ぜんぶ秦恒平文学の話

能・狂言・古典芸能 2019年

* フルートの協奏曲が 元気に いま終えた。テーブはなんとか使えるようだが、CD音盤がいっぱい在るようにはテーブ録音の音楽は、他に手持ちが無いと思う。圓生の落語はさがせば百番あるがが、これは「聴き」ながら「書く」わけに行かず。

* 階下で、能管のテープが見つかった。これは音楽以上に静かで「無意味」で有り難い。

* 能管は まことにケッコウです。ただ惜しいことに、誰に戴いたか、ひょっとしてあの名張の囀雀さんであったか、テープへの録音に何箇所か躓きがある が、そんなことは気にしない。声・詞にも旋律にも聴き煩うなにもなく、ただもう佳い笛の音色だけが走り流れる。「書き」にも「読み」にも絶好の音色が嬉し い。少し少し要所へ書き進んでいる。ただし歯が痛む。痛み止めの厄介になり午食に階下へ。

* 能管には、田中一次の「恋の音取」と「烏手」とが入っていた。佳い物が手に有った。感謝。ものをみやみとは捨てない徳か。
2019 9/19 214

* 九時十五分。 恋の音取(ねとり) 田中一次の能管(笛)を テープで聴いている。
2019 9/20 214

* 晩は、休息。三遊亭圓生の、唄も咄も豊富におもしろい「三十石」一時間の余を聴いた。実に久しぶり、名人圓生に心底満足。
今夜は、はやく寝入りたい。明日また気を新しく取り組みたい。
2019 9/20 214

* 観世流 山本真賀らの謡曲「清経」をいましみじみ聴いていた。
大学の教授室でもよくこれを聴いていた。
男子も女子も学生たちのよくドアを明けて入ってくる教授室だった。文学の話題で訪れる学生はめったにないが、その他は万般。五時六時までいすわり、その まま帰路一緒に食事を奢ることもまま有った。呑まないがよくいっしょに食べた。学生らとは不快に感じた何ひとつもなかった四年半だった。コンピュータを教 わったのも、このホームページを表紙から設計してくれたのも学生君であった。家まで話しにその後も何年も尋ねて来る何人もあった。結婚式で祝辞をあげた卒 業生も、十人もあった。もうだが定年退職して、二十数年。惘れてしまう。
2019 9/21 214

* 二時間余睡る。眠りを誘うのに、ホメロス「イリアス」を第三編の前まで、「アンナ・カレーニナ」のレーヴィン、キチイのめでたい嬉しい結婚式までを、読んで。
大相撲、乱戦を楽しむ気はなく。
疲れと歯の痛みとで食べられる物もなく、やはり出汁を利かして溶いたた卵汁に味付けした麩を浮かして。歯医者へ行きたいが、その前に長編、可能なかぎり結びかその直前まで運びたいの、だが集中できない。
いまは、誰の作と知れない、むかしむかし人に貰ったのだろう、テープのピアノ曲を聴いている。昨晩の圓生「三十石」は楽しかった。「妾馬」を聴こうかな、たまたま他に芝居話の「淀五郎」「猫忠」などが手近にあるが、笑いたい。
2019 9/21 214

* 圓生の「妾馬」を聴いている。終えたら、ぐっすり寝入りたい。腹具合、少しよろしくない。瞼が重い。
2019 9/21 214

 

* 朝から観世流謡曲「清経」をしみじみと懐かしく聴いていた。いまは能舞台で能一番を観る元気がない、しかしみごとに稽古された名手らの美しい謡曲を聴くのは、どんな音楽の名曲にも匹敵する。家のどこかを捜せばたくさんな謡曲集が潜んでいるはず。
秦の父は観世流を習い、大江又三郎らの能楽堂での地謡に何度か使われたと言っていた。謡曲の美しさを私は秦の父の謡で身に沁み覚えたのだ。私自身は謡え なかった。秦の叔母の茶の湯の方を習い覚えた。いい家へ私は貰われて育ったのだ、申し訳ないほど恩返しの親孝行は出来なかったが。
2019 9/22 214

* 今日も昨日の続き。
もし歯医者が来ても良いとなれば、江古田二丁目、沼袋まで出向くが。
彼岸休みか、連絡付かず。痛み止めで凌ぎ、能管の音色に惹かれながら、順調に(と思う)初稿を読み進み推敲し、正午になった。昼食はろくに出来そうにないが、階下へ。 2019 9/24 214

 

* 当代の名手、喜多の友枝昭世から、十一月、能「井筒」への招待状が来た。国立能楽堂。子息の「翁」が先立ち、野村萬の狂言「酢薑」に次いでの名曲「井 筒」 観たいが、能楽堂で四時間、身がもつだろうか。歌舞伎座とは様子がちがう。しかし、この辺で外すと、もうこの先、能を観る楽しみは絶たれてしまうか も。
2019 9/24 214

* 昨夜は仕事を終え寝る前に圓生の芝居咄「淀五郎」を堪能した。團蔵、仲蔵というふたりの対照的な名人藝にはさまれた新名題淀五郎判官の苦辛が身に沁みた。
床についてからも本を数冊、読み継いでいた。
2019 9/29 214

* 久々に、手近に置いた「志ん生 江戸落語」で、短かな「千早振る」「たがや」を聴いて、いま「岸柳島」をやっている。「志ん生」というと、わたしは、都々逸とか唄が好き。本格の落語となると、やはり圓生。だが笑わせるのは、志ん生の得手で、楽しめる。
最近の咄家で、巧いと唸るようなのに出会えない、物足りない。向こう意気ばかり強かったが、あの談志の咄も雑であった。
志ん生、つぎは「たいこ腹」で、笑わせてくれそう。小唄も都々逸も出そう。
2019 10/21 215

