、秋艸道人書の「学規」も潤一郎書「鴛鴦夢園」の超大な南洋大豆殻も、高城富子さんに頂戴した「浄瑠璃寺夜色」の美しい繪も,南山城当尾の父方吉岡本家国指定の有形文化財大写真も、朝日子の石膏顔自像も、沢口靖子大小七枚者写真も、のこりなくそれぞれに所を得て観にくくは衝突していない。白鵬、テルノ藤横綱土俵入りはじめお相撲さんのカレンダーもいきいき貼られてある。
一つには大きな書架に、私の「秦恒平選集」全三十三巻を囲んで多彩に何種もの全集や大事典の満杯なのが音楽っぽく賑やかな「書斎を睥睨」している。とても人サマはお通しならないが、恐がりのわたしも、はおかげで、此の室に何時間、夜通ししていても淋しくない。「湖の本」の全巻もならんでいるし、金原社長の下さった献辞入りの好い写真も、父や母や妻や建日子ややす香の写真も、愛ネコの「ノコ」と浴室で相見ている愛らしい写真も在る。ゴッホ描く「靴」も「阿修羅像」も、懐かしくも亡き龍ちゃんとしか見えない少女画も鼓さんの描き遺して行った風景額も谷崎先生の六代目の向こうを張られた御顔も、ピカソの「平和の鳩」画も、京博倉の「隅寺心経」の麗筆も、むかしむかし妹と愛した梶川道子の中学の修学旅行土産の飾り栞も、みな所を得てこの煩雑に場を占めている。私はえらい人ではない、こういう嬉しい人なのである。誤解しないで欲しい。
2022 1/6
* 体調の不穏は改まっていない。一つには寒い。寒がりなので寒いのがきつい。
手持ちの全部のカメラが使用不可ないし不可能となり、やまやま写真を撮りたいのに撮れない。カメラを買いに行きたいが、不可能なこと、困惑。加えて私にカメラを適宜適確に使用する技能が無いらしいことにも、ことに困惑。小さいカメラの三機がみな、現在使用できないのでは、新しく買ってもダメかなあ、わたしの「機械バカ」が徹してきている。
* その一方 紙くずの山かと惘れていたのを、念のため点検してみると、何十年もむかしの「若書き」の筆で 書き始め、書きさし、書き終えても居る短い小説が、そのままに打ち棄てられていて、一部読み直してみると、これはイケますねという原稿が幾つも現れ出て、ビックリ。こういことも、ある。
「湖の本」よりずっと以前の書きかけや試筆の短編中編だと、文藝誌に持ち込むにはある程度の長さが必要だった。しかし短編には短編なりに味がある。点検しなおそうと想う、「湖の本」に恰好に発表できるのだから。
2023 1/10
〇 秦さん
新年を迎えましたが、お元気でしょうか。連日の寒さは身に応えますが、ありがたい日の光をかみしめて日々を過ごしています。 中・高同窓 元 日立役員
◎ 親愛なる テルさん。
新年になりました。なにとかガンバリたいと願いながら、去年の残暑来の体疲労は加わる一方で、せいぜい努めて遣っていますが、疲弊は加わる一方、やせ細っています。
幸いに私の「読み/書き・読書と創作」の日々は「家の中」で可能ですので、仕事に引き摺って貰うよう努めながら、昨秋来は、奈良・平安交期の左道の怪事件を引き受けた今日現在の異様を書き継いでいます一方、新年には、現代の視野からの「或る往生傳」を日々に今日も書き継いでいます。
「湖の本」新刊も いま二冊並行していて、やがて発送また初校という荷を背負っています。実に疲労困憊の極にいますが、それが私の「残年」と覚悟しています。
小説だけでなく、或いはそっちへ転換しそうでもありますが、私の卒業した「有済」小学校の「有済」とは「如何」を、三條、粟田を含めた「京都」の問題として書き継いでいます。これは、テルさんにも、きっとお考えがあろうかとも。教わりたいことが幾らも在ります。
戴いていた師走初めのメールには、異存や異見はなく、私なりに漠と「世界」を眺めつつ、もはや私には残り少ない「日本」の見聞を、どう咀嚼するか、もう吐き出し吐き捨てて置くかと、思うばかりです。
少なくも今後の「日本」に軍事的緊急に兵事として応じる術など「無い」「あってはならない」「自滅を急ぐだけ」と思っています、だからこそ大事なのは必至・必死の適切を欠いては絶対ならない「外交」の智慧と能力だけしか無い、残っていないと、その点「幕末明治」の日本の志士や元勲たちの聡明な勇気が慕われます。坪谷善四郎という人が明治半ばに著していた、千頁を越す「明治歴史」上下巻には、それはそれは多くを学びました。
武器に、垂れ流しの金を使って戰争に備えるのでなく、金と知恵の一切を、聡明で勇気ある外交と果断、かつ堅実に賢い貿易とで、国土と国民の日本を護り抜いて貰いたい。そう祈るばかりでいます。
テルさん。お元気で。お元気で。若い人を励まして下さい。 秦 恒平
2023 2/11
* 書きかけ、書きさし、それも殆どが「作家」以前ないし直前・直後と思われる原稿が、どさっと見つかっている。いわば「湖の本」でもう試みてきた「花筺」の3とも4とも5とも拾い摂って良さそうなのがある。手の足せる者から、もう二、三、機械に書き写しておいた貸が、まだまだ在る。
むかし、高校生だったが、気張って谷崎潤一郎の創元社刊「作品集」六巻を買ったとき、未完成途中作が遠慮無く出ているのに驚きながら、それらにも「作家」の息や体臭のおもしろみを覚えたことがある。書きかけるのにも、書きさすのにも作家の個性や意地が在る。
活字で公表するには、何としても出版・編集という厳重な関所が在り、或る「長さ」と「仕上がり」は要件で在った。信心の懸命の試みにもその壁は厚かった。たが作家は書きたい、心みたいモノをもってそれに引っ張られる。私もそうであったことが、今度見つかった大昔の試作・未成作にみてとれるのが、われながら愛おしくまた面白かった。幸いにわたしは誰も持たない「湖の本」という場と読者とを確保しており、「花筺」を拾い満たすことは出来る。試みておこうと喜んでいる。どういう木でこんなものをこんな風に書き出したのかと、我乍ら新鮮にびっくりもしている。
無数の「書きたい」志望者が世に在るのは、明治以来なんら変わりないが、明治いらい私のような「湖の本」レベルの世に通用する自前の発表場の持てる物書きは、事実、独りとしていない、この事実の意義をハキと認識されていたのは亡き鶴見俊輔さんであった。
* 終日よく働いたが、申告に疲労も。
2023 2/12
* 十三日の金曜であったか。何を謂うのだったか。キリスト受難か。
* 手をそめたことではあり、ある程度『花筺』3を拾っておく。帯同して書き継いでいる創作の二三も押して行く、が、「初校」が出てくるか、新巻の納品ももう間近に逼っている。この双方はハンパ仕事で葉無く、いつもながら緊張する。なげださない。小さくとも大きくとも仕事は仕事。
2023 2/13
* 二十日に「湖の本 新巻161」納品と。追って次巻の初校出もあり、一月中は心身追いまくられよう。養生も肝腎。機械には振り回されたくない。今し方も不明の記事逸失始末に時間を要した。
2023 1/17
* 二十日に「湖の本 新巻161」納品と。追って次巻の初校出もあり、一月中は心身追いまくられよう。養生も肝腎。機械には振り回されたくない。今し方も不明の記事逸失始末に時間を要した。
2023 1/18
* さ、何としても体調を維持して「発送」の力仕事を終えたい。前仕事をよほど妻が根をつめてしてくれている。妻の疲れを労らねば。
* 会社にしても組織にしても、まともに仕事してきたと想えば思うほど後進のひ弱な仕事振りにゲツソリ為るばかりの体験は何度もあった。
2023 1/19
* 「湖の本 161」の刷り出し、むかしの勤め先流に謂うと「一部抜き」が送られてきた。「世をしら波に」と題した巻頭の年代記風エッセイが胸を熱くし、懐かしい。こう生きてきたよと実感を喪っていない。書いて起きたかったことが書き置けて、やや思い満たされた。エッセイは組合わせ宜しく配列すると「創作そのもの」に「読めるモノ」に成る。
2023 1/19
* 約束のままなら、午前早めには「湖の本 161 世をしら波に・行不苟容」が「納品」される。発送、心急くことは無い。が、済むものは適確に済ませ、平常に戻ること。
このところ 水洟が出続ける。頻りに、かむ。
* 手順良く精出して、夕方には予定の半分近くを送り出した。明日には、先が見えるだろう。
2023 1/20
* 発送作業、終える。「わかな」の寿司と肴で、酒に。
2023 1/21
* 自然な思いと考えているが、ながい将来を見込んだ計画はやはり控えないし諦めている。八七というこの年齢、「うしろ向き」とたとえ謗られようと私はじしんなりに、選り見て整うべきを整え置くのもいくらかは務めかと自覚し、「湖の本」の編集にも自然それは反映してきている。回顧が主なので無い、直哉流にはひさしい「暗夜行路」を納得して残年でさらに補いたいと思うのみ。それにもかかわらず、日々の予定には新作の小説が、一、二、三、四、五なお幾つも着手され進行している。見捨てることは出来ない、創作者として「あたりまえ」。
昨日、久しい実積を積んだまさに「専門」編集者伊藤雅昭君の「編集者人生」を締め括った一冊『編集後記』が送られてきた。必然必至の一冊哉と賞嘆拝見した。
私は、「創作者・文筆家・歌人」即ちいわゆる『作家以前・作家生活者」として少年來生きてきて、その途中もよほど早くからまた「編集者」でもある技倆・力量をフル開展させて、現に『私家版本四冊刊行』時期を通り抜け、現在までに『湖の本 百六十餘巻刊行』『秦恒平選集三十三巻刊行』を、すべてなんら停滞無く「編集し・製作し・刊行し」続けてきた。この同じ道を、心して終焉まで歩む、それが現在の心境で、無事安穏の最老境を手放しで喫しようなど考えない。そういうことには馴染まない体質で気質で願望の持ち主なのだと呆れる人、さげすむ人には、どうぞと、道を譲るだけ。私はそういう俗人なのであり、遁れようが無い。遁れたいとも願わない、逆なのである。もし私を弾劾するなら、作家・編集者としての「仕事」そのものを批評・批判して戴きたい。
* 「湖の本 162」発送用意分の全部が宅配扱いの手へ渡った。最初便は今日にも届くだろう、どなたから第一報が帰ってくるか。
* 「湖の161」新刊一便、練馬の持田さんへ、もう届いたと。一安心、一と山は越した。
2023 1/22
〇 本(咋)日、『湖の本』161 をいただきました。変わらぬご厚意に感謝します。また一つお仕事を成し遂げたことをお慶びします。拝見しました。いつもながらの感性、理性、文章力に感服いたします。
時事評論にはいつも同感です。幅広い読書に圧倒されます。
私は未だ、老後のゆとりにあずかれません。特に夏以降、毎月何らかの講演会がありました。準備と提出用講演原稿の作成に追われます。
この週末の土曜日には、オンラインによる同窓会主催講演+トークが待ち構えています。卒業生のうちの二人の右翼的な政治評論家と参議院議員には強い批判を述べる積りです。
老いの現実を悠々と背負いつつ歩みましょう。
平安をお祈りいたします。ありがとうございました。 浩
* 「湖の本 161」に有難い初来信。励まされます。
2023 1/24
* 能美市の井口哲郎さん、久々のお便り下さる。が、「湖の本」新刊は届いていない感じ。静岡市の鳥井きよみさんからも、寒中お見舞いのお便り、感謝。しかし、こちらでも「湖の本」はまだ行ってないらしい。こんなことは珍しい。
とはいえ、京都市の華さん、練馬区の持田さん、都内並木教授からは「着」信あり。なにやら今回は、ややこしい。
2023 1/24
* 機械を盲目的にキイ打ちしていると、安部 阿倍の混雑がよく起きる。
一つには。ホームベージからの公開電送が出来ないので、、いずれ「湖の本」へ編集時に直せばいいやと放って措いてて仕舞う。それが修正落ちで残っている。やれやれ。 どうか「察して」読み替えて下され。
2023 1/25
*弥栄中学へ入学の年に「理科」を習った、お若かった当時の佐々木葉子(現在・水谷)先生、「とらや」の羊羹に宇治茶も二袋も副えてお手紙下さる。あのお若かった方が九十六歳になられ、いまなお往年の生徒の「文筆」仕事をお励ましお心遣いして下さる。なんとい私は幸せ者か。
〇 *建日子小学校での担任・藤井敏子先生 *岩佐なをさんの「花束の視線」と題されたそれは美しいエッチング作とお手紙ヶ *東大大学院人文社会系研究家・文学部国文学研究科 *お茶の水女子大学図書館 *早稲田大学図書館 *慶應義塾大学「三田文学」編集室 *城西大學水田記念図書館*皇學館大学国文学研究室津 湖の本161壽陵の来信
2023 1/26
〇 秦さん
秦 恒平 湖の本 161 『 世をしら波に 行不苟容』を戴き誠にありがとうございます
いただくだけで 本当に恐縮です
「世をしら波に」
今年の 新生児医学会 は 三重大学のようです (第59回 日本周産期・新生児医学会学術集会)とありました (59年前の第1回が昭和39年でしたら私は医師免許3年目でした)
『世をしら波に』これからもなんべんも読ませて頂きます
「行不苟容」
晉書 巻四十五 劉毅傳 の中の(劉毅という軍人のようでした)
「毅方正亮直 介然不群 言不苟合 行不苟容」に辿り着きました
ここまでも、全部中国語のサイトで 解説も全部漢字で 往生しました 挙句 何気に日常のGoogleの検索サイトで探しましたら「不苟容」の説明があり
「みだりに人の気に入られるようなことはしない」とありました(平成21年の安藤文雄という人の文章の中です)日本語はいいなあと思いました
『行ひて苟も』容れず (行不苟容): これでよろしいでしょうか?
御礼 メール遅くなり 誠に申し訳けありません
先日頂いた
2023 1/26
〇 厳しい冷え込み思いのほか長引いています。東京も氷点下続きのようですが、いかがお過ごしでしょうか。
昨日 湖の本 161 届きました。ありがとうございます。
今夜もまた雪予報。
じっくり読む時間に恵まれたと思い、ゆっくり味わいます。
どうぞお身体お大事になさってください。 下関 碧
2023 1/27
* 湖の本無162 初校出。これは相当を手を焼きそうだ。
2023 1/28
* 湖の本 162 の初校が出た。全体に部厚い。初稿によほど精力が必要かも。
* 昨日初稿脱稿の新作『或る往生傳』 こころして推敲し第二稿に仕上げたく、しかし跡を押してくる別の作が、少なくも、二、三。ボヤっとはしてられないぞ旗楽翁よ。勢いつけて書き進めねば。不思議なほど仕事が途絶えない。ポカンとは休めない。いいことか。よろしくないのか。分からない。前へ歩くしかない。
* 間断なく身のそばでの、ピ、ピ音、やまない。何が鳴るのか、機械バカのわたしには見つけられない。五月蠅い、が。
* 届いた初稿を読み始めると、信じられない杜撰になっている。普通の校正マンなら簡単に直しておくミスがみなミスのままゲラに刷られてある。何故ミスに成っているのかも分からない。げんなり。しかも身辺の「ピッ」音の断続は止まない。どう消し止められるのかが分からない。なにもかも、末期現象、末期症状か。疲れは加わるばかり。負けてしまうワケにも行かぬ。機械から離れて、寝るか。
2023 1/28
〇 先生
『湖の本 161号』をご恵贈賜りありがとうございました。
御礼が遅くなりましたことをおわび申しあげます。
実は、昨年12月19日、ギリシア哲学のゼミのあと、眼が複視・焦点が合わなくなりさらには頭重、そして文字の読み書きが困難となりました。
眼科、内科、そして脳神経外科でCT,MRIで検査するも原因不明、脳神経内科でようやく原因が判明しました。
滑車神経麻痺によるビールショウスキー徴候(Bielschowsky sign)という いままでに聞いたことがないややこしい症状です。視線が水平より上の場合はほぼ今までと変わりなくPC画面は見られるのですが,視線を下に向けると文字の判読が困難となります。
脳神経内科のドクターは「治ります」と言ってくれているのが救いですが、回復
の目途はたちません。なんとかキーボード操作をしています。
妻は、「少し休めということ」だと言ってくれています。
また経過報告を申しあげます。先ずは御礼まで。 仁
* 切に願う。どうかどうか早くまた確かなご回復の成りますように。
2023 1/28
* 所澤の藤森佐貴子さん、「福岡県八女市の喜多屋「寒山水」を送らせていただきます。私はお酒につよくないのですが 隣で 美味しいと飲んでいるのをひとくちだけ 味見するのが 好きです。
「寒山水」は 父(国文学者 阪大名誉教授)のお供えにといただいて知りました。(ひとくち飲んだら 何口も飲んでしまいました ) 大輪の椿二輪の絵葉書に。
奥様と いっしょに 楽しんで あたたまっていただければと 思います」と。
たしかに たしかに超級に美味しい、グーな焼酎だった。
* 神戸の市川澄子さん 「神戸は珍しく10センチもの積雪で外出も叶わず 時を得て拝読させて頂き。今、春待ちです。お大切に。」 妻の親友
* 創作『花方』で馴染んだ瀬戸内「しまなみ海道 来島大橋全景」の絵葉書に今治市「波方」の木村年孝さん 「54頁に 読書がなぜたいせつなのか。めにとまり、心がゆさぶせれます、じっくりと熟読します。 今週は10年に一度という寒気が。瀬戸内も雪が降る予報です。お体 大切にお気をつけください。」
* 大阪府池田市の陶芸家 江口滉さん 「本を頂くたびに、私の手もとに届くまでには、執筆から……発送迄 秦さんの作業、というより ほとんど闘いではないかと。寒さが続きます。お身体大切におすごし下さい。不一」 有難いお言葉です。
* 喜多流シテ方 友枝昭世さん 茅ヶ崎市の吉川幹男さん ご厚志に感謝。そして
* 都・練馬区の宮本裕子さん 詳細に具体的に、細部にわたってのご感想 ご指摘 感謝に堪えません。
* 立命館大学、二松学舎大学、文教大学 「湖の本 161」受領の来信あり。
2023 1/30
〇 今年岩波文庫から新しく出た「閑吟集」を拾い読みしています。
思い起こせば1982年に秦さんの「閑吟集 孤心と恋愛の歌謡」がNHKブックスとして書き下ろされ、それに引かれるように1989年に岩波文庫に「新訂閑吟集」が現れ
2007年には「湖の本」として秦さんの旧著が復刊されました。
その後ホームページ「秦恒平の文学と生活」の中でもしばしば取り上げられ「閑吟集」は馴染みの歌謡集となっていました。研究者ではないので気安く手が出せる本が有難いです。今度の岩波文庫版は現代語訳もついているので親しみやすい上に秦さんとの解釈の違いも楽しめます。
初めて全歌通して読みました。秦さんに教えてもらっていなかったらここまで楽しめなかっただろうと 感謝いたしております。
母が今月100歳の天寿を全うして身罷りました。
どうぞ尚一層お元気にお過ごし下さい。 都下 野路
* 疲れ果てて、昼過ぎから床に就き、晩方まで寝入っていた。
天野さん、持田鋼一郎さんら、ありがたい郵便やメールを色々に頂戴していて、拝読。感謝。すべては明日にもう一度拝見。
2023 1/31
〇 大寒波に震えあがって蟄居中に『湖の本 161』が届きました。コロナ以降、外出の気力はもう寒さなしでもないのですが、魅力ある書物には、しょぼつく眼でもいまも反応します。
「世をしら波に」にすぐとびつき、<われ>を根に「歴史」として読んで下さった文章を愉しく懐かしさすらおぼえつつ。
<{あなたって、生きた小説ね」>は蓋し名言、「七十年むかし」以来(つまりはご誕生以来)の必然的に作家へと歩まれた軌跡が魅力的に浮かびあがってきます。
名編集者の奔走にはただただ感嘆、そして「十年むかし」に、今現在をまざまざと読みとっています。作家秦恒平氏ならではの先見の明というべきか。
先見の明といえば、ななんといっも「湖の本」のご創刊、そして今にいたるご継続ーーよくぞ最初の一歩を踏み出されたものよと、ご炯眼とご努力に改めて簡明をうけております。(今ならクラウドフアンデイング?)
