* 村上華岳のことをいろいろに思いまた考えては書いたり話したりしていたのを見直している。
華岳はたまらなく懐かしい。そういう思いを惹く近代の画人は、少ない。無いといいたいほどである。好きな画人ならいるが。
文学の方で、溜まらなく懐かしいと思わせるのは、谷崎潤一郎とともに、実は志賀直哉が懐かしい。
しかしこういう回顧の思いに誘われているのは、どことなくわたしが心弱く傷んでいるからかも知れない。
三が日が、過ぎて行く。心はずまない、滅多にない詰まらない正月だった。初詣もしないで終えた。ほとんど何も美味しく食べられなかった、量も食べなかった、酒も美味くなかった。
気を取り直し、明日から、平常心で、また楽しみ楽しみ心ゆく仕事をして行きたい。
2016 1/3 170
* 明日は妻が地元病院の循環検査。明後日の水曜午後も、また私が築地へ病院通い、眼科。そのあと五時、「楽・萩」展のレセプションに。当代の楽吉左衛門 は逸材、行けば楽しめるのだが、妻の体力がどうか。金曜は、夕刻にこれも二人で歯科。十九日にはさらにまた聖路加の腫瘍内科と循環器内科へわたしのダブル ヘッダー。いやでも歩く運動にはなるが疲労も加わる。湖の本の発送が、すぐ続くが、用意できるかどうか。居直ってゆっくりやるしかない。
2016 1/11 170
*三越本店での「萩と楽」展のオープニング・レセプション、楽しみにしていたが、どうにも気分体調整わず、失礼することに。残念。
2016 1/13 170
* 出掛ける前に着払いの荷が届いた、繪だ。前もって二度三度電話があって妻が出ていた。生活できないので買って欲しいと。たとえ言い値で買ってあげたと しても、十日も暮らせまい、底なしの前途が見えるどころか、前々から見えていて、しかも打つべき手が、生活扶助とか民政委員との相談とか、就職とか、何ら の手も打てていない。際限ない泣訴がつづくだろう、むろん今の私にはそういう出費のゆとりはない。支払い過多でまったく無収入のわたしには、しかも、なお 継続したい事業がある。
興亡は脆き柳の如く 身世は虚しき舟に類(に)たり
どう思いを尽くしても、私の力でこの人の窮境はとても支えられない。
送られてきた繪(らしき)を、わたし受け取らなかった。配達の人も当然のように持ち帰った。
情け無用とは思わない、が、この情けは泡の一つにしかならない。
2016 1/19 170
* ほんとは今日の帰路、三越本店へ寄って楽焼と萩焼とのコラボレーション展を観てきたかったのだが、出がけの陰気な気分が響いて、そんな気になれず、疲 れもしていたので(電車でも外来でも一心に校正して目玉はバサバサに乾いていたし、)帰ってきた。凍てた雪道で転ぶのもイヤだった。保谷など、雪道は朝の ママに凍てて滑った。
あす、あさってはどうかな。
2016 1/19 170
* 松園、松篁、淳之の松伯美術館から毎度の、「松伯日本画展」の招待あり。行きたい、が、奈良は京都よりも遠い。それでも行きたい。
2016 2/6 171
* グレン・グールドのビアノに聴きほれながら、織田一磨という石版画の真の草分けであり大成者でもあった藝術家の生涯を深い共感をよせつつ顧みている。 近代日本の繪画で敬愛する畫家は何人かいるが、油絵でも日本画でもない石版という舶来の技術に誠意と精魂をこめた織田もまたわたしには突出した先達であ る。 2016 2/7 171
ろしたのとは違う。「ドイツとアメノカの批評から」声範囲に及んでの現代芸術の終焉兆候が語られている。今は、遠近法を放棄し神話とリアリズム との砦を自ら破棄した現代絵画の索漠かつ雑然とした「なんても有り」の「何もなく」なった「ゴミ捨て場」画壇への、怒りの声を、論考は慎重に並べつつあ る。絵画へのその辺の指摘ははわたしには珍しくなく、私もしばしば口にしてきたこと。
