ぜんぶ秦恒平文学の話

美術 2015年

* たしか『京のひる寝』に「冬の花」を書いていて想像以上に多彩なのが嬉しかったのを思い出す、が、王者はやはり「梅」か。水戸の梅、北野の梅、青梅の梅。元気に身を働かせ、脚を運んでみたいもの。根津美術館へも五島美術館へも久しく行けなくている。
2015 1/7 159

* 伊勢崎の杉原康雄さんが、劇症の躁鬱と苦闘しながら、この正月に描けたという清雅かつ静謐の水彩「菊花図」を、額装して贈ってきてくれた。すばらしい。繪も佳い、孤独な苦闘の中で病識に悩み悩み書いて描き上げたというのが、すばらしい。おそらくは描くことのほかに彼を救う妙薬は無いのだ、せめて見捨てて出た家族がもどって下さるとと願うのは高見の見物めいていやみな願いだが、とにかくも画家は描いて生きて行く。ゴッホもそうだった。そう思ってわたしは杉原君の敢闘をただただ見守っている。
2015 1・23 159

* デスクトップの背景に永らく建日子が「演出」している横顔写真を入れて気に入ってたが、はずみで消してしまった。回復できない。で、フィリッポ・リッピの美しいマドンナの横顔を大きく入れてみた。画面にロゴが沢山並んでいるが幸いマドンナのみごとに美しい両眼を邪魔していない。眼さえ輝いて美しければ、他は邪魔にならない、  2015 2・2 160

* 奈良の松伯美術館から、「花鳥画展」の招待が来た。花鳥画は、想藝としても技法としても日本画の到り着いた粋である。廃れてはならない。
2015 2・3 160

* デスクトップに大きくトリミングしておいた、フィリッポ・リッピの「マドンナ」。 これこそ、世界史一の美しくも敬虔なブロフィール(横顔)としみじみ眺めている。六十ちかいフォルダやファイルのロゴが覆い被さってまことにお気の毒だが、幸い、眉と、両眼と、鼻と、唇とは免れ、ひとしおそこへ視線がさそわれる。崇高とも優美とも謂いようがない。
2015 2・3 160

* 弄っているうち、デスクトップのロゴ配列に融通が利き、おかげでフィリッポ・リビのマドンナの、清純溢美の横顔が最良の部分で何の邪魔もなく見えるようになった。心地よし。
2015 2・4 160

* フィリッポ・リビのマドンナの横顔を大きく、額から頬から頤まで、眉目鼻も唇も清々しくくっきり四角くファイルロゴで囲んでデスクトップを創っている。心清らかに洗われるようで、思い屈するとデスクトップへ戻って見入っている。
2015 2・10 160

* 亡きやす香のお友達から、毎年の、「おじい様 H appy Valentine 大好きです」とやす香に代わってのチョコレートが届いた。ありがとう。
京都の、亡き画伯橋田二朗先生のお嬢さんからも、思い豊かなチョコレートが届いた。高齢で仕方なかったと謂えばそれまでだが、今にご健在でもあり得たろうにと、先生が懐かしい。お嬢さんとは一度もお目に掛かったことがない。「選集④」へのお返しであろう。ご子息も画家に成られているとか。そういえば病気以来ひさしく創画展へも行っていない。
2015 2・14 160

* 機械を明けるとフィリッポ・リピのマドンナのじつに美しい、好機に清々しい横顔が大きく現れる。清らに、胸の底まで洗われる。
2015 2・18 160

☆ 秦恒平様
冠省 お健やかにお過ごしの事とお慶び申L 上げます。
平素より数々のご芳情を賜り心より御礼申し上げます。
さて昨年は、五代宗入の生誕350 年にあたり、記念の展覧会を催しました。
遅ればせながら国魚も作りまL た。
宗入は私にとり好きな歴代でもあり、すこL 思い入れを込め制作いたL ました。
ご高覧賜れば幸いに存じます。

今年は3 月からロサンジェルス・カウンティー美術館
6 月からはロシア・サンクトぺテルブルク エルミタージュ美術館
9 月からはモスクワ・プーシキン美術館ににおいて
樂歴代と私、それに長男篤人の作品も加えた展覧會「樂 茶碗の中の宇宙」展の巡回が始まりj ます。忙しい、一年になりそうです。

どうぞ今年も替わらぬご指導ご鞭撻を賜りますようお顔い申し上げます。
まだまだ寒さの残る時節柄、どうぞくれぐれもご自愛の程お祈り申L あげます。 早々
平成27年2 月吉日      樂吉左衛門 拝

* 『月と華』と題した美しい大冊の図録を頂戴した。数々の写真、好きな「茶碗」を主とした色校正確かな原色写真に感嘆の息がもれる。忝ない、嬉しい贈り物で、大切に座右に備えたい。
2015 2・19 160