* 白鸚丈、「ラ・マンチャの男」を無事、盛大に打ち上げられたと、礼を副えての来信。お疲れ様。佳い舞台でした。「中村仲蔵」「シーザー」「サリエリ」なども観てきた。セルバンテスは数度も観てきた。師走の、盛綱も楽しみにしている。
来月には、大楽しみ、松たか子の芸術劇場があり、幸四郎・染五郎で歌舞伎座の「連獅子」もある。三日には、友枝昭世の能「井筒」、能の見所はラクでなく、脚の便も国立能楽堂へはやや重いけれど、屈指の美しい能、観えにくくても、耳を澄ましよく聴いておきたい。
2019 10/29 215

* あす、体調に不安は無くないが、千駄ヶ谷へ、招いてくれた友枝昭世の能「井筒」をみにゆく気でいる。帰りには雨になりそうと、しかも日曜で、クラブヘ 寄り道の楽しみもない。新宿の夕暮れを雑沓に揉まれてみてもツマラナイ、池袋で五時すぎになろうか、ま、お能一本やりで帰ることになろうか。すばらしい 「井筒「を楽しみたい。
2019 11/2 216

 

* 今日は、一も二もなく慎重に国立能楽堂に入る。前座の「翁」は遠慮し、ひたすら「井筒」に向き合ってくる。体調のもちますように。帰りは雨らしい。一 時開演だが、二時迄に入るつもり。季候も季候、今日は背広で行く。まだ社宅の頃につくった背広、永くついつい愛用してきた。やせ細ってきたので、胃全摘前 の背広などダボダボ。なにしろ86キロもあった。今は60キロ少し。高校三年生の頃の体重。いまの身幅に合う服はありません。必要もありません。
2019 11/3 216

* もう出かけられるが、疲れはすでにあり、消耗をおそれ、もう三、四十分やすんで、出かける。とろとろと瞼が落ちてくる。少し歩いてシャンとするか。
季候の冷えで、この古馴染み機械、作動可能の画面までに十分はかかる。いかにも老人同士のようで可笑しい。待つ。それのみを覚える。たしかにもう待っているのだなと思う。残り惜しいか。まだ、もう少しは。
昨日、階段で左腰がカクっと小さく落ち、びっくりした。膝も怖いが、腰の抜けるのはもっと怖い。気を付け付け歩かねば。荷物を多く持たないこと。背負い鞄を軽くしておくこと。今日の帰りは雨という。折り畳みでも傘は荷になる。

* なんとなく時季はずれな「翁」の、それも、若い人の「披(ひら)キ」は失礼した。

* 狂言の「酢薑」は、案の定ひどかった。もう野村萬の狂言もそろそろ観られまいなと席についたが、まったく狂言から生き生きした笑いが湧かず、演者だけ で生気のみじんもない笑い声をあげ、見所はただシラケている。萬はさすがだが、若手は狂言が見所をコソ笑わせる藝だということを微塵も思っていないらし く、当人だけがこれが狂言藝でございとしらじらしい笑い声で場を塞いでいる。「冷えた情念」と題して今日の狂言藝を徹底批判したのは三十年以上も昔。も う、お笑いどころかお話しにもならない。0oわせる力のない狂言など、やめてくれ。

* さて今日のメインの昭世の「井筒」 さすがにシテはきちんと観せてくれた。が、例によって間狂言でだれた。間狂言は、シテが幕中入りの間に見所の客に 能の本筋やいわれを知らせる役。それが見所をホッポラカシて、お二人でしんみりむっつりスローの対話では、おはなしにもならない。大切なのは見所の理解ま た悪影響退屈させないで間を持たせる、だから「間狂言」なのに、お二人でねちねちと内緒話のようでは、かりにも狂言とはいえまいに。

* 鼓がじつによかった。地謡は低調であった。喜多の地謡はもっとシカとしたものてあったはず。

* それにしても「井筒」は懐かしい曲。筒井筒、少年少女からの恋の物語であり、わたしの最新作「清水坂(仮題)」もしかり、追いかけて書けそうな、「信じられない話だが」もそうなるか。ごく短い「井筒」を書いた覚えがあるが、また書きたい。

* それにしても、街へ出ても、美味いどんな食事にも出会えない味気なさ。結局、酒しかないとは。

* 出歩きながら、「オイノ・セクスアリス 或る寓話」の第三部一部抜きを読んでいたが、「松さま」こと吉野東作氏のもらっている実に頻繁な「雪」「雪 繪」からのメールの、みごとに簡潔で雄弁でムダもタカブリも無い自然さに、作者、われながら嬉しくなる。最良のラヴレターが書けていると思うが、如何。

* 幸い、雨に降られず帰って来れた、が、帰路、満員電車の中で途方もなく「恥ずかしい」思いをした。あんまりなので、書かないで置く。(ズボンを、ベルトでなく、前後で吊っていた、その背後の留めが外れたのです。参ったよ。)
2019 11/3 216

* 妻、昨日の疲れ寝のあいだに、「年譜」を校正しながら、懐かしい落語「芝濱」を聴しんみりと聴く。昭和三十二、三、四年の昔の克明な年譜を顧みながら、六十年という久しい上京・結婚生活を思う。「がんばろうぜ」と妻はその昔に私を励ました。よくがんばったと思う。
2019 12/22 217

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