* 小豆の雑煮を祝う。
* この正月は、玄関に駆けた巨勢秋石の「蓬莱山」と題のある長い丈高い掛け軸が気に入っていた。叔母の初釜に、結び柳をそえてかならず掛けていた。伸び上がって喬い松の梢に双の鶴、遙かに空高く静かな日輪。秋石らしいしみじみとした瑞祥の表現。
それも今日で巻いて収める。
2010 1・15 100
* 気分を新しくしたく、玄関に菊池契月の「梅」を、居間には初めての「雪だるま図」を掛けた。「百尺の竿振て松の雪払ふ」と元気な句が添い、雪だるまがとても面白い。お寺さんであろう、何方であるか知らないが。
2010 1・20 100
* 播磨の「鳶」さんが、海外の数重ねた探訪から、十点の繪をファイルで送ってきて見せてくれた。佳い作品、個性歴然とした絵画の意図がここにはある。
但し旅の画家達が当然のようによりかかる、写真からの画面再生という弱さがここにも見て取れるのは、わたしの誤解かな。スケツチなら、もう少し画面は生動するのでは。
画面構成の面白さがカメラワークで与えられているのであれば、それだって佳いじゃないかという議論も、物足りないという議論も湧いてくる。わたしは、かなり割り引いて評価する方だ。それでも鳶さんの繪、珍しい眺めである。
ワードという使い慣れないソフトで送られてきたこれらの繪を、さて、どう機械に保存していいのか、例によってわたしは心許ない。
2010 2・9 101
* 大江戸線と半蔵門線とで表参道へ出て、メガネ屋へ。四つとも直しを受け取り、大通りの向かいで車を拾って根津美術館へ。「mixi」マイミクの「かめ」さんの日記に刺戟を受けていた。
すっかり新装。展示品を気づかってこの館の照明は暗い方だが、館自体は、さっぱりと明るくなった。すべてマッサラで気持ちがいい。庭園は少し手が入りすぎ、鬱蒼の感は明るんだけれど、足下の覚束なくなった老境には有り難いとも。ただいつも以上に、この根津美術館の庭は、不似合いに巨岩ないし石材をこれでもかと使い過ぎていて、ごつごつ感がきつい。茶室の配置はわるくないが、その美しさに自立性がやや乏しい。雨の日に傘などさしてめぐる方が心優しくなる。
展示は、流石に気が入っていて、みごとだった。陶磁の歴史的な受容が要領よく看てとれたし、応挙は別格に外しての、円山四条派の異才たちの繪も見応えした。多くは鑑蔵の滞りない茶道具たちが、松屋肩付を筆頭に、いつものように目を惹く。豪快な上古の青銅器も、ものすごい魅力。興奮してきて、腰を据えているとからだが参ってしまうと思い、流すように観終えて庭へ出ていった。
2010 2・17 101
* 快晴、こころよし。一番に散髪、すっきりする。
* 契月の「梅」短冊の軸を、大綱和尚の「瓢箪」繪賛にかえた。土佐光貞の「蛤に雛」の繪軸を二月の内に出そうと思いながら、出しそびれた。つい、秦テルオの「雪の出町」、そして誰かさんの「雪はらひ」の軸のままになっていた。遅ればせ片づけた。とても気に入っている堤いく子さんの「蔵王遠景」も、城景都の油絵「十姉妹」にかえた。
妻のお気に入り、ご近所の表具屋に頼んだという、繪の季節は少しちがうけれど、去年九十三翁、染色家三浦景生さんのお手紙を簡素に額装したのを、茶の間で眺めてもいる。三浦さんとは、もう四半世紀近く京都美術文化賞の選者を務めている。わたしたちの金婚や湖の本百巻達成などへ、いろいろとめでたいお言葉を戴いている墨書簡。
米壽の昔、俳人荻原井泉水さんに頂戴した「花・風」の揮毫、宮川寅雄先生に戴いた秋艸道人(會津八一)の「学規」、受賞の記念に長谷川泉先生に書いて頂いた横物「文質彬彬」の大字なども、それぞれの時機に額装してもらい掛けてある。嵩張って狭い家がますます狭くなりはするが、戴いている繪や書は、相応に軸や額にしておけば時宜をえて楽しめる。城景都氏の美事な細密画が、合算すると三、四十枚も帙に入ったまま愛蔵されている。みな、しかるべく人に差し上げてでも喜んで欲しい。
三浦景生九十三翁・書簡
2010 3・5 102
* 森川曽文の長軸、春の「山桜に雉」を玄関に掛けた。