* 機械の前へきて、デスクトップを飾るフィリッポ・リピの「マドンナ」に出逢うと、清々しくなる。
2015 3・2 160

* 地方の或る知り合いの画家から、額装してあるらしい繪が送られてきた。荷を開けなかった。電話が来て、金に不自由している、と。わたしも全く同じと、断って、そのまま返送した。
いわゆる「依頼」原稿をいまのわたしは一切書いていない。完全にちかく無収入であり、刊行三十年になろうという「湖の本」には高齢読者から減って行き、当然のようにかなり出血しているし、加えて、心入れ特装の「選集」は非売。
ただひたすら、わたしは過去数十年文筆の頑張りだけに、現在妻と黒いマゴとの二人一匹の毎日を支えられている。有り難い。しかしムダな余裕は、雫ほども無い。僅かでも余分があれば、「心配な日本」のためにこそ使っている。
2015 3・4 160

* 十代目大樋長左衛門さんから、米寿と文化勲章記念の会へ招待が来た。日本橋三越。金澤で、訪ねたり、ご馳走になったり、お作を頂いたりしている。焼き物では、当代の樂吉左衛門さんとも久しく親しくしており、三浦竹泉さん、備前の川井明子さん、姫路夢前の永田隆子さんらとも、永くお付き合いがある。所蔵のやきものを、もっともっと愛玩して愉しめると佳いのにと、せかせか暮らしているのを時に恥ずかしく感じている。
2015 4・4 161

* いま、この「私語」のフタマにおいた写真、どの一枚もが目にしみて美しい。花は、どっちも通りすがりの道ばたで見掛けた。花が好き。葉も好き。
いま入れてみた松篁さんの金魚、水は描かれて無くてシカと游いでいて嬉しなる。
2015 5・5 162

* 明日は朝から聖路加、十三時予約の感染症内科、わたしの診察日。ま、ドクターに顔を見せに行き、仕事の話などし、たっぷり処方薬をもらってくる。検査結果は、ずうっと安定している、が、油断はしていない。
ドクターに差し上げた繪が、二階チャペル入り口のすぐ右の壁に掛かっている。日本の画家が、キューバの夏景色を描いたみごとに質感を湛えた小品。小品ながら、堂々の存在感にあらためて感じ入っている。このあいだ妻の診察に付き合って行った日にみつけた。お
、いい繪じゃないかと近寄ってみると、わたしが京都の星野画廊で見つけて買ってきた秀作だった。妻も、あらためて感じ入っていた。明日もまた繪に逢ってこよう。
明日は、嵐かなあ。
2015 5・12 162

* 五島美術館より、著名なイセコレクションの中国陶磁の名品七十点に加えて、中国人士大夫らがこよなく愛した文房四寶と絵画とを観にこないかと、特別鑑賞会に招待状が来た。東工大時代には近いので学生等ともよく通った五島美術館だが、いまの体力気力では上野毛はかなり遠方に感じる。しかし、そろそろ思い切って躰を働かせても良いのでないかと、そぞろ心は動いている。実は有楽町の出光美術館の同様の中国陶磁名品展にもつよく誘惑されている。この方は近いのだから、必ず行きたいと。
京都の何必館からは、ウィリー・ロニスの写真展へと招待が来ている。ウーン、行きたいが。チラシには「脱衣」という題の思い切った写真が。こういう場合、被写体の裸形を美しいとみてほしいのか、我々素人には判じもつかぬ写真技術を看て取れというのか。ウーン。わからんけれど、京都へは行きたい。
2015 5・29 162

* わたしは美しい花の写真を、喜んで、丁寧に丁寧に撮ってきた。わたしは、これで、写真自慢なのです。シャツの胸ポケットにはいるほど小さい機械で撮ってきた。重い持ち物はもうダメで。
2015 6・13 163

* お宝鑑定団を見ていた。伊万里も竹田も、ダメなのはすぐわかった。ガレなど、マットウなのもすぐ分かった。
所蔵のもの、選集や湖の本の相当な費用に充てるため、確実な逸品からさきに、実は次々「処分」している。私存命のうちに、のちのち禍のタネに成りかねない品ほど、惜しみなく処分しておこうと決めたのである。残り物に福など、何一つ無くして置く。
とはいえ、実はそれらと取り換えても欲しいと思っている物がある。名作の、短剣か懐剣。むかし、敗戦直後に秦の母が丹波の疎開先で、箪笥の底からとりだして占領軍に差し出してしまった大小二振の日本刀が、今頃になって惜しまれる。人を斬ろうなどと夢にも思わないが、わが煩悩の雑念は斬って伏せたい。日本刀はほんとうに美しい。清い。
2015 6・21 163

