* 朝いちばんに機械を明けて、私のHP「私語の刻」のアタマで三枚の写真、京祇園白川辰巳橋からの花櫻、東京築地明石町で通院の通りがかりにふと撮った 名を知らぬ紫色の花、そして高木冨子の美しい「浄瑠璃寺夜色」を目にすると、しみじみ嬉しくなり、気も静まる。美しいモノをいつも身近に胸に目におさめて いる有り難さを、この悩み深い当節なればこそ思う。
それにくらべ、盤を替えて鳴り始めた森繁節の「城ヶ島の雨」小沢昭一のウッとくる「美しき天然」ひばりの「出船」また森繁の「ゴンドラの唄」鮫島有美子 の「波浮の港」藤山一郎のうっとうしい「影を慕いて」ひばりの「国境の町」高峰棚三枝子の「湖畔の宿」など、頽廃に近いメロディの連続にはウンザリしてい る。感傷にのみ訴える呼び声には力が無い、ことに今のような難しい時節には。「枕草子」の元気なおしゃべりの方が活気をかきたてて呉れる。
2020 4/14 221
* 花紫の冴えた明石町でのスナップは心惜しかったが、季を過ぎても祇園白川の花櫻を消すに忍びなく、花重ねになるが 下保谷の大白蓮にとり替えた。
2020 4/18 221
* 自身で写真を撮るのに、文章を書くのとならぶ喜び、ときに生き甲斐をも覚える。文章は読み返すのが必要だが、写真は眺めれば楽しめる。上に掲げた四枚 の二枚は画家の作品だが、爆発する大紫の満開も、京の八坂神社西楼門上から眺めた石段下四條通りの夜色も、撮影した私自身を心静かに励まし慰めてくれるこ とは、小磯良平や高木冨子の表現と変わりない。機械の能力がなお許してくれるなら、自愛自負の撮影写真の展覧会を此処でしてみたいほど、写真いじりをして いると時を忘れる。出歩くなととめられていても、時間をもてあますなど全然無いが、体力の目減りは目に見えて著しく、宜しくないと危惧している。
幸い、久しい聖路加通いのなかで、決定的に必要な二種の「インシュリン」は、あと一年ほどは予備を得ているし、点眼薬の三種も、鷲づかみのようにたくさ ん出してくれていたので不安がない。ビタミン剤の二種にもまだまだゆったり余裕がある。ただ、頻尿を抑えてくれる薬がもう一月分ほどに減っていて、これだ けは近所のセイムスで補給するしかない、が、さて聖路加病院へいつからまた通えるのか、計り知れない。歯医者へも、実は近所の眼科へも行きたいが、濃厚接 触なしに済まない診療なのでビビってしまう。
やっぱり、自愛の写真をときどき羅列鑑賞して弱り気味な身も心も励ましてやりましょう。逃げ出せるどこも無い。
2020 5/11 222
* 白いちいさな花の名を十薬とは知らなかったが、新しく入れた写真、翠りの「葉」が潔く冴え冴えと撮れて気に入っている。わたしは「花」は変わりなく好きだが「葉」と いうものの形と色のよろしさをなつかしく愛している、昔から。花は集めても詮無いが、葉は無数に集めてみたいと何度も思ってきた。葉は美しいのだ、造形とみても。
2020 5/28 222
* 時季も動くし、写真を取り換えたいとも思うのだが、八坂神社楼門と石段下四條通りの夜色、それに小磯の「D嬢」も「浄瑠璃寺」夜景も、みな、気に入っていて、好きで、取り換えたくない。夜景・夜色が三点あり、私の、根の好みが露出しているのかも。
* 八時。
2020 7/25 224
* 満開の蓮池の写真と庭の白い花の写真とを入れてみた。すこしでも心清しくと。
高校時代に、叔母にねだってニッカのいいカメラを買っていらい、貧乏だった新婚のころにもカメラは手放さず、されも漸然として簡素な小さな、胸ポケット に入る機械に替えてきたが、写真の狙いには自信がある。心してめったに人は撮らない、花や草や木を、清々しく美しく撮りたい。
2020 8/7 225
* 花の写真の妙味は 葉がどう撮れているかで。送ってきていただく花の写真の多くは、花だけが大写しされている。枝葉あっての花の佳さだが。
2020 8/8 225
* 樂さん、琵琶湖畔佐川美術館での毎年のコラボレーション、今年は画家斎藤隆と。入場券二枚も副えてお誘い頂いた。感謝。 残念至極、身動きがならない。
2020 8/23 225
☆ 毎々御芳情に
甘えさせていただき 恐縮至極に存じ居ります 有難く厚く御礼申し上げます。
世界を覆う不穏な気、 加うる曾て無い猛暑、 ひょっとして 天の制裁か と思う様な、 その先の見えない日が続き居ります
ひたすら 何とぞ何とぞ御自愛下さいます事を 祈り上げます
自分の気安めみたいな物 送らせて頂いただきます、 お赦し下さい、
二○二○年八月十一日 合掌 渋谷和子 (京・向日市 染色作家)
* 「近畿で 注染めの発注が出来なくなりました 名残りのお笑いぐさです 渋谷」と、 瀟洒に目に沁みる染めの「ふきん 花」を 、さらに「酷暑お見舞 い申し上げます」と「南国の果実」をシュールな彩色で染め上げた額繪とを頂戴した。毎年のお心遣い、ありがとう存じます。
2020 8/23 225