秋の「紅葉に鹿」と一対。在るはずと思っていたのが見付からなかった。荷物の山に隠れていた。山桜が優しくリアルに描けていて美しい。蕪村また応挙の跡を承けた呉春(松村月渓)の子に、天保の頃の景文があり、昨夏、水辺の草花に蜻蛉のよった軸繪を同じ場所に掛けていた。森川曽文は長谷川玉峰を介して景文からは孫弟子に当たっている。写生の技に情感の添った四条派の一将。
2010 4・3 103
* 京都のホテルフジタからと、からすま京都ホテルから撮った七枚の写真を繋いで、北は鞍馬、比叡から南の稲荷山まで、いわゆる東山三十六峰の稜線が一望できるようにして、身のそばに置いてある。北半分には鴨川も写っている。なにやら昔のことを思い思い小説が動き始めていると、山紫水明のかたちが、何より身近で呼吸してくれる。
2010 4・3 103
* 原爆に壊された長崎の「旧」浦上天主堂の美しかったこと、その廃墟となった残骸のまたじつに美しくさえあった写真に見入りながら、人が人に及ぼし為した「廃墟」の意味を想わずにおれない。
自然の威力が加わった廃墟も有るが、多くの文化遺産が人の手で創られていて人の手で破壊されてきた。歴史は語っている、それが、「おまえだ」と。他人事ではない。
* いま、玄関には堂本印象の短冊繪「ほととぎす」の一軸をかけている。白い叢雲をわけて鳴きわたる一羽。表具はかそけくも雅に淡泊。叔母が古門前の林から買おうというとき、賛成した。時季は、やや早いか。
鴨社の祐為が書いた卯月八日の繪がある。季節はむしろ旧暦ならいま頃に当たるので、明日は掛け替えようと。
2010 5・3 104
* 「あやめ」をと思ったのが、堂本印象の「春たのし」は、蕨籠に近づく一羽のアカゲラの繪で、ほんわかとする。
玄関には鴨祐為の「卯月八日」釈尊の誕生を祝って屋根よりたかだかと卯木棹を立てた、新緑の心すずしい言祝ぎ。和歌一首が瀟洒に絵文字のように画面に嵌めてある。
2010 5・5 104
* 持参の背広に着替えておいて、十時に部屋をチェックアウト。車で出町の菩提寺へ走り、日盛りの墓参。人っ子ひとりいない墓地。念仏百遍、父や母や叔母とゆっくり話をし、また念仏し、よく育てて頂いたことへ遅ればせの感謝を。
庫裡で住職夫妻や前住の奥さんと暫く話してから、車で、河原町夷川のギャラリーへ。三浦景生展をゆっくり拝見。三浦さんに会いたかったが、午後見えるというのであきらめた。九十四歳の作品、磨きが掛かってどれもみな美しかった。陶染画とでも謂うか、三浦さんの世界は小さい素材に野菜を描き干支の動物を描きながら、夢のように大きい、美しい。欲しいと思う作がいくつもあったが、なかなか。手が出ない。
眼の法楽だけを静かに楽しんでから、歩いて銅駝校のまえからホテルフジタの一階、おちついた席で、トーストとコーヒー。トースト一枚だけ食べて。
このホテルもわたしは大好き。
* 車で平安神宮の前から、星野画廊の星野さん懸命発掘の名作小品展。図録を送って貰っていたので、これを観て帰りたかった。
また一点、買いました。名前はほとんど湮滅していた画家だが、そんなことでいいわけのない人の、ちと気に入った小品。となりに稲垣仲静の好い裸婦もあったのだが、ウーンといろいろの意味で唸って、隣の繪にしました。
わたしから頼みはしなかったけれど、店主の奮発で、マケテもらいました。支払いも済ませてきた。
2010 5・30 104
* 玄関に、亡き徳力富吉郎画伯に頂戴した、清らかな『鮎』の軸を掛けた。乾隆の昔の名墨を手に入れたので描いたと画面にあり、表具も最良、高雅に美しい一軸である。ご縁があったなあと、しみじみ有り難い。
宋の徽宗のあの繪が観たくなったと思うと、その日の内にも飛行機で大英博物館へ飛んで行くお年寄りであった。
茶の間には、愛蔵の一軸、足利義政の歌短冊「海上蛍」を。華麗なしかも渋い好い味わいの表具。天に黄金獅子、地に黄金牡丹、中まわしには唐草。象牙の軸。買ったときから、「義政」の歌ももとより豪奢な表具に心をとられてきた。
三浦景生さん、九十四歳、美しい茄子の繪を点じた巻物、独特の遊糸体で書かれた書簡をアッサリと額装しておいたのも、心地よい。
2010 5・31 104
* 三宅鳳白という画家の「舞子素描」を京都で買ってきたのが、昨日届いた。妻が荷をといて和室に掛けた。情に流されない高雅な筆致で、肖像美しく凛としている。星野画廊の手助けで出会った。掘り出しと思っている。
