ぜんぶ秦恒平文学の話

秦 恒平の独自性   唐木順三

秦恒平氏の生れ、育つたのは京都の祇園界隈、中学も其処、高校も其処から遠くはない。大学は同志社。少年の時から『源氏物語』に取憑かれ、光源氏、薫大 将、匂宮、その光のかがやきや陰翳、薫りつや匂ひの濃淡や色合を己が感覚世界に移して、よろこびやあはれを共にするといふ早熟さであつた。高校生のときに は同居してゐた叔母に茶の湯を習ひ、習ひに習つてほどなく代稽古をするといふほどの域に達した。『源氏物語』と茶の湯、五十四帖の、時とともに展開し、読む者の心にさまざまな想念と自由な情景をかもしだす物語と、狭い茶室の中に人と人とが寄合つて、茶を点(た)て、茶を喫するといふ単純な行為の中に主客と もどもの共同空間、共通感情をかもしだす茶会式と。この拡散と集約、自由と規制との二つの方向を、本人の意向に拠るか否かは別として、若い秦恒平が合せ兼ねたといふことが、後の創作活動にとつての要(かなめ)となつてゐると思はれる。
祇園といふ遊里を含む一帯には伝統につちかはれた芸事(げいごと)、稽古ごとが、なほ生きてゐて、其処に住む人々の行住坐臥にも、ゆきずりの挨拶言葉にもおのづからにそれがあらはれてゐた。観世父子の「稽古は強かれ、情識は勿れ」とか、「能(のう)は若年より老後まで、習ひ徹るべし」といふ一徹さが、謡ひにも舞ひにも、また市中の茶の湯の稽古にも、さまざまな芸事にもなほ残つてゐたと、秦恒平を通して、否応なく納得させられる。同志社を卒業後、東京に出 て、医学書院といふ全く畑違ひの職場に身を置いて、みやびだの幽玄などとは無縁の年月を過してゐる間に、この作者の脳裡に、京都が、祇園が、またそこでなじんだあれこれのひとびとが、濾過された形であらはれ、それを文字言葉で造型する作業の結実が、読者を誘つて夢ともうつつともつかぬ境へつれこむのかもし れない。例証を挙げる煩をはぶくが、たとへば『月皓く』の一篇だけでも読めば十分に納得がいくだらう。大晦日の夜、暗く苦しい道へ入つてゆくかもしれぬ女客を迎へ入れての茶席には、「一陽来復」といふ軸が掛けられてゐる。主も客も、その席につらなつた若い作者も、ひとこともその女客の境遇に触れないながら、一碗の茶を点じ喫するといふ所作のなかに、この女性への思ひやり、心づくしのほどが、炭火のほのぼのと赤い中にただよつてゐる。一陽来復などといふ平々凡々の言葉が、この折なればこそ生きて働いてゐる。

小学校で「アイウエオ」 の五十音図で仮名を教へるのに不服を言ふのではないが、家庭では親から口うつしで「いろはにほへと」の四十八文字を唄つて教へてほしいと、さういふことを秦氏は言つてゐる。それが仏語の「諸行無常、是生滅法」に由来することなど、どうでもよいが、「いろはにほへどちりぬるを」と いふ語感、やまとことばの美しい音律と、いろはにほふといふ微妙なことばづかひを、幼いときから口うつしに伝へてほしいといふのである。とにかく秦氏ほど京言葉を美しく書き誌しうる作家は他にはないだらう。『閏秀』の中に、上村松園の母のいとなむ茶舗の店先での会話が出てくる。母が店先に立つた客に声をか ける。「まあお寄りやしとくれやす」。客がそれに応じて、「さうどすな、ほなちよつと休ませてもらひまひょ」。一見なんでもない対話ながら、この短い応答 のなかに、母の顔、客の顔、その所作までがでてくる。もうひとつ、随筆集『優る花なき』の中の「京ことばの秘密」から引く。東京の秦宅へ、いまは七十五歳になつた京都の叔母を引取つた。これまで京都の祇園町から一歩もよそへ出なかつたこの老婆の京ことば。お医者さんがかくかく言つたの場合は「お言(い)やした」、御用聞の場合は「言うとつた」、近所の奥さんの場合は「言うたはつた」。かう言はれ、誌されれば、この三様の言葉づかひ、その区別もわからないことはない。然しお医者さんだけの三人だつたとしても、この根つからの京都女性は、相手の年齢や人相や応待の仕方によつて三様の言ひ方をするだらう。そして、それを聞く周辺も、その三様のつかひわけによつて相手の人柄とともに、それをいふ女性の心理をも理解するだらう。それが京言葉の微妙で隠微なところであると同時に、王朝以来の宮廷歌人 また女房日記のみやびの一様相でもあらう。それをそれとして示してゐるところに秦作品の独自性がある。然しまた『茶ノ道廃(すた)ルべシ』といふ近著の示してゐる、茶道の「家元制度」や職業茶人に対する痛烈卒直な批判、そのしたたかな心ざまもまた秦氏一流のものである。この本は裏千家の機関誌ともいふべき 『淡交』、その肩書に「茶道誌」とつけられてゐる月刊誌に連載されたものの集成である。ここでも秦氏の茶の湯に対する執念と自信のほどを感じる。茶が 「道」などといふ抽象にかたまる以前、点茶、喫茶の所作と心づくしが即ち茶寄合だといふのである。

* 京都(祇園) 言葉(京ことば) 茶の湯 源氏物語 そして 批評。 パチッと観てとって戴いていて、ただ頬を熱くする。1978年5月の月報であ る。唐木先生方に太宰賞とともに背を押して頂いての作家生活、まだ満九年に足りない時機であった。おそらくわたしは此の文学大系に入集、最新参作家であったろう。
2018 4/23 197

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