どうぞ御身お大切に、これからも先を照らして下さい。
二〇二三年一月二十七日 敬
* かつて大看板「文藝誌」の編集長であった方、「読み手」として卓越の名声の方。「激励」と有難く戴いている。
〇 前略
弥栄小学校、私にも懐かしい小学校です。筑摩(書房) 京都出張
折に 山下とか清水房とかいった祇園の中の宿に泊まりましたが、そのすぐ近くに弥栄小学校があり、花街のどまん中ににある小学校、どんな子供たちが通うのだろうかと、いろいろ想像しておりました。秦様がその(小)中学校のご出身と知り、なるほどと感心した次第です。
今回もまた 秦様の幅広い共用と豊富な読書の量に圧倒されつつ 愉しく また興味深く読み進みました。東西の古典、茶道、能、華道、日本舞踊などに幼少のころから親炙されてこそ 教養というモノが見に付くのだと改めて思い知らされた次第です。
小林秀雄や江藤淳といった二十世紀後半のにほんを代表する批評家が秦様を髙く評価していた事も納得できます。
江戸の両替商は丁稚に金だけに触らせて育てたそうです。すると、十年たつと混ぜ物のある金貨と純生の金貨を触っただけで瞬時に区別出来るようになったといいます。古典的教養もそれと同じで幼い頃から触れていないとなかなか本当にみにつかないものたせと存じます。秦様はきさしく京都文化の伝統の純金に触れてお育ちになったから、今日の滲みでるような教養を身につけられたのだとつくづく感じ入ります。
また、源氏や新古今、谷崎などの世界に浸りつつ、一方で旺盛な政治的・社会的関心を示されているのにも、文学者はかくあめべきと、いつも教えられます。
ジンメル、マルクス・アウレリウスの引用も素晴らしいと存じます。
とにかく毎巻拝読するたびに大いに励まされます。今後の益々のご健筆、心からお祈り申し上げます。 草々 鋼 作家・歌人・評論家・編集者
〇 先生の旺盛な読書と社会への関心に、みずからの怠惰を反省することしきりです。なにとぞ、御自愛下さりますよう 敬具 西 九大名誉教授
〇 浦安の島野雅子さん 神奈川県知事からも来信。
〇 京・山科の詩人、あきとし・じゅんさん、めづらしい素晴らしい、梅味の「リキュール」を下さる。 美味い!! そして強烈。酔います。
〇 御礼 秦 恒平 様 「湖の本161 」 嬉しく拝受致しました。有り難う御座います。
時間の経つのはなんて速い、又 月が改まりました。今年もお互い何とか普通に時を過ごせますよう、希うしかありません。どうかご無事で、お筆が進みます様に。
「湖の本」 厚かましくも何処かで心待ちにしている自分がいました。
今回も又、いきなり魅力的な言葉の行列が。
「歴史を読む、書く」は多分人間だけの行為。 他人がそれを尊重するとは限らない〜。
大納得です。
「同志社美学 藝術学」。 校門奥に立つ「良心碑」の記述などなど。本当、「あかず懐かしい」事ばかり。
各章の頭に見えるお歌、凄いなあ。
見習いたいの次元じゃあありません。心に沁みて繰り返しよみふけってます。
どうか何時迄もお元気で、少しでもお食事が進みますように。 久 拝 先輩
* 短歌に、目を留めて貰えたのが心嬉しい。めったに無いこと。短歌こそがわが文藝の発端、自愛の創作であつた、少なくも高校時代には早くも。
〇 山瀬ひとみさん、新刊の自著『読者の仕事』を下さる。これは、私としても「読まずにおれない」一冊らしい。毅然とした文体で書き起こされ ためらいなく論旨が展開されていそう。小説も書ける人、だが。
〇 鎌倉七里ヶ浜の野村守美ん、というよりむかしのママ芦田「守美ちゃん」と呼びたい中・高の後輩、お見事な写真の技で、美しい海景、美しい小鳥たち の作を、額もともども贈って来て呉れました。感謝感謝。そして懐かしい。「ハタラジオ店」に初めてテレビが入って公開した頃、山のような路上の人だかりを分けて妹と、(あれは何の放映だったろう、力動山の「空手チョップ」だったか、阪神の若林投手、藤村三塁手、金田外野手や巨人の川上・青田選手らスラッガーの「阪神巨人戦」だったかも。大相撲だったかも。)觀に来たのを覚えている。
〇 冬籠りのさいちゅうですが、熱い御茶とやさしい甘味と愉しいご本をかたえに、心豊かに過しております。まことに有難うございました。極寒の砌 ますますご自愛くださいますようお祈りいたします。 さいたま市 松井由紀子
〇 読書の質の高さを示した「行不苟容 私語の刻」を面白く読んでいます。益々のご活躍を祈念。敬具 聖教新聞 原山祐一
〇 一冊を読み切れた事にまんぞくしています。んダんダというところが一杯の本があるなんて。
「まあだだよ」ですよ ほんとうに。 沙 同志社美学 一年後輩
2023 2/1
* 元・平凡社(太陽)の出田興生さん、手厚く「湖の本」へ応援して下さる。感謝。
〇 「湖の本 161」拝受 「歴史を読む」 私も子供のころを想い出しました。生まれた和歌山の家は戦災で焼かれ 7年近くの疎開生活でした。小学校からの友人は離ればなれで極く限られた人数でした。
昭和45年「秘色(ひそく)」に出会い それから早いモノで半西紀を過ぎました。永くご好誼を賜わり、本当に有難いことと感謝申上げて居りま どうかお揃いでお元気にお過ごしください。 和歌山市 三宅貞雄
〇 ご恵送 ありがとうございます。
今、半世紀ぶりに大學の定期試験を受けています。古い事は良く覚えているのに 新しい事は全く頭に入りません。ま、生きている証です。季節柄 お身体大切に
神戸市垂水区 e-old 道
〇 「世をしら波に 歴史を読む」の<七十年むかし、われの少年>から、<十年むかし また繰りかえすのか>を拝読し、あらためて先生の長寿の秘法をを学ばせて頂きました。
「気色のわるいこの現実とも、美しい静かなあれこれとも、ちゃんと向き合ういようと思うている」
逃げ腰にならず前を向いて歩きます。 京・山科 あきとしじゅん 詩人
〇 昭和女子大 日本文学科 「湖の本 161」受領の来信。
* 「湖の本 162」初稿を終えた。「表紙入稿」と倶に、「要再校」で戻し、「再校出」を待って「あとがき」を書く。今夜は此処まで。
2023 2/2
* 節分。鬼は外 福は内。豆をまいた。疲れで自ずと目がふさぐ.『湖の本 162』の「要再校便」も送ったこと。心身をやすめぐっすり永寝してもいいのだ。
2023 2/3
〇 前略 それにしましても、先生の倦むことない知的活動の源泉は、いったいいかなるものなのでしょうか。私も先生にあやかって励みたいと、「湖の本」をいただく度に思うのですが…… 殊の外寒い日が続きます。くれぐれもお身体 お大切に過ごされますように。不一 都下 国立市 恭
〇 松山大学図書館 受領来信
2023 2/4
〇 立春が過ぎ、少~しだけ暖かくなりましたが、お変わりなくおすごしでいらっしゃいますか? 「湖の本」161を嬉しく拝受致しました。ありがとうございました。
69頁の井口哲郎様の、 _それにしても「私語の刻」にとりあげている諸氏の手紙の内容が濃いものの多いことにほとほと感銘しています。_ に、全く同感です。
117頁の終わり5行、122頁~123頁、
とりわけ印象深く拝読いたしました。ありがとうございました。
寒暖差の激しい日々、どうかご自愛くださいませ。 岐阜 都
○ 尊敬するのは肩書の不要な人間です。名前だけですべてを語るひと、数は少ないですが、たしかにいます。「秦恒平」もそんなビッグネームのお一人です。 都内 品
* みなさんが どう思われどう謂われましょうと、それはみな、皆さんのモノです。
* 目下、私の要事は「湖の本 163」の編集。「162」の再校が出揃ってこぬまに「入稿」のメドを掴んでおきたく。願わくは、春の到来。寒いのは弱り身に祟り目に成りやすく。
いま、、ゆーうっくり時間をかけてきた「左道變」を書き継いでいるが、仕上がりには、まだ、先がある、か。次巻には仕上げてある最新作と、「花筺 3」をいろいろに「はんなり盛れる」といいが。
2023 2/6
* オヤ。もう正午。
「湖の本 163』入稿用意進捗。「編成・編集」が難しい。吶喊のほかない、この先は。
2023 2/11
* ガックリの一日だった。シクジリを重ね、前へ1歩2歩とこころがけて5メートルもあとじさりになった。
明日ありと想ふ心のあだ櫻 夜半に嵐の吹かぬものかは とか謂うたが。櫻は、まだ。杉花粉が凄いとテレビが脅している。が、杉花粉どころか、明朝には『湖の本 162』の再校分が届くとの通知。かくては、「責了」「発送用意」「発送」と連続して、又又の我が家は「戦場」となる。新刊の成るのは楽しみだが、次巻『163』を「入稿」もしておきたいがモタついている。
息つく暇ない我が家の一等熱くなる時節が近づいたと謂うこと。泣言も寝言も、アウト。
今夜は、もう寝てしまおう、八時、本を読もう。
と、思いつつ、撮って置きの好きな映画、個性派の好きな女優ミシェル・ファイファーが、悪司教恋着の余りの「呪い」をうけ、日の存るうちは美しい鷹となり空に舞い、日が沈むと美女に変じて恋人との成らぬ愛の日々を過ごす、伝奇のロマンスにまたまたまた、妻と、惹き込まれていた。恋人の、日の存るあいだ騎士の方は、日が沈むと狼にされている。この騎士も、この作、絶好に嵌まっている。
ミシェル・ファイファーは田の映画『恋の行方 フアビュラス・ベーカーズ』で兄弟のピアノ弾きを魅了しながら魅力の歌唱を聴かせて呉れる。
* さ、寝るぞ。明日からさらに忙しくなる。
2023 2/13
* 通知のとおり「湖の本 162」再校、出揃った。何一つセカセカと急がねばならぬワケでない。現状では、体に無理強いするのが、仕事を停頓させそう。
2023 2/14
◎ 目覚めも近い時分から「思い想うこと」あり、長短はともあれ重い大きな創作、最晩年の大作を着想した。今日からそのための用意を心がける。粗忽に、慌てまい。
* 「湖の本163」入稿への大準備が出来た。編成上の調整が出来れば、入稿、可能。
○ 「湖の本161」ありがたく うれしく読ませて戴きました。
「十年むかし また繰り返すのか」 自身と津波跡の「福島原発」損壊の難儀。当時テレビ映像が想い返され胸が痛くなりました。あの日はまだ会社勤めの身でした。
「私語の刻」 昨年の八月二十五日に 迪子奥様がおまごさんの「押村みゆ希」様をテレビの映像で御覧になられたとの記述にびっくりしました。
りっぱに社会人の年齢のみゆ希様ご本人が自発的に祖父母に早く連絡をとってくださるよう願っております 私も。みゆ希様にはやじい様おばあ様にお声を掛けて欲しいと思っております。
今回の「湖の本」あっと云う間に読み終えました。
小さな庭ですが 福寿草 ろう梅 白梅 乙女椿が咲き始めました。あと一ヶ月もすれば櫻の季節になります。
秦先生 呉々もむりをなさらずおしごとを楽しみながら毎日を後してください。
次回のご本を心待ちしております。いつもありがとう御座います 桐生 一江
* 桐生 はわたしの「作家」として講演や読書会とうとう、よく招かれ出掛けた懐かしいところ。読者も多かった。みなさん、お元気でと願う。
2023 2/17
○ 拝復 文業はさておきましても 医学書院編集者として秦さんの果たされた小児(新生児)医療推進のお仕事、誠にすばらしいものであったと 改めて感服しております。
公団開発のわが新興団地一郭に県立こども病院があり、通勤バスで患者母子と乗り合わせること度々、ご難儀拝する子供が無事に育つこと、当たり前のことではないと痛感いたしました。昨年、神戸市医療センター 中央市民病院隣に移転、おきまりの県と市中わるいにしては、いい事業だったと思ったことです。
秦さんほどではありませんが、私も夜間頻尿に悩まされて久しく、
厠何処せわしき夢や夏の月
などとたわぶれておりましたが、このところ「寒の月」にはこたえます。ために、このまま醒めることなきこともと覚悟、昼寝を日課にしております。心臓を患っていた叔母が、家で午きつねうどんを食して後、昼寝、そのまま96才で大往生。天ぷらうどんをふるまえばよかった いとこは笑っておりました。
コロナ禍 ややおさまったとの情報ですが、兵庫県は以前通り死者数は高止まりのままで落ち着きません。東京はいかがと。
お揃いでくれぐれもお大事にと念じております 草々 周 神戸大名誉教授 国文学
2023 2/17
* 夕刻までに「湖の本 162責了 163入稿」の用意をともにほぼ終えた、執拗にガンバッタものだ、しかし、疲れもきつい。
2023 2/21
* 「湖の本 162」思案し、敢えて「三校」を印刷社へ依頼した。自転車で、ごっそり投函に行けた。脚を上げて尻が乗りさえすれば、乗って走るのは何でもない、脚しっかりと、坂も苦にしない。乗り降りにしくじると横転のおそれ。それが分かっているので慎重に乗車に脚を上げている。
自転車はじつに快適。幸いに脚はそうは弱ってない。
* 追い掛けて「湖の本 163」入稿の用意が出来ているのを、念入りに確認して、これも今日明日に「入稿」する。「湖の本」は、汚く謂うてもしまうと、一種私の「吐瀉」でもある。私なりの「出産」でもある。生きている証である。
2023 2/22
* とは云いつつそれはそれ、これもこれで、「湖の本162」要三校に次いで「湖の本163」入稿の手を、取り合えず、尽くした。明日、投函すれば、しばらくは、別途の創作等に集中出来そう。「ぼんやりと休憩」というヒマはもう私には無い。が、グタグタッと、全身、参っている。
2023 2/23
* 久しく印刷機故障と諦めていたが、祈る心地でいま,試みたら、「あとがき」不足分を印刷してくれた。感激。これで「湖の本 162」は、本紙の三校出を待ち校了出来る。
2023 2/25
○ 年ふれば齢は老いぬ 然はあれど 花をし見れば物思ひもなし
八十路の滿一歳になって、古今集のこの歌が身近になりました。
秦文學に心よせながら齢を積んできました。そうして「みとす」という森安理文を師とする同人誌の後継「陸」に御処女作『淸經入水』に発する詞章ををつづりました。かつて拙稿「日本近代文学の風土」⑦「畿内」に「…京都の出身者は、与謝野鉄幹から佐々木茂索、竹内勝太郎など
戦後の真継伸彦、秦恒平、高橋たか子など数えるくらいだが、京都の文學風土の形成からいえば、森鷗外の『高瀬舟』、芥川龍之介の『羅生門』、川端康成の『古都』 三島由紀夫の『金閣寺』、あるいは異色なものとして野間宏の『暗い絵』など名作が、あがっていとまがない。」(『文学構造』おうふう)と記して、ことに秦文学を大切にしてきた自分でありました。
同封の(歌謡ー美しかれ、悲しかれ)を受納してくださいますよう祈念いたす次第であります。
まだ寒さが続きます。ご自愛ください。 竹内清巳 二月一七日
* 「陸 roku」28号 2023.1 が副い、竹内清巳さんの連載随筆『歌謡 美しかれ、悲しかれ 7』の「淸經」「半蔀」に、「1・起・秦恒平「淸經入水」小論」 「2・承・『淸經』の葛藤」 「3・転・秦恒平『花鏡』」 「4・結・「半蔀」色好み」 と論述されている。ありがとう存じます。
○ 「湖の本 160 161」ありがとうございました。
『或る折臂翁』 今こそ読んで欲しい小説です。
学童だけ記憶にある体験「大詔奉戴日と護国神社」を読ませていただき,小学生のころに感じていた重い空気がよみがえってくるようでした。
戦後の進歩的教育を、標榜していた新潟大学附属小学校にも、あの時代の匂いが残っていたように思います。
ロシアのウクライナ進攻を非難する日本人が この國が昔から民主主義国であるかのように振舞うのが不思議です。
「尊王と謂うも攘夷と謂うも佐幕と謂うも国内政権のとりあいにすぎなかったことは明治政権が露骨にあらわしていた」……なんだか今も変わっていないようです。
國の存在を賭するほどの「悪意の算術」を操るには知的蓄積が必須です。政権とりあい選挙ばかりを優先する世襲議員には難しそうです。
先生がずいぶん以前から、世襲問題についてかたっていらしたことを想いだしました。
コロナで、講義がリモートになり 四十数年間、通っていた学校から解放され私にはジンメルの言葉が沁みます
老人になって退屈と倦怠から守られているのは、ひょっとして高い精神的な関心を生きてきたからでしょうか。
それに、非生産的で島のようなところにあるという 音楽の内部に入ることが、ようやく許されたような氣がいたします。これまでは,折角のコンサートでも、音が聴けず,自分の中で自問自答を繰りかえしているわたしでした。
秦恒平のダブルフィクション……
その重層的な響きを支えているのは,奥様の名演奏であると、ずつと考えてまいりました。
『湖の本』愛読者の中で「先生の生活にはいつも奥様の存在があり、決して大げさには書いていらっしゃいませんか奥様と一体となって道を拓いていらした」とおっしゃる方に出あえて「我衣を得たり」と嬉しくなりました。
いよいよ三月でございます。 暖かになり
先生
奥様の お身体の調子がよくなりますようお祈りいたします 淸 美学者 前教授
* ふくよかに美味しく温かな 京の名菓 も下さった。日々、お大事に。大學を退任されてこそ、汪汪とと新たなお仕事もお続け下さい。
2023 3/1
* 「湖の本 162」三校ゲラが届き、即、「責了紙」として郵送した。三月十四日の、64年めの結婚記念日頃には「第一六二巻 わが作家人生のまえがき とめども波の 洞然風聲」刊行、發送出来るだろう。
自転車での郵送の脚で、久しぶりに下保谷の奥寄りを走ってきたが、ぼろにいろいろ想い出しながらも途に迷い、かなりり遠回りになって戻れた。「セイムス」に寄り、このごろややクセめいてきた買いものをして家に帰った。ヘルメトをかぶって走ってきたが、脚は相当疲れた。「一と仕事」して、ひと寝入りもして、あと『遠い太鼓』という、ゲリー・クーパー主演、密林での戰闘映画を観た。底知れない大密林のなかの河や沼や木々や草むらでの戰闘は、観ていてもほとほと疲れました。
2023 3/3
○ 「湖の本163」初校を明日9日午前着予定の宅急便でお届けいたします。
「湖の本162」は3月23日のお届け予定で動いております。
ご都合が悪ければ教えてください。 凸版印刷 関
* 加えて、私の方は『湖の本 164』入稿のための原稿編成に取り組まねばならない。何を「柱」にするか。休めるヒマは無い。
「休む」とは、「もういいよ」と応えて、天上の意味になる。そう思っている。
思い残すこと。もう一度でも 「京都」に身を置きたい。
2023 3/8
* 十時前。圧し込まれるように下腹部に圧迫が有る。空腹なのなら、いいが。
十時過ぎ。「湖の本 163」初校出、来着。これが、桜桃忌までに創刊37年の記念の巻に成ろうか。此の二十三日には「湖の本 162」が納品される。忙しい花の春になるなあ。心身の按配に氣をつけねば。
2023 3/9
* なにをして一日を過ごしたかが、覚えられてない。「湖の本163」の初校か。前半は順調、後半へ入って、組み指定に混雑などあったか。娜支なのダルさに、何をしていても不確か巻に落ち着かない一日。負け感覚のママに床に就いた。夜通しに、数度、手洗いへ起きた。睡眠時間としては足りているが、目が。瞼の内が渇いて痛い感じ。疲れが部厚く目玉にこびりついている。
2023 3/11
* どう疲弊していても、機械に向かってる限りは、逃げ口上は言わない。
* 午後も、大相撲幕内の中盤まで寝ていて、夕食後にはすぐ床へのがれ、夢など見てもう朝の七時と思いつつ目覚めると、宵のうちの九時だった。かすかに歯や口腔内に違和を覚えたので、処方されていた痛み止めや抗生剤を服した。もう寝てしまう気でいる。朝に遠藤恵子さんのメールを読んだ以外に外との折衝もない。ただ、朦朧と、睡くなれば寝ていた。湖の本「163」初校もしていたが。手抜きしていた分の手が掛かっている。
* 微かに空腹だが出汁を飲ませてもらった。
2023 3/12
* 「湖の本 163」初校を「ほぼ」終えた、が、へとへと。それでも脚は、前へ、二、三歩進んだか。明日は、また歯科医へ通う。池袋へも脚を運べるなら…
* 「ほぼ」のアトが、奇態にシンドい。やれやれ。
2023 3/13
* 次の歯医者は、月末、三十一日と。それなら「湖の本 162」は発送も終え、「163」再校出へも届いているかしれない、「164」の入稿も出来ているといいが、と。 なによりも体調と体力の温存に配慮が大事。
2023 3/14
* 利尿剤を服さず早くから寝入った。何度か起きは起きたが間隔はながく回数も少なく。利尿剤は、午前中に服とする。「湖の本 163」の初校に手間取っているのを解消して目の前を寛げたい。
2023 3/17
* 「湖の本 163」の初校分、「要再校」郵便で返送。
5頁分の「あとがき」を書かねば。
* 九時半にちかく。二階の機械へ這い上がってきたが。全身状態、人事不省に近いシンドさ。寝てしまうより、無し。眼が、重(オモ)痛い。手首が見た目も細く、肚にチカラ無し。
寝に、階下へ降りる。幸い「要再校」本紙は送り終えてあり「湖の本 162」発送の用意はおおかた妻がして呉れてある。発送に必要な 宛名用紙か、もう五回分の用意はあるので「ガンバッテ」とハッパをかけられた。アリガト。
2023 3/17
* 刷り上がってきた『湖の本 162』一部抜きを、珍しく読み返し読み耽っていた。
私の京都時代、とは、即ち「學童・生徒・学生」時期に相当る。そしてそれらを終え、直ぐ東京へ出て、就職し、結婚したのだった。
よくよくウマが合っていたか「学校」の昔は、先生方も学友たちも、みながみなしみじみと懐かしい。「育った家」「新門前通り」の「ハタラジオ店」を基点・地盤にしていたのだから、人にも地域にも一入の馴染みは当然のこと。有済少、弥栄中、日吉ヶ丘貴、そして無試験で同志社大へ。先生方の御顔も、大勢の学友の顔も声も名も、湧き立つように蘇る。惹き込まれて読み返していた。
無意味で無駄な、国立大への受験や受験勉強などに手間や時間を取られず、成績推薦の無試験ですっと大學へも進んだ。青春の貴重な時間をかけて私は「京都と日本史」とを「歩き回る」ことで身につけた。それで良かったと今もしみじみ思う。
2023 3/19
○ 尾張の鳶に。
今朝二十日は、五時に機械の前へ。 疲弊・疲労が甚だしく、昼間は寝潰れてしまうので、「朝早の午前」に仕事時間をかためてます。
「湖の本」 「162」は刷了、うまく纏まってます。週末には納品・発送。
「163}は初校了、再校出待ち。小説・掌説ないし拾遺を発表。「164」は入稿用意の「編集中」
歯は、下左奥に2、3本のほか、上下に歯無し。
三月十四日は結婚64年、實に久々に、歯科のアト、池袋へ出、佳い食事をしました。「読み・書き・読書と創作・勉強」の以外は、ヘトヘトの疲労困憊で「瀕死のサマ」に寝潰れています。
花見に出る「からだにちから」無く、辛うじて 此の田舎「下保谷」近隣で、よその農家の庭に咲いてそうなのを、躰が許せば 散策、眺める程度かナ。
脚力は大切に、機械で可能な限り鍛えています。よろよろが本来の自転車乗りは、脚だけで、らくらく「ポスト」ぐらいへは走れます、ヘルメットして。
食は、相変わらず極度に細く。それでも、時折微かに空腹を感じたりも。このところは、そんなところ。
戴いた『浄瑠璃寺夜色』を日夜、嘆賞、喜んでいます。 お元気でカアカア
2023 3/20
* 午前、妻と、保谷北町方高へブラフラと散策の花見に。陽気宜しく櫻の開花にも、盛の満開にも、色美しくけっこう静寂の町なかで、間々大木の繁りにも春の大空にもまま魅せられ、疲れ切りもせず、満足の、ま、老夫婦がよたよたの散策を楽しんできた。おしまいに、一度入って気に入っていた店で、ラーメン等の昼食にも憩うてきた。下保谷から北町へは、流石に田畑よりは新しげな民家の並びが多かったけれども、實に静かに空は廣く、のどかに心やすまる田舎風情が楽しめた。隅田川や千鳥ヶ淵や東工大の大櫻も素晴らしいが、懐かしく思いおこして足りる。
* それよりも新作の、とはいえ相当に年月を重ねて書き継いできた作の、仕上がり進行へ気を入れて進みたい、願わくは「湖の本 164」巻頭へ持ってきたいと願っている、焦りは、せず。
2023 3/21
* 疲労困憊は微動だにせず私の五体を占領している。
明日からは「湖の本 162」発送。残っている体力を懸命に按配しつつ無事に終えたい。このところの「用意」など、妻が一心に手伝ってくれ、援けられている、感謝感謝。
2023 3/22
* 今朝、早ければ九時頃に通算「湖の本 162巻」新刊が出来てくる。三日ほど発送の力仕事が続く。誰よりも、もう私自身のために「内容」を組んでおり、今回は届いてからも何度も何度も手に執り読み返していた。『わが作家人生の「まえがき」』が纏まったのが良かった。世に「作家」と認められる以前に私は四冊の「私家版本」を作り、それは
「作家人生」へ踏み出すにゆうこうだたが、四冊の孰れにもシカとした「まえがき あとがき」を副えていて、いわば私・秦恒平の「作家宣言」の泰斗内容に成っていた、それを今回キチッととり纏めたのは本懐と謂えよう。
そして後半も、遠慮無く自己自身の「京都」に密着しつつ編成した。「やそはち歳」へと歩んでいる私自身の気持ちが弾まぬ「秦恒平・湖の本」など、もはや意味が薄れる。
* 九時過ぎに納品され。つまとの連繋で発送作業に入り、順調に午後には一便を送り出した。明日への連繋もよろしく、頑張れば明日中には荷づくりを終えるだろう。なにしろ、一九八六年の六月以来162巻目の発送、手順も心得、かつ封筒等もよりよく改変してきたり、夫婦して慣れきっている。なんとか明日にも豫定の殆どを送り出せればいいが。
2023 3/23
* 気張ることは出来たが、晩がたとなれば疲労の濃さは毒のよう。もう、何もしないで、とにかく休む。八時前。安眠したい、が。
2023 3/23
* ためらわず、発送作業の二日目へ。
十一時前、全発送用意を終えた。希有の能率。少し身軽に成ったのを利して、次の新しい「書き・創り」へ踏み込みたい。
2023 3/24
○ 東山の 桜の花も盛りに成りました、
今日 湖の本(162)届きました、有り難う御座いました。日々頑張って過ごされてます様ですね、
今月18日には後輩が誘ってくれて 日吉ヶ丘(茶室)まで行って来ました。懐かしい山も、月日を経て以前よりは少し落ち着いた母校に変りました、
最近は体調がすぐれませんが お蔭様で少し元気を取り戻せた様です、
急に体力が落ちて何とも成りません 、困った事です、
明日から楽しみに拝読 致します。有り難う御座いました。 お元気で ! 華
* 華も、だれもかも、京都の友はみな七十年昔の、「高校生」の笑顔や声音でしか想い浮かばない。これ、「幸せ」と謂うべく。しかし夫君をなくされた方もあつて、胸を痛める。
○ 野路です 「湖の本」162を ありがとうございます。
近頃老眼が進んだせいで 小さい文字が読みづらいので助かります。
それでも芹沢光治良の「教祖様」の二段組を読んだりしています。亡くなった大江健三郎がどこかでこの本を褒めていたとか。懐かしく思います。
芹沢さんと秦さんは全く違った作風の作家ですのに どこか似ているように感じます。表現の仕方は違っていても 言葉にする前の 思い に共通性があれば読者の心には似たような孤独が響いてくるのかもしれません。
芹沢光治良は96歳で出直されたんですよね。
秦さんも天理教の唱える 天寿115歳を目指して頑張ってください。
(私は天理教信者ではありません。)
秦恒平さま
* 野路さん、ありがとう存じます。 芹沢さんでのご縁、久しくなりました。嬉しいことです。お元気で。
○ お元気ですか、みづうみ。
昨日湖の本を無事に頂戴しました。みづうみに申し上げるのを忘れていたかもしれませんが、ご本はビニール包みなしでも毎回とてもきれいに届いています。謹呈箋も お手間を考えるといつも申し訳なく思っていましたので、以後も不要とお考えいただきたく存じます。
今朝、<作家人生の「まえがき」>まで読了しました。デビュー前の若書きですのに、すでに大家にしか成りようのない凄みの文章を読ませていただきました。著作四作「まえがき・あとがき」がそれぞれ立派な独立した作品で、出発時点においてすらの、この文学的到達には 肌に粟立つものがあります。
これから「とめども波の」「洞然有聲」に入ります。この二作品は みづうみのレイタースタイルの名作のように直観します。
情けないと怒らないでいただきたいのですが、「洞然有聲」は「とうぜんゆうせい」と読んで間違いございませんか。奥深く静かでありながら聲を出すという意味に受け取ってよいものか? お教えくださいますか。
「とめども波の」の 最初の和歌三首 素晴らしいです。みづうみの名歌ベストいくつかに挙げたい。お母上からの歌人遺伝子が大輪の花を咲かせています。
もし誰かに似るのなら、容姿ではなく才能のほうが嬉しいと思うのは欲張りでしょうか。
昨日から 花冷えの雨です。どうかご体調くずされませんように。発送作業のお疲れでませんように。
毎回湖の本を心待ちにして、その期待の裏切られたことがない、そんな文学者は稀有です。 益々の高みにお上りください。 春は、あけぼの
* 作者へ出で立ち前の四冊「私家版本」への「まえがき・あとがき」を揃えてみた編成をご支持下さり、「ああ、よかった」と、嬉しく手を拍ちました。
「洞然有聲」は「とうぜんゆうせい」 志して惟うことある方々には、つねに胸深くにちからづよく響いている「聲」かと想われます。
歌三首に目をとめて戴け、幸せです。縁淡く死に別れていた生母の文藝を引き継げてますこと、母は喜んでいてくれましょうか。
◎ あかぬまの花冷えの雨もうつくしくわれの狭庭(さには)に木々とうたへる
○ やそしち兄上様
今日は雨の中 ご本が届きました! おめでとうございます!
本が出るたびに 本当によく頑張られるので 驚いてばかりいる妹です。
あとがきに書かれている兄上の体重は 48キロの私に近いですね!
