ぜんぶ秦恒平文学の話

美術 2023年

〇 ”詩は、分からない。 絵は、観るに難儀。”と。
詩、書き手自身どこまで分かっているか、現代詩の大いなる病いではないでしょうか。
絵は鴉の視力さえ良ければと、これは哀しく残念。
あの「浄瑠璃寺」の絵を今日送りました。実物に接したら弱点も含め容易に見抜く鴉を思うと、これはもう恐縮、文字通り恐れ恐く縮んでいます。絵の良し悪しはお許しあれ。
ニーチェの本は手元にあったもの。処世訓のようにも読めます。ニーチェを現時点では異なる見方も可能かもしれません。
さまざまに多忙だった一か月半、今は些か気落ちして、休養しています。コンピュータ
ーが不調ですので携帯の画面で書いています。
どうぞお身体大切に、大切に。まだまだ寒い日もあろうかと、風邪、インフルエンザ、
オミクロン全て撃退してください。  尾張の鳶

* ご健勝を願います。
永く此の日乗の巻頭を、写真で飾らせてもらったあの鳶の繪の『浄瑠璃寺』を戴けると謂うのか。あな、嬉し。有難し。
ツアラトゥストラ これぞ「詩」を味わうように、少しずつ日々に気を静め気ままに書き写しています。不思議と心に親しい「詩の表情」が懐かしいのです。訳本に頼みながら気ままに字句の端々は思うに任せながら。
2023 1/5

* 高城富子さんの作画『浄瑠璃寺夜色』を戴いた。まだ適切な額が手に入っていないが、所を得て、今私の此の仕事席から視線をかすかに左うえへ送ると、50センチほど先に所を得て実に美しく眺められる。以前は写真を、ホームページ巻頭に貰っていたが、ホーページが壊滅し、写真でも視られなくなっていた。嬉しく、有難く高城さんに感謝している。有難う。有難う。その左に、繪よりやや小さいが一枚の写真としては大きめな、南山城当尾の父方吉岡本家邸宅、国指定有形文化財の一部分を撮ったのが並べてある。浄瑠璃寺は、吉岡の謂わば菩提寺に同じい縁故の名刹。相い愛照らし合うて、誠に快く美しく二つが並んだ。思い屈する時など、視野の歓喜や励ましとなってくれよ、有難し。嬉し。

* 思えば思えば、私は、なにかにつけ、恩愛の多くに温かに恵まれているのだ。忘れては成るまい。
2023 1/6

* 清潔に,置いたモノの寡い書斎がよく褒められていたのを、子供心に覚えていたがる。が、まや私の六疊一間、壁には作り付け元朝名書架は造りつけてあるが、それにしてもナンという華麗とみまがう混雑の賑わいよ。障子も襖も戸袋も原形無くなく張ったり貼ったり継いだりネコにやぶられたり、凄まじい。美しいカレンダーの繪や写真も、お相撲のカレンダーも、気に入りの大ポスターも 必要な翁地図も、いただきものの絵画系美術品も、写真の気に入った郵便葉書も、何デモかでも貼ったり置いたり飾ったりしてあり、それでも、井泉水「花 風」の二大字額も、秋艸道人書の「学規」も潤一郎書「鴛鴦夢園」の超大な南洋大豆殻も、高城富子さんに頂戴した「浄瑠璃寺夜色」の美しい繪も,南山城当尾の父方吉岡本家国指定の有形文化財大写真も、朝日子の石膏顔自像も、沢口靖子大小七枚者写真も、のこりなくそれぞれに所を得て観にくくは衝突していない。白鵬、テルノ藤横綱土俵入りはじめお相撲さんのカレンダーもいきいき貼られてある。
一つには大きな書架に、私の「秦恒平選集」全三十三巻を囲んで多彩に何種もの全集や大事典の満杯なのが音楽っぽく賑やかな「書斎を睥睨」している。とても人サマはお通しならないが、恐がりのわたしも、はおかげで、此の室に何時間、夜通ししていても淋しくない。「湖の本」の全巻もならんでいるし、金原社長の下さった献辞入りの好い写真も、父や母や妻や建日子ややす香の写真も、愛ネコの「ノコ」と浴室で相見ている愛らしい写真も在る。ゴッホ描く「靴」も「阿修羅像」も、懐かしくも亡き龍ちゃんとしか見えない少女画も鼓さんの描き遺して行った風景額も谷崎先生の六代目の向こうを張られた御顔も、ピカソの「平和の鳩」画も、京博倉の「隅寺心経」の麗筆も、むかしむかし妹と愛した梶川道子の中学の修学旅行土産の飾り栞も、みな所を得てこの煩雑に場を占めている。私はえらい人ではない、こういう嬉しい人なのである。誤解しないで欲しい。
2022 1/6