* うちの道路際に、ひともとの草がたかく伸びてちいさなうす紅いろの愛らしい花をたくさん咲かせている。名はしらない。覚えるには花はいろいろで、木の花も草の花もある。名前などにこだわらず、ああ綺麗と思うと写真に撮る。ほっこりすると、撮った花の写真をたくさん機械にだして、香こそないが色よさを楽しみ堪能する。妻の写真が断然数多いけれど、花の写真も負けないほど撮ってきた。ふしぎなほど、写真で見ているとそれを撮ったときや場所まで思い出せる。花が話しかけてくるように想える。
いま、選集に口絵写真を入れているが、これにはいささか参っている。わたしの写真は何十年のうちにも数少なく、立ち往生してしまう。今度の第七巻では、昭和石油で副社長だか社長までつとめた、中学、高校時代の友だち團彦太郎が母校弥栄中学で撮ってくれたのを使った。せいぜい名刺大のもので、どうなるかと心配したが、まあまあ運動場や校舎の感じが残っていた。高校でもわたしは神は丸坊主のトンボ眼鏡でとんと冴えなかった。 2015 6・23 163

☆ 紫陽花の季節
雨上がりの街は涼やかでした。
コンサートでは、「ShallWe Dance? 」等馴染みの曲もありましたが、織姫と彦星を思いつつ聴いた酒井格さんの「たなばた」がいっとう心に残りました。
映画「グラン・ブルー」、イルカの写真を見せて「こんな家族がいるのは僕だけさ」と泣く場面の辺りまで、漸く観たところです。
今日も暑くなりそうです。
熱中症など、くれぐれもお気をつけて。  黍

* くっついてきた紫陽花の写真、ボテボテと花沢山で美しくない。沢山咲いているのを沢山撮っていい花と、よくない花とがある。わたしの感覚では、紫陽花はもう過ぎて行こうとしている。咲き残りは愛おしむように近寄って花かずは少なくくっきりと撮るようにしている。花の写真は、花の声の聞こえるほどに撮ってやらないと「美しく」見えません。、
2015 6・24 163

* 朝いちばんに、「尾張の鳶」さんから自作の繪二点のほか、菓子や茶など、いろいろ頂戴した。額に入ったのは吾亦紅か。板のままのは海外の市街風景。二作とも、実存ということばを思い起こして見入っている。ありがとう。感謝。すべてに、感謝。
2015 6・25 163

* 「尾張の鳶」さん、送った繪に額もと、見つくろって、ズシッと佳い額縁が夕方届いた。どこの国のどこの街とは分からないが、建物の重畳する市街を描いて、とても佳い。すぐ額装した作品を玄関の真正面に掛けてみた。佳い。妻もとても佳いと見入っていた。ありがとう。

* 藤江夫人から届いている平安神宮神苑の花菖蒲のはがき繪もとても好く、とっておきの写真立てに入れようと想っている。
いまこのたった六畳の機械部屋に、、むろん写真だが御舟の柘榴、靫彦の青花の鉢、栖鳳の蛙、淳之の花鳥、細川弘司の描いてくれた秦恒平素描、妻の描いた亡き愛猫ノコの肖像などがあり、今一枚尾張の鳶が描いた「吾亦紅」の額繪をも飾った。繪は、嬉しい。
* 鑑定団で、曽我蕭白のすばらしい屏風絵を観た。若描きに類していながら圧倒的な奇想が精確な表現を得ていて感嘆した。
2015 6・30 163

* 尾張の鳶さんから額も贈られて玄関正面に飾った繪は、「イスタンブール」の市街景だと。けさも新たな心地で見入って、ああ佳いよと首肯いた。
2015 7・1 164

懐紙 星河秋興和歌  正二位 飛鳥井雅章 筆

 

あまの川 つきのみふねの追風も
さこそすずしき雲のころも手

* 七夕とはいえ暦の上では季節逸れのまだ梅雨さなかではあるが、ふと思い出して巻いてあった軸をひろげ写真に撮った。
雅章は江戸初期、後水尾院いわば子飼いの和歌の弟子で、ながく院の歌壇に重きをなし従一位大納言に至った。歌のよみにまちがいがあれば、私の咎である。飛鳥井藤原氏は伝統の蹴鞠の宗家でもあった。亡き藤平春男さんに頂戴した『和歌大辞典』に「雅章」の記事がある。

* 季節外れを犯してまで、湖の本発送の途中でもあるのにこな和歌軸をひもといたり、昨日、一昨日と「私語」を通さなかったのも、言うに堪えないある私ごとの「にくしみ」を心に抑えがたく、縷々激越で不快な私語を書いて了っていたのを洩らすまいと耐え忍んでいたからである。
この歳になっても、なお、さような煩悩にわたしは襲われ、怒りのママにものを書いてしまう。ウソ偽りを書くのでは全く無い、事実をあったまま踏まえて書くのではうるが、その不快、身を焦がすほど炎を上げる。静かな心になりきれないどころか、遙かに遠い。その恥ずかしさ故に「私語」を送り出すことを懸命に抑えていた。
いまその箇所を他所へ移した。これまでも、何度もそんな愚かしいことを重ねてきた。 2015 7・7 164

