* 玄関に掛けていた岸連山「富士」の好い墨軸をはずして、明日『湖の本』最終166巻の納品に備えた。軸のアトへは、これも好きな弍羽の小鳥の色彩畫額を掛けた。
四十年近く年に数回ずつ手懸けてきた「湖の本」発送を終える、心残りは無い、165回ももう送り出し続けてきたのだ妻とふたりで。よくやってきたと思います。妻には、ただただ感謝。166巻は巻頭にやや長い小説『蛇行 或る左道變』を置いて、湖の本としての最終の「私語の刻」を編成した。
* 仕事は已むのでない、何か姿や顔つきを変えて新しいモノになって登場してくるかも、暫く休憩するにしても。
2024 1/10
○ 秦恒平 様
今から95年前、秦テルヲ(=画家)が瓶原(みかのはら)の好本家から借りていた住まいから京都市内に戻る年(私の母恵子が生まれる年の初夏の頃でしょうか )に、 秦テルヲから直接か好本家からかはわかりませんが、好本家とは付き合いのあった祖父へ、次女の誕生祝いであったのでしょうか(好本家は父方祖母(岩田八重 旧姓好本)戴いた作品が(絹本のまま表装されず昭和四年の新聞に包まれて)あったのですが。
コロナ禍の前に(京都三條通り上ル神宮道の=)星野画廊さんに表装してもらうように預けていました。
先日、できあがったと連絡があり引取に行ってきました。
星野桂三さん(=画廊主)表装によってとっても良くなった言われ、驚かれるできばえだそうです。
人も風景も描かれていない、秦テルヲが瓶原で生んだ作品の中では、これだけではと思える特異な作品です
じっと作品の前に立つものを「見つめてくる雀の眼」に魅かれます。 孝一 拝
(恒平実父吉岡恒の甥 叔母岩田恵子長男 恒平と従兄弟)
* 優れた画家の業績を遺した「秦テルヲ」と私の養家「秦」とに縁があったとは思いにくいが、何も知らない、ただ此の優れた画家が、私の長編『墨牡丹』などで親しんだ華岳や麥遷ら「國畫創作協会」の近辺にかなり自在に活躍した画家とは承知している。京都の加茂大橋邊の「テルオ」と署名の素晴らしい『雪景』小品を,星野画廊で買い入れたこともある。なんだか、またタマラズ京都へ帰りたくなった。
* 孝一君もおげんきで、何時も名からの親切も感謝に堪えない。一度、いっとう末の叔母恵子と母子で下保谷の吾が屋までも訪れてくれている。何かと気を配っては私の父方、叔母にも父方の南山城吉岡本家の様子などを知らせてくれ、南山城の風土を伝える資料類も送ってきて呉れる。有難う。
* 引き換え、生母「阿部ふく」方は、縁戚との触れ合いがほぼ完全に絶えている。滋賀県能登川辺で「阿部」といえば豪商「近江商人」の蟠踞し発展したという土地柄。
建日子などが、文藝・文學への本腰で探索・展開し調べて行けば、想像を超えた重量級の史実と縁戚と物語が広がっていて、巨きな規模の「歴史と創作」との世界が手に入るのだが。立ち向かうに足る勉強も意欲も育てていない。甥の黒川創に期待してきたが、はや、もう老いてきている。姪の北澤街子の質実ににじつは私は素質的にも期待をかけていたのだが。どこで、どう暮らしているかも判らない。
私は。百裁までできるしても、何より「身動き」「歩く」ことが出来なくては九州から江戸ヘまで参勤交代を引き摺るような宏大そうな「母系阿部」の歴史、戸口ヘマでも近づけない。探訪がならない。
2024 2/14
* それでも今日、我が家に一の「逸事」出来。
キチンに、ま、機体も画面も、ま、見映えの大きめ古テレビを久しい「日々昼夜の友」としてきたが、「人の音声」等が擦れ気味に「雑音をかぶり」出した。