* 夜前、十時半ごろに寝入ったか、二時頃まで頻回の手洗い立ちに閉口した、が、実に実に嬉しい夢も確かに観た。類いないまで嬉しかった、が、もう思い出せない。それでも好い。
今年も中川肇さん作成の「クレー」作を毎月主題画のカレンダーを戴いている。去年も、或いは一昨年も戴いていて、クレーに遠の遠かった私をみごとに「クレー漬け」に成された。
2023 1/7

* 浄瑠璃寺夜色  すばらしく佳い。繪と同じほどの大きい写真で、お寺に近い当尾の、父方祖父の屋敷と並べて観ている。「秦恒平」以前の自分を感じられる。
2023 1/10

◎ 繪の大きさに 知識も体験も無いのですが 大きな繪の意欲どおりに佳い例は、すくないのでは、と感じています。鳶の作では『浄瑠璃寺夜色』の徹到にやはり、私の感情が交じってとも謂えますけれど、視線を吸い取られる快感があります。
詩や文藝の話ではありますが、ゲーテが「大作へ走るな。完璧な小品を数重ねて、大作に到れ」と説いていたのを、モットモに感じることがあります。
ヘトヘトに疲れながら、しつこく日々努めて居ます。あたまのボケルのは防げませんが、脚は鍛えられます。歩けること、を多々大事に考えています。きのうは下保谷近隣の静かな花見に一時間半ほど杖ついて散策を楽しみました。家の階段やお宮の石段、まだ苦にならず、重めに設定して足踏み機械もまだ100回踏めます。しかし、脚の外は、ヘトヘトです。昨夜は、就寝前に「ムクミ止め」を服用して一夜苦しみました。からだの水分がトンデしまったように筋骨ばかりに躰カチカチになり、脚から痛み始めて困りました。水分と痛み止めとで、辛うじて遁れました。
バカなことばかり、やってます。カアカア
お元気で。気も躰も 若々しくいて下さい。  カンざぶろう

○ 菜種梅雨 メール嬉しく。
『浄瑠璃寺夜色』で、励ましてくださって、本当に嬉しいです。
実は今描いているものの一つは浄瑠璃寺で、構図もお手元のものとほぼ同じ。異なる点は、絹絵の20号乃至25号、本堂の後ろの夜空が画面の半分近くを占めています。建物は、一ミリ狂っても違和感が生じるので気を使います。今になっても絵絹の画面を綺麗に塗れないことに苛立ちます・・。
もう一枚は遺跡、油絵のようになりそうです。まだ終わりません。
絵の大きさに関しては、鴉の感想に、納得します。現状は、殊に展覧会、大きな、主要な公募展では、既に有名な人は別ですが、大きくなければ全く認められないのが実情でしょう。百号など小さすぎるというのです。
確かに大きな絵を描くには、大変なエネルギーも要ります。構図構築の丹念な工夫も、時には審査員の絵の傾向なども知っておく必要があったり。誰も誰も「世に出たい」挑戦したい・・!
いつのことでしたか、有名な日本画家の回顧展に行きました。その人の晩年、かなり高齢にも拘わらず200号、300号ほどの絵が何枚も何枚も飾られていました。何処となく地下街の広告ポスターの間を歩いている錯覚を抱きました。一枚の絵に込められる画家の思いがやはり、希薄にならざるを得ないのでしょうか。
ここ数日、孫が発熱してわたしたちも落ち着きませんでした。いろいろなことがストップ、です。確かに家事の負担は以前より増えましたが、何とか過ごしています。気兼ねなく動き回りたい思い、まだ具体的な「駆け引き」まで至っていませんが。
どうぞ日々大切に、元気に、夜ゆっくり眠れますように。花粉症は如何ですか。もう少しの辛抱ですね。  尾張の鳶
2023 3/23

* 玄関に、ひさびさ、、岸連山の柔らかな墨の「富士」を掛けてみた。
ものに乗って高みへ軸をかけるなどという作業が危険で出来ない、妻の肩を借りてモノを倚子などに乗るしか無いとは、老いぼれた躰になった。アタマは如何。
2023 4/11

〇 マルコ・カルミナーティ『ラファエロ アテネの学堂』(西村書店、2015)
夙に有名なラファエロの傑作「アテネの学堂」一枚だけについて書かれた かなりマニアックな本です。
美術的な解説もさることながら、画面中央のプラトン、アリストテレスを囲む「56人」の「同定」がミステリックでもあり楽しい。多くの美術全集にも必ずこの言及は有りますが、本書のその探索のレヴェルは、類書には見られません。  篠崎 仁