* 明子さんに戴いたみごとな大壺が、いつも玄関正面を飾ってくれている。その上に、鳶さんの「イスタンブール市街」の繪が掛けてある。十五ヶ月の間に、「秦恒平選集」ははや七巻が出来てならんでいる。今年の内に少なくも九巻までならぶだろう。
2015 7・7 164

* 今日は「鷺」を読み、「孫次郎」を読む。
室町末期、名高い松屋三種というと、徐熈の描いた「鷺」、大名物茶入の「松屋肩衝」、そして「存星寶尽四方盆」と極まっている。とほうもない、名品中の名品であった。
「孫次郎」とは、金剛流に伝わる能面のすこぶる著名な名昨である。
こういう美術工藝の名品名作を在に得てわたしが小説を創り出すのは、簡明に謂って、それらにまつわる美しさや由緒来歴や伝説を私が好むから、古典や能や歌舞伎や古美術や民俗に、趣味ないしそれ以上の愛好を自覚しているから、である。
自分が読みたくて堪らない小説を、人は容易には書いてくれないので自分で書いてきた、という意味の大半は、いまいうような世界への趣味・愛好が、いつも 私自身を刺激し誘惑していたからだと謂える。いまどきの小説家で、そういう古典的趣味を生活の下地からしっかり身に帯びている人は、めったにいない。ほと んどが知らない、ないし趣味を持ち合わせていない。当然にも、だから私が読みたい世界を小説に書いて読ませて貰えるわけがなく、そんなに読みたいなら、自 分で書く、創る、しかない。
「選集第九巻」の私の短編小説の世界は、文字どおりに、そういう「日本の古典的文化世界」なのである。「竹取翁なごりの茶会記」「加賀少納言」「夕顔」 「月の定家」さらに「鷺」「孫次郎」「於菊」など、その通りであり、更に加えて、「修羅」十二篇の短編小説は、みな、古美術と能と現代とのコラボレーショ ン小説になっている。私にすれば、書いても読んでも、面白く楽しく嬉しくて堪らない。
だが、当然ながら、こんな半面も露骨にあらわれる。即ち、そんな美しい趣味世界とは無縁無知識の人には、小説自体が「むずかしい」「分からない」「読み取れない」ということになる。蔵が建つほどの多数読者には、はなから、恵まれるわけがない。
いまごろそれに気づいたのではない、初めからそれと承知で、しかしわたしは、あくまで自分が読んで楽しくて嬉しくて面白い、しんみりと没頭できる界をこ そ「小説」としてに書き続けたかった。「騒壇余人」と名乗り、「湖の本」を創刊して三十年も本を出し続け、しまいには非売品の「秦 恒平選集」まで創っているのは、私家版の昔から今日に到るまで、迷いがないからである。
文学の創作には、こういう依怙地に頑固なところが在って当たり前なのだと思ってきた。

* 今朝は六時前に床を離れ、ずっと読んだり書いたり、いっとき録画のヒッチコック映画の部分を観ていたりした。眼を使わずにはなにもできないなりに休ま せてもやらねば眼は堪らない。映像は、本や機械の文字を読んでいるよりはすこし負担がかるい。それもだめなら居眠るかさまざまな音楽を聴いている。大きな 画集を身のそばに置く場所なく隣家にむざむざ死蔵しているが、幸いいい画家を特集したカレンダーを何種類も貰っているので、その月が行ってしまっても繪や 写真は取り置いて、やたら貼り付けてある。栖鳳、御舟、土牛、靫彦、古径など。それらと一緒に澤口靖子のポスターや谷崎先生ご夫妻や、愛おしい亡きやす香 の写真などを、首をぐるぐるまわしながら狭い書斎で、なんとはなくほっこりと自足しているのである。これで書き物机が置けたらなあと嘆息する。とにかく、 とてもまともに歩きもならない。
2015 7/23 164

* 気持ちが妙にザワついている。夢見が荒かったのか。「リチャード三世」を読み、建日子の「アンフェア」を読み色川さんの「戦後七十年史」を読み、玉音放送の映画を観て……心悲しむばかりだった。
よろこばしく励まされる、うれしく身に沁む、そんな美しさに触れたい。
いまこの機械に向かっている席からなら、谷崎松子夫人の、女優澤口靖子の、そして数点の絵の品の佳い美しさに見入って気持ち落ち着く。
2015 8・2 165

☆ 秦様
先日、谷中に父の54回目の祥月命日の墓参りに行った帰りに、国立博物館で「親指のマリア」を見てきました。美しく、どこか神秘的で心に深く触れてくるマリア像でした。
秦様のおかげで、いい絵に巡り合えたことを感謝しております。
また、「短歌往来」という短歌雑誌の連載で、『親指のマリア』の愚観を記しました。雑誌が出ましたらお送りします。ご笑覧いただければ幸いです。
猛暑が続いております。くれぐれもご自愛のほど、お祈りいたします。  恋ヶ窪 鋼