でも 記憶力も書く力も素晴らしく、 感心するばかりです。
どうか無理せず お体大切に頑張ってくださいね。
88のお祝いまでに 太られますように~ いもうとより (妻の妹)
* 琉っちゃん、お元気に、心行くまで繪も詩もかきつづけてください。
「表現」 いっしょに励みましょう。やそしち、繪が描けませんがね。
* ソー、か。この冬至には「やそはち爺」になるか。
○ 今日午後、御本が届きました。発送作業、石のように重く感じられたとメールにあり、案じておりました。
お疲れでしょう。今はゆっくりゆったりなさってください。 尾張の鳶
* やはり、すこしでも「読んだ」便りがありがたい。やすんでられず、次の大きな仕事へもう踏み入って、前身がそこへ傾いていますよ。
2023 3/26
○ 秦恒平様 加齢現象との苦闘の中からお贈り下さった『湖の本』162 を、発送のご苦労をお掛けして何か申し訳ないとの思いとともに拝見しました。肉体は衰えても、筆の冴えは一向に衰えませんね。感嘆。
高校時代のご活躍はブリリアントとしか、言いようがありません。同じ時代を生きたのに、私の如き鈍才はまったく子どもだったと、自らを振り返り見ます。大学卒業後は父との約束で家業にしばらく就いてから学業の道を選ぶとともに、後戻りを不可能にすべく結婚、30代に入ってからも助手の給料では子どもたちに食べさせるものもなく苦闘しました。その後は学問的にも苦闘の連続で、昨年の『ヨブ記注解』の出版に及んでおります。
秦教授の東京工業大学のクラスにおける学生たちへの質問の数々は、よくポイントを突いておられる。学生たちとのやり取りの「妙」に感嘆しました。学生たちにはよい刺激になったでしょう。
お身体を労りつつ、長くご活躍ができますようにお祈りいたします。
ありがとうございました。 並木浩一 icu名誉教授 浩
* 昨歳末一ヶ月の「私語の刻」を、『湖の本 164』のために再読していた。
2023 3/27
○ 秦 兄
差別語に関しては、書き物をしている上で、「呆け・痴呆症」から「老人・徘徊」も差別語では、という出版社の校正係から指摘され、窮屈になったなと感じたのが発端で、兄のいう被差別(同和、これからしてややこしい)という差別問題に当面します。
少年のむかし「三条うら」近辺に住まっていたので 幼少來 学校の先生や両親から、今でいう同和教育を受けていた関係で 私は「三条うら」(=大将軍神社の氏子)の悪ガキ達とは自然体で付き合っていたように思います。
そんなガキの頃の思い出話を一つ。
悪ガキの一人と大ゲンカをした時に、悪ガキが兄を連れてきてボコボコにされたので、この卑怯者と悪ガキを又ボコボコにしたのですが、翌日に悪ガキから仲直りの印にと言って大きな牛肉の塊を貰ったことがありました。
当時は公然と行なわれていた彼我の差別でしたが、大人も子供も食べ物に全神経が集中していた時代で、結婚適齢期でもなければ、子供同士が親しくしていても親たちは普段は気にも留めず何も言わなかったのは、生きることに精一杯の「戦時下・敗戦後」という特殊な時代だったからかもしれません。
今は「衣食足りた平和呆け」が総コメンテーターになって言いたい放題の無責任時代だけに差別発言も活発化しているかと思われますが、それも他人事で、わが身、わが家庭に関わる場合は、きれいごとを言っていられるか、自問自答しても現実に直面しなければ結論は出せないと思います。
孫でも居れば、父方の曽祖父は農林省の役人で大正七年に流行ったスペイン風邪で曽祖父と祖父は他界 からはじまり、生母方の大伯父たちは近衛兵の軍人たちで云々と、我が家や親族のルーツなど書き残す作業もしたかもしれませんが、息子と娘の代で我が家系は途絶えるとなると、そんな書き残しも詮ないことと する気も起りません。
しかし、差別問題に無関心ではないので 折に触れて語り合いましょう。
今日 から、文化庁が京都で業務をはじめます。地方政党の「京都党」の党首村山祥栄は上皇夫妻を京都御所へお帰り頂こうと言っていましたが、高齢になってからの移住は余程のことがない限り無理でしょう。皇室問題についても私見あり。
パソコンの件は私も機械音痴というより最近は面倒臭くなり 煩わしいことは避けているのですが、何かと便利な機器なので 少しずつ取り組んでいます。
明日は 娘と近くのドコモショップへ最新式の携帯電話を買いに行く予定です。 辰
* 要点を得て率直な感想がもらえ、教わることもあった。私の最晩年の大きな課題と化して現れるのが 京都の「差別被差別」を日本史の真相から汲み上げ、批評的に物語ることに成ろうかと、初動の姿勢にもう入っている気でいる。東山区新門前通りという、南側には(甲部…乙部 という苛酷な差別問題を内包している=)「祇園」という大きな遊郭を細い「抜けろーじ」只の二本で隔て、北寄りには、古門前通りが東西に厳しく隔ててその以北、三條大通りに到るまでの「寺裏・三條裏」といわれる相当に廣い往昔來の被差別地区が在る、浄土宗總本山知恩院の二筋の「(新・古)門前通り」が、實に大きな「遊郭」と「寺裏」とを南と北へ恰も拒むように「道」と謂える通路すら無しにガンと隔てていたのだ。
2023 3/28
* 弥栄中学での恩師、理科の佐々木(水谷)葉子先生、宇治の各種銘茶に選り抜きに虎屋の羊羹を副えて「湖の本 162」へお手紙を戴いた。教室へ入って見えた初対面、お若かった。教員の足りなかった敗戦後の京都だった、二十歳前後手あられたか。きびきびと大らかに「理科」を教えて下さった。
* 宮城まえ、村上開新堂主人の山本道子さん、特上のクッキーがみっしりの缶詰めにお手紙副えて下さる。久ーしぶりに昼御飯のお店「ドーカン」へ出掛ければ、山本産に逢えるはず。
* 妻の少女の頃からの友だち神戸の市川澄子さん、いいお便りを頂く。お城博士の静岡大小和田哲男教授からも。
2023 3/28
* 夜十時。夕食後に寝入って、真夜中か曉毛に近いかと錯覚のまま目覚めた。体調重苦しい。昼間、よほど根をめて「湖の本 164」入稿原稿を用意していた。およそ半量の余も思うが、まさか夢であるまい。胸重く鈍い痛みあり。「生きた心地」がしていない。
2023 3/29
○ 尽きぬことの無い御作、御本、賜りました。ありがとうございます。
お身体の調子が優れられない日も多い中のご執筆、ただ感心し、感謝申し上げます。
桜も咲いていますが、天候も落ち着かず、お身体に障る事も多いと存じます。ご本発送のお疲れも残るのではと案じています。
迪子様ともに、お身体お愛いくださいますように。 晴 妻の久しい親友
○ 「湖の本 162」 『とめども波の 洞然有聲』 感謝
秦さん いつもいつも本当にありがとうございます さきにご本を楽しんでしまい 御礼遅れて申し訳ありません
秦さんに お会いできて 本当に良かったなあと 歳も久しく 改めて嬉しがっております 幾重にも厚く御礼申し上げます
一九六四年八月二十日 秦恒平 (筆名・菅原万佐)
(東京都北多摩郡保谷町山合二二七五 医学書院社宅)
「昭和39年」年号を思うといつも「一体わたしは何をしていたんだろう」と思っています
「昭和三十七年七月三十日、私はとつぜん小説を書きはじめた。」
(わたしは 国立秋田療養所で毎日患者さんにストマイの注射 でした)
「清經入水」をまた読みました あの「清經」は帰ってきてからどうしていたのだろうかと考えています(考えつきませんが)
「少女」もまた読みたいです 本郷は戦後も古い町並みで好きでした(空襲の際「東大」があるので避けられたと聞きました)
桜も過ぎ 年度も変わります
年は年ですが「元気笑顔 元気笑顔」は忘れないようにしたいです
お知恵をいただきたいです
コロナ相変わらず 減ったり増えたりしています まだまだ くれぐれもお気をつけください どうかお大切にされてください 勝田 chiba e-old 拝
* こういうお便りを頂戴するのを 生き甲斐と いうのだと感謝
堪えず。
* 明日朝には「湖の本 163 全」の再校ゲラが届く、と。息つくヒマ無く、次巻のための巻頭部の創作の仕上げもともども、休んでは居られず、やそしち爺、「生くべく」生きること続く。嗤われてもいようけれど。
2023 3/29
* 「湖の本 163」再校出。
* 所澤の藤森佐貴子さん 、いつものように選りすぐりの珍しい名菓を戴く。
* 「湖の本 162」へお手紙等をいろいろに頂戴した。
井口哲郎さん、持田鋼一郎さん、烏頭尾精さん、水谷葉子さん、寺田英視さん、奥田義人さん、胡子文子さん、高木冨子さん、藤森左貴子さん、山本道子さん、出田興生さん、木村年孝さん、岸田準二さん、平山城児さん、小和田哲男さん、三田文学編集部さん、早稲田大学図書館さん、城西大水田記念図書館さん 等々 感謝
2023 3/30
* 講談社役員であった天野敬子さんから、間歇ながら實に言い尽くして嬉しい有難いお手紙があった。
京舞の家元井上八千代さんからは、新築新装成ったという歌舞練場での盛大溢美の都踊りを色々に編集した美しい書籍や図録やパンフ等々ともに八千代さんの手紙も。ふあっと噎せるように祇園の濃まやかに華麗な空気が下保谷も田舎の秦恒平をとり包んだ。ありがとう。
お手紙も、図録なども、明日、ゆっくりとまた拝読、拝見する。
* 水谷(むか、佐々木)葉子先生、お手紙に副えて宇治茶の三種と虎屋の羊羹を下さる。恐れ入ります。
* ロサンゼルスの池宮千代子さん、日本のお友達を介して、京都の名菓をとり揃え送っていただいた。チョコちゃん。恐縮、感謝。
* 此処までは書いたが、酔いつぶれたように寝入って夕食もとばして夜十時前まで、昏睡していた。もう、このまま寝入ってしまうことに。万事は、明朝から復帰。
いま「春は、あけぼの」さん親愛長文のメールが届いていた。拝読。おやすみ。
2023 3/31
○ 今年もなんとか目にできた満開の花の下、百六十二冊目の『湖の本』を拝受いたしました。
<「へとへと」の疲労の極>よりさらにおつらい日々の中から産み出して下さったこの本は、秦さんの文学的誕生(生まれついての?)から現在までの徒然が衒うことなく飾ることなく、しかしそこは作家の表現力で的確に描き出され、見事な編集技術もあって、読み手を引きつけて離しません。
ご夫妻ほどではないにしても、視力・体力、気力とみに衰えて読書意欲をすっかり失っていたのですが、御著が当方を一時覚醒させ、雨に降りこめられた花冷えの日々に目薬の力を借りながら拝読、心に染みました。私家版本「まえがき」貴重、菅原万左問題も氷解です。
ありかとうございました。
どうぞどうぞ御身おいとい下さり、そのうえで「趣味」を全うしてくださいますように。
二○二三年三月二十八日 敬 出版社役員 編集長
* ありがとう存じます。
○ 京の花は、 いちどきに咲き誇り、 都をどり開幕までもつかどうかと案じております。
先日は、湖の本162、 御恵送賜わり、誠にありがとうございます
此度、おきき及びと存じます 歌舞連場 再開場によせてでましたものを いくつか お送りさせていただきます。
祇園や、新門前、新橋など思いおこしていたたきましたら 幸いです。
四月開幕の今年のパンフレットも同封させていただきます
朝夕は 今だに ひんやりといたします、
お風邪など召しませぬように くれぐれも 御自愛下さいませ。
とり急ぎ 乱筆乱文 お許し下さいませ
秦 恒平様
御奥様 八千代 京舞井上流家元
* 我が家からは 小走りすれば二分とかからない知恩院新門前通り西之町に京観世・片山、京舞・井上のお家が在った、今も揺るぎなく在るが、我が父親の「ハタラジオ店」はとうに無く、西隣家が取り払われて視野が明るんでの昔ながらの我が旧家の写真が『選集』の何巻か原色口絵に入れてある。なにもかもが、懐かしい。
* 日本近代文学館、神奈川近代文学館、松山大学図書館からも「湖の本 162」受領の来信あり。
2023 4/1
○ 秦先生 暖かい日が多くなってきましたね。
井の頭公園の桜も、風が吹くと散り桜となって舞っており、とてもきれいです。
「湖の本」をお送りいただき、ありがとうございます。今回は東工大の話題があるようですし、とても楽しみです。大切に拝読いたします。
さて、お身体のお加減はいかがでしょうか。
為我井さんと連絡を取り、お抹茶がいただける場所を探しているのですが、先生のお家からは遠い場所となってしまいそうです。
例えば銀座とか、東京とか、そのような場所ですと、遠いうえに人ごみとなってしまうことが心配です。
場所のご希望などはおありでしょうか。
また、時期は5月あたりはいかがでしょうか。
できるだけ先生にご無理がかからない形でお会いできたらと思っております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。 麻紀 東工大卒
◎ メール感謝 昨年残暑来の ヒドい体調不良が歳ごえに加わり、そんな中で「読み・書き・読書と創作」の手は止めないで、過労とムリとで、ヘトヘトに潰れています。もう一と月も精魂込めれば 仕かかりの大仕事や中仕事にメドが立ってきましょう。天上からは、先だって逝った人たちが、しきりに「もういいかい」と招きますのを、懸命に、「まあだだよ」と断り続けています。
なんとか四月そして五月半ば過ぎまでは、堪えたいと思っています。そして出逢って 愉しくお喋りできますのを楽しみにしています。まだまだコロナも執拗に尾を引いています様子。要心して、医者のほかは出歩かないでおります。
以前には わりと見やすい「秦恒平のホームページ」を展開し日々発信して歓迎されてましたが、何か私の不器用から潰れてしまい、読者らからは、ぜひぜひ速く復活をと懇願されるのですが、生まれついての「機械バカ」で、お蔭で父の「ハタラジオ店」を継げず仕舞いでした。
東工大卒業の鷲津くんら男子が寄り寄り、詳細に、いろんな図式を送ってくれているのですが、猫に小判で、とてもとても「送ってもらっているアレコレ」を、どうにかして活かすテクが無く、何の工作も出来ないまま、詳細な助言が、むなしく立ち枯れています。具体的にそれを「どう、こう」と手が出せないで居ますよ、笑って下さい。
鷲津君等のプランを 念のためここに入れて送りたいと思っても、それが「出来ない」のですよ、なさけない。
お元気でお元気で。逢えます頃を楽しみに待ちます。 秦 センセイ
* 爛漫の花の春へ、健康に歩んで行きたい。疲労を抜かねば。
* 紅書房主の菊池さん。銀座から、いつものように瀟洒におしゃれな巧い洋菓子と手紙とを下さった。
○ 拝啓 落下きりの候となりました。
このたびは『湖の本 162』をお送り賜りまして恐れ入ります。此処より暑く御礼申し上げます。
「作家人生の<まえがき>」では、お若いときのお心の揺れ動きと、そのなかでも揺るぎないご決意がかいま見られます。 奥様のお言葉や眼力、凄いことです。
また、折々 先生のお心の育成(変な言い方ですみません)に、素敵な先生方との触れ合いを書いて頂き、なるほど、實のお母様とのご縁は密接でなかったかわりに、このような思いやりある教師の方々がどれだけ今の先生に多くのものを授けて下さったことかと感じ入っております。それにいたしましてもご記憶の慥かさにも感服です。
略 昨日、親類の画家の作品を觀に春の院展に行きました折、先生に心ばかりお疲れ休めの粗菓をみつくろって参りました。
季節の変わり目、ご自愛のほどお祈り申し上げます、 かしこ
三月三十一日 菊 拝
2023 4/2
○ ご無沙汰しております。新野(=東工大卒)です。いかがお過ごしでいらっしゃるでしょうか。「湖の本」ありがとうございました。拝読させていただいております。
ちょうど昨年の夏から秋にかけてくらいの時期のこと、先生が日々書を読み感じられたことに 自分が過ごした時間を思い出しながら 読ませていただいております。そして先生の生活の濃密さに圧倒されています。
「私語の刻」のホームページ電送を断念されたとありました。上手く表現できないのですが、紙媒体での良さ、「整った」文章の凄みを堪能させていただいております。そして何故だか 紙媒体の方が深く身体に入ってきます。
この違いが企業でITを活用する際の大きな手がかりになる気がしており、引き続き考えていきます。
お辛い時もあるご様子、どうかご自愛いただければと存じます。失礼致します。
聡
* 東工大教授を離れ、はや四半世紀になろうと。しかも今も、新野君、柳君、鷲津君、上尾君、丸山君ほか また爲我井さん、米津さんら、数えれば二十人に余る当時受講の卒業生諸君諸嬢からの音信や来駕がある。佳い触れ合いが今も有る。たった数年間で定年を理由に院教授へのお薦めも辞退し退任してきた、ごく短期間の付き合いだったのに。
喜ばしい、嬉しいことです。
2023 4/3
* 「湖の本」へ、沢山の方また施設から受領の来信。城西国際大学院教授の岩淵宏子さん、石毛研究室の石毛直道さん、豊中市の安川美沙さん「今日は寒い日になりました。寒の戻り、花びえと。それでも櫻は、ほぼ満開で、もくれんや、こぶしには 緑の葉が、しっかり大きくなっていました。買い出しの途中で見られる樹々です。余りキョロキョロすると脚をとられそうなのですが。心がけて歩るくべき、なのでしょうね、外で陽に当って。」は、そうせよ、陽を受けて転ばぬように歩いてということだろう。聖教新聞の原山祐一さん、「ら・ロシュフコーの『箴言』に聴き、新宿河田町とそのさんばいの長さの北多摩保谷町の生活。「抜けろーじ」から、京都の小、中、高、同志社の先生方に発展し、東工大余話の”表現する力にあっとうされました。その議論が何故かいくつかのお身近の自死に…。まりあ・ピレシュのつよい演奏を私なりに思い起こし聴き入っています。敬具、御礼」と。島尾伸三さん、青田吉正さん、江口滉さん、宮崎弘子さん、そして書く大學や施設等々、もう書き写せない。感謝。
* 何時頃からか、とろとろと寝入っていた。眼の底から疲れが湧いてくる。読書もままならないが、「書く」ことは途絶えてならない。
「湖の本」を収束して、ホームページで「書き続けては」という声は、身近からも私自身の胸の内にも去来はするのだが、せめて「創作」した文章は「本」にしてやりたい…。 2023 4/3
* 「読書量が減ってないか」と気遣ってもらっていた、が、「書いて」「書きながらの」必要な「調べ読み」は寡少でなく、いわゆる爲樂の読書は、芯に大長編の『源氏物語』『参考源平盛衰記』がズシンと居座り、加えて『薔薇の名前』がこれはもう尋常でない稠密な叙事叙述イを極めてそれが基督教の修道士や古來の修道院内での煩瑣を極めた論議や紛議に充ち満ちていて、読み進むに容易でないどころで無い困難をきわめながら、それがまた魅惑でもある。その上にこのところ「湖の本」の再々の校正読みも重なって、書いている次巻も多く、ま、満杯状態。疲れは底からも来ているのは、慥か。メールを私から送ることも、減っている。
2023 4/4
○ 「湖の本 162」 ありがとうございました。「懸想猿」「畜生塚」「齊王譜」「淸經入水』、いずれもなつかしく想い出され、また読み返してみたくなりました。
先生にはくれぐれもお身体お大切にお過ごし下さい。不一 国立市 恭一
* 神戸の芝田道さんからも。同じく神戸松蔭女子学院大学図書館、福島県立図書館、親鸞仏教センターからも。社会学の上野千鶴子さん、もと岩波「世界」の高本邦彦さん、そして、湘南二宮の高城由美子さんからも。 感謝。
2023 4/5
* 「湖の本 163」押して「要三校」で印刷所へ戻し、ゆとりの時間を「懐中」して肝要事に向き合いたい、と。なにも、慌ただしく急く事は無いのだ。大事なのは、仕事の「楽しめる」ということ。
2023 4/7
○ このたびは 『湖の本 162』を賜わり有難うございます。
菜の花の黄色が
まばゆい頃となり
風が光っています。
先生、ご夫妻のご体調
案じて お手紙をと
ペンを執りましたが
ただただご回復を
祈るばかりで……
絵葉書を同封させていただきます。
画面にてお見舞申し上げます。 「来福」印
(別一枚はがき、には 墨で大書)
生きる力 人生は心の持ち方ひとつ
京…山科 じゅん 詩人 神戸大 名誉教授
* 「祐」先生 「じゅん」先生 知己の言 有難う御座います。こうして、わたくしは励まされ、立ち直り、思い返す。感謝。
* 橋田有子さん、二朗先生のお嬢さん、京の若筍を送って下さる。
2023 4/8
* 「湖の本 163」三校が出てくるまでに、題未確定の、ま、長編といえる小説を脱稿したいが、前途は未だ錯綜している。なら、思い切りの錯綜編に仕上がればいい、慌てまい。後半に収めるいつもの「私語」をも、どう編むか。
2023 4/9
○ 「湖の本 161」 「世をら波に」長谷川泉先生は、私の大恩人ですので、胸にしみました。「行ひて苟くも」 子規の「仰臥漫録」「病牀六尺」に通じるユーモアを感じます。これからも大いにきたいしてます。これから「湖の本 162」を拝読。元気にご活躍下さい。 弘前城の櫻 添えて 岩手 やまだ 芳紀 文學研究家
2023 4/11
○ われは湖の子 さざなみも さわがぬ濱の まつ並木 煙も雲もはればれと なげの苫屋に光りさす われ待つ子らは無けれども
2023 4/11
* 「湖の本 163」三校が出てきて、きれいに「責了」できそうとは納得し其の用意はした。
2023 4/14
○ 秦 恒平君 姉名宛のお便り感動致しました。 嬉しい!。
「歯なく はかなく 」 締めの言葉 に 先ずは大笑い、センスあるなぁ。
どうか拗ねないで下さい。こちらも、有り体に言えばまずまず。 細かく言い出したらきりがない程 身体の不自由に見舞われる毎日です。まあこんな歳までよくぞ生き延びたものと呆れ返る気分。
「ギチギチに中身の濃く詰まった」読書、とても真似出来ないなあ。
そう言えば映画をよくご覧になっている様子、映画館で大きな画像に親しんだ気分が抜けなくて、家のTVの小さな画像で観るのは余程の時、歌舞伎座もしばし御無沙汰です。
読書も家の書棚の本の再読繰り返し、「田辺 元、野上弥生子往復書簡」など。最近の出版物は殆ど興味が持てません。湖の本 は 愉しみに拝読しています。 有り難う御座います。どうかお元気で続けて頂きます様に。 半田 美学藝術学の先輩
◎ 湖の本 楽しく、感慨深く、拝読致しました。
先ずは懐かしい名前の羅列、入学当時私にとっては聞きそめに等しい「美学」という学科の講義、夢中で聴き惚れたものでした。貴君の驚くほど細部の記憶、読み進む程に懐かしさ倍増、何度も読み返しています。
それにしても恐るべき記憶力ですね。とても「やそひち爺」とは思えない。
園(頼三)、金田(民夫)両教授、もうひとかた中川(一正)教授も。 懐かしい恩師です。土居次義先生の案内で、市内各寺各社の名作襖絵など様々鑑賞した事も「寶」のような思い出。
重森孝子さん他、「ハーちゃん」と呼ぶ「おっさん」だか「おばさん」も居ましたね。どうしておられるのか。
私同期の上村宏君も 兄上の文化勲章受賞前に旅立ってしまいました。
そうそうゲーテ君のお父上の名は 三玲(ミレー)様。
あの頃の京都、結構尖った街ででもありましたよね。「左翼に非ずんば人に非す」の時代。古都というよりは学者、学生の街という感じでもありました。フランス映画の二本立て、三本立てを愉しんだり。
旅立つ前にもう一度学生時代に戻らせて頂いた気分、嬉しいです。
御体調如何でしょう。御夫婦お揃い、本当に羨ましい。 とても貴重なことです。
どうか呉々も日々御大切に お元気でいらして下さい。 久 拝 専攻先輩
* とにもかくにも、気を確かに生き続けて創り続けてゆくまでのこと。いまさら世に出張って発言したり行動したりは出来ないし其の気は元々無い。成ろうならこの現在と、無限大の過去世からの種々「文化」の恵みを、老体の栄養に、よくよく味わい食したいまで。
2023 4/14
* 朝いちばんに「湖の本 163」責了紙、送る。
* 身辺を片付けたり見直したりしていて、いろいろなものの「在る、残っている、仕舞い込まれている」ことに、いつもながら一驚また一興、久しく「気に掛かっていた」ことの判明も行方も見つかったり。ただ、もう、そんなそれぞれに挨拶している余裕の無いのも事実。残念だが。 2023 4/15
* 昨夜は 遅くまで、日付の変わる刻限まで、妻と、ホームペーシ復旧の用談に暮れた。何かに追われるような性急な思いは棄てた方がいい。成るように成って行くのだからと「待つ」ことを、殊に私は覚えねばいけない。
* 「なまなり 左道變」を ともかくも『湖の本 164』のため、仕上げ急ぎたい。
2023 4/20
* 届いた「湖の本63」刷り出しを観ると、後半の「私語の刻」の日付が去年の「2022」で在るべきに、もう今年の「2023年」で通ってしまっている。専門の組み手、校正者の手も通っているはずなのに、気づいてくれていない。
老耄はあきらかにこういう不覚になり、すでに仕事の上を横行し始めてきた。年貢の納め時がもう来ているのだろう。
2023 4/28
* 半日をかけて進めた「入稿」のための作業が、なぜかまるで「保存」出来てなく、落胆。 それでも今日は妻と、私のいわば不覚敬愛する名作映画、一つは『ウインストン・チャーチル』と、もう一つは黒澤明が書いて監督し、スピルバーグが製作協力した『夢』、此の二作に、心魂を揺すられ感嘆できた幸福を衷心喜びたい。
私の前途はもう短く且つ険しいと覚悟しているが、楽しみたい。
* もう刷了され、五月半ばに納品される『湖の本 163』巻頭の新作『或る往生傳』は、いま、私なりの思惟とも祈願とも、また覚悟にほど近いものを、いわば露わにしている。どう読まれるだろうか。
* 「処女作」からみれば六十余年、「湖の本」創刊から「三十七年」にもなり、新しく加わって下さった読者の皆さんには「初期作品」を読む機が無いと云われている。「湖の本」巻頭に「処女作」以降の極く初期作も載せて行こうと画策している。私に、私で無くて出来ない仕事は、まだいろいろとある。『或る往生傳』には貧苦の夫婦して百十二歳まで生きたとあり笑えるが、ま、頑張ってみて佳かろうよ。
2023 4/29
〇 雨にアジサイのつぼみがふくらんできました。季節の移ろいが年ごとに早くなるようですが、先生も奥様も、お変わりなくお過ごしでいらっしゃいますか?