縄手の龍ちゃんの家には、いまも在るだろう、土田麦僊の舞子素描が目に付く場所につねに掛けてあった。あれは、わたしの憧れの一つだった。佳い舞子の繪があれば欲しいとながく思ってきた。
2010 6・3 105
☆ お元気ですか。
みづうみのお腹のシクシク、ただストレスのせいと決めつけませんように。昨今のドクターは検査しないと何も治療してくれません。自己診断ばかりしていては手遅れになる場合もあります。どうかご面倒でもお嫌でも怖くても、時々症状にあわせた検査をされることをお勧めします。幸い糖尿病で病院通いをされているのですから、その折に是非ご相談してください。長生きするためというより、苦痛で生活の質を落とさないために、仕事をしっかり続けるために、健診は必要なのだということを年寄りの看病を通して学びました。
身辺の心配事に加速して、日々のいやな政治ニュースも身にこたえる感じです。
過重なストレスにさらされているみづうみのことを想いますと、自分がため息ばかりついているのは情けないのですが、わたくしも毎日が苦しい。みづうみのように強くなって、気分転換が上手になりたいものです。
今のストレス解消法を強いてあげれば、夜遅くのネットショッピングでしょうか。不健全とお叱りにならないでください。出歩く元気も暇もなく、病院という妙に消耗する場所から帰宅すると頭を使う気力もなく、でもなぜか安らかには寝つけないので、食器とかペットのおもちゃなど安い日用品や、珍しい古本などをポチッと。お酒を飲むよりはましではないかと言い訳しながら。
書が大好きなので今は掛け軸を探しています。頼山陽のよく出来た贋作などないかなあと捜すものの、無理そうなので、どこぞのお坊さんのものらしい八千円のものを、このくらいなら失敗しても(失敗に決まっているのですが)とにかく傷みを気にせずどこにでも気楽に掛けられるし文言がいいので買ってみようかどうかと思案しています。でも、美術品の第一級の目利きのみづうみからすると悶絶ものでしょうから、やっぱりやめときましょうか。
今回は珍しく、みづうみが新刊の予告をしてくださいました。湖の本103『私─随筆で書いた私小説』と拝見して、ああその手があったかと新鮮でした。今まで誰も試みることのなかった手法ではないかと思います。どんな「私」が現れるのか楽しみです。届く日が今から待ち遠しいことです。
昨日泉鏡花の『由縁の女』を読了しましたが、正直とても読みこなせていません。他の鏡花作品に比べても難しいと思いました。白山信仰について無知なことも理由の一つかもしれませんが、ところどころはっとする場面があっても、主人公に共感出来ないままに終ってしまいました。読みこなす力が不足です。『風流線』のほうがずっと好きです。
今日からはぐっと趣を変えて、小田実の『難死の思想』というエッセイを読むことにしています。「アメリカのつくったもう一つの日本」など面白そうです。
とりとめないおしゃべりでした。長くなって申し訳ありません。寝る前にはまた掛け軸ウォッチングに戻ります。
みづうみ、おやすみなさい。 雪柳
* かなり重篤の鏡花病患者でないと『由縁の女』には心酔しづらい。うまく惹き込まれると心底惚れ惚れする。ひっかかってしまわないと、何が何やら分からない。ヒドイ人は支離滅裂などと云う。
この物語には、鏡花の「女」に寄せる信と思慕とが魂も溶けるほどしみ通っている。そういう真似というか、表現は、凡俗の誰にでもよく出来ることでなく、本気も本気で是の、『由縁の女』の、書ける書けてしまうのが鏡花の頑強な天才であろうと観ている。「主人公に共感出来ないままに」という感想が分かる。女性の読者は閉口されそう。
わたしは。わたしは、再読して、受け容れた、心から。
* 数多い藝術のジャンルで、わたしの傾倒するのは「書」だと云うと、嗤われるだろう、希代の悪筆のクセにと。
もっとも、「書」を自身で購うことはしていない。一つには叔母から譲られた「茶」とのかかわりのもの。もうひとつは、いま、この部屋に掛けてあるいただき物。一つは俳人荻原井泉水さんの大字の「花 風」で「秦恒平雅兄一餐 井泉水」と献辞が添っている。もう一つは會津八一先生の「学規」で、宮川寅雄先生に頂戴したのを額装した。階下には鴎外学の泰斗長谷川泉先生が、太宰賞を祝って書いて下さった大きな横物「文質彬々」の額。書ではないが、茶名「宗遠」二字を大きく篆刻し金彩した額もある。「問一問」の横物もある。