* お手許に2冊ご所持の一冊を送って下さった。すばらしいラファエル超大作の興味深さは文字どおり巨大な深淵を覗く心地、ゆーうっくり楽しませて戴く、有難う御座います。
2023 7/8

* 「寝て読み場」に最近の「戴き本」が数冊積まれている。
順に構わず手に採ると。
① 日本画家、大和飛鳥にお住まい烏頭尾精さんの随想録『飛ぶ鳥ものがたり』が、筆者自身の魅力の墨画ふうの幻想作と、大きな活字でおおらかな「飛鳥」風土記を成している。受賞して戴いた京都美術文化賞で、私が選者時期からのもう久しいおつきあいである。京都市の美大卒、私より三歳の長者。私の入学した京都市立日吉ヶ丘高校はその「美大」術構内に同居していた、私自身は美術家志望では無い普通科生徒であったが、現代・上代の美術骨董の店の多かった東山区新門前通りの真ん中で育っていてす、幼来それらのウインドウを鼻の脂でよごすほど観て歩いていた。大學も美学藝術科を選んでいた。
② 「名画の秘密」シリーズ、マルコ・カルミナーティ著『ラファエロ アテネの学堂』すてきに美しくも興味深い、ま、「絵解き」の大冊で、ルネサンス三大美術家の中でも好きな画家ラファエロの超大作、すこぶる大きいだけで無く、あのソクラテス、プラトン、アリストテレスの頃の学堂数十人をおそるべく巧緻かつ互いに挑戦的な群像として描ききっている。なんともハヤ、珍しくも興味津々の「研覈」が成されている。いまも熱心にギリシァ語を学んでおられる、「湖のほん」でもお馴染み、やはり私同年配の篠崎仁さんに頂戴し、ほくほく,喜んでいる。
③ これはもう数々お馴染み、京都での時期からも活躍を眺めてきた上野千鶴子さんもうシリーズ何冊目にも成る最新の『おひとりさま の 逆襲』(小島美里さんとの対談)。上野さんの「おひとりさま」談議には数々屡々脅かされているが着眼はまことに的確で。
④ そして今朝がた頂戴の重い荷をひらいた中国陳彦著の超大作小説『主演女優』全三巻、そうそうはお目にかからない中国産の現代小説で、多年書けて日本ペンクラブ理事としておつきあいのあった菱沼彬晁さんご苦心の翻訳。もう読み始めています、感謝。

* ふと何十年を顧みて私のすこしは自慢な書庫の本の、ほとんど九割余も戴き本で。自身で買った書籍は滅多に無い、買った覚えはもう手に入りにくい岩波文庫の古典本など、ま、文庫本は新古ともにかなりのサッ卯を買っているが、書籍の形した大冊は研究書が多く文学本も大方頂戴している。今しも無熱心極めて感動しつつ読んでいる「島崎藤村集」「徳田秋聲集」は希有とも謂えて古書店で買い求めた「たから」ものであるが。
2023 7/8

* 「現代画家」というに最もふさわしいお独りの出店ひさおさんから、美しい・素晴らしい「ブックアート」を戴く。手にして重厚、開いて豪奢。どうどこに置こうかと、こんなと雑駁な家住まいしている私は恥じ入る。
2023 7/10

* 篠崎仁さんに頂戴した、「名画の秘密」シリーズ『ラファエロ  アテネの學堂』マルコ・カルミナーティ著。まことに佳い 興味深い「名画の秘密」であった。遺憾にして もう私がバチカンのラフアエロ超大名作の前に立つことは有り得ない。じつに生けるが如き「アテネの學堂」に群集した「哲学」の徒らの息づかいや声音や感動までを天才ラファエロは眞実觀に充ち充ちて描ききっている。そんな仲に、わたくしもまた紛れ入っているかのように胸が躍っている。

* とは云え、この暑さと我れの疲弊は、これは何んたること。昏倒しかねない。
2023 7/11

* それより、内玄関の正面が寂しいので、このところ、あれをと架けたかった「久保比呂志」作の、實に立派、畏ろしいほど立派な『鯉』一尾の大軸を妻と二人がかりで架けた。金魚や鮒や鮎でない、川魚の王の「鯉」が画面を大きく占めて、一尾悠然と水に静まっている。こっちが「位負け」のてい。
架けたいと永く願っていたのが、この「お疲れさん」のさなか夫婦して出来たのだから、目出度い。嬉しい。
久保比呂志は、土田麥僊らのお仲間だった…はず。

