ぜんぶ秦恒平文学の話

美術 2019年

* あの敗戦後に日本流に謂う米進駐軍内の乃至は関係の目利きらが、選り抜きの日本の美術品を、幸いに没収や破毀でなく買い上げて持ち帰り、美術 館に買い取らせることで保全を得ていたというテレビ番組を昨日観た。ああこれが「戦争に負ける」といいうことの残念極まる文化破壊だと悲しみつつ、それで もおおかたが無道な破毀破損に終わらずともあれ「美術文化」として佳い環境で守られたことに感謝の思いも抑えられなかった。
世界史的にも、多くの戦敗ないし被占領国のかけがえない文化文物が、とれほど多く没収され無意味に破壊破毀され乱暴と汚辱のうちに泥土と帰したかを思え。
「戦争をして負ける」という無惨さには、人的な最大不幸とならんで誇らかに愛しい文化文物の被害が確実につきまとう。自然はまだしも自力で回復の力をも つが、暴力で喪われた無数のすばらしい文物またその技術は取り返しが付かない。奪われてはならぬ。奪わせてはならぬ。守り育てねばならぬ。
「戦争をしないで國の人と自然と文化」を安寧に確保する「政治・外交」こそ絶対に必要なのだが、そのような宰領・采配を、国民は、今、だれに信頼できるの か。少なくも確かな「国語」の能をもたない安倍・麻生なみ不勉強の政治屋たちには、到底期待できない。ではクイズが得意な東大卒なら出来るのか、とてもと てもそんな次元のオツムの問題ではない。
真実「愛国」の資質と能力なき政治家は、害悪に同じい無為か屈服の売国へ趨ってしまう。日本は、いましも、明瞭に、奪いたい害意に取り巻かれている。政治は、国土保持の保全にすら意を傾けていない。いたるところで、国土は外国の金に買われ続けている。 2019 1/17 206

* 薫の、牛と少女の繪、美しく、色美しく、浄瑠璃寺の夜色とよく映えて、朝起き一番のこころよい対面。
2019 2/6 207

* 薫の牛と少女に 見惚れて、機会に向き合う。
2019 2/7 207

* はなやかな花の写真、綺麗でしょう。十五年余も、タテ6㎝、ヨコ8㎝の、ワイシャツの胸ポケットに入るちっちゃいカメラで撮ってきた。機械としてよう 扱えず、いまだにフラッシュの消し方も、年月日の入れ方も理解していない、できない。ただ構図と光線と色とでシャッターを押している。
花、草木、雲の空が好き
2019 5/10 210

* 美しいものに、可能な限り一の創りだした美しい優れた作品が観たい。
せめて上野の東博常設館・東洋館を静かに歩きたい。どんなに佳いだろう。観て歩くだけで二時間はかかるだろう。往復にもそれ以上はかかる。
それでも 佳い物が観たい。五島美術館や国立工藝館やその他、いくつか招待が来るのに、臆病になり一人歩きができないとは情けない。
結局 何より心ゆく楽しみはすぐれた作品を読むことに尽きる次第。
いいお天気に、晴れやかな富士山が観たいなあ。
2019 5/26 210

* 五島美術館、いつもの招待状も有り難く受け取った。
2019 6/14 211

 

* 小磯良平の、たぶん十代少女の佳い横顔を描いたきれいな絵葉書をすぐ目の前に立てている。官位に黒いセーターの「少女」は、頸もとも黒髪もといかにも 理想的なほどリアルにまさに上品に美しく描けている、のだが、「繪」は平凡そのもの小磯良平「ならでは」の、即ち、きれい事。「少女」を観ていると心和む が、「繪」を観ていると飽き飽きしてしまう。
こういう人物画家、ほかにもいる。モデルの描写には惚れ惚れするのに、繪としては平凡で尋常そのもの。東京藝大系の、妙な技藝かという印象がぬぐえない。
2019 7/13 212

* 小鳩くるみが歌いあげる、大好きな「埴生の宿」を繰り返し聴いている。
もう一つは伊藤京子の「螢の光」を。 「さきくと」という歌詞を、子供の頃から、「先久と」「幸くと」意味を重ね聴きも歌いもしていた。唱歌のこういう表現からとても多くを自然と教えられた。
小鳩くるみが歌う「家路」を聴いていると、メリ前にある春草描く夕焼け「帰樵」の繪の美しさ懐かしさが身にしみる。
2019 8/6 213

* 冒頭に掲げた「方丈」二字の気品・気稟に、毎朝一番に接する感服と喜悦は、ちょっと他に例がない。この「方丈」に生きたいと真率願う。
2019 8/8 213
あのよよりあのよへ帰るひと休み