谷崎潤一郎が南洋の巨きな豆入り豆殻に「鴛鴦夢圓」と書いた珍しい遺品を妹尾健太郎氏に戴いている。また潤一郎筆の短歌の軸装したのを松子夫人に戴き、また色紙を近藤富枝さんから譲られている。
その余は、みな茶掛けの軸。鑑定はできないが、いろいろ在る、いま掛けている義政の歌短冊もそう、江月や宗旦や松花堂の書や懐紙・短冊も、大徳寺ものの数点も、受け継いでいる。六閑齋や、玄々齋、圓能齋、淡々齋、鵬雲齋など家元の掛け物の自然に多いのは当然として、小堀宗中の「雪・月・花」三幅なども愛している。惜しんで埋蔵したりせず、時折に出して眺めている。
いま、こういう時節であればこそ、よけいにこういうモノの息吹が懐かしい。
2010 6・3 105
* 東大の上野千鶴子教授、「今号の表紙(繪)は大へんエロティックで、思わずぞくりと致しました。お元気で、」と。感謝。
観れば観るほど美しいヌードで、誰かも褒めてくれていたように、城景都氏会心の「藝術」で。いやらしさ微塵もなく、豊かに美しい。未見の方に、ぜひ観て欲しいなあ。寄贈している高校でも大学でも学生・生徒諸君が、先生もまた、歓迎の声が上がっているとか。「上野先生のお墨付きも貰いました、とっても佳いのです。」
2010 6・26 105
* 京都の草野さんに、花押入り共筒共箱、裏千家十四世淡々齋自作の茶杓、銘「露」を送呈した。日吉ヶ丘茶道部でわたしが教えた一番弟子。後に叔母の社中として永く稽古に通っていた。その後お茶の「先生」もして、いまもお仲間と茶を楽しんでいると、この間都ホテルで講演した折りに会場で聞いた。秋に茶会をするとも聞いていたので、
ただ人は情あれ 花の上なる露の世に
閑吟集九六の 露 とでも想って下さい。あるいは、
白露に風の吹きしく秋の野はつらぬきとめぬ玉ぞ散りける
村雨の露もまだひぬまきの葉に霧たちのぼる秋の夕暮れ
とでも、と。叔母宗陽の形見とでも、と。御礼の類はまったくご無用に。お茶をどうぞ楽しんで下さい。 宗遠、と。
* 京都にはお茶をつづけていて、この人に、あの人にと、今のうちに道具を贈っておきたい人は何人もあるが、やはりタイムリーでありたいと思うと、意外に難しい。それに茶杓など送り易いが、茶碗や水指など割れ物は素人の荷造りでは不安がのこる。茶道具だけは、懸けておく繪や軸物とちがい、ほんとうに茶の湯が好きでしかも出来る人でないと、ただのお宝に落ちぶれてしまう。使えない茶道具など持っていても始まらない。
2010 6・26 105
* 玄関には、平成晩年の徳力富吉郎画伯、清々しい「鮎」から、幕末岸連山の、瀟洒な「祇園社御手洗井」の墨画に掛け替えた。「丁巳夏六月」とある。安政二年であろう、まさか連山が大正六年ではあるまい。八坂神社の懐かしい紋の入った提灯などが美しく、墨線が楽を奏でて心涼しい。
居間には、淡々齋「瀧」の繪に和歌一首のやはり軸を隅にかけ、壁を広くのこした。この古歌を読むと、涼感というより、瀧の音によせた恋歌と読めるが。
手洗いには、紅いろの花がてんてんと可憐な、雑草ながら「もじずり」の小鉢を妻が置いた。斑の愛らしい蔦の葉もガラスの小瓶に。
この機械のひだり間近には山種美術館ののカレンダー、河合玉堂の「山雨一過」は戦争もさなかの昭和十八年作だが、のどかに平和。奥多摩であろうか。
* 軸物は仕舞いよい。額物は仕舞うのに場所をとる。わが家では場所が問題。かなりの数を廊下の高い天袋に仕舞ってきたが後期高齢になろうという夫婦が、不出来な脚立に上って出し入れするのが危険になっているので、少し低い何処かへ仕舞い替えたいがそれすらしんどくて投げ出してある。今月の後半、熱暑を家に籠もって、少しずつでも動かしてみたいが、動かす前に知恵をしぼっておかないと途中で立ち往生する。好機会に贈りものにし、人様に貰ってもらうのがいちばんいいと思っている。だが、存外人様に差し上げるというのも佳い配慮が必要で、易しいことでない。
2010 7・6 106