* 何時も展示しているとは限らないので、出逢われたのは、よそながら喜ばしい。シドッチ神父が所持持参した悲しみのマリア、いわゆる「親指のマリア」の 絵。決死の勇で日本へ渡ってきて、江戸で新井白石と対峙対話の折にもその場に置かれた。 同じ審判の席で参照されたブラウによる優れた世界大地図も展示さ れていたと思う。この地図も二人の対話を大いに励ました。
2015 8・4 165

* 群馬のS君から朝食中に、電話。
昨夜には画廊主からの電話で、杉原君の様子をうったえられた。客が入らず絵も売れなくて画廊への支払いができないらしい。「秦さんなら、来て、必ず繪を買ってくれる」と言い張って病状を募らせているらしかった。
わたし自身は彼に一度も迷惑をかけられた経験はないのだが、ことに彼の故郷京都での画展その他に躁鬱の病状をはげしく募らせ、諸方での迷惑沙汰のことは、わたしへも知らせてくれる知人は何人もいた。わたしの名前をいたるところで信用状めいて出していると。
佳い繪の描ける力をもっているが、強度の躁鬱に、彼、多年悩み続けている。今度も銀座で個展としらせてきたとき、ちょっと信じられなかった。案内に、画廊の地図もでてなくて、聖路加の帰りにも見つけよう無く、疲労困憊で帰宅したのだった。
病苦と生活苦。凭れ掛かられても所詮わたしたち老躯で支えてあげる余地は無い。なまじ半端な手出しをすれば、かえって彼自身が立ち直れなくなる。出展の 繪をいくらか画廊に預けての撤退を奨めた。画廊へ来てくれないかと電話で彼は言い、画廊の思惑はわからないが、繪は鑑賞できるけれど金銭沙汰の解決に介入 する気も力もなく、今後へ問題を引き摺るのは厳に避けねばならない。引き摺ってはあちこちへ迷惑をかけてきたらしく、京都の或る親しい画廊からも、かなり 言葉つよく関わるなと何度も教えられていた。
わたしは、彼の画才は或る程度認めている。なにより病気への深い同情もある。妻子まで現に失っているのも、烈しい病状のゆえであろう、同情はする。だが、言葉で励ますほどのこと以上は何もできないし、軽率にそれをしてはならない。
京都での彼にはまったく記憶がない。群馬での画業のなか、もうよほど何十年も昔に、一度だけ地元の個展で話をしてくれと頼まれた。その頃は彼は健康で、温厚だった。
銀座での今回個展の期限は、明日と。画廊と努めて冷静に交渉し、無事に、家へ引き上げられるよう、願う。
2015 8/28 165

 

* S君から、朝、電話があった。
予定の最終日前に断念し個展を撤収してきましたと。繪が売れるどころか人も入ってこなかったと。それは彼に限ったことでなく、よほど手広く縁故や支持者 のある人ならとにかく、大概の個展は売れるどころか客が入らないとは前から聞きかじっている。銀座でなら、という期待が空しいので、わたしは比較的銀座で も気が向くとまるで知らない小さな画廊へも入ってみたりするが、相客とであったことなど、殆ど無い。けっこう気の利いた企画展ですら画廊展には客がいなく て、係の人がポツンと孤独にいるだけ。
行ってあげたかったし、一度は出向いたが場所が掴めなくて、以降疲れもとれず、わざわざに家から広い銀座の一画廊へは結局動けなかった。電話では、可能な限り地元で仕事もみつけながら、天職の繪はしっかり描いてと励ました。応答はシッカリしていた。
2015 8/29 165

* 山口薫の「牛と少女」 すばらしい。
2015 9/2 166

* 「追悼文」を網羅した本が出るという。わたしにも、亡き「上村松篁」さんを悼む一文の転載許可をねがう通知があった。                       2015 9/2 166

☆ 秦恒平先生
ご存知かと思いましたが、HPではこれまで触れておられないので、ひょっとしてご存じないやも知れないと考えました。
既知の場合は捨て置き下さい。三浦景生先生の訃報です。京都新聞記事抜粋を添付します。

8月初旬に私が編集している京都画廊連合会ニュース9月号にて、中信美術館で開催される三浦景生展(9/4~10/18)を紹介すべく、中信 広報担当の方に電話連絡して記事で紹介する作品写真数枚の依頼をしたとき、これまでの経験から大きな回顧展がそのまま追悼展になったとの話がよくあるの で、高齢の三浦先生にはその例外になってほしい、と冗談話のように言ったことがまるで予言のようになってしまいました。
私の画廊にもお元気な頃にはご夫妻で度々お見えになりました。年齢を感じさせない、自由で無限に広がる藝術の可能性を次々と作品に昇華させてこられた偉大な藝術家でした。残念でなりません。  京都岡崎  星野桂三  星野画廊主人