*私の、この六畳の狭い仕事部屋には、障子際に不相応に佳い革のソフアともに、机が四卓、天井際の冷暖房機は別に、大小の機械が十機働いていて、大きな作り付け頑丈な書架に満杯の外の、各種大小の書籍や辞書・事典が山積している。抽出しの文書棚も満杯で四つ立ち、その余の雑物は床に置き放題、私の出入りの通路も、モノ、モノに侵蝕されて、文字通りの狭い「雑踏」なのだが、西と南の障子戸、障子窓、そして東の襖四枚は、それ自体がそのままかなりの「画廊」になっている、ただしみな貼り込みの写真や印刷物だがよく選び抜いてある。白鵬、照の富士、それぞれの見事な土俵入り写真もあれば、栖鳳、玉堂、土牛、曾太郎らの名品が、用済みのカレンダーから斬り遺して在る。加えて、高木冨子の美しい『浄瑠璃寺夜色』本作があり、亡き懐かしい富永彧子の清雅な「風景」も小さな額に入っている。
それより何より、この部屋には、高浜虚子にならぶ荻原井泉水が「秦恒平雅兄一餐」と献辞の『花 風』と二大字の大きな額、また宮川寅雄先生に戴いた、先生の先生「秋艸道人」筆の有名な『學規』も架けてある。ほかにも幾つか。
その上に、娘のように遠くから愛している女優澤口靖子のドデカイ写真がちらとみただけで少なくも四枚、みなにこやかに笑んで呉れている。わらはば、わらへ。

* ところが、未だ在る。読者や知友のお便りが「佳い繪葉書」でくると、倚子席の身辺に隙間を見つけては飾る、今も八、九枚が直ぐ数えられて、目の前の間真ん中に老いたのが、「日本の清潔」とはコレとしみじみ得心の、『紫宸殿と前庭』のすばらしい静謐。左近の櫻、右近の橘、一面白沙の広庭。吸い込まれる静謐の美。
また、村上華岳の『墨牡丹』 京「高山寺」の弓討つ「兎」らの『戯画』、建仁寺の『風神雷神』、菱田春草の『帰樵』 祇園会の『薙刀鉾』 アネス・ドルチの『親指のマリア』 能面の『十六』 さらには静寂のうちに花やいだ『飛雲閣正面』 さらに加えて、大恩を受けた医学書院『金原一郎社長』の献辞も添って頂戴した「告別用だよ」の上半身温厚なお写真 さらには妻が描いたいまは亡き愛猫「ノコ」の、生けるが如き肖像。
これらの繪や写真が老耄の私をどれほど寛ぎ励ましてくれているか、計り知れない。出来れば、この「仕事部屋で」こそ 私は、死にたい、と願っている、心より。
2023 8/12

* 機械画面、真まん中の真下に、文字通りに目の下に「紫宸殿前庭」の絵葉書が清々しく静まりかえっていて、どんなさわぐ想いも推し静めて呉れる。私の目と重いには「此処」が、独り静かに立てる、「やすの河原」。
2023 8/14

◎ 私・秦恒平の 幼少青年時・感慨を覚えた書物・作品たち(順不同)
〇 『日本美術の特質 第二版』 『図録』 矢代幸雄 岩波書店
昭和四十年(一九六五)八五月十四日 第二版発行) 新刊 購読
自費で私の買った本では、最高価な「本物」「大判」の「研究書」であった。本巻だけで優に「八百頁、別巻に二百三十頁もの豪華な『図録』が附く」としても、平成の今からほぼ六十年以前に「定価七千五百円」は、もう医学書院勤務で給料を得ていても、いわば不要不急贅沢なと見られる買いものだった、そんなことは謂われなかったけれど。なにより、関心も興味も濃く、方面違いの「医学書院」社員ではあれ、「日本美術研究」無縁ではなく、渇望して躊躇わず買った本、それに、もう小説や評論を書き始めてもいた、わたくしが刊行の評論の一冊は『十二世紀美術論』であり、小説では、上村松園を書いた『閨秀』が朝日新聞文藝批評の「全面」を用いて賞讃されていたし、虎渓三笑図に触れて書いた『盧山』は芥川賞候補に挙がって「美しいかぎりの小説」と推された。謂うまでもない学界の「泰斗」と識られた矢代幸雄著の『日本美術の特質』を勇んで手に入れたのは、少年來美術が好きの行き着いたほくほくの買いもの。強いて胸を張れば、ダテに「美学美術史學」を専攻勉強してきたのでは無かった、「医学」書院勤務の方が寄り道、じつはいろいろに有難い寄り道であった。
寧楽法華寺の平安『阿弥陀三尊』のうち観音勢至の原色に始まり、明治の黒田清輝の『湖畔』 昭和の梅原龍三郎『雲中天壇』 平櫛田中の華麗と清潔をきわめた『鏡獅子』像にいたる210作もの『図録』大判の豪華には、嬉しさ、舞い上がりそうだった。眺めに眺め、ほくほくして書架に藏めた。貫禄、他を圧した。
2023 8/16

