ぜんぶ秦恒平文学の話

美術 2021年

* 六時半、午から根気よく機械仕事を継いでいた。疲れに、睡魔がすり寄ってきている、が。
静かなジャズ そして、この日記のアタマに置いた土牛と薫の「丑」の繪や、生まれる以前から知っていたような「少女」像に見入って気をやすめる。
2021 1/23 230

* この「私語の刻」の冒頭部は、ちいさな、私写真展示の「自愛」館の役をしてくれている。沢山は載せられないが、いま、土牛と薫の「牛」といい、良平の「少女像」冨子の「浄瑠璃寺夜色」といい、月替わりだけで取り替えたくないなとおもってしまうほど。
「私語の刻」ずうっと下欄へ画面を運ぶと、なぜとも知れず今は顔もあわせられない娘・朝日子らの思い出多い懐かしい写真も、建日子のも倶に何枚も置き、「貌が見たく」「逢いたく」なると其処へそっとキイを降ろして行く。
2021 1/29 230

* 嬉しいのは眩しいまでの晴天の多い二月ということ。折々は、二階の靖子ロードの窓を戸外へあけ、上半身をあずけて窓へ依りかかり、小さな版の『グレ コ』画集を、一作また一作と解説を頼りにりに見入って楽しむ。比較的にグレコ世界とは馴染み薄く過ごしてきたが、この機会にグレコの繪を介して彼の宇宙を さまよい眺める。晴れの日々の心新たな楽しみ。
画家のグレコ、詩人で英国のミルトン、ドイツの巨大な藝術家ゲーテ、そして類い希な想像力の巨人トールキン、作家でフランスの果敢な政治家であったレオン・ブルムの「結婚」論。
毎日、親しんでいる。支那人の歴史的な史書二冊も漢文のまま親しんでいる。すべて精神衛生の圧倒的な秘薬であり、そして、それらの全部と優に匹敵して揺 るぎない魅惑・魅力の『源氏物語』はいま「やどりき」の巻を堪能しつつ、少年來大好きな「宇治中君」に日々に逢っている。
2021 2/22 231

* 廊下の窓へ半身をだして「グレコ」の繪に見入っていた。馴染んでこなかった画家だけに、新鮮なド迫力に感嘆し好きになっている。もっと大きな画集でも観てみたい。
2021 2/22 231

* エル・グレコ絵画の至藝と凄みとを、しみじみ、しかも初めて、一冊の小画集で、識者の適確な鑑賞と解説を得て、心嬉しく学んだ。海外の美術史に、それ も印象派以前の多彩で重厚な作と作者とに詳しくない、なによりも海外へ出てその実作品に触れた体験があまりに乏しかった、それでも旧ソ連時代に作家同盟に 招待され、モスクワや当時レニングラード(現・)ほかの大小美術館や基督教教会でたくさんの作や作者に出会ったけれど、それでも、千・万に一つというしか ない。グレコに触れた記憶は、絶無であった。
そのグレコの、大きくはない小冊子ながら画集と解説とが私の書庫に隠れていたのは何故か、それもしかと思い出せない、私の顔の絶妙のクロッキーを描きおいて北陸へ去った画家細川君のありがたい置き土産であったのだろう。
2021 2/25 231

* 荷送りで宅配受付まで自転車で走り、息切れのまま、グレン・グールドで、ベートーベンのピアノを聴いて 息をととのえている。風はあるが 暖かい。二 階の窓へもたれ込みそとへ顔を出して、グレコの繪の次には、表紙もボロボロの分厚い岩波文庫の『歌合集』に、古人の「判」わ無視して私自身の「判」をして 行くのを楽しみ始めた。暖かくなるにつれ窓の外へ顔や手を出すのもラクになる。が、さて古来の歌合は限りなく歌の数も多い。ま、出来るところまで。
が、もう、眼を開いてモノをまともに視る、読むことが、短時間しか出来なくなっている。点眼薬で一時凌ぎ凌ぎするばかり。不審に思うまでも有るまい、八五老だ。とても九重老とまでは有るまい。
2021 2/28 231

