ぜんぶ秦恒平文学の話

美術 2017年

*  夕方まで建日子と過ごした。雑煮も食事もともにし、建日子はこつこつ仕事をしていた。わたしも機械の前で昔々の谷崎潤一郎を語り合った鼎談の色淡くなっ い原稿を苦心しながら読んでいったりした。ときどき階下へ降り、親子三人で「剣客商売」など、好きなテレビドラマの録画を楽しんだりした。夕方、車で帰っ ていった。二人で呑みさしのまだ半ばは残っていた「櫻室町」の一升瓶をもたせてやった。高田芳夫さんに送って頂いた「又玄」筆の洒落な鶏の墨絵に「結構結 構」と書かれた色紙も持たせて帰した。
2017 1/2 182

* 小倉遊亀のりっぱな梅の繪(凸版印刷恵与の大カレンダーの表紙)でこの部屋を飾った。
小倉遊亀との触れあいは久しい。「画家」という存在にはっきり意識して向きあった最初の画家であって、わたしが中学生の頃、毎日新聞朝刊連載の谷崎潤一 郎作『少将滋幹の母』の挿絵を担当していた。わたしが谷崎に出逢った最初の感動作であり、毎朝に新聞を見て、読んで、うんと頷いてから学校へ向かってい た。小説も挿絵も、好きであった。岩波文庫☆一つの『吉野葛 蘆刈』に感動し、さらに『細雪』を一冊本ではじめて読んだのは、そのあとであったろう。その 頃にはもう与謝野晶子訳の『源氏物語』を伯母の社中から借り続け耽読していた。
2017 1/4 182

* 京都の染織作家渋谷和子さんから、「染 清流館」での一月個展のお誘いに添え、自作の、すばらしい大風呂敷を頂戴した。壁飾りにも美しいが、うちにはそれだけの壁すら無い。グループ展が多かったが個展を奨められる人があって、立派な展覧会になるだろう。
二月には今年度京都府文化賞の授賞式があり来ないか、来て欲しいと府から呼ばれているが、決心出来ていない。
2017 1/11 182

* 午前に、日本人画家林のすばらしい木版画紹介番組に感嘆した。春日大社造替記念展にも目を惹かれた。
昼過ぎには鑑定番組を一時間、楽しんだ。江戸初期禅僧の書に心惹かれた。
わたしも桃山期の禅僧江月宗玩と伝える墨跡、利休の孫千宗旦と伝える梅枝絵入り消息、松花堂と伝える「蝸殻」の二大字、を持っていて鑑定してほしいのだが、鑑定に頼むことなく愛して楽しむが大事とも思っている。金額で評価されたいとは、あまり願っていない。
2017 1/29 182

* 楽家一子相伝の藝術「茶碗の中の宇宙」展への招待が当代楽吉左衛門から届いた。わたしはやきもの大好きな中でも「茶碗」に最も心惹かれるので、嬉しく て堪らず、京都や滋賀の佐川美術館へは何度も何度も招かれているのに出かけられずに来たが、今度は北の丸公園の東京国立近代美術館、むかし村上華岳の大き な記念展があったときに講演したことのある美術館でとあれば、待ち遠しい。三月十四日からだという、われわれが結婚届の日から満五十八年目。初代長次郎の 重文「大黒」にも会える。待ち遠しい。
2017 2/20 183

* 今日は、総じて不調、実効のないかたづけ事に時間と神経を使い疲れてしまっている。こういう日もある。
写真を替えた。写真コレクションの量がこの古機械を圧迫している気がする、時として機械が「描画」を拒んでくる。理由が分かれば対応できるだろうに、いつも「何故」そうなのかが分からない。
ドラクロワのもゴッホのも、珍しい方に属している。写真の借用である。
プチ・ジャンの真作で小品ながら好きな「花」の繪を愛していたが、いまは建日子に遣ってある。
シルクスクリーンの版画ではミロの大作を一点買っておいた。颯爽とした線の廻転で描かれた騎馬の一騎打ち。やはり版画だが、銀座の画廊で、ビュフェの 「薔薇」が買ってある。ピカソのごく小品の佳いのも。しかしこのピカソは精巧な印刷かも知れなくてやはり建日子にやってある。
建日子はわたしから骨董の類もよろこんで仕事場へ持って帰るが、よく旅しているのに、自身の好みで手に入れたと観せてくれたその種のモノは一点もない。趣味がよほどちがう。
2017 3/7 184

* すこしく雨、バタバタしないで、ほどよく出かけて、今夜は幸四郎の「引窓」 藤十郎・仁左衛門の「女五右衛門」 さして海老蔵の「助六」に菊五郎、雀 右衛門、秀太郎、左団次、歌六を楽しんでくる。からだに余裕が有れば一つ展覧会に脚を向けたくはあるのだが、ムリはしない。