「湖の本」162、嬉しく拝受いたしました。ありがとうございました。
18頁の附記 ああ、ほんとうに、秦先生はすでにこのときから秦先生だったの
ですね。
東工大余話 大変面白く拝読しました。わけても、前半の設問への回答には興
味深いものがありました。
124頁から126頁にかけて。153頁から154頁にかけて。 最も印象深く拝
読いたしました。
コロナへの対応が明日から変わるそうですが、変わらず用心に越したことはないので
しょう。どうぞ、おふたりお体ご自愛くださいまして、佳い日々をお過ごしくださいますよう。 岐阜 都
2023 5/7
* 十日、明後日には「新刊の湖の本 163」が出来てくる。発想の準備はまだ万全で無い。妻は午の前に厚生病院循環の受信。わたしは「湖の本 164」入稿などで郵便局へ。雨が止んでいるといいが。
2023 5/8
* 夜前は疲れ切り早くに床に就いた。三度ほどは手洗いに起ったが、いやな夢も見ず、ほぼ快適に寝て起きた。今朝には「湖の本 163」ができて届く筈。問題は入稿郵送した『湖の本 164』がまだ印刷所で確認できてないと謂うこと。念のため新たに追送の用意はしてあるが。
* 『湖の本 164』納品され、即、発送作業に入る。
* 終日、ふたりして発送作業、全三分の一を送り出した。明日に続く。
2023 5/10
* 発送 二日目に・今度の郵封のセイか、荷がいつもより、是までより重い。ダンボール箱に55冊平均で運んだのが70冊に。強烈に重い。我ながら惘れる腕力を駆使しての作業。今朝は首も肩も痛んでいる。それでもまだ今日明日の作業、続ける。
* 妻の協力で「湖の本 163」各位への全発送を終えた。「164」入稿は昨日に確認されている。暫くは「読み・書き・読書と創作」へシカと振り向ける。発送は大変な力仕事で、ダンボールに郵封された75冊分を持ち上げられる87歳はめったにいまい。方も首も痛むけれど。こんな作業を「創刊」いらい37年も倦まず続けてきた。
* さて、「新機」から発信を切望している「ホームページ」だが。未だに、有効な設定に到らず、画面は開くけれど、私流に「書字(ひらかな打ち)」が効かず、大画面はぎらぎらと真っ白で眼を痛め、立ち往生している。もう一息か二息か。はやく、有効に働いて欲しいが。やれやれ。
2023 5/11
* 昨日今日の「発送」に。超級の重荷を散々持ちあげたのが、てきめんに腰へ来ている。明日はまた歯医者通い、それが済めば、落ち着いて創作へ姿勢を定めねば。
2023 5/11
* 歯医者へ二人で。済んで、車で、生け風呂のメトロポリタン・ホテル 二階和食の店で。イタリアの好い赤ワインを一本美味くのみながら。珍しい、というよりも、いささかヤヤッコシイ和食で、「湖の本 163」発送了を自祝、乾杯してきた。
幸いというべきか、「湖の本 164」の初校出までに間があり「165」入稿もこれからの用意。差し迫って厳しく追い掛けられる作業はなく、「読み・書き・読書」以上に「創作」に打ち込める。仕掛かりの長編などをシッカリ追い掛けたい。
2023 5/12
〇 秦さんへ メール 5月5日?10日の分をもう読ませて頂き ほんとうにありがたく うれしいです
日本唱歌 旅 泊 大和田建樹 聴きました パソコンがすぐ歌ってくれました うれしく有難いです
* 「新機」君 馴染むには かなり お時間がかゝると思いますが うらやましいです 「ひらがな打ち」も近々できそうかと。
奥様の ご経過本当に何よりです
今日は続きを書いて…と思っていましたところ 午前中に『湖.(うみ)の本 163 或る往生傳 掌説・拾遺』が到着、戴きました いつもいつも本当に有難く 厚く御礼申し上げます
「ある往生傳」 道明律師 武時夫妻 妙丸 何遍も読ませていただきます
どのお経よりも スッキリしております
視力 かなり霞んできておりますが 気をつけております
コロナは実質 まだまだだと思います 警戒を解除せず気をつけます
秦さん くれぐれもお大切にされてください
私も 頑張ります 勝田 chiba e-old
* こういうお便りを 何より嬉しく頂戴している。 「湖の本 163」届いていると確認。幾つかお便りが戴けるだろう。
2023 5/15
〇 秦 兄 有り難く頂戴した『湖の本』第163巻の「私語の刻」を前に あれこれ思っている。何よりも 兄が心身ともに相当疲れていると強く感じている。第163号は令和4年(2022)10月1日からの日付けだが、毎日の日付のほうは令和五年(2023)になっているから。恐らく疲労困憊で原稿の読み直しが億劫になってできなかったのだろう。
兄の性格を知る読み手が、大分疲れていたのだな、私語の日誌だから許されるのでは、と思ってくれれば、それでよしとしよう。否、我々の齢になれば良しとすべきである。
兄の読者のなかには、兄夫妻の私生活にまで踏み込んで忠告や助言をされる方もおられるようだが、私は物書きの兄と「日本語の乱れ」について語り合いたい。
私は「老人」や「田舎」まで差別用語だと目くじらを立てる一方で、「半端ない」などと気色のわるい日本語独自の助詞・助動詞や活用形の文法を無視した物言いや、次々に乱造されるカタカナ表示の、それも省略された文字というより符丁に対して 不満を感じている一人である。一時期、差別語の規制に抗して断筆を宣言して話題になった筒井康隆は、兄の大学の一年先輩ではなかったか。
「つんぼ桟敷」や「めくら判」まで使用禁止ということは即、我が国の文芸や芸能を否定することであり、日本の古来からの精神文化をないがしろにする暴挙であり暴力である。
「めくら」を盲目・めしい・目の不自由な人などと言い換えてみても 所詮は言葉の綾に過ぎず、対象そのものには何の変化も生じない。身障者の私に言わせれば、おっかないものに触れるごとく健常者が気を遣うことのほうに、却って差別感を覚えて不愉快なほどである。ましてや英語で a blind personやthe blindと言われて何とも思わない者は相当おめでたい人物である。普通の感覚なら言葉遊びの具になっているようで 却って腹立たしく思うだろう。
そう言えば銃殺された元総理(=東条英機か、安倍総理か)も言葉遊びが大好きな御仁だった。美辞麗句を無闇やたらと並べ立てて、兵器を防衛装具などと言い換えては悦に入っていた。
精神文化より物質文明が先行する国や社会に明るい未来はない。合理性や利便性のみを追い求め、全てのモノの価値判断をカネで量る経済最優先の現代人が多く、そんな不合理・不条理で理不尽なことに対して平然と無関心でいられる恐ろしさ。これも精神文化の衰退のなせる業であろう。
VIPの護衛や文化財の修復に多大の税金と時間をかけている一方では、ウクライナをはじめ世界の各地で多くの一般人が殺され、貴重で再生不可な文化遺産が破壊されている。
為政者を殺せば極刑に処されるのに反して、為政者の仕掛けた戦争で殺人を多くするほど称賛される世界は正気の沙汰ではなく、狂気(これも差別語でNG)の沙汰そのものだ。仮想敵国を防衛予算を増やす口実にして、福利厚生費予算を削減する為政者に政治家の資格などはない。
兄も「悪意の算術」として外交の必要性を強調しているが、私も全く同感である。16世紀のイギリスの詩人で外交官でもあったヘンリー・ウォットンも「外交官とは、ウソをつくために海外に派遣される正直な人間」と言っている。
平和外交こそが今の日本にいちばん求められるものだ。日本にいちばん近い隣国は4キロも離れていないロシアである。北方四島を日本に返してもらえば軍事基地は作らず、漁業中心の経済事業活動を日ロ共同で展開しようと持ち掛けて 約束すれば北方四島の日本復帰も可能だろうに、(= これは、ロシアに向けて、かなり甘い。)あろうことか (防衛予算を大幅に増やし死の商人國アメリカから古手の武器を言い値で買わされて) 軍事大国を目指すなどと戯けたことをアメリカの雑誌社のインタービューで口走っているリーダーは、ここまでくれば日本はおろか世界中の恥さらしや物笑いどころか、亡国を謀る国賊ではないか。
平和外交を怠り、一皮?けば、中・ロ・北朝鮮と同じ穴のムジナである武器大国アメリカ一辺倒の日本の政権与党は勿論、野党各党も似たり寄ったりで党利や私欲オンリーで国民の代表としては失格者揃いばかり。
世界で唯一の原爆被爆国の広島で、核兵器や原発廃絶を広島所縁の岸田総理が各国のリーダーに説得するのが当然なのに、世界の軍事大国になるなどとは何事ぞ、と、ここまでは、改めて私が言わずとも大方が呆れ且つ憤慨して言ったり書いたりしているが、所詮はそこまで止まりで、然らばこうする、という結論部が全くない。
そんな政権に憤慨して選挙になれば少しは変わるかと言えば、ますます投票率は下るばかり。その結果は国民の支持率が20%程度で政権交代もなく、大方の国民の信任を得たと得意顔の一党独裁の長期政権が相変わらず持続するという有様。
イエスだけの是認票にノーの否認票を加えた一人二票投票制度の新設を提唱している私案に対して、有能な政治家が落とされて、泡沫候補者が当選するから否認票に反対と、政治家が全員反対するのは当然としても、国民有権者が未だに反対することが私には不思議に思えてならない。
そもそも選挙が誰のためにあるのか、言うまでもなく選挙は政治家や一部の特権階級のために行なうのではなく、主権者の国民に代って代表を選ぶために行なうものだ、ということがほとんどの国民は認識していない。
考えれば分かることだが、事ここに至っても投票率が一向に上がらないのは、投票に値する有能な政治家がいないからではないのか。それに反して、銃殺の標的になるような政治家が毎回当選して悪政を続けているからではないのか。リンカーンの「投票用紙は弾丸よりも強し」の至言通りの投票が行なわれていないからこそ銃殺されたり、未遂事件が起こるのではないのか。
有能な政治家が落とされるから否認票に反対という政治家を有能と思うのは有権者の自由だが、有能な政治家なら法に触れても赦すとなると話は別である。
今の日本の政界には政治屋はいても政治家はいない。良識の府といわれた参議院は今は有象無象の溜まり場であり、衆参二院制を廃して一院制にという声も頷ける。
コロナ禍がかくも長引いた原因も含めて総括して、今後の一助にと奮闘しているが 生きものの政治が相手だけに手強い。
そんな次第で、一定のペースを保って長年にわたり出版をつづけている兄に大いなる敬意と畏怖の念を抱いている。
兄夫妻には労わり合いと健康で楽しい日々を過ごされるよう心から祈っています。冗文を最後まで有り難う。 京 洛北岩倉 辰
* 堂々の見識と、大方共鳴してやまない。堅実に健康でありますように。
2023 5/16
〇 今日は予報どおりの暑さ、午後からはTシャツに着替えました。
湖の本お送りいただきありがとうございます。前回お礼が遅くなったので早めにお伝えしなくてはと思いながら、この時間になりました。
お身体の調子はいかがでしょうか。
この頃は暦どおりの季節感もなくなりました。花も実もどんどん早くつくようで追いつきません。
体内時計も混乱気味? どうぞくれぐれもお大事になさってください。
ありがとうございました。 下関 碧
〇 湖の本頂きました。ありがとうございます。
秦様の精力的なご執筆に感歎しています。
162号が3月。2か月も経たずしてのご出版。封を開けるのももどかしい思いで、読ませていただきました。
初めの「或る往生傳」に引きずり込まれて。
息がつけない気持がして、メールをしています。
また、時をおかずしてたくさんの読者に,送本なさいました お二人のご苦労をねぎらいたいと存じます。本当にいつもありがとうございます。まずは感謝のメールです。
充分お疲れを癒してくださいますように。 練馬区 晴美 妻の親友
2023 5/16
〇 お元気で と願いつつ。
ホームページが更新されていました。これで時空を遡って遊べます。
良かったですね。
秦さんは何て幸せな方なのでしょう。
「湖の本163」をありがとうございます。
『或る往生傅』は創作者人生の結語の一つであると共に、読者への楽しい近況報告としてありがたかったで。『趙岐』のつづきと響き合いながら楽しめました。
幸田露伴の「幻談」「連環記」のような 随筆? 小説? 不分明な妙なる語りをお待ちしております。
弱みを見せながらも弱音を吐かない秦さんの 更なるご健康を信じます。
「湖の本163」の「往時渺茫」は令和四年(2022)十月一日で起こされていましたが、中の表記は全部2023年になっていて時空を超えた不思議を味わえました。
秦恒平様 武蔵野の 野路
◎ 篤く感謝し 露伴の『幻談』にお触れのこと さすがぁと。有難く そして恐れ入ります 秦生
* 疲れを払いのけることは出来ないが、寝入ることは出来る。目が覚めて、また生きて行く、そのほかは考えない。
2023 5/16
〇 秦さんへ
「或る往生傳」をまた読もうと思って
思わず 秦さんのメールを開いてしまいました
あれっ 「湖の本」だった と気づいたのですが
5月10日 血圧 174ー74(88)にも気づきました ところが
9日 血圧 174ー74(88)
8日 血圧 174ー74(88)
7日 血圧 174ー74(88)
6日 血圧 174ー74(88)
5日 血圧 174ー74(88)にも気づき これは と、ほっとしたり それにしても 10日の数字が気になります
秦さん くれぐれもお大切にされてください
コロナは決して終わってはいません
私も気をつけて頑張ります 勝田e-old chiba 拝
▼ 勝田さん ご心配懸けました。實は、血圧測定を ずーっとサボっていました。
いま、久々に測りました。 130 (62) 72 でした。血圧の異様は最近は気づいて居ませんでした。おそらく只今測定の此の数値前後が、在来の平均値だろうかと感じます。
ゴメンナサイ、ご心配懸けました。胸を張って元気元気とも威張れない昨今の疲労ではありますが。
勝田さんもどうぞ、お大事に御怪我の有りませんよう。
そろそろ、街へ一度 出歩いてみたくなっていますが、ま、池袋が限度でしょうか。
世界も日本も グダグダと心地よくない近況です、が それだけに精神衛生は大切にと心がけます。
よみ・かき・讀書と創作。ま、それしか出来ない不器用者なんですが、 ご一緒に 何かうまいもんを食べに出たいです。 秦 生
* 高麗屋さんから、幸四郎が昼夜にがんばる七月歌舞伎や、松たか子主演舞台の魅力的な案内が来ている。久々のこと、観に出たいなあと、懐かしいまでに、思ってしまう。
お医者さんである勝田さんの言われるように、例の感染症。まだ油断なるまいと私もやっぱり感じている。ウーン。
* 突き貫きづらい頑固な土塁に目の前を塞がれている感じに、いま、私、立ち往生している。まいった。
が、こういうお便りも貰えている。
〇 『湖の本 163』を拝受。漂う気配に魅かれて、しょぼつく眼ながらすぐに「或る往生傳」を読みました。円熟の秦文學の到達点ともいえる名品。何の事件が起こるわれでもないのに、武時の心の動きがうねりのように伝わり、道明律師の「命の逝くハテはただ一枚の壁」という「御物言い」に圧倒されました。その後の変らない武時にも。
体調のご不良を案じ申しあげていますが、今年一月二十七日に編成ったこの作品の微妙精緻で艶も力もある文を拝読していると、心配もふっとぶ気がいたします。
これから掌説・拾遺・私語の刻と、秦さんの背中を追いたいと存じますが、むどこまで叶うか。
拝受のお礼に加えて、「或る往生傳」の簡明をお伝えしたくて
取り急ぎ野いっぴつです。
どうぞ御身くれぐれもお大切になさって下さい。
二〇二三年五月十五日 敬
* 第一級の文藝誌編集長や文学出版局長を永く勤められた片のお手紙。なにを他に求めえようかと、「或る往生傳」を書いた思いを反芻しつつ嬉しく感謝申している。嬉しい。
〇 えご咲けり終の栖も三歳なる 杏牛
「湖の本」ご恵送頂き嬉しく早速拝読 「或る往生傳」並びに「拾遺」、一読又一読嬉しく拝読 拙聾老気鬱 独語爽快、感謝です 先生並びに御令閨伴々お大事に 多謝。 奥田杏牛 俳人
* 坂中学入学時、理科の佐々木(水谷)葉子先生、おてがみに副えて、 とらや西条の名歌、精撰の宇治茶を下さる。この先生より以前の遠い知己はとなると国民学校小学校のほんの数人あるかないかの友だちだけ。嬉しくも有難く、有難くも嬉しい。
〇 前略 巻頭の『或る往生傳』面白いでした。
小屋の外には雨が降っております。寒暖の差がお身体にしみるのではと、ふとおもいました。ご自愛下さい。 島尾伸三 作家/写真家 島尾敏雄先生子息
〇 「湖の本 163」をありがとうございました。遅れてお疲れがでましたでしょう。ご無事にやりすごされますように。どうぞお大切に。
友人に柚の樹をもらって、うれしかったのですが、隣に実生のグレープフルーツの樹、(といってもほんの背丈位)があるのですが、新しい柚の方にばかり蝶々が卵を生みつけるので まだしっかり居(根)付いていないのに、と雨の中でも監視しています。乱筆乱文おゆるしを。 豊中市 美沙 大学出の友
* 持田鋼一郎さん、小和田哲男さん、文教大学など、受領の来信有り。
* 今回の「湖の本」では何と云っても 『或る往生傳』が作家人生をしめくくる「結語」の一作とこころしていたこと。すぱっとそこを観てとっていただいた天野さんに感謝して敬礼する。嬉しかった。
2023 5/17
〇 お元気ですか、みづうみ。
三日前に「湖の本 第163巻『或る往生傳 掌説・拾遺』を頂戴いたしました。ありがとうございます。
『或る往生傳』読みました。
なんとさびしい、救いのない、恐ろしい話であろうと 暫し茫然としていました。そして西部邁氏のことを思い出しました。一心同体ともいうべき妻を癌で喪って、自殺するだろうと言われていたとおりに亡くなった。なぜか江藤淳氏ではなく、西部氏です。うまく説明できませんが、西部氏の「生きかたとしての死にかた」の苛烈さに、武時と通底するものを感じたのでしょう。
わたくしは、「自分を大いなるものの御手に委ねる」という「抱き柱」を信じていたい凡俗の一人であることを痛感しています。死後は「無い」のが真実としても、「抱き柱」を絵空事として抱いているほうが、「心安らかに死ねそうな気」がいたします。
今朝、再読して、どうにも救いがないけれど、それはわたくしのような凡俗にとっての受けとめかたであり、この一篇は、互いが互いにとってかけがえのなかったただ一人の「身内」夫婦の、愛の物語と読めばどうだろうと思い直しました。みづうみから「妻迪子」への遺書に等しいラブレターとして読めば、どんなにさびしくても、そこに一つの極楽往生世界もあり得るのかもしれません。読み終えて、迪子さまがみづうみより絶対に長生きしてくださいますようにという、ただそのことを願いました。
「ホームページ」の件ですが、その後如何でしょうか。
みづうみの更新作業が難しければ、旧機でみづうみが書かれたものをメールでお送りいただければ、私でも更新できるのではないでしょうか。もちろん、みづうみか東工大の有志にアクセス方法を教えていただくことが前提ですが、お手伝いは可能ではないかと想像していますので、ご要望がおありでしたらお知らせください。
ホームページ上「私語の刻」は2004年3月まで公開されていて、その後2012年6月までが欠落して、その後復活、2015年は1月だけが欠落、2月から復活して2016年3月まであり、その後また消えています。
データがおありになれば、戻すお手伝いは(ご指導があれば)可能と思います。
腕や肩や腰に転倒の後遺症はございませんか。発送作業の力仕事と共に、心配しております。しかも昨日から突然の暑さ、体調がおかしくなって当たり前です。
どうかお身体にやさしくしてあげてください。みづうみは、ご自身のお身体に特に厳しい方ですが、甘やかしてあげることも大事です。わたくしは、ため息ついて頭を抱えながら、毎日機械に向かい、ボチボチやっています。どうかお元気で。 春は、あけぼの
* 感謝。
2023 5/18
〇 秦先生 奥様 いつも「湖の本」をお贈りくたせさいまして 本当にありがとう御座います。近くのスーパーでレジのおばちゃんが、これおいしいヨとダックワーズを勧めてくれて、お茶うけに ! と思っていたら、別の店で 母の日用に ! と注文をとってくれた干菓子があって、今日届いた、あいにく取り扱い注意ですので送るのはちょっと無理ですヨと言われたのですが、私が勝手にプチプチを詰めて何とかなるだろう!?と決めて送らせて貰いました。もしかしてコナゴナに割れてたら、本当にごめんなさい。運を天にまかせて !
昨日は朝から一日肌寒い日でしたが、今日 御詠歌レッスンが終わって帰る頃には、暑くなってました。季節の変わり目、どうぞくれぐれもご自愛下さいませ、 かしこ
五月十日 静岡市 きよみ、
* いろいろに読者がいて下さり ご親切も戴いている。ありがたいこと。
〇 毎日、少しずつ御書(うみのほん)を拝読させて戴いております。
この私にとりまして何よりも貴重なりこ導きのほんと相なりました。お出会いのかないましたこと、大切に抱きめている所存でございます。 合掌
白蓮寺開山 恵念 埼玉 草加
〇 昨日 金澤で大きな會がありました。(終えて ほっとしました。)
心ばかりのおみやげと
浅草のおせんべいをお送りさせていただきます、 時節柄 どうぞお身体お大切になさって下さいませ 鳴り物(和楽器演奏)家元 望月太左衛
* 新作の長いのを押している、どうなるか。
* 大阪 池田市の陶藝作家 美しく色をおさえた青磁の皿五枚、箱書きの箱におさめて贈ってきていただいた。賛嘆と感謝にたえません。思えば久しくも親しいなからいで銘々の道を娃病んできました。いっそうの御健康とご名作を祈り待望します。
* 歴践、旅の写真家、近藤聰さん、お好みお心入れ地元の名酒一升で美々しく「湖の本 163」を祝って下さる。
妻の従妹後藤明子さん、みごとな丹精の「玉葱」を山りよう頂戴。野菜が苦手だった私も、秦家に「もらは」れた幼少來、玉葱、きゃべつ、葱、はすすんで食べた。
所澤の藤森佐貴子さん、どうすると毎度毎度こう珍しいお菓子がみつけられるものとびっくりしつつ、こんかいも、極上の煎茶に發お目見えの「花林糖}の二缶を頂戴した。
この、爺 婆 をみなさん励まして下さり、多謝深謝に堪えません。
* 大阪松原市の岸田準二さん、神戸市垂水区の芝田道さん、埼玉所澤の藤森佐貴子さん、いいお便りを戴く。
〇 先生の 書き続けられる そのえねるぎーの源泉は、一体どこにおありなのでしょうか。唯々アタマの下がるおもいです。生きづらい昨今、生きる楽しみを何に見出したらよいのでしょうか。迷うばかりです。
ようやく過ごしやすい陽気になってまいりました。先生には益々お建樹にお過ごしくださいますよう願っております。不一 都 国立市 安井恭一
〇 『湖の本 163』拝受。月刊にも逼る刊行、その筆力と労力に感じ入っています。先号のエッセイにも感銘しましたが、今回の『或る往生傳』は、秦さんならではの世界にしばし没入いたしました。
『私語の刻』の「二〇二三(二〇二二?)10/28の項で、二聲の呼びかけはしっかり読み取りました。耳の奥には、なつかしい声も聴こえています。ありがとうございます。
今日は、家内が週一回のデイサービスに出向いています。午前十時から午後三時まで。四月から始めたのですが、なかなか行きたがらないのをケアマネージャーに説得されてしぶしぶと行っています。ただ、四月末に高熱を出し、娘と嫁が病院那連れゆきました所、車の中での診断が四時間にも及び、結局「コロナ」と宣告され、家族一同が一週間に垂んとする外出禁止を喰いました。私はともかく子供たちには(全く病状なし)気の毒なことになりました。そのご、家内は食欲不振に陥り、主治医に願って五日間入院させました。
その後また前の生活に、家政夫擬きと相成っています。もうそれが普段の生活となり、たいした苦痛も感じませんが、時々ふと我に返って、自分は今、こうなんだと、大きく行きづくこともあります、秦さんの「井口さん 井口さん」はとてもなぐさめになります。
五月八日に九十一歳を迎えました。家内のケアマネージャーさんが、煎じつつ訪問の際に、「こんな九十一歳はみたことない」といってくれました。外見は元気なのだと思います。しかし、心はなにか満たされないものがどこかにあるようで、ふと不安感みたいなものがよぎったりするのですが、これからはそんな時、「井口さん 井口さん」というお声が勇気を与えてくれると思います。
秦さん御夫妻も、「いいお年」です。どうぞお大事にと祈っています。
五月十五日 井口哲郎(前・石川県立近代文学館館長 元・小松高校長先生) 秦 恒平 様
* お元気で 井口さん、どうかどうぞ お元気で 秦 生
2023 5/19
〇 お元気ですか、みづうみ。
日常的に体調に問題がおありのなかでまた新しい湖の本を送り出されたのですから、「元気は底をついてか」という状況は当然のことでございましょう。ご無理をしなければ出来ないことを、鋼の意志で成し遂げていらしたのです。
ゆっくり、しぶとく、もうしばらく、出来ればあと十年は「湖の本」をお続けください。「ホームページ」もどうか蘇生、活用なさってください。
「もういいよ」とは、ワガママなわたくしは、まだまだ申し上げられません。
春は、あけぼの
* 逃げて遁れられる先は、無い。
2023 5/20
* 歯科医、「中華家族」で遅めの昼食、三時半にもなって帰宅。
もう「湖の本 164」初校が出てきた。急ピッチも構わない、成るものは成るものと、頓着も斟酌も無く進めて行く。
2023 5/20
〇 > 解決できる一つの方法は、「舊機で従來のまま日々に書いている」それを、「新機に転送・貼り付け」 または「usbを使って」「舊機の創作や記事の全部を、新機に、転送・貼り付け出来れば、その後は「新機」で書き継げばいい、それが有難い」のですが、その道も、手順方法も私には分からぬままなのです。質問もし依頼もしているのですが、依然 半歩も進まない。 秦
〇「書く」だけに徹するとお決めになったら如何でしょう。芸能人のブログなどは、原稿を書いて他の誰かが更新するかたちが多いと思います。そうなさったらいい。今さら新しい機械のあれこれをいじるのは時間の無駄です。読者は「新しい作品や文章」を文學/文藝として受け容れ読むことが喜びで、秦さんのパソコンスキルの上達は期待しません。
たとえば、毎日でも一週間に一度、一か月に一度でもかまいませんが、書かれたものをメールに貼り付けてお送りいただけましたら、当方でホームページの「私語の刻」を更新することは可能です。もちろん、秦さんか東工大卒の方にホームページ更新手続き、アクセスの仕方を教えていただかなくてはなりませんが、それは難しい作業とは思いません。
欠落部分の復旧も、データの「私語の刻」だけを拾っていただいて、USBなどにコピーしてお送りいただけましたら、こちらで実行します。是非ご検討ください。
今日は雨の予報ですが、もう梅雨入りかもしれません。湿度が高い季節はやっかいです。くれぐれもお大事にお過ごしください。 曙
* なにをどうすれば済むのか、私によく分かって居ない。
それよりも、当面は「湖の本 164」の初校をより正確にしとげて、新刊を送り出しつつ、次の{新刊 165」の構成、組み立てを思案したい。ホームページが如何にも難なく淸しく毎日に送り出せると確信出来るまでは「私語の刻」は「湖の本」新刊の後半部に公開して行けば済むこと。
2023 5/20
* 大冊『秦恒平 愛と怨念の幻想』の著者、永栄啓伸さん、地元五條の名品、名店「たなかの 柿の葉寿司 鯛/・鰹・鯖」をみっしり詰め合わせた一樽を贈ってくださった、じつに美味い、そして満腹。感謝感謝。
* 美学先輩の半田久さん、今日の名産といえる「竹の子ごはん」をこんもりと柔らかに煮て、下さる。竹の子、大好き、少年の昔が懐かしい。秦の母はいわばいろいろのまぜ御飯を炊く名人だった。父も、小姑の叔母も口うるさかったので、母は苦労したのだ。祖父鶴吉もともどもうちの大人たちはシンラツな批評家だった。四、五歳の「もらひ子」だったが、わたしもまた秦の大人たちを見つめるように批評していた。
* 日本近代文学館など、新刊「湖の本」受領の来信。
2023 5/20
* 「湖の本 164」初校すすめながら、晩の遅くに速くから心惹かれてきた映画、トム・ハンクスらが演じた『ダ・ビンチコード』にも見入った。イエス・キリストとマグダラのマリア「夫妻」との「血脈の子孫」を描き出していた。在りえたことだろう。キーになる言葉の「ローズ 薔薇」に惹かれる。いまもよほど真剣に読み進んでいるウンベルト・エーコの大長編『薔薇の名前』との関連を興味津々想い描きながら。
その一方、湖の本のために初校している吾が処女作二編『少女』そして長編『或る折臂翁』へよほど強烈に惹き戻されてもいる、「よく書いたなあ」と感謝しながら。
2023 6/22
〇 秦先生 このごろの ご様子 お送りくださいましてありがとうございます。また、湖の本もお送りくださり、とても嬉しいです。お礼をお送りしたいと思いつつ、なかなかその時間がとれずにおりましたこと、ご心配をお掛けしてしまったのではないかと感じています。このところ、仕事も家も何もかも目まぐるしくて、ゆったりとした時間がとれずにいます。
近況の綴られている色々から、先生の日々のご様子が感じられて、まるでドキュメンタリー映画でも見ているような心持ちになりました。自分自身の生活を書き綴るには、こんなに豊かな言葉が出てくるだろうかと思い、自身は、慌ただしく過ごしすぎのような気がしています。
本当は、ひとつひとつの事柄を心に留め、言葉にしたり、考えたりしたいのです。そんな望みに反して あっという間にときが過ぎ去ってしまい、却って脳を使っていないと感じます。
言葉と思いに溢れていらっしゃる先生の暮らしは、理想でもあり、憧れでもあるのですよね。先生とお話しできるときまで、言葉を溜めておきたいと思います。
お身体いかがですか。暖かくなってきたとはいえ、雨が多く、時に寒い日もあるので、振り回されますよね。お大事になさってくださいね。
富松 (いつも、米津と書くべきか、富松と書くべきか悩みます)麻紀 東工大院卒
* 東工大で別れてきて四半世紀にもなり、その後「富松」さんとの結婚式にも招かれて祝辞を謹呈したり、こういう往来がしかと持続している「秦センセイ」の歓びは深くも大きいのです。教室や校内では、86キロもデブ姿を見せていたが、いまや、すこしもちなおして56キロ。会うたら縮こまったのにおどろくだろうなあ。米津さんと大の仲良し爲我井さんも、在学いらい途切れなく「湖の本」の嬉しい読者として心親しくあり続けている。
そして今も今もこんがらかった「ホームページ」の繕いには、男子卒の鷲津クンや柳クンらが我が家へ身を運んでまで応援助力して呉れている。わずか四年半だけ定年までつとめて「秦教授」の幸せは希有と謂えよう、嬉しい。
2023 5/24
* 「湖の本 164」初校、順調に進み、「あとがき」「アトづけ」「表紙」入稿分を副えて「要再校」段階へ送り出せる。
* 寒いほどに冷え冷えと、あまり気分のいい一日ではなかったが、各種各方面の仕事は気ままに割り振りながら、寝たければ寝、生協から届いた四合瓶もチビチビと楽しんで過ごした。何よりも『或る折臂翁』の初校を読み切った衝き上げような「震撼」は凄かった。
2023 5/24
〇 ご体調如何でいらっしゃいますか。
「湖の本 163」有難く頂戴しました。御文中秀逸歌合 小野小町の歌「わびぬれば」は僕も好きな歌で 周防内侍の「手枕」の歌と並べて両方とも女の方に軍配が上がるとみておりました。男が情けないですね。(彦根屏風の繪葉書に) 前・文藝春秋専務
〇 三、四月 沖縄に出掛けたり シンポジウムを開催したりしていました。
『湖の本』創刊なさってから三七年、既刊百六十三巻にもなるのですね。文士の魂に感服、敬服しております。奥様との久しく久しい二人旅、一と言に謂えば おもしろかりし(夫) よくぞきたりし(妻)の応答ににやりとなりました。 小生も連れ合いとの二人旅、すでに五十三年になりました。同じ心境です。もっとも連れ合いは、 よくぞがまんした…ということらしいですが。
小生も秦さんを見習い、(といっても及びもつかぬことですが)生きている間は、書き続けようと思っております。何を書くかについては、秦さんとは違うでしょうが、言いたいことを言い残す、それに尽きるかと思います。文士は書くべし、ですかね。
秦さんの益々の御健筆をお祈りします。
コロナ。第五類医に分類されたとはいえ、収まったわけではありません。以前より見えにくくなっただけでしょう。どうか、御身体にお気を付け下さい。私語を語り続けて下さい。樂しみにしています。とりあえず御礼まで。 詠 拝 作家 協会理事の
(森さん執筆の二編補掲載した雑誌「出版人・広告人」をも副えて)
〇 「湖の本 162 163」 ありがとうございました。
広島サミットと世間が騒がしいなか、「湖の本」の言葉が重く感じられます。
「『まると知りてのち、定まる有り、定まってのち能く静か、静かにして市画家にしてののち 能く安し、安くしてのち 能く慮る、慮ってのち 能く得る』。國にも、政治にも、我一人言いえて、違わない。二十一世紀の今にして、これらを超えた新たな哲学は何処に芽生えたのか」
何よりも戰争を止めること…
修身 齊家 治国 平天下
自分の身を修めて、はじめて家が、國がととのう…勝手なことをしている人たちが 天下を平定しようとしても 無理ということでしょうか。
「日米の協力 それは『おとぎ噺』に過ぎません」ですね。
なにが不沈空母なものか 原発を三基も撃てば日本列島は地獄ぞ」
『源氏物語』を読んで歌が心に残るように、「私語」のうちにぽつりぽつりと『うた』書き込まれて 境涯歌、述懐歌になっている…」
先生のお歌だけでなく 『湖の本』のさまざまな歌が 読む者の心の中で出合って、阿智らしい気付きが生まれます。
玩具店のかど足ばやに行き過ぎぬうつくしむ者のわれに失ければ
いうお母様の歌と
忘れじの行く末までは難ければ今日をかぎりの命ともがな
という高階貴子の歌
どちらも強い肉声が歌の「理」に支えられて、美しく聴かせる、
お母さまと
女房という仕事を選択して藤原貞子の母となった人に なにか通じるものがあるようなきがしてなりません、
そして奥様
先生の作品はオートフィクションというより、ダブルフィクション
先生に起こりえたであろうフィクョンが、奥さまに投影されることで深まる魅力… 、私が秦文学に心惹かれる所以でございます。
東工大生には「いそぎすぎるなよ」ではなく、「学生時代にこそ最良の相手に出会えるとき」と言ってあげた方がよかったのではなでしょうか。
ま 学生時代の出会いはひとつ間違えばセクハラ、パワハラになりかねず、コスパもターパも悪く、スマホ アブリできめるようになつてきているという話ですが。
先生
奥さま 暑かったり寒くなったり之今日このごろ
くれぐれもお身体大切におすごし下さいますように 羽生 大学教授 デザイン
* パソコンの文字が、よく見えない、ハダカ電球で画面を照らしている。もう、いよいよ…ダメか。郵便、日ごろよりも数多いが、読んで書き写すのは、もう無理か。
2023 5/25
* 昼まえ、柳君が来て呉れ、新旧なー二台のパソコンに連絡をつけ、また「新機」「ひらかな打ちを」可能にするなど、大改革を為遂げて行ってくれた。画期的な自体へ私のパソコン世界は転移移動した。
〇 秦先生 鷲津です
本日,柳さんがかなり進めていただいたとのことを 伺いました.