* 此処までに、「方丈」以下、「顔」繪や「寒山」畫やピカソ「平和の鳩」 さらに「書斎書架」 土佐光貞畫「雛」 小磯良平畫「D嬢」 高城冨子畫「浄瑠璃寺」の 写真版が挿入してある。が、妻の機械にも建日子の機械にも写真が出ないという。
私にはドウしようもないことで、楽しんでいるのが「私」だけであれ、それはそれで仕方ない。私が楽しめないのでは処置無しだけれど。
これにもいろんな理由や故障が有るのだろうが、私には分からない。
むかしこのホームページは、マイ コンピューターの「C」に設置していたが、量の配慮から「D」に強いて入れ替えた。その影響なのか、どうか分からな い。大事なのは、私の楽しみに入れる写真が私に見えないでは困るということ。幸い、それはない。これからも気が向けば自分の好き勝手に写真を交替したり増 したりする。写真分空白の隙間が妻や建日子の機械では空いているらしいが、私には手の施しよう無く、そのままにしている。訪れて下さる他の方々でもそうな のだろう、ごめんなさいと謝っておく。
2021 3/3 232

* 土佐光貞は、江戸中頃か、歴代でも巧者であった。蛤に、雛のめおと。色気もあり、筆もじつに優しい。亡きやす香の一等親しかったお友達に赤ちゃんの出来た時、お祝いに差し上げた。

* 小磯画伯の作は、もしも、私の『慈子(あつこ)』はと人に聞かれたなら、躊躇わず、この少女を指さし示すだろう。イメージがきまってしまっても構わない。

* 高木さんの『浄瑠璃寺夜色』は 実父生母ともにその墓所を知らない私の、いわば心の菩提寺のようにいつも見入っている。胸にしみる「夜色」の美しさ。
2021 3/5 231

* 昨日、相当量の雑多な古物に目を晒していた中に、京博蔵「守屋コレクション」の『隅寺心経(般若心経)』を何方かに戴いたのが仕舞われていた。少年の 大昔に秦の家の仏壇で馴染み。高校一年、角川文庫の『般若心経講義 高神覚昇』を夢中で傾倒愛読して以来馴染み続けたお経だ、いまもほぼそのまま誦するこ とが出来て浅はかながら主意は概念・観念ともに承知し親しみ続けている。とても清明な書であり、狭いながらもどこかに場をつくって額装しておきたくなり、 幸いに簡素ながら恰好の額が在ったので、埃をはらい、妻に収めて貰っている。常時に目に触れ得るとは、嬉しいことだ。

* こうなってハタと思い出した。
中国に招かれ、周恩来夫人にも人民大会堂で迎えられた半月余の旅中、北京の名高い美術骨董史料等の街衢で、むろんコピー、精緻のコピー(レプリカ)だ が、真作は英国ロンドンの国立大博物館に在るという、『唐周昉 簪花仕女圖』その『部分之四 滎寶齋木版水印』原寸大の長軸を買って帰ったのが、我が家に はてんで懸かる床も壁面もなく、空しく珍蔵されたママなのを。ウーン。原畫は世界史的な至寶とされていて、今もじつに美しい。
中国の美術骨董の原作コピーの精緻に見事なのはよく識られ、私たち訪中の折りにも井上靖団長ほか六名の「日本作家代表団」は、広壮な「故宮」内の一画に、レプリカ専念のための施設と工場のあるのも親しく見学していた。
文学と違い、美術や史料は真一点しか実在せず、中国のような広大世界で、国民が実物に目を触れる機会など、まず、あり得ない、だからこそ中国政府の、国 民のために分かつ真に迫って見事なレプリカ製作はまこと精緻を極めている。真に国策であり文化事業として力技と誇りとが一点一作に凝っている。みな、感嘆 した、我々一行も。
在るのかなと、押し入れを覗くと、在った、くるくると大きな柔らかな紙に幾重にも巻き取られて。
ドー、シヨウ?
ほかにも買って帰った繪の一点は亡き水上勉さんに、硯は谷崎松子さんに差し上げた。が…
サ、ドー、シヨウ? 道具屋はやかましく電話してくるけれども。