* 日比谷のクラブからの帰宅が十一時半になり、以下の記事は翌日に書いている。

* 昼過ぎに松屋裏のフレンチ「ボン・シャン」へ。アスパラガス、赤と白とのワイン、とろけるような黒毛和牛モモ肉が美味かった。デザートとわたしはエスプレッソ。恰好の午食の店と親しくなって便利重宝。
食後すぐ銀座から竹橋の国立近代美術館へはしり、楽家代々の茶碗展、今日開幕。
何と云っても、初代長次郎と本阿弥光悦が天然・自然に美しい極みの安定した造形で、しかも茶の湯の茶にひたと適当している。茶碗などそんな気で見たこと など無かった妻が、わたしもビックリしたほどそんな初代と光悦との茶碗を立ちつしゃがみつ可能なら四方から、熱心を極めて観ていた。佳いことだった、明ら かに美しい魂にふれていたのであり、たいへん価値ある宝を取り込んでいたのだ。「茶碗」という造形には、他のいかなる工藝に増して不可思議に底知れぬ魅力 が籠もって在る。茶碗は単なる飾り物ではなく「用」を抱えて手近にある。用のママに「用そのもの」が美しい魅力を湛えて底光りがしてくる。「目」の対象で あるばかりかななにより「手・掌」との感触の親和がモノを云う手来るし、そう無くては茶碗が茶碗にならない。茶碗であるかぎりは茶碗の「用」を成し得ずに 歪曲の造形に走ることは出来ない、その点では長次郎や光悦やのんこうの茶碗も楽家歴代々茶碗も、基本形は変えたくても変えられない。しかし、何かしら歴代 々なり独特の楽茶碗を生み出さねばならない。先へ先へ時代がゆくほどもの凄いとまでいえる造形への負荷がかかってくる。当代吉左衛門の茶碗を観てわたしは それを痛感し、痛感に応えての十五台目のいわば闘技に惚れて、躊躇無く第二回の京都美術文化賞に強く推したことであった。妻の当代の茶碗を観ながらのつぶ やきに「オブジェ」の一語もまじったのをわたしは聴いていた。「佳い展覧会を観たわ」とも。それが今日のことであるのをわたしも喜んだ。
すこし落ち着いたら、所蔵の楽茶碗をとりだし手にとって愛しむように観てみたい。
2017 3/14 184

 

* わたしのカメラはシャツのポケットに入るほど小さく、なんら高級な機械でないが、気を入れ、構図も考えて撮っている。この日記に入れてきた風景や花な ども「作品」を意識して撮りまた選んでいる。佳いですねと褒めて下さる方もある。写っていればいいといった安直でへたな写真は好まない。
2017 3/20 184

* 神戸の岡田昌也さん、金沢の金田小夜子さん、上の山口弘子さんからお便りを戴いた。
五島美術館から「歌仙と歌枕」展へ、奈良の松伯美術館からは松園・松篁・淳之「三代に見る日本画百年の流れ」展へ招待状が来ている。ここのところ各種美術展への招待をみな無にしてしまっていて胸が痛い。
2017 3/21 184

* 大野俊明 田島周吾 林潤一 安田育代ら 馴染みの画家らの「星辰」グループ旗揚げ展の案内が来ていた。
2017 4/5 185

* 中学生の目に、鶴甫の繪、どう迫ったのか。「特選 朝倉賞」とある評価に動かされたのか。たしかにこの写真、タダではなかった、貧しかった少年のわたしにはタダごとでなかった。
今の目に、山口薫の繪はさすがに佳い。ふっくらと、しかも厳しく美しい。

* この機械をあけたデスクトップには、フィリッポ・リピの描いた聖母子から、マドンナの横顔だけを
大きく引き出してあり、あけてもくれても、年がら年中、この世界一清らかな美女をわたしはながめている。心すずしく、よほどイヤなことも洗い流してくれる。
2017 6/1 187

* 京都の星野画廊のなつかしいメールをもらった。星野さんのメールは、ありがたいことに、あたりまえにも、いっぱいの繪の印象や記憶をも喚び起こしてく れるので、いっとき、そんな空気に浸っていられる。けっこう画廊で繪を買って帰っているのを、掛け替え掛け替えするつど、朱の大鳥居のみえる神宮道、粟田 坂、白川道などが目に甦り里心を誘う。誘われすぎて恋しさに息苦しくもなる。
2017 6/10 187