高校時代 この雄渾二字に逢いたいばかりに 近くの東福寺へ足をはこんだ。
* 五島美術館より秋の「筆墨の躍動」展へ、俳優座劇場より十一月の稽古場公演に、招待される。
2019 9/2 214

* 千葉の勝田貞夫さん、春草の名品「帰樵」の色調を、ことに夕焼けの暮れゆく空に赤みを添えて写真にして下さった。私の目近に、カレンダーに利用された 原画写真があり、それから複写したわたしの写真は、赤暗い微妙な夕焼けがただ黒ずんでしまっていた、も少し赤がまじってしかも紛れない暮れ色の空なのだ。 勝田さんも、かなり苦労なさったように絵葉書をお見受けする。
原画は空は赤暗く、山はほぼ黒い。そして何よりの焦点は樵の山を家路についている夫婦の姿が二人と見えねばならず、これが空と山との境の稜線上にいかにも小さいのが「お見事」なのである。
2019 9/10 214

 

* 書庫に「墨」という大きな雑誌が何冊もあり、なかに「千字文」特集がみつかり喜んで機械の側へ運んだ。見ると、なかに私の連載小説「秋萩帖」 二の帖がきれいな挿絵も添えられ載っていて、おやおやと驚いた。一九八六年の九・十月号だ。三十五年も昔だ。働き盛りへ向かっていた。
千字文は秦の祖父鶴吉の蔵書、「真行草 三軆千字文」を邨田海石という人の書いた「天地」二册を愛して座右を離さないのだが、「千字文」なる中国の文化 遺産にかなり詳細な解説や多くの名筆例が大きな画面で多数掲載されているので、遅幕ながら嬉しくてならぬ。正字も読みもきちんと表覧されており、四字一句  二百五十句 千字に、一字の重複もなく しかも銘々の句が意義深いとも分かり、ほくほくしている。祖父からの学恩、はかり知れない。
しかし、これを諳記はもう無理です。今、確実に諳記できているのは神武から平成・令和まで天皇126代だけ。般若心経がほぼ正確に近くまで。千字文は、いまや実利には遠い、趣味の対象。
2019 10/6 215

 

* 万葉洞が中里隆、大亀、健太三代展の案内を呉れている。わたしは唐津を旅した時、彼等の先代中里太郎右衛門(無庵)が、没我の表情でかすれた口笛を楽しむように日当たりの下で轆轤を使っているのをまぢかで観てきた。何十年まえになるか。

* 昨日の「ラ・マンチャの男」には二度三度と泪を拭った。白鸚がまだ染五郎の名ではじめて演じたのが、一九六九年であったと聞いている。私が『清経入 水』で第五回太宰治文学賞を受けた年だ。満五十年が経ち、わたしはたぶんまだペンクラブの理事時代にはじめて、そう、あれはアルドンサを松たか子が演じた 時に観た。以来何度も繰り返し観て、新たな感動を得続けてきた。
胃全摘の八時間手術を受けた年の八月にも感動して観た。
在るとみえて否や此の世こそ空蝉の夢に似たりとラ・マンチャの男
と詠み置いている。今度も胸に堪えることばをしかと聴いた、何度も。
高麗屋とのお付き合いももう久しい、大方の舞台を観続けてきた。三代襲名も祝った。上に掲げた松の栄えを祝って京都以来愛用してきた淡々齋好みの「末広棗」は、もうよほど昔によろこんで当時の九代松本幸四郎丈に贈った品である。
2019 10/11 215

* やっぱり、亡き富永いく子のいっとう美しいと思う木槿満開の繪を観たくなった。美しいものにこそ身も心も添い寄る日々でありたい。
2019 10/12 215

*  美術にふれるほどに久しく目を楽しませてきた、「蘇東坡大楷字帖」「顔真卿麻姑仙壇記大字帖」「柳體楷書間架結構習字帖」「宋黄山谷書墨竹賦等五種」質 素な四册、字を「読む」のは幼來大好きでも、書字・習字にはこれまた幼來全く手の出ない私には、大層に謂うてもちぐされにしてしまう。「字を読む」には、真行草の「三軆千字文」で事足りている。
これまでもう数え切れないほど「本」の仕事をしてはきたが、中に、光文社知恵の森文庫の古美術読本(二)で『書蹟』一冊の「編」者を名乗っているのは、今も身の細る気恥ずかしさ。ま、「読本」なんだからと、意味のない言い訳を呟いている。
だが、思いの外にわたしは書畫が専門の二玄社によく原稿依頼を受けていたし、豪勢な雑誌「墨」に『秋萩帖』という長い小説を連載もしている。上野の国立 博物館の創立記念に「講演」を頼まれ厚かましく大きな講堂で話したこともある。「若い」というのは物騒なもの、それに気が付かないのです。
2019 10/14 215

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