むしろ、他の芸術ジャンルの「終焉兆候」をどう捉えているのかに関心がある、ことに「文学」の。
2016 2/27 171
* 嫌いなことば、嫌いな状態や行為や文章に、「なまぬるい」というのが、ある。きもちがわるい。
* 先日来読み返しているエッセイの一つに「石版画詩人 織田一磨」がある。昭和五十三年三月の「季刊銀花」に書いた、かなりの長編。このほぼ忘れられている画家を、わたしはさながら自身の思いや願いや覚悟をかたるように打ちこんで書いているのに、今更に吃驚もし納得もした。いわば「私」に強く鋭く触れてくる人や藝術にわたしは賛同し感動してきたんだと、自分の仕事をふり返る。いわゆる我執の「我」とこの「私」とはちがっている。我はむしろ私の敵と謂えよう。
織田一磨の仕事場もすべての作も、主人公がさながらに生きたままのように吉祥寺に遺族の手で保存されていた。何度も通い、生涯の作も見せて貰った。一磨の一生がさながらに心豊かな「作品」であった。長いエッセイはのちに単行本『繪とせとら論叢』に収めた。
2016 2/29 171
* 第十五代の楽吉左衛門から、「初めての、そして最後の親子(三人)展」をやるので招待が来た。近江琵琶湖畔の佐川美術館。ながい会期中に行けると嬉しいが。
* 日本近代文学館からは「近代文学の一五○年」展の案内。ちらしには漱石、一葉、龍之介、太宰の顔写真が。
2016 3/17 172
* 東近江市五個荘での「お宝鑑定団」と聞いて、仕事をやめて観に降りた。さすがに、佳いモノが続々出た。狙仙の猿、武山の仏画、みごとなやきものたち。目の保養をした。
* という間に、三月逝くか。
2016 3/29 172
* 晩、日曜美術館で向井潤吉の繪をしみじみと久々に観た。
わたしの育った京都の新門前通りは美術骨董の店のならんだ通りで、そのショウウインドウはわたしのためには得がたい美術館であった。店から店のウインド ウに鼻の脂をこすりつけて一軒一軒見て回った。店の人に小言を食ったこともある、ウインドウのガラスが鼻の脂で曇るのだ、今にして恐縮するが。
そんな店の一軒に、向井潤吉の民家の繪がよく飾られ、ひとしおしみじみと敬愛して観飽かなかった、その懐かしい小学校・中学の頃の思い出にも浸った、今晩の日曜美術館で。
* 日曜美術館がスタートして、かなり早くから何度も呼ばれて繪の前で話した。「村上華岳」「土田麦僊」「入江波光」「国画創作協会」「京都の精華展」そ の他、光悦も宗達も光琳も洛中洛外図も北斎も、浅井忠も、清水九兵衛も、その他、数え切れないほど何度も呼ばれた。司会者が何人も代わった。あげく、梅原 猛さんらと一緒に、京都美術文化賞の選者を二十数年も務めることになった。楽吉左衛門さん、截金の江里佐代子さん、竹内浩一さんらに受賞して貰った。新門 前育ち、そして叔母宗陽にならった茶の湯が、有り難かった。たいへんなトクをした。京の昼寝に類していたか。
2016 4/10 173
* 東工大の桜、三十枚ちかくも撮ってきたが、なかなかどれも惚れ惚れと躍動的な満開の風情、やっと整理した。今年は、元旦からたくさん写真を撮ってい て、わたし少し自惚れています。保谷の大白蓮満開のもちょっと自慢です。1904年に買ったワイシャツの胸ポケットに入るほどのコニカ・ミノルタですが、 電池二つを交替に、もう十二年、無数に撮ってきました。不出来のはあっさり消去すればよく、しかし、ほとんど消去の必要なく機械の中に整理してある。しか し選集の口絵となると、なかなか無くて苦労している。
2016 4/12 173
* いま、富岡鐵斎の繪を介して、そぞろ日本文化の性質やある種の原則について思案し続けている。