 

哀悼  三浦景生先生 書簡  梟

 

 

* 無念残念。 八月にはいただいたお手紙を額にして此処にも掲げていたのに。お歳をおもえばとは思いつつ。今一度お会いしたかった。星野さん、お知らせ有難う存じます。

* 京都美術文化賞で四半世紀も務めた初期選者のなかで、梅原猛、石本正、そして私だけしかいない。あんなに親しかった三浦景生さんも清水九兵衛さんも、亡くなってしまわれた。寂しい。
2015 9/4 166

* 聖路加病院へわたしも優に十五年余、妻はもっと永くお世話になってきた。家からは甚だ遠いが、いまでは有楽町線一本で行けるし、綺麗な明るい病院で陰気な負担がなにもなく、場所も築地で、やや行楽気分で通える。病院管理は聖路加昔からの金看板でとくに看護体制は親切を極めている。医学書院勤務の大昔からよく知っている。
今は建物も、高い二つのタワーも含め、外来も病棟も広大に調っている。なかに礼拝堂が少なくも二つあり、院内の到る所に繪がかけてある。じつは私の寄贈 した繪も、外来二階のチャベル右すぐ脇に懸かっていて、小品の風景ながら、ぴしっとよく決まって、作品ゆたかに美しく、院内で屈指の秀作とわたしは喜んで いつも眺めてくる。
わたしはいま、この病院で、癌術後を看視してくれる腫瘍内科(オンコロジー)のほかに内分泌内科で糖尿の、感染症内科で総合予後を、眼科で緑内障・白内 障・視力の推移を、泌尿器科で前立腺症の予後を診て貰っていて、さらにまた循環器内科へも行けと、いま、言われている。そのほかに臨時のIT検査や心電図 等の検査がわりこみ、いずれはまた内視鏡で腸をまさぐられるであろうと覚悟している。
外来・病室・検査・会計等々の大きな建物は、二階の端で隅田川寄りの二棟の高いタワーへ、もう一つの端でいわば聖路加本館へ廊下で繋がれている。ことに この本館への渡り廊下は明るく温かく、美しく草花や聖画で飾られ、その一部分でときどきに小物や小品画などの店が出る。一昨日の通院日には、女ものの自然 石を用いたネクレスやイアリングなどを展示していた。淡い青に澄んだやや大きめの、また見るからきらきらと光に燃えるような石のと、二つを妻のために買っ て帰った。お歳はと聞かれ八十と答えると、売り手のお姉さんはなんだか嬉しそうに笑ったのが愉快だった。あとの天麩羅のまずさをやや帳消しにしてくれる買 い物だった。
29日には眼科へ。
2015 9/17 166

* 一つまえ、この「私語の刻」のデスクトップには若かった建日子の「演出」している横顔を大きく入れていたが、何かのヘマで消えてしまったあと、現在は 苦心して、フィリッポ・リッピ描く「マドンナ」の横顔だけを大きく入れ、仕掛かりの「仕事」ロゴの満載で、さらに顔の前方だけをくっきり囲って出してあ る。清潔なプロフィール(横顔)が崇高なままに優美に静かで、仕事にかかる前も途中でも、いろんな思いが繁ってくるとこのプロフィールに見入って平静を取 り戻している。原画は幼子を抱いていておおらかな画面なのを、マドンナ(聖母)の横顔だけに引き絞ったのが気に入って、ほとんど崇拝している。
2015 9/21 166

* 上に出してある山口薫の「牛」の繪を、妻がしきりに褒める。同感。美しい、深い繪だ。
京、祇園の何必舘(京都現代美術館)は、村上華岳や魯山人とともに、油絵では山口薫の愛蔵も際だっていて、堪能するほど特別展で楽しんだことがある。館長の梶川君に、薫の少年期の繪日記をもらって今も大事にしている。
佳い繪は佳い。それ以外の褒め詞はいらない、ただただ観て、観て、深々と呼び込まれる。
2015 9/23 166

* 五島美術館から「一休」展への特別招待状が来た。一休さんには特別な敬愛をむかしから持っている。行きたいなと思う。東工大に教授室をもっていたころ には、五島へ近くもあり学生も連れて何度も出かけたが。さ、今では、あんまり遠くて、さて電車をどこで降りどう歩いたかも忘れている。そんなことはその気 になればすぐ分かること、ただもう遠いのにたじろぐ。反射的に根津美術館などへ行ってみたくなる。
2015 9/25 166

 