機体の見映えも、映像の綺麗さも、廢處分は惜しく、で、そのまま茶の間に移転。西側壁に、國畫創作協会系の画家久保寛(飛路史)の舊作、迫力の大きさで悠揚静かに河底に息づいた『鯉』一尾の、まこと渋くも美しい「横畫軸」のま下へと、据え換えてみた。静謐の画面とテレビ枠のいわば今日風機能美とが上と下でよく釣り合い、満足できた。映像には何衰えなく、人の言葉の擦れて濁ッテきただけが惜しく棄てたくなかった。
ま、これで、同時間に妻は「お相撲」や「録画」が愉しめ、私は国会討議や国際ニュースが聴け、見知らぬ景色や自然が愉しめる。よしよしと。
* そして、もう寝てしまいました
2024 3/28
* 五月と云えば大将人形を飾ったが今モどこかに大将さんと馬とが仕舞われているはず。男の子のるあ友人に上げたいが、ふしぎなほど女の児ばかり。先日訪ねてきてくれた、亡き孫「やす香」の親友「カオリン」に女の子のうまれたとき、江戸時代半ば過ぎた「狩野の画家」の、大きな「蛤」の内にひな人形一対を描いた美しい色紙画軸を上げた。あんな風に男子小学生に、古び切らない間に綺麗な「大将人形」を貰って欲しいが。
* もうほどなく死んで行く私に、あまりに、骨董や書画古道具が多い。不幸にして建日子に、その方の趣味も好みもない。金額に換算されるのは不愉快。いっそ道具屋にいっそうしてもいいと、それらい「店」を心当たり当たっている。電話もかかって来始めている。「売る」のは「イヤ」やなあといささか困惑気味。
* いま、茶の間に、いかにも深い水の底に、じいっと大哲かのように沈んで微動もしない大きい大きい鯉の一尾のみごとな画軸が架けてある。こっちが負けるほど深沈と静寂に大きな鯉の、さながらに英姿。画家は、久保寛(比路史)、村上華岳らと国衙創作協会で近かった仲間内。一代の傑作と観ている。
* 玄関正面には、高校の美術コース生で、私から茶の湯を習い稽古していた、不幸に後年若いまま亡くなるその日まで親密であった友、一水會の画人富永彧子の呉れた形見の「花」を架けている。
今、此の仕事の席間近には、親しい読者で、互いに「鳶」の「鴉」のと呼び合うている、十ほど若い兄弟でフリーの我身高木冨子の呉れた色美しい『浄瑠璃寺夜色』画が、まだ額にも入らぬままに、私の父方生家でごく最近、國の有形文化財に指定された南山城当尾の「吉岡本家」の大きな写真と美しく並んでいる。「浄瑠璃寺」は私を生み育てた父方吉岡家の「家の寺」と聞いている。
* 此処まで「書いていて」実に数語にもあまり「ことばと感じ」と行き詰まっている。苦し紛れに「家の寺」と書いたが、適切に表現の語彙が在る。何度ももちてきたのに、今朝は出て来ない。耄碌とは、こうだ。
2024 5/17
* この「私語の刻」表紙に,美しかった八坂神社西正門の夜景から、アイズビリ描く生き生きと「線」のめでたい大好きな「裸婦」を置いてみた。
2024 8/31
* アイズビリ描く、めざましい「線」の描く仰向きに脚をあげた繪を,日録の表紙のように取り込んできたが、サテも取り替えようかとすると,頑強に消えてくれない。消し方が間違ってるのか、なにとしても美しい「線」賢の裸形は、もういいからと云うて聴かせてもテコでも消え失せず、目覚ましい裸形のまま私を見上げて退場してくれない。アイズビリ線描の名品ではあるのだが。
2024 9/3
* 今朝の 目覚め前に見ていた「夢」がまざまざと残っていて、懐かしいような 怕いような情動に揺すられていた。
いま、リアルの世界に共感も感銘も薄く、ゆすられるような感銘は 結局「読み」からの刺激に拠る。
* 四十八冊のまこと克明にちからづよい漢文の叙事読みついでいる『参考源平盛衰記」第三十三冊では、専ら「木曾義仲」に関わる生き生きとした筆跡にただよう「もののふ」の「もののあはれ」に しみじみ惹き入られて居る。女ながら凜然と勇猛果敢な「巴」も美しく描きだされ、私は 昔から暴れん坊の儘に寂しみを身に抱いた『義仲』物語を 信愛し親愛てきた。