その一方で、漱石作「こころ」を脚色した戯曲を介して、愛と死との葛藤を思っている。しぜん、それらは日本史を基底にした新しく書き続けて仕上げようとしている複数の小説に関わり合ってくる。
2016 4/21 173
* 富岡鐵斎を、いとも面白く思い思い考えながら、京都という風土のタチを味見していた。
もう七時。食欲がちっとも動かない。食べずに呑んでばかりだと、からだにこたえるが。
2016 4/24 173
* 写真機、つまりカメラが欲しくて堪らなかった、大学生になっていたか。毎日のように河原町のサクラヤとかいった店のショウウインドウを見に行っていた。ラ イカふうの機械に魅されていた。金のあるワケがない、その当時父は月に1500円小遣いを呉れていた。学校での食費や付き合いをそれで賄えというとこと だった。乗り物になどめったに乗らず、歩いて行ける限りはよく歩いた。のちのちは妻になる後輩と歩きに歩いていた。
幸い、叔母は茶の湯の先生で、わたしは小学校五年から稽古に励み、中学の頃は中学の茶道部で、高校の頃は高校の茶道部で、わたし自身が点前作法を部員に 教えていた。叔母の稽古場ででもたいていの人にはわたしが代稽古していたし、ていねいに教えたので、むしろ歓迎されてもいた。叔母はなにがしかのバイト賃 を呉れ、大いに助かったものの、とても高級なカメラには手が届かない。惚れ抜いていた機械は、ニッカの2.8は、五万円もした。倚子の上に立って富士山を 見上げている心地だった。だが、叔母は、買ってくれたのである。ホントだ。叔母の気持ちは知れなかったが、とにもかくにも天に昇る心地だった。
しかし写真にはフィルム、現像、焼き増しといった費用が要った。ま、焼き増しなどと言うことは後々までめったにしなかった。棒焼きだけ、焼いても名刺大 がせいぜいで、手札になどなかなか出来なかった。しかし、カメラは愛した、自慢の愛機だった。今も、大事にしてあるが、今は、コニカ・ミノルタの小さなデ ジカメ、胸ポケットにも入る。2004年頃に買った。若い女の店員に、「あなたがお父さんのためにと選ぶなら、」と訊いて、奨めてくれたのをそのまま買 い、そのまま今もつかっている。この頁の、大概の写真は、その機械で撮った作である。「おとうさん、写真、上手」と妻は賞めてくれる。写真をほめてもらう とご機嫌である。満開の桜も、大白蓮も、明石町の花も、みな同じ掌にうずまるような小さなデジカメで撮った。いつでも、ポケットに入れて、どこででも気が 動くと、撮る。だいじに感じているのは、いつも、構図である、が。クリアないい色も願っている。
うちの三獣士 次郎 太郎 小次郎
* 便座に腰かけると目の真ん前にこの子らがいて、いつも、ひとしきり話しかける。目が生き生きと答えてくれる。可愛くて堪らない。
2016 4/26 173
* 機械が温まり起動するまでに十分できかず、待つ。じれて触るとこじれて収拾がつかない、ひたすら待つ。そのあいだに今朝は池田良則さんの「京都よせがき ちょっとそこまで」を開いて、懐かしい京の風光を良則さんの繪を介して懐かしむ。画家の眼と「よせがき」寄稿のいろんな人たちの文とに誘われて佳い散策に なる。行けない帰れない京の匂いをひととき呼吸した。良則さんの本、四季分あって今手元には夏と秋がある。どひこに紛れて冬と春の分も在るだろう。
* 良則さんというと、これはもう京都新聞朝刊に連載の『親指のマリア』に挿絵を担当して下さった人。お祖父さんは池田遙邨さん、大画家。
良則さん、このお祖父さんの作になる版画を下さったのがじつに素晴らしい画面で、色彩の晴れやかに静かな賑わいが稀有に光って、じつは秋の画題なのに、居間に掛けたまま外す気にならない。美しいのである。ほんものは、生きてるなあとしみじみ眺めている。