* 昨日 押し入れの天袋へ手をつっこんでいて、数册を引き寄せた。「宋黄山谷書墨竹賦等五種」「柳體楷書間架結構習字帖」「顔眞卿麻姑仙壇記大字帖」 「蘇東坡大楷字帖」「鄧石如隷書字帖」の五冊、無筆のわたしには文字どおり持ち腐れの寶で、心ある人ならこれで気を入れて習字されるだろうに。なんでこん なお宝が家にあるのか、思うにお隣の柴田さん(故人。もと中国通の産経記者)の家を買い取ったとき、打ち捨てられて残っていたのを拾い集め仕舞っておいた のだろう、色んな物が残っていた。
書は、わたしの愛する美術で、また最も苦手とする藝。こういう冊子は、みているだけで、佳い画集に向かうのと同じく惚れ惚れする。絵の印刷は色校正次第 で、とてもムラの有る物だが、墨書にはそういうムラが、ま、無いとさえ言える。印刷であってもおよそは眞に近く、心安んじて見入れる。佳い書は、繪の名品 にも上まわって精神を励まし静める。王羲之でこそないが、ここにみる名前は名声ひときわの達人ばかり。眺めているだけで、ウジとした気分はとび失せる。
気のある人に差し上げたくても、テンと同好の知人に思い当たらないのが、残念。
2017 6/12 187

* 朝目ざめて、いちばんに蘇東坡の「大楷帖」を手に取り、楷書の気品の深さ大いさにあまりに清々しく圧倒されて、嬉しくてならなかった。「書」の魅力の深さは、造形美術の最良のものに匹敵する。
2017 6/13 187

* このところ「絵巻」月報を次から次へ興味深く教わりおそわり読み進んでいて、「源氏物語絵巻」「一遍聖繪」「鳥獣戯画」「平治物語絵巻」「伴大納言繪 詞」「信貴山縁起絵巻」と孰れ劣らぬ名作について、作家のエッセイ、専門家二三氏の考察や解説、珍しい写真そして美術史家と作家との長めの対談を、大方興 味深く読んでいる。月報の全部を一揆に通読して行けば、関連の知識だけでなく絵巻という不思議な美術への敬愛をしっかり持てるだろう。
但し、読めば読むほど初読でなく、克明にわたしの入れた朱線が「お先に」とわたしを招いている。今度は黒いペンでさらに要点や要所を確認しながら読んで いてまことに興味深い。こんな一連の、すっかり忘れていたが、わたし自身が早々の二番バッターとして「一遍聖繪」をえらい先生と対談していた、きれいに忘 れていた。辻邦生さんや木下順二さんのエッセイも読み返せて懐かしかった、まだもう六、七倍も月報「絵巻」は続く。楽しみなことだ。
これを終えたら、森銑三著作集の月報に次いで、柳田国男全集の全月報、折口信夫全集の全月報もまとめてシコシコと楽しみたい、読みたいと思っている。
2017 6/16 187

* 金沢の作家金田小夜子さん、熱愛されている夢二ゆかりの手を尽くして美しい装飾版画と「夢二」署名もなつかしくやはり黒猫の見えている卓布に添えて、 選集へ激励のお手紙と過分のご支援を下さる。樹上の黒猫を描いた版画は背後の赤も、繪枠の外の和紙地の色とも宜しく調っている。尾を高く上げた「真っ黒の 猫」が嬉しい。
2017 6/17 187

* 陶潜に聴く
人も亦た言へる有り、
「心に称(かな)へば足り易し」と。
此の一觴(いっしょう)を揮(ふる)ひ、
陶然として自ら楽しむ。

* 陶淵明はこのとき、ひろびろとした野中の渡し場で、口を漱ぎ、足を洗い、遠くにひろがる風景に心ほぐれて盃をかたむけながら飽かず眺めていた。
はて、わたしはどうか。自然の風景には恵まれていない、出向いて行かないのだから。
いま、わたしは蘇東坡の「大楷字帖」を開いている。
「豊樂亭記 宋廬陵歐陽脩撰 眉山蘇軾書」 と書き始めてある一字一字の清明にして堅固な世界。陶然とは謂うまい、凛然か。
2017 6/19 187

* 雨はげしく「湖の本136」の要再校原稿を宅急便に託せなかった。明日は晴れるらしい。気分を換えに、渋谷松濤で昔わたしの課に配属されていた橋本成 敏君の陶芸個展をのぞいてみようか。五島美術館にも誘われていて、興味深い展観なのだが、大学の頃はとにかく、かなり遠い。移動線の長い外出はいまは苦 手。近間で、気分よく校正など出来るといいのだが。
2017 6/21 187