差支えなければ,以前お伝えしておりましたように,明日28日の夕方頃に伺って良いでしょうか?
先生がお書き進められていることは良いのですが,
こちらのページに
http://hanaha-hannari.jp/aisatsu1.htm
まだ反映されていません.
そこまでの作業と,手順書を作りたいと思います.
私は明後日の月曜から水曜まで代々木で開催される学会で出張していますが,途中,いろいろ会合等ありますので,前日の明日に作業させていただけると大変助かります.
お疲れのところ大変すみませんが,宜しくお願い申し上げます.
* 鷲津君 今日柳君が 「新機と舊機との連繋」、そして、新機の「ひらかな打ち」を「可能」にして行って呉れました。 これに、よく慣れて行きたいと思います。
さて 私自身の「パソコンに寄せる最も大きな期待」は、かつては人も愕いてくれるほども可能で在った「ホームページ」の 「再建」です。
老齢を増すに従い、いずれ 『湖の本』刊行は 労作的に断念せざるを得ないでしょう。
その時、「読者ら」が「ぜひ存続を」と願って下さるのは、「ホームページ」機能を利しての、{作と文章}との{公開と、受発信」なのです。
その設定が 明夕着て頂けて可能になるようなら、 私ども老夫妻とも 實は日々「疲弊と困憊」を加えてはいますが、どうか鷲津君来駕を得まして、「ホームペ゜ージ」 の最も簡略な「顔」を再建設していただければ、嬉しいかぎりです。
ご都合のみ せめて早いめにもお知らせ下さい。 残念、遺憾にも、ほとほと、なにのお愛想 お構いもなりませんけれども。
けっして ご無理はなさいませんように。 秦 恒平
2023 5/27
* さてさて、昨日から鷲津君のおかげで、「ホームページが復旧」したらしく、つまりは此の「秦 恒平 私語の刻」が、そのまま世界中へ搬送/展開しているというコトらしい。逼塞していた間は、各巻『湖の本』後半部へ「文意・文面を正して」送り出していた。それが、日々原文のまま無際限に出て行くとなると、気配りが何倍にも増し必要になる。日々の書き放しをホームページから避け、このところの「湖の本」編集なりに「文意と分量」を調整しつつ「ホームページ」発信すべきか。
今日只今の現状だと、過去「超長大な日々の私語」が或いは「すべてそのまま公開」されている、ということ、らしい。是より、非の気味が気がかり。
* 書いている小説のためには機械クンとの「やっさもっさ」は、只の障害。取り組む順番を間違えてはならぬ。いま、疲労の極ヘトヘトの現状とどう向き合うか。今朝も五時半に目覚め十一時半まで六時間の後半を寝入っていた。午後も三時から五時、宵も、六時から七時半まで寝込んでいた。すこし熱気があるかどうか。油断はしていない気だが。
* 当座当面、手がけ片付け始末せねば済まぬ要は、無くしてある、書き継ぐべき創作のほかは。にも焦って心身疲弊せねば済まぬことは、機械の整備もなにとなし出来ていると感じるなら、なにも無いのだから、せいぜい読みたい本を読んで、疲れれば眠っていたらいいのだ。
2023 5/29
〇 秦さん メール・「湖の本」162・163有難うございます。体調よろしくない状況で次々と見事に情報発信される恒平さんに いつものことながら感心しています。当方はちょっと元気がありません。とても「浩然また昂然」には程遠いです。
プーチンのウクライナ侵攻と日本の対米追従・軍備拡張に強く強く反発します。
テル
* 弥栄中学の同窓生には ひとしお逢いたい、「元気で」いて欲しい。西村のテルさん、團彦太郎、片岡我當、そして小学校から大學まで同じ道を歩いた富松賢三クン。
女性では、ちょうど今も着ている翠の軽やかなカーデイガンを編んで贈ってくれた渡辺節子、健在かな。祇園の料亭「浜作」女将の洋子ちゃん、元気なお祖母ちゃんで長生きしろよ。
2023 6/3
〇 老境の杖を頼んでゆっくり歩いておられ。
作家の宿命に立ち向っておられる。
ご本を頂くたびに心が痛みます。
梅雨寒の日もあるかとおもいますので お気をつけてお過しください。
感謝 京 山科 あきとし じゅん 詩人
* 感謝。得手とは謂えませんけれど 「怺え」て 歩んで参ります。 秦 生
2023 6/5
* 「日記・日誌・私記」の習慣の無い人には、「對話/会話」はあっても、書いて「私語」する時は少なかろう。「私語」は「独語」に類し、そこに当人の「知情意」が必然働く意味で、たんに断片的な「独語」を超えている。
しかし「私語」は必ずしも世間や他者の快く受け容れるものでなかったし、今日も明日も、世間や社会で「私語」は窘められる「悪役」に近い。教室で、会議で、集会で、「私語」は窘められる代表格、幼稚園でも国民学校・小学校、高校大学、会社勤めしても「私語」は、先生や上位者や管理者には嫌われた、ま、きらう理由は立ってもいた。だから「私語」材料が身内に溢れて「随感・随想」を愛して生きまた暮らす者は、「日記や日誌や感想文や詩歌創作」へ顔を向けてきた。
私は近年に至って、と謂うより「パソコンという機械」を使い始めたちょうど前世紀末、「東工大教授」を六十歳「定年で退官」の直後、東工大生の手引きや手ほどきで「ホームページ」を開いた頃から、固有名詞ないし看板としての『私語の刻』という「自在な述懐の機構」を機械の上に持ち始めた。
以来、私の『私語の刻』は厖大な量の「吾が、最大著作」と成り続けている。人によっては「秦恒平文業の最大の表現」と評され、かなり廣く受け容れられている。『秦恒平・湖(うみ)の本』現在まで「164巻」進行のすべてに「私語の刻」が活動しているのは観られての通りである。
2023 6/7
〇 秦恒平様 「湖の本」第百六十三巻を御恵贈賜りありがとうございます。
ご体調の万全でない中 「湖の本」発想のお手配をしてくださいますことも もったいないことと感謝申し上げます
村上開新堂は明年に百五十周年を迎えます イギリスの祝い菓子の代表的なものが ウェディングケーキだったのでしょう 弊店には「ウイデン」と呼ばれてきたフルーツケーキがあります ウェディングがうまく発音できす「ウイデン」になった いわば明治の日との訛と伝えられてきましたが 音も音数もかけ離れていると納得がいきませんでした ある日ふと weddinをフランス式に読むと「ウェダン」「ウェデン」に近く 「ウイデン」とも近いと閃きました 私の曾祖父がフランスの菓子職人から学んだフランス経由のイギリス菓子 そうした学習の路筋が見えてきて 初代の修業の一端を捉えたような気がします つまらぬとを書きまして失礼いたしました かしこ 山本
* いつも有難く嬉しく戴く村上開新堂大看板の「クツキー」の重い缶を掌に置いて、御当代の興深い述懐に、頬をゆるめた。有難う存じます。いよいよのご清栄を願います。明治維新、諸外国との宮廷、政府の「親近の場」に似合うかとして村上開新堂のフルーツケーキ「ウイデン」も誕生したと伺い聴いている。お店が、宮中に間近くのお壕外に在るのもわたくしは見知っている。山本さんとのお付き合いも久しい、何十年になるか。
2023 6/7
* いまも「文壇」なんぞと謂うことばが活きているのだろうか、在ったはあったが、私は百に余る単著・共著の本も出しておいてから、東工大教授を定年で退いて以降「秦恒平・湖(うみ)の本」そして、「パソコン活用」の『私語の刻』という自由自在の著作姿勢で、文壇とは、ほぼ一切の縁を私の側から絶ってしまった。むやみと有った放送にも講演にも対談・座談にも出ず、「湖の本」は、もう数旬を経ず「第164巻」を刊行する。ほとんと近代の文学史に他例の無い仕事振りで多彩に著述を積んできた、まさかと嗤えるヒトはいないだろう。
私は、根が「編集・製作職」に着いて堅固な出版社勤めを15年積んでおいてから、専業の作家生活へ転じた。「作家・秦恒平」を「編集し製作する」術を先に手に入れておいて、「文壇」という煩わしい世間から離れた。離れてよかった。そんな私にはやめに目に留めていて呉れたのは惜しくも早く亡くなった江藤淳であったろう、彼の推薦とも知らず私は東京工業大学教授に招聘された。コンピュータを活用の執筆や創作という縁は、それなくて私には訪れなかったろう、間違いなく。
2023 6/8
* 疲れきってか他に理由があってか、たしかに早く起こされはしたけれど、一仕事のあと、夜昼の判じも就かず、よくよく寝入ってはや午後三時、夜中かと思いながらふらふらで目覚め、此処、機械(パソコン)の前へ来ていた。
京祇園の橋本嘉壽子さん、弥栄中三年五組で一緒に卒業した女友だちから、京風の凝ったお菓子とも塩吹き「出汁の素」とも謂える『初霜』の珍味を戴く。ありがとう。此の「嘉ぁちゃん」は、健康の理由から一年上にいた人、幸いに、元気にひさしく「湖の本」にも最初から付き合ってもらっている。ますますお達者でいて下さいよ。
「この学年」女子では、嘉ぁちゃんと同じく最初っから読者でいてくれた中村節子さん、最近に翠の毛糸でジャケットを編んで呉れた渡辺節子さん、それに割烹「浜作」の大女将だった北村洋子ちゃんの四人が健在。有済小学校卒では「お嫁」候補だったと聞く、いまも踊りの「おっ師匠はん」の林貞子ちゃん、高卒では私筆名「菅原万佐」になって呉れたうち菅井チエ子さん、樋口万佐子さんが嬉しくも健在で、「湖の本」をいつも送り届けている。
2023 6/17
* 機械の不安絶えない。
『秦恒平 湖(うみ)の本』の今後の続刊を近々にもどこかで(170巻あたりで)収束し、あとは「機械」の安定・確実な「ホームページ」『作家・秦恒平の文學と生活』で黄海を継続できればと願懸けている、が、不幸にして「ホームページ」の精確な建設が、いや『再建』が、東工大卒有志の好意と応援にかかわらず、確かとまだ起ち上がらない。この「難所」を何としても無事通過しないでは、「先途」が望めない。ぜひにも妙案が得たいところ。
い゛んのホームページ組み立ての何か記録らしきが在る気もしている。晴々と誇らかな『ホームページの顔』をしていたが。「顔」はもういい、実質『私語の刻』により「文學とせいかつ」とを発信しつづけたい。知恵がほしい。
2023 6/21
* 「六月病」となづけたい、ぐったり疲労・がっくり疲労にメゲているのは、私だけではない。妻も、私以上に同じく。 しかも、明日には『湖の本 165』が出来て届く。だが、創刊半世紀余にして、初めて「発送用意」が調ってない。あきらめ、居直り、ゆっくり日数をかけ、徐々に「送り出す」とする。週刊誌でも月刊誌でも無い全てが「単行著作」なのだから。
2023 6/22
* 熱いかと思って寝入ったのが肌寒く、毛編みのジャケットを着込んで寝たほど。
今朝は九時には「湖の本 165」新刊が納品される。発送は急がない。なにもかも急ぐということはすまいと思う。ゆっくりと永目に。
* 九時『湖の本新刊 165』納品、午後三時半に配使に一便託す。明後日には送り終えたい豫定。慌てず急がず。体力に出送の自信有れば200巻でも書き続けられるが、妻の余力も考慮しないと、ムリが二人に祟っては倶倒れに成る。
2023 6/23
* 夜前,床に就いていたが十一時少し前に目覚め、そのまねいるきになれず一時間を利してと、灯の消えていたキチンに一人入って、「湖の本165発送」の手作業を,結局日をまたいで零時半過ぎまでつづけた。要が捗った。
夜中、妙な夢を観ていたが、六時半すぎには目覚めて夢の記憶はもう薄れきっている。可能なら、京も早めの内に「発送」を終えたい。すると、ま、残暑の時季まで他の仕事に集中出来る、夏バテしなければ。わたしは少年來「真夏」には元気なのだが。
* 「湖の本 164」発送作業を終えた。昼過ぎに送り出して,終わる。
2023 6/25
* 群馬対教授になっている岩崎宏英君ら数人のメールやハガキをもらっている。
今夜は、もう疲れている。明日に期して、なにごとも。
2023 6/28
〇 懐かしいニ作(「少女」「或る節臂翁」)届きました。夜読み直します。 尾張の鳶
2023 6/28
〇 いつも「湖の本」をお送り下さり、まことに有難うございます。
「或る折臂翁」読ませていただき、最後のところで血が凍る思いがいたしました。
また、年賀状ベスト5に選ばれたのは、身に余る光栄でした。
「やそしち翁」になられたそうで、おめでとうございます!