* おや。六時近い。階下へ。
2021 3/24 231

* もうもう大昔になったが、井上靖さらと日本作家代表の一人として中国へ招かれた旅中、北京の名高い榮寶斎で、顧愷之の世界史的な長尺の名畫、真作は大英帝国博物館に珍蔵されてある『女史箴図』 その中の一部を精巧に複製軸装したのにこころ惹かれ、買い求めて帰った、だが、みごとな筆蹟名画に相違ないが、懸けて鑑賞を楽しむ場所からして我が家になく、なんとも、そのまま押し入れにしまわれたまま、妻も、今度初めて目にしましたいう仕儀、あまりに気の毒でどうにかしないとと老耄、繪の嫁入り先を思案してきたが、四世紀の、この名品は、一部の複製といえ何方にも容易に通用しない。が、これぞ幸いと私は京・祇園の『何必館』主に謹而呈上にしくは無いと確信した。梶川芳友君ならば、最前の用意で保存ないし処置して呉れるだろうと。頼みます、どうか宜しく。
そして、今日、荷につくって、ためらわず贈り届けた。真実、安心した。

* 『女史箴図』が大英博物館にと知ると、即座に飛行機でイギリスへ飛んだ人を識っている。もう亡くなったが、親しくしていた京都の画家さんだ、この方からは「鮎」を描いたみごとな繪軸を頂戴している。「ほんもの」が観られるなら、なんでイギリスが遠いかと即座に席を立つ人だった。複製の軸を持っているよとは告げなかった。その必要がなかった。
2021 5/21 233

* 本阿弥光悦の草花絵巻が書庫にかくれていたので、尼崎の井上温子さんに置くって上げたら、喜ばれた礼状が来た。送ってよかった、絵も書も喜んでいるだろう。
2021 5/26 233

* 朝一番に、島田吉治さん、メキシコでの立派な大冊『墨畫集』を頂戴した。同じ京都から出た先達、書家からメキシコを基盤の丹念な墨畫家として、多年、みごとな成績を挙げてこられた。私も葉書大の小品ながら端倪すべからざる逸品そして何度もお手紙を戴いている。路上に紙を敷き墨を摺り、直に毛筆で風景、風物、住宅、人たちを墨畫し、追随する誰もいない突出した毅い画家である。高齢とはいえ、ますますの健在が期待でき、嬉しい。
2021 6/19 234

* 早朝に起き、音楽(プロコィエフのビアノ協奏曲を十七歳の女の子が実に楽しげに弾いてくれた。)を楽しんだ。この節、まだしもテビという限界はあっても音楽は器楽も声楽も楽しめてありがたい。
造形美術は、ことに絵画は、テレビでは真には鑑賞できない。久しく美術展に出向けない。
文学は、手近に手に入れて読まねば楽しめないが、新しい作は手に入れるのが難しい。しぜん、往年の秀作名作佳作を書庫から持ち出すしか手がない。それでもドストエフスキーもカフカもツワイクも楽しめているのが有り難い。読書や音楽、また私語・作文、それなくてこのコロナ禍で逼塞の暮らしは保てない。
2021 8/28 236

* 染織作家の渋谷和子さんから、美しい作、大小三点頂戴した。

☆ 「ゆれるまなざし」(渋谷和子さんの展覧会大作)は 巾10米の布 数十年にわたり日本国中を巡り 只今は、京都近代美術館に眠って居ります。

* 渋谷さんは京都美術文化賞の選者を永く続けていた頃、受賞してもらった。私の本の装幀も二度してもらっている。得も謂えず美しい重みの色を彩なせる作家。
2021 9/6 237

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