* 出がけに難儀な労作の必要が置き、また力仕事し、痛み止め服し、小雨の中を病院へ出掛けた。十二時には生理検査だけ済ませ、予約時間まで銀座へ出て食 事としてこようとアテにしていたのだが、結局外来で校正をはじめ、人も少なかったためか、一時半には呼び込まれて無事に診察を受けてきた。新しいドクター だったが、几帳面にキチンとした若い人で、安心できた。
腫瘍内科をちょっと覗いてから外の薬局で処方薬を買い取り、車で有楽町駅へ、そして出光美術館まであるいた。「雪舟・等伯、水墨画の流れ」展はまことに けっこうであったが、照明を抑えたほの暗い会場での水墨画はわたしの視力では鑑賞がならず、第一番、玉澗の破墨山水のみごとさだけで満足し、ざあっと会場 を歩んだだけで終えた。とても墨の濃淡の美しさすら見得ないのだった。
その脚で帝劇モールへ降り、一昨日食べられなかった「きく川」で鰻を食べてきた。酒は菊正の正一合を二本目も頼んだが、なんと半分呑み余してきた。呑むのは呑めるが帰路にこたえてはイヤだと自制した。酒を飲み余してきたのはひさしい酒飲み人生で、初めて。
ひところより、あれほど一に好きだった天麩羅へ気が行かず、鰻もイマイチの感じ。一昨日の鉄板焼き黒毛和牛もむしろ貝柱や魚の方が口に合っていた。ほんとうは、今日は、せんだって満足した「左京ひがしやま」で焼いた鱧や「おとし」を注文したかったのだが。結局きまたまた京風味の和食へ落ち着くのかな。妻も、黄疸以降、脂けを禁じられている。脂けが欲しければ先に胆嚢を切れと云われている。
2017 6/28 187

* 昼の寝起きにたまたま途中から観た「鑑定団」に、奇跡のような道入(のんかう)の平黒茶碗があらわれ息を呑んだ。樂旦入の、また裏千家玄々齋のみごとな箱書きも。重要文化財として保護して欲しいほどの名品だった。のけぞった。
柴田是真ら名工五人の合作になる調度箪笥にも感じ入った。
さすが浅草、いいものが出た、が、持ち出してきた大方の人はその品の値打ちをしらずにいい値なら売ってハワイへなどと云うから、仕方もないが、情けない。情けながりながらわたし自身も叔母から譲り受けたたくさんな道具の始末にじつは困惑もしている。道具は、多少でも趣味と愛情のある持ち主にこそ渡って行くべきなので、その点、うちの後継者は、落第。困っている。熱心に買いに来る道具屋が東京でも三軒ほどあるが、まだ呼び込んではいない。むしろ愛蔵してくれる若い人たちに出逢って、さし上げたいのだが。
2017 7/16 188

* 故紙回収の朝仕事。睡くて、重くて、腰痛む。で、村田海石書の真行草「三軆千字文」の和綴じ本「天」の一冊に見入って、目とからだとを休める。
いつどこで手に入れた冊子か覚えなく、やはり秦の祖父の遺産かも知れない、つづく「地」「人」の二冊もあったろうが、やはりわたしが古書肆の店先から端本のまま拾ってきたのかも。
天地玄黄 宇宙洪荒 とはじまる千字を真行草の三軆で書いたと表紙裏にあり、しかし第一頁冒頭には「三體千字文」と表題されている。「身」扁と「骨」扁がある。この二字、よく戸惑う。
それにしても書かれた真行草三体の字の美しさ静かさに、文字どおり敬服する。裏表紙の内側に、ハテ本文と同筆なのか本の持ち主の感想なのか、みごとな筆で「天與正義 神感至誠」と二行に、謹直に書いてある。心地良い。たまたま開いた「性静情逸 心動神疲 守眞志満 逐物意移 堅持雅操」せの三体字の美しさに深い息を吐く。そして嬉しくなる。
2017 7/26 188

* 友人たちの繪を観ている。細川君は中学で同年、堤さんは高校で二つ若く、高木さんは「いい読者」で十ほど若い。繪の描ける人、羨ましい。図画工作はに がてだった。観る方へまわって、言葉で美しいモノを書き続けた。京都美術文化賞の選者を二十数年担当した。京都にいた若いうちに観られるかぎりをよく観て 歩いた。茶の湯の御蔭で広い範囲でじかに触れたり近づけたりもした。京都はそれだけで大きな美術館・博物館であり専門学校であった。『花と風』『女文化の 終焉』『趣向と自然』『手の思索』『茶ノ道廃ルベシ』らは、いわば京都「学部」生としての気負いの卒論であった、か。
2017 9/1 190