* 「歩き」半分と思い立って、妻と上野の都美そして日本橋三越での截金展へ。ところが、都の美術館に到着したところで、創画会展も新匠工芸会展も明日開会、三越のも明後日から開会とわかって、お手上げ。わたしのボケであった。がっくり疲れた。
仕方なく西洋美術館で常設展だけを観てきたが、館の都合で展示はつねの半量だったのに、それでも多すぎると思った。しかし選り抜きの近代前と近代との絵 画であり、新たな所蔵品もならんでいて、満足した。ドルチの「悲しみのマリア」もひときわ美しく、コローの風景やミロの抽象なども、或る女流画家の「自画 像」などいくつもの肖像画や聖画にも胸にひびくものがあった。八十の爺と婆とは無料で見せてくれた。謝々。
西洋美術館の外庭には「カレーの市民」「考える人」などが静かにゆっくり観られる。「地獄の門」も懐かしかった。

* もう移動の元気なく、久しぶりに精養軒のレストランで特別記念のメニュを、食べきれるかなあと二人とも危ぶみつつ頼んだ。赤のいいワインも。
前菜もスープも魚も美味かった。なんと、老人二人が八割がた食べた。仔牛肉、雉肉など三種類の肉のメインディッシュはすこし多かった。いくらか黒いマゴのおみやげにした。五種類ものデザートも、珈琲、紅茶も、しっかり賞味。満腹。

* 上野の街を歩く余力はなくて、池袋へ、直に帰った。西武でも座れた。往きにも帰りにもわたしはちゃんと校正した。出来るところでは出来るだけ仕事しておくのが、結句、ラク。但し、間違えねば、である。その辺がだんだんアヤシクなる。間に合うかと、用心している。
2015 10/20 167

* いま玄関正面にかけてある絵は、「尾張の鳶」さんから貰ったどこかしら西欧の街区図で、不惑溶け合った柔らかな色彩が落ち着いて美しい。どこの街か知らんと問い合わせたら、「トルコ、イスタンブールのガラタ塔の上から眺めた町並みです」と。
むかし戴いて読んだ下村寅太郎先生の初の外遊体験で、往きの途中、ぜひにとイスタンブールへまず足跡を印した、ヨーロッパへの門というふうに書かれていたのが印象にあった。その記憶も蘇って、絵をながめながめ嬉しくなった。
2015 10/21 167

* あすは、また聖路加病院へ。うまくすれば午后に三越での截金展、上野の展覧会二つへ回ってみたいが、月曜だが。
2015 10/25 167

* 日本橋三越本店で、惜しくも海外で客死された截金人間国宝の江里小夜子さんの娘朋子さんの截金展を観てきた。小夜子さんが截金で有名になるよりずっと 早く、わたしは「畜生塚」で、あたかも小夜子さんのような截金の才ある少女を主人公を書いていた。のちに小夜子さんと知り合い、選者をしていた京都美術文 化賞を受賞してもらい、夫君と三人で鼎談もした。惜しみて余りある不幸だった。今日の展覧会に小夜子さん、つまり朋子さんのお母さん作になる二十五年前の 大棗を観てきたが、じつにみごとで、もう三十年もすれば重要美術品に挙げられそうな輝きにみちた名品だった。その一点に出逢っただけで三越本店の日本橋ま で足を運んだ甲斐があった。
もうそこで疲れて、よろよろと、どこへ立ち寄りもならず、銀座一丁目から地下鉄で保谷まで帰った。朝、柿ひとつ食べたきり、飲まず食わずで帰宅して五時近かった。   2015 10/26 167

* 上の能面「十六」を少年の面(おもて) と見える人はめったにあるまい。十六才で戦死した平家の公達敦盛や知章の能にシテのつける面であるが、これの撮影の時、依頼したカメラマンに密着し、ファ インダーを覗き覗き、最終的に、艶冶に優美な女とみまがうこの角度をわたしが決めたのである。こんなに美しい「十六」の写真は例がない。佳い感じに、ぞ おっとする魅力に釘付けにされる。「面」写真の常識の、真正面から撮った「十六」は、ポチャンとした少年顔をしている。上の「十六」面は、わたしの「発 見」「創作」なのである。
2015 10/29 167

* 先日、三越へ截金を見にいった序でに傍の画廊で森田りえ子展も覗いてきた。署名してきたらしく、今日礼状が届いていた。京都美術文化賞の選考ではわた しの在任中、二度ほど賛成しなかった。いかにも写真構図とみえる綺麗画なのに満足しなかったのだ。三越展でも、まだ…かなと思った。
リヒターのように写真の限界と利点とを敢然悪用するほどに絵画に一革命をもたらしたのは賛成だけれど、写生の代わりに写真を利用するのは絵画の自滅だとわたしは考えている。
2015 11/6 168

 

* 印刷所から、例年のカレンダーをはやばや頂戴、来年は小林古径画の特輯。
奈良の上村敦之さんからは、この歳末は、敦之さんの花鳥画に、書家たちが、一つには漢詩を、一つには和歌を書いて、大きなカレンダー二册をすでに戴いて いる。相撲茶屋からも、大関に照之富士の加わったカレンダーを貰っている。ひしひしと師走の風情。年があけたら、入院。やれやれ。
2015 12/4 169