* 祇園会の一と月、玄関には岸連山画「祇園社御手洗殿」の瀟洒に涼しい軸を、居間には岡本清暉画「祇園社神供図」の大軸を掛けていた。清暉の画はめずらしいもので、榊と注連縄のなかの台に三宝が幾つも裏返しに積まれた図で、わたしたちにはこの繪柄の意味が掴めないまま不思議に端麗で厳かに思われ、一月眺めていた。表具には祇園社の二つの紋が美しく用いられていた。
もう一つ、淡々齋の自画自賛の「瀧」を居間に懸けていた。
山まつのあらしになをもひゞくかなつゝみかたきの水のしらべは 古歌
つつみがたきという一句に秘めた恋の気味をわたしは感じていた。瀧くちを溢れて落ちる瀧に勢いがあった。
* 八月。玄関には、去年も日々楽しんだ松村景文が「河骨に蜻蛉」の洒脱な墨画を懸けた。河骨の花と蜻蛉の目玉にだけ淡い黄の点じてあるのが美しく、涼しい。
居間には、松子夫人に頂戴した、谷崎潤一郎自筆自画の和歌、
すゞみにと川邊にいづる吾妹子に蛍も添うてわたる石橋 潤一郎
を懸けた。短冊に谷崎先生が手すさびの繪が珍しく、夫人お好みの帯地を用いられた松子さんご注文の表具がすばらしい。
* ほかには玄関の古典全集の上に澤口靖子の好きな写真、居間には城景都の濃密な筆でつがいの鳥。キッチンには星野画廊で手に入れてきた美しい舞子の墨画。
* 今月は、ホームページに、一水会堤彧子さん会心の力作を選んだ。元気な繪。心より平安を、快癒を祈る。
2010 8・1 107
* 玄関に立つと、景文の「河骨と蜻蛉」の軸がしじつに嬉しい。窮屈なところのすこしもない、しかし、何一つ描きもらした間抜けも無い。だから見飽きない。
などと云うているまに「湖の本」新刊の初稿が出てきたら、またとびあがるほど忙しくなる。いまや一銭いや一円とて稼ぎのない稼がない文士だが、「仕事」で忙しいことは壮年時とちっとも変わらない。奇妙な七十五歳だ。
* さ、世間の夏休みも今日辺りで過ぎて行くのだろう。明日は大文字送り火だ。
2010 8・15 107
* もう一押しで、要再校戻し、出来るまで。あとは明日。
明日で閉会の、京都博物館上田秋成展。とうどう行きそびれた。残念。
2010 8・28 107
* 濃いつかれをうすめ癒すには、横になること。できればそのまま眠ること。もう、やすまねば。
機械の画面下に葉書大のアイズビリ裸婦図を立てているが、真っ白地に美しい線で描いてある。その白い画面が黄色く見えてくる。視力の疲れだろう。
2010 9・4 108
* 昨日か一昨日に京の星野画廊からいつもの編纂された特別展図録、今回は『群像の楽しみ方』が届いて、今朝、ゆっくり観て楽しんだ、楽しんだ。
圧巻は野長瀬晩花の「戦へる人」で、言葉を失うほどの吸引力。画品を蔵した力業の真摯さ。参りました。この一点だけでも観にゆきたい。十月早々、選者をつとめている京都美術文化賞の展覧会オープンのテープカットに行くので、観てこれるだろう。
頁の順に観ていって太田喜二郎の「メリーゴーラウンド」が佳い。田村孝之助の「裸女群像」が佳い。松村綾子の「三人裸女」も佳い。金田辰弘「ふくろう」には買い気の手が出そう。そして上條陽子の「玄黄」も惹き寄せる。
これだけ魅力作のある星野自慢の展示なら、ぜひ誰にも観て欲しい。いつもながら、この画廊夫妻の「勉強」には頭が下がる。
* 星野で買ってきた三宅凰白「舞子久鶴」素描を、写真に撮ったりした。なかなかうまく撮れない。
* 美術の秋。西洋美術館では「カポディモンテ美術館展」。竹橋の近美では「上村松園」展、新国立では「ゴッホ」展と大きなのが。いずれも招待が来ている、いつものように皆ムダにしてしまわぬようにしたい。ほかにも泉屋博古館、国立工藝館なども来ている。歌舞伎も能も新劇も、商業演劇も、小劇場も。花柳春の舞踊も。
秋、大にぎわいで有り難いが、体、保ちますように。大学の頃なら学生たちをせっせと連れて行けたが。
2010 9・10 108
* すこし出遅れて。身近な掛け物を一新。
メインに玄々齋の懐紙「翫月」を久しぶりに。ふつうに謂う歌懐紙ではない、右寄りに、題と、和歌一首を墨も美しく。左は大きく大きく白地のまま、月光の満てるさまに。佳い趣向。幕末の玄々齋が高弟であった加賀の前田に与えて前田で表具したもの、箱底にまで書き入れがあり、気が入っている。