こうなれば「くそ爺」まで、あと一息ですね。くれぐれもご自愛ください。
有難うございました。 京都 桂 服部
* 八七歳「やそしち」翁の気でいたが、いずれは「九十 くそ爺」と。ウーン。
〇 湖の本 第164巻 ありがとうございます。
今日の下関は昼前に 「物凄い」雷雨でした。
いまは晴れていますが遠雷が聞こえます。
今月の母わたきしは働きすぎ、頑張りすぎ〜午前に杏ジャムを作り、午後はドクダミと格闘〜で熱中症のようになり、点滴を受けました。これで三年連続ですが、時季が早すぎます。
東京も蒸し暑いのでしょう、早めに冷房使うなどご用心なさってください。
私語の刻 五月三十一日以降が表示されません。スマホだから読めないのか、何かまたトラブルかしら?と思いながら、こちらの宿題も果たせていないのでお知らせもせず過ごしていました。
「湖の本」届いたので、重いご病気ではないと安心しました。
どうぞくれぐれもお大事になさってください。 大庭
2023 6/29
* 「真夏」を実感しながら一夜寝て起きた。浮腫止めも効いたのだろう上腕の細いことは。
そして「六月」が果てる。歳の半ばが過ぎて行く、今日一日で。昨日親しい読者のお一人から励まされた、と想いたい、いま「八七歳 やそしち翁」でもやがて「九十歳 くそ爺」になる、「九十九歳 くそ臭い」まで生きてみろ、と。黙っていよう。
〇 月さま 花籠より
「おーい、おーい、元気ですかァ お声をきかせて下さい」
長期留守にし、帰宅した机に重ねられていた御本。慌てて開くと、不義理を重ねていた身を案じてくださるお言葉に 涙があふれました。
コロナ禍で長男家族が感染。
その影響は孫(次男)の長期後遺症に依るその間の休学。登校後、勉強が解らないプレッシャーに身体が悲鳴をあげ、医療へ。登校拒否で**の家の近くにある施設で半日学ぶ生活。夫婦共稼ぎに少しでも手助けにと、自宅を同居の三男に頼み、出掛けていました。
その間、三男も職場感染の煽りを受け、過剰勤務に。今年に入り「仕事辞めるかも」と。好きにしたら良いよと返事。それまでも5時前出勤、帰宅午後8時以降が20日以上の生活に、私が居ない負担が重なっていた様子。会社が休日を増やす配慮で、退職は回避。
戴いた御本に記載された「謹呈」の文字に連絡を怠っていた三男。無理を強いていたこともあり、留守を有難う、と。
私は少し…いや、大きく「横に」成長しました。5階までの階段が助けになるかどうか、怪しいところですが、これから軽くなるように心掛けたいと、思っています。
月様、奥様、時節柄どうかくれぐれもお身体おいとい下さいませ。有難う御座いました。
御本、これからゆっくり読ませていただきます。
取り敢えず、近況と御礼まで。 四国の 花籠拝
* コロナ禍がいかに険しく蔓延し燃えさかったかが察しられ、まだまだ油断成らないと此処三年半ほとんど保谷の外へ出ない私ら夫婦、まだマスクを手放さない。
「花籠に月をいれて」と閑吟集に親しみ名乗り合うていた人との實に久々の交信となった、喜びたい。
〇 湖の本164 昨日届きました。有難うございます。
お疲れは出ていませんか。
早速「私語の刻」のページを繰りましたら、最初に、復興の港町・気仙沼から戻って来たときのメールが。
まだほんの7か月前ですが、この半年、一年は、私にとって大きな転機となりました。 やそしち様にはどんな日々だったのか、164、拝読させていただきます。
今日は、今年一番の暑さだったとか。
夏空の熱海へ移動してきましたが、海開きを控えたビーチには、はや、ライフセーバーの監視台が設置されていました。
明日は六月尽。梅雨明け前で、天候も不順ですね。
くれぐれもお体をおいといくださいませ。 晴
* 晴々と、博士の研究に新天地が加わり広がりますよう。健康が一です。
2023 6/30
〇 先生、何度もメールを差し上げ申し訳ございません。
「有済」という名前が出ていたので、70年前を想い出し懐かしくなりました。
小学生の頃は「有済校」という名前が厭でした。近くの小学校は粟田、新道、清水と皆んなわかりやすい名前だったのに、「有済」だけが何となく古臭くてわけの分からない名前だったからです。
もう随分前になりますが、10名くらいで小学校の同級会をやった帰りに、廃校になっていた有済小学校に行ってみると、校舎の壁に校歌が書いてあったので
歌詞を読みながら全員で合唱しましたが、歌い終わって全員しばらく沈黙しました。今なら少しは歌詞の意味もわかりますが、「耐えて忍べば済す有り」という所は 全員ナスビ(茄子)を連想したそうです。
70年も前のことで記憶も定かではなく多分間違っていると思いますが、歌詞を
書いておきますので先生も是非お歌い下さい。
学びの窓に居並びて
心は清く身は強く
難きに耐えてたじろがず
励み励まん諸共に。
耐えて忍べば済有りと
校名負えりわが友よ
朽ちざ絶えざるその名尊びて
勤め果たさん諸共に 京 桂 服部正実
* やはり「有済校」のご縁でしたか。
前にも申し上げましたか、京都市東山区の有済学区、新門前通りの「ハタラジオ店」に育ちました私には、近くの、白川、狸橋を古門前の方へ渡ったすぐ先に、「紙函屋」さんと「お餅や」さんとの「服部さん」二軒(古西町か)が、子供心に印象に残っていまして、同じ「有済校」とを結ぶ縁に、親しく記憶してきました。ことに「お餅屋の服部さん」には、一学年上の「優等生・陽子さん」がおられ、卒業式には私の在校生「送辞」に卒業生「答辞」を読まれたり、後には、私叔母宗陽の「茶の湯稽古場」にお稽古に見えたりと、懐かしく忘れないでいるのですが、「有済」と関わっての「服部さん」は、他には存じません。
「耐えて偲べば済すあり」の「有済校」や「ともだち」や「地理」のことなど、『湖の本』のそう遠くない以前に、何度か何冊かに繰り返し書いたり触れたりしてきました。御覧戴いたかに存じます。
* この服部さん、私よりはお若く感じている。なにといっても、戦時「国民学校」 敗戦後「小学校」にかかわる同期生や間近な先輩後輩の記憶や話題には胸が鳴る。多くは亡くなったが、逢いたい、話したい友だちの名や顔が生き生き蘇る。有済小学校では健在の富松賢三君に会いたくて溜まらない。
そういえば、昨日「鰻」をはるばるご馳走に送って呉れた舞踊の「お師匠はん」林貞子ちゃんが、女生徒では今や數少ないかぎりの独り。東山線東入る袋町にその昔に暮らしていた横井川貴子さんがもう一人、「湖の本」での、ご縁。
* 故旧の名で 句の一つ載ったメールが届いていた。その通りならば懐かしいのであるが、ほどなく消えて失せている。判らん。
もはや、もう、なんにも判らん。風邪ひきか。泪ばかり目を塞ぐ。九時半。想い疲労感を腕に抱いて、本を読みながら、寝よう、か。
2023 7/2
〇 秦さん メール有難うございます。「湖の本」160、161、162、163、164と次々と出されて、ゆっくりと読ませていただいています。秦さんの「読み・書き・読書と創作」の力は信じられないほどですね。
おかげで愚鈍な私にも昔の京都の雰囲気・交友関係・街並みなどもよみがえり、楽しませてもらっています。
また秦さんの友人知己からの便りもすばらしいです。
奥さんともどもお体を大切にもうすぐの米寿も健やかに迎えましょう。 明夫
2023 7/3
* 郵便がたくさん来ていた。それぞれに有難い熱いお便りで感動、仲にはお札まで籠められてあり恐縮した。関連して御著作も何人か頂戴した。講談社の天野敬子さん、文藝春秋の寺田英視さん、石川近代文学館の井口哲郎さん、東大教授の上野千鶴子さん、画家の善知鳥精さん、作家の後藤みな子さん、同志社車の田中励儀教授等々、懇切なご感想二十数通、激励戴いた。感謝。感謝。
2023 7/3
* いま機械前で手にとれているだけの来信を、私自身合点できるよう、ただ順不同に挙げさせて戴こうか。
川浪春香さん(京都市鳴滝) 井口哲郎さん(石川能美市) 上野千鶴子さん(都下武蔵野市) 山中以都子さん(岐阜県各務原市) 烏頭尾精さん(奈良縣明日香) 石毛直道さん(大阪府茨木市) 後藤みな子さん(北九州市) 寺田英視さん(埼玉県志木市) 安川美沙さん(大阪府豊中市) 勝田貞夫さん(千葉市) 浦野都志子さん(都・文京区) 原山祐一さん(都・新宿区) 小和田哲男さん(静岡市) 荒井千佐代さん(長崎市) 藤森佐貴子さん(埼玉県所沢市) 天野敬子さん(都・荒川区) 田中励儀さん(大阪府茨木市) 菊池洋子さん(都・豊島区) 岸田準二(大阪府松原市) 西村明夫さん(静岡県函南町) 島尾伸三さん(都・世田谷区) 江口滉さん(大阪府・池田市) 宮崎弘子さん(群馬県前橋市) 木村年孝さん(愛媛県今治市) 岩淵宏子さん(都・葛飾郡) 今西祐一郎さん(福岡市) 石内徹さん(千葉県長生郡) これらは、文字通り、たまたま「昨日今日」戴き手にした「個人」としての「郵便/葉書」に限っていて、これに 全国の「大學・高校・図書館等の施設」からも「受領」の来信が数々重なる。さらには、「メール」という親書が童謡に届く。
『秦 恒平・湖の本』を配送・配本の「大要」はこれで、ほぼ、看て取れる。
新刊から次回刊行までは、おおよそ三ヶ月から半ていどで数十年間実行してきた。
慎重に書き添えておくが、この『湖の本』ここ数年來、一切「販売していない」。「頒価」は無い。一冊の例外なく、すべて「呈上」つまり「謹呈」している。
もう著作で「お金儲け」し「遺産を残す」そんな「気も」「必要も」無くなっているから。願わくは、ただうち揃って現在「やそしち歳」の老夫婦が残年を安らかにと祈り願うだけである。
喜んでいるのは、時として美しい佳い写真や繪の葉書があって身辺に飾れること。いまも安川美沙さんから村上華岳みごとな『墨牡丹』 田中励儀さんから京都御所静寂の『紫宸殿前庭』 西村明夫さんからなつかしい建仁寺の俵屋宗達『風神雷神』等々、まぢかに始終目に入れている。
2023 7/5
* 昨日岩手の渡部芳紀さんを初めに、さいたま市の松井由紀子さん、浦安市の島野雅子さん、都・練馬区の持田晴美さん、都下・国立市の安井恭一さん、そして神奈川葉山町の森詠さんら、お送りした「湖の本」へ深切な励ましと感謝のそれぞれに佳いお手紙を下さっている。
2023 7/11
〇 秦先生 メール配信の不具合か、本メールを今日受信しました。(もしかすると、私が見逃がしていたかもしれません)
七夕の日に熱中症とは、 星に思いをといった情熱的な熱を感じることなら雰囲気良いですが、ただただ暑い、というのは本当に気をつけなければなりません。指がじんじん鳴るというのは、重い熱中症(水分不足)かと思われますから、水分補給をこまめに行ってください。
さて、15日の件、了解しました。私の予定表から「省き」ましょう。
ただ、度々お伝えしておりますが、拙宅は秦先生の家から15分の、それこそスープの冷めない距離ですから、秦先生の調子を確認することも兼ねて、電話でご連絡差し上げようかな、とも考えます。私個人は 週末はそれほど忙しい身ではありません。(なら、博士論文書けと言われそうですが) 先週末に庭の葡萄の手入れを終えましたので、今週末は時間が出来ましたし。
先生が自分で「読者へ手渡す」ことに責任一貫持ち、それが「湖の本」として続いてきたことは、私が先生に出会った1992年「冬祭り 全三巻」を発行していた先生56歳の頃から、私自身、理解しているつもりです。また、
「残年」も「体力・余力」ももう少ないと自覚しています。
もう、いつ「終える」か知れません。
だからこそ、自身で、責任をもって努めたいのです。」
と、いう気概も理解しているつもりです。
ただ、それが「「発信」「公開」は他に委ねるという道は行きません。」には直結しない、と考えています。
なぜなら、先生が著作を刊行されていたのは、編集者がおり、発行者がいる、出版という社会でのことでしたし、先生自身、医学書院時代はその編集者であった訳です。
先生は、自身著作のすべてをコントロールしていたとは思いますが、周辺に人が介在していなかったわけではない、と考えます。
(ホームページにも スキャン後未校正のものが多くあります)
ウェブの更新を待っている人がいます。
わずらわしい元学生だな、と思われるかと思いますが、
1991年10月56歳で東工大に着任した秦先生の年齢に あと4年と近づいてきた私が 私なりに大事に人間関係をしてきた その「最も大事な関係の一つ」である秦先生の残年も少ない今に対して、一期一会で向き合いたい、と考えていることも、ご理解いただければ、と思います。
教授室で先生から
「きら星のような太宰賞選考委員の皆さんも含め、私は人間関係は大切にしてきましたよ」と言われたこと、 とても強く憶えております。そういった言葉が私の血肉になっていると再認識することが多くあります。
「お仕着せ(=押し着せ)みたいですみません。
が、それは人間関係を大事にしていることになりませんよ、と、また云われてしまうかもしれませんね。
よろしくお願いします。 櫻
* 感謝 感謝 ありがとう 深切の実意 親身の言葉と胸に響いて入ります。 秦
* 「編集者」という他人手を介さないといわゆる「出版」という関所は、むかし、おそらく今も、通れなかった。確かに私自身関所を守る「代官」であり、また時機を越えては自身「義経」であった。然様の編集者介在の「出版」であれ、今日のようにパソコンでの自身「発信」の創作や著作であれ、「手渡し」また自身「発信」ギリギリの間際まで、著者は(誰元など広げはしませんが)、私は、「句読点」の一つにさえ、「ウツ・トル」「何処・此処・其処」の仕上げに「腐心・執着・苦慮」するのです、(たとえ後日に校正という機械があると判っていても、です。)
むかし原稿用紙で脱稿の時代の私の「原稿」の蜘蛛の巣の乱れのような「手入れ」の凄みは、一つには「嗤い草」ですら有ったでしょうが、「私」という作者・著者には原稿は呼吸遣い微妙な生きもので、よく活かせるのうりをくこそが「才能」と心得ていました、だから、今も最期の最後まで自身の文章・創作に執着して「、」「。」の位置や数にも気を遣うのです。「ソコ、の、トコロ」は安易に人任せし難いのです。一種の「アホウ」なんです、が。最後の「発信」まで自身納得の作業が出来る(らしい)『ホームベージ発信』に私がしつこく願いを託するのは、それ故です。
いつも 櫻くんに逢いたい、話したい、昔のように歓談したいと願ってます。金曜の治療の日ガ「無事」に通過できて、週末に顔が観られればとは,今も思っています。もとより家内の健康もとても無視できない「老耄夫婦」なんですが。 秦
2023 7/12
* 文字通り、ヘバッテ、へたばっているまにも,次々と頂き物、妻が書き留めてくれていたのを見る。渡部芳紀さん念入りに恩手製の「甘酒」を堅固な二た瓶に満杯。山本道子さん村上開新堂極く詰めのクッキー缶、長田渚さん私の健康にと綺麗な缶の「野菜ジュース」の大函、信太周先生『稲庭うどん」たくさん、堀武昭さん見た目も美しい舶来「ぜりー」を綺麗な一函に。そして丸山君ご持参の「大桃」四顆、更に 午後には、南山城の地一〇の父方の従弟岩田孝一君が、稼業の「コーヒーまめ」を大きな箱に二包みにして,加えて「南山城」展が編纂の豪華ホン一冊に沿えていろいろ、かずかずのみなみやましろ案内のリーフなどを送って呉れました。「南山城」の「当尾」には、実父吉岡恒の生家が在り、ごく幼少の数年を私もその吉岡本家で両親を見知らぬまま素だった。この吉岡の「云え」が國の重要文化財に指定されたと教えてきてくれたのも、今日たくさんなコーヒー豆の送り主、岩田浩一くんだった。
〇 ご無沙汰しております
京都府 山城南部(南山城)の岩田孝一です
「湖の本」が届くたび 元気でおられるとおもっております
ありがとうございます
こちらの 元気でいるしるしにコーヒー豆を送ります。
先日、奈良国立博物館で開催の浄瑠璃寺躯体阿弥陀修理紀念 特別展 「聖地南山城」に行ってきました。
南山城がその地名の読みさえ広くは知られていない状況の中、「聖地南山城」を発信したいと博物館の研究員の方々が実に用意周到に準備を重ね、明治に浄瑠璃寺より流出した十二神将像(現在は東京国立博物館に五体、静嘉堂文庫美術館に七体収蔵)を浄瑠璃寺本尊薬師如来と140年振りに並べての展示を目玉とし、墾田永年私財法から太閤検地までの「中世荘園仏教の信仰空間」という言葉にしたくなるような場になっていました。
図録と併せて前にお送りした地図の最新版を同梱しました。
(前回のは裏表を?げて、笠置寺から東大寺(修正会が修二会となった道)、興福寺から笠置寺(貞慶上人と弥勒信仰の道)となっていたのですが、それを一枚にしたものを頂きました)
笠置寺の巨石群は孫悟空が「斉天大聖」と落書きした釈迦の指のようです。
今年も 暑い夏が始まりました お元気で
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ 岩田 孝一
* 至れり尽くせりの深切な親切。私は幸せ者 ありがとう と、何とか元気な禮を云い送りたい。
だが、まだ、ふうッと目を閉じ目を閉じしてこれを書いている。
* 九時半。25度の冷房が「寒く」なってきた。階下へ退散し、戴いた「南山城」を寝床で楽しみたい。
〇 暑い最中にご本送っていただき大丈夫だったかしら、、鴉が何度も読まれた本、大事に読みます。 ありがとう、ありがとう。
今日は秋田の方が豪雨でしたが、明日からは猛暑。外出お控えに、ごろ寝読書、くれぐ
れもお身体大切に。 尾張の鳶
2023 7/15
〇 ご無沙汰しております
京都府 山城南部(南山城)の岩田孝一です
「湖の本」が届くたび 元気でおられるとおもっております
ありがとうございます
こちらの元気でいるしるしにコーヒー豆を送ります。
先日、奈良国立博物館で開催の浄瑠璃寺躯体阿弥陀修理紀念 特別展 「聖地南山城」
に行ってきました。
南山城がその地名の読みさえ広くは知られていない状況の中、
聖地南山城を発信したいと博物館の研究員の方々が実に用意周到に準備を重ね、
明治に浄瑠璃寺より流出した十二神将像(現在は東京国立博物館に五体、静嘉堂文庫美術館に七体収蔵)
を浄瑠璃寺本尊薬師如来と140年振りに並べての展示を目玉とし、
墾田永年私財法から太閤検地までの中世の荘園仏教の信仰空間という言葉にしたくなるような場になっていました。
図録と併せて前にお送りした地図の最新版を同梱しました。
(前回のは裏表を?げて、笠置寺から東大寺(修正会が修二会となった道)、
興福寺から笠置寺(貞慶上人と弥勒信仰の道)となっていたのですが、それを一枚にしたものを頂きました)
笠置寺の巨石群は孫悟空が「斉天大聖」と落書きした釈迦の指のようです。
今年も 暑い夏が始まりました お元気で
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_/ 岩田 孝一
* 岩田孝一様 どうぞ日々お元気でと願います。
叔母様にも もう一目も二た目もお目にかかりたかった。
: 沢山 沢山 ありがとうございます。「コーヒー」も嬉しく 頂戴の『聖地 南山城』のいろいろも 衷心 楽しんでいます。
「当尾」への地理も いろいろの地図で 良く覚えた気がします。無数の仏様たちに御守り戴いている気が しみじみ します。
守叔父様にご案内いただいた岩船寺や浄瑠璃寺の想い出に合わせ 豊饒なまで仏様たちと出逢いました。深い信頼を自覚します。歩一歩 南山城へ帰って行きつつあるかと「安心」を得ています。
暑さに潰れぬよう気遣いながら 日々「読み・書き・讀書と創作」に根気よく励み、じつのところは 五体疲弊疲労に潰れそうですが、「南山城」の無数の佛様たちに励まして戴きながら もう少し もう少し 「まあだだよ」と 天上へお返辞しながらの日々 大事に致します。
あなたも、みなさまも、どうぞお達者で,日々の酷暑をお凌ぎ下さいますよう。 恒平 七月十六日
もう一度もう一度 当尾を訪ねたい、が、ムリかなあ…
2023 7/16
* 24時間の17、8時間を床に就いた暮らしとなっている。暑いなかで、ゾワゾワ、ゾクゾク寒けしたり、水洟をかみ続けたり。宜しくない。緊要の仕事としては、八部方書き進んでいる永い小説の推敲と進捗を一に手懸けている。この脱稿に望みをかけている。「湖の本 165」入稿を当然用意して居るが、これへ長い新作が宛て得れば気がいいのだ、が。
* メールのやりとり意欲か、意志か、が逓減しているのではないか。わたしも送らない、が、送ってくる人も減ったと思う。精神を細切れにまき散らすより、我独りの「ことば」「こころ」を養う姿勢へ戻れること、大事に思う。つまりは「私語の刻」をむしろ豊かに深めては、と。
2023 7/17
〇 拝啓 また今年も暑い季節がやってきました。先生はいかがお過ごしでしょうか。 当方大患後「安全運転」を心懸けながら,日々過ごしている次第です。
ところでこの間、いつもご丁寧に『湖の本』をご恵送いただき、ありがとうございます。
拝読していていつも思うのは、文学とは「説明」ではなく<表現>ダと謂うことを如実に示しておられる点です。
それは「ある往生傳」(百六十三巻)によく現れていました。 時間(時代)と場所(舞台)と人物をリアリスティックに描くことにより「説明」では到達しえない世界を表している貴重な作品。再度、拝読させて戴きます。お礼を申し上げます。敬具 京・鷹峯 三谷憲正 文藝批評家 名誉教授
2023 7/18
* 大學の研究室や図書館・施設等からも「湖の本」受領と謝辞の来信、各地から。
2023 7/18
* 当分は 何処へも「出掛けない」と決めて、気軽くなっている。書き継いでいる「小説」を先へと運びたいし、すこし間の開いている「湖の本」新刊の編集も。
2023 7/25
〇 「湖の本 164」処女作貳編 興味深く拝読 ことに『或る節臂翁』に圧倒されました。密度の高い文章にはただ圧倒されました。戦前戦後を描いての眞実感にしびれました。 青田 作家 元中央公論編集者
〇 心より御礼申し上げます。秦先生の始筆書き下ろしの御作を拝読できありがたく存じました。また 私語の刻 先生の旺盛な執筆力に励まされております。炎暑が続きますがくれぐれもご自愛くださませ。
山梨文学館 中野和子拝
* まさしく文字通りの最初作であった、初の安保闘争に國の揺れたさなかに書き始めた日夜の緊張を熱く思い出す。
2023 7/25
* 正午過ぎ、盛んに、午雷り 盛んに天駈けっている。
* 大阪高槻市の三好一子さん、スープの大きな重い一箱を戴く。懐かしい名前、白川の東に大きな、戦後は進駐軍が接収し役所のように出入りしていた邸宅八木家のお嬢で、中学高校の「一年下」に聞こえた優等生だった。同じ学年に早樫てる子さんがいて、八木さんと競う聞こえた優等生だった。「一學年下」の女子優等生というのは、目立つ存在で、幸か不幸か同学年女子には見当たらない、と謂うより観ようとしなかった。そういう独特の価値觀が「一学年違い」には在るのだった。
八木さんも早樫さんも、学校時代は校内委員会で同席する程度だった、ろくに口もきいてなかったろうに、七十年後のいま、二人とも「湖の本」のもう久しい読者。人生、不思議に有難い。めでたい。
2023 8/1
* 寝苦しい心身不快のまま深夜も三時半、灯をともし、寝床のまま陳彦作『主演女優』上巻の推移に、おやおや涙ぐむまで感動して起きてしまい、二階へ来た。
「湖の本 165」編成・入稿用意など含め、緊要の幾つか要件が在る。体調宜しく無く気がかりだが、ボヤッとしていると、困惑に変じてしまう。「八十七歳半」疲れるのに慣れている。用事を片付けて行くのが何よりの「クスリ(薬利)」よ。いま、早朝五時四十五分。
2023 8/3
* 心身とも沈滞し疲弊している。「気」ばかりで生きながらそれが「生気」とは承知できない。「読み」は陳彦『主演女優』中巻 『参考源平盛衰記』巻廿二、藤村『新生』に絞ったまま、「湖の本 165」を入稿すべく。「書き」は、『私語の刻」に。「創作」は長めの新作の収束を心がけている。欠けているのは「遊ぶ楽しみ」、出られるなら街へ出、大いに「買って、喰って、人と話したい」が。かえってコロナ六度目のワクチン接種を奨められている。やれやれ。
* 一つ機械に輻輳して多様にとすも類似原稿が場を占めてくる。その整理整頓に、目の疲れ、甚だしい。疲れた。「八時二十分」少年の昔に、「八時二十分」とあだなされた友だちが、いたなあ。疎いわたくしは、どういう「あだな」なのか知るのに、間がかかったりも可笑しく思い出される。
もう限界。疲れたぁ。
2023 8/4
* 霊峰と暑さと。寝苦しかったが。五時起き。入稿に備えての原稿の点検、これが容易でなく。いま十時四十五分。入稿は、一つの終点、慎重に過ぎると前へ進めない。やれやれ。
* 暑さにバテてか、メールも来ない、出しても居ない。ポツンと孤独。
2023 8/5
* 明日には『入稿』用意を遂げねば。
2023 8/7
* 入稿原稿つ゜くり午後からこの十時過ぎまで、懸命に取り組めば酌むほど機械に翻弄されて、混乱の極みに得王師左オウしてなお精確に出来たという堪忍を機械は呉れていない。機械のせいでなく、私の老耄のゆえであろう、此の仕事ももう打ち上げ時を強いられているのか、も。今夜はもう寝るとする。楽観出来ないが悲観しても始まるハナシでない。
2023 8/8
* 濃い敗色に掩われていったあの藻掻くような南湖の島々での日本兵惨敗の地獄苦なども、敢えて承知の務めかのようにテレビで見入った、昨日。例年の此の時期には意識し務めて往年のサンクを顧み自身その中へ混じる様にしている。忘れたいが、わすれてはならぬという自覚は失せない。国民学校一年坊主の私に既にソレしか無いと判りきっていた敗戦必至の戰争だった。先生や上級生に亡くくられようが蹴られようが、「買ったらフシギや」という、あの祖父旧蔵の白詩『新豊拙臂翁』に頷き聴き入っていた少年は、どう先生に殴りトバされ上級生に胸倉取られようが蹴倒されようが、「負けるしかない戦争」という至当の確信は脱けなかった。戰争は所詮「おかねのいくさ」鉄砲や弾や舟や飛行機の「數」で決まってくると私は感じ、それで、入学し立ての国民学校教員角牢から貼られた大きな世界地図の真っ赤い「日本列島」と宏大な真緑りのアメリカ国土を見比べ、「勝てるワケがないやん」と友だちに語った途端通りがかりの男先生に廊下の壁にたたきつけるほど顔を貼られた、ゼッタイに忘れないし、誤ったとも決して想わなかった。