* 先頃、山梨県立文学館が、俳誌「雲母」百年を記念した「俳句百景」展の佳い図録を送ってきてくれた。俳画もあるが、大方は俳人たちの志木市や短冊への 揮毫句であり、俳句と書との相乗の美景がたっぷり楽しめ、座右に於いて飽かず見入っている。いつしかにわたしも毛筆で字を書いてみようかなどと思ったり。 小学生のころ、丹波へ疎開の以前に一年ほど「めやみ地蔵」寺へ出かけて習字を稽古していたが、てんと気乗りせずやめた。秦の母はめつたになく、「いいスジ してるのに」と惜しがってくれたが本人はとんでもなく苦手だった。

春風や闘志いだきて丘に立つ  虚子

小野の鳶 雲に上りて春めきぬ  蛇忽

谺して山ほととぎすほしいまま  久女

どの子にも涼しく風の吹く日かな  龍太

愛されずして沖遠く泳ぐなり  湘子

海に出て木枯帰るところなし  誓子

除夜の妻 白鳥のごと湯浴みをり  澄雄

こんなのが、その人人の筆で書かれてある。宝物のようである。

* 「一休」さんの図録も愛読に堪える。すばらしい図録の難は手に大きくて重くて保管にも場所をとることだが、内容は、良書の何冊分にも当たって、読んで も眺めても楽しめる。和洋百種に及んでいるがみな大事にしている。ほかに、でっかい画集もずいぶん溜まっている。浮世絵、障壁画、華岳、松園、忠、国太 郎、ほか。いちど手にしてしまうと時間を忘れてしまう。
2015 12/6 169

*  飛呂志の「鯉」 わたしも妻も、愛してやまない佳い買い物だった。堂々と大きい鯉である。星野画廊からの図録でみつけて、即、注文した、もう五、六年に なろうか。同時に宇太郎の「椿に猫」の繪も買った。これも大きくて長い軸物、玄関にかけると床につきそうに大きくて長い堂々の力作でかなり高価だった。鯉 はその半値程度だったが愛していることでは宇太郎の立派な繪に負けていない。
水底に静かに身をよこたえ、かすかに尾を揺らしている。沈んだちいさな紅葉が舞い、冬到る季節か。静かに豊か。わたしのもっとも尊重する清い大きいものの在りよう、それがこの、鯉。
2015 12/29 169

*  二人で池袋へ。東武と西武とで雑煮のための京の白味噌、吸い物のための蛤を買い、パルコで、池田良則さんに戴いた祖父池田遙邨の版画と、妻が描いた建日 子小学校の頃の肖像画のために額縁を買った。 西口のメトロポリタンホテル地下の「ほり川」で昼食に鮓を食べ、タクシーで椎名町駅まではしって、帰宅。 けっこう疲れた。
建日子像、額にうまくおさまった。大きい遙邨画は慎重に、晩に、収めようと。
せまい我が家だが、繪はいろいろに。真作のほかにも、幸い我が家は贅沢に造られた美術カレンダーを何種類も戴くので、月日がめぐるにつれ捨てがたい絵や 書の複製がたくさんのこる。古径や御舟や栖鳳や靫彦や松篁らのそんな写真絵を、あちこちに画鋲で捺して楽しんでいる。谷崎先生夫妻の写真も、沢口靖子の写 真も、ある。妻や建日子ややす香や猫たちの写真もある。もうなにもかも雑然としているが気分はあたたかい部屋で仕事をしている。
なにやら疲れて、機械の前で寝入っていることもある。              2015 12/30 169

 

* 京都の画家池田良則さんからこの年初の京都府文化賞のお祝いにと頂戴した池田遙邨画伯の作「稔り」を、新調の額縁に納め、新年を祝う繪として茶の間の 正面へ掛けた。晴れ晴れと、ありがたい。良則さんには、京都新聞朝刊連載、選集第十巻『シドッチ神父と新井白石」の挿絵を描いて貰った。遙邨画伯の孫にあ たる気鋭の画家である。以前に、佳い裸婦像を貰っていて、建日子が仕事場へ持ち帰っている。
建日子にも、もう、年相応の、落ち着いた美の体験の積み重ねが欲しい、創作世界ににじみ出るような。玩物喪志は困るけれど。わたし、繪はとても描けまい が、自身毛筆の書を楽しんでみたいなあと、八十の手習いに色気を覚えかけています。歌も句もへたながら自筆で味わってみたいのです、恰好の帖を谷崎松子夫 人に頂戴してもいる。白紙の、美しい選集姿のツカ見本ももったいなく積み上げてある。「小倉ざれ歌百首」など書いてみたいが、もっと「モノすごい」のもじ つは溜めてあるのです。           2015 12/30 169

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