* 亡き出岡実さんの「持幡童子」の写真を久し振りに持ち出した。展覧会の場で即買い取った気に入りの作だった、胃全摘八時間の手術をして下さった聖路加 病院外科の先生にお礼に差し上げた。出岡さんは同じ保谷に住まわれていて、中日新聞文化部長の林さんに紹介された。『四度の瀧』や中公新書『古典愛読』ほ かいろいろの装幀や挿絵でお世話になった。もうはるばると遠くへ行ってしまわれたが、こうして強い佳い繪に見入っていると、何かしら守られているような励 まされるような力を感じる。好きな繪を三つならべ、「うん」と肯いている。
2020 10/8 227
* もう一人、日中文化交流協会の理事長などしてくださっていた宮川寅男先生のお嬢さんから、生前の先生がご趣味の手慰みで刻しておられた印形のなかから、大きな「恒」一字の刻作を見つけ出されて贈ってきてくださった。
☆ 拝復
この度は選集第三十三巻をご恵投下さいまして深く御礼申し上げます。 最終巻とのこと 心よりお慶び申し上げます。
濯鱗清流を拝読いたしますと、かつて私も読んだあれこれ、好きな方 気になる方が次々で、再び読み返してみたり、秦先生のご指摘に教えて頂くこと多々で ございます。 そのなかに意外な方のお名前を見つけてびっくりいたしました、画家の橋本博英氏、ずい文以前になりますが、銀座の和光の雑誌な長く携わって おり、和光の画廊で展覧会をなさる画家や工芸家の先生方からお話を承って 案内記事を書くことがございました。そのようなご縁で橋本先生には幾度もおめに かかり、秦先生がわずか一度のご同席で橋本先生に特別の印象をお持ちになられたのに我が意を得た思いがいたしました。
これからまた時間をかけてご本未読させて頂ききす。
なお、同封の陶印ですが、父の印の箪笥の奥から見つけたものです。 父は晩年 唐津や所々の窯で焼物をいたしまして陶印もよく作りました。基一(佐々木 氏)、心平(草野氏)といった印もあり、好きな方のを勝手に作ってあそんでいたようです。 この印は一字(=恒)ですが、父の周辺にこの一字名前の方はな く、秦先生のように思われます。ただ先生は優れた落款を多くお持ちと存じますし、このような釉もかけておらず 下手くそな素人のものを、ご迷惑かとも思い ましたが、お手許にお捨て置き下さいましたら幸いでございます。 またご本のなかで、お名前についてのこと拝読し、さらに恐縮ではございますが…
窮屈な世上は先も見えませんが、先生にはどうかくれぐれもお障りなくご自愛下さいませ。
ご温情にあらためて御礼申し上げます。
二○に○年十一月七日 宮川木末
* まさしく豪快な、しかも威張っていない大きな「恒」一字の印で、宮川先生の優しかった笑顔が瞼へ熱いほど甦る。嬉しい。
実は宮川先生には、それはもういろいろ頂戴してきた、お宅から、ねだってモギとってきたようなのも大事にしている。なにより先生には恩師の会津八一筆の「学規」の額はわが書斎の寶もの。焼き物も絵もいろいろ頂いてきて。みな座右に親しい。
木末さんとはお目にかかったという確たる記憶はないのだが、井上靖夫妻らと一緒に中国へ行ったとき日中文化交流協会から秘書として同行された佐藤純子さんから三人で会いませんかと誘われたこともあった。体調の整わないときで遠慮したが。またそんな機もあろうかも。
画家の橋本博英さんの名も。これまた痺れそうなほど、懐かしい知友であった。ぜひにも長命してほしかった。いまは奥さんが、そのまま「湖の本」を支持し続けて下さっている。
2020 11/10 228
* 春 草画「帰樵」の、一日の山仕事を終えて荷を負い山を下り家路にある「夫婦」だけを勝田貞夫さんが写真ハガキにして送って下った。足取りの確かさ、妻にもの 云うている夫がこんなに小さいのに生彩にあふれて空気があたたかい。手の届くところに起ててあり、疲れると眺める。勝田さんに感謝深し
2020 11/28 228
* 機械の温まるのにとても時間がかかり、辛抱よく待つ。
目を遊ばせて「待つ」ものなら、目近にふんだんに在る。山下へ帰って行く樵夫婦のしみじみと春草画く佳い繪、妻が描いた懐 かしいネコの娘ノコの肖像、やはり妻の画いた幼い頃の孫やす香の愛らしい肖像、「秦 恒平君 社長 写真一枚お贈りします お受け取り下さい」と自署を添えた医学書院金原一郎社長写真の、「告別用だよ」と笑ってられた懐かしい温容、沢口 靖子の笑顔いろいろ六枚、谷崎先生夫妻の肖像、小磯良平の「D嬢」 そして目近に大きい、作りつけの書架、本、本。
この部屋の、この機械前の席が、なによりも、何処よりも安息できる。機械クンは、待ってれば必ず「働き」始めてくれる。この超古機械クンが働いてるなん て、「信じられませんねえ」と先日、プロの人に感嘆、というよりも、驚嘆された。想像を絶する大量のコンテンツにハチ切れそう。私の書いた六十年の仕事 は、作も日記もその他もほぼ尽く収容されてある。むろん、全部、他へも収容保管してある。
買ったけれど使い道の理解しきれない大小二つの新しい機械は、身のそばにただ置かれたまま。もう私のアタマでは、「役」に立つ日は無いだろう。せめて音楽と映画とが楽しめるといいのだが。
2020 12/9 229
* 印象畫『澄秋』と題された「木守り」の「一つ柿」が静かに美しい。
2020 12/18 229