「負けるに決まった戰争」を、どう、藻掻きながら相手の「上」へ出るかは、一にも二にも『悪意の算術』と私の名づけてきた「巧みな外交の技と力」なしには凌げない、どんな大昔からも、弱小国はそれでかつがつ切り抜けてきた。「歴史」が好きで学ぼうとしていた小学生私の、本能的なそれが確信だった、そしてそのまま「処女作小説」の『在る拙臂翁』へ表現されたのだった、最近「湖の本 164」に再掲し、相当な反応のあったことに首肯いている。
2023 8/14
*「湖の本 165」入稿分 ポストへ。そお握り、あんパンなど、用は「かいもの」をの序でに「ローソン」で「買いもの」日本酒、ウイスキー、サントヰイッチなど、要は「買いもの」を楽しんできた。「買う」という行為、心身に無意味でない。
2023 8/14
〇 沖縄から 届きますように
秦 恒平様 こんにちは。
初めてメールを差し上げます。 どうか届きますように。
いつも湖の本をお送りくださいまして、ありがとうございます。
沖縄県 名嘉みゆき
*届いてますよ 、ありがとう。
『湖の本』創刊の盧からの久しく久しい読者の方。「メールが通じる」ようになったとは、嬉しい。いろいろおハナシが出来る。手書きの郵便は、私の現在この「手」では、とうていムリになっていまする。まだ、ゆっくりでも パソコンのキイは打てる。何より交信の速いのも頼もしい。
2023 8/17
〇 秦先生 お世話になります。
「湖の本165」の初校は本日発送、明日到着予定でお届けいたします。
よろしくお願いいたします。 凸版印刷
* 場面が動く、「日々」の顔つきも変わる。
2023 8/28
* 晩、たまたま歌番組に出逢って、うまい・へたの極端例に、閉口してられず、盛んに褒めたりクサシたりして楽しんだ。美空ひばりがしみじみ懐かしく、ひょっとして彼女こそがわが「初恋人」であったのかも、などと独り合点したり。
小学校六年か戦後新制中学一年の真夏も真夏、わたしは売り出して盛んなひばりと、家から間近い新橋白川ばたで、触れ合うほど間近に出会っている。ちっこい女の子だった、わたしは「ひばりが来てる」と耳にするやパンツ一枚のはだかのはだしで駆けつけたのだ、人がギシと取り巻いてる輪を潜り入るようにして、もうホンマに触れ合う近さまで攻めよったものだ、口は噤んでいた、あれで有済小学校の卒業式には卒業生答辞を読んだ生徒会長だったが、油照りにクソ暑い京の真夏の夏休みの男子にはパンツ一枚のハダカが、ま、「制服」だった。ちっちゃい幼い、見るから子供の「有名な美空ひばり」は「よそ行き」のスカート姿だった、それにも少年は見惚れたものだ、暑い暑い京都祇園の真夏の午下がりだった。傍らにせせらいでいた白川は、今も変わりなく清う流れているはず。
* こんな、ラクガキばっかりしてては、オハナシに成らん。あすからは「湖の本 165」初校という大仕事が加わる。犇めき寄ってくる「仕事の嵩」には愕ろかない。必ず、成るように成る。
* 宵の早寝から翌る零時すぎて目ざめ、独り起きて「雲霧なんとか」謂うつまらん時代モノを見てからまた寝入った、が…
2023 8/28
* 『湖の本 166』初校開始。その次の「入稿」用意にも。気張って、仕上がり間近いと待望し粘っている新作長編をぜひ巻頭に老いて一巻を纏めたい。焦る必要は何も無い。「八十八(やそはち)の壽」らは、しかと間に合わせたい。
2023 8/29
* 初校の半分を終えたけれど、ただただ眠気にまけやり、寝入っていた。もう十一時。五体萎縮、ふらふら。抵抗せず、睡魔とも病魔とも平和的ににらみ合うて、また寝継ぐ。
2023 8/30
* らしい長編作の必至・恰好の脱稿。 「湖の本 165」の機敏な「要再校・初校戻し」「表紙等つきもの・あとがきの入稿」「新作の精確な脱稿」当座の急務はコレに尽きる筈。うかと失念すまい。
2023 9/1
* 早く起きたからと謂うて、仕事が出来るわけでない。
* 「湖の本」の用意に『隠沼(こもりぬ』という小説を読み返していた。ヒロインに濃やかに懐かしい想いが凝っていて、読み返すのがすこし辛く怕くなる。生けるヒロインと書かれている仮構のヒロインの、もう、とうにとうに両方に死なれ死なせている。ああ、そろそろ呼びに来たのかと思い、なぜか「まあだだよ」と応えにくい。場面と情感を切り接いだような作柄、私には稀か、珍しくもないか、咄嗟に判じられない、ただ懐かし「すぎる」自作だけになかなか読み返そうとしてこなかった。「龍ちゃん」の死は、現実にも作中でも痛過ぎるほど早過ぎた。
2023 9/7
* 何をしていたのか、何が出来たのか、自覚が無い。階段の最上階で前のめりに横転して撃った右腰の瘤に成った痛みが脱けない。何とも自分が頼りないままもう午になるらしい。何が急ぎのようだろう。
①「湖の本 165」「あとがき」を送らねば。
② 仕上がり近い長編を仕上げたい。
③ 「湖の本 166}を編輯し、前半と後半の原稿を用意せねば。
これぐらいを頭に入れていれば、いい。
* 心身のよわりのせいか、亡くなっている懐かしい人等のことが想い出されてならない。呼ばれていると感じるのは私の弱りで、みな、まだ頑張れよと言うて呉れる。それを聴かねばと思う。
* 九時半。もう視力が失せている。
2023 9/9
* 朝八時。朝食に 階下へ。
階下では、もう、妻は「湖の本 165」発送用封筒への「宛名貼り」を始めている。感謝。やすみやすみ、願う。
* 疲労で寝入っていた。午前11時をまわっている。いま最大「要」は、書き継いでいる新しい長い小説の仕上げ。
2023 9/16
◎ 「幼少に聞き覚え唱った、妙な唄」を記憶の儘に、冒頭のみ。
〇 『人を恋ふる歌』 与謝野寛(晶子の夫) 作詞デ
妻をめとらば才たけて ああわれコレッジの奇才なく
眉目うるわしくなさけある バイロンハイネの熱なきも
友をえらばば書を読みて 石をいだきて野にうたふ
六分の侠気四分の熱 芭蕉のさびをよろこばず (他に幾番も)
* 才もなく眉目うるわしくもないが、「なさけ」はふかい方の「妻」と信頼してきた。
「書を読んで」書ける「友」には嬉しいことに、コト欠かない。
昨日も留守中、寺田英視さん(文藝春秋「文学界」等の編集者を経て「専務さん」まで)の新著『泣く男』が贈られて来ていた、倭建命にはじまり、大伴家持、有原業平、源三位頼政、木曾義仲、大楠公、豊太閤ら、さらに吉田松陰にまでも「男泣き」の系譜を「古典」からも論攷されている。いかにも「寺田さん」であるなあと、読み始めへの興味、はや溢れている。
この寺田英視という久しい「友」こそが、すでに「165巻を刊行」して、なおなお続く、世界にも稀な『秦恒平・湖の本』刊行を「可能」にと率先「凸版印刷株式会社」を紹介して下さった、それなしに「湖の本」がもう40年近くも途切れなく刊行しつづけられたワケが無い。「わが作家生涯」のかけがえない恩人であり久しい読者のお一人なのである。心して明記しておく。
2023 9/18
* ここで時計は朝の六時半。ちと、机辺に用意、九谷焼「猪(私の干支)の小盃」に「黄桜」の辛口文字通りに「一献」。筆を、怖い「左道」の闇へはこぶ。
* 八時半に朝食して、そのあとちょ横こになったのが、目ざめれば、正午とは。誰にと無く恐縮したが、その必要は無い、この慘暑と感染とに脅されている以上は、休めるうちは休んだ方がいい。とはいえ、じわと仕事上の所要は數増してきて。「湖の本 166」再校ゲラが届いたら、責了そしてで基本の要発送が軸に成りながら、「書く」「創る」要件は十字を成して大きくなるばかり。涼しく成るか。心身起つか。弱気が払えるか。
2023 9/21
〇 『湖の本164少女 』をご恵送いただき、誠に有難うございました ”始筆書き下ろしの「創作」”或る折臂翁を拝読、戦中・戦後にまたがる話の院櫂に惹かれました。初樹の父・弥繪・康岡それぞれの人格が゛心に迫り、崖が重要な役割を持つ構成と結末の急展開に驚かされました。白楽天詩からの発想にも独創性を感じました。秦さんの幼稚園生にして真珠湾攻撃を無謀と案じ、ぜったい「兵隊さん」になりたくなかったとの感覚は凄いと思いました。「不敬」「非国民」といった言葉が散見し、何の留保も無く自衛隊への好意的な論調が流通している昨今に危機感を持ちます。 励 名誉教授
* 此の、祖父鶴吉旧蔵、國分青厓閲 井土靈山選『選註 白楽天詩集』(明治四十三年八月四版)を手にした国民学校時期に巻中の七言古詩『新豊折臂翁』加えてに感動的に出会ったのが、加えて敢えて云えば「敗戦前に戦時疎開」していた丹波の山奥の借り住まいで、裏山深く独り登って見つけたある「崖」の誘いが、この、作家生活へ向かう第一筆処女作の「原点」となった。作家になってからも直ぐには世に出さなかった。期するあり、温存していた気がする。
いま此の様な「的確な読後感」を頂戴できたことを、生涯の喜びに数えたい。佳い「詩集」を遺して行ってくれた畏怖に値した秦鶴吉祖父に深く深く感謝している。秦家へ「もらひ子」された幼少はまことに幸福であった。
2023 9/23
* 夕刻過ぎて晩がたまで吐露のように寝入っていた。湯に浸かるのが精いつぱい、何処よりも目から草臥れる。齷齪しないこと。どう何が滞っても、それだけのこと。ま、文字通りに抱こう(?_?)介している小説を脱稿へ追い入れること、明日届く「湖の本165」の再校をしかと終えて「責了」へ推し進めること。跡はからだを潰してしまわないこと。
2023 9/23
* 「湖の本 165」赤字合わせ了。「再校読 責了紙へ」「表紙」初校未了。
「湖の本 166」『蛇行』要進行 脱稿。「私語の刻原稿」の作成。
「噛まれ手首」の痛み執拗。 二時前。ただたた眠りたい。とても健康とは謂えない。
2023 9/24
* 心神不調、遁れるように寝入っていた。ポツポツと、仕事。つかれてまた寝入る。時に異様に寒かったり。長い袖の毛糸のセーターにくるまれたり。瞼重く、目を明いていられない。首の周りが固く痛む。要再校の一冊分や「あとがき」はじめ、緊要のきゅうむが轡を並べている。 しかし、 しんどい。まだ八時だが。やすむ。
2023 9/25
* 歯科医に予約の日だが、妻が一人行くことに成ろう,私は「湖の本 165」責了用意、その、あとがき、書き継いでいる長編の追い掛け、「166」の入稿用意などとぎれなく諸要に尻を追われている。やがては米寿を控えてこんなに日々要事に追いまくられるとは。否やはないが、シンドイこと。
* 井口さん、勝田さんはじめ。メール機能を機械から喪ったという方が増えてきて、心寂しい恐慌である。かくて、いよいよ、ジリジリと有効世間が狭まって行く。やれやれ。
有難くない。
いま、まだ早暁4:44。仕事にかかる。まず、「責了紙」へ匍匐前進。
2023 9/27
*妻は一人で歯医者へ。わたくは家で仕事。
2023 9/27
* 酒が切れ、妻の留守に大ところの料理酒を少し盗んだ。旨くなかった。「湖 165」責了へ気が急いている。
2023 9/27
* ジリジリと「湖の本 165」責了へと詰めて居る。最良の自信自愛三作を巻頭に久久読み返して、置いた。こころよい一巻と成って呉れるだろう。
2023 9/28
* 至急を要する創作・出版上の要件・要事が波だつように逼っている。すべて解決する以外に余の前途が無い。
で、今朝から一つの「關」を駆けて脱けた。終幕の大きな山が残って居るのは、もう突貫あるのみ。
「湖の本165」の確実な「責了」を確認し、「166」の充実の「入稿」を精確に果たしたい。その辺が私「米寿」への足取り、老耄に怯えないで敢闘したい。「歯」が植えもした実なくて醜くても、ほどほどに食べられるし酒も旨い。私の見た目など、論の外。私の書けること、よく書けること、「湖の本」をありがたい全国の読者のみなさんに「差し上げられ、送り続けられる」なら上乗。私たちは、幸いに、お金を稼がねばという暮らしをもう前々からしていない。
何方でも、既刊165巻以降續巻の『秦恒平・湖の本』なら、ご希望の方、どんな欠番分であれ、全巻であろうとも、ご希望の方には「在庫」の限りは「無料呈上」する。できる。
* これぞ耄碌 印刷機械の操作も忘れてできず、それでもメールでんそうという手段を頼んで「湖の本 165」の「あとがき原稿を、書き上げて印刷所へ贈った。校正を終えた本紙と表紙とは明日にも郵送して「責了」。まず、十月下旬までに送り出せるだろう。しかし「もの忘れ」の被害や故障は今後ぞくしゅつするだろう、そのコトとの「いくさ」が新たに始まるのだと覚悟。
* いやあ、まあ、よくがんばったものだが、遺制に見れば、従來から見れば 何のたいしたことではないのだ。余儀ない必然から、けわしい老耄の「いくさ」」なるが、平和外交を心がけたい。
あとがき
ごく初期作から、自愛の「三作」を今回、巻頭に置いた。誰の場合も同様と思われるが、いわゆる「初期作」には、「作家」なる文士と世ひとのまだ識らない「以前」の作と、作の熟れる「作家」と識られて「以後」の作とがある。前回「湖の本 165」の巻頭『少女』『或る折臂翁』は九年も「作家以前」の、純然「処女作」であった。
今回の三作は、一九六九年桜桃忌に筑摩書房「展望」誌に寄託の作『淸經入水』がはからずも井伏鱒二、石川淳、臼井吉見、唐木順三、河上徹太郎。中村光夫ら選者の満票という強い推薦で「第五回太宰治文学賞」を受賞して以後、雑誌「展望」「太陽」等々に依頼されての「初期作」である。
今回巻頭の『廬山』は、最初、雑誌「新潮」から「作品持参で社へ」と呼び出されたが、私の気持ちがどうも折り合わず、作を引き揚げ、新たに筑摩書房「展望」に預けると、即、無傷で掲載され、さらに即、「芥川賞候補作」となった。芥川賞選者ではなかでも瀧井孝作、永井龍男が口を極め、「美しい、美しい限りの創作」と強く推され、受賞こそ成らなかったが、同じ選者の吉行淳之介、井上靖らにも後日、「『廬山』よかったよ」と聲を掛けられていた。
私を小説『廬山』創作へ誘ったのは、「日本の或る古典」のごく一部分の記述であったが、誰にもまだ気づかれていない。
この『廬山』が「新潮」編集室でハナから失笑されたのは、作中の男子兄弟を「太郎」の「三郎」の「四郎」のなどと呼んでいるのがバカらしく滑稽だなどというのだった。八幡太郎義家だの、佐々木四郎高綱、鎮西八郎為朝、源九郎義経だのと兄弟長幼につれて呼び名された武門は幾らもあり、『廬山』主人公「劉」の「四郎」も明らかに武門の四男坊。ものを識らない人らだと呆れ原稿は引き取って帰り、その脚で筑摩書房の「展望」編集室へ、一字一句の添削もなく預けたところ翌月にはそのまま掲載された。この作品『廬山』は以降、秦恒平初期の「代表作」かのように『筑摩現代文学大系』や平凡社の『昭和文学全集』等にも収録されている。自省のない高慢は論外だが、自作にまこと自負自信があるなら、「新人」と謂うとも卑屈に出版・編集者らの時に乱暴な「上から」目線に、縮み上がらなくて好い。「時機」の方から不思議と歩み寄ってきてくれることがある。
『廬山』』と並べた『三輪山』は、純然の創作であり、平凡社「太陽」編集室の寄稿依頼にほぼ即座に書き下ろした。一字一句に気を入れ、句読点の一つにもこまかに注意し、書き上げた。一気に書いたと覚えているが、一つには、私小説にも部類されそうなほど、作者自身の「生いたち」「育ち」「感慨」にズブと深くさし込んでいて、いくらかは作者自身の涙に、文章、表現、濡れてもいようか。虚構ながら、うそは書いていない。
三輪山をしかも隠すか雲だにもこころあらなも隠さふべしや
という萬葉古歌は。高校の教科書で習ってこのかた、私の「身も心も」しかと摑んできた。天智の近江王朝を書いた初期長編『秘色(ひそく)』にも上の和歌一首は濃い翳をさし掛けていた。胸のうち深くでしみじみと歌い続けている、今でもなお。
「奈良へ傷まんもん、買いにいこ」は、事実幼少の私が京都東山区知恩院下の新門前「ハタラジオ店」に「もらひ子」されたあとあとまで、呪文かのように秦の母や大人にせがんだそうである。この「創作」の舞台回しを務めてくれている「三輪君」のような職場へ配属の新人部下と『医学書院』勤めのむかし仲良かったのを懐かしく想い出す。ただし此の作品『三輪山』とは何らの関わりもない。
作品『隠沼(こもりぬ)』は、これこそ、作者が眞実自愛の、自分で自分に宛てて書いたせつない「恋文」と謂うておく、もとより全然無疵の完きフィクションであるが、わが胸の奥の奥、あまりに底深い「隠沼」へ此の自作を投げてもどすと、もうゼッタイに「龍ちゃん」の「マジョリカ」も「真葛の文ちゃん」の「明の宣徳染付」も生けるごとく真耀いて美しいのである。して幾らか困っテ居るのはこの二人、「もういいかい」「もういいでしょ」と私を呼ぶのである。こごえで「まあだだよ」と返辞はするのだけれど。
しつこい熱暑に喘いだ真夏、また、慘暑の九月であった。昨今の私は、昔の私を知る人の目には無惨に瘠せ、縮み、折れ曲がって、歯は無く、呂律まわらず、酒を呑んで、ろくに食べようとせずに、自身も同じ「八十七歳」の久しい妻を困らせている。もうやがての「冬至』になるとはそんな私が「米壽」を祝うとは、これは本当に赦されることだろうか。
そうは謂うが、やがて脱稿できるだろうかなり長い新作『蛇行 或る左道變』も、日々パソコンへの『私語の刻』も孜々と書き継いでいる。 まだ、死なない。
2023 9/30
* 夜前、日付の変わる少し前から独りキチンに入りテレビを見た。ふしぎと此の時間帯に好い映像が見受けられるから、ワールドニュースのついでに暫くめずらかな絵など見るのである。昨夜は潜入司祭や隠れキリシタンらの物語られて行く珍しい映像に、京都新聞連載『親指のマリア= シドッチ神父と新井白石』を書いた昔を懐かしみもした。「大きな仕事になりましたね」とわざわざ褒めて貰った大岡信さんも、もう亡くなって久しい。一律に着物を着せられ、折りごとにに「踏み絵」を強いられる棄教司祭等のそれぞれの最期など観てとれて、ああ書いた、みんな書いたなと感慨を強いられた。今朝のは、だれだったかの小説『沈黙』の映像化であったのかも。『シドッチと白石』、読み直したくなった。が、私自身の「選集」全三十三巻をみな読み返すとなると大変な精力と時間が要る。まだ死ねんなあと思う。
* わがパソコン機械環境の「ガタピシ」が日々に加わってくる。これはもう私の所詮手に負えず、もう久しい「機械での、読み・書き・私語と創作」は、やむなく遠からず挫折の懼れに摑まれている。もうやがての師走「冬至」には「八十八(やそはち)爺」になる、私。処置も無く唸り呻くばかり。 早朝・五時半
* 書き下ろし中の長編「蛇行(だこう) 或る左道變」の蛇行具合を大づかみに「点検」していた。書くべきには、相当にもう触れていて、その進み具合をアタマに入れてフクザツ・カイキな物語を力業で結んで行かねばならない。見えているようで、いやいや、容易でない。
2023 9/30
* 小説の念入りの推敲・添削が、半ばになろうと。じいっと辛抱しながら難儀を仕分けて行くのが推敲。ガマンを見捨てると、作の流れも醜く淀む。疲れるが。しかし徹した推敲なしに脱稿はありえない、譚・中編でも。まして長編は。疲れる。目も胸も。
* 明日「湖の本 165」の念校4頁分が゛届いて校了すれば。いくら遅くても二十日迄の納本となろうか。また「発送」という労働になる。
2023 10/5
* 継ぎの入稿等の作業で途方も無い錯覚・誤認のまま作業していたことに、危うく、気がついた。いよいよ「仕事」上の「末期症状」が露われ始めたと云うしか無い。気がついてよかった。いま必要なのは、『湖の本』 「165 廬山ら三作 他」の、やがて27日からの「発送」。そして「166」次巻の「構成と入稿用意」。なのに、一巻ずつずれて思い込み、後者に手が付いていない。危険に難儀・厄介なハメにおちていることに幸いにも気がついた。あきらかに「湖の本」出版継続への「躓き」、緊急の対策と用意とが絶対手に必要となった。気づいて良かった。ソレを喜びとし、立ち直って先へ進む。直ぐにも対応せねば。
* サンザンのテイタラク。自身で整理収容してあるはずの自作を機械から探し出すことも出来ず、夕食後の数時間の体力・意欲を空費・浪費して果たせず、明日に期するしかない。老耄、まさにホンモノに成ってきたか。負けてしまってはならぬ。休む。それも道の一つか。
2023 10/18
* とにかくとにかく、「湖の本 165」が27日納品されれば即「発送」が待っている。仕懸かりの要件や仕事は「待ってくれない」。へこたれてはおれない。
2023 10/20
* ここ数日の私の基本の体調は、異様なまで早や厚着していながらの、背筋の「寒け」と、おさまらない「洟水」。そして「クタクタ」にちかい「ヘトヘト」の疲弊感。さようアタマに容れ置いている。
* いま、精確に「把握の必要」なのは「仕事の現状と、早急用意すべき内容」これをウロウロに遣っているとエライ混同や抜け不足に陥る。このところそのスレスレを歩いているようだ。
* 夜九時杉、寝に寝続けていた。持ち堪える方法で持ち堪えて、無事に「発送」をおえたい。カンペキを期し且つ追うて行く「仕事」はもはや容易でないと覚悟して、やはり精確を期したい。
2023 10/21
『湖の本 166』入稿に無用に手間取っている。『165』がホントして納品され送りださねばならない。とくべつ何が遅滞で停頓というわけではないが、必要な作業に逼られてはいる。
2023 10/25
* 早起きの甲斐なく、機械の諸内容に信じられない乱脈が生じていて、ただ途方に暮れ、めったやたら検索し検討していて、何がなにやら、朝早起きの時間をムダに空費して八時前。バカみたい。
* 九時過ぎ、無事「湖の本 165 廬山 三輪山 隠沼 飄忽不再(私語の刻)」納品され、発送に取り組む。「創刊して滿三十七年」の桜桃忌が目前に。
紙一枚を畳んだような個人誌はやまほどあるが、「秦恒平 湖(うみ)の本」のように、一巻一冊が丸まるの単行図書量と内容とに十分匹敵しての「37年 165巻」すべてを自作・自筆の:私家版だけで刊行し続けている例は、世界にも他例の情報が無い。
私があえてただ「文壇人」でいないからか、出版世界も報道世界も「知らん顔」をしているのおもしろ可笑しい。
* 『湖の本 165』出来、即、発送作業。夕刻、一便を送り出した。
郵封に容れた一冊一冊を日本中へ送り出す。今回は選りすぐった自信の小説三作で巻頭をかためた。なにしろ「創刊して37年」送り出し続けていて、その間に読者に出入りは自然にあり、初期作は読めてなくて読みたくても本の探し求めようが無い、『「湖の本」で選び選び再刊し』てというご希望がこのところ相次いでいる。なるほど今回の「廬山」「三輪山」「隠沼」をとなると初掲載の『湖の本』を探し当てるのが容易でないはず。これまで再刊したのは、創刊太宰治文学賞の『淸經入水』一冊だけだった。著者刊行者としても気づかねばならなかったのだ。
さて、もう三四日は、老夫婦してテ疲れてへたばらないよう気配りしつつ、読者につで、謹呈さき、゛んこく大學、こうこう、諸施設へ送り出す。作業には慣れているが、ダンボール一箱に50冊詰めの一箱ずつを運ぶ重さの、すごいこと。この暮れには米寿の私、八十七歳の瘠せた腕力には、息も止まりそうな重さで、堪えます。本の重いことにはへこたれる。
2023 10/27
* 午后三時には『湖の本 165 廬山 三輪山 隠沼 私語の刻』の発送を完了した。妻がよく手伝ってくれた。今回巻頭の小説三作には、愛着している、是非再読、初読して戴きたい。フウフして疲労は濃いが、なんとか一つの關をまた潜れた。有難し。
次へ。しかと脚を運びたい、新しい書き下ろし長編をうまく送り出したいと願、用意もほぼ出来ている。
* 自身の日常が記憶も把握も出来なくなって以。本を送り出したのはケッコウだったが、その後、何をしていたのか。覚えていない。寝る如かない。
2023 10/28
〇 鴉に 十一月になってしまいました。怒るほどに心配をおかけして・・本当に済まなく思います。鴉の体調にお変わりないことを強く強く願っています。
今日午前、湖の本が届きました。懐かしい作品が並んでいます。
孫の発熱で保育園は今週中は休みになったので、わたしは全く自由になりません。帰国後この一週間、幸いなことに足腰も元気ですが、旅行中の体調不良もありましたから緩やかに日常の暮らしに戻るように努めました。
三週間のイラン旅行はバスの走行距離五千二百キロに及ぶ「大旅行」でした。ツアーであるため、能率的で、世界遺産17か所をめぐりました。(面積は日本の4、5倍のイランです。)が、同時に人間関係やさまざまな制約もあり、改めて考えさせられることも多かったです。ペルセポリスなど古代に思いを馳せました。荒涼とした風景、巨大な岩の表情にいくつもの人や動物の形や声を聴きました。自然に無数に湧き上がってくるのです。その襞におのが事績を刻もうとした支配者の思いがよく伝わってきました。
イランではメール通信が出来ず、グーグルなども記事の内容を読めませんでした。カード決済不可能もアメリカの経済制裁の結果でしょう。様々な制約の中でイランがどのように動いているか・・道路の発達、大型のタンクローリー、トラックなどの流れ、ヨーロッパとの物流の活発に驚きました。
今は旅行のことより何より鴉の事が気掛かりです。どうぞ心強く持ち、生きて下され。鴉も鳶も「生きたいし、生きるつもり」!