2016 4/27 173
* 好きな画家とも「対話」しつづけている。ことに石版画の織田一磨に心惹かれる。
2016 5/7 174
* 人には観られてないのだろうが、わたしは、この機械のデスクトップ下絵に、フィリッポ・リッピ描く気稟の清質をきわめたマドンナの横顔を綺麗にトリミングし画面一杯に入れている。はかり知れない、この顔に見入っているとしみじみ心静かになれる。
* {my picture}には万ちかい写真が分類されてあるが、お気に入りは無数の「花」の写真、上に大きくあげた明石町の名を知らぬ花でも鴬谷の皐 月でも、なまえなど知らなくていい目を惹いてくれる花ならどんな小さな花でもカメラを近寄せ、撮ってくる。カメラはいつもポケットにある。心を静かにして くれるのに「花」の写真ほど嬉しいものはない。
気に入った写真をあれこれと拾い観ながら音楽を聴くのが好きだ。ピアノ曲。歌では、マドレデウスとか、日本の唱歌とか。
* 今日、上に一枚出した繪は、選集⑬に入れたばかりの「お父さん、繪を描いてください」、その「お父さん」の作である。とても珍しく感じるほど綺麗に大きな風景。だがこの「お父さん」の藝術家魂がさせる実験的な繪の迫力は、豪快で精微なのである。
わたしの顔を、正面から、左右から、三枚、手渡したわたしのボールペンで、あっという間に描いてくれたのを選集の口絵などに入れたのが、目の利く読者を驚かせている。 「お父さん、繪を描いてください」と、わたしも、亡き奥さんに代わって呼びかけたい。
2016 5/14 174
* 月曜は、美術館が休みなため出かけないクセが出来ていた。もっとも、この病後は、なんとなく蟹歩きの美術館を敬遠ぎみであった。なにもかも出歩きを敬遠ばかりしているのが現在のわたしの病状なのかと思われる、よろしくないが。
2016 5/14 174
☆ 共産党書記局長の市田さん、上越光明寺の黄色さん、画家の田島征彦さん、翻訳国分寺の飜訳家持田さん、神奈川近代文学館から選集受領の挨拶があった。
口絵の左右横顔を、選集著者の私の才筆とほめてくれたお人もいて苦笑した。
沖縄の名嘉さん、静岡の鳥井さん、花巻の及川さん、ご支援に感謝します。鳥井さん、「『……繪を描いてください』の先生の肖像スケッチ画に、感動して、 何度も何度も拝見してみました。先生のお顔、お人柄をすべて表されてる感じ、すばらしいです」と。だれより、「お父さん」のために喜びたい。正面像は、作 末尾の「肖像」の章に差し込んでおいた。なんぼなんでも、これは私には描けません。
* 共産党の市田さん、明の文正描く「鳴鶴図」の絵葉書に、田島さんは自作の「みみずのかんたろう」を絵葉書にして、お便り。とても好い。
2016 5/16 174
* 上の、築地明石町路傍の花、名も知らないが、撮影できた花のかたちと色の冴えが、ひときわ気に入っている。青葉との配合も爽やかで、見飽きない。 「花」の写真はみな美しく、美しいというのはまこと功徳である。今朝も、起きて直ぐ、高麗王家のドラマを美しいヒロインゆえに見入り、また「Dfile」 の女刑事「ベケット」の驚異の美貌に感嘆していた。「美しい」とは、まことに、嬉しい価値である。
2016 5/23 174