通った京都市立有済国民学校・小学校の校庭には「義仲愛妃」の一人の墓が、枝を張って長け高い橡の大樹の根方に鎮まっていたののを、昭和十七年四月のの「入学式」のひから見知ってきた。
私は、どっちかと謂えば赤旗の平家贔屓の方、源氏では義家や頼朝よりものの哀れの為朝や義経や義仲が贔屓の少年だった。
* ドラマでは『光る君へ』 本では『参考源平盛衰記』 そしていま、ドストエフスキーの『悪霊』と、悲愴のスペクタクル『女王陛下のユリシーズ號』に ひたと向き合うている。満足している。
* 今朝見ていた「夢」の泉は、この、私日録の表紙を飾っている、アイズビリの描いた 美しくも力ある仰向きの線描「裸婦」ではあるまいか。
私、昔から、このアイズビリに力づよく心惹かれてきた。
2024 9/7
* 京山科のあきとし・じゅんサンにいただいた絵葉書のお便り、日本三奇橋の一つとか、「祖谷(いや)のかづら橋」が佳い。
千葉の勝田貞夫さんからの菱田春草「帰樵」の部分も懐かしい。豊中市の安川美沙さんが呉れましたイラストレーター青木欣二による「ラ・フランス」も簡明に美しい。同じく安川さんからの,懐かし上華岳「墨牡丹の図」が名画なら、高山寺「鳥獣戯画」の「弓引く兎」が清潔で雅。
旧友西村明男君からの、建仁寺「風神・雷神」ロサンゼルス池宮チヨちゃんより北斎の「富嶽・凱風快晴」がやはり大きい。
島田正晴氏は墨で、城ケイトさんは線で、それぞれに「秦恒平」の奇貌を。島田産は小さな額繪で墨の「雷魚」も。
京清閑寺道の加門華子さんは西本願寺の美しい「飛雲閣」と「庭園」との写真を。
* 今 たった六畳間の、それも閑雅の書斎どころか、何冊もの辞典や雑多な録音盤など、モノ、モノに溢れかえった直ぐ目の真前あたりの、「絵葉書」だけ を拾ってみた。モノまたモノの熱気で暖房の要らないほどな、旺然と「やかましい書斎」なんです。
原稿は、和机に和服、おお座布団に正座で書かれますかと聴かれたこともあって、呻いて噴いた覚えも有りますなあ。
2024 9/7
* この、ホームページ表紙の「アイズビリ 裸形]の爽やかなこと。
2024 9/12
* アイズビリが、めざましくも見事に美しい。目下の、わが恋人と敢している。
2024 9/13
* 表紙 アイズビリ「線」裸婦の 颯爽と美しいこと。
2024 9/16
* アイズビリ、線の「裸婦」あけひろげな美しさが、いま、なにより心涼しい。クーラーで寝入るのがそれ以上に涼しい。寝べし。寝るべし でなく。
* 夜、九時前。ナニも無し。寝べし。寝べし。
2024 9/17
* 日々、此の『私語の刻』を呼び出すと、いち早く、アイズビリ描く「線」の名画、若く、きれいに、仰向きの脚を高く挙げた裸形が、カラリ「おはよう」と挨拶して呉れる。「色」の繪よりも私は「線」の生きた繪が,好き、数々の美しい線の作に逢うてきたが、此のアイズビリは颯爽として気持がいい。
2024 9/21
* 何十と届くのは、みな「spam」メール。呵呵。
アイズビリ描く「聖裸形」としばし見合い、そして、また寝入るか。
2024 9/23
* 久しく「表紙」に京都の八坂神社石段上、華やかな西正門を据えていた。
この迩頃は、アイズビリ描く、美しく生きて慥かな「線」で「仰向き裸婦」を置き、大いに気に入っている。絵画美とは「色」より「線」だと確信する。新しい色彩を発見したいわゆる印象派よりも、「線」のマチスやピカソについ心が向かう。「私語の刻」表紙アイズビリの裸婦との大学の昔の出逢い、久しくも久しく愉しみ、今も喜んでいる。
* 茶の間に永らく飛呂志悠々の『鯉』一軸を掛けていたが、竹喬描く『残り柿』に掛け代えた。
季節の画軸の掛替えは心楽しい風情の習い。さて此の暮れ、此のお正月には、何んなのを掛けようか。書か、繪か。
2024 10/4