書も表装も趣向も嬉しくて。叔母自慢の所蔵であった。大学時代、これを持ち出し、妻の下宿していた真如堂まえ坂根家の二階で、翫月の茶を楽しんだ。『慈子』に、来迎院の秋の茶遊びとしても書いた。
* 玄々齋のわきに、森川曽文の「紅葉と鹿」の細い長軸を垂らしてみた。目の覚める紅葉と芒をかすかに点じ、下に、雄鹿がゆったり真向きに起ってわたしを観ている。春の「落花と雉」繪と双で。はんなりと、しかも寂びている。
* 玄関には西村五雲の「秋香」すなわち土の香ものこった松茸三つが無造作に転がしてある。よくこんな軸を買っておいてくれたと叔母に感謝。
一気に秋の風情が家の内に。せめて美しいモノに眼も思いも静かにと願っている。
2010 9・22 108
* 昨日からの気疲れが取れていない。京都への出張とんぼ返しも気の重荷になっている。美術賞記念展。受賞した田島征彦さんに逢えれば嬉しいのだが、自分の展覧会に遠くへ出掛けているらしく。ま、授賞式にわたしは欠席したのだ、アイコだな。
2010 10・1 109
* 午前中を利し、少し気がかりな用事をグッと前へ進めておいた。午后はやめに出掛け、京都へ。
明朝十時 四半世紀選者を勤めてきた「京都美術文化賞」の受賞者記念展覧会のオープニング・テープカットに。折り返し無事帰ってきて、また用事をどんどん捗らせたい。
2010 10・4 109
* 夜中に起き、本を読んでいた。七時に起き、なにやかや手間取ってから、かすかに朝食をとり、もうどこへという気にもならず、タクシーで出町、萩の寺常林寺へ。紅萩と白萩との大波うつ庭を通りぬけ、念仏、墓参。
九時半、文化博物館へ。
第二十三回京都美術文化賞、三人の受賞者展覧会のオープニング、選考委員代表梅原猛さんらのテープカツト。三人の内、田島征彦氏の展示は圧倒的なエネルギーで、堂々とおみごと。他は圧倒されて見るかげなく、選考委員の中から石本正さんらが賛助出品していたのも、楽吉左衛門氏の焼き物一点が面白かった他は、ま、それだけのものであった。今日は石本さんのヌードが汚く見えた。わたしの言い方をすれば「作品」がなかった。
* 神宮道の星野画廊へタクシーを走らせ、見たいと思ってきた絵をいくつもみせて貰った。高階秀爾さんのお嬢さんが画廊へ見えていて、星野さんと三人で暫く話し、失礼して、すぐまたタクシーでわたしは新門前へ。元の実家の隣の喫茶室でキリマンジャロをたててもらい、西之町の仕出し「菱岩」で、昨日の内に注文しておいた弁当二人分を受け取り、一路、新幹線で東京へ。
車中、ずうっと久間十義氏にもらった読み物を読み続け、西武池袋線のなかで読了した。四時に帰宅。妻は定例の診察を受けに近くの厚生病院へ行っていて留守だった。
* 「菱岩」の贅沢な弁当の、うまいこと。万歳楽の純米酒で、食べきれないほどのご馳走。
時間を惜しみに惜しんで京都から帰ってきた。
お天気に恵まれた京都で、東山も、加茂大橋からの北山も鴨川もきれいであったが、なぜか心は楽しまなかった。立派な作品に逢い、食べ物は奢り、ろくすっぽ言葉は用いないでさっさと東京へ帰ってきた。人寂しい町に、故郷に、京都はなっている。
2010 10・5 109
* 京都の楽吉左衛門さんから、琵琶湖畔佐川美術館での「第二回吉左衛門X展」の招待をはじめ、「還暦記念展」や、「楽家の茶碗展」の招待状がどっさり来ていた。とりわけ佐川美術館はすばらしい明浄処で魅了される。そして楽さんの仕事がまたこの数年、鳴り響くように佳いのである。
京都美術文化賞で早くに推薦し受賞して貰ったが、今年からは選者としても加わって貰っている。今回の受賞者展の協賛出品作も、只一点の造形であったがそれは美事な力作であった。他の方の作が霞むかと見えた。
楽さんも、「湖の本」創刊以来応援して貰っている。
招待券を幾枚も頂戴している。ぜひにと云う方にはお裾分けしたいものだ。
2010 10・9 109
* 冒頭に掲げた棟方志功の繪の美しいこと。気稟(作品)の清質、最も尊ぶべし。
2010 10・28 109
* 滑るように日が経つ。
身に纏うた、荀子の所謂「蔽=ボロっきれ」の重さに喘ぐ気分。黙々と作業。済ませるべきはやはり早く済ませたい。
* アイズビリの颯爽とした線体美にアテられ、一入萎縮しているようで情け無い。