* 昨日もらった池田良則さん(池田遙邨画伯の孫、京都新聞連載『親指のマリア』挿絵)の手紙は、いろいろに懐かしくも面白くも興深くてくり返し読んだ。 東京新聞等に連載した『冬祭り』の挿絵を頼んだ、元近所(抜け路地をぬけた新橋通り)の中学後輩の画家堀泰明君とは遠縁というのにも奇遇というほど驚いた し、父の商売仲間であった縄手玉木の息子でスポーツ評論家の玉木正之氏の名も出て来た。彼は、むかしどうみても此の私をモデルかとみられたラヂオ屋の息子 の青春逸話を連続ドラマに書き、京都ではかなりひやかされた事がある。なにしろ主人公の家がわたしの育った家と同じようなところにあって新門前通りを実写 していたのだから。旅館「新門莊」という名も出ており、あれやこれやなかなか懐かしい。『お父さん、繪を描いてください』の主人公は、むろん仮名にしてあ り、実名は大画家須田国太郎、黒田重太郎というお二人だけ、パトロンであった有名な安宅さんも仮名にしてある。池田さんは金沢で画学された人であり、「山 名君」の実像をかなり推理しようと興味をもたれているが、分からないと。
何にしても画家として世に立つ難しさ苦しさにも触れておられ、胸を打たれた。
言うまでもない作中の「山名君」は実在した天才少年であった。その片鱗は三枚の此の私の「肖像」で示しておいた。池田さんも「達者なデッサン」と言われ、他にも感嘆してこられた画家、美術家は何人もあった。
わたしの希望は、どうにかして、彼のせめて個展なり画集なり、実現に手を貸してくれないかなあという事。何必館とか星野画廊とか、ほんとうに目のある主人に観て貰いたいなあと心中に願い続けている。
2016 5/26 174
☆ 佳い絵と好きな絵が
すこし違うので、絵を描く人も、観るだけの人も大勢いて、それぞれに、好きな絵があり、好きになるきっかけも、さまざま。
「お父さん、絵を描いてください」の3枚のラフスケッチをみて、作者から、読者への仕掛けとしても、好きなのは、マチスのような線というせんが、こびりついています。で、なかなか読み始められない。はじめから、構えている感じです。
いろいろな中身に、圧倒されるのが判っていて読み始められないのです。もうすこし、自分に、体力がほしいと。
こんな毎日です。 柚
* なかなか難しい。
しかし自身で繪を描く人ほど「山名君」にいろんな向かい方を強いられているよう。
もっと他の制作画も披露してみようか。
世界はそよいでいる と 山名君
山名君描く 金沢風景
写真ではありません。
* 山名君(作中の仮名)の二岐れの絵画世界観とも見えますが、繪を描かれる方々、いかがでしょう。
2016 7/10 176
☆ 山名氏の繪
小説を読むまえに、書いているのは、ただ、彼の絵に「思ったことだけ」ですが、
絵のテクニックは、学べても、「何を伝えたいか」という、私が最も大切と思うこと、それが、無い、みたいな。
「お父さん、絵を描いてください」 読みますね。 柚
* 繪で「何を伝えたいか」 繪で「伝えたいもの」を「伝えたい」 だから、描く。
微妙に難しい点が、ズカッと出てきた。
「描きたい」もの・ことを 「描きたいテク」で 「描きたい」 観る人がなにを観るかは、べつごと、という創作姿勢もあるのでは。
もっとホカにも、「描かずにおれない」モチベーション、あるのでは。
創作とは なにごとであるか、それが問題になる。
2016 7/11 176
* 京都の何必館から、木村伊兵衛展の招待があった。
2016 8/29 177
*京の清水の奥、清閑寺というお寺を深く愛したことは、長編『冬祭り』最期の閑居に選んでいることで明らか、文字も音も風を奏でて美しい。「閑」とは。多 くの場合、あの芭蕉の秀句に親しみ「閑(しづ)かさや」岩にしみいる蝉の声を聴く。閑静、閑雅、閑居。みないかにも清らかに静かな風情。
しかし「閑」の字は、もともとは「とざして、いれない」のである。閑静、閑雅、閑居のどの閑にもその原義が生きている。雑念・雑事を静かに、しかしきっ ぱりと拒んでいる。それ自体が生き方になる。即ち、閑事。だが、無為の閑居をいうてもいない。生きてあるからは何事かを為してまた成して生きる。その何事 かをも実はこの二字は端的に問うている。挨拶である。如何と挨(お)しまた拶(お)している。