* 早起きして真っ先に此の機械(パソコン)前へ来る、と、大きめの機械画面真下の真ん中に、御所、紫宸殿まえの淸寂そのものの広場、紛れもないこれぞ「京の都」の象徴が鎮まっている、私は朝まっさきに「其処へ帰る。
そして機械の下、左の端、に立ててあるのが、無色、閑雅な線だけで描かれた「高山寺」蔵の、飄々と弓を引いて「遊ぶ」二匹、いや二人と謂いたい「兎たち」の名高い「戯画」縦ての繪葉書。想わず笑んで觀る。此処、無色で佳い線だけでの雅境には、これぞ京も洛外の山紫水明が「歴史」のように秘めてある。
葉書の二枚、むろん戴きもの。はいけんしなおす。
「紫宸殿」のには、

拝復 このたびは研究室宛に谷崎潤一郎研究書数十冊をお送りいただき、誠に有難うございました。国文学科の図書として登録し、書庫に配置して容赦の閲覧に供します、以前にも春陽瞳版『鏡花全集』全15巻をご寄贈いただき、ご後輩に感謝しています。
私は3月に定年退職し、新しい生活に戸惑っているところです。数年前から京都御所(=大學に接して真南 秦)の一般公開が通年に変更されたので、散歩に出かけたりしています。 草々 田中励儀

とある。紫宸殿広場が一際に慕わしい。

* もう一枚の、高山寺藏「弓で遊ぶ兎たち」清雅に無色の「戯画」は、どなたから頂戴したろう。

新年おめでとう ございます。お変わりなくおすごしになられてますか。 現状維持もたいへんです。無理? ダイジョブと六割程の動きをしても、後で、こたえています。 ドラマの背景に映っている京都のあちらこちらをみています。旗本の家が京都御所だったりして。 洋ものも。この空と光りの工合は 砂漠のものではないとか。テレビもよく観ています、うたがい深く。困りものです。

『鳥獣戯画』の「空気」に暮らすような、同じ大學専攻での一つ年下、妻が同期の友だち、宛名も二人に書いてあり、「卯」の春の、洒落た「戯画」である。私は此の一年後輩が好きであった。 と、視線を上げると、この機械画面のうえの棚に、私が愛して惚れぬいた村上華岳の名品『墨牡丹』の絵葉書が。同題、私の出世作のひとつなった小説『墨牡丹』をよく「識ったひと」からだ、多分…と手に取った。やはり「兎」戯画を呉れていた彼女、コレは妻迪子へ宛てての「繪」ハガキ。

永栄啓伸の本(=『秦恒平 愛と怨念の幻想』)をお送り下さりありがとうございます。 読みました。
長谷寺に白いぼたんが咲いていたそうです。 今日は疲れ目。(泪ポロロの小さな戯画) うっかりころばないようにしましょうね。

* 名高い長谷の牡丹に触れ合うての繪葉書『墨牡丹』は、宛名に無い私へ、親愛の投げキスと戴いておく。。感謝。
2023 8/31

* やや大きめの画面のパソコン機の前に腰掛ける。私の、定座。真っ先に目にする目の真ん前に清潔無比の「紫宸殿広前」 左手に、高山寺の「弓射る兎たち」の清々しい白描戯画、視線を少し棚上へ上げると村上華岳描く「墨牡丹」、その右脇に白描の「長刀鉾」 そして華岳繪の左に、九谷焼の碧が冴えて葡萄の垂れた繪の、細身に丈のある湯呑み。さらに左へ、華奢な造りの小さな置時計。視野を上めにひろげると、何方に戴いたか「薬師瘡守稲荷御守 元気回復 鎌倉大町 悪病封じ 上行寺」の、鮮やかに緑色の御守りが懸けてある。狭い部屋の一郭、余儀ない「物沢山」とはいえ思いの外に整然と行儀は佳い。
想えば朝日子小さい頃から片付け屋で模様替えが好きな子だった。私と似ていた。
2023 9/5

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