* 細川君の対照的な風景を二つならべてみた。
2017 9/3 190

* 校正も含め、こういうアタマの交通整理をしながら、何かしら凝集してゆく創作世界をと企劃も詩期待もしている。もう無駄足をしている余力がない。だか らこそ仕事以外にはひたすら楽しいことが有って欲しいのだ。楽しいなかに食事という養分が外れてしまい大いに寂しいが、喰うと心・身が疲れてしまう。機械 で遊ぶ気になどなれない。せめて空いた電車でのんびり遠回りしてきたいと思うが、億劫の虫がすぐ鳴き出す。バカみたい。明後日の糖尿診察日、淺井忠展など どうか。しばらく前になるが出光美術館のいい展示なのに、会場のくらさ、弱い視力で水墨画たちがよく見えなくてガッカリした。
久しぶりに東博の本館、東洋感じゆるゆる回るなども。しかし、あの馴染み深い鶯谷駅前の蕎麦「公望莊」がこの前取り壊していた。あの店では何十年、よく酒を飲んだがなあ。
2017 9/25 190

* 美学藝術学会への案内があった。
2017 9/25 190

* 豊中の、大学同窓安川美沙さんから東京で開催の「麻田浩展」への招待券二枚が届いた。練馬区美術館で、近い。ありがとう。
2017 9/25 190

* 漆藝作家望月重延さんから新匠工藝会の、喜多流シテ方友枝昭世さんから能「松風」などへのご招待があった。
2017 10/2 191

 

* 染色家の渋谷和子さんからもびっくりするほど美しい作品三種もを頂戴していた。
渋谷さんは、新潮社からの「みごもりの湖」 筑摩書房からの「蘇我殿幻想」を装幀して下さった、もう本当に久しいおつきあいの藝術家である。妻が退院してきたら喜ぶだろう、いや、病室で観せてやろう。

☆ 変らぬ御芳情賜り乍
御礼の一言も申し得ぬまま、本年 早 余日二月余となって居りました。(展覧会等々超多忙のこと 中略) 何はとも角、今更乍、先生に御礼だけはとあわてゝペンを握っております次第。(中略)
先刻、病院から帰宅、郵便受けに先生からの贈本を拝受致し居り、はり飛ばされたような心地です。本当に本当に有り難うございます。
甚だ間の抜けた 深謝の気持迄 大変御無礼重ねて 御赦し下さいます様  合掌
先生の御躰こそ
ひたすらな御自愛願って止みません。   京都 渋谷和子 染織作家
2017 10/22 191

* 川端康成と美術とのかかわりらしきを語っている番組を少し観ていた。
生まれながらに「末期の眼」に見抜かれていた人。
「翫物喪志」の贅と表現が「観賞」の域に低迷したまま、強って「末期の眼」を自己演出し逝き果てた人…のようにも。「雨に打たれた花」の印象は新たまらないが。しかし稀有の作を幾つも遺された。晩年よりも、「伊豆の踊子」などが佳い。
2017 11/10 192

* 美しいものを見たい、出会いたい。久しぶりに戒光寺の仏様に逢い、思い和んだ。

* 源氏物語「紅葉賀」の巻は、藤壺出産の胸疼くほど懐かしい美しい巻である、源典侍のような頓狂の出番も用意されていながらも。
これに較べると宇治「蜻蛉」の巻の浮舟の哀れ、匂宮、薫君の悲歎、重いうちに底光りのする筆致に驚かされる。

* アッシジの壁画調査に関わった日本人美術史家の、日本の女繪との驚嘆をさそう類似相似を開示された小論文、加えて西欧の「明暗」日本の「濃淡」を解説されていたのに感じ入った。教わることは幾らでも在る。
2017 11/24 192

* 「鑑定団」に楽左入の黒茶碗が、また古瀬戸の典型的な茶入も出た。佳い物は光っている。
2017 12/5 193

* 亡くなった江里佐代子さんのお嬢さんが、また自身の截金展を、十三日から日本橋三越でと、案内がきていた。
2017 12/6 193

* 画家上村淳之さん、ご自身の花鳥画との書家の書との競艶カレンダーを送って下さり、加えてやはり書家たちと画家達とで成されたカレンダーも併せて戴いた。来年の部屋、部屋、写真家甲斐さんから届いているカレンダーもあり、楽しみなこと。
妻と、新宿河田町で新婚の頃は、カレンダーが手に入らなくて、買う余裕もなくてかなり困惑した。会社へ出入りの印刷所や製版所の営業さんらに頼み込んで、例年一つ二つを辛うじて手に入れていた。
2017 12/10 193

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