* それでいて、横になり手の届く限り本を読み廻しているときは、惹き込まれている。
2010 11・7 110
* アイズビリの裸婦が寒そうなので床へおろしてやり、静かな秋の竹喬さんにお出まし願った。五雲の「秋香」松茸の繪もいいが、観るから食欲にさわるので、胸の炎を覗き見る心地でこの絵をまた引っ張り出した。国画創作協会のアンカーをつとめられ、静謐の命の火を最期まで喪われなかった。村上華岳にふれて一度お手紙を戴いたこともある。
2010 11・13 110
* 繪を観るばっかりに飽いて、玄関の五雲描く松茸(「秋香」)の軸を巻いた。茶の間に掛けた曽文の、紅葉に鹿の長軸も、裏千家玄々齋の「翫月」の佳い軸も巻いた。もう霜月も半ば、しかしまあまだ秋のうちにと、茶の間には堂本印象が描く、まだ赤い木守りの柿にただ一葉の柿紅葉。小野竹喬の「しぶ柿」もどうかと思ったが印象画「澄秋」の題の明るい静かさに惹かれた。そして脇に、裏千家圓能齋の細長軸「紅葉舞秋風」を。この字が一字一字身に沁み目に見えるようにすばらしい。
湖の本を用意分ほぼ全部送り出して明るくなった玄関には、同じ十三世圓能齋のとびきりの名筆と思われる大字竪一行、「四海皆茶人」の軸を掛けてみた。気宇の大きい雄渾の筆で、此の五大字が朗々と、ふと哲理のように響く。いつまで観ていても飽きない。
* 気分よくなった。
2010 11・14 110
* 今日、アメリカから来ている池宮さんにさしあげるのは、裏千家十四世淡々齋が手造茶盌、銘「忘筌」の大物で、濃茶を練って、十数人は優に喫みまわせる。ずしっと重い。当時の楽吉左衛門が焼いて、堂々の函印と書付けをしている。面取りした箱の蓋に、「自作赤茶盌 銘 忘筌 宗室 十四世花押」の箱書がある。箱の底に贈先宛名は切ってあるが(=たぶん古門前の美術商林楽庵に贈ったと思われる。)字も筆力もつよく、「拙作 茶碗 千宗叔」と自筆の奉書が畳み込んである。この茶碗が淡々齋の若宗匠時代の作であると分かる。「宗叔」はその頃の名乗り。茶碗の糸底にも「叔」の花押と「造之」の刻印があり、紛れもない。
銘がいい。「筌」は、茶筌であるとともに利休実家の稼業であったという魚屋の由来、「筌」は魚を追い込む漁具である。それを「忘」じるとは、その意味や意義は銘々に思うべきであろう。
* 池宮さんはロサンゼルスでの裏千家茶の湯のもう久しい師範である。社中もあり、なによりも茶の湯の実践者。それが嬉しいし、道具も活かして貰えるのが嬉しい。使ってもらえてこそ、道具は生きる。それが何より。
* さて、街の気温はどうであろう。
* 有楽町へ出て、時間調整に帝劇モールでお茶をのみ、タクシーで三井ガーデンホテル銀座へ。池宮さんに会い、21階で三人で歓談。「淡々齋手造赤茶椀」をお土産に差し上げる。明日は京都へ、と。楽吉左衛門の大きな三つの展覧会や奈良の松伯美術館、祇園の何必館の入場券など、みな上げた。きっと楽しんでもらえるだろう。楽氏次男の展覧会の案内も今日届いていたけれど、それは師走。
余り永くはお邪魔せず。ホテル下まで見送ってくれた池宮さんは、路上で妻ともわたしとも熱くハグして、またの再会をと願いあった。歩行者天国の銀座通りをゆっくり歩いて一丁目まで。また有楽町線に乗り帰ってきた。
* むかしむかし、鉛筆がズボンをはいていたようなと妻の云うほど細かった昔に、池宮さん姉妹と撮った写真をもらってきた。こういうほっそりしていたときもあったのにと、なんとも今の体躯のでかい、見苦しいことに慨嘆。
2010 11・20 110
* 志ん生の「抜け雀」を聴いてから寐た。しばらく、五島美術館の贈ってきてくれた「国宝源氏物語絵巻」の立派な図録の繪や字を楽しんでいた。睡くなって、寐た。
あけがた、というよりもう昼前というほどの夢に、小松の井口哲郎さんらと自転車で街道を走っていた。
2010 11・21 110
* 暫くぶりに歯科受診。そのあと新江古田から大江戸線で六本木に脚を伸ばして「ゴッホ展」にと。新国立美術館の門前に立って本日休館とわかり、ゲッソリ。昨祭日開館の振り替え休館であると。招待状をよく読まなかった当方のミスであり、その先どこかへまわる気も失せ、尻尾を巻いてまた大江戸線で家に帰ってきた。バカげている。