長いメールが書けません、お許しあれ 尾張の鳶
〇 秦さんへ 「湖(うみ)の本 165 盧山 三輪山 隠沼」拝受致しました いつも本当にありがとうございます 165巻 にもなっているのですね
いつも「あとがき」から拝見します
人もおし吾も押すなる空ぐるまなにしに吾らかくもやまざる
今朝早く老人ホームから緊急電話があり出勤しました 静かなお別れをしました。「湖(うみ)の本 163」の『或る往生傳』で 侍の 武時 が不動寺の 道明律師 から
「お話をなさるがよい」…「わかりましたぞ」と言われ…「死んだアトに何ひとつ無い。」 「壁の向こうは一切無。何一つ無。…死後そのものが「無い」… と教えて戴いたのを感じております
「空ぐるま」考えています ぎっしり何かが詰まっているようにも思えます
秦さん 日々 どうかどうかお大事にしてください コロナ・インフルエンザ まだまだ呉々もお気をつけください よろける つまづく ぶつかる ころぶ も しっかりご注意ください 千葉 勝田拝
〇 秦恒平様 「湖の本」165をありがとうございます。
「廬山」を読んでいて「木隠れに、長江は春風を陽炎わせ悠々と天際を流れ去っていた。」のところで、以前テレビで観た揚子江の風景がそのままに浮かんできました。記憶のプールに溜まっている映像も思いがけないきっかけで呼び出されるものなのですね。
「隠沼」にハマってしまいました。 野路
* 嬉しく、ご感想頂戴しました。
「龍ちゃん」が嬉しがっていようナ。
〇 ごようすのわからないまま、みづうみのご無事を祈り、「湖の本」新刊のお仕事中であることを願っておりました。
昨夜ポストに いつもの黄色い封筒を見つけて、嬉しく嬉しく安堵いたしました。ありがとうございます。
165巻もの個人出版の偉業を 読者として同時代に体験できる幸せをかみしめています。
一冊の本を送り出す大変さは、自分のたかが二回の経験で思い知りました。
みづうみの、今のご体調のなかでの新刊ご出版は、文字通りの決死のご覚悟ではなかったかと拝察します。
どうかどうか、お疲れのままご無理なさいませんように。
次回新作『蛇行 或る左道變』を心待ちにしつつ、やっぱり毎日みづうみを心配して過ごすことでしょう。
名作『廬山』『三輪山』『隠沼』心静かに、魂の清まる思いで再読させていただきます。ありがとうございました。
2023 11/1
* 妻と、諸用意の買いものを「セイムス」でして来たり、機械に向いていたり。一日、一日を無事に先へ送って行くことを考えている。例年の「文化手帖」も届き呼び掛けてくる。早大、城西大、「165」受領の来信。
〇 秦恒平先生 「湖の本165」のご恵投ありがとうございました。今月も「私語の刻」から拝読しております。いろいろお体に不調が生じ、大変なことと存じます。それにもかかわらず、文学への情熱、敬服いたします。満身創痍の剣豪が難敵に立ち向かっている姿を連想いたします。これから小説を読み始めます。「廬山」懐かしいですね。ゆっくり拝読、次巻も楽しみにしております。 持田拝 作家
2023 11/2
〇『湖の本』165号 廬山 三輪山 隠沼 をいただきました。刊行のご苦労をお察しいたします。心象風景と現実が行き交う秦さん独自の手法を楽しみました。ありがとうございました。心身の無事をお祈り申し上げます ICU名誉教授 浩
〇 新刊が届いて、少しだけ安心していたのですが、迪子さまのご入院のことを伺い、本当に心配です。お慰めになるかどうかわかりませんが、八十七歳の頃の母も入院を繰り返していました。大きな手術にも耐え、コロナの時も看取りを覚悟しましたが、復活しました。老い衰えていた母ですが、人間の生命力と現代医学の力は驚くばかりです。
ご無事の退院を信じています。
迪子さまはみづうみの身体そのものですから、まだまだ頑張っていただかなくてはなりません。
迪子さまがお留守の間は、いつも以上にきちんと食事を召し上がり、ご無理なさらず、節制してお利口にしていらしてくださいね。
順天堂病院はお茶の水ですか? お見舞いが許可されている場合は、是非タクシーで往復なさってください。インフルエンザが猛威をふるっています。転倒の心配もあります。タクシーが安全です。
『或る往生傳』のように 次作『蛇行 或る左道變』にも恐ろしく凄まじい内容が感じられますが、
>人に知られず観られずの「書き仕事」なので、私も一つホンポーな小説を一つ叩き出すかなどと、ひとりでいばっています。 ホンポーな小説も是非是非読ませていただけますように。
気が弱っているみづうみに、カフカらしい言葉をプレゼントします。 あけぼの
ぼくは思うんだが、
ぼくらはそもそも、
自分を咬んだり刺したりする本だけを
読むべきではないだろうか。 フランツ・カフカ
〇 ありがとう。
2023 11/3
* 少しはムリも承知のガンバリで、気がかりな「湖の本 166」入稿(送稿)を強行。すこしでも肩の荷を軽めたいと。ポストヘは自転車に乗ったが、帰りは「危険」と感じ、曳いて戻った。顚倒は、ヘルメットで少し防げても、骨折すれば容易ならぬ怪我となる。自分の足で歩ける内は歩くこと。
2023 11/6
* 長いめの新作小説を新たに「湖の本」巻頭に入れた。
次は何を。むろん理想は{新作}の小説です。
2023 11/6
* 新しい小説を、短くも長くもよし、気持ちよく一作書き上げて「湖の本」の最期を結びたいと想うている。「170」を忘れ、こころよい第「167」巻を編みたいものだ。
2023 11/6
〇 秦先生 『湖の本 165号』をご恵贈いただきありがとうございました。いつもご高配を賜り、厚くお礼申し上げます。
「廬山」、『湖の本 6号』以来45年ぶりに深い感動を以て再読いたしました。
23年間、仏教について奈良康明先生にご指導をいただき、また永平寺で戒を受け仏教徒となることができました。その経験を踏まえ いま、あらためての「廬山」を読み終えて、大変さわやかな心持ちを得ました。
『薔薇の名前』は、邦訳の刊行後すぐに読み、映画もおもしろく見ました。
とはいえ、いまひとつ理解できないままでした。ギリシア哲学原典講読のゼミで、ギリシア哲学者荻野弘之先生に、アリストテレスの失われた『詩学第2巻』についての説明を受け『薔薇の名前』を8年前に再読、はじめて理解が深まった次第です。
またなぜ書名、タイトルが「薔薇の名前」なのかについて、詳しい解説を見つけましたのでご参考までに添付しました。
8月に思いもよらず30日余り入院・手術と言うこととなり、その後は ひたすら蟄居状態です。家にいる限りはなんとか元気に過ごしております。
退院後しばらくは、論理的思考が途切れ哲学書を読み進めるのにも苦労しましたが、ようやく最近はギリシア語の読解も取り組めるようになりました。
根気が続きませんが・・・。
p.s. 『薔薇の名前』の映画の中での「写本室」の情景が印象的でした。 篠崎仁
Tel. 047-412-0374
Jac.chiba-7343@jcom.home.ne.jp
2023 11/6
* 大要を 昨日ともあれサキへ送り届けたので 仕事、実務的の仕事ではラクになっている、か。とくに追われていないように思う。それなら大事は一つ「新作小説」への意味のある接近・接触。
2023 11/7
〇 湖の本 165」有難く頂戴しました 「三輪山」は特に懐かしさを嚙みしめながら再読しました この頃古典を読み返してゐて 「伊勢」「平家」「太平記」など 国語のリズムといふものに改めて耽溺してゐます
コロナは下火になつてきてゐますが インフルエンザは学童ではすでに流行期に入つてゐるやうです 奥様ともども御健勝をお祈り申し上げます
寺田 作家 元・文藝春秋専務
〇 秦先生 ご無沙汰いたしております。いかがお過ごしでいらっしゃいますでしょうか。
湖の本もお送りいただき、ありがとうございました。
先生の精力的な執筆活動、私も先生の胆力を見習いたいと思いながら、気力を保つことの難しさを感じています。
このところのお天気には、体も追い付かず、私もなんとなくだるさを感じています。お天気のせいもあるのか、次男も小学校に行けない日々が続いていて、私も胸を痛めています。子供の笑顔が私自身の幸せなのだと実感する一方、その笑顔が曇ると私も傷ついてしまうのだと感じています。どうしてあげたらいいのか、毎日悩みながら過ごしています。
先生とお茶を、という約束がなかなか果たせずいますが、ぜひにと楽しみに待ち遠しく思っています。夏と冬に挟まれて、気持ちのいい季節がなくなってしまっていますが、爽やかに晴れた日にお会いしたいですね。
お身体、くれぐれもお大事にお過ごしくださいね。 麻紀 東工大院卒
* 麻紀 さん あなたの健康を そしてお幸せを 心底 願ってます。 私は 日々へとへとに疲弊しきったまま 我慢強く 生涯を賭した文藝 文筆 創作に絡みついています。 家の中も、まともに往来しかねるほどですが、 意識はまだ比較的ハッキリしていて、毎日を文筆に委ねて居れますが、もう外出の出歩きは、必用な病院通いしかできません。美味いものも食べに出られません、残念です。「湖の本」も 170j巻が ムリになるかと残念に思っています。
お若い日々を 大事に大切に健康に 生き抜かれますよう祈ります。 爲我以さんへも、お元気に、ますますの充実をと お伝え下さい。 秦 恒平
〇 本日歯科にお出かけと伺い、ご入院予定が延びた、差し迫って手術などの緊急のご容体ではないのかと少し安堵いたしました。それとも手術前の歯の治療でしょうか? とにかくお二人ともご無理なさらず、のんびりお過ごしください。何もしないことをも楽しんでお過ごしいただければと切望します。
「湖の本」いよいよご卒業のお報せ、「シャーないやないか」とは、みづうみのお決めになったことと。160巻以降は、いつかこの日が来ると覚悟していましたが、メールを読みながら万感迫りしばらく泣いていました。「偉大な」としか表現しようのない「お仕事」でした。同時代に読者であれたことは誇りです。美しい終わり方になりお喜び申し上げます。
さあ、「湖の本」を卒業して次の段階にご一緒させてください。「書き楽しんで」の毎日にお進みください。みづうみには、リタイアという言葉はありませんから。これからです。紙媒体でのお仕事はそれはそれとして、体力のご負担の少ないウェブでのお仕事があります。みづうみの言葉のように「電子の杖」があります。機械操作のあれこれについては、所詮素人の手に負えるものではありません。プロにお任せになり、どんどん書いて公開してくださいますように。<こんなヤツもいたなあと、覚えてて下さると光栄> とは、ご冗談もほどほどに。私のほうこそ、こんなバカがいたなあとお心の片隅にでも覚えていてくださることを願っています。秦恒平が日本文学史上のどれほどの巨星であるのか、文学を愛する人間にわからないはずがありません。「湖の本」の偉業については、誰も書かないなら私が書きます。(あらかじめ不出来なことはご承知おきください。)
みづうみにはお仕事という最高の「薬」がありますので、とことん服用なさってください。
みづうみのお気持ちが少しでも紛れたらと思い、一つ質問させてください。以前の「私語の刻」記載の中に次のようなのがありました。
情報処理学会のなかに文字コード標準化委員会が出来、ペンクラブ理事 会は、ペン代表という形はとらないが、井上ひさし副会長とわたしを委員 参加に指名し、情報の報告を求めると決定した。 1998 12・18 2
井上ひさし副会長はホームページを読む限りでは、この文字コード委員会にほとんど関わっていなかった印象ですが、会議等にはご参加なさったのでしょうか。あるいはみづうみを信頼しすべてを託されていたのか、それとも無関心だったのか、そのあたりお教えいただければ幸いです。必要なので。
もう一つお願いがあります。十月分の「私語の刻」お送りいただけましたら嬉しいです。みづうみにお願いできる状況にないことは重々承知です。鬼のような「私語」編集作業者でありますことお詫び申し上げます。
当然ですが、この質問とお願いについては、ご放念いただいてかまわないことです。あくまでみづうみのお気持ちが他のことに向けばと願ってのことですから、どうかご負担に思われず、ご無理なさらないでください。
昨日も今日も、十一月とは思えぬ陽気で時にクーラーを使っています。地球はどうなってしまうのか、いつまでこんな戦火が続くのか。
秦恒平文学の世界に入るときだけが心静かなときかもしれません。
お元気ですか、みづうみ。 冬は、つとめて
2023 11/7
〇 秦恒平先生 「湖の本165」のご恵投ありがとうございました。今月も「私語の刻」から拝読しております。いろいろお体に不調が生じ、大変なことと存じます。それにもかかわらず、文学への情熱、敬服いたします。 満身創痍の剣豪が難敵に立ち向かっている姿を連想いたします。
これから小説を読み始めます。
「廬山」懐かしいですね。ゆっくり拝読することが楽しみです。
お体、くれぐれも御大事なさってください。次巻も楽しみにしております。 鋼 作家 編集者 歌人
2023 11/7
* 北九州の、著名な作家・後藤みな子さんから「一ページ一ページ読ませていただいています。こころを込めて」とお便りがあった。嬉しく頂戴した。
* 世田谷区の土方洋一さんからも過分のお便りを有難く頂いている。
〇 前略。御高著『湖の本』165 嬉しく拝領いたしました。
「廬山」「三輪山」「隠沼」、恥ずかしながら初読、いずれも感銘深く拝読いたしましたが、就中「廬山」一編、香気あふれる名品と存じます。この御作に比べれば、昨今の芥川賞受賞作などは皆薄っぺらく、文學の名に値しないものと感じられます。三作とも古典世界に深く根ざしているところも、古典研究者のひとりとして心に沁みるモノを覚えました。我が国の文學の伝統が未だ途絶えてはいないという心強さも与えていただきました。
お身体に触らぬ範囲で、これからも執筆をお続け下さいますよう。次回作を拝読する日を楽しみにしております。 十一月四日 土方洋一
* 力強いお励ましに、若かりし日の血のたぎちのような奮発を揺るがせて戴いた。感謝感謝。
* 桐生市の、久しく久しい懐かしい住吉一江さん、「秦先生 こんにちは」と、例の優しい毛筆長文のお便りも戴いている。ゆっくりと読みまた読む。
〇 11月9日
一昨日のメール、鴉らしい決意、作家の立ち位置を踏みしめていらっしゃる様子に安堵しました。皆様の状況にお変わりありませんか? とにかく何より何より息災で、お元気でありますように。
『左道變』その後の進捗はいかがでしょうか。鴉が最期の本は新作の小説であることと書かれるから、いっそ進まない方が延長して生きて下さる・・などつい不届き至極なことを思ってしまいます・・。
『京都南山城の仏像)』展が、東博で今月12日まであることはご存じでしたか? 浄瑠璃寺の九体阿弥陀修理完成記念の展覧会です。お身体に障ってはいけませんからお薦めできないでしょうが・・。東京は人出が多すぎます・・。
紅葉は急速に進んでいます。
イランでは39度の暑さに苦しんだりしました。
世界の苦しみや叫びを意識しつつ、日本の秋の中にいます。絵も文章もなかなか進みません。
どうぞくれぐれもお大切に 尾張の鳶
* 『左道變』はすで手を離て次巻巻頭に置きました。次の「新作」を構想・考察中です。
〇 みづうみ
ご体調にかかわらず、お元気ですか、みづうみ。
みづうみが「あけぼの」なり「私」なりをどう思っていらしたかは永遠にわからないことですが、私は「みづうみ」に選ばれたというより、自分が選んだのだと最近強く思うようになりました。みづうみに選ばれ愛された多くの方々(とくに女性)と異なる点はそこにあるのかもしれません。
出逢って以来みづうみと深く関わって生きてきましたし、これからもそのようにしか生きられないでしょう。「あけぼの」という絵空事だけでなく「私」のすべてかもしれません。
みづうみ、まだまだお元気に「読み・書き・読書・創作」をお続けください。 迪子さまもどうかご無事にお元気でおいででありますように。
これから元気のない猫を病院に連れて行きます。まあだだよ、と叱咤激励できるくらいの可愛い十七歳。いい子です。
さわやかなお天気ですね。少しでも晴れやかにお過ごしくださいますように。
あけぼの
* 信頼にそむかぬよう、「もういいよ」と引き取られるまで、落ち着いた「読み・書き・讀書と創作」の余生を努め勤めます。
心行く日々をお元気に「創出」「創作」されますように。
2023 11/9
* 書いたと記憶鮮明な文章が、日録から消失している。私の不器用か 機械の乱調か。いつもいつも私に歩は無いのだ、が。
戴いている書信等のぜひ記録したいと手懸けたものも、みな失せていたりする。あらたにする意気が失せてしまう。
せめてお名前を順序など無く。
相原精次さん。あたらしいお仕事と私の次巻巻頭即とが、微妙に歴史的に触れ合いそう。女真等の 宮本裕子さん。岩波「世界」のへんしゅうちょうだった高本邦彦さん、「廬山」久しぶりに読み返しました。初めて読んだ当時の感動が甦ってきました、しみじみと心に沁みます」など安井恭一さん。今回は巻頭の「廬山」「三輪山」「隠沼」三作のそれぞれに同様に触れて下さる方がの多かった。感謝。学生さんの昔から東大名誉教授までも久しく久しいお付き合いの長島弘明さんも。時間をかけてよむには今どきの若い作家らの作に全くあきたらないと。写真家の近藤聰さんは嬉しい名酒の一升びんまで副えて下さる。奈良女子大や神戸樟蔭女子大からも受領の来信。
画家松井由紀子さんもむかし夢中で読んだ作との再会を喜ばれ、むかしむかし娘朝日子と親しかった四国の糸川剛司君、世にも珍しい造りのワイン?その他沢山な贈りものを副えて「げんきにすごしています」と。お嬢ちゃんが同志社のヨットの選手で「朝子」ちゃんと。
九大名誉教授今西祐一郎先生、まことに心行くシカモ着眼にひびきのある新ろんこうとともに、お手紙戴く。東福寺大機院のお嬢さんだった直木和子さんも京のお菓子を副えて礼状を。そして聖教新聞社の原山祐一さん、それぞれに「心に沁みる思いで愛読再読」と。私語の刻での白楽天詩選にも反応され、皆々参と同じく私の老いと健康とにお心遣いを戴いた。京舞井上八千代さんのお便りも身に滲み嬉しく懐かしく。大阪池田市の陶芸家江口滉さん、今回は「湖の本」ならではの企画だったと喜ばれ、現在、閑吟集、梁塵秘抄を読み返していますと。久留米大学図書館からも謝辞を副えて受領の来信有り。
* ごく孤独に、つまり外向きに開け広げてない仕事をしてるのだが、「湖の本」継続166巻にも及んでいる刊行は、自ずとしんみり廣く濃く諸方へ浸透しつつあり、それに感謝しそれに励まされている。
2023 11/15
* 晩の九時二十分、今日も、今し方まで、大方寝入っていた。それが、どういいか、どう良くないか、判断出来ない。寝たいから寝ていたのだと思う。「湖の本 166」初校が出るまでこうなのだろう、その内に、妻のやや長い入院の日々がくる。
十二月二十一日の私米寿の当時までに穏和にコトが過ぎていて呉れますよう願う。
2023 11/17
* 「湖の本 166」初校が出て、巻頭の小説を校正し始め、すくなくも、昂揚感が得られている。惑わず このまま校正し続けつつ、弱点が見つかれば立て直し直しして「本当の脱稿」へもって行きたい。いわば最晩年作のやや長い目の小説で、「秦恒平」なら在りうる「結構」にケッコウ挑んでいる。しっかり仕上げたい。それに成功すれば、更に次の、先の、創作へ気をしかと向けることも出来よう。まだ「終わり」ではない。
2023 11/22
* 妻の入院予定日が近づいてくる。万善に心用意して無事に退院して欲しいと願っている。私もアコ・マコもガマンし努めねば。
初校が出て、有難い。気持の芯とも支えにもなって呉れる。平常心、そして文章世界の設計に協調・親和すること。
* よく寝て 平安に在ること。
2023 11/22
* 此の日録の「私語」を、そーっと遡ってみて文量亮の莫大に我ながらおそろしくなった。
* 昨日の初校出から、打ち込んで巻頭の長編作校正に緊張ししゆうちゅうして、まだ半途。まさに題の文字どおりに『蛇行』を極めている。こういう書き方を一度はしてみたかった。
おそらく天体もそれぞに「蛇行」していよう、人の世の暮らしも「蛇行」のまま頚をもたげることも、そのまま果ててゆくのも「在る」はず。一直線も、まるく閉じても仕舞うまい。と思いつつ機械クンの機嫌を損ねたか、「初校も混乱停頓、やれやれ。
◎ 来年正月には、「大きな出来ごと」が現実化すると見ていますが、囚われなく、「成るように成るを成し遂げたい」だけ。誰も、私から「私」は取り上げられないでしょう。
「湖の本」は刊行し続けるに「私自身の問題は何も無い」が、現在「扱いの業者」での「発送」が「不可能」になると、既に判っています。「発送」できない「本」を莫大に制作してたら、家が潰れますしね。「湖の本」は造れても、もう、読者に届けられなくなります。
いよいよ、納得のいく「ホームページ」を「確立」ないしはそれも「断念」かと。とても「自力」では出来ないので。
どうも、今今 此の私に「発信可能・実行のホームページ」なるモノが在るやら無いやら、私にいかにも自信の持てていない状況です。
「私語の刻」など「機械で読めてますよ」という人もいるようですが、なんとも 現状もワケも判レズにいます。
好きな「松葉」の鰊蕎麦が自分独りの手で無事「食べられるか」は、判りませんが、「食べられないワケ」は無かろと思ってます。。
とにかく、怪我無く 達者に そして意欲的に元気でいて下され。 鴉 カア
* 携帯電話を買って貰ってながら、「機械バカ」で、よう、遣えないままいますよ。
妻の入院手術をまぢかに控え、猫がふたり、私独り の留守くらしを 手さぐりで数日後から始めます。この「クソ(九十)爺」にまぢかい老境にも、あれこれと初体験が有るものです。 自転車も、もう危ないと、昨日、近くの病院までも乗り切れなくて、諦めました。
それでも、「めちゃに蛇行する新作の長い小説」を いま「初校」していますし、新たにも書き継ごうとしています。
寿命と仕事と、追っかけ合いです。ケケケ。
鳶さんや 元気に怪我無く お過ごしあれや。 鴉カア
2023 11/23
* もっぱら「湖の本」初校の確認等を寝床に坐ってし、余のなにもせす、飲み食いもせず、寝入った。
2023 11/24
* しかと点検確認して「原稿」としての所在や記述の記憶も一度。確認した覚え明旅なのに、それがどう捜しても、機械から見つけられないとは、コリャ、どうじゃ。くるったか、能登機は死んでもいたのか。呆れて、なにもかもイヤになりそう。それは困るのだ。
* 「失せた」かと困惑の機械内小説原稿、見つからない。困惑、困惑、唸るしか無いとは。
2023 11/25
* 目下の「湖の本 166」初校ゲラに壽湯養家書の脱落が確認できていて、何んな一升であるかの確認も出来ているが、その本分が機械でも見つけられてないが、少なくも一度は発見し無いようも確認しているのだから、懸命に捜すのが先決。機械上に幾つもの本文原稿を保存しつつ仕事してきたのが、混乱のもとか。今朝の一の仕事目当ては、ソレになる。
2023 11/26
* ともかくも今期「最終 結び」と思っている「166」の初校スミ 要再校ゲラの「戻し」を急ぎたく今日は熱中し続けていた,疲弊は痛みと倶に増してはいるが。
* とにもかくにも二十九日午後一番には,迪子の順天堂病院入院のために付き添うて行く。ソレまでに仕事上大事の懸案「湖の本166」初校済み「要再校ゲラ」をTOPPANへ返送したい。相当に手はかかるが、コト細かく。の戻し
2023 11/27
* 明日、妻、練馬高野台の順天堂病院に、入院。付き添って行くためにも、今日の内に「湖の本 166」要再校の初校ゲラに詳細入念注意し手を入れて「返送」用意、さまざまに問題箇所があり神経をとがらし、懸命に用意の一日に成った。駅階段から転げ落ちた痛みなどが右半身に在るが,今やそんなことは気にして居れず、妻の無事入院容易に気をつかっていいた。十ほどは妻が留守を、アコ、マコとともに私独りの生活留守居に成る。その用意、心用意も容易でない。
* が、懸命に集中・考慮して、巻末五頁もの「あとがき」、それも『秦恒平 湖の本』少なくも今一期、創刊以来38年をまずは閉じる一別の「挨拶」とも一心の回顧と反省とも謂うにあたる『あとがき』まで書けた。
明朝には、妻と病院への途次にTOPPN宛て郵送出来る。
2023 11/28
あとがき
一九八六年 桜桃忌に「創刊」、此の、明治以降の日本文学・文藝の世界に、希有、各巻すべて世上の単行図書に相当量での『秦恒平・湖(うみ)の本』全・百六十六巻」を、二〇二三年十二月二十一日、滿八十八歳「米寿」の日を期しての「最終刊」とする。本は書き続けられるが、もう読者千数百のみなさんへ「発送」の労力が、若い誰一人の手も借りない、同歳,漸く病みがちの老夫婦には「足りなく」なった。自然な成行きと謂える。
秦は、加えて、今巻末にも一覧の、吾ながら美しく創った『秦恒平選集 全三十三巻』の各大冊仕上がっていて読者のみなさんに喜んでいただいた。想えば、私は弱年時の自覚とうらはらに、まこと「多作の作家」であったようだが、添削と推敲の手を緩めて投げ出した一作もないと思い、,恥じていない。
みな「終わった」のではない。「もういいかい」と、先だち逝きし天上の故舊らの「もういいかい」の誘いには、遠慮がち小声にも「まあだだよ」といつも返辞はしているが。 過ぎし今夏、或る,熟睡の夜であった、深夜、寝室のドアを少し曳きあけ男とも女とも知れぬソレは柔らかな声で「コーヘイさん」と二た声も呼んだ呼ばれた気がして目覚めた。そのまま何事もなかったが、「コーヘイさん」という小声は静かに優しく、いかにも「誘い呼ぶ」と聞こえた。
誰と、まるで判らない、が、とうに,還暦前にも浮世の縁の薄いまま、「,此の世で只二人、実父と生母とを倶にした兄と弟」でありながら、五十過ぎ「自死」し果てた実兄「北澤恒彦」なのか。それとも、私を「コーヘイさん」と新制中学いらい独り呼び慣れてくれたまま,三十になる成らず、海外の暮らしで「自死」を遂げたという「田中勉」君からはいつもこう呼んでいたあの「ツトムさん」であったのか。
ああ否や、あの柔らかな声音は、私、中学二年生以来の吾が生涯に、最も慕わしく最高最唖の「眞の身内」と慕ってやまなかった、一年上級の「姉さん・梶川芳江」の、やはりもう先立ち逝ってしまってた人の「もういいの」のと天の呼び聲であったのやも。
応える「まあだだよ」も、もう本当に永くはないでしょう、眞に私を此の世に呼び止められるのは、最愛の「妻」が独りだけ。元気にいておくれ。
求婚・婚約しての一等最初の「きみ」の私への贈りものは、同じ母校同志社の目の前、あの静謐宏壮な京都御苑の白紗を踏みながらの、「先に逝かして上げる」であった。心底、感謝した。、いらい七十余年の「今」さらに、しみじみと感謝を深めている。
私の「文學・文藝」の謂わば成育の歴史だが。私は夫妻として同居のはずの「実父母の存在をハナから喪失していて、生まれながら何軒かを廻り持ちに生育され、経路など識るよし無いまま、あげく、実父かた祖父が「京都府視学」の任にあった手づるの「さきっちょ」から、何の縁もゆかりも無かった「秦長治郎・たか」夫妻の「もらい子」として、京都市東山区、浄土宗總本山知恩院の「新門前通り・中之町」に、昭和十年台前半にはまだハイカラな「ハタラジオ店」の「独りっ子」に成ったのだが、この「秦家」という一家は、「作家・秦恒平」の誕生をまるで保証していたほど「栄養価豊かな藝術文藝土壌」であった。
私は生来の「機械バカ」で、養父・長治郎の稼業「ラジオ・電器」技術とは相容れなかったが、他方此の父は京観世の舞台に「地謡」で出演を命じられるほど実に日ごろも美しく謳って、幼少來の私を感嘆させたが、,加えて、父が所持・所蔵した三百冊に及ぶ「謡本」世界や表現は、当然至極にも甚大に文学少年「恒平」を啓発した、が、それにも予備の下地があった。
長治郎の妹、ついに結婚しなかった叔母「つる」は、幼少私に添い寝し寝かしてくれた昔に、「和歌」は五・七・五・七・七音の上下句、「俳句」は五・七・五音などと知恵を付けてくれ、家に在ったいわゆる『小倉百人一首』の、雅に自在な風貌と衣裳で描かれた男女像色彩歌留多は、正月と限らない年百年中、独り遊びの私の友人達に成った。祖父鶴吉の蔵書『百人一首一夕話』もあり、和歌と人とはみな覚えて逸話等々を早くから愛読していた。
叔母つるからの感化は、さらに大きかった。叔母は夙に御幸遠州流生け花の幹部級師匠(華名・玉月)であり、また裏千家茶道師範教授(茶名・宗陽)であり、それぞれに数十人の弟子を抱え「會」を率いていた。稽古日には「きれいなお姉ちゃん・おばちゃん」がひっきり無し、私は中でも茶の湯を学びに学び叔母の代稽古が出来るまでにって中学高校では茶道部を創設指導し、、高校卒業時には裏千家茶名「宗遠・教授」を許されていた。
私は、此の環境で何よりも何よりも「日本文化」は「女文化」と見極めながら「歴史」に没入、また山紫水明の「京都」の懐に深く抱き抱えられた。大学では「美学藝術學」を専攻した。
だが、これでは、まだまだ大きな「秦家の恩恵」を云い洩らしている。若い頃、南座など劇場や演藝場へ餅、かき餅、煎餅などを卸していたという祖父・秦鶴吉の、まるまる、悉く、あたかも「私・恒平」の爲に遺されたかと錯覚してしまう「大事典・大辞典・字統・仏教語事典、漢和辞典、老子・莊子・孟子・韓非子、詩経・十八史略、史記列伝等々、さらに大小の唐詩選、白楽天詩集、古文眞寶等々の「蔵書」、まだ在る、「源氏物語」季吟の大注釈、筺収め四十数冊の水戸版『参考源平盛衰記やまた『神皇正統記』『通俗日本外史』『歌舞伎概論』また山縣有朋歌集や成島柳北らの視し詞華集等々また、浩瀚に行き届いた名著『明治維新』など、他にも当時当世風の『日曜百科寶典』『日本汽車旅行』等々挙げてキリがないが、これら祖父・秦鶴吉遺藏書たちの全部が、此の「ハタラジオ店のもらひ子・私・秦恒平」をどんなに涵養してくれたかは、もう、云うまでも無い。そして先ずそれらの中の、文庫本ほどの大きさ、袖に入れ愛玩愛読の袖珍本『選註 白楽天詩集』の中から敗戦後の四年生少年・私は、就中(なかんづく)巻末近い中のいわば「反戦厭戰」の七言古詩『新豊折臂翁』につよくつよく惹かれて、それが、のちのち「作家・秦恒平」のまさしき「処女作」小説『或る折臂翁』と結晶したのだった、「湖の本 164」に久々に再掲し、嬉しい好評を得ていたのが記憶に新しい。
2023 11/28
* 朝から、怠けて寝転んでは居なかった、が、「湖の本 最終166」を無事責了したいと勉めて、疲労は部厚く心神を絞めるように掩っている。やれやれ。その気になれば用も要も、ハイハイと寄ってくる。
* コロナいらい 街へどころか、医者以外に近隣へも出歩いてない暮らし。
*[「湖の本」今度の166巻で 終える。発送の「便」が業者側から無くなってしまうので。
むろん、「書く」は、書き続ける。
ホームページを適切に完備できれば、「発信」のカタチで「作と私語と」は送り出せる。が、カッコいい「ホームページ」を自分で「創れない」のが「遺憾」も遺憾。
*ま、なにもかも終焉へ。自然な歩みと謂うべく。
2023 12/15
* いよいよ「秦恒平 湖の本」「最終」第166巻を「責了」で印刷所に託するところまで来た。ここでもまた一つ、作家人生の大事な,よけては通れないキマリが付く。
* さ,そうなったら、なったこと。いっそ手足を伸ばしすきなことをしてみるか,残年は短い、残念に潰されまい。
2023 12/16
○ 廬山 三輪山の面影を心に住まわせて読み進み 隠沼に至る……まさに配列の妙です
今の時代 この年令でこそ味わえる讀書体験でした。
竜の子と傘寿の春をゆうらゆら)
二○二四年
佳いお年でありますよう
心よりお祈り申しあげます。 不一 羽生淸 美学者 元・大学教授
* 京の名菓「雲龍」で傘寿祝って戴く。もう一度、どうかして逢いたい人。
2023 12/28