* 裏千家十世 柏叟 認得斎宗室 筆「閑事」の二字を珍重している、筆が豊かに働いている。悠然とかなり厳しく、いささか俗をも見捨てていない。見飽かない。
この裏千家十世の、夫人も優れた茶人で、松平家から娘婿に迎えた十一世の精中・玄々齋宗室をよく薫陶し「中興」を以て樹たしめた。この夫人は京・洛北の旧家「舌(ぜつ)」家から千家に入った人。この家のこと、知りたい。
* 玄々齋の月を愛でた一軸を、久しく愛してきた。いずれ、紹介しよう、名月の時季に。
2016 9/1 178
* 写真の電送が出来ていないようだ。ややこしいので、一旦、撤去した。八月の写真が美しく、気に入っている。
2016 9/1 178
* 昨日、藤沢の義妹から妻へ、先日の逗子での個展に出ていてわたしも褒めた繪の一点が贈られてきた。画中に、ちいさかった昔の姉妹が写った写真が巧みに 取り込まれてある。その箇所に佳い風が通って、超緻密画を描き続けてきた義妹のとかく窒息きみの画面が自然に和らいで美しさを湛えていた。さっそくビュ フェの薔薇のかわりに玄関正面へ掛けた。
2016 9/3 178
* お宝鑑定団に「嵯峨本」の徒然草上篇が出て感動した。もう一つ、持ち出されたのはとんでもない中村彝のニセものと直ぐ判ったが、解説の中で彝一代の秀 作という以上に日本の近代肖像画中の絶品というべき「エロシェンコ」像が観られたのにも感動した。室町期に溯る信楽の壺や、富本憲吉のさすがにとのけぞっ た美しい皿など、いい「お宝」の観られた一時間であった。
いいものが佳いというだけでなく、いいものを観ると心揺さぶられて嬉しくなるということが大事。何の感動ももてないまま、眼も燦めかないまま、タナボタ のように美術骨董を欲しがられては、なによりも品物が可哀想。いま、正直そのことにわたしは気を病んでいる、どうしようかと。せいぜい少しでも分かる人に 上げてしまいたい、それとも商人の手に委ねたい。ネコに小判の儘「お宝」気分になられてはイヤだ。
2016 9/4 178
☆ 前略
館造の嵯峨本『方丈記』の原寸、カラー複製を造りましたので、お送りいたします。
秦 恒平先生 今西祐一郎 国文学研究資料館館長
* 先日のお宝鑑定団に同じ「嵯峨本・方丈記」が出ていて、流石にとおもう超高価な鑑定がされていた。「嵯峨本」のなかでも光悦筆・宗達下絵の歌巻など億 という単位を下るまい、高校・大学のころから「嵯峨本」という江戸初期出版の精美をつくした意欲に深い敬意を払っていた。
戴いた原寸原色「嵯峨本・方丈記」の嵯峨本を流麗の文字、まことに読みやすい。いわゆる写本ではない、あきらかに当代の「読者」を意識し期待した木版字での出版物であり字粒も大きい。原点文庫本を片手にもてば此の嵯峨本の文字、難なく読める。すばらしい。有り難う存じます。
今西館長のご厚意でこれまでも資料館刊行の貴重本をずいぶん沢山頂戴している。有り難う存じます。
2016 9/14 178
* 京都美術文化賞の同じ選者としてながくお付き合いのあった、亡くなられた染色の三浦景生さん記念の追悼展図録が鄭重に送られてきた。とても京都へは出 向けなくて残念であったが。三浦さんの作世界は妻も大好きで、何点も小品を戴いてきたし、毛筆のすてきなお手紙を妻が表具に頼んだのも居間に掛けてある。 いわば「小野菜」の「異」世界をまことに不思議に美しい繪で染め出され描き出される藝術家であった。百まで長生きして戴きたかったが、白壽のまま亡くなら れた。