2010 11・24 110
* 冒頭に掲げてある能面は、「十六」と呼ばれている。
平家の敦盛や知章らが一ノ谷合戦で戦死した年の頃を謂うており、三井永青文庫に愛蔵されて在る。
淡交社の雑誌「なごみ」に毎月趣向の短編小説を書いていたとき、撮影した。能の曲と、美術品とを選んで、二つを掛け合わせた現代短編小説を書いていた。この作だけは、題を『敦盛』とせず『十六』とした。
依頼した写真家は、能面は真正面を撮ることが多いと言っていたが、苦心惨憺して角度をえらび、わたしが「これ」でと指定して撮って貰ったのが、この希有の写真。実の能面の真面(まおもて)は、慈童や喝食にちかく、ぼっちやりと少年に見えるのを受け容れず、このような表情を苦心に苦心してじつにいわば「偸み撮り」に撮影したのである。少年を処女の面持ちで撮りたかった。おそらく多くの人が此の写真を見て女面と観てきただろう。これも、わたしの「創作」であった。
なぜ、こう撮ったかは、短編集『修羅』のなかの一編を御覧下さい。十二編、それぞれに能の曲の題をとり、残念ながら美術品の写真では飾れなかったが、函の表は此の、わたしの「敦盛」像が飾っていて、百に余るわたしの著書でも、ひときわ美しい造本(筑摩書房)である。
2010 12・6 111
* バスで目白駅まで行き、上野へ。上野の森美術館で「創画展」を観る。
黒いリボンの付けられた橋田二朗先生の遺作「佇(=鶴)」のまえで、泣く。
何の掛け値なく、秀逸の作品であった。
妻と、欲しい、買いたいと思わず言い合う。繪に深く一礼してきた。先生最良の気品と技術の結晶した鶴一羽が画面一杯に何の飾りもなく品位に満ちて佇っていた。
石本正さんの「薊」もよかった。例年に比べて会場も変わっていたけれど、創画会の出品作の全体レベルは悪くなかった。
ああ、とうとう橋田先生にお別れしたかと泣けた。弥栄中学からずうっと中信美術奨励基金の財団理事まで御一緒できた。何冊もの単行本を繪で飾っても戴いた。亡くなられたと今も信じていないのである。
* 上野公園内の清水観世音堂に参ってきた。紅葉まだ美しく、公園の巨樹の翠も明るい日射しに目映かった。
* 東京駅前、丸の内の三菱一号館へ。念願していたカンディンスキー展を観てきた。やっと招待券をムダにしなくて、充実した佳い展覧会を心ゆくまで楽しめた。絵画史を一つの極奥へまではこんだ人の大きな力量と冴えた美意識のちからにこころよく打たれた。はじめて訪れた会場であった。東京都の真の都心の真真ん中であった。また来たいと思った。
* ひろい東京駅構内で、存分の食事をして山手線にのったのが、二人ともうかと、またフリダシの目白駅まで乗り越してしまった。ま、少しは疲れたがいい行楽であった。お天気と気温とに恵まれ、ラクだった。
2010 12・11 111
* 大小の骨董類のうち、小さめの品、茶器、棗、茶杓、香合、蓋置等々の類をともあれ一個所に取り纏めた。其処へは嵩や丈のある品は入れようが無く、別の算段を付けている。狭いながら今居る棟のうち、あっちこっちに分散しているが、ともあれ、大方をこっち棟に移転できた。まだ茶碗などが運び切れていない。
決して玩物喪志にならないで、しかも無為に死蔵して腐らせないように配慮してやりたいが。容易でない。
私に命のある内に、出来る限り、なんとか「かたづけ」たい。
2010 12・28 111
* 骨董類の西棟から東棟への移転を終えた。繪がまだ幾らか西にある。
2010 12・29 111
* 二階はなにも片づけない、飾らない、山種美術館の呉れるカレンダーをかけかえるだけだ。
玄関には、はるかな梢に鶴のおりたみごとな巨松と天高くしづまる旭日とを描いた長軸を掛けた。足下に松と薔薇と菊を丈高に金銀日月の大壺に生けた。居間には、裏千家十三代圓能齋が、墨で寶の入舟を大きく描き、淡々齋として十四代を次ぐ若子の宗匠宗叔が波と海老とをやはり墨で描き添えた、めでたい一軸を掛けてみた。千家の家什であることを証した大きな丸の朱印が捺してある。古門前の古美術商林を経て叔母が入手していた。
さてキッチンの床には、秦テルオの「出町雪景」か、思い切って松篁さん鶴二羽の「雪」にしようか。
2010 12・30 111