おどろいたことに、京都美術文化賞発足このかたの同僚選者は六人であったが、生き残っているのは哲学者で京都藝大学長だった梅原猛さんと小説家の私と二 人だけ。早くに亡くなられた名古屋ボストン美術館館長さんはじめ、日本画の石本正さん、彫刻・陶藝の清水九兵衛さん、染色・工藝の三浦景生さん、みんな亡 くなられた。梅原さんが今も主宰していてくださり、ごく初期に推薦し受賞してもらった楽吉左衛門さんらが今も選考に当たられている。なにもみな、昔のこと になった。
2016 9/28 178
* 1福島からの避難生徒を、教師や学校もふくめて地元生徒らが陰湿に強慾にいじめ抜いたが、その生徒は堪えに堪え、福島で無くなった大勢のため にも自分は生き抜こうと決意し、自殺しなかったという。自殺などしてくれなくて本当に良かった。教育委員会も含めて、加害者側の品性下劣に何よりも凍える ほど悪寒を覚える。人間が人間味のいいところを失いきっている。このいじめの根の出どころは「いじめ生徒らの親たち」に、多分、あると思う。情けない。
* 気分を換えたく、玄関の正面に、五雲の土の香も新鮮に松茸を描いた軸物「秋香」を掛けてみた。妻がしきりに感心してくれるので、持ち出し甲斐はあったが、季節はせいぜい今月中。松茸かあ。ことしは、実物観てもいないなあ。
五雲は竹内栖鳳門下の逸材、松園女史の先輩であった(と思う)。
切り出さずに、軸の表具のまま出せば良かったかも。
西村五雲 秋香
2016 11/17 180
* 当代の楽吉左衛門さんから、京都国立近代美術館での、楽家一子相伝の芸術「茶碗の中の宇宙」展 特別内覧会・レセプションへの招待が来た。長次郎、光 悦、のんかうを始め当代に至る歴代渾身の名碗が揃う。観たくて観たくて堪らない、が、京都へ片道は新幹線へ乗れても、夕刻からの市内の会場で大勢といりま じって鑑賞また歓談しえても、トンボ返しにまた新幹線で帰ってこれる元気となると心許ない。一泊したくても、「辰」君や他のメールにもあるように、京都市 内はいまや外人客の方が多いとか、とても宿が確保できそうにないらしい。
残念至極だが、きっと送って呉れるだろう図録でまたガマンするしかないのか。ウーン。
わたしは楽の茶碗がしんから好きである。あれこれと思い出せるかぎり、楽の碗だけで数碗は家にあり、大樋などの楽別系の碗も入れれば愛している茶碗は十指にあまる。我が家に死蔵していては勿体ない気がしており、値打ち分からぬ者の手に托する気にもなれない。
しかし、京都へ、行きたいなあ。
2016 11/18 180
* 凸版から例年の大カレンダーが届いた。小倉遊亀の繪で来る一年を迎え送る。
今年は古徑だった。去年は御舟だった。御舟、大正十年仲秋に描く、白地染付の鉢に熟した柘榴二顆の繪は、名品だった。繪だけとりはずし此の部屋の障子に 貼っている。古徑が浅い硝子鉢に盛った豊かな青菜も美しく、御舟のとなりに貼ってある。竹喬さんの遠山が見える紅葉時風景も懐かしい。竹内栖鳳がみごと手 だれの、水ぬるむ泳ぐ蛙の繪も。
* そういえば、たったの六畳に本や機械の犇めいて狭い狭いわたしの二階仕事部屋だが、嬉しくなる繪や書や人や家族やネコたちで、賑やかです。荻原井泉水 さんがフアンレターを添えて送ってきて下さった「花 風」の二字額、宮川寅雄先生が下さった秋艸道人の「学規」の額、谷崎先生ご夫妻のお顔写真、それに沢 口靖子の写真があちこちに四枚も。ドルチのマリアも、城景都の美しい裸婦も。妻が描いた亡き孫やす香の繪、忘れられぬネコの子ノコや黒いマゴの繪も。
むろん作り付け書架も、あれこれの書棚も。よく黒いマゴが来て寝ていた、ソフアも。
整理のしようもなくモノの積みあがった小部屋だが、わたしには無類に温かい。目を閉じていると、部屋中に愛されている気がする。
2016 12/7 181